ザビ家成り代わり (くずみ@ぼっち字書き。)
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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 1【転生】

 

 

 

 目が醒めたら、“ガルマ・ザビ”だった。

 

 あ…ありのまま今、起こった事を話すぜ!

 昨日ベッドに入るときまでは、“おれ”は“三日月・オーガス”だった。

 目覚めたら知らない部屋で、鏡に映っていたのは、まだ少年といった年頃の“ガルマ・ザビ”だった。

 な…何を言っているのかわからねーと思うが、おれもry――って、一通りポルナレフ状態になってみたけど。

 ――ん。寝なおそう。

 もう一度ベッドに潜り込む。

 最近疲れてんだよ。結構いいお歳になってたからさ。だからこんな夢見るんだ。

 枕を抱きしめて目を閉じる。

 眠りは速やかに――訪れなかった。

「いつまで寝ているの! だらしが無い。さっさと起きなさい!」

 勇ましく部屋にふみこんで来たのは、うお、キシリアお姉さま? 随分とお若くていらっしゃる。

 短くした赤い髪。すらりと伸びた背は、女性にしては高い。

 まだ二十歳そこそこなんだろう。きつい顔立ち。女らしさ、艶めかしさを――あえて隠そうとしてるのかな、勿体ない。

 ぽやんと見上げていたら、とうとう布団を引っ剥がされた。

「いい加減にしなさいガルマ! ……ガルマ? お前、具合でも悪いの?」

 覗き込んでくる眼差しが、急に心配げに揺れはじめた。あれ、この頃はまだ優しいのか。

 記憶にあるキシリア・ザビの印象とは異なり、その瞳には他者を謀る色は見つけられなかった。

 伸ばされた手が額に当てられて、熱を探る、その真剣な表情。

 くすぐったいような心地で、至近で笑いかければ、キシリア・ザビの暗い鳶色の眼が見開かれた。

「姉さまの手、冷たくて気持ちいい」

「熱があるのよ、ガルマ。いいわ、このまま寝てなさい。いま人を呼ぶから」

 放される手を掴んで。

「姉さまが良い」

「甘ったれないで」

 ピシャリと反る言葉とは裏腹に、その手が振り払われるようなことはなかった。

 案外、甘えられるのに弱いらしい。

 ベッドに腰を下ろして、横になるように促してくるから、枕にまた頭を下ろす。

 目を閉じるけど、でも、もう眠気は戻ってこなかった。

 どうやら夢じゃなさそうだし――え、“三日月”の人生は生き切っちゃったってこと?

 ドタバタと山あり谷あり。ジジイになってもなんだか忙しくて、最近ようやく楽隠居のレールを引けたかなーってほくそ笑んでた矢先なんだけど!

 やりきった感はあるけど、未練が無いと言ったら嘘になる。

 唐突に世界から切り離された寂しさに、幼いこの身が震えた。

 だけど、いつだって終わりはこんなものだった気がする。

 後進にすべてを託す手筈を整えてて良かったと、そう思い切るべきか。

 ――…………。

 っていうか、この場合のボスってどこにいんのさ?

 絶対に居るよね。居ないはずが無いんだ。

 まさか、彗星様か?

 それやばくね? 今度こそボスがMS乗るの? 乗れるの? ねえ。

 でも、彗星様がボスじゃない場合、“ガルマ”の死亡フラグが立っちゃうよね?

 ここでも生きるのに難易度高い感じ。ふおお。求むイージーな勝ち組人生!

 と、カツコツと硬い足音が近づいてきてる事に気がついた。

 廊下だ。なんだろう、ねぼすけガルマを起こしに来るって、今度はお父様だったり?

 デギン・ソド・ザビ――ガルマには甘い父親だったもんね。

 だけど、予想に反して、扉を開けて入ってきたのは。

「ギレン?」

 キシリア姉さまが意外そうな顔をするのも、さもありなん。

 あんまり兄弟に関心が無さそうなギレン・ザビが、なんだか難しい表情で立っていた。

 ――ってボスゥ!?

 ひと目でわかったよ。ギレンじゃなくて“ギレン”。

 中身ボスだよね‼

 対する“ギレン”の方も、目をかっぴらいた“おれ”が誰だか気がついた様子だった。

「“ガルマ”」

「ん」

 頷いて見せれば、ふっと息が落ちた。

「熱があるようなの」

 キシリア姉さまの言葉に、“ギレン”が眉を上げた。

「そうか。私が診ていよう。お前は父上に知らせてくれ。食堂でやきもきしている」

「そうね。ほら、ガルマ、手を放しなさい」

 口調はキツイけど、添えられた手はやんわりと。

 そっと放せば、白い指先が髪を優しく梳いていった。

「大人しくしているのよ。――頼むわね、ギレン」

「ああ」

 キシリア姉さまが慌ただしく部屋を出ていく。戸口で一瞬、気遣わしげに振り向いて、

「後で様子を見に来るから、ちゃんと寝てなさい」

 本当にお優しい。

 ニコリと笑って頷けば、ぎこちない微笑みを残して、今度こそ姉さまの姿は戸口の向こうに消えていった。 

 同時に、“ギレン”がギロリと睨んできた――ん。三白眼って迫力あるね。

「……もう誑かしたのか」

「人聞きの悪い。優しい姉さまに甘えてただけじゃないか」

 唇を尖らせれば、フンと鼻を鳴らされる。

 ヒドイなぁ。

「で、今度は“ギレン”と“ガルマ”か」

「そうみたいだね――コロニー落とさないんでしょ?」

「当たり前だ。お前だってシャアに謀られる気は…」

「無いよ!」

 食い気味に答える――『坊やだからさ』なんて言わせるつもりは無いんだ。

 ギレンのあの演説は惜しいけど、命大事!

 さて、肝心のシャア・アズナブル――今時分は、まだキャスバル・レム・ダイクンなのかな――は、早々に確保する必要があるよね。

「どうすんの? “ギレン”」

「“ギレンお兄さま”と呼べ。そうだな、今のうちに色々と手を打たねばならんな。ダイクンの妻子は纏めて保護する――ランバ・ラルから落とすか」

 三白眼がギラリと光る――うわ。悪そうな顔。

 ボス――“ギレン”の頭の中では、あれこれ謀略が展開されてるんだろう。なんかもう、ラスボス感が早くも漂い出してるし。

「そう。じゃあ、おれはザビ家をどーにかするよ。親父と姉貴と、あとはドズル兄貴かな。サスロ兄さんは……どうかなー」

 取り敢えず、ザビ家の崩壊は何とかして阻止しようと思うんだけど。

 あのガチギレ系次兄とは、上手くやってける未来が見えない。

「お前とは根本から相性悪そうだからな」

 だよね。

 なんて話してたら、廊下でバタバタと慌ただしい足音が――“ギレン”のそれと違って、これ走ってるよね。

 二人で扉に目をやれば、バァン、と、大きな音。

「ガァルマァッ‼」

 そしてそれ以上の大音量が。

「ドズル兄さま」

 ん。足音から予想はついてたけど、怖い顔は変わらず、でもまだ傷の無い、少し若いドズル兄貴が、ベッドのすぐ横まで駆け込んできた。

「熱を出したと聞いたぞ!」

「ドズル、落ち着け。あまり騒ぐと“ガルマ”の体に障る」

 って、嘘だ。おれの体を案じたんじゃなくて、『うるせえ』って思っただけだよね、その顔は。

 だけど、ドズル兄貴は素直に受け止めたらしかった。

「おお。すまんギレン兄上。……大丈夫なのか? ガルマ」

 潜められた声。ションボリと眉を下げた怖い顔が、ぬぬっと近づいてくる。

 その頬に、ペタッと手のひらをくっつけて。

「へーき。心配かけてごめんなさい。ドズル兄さま」

 ニコリと笑いかければ、大きな体がふるふると震えた。

「ガルマ、お前は俺と違って体力がないんだから、無理をしてはいかんぞ」

「はい。でも、ぼくもすぐにドズル兄さまみたいに強くなるから!」

「おお、そうか、そうか」

 強面がデレデレと崩れて、大きな手が頭に乗った。多分、優しく撫でてるつもりなんだろうけど、首がグルングルン回る。ふおぅ⁉

「ドズル、“ガルマ”の首がもげるぞ!」

 “ギレン”が慌てて止めに入ったから、おれの首は守られたけど。

「……ガルマ」

 お? さらに誰か来た。

 重たい声に顔を向ければ。

「お父さま! 姉さまも!」

 おおう、家族勢揃い――じゃないね、サスロ兄さまの姿がないもの。

 ベッドから飛び出そうとすれば、

「こら、ガルマ!」

 ドズルの手に阻まれた。

「急に動いてはいかん!」

「大人しく寝ていなさい!」

 姉さまも慌てて駆け寄ってきて、二人から叱責――だけど、すごく心配そうな声。

「おお。起き上がれるのだな。ガルマ、辛くはないか?」

 恰幅が良くて強面で、サングラスのスキンヘッド。並び立てれば子供が怖がりそうな要素ばかりだけど、お父様のこの声の甘さよ。

 なるほどね、ガルマ・ザビ、お坊っちゃんに育つはずだよ。御令嬢なみの『蝶よ花よ』だ。

 ベッドに腰掛けた父親に、飛びつくように抱きついてみれば、その身が笑いに震えて、ギュッと抱きしめ返された。

「うむ。少し熱いな。寝ていなさい。大丈夫だ、いまサスロが医者を手配している」

 大袈裟な。

 どーせ、“おれ”が成り代わったことによるショックとか、その辺りで発熱してるんだろうから、大人しくしてたら治るよ、きっと。

 不満が顔に出ていたものか。

「ちゃんと診てもらうのだぞ?」

 念押しされて、渋々頷いた。

 ちらりと“ギレン”に視線を向ければ、呆れたような表情――『誑しめ』と、その唇が動いた。

 そりゃそうさ、おれたちの生き残りが掛かってるんだ。味方は多い方が良いだろ。

 それに、ガルマの身体が、家族からの愛情を覚えてるんだ。だから、敢えてそう振る舞ってるわけじゃ無い。

 ぬるま湯みたいな、真綿で包まれてるみたいな、優しい世界。

 これが、あんな風に互いを陥れ、殺し合うような間柄になるなんて――否。そんな事には、もう、させない。

 ここで生きていかなきゃならないなら、おれに愛情を注いでくれるこの人達を、“おれ”なりに守るとするよ。

 ボスもいるからね。

 ゆっくりと寝台に戻されて、横たえられれば、少しの熱っぽさと怠さが。

 身体の幼さに意識が引っ張られてる。戻ってきた眠気に逆らわずに目を閉じれば、皆の手で、代わる代わるに頭を、頬を撫でられた。

 眠りは、速やかに訪れた。

 

 

        ✜ ✜ ✜

 

 

 “ギレン”が言うには、ここは“the ORIGIN”に類する時間軸なんだそうな。

 時期は、キャスバルとアルテイシアが、地球に脱出する直前といった頃合いだろうと。

 それと判断した“ギレン”の動きは、それはもう早かった。

 ジオン・ズム・ダイクンが斃れたあと、デギン・ソド・ザビが、政敵であるジンバ・ラルを抑えてムンゾ自治共和国のトップに立つと、“ギレン”は、すぐさまラル家の嫡男ランバと共謀して、ダイクンの妻子(正確には愛人のその子等だけど)を保護した。

 テアボロ・マス、出る幕なしである。

 “ギレン”の調略は留まるところを知らなかった。

 もとのギレンとは違って、デギンパパからの信頼も厚いし、その気性ゆえに反発し合う――むしろ憎み合う弟妹の間を取り持って、見る間にザビ家の権力を拡大していく様は、見事としか言いようがなかった。

 家族の情に訴えて内部の崩壊を防ぐのが“ガルマ”なら、理性に働きかけて協力体制を築くのが“ギレン”なんだろう。その上で敵を叩く――確実に。

 ザビ家の結束は固く、いまやムンゾは裏で『ザビ帝国』なんて囁かれる程だ。

 だけど、ザビ家がダイクンの子供達とその母親を手厚く保護し、決して蔑ろにしていないことも広く知られていたから、表立って非難する者は少なかった。

 このあたりは、世論を操るに長けたサビ家の次男――サスロ兄さんの手腕もあるかもね。

 ともかく、この時点で、元の物語における“赤い彗星”の歩む道は、大きく改変されていた。

 少なくとも、ザビ家が父親の仇と憎まれることは、もう無い。

 そのうえ、さらに、ここへきて“ガルマ”の先行きも歪曲されることになるとは。

「お前をダイクンの一家に預けることにした」

 唐突に言われ、眼を瞬かせる。

 呼び出された部屋には“ギレン”の他に、キシリア姉さまとサスロ兄さんがいた。

 ――はい?

 ダイクンって彗星様のファミリーだよね? なんで、おれがそんなとこに預けられるのさ?

 元の物語にそんなエピソードの存在はございませんでしたががが?

 咄嗟に返事ができずに、口をパクパク開閉する。

 視線の先で、キシリア姉さまが気遣わしげに眉を下げたけど、その唇は厳しくギュッと結ばれたままだった。

「お前の甘ったれた性分を矯正するためだ」

 サスロ兄さんがフンと鼻を鳴らす。

 元のガルマにしろ、おれにしろ、この兄との相性はどうにも宜しくなかった。

 むしろおれになった分、余計にキレられるような気がしなくもない。

 目障りな弟を遠ざけることが嬉しいんだろう。小さな目の奥には愉悦――だけど同時に、微かに案じる色が。

 清々しつつ心配するって、ホントに器用だよね。まあ、散々文句言いながらチョコレートくれる人だしな、サスロ兄さんってば。そーゆーとこはキライじゃないよ。

「お前もサビ家の男なら、それに相応しくあらねばならぬ。だが、この家に居てはそれは身に付かぬだろう」

 残念なことにな、と首を振る“ギレン”だけど。ちょっと待って、絶対に真意は別のところにあるよね?

 だって、ザビ家の腹黒さなら、おれ標準装備してるもの。

「お父様とドズル兄様は……」

「父上にはご了承いただく。無論、ドズルにもな」

 “ギレン”がシレッと言うけど。

 ――事後承諾かよ。

 だよね。デギンパパ、絶対に反対するもんね。むしろ大激怒しそうなんだけど、大丈夫か?

 とりあえず、眼を見開いてウルウルぷるぷるしてみる。参考はどっかのチワワね。

「うッ」と、キシリア姉さまとサスロ兄さんが呻いて目を逸らした。

 ん。効果は抜群だ。

 その様子に、“ギレン”がギロリと睨み下ろして来る。

「荷物はもうあちらに揃えてある。不足分があれば新たに揃えよう――すぐに向かうぞ」

 否応なく手を取って引き摺られる――うおお、と、たたらを踏めば。

「ギレン兄!」

「ガルマ‼」

 思わず、といった体で二人から声があがった。

「甘やかしてはならん!」

 ☆一徹みたいな厳しい声で“ギレン”が言い放ち、キシリア姉さまとサスロ兄さんがピタリと動きを止める。

 凄いな“ギレン”。すっかり掌握してるじゃないか。

 戸口から心配そうにおれたちを見送るその姿は、さながらW明子姉さんって感じか。

 そして、おれは家を離れて教育を受けることになった。

 頑張って“ガルマ”やってるつもりだけど、やっぱり色々とボロが出そうになってるからだって“ギレン”が。

 父上も、キシリア姉さまも、サスロ兄さんやドズル兄貴も、毎日バタバタと忙しそうだったから何とか誤魔化せてたけど、ずっとは難しいと判断したみたい。

 それなら、いっそ離れてしまえば良いのだって、その考え雑じゃないか?

 家を出たことで性格が歪んだことにしようって何だよ。

 まあね。性格の違いを誤魔化すのも確かに目的の一つだけど、実のところ、キャスバルも一緒に同じ教育を受けるみたいだから、幼馴染みの枠をキープする狙いの方が大きいんだろう。

 搦手の好きな“ギレン”の考えそうなことだった。

 

 

 そんなこんなで、キャスバルとの顔合わせである。

 ジオン・ズム・ダイクンのセレモニーのときにチラリと視線は合ってたけど、それだけだしね。

 アチラさんも大変な時期だし、恐らく印象にも残ってないだろうさ。

 “ギレン”に手を引かれ、キャスバルとその家族が匿われているフラットへ。

 客間に通されたものの、そのまま“ギレン”はどっかに行っちゃったから、物凄く手持ち無沙汰。つか、普通、子供ひとり――頭脳はオトナ!――置いてくかね。

 猫脚のソファに腰かけて、ぶらぶらと足を揺らす。

 グリーンの濃淡とクリーム色が基調の内装は、柔らかく落ち着いた印象だった。

 良い部屋じゃないか。“ギレン”の趣味とは違うけど。アストライアの好みかな。バロック様式を模してるの。

 待つこと暫し。

 不意に、キィン、と、かき氷をかっ込んだときみたいな痛みが来た。

 瞬間、誰かの思考が、視界が交錯する。

 頭の芯のあたりに小さなレセプターが発現したみたいな。

 繋がってる――自分以外の誰かと。

 ――なんだこれ???

 おれも驚いたけど、相手も滅茶苦茶に動揺してる。

 そりゃそうだ、いきなり他人と頭が繋がれば、誰だって冷静じゃ居られないだろう。

 ましてや、おれの4日目のカレー(そうとう危険)みたいな脳味噌相手じゃね。

「『誰だ⁉』」

 酷く冷たくて、だけど熱くて、潔癖なくらい澄んだ意識と、鋭い声に誰何される。

『君こそ誰さ?』

 声には出さず、思考波だけで返して振り向けば、戸口に金髪の天使が居た。

 ぱっちりと見開かれた、鮮烈な青い目と視線が合う。

 ――ふぉう⁉ 彗星様じゃないのさ‼

 まだ子供だけど。

「……子供の彗星様ってなんだ?」

「勝手に思考読むなよ。無作法だぞ」

 唇を尖らせて抗議すれば。

「勝手に流れ込んでくるから仕方ないだろう。それにとても……グチャグチャでよく分からない」

 顔を顰めて言い返された。

「そう。君の思考は整頓されてていいね、腹黒いけど」

「君のほうが無作法じゃないか!」

 クールなように見えて実は熱いよね、彗星様。

「おれ――じゃなかった。ぼく、“ガルマ・ザビ”。よろしくね!」

 にっこり、と、無邪気に微笑んでみたら。

「お前なんかとよろしくしない」

 ツン、と逸らされる顎。

「へえ。キャスバルさまは挨拶もできないのか」

「挑発しても無駄だ」

「挑発? 単なる事実だろ。おれは名乗った。お前は名乗らなかった」

 ふふん、と、鼻を鳴らしてやれば、凍るような青の眼差しがギリギリと睨んできた。

 それに視線を合わせて、真っ白な子猫が毛を逆立てて威嚇してくる可愛らしいイメージを、直接頭に送信してやる。眼の色はブルーだ。

 揶揄の意図に気付いたらしき彗星様は、ニコッと笑った次の瞬間、拳を握った。

「お前なんかやっつけてやる!」

「やれるもんなら? Viens ici. Un mignon petit chaton(来いよ、可愛い仔猫ちゃん)!」

 殴られれば、殴り返す。

 蹴られれば蹴り返すし、ついでに噛み付く。

 子供の体が呪わしい――彗星様の発育の方が早いようで、リーチが不利!

 だけどフェイントとかで凌ぎに凌げば、なんとか互角。

 あっという間に、お互いにボロボロになった。

「参ったって言え!」

「やなこった!」

 彗星様は負けず嫌いらしく、どうあっても降参させたいみたいだけど、生憎、おれも負けず嫌いなんだよ。

 大人気ないなんて百も承知。よろしい、ならば戦争だ!

 ドタンバタンと大きな物音を立てていれば。

「“ガルマ”ァ‼?」

 扉から“ギレン”が飛び込んできたと同時に、スパァアアンッ、と、すんごい良い音が後頭部で鳴った。

 ――イッターーーーッ!!!?

「殴ったね⁉ お父様にもぶたれたこと(今生では)無いのに!!!」

「いまキャスバルに殴られてただろう!」

「そこはノーカンで」

「ド阿呆‼」

 突然始まったザビ家の兄弟の争いを、キャスバルがキョトンとした顔で見ている。

 それに気付いて、“ギレン”が今更のように咳払いをした。

「――キャスバル⁉」

 次に響いた高い声は、アストライアか。戸口から、またひとり、美しいご婦人が現れた。

「……お母様」

 途端に、キャスバルがバツの悪い顔になった。

 思考波が乱れてる。

 怒られることを案じるより、困らせることを厭っている。なんだ、良い子かよ。

「弟が申し訳ない」

 先手必勝とばかりに“ギレン”が謝罪する。後頭部を抑えられて、無理やり頭を下げさせられた。

 ええええ、おれがひとり悪者ってこと? 喧嘩両成敗って言葉を知らぬはずもあるまいに。

「喧嘩なんてして! ふたりとも、大きな怪我などしてないかしら?」

 お優しいお母様は、おれのことも心配してくれるらしい。

 仕方のない子たち、なんて風情の苦笑。それにしても美人だな、と、眺めていれば。

「お母様をジロジロ見るな!」

「キャスバル!」

「美人に目が行くのは男として当然だろ!」

「“ガルマ”ァ!」

 こんな感じで、ファーストコンタクトは、お互いに印象の良いものじゃなかった。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 1【転生】

 

 

 

 気がついたら“ギレン・ザビ”だった。

 いや、正確に云えば、やけに立派なデスクについて、書類を手に持っていたわけだが。

 ――書類? 鉄オル世界で紙の書類???

 紙の書籍が高級品で、“書類”はすべてPDF的なものばかりのはずの鉄オル世界で?

 確か、つい今さっきまで、ヴィーンゴールヴの執務室で、タブレット片手にマクギリス・ファリドの仕事を手伝っていたはず――そう、オルガ・イツカ・クジャンとして――だが、これは一体。

 目を擦って、手許の書類にまなざしを落とす――えぇと、何々、“MS計画の進捗に関する報告書”――

「――MS計画だと?」

 ちょっと待て、これはいつの時間軸だ。

 と、

「それは、ドズル大佐からのものですわ。ギレン閣下にご報告まで、と」

 胸の大きな、金髪碧眼の美女――尉官の軍服を着ている、多分、秘書官のようなものだろう――が、そう声をかけてきた。制服は、もちろんジオン軍のものだ。

 ――ビンゴ。

 何が何だかわからないが、鉄オル世界に飛ばされた時と同様、いきなり宇宙世紀に飛ばされたわけだ――しかもこれは、恐らく『the ORIGIN』の時間軸。

 ――しかし、よりにもよってギレン・ザビ。

 いやまぁ、オルガ・イツカに成り代わった時に、宇宙世紀なら誰かなんてことは想像したこともあるけれど。

 正直に云うと、ギレン・ザビは好きではない――嫌いと云うほどでもないが――し、策略謀略は大好きだが、アジテーターの才能が自分にあるとは思われない。

 根本的には、演説するにもロベスピエール型なので、ギレン――仏革命的には恐らくダントンか、あるいはエベール――のような煽り立てる弁舌は持ち合わせがないのだ。

 これは困った。

 まぁ、下手にシャア・アズナブルなんかでなくて良かった――MS操縦に関しては、欠片も自信はない――が、これはこれでナンである。

 とにかく、今の正確な日付を確認せねばなるまい。MS計画云々と云うからには、少なくともまだアイランドイフィッシュは落とされてはいないのだろうし、連邦軍とも揉めてはいないのだろうが、どの時点かによって、取るべき道筋が違ってくるのだから。

 書類を睨んでいると、ノックとともに扉が開き、見たような顔が入室してきた。

「ギレン兄」

「……サスロ」

 入ってきたのは、ザビ家の次男、サスロ・ザビだった。

 ザビ家の兄弟で、実は一番デギン・ソド・ザビに似ているのは、このサスロなのではないかと思う。体格と云い、目つきと云い、これが歳を重ねるとデギンとそっくりになるのは目に見えている。

 ギレンやキシリアも、顔はデギンに似ているが、体型はもう亡い母親に似ているのだろう、割に細めの筋骨型と云うものだ。

 してみると、一番母親似なのはガルマ、性格だけやや似たのがドズルと云うことになるのか――ガルマとドズルに似た女、とは、一体どんな人間だったのだろう。

 つらつら考えていると、

「ギレン! キシリアはどうにかならんのか!」

 デスクを激しく叩かれた。ドズルではないので大丈夫だと思いたいが、後で凹みがないか確認しなくては。

「……どうした」

「どうしたもこうしたも! キシリアの奴、ダイクンの屋敷に、部下を連れて乗りこんだのだ!」

「……ほぅ」

「ジンバ・ラルから、厭味がきたぞ。ラル家が今、ダイクンの遺児たちにべったり張りついていると、わかったくせにあんなことを……!」

 ダイクンの遺児、ジンバ・ラル。なるほど、では今は、ジオン・ズム・ダイクンは死に、その子たちが地球に逃亡する、そのわずかな隙間と云うことか。サスロが生きているなら、ジオン・ズム・ダイクンが突然死してからその葬儀までの、数日のうちいずれかの日なのだろう。確かサスロは、葬儀のその日の車列の中で、爆発物を――多分キシリアに――仕掛けられて、爆死したからだ。

 なるほど、ジオン・ズム・ダイクンの葬儀の前ならば、まだ打てる手はあるはずだ。

「……ふむ。ジンバ・ラルの息子は、確かドズルの麾下だったな?」

 あやふやな“記憶”だが、間違ってはいないようだった。

 サスロは、当惑ったような顔で、

「あ? あぁ……」

 と頷いた。

「よし、ではドズルを呼べ。ラル家に妙な動きをされてはかなわん。まずはランバ・ラルを抑える」

「それでどうするんだ」

「ジンバ・ラルが、ダイクンの遺児をどこかにやらんようにしなくてはな。そして、ザビ家がかれらの後見になる」

「……なるほど、囲いこむのか」

「ジンバ・ラルは、妄念から、余計なことを吹きこむのは目に見えている。ともかくあれから引き離し、ラル家の当主はランバ・ラルに継がせて、ジンバ・ラルは隠居させる」

「それで、ラル家は納得するか?」

「ランバ・ラルに、ダイクンの家族の警護を任せれば良かろう。――あちらは、確か正妻との間に揉めごとがあったはずだ」

 シャア・アズナブルとセイラ・マス――キャスバル・レム・ダイクンとアルテイシア・ソム・ダイクンの母、アストライア・トア・ダイクンは、ジオン・ズム・ダイクンの正式な妻ではなかったはずだ。正妻はローゼルシア、ダイクンと云う家名も、元はこの正妻のもので、ジオンは正妻とその家のバックアップによって活動し、共和国首相の座に昇りつめたはずだ。

「ダイクン家とことを構えるのは得策ではないが、嫉妬に狂った女は、何をやるかわからんからな。あの三人は早々に押さえておきたい。それから、ランバ・ラルも」

「あのジンバ・ラルが、納得するものか!」

「だから、息子を押さえるのだ。息子をそれなりに優遇して、ぐうの音も出ないようにしてやるのだ。わかったら、ドズルを呼べ」

 云うと、サスロは唇を噛んだ。

「わかった――だが、キシリアにはきちんと釘を刺してくれよ」

「わかっている」

 いずれ、地球連邦政府とは対立することになるのだ。その時に、ザビ家の内紛が元で敗北する、などと云うのは困るし、それを“赤い彗星”に助長されても困る。様々な芽は、早め早めに摘んでおくに限る。

 椅子に沈みこみ、ついでに先ほどの“MS計画”の書類を見る。

 概要は、例のMWを戦闘用に、と云うことだが、まだそこに、T.Y.ミノフスキー博士の名はない。

 ――こちらも、早めに勧誘してこないとな……

 ついでに、できればテム・レイと、その息子アムロ・レイも。

 RX-78ガンダムのデザインは連邦軍向きだが、やはりあの技術は欲しい。テム・レイは、ヤシマ財閥下の企業からアナハイム・エレクトロニクスに移籍したようだから、ある程度――つまり、ルウム戦役前のUC0078あたり――にでも、直接声をかけてみるとするか。

 つらつら考えていると、控えめにドアがノックされ、ドズルがのそりと入ってきた。

「兄貴、呼ばれたと聞いたんだが」

「あぁ、ドズル。お前の麾下に、ランバ・ラルがいたはずだな? 確か、少佐で」

「ランバ・ラルは、俺の下ってわけじゃない。まぁ、命令することはできるが……奴が、何か?」

 こちらを伺うまなざし。ドズルは、本当に気の良い男なのだとわかる。

「ランバ・ラルに、お前の命令で、アストライア・トア・ダイクンとその子らの警護を命じろ。ジンバ・ラルが怪しいのでな、早めに手を打ちたい」

「ジンバ・ラルを排除するのか」

「ランバ・ラルにな。あの年寄り、妄言をダイクンの遺児たちに吹きこみかねん。ザビ家がジオンを暗殺したなどとな」

「……もう云ってると思うが」

「わかっている。それをこの辺で止めさせるのと、ダイクン家の手からあの家族を守るのと、二つの理由を告げれば、ランバ・ラルとて納得するだろう。しなければ、私が直接云っても良い」

「兄貴とあいつは合わないと思うぞ」

「合う合わないの話ではない。ともかくやれ」

「……わかった」

 ドズルは、おとなしく出ていった。

 さて、ともかく最初の手は打った。後は、キシリアだが。

「……キシリアは」

 問いかけると、秘書官はどこかへ連絡し、

「キシリア様は、ガルマ様のお部屋へ行かれたそうです」

「ガルマ?」

「はい、朝食の席にお越しにならないとかで、様子を見に行かれたのでしょう」

「なるほど」

「デギン様が、やきもきしておられたとか」

「うむ」

 そうか、ガルマ・ザビがいた。

 と思って、厭な予感に苛まれる。

 このシチュエーションで歳下の男、と云うことは――そして、サスロとドズルがオリジナルのままだった、と考えると――まさかと思いたいが、ガルマ・ザビは“三日月”なのではないか――つまり“ガルマ・ザビ”と云うものなのではないか。

「……ガルマの部屋に行ってくる」

 これは、確認しないわけにはいかなかった。

 勝手のわからない屋敷の中を、うろうろと歩く。足取りがゆっくりなので、まさか迷っているとも思われるまい。

 と、向こうの方から、何やら聞き憶えがなくもない声が響いてきた。あれは、キシリア・ザビのものに間違いない。

 と、云うことは、ここが目的の部屋なのだ。

 ひょいと中を覗きこむと、

「ギレン?」

 間違いなくキシリア・ザビが、驚いたように目を見開いた。

 そして、その奥の寝台に横たわり、目を丸くしてこちらを見るのはガルマ・ザビ、いや、これは間違いなく“ガルマ・ザビ”だ。その間の抜けた顔、造作の割にふやけた表情、間違えるはずがない。

「“ガルマ”」

「ん」

 元“三日月”ですと頷く顔。

 それに、ふと息がこぼれる。

 キシリアが、

「熱があるようなの」

 と云う。なるほど、稀代の策士も、弟には甘いのか――その“弟”の中身を知ったら、キシリアは一体どうするのだろう。

「そうか。私が診ていよう。お前は父上に知らせてくれ。食堂でやきもきしている」

「そうね。ほら、ガルマ、手を放しなさい」

 キシリアは云って、“ガルマ”の手をそっと外させ、なだめるようにその髪を梳いた。

「大人しくしているのよ。――頼むわね、ギレン」

「ああ」

 頷くと、キシリアは背筋を伸ばして退出しかけ、戸口でこちらを振り返った。

「後で様子を見に来るから、ちゃんと寝てなさい」

 云うや、今度こそ食堂へと歩み去る。 

 その後ろ姿を眺め、ふへっと笑う“ガルマ”をじろりと見た。

「……もう誑かしたのか」

 と云うと、唇が尖る。

「人聞きの悪い。優しい姉さまに甘えてただけじゃないか」

 それに、鼻先で笑うしかない。何が“優しい姉さま”だ。

「で、今度は“ギレン”と“ガルマ”か」

「そうみたいだね――コロニー落とさないんでしょ?」

「当たり前だ」

 そんな経済的でなく、人道的でもない作戦に意味はない。

 それよりも、周到に立ち回って、少しでも“ジオン公国”――になるかどうかはまだわからないが――の有利に働くよう、様々なことどもを回さねばならぬ。

 そう、

「お前だってシャアに謀られる気は…」

「無いよ!」

 ――宜しい。

 “ギレン・ザビ”になってしまったからには、仕方がない。アジテーター向きではないのは五万も承知、であるからには、いつものように、謀略と政略で動かして、何とか生き残りを図りたい。

 それから、できれば“赤い彗星”と“白い流星”を、ふたりともこの手の内に。

「どうすんの? “ギレン”」

 “ガルマ”が、いつものように、きょとんとした顔で見上げてきた――“三日月”から“ガルマ”に変わっても、全然まったく印象が変わらない。

「“ギレンお兄さま”と呼べ。そうだな、今のうちに色々と手を打たねばならんな。ダイクンの妻子は纏めて保護する――ランバ・ラルから落とすか」

 まぁ、とりあえず最初の手は打ってある。それが、巧くはまればいいのだが。

「そう。じゃあ、おれはザビ家をどーにかするよ。親父と姉貴と、あとはドズル兄貴かな。サスロ兄さんは……どうかなー」

「お前とは根本から相性悪そうだからな」

 サスロ・ザビは、割合真面目と云うか――“三日月”=“ガルマ”のようなお巫山戯に耐性がなさそうと云うか。要は、煽り耐性が低そうなのだ。“ガルマ”は、とてもガルマ・ザビをそのとおりに演じられるとは思われない――“三日月”にしてからが、ああだ――から、何か合法的な手段で、サスロと“ガルマ”の間を引き離しておかなくては。

 と、廊下からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。

 大体想像はつく。これは、アレだ、

「ガァルマァッ‼」

 ――やはり。

「ドズル兄さま」

 食堂で、デギンやキシリアから聞いたと思しきドズルが、弟を案じてやって来たのだ。が。

「熱を出したと聞いたぞ!」

「ドズル、落ち着け。あまり騒ぐと“ガルマ”の身体に障る」

 正直、喧しい。病人がいると聞いてきたのなら、もう少しおとなしく振る舞えないのか。

 云ってやると、ドズルはしゅんとなって肩をすぼめた。

「おお。すまんギレン兄上。……大丈夫なのか? ガルマ」

 声を落とし、“ガルマ”に顔を近づけるようにして、云う。

 “ガルマ”は、ドズルのいかつい、だがまだ傷のない顔に、ぺたりと掌を押し当てた。

「へーき。心配かけてごめんなさい。ドズル兄さま」

 にこりと笑う、本当にこう云うタイプが好きなのだなと思う。

 まぁ、悪い男ではないとは思うのだが、少々謀には向かないタイプだ。まだしもサスロの方がマシだろう――まぁ、一番はもちろんキシリアだ。向こうがこちらと結ぶ気があればの話だが。

「ガルマ、お前は俺と違って体力がないんだから、無理をしてはいかんぞ」

「はい。でも、ぼくもすぐにドズル兄さまみたいに強くなるから!」

「おお、そうか、そうか」

 でれでれとする様は、まさしく『the ORIGIN』のあの好漢そのものだ。

 しかし、相手の体格を考えもせず、大きな掌で頭を撫でくりまわすのはどうなのか。

「ドズル、“ガルマ”の首がもげるぞ!」

 “三日月”、もとい“ガルマ”の頭が、ちょっとあり得ない風に回っている。危ない。

 と、大きな人影が、戸口に立った。

「……ガルマ」

「お父さま! 姉さまも!」

 そこには、デギン・ソド・ザビと、キシリアの姿があった。なるほど、末っ子を溺愛する父親に、引きずられるようにして来たものか。

 演技かどうか、“ガルマ”が喜色を浮かべて起き上がろうとする。

 それを制止したのは、ドズルの大きな掌だった。

「こら、ガルマ!」

「大人しく寝ていなさい!」

 デギンもキシリアも、心配そうな声音である。なるほど、この末っ子には、鉄の女も蕩かされるか。

「おお。起き上がれるのだな。ガルマ、辛くはないか?」

 デギン・ソド・ザビは、知ってはいたが、末子には大甘だった。

 “ガルマ”の額に手を当てて、熱を計る仕種である。

「うむ。少し熱いな。寝ていなさい。大丈夫だ、いまサスロが医者を手配している」

 うむ、甘い。

 確かにガルマ・ザビは体力がなかったはずだが、虚弱と云う記述もなかったはずだ。

 となれば、今“ガルマ”が発熱しているのは、知恵熱とかその類であるのだろうに――まぁしかし、ムンゾ共和国だかジオン共和国だかの要人の息子となれば、万が一を考えるのは当然のことか。

「ちゃんと診てもらうのだぞ?」

 “父親”の言葉に、“ガルマ”は不承不承に頷いた。

 ――誑しめ。

 “昔”から、“ガルマ”は他人の憐れを誘うのが巧かった。こちらは大体強面で、どちらかと云わなくても他人の警戒心を呼び起こしていたので、簡単な対外交渉――まぁ、道を訊くとかその程度のことだ――は“ガルマ”にさせることが多かった。そう云う時などでも、“ガルマ”は相手に車を出させたりするのを、巧く誘導していたように思う。

 あの、他人を動かす力と云うのは、一体どう云うものなのだろう――旧い知己に云わせれば、“それが悪知恵”と云うことになるのだろうが。

 まぁ、あまりぬくぬく生きてきたわけでもないようだったから、大人の庇護を得るために必要な擬態だったのだろう。当人は、そうかわいいものでもないのだし。

 と見る間に、ドズルとキシリアの手によって、“ガルマ”は寝かしつけられてしまった。

 とりあえず、詳しい話はまた今度だ。

 食堂に赴くと、サスロは既にテーブルについていた。

 そのちょうど向かい、デギンの左手前の席につくと、隣りにキシリア、その向かいにドズルがつく。

 朝食は、イングリッシュブレックファストと云うべきものだった。ポーチドエッグ、トースト、ジャムとマーマレード、フレッシュジュースにコーヒー、スコーン、今日はラム肉のパイもある。

「――今日は」

 ひと通り食べたのを見計らい、デギンが口を開いた。

「まずはアストライア・トア・ダイクンを訪ねて、明日の葬儀の手筈を説明せねばならん」

「それに関しては、私とサスロで宜しいですか」

 手を挙げて問うと、“父”は重々しく頷いた。

「うむ、それが良いだろう」

「それから、ダイクン家から、あのお三方を守りたいのですが、その準備をキシリアに任せたいのです」

 云いながら“妹”を見やると、キシリアは、微妙な面持ちながらも頷いてきた。

 デギンは、小首を傾げた。

「あの三人を、と云うが、ジンバ・ラルが抵抗するのではないか」

「そのために、ランバ・ラルに警護を任せます」

「それでラル家は納得するか」

「させなくてはなりません」

 ギレンらしい口調を作る。自分の声をちゃんと聞けないのが残念だ――銀河万丈の声は結構好きなのに。

「連邦政府に対抗するには、ムンゾ共和国内で揉めるなど愚の骨頂。速やかにラル家を懐柔し、ザビ家が主導権を握りつつも、あくまでもダイクンの遺志を継ぐのだと、広く国民に知らしめねばなりません」

 サスロが、微妙に眉をひそめる。サスロとしては、ラル家を完全に蹴落としてしまいたいのだろうが、そうは問屋が卸さない。

 あまりザビ家が権謀術数で他を蹴落とし、一家独裁に持ちこもうとあからさまに動くなら、後々反ザビ家勢力が勃興せぬとも限らない。地球連邦と云う最大の敵がある以上、共和国内では、あまり敵を作らないのが常道ではないか。

「父上、そのあたりは私にお任せ下さい。必ず、良いように計らいます」

 自信ありげに云ってみれば、デギンはやや考えた後、ゆっくりと頷いた。

「宜しい、お前に任せよう。……皆もそれで良いな」

 確認する口調。

 サスロとキシリアはやや不満げだったが、父の言葉に逆らうほどではなかったようだ。ドズルは、反対どころではない。

 デギンは皆の顔を見回して、もう一度頷いた。

「では、宜しく計らえ。ジオンの葬儀で、見苦しいことにならぬようにな」

 

 

 

 食堂を出てすぐに、サスロとキシリアに呼び止められた。

「ギレン、あれはどう云うことだ」

 苛立たしげに云ったのはキシリアだ。

「どう、とは」

「惚けるな、何故私に、ダイクンの遺児たちの住居を手配しろと?」

「……サスロは仕事が早いが、アストライア・トア・ダイクンが落ち着ける環境かどうかは二の次の、警備に重きをおいた物件を手配するだろうと思ってな。その点お前なら、もう少し目端をきかせるだろうと思ったのだが――違ったか」

「……ならば良い」

 キシリアの不満は、女だからと云う理由を持ち出されると思ってのことだったのだろう。流石に、それを口にするほど愚かではない。

 単に人選の問題だと云えば、キシリアは一応納得したようだった。

 さて、問題はサスロの方だ。

「サスロ、お前は納得したのではなかったのか?」

 問うと、

「ギレン兄、俺はザビ家独裁を目指すために、ダイクンの家族を保護するのだと思っていた――他と融和などと、そんなぬるい話は聞いていないぞ!」

「サスロ、ザビ家独裁などと云うものはな、下手にやれば敵を作るばかりなのだ」

 噛んで含めるように云うと、短気な“弟”は、顳顬に青筋を立てた。

「いずれ我らは、地球連邦政府と対峙せねばならんことになるだろう。その時に、他処に噛みつかれるようなことがあっては、内紛の元だ。それで、連邦につけこまれることになっては、戦うに戦えん」

「ザビ家がすべてを統括すれば良い!」

「それができるはずのないことだと、わかっているだろうに」

 ザビ家はわずかに六人しかいない。デギンに兄弟はいないか、いても姉妹のみだったのだろうし、それとても疎遠であるのだろう、1stの後、“ザビ家”と云えばミネバ・ラオ・ザビただ一人だった。

 そうであれば、迂闊な真似をすれば、いずれ味方と思うものたちの中からも、他を担ごうと云うものは出てくるだろう――そう、『UC』のモナハン・バハロが、いとも容易くフル・フロンタルを捨て去ったように。

 ――まぁ、『UC』はどうでもいいんだが……

 主人公サイドをまったく好きではなかったので。

 どのみち、あのラインに辿りつくようには動かさないつもりだ。ザビ家独裁は、鎌倉幕府における北条執権政治のように、滞りなく移行するくらいのつもりでいかなくては――いや、北条氏は三浦や和田などと揉めたことを思えば、あれを見本にするのもどうかと思うが。

 どちらかと云えば、平安朝の藤原北家独裁、あれの方が見本とするには良いだろう。とにかく謀略、そして謀略だ。

「われわれはこの家族しかないのだ。それで独裁など、獅子身中の虫を生み出すことにもなりかねん。それくらいならば、ある程度は他家にも譲りつつ、大事なところを我らが押さえる方が、効率は良かろう。大事を前に、些事で躓くような真似は、私は御免だ」

「だが!」

「良いではないか。残念ながら、ザビ家の見目は麗しくはない。ガルマは、まぁ整っている方ではあるがな。それに較べて、ダイクンの遺児たちの、あの麗しさ! あれをプロパガンダに使わずにおれるものかね」

 早世した父の遺志を継ぐ麗しい子らと、それを見守る慈母。物語をつくり、また描くものどもは、こぞってかれらをモデルにしようと望むだろう。

 それで良いのだ。

「大衆には、わかりやすい“物語”が必要なのだよ、サスロ」

 だからこそ、宇宙世紀の物語において、“赤い彗星”の物語が、幾度も語られてきたのだから。

「……恐ろしいな、ギレン兄……」

 少しばかり引きつった顔で、サスロが笑う。

「そうか? 私は一般論を述べたまでだがな」

 まぁ、本当の本心は、こんなものではないのだし。

「何、つまりは、宇宙を盤にした壮大なチェスだと云うことだ。指し手を見誤らなければ、われわれの勝利もない話ではない」

 あるとは云うことはできないが。

 つまり、“戦いは数だよ兄貴!”と云う、原作のドズルの科白がすべてなのだ。地球連邦は、地球と月、そしてすべてのコロニーをも含んでいる。もしも本当に、連邦から権利を奪い取りたいのであれば、ムンゾだけでは足りない、月や、ルウムなどのすべてのコロニーと同盟を結び、より強い力でもって、連邦政府を協議のテーブルに引きずり出さねばならぬ。そう、鉄オル世界において、クーデリア・藍那・バーンスタインが圏外圏の権利を代表して、ギャラルホルンと条約を取り結んだように。

 だが、宇宙世紀は、鉄オル世界よりもはるかに複雑に組み上がっている。ムンゾのように独立の気運の高まるコロニーもあれば、経済を地球との取引に依存しているが故に、どうしても隷属する立場にならざるを得ないところもあるだろう。サイド7などは、まだ建設途中であり、そもそも民間人もほとんど住んでいないようなコロニーだ。そんなところに、同じテーブルにつけと云ったところで意味はない。

 見極めが必要だ。手を携えることの可能なところかどうか、また、同盟を結んでのちに裏切るようなことがないところかの。

「地球連邦政府は、タヌキ揃いと聞いているからな。どうするにも、慎重にことを運ばねばなるまいよ」

 そのためにも、ニュータイプ理論を唱えてスペースノイドの希望となったジオン・ズム・ダイクンの遺児は、どうしても手放すことのできない駒なのだ。

「ともあれ、アストライア・トア・ダイクンに挨拶に行く。まずはそこからだな」

 そう云えば、サスロはやっと、おとなしく頷いてきた。

 

      ✷ ✷ ✷ ✷ ✷

 

 ジオン・ズム・ダイクンの遺された家族の許を訪れると、案の定そこにはジンバ・ラルがおり、それを宥めようと四苦八苦するランバ・ラルの姿もあった。

「ザビ家のものが! ジオンをよくも殺したな!!」

 などとジンバ・ラルは叫ぶが、これは『the ORIGIN』がベースならば、ジオン・ズム・ダイクンは心臓発作か何か、とにかく病死であるのは確かなことなので、あまりこちらには響いてこなかった。

「それは貴殿の望みであって、事実ではないぞ、ジンバ・ラル」

「何を!」

「そもそも、死者を悼む心があるのなら、遺族の心を波立たせるようなことを、今云うべきではない。そうではないかな」

「父上……」

 ランバ・ラルが、弱りきった顔で父を見た。

 が、もちろん、ジンバ・ラルがそれで態度を変えるはずもない。

 そちらには構わぬことにして、ソファに坐るアストライア・トア・ダイクンの前に進み出て、片膝をつき頭を垂れる。

「この度はお悔やみ申し上げます。――ところで、貴女は保護を必要としてはおられませんか――ローゼルシア様とダイクン家から身を守るために」

 幼いセイラ・マス――アルテイシアを抱きかかえる女性は、はっとしたようにこちらを見た。喪服に身を包み、憂いを帯びた顔をしていても、その美しさは曇ることはない。なるほど、妻のあったジオン・ズム・ダイクンが、こちらを傍に置き、ほとんど正妻も同様に扱っていたのも無理からぬことだろうと思う。

「……ご存知なのですか、ギレン殿」

「小耳に挟んだ程度ですが」

「そうですか……」

「ザビ家は常に、ジオン・ズム・ダイクンの力になってきたと自負しております。そのジオンの遺族であるあなた方を、困難な状況に置くわけには参りません。どうぞ、われわれを頼って戴きたい」

 ふと見ると、アストライアのすぐ横に、よく似た面差しの少年が坐っていて、その鮮やかに青い瞳で、こちらを強く睨みつけていた。

 ――シャアか。

 いや、正確に云えば、“シャア・アズナブル”の名は元々別人のもので、この少年はまだキャスバル・レム・ダイクンなのだ。

 ギレン・ザビは、ザビ家の常として強面だが、それにも怯まず睨みつけてくるあたり、本当に肚が据わった子どもだと思う。

「――ジンバ・ラルは、あなた方が父上を殺したと云うよ」

 こちらを見据えたまま、キャスバルは云った。

「間違いなく病死だ」

 まっすぐ見つめ返し、そう答える。

「考えてもみたまえ、わざわざ疑惑を残すような殺し方を、ザビ家がすると思うかね。もしするならば、われわれに疑いが向かぬように、例えばジンバ・ラルと口論したのを見計らって、かれが殺したかのように見せかけるだろう。殺した上に、自らに疑いの向くような状況を作るなど、愚の骨頂だ」

「詭弁だ!」

 とジンバ・ラルは云うが、本当に殺害するなら、それくらいのことはする。そう、原作でキシリアが、ラル家の仕業に見せかけてサスロを殺害したように。やるならば徹底的に、がザビ家のモットーなのだろうと思う。

「私は、貴殿ほど単純ではないのだよ、ジンバ・ラル殿」

 冷ややかに返せば、キャスバルのまなざしから責めるようないろが薄れたのがわかった。本当に理解が早い。

「私とて、ジオン・ズム・ダイクンの思想には深く共感するところがあった。ご存知のはずだな、わが父が学長を務める大学にダイクンを匿った折、私はここにいる弟サスロとともに、銃を取って見張りの役を買って出たのだ。キャスバル殿が隠れ家で生まれた時、私は学内に入りこんだ警察官たちを見張っていたのだからな」

「――本当に?」

 少年のまなざしが母親に向けられる。白い首が縦に振られるのを見てようやっと、かれはこちらの話を聞こうと云う態度になった。

「……わかった、あなたの話を聞く」

「それはありがたい」

 勧められるままに椅子に腰を下ろすと、視線がちょうどキャスバルと同じ高さになった。

「われわれは、あなた方に、新しく安全な住居を用意することができる。いかなローゼルシア殿と雖も、ザビ家とラル家の目をかいくぐって、あなた方を攫うことは難しいでしょう。もちろん、あの方が御自ら来られたなら、対面を拒否することは難しいかも知れないが、少なくとも拉致されるようなことにはさせません。今、妹のキシリアが、あなた方が住むに相応しい住居を手配しています。国葬が終わったらすぐにでも、そちらに移動して戴きたい」

「――それは、ラルも一緒に?」

 少年の強いまなざしが、こちらを射抜く。

「ランバ・ラルは、今までどおりお側に。かれが、あなた方の警護を担当します」

「ジンバ・ラルは?」

「世迷い言を吹きこんで、ザビ家とラル家の間に不和の種を撒く輩を、そのままにはしておけませんからな、御老体には隠居して戴く」

「な、何をッ!!」

 ジンバ・ラルは喚くが、これはもう決定事項なのだ。

 ジンバ・ラルとの刺々しいやり取りに、アルテイシアが怯えたように身をよじり、母親の肩口に顔を埋めた。

「幸いにして、ラル家には立派なご子息があるではないか。かれに家督を譲られて、ゆるりと余生を全うされよ」

「き、貴様ァッ!!」

「親父!」

 ランバ・ラルが、慌てた様子で袖を引き、父親をこの場から連れ出した。

 それを見やって、小さく息をつく。ランバ・ラルが何とか納得してくれたので良かったが、そうでなければ、どれほどの騒ぎになったものか――原作を知っているだけに、素直に胸を撫で下ろす。

 サスロはと云えば、ラル親子の出ていった扉を睨んで、小さく舌打ちをしている。あまりあからさまな敵意は、聡い親子を怯ませるだけなので、本当に止めてほしいのだが。

「――ともかく、ご安心戴きたい。……そう、私には、ちょうどキャスバル殿と同じ歳の弟がいるのだ。ガルマ・ザビと云う。キャスバル殿ほど優秀ではないが、仲良くしてやって戴けるとありがたいですな」

「――弟」

「そうです。われわれとは歳が離れておりますのでな、どうも甘やかし気味でいけない。キャスバル殿には、同年として、あれに振る舞いを教えて戴きたい」

 そう云うと、少し頬を紅くして、少年はこくりと頷いた。青い瞳が光を湛え、美しく輝いた。

 ――よし。

「……それでは、明日の葬儀の進行についてですが――サスロ」

 促すと、サスロはおもむろに、国葬の流れについて、アストライアに説明をはじめた。

 母親の腕に抱かれたアルテイシアは、退屈そうにもぞもぞしているが、キャスバルはきちんと耳を傾け、内容を理解しようとしているようだ。実際、かなりの部分を理解してもいるのだろう、その瞳に、当惑うようないろは一切見られなかった。

 ――賢い子だ。

 想像以上に聡明な子どもだ。さて、今後それが、吉と出るか凶と出るか。

 興味深いことだと思いながら見つめていると、こちらの視線に気づいたキャスバルがちらりとこちらを見、ほんのりと頬を染めた。

 ――比較的好印象、と云うことかな?

 まぁ、原作のザビ家に較べれば、随分丁寧に扱っているから、間違っても“父の仇”などと復讐の機会を窺われたりはしないだろう。それだけでも、この先を考えれば、充分な成果だ。

 とりあえず、先を考えるのは葬儀の後だ。

 アストライアから特に不満も聞かれず、またランバ・ラルが――ひとりで――戻ってきたのを確かめて、サスロとともにその場を辞した。

 

 

 

 ジオン・ズム・ダイクンの葬儀は、現職の首相に相応しく、しめやかに、かつ荘厳に執り行われた。

 デギン・ソド・ザビは、亡きジオンの盟友として、また共和国首相代行として、葬儀の一切を取り仕切り、その存在感を見せつけるかたちになった。ザビ家を頂点に押し上げたいサスロにとっては、満足のいくことだっただろう。

 キシリアは、自分の立ち位置にそれなりに納得したのかどうか、とにかく葬列での車の爆破、などと云う事態もなく、すべてが無事に終わった時には、こちらがほっと胸を撫で下ろしたほどだった。

 だが、ぐずぐずしていると、ローゼルシア・ダイクンの襲撃がありそうだ。

 それに対応するために、葬儀が終わって早々に、キシリアの手配した物件を確認しに、二人でその邸宅に向かった。

 キシリアが選んだのは、市街地にある広いフラットで、近隣には、政権内の重鎮――もちろんザビ家以外のだ――が数多く入居している一角だった。

 当然、上下はこちらで押さえてあり、警護の人員などがそこに詰めることになる。

 間取りもゆったりとして、調度も中々に品が良く、首相公邸には及ばぬまでも、母親と子ども二人が暮らすには、充分過ぎるほどの作りだと思う。

「既に、使用人も手配してあります。と云っても、公邸に入る前からジオンに仕えていた、腹心と云うべきものたちを引き抜いただけですが」

 ご家族の流儀は弁えているでしょうから、変わらずお過ごし戴けると思います、と云うキシリアは、気持ち誇らしげな顔だった。己の仕事に自信があるのだろう。

 だが、誇るのもむべなるかなと、思わずにはいられなかった。

「流石だな、キシリア」

「ギレン殿にお褒め戴けるとは」

「満足だと伝えるのに、他にどうすると?」

「お珍しい。兄上は、他人の仕事に決して満足なさらぬかと思っておりました」

「称讃すべきは称讃する。当然ではないか」

 “ギレン・ザビ”がどうだったかは知らないが。

「――お前には云っておこう。私は、ガルマをこちらへ入れるつもりだ」

「は?」

 キシリアが、何を云われたのかわからない、と云う様子でこちらを見る。

「ダイクンの家族に、ガルマを預けようと思うのだ」

 繰り返して云うと、キシリアは顔を歪めた。

「それは……ダイクンの家族に近づくものを、あの子に牽制させると云うことですか」

「十を過ぎたくらいの子どもに、それは無理だろう」

 いや、元“三日月”である“ガルマ”の中身は、大概いい歳――いろいろ考えれば、超高齢者――なのだ、やろうと思えばできないことはないだろうが、今の問題はそこではない。

「それよりも、父上がガルマに甘すぎることが気になっていてな。あれでは、後々碌なものにならんだろう。幸い、キャスバル・レム・ダイクンとあれは同い年だ、少し揉まれてくればいいと思ってな」

 原作のガルマ・ザビとはまったく違う、可愛げのない“ガルマ”の性格を、家から引き離すことによって誤魔化したい、と云うのが、最大の理由ではあるのだが。

 キシリアは、眉を寄せた。

「ガルマにはまだ早いでしょう」

「甘やかされて腑抜けになってからでは遅いのだ」

 と云うか、“ガルマ”の性格がバレてからでは遅い。早く家から遠ざけて、“性格が歪んだ”わけを、説明がつけられるようにしなくては。

「……ガルマを、疎んでおられるわけではありますまいな?」

「私がか? 愚問だ」

 まぁ、元のガルマ・ザビならば、苛立ちの対象になった可能性はあるが、“ガルマ”の方はそうではない。

「我が弟には、ザビ家の一員として恥かしくないようにしてもらわねば困るのだ。つまり、いつまでも父上の手に守られていてはならぬと云うことだ」

「それでダイクンの家族とともにすごさせるのだと?」

「同年のキャスバルとともにすごせば、今のように甘やかされてばかりではあるまい。世間に出る前に、適度に揉まれることになる――男兄弟のようなものだ」

「キャスバルと切磋琢磨させるのだとおっしゃる?」

「そうだ」

 その名目でならば、子煩悩――但し、末子に対してだけ――のデギン・ソド・ザビをも云い包めることもできるだろう。

 とにかく、こちらとしては、“ガルマ”がぼろを出す前に、外に出してしまいたい。もちろんDNAなどはガルマ・ザビ本人に違いないから、偽者説が飛び出すことはなかろうが――やれ洗脳だの何だのと、不穏な言葉が飛び出しかねないからだ。

「それに、われわれとしても、ガルマをダイクンの家族とともに置いておけば、こちらに頻繁に顔を出す口実にもなる。一石二鳥と云うものではないかな」

「――流石はギレン殿、深いお考えですな」

 厭味か、と思ったが、キシリアの顔を見ると、そう云うわけでもなさそうだった。

「ともかく、ジンバ・ラルの妄言に、共和国が騙されるようなことがあってはならぬ。ザビ家すべてまとまって、うまく対処してゆかねばな」

「まったくです」

 同意が得られたことに、気を良くする。これならば、デギンが反対しても、“ガルマ”を外に出すことは可能だろう。サスロはもちろん、反対などしないのだろうし。

 ――それにしても……

 一年戦争まであと十一年。

 その間に、共和国の軍備などを、どれほど整えていくことができるのか。

 真面目に考えると、頭が痛くなりそうだ。

 とりあえず、そのあたりはサスロやキシリアを巻きこんで、どうにかするようにしよう。三人寄れば文殊の知恵、だ。

 さて、デギンとドズルを三人で丸めこみ、“ガルマ”はダイクンの遺児たちとともに過ごすことを了承させたわけであるが。

「“ガルマ”ァ‼?」

 かれらの暮らすフラットを訪れ、アストライア・トア・ダイクンと話をしている最中に、客間で騒ぎが起きた。もちろん、“ガルマ”とキャスバル・レム・ダイクンである。

 何がどうしてどうなったかは知らないが、挨拶もそこそこに殴り合いの喧嘩に発展したらしい。どう云うことだ。

 思わず“ガルマ”に駆け寄り…その後頭部を引っ叩く。

 ――まだ引き合わせてもいないのに、どうして殴り合ってるんだ!!

 目一杯の怒りをこめて。

 スパァンといい音をさせた頭を抱え、“ガルマ”がこちらを恨めしげに見る。

「殴ったね⁉ お父様にも殴られたこと無いのに!!!」

 ――それは、ガルマじゃなくてアムロ・レイの科白だ!!

 第一、

「いまキャスバルに殴られてただろう!」

 指摘すると、“ガルマ”は指を立てて、

「そこはノーカンで」

「ド阿呆‼」

 云いながら、“ガルマ”の頭を押さえつける――鉄オル世界のクランク二尉のように。

 ふと気がつくと、キャスバルがやや呆然と、こちらのやり取りを見つめていた。

 ――おっと、拙い。

 “ギレン・ザビ”は、こんなキャラではないはずなのに。

 誤魔化すように、咳払いをする。

 さて、何と話しかけようかと思っていると、

「――キャスバル⁉」

 アストライア・トア・ダイクンが現れた。

 途端に、キャスバルがバツの悪そうな顔になる。

「……お母様」

 まぁ、微妙な立場の母親を思って、これまではおとなしくしていたのだろう。それが、“ガルマ”のせいでべろべろと剥がれてしまったと云うわけか。

「弟が申し訳ない」

 ここは、謝罪しておくに如くはない。“ガルマ”の頭を押さえつけ、無理やり頭を下げさせる。本人は不満そうだが、知ったことか。訪問先でいきなり喧嘩をはじめるのが、全面的に悪い。

 アストライアは、少し困った顔で微笑んだ。 

「喧嘩なんてして! ふたりとも、大きな怪我などしてないかしら?」

 心配そうに云うアストライアを、“ガルマ”が不躾に眺め回す。今絶対に、“美人だ”とか“スタイル良いな”とか“胸大きい”とか思っているのだろう。間違いない。

 ――お前はそう云う奴だ。

 同じことを“ガルマ”のまなざしから感じ取ったのだろう、キャスバルが吼えた。

「お母様をジロジロ見るな!」

「キャスバル!」

 アストライアは息子を窘めるが、“ガルマ”はどこ吹く風だった。

「美人に目が行くのは男として当然だろ!」

「“ガルマ”ァ!」

 ――その科白は、今このタイミングで云うものじゃない!

 大人二人でコメツキバッタのように頭を下げ合い、何とかその場は収めたが――先行きが思いやられるようなファーストコンタクトだった。

 これで、本当にこの先うまくやっていけるのだろうか――不安だ。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 2【転生】

 

 

 

 いかに初対面の印象が最悪でも、他に対象がいない中で二人セットにされれば、流石にそれなりの交流は生まれる。

 ザビ家を離れ、キャスバルの住むフラットに逗留していれば、顔を合わせないでいるなんてことは不可能だし。

 無視し続けることは無理だとお互いに悟った朝、

「『ケッ。……おはよー』」

「『ふん。……おはよう』」

 こうして対話が始まったのである。

 思考波により口に出さずとも、また、多少の距離を置いてもやり取かりが出来るから、キャスバルとのコミュニケーションは独特なものになった。

 基本的に彗星様は、自分の中に他人を踏み込ませることをしないくせに、おれの意識の中にはズカズカと入ってきた。

 別に気にならんから構わん――どーせ碌なこと考えてないし――と、放置していれば、隅々まで見聞して、馬鹿にしたり、首を傾げたりしてから、最後にはこんなものかと落ち着いたらしい。

 どこかホッとしている風でもあった――おれが馬鹿なのにホッとするって、どこまで性格歪んでんのさ。まあ良いけど。

 ともあれ、“思考波だけで行う会話”は、慣れてしまえば結構便利だった。

 対外的な会話――聞かれても支障のない内容は言葉で行い、内緒話やいたずらの算段は思考波で、という具合である。

 お互いに猫を被っていたから、これは好都合でもあった。

 例えば、気に入らない家庭教師を撃退する為の相談とかね。

 

『ヤツの鞄に、女物のランジェリーをゴッソリ仕込んでおいた。セクハラペド野郎には相応しいだろ。――クソが、おれのケツ撫でやがって』

 絶対に許さん。

 家にはアルテイシアだっているんだ。こんな変態野郎をのさばらせておけるものか。

『たしかにクソ野郎だけどな――どこで調達したんだ? この家だったら殴るぞ』

 青い眼が絶対零度の冷たさでコチラを見るけどさ。

『んな真似するか。ローゼルシア様のだよ』

 ――可愛いのとかキワドイとか、色々あった。

 セクハラ教師撃退と、たまに来襲するヒステリックババアへの仕返しとで、一石二鳥を狙ってみたんだ。おれ天才。キリッ。

『…っ、フッ…ッ』

 思考波が揺れてる。これ、表情はギリギリで抑えてるけど、滅茶苦茶笑ってる感じだ。

『おい吹き出すなよ、不審に思われるだろ』

『……どうやって手に入れた?』

『ババアのパワハラ被害者を協力者に抱き込んだんだ。全部ババ下着にすり替えてもらった。今頃はルウム辺りに逃亡済――ほら、ヤツが鞄開けるぞ「せんせ~、それ、なんですか? ……っ、変態だ‼」』

「ランバ・ラル! 来てくれランバ・ラル‼ 『本当に酷い奴だな君は』」

「――???? こ、これは⁉ いやこれは違う‼ なにかの間違いだ‼‼ 騒ぐな! 騒ぐんじゃない‼‼」

「ヤダー、助けてー‼『そろそろ来るな』」

「ガルマに触るな!『ああ。来たな』」

 ドアの向こうから、慌ただしく駆け寄ってくる足音が――。

 

 こんなそんなで、おれは二人、キャスバルは三人の家庭教師を敗退させた。

 六人目については、前の五人よりもずっと授業が面白かったし、セクハラもパワハラもないし、二人を比べたり、競争を煽ることも、擦り寄ることもしなかったから合格とした。

 別に、青筋立てた“ギレン”の3時間にも及ぶ説教に懲りたからって訳じゃない――キャスバルだってそう言ってたし!

 何にせよ、思考波がつながるのは、今のところ、キャスバルとおれだけだった。

 試しにアルテイシアにも『こんにちは』をしてみたけど、なにも聴こえてないみたい。いつか開花するのかも知れないけど、まだ時期では無いんだろう。

 だから、このことは二人だけの秘密だ。

 小さなお姫様は傍若無人だった。

 アストライアが、他人の子供である“ガルマ”の面倒もよく見る――むしろ実子と別け隔てなく接してくれる――つまり、よく褒めて容赦なく叱るのを日々目にしてるからだろう。アルテイシアのおれに対する扱いにも、遠慮も容赦もへったくれもなかった。

 妹の我儘に振り回されるおれを、キャスバルは、笑いながら見ていた。

「ガルマ! あのお花を取ってきて!」

「僕に木登りをさせる気かい、レディ」

「ナイトはレディにお花をくれるのよ!」

「はいはい仰せのままに『何とかしろよ、お前の妹だろ』」

「素敵なナイトで良かったな、アルテイシア『頑張れ。それくらい登れるだろ?』」

 ――登れるけどな!

 公園の木に登って、後で怒られるのおれなんだよ。

 ともかく、おれとキャスバルは、同じ屋敷で過ごし、同じ教育を受けてきた腐れ縁――“ギレン”が画策したとおりの“幼馴染み”だった。

 外から見たとき、おれたちは兄弟のようでさえあっただろう。

 だからと言って、仲良しってわけじゃない。

 互いに思考波で意思の疎通ができるから、そして猫の皮が通用しない相手だから双方の粗も欠点も見えまくりで、“友達”の枠に入りきらないし、かと言って家族じゃない――他人よりは少し近い距離にいるくらいの関係だ。

 あんまり相性良くないみたいだしね。おれは彗星様のことリスペクトしてるけどさ。

『キャスバル大好きだぞー』

『嘘だな』

『ええー。一方通行通行の愛って切なーい』

『棒読みでありがとう』

『すげぇ面倒くさそうね』

『わかってるなら絡むな』

『……お前はさ、この先、年の離れた褐色の美少女と、青い目のヲタク少年と運命的な出会いをして、三角関係に陥るんだ。幸せになれよ!」

『………本気でそう考えてるのが判る分、質が悪いな。一度本気で頭を医者に診てもらえ』

『治せると思う?』

『すまない。愚問だったな』

 大体、いつもこんな感じでつるんでた。

 

 

 キャスバル達家族の隠れ住むフラットには、おれの他にも逗留してる人間がいた。

 ランバ・ラルと、その部下たちだ。

 ジオン・ズム・ダイクンが遺した家族の護衛が彼らの役目だ――まあ、ランバは命じられなくても、進んでその任に就いただろうけど。

「その割には、ローゼルシア様の侵入を許しちゃってるよね」

 あのババア、来るたびにアストライアに暴言吐きやがって――むしろジオンに恨み言吐きに行けよ。

 見上げれば、男らしい顔が悔しそうに顰められた。

「ダイクン家の力は強いんだよ」

 そーね。侵入は許してるものの、それ以上の暴挙は阻止してるあたり、体を張って守ってる感はあるけどさ。

「だが小僧、あれはないぞ」

「なんのこと?」

「部屋に鼠を放したの、お前だろう――まあスカッとしたけどな」

 ブククっと、思い出して吹き出すランバ・ラルに肩をすくめる。

「違うよ。僕は掛かったネズミを捨てに行こうとしたんだ。だけど、ルシファが飛びついてきたから、びっくりして手を放してしまって…」

「なるほど、たまたまネズミ捕りを持っていて、たまたまルシファと遭遇して、たまたまローゼルシア様が居た部屋でネズミを何匹もぶち撒けたと」

「そうなるね」

 物凄い叫び声だった。

 上品さをかなぐり捨てて、テーブルに飛び乗ったジオンの正妻は、悲鳴と罵倒と何だか良くわからない謎言語を吐き散らして逃げ帰っていった。

 当分来ないんじゃないかな。

 アストライアは目を丸くしてたし、キャスバルは珍しく大笑いして、アルテイシアは「ネズミなんか食べちゃダメ!」と、ルシファを叱ってた。

 ランバ・ラルの部下たちは、必死にネズミを追い出してたし。

「――お前、本当にザビ家の息子か?」

「それお父様に言ってみなよ。首と胴がサヨナラするかもね」

「……なるほどサビ家か」

 どういう納得の仕方なの。

 

 

        ✜ ✜ ✜

 

 

 久々の帰宅である。

 ――とは言え、家族は忙しい合間をぬって良く様子を見に来てくれているから、実のところ、会うのはそこまで久しぶりなわけじゃないけど。

「ただいま帰りました!」

 挨拶すれば、デスクについていた父上が、わざわざ立ち上がって両腕を広げたから、遠慮なく飛び込む。

 もうハイスクール卒業資格まで取得した――ばんばんスキップしたからまだ子供の域ではあるけど――おれを、まるで幼子みたいに抱きしめて頬ずりしてくるデギンパパは、もとのデギン・ソド・ザビより子煩悩じゃないかな。

「お父様!」

「おお、よく帰った。ガルマ、顔を見せておくれ。ああ、また大人びたか? ずっと手元に居れば良いものを」

 頬を大きな両手ではさみ、しげしげと眺めおろしてくるのに、満面の笑みを返す。

 強面のはずのデギンパパの表情は、マシュマロみたいにフワフワしたものだった。

「そんなに甘えて! もう小さな子供ではないでしょうに」

 苦言を呈する姉上様だって、その両手は、さあおいでとばかりに広げられてるし。

 デギンパパが笑って手を放すから、今度はキシリア姉さまを抱擁する。

 女性にしてはガッシリしてることを、ちょっと気にしてるようだったけど、姉さまはちゃんと女性らしい。

 最近では、元のキシリアなら決して着なかっただろうロングドレスやスカートを纏ってることも多いし。

 いまも、濃紺のワンピースドレス姿だった。

 襟が締まったお固めのスタイルだけど、繊細に透けるレースの花が艶めきを添えてる。

 視線が合えば、暗い鳶色の瞳が柔らかい光を浮かべた。

「ただいま姉さま」

「おかえりなさい。背が伸びたわね」

「ふふふ。育ち盛りですからね。姉さまは、ますます綺麗だ!」

 ちゃんと伸びていく背が嬉しい誇らしい。今生では“ちっちゃい”なんて言わせるものか。

 そしておれが素直に褒めれば、姉さまも嬉しそうに微笑んでくれた。

 兄たち3人はお仕事みたいで、屋敷には居ないみたいだった。

「ギレンたちも、夜には帰ってくる。久々に皆で揃って食事をしよう」

「みんな揃って? わぁ。楽しみだなぁ」

 きっと賑やかな晩餐になるだろう――大声ってことならドズル兄貴だけど――もとのザビ家に比べると、“うち”は家族仲が良好だ。

 たまの兄弟妹喧嘩はご愛嬌。殺し合いになんてならないから、サスロ兄さんも無事に生きている。

 ただ、ドズル兄貴は、車の爆破に巻き込まれなかったのに、MSの開発中の事故とかで、例の傷だらけの姿になってた。

 夕食までの時間は、デギンパパの書斎で過ごした。

 忙しい父上は、“ガルマ”の帰宅に合わせて時間を割いてくれたんだろうけど、流石におシゴトがあるからね。

 姉さまと一緒にお手伝い――おれは片付やお茶汲みくらいが関の山だけど――していれば、デギンパパは上機嫌だった。

 やがて、兄たちの帰還が次々に告げられる。

 晩餐の支度のため、一度部屋へ下がると、着替えが用意されていた。

「ありがとう」

 礼を告げる。顔馴染みの年配の女中は、ニッコリと笑って、ブラックスーツを着せかけてくれた。

 部屋まで迎えに来たキシリア姉さまは、誕生日におれが贈ったクリスタルのイヤリングを着けてくれていた。

 澄んだ光を反射してるそれに向ける視線に気付いた姉さまは、耳朶に指を添えていたずらっぽく笑った――わが姉ながら良い女だよね。

「よくお似合いです!」

「そう? ありがとう」

 思わずニンマリしそうになって、慌てて品の良い笑みにすり替えた。

 連れ立って食堂へ辿り着くと、すでに三人の兄達が揃っていた。

 皆がブラックスーツ姿なのが迫力だ――ん。悪役ファミリー極まりない。

「ガルマ!」

 ドズル兄貴が近づいてくるから、その腹に抱きついてみる。

「おかえりなさい、ドズル兄様」

「ただいま帰った。お前も良く戻ったな、この甘えっ子め」

 とか言いながら、ドズル兄貴の目尻は極限まで下がってる。

 ガッシリとした腕に抱き込まれて、ちょっとだけ苦しい。けど、これでも加減してるんだよ、兄貴は。

「“ギレン兄様”も、サスロ兄様もおかえりなさい」

 ドズル兄様の腕の間から、さらに二人の兄に声をかければ。

「ああ」

 ――それって挨拶なの? “ギレン”。

「お前もな」

 ――お。サスロ兄さんの返事のほうが長いとは。

 まあ、元から素っ気ない二人だから、こんなもんか。

 やがて家長たるデギン・ソド・ザビが登場して、晩餐が始まる。

 テーブルにつけば、まずアミューズが供されて、オードブル、スープと進んでいく。フルコースだ。

 メニューを上げれば、こんな感じ。

 アミューズにはファグラのテリーヌ。カットして二段になったファグラの間に、洋酒漬けのオレンジピールやレーズン、ドライチェリーが挟まってる。

 オードブルに、エビとアスパラガスのカクテルソース、白身魚のカルパッチョ、一口大のサーモンのキッシュ等々。全体的に海の幸――地球外で手に入れること自体がスゴイよね。

 スープはセロリのポタージュ、隠し味はアサリだろう。

 ポワソンに鯛のポアレ。掛かってるジュレがキラキラしてて綺麗だし、見た目よりコクがある。

 ソルベは檸檬のリキュール。爽やかな酸味のあと、フワッと残るアルコールが鼻に抜けてく――けっこう強いな、これ。

 アントレは小鴨のロティ。ソースはビガラード――オレンジの香りとカラメルの甘さにニッコリ。普段はルーアネーズとかが多いから、今回は“ガルマ”好みに仕上げてくれたんだね。

 さらにサラダのドレッシングはイチヂクの甘み。

 その後に軽く摘めるチーズが来て、次に甘いお菓子が――ドレッサージュされた皿の上に、ピスタチオのケーキ。

 また果物が別に来て、最後に、やっとコーヒーと小さな摘み菓子が来た。

 もうお腹パンパンではち切れそう。

 見た目は優雅にカトラリーを操って口に運んでいくけど、内心ではベルト緩めたいわーとか思ってる。おかしいな、先に緩めてた筈なんだけど。

 デギンパパ、渾身のフルコース。確かに好きなものばっかりだった。気持ちは嬉しいけど、この身体、案外食が細いんだよ。

 だけど、これは全てこの階級の人間には必要な事だ。

 美しく洗練された仕草で、気の利いた会話を駆使して、決して弱みを見せることなく、如何に相手の優位に立つか。

 棄民とさえ蔑まれたスペースノイドが、地球の軛を断ち切ろうとのし上がり、特権階級を築いたんだ。

 前時代的ともとれるきらびやかな衣服や文化、その在り方は、地球圏の人間には劣等感の表れだと揶揄されつつも、既に無視できない権威を有している。

 “三日月・オーガス”のときは底辺から這い上がったけど、“ガルマ・ザビ”はアッパークラスからのスタートだ。

 これら全てを、息をするかに自然に、当たり前に熟さなくてはならない。

 背筋を伸ばして微笑む。

 生まれついての貴公子として――おれには正直荷が重いけどね。

 

 

 夕食の後も居間で家族と過ごした。

 大人組は強い酒を嗜み、十代のおれにはグリューワインが用意された。

 日々の報告と他愛のない話、主におれが普段どんなことをしてたかってことを、掻い摘んでお喋りしてるだけかな。

 キャスバルの影響を受けたおれは、猫を被るのが上達したはずなのに、対外的には“やんちゃ”になったって思われてるらしい。

 引っ込み思案は直ったけど、その分“やらかす”ことも増えたんだって。

 デギンパパは終始穏やかな表情で、ときに声を上げて笑った。

 キシリア姉さまは、叱っていいのか笑っていいのか分からないって顔をして、ドズル兄貴は遠慮なく大笑いして、サスロ兄さんは、遠慮なく怒った。

 “ギレン”は、それを呆れ顔で眺めて、時折、鋭い突っ込みを入れてきた。

 対外的には冷徹で恐ろしいとされているザビ家だけど、この一族の情はとても強い。愛情然り、怨情然り。

 深くて激しくて、一歩間違えば相手も己も破滅させる。

 愛を乞うのも注ぐのも、権力を、名声を欲するのも根は同じだ。だからこそ元の時間軸では、ムンゾの頂点に立ち、ジオン公国の支配者たらんとしたとき、己を見失って失墜したんだろう。

 おれが“ガルマ”になって、ボスが“ギレン”になって、今この時点まで、ザビ家は内部の崩壊を免れている。

 だけど、相変わらず策略や謀略は外部に向いていて、敵が五万といることに変わりはない――なんか、悪役一家って感じはどうやっても拭えないんだよね。

 まあ、それなら“必要悪”を目指すとするよ――圏外圏の繁栄のために。

 向かう視線の先、“ギレン”が静かに頷いた。

 

 

 翌朝、何故かキャスバルが来襲してきた。

「やあ、来てくれて嬉しいよ!」

 エントランスで、“親友”を出迎えるために両手を広げる。

 軽い抱擁。

 ――オマエ、昨日は「静かになって良い」なんてほざいてた癖に、どーゆー風の吹き回しだこの気紛れ野郎。

「急に押しかけて済まない。君が居ないと物足りなくてね。『聴こえてるぞ』」

 はにかむような笑顔を作ったキャスバルは、思考波で突っ込みを入れてきた。

 敢えて伝えようとしなくても、これくらいはお互いに駄々漏れだからね。

「アハ! 僕もだ。『隠してねえよ』上がってくれ。ランバ・ラルに送ってもらったの? 彼は?」

「ありがとう。彼はもうフラットに戻ったよ」

 外から見れば、仲の良い幼馴染に見えるだろう。

 使用人達がニコニコしながら、お茶の用意をしてくれる。

 おれの希望に沿ってコンサバトリーにセットされたのは、紅茶とバターつきのパン。俗に言うイレブンジズ(11時の紅茶)――ちょっと時間には早いけどね。

「朝食がまだなら別に用意するけど?『で、朝からどーしたの? マジでなんかあった?』」

 ちょっと心配になる。

 ローゼルシアは、暫く来ないように撃退したはずだけど、もしかして根性出してきたとか?

 首を傾げれば、軽い笑い声が返った――思い出し笑いかね。

「いや。食べてきたから、これで十分だ。済まないな。家族で団欒だったんだろう?『残念だが君が面白がるような事件は無いな。今日はギレンは?』」

「『なんだ。“ギレン”に用事か』お父様は執務があるからもう家を出たよ。姉さまとサスロ兄様もね。あとの兄様達はまだ家にいるけど――“ギレン兄様”は、君が来てるのを知ったら、きっと顔を出すね」

「またお説教か?『色々バレてないだろうな?』」

「何も悪いことしてないじゃないか、僕たち。『何もバレてないよ』」

 顔を合わせてニッコリと笑いあう。

 サーブしてくれるメイド達が、皆、微笑ましそうな視線を寄越した。

 案の定、そう間を置かずに“ギレン”は現れた。

 途端に、メイド達の表情が改まる。

 コンサバトリーに硬質な空気が流れるから、ことさらに呑気な表情で笑いかけた――これがサビ家でのおれの役割でもある。

「“ギレン兄様”。時間があるようなら、一緒にお茶をしていきませんか?」

 鋭い三白眼がコチラを見て、ふっと息を吐く。

 それだけで、居並ぶメイド達の肩からも力が抜けた。

「良かろう。――キャスバル、よく来たな」

 普段の“ギレン”を知る人からは二度見されそうなくらい、穏やかな声だった。

「ご無沙汰しております。『ガルマ、今日のギレンの機嫌は?』」

『悪くない。むしろご機嫌――見りゃ分かるだろ』

 デレデレふやける半歩手前じゃないか。ホントにキャスバルのこと気に入ってるよね、“ギレン”ってば。

 返せば、得意そうな視線がキャスバルからチラリと。何だその優越感。

 僕のほうが“ギレン”に好かれてるとでも言いたいのか畜生め。

『妬くなよ』

『別に妬いてませんー』

 ケッ。

 三人でテーブルにつく。

 コンサバトリーに射し込む光は、ここがコロニーである事を感じさせない。

 陶磁器のカップに注がれた香り高い紅茶を楽しみながら、お喋りに花が咲く。まあ、ご令嬢方のキャッキャウフフには程遠いけどね。

 キャスバルは、これで“ギレン”に懐いている。

 家族が大変なときに助けてくれたって印象が強いんだろう。その後も、比較的よく頼ってるし。もしかしたら、兄のように思っているのかも知れなかった。

 だから、実の弟であるおれに対して、ことさらにイニシアチブを取ろうとするのかね。

 ともあれ、話題は他愛なくて、まだ本題は出てない。珍しいな。いつもはビシッと攻め込むキャスバルにしては、間が長い。

 切り出し難いことなんだろうか――チラリと視線を投げれば、それとは知れないくらいに、フンと鼻を鳴らされた。

「ところでギレン、“ガルマ”の進路はどうなってるの?」

 あ。それおれも知りたい。このままずっと家庭教師ってのも外聞的にどーなのよって感じだし。

 “ギレン”に目を向ければ、丁度、カップをソーサーに戻すところだった。

「それを聞いてどうする?」

 図るような声。

 三白眼がジロリとキャスバルに向けられるけど、この図太い幼馴染は、かけらも怯むようなことはなかった。

「僕もこの先を考えなきゃ行けないだろう? 参考にしようと思って」

「ね、“ギレン兄様”。僕たちは外でも学びたいな。このままじゃあまりにも世界が狭いもの」

 口を挟む。

 確かに、キャスバル・レム・ダイクンを、公の場に――例えばハイスクールとか――に出せば、要らぬちょっかいを掛けられるのは目に見えてるから、これまでは家庭教師に留めていたってのは理解できるけど、この先もずっとって訳には行かないだろう。

 あのフラットの居心地は良いけど、まるで箱庭のような世界は、キャスバルにもおれにも、狭すぎて窮屈だ。

 “ギレン”は骨張った手を顎に添えた。それから一つ頷いて。

「“ガルマ”、お前は士官学校へ行け」

 いともあっさりと言い放った。

「――ガルマを軍人に?」

 キャスバルの声が少し尖る。

「そうだ。ザビ家ではそれが慣例だからな」

 “ギレン”が当然の事として答えた。

 確かに上の兄姉は、皆が軍人としての教育を受けている。

「キャスバルは? 僕、ひとりになるのは少し不安かも…『ほら、キャスバル、お前からもなんか言えよ』」

「……士官学校か。『一緒に行って欲しいのかい?』」

 横目で見れば、なに、その『どうしようかな?』って顔――お願いしろって事か。ちょっとムカつくんだけど。

 “ギレン”は静かに紅茶を飲んでいる。キャスバルの言葉を待っているんだろう。

 ギロリと横目で睨んでも、キャスバルは涼しい顔である。ヲイ。

『――……。………、……キャスバル』

『なんだい?』

『愛してるんだ! 離れたくない‼』

 フグッと、一瞬、キャスバルの喉が鳴った。

 ――よっしゃ紅茶を飲み込むタイミングでバッチリ仕掛けられたぜ!

 ちなみにこれ、昨日見てた映画の中の台詞な。

 滅茶苦茶睨まれるけど、ニッコリと微笑み返す。

『……後で覚えてろ』

『ごめーん。記憶力には自信がないんだー』

 棒読みで返す。

 ふぅ、と、息を一つ吐いてから。

「ギレン、僕も一緒に行けるだろうか?」

 キャスバルが“ギレン”におねだりする。

 二つ返事で許可すると思いきや、“ギレン”の返事は「考えておこう」というものだった。

 あれ?

 ここへ来て引き離されるとは思えんけど、即答しがたい何かがあるって事か?

 こてりと首を傾げて“ギレン”の三白眼を覗き込む。

 その酷薄な印象を与える双眸がひとつ瞬いて。

「ときに“ガルマ”。ランバ・ラルから報告を受けているのだが……」

 厳しい声が。

 コンサバトリーの温度が急激に下がる――うぇへぇ。これ何かを告げ口されたってコトだよね?

 隣でキャスバルもギクリと身じろぐ。

 ――と。

「ご歓談中に失礼いたします。キャスバル・レム・ダイクン様にお迎えが参っております」

 ザビ家の執事が深々と一礼して告げたのは、このお茶の時間の終了だった。

「え、もう?」

「はい。如何なさいますか?」

「ああ。いま行くと伝えてほしい」

 キャスバルが答えれば、“ギレン”も頷いた。

『ひとりで逃げる気か⁉』

『逃げる? 迎えが来たから帰るだけだ』

 ――嘘だ! あからさまにホッとした顔しやがって。

 ひとり残れば、説教が待っている。ここは戦略的撤退だよね。

 静かに立ち上がり、

「“ギレン兄様”、僕、キャスバルを送ってきますね」

 優雅に見えるように一礼。

「おい、“ガルマ”」

 後でねー(訳:ほとぼりが冷めた頃に戻ります)と、唇だけで答えて、キャスバルの背中を追いかけた。

 

 

 迎えはランバ・ラルじゃなかった。

 もう一度言おう。迎えはランバ・ラルじゃなかったんだ。

 車はいつもの車寄せじゃなくて、ゲートの外に停まっていた。

 エントランスからは距離がある。

 そこに居たのは、何度か見た顔――ランバ・ラルの部下の一人だった。

 言葉を交わした覚えは無いけど、時々向けられてた視線が鬱陶しかった男だ。

 違和感――危機察知アンテナがピリリと警告を走らせる。

「キャスバル!」

 当然、彼も気づいたから、伸ばされた手を振り払った。

 だけど、車からは何人もの男たちが出てきて、多勢に無勢。

「ガルマ、来るな!」

「やめろ! キャスバルをどうする気だ‼」

 キャスバルの制止を無視して、腹の底から大声で叫びつつ突っ込んでいく。

 二人対多数でも、不利なことには変わらない――けど、今はこれで良い。

「ザビ家の末っ子か」

「丁度いい。こいつも連れて行くぞ!」

 複数の伸びる手に、動きを封じられる。

「やめろ! 離せ‼ お前達、こんなことをしてただで済むと思うなよ‼」

 口では抵抗するけど。

 そうそう、連れてってよ。キャスバルだけ連れ去られるのは困るからさ。

 どのみち阻止できないなら、一緒に行くよ。

 二人して車の中に引きずり込まれ、拘束された。

『なんで来たんだ! 人を呼べば良かっただろう‼』

 キャスバルが罵ってくる。叩きつけられる思考波は、色が見えるなら怒りの赤か。

 『この馬鹿』とか『考えなし』とかキレギレにつき刺さるそれに、敢えて鼻を鳴らす。

『あれだけ叫べばもう気づいてる』

 使用人には争う声が届いただろうし、家にはドズル兄貴も“ギレン”も居るんだ。直ぐにも手が打たれるだろう。

『こいつ等の狙いは僕だ。君には関係ない』

『それこそ関係ない。こんな奴らの思惑をなんでおれが考慮しなきゃいかんのさ』

 ホントになに言っちゃってんの。“我が幼馴染”に仇なす輩を、“おれ”が許すと思ってんの?

 ね、“おれ”、怒ってんだよ。

 実は激怒してんの。

 腹の底で“獣”が咆哮する。久しく眠っていた感覚が目を覚ます。

 さあ、首謀者は誰だい? そいつのところまで、“おれ”を連れてっておくれよ。

 じわり、と滲み出すドス黒いものに気付いたんだろう。キャスバルが目を見開いて――それから、小さく笑った。

 ――え?

 ちょっと予想外。ここは怖がったり嫌がったりするトコじゃないの?

『……何年一緒にいたと思ってる。お前の本性なんてとうに知ってる』

『……そう。良かった』

 嫌われるのはいやだからね。

 車はあちこち走り回ったようだけど、特に宇宙に出ることもなく、コロニーの中に留まっていた。

 運び込まれた先は、場末のビリヤードバーかなんかの跡。カウンターとビリヤードテーブルが残ってる。閉められて久しいんだろう。埃っぽい匂いがした。

 ふふん。宇宙ならいざ知らず、コロニーの中なら、そこはすなわちザビ家のシマだ。

 おれたちの位置は、この瞬間も“ギレン”が把握してる――位置測位システム舐めんな。

 時間さえ稼げば、救出は必ず来る。キャスバル・レム・ダイクンと“ガルマ・ザビ”が見捨てられはずないし。

 だけど、ただ待ってるだけじゃ面白くないよね?

 見交わす視線の先で、キャスバルが頷く。

 うわ。剣呑な光が青い瞳の奥でギラギラしてる。煮えたぎる黄金みたいな。綺麗だけど、めちゃくちゃ危険。

 何だか楽しくなってきた。

 ――さて、どうしてくれようかね?

 男達は、合流したものも含めて9人いた。

 屈強な体躯。ランバ・ラルの部下だった男を含めて、皆がジオン軍の制服を着てる。

 ホンモノは何人かな?

 拉致されたときの動きは、明らかに素人じゃなかった。訓練を受けてる人間のそれ――つまり、軍人ってことなんだろう。

 だけど、拠点に連れて来られて観察するに、制服は来てるけど動きは一般人って奴も居る。

 うち――ザビ家の政敵ってどの辺りだっけな。

ラル家はともかく、他はあまり知らされてないんだよ。“ギレン”に聞いても「いまはまだ知らんで良い」と素っ気ない答えだったし。

 大方、“おれ”が独断で“狩り”に出る可能性を厭ったんだろうけど、無理にでも聞き出しときゃ良かった。

 “敵”の情報が少なくて、判断に迷う。

 ――……仕方ないなー。

 最小限の身動ぎで、拘束を少しだけ緩める。

 心細さで擦り寄るようにキャスバルに近付いて、同じように緩めてやる。

 完全には解かないし、解けてるようには見えないけど、ここまでしとけば後は一人で外せるでしょ。

『まだ大人しくしててよ』

『わかってる』

 見た目は仔犬の兄弟みたいに身を寄せ合って。

『キャスバル、おれは“怖がり”で“弱虫”で“泣き虫”だ。これからシクシク泣くからそのつもりで』

 告げれば、思考波に笑いが混じった。

『……演技とはいえ、君の泣き顔を拝めるのか。悪くないね』

『ホントに性格悪いよねキャスバルって』

『君だけには言われたくないものだね』

 ケッ、とヤサグレた思考波を飛ばしたあと、気力と根性で涙腺を絞る。

 “三日月”だった時にはどうやっても流せなかった涙が、“ガルマ”では簡単に流せるから人体って不思議だ。

 不自由な姿勢で手足を拘束され、口にはテープ。強面の男達に拐われた子供だもの。怖くて泣いたって仕方がないだろ?

 鼻梁を越えて流れ落ちていく涙に、キャスバルが驚いたみたいに目を見開いた。

『……凄いな。知ってても騙されそうだ』

『だろ? さあここからが本番だ』

 涙は次から次へと溢れて、床に小さなシミをつくる。

 どーよ、このおれの演技力。抑えきれないような嗚咽をこぼして見れば、

「おや、ガルマ坊っちゃんは泣いていらっしゃる! 怖いか? 可哀想になぁ!」

 嘲るような声と共に、グイと体が引き起こされた。ランバ・ラルの部下だった男だ。

 フラットでは礼儀正しく接してきたというのに、化けの皮が剥がれればこんなもんか。

「『Enlevez vos de moi, de minable.(手を放せ、クズ野郎)』」

 口が塞がってるから、「うーうー」としか聞こえんだろうがな。

 眼の前に野卑なニヤけ顔。縛られた子供相手に優位に立った気でいるのか、クソが。

 涙目で睨みつければ、さらに籠められる力。

 ――ちょっと、なにハアハアしてんの?

 え? なんで興奮してんのお前? 気持ち悪いんだけど‼

『変態か⁉』

 あ。そーいやおれ、変態ホイホイだったわ。可愛さって罪だな。

『馬鹿なのか君は!』

『なんでおれを罵んのさ⁉』

 ――いま罵られるべきはこの変態の方だろう!

 思考波の火花がパチパチと。

 多分、助けてくれようとしてくれてるんだろうけど、隣でボスンバスンと――ちょっと、キャスバル暴れんな。もうちょい大人しそうな振りしてよ。

 その睨み殺しそうな凝視もやめろ。

 どんだけ血の気が多いのさ。まぁ、人のこと言えないけど。

 ともあれ、これで周囲はどう出る――止めるか煽るか。

「止せ」

 割と静かな声だった――ふうん、静止するんだ。

 一言。それだけで、おれを掴んでた男が、怯んだように手を放した。

 濡れた眼で見やる先、四十がらみの男が一人。首謀者はお前なの?

 少なくとも、この場では一番立場が上だと見た。カツコツと硬い足音を立てて近づいてくる男の目を覗き込む。

 長身、細身だけど筋肉質。軍人特有の身のこなし――冷た気な灰青の眼の底に、苦々しげな感情。

 ――なんだ、コイツじゃないのか。

 お前は不本意なんだね、この誘拐劇については。だけど、拒否できない。

 黒幕はここには居ないのか。残念だな。どう喰らってやろうかって思ってたのに。

 まあ、実行犯だって許さないけど。

 無骨な手が伸びて、口を塞いでいたテープを剥がしてくれる。イテテ、もうちょい優しくしてよ。

 パチリと瞬きすれば、残ってた涙がまたポロリと零れた。

「手荒な真似をして申し訳ない」

 謝罪した男は、同様にキャスバルの口元のテープも剥がした。

「ガルマは解放しろ」

 ――ふぉう。開口一番それかよキャスバル、カッコいいなぁ、お前。

『混ぜっ返すな』

『褒めてんのさ』

 キャスバルの勢いに、男が苦笑する。

「お前達は何者? なぜこんな事を?」

 素直に答えが返るとまでは思わんけど、聞かないと始まらんしね。

 表情に怯えを残したまま、それでも姿勢を正し、真っ直ぐに問いかければ。

「その年で気丈なことだ――二人とも」

 おれも? おれ泣いてるけど。

「大人しくしていれば、手荒な真似はしない。我々の目的については、君たちが知る必要はない」

「当事者なのに?」

「訳もわからずに縛られたままでいろと言うのか」

 おれの質問にキャスバルが補足する。

「金目当てじゃないな。正規の軍人が複数人混じってる。命じたのは誰だ? 誰が僕を利用しようとしてる?」

 そうねー、それに気付いてることを明かせば、まあ、相手は驚くかもね。

 案の定、男は目を見開いてキャスバルとおれを凝視する。

「ザビ家がキャスバルを擁することをよく思わない輩がいるのは知ってる。“連邦”と組んでいる“売国奴”は誰?」

 さらに畳み掛ければ、男はゆらりと離れた。その眼には驚愕の他に、怖れみたいな色が見えた。

『バックに“連邦”が絡んでると?』

『カマかけただけ。でもビンゴみたい』

 こんな暴挙に出る輩について、消去法で考えた結果だ。

 “ギレン”は、ここでも圏外圏が地球の軛を断って、対等な立場で共存共栄する道を探している。

 その思想は、ムンゾに留まらすに徐々に広がっていて、地球連邦政府にとって看過できないものになっているはずだ。

 想定してたよりも、連邦からの干渉が早まっていると、“ギレン”も零していたし。

 実際にフラットを訪れるご機嫌伺いの議員の中には、明らかに連邦の紐が付いてるような輩もいたしね。

 そのうちの誰かを焚き付けたものか、それとも地球行の“土産”にしようでも考えた愚か者がいたのか。

 ムンゾの旗印足り得るキャスバル・レム・ダイクンを浚い、ザビ家の力を削ごうと企んだんだろう。

 あわよくば、キャスバルを洗脳でもして、従順な“連邦の犬”として育てるつもりか――無駄なことを。

 思考を読んでるだろうキャスバルからの怒りで、頭が炙られそう――加減してよ。

『よく言う。お前こそ加減しろ――業火みたいだ』

 ――お互い様だろ。

 息を吸う、それから吐く。殊更にゆっくりと、見せつけるように胸が、肩が上下して。

 もう涙の色はない。ガルマ・ザビの顔立ちはけっこう整っている。だから、甘えを削ぎ落とせば、冷たくさえ見えるだろう。

「改めて聞こう。“売国奴”は誰だ。ここに居る皆が全てそれとは思わない。知らずに加担した者も居るだろう」

 ぐるりと睥睨して。

「お前たちは誇りを売り渡すのか。ムンゾを、キャスバル・レム・ダイクンを、家族を、友を売り渡すのか。長きに渡る連邦の支配に頭を垂れて、我らの血を吸ってぬくぬくと肥え太る地球のエリート共と、それに擦り寄る“売国奴”の下僕に成り下がるのか」

 声は張ることもしないけど、この場では充分だった。誰も口を挟まない。

 眼の前の男も、さっきおれを吊し上げた男も。

 ギレン・ザビの演説には遠く及ばずとも、これくらいのことならおれにもできる。

「お前たちがいましているのは、そういうことだ」

 さあ、自覚して怖れろ。迷え――だが血迷ってくれるなよ。

「僕は――キャスバル・レム・ダイクンは、ここにいるガルマ・ザビと、それからこの先、僕たちと共に立ってくれる人々と共に、ムンゾの、圏外圏の自由を手に入れる。スペースノイドこそが、人類の未来を担うに相応しいと言う、父、ジオン・ズム・ダイクンの言葉を信じているからだ」

 美しくも力強いジオンの忘れ形見――キャスバル・レム・ダイクンの姿を見ろ。

 幼さを残しながらも、キャスバルは己の立ち位置を、既に自らに定めている。

 その父と同様に、スペースノイドを束ね、導いていくのだと。

「問おう。お前たちは僕らの敵か? それともこの先を共に戦う同士か?」

 巧いな、キャスバル。こんな事をしたコイツらには、どのみち未来は無いけどさ。そう問われれば、グラっとくる奴は出るよね。

 視界の中、何人かの男達が忙しなく視線でやり取りしてる。ん。迷ってる迷ってる。

 だけど、軍人組は少し渋い顔――何より、リーダー格の男の表情が険しくなった。

 こっちはムンゾの出じゃないのかな。

 だとしたら。

『キャスバル、今のうちに拘束を解いておけよ』

『もう解いた。君は呑気だな、まだ縛られていたのかい』

 ふふん、と、青い眼が見下してくる。

 ――……。

 深呼吸。

 ここでキャスバルに腹を立てても仕方がないだろおれ我慢しろおれ敵は目の前だキャスバルじゃないぞ心を鎮めろおれ…

「なるほど。聡明だ。むしろ聡明すぎる程にな」

 軍靴がカツリと音を立てて、おれ達の前に立った。

 そうさ。傀儡にはならないし、いまさら矯正も洗脳も不可能だ。

「いま少し凡庸であれば、穏やかな人生も歩めようが」

 その言い分に鼻で笑う。

「Nous suis né avec le destin d'une rose.(我々は薔薇の定めに生まれたんだ)。刺々しく華やかに激しく生きろってさ。誰かの“お人形”になって生きるなんてゴメンだね」

 おっと。苛々して猫かぶるの忘れた――お前のせいだぞ、キャスバル。

 素のおれの態度に、男達は目を剥き、キャスバルは肩をすくめた。

 バラリ、と、拘束してた縄が落ちる――子供の体で良かった。もうちょい育ってたら手錠を使われてただろうからね。あれ、親指の関節外さないと抜けないから嫌なんだ。

「お前たち⁉」

 腕を伸ばされるけど、もう遅い。

「『キャスバル!』」

 転がってたキューを蹴り飛ばす。くるりと宙で回転したそれは、キャスバルの手の中へ。

 お前、レイピア得意だろう?

 目の端に幼馴染の獰猛な表情――本当に御曹司なのかお前は。

『鏡を見てから言え』

『おれはもっと可愛いだろ』

 キューの次におれが蹴りつけたのは、目の前の男の膝横だった。

 関節と粘膜は鍛えられないからな。膂力に劣る分、急所狙いでいく。

「ぐっ⁉」

 よろめいたところを更に引きつけて耳を強打。目だと反射で避けられそうだったからさ。

 突き返された拳は、だけど狙いがずれていた――ん。鼓膜か三半規管にダメージ入ったな、これ。

 隣ではキャスバルが大暴れである。強い強い。キューがまるで剣だ。

 弱いところを確実に突き通すその動きには遠慮どころか慈悲もない。

 あっという間に二人が戦闘不能に。

 残りは七人――っと、横から来た男の顎を下から蹴り上げて。あ、こいつランバ・ラルの部下じゃないか。がら空きの腹に膝を突き入れる――ついでに股間も踵で潰す。

 カエルの断末魔みたいな声が上がり、周囲がざわりと一歩引いた。

 よし、これで残り六人。

 うち軍人は、お、もう三人だけか。

『よそ見をするな!』

 うお。流石に鍛えてるな、一番偉そうなヤツ――ふらつきながらも銃を構えるか。

「動くな!」

「やだね。止まったら的になるだろ」

 肉薄、掌底で銃底を付きあげる――引き金が引かれ、弾丸は天井へ。

 銃声に反応してか、残る二人の男も銃を抜いた。

 鈍く光る銃口に、有象無象は悲鳴を上げて一斉に出口へと駆け出していき――

「ぬぅおおおおおおおおおぅ‼」

 ――ふぉうッ!????

 びっくりした! びっくりした‼

 心臓がタップダンス。

 物凄い野獣の唸りみたいな声と共に、巨大なゴリラ――じゃなくて、え? ドズル兄貴!??ーーが飛び込んできた。

 敵味方ともに、一瞬の恐慌状態。

 ぶっとい腕が一振りされただけで、出口に殺到してた男達が吹っ飛んだ。

 強え! カッコいいなぁ兄貴‼

「無駄な抵抗はするな‼」

 肺活量の違いか、耳がビリビリするような大喝。鋭い眼光。場を支配する威圧。

 ドズル兄貴の後ろから、雪崩込んでくる部下たちが、更にこの空間を制圧する――うわ、何人連れてきたのさ。

 ランバ・ラルもいる――素早くキャスバルに駆け寄って、その無事を確かめてるし。

 ――ん。助かった。

 ふー、と、息をついた途端に、

「――ガァルマァアアア‼ お前というやつは!! お前というやつはァ‼」

 どこまで心配をかけるのだと、巨大なゴリ…ドズル兄貴に突進されて、抱きしめられ――兄貴、ちょッ、締め上げてる締め上げてる‼

 ばんばんタップするけど、ドズル兄貴はオイオイ泣いてるだけで、腕の力は緩まない。むしろミシミシ増していき――あ、お花畑だキレイだなー……。

 最後に、キャスバルがおれを呼ぶ声が、遠くに聞こえた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 2【転生】

 

 

 

 “ガルマ”は無事、ダイクン家の居候になった。

 いや、無事と云って良いものか――どうも、キャスバルとは微妙な関係らしく、仲が良いとは云い難い様子だ。

 まぁ、ある程度は予想されたことではある。“ガルマ”は、所謂“頭の良い”タイプではない――悪知恵だけはよく働くが――し、一方のキャスバルは、マクギリス・ファリドほどではないだろうが、やはり有能なタイプを好むようだったので。とは云え、1stやZなどを見た限りでは、癖のあるタイプも嫌いではない――ドレンなどがそれに当たるだろう――ようだったから、完全に反発し合う、と云うこともないだろうとは踏んでいた。

 幸いなのは、ランバ・ラルのみならず、どうやら“ギレン・ザビ”にも懐いてくれたようで、訪ねてゆけば、にこやかに応対してもらえることだ。

 残念ながら、アルテイシア・ソム・ダイクンには、この顔を怖がられたらしく、いつも母親の陰に隠れるような風だったので、キャスバルのその態度はとてもありがたく感じられた。

 こちらはとりあえず、今後起こる可能性のある“一年戦争”に向けて、布石を打つ。

 つまり、他のサイドや月都市と連絡を取り、戦争のためでもない同盟を結べないかと打診したのだ。

 無論、内容も聞かずに一蹴されることもあったけれど、好感触を得ることもあり、中々順調な滑り出しだろうと思われた。

「コロニー共栄圏と云うものを作ろうと思うのだ」

 そう云うと、サスロは眉を寄せ、キシリアは小首を傾げた。

「どう云うことです」

「コロニーが同盟を結び、力を合わせて連邦政府に対抗していく、と云うことだ」

 キシリアの問いに、そう答える。

「ムンゾのみで連邦政府と交渉しようとしても、中々難しいところがあるだろう。コロニーひとつで何ができると、連邦に侮られるのがオチだ。だが、例えば半分のコロニーが、団結して交渉にあたったなら――あのタヌキどもとて、無碍にはできん。そうではないか」

 今現在、地球は農産物や工業製品など、様々なものをコロニーや月都市の供給に頼っている。

 コロニーも月都市も、もちろん人工的な居住空間で、地球のように何がなくても何とか生きていける、と云う場所ではない。それ故に、そもそもコロニーに住むことになった宇宙移民たちについては、当初から棄民であると云われてきた。

 だが、UCも70年を越えた今となっては、事態は変わってきている。

 地球が環境汚染によって居住可能地域を狭めたのに対し、クリーンな空間を維持することが可能なコロニーでは、大量の農産物が生産され、それが地球に住まう人びとの腹を満たしている。つまり、コロニーが生産物を地球に卸さないとなれば、地球の人びとは容易く飢えることになるのだ。

 その事実を踏まえることなく、過剰な要求を突きつけてくる連邦政府に、苛立ちを募らせるコロニーは少なくないだろう。

 1stのような戦争は、後に過大な締めつけを生むだけだとわかっていたから、ここはコロニー同士が手を結び、鉄オル世界において圏外圏が連合したように、コロニー同盟を結んで権利拡大に寄与できないかと思ったのだ。

「ギレン兄、それは、ムンゾが盟主になろうと画策している、と取られはしないか」

 サスロが、もっともな意見を云った。

「我らが盟主である必要はない。まぁ、それに近い位置にいることは必要だとは思うが」

 盟主としてお飾りになるよりも、同盟の実務を動かす地位を占めた方が重要だ。つまり、No.2か3くらいの立ち位置である。

「連邦政府に対して、我らのように独立しようと云うコロニーばかりでないのは仕方ない。だが、われわれが独立を志すのを、同盟内の圧力で妨げられるのも宜しくはない。そのあたりを考えると、盟主よりも二番手三番手の方がやり易いだろうからな」

「我らで独自路線を取ると云うのは」

「効率が悪過ぎる。こう云うものには、数の論理が働くからな。それを枉げるためには、ある程度の立場は必要だ」

 それこそ、融和派が盟主でムンゾが二番手であれば、懐が深い同盟だと思われて、他のコロニーや月都市なども参加しやすくなるだろう。表の地位などよりも、ここは実利を取るべきだ。

 ――戦いは数だよ兄貴!

 とは、1stにおいてドズル・ザビが云った言葉だが、武力でなくとも、やはり数の論理と云うものがある。地球連邦に物申すためには、それを可能にし得る“数”を確保しなくては。

「とりあえず、書簡を送る。サスロ、手配を頼む」

「通信では駄目なのか」

 サスロが眉を寄せるが、

「通信では、連邦に傍受されて、結果邪魔が入ることにもなりかねんからな。人間がやり取りした方が間違いがない」

「だが、ムンゾの人間が他処をうろちょろしては、連邦のネズミの目に止まる可能性が高いだろう」

「そこは、逆に下のものを使えば良い。例えば、そうだな――ランバ・ラル麾下の、タチ・オハラとか」

 『the ORIGIN』では存在感を示していたが、今のタイミングでは、まだ諜報員としての第一歩すら踏み出しているかどうかだ。

 だが、だからこそ、誰にも目をつけられたりしてはいないはずだ。つまり、連邦の目もすり抜けやすい。

「きちんとしたIDを持たしてやれば、伝書鳩の役目を果たせるものは多かろう。そしてそれならば、個人的な旅行を装うこともできるだろう」

 そのための人物照会はきちんとしなくてはなるまいが、下手に共和国政府高官などが出向くより、連邦政府のあれこれに抵触するリスクは下がるはずだ。

 もちろん、目指すのは戦争ではなく交渉だが、連邦に都合が悪いと判断されれば、何としてでも同盟をぶち壊そうとするだろうことは、明々白々だったからだ。

 鉄オル世界でもそうだったが、とにかくガンダムの世界観では、地球連邦の暴虐は甚だしいものがある。いや、暴虐と思わなければ感じないのかも知れない、が、アースノイドばかりが優等で、スペースノイドは劣等であると云わんばかりであるのは、そもそもの宇宙移民政策が棄民であったと、認めるも同然のふるまいではないか。

「最悪、戦争になる可能性はあるが、財政的なことを思えば、なるべく回避したい。万が一なったとしても、相手を連邦のみに絞れるのであれば、痛み分けに持ちこむこともできるだろう。そのためにも、周囲とは同盟関係か、悪くとも連邦に加勢はしない、と云う状態に持っていきたいのだ」

 開戦してしまえば、あとは、それこそ数の論理に支配されるだけだ。つまり、はじめからムンゾに勝利はない。その事態を回避したい、それだけの話なのだ。

「……随分と弱腰だな、ギレン」

 キシリアが云った。

「ジオン・ズム・ダイクンの思想を、すべてのスペースノイドに広め、団結する、そう云っていたのではなかったか?」

 ――おっと、突っこまれたか。

 まぁ、“ギレン”と双璧の知将であるキシリアなら、こちらの“変貌”にも気がつくだろう。

 だがまぁ、こちらも大概“いい歳”だ――鉄オルの前から考えると、アラサーの“ギレン”の倍以上。二十歳そこそこのキシリアになど、覆させるものか。

「もちろん、ジオンの思想は広めねばならぬ。だがキシリアよ、知っているだろう、人は、理念と同じかそれ以上に、利益によって動くのだ。どちらも用意しておけば、その分取りこぼしは減る。その上でコロニー共栄圏を作り上げれば、利益で寄ってきたものどもも、最終的にこちらへ取りこむことができる」

 そのためには、とにかくコロニー同盟を結び、地球連邦を交渉の場に引きずり出すことだ。勝ちをおさめられずとも、多少の譲歩を引き出せれば、他のコロニーや月都市も、同盟に加わってくるだろう。

 コロニーがコロニー公社に牛耳られているので、完全に連邦と手を切ることはできないが、農産品や工業製品をコロニーに頼っている以上、あちらとても状況はおなじこと。

 ならば、交渉の余地はある。

「まずは、我らコロニーのものたちが、連邦と対等に話せる土台を作らねばならぬのだ。その中で、ジオンの思想も浸透させていく。これこそ、一石二鳥と云うものではないかな」

「……それならば、良い」

 キシリアは薄く微笑んだ。多分、こちらの意図を確かめたいだけだったのだろう。

「忘れてはおらんよ。ジオンの掲げた“ニュータイプ”理論のこともな」

 そうつけ足してやると、キシリアははっとした顔になった。

「“宇宙に出た人類は、進化し、洞察力や空間認識能力が拡大し、互いに誤解無く意思疎通することが可能になる”だったか。私は残念ながらオールドタイプのようだが、無論、ジオンの理想を実現するに吝かではない。――お前は最近、ニュータイプ研究者と繋ぎを取っているそうだな?」

「え、えぇ……」

 やや退けたような顔になる。原作では、“ギレン・ザビ”はニュータイプ研究に否定的だったようなので、そのような言動を“過去”にしていたのだろう。

 だが、これが1st枠なのか『the ORIGIN』枠なのかわからないので、ララァ・スンを抱きこむためにも、例のフラナガン機関とやらは発足させてもらわねばならない。そこから拓ける道も、またあるのだろうし。

「丁度良い、お前は、その研究者を使って、新たに研究所を立ち上げろ。ジオンの云った“ニュータイプ”が、どんなものかを確かめるために」

「ギレン!」

 サスロが怒鳴った。

「そんなあやふやなものに、金が出せるか! そもそも、理論上でしかないものが、本当に存在すると思うのか!」

 その言葉は、実務家であるサスロらしいものだったが、もちろん答えは決まっている。

「いるとも、ニュータイプはいる。今後、宇宙の星の数、とまではいかんだろうが、とにかく現れる」

 アムロ・レイ、ララァ・スン、カミーユ・ビダン、ジュドー・アーシタ、クェス・パラヤ、多分ミライ・ヤシマやアルテイシア・ソム・ダイクン、そしてもちろん、キャスバル・レム・ダイクンも。

「ジオンの予言した“人の変革”は、すぐそこに迫っている。われわれはそれに向けて道を整え、すべてのスペースノイドの変革を目指す」

 例え、狭義の“ニュータイプ”にはなれずとも、広い視野を持ち、己の属するところのみならず太陽系全体を思って生きる人間を作り上げる。それがジオン・ズム・ダイクンの――否、むしろトミノの、本当の理想ではなかったか。

 ――とりあえず、“ニュータイプ”は、単なる超能力者でも、オカルトの霊能者的なものでもないはずだからな。

 もしも超能力者とか霊能者とか云う類だったのなら、シャアは地球を凍りつかせるなどと云うことは考えなかっただろうし、アムロもそれに対抗したりはしなかっただろう――バナージ・リンクスが流されるままであったように。

 とりあえずラプラスの箱とやらはここにはないはずだ――『the ORIGIN』枠ならなおのこと――し、これから改変していけば、そもそも“シャア・アズナブル”と云う名のジオン軍エースパイロットは存在しなくなり、結果、“赤い彗星の再来”もいなくなる。そもそも、それを名乗ることになった人物――年齢を考えると、既にこの世界のどこかに生まれているはずだ――も、顔や経歴を捨てることなく、本当の自分の生を生きることができるのではないか。

 ――いい考えだ。

 『UC』の推しが皆強化人間で、主人公サイドは好かなかったので、あのラインを潰せるのは気持ち良い。

 そのためには、後々奔放な“活躍”をすることになるニュータイプ研究所――通称では“ニタ研”と云うらしい――の方向性を、今からきっちりと定義づけていかなくては。

 思わずにやにやと揉み手をすると、サスロとキシリアには気持ち悪そうな顔をされた。まぁ“ギレン・ザビ”の顔だ、仕方ない。

「……オールドタイプのわれわれが、ニュータイプの露払いをするのだ。さながら、旧世紀の宗教における、キリストを導くバプテスマのヨハネのようではないか」

 ナザレのイエスに洗礼を授けた預言者ヨハネ。

 ヨハネはヘロデ王に殺されたが、宇宙世紀のヨハネたちは、そんなことにはらないだろう。

 それに、荒野で神の言葉を叫んだ預言者は、既に運命に殺されているのだ。

 自分たちがなるべきは、むしろ聖ペトロ――預言者のなした預言を実現するべく動くもの、だ。

「本気か、ギレン」

 サスロが問う。

「本気だとも」

 “人の革新”はともかくとして、この世界を変革したいと云う気持ちは。

「私は、ジオン・ズム・ダイクンの遺志を継ぎ、スペースノイドのあらたな王国を作る。そのためには、スペースノイドの連合が必要であるし、旗標になるものも必要だ。まずは時機を見て、ムンゾが地球連邦から完全な独立を果たす」

 今ではなく、もう少し先、何らかの事件の後に、民衆の気運が盛り上がった時に。

「――戦争になるぞ」

 サスロはごくりと唾を呑んだが、キシリアは薄く笑っただけだった。なるほど、この兄妹は、妹の方がよほど好戦的で、かつ肚も据わっているようだ。

「ジオンの理想を掲げれば、いずれどうあっても戦争にはなる。そのために、今から備えようと云うのだよ」

「……ドズルのMS計画を承認されたのは、そのためですか」

 キシリアが訊いてくるのに、頷きを返す。

「そうだ。そして、お前が興味を持っているニュータイプ理想も、いずれそこに噛んでくることになる。私は、戦端を開くその前に、なるべく万全を期しておきたいだけだ。新しいムンゾ――ジオン共和国のために」

「ジオン共和国」

「それが、お前の考える独立後の国名か」

「そうだ」

 “ジオン公国”として、デギン・ソド・ザビを“公王”の座に就ければ、人びとはムンゾをザビ家の独裁国家だと見倣すだろう。

 無論、“共和国”に独裁がないとは云わない――共和国を名乗る国の権力者で、“独裁者”と名指しで批難されたものの何と多いことか――が、イメージの問題として、“公国”よりは“共和国”の方が民主的であるように思われる。

 イメージは大切だ。例え権力者たちが望んだとしても、民衆は、イメージの悪い国家に与することを、心情的によしとしないだろうから。

「我らはジオン・ズム・ダイクンの名を掲げ、その理想を追求する国家をこの地に作る。それをもってスペースノイドの融和を計り、地球連邦との対等な関係を模索する。――お前たち、異論はあるか?」

 そう云って“弟妹”を見れば、二人は揃って首を横に振った。

「よし」

 原作のスケジュールで行けば、一年戦争まではあと十一年、例の“暁の蜂起”まではあと八年。

 それまでに、やるべきことは山積している。

「今後とも、頼むぞお前たち」

 重ねて云うと、二人からは、力強い頷きが返された。

 

 

 

 ジュニアハイスクールをスキップして、キャスバルと“ガルマ”はハイスクールに進んだ。

 正確に云えば、“進んだ”のは学力的な意味においてであって、通ったと云うわけではない。ダイクンの遺児とザビ家の末子を両方迎え入れられる学校は、ないとは云わないが、問題も多かった。それくらいなら、高卒認定のような資格を取らせて家庭教師に教えさせた方が、警備面や何かで都合が良かったのだ。

 キャスバルはともかくとして、“ガルマ”は正直不安しかなかったのだが、何とかクリアしてくれたようで何よりだった。

 まぁそれまでに、家庭教師を五人も叩き出したり何だりと、いろいろやらかしてくれたので、無事に次のステップへ進めそうだとわかって、心底から胸を撫で下ろした。

 まぁ、元のアレコレでも、学力的には問題がなくとも、素行に多大な問題があった“ガルマ”のことだ、家庭教師を叩き出したのも、想定内ではあった――あったがしかし、まさか五人もとは思わなかった。

 当人曰く、“半分はキャスバルのせい”だそうだが、元のアレコレを知っている身としては、当然素直に聞くことなどできるわけがない。“三日月”時代、ラスタル・エリオンに入れられた士官学校の学舎を占拠した話は憶えている。他の“昔”のあれやこれやも然りだ。

 確かに半分ほどはキャスバルのせいだとしても、それに乗ったのは“ガルマ”なのだから同罪である。

 第一、元のover40からはじめて、“三日月”ではいい歳まで生きていた。両方の時間を合わせると百歳はかるく越えたのだから、若さ故の過ちとやらは“ガルマ”に関しては当てはまらない。

 と云うか、over100ならそれらしく自重するべきだ。いくら身体が若いとは云え、あまりにもそれに引っ張られ過ぎではないか。ティーンエイジャーと一緒になってふざけ回るにしても、もう少々理性と云うものを働かせて然るべきではないかと思うのだが。

 アストライア・トア・ダイクンの保護下におかれ、帰ってくればデギン・ソド・ザビとドズルとに甘やかされ、聊か箍が外れたようになっているのではあるまいか。

 願わくば、キャスバルが“ガルマ”に悪い影響を受けないでもらいたいものだが。

 六人目の家庭教師は、かなり癖のある人間を選んだので、叩き出されずに済んだようだった。あれで叩き出そうものなら、有無を云わさず全寮制の学校にでも叩きこむところだった。やや胡散臭い経歴の主だったが、結果オーライと云うところか。

 だが、その世話になるのもそろそろ終わりだ。

 キャスバルはもうじき十四になる。おそらくそれまでに、ハイスクール卒業レベルの学業は修めてしまうことだろう。ハイスクールでもスキップしたことになるくらいの、驚異的なスピードである。

 問題は、その先のことだ。

 “ガルマ”はザビ家の慣例として、士官学校に入ることになるだろうが、さて、キャスバルはどうするかだ。

 もちろん、キャスバル・レム・ダイクンに軍人の資質があることはわかっている。“赤い彗星”と呼ばれたかれのパイロットとしての能力や、指揮官としての資質も含め、士官になれば異例の出世をするだろうこともわかっている。

 だが――ジオン・ズム・ダイクンの子を、軍人にする? それは、随分な才能の浪費ではないか。

 “ギレン・ザビ”のようなアジテーターの才能はないが、Zのダカール演説や、『逆シャア』でのそれを思い返してみても、キャスバル・レム・ダイクンには政治家の才能がある。“シャア・アズナブル”を名乗ってすら人びとを魅了したその能力を、せっかく本名で生きているこの時間軸で、埋もれさせて良いものか。

 それに、人びとのイメージと云うものもある――ジオン・ズム・ダイクンの子であれば、必ず政界を目指し、いずれは首相の座に、と人びとは考えているだろう。ましてや聡明であることは既に良く知られているキャスバルだ、その麗しい見目とも相俟って、共和国の象徴にと思う輩も少なくはない。

 そう云う人びとにとっては、キャスバルを軍人にするなどとんでもない話だろうし、士官学校に入ったとしても、“ダイクンの子”として色眼鏡で見られ、不愉快な思いをすることになるのではないか。

 それに、未だにダイクンの遺児を排除しようと云う動きもある。ジオン・ズム・ダイクンの理想に異を唱える輩と、おそらくはその後ろに地球連邦の存在もあるのだろう。

 ムンゾは、各サイドの中でも、最も独立心に満ちたコロニーである。議会でも、連邦からの独立を訴える議員は少なからずいる。だがもちろん、真逆の考えの議員もいて、連邦政府が、そう云った連中を利用して、調略を試みているのはわかっているのだ。まぁ、こちらも長年培った政治力がある、そう易々とやられはしないのだが。

 と、

「ギレン」

 ノックとともに現れたのは、キシリアだった。

 濃紺のワンピースドレスは、襟の詰まったヴィクトリアンスタイルだ。少々オールドミスのような服装だと思うが、原作ではほぼ軍服一辺倒だったことを思えば、隔世の感がある。まぁ、確かに原作からは遠く離れつつあるのだが。

「ガルマが帰っているわ。そろそろ晩餐の衣装に着替えたらどう?」

「あぁ、そうだな」

 招待状のある正餐と云うわけでもないが、“ガルマ”の躾もかねての晩餐である。家族だけとは云え、気を抜いた服装で出るわけにもいくまい。

「……そう云えば、“ガルマ”から誕生日のプレゼントに、クリスタルのイヤリングを贈られていただろう。今日は、あれはつけないのか」

 基本的に女にはマメな“ガルマ”であるが、それは“姉”であるキシリアに対しても変わらない。この前の誕生日には、何やら聞き憶えがなくもないブランドの、クリスタルのイヤリングを贈っていた。丸みを帯びたやわらかいデザインのそれは、クリスタルの透明な輝きの鋭さもあり、確かにキシリアによく似合っていた。

 キシリアは、少し頬を染めた。

「家族だけの晩餐に、そんな……」

「家族だけとは云え、正式な晩餐だ、それくらいの方が良いだろう」

 私もブラックスーツにするつもりだからな、と云うと、意外そうに眉を上げられた。

「珍しい。軍服かと思っていたわ」

「あの軍服は、家族の食事には仰々し過ぎる。それこそ、招待状の来るような晩餐会ならともかくとして」

 それに、

「お前がドレスで私が軍服では、いかにもつり合わんだろう」

「そうね――そして、ブラックスーツと同席するのに、アクセサリーなしではくだけ過ぎているわね」

 キシリアは、くすりと笑った。軍服姿の時とは異なる、存外やわらかい微笑みだった。

「そうね、あのイヤリングをつけることにするわ。それなら、お互いに恰好がつくでしょう」

「そうだな」

 笑みを返して、服を変える。ディナージャケットにタイを結ぶ、少しだけやわらかいスタイルだ。

 食堂へ向かうと、既にサスロとドズルが顔を揃えていた。

「おう、ギレン」

「……ガルマは」

 と問うと、

「今、キシリアが呼びにいっている」

 サスロが肩をすくめた。

「相変わらず、キシリアはガルマに甘い」

「甘くなるのは仕方ないだろう、ガルマは体力がないんだし」

 ドズルは云うが、まぁこの“弟”も、ガルマを甘やかすことではキシリアに劣らないのだ。もちろん、一番はデギンに違いないのだが。

「――ところでドズル、“例の計画”の進捗はどうなっている」

 云うと、サスロが眉を顰めた。

「ギレン、今話すことか?」

「父もガルマたちもおらんのだ、まだ構うまい」

「……あれは、そのぉ、“ランドセル”の小型化で、まだちょっと……」

 ドズルが、大きな図体に似合わぬ様子で、もじもじと云った。

 計画の開始から、かれこれ三年が経過している。と云うことは、原作における一年戦争までは、あと七年ほどだ。

 ――七年で、試作機を量産体制にもっていけるか。

 “赤い彗星”が乗っていたのはMS-06S、『the ORIGIN』では、その前のMS-04やMS-05Sにも搭乗していた。例の、ミノフスキー博士追捕の場面でのことだ。

 ランバ・ラルが“黒い三連星”と機乗していたのも、おなじMS-04、機体名はブグだった。

「――今は、試作何号機だったか」

「い、今は三号機だよ、兄貴。YMS-03、ヴァッフだ」

 “YMS”。この“Y”は、T.Y.ミノフスキーのミドルネームを取ったのだろうか。

 “YMS”からYが取れ、“MS”になった時にモビルスーツは完成する。そこから、ムンゾ共和国はジオン公国への道を歩みはじめ、遂には一年戦争へと突入するのだ。

 もちろん、無駄な戦闘は避けるべきだが、備えを万全にしておくのは無益ではない。

「――半年だ、ドズル」

「へ」

「半年、それで実用化にこぎつける見通しが立たないようなら、“計画”は破棄する。金食い虫を、いつまでも養っておくわけにはいかん」

「ひえ」

「今すぐ中止でもいいのではないか?」

 サスロが云った。

「軍の一部では、“計画”に巨額の予算を注ぎこむことに、不満の声もある。それくらいならば戦艦の建造や補修に充ててほしいと云う声も聞く。今は抑えているが、そういつまでもと云うわけにはいかんぞ」

「わかっている。だが、気になる噂もあるのだ。連邦軍が、アナハイム・エレクトロニクスに委託して、人型汎用兵器を作らせているらしい」

 原作でそうであったし、事実、子飼いの諜報員からもその旨の報告を受けた。例の“伝書鳩”が、ついでに拾ってきた話だが、そのものはきちんと裏取りもした――アナハイム末端の技術者から、酒場で聞いたのだそうだ。

 連邦軍が開発させたのは、RCX-76ガンキャノン、1stでカイ・シデンが搭乗した機体は、多分その後継機にあたるのだろう。

「既に、量産体制に入っているらしい。まぁ、どの程度のものなのかは、継続調査中だが――備えておくに如くはない」

 戦艦に取りつかれて、ブリッジを破壊されるようなことにでもなれば、目もあてられんからな、と云う。

「……かつての白兵戦が、かたちを変えて再現されると云うことか」

 サスロが唸った。

「じゃあ、それこそ“計画”が大事になってくるじゃないか!」

 ドズルが興奮気味に云うが、

「だが、実用化できんでは意味がないだろう。これ以上金をドブに突っこまんうちに、目途をつけるのだな」

「わ、わかってるさ」

「進捗状況を確かめるために、私もダークコロニーに出向く。そうだな、半月後だ。その頃には、目途がついていることを願うぞ」

「奮起させる」

「よし」

 原作どおりであれば、ミノフスキー博士が、“ギレン・ザビ”の視察の折に、“ランドセル”の小型化に目途をつけるはずだ。

 こちらでもそうあってほしいと願っていると、キシリアと“ガルマ”が食堂に入ってきた。キシリアは、例のイヤリングをつけている。

 ――相変わらずの誑しだな……

 “昔”のあれこれや、“三日月”の修羅場を思い返しつつ考えて、唇を歪める。

 まぁ、“姉”を誑したところで、そう大きな害はあるまい――“ガルマ”の相手は、皆の意向でアルテイシアと決まったのだし。

 ――せいぜい尻に敷かれると良いさ。

 思っていると、ドズルが席を立った。

「ガルマ!」

 云いながら、弟の小柄な身体を抱きしめる。

「おかえりなさい、ドズル兄様」

「ただいま帰った。お前も良く戻ったな、この甘えっ子め」

 と云うが、少し腕の力を緩めてやった方が良いのではないか。“ガルマ”は、やや苦しげにうぐうぐ云っている。

「“ギレン兄様”も、サスロ兄様もおかえりなさい」

 ドズルの羽交い締めの中で身をよじり、“ガルマ”がそう云ってくるのへ、

「ああ」

 と簡単に返すと、不満そうな顔になった。

 サスロはもう少しやさしく、

「お前もな」

 と云う。

 サスロにはにこりと笑い、ちらりとこちらを見る、“もっと構え”的なまなざし。

 だが、これだけ構われているのだから、別に良いだろう。

 くすりと笑うと、“ガルマ”のまだ不満げなまなざしが、はっきりとこちらを向いた。

 だが、その唇が開く前に、デギンが食堂に入って来、そのまま、やり取りもなくディナーがはじまった。

 

 

 

 翌日、キャスバルが訪問してきたと聞いたのは、十時を回った頃だった。

 居間に通したのかと思えば、コンサバトリーだと云う。イギリスのカントリーハウスによくある、温室の中に設えられたティールームと云えばいいのだろうか。とにかく、ガラス張りの居間のようなものだ。

 今日は在宅に変更にした――例の諜報員たちからの報告を取りまとめて、今後の方策を固めたかったのだ――ので、キャスバルの顔を見ておくか、とコンサバトリーに足を向ける。

 辿りつくと、キャスバルは“ガルマ”とティータイムの最中だった。

 “ガルマ”は、こちらに気づくと、へろりとした笑顔になった。

「“ギレン兄様”。時間があるようなら、一緒にお茶をしていきませんか?」

 顔を見るだけにしておくつもりだったが、誘われればと頷きを返す。

「良かろう。――キャスバル、よく来たな」

 キャスバル・レム・ダイクン――のちの“赤い彗星”は、礼儀正しく頭を下げた。

「ご無沙汰しております。」

 大変結構。

 ジンバ・ラルを隠居させてから、ラル家とザビ家も良好な関係であるし、アストライアの保護も請け負っているので、キャスバルたちとの関係は悪くない。

 少し懐いてくれているのかと思える時もあり、少々ときめく――1st推しならば、“赤い彗星”はマストだろう。“ギレン・ザビ”になってしまったので難しいかと思ったが、多少心を開いてくれるなら、こんなに嬉しいことはない。まぁ、頭の良い少年であるから、そう装っているだけと云う可能性も否定はできないのだが。

 何しろ“ギレン・ザビ”は悪人面である。現に今も、コンサバトリーに入った途端に、メイドの表情が凍りついたほどだ。原作におけるザビ家の立場を思えば仕方ないが、もう少しソフトな顔だったらと思わずにはいられない。中の人――銀河万丈ほどの紳士だったなら、もっと違った反応もあったのだろうに。

 まぁ、それでは悪役らしくはないか――しかし、『ヤマト』のガルマン・ガミラスの例もある。それに、実は『the ORIGIN』の“ギレン”は、偶にかわいい時がある。まぁ顔だけだが――多少なりとも可愛さがあるのなら、何とかなりようもあるのではないか。

 席につくと、茶器が置かれ、香りの良い紅茶が供された。

 そこから、少年ふたり――片方は“がわ”だけだが――の近況が報告される。

 原作とは違って、キャスバルはそれなりに、少年時代を謳歌しているようだ。思いつめたような表情はなく、自信に満ちた、恵まれた子ども時代を過ごしているのだとわかるような、余裕のある表情。

 まぁ、原作よりもアストライアと過ごした時間が長い分、変に肩肘を貼ったりしないので、子どもらしい伸びやかさが見られるのだろう。アルテイシアとも、それなりに兄妹喧嘩などしているようで、アストライアからそれを聞いたときには、思わず笑ってしまった。可愛らしいことで、何よりである。

 ――さて、このまま順当に成人したら、どんな大人になるものかな。

 原作の少しニヒルな感じも捨てがたいが、やんちゃなキャスバルもそれはそれで好感が持てそうだ。

 と、キャスバルが、おもむろに口を開いた。

「……ところでギレン、“ガルマ”の進路はどうなってるの?」

 ――ふむ?

 キャスバルが、“ガルマ”の進路を気にするとは――原作のような関係ではないし、そもそも“ガルマ”は中身がアレだから、“ズッ友”的な仲の良さはあり得ないが、さりとて学業でのライバルと云うほど切磋琢磨する間柄でもないはずだ。

「それを聞いてどうする?」

 キャスバルと“ガルマ”は悪ガキ仲間のようなものだとは、ランバ・ラルから聞いていたが――まさか、悪仲間と同じ進路を歩むために訊いている、と云うわけでもないと思うのだが。

「僕もこの先を考えなきゃ行けないだろう? 参考にしようと思って」

 そう云えば、この二人の進路については、何の話もしていなかったか。

「ね、“ギレン兄様”。僕たちは外でも学びたいな。このままじゃあまりにも世界が狭いもの」

 などと、“ガルマ”はそれらしいことを云っているが、まぁ“三日月”時代に、士官学校を占拠した過去を持つ人間だ、話は三分の一以下に聞いておくに限る。

 まぁ、どのみち“ガルマ”に関しては、先は確定だ。

「“ガルマ”、お前は士官学校へ行け」

 “三日月”の過去はあるにせよ、と云うかあるからこそ、生半可なところではまたぞろやらかすに決まっている。

 その点士官学校ならば、やらかしても始末のつけようがある。今の校長は、それこそドズルだ。まぁ、見る目が甘くなる可能性があるのは否めないが。

「――ガルマを軍人に?」

 キャスバルが、わずかに眉を寄せるが、

「そうだ。ザビ家ではそれが慣例だからな」

 普通の学校に入れて野放し、と云うわけにはいかない。元のアレでも、教室の窓から脱走したり、教師の机の引き出しに、開けるとクラッカーが鳴る仕掛けをしたりと問題行動が多かったのだから。

 こちらの思いを察したのだろう、“ガルマ”がちらりと横を見た。

「キャスバルは? 僕、ひとりになるのは少し不安かも……」

 鼻を鳴らしそうになるのを、ぐっと抑える。

 ――何が不安だ、猫かぶりめ。

 それは、叱責を受けるのが自分ひとりでは、みっちりやられて逃げられないからではないのか。キャスバルと一緒に悪さをすれば、被害は二倍で叱責は半分、と考えたのか。 

「……士官学校か」

 さて、キャスバルはどうするのか。

 もしも政治の道に入ると云うのであれば、ムンゾ大学に入れるよう、全力でサポート――もちろん、学力的な意味で――するが、そうでないならデギンも含めての会議が必要になるだろう。

 さて、どう出る。

 紅茶を飲みながら、じっとその青い瞳を見る。

 と、何故かいきなり、キャスバルの喉が鳴った。

 紅茶を飲みこみ損ねたのか。また“ガルマ”が悪戯でもしたものか、青い瞳が“ガルマ”を睨み。

 息をひとつついて、

「ギレン、僕も一緒に行けるだろうか?」

 キャスバルが云った。

 ――キャスバルが士官学校に?

 まさかと思うが、“ガルマ”が何やら吹きこんだのではあるまいか。

 さて、どうする。

 “ガルマ”たちにはもちろん云っていないが、最近、共和国議会の中では、ダイクンの遺児をザビ家が囲いこんでいるとして、煩く云う輩があるのだ。それ自体は、まぁジオンの葬儀の前後からのことなのだが、最近では、それらのものが法的措置に出るの何のと喧しい。

 こちらはダイクン本家も丸めこんでいるのだし、母親であるアストライア・トア・ダイクンからも、後見人を委任されているような状態であるのに、だ。

 どうも、何やらきな臭い気配があるので、今進路云々を即答するわけにはいかないのだ。

「――考えておこう」

 と云うと、“ガルマ”が首を傾げた。原作のこともあるので、当然一緒に士官学校、と思ったのかも知れないが、今は状況が異なっている。あの時注視されたのはガルマ・ザビだったが、今この時間軸においてはキャスバル・レム・ダイクンこそがそうなのだ。

 が、まぁ、今このごたごたを告げる時でもあるまい。

 それよりも、問い質しておきたいことがある。 

「ときに“ガルマ”。ランバ・ラルから報告を受けているのだが……」

 先日、来客で訪れた共和国議員の足許に、爆竹のようなものを投げたと云う話をきいたのだが、どういうことか。確かにあの議員は、“ジオンの信奉者”などと云いながら、私服を肥やすことしかしない不届き者ではあったのだが。

 じっくり問い詰めてやろうと口を開きかけた時。

「ご歓談中に失礼いたします。キャスバル・レム・ダイクン様にお迎えが参っております」

 執事がやって来て、そう告げた。

 “ガルマ”が、焦ったように、

「え、もう?」

「はい。如何なさいますか?」

「ああ。いま行くと伝えてほしい」

 キャスバルはそう云って、こちらにかるく一礼してきた。

 と、“ガルマ”が立ち上がり、

「“ギレン兄様”、僕、キャスバルを送ってきますね」

 一礼。

 ――今、あからさまに“助かった”みたいな顔だったぞ。

 と云うことは、心当たりは死ぬほどあるようだ。

「おい、“ガルマ”」

 呼び止めるが、“ガルマ”は後でねーと、口パクで答えて、ぱたぱたとキャスバルの後を追った。

 

 

 

「兄貴!!」

 ドズルが書斎に飛びこんできたのは、昼過ぎのことだった。

「どうした、ドズル」

 諜報員たちからの報告書を読んだり、今後の軍の再編に向けた計画書の手直しをしたりしていたところだったので、やや煩わしい気持ちでそう返すと、ドズルは激しくデスクを叩いた。マホガニーのデスクに、罅が入るのではないかと思うほどの勢いだった。

「ガルマが攫われた! それにキャスバルも!」

「“ガルマ”とキャスバル? ダイクン本家の手のものか?」

 確かあの時、執事は“ダイクン家からの迎え”と云ったはずだ。その直後にと云うことは、“そう云うこと”ではないのか。

 ――まさかあの婆さん、まだ諦めていなかったのか……

 と思ったのだが。

 ドズルは首を横に振った。

「違うようだ。だが、攫った連中は、キャスバルの迎えを装っていたのは確かだ。ガルマは、自分からついていったみたいだが」

 その“自分からついていった”は、誘拐と見破ってなのかどうか。

「……GPSは」

「確認中だ」

「そうか」

 GPSが生きているのであれば、場所の把握は問題ない。

「早急に、GPSの位置に追手を出せ」

「やってる!」

 ――ならば良い。

 しかし、キャスバルがターゲットか――ダイクン本家でないなら、ダイクンの遺児を、ザビ家が抱えこむ状況が気に食わない反対派か。しかし、反対派でそこまでの資金力や、荒事もこなせる相手への伝手を持つものがあっただろうか。

 あるいは、

「――反対派の連中で、最近、他処ものと会ったり、連絡を取ったりしたものはあるか」

 問うと、

「そ、そう云うのはサスロ兄貴が……」

 なるほど、それもそうだ。

「では、サスロにそちらの方を探らせろ。それから念のため、宙港の封鎖だ。猫の子一匹見逃すな」

「わかった!」

 頷くと、ドズルはどたどたと書斎を出ていった。

 ドズルとサスロが動くなら、キャスバルと“ガルマ”は無事に戻ってくるだろう。それに、腐っても元“三日月”だ、その前も含め、腕力も多少は使えるはずだ。そう云う意味では、心配はしていない。

 問題は、

 ――さて、この本当の首謀者は誰か、と云うことだな。

 もちろん、ザビ家を良く思わない、共和国内部の反対派が動いていることは確実だろう。

 問題なのは、その表面的な“首謀者”ではなく、その後ろで糸を引くものが誰であるのか、と云うことだ。

 ザビ家の使用人たちに、いかにもダイクンからの迎えであると錯覚させたからには、それらしい車両と訓練されたSPが必要だ。そんなものを調達できるほどの金と伝手が、反対派の連中にあっただろうか?

 可能性としてはダイクン本家だったが、あちらには手を打って、最近は煩く云われることもなくなってきた。ローゼルシア・ダイクンと云う女は、云ってみれば寂しい老女なのである。まめに訪ねて話を聞き、尊重するような態度を取れば、そう大事に発展することはない。相変わらずアストライアのことを認める気はないが、妾腹の子どもたちには大いに期待もしているようではあるのだし、今さら誘拐する理由はない。

 他には、例のコロニー同盟で、自分が主導権を握るのだと息巻いている輩――否、それはむしろ、このムンゾ共和国内にこそいる。他サイドや月都市は、互いに様子見をしているような状態だ。まぁ、同盟で主導権を握れば、即地球連邦に睨まれるとわかっているから、同盟には参加しても良いが、矢面に立ちたくはないと考えているのだろう。

 となると、

 ――やはり、地球連邦か……

 例のコロニー同盟が、連邦の癇に障るような活動になってきたと云うことか。

 まぁ、それ自体は、そもそもが連邦に圧力をかけるための同盟なので、脅威を感じてくれなくては困るところだったのだが――まさかこんな、直接的な手段に出てこようとは。

 ――各サイドのトップではなく、搦手を狙ってきたか。

 搦手狙いはこちらも得意だが、こう云う犯罪行為は許し難い。しかも、弱いところを狙っての誘拐だ。地球連邦のモデルは、旧日本軍と聞いたが、やっていることは大陸や半島の某国と変わらない――いや、旧日本軍もそうだったか。戦前の特高など、碌な話を聞いたためしがなかった。それに、原作では、ジオン公国と云うか、ザビ家も大概ではあったので、全体に国家と云うのはそう云うものなのかも知れなかった。

 ――そう云うやり方は、最後には破綻するようにできているのだがな……

 犯罪的なやり方での圧力は、手っ取り早い代わりに、やられた側の反感を強めるだけだ。同盟の切り崩しには、高度に政治的な駆け引きが必要だが、それができるほどの人材が連邦側にいないのか、あるいは強者の驕りで、力で捻じ伏せればこちらが黙ると思っているのか。

 もう、そう云うレベルの話ではなくなっていると云うのに――愚かなことだ。

 例えば今、この誘拐劇で、キャスバルと“ガルマ”が死亡したとしたら、ザビ家は、地球連邦の暴挙が若い二人を殺したのだと、大々的に喧伝することができる。例え誘拐が成功したとしても、影武者――恐らくこの時間軸には、“シャア・アズナブル”もいるはずだ――を立てて、それらしく振る舞わせ、“誘拐の事実”などないとすることもできる。

 キャスバル・レム・ダイクンが逃亡しても、ジオン公国は誕生した。少なくとも、独立の気運はムンゾにおいては高まっているのだ。他のサイドや月都市にしても、同盟に名を連ねているところは同様だろう。

 そんなところに、この誘拐事件が公になれば、いくら連邦側が否定したところで、反連邦の空気が膨れ上がるだけだ。

 そうしているうちに、GPSの位置情報が出た。場末の廃ビルの中らしい。取り壊しの決まったビルなど、確かに犯罪の温床だ。

「わかった。救出は任せる。首謀者も生きて捕えろ。この先の、良い交渉材料になる」

〈わかってる!!〉

 云いながら、ドズルは通信を切り、部下を率いて出ていったようだった。

 さて、ドズルが出ていったからには、キャスバルと“ガルマ”は問題ないだろう。多少怪我をしているかも知れないが、あの二人のことだ、大怪我するようなヘマはするまい。

 真に問題なのは、これを、連邦との交渉にどう使うかだが――

「……まずは、ムンゾ内の、連邦追随者の炙り出しからだな」

 それが判明すれば、その先はとことん喧伝のために利用させてもらうのだが。

 ほどなくして伝えられた、キャスバルと“ガルマ”解放の報に、唇を緩めながらサスロを呼び出した。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 3【転生】

 

 

 

 そして、テキサスコロニーである。

 古き良きアメリカを模したこの地は、あれだ、西部劇の舞台みたいな感じ。

 コロニーってそれぞれコンセプトがはっきりしてるから、特色がすごく分かりやすいよね。

「『でもお前は、“カウボーイ”って言うより“白馬の王子様”みたいだね、キャスバル』」

 他に誰もいないとき、言葉と思考波は乖離しない。

 思うまま口に出せば、例えが気に入らなかったのか、幼馴染殿はフンと鼻を鳴らし、馬に拍車をかけて駆け出した。

 その後ろをやはり馬で追いかける。こちらは額に星のある黒馬、足の先も白い靴を履いてるみたいで可愛い子だ。

 敢えて悪路を選んでるんだろうけど、これしきどうってことない。

 風に草が靡く。空は澄んだ青、ちぎった和紙みたいな雲が流れてく。

 人工の大地とは思えない環境。思えばすごいもんだね。

 走らせる事しばし。馬の首が汗ばむ頃に、先をゆくキャスバルが速度を緩めた。

 ちらりと振り返る視線は、ちょっとだけ面白くなさそう。おや、遅れずについて行ったのがご不満か。

「『姉さまの趣味は乗馬なんだ』」

 まあ、そうじゃなくても、馬には色々と馴染みがあるけど。

「『ふぅん。ただの”柔な坊や”じゃないってことか』」

「『……いい加減にそれやめろ』」

 唇を尖らせて抗議するけど、キャスバルは知らん顔。

 あの誘拐劇のあと、熱を出して3日寝込んだことを、この幼馴染殿は事ある毎に論ってくるようになった。

 ちなみに実際に熱があったのは1日だけで、あとの2日は過保護な(“ギレン”除く)ザビ家からの強行措置だったんだけど。

 ほんとに勘弁してもらいたい。

 この身体は、鍛えても鍛えてもムキムキにならないし、無理をし過ぎればオーバーヒートを起こす――何故だ。筋肉は裏切らないんじゃないのか。

 まあ、一晩くらい休めばすぐに回復するからどうってことないんだけどね。

 ともあれ、あの事件の首謀者は、バッチリ特定されて御用になった。

 末っ子と保護対象を攫われたデギンパパは、怒髪天を衝いた――髪無いけど。

 おれたちの奪還のために、宙港封鎖を含めて、ありとあらゆる手段を講じたらしい。

 “ギレン”は画策し、サスロ兄さんは扇動し、キシリア姉さまは暗躍し、ドズル兄貴は野獣になった。

 ムンゾは上を下への大騒ぎになり、無事に救出されたときの国民の熱狂は物凄かった。

 街には市民が溢れ、口々に、ジオンを、ダイクンを、ザビを叫んでた。

 子供ながらに誘拐犯と戦ったことも、他ならぬ犯人の口から告げられたことで、キャスバル・レム・ダイクンと“ガルマ・ザビ”はちょっとしたヒーローになった。

 多分、プロパガンダにも利用されたんじゃないかな。

「子供を攫う連邦など言語道断、許すまじ!」と、連邦への忌避から独立の機運はかつて無いほど高まり、それは、ムンゾに留まらず複数のコロニーにも広がりを見せた。

 騒ぎが大きくなりすぎて――多分、サスロ兄さんのせい――“ギレン”はこっそり頭を抱えてたみたい。

 そしておれたちは、“ギレン”のさらなる謀略かなにかで――ほとぼりが冷めるまで、テキサス・コロニーに滞在することになった訳だ。

「おーい!」

 遠くから声が掛かる。

 振り向けば、栗毛の馬に乗った少年が駆けてくるところだった。

 大きく手を振られるのに、こちらも振り返せば、となりでキャスバルが鼻を鳴らした。

『おい、猫の皮が剥がれてるぞ。愛想よくしろよ、キャスバル』

『君じゃあるまいし、そんなヘマするもんか。そんなに簡単に媚を売らないだけだよ』

 媚じゃねぇ処世術だ――“ザビ家の末っ子”には必要なんだよ。

 思考波が火花を散らす。

 一瞬だけ視線が絡んだけど、キャスバルの青い眼はすぐに駆け寄ってきた相手へと向けられた。

「ガルマ、キャスバル、君たちも遠乗りかい?」

「ああ。ムンゾじゃこんなに馬を走らせることなんて出来なかったからね、とても楽しいよ」

 にっこり笑って返せば、シャア・アズナブル(本人)は明るい笑い声を上げた。

 快活な表情はともかく、造作はキャスバルに瓜二つなんだよね。

 おのれ爆ぜろイケメン共――思考波で笑うなキャスバル。

「それは良かった! だけど、護衛の人たちはどうしたの?」

「ああ。息が詰まるからって、気を利かせてくれたんじゃないかな」

 今度はキャスバルが答える。

 単に置き去りにしてきただけだよね、護衛と言うか、お目付け役。きっと今頃は通信でランバ・ラルに怒られてる。

 これが、ランバとかレディ・ハモンだったら、撒くことは出来なかっただろう――彼らはアストライアとアルテイシアの護衛でムンゾに残ったから、こちらはかなり好き勝手ができた。

「そう。ねえ、母さんがピーカンパイを焼くって言ってたんだけど、このあと一緒にどうかな?」

 ――ピーカンパイ⁉

 ふおぅ。あの滅茶苦茶甘いやつか。ここへ来て一度食べて、しばらく胸焼けに悩まされて懲りたやつだ。

 尻込みするおれに気付いたキャスバルが含み笑う――よせ、止めろ、誘いに乗るな!

「良いな。僕は甘いものは苦手だけど、ガルマは好きだからね」

『おい! キャスバル‼』

『誰にでも甘い顔をするからさ』

 ――してねぇ! 断じてしてねぇよ‼

 ただ、ご婦人の悲しむ顔を見たくなかっただけだ‼

「……いきなり押しかけたら迷惑だろう? またの機会にするよ」

 遠回しに断ってみたけど、シャアには全然通じなかった。

「遠慮なんかするなよ! 問題ない。すごく美味しそうに食べてくれたって、母さん喜んでたから、大歓迎さ!」

 くぅう、回避失敗。

 欠片も悪意の無いキラッキラのペールブラウンの瞳に見つめられて、「だが断る!」って言える人間は少ないだろう。

 ワンコみたいなんだよ、シャア・アズナブル(本人)。キャスバル・レム・ダイクンは間違いなくお猫様系だけどな!

 さあ帰ろう、と、先に立って走り出すシャアの後を、虚ろな目で追いかける。

 ニヤニヤしてる思考波は、まるっと無視する。探るような思考も総スルーして締め出せば、そのうちに扉をノックするようなイメージが来た。

『……怒ったのかい? ガルマ』

『誰かが意地悪ばっかりするからな! お前もパイ喰いやがれ‼』

 プンスコして答えれば、仕方がないと肩をすくめる感じ。

『善処しよう』

 キャスバル、お前の『善処する』は、おれの『頑張る』と一緒だからな!

 ピシャリとシェルターを閉めるように、思考波をシャットアウトした。

 

 

 アズナブル夫人の名誉の為に言っておくと、ピーカンパイは絶品だ。

 とんでもなく甘いのは、それこそがピーカンパイだからだ。

 表面上はみっちりビッシリとピーカンナッツに覆われ、その下のカスタード層はもったりと重たく甘く甘く、コーンシロップと溶かしバターのコクはこの上ない。そのうえシュガーは洋酒を吸ってオトナの趣すら湛えている。

 そこにパニラアイスがトッピングされれば、ある種の甘味兵器と言えるだろう。

 大きく切り分けられたそれを、ブラウンの髪の夫人が微笑みと共に差し出してくる。

「さあ、いっぱい召し上がってね」

 息子とは似ておらず、美しいとは決して言えない造作ではあるが、如何にも善良そうで温かみのあるそれに、同じく微笑みを返した。

「ありがとうございます」

「うわぁ! 美味そうだなぁ‼」

 斜向いで歓声を上げたのは、思いも寄らない人物だった。

「リノ、まさか君も来てるなんてね!」

 リノの隣では、シャアが呆れた声を上げてる。驚いた、なんて。

 ホントだよ。

 アズナブル邸にひょっこり現れた彼を見て、物凄くビックリした。

 シャア・アズナブル(本人)と、リノ・フェルナンデス。

 “The ORIGIN”でエドワウ(キャスバル)に欺かれた二人が揃い踏みだからね――ガルマも含めれば、被害者の会が結成できるじゃないか。

 さっき、腹を立てて意識を閉じてたことが幸いした。いつものたれ流しオープンだったらヤバかったかも。

 そして“三日月”で培ったポーカーフェイスも役に立った。

 日頃の猫を被った表情と声色は、ここにいる全ての人間に有効だった。

「お前が『すごい友達が出来た!』なんてメールするからさ」

 澄ました顔でリノが言う。

 それから、おれたちにちょっとギラギラした目を向けてきた。怖えよ。

「俺はリノ――リノ・フェルナンデス! ジオン・ズム・ダイクンの思想は偉大だ! 会えて光栄だよ、キャスバル! そしてガルマ! ムンゾでの事件のことも聞いてる! 君たちは凄いな‼」

 リノ、お前は語尾に「!」を付けないと話せないのか?

「そんなことないよ。キャスバルが一緒にいてくれたからね」

 勢いに押されて、つい隣のキャスバルに身を寄せたら、テーブルの下でトントンと宥められた。

 あ。そう言えばまだ思考を閉じてたっけね。

 パカリと蓋を開けるみたいに拒絶を解けば、途端にキャスバルの思考がサワリと意識を撫でていった。隅々まで。

 ――ん、いつもと変わらんよ。もう怒ってない。

『締め出すな』

 なんて上から。

『お前が意地悪しなきゃね』

 答えて、パイにフォークを入れる。せっかく焼いてくれたんだ。有り難くいただくより他に道は無い。 

 口いっぱいに広がる甘みを飲み下して、珈琲を啜る。

 横目に見れば、あれ?

『ほんとに善処してんね、キャスバル』

『……後悔してるよ。頭が痛くなるほど甘いな』

 表情はにこやかだけど、思考波は顰められてる。

 だろ。次は巧いこと逃げような。

 思考波だけで頷き合い、シャアとリノへと視線を戻す。

「キャスバルとガルマは幼馴染なんだろ?」

 興味津々といったリノに内心で苦笑しながら、

「ああ、そうだよ――シャアとリノは?」

「腐れ縁だよ!」

「スクールがずっと一緒なんだ」

 仲が良さそうでなによりだ。

 あれこれ聞きたがるリノをいなしながら、反対にスクールでの日常を聞き出してやれば、そこにはこの年頃の少年には当たり前の環境があった。

 どこの世界でも子供は子供だ。

 微笑ましいやら、わが身に置き換えて物寂しいやら。

 シャアもリノも、競うように話しかけてくる。

 なんだか、大型犬の仔犬に飛び付かれてるみたいな気分――だけど、そこにあるのは純粋な好意とか、そんなものだけじゃないのは分かってる。

 キャスバル・レム・ダイクンも、“ガルマ・ザビ”も、“普通の子供”ではありえない。だからこそ、利権も恩恵も絡んでくる訳だ。

 子どもの世界だって、大人の世界の延長だから、単純に仲良しこよしとはいかない事情がある。世知辛いね。

 ともあれ、ここでこの二人と知り合えたことは、一つの好機だ。

「ふふ。“友達”が増えて嬉しいよ。ね、キャスバル」

「そうだね」

「シャア、リノ、この先もよろしくね?」

「もちろんさ!」

「頼ってくれよ!」

 ――そうさせてもらうよ。

 無邪気を装おって微笑むおれを、キャスバルの青い眼が呆れたように見ていた。

 

 

 ピーカンパイを何とか平らげ、夫人にお礼を言い、引き留めにかかるシャアとリノを宥めて、アズナブル邸を後にする。

 頃合いは夕の刻だ。

 見上げる空には星が光りだしていた。たった、数キロ先の宇宙空間。

 ――なんて近い。

「『宇宙だね、キャスバル』」

「『そうだな』」

 馬の背にのんびりと揺られながらの帰路。周囲に誰の耳目もないから、思考波と言葉はまた同調する。

「『……何に感傷的になってる? 彼らと僕たちの境遇の違いにか?』」

「『そう思う?』」

「『いいや。むしろ良からぬことを企んでるだろう、お前は』」

「『そうかもね。“おれ”は、“彼ら”を利用する。シャア・アズナブルは君にそっくりだから、それだけでも利用価値あるし、リノ・フェルナンデスは、ジオンに深く傾倒してる』」

 まだ稚さを残す彼らを、こちらの意に沿うように誘導してやるのは、そう難しい事じゃない。

「『不本意かい?』」

 おれの意識を読みながら、キャスバルが問う。

 思わず嗤いが落ちた。

「『おれをそんなに人非人だと思わないでよ』」

 子供は須らく保護されるべきものだと――おのれを守る術を確立していない存在は、容易く傷つくし壊れるから――そうあれば良いって思ってるんだよ。

 同時に、案外しぶとくて、いつの間にか、強かな大人になるのも知ってるけど。

 子供を利用するなんてしたくない――だけど、ここではおれは子供で、大人達を動かせるだけの力はまだ持たないから。

「『……おれは、もっと早く生まれたかったよ。せめて“ギレン”と同じくらいに』」

 キャスバルの青い眼が訝しげに瞬く。

 悟られないくらい深い意識の底で、そっと“おれ”が溜息をついてる。

 ボス曰くの“最大火力”は、今このとき、出る幕が無いし、その力もない。

 向ける視線の先、たこの一つもない整えられた手指が映る。ご令嬢じゃあるまいに。

 微笑みと弁舌、それだって力には違いないけど。

 もどかしさに歯嚙みする。

「『力が欲しいよ。お前を守って、ムンゾを守って、スペースノイドを解き放つだけの力が――“ギレン”くらい大人なら、お前を弟みたいに甘やかすこともできたのにね』」

 呟けば、キャスバルがフッと息を吐いて首を振った。

「『御免こうむる。君に甘やかされるなんてゾッとしない――でも、まあ、多少は頼りにしてやらなくもないかな』」

 なんだいそれ。もしかして慰めてるつもりなの?

「『君みたいな“柔な坊や”には、まだ早いってことさ』」

「『またそれか!』」

「『悔しかったらもっと丈夫になることだね』」

「『おれは虚弱じゃない!』」

「『はいはい』」

 おざなりに答えると、キャスバルは馬の腹を軽く蹴った。

 合図を受け走り出した馬を、おれの乗る馬も追いかける。

 広がる空間。瞬かない星は渦を巻くようで、見上げれば少しだけ怖い。

 こんなに狭いシリンダーの中で、とてつもなく広大な宇宙に生きるのは、多分、ジオノイドには想像もつかないだろう。

 閉鎖型のムンゾより、開放型のテキサス・コロニーでは、一層それを肌で感じ取れる。

 頭蓋の蓋が開くみたいに、意識が自我を超えて漂うのは仕方ないのかも知れない。

 だって、最初から自己を包む世界の殻が薄いんだ。

 身体からはみ出したおれの意識は、触れ合わずとも、隣のキャスバルの温度を、息遣いを感じとれる。

 それから、どこかはるか遠く、まだ見ぬ誰かの意識が呟くのを――まだ声は届かないけど――感じてる。

「『キャスバル、いまはおれ達だけだけど、この先、必ずお前と繋がる人間が現れるよ』」

 流星みたいに眩しくて、白鳥みたいに激しい、終生を共にするような相手が。

 ――お前にも感じ取れるだろ?

 深遠に手を伸ばすみたいに、意識をソラの先に向ける。

「『……ガルマ、少し意識を閉じろ。また熱を出すぞ』」

 波紋に石を落とすみたいに、キャスバルの意識が、おれの波の向かう先を掻き乱した。

 残念だな――もう少しでどこかに届きそうだったのに。

 恨みがましい視線を向けても、キャスバルは振り返らなかった。

 ちぇっと、視線をまた宇宙に投げる。

 ――早く、ここへおいで。

 彗星と流星と白鳥。お前達が揃うことが、待ち遠しくてならないんだ。

 その領域には、きっと、おれは入ることが出来ないけど。

 

 家に帰り着いて、結局、ピーカンパイで胃もたれしたおれたちは、夕食を食べられなくて叱られた。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 明くる朝。

 胃もたれを解消せんと、日課のラジオ体操に勤しみ、ついでに立ち木のポーズをキープしたところで部屋の扉が開いた。

 キャスバルだった。

 見つめ合うこと数秒。

「『おはよー』」

「『……今日は“カンプマサツ”じゃないんだな』」

「『本日はヨガだ! 興味あるなら一緒にやる?』」

「『断る!』」

 やれやれ。健康に良いのにな。

 そのまま出ていくのかと思いきや、幼馴染殿はツカツカと部屋の中へ踏み込んで、ひとのベッドにドサリと座った。

 青い眼がもの思わしげに瞬く。畜生、まつげ長げぇな。

「『キシリアが来るぞ』」

 面白くなさそうな呟きだった。

 ――おれの姉貴を呼び捨てにすんなよ。そして、なんでそんなにキシリア姉さまのこと嫌うんだお前は。

「『……だね。おれが呼んだ』」

 正確には、来るように仕向けたんだけど。

 キャスバルが片眉を上げた。

「『ちょっと前に手紙を書いてたのさ。“オトモダチができました”って』」

 通信も手紙も検閲されるだろうって、ここへ来る前に“ギレン”から言われてる――まぁ、そうでなくても想定内だけど――から、具体的なことは何も書いてない。

 “友達”ができたこと。とても良くしてくれること。“キャスバルも交えて”友誼を深めていること。

 その馬によく乗る友達を、乗馬が趣味の姉さまとギレン兄様、そして家族みんなに“是非とも会わせたい”ってこと。

 要約するとこんな感じ。

 誰か他人が目を通しても、十代の甘えたな末っ子が、大好きな姉に他愛ない日常を報告するものとして認識されるだろう。

 “謀略のザビ家”と言えど、子供のうちはこんなものかと。

 だけど、これを読んだ姉さまは、まず“ギレン”に報告、相談したはずだ。

 だって、おれ達は、勝手に友達を作ることを奨励されてない――ぶっちゃけ、現時点では制限されてる。

 さらに乗馬が趣味なのは姉さまだけだし、基本的にムンゾから動かない“ギレン”や家族に会わせたいって言うことは、つまり。

「『……シャア・アズナブルをムンゾに送る気か?』」

「『そうなるね』」

 キシリア姉さまは、手紙を読んで、きっとこう判断しただろう。

 テキサス・コロニーで有用な人物を見つけたから、姉さまと“ギレン”とで見極めて欲しい、と。

 だから、わざわざテキサス・コロニーに来ることにしたんだ。

 大凡を理解したキャスバルは溜息を落として、それから、ギュッと顔を顰めた。

「『ガルマ、いつまでその格好でいる気だ』」

 立ち木のポーズ。

 プルプルグラグラ、限界に来てたおれは、そのままコロリと転がった。

 ん。ヨガってけっこう難易度高いね!

 

 

「ガルマ」

 応接間に入るや否や、伸ばされた腕に絡め取られて、軍服の胸元へと顔を押し付けられた。

「姉さま!」

 こちらからもギュウギュウと抱きついてみれば、軽やかな笑い声が返った。

 顎を上げて仰ぎ見れば、柔らかな光を灯す暗い鳶色の瞳が瞬いた。

 自然に、こちらの頬も緩む――たぶん、キャスバル曰くの甘ったる過ぎる笑顔になってるんじゃないかな。

「来てくれて、とても嬉しいです」

「相変わらず甘えたなところは治ってないのね」

 ふぅ、と、溜息を落とす素振りだけど、絡んだ腕は緩まない――甘やかしてるのは姉さまだからね。

 そして、護衛か部下か、とにかく姉さまのお付きの人の顔が、さっきから凄いことになってるんだけど。

 その驚愕の表情やめてコワイから――「氷の女じゃない⁉ 氷砂糖の女だ‼」って、何を呟いてんのさ。意味わからんし。

 そしてキャスバル、さり気なく頷いてんじゃねぇよ。

『君の猫の皮は、キシリアを前にするとより分厚くなるな』

『お前が母君とリトルレディの前に出るときと同じな』

 ――それブーメランだから。

 思考波で鼻を鳴らせば、パチリと、互いにしか分からない火花が散った。

 そんな水面下のやりとりを経て、キャスバルが一歩前に踏み出した。

「お久しぶりです。キシリア女史、お変わりなさそうで何よりです」

 丁寧だけど、どこか皮肉っぽい声音で挨拶――ヲイやめろ。

「ええ、久しぶりね。キャスバルも元気そうで良かったわ。でも、あまりやんちゃをしないで頂戴――ガルマが真似てしまうから」

 ――ふぉう。

 姉さまの声は氷点下である。

 おれ達がテキサス・コロニーで羽根を伸ばしている様子は、あれこれ報告されているんだろう――護衛を置き去りにするとか、そのあたりまで。

 “ギレン”には懐いてるキャスバルだけど、どういう訳か、キシリア姉さまには懐かない。

 そして姉さまも、キャスバルのことを愛でようとはしないのだ。

 何故だ。姉さまは優秀な人間は好きな方じゃないか――キャスバルは過ぎるほどに優秀だぞ。それとも、過ぎるのが良くないのか。

 微笑みを浮かべながら睨み合う姉と幼馴染の間で、毎度ながら途方に暮れる。

 お付きの人に目をやれば、厳つい顔が、凄い眼力で『なんとかしろ』と訴えてきた――ん。思考波でなくても、よく分かるよ。

 仕方がないから、抱きつく腕の力を強くして、姉さまにすり寄った。

「ごめんなさい、姉さま……いたずらは控えます」

 上目遣いで首を傾げれば、「誤魔化されないわよ」と、最初だけ厳しい顔をしたけど、姉さまはすぐに天井仰いだ。

 よし、絆された。

「……仕方のない子」

 本当に仕方のない――と、その手が優しく髪を撫でて、離れていった。

 すうっと姉さまの眼差しが改まる。怜悧な表情。そこにあるのはキシリア・ザビ――ザビ家の人間の顔だった。

「ガルマ、お前が知らせてきた“シャア・アズナブル”に会ってきたわ」

 流石姉さま、仕事が早い――皆にソファに座るよう促すついでに、使用人に茶を新しく用意するように伝える。

 改めて席につけば、

「あれは驚くほどキャスバルに似ている。そして年相応の子供でしかない――お前は早々に我々で“保護”すべきと判断したのね」

 その問いかけに頷く。

 キャスバル・レム・ダイクンに瓜二つの少年――影武者足り得る存在だ。

 こちらの手の内にあれば良いけど、敵方に渡すことは絶対に避けたい。悪用されそうだし。

「それから、手紙には間に合わなかったけど、リノ・フェルナンデスも。彼はキャスバルとシャアがそっくりだと知っています」

「ええ。勿論そちらも手を打つわ」

 姉さまも頷き、それから、少しだけ眉を下げた表情で微笑んだ。

「ガルマ、あなたもザビ家の男におなりね」

 声はどこか寂しそうだった。

 ムンゾの為に一人の少年の行く末を歪める判断をしたこと、またそれを外部に悟らせないよう手配して知らせたことは、ザビ家の人間であれば当然のことだ。

 だけど、姉さまは、おれがいつまでも“甘ったれた弟”のままでいることを、どこかで望んでるんだろう――子供のままでいられないことなんて、とうに知ってる筈なのにね。

『……キシリアの目は節穴か』

 しんみりする姉弟の間の空気を、キャスバルが粉砕してくる。

『姉さまをディスるんじゃねぇ。むしろおれの猫の皮を讃えろ』

『その程度の皮に惑わされてるから言ってるんだ』

『お前の猫皮だって大したことないだろ!』

 空間がスパークするみたいな火花を連発しながらも、眼差しは真っ直ぐに姉に向け、背筋を伸ばして胸を張る。

「僕はそうありたい。“ガルマ・ザビ”として、姉さまを守りたいし、お父様や兄様達の力になりたいんです」

 その宣言に、姉さまは一つ瞬いて、それから細く長い息を吐いた。

「そうね。あなたはそうあるべきね」

 答えながらも、瞳は淋しげなままだったから、内心で苦笑してしまう。

「……だけど」

 敢えて声を揺らす。ちょっと言い難そうに視線をさ迷わせれば、姉さまは直ぐに反応した。

「ガルマ?」

「あの……シャアと、本当に友達になっても良い?」

 良い子なんだ、と、口に出すのは甘ったれたおねだりである。

 シャア・アズナブルの価値を察して、それを実家に知らせるだけの機知は持っていても、その対象と友達になりたいだなんて、甘い感情を捨てきれずにいる。

 まだまだ子供なんだよ、あなたの弟は。

 上目遣いで見やれば、姉さまはフッと息を零し、

「ガルマ……まったく、あなたって子は!」

 嗜める口調だけど、その声も眼差しも、ホッとしたみたいに緩んでいた。

『……どこまで性悪なんだ、君は』

『お前にだけは言われたくねぇよ!』

 言っとくけど、キャスバル、お前だって大概だからな。呆れ返ったような思考波飛ばしてくんな。

『で、あいつらをどう利用する気だ?』

『……大枠は“ギレン”が決めるだろうけど。まぁ隙をみて引っ張り出すさ』

 道は敷いた。どちらに向かうにしても、シャア・アズナブルの進む先は茨道だ。

 でも、生きてりゃ良いことあるさ――生きて幸せにおなりよ。

 そっと目を細める。

 微笑みに似て異なる表情に、キャスバルが青い眼を瞬いた。

 この件についてはこれで良いだろ。後は、姉さまと“ギレン”達が取り計らうことだ。

 そこにおれは、まだ関われないし。

 さて。ここらで空気を変えようかね。

「ねぇ、遠乗りに行こう! シャアも呼んでみんなで一緒に。どれだけ乗馬が上手くなったか、姉さまにも見てほしいんです!」

 身を乗り出すようにして言う。

 姉さまは、少し渋るような表情を作ったけど、本心は別のところにあるのが良く分かった。

「またそんなことを――でも、そうね。折角だから見て行くのも良いわね。父上への土産話にもなるでしょうし……」

 自分への言い訳はそんな感じで。

「やった! じゃあ、早速姉さまが乗る馬を選ばなくちゃ。厩舎へ案内します」

 立ち上がって腕を引けば、姉さまは素直に付いてきた。

『姉さま、少し窶れてる。ストレス溜まってるんだよ、おれっていう癒やしがムンゾに無いから仕方ないけど』

『……癒し?』

『今日はいっぱい癒やして差し上げるんだ!』

『……癒やし??』

 いちいち突っ込むなよキャスバル。

 そしてこの後、漆黒の馬に跨り爆走する姉さまの背中を、皆で必死に追いかける羽目になった。

 スゲェな姉さま!

 

        ✜ ✜ ✜

 

 ムンゾへ連れ戻されたのは、わずか5日後のことだ。

 キシリア姉さまは即日に帰還し、なんとその際にシャア・アズナブルを合法的かつ穏便に攫っていった。

 なんたる早業。

 程なくしてリノ・フェルナンデスも確保されるだろうことは想像に難くない。

 そこまでは想定の範囲内だったけどさ。

 

「『だれ⁉』」

『……君こそ誰さ?』

 

 デジャヴを感じさせるような遣り取りが、今度はザビ邸の自室で発生して、驚愕に息を呑んだ。

 小柄で細身。6、7才くらいの茶色の癖毛の子供。瞳の色は地球みたいな碧の色だった。

 ピキィン、と、かき氷をかっ込んだときみたいなあの痛みと共に、脳内のレセプターが新たな思考波を捉えて震えてる。

 扉を開けるなり舞い込んで来たライムグリーンの丸いものには、すごく見覚えがあった。

 そして、その後を追って飛び込んできた少年の姿に、限界まで眼をかっぴらいた訳だ。

 ――ふぉう。なぜお前がここに居んの⁉

「『……アムロ・レイです。こっちはハロ』」

 ――だよね! 知ってる‼

「『ハロがたんけんしはじめたからおいかけてきたんだ』」

 しゅんと項垂れる少年は、こちらがまだ

 一言も言葉を発してないのに気がついているのかいないのか。

 思考波を確実に読み取って返答してることは間違いないんだが。

 ――ヤベェ。彗星様より先にファーストコンタクトしちまった。

「『すいせいさまってなに?』」

『気にすんな』

 おれの、4日目のカレー(そうとう危険)みたいな脳は、ぐるぐる掻き回されてた――つまり混乱してる――けど、目の前の少年はあまり気にならないみたいだった。

 まぁね、お前の頭ン中も、そうとうとっ散らかってるもんな。

 深呼吸。落ち着け、おれ。

 片膝をついて、目の前の子供に視線を合わせる。

「『はじめまして、アムロ・レイ。僕は“ガルマ・ザビ”。よろしくね』」

 改めてニッコリと微笑めば、キャスバルのそれとはまた色の違う碧い眼が、パチリと瞬いた。

「『ちゃんとしゃべれるんだ』」

 ふぉ。口動いてないの気づいてたか。

『shhh…それ、ナイショで頼む。頭の中でお喋りするの。他の人に知られると悪いやつに攫われちゃうからさ』

 “悪いやつ”の一言に、ちょっと怯んだような顔をして、

『父さんにも言っちゃダメ?』

 声を出さずに会話が始まる。お、飲み込み早いな。

『そう。誰にもナイショ。その代わり、仲間を紹介するよ』

 人差し指を唇に添えてお願いすれば、アムロは小首を傾げた後、コクリと頷いた。

 碧い眼がキラキラ光る。

「『なかま? 父さんが友だちつくれって! なれる?』」

「『なれる』」

 断言すれば、満面の笑顔が。おお。眩しいね。

「『じゃあ、ガルマも友だちだね!』」

 ――……まじで?

「『ダメ?』」

「『……いや。ダメじゃない。お前がおれを友達にしてくれるなら、喜んで』」

 むしろ光栄って感じだけどさ。

 まぁ、お前にはこのあと、“運命の出会い”が待ってるから、多分、そっちに全力を注ぐことになるんだろう。

 ――その先に、もし余力があったら。

 お前の友達の端っこに、おれも加えてくれたら嬉しいね。

 差し出した右手を、小さな子どもの手がギュッと握り返す。

 ――可愛いなぁ。

 思わずヒョイと持ち上げたら、ものすごくびっくりしたみたいな眼差しが返った。

「『ね、お腹空いてない? 厨房でパンケーキ焼いてもらおっか?』」

「『パンケーキ‼』」

〈アムロ パンケーキ アムロ パンケーキ〉

 ハロがコロコロと転がって、足元にくっついた。

「『お前は何を食べるの? ハロ?』」

〈パンケーキ パンケーキ〉

「『え? お前もパンケーキ食べるの⁉』」

 そんな遣り取りに、腕の中のアムロが笑う。

 抱えたまま部屋を出て、厨房に向かう道すがら。

 ――さて、キャスバルになんて報告したもんかね。

 そんなことを、少しだけ迷った。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 3【転生】

 

 

 

 キャスバルと“ガルマ”は、午後遅くにはそれぞれの家に戻された。

 無傷は無傷だったようだが、“ガルマ”は帰ってすぐに発熱し、床についてしまった。

 確かに元々身体が強いわけでもなかった――そのかわり、回復力だけは異常にあった――が、それにしても、これほど簡単に熱を出すようなものでもなかった気がする。ガルマ・ザビにしても、作中確かに体力がないような発言は――ドズルから――あったが、寝こむタイプでもなかったはずだ。

 そもそも“三日月”の時は、至極調子良さそうに振る舞っていたのだから、もしかしたらガルマ・ザビと元“三日月”の相性が悪いのかも知れない。まぁ、三日月・オーガスは元々性格から何からよく似ていた――本物のほうが、もちろん子どもだが――ので齟齬が少なかったが、ガルマ・ザビはそうでもないから、やはりそのあたりの問題なのかも知れない。こちらはオルガ・イツカはもちろんのこと、ギレン・ザビともそう相性は悪くなく――“ガルマ”には、“ギレン”の方が“オルガ”より合っていると云われた――、問題もなく暮らしているくらいだ。

 とにかく、誘拐事件は即日解決され、首謀者に黒幕を吐かせた――その手段は、ご想像にお任せする――後、ザビ家は全力で、その事実を喧伝した。

 年端も行かぬ少年二人を誘拐し、洗脳して祖国に敵対させようとした――サスロが全力で煽ったその“事実”によって、共和国の人民は燃え上がった。炎上した、と云う方が正しいくらいのものだった。

 人びとは、“連邦”――名指しはしなかったが、それ以外にあり得ないと云わんばかりの煽り方だった――の非道なやり口に憤り、こんなことを命じる連邦政府の支配など許し難い、と口角泡を飛ばして云い合った。独立を求めたデモすら行われ、共和国軍は治安維持のため、連邦軍の手先となって、人びとを規制しなくてはならなくなった。その共和国軍の兵士たちの、苦しげな表情を切り取ったスナップがSNSで流布され、さらに連邦に対する怒りを煽り立てた。

「――やり過ぎだぞ、サスロ」

 もちろん、一連の報道は、サスロが裏から手を回したものだ。

「もしも暴動にでも発展したらどうする。われわれはまだ、独立を云うには力が足りないのだ。もしも暴発することがあれば、連邦軍の本格的な介入を招くことになる。今はまだ、民衆の不満は燻ぶらせておくべきだ」

「だが、ガス抜きも兼ねて、ある程度はシュプレヒコールを挙げさせておかなくては、妙なところで暴発することになるぞ。その方が拙いってことは、よくわかっているんだろう?」

「……否定はしない」

 サスロの、報道を操る手腕は卓越したものがある、が、それにしても、少々やり過ぎではないかと思わずにはいられない。

 独立を宣言すれば、早いタイミングで地球連邦との戦争に突入することになるはずだ。

 そのタイミングは、できればこちらの都合で選びたいし、そうでなければただ潰されるだけになる。

 せめて、開発中のMSが、量産に対応できるくらいまでは引っ張らなくては――ただ負けて終わりでは、連邦政府とコロニーや月都市の力関係は、拮抗するどころの話ではなくなってしまう。

 原作の一年戦争までは、あと七年。例の“暁の蜂起”までならあと五年ほどだ。

 少なくとも“暁の蜂起”まで引っ張れば、MSはほぼ基礎理論が完成し、実用化まですぐにこぎつけることができる。

「わかってるさ、ギレン兄。MS計画の進捗の問題だろう?」

 サスロが、かるく肩をすくめた。

「心配するな、例の博士が、“ランドセル”の小型化に成功したそうだ。今、その新型のテストをやっている。新しいMSは、MS-04、ブグと云う名だそうだぞ」

 ブグ。それは例の、『the ORIGIN』でランバ・ラルと後の“黒い三連星”が試乗したMSではないか。

「……遂にきたか……!」

「あぁ。今、テスト機乗の最中だ。中々良い動きだと、ドズルからは聞いているぞ」

「そうか」

 一度ダークコロニーで対面した、T.Y.ミノフスキー博士の顔を思い出す。少々偏屈な風貌の、いかにも科学者らしい初老の男だった。そう、『the ORIGIN』で見たとおりの。

 しかしそうなると、

「……アナハイムの方は、どうなっているのか」

 例の“伝書鳩”に命じて、テム・レイに接触させていたのだが。

「その件だが、ギレン、伝言を預かっている。“山は動いた”とさ」

 山。

 それは、テム・レイの名字――漢字で“嶺”と書くらしい――から取った、コードネームのようなものである。

 山=“嶺”が動いた、つまり、テム・レイはムンゾに来ると云ったのか。

「――よし」

 これで、RX-78ガンダムは、連邦軍には存在しなくなる。MSは、ムンゾのひとり勝ちだ。RCX-76ガンキャノンなど、MS-05ザクの前には、ものの数にも入らない。

 その上、テム・レイがくるなら、息子であるアムロ・レイも、必然的にムンゾにやってくる。

 ムンゾは、天才的科学者をもう一名と、ニュータイプのパイロットを一名、ともに手に入れることになるのだ。

 ――ガンダムが、ジオン軍にくるか……!

 他のザクやドムなどのMSと、デザインは異なってくるが、そこはそれだ。ジオニック社でガンダムを量産し、グリーンに塗装する。アムロ・レイが乗る機体だけは白で、肩にユニコーンのパーソナルマークを入れさせよう。

「……圧倒的じゃないか、我が軍は……!」

 これは断じてフラグではない。

 アムロ・レイとシャア・アズナブルが同じ組織で肩を並べて戦う、Zでも半分しか実現しなかったことを、この先この目で見ることができるのだ。

「――大丈夫か、ギレン」

 サスロには微妙の目で見られてしまったが、別におかしくなったわけではない。

「アナハイムから、天才的科学者を引き抜けたのが嬉しくてな」

 少しはしゃいだ、と云うと、微妙な顔のまま頷かれた。

「ギレン兄でも、はしゃぐことなどあるんだな」

「私とて人間だよ、サスロ」

「いや、理念が服を着て歩いているような気がしていた」

「理念、理念な! 確かに理念は重要だ」

 それこそ、例の“徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力”だ。恐怖政治はよく批難されはするのだが、軍事国家、或いは警察国家などと云うものは、大なり小なり恐怖政治をその裡に存している。法治国家と云うものもまた然り、法を破ったものに刑罰を科すのもまた“恐怖”の一面である。それを支えるのは“徳”――つまり、正しい法の施行と運用を保証するものがあってこそだ。単なる徳治主義では、弁えぬものは弁えぬ。

「理念を実現させるには力が必要であるし、力を制御するためには人の情も必要だ。理念ばかりでは人は生きられない――人びとに、新しい世界の到来を実感させるには、共感し、また共感させる何かが必要なのだ。ジオン・ズム・ダイクンは、それを果たさぬままに逝ってしまったが、我らはジオンの遺志を継ぐものとして、人びとを啓蒙してゆかねばならぬ」

「そう、そのお前が、“はしゃいだ”などというものだから――驚くだろう」

「人間味のある指導者に、人はついてゆくのだよ」

 あまりに近づき難い、隙のない人間よりも、穴だらけ、欠点だらけの人間の方に、ひとは魅力を感じやすい。

 “ギレン・ザビ”は、隙のない、近寄り難い男だった。1stや『the ORIGIN』の中において、“ギレン・ザビ”に好意を抱いていた人間は、少なくとも描写された部分においては存在しなかったような気がする。知能が高く、冷酷で隙のない男――それが作中の“ギレン・ザビ”だった。

 “ギレン”は、父親に“ヒトラーの尻尾”などと云われるような男だったが、まぁ、こちらはそう云うタイプではない。冷徹と云われたことは多かったが、残念ながら隙の多いタイプで突っこみどころも多く、割合に他人に好かれていたような気はしないでもない。IQ240などと云う卓越した知能はないが、悪賢さは頭抜けていると云われたこともある――あまりありがたいことではないが。

 つまり、本当の“ギレン・ザビ”よりは、多少なりとも人好きはするだろうと云うことだ。

「結局、政治も何も、人間社会は好悪で動くのだ。ならば、なるべく敵を増やさぬ方が、巧く立ち回れると云うことだ」

「仮想敵は必要ではないのか」

「必要だが、あまり敵意を煽れば、こちらのコントロールを離れることになってしまう。そのあたりの手綱加減はきちんとしなくては、こちらが振り回されることになっては元も子もないぞ」

「……それで、先刻の話に戻るのか」

「まぁ、そう云うことだ」

 あまり民衆を煽り立てるようなことはするな、と云う。

「……わかった。やり過ぎないよう、努力はしよう」

 サスロの“努力する”ならば、“ガルマ”のそれよりはきちんと履行されるだろう。

 満足して頷くと、“弟”からは、やり切れないとでも云いたげな溜息が返された。

 

 

 

 ムンゾ内があまりにも騒がしいので、キャスバルと“ガルマ”は一時外に退避させた。

 行先は、サイド5、ルウムはテキサスコロニーである。1stではあの砂嵐の中の邂逅の、『the ORIGIN』では少年期のキャスバル――エドワウ・マスとセイラ・マスの生活の、それぞれ舞台となった場所である。

 そして、ここが『the ORIGIN』の時間軸であるからには、そこにはとある人物がいるはずだ。それを当てこんでの、二人の“休暇”だったのだ。

 テキサスコロニーにやって、やや暫くの後、“ガルマ”からキシリアに宛てて、手紙が届いた。クラシカルな封書である。

「友だちができたと云うのよ」

 それを持ってやってきたキシリアは、やや困惑した風だった。

「“馬によく乗る友達を、乗馬が趣味の姉さまとギレン兄様、そして家族みんなに是非とも会わせたい”なんて書いてあるの。あの子ったら、自分の立場をちゃんとわかっているのかしら」

 などと云って頬を抑えるキシリアは、まるっきりただの“弟可愛さに負けた姉”の顔だった。

「あれも、そのあたりは弁えているはずだ」

 と云うか、テキサスコロニーでできた“友だち”と云うところで、相手はわかっている。あのテキサスコロニーの管理者、ロジェ・アズナブルの息子、シャア・アズナブル(本人)だ。“馬によく乗る”と云うフレーズからも、それは確かめられる。シャア(本人)の初登場は、テキサスコロニーで、セイラが初めてポニーに乗ったシーンだったのだし。

 ――まぁ、あれほどそっくりなら、向こうから接触してくるだろうからな……

 そして、できれば“ガルマ”がシャア(本人)を掴まえてくれればとは思っていた。

 影武者に使うにしても何にしても、シャア・アズナブル(本人)は、ムンゾ、と云うよりもザビ家で押さえておきたかったのだ。入れ代わりが可能なほどにそっくりならば、シャア(本人)を殺して“キャスバル・レム・ダイクンを殺害した”などと云う輩も、出てこないとは限らないからだ。あるいは、自陣営にシャア(本人)を引きこんで、“ダイクンの子はこちらについた”などと喧伝する輩が出てくる可能性も。

「――気になるなら、見に行けば良いではないか」

 そう云うと、キシリアは、驚いたように片眉を上げた。

「私が?」

「ザビ家が末弟に甘いのは、かなり有名な話だからな。体調が気になるでも何でも理由をつけて、実際その目で確かめてきたらどうだ」

「――何かご存知なの、ギレン」

 探るようなまなざし。

 それに、ひょいと肩をすくめてやる。

「大体の想像はついている。何、あれもザビ家の男だ、迂闊な真似はするまいよ」

 むしろ、本当のガルマ・ザビよりもよほど。

 キシリアは、眉を跳ね上げた。

「わかったようなことをお云いね、ギレン」

「わかっているとも」

 何しろ、つき合いは非常に長い――それこそ“前前前世”のその前からだ。

「まぁ、あれにはあれなりに、考えがあってのことだ。徒に咎めてやるな。気になるなら、実際にその目で見てくれば良いのだ」

「その間に、あなたは何をするおつもり?」

「天才的科学者をお迎えするのだ」

 テム・レイとその子息が、月のフォン・ブラウン市を発ったと、例の“伝書鳩”から連絡があったのだ。

 結局ギレン・ザビ直属となった諜報員たちは、暗号名のまま“伝書鳩”と呼ばれることになった。ランバ・ラル配下から引き抜いたタチ・オハラは、立派に中核となって働いてくれている。何しろランバ・ラルももう中佐だ、あちらはあちらで問題なくやっている。タチも、クラウレ・ハモンにこそ未練はありそうだったが、仕事自体に不満はないようで、今もルウムへ“お使い”中だ。

「あぁ、あのテム・レイとか云う」

「そうだ。ミノフスキー博士の弟子で、かれもまた優秀な科学者だ。テム・レイ氏の加入で、MS計画はまた一歩前進する。それによって、コロニーの歴史もまた前進するのだ」

「ドズルはともかくとして、何故あなたがそこまであのガラクタに執着するのかわからないわ、ギレン」

「お前の執着するニュータイプ研究とも関係してくるのだよ、キシリア」

「ニュータイプとMSに何の関連が?」

「ニュータイプこそ、新しい戦いの鍵になる。それ以上は、例のフラナガン博士に訊くが良い」

 と、“伝書鳩”からのメッセージがきた。テム・レイのムンゾ到着の知らせだろう。

「ギレン!」

「客人がお着きのようだ。――“ガルマ”については、お前に任せる」

 そう云って手を振ると、キシリアは、苛立たしげな表情でこちらを睨み、足早に部屋を出ていった。

 それを見送ってから、メッセージに目を落とす。やはり宙港にやった“伝書鳩”からで、テム・レイ父子の到着を確認したとある。ザビ家の使いが接触し、こちらへ向かっているとのことだ。

 ――よし。

 ここはムンゾ議会の議員宿舎だが、今日は特に出席しなければならない会もない。

 秘書を呼び出し、“父”の邸に戻ると告げると、そのまま宿舎を後にする。

 首相公邸――そう、まだデギン・ソド・ザビは首相の座に就いている――ではなく、元からの私邸に到着すると、ほどなくして客人の来訪が告げられた。

 応接室に赴くと、扉を開けた途端、客人がソファから跳ね上がるように立ち上がった。

「テム・レイ殿か」

「は、はい! あの、ギレン・ザビ閣下でいらっしゃる?」

「“閣下”は大仰だ、普通に呼んでくれれば良い。貴殿は、われわれの客人なのだから」

「は、はい……」

 落ち着かない様子で、きょろきょろとしている。いかなガンダムを開発した――いや、今は“している途中”か――天才的科学者と雖も、首相公邸のような大仰な建物には馴染みがないのだろう。

「貴殿とご子息の住居は、勝手ながらこちらで用意させて戴いた。とは云え、貴殿はおそらくダークコロニーに詰めることになるはずだ。そこに、MSの開発所があるのでな」

「ミノフスキー博士も、そちらに?」

 具体的な話になると、流石に技術者、途端に真剣なまなざしになる。

「そうだ。今は、量産に堪え得るMSを開発中だ」

「私は、そのサポートを?」

 少しばかりがっかりしたような表情。

 それに首を振ってやる。

「いや。貴殿には貴殿のプランがあるはずだ。貴殿には、そちらの開発にあたって戴きたいのだ」

「ミノフスキー博士とは別に、と?」

「そうだ」

 もちろん、メインはミノフスキー博士のMSのラインになるだろう。それはジオンのMSであるからには外せない。

 しかし、ガンダムは――ガンダリウム合金と云う素材も含め、連邦に渡すわけにはいかない。

 1stや『the ORIGIN』の中では、“ガンダム”は試作機でただ一機でしかなかったが、『Z』やその後の枝サーガ――という云い方で正しいのだろうか――では、既に量産体制に入っていた。

 ガンダムが量産機にならなければ、連邦のMSはガンキャノンやガンタンク、ボールなどに留まるはずだ。そのようなもの、ザクやドムの敵ではない。その後の技術流出さえ防いだなら、暫くはムンゾが軍事技術の尖端をゆくことになる。

 軍事力の差は、すなわち発言力の差に繋がる。いずれ、破損機などから連邦軍やアナハイムがより強力なMSを開発するとしても、その前にコロニー同盟を取りまとめ、少しでもこちらに有利になるように、巧くことを運ぶべきだ。

 それには、テム・レイの技術力は欠くことができないのだ。

「われわれは、月面都市やコロニーで同盟を作り、地球連邦と対等な関係を結びたいと考えている。そのためには、連邦軍に即座に鎮圧されることのない武力が必要であり、そのために貴殿の技術力が必要なのだ」

「わ、私の……!」

 テム・レイは、今までにそのような必要とされ方をしてこなかったのだろう。声を詰まらせ、目を潤ませると、こちらの手を取って、ぶんぶんと振り回した。

「是非! 是非とも私の力をお役立て下さい!!」

「宜しく頼む。ミノフスキー博士と切磋琢磨して戴きたい」

「はい!!」

 感極まったテム・レイの横で、その息子はきょとんと目を見開いていた。

 『逆シャア』ではブラウンの瞳だった――1stでは黒――が、このアムロ・レイはあおい瞳だ。と云っても、キャスバルのような青ではなく、ブルーグリーンに近い碧の瞳。

 口を少しばかり開けて、今にも“ほあぁぁ”とでも云いそうな顔である。

「……ご子息か」

 テム・レイに問うと、男ははっと我に返り、慌ててこくこくと頷いた。

「は、はい。アムロと云いまして、今年……七歳? 六歳だったか?」

 いかにも科学者らしい、身の回りのことに無頓着な返答に、思わず笑いがこぼれる。

「七歳だよ、お父さん」

 碧眼を瞬かせ、当の本人がそう云った。

 七歳。なるほど、やはり『the ORIGIN』だ――キャスバルとは七歳の差である。

「ほう、七歳かね」

「うん」

「私はギレン・ザビだ。君は」

「アムロ・レイ」

「良い名だな」

 ニュータイプの歴史を変える、素晴らしい名だ。

「私には弟がいる――十四歳で、君よりはかなり年上だが、仲良くしてくれれば嬉しいよ」

 もちろん、その隣りにいるはずのキャスバル・レム・ダイクンとも。

「嬉しいの?」

「あぁ」

 子どもは、少し考えると、やがてこくりと頷いた。

「わかった、仲良くする……します」

「頼んだよ。――今は、少しムンゾを空けているが、君を知れば、あれも喜ぶ」

「うん……はい」

「いい子だ」

 頭を撫でる。割合子どもには泣かれがち――泣かなかったのは、ダイクン兄妹くらいのものだ――だったが、アムロは強く頷いた。

「父上が出張している間は、ここにいると良い。もう少ししたら、弟も戻ってくる。あれを構ってやってくれ」

「わかりました」

 こくりとまた頷くのを確かめて、テム・レイを引き合わせるために、公邸にドズルを呼び出させた。

 

 

 

 キシリアは、結局ルウムへ――テキサスコロニーへと“ガルマ”を訪ねていった。

 三日ほどして帰ってきたキシリアは、シャア・アズナブル(本人)を伴っていた。早業である。

「……ふむ」

 ぶるぶるしながら目の前に立つシャア(本人)を見やると、ひぃなどと云って震え上がる。

 まぁ、ギレン・ザビは、ルウムなどでは蛇蝎の如き扱いであるのはわかっていたが、ジオニズムに傾倒していると云う割には、中々失礼な反応ではないか。

 しかし、こうして見ると、確かにキャスバルによく似ている。瓜二つと云って良い。ただ、その瞳が鳶色であることと、キャスバルの挑戦的なまなざしの強さがないだけで、他は体格に至るまで、本当にそっくりだ。

「“これ”が、“ガルマ”曰くの“友だち”と云うわけだな」

 キシリアに向かって云うと、“妹”は、薄笑いを浮かべて頷いた。

「そうよ。と云うか、あなたはご存知だったのではなくて?」

「……予測はしていた」

 答えると、軽く鼻を鳴らされた。

「流石はギレン殿。それで、この子を押さえるために、私をテキサスコロニーにお遣りになったと云うわけね」

「私が行くよりは、お前の方がまだ人あたりが良い。適任だろう」

「“まだ”をお取りになるべきね」

「失敬」

「……あ、あのぅ……」

 シャア(本人)が、上目遣いに問いかけてくる。

「ぼ、僕、一体何がどうして、ここに来ることになったんですか……」

 おどおどと問う。

 まぁ、それを咎めだてする気はない。いきなり故郷から連れ出されたかと思えば、ムンゾの首都、しかもザビ家の邸に連れてこられたのだ。キャスバルや“ガルマ”と接点があったとは云え、想定の遙か彼方の話だろう。

「……両親の承諾は得ているのだろうな?」

 キシリアに問うと、当然、と返された。

「私がその程度を抜かると思うの」

「いや」

 “ガルマ”ならば、事後承諾でやりかねないが、キシリアはそれはないだろう。

「――シャア・アズナブル、私はギレン・ザビだ。君に来てもらったのは、他でもない、あのままでは君の身に危険があると判断されたからだ」

 そう云うと、流石に馬鹿ではない、シャア(本人)は、恐る恐る、

「……それって、その、僕とキャスバルがそっくりだからですか」

 と訊いてきた。

 ――宜しい。

 それがわかる程度の知能ではあるわけだ。

「そうだ。知ってのとおり、キャスバルは、ジオン・ズム・ダイクンの息子であり、ムンゾの民にとっては、ジオニズムの象徴にもなりつつある。それが目障りな輩も当然あってな、先日などは、我が弟“ガルマ”とともに誘拐されかかったくらいなのだ」

「そ……それで、キャスバルたちはテキサスコロニーに来たんですか」

「そうだ」

 頷いてやる。

「キャスバルを利用しようと云う輩は、ムンゾの内外に山といる。その連中のうちには、キャスバルを傀儡にと考えるものもある。――愚かなことだ、キャスバルはそう云う人間ではない、いずれムンゾを、すべてのスペースノイドを象徴することになると云うのに」

「わ、わかります」

 シャア(本人)は、強く頷いた。

「キャスバルは、まさしくジオン・ズム・ダイクンの子で、スペースノイドを導くものになる――ちょっと会っただけの僕にも、あいつがただものじゃないことはわかります」

 そう云ってから、キャスバルを“あいつ”呼ばわりしたことに気づいて、慌てて謝罪する。

「うむ。――だが、キャスバルを傀儡にと考えるものたちにとっては、あの強い意志は邪魔でしかないだろう。そう云う輩が、キャスバルを殺め、その代わりに君をその身代わりにしようと企む可能性があるのだ。或いは君を殺めてその死体を晒し、キャスバル・レム・ダイクンを殺めたと云い張る可能性も」

「そ、そんな……」

「だからこそ、われわれは君を保護しようと考えたのだ。幸い、この邸には部屋も余っている。ここを我が家と思い、ここから学校へも通うと良い」

「えっ、それは……」

「有体に云おうか。われわれは、君をキャスバルの影武者にしようとしているのだ。その代償として、学費その他一切を持とうと云う、それだけのことだ」

「影武者……」

 シャア(本人)は、ごくりと唾を呑みこんだ。

「それって……その、かなり危ないこと、ですよね……?」

「否定はしない」

 士官学校へ行きたがっているキャスバルを“シャア・アズナブル”として入学させ、シャア(本人)は“キャスバル・レム・ダイクン”として、政治家の基礎を学ばせる。キャスバルが既にできることでも、この少年にはできないことはかなりあるだろう。それを補ってやりながら、影武者としても育てていく。

 ――結局、“赤い彗星”を誕生させることになるわけだな……

 天才パイロット“シャア・アズナブル”と、ムンゾの若き政治家“キャスバル・レム・ダイクン”と。二つの顔を持つことに。

 あのパイロットとしての技量を惜しむ気持ちは確かにあったが、こうなるとは――多少は思っていたが。

 ともあれ、それが成功するか否かは、この少年にかかっている。

「どうする? まぁ、拒否したからと云って、君をルウムに帰すわけにはいかないから、そうなればムンゾで飼い殺し、と云うことになるが」

 そう云ってやると、シャア(本人)は、暫く考えこみ、やがてこくりと頷いた。

「やります。どうせムンゾにいるなら、あいつがびっくりするくらい、あいつそのものになってやる」

 見つめてくる鳶色の瞳は、先刻までの怯みや動揺もなく、それこそキャスバルに瓜二つのものに見えた。

「宜しい」

 頷くと、

「この子は、私が面倒を見ることにするわ」

 とキシリアが云った。

 珍しい、シャア(本人)のことを気に入ったのか。

「任せる」

 と云うと、にこりと笑い、キシリアは少年の手を取って、案内するわと微笑んだ。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 4【転生】

 

 

 

「2年でムンゾ大学を卒業しろ」

「……………ふぉ?」

 ゲンドウポーズで何言っちゃってんの“ギレン”。

 そりゃハイスクール卒業資格は取ったけどさ、おれ達まだ14才なんですががが?

 フリーズしたおれの隣で、キャスバルが思慮深げに首を傾げた。

「それは何故?」

「“ガルマ”と共に士官学校に通うつもりなら、それが条件だ」

 なるほど分からん。

 なんで士官学校に入るために大学卒業する必要があんのさ?

 だけど、キャスバルには見当が付いたようだった。

「……父さんと同じ道を歩めと?」

 その質問に、“ギレン”は満足そうに笑った。

「ムンゾは帝国でも公国でもない。世襲とは限らんだろうがな、民の声と言うものがある。お前はジオン・ズム・ダイクンの子だ」

 スペースノイドを束ね、その誇りを誰かが守らねばならん――なんて。

 と、言うかこの流れ、おれだけ理解できてないってこと?

 頭が良い連中の会話ってコレだからね。

 小首を傾げて考えてみる。

「ねえ、“ギレン兄様”。それ、キャスバルに首相になれって言ってます?」

 教育なら士官学校だけでも充分なはずだ。それを敢えて事前に大学へなどと。軍人にはするつもりがないってことか。

 だとしたら、末は首相か大統領か公王か。

「それを決めるのは国民だ。ムンゾは共和国だぞ」

 ギロリと、三白眼が呆れたように睨めつけてくるけどさ。

 裏で“ザビ帝国”なんて言われてるほど、ムンゾにおけるザビ家の力は強い。

 “ギレン”は否定するかも知れないけど、ザビ家が擁するキャスバル・レム・ダイクンに、王冠をかぶせることは、そう難しい事じゃないよ。

 それはさておき。

「ムンゾ大学か。頑張ってね、キャスバル」

「なにを他人事みたいに。君も一緒に決まってるだろう。『一蓮托生だ。逃げられると思うな』」

「『めんどくさ!』」

 あ。猫の皮がベロリと。

 キャスバルと“ギレン”双方から、呆れた視線が突き刺さった。

 だけど、百歩譲って、キャスバルに大学での就学が必要だとしてもさ、なんでおれまで巻き込まれるのさ。

 そもそも、最高学府を2年で修めて来いってオカシイから!

「編入試験に向けて励め。家庭教師も呼んである」

 そして勝手に話を締めないでよ“ギレン”!

 さあ出ていけとばかりに手を振られて、猛抗議しようと思ったのに、キャスバルに腕を掴まれて、執務室から引っ張り出された。

「キャスバル! こんな横暴を許していいのか⁉ “ギレン”はおれ達の行く末を勝手に決めるつもりだぞ!」

 “おれ”はボスの命令に従う。だけど、お前まで従う謂れは無いんだ。

 ――手を離せ馬鹿力め!

 お前素手でりんごジュース絞れるだろ⁉

 グイグイと廊下を運ばれて、中庭に出た。

「先を決めるのは僕だ。君もね。ギレンじゃない。だが、大学に行けば選択肢は増えるだろう?」

「そりゃね、お前なら何にだってなれるさ。お前みたいにスゴイやつ他に知らないし」

 返せは、キャスバルが少し黙る。

 腕を掴む力が一瞬強まって――イテテ。加減しろよ――フンと鼻を鳴らされた。

「その割には、最近、君はあの小さいのに首ったけじゃないか」

「アムロだよ。可愛いんだ!」

 あ、顔がへろりと崩れたのが自分でも分かった。

 だって本当に可愛いから仕方がないんだ。

 多忙な父親から“ギレン”が預かったとかで、いまはザビ家の私邸で暮らしてる。

 テキサス・コロニーからこっち、おれも自宅に帰ってるから、自然と共に過ごす時間が長くなった。

 プライマリースクールの勉強を見て、一緒にハロを改造して、オヤツを食べて、秘密のお喋りをする。

 アムロは少し内向的なところがあるけど、思考波でつながる分、齟齬がなくて気が楽らしい。

 懐いてくれて、とても嬉しい――今のうちだけだろうけどさ。

 視線が落ちる。唇が、少しだけ歪んだ。

「あの子は、すぐにお前に懐くよ。お前も、あの子をすぐに気に入る」

 稀代のニュータイプ同士だ。惹かれ合わないはずがないし。

 そこに入れないだろうことには、疎外感を感じるけど。

「……ガルマ?」

「勿体ないけど、紹介してやるよ」

 掴まれた腕を反対に引いてやれば、キャスバルがついてくる。

 意識を広げて探れば、アムロは自室に籠もっているようだった。

『聞こえますか……アムロ・レイ……いま…あなたの脳に…直接話しかけています……』

 ――なんてね。

『…! ガルマ、どこ? だれかいるの?』

『いま部屋に向かうとこ。お前に会わせたいやつが居るんだ。連れてっていい?』

『ガルマが言ってた“スゴイやつ”⁉』

『そ。“スゴイやつ”だ』

 途端に、ワクワクドキドキしてるらしき思考波が炸裂する。

 星雲みたいな。キラキラ光ってるみたいな喜びと期待と、少しばかりの不安。

 それは、当然、キャスバルにも届いてる。

 チラリと視線を走らせれば、やや面食らったような表情をしていた。

 キャスバルはダイクン家の後継者として、おれはザビ家の一員として付き合いを制限されてたから、そういうものを気にしないで済む相手は貴重だ。ましてや思考波で繋がる“同朋”は。

「な、キャスバル。楽しみだろ?」

 子供に聞こえないように、敢えての会話。

「……君がそこまで肩入れする相手なら、会ってやらないこともないさ」

「素直になれよ」

 まあ、でも素直なキャスバルなんて、想像つかないかもね。

 

 

「『ガルマ!』」

 子供にあてがわれてる部屋につけは、ノックをするより先に扉が開いた。

「『ふぉう、弾丸みたいだな!』」

 どすんと、小柄な体が勢いよく飛びついてくるのを受け止める。

 もっと内向的で大人しいのかと思ってたら、存外に元気でやんちゃだったりもするんだよ。

 男の子ならこのくらいで丁度いいけど――女の子のはずのアルテイシアなんて、実はもっとお転婆だしな。

 ギュッと抱きしめて頬擦り。アムロ、お肌もっちもちだな!

 と、尻に衝撃が。

「……キャスバル、蹴ったね?」

「フン。紹介してくれるんだろ」

 ヲイ。猫皮が剥がれてるぞお前。

「『キャスバル?』」

 腕の中から、背後のキャスバルを認めたときのアムロの瞳は、宇宙から見た地球みたいにきれいな碧に瞬いた。

 振り返れば、キャスバルの瞳も、見たことが無いほど鮮やかな青の色彩で。

 その一瞬に絡む思考波の美しさに、息を呑む。

 何に例えれば良いんだろう。星の海の光の渦――オーロラとか、水中から見上げた水面の万華鏡、それから――。

 キャスバルが手を伸ばし、アムロがその手を掴んだ。

 詰めていた息を吐く。

 興奮は静かに胸の底に沈んで、波紋がゆっくりと広がって、消えた。

 腕の中からアムロを開放して、キャスバルへと押しやる。

 もう、お互いしか目に入ってないみたいだからね。

「……ふたりで『お喋り』して来なよ。おれはお茶の支度をしとくからさ、気が済んだら戻っておいで」

 気もそぞろな子供に微笑みかければ、コクリと首が振られた。

 するりと身を放して、アムロの部屋の中へ入る。

 離れてく二人分の足音を聞きながら、息を吐く。

 ひとつ、大きな仕事を成し終えたような気持ちだった。

 正直に言えば、少し寂しい。だけど、途轍もない安堵が溢れている。

 どの物語でも争っていたふたりが、争う必要のない出逢いをしてたら、なんて、誰もが考えただろう奇跡を、いまこの目にしたんだから。

 仲良くするが良いのさ。

 あとは、なんとかしてララァ・スンを探し出して、彼らに逢わせなくちゃね。

 たぶん、それが今生でのおれの“オシゴト”なんだろう。

 メイドを呼んで、小さなコンロとケトル、茶葉や茶器諸々を用意させる。

 支度も請け負おうとするのを断って下がらせれば、また部屋にひとりになった。

〈ガルマ ガルマ〉

 ライムグリーンの丸いものが、転がってきて足元にくっつく。

「……ん。お前が居たね、ハロ」

 ひとりじゃなかったみたい。クスリと笑いがこぼれた。

 湯を沸かすところから。

 のんびりと、沸騰し始める小さな泡を眺める――ガラスのケトルだと退屈しないよね。

 午後を模した光が窓から差し込み、庭にある木の影が絨毯に落ちていた。

 宇宙に出ても、ひとは地球に似せた環境を好む――そうでないと、生きていけない生き物なのかな、人間って。

 ポットを温める指先を見る。

 ――ひ弱な手だな。

 時々、そんな感覚に襲われる。

 “おれ”の手は、いつだって、もっとゴツゴツして、カサカサ乾いて分厚かった。

 血に汚れて、染み付いて、キレイになることなんて無かったのにね。

 戦う力の無い戦闘特化型なんて、なんの役にも立ちゃしない。

 キシリア姉さまとサスロ兄さんがいれば、おれの“悪知恵”は必要ない。

 伝説のパイロットが二人揃えば、それこそが“最大火力”だし。

 だから、ここで目覚めてからこの数年、“おれ”はボスの側に置いてさえもらえない。

 意識の底の更に奥底から、“おれ”がおれを罵っている――煩いな。解ってるよ。

 ガルマ・ザビ、少しだけお前の気持ちがわかるかも知れない。

 優秀な兄姉に囲まれて、優秀な友が隣りにいて、父親の溺愛を受けながら、きっと不安だったろう。

 不甲斐ないと自分を責めただろう。

 ――…………。

 なんてね。

 ションボリしてたけど、なんか、だんだん腹が立ってきた。

 こんだけガンバってるおれが、なんで“おれ”に罵られねばならんのだ。

 ガチンコ勝負だけが勝負じゃねえわ。黙れ脳筋。いや“おれ”もおれだけど。

 おれは“ガルマ”の道を征く! 覇道だ!!

 と、言うことで“ギレン”。今日の夕飯の皿には、キライなプチトマトが山盛りだから。

 厨房は既におれの支配下だ。おれを蔑ろにしてきた報いを受けるが良いさ。

 そんな決意を新たにしてたら、

「パンケーキ‼」

「残念。おれはパンケーキじゃないし、おやつはビスケットだ」

 バタンと扉が開き、またしてもアムロが突撃して来た。

 そしてその後ろからキャスバルが。

 あれ、早いねお前ら。もっと『お喋り』してくるかと思ったのに。

 確かに思考波での会話は、普通のそれと比べにならんほど高速だから、それなりに話せたんだろうけどさ。

「パンケーキがいい!」

 唇を尖らせての抗議である。

「パンケーキだ」

 キャスバル、お前もか。

「なぜビスケットではいかんのだ?」

 厨房からの差し入れだぞ。これ、美味いんだけど。ポリポリと食ってみせるけど、ふたりともに首を横に振る。

「アムロには作ってやったんだろう?」

「ん。逢った日にね」

 厨房で作って貰おうとしたら、なんだか取り込み中だったから、片隅借りて焼いたんだ。

「美味しかった!」

「そりゃ良かった」

 そうね。お前バンバンお代わりして、夕食入らなくて叱られたもんな――おれが。

「そんなに美味いならぜひとも所望するさ。そもそも、なぜ“幼馴染”の僕が食べたことが無い?」

 そんなに不満そうに言われても。

「……いたってシンプルなパンケーキなんだけど」

 まあ良いか。

 そんじゃ、厨房に行くかね。“ギレン”のプチトマトの件もあるから丁度良いかもね。

 

 その後、シンプルなパンケーキは、キャスバルの口にもそれなりに合ったようで安堵した。

 三人で色々『お喋り』したけど、キャスバルとアムロの二人でした『お喋り』については、彼らだけの秘密ってことらしい――ま、そんなもんだろうね。

 そして、夕食時。すべての皿に盛られたプチトマトに、“ギレン”の顔は引き攣っていた。

 ――ざまみろ。

 こっそり溜飲を下げたことは、おれだけの秘密だ。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「もう勉強したくない!」

 叫んでベッドにダイブすれは、キャスバルの呆れた視線が突き刺さる。

「ぼくもべんきょーしたくない!」

 ボスンと、隣に飛び込んでくるのはアムロだ。

「お前はしなきゃダメだろー」

「やだー」

 抱え込んでゴロゴロ転がれば、腕の中の子供は、キャーだのワーだの叫んで笑った。

「悪い手本になってどうする。大体、勉強するのはこれからだろう」

 ああ、そうだろうとも!

 キャスバルに巻き込まれる形で、編入試験に向けての詰め込み講義を経て、なんと合格しちゃったよムンゾ大学。しかも法学部。

 おれは理工学部を希望したんだがな!

 比喩でなく血反吐を吐いて熱を出したおれに、それでもキャスバルは容赦しなかった。鬼か。

 最後は朦朧としていたので良くわからない。

 マスター・ヨーダが導いてくれてたような気がする。

〈May the Force be with you.〉って言ってた。多分。

「『ヨーダってだれ?』」

 お。思考波漏れてたか。

「『ヨーダってこんなの』」

 思考波で、イメージを投影。小柄な緑の老宇宙人の姿に、アムロは悲鳴を上げてしがみついて来た。

 机にいたキャスバルも噴いてる。

「『わー⁉ なにこれ‼?』」

「『だからヨーダだよ。銀河史上、最も有名かつ優秀なジェダイ・マスターのひとり。とても強い』」

「『……君の妄想に果てはないのか?』」

「『失礼な。ヨーダは“スター・ウォーズ”の登場人物だぞ。面白いよ』」

「『興味ない』」

 まあ、お前はそうだろうさ。

 興味津々らしきアムロには、銀河の壮大な愛と戦いの物語を投影込みで『話して』やった。

 R2-D2やBB-8あたりがお気に入りらしかった。なるほど。

 

 

 14歳での大学編入の快挙に、お父様は手放しで喜び山程の贈り物をくれ、キシリア姉さまは俺を抱きしめてホール中を踊り回った。

 サスロ兄さんは唇を曲げてニヤリと笑い、「やるじゃないか」と一言くれた――なんだか格好良かった。

 ドズル兄貴には例によって抱き潰された。

 そして“ギレン”と言えば。

「……卒業できそうか?」

 早くも2年後の心配である――さもありなん。おれも心配だしな。

「“リーガルマインド”ってのが、いまいちピンとこない。だけど、法学部はコレが無いとどーにもならんらしい」

「それで、お前なりの解釈は?」

「法を施行、立法するための知識と思考方式。重要なのは相手を言い負かす力」

「相変わらず極論だな」

 他にどう言えと。

 ふんわりし過ぎてるんだよ、概念が。あげくに範囲も広すぎる。

「口喧嘩は苦手なんだ。そもそも納得したくない相手を納得させるなんて、どんな無茶振りだよ。それが出来れば戦争しないだろ」

「ド阿呆! 戦争紛争よろず揉め事解決のために法律があるんだ。逆じゃないぞ」

 本当になぜそんな状況で合格できたのだと罵られるけど、それはアレだ、Forceの導きだよ、きっと。

 入学はしたものの、出席する講義はそんなに多くない。タイムリミットがあるから、もっぱらレポートとテストをクリアしていく感じだ。

 だから、キャンパスに行っても素敵な出逢いは殆どない――と、言うか、野郎ばかりに群がられ、レディ達が滅多に寄ってこないのは何故だ。

『おれの横にはキャスバルと言うバカげたイケメンが居るというのに!』

 客寄せパンダ並みに吸引力ありそうなのにね。

『馬鹿は君だ。講義に集中しろ』

『え? おれもバカげたイケメン?』

『馬鹿だと言っている』

 ひど。

 仕方なく教壇に注意を向ける。

 受けることを強く勧められた講義だけど、枯れ木みたいな老紳士が唱える内容は、正直、おれには向いてない事ばかりだった。

 おれは、最初から誰に味方するか決めてるタイプだから、正否も善悪も実のところあまり関係がないし、平等とかも有り得ない。

 だけど、コレは武器になるね。

 如何に相手にルールを破らせるか――ルールを破ったと周囲に思わせる事ができれば、護るべき対象を有利に立たせられる。

 よしんばこちらがルールを破らざるを得ないときでも、法を知ってさえいれば、“綱渡り”が出来るし。

 この辺りは、サスロ兄さんが得意そうだ――時間がありそうなときに、色々聞いてみるのも良いかもね。

 そんなことを思ってニコリと微笑んだら、丁度こちらを見た枯れ木――じゃなくて教授と目があった。

 厳しい顔の老紳士は、パチクリと目を瞬いて、それからぎこちなく微笑んでくれた。

 いや、別に笑みかけたワケじゃ無かったんだけどね。

 隣ではキャスバルが、『馬鹿め』と溜め息をついてた。

 バカって言う方がバカなんだからな、バカ。

 

 

「ばか! ガルマのばか‼」

「ふぉ⁉ 何事さリトルレディ???」

 レポート作成の為にザビ家を訪れたキャスバルは、妹君を伴っていた。

 開口一番にディスられて面食らう。

 ポカポカと胸を殴ってくるその手を、やんわりと掴んで止める――意外に力あるよね、アルテイシア。

『何があったのさ、キャスバル? ほっぺたもどうかしたの??』

『くだらない癇癪で引っ掻かれた』

 フンと鼻を鳴らすその顔には、絆創膏が貼ってあった。

『そのきれいな顔をか⁉ 人類の損失じゃないか!』

『……時々、君が分からなくなるな』

 何を言う。おれほど解りやすい人間はそうは居ないんだぞ。

 それはさておき。

「リトルレディ、僕たちのお姫様、アルテイシア。僕は君に責められる様なことをしてしまったの?」

 エントランスで片膝をついて、少女を見上げる。

 豊かな金色の髪が、宝冠みたいだ。

 アルテイシアの青い眼の中の光はゆらゆらと震えてて、キュッと結ばれた唇や頬は、興奮からか薔薇色に色づいていた。

 この兄の妹は、やはり頗る付きの美少女だよね。

「パンケーキ!」

「は?」

「兄さんとアムロだけずるいわ‼」

 え、なに、流行ってんのパンケーキ?

 でもフラットでも頼めば焼いてくれるよね――それとも焼いてくれなかったの?

『……つまり、どーゆーことさ?』

『どうもこうも、君がパンケーキを焼いてくれたことを話したら、アルテイシアが拗ねたんだ。自分と母さんは食べさせてもらってないってね』

 なるほど。“食い物の恨み”だったか。怖ろしや。

「……リトルレディ、どうか心を鎮めて。君の放つ雷槌に撃たれたら、僕はひとたまりもないよ――ね、いつもの素敵な笑顔をちょうだい。パンケーキくらいいつでも作るさ!」

 視線を合わせて、パチリとウインク。

 とったままの手指にそっと口づければ、アルテイシアの眼差しがようやく緩んだ。

「本当に?」

「本当さ」

 頷けば、花が綻ぶみたいな笑みが返る。

「いいわ。許してあげる」

「お優しいレディに感謝します」

 もう一度、指先にキス。

『……よくもそんな甘ったるいセリフが出てくるな』

 キャスバルが呆れた思考波を寄越す。けど、彗星様だって相当な誑しだったぞ、と、ひっそり意識の底で呟いた。

 その後は、アムロも交えてのおやつタイムになった。

 なんの変哲ないパンケーキだけど、皆で食べればそれなりに美味しいもんさ。

 テーブルを囲んで、子供たちが笑っている。

 なんだかね、こういうの、みんな愛しいって思っちゃうんだよね――生意気なキャスバルも含めてさ。

 いつか、もう戻れない時間の中で、チビ共をかまってたときみたいに。

 ときに郷愁は襲い来るけど。そうだね、今度はお前たちを守らなきゃね。

 あのときとは違う力で。違うやり方で。

『ガルマ?』

 キャスバルの訝しげな“声”。

 思考を閉じ気味にしてるから、読み取れなくて不満なんだろう。

『お前がラスボスにならんように、おれ、頑張るからね』

『……また“スター・ウォーズ”か?』

『違う。“逆シャア”』

『現実に帰ってこい』

『はいよ』

 りょーかい。

 

       ✜ ✜ ✜

 

「“ギレン”、MSはどーなってんの? おれはいつ乗れる? あとシャア(本人)は今どんな感じさ?」

 “ギレン”の執務室を急襲して、矢継ぎ早に質問。のんびりしてると秘書官が戻ってきちゃうからね。

「“ギレンお兄様”と呼べ。開発中だ――士官学校を卒業してから言え。シャア・アズナブル(本人)はキシリアが監督している。中々の仕上がりらしいな」

 ふぅん?

「不満そうだな」

 “ギレン”が眉を顰める。そりゃ満足じゃないさ。ザビ家と言えども――違うな、ザビ家なればこそ未成年ってのは縛りが多い。

 “箱入り”の名に相応しい扱いは、不自由極まりないんだよ。

「じゃあ、“フラナガン機関”は? もう姉さまが立ち上げてるんだろ? どれくらい対象がいるの?」

 じっと視線を注げば、“ギレン”が首を傾げた。

「“ニュータイプ”でないお前が、そんなことを知ってどうする?」

「逆に何でそれが必要じゃないって思うのさ? おれはキャスバルとアムロの“幼馴染”だよ。“ギレン兄様”がそう仕向けたんだろ」

 呆れた声音を作る。

 片眉を上げ、唇の端を歪めて笑えば、“ギレン”が少しだけ仰け反った。

「ね、ボス。“おれ”のこと忘れてるんじゃない? いい加減開放してよ。鎖で繋がれてるの飽々なんだ」

 オーダー通りに、ムンゾ大学は2年で卒業してやるし、士官学校だってしっかりクリアするつもり。

 だけど、そろそろもう少し“自由”をくれても良い頃合いじゃ無いのかな?

 上目遣いでおねだり。

「……また良からぬ事を思いついた顔だな」

 ものすごく厭そうな声と表情だった。

「いずれ来る戦いに向けて、“おれ”なりに備えておきたいって言ってるだけじゃないか」

「過去の所業を振り返ってみろ」

「そんな昔のことをおれが覚えてると思うの?」

 全部忘れたわ。

 真顔で返せば、“ギレン”は机に懐いた。

「ってコトで、ドズル兄貴のMS資料と、姉さまのニタ研資料の閲覧権ちょうだい」

 “ギレン”は眉間に峡谷を刻み、それから長い溜め息を落とした。

「…………………あの二人が良いって言ったらな」

 うん。その一言を待ってた。

 兄貴と姉さまは、ギレンが許可したら良いって言ってたからね。既に言質はとってある。

 ニンマリと笑えば、“ギレン”の三白眼が見開かれた――「まさか」とその唇が声無く動く。

「出来れば“社会勉強”として“見学”にも行きたいんだけど」

「却下だ!」

 ぬ。一言で切り捨てるとは。

「ケチー。今のうちに色々繋ぎ付けときたいんだよー。たーのーむーよー。“おれ”お役に立つよー?」

「却下だって言ってんだろう! 大体、お前は平時には役に立たん‼」

「ひど!」

 なんて人格否定! パワハラだ‼ ナントカ委員会助けて!

「好き勝手したいー」

 ゴネゴネすれば、“ギレン”が青筋立てて机を叩いた。

「却下ったら却下だ‼」

 ふぉう。盛大にキャラが崩れてますぜ、“ギレン閣下”。

「……なんだかんだで、お前は好き勝手してるだろうが」

 グルグル唸りながら、「ザビ家は俺以外は皆がお前に骨を抜かれている」だなんて、“ギレン”は睨んでくるけどさ。

 むしろ、そう成るべく頑張ったおれの努力を認めて欲しいね。

 向かい合って、フーっと大きく溜め息を付き合ってたら、胸の大きな美人秘書官が戻ってきた。

「あら、ガルマ様がいらっしゃってたんですね」

 ブルーグレイの双眸が知的にきらめく。明るい茶色の髪を大きく結い上げて、キッチリと軍服を纏った姿は凛々しくも麗しい――若くして才覚を買われ、“ギレン”の第一秘書を務めているセシリア・アイリーンだ。

「セシリアさん!」

 会えて嬉しい、と、大きな笑みを浮かべて小首を傾げる――ちょっと恥ずかしげに見える角度で。それから申し訳無さそうに。

「お邪魔してすいません。直ぐに御暇しますね」

「――閣下、宜しければ、お話しの場を設けますが?」

 おれの言葉を遠慮と捉えたのか、セシリア嬢が“ギレン”に対して伺いを立てる。

「不要だ。下がれ、ガルマ」

「……はい。“ギレン兄様”」

 傍からは、厳格な兄に叱られて悄気る年の離れた弟に見えるんだろう。

 セシリア嬢は案じるような視線を寄越して、それから小さく微笑んだ。

「ガルマ様、成績優秀って伺ってますよ。あまり無理されずに、これからも頑張って下さいね」

 流石の気遣いである。そしてこの美しさである。お胸様なのである。

「あ、ありがとうございます」

 綺麗なお姉さんに褒められて嬉し恥ずかし、と、彼女から視線を逃しつつ。 

 ――羨ま妬まし‼

 “ギレン”を凝視すれば、シッシとばかりに手を振られた。

 ――なんたる扱い。

 だから厨房はおれの支配下なんだぞ。夕飯に山葵ソース出しちゃうからな!

 ちなみにこの山葵ソース、“ギレン”以外には大変好評なのであった。

 

 

 ベッドに腹這いになって、ドズル兄貴とキシリア姉さまから拝借してきた資料を読み耽る。

 二人とも渋ってたけど、“ギレン”が許可したって言ったら、あっさり渡してくれた。

 サスロ兄さんは呆れてたけど、レポートの為にサンプル貸してとお願いすれば、普通じゃ手に入らないよーな詳細資料をくれるんだから、どっちもどっち――こっちは後でキャスバルと使わせてもらう。ありがたや。

「ふぅん。MS-04……ブグか」

 基本性能は、ザクⅠより勝るかもだけど、製造ラインを考えたら難しいか。

 コレ欲しいなー。

 チェスナットブラウンとかバーガンディとかに塗装したら渋いだろーなー。

 いや、ザクも欲しいんだけど!

 なんて言ってても、子供が玩具を欲しがってるなんて思わないで欲しい。

 意外と切実なんだよ。

 大学に通うようになって、実家やフラットでは耳に入らなかった事柄も聴こえてくるようになった。

 市民の生の声とか、連邦についての噂話だとか。

 おれが目を見開いて「そうなの?」って驚けば、周囲は競うように“世間知らずの坊や”に情報を与えてくれる。

 勿論、鵜呑みにはせずに、サスロ兄さんに裏は取るけどね。

 それらに拠れば、いまやムンゾはコロニー共栄圏への道を確実に敷きつつある。それは確実。

 “ギレン”の謀略は着実にコロニー間の距離を縮め、反して連邦との距離は“適切に”取られつつある――これはコロニー側から見た見解ね。

 じゃあ、地球側から見たらどうよ?

 古来、権力は自らに離反する要素を許さない。それが下に見ていた対象であれば尚更に。

 連邦政府にとって、ザビ家はもはや“敵”だ。

 潰さずには置けないと、果たしてどれ程の人間が考えていることだろう。

 穏やかな日常の水面下では、事態は一触即発。いつ何時に“戦争に繋がる事件”が起こってもおかしくない――下手すりゃ“暁の蜂起”を待たずしてね。

 そのあたりは、お父様とその周囲で、なんとか綱引きしてくれてるみたいだけど。

 早晩、“ギレン”はデギンパパから呼び出しを食らうだろう。だからといってその足が止まることなんて無い。

 それでも、自覚せざるを得ないだろう。己の立つ足元が、いつ割れるとも知れない薄氷みたいなもんだって。

 いつだって崇高な理想を掲げて、そこに邁進しようとするから足元が危ういんだよ。

 ついでに人類の理性と知性を信じ過ぎてるし、相変わらず、理念の甘い相手を軽視してる。

 胸の奥底で“獣”が身じろぐ。

 そろそろ“準備”をしないと。“ギレン”は士官学校を卒業するまでは、おれを自由にする気は無いみたいだから、代わりに動ける目と耳、それから手足を探さなくちゃいけない。

 目と耳は、大学の連中を間に合せで使うとして、手足の調達が困難だ。

 ムンゾ大学へ通うようになってからこっち、護衛って言ったら全部、“ギレン”直属の部下ばかり――つまりは監視要員ってこと。迂闊に動けば全部筒抜けになるからね。

 さて、どーするか。

 脳裏にいくつものデータが踊る。パズルみたいに組み合わせていけば、大まかなビジョンが見えてくる。

 手持ちの札は少ない――けど、おれ、鬼札持ってるんだよね。

 胸中でニンマリ笑えば、鏡の中からは、おっとりとした少年が、無邪気な微笑みを返してきた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 4【転生】

 

 

 

「二年でムンゾ大学を卒業しろ」

 テキサスコロニーから帰ってきたキャスバルにそう云うと、隣りの“ガルマ”が目を見開いた。

「……………ふぉ?」

 ――素が出てるぞ、おい。

 ガルマ・ザビに相応しからぬ奇声を上げる“ガルマ”を見る。

 キャスバルはと云えば、幼馴染の奇矯な様にも動じることなく、少し首を傾げていた。

「それは何故?」

「“ガルマ”と共に士官学校に通うつもりなら、それが条件だ」

 と云うのに、今度は“ガルマ”が首を傾げる。何故、士官学校に入るのに大学を出る必要があるのか、まったくわかっていないと云う顔だ。

 だが、もちろんキャスバルには見当がついたようだ。

「……父さんと同じ道を歩めと?」

 ――宜しい。

 流石の理解力だ。

「ムンゾは帝国でも公国でもない。世襲とは限らんだろうがな、民の声と言うものがある。お前はジオン・ズム・ダイクンの子だ。スペースノイドを束ね、その誇りを誰かが守らねばならん」

 士官学校出が政治家になれないとは云わないが、軍関係は、どうしても低く見られがちな状況がある。それは、元々のアレでもそうだが、軍関係者は割合軍事に傾いた意見を述べがちで、それ以外のもの、特に文化や市民生活を蔑ろにしがちである、と云うイメージ故だろうと思う。

 歴史を見ても、軍は己の拡充をひたすらに求めたり、仮想敵への不信を煽ったりと、あまり良いイメージがない――まぁ、子どもでもそうだが、新しい銃やナイフを与えられれば使いたくなるものだし、軍がそれをやるとなれば、戦争になる。過去、そうして起こった戦争は数多く、それこそが文民統制の理由にもなったわけなのだが――締めつけられれば反発するのが世の常で。

 ――下の兵卒にとっては、戦争なしの軍隊の方が良いのではないかと思うのだがな。

 しかし、その兵卒の中にも、また与えられた武器を使ってみたがるものがあるから、面倒なのだが。

 ともかく、軍を動かすためには士官学校を出ておくのは有効だが、それだけでは他の政治家たちを黙らせるには弱いと云うことだ。

 キャスバル・レム・ダイクンは、ジオン・ズム・ダイクンの息子であり、そうである以上、政治の世界からは逃れられない。

 そうであるならば、政治家としての武器も磨いておかなければ、周囲に翻弄されるだけにもなりかねない。

 まぁ、賢いキャスバルのことだから、翻弄されるだけと云うことはあるまいが――使える武器は、多いに越したことはないのだ。

「ねえ、“ギレン兄様”。それ、キャスバルに首相になれって言ってます?」

 “ガルマ”が目を瞬かせ、そう問いかけてくる。

 確かに、それを想定してはいるのだが、

「それを決めるのは国民だ。ムンゾは共和国だぞ」

 確かに、直接選挙制ではないムンゾの首相を、選ぶのは国民ではない。

 だが、議会がそれを選出する以上、直接選ばれた議員たちに、何らかの働きかけはある――それが“世論”と云うものだ。

 まぁ、国民から支持されていたジオン・ズム・ダイクンの子が立つならば、議員になれないはずはない。その上で経験を積んでいけば、いずれはこの国の首相の座に就くだろうことも確かではあったのだが。そう、民衆は、わかり易い物語を好むものだから。

 いずれにせよ、キャスバルは、政治の世界からは逃れられないのだ。こちらとしても、かれのパイロットとしての才能を惜しむ気持ちがあるからこそ、士官学校入りに反対はしないけれど、どうあっても逃れられないからには、それを想定に入れて動く方が、後々困ることも減るだろう。

 ――Zから『逆シャア』の流れを考えれば、政治の世界に足場を作っておくのは、無駄なことではない。

 この先、宇宙世紀の世界がどこまで原作のラインとずれていくかは定かではないが、最悪があれだと思えば、準備は怠りなくするべきだ。

 “ガルマ”は、きょろきょろとこちらとキャスバルの顔を見較べていたが、ふっと息をつくと、にやりと笑って、

「ムンゾ大学か。頑張ってね、キャスバル」

 と云った。完全に他人ごとである。

 キャスバルは、かるく眉を上げた。

「なにを他人事みたいに。君も一緒に決まってるだろう」

「めんどくさ!」

 間髪入れずに“ガルマ”が云う。

 ――おい!!

 何かの皮が剥がれている。本音が駄々漏れだ。

 まぁ、正直に云えば、“ガルマ”を大学に入れる必要はない。ザビ家の人間は基本的に軍人であり、“父”デギン・ソド・ザビ以外は、皆士官学校卒であるはずだ。いや、“ギレン・ザビ”は、もしかしたらムンゾ大学を出ているのかも知れない――キャスバルが生まれた時に、学内で銃を手に、警察の動きを監視するシーンが、漫画の番外編にあったから。まぁそれを云えば、同じ時に学内にいたサスロもまた、大学卒と云うことになるのだが。

 おそらくだが、“父”は、ハイスクール時代にでも、ジオン・ズム・ダイクンと接点があり、その思想に触れて、学究の道を志したのではないかと思う。

 まぁつまり、“ガルマ”も本来なら、士官学校卒で構わないわけなのだが。

 こちらをまっすぐに見つめるキャスバルの青い瞳は、“ガルマ”がともに大学へ進むことを、欠片も、髪一筋ほども疑ってはいなかった。

 ――まぁ、諦めろ、“ガルマ”。

「――転入試験に向けて励め。家庭教師も呼んである」

 キャスバルがこうと決めたら、何がどうあろうと、その決断を覆すことはできるまい。

 “ガルマ”は、何やら云いたげに口をぱくぱくさせたけれど、頭を垂れたキャスバルに腕を掴まれ、扉の向こうに引きずり出されてしまった。

 ――……生きろ。

 まぁ、学校の成績をもぎ取ると云う点では、こちらよりもずっと長けていた“ガルマ”のことだ。キャスバルの大学進学につき合えないわけではないだろう――まぁ、ひどく大変なのは確かだろうが。

 しかし、こうしてキャスバルを大学に送りこめることになると、問題なのがシャア・アズナブル(本人)だ。

 ――やはり、同じようにムンゾ大学に入ってもらわなくてはな。

 それも、キャスバルと同じ――多分、法学部にでも。

 まぁ、あちらは二年で卒業しなくてはならないわけでもない。キャスバルの士官学校卒業に合わせて、ハイスクールは飛び級してもらう必要はあるが、そこそこゆっくりやってもらって構わないだろう。

 キャスバルの士官学校卒業――そして、例の“暁の蜂起”――まで、あと五年。

 その五年の間に、何としても、コロニー同盟を確固たるものにしておかなくては。

 

 

 

 キャスバルは、アムロ・レイと遭遇し、どうやら友好的な関係となったようだ。

 “ガルマ”がその仲間に引きずりこまれているのはよくわからないが、元々子どもの面倒見だけは良い“ガルマ”のことだから、キャスバルに便利に使われた部分はあるのかも知れない。

 まぁともかく、あの二人が仲良くなってくれたなら、様々な意味で、連邦の戦力は大幅に削られることになるわけだから、文句はない。

 それからほどなくして、キャスバルと“ガルマ”はムンゾ大学に入り――何と、学部まで同じ法学部だった、キャスバルが無理矢理引きずっていったようだ――、シャア(本人)は、家庭教師の豪腕で、ハイスクールの三年に編入させた。これで、翌年には大学だから、三年制の士官学校卒業と、シャア(本人)の大学卒業がぴったり同じになると云うことだ。

「なかなか可愛い子なのよ」

 とキシリアは云った。手許に置いて監督している内に、絆されたと云うことなのか。

「……お前は、キャスバルのことはあまり好いていなかったように思ったが」

 と云えば、含み笑いが返された。

「キャスバルは、賢過ぎてつまらないの。その点あの子は、一生懸命で可愛いわ。食べちゃいたいくらい」

「……おいおい」

 なかなか不穏な発言ではないか。

「まさか、本当に食うつもりではあるまいな」

 隠喩としてだが。

「さぁ、どうかしら」

 くすくすと笑う。

 まさかと思うが、“ガルマ”の中身がアレなので、元の弟に似たタイプのシャア(本人)に目が移ったのだろうか。

「……ほどほどにしておいてやれ」

 ザビ家の女傑を相手にするには、あの少年では少々荷が勝ち過ぎているだろうから。

 キシリアは、軽く肩をすくめただけだった。

「……ところでギレン、フラナガン博士が、あなたに会いたいと云っているのだけれど、時間を取ることはできるかしら」

「ふむ」

 フラナガン博士と云えば、ニタ研――ニュータイプ研究所の前身であるフラナガン機関を立ち上げた人物である。例の“サイコミュ”は、この機関の発明品であり、また陰で行っていた人体実験から、Zのフォウ・ムラサメやロザミア・バダム、ZZのプル・シリーズ、『逆シャア』のギュネイ・ガスなどの強化人間を生み出した、その元凶とも云える人物だ。

 正直に云えば、ニュータイプに対する夢はあるが、強化人間の悲惨は――UCやNTに至るまで――様々に見ているので、ある程度の釘は刺しておきたい。

「――わかった、調整しよう」

 云うと、キシリアは若干ほっとしたような表情になった。

「助かるわ。サスロが、なかなか予算をくれないの。あなたがうんと云えば、サスロも財布の紐を緩めざるを得ないでしょう」

 なるほど、そちらが本題と云うことか。

「うむ……それに関しては、機関の実情を知るために視察した上で、と云うことで構わないか」

 いくらキシリアの肝煎りとは云え、怪しげな研究に巨額を注ぎこむわけにはいかない――例え、その研究成果を予め知っていたとしても、だ。

「そう……そうね、その方が良いでしょう。研究員たちの励みにもなるでしょうし」

「では、そうさせてもらおう」

 と云ってから、視察日決定までは迅速だった。そのあたり、キシリアはサスロに負けない電光石火である。

 フラナガン・ロス博士は、もちろん劇場版の方だった――『the ORIGIN』ベースとなれば安彦絵だから当然か。

 設定によれば、髪がやや薄いユダヤ系の男、と云うことだが、アシュケナジム(白系ユダヤ人)と云うよりはセファルディム(アジア系ユダヤ人)と云うイメージだ――実際には、どちらも欧州系らしいから、見た目の特徴があるわけではないそうだが。

 とにかくフラナガン博士本人は、アジア系と云われた方が納得できる、やや浅黒い肌のがっしりした中年男性だった。

「ギレン閣下」

 男は丁寧な口調で云ったが、その目には探るような鋭い光があった。

「フラナガン・ロスと申します。この度は、当研究所にお越し戴き……」

「御託は良い、こちらで研究している“ニュータイプ”について、説明してもらおうか」

 遮るように云うと、フラナガン博士は鼻白んだ様子だったが、ひとつ頷いて口を開いた。

「ジオン・ズム・ダイクンは、人類が宇宙へ出たことにより、認知が拡大し、洞察力が上がると主張しました。実際、私の知る中にも、地球にいた時よりも認識できる範囲が広がったと云うものがあり、そこからこの研究をはじめたのです」

「認知が拡大して、どうなる?」

「視聴覚の範囲を超えて、他者の存在を感知したり、その感情までも感じ取るのです。まだ五例ほどですが、いずれのものも、五感の範囲外の他者の存在を感知可能でした。それは、ミノフスキー粒子中でも変わりませんでした」

「ほほぅ」

 なるほど、原作中の“ニュータイプ”であるに違いない。

「だが、それがジオン・ズム・ダイクンの唱えた“ニュータイプ”と同じであると云えるのか? それは、単なる異能者と云うことにはなるまいか」

「他者の感情を知覚できるのです、異能者と云えばそうでしょうが、言葉を変えれば洞察力が高いと云うことです」

「……ふむ、まぁそれはそれで良かろう。しかし、貴殿は、それを研究してどうしようと?」

「ニュータイプと目される人びとは、脳からある種の波長――仮にサイコウェーブと名づけますが、それを出しています。どうやらそれによって、かれらは空間を、他者を把握し、また同じようにサイコウェーブを出すもの同士で“会話”することも可能なようなのです。私は、そのサイコウェーブを利用して、遠隔地との通信や、ミノフスキー粒子中での通信に応用できないかと考えているのです」

 ――なるほど、それがサイコミュに発展するわけだな。

 だが、

「――しかし、ジオン・ズム・ダイクンの云った“人類の革新”とそれは、かなり意味合いが違うように思えるが」

 “お互いに判りあい、理解しあう、新しい人類の姿”と、フラナガン博士が提示した、そして原作中でも示されたニュータイプの姿とは、かなりのずれがあると感じる。

 だが、フラナガン博士は断じた。

「同じです。認知能力が拡大するからこそ理解し合えるのですし、ミノフスキー粒子と云う妨害があっても意志の疎通が可能になる」

「……なるほど?」

 しかし、以前“ガルマ”がニュータイプについて、考察めいた――と云っても、理論的な話ではないので、“考察”と称して良いのかはわからない――ことを口にしたことがある。

 ――地平線がずーっと広がってるとこにいると、“自分”が自分のガワの外に、こう、溶け出してくみたいなカンジになるんだ。

 かつて、元のアレで北欧にオーロラを見に行った時に経験した、そんな体験に、ニュータイプの感覚は似ているのではないかと云っていた。

 こちらは、果てしない水平線――ハワイに行った時のことだ――の広がりを見ても、欠片もそんな感覚を覚えなかったので、おそらくは、元々の精神と云うか、“魂”の構造的に、そうなり易い人間と、なり難い人間とがあるのだろう。

 “ガルマ”は、元々何かを感じ取る力が強く、勘もよく働くタイプの人間なので、普通よりはニュータイプに近いのかも知れない。所謂直感型の人間である。対してこちらは、典型的な理論型だ。多少の勘は働くが、第六感がどうのと云った体験とはほとんど無縁な身は、云うところのオールドタイプでしかないだろうが。

 しかしまぁ、なるほどフラナガン博士のもの云いに、“ギレン・ザビ”が今ひとつ賛同しなかったわけはわかった。

 つまり、フラナガン博士の考える“ニュータイプ”は、超能力者だのサイキックだのと云うレベルの話であって、ジオン・ズム・ダイクンの云った“人類の革新”の要素と云うものが、そこからはまったく感じ取れなかったからだ。

 “ギレン・ザビ”は、いろいろと云われてはいるが、ジオン・ズム・ダイクンの信奉者ではあったのだろうと思う。もちろん、ヒトラー的な優生思想を持つ独裁者ではあっただろうが、それだけではなく、ニュータイプについても、漠然とではあろうがイメージするところはあっただろうと思う。つまり、ニーチェ的な“Ubermensch”、“超人”のようなものであると。野蛮人の原始的な健康さと、宗教的聖人の清らかさを併せ持つ、そのような人類を夢想していたのだろうと思うのだ。

 だから、フラナガン博士の云うニュータイプ――つまりは、単なる異能者としてのそれ――には、正直あまり魅力を感じなかったのではないか。

 フラナガン博士のニュータイプは、異能者と云うだけの単なる人間であり、アースノイドを超える理想的人類としてのニュータイプ、ではあり得なかったからだ。理論家であり、スペースノイドの優越を語る“ギレン・ザビ”にとっては、アースノイドに優れたスペースノイドとしてのニュータイプ以外には、関心を引かれることもなかっただろう。

 現実はともかくとして、理想を語るなら、ニュータイプは完全な人間でなければならぬ。戦争に有用である以上の存在、そんなものでなければ、スペースノイドに夢を見せることはできぬ。

「――貴殿の云うようはわかった」

「……では!」

「しかしな、フラナガン博士、そのような“ニュータイプ”では、ジオニストとしては喜ぶことはできん。ジオン・ズム・ダイクンは、“宇宙に出た人びとは、進化して、拡大された認識力を得、互いに理解し合う穏和な人間になる”と云ったのだ。しかし、貴殿の云うのは、単に異能を得た人間以外の何ものでもないではないか」

「そ、それは……」

 博士は、狼狽えた様子を見せた。

 まぁ、こちらも全否定をするつもりはない。ただ、あまりに得々と語られるのは好かぬ、それを示しておかなくてはならないと思ったのだ。

「……まぁ良い」

 ややおいて、そう云ってやる。

「サスロにはよく云っておこう。異能者と云うばかりでなく、我らが同じように理解し合う新しい人類となれるよう、よく研究してほしい」

 研究費を削られると考えていたのか、フラナガン博士は、それを聞くとぱっと表情を明るくした。

「で、では……!」

「仔細はキシリアに訊け」

 そう云って踵を返す。

 その間際に、深々と頭を垂れる男の姿が目に入った。

 

 

 

 フラナガン機関を視察したからには、そろそろMS計画の方にも目配りせねばなるまい。

 久し振りにダークコロニーを訪れると、ミノフスキー博士とテム・レイが、笑顔で迎えてくれた。

「閣下! ご覧あれ、われわれの成果を!」

「これでムンゾは、地球連邦に遅れを取ることはありませんぞ!」

 その表情の明るさに、なるほど、MS開発は上手くいっているようだと胸を撫で下ろす。

 何しろ、“暁の蜂起”まで五年を切った――ジオン・ズム・ダイクンの死去からこれまでの六年の間に、ムンゾと地球連邦の間には、様々な小競り合いがあったのだ。

 否、ムンゾだけではない。建設途中のサイド7以外のすべてのコロニーで、コロニー政府サイドと連邦との、小さな軋轢がぽつぽつと噴出しつつある。それはおそらく、原作中ではあまり表面化していなかった、本当に小さな軋轢ばかりだったが――コロニー同盟的なものがようやく機能しはじめた今になってのことだったから、あるいは原作では、そもそもそんな軋轢など存在しなかったところもあったのかも知れない。

 ミノフスキー博士のMSは、MS-04ブグに進化しており、課題だった“ランドセル”の小型化にも成功していた。後は実戦投入して稼動状態を確認し、修正を加えて量産化すれば、原作で“旧ザク”として知られるMS-05まではすぐだろう。

 モニターの中でぶつかり合う、ブグ二機を見つめる。

 今あれに搭乗しているのは“黒い三連星”のうちの二人、マッシュとオルテガだ。オルテガの方が操縦が大味で、マッシュに当てられまくっているが、その代わりスピードはオルテガの方が速く、当てると防御が間に合わないようだ。

「……中々強いな」

 呟くと、ガイアが心持ち胸を張った。

「恐れ入ります」

 云いながら、媚びるような笑顔なのは、褒賞を望んでいるからだろうか。

 まぁ、そちらはドズルの管轄であるし、そもそもMSの実用化、量産化が成ってからのことでもあるので、笑みを浮かべつつ、ふいと目を逸らす。

「いかがでしょう閣下。試作機としては万全なものと自負しておりますが」

 ミノフスキー博士も、胸を反らし気味に云った。

 原作では、このブグの後継機であるMS-05、所謂旧ザクに、地球連邦への亡命を計った博士は追いすがられ、戦闘中の事故で死亡したのだが――この時間軸では、ムンゾのやり方が穏当であるために、そのような事態には発展しそうにもなかった。

「素晴らしい」

 称讃の言葉を口にすると、博士の口許が、満足げな笑みに緩んだ。

「人型汎用兵器の有用性は、これで立証されました。コロニーが地球連邦政府と張り合っていくなら、MSはそれを支える力になるでしょう」

「うむ。……テム・レイ博士はいかがかな。進捗の方は」

「順調です」

 テム・レイも、負けじと胸を張る。

「ミノフスキー博士のものとはシステムが違いますので、やや難航はしておりますが――駆動系のテストでは、良好な成績を出しております。完成の暁には、必ずや閣下のお役に立ちますでしょう」

「うむ。期待している。――試作機は、いつ頃できそうか」

 最初のMS――RX-78ガンダムは。

「は、基本は、今年度中には」

「ふむ、良かろう。両名とも、宜しく励め」

 云うと、ミノフスキー博士もテム・レイも、姿勢を正して頭を垂れた。

「ギレン」

 首都バンチへ戻ろうと踵を返しかけると、ドズルに声をかけられた。

「何だ」

 引かれるままに歩いていくと、ドズルの、ダークコロニーにおける執務室に連れこまれた。人払いをされたので、この“弟”と二人きりになる。

「――兄貴、どう云うつもりだ。ムンゾのMSは、ミノフスキー博士に任せるのではなかったのか」

 低い声でそう問われる。

 なるほど、ムンゾのすべてのMSを作るのだと考えていたミノフスキー博士が、話が違うとドズルにねじこんできたか。

 しかし、ここでテム・レイを手放すことなどできなかった。

「ドズル、テム・レイ博士のMSがもし連邦軍に採用されることがあれば、ムンゾは非常に困難な事態に追いこまれる可能性があるのだ。それを回避する意味でも、博士をアナハイムに戻すことはできん。コロニー同盟に支障をきたす可能性のあるものは極力排除せねば、ムンゾの未来は冥いぞ」

「しかし!」

「ドズルよ、恐らくだが、いずれ“ガルマ”は、両博士の作ったMSのどちらかに乗ることになるだろう」

 想定される未来を、ほんの少し明かしてやれば、ドズルは激しく動揺した。

「あのガルマが!? 馬鹿な!!」

「既に興味は示している。そして、ことによるとキャスバルもな」

 元々、“三日月・オーガス”としてガンダムフレームを乗り回していた“ガルマ”だ、武器などは異なるとは云え、馴染んだ機体に乗りたいと思わないとは考えられない。

 キャスバルはキャスバルで、『逆シャア』でネオ・ジオン総帥でありながらサザビーで出撃した――もちろんそれは、ネオ・ジオンに人材が乏しかったことも理由ではあるだろうが――ことを思えば、パイロットになりたがらないとは云い切れなかった。

「俺は許さんぞ、ギレン!」

 ドズルは吠えるが、それで思い止まるような二人でないのは明白だった。

「私としても、極力阻止はしたい。だが、何だかんだ、“ガルマ”もキャスバルも、思いどおりにことを進めるだろう。だから、私としては、あの二人が乗る可能性のあるMSを、安全性の高いものに仕上げてもらいたいのだ」

「兄貴……」

 いかつい“弟”の顔が、へにゃりと歪む。

「お前とてわかるだろう、ドズル。“ガルマ”はああ見えて、やりたいようにやるのだと。――流石はザビ家の男、と云うべきかは悩むがな」

 そう、ドズルも、そしてサスロやキシリアも、何だかんだで“ガルマ”には甘いのだ。わかり易くきゅるんと“可愛く”されて、うっかりおねだりに応えてしまったことも二度三度ではきくまい。そして、同じことを、MSの機乗においてもしてしまわないとは、云えないはずなのだ、恐らくは。

「どうだ、お前は? “ガルマ”に潤んだ目で見上げられて、“僕だってザビ家の男なんです兄さん!”などと云われて、頷かずにいられる自信はあるか?」

 そう云ってやると、ドズルは真剣に首を捻り、うぅぅんと唸り声をこぼした。

 そして、

「……残念だが、ない、な……」

 と、溜息をついてわずかに項垂れた。

「だろう。だから私は、兄として最大限に、“ガルマ”たちの安全を期してやりたいのだ」

「……わかったよ、兄貴」

 遂に、ドズルは云って頷いた。

「あの二人には、その話を俺からして、なお一層励んでもらうことにしよう。他ならぬガルマが乗る可能性があるんだ、安全性には、万全を期しておく」

「頼んだぞ」

 まぁ、“ガルマ”可愛いドズルであれば、こう云っておけば、二人の科学者にうまく伝えてくれるだろう。

 強い語調で云ってやれば、ドズルは胸を叩き、力強い頷きを返してきた。

 

 

 

 裏計画ばかりにかまけているわけにはいかないこともある。

 ダークコロニーから戻った翌日は、ムンゾ議会の若手議員による“勉強会”とやらに出席することになっていた。ムンゾ議会の一角、議員たちが勉強会などで自由に使うことのできる、会議室のようなものがある。かれらが集まったのは、そのうちのひとつの部屋だった。

 正直、元々のアレのことを考えても、若手議員などと云うものは、威勢のいいことを云い立てる輩が多いのだ。

 もちろん、理想を高く掲げてそれに向かって邁進する一途さは、愛おしく感じる場合もある。

 あるがしかし、その“理想”が穏当なものであるか、また訴える手段が正しいものであるかと云うあたりにおいて、“若手議員”なる連中は、しばしば越えるべきでない一線を越えてしまう。それこそ“若さ故の過ち”、あるいは“馬鹿さ故の”か。

 実際、目の前で演説めいた台詞を打つ男は、地球連邦とことを構えることを主張していた。

「連邦の奴らは、われわれの力を甘く見過ぎている! いざ一戦交えるとなった時に、ムンゾの底力を思い知り、絶望に打ちひしがれれば良いのだ!」

 とは云うが、

「……連邦の戦力は、われわれの三十倍だぞ。その差を、貴殿はどう埋めると云うのだ?」

 そう云ってやれば、男は悔しそうに唇を噛んだ。

「そ、それ故にギレン殿、我らは貴殿の頭脳をお借りしたいと云うのです!」

 この議員グループの頭と思しき男が、慌てて云う。

「貴殿のその頭脳は、ムンゾ議会でも突出している――貴殿であれば、良い案もお持ちでしょう」

 そのおだてに乗ってやるほど、こちらも若くも功名に逸っていもしない。こちとら、元々のアレコレから数えれば、余裕で百を超える年月を生きてきたのだ。若くもなければ坊やでもない。

「私は、無駄な国庫からの出費は抑えたい方でな。戦争などと云う金食い虫には、極力手を出したくはないのだよ」

「ですが!」

 はじめに熱弁を振るった男が、追いすがるように云う。

「貴殿とて、戦争に対する備えを、まったくしていないと云うことはありますまい! ……聞きましたぞ、ザビ家は、T.Y.ミノフスキー博士を迎え入れ、秘密裏に新兵器の開発をしていると」

「……無論、戦争の備えは怠ってはいない」

 どこから話が洩れたのかと思ったが、まぁ人の口に戸は立てられない。例えば、“黒い三連星”の三人が、休暇で戻った街の酒場ででも管を巻き、“俺は今、機密の新兵器に関わっているんだぞ”とでもこぼしたなら、その詳細はともかくとして、“連邦軍に対抗するための新兵器”の存在は、外部に洩れることになっただろう。

 ともかく、詳細が洩れていないだけでも良しとするしかない。

「だが諸君、戦争は最後の手段だ。それくらいならば、私は中世紀の米ソ冷戦のごとく、睨み合いのために軍拡することを望む」

「実力行使に出ることはないと?」

「云いたくはないが、諸君らはいずれも戦場にでることのないお立場だ。翻って、私には軍籍があり、戦争となれば出てゆかねばならぬ立場でもある。また、目の前で部下たちが生命を落とす様を見届けねばならん立場でも。そうであれば、極力犠牲を少なく、と思うのだよ」

「……臆されたか!」

 一人が、嘲るような声音で云った。

 それをきつく睨みつける。

「その台詞は、戦場に立ってみてから云ってもらおうか!」

 怒鳴ってやれば、流石に怯んだ様子が見えた。

「安全なところで安穏としているものが、戦場に出るものをそのように云うとは言語道断! 貴殿らは、国民の生命を何と心得るか!」

「……国民を指導する立場にあるものが、軽々と戦場に立てるわけがありましょうや」

 リーダーの男が、胸を張って云った。

 それに、思わず鼻を鳴らしてしまう。

「だが、前線に立つ兵に思いを致さずして、まともに国民を導くことができるのか? 国民が熱狂しているうちは良い。熱が冷めることがあれば、貴殿らは、あっと云う間に戦犯だ。まして、戦いに敗れれば、より罪は重くなろう。それを引き受ける覚悟が、貴殿らにあるのか?」

 それに返る言葉はなかった。

「……話にならんな」

 国民を代表するはずの議員がこれでは、まったくもって話にもならぬ。

 いずれも、ムンゾの最高学府を出た身であるのだろうに、実の伴わぬこと甚だしい。

 元々のアレコレでもそうだったが、学歴と賢さとはイコールではないのだなと思う。同じように、高IQが為政者としての有能さとイコールでないと云うのも、つくづく思い知ったことだ。某大国の大統領然り、“ギレン・ザビ”然り。高IQの人間には、強い認知の歪みがある場合が多いのだと、何かで読んだ気がするが、その真偽はさておき、やはり年を経ると頭脳も劣化し、柔軟にものを考えられなくなるのだろう。

 しかし、若いなら若いで、自分の情熱に気を取られてまわりが見えなくなりがちだ。

 賢くあると云うのは難しいことだな、と思いながら、失礼すると云い放って退席した。もう当分、このような“勉強会”は御免被る。

 と思ったら、執務室で“ガルマ”に急襲をかけられた。大学できちんと勉強しているのか。

「“ギレン”、MSはどーなってんの? おれはいつ乗れる? あとシャア(本人)は今どんな感じさ?」

 デスクに腰かけて、足をぶらぶらさせながらの台詞である。

「“ギレンお兄様”と呼べ。開発中だ――士官学校を卒業してから云え。シャア・アズナブル(本人)はキシリアが監督している。中々の仕上がりらしいな」

 云ってやると、“ガルマ”はひょいと片眉を上げた。その唇は、ちょっとばかり尖っている。

「……不満そうだな」

 そう云うと、眉を寄せ、唇を曲げていたが、ちらりとこちらを上目遣いで見た。

「じゃあ、“フラナガン機関”は? もう姉さまが立ち上げてるんだろ? どれくらい対象がいるの?」

 ――いきなり何を云い出すかと思えば。

 正直に云えば、フラナガン機関はキシリアの統括であって、細かいことはそちらに任せている。フラナガン博士と接触するのも、キシリアが博士の要求に言を左右にするために、“ギレン・ザビ”が上にいる状態が必要だからで、それ以上でもそれ以下でもない。

 第一、

「ニュータイプでないお前が、そんなことを知ってどうする?」

 そう云ってやると、“ガルマ”は小首を傾げた。

「逆に何でそれが必要じゃないって思うのさ? おれはキャスバルとアムロの“幼馴染”だよ。“ギレン兄様”がそう仕向けたんだろ」

 呆れたような声音でいいながら、悪辣な笑いがその顔に浮かぶ。

「ね、ボス。“おれ”のこと忘れてるんじゃない? いい加減開放してよ。鎖で繋がれてるの飽々なんだ」

「……また良からぬ事を思いついた顔だな」

 ――冗談は止せ。

 もちろん、“ガルマ”が束縛を嫌うのは知っている。ラスタル・エリオンの時にも、束縛されそうになって、散々アレコレやらかしていた。“昔”のことにしても、貸し出しを要求されて、大体半月で差し戻しにあったくらいには、普通の組織には合わない性格であることも。

 ゴムで繋いでおくなら拘束を破ることはないが、鎖ならばすぐに打ち壊して脱走する。“ガルマ”と云うのは、基本的にそう云う人間だった。

 だが、この宇宙世紀の中では、そう云うわけにはいかない。

 そもそも“ガルマ”はまだ学生であり、鉄オル世界でのように自由にやる、と云うわけにはいかないのだ。

 この時間軸は、政治的にあまりにも複雑に組み上がっていて、どこかを殺ればそれでなんとかなると云うこともない。

 そんな中に、トラブルメイカーとしか云いようのない“ガルマ”を、野放図に解き放つことはできなかった。

 だが、“ガルマ”はこう云った。

「いずれ来る戦いに向けて、“おれ”なりに備えておきたいって言ってるだけじゃないか」

「……過去の所業を振り返ってみろ」

 鉄オル世界で“三日月”が何をしたか。

 もちろん、ためになることもしてくれたが、あれやこれやを考えると、碌でもないことの方が多い気がしてならないのだが。

「そんな昔のことをおれが覚えてると思うの?」

 しゃあしゃあと“ガルマ”は云い放つ。

 ――反省しろ!

 と叫びたくなるが、“三日月”と云うか“ガルマ”は、しれっとして手を出してきた。

「ってコトで、ドズル兄貴のMS資料と、姉さまのニタ研資料の閲覧権ちょうだい」

 ――そうきたか。

 正直に云えば、許可したくない。碌なことにならないのは、目に見えているからだ。

 長嘆息。

「…………………あの二人が良いって言ったらな」

 と云った途端、“ガルマ”がにんまりと笑った。

 ――まさか。

 既にあの二人の許可を取ったのか、いや、向こうも判断に困って、こちら次第だと云っていたのか。

 ――性悪め!

 歯噛みするが、もう遅い。

 “ガルマ”は、そ知らぬ風で、のほほんと云った。

「出来れば“社会勉強”として“見学”にも行きたいんだけど」

「却下だ!」

 そこまでいくと、そもそも“父”の恨みが怖い。ダイクン家にやったり、早々に大学に入学させたりと、今までやってきたことどもにも、結構な長期間ねちねちと云われているのだから。

 ダークコロニーなどに行かせれば、“ガルマ”は絶対にMSに乗るだろう。それでデギンや、ドズルに恨まれるのは、本当に御免被りたい。

 第一、まだ一般人であるところの“ガルマ”を、機密だらけのダークコロニーに入れたりすれば、それが漏洩した時に、議会などから何を云われるかわからない。ムンゾは、ザビ家の王国ではないのだ。である以上、最低限の規律は守らねばならぬ。

「ケチー。今のうちに色々繋ぎ付けときたいんだよー。たーのーむーよー。“おれ”お役に立つよー?」

 ケチとか云う問題ではないと云うのに、この“弟”は。

「却下だって言ってんだろう! 大体、お前は平時には役に立たん‼」

「ひど!」

 酷くはない、全然まったく酷くはない。酷いのは、どちらかと云わなくても“ガルマ”の方だ。

「好き勝手したいー」

 ――お前はいつでも好き勝手してるだろうが!!

 こんなことを云う段階で、大概好き勝手しているのだと思うのだが。

「却下ったら却下だ‼」

 どんと拳でデスクを叩く。

「……何だかんだで、お前は好き勝手してるだろうが。ザビ家は俺以外は皆がお前に骨を抜かれている」

 今回の件にしてもそうだ。キシリアもドズルも、一刀両断にして“可愛い弟”のおねだりを無碍にしたくはなかったから、こちらの判断に委ねてきたのに違いない。それをきちんと把握しなかったのは、こちらのミスだ。

 だが、だからこそこれ以上は許可できなかった。

 睨み合っていると、セシリア・アイリーンが戻ってきた。

 結い上げた茶色の髪と灰青の瞳、美貌の秘書官である。胸が大きく、なるほど“ギレン・ザビ”が“乳好み”などと揶揄される――元々のアレでの、様々なパロディー作品においての話だ――のも仕方ないことだと思う。

 が、実際セシリア秘書官は酷く有能で、それもあっての重用だったのだろうとも思う。正直、この秘書官なしでは、どれだけ仕事が滞ったのだろうかと思わずにはいられなかった。

 そう云えば、『ZZ』のグレミー・トトは、確か“ギレン・ザビ”の隠し子だと云う話だったようだが、その母親は誰だったのだろう。一年戦争の終わりに“ギレン”が死んだことを考えれば、そろそろその母親に会っていてもおかしくないが――まさかこのセシリア秘書官がそうなのだろうか?

 そうだとしたら、この時間軸では、グレミー・トトの誕生はないと云うわけだ。まぁ、本当にかれが“ギレン・ザビ”の息子であるならば、と云うことだが。

「あら、ガルマ様がいらっしゃってたんですね」

 セシリアは微笑んだ。

「セシリアさん!」

 明るく云って、それから恥じらったような顔を作り、

「お邪魔してすいません。すぐに御暇しますね」

 その言葉を遠慮と取ったのだろう、秘書官はこちらを伺うように、

「――閣下、宜しければ、お話しの場を設けますが?」

 と云うが、冗談ではない。

「不要だ。下がれ、ガルマ」

「……はい。“ギレン兄様”」

 従順に振るまってみせる“ガルマ”に、秘書官はわずかに気遣わしげな顔になった。

「ガルマ様、成績優秀って伺ってますよ。あまり無理されずに、これからも頑張って下さいね」

「あ、ありがとうございます」

 頬を染めて返す“ガルマ”は、多分秘書官の胸に注目している。

 ――“乳好み”とはお前のことだ!

 “三日月”よりも昔から、“お胸様”だの“尻神様”などと云っていた。本物のガルマ・ザビファンからしたら、噴飯ものであるに違いない。それで、通っていた店を嫁に襲撃されたりしていたのだから、女に関しては、本当にしょうもない。

 まぁ、今回は既に――本人の知らないところでではあるが――、アルテイシア・ソム・ダイクンとの婚約が決まっていたから、早々に尻に敷かれるが良いのだ。嫁に手綱を取ってもらわなくては、あの女好きは目に余るものがある。

 “ガルマ”はこちらをじっと見つめてくるが、それをしっしっと手を振って追い払う。

 不満たらたらの顔で出ていったのを確認して、椅子に沈みこむ。

 とりあえず、機密文書に関しては、ドズルとキシリアが、本当に拙い部分を削除して渡してくれるだろう。“ガルマ”にすべてを晒したら、どんなことになるかは目に見えている――否、あの二人はまだ“ガルマ”に騙されているようだから、そんなことは考えもつかないのだろうが、責任者として、最低限の理性は働くはずだ。そう信じたい、願わくば。

 “ガルマ”を撃退したと胸を撫で下ろしたのも束の間。

 夕食のメニューの一皿が山葵ソースを使用したものだったことに気づいた時には、“ガルマ”の意趣返しであるとわかった――先日のプチトマトと云い、おのれ!

 ――食い物の恨みは恐ろしいのだと、いずれその身に思い知らせてやる……

 決意しながら、前頭葉を襲う刺激を、奥歯を噛み締めてやり過ごした。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 5【転生】

 

 

 

 “ギレン”が狙撃された。

 

 油断した――つもりなんか、無かったのに。

 一報を聞いたとき、血が凍るような、燃え上がるような、全てが腐蝕して無に帰すような、そんな心地だった。

 胸の奥底で“獣”が鎖を引き千切って咆えた。

 “ガルマ”の身体は慄えて、溢れ出す涙が止まらなかった。

 意識と肉體が乖離したような感覚が、ひたすらに気持ち悪かった。

 “ギレン”が生きていることは、“感覚”で悟っていた。

 だけど、誰かが喪われたことも――。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「キャスバル、キャビネットの鍵が壊れてるんだけど」

「壊したからな」

 ――ヲイ。

「急に鍵なんか掛けると気になるだろう?」

「それギルティだから」

 ちっとも悪びれない幼馴染をどうしてくれようか。

 出会ってこの方、大体いつも脳内垂れ流しであったせいか、キャスバルは、おれが閉じたり覆ったり遮ったりすることを嫌うのだ――自分は閉じて覆って遮ってるくせに、なんなる我儘。

 だけど、それが物理まで及ぶのはコトである。

「それ機密資料なんだぞ。一応」

 流石に実際の部外秘は含まれて無いとしても、通常では閲覧を許されない程度までバッチリ記載があるわけだし。

「情報管理が甘いって、おれが叱られるじゃないか」

「その時には一緒に叱られてやるさ」

 そーゆー問題じゃないから。

 ともあれ、読んじゃったなら仕方ない。

「面白かったろ?」

「興味深いな」

 キャスバルはひとつ頷き、その青い眼を真っ直ぐにこちらに向けた。

「で、なにを企んでいる?」

「企んでない。将来のビジョンを描いてただけ」

 答えたら、キャスバルは宇宙猫みたいな顔をした。

「……パイロットになるつもりか? 君が?」

 なんでそんなに意外そうなの。

 と、言うか、おれの中ではそれ以外無いくらいに確定してたんだけど。

「年中、熱を出して寝込む君がか?」

「年中じゃない。言っとくけど、おれ、ひ弱でも病弱でも繊弱でも無いからね」

 反論すれば、大きな溜め息をつかれた。

「“己を知らず”とはよく言ったものだな」

「……この話はしない。平行線だし」

 キャスバルの手から資料を奪い返し、鍵の壊れたキャビネットに戻す。それから机に向かってレポートを広げた。

 さっさと仕上げて提出してしまいたいのだ。

『何を焦ってる?』

 思考波が触れてくる。宥めるみたいに。

『……何もできないことにさ』

 唇が嗤いに歪む。

 良家に生まれて保護があることは、すごく有り難いし、家族から向けられる愛情は、麻薬みたいだ。

 “同朋”もいて、妹みたいな少女もいて――だからこそ失くすことを怖れるし厭う。

 安寧とした檻の中で、不穏な空気に怯えることに倦んでるんだ。

 それなのに、“ギレン”はいまだに“自由”をくれない。それどころか、今回の我儘に警戒したんだろう。監視すら増やしてきた。

 雁字搦めの拘束。

 思考が昏い奥底に沈んでく。

 今すぐにもここから飛び出していきたい。“家族”であるために、“同朋”であり続ける為に、“ひとり”になるなんて、矛盾もいいトコだろうけど。

 “敵”を喰い殺す力を、早くこの手に――。

 ぐいと腕を引かれて、万年筆が、紙面を切り裂くみたいな線を描いた。

「……なにすんのさ。書き直しじゃないか」

「手伝ってやる」

「これくらい自分でなんとかするさ」

 大学のレポートくらいで何を、と鼻で笑えば、キャスバルの青い眼が、苛立たしげに眇められた。

『そうじゃない。わかってるんだろう? 君の“計画”に乗ってやるって言っている』

 至近で告げられて、瞬く。

 青い眼に、ポカンとしたおれの間抜け面が映っていた。

『それ……ダメじゃね?』

 めちゃくちゃ叱られるルートだぞ。お前を巻き込むことなんて考えてなかったし。

『では言い換えようか。君の頓狂な“計画”を、実行し得るように修正してやるって』

 ものすごい悪辣な光が、天上の青の中にキラキラしてて、思わず見惚れる。

『……キャスバル。言外に、バカが考えるなって言ってるよね?』

 堕天使は答えずに、ニコリと綺麗な微笑みを見せた。

 

 

 リノ・フェルナンデスとシャア・アズナブル(本人)にメッセージを送った。

 テキサス・コロニーからこっち、二人とは割と頻繁にメッセージの遣り取りをしてたから、怪しまれることは無いし。

 中身は流行りのパズル。

 これも、よくお互いに送りあってるものだしね。

 だけど、解いたらそこには別の暗号メッセージが隠されてる。

 ん。第1段階はこれでよし。

 二人が早くパズルを説いてくれることを祈るよ。

 ラップトップを閉じた途端、部屋の扉が開いて、アムロとハロが飛び込んできた。

「ぼくもやる!」

〈アムロ ヤル アムロ ヤル〉

 そのままの勢いで飛びついてくるのを受け止める――ドスンと。椅子から転げ落ちそうになって、ちょっと焦った。

 ふぉ。結構育ったな。

 子供の成長は著しい。おれの身長も伸びてるけど、アムロもすくすくと伸びてるからね。

「止せ。アムロ、ガルマが潰れるぞ」

「この程度で潰れはせぬ!」

 続いて入ってきたキャスバルに、ふんす、と鼻を鳴らして抗議する。

 つか、お前ら一緒に居たの。さっきから姿が見えないと思ってたら。

「で? アムロもパズルすんの?」

「ちがうよ! ガルマの“ケイカク”だよ!」

 キラキラする碧の瞳が向けられた。

「ふぉ⁉」

 ちょっと待て。

「キャスバル! なんでアムロまで巻き込むのさ⁉」

 めちゃくちゃ叱られるルートだと以下略。

 胸ぐらを掴もうとして、スルリと避けられた。おのれ。

「不可欠だからだ。『繋がる人間が必要だろ』な、アムロ?」

「『うん!』ぼくもやる!」

 とても仲良さそうに、ぴったりと寄り添う二人に絶句する。

 ナニさこの最強コンビ。

 確かにね、キャスバルとアムロの思考波は極端に強い。だから、多少距離をおいても繋がることができるし、おれも含めて三方で感覚共有も可能。

 心強い味方ではあるんだが。

「アムロには君の部屋に籠もって身代わりをしてもらう。屋敷内だから危険はないさ」

「ガルマのふりをするよ」

 ガッツポーズのアムロだけどさ。

「見つかったら叱られるんだぞ」

 と言うか、絶対に見つかる。むしろ時間稼ぎの意味が強いんだから。

 下手したら、“ギレン”に正座させられるかもなんだからな――そのイメージに、アムロは一瞬怯んだものの、直ぐに瞳に強い力を宿した。

「いいよ!」

「お前が叱られるの、おれは嫌だよ」

「いいんだ。だって、ガルマ、どっかに行っちゃいそうだから……」

 覗き込む先で、碧い瞳が心配そうに揺れていた。

 ――はい?

「いつもどっかチリチリしてる。いなくなっちゃうのはイヤだ」

 伸ばされる手が頬に触れるのと同時に、幼い思考波が意識を撫でていく。

 伝わってくるのは、心配と――ああ、ごめん、お前まで不安にさせちゃってたか。

 感受性が強すぎる子供は、レセプターを通じて、おれの焦りを感じ取ってたんだろう。

 ギュっと抱きしめれば、少し大きくなった、でもまだ小さな手が背中に回された。

『心配すんな。何処にも行かない』

 敢えて思考波で返す。言葉と違って、感情を隠すことが難しいそれでは、“ウソ”は付けないから。

『ほんと? ずっといっしょ?』

『ん。お前らが望むなら、ずっとだ』

『ずっとパンケーキやいてくれる?』

 ふは。おれはお前らのパンケーキ要員か。

 思わず笑っちゃったじゃないか。この食いしん坊め!

『焼くよ。パンケーキ以外も作れるよーにならんとね』

 飽きられたら困るし。

 約束すれば、青と碧の、色は違うけど世界で一番綺麗だと思ってる二対の瞳に、笑みの色が交じった。

『もしかして、お前も心配した?』

 キャスバルにも聞いてみれば。

『寝言は寝てから言え』

 なんて言い草だ。

 まあ、それがこの上なくお前らしいんだけどね。

 

 

 “計画”を始動させ、おれとキャスバルはコッソリとザビ邸を抜け出した。

 夕食も済んで、普段なら、部屋に戻ってる時間。

 キャスバルとレポートを書き上げたいから、そっとしておいてと伝え、人払いも済ませてある。

 元より家族はみんな忙しくて屋敷を出払ってるしね。

 ついでにおれたちの代わりにスタンバイしてるアムロの為に、お茶やらお菓子やら、興味を引きそうな読み物やらも用意した。

 子供のくせに宵っ張りの朝寝坊ぎみのアムロのことだから、資料を読み耽って夜更しをし過ぎないか、それだけが心配だ。

『ハローハロー。どうよ、聞こえてるー?』

『うん。ガルマ、きこえるー!』

『部屋に誰が近づいてくるようなら、すぐに知らせるんだぞ?』

『わかった、キャスバル』

 良い子だと花マルのイメージを送れば、帰ったらパンケーキを焼けと返ってきた――どんだけパンケーキが好きなのか。

 キャスバルが喉の奥でくつくつ笑う。

「君が甘やかすからだ」

「そんなつもり無いけど」

「甘やかしてるさ。アムロも、アルテイシアも……だからみんな我儘を言うのさ」

「可愛いから許す!」

 どうせ、おれ以外はそれなりに厳しいんだから、歪んで育つことは無いだろ。元々いい子たちだし。

『ところで気づいてる?』

『ああ』

 後をついて来る気配が一つ。

『どうするつもりだ?』

『捕まえる』

 一区画を出るところで一度足を止め、キャスバルと一瞬のアイコンタクト。

 わかりやすく駆け出してみれば、続く誰かの焦りが伝わった。ふふふ、掛かったな。

 見失わせないように追いかけさせて、曲がり角で待機。

 飛び出してくる男の横合いから、ひょいと。

「つーかーまーえーたー」

「うわぁあッ⁉」

 間延びした声と共にタックルしてみたら――あれ、トレンチコートじゃん、これ。

 地面に転がした男に跨って覗き込む。

 ハンチング帽の下には、野暮ったい黒縁丸眼鏡――冴えない中年男性とバッチリ目があった。

 暴れられないように、キャスバルにも押さえつけるのを手伝って貰ったけど、これはいかんわー。

「……タチ・オハラ」

 思わず口から零れ出た名前に、当人は目を剥いた。「何故」とその口が動く。

 秘匿されてる存在が名前を言い当てられたら、そりゃ動揺するよね。

 キャスバルが帽子を取り上げて、男の顔をまじまじと見た。

「知ってる奴か?」

「“ギレン”の“伝書鳩”。もとはランバ・ラルの部下だよ」

 獲物が大きすぎた。

 “ギレン”の“耳目”であり“手足”でもある諜報部門の、中核を担う男じゃね。

 しまったわー。もうちょい下っ端を捕まえて使い倒そうと思ってたのに。

「……見逃して?」

 ニコリと微笑めば、苦虫を噛み潰したような顔を向けられた。

「職務上、それは無理だ」

「なぜ? あなたの任務にはザビ家の末弟の監視は含まれて無い筈です」

「本来ならな」

 タチの唇が歪む。ん、ちょっと悪そうな表情。

「閣下から、“弟がやんちゃしないように”見張れと命じられてましてね」

 なにそれ、“ギレン”、職権乱用じゃないの?

「さあ、お散歩はここまでだ。帰りますよ、ガルマ様、キャスバル様」

 やれやれ、と、ホコリを払ってタチ・オハラが立ち上がった。

「DAGAKOTOWARU『だが断る』‼」

「は?」

 突然の極東言語にキョトンとするタチに指を突きつける。

「あなたにある選択肢は2つだけだ。ここで、僕らに置いてきぼりにされるか、一緒に来て僕らを護るか」

「……聞き分けのないことを」

 丸眼鏡の奥の、冷えた眼差しに交じる、苛立ちと焦り。それから滲みだす獰猛な気配――この男は、紛れもなく“兵士”だ。

「あまり“我々”を甘く見ないほうが良い。いかに秀才と言えど、貴方方はまだ成人まで間がある…」

「そう。まだ未成年なんです」

 言葉を遮って、ニッコリ微笑む。

「ここで大声を出しますよ。“変態に襲われた”って――邪魔するならね」

 困るだろ、“伝書鳩”?

 目立たないことが何より重要な立場だ。後で誤解が解けたって、大ダメージは必至。お役御免になるかもね?

「なんて悪辣なんだ君は」

「キャスバル、いい笑顔で言うセリフじゃないよ」

 止めるどころか、もっとやれって感じか。

 くつくつ笑う幼馴染に肩をすくめる。

 タチは、信じられない物を見る目でおれ達を見た。

「――そんなことをすれば貴方達も」

「めちゃくちゃ叱られる、だけ、です。どうせ露見して叱られるのは決まってるんです。尾行も“計画”のうち。こんな大物が釣れるとは思ってなかったけど、逆に好都合ですね!」

「悪いが協力してもらう。車を出してくれ。免許は持ってないんだ」

 綺麗な微笑み――青い眼が剣呑に輝く。

 有無を言わせぬ迫力って、こーゆーことを言うのかね。

「『キャスバル、格好いいなぁ……!』」

 うっかりすると惚れそうだ。

「『口から漏れてるぞ』」

 おっとしまった。

 それはともかく、鞭だけじゃなくて飴も必要だろうからさ。

「手伝ってくれたら、あなたが手に入れられなかった情報をあげる」

 ニッコリと微笑めば、タチ・オハラの顔が盛大に引き攣った。

「悪魔だ、悪魔が二人もいる……」

 失礼だな。

 もっと可愛らしく“小悪魔(♡)”って言って欲しいね。

 

 

「ここだよ」

「ふぅん。面白そうな店だね」

 全く実感のこもらない感想をありがとう、キャスバル。

 タチ・オハラに運転させてたどり着いた先には、むくつけき男達が溢れていた。

 お酒とツマミと少しの刺激を提供する、いわゆる酒場である。

 軍関連の施設がそばにあることから、兵士のたまり場になってるんだってさ。

 店内をぐるりと見回せば――ん。お目当ても揃ってそこに居た。

 まあ、時前にリサーチしてたけど、不測の事態ってのはあるからね。無駄足にならなくて良かったわー。

 店内に足を進めるおれ達の後ろを、タチが頭を抱えてついて来る。

「こんな場末のバーをなんで坊っちゃんが知ってるんですかね⁉」

「教えてもらったんです」

「誰に⁉」

 ソイツを締め上げるのだと決意してるらしき様子に肩をすくめて、

「ヒミツ♡ですよ。貴方だってソースは明かさないでしょ?」

 “伝書鳩”がなんて当たり前のことを聴くのと呆れた視線を向ければ、ぐぬぬと唸られた。

「おお! えらくカワイーのが来たなぁ‼」

 入り口から近いカウンターにいた一人の男が大声を上げた。

 制服から見て下士官か。だいぶ酔ってる――けど、『ちょっとからかってやろう』くらいの意図しかないようだった。

「ダメだぞぅ、子供がこーんなところに来たら、俺みたいな悪い男に喰われちまうぞー?」

 ニヤニヤと近づいてこようとする男の前に、厳しい顔をしたタチが立ち塞がろうとしたから、そっと袖を引いて止めた。

 ちょっとだけ身を乗り出す。

「こんばんは。僕、ガルマ・ザビって言います。あなたは、ドズル兄様の部下の方ですか?」

 おっとりと笑みかければ、虚を衝かれた男が、マジマジと覗き込んでくる。

 さあ、よくご覧よ。先だっての誘拐事件で、おれとキャスバルの容姿は結構世に知られてるんだよね。

「あ? ……ええ⁉ ホンモノォ!??」

 下士官の赤ら顔が、しゅんと青ざめていく。

 騒ぎを聞きつけてか、周囲でも、常日頃だろうざわめきが一瞬止まって、また別のざわめきが起こった。

 ゴメンね、気持ちよく飲んでるところに乱入してさ。

「いつもドズル兄様を助けて下さってありがとうございます。これからもお願いしますね!」

 狼狽えるその手をとって、さらに畳み掛けるように微笑めば、青ざめた顔は、前以上に赤くなった。

 参考は、遠い記憶の果ての、“天然小悪魔系商売女”だ。あのあざと可愛さに太刀打ちできず、何人の男達が沼に叩き落とされていったことか。あの眼差しを、仕草を、少年にも合うように修正しながらトレースする。

『……ガルマ、また“ホイホイ”する気か?』

 キャスバルがこめかみを揉んでるけど。

『大丈夫でしょ。こいつらみんな、カウンターの中の女口説いてたみたいだし』

 奥にいる、分かりやすい化粧の女にコナかけてたんだ。少年趣味は無かろうよ。

『だと良いがな……周りを見ろ』

 やめろ。変なフラグみたいな言い方は。

「……あの」

 斜め上から声がかかって顔を向ければ、髭面の大男が、小さな目をキラキラさせて覗き込んでくるところだった。

「俺もドズル閣下の麾下です」

「あなたも? お疲れさまです! いつもムンゾを護って下さってありがとうございます」

 差し出される手と握手。

「大っきな手!」

 いやホントなに食ってたらそんなにでかく育つのさ。

 ドズル兄貴も、“ギレン”もだけど。ムンゾの男って、基本的にデカイよね?

 ぶっとい指をムニムニしてみる――振り仰いだ男の眼は、小動物でも愛でてるかに、めちゃくちゃ和んでた。

 さらに数人の兵士に囲まれるけど。

「待て待て待て待て!」

 はいはいはいはい?

 ドスドスと奥から突進して来るのは――おお。来たよ、お目当ての一体目。

「なんでこんなところにザビ家の坊っちゃんが来てるんだよ⁉」

 まるで周囲からおれ達を護ろうとでもするみたいに、大きな体で割り込んでくる。

『キャスバル、この人がオルテガ』

『MSのテストパイロットか』

『そう。奥にもう二人。ガイアと、片眼に傷がある方がマッシュ』

『なるほど。今夜の“獲物”か』

『上手く狩れるようにサポート頼む――特にガイアね。手強そうだし』

『了解した』

 青い眼が悪戯にきらめくのを見届けて。

「こんばんは」

 怖い顔で見下ろしてくるオルテガに向き合う。

「お邪魔してごめんなさい。ドズル兄様のお話によく出てくる部下の方々に、お会いしてみたくて」

「……ドズル閣下がどんな?」

 オルテガのみならず、周囲の男達の視線が集中する。ん。上官の評価は気になるよね、やっぱり。

 咳払い。敢えてちょっとコワイ顔と厳ついような声色を作る。

「“勇敢で命知らずの荒くれ者だが、気の良い連中ばかりだ。皆、命と体を張ってムンゾを守ってくれている。まみえたら必ず労ってやってくれよ”……って、いつもいつも言うから」

 どんな方達なんだろうって屋敷を抜けて会いに来ちゃいました、と伝える。

 余りにも似てないドズル兄貴の物真似に、何人かの兵士が吹き出した。

「――で、一緒にいるのはダイクン家の坊っちゃんと、こいつは誰だ?」

 あんまり護衛に見えないタチが皆に睨まれるから。

「途中で行きあったひと。ここに入るって言ったら、子供の入る店じゃないって止められちゃいました」

 一言も嘘はないよ、嘘は。

「びっくりしたんですよ! 見た顔の少年が二人、酒場に入って行こうとするんですから!」

 タチが目を剥いてまくし立てた。迫真の演技である。さすが“伝書鳩”。

「……まぁ、そうだろうな」

 周囲の視線が和らぐ。

「ああ、良かった。騒ぎにならないで。荒事は苦手なんです……ほら、気がお済みなら、もうお帰りになった方が良いですよ?」

 むしろ、『今すぐ帰るぞ!』と、その眼が訴えてる――いやいや。

「来たばかりじゃないか。ねぇ、キャスバル。僕はもう少しここに居たいな」

 小首を傾げて連れを見る。

「仕方ないな。君は言い出したら聞かないからね」

 ふぅ、と、キャスバルが溜め息を落とす素振りで。

「ガルマを少し休ませて欲しい。抜け出すのに少し無理をさせたから」

 張らずとも響く声でそう言えば、オルテガは少し慌てたように、店の奥を振り返った。

「そっちに連れてくぞ!」

 怒鳴るような声に、マッシュが片手を上げて応える。呆れた顔だ。

 隣のガイアといえば、思案顔で顎髭を撫でていた。

『……さて。何処まで猫皮が通じる相手かね』

『本性ぶつける気は?』

『あるわけ無いだろ。そんなの、お前らだけが知ってればいい』

 タチだって、ここまではまだ、子供のやんちゃの範疇の扱いだし。

 答えれば、思考波が笑った。

『確かにね。素の君を扱えるのはそう居ないだろう』

『お前もだよキャスバル。今でさえおれの手には余り気味だ』

 手加減してと思考波でつつけば、甘えるなと返された。手厳しい。

 タチは周りの兵士たちに止められて、これ以上は付いてこれないけど、それも想定内。

 奥のテーブルに招かれて、二人並んで座らせてもらう。

 いつの間に頼んでくれたのか、直ぐにライムの香りのするドリンクが供された――酒精の匂いはしない。

 クスリの類が混じってるかどうかは判断つかなかったけど、この状況で仕込む阿呆はいないだろう。

 ニコリと微笑んでお礼。

 キャスバルと揃って口をつければ、ガイアとマッシュが堪えきれないように笑った。

「度胸があるな」

「まあ、ここまで乗り込んでくるくらいだからな」

 オルテガが一拍遅れて、

「お前ら、それ飲んだら帰れよ。送っていってやるから」

 そう言って口をへの字に曲げた。その目は心配そうだった――付け込む余地は充分にある。

「あなた方も、ドズル兄様の?」

「ああ。そうだ」

 オルテガが胸を張る。

「兄様のお話し聞いてもいいですか? あ、なんてお呼びすれば? 僕たちは、ガルマ・ザビと、キャスバル・レム・ダイクンです」

 小首を傾げて見上げれば、

「知ってるわ! 見ればわかる。俺はオルテガだ。向こうがガイア、と、マッシュ」

 なんの疑念も無く名乗った。他の二人の名前まで。よし。内心でニンマリ。

「よろしく、オルテガ殿。ガイア殿とマッシュ殿も。ガルマの我儘に付き合わせてしまって申し訳ない」

 キャスバルが薄く微笑んで返す。

 ちょっと尊大な物言いは、名家の子息に相応しいものだけど、オルテガは「偉ッそうなガキだな」と、口の中で呟いてた。それ読み取れるからね?

 キャスバルも当然分かってて、さらに微笑みを深くした。

 ガイアが、その様子を興味深く見守っている。マッシュの方は、あまり気が引かれてはいないんだろう。静かにグラスに口をつけていた。

「――それで、坊っちゃん方は、しがない兵士風情を労いにこんなところまで来たわけか。それとも、他に理由が?」

 不意にガイアが口を開いた。

 髭面にはふてぶてしい笑みが浮かんでる。長年軍籍にある人間独特の、暴力的な威圧の気配が薄っすらと。

 だけど、ザビ家の人間が、その程度に怯むわけ無いだろう? 勿論、キャスバルだってね。

「……それ、聞いちゃいます?」

 内緒話の域に声を潜めて。

 ギリギリで媚びないパーソナルスペースを確保。腐っても名家の子息。かんたんに靡くと思うなよ、と――まあ、キャスバルにはピッタリとくっついてんだけどね。

「勿論、皆さんに会ってお礼を言いたかったのは本当です。それから」

「それから?」

 オルテガがズイと身を乗り出してくるのに、ちょっと言い難そうに言い淀んでみせて。

「――……ダークコロニーをご存知ですよね?」

 意識せずとも表情が改まった。硬い声。ここらからが勝負だ。

『キャスバル、お願いね』

『ああ。やってみよう』

 一瞬の思考波での交感。

「なんだと?」

 獰猛な声だった。おれがザビ家の人間じゃなかったら、締め上げられていたかも知れない。

 ガイアの視線は射る様に鋭くて冷たかった。

 マッシュもグラスから口を離し、探る視線を向けてくる。

 オルテガだけが、ポカンとしておれ達を見ていた。

「ガルマ、それは駄目だって言っただろう」

 溜め息をついて、キャスバルがグイと肩を引いた。

「だって!」

「だってじゃない。あなた方も忘れてくれ」

 キャスバルがそう告げるのに、マッシュは顔を歪め、ガイアは腕を組んだ。

 お、いい感じの反応。さすがは我が幼馴染殿だ。

「悪いが、そういう訳にはいかねぇな。坊っちゃん、いくらアンタが閣下の弟君だとしてもだ」

 マッシュの軋るような声。

「ダークコロニーに何があるのか、お前達は知ってるのか?」

 ガイアが目を眇める。

 そうだよね。ダークコロニーは機密の塊だ。特に現時点では、敵を連邦に定めての兵器開発の真っ最中だ。

 いくら政権と軍部に深く関わってる家柄だからって、そこの子供が知ってていい情報じゃ決してないから。

 睨み据えてくる真っ向から視線を受けて、鏡面みたいに弾き返す。表情を、感情を隠すのは得意なんだ。

「僕は、“パイロット”になりたい」

 ゆっくり、言葉を紡ぐ。“何の”とは言わずとも知れるだろう?

 オルテガが目を剥く。

 マッシュが息を飲んで、ガイアは盛大に顔をしかめた。

「おいおい、あれはオモチャじゃねぇぞ。乗り回して遊ぶようなもんと違うんだぞ」

 オルテガの手が、宥めるように肩に乗る。

「分かってます。でも、僕は軍に入るし、そのときには兵のひとりとして戦います」

 むしろ、“おれ”にできることって、それくらいしか無いし。

「ザビ家の人間なら、いずれ指揮を執る立場だ。それが一兵卒の真似事を?」

 ガイアの声は冷たい。だけど。

「そうかも知れません――でも、兵の立場を知らぬ者の指揮に、誰が従いたいものですかね?」

 僕ならイヤだなぁ、と、小さく呟く。

 本音の話、現場を知らない人間にやいのやいの言われるのって、物凄くシラケるだろ?

「……閣下はご存知か?」

 苦虫を噛み潰したような顔ってこんなんだろうね。

「勿論、大反対されてるさ」

 答えたのはキャスバルだった。

「だけど、それで聞き入れるようなガルマじゃない。こう見えて意外と頑固でね」

 言いながら肩をすくめてみせる仕草さえ格好良いとは何事か。

「もう決めたんだ――2年でムンゾ大を卒業できたら、士官学校へ行ってもいいって、“ギレン兄様”が」

 瞳をきらめかせて。

 どうよ。見た目は決意を固めた少年に違いなかろう。

『ものは言いようだな』

『嘘は言ってないよ、嘘は』

 それが条件だったのはキャスバルだってことを黙ってるだけだ。

 言葉を切って、3人の先達を見つめる。

「本当は、あなた方に会いに来たんです。必ず、同じ場所に立つので、よろしくって伝えるために」

 じっと見つめ続ければ、オルテガがぷるぷるし始めた。

 マッシュは苦笑い――でも眼差しが和らいでる。

 ガイアだけは、まだ厳しい顔だけどさ。

「握手はしない――そうだな、本当にお前が俺達の前に立つ時までは」

 そんなことを言っちゃうからね。

「はい!」

 元気良く答えて、それから、一番可愛らしく見えるだろう笑顔を浮かべて見せた。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 “ギレン”が狙撃された。

 夜歩きの翌日のことだった。

 一報が来たのは昼下がり。キャンパスから戻った矢先。

 ドクン、と、一拍激しく鼓動が跳ねて、思わず胸を抑えた。

 止める間もなく涙が溢れる。

 恐怖は寒さに似てる――心臓が凍てつくみたいで。

 隣りにいたキャスバルに支えられ、震える身体をなんとか宥める。

「大丈夫です! ガルマ様、ギレン閣下はご無事ですよ! ご無事なんです!」

 執事が何度も同じ言葉を繰り返してるけど、それは判ってる――“ギレン”が生きてるってことは。

 だけど撃たれた。狙われた。害をなそうとした奴がいた。

 そして、“ギレン”の代わりに、誰がが喪われたんだ。

「――どうして‼?」

 どうしておれには力がない? 盾になることもできず、剣になるにも足りない。

 何故“ギレン”を――ムンゾに、コロニーに新しい明日をとこれほど身を砕いている者を。

 殺そうとした。消そうと――“ギレン”を殺そうとした‼

 喉の奥に鉄さびの匂いがする。

「『赦さない』」

 腹の底で“獣”が吼える。

 利に欲に塗れて先も見ない愚者の群れを、粉々に叩き潰してやる。

 お前たちがそのつもりなら、“おれ”はどんな手段を講じたって、元凶を鏖殺して――

「『ガルマ!』」

 パンッと頬が鳴って、熱とジンジンとした痛みが来た。

 叩かれたと知ってキャスバルを睨みつける視線の端に、怯えた顔のアムロがいた。

 ひゅうと、吸い込む息が音を立てた。

 きっと、今おれはひどい顔をしてるんだろう。

 怖がらせてごめん。だけど、感情が嵐みたいで苦しい。

 ギュと目を瞑れば、不意に抱きつかれた。まだ小さな。

「『……アムロ?』」

「『約束した!』」

 思考波は、怖がりながら、怒っていた。

「『ずっといっしょにいるって! パンケーキ焼いてくれるって!』」

 ――ああ。焼くって、一緒にいるって。約束した。

「『勝手にどこかに行くのはダメだ!』」

 しがみついてくる子供の手と、支えてくれる腕に、鎖を引き千切った胸の底の“獣”が、情けなく唸った。

 拘束は緩いけど、そうだね。お前たちを振り払うことなんてできないね。

 徐々に力が抜けていく体を、キャスバルの手が宥めるように叩いた。

「『……ごめん。取り乱した』」

 息を吸って、吐く――もう息苦しさは感じなかった。

「ありがと。キャスバル、アムロ。『お前らがいると、おれは、踏み外さずにいられるね』」

「落ち着いたか。『まったく、君はいつまでも手の掛かる“坊や”だな』」

『ヲイ。同い年!』

 突っ込めば思考波が笑った。

「……もう、大丈夫です」

 心配かけちゃった、と、執事にも笑いかければ、あからさまにホッとした顔をされた。

 いつもは表情を見せない老紳士が、珍しい。

「お部屋でお休みください。皆様も」

 さあさあさあ、と、強引なくらいに自室に追い込まれて、茶を供された。

 ハーブティー――リンデンフラワーとカモミールのブレンドかな。良い香り。あらかじめ蜂蜜が加えてある。

 アムロは興味深そうに飲んでるけど、キャスバルには甘過ぎたのか、ほんの僅かだけ眉を寄せた。

 普段はすぐに下がるはずのメイドどころか執事まで控えてる。

 どんだけ心配かけたのか、おれ。ちょっと反省。

 落ち着いたところで、改めて状況を聞けば、“ギレン”を庇って護衛の一人が犠牲になったこと、狙撃手は既に取り押さえられたことを知らされた。

 すでにサスロ兄さんが処理に動いていることも。

「……コルヴィンさん」

 それが凶弾に斃れた護衛の名前だった。

 

 

 その夜は、キャスバルが泊まっていくことになった――執事達が必死に引き留めてたからね。

 おれ、もう大丈夫なのに。

 アムロも自分の部屋に戻らないから、小さくないはずのベッドは、三人の体積でみっちりになった。

「『アムロ、ごめんな。怖かったろ?』」

「『こわかったけど、ガルマ、絶対にぼくたちにひどいことしないからね!』」

 ふんす、と、鼻を鳴らすアムロのその確信はドコから来てんのさ?

 キャスバルが含み笑う。

「『しないだろう?』」

 むしろ、出来ないだろうと青い眼が悪辣にきらめいてるのが業腹だ。

 だけど、そうさ。おれがどんだけお前らのこと大好きだと思ってんだ。もはや愛だ。

 おれは、きっと、お前らのことを傷つけるくらいなら、この身を斬って捨てた方がマシなんだろう。

 負けてるみたいで悔しいと呟けば、二人分の思考波が笑った。

 ぐっすり眠れたりはしなかったけど、ベッドは過ぎるほど暖かくて、もう寒さは感じなかった。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 5【転生】

 

 

 

 狙撃された。

 議会が終わり、外へ出たところでのことだった。議事堂正面の外階段を降りている最中を、狙われたのだ。銃声はなかった。プロの仕業だった。

 こちらは無傷だったが、庇おうとしてきた護衛の一人が、頭を撃ち抜かれて落命した。まだ若い、やっと中堅になるかどうかと云う年齢の男だった。目端が利くと云うわけではなかったが、実直な男で、結構気に入っていたのだが。

「閣下!」

 他のSPたちがまわりを取り囲み、何人かが、入射角から狙撃手の位置を割り出したのか、向こうの建物へ走っていく。

「コルヴィン!」

 虚ろに目を見開いた男の横に膝をつき、その名を呼んでみる。が、当然、応える声はない。血が、石畳を赤黒く濡らしていく。

「閣下、早く車内に!」

 古参のSPに促され、車内に入ると、ほどなくして下手人が捕らえられたとの報が入った。

 ――どこの手のものだ。

 ムンゾ内部のものか、他コロニーのものか――あるいは地球連邦か。

 連邦だな、と思ったのは、勘でしかない。ただ、ムンゾ内部ならば他にもやりようがありそうだし、他コロニーも同様だった。

 要人――しかも軍籍にある――を狙撃するなど、その後、ムンゾの世論を戦争へ傾けようとする意図があるとしか思われない。その点、地球連邦ならば、ムンゾとの戦力差は三十倍、戦端を開くきっかけを与えて、物量差で叩き潰してやろうと云う思惑が透けて見える。

 ――まぁ、その手前には、親連邦派のムンゾの政治家があったりもするのだろうが。

 この件が、例の血気盛んな“若手たち”に知れると面倒だな、とは思ったが、もちろん狙撃などと云う派手な出来事を、メディアが放っておくわけはない。

 下手に煽るような輩がいれば、こちらの準備が整わないうちに戦争に雪崩れこむことにもなりかねない。

 それは、いかにも拙かった。

 車内から、通信を入れる。

「――サスロ」

〈ギレン! 狙撃されたそうだな!〉

 見慣れた顔が、小さなモニタの中で大きく歪む。

「私は無傷だ。だが、SPが一人失われた。コルヴィン・シスだ。そちらの遺族への保障と、それからメディア対応を頼む」

〈メディアを、どうすると?〉

「これで、連邦との戦争をと煽り立てる輩が出るだろう。その言論を抑えたい」

 と云うと、サスロは首を傾げたようだった。

〈抑える、のか?〉

「まだ、戦端を開くには準備が足りん。いずれ開戦するとなっても、時期はこちらで選びたい。今はまだ、不利だ」

 何をするにも、圧倒的に。

 MS計画はまだ完成されてはいない――やっと、MS-04ブグが完成したところ――し、ニタ研はまだ、ニュータイプの思念波を活かす方法を見出だせずにいる。

 まだ早い、せめてMS-05、所謂旧ザクが量産可能にならなくては、ムンゾは万にひとつの勝ち目もなくなってしまう。

 できれば、“ガルマ”とキャスバルが士官学校を卒業するまで――“暁の蜂起”までは、独立の気運を引き延ばしたかった。

〈……わかった、ぎりぎりまで溜めるのだな〉

 サスロは察して、頷いてきた。

「頼む。まだどちらの“計画”も道半ばだ。今仕掛けられれば、ムンゾはただ敗れるしかない」

 ムンゾが敗れれば、地球連邦は、コロニーへの締めつけをさらに厳しくするだろう。コロニーは蹂躪され、スペースノイドはアースノイドの支配下でまた足掻くしかなくなるのだ。

 そんなことは許せなかった。

「犯人は捕らえたのだったな」

〈あぁ。その尋問もある。まぁ、大本の予想はついてるがな〉

「……連邦か」

 声を低めて云うと、サスロは頷いた。

〈恐らくな。どちらにせよ、開戦するなら、ヤツが口を割らずとも、そう発表するつもりだったが――ムンゾ国内の協力者は、きっちり吐かせておくさ〉

「任せた」

 云うと、にやりと笑って、サスロは通信を切った。

 リアシートに凭れると、

「――開戦、なさらぬおつもりですか」

 セシリア秘書官が、青褪めた顔で訊いてきた。

「せんよ。急いては事を仕損じる、と云うではないか」

 自分ひとりであればともかく、この肩には、ムンゾ国民や、コロニーに住むスペースノイドの生命も載っている。数十億の生命を、これしきのことで擲って、大博打に打って出るつもりはなかった。勝機とまでは云えぬにせよ、好機と云うものはある。極力、そちらに寄せていかなくては、徒に数万の人命を散らせることになる。戦争は最後の手段であり、そうである以上、なるべく効果的にはじめるべきだ。無論、時機を見誤って、ただ犠牲を出すのは下の下だが。

「兵は拙速を尊ぶ、とも云うと聞きましたが」

「充分な兵であればな。――要は、連邦軍の中のスペースノイドを、どれだけ切り崩せるかと云うことだ」

 もちろん、訓練を受けて軍に入ったような士官たちを籠絡するのは極めて困難だろう。

 だが、そうであってもやはり、命令とは云え、己の故郷を自ら攻撃するとなれば、躊躇う心は生まれるはずだ。しかも、それが“正当な要求を圧殺する”ためであれば、なおのこと。

「――コルヴィン・シスの葬儀に出るのは危険だろう。たくさんの花と、そうだな、弔辞を送ってくれ。下手に私が弔問に赴くより良いだろう」

 死んだSPについてそう云うと、秘書官は小首を傾げた。

「そうは思いませんけれど――でも、そうですわね、参列者の方々の安全を考えれば、そうなさるのが宜しいかと思われます」

「うむ」

 しかし連邦も、暗殺などと、随分直接的な手段に出てきたものだ。

 ――まぁ、確かに手っ取り早くはあるが……

 しかし、あまりにも乱暴ではある。

 今の時点でギレン・ザビを殺せば、それこそムンゾの世論の反発を招くだけなのだろうに。

 それとも、コロニー同盟の首謀者と目されている人間を暗殺して世論を盛り上げ、いっそのこと戦争に突入させて、物量作戦でコロニー側をメタメタに叩くつもりなのか。

 ――しかし、それではあまりにも雑ではないか。

 叩きのめしたことにより、コロニーの反連邦運動は、一旦は下火になるだろう。だがそれは、あくまでも表面的な部分においてであって、スペースノイドの中に燠火のように燻ることになるだろう。そしていつか、また連邦の暴虐を耐え難く感じる日が来たときに、火山が噴火するような、爆発的な活動になるのだ。

 そのことを、果たしてどれほどの連邦サイドの人間が、想定しているのだろうかと思う。

 そうなればこそ、宇宙世紀の二百年ほどの間に、幾度もコロニーサイドの叛逆があり、その都度ニュータイプが現れて、歴史の歯車を回してきたのだ。

 さて、しかし、これに対してどう云う手を打っていったものか――1stにおいても『the ORIGIN』においても、連邦は開戦するまでの間、ザビ家と云うかムンゾには、警戒以上の関心は払っていなかったように思える。元々連邦議会を追放されたジオン・ズム・ダイクンが首相を務めていたのだ、普通ならば、かなりしっかりとした監視体制を敷いていてもおかしくはないのに、“暁の蜂起”あたりまでは、その監視も緩かった。いや、士官学校のあるガーディアンバンチには連邦軍の駐屯地があったから、その武力でもって、非常事態も鎮圧すれば良いと考えていたのかも知れない。

 だがそうなると、この時間軸の連邦は、いかにも事を急いていた。

 ギレン・ザビを殺したとて、動き出したコロニー同盟が無に帰すわけではない。そうであるなら、むしろスペースノイドを激昂させるだけの、無意味な作戦にしかならないのではないかと思うのだが。

 確かに、ギレン・ザビがいなくなれば、一時はコロニーサイドの士気は下がるだろう。だが、いずれギレン・ザビを殉教者として祀り上げる輩が出てくれば、ジオン・ズム・ダイクンに続いて二人目の、偶像崇拝の対象となる人間のできあがり、と云うわけだ。連邦には、あまり宜しくない展開である。

 その上、原作と違って、今のムンゾにはキャスバル・レム・ダイクンがいる。ジオン・ズム・ダイクンの遺児であり、母や妹とともに健やかに育ちつつあるキャスバルは、次のムンゾの象徴として、巧くサイド3をまとめていけるだろう。方便ででも、キャスバルが“ギレン・ザビの仇を取る”と云い出せば、ザビ家もかれに協力せざるを得ない――サスロなどは歯噛みするかも知れないが。

 そうなれば、父親に近い、あるいはそれ以上のカリスマの主であるキャスバルを中心に、ムンゾは一致団結することになるだろう。それは、あるいはこのままザビ家主導で一年戦争に突入するよりも、さらに強い団結力をムンゾにもたらすかも知れないのだ。

 さて、連邦の連中は、それくらいのことも想定できない愚かもの揃いであるのだろうか?

 ――そう云えば、連邦とは交渉してみたこともなかったが……

 話だけでも持ちかけてみていれば、暗殺されかかることはなかったのだろうか?

 考えてみて、自分の考えに首を振る。

 そんなはずはない、コロニー同盟を立ち上げた段階で、ムンゾは連邦を敵に回したのだ。あの時こうしていれば、は、繰り言でしかない。連邦の狸どもは、決してムンゾを許さないだろう。

 いや――

 本当に、まったく交渉の余地はないのだろうか? 例えば、『the ORIGIN』においてひとたびはムンゾ――ジオン公国に捕らえられ、解放されてまた戦うことになったヨハン・イブラヒム・レビルなどは?

 ヨハン・イブラヒム・レビルと云う人物は、イメージではあるが、乃木希典のようなタイプの男であり、愚直かも知れないが、政治的には無力な人物であると見た。人品卑しからぬことと、政治を操る才があることとは別の話であり、また、将兵を慈しんだからと云って名将であるとは限らない。ヨハン・イブラヒム・レビルは、慈悲の心のある将軍であり、作戦指揮には優れているかも知れない――とは云え、真の“名将”ならば、負けるとしても大きな犠牲を出すことはあるまい――が、所詮は戦場でしか役立たぬ男であるには違いない。

 だがまぁ、多少なりともコロニーと節点があり――ジオン軍士官学校の入学式に、来賓として出席する程度には――、スペースノイドの気分もわかっていなくはない、こちらから接触するには妥当な人物ではある。それが、何の役に立つのかは、さっぱりわからなかったのだが。

 ――レビル将軍か……

 さて、どんなかたちで接触しようかと思案していると、

「――閣下、デギン閣下から、帰宅前に公邸に寄られるようにと」

 秘書官が、“父”からのメッセージを読み上げた。

 ――ふむ。

 “父”ならば、レビルとも連絡を取りやすいのではないかと、ふと思う。

「……わかった。寄せて戴くと返事をしてくれ。――車を公邸に」

「承知致しました」

 秘書官は云って、運転手に行先変更を伝え、“父”に返答を送信した。

 

 

 

 ムンゾ共和国首相公邸は、思ったよりも静かだった。

 まぁ、首相の長子とは云っても、幼子ではなく、大人も大人である男なのだ。それが狙撃されたくらいでは、そう大きくは騒げまい――立場も立場だ、自分とても、成人した息子が同じ目にあったとして、大きく騒ぎ立てはしないだろう。無論、裏で何かしらの手を打たないわけではないけれど。

 公邸の使用人たちは、ザビ家から来ているもの以外はもう帰されたのだろう――もはや夕刻である、勤め人は帰る時間だ。

 長年“父”の片腕を務める老執事が、礼儀正しく頭を垂れた。その白手袋に包まれた手が、執務室の扉を叩き、ゆっくりと開く。

「――ギレンか」

 中から、“父”の声がした。

「父上」

 応えて、中に足を踏み入れる。

 “父”は、重厚なデスクについて、こちらを見つめてきた。

 背中で扉が静かに閉じられた。

「撃たれたと聞いたが」

「当たったのは私ではなく、警備のものでした。これからの男でしたのに、惜しいことをしました」

「そうか。――遺族へは」

「手配しております。葬儀には、花と弔辞を。私が出向いては、また危険があるやも知れません」

「そうか、そうだな」

 “父”は、重々しく頷いた。

「ところで父上」

「うむ」

「連邦軍の、ヨハン・イブラヒム・レビル将軍と、連絡を取る窓口をご存知ではありませんか」

「レビルに?」

 眼鏡の奥の瞳が、疑問を浮かべてこちらを見る。

「そうです。今回の件は、まだどこの手のものかはっきりとはしていないのですが、当然、連邦の関与も疑われております。そのことについて、連邦軍の中でも比較的話がおわかりの、レビル将軍と会談する機会を持てれば、と」

「――レビルは、そこまでの力はあるまい」

 あれは、戦場でしか役に立たん男だ、と“父”は云った。

「それについては同感です。ただ、あの方ならば、余計な腹の探り合いが少なくて済むかと」

「連邦軍と話し合う機会を持った、と云う事実を作っておきたいわけか」

「お察しのとおりです」

「……それならば、それこそ他に人があったろう。例えば――ゴップなどが」

「――ゴップ将軍ですか……」

 “ジャブローのモグラ”と呼ばれた、連邦軍の狸。

 確かに、ゴップの方が政治的な話はスムーズに進められそうだ、が、何しろ海千山千の大狸だ。ギレン・ザビはそろそろ四十だし、中身はそれこそover100だが、錬度では負ける気がしてならない。

 ――個人的には、ブレックス・フォーラ准将の方が好きなんだがな……

 『Z』において、エゥーゴのトップであった人物は、確か地球連邦議会の議員から軍人に転身したのだと、その手のサイトで見たような憶えがある。理想家肌の人物だったが、軍でもそこそこに力があったようだから、政治力もそれなりに持っていたのだろう。

 しかし、そのブレックス・フォーラは、一年戦争の時であれば、恐らく大佐くらいの地位だろう。一年戦争時に、地球連邦議会議員から軍人に転身したと云う、その記事が真実であれば、今はまだ軍人ですらないのかも知れない。恐らく地球連邦でも良家の出――だからこそ、地球連邦政府議会員であったのだ――ではあるのだろうが。

 しかしながら、例え既に軍籍があるのだとしても、それで一足飛びに実権を握れるほど生易しいところでは、連邦軍はない。かと云って、実力主義と云うわけでもないのだから、連邦軍と云うのは、本当に困ったところなのだ。

 それに、かれは割合理想家肌で、そう云うところはもちろん好ましいのだが、今の時点で腐りきった連邦軍の代表扱いをするには、やや弱い気がしないでもない。

 仕方ない、やはりここはゴップを相手にするしかないか。

「――父上」

 顔を上げて云うと、

「案ずるな、ゴップとの交渉は儂がやる」

 “父”は、そう云って少し笑った。

「コロニー同盟については、お前に任せっぱなしであったからな。確かに、ゴップ相手では、お前には分が悪かろう」

「……恐れ入ります」

「なに、偶には、儂にも親らしいことをさせてくれ」

 と云う。“ガルマ”にばかり甘い“父親”だと思っていたが、意外や意外、である。

 ――なるほど、それなりに子どもに対する愛はあると云うことか。

 まぁ確かに、例の“ヒトラーの尻尾”発言も、走りがちな息子を諌めようとする言葉であったと思えば、一種の愛情ではあったのだろう。

 どうも、原作――それは1stでも『the ORIGIN』でもだ――のザビ家は、コミュニケーションに難があると云うか、回りくどい言葉ばかりでお互いに意思の疎通を欠いていると云うか、そう云う家族であるように思われる。そう云う意味では、自分や“ガルマ”が成り代わったのは、家族のためには良かったのかも知れない。まぁ、どちらも所詮は偽者でしかないわけだが。

「……ゴップ将軍は、中々政治力に長けた方とお聞きしますが」

「うむ。しかしまぁ、それだけ影響力も大きいと云うことだ。互いに巧く使い合えればな」

「使い、合えましょうか」

「向こうも、交渉の余地は欲しかろうよ」

 本当にそうだろうか?

 まぁ、原作を見る限り、ゴップと云う男は、政治力で地位を上げてきていたようだから、己の手柄になりそうなことは見逃すまい。ヤシマグループのトップであるシュウ・ヤシマ――云わずと知れた、ミライ・ヤシマの父――とは知己であり、そうは見えないが、それなりに人情味もなくはないらしい。己の利益やら何やらに反しない範囲であれば、コロニーサイドに多少の共感はしてくれる、かも知れない。あくまでも“かも知れない”レベルの話ではあるが。

 それに確か、一年戦争終盤では、デギン・ソド・ザビと、和平交渉に入る心づもりでもあったようだ――それは結局、“ギレン・ザビ”が父親をソーラーレイで殺害したことにより果たされなかったのだけれど。

 ――まぁ、戦いたいばかりのレビルよりは、数百倍マシか。

 交渉相手としては、難敵も難敵ではあるだろうが、巧くやれれば上がりは大きい。

「――お手数おかけ致しますが、宜しくお願い致します」

 そう云えば、“父”はかすかに微笑んだ。

「そう堅く考えるな。まぁ、儂に任せておけ」

「……は」

 もちろん向こうにしても、ムンゾ議会の議員とは云え、たかだか四十の若造と、ムンゾ共和国首相であるデギン・ソド・ザビとでは、どちらが交渉相手として不足がないかなど明白だ。

 “父”も、これまでジオン・ズム・ダイクンの絡みで、連邦軍とは丁々発止のやり取りをしてきているはずだから、任せておけば間違いはない。

「せっかくだ、お前もゴップと顔繋ぎくらいはしておくと良い」

 と“父”は云ったが、それは、

「……同席せよとおっしゃる?」

「良い機会だろう」

「……は」

 まぁ、それは確かにそうではある、が。

「――では、宜しくお願い致します」

 まぁ、“父”の交渉術も見せてもらいたいので、ありがたいのはありがたい。無論、見たからといってすぐ実践できるようなものではないのは、よくわかった話ではあったのだが。

「後学のために、同席させて戴きましょう」

「うむ。スケジュールが決まり次第、連絡しよう」

「お願い致します」

 “父”は鷹揚に頷いて、先刻よりも明るい笑顔を向けてきた。

 が、ふと面を改めると、

「……気をつけるのだぞ、ギレン」

 と云ってきた。

 その表情に、胸を突かれた。

 デギン・ソド・ザビは、かれなりに子どもたちのことを案じているのだ。ただ、“ガルマ”以外には、その迂遠な云い回しなどとも相俟って、まっすぐに伝わってはいないのだが。

「……心致しましょう」

 背筋を伸ばし、まっすぐに“父”を見る。

 “父”は、またかすかに微笑んだ。

「うむ」

 頷きに笑みを返すと、深く一礼してから部屋を辞した。

 

 

 

 ゴップ将軍との会合は、それから半月にも満たぬうちに行われた。電光石火とはこのことである。

 無論、一国の首相がそうそう長いこと国を留守にするわけにはいかないので、ゴップが視察と称してガーディアンバンチを訪れ、そこにこちらが出向いていく、と云う運びになった。ムンゾの防衛体制としては少々問題だが、こういう時には、連邦軍の駐屯地があるのは悪いことではない。

 軍の駐屯地であるので、ホストは向こうと云うことになる。会談の場である指令棟に入ると、連邦の制服を身に着けた士官たちが出迎えてくれた。

「ようこそ、デギン・ソド・ザビ閣下、ギレン・ザビ閣下。ご案内致します」

 そう云って敬礼してきたのは、まだ若い士官だった。緊張に顔が強張っている。

 まさかここで、こちらを暗殺しにかかってくるとは思えない――何しろ、駐屯地の隣りは、例のムンゾの士官学校だ――が、念のためあちこちにまなざしを向けておく。もちろん幾人もの士官たちが、警備のためにだろう、そこここに立っている。こちらがまなざしを向けても直立不動を保っているのは、流石にきちんと訓練されたものばかりを選ってあるのだとわかる。

 まぁ、向こうにしても、この会談は秘密裏に行いたいのだろう。迂闊に兵卒などを配置すれば、情報漏洩など容易く起こる。それを警戒しての、士官の配置なのだろうとわかる。

 指令棟の奥まった一室に、ゴップ将軍はいた。この駐屯地の長らしき男と、他に地球から来たのだろう佐官が数名。中々の布陣である。

「――ゴップ将軍」

 “父”が呼びかけると、ゴップは原作で見たとおりのタヌキ面に笑みをたたえ、立ち上がって手を差し出してきた。

「デギン首相、ご足労戴きまして」

「いやいや、貴殿こそ。地球からサイド3は近くはない」

「コロニー駐屯地を訪れることは滅多にありませんからな、いい機会でしたよ」

 出だしは中々友好的だ。

 軽いジャブのような世間話の後、“父”が面を改めた。

「――ところで、お伝えしていた件なのだが」

 そう云うと、ゴップが、笑みはそのままに、目を鋭くした。

 そして、控える将校たちに、

「席を外せ」

 と声がけした。

「ゴップ将軍、ギレンは同席させて構わないか。儂の仕事ぶりを見たいと云うのでな」

 “父”のこの言葉に、将校たちが色めき立つ。

 が、ゴップはにやりと笑っただけだった。

「それならば、身体を改めさせてもらおう。武器などの携帯がないかどうかをな。そして、私は銃を持たせてもらう」

 二対一では不利だからな、と云う。

「ご随意に」

 云いながら立ち上がり両手を肩の高さまで挙げる。

 将校たちは、執拗に身体をまさぐってきたが、はじめから武器の類は持ってきていない。それがなくとも、この体格であるから、やろうと思えば素手でゴップを殺すことはできるだろう――但し、その後足の衰えた“父”を庇って、ガーディアンバンチを脱出できるかと云うと、それはほぼ不可能だろうが。

 ややしばらくあって、やっと納得したものか、将校たちは諦め気味に部屋を出ていった。

 扉が閉まる音がすると、ゴップはおもむろに口を開いた。

「中々度胸のあるご子息ですな」

「そうでなければ、コロニー同盟など結成しようとは思うまい」

「確かに」

 笑いが交わされる。

「それで、コロニー同盟云々の話でしたかな」

 次の言葉は、中々直球だった。

「まぁそうですな」

「連邦としては、到底認めるわけにはいかん、と云うことはおわかりのはずだが」

「無論。だが、交渉権をはじめから奪われているわれわれとしては、そうでもしなければ生きてゆきにくいのだと、貴殿もおわかりのはずだ」

「地球連邦政府は、そもそも人類を宇宙へ上げるために、その目的のためには戦争を回避する必要があったからこそ、人類史上初めての統一政府として成立したのです。コロニー同盟の動きは、その崇高な理念を、中世紀の頃まで引き戻そうとするものだ。賛同致しかねますな」

「――崇高だったのは、最初だけでしょう」

 思わず口を挟む。

 『UC』の話がどこまで“正史”なのかは知らないが、巨大化した政府は自浄能力を失い、この百年足らずの間にも、とことんまで腐ってしまった。それは、UC0100、否、0200を過ぎても変わることなく、連邦政府は度々コロニーサイドの反乱に悩まされることになるわけだ。一年戦争、グリプス戦役、第一次ネオ・ジオン抗争、第二次ネオ・ジオン抗争――所謂“シャアの反乱”と云うものだ――、マフティーの動乱、コスモ・バビロニア建国戦争、ザンスカール戦争、そしてマハの反乱を経て、遂に地球連邦は崩壊に至るのだ。

 たかだか二百年ばかりで、人類の統一政府は崩壊する――それは、仕方のないことだっただろう。そもそも人間は、他に敵を持たなければ団結することはできない生きものなのだ。他の村、他の国、違う人種、地球か宇宙か、そう云った差異によって彼我を区別し、敵と味方に世界を峻別して生きている。それは、地球連邦政府と云う統一政府ができても変わらない。各コロニーが藩国と化して、相争うようになっている。

 コロニー同盟でやろうとしているのは、そう云う意味では、かつての国際連合における、常任理事国と単なる加盟国との差を、極限まで均すようなことなのだと思う。

 無論、加盟国側の国力の差があるから、完全にすべてのコロニーが均等な力を持つことにはならない――地球とほぼ同じ人口のムンゾやルウムと、できかけのサイド7を同一に扱うことはできない――だろう。

 だが、中世紀の中国のように、同じ国の人民でありながら都市と農村とそれぞれの戸籍において、居住地の制限がある――これを知った時には、それこそガンダムの地球とコロニーの関係性だと思ったものだ――と云うのは、基本的人権の問題として戴けない。財産によって多少の格差が出てくるのは、社会システム的に不可避のことではあるが、生まれた土地によって差別されるのは公正なことではない。

 もちろん、地球にいるものがすべてエリート層であるわけでないことはわかっている。だが、現在の人類すべてが地球に住み得ないことは仕方ないとしても、それを一部の特権階級が独占するのは宜しくないことであるし、また地球に住むことそのものを特権であるかのように云い立てて、コロニーの人間の権利を圧迫するのも許し難い。

 一律に地球連邦がコロニーのすべてを支配するのではなく、多少の自治――それこそ、中世紀の中国で云うところの自治区ではなく、コロニーごとに自律的な政治を行い得る基盤のある――を認めて欲しい、こちらの要求は、そう云うことなのだ。

「全人類百億人を、地球に住まう少数の都合よく支配するのは如何なものか、と云っているのです。崇高な理念とおっしゃるのならば、コロニーサイドからも幾たりか人を選んで、連邦政府の舵取りに参加させて戴きたい。われわれの云うのは、そう云う話なのですよ」

 ゴップは唇を歪めた。

「それで、自分たちも地球に住まわせろと云い出すのではないのかね」

「それは、宇宙移民を棄民政策であるとお認めになるようなお話ですな」

 もちろん棄民政策には違いないのだが、それを云い出すと面倒なことになる。そうではなく、

「われわれが要求したいのは、純粋に、連邦政府への参画です。われわれも暮らす世界を動かす政治に、われわれの代表が参加できないのはおかしい、そうではありませんか。つまり、コロニーにも、地球連邦議会に議席を与えて戴きたい、と云う話なのですよ」

「コロニー出身者の議員もいるはずだが」

 ゴップは、はぐらかすように云う。

「それは、連邦軍などの功労者に与えられるものでしょう。そうではなく、今、現時点でのコロニーの代表を、連邦議会に送りたいと云うのです」

「……それは」

「王権神授説の昔ではないのです。人民の代表を議会に送るのは、民主的な政治体制ならば普通のことではありませんか」

 もちろん、全コロニーから一人、などと云うのではなく、各コロニーから一人ずつだ。ザーン、ハッテ、ムンゾ、ムーア、ルウム、リーア、それにサイド7、各月都市も。人口に合わせて人数を調整するならば、ムンゾとルウムは二人ずつか。

 まぁ、はじめからそう多くは望まない、まずは各サイドから一人ずつで構わない。ただ、コロニーの声を、“中央”に届けたいだけなのだ。

「われわれがコロニー同盟を結成しようと云うのも、このような理由があってのことなのですよ」

「……なかなか」

 ゴップは、片頬を引き攣ったように引き上げた。

「なるほど、くせものだと云う噂は本当だったようだな、ギレン・ザビ。だが、それを連邦議会が呑むと思うのかね」

「だからこそのコロニー同盟ですよ、ゴップ将軍」

 数の論理と云うのは、こう云う風に使うべきだ。

 地球の住人はおよそ二十億人、ムンゾとルウムもそれぞれ二十億人。ザーン、ハッテ、ムーア、リーアはそれぞれ十億、月都市と宇宙居住者は合わせて十億人。サイド7はほとんど人が住んでいないが、それでもコロニーや月都市を合わせれば、百億を超える人間が、地球圏内に住んでいる。ムンゾほど軍備の整ったサイドは他にはないが、それでも、例えばムンゾが連邦と開戦したとして、各コロニーで同時に武装蜂起でも起ころうものなら、連邦軍がムンゾに向け得る部隊数は、大きく削られることになるだろう。

 あるいは、連邦軍の中にもいるコロニー出身者が反旗を翻したならば? 連邦軍は壊滅とまではいかぬにせよ、かなり兵力を削られることは間違いない。そこを、MSを駆使してこちらが叩けば、大勝利とまではゆかぬにせよ、痛み分けに持ちこむことも可能だろう。

「われわれは、より住み易い地球連邦を求めているのです。それは、何も地球上に住みたいと云う意味ではない」

「住みたいと願うものもあるだろう」

「それに関しては、われわれの感知するところではありませんな。われわれの求めているのは、あくまでも地球とコロニーとの間の格差の是正だ」

 コロニー出身者には、連邦議会の門戸が開かれぬなど、宇宙移民は棄民政策であるとの批判を裏打ちするような格差を是正し、中世紀アメリカの州制度のようなゆるやかな自治を是認する。その上で、連邦議会に各サイドから議員を送りこみ、特権階級と化した連邦議会議員たちを揺り動かすこと。とりあえずこれが、今の自分の目標になるだろうと思う。

「ご一考戴きたい。さもなくば、地球連邦は、各サイドの反乱などによって、いずれ崩壊への道を辿ることになるでしょう」

「……それは脅しかね」

「いえ、来たるべき未来ですよ」

 何と云っても、自分にとっては“既に描かれたる未来”だ。

 もちろん、永遠に続く政体などないが、個人的にはコスモ・バビロニアやザンスカール帝国の政治形態を是とするのは厳しいものがある。できればこのままゆるやかな議会制民主主義として――原作内の“絶対民主主義”ではなく――、衰退するにもゆるやかな移行が可能であればと思うのだ。

「私としても、地球連邦が滅んで欲しいなどとは考えてはおりません。むしろ一日でも長く続いてほしいと思えばこそ、改革をと考えるのですよ」

「それならば戦争も辞さぬと?」

「それは連邦政府こそでしょう」

 そうでなければ、要人暗殺など考えたりはするまい。

「戦争など、できる限り回避するべきです。戦争となれば、金も人命も失われる」

「そちらを考えるかね」

「当然です、金がなければ人民の生活は守れないし、人命がなければそもそも国を動かすこともできない。しかし、避けられぬならば、無論戦うのに吝かではありません」

 そこは、戦いを忌避するが故に、連邦の要求を何でも呑むと思わせはしない。

 ムンゾは戦える、ただ、望んで戦うわけではないと、それはきっちり示しておかなくてはならぬ。

「連邦軍は、自分たちの強さをあまり過信なさらぬが宜しかろう。われわれは、既に新たな武器を手にしている。泥沼の戦いにならぬよう、極力戦争を避けるも、賢明な道かと思われますな」

「交渉で、道が拓けると思うのかね」

「そう願っておりますよ」

 内部分裂さえしなければ、ムンゾが一年戦争で敗北を喫することはなかったはずだ。

 今回、内部分裂の原因であるキシリアとサスロ、そしてキャスバルとランバ・ラルは押さえてある。細かい反対派はあるにせよ、ムンゾはひとつだ。これで、“暁の蜂起”に突入できれば、なお一層。ムンゾは――ジオン共和国と名を変えて――デギン・ソド・ザビ首相のもとでひとつになり、地球連邦軍と戦えるだろう。

 完成に向かいつつあるMS、MS-04ブグや、その量産機となるMS-05旧ザクは、もう一年もすれば軌道に乗る。ドズルは、既にパイロットの選抜に入っていると聞いている。MWの操縦から入らせてはいるそうだが、コクピットなどは、既にコンソールは実機とほぼ同じ仕様で訓練させているそうだ。

 ムンゾは勝てる。少なくとも、原作のような、内部分裂による無残な敗北だけはなくなった。

 だからこそ、自信を持って云えるのだ、

「――交渉が無理とおっしゃるなら、戦場で見えるのみ、でしょう」

 と。

 ゴップは、口許だけを笑みのかたちに歪めてきた。

「……これは、なかなか」

 その目は、笑うどころではないようだった。

 そして、“父”に目を向けて、

「――なかなか豪胆なご子息だ」

「賢い子でな」

 と“父”は云うが、元の“ギレン・ザビ”に較べれば、こちらの知能など大したことはない――元のアレの弟よりは知能テストの結果は良かったらしいが、数値は不明――はずだ。まぁ、悪賢いとは度々云われたので、“父”の云うのはそちらの方面なのかも知れなかったが。

 とまれ、戦争を忌避するばかりの臆病者ではないと、ここはゴップに知らしめるのが大事だった。

「若輩ではありますが、戦いを知らぬわけではありません」

 “昔”のアレコレも、鉄オル世界での戦いも。

「ザビ家と云うのは、いずれも優秀な一族なのですな」

 羨ましいとは、まぁ世辞であるのだろうが。

「しかし、そうなると、そのザビ家で一番に愛されていると云うガルマ・ザビとはどのような人物なのか、とても気になりますな」

 ――え。

 まさか、この席で“ガルマ”の名が出てこようとは思わなかった。

 どう云うつもりか、ゴップはにこにこ――のつもりだろう、本人的には――と笑いながら、追撃をかけてきた。

「どうでしょう、せっかく私もムンゾにいるのだ、お会いするわけにはいきませんか」

「――止めた方が」

 心底から云うと、“父”にぎろりと睨まれた。

「ギレン! お前は、ガルマをそんなに疎んじているのか」

「いや、疎んじているのではなく」

 本もののガルマ・ザビならともかく、中身はアレだ。元のアレでは、身内から“どこに出しても恥かしい”とまで云われたものを、この局面で出すなどと!

 と云うのをストレートに云うわけにもゆかず、もごもご云っているうちに、“父”とゴップの間で話が進んでいく。

「宜しい、連邦軍の重鎮と面識を得ておくのも、あれには良い勉強になろう。こちらに呼んで宜しいかな」

「それは是非」

 ゴップはゴップで、年若いザビ家の末っ子を、できれば手懐けたいとでも思ったのか。にこにこと頷いている。

「――ギレン」

 “父”が、眼鏡の下から促す視線をよこしてくる。

「……知りませんよ」

 どうなっても。

 そう小さく云いおいて、“ガルマ”を呼び出すために、通信機のスイッチを入れた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 6【転生】

 

 

 

 コロニーでも雨は降る。

 気象は地球に模しているから。朝から昼まで降った雫は、午後になるとピタリと止んだ。

 コルヴィン・シスを偲ぶ集まりに、こっそりと足を運んだのは、夕刻のことだ。

 講義が一緒の学生に頼んで、バイクの後ろに乗せてもらった。

 キャスバルとの別行動に驚かれたけど、理由を話せば、ポンと一つ肩を叩くだけで請け負ってくれた。

 行き着いた先は、小さなホール。家族と仲間だけのこじんまりとした集まりだった。

 しめやかな空気には、怒りの気配が潜んでいた。そりゃそうだろう。コルヴィンは撃たれたんだ。誰かの悪意が、彼をこんな目に合わせた。

 また、腹の底で“獣”が唸る気配がする。

 溢れるほどの花――きっと“ギレン”が贈ったんだろう――に紛れ込ますように、白いカンパニュラを置いてきた。

 職業柄か、何人かの男達が視線を向けてきたけど、みな目礼だけで済ませてくれた。

 またこっそりと外に出れば。

「……キャスバル」

「気は済んだか」

 置いてきたはずの幼馴染と、グッタリと草臥れた風情のタチ・オハラが居た。

「先に帰っててくれても良かったのに」

 そう伝言してた筈だけど。

「『でも、迎えに来てくれたんなら嬉しい』」

 正直、気が滅入ってたからね。素直に伝えれば、キャスバルの眉間の峡谷が和らいだ――ん。しかめっ面もイケメンだけどさ、余裕綽々の方がお前らしいね。

「帰るぞ。『眼が赤い。泣いたのか』」

「うん。『……怒ってただけ』」

 薄情かも知れないけど、悲しんでやれるほど、あの護衛を知っちゃいないんだ。

 ただ、“ギレン”を守ってくれたことへの感謝を示したかっただけ――あの男は、いまの“おれ”に出来なかったことをしてくれたから。

 ふっと、息を吐いて気持ちを切り替える。

「……それで、タチさんは何故ここへ?」

「車出せと迫られましてねぇ‼」

 あ、青筋。キャスバルに“足”にされたわけだ。

「助かります。帰りはどうしようかなって思ってたから」

 おっとりと言えば、タチ・オハラは、ガックリと肩を落とした。

「頼みますよ。私はあなた方の配下じゃないんです」

「そうですね。それじゃお詫びとお礼にひとつ情報を――“シデン”っていう女医に注意してください」

 言わずと知れたカイ・シデンの母親だ。なんか、諜報員っぽいんだよね。連邦の。

 最近、その名前を耳にした。どうやらムンゾにいるらしい。

 珍しい名前だから、おそらく本人で間違いないだろう。

「色々と聞いて回ってるようですよ。“僕たち”と親しい間柄の人間は誰か、とか。ザビ家の内情やらなにやら」

 あからさまって程じゃないけど、それでもこうして本人の耳に入るのは失敗だろう。

 もしかしたら、こんな失態が重なって、彼らはサイド7へと逃げ隠れしたのかもね。

「……本当に、この間の事といい、どこからそういう情報を得てるんですかね、坊っちゃんは」

「だから秘密ですって。『枯れ木…、ドライバイム教授達だよ。こないだ色々聞かれたって』」

 キャスバルにはタネ明かし。

「捕まえられたら、“ギレン兄様”は喜んでくれると思いますよ」

 上手くすれば、カイ・シデンも手に入る――連邦の火力をさらに削げるからね。

 訝しむタチを尻目に、車の後部座敷に乗り込む。

「このままザビ邸にお戻りになるんですよね、そうですよね!」

 それ以外は聞かん、と、口の中で呟いてるみたいだけど。

「いえ。キャスバルのフラットに寄って下さい」

「はぁあ?」

 不機嫌まるだしの声。思わず笑いそうになった。仮にも“伝書鳩”だろお前。取り繕うのをやめたのか。

 キャスバルの思考波も笑っている。

「ああ、今日はクラウレが来ていたはずだな。『タチを会わせてやるつもりか』」

「久々に、皆にご挨拶したいなって。『飴は必要だろ?』」

 その会話に、運転席のタチが黙り込んでアクセルを踏み込んだ。

「ふわぁ⁉」

 急発進は意趣返しか。体がグンとシートに沈み込む。

「安全運転!」

「黙らっしゃい」

 ピシャリと会話を叩き切るタチ・オハラの声は厳しかったけど、ミラーに映ったその口角は少しだけ上がっていた。

 

 

 

「キャスバル兄さん! ガルマ!」

「我らが姫君!」

 満面の笑顔で飛びついてくるアルテイシアを、キャスバルと二人で受け止める。

「おかえりなさい」

「ああ」

 キャスバルの挨拶はいつも素っ気ない。

 アルテイシアが、ぷくっと頬を膨らませるところまでが恒例行事だ。

「ただいま。リトルレディ」

 薔薇色の頬に掠めるみたいなキスを。

「もうリトルは付かないわ!」

 これも恒例の返事だけど。

「もう少しリトルレディでいておくれよ。君が大人のレディになったら、こんなに気安くキスできないだろ?」

「ガルマなら良いわ!」

 晴々と笑う少女は輝くみたいに美しい。

 お転婆で気が強くて、とても優しい――自慢の妹みたいな。

 いつか、アルテイシアに恋人なんかできた日には、結構な衝撃を受けるんだろうなぁ、おれ。

 ちょっと遠い目になる。

『おれの屍を越えて征ける男じゃなきゃ、許す気になれねぇな』

『……何を言っているんだ君は』

 キャスバルが呆れた思考波を送ってくるけど。

『アルテイシアの相手は全力で見極めるぞ。キャスバル、お前も一緒にな!』

『………………』

『なに?』

『いや別に』

 煮え切らないキャスバルを訝しむ間は与えられなかった。

 アルテイシアに腕を引かれ、居間へと導かれれば、ご母堂様とクラウレ・ハモンが揃っていた。相変わらずの美しさである。

「おかえりなさい、ふたりとも」

 他人の子供のおれも、キャスバルと、同じように受け入れてくれるこのひとは、ほんとに聖母みたいだと思う。

 アストライアがこうした扱いをしてくれるから、アルテイシアも、おれに「おかえり」って言ってくれるんだろう。

 抱擁はくすぐったいけど、嬉しい。

 団欒は和やかで、どこかでまだささくれだっていたらしい気持ちが穏やかに凪いでいく。

 タチは、ちゃっかりクラウレの隣を陣取っていた。まあ、同じ部屋にランバ・ラルがいるから、それ以上どうなるもんでもないけど。それでも、その顔は満足そうだった。

 お茶を飲んでお菓子を食べて。

 猫のルシファを膝に乗せて、アルテイシアの話しを聞いて。

 つかの間の平和を噛みしめる。

『……明日からは、ちょっとおとなしくするよ。シャアとリノからパズルの返事も届いたし。いい加減に真面目にやらないと、卒業に差し障ったら元も子もないからね』

『そうだな。だが、刺激的な日々は、きっとまだまだ続くさ』

 キャスバルの青い眼は、愉しげにきらめいていた。

 なんだそのフラグを立てそうな物言いは。

 向き直ろうとしたら、アルテイシアの華奢な手で両頬を挟まれた。

「ガルマ! ちゃんと聞いてる?」

 ぷくっと膨らんだ頬が愛らしくて、思わず笑みが落ちる。

「聞いてるさ、お姫様。ルシファが大冒険をしたんだろ?」

「そうよ!」

 得意そうな少女の向こうに、苦笑いのランバ・ラル――なるほど。その絆創膏は、ルシファの爪痕ってわけだね。

 楽しい時間は矢のように過ぎる。そろそろお暇の時間がきて、アルテイシアは引き止めてくれたけど、帰らないわけにはいかんのだよ。

 家にはアムロも待ってるからね。

 タチが送ってくれるのかの思いきや、車を出してくれたのはランバ・ラルだった。

 ふぉう。厳しい顔してるわ。

 クラウレ・ハモンを振り返れば、その唇が「叱られてらっしゃい」と弧を描いた。艶めかしいが、嬉しくない。

 口をへの字にして後部座席に乗り込もうとすれば、親指で助手席を示された。駄目だろ。仮にも護衛対象を助手席にって。

 視線で抗議するけど、親指の向きは変わらない。

 肩をすくめて隣に乗り込む。車はスマートに走り出した。

「それで、どこからお説教?」

 切り出してやれば、ギロリと睨まれた。

 ランバ・ラルは、ダイクン家の護衛が任務だ。心情的にもザビよりはダイクン寄りだから、キャスバルを連れ回す――別に強要してないけど――おれに対して、含むところがあるんだろう。

「……ガイアたちに会ったそうだな」

「ええ。会いに行きました」

「タチ・オハラを巻き込んでか」

「成り行きで」

「パイロットになるそうだな」

「はい」

 全てに素直に答えたのに、ランバの眉間の皺はさらに深くなった。

「本当に士官学校に入るつもりか」

「“ギレン兄様”もそのつもりでいますよ」

「……わからんな」

 心底、不思議がってる声だった。

「ザビ家に生まれ、ムンゾ大学にあっさり入れるようなオツムがあって、人誑しで、悪巧みにも長けてる。しかし壊滅的に体力がない。そんなお前が、よりによって一介のパイロットだと?」

 その言い草に笑ってしまった。

「ひどい評価!」

 まぁ、そうかもね。なにせランバ・ラルとの付き合いも長いから、猫皮が少し薄くなるのは否めない。

「あっさりじゃないですよ。努力はちゃんと認めてほしいな、色々ね。あと人並みには体力あるから!」

 抗議はさせてもらう。

 勉学も、人付き合いも、“悪知恵”だって、必要に迫られて磨いてきたものだ。実は血反吐吐くくらい頑張ってる。おれは天才じゃないからね。

 それから、周りが体力オバケなだけで、平均的な体力ならあるはずだ。どいつもこいつも、おれを虚弱扱いするんじゃないよ!

 唇を尖らせると、隣りでため息をつかれた。

「……正直に言え。何を企んでる? お前のやってることは、一つ一つは世間知らずのボンボンの質の悪い我儘のようだが、その実、全てが繋がってる」

 そうだね、他愛ないイタズラとか、ワガママで済まされる範囲で動いてきた。

 真意に気付いてるのは、“ギレン”とキャスバルくらいだろう。

 ランバ・ラルが勘付いたのは流石だけど。

 でもさ。

「何も」

 企んでる訳じゃない――敢えて言えば、企むための下準備に過ぎない。

「いまは、まだ。何もかもが足りないし、達してない。取り敢えずは良い子でお勉強に勤しむことにします。あとは状況次第かな」

 これも正直に答えたのに、ランバ・ラルの眼差しはさらに険しくなった。

「質問を変えよう。お前には、何が見えている?」

「……“ギレン兄様”の見てる未来と――その敵が」

 薄く嗤う。

 “おれ”の喰らうべき敵だ。

 腐っても統一政府。強大な敵に違いない。そして、戦いは避けられない。

「なんて顔をしやがる――ギレンがお前のことを“最大火力”なんて言い出したときには、ヤツまで弟可愛さにどうかしちまったのかと思ったが」

「“ギレン兄様”が⁉」

 ぐるんと体ごとランバ・ラルに向き合う。

 ボスが、“おれ”を、“最大火力”って言ってくれてるの⁉

「バカお前運転中だ!」

 飛びつかんばかりのおれを、ランバの片手が押しやった。ぬ。テンション上がりすぎたか。

 でも、そうか。“ギレン”が、おれを。ふふふ。ふふ。

「……そういう顔は相応に悪ガキなんだがなぁ」

 独り言みたいに零して。

「しばらくはまだ子供でいろ――そうしていられるうちはな。お前の読みどおりなら、そう長いことじゃないんだろうが」

 静かな声だった。

 ランバ・ラルの年齢を思い出す。髭もあるしゴツいし、立場もあるから、本来よりは年嵩に見えるけど、実はまだ若いんだよね。

 この男も、子供時代は短かったんだろう。口調にそれが滲んでた。

「いずれ、否応なくお前もキャスバルも担ぎ出される。それまでに、ちゃんと“心”を育てておけよ」

 心が育つのは子供のうちだとか、実のない人間に従いたい奴なんて居ないとか、耳に痛い話ばかりだったけど。

 聞けなくはないのは、それがちゃんと心が育った実のある大人の言葉だったからかね。

 黙り込んだおれの頭の上に、ランバ・ラルの固い手のひらが乗って、髪をかき回した――やめろ。それでも撫でてるつもりか。

 車は停まっていて、そこはザビ邸の門前だった。

 ゆるゆると門が開いていく。

 手を振って車から降りる。エントランスまで送るつもりだったらしいランバを抑えて、

「ここで大丈夫です。ありがとう」

 澄ました顔で礼を伝える――“ザビ家の末子”として知られてるおっとりとした微笑みで。

 ランバが苦虫を噛み潰したような顔になったのを見届けてから、ふはっと笑う。

 ほら、お前が手を焼く悪ガキの顔だろ?

「このッ」

「おやすみなさい!」

 車から伸びてきた手をヒョイと避けて、今度こそ門の中へと。

 振り返らなくても、ランバ・ラルの苦笑いする顔が見えるような気がした。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「え? 僕もガーディアンバンチへ?」

 “ギレン”の秘書官――残念ながらセシリアさんじゃない――に告げられて、首を傾げた。

 狙撃されてからも“ギレン”は精力的に活動を続けていて、今度はデギンパパと一緒に連邦のゴップ将軍に会うんだそうな。

 出かけていった先が、ガーディアンバンチ。

 連邦でも“モグラ”と称された男を、よくぞ引っ張り出したものだと感心してたけど、よもや、その会談におれまで引っ張り出されるとは予想してなかったわ。

 でもまあ、呼んでくれるなら行くさ。ガーディアンバンチ。

 連邦軍の駐屯地に入れる機会は、そうないからね。

『キャスバル。敵陣偵察できるけど、どうよ?』

『もちろん行くさ。視ておくに越したことはないからな』

 思考波を交わし、秘書官には身支度を整える旨を伝える。

 キャスバルとふたりで部屋に飛び込んで。

「キャスバル、一人で着けられる?」

「問題ない」

 かねてから用意しておいたそれらを引っ張り出して押し付けておいて、おれも着替える。

 連邦要人の前に出るのに相応しく、軍の駐屯地で浮かず、なお且つ好感度高めにって、相当難易度高いよね。

 衣装係が用意してくれたのは、さりげないシャドーストライブのグレースーツだった。

 シャツは白。ネクタイはあえてのブルーにイエローのドット。靴とベルトはおとなしく黒革で。

 対するキャスバルは、細かなヘリンボーンのキャメルスーツ。シャツはやっぱり白。ネクタイはバーガンディーで、イエローのドットがお揃いだった。ダークブラウンの靴とベルトが印象を引き締めてる。

「んん。シャアには見えないよ、キャスバル。困ったな」

「瞳はブラウンにしたぞ」

 確かに。用意しといたカラーコンタクトで、その双眸はシャア・アズナブル(本人)と同じペールブラウンになってるけどさ。

 なんか、迫力が違う。

 眼差しの強さとか、物腰とか。

「……仕方ないなー」

 ちょっと座れと椅子に押し付けて、頬と鼻にそばかすを足していく。

 白い肌を汚すのは気がひけるけどさ。鼻の頭と頬骨の上に少しだけ色を乗せて日焼けみたいに。

「こんなもんかな」

「へえ。器用だな」

 興味深げに鏡を覗き込む様に、ちょっと笑った。

「行こう。そろそろ出ないと」

「ああ。そうだな」

 エントランスに二人並んで出ていけば、秘書官はギョッとした顔をして、口を二度、三度開閉してから、ため息を落とした。

「……ガルマ様」

 地を這うような低音。だけど、怯むと思う?

「彼は“シャア・アズナブル”です。一緒に連れていきます」

 ツンと顎を上げて言い切る。

 言い合ってる時間はない。秘書官は肺の中の息を全部出し切るみたいなため息をついた。

「叱られますよ」

「必要だから、仕方がないです」

 答えながら、車に乗り込む。キャスバルもとい、“シャア・アズナブル”も続けて乗り込んできた。

 これがセシリア・アイリーンなら、何としてでも止めんと立ちはだかっただろうけど、目の前の第二秘書官にはそこ迄じゃない。

 何度も息を落としつつも、車は速やかに発進した。

 同じムンゾにあるから、そう遠い訳ではないけど、ガーディアンバンチにたどり着いたのは、既に夕刻といった時刻だった。

 ゲートからは、軍の車両がお供と言う名の監視でついた。

 目隠しされるなんてことはないから、存分に敷地内を観察する。

 建物の位置、距離、装備配置に、大凡の人員やあれやこれや。

 記憶しつつ、脳内に立体のマップを作成する。そのイメージをキャスバルに投影。

『大体、こんな感じ?』

『ついでにこれもな』

 キャスバルからの情報補完で、マップをさらに修整する。

 傍からは、初めての軍施設に興味津々の子供達にしか見えなかったんだろう。

 たまに行き合う連邦軍兵士達の中には、手なんか振ってくれる奴もいたから、微笑みと会釈で返してやった。

 

 

 

「……! !! !!!」

 案内された部屋には、当然、“ギレン”もいるわけだが。

 ふぉう。般若面。

 戸口まで迎え出てくれたその表情が、壮絶なことになってる。デギンパパとゴップ将軍がいる前で、その顔はアリなの?

 拳をぷるぷる震わせながら見下ろしてくる“ギレン”は、フツーに怖い。

 背後で、キャスバルの思考波が珍しく揺らいでた。

「兄さま、“シャア・アズナブル”です」

 ニコッと笑って紹介する。

 “ギレン”は、クワッと三白眼を見開いた。

「……! “ガルマ”!!」

 はいよ。

 次の言葉を待つけど、“ギレン”は引き攣った顔のまま、名を呼ぶことしかしなかった。

「ごめんなさい、兄さま、駄目でしたか?」

 上目遣いに見上げながら聞いてみる。

『おい、火に油を注いでるぞ!』

『むしろガソリンに引火しそーだけど。今のおれは、空気を読まない甘やかされた我儘坊っちゃんだからな!』

『……後の説教は君が受けろよ』

『なに言ってんの。一蓮托生。逃げられるわけ無いだろ、お前も』

 そんなやり取りを水面下でしつつ、デギンパパには満面の笑みを。ゴップ将軍には丁寧にお辞儀を。

 デギンパパは、ほんの一瞬だけ、面白がるような光を、グラスに遮られた眼の奥に灯した。

「――ガルマよ」

 重々しい声。“ギレン”と違って、そこに怒りの気配は無かった。

「ここは遊び場ではない。気安く友人を伴ってくるところではないと、弁えなかったのか」

 言葉は厳しいけど、口調は穏やかで、それを聞いていたゴップが、ほんの微かに苦笑を浮かべた。

「……ごめんなさい」

 素直に謝る。

「“シャア”はルウムで知り合ったんですけど、今度ムンゾの士官学校に入るんだと云うので――見学がてらいいかなって思ったんです」

 もちろん、デギンパパは“シャア”がキャスバルだってことに気づいていて、おれの我儘に付き合ってくれてるわけだ。

「――いや、中々友人思いのご子息ですな」

 ゴップの声に、皮肉の気配はなかった。呆れはあるんだろうけど、不快に思うほどでは無いってことか。

「今回は仕方がない。しかしガルマよ、お前もザビ家の名を負うものとして、弁えた行動を心がけねばならぬ。良いか」

「……はい」

「わかれば良い。――申し訳ない、ゴップ将軍。まだまだ幼くてな」

 デギンパパの手が伸びて、頭の上に乗った。

 促される様にして、改めて謝罪する。

 ゴップは、笑顔のままおれを見て一つ頷き、

「いやいや、若いとは良いことです。老いぼれた身には、眩しくも思える」

 デギンパパに向き直ってそう答えた。

「それでつい甘やかしてしまうのですよ。――老いてから子など作るものではありませんな」

「末の子と云うのは、ただでさえ可愛く思えるものですからな」

 まるで世間話みたいに和やかに話してるけど、どちらも大狸。

 親しみの裏で、ピリピリと張り詰めるような緊張は緩まずにあった。

 この間、“シャア・アズナブル”は、ひたすら空気に徹することにしたらしい。

 席を進められて、ソファに並んで掛ける。何気に“シャア”が“ギレン”から一番遠い席を選んでて、笑いそうになるけど我慢。

 ゴップの視線はこちらに向いてるから、一瞬たりとも気は抜けぬのだよ。

 ちょいちょい振られる会話は、ときに試すようなものも含まれてるし。

「ご友人はルウムの出身とか?」

「はい。テキサス・コロニーです」

「ああ。あちらは埃っぽいのだったかね? 地球の古き良きアメリカと同じに?」

 その物言いは、裏を読めばこうなる。

(紛い物のテキサスは、地球の本物のテキサスと同じように造られているんだろうが、大したもんじゃないんだろう?)と。つまり、遠回しの侮辱であり、おれがそれに気付くか、そしてどう反応するかを知りたいんだろう。

「ふふ。どうでしょう。とても美しいところですよ」

 おっとりと笑って、デリカシーに欠ける発言を受け止めつつ、いなす。

「ゴップ将軍は、ピーカンパイをお召し上がりになったことは? テキサスの有名なパイです」

「いや?」

 首を傾げるゴップに、殊更に悪戯な表情を作って。

「では、いつか食べ比べてみてはいかがでしょう? アズナブル婦人の焼くピーカンパイは、きっと地球のそれより美味しいかも知れませんよ?」

 その返しに、ゴップは目を見張ってから、ペしりと自分の額を叩いた。

 古狸は、当然その裏の意味に気づいただろう。

(地球より劣ると侮るな)

 ルウムも、ムンゾも。コロニーのすべてを。

 いなすまでは予想してたんだろう。だけど、チクリと返されるとまでは思ってなかったのか。

 ゴップが向けてくる視線が変わった。世間知らずの箱入りに向けるそれから、幼くとも“ザビ家”の人間に向けるそれへ。

 隣に座るデギンパパから、満足そうな気配が。“ギレン”は変わらすギリギリ睨んできてるけどさ。

「そのときには、ご一緒できると良いですな」

「ぜひ。ご案内させてくださいね」

 にこやかに朗らかに。決して媚びることなく。

「――なるほど、確かに愛すべき若者だ」

 ゴップが浮かべた微笑みは、作られたそれとは違ってた。

 少しはお眼鏡に適ったってことなのかな。

「長男は政治家として十全の働きをし、末子は愛される若者とは、貴殿はよくよく恵まれた御仁ですな、デギン殿」

 いっそ羨ましそうにすら聞こえる声だった。

 デギンパパはちょっと胸を張って、柔らかな声で礼を告げた。

 おれ達が到着する前は知らないけど、会談はごく和やかに終了した。

 来たときと同じ車で退出する。デギンパパと“ギレン”とは別々だ。

 もちろん、帰り道も基地内をつぶさに観察する。人の出入りとか動きとか、その動線はある程度決まってるからね。

『どう、キャスバル?』

『兵舎は2ブロック。中央は管理塔、連隊本部。挟んで反対側に兵器庫、銃器格納庫。事前情報と一致するな』

『ここには一個連隊、3000人が詰めてる。動線はとてもシンプル――少し緩いね』

 目を細めて嗤う。

 シンプルなのは良い事だ。迅速に動けるなら。だけど、ここの動線は単調で、無駄も多い。

 脳内のマップに、引かれる幾筋ものラインに、キャスバルの思考波も嗤ってる。

 鮮やかな赤で上書きされるのは、想定した侵入ラインか。

『……良いね。ついでに、こう』

『悪くない』

 子供がイタズラ書きに夢中になるみたいに、攻略策を練っていく。

 とてつもなく大胆に、緻密に、狡猾に組み立てられたそれらを、大切に頭の中にしまい込む。来たるべきその日の為に。

 本当は、いつだって怖いんだけどね。

 自嘲が滲むのは仕方ないんだ。

 おれは臆病だから、例えば、キャスバルが――未来の仲間たちが、戦火の中へ征くことを思えば、体の芯が凍えるような心地になる。

 いっそ、そうなる前になにもかも叩き潰してやりたくなるし。

『……ガルマ』

 キャスバルが名前を呼んで、その指でおれの手の甲をとんとんと叩いた。

 淵に沈んでいきそうだった思惟が引き止められ、ふっと緊張が逸れる。

 思考波の揺らぎに気づいてる幼馴染が、密やかに笑った。

『また、アムロに噛みつかれるぞ』

『……そうだね、ごめん』

『君が不安になるのは、いつだって僕たちのことだからな』

 鼻を鳴らすキャスバルを軽く睨む。否定はしない。怖いのは、“お前ら”と、“ザビの家族”が大切だから。

『だが、君の案じる誰も彼もが、君より余程しっかりしてるさ――いい加減に無駄だと気づけ』

『ヲイ』

 なんだそれ。そこは慰めるところじゃ無いのか。このおれの扱いよ。

 抗議はさらりと聞き流される。

 ふーっとため息をついて首を振った。

「……ちょっと疲れたな」

「そうだな」

 流石に緊張せざるを得なかったしね。シートに凭れ、重くなる瞼に逆らわずに目を閉じる。

 せめてもの意趣返しに、体重をかけて寄り掛かってやったのに、キャスバルの体幹はちっともブレなかった。

 毎度ながら、幼馴染が頑強過ぎて悔しすぎるわ。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 コンコン、と、2度のノックのあと、返事を待たずに扉が開いた。

「ガルマ。ちょっといいかい?」

 その声に振り返る。

「わぁ。シャア、久しぶりだね! 元気そうだ」

 ニコリと微笑んで答えたけど、なんか違和感が――あ、眼が青い。

 パチクリと瞬きして見やる先で、シャア・アズナブルは、普段のキャスバルと寸分違わぬ出で立ちで戸口に立っていた。

「はぁあ〜?」

 その唇から素っ頓狂な声が。

 やめろよ。お前、顔はキャスバルに似て美形なんだからさ。

「なんで⁉ どうして⁉ 屋敷の人は皆、僕をキャスバルだって……」

「うん。眼まで青いと、ホントにそっくりだね」

 近づいて、その顔に手を伸ばす。微かに浮いてたはずのソバカスも消えてるし。双眸に宿る意思の強さも、出会った当初とは桁違いだ。

 だけど、おれがキャスバルとシャアを見誤るわけ無いだろ。

「ねえ。どこが違う?」

 ――そりゃ全部、さ。

 よく似てるけど、“似てるだけ”だ。

 なんて言えないから、曖昧に笑う。そもそも思考波で繋がってないしね。

「大丈夫。とても良く似てるから」

「……君も間違えるなら完璧だって、キシリアが」

 ヲイ。

 物凄く低い声が出そうになって、息を飲み込んだ。ちょっと苦しいんだけど。ねえ、シャア、お前、今なんて?

 なんで、お前が、キシリア姉さまを、名前呼びしてんのさ。

 おれの顔を見て、シャアが一歩後退った。

「……ガルマ? ねえ、ちょっと瞳孔開いてないかな。え? なに怒ってんの? えええ???」

 逃げようとするけど、逃がすと思うの?

 戸口から引っ張り込んで、壁ドンである。

「ねえ、シャア。なんで姉さまを呼び捨てにしてるのかなぁ?」

「えええええ、そこ⁉ だってキシリアがそう呼べって!」

「姉さまが? あの、誇り高く、孤高の花みたいな、綺麗だけど男を寄せ付けない、あの、戦乙女みたいな姉さまが? ……お前に?」

 ズイと顔を近づける。至近で覗き込んだシャアの眼は、薄っすらと涙の膜すら這ってたけどさ。

 さて、どう締め上げてくれようか。思案する耳に、駆けつけてくるような足音が。

 なんだ。どこかに盗聴器でも仕込んであったか。

「おやめなさい、ガルマ!」

 姉さまの声。

 あんまり怒ってはいない。ちょっと困ったみたいな。どこか恥ずかしがるみたいな。

 ――恥じらう?

 姉さまが、なんで?

「た、助けて、キシリア!」

「姉さまを誑かしたのか⁉」

「ガルマ!」

 どうどう、と、引き離されるけど、おれ馬じゃないよ、姉さま。

「落ち着きなさい、ガルマ。その子の面倒を私がみてるのは知ってるでしょう」

「知ってます! 知ってますけど、でも呼び捨てなんて……」

 家族以外には冷徹と評される姉さまが、新参者のシャアに名前呼びを許すなんて、それって“トクベツ”ってことじゃないか。

 唇が尖る。

 なんだか、姉さまを盗られる気がする。いやもう盗られてるのかも知れない。

 ――キャスバルならいざ知らず、シャア・アズナブル如きに。

 いや、シャアが悪いっていうより、キャスバルくらい超人なら納得しても良いとか悪いとか……。

 グルグル唸るおれを、姉さまがそっと抱きしめた。

「しょうのない子ね。いつまでも甘ったれで」

「だって」

 ザビ家はおれの“テリトリー”だ。領域侵犯は許しがたい。

「お前はシャアが嫌い?」

「…………嫌いじゃないです。友達だし」

 そう。今生での友達の枠に入ってはいるんだよ。

「ガルマ!」

 なんかシャアが眼をキラキラさせてこっちを見るけど、それとコレとは別だからね。

 ギロリと睨めば、うっと仰け反った。

 フフフ、と、姉さまが柔らかな息で笑う。こんなキシリア・ザビを知ってるのは、家族だけで良いなんて思ってたけどさ。

「…………姉さまが許してるなら、僕がどうこう言うことじゃ無いんでしょうけど」

 自分でも拗ねてるとわかる声だった。

「良いですよ――ただし」

 切り出したおれに、姉さまは面白がるような視線を向け、シャアはゴクリと喉を鳴らした。

「僕よりいい成績を叩き出してよね」

 その条件に、シャアが眼を見開いて叫ぶ。

「無茶振りだ!」

「無茶じゃない。キャスバルの成績を抜けとは言ってない」

 オールSAとかは求めてないんだから、有り難いと思うが良いさ。

 姉さまはとうとう声を上げて笑いだして、シャアの背中を叩いた。ちょっと親しげ過ぎませんかね?

「頑張りなさいな」

「キシリアまで!」

 また呼び捨てたな。こめかみをヒクつかせつつも、姉さまから離れて、シャアを抱きしめる。

「メッセージは送ってたけど、改めて。ムンゾ大学入学おめでとう、シャア。君ならできるって信じてた」

 元は中の下の成績でしかなかったお前が、あの家庭教師の手で、ビシバシ鍛えられてたのは知ってる。

 あのセンセー、やる気を見せればどこまでも伸ばしてくれるけど、そうじゃないとまるっと放棄するヒトだからね。

 ハイスクールを一年スキップして、ムンゾ大学に入学を果たした。それって、お前が物凄く頑張ったって証拠だし。

「ガルマぁ」

 シャアの手が背中に回って、ギュッと抱き返された。

「そんな情けない声。キャスバルなら絶対に出さないよ」

 フンと鼻を鳴らしてやって、それから、努めて晴れやかに笑う。いつまでもシャアをオロオロさせとけないし。

「ひどいな!」

「ホントのことさ。でも、まあ、皆が惑わされるくらいには似てるよ。及第点はあげる」

 そんなおれたちに、キシリア姉さまはひとしきり笑って、仕事があるからとひとりで帰っていった。

 去り際にシャアのカフスボタンに仕込まれてた盗聴器を返せば、「目ざとい子ね」と頬を抓まれた。いてて。

 二人きりになってから。

「……ガルマ、例の研究所に行ってきたよ」

 お。フラナガン機関か。

 パズルに込められてたメッセージを読み解いて、姉さまに頼み込んでくれたらしい。

「残念ながら、現時点では僕はニュータイプじゃ無いって言われちゃった」

 シャアが苦笑する。

 ――まあ、そうかもね。想定内だけど、確かに残念ではある。

「そうか……とても少ないみたいだからね」

「ああ。研究所にも、候補を含めてもまだ5名しか特定できてないって」

「それ、君が聞き出したの? 凄いな!」

「ああ。博士が教えてくれた」

 ふぉう。やるじゃないかシャア・アズナブル。大方、姉さまの連れって事で口が軽くなったんだろうけど、それにしたってね。

「会えた?」

「直接は会えなかったけど、ガラス越しに見た」

「子供だった?」

「いいや。僕たちより少し年上だったかな」

 ふむん――先達ってやつかな。

 もともとフラナガン機関自体は、本来なら一年戦争開戦後に発足した筈のものを、“ギレン”が前倒しで姉さまに立ち上げさせたものだ。

 だから、その人員も、いつかの時間軸のそれとは異なるんだろう。

 そんなことを思ってたら、シャアが少し眉を寄せた。

「ジオン・ズム・ダイクンの思想では、ニュータイプはスペースノイドから自然発生する、“新しい人類”ってことだけど、見た感じは普通だったな」

 その言い分に、パチクリと瞬く。

「そりゃニュータイプだからって、角が生えてたりはしないだろうさ」

「そうなんだけどさ……」

 言い淀むシャアに首を傾げる。とくに急かさずに言葉を待てば、そのうちに整理がついたのか、ポツポツと話し始めた。

「博士の話じゃ、ニュータイプは“サイコウェーブ”ってのを発してるらしいよ。それによって空間や他者を認識し、言葉に寄らない会話さえできるって――だけど、その発現には、強い衝撃やストレスが関わっている可能性が極めて高いってさ」

 例えば、生命を脅かされるほどの危機的状況や、心理的圧迫、極限状態での緊張等が、素養を持つものをニュータイプに覚醒せしめるのだと、フラナガンは想定してるってことか。

 そして、それを人為的に行うことで、ニュータイプを作り出すことさえできると。

 シャアの話を要約すると、そういう事になる。

 フラナガンの野郎。既に“強化人間”の構想練ってるじゃねぇか。

 これは“ギレン”への注進は必須だ。釘どころか杭を打ち込んどいて貰わんとね。

「僕は好きになれないな、あの人。ニュータイプたちを見る目は、同じ人間を見てるように思えなかったし!」

 憤慨するシャアを抱きしめる。

「……ニュータイプも同じ人間?」

「当たり前だろ! 君の言ったとおり、角も尻尾も生えてやしなかったよ‼」

「最高だ! シャア、君は優しいね」

 ぎゅうぎゅうと抱きつく。

「なんだい、いきなり」

 意味がわからない、なんてボヤきながらも、宥めるみたいにポンポンと背中を叩いてくれる。

「君は、ホントに良い男だよ――……だけど」

「だけど?」

 抱きつく腕に力を更に込めてギリギリと。

「姉さまと仲良くするつもりなら、僕を踏み越えて行くんだね!」

「ええ⁉ そこに戻るのか⁉」

「戻るとも!」

 今日からおれは猛勉強だ。

 オールSAまでは行かずとも、8割以上は獲得してやるさ‼

 

 そこからの一年は、キャスバルに呆れられ、“ギレン”に訝しまれるほど、必死に勉学に励んでやった。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 6【転生】

 

 

 

 “ガルマ”たちがガーディアンバンチにやってきたのは、夕刻も近くなってのことだった。

 “たち”と云うのは、キャスバルが一緒についてきたからだ。

「……! !! !!!」

 声にならない怒りに身を震わせていると、“ガルマ”はかるい調子で、

「兄さま、シャア・アズナブルです」

 と、さも初対面であるかのように紹介してきた。

「……! “ガルマ”!!」

 言葉にならない。

 確かに、キャスバル・レム・ダイクンと云えばの鮮やかに青い瞳は、ブラウンのコンタクトで隠されてはいるけれど――それしきで騙されるわけはないと、この二人はわかっているのか。

 キャスバルも、少し肩をすぼめて、叱責を覚悟する風であるが、

 ――この、確信犯どもめ!

 握りしめた拳が、ぶるぶるとふるえてしまう。

「ごめんなさい、兄さま、駄目でしたか?」

 きゅるんとした顔で云われても、騙されるものか!

「――ガルマよ」

 “父”が、ゆっくりと口を開いた。

「ここは遊び場ではない。気安く友人を伴ってくるところではないと、弁えなかったのか」

 “父”にも、“シャア・アズナブル”がキャスバル・レム・ダイクンであるのはわかっていただろうが、ゴップの手前、息子の迂闊な行動だけを咎めるもの云いになった。

「……ごめんなさい」

 “ガルマ”は、しゅんとしてみせる。

「シャアはルウムで知り合ったんですけど、今度ムンゾの士官学校に入るんだと云うので――見学がてらいいかなって思ったんです」

「――いや、中々友人思いのご子息ですな」

 口を差し挟んできたのは、ゴップだった。

 まぁ、まさか目の前の子どもたちの片割れが、かのジオン・ズム・ダイクンの息子とは思わなかったのだろう、“ガルマ”の暴挙にも、にこにこと笑っている。

 当の“シャア”――キャスバルは、困ったように苦笑している。それでゴップは、大方我儘坊っちゃんの“ガルマ”が、安請け合いした上で引っ張ってきたのだろうと思ったようだった。

 が、“シャア”の正体を知っている身としては、そんなものでは済まなかった。

 ――何を考えている!

 確かにムンゾの士官学校は、このガーディアンバンチにある。が、その敷地はきっちりと区切られ、こちらには連邦軍の駐屯地しかないのだ。

 士官学校の下見など方便と云うか嘘八百で、実際にはこちら側、つまりは連邦軍駐屯地こそが、下見の対象であるのに違いない。

 ――悪知恵ばかり働かせやがって!!

 “オルガ・イツカ”のように叫びたい、が、“ギレン・ザビ”ではできないこともある。

 その代わりに“父”が、冷静な声で窘めてくれた。

「今回は仕方がない。しかしガルマよ、お前もザビ家の名を負うものとして、弁えた行動を心がけねばならぬ。良いか」

「……はい」

「わかれば良い。――申し訳ない、ゴップ将軍。まだまだ幼くてな」

 “シャア”の正体はついぞ気取らせず、“父”はゴップに頭を下げてみせた。

 もちろん、それで激怒するような男では、ゴップはない。

 にこやかな顔を崩さずに、首を振った。

「いやいや、若いとは良いことです。老いぼれた身には、眩しくも思える」

「それでつい甘やかしてしまうのですよ。――老いてから子など作るものではありませんな」

「末の子と云うのは、ただでさえ可愛く思えるものですからな」

 老境に入った男ふたりの会話は穏やかだ。まぁ、キャスバルについては、これで何とかおさまるだろう。しかしながら。

 そもそも“ガルマ”に関しては、タチ・オハラから、“黒い三連星”と接触したと云う報告が上がってきている。

 “ガルマ”本人がMSのパイロットになる気でいるのはわかっていたし、元“三日月”であれば、MSに乗りたいと云うのも自然な話であったので、それを止める気は毛頭なかった。が、士官学校にも入らぬうちから首を突っこもうとするのを許すのは、また別の話である。

 MS計画は軌道に乗りつつあり、パイロットの育成も進めてはいるが、いくらザビ家の人間でも、軍に関わりのない子どもに全容を明かすのは、機密保持の観点からも問題だ――例え、かなりの情報が既に明かされているとしても、立入禁止区域に“民間人”を入れるのは、論外である。

 それをかいくぐるためかどうか、“ガルマ”――そしてキャスバルも――は、初期からのテストパイロットであるガイア、マッシュ、オルテガに接触を持ったと云うのだ。しかも、わざわざ場末の飲み屋を訪れさえして。

 ――何を考えている!

 こちらも、意味なく禁止しているわけではない。もしも“ガルマ”がガルマでなく、ドズルの立場であったなら、もっと情報も開示して、あれこれ手伝わせたことだろう。

 だが、“ガルマ”がガルマである以上、その立場で許されるべき範囲と云うものがある。同じくらいの年齢であるとは云え、民間警備保障会社である鉄華団のパイロット“三日月・オーガス”と、良家の子息で学生である“ガルマ・ザビ”では、やれること、知る権限のあることには格段の差がある。それは、一定規模の組織の一定以上の立場にあるのか否か、それにかかっていると云っても過言ではない。人間社会は、弱肉強食的な、腕力ですべてが決まるような単純な構造では動いていないのだ。

 そうである以上、それなりの手順を踏んで、きちんと権限を得てから様々なことどもにアクセスしなくては、他方面から批難を受けることになる。それが、引いては先々の“ガルマ”の権限を狭めることにもなりかねない。

 だからこそ、士官学校を出るまでは機密には触れさせまいとしていると云うのに、

 ――この阿呆は!

 露見すればザビ家の責任も問われる事態であるのだと、何故わかろうとしないのか。

 否、わかっている、“ガルマ”はそう云えば、“バレなければいいんだよ”と返してくるに決まっている。

 だが、世に絶対はない、バレずに済むとは限らない。その時に、お得意の誑しこみが通じるとは限らない――そもそも、批難は自分や“父”、ドズルなどに向くので、“ガルマ”がどうのと云うのは、この際問題にもならない――のだ。

 “ガルマ”の“好き勝手”した結果がザビ家全体にかかるようなことがあれば、一年戦争どころの話ではなくなる。

 だからこそ、元のアレコレでも、政治家は極力身ぎれいにを心がけていると云うのに――この“弟”は。

 ぎりぎりと歯を噛み締めながら見守るが、ゴップはこちらの様子には気づかなかった。否、気づかぬふりをしていたのかも知れない。

「ご友人はルウムの出身とか?」

 和やかな会話は続いている。

「はい。テキサス・コロニーです」

「ああ。あちらは埃っぽいのだったかね? 地球の古き良きアメリカと同じに?」

 微かな皮肉の気配。

「ふふ。どうでしょう。とても美しいところですよ」

 “ガルマ”は云って、微笑んだ。

「ゴップ将軍は、ピーカンパイをお召し上がりになったことは? テキサスの有名なパイです」

「いや?」

「では、いつか食べ比べてみてはいかがでしょう? アズナブル婦人の焼くピーカンパイは、きっと地球のそれより美味しいかも知れませんよ?」

 ゴップは目を見張ってから、ペしりと自分の額を叩いた。“これはしたり”、そう云いたげな顔だった。

「そのときには、ご一緒できると良いですな」

「ぜひ。ご案内させてくださいね」

 にこりと笑う、力較べをしているレスラーのような気配だった。

「なるほど、確かに愛すべき若者だ」

 ゴップは云って、小さく息をつき、微笑んだ。

「長男は政治家として十全の働きをし、末子は愛される若者とは、貴殿はよくよく恵まれた御仁ですな、デギン殿」

 声に皮肉の欠片もない。これは、本気でそう考えているのか、それともそう装っているだけなのか。

 ともあれ、ゴップとの会談は和やかに終わり、“父”は、“ガルマ”とキャスバルを別の車に載せ、連邦軍駐屯地を後にした。

「――ガルマも、ザビ家の男だったと云うことだな」

 リムジンの後部座席に並んで坐り、“父”が喉を鳴らすように笑って云った。

「は」

「あれとキャスバルは、連邦軍の駐屯地を偵察にきたのだろう。可愛いふりをして、中々やりおるわ」

「確かにそうですが――反対派に突っこまれたらどうしようかとハラハラしました」

「お前も、かなりの形相だったからな」

 楽しげな声。

「笑いごとではありません!」

 ここで“父”が“ガルマ”を許してしまえば、後はやりたい放題になりかねない。

 ぎりぎりしていると、“父”はふっと笑った。

「しかしまぁ、そうだな、そろそろ釘を刺しておくべきだろうな。あまりやんちゃばかりでは困る」

 “父”は、ゆっくりと云った。

「ガルマを、士官学校に入れるそうだな。それまでのあと一年、羽目を外さぬように、きちんと監督してやらねばな」

 つまりは、監視をつけろと云うことか。

「――来年度には、キャスバルの影武者となるシャア・アズナブルがムンゾ大学に入ります。その護衛と称して人員を配置し、同時に“ガルマ”やキャスバルの監視もさせましょう」

「うむ」

「士官学校では、ドズルがいるので平気だと思うのですが――念のため、学生の中にも監視員を作ります。隣りが連邦軍駐屯地ですから、何かあった時のストッパー、あるいは警報機の役割くらいは果たしてくれるかと」

「うむ、そこはお前に任せる」

「は」

 それに関しては、熟考せねばならぬ。

 “伝書鳩”ではない、士官学校に入っていても違和感がなく、かつザビ家との接点を疑われ難い、優秀な人材を探し出さなくては。

 ――見ていろ。

 今ごろ、後ろの車の中でぺろりと舌を出しているだろう“ガルマ”の顔を思い浮かべ、強く考える。

 “父”も公認であるからには、手はいろいろに打てる。

 無論、がちがちに締めつければぶち破って逃げ出す“ガルマ”であるから、手綱を適度に緩められる手腕の持ち主でなくてはならないが。

「……見ていろ、やりたい放題しようとしているあいつを、中世紀の言葉でぎゃふんと云わせてやる……!」

 そう云って拳を握るのを、“父”が生ぬるいまなざしで見つめて来た。

 

 

 

 さて、しからば人選である。

 ひとりはざっと決めた――“ガルマ”たちと同級になるはずのゼナ・ミアだ。真面目なあの少女ならば、あの二人の監視役もきちんと務めてくれるだろう。但し、キャスバルに惹かれていたような描写もあったように記憶しているので、そこだけは注意せねばなるまいが。

 まぁ、何かあってもそこは“ガルマ”が止めるだろう――未来の“兄嫁”であるとわかっているからだ――から、そこまで心配はしていないが。“ガルマ”とて、ミネバがいなくなる事態は避けたいはずだ。

 さて、もうひとり――こちらは、自分的には荒技だ。

 ジョニー・ライデン――トミノラインしか押さえていない自分にとっては未知の人物である。と云うか、そもそもアニメにいたキャラクターでもない――『MSV』は、ガンプラのデザイン企画だ――ので、当然と云えば当然か。

 後々漫画も少しずつ出てきていたが、ざっと云うとムンゾの愛国者と云う風な若者であること、アメリカ系の移民三世であること、パーソナルカラーが赤で、よくシャア・アズナブルと混同されていたらしいこと、くらいだろうか。

 作品によっては、反ザビ家であったり――その割には、所属はキシリア麾下のキマイラ隊だったようだが――、キシリアの幼馴染でほのかな想いを寄せていたり、シャアと混同されて激怒していたりと様々だ。

 ジオン軍に入ったのも、志願だったり、父親に叩きこまれたりと諸説あるが、UC0056生まれで、『the ORIGIN』で云うなら“ガルマ”やキャスバルの一年上、少なくともキシリアの幼馴染ではない。今のラインであれば、“反ザビ家”も何もないのだろうし。

 そして、一年年上であるくらいなら、ここで言を弄して“説得”し、“ガルマ”たちと同級に叩きこむことも可能だろう。“終身中佐”――この階級は謎だが――になるくらいだ、キャスバルと互角とはゆくまいが、そこそこに統率力もあるのだろうし。

 こう云うことは、“伝書鳩”ではなく、こちらの秘書官の方が良いだろうと思い、ジョニー・ライデンの実家へセシリア・アイリーンをやる。実家は農家らしい――その父親が、ジョニーを兵学校へ叩きこんだのだとか――が、それで息子を兵学校へ入れるような人物なら、今のザビ家の要請にも、二つ返事で応えてくれるだろうと考えたのだ。

 果たして、ジョニー・ライデンは、セシリア秘書官に連れられてやって来た。

 執務室に入ってきたのは、中肉中背、くすんだ金髪に青い瞳の、典型的なYankeeの若者だった。

 ――うむ、アメリカ人。

 北方系の多いムンゾの人間とは、少し異なる雰囲気だ。良くも悪くも単純そうだと云えばいいか――まぁ、もちろん軍で中佐にまで登りつめる人間が、単純思考なわけはないが。

「閣下、ジョニー・ライデンです」

 セシリア秘書官の言葉に、ジョニーは胡散臭そうな顔でこちらを見上げた。

「……アンタは」

 なるほど、やや反骨精神があるようだ。だがまぁ、この場合はこれも良い。

「私はギレン・ザビだ。ジョニー・ライデン、君に頼みがあって来てもらった」

「議員先生が俺なんぞに、何の御用がおありなんですかね」

 農家の十五ばかりの少年にしては、中々にふてぶてしいもの云いだ。キャスバルやシャア、もちろん“ガルマ”とも異なるタイプである。

 『MSV』などによれば、ジョニー・ライデンは二十二歳で戦場に出たと云うことだが、その直前に、一年だか半年だか兵学校にいたと云うことだろう。それで、例のルウム戦役の時には曹長だったらしい。ジオン軍の撃墜王はジョニー・ライデンなのだそうだが、まぁ佐官と下士官とでは出撃回数に差があるのは当然だから、それが即実力の差となるわけではあるまい。“赤い彗星”推しだからと云うのはもちろんあるが。

「中々いい態度ではないか」

 フフと笑うと、ジョニーの唇がひん曲がった。

「俺は、農家の小倅でね。政治家先生なんぞの前に出ても、取る礼儀なんざ知らねぇんで」

「ザビ家は嫌いかね」

「……好きじゃねぇな」

 だが、倍ほどの年齢の人間にこの口がきけると云うのは、中々に胆力があると云うべきだろう。

 ――気に入った。

 好悪で云えば、無論キャスバル推しではあるが、それはそれとして、面白そうな人物ではある。

「では、そのザビ家嫌いの君に依頼しよう。我が弟“ガルマ・ザビ”と、キャスバル・レム・ダイクンの監視役を務めて欲しいのだ」

「はあぁぁぁ?」

 このもの云いだ。その上、顔も思い切り捻じ曲げられている。いや、本当に大した度胸の持ち主だ。

「何で俺が、アンタらザビ家の役に立たなくちゃならねぇんだ」

「ザビ家ではない、ムンゾのためだ」

 そこはきっちりと否定する。

「ザビ家がどうではなく、キャスバル・レム・ダイクンはいずれムンゾの首長となるだろう。その安全を担保したいのと――我が弟“ガルマ”が、何やらやらかさないか心配でな」

「……はぁ」

 過保護かよ、とジョニーは呟くが、そんなものではない。

「“ガルマ・ザビ”は、ザビ家の最大火力なのだ。だが、その知謀と云うか悪知恵は、おかしな方向に向いた途端に、身内をも焼く業火ともなりかねん。否、ザビ家のみが被害を受けるのであれば良いが、あれのやることだ、ムンゾをひっくり返す可能性もある。私としては、それを極力抑えたいのだよ」

「“最大火力”ってんなら、巧く使やいいんじゃねぇの」

「あれはまだ“子ども”だ。それに、あれの最大の欠点は、政治向きのことを理解しないところにある」

 鉄オル世界であれば、それでも良かった。鉄華団は、戦場を生き抜き、敵を蹴散らしていけばそれで済んだ部分があったのだ。

 だが、宇宙世紀はそうではない。1stにしても『the ORIGIN』にしても、複雑怪奇な政治背景を持つ世界であり、そこをどうにかこうにか渡ってゆかねばならない。それは、トミノや安彦良和が、全共闘世代と云う、あまりにも政治的な世代であったが故でもあるのだろうが。

 その中を何もなしで泳がせるには、“ガルマ”はあまりに政治を知らな過ぎた。例えて云うなら、朝廷と鎌倉幕府の間を行き来した九郎判官義経のようなものだ。対するこちらは頼朝か――歳の離れた“弟”の手綱取りに、四苦八苦しているところは同じかも知れない。

 “ガルマ”が敵である地球連邦に近づき過ぎることはあるまいが、悪知恵を働かせようとしたのが裏目に出て、ムンゾ内の敵対勢力に上げ足を取られる、と云うことはあり得ない話ではない。

 その時に、頼朝が義経を切り捨てたのと同じようにならないために、少なくともきちんと軍人になるより前には、監視をつけざるを得ないのだ。

 ジョニー・ライデンは片目を眇めた。

「……つまりアンタは、弟がおイタをしないように見張る人間が欲しいってわけか」

「有体に云えばな」

「過保護かよ」

「あれが一歩間違えば、地球連邦との戦端が開かれかねない、と云えば、私の危惧がわかってもらえるかな」

「……そんなにか」

 ジョニー・ライデンは、ごくりと唾を呑んだ。

 俄には信じられないだろうが、“三日月・オーガス”の前歴を考えれば、十二分に可能性はある。政治的なセンスは皆無だが、こと戦略に関しては、謀略も含めて頭の回る“弟”だ。

 無論、『the ORIGIN』のタイムラインはわかっているので、そうそう大暴れはしないだろうが、しかし、宇宙世紀の時間軸では、何がどうなって、ピタゴラスイッチ的に物事を押し進めることになるかもわからない。用心には用心を重ねて動かなくてはならないのだ。

「私は謀略の海を泳いでいるようなものでね。小さな瑕疵によって、想定外に戦争に突入したり、最大火力の“弟”を失ったりするような羽目にはなりたくない。だからこそ、君の云うとおり、“おイタをしないように”、監視しておきたいのだよ」

「……そりゃあ中々、重大任務だな」

 ジョニーは、引きつるように片頬で笑った。

「そんでそれを、ガキの俺に任せようってのか?」

 俺はまだ十六だぜ、と云う。

「だからこそ、君である必要があるのだ」

 力をこめて返す。

「“ガルマ”は今、ムンゾ大学に通っているが、来年には卒業し、その後士官学校に入る予定だ。知ってのとおり、士官学校は全寮制でね、実家にいる今は監視できても、それから三年は野放しになる。もちろん、今の学長は“弟”のドズルが務めているが――学長が、学生の生活の隅々まで把握できるはずもない。それ以前に、あれには軍務もあるからな。その監視の穴を、君に埋めてもらいたい」

「……俺に士官になれって云うのか」

「君には、充分にその資質がある。セシリア・アイリーンも、君の父上にそう云う話はしただろう」

 セシリア秘書官が、視界の隅で小さく頷く。そのあたりは、抜かりのない秘書官である。

「士官学校は、もちろん授業料もない。加えて君には、監視役として別途給与を支給しよう。私の子飼いの“伝書鳩”ほどではないが、学業の合間の小銭稼ぎとしては良い額だと思う。――客観的に見て、悪くない話だと思うが」

「――よし、乗った」

 ジョニー・ライデンは頷いた。

「意外に腹割って話してもらえたしな。それに、金はいくらあっても困らねぇ」

「よし、では契約成立だな」

 そう云って、用意していた契約書を差し出す。

「では、こちらの書類を確認して、サインを」

「わかった」

 ジョニー・ライデンは頷いて、契約書を舐めるように読んだ。

 やがて、ひとつ頷き、記名欄に署名する。

 同じようにこちらも署名を済ませれば、これで契約は成立した。ひとつ、懸念が減ったことになる。

「“ガルマ”は、どうも人材を求めているのか、人脈を求めているのか――ちょろちょろと動いていてな。その上悪いことに、人を誑しこむことに長けている。君も、取りこまれないよう気をつけろ」

「可愛いのか?」

「見た目はな」

 『the ORIGIN』枠なだけあって、1stよりもよほど見た目は可愛らしい。が、何しろ中身は“三日月”である。

「ザビ家としては規格外に可愛らしいが、中身は何と云うか――“人の類”だ」

 何と助言したものかわからずにそう云うと、ジョニー・ライデンは引きつった笑みを浮かべた。

「何だそりゃ」

「普通の人間だと思ってかかると、痛い目を見るぞ。キャスバルの方が美形だが、“ガルマ”は――まぁ、頑張ってくれ」

「おいおい、不安にさせるなよ」

「それだけ、手強い相手だと云うことだ」

「アンタみたいな人がそう云うとは、中々の坊っちゃんってことだな?」

「君の手腕に期待している」

 後々“真紅の稲妻”と呼ばれることになる、この若者に。

 まぁ、見たところでは、将の器としては小さい――多分、できても小隊長くらいまでだろう。戦場全体を視野におさめつつ動くようなタイプではなさそうだ。

 そう云う意味では、パイロットとしての手腕はどうあれ、まったくキャスバルの敵ではない。

 こちらの思惑も知らぬげに、若者は、契約書を掲げてにやりと笑った。

「ま、せいぜい頑張らせてもらいますよ」

 

 

 

 ジョニー・ライデンと会ったせいかどうか、やはり『MSV』絡みの人物と関係ができた。

 正確に云えば、『MSV』に出てくる本人ではなく、その父親だ。ムンゾ議会議員であるマツナガ議員――“ソロモンの白狼”シン・マツナガの父親である。髭をたくわえた壮年の男だ。確か、まだ五十にはなっていなかったはずである。

 シン・マツナガは、一年戦争時二十四歳、UC0055生まれだそうだが、そうなると、今士官学校に入っているくらいの年齢だろうか。

 ――いや待て、シン・マツナガは、かなり変わった経歴の持ち主だったような気がするぞ。

 ルウム戦役前からの軍属で、戦功を上げた後に士官学校に入っていたような。

 マツナガ家は、ムンゾでは珍しい日系の名家だそうだから、あるいは本人が軍に入ることを望んだが容れられず、出奔でもして入隊したか。

「――ガルマ殿は、ムンゾ大学にお入りになったそうですな」

 にこやかに云うこの男に、“ガルマ”やキャスバルより歳上の息子がいるとは考えられなかった。いや、いるのは確かなことだが、想像がつき難いと云うか。

 『the ORIGIN』のギレン・ザビは、マツナガ議員と数歳しか違わないはずだから、考えてみれば、“ガルマ”が自分の息子でも不思議はないくらいなのだ。それが、片や息子、片や“弟”である。まぁ、ザビ家は全体的に晩婚傾向だから、仕方ないところはある。五人兄弟のひとりも結婚していないと云うのは――まぁ、見た目の問題も多分にあるか。

「本来は士官学校だけにやるつもりだったのですが、キャスバルがどうしても“ガルマ”と一緒に、と」

「ガルマ殿を士官学校に?」

 マツナガ議員は目を見開いた。

「ガルマ殿は華奢な方と聞きますが、大学だけで宜しかったのでは?」

「あれは政治向きではありませんので。本人の希望もあって、軍に入れるつもりです」

「何と、もったいない」

 ムンゾ大の法学部なら、引く手あまたでしょうに、と云われるが、“リーガルマインド”を理解するどころか、捻じ曲げて使いかねない悪徳弁護士のような人間を、法を扱う仕事になど就けられない。

 それよりは、“昔”から慣れた軍事方面にやった方が、本人とムンゾ国民のためでもある。

「マツナガ殿のご子息は、確かあれと歳が近かったようにお聞きしておりますが……」

 水を向けると、マツナガ議員は顰め面になった。

「いや、嫡男だと云うのに、軍に入りたいと云い出して、少々困っております」

 こちらの畑に向かぬならまだしも、それなりに学業成績も良かったのですが、と苦笑する。なるほど、おかしな経歴は、大学入学を目指させられていたためか。

「宜しいではありませんか」

 微笑しながら、云う。

「士官学校におやりになれば、上の方からはじめられます。軍に甘い夢を見ているなら、そこで現実も見える――それでも軍人にと云うなら、そのまま士官におなりになれば良い。マツナガ殿のご子息ならば、すぐに佐官におなりでしょう。万が一挫折したとしても、大学に入り直すのに遅い歳でもありますまい」

「貴殿まで、そのような」

「私も軍籍はございますので」

 と云うと、

「ああ……」

 そう云えば、と呟かれた。

「まぁ、軍人としての教育だけでは、政治向きのことはわかりませんからな、幅を持たせるには良いかと思って、“ガルマ”を大学へやりはしましたが……」

 正直、失敗したような気がする。“ガルマ”の法に対する態度は、まったく戴けるものではない。あんなことなら、キャスバルに負けず、本人の希望どおりに工学部にでも入れておけば良かったのだが――後悔先に立たず、と云うヤツである。

「おや、あまり宜しくないとお考えのようですな」

「キャスバルには良かったのですが、“ガルマ”には少々……良からぬ知恵をつけさせたような気がしております」

「はは、ご冗談を」

 マツナガ議員は笑うが、こちらとしては、まったく正直な気持ちだった。

「これから士官学校にやって、何をしでかすか、もう頭が痛いですよ」

「ははは……お互い苦労致しますな」

 と云うが、マツナガ議員の方は息子であり、こちらは“弟”である。結婚もしていないのにこれでは、いろいろと将来が危ぶまれる。

 まぁ、例の若手議員たちからは距離がとれたので、素直にマツナガ議員には感謝しておく。若さ――馬鹿さ故の過ちと云うのは、どうにもならないところがあって面倒なのだ。

 それはその時だけの話で、日々の雑事に追われてすっかり忘れていたのだが。

 数日後、意外なかたちでのレスポンスがあった。

「は?」

「ですから、マツナガ議員のご子息がお目にかかりたいと。シン・マツナガと名乗られました」

「――マツナガ議員のご子息が、私に一体何の用だ……?」

 腑に落ちないが、あまり待たせるわけにもゆくまい。

 応接間に通すように云い、こちらも席を立つ。

 扉を開けると、そこには既に、黒髪の若者が佇んでいた。流石にまだ髭をたくわえてはいないものの、その精悍な面立ちは、後の“ソロモンの白狼”を思わせるものがある。

 かれは、こちらに気がつくや、背筋を伸ばして一礼してきた。

「ギレン・ザビ閣下」

「堅苦しいのは結構だ。シン・マツナガ殿、だな」

「はい」

 姿勢を崩さない若者に、手振りで坐るように促す。

「父君には、いつもお世話になっている。――今日は、どうされた?」

「――父に、士官学校入りを許されました。聞けば、ギレン殿のお口添えがあったとか」

「口添えも何も、私は私で、父君に愚痴を聞いて戴いただけだ」

 偶々、同じ歳頃の家族があって、それぞれにその行く末に頭を悩ませていた、それだけのこと。確かに士官学校に入れてみても良いのではないかとは云ったものの、その判断自体はマツナガ議員の下したものだ。

「ですが、父はギレン殿のお話を聞いて、一度軍に入れても良いのではないかと考えたようです。それであれば、私の希望が叶ったのも、ギレン殿のお言葉あってのもの、一言お礼を言上しようと罷り越しました次第です」

 古武士のようなもの云いである。

 少し前に接触したジョニー・ライデンが、ひねたYankeeの若者であったので、余計に感慨深く感じる。

「ご丁寧なご挨拶、いたみいる」

 だがまぁ本当に、この若者が挨拶にくる必要などなかったのだ。

「それで、士官学校にはいつから? 来期すぐに入学なさるのか」

 そう云うと、若者は少し頬を染めて、はにかむように微笑んだ。

「いえ、それが、来期の試験は受けそびれまして――早くて来期募集分に引っかかればと」

「そうすると、入学は再来期、と――」

「順調にいけば、そうです」

 それは、“ガルマ”たちと同期になると云うことだ。

 思わずにんまりとする。

「――では、うまく再来期に入学された暁には、貴殿にお願いしたいことがある」

「いかなることでございましょう」

「お聞き及びかもしれないが、実は我が“弟”が、やはり再来期士官学校入りする予定になっている。もしもどちらもうまく入学か適ったなら、“ガルマ”にそれとなく気をつけてほしいのだ」

「ガルマ殿に?」

 若者は、驚いたように目を瞠った。

「そうだ」

 頷きを返す。

「“ガルマ”は、最近少々やんちゃが過ぎるようでな。“父”と、どうしたものかと話していたところなのだ。先日も、大事な会合の場へ、友人を伴ってきたり……」

「――それは、中々」

 シン・マツナガは、目を見開いた。この若者ならば、父親の会合の場へ、友人を伴うことなどないだろうし、そもそもそんな場に顔を出しすらしないだろう。そうであれば、“ガルマ”の振るまいは、驚愕どころの話ではあるまい。

「……中々やんちゃをなさる方なのですな」

「正直、甘やかし過ぎたかと思っている」

「それで、私にガルマ殿を気にかけてほしい、と」

「貴殿ならば、それなりの家格の人間にどのような振るまいが求められるか、わかって助言して戴けるのではないかと思ってな」

「……恐れ入ります」

「いかがかな、我が“弟”を、先達として導いてやってはくれまいか」

 ジョニー・ライデンと違い、金の話は持ち出さない。この若者には、報酬の話を持ちかける方が無礼に思われるだろうと思ったからだ。もしも受けてもらえるのならば、“報酬”は士官学校卒業後、任官などで支払ってやろうと思う。シン・マツナガと云う若者は、それだけの価値のある人間だ。中隊くらいまでは任せられるだろう。

 ジョニー・ライデンは、本当にスパイ的な立ち位置になるだろうが、こちらは傅役のような、諫言もできる人間になってくれそうだ。

 シン・マツナガは、背筋を伸ばして敬礼きてきた。

「私ごときで宜しければ、務めさせて戴きます!」

 ――素晴らしい。

 こう云う人物を“ガルマ”の傍に置いておけば――まぁ、何が変わるわけでもないだろうが、それでも多少は自らを律してくれるかも知れない。まぁ、夢語りのようなものでしかないだろうけれど。

 きちんと“ガルマ・ザビ”として猫を被るのなら、このシン・マツナガをも騙すことができようが――さて、どうなることやら。

 まぁ、こちらとしては、多少なりともおとなしくさせることが目的なので、ジョニー・ライデンをつけるよりもシン・マツナガの方が、目的には合っているのではないかと思う。

 いずれにせよ、良い人材を手に入れた。

 これで、ゼナ・ミアに声をかけて監視役を引き受けてもらえたなら、布陣は完璧になる。監視役が三人いれば、流石に迂闊な行動には走れまい。

 ――見ていろ、“ガルマ”!

 拳をぐっと握りしめ、胸の裡で咆える。

 “暁の蜂起”までは、迂闊な言動はすべて封じこめてやる。

 こちらも、開戦までの間にいろいろと立ち回らなくてはならぬ、それを、“ガルマ”の行動で邪魔されたりせぬように。

「くれぐれも、宜しくお願いしますぞ、シン・マツナガ殿」

 微笑して片手を差し出すと、若者は、少し引いた顔になったものの、強く手を握り返してきた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 7【転生】

 

 

 

「リノ! リノ・フェルナンデス!! ここだよ!」

 大きく手をふる。

 ムンゾ自治共和国国防軍士官学校の入学式典の会場である。

 周囲には、新入生もいれば、在校生も教官も、来賓の方々だっているけどさ。

 大声を出したおれに視線が集まるけど、大したことじゃない。

 もともと注目されてるし。ザビ家の子供なんてそんなものだ。

「ガルマ! それから…シャアも! 久しぶりだな!」

 リノが駆け寄ってくる。

 ――お前、いまキャスバルって呼びそうになったろ?

 笑顔のまま圧力をかければ、一瞬、大きく仰け反られた。

 キャスバルの思考波が笑う。

『ガルマ、怯えさせてどうする』

『大丈夫さ。リノは図太いから』

 このくらいじゃ滅気やしないんだよ。

 わざとらしい咳払いの後で、リノが右手を差し出した。それを軽く握って、

「また会えて嬉しいよ。(首尾はどう?)」

「この先よろしく頼む。(言われたとおり集めといたぜ)」

「こちらこそ。(流石だね)」

 小声でやり取り。思考波がつながらない相手をちょっと手間だと思っちゃうのは、キャスバル達とのやり取りに慣れすぎてるからなんだろう。

 リノが振り返って合図を送れば、数人の新入生が集まってきた。

「ガルマ、良ければ友人を紹介させてくれるかい?」

 予定調和の流れだった。

 パズルを通じてリノに依頼してたのは、入学してすぐに共に行動しうる“仲間”を数人集めてもらうこと。選抜基準は一芸に秀で、かつ“ザビ家”に媚び過ぎないタイプ。

 お調子者のくせにどこか皮肉っぽいリノは、意外に人をよく観察するから、その人選について心配はしていない。

「もちろん」

 答えれば、リノの横に4人が並んだ。

「はじめまして。ルー・ファンです。リノとは同じハイスクールでした(チェスのジュニア大会3位だけど、お役に立てますかね?)」

「ケイ・ニシムラだよ。(ハッキングなら任せて。)ケイって呼んでくれ」

「……ベン・ショランダー」

「彼は力持ちなんだけど、シャイでさ」

 と、リノからの補足が。

「クムラン・ヒルベトです。農業区画の出身です。よろしくお願いします。(なんで僕が引っ張ってこられたんでしょうか?)」

 ちょっとオドオドした感じが、小動物みたいで可愛いからじゃないかな――なんて言えるはずもないから。

「ガルマ・ザビです。よろしく、ルー・ファン、ケイ、ベン・ショランダー、クムラン・ヒルベト。リノに、仲良くなれそうな人がいたら紹介してってお願いしてたんだ」

 おっとりと微笑んで。

「恥ずかしながら、僕、あんまり同い年の人と話したことがなくてさ」

 これは嘘じゃない。

 “ガルマ・ザビ”の世界はとても狭くて、それこそ家族とキャスバル含むダイクン一家の他は、シャアとリノくらいしか接点が無かったから。

『……いまさら気が付いたけど、おれのお喋りの相手って、ほとんどお前じゃないか、キャスバル』

『本当にいまさらだな』

 まあ、幼少期からずっと一緒にいたもんな、って、感慨に浸ってる間は無いね。

「俺達のことも呼び捨てで良いですよ」

 ルー・ファンがニコリと。

 見回せば皆が頷くから。

「じゃあ、遠慮なく。僕のこともガルマって呼んでほしいな。敬語もいらない」

「えええ!? ………ガルマ、さん、じゃだめ?」

 上目遣いがあざといぞ、クムラン。お前、可愛げ担当な。

「できれば呼び捨ててほしいけど。馴れてからでも良いよ」

 視線を合わせて微笑めば、クムランの丸い頬が紅く染まった。リンゴみたいで齧りたくなるね。

「ガルマ」

 ぐいと腕を引かれる。なんだよキャスバル、ホントに齧ったりしないって。

 振り向くけど、キャスバルの視線はおれから外れていた。

 見やれば、背の高い金髪碧眼の、ガラの悪そうな青年が近づいてくるところだった。

「よう、御曹司。そいつらはお取り巻き候補か?」

 初対面でこの言い草である。

 チベットスナギツネみたいになりそうな顔の表情筋を、必死に抑える。

『キャスバル、ヤンキーがケンカ売ってくんだけど?』

『相手にするな』

『無視させてくれそうにないけどね』

 ついでに周囲もざわついてる。ここで舐められるわけにはいかないんだよ。

 ふふふ、と笑えば、キャスバルは顔を顰め、リノは一歩退き、残る四人は腕まくりをした。

「はじめまして。僕を知ってるようだけど、君は誰?」

 穏やかそうに聞こえても、これ、友好的な挨拶じゃないから。『名乗れ無礼者』ってことな。

「彼らは友人だ。君のユニークな発想には当たらない。個性はときに合えば美徳だけど、今はその時ではないようだね」

 クスリと嗤う。目を細めて。

 ヤンキーはニヤニヤと笑った。

「随分まどろっこしい言い方だな」

「残念だけど、君とは合わないみたいだ――相応しい友人に恵まれることを祈ってるよ」

 さっさと失せろ、“ジョン・ドゥ”。

 ヒラリと手を振ってあっち行けと示したんだけど、無礼者は去らなかった。

「確かに合わねえけどな。俺はジョニー・ライデン。あんたの兄貴から、子守りを頼まれてんだ」

 ――はぁ?

 このヤンキーが、おれの子守りってどーゆーことさ?

「僕には兄が3人いるんだ」

「ギレン閣下さ。在学中にあんたがヤンチャし過ぎねぇようってな」

 まぁ、“ギレン”以外には考えられんけど――監視のつもりか。面倒なことを。

「“ギレン兄様”の名前を出せば、僕が素直に従うとでも思った?」

 “ギレン”本人でも無い――お前如きに、“おれ”に紐がつけられると、本気で思ってんの?

 腹の底で“獣”が舌舐めずり。あんまり侮るなよ。パクリと喰っちゃうぞ?

 鼻白むヤンキーにむけて。

「ご健闘くださいね? “ジョン・ライトニング”。期待してます」

「なっ!?」

 敢えて名を間違えたおれに、ヤツが掴みかかることはできなかった。

「ガルマ殿!」

 図ったとか思えないタイミングで、朗らかに呼びかけられたから。

「お初にお目にかかります。シン・マツナガと申します。この度はギレン閣下のお計らいで、士官学校に入ることが叶いました。この先、親しくしていただければ幸いです」

 これまた長身かつガッシリとした体躯の青年だった。黒髪に黒瞳。穏やかな笑みを浮かべた顔は精悍の一言に尽きる。

 “ギレン”の名前が出たってことは、こっちも監視要員なんだろうけど。

「こちらこそお目にかかれて光栄です。どうぞ、ガルマとお呼びください。マツナガ殿はマツナガ議員の?」

「はい。閣下から父へ取りなして頂きまして。私のことはシンと」

 ――って、年長者を呼び捨てるのもな。おれの躊躇に気付いてか、シン・マツナガは太い笑みを浮かべた。

「お互いに遠慮は無しで。同輩になる身だ」

「では、そうさせてもらいます」

 ニコリと笑み返して、差し出された手を握る。

「では、僕の友人を紹介させて下さい。まずは、“シャア・アズナブル”とリノ・フェルナンデス。彼らとはルウムで知り合い、親しくさせてもらってます」 

 名前を出せば、“シャア”が卒なく挨拶を繋げ、リノは、やや拙いもののやはり丁寧な挨拶を返した。

 その後に、知り合ったばかりの四人を引き合わせる。ここまでは、和やかに。

 そして最後に。

「まだ友達ではないけど。彼は、“ジョン・ライトニング”。かなりユニークな御仁みたい」

 ヤンキーを紹介してやる。

 シンは面白そうに口の端を吊り上げた。

「なるほど? よろしく“ジョン”」

「ジョニー・ライデンだ!」

 ムキになるヤンキーに笑いがこぼれる。ま、この辺にしておいてやろうかね。イジメかっこ悪い。

「いいじゃない。ライトニング。ライデンって、極東の言葉では雷槌だもの」

「……そうなのか?」

 キョトンと見返してくる顔は、案外幼い。

「そうだよ。僕、君のことはライトニングって呼ぶことにする。よろしくね」

 愛称としてはカッコいいじゃない。と、ニコニコすれば、皆も口々に“ライトニング”と口にした。

 いつの間にか、険悪な空気は霧散していた。

「はぁあ!?」

 ライトニングだけは、まだ納得してないみたいだけどさ。

「じゃあね。僕、宣誓があるから、あっちに移動しないと」

「流石、主席さま!」

 リノが茶化すけどさ。

「なんとかね。『お前がお情けで譲ってくれたからな!』」

『実力とは思わないのか?』

 キャスバルの思考波が笑う。

『おれがお前に勝てることなんて、可愛げくらいだ』

『可愛げを辞書で引け』

『問題ない。可愛いの欄に“ガルマ”って足してあるから――ちなみにお前の辞書な』

『おい!』

 ふはは。

 皆から離れて、指定された席につく。しばらく待てば、壇上にムンゾ自治共和国議長であるデギンパパ、軍総帥の“ギレン”、校長のドズル兄貴、それから連邦のレビル将軍らが上がった。

 生徒側はと言えば、おとなしく座ってはいるものの、隣とヒソヒソ話してたり、眠かけをしてたり、カチコチに緊張してたり色々だ。

 8割男子だから、むさいこと極まりないけど、ちらほらと花も咲いてる――士官を目指すくらいだからキリリとした女性が多いみたい。

 なんて、キョロキョロしてられんから、行儀よくしてないとね。

 やがて式典が始まる。

 壇上に立った“ギレン”は、おもむろに両手を大きく広げた。

「――諸君」

 よく響く声が会場を打った。

「今ここに、諸君ら有望なる新入生を迎え、大いなる期待に胸踊らせることを禁じえない。――時代は現在、新たなる局面へと向かいつつある。いかなる局面へか――人類とサイド世界の偉大な発展への局面である――……」

 ギレン・ザビのオリジナルの演説を知る身としては、“ギレン”のそれは些かソフトだとは思う。だけど、徒に煽る意図のない言葉は、思うよりも耳に馴染んだ。 

「――諸君はコロニー社会の前衛となる。諸君の働き如何で、世界は、その姿をどのようにも変えるだろう。諸君はエリートだ、選抜されてこの場にある諸君らこそが、コロニー社会の守護者であり、また新人類のリーダーともなり得る存在なのである。――」

 伸ばした手を、ぐっと握りこむ動作も、いかにもギレン・ザビらしいね。

 若い熱気。会場の生徒の視線は、おそらく、すべて壇上の長身に注がれている。

 士官学校や兵学校に入学する生徒の数は、年々増加している。その殆どが、“ギレン”の唱えるコロニー共栄圏に共感し、地球の――連邦からの圧政から故国を解き放ちたいと望んでいる。

 つまり、ここにいる皆にとって、連邦は敵だ。

 “ギレン”の背後――居並ぶ連邦将校たちの居心地の悪そうなこと。ちょっと笑ってしまいそうだ。ヨハン・イブラヒム・レビルは、流石に肝が据わってそうだけど。 

「奮起せよ!  未来の将星をめざして邁進せよ!  コロニー社会の変革のために!!」

 “ギレン”の宣言に、誰かが立ち上がって雄叫びを上げた。式典に相応しいものではなかったけど、その熱はすぐさま周囲に伝播し、会場中の生徒が立ち上がって叫んだ。

 まるで鬨の声だ。

 おれも立ち上がって、腹の底から声を張った。

「我らが総統万歳! 祖国に勝利を!!」

 手を差し上げて――ホントは「ジーク・ジオン!」って叫びたかったけどね。

 おれの言葉を、隣の奴が真似て。さらにその隣も、後ろも。在校生も交えて、全生徒の唱和に変わるまでは、あっという間だ。

「我らが総統万歳! 祖国に勝利を!!」

 声を揃えて。会場が、幾度も繰り返される轟のような声に、震えるほどに。

 壇上の“ギレン”は動かない。もしかして呆然としてる? そんな訳ないよね。

 次の瞬間、三白眼がもの凄い鋭さでこっちを向くから、ちょっと慌てて手を広げた。

「そこまで! 一同、静まれ!!」

 叫びはかき消されるかも知れんと危惧したけど、幸いに隣、さらに隣、後ろと伝達されて、生徒はまた行儀よく席についた。

 キャスバルは勿論、リノやその仲間たち、シン・マツナガも静止に一役買ってくれたみたい。ライトニングはどうか知らんけど。

 内心でホッと胸を撫で下ろす。式典が無茶苦茶になるのは避けたいし。

 外面は涼しい顔のまま見上げれていれば、“ギレン”と交代で、今度はドズル兄貴が壇上に立った。

 一瞬こっちを向いた目には、太い笑みの色が浮かんでいた。

 咳払い一つで、まだ浮ついている会場が静まる。この兄貴も、“ギレン”とはまた違う求心力があるよね――っていうか、最強じゃないのさ、ザビ家。

 おれも、もっと頑張んないと。

 そんなことを思ってたら、ドズル兄貴が口を開いた。

「本学の校長を拝命しているドズル・ザビである。俺はすこぶる正攻法な男だ。これから貴様らを徹底的に鍛える。エリートか何か知らんが、弱い青白いやつに用はない。覚悟のない者は今すぐ立ち去れ」

 シンプルかつ明確な表明だった。

「今日はここに来賓として連邦宇宙軍のレビル中将閣下が来ておられる」

 途端に巻き起こったブーイングは、兄貴の眼光に抑えられたけど、生徒一同がレビルたち連邦将校に向ける視線は、刺し貫くかに強い。

 ドズル兄貴は不敵に笑う。その厳つい顔は凄みを増して、軍属にあるとはどういうことなのかを言外に示しているみたいだった。

「その御前で口にするのも何だが、俺は本学の務めがせいぜいコロニー自警団の養成なんかだとは考えていない。本当の軍人、本当の士官を育て上げることだと考えている。校長として言いたいことは以上だ」

 スパッと。

 うわ。格好いいんだけど兄貴。

 思わずキラキラした眼で見上げたら、視線が合って、「うむ」と頷かれた。満足そうな顔だった。

 それから、教官が新入生ひとりひとりの名を呼び上げた。けっこう時間が掛かってて、もしかしたら、もとの時間軸よりも人数が多いのかも知れなかった。

「以上372名。代表ムンゾ共和国出身、ガルマ・ザビ」

「はい」

 ようやく呼ばれて立ち上がる。

「前へ出てデギン・ザビ共和国議長に対し宣誓してください」

 言われて進み出れば、デギンパパとドズル兄貴が、心做しか前のめりで見守ってくれてる様子だった。

 背筋を伸ばし、顎を上げる。視線を強く前に。だけど、表情は柔らかく。

 壇上からの視線を受け止め、敵意は跳ね返す。

「宣誓。我々は、ムンゾとこのサイド世界の自由と平和を、この心身を剣となし、盾となって守り抜くことを、その力を得ることをここに誓います。新入生代表 ガルマ・ザビ」

 微笑めば、ムンゾサイドは一様に頷き、レビルは、とうとう渋い顔になった。

 こうして、入閣式典は無事に幕を下ろした。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 寮は二人部屋だった。

 当然のように、キャスバル――“シャア・アズナブル”とセットである。

「お前、ベッド上で良い?」

「ああ。夜中に落ちられて起こされるのは御免だ」

「助かるわー」

 ふぃーと息を吐き、私物を纏める。と言っても、私物の持ち込みはかなり制限されてるから、あっという間に片付いた。

「ガルマ」

「何さ?」

「地が出すぎてるぞ。自慢の猫の皮はどこへやった?」

「ああ、失礼。僕としたことが。入学に浮かれていたんだ。『この部屋では勘弁してよ。どこで気を抜けばいいのさ?』」

 “シャア”は、フンと鼻を鳴らしてベッドに腰を下ろした。

『寮だぞ。どこで漏れるかわからない。“これ”で話せば良いだろう?』

『ん。“こっち”ではキャスバルで良い? シャアってお前の名前じゃないから、違和感ヒドくてさ』

『構わない。普段は気をつけろよ』

『りょーかい。わかってる』

 思い切り伸びをしてから、部屋の中を見て回る。

『狭いなー』

 ザビ邸の自室はもちろん、キャスバルのフラットで用意されてた部屋とも比べものにならない。

 机と寝台と、トイレとシャワーブース。

「『――ねえ、バスタブが無いんだけど?』」

「『どこまで坊やなんだ君は』」

 “シャア・アズナブル”が呆れたような溜息を落としたとほぼ同時に、ノックが2回。

「誰?」

「片付けは終わったかい?」

 入ってきたのはリノだった。

「終わったよ。どうしたの、なにか足りないものでも?」

「いいや。皆が談話室に集まってるから、疲れてなければどうかと思って」

「誘いに来てくれたのか。ありがとう。――“シャア”、行っても良い?」

 フッと息を吐いただけで、キャスバルが立ち上がる。

 思考波は面倒くさそう。気は乗らないけど、拒否するほどでは無いってことか。

「凄く偉そうだぜ、シャア」

 リノが苦笑するけど、“シャア・アズナブル”はこんなもんだよ。中身がそれだから仕方がない。

「お目付け役だからこれでいいんだ。リノも、もうちょっと砕けた感じでいいよ」

「そうか?」

 連れ立って談話室へと赴けば。割と広い。生徒数に比すればこんなもんなんだろう。

 とても居心地が良さそうな一角が、すでに抑えてあった。

 四人組はともかく、シンとライトニングまで居るのはどうしたことか。仲良くなったの?

「やあ、みんな」

 すぐに席を勧められて座れば、ソファの真ん中。両隣が“シャア”とリノ。あとはぐるりと。

 これがレディたちなら夜の店で接待される客みたいだけど、全員オトコだと、舎弟に囲まれてるYAKUZAっぽい。

 ちょっと遠い目。

 ――花が欲しいよ花がッ!

『諦めろ』

『なんでさ、少ないけど女子生徒はいるよ?』

『実はアルテイシアに、“ガルマが浮気しないように見張れ”って厳命されていてね』

 思考波が含み笑う。

『……リトルレディに?』

『ああ』

 おやおや。我らが小さき姫君は、存外にヤキモチ焼きか。“お兄ちゃんたち”が離れて不安らしい。

 可愛いなぁ。アルテイシア。

 小さい頃の独占欲って、ある程度満たされてないと、大人になってから影響するし。

 仕方がない。お姫様を不安がらせるわけにはいかないからな。

『じゃあ、おれもお前を見張らなきゃね。キャスバル』

『……まだ分かってないのか』

 呆れが強く滲んでて、首を傾げる。

『――? なにが?』

『いいや。君が妹を悲しませなければそれでいい』

 これで家族思いなんだよ。キャスバル。

 だけど、おれがリトルレディを悲しませるわけないだろ。

 花は諦めて、改めて寛げば、皆もリラックスしてる様子だった。

「――さっき上級生に肩を叩かれたよ。“俺達の入学式でもアレやりたかった”ってさ」

 ケイが笑っている。

 チェスの譜面からルーが顔を上げた。

「我らが総統万歳! 祖国に勝利を!! ――って?」

「それ!」

「連邦の奴ら、青い顔になってたしな!」

 ライトニングも混じってるし。ベンは無言だけど、ウンウン頷いて会話に参加してる。

「レビル将軍は、流石に狼狽えることはなかったが、渋い顔になっていたな」

 シンが少し悪い顔で笑った。

「そうだね。僕、睨まれたよ。宣誓のとき」

「アレは敵を見る目だったぜ!」

 リノの言いようにクスクス笑いが零れた。

 レビルの眼光の鋭さよ。あんなの、入学式で生徒に向けるようなもんじゃないよ。大人げない。

 怯むことを期待してたなら、お生憎様だ。

「僕だったら泣いてたかも」

「良かったなぁ、クムラン、主席じゃなくて」

「どうせなれないからね!」

 ケイが混ぜっ返して、クムランがプンスコしてた。

 皆が朗らかに笑う。

 キャスバルは、そのさまを、ただ静かに眺めていた。

『ねぇ、キャスバル』

『なんだい?』

『僕たちは、この時間を楽しもう。せっかくの学校生活だ』

 いつかの時間軸じゃ、味わうなんて出来なかったはずだろ。

『……ああ。だが、僕は今までの時間だって楽しんできたよ。多分、この先もそうだろう』

 その横顔が、薄く綻ぶのを見て、なんだか安堵する。

『そう?』

『いつだって君が何かやらかすから、退屈してる暇はなかった』

 しんみりは一瞬だった。

 思考波が、フフンとせせらわらってくるのに着火。ヲイこら。なんたる言い草か。

『それはお前だろ! お前の発案したイタズラは無駄にレベルが高いんだよ。おれがどれだけ苦労して実行してきたと思ってるんだ!』

『君の発案が幼稚だから修整してやったんだろう』

 ああ言えばこう言う。口喧嘩は苦手なんだ。ましてやキャスバル相手じゃね。

『顔が強張ってるぞ?』

『誰のせいだよ』

 ちょっと拗ねモード来た。半分くらい思考を閉じようとしたら、手の甲をトントントンと突かれた。

『からかい過ぎた。僕としたことが、入学に浮かれていたんだ』

『それ、さっきのおれのセリフな』

 全くもう。宥めるつもりならちゃんと謝れよ――なんて、まあ良いか。確かに浮かれてるのかも知れないし?

 皆でわあわあ騒ぎながら時間を過ごして、やがて消灯時間になって追い立てられた。

 シャワーを済まして寝台に這い込む。

『眠れるのか、こんなに狭くて固いベッドで?』

 キャスバルが聞いてくるのに肩をすくめた。

『仕方ないだろ。バスタブと同じで、持ち込み出来ないんだから』

 返して、目を閉じる。

 ホントはシャワーだけでも有り難いし、横になれる静かなベッドなら上等なんだよ。今まで甘やかして貰ってただけで。

 そこそこの寝心地の寝台で、小さく笑った。

『……おやすみ、キャスバル』

『ああ。おやすみ』

 やんわりと思考波が意識を掠めるのに任せて、すとんと眠りに落ちた。

 

 

 学校生活は、概ね順調だった。

 なんだか懐かしい気もするし。この感じ。同世代の少年少女が寄り集まって切磋琢磨。ときに甘酸っぱいやり取りがチラホラと。

 おれとしても、主席入学の意地にかけて、みっともない所は見せられないと頑張ってるから、成績は問題ない。

 一般科目なんて、そもそもムンゾ大学卒業してるし。実技もそれなりに。

 持久力を過度に求められるようなモンじゃなければ、問題はないんだよ!

 

『…キャス…バル…っ その…バカげたスピード、を…、なんとか、しろ! ペースメーカー お前、なんだぞ…ッ!』

 おれの心臓を潰しにきてる。

 思考波すら息も絶え絶えで、ちょっと倒れそう。眼の前が白く霞んでる気がする。

 肺がッ! 肺がァァア!!

『ついてこれてるじゃないか、ガルマ』

『……ドンケツでな!!』

 ただただトラックをひたすら周回。

 何周させる気なんだ教官! このサディストどもが!!

「何をやっておる。しゃんとしろ!」

 叫んだ一人に、貴様も一緒に走りやがれと視線を投げれば、何故か、いい笑顔で頷かれた。

 ――違う! 睨んでんだよおれは!!

「もう1周! ラストダッシュしろ!!」

 ふおぉ。これでラストか。と、安心したのも束の間。

『なに……本気でダッシュ ……してんのさ キャスバル!!?』

『ラストスパートだ』

 しれっと返る思考波に殺意が。

 ――この体力オバケがッ!!

 死にそうなのはおれだけじゃないぞ!

 みんな朦朧とした顔で走ってる。もう脚がもつれそうなヤツも居るし。

「うわあ…」

「……速すぎだよ…」

 外野の視線も呆れが入ってるみたいだし。

 毎回毎回、これじゃ身が持たない。勘弁してよ。

 ひーひー言いながらゴールに転がり込む。

「良くついてきたな、御曹司」

 まだ余力を残してるらしきライトニングが頭をぐりぐりしてきやがるけど、跳ね除ける気力も体力も尽きてんだよ。

「水だ。飲めるか?」

 シン。有り難いけど、いまは息するだけで精一杯。

 クムランが、背を擦ってくれて、ルーとケイが扇いでくれてる。

 お礼は口パクで涙目だけど、皆にちゃんと通じたみたいで安堵。

 もう意識を手放して良いかな。

「各自クールダウンして解散!」

 その声に合わせて、体が浮いた。

 ――ふぉ?

 あ。ベン、日陰に運んでくれるのか。俵担ぎでもなんでも助かります。

 コンクリートが冷たくて全身で懐けば、周囲から笑いが聞こえた。

 でも、あんまり馬鹿にした感じじゃないんだよね。

「ガルマさん大丈夫かー?」

「シャア、お前加減しろよなー」

 級友が口々に。

「――……問題ない!」

 ムクリと起き上がれば、なぜか拍手が。

「もう飲めるか?」

 今度こそシンの差し出してくれた水をがぶ飲みす――むせた。

「ガルマ!?」

 今度はリノが背を擦ってくれる。

 うう。ちょっと鼻から出た。

「落ち着いて飲めよ」

 キャスバルの呆れた声。

「――誰のせいさ!?」

「本気で走らなきゃ訓練にならないだろう?」

 くそう。正論。

 見下ろしてくる“シャア”を睨むけど涼しい顔。まあ、お前はそうだよね。

 ふぅ、と溜息。

「……速いなぁ、“シャア”。誰も君に追いつけないじゃないか」

 しみじみ言えば、ペールブラウンを装った眼が密やかに笑う。微妙なドヤ顔。憎らしや。

「諸君、誰か“シャア”に挑むやつはいないか? 見事抜き去った猛者には僕のノートのコピー権を進呈するぞ!」

 宣言すれば、わあッと周囲が湧いた。

 ちなみにこのノート、もともとリノたちが写すためだけに作ってるんだけどね。割と好評。

「っしゃ挑戦するぜ!」

「シャアに勝つって無茶振り過ぎるだろ!」

「でも面白そうだよな」

「デメリットはないもんなー」

 ふはは。おれには無理だが、みな挑んでくれたまえよ。

「……当然、僕にもなにかメリットあるんだろうね? ガルマ」

 ひんやりした声が迫ってくる。

「君にはノート必要ないだろ?」

「だからさ。それに、リノ達にも意味がない。別に報奨が必要だ」

 そんなこと言ったって。おれがしてやれるコトなんかあったっけ? 何もかも、おれより上手くやってのけるお前に?

 ちょっと悩む。

「……何が良いの? “シャア”」

 思い付けなくて、直接尋ねる。

「そうだな。じゃあ、久々にバンケーキでも焼いてもらおうか」

 その答えに眼が丸くなる。

 いやいやいやいや。お前、アムロか。

「ダメ。せめてスコーンにしてよ。キューカンバーサンドイッチとプチケーキもつけるからさ」

 バンケーキは争いの元だ。一人にだけ作ると、残りの二人に責め立てられる恐ろしい代物だ。

 ここでお前だけに焼いてみろ。後で知れたら、アムロとアルテイシアからの吊し上げが待っている。おれはそれを学習したんだ。

「アフタヌーンティーか。悪くないな」

 キャスバルがニンマリと笑う。うわ。悪そうな顔だな。

「え? ガルマさんが作るの?」

「そうだよ、クムラン。うちに預かってる子がいてね、喜ぶ顔が見たくて色々作れるようになったんだ」

「菓子だけか?」

「簡単なのなら、食事も」

「へー、意外。ならポークジンジャーは作れるか?」

「ケイ、生姜焼き好きなの?」

「うん。地元でよく食ってたけど、ココじゃ出ないから」

 そうだね。士官学校の食事なんて栄養と量重視だもんね。早食いも兵士のスキル。わずか20分の食事時間で、何もかもかっ込まなきゃならないし、そんな洒落たものは供されない。

「君の故郷の味ってわけにはいかないだろうけど、それくらいなら」

「じゃあ、ミートパイは?」

「キャベツロール作れるかい?」

 口々に好きなものを口にする野郎どもを、なんとも言えない気分で見守る。

 だよね。お前ら食べざかりだもんな。

「じゃあこうしようぜ。シャアに勝ったヤツは、ガルマのノートと一品何か好きなものを作って貰う。御曹司をコックにする機会なんて滅多に無いしな」

 ヲイ。なに仕切ってんのさライトニング。

「もしくはノート無しで、二品でも良いな」

 シン、お前まで。

「まあ、せいぜい挑んでくれ」

 キャスバルが、ツンと顎を上げた。

 うわ。煽り過ぎだ。周囲の目がギラギラしだしたじゃないか。

『君が言ったんだろ。“誰もお前に追いつけない”って』

 たしかにね。

 言い出しっぺだけど、おれも、アフタヌーンティーの準備をどうしようかって、既にもう考えてるし。

 その思考波にキャスバルが薄く笑って、それがさらに級友たちを刺激してるみたいだった。

 さて。

 息も整ったし悪ふざけも済んだし、そろそろ次の授業に移動しなくちゃ。

 

 このときのおれは、まだ呑気だった。

 数日後、30人を超える生徒がオーバーヒートで倒れ、医務室送りになる事件なんて予想してなかったんだ。

 だって、持久走を短距離走なみのスピードで集団爆走するなんて、誰も思わないだろ!?

 挙げ句に、たった一人、その地獄から生還してのけるなんて。

 そしてそれは、学校史に残る“シャア・アズナブル”の武勇譚の始まりだった。

 学科は全てA。実技体育は言うに及ばず。

 いつかの時間軸では一匹狼みたいだった奴が、仲間内で、澄ました顔して悪ふざけ。

 どこまで活躍するのか、天井が見えないよ、もう。

 

『キャスバル、お前、最強伝説でも打ち立てる気か?』

『良いね。君も協力しろ』

 傲然と顔を上げて微笑む姿が、ものすごく様になってる。

『はいよ。りょーかい』

 思考波だけでゲラゲラ笑った。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 優雅に紅茶を楽しむ幼馴染の後ろで、約束通りサーブする。

 時間はアフタヌーンって訳には行かなかったけど――授業が終わってからだからね。

 茶葉と茶器一式、ケーキスタンドとクロテッドクリームは実家から取り寄せた。ガーディアンバンチじゃ手に入れるのが面倒だし。

 ジャムとスコーンとケーキとサンドイッチは、厨房をジャックして拵えた。

 クロスも用意して、ついでに悪ノリで執事服まで着用。

 典雅なティーラウンジに姿を変えた談話室のソファで、キャスバルはご満悦のようだった。

 見事にオオカミの口になったスコーンを二つに割って、クリームとジャムを滴るほど山盛りに。

「うわ美味そう……」

「……あそこだけ世界が違うぜ……」

「あれがセレブってやつか……?」

 外野がガヤガヤ煩いけどね。

 持久走爆走事件をはじめ、一寮は優秀だけど、とかく問題が絶えないとの評価を得て、おれ達は早くもドズル兄貴に呼び出しを食らったけど、日々はそこそこ平和。

 この年頃の集団なんて、元気があり余ってるんだから、多少のヤンチャは大目に見てよ。

「……目の毒だぜ」

 ライトニングが拗ねた声で言う。

 あの爆走のとき、彼は医務室送りにはならなかった。むしろ、僅差でキャスバルに敗れたわけだから、悔しさはひとしおなんだろう。

 口には出してないけど、シンも同様。

 リノとケイはシカバネ組で、ルーとクムランとベンはおれと一緒にフツーに走ってくれた組。

「そこのバスケットにクッキーなら入ってるよ。残念賞」

 厨房ジャックしたついでに、厨房員を茶葉で買収して大量に作ってもらった。

 聞きつけた野郎どもが我先に漁りだす――あ、レディ達も居る。ん。女子のほうが強いね。

「そう言えばさ、厨房員が教えてくれたんだけど、ガーディアンバンチにもけっこう美味しいお店があるんだって」

「ふぅん?」

 キャスバルの眼がちらりとこちらを向く。

「行きたいのか?『君は食いしん坊なところがあるからな』」

「興味はある。『食事は人生の重要なファクターだぞ!』」

 おれたちの会話に、皆も気が惹かれたようだった。

「休みに出てみるか?」

「早めに外出申請しないと」

 ケイとルーが言えば、

「店の予約もしておかないとな」

 シンが補足する。だね。人気店なら予約は必須だろう。

「お高くとまった店なら御免だぜ」

 ライトニングが言うけど。

「軍施設ばっかりのここじゃ、そんなに格調高い店はないんじゃないかな」

 クムランが突っ込む。

「そうかもね。教えてもらったのはトラットリアだった。イタリアンだね」

「ピザ」

 ベンが目をキラキラさせる。そうか、ピザ好きか。

 そんなこんなで、休日に皆で出かけることになった。

 ガーディアンバンチは、知っての通り、演習場を挟んで、ムンゾ自治共和国国防軍士官学校の敷地と地球連邦軍の駐屯地が隣接してる。

 周辺には、2つの軍施設の関係者を目当てにした店舗が結構あった。

 ぞろぞろと連れ立って校外に出れば、チラホラと上級生や他寮生の姿も。

「予約の時間には早いから、買い物でもする?」

「本屋に寄っても良いかな?」

 ルーが言う。

「良いよ。チェス雑誌?」

「ああ。新刊が出てるはずだ」

「僕もパズル雑誌見ようかな」

「ガルマ、お前はレシピ本にしろよ」

 ライトニングが突いてくるけど。

「“シャア”に勝つ算段はできたの?」

 フフンと笑って返す。連戦連敗記録更新中だろ。リクエストは一勝してからにしてよ。

「くそ! 次は必ず!!」

「毎回聞くぜそれ」

 グッと拳を握るライトニングを、ケイが混ぜっ返した。

「んだとテメェ」

「やんのかコラ」

「やめなよ。もう、みんな振り返って見てるだろ!」

 クムランが言葉で止めて、ベンが無言で引き剥がす。

「ライトニング、本当に年上かよ〜。実は年下とか?」

「んな訳あるか!」

 リノのからかいにも律儀に反応する――そういうところだよ、ライトニング。

「賑やかなことだな」

 シンが肩をすくめてる。

 本当に賑やかだ。まさに若者って感じで、少しばかり眩しい。

『君はたまに、年寄りみたいな思考になるな』

『ふふふ。実は千歳を軽く超えていてね』

『……今度はなんの影響を受けてるんだ?』

『なんだろうね』

 呆れた様子のキャスバルに、低く笑う。

 そんなこんなで、本屋で買い物して、雑貨屋を覗いて、歩きながら喋って、別腹とばかりに歩き食いなんかもしてみて。

「……楽しいな!」

 護衛も無しに街を練り歩いたのなんて、テキサス・コロニー以来だ。あの時は、キャスバルと二人で護衛をまいたんだけど。

 今このとき、周囲を探っても監視が無いんだよ。

「僕たちは自由だ! 買い食いで汚した口の周りを手で拭っても、咎め立てされることは無い!」

 ライトニングとシンは監視代わりかも知れないけど、どっちかと言わずとも、もう仲間だからさ。

 天を仰いでうち震えるおれに、皆が生暖かい目を向けてくる。

「ンな事で喜べるのかよ。案外お手軽だな、御曹司は」

「ガルマさんが楽しそうで何よりだよ」 

 皮肉っぽいことを言うライトニングが、クムランに抓られてる。

「なんだかんだで、君は箱入りだからな」

 “シャア”が意地の悪い顔で笑った。

『キャスバル、お前もだよ』

『君ほどじゃない』

 さて、どうだか。

 おれは、箱に籠められてるだけの、元野良だからね。

 

 

 トラットリアは、小綺麗でこじんまりとした店だった。

 素朴な煉瓦の内装が、イタリアらしさを演出してる。

 皆で頼んだのはピザ食べ放題。

 それとは別にパスタ数種類、前菜全皿。

 ハウスワインはピッチャーで。

「わ。これ美味しい!」

「コッチも美味いぞ!」

「それとってくれ」

「お前ワイン飲みすぎじゃね?」

「ピザ追加で〜!」

 店員が走り回るくらいに、あっという間に皿が空になる。

 ピザ一片なんて三口で飲んじゃうし。あれ、チーズって飲み物だっけ?

 ワイワイ騒いでたら、外でなんか別の騒ぎが。

 ――女の子の声がする。

 それから癇に障るような、野郎の笑い声が。

『キャスバル、誰か絡まれてる?』

『ああ。連邦の奴らだな』

 青い眼が剣呑に細められた。

 カタリと音を立ててキャスバルが立ち上がる。

 それに従うようにおれも立ち上がる。

「ちょっと席外すね」

 支払いはコレでよろしく――言いながら、カードをリノの手に落とす。うわ、油でベトベトじゃないか……仕方ないけど。

「おい!?」

「食べてていいよ」

 ニコリと笑って。

 店を出れば、そこには見覚えのある少女の腕を掴んでいる、連邦軍の奴らが居た。

 ん。取り敢えず5人か。

「やあ、ゼナ・ミア嬢。僕たち、いまそこの店で食事をしてるんだ。良ければ一緒にどうかな?」

 朗らかに爽やかに、場違いなセリフを口にすれば、当然、有象無象がいきり立つ。

「なんだ、ガキは引っ込んでろ!」

「ありきたりな返事ですね。でも、僕、あなた達には話しかけてません、あしからず」

 語彙力も顔面偏差値も足りてないような三下にはね。

「彼女は同級生でね。さあ、返してもらおうか」

 キャスバルがゼナに手を差し伸べる。

「はぁ? 痛い目に合いてぇのか?」

「なんだ、可愛い顔してんじゃねぇか、お前らもまとめて可愛がってやろうか? 女が一人じゃ足んねえしな!」

「そうそう、仲間も呼んであるんだぜ?」

 聞くに堪えないけど。

「……ねえ。少し前にうちの女子生徒が襲われた事件があったけど、もしかしてあなた達がやったの?」

 一応聞いてやるよ。

「どーだかなぁ?」

「いちいち覚えちゃねぇよ。どの女に突っ込んだかなんてな。お子様には刺激が強いかぁ? なぁ、お坊ちゃん」

「お前もアンアン鳴かしてやるぜ?」

 ん。確定でいいかな。これ以上は面倒くさい。ムカつくだけだし。

 ゲラゲラ笑う中に、ニコニコ踏み込んで、取り敢えずゼナの腕を掴んでる男の手の指を曲げてやった。

 おれ、婦女子への暴力は容認しないタイプ。だけど、野郎に振るう分には容赦しないんだ。

「――ッ!? 痛ェ!!」

「ガルマさん!?」

「ゼナ嬢、店の中へ。早く!」

「はい!」

 強く促せば、翻る背中――に、手を伸ばそうとした男は、キャスバルに阻まれた。

「残念だな、彼女は僕たちと食事を楽しみたいようだ」

「ガキが!」

 振りかぶる拳を、キャスバルはきれいに避けた。ついでに足をかけて、転ばせる。

「無様だね」

「なんだと!」

「あれ、声に出てましたか?」

 テヘペロ。

 掴みかかってくる腕をいなす。さて、どうやって潰してやろうかね?

「『ガルマ、やりすぎるなよ』」

「わかってる。『殺しゃしないさ』」

 舌舐めずり。視線があった男が、一瞬、怯んだような顔をした。

 先ずは中指を立てた男の顎を打ち上げる。ついでに喉笛を軽くドン。大丈夫。潰しきってないから生きてはいるさ。

 続く男の膝頭を真っ向から蹴り通す。ふは。絶対に曲がらない方向に足が曲がるってビックリだろ?

 汚い悲鳴と怒号が。

 隣でキャスバルも獰猛に笑ってる――殴り合ってる筈なのに、お前にはかすりもしないじゃないか。まるで相手がサンドバッグだ。

 だけど奴ら、当初5人だけだったのに、本当に仲間を呼んでやがったのか、気が付けば増えてるし。

 ど れ か ら 殺 ろ う か な――なんて、指で選んでたら。

「俺たちも混ぜろよ!」

「食後の運動だぜ!」

 次々に店を飛び出してくる仲間たち。

 へえ。ライトニング、いいストレートだね。

 って、リノ、それ店のモップだろ!? 返してこい!

「……早く片付けて続き食おう」

 ベン。お前、この後まだ食べる気なの?

「ガルマさん危ない!」

 おれに突進してきた男に、クムランが全身で突っ込み返す。丸っこい体にどれだけ弾力があるのか、暴漢は面白いくらい吹っ飛んだ。

 それはともかく。

 なんだろう。周囲が大乱闘になってるんだけど。

 士官学校生VS連邦兵士?

 いつの間にか、仲間以外の生徒も乱入してきてる。

 おれやキャスバルに届く前に、皆が相手をしちゃってるし――だけど。

「少し分が悪い」

 キャスバルが顔を顰めた。

「だね」

 人数は生徒が勝ってるけど、連邦の奴らの方が大人だし、流石に場馴れしてる。

 さて。

「シン、そこの3名と班を組んで! ケイとルーは二人で! ベンはクムランと! ライトニングはフォロー!」

 バラバラに相対するのが不利なら、相性の良いもの同士を組ませれば良い。

 シンとライトニングは、技量が頭一つ抜けてるから、別に指示を。

 一声かけるだけで、彼らの動きがまとまる。伊達に毎日訓練受けてる訳じゃないのさ。

 兵士側も連携を取ろうとしてるけど、ライトニングがいい感じで撹乱してる

『キャスバル、あいつ逃さないで』

 ひとり、ジリジリと逃げようとしてるけど、させるもんか。

『やれやれ、人使いの荒いことだ』

『おれも働いてるだろ!』

 獲物が背を向けたと同時にダッシュ。

 手を伸ばすけど、リーチの違いか、キャスバルの方が一歩早くヤツの襟首を掴んで、地面に引き倒した。

 すかさず鳩尾を踏みつける。

 ガボガボと酒臭い胃液を履いて悶絶した男を、さらに蹴って横に転がした。

 窒息しないようにね。あ、おれ優しいわー。

『悪魔の慈悲だな』

『“小悪魔♡”って言ってよ』

 キャスバルが鼻で笑った。

 周りを見れば、ん。みんなも片付いたみたい。

「大丈夫? ガルマさん」

「問題ない。クムランは無事?」

「はい!」

「――リノ、唇切れてるじゃないか! 殴った奴どれ?」

「その辺で潰れてる」

 どれか分からないから、適当に踏みにじる。

「うわぁ」

「ガルマってそーゆーとこあるよなー」

「フツーにヒデーわ」

 ルーにケイに、ライトニング。笑いながら言ってくるお前らも同類だからね。

 

 

 そして校長室である。

 いつものメンバーに加えて、ゼナ嬢と、乱闘に参加した上級生1名並びに他寮生2名が、ズラッと並ばされている。

 その前列に、おれとキャスバルが代表で立ってるわけだけど。

「……ガルマよ」

 肩を怒らせたドズル兄貴の、重々しい声が響く。

 背後で皆が恐縮する気配だけど。

「はい、ドズル兄様……いえ、ドズル校長」

 ニコリと微笑んで見上げれば、兄貴は肩を怒らせたまま、眉を八の字に下げた。

「……お前達を呼び出すのは、今月にはいって、もう2度目である」

「はい。お時間を取らせてしまってごめんなさ…申し訳ありません。ドズル校長」

「また、この度は駐屯地から苦情も来ておる」

 その言葉に、おれは口を閉ざして、じぃっと兄貴と視線を合わせた。

 

 ねえ。ドズル兄様。僕らは、悪漢に攫われんとした乙女(同級生の少女)を救わんとして立ち向かっただけです。

 しかも、奴らが過去にもうちの女生徒を傷付けたことは間違いないでしょう。

 野放しにしてたら、また誰かが襲われるかも知れないんです。

 ――そんな輩から、苦情?

 ドズル兄様、奴らの肩を持つの?

 

 無言の抗議を込め、そっと首を傾げれば、ドズル兄貴は眉を下げたまま、大きく息を吐いた。

「無論、それに対してはこちらからも抗議し、調査並びに厳罰を要求しておるわけだが」

 さすがドズル兄貴!

 キラキラした眼で見上げれば、返る苦笑。

「お前たちも罰則なしと言うわけには行かんぞ。なにせ、先方の負傷が酷い。喉を潰された奴と、膝を砕かれた奴がいるそうだ」

 あ。それおれがやったやつ。

『だからやり過ぎるなと言っただろう』

『ごめーん』

 謝ったのに、思考波でピシャリと。

「ついでに顎を砕かれた奴もな。まあ、自業自得だが」

 ドズル兄貴の補足に。

『あ、コレはお前だろ。あの顔面陥没してた奴』

『……どうだったかな?』

 空とぼけるのに、思考波でピシャリ。それにパシリとやり返されるから、さらにベシっと。

 ビシバシと、見えない応酬が炸裂する。

 その間もドズル兄貴の説教は続いてたけど。ごめん、よく聞いてなかった。

 最後に。

「――ガルマ・ザビ、並びに“シャア・アズナブル”両名は、一週間の自宅謹慎加えて反省文の提出。他、乱闘に加わった者は一週間の自室謹慎かつ反省文の提出。ゼナ・ミアについては、反省文のみの提出とする!」

 言い渡された罰則は、ちょっと甘過ぎるくらいではあったけど。

「閣下! わたくしにも一週間の謹慎を! 彼らは私のせいで!!」

 思いつめた顔で、ゼナ・ミアが一歩前に出た。

 それに、ドズル兄貴は目を見開き、それから一瞬、太い笑みを見せた。それはすぐに厳しい顔に隠れてしまったけど。

「下がれ。ゼナ・ミア。命令は絶対だ」

 ですが、と、唇はそっと動いたけど、言葉は出てこなかった。

 見るからに悄気げたゼナを、皆が気遣うなかで、兄貴は少女の頭に、ポンと大きな手をおいた。

「まあ。なんだ。ここから先は、独り言だぞ」

 ドズル兄貴らしからぬ、小さく潜められた声。その視線は窓の外に向いていた。

「ゼナ・ミア、無事で良かった。お前たちも、良く守った」

 横顔はどう見ても笑っていた。

 皆が目を見張る。それからくすぐったいような顔で視線を交わし合って。

 ゼナ・ミアは顔を赤くしていた。

 ――さすが兄貴。

 浮かんだ微笑みを、無理やり真面目な顔に引き締め、姿勢を正す。 

「ドズル校長に敬礼!」

 一声上げれば、皆が従った。

 ドズル兄貴の手が、ひとつゼナの頭をなでてから、ビシッと敬礼に答える。

「下がってよし!」

「御前、失礼します!」

 一斉に答えて、校長室を後にした。

 

        ✜ ✜ ✜

 

『ふぉう。自宅謹慎か……』

『僕は真っ直ぐにフラットに帰るからな』

『ちょ!? おれだけ“ギレン”に怒られろっての!?』

『また学校で会おう!』

『キャスバル! ヲイ!! この薄情者!!!』

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 7【転生】

 

 

 

 キャスバルと“ガルマ”は、無事――無事と云って良いのだろうか――ムンゾ大学を卒業した。

 流石に、四年を二年で終了する荒技のために、後半一年はやんちゃをする暇もなかったようだ。シャア(本人)につけた護衛たちも、“拍子抜けしました”と云うほどに、学業に専念せざるを得なかったらしい。

 アムロも小学校に入学して、やや忙しくなっていたから、子どもたちは以前ほどには、かたまって過ごしてもいないようだった。まぁ、来年にはキャスバルも“ガルマ”も士官学校に入ってしまうのだ、少しずつ離れて過ごす時間が増えるのは、訓練になっていいのかも知れなかった――アムロの父親テム・レイは、相変わらずダークコロニー詰めで、ほとんど帰ってはこなかったから。 

 そんな最中、“伝書鳩”、はっきり云えばタチ・オハラから報告が上がってきた。シデンと云う夫婦についてである。

「夫は技術者で、今はジオニック社の子会社で働いています。妻が医師で――どうやらこちらが、連邦の情報部子飼いのものではないかと思われる節があります」

「シデン」

 変わった名前だ。聞けばすぐに、“カイ・シデン”を思い出すくらいに。

 タチは頷いた。

「はい。どうも様々なサイドを転々としているようで、ムンゾに来る前は、ルウムにいたようです。夫婦とも働きぶりは真面目そのもので、特に夫の方は、当時の勤め先からかなり強く慰留されたようですが、それを振り切るようにしてムンゾに移転してきたとか」

「なるほど」

 そう云えば、そのような記載が、元々のアレのWikiやら何やらに出ていたような気がする。スパイ云々は記憶にないが――いや、ガンダムWikiか何かには載っていたか。

 まぁ、親がスパイ稼業で、それに振り回されていたのなら、カイ・シデンのあのひねた態度も腑に落ちる。そもそも、親の仕事で引越しすることは、世界の狭い子どもにとっては重大事なのだ。しかも、それを繰り返していれば、子ども社会に基盤のないものとして、拗ねたようになるのも仕方のないことだ。実際、自分にも憶えのないものではない――元々のアレでは、子どもの頃は転勤族の親のために、いくつもの土地を転々としたので。

 だが、問題なのは、

「――それで、この話はどこから?」

 わざわざカイ・シデンの両親のネタを持ってくるのは、何某かの裏があるからに違いない。確かに連邦のスパイとなれば警戒はすべきだが、わざわざこちらの耳に入れなくてはならないと云うほどのこともない。端的に云って、“伝書鳩”たちで処理しても構わないくらいの案件である。

 それをわざわざ知らせてくると云うことは、誰かがこちらの耳に入れるべきと、タチ・オハラに進言したと云うことだ。

 誰か――その“シデン夫妻”が、カイ・シデンの両親であり、それを聞けばこちらが興味を示すだろうと考えた“誰か”が。

 そして、それはもちろん、

「――ガルマ様です」

 苦虫を噛み潰したような顔で、タチは云った。

「やはりな」

 今この瞬間に、十一歳である少年が、後々連邦軍の兵卒として戦地に臨み、長じてはジャーナリストとして活躍することになる、と知るものは、“ガルマ”を除いて他にはない。

「ガルマ様は、シデン医師を捉えれば、閣下がお喜びになるだろう、と」

「ふむ……あながち間違いではないが――捉えたのか?」

「所在は。夫妻には、十一歳になる息子がいるようで、そちらも一応押さえてはおります」

 つまり、いつでも確保できる状態だと云うことか。

 正直、カイ・シデンは、1stではともかく『the ORIGIN』ではまったくのオールドタイプであり、かれを取りこんだからと云って、連邦の戦力か削がれるわけではない。

 だがまぁ、最初に見た幼いころはともかくとして、年を経た今となっては、割合好ましいキャラクターではあるし、何よりジャーナリストになるような少年が、今のムンゾをどう見るのか、それを訊いてみたい気持ちもあった。

「では、シデン夫妻を確保せよ。それから、息子の方は、両親のことをそれと知らせず、私の許へ連れてくるように」

「は……息子を、ですか」

 タチは、不審そうな顔になった。

 まぁ、わからぬではない。両親は情報部に尋問される、と云うことは、有体に云えば拷問までが含まれると云うことだ。諜報活動に従事しているからには、捉えられて尋問されると云うのがどう云うことか、重々承知しているはずだ。連邦の手のものであると吐くか、あくまでも空とぼけるかは、シデン医師の覚悟次第と云うところだろう。

 それでめぼしい情報が出なくとも、それはそれで構わない。“伝書鳩”もそうだが、真に重要な情報、つまり機密事項などは、末端の諜報員の知るところではない。むろん、タチくらいの地位になれば、他のものたちの掴んだ情報を接ぎ合わせ、こちらの考えに近い絵図を作り上げることもできるだろうが――まぁ、末端にはもちろんそれほどの情報は与えられない。だからこそ、何かあれば切り捨て可能な駒として扱われることになるのだ。

 非情なように聞こえるかも知れないが、諜報機関とは基本的にこのようなものである。甘い考えでいれば自滅するだけだ。

 してみると、それなりに任務をこなせていたカイ・シデンの母親は、そこそこの諜報員だったのだろうか。あるいは、さしたる危険のないところばかりを任されていたのか。どちらにせよ、今回は“ガルマ”と“伝書鳩”の方が上手だったということだ。

「そう、息子だ。今預かっているテム・レイ博士の子息と歳も変わらないだろうし、少々気にもなるのでな。――親の方は、まぁ殺さぬように」

「は」

 タチ・オハラは敬礼して退出し、数日の後、十歳くらいの痩せぎすな少年を伴って、再びやってきた。

「閣下、例の少年です」

「うむ」

 大人たちのやり取りを、少年は注意深く見守っていた。

 灰色の髪、眼裂の割に小さな瞳、あれこれで見たままの顔、の幼いかたちが、目の前にあった。ひょろりとした身体は、まだそこまでの丈ではない。この先、十七になるまでに伸びるのだろう。

 その前に片膝をつき、目の高さを合わせる。

「カイ・シデンだな」

「……アンタは誰だい」

「私はギレン・ザビだ」

 名乗ると、少年の表情が硬くなった。

「――母さんたちは」

 と云う、なるほど、母親の“仕事”を、何となくは察していたと云うことか。

「君のご両親は、ムンゾにいささか不利益な行動を取られていたのでな、別のところで事情をお聞きしている」

「……それで、俺はどうなるの」

「実は、今うちには、預かっている子があってな。君のひとつ歳下なのだが」

 そう云うと、カイ・シデンは、意味がわからないと云いたげな顔になった。まぁそうだろう。

「その子と一緒に、うちで預かられる気はないかね?」

「……父さんと母さんはどうなる?」

 目を眇めるようにして問いかけてくる。

「……君も、何となくはわかっているのではないかね」

 その婉曲な云い方でも、少年は大体を察したようだった。

「母さんに会わせろ!」

 云いざま殴りかかってくる、その拳を簡単に受け止めて、首を振る。

「それはできない、今は、な」

「“今は”!?」

「いずれは、会える。いつになるかは、主に君の母君次第と云うところだが」

 しかし、ここでムンゾの諜報機関に捕らえられたのだ、今後、今までのような“仕事”ができるとは限らない。否、はっきり云えば、“処分”される可能性が高いだろう。

 そうなれば、それこそサイド7のような、まだ新しく、連邦の諜報機関の手も入っていない場所にでも逃れていくしかない。そう云うことで、原作のシデン一家もサイド7へと移り住むことになったのだろうか。

「――母さんは、一体何をしたんだ」

「さてな、それを今、われわれの手のものが訊いているところだな」

 “ガルマ”の耳に入ったと云うことは、ムンゾ大学の関係者に、“ガルマ”やキャスバルの話を聞こうとしたか――近づき過ぎて不審がられ、当人たちにその存在を告げられることになったのかも知れない。まぁ、四年の課程を二年でこなすわけだから、あまり勉学以外の活動はしていないのだろうし、情報が掴めずに接近し過ぎたのかも。

「まぁ、そう構えずにいてくれないか。私としても、無体を働きたいわけではないのでな」

「……信じられるかよ!」

「君の立場ならば、そうだろうな」

 だがまぁ、双方の利害が一致すると云うことは、中々ないのが実情である。

「ではあるが、こちらにも譲れぬ事情がある。――大丈夫だ、君に危害を加えるつもりはない。とりあえずは、我が家へ招待されてくれないか」

「――母さんたちに手を出さないって約束しろよ」

「それはできない。だが、二度と会えぬと云うことにはしない。そこは約束しよう」

 君も、薄々知ってはいただろう、と云うと、少年は俯いてその唇を噛みしめた。

「まぁ、悪いようにはしない、暫くは我が家にいて、先刻云った子どもとも仲良くしてくれたら嬉しい。――それから、できれば君の目から見て、ムンゾがどのようなところであるのかを、そのうち私に聞かせてくれないか」

 と云うと、その目に光が戻った。じっとこちらを注視する、用心深いまなざし。

「俺は子どもだけど」

「だが、いろいろなサイドを回ったのだろう? それらと較べてムンゾがどうか、どこが不自由に思えるか、教えて欲しいのだ」

「俺でいいのか?」

「君の意見が聞きたいのだ」

「――わかった」

 遂にシデン少年は、こくりとひとつ頷いた。

「アンタの家にいる間は、自由に出歩いていいのかよ?」

 と云う表情は、既に一端のジャーナリストであるかのようだった。

「流石に、君くらいの子どもを一人で出歩かせるわけにはいかん。ムンゾも、そう治安が良いわけでもない。それに、ザビ家は敵も多い、何が起こるかわからんからな」

 そう云うと、途端にしょんぼりした顔になる。

「だがまぁ、君の自由は最大限に確保しよう。護衛さえつけられてくれれば、普通に出歩いてくれて構わない」

「閣下!」

 タチが叫ぶのを、手振りで押し止める。

「君の意見は、ムンゾをより良くするために活用させてもらいたい。レポートを愉しみにしているよ」

「わかった」

 少年は頷いて、やっとわずかに笑みを見せた。

 そうして、タチに促されて、部屋を出ていく。これで、暫くはおとなしくしていてくれると良いのだが。

 シデン夫妻の取り調べは長引くかも知れない――そして、その後の療養もだ――が、その間、アムロと仲良くしてくれれば――否、あのカイ・シデンのことだ、アムロに何やら吹きこむのかも知れない。それはそれで、子どもたちがものを考える契機になってくれれば良いだろう。

 それよりも、シデン夫妻、と云うか医師の方の後ろが誰であるかによって、いろいろと出てきそうな気がする。

 ――面倒なことにならなければ良いが。

 しかし、諜報員を放つのは、大抵は面倒な相手なのだ――自分も含めて。

 まぁ、まだ開戦までは引っ張っておきたい。まだ三年は早い。

 とりあえずは士官学校の入学式だ。あれにはイブラヒム・レビルも列席する。宇宙世紀の乃木希典をどう迎えるか、それによって、今後の進路も変更せざるを得ないかも知れない。

 息をひとつつくと、演説の草稿を書くべく、デスクの前に坐り直した。

 

 

 

 士官学校の入学式には、軍服で出席することになった。

 本当は、議員らしいスーツにしたかったのだが、軍籍のある身でそれも、中々欺瞞に満ちたやり方かと思って止めたのだ。

 到着すると、校長であるドズルが、やはり軍服姿で出迎えてくれた。

「今年は、中々優秀な生徒が多いようだ。兄貴のコロニー同盟構想が、若い連中を惹きつけているみたいだな」

「その中に、連邦のスパイがいなければいいのだがな」

「厭なことを云うな、ギレン」

 ドズルは顔を顰めたが、実際“ガルマ”のお目付役を二人もねじこんだわけだから、他に似たようなものがいないとも限らない。

「しかし、驚いたぜ。マツナガ議員の息子が入学してこようとはな!」

「当人が希望したことのようだがな」

「そうか、兄貴は議会でマツナガ議員とも顔見知りだっけな。――皆より二年歳上だが、流石に成績も良い。ガルマやキャス……“シャア”が抜かれるんじゃないかとヒヤヒヤしたぞ」

「流石にそれはなかろう」

 二人とも、まがりなりにもムンゾ大学を卒業しているのだし。

「まぁな……しかし、“シャア”は流石だな! 筆記試験こそガルマに一点の遅れを取ったが、実技はオールAだ。ああ云う士官をこそ、我が軍は求めていると云うのに……」

「ダイクンの子だ、そうそう前線には出せんよ」

 だがまぁ、本人が望めば、いつでも出ていってしまうだろうことは、『逆シャア』などでも明らかなことだったが。

 と、ドズルが顔を寄せ、密やかな声で囁いてきた。

「ところで、ギレン――今日の連邦軍の主賓は、ヨハン・イブラヒム・レビルだぞ」

 お前の影響力を確かめにきたんじゃないのか、と云う。

 連邦の乃木希典は、そう云うところもあるかも知れないが、しかし、

「あれ一人で、連邦軍をどうこうできるとは思われんがな」

 大体、どこでも主戦派と云うのは、主流ではないものだ。

 もちろん、こちらとても不戦派と云うほど穏当ではないが、戦場を自分で選びたいくらいには余裕がある。

 例の議会の“若手”たちであれば、何やら仕掛けていくのだろうが、こちらはあと四年、最低三年は開戦したくないので、祝辞もあまり過激なことは云うまいと考えているのだ。

「わからんぞ、まがりなりにも宇宙総軍司令官だ」

 とドズルは云うが、連邦軍の頂点にいるのでない限り、独断での開戦は不可能である。その上、レビルは陸軍出身――“将軍”と云う呼称は、旧来陸軍のみで、海軍では“提督”と呼ばれる――で、艦隊戦はズブの素人だそうだから、どうしても艦隊戦にならざるを得ない宇宙空間での戦争を、布石も打てぬ現時点で考えるとは思われない。

 とは云え、連邦に負けそうだと云う姿勢では、新たな入学者が意気消沈することになるだろう。そのあたりの、微妙な匙加減が難しくはある。

「まぁ、それなりの挨拶をすることにするさ。何と云っても、“シャア”と“ガルマ”の晴れの日だ」

 特に“ガルマ”は、入学生総代として宣誓する――そこは『the ORIGIN』と同じ流れだ――そうだから、その前に、あまり物騒なことは云いたくない。

「それに、“父上”も出席する、迂闊な真似はせんよ」

「是非ともそうしてくれ」

 俺も校長だからな、式典の席での揉めごとは御免だぞ、と云う。

 それにかるく頷くと、式の時刻が近づいてくる。“父”は直接会場だそうだから、二人で連れ立って学内の講堂へと向かった。

 連邦側は既に着席しており、その中でも一際年齢が高い白髪の男が、睨め上げるようにこちらを見た。

 ――これが、ヨハン・イブラヒム・レビルか。

 白い髭をたくわえた、旧日本軍のそれによく似た軍服の男。歳のころは五十過ぎか、アジアの血が入っているようにも思われる。と云ってもフラナガン博士のような中近東系ではなく、完全に東アジア、日本や台湾あたりの雰囲気である。

 原作においては老獪な主戦論者であり、また連邦軍中枢部においてほぼ唯一、ニュータイプの存在を肯定的に見た人物でもあったはずだ。

 しかし、初めて相対するこの男は、既にこちらを敵と見定めたようなまなざしを向けてきた。レビルとともに居並ぶ連邦軍士官たちも同様である。

 ――何もしていないのにこれとはな。

 コロニー同盟はともかくとして、まだムンゾは、連邦に対して具体的な敵対行為は起こしていない。

 その状態でこの態度とは、むしろそちらが無礼と咎めることもできそうだ。

 しかしまぁ、入学式と云う式典の席上で、いい大人が反目し合う姿を晒すのもどうなのか。とりあえずは無視と云うことにする。

 やがて、“父”がゆっくりと登壇して、入学式は滞りなくはじまった。

 式次第は、まぁテンプレだ。開会の辞、共和国国歌斉唱、軍総帥――つまりギレン・ザビだ――の訓示があり、校長の挨拶、それから新入生の名が呼ばれ、それに生徒が応じて、入学許可がでたことになる。そして宣誓、祝辞、閉会の辞と云う流れだ。

 ムンゾの国歌斉唱、そして自分の番になる。

「――諸君」

 壇の中央に進み出て、深く息を吸い、ひと言発する。

「今ここに、諸君ら有望なる新入生を迎え、大いなる期待に胸踊らせることを禁じえない。――時代は現在、新たなる局面へと向かいつつある。いかなる局面へか――人類とサイド世界の偉大な発展への局面である」

 連邦軍士官たちの、何よりもレビルの、強いまなざしを感じる。

 安心するが良い、まだ戦争への予感は差し挟みはしない。

「宇宙に進出することによって、われわれは、無限の可能性を手に入れた。それは、地球上にあっては得られなかったものである。ジオン・ズム・ダイクンの唱えた“新しい人類”となるための可能性、それをわれわれは手に入れたのだ。それが成った時こそ、人類の歴史は新たな局面へと移行することになるだろう。それは、我らのみならず全人類にとっての、輝かしい一歩となるはずだ」

 ギレン・ザビらしく手を広げ、ぐっと拳を握りこむ。

「しかし、われわれにはまだ足りぬものがある。それは人類としては当然であるはずの権利である。われわれは他サイドと手を携え、その権利のために働いている。そして諸君、諸君は、それを守るための力となる」

 レビルの目が、ゆっくりと眇められるのがわかった。

 それはそうだ、コロニー社会には人権などないも同然と、連邦軍の士官の前で云っているのだから。

「諸君はコロニー社会の前衛となる。諸君の働き如何で、世界は、その姿をどのようにも変えるだろう。諸君はエリートだ、選抜されてこの場にある諸君らこそが、コロニー社会の守護者であり、また新人類のリーダーともなり得る存在なのである。――奮起せよ!  未来の将星をめざして邁進せよ! コロニー社会の変革のために!!」

 元々のギレン・ザビの言葉を変えての演説である。

 正直、ああ云った優生思想がどうと云うような言葉は好かないので、かなり改変しての科白である。コロニー同盟の存在を強調し、それを護る力としてのムンゾ国軍を称揚する。それは、連邦軍から見れば離反を企図しているようにも取れるだろうが、注意すればわかる、少なくとも今回は、“独立”をにおわせるような言葉は一切使っていないのだと。

 さて、アニメのような失笑――もちろん、リノ・フェルナンデスの――はなかったと思うが、連邦軍のものたちはどうなのか。

 ちらりと見ると、士官たちは顔を顰め、肝心のレビルは底光りする目でこちらを見ていた。

 まぁ、元々ムンゾ嫌いなところはあるようなので、レビルの態度をあまり気にしても仕方ないが、しかし、これは中々敵意丸出しではないか。

 と、奥の方の席にいた生徒が、立ち上がって雄叫びを上げた。

 それは、次々に伝播して、波がわき起こるように生徒が立ち上がった。

 上がる声、さながら戦いの前に鬨を上げるように。

 “閧”を“鯨波”とも書くようだが、確かにこれは、鯨の起こす波のようでもあった。

 連邦軍士官たちが、狼狽えたようにあたりを見回す。

 その最中に、若い声が響きわたった。

「我らが総統万歳! 祖国に勝利を‼」

 これは、“ガルマ”の声だ。

 まわりを宥めるでもなく、何を云い出すのかと思いきや、同じ言葉を、他の生徒たちも口にし出す。

「我らが総統万歳!! 祖国に勝利を!!!」

 遂には、すべての学生たちが、立ち上がったまま、その言葉を叫んだ。

 熱狂。

 だが、今、これを望んではいない。

 ――“ガルマ”!!

 生徒たちの中の紫の髪を睨みつけると、慌てたようにその手が上がった。

「そこまで! 一同、静まれ‼」

 “ガルマ”の叫ぶ声に、怒号のようですらあった声は止み、かれらはおとなしく着席した。

 静かになった中、次に進み出たのはドズルだ。

 『the ORIGIN』とは違い、数年前から学校長を兼務していたドズルは、胸を張って生徒たちを見渡した。

「本学の校長を拝命しているドズル・ザビである。俺はすこぶる正攻法な男だ。これから貴様らを徹底的に鍛える。エリートか何か知らんが、弱い青白いやつに用はない。覚悟のない者は今すぐ立ち去れ」

 ドズルらしい、ストレートな言葉だった。

 そうして、今一度生徒たちを見まわし、にやりと笑う。

「今日はここに来賓として、連邦宇宙軍のレビル中将閣下が来ておられる」

 言葉を切る。上がるブーイングを、ひと睨みで鎮め。

 また一度、不敵に笑う。

「その御前で口にするのも何だが、俺は、本学の務めが、せいぜいコロニー自警団の養成なんかだとは考えていない。本当の軍人、本当の士官を育て上げることだと考えている。――校長として言いたいことは以上だ」

 ドズルの方が、中々挑発的な言葉を口にしている。

 実際、連邦軍士官たちの様子は、こちらの訓示の時よりも剣呑だ。

 だが、当然先刻の熱狂の後だ、生徒たちの反応は良好で、ドズルは満足そうに頷いた。

「続いて、新入学生の紹介を行う。名前を呼ばれたものは、応えて起立せよ。――ルウム出身、ケイ・ニシムラ」

「はいっ!」

「同じくルウム出身、ルー・ファン」

「はい!」

 ムンゾ、ルウム、ハッテ、ムーア、ザーン、リーア――すべてのサイドの名が読み上げられる。しかも、フォン・ブラウンやグラナダなどの月都市もだ。

 なるほど、コロニー同盟推進の余波は、こんなところにも出ているようだ。全体が友好関係、とまではゆかずとも、敵対関係ではないのが目に見えるかたちになっているのは、とりあえずは良いことだと云っていいだろう。実際、随分と新入生の数も多いようであるし。

「――以上372名。代表、ムンゾ共和国出身、ガルマ・ザビ」

 やがて、すべての生徒の名が読み上げられ、最後に“ガルマ”の名が呼ばれる。

「はい」

 少年らしい声が応え、“ガルマ”が前方に進み出た。

「前へ出て、デギン・ザビ共和国議長に対し、宣誓してください」

 云われて“ガルマ”は進み出て、大きく息を吸う。

 “父”とドズルが、にこにこと云うか、でれでれと云うか、そんなような表情で“ガルマ”を見る。

 背筋を伸ばして、にこりと笑い。

「――宣誓」

 原作と同じように、片手を挙げて。

「我々は、ムンゾとこのサイド世界の自由と平和を、この心身を剣となし、盾となって守り抜くことを、その力を得ることをここに誓います。新入生代表、 ガルマ・ザビ」

 なるほど、ザビ家のお坊ちゃんらしい宣誓だ。まぁ、上出来と云っても良いだろう。

 講堂は、明るい空気に包まれた。入学式に相応しい、拓けた未来を感じさせる空気に。

 その、完全にアウェイになった中で、レビルが中央に進み出る。来賓挨拶である。

「新入生諸君、私はヨハン・イブラヒム・レビルである。今日この佳き日に、諸君ら若い士官候補たちの誕生の場に列席できることを、光栄に思う。……」

 穏当な科白から、挨拶ははじまった。

「……時代は今、確かに動きつつある。しかしながら、いつの時代にも、我らが保持せねばならぬもの、それは、人類初となるこの統一国家である。上古の昔より、人間は相争い、己の領土の拡張を夢見てきた。それによる戦争を回避し得る、人類統一国家を、宇宙世紀に到って初めて、われわれは手にすることとなったのである。……」

 “初の人類統一国家”。確かに、言葉だけを見れば、それは美しい。

 しかし、その実情はどうだ。

 スペースノイドは虐げられ、アースノイドばかりが選良であるかのように喧伝され。結果、各サイドはほぼ自治国家と化し、連邦の存在意義は、半ば有名無実となりつつある。

 確かに、連邦軍は各コロニーの軍よりも強大な力を保持している――と云うよりも、まともな“軍”を保持しているのはムンゾのみである――が、それは今や、コロニーを圧迫する力としてのみ存在していると云っても許されるはずだ。

 “人類統一国家”、その言葉の実は、かつての封建制国家とまったく変わらない。人間を出自などで分け隔てする、固定された身分制度を持つ政治形態である。“自治国家”などと云ってみても、それこそ某国の“自治区”などと変わりない。何かあれば、連邦軍の強大な武力で物理的に抑えこめば良い、などと云う気分の見え隠れする“自治”。

 だが、コロニーは、そろそろそのような時期を脱しなければならない。そしてまた、連邦もただコロニーを抑えつけるのを止め、コロニーと地球との新たな関係を築いてゆかなくては、“初の人類統一国家”は、二百年ほどでその命運を途絶えさせることになる。

 だが、所詮は軍人でしかないレビルには、そのあたりのことはわからないのだろう。

「――われわれは、ともに手を携え、この、かつて夢物語であった政治形態を、人類の宝として護ってゆかなくてはならない。私がその一助となることを、また、諸君がその一翼を担う力となることを、心から願って、私からの挨拶とさせて戴く」

 言葉が終わった後、拍手が響いた。しかしそれは、先刻の挨拶や“ガルマ”の宣誓の時に響いたそれに較べれば、ぱらぱらとしているように聞こえるくらいのものでしかなかった。

 顔を歪める連邦軍士官たちの姿を見ながら、やがて来たる“ジオン共和国”への希望を膨らませるとともに、その先にある戦いへの予感が大きくなるのを感じていた。

 

 

 

 とにかく、“ガルマ”が士官学校に入ったので、暫くは安心できる。

 正直、“ガルマ”からとりあえずは目を離しておける――士官学校内のことは、校長であるドズルの管轄だ――のが、これほどありがたいと思ったことはない。

 この一年は、流石に大学卒業のために暇がないとは思っていたが、それでも一抹の不安が拭い切れなかったので、完全に“檻の中”かと思うと、本当に気が楽だった。“ガルマ”は“酷い!”と叫ぶだろうが、その前に自分の所業をきちんと思い返してみればいいのだ。

 カイ・シデンをアムロ・レイと引き合わせたのは、“ガルマ”とキャスバルが士官学校入学を果たしてからのことだった。もちろん、自身が仕組んだことなのだから、“ガルマ”がどうこう云うとは思わないが、何やらあの二人にべったりのアムロの注意がカイ・シデンに向くには、あの二人がいない時の方が宜しかろうと思ったので。

 案の定、アムロはじりじりと壁際に張りつくような態度で、カイはカイで、ザビ家に養われている子どもを鼻で笑うような雰囲気だった――最初のころは。

 だが、徐々に話をするようになってみると、“ガルマ”やキャスバルとはまったく違う世界の話に、子どもはだんだん引きこまれていったようだ。

 やがて、カイに云っていた“ムンゾのレポート”のための散策に、アムロもついていくようになったと、つけておいた護衛から報告があった。

 アムロにとっては、ほとんど初めてに近い“同世代の友人”、しかも、やや危険なにおいのするカイの態度に、恐れと同時に惹かれるところがあるのだろうとは思う。思春期の少年は、何だかんだ、冒険が好きなものだ。身体的な危険に尻ごみしようとも、それを求める気分は確かにあるのだろう。

 アムロとカイは、学校の後、あるいは休みの日、連れ立ってズムシティのあちこちへ出かけているようだった。

 ――まぁ、アムロにとっても良いことだろうな。

 如何せん、あの父の後に“ガルマ”とキャスバルだ、もちろん、ロボットペットのハロしかいなかった生活よりは“世界”が広がったのは確かだろうが、ザビ家もダイクン家も、所謂“一般家庭”ではない。サイド7に行くこともないこの時間軸では、あまりにも“世間”について偏った知識しか持たないことになるのではないかと危惧していた。

 その点、カイ・シデンは、母親の職業こそ特殊だが、その生活はまったくの一般人のものである。かれと交流することによって、本来の時間軸でアムロが経験するはずだった普通の青春の一端でも、味わうことができるのではないかと考えたのだ。一般人の生活を知っておけば、工学オタクのアムロ少年にも、多少考える手がかりが身につくのではないかと思ったので。

「――馬鹿か、お前。ああやって連邦への不満をぶち撒けんのも、仕事だ仕事!」

 撚た少年が云うのに、アムロは納得いかない様子だ。

「だって、そんな仕事ってある?」

「あるさ。そう云う活動をして、政府なんかにそう云う世論があるんだって見せる仕事がな」

「それで何の得があるのさ」

「戦争すりゃあ、儲かる連中がいるんだよ。武器商人とか――お前の親父さんのいた、アナハイム・エレクトロニクスなんかもそうだ」

 カイ・シデンは、指を振り立てた。

「今だって、お前の親父さんは、ムンゾの軍の仕事をしてるんだろ? そう云う連中は、戦争がはじまれば潤うんだ、軍が武器に金を落とすからな。しかも、平時とは違って消耗品になるから、どんどん売れる。儲け放題だ」

「でも、戦争ってお金がかかるから、やらないに越したことはないって、ギレンさんは云ってたよ」

「そりゃあな。負ければ大変だし、率先してやりたいって奴は少ないだろ。だけど、一旦はじまっちまえば、戦争を途中で止めるのは難しいんだ。そうなったら、武器商人どもの思うツボさ」

 カイは、滔々と語る。

「戦争が終わらない限り、奴らは儲け続ける。だから、民意だの世論だのを作り上げて、何とか戦争に持ちこもうとしてるのさ」

「……へぇぇ」

「……お前、ホントにナンにも考えてなかったんだな」

 呆れたような声に、アムロがむきになったように首を振った。

「そ、そんなことないよ!」

「どうだか。お前も、ザビ家で暮らしてるうちに、世間知らずの坊やになっちまってんのさ」

「僕はともかく、ガルマやキャスバルは違うよ!」

「どうだか」

 ハハハ、とカイは鼻先で笑った。

「とにかく、俺もギレン・ザビから“宿題”を出されてんだ。食わせてもらってるからには、それくらいはしねぇとな」

「そうなの?」

「“一宿一飯の恩義”ってヤツさ。――ちょっと違うかも知れねぇが」

 カイ・シデンは、例の口の悪さでアムロを突きつつ、ズムシティの美点や歪みについて、アムロとともにレポートにしようと苦闘してくれているようだった。

 ところで、そのかれの両親はと云うと、父親は早々に尋問終了、母親の方も、かなり粘っていたようだったが、結局耐えきれずに自白したと報告がきた。父親はほぼ白――妻の裏稼業を、多少は疑っていたようだが――、母親の方も、末端も末端で、“ガルマ”やキャスバルの学生生活を嗅ぎ回っていたくらいであるらしい。

「あれは、何も知りませんね。“諜報”どころの話じゃない」

 とは、報告を取りまとめたタチ・オハラの言である。

「単に、ガルマ・ザビやキャスバル・レム・ダイクンの身辺調査をしろと云われただけのようです。誰のための、何のための調査かも知らされていない。ある意味では、われわれに捕捉されることすら想定内だったのでしょう。どの筋からの任務かと云うことも知らされていないでは!」

 大仰な仕種で天を仰ぐ。舞台俳優のよう。

「……逆に云えば、あれは“撒き餌”のようなものであるかも知れん、と云うことか」

 こちらがシデン医師にかまけている間に、別の本命が諜報活動を行っているのだと?

「可能性は否定できません」

 タチは肩をすくめた。

「現在、サスロ殿、キシリア様の手のものたちと、合同で索敵してはいますが、中々――あるいはですが、反ザビ家の連中が、密かに手引きしたのかも知れません」

「そこは否定できんな」

 この時間軸でも、ザビ家は圧倒的な力を持ってはいるが、反対勢力がないわけではない。そのあたりが、連邦の急進派と組んで、ザビ家を陥れようと謀る可能性はなくはない。

 だがまぁ、反ザビ家にも親連邦と反連邦があり、またコロニー同盟支持派と反対派もあって、それらが複雑怪奇に入り乱れている。どこか一ヶ所に力を加えれば均衡が崩れる、と云うものでもない、連邦の諜報員たちは、中々大変だろうなと思う。

「まぁ、いきなり転覆するようなムンゾではない。せっつくつもりはないが、不審人物は早目に炙り出せ」

「もちろんです」

 タチは、強く頷いた。

「連邦の“鼠”などをうろちょろさせておくのは、私とても気分の良いものではありませんからね。――ところで、シデン医師とその家族の処遇はいかがいたしましょうか」

 云われて、少し考える。

「……シデン医師が、こちらに捕縛されたことは、当然あちらには伝わっているのだろうな?」

「はい、ほぼ間違いなく」

 それならば、元の諜報機関からすれば、シデン医師は脱落した、あるいは裏切った諜報員と云うことになるだろう。良くて廃業だが、一番ありそうなのは、“処分”と云う名の殺害か。

 ――それは少々、寝覚めが悪いな。

 カイ・シデンのこともある、夫は優秀な技術者であるようだし、監視をつけつつ、ムンゾに縛りつけておくべきか。

「……では、夫の方はジオニック社本体に移せ。医師の方は、監視付でムンゾ大付属の病院に入れろ。息子は――そのまま学校に通わせたら良かろう」

「ザビ家に留め置かれはしないのですか?」

 タチが驚いたように云うが、アムロが誘えば、カイはその友人として振るまうだろう、それ以上の束縛は必要あるまい。

「医師の監視と、ムンゾからの出入りだけ気にしておけ。“落ちた”諜報員に構うのは、元雇主からの刺客だけだろう」

 それに、あまり構って、シデン一家がザビ家にとって重要だなどと云う、誤った認識を持たれても困る。重要なのは息子だけで、正直に云えば、両親などはどうでも良いが――カイ・シデンの正しい成育のためには、両親はなくてはならないはずだ。それが、どんなかたちで表れるにせよ。

 タチは、わからないと云いたげに溜息をついたが、反駁などはしなかった。

 では“処理”しておきます、と云っただけで、半月ほどの後、新しい住居などを調達した上で、シデン一家は放免となった。もちろん、“とりあえず”のつく放免である。

 カイも両親の許に戻り、表面的には元の生活に戻ったようだと、タチは画像付で報告を上げてきた。

 そして、

「――それとは別件なのですが……ニュータイプ研究所で、何やら不穏なことが起きているとの報告が」

「何」

 ニタ研は、そもそもキシリアの管轄であり、こちらは軍の代表として、偶に視察に訪れる程度であるが――タチから報告とは、一体何があったのか。

「まだ、詳細は確認中ですが、禁止されている人体実験を、所内で行っていると云う話が入ってきております。安く“買った”子どもたちを被験者にして、ニュータイプとして覚醒させるために、実験や外科手術を行っているとか」

 ――ニュータイプとは何なのか、よくわかんないで人間の心や身体を弄り回すもんだから、事故だって起こる。

 『NT』の宣伝動画で、ゾルタン様――ゾルタン・アッカネンの云っていた台詞が甦る。人工ニュータイプ、強化人間についてのあたりの言葉だ。

 ニタ研が、強化人間研究にウェイトを置くようになるのは、アムロ・レイやシャア・アズナブル、ララァ・スンなどが戦果を上げた一年戦争後の話だったが、考えてみれば、その母体となったのが、フラナガン・ロスの立ち上げたフラナガン機関だった。

 と云うことは、現時点でも、ニュータイプを人工的に作る実験が行われ、その蓄積が、『Z』におけるムラサメ研究所や、『ZZ』におけるプルシリーズなどに結実すると云うわけか。

「――それは、まだ噂話の域を出んな」

「は。現在、裏を取っておりますが、何分ああ云うところですので、中々堅く」

「それで、よく内部事情が知れたものだな?」

 と云うと、タチは途端に渋い顔になった。

「……それは、その、ガルマ様が」

「――またか」

 “ガルマ”は、よくよくそのような情報を集めてくるものだ。ありがたいと云えばありがたいが、少々恐ろしいところがある。まぁ、敵にとっては確かに怪物的にも思えるだろう。

 とは云え、後々の流れからも想定される事態ではあったから、確証を取るに如くはない。良い機会ではあった。

 タチは、恐縮しきりであった。

「――まぁ、良い」

 溜息とともに、そう云ってやる。

「出どころはどうあれ、貴重な情報には違いない。早急に裏を取り、確実に報告せよ」

 ことと次第によっては、踏みこんで取り調べと云うことにもなるだろうから。

「は」

 タチは云って、敬礼をしてきた。

 一年戦争までは、あと五年足らず。その間に、やるべきことは山とある。

 そしてまた、一年戦争をどのようなかたちで終息させるか、それ如何によっては、まだまだ他に打っておくべき手も。

 ――先は長いな……

 とにもかくにも、最初の標は“暁の蜂起”だ。

 三年後――それまでに、原作の時間軸における一年戦争直前くらいの国力にムンゾを押し上げ、同時にコロニー同盟を堅固なものに育て上げなくては。

 ――課題は山積だな……

 だが、やることがあり、打つべき手が見えているならマシな方だ。

 邁進せよ、来たるべき日のために。

 自分にそう云い聞かせ、次の仕事に取りかかるために、うんとその場で伸びをした。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 8【転生】

 

 

 

「〜〜〜ッ!」

 力尽きて倒れ伏したおれを、周囲は気の毒そうに見下ろしていた。

 姿勢は微動だにしないけど。流石に“ギレン”の護衛だよね。

「足を崩して良いとは言ってないぞ。“ガルマ”」

 温度のない声が執務室に響く。

 視線だけ投げる先、重厚なデスクで書面と向き合う“ギレン”は、チラともこちらを見ようとしなかった。

 長時間の正座で麻痺した脚を抱えて、こちとら床に這いつくばってるってのに。

 そもそもアレだ。おれが逃走すると踏んだのか、“ギレン”は、わざわざガーディアンバンチまで護送要員を寄越しやがった。

 スキンヘッドで髭面の、見上げるほどの大男。どっかで見たような気がするソイツとその部下に連行されて、ここへ直行させられたのが、そろそろ2時間前。

 それからずっと正座って、コレ拷問だよね!?

「……閣下、そろそろ。これ以上は下肢の血流に差し障りが」

 髭面スキンヘッドが、重々しい声で“ギレン”に。護送中、ずっと神妙かつションボリと大人しくしてたことが功を奏したのか、そんな助け舟を出してくれた。

「これしきで反省するとは思えんがな。……まあ良い。善からぬ振る舞いをすればこうなるのだと、少しは身に沁みただろう」

 つまり、好き勝手すれば、また正座させるぞって脅してる訳だ。

 鼻を鳴らしそうになるのを抑えて、殊勝に頷いて見せる。

 髭面スキンヘッドが合図すると、部下が数人寄ってきて、そっと体を起こしてくれた。いつまでも床でウゴウゴしてたらみっともないからね。

「ありがとう」

 微笑んでお礼。眉が寄っちゃうのは、ごめん、まだ脚がビリビリしててさ。

 皆、この“拷問部屋”から逃がそうとしてくれてるんだろうけど、おれ、まだ“ギレン”に用事があるんだよね――と、言うか、おれにとってはコッチが本題。

 ある意味、この時期に家に帰されたのは好都合と言っても良いくらいに。

 だから、担ぎ上げられて連れ出される前に口を開いた。

「ところで、“ギレン兄様”、僕からもお話があります」

 ニコリと笑みかける。

 髭面スキンヘッドが目を剥いておれを見た。部下も同じく――助けようとした少年が実はゴリラだった、みたいな顔をしないで欲しい。

 耳に痛いような一拍の静寂の後、

「……本当に懲りているのか、“ガルマ”」

 地を這う低音が。

 良い声な分、迫力があるね。護衛たちは凍りついたかに動きを止めているし。怖い怖い。

「懲りてます。兄様」

 次はもっとスマートにやってのけるよ。“ギレン”の手を煩わさずに済むように。

 それはともかく。

「でも、できれは今、駄目でも夜には聞いていただきたいお話しなんです」

 どうあっても近々で聞いてもらうから。

 寝室まで押し掛けられたくなかったら、今のうちに聞いておくれよ。

 じっと見つめる先で、“ギレン”の眉間はフィヨルドみたいに険しかった。

 暫しの見つめ合い睨み合い、絶対に退かないおれの意志を悟ったんだろう。

 “ギレン”は肺の中の息を全部吐くみたいな、特大のため息をついた。

「デラーズ、席を外せ」

 髭面スキンヘッドが、ピクリと反応した。

 ふぉ?

 ――デラーズ? “デラーズ・フリート”か!

 納得。エギーユ・デラーズ。見たような顔のはずだよ。0083 STARDUST MEMORY、推しはアナベル・ガトーだったけど。

 どっかに居るのかな、アナベル・ガトーも。

 なんて、呑気に考えてる場合じゃないか。

 一礼して出ていく男たちを見送る。扉が閉ざされて、部屋の中はおれと“ギレン”だけだ。

「それで、今度はなんだ」

 ギロリと睨んでくるのを、真顔で見返す。

「月を抑えて」

 切り出せば、“ギレン”は二度、三度瞬きをした。頭の中で、おれの言葉の意味を精査してるんだろう。

 ふっと息をついて、“ギレン”は首を振った。横に。

「それはできん。すぐさま月に軍を置けば、連邦を徒に刺激することになる」

 だろうね。ムンゾ叩きの機会を虎視眈々と狙ってる連邦に、攻める口実を与えることになる。だけど、そんなことはおれにだって分かってる。

「月にムンゾの企業を置いてよ。誘致、買収なんでもいい。ムンゾの実質の支配権を強化して。3年後、連邦が簡単に月を落とせないように、経済圏をコロニー寄り、ぶっちゃけムンゾ寄りにしといて欲しいんだよね。そのうえで、彼らの保護としての軍を追々に」

「……この先、連邦が月を抑えると?」

「“おれ”が連邦なら、絶対にそうするね。ムンゾとルウムの喉笛を狙える。今のところ、まだ動きは無いようだけど――アナハイムがあるから甘く見てるんだろ。だからこそ、今しかないよ」

 “ギレン”は、椅子に深く身を預けて嫌な顔をした。見ようによっては仰け反ってるようにも、ふんぞり返っているようにも見える。

「お前の“悪知恵”か」

「……おれの考えをなんでも“悪知恵”扱いするのやめてよね」

「事実だ」

「ひど!」

 毎度ながら、おれをなんだと思ってんのさ“ギレン”。

 ぷくっと膨れっ面。

「だいたい、“ボス”が共栄圏の確立とかを着々と進めてるから事態が複雑化してるんだろ――良いコトだけどね! 士官学校入ってから実感したけど、ホント、この時間軸、流れが変わり過ぎてて読むのが大変なんだよ」

 本当に奇々怪々。確かにジオンと連邦なんて二極で考えるようなもんじゃないけど、それでも元の時間軸じゃ、この2つの勢力の激突が主軸だったのに。

 今やムンゾに続きルウムも、果ては中立を保ってたはずの――って言うよりコウモリだけど――リーアまでがコロニー側の勢力として台頭してきてるんだから。

 挙げ句にその内部でも、地球寄りにコロニー寄り、過激派に穏健派、様々に入り混じって複雑怪奇。

 火種はすでに至るところに。さて、戦端はどこで開かれるものやら。少しでも有利に事を運ばないと。

「そこを何とかするのがお前の役目だろう」

 シレっと言ってくれるもんだね!

「この謀略の海を、ひとりでここまで泳いで来たんだぞ。ようやくお前もそこまで育った、この先は役に立って貰わんとな」

 悪い顔。そういう顔すると、子供が泣くかもよ、“ギレン”。

「そんな“お兄様”に、出来た弟からお土産。コレね」

 ポイと放れば、パシリと。

「……メモリ?」

「おれの“オトモダチ”の情報だよ、学校の。弟の交友関係は気になるだろ? 各サイドすべて網羅してある。親御さんはじめ、周囲関係者の影響力が大きい辺りはもちろん、それ以外もね。“ギレン”の“計画”と照らし合わせて見なよ」

 ツテが欲しいと思ってる辺りを、重点的に押さえてあるから。

 入学して間もないけど、ザビ家の立ち場を生かした立ち回りで、1寮の同輩は元より、他寮生に上級生、果ては教官や厨房その他の関係者まで顔を繋いである。

 加えて、ムンゾ大学時代に築いたネットワークだって健在だからね。

 ここへ来て、ようやく、おれの耳目と手足が形になりつつあるんだ。

 諜報は“ギレン”のお家芸かも知れないけど、おれはおれなりのネットワークの中心で、蜘蛛みたいにおっとりと、諸々のデータを吸い上げさせて貰ってる。

「ちなみに✗が付いてるところは、“オトモダチ”が、つい“うっかり”家族のアドレスを間違えて教えてくれたトコだから」

 必要になったら使うといいよ――サスロ兄さんにでも任せれば、活かしてくれるだろ。

 まるで透かし見るみたいに、“ギレン”は部屋の明かりに記憶媒体をかざした。

「……まさかと思うが、この話のためにわざわざ騒ぎを大きくして帰ってきたんじゃあるまいな」

「たまたま良いタイミングだっただけ」

「どうだか」

 疑わしそうな声だった。

「お前ならそれくらいのことしてもおかしくないからな」

 信用ないなーと、唇を尖らせる。

 でも、おれ、そこまで策略家じゃないつもり。

「ってことで、諸々よろしく! おれはこのまま学生の本分とやらを全うするからさ」

「……学舎の占拠とかするんじゃないぞ」

 ギロリと睨まれて肩をすくめた。

「いつの話をしてんの。しないよ」

 ――必要がなきゃね。

 小さく笑う。一瞬去来する懐かしさには蓋をして。

「とりあえず、おれの話はいまんトコこんくらいかなー」

 細かいことを言えば切りがないから、ざっくりとね。

 さ。用事は済んだから、今度こそ“拷問部屋”から脱出するかね。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 ここで問題です。

 

「おまえ、ガルマ・ザビだろう! オレと勝負しろ!!」

 と、自宅の廊下で知らない子供に指を突きつけられたらどうしますか?

 

 回答:全力でくすぐる。

 

「ギャーーーーーーーーハハハハハハハハハッ!??」

 黒灰色の髪の男の子である。アムロより少し年下かな。灰色の吊り目が、利かん気の強い子猫みたいな印象だった。

 抱えあげてくすぐり倒せば、けたたましい笑い声をあげてのたうつ。

「悪い子誰だー?」

「っ! この、やめろ!! ギャハハハハ!!」

「降参する?」

「――しないっ! ぶは!」

 気が強いなー。

 しばらくコショコショし続けたら、ヒクヒク喉を鳴らし始めたから止めた。児童虐待はしたくないからね。

「はー。すごいね君。なかなか根性あるなぁ」

「……どうだ! オレの勝ちだ!!」

 涙目で渾身のドヤ顔を向けてくるのに吹き出しそうになった。

「もっとくすぐる?」

「引き分けだ!!」

 一瞬で青ざめる顔。表情が豊かで何より。

「ところで、君は誰さ?」

 家にいるのはアムロだけのはずだろ。いつの間に子供が増えたの。聞いてないよ“ギレン”。

 ここには居ない“兄”にぼやく。

「オレは……」

「『ガルマ!!』」

 子供が名乗る前に、別の声がおれを呼んだ。

 噂をすればじゃないけど――廊下の向こうから駆けつけてくるのは。

「『アムロ!!』」

 黒灰色の髪の子供を腕から放して、飛び込んでくるアムロを抱き留める。

「『久しぶりだ! 元気だった? メッセージだけじゃ物足りないよ。よく顔を見せて』」

「『僕もおんなじ年なら良かった! そしたら一緒に学校に行けたのに!!』」

 ぎゅうぎゅう抱きついてくる体は、前よりも背が伸びてるようだった。

 離れてる間にも育ってる、当たり前だけど。その成長を側で見守れないのが少し寂しい。

 突如、廊下の真ん中で始まった感動の再会に、子供は灰色の眼を見開き、ポカンと口も開けていた。

「『ギレンさんに叱られた?』」

「『ちょっとね』」

 叱られたって言うより、ずっと正座させられてただけって言うか。

 曖昧に濁す。

 少しだけ大人びてきた思考波が、おれが悄気げてないか労るように、そっと撫でてくるのに唇がほころんだ。

 優しいね。お前は。

 ぎゅうぎゅうと抱きしめ合ってたら。また廊下の向こうから足音が近づいてきた。

「アムロ、お前、いきなり駆け出すなよ。ビックリするだろ」

 おや。どっかで見たような顔だ。

 ヒョロリとした、幾分か年重の少年が、小さな黒髪の女の子の手を引いて。

「だって。『……ガルマが部屋から出てきたから……』」

 ああ、そうか。ずっと待っててくれたのか。

 もう一回ぎゅっと抱きしめて。

「『アムロ、彼がメッセージにあったお友達?』」

 聞けば、笑顔で大きく頷かれた。

 お前が父親から友達を作れって言われこと、ずっと気にしてたのを知ってる。

 おれとキャスバルが士官学校へ入ってから、お前が一人ぼっちにならないか心配だった。

 だけど、暫くして届いたメッセージには、友達が出来たって書いてあった。

 涙ぐむほど安心したおれに、キャスバルは呆れた風に鼻を鳴らしてたけどさ、その青い眼にだって安堵は溢れてたんだ。

 そのお友達が、お前なんだね。

「……カイ・シデン」

「ああ。アンタがガルマ・ザビ?」

「そうだよ。よろしくね」

 おっとり微笑んだのに、胡散臭そうな視線を向けられた。何故だ。

 差し出した手とおれの顔を交互に見て、手を出すまで数秒。さらに握手まで数秒って、どんだけ警戒されてるの、おれ。

「くすぐったりしないよ?」

「……よろしく」

 一瞬だけ握られた手はすぐに放された。なんなの。電撃とか出すとでも思ってんの?

 そりゃ出たら面白いけど、電撃。

 カイはするりとおれから離れて、落ち着きなくウロウロし始めた黒灰色の髪の男の子に向き直った。

「ゾルタン、お前も妹置いてフラフラ消えんなよ。ミルシュカが泣くだろ」

 ――ゾルタン!?

 ふぉう。ちょっと待って。

 ゾルタン・アッカネン? あのNTの??

 言われて見れば面影があるような。

 成程、“ギレン”がニタ研にチョップかましたってことか。

「『……ガルマ?』」

 おれの動揺を感じとったアムロが、ギュっと袖を引いてくる。

『ゴメン。大丈夫。ちょっと知ってる名前だったからさ』

『ゾルタン?』

『そ。名前だけだけどね』

『……それだけであんなにビックリするの?』

 疑いの眼差し。ふぉ。不貞を咎めだてされてるみたいな気分になるのは何故だ。

『……フラナガン機関って、前に話したことあるだろ? ゾルタン・アッカネンは、そこの子だ』

『うん。ギレンさんが連れてきた』

『あそこは、“ニュータイプ”を研究してる。つまり、おれたちみたいに“お喋り”できるヤツかもって…』

『できないよ!』

 被せ気味に答えられて面食らう。

『できない! “この声”も聞こえてないし!』

 確かに、レセプターは震えない。いや、微かに震えてるかも知れないけど、微弱過ぎて読み取れないんだ。

『僕とガルマとキャスバルだけだ!』

 そこに含まれる幼い独占欲に、くすぐったい心地になった。

 キャスバルだけじゃなくて、おれも、お前のプライドの一員か。嬉しいね。

 興奮に鮮やかさを増した碧い瞳に笑みかけて。

『……そうだね。彼にも、妹君にも“この声”は聞こえてないね。おれたちだけだ』

 頷けば、ようやくアムロは笑顔を見せた。

 一拍おいて、カイと遣り取りしているアッカネン兄妹に意識を向けると、ミルシュカと呼ぼれていた妹が、チラチラとこちらを見ていた。

 頬が赤く染まって、灰色の眼もキラキラしてる――4、5歳くらいかな。ちょっと痩せすぎで小さいけど、顔立ちは可愛らしい。

 怖がらせないように片膝をついて、少女としっかり視線を合わせる。

「はじめまして。お嬢さん」

「おうじさま?」

 そう呼ばれたのは初めてかな。

「ガルマ・ザビだよ。王子様ではないかな。残念だけど」

「でも、ギレンさんが、おとうとはおうじさまだって」

 少女が唇を尖らせる。

 ちょっと。なに言っちゃってんのさ“ギレン”。

「どうかな? 僕たちのお姫様は、僕をナイトって言ってくれるけどね」

 幼かったアルテイシアが、絵本の中の騎士に憧れて、おれとキャスバルをナイトに叙勲したんだ。

 なんとも可愛らしい思い出である。

「おひめさまがいるの!?」

 灰色の目が真ん丸になる。兄は吊り目だけど、妹はちょっと垂れ気味。

「そのうちに会えるよ」

 きっと、あの頃のアルテイシアみたいに、お姫様や王子様に憧れてるんだろう少女は、それはそれは期待に満ちた顔で頷いた。

 途端に。

「このスケコマシ!!」

 振るわれた小さな拳をぽすんと受け止める。なんつー言葉を知ってんのさ、ゾルタン。

「物凄く心外。名誉毀損で訴えちゃうぞー」

 そもそも幼女は守備範囲外も良いところだ。

「ひどい! おにいちゃんキライ!!」

「なんでだよ! オレはおまえを守ってやってんだろ!!」

 ふぉ。兄妹喧嘩が勃発か。

 ハイハイと引き剝がして、ミルシュカはカイに託し、ゾルタンを俵担ぎにして、アムロに向き直る。

「『厨房に行こうか?』」

「『行く!!』」

 久々に腕を奮おうかね。

 ゾロゾロと連れ立って行く様に、なんとなく“ハーメルンの笛吹き男”を思い出した。

 

 

 毎度パンケーキじゃ芸がない。

 ってことで、ちょっと趣向を変えてクレープでも焼くかね。

 実はあんまり材料変わらないんだけど。

「ひらひらしてる!」

「これに包むの?」

「そう。こうやって、くるくると」

「うまそう!」

 皮だけ焼いて、あとはクリームでもフルーツでもチョコレートでも好きに包むといいよ、と、具材を差し出してみれば、子供らは大興奮である――カイだけちょっと大人しいけどね。

 じっと、観察してくるみたいな視線が気にかかる。

「甘いもの苦手なら、ベーコンでも包む? ツナでも良いし」

「別になんでもいい」

「そう?」

 バニラアイスにラムレーズンとクリームチーズ、チョコリキュールを加え、くるくると巻いて差し出してみる。ちょっと大人テイスト。

 手にとって、一口齧ったカイの頬が緩んだ。お気に召したようでなにより。

 そして子供らは、目についたものを片っ端から包んでる。

 大丈夫か? 相性考えてないよね?

 クリームにアイス、グミやらチョコやらキャンディーにマシュマロ、クッキーまで全部のせ。美味しそうに食べてるけど、それホントに美味いの?

 子供味覚恐るべし。

「……なぁ」

 口の端にクリームを付けたカイが声をかけてくる。

「なに? お代わりはそれ食べ終わってからね」

「違う……あんた、“ニュータイプ”なのか? アムロも?」

 問われた内容に内心で目を剥くけど、表面上は、キョトンと“なに言ってんのお前”的な表情をキープしたおれ偉いわ。

「――ニュータイプって言ったら、ゾルタン達じゃないの? フラナガン機関にいたんでしょ?」

「ん〜〜っ。だけどさ、あいつらより、あんたらの方が繋がってるみたいな感じがするぜ。さっきも、誰も教えてないのに、アムロはアンタが出てきたことに気づいてたみたいだし」

 ぬ。怪しまれてるぞ、アムロ。

 さて、どうしたもんかね。

「それなら嬉しいけどね」

 ニコリと微笑んで。

「だけど、居間の時計が鳴ってたでしょ? 僕がここへ帰ってきたのは昼時だったから、それから2時間。アムロなら“ギレン”の説教が終わる頃合いだって考えたはず」

 ちなみに、この時計は屋敷の何処にいても音が聞こえる。そういう仕組みになってるらしい。

 推理小説みたいなことを言ってみれば。

「……なんだ」

 カイは、手品の種明かしをされた子供みたいな顔をした。

「って言うか、そんなことが分かるくらい怒られてるのかよ?」

「残念ながら。怒りん坊なんだよね、“ギレン兄様”って」

「……………そうか?」

 顔は怖いけど、そんなに怒る人だったっけ、なんて。案外、懐かれてんじゃないか、“ギレン”。

 何とかごまかせたかな。

『……ごめん。ガルマ』

 こっちを向かないままで、アムロが謝ってくる。ん。いい判断だ。

『大丈夫。随分と勘がいい子だね。この先要注意だ』

『……友達やめなくていい?』

『もちろん! 当たり前だろ! 友達は大事に!』

 不安そうな思考波に全肯定を返せば、キラキラ光るみたいに意識が揺らめいた。

 そうだね。いざとなったら取り込んでしまおう。秘密を漏らさないように絡め取ってさ。

『……酷いことしちゃ駄目だよ』

『おれがお前に酷いことするわけないだろ?』

 以前、お前がそう言ってたじゃないか。

『僕とキャスバルにはね。でも、カイは違う』

 ――なんだろ。この線引き。

 確かにおれ、大事なひととそれ以外との対応が違い過ぎて、ドン引かれたり泣かれたりすること、昔からあったけどさ。

『……お前の大事なものなら、壊したりしないよ』

 安心しな。

『うん!』

「アムロ、甘熟バナナのチョコクリームクレープ食べる? バニラアイスとサクサクチョコチップクッキー入れてみたけど」

 王道アレンジである。

「食べる!!」

 満面の笑顔向けられて、こちらもつられてニッコリ。

「そいつだけズルいぞ!」

「マシュマロカスタードキャラメルアーモンドチョコクレープ食べるひと〜?」

「オレだ!」

「じゃあ、お嬢さんにはベリーベリーの乙女クレープなんてどうかな? クラッシュベリーズアイスにホワイトチョコとラズベリーソースでドレスアップ」

「わあ! お花みたい!!」

 そう。花束をイメージしてみたんだ。

 差し出せば、ニコリぱくり。

 おやつと言うには大量食いだけど、まあ良いか。

「ちゃんと夕食も食べるんだよ」

「「「「はーい」」」」

 ん。良いお返事である。

 

 

 お腹いっぱいになったらしき子供らを部屋に追い立て、お昼寝タイムを申し付けてみたわけだが、寝付かせるまでがまた一仕事だった。

 ふぃ〜。

 まあね、ベッドまで追い込めばころりと寝息をたててくれたから、大変だったのはそこまでだけど。

 ふぃ〜、again。

 さてと。忘れそうになるけど、おれ、休暇じゃなくて謹慎中なんだよね。

 つまり、罰則も課題もあるわけだ。

 先ずは反省文だけど、何を書けば良いんだっけな。記憶の隅からテンプレートを引っ張り出す。

 ……あ〜。うん。長々書かないでスパッとシンプルに纏めよう。

 面倒くさいからじゃないよ。ほら、おれを含めて13人分読まなきゃいけないわけだからね、ドズル兄貴が。忙しいのにゴメンね。

 ってわけで、事件のあらましと反省点をパパっと纏め、二度とこんな“事態には”致しません、からの謝罪で結ぶ。

 サクッと仕上げたそれに封をして、さっさと鞄にしまう。

 それから、一週間分の教本に目を通す。戦史関係がちょっと面倒だけど、そこはアレだ。歴史小説とか大河ドラマっぽくドラマティックアレンジで頭に叩き込めば、割と何とかなるし。

 フフフ。どうよ“ギレン”。学生の本分とやらを全うしてるおれ、真面目じゃないか。

 なんて。

 呑気に過ごしてるけど、気掛かりがひとつ。

『……キャスバル? キャースーバールー?』

 何度呼んでも返事がないけど――

 フラットまでは距離があるから、おれ程度の思考波じゃ届かないのかも知れんケドさ――時折かすめる意識はめちゃくちゃ尖ってる。つまり不機嫌。

 ずーっと脳裏にチクチクチクチクトゲトゲトゲトゲ刺さってくると、鬱陶しいを超えて心配になるんだよ。

 謹慎中に連絡取り合うなとかの指示は無かったしなー。

 部屋を出て、執事にキャスバルと連絡を取りたい旨を伝える。こういうの、ちょっと不便。直接架けたいけど、これも家のルールだから仕方がない。

 程なくして繋がったことが伝えられたけど。

「キャスバル、そっちはどう?『お前、なんでそんなにチクチクトゲトゲしてんのさ。なんかあったの?』」

「やあ、ガルマ。数時間振りだな。『いまからそっちに行く』」

「『はい?』」

 聞き返そうにも、もう通話は切れていた。

 なに? 何が起こってるの? ねえ??

 

        ✜ ✜ ✜

 

「やっぱり君の顔を見ると落ち着くね、キャスバル。『うわぁ。そっちにもナニかいる……』」

「君が退屈がってるんじゃないかと思ってね。『親戚だそうだ』」

 表面上はにこやかだけど、チクチクトゲトゲが止まないキャスバルである。

 そして、来訪者はキャスバルだけじゃなかった。

 執事が丁重に応対してるのは、ダイクン家御一同様。もちろん本元のローゼルシア様じゃなくて、アストライアさんとアルテイシア、護衛だろうランバ・ラルと、未知の子供二人。

 千客万来じゃないか。

 そしてなおオソロシイことに。

『キャスバル、なんか、この子……』

「『フロリアン・フローエです』」

 うん、金髪巻毛の男の子の方、思考波出してるよね!??

 レセプターがビリビリしてる。

 ゾルタンとミルシュカが左程でも無かったから油断してた。

 昼寝から飛び起きてきたらしきアムロが、めちゃくちゃ警戒してる。ちょっと毛並みを逆立てた子虎みたい。寝癖ついてるし。

「はじめまして。僕はガルマ・ザビ、こっちはアムロ・レイだよ。よろしくね。『聞こえてるんだね?』」

 一応確認。視線の先でチビっ子が頷く。蒼い眼には不安と怯えと疎外感がチラついてた。意識も同様にぷるぷる震えてるし。

 キャスバル、お前なんかしたの? 何もしなくても、まさかあのチクチクトゲトゲをこの子に向けてたわけじゃあるまいな?

 視線をやれば、あからさまに目を逸らされた――ヲイ。

 大人気ない。ホント、お前意外とヤキモチ焼きだし。大方、ご母堂様と妹君の関心がこの子に向いたのが気に入らなかったんだろうけどさ。

 しゃーないなー。ミルシュカと同じくらいかな。5歳くらい?

 ゾルタン達もそうだけど、こんな子供を被検体にしやがったのか。許すまじフラナガン機関。研究員共、うっかり事件事故に巻き込まれるなんてことは日常的にあるんだぞ。アナグマが巣でくたばることだって……。

『『ガルマ』』

『なにもしないよ?』

 キャスバルとアムロが同時にジト目を向けてくるから、ニコリと微笑む。

 ふお。フロリアン坊やまでドン引きとは。

 コワクナイヨー。

『とりあえず、僕達のことについては口を噤むよう言いつけてある。逆らうことはないと思うが』

 キャスバル、睨むのやめれ。

『まあ。でもナイショでお願いね』

 よっこらしょ、と、子供を抱えあげる。

 突然の浮遊感にビックリしたらしき子供がしがみついてくるままに任せ、居間まで移動。

 当然、アムロもキャスバルも付いてくるし、アルテイシアも駆け寄ってきた。その後ろから、もうひとりの見知らぬ少女も。

「ガルマ、ここにも女の子がいるって本当?」

「ああ。ミルシュカっていう、小さい子だよ。フロリアンと同じくらいかな。兄のゾルタンって子と一緒に預かったみたいだね」

「ふぅん」

 おや。お姫様のご機嫌も麗しいとはいかないのか。よもやキャスバルみたいにフロリアンに敵愾心を抱いてるわけではあるまいが。

「ねえ、そのミルシュカって子は…」

「ガルマ!」

 ドスンと、いつかのアムロみたいに突撃してくるゾルタンによろめきそうになる。オイコラ。こちとらお子さんひとり抱えてんだぞ、危ないだろ。

 噂をすればじゃないけど、カイもミルシュカも。なるほど、午睡から覚めて、カイが連れてきたってことか。

「おひめさま!」

 灰色の瞳を輝かせて、ミルシュカが飛びついたのはアルテイシアだった。

「え?」

「ガルマのおひめさまね! きれい!!」

 絵本と一緒だと大興奮のミルシュカに、アルテイシアは面食らってるみたい。パチパチと瞬きするさまが愛らしくて笑ってしまった。

「そうだよ、ミルシュカ。彼女がアルテイシア。僕のお姫様だ」

 答えれば、アルテイシアの青い瞳が、真っ直ぐに向けられた。

 士官学校に入ってから、まだ二月足らずだけど、久々に見る少女は、心做しか輝きを増しているように思えた。

「……本当にあっという間に綺麗になるね、リトルレディ。眩しいくらいだ」

 かぐや姫みたいに何処かに去らないでおくれよ、と、少しだけ切なくなって目を細めれば、アルテイシアの頬は薔薇色に染まり、ミルシュカともうひとりの少女がキャアキャアと悲鳴だか歓声だかをあげ、一気に場が騒がしくなった。

『……ガルマ、君って』

『なんだよキャスバル。これ、ホントに悪い虫が付かないように見張らないとだろ!』

『むしろ、君に悪い虫が付かないかと心配されてるんだがな』

『つかないだろ? 女の子、全然寄ってきてくれないじゃないか。まあ、お前の隣じゃ霞むからな〜』

 こっそり思う。本物のガルマだったらいざ知らず、おれ、“ガルマ”だからね。御曹司力が足りてないんだろ、きっと。

「それで、そちらのお嬢さんは? ランバと一緒に来てたみたいだけど」

 よもや隠し子じゃあるまいから、やっぱりフラナガン機関にいた娘なんだろうけど。

 アムロと同じくらいの年かな。

「マリオンだ!」

 答えてくれたのはゾルタンだった。

「マリオン・ウェルチよ。ゾルタン、あなたは相変わらずねぇ」

「お前だって変わらないだろ!」

「ゾルタン、レディに“お前”呼びはいただけないな。いずれ君も“格好いい男”になるんだ。今から磨いときなよ」

「……オレ、格好いい男になる?」

「なるとも。見目もいいし、頭も良い。その年で力もあるしね。だから、女性には優しくしなきゃ」

 肯定すれば、その顔が何故か一瞬クシャリと歪んでから、得意そうな笑顔に変わった。

「わかった!」

「良い子だ。アムロ、フロリアン、君たちもだよ――きっとキャスバルに迫るくらい良い男になるね、楽しみだ』

「……キャスバルが一番なの?」

 アムロが不満そうに唇を尖らせるけど。

「そりゃ宇宙一だからね! 追い抜くなら相当頑張らないと。強敵だよ?」

「頑張る!」

「オレも!」

「……ぼくも」

 ん。いいお返事。キャスバルは呆れたみたいに鼻を鳴らしてるけど――でも、満更じゃないんだろ?

「ガルマだって素敵よ!」

 アルテイシアが褒めてくれる。嬉しいね。ニコリと微笑んでお礼。

「ありがとう、リトルレディ。僕も、君の隣に相応しくあれるよう頑張るよ」

 手があいてたら抱きしめて頬にキスのひとつでも贈りたいけど、今はね。

 ワイワイと居間に。

 家族だけのときは広すぎた空間も、これだけの人数が入ると、やっとその役割を果たしてる感じだ。

「なあ、俺は帰るよ」

「なんで? もっと一緒に居ようよ」

 アムロが、いつの間にか帰り支度をしていたカイの腕を引っ張ってる。

 随分と懐いてる様子。さっきもだけど、なんやかんやで世話焼きな質なんだろう。アムロだけじゃなくて、アッカネン兄妹の面倒も見てくれてたし。

「また明日来るぜ」

「ええ〜」

 アムロはゴネてるけどさ。流石にザビ家とダイクン一家並びに関係者がゾロっといる中での晩餐に参加する気にはなれないらしい。

「オヤツのリクエストがあったら、アムロにメッセージ送っておいてよ」

 軽く言えば、ヒョイと手を上げて。

「フラップジャック!」

 ふぉ。シリアルバーか。イギリスの伝統菓子のひとつ。まあ、なんとかなるかな。

「了解。気をつけてお帰りよ」

「ああ。じゃあな、アムロ。また明日な! ゾルタンも大人しくしとけよ! ミルシュカは……お姫様に夢中だな」

 子供のくせにニヒルな笑みを残して、カイが帰っていく。

 アムロはちょっと残念そうだけど、それ以上はごねなかった。

 さてと。おれは今夜の準備でもするかね。

 

 

 本日の晩餐は大人数になると厨房に伝えれば、料理人一同が力瘤をつくって大きく笑った。

「執事長から聞いてます!」

「何人増えたって対処しますよ!」

「久々に腕を奮えます!!」

 子供がいっぱいいるから、それなりのメニューをと頼む。

 あと、大人組の好きそうなものもね。

「任せてください!」

「ギレン閣下へはプチトマト増量しますね!」

 なんて、凄く良い笑顔で振られるから、思わず顔が引き攣った。

「いや……それもう止めてあげて」

「正座2時間って聞きましたぜ?」

「それ拷問じゃないですか!」

「ソースはやっぱり山葵ですかね……」

 厳しすぎると憤慨してるようだけど。

「今回は僕が悪いからね」

 苦笑いして答える。

 ちょっと調子に乗ってやり過ぎた感はあるからさ。

「女の子助けたって聞きましたけど?」

「うん。彼女が無事で良かったよ。でも、相手に大怪我させちゃったから……」

「婦女子に乱暴する輩なんて、ぶっ飛ばしてやりゃいいんですよ!」

 うん。それは全面的に同意するけど。

「今度はもっと上手くやります」

「それでこそガルマ坊っちゃんだ!」

 なんて。もう坊っちゃんなんて年じゃないけど、まあ良いか。

 ついでに、明日のオヤツにフラップジャックを頼めば、これも快く承諾してくれた。良かった。

 そうこうしてるうちに、“ギレン”も帰ってきたとの知らせが――え、いつの間にか出かけてたの?

 相変わらず、重いのか軽いのか分からないフットワーク。

 何故か壮絶な微笑みを浮かべた料理長に。

「……“ギレン兄様”の好きなものもちゃんと出してあげてね?」

 と、心の底からお願いすれば、「勿論です!」と返ってはきたけど。

 そこはかとなくドス黒いオーラが漂い出した厨房から、そそくさと逃げ出す。

 ごめん、“ギレン”。

 厨房はおれの支配下だけど、支配しきれてないみたい。

 でも、どんな料理が出てきても、料理人のプライドにかけて絶対に美味しいから安心してね!

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 8【転生】

 

 

 

 一月ほどの後。

 ニュータイプ研究所を急襲した。もちろん、キシリアにも告げずにだ。

「こ、これは……」

 フラナガン・ロスは、大慌てで表に出てきたが、その時には既に、部下たちが研究所内を制圧していた。“伝書鳩”ではなく、原作中にあった親衛隊とやら称する輩である。

 隊長はエギーユ・デラーズ、逞しい、スキンヘッドで髭の男だ。『0083 STARDUST MEMORY』に出てくるキャラクターらしいが、残念ながら、こちらはここでが初見である――トミノ以外は興味がなかったので。

 そう云えば、“ガルマ”が推していた――のか?――アナベル・ガトーは、このデラーズの作ったデラーズ・フリートとやらにいたのではなかったか。まぁ、UC0083年なら一年戦争の後だから、まだこの場にはいないものだろうが。

「閣下、制圧完了致しました」

「うむ」

「ギレン閣下、これは一体……」

 フラナガン博士は、白衣の裾をもみくちゃにしながら云ってきた。

「フラナガン博士、われわれは、貴殿らがここで人体実験を行っていると云う情報を受けた。それに確証が得られたので、こうしてここを押さえることにしたのだ」

「……は」

 間抜けに口を開けたフラナガン博士は、まだ事態をきちんと把握してはいないようだった。

「じ、人体実験とは……」

「――子どもを四人、“買った”だろう」

 ゆっくりと瞳を巡らせると、フラナガンはうっと怯んだ様子になった。

「他にも五人、被験者がいるな? かれらに、貴殿は何をしている?」

「さ、サイコウェーブの発信や受信の有無を……」

「被験者に、ロボトミー手術まで施してか?」

 それは、“伝書鳩”からの報告書に記載されていたことだった。

 まだ、研究所にいる被験者は五名――MAN0001から0005までと云うことだったが、近日中に四名の増員あり、いずれも十歳にも満たぬ子どもである旨が書かれていた。それとともに、研究所における“実験”のあらましも。

「それどころか、貴殿らは、被験者に電気ショックを与えるなどして、サイコウェーブの増幅などを実験しているそうではないか」

「そ、それは……」

「人体実験、それに人身売買は、連邦法で禁止されている。これが表沙汰になれば、ムンゾは、連邦を介入させる緒を与えることになるのだぞ!」

 怒鳴りつけるように云えば、さしものフラナガンも震え上がったようだった。

「か、閣下……」

「今回は、私が預かるが、今後このようなことはなしにして貰おう。被験者たちは、引き取る」

「しかし、閣下……」

「仔細はキシリアから伝える。暫く、この研究所は閉鎖させる。処分を待つように」

 云い捨てて、踵を返す。

 士卒たちの敬礼に応えながら歩いていくと、デラーズが歩調を合わせてきた。

「デラーズ」

 歩きながら、云う。

「は」

「フラナガン博士を監視せよ。これで、連邦軍などに逃げこまれてはかなわん」

「承知致しました」

 こう云う時、コロニーは有利だ。何しろ、脱走するにも宇宙船に乗らなくてはならない。そうなれば、地球上で逃走されるよりも圧倒的に見つけやすいし、亡命なども防止しやすい。

 なるほど、『the ORIGIN』で、ミノフスキー博士が月面での亡命を目指したわけだ。月面は、空気や重力のことはおいてしまえば、地球上に感覚が近い。酸素量さえ保つならば、徒歩での亡命も可能である。

「被験者たちは」

「既に回収しております。衰弱しているものか、立って歩けぬものもおりまして」

「病院を手配して、まとめて収容せよ。経過はきちんと観察させよ」

「承知致しました」

「それで、“買われて”きた子どもたちはどこに?」

 その子どもたちが、確実に金銭によって取引され、この研究所に連れこまれたからこそ、確証をもって踏みこむことができたのだ。

 おそらくは金に困った両親に“売られた”子どもたちを、その家に戻すことはあまり宜しくないだろう――一度子どもを売った親は、買うものがあればまた売るのは目に見えたことだった――から、引取先を見つけるなり何なり、処遇を考えてやらなくては。

「――こちらに」

 士官のひとりが、奥に佇む少年少女を指し示す。

 そちらにまなざしを転じ、思わず目を見開いた。

 見たような容姿の子どもが、その中に混じっていたからだ。

 くるくるとした金髪と青い瞳、どこか、幼いころのキャスバルに似た風貌。歳のころは五歳か、そのあたり。

 まさか、この子どもは、

「――名前は」

 問うと、子どもは怯えたように、

「……フロリアン・フローエ」

 と名乗った。

 なるほど、略してF.F.、“シャアの再来”と呼ばれた男の通称に通じるものがある。

 では本当に、この子どもが、後の“フル・フロンタル”と云うことなのだろうか?

「お、俺はゾルタン・アッカネンだ! こっちは、妹のミルシュカ」

 黒髪、灰色の瞳の子どもが、さらに小さな少女を抱えながら、云う。フロリアン少年よりもやや年嵩の、こちらはちゃんと本名だったか。では、抱えられているやはり黒髪の少女は、失われたと云う妹か。

 そして、青い髪の少女。ゾルタンと同じか、あるいはひとつふたつ年上だろうか。落ちついた雰囲気の少女だ。

「――マリオン・ウェルチよ」

 さて、この少女は何に出ていたのだか――とにかく、ニュータイプの資質があるには違いあるまい。

「なるほど」

「わたしたちをどうするの」

 少女はまっすぐ顔を上げ、そう問いかけてきた。

「さてな――当座は、こちらで預かることになる可能性が高いが……」

 しかし、既にアムロ・レイがいることを考えると、そして女と子どもに甘い“ガルマ”のことを考えると、少なくともこのマリオン・ウェルチに関しては、他家に預けた方が良いようにも思われる。

 と、

「――閣下」

 デラーズが、紙の束片手に囁きかけてきた。

「何だ」

「フロリアン・フローエと云う子どもですが――どうやら、アストライア様の従姉妹の子ども、と云うことのようです」

「なに」

 なるほど、整形したと云うことだったが、“フル・フロンタル”がシャア・アズナブルに似ていたのは、そもそもかれの縁戚であったからなのか。

「それならば、フロリアン・フローエについては、アストライア様に預かって戴こう。事情をご説明すれば、預かって戴けるに違いない」

「他の三人は如何致しましょう」

「ゾルタン・アッカネンとミルシュカ・アッカネンは、うちで預かる。マリオン・ウェルチは――“ガルマ”がいるからな……」

 あの女誑しのことだ、マリオンにやさしくした挙句に惚れられでもすれば、アルテイシアとの間に戦争が勃発する。そう云う危機は、なるべく回避したい。

「ランバ・ラル、と云うか、クラウレ・ハモンに預けよう。あちらならば、“ガルマ”も迂闊に構いにはゆくまいし」

「姫君の心を、徒に波立てることもございますまいからな」

 事情を察して、デラーズは頷いた。

「うむ。いらぬ諍いの種を、わざわざ蒔くこともあるまい。――私は撤収する。後は任せた」

「は」

 敬礼を受け、フロリアン少年を抱えて踵を返す。マリオン・ウェルチとアッカネン兄妹は、不安そうに後をついてくる。

「――どこにいくの」

 フロリアン少年は、きょろきょろしながら訊いてきた。

「君の預け先だ。君の遠い親戚にあたる」

「そんなひとがいるの?」

 小首を傾げる、その様は小鳥のように愛らしい。多分、フロリアン少年は、アストライアとアルテイシアには喜んで迎えられるだろう――キャスバルの方は、どうだかわからないが。

 車内から連絡を入れ、フラットに向かう。

 アストライアは、待ち構えていたようだった。

「ギレン殿、事情はお聞きしましたが、私の親戚とは……」

「この子です」

 フロリアン少年を差し出すと、青い瞳が見開かれた。

「フロリアン・フローエと云うようです。あなたの、母方の従姉妹の子どもであると」

「まぁ……」

 こうして並べてみれば、フロリアン少年とアストライアの顔は、よく似ていた。母子と云っても頷けるほどだ。

「……フロリアンと云うの?」

「は、はい……あの、ぼくのしんせきって……?」

「そうみたい。あぁ、よく似ているわね」

 キャスバルの幼いころに。

 だが、キャスバルは、これくらいの歳のころであっても、もっと意志の強いまなざしをしていただろう。将来“赤い彗星の再来”になったかも知れない少年は、そう云う意味では、あまりキャスバル・レム・ダイクンとは似かよっていなかった。

 と、

「お母さま! ギレン殿が来られているのですって?」

 ぱたぱたと駆けてきたアルテイシアも、母親に抱かれた子どもに目を見開く。

「まぁ、可愛い!」

 十二歳になる少女は、子どもに手を伸ばした。こうして見ると、姉弟と云っても誰も疑うまい。

「この子? この子をお預かりするの?」

「そうよ。――ギレン殿、そちらのお嬢さんは?」

 と、マリオン・ウェルチを見て、アストライアが問う。

「この娘は、ランバ・ラルとクラウレ・ハモンに預かって貰おうかと思いまして」

 “ガルマ”の傍に少女を置くのは少々、と云うと、アストライアは微苦笑した。

「ガルマさんは、女性には本当に甘いから……勘違いで不幸になることもあるでしょうからね」

「ガルマは気が多いって、ランバ・ラルが云ってたわ!」

 アルテイシアが、少し頬を膨らせて云った。

「おやおや、ランバ・ラルが。それは炯眼」

「ギレン殿も、そう思う?」

 まっすぐに見つめられてそう問われれば、流石に頷くこともできなかった。許婚者の少女の夢は、あまり壊したくはない。

「……まぁ、“ガルマ”は、女性と子どもには親切ですからな」

「じゃあ、勘違いされたりもするってことじゃない!」

「そのために、ラルとクラウレ・ハモンにこの少女を任せるのですよ」

「……ならいいわ」

 ちょっと拗ねたような態度、幼くても女は女、か。

 やがて、あたふたとランバ・ラルがやってくる。

「ギレン殿! 私は何も聞いていませんぞ!」

 と叫ぶのは、フロリアンのことか、それともマリオンのことか。

「あぁ、今しがた保護したのでな。――こちらのフロリアン・フローエは、アストライア様の従姉妹子にあたる。もうひとりのマリオン・ウェルチは――“ガルマ”のこともある、うちには置けんのでな。済まないが、貴殿とクラウレ・ハモン殿とで養ってはもらえまいか」

「は……」

 息を吐いたランバ・ラルと、マリオン・ウェルチのまなざしが合った。

 一瞬の沈黙。

 の後、

「わかった、ガルマ殿と云うよりは、アルテイシア様のためだな。よし、その娘はうちで引き受けよう」

 ランバ・ラルは、そう云って大きく頷いた。

「助かる。女らしい女のいないザビ家よりは、ハモン殿といた方が、この娘にも良いだろう」

「……それは、キシリア殿のことか」

「おや、私は何も云ってはいないが?」

 澄ました顔を作り、そう云ってやると、ぐうと呻いて歯を食いしばる。

「ギレン殿ったら」

 アルテイシアが袖を引くので、ランバ・ラルを苛めるのは止めにした。

「すまん。――そう云うことでな、済まないが頼まれてくれ」

「……くそ。わかった、アルテイシア様のためにな!」

「それで構わんよ。うちには、残りの二人が来ることになるのでな」

 そう云うと、ランバ・ラルはわずかに目を見開いた。

「……多いな」

「十歳に満たぬ子どもを、流石に収容施設にはな。まぁ、うちにはまだアムロ・レイもいる、子ども同士、うまくやってくれればいいが」

 さて。

「ザビ家は託児所か」

 流石にラルが吹き出す。まぁ、この面相の男の家が子どもだらけ、と云うのは、確かに意外過ぎて笑えるか。

「似たようなものだ。――とにかく、“買われた”子どもたちだ、それなりに接してやってくれ」

「わかった」

 そうして、フロリアンとマリオンを残し、車に戻る。

 中では、ゾルタンとその妹が、不安そうな面持ちで待っていた。

「さて、お前たちは私の家だ。なに、うちには他にも子どもがいる。あまり構えず、楽にするといい」

 まぁ、大人は揃いも揃って悪人面ばかりだが。

 子どもたちはじっとこちらを見ると、意を決したように頷いた。

 

 

 

 本宅に戻ると、アムロ・レイは不在だった。どうやら例のごとく、カイ・シデンと一緒に出かけているようだ。

「――これが、家……?」

 ゾルタンとミルシュカは、ザビ家本宅の広くて長い廊下に、きょろきょろと忙しなく視線を動かした。

「私の父親の家だ。君たちの他に、十歳になる子どもをひとり預かっているのだが――今日は出かけているようだな」

 メイドが、子どもたちの部屋の準備ができていると云うので、そちらへ向かう。

「――当座、ここが君たちの部屋になる。ベッドが一つだが、まぁ暫くは良いだろう?」

 別々の部屋にいるよりも。

 来客用だった部屋は当然のように広く、ダブルのベッドの他に、簡単な食事の取れるくらいのテーブルと椅子のセットが置かれている。バス、トイレも併設なので、立て籠もろうと思えば立て籠もれる部屋だ。大きな窓の外にはバルコニーがあり、そこから、ズムシティでは贅沢な、広い庭園が見下ろせる。

「わぁ……おしろのなかみたい!」

 いち早く反応したのは、妹のミルシュカの方だった。

「姫君のドレスはないがな。まぁ、ムンゾの首相の私邸だ、城のようなものかも知れんな」

「おうさまなの?」

「私の父がな」

 と云うと、少女は首を傾げ、

「……おうじさまなの?」

 と、やや眉を寄せて云った。

 ――王子様か!

 はははと笑う。

「“王子様”と云うなら、“弟”の“ガルマ”がそうだな。私は軍人だよ。――アムロが戻ったら紹介しよう。とりあえずはゆっくりするといい」

 そう云い残して、部屋を出る。

 自分の書斎に戻ると、ドズルからの通信が入っていた。

 折り返すと、画面に現れたドズルは、弱りきった顔を向けてきた。

〈――兄貴〉

「どうした。“ガルマ”か」

〈よくわかったな〉

「あれのことだからな、何かやらかすだろうとは思っていた」

 もちろん、鉄オル世界でのこととは違って、今回士官学校に入ったのは、ある意味“ガルマ”自身の意志ではある。

 しかし、元々の学生時代でも教師相手に悪戯したり、授業脱走も多々やった人間が、ここにきて急に品行方正になれるとは思われない。派手な事件の一つや二つは起こすだろうと思ってはいたが――まだ一年時の、この段階でか。

〈……実は、ガルマとキャスバル、そのまわりの連中を呼び出した。それが――既に二度目でな、かつ今回は、駐屯地の連邦軍兵士たちと揉めたらしい〉

「なに」

 もうか。早過ぎるだろう、いろいろと!

〈いや、ガルマたちに非は――少しくらいはあるな、兵士たちの出入りする食堂に行って、乱闘騒ぎを起こしたんだ。もちろん、意味もなくじゃない、一緒にいた女生徒に、兵士どもが絡んだのを助けようとして、なんだが……騒ぎが大きくなって、駐屯地の方から苦情が入ってな〉

「……あの馬鹿め」

 思わず、そう吐き捨てる。

 駐屯地の連邦軍兵士と揉めごとだと? これから三年間、その隣りで学ぶ上、士官学校生は連邦軍との合同演習もある。あそこで騒ぎを起こせば、間違いなく狙い撃ちにされると云うのに。

 しかも、ザビ家の末子、となれば、揶揄混じりの侮蔑が投げつけられるのは明らかなことだ。否、侮蔑程度ならば良い、これで、駐屯部隊の長がこちらになにやら捩じこんでくるようなことがあれば、また面倒なことにもなりかねないと云うのに!

〈――関わった連中は、一週間の自室謹慎だが……ガルマとキャスバルは主犯格だからな。一週間の自宅謹慎にした〉

「つまり、この後“ガルマ”が帰ってくると」

〈あぁ。……初年度の最初からこれでは、俺も胃が痛いよ。ギレン兄、ガルマの奴に釘を刺しておいてくれないか〉

「――わかった」

 わざわざこちらに連絡をよこしたからには、もちろんそのような意図があったのだろう。

 大学を出て、士官学校に入れたと思えば、もうこれだ。釘は、特大のものを刺さねばなるまい――“暁の蜂起”までは、あまりことを荒立ててもらっては困るのだから。

「“ガルマ”は、もう帰宅するのか?」

〈あぁ、もうそろそろ出るはずだ〉

「では、何とか云って、少し足止めをしろ。逃げられぬよう、こちらから迎えをやる」

〈お、おぉ〉

 “伝書鳩”では、“ガルマ”に翻弄されるだけだ。確実に連行するように、エギーユ・デラーズを直々に送ってやろう。

 ドズルの胃はともかくとして、今、あまり連邦軍と揉められては困るのだ。

 ドズルとの通信を終えると、即座にデラーズに連絡を入れる。

〈は、ガーディアンバンチへ、でございますか〉

 デラーズは困惑した風だった。まぁそうだろう、士官学校と連邦軍駐屯地しかない場所へ、何の任務だと思うに違いない。

「“ガルマ”がな」

〈ガルマ様でございますか〉

「そうだ。“ガルマ”が、駐屯地の兵士たちと、何やら揉めごとを起こして、自宅謹慎になったのだが――私に叱責されるのを厭がって、雲隠れしかねんのでな。ガーディアンバンチで確実に取り押さえて、私の許まで連れ帰ってほしいのだ」

 私用で申し訳ないのだが、と云うと、デラーズは苦笑混じりに頷いた。

〈……いろいろと武勇談はお聞きしておりますが――まさか士官学校に入学されて早々に、とは〉

「あれは、そんなものなのだ」

 元の学生時代、恩師から“羊の群れの中に、もこもこでみゃあみゃあ鳴く、三毛の化け虎がいる”とか云われたのだ。脚が太く、蹄ではない爪がある生きもの、だそうだ。まぁ、普通の学生ではなかったわけだ――ごく平和な世界線であっても。

「せっかく士官学校に入れて、一息つけるかと思えばこれだ。ドズルの胃も痛んでいるようだし、灸のひとつも据えてやらねばなるまいよ」

〈ザビ家の御曹司では、やんちゃで良い、と云うわけにも参りますまいなぁ〉

「そう云うことだ。任せたぞ」

〈は〉

 デラーズは敬礼して云い、そうして翌日には、“ガルマ”を自宅に引っ立ててきた。

「その場に正座しろ」

 と云うのが、再会して最初の言葉である。

 “昔”、やんちゃばかりだった“ガルマ”――もちろん、その頃は“ガルマ”でも“三日月”でもない――に、当時の保護者のようだった人物がよく与えていた罰が、正座で一、二時間じっとさせた上での説教だったのだ。それが、一番堪えていたようだったので、運用させてもらうことにする。

 “ガルマ”は、少しばかり目を見開いたが、観念したのか、おとなしくその場で正座した。

 それから二時間。

「〜〜〜ッ!」

 流石にこちらでは正座の習慣がないせいか、“ガルマ”が床にころりと転がる。

「足を崩して良いとは言ってないぞ。“ガルマ”」

 仕事の合間に横目で見るが、“ガルマ”の表情は、別に懲りているようには見えない。

 ――もう少し継続、か。

 と思ったところで、

「……閣下、そろそろ。これ以上は下肢の血流に差し障りが」

 “ガルマ”の殊勝っぽい顔に騙されたデラーズが、そう口を挟んできた。

「これしきで反省するとは思えんがな」

 実際、床から見上げてくるまなざしは、どちらかと云えば恨みがましいいろしかないのだし。

 だがまぁ、これ以上やると、“父”やキシリアあたりが面倒か。

「……まあ良い。善からぬ振る舞いをすればこうなるのだと、少しは身に沁みただろう」

 と云うのに、殊勝に頷いてくるが――目つきはまったく反省した風ではない。そう云うところだ。

 デラーズとその部下たちが、“ガルマ”を助け起こしている。かれらからすれば、こちらは血も涙もない、厳格なだけの兄なのだろうが。

「ありがとう」

 微笑んで云うのに、かれらは労るような手つきで“ガルマ”を抱え上げた。が。

「――ところで、“ギレン兄様”、僕からもお話があります」

 微笑んでそう口にする“ガルマ”に、男たちは目を剥いた。

 まぁ、そうだろうとも。本当に懲りた人間は、そんな声で“話がある”とは云い出さない。

「……本当に懲りているのか、“ガルマ”」

 ――お前はそう云う奴だ。

 と思いながら睨めつけるが、“ガルマ”はしれっとした顔で頷いただけだった。

「懲りてます。兄様」

 それは嘘だ、と確信する。

 どうせ、肚の中では、何やらぐちぐち云っているのだろう。反省はしていない。しているとしたら、大騒動にしてしまったことか、あるいはドズルや駐屯部隊の長まで話がいってしまったことについてだけだろう。己の所業については、欠片も反省などしていない。それが、“ガルマ”と云う生きものだ。長いつき合いなのだ、それくらいはわかっている。

 “ガルマ”は、少しばかり眉を寄せ、いかにも殊勝らしい表情を作って云った。

「でも、できれは今、駄目でも夜には聞いていただきたいお話なんです」

 胡散臭い気分で“ガルマ”を見れば、兄弟の中では格段に大きな瞳が、じっとこちらを見つめてきた。

 どうやら与太話の類ではないようだ。

「――デラーズ、席を外せ」

 溜息をついてそう云うと、デラーズは、やや当惑ったような面持ちになった。こちらの云うように振るまって、“ガルマ”がさらに拷問されないか、と案じているようだった。

 ――拷問などであるものか。

 それに、殊勝な顔をしているのも、どうせ今だけなのだ。

 ともあれ、男たちは、おとなしく部屋を出ていった。

 残されたのは二人だけ、その間に沈黙が落ちる。

「……それで、今度は何だ」

 じろりと見やれば、“ガルマ”は至極真面目な顔で云った。

「月を抑えて」

 月。それは、フォン・ブラウンやグラナダやアンマンやアナハイムや――月面にある都市を、ムンゾの支配下に置けと云うことか。原作で、キシリアが少々強引なやり方でそうしたように?

 ――無理だ。

 結論づけて、首を振る。

「それはできん。すぐさま月に軍を置けば、連邦を徒に刺激することになる」

 そうじゃなくて、と云うように、“ガルマ”は畳みかけてきた。

「月にムンゾの企業を置いてよ。誘致、買収なんでもいい。ムンゾの実質の支配権を強化して。三年後、連邦が簡単に月を落とせないように、経済圏をコロニー寄り、ぶっちゃけムンゾ寄りにしといて欲しいんだよね。そのうえで、彼らの保護としての軍を追々に」

「……この先、連邦が月を抑えると?」

「“おれ”が連邦なら、絶対にそうするね。ムンゾとルウムの喉笛を狙える。今のところ、まだ動きは無いようだけど――アナハイムがあるから甘く見てるんだろ。だからこそ、今しかないよ」

 自信満々にそう云うが、こちらの意見は違った。

 最近になって思うようになったのだが、世間の人間は、実はそれほど頭を使って生きてはいない。

 こちらの目から見て、あまりにも明白な陥穽に足を取られ、失策をおかす人びとの姿を見ていると、そう思わずにはいられないのだ。

 百年先を見通す目を持った“大政治家”などは、本当の混乱の世にしか現れない。その間に蠢くのは、利に対する鼻の利く、小物の“政治屋”やその取り巻きでしかない。

 だからこそ、原作においてあれだけあからさまな行動をしていたムンゾの野望を、連邦軍は事前に食い止め得なかったのだ。いかに、その場しのぎの策しか考えていなかったかがわかるだろう。もちろん、その方が儲かると踏んだ、死の商人たちの損得勘定が、多分に作用したきらいがあるとしても。

 それでも、そこまで“相手”の肚のうちを勘繰らずにはいられないのは、

「――お前の“悪知恵”か」

 そう云うと、“ガルマ”はぷくりと頬を膨らませた。

「……おれの考えをなんでも“悪知恵”扱いするのやめてよね」

「事実だ」

「ひど!」

 とは云うが、本当にいつものことだから、仕方がない。

「だいたい、“ボス”が共栄圏の確立とかを着々と進めてるから事態が複雑化してるんだろ――良いコトだけどね! 士官学校入ってから実感したけど、ホント、この時間軸、流れが変わり過ぎてて読むのが大変なんだよ」

 まぁ、そこは否定しない。

 コロニー同盟などと云うものを作ったお蔭で、各サイドのムンゾのあからさまな“敵”はいなくなった。原作においては敵対していたハッテ――例のブリティッシュ作戦で、コロニー落としのために殲滅されたところだ――ですら、今となってはムンゾ寄りの意見を表明している。

 逆に云えば、ムンゾが少しばかり“馬鹿”をやらなくなれば、連邦に対する不満ばかりが噴出すると云う、何ともな状態ではあるのだ。“絶対民主主義”とはこれ如何に、である。

 まぁ、だからこそコロニー同盟が成立し得たのであるし、それ故にこそ、原作を離れ、先が見通しづらいものにもなっているのだ。

 だが、

「そこを何とかするのが、お前の役目だろう」

 政治的な謀略はお手のものだが、戦術的なそれは、元々“ガルマ”の役割だ。

「この謀略の海を、ひとりでここまで泳いで来たんだぞ。ようやくお前もそこまで育った、この先は役に立って貰わんとな」

 “入れ知恵”がその都度あったのはあれとしても。

「そんな“お兄様”に、出来た弟からお土産。コレね」

 かるく放られたものを受け止める。掌に収まったのは、

「……メモリ?」

「おれの“オトモダチ”の情報だよ、学校の。弟の交友関係は気になるだろ? 各サイドすべて網羅してある。親御さんはじめ、周囲関係者の影響力が大きい辺りはもちろん、それ以外もね。“ギレン”の“計画”と照らし合わせて見なよ」

 にやにやと笑いながら、云う。

「ちなみに✗が付いてるところは、“オトモダチ”が、つい“うっかり”家族のアドレスを間違えて教えてくれたトコだから」

 必要になったら使うといいよ、と笑う。

 胡散臭い思いで、透かし見るように記憶媒体をかざす――もちろん、何が見えるわけでもない。

 “ガルマ”の云うのは、草の根運動的に親ムンゾのコミュニティーを組み上げる、と云う話か――だがそれこそ、こちらがそう云ったネットワーク構築が不得手であることなど承知だろうに。

 正直に云えば、鉄華団だってそう御せていたわけではなかったのだ。軍隊としての規律のない、同年代の緩い集団などと云うものは、感覚や感情優先でやり辛かった。組織と云うものは、上意下達のしっかりしたシステムと、その運用を監視する監査部と、どちらもが機能していなくてはならないのだ。

 鉄華団は、そう云う意味では、まったく“組織”の名に相応しくはなかった――所詮は、少年たちのコミュニティーでしかなかったので。それはそれで良さがないわけではないが、“使える組織”ではなかったと云うことだ。あれを率いて何とか生き残った自分たちを、今となっては全力で褒め称えたい。自画自賛の極みだが。

 まぁ、こう云うものは“餅は餅屋”だ。得意そうなサスロにでも投げて、巧く活用させることにしよう。

 それにしても、

「……まさかと思うが、この話のためにわざわざ騒ぎを大きくして帰ってきたんじゃあるまいな」

 疑惑のまなざしをなげると、にこりと笑いが返された。

「たまたま良いタイミングだっただけ」

「どうだか」

 まったく信じられない。

「お前ならそれくらいのことしてもおかしくないからな」

 信用ないなーと、などと云うが、どの口がと思う。

 と、“ガルマ”は、ぴっと敬礼らしきものを向けてきた。

「ってことで、諸々よろしく! おれはこのまま学生の本分とやらを全うするからさ」

「……学舎の占拠とかするんじゃないぞ」

 云うと、“ガルマ”はひょいと肩をすくめた。

「いつの話をしてんの。しないよ」

 ――どうだか。

 どうせ、その言葉の後ろには、“とりあえず今は”とか何とかつくのだろう。

 ――わかっている、お前はそう云う奴だ。

 胡乱な表情でいるのがわかったからか、“ガルマ”はくるりと踵を返した。

「とりあえず、おれの話はいまんトコこんくらいかなー」

 じゃあね、と云う声とともに、扉がぱたんと閉まる。

 ――逃げたな。

 とは思ったが、まぁ、頃あいではあっただろう。そろそろアムロも帰ってくるのだろうし。

 そう思っていると、やがて扉の向こうから、子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。

 

 

 

 さて、ネタを振られたからには、動かねばなるまい。

 とりあえず、グラナダは元々サイド3への物資輸送の拠点であったから、ムンゾの企業も数多く駐在している。それを、近隣都市であるアンマンにも進出させることにした。

 と云っても、アンマンにはアナハイム・エレクトロニクスの拠点のひとつがあり、商売もそちらが手広くやっている。

 それで、とりあえず、既にあるジオニック社のMWのレンタル業から入ることになったようだ。ジオニック社のMWは、後のジャブロー建設現場でも使われていたから、取っかかりとしては良いだろう。そこから様々なもののレンタルを展開していけば、各都市の企業活動に食いこんでいくこともできる。アナハイム・エレクトロニクスの製品は、質は高いかも知れないが、中小企業が使うには高過ぎるのだ。そこに、食いこんでいく余地がある。ジオニック社のマシンも、原作よりは高性能になったのだろうし。

 企業活動についてはそれこそ門外漢なので、こちらもサスロの出番である。ついでに例のリストも投げ渡したから、どちらもうまくやってくれるに違いない。

 では、こちらが動くのはと云うと、コングロマリットに対する働きかけくらいだ。相手はヤシマ・カンパニーCEOシュウ・ヤシマ、つまりはミライ・ヤシマの父親である。

 ヤシマ・カンパニーは、そもそも軍需産業を担う半官製企業であったが、最近になって民営化し、現在はサイド7の建設などを請け負っているらしい。実は、テム・レイは元々ヤシマの社員だったのだが、民営化に伴い、アナハイム・エレクトロニクスに移っていたのだと云う。勤めて日が浅い企業だったからこそ、簡単にヘッドハンティングできたのだと思うと、知らぬながらも良いタイミングだったのだと思う。

「ギレン・ザビ殿か。お噂はかねがね」

 シュウ・ヤシマは、その穏和な顔に微笑みを浮かべ、手を差し出してきた。かれの滞在中の宿である、インペリアルホテルのスィートルームの客間である。

 その手を、しっかりと握り返す。

「こちらこそ、お名前はムンゾにも鳴り響いております」

「それは貴殿のお名前こそだ。各サイド関係者の間で、ギレン・ザビの名を聞かぬことはありませんよ」

 促されて、腰を下ろす。

 シュウ・ヤシマが、偶々ルウムを訪れていた――おそらくは、テキサスコロニーを買ったからだろう――時に捕まえられて、本当に良かったと思う。そうでなければ、こちらから連絡を入れてもそうそう会える人物ではないし、連邦の情報網に引っかかって、“事故”やら何やら仕掛けられる可能性もある。

 まったくもって、僥倖と云うべきだった。 

「それにしても、ムンゾ軍の総帥ともあろう方が、私などにどんなご用です?」

 にこやかながら、そのまなざしには強い疑念が含まれている。

 まぁそうだろう、ヤシマの母体は、連邦軍の兵器を製造していたヤシマ重工だ。ゴップ将軍と親交があると云うのも、おそらくそこからの繋がりであるのだろう。昨今は、レジャー産業にも手を伸ばしつつあるが、やはり半官製企業であるとのイメージは根強い。

 そんなところに、反連邦と目されるムンゾの軍部の人間が、何の用だと思うのは致し方のないところだ。

「いえ、貴殿がゴップ将軍と親しいとお聞き致しまして――是非、ご面識を得たいと思った次第です」

「……私からゴップ将軍に繋げるのは、無理と云うものですぞ」

「いえ、そちらは一度お目にかかっておりますので」

「……なるほど」

 シュウ・ヤシマは、頷いた。

「つまり、ゴップ将軍との伝手として、私と知り合っておきたかった、と」

「それもあります。が、それだけではない」

「と、云うと?」

「ヤシマの子会社を、ムンゾに進出させて戴きたい。そして、ムンゾの企業も、サイド3から広く進出さへたいのです」

「何を今さら。ジオニック社など、地球にも支社を置いて、手広くおやりのようではないてすか」

「いえ、ああ云う重工業ではなく、もう少しやわらかい方面でやりたいのですよ」

「例えば?」

「例えば、通信機器や、そのOSです。ムンゾには、コード・ロジカルと云う企業がありますが、サイド3では圧倒的シェアを誇っても、他のコロニーではまだまだだ。それを、もう少し広く展開させてやりたいのです」

 シュウ・ヤシマは眉を寄せた。

「……難しいのではありませんか。ムンゾの企業に警戒感を抱いているものは多い。情報を抜かれるのではないかと危惧する市民は、もっと」

「中世期の中国のようだとおっしゃりたいのですな。しかし、ムンゾでは、あそこまで国家が介在しているわけではありません」

「しかし、イメージと云うのは、かなり影響が大きいものですよ」

「……確かに」

 まぁ実際、元のアレコレにおいて、性能は素晴らしいとレヴューで絶賛された携帯端末が、後ろに国のついていそうな企業の製品だったために、手が出なかったことはある。個人的には、ひとつの企業にすべての情報を握られたくなかったので、SNSすらほとんどやらなかった――仕事の連絡をそれで回されたので、少々不便ではあったが、プライベートまで紐づけされたくはなかったので、仕方ない――くらいなのだ。シュウ・ヤシマの云いたいことはわかる。

 だが、

「――そのあたりの機微を、ヤシマ・カンパニーのノウハウをお借りして、何とかしたいのです。どうも、ムンゾのソフトな方面は、ガラパゴス化しているのではないかと云う危惧がございまして」

「ほう」

「何しろ私も軍と政治ばかりしかわからぬもので――経済となると、さっぱりお手上げなのです」

 元の仕事は小売だったわけだが、正直、何をどうすれば売れるかと云うノウハウはさっぱりなかった。得意で、かつ上から期待されていたのは、人間関係がゴタついている職場でバランサーになることで、決して販売員として有能だったわけではなかったのだ。

 職場の人間関係が落ちつけば、他のできる人びとが結果を出してくれるので、こちらは、その土台を作ることだけしか期待されていなかったのだと思う。

 そんな人間に、経済の何がわかると云うのか。ケインズやクルーグマン、ピケティなどを熟読しておけば良かったのか。ドラッカーなら、読まずとも割合近い意見であると思うのだが。経済と経営は、また違う問題である。そして、残念ながら、経済はまったく向いていない。需要と供給の問題だと簡単に云われても、それを見出す目がないでは、手も足も出ないのだ。

 “昔”は、それこそ組織の収支などは、得意なものがやってくれていたので不自由なかったが、ムンゾの国庫のみならず、民間企業の収支がどうの、と云う話になると、自分が手を出してどうこうできる気は、まったくしない。サスロにできるのは、それこそ国庫の収支の管理くらいで、民間企業はそれぞれ、やり方もあるのだろうし。

 シュウ・ヤシマは微笑した。

「なかなか、率直なお言葉ですな」

「粗忽者でございまして」

 苦笑を返す。

「いやいや、中々、己が知らぬことを知るのは、難しいことです」

「“無知の知”でございますか」

「その逆は多いですがな」

 確かにそのとおりではあるが。

「……まぁつまり、門外漢の私に、力をお貸し願えないかと云うご相談なのですよ」

「なるほど」

 ヤシマは、暫考えこんだ。

 まぁ、無茶なことを云っているのはわかっている。

 半官製企業であったヤシマ・カンパニーのトップが、連邦に反旗を翻す勢いのムンゾの人間に、そうそう助力してくれようはずもない。

 だが、こちらの姿勢を訴えておけば、もしかしてもしかすると、何かの折に力になってくれることがないとも限らないではないか。

 正直、こう云う交渉は苦手どころの話ではないので、ヤシマがどれほど心を動かしてくれるかはわからなかった。

 やがて、ヤシマはふと顔を上げた。

「――全面的に協力できるとは申し上げられないが、できる限りの助力は致しましょう」

 云われて、息が抜けるのがわかった。

「……それは、とてもありがたいことです。感謝致します、ヤシマ殿」

 頭を垂れると、かるい笑いが返ってきた。

「いやいや。噂でお聞きするより、数段謙虚な方だと思いましてな。障りにならん程度であれば、助力して差し上げたいと思ってしまったのです」

「は」

 噂。どのあたりからの噂かはわからないが、それは随分と、傲岸不遜な人間だと云われているのだろうなと思う。

 まぁ、コロニー同盟にしてもムンゾ内のあれこれにしても、かなり強引に進めたには違いないので、甘んじて受けねばなるまいが。

「恐れ入ります。私は経済はさっぱりですので、実際にご教授戴くのは、弟のサスロになるかと思いますが」

「可能な限りは、ご期待に沿えるように致しましょう」

「ありがとうございます」

 話が一段落ついた時、

「……お父様?」

 少女、と云うにはやや落ちついた声が、ノックとともに呼びかけてきた。

「何だ、ミライ。来客中だぞ」

 とシュウ・ヤシマが云うからには、これはミライ・ヤシマ、のちのWBクルーのあの女性だろう。

「えぇ、ですからお茶をお持ちしましたの。宜しいかしら?」

「……うむ」

 鹿爪らしい顔をする、こう云うところは、年頃の娘を持つ、普通の父親なのだなと思う。

「失礼致します」

 そう云って入ってきたのは、想定されたとおりのミライ・ヤシマだった。

 但し、もちろん1stよりは若いし、『the ORIGIN』のシャア・セイラ篇で見たよりは年上である。『the ORIGIN』枠であるからには、一年戦争時には二十二、三、つまり今は十六、七歳と云うことになる。“ガルマ”やキャスバルとほぼ同い年と云うことだ。『the ORIGIN』において、地球上に逃れていたキャスバルたち――テアポロ・マスに養われていた――を見かけたミライが、“十五でカレッジに”と云っていたから、おそらく今は大学生なのだろう。つくづく優秀な女性である。

「どうぞ」

 と云って茶器を置く、その仕種もさり気なく優美である。容姿は地味だが、知性に満ちた女性であると知れる。

「お嬢様ですか」

「ええ、ミライと申します。今は大学で学んでおりまして、宇宙飛行士に憧れているとか申すのですよ」

「ミライ・ヤシマです。ギレン・ザビ閣下ですわね、ご高名はかねがね」

 そう云う声は落ちついて、とても十代とは思われない。

「これは、聡明なお嬢様だ。うちの末弟もあなたと同じ年頃ですが、爪の垢を煎じて飲ませたいですな」

「弟君と云うと、デギン閣下が溺愛されていると評判の、ガルマ様ですか」

 少女は、そこばかりは歳相応に、目を輝かせて云った。

「歳の頃は同じくらいですが、較べものにもなりません。大学を出て、今は士官学校ですが――ひと悶着起こしまして、初年度から謹慎です」

「優秀な方ではありませんか。男の子と女の子では、いろいろと違いますでしょう。やんちゃもまた良し、ではないのですか」

 シュウ・ヤシマは云うが、そう云うレベルの話では、残念ながらない。

「末っ子で、皆が甘やかすので、どうにも奔放で――この先何をやらかしてくれるのか、ひやひや致しますよ」

「まぁ……」

 ミライは云って、くすりと笑った。

 ミライ・ヤシマは、原作の時間軸では婚約者のカムラン・ブルームと別れ、紆余曲折あって、ブライト・ノアと結婚したが――この時間軸では、下手をすればそのままカムランと結婚することになるのかも知れない。

 だとすれば、マフティー・ナビーユ・エリン=ハサウェイ・ノアが生まれることはなく、マフティーの動乱もないことになるのか――とは云え、このラインでこのまま行けば、マフティーの動乱どころかグリプス戦役も、第一次/第二次ネオ・ジオン抗争も、その他の細々とした紛争もないことになるだろう。

 そのなかで、ブライト・ノアではなく、カムラン・ブルームの妻になることが、ミライ・ヤシマの将来にどのような影響を及ぼすのか――あるいは、シュウ・ヤシマが存命であれば、また違う未来のかたちもあり得るだろう。そうなれば、ヤシマ・カンパニーもまた、本来とは違うかたちで継続していくことになる。その影響は、どのように表れることになるのだろうか。

 神ならぬ身には、すべてを知ることはできないが――ハサウェイ・ノアのいない未来は、少々淋しいようにも思われた。

「――頼もしいご令嬢だ。羨ましい限りです」

「まだ子どもですよ」

「いやいや。――ミライ殿の希望が、現実のものになる日も遠くはないでしょう」

「……そうあれるよう、励みますわ」

 まっすぐに顔を上げて、少女は云った。その面差しの中には、原作で見た意志の強さと聡明さとが、早くもかたちをなしていた。

「羨ましい限りです」

 繰り返して云い。

 気を良くしたシュウ・ヤシマと、暫く雑談してから部屋を辞した。

 これで、ヤシマ・カンパニーと多少なりとも結びつきができただろうかと考えながら。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 9【転生】

 

 

 

 晩餐は圧巻だった。

 何がって、そのメンバーがさ。

 ザビ家からは四人――ドズル兄貴とサスロ兄さんが都合で不在だけど、デギンパパとキシリア姉様と“ギレン”とおれが揃ってるし。

 ついでに、キシリア姉様は、シャア・アズナブル(本人)を連れてきてるし。

 ダイクン一家は言わずと知れたキャスバルをはじめ、ご母堂様のアストライアに妹君のアルテイシア。

 今回は護衛ではなく“友人”として、ランバ・ラルとその妻であるレディ・ハモン。

 以下、子供らがズラッと。

 アムロ・レイに、ゾルタン・アッカネンと妹ミルシュカ、マリオン・ウェルチに、フロリアン・フローエ。

 なんつーか。物凄く豪勢だよね。

 大人組はいずれもサイド世界の主要人物、子供組は漏れなくニュータイプor強化人間って。

 食堂の長テーブルが、ズラリと埋まってる様に感嘆する。

「久しぶりに、このテーブルが満席になったな」

 デギンパパは、その頬を柔らかな微笑みに緩めた。

「この部屋が、こんなにも賑やかになるのはいつぶりか。アストライア様をお迎えしての晩餐とは、嬉しい限りだ。特にキャスバルやアルテイシアの立派に育った様を見ると、ジオンが今ここにあればと思わずにはいられない」

 しみじみと告げられる声には、喜びと共に、僅かばかりの寂しさがあった。

「……それもこれも、すべてはデギン殿のお計らい故ですわ」

 アストライアは、歳を重ねても――歳を重ねたからからこその美しい笑みを返す。

「お蔭様をもちまして、私も子どもたちも、穏やかに過ごしております。キャスバルだけは、少々やんちゃが過ぎるようですけれど――」

 微かに潜められる眉。チラリとキャスバルに視線を投げるさまは、世の母君達と変わらない。

 加えてこちらもチラリ。

 ん。デギンパパの手前、言及しないけど“あなたもよ”ってことか。

 条件反射で肩をすくめたのは、キャスバルもおれもほぼ同時だった。

 そっと目を逸らす。

 なるほど、おれが“ギレン”に絞られてるころ、お前はご母堂様に叱られてたわけだね。

 ちなみに、“ギレン”からは正座2時間という過酷な制裁を受けたものの、デギンパパからは「怪我のないように程々にな」と、それでいいのか的なお叱り――お叱りじゃないなコレ――しかなかった。むしろ、よく帰ってきたって抱擁されたし。

 なにはともあれ。

 運ばれてくる皿は彩りに満ちていた。

「なぁ、これ、ナイフとフォーク、どれから使うんだ?」

 ズラリと並んだカトラリーに、ゾルタンが当惑した声をあげる。

「外側から使うんだよ」

 皿ごとに使い分けるのさ、と説明すれは、なんでそんな無駄なことするんだって唇を尖らせた。

 だよね。まあ、この無駄な感じもこの階級のステータスだから、今のうちに慣れろ。

『……失敗したらどうしよう……』

 アムロは、ここに来てだいぶ慣れてた筈だけど、大人数での晩餐に緊張を隠せてない様子だった。

『……そとがわから……』

 フロリアンは、わずか5歳だってのに、早くもマナーを覚えようとしてか、せっかくの食事の前で顔が強張ってるし。

 ふむ、と顔を巡らせる。

「スープ、どのスプーンでのむの?」

「この丸いのよ」

 すっかりミルシュカに懐かれたアルテイシアが、お姉さんらしく指導してる。

 どっちも可愛いなぁ。お花畑である。

 マリオンは、あんまり心配ないみたい。わからないところは、さり気なく隣からレディ・ハモンが教えてあげてるし。

 となると、この子たち三人のフォローだけで良さそうだね。

「『さてさて。“良い男”は食事だってスマートに摂らないとね?』」

 言えば、良い男になりたいゾルタンは勿論、アムロとフロリアンもこっちを見た。

「『カトラリーの扱いは必須。基本は外側から内側へ、それぞれの料理にあったものがセットされてるんだ。出てくる皿の順番も決まってる』」

 ひとつひとつの形とその意味をサラッと説明すれば、賢い子どもたちは見る間に吸収していく。

 音を立てずに皿に乗ってるものを掬う方法とか、綺麗に切り分けるコツとかも。

 たまに失敗するのだって、今はちっとも問題じゃない。

「『一番大切なのは、美味しい料理を美味しく食べること!』」

 それを忘れたら本末転倒だからね。

 ニンマリと笑えば、子供らは一様に笑顔を見せた。

 アミューズは白身魚と季節の野菜のゼリー寄せだった。オードブルに鴨のコンフィ、海老とアボカドのラヴィゴットソース、林檎とクルミ入りのクリームチーズ蜂蜜掛けとかね。

 スープはヒヨコ豆のポタージュ。ズッキーニとマッシュルームが合わせてあるのが奥深い。

 どちらかと言えば、女性や子供の喜びそうなメニューだと思う。今のところ。

 彩りも綺麗なそれらを、銀のカトラリーで楽しみながら食べる。

 キャスバルの所作は流石に洗練されてて、子供らは真似しようと一生懸命だった。

 不意にカシャンと皿が鳴って、ゾルタンのフォークからプチトマトが飛んで逃げた。

 くり抜いた中に生ハムをみっちり詰め込んであるそれは、狙ったみたいにコチラの皿の中に着地した。

 瞬間、ムンクの叫びみたいな形相になったゾルタンに軽くウインクして。

「流石にうちのは活きが良いね!」

 飛んできたトマトをパクリ。

 勿論、マナー違反だけど、実はこのくらいの振る舞いはユーモアで済まされる。目くじら立てる方がみっともないってね。

 給仕も心得たもので、得意そうな顔で腰を折った。

「産地より直に取り寄せておりますので」

 そして何食わぬ顔で、ゾルタンの皿に新たなトマトを。

 ゾルタンは目を白黒させてたけど、給仕に小声で礼を言い、微笑ましそうに頷きを返されていた。

『飛ばしても良いの?』

 アムロがワクワクした顔になるけど。

『わざとじゃなけりゃね。……ヲイこら、飛ばそうとすんな』

 しかもこっち狙ってるよね!?

 フォークの角度を計算し始めたと思しきアムロを慌てて嗜める。

『アムロ。食事はきちんと摂れよ』

 キャスバルが、すかさず注意してくれたから事なきを得たけど、カタパルト発射の寸前だったよね、いま。

『……おれの言うことは半分しか聴かんのに、キャスバルの言うことは全部聴くよな、アムロって』

 ボヤけば、アムロがペロリと舌を出し、キャスバルが小さく笑う。

 ホントにもう。何だよ。拗ねちゃうぞ。

「『ねえ、学校での話を聞かせてよ』」

 アムロがおねだりしてくる。

「主にキャスバルが爆走してるよ」

 好成績高評価だけど、問題児のレッテル貼られてるその1だからね。

「何を言う。一番暴走してるのは君だろう、ガルマ」

「持久走を爆走したのは君じゃないか」

「寮を煽ってそう仕向けたのは君だ」

 そんな言い合いを交えながら、士官学校がどんなところか、どんな愉快な仲間たちがいるのかを、話して聞かせる。

 更には、今回の謹慎の原因になった一件まで。

「悪漢共は、か弱き……弱くはないけど、ともかく乙女の手を掴んで攫って行こうとしてたんだ」

 アムロは勿論、アルテイシアやフロリアン、アッカネン兄妹に、シャア・アズナブルまでが身を乗り出して興味津々。

「そこへ颯爽と現れたキャスバルが、“その手を放したまえ”って連邦兵士の腕を捻り上げてね」

「何を言っているんだ。そこは君が、“美しいお嬢さん、僕たちと一緒にお茶をしませんか?”って彼女を誘ったんじゃないか。場違いにもあの状況で」

 ヲイ、なんてこと言いやがるんだ。

「ガルマ、本当なの!?」

 ぷくっとアルテイシアが頬を膨らます。

「記憶にございません。『キャスバル、お姫様がご立腹じゃないか!』ともかく、いきり立った連中は、僕たちに殴りかかってきたんだ」

「わあ!」

「こわくなかった?」

「怖くないさ。キャスバルがいたからね」

「まあ、こう見えて格闘技の成績は悪くないからな、君は」

「“こう見えて”は余計だよ。さて、乙女を守るため、キャスバルと僕は立ち向かった。五人の悪漢どもは、不利と見たか仲間を呼んでね」

「多勢に無勢じゃないか!」

 シャアが憤りにかフォークを握りしめた。ヲイ、マナーどこ行った。

 姉様も苦笑いだけで許してて良いの、ねえ。

「そこに飛び込んで来たのが、我らが頼もしい仲間たちさ」

「皆、一騎当千の強者でね」

 切った張ったの大乱闘を、キャスバルと二人で話していれば。

「あなた達、本当に反省しているのかしら?」

 ふぉ。ご母堂様からお叱りが。

 肩をすくめたおれの隣で、キャスバルがペロっと舌を見せる。

 “ギレン”は呆れ顔だけど、デギンパパもキシリア姉様も笑っていた。

 楽しくお喋りしながら、スズキのプレゼも、梨のソルベも、ラムチョップのグリエも、美味しくいただく。

 複雑なマナーも、ゲームのコツみたいな扱いだと、我先に身に着けてくれるしね。

 晩餐は和やかで、楽しげな笑い声が終始絶えなかった。

 局地的にブリザードが吹き荒れることもあったけど――“ギレン”とキシリア姉様との間に。

 多分、フラナガン機関が原因なんだろう。その辺りはおれも一枚噛んでるからね。

 それでも、姉様のご機嫌は見せ掛けより悪くは無さそうだった。

 目付きこそ鋭くしてるけど、“問い詰めてやる”って感じはしても、“取っちめてやる”って感じはしないし。

 以前に増して表情が穏やかになったのは、シャアがそばにある故なのか――ちょっとだけ悔しい。

 まぁ、姉様が幸せならそれで良いか。

 コーヒーと小さな摘み菓子を食べ終えたところで、“ギレン”とキシリア姉様は話合いに入るようだった。

 デギンパパは、やれやれと言った顔で肩をすくめてみせたけど、心配する様子は無い。

 暖炉の前の居心地の良い椅子に腰掛けたパパの周りで、子供らがてんでに騒いでいた。

 シャア・アズナブルだけは、背筋を伸ばして若干の緊張を見せてたけどね。

 ダイクン一家とラル夫妻は、泊まっていくことになったから、皆、同じ部屋で寛いでいて。

 ――なんて平和か。

 唐突に胸を衝かれるような心地になる。

 強いて思考に上らせないように、そっと意識の奥底で思う。

 ねえ、“ギレン”。ここに、楽園みたいな光景があるよ。

 守りたいと強く思うほど、腹の底の熾火みたいなそれがジリジリと意識を炙るようで。

 おれは臆病だから、いつだって“敵”が怖ろしい――いまも。この先の戦いを思えば、地球など無くしてやりたくなるほどに。

『……怖がるな。僕たちがいるだろ?』

『僕も一緒に守るよ!』

 隠しきれなかったみたい。おれの“震え”を感じ取ったらしき二人から。

 それから、トトト、とこちらへ来たフロリアンか、ヨシヨシと頭を撫でてきた。

 優しい子だ。

 5歳児に慰められるとか、おれ、ダメだねー。

 よくわかって無いだろうに、何故かゾルタンまでが寄ってきて、ギュっと手を握ってくれるし。

 ふお。なんだ。まとめて可愛いんだけど!!

 震えが霧散する。

 そうだね、“正攻法”で守らないとイカンよね。

 気持ちを切り替えて。

「『明日はボードゲームでもしようか? “人生ゲーム”とか』」

 その提案に子どもたちは歓声をあげた。

『おい! あの悪辣なゲームをここでやる気か!?」

 キャスバルがちょっと焦ってる。

 悪辣ってなんだよ。架空の人生を10割刺激的にしてみただけだろ。

『やらないよ。今度はフツーのヤツ』

『市販のだな?』

『ううん。自作の』

 大体、5割増の刺激で作ってみた。

『市販のにしろ』

 何故だか頑強に食い下がられる。青い眼が座っててジワジワ怖い。

『市販のって刺激が少なくてつまらないだろ。寮でやったときには、教官すら巻き込んで大盛況だったじゃないか』

『大盛況と言うより、阿鼻叫喚だった。変な中毒性があるって禁止になっただろう」

 それな。なんか、末路が悲惨過ぎて魘されるんで、勝つまで止めぬとか意地になってた一群が居たっけね。

 ちなみに、完全勝利(無欠の人生)で上がれる確率は1割くらい。どんなにトントン拍子に進んでても、8割は破滅。あとの1割は平凡だが穏やかな生活ってヤツで、何故だが一番人気が高い。

『市販のにしろよ』

 駄目押しされて、了承する。

『わかった。今回は市販のにするね』

『この先もだ』

『……わかった。この先も市販のにする』

 了承すれば言質を取ったとばかりに満足そうなキャスバルだけど。

 こっそり思う。

 でもさ、おれ考案の“人生ゲーム”、近く発売されるんだよね。

 実家が玩具メーカーの級友が、家族に送り付けたところから作成、販売が決まったみたい。ちょっとしたお小遣い稼ぎになったってホクホクしてるところ。

 市販のゲームなら良いんだよねってことで、そのうちお目見えしよう。

 団欒は楽しいけど、そうこうしているうちにも夜は更けていく。

 子供たちはそろそろ休む頃合いだね。

「ほーら、お風呂で泡アートするぞー。ライオンになるのは誰だ―?」

「おれだ!」

「はい。じゃあゾルタンはライオン。ウサギは誰―? いない? じゃあクマはー?」

「ぼく!」

「はい。フロリアンはクマね。アムロはテヅルモヅルで良い?」

「なにそれ!? やだ! “ゴジラ”が良い!」

 ふぉ。なるほど、気に入ってたのか、“ゴジラ”。前に“投影”こみで話してやったときにはガタブルしてたのに。

「ん。“ゴジラ”了解。キャスバルは“ダース・ベイダー”でいこう」

「いらん。一人で入る」

 そう? まあね、全員で入ったら流石にバスルーム狭くなるからね。

 ライオンもクマもゴジラも、会心の出来だったと思う。

 ガップリと泡の怪物に頭を喰われてる子供らは、ギャアギャアと悲鳴だか歓声だかを上げていた。

 泡アートに興奮した子供らが、流すのを拒否しまくったせいで、風呂時間が大幅に伸び、乗り込んできた“ギレン”に叱られたのも、まあご愛嬌だよね。

「ときに“ガルマ”。お前のそれはなんだ?」

「テヅルモヅル。ここら辺の触手、よく出来てるだろ?」

 フフフ。この繊細なレースみたいなフワモコを見ておくれよ。

 “ギレン”は物凄い変な顔をした。

「さっさと流して出ろ」

「はいよ。りょーかい」

 さて。

 ライオンとゴジラとクマとテヅルモヅルを退治するの誰だー?

 

        ✜ ✜ ✜

 

 「『オレは生まれ変わった!!』」

 謎の雄叫びに飛び起きる。

 ――なに!? なにごと!??

 目をかっぴらいた先に、ゾルタン・アッカネン。

 ……お前か。

「『オレだ!』」

 いつの間に不法侵入しやがったのか。ベッド脇にいる子供に、フーッと息が落ちた。

 めちゃくちゃビックリした。心臓がバクドキしてる。

 この夜更けになんだよ。子供も大人も寝る時間だ。睡眠大事。

 さあ、寝るのだゾルタン。

「『いやだ!』」

 なんでそんなにテンション高いんだよ。

 寝惚けたにしてはダイナミック過ぎないか?

 何に生まれ変わったのさ。ライオン・キング?

「『寝ぼけてない。ニュータイプだ!』」

 ――……ニュータイプ?

 起き抜けの混乱にみまわれていた頭が、徐々に醒めてくる。

 ちょっと待て。

 うっかりスルーしてたけど、思考波出てるよねコレ!??

 しかも、おれの思考読んでる――まだ一言も喋ってないのに会話になってるって、そういう事だろ。

「『ニュータイプだからな!』」

 嬉しそうな声を上げて、部屋から飛び出して行こうとした子供を、ベッドから飛び降りてぎりぎりで捕まえる。

『Emergency! キャスバル、起きてキャスバル!!』

『いま起きてそっちに向かってる』

 キャスバルからはすぐに応答があったけど――多分、あの叫びが届いていたんだろう。

『アムロは……起きないな……』

 スヤスヤと夢の中。さもありなん。こんな真夜中だ。

 さて、どうしたものか。

「『Shhh. ゾルタン、それ内緒にして』」

 先ずはストレートにお願いする。

「『なんでだ?』」

「『悪い奴らに利用されかねないから』」

 よっこらしょ、と、ベッドに腰を下ろし、足の間にゾルタンを座らせる。

「『アイツらみたいな?』」

 思考波が一瞬震えて、痛みの投影が来た。電気ショックかな。それからミルシュカの泣き顔と、ゾルタンの怒り――これは記憶の断片か、研究所での。

 ――フラナガンの野郎ども。いつか同じだけの目に合わせてやるよ。

 ブワリと沸き立つ黒いものを、なんとか意識の深いところに押し留める。

 レセプターが震えて、ゾルタンが、底の見えない灰色の眼を向けてきた。

 熾火みたいな、クラクラ滾るような何かが奥底にあった。

 子供のする眼じゃないだろ。そんなの。哀しくなる。

 言葉にならない色んな感情が、ザリザリと触れてくるのを、丸ごとギュっと抱き込めば、騒がしいはずの子供は、おとなしくされる儘になっていた。

 ややあって。

「『わかった。ナイショにする』」

「『……良い子だね』」

 基本的には、素直な良い子なんだろう。怒りも悲しみも、妹に向ける愛情も真っすぐで激しい。

 だから、行く先を見失えば、たちまち溢れてねじ曲がりそうな。

 そのまま抱き込んでいれば、キャスバルが、ノックも無く部屋のドアを開けて入ってきた。

『ガルマ』

『ん。キャスバル。ゾルタンがコッチに来た』

『ああ。……予想はしていたが、思ったより早かったな』

『だね』

 興奮がおさまって眠気が戻ってきたんだろう。ゾルタンは、腕の中でウトウトと眠かけ始めてる。

 ふぅ、と、胸の中の息を吐いて。

『この分じゃ、ミルシュカやマリオンも時間の問題かもな。もしかしたら、アルテイシアも。お前の妹だし』

 言えば、キャスバルが首を傾げた。

『アルテイシアはどうかな。僕たちとこれほど長く過ごしてるのに、聞こえないだろう? 繋がる素養があれば、直ぐにでもそうなる。君と僕がそうだったみたいに』

 あの出会いの日。目が合うよりも先に、思考波がつながった。

 心底驚いて、直ぐに喧嘩になった。

 思い出したら小さく笑いが溢れて、キャスバルの思考波も、懐かしむみたいにさざ波を打った。

『……そうだね。あの頃はこんなにたくさん仲間が出てくるとは思ってなかったけど、案外、居るもんだ』

『そうだな。こうなってくると、この先、ずっとは隠し通せないだろうな』

 やっぱりそーなるよな。

 目を見交わして、頷く。

 今はまだなんとか隠して、それから、そうだね。“ニュータイプ”が迫害されないように、搾取されないような道筋を作って行かないと。

 だって、おれたちは思考波で話せるだけで、超人でもなんでもないんだ。過剰に期待されても迷惑なだけ。

『フラナガン機関は姉様の管轄だけど、最近、“ギレン”も強引に介入してるから、そっちから何とかしてもらおっかな』

『ああ。“ギレン”は何だかんで人道家だからな』

 キャスバルも同意して、共犯者の顔で笑った。

『さてと、ゾルタンはこのままここで寝かせるとして、キャスバルはアムロの部屋で寝てくれる?』

『何故?』

『明日の朝、アムロに噛み付かれたくないからさ。起きたときお前が傍にいれば、少しは落ち着くだろ』

 答えれば、呆れ顔を見せるけど、否定されることはなかった。

 けっこうテリトリー意識強いんだよ、アムロ。キャスバルもそうだけど、基本、おれのテリトリーは、彼らのそれと重複してるから、知らない間にこの部屋にゾルタンが侵入してるとなると、ちょっと拙いコトになる。

『それなら、ここに運んでくるさ』

『……ベッド、大きいのに買い換えようかなぁ』

 いまでも小さくないんだけどさ――ひとりならね。

 クスクス笑いながら出ていったキャスバルは、文字通り、アムロを担いで戻ってきた。

 ぜんぜん起きなかったらしい。ぐんにゃりとして、爆睡中の猫みたいだね。無邪気な顔で可愛いったら。

 子供らをシーツに転がし、両側をキャスバルと挟み込むようにして、ぎゅうぎゅう詰めになって4人で眠った。

 朝方、アムロのキックで、おれだけベッドから落とされた。解せぬ。

 

 

 そんなこんなで、帰宅してからの7日間は、おもに子守週間だったけど、合間を見てムンゾ大学の恩師たちに挨拶に行ったりもした。

 ついでに謹慎の原因になった連邦兵士の横暴ぶりを話したら、ドライバイム教授が暗黒微笑を浮かべていた。怖い怖い。

 それから、普段はあまり帰宅しないサスロ兄さんも帰ってきて、生ぬるいお説教を受けたり。

 当然、正座なんてしてないし、座り心地のいいソファに向かい合わせで座って、ザビ家に相応しくあるための薫陶が主題。合間に、繰り返し「怪我するような真似はするな」と挟まれる。

 ん。心配してくれてたみたい。

「――ところでお前、本当に軍に行くつもりか?」

 と、唐突に話題が変わって首を傾げる。

「はい。父様も“ギレン兄様”もそのつもりですし」

「親父はお前が望むなら、そうそう反対するまいよ。ギレンは何を考えているのか知らんが」

 フーッとため息を落とされる。おや、サスロ兄さんは不服か。

「お前、俺に付いて外部交渉やらないか?」

「外部交渉? それ、“ギレン兄様”が聞いたら、多分、物凄く反対すると思いますけど」

「それなんだよなぁ」

 ううん、とサスロ兄さんが唸っている。

 子供の頃は、あんまり合わないってお互いに思ってたけど、家を出た事で適切な距離が取れたのか、ムンゾ大学に入る頃には普通に会話するようになってた。

 と言うか、ムンゾ大学時代、一番お世話になってたのは、実はサスロ兄さんだったし。

 うちで一番法律と経済に明るいのはこの兄だからね。

「でも、なんで僕に交渉役を?」

 首を傾げる。

 コミュニケーションは、今生で死ぬほど頑張ってるけど、元来は得意じゃない方だ。

 面倒くさがりでハーミット願望満載だからね――残念ながら、いまだに引き籠もれた試しはないけど。

「向いてると思うぞ。この間のメモリ、あのネットワークを作ったのはお前だろう?」

「ええ。ザビ家の、ひいてはムンゾの役に立つかと思って」

「ああ。役に立ったよ。あんなところからツテができるとは、正直思ってもいなかった」

 サスロ兄さんが、珍しく皮肉の気配のない笑みを見せた。

 ココ最近で拵えたネットワークは、おれにしてみたら情報網でしか無いけど、サスロ兄さんにとってはそれ以上になるもんね。まあ、それ見越して“ギレン”に渡したんだけどさ。

「お前は、家では格段に見目がいいし、当たりも柔らか……く見えるから、交渉役としては悪くない。損得勘定も…まあ、……あまり毟り取るようなことを控えれば、な?」

 その微妙な間と最後の疑問形はなんだ。

 ニコリと微笑みかければ、サスロ兄さんの視線が逸らされた。

「まあ、考えておいてくれ。専属にならなくても、手伝ってくれるならそれで良い」

「……“ギレン兄様”に確認してから、かな。勝手なことしてまた正座2時間とかは嫌ですから」

 答えれば、サスロ兄さんがぎょっとした顔をした。

「正座2時間!?」

「はい。今回のお仕置きでした」

 サラリと答えれば、

「……なぜギレンは、お前に対してだけそんなに厳しいんだ」

 その目を憐れむように細めて、兄さんは机の引き出しからチョコレートを取り出した。

 知る人ぞ知る名店の逸品であるそれを、箱ごと手渡され、笑ってしまった。

 これ、慰めとか励ましなんだよ。子供の頃から、ぜんぜん扱いが変わらないね。

「ありがとう、サスロ兄様! ふふふ。家族がみんな僕に甘いから、自分だけは厳しくって思ってるみたいですよ、“ギレン兄様”は」

 って言うのは建前で、ホントは中身が“おれ”だからだ。

 そもそも、“ギレン”ってばおれを警戒しすぎだと思う。どの時間軸でもね。

「ギレンには俺から聞いておく」

「はい。……“ギレン兄様”がダメって言っても、どうしても必要だったら言ってくださいね。僕、サスロ兄様の為に頑張りますから!」

 力瘤を作ってニコッと微笑めば、サスロ兄さんの頬も緩んで、その手が不器用に頭を撫でてくれた。

「そのときには、頼むぞ」

「はい!」

 海千山千の妖怪たちにどう対抗できるかは分からないけど、最大限の火力を持って挑むことを約束するよ。

 ニコニコと微笑みながら、仕事に向かうサスロ兄様を、エントランスまで見送った。

 ほんとにさ、いつかの時間軸でザビ家が敗退した何割かは、この兄を欠いていたからに違いないよ。めちゃくちゃ切れ者。

 キシリア姉様の“ボカン”を防げてて心底良かったと思う。

 シャア・アズナブル(本人)についてもね。

 姉様との仲良さそうな様子を思い出せば、唇に笑みが上る。

 ここでなら、ザビ家はきっと幸せになれる――そうして見せるよ。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 謹慎の最終日、ザビ邸は戦場だった。

「『ゾルタン・アッカネン並びにフロリアン・フローエ、速やかに僕たちの荷物を持って投降しろ!』」

 鍵の締まった扉に向かって、キャスバルが強い声で言い放つ。

 おれたちを学校に帰すまいと、子供らが纏めてあった荷物を奪って、事もあろうに“ギレン”の書斎に籠城したのである。

「『アムロ、君もだよ。大人しく出ておいで。おやつの差し入れは立て籠もり幇助と見做すからね!』」

 大量のパンケーキを要求するから、何かと思えば糧食じゃないか。

 なんだかな。思考波で繋がる年少組は、それなりに仲良くなったみたいだけど、結託してこんな騒動を起こすとは。

「『いま執事にマスター・キーの用意をさせている。踏み込まれたくなければ自分から出て来い』」

 キャスバルが言い放てば。

「『勝手に入ってきたら、ギレンさんの机ぐちゃぐちゃにするからね!!』」

「『アムロォオオオオオオ!??』」

 思わず叫ぶ。

 なんつーオソロシイことを――誰がそんな悪知恵つけやがったんだよ!?

「『ガルマだったら、きっとそうする!』」

 ――おれか!?

 キャスバルから向けられる視線は、もはや絶対零度の域である。

「『そんなことにしたら、“ギレン”からめちゃくちゃ叱られるじゃないか!』」

 主におれが。

 ガタブルしてれば、

「『なるほどな。君の考え付きそうな事だ、ガルマ。ガーディアンバンチに立ち入るのに必要な書類の入った荷物だけを狙い、僕達が踏み込むのに一番躊躇するだろうギレンの書斎を占拠するとは』」

 矛先がこちらに向きそうで焦る。

「『あ……えっと、まあ、よく考えた、よね?」』

 この年頃の子供にしては、格段に頭が回る、先が楽しみだな、とか、うん。

「『悪い手本になるなと言っただろう!」』

「『いまは仲間割れしてる場合じゃないよ!』」

 フライトの時間が迫ってるし。早いとこ荷物を回収して出発しないと。

「失礼いたします、ガルマ様、キャスバル様。書斎の鍵をお持ちいたしました」

 老執事が、執事の見本みたいな冷静な声で告げ、同じく見本みたいに綺麗な礼を見せた。

 彼の背後には、凍った笑顔の女中頭と、無表情のメイドが二人。

「恐れ入りますが、少しお下がりください――屋敷内のことは、私どもに任されておりますので」

 柔らかい声だったが、有無を言わさぬ響きがあった。その双眸に宿る光も、冷たく研ぎ澄まされてるし。

 気圧されて一歩下がれば、執事が静かに鍵を開ける。

 同時に、二人のメイドが、突入班さながらに部屋に飛び込んでいった。

 え? 制圧訓練でも受けてるの、あの二人?? 素人の動きじゃないよね???

『君のところの使用人は、みな特殊部隊が何かなのか?』

『……わかんない』

 キャスバルと二人で、ちょっと唖然。

「「「わーーーッ!??」」」

 子供たちの悲鳴が。

 慌てて踏み込めば、アムロとゾルタンは既に取り押さえられていた。

 手荒な風じゃなくて安心したのも束の間。

 フロリアンが“ギレン”の机の上で、書類の束を高々と掲げていた。

「ぎゃーーーー!?」

 おま、一番良い子じゃなかったのか!??

 悲鳴を上げて飛びつく前に、子供の手から書類が消えて――まるで手品みたいに、それは執事の手の中に移っていた。

「これ以上のおいたはいけませんよ、フロリアン様。アムロ様、ゾルタン様もです」

 ピシャリと打つような声だった。

 内心でブルっとしてれば、女中頭が、にこやかな笑顔で奪われていた荷物を差し出してくる。

「どうぞ。エントランスにお車を用意してございます」

 促されて荷物を受け取れば、子供らの泣く声がした。

「やだーーー!!! いっちゃうのやだ!!!」

 フロリアンが執事の手を振り払って、キャスバルに張り付いた。

 べしょべしょの顔を擦り付けられて、顔を顰めてこそいるけど、振り払ったりはしない。

 最初はあんなにトゲチクしてたのに、随分と懐かれたもんだね。

 アムロとゾルタンもメイドの手を離れて、ガシリとしがみついて来る。

「『休みになったら直ぐに帰ってくるよ』」

「『……僕も同じ年なら良かった』」

 アムロが、いつかの言葉を繰り返した。

「『なんで行っちゃうんだよ!』」

 ゾルタンもグリグリ頭を擦り付けてくる。

「『大人になるためだよ。大人になって、君たちとムンゾを守るんだ』」

 それ以外の理由なんて無い。力を得るため。それだけなんだよ。

 ぎゅうぎゅう抱き込めば、ベソベソ泣く声は、やがてスンスンと鼻をすする音に変わった。

「『僕も直ぐに大人になる!』」

 アムロの宣言に、苦笑い。

「『ゆっくり大人になってよ。ランバ・ラルが言ってた。“心が育つのは、子供のうちだけだ”って』」

 子供でいられる時間は貴重だ。ましてこんなご時世。いつ世界がひっくり返るとも知れない――させないけど。

「『またパンケーキ焼くよ』」

「『………………うん。アップルパイもね』」

「『クレープと白玉団子と唐揚げもだぞ』」

「『…プリンも』」

 この食いしん坊どもめ。

 良いよ。なんだって供してみせようとも。

 約束すれば、やっと開放される。

 キャスバルは肩をすくめて、それから、子どもたちの頭を少し乱暴に撫でてやってた。

 これにて、謹慎期間は終了――あんまり謹んでも慎んでも居なかったけど。

 宙港まで送り届ける役は、ランバ・ラルだった。

「何やっているんだ、刻限に遅れるぞ!」

「別れを惜しんでたんです」

 サラリと返して車に乗り込む。

「本当に謹慎の意味があったのか……」

 なんて、ランバが溜息をついた。

「とても有意義でした。ね、キャスバル?」

「君は子供たちをかまってただけじゃないか」

「キャスバルだって懐かれてたでしょ」

「子供は好きじゃない」

 どうだか。お前だってまだ大人じゃないし。

「今度こそ騒ぎを起こすんじゃないぞ。遊びに行くんじゃないんだからな」

 ランバの厳しい声に、キャスバルがニコリと笑って頷く。

「分かってます」

「お利口に過ごすよ」

 より狡猾に、うまく立ち回って見せるさ。

 やんわりと微笑めば、ミラーの中でランバがより渋い顔になった。

「お前達は、年々、手が付けられなくなってくるな。昔はあんなに……今よりは何とかできたんだが……」

 子供の頃からの、いわゆるお目付け役みたいなものだしね、ランバ・ラルは。彼の脳裏には、数年前の愛らしいおれ達の姿があるんだろう。

「ひとは大人になっていくものですよ」

「そこじゃねえ」

 急にアクセルを踏み込むから、ギャっと悲鳴が押し出された。シートに押し付けられて、肩をすくめる。

 道中は、ずっとお説教だった。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 9【転生】

 

 

 

 早い時間だったが帰宅する、と、ダイクン家の一行――に加えてランバ・ラルとマリオン・ウェルチ――が、“ガルマ”を訪ねてきていると報告された。

 と云うか、キャスバルも自宅謹慎ではなかったか。それがこちらを来訪とは、何がどうしてそうなった。

「……ガルマに相談があって」

 と云いながら、キャスバルは目を逸らすが、さて、何の相談なのだか。

 まぁ、ひとつは確実にフロリアン・フローエ――『UC』のフル・フロンタル――のことなのだろうが。

 数日ぶりに会った子どもたちは、何故だか子ども同士で固まっている。ゾルタンとミルシュカはともかくとして、フロリアンがそこに加わっているのは、キャスバルと反りが合わなかったか。まぁ、予想されたことではあったのだが。

 ――意外に大人げない……

 とは思ったが、考えてみれば、キャスバル――と云うかシャア・アズナブル――は、落ちついた大人の男、では決してなかったのだ。原作で三十過ぎて、五歳下のアムロと取っ組み合いの喧嘩をするくらいには子どもっぽいところのある男だった。

 だからと云って、十数歳歳下の子どもにまであたるのは、流石にどうかと思う。ましてこの時間軸では、アストライアも存命で、ある程度は甘えて過ごしていたはずなのに。

「……キャスバル」

 思わず云うと、またふいと明後日の方向を見る。拙いとは思っているようだ、が。

 マリオン・ウェルチは、意外に馴染んだのか、あるいは年長の女子ならではの“気遣い”があるものか、すぐにランバ・ラルの近くに移っていった。

「……賑やかですな」

 アストライアにそう云うと、美しい眉が下げられた。

「ごめんなさいね、ギレン殿。キャスバルが、どうしてもと聞かなくて」

「それなら、私も行きたいって云ったの。ごめんなさい、ギレン殿」

 アルテイシアが、ぺこりと頭を下げる。なるほど、“ガルマ”の顔が見たかったアルテイシアの一言で、ぞろぞろ来ることになったらしい。

「それは一向構いませんよ。せっかくです、ご一緒に晩餐でも」

「それは申し訳ないわ」

「いえ、もう用意をはじめさせておりますので。――クラウレ・ハモンも呼んではどうかね」

 ランバ・ラルに声をかけると、当人はやや渋い顔になったが、マリオンの顔は輝いた。この短い間に、かなり懐いたようだった。

「いいの、“兄様”?」

 と“ガルマ”は云うが、既に厨房に手を回しているのはわかっているのだ。そして、喧しいところのあるキシリアも、“ガルマ”のおねだりには否と云わないと計算していたことも。“ガルマ”に甘いデギンは、云わずもがなだ。

「この時間に追い返すような人間ではないぞ」

 まぁもちろん、キャスバルたちでなければ、さらっと帰らせていただろうが。

 と云うわけで、その日の晩餐は、結構な大人数で臨むことになった。ザビ家はドズルとサスロ――仕事が立てこんでいるらしい――以外の四人、ダイクン家が三人とフロリアン、マリオン・ウェルチとアッカネン兄妹、ランバ・ラルとクラウレ・ハモン、それにシャア・アズナブルで十四人である。

「久しぶりに、このテーブルが満席になったな」

 “父”も、何とはなしに嬉しそうな風である。

 まぁ、自分を筆頭に、ザビ家の兄妹は皆独身――しかし、最近になってキシリアが、どうやらシャア・アズナブルと好い仲になっているらしいのだが――で、“ガルマ”が十代とは云え、次世代が望み薄と考えていたからだろう。キシリアとシャアが連れ立って入ってきたのにも、目を細めるような風である。

 そのキシリアはと云えば、シャアとはにこやかであったものの、一瞬こちらを見たまなざしが、氷のように冷ややかだった。これは、フラナガン機関を一時閉鎖したことについて、何やら一言あるのだろうと思う。

 もちろん、かるくは報告しているが、何しろ事後報告であったので、そのあたりのこともこみで不満があるのだろう。これは、後できちんと話をしなくてはなるまい。

 子どもたち――数回目の晩餐で、何とかおとなしく坐ることを覚えたアッカネン兄妹まで――がきちんと着席すると、“父”がゆっくりと口を開いた。

「この部屋が、こんなにも賑やかになるのはいつぶりか――アストライア様をお迎えしての晩餐とは、嬉しい限りだ。特にキャスバルやアルテイシアの立派に育った様を見ると、ジオンが今ここにあればと思わずにはいられない」

「……それもこれも、すべてはデギン殿のお計らい故ですわ」

 アストライアは微笑んだ。

「お蔭様をもちまして、私も子どもたちも、穏やかに過ごしております。キャスバルだけは、少々やんちゃが過ぎるようですけれど――」

 母親の言葉に、キャスバルは小さく肩をすくめた。

「なに、男の子はやんちゃなくらいでなくては。ジオンの子だ、それくらいの冒険心は当然のことだろう」

「そうですかしら……今回も、謹慎になんてなって帰ってきましたし……ジオンがいたら、もう少し抑えられたのかしらと思ってしまいます」

「むしろ、ジオンは“もっとやれ”と云ったような気がしますがな」

「そうかしら……いえ、そうかも知れませんわね」

 ジオン・ズム・ダイクンと近しかった二人が、思い出話に花を咲かせはじめているうちに、子どもたちは大混乱に陥っていた。

「なぁ、これ、ナイフとフォーク、どれから使うんだ?」

「外から使うんだよ」

「スープ、どのスプーンでのむの?」

「この丸いのよ。……って、あああ、お皿持ち上げないの!」

 “ガルマ”とアルテイシアは、子どもたちの面倒を見るのに忙しい。フロリアンとマリオンは、もう勝手がわかっているのだろう、拙いながらも黙々と食べている。そしてキャスバルは知らん顔だ。

「考えたこともなかったけれど、子どもって可愛いですね」

 クラウレ・ハモンが微笑む。

「キャスバル様やアルテイシア様ほど賢い子は、なかなかいないだろうと思っていたんですけれど――マリオンはとても優秀なんです。……こんな子を、研究に使っていたなんて!」

 青い瞳の中に、炎が上がる。

 キシリアの手がぴくりと震えたが、素知らぬ顔で食事を続けている。

「これくらいの子どもたちは、誰かの庇護なしには生き辛いですからね。たとえ実験動物扱いされたとしても、生きるために耐えてしまうんですよ。……ギレン殿か早く救い出して下さって、本当に良かったわ」

 云いながら、細い指が青い髪を梳く。クラウレ・ハモンは、アストライアと長いつき合いで、家出少女として夜の街に迷いこんだ時に、クラブの歌手だったアストライアに拾われた、と云うことだった。子どもがひとりで生きていくことの難しさを、自分の体験からよく知っているのだろう。だからこそ、これほど怒りを顕にするのだろうと思われた。

 マリオンは、黙っていたが、その表情は面映ゆいような内心を示していた。

「良かったですね!」

 明るくシャア・アズナブルが云う。隣りのキシリアの表情に、気づいているのかいないのか。

 ――まぁ、善良であることは美徳だ、が。

 知らないと云うのは強い。キシリアとても、シャアの無邪気とも云える善良さには、両手を挙げて降参するしかないのだろう。現に、短く溜息をついて、愛おしげなまなざしでシャアを見つめている。フラナガン機関の一時閉鎖は癪だけれど、シャアに当たるつもりはないと云うことだ。

 まぁ、こちらの視線に気づいた途端、目つきががらりと変わるのは、それとこちらを問い詰めるのとは話が別、と云うことなのだろうが。

 晩餐は和やかに進んだ。

 口数の少なかったキャスバルも、妹や“ガルマ”、アムロたちに話しかけられているうちに、だんだん饒舌になっていて、謹慎の原因になった“外出”について、面白おかしく話している。アストライアに時折窘められて、ぺろりと舌を見せているのも、年齢相応の少年らしさか。

 晩餐のメニューは、厨房が張り切ったらしく豪華なものだったが、自分の皿だけプチトマト増量だったのと、メインディッシュが山葵ソース強めだったのは、“ガルマ”の差し金に違いない。

 皿の上にこんもり盛られた鮮やかな赤に、唇の端が引き攣れる。

 ――どうしてくれようか。

 カトラリーを掴む手に、力が入る。

 いや、どうするかは大体決めている。ゴップとの会見の時と云い、ガーディアンバンチの騒動と云い、“ガルマ”は既にやらかし過ぎている。この先“暁の蜂起”があると云うのに、今もうこれでは、本当に先が思いやられる。それもこれもこみで、報復はきちんとしてやらなくては。

 ――やはり、正座二時間では生ぬる過ぎたか。

 ミディアムレアのラム肉を切り分けながら、思う。美味そうな火のとおり具合、ラム肉は好きだ。が、それにかかっているのが山葵ソースだとは!

 ――食べものの恨みは恐ろしいと云うことを、思い知らせるばかりではなく、自分でも思い知るがいい!

 そう思いながら、山葵で痛む前頭部を、奥歯を噛みしめて耐え忍んだ。

 

 

 

「――ギレン」

 部屋を移して食後のデザートを摂った後で、キシリアが声をかけてきた。

 ――来たな。

 と思うが、素知らぬ風に、

「どうした」

 と返す。

「少し話がある」

「ここでか」

「……いや」

 流石に、ダイクン一家や子どもたち、それにシャアのいるところでする話ではない、とは思ったのだろう。

 それならばと、書斎に“妹”を招き入れる。

「――どう云うことか、説明してもらおうか」

 扉が閉まるなり、キシリアはそう云って、こちらを睨みつけてきた。いつもよりもよほど厳しいもの云いである。どれだけ肚に据えかねているかがよくわかる。が。

「ニュータイプ研究所閉鎖の件か」

「そうだ。お前が踏みこんで、閉鎖させたと聞いた」

「仕方あるまい、人身売買と人体実験は、連邦法に抵触する。既に連邦との関係が綱渡りである以上、戦端が開かれる可能性は潰しておかねばならん」

「ニュータイプ研究所がそうだと云うの」

「今日いた幼い子どもたち、かれらが皆、ニュータイプ研究所の被験体として買われてきたのだと云えば、お前は納得するのか?」

 そう云ってやれば、キシリアはぐっと黙りこんだ。

 まさかキシリアの指示だとは思わないが、しかし、事実上事態を黙認するかたちになっていたわけだから、キシリアにも非がないわけではあるまい。

 そして、その自覚が多少なりともあるものだから、こうして突っこまれれば、黙りこむしかないのだろう。

「……そう目くじらを立てることもあるまい、あくまでも“一時閉鎖”だ。――但し」

「但し?」

「フラナガン・ロスについては、お前からも釘を刺しておけ。逃亡されて、連邦軍にでも逃げこまれては、開戦になった挙句に研究の成果も攫われると云う事態にもなりかねん」

「……もしもフラナガン博士が逃亡したら…どうするつもり?」

「もちろん、地の涯までも追いかける。――そして」

 親指で、首を掻き切る仕種をする。

「ことと次第によっては、こう、だ」

 ニュータイプ研究を連邦に持ちかけたところで、すぐに場所や資金が用意されるとは思われない――何故なら、まだニュータイプ研究の成果は証明されてはいないからだ。

 だが、実際に開戦を迎えてしまえば、例えアムロ・レイがいなくとも、連邦はニュータイプの力に気づくことになるだろう。そうなれば、一度は無視されてフラナガン博士を探し出して招聘し、連邦軍のニュータイプ研究所を設立するだろう。

 基本的に、軍などと云うものは、ジオンと云うかムンゾも含め、違法行為の巣窟である。そんなところが、現時点ですら人体実験を行っているフラナガン博士を迎え入れればどうなるか。フォウ・ムラサメやロザミア・バダム、プルシリーズの悲劇が繰り返されることになるのは目に見えている。

 この時間軸では、せめてそうならないように、ザビ家全体でニュータイプ研究所を御していくべきだ。

 WBクルーの多くが一年戦争末期、ニュータイプに似た感応力を発揮したこと、戦後、“ニュータイプ部隊”として連邦内で恐れられ、アムロなどは軟禁すらされたと云うこと、あるいは『Z』において、カミーユ・ビダンのまわりにニュータイプに覚醒めたものが多かったこと、これらを鑑みるに、覚醒したニュータイプは、ニュータイプ予備軍と交わることによって、その覚醒を無意識に促すことになっている可能性は高いと思われる。

 端的に云えば、フラナガン・ロスは、シャリア・ブルと、現時点での覚醒者――もちろん、キャスバルとアムロを除いてだ――を囲いこみ、かれらがサイコウェーブとやらで“やりとり”する中に、候補者たちを入れてみると良いのだ。下手に人体実験にかけるよりもずっと、その方が穏やかで安定した覚醒に、かれらを導くことができるのだろうに。

「……仕方ないわね」

 遂にキシリアは、溜息まじりに頷いた。

「あなたの疑念も無理からぬことだわ。私も、“実験”の実態までは把握していなかった――責任は免れないわね」

「そう思うなら、フラナガン博士には、早目に釘を刺しておいてくれないか。連邦に逃げこまれてらかなわんし、ニュータイプのデータを持ち逃げされるのはもっとかなわん。“時機を待て”とでもなんとでも云って、引き留めておいてくれ」

「研究所の閉鎖が、一時的なものであるのは確かなのね?」

「もちろんだ」

 ムンゾの方で、より安全なニュータイプ覚醒の理論を構築してからでないと、強化人間たちの悲劇が、この時間軸でもくり返されることになってしまう。せっかくこちらがコントロール可能な状態になっているのだ、今のうちに、やれるところまでノウハウを広げておくに如くはない。

「――わかったわ、フラナガン博士には、そう伝えておく」

 云って、キシリアは微苦笑した。

「本当に臆病なくらいに連邦を恐れるのね。あなたなら、“連邦何するものぞ”くらい云うのかと思っていたけれど」

「云いたいのは山々だが、まだその時機ではないと云うことだ」

「慎重だこと」

「今、連邦とことを構えることになったとして、勝てる気がしないと云うことだ」

「弱気ね、ギレン。サスロには、“圧倒的じゃないか我が軍は”とか云ったそうじゃないの」

「……随分古い話をするのだな」

 それは、キャスバルと“ガルマ”がテキサスコロニーに一時避難していた頃の話ではないか。

 あの時は、テム・レイがアナハイムを離れ、ムンゾに来ると云うので少々浮かれていた。いつも思うが、そう云う少し浮ついた気分の時の言葉が、後々まで蒸し返されるのは、少々本意ではない。どうして他人は、そう云う時の言葉に限って、繰り返し蒸し返してくれるのだろう。思い返せば、いくつもそんな事態があったのだ。

 キシリアは、軽く肩をすくめた。

「サスロから聞いた時は驚いたもの。あなたが、そんなことを云うなんて、って」

「確かに、テム・レイ博士を、むかえることができて、ムンゾの軍事力が上がると確信したからこその科白ではあった。が、まだ道は半ばだ、今の時点で連邦に戦いを挑まれて、勝てると思えるほど、私は盲目ではない」

 少なくとも、MS-05、所謂旧ザクが量産体制に入らなければ。

「コロニー同盟自体は、着々と進展しているが、やはり軍事力となると、ムンゾ以外は頼りない。連邦側も、それをわかってムンゾを狙い撃ちにしてくるだろうからな、われわれだけでも戦える戦力を保持しておかなくては、とてもではないが、開戦になど持ちこめんよ」

「確かに、難癖をつけられたら終わりと云うことね」

「そうだ」

「……そう云われてしまったら、私には何も云えないじゃないの」

 キシリアは溜息をついた。

「わかったわ、私からも、フラナガン博士には釘を刺しておきましょう。――研究所は、完全凍結ではなく、一時閉鎖で間違いないのね?」

「もちろんだ。はじめた研究を、むざむざ他処に取られるほど、馬鹿な話はない」

 それに、こちらの手許に置いておいた方が、フラナガン博士のやり方を多少なりともコントロールすることができる。

 ムンゾ側でニュータイプ研究の模範的なノウハウを確立した後で、連邦サイドにそれを流してやれば、少なくとも無茶な人体実験などには発展しづらいだろうと思うのだ。無論、無茶をする研究者が出ないとは云い切れないが、それでも、基本的なやり方が確立していれば、無闇矢鱈と素養のあると目される人間を弄り回したりはしなくなるだろうし、被検体たちにしても、過度な負担は避けられるのではないだろうか。

 少なくとも、フォウ・ムラサメやロザミア・バダムのような、あるいはプルシリーズや“赤い彗星の再来”たちのような悲劇には、発展しなくて済むのではないかと思う。

 ――このまま、フラナガン博士に任せていては、ニュータイプはまったく実験動物扱いになってしまうだろうからな……

 それでは、真の“スペースノイドの解放”には至るまい。別のものを犠牲にして、自分たちの解放を掴み取る、それでは別の差別を作り出すだけだ。

「私としては、フラナガン博士には、ニュータイプ研究にきちんとした筋道をつけてくれることを期待しているのだ。それも、非人道的な人体実験によってではなく、少なくとも素養のあるものたちが、穏やかに覚醒することのできる筋道をな」

「――ニュータイプそのものに対する興味や関心が失せたわけではない、と?」

「もちろんだ」

 強く頷く。

 ニュータイプは夢だ。もちろん、ニタ研で研究しているニュータイプは、ジオン・ズム・ダイクンの掲げた理想としての“ニュータイプ=新しい人類”にはほど遠いものだ。かれらとて人であるし、人である以上、わかり合えない壁はある。

 ただ、アムロとララァ・スンがつかの間体験したような、“人は、わかり合える可能性がある”と云うことへの希望、それを垣間見るものがあるだけでも、ニュータイプ研究に金を注ぎこむ意味はあると思う――但し、心や身体に負荷をかけるような今のやり方では、その目的は達成されはするまいが。

「私とて、この目で見たいのだ、ジオン・ズム・ダイクンが夢想した、人と人とが何を介することもなく、心の底からわかり合えると云う世界を」

 それが、実現することのない夢だと、わかってはいても。

「……そのために、フラナガン博士の力が必要だと、そう云って構わないのね?」

「あぁ」

 少なくとも、今の段階で、ニュータイプ研究を他処にくれてやる気はない。

「……わかったわ、フラナガン博士にはそう伝える。あなたが、禁止条約を盾にとった連邦の介入を恐れている、と云うことも含めてね」

「そうしてくれ」

 こちらの“恐れ”を過度なものに取られても困る――これまでの研究成果を手土産に、連邦に寝返ると云う選択肢を与えたくはない――が、連邦の介入を招いて開戦と云うことになれば、研究どころではなくなるのだとは思わせておきたい。

 科学者と云う連中は、自分の研究のためなら人を殺すことも、国を滅ぼすことも厭わない輩ばかり――むろん、そればかりでないことも承知だが――なのだ。第二次世界大戦時の、V2ロケットや原爆の開発者たちは、己の発明品が人類にどのような悲劇をもたらすことになるか、頭の中だけで計算し、それが“敵”の上で見事に炸裂したことに歓喜したのだろう。戦後、恐ろしいほどの時間が経ってから、後悔を表すものもあったけれど、“戦争を早期終結させた”と誇るものも、少なからずいたはずだ。

 確かに、原作におけるニュータイプ研究所――作中では、まだ“フラナガン機関”だった――は、一年戦争の最中に作られはした。が、そこでの成果が本当の意味でかたちになったのは、それから七年後のグリプス戦役くらいになってからのことだったはずだ。

 こちらとしてはそれまでに、強化人間を作るノウハウをまとめ上げなくてはならないのだ。拡散する前に、確かな技術を確立しておけば、そこを基盤にニュータイプ研究は進むだろう。心的外傷を与えたり、ロボトミー手術を施したりと云った野蛮な方法がなくなれば、強化人間たちに対する“実験”も、原作よりはマシなラインを辿ってくれるのではないかと思うのだ。

 そして、その先行きは多分、キシリアこそが握っている。

「――任せたぞ、キシリア」

 そう、念押しするように云ってやれば、キシリアは片眉を上げ、

「了解した」

 と肩をすくめた。

 

 

 

 ほどなくして“ガルマ”とキャスバルは士官学校に戻り、また平和な日常が戻ってきた。

 平和と云っても、それは家庭内の話であって、対外的には平和とは程遠かったのだが。

 とりあえず、MS計画は順当に進み、今は既に、MS-04ブグが稼働実験に入った。このペースでいけば、“暁の蜂起”の頃にはMS-05、つまりは旧ザクが量産体制に入り、この時間軸では起こらないだろう“スミス海の戦い”――亡命を求めたミノフスキー博士を、連邦とジオンで奪い合った――の時分には、MS-06ザクⅡが稼働していることだろう。

 そしてもちろん、そのころにはテム・レイの傑作、ガンダムも実用化されているはずだ――今は、駆動部の実験中だと聞いている。

 月都市はと云えば、こちらは着々とムンゾが地盤を増やしている最中のようだ。

 元々、月面開発用にMWをリースしているジオニック社の他に、通信機器メーカーであるコード・ロジカルを通信事業にも進出させ、ジオニック社のMWの通信を契約することで、割引サービスが受けられるようなキャンペーンを張ったらしい。

 原作では、メンテナンスが良くなく、評判の悪い描写のあったジオニック社だが、サービスの向上を図ることで、顧客も増加したようだ。そのため、コード・ロジカルもシェアを拡大、そこから企業での利用も増加して、アナハイムほどではないにせよ、そこそこのシェアを獲得しつつあるようだ。

 無論、ムンゾの独り勝ちでは意味がない。そのあたりは、シュウ・ヤシマの助言を受けつつ、他サイドの企業とも連携を深めているらしい。

「ヤシマグループと手を組めたのは、本当に良かったよ」

 と、サスロは云ったものだ。

「もちろん、お前がコロニー同盟を作ってくれていたのも大きいが――やはり、企業活動は、名前の大きいところにはかなわんからな。そう云う意味でも、ヤシマの名前は本当に大きかったよ」

「ありがたい話だな」

「まったくだ。これからも、ヤシマとはうまくやっていきたいものだな。――ところでギレン」

「何だ」

「シュウ・ヤシマの娘があるだろう。あれと結婚したりはしないのか」

 サスロの科白に、飲みかけていた紅茶を吹きそうになった。それを慌てて飲みこんだため、気管に入って盛大に咳きこむ。

「……な、何故……」

 げほげほ云いながら呟くのに、サスロは目を見開いた。

「何故も何も、こう云うのは上古の昔からの基本だろう。まぁ、少々歳が離れ過ぎているような気はするが」

「あたり前だ、向こうは十代だぞ」

 『the ORIGIN』では多少年齢が上がっていたはずだが、それでも“ガルマ”やキャスバルよりも一つ下だったように思う。つまりはこちらとの差は二十数年、ほとんど親子ほども離れているではないか。

「しかし、キシリアがシャア・アズナブルと好い仲になっているんだ、いけなくもないだろう」

 とサスロは云うが、キシリアとシャアの年齢差は十歳ほどだ。いくらミライ・ヤシマが才女でも、二十歳以上の歳の差は、中々埋め難いものがあると思う。

 第一、

「――ミライ・ヤシマには、確か婚約者があったはずだが」

 カムラン・ブルームと云う、確かサイド6の監査官だったはずだ。やや優柔不断なところがあるが、『逆シャア』でミライの夫となったブライト・ノアに、シャアの企みと地球連邦政府の裏取引をリークしたりしたあたり、実は芯はしっかりしていたのだろう。

 親同士が決めたと云うその婚約者を差し置いて、二十以上歳上の男に嫁がせる意味はない。ミライが、シュウ・ヤシマの一人娘でなければまだしも。

「そんなものは何とでもできるだろう」

 サスロは云って、にやりと笑った。

「いずれムンゾの頂点に立つ男に嫁ぐなら、シュウ・ヤシマとて文句は云うまい。――本当にあり得ないか?」

「ない」

 そもそも、ミライ・ヤシマに関しては、やはりブライト・ノアと結婚してほしいと云うのが、ガノタとしての意見である。ルートが異なっているので多分『逆シャア』はなく、当然『閃ハサ』もなくなるのだが、ハサウェイ・ノアは生まれてほしい。勝手な話だが、ヲタクと云うのはそんなものだろうと思う。

 それに、

「――妻にするなら、もう少し違ったタイプが良いのでな」

 ミライ・ヤシマは間違いなく賢夫人になるだろうが、個人的にはもう少し違ったタイプが好みなので――まぁ、カルタ・イシューがタイプだったわけではないけれど。

 サスロは目を見開いた。

「意外に好みに五月蝿い方だったのか」

「そう云うわけでもないはずだが……」

 ただ、ミライ・ヤシマのようなタイプだと、若干尻の叩き方が弱そうな気がするので。ブライト・ノアのような、生来生真面目なタイプならともかくとして、やや不真面目なこちらとしては、うっかり踏ん張りどころを間違えてしまいそうな気がするのだ。

「まぁ、私が妻を娶らずとも、“ガルマ”がアルテイシアと結ばれて子が出来れば良いのだし、キシリアの方も、早晩結婚することになるのではないか」

 それに、とちらりとサスロを見やる。

「私のことはともかく、お前はどうなのだ。お前とて、そろそろ良い歳だろうに」

 と云ってやれば、“弟”は狼狽えた顔になった。

「お、俺のことよりお前の方が先だろう!」

「キシリアが相手を見つけているのだ、歳の順とは限るまい」

 それを云えば、そもそも最初に婚約者が決まったのは“末弟”の“ガルマ”であるのだし。

「……この話は止めにしよう」

 遂にサスロは、両手を挙げてそう云った。云うだけ不毛であると気づいたようだ。

「それよりも、例のフラナガン・ロスだ。一時閉鎖と云っていたが、本当にまだあれに金を注ぎこむつもりか」

 MS計画は、成果が上がったから良いとして、と云ってくる。

「もちろんだ」

 今ここでフラナガン博士を放逐するなど、みすみす成果のみを連邦にくれてやることになる。

 倫理的なところももちろんあるが、かけた金は回収せねばならぬ。

「フラナガン博士は、ある種の人間の発する思考波を捉え、それによって稼働するシステムを目指しているのだ。サイコ・コミュニケーション・システムと名づけていたな。それを駆使することにより、遠隔操作で攻撃するビットなどで、相手を撹乱することができるとか」

「そんなもの、ミサイルがあればいいだろう」

「それを、MSに搭載すれば、強いと思わんか?」

「……本気か」

 まぁ確かに、思考波をやり取りできる人間――つまりはニュータイプ――しか使えない機体になるのは確かだろう。それに、原作にもあったとおり、サイコミュの使用は、その人間の脳に、多大な負荷をかけることになる。常時使えるような武器ではないと云うことだ。

 だが、例えばぎりぎりの戦いの中で、飛び道具のように使うことができれば、それだけで、そのパイロットの生還率はかなり上がることになるだろう。一度の戦闘に一回だけと云うように、制限をかけて使うようにすれば、原作のニュータイプや強化人間の悲劇は、かなり回避できるのではないかと思う。

「だが、それは負荷がかかるのではないか?」

「だろうな」

 1stにおいてはそのような描写はなかったが、『Z』では、強化人間の二人は度々激しい頭痛にみまわれるシーンがあった。強化人間で、人体実験により過去の記憶を失っているが故の描写だったのだろう――生粋のニュータイプであるカミーユ・ビダンやハマーン・カーン、パプテマス・シロッコなどにそのような描写はない――が、可能性としては否定し難い部分はある。

 まぁ、同じ強化人間でも、あまり弄られていないらしい『逆シャア』のギュネイ・ガスなどは、まったくそのような描写がなかったから、純粋に初期の強化人間にのみ見られた症状だったのかも知れないが――リスクは最大限に回避するべきである。

「あまり負荷がかかっては、まともに使えない可能性もあるからな。私としても、使うからには長く使いたい」

「使い潰して、そうそう次があるものでもあるまいからな」

「そうだ。だから、戦場に出すニュータイプは、パイロットとしても優秀でなければならない」

「確かに、特殊能力ばかりに頼るようでは自滅しかねんな。配属先の連中にしても、同じことだろう」

 サスロも頷く。

 ニュータイプの能力にたよるようになれば、その部署のパイロット個人の能力は下がってしまうだろう。部隊単位で行動する時は、それでもそう目立ちはするまいが、例えば原作におけるルウム戦役のような乱戦や、後々主流になるMSによる白兵戦においては、個人の能力が生死を分けることになる。

 部隊の誰か一人にあまりにも寄りかかることは、軍全体から考えても、良いことではない。

「学者と云うのは、そのあたりの塩梅を考慮しない輩が多過ぎる。その辺は、われわれで埋めなくてはなるまいさ」

「金を注ぎこんだものを、数回の出撃で駄目にしたくはないな」

「そう云うことだ」

 ドライなようだが、それが現実だ。

 だが実際、金と手間をかけて育てた人材――例えば、企業における総合職のような――が、実務の場に出してすぐに精神を病み、退社に至ってしまったら、それは教育にかけた金が無に返ることと同義である。

 そうならないために、こちらとしてもすぐに使い潰さぬよう、正しく人材を使う体制を整えなくてはならぬ。ニュータイプの能力を、それが属する小隊の戦果のみのために使わせてはならぬ。それをしてしまっては、過重な負担をかけるのみで、最終的には所属部署そのものの全滅をも招きかねないからだ。

 そう云う意味では、軍の資金面を取り仕切るサスロは、コスト計算でそのあたりを察してくれるのでありがたいのだ。

「わかった、そのあたりは、よくよく留意する」

「任せた」

「あぁ。……ところで、ギレンよ」

「何だ」

 問い返すと、“弟”は珍しく、口をもごもご云わせた。

「ガルマのことだが――あいつを、外部交渉に使いたいんだが、どうだ」

「は?」

 思わず素で返してしまった。“ギレン・ザビ”の取りそうな態度ではない。

 いやだがしかし、それも仕方のないことだろう。あの“ガルマ”に外部交渉。

 ――虎に鼠捕りをさせるようなものじゃないか?

 つまりはやり過ぎることになるだろう。

「駄目か? 親父は“中々の交渉力だった”と云っていたんだがなぁ」

 と云う、それは、ゴップ将軍とのやりとりのことか。

 なるほど、確かにあの時のやり取りは、丁々発止の良いものだった、が。

「……あれに交渉させると、その場は勝つだろうが、やり過ぎて焼け野原になるぞ」

 基本的に、目的を遂行するのに手段はほぼ選ばないタイプであるし、かなり人の心の機微にも疎い。目的はきちんと達成されるだろうが、その先、ムンゾと交渉したがるものは激減するだろう。

「……やっぱり反対か」

「最終兵器としてなら良いだろうが、普段から使うものではないな。――“やっぱり”とは何だ」

「ギレンが聞いたらもの凄く反対すると思う、って、ガルマが云ったんだよ」

 なるほど、一応、こちらがどう思っているかはわかっていたわけか。

 まぁ、とりあえず、

「……お前が、やはり“ガルマ”に惑わされていると云うのは、よくわかった」

 本当に、デギンと云いキシリアと云いサスロと云い、“ガルマ”のきゅるんとしてみせている擬態に、簡単に騙され過ぎだろう。“ガルマ”は、元のガルマとはまったく異なり、可愛らしそうに振るまったり、きゅるんとしてみせているだけであって、可愛げはない。まったくない。

 大体、賢さよりも悪知恵が勝っているような人間なのだ、可愛いは作られている。そうとしか考えようがない。

 しかし、サスロは違う意見のようだった。

「お前の目には、何かフィルターが入っているんじゃないか」

「馬鹿を云うな」

 フィルター入りなのは、サスロの目だ。あれが可愛く見えるなど、あり得ない。ドズルに至っては、論外である。

「埒が明かんな。……まぁいい」

 と云うが、それはそっくりこちらの科白だ。

 ――まぁいい。

 “ガルマ”がどうあれ、ものごとは進み、時代は動く。とりあえずは“暁の蜂起”だ、そこまでに、連邦との開戦も可能なように、準備は整えておかねばならぬ。

「ここからが正念場だ。連邦の謀略に足を取られぬよう、万全の準備を頼む」

「任せろ」

 サスロは云って、にやりと笑みを浮かべてよこした。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 10【転生】

 

 

 

 学校生活は概ね順調だ。

 士官学校という厳しい環境下でも、若さとバカさが同居する年頃らしく、それなりに騒ぎは起こるけど、再度の自宅謹慎に至るほどじゃない。

 戻る早々、“おかえり歓迎会”とやらでクラッカー爆撃が発生し、あまりの爆音に暴発事故かと警備班が駆けつけてきたり、寮を埋め尽くす大量のテープと紙吹雪の片付けを命じられたりしたのは想定外だったけど。

 授業が終わって、例によって談話室で寛ぐ。

「最近、一寮がなんて呼ばれてるか知ってるか?」

「“魔窟”だろ」

「“万魔殿”って聞いたぜ」

 リノたちは呑気にそんな話をしてるけどさ。

「誠に遺憾。成績上位者の殆どを一寮が占めてるって言うのに、正当に評価されないとは如何なるものか。むしろ“アテナイの学堂”に例えて貰いたいね」

 何故に、いつもおれが所属するところは、まともな呼称が与えられないのか。

 ムッと口をへの字に引き結べば。

「……御曹司は自覚ねぇのな」

「ガルマさんだから」

 うるさいよライトニング。そして、クムラン、それどーゆー意味さ。

 ベン、生暖かい目で見下ろすのやめてよ。

「ははは。ある意味では評価されているんだろう」

 シンまでが気楽なものである。

 まあね、談話室にたむろってる面々は、いつものメンバーに限らず、みんな同じような反応である――誰ひとり気に病んじゃ居ないんだよ。

「“魔王陛下”はご機嫌斜めか」

 キャスバルがニヤニヤと笑うけど。

「“魔王”も“悪魔”も“堕天使”も“誘惑者”も全部君のほうだろう、“シャア”」

 ピシャリと言い返す。

 フーッと溜息。いつまでもプンスコしてはいられないから、ここらで気分を変えて。

「ところで君たち、クリスマス休暇はどうするの?」

 自宅謹慎は解けたけど、また直ぐに休みが迫っている。

 おれは帰宅一択だけど――子供らが待ってるからね――仲間たちはどうするのかな、と。

「俺は流石に帰らんと。父が怒鳴り込んできそうだからな」

 シンが苦笑いする。

 さもありなん。シン・マツナガ――マツナガ家の御曹司な訳だし。しかも嫡男。

「僕も帰るよ。母さんがターキーを焼いてくれるんだ!」

 クムランが嬉しそうに笑った。その丸いほっぺたには母上の愛情料理が詰まってるってコトだね。

「帰る」

 ん。相変わらず簡潔な表明だな、ベン。

「俺たちも帰るつもりだ。ルウム行きのチケット予約したし」

 早めにまとめて取ると、割引が適用されるとか。そうか、リノとケイとルーは同郷だったな。

「ライトニング、君は?」

 だんまりを決め込むのに声を掛ければ、顔を顰められた。

「俺は残るぜ」

 どうせ帰っても手伝いか喧嘩か喧嘩だって。どんだけ喧嘩すんの。

「じゃあ、ライトニングはうちに来れば? “ギレン兄様”とも面識あるんでしょ?」

「はぁあ?」

 提案すれば、ライトニングが素っ頓狂な声を上げた。

『ガルマ、どういうつもりだ』

『“子守り”に良さそう。キャスバル、お前、揚げ物のとき、暴走しやがるゾルタンをちっとも抑えてくれないじゃないか!』

 大興奮は良いけど、厨房を駆け回られたら堪らんのだ。危ないだろ。

 思考波で文句を付ければ渋い顔。

『……なるほど子守りか。だが、アムロ達が懐くか?』

『存外に子供脳だから釣り合いは取れるだろ。むしろ良い玩具が来たって喜ぶんじゃないかな?』

『君は悪魔か』

 そう言うキャスバルこそ良い笑顔。いい生贄が見つかったって顔だろ、それ。

 こっそり会話してる間にも、ライトニングがブチブチ何か言ってたけどさ。

「ホリデーは食堂も何もかも縮小じゃないか。ひとりでご飯食べるのつまらなくない?」

 畳み掛ければ、うんうん唸りだす。

「一週間前くらいまでに決めてくれれば良いから、ゆっくり悩んでよ」

 猶予をあげれば、ほんとに悩む様子だった。

 まあ、これはさて置き。

 談話室で寛ぐ全ての同胞に向けて、手を打ち鳴らす。

「さあ。諸君、休暇前のテストで無様な結果など、この“ガルマ”が許さない。テキストを開け!」

 命じればブーイングと悲鳴と待ってましたの掛け声と、その他諸々でやんややんや。

 誰がからそっと渡されそうになったムチは、素早くリノが回収してしていた――なんでムチさ?

「傾向と対策は練った。山も張った。ボードに注目しろ。テキストが無い者はそこからコピーを取って行け」

 恒例の自主補講である。

 強制ではないから、嫌なら無視するなり談話室を出るなりすれば良い――寛げる場所はココだけじゃないし――けど、ブーイングしてた奴らも席につくこの不思議。

 ついでに、実は他寮生も混じってる。たまに生徒以外が居ることも。

 七面倒臭い公式やら何やらは、案外、フザケた覚え方が出来るものが少なくない。それこそ、テスト中にニヨニヨしちゃうくらいのね。

 下品すれすれお色気混じりの覚え歌は、野郎どもが熱唱するし、イケメンにすり替えた歴史人物アレコレには女子が食いつく。

 勉強会とか言いながら、大体みんな笑ってる。就寝前のレクリエーション。

 存外に、これで成績が上がるって評判なんだってさ。

 遠い時間の果て。教えるのが旨かった講師の真似事アレンジしていたら、教員に進まないかと呼び出されたことがあった――博愛心をカケラほど持ち合わせて無かったから、丁重に繰り返しお断りしたけど。

 ――もしかして、意外に向いてた?

 んなワケ無いか。

 “ガルマ”やってると、自分が人懐っこい社交的な性格って勘違いしそうになるけど、根本はただの“ものぐさ野郎”だしね。

『ガルマ、賭けをしよう』

 唐突にキャスバルから持ち掛けられる。

『……何を?』

『次のテスト。上位10位まで全て一寮が占めたら君の勝ち。一人でも他寮生が入ったら僕の勝ちだ』

 ニンマリと笑う――見せかけはニコリ、だけど、思考波のニュアンスでは間違えようもなく、悪辣なニンマリだ。

 誘惑者の囁き。

 チロリ、と寄越される視線の奥の光が。ふぉ。なんだろ。ゾクリと悪寒。

『……何を賭けようっての?』

『定石に、“敗者が勝者の願いを何でも叶える”って言うのはどうだい?』

『回数と期限が決まってないのは論外だろ』

 ランプの魔神だって願いは3つだ。

『じゃあ、一度だけ。ただし期限は無しだ。勝者が望むその時に』

 なるほど。

 おれが勝てば、一度限り、キャスバルが“切り札”として使える訳だ――悪くない。

『良いよ。それで行こう』

 アッサリと答え過ぎたのか、意外そうに見開かれた青い眼と視線がかち合った。なんか、案じる気配さえも。

『……良いのか?』

『お前から言い出しておいてなに言ってんの』

『とんでもない要求をされたらどうする気だ?』

『だってお前、おれが“絶対に出来ない”要求はしないだろ?』

 それくらいは信じてる。

『それに、他ならぬお前がお願いを何でも聞いてくれるなんて、リスクを取ってもリターンがめちゃくちゃ大きい――他の誰かならゴメンだけどね』

 ニコリと笑い返す――思考波では、やはりニンマリと。

『お互いに妨害は無し。お前が順位を落とすことも禁じる。良い?』

『ああ。教官や生徒の買収並びに脅迫も禁止だ』

『りょーかい。寮生のブラッシュアップは禁じない』

『それで良い』

 双方でそっと頷いて。

「さあ! 我らの底力を見せつけてやろうではないか!!」

 締めに叫べば、「ウオォオオ!!」と返る雄叫びは、ほとんどバーバリアンの群れだ。

 よし、気合は十二分。勝機も十分。

 楽しいテストになりそうだね。

 

 

 就寝前のメッセージチェックは、絶対に欠かせない。

 ほとんどが、from 子供たち。

 アムロは、カイと相変わらず出歩いてるようだけど、そこにゾルタンが加わった模様。

 それぞれが送ってくる冒険譚は、文面読むだけでもハラハラドキドキする。なんだこのヤンチャ振り。

 その勇気と知謀に最大の称賛を送りつつ、無茶し過ぎんなと釘を刺す内容で返信。

 加えて、以前に捕まえといた“伝書鳩”――タチ・オハラじゃないよ、流石に――に、「大事に至らぬよう見守っといて」って私用メッセージ送っといた。瞬で「なんでアドレス知ってんだ⁉」って返ってきて笑ったけど。ふふふ。変えても無駄だよ。

 フロリアンはまだ小さいから置いて行かれるらしく、文句と、どうやったら付いていけるかと言う相談が来てる。ううむ。まだ5歳にあの行軍は辛かろう。まず体力付けてからね、と返す。幼児向けの体力向上トレーニングメニューと一緒に。

 少女組も、仲良くしてるみたいで何より。

 アルテイシアからは、体を案じたり女性関係を案じたりする内容が……って、今生ではおれ、まるっきり女性に縁遠いんですが?

 主にキャスバルのせい。そりゃ隣にあれ程の男がいれば、おれ程度には目が向かんわ。

 御曹司ならシン・マツナガも居るしね。

 ルーもケイも、リノだって見てくれは悪くない。クムランはふくふく癒やし系だし、ベンはガッシリ頼れる系。

 ちょいワルがお好みならライトニングだろ。

 ――……くそう。イケメン共め。

 ちょっと凹みながら「心配ない」と。

 むしろ君のことが心配だよリトルレディ。世には魅力的な殿方が溢れてる、なんて。ほんとにさ。

 ミルシュカは、テキストの他にイラストも送ってくれる。カラフルな花や、たどたどしい文字でおれ達の名前が書いてある棒人間とか。意外に特徴を捉えてて味がある――即保存。

 作品を褒めちぎって、ありがとうと返信。

 それから、マリオンから届いたテキストには、素敵なことが書いてあった。

『キャスバル、まだ起きてる?』

『ああ。君の“意識”が煩くてね』

 チクリと刺さる皮肉を跳ね除け。

『ごめーん。メッセージ楽しくてさ。ね、マリオンがビッグニュース送ってきたよ』

『……ルシファが子猫を産ませた話なら、アルテイシアのメッセージにあったぞ』

『いつの話だよ』

 それもう随分前の事だから。結構な年なのにやるなぁ、ルシファ。写真も見た。ビックリする程、子猫の頃のルシファに似てた。ち

なみにリリムとリリンとカルシファって名前はおれがつけた。

『そうじゃなくて、ランバがとうとうレディ・ハモンを娶るってさ!』

『ようやくか』

 呆れた響きが。

 だよね。おれがキャスバルのフラットに預けられた当時、すでに事実婚みたいなもんだったし。

『だが、なぜ今頃になって?』

『さて。書いてないけど、予想はつくね。大方、レディ・ハモンがマリオンを娘にするとでも言い出したんだろ』

 すごく仲が良さそうだった。あの晩餐のとき、クラウレ・ハモンは確かにマリオンの母のようであったし。

『仲間外れは嫌だったんじゃない?』

 女ふたりの仲睦まじい様子に触発されたと見た。男なんて、みんな“淋しん坊”だからさ。

『それで、ようやく甲斐性を見せる気になったのか。よくもこれまで愛想尽かしされなかったものだ』

 キャスバルが鼻を鳴らすのに笑ってしまう。

『ランバ・ラルは“良い男”だよ』

 一応の弁護を。

 気風は良いし、甲斐性もあるし、面倒見もいい。貫禄もある――年より老けて見えがちなのが玉に瑕。

『おれ達の“おじさん”みたいな人だしね』

 褒められたり叱られたり。ご母堂様や、ザビ家の家族に加えて、確かに彼も、おれ達を育ててくれた一人だろう。

 最近は、よく「育て方を間違った」なんて零してるけどね。

 マリオンには、心からのおめでとうと、帰ったら皆でお祝いをしようって返す。

 ふふふ。

 ランバ・ラルを、どう揶揄ってやろうか、なんてさ。枕に頭を預けながら、あれこれ思う。

 ウトウトした頃に、ピコンともう一通メッセージが届いた。

 ――……ふぉ。“ギレン”?

 珍しい。あんまり送ってこないのにね。

 開いた瞬間、溢れ出したテキストは説教で即閉じした。

 ――けど、これ無視出来んヤツだよな……。

 うえへぇ〜。

 仕方ないと、もう一度開いて流し読むに、なんか、学校生活が筒抜けになってるっぽい。ドズル兄貴から流れてんだろうな、これ。

 ライトニングとシンの監視役二人は、こっちに取り込んだのにね。

 それから、日頃の鬱憤、不平不満に愚痴ってとこか――なんだよ「エスコートの相手選び面倒くさい」って。良いのか“ギレン”、後半、地が出てるぞヲイ。

 確かに、毎年、クリスマス時期になると憂鬱そうにしてたのは知ってる。

 肉食系令嬢に取り囲まれるとか言ってたけど、こちとら雑食系女子すら寄ってこないっつーのに。妬まし羨ましギリィ。

 そんな“ギレン兄様”にちゃんと返信するんだもの。おれって“ケナゲな弟”だよね。

 ――諸々申し訳なく。エスコートなら、ローゼルシア様がいいと思うよ。もう寝る時間なので、おやすみなさい。

 なんてね。

 子供の頃は敵判定してたローゼルシア様だけど、実は、ムンゾ大学に入る前に和解済である。

 憎まれっ子なんたら思ってたのが、突然倒れたから驚いて見舞いに行ったわけだ。

 「喧嘩相手が心配で来ました」って正直にエントランスで伝えてみたら、なんと、中に入れてくれた。

 てっきり追い返されるものだと思ってたのに、よっぽど寂しかったのか、枕元まで通されちゃってさ。めちゃくちゃ文句言われたけど、全部聞いて、ゴメンねって謝って、元気じゃないとイタズラもできないって伝えたら、すごく泣かれた。

 以来、折々に、メッセージとかカードとかプレゼントを送り合うくらいの関係である。

 相変わらず、憎まれ口も叩きあうけどね。

 そのローゼルシア様は、いまは車椅子だけど、まだ方々に睨みをきかせてるから、クリスマスパーティーでは、きっと“ギレン”の力になってくれると思う。

 実際にエスコートするようなら、クリスマス・ブローチでも贈っておこうかな。

 かふっと、あくびが溢れる。

 だめだ眠い。明日も過酷な訓練が待ってるし、休むとするよ。おやす………

 

        ✜ ✜ ✜

 

 士官学校の設備には様々なものがある。中には大掛かりな実験施設なんかもね。

 キッチリ詰め込まれたスケジュールから時間を捻出するのは困難だけど、休みの日なんかは、割と融通がきく。

「先輩方、お邪魔しまーす」

 部屋の入り口で一声かける。

「ガルマか。よく来たな」

「いいのか? テストの準備で忙しいんじゃないのか?」

 デスクから顔を上げたのは、あの乱闘事件で援軍に加わってくれた先輩と、そのまた先輩である。

 ラテン系伊達男とプエルトリコ系好青年。

 ちなみに、一緒に罰則を受けた先輩がラテン系アルフレディーノ・ラムさんで、そのまた先輩が、プエルトリコ系のイアン・グレーデンさんね。

 ふたりは実験部みたいなものを結成してて、誘われてからは、時々おれも参加させて貰ってる。

「一段落ついたので。またラボお借りしていいですか?」

 学生が使える実験棟だけど、まだ一年のおれ達には個人で使う許可が下りてない。

 教官に頼めば監督してくれるけど、それはそれで面倒くさいし、張り付かれてたら好き勝手できないだろ。

 その点、この二人の先輩なら、“お手伝い”と引き換えに、設備を好きに使わせてくれるから有り難い。

「ああ。今度は何だ? また“カルメ焼き”か?」

 アルフレディーノ先輩が、灰青の眼を細めて笑う。

「ガルマにとっては、ラボも厨房も変わらないからな」

 イアン先輩は肩をすくめるけど、その顔はやっぱり笑ってる。茶色の瞳は理知的な光を湛えつつも、いたずらっぽく。

「お望みならばまた作りますけど――今日は、コレです」

 事前に手に入れておいた酸化アルミニウムや、酸化鉄などなどを取り出して並べる。

「……サファイアの組成だな」

「流石ですね、イアン先輩」

「作るのか? サファイアを?」

 アルフレディーノ先輩がパチパチと瞬きをしてるのに、ニコリと微笑みかけ。

「ついでにルビーも。一緒に作りませんか? 上手くできたらクリスマスプレゼントにもなりますよ。手造りの宝石なんて面白いでしょ?」

 話の種にはなるだろうし。

 だけど、アルフレディーノ先輩は別のところに反応した。

「ふぅん。手造りの宝石を贈りたい相手が居るのか」

 ニヤニヤ眺めてくるのに、今度はおれがパチクリと。

「いますよ。いっぱい」

「……いっぱい?」

 解せぬって顔をするから、思わず吹き出した。

「実家で預かってる子どもたちにですよ。お守り代わりに良いかと思って――買ったものより造った物の方が面白がるかと」

「なんだ、ザビ家の御曹司のゴシップなら、それこそ話の種になったのにな」

 そうは言うけど。

「残念ながら、浮いた噂の一つも出そうにないです。周りがイケメン過ぎるんですよ、“シャア”筆頭に」

 思い切り拗ねた口調になった。

 これまでは、どの時間軸でも女性とはそれなりに――ボスに言わせれば過分に――接点があったのにね。

「それ……うん、本気で言ってるんだな、ガルマ」

 イアン先輩が気の毒なものを見る目を向けてくるから、余計に凹むわー。

 良いんだ。この先で麗しの女神様との出会いが待ってるに違いないんだよ、多分。

「はは。蟻も通さぬ鉄壁のガードって事だろ」

 アルフレディーノ先輩が明後日の方向に慰めてくれるけど。おれ、ノーガード戦法なんだ。ふふぅ。

 まあ良い。

「さあ、先輩方、作りますよ!」

 号令をかけて、製造を開始する。

 正確に図った酸化アルミニウムに、酸化鉄やクロムを、微細な調整の元で足していく。

 それを慎重に、一つずつ極薄のアルミカプセルに詰めたら、いざ装置の中へ――いつかの平和な時間軸で、合成コランダムを電子レンジで作るってのがあったけど、あれは勇者だよね。いい子は真似すんな――あとは、仕上がりを待つだけだ。

 装置の前に3人で座って様子を見てる。

 持参のオヤツを差し出せば、先輩たちはモシャモシャ食べた。

「これも作ったのか?」

「いいえ。厨房からいっぱい貰いました」

「……厨房が“魔窟”に侵食されているって噂は本当だったか」

 何その噂。

 単に、厨房員と仲良くなって、お互いに便宜を図り合ってるだけさ。Win-Win。

「そもそも一寮は“魔窟”じゃないです」

「そうだな、“魔王陛下”」

「分かったよ、“堕天使長”」

 ニヤニヤと返事が。

 ちっとも分かってないじゃないか。

 だいたい、“魔王”も“堕天使”も全部キャスバルだからね!

 

 

 合成コランダムのデキは上々だった。

 あざやな青や赤に、あえてのピンクにイエロー、ヴァイオレット。

 カットは難しいから、カプセルのまろさをそのままに研磨。

 ライトを浴びてキラキラしてる様は、なんだか、飴玉みたいだね。

「へえ、いい出来だな」

 イアン先輩が明かりに透かして笑う。

「こんなにゴロゴロあると、宝石に見えんわ。なんか美味そうだし」

 とは、アルフレディーノ先輩の感想である。

 だよね。でも口に入れても甘くないから食べないでね。

「じゃあ、このあたりは先輩方の取り分で」

「いいのか?」

「良いですとも。一緒に作ってもらいましたし」

 ニコニコと差し出せば、先輩方も笑って受け取ってくれた。

「これを機に彼女でも作るかなー」

 アルフレディーノ先輩がそんなことを言うのを、イアン先輩はニヤニヤしながら応援する模様。

 まぁね。先輩方も余裕でイケメンの範疇だから、彼女だって直ぐにもできるだろうさ。

 ……ケッ。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 休暇前のテストは阿鼻叫喚だったけど。

 その結果発表を前に、おれはボカンと口を開けた。

 トップはキャスバル。それは良い。例え学科で全て満点を取ったとしても、実技で点差が生じるからね。

 それでも意地で次席をキープしてるおれを、誰か褒めてくれないものか――って、元のガルマのポテンシャルが高いだけか。

 それはさておき。

 3位がシン・マツナガなのも、僅差で4位にゼナ・ミアがいるのも頷ける。ルーとケイがそれに続いて、同じく一寮のロメオ・アルファを挟んで、8位がクムラン、9位にベン。

 飛んで11位がリノ・フェルナンデス。

 ――11位?

「10位は三寮のキム・ボンジュンだ。『賭けは僕の勝ちだな』」

 キャスバルがニンマリと笑う。

 なるほど、向こうで三寮の連中に胴上げされてるのがキム・ボンジュンか。

 ――って。お前、談話室の講習会参加組じゃないか。

 それにしても。

「リノ〜〜〜〜ッ!?」

「ごめんスマンなんか知らんけど申し訳ないィィ!!?」

 ギリィ、と、肩をつかめば、リノが悲鳴を上げた。

 いやまあ、学年11位なんて好成績には違いないんだよ。違いないんだけど!

 ――……。

「よく頑張ったな!!」

「ええ!? 褒めてた!!?」

 考えてみたら、コイツも中の中くらいの成績から、一気にここまで駆け昇ったんだから、褒めないわけにはいかんのだよ。

 ヤケクソではあるけど、健闘はちゃんと認めてる。張り出した中に影も形も名前のないライトニングもいることだしな――ヲイコラ、お前は後で吊し上げだ――八つ当たりじゃないからな!

 ふーっ、と、溜め息。

『君の勝ちだ、キャスバル。オーダーをどうぞ?』

『いま使うわけ無いだろ。先の楽しみにとっておくさ』

 フフンと鼻を鳴らされる気配。

 うぬ。まあそーだろーけど。なんか、首根っこを押さえられてるみたいな怖さがあるんだよなぁ。

 でも仕方ない。腹をくくるか。

 と言うか。振り返ってみると、キャスバルの望みなら、いつだって大体叶えてきた。そう思えば、いつもとあんまり変わらんのか。

 気楽に構えとこ。

 思考波が伝わったのか、今度はキャスバルが、ふーっと、溜め息をついた。

「10位圏を全て一寮で占拠するって野望は阻まれたけど、今回は全体的に点数が上がってるし、うちの学年の優秀さは示せたね」

 ホクホク笑う。

 これで“魔窟”から“アテナイの学堂”に格上げされるんじゃないかな。

 クリスマス休暇だって、肩身の狭い思いはしなくて済むし。

「…………これ、母さんたち信じてくれるかなぁ」

 やや呆然とした口調で、クムランがこぼした。ふくよかな頬は興奮で真っ赤だし、眼もキラキラしてるけど、ちょっと自信なさそう。

 元々、クムランもリノと同じくらいの順位だったから、コレも大躍進だ。

「写しとけば?」

 ケイがカメラを渡してる。

「どうせならみんなで撮ろうよ」

 ルーの提案に、ゾロゾロとメンバーが集まる。どうせだからとキムも誘って、名前のないライトニングも一緒にパシャリ。

 2、3枚撮れば良いかと思ってたら。

「一緒に写ってもらっても良いですか?」

 上目遣いの女の子たちキターー!

 ふぉう……でも、分かってる。キャスバル含め皆でってことだろ。

「もちろん。勇ましくも麗しき戦乙女達と一緒になんて光栄だな。どうぞこちらへ」

 そっと手をとってエスコートすれば、真っ赤になる様がなんとも初々しい。

 いつものメンバーで囲い込むようにして、Smile!

 気分はアレだ、アイドルの添え物的な。スタッフも一緒に写ってるみたいな感じか。

 それでも喜んでくれるなら良かったよ。

 撮影会はずいぶん長く続いて、最後には何事かと様子を見に来たドズル兄…校長と全員でパシャリと。

 ――なんか、凄く良い記念になった。

 

 

 来たるクリスマス休暇は、ライトニングを伴って帰還した。

「相変わらずデカイ屋敷だな」

「だね。寮生活で思い知ったよ。納戸よりも部屋が狭いなんてね」

「ッ、か〜〜ッ! この御曹司が!!」

 ザビ家ですが何か。

 車から降り立てば、執事長はじめ使用人がズラリと。

「おかえりなさいませ」

 最前で綺麗に腰を折る執事長に、微笑んで帰宅を告げる。

「友人を連れてきました。ジョニー・ライデンです」

「承っております。ようこそいらっしゃいました、ライデン様」

「う、おう。よろしく…頼みます」

 ペコリと頭を下げたライトニングは、それから、目を見開いたままの顔でこっちを見た――怖えよ。なに?

「お前いまなんて?」

「“怖いからその顔でこっち見ないで”?」

 正直に答えたのに、ライトニングは更に目を剥いた。

「心の声を聞いてんじゃねえ! そうじゃなくて、俺の名前!」

「ジョニー・ライデン。やだなぁ、自分の名前も忘れたの? 流石に席次203位は違うね」

 おれがアレだけ教えたってのに、この順位はどーゆーことだ。

 しかも実技成績は上位なんだよコイツ。つまり筆記で壊滅状態だった訳だ――おれの講師的努力を返せ。

「お前が覚えてると思わなかったんだよ! ……それからいつまでも根に持つんじゃねえ」

「今後、ノート貸すの躊躇われるレベルなんだけど?」

「いや。アレがあったから最下位免れたんだろ」

 真顔で答えられても。

 不意に、吹き出す音が聞こえて振り向けば、年若いメイドがぷるぷる震えてた。

「も、申し訳ございません!」

 執事長とメイド頭の鋭い視線に、青くなったり赤くなったり忙しい。

「エントランスで騒いでごめんね」

 いつものノリで喋ってたよ。

「いいえ。なかなか楽しそうな学校生活が忍ばれて、安堵しておりますよ」

 老執事は、穏やかに微笑んだ。

「「『『ガルマ!!』』」」

 ユニゾンとほぼ同時に、弾丸みたいなタックル✕2が来て吹っ飛びかける――のを、隣のライトニングが慌てて受け止めてくれた。

 ふおぉう、育ってる育ってる。逞しくなってるなぁ!

「『アムロ! ゾルタン!』」

 ライトニングをつっかえ棒がわりにして、ふたりの子供を抱きしめる。

 ウチューっと、瞼と頬にキスをすれば、

「『『ぎゃーーー!!』』」

 っと。えええ。まさか、もう「お父さん(じゃないけど)の靴下一緒に洗わないで!」の年頃とか。一瞬焦ったけど、次の瞬間、両側から頬をガブリと。ぐわっ。それキスじゃねえ。

 じゃれていたら。

「いつまで寄っかかってんだ!? 重てえよ!」

 なんて。そんなにひ弱じゃないだろ、ライトニング。感動の再会なんだから邪魔すんな。

 丸っと無視して腕の中のふたりを構おうとするけど、アムロもゾルタンも、この不躾な侵入者に気付いた様で、ジロリと警戒の眼差しを向けていた。

「『誰だお前!』」

 先制はゾルタンである。

「『ガルマの学校の人?』」

 ギュッと抱きついたままアムロが続ける。

 ライトニングは、フンと鼻を鳴らした。

「人に尋ねるときには自分から名乗れと…」

「それ君が言えた義理じゃ無いから」

 バシッと遮る。初対面でおれをチベスナ顔にさせかけといてなに言ってんの。

「紹介するよ。“コレ”は、“ジョン・ライトニング”『ホントは“ジョニー・ライデン”だけど、ライトニングで良いよ。こないだの大乱闘組のひとり』。一応、学友」

「おい! ジョニー・ライデンだ!! ホントに覚えてんのかお前!!?」

「席次203位の記憶力と一緒にしないでくれる?」

「……………俺が謝るべきなのか?」

 そうだとも。

 それはさておき。

「どうぞ、中へお入りください。ガルマ様、お父上がお待ちですよ」

 やんわりと執事長に促される。だよね、いつまでエントランスホールで騒いでるんだってハナシだよね。

「そうだね。僕はお父様に挨拶をしてくるから、アムロとゾルタンは、ライトニングをお願いね?『揶揄うと面白いけど、程々にだよ』」

「『わかった!』」

「『まかせとけ!』」

 ん。いいお返事。

 ふふ。巣に生きの良い獲物を持ち帰った気分。存分に狩りの練習を楽しむが良いよ。ふふふ。

 ニコリと微笑む。何かを察したのか、ライトニングが怯む素振りを見せたものの、もう遅い。その手は左右からガッチリと子供らに掴まれていた。

「『じゃあ、また後で』」

 踵を返す。

 デギンパパの執務室につけば、大きな体が椅子からよっこいしょ、と立ち上がって両腕を広げた。

 ホントに幾つだと思ってるの。もう子供っていう年じゃないけど、なんてね。嬉しいから飛び込む以外の選択肢は無い。

 早足で抱きつくと、デギンパパの体が笑いに震えた。

「お前は変わらんのだな」

「変わりましたよ! こんなに背が伸びましたし」

 胸を張るおれに、パパは眼を細めた。

「そうだな。すっかりやんちゃになりおって。ギレンもドズルも手を焼いているそうだぞ」

「まさか!」

 あの二人は、きっと自分のやんちゃだった頃を忘れてるだけだと思う、と、訴えかければ、あっさりと頷かれた。

「引き続き励め」

 低い声で言いながら、分厚い手のひらが頬を撫でる。

「なぜ歯型がついておる?」

 不思議そうに聞かれて、思わず笑ってしまった。

「子どもたちですよ。さっきエントランスで熱烈なキスを受けました」

「それはまた情熱的なことだ」

 デギンパパも声を上げて笑う。

 ソファに並んで腰掛けて、しばらくは和やかに日々のあれこれを話してたけど、やがて話題はクリスマスパーティーに移った。

 今年はデギンパパも、キシリア姉様も、サスロ兄さんとドズル兄貴まで欠席なんだとか。

 パーティー嫌いのサスロ兄さんとドズル兄貴はともかく、嫌々でも顔くらい出してた筈の姉様が出ないって意外。

 おれの表情に気付いたんだろう。デギンパパはクツクツと笑った。

「今年は、あれの“お気に入り”が参加できんでな」

「……シャア・アズナブル」

 本家本元の方の。

 確かにね、便宜上、おれの学友ではあるけど、ムンゾ要人の参加するパーティーに出席するには不自然だ。

 それこそ、“ザビ家のご令嬢”の婚約者でもない限りは。

「お父様は、お認めにならないのですか?」

 キシリア姉様の相手として――確かに、まだまだ頼りないけど。

「いいや。だが、まだ時期ではなかろう。いま少し時を置く。このことには、あれも了承した」

「姉様も?」

「そうだ。反対されるとでも思っておったのか、寧ろ驚いている風であったな」

 デギンパパが、少し悪い顔で笑った。

 そうかも。古い話、家柄を思えばね。名門ザビ家に対して、テキサス・コロニーの管理者の息子に過ぎないシャア・アズナブルでは、釣り合いがどうのと横やりを入れてくる輩も居るだろうし。

「一生家から出ぬ気でおるのかと案じておったが。なるほどな、あの様な若者であれば傍に置けるものらしい――ザビ家の血故か」

 確かにね。ザビ家の血は戦びとのそれだ。

 強者であれば敵で、敵であれば躙らずには置かぬ――だけど、懐に入れた者ならば何処までも護ろうとする。

「……姉様には幸せになって欲しいです」

 それは偽らざる本音だ。

「優しい子だ」

 パパの手が頭を撫でて、愛おしそうな声がそう言った。

「お前も、幸せになるのだぞ」

「僕は……とても幸せですよ」

 こんなにも慈しまれた記憶は、この先も、ずっと宝物として残るんだろう。

 涙が零れそうなほど慕わしく、有り難い。

 ねえ。いつかの時間軸で悪役だった家だけど、中に入ってみれば、これほど愛情深い一家は、そうは無いんじゃないかな。

 潤んだ眼で瞬きを繰り返すおれを、デギンパパはもう一度ギュッと抱きしめてくれた。

「さて。お前とギレンはパーティーに出席する訳だが」

 パパは、“ギレン”のところでちょっとだけ眉を潜めた。多分、妙齢の女性じゃなくて、ローゼルシア様を伴うことがご不満なんだろう。

 ほんと、“ギレン”の立場ならどんな花も摘み放題だろうにね、お真面目さんなんだから。

「お前は、アルテイシアをエスコートするように」

「はい。彼女は初参加ですからね、ずっと傍についてますよ」

「うむ。ちゃんと迎えに行くのだぞ」

「もちろん。プレゼントも用意してますし」

 パーティーの前に渡すつもりだから、ちょっと早めに迎えに行こうと思ってる。

 キャスバルにも渡すものがあるし。

 デギンパパは安心した様子で笑った。

「うむ、うむ。…………その何分の1かの気遣いがあやつにあれはな……」

 なんか、最後、愚痴になってるよ、“ギレン”。

 長居しちゃったけどさ、デギンパパ、忙しいから、このくらいで。

 クリスマスくらいゆっくりすれば良いのに。いつかの時間軸だとほぼ息子に政権委ねてたけど、ここではまだまだ健在なんだ。元気なのは嬉しいけどね。

「ご無理はなさらないでくださいね」

「ああ、分かっておるよ」

 ポンポンと、まるで幼子にするみたいに頭を撫でられたおれは、名残を惜しみつつ執務室を後にする。

 デギンパパの“甘やかし”は、麻薬みたいだよね。溺れないように気をつけねば。

 行き合わせた執事長に、パパに“緑茶と干菓子”――最近のムンゾブームである――を持っていくようにお願いして、子供らが居るだろう居間に向かえば、辿り着く前に賑やかな声が聞こえた。

「待たせたね」

 ドアを潜れば。

「『ガルマ!』」

 アムロが飛んでくる。

「『おそいぞ!』」

 ゾルタンからは文句が飛んでくる。

「おかえりなさい!」

 お。ミルシュカ、昼寝からお目覚めかい?

 ソファに腰掛ければ、3人の子供らがよじ登ってきた。

 みんな自然体ってことは、ライトニングは、この子らを怖がらせたりはしなかったわけだ。

 あの賑やかさから見れば懐かれたと言っても良いのかな。予想通り。

「どうだい? 僕の“宝物”たちはとんでもなく可愛いだろ」

 どこかグッタリして見えるライトニングに自慢する。

 ここは肯定以外求めてないんだよ、と、笑みに圧をのせれば、ジト目が返された。

「お前がとんでもなく甘やかしてるってことだけは良く分かった」

「頭の良い子たちだ。聞き分けもね。どこかで甘えたって悪くないだろ」

「……まぁな」

 かすかな苦笑。だけど、そこに否定の気配は無かった。

「『休暇中は一緒にいるんだ。仲良くしてね』」

 お願いすれば、子供たちからは良いお返事が。ライトニングからは、やれやれといった返事――ん。上手くやれそうで何よりだよ。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 クリスマス・パーティーは過ぎるほどに盛況だった。

 威圧感すらある巨大ツリーが鎮座しまします空間は、どこもかしこも綺羅びやかに飾り立てられ、行き交う男女もまた、古典劇の登場人物かと思わせる盛りっぷり。

 ……まあ、男性陣がダークスーツ多めなのが、辛うじて今風を留めてるけど。

「さあ、マイ・レディー、お手をどうぞ」

 ホールの手前で、道化師みたいに大仰に手を差し出せば、初めてのパーティーに強張ってたアルテイシアの白い頬が、薔薇色に染まった。

 その微笑みの愛らしいこと!

「『どうしよう、キャスバル。リトルレディが途方もなく美しくて可愛らしい。これはもう女神だよね』」

「『全部口から出てるぞ、ガルマ』」

「『お前は直視が躊躇われるほどの格好良さだし。なんだアポロンか。イケメン爆散案件きたコレ』」

「『だから、全部口から出ていると。そう何度も繰り返さずとも、君が僕たちに見惚れてるのは良く分かったからそろそろ黙れ』」

 落ち着け、と、トントンと手の甲をつつかれて、口をつぐんだ。

 薄紫のドレスを纏ったアルテイシアは、おれが贈った大粒のバイオレットサファイア――例の人造石だ――のチョーカーを着けてくれている。

 首周りは三連の小粒真珠で囲み、中央に石を配したものだ。

 ホントはブルーサファイアを予定してたんだけど、アルテイシアの希望でバイオレットになった。なるほど、今日のドレスに映えるならこっちか。

 おれ――“ガルマ”の眼の色に似てて、ちょっと気恥ずかしい。傍から見たら、すごい独占欲。めちゃくちゃ牽制してるみたいだろ。

 ちなみにキャスバルが選んだのは深紅のルビーで、余ったブルーサファイアはおれの取り分になった。

 どちらもイヤーカフにしつらえて左耳につけてる。これもお揃いで別の意味で恥ずかしい。

 いや、“ガルマ”だって元はガルマなんだから見てくれは悪くない――けど、中身はおれだ。

 可愛いは作れる。とは言え所詮は紛い物。天然の美しさ凛々しさには叶うべくもない。

 それなのに、同じようなブラックスーツで、ネクタイもイヤーカフも色違いだなんて、引き立て役もいいトコだ。

 今だって、前髪を後ろに撫でつけ額を出してる様は、同い年とは思えぬほどに大人びて色気すら漂わせてる。

 石がルビーなのは正解だ。その瞳の青さには、サファイアだって負けちゃうからね。

 くそぅ。爆散するがいい、IKEMEN of IKEMENS!!

 その前におれが妬みシにしそうだががが。

 心境は嵐だけど、会場に踏み込むときには、すべてを飲み込んで隠す。表面上はね。

 リトルレディの手をとって、歩調を合わせた。

 背筋を伸ばし、穏やかな笑みを履いて、少女が決して気不味い思いをしないように――この空気を楽しめるように気を配る。

『こういう時、君の猫皮はつくづく分厚いって実感するな』

『お前の皮もな』

 水面下の言い合いはいつも通り。

 寄ってくる知人たちに、軽みと丁重さのバランスを取った挨拶を。

 中にはおれをアルテイシアから引き離そうとするものもあったけど、その手には乗らぬ。

 大方、彼女の愛らしさに鼻の下を伸ばした誰かの差し金だろう。目を離すもんか。

 麗しき花々からのお誘いだって、キャスバル狙いなのが分かってるから、やんわりと躱す。

「……良いの?」

 アルテイシアが瞳の光を揺らしながら聞いてくる――初めての場に不安気な少女を放ったらかしになんてするわけ無いだろ。

「目を離したら、美しい君は拐われてしまう。今夜は僕に護らせて?」

 ニコリと微笑んで指先に口づければ、アルテイシアは真っ赤になった。

『そういうところだぞ、ガルマ』

 キャスバルは呆れた風だけど。

 三人で纏まって過ごしながら、様々な人と交流をはかる。社交大事。

 それなりに鍛えたとはいえ、いつかの“おれ”みたいに“ガルマ”は切った張ったには特化してないし、この体はいまだに時折熱を出す。

 と、なれば、戦場を、戦い方を変えるより他にない。

 にこやかに朗らかに、媚びず、時に言葉のエッジで競り合いながら、いかに敵を少なく、味方を増やすか。誰かの陣営に下ることは決してせずに。

 これもまた戦いだ。

 だけどこれ、キャスバルに任すと過剰にボコるからね。それ言葉のナイフで斧で大剣。矢鱈にシカバネのヤマを築かれても困るんだよ。

 ほんとに好戦的なんだから。

 キャスバルにはシャンパングラスを持たせ、アルテイシアにはノンアルコールのシードルを。

 壁際に一時撤退。これ以上、お前の犠牲者を増やすわけにはいかんのだよ。

 キャスバルは面白くなさそうにフンと鼻を鳴らした。

 それにフフンと鼻を鳴らし返して、周囲を見る。

 めぼしい辺りへの挨拶は終わったし、あとは――居た居た、“ギレン”とローゼルシア様。

 あちらもご機嫌伺いの列が切れた頃合い。ん。丁度良いね。

「さて、そろそろ“奥方様”へご挨拶へ行こうか?」

 キャスバルは眉を顰め、アルテイシアは僅かな愁い顔。まぁね、御母堂様の立場を思えばそうだろう。だけど、流石に無視するわけにはいかない。

「大丈夫。僕が関心を引きつけるから、ふたりは無理しない程度にね」

 これまで散々ヘイトを稼いできたのはおれだから、あちら様にしても、“ジオンの子どもたち”に対する厭悪は大幅に軽減してる――ゼロに等しいくらいに。

 直前までしっかりとアルテイシアの手を握って、その後はキャスバルに託す。

「お久しぶりです、ローゼルシア様」

 車椅子の女性に向けて、晴れ晴れと声をかける。

 別に歩けない訳じゃないけど、お年を召してるし、疲れやすいから最近はこれにしたと聞いている。

 まず“ギレン”が振り向いて、続いてこちらに顔を向けた“奥方様”は、存外に柔らかな眼差しで瞬きながら、口元にだけ皮肉げな微笑みを履いた。

「あらまぁ坊や、元気そうで何よりだわ」

 思ってたより声には張りがあった。

「ええ。ローゼルシア様も、お顔の色が晴れやかですね。お召し物の蒼がよく映えておいでです。信奉者はさぞかし心を騒がせたことでしょう」

 先程は列をなしていた事だし。

 レースの手袋越しに手の甲に口付ければ、クスクスと擽ったそうな笑いが溢れた。

「相変わらず良く回る口だこと」

「マダムの美しさがそうさせるのです」

 微笑みを添えて答えて。

「“ギレン兄様”も久しぶり」

 車椅子の後ろに立つ“ギレン”にも声をかける。

「……息災なようだな」

 ふぉ。なんか、心中の文句、不平不満説教を抑えてますって顔。

 コレは突いたら不味い感じ。

「おかげさまで」

 ニコリと笑みだけを返してローゼルシア様に視線を戻す。

「……あ。ブローチ、付けてくださったんですね」

 その胸元に光ってるのは、クリスマスを前に贈った、リースを象ったブローチだった。

「その宝石、実は僕が造ったんです。人造ルビーとサファイア。如何です?」

 ちょっとした悪戯である。

 ローゼルシア様はキョトンと目を見開いてから、胸元のブローチを摘んでじっと覗き込む。

「まぁ、そんなことができるの?」

「機材がないと大変ですけどね。運良く使わせてもらえたので」

「凄いわね!」

 少女みたいな笑みを見せるのに、いたずらっぽくウインク。

「お気に召して頂けたなら嬉しいです ……“ギレン兄様”にも差し上げましょうか?」

 とりあえず振ってみるけど、返事は芳しくなかった。

「……いや」

 要らん――と、その目が。

「あら、もらって、ペンダントでも仕立てれば良いでしょう。意中の女性に差し上げればどうかしら?」

 いじわるを装った、とても楽しそうな声だった。

 “ギレン”が渋面を作る様にも、柔らかくクスクス笑う声。ん。よし上機嫌。

 ちらりと背後に目配せすれば、すぐにキャスバルが反応して妹の背を押した。

「――お久しぶりでございます、ローゼルシア様」

 少女の済んだ声に、“奥方様”の視線が動く。

 少し緊張した面持ちのアルテイシアの隣に移動して、その手をそっと取った。

「あら、大きくおなりだこと、アルテイシア」

 幾つになったのかしら、なんて、眩しげに眼を細めて穏やかに声をかける。

 表情こそ複雑なものがあれど、そこに、“憎き女の子供”への感情は薄かった。

 握った手から、アルテイシアの緊張が少し緩むのを感じる。

「十二です」

 はっきりと答える声が鼓膜を揺らした。

「そう、そうだったわね。では、キャスバルはもう十七歳と言うことかしら?」

「そうです、ローゼルシア様」

 キャスバルが答えた。

 三人で並んで立てば、

「……相変わらず仲が良いようね」

 何処かに揶揄する響き。

「もちろん。とても大切な二人なんです」

 ニッコリと返す。

『お前もそう思っててくれりゃ嬉しいんだけどね』

『なんとでも思ってろ』

 フンと鼻を鳴らすあたりがツンドラだと言うんだ。ほんとにデレが無ぇ。

「結構だこと。――アルテイシアは、手綱をちゃんと取っているのかしら?」

「……頑張っています」

「そう、しっかりね」

 ちらりと寄越される流し目。これはアレか。またネズミを足元に放たれんように見張れと。

 いつの話をしてんのさ。子供の頃の他愛ないイタズラを延々と掘り返すのは年寄りの悪い癖だ。

 藪蛇つつきたくないからニコニコしよう。

『……君って……』

 キャスバルが笑いを堪えている。そーいや、あん時はお前も大笑いしてたっけね。

 それから話題はあっちに飛んだりこっちへ飛んだり、一回りして“ギレン”を揶揄ったり。

 アルテイシアはまだ幼いし、ローゼルシア様は逆に高齢だから、そう長いこと滞在したわけじゃない。

 だけど、みんな楽しそうで、最後は“ギレン”さえ声を上げて笑い、周囲から2度見、3度見されていた。

 普段、どんだけ笑ってないのさ。

 ちょっと呆れるけど、いいガス抜きにはなったんじゃないかね。

 

 

 パーティーから帰宅した後は、速攻でサンタクロースに変身した。

 子供らの枕元に、こっそりとプレゼントを忍ばせたことに満足して眠りに落ちたわけだが。

 翌朝、興奮にフーリガンと化した子供らの急襲は、予想を大きく上回っていた。

「ガルマ!? おい生きてるか!??」

 ライトニングの叫びが遠い。

 三人がかりのJumping Body Pressでぺしゃんこになったおれは、わーわー笑ってる子供らの下で、キラキラするオーナメントまみれになりながら、そっと意識を手放した。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 10【転生】

 

 

 

 ランバ・ラルが執務室を訪ねてきたのは、クリスマスも近い、とある日のことだった。

「お前が私に用とは、珍しいな」

 厭味でもなく云うと、男の顔が歪んだ。

 やがて、ゆっくり口を開き、云ったのは、

「……実は、クラウレ・ハモンと結婚しようと思う」

「なるほど、それはめでたい」

 と云いつつも、やっとかと云う気分になるのは否めなかった。

 何しろ、知る限りでもかれこれ七、八年、ランバ・ラルとクラウレ・ハモンはつき合っていたはずだ――『the ORIGIN』の前日譚を考えれば二十年近いだろう。最初はクラウレが少女だったからだとしても、ここ数年は大人の女らしさが勝っており、その気持ちの向きからしても、そろそろ結婚して然るべきと、まわりも考えていたのだ。

「正直、いつまで待たせるつもりかと思っていたが、貴殿も年貢の納め時と云うヤツだな」

「誂うな」

 むすりと男は云ったが、そこでまたもじもじと、不可思議な逡巡をする風である。

「何か問題があるのか」

 問うてやれば、

「親父がな」

 苦虫を噛み潰したような顔で、そう答えが返る。

「またか」

「ラル家の正妻に、何処の馬の骨ともわからん女をつけることはできんなんぞと云い出して……」

「むしろ、クラウレがいる状態で、敢えてお前の正妻になろうなどと云う女がいるとも思われんがな」

 わざわざ当て馬になりにいくようなものではないか。まぁ、実は同性愛者で、“夫”は有名無実が良いと云うならわからないが。

「そうなのだ。だが、あの親父にそれを云ったところで……」

「聞く耳もたんか。まぁそうだろうな」

 あの、思いこみの激しいジンバ・ラルならば、むべなるかなだ。

「それでだ、頼みがある」

 ランバ・ラルは、ずいと身を乗り出してきた。

「何だ」

 促して、男の口から出てきたのは、

「クラウレ・ハモンを養女に取ってくれんか」

「……古典的な手だな」

 上古の昔から、不釣り合いな結婚によく用いられた手段だった。

 出の悪い女を、そこそこの家に養女に入れて、体裁を整えてから娶る。場合によっては、そこからさらに格上の家に養女にやって、やっと釣り合いを取る――幕末の天璋院篤姫がそうだ――こともあったし、男の場合も似たようなことはあった。

 まぁ、要は恰好さえつけばどうにでもなる、と云うことだが、

「――よく、私に頼もうと思ったな」

 ランバ・ラルとは、仕事上顔を合わせることも少なくはないが、対ドズルとは違い、そう好感度が高いとも思われない。それはまぁ、サスロに頼むよりは良いのかも知れないが。

「デギン閣下に頼むよりは現実的だろう。流石に、共和国首相に頼むのは、腰が引ける。それに、ザビ家ならば、流石の父も文句は云うまいからな」

「別な意味では云われそうだが」

 家格としての文句はあるまいが、かれにとっては怨敵だろうザビ家から、養女とは云え、妻を迎えることになるのだから。

 云うと、ランバ・ラルは肩をすくめた。

「まぁ、親父に対する嫌がらせみたいなものだ。本当なら、もっと早くに結婚してやりたかったんだが、あの親父が煩くてな」

「なるほど。それで、私の“義息子”になることも厭わない、と」

 その事実にはじめて気づいたように、ランバ・ラルが沈黙する。その喉から、唾を呑みこみ損ねたかのような妙な音がした。

「……忘れていていたのか」

「忘れてた」

 髪を掻き毟らんばかりの男には悪いが、まぁ面白いこと極まりない。

 原作では対立しまくっていたラル家の当主が、好いた女を迎えたいがために、ザビ家の人間に頭を下げるとは。

 第一、絵面がもう面白い。結婚式は当然挙げねばなるまいが、その時に、新婦の手を取ってともにヴァージンロードを歩くのが、ギレン・ザビなのだ。そして、祭壇の前で待つ新郎=ランバ・ラルに、“娘”を引き渡すことになるのだから、これが面白くないわけがない。

「まぁ、私は一向構わんぞ。義息子殿よ」

「お前を“義父”と呼ぶことになるのか!」

 呻く姿も面白い。

「何だ、他を選ぶか?」

「……いや、お前以上に適任なのは、そうはないからな。他なら遠慮も出てくるが、お前には必要あるまい。気に病まなくて済む」

「……云ってくれる」

 まぁ、それはそれで良いのだけれど。

「しかしそうすると、ドズル殿が義叔父になるのか……」

「別に、そこは差し支えあるまい。あるとするなら、“ガルマ”だと思うが」

「そう、ガルマ!」

 ランバ・ラルは、ぐわっと顔をもたげた。

「ガルマとキャスバルは、どうにかならんのか! と云うか、概ねガルマだ! あいつ、今回起こしたゴタゴタに関しても、ほとんど反省してないんじゃないのか」

「……炯眼だな」

 実際、キャスバルはともかくとして、“ガルマ”は半分も反省していないと思う。している部分に関しても、やらかしたことそのものに対する反省ではなく、大方“次はもっとバレないように巧くやる”と云うような――つまりは、やらかしたこと自体を反省しているわけではない。

「あいつのアレは、何が悪かったんだ。俺の教育か? それともザビ家の血筋なのか?」

「ザビ家の血が関係ないとは云い難いが、あれは概ね、“ガルマ”本人のせいだ。あれは、“昔”からああ云うところがあったからな」

 やらかしたことそのものではなく、バレたことを反省するのだ。今回も、二時間ばかり正座させはした――それが、本人には一番堪える“お仕置き”だからだ――が、その後で“月を獲れ”などと云う段で、そう堪えていないのは明白だ。

 まぁ、かなりがっつりした“お仕置き”でも、三分の二反省すれば御の字と云うところだから、半ば諦めてはいる。――いやいや、駄目だ、きちんと反省するところまで、“ガルマ”を追いこんでやらなくては。

「昔って……小さい頃は、あれでも可愛かったと思うんだがな……」

「擬態と云うものだな。あれは、元々えげつないところがある」

「――お前の云うところじゃない気がするぞ……」

「私は、そこまでえげつない男ではないと思うのだがな」

 少なくとも、誰かを陥れたり、巧く罠に誘いこんだりするようなタイプではないはずだ。

 その点“ガルマ”は、ものごとを自分の思うように誘導するのは巧かった。

 多分、今回のガーディアンバンチのごたごたも、ゼナ・ミアにセクハラを働いたと云う直接的な理由以外に、何らかの裏があるのに違いない。

 それに較べれば、こちらの謀略など、大したこともしていない。あくまでも見えている未来に対して布石を打ち、世界全体の先行を枉げようとしているだけだ。そこに、個人に対するあれこれは含まれはしないのだ――確かに、世界を動かすと云う意味では、こちらの方が余波は大きくはあるけれど。

「お前は、えげつないわけじゃないが、やることがなぁ」

「何だそれは」

「大波被ることが多くて迷惑、って云ってる」

「……そこは否定できないな」

 しかし、そこは職掌柄仕方のないところではあるし、そもそもこの男が波を被りやすいのは、男の立場故でもある。こちらのせいにばかりされても困るところだ。

「……しかし、いよいよクラウレ・ハモンを籍に入れるのか。何か、特段の理由でも?」

 これまで散々待たせておいて、一体どう云う心境の変化か。

 問うと、男は指先で頭を掻いた。

「いや、お前が押しつけてきたろう、マリオン・ウェルチ、あの娘を正式に引き取りたいと、クラウレが云い出してな。本人にも異存がないようだから、それじゃあ、って段になって、どうせなら、クラウレと結婚して、ちゃんとした両親ってものを、あの娘に与えてやりたいと思ったんだ」

「なるほど」

 確かに、先だってマリオンとクラウレがザビ家の晩餐に参加した時には、既にあの二人は、仲の良い母子か、歳の離れた姉妹のようだった。引き取ってから数日の時点であれならば、今はもっと近しくなっているだろう。

 それを見ていたランバ・ラルが、どうせならちゃんとした家族にと思うのは、至極当然のことだった。

「まぁ、私にできることなど微々たるものだが、新婦の養父の立場くらいなら、いくらでもなってやろう。……クラウレも、ようやく結婚できて、喜んでいるのではないか」

「まぁな」

 ランバ・ラルは云って、頬を掻いた。

 そして、

「それはともかく、お前のとこにもいるだろう、あの兄妹が」

 男が指摘してきたのは、アッカネン兄妹のことだった。

「あいつらのことはどうするつもりだ。アストライア様の遠縁だとはっきりしているフロリアンはともかくとして、あいつらはもう帰る家もないだろう。お前の養子にしたりはしないのか」

「あの二人は、あのままで良かろう」

 ゾルタン・アッカネンの名を、宇宙世紀から消してしまうのは、いかにも惜しかったので。

「それに、ラル家ならまだしも、ザビ家を名乗って、良いことなどそうはあるまい。あのまま、あの兄妹はあれで置いておく。後見人なら、いくらでもなろう」

「ザビ家の名前があった方が、いろいろ有利だと思うがな」

 ランバ・ラルは云うが、例えば間違いがあって、ザビ家が戦犯にでもなった時には、名前の上だけでも縁がない方が、その先生きていき易いだろうと思う。

「それもひとつの考え方だが――そもそも、名前がしっくりこないからな。まぁ、あの子らがどうしてもと云えば、吝かではないが」

 だがまぁ、ゾルタン・アッカネンの名前は、個人的には残しておきたい。

 それも感傷めいたものだと云われれば、確かにそうとも云えるのだが。

「まぁ、それはそうか。――それはともかく、お前は結婚はせんのか。それこそお前の秘書官、気持ちがないとは思えんぞ」

 にやにやと云いながら、小突いてくる。

「……セシリア・アイリーンは、確かに有能な秘書官だが」

 しかし、人生のパートナーとしては、若干もの足りなさがある。

 では、どんな女が良いのかと訊かれれば、もう少し強さのある――光明子のような、北条政子のような、田村の愛姫のような、そう云う女が一番良い。母性と、充分な政治性のある女。それには、セシリア・アイリーンはいかにも弱いのだ。

「まぁ、結婚は考えてはおらんよ。幸せになってもらいたいからな」

 ザビ家の男と結婚すると云うのは、ドズルは於いても、中々大変なことだろうと思う。“ガルマ”とアルテイシアは、それなりにバランスが取れているとは思うけれど。ジオン・ズム・ダイクンの遺児と結ばれると云うのも、なかなかにハードルの高いことなのだ。

「女に関しては、意外に自信がないのか」

 ランバ・ラルはにやにや笑うが、むしろ逆だ。

「私につり合う女は、中々いないのだよ」

 そう云う意味では、まだカルタ・イシューの方がバランスが良かったように思う。“歳上”の名家の嫡子で、自身で戦場に立つほど気の強い女。まぁそれでも、食い足りないところはないでもなかったのだが。

「自分をどれだけの男だと思ってるんだ」

 ランバ・ラルからは呆れた言葉をもらったが、まぁ、自分が難しい人間だと云うことはわかっているので、仕方ない。

「……まぁ、幸せになれ」

 云って肩を叩いてやると、男はまた頬を掻いて、照れくさそうに一言、

「……おう」

 と返してきた。

 

 

 

 ランバ・ラルの結婚話は、当然あちこちに波風を立てることになった。

 もちろん、最大の波風はジンバ・ラルだが、“父”デギンからのものも、その中にはあった。

「クラウレ・ハモンを養女にすると聞いたが」

 首相公邸に呼び出され、執務室に足を踏み入れた、第一声がこれである。

「……は」

 微妙な間抜け面を晒して、そう云うしかないではないか。

 “父”は、重々しく云った。

「ジンバ・ラルが怒鳴りこんできた」

「……あの老体は」

 思わず小さく舌打ちする。

 それは、抗議のひとつやふたつあるだろうとは思っていたが、首相公邸にまで乗りこんでくるか。相変わらず迷惑な人物である――ランバ・ラルの苦労が偲ばれる。

「しかし父上、ランバ・ラルも大概いい歳ですし、クラウレ・ハモンとの仲も、最早万人の知るところです。ここであの二人が結ばれるのを阻んだところで、あの男に嫁ごうとおもうご婦人があるとは思われません」

 一応、そのようなことを口にしてみるが、“父”の懸念は、それとは違うところに向けられていた。

「そちらは良い。お前は、クラウレ・ハモンの手を取って、ヴァージンロードを導いてやるなり何なり、好きにすれば良い。――そうではなく、お前自身のことだ、ギレン」

 はっとしたが、もう遅い。

「お前も、もう四十すぎではないか。ランバ・ラルたちの面倒を見てやるのも良いが、そろそろ自分のことも考えてみてはどうだ」

 ――きた……

 元々のあれでも云われた記憶のある言葉。つまりは“身を固めろ”だ。

 確かにわかる、わかるのだが、

「――私は既に、妻に逃げられた過去がございますので、二の足を踏むご婦人が多いでしょう」

 そう、いくら何でも、一国の首相の息子で、かつ軍でも要職にあり、議会にも籍を持っている人間が、いつまでも独身と云うのはおかしい――と思ったら案の定、“ギレン・ザビ”は、過去に結婚したことがあるようだった。

 成り代わった当初、原作で示された事実以外のあれこれを知ろうとして、書斎を漁っていたら、白い立派な台紙に貼りこまれた、結婚写真らしきものを発見したのだ。“ギレン・ザビ”は恐らく三十手前、白いドレスをまとった女はそれより幾分か歳下のようだった。

 しかし、この顔の女を、家の中で見たことがない。それなりに美人であり、金のかかった婚礼衣装からも、女が良家の令嬢であると知れるのに、である。

 さて、この女はどこへ消えた?

 と云う疑問に答えをくれたのは、古株だろうメイド頭だった。

 ――あら……まだそんなものがございましたのね。

 メイド頭は微苦笑し、次いで、こちらの表情に気づいて、眉を寄せた。

 ――まさかとは思いますけれど、元奥様のお顔をお忘れになったわけではございませんわね?

 詰問するような声に、まさか頷く度胸はなかったが、それでも態度で察したのだろう、老女は仕方なさそうに溜息をついた。

 ――いくら、半月と経たずに出ていかれたとは云え、結婚された相手のお顔をお忘れになるなんて……本当に仕方のない方ですこと!

 散々な云われようだが、これは仕方のないことだった――何しろこちらは“途中参加”で、本当にまったく見憶えがないのだし。

 その沈黙をどう取ったものか、メイド頭は“かつての妻”について、いろいろと――愚痴混じりに――語ってくれた。曰く、良家の令嬢で使用人の使い方にも慣れており、目端のきく素晴らしい女性だった、“ギレン”を恋愛的な意味で好きだったかはともかく、添い遂げる気概はあるようだったのに、新しいメイドのような扱いをして、早々に出て行かせたのは誰なのか――誰に対する厭味かなど、明々白々である。

 とにかく、自分にも似たところがないではないのが、微妙に突き刺さる言葉だった。

 つまり、ギレン・ザビは結婚に向かない! と、そう云うわけである。自分だって向かない、元々が女だったのだから、余計にだ。

 もちろん、“昔”の友人知人の真似をして、女性を甘い気持ちにさせることはできる。が、それはあくまでも、短時間だけをともにする相手だからこそできることであって、生活空間をともにするとなれば、相手が激怒すること請け合いなのだ。片づけられないし、何かに夢中になれば、うっかり時間を過ごしてしまう。食事の用意が万端にできた状態で、夫が他のことに夢中で食卓につかない、となれば、世の奥方たちは激怒するだろう。逆ならば、夫が帰宅しても、いつまでも夕食が出来上がらないと云うことになる。

 つまりはそう云うことなのだ。よほど心が広いか、よく知っていて多分に諦めがついているかでなくては、伴侶の役割など願い下げだと云われるだけだ。“ギレン・ザビ”であれば、職務上、多少の情状酌量の余地はあるとしても。

「お前の秘書官はどうなのだ。憎からぬ風ではないのか」

 ランバ・ラルと同じことを“父”にも云われるが、返答はこちらも同じものにならざるを得ない。

「セシリア・アイリーンには、幸せになってもらいたいので」

「お前が幸せにすると云う選択肢はないのか」

「気がついたら妻がいなくなっていたことがある人間に、何ができると云うのです」

 大体、以前にも“ガルマ”から、“嫁と家政婦を勘違いしている”と云われたことのある人間だ。

 そんな人間が、秘書官と結婚したとして、まともな家庭を作れるとも思われない。大体、“昔”の娘のひとりには、“お父様は、私より組織の方が大事なのよね!”と云われたこともある。否定はできなかった。家族よりも、国や組織の方が大切だ。家族を人質に取られて、“組織を解体しろ”と脅されたら、間違いなく組織の存続を取る。万を超える人間とその家族の生活と、自分の家族の生命を秤にかけて、前者を取るような人間だ、つまりは“お察し”と云うものである。どうにもならない。

「お前が、これからのザビ家を、ムンゾを背負うのだ。その男が、妻のひとりもなくては恰好がつくまい」

 とは云うが、原作の“ギレン・ザビ”も正式な妻子があったようではない――グレミー・トトの存在は置くとして――のだし、ドズルはゼナ・ミアと結ばれてミネバ・ラオ・ザビをもうけるのだし、キシリアもシャア・アズナブル(本人)と結婚するのだろう。その上、“ガルマ”がアルテイシアと結婚して子でも作れば、ザビ家とジオン・ズム・ダイクンの血を引く子が誕生することになる。この上、“ギレン”の子など必要あるまい。

 まぁ、平たく云えば面倒くさかったのだ。“昔”の妻のような女がいるならともかく、いちいち機嫌をとらなくてはならない、“私と仕事、どっちが大事なの!”などと云い出しかねない良家の令嬢などと云う女とつき合わねばならないことが。

「ザビ家の次は、“ガルマ”とアルテイシアの子にでも継がせれば良いでしょう。私は、あれほど女にマメではないのです。そう云うものは、やれるものがやった方が良い、そうではありませんか」

 と云うと、“父”は渋い顔をした。

「百歩譲って、ザビ家の後継はそれで良いとしても、クリスマスのパーティーはどうする。また、地位や金目当ての女たちに群がられても良いのか」

 その言葉に、はっとする。

 そう云えば、世間はもうすぐクリスマスなのだった。

 そしてクリスマスには、毎年議員や軍上層部の参加するパーティーが開かれる。

 ここ数年、ひとりで出席しているからか、ご令嬢方のアタックが凄い。顔が怖いとか、冷徹だとか云う噂話も何のその、ぐいぐい来るあの様は、感動はしないが、感心するところはある。

 ――つき合うとなれば、絶対に“冷たい”だの“私のことなんかどうでもいいのね”だのとごね出すくせに。

 実際、“昔”の妻にも、前者は口にされたことがあるのだし。

 面倒なので、最初かるく相手をした後は、軍関係者や議員たちの輪の中に逃げこむことにしていたのだが――ランバ・ラルが結婚するとなると、いよいよそれが熾烈になってくると云うことだろうか。面倒くさい。

 確かに、その辺りの“玉の輿狙い”――ギレン・ザビの妻は玉の輿なのだろうか?――を躱すためにも、エスコートする相手は必要か。

「――考えます」

「うむ、最良の選択をな」

 “父”は深く頷いた。つまりは結婚相手を見つけろと云うことだ。が。

 ――どうしろと!

 とは思ってしまう。

 今更セシリア・アイリーンを、と思っても、“父”にああ云われてセシリアを選べば、即結婚相手に考えていると思われてしまうに違いない。

 正直面倒くさい。“昔”の妻くらいの理解がない相手とでは、結婚できるはずもない。

 既婚者で、そう云う相手だと誤解されない女性――と云うと、ぱっと浮かぶのはアストライア・トア・ダイクンだが、それはそれで推してきそうな輩がいる気がする。アストライアのことは、無論好ましく思ってはいるが、あくまでも敬愛に近い感情であって、結婚相手とは思えないし、第一それをやると、キャスバルやアルテイシアが義理の子供になってしまう。それはそれで微妙な感じである。

 誰に何をどう愚痴ったら良いのかまったくわからないので、とりあえず、ドズルから泣きつかれた説教もこみで、“ガルマ”にメールを送る。“エスコート相手選び面倒くさい”、説教の後に、それだけ一言書き添えて。

 速攻で返ってきたのは、“諸々申し訳なく”と云うタイトルのメール。

 しかし、当然のように謝罪や反省の言葉などはなく、唯一有用だと思われたものは、“ローゼルシア様がいいと思います”の一言のみ。それに続くのは“もう寝る時間なので、おやすみなさい”だ。

 毎度のことながら、

 ――反省しろ!

 と思わずにはいられない。が、もはや“ガルマ”には、反省を促すことそのものが無意味なのかも知れない。反省しろと云って、した試しがないのだから。

 猿でもできるはずのことを、欠片もできないとは、人間としてどうだ、と云うか、

 ――ローゼルシアって、あのローゼルシア・ダイクンか。

 『the ORIGIN』ではとっくに病死しているはずだが、この時間軸では元気だ。流石に歳も歳なので、どこに行くにも車椅子だが。

 ――ローゼルシア・ダイクンか……

 確かに、あの老女をエスコートしていれば、迂闊な女は寄ってこないだろうし、まぁあちこちに云い訳は立つ、が。

 さて、もしもあの女怪をエスコートするとなれば、と想像してみる。

 車椅子を押して会場に入り、ご機嫌伺いをする輩が列を作るのを、横に立ってサポートする。ジオン・ズム・ダイクン現役時代の知己ばかりであろうから、今は結構な役職に就いているものばかりだろう。当然のことながら、その中に若い女性などは含まれず、またローゼルシア本人が老齢のため、即結婚相手とは見なされず、ただつきそいのためのエスコートだとも知れるだろう。

 老体をエスコートしているわけだから、会場にそう長居することもあるまい――個人的な知人たちとあまり話はできないだろうが、それはまた別の機会にすれば良い話ではある。

 そう考えれば、メリットは多いがデメリットは少ない相手ではある。

 なるほど、相変わらずよく見ているなと思いつつ、どうにも癪で、“参考にする”とだけ返信する。どうせ、もう眠っているのだろうし。

 さて、こちらはそう云うわけにもいかない。もう一息、目の前の書類を、キリの良いところまで仕上げてしまわなくては。

 目許をぐっと揉みこむと、まずは最初の一枚にまなざしを落とした。

 

 

 

 クリスマスパーティーは、華やかな空気に満たされていた。

 高い天井をこするほどのクリスマスツリー、それを彩る数々のオーナメント。立食形式のテーブルの上には、赤と緑をメインにした花が飾られ、そこここに磨き上げられた燭台が配されている。

 そこに集うご婦人方も、それぞれが花のように、思い思いのドレスをまとい、精一杯に己を際立たせようとしているようだった――手折られるのを待っているかのように。

 が、こちらに近づいてくるものはない。当然だ、何しろすぐ傍に、車椅子に乗ったローゼルシア・ダイクンがいるのだから。

「久しぶりだわ、この華やかな空気!」

 老女は、自身も華やかなドレスをまといながら、嬉しそうに手を叩いた。

「昔、まだジオンが健在だったころには、毎年のようにこのパーティーに参加したものだったけれど! ……声をかけてくれて嬉しいわ、ギレン・ザビ」

 とはにかむように微笑んだローゼルシアは、本人の容姿にも拘らず、初々しい少女のようだった。

「私こそ、おつき合い戴きまして、ありがとうございます」

 虫除けにもなって一石二鳥、などとあからさまなことは云わないが、まぁつまりはそう云うことである。

「ジオンの子どもたちも出席しているの?」

「えぇ、あちらに」

 と云って示した先には、キャスバルとアルテイシア、そして“ガルマ”がともにいる。いずれも盛装し、シャンパングラスを傾けているようだ。華やかな容姿のダイクン兄妹のせいもあって、そのあたりがまわりよりも一際輝くように見える。

「キャスバルは、ムンゾ大学に進んだのですって?」

「えぇ、ジオンの子ですから、どのみち担ぎ出されることになる。その時に、狼狽えずに済む力を持って欲しかったので」

「あなたの弟も、同じ道に進んだそうだけれど」

 厭そうに云うのは、かつて足下にネズミを放された記憶が甦ったからに違いない。

「云いたくはないけれど、あなたは弟を、もっときちんと教育した方が良いわ、ギレン。あの子、ガルマは、放っておくと碌なことをしないでしょう」

「……それで、既に手を焼いておりますよ」

「そうでしょうとも!」

 勝ち誇ったように、老女は云った。

「可愛らしい顔をして、ひどいやんちゃ坊主! あの子がキャスバルと幼馴染なんてと思ったけれど――流石はギレン、そのあたりは誤らなかったようね」

「恐れ入ります」

「それにしても……悔しいけれど、美しい子たち。アストライアはあの子たちを、どこに出しても恥しくないように育てたのね」

「すべては、ダイクンの名を汚さぬためでございますよ」

「そうね……」

 老女は口を噤んだ。

 ジオン・ズム・ダイクンの死から五年が過ぎた。ローゼルシアもアストライアも、すべてが恩讐の彼方と云うにはまだ早いだろうが――しかし、少年期を抜けて青年になりつつあるキャスバルの姿に、流れた歳月を感じたのだろうか、ローゼルシアのまなざしは、かつてないほど穏やかなものだった。

「……そうそう、あなたの弟、こんなものをくれたのよ」

 思い出したように云ったその指先が示したのは、胸元を飾る金色のブローチだった。銀に鍍金を施したのだろうそれは、クリスマスリースをかたどっていて、花やオーナメントを表すのだろう、とりどりの色のクリスタルが散らされている。名家の息子からの贈り物に相応しく、だが、学生らしく派手さのないプレゼント。なるほど、こう云うところは相変わらずだ。

「あなたは、こう云うものを贈るタイプじゃないわね、朴念仁さん」

 くすくすと笑う、その様は本当に少女のよう。

「は、不調法者でございまして……」

「まぁ、最初の方は仕方ないとして、次に選ぶ方には、きちんと気遣いをするべきね」

「心します」

 神妙に頭を下げると、またくすくすと笑われた。

 と、

「……ローゼルシア様」

「あら」

 声がかけられ、そちらを見やると、ムンゾ議会議長の姿があった。反ザビ家とまではいかないが、ややザビ家主導で動く今のムンゾを、危惧しているらしい男である。

 が、ジオン・ズム・ダイクンとは、“父”と同じく以前からのつき合いで、議会内での影響力もかなりなものである。

「お久しぶりでございます。社交界は引退なさったと噂になっておりましたのに、お姿を目にすることができるとは、これ以上の喜びはございますまい」

「私も引退したつもりでいたのだけれど、ここにいるギレン・ザビが誘ってくれたものだから」

 ローゼルシアの言葉に、議長のまなざしが一瞬鋭くなった。

 が、流石にそこでどうこう云うような小物ではない。にこりと微笑んで、

「それはそれは。頼もしい騎士殿ですな。革命の女神の安寧は約束されておりましょう」

 などと云う。

「嬉しいことを云ってくれるわね、ジギスムント」

「あなたにだけですよ、レデイ・ローゼルシア」

初老の男と老女とは、そう云い合って、ふふと笑った。

 それを皮切りに、ローゼルシアに挨拶をと云う輩が、次々にやってくる。

 当然、そう云う輩は、こちらのことはまったく見ようともしないので、車椅子の少し後ろに立って、SPよろしく周囲を伺っているより他ない。

 と、

「お久しぶりです、ローゼルシア様」

 声をかけてきたのは“ガルマ”だった。その後ろには、キャスバルとアルテイシアの姿もある。

「あらまぁ坊や、元気そうで何よりだわ」

 皮肉とも何ともつかぬ口調で、ローゼルシアは笑った。

「ええ。ローゼルシア様も、お顔の色が晴れやかですね。お召し物の蒼がよく映えておいでです。信奉者はさぞかし心を騒がせたことでしょう」

 レースの手袋越しに手の甲に唇を落としている。老女はくすくすと、少女のような笑いをこぼした。

「相変わらず良く回る口だこと」

「マダムの美しさがそうさせるのです」

 にこりと笑み返し、

「――“ギレン兄様”も久しぶり」

 ついでのように――実際ついでだろう――こちらの名を呼ぶ。

「……息災なようだな」

 いろいろと云いたいことはあるが、パーティーの場では相応しくない。ぐっと言葉を呑み下す。

 “ガルマ”は、にこりと笑った。

「お蔭様で。……あ、ブローチつけて下さってるんですね。その宝石、実は僕が造ったんです。人造ルビーとサファイア。如何です?」

 その言葉に、ローゼルシアが目を見開いた。

「まぁ、そんなことができるの?」

「機材がないと大変ですけどね。運良く使わせてもらえたので」

「凄いわね!」

 老女はブローチをつまみ、しげしげと埋めこまれた石を見た。

 なるほど、カラークリスタルかと思ったのは、人造石だったのか。発色が良いから、染めた石を使ってあるのだと思っていた。

「お気に召して頂けたなら嬉しいです。……“ギレン兄様”にも差し上げましょうか?」

「……いや」

 宝石は好きだが、どちらかと云えば天然石の癖が好きなのであるし、そもそもギレン・ザビとして、その石を何に加工して、どうつけたものだかわからない。中世紀の武士ならば、刀の下げ緒につける手もあるが、ムンゾの軍服ではそれもない。サーベルの刀緖に、と云うこともできるのかも知れないが、そうそう出番があるものでもないだろうし。

「あら、もらって、ペンダントでも仕立てれば良いでしょう。意中の女性に差し上げればどう?」

 と、やや意地悪くローゼルシアが云う。

 ――そんなものありはしないと知っていて!

 内心で歯噛みするしかない。

 と、

「――お久しぶりでございます、ローゼルシア様」

 凛とした声が云った。アルテイシアが、キャスバルとともにこちらにやってきたのだ。

「あら、大きくおなりだこと、アルテイシア。幾つにおなりだったかしら」

「十二です」

 と、とてもその歳には見えない落ち着きぶりで、アルテイシアは云う。

「そう、そうだったわね。では、キャスバルはもう十七歳と云うこと?」

「そうです、ローゼルシア様」

 キャスバルは、妹を支えるように一歩下がったところから頷いた。

 見れば、キャスバルは、“ガルマ”と同じブラックスーツに、臙脂に金糸で刺繍を施したタイを締めている。まばゆい金の髪はゆるく後ろになでつけて、露になった左の耳朶には、人造ルビーをあしらったカフをつけている。

 そう云えば、“ガルマ”は、キャスバルと色違い――タイはダークブルー、カフの石は人造サファイア――の衣装だ。

 間に立つアルテイシアのドレスが明るい紫――よく考えれば、少女には難しい色のはずだが、不思議とよく似合っている――で、アクセサリーの石は人造のヴァイオレットサファイアだったので、かれらは三人一組の人形のように、美しく、愛らしく見えた。

「相変わらず仲が良いようね」

 やや含みのある口調で云うローゼルシアに、“ガルマ”はにこりと笑い、

「えぇ。とても大切な二人なんです」

 と頷いた。

「結構だこと。――アルテイシアは、手綱はしっかり取っているのかしら?」

「……頑張っています」

 と云う少女の言葉に、“ガルマ”は首を傾げ、キャスバルは笑いに唇を震わせている。まぁ、まだ知らせていないから無理のないところはあるが、そろそろ自分がどう云うことになっているか――つまり、アルテイシアとの婚約だが――察しても良い頃合いなのではないか。

「そう、しっかりね」

 ローゼルシアも、その答えをどう思ったか、どうとも取れる言葉を返して微笑んだ。

 まぁ、察したからと云って、アルテイシアにがっちり手綱を取らせるかと云えば、大概怪しいとしか云いようがないのが、“ガルマ”の“ガルマ”たる所以であるが。そうでなければ、“昔”の嫁に、贔屓の店――もちろん、そのような接待を伴う飲食店――まで乗りこんではこられまい。本当に、筋金入りの碌でなしである。

 とは云え、いくら女好きの“ガルマ”でも、士官学校で、しかも婚約者の兄、つまりはキャスバルと一緒で浮気などできようはずもない――間違いなく、キャスバルが許さない――から、今のところ安心は安心か。

 “ガルマ”は、きょとんとした顔で、しかしにこにこと笑っている。女二人のややわかり合ったようなやり取りにも、危機感を抱いたりはしていないようだ。

 それを見て、またキャスバルが笑いを堪える風である。

 ――まぁ、いい三人なのだろうな。

 キャスバルには、いずれララァ・スンが、かれの運命の女が現れる。キャスバルとアムロ、そしてララァの三人が、この時間軸でどのような関係性になるのかはわからないが、少なくとも原作の悲劇がくり返されることはあるまいから、“ガルマ”とアルテイシアも含め、若者たちの行末は注意深く見守っていきたい。

「……結婚する前に、既に孫がいる老人のような顔になっているわね、ギレン・ザビ」

 ローゼルシアが、さもおかしそうにそう云った。

「仕方ありませんよ、“ガルマ”の同級に、マツナガ議員のご子息がおられるのです。あちらは息子、こちらは弟だと云うのに、話すことは同じような内容ででございますから、“ガルマ”に子でもできようものなら、私がその祖父のようなものになります」

 来年にはランバ・ラルが結婚し、その相手であるクラウレ・ハモンの養父になる――しかも、かれらがマリオン・ウェルチを養女に迎えるつもりである――ことを知れば、ローゼルシアは何と云うだろうか。

「あら、それではデギン殿のお立場がないわね。やはり、さっさと相手を見つけて結婚なさいな、ギレン・ザビ。あなたの地位と名誉があれば、離婚歴があろうと気にしないご婦人もあるでしょう」

「結婚されるのですか、ギレン殿!」

 聞きつけたアルテイシアが、大きな声で云うのを、慌てて否定する。

「そんな予定などありませんよ。そもそも、相手がなくてはできぬものでしょう」

「……ギレン殿と結婚したいと思う女は、山とあるでしょう」

 キャスバルが云う。

「だが、大体の女は、仕事ばかりにかまけていると、“私と仕事、どっちが大事なの!”などと云い出すからな。それがなく、ほどほどに家柄の良い相手となると、中々難しいのだよ」

「そう云う相手に、既に一度、逃げられているのだしね」

「……ローゼルシア様」

 思わず恨めしげな声が出る。

 老女は、車椅子の上で、身を震わせて笑った。

「あなたの年齢で、しかも離婚歴があるとなれば、デギン殿も、未婚のご婦人でなくてはならぬとか、名家の出でなくてはならぬとか、煩いことはおっしゃらないでしょうよ。そう云うご婦人方の中に、意中の方はないのかしら?」

「……残念ながら」

 ふっと頭の片隅をかすめたのは、キャスバルたちの母親であるアストライア・トア・ダイクンだが、そもそもジオン・ズム・ダイクンの妻を娶ると云うのは、あちこちを敵に回しそうな選択である。既に敵の多い身の上で、これ以上はどうだろうか。

 第一、キャスバルとアルテイシアが何と思うか――特にキャスバルは、新しい父親など必要ない年齢であるだろうし。

「まぁ、ザビ家は“ガルマ”やドズルあたりが血脈を伝えてゆくでしょうし、ひとりやふたり、結婚せぬ子がいたとて構いますまい」

 ドズルに関しては、“ガルマ”が巧く誘導するだろうし、“ガルマ”本人にはアルテイシアがいる。原作では独り身だったキシリアも、シャア(本人)と好い仲であるようだから、兄弟のうち少なくとも三人は、結婚の予定があることになる。

 大体、結婚していないからと云って、サスロにも相手がないとは限らないのだし。

 ――“ギレン・ザビ”にしても、グレミー・トトができる要素はあったわけだしな……

 まぁ、なるようにしかならないし、捻じ曲げているとは云っても、原作を大きく外れることは難しいだろう。

 この強面としてはにこやかに微笑んでみせると、ローゼルシアは、仕方ないと云いたげに溜息をついたが、それだけだった。

「……私なんかをエスコートせずに、次はお若い方を誘いなさいな」

 それだけを云って、その後は若者たちとお喋りに興じはじめた。

 それからパーティーを抜けるまで、上機嫌な“奥方様”につき従い、この年のクリスマスは、何とかご婦人方をかわし切ることに成功したのだった。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 11【転生】

 

 

 

 子供らからのメッセージは、相変わらず毎日のように届く。

 ほとんど日記帳と化してる気がするよ。保存してるのを読み返せば、成長記録みたいでニヨニヨする。

 バックアップも万全。いつか大人になったときに見せたら、どんな顔をするんだろうね?

 ポチポチ返信してれば、上のベッドで、キャスバルが寝返りを打つ気配。

『ランバ・ラルはどうだって?』

 マリオンから届く便りに、どうやら興味があるみたい。だよね、いま1番ホットな話題だし。

『それがさぁ、もう笑っちゃう』

 クフクフ笑いが溢れる。これは抑えられんだろ。

『なにが?』

『レディ・ハモン、おれの姪っ子になるみたい』

『……“ギレン”の養女にするってことか』

 流石に頭の回転が早い。一言で全てを察したんだろう。

『石頭のジイさんに“会心の一撃”ってとこかな』

『確かにクリティカルだな』

 キャスバルの思考波も笑ってる。

 名家の血に拘って、とやかく文句つけてた頑固親父に、これ以上の嫌がらせもないよね。

 言うなれば、強行版ロミオとジュリエット。敢えて仇敵の家に入れてから娶るって、ものすごい筋書きだ。

 “ギレン”なんか腹抱えて笑ってそうな案件だけど、これ、裏から見ると、とってもタイムリーで素晴らしい事態なんだよね――ムンゾ的に。

 そもそもザビ家とラル家の対立は、開拓期に遡るらしい。

 “謀略のザビ家”と“剛健のラル家”って言ったら、まあ性格的な相性は良くないだろう。しかしながら、TAGを組めればこれほど相性の良い組み合わせも、そうは無い。

 この動乱が予感されるご時世、長年対立してた両家が結びつく意味を考えてみなよ。

 深読みする連中はこう思う――いよいよムンゾの団結は強まったってね。

 多分、そのうちにサスロ兄さんあたりが大々的に宣伝するだろう。

 実のところは、裏も表もなく、個人の長年の恋情を成就させただけなのにね。

 ああ、加えて、マリオンの幸せも考えたのか。

『花嫁姿のレディ・ハモンは美しいだろうね……』

 女神もびっくりするレベルだろう。

『君の初恋は彼女だったろ?』

 揶揄うみたいな響き。

 まだ幼かった頃、阿呆みたいに彼女の美貌に見惚れたおれを、思い出しでもしたものか。

『……残念。遥か時のかなたで、もう思い出せないや』

 本物の初恋なんて、いつの昔だったのかね。

『ふぅん?』

 ニヤニヤする思考波が。だからホントに覚えてないっつーの。

 なんなら慰めてやろうか、なんて。傷口に塩どころかジョロキア擦り込みそうな“声”で言われても、信憑性なんか欠片もないから。

 丁重にお断りして、頭から毛布をかぶった。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 射撃訓練は好きだ。

 実技でキャスバルに迫れる数少ない課目でもあるし。

「すごい!」

「また10点射!」

 外野がワアワア騒いでるけどさ。

 ――この距離で外すかよ。

 動きもしない的を撃ち抜くなんて、そんなに難しいことじゃない。

 如何にド真ん中を撃ち抜くか。まるで穴が一つしかないみたいに、針の穴に糸を通すように、最初の穴に弾丸を潜らせて見せよう。

 だからといって、狙撃手の素質は皆無に等しいけどね。ふは。堪え性の無いことくらいは自覚済。

 隣でキャスバルもバンバン10点射。

 更にはライトニングも張り合ってる。

 トリオ・ゴルゴ13、みたいな? 眉力が足りないケド。

「俺も参戦しよう」

 ふぉ。シン、お前もか。

 これでカルテット・ゴルゴ13か。

 最初は目を剥いてた教官たちも、今では苦笑する程度。

「『ちなみに、本日のアフターディナーティーのお供は、リーアから取り寄せたボンボン・ショコラね。最高得点者には1箱進呈……ちなみに僕が勝ったら進呈はなし!』」

 さあ、挑み給えよ。

 銃を構えて、また10点射――ココからが勝負スタート。

 リノが、ルーが、ケイが。

 クムランも、ベンも。

 日々の過酷な訓練のせいで甘党に傾いた野郎どもの目の色が変わる。

 ついでに見守る教官の顔色も変わる。

 チーム・ゴルゴ13でドンドンバンバン撃ち抜いていけば。

「撃ちかた止めいッ!」

 教官から怒声が。なんでさ、みんな10点射連発じゃないか。

「貴様らこんな遊びばかりに本気出しよって! 本物の戦場はこんなもんじゃないぞ!!」

 なんて。

 ん。そうだね。意識の底の底で、尤もだと“おれ”が嗤う。控えめに言っても“地獄”。

 だからこそ。

「身体に染付くくらい技術を研いておきたいんです。息をするのと同じくらい自然に引き金を引けるように」

 人を撃てないなんて怖じ気つく前に、頭より心より早く指が走るように。

 おれは、こいつらを失いたくない。だからこそ、立派な“ひとでなし”に仕上げなくちゃいけないんだ。

 真っ直ぐに視線をあわせれば、何故か教官が後退った。

「お前は……ザビ家はそこまで覚悟をしているということなのか……」

 低い呻き。

 連邦との戦争が避けられないものだと。ザビ家の御曹司すら前線で戦うのだと。

 ちょっと。ねえ、なんで潤んだお目々でこっち見んの。

「よし分かった!」

「ならば我々が手本を見せてやろう!!」

 って、教官達がドンドンバンバンやってどーすんの?

 ポカンとして見守る先で量産される10点射。

 流石に教える側だって感心するけどさ。

『……どーしよう、キャスバル?』

『知るか。自分でまいた種だろ』

 ひどいわ冷たいわー。なんて、見てるだけじゃどーにもならんしな。

「さぁ、教官殿に遅れを取るな! 僕たちの実力を認めて貰う良い機会だ。凌駕する勢いで撃ちまくれ!!」

「「「「「おう!!!!」」」」

『……煽るのか』

 キャスバルが頭痛をこらえてるけど。他にどーしろっての。ねえ?

 射撃技術の競い合いは良い勝負となり、教官には日々の努力を称えられた。

 ボンボン・ショコラの行方は、引き分けに終わったため皆で分け合うことに。後でセンセー達にも差し入れしておこう。

 

 

 そんなこんなで、いつものメンバーは確実に様々な技量を上げつつある。良いことだよね。

 それに触発される形で、一寮の成績も、加えて他寮の成績も、他学年の実力すらも向上してるとか。

 基礎能力が底上げされてるいま、更に臨むべきは個々の得意分野の強化だ。

 例えばルーなら戦況分析。流石にチェスプレイヤー、先読みの才はかなりのもの。

 ケイは当然ハッキング。軽い気持ちで試してみた連邦駐屯地のマスターシステムにうっかり入っちゃって、めちゃくちゃ慌てて隠蔽した――これバレたら放校処分じゃ済まないし!

 リノは持ち前の剽軽さとフットワークで、おれの人脈づくりに一役買ってくれてる。

 補給、支援で頼りになるのはクムランだし、無口だけど、いざというときには的確な号令を飛ばせるベン。

 攻守ともにバランスの良いシンは、指揮を取るにもかなり優秀。

 それから、ライトニングの遊撃センスは頭一つ飛び抜けてる感じかな。

 いずれも来る“暁の蜂起”の主要面子としてカウントさせて貰ってる。

 そっと目を閉じて思う。

 凄いことをしてのけたもんだね、いつかの時間軸の“シャア・アズナブル”。

 学徒だけの初陣。戦力に劣る、圧倒的不利な状況からの勝利。

 きっと犠牲も少なく無かったろうに。

 同じこの場に立って、つくづく、その際立って優れた存在の眩しさに目が眩みそうになる。

 だけど――“お前”、誰も大事じゃなかったんだね。

 同じ学舎で学ぶ誰も彼もが、“お前”の眼には映ってなかったのか――有象無象、ただ使える駒としてしか。

 多分、“友”になり得たかも知れないガルマさえも。

 それ程までに、“復讐”は“お前”を掴まえて放さなかったの?

 時に褪せるはずの感情を、憎しみを減じることなく、幸せになろうともしないで、元凶を滅ぼした。

 本質は同じはずの幼馴染を思い浮かべる。

 同じものだけど――似てるけど、違う。

 母君が居て、妹と離別せずにここまで来た。“ギレン”の保護の翼のもと、餓えることも凍えることもなく。

 幸せで居ておくれよ。

 お前が壊れるのは嫌だよ――いつかの“シャア・アズナブル”じゃない、おれと一緒に育った、キャスバル・レム・ダイクン。

 綺麗で純粋で、優秀で生意気で格好つけで、辛辣だけど、たまにほんの少し優しい……こともある…………か。

「『どうした? 変な顔をして』」

 この言い草である。

 ギロリと睨みあげれば、シレッとした表情が目にはいる。畜生、どんな顔でも美形は画になりやがるよな!

「ひどいな、“シャア”。『お前の優しさが足りないんだよ』」

 ぶすくれて答える。

 キャスバルは肩をすくめて、唇の端っこを意地悪そうに歪めた。

「これは失礼。『欲張るな。いつも優しくしてるだろ?』」

 そうだっけ?

『ちなみに毎度腹を出して寝てる君に毛布をかけ直してやってるのは僕だが?』

『………スマヌ。大変に助かっておりマス』

 そういや寝ぼけて寝台から落ちたときも、助けてくれたっけね。

 そう思えば優しさではあるのか。

 いつもみたいに隣に並んで、それ以上、何も言わずに寛いでる様子に、なんか安心する。

『……キャスバルだ。“シャア・アズナブル”じゃない』

 おれの幼馴染。

『なにを当たり前のことを』

 フンと鼻を鳴らすその仕草すら安堵に繋がる。

 トントンと手の甲を叩かれれば、どこか強張ってた意識がゆるゆる解けていった。ん。いつも通り。

 こんな風に気持ちが揺らぐときには、いつもお前が居てくれるのが有り難い――これも優しさだとしたら、確かに破格かもね。

 当たり前みたいに思えるのは怖い。

 本当にひとりになった時、どうすれば良いのか分からなくなりそうだから。

 まあ、そんなことにならない様に、頑張るだけだけどね。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 季節は移ろって6月。

 言わずと知れた女神ユーノーの月だ。ローマ神話の主神ユピテルの姉にして妻。婚姻と出産、子育てまで司るママさん女神だけあって、結婚式はこの月に集中するらしい。

 例にもれず、ランバ・ラルとレディ・ハモンの結婚式が執り行われる事になったのも、この6月の吉き日だった。

 予定では雨だったらしいけど、管理局にごり押しして晴れに変えたとか。すげぇなラル家、と、思ってたら手配したのザビ家だって。

 そういやレディ・ハモン、ザビ家の養女になったんだっけ。

 コロニーの天気すら左右した結婚式は、ムンゾ第一のカテドラルで行われることとなった。

 どっちにしてもすげえな権力。

 来賓の顔ぶれもまた、なんかニュースで見たわー的な面々がズラリ。

 内々の式とかほざいてたランバ・ラル、今ごろ涙目なんじゃないかな。

 ――見てこよっと。

 踵を返せば、キャスバルが素早く付いてきた。

『どこへ行くんだ』

『ランバのところさ。ちょっと顔を拝みに』

 一見晴れやかに見えるキャスバルの眉間に力が籠もった。

『これ以上の無体は…』

『何もしやしないさ。それに、アレは無体じゃない。必要な措置だろ』

 この最高に整えられた舞台に、無粋な役者は要らないんだ。だから台詞を無くしてやっただけ。

 ニンマリと笑う。隣で肩をすくめる幼馴染だって、実のところ、そう激しく非難はしていない。おれの“いたずら”を止めなかったし。

 その鮮やかな青い眼の中に、面白がる光がきらめくのを、おれが見逃すわけ無いだろ。

 ノックと同時に新郎の控室に踏み込む。取り繕う間なんて与えてやらん、と、思ったのに、ランバ・ラルは部屋の中央の椅子にドッカリと座ってるだけだった。

 その眉間の峡谷ときたら。なに、グランドキャニオン?

 お前人生の晴れ舞台でなんで出陣前の武将みたいなツラしてやがんだあんな美女を嫁にできるのに不満があるならそこへなおれが成敗してくれるつかそこ代われ!!

 ノンブレスでの罵り(心中)は、キャスバルにだけ届いたようで、笑いを噛み殺しそこねたらしい変な声が横から聞こえた。

 笑い事じゃねぇんだよ。

『……ガルマ、君、本当にクラウレが“初恋の君”だったのかい?』

『誓って違う』

 別に初恋引きずって拗らせてランバを罵ってるわけじゃない。

『単なる非モテの僻みだ気にするな』

 お前には無縁の感情だろうとも。

 一歩近づけば、ランバ・ラルは固く瞑っていた目を開いてこちらに視線を向け、訝しげに瞬きした。

「おい、なにを企んでやがる」

 低い声でランバが唸る。

「お前がそんな顔をしてるのは、ろくでもない事の前触れだ」

「酷いな、ランバ。僕たちお祝いを言いに来たのに」

 ニコリと。別にお前に何かを企んじゃいないさ。

 式が台無しになりでもすりゃ、悲しむのはレディ・ハモンで、もっとショックを受けるのはマリオンだ。

 おれが彼女たちを悲しませるわけ無いだろ?

「ガルマは“世界一幸せな男”を揶揄いに来たのさ」

 キャスバルがサラリと暴露する。横目で睨んでもどこ吹く風。

 ほんと、そーゆーとこだからな。

 溜息は噛み潰して。

「そうさ。でも、あんまり嬉しくなさそう。そんな顔をレディ・ハモンに向ける気なの? 散々焦らしといてこの仕打ち。明日の朝、レディがマリオン連れて出ていっても僕は不思議に思わないね」

 思ったよりずっと冷たい声が出た。ランバ・ラルがぎょっとして目を見開くくらいに。

 その視線がキャスバルを見るけど、我が幼馴染殿も冷ややかな表情で首を振った――お前は面白がってるだけだけどな。

「……嬉しいに決まってるだろう」

 絞り出すような声。なんか、内容と噛み合ってない。

 首を傾げるおれをチラ見して、ランバは盛大な溜息をついた。

「……親父殿がな、今さっきまで喚いていた。あれで式の間大人しくしてられるとは思われん」

 いっそ殴り倒して式に出さずに置けばいいのか、なんて。

 この世の終りみたいな顔して何言ってんのさ。

「それなら心配ないよ」

 もう手は打ってきたから。

「ジンバ・ラルは式の間、一言も口を聞かないだろうな」

 キャスバルも嗤って受け合う。

「ちょっと待て! お前ら何をしやがった!?」

「ヘリウムガスを部屋に充満させた。大丈夫、ちゃんと酸素は確保したよ。肺いっぱい吸い込んで物凄い声になってたから、しばらくは声を出さないでしょ」

 自分の声を聞いて、目を白黒させてた。

 効き目がそんなに長くないだなんて、ジンバは知らないし。

 提示した時間、もし声を出したらとんでもない笑いものになるだろうねって念押ししたら、貝みたいに口を閉ざしてた。

 結婚式でギャアギャア騒ぐ方が、ちょっと変な声になるより、よっぽど笑いものになるって事には、あのジイさん、ちっとも思い当たらないみたいだったけど。

「……なんてことを」

 ランバが額を抑えて天井を仰ぐ。

「殴り倒すより穏便でしょ」

 実はタチ・オハラにも手伝ってもらった。諸々をひとりで用意するのは困難だからね。

 休日の“伝書鳩”たちも駆り出すという公私混同。手伝いの人員がうっかりガスを吸い込む事故もあったけど、概ね大成功って言っていいでしょ。

 惚れた女が別の男に嫁ぐ事を嘆きつつ、それでもクラウレ・ハモンが幸せであればと、涙目で笑って、式の邪魔者になるだろう男に一計を講じた。

 ジンバ・ラルは、この案件に関しちゃ共通の敵だった訳だ。

「ランバには悪いけど、僕、あのひと好きじゃないんだ――僕たちに酷いこと言うからね」

 何度も罵られた。子供相手ですら、その舌鋒は和らぐことを知らなかった。

 もし、ジンバ・ラルが、ジオンを殺したのがザビ家だと、呪いみたいに言い聞かせてたら。それを誰も止めなかったら。

 おれとキャスバルは、今ごろ仇同士だったかも知れない。

 それを思えば、ヘリウムガスなんて手緩いだろ?

「ほら、笑ってよ新郎。横から花嫁攫われたくなかったら、とびっきりの笑顔でレディの手を取るんだ。参列者にはレディのファンが少なくないよ」

「君も含めてな、ガルマ」

「……キャスバル。『いつまでそのネタ引っ張る気なの?』」

 ジロリと睨めばキャスバルは声を上げて笑って、つられたランバもとうとう笑った。

 

 

 さて。新郎ばっかりじゃなくて、新婦も見てこなくちゃ。

 と、いうより本命は新婦だ。

 クラウレ・ハモンはザビ家の養女として嫁ぐから、おれ達の控室は実はこちら側。

 デギンパパも出馬あそばされてるから、警護も万全。ザビ家勢揃い。

 みんなリラックスした表情で談笑してる。

「おお。ガルマ。ラルの様子はどうだ? 見てきたんだろう?」

「めちゃくちゃ緊張してたみたい。顔がこんな風になってました」

 ドズル兄貴の問に、少し誇張して顔真似までして見せれば、皆が一斉に笑った。

「ランバ・ラルともあろう者が」

 皮肉げな口調だけど、姉様の眼差しは柔らかい。

 フォーマルな総レースのロングドレスがめちゃくちゃ似合ってる――出掛けに褒めまくったら、照れ隠しにか頬を伸ばされた。

「またひとり、気楽な独身生活に幕を下ろすのだな」

 サスロ兄さんたら呑気に笑ってるけど、後ろでデギンパパの目は笑ってないからね?

 和やかな空気の親族控室を通り抜け、新婦控室に入れば、“ギレン”の影の向こうに女神がいた。

「わぁ! 凄くきれいだね、レディ・ハモン!」

 喉から転がり出たのは歓声だった。

 横でキャスバルが笑ってる。

 子供みたいにはしゃいでる自覚はあれど、興奮は収まらない。

 純白のドレスを纏ったクラウレは、それ程に美しかった。

 亜麻色の髪は結い上げられ、光輪の如きティアラとヴェールが飾るのは、弾けそうなほどの幸せを包んだ微笑み。

 さざ波を打つような白絹は身体のラインに沿って流れ、裾を長く引いて。

 見惚れていれば、レディは少し照れたように肩をすくめて、それから白い指でおれの頬をつついた。

「ありがとう、ガルマ殿。あなたも素敵なお姿ね」

「ふふ、そうだと嬉しいな」

 着慣れないモーニングコートだからね。着こなせてるかちょっと心配なんだ。

 まあ、何を着たって横にキャスバルが居たら、引き立て役にしかなれそうにないけど。

 今日もお揃いのイヤーカフだなんてね。仲良しアピールではあるけどさ。

「ほら、ガルマ。いつまでも人の花嫁に見惚れてると、君のお姫様が妬いてしまうぞ」

 キャスバルに促される。

 ん? おれがレディ・クラウレに見惚れると、リトルレディがやきもちを妬くの?

 なるほど。お兄ちゃんを取られたくない妹の心理か。それならお前も同じだろ。

「じゃあね、レディ・ハモン。向こうで待ってるから」

 そろそろ式の開始時間だし、ソワソワしてるだろうマリオンの様子も見ておきたいし。

 控室を出て、少女たちを探そうとしたけど、そこはデギンパパに止められた。

「お前は儂の隣に居るがいい。ガルマ、はしゃぎ過ぎぬようにな」

 重々しい言葉だけど、声は笑ってる。

「そうよ。本当にいつまでも子供みたいなんだから」

 横でキシリア姉様も溜息をついたけど、その白い指は優しくおれの髪の乱れを梳いてくれた。

 ドズル兄貴やサスロ兄さんに囲まれて、キャスバルは御母堂様と一緒の席だから、暫し離れる。

 静かに席につけは、方々から目礼はあるものの、この厳粛な空気を乱してまでザビ家の面々に声を掛けてくる者は無かった。

 そんな中、もの凄い形相で睨んでくるジンバ・ラルは、“いつもの事”として周囲にスルーされてる――ある意味凄いよね。筋金入りのザビ嫌い。

 それでも、“イタズラ”が功を奏して、老人は一言も喋ろうとはしなかった。

 

 

 ステンドグラスを通した光は鮮やかで、この空間を神聖なものに染め変えていた。

 緋色の絨毯を踏んで、純白のドレスに身を包んだ花嫁が、一歩、また一歩、静々と進んでくる。

 ベールの裾を三人の妖精姫が捧げ持ち、それはまるで物語の一幕のように美しく、瞬きするのが惜しいほどだった。

 ――花嫁の“父”が“ギレン”ってあたりが、なんとも言えない絵面になってるけどさ。

 真面目腐った顔をしてる“ギレン”の眼の奥には、今にも笑い出しそうな光があった。

 レディ・ハモンの瞳もまた生き生きと輝き、そのうえで幸せに零れそうな雫が微かに浮かんでいる。

 壇上で待つランバ・ラルの眼には、レディしか映っていないんだろう。

 白いモーニングコートを着た新郎は、眩しげに目を細めて彼の花嫁を見つめていた。

 ――見惚れてるんだろうなぁ。

 いつもは鋭い眼差しが蕩けて、目尻が少し赤い。いいオッサンなのに。きっと、それでもレディ・ハモンは可愛いって思ってるはずだ。

 “ギレン”が花嫁を壇上へと送り届けて、用意されてた席につけば、いよいよ近いの儀式が始まった。

 いつの世も、連ねられる言葉はあまり変わらないね。

 喜びも悲しみも、苦楽も共にするって。その命の限り。

 

 “I Do .(誓います)”

 

 ふたりの唇から綴られたその言葉を、とてつもなく尊く感じる。

 そのあと、ランバがレディ・ラルの指に上手く指輪を嵌められなくて、あたふたしてたのには笑っちゃったけど。

 うわ、ランバ、真っ赤だよ顔。そんなに緊張してんの?

 らしくないにも程がある。

 部下たちが小声で応援してるの、余計に笑いそうになるからやめろ、ランバ・コールやめろ。

 ほら、指輪を掲げてたフロリアンも、笑いをかみ殺そうとしてか、ちょっと面白い顔になってるじゃないか。

 そんな空気の中、レディの方は、すんなりと旦那の手にリングを嵌めた。流石だよね!

 誓いのキスに参列者は沸いたけど、口笛を吹き鳴らすことも足を踏み鳴らすこともなくて、お行儀の良いものだった。

 ただ、どこか後ろの方で、感極まったような野太い咽び泣きが聴こえたような気がする。

 この日、ランバ・ラルはクラウレ・ハモンを娶った。

 

 "They lived happily ever after(いつまでも幸せに暮らしました)"

 

 この結末には、きっとそれが相応しいに違いないんだ。

 だから、それしか認めるもんかって、強く思った。

 

 

 厳かな式が終わり、聖堂を出れば。

「ガルマ!」

 ドレス姿のアルテイシアが駆け寄ってくる。

「リトルレディ」

 胸に飛び込んでくるのを抱きとめたら、軽やかに楽しげな笑い声が上がった。

 大人びて綺麗になったけど、お転婆ぶりは健在だ。

 勢いでずれた花冠を整え、薔薇色に染まった頬に触れる。

「僕のお姫様は“ティターニア”だったの? 実は妖精の女王なんだって言われても信じてしまうね。凄く綺麗だ!」

 淡紅のシルクの上に、淡く青みがかった真珠色のオーガンジーを重ねたドレスは、少女を咲き染めた薔薇のように見せていた。

 その手を取ってエスコートの体制に。

 駆け出した少女に驚いたらしき政界、軍部の重鎮達も、微笑ましげな眼差しに変わる。

 それでも、アルテイシアの年頃では、そろそろ婚約者以外の相手にくっついたりするのはNGだ。

 さて、どう諭すべきか。悩むわ。こんな風に慕われるのは、決して嫌じゃないし、懐いてこなくなったら、おれが寂しさで斃れそうだし。

「アルテイシア。いきなり走り出すんじゃない」

「ごめんなさい。キャスバル兄さん」

 妹の可愛らしい上目遣いに、後ろから追ってきたらしきキャスバルが肩をすくめてる。

「いつまでもお転婆で困ったものだ。『君が甘やかすからだぞ、ガルマ』」

 うお。矛先がこっちに。

「そこもお姫様の魅力さ。『仕方ないだろ。可愛過ぎるんだ』」

 微笑んで、白い指の先にキスすれば、きゃあ、と可愛い嬌声があがった。

 振り向けば、アルテイシアとお揃いのドレスの少女たちが。

「君たちも妖精姫だね。ミルシュカ、マリオン。とても可愛いよ」

 アルテイシアをエスコートしてるのとは反対の手で、幼いミルシュカの頭を撫でる。

 その後ろを付いてきたマリオンの頬は、まだ乾ききっていなかった。

「マリオン、本当におめでとう。ね、まだ嬉し涙が止まらないの? 露に濡れる薔薇の蕾みたいに可憐だけど、そろそろ笑顔も見たいな?」

「……ガルマ。アルテイシアがやきもちを妬くわ」

 マリオンがいたずらっぽく笑う。

「ほんとう? 妬いてくれるの? 僕のお姫様」

 聞けば、アルテイシアはつんと鼻を空に向けて、「どうかしら?」なんて答えた。

『……キャスバル。僕たちのお姫様は、なんでこんなに可愛いんだ? このツン具合、お前にそっくりじゃないか!』

『何故そこで僕が引き合いに出る?』

 そりゃお前が可愛過ぎるからさ。可愛いがゲシュタルト崩壊。

『『『……キャスバルかわいい?』』』

 心底不思議そうな顔で見上げてくるのは、わらわら集まってきた三人のボーイズ。

 アムロ、ゾルタン、それからフロリアン、君らシンクロし過ぎだろ。吹くかと思った。

『そのうちに分かるよ』

 こっそりウインク。

『そんな日が来るとは思えないがな。君が特殊なだけだ』

 そんなこと言ってられんの、ボーイズが小さいうちだけかもよ?

 子供たちで纏まっていれば、大人たちは少し遠巻きに。

 立食パーティーの形式だから、テーブルの上の美味しそうなところを皿に盛って、トレーを借りて飲み物を確保。

 サーブに徹しようとしてたら、子供たちが食事を「あ〜ん」してくれる。

 行儀悪いかもだが、可愛いが天元突破してて拒否れるわけ無かろう。

 途中でどこかのご令嬢が話し掛けてくれたけど、身内を構うのに必死で、ちょっと素っ気無い態度になった。ごめんね…って、キャスバルにめっちゃ見惚れてたから、やっぱりおれ目当てじゃないし。

『……いい式だったね』

 隣にいるキャスバルに笑いかける。

 離れたところで、ラル夫妻が、客に囲まれて祝われてた。

『見てよ、レディ・ラルのあの笑顔』

 社交用の艶やかなそれじゃない、ちょっと照れたみたいな、あんな表情はレアだね。みんなが見惚れて、ランバがヤキモキしてる。

『そうだな』

 キャスバルの横顔にも薄く笑みが。

『ねえ、お前の初恋って、やっぱりレディ・ラルだったりした?』

『いいや。君じゃあるまいし』

『だから違うってば』

『それなら、レディ・アイリーンか?』

『“ギレン”の秘書はちょっと……』

 観賞用に留めておきたい――いや、案外あれで気が強いし、計算高いんだよ。良い女だけど。

『おれのことじゃなくて、お前のことを聞いてんのに』

『さてね』

 答えてくれる気は皆目ないんだろう。鮮やかな青い眼は、面白がる光を浮かべてるけど、そのくちびるは開かなかった。

 思考波も沈黙してる。

 なるほど。

 ――そうか。初恋もまだか、キャスバル。

 このお子様め。

 大丈夫だ。この先で、とびっきりの出会いがお前を待ってるから。

 おもむろにそっと頷けば、その整った顔が顰められた。

『いま酷く失礼な事を考えただろう?』

『……別に?』

 いやほら、おれ達あんまり出逢い無いし?

 別に初恋が遅くても良いんじゃね? 拗らせなきゃね。うん。

『そのニヤニヤを止めないと、有ること無いことアルテイシアに吹き込むぞ』

 ギラリと輝く双眸に、冷や汗が吹き出した。

『やめろ。ほんとやめろください。なんで無いことまでだよ』

『ある事だけでも良いが?』

『ごめんなさいキャスバル様!!』

 思考波で平身低頭謝りまくって、事なきを得た。

 くわばらくわばら。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「“ギレン”、ムンゾを獲って」

「何だいきなり」

 士官学校に戻る直前、“ギレン”の執務室へ押しかけた。

 迷惑そうな顔もなんのその。

 いまもムンゾは抑えてるだろう、なんて。ソレじゃ足りないから言ってんのさ。

 事態は急を要するんだよ。

「連邦と遣り合うためにさ。いまのままだと、馬鹿が踊る。あのへん抑えとかないと、あとに響くだろ」

 色々面倒くさいんだ。ちまちまと嫌がらせみたいな事ばっかり仕掛けてくるし。それが存外に計画に障る。

 大局が見えてない癖に、欲の皮ばっかり突っ張ってて、連邦の仕掛けた餌にあっさり食い付くのが目に見えてるし。

 そして、連邦は既に餌をまいた。

「予言するよ。3ヶ月内で、ザビ家排斥の動きが急激に高まる。ネタは様々だけど、タチ・オハラに流してあるから、裏取れたら報告にくるでしょ」

 “ギレン”は物凄く嫌な顔をした。

「それは何処の情報だ」

 ――って、ソースを明かすと思うの?

 ふん、と鼻を鳴らす。

「“ギレン”だって掴んでるでしょ。デギンパパと、キシリア姉様とサスロ兄さんも、ある程度は把握してるはず」

 プクリと膨れれば、“ギレン”は盛大な溜息を落とした。

「3ヶ月内の予測は、どんな“悪知恵”が弾き出した計算だと聞いている。そもそも、お前は士官学校で何をどうやってそんなデータを集めてくるんだ」

 胡乱げに見てくるのやめてくれないかな。

「“悪知恵”なもんか。どこでだってデータ収集はできるし、パズルは組める」

 絡み合う情報を読み解いて、俯瞰すれば自ずと見えてくるものはあるだろ。それが時流に乗ってれば、なおさら明瞭に。

「連邦はともかく、“連中”は、もう形振り構っちゃられないんだ。ザビ家を叩くなら今をおいて他にないし――だけど、おれ達にとっても、これって最高の好機だろ?」

 “ギレン”なら、この意味に気付いてるはず。

 ついでに、サスロ兄さんもキシリア姉様も、既に動き出してるから、そろそろ手綱取らないとヤバいよ。

「たまには“可愛い弟”のわがまま聞いてよ、“お兄様”?」

 両頬に人差し指を添えて、ウインク&ニッコリ。

 煽りすぎたのか、“ギレン”のこめかみに青筋が浮いた。

 ――あ、やば?

「お前など少しも可愛くないわ!」

 ふぉう、怒声が。

 長い腕が伸びてきて、首根っこを掴まれた。

「ふぎゃあ! ギブギブ!!」

「喧しい! いつまでも好き勝手できると思うなよ!!」

 ちょ、“ギレン”、それヘッドロック!

 必死で気道を確保しながらウゴウゴしてたら、ガチャリと執務室のドアが開いた。

「ギレン、話がある……ガルマァ!?」

 あ。姉様。

 ドタバタしてたから、ノックに気が付かなかったのか。

 キシリア姉様は、“ギレン”に締め上げられてるおれを見るなり、血相を変えて部屋に飛び込んできた。

 雌虎の如き勢いである。

「ガルマを放しなさい!!」

 バリッと、そんな音さえ立てて“ギレン”からおれを毟り取って、そのふかふかな胸に抱き込んでくれる。

 おお。地獄から天国。

「ギレン! 何をしているの!? 何故ガルマばかり辛く当たるの!」

 この前も2時間も正座をさせたとかなんとか。

 それは、おれが“ガルマ”だから――なんて弁解は出来ようもないし。

 盛大にキレてくれて有り難いやら慌てるやら。これは宥めねばなるまいよ。

「姉様、姉様。違います。ちょっとふざけてただけ。僕が生意気を言ったんです」

 腕の中から、上目遣いで呼び掛ける。

 “ギレン”てば、姉様のあまりの勢いに目を白黒させてるだけだし。

「ああ、ガルマ。庇わなくて良いのよ」

「いいえ、本当です。“ランバ・ラルが結婚したから、次は“ギレン兄様”ですね”って」

 言えば、姉様は一瞬あっけにとられ、それから笑いを噛み殺しそこねた顔をした。

「……………そんなことを?」

「ええ」

「……そう」

 表面上は澄ました顔で頷く姉様の腹筋が、小刻みに震えている。くっついてるから、良く分かるよ。コレはそうとう堪らえているね。

「それはお前が悪いわ、ガルマ」

「はい。ごめんなさい。姉様、“ギレン兄様”」

 素直に謝罪を口にして、頭を下げる。

「さあ、もうお下がりなさい。学校に戻る刻限でしょう?」

「はい。名残惜しいけど……戻ります。また、次の休暇に」

「ええ。気をつけて」

「はい。姉様も。……“ギレン兄様”もね」

 促されて、部屋を辞す。振り返りざまにもんの凄い形相の“ギレン”が垣間見れたけど、そっと扉で遮る。

 ごめーん。

 姉様が来るなんて、流石に予期して無かったんだよ。

 過剰なスキンシップだって誤魔化してよね。

 さぁて。みんなに挨拶してから学校に戻ろっかねー。

 廊下で思い切りよく伸びをして、子どもたちがいる居間へと向かった。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 11【転生】

 

 

 

 クラウレ・ハモンが、養子縁組の手続きのために訪ねてきたのは、年が明けてややあってからのことだった。

「まさか君が、私の“娘”になるとはな」

 執務室で迎えてそう云えば、皮肉っぽい微笑みが返された。

「それはこちらの科白だわ。まさかあなたが、私の“父”になるなんてね」

 そう云う顔は、いつものように美しい。

 いつものクラブの歌手らしい恰好ではなく、さりとてザビ家の養女に入るのに相応しいわけでもない、例えて云うなら秘書官にでもなりにきたかのような、堅めのスーツ姿である。化粧やアクセサリーもそれに合わせたもので、全体的にはできる秘書風だ。まぁ、養子縁組の手続の場に相応しい衣装は何かと云うと、こちらも思いつかないと云うのが本音ではあったのだが。

 キャスバルが生まれた時に十歳くらいだったようだから、今はアラサーと云うあたりだろう。若さの中に、熟れたような匂いが微かに混じりつつある、そのような歳ごろである。

 なるほど、このまま法的手段を講じずにいれば、横合いからかっ攫おうと思う輩が出ても、不思議はない。ランバ・ラルが、わざわざこちらに頭を下げてきたのは、父親のこともあるだろうが、そのような輩の手が届く前に、囲いこんでしまいたいと云う欲求もあるのだと思われた。

 それと、

「……マリオン・ウェルチを、養女に迎えると聞いたが」

 やはり、あの少女の存在も大きいだろう。

 年齢も年齢だけに、特別養子縁組のように、実の両親のことが記録から消される、などと云うことはないだろうが――しかし、ラル家の娘となれば、いろいろと融通がきくことも増えてくるだろう。それを、あの少女に与えるためにも、二人が正式な結婚に踏み切ったのだと云うことはわかった。

「えぇ、そうよ。私たちの結婚の、半分くらいはあの娘のためなの」

 でも、残りの半分は、もちろん私たち自身のためよ、と笑う。

「なるほど、妻と娘、二人を一度に得る、ランバ・ラルは幸せものだな」

「そんなことを云うくせに、結婚のけの字もない男もいるしね」

 クラウレは笑うが、

「いや……」

 と云うしかない。

 途端に、相手は目を丸くした。

「えっ、していたの?」

「……過去にな」

 渋々云うと、吹き出された。

「やだ、逃げられたってこと?」

「――平たく云えば」

「あらまぁ!」

 云いながら、けらけらと笑う。 

 メイド頭がいたなら、同調して何か云い出しそうだ。

 クラウレは、目尻に涙まで浮かべて笑い転げた。

「それで、浮いた噂のひとつもないわけね。納得したわ。――それじゃあ、私のお蔭で“娘”の手を取って、ヴァージンロードを歩けるってこと!」

「……そうとも云うな」

 まぁ、“昔”は娘が数人いたので、嫁に出したことがないわけではない。ヴァージンロードはなかったから、そちらは初めての経験になるが。

「まぁ、私の方はどうでも良い。弟や妹が、うまく血筋を伝えていくだろうからな。……ところで君は、自分が何をしにきたのか、憶えているか」

「養子縁組でしょう」

「そうだ。そうであるからには、目的はさっさと済ましてしまわなくてはな」

 書類を広げると、女は涼しい顔で、必要項目を埋めていった。

 書類が揃ったのを確認すると、こちらも必要事項に書きこみをし、まとめてセシリア・アイリーンに渡す。有能な秘書官は、受け取ると、そのまま役所へ提出しに出ていった。

「――綺麗なひとね。あの人と結婚する気はないの?」

 その後ろ姿を見送って、クラウレが云う。

「ランバ・ラルと同じことを云うのだな。――幸せになってもらいたいのでな、誰か早く見つけてくれないかと思っている」

「あら、自分で幸せにするって云えないの。不甲斐ない男ね」

「何とでも」

 肩をすくめてみせる。

 自分を最も理解し、愛してくれる女の記憶があれば、どんな女が来ても較べてしまうだろうことは、想像に難くない。その女がいないなら、別に結婚する意義もないように思う。

 まぁ、元の“ギレン・ザビ”が、既に一度結婚生活を破綻させているなら、それにことよせて朴念仁のままで良いだろう。

「私にも、理想と云うものがあってな。それに至らないのであれば、不満が出るばかりだろうし――そんな男の許にあるのは、女にしても苦痛だろう」

 女と云うのは、一度厭だと思ってしまうと、二度と関係を修復することができない生きものだ。それも、大きな原因があると云うよりは、日々の小さな引っかかりを、溜めて溜めて、ダムが決壊するように、厭な気持ちが溢れ出してしまうのだ。まさしく、塵も積もれば山となった挙句の離婚劇である。未練のある男がいかに取りすがろうと、そうなってはもうどうにもならないのだ。

 その未来が見えているからこそ、結婚相手をどうこう、と云う気分にはなれなかった。

「……ランバ・ラルに、苛々させられることはないのか」

 話題を少しだけ逸らそうと、そんな問いを投げかけると、クラウレはふふと笑った。

「なくはないけれど――あのひとは、子どものころから、ずっと私の憧れだったし、まぁ、最近は情けないところも見たりするけど、そんなところも可愛いのかも、って思うわ」

「――女、だな」

 その、すべてを受け入れ、抱えこむような、愛。

 クラウレ・ハモンは、佳い女だと思う。但し、その情の深さは、時に深淵のように、愛するものを呑みこまずにいられないものになってしまうのだろうが。

「えぇ、女よ」

「恐ろしいな……」

 思わず呟くと、女は目を瞠り、やがてぷっと吹き出した。

「まぁ! ギレン・ザビともあろう男が、何を云い出すのやら!」

「事実だ。女は恐ろしい」

 すべてを呑みこむ深淵――様々な神話の太母神として描かれる、産み、喰らうその性。

「まぁ、理解できないものを怖がるなんて、ギレン殿ともあろうひとが!」

「理解できないわけではないが、理性とは違うところで動くものを、恐ろしくないとは云えんよ」

 こちらの計算や何かを拒むものを。

 幾ら女たちが、社会に出るために理性的に振るまったとしても、その根底には、打ち消すことのできない非-理性、“感情”とでも呼ぶしかないものがある。

 男が女をあるいは軽視し、あるいは怖れるのは、その名状し難いものを抱え、また異物であるはずの男をも呑みこもうとする、女の貪欲さ故であるのだろうと思う。

「私に云わせれば、男が馬鹿なだけよ。いつまでも、子どもみたいに跳ね回って、夕飯時だって云うのに帰ってきやしない。手を引いて、連れ帰ってやらなきゃならない、どうしようもないものよ」

「だが、それが愛しいのだろう?」

 そう云ってやると、

「……厭な男!」

 そう云って頬を膨らませ、そして諦めたように、

「でもそうね、それが愛しいんだわ――幾つになっても、届かない星を追いかけるみたいなところ……」

 と、遠い目になった。

「それが、ランバ・ラルの可愛いところと云うことか」

「そうよ。――あなたはその点、可愛くないわね。その上、釣った魚に餌もやらない」

「……否定できんな」

 賢い女だと思う。

 ある意味では、“昔”の妻に一番近いのは、このクラウレ・ハモンではないのかとも。

 だが、この女は、ランバ・ラルの女なのだ。そしてもちろん、こちらに対してそう云う興味はかけらもない。

 まぁ、めぐり合わせと云うものがある。この女の“男”は自分ではない。それだけのこと。

「そう云うところよ」

 云って、クラウレは小さく笑った。

「まぁ、ザビ家の男はそんなものなのかしらね。だから、揃いも揃って独り身なのよ。……でも、ガルマ殿は少し違うようね。あの女のあしらいは、一体誰から教わったものなのかしら」

「元々、あれは女誑しだぞ」

 昔々のその昔から。

「あら、じゃあ、存じ上げないけれど、お母様のナルス様が、そう云う方だったのかしら」

「さてな」

 ザビ家兄弟の母親については、1stでも『the ORIGIN』でも、特に描写はされていなかった。デギン・ソド・ザビが特にガルマを愛おしんでいたことから、多分ガルマに似た女だったのだろうと推測されるくらいで、具体的な容姿や性格の描写もなかったのだ。

 とは云え、それはあくまでも原作のガルマ・ザビの話であって、“ガルマ”にあて嵌めて良いものではない。“ガルマ”は昔から“ガルマ”であって、複数の妻を持っていたとやら何やら、醜聞には事欠かなかった。

「“ガルマ”が母に似たかはともかく、女のあしらいに慣れているのは事実だな。それから、サスロは知らんが、ドズルはいずれ結婚するだろう。見た目はいかついが、あれはやさしいところがあるからな」

「まぁ、それじゃあ、上二人が残ると云うこと」

「サスロのことはわからんよ。意外に、もう誰かいるのかも知れん」

 上の“弟”は、やや秘密主義なところがある。長子でもなく、“父”に一番愛されているでもないのを承知しているからか、外に家を構え、好きにやっているようだ。要職にあるとは云え、表に立つことの少ない立場であるから、そんなこともできるのだろう。父の邸にいれば、警護のものを煩わせることもないのだが、そのあたりが立場の違いなのかも知れない。

「つまり?」

「残るのは、私ひとりと云うことだ」

「あはははは!」

 明るい笑いが弾けた。悪意や厭味も感じられない、純粋な笑い。

「駄目なひと! ……そう云うあなたを、愛してくれるひとが現れるといいわね」

「期待せずに待つとするさ」

「そうなさいな」

 確か、クラウレ・ハモンは、こちらより十歳以上歳下だったように記憶しているが、この言葉は、まるで歳上であるかのようだった。

 ともあれ、こうしてクラウレ・ハモンはザビ家の娘となり、ジンバ・ラルの反対をものともせずに、恋した男に嫁ぐことになったのだった。

 

 

 

 ランバ・ラルとクラウレ・ハモンの結婚式は、昔からの慣習に則り、六月に行われることになった。ジューンブライドと云うあれである。

 コロニーの気象管理局に圧力をかけて、その日は素晴らしい快晴になった。新しい家族の、門出に相応しい明るい空である。

 ザビ家の面々は、新婦の親族と云う体で、教会へと向かった。当然、“父”も義祖父と云うことなので出席することになり、警備が大変なことになったが、そこはそれである。クラウレ・ハモンの“親族”と云うことで、控室が用意されたのは幸いだった。

「わぁ! 凄くきれいだね、レディ・ハモン!」

 “ガルマ”が、子どものようにはしゃいで云った。すぐ後ろには、キャスバルの姿もある。

「ありがとう、ガルマ殿。あなたも素敵なお姿ね」

「ふふ、そうだと嬉しいな!」

 だがまぁ、“ガルマ”の云うのも無理はない。

 元々美しい女ではあったが、亜麻色の髪を結い上げてティアラをのせ、純白のドレスとヴェールに身を包んだクラウレ・ハモンは、誰が見ても美しかった。

「今日は、宜しくお願い致しますわね、“父上”」

 その“娘”が、ヴェールの下からこちらを見る。ほっそりしたラインの、長いトレーンのドレスである。白くなめらかなデコルテを強調したデザインは、若い花嫁らしい初々しさからは遠かったが、それを補ってあまりあるほど優美だった。

「ふむ、世の父親が、結婚式で涙を見せるのがよくわかるな。ランバ・ラルにやるのが惜しくなる」

 云うと、クラウレは少し悪い笑みを見せた。

「まぁ、あの人と結ばれるための縁組なのに、今さらそんなことをおっしゃいますの?」

「それくらい美しいと云うことだ」

「……褒め言葉として受け止めさせて戴きますわね」

「ジンバ・ラルが歯噛みをするのが目に見えるようだな」

「まぁ、そちらが本命?」

「君とて、思うところがないわけではあるまい?」

 さんざん、出がどうのと云われて、悔しい思いをしてきたのだろうし。

 そう云うと、クラウレは、少し考えるようなそぶりをした。

「そうね……でも、そこまででもないのかも。私は別に、あの方に面と向かって云われたことはないんですもの。もちろん、どんな方かはよく存じ上げていましたし、噂を小耳に挟みもしましたけれど」

「逃げられないランバ・ラルよりはまし、と云うことか」

「引退されてもあの父君ですもの、そりゃあいろいろ云われたでしょうしね」

「あぁ……」

 今日、この日に至っても、ジンバ・ラルは結婚に反対らしく、ランバ・ラルの命を受けた家人たちに、半ば拘束されるようにして参列することになったのだと云う。

 正直、ランバ・ラルも四十に手のかかった頃合いである。いくら、男に適齢期がないと云っても、そろそろ伴侶を得て然るべきだ。まして、ザビ家とは異なり、ラル家の男子はかれひとり、養子を取る手はあるものの、早く嫁取りをと急かされていただろうから、鬱陶しさもひとしおだったろう。

「さて、式の最中に、何やら喚き出さなければいいがな」

「ほんと。まぁ、あの方はもう時流を読めてらっしゃらないから、何かやらかしたところで、同情は集まらないでしょうけれどね」

 などと云っていると、式の開始時間になった。

「ほら、ガルマ。いつまでも人の花嫁に見惚れてると、君のお姫様が妬いてしまうぞ」

 などと、キャスバルに促されている。

「じゃあね、レディ・ハモン。向こうで待ってるから!」

 などと云う“ガルマ”を筆頭に、皆がぞろぞろと移動してゆく。

「……一応、ザビ家の名を名乗ってるはずなんだけど」

 クラウレが溜息をつきながら云うのは、“レディ・ハモン”と云う呼び名のことだろう。

「呼び収めだろう。式が終われば、“レディ・ラル”だ」

「……そう云われると、ちょっと照れ臭いわね」

「何、そう思うのも今のうちだ。――行くか」

 控室の扉が小さく開き、進行役が、ちらりと顔を見せる。そろそろ時間のようだ。

 手を差し伸べると、白い手袋に包まれた指先が、優美に掌に乗せられた。

「えぇ、“お父様”」

 裾を踏まぬよう、少し前を歩いていくと、聖堂の入口に、揃いのドレスをまとったアルテイシア、ミルシュカ、そしてマリオンが佇んでいた。

「クラウレ!」

 マリオンが叫びかけて、アルテイシアに“Shhhh……”と制止されている。

 青い髪で、いつもは憂鬱そうにも見える少女だが、今日の青味がかった薔薇色のドレスのせいか、顔色すらも明るく見える。

「マリオン」

 クラウレは、これからは正式に娘となる少女を抱きしめて、きれいにまとめた髪にキスを落とした。

「クラウレ、すごくきれい」

 少女は頬を染めて、母になる女をうっとりと見上げた。

「あなたもよ、マリオン。薔薇の妖精みたいだわ」

 云いながら、ミニ薔薇の花冠の歪みを直してやっている。

「クラウレ、本当にきれいだわ。心からおめでとうを云わせて頂戴」

 同じドレスに身を包んだアルテイシアが、主筋の人間に相応しい態度で祝福する。

「ありがとうございます、アルテイシア様」

「わ、わたしも、おめでとうございます、レディ・ハモン」

 三人目の妖精、ミルシュカが云い、やはりクラウレからキスを受けていた。

 この三人が、クラウレのドレスのトレーン・ベアラーになるわけだ。ミルシュカはまだ小さいので、おまけと云うか補佐と云うか、そんな立ち位置になるのだが。

「クラウレ」

 云いながら、アルテイシアがブーケを差し出す。

「どうぞ、幸せになってね」

「……ありがとうございます。必ず」

 にこりと微笑んで、それを受け取ると、クラウレは、聖堂の入口の扉にまっすぐに顔を向けた。

 やがて、扉が開き、目の前に赤い絨緞の道が開けた。

 両側に、ラル家の親族、ザビ家、それぞれの関係者が居並んでいる。クラウレがザビ家の養女になったので、幾たりか、議会や軍の関係者の姿も見える。

 そして、その道の先の祭壇の前には、白のモーニングを身に着けたランバ・ラルが、こちらに半身を向けて立っていた。

 ゆっくりと進んでゆき、新郎に“娘”を引き渡して、着席する。とりあえず、これで本日の主要なミッションは終了だ。

 祭壇の前のふたりをじっと見る。

 鉄オル世界では、何やかんやと結婚式に出席することが多かったが、“娘”の結婚式と云うのは初めてだ。

 そもそも、元々のアレコレでも“昔”でも、神式やら仏式やらがほとんどだったし、友人の結婚式は教会式だったらしいが、式は海外で、二次会だけ参加、のようなものばかり――それよりも、結婚する友人が少なかった――だったので、参列することもあまりなかったのだ。

 それが、ギレン・ザビとして、“娘”を送り出すことになろうとは――世の中、何がどうなるかわからないものである。

 ちらりと新郎の親族席を見やる。

 ジンバ・ラルは、憤懣やる方ないと云った表情だったが、流石に厳粛な式の最中に、不満をぶちまけて顰蹙を買う愚は避けたようだ。新郎新婦を睨みつけながら歯噛みしているようだが、少なくとも立ち上がって邪魔をしに入ったりはしていない。

 立会人たちの間に立った二人の前に、司祭がゆっくりと進み出る。

「……ランバ・ラル、あなたは今、クラウレ・ハモン・ザビを妻とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。……汝、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め遣え、共に助け合い その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

 定番の誓いの言葉――こればかりは、中世期も宇宙世紀も変わりないようだ――に、ランバ・ラルが神妙な面持ちで、

「はい、誓います」

 と返す。

 司祭は続いてクラウレに向き、同じように問いかける。

「クラウレ・ハモン・ザビ、あなたは今、ランバ・ラルを夫とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰めつかえ、共に助け合い、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい、誓います」

 ヴェールの下から、はっきりとした答えが返った。

「それでは、指輪の交換を」

 云われてクラウレが差し出した指に、ランバ・ラルが、リングボーイ――フロリアンが務める――から受け取った指輪を通そうとして、見事に失敗した。どうやら、柄にもなく緊張しているようだ。列席者からは、小さく笑い声がこぼれた。

 四苦八苦して指輪を嵌め、今度はクラウレがランバ・ラルの指に指輪を通す。こちらはぴたりと収まって、女の方がこう云う場では強いのだなと思わされた。

 そうして誓いのキス。

 流石に囃し立てるものなどなく――共和国首相の列席する場で、流石に皆自重している――、式は厳かな空気のうちに終了した。

 ジンバ・ラルは、式の最中、遂に一度も口を開くことはなかった。

 ――流石のあの男も、これだけの来賓のある結婚式で、騒ぎ立てるのは見苦しいと思ったか。

 少々訝しく首をひねりつつも、そんなこともあり得るかと思う。

 まぁ、実際に式の最中で異議を唱えることになれば、物理的な対抗手段を取ることも考えていたから、何もなくてよかったのは確かだが。

 とりあえず、大役は果たし終えた。後は新郎新婦が中心であり、新婦の“親”などは、片隅でうだうだしているべきものだろう。

 子どもたちが多いことから、披露宴は、立食形式の肩の凝らないものにしたと云っていたのだし。

 着飾って、少しお澄ましした子どもたちが、飛び跳ねるように聖堂を出ていく。

 絶妙に調整された空は、素晴らしく青い。長い歳月を経て結ばれた二人を祝福するように。

「早く、“ギレン兄様”!」

 向こうで呼ぶ“ガルマ”に頷きを返し、人びとの流れに乗って、ゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 まぁ、何もなくてあの男が黙っているわけはなかった。

 結婚式の翌日――ランバ・ラルとクラウレは、ハネムーンとやらに行ってしまった――、ジンバ・ラルに襲撃された。まだ九時にもならぬ頃合いである。他人の家を訪ねる態度としてはどうかと思う。

「ギレン・ザビ! 貴様、自分の末弟を、きちんと躾けておかんか!!」

 執務室に乗りこんできて、第一声がこれである。

「はて、末弟とは、“ガルマ”のことですかな」

「しらばっくれるな! 他に誰がいるというのだ!!」

 炸裂している。

 まぁ、確かにそれ以外にいはしないし、こうして襲撃される原因として考えられるのも、“ガルマ”を除いて他にはなかった。

「“ガルマ”が、何か致しましたか」

 問い返すと、ジンバ・ラルは、わなわなと身を震わせた。

「あやつめ……式の直前に、儂にヘリウムガスを吸わせよった――甲高い、聞き苦しい声を聞かせるくらいなら、ずっと黙っていろと!」

「ほぉ」

 なるほど、ジンバ・ラルが、式の最中に異議を唱えることがなかったのは、ヘリウムガスのせいで声がおかしかったからか。

 ――ヘリウムガスで変わった声よりも、式の最中に騒ぎ立てる方が、よほども見苦しいだろうに。

 とは思うが、このような男でなければ、『the ORIGIN』で、妙な連中――確かアナハイムの関係者だった――と手を組んで、圧倒的な力の差も省みず、ザビ家に反旗を翻そうとしたりはしなかったのだろう。

「まぁ、やり方には賛成できませんが、残念ながらあれと同意見ですな。ご子息の晴れの日に、茶々を入れるのは、褒められたことではない」

 ある意味では、“ガルマ”のやらかしたことよりもなお一層。

「ふざけるな!!」

 ジンバ・ラルは地団駄を踏んだ。

「そもそもは、貴様が余計な手出しをして、あの女をラル家に送りこんできたのだろうが!! よもや、端から間諜として使うつもりだったのか!? それならば、なお許しがたい!!」

「何を世迷い言を」

 流石に溜息をつかずにはいられない。

「そもそも、ご子息とクラウレ・ハモンの仲は、もう随分長かったのですぞ。それこそ、他のご婦人方が、間に入るのを遠慮するくらいには。それをいつまでも認めず、結果、ご子息が私を頼るように仕向けたのは、他ならぬ貴殿ではないか。私は、取れる手段を取っただけだ」

 あまり宜しからぬ家の出の人間を、つり合う家の養子なり養女なりにして、そこから結婚させると云うのは、中世期の早い時期から行われていたことだ。まぁ、男の場合は、適当な爵位や官位を与えて底上げする、と云うかたちが、長らく取られていたはずである。

 ジンバ・ラルの誤算は、息子が、クラウレ・ハモンとの結婚のために、ザビ家と手を組んだことだろう。

 もちろん、かねてからランバ・ラルはドズルと親しくしていたし、ダイクン家の警備責任者である関係で、そこに居候していた“ガルマ”とも気安い口をきく間柄である。

 そう云う関係を築いたランバ・ラルにとっては、ザビ家はもはや敵ではない。ジンバ・ラルの敗因は、そのことをポーズ、芝居であると見たことにある。時代は、とっくに次へと進んでいるのだ。

 ジンバ・ラルは、ぐぬぬと歯噛みした。

 が、この老人の常として、諦め切れぬ様子で食い下がってくる。

「だ、だが、貴様らがいなければ、ランバは……!」

「現実をよくご覧になることだな、ジンバ・ラル殿」

 殊更に冷ややかに云ってやる。

「クラウレ・ハモンがご子息と関係を持ちはじめて、恐らく十年は経っているはずだ。その間に手を打ち損ねたことが、今日の貴殿の敗因だ。――まぁ、世間では、ザビ家とラル家が遂に和解したと評判のようだからな、私とご子息にとっては、良い宣伝になったよ」

「ザビ家め!!」

 云うことが思いつかないと、これか。

「そう、私はザビ家の男だ。いつかも申し述べたはずだが、私は無意味に何かことを起こすつもりはない。貴殿が、あのように強硬な態度をお取りにならなければ、ご子息とて、私の手を借りようとはされなかったでしょうな」

「……いずれ後悔させてやるぞ!」

 捨て台詞を吐くなり、ジンバ・ラルは、足音も高く執務室を出ていった。この毛足の長い絨緞の敷かれた部屋で音が立つとは、どれだけ荒々しく歩いたものか。

「――デラーズ」

 控室から入ってきた禿頭の男に、そう呼びかける。

「ジンバ・ラルに監視をつけよ。ラル家にも警告は出すが――あの老体、何をやらかすか知れたものではない」

「は……しかし、通信などは、われわれの範囲外となりますが」

「そちらは“伝書鳩”にやらせる。とにかく、あの御仁から目を離すと、碌なことにならんからな」

 とは云え、『the ORIGIN』のように“実力行使”に出れば、それはそれで、ザビ家の名に傷がつくことになるだろう。そのあたりは、ランバ・ラルと意思の疎通をはかり、最悪の事態は回避せねばならぬ。

「本当に、軟禁でも蟄居でもさせられれば、どれだけ楽なことか……」

 こう云う時、近代以降の国家は面倒だと思う。封建国家や絶対王政であれば、簡単にあのような人間を沈黙させることもできるのだが。

「法治国家では、難しい話ですな」

「まったくだ」

 だがまぁ、法治国家でなければ、こちらの身が危うくなることもあり得るので、そのあたりは一長一短有り、と云うところだ。こちらの自由は、またあちらの自由をも保証する。すべてを意のままに、と望めば独裁者にならざるを得ず、それで失敗した“昔”もあるので、慎重にことを運ぶことになるわけなのだ。

「――あと、五年足らず、か」

「は、何がでございますか」

 デラーズに、独り言を聞かれていたようだ。

「想定される、戦いの予感だ」

 そう、一年戦争開戦までの日程だ。

 だが、最近は若干ものごとが早く進んでいるようにも感じる――恐らくは、MS開発やニュータイプ研究の進捗状況がそう感じさせるのだろうが、それにも増して、コロニー同盟の成立が大きいのだろうとも思う。

 流石に連邦議会へ議員を送りこむところまではいかないが、サイド5・ルウムを盟主――ムンゾはNo.2である――に据えた同盟は、連邦政府に確実に圧力をかけつつあった。

「五年で、戦争になると?」

「あるいは、もう少し早いかも知れんな」

 とにかく、今のところは、ムンゾ国内に限って云えば、そこまで大きな陰謀も進行してはいないようだ。

 もちろん、連邦軍は未だムンゾ国内に駐屯しており、その横暴に眉をひそめるものは多々あるが、昨今の情勢を鑑みてか、駐屯地外でもあまり横柄な態度でいる兵士はないようだ。その分、内部であれこれあるのかも知れないが、まぁ、それはこちらの知ったことではない。

 とにかく、連邦軍が何も起こさずおとなしくしていれば――現時点では、ムンゾ国内に独立の機運が高まっている、とは云い難い――、しばらくは、表面上平穏な日々が続くことになるだろう。その間に、こちらとしては、開戦の準備をしておくことができるのだ。

「戦争を、お望みなのですか」

「まさか」

 デラーズの疑問を一蹴する。

 戦争など、やって良いことは何もない。金はかかるし、人的、物的被害も甚大なものになる。勇ましい言説に唆された馬鹿ものどもは、戦争戦争と息巻くが、勝っても負けても損害しか残らないものを、おいそれと望むわけなどない。

 但し、

「――避けられぬとわかっているなら、備えだけは怠りなくしておかねばなるまい?」

 何の準備もなく戦うことになれば、それこそムンゾが蹂躪されることになるだけだ。流石に中世期の戦時のように、略奪や暴行、強姦などがあちこちで起こるとは考えにくい――但し、混乱に乗じた内部のそれを除く――が、しかし、コロニーであるだけに、その損壊が即住人の死に繋がることを思えば、死者はかつての第二次世界大戦などよりも増える可能性はある。

 コロニー落としをしない――予定――ので、人類が半分の数になることはないだろうが、下手をすれば、百万からの非戦闘員が死ぬことになるかも知れない。

 宇宙での戦争は、非常にシビアなのだ。

「MS計画もニュータイプ研究所も、そのための布石であるのだと?」

「そうだ。他に何がある? 神ならぬ身には、すべての可能性を考慮して、それに備えることくらいしか、できることなどないのだ」

 本当に、“昔”のブレーンの一人でもあれば、もう少し楽だったのだろうに。サスロやキシリアも有能だが、どちらもブレーンになってくれるタイプではないし、周囲にもそれらしい人材はない。そう考えると、意外にムンゾは人材不足なのではないか。

 ――ブレーンに近いのが、“ガルマ”だけとはな……

 しかも、あれは政治向きには何の役にも立たないし。

 などと考えていると、“ガルマ”がひょこりと顔を覗かせた。

「ガルマ様」

 驚いた様子のデラーズににこりと笑いかける。

「学校に戻る前に、ご挨拶をと思って」

 と云う笑顔がやや不穏だ。

 ちょうどいい、こちらも説教がある。

 デラーズを下がらせたところで、“ガルマ”が先に切り出してきた。

「“ギレン”、ムンゾを獲って」

「何だいきなり」

 “獲る”も何も、ムンゾの首相は“父”デギン・ソド・ザビであり、自分を含め、“ガルマ”以外は皆要職に就いている。これ以上“ムンゾを獲る”と云えば、それこそムンゾを公国化でもするしかない。

「連邦と遣り合うためにさ。いまのままだと、馬鹿が踊る。あのへん抑えとかないと、あとに響くだろ」

 なるほど、あのあたりのことか、と思う。こちらに手を組むよう持ちかけてきた、あの自称主戦派の連中だ。

 頭の悪い輩は仕方がないと思っていたが、本当にどうしょうもない連中だったようだ。

 ああ云う輩が、メディアを使って“戦争の機運”とやらを盛り上げ、時宜を得ぬ開戦に持ちこむと云うのは、よく聞く話とは云え、本当に苛立たしいものがある。

 “ガルマ”は、こちらを覗きこむようにして、云った。

「予言するよ。三ヶ月内で、ザビ家排斥の動きが急激に高まる。ネタは様々だけど、タチ・オハラに流してあるから、裏取れたら報告にくるでしょ」

「……それは何処の情報だ」

 と問うと、鼻を鳴らされた。

「“ギレン”だって掴んでるでしょ。デギンパパと、キシリア姉様とサスロ兄さんも、ある程度は把握してるはず」

 確かに、不穏な動き自体の情報は、あちこちから入ってきてはいる。

 だが、今云うのはそんな話ではなく、

「三ヶ月内の予測は、どんな“悪知恵”が弾き出した計算だと聞いている。――そもそも、お前は士官学校で何をどうやってそんなデータを集めてくるんだ」

 相変わらず、暗躍しているのか。士官学校の授業を片手間にしているのではあるまいか。

 云うと、“ガルマ”はぷくりと頬を膨らませた。

「“悪知恵”なもんか。どこでだってデータ収集はできるし、パズルは組める」

 確かにそうかも知れないが、そう云うことを云っているのではない。士官学校は、実技も多くあり、座学だけならともかく、そう云う余力が残るはずがないので、そこを埋めるどんな悪さをしているのか、と訊いているのだ。

「連邦はともかく、“連中”は、もう形振り構っちゃられないんだ。ザビ家を叩くなら今をおいて他にないし――だけど、おれ達にとっても、これって最高の好機だろ?」

 好機。

 確かに好機かも知れないが、そんなクーデター紛いのものを潰すために、こちらがザビ家独裁を画策するのだと?

 今まで慎重に慎重に組み上げてきた権力の階段を、ここで一気に組み替えろと云うのか。

 挙句に“ガルマ”は、こちらの神経を逆なでするようなことを云った。

「たまには“可愛い弟”のわがまま聞いてよ、“お兄様”?」

 両頬に人差し指を添えて、にこりとしながらウインクをよこす。

 ――……誰が“可愛い弟”だ!!

「お前など少しも可愛くないわ!」

 ――自分の所業をよくよく省みろ!!

 云いざま、“ガルマ”の襟首を掴まえる。

「ふぎゃあ! ギブギブ!!」

「喧しい! いつまでも好き勝手できると思うなよ!!」

 そのまま、頭を絞め上げると、“ガルマ”は、怪しい声を上げて、ひっくり返された虫のようにじたばたした。

 と、

「ギレン、話がある……ガルマァ!?」

 いきなり扉が開いたと思うと、キシリアが立ち竦むのが見えた。

 一瞬ののち、その顔が鬼女のそれになった。

「ガルマを放しなさい!!」

 駆け寄ってくるなり、“ガルマ”の身体を奪い取っていく。胸に抱きこんで、こちらを睨む様は、仔を奪われかけた雌獅子のようだ。

「ギレン! 何をしているの!? 何故ガルマばかり辛く当たるの!」

 などと云う。

 この猫かぶりに騙されているのはわかっているが、それに苛立たないわけではない。

 思わず反論しようとするが、その前に、

「姉様、姉様。違います。ちょっとふざけてただけ。僕が生意気を言ったんです」

 口を挿んだのは“ガルマ”だった。上目遣いで、本人曰くの“きゅるんとした”顔をしてみせている。

 キシリアは、いかにも“可哀想な弟を宥める”体で、

「ああ、ガルマ。庇わなくて良いのよ」

 などと云う。

「いいえ、本当です。“ランバ・ラルが結婚したから、次は“ギレン兄様”ですね”って」

 ――何だそれは!!

 云うに事欠いて、それの科白は――本当に云われたのだとしたら、絞め上げるだけでは済まさない。

 キシリアは呆気にとられた顔になり、やがて半笑いで問い返した。

「……………そんなことを?」

「ええ」

「……そう」

 と云うその肩が、ごく小さく震えている。笑っていると、丸わかりだ。

「それはお前が悪いわ、ガルマ」

 などと、笑いながら云われても、説得力の欠片もない。

 “ガルマ”は、少しだけしおらしい顔になった。

「はい。ごめんなさい。姉様、“ギレン兄様”」

「さあ、もうお下がりなさい。学校に戻る刻限でしょう?」

「はい。名残惜しいけど……戻ります。また、次の休暇に」

「ええ。気をつけて」

「はい。姉様も。……“ギレン兄様”もね」

 ぺこりと頭を下げて退出する“ガルマ”が、振り返りざま、にぃっと唇の端をつり上げた。キシリアがいるのをいいことに、逃げ出そうと云うのだろう。

 ――どこまで狡猾なんだ!!

 と、キシリアの前で叫ぶことができないので、腹の底に、もやもやしたものが渦巻いて消えない。

 ぱたんと扉が閉まると、見送っていたキシリアは、まだ半笑いでこちらを向いた。

「その様子では、今はまともな話はできなさそうね。……改めるわ。また」

 そう云って、自身も部屋を出ていってしまう。

 後には、静寂があるばかりである。

「……クソったれ!!」

 叫んで、資料の束を床に叩きつけるのが、精一杯の八つ当たりだったが、それで怒りが解消されるはずもなく。

 皺のできた書類を、うんざりした気分で拾い上げることしかできなかった。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 12【転生】

 

 

 

 士官学校を進級してみれば、ニ年次は演習が目白押しだった。

 これまでの一年で叩き込まれた技能を活かしてみせろと、そういう事なんだろう。

 一年間、比較的上位の成績を保ってた生徒でも、いざ実践に移してみれば勝手が違って、苦心してる者は少なくない。

 自信喪失して早くも学舎を去った者が出るなか、愚痴泣き言のオンパレードでも、しぶとく齧りついてる連中が大半だ。

「調子はどうだ? “野生の御曹司”」

「ひどい呼び方だね、ロメオ。いつもと変わらないよ」

 ニコリと微笑みながら答えたのに、ロメオは露骨に眉をひそめた。

 相変わらずツンツンしてるね。割と可愛い顔立ちなのに、台無しじゃないか。

 何処にでも“合わない人間”ってのは居る。彼にとってのおれがそれに当たるのか、同寮生ではあるけど、事あるごとに衝突する――向こうが突っ込んで来るだけだけど。

 成績からいえば、ロメオ・アルファは常に10位以内をキープしてるから、ある意味、いつものメンバー的にはライバルに当たるのかね。

 下手な小細工を弄するとかじゃなくて、勝負も嫌味も直球だから、嫌いじゃないし、むしろ一本気過ぎてちょっと心配なくらい。

「俺が言い出したんじゃない。教官たちがあんたをそう呼んでるんだぜ?」

「誠に遺憾。シンの方がその呼び名には相応しいんじゃないかな?」

 ――ワイルドウルフ。ん、似合ってる。 

「どっちもどっちだ」

 そんな吐き捨てるみたいに。

 まぁね。ザビ家の御曹司のおれが、野営訓練で、もう慣れてますみたいな設営をしてのけたのが、教官たちには意外だったみたい。

 ついでに模擬戦闘でも、おれとキャスバルの部隊はぶっちぎりの戦績を叩き出すから、付いた仇名が“野生の御曹司”と荒野の悪魔”。何それキャスバルだけカッコいい。

 だってねぇ。“おれ”は傭兵部隊だって軍隊だって経験してるし。

 “前”からカウントすれば、士官学校だって二度目だし。

 できて当たり前のことだけど、そんなの誰も知らないからね。

 そんなズルっこ補正の“おれ”の上を行くキャスバルって、真正チートだよね!

 ともあれ。

「ロメオ、ブーツの留金が傷んでる。補強しておいた方がいいよ」

 頑丈なブーツの頑強な留金だけど、摩耗しない訳じゃない。ロメオのそれは、少し歪んでいた――ちょっと嫌な感じに。

「あんたが気にすることじゃない」

 目に見えそうな、拒絶と拒否の壁。

「それより自分の心配をしたらどうだ? 今度の行軍は、基本ひとりだろ。お取り巻きにお手々引いて貰えないんだぜ?」

 意地悪そうに歪んだ表情。

 お。そーゆー皮肉でくる?

「ありがとう。忠告感謝する。確かに僕は君たちに比べると体力に不安が残るからね、無理せずに行くよ」

 こんな良い子ちゃんの回答をしてやれば、途端に顔を顰める――怒りとバツの悪さに。

 そこで罪悪感みたいなものを感じちゃうのが君の甘いトコだよね、ロメオ。

 足音も高く去っていく後姿を見送ってれば。

『まともに構うな』

 キャスバルが思考波でピシャリと言ってくるのに、苦笑を返す。

 ちょっと離れたところから、一連のやり取りを察していたのか。

『可愛いじゃないか』

『無駄吠えする犬が?』

『仔犬だろ。それ本人に言ってやるなよ。また自主退学者が出るのは避けたい』

『この程度で折れるなら、今のうちに消える方が本人の為だ』

『お前が叩きすぎて心折ってんだよ!』

 ほんとにもう、未来のムンゾの戦力をお前が減らしてどーすんのさ。

 確かに、彼我の実力差も顧みずに無駄にキャスバルに挑んだ挙げ句、自信喪失するのは本人の勝手ではある。

 それにしたって、完膚なきまでに叩きのめすのはどうかと思う。せめて薄皮1枚残してやれよ。

『君はちっとも滅気ないじゃないか』

『……たまには手加減しろよ』

 いつもいつも容赦なく叩き潰しやがって。

 おれの繊細なハートはいつだってボロ雑巾みたいにズタズタだ。

 フンと鼻で笑う気配と共に。

『不要だ』

 ――……優しさプリーズ。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「整列。気を付け!」

 どうして教官って、クソ真面目な顔をすると、みな同じような印象なのかね?

 ずらりと並ばれるとクローンみたいに見える――頑張って見分けてるけど。

「これより重装行軍訓練を行う。背のう装備の総重量は40kg。これを背負ってルートを踏破し日暮れには帰営せよ」

 事前に通達されてるから、これはまあ確認だ。

 40kgってけっこー重たいんだわ。ついでにオヤツとか私物とか、コッソリ追加してたりすると、さらに増えるからさ。

 物語の中でもあった、重装行軍。

 ガルマ・ザビは途中で滑落して怪我してたから、色々と備えておくに越したことは無い。

 よっこらしょっと、一式担ぎ上げて、マップを再確認する。山あり谷あり。良くもまあこんな演習場作ったもんだね。

 だけど、道無き道をってほどじゃない。

 さて、サクサク行くかね。

 なんて。本当にサクサク進むキャスバルの強行軍について行ったら、最初は団子になってた生徒たちも、いつの間にか疎らになった。

「うわー、見晴らしいいな〜」

 作られた景色だとは分かってるけど、丘から見下ろす先の荒野は、なかなか圧巻。

 大きく伸びをしながら堪能する。

「ガルマは原野にいた方が活きが良いな」

「なるほど“野生の御曹司”」

 ヲイ。聞こえてるからな、シン。ライトニングも。

「ハイキングみたいでワクワクするね!」

 イヤイヤ、そこまで呑気で良いのかクムラン――って、頷くんだな、ベン。

 リノも、ルーもケイもまだまだ元気だし。

 流石にいつものメンバーは、このペースでも問題なさそう。

 行軍は個人成績だから、別につるむ必要はないけど、皆が同じくらいのペースを保てるとなれば、そりゃ纏まりもするわ。

 チラリと視線を寄越すキャスバルも、どことなく楽しそうだった。

「行くぞ。このあと降雨タイムがくる。ビバークできる場所を確保しないと」

「りょーかい。“シャア”」

 また、先を行く背中を追いかける。

 “空”を見上げれば、人工の雲が遠くに見えた。

 石と岩と土塊と。アップダウンのきつい行程を突き進む。

 ずっしりとした荷物が肩に食い込み、流石に少し体力が削られたと感じる頃になって、最初の通過点に辿り着いた。

 迎え出た教官が目を剥いている。

「Aポイント到着。随分オーバーペースだな、名前を」

「一寮。シャア・アズナブル」

「同じく一寮。“ガルマ・ザビ”」

「同じく一寮。シン・マツナガ」

「一寮、ジョニー・ライデンだ」

「はい、一寮。リノ・フェルナンデス、ルー・ファン、ケイ・ニシムラ、クムラン・ヒルベト、ベン・ショランダー、以上5名!」

 はいはい、おれたちが通りますよーと、ぞろぞろと足を進めれば、

「よし。1番通過9名――集団かよ……」

「また奴らか」

「ある意味予想通りだな」

「賭けにならんわけだ」

 教官達のヒソヒソ話が聞こえる。ヲイ、生徒を賭けの対象にすんなよ。

 振り返れば、今のは空耳かと疑うほど、生真面目な顔ばかりが見送っているのが見えた。

 その後も着々と距離を稼ぎ、B地点も無事通過。

 ゴツゴツとした岩場で降雨タイムを迎えることになった。

 巨岩が張り出した影は、ちょうど雨が凌げる。

 各自で丁度いい場所を見繕い、雨宿り――の、前に。

「はーい、おやつタイム〜。ひとり一袋ね」

 担いでた背のうから、隠し持ってきたシリアルバーを取り出して見せれば、場は騒然となった。

 この日のために実家から取り寄せといたんだよ、前に食べて美味しかったから。

 ナッツとドライフルーツとオーツ麦に、これでもかとゴールデンシロップとバターが投入された高カロリーフラップジャック。

 コックが凝ったみたいで、チョコレートコーティングかつ、中にはチェリーピューレまで仕込んである。

「えええ!? ガルマさん、持ってきちゃったの!!」

「マジでか!? いつの間に仕込みやがったんだよ!!」

「これは絶対に美味いやつ!!」

「スゲーよ! お前がネ申か!?」

「やったー!!」

 ワイワイガヤガヤと。

「ゴミのポイ捨ては厳禁。証拠隠滅は完璧に。痕跡は絶対に残すな。いいね!」

「「「「「おう!!!」」」」」

 ん。いい返事。クムランもベンもしっかり頷いてるし。

 苦笑してるシンと、呆れ顔のキャスバル返り見て。

「食べるんでしょ?」

「……ありがたくな」

 シンが陥落すれば、キャスバルも肩をすくめた。

 張り出した岩陰、キャスバルの隣に潜りこんで、雨風を凌ぐ。

 備品の防水布に包まって体温の低下を防ぎつつ、燃料を投入――フラップジャックに齧りついた。

 ザクリとした食感のあとで、ガッツリとした甘さがくる。

 強行軍を強いられた身に染み込むわ。

『キャスバル、こっちはおれ達だけな』

 保温ボトルから、熱々の紅茶を。

 流石にこれは人数分持ってくるなんて無理だし。

『……ブランデーまで用意してたのか、君』

『そうさ。好きだろ?』

 紅茶に垂らして飲むの――おれだけならウイスキーにするけどね。

 湯気にまじる香りに、薄く微笑む横顔を眺める。

『ガルマにかかると、行軍もピクニックと変わらないな』

『何言ってんのさ。ピクニックなら、もっと豪勢な昼食を用意しただろ』

 子供の頃。アルテイシアも連れて、近隣の公園までバスケットを抱えて歩いた。

 まだ小さな手で作ったサンドイッチは少し歪だったけど、キャスバルもアルテイシアも美味しそうに食べてくれた。

 二人とも、可愛くて可愛くて。

 “ガルマ”の、めちゃくちゃ幸せなメモリーの一つだ。

 キャスバルも思い出したのか、その青の瞳が面白そうにきらめいた。

『君は、アルテイシアに花を強請られて、木に登らされていたな』

『思い出すのそっちかよ』

 あのときは、うっかり落ちかけて大騒ぎだった。アルテイシアが大泣きして、慰めるのが大変だったっけ。

『……ズムシティに帰ったらさ、また公園に行こっか』

『そうだな』

 なんて。思い出に浸ってたいんだけど、ちょっとばかり懸念が。

『――放っておけ』

 って、キャスバルからは先制がくるけどさ。

『そーはいかんだろ。あれ、絶対にヤバいやつ』

 ビバークをしてるおれ達を追い越していく人影が――やっぱり君なのか、ロメオ。

 いつかのガルマ・ザビみたいに。こんな雨の中を強行したら、事故らない方がおかしいんだよ。

 ふぉう。出来れば濡れたくないんだけどなぁ。また熱出しそうだし。

 それでも。

『見捨てたら寝覚め悪いだろ?』

『別に』

 またそんなことを。

『しかたないなー。じゃあキャスバルは雨が上がるまでここに居て。万一のときには、おれの骨だけは拾ってよね』

 どっこいせー、と、荷物を担ぐ。

「『……本当に行くのか?』」

 睨みあげてくる眼差しに苦笑する。しかめっ面もイケメンだけどさ。

「『行くよ』」

 別に、ロメオの為なんかじゃない。おれはそこまでお人好しでも博愛主義でもないんだ。

 仄黒い感情が胸の奥で揺らぐ。

 全てはおれの為、来たるべき戦闘の為にだ。

 兵はひとりでも多いほうが良いし、“見捨てなかった”って事実は、後で美談になる。

 それはおれ達が蜂起するときの団結に繋がる――総じて、キャスバルを護る盾になるんだ。

 その為だけに、ロメオに恩を押し付ける。なんて打算。

 防水布を頭から被る。気休め程度だけど、無いよりまし。

 岩陰から出ると、途端に激しい雨粒が体を叩いた。

 降雨量は30mlだったかね。バケツをひっくり返したみたいな感じ。

 このザンザっぷりの中じゃ、視界は良くない。急がないと、姿を見失うじゃないか。

 足場が悪いから、相手もそう先へは行けないだろう事だけが救いだね。

 しばらく行けば、激しい雨音でかき消されそうな悲鳴が聞こえた。

 続くのは、ガラガラと石の崩れ落ちていくだろう音。

 ――ほら、やらかしやがった!

 焦りを抑えながら、声がした方へ慎重に足を進めてみれば、案の定、急勾配の先に倒れている影があった。

「………って、なにやってやがんの」

 地を這うような低音が口から落ちた。

 額に青筋浮きそう。

 ようやく見つけてみれば、近道のつもりか、ルートを逸れてるとはね。

 ふざけんな。こっちは危なすぎて敢えてルート外されてんだよ、ド阿呆め。

 ――ちょっと、生きてんの?

 その場に背のうを転がす。

 石を巻き込まないように、気を配りながら下りたところで、幸い、対象はまだウゴウゴしてた。

「うう、来るな!」

 なんて。

「そうだね。こんな雨の中、来たくなんてなかったよ、おバカさん」

 軋る声。

 おれの口から罵倒が出るなんて思わなかったのか、ロメオの顔に怯えが走った。

「脚、折れてる。めちゃくちゃ痛いと思うけど、上まで運ぶよ。ここは直ぐ水が来る」

 既に流れができ始めてるから。一刻の猶予もないんだ。

 この場に留まることはできないって告げるなり、ロメオの身体を引っ担ぐ。

 クソったれ。重てーんだよ。

「触るな!」

「触らないでどーやって運ぶの? 歩けるの?」

「〜っ、捨てていけよ!!」

「ここまで来た僕の努力を無にしてたまるか」

「なんだよそれ!?」

 ギャアギャア煩い、と、ケツを叩く。

「暴れないで。僕はそんなに剛力じゃないんだ」

 ただでさえ足場が悪いんだ。下手すりゃまとめて転がり落ちる。そんなのはゴメンだからね。

 流れてくる水は勢いを増してる。

 息が上がる。

 ゼイゼイ鳴る喉に気が付いたんだろう、ロメオは暴れるのを止めて、大人しく担がれるままになった。

「……なんでだ?」

 泣きそうな声が聞いてくるけど、答えてやれる余力はもう無い。

 雨で前が見えない。

 何度踏みしめても、足場がグズグズ崩れてく――クソが。ふっざけんな。

 止めよ雨!!

 ――寒い。

 ……温かいクラムチャウダーが飲みたい。

 ミネストローネでもいい。

 オマール海老のビスク。

 グラタンとかドリア。

 鍋とか、鍋焼うどんもいいな。

 鴨南蛮とか参鶏湯。

 ボルシチも堪らん。 

 ホワイトシチューにビーフシチュー……

 ここへ来てよ、ザビ家のコック。

 いつも美味しいごはんをありがとう。

 グラリ、と。

「『ふぉッ!?』』

 大きく足元が崩れた。

 極限の集中から、引き伸ばされたみたいな時間の中で、体が大きく傾いで行くのを感じる。

 ロメオを担いでいるから、バランスの修正に失敗――落ちる!!

 掴めるものなんかないと分かっていても、咄嗟に腕が伸びた。

 だけど、空を切るはずだった手が、がしりと掴まれて驚愕する。

 雨で煙る視界にすら鮮やかな、燃えるみたいなペールブラウンの瞳――底の青が透けて見えそうだ。

「間に合ってよかった。『……君は、なぜ、そこでコックを呼ぶんだい? ガルマ?』」

 ――…ふ…ぅおおおおぉう、キャスバルぅ!?

 思考波が突き刺さってくる。めちゃくちゃ怒ってるよこれ。

 掴まれた手もギリギリと――アイタタタタタ!!? 骨砕けそうなんだけど!!

 一気に涙目になった。それでも、それでもさ。

「やっぱり君はヒーローだね。『キャスバル』」

 剣呑な眼差しに、思わず笑いかけた。

「俺もいる」

 不意に、キャスバルのそれよりもぶっとい腕が伸びてきた。

「ベン! 君も来てくれたのか」

「みんな居る」

 力自慢は伊達じゃない。グイと引き上げられ、蟻地獄なみに崩れてく斜面からの脱出に成功する。

 へたり込みそうになったおれを支えたのはキャスバルで、背中からロメオを剥ぎ取ったのはライトニングだった。

「このバカ御曹司が!! こいつと心中でもしやがるつもりかよ!?」

 一髪殴らせろって、ヘロヘロの俺にそれは酷いんじゃないの?

「後にしろライトニング。まずは運び込むぞ!」

 シンが指示してる。後でも嫌だよ。

 ロメオと纏めて担ぎ上げられ、そのまま運ばれた先には、岩と防水布を活用した簡易テントが張られていた。

「あ! ガルマさんたち戻ったよ!!」

 クムランの叫ぶ声に、メンバーが一斉に飛び出してくる。

「怪我は!?」

「ロメオが脚を折ってる」

 答えれば、すぐさま処置が始まった。

 ベンにお姫様抱っこで運ばれてきたロメオが、テントの中で横たわる。

 舌を噛まないように布を噛ませて、ブーツを脱がす。留金が外れてるし――直してなかったのかよ。

 あり得ない方向に曲がった脚に、皆が顔をしかめた。

「僕の背のうは?」

 置き捨てて来ちゃったヤツだけど、一応聞いてみる。

「拾ってある。ほら」

 ――さすがキャスバル!

「救急キッドが入ってるから使って」

 簡易版と入れ替えといた。これで重量が増えてたけど、やっぱり用意してて良かった。今後の演習には必須って上申しとこう。

「クムラン、やれるか?」

 リノの声は硬い。

「うん。頑張ってみるよ。動かないように抑えてて」

「おう。ルー手伝え」

「ああ。ケイもそっち抑えて」

「しょーがねーな」

 標本みたいに貼り付けられたロメオを前に、ひとつ息を吐いて、クムランが手を伸ばした。

 メンバーの中で、一番支援に特化した彼は、応急処置にも精通している。

 ここは任せておこうと、テントの隅っこに丸くなった。

 痛みに呻き泣くロメオの声が。痛み止めは飲み薬だけで麻酔はない。可愛そうだけど、自業自得。

「どうする? 救援を呼ぼうか?」

 ルーの言葉に、

「イヤだ!」

 布を吐き捨ててロメオが叫んだ。

「それじゃ落後する……歩く! 歩くから…イヤだ。ごめんなさい。落後はイヤだ! 家族になんて言われるか……ごめんなさい、ごめんなさい……」

 えぐえぐ泣いてるのを聞いてみれば。なに、家庭事情複雑な感じか、これは。

 なんだかね。本家のガルマもそうだったけど、いっときの評価を気にし過ぎだよね。

 落後を怖がって、怪我をおして無理して後々に響くくらいなら、一度は落後しても、その後に挽回のチャンスを全力で掴みにいけよ。

 ヒトなんて、コロコロ手のひら返す生き物なんだ。

「どうするつもりだい、ガルマ?」

「どうもこうも。規範に従うなら救援を呼ぶしかない――けど」

 ふーっと、息を吐く。

 キャスバルの呆れた顔。だけど、そこに否定はないから。

「今から呼ぶより自力で踏破した方が早いかもね」

 ふんと鼻を鳴らす。

 結局、嫌いじゃないんだよ。そーゆー意地っ張りはさ。

 グルリと視線を巡らす先にも、反対意見は無いようだった。

「ひとまずは、ここで雨宿りだ。君達が“宮殿”を建ててくれたからね」

 言えば、どっと笑いが起こった。

 いつかの時間軸でガルマ専用だったソレにくらべて、今回のはだいぶ大きい。

「お気に召したのかい?」

「うむ、苦しゅうない」 

 怪我人もいて、非常事態でも、皆の表情は暗くない。ロメオさえも。

 しばらく待つと、雨は上がった。太陽を模した光が眩しかった。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 そして発熱である。

 そうね。あれだけビショ濡れになれば、想定された事態だよね。

 ぐわー。

 おれとしてはもう慣れた感覚だけど、不快なことには変わりない。

 ダルいー。

 節々イテェー。

「『反省しろ』」

「『……しております』」

 寮の寝台に横たわるおれの側で、キャスバルが腕を組んで椅子に座っている。

 めちゃくちゃ顰めっ面。背後に不動明王とかが見えそうで怖い。

 あのプチ遭難事件は、メンバー+Oneの帰営で幕を下ろした。

 作られた日没の最後の光が、人工の地平に消える頃、ようやくゴールに姿を現したおれ達に、野営地はちょっとした騒ぎになった。

 トップを走ってた筈の一群が消息不明になったと、あと少しで捜索隊が出るところだったらしい。

 ドズル兄貴は既に待ち構えていて、大きく手を振ったおれに、滂沱の涙を流していた。

 ロメオは、当然のことながら緊急搬送された。

 おっかない医官にガミガミ叱られながら運ばれていく彼は、売られていく子牛のように悲しい目をしてコチラを見たが、そこは黙って手を振った。

 さらば友よ。

 そしてあくる朝、今度はおれが熱を出したってわけ。

 軽く現実から逃げてるけど、その間も思考波は突き刺さってくる。

「『それは、何に対しての、反省だ?』」

 ううう。

 キャスバルからの威圧がヒドイ。上目遣いで、眺めあげれば、まだ眼差しはメラメラと。

 反省――無理やら無茶やらについては、“もうしません”は嘘になる。

 だとしたら、顧みて正すべき点はただひとつだ。

「『…………ピンチにコックは呼びません』」

 答えれば、キャスバルは大きく頷いた。

「『次は必ず君を呼ぶよ』」

「『そうしろ』」

 それはそれとして。

「“シャア”、君はそろそろ授業に出ないと。『おれは休むってセンセーに言っといて。後で医務室行くよ』」

「何を言ってるんだい。心配だから僕もここに残るよ。『君だけ残したら、医務室など絶対に行かないだろう』」

 ふぉ、読まれとる。

 だってあの医官怖いんだよ。処置は的確だけど手荒だし。

 もともと医者は全般苦手だけどさ。

 視線を反らすこと数秒。

 ハイハイわかったよ。わかりましたとも!

「『……医務室行くよ』」

 行けば良いんだろ。

 フシューっと蒸気機関みたいに熱々の息を吐いて、ベッドから身を起こした。

「『それで良い』」

 と、そこでノックが。

 こんなに早くに誰さと思えば。

「……シン? どうしたの」

 君まで何してんの。そろそろ始業時間じゃないのさ。

 我が校のトップ3が、揃ってサボ…お休みなんてことになったら、教官は慌てるだろうに。

 まぁね、その程度じゃ成績に響くよーなことはないけど。

「どうしたガルマ、具合が悪いのか?」

「ああ。熱を出したんだ。雨に濡れたのが原因だろう」

 キャスバルが肩をすくめる。

「大したことないよ。寝てれば治る。いま、医務室に行くとこだったんだ」

「そうか。では医務室にまで送ろう」

「僕だけで問題ない。シンは、僕がガルマを医務室に送って行ったと教官に伝えてくれ」

 キャスバルが答えると、シンは肩をすくめた。

 その表情を覗き込んで。

『ちょっと待ってキャスバル』

『なんだ?』

『シンの話を聞こう』

『……医官から逃げる気か?』

『そうじゃねーよ』

 いや、若干それもあるケドさ。そーじゃなくて、これ、早めに確認しといた方がいい案件かも。

「ねえ、シン、何がバレたのかな?」

 ズバリ切りこめば、シンの目が大きく見張られた。ビンゴか。

 思い返せば、シン・マツナガは、何度かそんな素振りを見せていた。

 ときには鎌をかけるようなことも。多分、この演習で、それは確信に変わったんだろう。

 ジッと見上げる先で、シンは大きく息を吐いた。その口元に上るのは、苦笑いだ。

「気付いたことに気付かれていたってことか」

「まぁね」

 やんわりと笑み返す。けど、おれの眼の中には欠片も笑みが無いことを察したんだろう、シンは、少し慌てたみたいに手を振った。

「どうこうするつもりは無い」

「君は、そうだろうな」

 キャスバルが指差した椅子に、シンは大人しく腰を下ろした。

 当のキャスバルは、おれの隣にドサリと座る。勢いで寝台ごとおれが揺れて、肩がゴスっとぶつかった。痛ェよ。

 睨んでもどこ吹く風だ。

 シンの苦笑いが深くなった。

「……そういうところだな」

「なにが?」

「“シャア・アズナブル”は、ガルマ・ザビに対して欠片も遠慮がない。そして、ガルマもそれを当たり前に許容している。まるで、兄弟か幼馴染のようにな」

 シンの目が細められて、その唇だけが動いた。

 ――“キャスバル・レム・ダイクン”。

 そうだね、おれの隣にいるのは、シャア・アズナブルじゃない。

 正体を言い当てられても、キャスバルの思考波は乱れなかった。だってそれは、すでに想定内だし。

「シン、君は去年のクリスマスパーティにも来てたね、父君の側にいたのを見かけたよ」

 大方、それで確信を深めたんだろ。

「ああ。ガルマはダイクン家の兄妹と一緒だったな。三様に華やかだと会場が沸いていたよ」

 社交辞令をどうも。華やかなのはキャスバル達だけな。おれは添え物だ。

『……ローゼルシアまで誑しこむと、議長に睨まれてたのは誰だ?』

『“ギレン”だろ』

 ローゼルシア様をエスコートしてたのは、おれじゃないし。

 やんわりと社交用の微笑みに切り替えたおれに、シンは寂しそうな顔をした。

 ごめんね。でも、もう少し試させてもらうよ。

「でも、気づいたのはそれだけじゃないよね?」

 囁きかける。隣でキャスバルも視線を鋭くしてる。

『ね、キャスバル。あの時、大きくルートを外れてたおれ達をお前が見つけられたのは、おれの思考波を追ったからだろ?』

 そうで無ければ、落ちていくおれの手を掴むことなど出来なかったはずだ。

 シン達は、きっと訝しんだろう。迷いもせずにおれを追ったお前のことを。

『ああ。……皆には、君の言葉から推理したと伝えたがな。無理があるのは認めるさ』

 苦々しい思考波がおれを叩く。

 確かにおれが無茶したせいだから、お前のせいじゃ決してないんだ。

 二人で見据える先で、シンは、そろそろと両手をあげた。

「参ったな。俺は…俺達は信用されてないのか?」

 どこか傷ついたような響きさえあった。

「それを確かめたいのは、僕らの方さ。ね、シン。みんな勘付いたんでしょ?」

 その双眸を覗き込む。真っ直ぐに。

 おれの眼の中に何を見つけたのか、シンの瞳孔が大きく開いた。緊張が伝わってくる。

「怖がらなくて良いよ。僕にひとの“心”は見えない」

 何となく感じるものはあるけど、ここで白状するようなもんじゃないし。

「全てお見通しでもか?」

「そこはパズルさ。ピースを組み合わせてけば、全体の“絵”が見える――だけど、それだけ」

 君がどう思ってるのかなんかは見えない。想像するだけだと、そう伝えて眉を下げれば、意外だったのか、シンは片目を眇めた。

「単刀直入に聞く。君達は“ニュータイプ”なのか?」

 うん。確かにズバリと。

 ジオン・ズム・ダイクンが提唱した、“新しい人類”の概念は、すでに世に知られている。

 我こそはと名乗る輩もいるほどに。そのどれだけが本物かは知らないけどね。

 キャスバルが薄く笑った。

「定義は難しいがな。“言葉に頼らずに意思の疎通をはかれる”ってことなら、僕とガルマはそうだな」

 事実だけを述べた言葉。

 シンは暫く沈黙して、それから長い息を吐いた。

「………なるほど。色々得心がいった」

 その頬には笑みが浮かんでいた。

 え、そこ笑うとこ? 相変わらず神経太いなぁ。

「だけど、このことは家族も知らないんだ」

「伝えてないからな」

「なぜ?」

 シンが首を傾げた。

「そりゃねえ」

「そのほうが色々と、な」

「イタズラの算段とか?」

 顔を見合わせて頷いたおれ達に、シンはブハッと吹き出した。

 すごい笑ってるんだけど。

「…ッ、…そんな、理由、で?」

「いまさら言い出しづらいだろ。めちゃくちゃ怒られる。“ギレン兄様”なんか吊るし上げてきそうじゃないか、物理で」

「……あり得るな」

 おれがブルブル震えたら、キャスバルも真顔で頷くから、シンの笑いは少しも収まらない。

 仕方がないから背中を擦ってやった。

「僕らとしてはさ、奇異の目で見られたく無いのもあって隠してたんだ」

「あんまり大っぴらにしたいものでは無いからな」

 正直に白状したおれ達に、シンは、少し考える様子を見せてから。

「では、俺達はこの先どうするのが良い?」

 そんな事を聞いてくる。

「そうだな。バレてるなら、皆と直接話したいな」

 キャスバルが顎に手を当てて、少し首を傾けた。

 今は色を偽った双眸がこちらを向く。

『取り込めるな?』

『もとより。もう仲間だと思ってるし、あんまり拒否されるとは思ってないよ。生理的に無理なら諦めるしかないけど』

 ここまで一緒に過ごして、為人も見極めてきた。団結も強めてきたし。

「『その辺は信じてるんだ』」

 コクリと頷くと、キャスバルもシンも、満足そうな顔をした――それぞれの心情は違いそうだけどね。

「では、就寝時間後に格納庫の北非常階段下に集合だ」

「コッソリね」

「無論だ」

 3人で額を合わせて悪い顔。

 と、そこでおれの危険察知アンテナがピリリと。緊張に気付いたキャスバルが、シンに注意を促す。

 おれが寝台に飛び込んだのとほぼ同時に、ノックもなく部屋のドアがバタンと開いた。

「お前たち、何をしておるかァ!!」

 怒声。ふお。サボりに気付いた教官が探しにきたか。間一髪だったな。

「イヤだ!! 行かない!!」

 先制して叫ぶおれに、シンはキョトンと目を見開いたけど、キャスバルは心得たもので。

「駄目だ、医務室に行くぞ!」

「いーやーだー!!」

 と、即席で言い合う。

 戸口で目を白黒させている教官に、シンが苦笑いを向けて頭を下げた。

「どうしたんだ?」

 ツカツカと教官が部屋へと踏み込んでくる足音が。

「ガルマが熱を出したので、医務室に運ぼうとしていたんですが……」

「必要ないって言ってるんだ!」

 キャスバルの苛立たしげな声に、おれも尖った声で答える。

 事態を察したんだろう教官の、長いため息が聞こえた。

「……ガルマ・ザビ」

 オッサンの野太い声に名前を呼ばれて、チラリと毛布から顔を出す。

 発熱は嘘じゃない。

 騒ぐ声に反して、だいぶ弱っているように見えるおれに、教官は幾分か焦った表情になった。

 分厚い手のひらが額を触り、更にその顔が顰められる。

「ガルマ・ザビ。医務室に行くぞ。体調管理も軍人の務めだ。無理をして大事に至ったらどうする」

 思ってたより静かな声が諭してきた。

「閣下を心配させまいとしてか?」

 それもあるけど。

『医官が怖いだけだろう』

『だーまーれー』

 混ぜっ返すなよ、キャスバル。

「ドズル兄様に“弱っちい”なんて思われたくないんです。それに、医務室にはロメオがいる……熱を出したなんて知ったら、また自分を責めるかも」

 昨日、運ばれていくときの悲しそうな顔を思い出すと、流石になー。

 教官は、なんだか物凄く複雑そうな顔をした。

 ダルいのも関節痛いのも、まあ、我慢できる範疇ではあるんだよね。

 どっこいせ、と、寝台から身を起こして。

「授業に出ます」

 ニコリと笑った瞬間に、問答無用で担がれた。

「ちょっ!? 教官!!?」

「ガルマ!?」

「教官!!?」

 おれ達の驚愕の声もなんとやら。

「バカ言うな。熱で沸いてまともな判断が出来ないんだろう。こいつはおれが運んでいくから、お前たちは直ぐに授業に出ろ。サボりは許さん!」

 厳しい声で、ふたりを追い立てつつ、おれを運んで部屋を出る逞しい背中に、額を押し当てつつ低く唸る。

 熱で湧いてる人間の運び方じゃないよねコレ!

 思い切り俵担ぎで目が回るんだががが…。

『……夜に迎えに行く』

『頼むわー……』

 呆れ気味のキャスバルの思考波に、力なく返した。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 12【転生】

 

 

 

 翌日になって、キシリアが執務室にやってきた。しかも、サスロを伴ってだ。

 厄介ごとのにおいがした。

 ――予言するよ。三ヶ月内で、ザビ家排斥の動きが急激に高まる。……

 “ガルマ”の言葉が途端に現実味を帯びてきて、話を聞く前からげんなりする。

「昨日できなかった話をしにきた」

 後ろ手に扉を閉め、鍵までかけて、キシリアは云った。セシリア・アイリーンも追い出されていたから、この部屋の中には“兄妹”三人だけだ。

「……厄介ごとだな」

「……まぁな」

「だが、我らにとっては好機でもある」

 ややげんなりした風なサスロとは異なり、キシリアは、いっそ嬉しそうですらある。

「馬鹿ものどもが動き出した。一気に蹴落とせば、今度こそ真に、ザビ家がムンゾを支配できるぞ」

「ジンバ・ラルが動いたか」

 息子の結婚で、世間的には多少なりとも落ち着いたと見られた老人は、やはり落ち着いてなどいなかったらしい。

 キシリアは、にんまりと笑った。

「そうだ。反ザビ家の若手議員どもと結んで、政権転覆と、ザビ家失脚を狙うようだ」

「今、われわれを追い落として、この先連邦とどうやり合っていくつもりなんだかな」

 サスロも、馬鹿々々しいと云うように肩をすくめる。

「そこは、親連邦の連中が咬んでいるんだろう」

「それで、ジオンが勝ち取ったムンゾの自治を、みすみす奴らに返還しようと?」

「連中は、自分の身と利権さえ守れれば、それ以外のことなどどうでも良いのだろうさ」

「……その馬鹿ものどもの、首魁は誰だ?」

 口を挿むと、二人のまなざしがこちらを向いた。

「……ダルシア・バハロだ」

 キシリアが答える。

 ダルシア・バハロ。それは、劇場版『めぐりあい宇宙』において、一年戦争後期にジオン公国首相の座に就いた男の名だったはずだ。息子がモナハン・バハロ、『UC』において、“袖付き”を影から動かした、ジオン共和国の国防大臣だった。フル・フロンタルの“サイド共栄圏”構想は、モナハンの考えであったと云われていたはずだ。

 だが、ダルシアの方は、経緯はどうあれ、ザビ家滅亡の切欠を作った――ソーラ・レイによって葬り去られるはずだったキシリアを、父から引き離し、生存させたことにより、ギレンが死ぬことになったのだから――男なのだ。

 四十二歳の若さで首相になったからには有能な男ではあったのだろうが、心の底では反ザビ家であった可能性もある。そして、ルート変更されたこの時間軸において、それが開戦前に噴き出してしまったと云う可能性も。

 何しろ、一年戦争時に四十二歳なら、今はまだ三十七歳である。例の“馬鹿手議員”たちと同年代なのだ。

 しかしまぁ、

「ダルシア・バハロか。もう少し賢い男かと思っていたが」

 議会においても、例の“馬鹿手議員”どもに近づくでもなく、かと云ってザビ家に擦り寄るでもなく、独自の立ち位置を確保しようとしているように見えたのだが。

「野心は、誰にでもあるものだろう」

 サスロは云うが、そうわかりやすく野心を見せなかっただけに、今回、反ザビ家の陰謀に加担することが、今ひとつ了承し辛かったのだ。

 が、そう云えば息子のモナハンは、執務室だかどこだかに、父・ダルシアとともに、ジオン・ズム・ダイクンの肖像画をも飾っていたそうだから、あるいは真正のジオニストで、それを捻じ曲げている、ように見えるザビ家に対し、含むものがあったのかも知れない。

 いずれにしても、ジンバ・ラルの焚きつけに乗って、慎重派のダルシア・バハロが参入したのならば、“馬鹿手議員”たちが調子に乗るのは、火を見るよりも明らかだった。

「議会内では、特に不穏な動きはないのか?」

 問われて、その“馬鹿手議員”たちの話をしてやる。

「最近は、特にこちらの耳には入ってこないな。だが、以前、そう云う輩から声をかけられたことはある。あれは“ガルマ”が大学に入学する前のことだったから――かれこれ三年は前のことだな」

「顔ぶれは」

「名前も思い出せんくらいの小物だ。……ただ、そこにダルシア・バハロが入るとなれば、話は変わってくる」

 ダルシア・バハロは、若手の中でも期待の星だ。落ち着いた風貌のとおりの慎重居士で、あちこちの会派から声をかけられてはいるが、特にどこに属するでもなく議員活動を行っていた。

 その男が、反ザビ家の一派に与すると云うのは、こちらからすれば由々しき事態であり、あちらからすれば諸手を挙げて歓迎となるだろう。

 何しろ、古株議員からも一目置かれるような男である。その影響力は、決して小さくはない。

「そうだな。行動力に弾みのついた連中は、必ずしかけてくる。だが、逆にそこが狙い目でもある、そうだろう?」

 キシリアは、またにんまりと笑った。

「若い馬鹿ものどもは、自信だけはあるが、実力が伴わんからな、そこで尻尾を出すだろう。われわれとしては、労せずして反対派を一掃するチャンスと云うことになる」

「そう上手くいくか?」

 対するサスロは懐疑的だ。

「所謂“若手議員”と云うのは、二世、三世議員が多いだろう。そうなると、親の代からの伝手が幾つもあるはずだ。そう云うものを駆使されると、意外に尻尾は掴みづらいぞ。仕掛けを待つつもりが、してやられる可能性だってある」

「――そうだな、それは否定できない」

 ザビ家のように、小さな一家が短期間でのし上がったのとは違う。かれらは小さなネットワークを幾つも抱えているのだろうし、それによって、裏社会とのつながりをもつ家もあるだろう。

 そのあたりは、家族すべてがほぼ詳らかにされているザビ家とは違う。

 そう云えば、キシリアが不承不承に頷いた。

「それに関しては、確かに気をつけねばなるまいな。――だが、好機であることも、また事実だ。そうではないか?」

「確かに」

 それこそ、ピンチはチャンス、だ。

 あちらにことを起こされれば、その一派を炙り出すことができる。ピンチではあるだろうが、そこを乗り切れれば、確かに反対勢力を一掃することはできるだろう。

 だが、問題なのは、上手く抑えこむと逆に、残りの反対勢力が、より深く潜ってしまうだろうことだ。反対派などと云うものは、ゼロになることはあり得ない。それが、こちらの目の届かぬほど深く潜ってしまったら、その動向を察知することすら難しくなる。

 そう云う輩が、それこそ1stの一年戦争末期のダルシア・バハロのように、ザビ家が弱体化したところを狙って攻勢をかけてくる、と云うのは、いかにもありそうな話だった。

「……一網打尽にするとしても、逃げた魚にマーキングすることは、怠ってはならんぞ」

 そう云えば、サスロもキシリアもはっとした顔になり、やがて真顔で頷いた。

「もちろんだ」

「そこは、ぬかりなくやる」

 ――頼もしいことだ。

 と思いながら、ゆっくりと頷きを返す。

「例え、近いうちに一波乱あったとしても、真に我らが力を問われるのは、連邦との戦いがはじまってからのこと。今ここで死力を尽くし、ムンゾの国力を下げることがあってはならぬし、ザビ家の力を使い尽くすことがあってもならない。真の敵が何処にあるか、われわれは、それを念頭に置きつつ行動せねばならん」

 そもそも、首相の一族であるザビ家にとって、耳を傾けるべきは国民の声であって、権力闘争の相手の怨嗟などではない。権力を持つ以上、闘争は不可避であるが、あまりそれにかまけては、本末転倒にもなりかねない。

「連邦に足許を掬われるな、と云うことだな」

「元より承知だ」

「それに加えて、フラナガン博士やミノフスキー博士、テム・レイ博士についても、それとなく監視させよ。そのようなことはないと思いたいが、怖気づいて逃げ出さんとも限らん。研究成果を連邦に奪われることだけは回避したい」

「……あの三人が、ムンゾを裏切ると?」

「わからん」

 だが、原作で亡命を試みたものがある以上、用心するに越したことはない。

 ひとの心は変わる。そうである以上、用心するに越したことはないのだ。

「疑り深いな、ギレン」

 キシリアが笑う。

「お前に云われたくはないぞ」

「俺から云わせれば、どっちもどっちだ」

「お前もそう変わらんだろう」

「つまり、疑り深いのが三人、と」

「必要なことだろう」

「まぁ、確かにな」

 とは云え、その“疑り深い三人”が、同じ方向を見つめてきちんと手を組んでいるのなら、これほど強いことはない。

「慎重に敵を炙り出せ。但し、やり過ぎるな。やり過ぎれば、窮鼠猫を噛む、全力で反撃されることになるだろう。連邦との戦いの前に、徒に疲弊する羽目になるのは御免被る」

「わかっているさ」

「三博士については、私の方で監視させるわ。私とても、ここまで手をかけたものを、自ら廃棄するのは忍びないもの」

「任せた」

 しかし、民意がどうのと云っているが、こちらの掴んでいるのは、あくまでもメディアの意見と“世論調査”とやらの結果、そしてわずかに入ってくる“伝書鳩”の情報のみである。“伝書鳩”を信じないわけではないが、かれらも人間だ、上司の意を斟酌し過ぎて、やや偏った意見を、無意識に選択していないとも限らない。

 考えてみれば、“ギレン・ザビ”になってこの方、議会と軍と家の、ごく狭い範囲を行き来するばかりで、実際に自分の目で、ムンゾ国民の日々の暮らしを見たりしたことはなかった。

 かれこれ六、七年それだ、そろそろ自分で街に出て、思いもしなかった意見に、頭を殴られるような経験をしてみても良いのではないか。

 もちろん、ズムシティはムンゾの首都バンチであり、例えばジョニー・ライデンの故郷のような、農業を中心とした牧歌的なバンチではない。いつでも、どんな国でも、都市と地方の意識の差はあり、地方と都市部の下層民は基本保守的なものだが――そんな層の意見を聞くとしたら、下町に出入りするに限る。

 ――あまりそちらに加担しても仕方ないが、しかし無視をすれば、反対勢力がそちらを取りこんで増長することにもなるからな。

 正面から“ギレン・ザビ”として行っても、何も聞き出せないか、あるいは声だけ大きな連中が、こちらに大挙して押し寄せてくるだけだ。本当の声は、それこそ飲み屋の愚痴などの中にあるのだろう。

 ――出てみるか。

 目安箱的な口を置いても良いが、それこそ声の大きな連中の意見しか集まらないのだろうし、所謂“サイレントマジョリティ”の意見は、日々の愚痴の中にしかないのだろうから。

「――何を考えている?」

 少しにやついてでもいたものか、キシリアに不審な面持ちで問いかけられた。

「なに、偶には羽根でも伸ばしてみるかと思ってな」

 “ギレン・ザビ”として、いつでも隙のない――“ガルマ”とのやり取りは除く――暮らしをしてきた。そろそろ、息抜きをしても罰は当たるまい。

 サスロは、微妙な表情で頷いた。

「あぁ、まぁ、そうだな……」

 その答えに頷きながら、次の休みの予定を、頭の中で組み立てはじめた。

 

 

 

 着古された革のジャケットとダメージの入ったブラックデニム、黒の安手のTシャツに、足許はくたびれたワークブーツ。薄い財布にウォレットチェーンをつけて、尻ポケットに捩じこむ。シルバーのチェーンは、あちこちが当たって潰れていて、年季だけは入ったものだ。

 仕上げに髪を下ろしてしまえば、鏡の中には、四十絡みの不良オヤジが現れた。

 ――ふん、これならバレないか。

 “ギレン・ザビ”のトレードマークのようになっているオールバックを下ろせば、印象はがらりとかわるものだ。衣装もすっかり変えたので、この姿を見て“ギレン・ザビ”と判別のつくものはないだろう。

 何となく、首許が淋しいので、白黒のアフガンストールを巻きつける。これで、火星出身の元警備員“オルガ・イツカ”の出来上がりだ。

 今日は、この恰好で、タチ・オハラと市街で落ち合うことになっているのだ。一緒にディナーを、と云うと、何とも云えない顔をされたのだが。

 メイドたちの目をすり抜けて、裏口から外へ出る。

 今日のスケジュールをデラーズに問われて、“市中に出る”と答えると、警護のものをつけていけと、それはもう煩く云われたが――街中に出るのにそんなことをすれば、“ギレン・ザビここにあり”と喧伝するも同然だ。

 それに、久しぶりに、独りの気ままな時間を過ごしたくもあり、こうして出てきたと云うわけだった。

 ボトムスのポケットに手を突っこみ、少し前屈みに、大股で歩く。重いブーツの底が、アスファルトをどかどかと叩く。

 190cmを超える大男がそうして歩いていると、いかにも柄が悪そうに見えるのだろう。すれ違うにも少し避け気味にされているあたり、こちらの正体になどまったく気づいていないようだ。

 思わずにやにやしながら、目的地へ向かう。傍目には、怪しいこと極まりない雰囲気だろう。

 夕方のズムシティを、まっすぐに歩いてゆく。本当なら、公共交通機関を使うべきなのだろうが、時間もあることだし、街中の様子も見ておきたい。

 出稼ぎ労働者に見えるかどうか、あちこちのウインドウを冷やかしながら、目的地へと向かう。

 丁度退勤時刻で、あちこちのオフィスから吐き出されてくる人びとが、歩道に溢れていた。

 どの顔も、今日の仕事に疲れていたが、鬱積した不満を抱えていると云うほどでもなさそうだ。つまりはごくありふれた、日常の一場面だった。

 タチとの待ち合わせ場所は、以前車中から見たことのある、下町の雑貨屋の角だった。消火栓にぼんやりとまなざしを注ぎ、ハンチングを目深に被った男が立っている。丸眼鏡とくたびれたコート、タチ・オハラに間違いない。

「……タチ」

 声をかけると、相手は胡散臭そうに顔を上げ――次の瞬間、目玉が飛び出しそうなほどに目を見開いた。

「か、かっ……!」

「おっとストップ、“俺”は“オルガ・イツカ”だ。OK?」

 唇に人差し指を当てて片目を閉じると、タチは、壊れた人形のようにこくこくと頷いた。

「……待ち合わせ場所にここを指定された時には、どうなることかと思いましたが……確かに、その恰好では、誰にも悟られることはないでしょうな」

「まぁ、皆の印象では、“私”はオールバックでスーツか軍服、と云うのが定番だからな」

 だが、だからこそ、こう云う砕けた恰好で誤魔化せるのだ。

「屋敷を出た時も、誰にも見咎められずに来たからな。デラーズは、今ごろ大慌てかも知れないが」

 最後まで護衛をつけると云って聞かなかったので、実力行使と云うか、まぁ騙し討ちで出てきてしまったのだ。もしかすると、メイド頭くらいは見ていたかも知れないが――止められなかったからには、見ないふりをしてくれたのだろう。

「そりゃあそうでしょうよ。……連絡は、入れなくても?」

「大勢でぞろぞろこられたら、この恰好でいる意味はねぇだろうが。……で? 連れてってくれるんだろ、“イイとこ”に」

「……勘弁して下さいよ」

 云いながら、タチは、暑くもないだろうにハンカチで汗を拭い、ハンチングを被りなおした。

「この少し先です。行きましょう」

「あぁ」

 頷いたところで、後ろから衝撃があった。

 思わず振り返ると、腰に取りついていたのは、とても良く見た顔だった。何なら、今朝も見た、朝食の席で。

「ギレンさん!」

 叫んだのはゾルタン・アッカネンである。

 見れば、向こうからはアムロと、その袖を引っ張るカイ・シデンもやって来ている。

 なるほど、昨今はゾルタンも、アムロとカイの“冒険”についていっていると聞いてはいたが、本当だったのか。

「ゼッテー違うって! しかもヤバそうだし! おいアムロ!」

 カイは止める風だが、アムロの方は、ゾルタンと同じような、きらきらしたまなざしを向けてきている。

 ――これは、バレてるな。

 どうしてわかったのかは知らないが。

「やっぱり! ギレンさんでしょ!」

 アムロまでが大声で云うので、屈みこんで、その顔を覗きこむ。

「“俺”は、“オルガ・イツカ”だ、ボウヤたち」

 そのもの云いに、何やらごっこ遊びでもしていると思ったのか、二人は一瞬きょとんとして、それから力強く頷いた。

「わかった、“オルガ”さん」

「オルガでいい、“さん”はいらねぇ」

「オルガ」

 頷きあって、繰り返す。

 カイ・シデンはと云うと、タチに気がついたようだった。

「あ! アンタ……ってことは、ホントに?」

 こちらの名前を口にしないのは、大した用心深さだ。

 にやりと笑って返すと、天を仰がれた。

「マジかよ……何でアンタがこんなとこに?」

「タチが、飯が美味くて面白い店があるからってな」

 子どもたちのまなざしを一身に集めたタチが、慌てたように首を振る。

 まぁ、正確に云えば、庶民の愚痴が聞ける店の中で、料理が美味いところに連れていけと云ったのだ。他に目的があるにしても、飯が不味いでは話にならない。

「行きたい!」

 叫んだのはゾルタンだった。

「美味しいご飯って、ズルイ! 俺も食いたい!」

「……あんだけ美味い飯食っといて、何が不満なんだよ……」

 カイは云うが、まぁ、ゾルタンの気持ちもわからぬではない。

「外メシってな、美味く感じるからな……」

 場の雰囲気もこみで。

「俺も行く〜!」

 ひっつき虫だ。

「……ゾルタン……」

 アムロが、困ったような、自分も加担したいような、微妙な顔でこちらを見た。

「……子どもも入れるような店か?」

「飲み屋に毛の生えたようなもんですよ?」

 子連れもいなかありませんがね、とタチは云う。

「よし、それなら今回だけ、おじさんが奢ってやろう」

「やった!!」

「え……いいの?」

「マジかよ……」

 三者三様の表情を見せる子どもたちに、“但し”と続ける。

「家にはきちんと連絡を入れろ。料理を用意されてたら無駄になる。あと、俺の名前は出すなよ。面倒臭いことになる」

 特にゾルタンとアムロは、デラーズに直結することになる。居場所が知れたら、ちょっとした騒動だ。

「うん!」

「わかった、タチさんのにするね」

「ちょっと!」

「あー、俺はアムロたちと一緒って云っときゃヘーキかな……」

 それぞれが家に連絡を入れ、やがてすっきりしたような顔で戻ってきた。

「大丈夫!」

「行けるよ!」

「……ゴチになります」

「よし」

 それでは、行くとするか。

 タチを振り返ると、盛大な溜息が返ってきた。

 

 

 

 件の店は、本当に場末の、元々のアレ的に云えばチェーンでない居酒屋、しかも中年以上の男しかいない店、と云うものだった。給仕の女たちも年増以上で、つまり色気の欠片もない。コップ酒で職場の愚痴やら、世情のあれこれやら、管を巻く輩の多い、なるほど、こちらの希望に沿うような店だ。

 料理も洒落たものはなく、ただ肉を焼いたようなのや煮こみもの、それからソーセージやチーズの盛り合わせやらミックスナッツやら、酒の肴やつまみになるようなものばかりである。

「おやま、坊やたち、悪い人に騙されてるんじゃないだろうね?」

 出迎えてくれた女将らしき老女は、ユーモアたっぷりに片目を閉じたが、子どもたちは元気にそれを否定した。

「大丈夫! 美味しいご飯食べさせてもらうんだ!」

「一応、保護者です」

「……まぁ、身元は怪しくはねぇよな……」

 カイだけは、やや尻すぼみな声だったが。

 女将は、明るく笑った。

「そんなら良いよ。おいで、この人数なら、大きなテーブルが良いだろ」

 そう云って、壁際のテーブルを寄せて、場所を作ってくれた。なるほど、こう云う女将のいる店なら、立地の割に宜しからぬことはないのだろう。

「……期待して良さそうだな」

 料理の方も。

 飲みものと、かるく揚げものやら盛り合わせやらを注文すると、女将は、恰幅の良い身体を揺らして去っていった。

「私としては、あなたがどうしてこんなところの風をご存知だか、お聞きしたいところですがね」

「どうもこうも、学生の時には、こう云うところを使うだろう」

「そんなものですかね……」

 私は、高卒で兵学校に入って、その後はラル様の下に配属されたので、よくわかりませんよ、と云う。

「そうか。俺は一応、上まで行ったからな――オヤジが、学長だったんでな」

 どうも、そう云う話らしいのだ、『the ORIGIN』では。

「それで、ジオンのあれこれでいつの間にやらコッチの道に、ってことだ。学生闘争の延長だな」

「あぁ、連邦の連中とやり合ったんでしたっけね」

「あの頃のムンゾ政府は、連邦の傀儡みたいなモンだったからな……」

 運ばれてきた酒で、喉を潤す。

 と、

「……ありゃあ、政府が弱腰なんだ!」

 突然、向こうのテーブルから怒声が上がった。

 ――酔っぱらいか。

 それにしては、まだ宵の口もいいところだが。

「仕方ねぇだろ、連邦とまともにやり合えるわけがねぇ」

 連れらしき男が、宥めと苦笑と半々な声で云っている。

 見れば、どちらも白髪頭の老人だ。勤め人でないのなら、これくらいの時間に既に出来上がっていても仕方ないか。

「何だろうが、云うべきことは云うべきだ! それだから、ガルマ坊ちゃんの時にも、奴らの責任を有耶無耶にしたんだぞ!」

「まぁ、ジオンが生きていれば、もっと違ったんだろうがな」

「そうとも! ジオンは偉大だった! デギン・ザビでは話にねらん! ジオンの栄光を再び!」

「……いつの世も、ああ云うのは老人の科白なのだな」

 自分の境遇を愚痴る代わりに、“世の中の理不尽”をくさし、それを代替行為にして鬱憤を晴らす――そのうち、その意見は右傾化、あるいは左傾化して、市民運動に身を投じたりすることになるのだろう。総じて、知的レヴェルが高めであれば左傾化し、そうでもなければ右傾化しがちなのは、“愛国心”に理論武装があまり要求されないからか。

「……市民には、上つ方の政治的駆け引きなんかは無縁ですからねぇ」

 ぼそぼそ返すタチの横で、カイは少し鋭い目つきで、その老人たちを見ていた。

「――多いぜ、あぁ云うの」

 やがて、ぽそりと云う。

「あぁ?」

「失業率、下がってるって、ニュースとかじゃやってるけどさ。それって若い奴らのことで、おっさんやジジイは雇い止めとかあるんだろ。大企業がムンゾの外に出てくようになって、金回りはよくなったけど、小さい子会社とか孫会社とかじゃ、外に仕事を取られたってとこもあるみたいだし……」

「まぁ、大企業が潤ったところで、一番末端まで回るのは、随分経ってからだからな」

 しかも今回は、戦争がその先に待ち構えているのだし。

「それをどうにかすんのが、アンタの仕事じゃねぇのかよ」

「確かに、それも含まれる。が、直近の仕事は、それじゃねぇ」

 戦争への備えだ。ムンゾが連邦に蹂躪されないための。

「なら、政治って、何のためにあるんだよ!」

 カイが叫んだ。その掌が、激しくテーブルを叩く。

「……声を落とせ、ボウヤ」

 そう云って、片肘をついて、ソーセージにフォークを突き立てる。そのまま噛みちぎると、少年の顔が歪んだ。

「……アンタも、そんな行儀の悪い食い方できんだな」

「名家の出ってわけじゃねぇからな」

 少なくとも、“中身”の方は。

 フォークを持ったままで、酒を呷る。晩餐の席では、絶対にできない食べ方だ。

 ザビ家は、ジオン・ズム・ダイクンとともに台頭した一族であり、家としては、下層階級からではないにせよ、成り上がりもいいところだ。ザビ家を心良く思わぬもののうちには、それに反発するようなものも含まれているのだろう。

「話を戻すが、政治ってのは調整だ。軍は戦争をしてぇ、役所は金を使いたくねぇ、そう云う時に、落としどころを見つけるのが政治の仕事だ。挙句に、俺には経済はわからねぇ。何が一番の対策だかは、さっぱりわからねぇんだ」

「だけど……」

「それに、金回りだけ考えてりゃいい、ってモンでもねぇだろ。金回りが良くなっても、後でドンっと下がるんじゃ意味ねぇしな」

 元々の、バブル期のことは憶えている。社会に出た時には、すっかりバブルが弾けた後だったが、その後の冷えこみようと云ったらなかった。例の“失われた二十年”と云う奴である。

 いつの世も、経済だけはままならぬ。

「政治の仕事ってな、その辺の調整をすることだ。――だがまぁ、一番には、自国の国民の生命と財産、そして権利を守ることだな」

「……それ、守られてんのかよ」

「まぁ、テメェの利権を追っかけるので精一杯なヤツぁ多いな」

 権力は腐敗するのだ。いつでも、どんな権力でも。

「はい、お待ち!」

 会話の途切れたところで、タイミング良く女将が料理を運んでくる。

「わぁ……!」

 ゾルタンの目が、きらきらと輝いた。

「ステーキだよ。坊やたちにも食べやすいように、コロコロに切ってあるからね」

「いいにおーい!」

 焼けた肉とスパイスのにおいを、胸いっぱいに吸いこんだ子ども二人が、満面の笑みを浮かべた。

「しっかり食べて、大きくなるんだよ!」

 この人みたいにね、と云って、女将はこちらの背中を強く叩いてきた。

「……ひでぇな」

「何云ってんだい、どう見てもふらふらしてる大人なんざ、多少手荒い扱いになったって仕方ないだろ」

 初対面の人間に、よくもつけつけと云うものだ。

「俺は、こいつらの親父じゃねぇぞ」

「それならなお悪いね。駄目な大人の見本じゃないか。ほら、そっちのアンタもだよ!」

 返す刀でタチを斬る。

「わ、私!?」

「そうさ! まわりの大人が、しっかり手本にならないとね! マルク、ジオ、アンタらもだよ!」

 叫ばれて、跳ね上がったのは、先刻騒いでいたあの老人たちだった。

「ヒデェなエヴァ、俺たちゃ真面目な勤労老人だぞ!」

「そうだそうだ、仕事上がりの一杯に楽しみを見出してる、つましい年寄を虐めんなよ!」

「一杯じゃきかないだろ! 管巻いてばっかの、駄目な年寄じゃないかね!」

 云い返して、女将はカイの頭をくしゃりと撫でた。

「アンタたちみたいな子どもらが、ムンゾの未来を作るんだからね! 愚痴ばっかりの大人なんぞにゃなるんじゃないよ」

「……ハイ」

 カイは、おとなしく頷いた。

 女将は、宜しいと云うように頷くと、また厨房の方へと戻っていった。

 見れば、店内はいつの間にやら満員になっている。老若男女――いや、女はほとんどいないか――、様々な人びとが、てんでに喋り合っている。その表情は、酔いのためにかはしゃぐような風で、顔色もほんのりと赤く染まっている。愚痴をこぼすにしても、声高に云うでもなく、どちらかと云えば、職場の人間関係やら何やら、口角泡を飛ばす様子もない。

「……中々、生の不満を聞くってのは難しいな」

 自分がかつてそうであったように、政治や社会に対する不満と云うのは、ニュースや新聞など、メディアの報道を見ながら云うことが多いのだろうか。メディアの政権支持率などは、どうとでも作れるのはわかっている――デギン・ソド・ザビが、そう云う方面に権力を用いているとは思いたくないが――ので、実際の声を聞きたかったのだが、どうやら失敗のようだ。

「やっぱり、お前にかかってるな」

 と云いながら、カイの頭を撫でると、片目を眇められた。

「俺が、何?」

「お前みたいな人間がいないと、上の方の連中には、下々の状況はわからねぇってことさ」

 メディアの役割は、もちろん、政治や経済のトップたちの動向を人びとに知らせ、不利益がありそうであればそれを喧伝し、不正があれば告発することだ。だが逆に、下々の暮らしの実態を、上の方にいる人間たちに知らしめる役割もあるのだと思う。

 例えば、貧困家庭の現状だとか、研究費を削られた学者の苦境だとか。企業の内部告発から、腐敗や汚職の実態を炙り出すのも、ジャーナリズムなしには成立し得ないだろう。

 もちろん、国家機密などをすっぱ抜かれるのは困る――国家間の密約などは、ものによっては両国の友好関係に罅を入れることもあり得る――が、しかし、適度に風を入れなくては澱んでいくのは、どの世界でも同じことだ。

「――俺、役に立ってんの?」

 小さく問われたその言葉に、灰色の髪をかき混ぜる。

「あぁ、立ってるな。俺の耳にゃ、失業率以外の景気の悪い話なんざ入ってきやしねぇ。お前の聞いてきたことが、俺のこの先の行動指針になるってことだ」

 あるいは、すべきでないことの指針になることも。

 カイは、考え深げに首を傾げ、云った。

「……俺、アンタに云われてから、ずっと考えてるんだ。俺、意外とこう云うの好きだ――いろんなものを見て、いろんな人の云うことを聞いてさ。……記者とかになろうかな、って」

「いいじゃねぇか」

 フリージャーナリスト、カイ・シデンの誕生、と云うわけだ。

「……フェデレーション・ポストとかに入っちまうかもよ?」

「構わねぇよ」

 フェデレーション・ポストは、連邦系の新聞社である。

「ジャーナリズムの本懐は、権力に対する監視だろ。別に、連邦の会社じゃなくても政権批判はできるし、連邦寄りの記事だって書ける」

「……あぁ」

「要は、お前の軸がしっかりしてるかどうかだ。上役から、記事の内容を咎められて、それでも修正を拒んだりできるか。あるいは、安定した経済基盤を失っても、伝えるべきことを書き続けることができるか」

「忖度を要求されることは、部署によってはあり得ますからね」

 タチも、口を挟んでくる。

「……まさか、お前はそんなことしてねぇだろうな?」

 思わず問うと、慌てたように首を振られた。

「私の位置で忖度してどうします! 都合の良くない報告も全部上げろとおっしゃるのは、一体どこのどなたですか!」

「直属の上司だろ」

 つまりは自分だ。

 “昔”の部下――しかも、諜報部――が、情報を寝かせて上げてこないことがままあったので、こればかりは厳しく云ってある。“ある程度育ててから上げようと思った”などと云われたが、人材育成ではあるまいし、とにかく報告してくれば良かったのだ。こちらは半分は娯楽のような気分――聞いて即どうこう云うわけでもなく、単に知りたいだけ――だったので、それを阻害されるのが厭だったと云うのもある。それに、単なるゴシップが、政界を炎上させる大事件に発展することもある。とにかく、こう云う仕事は、情報が大事なのだ。

「まぁ、忖度がなくて結構なこった。――ともかく、そう云うことだ」

「……アンタは」

「あ?」

「アンタは、ホントは何がしたいんだ?」

 少年のまなざしが、まっすぐにこちらを見た。

「何、何ねェ……まぁ、大きく云やぁ、世界を変えたいんだ」

 1stと『the ORIGIN』の、ザビ家が世界を敵に回すような流れではなく、さりとて連邦にスペースノイドが搾取され続けることもない世界に。

「世界を変える?」

「デカい話だろ」

 ある意味では、ジオン・ズム・ダイクンの正当な後継のようでもあるが、しかし、ジオンや“ギレン・ザビ”のような選民思想は好まないので、まったく異なる立ち位置だとも云える。

「そうだな……だから、もしもお前が新聞記者にでも何でもなって、俺がきちんと世界を変えられてたら――その時には、インタビュー記事のひとつでも書いてくれよ」

 それは、最高に楽しい話ではないか。

 カイは、ぽかんと口を開け。

 やがて、きりっと唇を締め、こちらをじっと見つめてきた。

「……言質取ったぜ」

「あぁ、待ってるさ」

 そう云って片手を上げると、カイも同じように手を上げた。

 拳どうしがごちんとぶつかる。

「約束だ」

「あぁ」

 頷きが返る。

 少年の中には、既にジャーナリストの魂が宿っていて。

 それを自分が導いたことに、若干の満足を感じながら、薄くなった酒を、祝杯とばかりに呑み干した。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 13【転生】

 

 

 

「『君は呑気だな』」

 そんな“声”が聞こえた。

 鉄槌を振り下ろされる夢に、悲鳴を上げながら、身を躱して飛び起きる。

 寸前まで横たわっていた寝台に、深々とキャスバルの拳が打ち込まれていた。

「チッ」

 ――ちょッ、おまッ、舌打ち!

「『何すんのさ!?』」

「『起こしてやったんだ』」

「『危うく別の世界で目覚めるところだったわ!』」

「『大袈裟に騒ぐな』」

「『お前が騒がせてんだよ!!』」

 そんなやり取に、ブククと吹き出す声があるから目を向ければ。

「……それが素か。元気そうだな、ガルマ」

 えらく楽しそうな、シン・マツナガの姿が。

「シン、居るならこの暴君を止めてよね」

 プクリと膨れてジト目で睨む。

 くそ。猫皮が剥がれたじゃないか。キャスバルめ。

 瞬間の極限緊張で、眠気はスッカリ飛んでいた。

 まぁね、いままでゆっくり休んでたし。おかげで熱もすっかり下がってる。

 うんっと伸びをして、寝台下のブーツに足を突っ込んだ。

 着替えはないから患者服のままだけど、と、そこは抜かりないキャスバルがジャケットを投げつけてくれた。

 その顔には、いつもは掛けてない色付きグラスがあった。

 ん。カラーコンタクトは外してるのか。

「さて。皆はもう?」

「非常階段下に集まってるはずだな」

「次の見回りまでの時間を逆算すれば……1時間半くらいは余裕があるか」

 それじゃ、こっそり抜け出すかね。

 そろそろと、連れ立って暗い廊下を行く。

 救護室のある棟から格納庫までは遠くないから、急げば数分で到着する。

 北非常階段下は、その場からは案外見晴らしが良くて、“敵”の接近を察知しやすいのに対し、外からは陰になって見つかり難いって利点があった。

 そして、何より、この条件は殆ど知られていない――ここを教えてくれたのは、卒業していったイアン先輩だ。

 一体何に使ってたんだかね。それは教えてくれなかったけど。

「お待たせ〜」

 スルリと身を滑り込ませれば、メンバーはみんな揃ってた。

「お。来たか御曹司、熱は?」

「無理してない?」

 ライトニングの手が額にピタリと。

 クムランも顔を近づけて様子を探ってくるから、ちょっと擽ったいような気持ちになった。

「心配かけてごめん。気にしてくれてありがと」

 ヘラリと笑うと、皆もホッとしたような顔に。

「早速だが、本題に入るぞ。時間が無い」

 緩みかけた空気が、シンの一言で引き締まった。

 みなの輪の中に、“シャア”――キャスバルが一歩足を踏み出す。

 その手がグラスを外すと、暗がりにすら鮮やかな青い瞳が顕になった。

 ふっと、誰かが息を詰める気配。

 おれもスルリと、キャスバルの隣に並ぶ。さて、どう白状したもんかね。

 悩む間もなく。

「“シャア・アズナブル”改め、キャスバル・レム・ダイクンだ」

 ふぉう。ストレートにいったなヲイ。

 対する皆の反応と言えば。

「……あ〜。元々バレバレだったけどよ。これで無駄に誤魔化す苦労が減ったぜ〜」

 肩凝ってた、なんて、リノはグルグルと肩を回し始めた。

「うん。隠してるつもり…みたいだったから、突っ込むわけには行かなかったし。な?」

「そーそー。そもそも距離感と関係図がおかしーんだお前ら。首相の息子を顎で使う庶民の息子ってなんだよ。ついでに、俺ら本物のシャア知ってんだぜ? 違いすぎんだろーが」

「クラス違うけど、ハイスクールは一緒だったんだよ、俺たち」

 ルーとケイが愚痴るみたいに零した。

「別人だ」

 ベンも重々しく頷いてるし。

「クリスマス休暇、御曹司の屋敷に厄介になったろ。そんときもお前ら、いつもと全然変わらなかったじゃねえか。少しは取繕えっての」

 ライトニングは大仰に溜息をついた。

「本当に、僕たち知らんぷりするの大変だったんだからね!」

 クムランがプンスコしてくる。けど。

 怒ってるのは、知らぬふりの苦労であって、隠してたことそのものについてじゃないらしい。

 あれ、思ってたのとちょっと違う。

「……もっと責められるかと」

 拍子抜けである。

「どうせ、ギレン閣下とかに秘密にしろとか言われてるんでしょう」

「うん。こーんなに目を釣り上げてた」

 びろーん、と両目尻を狐みたいに吊り上げて見せると、クムランはブフゥっと吹き出してから、サッと青くなった。

「え、じゃあ、もしバレたと知られたら…」

「……退学とかは、無い、よな?」

 ケイも顔色を悪くしてる。

「どーだろ。無い……と、思いたいけど」

 今後の展開を考慮すれば、ここで士官学校をリタイアさせるのは得策じゃ無い。

 だけど、想定外にやらかすおれ達に、“ギレン”はこのところオカンムリだ。

 キャスバルをチラ見すれば難しい顔が。

「元々、ギレンは僕たちが士官学校へ行くのを快く認めたわけじゃないからな」

「……だね。条件は、ムンゾ大学に編入かつ2年での卒業。僕ら14歳だったんだよ?」

 あの怒涛の受験勉強を振り返っても、マスター・ヨーダの微笑みしか思い出せない。

 記憶の再生を脳が拒否してるんだろう。

 おれとキャスバルを除く面子は、顔を突き合わせて、短い談義――って言うより意思の擦り合わせかな――の後、それぞれが重々しく頷いた。

「じゃあ、“このこと”は、これまで以上に秘匿するように皆に通達だ」

「うん。知られていることを決して気取らせるなと」

 ――……?

「ちょっと待って。皆って誰? ここに居るメンバー以外ってコトだよね?」

 嫌な予感に、背中に冷たい汗が。

「うん? とりあえず一寮生全員と…」

「むしろ2年組かな?」

「だな。と言うか、学年限らす生徒は殆どそうだろうな」

「教官もだろー?」

 って。

 ――うェえええ!?

「だだ漏れじゃないのさ!!」

 つまり学校中が知ってるってことかよ。

 頭を抱えて叫べば、「そうだよ」と多重音声が。

 隣でキャスバルは『解せぬ』とか眉寄せちゃってるけど。

 うわぁ。思ってたのと違うAgain。いや、数百倍酷いわコレ。

 どーすんの。どーするんだおれ。フォースの導きに従えば良いのか。

 助けてヨー…キャスバル。

 緑の老宇宙人に助けを求めようとしたら殺気を感じたので、大人しく幼馴染にヘルプを乞う……って、お前も当事者だからね?

 アワアワするおれに。

「少なくとも一寮生と2年組は、君達に忠誠を誓っているから問題ない」

 いや、待ってシン。おれ達が忠誠を誓うべきは“ムンゾ”だろ。

「3年はラム先輩達が抑えてくれそうだしな」

「そーすっと、卒業生はグレーデン先輩達がなんとかしてくれるか」

「一年は大体丸め込み終了してるしな」

「教官達はどうする?」

「あ、僕、思いついたんだけど、厨房員から手を回して貰おうよ。あっちはガルマさんの支配下だし」

「なるほど」

 いや、何が“なるほど”だよ。

「大丈夫、俺達で隠蔽するから」

「君達は何も心配するな」

「学び舎を去るようなことにはさせないから安心してよ」

「一緒に卒業しよーな!」

「俺のコミュニケーション能力が火をふくぜ!」

 物凄くいい笑顔で皆が請け負う。背後に真っ黒な翼とか尻尾とかの幻影が見えるのは何故だ。

『君の影響だな、ガルマ』

『そんな莫迦な』

 ええと、それから。

「――じゃあ……僕たちが、“ニュータイプ”、だってコトは?」

 こればかりは恐る恐る。

 だって、人間は“異なるモノ”を厭悪する生き物だ。

「それも今更だな」

「そーだと思ってた」

「納得したって感じかな」

 なのに、そんなにアッサリと。

 声にも表情にも、眼差しの奥にも、嫌悪も拒絶も見つからなかった。

「君らは君ら以外の何者でもないしね」

 ふわぁ、っと、喉から変な声が出て、慌てて口を塞ぐ。

「なんだよその声」

 聞こえぬふりをする優しさのないライトニングが遠慮なく笑って、頭を小突いてきた。

「お前らが実は人外だったって言われたって、俺達はもう驚かないぜ?」

 そこは驚けよ。

 なんかもう、突っ込みが追いつかない、けど。

 めちゃくちゃ頼もしいし、嬉しいじゃないか!

「『信じてた……けど、それ以上だ』」

「『全くだな』」

 ここまでは予想して無かったよ。

 ぶわりとこみ上げるものがある。ポンと、キャスバルが背を叩いてくる――やめろ、いま、表面張力ギリギリで堪えてるんだ。

 ありがと、と、伝えるつもりが、息しか溢れてこなくて、仕方がなくて両腕を広げた。

 笑いながら抱きついてきてくれる仲間たちの体をかき抱く。

 もっと腕が欲しいなんて、トンチンカンなコトを思うのは、混乱してるのかな、おれ。

 ぎゅうぎゅう抱き付けば、頭を撫でられたり、肩や背を叩かれたり。

 百万回キスしたいけど、辛うじて我慢する。

「『泣き虫め。だから君は“坊や”だと言うんだ』」

「『泣いてない!』」

 抱きついた仲間の胸ぐらに鼻先を突っ込んで、反論する。

 そんなこと言ってるけど、お前の思考波だって揺れてるってこと、おれはちゃんと気づいてるんだからな!

「ほら! ガルマさんはそろそろ医務室に戻って。これ以上体を冷やすと明日に障るよ。みんなも!」

 ちょっとオカン属性でもあるのか、クムランがパンパンと手を叩いた。

 こっそり鼻を啜って目を擦る。

 いつも通りに見えるように、にっこりと微笑んで了解を伝えれば、皆もハイハイとそれに応じた。

「じゃあ、また明日な!」

「なんか目ぇ覚めきってるから寝れっかな?」

「保証しよう。お前はベッドに入って10秒後にはいびきをかいている」

「ねーよ!」

「静かに! 見廻りに見つかったらどうするの」

「ハイハーイ」

 なんて、ガヤガヤも階段下を出れば、ふっと気配が夜にまぎれて消えていく。

 なんだ、忍者かお前ら。

 ホントに明後日の方向に進化してるんじゃないかな?

『君の影響が甚だしいな』

『そんな莫迦なAgain』

 会合は一時間に満たなかった。いつもと変わらないお喋りの延長線みたいな――そうあるよう、皆が計らってくれたんだ。

 きっと、おれ達の知らないところで、彼らはあれこれ考えたり、悩んだりしてくれてたんだろう。

 その上で、受け入れることを決めたのか。拒絶して切り捨てる選択肢だってあった筈なのに。

 まだ、心臓がバクバクしてる。

 だけど、“ガルマ”の心が感動に打ち震えてる裏側で、“老獪な獣”がほくそ笑んでる――ここで得た全ての好意で、ムンゾを……子供たちとキャスバルを護れると。

 そのときが来たら、きっと、“おれ”は全てを駒にしてしまう。

 その事実は、何処かをシクシクと傷めつけてくるけど、どうしようもない。

 だって、最初から優先順位は決まってるんだ。

 黙り込んだおれの手の甲を、キャスバルの指がトントンと叩いた。

 ん。わかってるさ。

 大丈夫。疵ついたりはしない。だって、“おれ”は慣れてるし。だから、“ガルマ”にはソレができる。

 “獣”が嗤ってる。

 どうせ、どこまで行ったって、所詮は煉獄の生きものだ。

 ヘラリとおれも笑う。

 偽物の空に架かった月が、薄っぺらい光を投げかけていた。

 

 

「〜〜っ、ガァルマァ!?」

 医務室にゴリラが。

 じゃなくて、ドズル兄貴が吼えていた。

 静寂を揺るがす大音声である。

 しまった。見廻りの時間までには戻って来たけど、兄貴ってば、おれを心配して様子を見に来ちゃってたか。

 からっぽの寝台のシーツをめくり、中におれを探してるみたいだけどさ。

 小人じゃないんだ。そんなとこに顔突っ込んだって見つかるわけないだろ?

「はい、ドズル兄様」

 戸口で首を傾げる。

 兄貴は弾かれたみたいに振り返った。

「なぜ寝ておらん? どこへ行っていた? キャス…“シャア”、なぜお前がここに居る?」

 怖い顔。でも怖くない。

 ドズル兄貴は、決しておれを虐げたりしないから。

「ガルマが寮の部屋に帰ってきたんですよ。だから、こちらに戻しに」

 ふぉ。サラリとそんな嘘を。

 ジロリと睨んでも、キャスバルはどこ吹く風だった。

 そりゃね、みんなで秘密の会合してました、なんてことがバレるよりは、おれの我儘にしたほうが万倍もマシだが。

「……ガルマよ」

「だって。目が覚めて、ひとりで、なんか……寂しくて?」

 言ってみてアレだ。ちっちゃい子供みたいな言い訳じゃないかコレ。

 キャスバルが思考波で吹き出している。よく見れば肩口も小さくぷるぷるしてるし。

 ヲイ。

 ええと、もっとマシな言い訳しないと、なんて考える間もなく、兄貴はやれやれと頷いて溜息をついた。

 え、それで納得しちゃったの?

「もう子供では無いだろう」

「……はい」

「“シャア”は部屋に戻れ。明日に障る。……ガルマを連れ戻してくれたことに感謝する」

「はい。失礼します」

 綺麗に一礼したキャスバルは、ちらりと面白がる視線だけ寄越して、踵を返した。

 部屋には、兄弟二人だけが残された。

「さあ、ベッドに戻れ。……眠るまでついていてやるから」

 厳つい顔の中で、へにゃりと目尻が垂れた。

「随分とやんちゃ坊主に育ったと思っていたが、まだこんなところが残ってたんだなぁ」

 感慨深い声。大きな手が頭に乗って、ワシャワシャと髪をかき回す。

 おれもそれなりに育ったから、首がもげそうなんてことは、もうないけど。

「……いいの? 兄様も明日に障るかも」

 寝台に潜り込んで、大きな体を眺め上げる。

 椅子を引いて座り込んだドズル兄貴は、大口を開けて笑った。

「俺は頑丈だぞ」

「……良いなぁ」

 ポツリと言葉が落ちた。

 鍛えて鍛えて、体力の許す限りに鍛えてきたけど、この身体は存外に脆い。

 灯りに透かし見る手は、少しは厚みと硬さを増したけど、それでも軍人の手と言うよりは文官の手と言われたほうが納得できるだろう。

 悔しくて顔を顰める。

「僕は、ドズル兄様みたいに強くなりたい。キシリア姉様のように慧敏に、サスロ兄様ほどに周到に。それから、“ギレン兄様”の明哲さが欲しい。それで、父様みたいに家族を愛すんです」

 今のおれにはナイナイ尽くしだ。

 あるのは、“ギレン”の言うところの“悪知恵”だけだし。

「オイオイ、お前は何に進化するつもりだ?」

 兄貴の少し焦った声が。

 なにさ進化って。ボールに入るどっかのモンスターじゃあるまいし。

 ドズル兄貴の大きな手が伸びてきて、太い指がおれの頬を撫でた。

「ガルマ、お前は俺達が要らんのか?」

「要ります! 必要です!! 兄様、なんでそんなことを?」

「お前一人で全てをこなすってことは、つまりそう言うことだぞ」

 ちょいちょいと頬を突く指は、猫でもじゃらしてるみたいだ。

「“何もかもできる人間”と、“何もできない人間”は孤独だ。前者は誰かを必要としないし、後者は誰からも必要とされない」

 なんか、哲学?、みたいな話になった。

 首を傾げるおれに、兄貴が太い笑みを見せる。

「だから、ガルマよ。お前はそういう人間にはなるな。目指すこともするな」

「でも……キャスバルは、何でもできますよ」

 あんな風に成りたいなんて、きっと誰しもが思うだろう。

 完璧超人みたいな。

 唇を尖らせたおれに、兄貴はやんわりと唇を曲げた。困った奴だ、と、その眼差しが告げてくる。

「そうだな。奴は途轍もなく優秀だ。だが、本当に完璧なら、お前を傍に置くこともないだろうな」

 そんなの。“傍に置いてる”んじゃなくて、おれが勝手に“居座ってる”だけじゃないか。

 とは言え、本当に邪魔ならとうに排除されてるだろうから、許容はされてるのかも。

「……だと良いなぁ」

「お前は、キャスバルをもう一人の“兄”のように思っているのかも知れんな」

 低く響く笑い。ドズル兄貴が明後日の方向に発想を飛ばしてる。

 お前たちは、子供の頃から一纏めにされていたからなぁ、なんて。

「違うよ、兄様。兄は僕だよ」

 おれは、キャスバルの事を、出来の良すぎる“弟”だって思ってんのさ。

「そうか、そうか」

 兄貴はずっと愉快そうに、低い声で笑ってる。

 なんか、落ち着く。

 かふっと、あくびが落ちた。

 ドズル兄貴の指が、思うよりずっと優しく髪を梳いてくれるから、瞼がどんどん下りてくる。

「……小さかった頃も…兄様達は…熱を出すと、撫でてくれてた……」

 刷り込みみたいな安心感が体いっぱいに広がって、ゆっくりと意識が沈んでいく。

「ああ。そうだ。ゆっくりと休め、ガルマ。俺達がついている」

「……ん。ありがと……」

 返事は、ほぼ息だけになった。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 あくる朝。

 いまだに寝台から出してもらえずに、ぎゅっと眉を寄せる。

 熱はもう下がってるのにね!

 久々に全開で甘えたせいか、ドズル兄貴の過保護がブーストされた結果だ。

 そういやそうだった。ザビ家は末弟には激甘だったよ。

 ラップトップには、デギンパパとキシリア姉様とサスロ兄さんのメッセージも入ってた――物凄く多忙を極めてる筈なんだけど。

 これは、ドズル兄貴から通達されたんだろうなぁ――“ギレン”からは届いて無いけど。薄情者め。

 一通ずつに返信する。

 

 心配かけてごめん。

 でも、心配してくれて嬉しい。

 忙しいのにごめん。

 だけど、忘れられてなくて嬉しい。

 無理しないで欲しい。

 元気でいて欲しい。

 時々、声が聞きたいし、顔も見たい。

 休みになったら会いに帰るね。

 

 そんなことを、素直に綴る。

 随分と甘ったれた文面になったけど、家の面々なら、“ガルマ”らしいって思うんだろう。

 それから、キシリア姉様には、“シャアとのデートは楽しかった?”とか、サスロ兄さんには“こないだ一緒に観劇に行ってた女性は誰?”とかも混じえておく。

 情報網はバッチリさ。

 姉様のそれは、シャアからバラしてきたネタだけど――公園で一緒にコーヒー飲んだって、それだけだった。

 フフフ。慌てるさまが目に見えるようだ。

 それから、いつも通りに子供らからのメッセージにも目を通して返信。

 相変わらずヤンチャな子供ら同士の仲はすこぶる良好そうで、ほっこりする。

 そろそろ近場の冒険には、フロリアンも付いていくようになったみたいだし。

 女の子達も、みな可愛らしさを増している。

 こりゃ、いずれ愛を乞う野郎どもで門前列を成しそうだ――その前におれが立ちはだかるけどな。ふはは。

 みな、可愛い子供たちだ。

 傍で成長を見ていたい気持ちはあれど、状況が許さぬこのジレンマ。

 せめてもと、メッセージで成長記録を取るおれは、さしずめ単身赴任中のオヤジみたいなもんだろうね。ふふぅ。

 そんなこんなで、あとは知人、恩師、大学に残ってる元級友達からのメッセージも捌く。

 彼らはおれに、いろんな事柄を知らしてくれる。

 あれこれネタは尽きないし、ピースはどんどん増えてく。刻一刻と形と色を変えていく、決して完成しないパズルは、だからこそ厄介で、面白いんだろう。

 あれ、“伝書鳩”からだ。

 タチ・オハラから差し出された“scapegoat(身代りの羊)”ならぬ“scapebird(身代りの鳩)”が、珍しく向こうからメッセージを送ってきてる。

 こりゃ、タチからの指示かな。

 中身を開いてみれば。

 ――なに、膠着しちゃってんの?

 ムンゾ議会の現状がサラリと書いてあった。

 踊ってるのは、連邦に煽られて、ヒロイズムに酔ったか皮算用が暴走した、小物かようやく中堅といった辺りばかり。

 小粒で纏まりがない。てんでバラバラに打倒ザビを喚いてるだけで、手を取り合うまでも至ってないし。

 これじゃ、煩わしいだけで、ちっともザビ家の脅威になりゃしない。

 なに傍観してんのさ、ダルシア・バハロ。お前が旗印に……って。

 ――あ〜。うん。

 呆れ返ってんのか、と、唐突に思い当たった。

 そうか、あんたも奴らがもっと“使える”かと思ってたクチか。

 だよね。仮にも選ばれて議席に座ってる人間が、千載一遇のチャンスに、こんな細かいところで足を引っ張り合うなんて思わないだろ。

 ちょっと読み違えた。

 ダルシアは、動きたくても動けない。

 くだらないダンスには付き合いたくないし、さりとて舞台を離れるには足元を縛られてる。

 もしかしたら、連邦の誰かだって呆れてる――むしろ苛立ってるかも。

 この機を逃せばザビ家の排斥はさらに困難を極めるだろうからね。

 他人事なら嘲笑える――のになぁ。

 さて。

 持ってるピースを脳裏に並べる。

 この状況じゃ、“ギレン”は動かない――裏工作は流儀じゃないからね。

 かと言え、このままダラダラと事態が長引けばムンゾそのものが疲弊しかねないし。

 それは避けたい。連邦が喜ぶだけだし。

 ――それじゃ……下手なダンサーには舞台を下りて貰おっかなー。

 焦れた連邦が次の手に出る前に。

 ラップトップに笑みかける。

 “伝書鳩”には当たり障りなく、(頑張ってね♡)と返したうえで、極秘のチャットルームに伝言を。ネットワークにいくつものシナリオをばら撒いてやろう。

 指示を書き込めば、即座に反応が。ん。相変わらず、サイバーの海で生きてるみたいだな、君らは。

 さあ。走りなよ、ダルシア・バハロ。

 目論見違いの連中なんか振り払って、一目散に“ギレン”の元へ。

 ホントは“敵”として処理できれば良かったけど、そうも言ってられないからね。

 ふふふ。発熱と兄貴の過保護のおかげで、時間が出来たのは有り難い。

 これも怪我の功名かな。

 ニコニコするおれは、だけど、ここでも失念してた。

 思うように動いてくれない連中は、やっぱり敷いてやったレールを飛び越えて動きやがるってことを。

 

 

 昼になってから、医官に申し出て――昨夜、脱走したことについてカミナリを落とされながら――ロメオ・アルファの見舞いの許可を貰った。短時間だけどさ。

 同じ医療棟であっても、あちらは重症だから階が違う。

 部屋を覗くと、ロメオは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

 ここからは校舎も校庭も臨めない。せいぜいが教員棟あたりだから、見ててもそんなに面白いものはなかろうに。

 開いたままの戸口でノックすれば、奴は億劫そうに振り返って、それから目を見開いた。

「ガルマ!」

「やあ。骨は上手く繋げたみたいだね――クムラン達に礼を言っておきなよ」

 その辺りは、うちの支援マスターの処置の良さに寄るものなんだから。

 ふんと胸を張れば、ロメオがクスリと笑った。いつになく皮肉や焦燥の気配のない表情だった。

「あんたは恩を売らないのか?」

「言い値で買ってくれるならね」

 ふふんと笑い返す。

 寝台脇にある椅子に座ると、少しの間、沈黙が降りた。

「……なんで助けた?」

 あの時も聞いてきたね。そんなに気になるのか。

「どんな理由なら納得するの」

 反対に尋ねてみた。

「……わからない」

 頼り無げな声だった。

「俺はあんたを嫌ってた。嫌味も言ったし、怒鳴ったこともあった……殴ったことは無かったけど」

 そりゃね。そんな機会は与えてやらんかったし。

 ロメオの視線は、シーツの上に投げ度された自分の手指に向けられていた。

「あんたはいつだってヘラヘラ受け答えて、俺のことなんざちっとも気に留めちゃいないようで……ムカついた」

 ――なんだかなぁ。それ、気になる子に構って欲しかったって告白に聞こえるよ。

 溜息をついたはずが、言葉まで吐き出してたみたい。

「違う! 嫌いだって言ってんだろう!!」

 牙を剥くシベリアンハスキーみたいな形相のロメオに怒鳴られる。

「うわぁ、おっかなーい」

「笑いながら言うな!」

 ほら落ち着いて。骨に障るよ。

 ポンポンとシーツの上から宥めるように叩く。

「ねえ、僕、けっこう君のこと見てたよ。図書室では奥から3番目の机が定位置。考え込むと目が寄る癖。ペンと銃は右手で持つのに、ナイフは左手。セロリが嫌いで、人参はまぁまぁ。レーズンとくるみ入りのパンが好き。他にも色々と?」

 もっと言おうかと笑いかければ、奴はポカンと口を開けた。

「なにその間抜け面。けっこうカワイイんだけど」

「っ!? 馬鹿にしやがって! あんたこんなに性格悪かったのか!?」

「悪いさ。口も性格もね。君だって、僕のことちゃんと見てなかったろ?」

 “ザビ家の御曹司”として、人当たり良く粧った上辺だけを見て嫌ってたってことだろ。

 鼻を鳴らせば、しゅんと黙り込む。

 ホントに素直だよね、君って奴は。

「ちゃんと見て嫌ってよって、そのうち言おうと思ってた」

「……そこは、“嫌わないで”、じゃないのかよ?」

「ロメオ、君っておちょくられるの嫌いでしょ? 僕、おちょくるの大好き」

「合わねぇな!」

「でしょ」

 ふはっと吹き出す。

 釣られたのか、ロメオも呆れたみたいに笑い出した。

 それから笑いを収めて、凪いだような眼差しを向けてくる。

「――俺さ、ずっと、あんたは俺たちを駒に仕立てようとしてると思ってた。ピカピカに磨きたてた兵隊として」

 うん。素直に頷いても、視線に剣が戻ることは無かった。

「そこは否定はしない。僕はザビ家の人間だ。いずれ戦場に立てば、君たちは僕の部下かも知れない。そしたら、君を死地に送り込むのは僕だ」

 自分で思うよりも声は平坦だった。

「“優秀な兵隊”が欲しいのか?」

「……“生き残れる兵隊”が欲しいんだよ」

 唇が嗤みの形に歪んだ。

「ロメオ、君は知ってるだろ、“新兵の生還率”」

 あのクソみたいな数字を。そして“おれ”は、それが事実だと知ってるんだ。

「君が思ってる通り、僕はどこまでも利己的な人間だよ。だから、君たちが敵を殺して、生きて還ってくることを望んでる。それは、きっと戦争が終わるまで、何度だって繰り返されるんだ」

 息を呑む音が聞こえる。

 そうさ、ロメオ。君の目の前にいるのは、“人でなし”だ。

「僕は君たちに、息をするほど自然に敵を殺して欲しい。そしてちゃんと生きて戻って、家族を、恋人を、友を抱きしめて欲しい」

 なかなかクレイジーだろ。知ってる。

 お前がおれを厭うのは、ある意味で当然――真っ当な人間なら、異常と感じて然るべきだ。

 でも、軍人なんてそんなものだろ。タガが外れてなきゃやってらんない。

 だからこそ、おれは“みんな”のタガを外すんだ。

「その為になら、どれほどにだって研ぎ上げてやるさ」

 短くない沈黙が流れる。

 ロメオは、まるで初対面みたいな顔でおれを見た。

「……それが、ガルマ・ザビか」

「そう。“ガルマ・ザビ”だよ」

 答えて微笑む。いつも通りにニコリと。

「ね。だから、ちゃんと見てから嫌ってよ」

 言うだけ言ってスッキリした。さあ、存分に嫌うが良い。

「――……俺を助けたのも同じ理由か?」

 ん。つまり、“生きて戻ってくる”ってことなら、まあ?

 演習如きで消えられてたまるかって言うか。

 君を助けることで、この先、さらなる団結が臨めるっていうか。

「……そうなるね」

 つまりは打算だ、と頷いたのに。

「随分と偽悪的な言い方だな。つまり、“誰にも死んで欲しくない”ってことだろ」

 なんでそんな笑顔を向けてくんのさ。

 良い方に取りすぎだろう。“偽悪”じゃねえよ。“露悪”だ。

「……ロメオ。君、単純過ぎるんじゃない? 僕、シンプルに外道だって白状してるんだけど」

 ふーっと溜息をついてみせても、ロメオはまだ笑っていた。

「分かった。あんたが安心して俺たちを送り出せるように、俺、もっと精進するな!」

 ――極論だとその通りだけどさ。

 ジト目で睨んでやる。

「それなら、今後は自分の装備に気を払うことだね。今回の滑落の要因の一つは、間違いなく壊れたブーツの留金だ。ボタン一つでも命取りって、そのオツムに刻んでおきなよ、“おバカさん”」

 あの時と同じように罵ってみるけど、バツが悪そうに頭を掻くだけで、怒鳴り返されることもないし。

 なんだか、ちょっといたたまれなくなって席を立った。

 やめて。良い人じゃないんだよ、おれ。どっちかと言わなくても“悪党”の類なんだ。

 善人を粧ったときに騙されてくれるならほくそ笑むとこだけど、騙してないのに曲解されるのは本意じゃない。

 そそくさと逃げ出した背中に。

「ガルマ。ありがとう助けてくれて!」

 ほんとにやめろ。追討ちかけんな。

 後ろ手にバイバイするのが精一杯だった。

 

 

 ちょっとグッタリして自分に宛行われた部屋に戻れば、

「あれ、ミア嬢?」

 空っぽの寝台の前で、困った顔で佇む美少女を見つけた。

「ガルマさん! もう起きても大丈夫なんですか?」

「おかげさまで。いま、ロメオの様子を見てきたんだ。彼も大丈夫そうだったよ」

 ニコリと笑って、寝台の側に戻る。

 ドアはあえて大きく開けたままだ。男女二人で密室に籠もるなんて真似は出来ないし――ましてや未来の義姉上だからね。

 さて。ここで呑気に見舞いだと喜んでいられれば良かったんだけど。

 ふぅ、と息を零せば、少女のまろい肩がビクリと揺れた。

「……予測するに、君の正体についてって辺りかな、女スパイさん?」

 ミアの海緑色の双眸が真ん丸に見開かれて、形の良い唇が震えた。

 なんだか意地悪をしてる気分になって、苦笑いする。

 ホールドアップして見せれば、何故だかキッと睨まれた。

「私がギレン閣下から、あなたを見張れと言われていたのを知っていたの?」

「そんな事だろうと思ってたよ。ギレン兄様から時々届くお説教には、生徒しか知り得ない僕たちの所業が紛れ込んでいたからね――ついでに言えば、監視役は君を除いて懐柔済だし」

 ジョニー・ライテンとシン・マツナガの二人に加えて、あと数名。

 加えて言えば、“連邦”関連のスパイだって把握してる。コレは内緒だけど。

「……私も、懐柔するつもり?」

「叶えばね。むしろ、懐柔されに来たんじゃないの? ゼナ・ミア嬢。リノ達の事だ。もう“僕たち”のことについて通達が回ってるんじゃないのかな」

 “シャア・アズナブル”が、キャスバル・レム・ダイクンだってこと。“僕たち”がニュータイプだってこと。それから、それを知られていることを悟られるなってこと。

「もし――もしも、ここで私がギレン閣下にその事についての報告を行ったら、あなた達は学校を去るの?」

「さぁね。その辺は定かじゃない。だけど、めちゃくちゃ叱られるのは確かだね。この間の自宅謹慎のときは2時間正座で済んだけど、今回の件だとどうなることやら……」

 あ。ホントにやべぇ。

「…………監禁とかされたらどうしよう?」

 ちょっと青くなった。

 ゼナの顔からも血の気が引いてるし。

「――……………私は、どうすれば?」

 声が震えてる。

 “ギレン”とおれ達との板挟みってコトだよね。真面目な性分だけに苦しんじゃってる。

 じゃあ、こうしよう。

「僕は君を脅迫することにする。ミア嬢」

 ニコニコ笑って告げる。

「君は“ギレン兄様”に、今回の件は何も報告できない。何故なら、僕が脅すから」

「……そんな…」

 ゼナ・ミアの顔色は、白いを通り越して青白く見える。

 脅迫と聞いて、怖くなったんだろう。例えば、彼女が“ギレン”のスパイだと皆にバラされるとか。

 そんな事はしないけど。

「内容は、そうだね。“全校生徒の前で、君に告白する”、とかはどうかな?」

「………はぁああ?」

 うわ。ポカンと呆れ返った顔も可愛いね!

 ゼナ・ミア。

 思わず吹き出せば、ギッと睨んでくる。その顔も可愛い。

「からかわないで下さい!! だいたい、ガルマさん、私のことそんな風に思ってないでしょう!!」

 そりゃそうさ。君はいずれドズル兄貴の伴侶になって、ミネバの母になるんだから。

 君に向けるおれの感情は、恋情なんかじゃない。尊敬する兄貴の未来の嫁に向ける敬愛だ。

「別に、“好きだ”って言うだけが告白じゃないよ?」

 その返答に、ミアは更に真っ赤になった。これは勘違いの恥ずかしさと、怒りとが半分ずつかな。

「ごめんよ、ミア嬢。可愛すぎて、ついからかい過ぎた」

 君からのヘイトは稼ぎたくないんだ。素直に頭を下げる。

「だけど、“告白”の内容は内緒。君は、“何を言われるのか怖くて”僕に逆らえないんだ。僕は悪党だからね。君は悪くない」

 畳み掛けるおれに、視線が揺れてる。

 ゼナ・ミアは、自分の報告によって、おれ達がこの学校から去ることを、もしくは酷い叱責を受けることを畏れてる。

 これがタチや訓練を受けた“伝書鳩”だったら、私情など二の次、それによって自らが被る不利益があったとしても、即座で報告に及ぶだろう。

 だけど、彼女はまだ学生で、“ギレン”は直接の上官ではなく、監視も“お願い”であって“命令”じゃないんだ。

 彼女は報告したくない。そして、その理由が必要なだけ。

「――……………別に、私は“告白”など恐れません」

 暫くして、ミアから向けられた眼差しには、強い光があった。

 ニンマリと笑ったおれに対して、少女は顎をツンと上げた。

「私は私の意思で、このことを報告しません。それについての叱責があれば自ら受けます。あなたに屈したからじゃないですから!」

「ん。流石だね、麗しきアマゾーヌ」

 だからと言って、おれが“脅した事実”は消えないんだ。

 パチパチと手を叩いて。

「さ、そろそろ行くと良いよ。ドアは開いてるとはいえ、この寝台に横たわってるのは“オオカミ”だからね、“赤頭巾”?」

「またそんなことを!」

 プリプリしてるミアにヒラヒラと手を振る。

「ごめん。少し休んでも良いかな? 楽しくて――はしゃぎ過ぎた」

 そっと視線を伏せる。弱った様子を見せれば、少女は簡単に騙された。

「ごめんなさい!」

「良いよ、気にしないで」

 慌てて部屋を出ていこうとするほっそりとした背中に、静かに伝える。

「ゼナ・ミア嬢。君の温情に感謝する」

 戸口で振り向いたミアは、ホッとしたような顔で微笑んだ。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「ガルマ・ザビ、シャア・アズナブル、至急校長室へ出頭しろ」

 週明けの事である。

 無事に学業に戻り、再び演習に明け暮れる中、ドズル兄貴から急な呼び出しを受けた。

 全校を上げての隠蔽については、恐らくドズル兄貴も関わってるフシがあるから、それについちゃ心配して無いけど。

『なんだろ?』

 校長室に向かうだけなのに、護衛よろしく教官が付き添うってなんなの?

 校内の空気もどことなく物々しい。厳戒態勢とまではいかないけど、その手前かな。

『……どういうこと?』

『さぁな。また君が何かやらかしたんじゃないのか?』

 なにそれ信用ないなー。

『まさか。大人しくしてただろ』

『校内ではな。だが、いつもよりラップトップに、向かってる時間が長かった』

 ちらりと寄越される眼差しは、氷みたいに冷たくて鋭い。

 うぅ。背中に冷や汗が。

『……気のせいじゃない?』

『意識を閉じず、僕の眼を見て言ってみろ』

 ――やめろ! ギリギリこじ開けてくんのやめろ!!

 タスケテー!!

 これに対抗できたこと無いんだよ。

『――……………ごめん……裏工作を…ちょっとだけ…』

 堪らずに白状すれば、キャスバルは思考波で呆れたみたいな溜息をついた。

『十中八九それだろうな。何をしたんだ君は?』

『うちの政敵の一部にご退場願おうかと』

 足元に火を放ってみた。踏み消そうとするほどホコリが立つやつ。

 ついでに疑心暗鬼で、内輪揉めでの自滅を狙ったんだよ。

 一昨日くらいまではイイ感じで燻ってる報告が来てたんだけど。なんか急展開でもあったのか。

 教官は、足音も高く廊下を突き進む。

 おれたちも遅れずに付いていく。校長室の重厚な扉の前にたどり着く頃には、おれだけ息が切れていた。

 教官の労るような眼差しが痛い。

 ついでにキャスバルの見下す視線もツライ。

 促されて部屋に入れば、デスクについていたドズル兄貴が早足で寄ってきた。

 教官は扉の外で待機らしい。

「ここに居れば安全だ」

 重々しい声が告げてくる。

 向けられるのは、校長の顔じゃなくて、弟を案じる兄のそれだった。

「……ドズル兄様?」

「何があったんです?」

 おれとキャスバルの問いかけに、ドズル兄貴は凶悪に顔を歪めた。子供が見たら泣き叫ぶかもね。

「阿呆共が騒ぎを起こした」

 忌々しげな声。

「……クーデターでも起こりましたか?」

 オイこらキャスバル、お前なんでそんなに冷静なの。

 不測の事態に青くなるおれの背を撫でながら、兄貴は首を横に振った。

「そんなものは起こさせん」

 だよね。軍部は兄貴がほぼ掌握してるんだし。

 ホッとしたのもつかの間。

「ジンバ・ラルが、阿呆共とムンゾ大学を急襲した。いま、シャア・アズナブルが人質になっている」

 特大の爆弾が暴発した。

 ――……は?

 待って、ちょっと待って。

 おれ、そんなシナリオは書いて無かったよ?

 どういう事だ。何でそんなことに。

「シャアは無事なの!?」

 兄貴に飛びついて尋ねる。

 ねえ、あいつ無事なの!? キャスバルの身代わりだって、おれが引っ張り出したヤツだけど。イイやつなんだよ。姉様とも仲良くて。

 そうだよ。あいつに何かあったら、姉様が泣くじゃないか。

 何しやがるんだジンバ・ラル!!

 身を翻そうとしたけど、兄貴のぶっとい腕に捕まった。

「落ち着けガルマ!」

「だって、シャアが!!」

「うろたえるな!!」

 ドスンと、腹の奥まで震わせる声。

 猛獣に至近で咆哮されたみたいに、身体が竦む。

「いずれ将たるものが、易々と動じてはならん。お前もザビ家の男だろう」

 厳しい口調だった。

 見下ろしてくる双眸には苛烈な光。将の器が如何なるものかを知らしめるみたいに。

 怯える身体を叱咤して睨み返せば、兄貴の眼の中の光が和らいだ。

「奴らの狙いはザビ家の排斥だ。親父の退陣と――俺達がムンゾの表舞台から退くことを求めている」

「無駄なことを」

 言い捨てれば苦笑が返った。

 今更、奴らごときがこんな騒ぎを起こしても、ザビ家の優勢は覆らないだろう。

 世論はコロニー同盟に傾いている。それを主導する“ギレン・ザビ”の、連邦を議論の場に引きずり出しつつあるデギン・ソド・ザビへの信頼は厚い。

 徒に、ビジョンの無い戦争を、独立をと叫ぶだけの面々について行こうとする勢力は多くない。

 だけど、もちろんどんな優勢も、些細な瑕疵で崩れ得ることを、“おれ”は知っている。

 あるいは、少しの油断で、護るべきものを失う悲劇を。

 そうであるからこそ、ドズル兄貴は騒ぎが終息するまで、おれ達をここに留め置くつもりだ。

 確かにここに居れば安全だけど、それじゃ何もできないじゃないか。

 ただ待つなんて性分じゃないんだ。

 ――どうすれば……。

 苛立つおれの手の甲を、キャスバルの指が微かに掠めた。

「ドズル閣下、ガルマのラップトップをここへ」

 凛とした声が耳を打つ。

 丁寧を装ってはいたけど、それは命じる者の口調だった。

 振り返れば、不敵に笑う姿が。色を偽っていてさえ、その双眸に宿るのは熾烈な意志だ。

 誰もが、その前では膝を折りたくなるような。

 ――王様みたいだ。

 なんてカリスマだよ。

 いつかの時間軸の“シャア・アズナブル”よりも、斜に構えていない分、ストレートに響いてくる。

 ドズル兄貴は、目を細めてキャスバルを見た。称賛と、かすかな苦々しさの気配。

「……腕白小僧共め。今度は何をしでかすつもりだ?」

「ガルマと僕で状況を動かす」

 キャスバルの声には力があった。

「ムンゾ大学は、僕たちの母校ですよ、ドズル兄様。情報は誰より早く集められます」

 加えて指示だって出せるし、お強請りだってできる。

 薄く微笑めば、兄貴は肩をすくめた。

 おれ達の怒りを感じ取ったんだろう。

「成程。阿呆共は揃って虎の尾を踏んだわけだな」

 やれやれと首を振りながらも、拒否はされなかった。

 デスクから直ぐにおれのラップトップを持ってこさせるように指示を飛ばす。

 本当に判断が早い。そこにはなんの躊躇いも迷いもないように見える――けど、水面下では目まぐるしく考えてるんだろう。

 時々、視線がぶれる。脳内の情報を流し読むように。

 ザビ家の兄姉の中では、取り立てて頭脳明晰を讃えられることは無いけど、兄貴は、決して愚鈍なんかじゃない。

 勇猛果敢さが先に立つだけで、ザビ家らしい智略はドズル兄貴にも宿っている。

 そうじゃなきゃ、この齢でムンゾの軍部の頂点の一角を担えるわけ無いだろ。

「良かろう。int共。お手並み拝見といこうではないか」

 ニヤリと凄みのある笑みが向けられて、高揚する。

 “Military Intelligence”扱いとは光栄だね。

『ガルマ、やれるな?』

『もちろん』

 届けられたラップトップを開いて、ニッコリと嗤う。

「ご期待に応えてみせますよ」

 さあ、どう料理してやろうかな?

 ちろりと唇を舐める。

 横目で流し見れば、獰猛に笑うキャスバルがこちらを見ていた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 13【転生】

 

 

 

「――おや」

「ほぅ」

 ダルシア・バハロと顔を合わせたのは、これから議会がはじまると云う刻限のことだった。場所は、議場の扉の前である。

「どうぞ、お先に」

 きちんとスーツを着たダルシアが、慇懃に礼をしてそう云うが、

「貴殿の方が先だろう」

 先に入ろうとしていたのはあちらの方だ、わざわざ譲られるところでもない――ジオン公国の総帥でもあるまいし。

 ダルシアは、数瞬沈黙し、やがて、

「――では、失礼致しまして」

 と云いながら、先に中に入ってゆく。

 その後ろ姿を見ながら、思う。これは、誰に対するパフォーマンスだったのかと。

 議場に入りながら、ちらりと周囲に視線をやると、例の“馬鹿手議員”どもが、こちらをぎりぎりと睨みつけていた。

 そんなあからさまな態度を取るのは、愚かとしか云いようがないな、と思う。もしもこの後、何らかの“事件”が発生したとして、自分に害がなされることがあったなら、疑われるのは間違いなく、今そんな顔をしてみせた男たちである。

 何かことを起こすつもりなら、こう云う時には素知らぬ顔くらい作っておけばいいものを――腹芸をしろとは、できぬ人間の云うことではないが、それにしてもと思ってしまう。

 ――さて、ダルシア・バハロは、どうしかけてくるだろうか。

 一筋縄ではいかない相手であるのは確かだが、さて、そこまで積極的に、つまりは武力による議会制圧やら、軍部――但し、掌握しているのはザビ家――を巻きこんでのクーデターやら、そこまでを目論んでいるのだろうか。

 ザビ家を排除しようとすれば、政治的空白は避けられず、その隙を狙って、連邦が不穏な動きをすることにもなるだろう。その事態を、ジオニストらしきダルシアが、果たして看過することができるのか。

 ジオン・ズム・ダイクンとザビ家とが、手を携えて手に入れた自治を、自らの手で打ち壊す覚悟があるのだと――たかだか、“ザビ家の専横を打ち砕く”程度のために?

 ダルシアは、“馬鹿手議員”どもと近い席に腰を下ろし、かれらと言葉をかわしているようだ。

 と、

「――ギレン殿」

 声をかけてきたのは、マツナガ議員だった。

 顔を寄せて、小さく問うてくる。

「宜しいのか、彼奴ら、貴殿の失脚を狙っているようですぞ」

 それに、肩をすくめるしかない。

「今さらでございましょう。それに、私の失脚と云って、となればザビ家そのものの失脚だ、そのための根回しなどが、彼奴にできているとは思われませんな」

「……ダルシア・バハロは切れ者だと聞いておりますぞ」

「そうですな、ダルシアが、議長殿や、あのあたりに話を通し、騒ぐだけの馬鹿ものどもと手を切れば、あるいはかなうやも知れませんが」

 しかし、それは中々難しいだろう。

 何となれば、議長一派は、表には出していないが、親連邦派であったので。と云うか、連邦に牙を剥くかのようなこちらのやり方に危惧を抱き、まだしも危うくはないだろう――とかれらが考える――連邦寄りの政策に舵を切りたいようだからだ。それで、今ムンゾが得ている半自治――“半”でしかない――だけは守ろうと、そう云う考えであるに違いなかった。所謂穏健派と云うものだ。

 そこと手を組むためには、ジオン・ズム・ダイクンの思想――しかも過激派寄り――を、ダルシアが手放すくらいのことが必要なのだが――さて。

 ――ジオンは、そもそも連邦議会議員であったのを、あまりにも急進的な思想故に、抛たざるを得なかったような人物だからな。

 ジオニストであるダルシア・バハロが、反ザビ家のものたちの、そのような路線に賛同できるのか、あるいはそのふりができるのか。

 できなくはないか、とも思う。

 劇場版において、少なくともジオン公国が崩壊する直前まで、ザビ家に柔順なふりができた男である。やろうと思えば、議長たち一派を騙し切ることもできるだろう。

 但し、その場合、例の“馬鹿手議員”たちをどうするかが問題になってくるはずだ。“馬鹿手議員”たちは、どちらかと云えばムンゾの完全独立推進派であり、親連邦である議長一派との相性は宜しくない。反ザビ家で目前の利益は一致したとしても、それが片づけば対立するしかない、呉越同舟どころでない烏合の衆にしかならないだろう。

 まぁつまり、今のムンゾには、三つの勢力が鼎立していると云うことだ。連邦との開戦を望む急進派と、現在の“自治”を守りたい穏健派、そして、コロニー同盟を形成して、連邦と対立するぎりぎりまで自治を拡張したい中道派が。あぁ、一応、連邦の傘下に収まりたい“保守派”もいなくはなかったか。

 とにかく、その混沌とした政局を、御し切れるものが他にあるとは思われぬ。ザビ家がもし失脚するようなことがあれば、それこそ連邦の思うつぼだ。ダルシアの仰ぐジオン・ズム・ダイクンの理想など、武力で捻じ伏せられることになるのは明白だった。

 それを回避するには、やはりコロニー同盟を推進し、親連邦派の出鼻を挫いていくしかない。そのことを、“馬鹿手議員”どもはともかくとして、ダルシアはよくわかっているはずなのだが。

 ――やはり、まだ若さが勝ると云うことか。

 短期の目的が同じものに惹かれるのは、まだ長いスパンでものが見られないからか、あるいは深い意図があってのことなのか。

 ザビ家を排除してから、地球連邦との戦端を開くなどと云うことは、かの“ジャブローのモグラ”ことゴップ将軍が許すまい。あの老獪な狸は、ムンゾの内紛を勝機と見て、すかさず軍を動かすに違いないからだ。そしてその時、ヨハン・イブラヒム・レビルの存在は、ムンゾ国軍の前に大きく立ちはだかる壁となるだろう。

 ムンゾの外交も軍事も経済も、ザビ家が深く食いこんでいる――私腹を肥やしていると云う意味ではなく――ので、そこを排除してしまうと、方向性などに多大な問題が出てくるのだが、原作で首相まで務めることになったダルシアが、そのあたりをまったく考えないとも思われぬのだが。

「……さて、どう出てくるか」

 もちろん、『UC』への道は閉ざしてしまいたいので、いるのか知らないが息子――モナハン――とともに、ダルシアを失脚させてしまえば良いとは思う。

 但し、そう生易しい相手でもないのは、五万も承知だ。そうでなければ、一年戦争末期の波乱を乗り切り、ジオン共和国の初代首相の座に就いたりはできまいから。

「大丈夫なのか」

 マツナガ議員は、なおも心配そうに云うが、

「まぁ、最悪の事態にはなりますまいよ」

 今、開戦に舵を切ろうとするならば、自分ではなくダルシアが、あの“馬鹿手議員”どもを止めるであろうから。

 あるいは、ダルシアがかれらについた真の理由は、そのあたりのことなのかも知れない。走りがちなかれらを制御して、いずれは自分の勢力として使う――そして、ザビ家ではなく自身のタイミングで、戦いの火蓋を切ってやろうと云う、その気持ちがあるからなのかも。

 いずれにしても、今は三すくみと云っても良い――否、ザビ家はすくんではいないか――状況である。迂闊に動かず、相手の動向を注視していくべきところだろう。

 それよりも、

「貴殿は宜しいのですか。私とこうしておられると、親ザビ家と見做されますぞ」

 それは、この人物にとっては、不利なことにもなりかねないのだろうに。

 そう云うと、マツナガ議員は笑って、

「なに、愚息がお世話になっておりますからな」

 などと返してくる。

「最近は、すっかりガルマ殿に入れこんでいるようで、休暇で帰ってきた時にも、ガルマ殿の話ばかりしておりましたよ」

「……悪い影響を受けておられないか、案じておりますよ」

 “ガルマ”の感染力ときたら、インフルエンザ以上のものがある。もちろん、自分をしっかり保っていれば、そうそう罹患することもないはずなのだが、生憎とそうあれる人間は少ないし、そうでなくとも一見無害そうな“ガルマ”の見た目に幻惑される輩も少なくはない。結果、犠牲者がねずみ算式に増えている、とは、士官学校の校長であるドズルの言だった。

 間違いなく、シン・マツナガは取りこまれているし、最初は警戒心を弛めなかったはずのジョニー・ライデンも、最近では碌に報告もよこさぬ始末だ。

 ともに悪さをすることが多いとは云え、最後の頼みの綱は、キャスバルか――“シャア・アズナブル”として、やや羽目を外し気味なキャスバルではあるが、数少ない“ガルマ”のブレーキ役として、それなりに動いてくれているはず、だからだ。

 “ガルマ”は、どうも自分の手足となる部隊の結成を画策しているらしい。まぁ、やや体力で常人に劣る“ガルマ”である、MSに乗るとは云っても、“三日月”の時のように無制限でやれるわけではないだろう。それを補うために、人員を見繕っているのだろう。

 意図はわかるが、正直に云えば、厭な予感しかしない、と云うのが本当のところだ。鉄オル世界における“魔窟”のような、怪しげな集団になりかねない――面子を考えれば、もちろんとてつもなく優秀であるのは了解されるのだが。

 ともかくも、いずれきたるべき“暁の蜂起”まで、あまりドズルを悩ませないでやってほしい、と云うのが率直な気持ちだった。原作では、“暁の蜂起”の後始末で校長を馘になったドズルだが、それでもその前までは、割合平穏に職務に当たっていられたのだ。だが、この時間軸では、既に連邦軍の駐屯部隊と揉めごとを起こしたりと、胃の痛む思いをしているようだったので。

「ガルマ殿は、中々のリーダーシップをお持ちのようだ。そのあたりは、ザビ家の血ですかな」

「……その程度であってくれれば良かったのですが」

 流石に、九郎義経のように、“兄”に反旗を翻す、とは思ってはいない。

 が、あれくらいの統率力と戦略はあるので、下手に動かれた時の厄介さは、近いものがある。その上、政治向きのことも、九郎義経よりはわかるだけに、なおのこと始末に悪い。

 とりあえず、“暁の蜂起”まではおとなしくしておいてくれないか、と云うのが、こちらの偽らざる心境だった。

「贅沢な悩みではござらぬか」

 マツナガ議員は大きく笑った。

「凡百の子弟ならば、そのようなことにはならなかったでしょうからな。まぁ、ガルマ殿は有能な軍人におなりだ。やんちゃも、その証でしょう。心配召さるな、どんと構えておられれば良い」

「……そう、あってほしいものですな」

 本当に、そうあってくれれば良いのだが。

 マツナガ議員は、また大笑して、背中を強く叩いてきた。

「そうなりますとも。ギレン殿らしくもない、しゃんとなされよ。――敵は、ガルマ殿ではありませんぞ」

 敵。

 そうだ、“ガルマ”は敵ではない――獅子身中の虫になりかねないところはあるが――、真の敵は連邦、そしてその前に、おそらくダルシア・バハロ。

「……そう、ですな」

 頷くと、マツナガ議員が、今度は真面目な顔で頷き返してきた。

「お声がけ下され。加勢は、いつでも致しますぞ」

 それに謝意を述べた、その向こう側で、ダルシアがじっとこちらを注視しているのが、視野に入った。

 

 

 

 とは云え、もちろん、すぐに何か動きがあると云うわけではない。

 それはそうだ、“クーデター”を起こすにも、民衆の支持は必要である。そして、主戦派が支持を得るためには、それなりの“事件”が必要なのだ。

 現時点では、まだムンゾに勝機はないので、こちらも様々な事件を握り潰してきた。“ガルマ”誘拐事件や自分の狙撃事件など、諸々である。

 もちろん、巷にも“連邦と戦うべし”などと云う声はある。だが大概は、鬱屈した老人や人生がうまくいかない男たちであって、まだその先までは到っていない、と云うのが正直なところだった。つまりは、夫や息子を送り出す女性たち、と云うことである。

 戦争がはじまれば、青年ばかりでなく、壮年の男たちも戦場に取られることになる。ことによると、女たちも然りだ。働き盛りの世代を大量に死地に送りこむには、まだまだ熱狂が足りないのだ。獲物を刺し貫くために、弓をぎりぎりまで引き絞るように、国民の戦意を最高にまで高めなくてはならぬ。

 それだけで、もちろん勝てるはずもないので、有能な指揮官も確保しなくては。まぁ、そのあたりは、“ガルマ”がある程度暗躍しているのだろうが。

 そのためにも、連邦軍の決定的なミスは必須である。“暁の蜂起”と云うのは結局のところ、連邦軍の起こした事故に対して、補填があまりされなかったが故に、国民の不満が膨れ上がり、それを受けて起こされたものだったのだ。

「ダルシア・バハロに監視をつけましょうか」

 タチ・オハラは云ったが、正直、それには賛同し辛かった。

「それよりは、あの“馬鹿手議員”どもだろう。ダルシアは慎重だが、奴らは暴発しかねないからな」

「まぁ、そうですが」

 タチはやや不満そうだったが、どちらかと云えば、あの“馬鹿ものども”の方が問題だろう。

 明治期の玄洋社のような、圧力団体に発展する気配は今のところなさそうだが、扱いを誤れば、帝国時代の日本の二の舞である。監視するにもどうするにも、慎重にことを進めなければならないのは、間違いのないところだった。

「世論が熟し切っていないと云うのに開戦など、徒に反発を招くだけではないか。今でも、奴らは少々迷惑分子扱いだと云うのに」

「ダルシア・バハロが、何を考えて奴らと合流したのか、真意が図りかねますな」

「首領として担ぎ上げられるのが目的なのでは?」

 それまで控えていたデラーズが、口を挟んでくる。

「馬鹿ものだろうと議員は議員、議会内では頭数になります。数は力、上に居坐る老人たちに対抗し、名を上げるために、若い連中を取りまとめているのでは」

「だが、それではデメリットが大きいのでは? あの連中とつき合いがあるだけで、ダルシアの名前には特定の色がつけられることになる――それは、今後の野心があるなら、あまり上策とは思えません」

「――あるいは、こちら側の油断を誘う狙いがあるか」

 と云うと、二人のまなざしがこちらを向いた。

「“父”の次の首相を目指すのであれば、清濁併せ呑む大器、と云うアピールになるだろう。その上、連邦に対して弱腰でない、と云い立てることも可能になる。議会内や、知識層の受けは悪くなるが、大衆受けは良くなるだろう。一般大衆は、勇ましいのが好みだからな」

 反知性主義とやら、元々のアレコレにもあったものだ。

 もちろん、知的エリートの御題目ばかり唱えるような“知性主義”には対抗すべきだが、それを“知性そのものに反対する”と取る輩もあって、正直に云えば、この言葉そのものは好きではない。

 残念ながら、この言葉を原義どおりに使うものはやや少なく、大抵は“データや法則などよりも肉体感覚や素朴な感情を基準にして物事を判断すること”と云う定義の、“肉体感覚”や“素朴な感情”と云うところばかりをクローズアップして云い立てる輩がとても目立つのだ。

 確かにプリミティブな感情は大切ではあるが、単に“気に食わない”と云う感情の問題を、反知性主義と称して理論武装したつもりになっている輩があるのも、また事実である。

 ――反知性主義は、衆愚政治を肯定するものではないはずなのだがな。

 つまりは、考えることを放棄すること、それを肯定するだけではないか。

「……“愚民どもめ”、と云う気分になるな」

 自分たちの先行――金銭や健康などではなく、社会的な自由や権利の問題――についての判断を、放棄しているようにしか思われない。

 タチとデラーズは黙りこんだ。

「……閣下」

「閣下がおっしゃるのは、洒落になりませんよ……」

 冗談と云うことにしておいて下さい、とタチが云う。

「あながち、冗談と云うわけでもないのだが」

「なお悪いです!」

 そうは云うが、別段自分とても、元のギレン・ザビほど頭が良いわけではない。IQ240などと云う、それこそ冗談のような数字を叩き出す人間ではないのだ。

 その自分にすらわかることを、どうしてかれらはわかろうとしないのか。その疑問が、苛立ちとともに湧き上がってくるのを、抑えることができないのだ。

「人間と云うものは、ここまで愚かなものだったかな」

「世間一般は、そんなものですよ! 天才と謳われる閣下のおつむと、一緒にしないで戴きたいです!」

「お前たちとて、優秀ではないか」

「そりゃあ努力しておりますからね!」

 タチの言葉に、デラーズも頷く。そんなものか。

「皆、楽に話についてきていると思っていたが」

「そりゃあ、コミュニケーションスキルってものでしょう。……閣下は、もう少しご自分の能力を、正確に把握された方が宜しいですよ」

「……そんなものか」

 天才、と、ここでは呼ばれるが、そこまでのものではないはずだ。そもそも天才とは、ただ知能が高いとやら、努力を続けられるとやらではない。

 元々のアレコレでは、大した仕事もしていない人間だったのだから、別に飛び抜けた才があるわけでもないと思うのだが。まぁ、人間関係のバランスを取る能力だけはあった――と思いたい――から、ザビ家が現状まとまっていることに関しては、自分の手柄と云っても許されるのだろうが。

 昔読んだ小説のヒロインが、“自分の愚かしさにも我慢がならないのに、それ以下だなんて許せない”と云うようなことを語るシーンがあったが、まさしくそんな気分である。尤も、そのヒロインは異能の持ち主で、人が何かを口にする前に、その内容を悟って答えを口にするような人物だったのだが。

 まぁ、そんな人間にはなるべくもない。

 目の前で語る人間の言葉が、“語り”なのか“騙り”なのかを判断することすら難しいのだ、まして他人の頭の中など、わかるはずもないではないか。

「……とりあえずは、“馬鹿ものども”と、ダルシア・バハロを注視することしかできるまいな」

「まぁ、迂闊に動けば、こちらが足許を掬われることになるでしょうからね」

 そう、とにかく一年戦争終了までは、ザビ家がムンゾの舵を握っていなくてはならぬ。その後は、できればキャスバルを首相の座に、とは思うけれど――まぁ、そのあたりはなりゆきだろう。

 例の“馬鹿ものども”だけでなく、他につけ入る隙を与えれば、こちらが“既定のライン”と考えている流れも、めちゃくちゃにされるだろう。それは結局、ムンゾの、コロニーの、つまりはスペースノイドの敗北を意味することになるのだ。

「こちらが足許を掬われる事態は何としても避けねばならないが、同時に連中の足許をも伺っておかねばなるまい。――迂闊に接触したりはせずに、監視の目は弛めるな」

「できれば、連中が暴走してくれると話が早いんですがねぇ」

 諜報部員らしい感想を、タチが云う。

「それらしくしかけてみるか?」

 それに、デラーズが云うのへ、待ったをかけた。

「そう云う暗躍は、私の流儀ではない。――やるなら“ガルマ”がやる。まぁ、褒められたことではないがな」

「ガルマ様が?」

 二人とも、鳩が豆鉄砲をくったような顔になった。

「その、ガルマ様は、確かに少々悪辣なところがおありですが、流石にそれは……」

 いつも散々こき使われているタチが、擁護しているのだか貶しているのだかわからぬことを云う。

「あれは、そう云う生きものだ。まぁ、あれに任せると、政治向きでは碌なことにならんからな。だから軍人にしようとしていると云うのに……」

 担ぎ上げようとする連中は、一体どこを見ているのか。

 デラーズが反論してくる。

「ですが、ガルマ様は、士官学校で既に一大勢力を築いておられると聞き及びます。それだけのカリスマをお持ちなら、担ぎ上げようとするものが現れても仕方ないことかと」

「だが、あれは猟犬の群れの頭であって、総大将の器ではない。そうだな、キャスバルが総大将となって、あれの手綱を取るのが、理想と云えば理想だろうな」

 キャスバルは、母親の許で育った分、原作の“シャア・アズナブル”よりも自信に満ちている。原作でのガルマ・ザビに近いと云っても良いのかも知れないが、しかし、実力が確実に備わっているだけに、ガルマよりも強いだろう。

 何より、“ガルマ”が割合よくキャスバルの云うことを聞いている。つまり、キャスバルの麾下には、本人に惹きつけられた人間の他に、“ガルマ”に惹きつけられたものたちも集まると云うことだ。

 “ガルマ”は、親しい人間には好かれやすいが、少し距離が出ると、途端に敵視されることが多くなる。キャスバルは逆に、距離があるほど人を惹きつけるように思う。

 この二人が組んで動けば、すぐに一大勢力ができあがることになるだろう。あとは、“ガルマ”が作った敵を、キャスバルがどう味方として回収するかだ。

 デラーズが、溜息とともに云った。

「なるほど、深い考えがおありだ」

「これしき、深いも何もあるまいよ」

「並のものが、ガルマ様を軍の指揮官に、などと考えましょうや。閣下ならではと感服致しました」

「大袈裟なことだ」

「本心ですよ」

 タチも云う。

 そんなものか。

 しかし、なるほど、とも思った。

 タチやデラーズのような有能なものたちですら、先入観を逃れることはできないと云うことだ。皆、見え難いものを透かし見ようと、四苦八苦したりしないもののようだ。

 世間に、あれだけ碌でもない政治家が溢れているのは何故かと思っていたが、なるほど、皆見えていないと云うことだ。あるいは、自分に見えたようにだけものを見、その“見方”と相反する“不都合な事実”には目を瞑るか。それ故に、言葉面だけ心地良い中世期末の愚劣な指導者たちを支持し、結果、様々な弊害を呼び起こしたと云うわけか。

 見たいものだけ見て、勝手な自身の妄想に浸りこみ、その都合の良い“期待”が裏切られれば激昂する。

 これは確かに、“愚民”と云うより他にない。

「――本当に、愚民と云うのは、仕方のない生きものなのだな」

 と呟くと、タチとデラーズにまた微妙な顔をされたが、知るものか。

「ともあれ、ダルシア・バハロとあの一統には、極力動向を注視せよ。暴走しそうな気配があれば……」

「あれば、その時は?」

 四つの瞳が、じっとこちらを見た。

「その時は、国家転覆を企図したとでも何とでも理由をつけて、全員拘束してしまえ。連邦に、つけ入られる隙は、絶対に与えてはならんぞ」

「「はっ!」」

 返る声と敬礼とに鷹揚に頷いてみせ、この会合はそれで終了した。

 

 

 

 ガーディアンバンチのドズルから、“ガルマ”が体調を崩したと報告があった。演習の三十km行軍で雨に降られたことが理由らしい。

 まぁ、元々のアレでも、“水濡厳禁!”と、宅配便だか漫画雑誌だかわからぬようなことを云っていた“ガルマ”である。少しの降雨でも風邪を引くのは想定内だったので、そこは別に報告の必要はなかったのではないかと思う。

 が、ドズルの云いたいのはそこではなく、

〈普段衝突していた生徒が滑落したのを助けるために、雨の降る中、崖を下りたと云うじゃないか!〉

 つまり、それに感動して、こちらに連絡を入れてきたと云うことらしい。

「なるほど?」

〈兄貴は感動が薄いな!〉

 もう泣きながら、ドズルが詰ってくる。

〈敵対していた相手を、自らを危険に晒してまで助けたのだぞ、ガルマは! 男らしいではないか! あの小さかったガルマが、あんなに立派になって……!〉

 とは云うが、“ガルマ”のことだ、まったく裏がないとは思われない。例えば、そう、いずれきたるべき“暁の蜂起”のために、学内での勢力を形成しておきたい、などと云う理由があるとか。

「お前が、いつまでもあれの擬態に騙されているのが気がかりだな」

〈兄貴!〉

 怒鳴ったところで、こちらの意識は変わらない。

「怒鳴るな、本当のことだ。――さてしかし、“ガルマ”は無事に、学年を取りまとめることができそうか」

〈そこは問題ない。と云うか、俺は、どうして兄貴がガルマに厳し過ぎるくらいなのか、それが疑問なんだが〉

 よくやってるじゃないか、なのに何故? と問われるが、

「……あれは、褒めてもつけあがるだけだからな」

 褒めて伸びるタイプでは、断じてない。

 可愛ければ褒めるのに吝かではないが、何と云うか――絶妙に可愛くないので、褒めようと云う気分も起こりにくい。取り繕う気がないのか、長い歳月のお蔭でこちらが騙されない目を得ているのかはわからないが、きゅるんとされてもまったく心が動かないのだ。

 本人は暴れるが、その悪辣さと悪知恵を封印してから出直してこいと思う。そうしたら、多少の可愛げが出て、こちらも褒める気になるのではないか。

〈兄貴の目には、ガルマはどんな風に見えてるんだ……〉

 などと云われても、“昔”からいろいろとやられている身としては、とにかく慎重にならざるを得ない。それに、“ガルマ”が柔順だったとしても、その部下が反旗を翻してくると云うことは、過去いくらでもあったのだし――まぁ今回に関しては、キャスバルが傍にいる以上、それはないだろうとは思うけれど。

「――とにかく、“ガルマ”とその周辺については、何をやらかすか知れたものではない。監禁しろとまでは云わないが、言動などには重々注意しておけ」

 入学式の時のようなことがあれば、連邦につけ入る隙を与えることになるからな、と云うと、思うところはあったのか、ドズルはぐっと黙りこんだ。

 こちらの演説に対する熱狂な歓呼は、自称“愛国者”どもにとっては心地良く響いたかも知れないが、来賓として列席していた連邦軍将校たち、特にレビル将軍には、不愉快なものと捉えられただろう。

 そして、それを最初に口にして場を煽った“ガルマ”のことも、あの男は敵と認識した可能性はある。

 ゴップ将軍は、“ガルマ”を半ば面白がっていたようだが、“御曹司の甘え”を装ってはたらかれた無礼については見逃さず、危険人物リストに入れたかも知れない。元々が大概な狸なのだ、何を考えたか、本当のところなど知るべくもない。

 どちらにしても、“暁の蜂起”で連邦に睨まれるのは確定なのだから、その前から目をつけられるような振るまいをするのはマイナスだと思うのだが。

〈――わかっている〉

 ドズルは、苦いものを飲み下したような顔をした。

「そもそも、入学早々に、駐屯部隊とひと悶着起こしているのだ。あちらの司令官からも目をつけられているだろう」

 三年になれば、駐屯部隊との合同演習もある。原作においては敵視されたのはキャスバル――“シャア・アズナブル”だったが、この時間軸では確実に“ガルマ・ザビ”だ。

「――キャスバルに、“ガルマ”の手綱をもう少しきちんと取れと云っておけ」

 “しっかり”と云っても無理なことはわかっているが、今の状況では、野放しも同然ではないか。士官学校と云う柵の中に入っているだけマシ、と云った態でしかない。

 いずれ、キャスバルはムンゾの頂点に立つのだ。その時に、“ガルマ”ひとりを抑えられないでは、話にもならぬ。そのためにも、今からリード紐を掴む練習をしておいてもらわなくては。

 ドズルは微妙な顔になった。

〈キャスバルは、“無理だ”と云うんじゃないか〉

「云うかも知れんな」

 意外に“ガルマ”とやらかすあれこれを楽しんでいるようなところはあったから、そちらの意味を含めても。

 しかし、“シャア・アズナブル”として戦場に出るにしても、あるいはキャスバル・レム・ダイクンとして内に留まるにしても、前線に出ることになるだろう“ガルマ”とその一統の手綱を握れぬでは、後々困ることになるのはキャスバル自身である。そこは、きちんとしてもらわねば困る。

「キャスバルこそ、真にジオン・ズム・ダイクンの跡を継ぎ、スペースノイドの生きる道を示すべき人間だ。である以上、“ガルマ”ひとりを御せぬでは話にならん。そう、キャスバルには伝えるように」

〈わかったよ。だが、キャスバルにも、兄貴が直接云ってやった方が、よくきくと思うぞ〉

「そうだな。だが、まずはお前から云っておいてくれ。“ガルマ”にも、くれぐれもよく云い聞かせろ」

〈わかってる〉

 ガルマの熱が下がったら、少し注意しておくよ、と云って、ドズルからの通信は終了した。

 監視員としてつけたはずのジョニー・ライデンやシン・マツナガ、ゼナ・ミアまで自陣営に組みこんだ手腕は流石だとは思うが、その先を思うと、少々憂鬱にならざるを得ない。無条件に褒めるには、“ガルマ”のこれまでの行状に難があり過ぎるのだ。

 まぁ、そもそも本人に悪気がなくとも、何かが起こるときは起こる。本当の意味で裏切りを働かないものなど、人間にはあり得ないのだ。裏切らない人間は、死人だけだ。そのことをよくよく胸に刻んで、何があっても対処できるようにならなくては。

 そう云う意味では、今ザビ家の味方をしているマツナガ議員とて、単に様子見をしているのだろうと思う。あるいは、士官学校に入れた息子を人質に取られているようなものだから、息子の在学中はおとなしくしているだけなのかも。

 権力を失えば、今いるまわりの人間たちは、いとも容易く離れていく。結局、重要なのは、金や権力、地位などであって、それがないものに心を砕くほど、人は暇でも余裕があるわけでもないと云うことだ。

 それはそれで、人間の性であるからには仕方のないことではある。

 だが、それによって、達成されるべき崇高な理念までが蔑ろにされるのは、やはり戴けぬことだと思う。皆、自分たちの利潤にしか興味を示さぬでは、政を掌る資格などないのではないか。

 ともかくも、こちらはこちらで、やるべきことは山積している。カエサルのものはカエサルに、“ガルマ”のものは“ガルマ”に返し、次の方策を考えねばならぬ。

 “暁の蜂起”までのあと一年間で議会を取りまとめ、ムンゾを“ジオン共和国”に変えること。

 そのためには、例の“馬鹿手議員”どもをどうにか排除、乃至は沈黙させ、議会内で何とか妥協点を探れるところまで持っていかなくては――右でも左でも、“過激派”の暴発ほど面倒なものはないのだ。

 そのためにも、ダルシア・バハロが自滅してくれると、あの一統を排除するのが楽になるのだが、

 ――まぁ、そう簡単な話ではあるまいな。

 簡単であるなら、四十二歳で一国の首相の座などには就けるまい。

 最近ではジンバ・ラルの動きも聞かれないし、悪い意味でダルシア・バハロが統率力を発揮しているのか。

 一息にけりがつけば楽なのかも知れないと思うが、それはそれで、後始末が面倒だ。

 とりあえずは、連中の動向を注視するより他、できることはなさそうだった。

 手許の書類を確認し、揃っていることを確かめてまとめ直す。深い溜息が口を突いて出たが、それを指摘するものは部屋の中にありはしなかった。

 

 

 

 おや、と思ったのは、週明けのことだった。

 親連邦派の議員たちが、ダルシアたち一統から距離をおくようなそぶりを見せたのだ。

 ――何があった?

 もちろんそれまでも、今すぐ肩を組みそうなほど、仲良くしていたわけではない。が、少なくとも敵対陣営同士のような他処々々しさはなくなっていたはずなのだが。

 考えられるのは、ジンバ・ラルを迎え入れた“馬鹿手議員”どもに対し、まだしも理性のある隠れ“親連邦派”の議員たちが拒否感をおぼえた、と云う可能性である。

 ジンバ・ラルは、原作でも知れるように、ザビ家憎しのあまり、アナハイムあたりとも手を組むような人間だった――そのアナハイムが、その後のムンゾでの販路と引き換えに、自分たちを売るとは考えもせずに。

 隠れ“親連邦派”の議員たちは、文字どおり隠れてはいるが親連邦派なのであり、ジオン・ズム・ダイクンの妄信者であるジンバ・ラルとは、方向性がまったく異なる。ジンバ・ラルは、ザビ家を排除した後は連邦の排斥を云い出すのだろうし、それと手を組むからには、“馬鹿手議員”どももまた然り、である。

 恐らく隠れ“親連邦派”の議員たちは、“馬鹿手議員”だけならば巧みに言説を弄して説き伏せてしまえば良い、とでも思っていたのだろう。

 だが、ここにジンバ・ラルが入ってくるとなると、話は変わってくる。

 ジンバ・ラルは、妄念の人である。己がこうと思い定めたなら、他人の意見はほとんど聞かないし、リスク計算もしない。ただただ目的のために動く、ある種のマシンのようですらある。原作に於いては、それ故に己の寿命を縮めたわけだが――今回は、同盟相手となるはずだった隠れ“親連邦派”から、それ故に距離をおかれることになったのか。

 まぁ、自業自得だな、と思う。

 そもそも、ジンバ・ラルがまともに戦力――武力的な意味でも、弁説的な意味でも――になると考えるあたりで、状況を読み誤っているのだ。その点、隠れ“親連邦派”は年配のものも多く、まぁ常識的な判断をして、ジンバ・ラルを自分たちの盟友として迎えるわけにはいかない、と考えたのだろう。

 ダルシア・バハロはと見れば、何とも云いようのない、困惑と失望と苛立ちの入り混じったような表情である。これは、かれの預かり知らぬところで、“馬鹿手議員”どもとジンバ・ラルが結んだか、あるいは隠れ“親連邦派”議員たちの拒否感を、かれらしくもなく甘く見ていたか、そのあたりだろう。

 どうも、仲間と思った“馬鹿手議員”どもと、まだしも理性的な隠れ“親連邦派”との間にぶら下がったような恰好で、どちらにも重心をかけられずにうろうろしているようだ。

 ダルシアも、実際に手を組むまでは、同じジオン信奉者として、ジンバ・ラルに期待していたのかも知れないが――実際に相対してみれば、自身が幻想と期待の分厚いフィルターをかけて見ていたことに、今さらながらに気づいたか。

 まぁ、狼狽えればいいと思う。その後の行動をどうするかによって、こちらの態度が変わるだけのことだ。

 そう思いながら、悠然と構えて議会の開始を待っていると、議長の登場よりも先に、慌ただしい足音が扉の向こうから聞こえてきた。

「た、大変だ!!」

 泡をくって駆けこんできたのは、すぐには名前の思い出せない、中堅どころの議員だった。

「どうした!」

 同輩だろう議員が、声をかけている。

 よほど走ってきたのだろう、駆けこんできた方は、肩を大きく上下させている。

 やがて、多少なりとも呼吸が整ってきたのか、喘ぐように口を開いた。

「大変だ、今、ムンゾ大学で、……」

 後は、周囲の声に紛れて、その声は聞こえなくなってしまった。

 だが、そう広くもない議場である、ニュースは伝言ゲームのようにではあるが、こちらまで聞こえてきた。

 切れ切れの言葉を繋ぎ合わせると、事態は把握された。確かに、これは大変だ。

 例の“馬鹿手議員”どもとジンバ・ラルが、ムンゾ大学を占拠し、シャア・アズナブルを人質に、立て籠もっていると云うのだ。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 14【転生】

 

 

 

〈みんな助けて!〉

 

 そんなふうにヘルプを出せば、一斉に反応が返った。

 卒業後も保持してたIDで飛び込んだROOMは、案の定、今回の“事件”の話題で持ちきりだった。

 概要を説明するなら、こうだ。

 シャア・アズナブルは、1限目の講義終えて、次の授業に向かうべく移動中だった。

 生来の懐っこさで周囲からはそれなりに可愛がられてるけど、年齢差もあって、本人はひとりで行動することが多く、護衛も息がつまるからと少し距離を開けてついていくのが常だった。

 そして、今回はそれが仇になった。

 視察と称して突然押し掛けてきた十数人の議員達に取り囲まれたときも、シャアはひとりだった。

 直ぐに護衛が駆けつけたけど、多勢に無勢、相手方の連れてきた護衛モドキに阻まれたらしい。

 同じく止めに入った同級生も、突き飛ばされたりして軽傷だ。

 学生たちはすぐさま、ザビ家の本家に――つまり級友であったガルマ・ザビに伝わるように、連絡を寄越してくれた。それこそ警察に通報するのと同時にだ。

 ドズル兄貴が真っ先に行動に移せたのは、実家に知らせてくれた彼らのおかげだった訳だ。

 暴漢たち――あんな馬鹿共なんて暴漢で十分だ――は、シャアをつれて時計塔へ立て籠もり、大学は封鎖。

 現状、時計塔には誰も入れないし、出ることもできないってこと。

 なんたることだ。

 突っ込みも文句も山ほどあるけど、いまは垂れ流してる場合じゃない。

 ギリギリとモニターを睨めば、時計塔の4階部分の窓から、男たちに抑えつけられたシャアと、彼に取りすがるシンバと、声高にザビ家の専横を唱える議員達のドヤ顔が。

 ザビ家がムンゾを私してるじゃねぇよ。してくれてねぇから、“おれ”が“ギレン”にお強請りしてんじゃねぇか。クソ共が。あ、ちょっと文句が。

 ここまでならニュースからでも読み取れる。欲しいネタはこの先だ。

 情報の提供を求めれば、各自が知ってる事をバンバン知らせてくれる。

 各自が優秀な面々だけに、スッキリ整理されてて物凄く分かりやすい――一部、ゴチャゴチャしてるのもあるけど、中身はスゴい重要だったりね。

 立てこもり犯の人数、経路、装備、主張、現在の籠城地、その見取り図とか。

 挙げ句に面々の個人情報まで、何もかも丸裸だ。

 ……どっから引き抜いたのってスキャンダルまであるし。裏取り必要だねコレ。

 さて。今この瞬間、この事件について一番データを持ってるのは、おれ達かも知れないよ。

「……凄まじいな」

 ドズル兄貴が目を剥いたのは一瞬だった。

 直ぐに専用回線を開いて、一連のデータを他の兄姉にも送るように促される。

「俺のを使え」

 よっしゃ。ザビ家の緊急回線コードGETだぜ!

 今まで“ギレン”に制限されてて、おれだけ一般回線だったんだよね。

 勿論、安易に使えばたちまち閉鎖されかねんから、悪さをするつもりは無い。

 あくまでも、ドズル兄貴からの通信としてデータを流す。

 兄貴は続いて、自らのデスクから兄妹に連絡をとっていた――“ギレン”は議場にいるとかで、タチ・オハラを介してるみたいだけど。

 ――ホントーに“ギレン”はお堅いな、こんな時なんだから直通回線つないでよね!

 あー。

 駄目だ。なんか頭に血が上ってる。ちょっと冷まさなきゃ。

 深呼吸。で、情報を精査。

「『……妙だな』」

 一連のデータを眺めて、キャスバルが呟く。

「『だね。なんかオカシイ』」

 頷き合うおれ達に、ドズル兄貴が首を傾げた。

「何がだ? 妥当な布陣だろう。最善とは言えんが、悪くは無いぞ」

「だからですよ。兄様」

「ドズル閣下、彼らは軍人でも警察関係者でもない」

 それなのに、この布陣。

 対象の拉致、移動、籠城場所の選択、出入り口の封鎖、外部との通信手段、その他諸々。

 こんなの、それなりの教育や訓練を受けなきゃ組めるはずが無い。

 だけど、奴らのプロフィールを見ても、それらしい経歴を持ってるのは誰もいない――敢えて言うならジンバ・ラルだけどさ。

 それにしては爺さんたら、緊急ニュースの映像で、もろに顔出して大騒ぎしてるし。

 ふつーなら身を潜める。外部に身を晒すなんて間抜けのする事だ。

 一応要人だから見守られてるけど、そうじゃなきゃ容赦なく狙撃班にバンババンされてるかもね。

 バカ丸出しだとキャスターすら辛口で、こんな状況じゃなきゃ、遠慮なく草生やすんだけど。

 このチグハグさがどうにも気に掛かるんだよ。

 順当に考えて、計画を立てたヤツと実行犯は別だろう。

 なんて。ドズル兄貴が気付かないのは、なまじ長く軍部に居るからか。

 となると、姉様もかな。“ギレン”はどうだろう。違和感を覚えそうなのは、うちではサスロ兄さんだけかも。

「確かにジンバ・ラルにしては緻密か。……つまり、協力者が別にいると?」

 ドズル兄貴の眼光が鋭さを増した。

「もしくは首謀者が」

 キャスバルが答えてる。

「――根拠はまだ曖昧ですが」

 それでも、この違和感は無視するべきじゃないと、おれの勘が囁いてくる。

 ついでに言わせてもらえば。

『キャスバル、さっきからコッチに細切れのデータ突っ込んでくんのやめて』

 思考波で流し込まれる情報で、脳裏がピカピカ点滅するみたいで落ち着かない。

『好きだろう、“パズル”?』

『そーゆー問題じゃねぇわ』

 おれはお前のサブシステムじゃねぇんだ。処理させようとしてくんな。

 文句をつけたのに、押し付けられるデータは減るどころか増える一方だった。

 ぐぎぎ。がが。

「……キャスバル、ROOMの応対代わって。ちょっと“パズル”に集中する。指示も任せる。『お前のほうが得意だろ』」

「了解した。『任せてもらおう』」

 ROOMにキャスバルが入ると、場はさらに盛り上がりを見せた。

 流石だね。真打ち登場ってとこか。

 情報収集と指示はキャスバルに任せて、コッチは整理と分析、構築に意識を傾ける。

 ムンゾ大学の占拠…人質はシャア・アズナブル〈本人〉…立てこもり犯は若手議員とジンバ・ラル…護衛達…時計塔…旗印にならなかったダルシア・バハロ…それから、それぞれの派閥と対立組織……。

 明滅する情報を組み合わせてみるけどさ。

 んん。ピースが欠けてる。しっくりこない。

 ニュースを見るに、連中はシャア・アズナブルを、キャスバル・レム・ダイクンだと主張してるし。馬鹿な。

 相変わらず爺さんが、シャアに取りすがって喚いている。

 否定されても、まるで受け入れる様子もなく、ただひたすらにキャスバルの名を呼び、ザビ家への呪詛を吐き散らして。

 それは、もはや狂気の様相だ。お前を正気とは誰も思わないだろう。

 とうとう耄碌したのかジンバ・ラル。

 そもそも、爺さん、あんたは知ってたはずじゃなかったのか。キャスバルはおれと一緒に居るって。

 なんだろうこの感じ。違和感。ボタンの掛け違え――……本当に?

 もう一度振り返る。

 ジンバは、シャア・アズナブルがキャスバル・レム・ダイクンじゃないと知らされてる、これは間違いない。

 じゃあ、なんでシャアをキャスバルだと思い込んだのか。

 ――……誰かがそう仕向けた?

 ジンバは孤立してた。

 時流を読み違え、ジオンの思想を頑迷なまでに唱え続け、ザビ家への呪詛を吐き散らして。

 クラウレとのことも、マリオンのことも、ランバとは意見が合わず、亀裂は広がる一方だった。

 そして、一番執着してただろうジオンの忘れ形見――ダイクン母子との距離もまた。

 己を慕わぬキャスバルやアルテイシアを、ジンバはどう見てたんだろう。

 “ひとは信じたいものを信じる”

 いつだったか、“ギレン”が吐き捨ててた言葉が頭を過る。

 なぜ、シャアをキャスバルだと断じたのか。

 己を冷視するようになったキャスバルを、偽物だと思いたかったからか。

 それでも、事実を枉げるまでは至らないだろうに――じゃあ、なんでだ?

 何がジンバの狂気の背中を押した――何が、じゃない? 誰かが?

 誰かが、そう吹き込んだのか――あれはザビ家の用意した偽物で、ホンモノは“シャア・アズナブル”だと。

 だから、ジンバは最後に残ってただろう正気も手放したんだ。

 そんなことが出来るのは誰だ?

 その誰かは、何の為に?

 ピースがはまりだす。絵柄が見えてくる。

 だけど、それは思ってたのとも、ちょっと違う。

 おれが書いたシナリオを誰かが上書きしたんだ。釣り餌をシャア・アズナブルに差し替えて。

 だけどさ、“ザビ家の排斥”を狙うなら、それは悪手でしかない。

 うまく行きっこない――じゃあ、あえて失敗を狙ってるとしたら?

『ぐわ〜〜〜ッ』

 知恵熱出そう。

 でも頑張らねば。シャアは“友達”で、姉様の“大事なひと”だ。

 なんとしてでも助けなくちゃ。

「『キャスバル、おおかた見えた。でも、あといくつかピースが足りない……けど、君の“作戦”遂行の支障はないよ』」

 おれ達が集めたデータについて、“ギレン”は当局に提供することにしたらしい――つまり、ザビ家が介入する意志はないってコトだ。

 後でとやかく叩かれるのを忌避したんだろうけどさ、ドズル兄貴なんか、腕を組んで歯噛みしてる。

 きっと、キシリア姉様は、それ以上にもどかしい思いをしてるだろう。

 “ギレン”の措置がザビ家を守る為のものだと解っていて尚も。人間、理性だけで動けるものじゃないんだ。

 キャスバルも苛立ってるし――“ギレン”相手にじゃなくて、これだけデータをくれてやっても、まだ充分な手を打てずにいる当局に対してだけど。

 と、なれば、救出作戦はこちらで練るしかないとばかりに、キャスバルはさっきからROOMの方向性を操って煽って傾けてる。

 そして、ROOM内の人数は、いまや膨れ上がってる――どんだけ呼び寄せたのよコレ。

 学園中に存在する仲間たちが、号令を待っている状態だ。

「『では、作戦開始といこうか、ガルマ』」

「『りょーかい』」

 パチリ。キャスバルの指先が小気味良くキーを弾くと、画面の向こうで、間を置かずに打ち込まれる“ war cry”。

 ……あれ、教授たちも混じってる。ご高齢なのに大丈夫なのか。

 ムンゾ大学は、伝統的に武闘派が多いんだよな。ロジカル、フィジカル問わずにね。

「待て待て! お前たちは何をする気だ!?」

 ドズル兄貴が叫ぶけど。

「友達を助けるんです」

「神聖なる学び舎で、かかる暴挙は赦されるべきではない」

 立てこもりの図と、学内と時計塔の見取り図を重ねて見る。

 完全なる籠城作戦。

 逃げるとこまでは想定されてないってあたり、連中にしてみれば己の覚悟を知らしめるつもりだったのかも知れんけど、つまりは逃げられんってコトだ。

 さあ、フルボッコのフルコースを堪能するが良い。

 在校生が、教員が、職員が、それ以外の人たちも、有志が腕まくりして時計塔に突撃する。

 慌てた様子で、当局の方々も。

 ついでにマスコミのカメラさん達も猛ダッシュ。

 まさに数の暴力。

「『“戦いは数だよ兄貴!”』」

 テンションが上がって思わず叫んだおれの手の甲を、キャスバルがトントンとつついた。

 つまり、落ち着けと。ん。ごめんよ。

「『正面は囮だ』」

「『豪勢な囮だね。残り半分は通用口で、本命は廃階段か』」

「『ああ』」

 廃階段は、時計と建設当初の階段で、今はもう使われてない。老朽化が甚だしくて長く閉鎖されてる――って言われてるけど、実は使えるんだよね。

 塞いであるように見えるけど、思い切り引っ張ると開くんだ。これも先輩に教わった。

 内部に下りる階段は崩れてるから、鉄骨を伝わる必要があるんだけど、このルートも知ってる。

 まるで発条仕掛の玩具の内側にいるかに幻想的な内部は、実はおれのお気に入りでもあった。

 キャスバル・レム・ダイクンが産まれ落ちたところ。その瞬間に動き出した時計。ある意味では“聖地”みたいな。

 だけど怪談スポットでもあるらしく、誰かが崩割れた踊り場で、クルクル歌い踊る女の子の姿を見たって言ってた――そんなバカな。

『カーテンを巻きつけて踊ってた恥ずかしい馬鹿なら見たな』

『レポート地獄を抜けてハイになってたんだ……』

 黒歴史は忘れよう。

 モニターに集中すれば、正面からの一群は、入り口を突破してなだれ込んでいた。

 ふは。突入班を盾にしてるのが流石だわ。そりゃね、一般人を前に出すわけにはいかないから、飛び出す彼らを止められない以上、隊員が先頭立つしか手はないよね。

 発砲は2発だけで、誰にも当たらずに制圧成功。

 さらに突き進む面々は、内階段を駆け上って行く。

 これ、正面だけで制圧行けるんじゃない?

 みんな頑張れー…って、映像を見るに、このカメラマン凄くねぇ? 先陣切ってるよね? え? ホントにカメラマン??

 レポーターもついてってる? どこの局だよコレ!?

『君より体力あるな』

『………否定できねぇ』

 めちゃくちゃ悔しい。

 そうこうしてるうちにも、キャスバルは矢継ぎ早に指示を出してる。刻一刻と変わる状況に的確に対応してのける能力値には感嘆するしかないね。

 ドズル兄貴の眼差しからもそれは知れた。

 睨む視線の先、複数のモニターのひとつには、シャアが窓辺へと追い立てられている姿が。

 ギリッと鳴ったのは奥歯だった。いつの間にか噛み締めていたのか。

 どうしてくれよう。あの阿呆共は。当局に引き渡すだけなんて、生温い。

 あらゆる意味で潰してやろう。シャアを傷つけた――キャスバルを利用しようとした。

 おれの大事な幼馴染と友達に害なそうとした輩に、遠慮などいらんだろ?

 ドス黒い渦に感情を支配されそうになる刹那。

 開け放った窓から身を乗り出した友が、叶う限りの大声で叫んだ。

 

〈――僕、シャア・アズナブルは、キシリア・ザビを愛している!!!〉

 

 ――……。

 なんですと???

 全く予想もしなかった事態に、全員の口がぽかんと開いた。

 

        ✜ ✜ ✜

 

〈馴れ初めはなんですかーーーッ!?〉

 ――おいレポーター!!

 第一声がそれで良いのか!?

 シャアの叫びから間隙をあけずに、階下からは学生sと報道陣が飛び込んできた。

 正面と通用口と廃階段からなだれ込んだ面々で、その場は満員御礼。

 そして冒頭のインタビューである。

 シリアスがシリアルに変じた瞬間でもあった。

 予想外のシャアの大告白に度肝を抜かれたらしき立てこもり犯達は、その虚を突かれ、雪崩こむ面々にほぼ対処が出来ていなかった。

 学生に混じっていた突入班――この言い方からしてすでにオカシイ。突入班に混じっていた学生ってコトなら辛うじて納得……はしないな。フツーは混じらんから――が、銃を所持していた議員並びに護衛もどきを無力化してるのが画面の隅っこに映ってる、けど、まさに外野扱い。

 カメラはド真ん中にシャア・アズナブルを据えていた。

〈ええと。初めて会ったのはテキサス・コロニーでした。僕の出身です。彼女はガルマを心配して様子を見にきていて……〉

 おい、シャア、おい、お前ハニカミながらなに答えてんだ!?

 そして周囲も恋バナに湧くな!!

〈キシリア女史は、氷鉄の女傑とも呼ばれ苛烈な印象が強いですが、どんなところに惹かれましたか?〉

 黙れインタビュアー!

〈そんな! それは彼女の内面を皆が知らないからです! キシリアがガルマからの手紙を、どんなに優しい顔で読んでるのか、愛馬に颯爽と跨って、どんなに愉しそうに笑うのか知らないから……本当は、とても優しい女性なんです〉

 お前も黙れシャア・アズナブル!!

 なんて、心中の叫びは奴らには届かないから。

「『キャスバル! そこ代わって!!』」

 笑い転げてる幼馴染を、メインモニターの前からどかす。

 ROOMに戻り、

〈誰か音声回線つないで!〉

 お願いすれば、即座に了解が返った。

 IDを確かめる間も惜しんで声を通す。

「シャア! シャア・アズナブル!! 姉様と仲良くするなら、僕の成績を抜いてからって言っただろ!!」

 誰かの端末からおれの音声が流れ出る。

 シャアは弾かれたみたいにそっちを見て、物凄く嬉しそうな笑顔になった。

〈ガルマ! 助けてくれるって信じてた!!〉

 って、そんな顔しても絆されるもんか。

「……君を助けたのは、大学の皆だよ。それから護衛と警察の皆さん。ちゃんとお礼を言いなよね」

〈もちろんさ! だけど、助けを差し向けてくれたのは君たちだろ? ガルマ、それからキャスバル〉

 モニター越しに、欠片ほども疑ってない眼差しが。

 なんでそんなにストレートにキラキラを向けてきやがるんだチクショウめ。

 ううぅ。

「……君は友達だし」

 ちょっと拗ねたみたいな声になった。

「無事で良かった。シャア、君に何かあればガルマが泣くぞ」

 意地の悪い声が。

「キャスバル!!」

 喚くおれに、モニターの向こうの面々がどっと笑った。

 なんでだ、なんでそんなに和やかなの。拉致立てこもりの事件現場だよねココ。

 突撃隊員らしき人たちまで笑うのか。

 喚き散らしてる議員たちの方が、よっぽど場違いに思えるこの不思議。

 ――コホン。

 と、咳払いがひとつ聞こえ、その瞬間に、生徒達が一斉に静まる。

 あ、この感じ覚えてる。モニターのこちら側なのに、おれの背がピンと伸びた。

 隣のキャスバルでさえ、姿勢を正してるし。

〈さて、ガルマ君。私の声は聞こえているかね?〉

「はい。ドライバイム教授。ご無沙汰しております」

 ふぉう…よく見たらこのID、教授のじゃないか。

 ちょっと冷や汗。

〈うん。ところで、ここにいるシャア・アズナブルは、総合すると在学時の君の成績には到底及ぶべくも無いがね、ただ一つ、君がもっとも苦手としていた教科において、SAを叩き出してみせたよ〉

 何故にそのような良い笑顔で宣うのか、我が師よ。

 それに、ええぇ、なに、おれ負けたの? シャアに??

 ――悔しいんだけど!!

〈ときに、君は“自分の成績を抜いたら”の“明確な条件”を提示していたかね?〉

 なおも畳かけられて黙り込む。

 沈黙を回答と捉えたんだろう。教授は、わざとらしいしかめっ面を作って首を振る。

〈私は君に、契約条件を明確にしておくことの重要性を説いていたはずだがね〉

「……はい。覚えております」

 今生の交渉(と言う名の戦闘)については、1から10まで教授から叩き込まれてるし。

 ……うん。わかってる。シャアへの条件が曖昧なのは、“達成できないと姉様が悲しむ”からだ。

 そして、教授は、そんなこととっくにお見通しなんだろう。

〈祝福してやりなさい。彼は条件を満たしたと言える。……君もそれを期待していたんだろう?〉

 ――いいえー! 期待してませーん!!

 なんて、この場で答えられるわけないんだよ!!

「〜〜っ、姉様の好きな花はアマリリスだから!」 

 もう自棄になって叫ぶ。

 教授は朗らかに笑い、シャアは感激にか潤んだような瞳を瞬かせた。

〈ありがとう、ガルマ! プロポーズが成功するように祈っててくれ!!〉

 貴様そこまで応援しろというのかっ!?

 もう白目になりそうなおれの背中を、キャスバルとドズル兄貴が笑いながら支えてくれた。

 シャアの周囲は激励とひやかしの声で賑やかだ。

「……教授、回線をお貸しいただきありがとうございました。また、この度のご助力に対して心よりお礼を申し上げます……シャアを助けてくださって……っ」

 声が震えて、最後まで言葉が出てこなかった――悔しさで。

 だけど、皆の解釈は違ったみたい。

〈うん。大切な友達が無事で良かったね〉

 モニターの向こうのドライバイム教授は、ニコニコ笑ってる。いつものしかめっ面はどこに行ったのかってくらいの上機嫌だ。

 そしてそれは、他にも居た教授たちも同様だった。

〈いや、なかなか無い体験をさせて貰ったよ。ねぇ〉

〈そうだねぇ。ま、教え子を助けるのも我々の職域と言えるだろう〉

 いや、立てこもり現場を強襲するのは教師の職域の範疇外、なんて突っ込める筈もないし。

 それに、このお調子者の――だけど憎めない、未来の家族(仮定だけど!)を失わずに済んだことに安堵してるのは、嘘隠しなく事実だし。

「みんな、ありがとう!!!」

 叫べば、ワァワァと、圧倒されるみたいな呼応と拍手が。

 こうして、シャア・アズナブル拉致事件――からのキシリア・ザビとの交際暴露事件は、ひとまず幕を下ろしたのだった。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 世間は相変わらず、シャア・アズナブルとキシリア・ザビの熱愛報道に湧いている。

 あの後、あの馬鹿はアマリリスの花束を手に、本当にプロポーズしやがった。

 数日後に婚約が発表されたことで、返答がどうだったかなんて知れるだろう。

 結婚はシャアの卒業後の話だけどね。

 ……幸せになるが良いのさ。

 それはさておき。

 あの事件の後に起こったことを、とりあえず纏めてみる。

 拉致事件の犯人たちは当然身柄を拘束され、いまは取り調べ中。

 その過程で露見したのは、“ガルマ・ザビ”襲撃計画だった。

 休日の外出の予定が流出してて、そこを狙う手筈だったとか。どこから情報が漏れたのか、目下調査中とのこと。

 うん。リークしたのおれね。

 そっちが元々用意してたシナリオの方。未遂だけど余罪にカウントされるってコトで、無駄にならなくて良かった。

 けっこうな人数を釣り上げられて、ほくほくニンマリ。

 反ザビ過激派はほぼ壊滅。反ザビ自体の気勢も削がれて万々歳。

 ――なのに。

「『反省しろ』」

 キャスバルが仁王立ちで見下ろしてくる。

 計画を知らせてなかったことに大激怒で、部屋の床に正座させられてる――現在進行形で。

 何このデジャヴュ。この前よりグレードアップしてんだけど。

 ――お前は“ギレン”か!?

 なんでだよ、なんでまたもや反省会? ちゃんとお前を巻き込まない内容になってたじゃないか。

 勿論、拉致られたり害されるようなことにならんように万全の構えで――そりゃちょこっとくらいは怪我するかもだけどさ。

「『は ん せ い し ろ』」

 意識を押し潰されそうな思考波の圧力。

 ふぅおぉう。

 それは何に対して反省すれば良いんだ――“企みません”なんて絶対に無理だし。

 あ。もしかして、存外にスリルを好むお前のことだから、楽しそうな計画を内緒にしてたことを怒ってんのか。

 でも遊びじゃないし。コレってザビ家の問題だし。

 チラリと上目に見るのと、ガシリと頭を鷲掴みにされるのは同時だった。

「『アダダダダだぁ!?』」

 リンゴ生絞りできる握力でそれやめろッ!

 頭蓋割れるからッ!! 中身出るからぁああッ!!

「『何度促されても反省できない脳など、いっそ絞り出した方がいいんじゃないのか?』」

「『ゴメン赦してキャスバル様!!!』」

「『Recite, “わたしは、今後、一切の計画をキャスバルには秘密にしません”』」

「『横暴だ! それじゃサプライズもできないじゃないかッ!!』」

「『……そういう問題じゃないだろう、ガルマ?』」

「『ひぅっ』」

 食い込む指の力がさらに強まった。

 冗談ごとでなく頭蓋が軋みそうで恐い。

 鮮やかすぎるほど青い眼が、見かけだけは優しげに細められているのが、一層恐ろしさに拍車をかける。

「『さあ、繰り返せ。“わたしは、今後、一切の計画をキャスバルには秘密にしません”』」

「『……わたしは、今後……サプライズ以外の、計画をッ』」

「『“一切の計画を”、だ。それとも、始終頭の中を探られたいのかい?』」

 ギリギリと意識をこじ開けてこようとするのに、渾身の精神力で抵抗する――なんて、紙装甲で泣けるけど。

「『ごめん被る!』」

「『なら、素直に言うことをきけ』」

「『――……わかった。“おれは、今後、すべての計画をお前に相談するし報告する” ただし、お前へのサプライズを除いてだ!!』」

 ギッと睨みつけて叫べば、キャスバルは酢でも飲み込んだような顔をした。

「『……そんなにサプライズが大事か?』」

 なにを当たり前なことを。

 おれが、どれだけお前をびっくりさせることを楽しみにしてると思ってんだ!

 真顔で見つめあうこと数秒、キャスバルが疲れたみたいな溜息を落とした。

「『……それで良い』」

 ようやく、食い込んでた指が頭から離れる。

 ジンジン痛む額を抑えながら、正座してた足も崩す。ふぉう、痺れてるわ。

 パンダの子供みたいに、不格好にしか動けなくなったおれを、キャスバルが腕を組んで見下ろしている。

『……大体、君の“計画”は穴だらけなんだ。今回の被襲撃計画だって、酷いものだった』

 声は止んだけど、思考波はまだ叩いてきた。

『完璧な計画なんて無いよ』

 どんなに企んだって不確定要素は拭えない。不測の事態なんて腐るほどあるんだから。

『だから、僕が監督してやるって言ってるんだ』

 睨んでくる青い双眸は、青い焔みたいにきれいで、だけど触れたら焼かれそうで少し怖い。

『――……前にも、そんなコト言ってたよね、キャスバル』

 数年前、ザビ邸を抜け出してガイア達に会いに行ったとき、お前が手伝ってくれたんだ。

 そういや、あのときにタチ・オハラを捕まえたんだっけ。

 思い出して小さく笑う。

 タチの連絡手段を封じてたあの手際の良さっていったらなかったね。

『なぜ、知らせなかった?』

 ポツリと落ちた“声”は、らしくなくくぐもっていた。

 ――だって。

 ザビ家のゴタゴタにお前を巻き込みたくなかった――計画自体は、けっこう危険だったし。おれは、多少の怪我を覚悟してたんだ。

 だけど、キャスバルが怪我するのはイヤだった。

 知らせたら、お前も一緒に来ちゃうだろ。

 おれの思考を読んだキャスバルが、苛立たしげに舌打ちした。ヒドイ。

『僕が誘拐されたとき、勝手についてきたのは誰だ?』

『おれ。だけどあれは不可抗力だろ。今回のはおれ自身が仕組んだ茶番だし』

 巻き込むのを前提としてやらかすのはどうかと――弁明してもキャスバルからのチクチクトゲトゲが止まない。

 お前、なんで、そんなに臍を曲げてんの?

『君になにかあれば…アルテイシアが悲しむ。アムロも、フロリアンも。ゾルタン達もだな』

 言われて、パチリと目を瞬いた。

『――……あの子達が悲しむ?』

 そんなこと考えてもみなかった。

『君の家族もだ』

『…………父様や、姉様、兄様達も?』

『悲しまないと思うのか? 君が熱を出しただけで、あれだけ心配している彼等が?』

 ――だって。

 ムンゾが――コロニーが連邦とやり合うには、ザビ家がムンゾを抑えなくちゃいけないから。

 その為に必要だと思ったから、あれこれ企んだんだ。

 自分だって“駒”の一つだし、有利になるなら、怪我くらい、まぁ良いかって。

 だって。みんなで笑い合うためなのに。

 悲しませるとか、そんなの!

『散々悲しんで、心配して、それが自作自演だと知れたら、彼らは裏切られたと思うだろうな? 君への好意をそのまま持ち続けられると思うかい? いっそ嫌うかもしれない』

 ――ッ!?

『そんなつもり…』

 無かったんだ。だって、だって。

 きっと“ギレン”は気づいてるし、父様だって姉様達だって、ザビ家が力を持つことは望んでるはずだ。

『言い切れるのか?』

 言い切れる――はずなのに。

 どう言い訳していいか分からなくなる。

 脳裏がチカチカして、考えがバラバラだ。散らばったパズルみたい。片付けなきゃ…

 でも、どこから?

 頬が、指先が冷たくなる。血の気が失せてくのがわかる。

 家族に、あの子達に疎まれるのは嫌だ!

 ぶるぶる震えてる手の甲を、キャスバルの指先がトントンとつついた。

 いつもと同じに。宥めるみたいに。

 すぐ傍で青い目が嗤う。

『大丈夫だ。秘密にしてやる』

『ほんとう?』

『ああ。だから、君は、僕にすべて従うべきだ。そうだろう?』

 過ぎる程に優しげな“声”が。

 じっと視線を合わせて――。

 パァン、と猫騙しを仕掛けてやった。

『やなこった』

 鼻先で断れば、キャスバルは目を丸くした。

『……ここでそうくるのか?』

『弱みに付け込むって、ほんとに性格悪いよね、お前』

 そーゆーとこだよ。この幼馴染は全くもって油断も隙も無い。

 フーっとため息を落とせば、物凄く不満げな顔をされた。

『本当に弱ってたのか?』

『弱ってたさ』

 手加減なく弱み突いてきやがって。おかげで怒りに着火した。

『お前がバラしたら、おれは許してもらえるまでみんなに土下座行脚しまくるだけだよ』

 めちゃくちゃ怒られるかもだが、見捨てられたりはしないさ。それくらい愛されてる自覚はある。

『“愛情を受けた子”を舐めるなよ』

 そもそも、お前だって御母堂様や妹君の愛を鬱陶しがるくらいに注がれてるんだ。その程度は分かるだろうに。

 キャスバルは肩をすくめる。

『失敗か』

 ちっとも悪びれない様子がさらに腹立たしい。

『“ギレン”からなんか言われたんだろ? おれの手綱を取れとでも?』

『ああ。……このままだと、この僕が“正座”らしい』

 ギュっと顰められた眉。めちゃくちゃ不本意そうな様子に笑う。

 こういうところ、まだ少しの子供っぽさが残ってるよね、キャスバル。

『君もだぞ!』

 ――はいよ。それなりに回避頑張るよ。

「ところでキャスバル」

 呼びかければ胡乱げな眼差しが。

「……なんだい? 『ろくな事じゃなさそうだな』」

「『ひどいわー。なんでも相談しろって言ってくれたじゃないか。つーことで、』例のシャア襲撃拉致事件のあれだけど」

「『ああ。なにか掴めたのか』」

 ん。それなりにねー、と。

 口元が歪む。このモヤモヤをお前も分かち合いやがれ。

 ここ数日、己と“伝書鳩”の睡眠時間を犠牲にして収集しまくったデータを見るがいい。

 ラップトップを引き寄せて開く。

 画面を覗き込んだキャスバルも、不快そうに眉を潜めた。

 発端は、失敗に終わった“ギレン”の暗殺計画だった。

 議事堂を出たところで銃撃され、当時、護衛だったコルヴィン・シスが、身代わりとなって凶弾に倒れた事件だ。

 狙撃手は既に逮捕され、現在も服役中。

 ザビ家に不満を抱いたテロリストの単独犯行って――そんなわけ無いのにね。

 連邦との関係悪化を避けるため、ムンゾ内の勢力の拮抗を保つため等の理由から、事件そのものが公にされることは無かった。

 シスの家族には十分な補償をしたとは聞いている。それは今も続いているとも。

『家族はひっそり暮らしてるのにね』

 遺された妻も子供も。

 取り立ててザビ家を批難することもなく、おりに触れ送ってた花に、お礼の手紙が届いてた。

 あれからまだ四年と少し。傷痕が癒えるとは思ってないけど。

『度を越した“友情”か』

 キャスバルは鼻を鳴らすけどさ。

『……どうだろ。彼らは“幼馴染”だ』

 例えるのも厭だけど、もし、キャスバルが誰かの思惑で傷つけられたら。

 ましてや失いでもしたなら、おれは容易く“復讐者”たり得る。

 おれのラップトップには、シャア・アズナブルの護衛が、コルヴィン・シスの幼馴染であること、そして、この男がジンバ・ラルの狂気を促し、シャアのスケジュールを漏洩させ、今回の拉致事件へと誘導したことの証左がずらりと並んでいた。

 

 “わたしは、時々、本当はキャスバル・レム・ダイクンの護衛をしているのではないか、そんな錯覚を覚えます。”

 

 あの男が、ジンバ・ラルに度々漏らしたらしき戯言がそれだ。

 傍目には戸惑うように零していたらしい。

 曰く、コロニー管理者の息子とは思えない立ち居振る舞いがある、と。

 シャアは、キャスバルの影武者でもあるから、相応の振る舞いを身に着けさせられていた――それはザビ家の縁故になるための教育でもあったけど――のもあって、確かにキャスバル・レム・ダイクンっぽい言動も見られた。

 繰り返し、繰り返しそんな虚誕を囁かれて、元から揺らいでたジンバの精神が崩壊せずにいられるもんか。

 挙げ句の果てに、ザビ家が二人をすり替えていると、偽の証拠を突き付けた。

 シャア・アズナブルをキャスバルだと信じ込んだジンバ・ラルは、ザビ家排斥を目論んでた連中にとって、そりゃお誂向きの道具だったろう。

 古くからジオンの傍に控えてた、剛健のラル家の前当主。

 そんな老人が“本物はこっちだ!”なんて叫べば、ザビ家に疑念を抱く輩も出ないとは限らない。

 まぁね。今回はシャアの、あの爆弾発言ですべてが吹っ飛んだけど。

『どうするつもりだ?』

『コイツはシャアの傍から外す』

『同情したんじゃ無いのか』

 面白がるような声に、ムスッとした顔を向けてやる。

『まさか。動機を理解できたところで、赦すわけ無いだろ』

 シャアを危険に晒しやがったんだぞ――下手すりゃお前にまで塁が及んだんだ。

 だいたい、コイツの復讐劇はこれで終わりなんかじゃない。ここからが始まりだ。

 “ギレン”を害そうとした黒幕は、多分、今回のこと――“ガルマ”襲撃未遂のほうね――で議会を追われる。

 よしんばキリギリで残れるとしても、その影響力は格段に削がれ、周囲の護りは紙同然だろう。斬り込む策は幾らでも練れる。

 大方それを狙ってたんだろう。

『コイツが事を起こして、それが露見してみろ。うちを叩く要因になる』

 またぞろザビ家の陰謀説が流れるに違いないんだ。何処までも“謀略のザビ家”のイメージは拭えないのか――最近は、“ギレン”のソフト路線もあって、そうとうクリーンなのにね!

『どうするつもりだ』

『……“退場”してもらうさ』

 ほんとはコイツも黒幕も、諸共に“消去”してやりたいとこだけど、“ガルマ・ザビ”では叶わないから。

 さて、どこから手を回そうかな。この身の上では、搦手ばかりが得手になる。

 落ちそうなため息を噛み潰し、脳裏にパズルのピースを並べる。

 ともあれ、まずは“ギレン”に証拠を送りつけ、コイツをシャアから引き剥がすところからか。

 あとはジワリと――生憎、こちとら逆鱗を突かれてそのままにしておける質じゃないんだ。

 報いは必ず受けさせてやるさ。

 奥歯を噛み締めれば、また、トントンと手の甲をつつかれた。

 振り仰ぐと、すぐ傍に青い眼があった。

 吸い込まれそう。

 白い頬に、触れるか触れないかのところまで手を伸ばして。

「『キャスバル』」

「『なんだ』」

「『眼が青いな』」

 なんだか嬉しくなる。

 キャスバルの瞳の色だ。シャアのあれで暴露されたから、生来の色を偽らなくなったそれは、やっぱり凄くきれいだ。

 知らずに笑ってたみたいで、鼻を摘まれた。

「『間抜けな顔で笑うな』」

 ――……ヒドイわー。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 14【転生】

 

 

 

 馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたが、よもやこれほどの馬鹿だとは思わなかった。例の“馬鹿手議員”ども、そしてジンバ・ラルのことである。

 かれらが人質をとってムンゾ大学を占拠したと云う報に、議場は騒然とし、事実確認の必要があるとして、その日の議会は休止になった。

 控室に戻ると、マツナガ議員が後ろをついてきた。

「ご自身の部屋に戻られないのですか」

 思わず問うと、にやりと笑い返された。

「貴殿の傍にいた方が、情報が入りそうですからな」

 と云うが、こちらもTVを確認することくらいしか、できることはない――今は。

 控室のTVをつけると、ワイドショーなのかどうか、レポーターがカメラの前で状況説明を述べていた。その背後には時計塔がある。キャスバルが生まれた、あの時計塔だ。

〈……犯行グループは、“ムンゾ革命派”を名乗り、デギン・ソド・ザビ首相の退陣、並びにザビ家の要職からの引退を要求しており、……〉

 男性レポーターが、手許のメモに目を落としながら読み上げた情報は、やはりと云うべきか、あるいは頭を抱えるべきかわからぬようなものだった。

「ほぉ」

 マツナガ議員が、目を見開いた。

「何か云われておりますな、ギレン殿」

「――ジンバ・ラルらしい」

「あの御仁が首謀者ですかな」

「の、うちの一人ではありましょうな」

 と、ぱっと画面が切り替わった。

 望遠レンズで撮影しているのか、シャア(本人)と、それを取り押さえる“馬鹿手議員”たち、そして、シャアに取りすがるようにしているジンバ・ラル、と云う構図だ。

「――頭が痛い……」

 これだけ大々的に顔を晒すような真似をして、本当に成功するとでも考えているのならば、大概なおめでたさだ。

「ほぅほぅ、ばっちり顔が出ておりますなぁ」

 マツナガ議員は、面白がる風だ。

「笑いごとではありません、これは、議会としても大問題だ」

 現役の議員が、人質をとって大学占拠とは、弾劾決議ものの大事件だ。今は休止と云うことになっているが、再開され次第、あの馬鹿ものどもは訴追され、議員辞職勧告が出されるか、あるいは除名処分となって馘を切られるか、どちらにしても議員の立場を失うことになるだろう。

 画面で確認したところでは、この騒動に参加したのは十人ほど、かれらが議員資格を失えば、それに伴って補欠選挙なども必要になってくる。その費用の捻出も、突っこんでくる市民団体などがあるだろう。

 まぁそもそも、あのような議員を選出した選挙区とその支持基盤、加わっていた党派やそれに動員された有権者に対する批難にも繋がるだろうから、様々な意味でめちゃくちゃである。戦争が近いと云う空気は、こんなにも人を愚かにするものなのか。

「まぁ、馬鹿な考えを持つ輩が一掃されるのは、良いことではござらんか」

 マツナガ議員は笑うが、それで済む話ではない。

「事後処理を思うと、頭が痛いですよ……」

 そもそも、今の騒動に参加した“馬鹿手議員”は、中の一部であり、半分以上は議会内に留まっているのだ。反ザビ家にしろ反連邦過激派にしろ、一掃されたわけでは決してない。もちろん、暴発する連中がいなくなること自体は、ありがたくはあったのだけれど。

「だが、今回ザビ家は被害者のようなものでしょう。連中の監督責任は、敢えて云えば所属する党派の長が問われるのであって、貴殿らに及ぶとは思われませんな」

 それは、確かにそうなのだが。

「……これで、反ザビ家の勢力が地に潜るとなると、それはそれで厄介なのですがね」

「表に出ていたから良い、と云うわけでもありますまい。――気になるのは、ダルシア・バハロの身の振り方ですが」

「あぁ……」

 ダルシア・バハロ。そう、あの男は、今回の騒動に加担してはいなかったのか。

 ――まぁ、そうだろうな。

 あの慎重居士が、こんな暴発に手を貸すはずもない。

 大方、今回のことについても、諫言はしたのだろうとは思う。が、それで聞くような輩でもない、どころか、中で反発を受け、浮き上がってしまった可能性もある。

「さて、かれはどう出ますでしょうな」

「案外、貴殿のもとに入ろうとするかも知れませんぞ」

「あのダルシアが?」

 確かに、あの男は慎重で、かつ計算高い。だが、早々に鞍替えなどして、尻の軽い様を見せたりするだろうか――デメリットの方が多いと云うのに?

 そう云うと、マツナガ議員は肩をすくめた。

「ですが、連中は、あれだけのことをしでかしたわけですからな。まだ一掃されたわけではないとは云え、“ともにやれると思えなくなった”と云えば、云い訳は立つでしょう。それで、後悔している顔でも作っておけば、貴殿はともかく、まわりは納得するでしょうからな」

「しますかな」

「するでしょう。私も、まぁ気持ちはわからぬでもないとは思いますな」

「……なるほど」

 まぁ確かに、大学占拠は、ほとんどの人間にとっては想定外か。

「手土産がないのは、当人としては忸怩たるものがあるでしょうが、尾羽打ち枯らした体であれば、邪険にもされるまいと思いましょうからな」

「……確かに」

 まぁ、そう云う体であれば、そこまで邪険にしようとは思わない――信用は、決してしないだろうが。

 と、そこで通信が入った。タチ・オハラからである。

〈……閣下、確認が取れました。と云って、おそらくはご覧のとおりかと思われますが。――首謀者はジンバ・ラル、そして――〉

 読み上げられた名前は、大体把握していたとおりのものだった。

「頭が痛い……」

 顳顬を揉むが、それでどうなると云うものではもちろんない。

 しかも案の定、加担したのは下っ端ばかりで、本当の首魁は議会内に留まったままだ。その男の賢しげな笑いを、今さっき議場で見たばかりである。まぁ、事件の一報がもたらされた時には、流石に驚愕を隠し切れなかったようではあるが。

 マツナガ議員は、片目を瞑った。

「まぁまぁ、彼奴らの勢力も半減したでしょうからな、そう云う意味では良かったのではござらんかな?」

「前向きなお考えですな……」

「ものは考えようと云うことです」

「私には、今は無理です」

 この後のことを考えると。

 もちろん、やらかした連中は、弾劾決議やら議員辞職勧告やらでいなくなるだろうが、それにかこつけて、“父”やザビ家の不手際を論う輩が出てくるのはわかっているのだ。その手合の処理のことを思うと、頭が痛いどころの話ではなくなる。政敵が、ちょっとした落度も見逃さないのはわかった話だが、流石に、これでこちらの責任を問われるのは、たまらないとしか云いようがない。

 ふと思いついて、タチに問う。

「――シャアにつけていた護衛は、どうなった」

 軍関係ではなかったが、それでも、元警察官のSPをつけていたはずなのだが。

〈えぇ……議員たちから接触してきたので、少々油断していたらしく……〉

 と云ってから、慌てたように、

〈あっ、馘は勘弁してやってくださいよ! まさか、護衛をつけてやってきた議員たちが、拉致事件を起こすとは思わないでしょう!〉

「……減俸だ」

 流石に、まったく咎めなし、と云うわけにはいかない。馘にしたい気持ちがないとは云わないが。

〈――よくよく申し聞かせておきます〉

「それで、今はどうしているのだ」

〈今は、議員たちと御老体の隙を伺っているところです〉

「では、警察などと連携して、早期に取り押さえるようにと伝えておけ」

〈了解致しました〉

 通信が切れる。

 それと同時に、深い溜息がこぼれ落ちた。まったく、碌なことがない。

「どうも、ご苦労が多いようだ」

 マツナガ議員が、にやにやしながら云う。

 “帰って戴けませんか”と云いたくなるのを、すんでのところでぐっと呑み下す。マツナガ議員は、新興の“名家”ではなく、正真正銘の名門の出である。つまりは、上流階級に血縁も伝手も多い。迂闊なことを云えば、そちらをまるごと敵に回すことにもなりかねない。

「突出し過ぎると叩かれると云う、見本のようなものですな」

「ザビ家は皆様優秀であられますからなぁ」

 とぼけたように云う。

「飛び抜けて優秀かはわかりませんが。新興故に、あまり良く思われぬのでしょうな」

 それから、他家とあまり繋がりがないので、地位や権力を囲いこんでいると思われている可能性もある。まぁ、専らこれはギレン・ザビのせいだろうが――せっかく、妻を娶って繋がりを作ったのに、すぐに出ていかれたでは、悪い噂しか立ちようがない。

「まぁ、ザビ家はダイクン家との繋がりは強いが、他家とは距離をおいていると思われているようですからな」

「決して、そう云うことではないのですが……」

「早く再婚なされば良かったのですよ。そうすれば、まわりは安心したでしょうに」

「縁故でこちらを縛れる、と云うことですか」

「名家であるとは、そう云うことでしょう」

 マツナガ議員の云うことはわかる、わかるけれど、

「私には向かんのです……!」

 何だって、ガンダム世界に来てまで、結婚問題に悩まされなくてはならないのか!

 マツナガ議員は、はははと笑った。

「今からでも遅くはありませんぞ。――まぁ、今の事態を解決するには足りませぬがな」

「今欲しいのは、まさしくその、この事態の解決策ですよ……」

 がっくりするしかないではないか。

「まぁそこは、警察などに頑張ってもらうしかないでしょうなぁ」

 と云うのには、そうだろうなと頷く。軍人は、こう云う時には意外に役に立たないものだ。

「残念ながら、こちらでつけた護衛は、職務を果たせなかったようですからな」

「まぁ、SPなどと云うものは、暴漢には対応できても、警護対象になり得るものに対しては、やや甘くなるところはありますからなぁ」

 まぁ、そこは仕方ない。だから、馘ではなく減俸で済ませてやろうと云うのだ。

 と、もう一度通信が入った。またタチである。

「どうした」

 と問うと、タチは、慌てた風で、

〈閣下、ガルマ様が……〉

「“ガルマ”がどうした」

〈えぇと、ムンゾ大学内の情報提供者から、情報を流してこられまして……〉

「何をやっているのだ、あれは」

 士官学校とは云え、曲がりなりにも学生であるからには、その本分は学問であるのだろうに。

〈えー、どうも、この事件をお聞きになって、後輩たちに加勢を求められたようでして……〉

 人望がおありなのでしょう、みるみる情報が集まったと云うことのようです、と云う。

「それならば、その情報は、警察に流してやるが良い。私がどうにかできるわけではない」

〈は――それと、どうもこの事件、まだ裏があるようだとガルマ様が〉

「……本当に、あれは何をやっているのだ」

 確かに、そう云うことも得意なのは知っているが、“ガルマ・ザビ”に求められているのは、そう云う技能ではあるまいに。

「優秀な弟御だ」

 マツナガ議員は笑うが、自分の息子がこんなことをしたなら、同じ科白が吐けるものか。

〈ともかく、その情報に関しては、後ほど送らせて戴きます〉

「わかった。とりあえず、学内の情報については、警察へ流せ。出元はどうとでも云えば良い。それこそ、“ガルマ・ザビ”とでもな」

〈はっ〉

 ここで、あまりザビ家が動いても、後でまた何やかやと云う輩が出てくるものだ。もちろん、動かなくとも云われる。そう云う意味では、“ガルマ”からの情報提供くらいで、あとは警察に任せるのが正しいのではないかと思う。よほどの事件――それこそクーデターなど――でない限り、軍を動かすのは、ザビ家による軍の私物化などと云われるのが目に見えている。

 あとは、警察が巧くやってくれるよう、祈るばかりだ。

 面白がるようなまなざしをよこすマツナガ議員を無視して、TVの画面を注視することにした。

 

 

 

 さて、こちらは議場の控室にいたので、ここからはすべて伝聞である。

 シャア・アズナブルが、ジンバ・ラルと馬鹿手議員たちに拉致されたのは、次の講義の教室へ移動する最中のことだった。

 ザビ家の居候的な立場であり、キャスバルの影武者でもあるシャアには、いつも護衛がついており、そんな若者を、同級生たち――と云っても、いずれもシャアより三年ばかり年長である――は遠巻きにしているような状態だった。

 シャアを可愛がっているキシリアは、それを気にかけていたようだったが、当の本人は、あまり気にしてはいなかったようだ。早い進級で、勉学に励まないと落ちこぼれそうだったこともあったし、友人としては、腐れ縁のリノ・フェルナンデスや、“ガルマ”やキャスバルがいたせいでもあるだろう。

 とにかく、割合ひとりで行動することが多かったので、この日もやはり、ひとりで次の講義へと向かっているところだった。もちろん、護衛は少し離れたところからついてきてはいたが。

 そこに、

「……シャア・アズナブルとは、君のことかな」

 近づいてきたのは、スーツに身を包んだ男たちの一群だった。うち幾人かの眼は、かなり鋭い――SPか、とシャアは思ったそうだ。

「そうですが、あなた方は」

 シャア本人よりも、ややキャスバル寄りの態度を作って、そう答えると、何となく厭な気配が返ってきた。

 思わず身を引こうとするが、既に片腕を取られた後だったと云う。

「ちょっとつき合ってもらえるかな、“シャア・アズナブル”くん」

 しまった、と思った時にはもう遅く、SPらしき男たちに囲まれ、護衛とも引き離されてしまった。

 そのまま、あれよあれよと云う間に、大学正面の教室棟に連れこまれてしまう。

「あ……あなたたちは誰なんだ! 僕に一体何の用なんです!」

 怒鳴りつけるも返答はなく、引きずりこまれた先にいたのは、

「おぉ……キャスバル様!!」

 ジンバ・ラルだったと云うことらしい。

 シャアは、もちろんジンバ・ラルが何者で、どのような考えの持ち主であるかは知っていたが、何分このようなシチュエーションで顔を合わせるのは想定外である。

 そのまま“シャアを名乗るキャスバル”を演じるか、あるいはあくまでも“テキサスコロニーのシャア・アズナブル”であると主張するかを迷っている隙に、老人に、もの凄い力で拘束されたのだ――否、ジンバ・ラル本人は、抱擁のつもりだったのだろうが。

「キャスバル様、お迎えに参りましたぞ! 忌々しいザビ家などに捕われず、今こそキャスバル様が! このムンゾの先頭にお立ちになるのです!」

「え……」

「幸い、この方々が、キャスバル様を旗頭にとお申し出下さいました。さ、この爺とともに、新しいムンゾの夜明けを!」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 キャスバルらしく振るまうべきかと考えていたシャアだったが、これには焦った。

「何の話ですか! 僕はシャア・アズナブルです、キャスバル・レム・ダイクンではありませんよ!」

 慌てて云う。替え玉は引き受けたが、それはあくまでもキャスバルが士官学校に入るためであって、それ以外の影武者になる気はそもそもなかったからだ。

「キャスバル・レム・ダイクンは、ガルマ・ザビと一緒におります。あなたなら、よくご存知でしょうに!」

「いいや、あなたこそキャスバル様だ!」

 ジンバ・ラルは譲らなかった。

「キャスバル様が、ザビ家のものなどとともにあろうはずはない。――キャスバル様、どうぞ爺とともに参りましょう。そして、今度こそザビ家を打倒し、ジオン・ズム・ダイクンの遺志を継ぐ、新たなムンゾを!」

「冗談じゃない!!」

 キャスバルらしい顔をかなぐり捨てて、シャアは叫んだ。

「キャスバルにしても僕にしても、ザビ家にはお世話になってるんだ――その恩を、仇で返すようなこと!」

「それはまやかしなのですぞ、キャスバル様!」

「僕はキャスバルじゃない!!」

 シャアは叫んで、ジンバ・ラルを睨みつけた。

「あなたは、どこまで目を逸らしたら気が済むんですか! あなたの“キャスバル様”は、ここにはいない!」

「いいや、あなたこそがキャスバル様であるはずだ!」

 その返答に、ジンバ・ラルは耄碌したに違いないと、シャアは思ったそうだ。

「ザビ家に慣れ親しむものが、キャスバル・レム・ダイクンであろうはずがない。あれはキャスバル様ではない、そうあってはならぬのだ!!」

 必死の形相、にやつくような他のものたち――当然、例の“馬鹿手議員”どもである――は、それを止めようともしない。

 何とはなしに、シャアは察したそうだ、この老人は、その妄念を、後ろについている連中に都合よく使われているのではないかと。

 視線だけを周囲に走らせる。護衛とは、遠く引き離されている、が、あちこちに学生の姿はある。かれらが、かすかに頷いてよこすのを見て、シャアは確信したそうだ――“ガルマ”とキャスバルが動いてくれている、と。

 そう思った途端、それまではどこか慌てたような、焦ったような気分だったのが、すっと何かが肚に落ちたように、落ちついたのだと云う。

「……あなた方は、僕に何をさせたいんですか」

 キャスバル・レム・ダイクンのように落ちつき払った態度で、シャアは男たちに問いかけた。

 と、ジンバ・ラルではなく、若い男たちがにやりと笑った。

「キャスバル・レム・ダイクンとしての君に頼みたい。ザビ家を、国政の第一線から退かせるよう、説得してもらえるか」

 男たちが、本当にシャアのことをキャスバルだと信じていたのか、あるいはどちらでも良いから傀儡が欲しかったのか――そんなことは、その時のシャアにはわからなかった。

 ただ、自分の返答によってはザビ家に、つまりはキシリアに害が及ぶと云うことが大事だった――そうであれば、選択の余地などあろうはずがなかった。

 大丈夫だ、ガルマとキャスバルが動いてくれている、自分がただ見殺しにされることはない――それを確信できたからこそ、シャアは、傲然と頭をもたげ、主犯と思しき男をまっすぐに見つめた。そう、同じ状況に置かれたキャスバルがするだろうように。

「それはできない!」

「キャスバル様!」

 ジンバ・ラルが、慄きながらも取りすがる。

「何故です! 何故おわかりにならぬのです! ザビ家など、お父上であるジオン・ズム・ダイクンを暗殺し、その後その地位までも簒奪した、憎んでも憎みきれない悪党どものはず――そのことを、何故おわかりにならぬのですか!!」

「それは、あなたの妄想でしかない!」

「そうだとしても、構わないのですよ」

 若い男の方が、薄く笑って云った。

「われわれにとっては、“キャスバル・レム・ダイクン”がこちらについた、とアピールできることが大事なのでね。……ザビ家は、あまりにも突出し過ぎた――ここで少し叩いておかねば、われわれの将来が危ういので」

 そうして、シャアの腕を掴み、強引に歩き出す。

「どこへ行くんだ」

 問うても、返る答えはない。

 だが、歩いているうちに、目的地はわかった。時計塔だ、ムンゾ大学の象徴、キャスバルがその中で生まれたと云うところ。

 ジンバ・ラルにとっては、象徴的だろうな、とシャアは思った――キャスバル・レム・ダイクンが生まれたその場所で、今また新たな“キャスバル”を生み出そうと云うのだ。

 時計塔は、キャスバルが生まれた日からまた動き出したと云うが、内部がめちゃくちゃなのは変わらない。内部の階段が崩れ落ちていて、構造部の鉄骨をかいくぐっていくしか上に上がることができないのだ。しかもそのルートは、小さな子ども以外には使えないので、もちろん一行が行き着けるのは、塔の下の階までである。

 その一室に、シャアは押しこまれた。窓辺に連れていかれると、窓の外には大学の正門までが見渡せた。そこには、既に人だかりができている。様子を見ていた学生が、警察に通報でもしたのかも知れない。

「……ここで、何をさせようと云うんですか」

 男たちを睨みつけると、どこに持っていたのか、銃口を向けられた。

「窓辺に立ちなさい。生命が惜しければ、そこから叫ぶのだ、ザビ家は簒奪者である、ムンゾの、ジオン・ズム・ダイクンの正当な後継は、自分、キャスバル・レム・ダイクンであると!」

「キャスバル様に銃を向けるな!」

 ジンバ・ラルが叫んで暴れようとするが、男たちに取り押さえられてしまう。

 哀れなひとだ、とシャアは思った。ジオンへの、ダイクン家への思いは本物なのだろうが、あまりにも、自身の思いこみに目を覆われ過ぎている。まともな人間であれば、この男たちの企図するところなど一目瞭然で、それこそ危うい橋など渡ろうとは思うまいに。

 だが、もうことは起こってしまった。今、危うい橋のたもとにあるのは、シャア自身なのだ。

 どうする、云うなりになるふりをするか、あるいは。

「お、見ろ、カメラが来てる。TV局かな」

 と、外を窺っていた男のひとりが、正門の外を眺めやって顎をしゃくった。

「いいな、お誂え向きだ」

「運命はわれわれに味方しているようだな」

 云われて目をやれば、警備員に制止されているが、カメラを担いだ男たちが数名と、その数に見合ったレポーターらしき男女が数名、門外で押し合いへし合いしている。それから――いつ入りこんだのか知らないが、この棟の下にも一組。こちらは、そもそも中にいたようだ。大学に関するドキュメンタリーでも撮りにきていたのだろうか。

 ともあれ、チャンスだとシャアは思った。

 これで、もし男たちの意志に背くようなことを口にして、それで撃たれることになったとしても、カメラがその事実を伝えてくれる。シャアの無実と男たちの犯罪を、即座にメディアがムンゾ中に流してくれるのだ。

 それならば、危険を冒してみる価値はある。

「さぁ、“キャスバル様”、そこに立って、そして叫びなさい、ザビ家の専横と、新たなムンゾ共和国の誕生を!」

 そうして、窓際ぎりぎりまで押し出され、外を見る。

 先刻よりもさらに増えた、野次馬とカメラとレポーターたち。

 それに向かって、何を叫ぶか。

 これしかない、と思って、シャアは口を開いた。

「――僕、シャア・アズナブルは、キシリア・ザビを愛している!!」

 

 

 

 それが響き渡った次の瞬間、自分の執務室で事態を見守っていたキシリアは、茹で蛸のように真っ赤になったのだそうだ。

「なかなかやりますな!」

 ともにTVを見ていたマツナガ議員は、手を叩いて大喜びした。

「この若者、まだ正式にキシリア殿と婚約されたわけではないのでしょう? これで、一気に話が進むのでしょうな!」

「もう、それなりには進んでいるのですがね……」

 世界の中心ならぬ、ムンゾ大学の中心で愛を叫ぶ、かよ――胸中でぼやきながらも、そう返す。次は、“僕は死にません!!”とでも叫び出しそうだ。

 画面の中では、シャアと男たちが揉み合って、そこにジンバ・ラルが入って大混乱になっている。まぁ、いろいろとあてが外れただろうからさもありなんだが、それにしても、見苦しいことこの上ない。

 と、男の持つ銃が、あらぬ方に向いたかと思うと、銃声がひとつ響きわたり――次の瞬間、どうやら“突入部隊”が室内に雪崩こんだようだった。と云っても、警察のではない。私服の若者たち、多分“ガルマ”たちの息のかかった在校生たち――いや待て、老人も幾人かある、あれは教授たちなのか?――が、警察よりも先に勝利を収めたと云うことのようだ。

「……“ガルマ”の差配だな」

 それから、ともにあるはずのキャスバルの。

「なかなかいいコンビではありませんか」

「……まぁ、こう云う時には、そうですな……」

 これが余計な時にも発揮されるコンビネーションなので、全面的に是とは云えないのだが。

 と、逮捕劇の混乱を遠く映し出す画面から、レポーターらしき声が聞こえた。

〈馴れ初めはなんですか―――ッ!?〉

 カメラは、シャアのアップに変わっている。

 シャアは、恥かしそうに頬を染めた。

〈ええと。初めて会ったのはテキサス・コロニーでした。僕の出身です。彼女はガルマを心配して様子を見にきていて……〉

「……何だこれは」

 思わず呟く。

 何だこれは、立て籠もり事件の取材だったのではないのか。何故いきなり、ワイドショーのゴシップ取材のようなことになっているのだ。

 マツナガ議員は、隣りで笑い転げている。まぁ気持ちはわかるが、ソファが壊れそうだからおとなしくしてほしい。

 質問は続いている。

〈キシリア女史は、氷鉄の女傑とも呼ばれて苛烈な印象が強いですが、どんなところに惹かれましたか?〉

〈そんな! それは彼女の内面を皆が知らないからです! キシリアがガルマからの手紙を、どんなに優しい顔で読んでるのか、愛馬に颯爽と跨って、どんなに愉しそうに笑うのか知らないから……本当は、とても優しい女性なんです〉

 ――何だ、この羞恥プレイ。

 キシリアは、これを聞いて悶絶しているのだろうなと思う。

 ザビ家内では、“ガルマ”を除いて、この二人はつき合っていると云う認識だったが、特に世間的に知らしめたわけでもない。

 当然、キシリアの配下のものたちも、ごく一部を除いては知らぬことであっただろうから、“氷の女”と呼ばれる上司における、まさかの惚気話に、驚愕していることだろう。そして、“氷の女”が、まさかの歳下の男に甘いただの女であったと知らされて、上司を見る目が変わるだろう。

 この後のキシリアのことを思うと、気の毒やら笑いがこぼれるやら――まぁ、この瞬間だけは、“馬鹿手議員”どもから皆の意識が逸れているので、そこは感謝してやっても良いな、と思う。にやついたまま帰宅すれば、平手か拳が飛んできそうではあるが。

 と、画面から、耳慣れた声が飛んできた。

〈シャア! シャア・アズナブル!! 姉様と仲良くするなら、僕の成績を抜いてからって云っただろ!!〉

「……お」

「これは、ガルマ殿ですな」

 どうやら、誰かの携帯端末を通して叫んでいるようだ。“ガルマ”らしいと云えば“ガルマ”らしい。これも、後々シスコンと云われるのだろう。

 シャアは、声の方に顔を向け、弾けるような笑顔になった。

〈ガルマ! 助けてくれるって信じてた!!〉

〈……君を助けたのは、大学の皆だよ。それから護衛と警察の皆さん。ちゃんとお礼を云いなよね〉

〈もちろんさ! だけど、助けを差し向けてくれたのは君たちだろ? ガルマ、それからキャスバル〉

 悪意の一切ない笑顔、これは“ガルマ”の負けだ。

〈……君は友達だし〉

 悔しそうな声。

 と、そこに、

〈無事で良かった。シャア、君に何かあればガルマが泣くぞ〉

 キャスバルの、少し意地の悪い声が被さった。まわりから笑い声が上がる。

〈キャスバル!!〉

 “ガルマ”がまた喚く。が、まぁ、これは“ガルマ”には分が悪い。そもそも、冷静さを失っている――他人の携帯端末で怒鳴りこんでいる段で、明らかなことだ――時点で、勝てる見こみなどないわけだが。

 そして、“ガルマ”が介入した携帯端末は、どうやら大学時代の恩師のものだったらしい。

 咳払いをひとつした老教授は、少しばかり皮肉げな声で、切り出した。

〈さて、ガルマ君。私の声は聞こえているかね?〉

〈はい。……〉

 法契約あたりが専門らしい老教授は、先刻の“ガルマ”の、シャアに対する科白にもの云いをつけているようだ。さしもの“ガルマ”も、恩師にはたじたじの様子である。否、この老教授の方が、“ガルマ”よりも老獪だと云うことなのかも知れない。

〈祝福してやりなさい。彼は条件を満たしたと言える。……君もそれを期待していたんだろう?〉

 画面の中、その老教授が云っている。

〈〜〜っ、姉様の好きな花はアマリリスだから!〉 

 叫ぶ“ガルマ”は、観念したのか、あるいは被った猫のせいで、これ以上喚き散らせなかったのか。まぁ、後者なのだろうと思う。

 そこに、シャアの感極まったような声が響いた。

〈ありがとう、ガルマ! プロポーズが成功するように祈っててくれ!!〉

 なるほど、善良な鈍感力は大事なのだな、と思う。“ガルマ”は二の句も次げないようだ。

 キシリアにとっては、シャアのこう云うところが安心できるのだろう。謀略ばかりの人生の、一服の清涼剤と云うわけだ。

 しかしこうなると、“父”も、キシリアとシャアの婚約を前向きに進めなくてはならないだろう。まさか、キシリアや、ましてやシャアの計算尽くのことではあるまいが、これだけ喧伝されてしまえば、大衆の期待も出てくるはずだからだ。若いカップルを祝福しないものは、恋敵を除いてはなさそうでもあるし。

「――しかし、見事にいろいろ吹っ飛びましたな」

 マツナガ議員が、目許を拭いながら――笑い過ぎだ――云った。

「まぁ、あのシャアのことなので、深い考えや、謀略があってのことではないでしょうがね」

 もちろん、キシリアやザビ家の不利にならぬようにと頭を絞った結果ではあるのだろうが――まさか、居合わせたTVクルーがあんな質問を投げかけてくるなどと、“ガルマ”にだって想像はできなかったはずだ。

「いやいや、なかなかの配慮ですぞ。犯人たちの云わせたかっただろうこととは無関係で、かつ連中の度肝も抜いた」

 流石、ザビ家の婿になろうかと云う若者だ、と云うが、シャアがそこまで深慮遠謀に長けた人物かと云うと、少々ではなく怪しい気はする。もちろん、元の時間軸に較べれば、迂闊なところは減ってはいるのだろうが。

 それはともかくとしても、

「……これで、世間の目は逸らされましたから、議員たちの処分は、外野の声に邪魔されずに済みそうですな」

 ザビ家の専横がどうの、ダイクンの後継がどうのと云う話は、正直、大きく取り上げられたい話ではない。

 シャアとキシリアの恋物語(!)に世間が耳目を取られているうちに、さっさと処分を決めてしまいたい。拉致監禁やら脅迫未遂やら、罪状はたんまりとある。連中を、当分娑婆に出てこられないようにすることも、難しくはないのだ。

 とは云え、過重な処分を下すことになれば、ぞろまたこちらを叩こうとする輩は出てくるだろう。そのあたりはきちんとして、国政の舵取りをするものとして、公正に振るまわねばならぬ。

「デギン閣下とギレン殿ならば、間違いはありますまいよ」

 マツナガ議員は、なおもにやにやとして云った。

「さて、どうでしょうかな」

 結局、どんな処分を下すとしても、文句を云う輩はあるのだ。

 もちろん、“馬鹿手議員”どもはきちんと処分されることになるだろうが、その過程において、かれらの云い分を聞くことになるだろうから、それこそザビ家の専横がどうのと云う話も持ち出されてくることになるはずである。もちろん、所属会派の責任も云々されるだろうけれど。

「ザビ家は、このような些事に足を取られることはない、そうではありませんかな」

 と云うが、それこそ買い被り過ぎている。原作の一年戦争終盤の醜態を見ればわかる、ザビ家には、一家で団結すると云う意識も薄い。今協力しているように思われるのは、あくまでも敵がはっきりしているからでしかない。まぁ、多少はこちらの調停力もあるのだろうけれど。

「まぁ、敵が外にあるうちには、そうでしょうな」

 そうでなくなった時こそが問題なのだ。

「そうですかな? ギレン殿、そしてガルマ殿を中心に、ザビ家の結束は高いのだとは、皆の一致する意見だと思いますが」

「……そう、あらまほしいものです」

 願ったとて、そのようになるとは限らない――ひとの心の中は、他の誰にも覗くことはできないのだから。

「慎重派ですな」

「さて、ダルシア・バハロほどではありますまいよ」

「確かに。――とは云え、あの慎重居士も、今回ばかりは選択を誤りましたな。さて、この後どうするつもりやら」

「そのまま連中とつるみ続けるか、穏健派に鞍替えするか――あるいは、こちらに摺り寄ってくるか」

 どのルートになったところで、注意が必要な男には違いない。その動向を、まめに注意していかなくては。

「まぁ、どうなろうとも、それなりに対応するだけのことですが」

 当座の邪魔は排除できそうだが、真の敵――地球連邦とやり合うのに障害となるならば、そちらも退けなくてはならぬ。

 ただでさえ、穏健派――と云う名の親連邦派――とも対峙せねばならぬのだ、やり合う相手は少ない方が良い。と云って、親ザビ家ばかりでも、見えぬ反対勢力を増大させるばかりだ。バランスは、巧く取ってやらねばならぬ。

「私も、微力ながらお手伝い致そう」

 マツナガ議員の言葉に、思わずまじまじとその顔を見る。

「……正気で云われる?」

 正真正銘の名門出身であるマツナガ議員が、今さらザビ家に肩入れするメリットなどあるまいに。

「何、貴殿の傍にいれば、いろいろと面白そうだと思いましてな」

「面白そうだけで宜しいのですか」

「面白くなくては人生ではない、そうではありませんかな」

 そう云って笑う、その顔は、確かにあのシン・マツナガの父親であるのだと思うようなものだった。

 ――なるほど、血統か。

 危ない橋を渡りたくなるのは、息子だけではなかったようだ。

「……本当に、宜しいのですな?」

 念押しするが、マツナガ議員は笑顔のままだった。

「男に二言はござらんよ」

 その目には、一点の曇りも見られなかった。

 本当に本気か、それならば。

「……それでは、宜しくお願い致します」

「あぁ、お任せあれ」

 差し出した手を、がっしりとした掌に握り返される。

 その横で、

〈みんな、ありがとう!!!〉

 やけっぱち気味にも聞こえる“ガルマ”の声が響き、満面の笑みを湛えたシャアが画面の中央に映し出されていた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 15【転生】

 

 

 

 今度はキャスバルが拉致られるってナニさ?

 

 士官学校にエギーユ・デラーズとその一党が乗り込んできたのは、ちょうど授業が終わって、例によって談話室で屯ってるときだった。

「お迎えに上がりました。キャスバル・レム・ダイクン殿。閣下がお待ちです」

 慇懃に頭を下げるけど、実のところ、あまり尊重してないよね。

 コイツの忠誠は“ギレン”にあるから、ダイクンの息子と言えども、連行するのに些かの躊躇も無い――ジオニストの癖に。

 “ギレン”親衛隊の一糸乱れぬ統制の取れた動きと威圧に、談話室に怯えにも似た緊張が走った。

 ――ちょっと、ねえ、何なのお前ら?

 不快さに目を細める。

 ここは、おれの――“ガルマ・ザビ”のテリトリーだ。

 ヅカヅカ踏み込んできやがって。せっかくの気安い空気が台無しじゃないか。

 しかも、デラーズが呼んだのはキャスバルひとりだ。

 ね、おれの大事な“幼馴染”に、何してくれようってのさ?

 おれが、おれの領域を荒らされるのを嫌うこと、“ギレン”だって知ってるよね?

 デラーズが前に出ると、気圧されたようにリノたちが一歩下がった。

 シンやライトニングの視線が、おれとキャスバルを交互に見る。

 ――この程度で狼狽えるんじゃないよ。

 微笑みながら立ち上がる。

「“ギレン兄様”が、なんのご用でキャスバルを?」

 伸ばそうとした腕の延長線に立つのは牽制だと、当然、デラーズにも分かっている。

 禿頭の大男の顔に苦笑が上った。

「恐れながら、用向きについては知らされておりません。わたくしはお迎えを申し遣ったまで」

「あなたに知らせないなんて、そんな事が?」

 驚いたような顔を作ってみせる――これは嫌味だ。仮にも親衛隊たるものが、なんにも知らされないでパシリなの、なんてね。

 こっちの不機嫌を感じ取ったんだろう。デラーズの苦笑が深まった。

「閣下のお考えは深く、わたくしの浅慮など、到底及ぶところではございませんよ」

 やんわり受け流して退かそうとするけど、大人しく退くと思う?

 ニコニコと見た目だけ無邪気に立ち塞がるおれに、デラーズの背後の隊員たちからは困惑の気配が。

 さて、と。

『キャスバル、どうする?』

『……ギレンが呼んでいるんだ。行かないわけにはいかないだろう』

 物凄く気乗りしない“声”だった。

 叶うなら、行きたくないと駄々をこねそうなくらいに。

 だけど。確かにね、コイツら追い返すくらいのことはわけないけど、それをしたら後が面倒そうだし。

『わかった。じゃあ、おれも行くわ』

 妥協点はそんなとこかな。

 その答えが意外だったのか、キャスバルがパチリと眼を瞬く。

『だが、召喚は僕一人だろう? どうやってついてくる気だ』

 一緒に連れて行けと言って、聞き入れる相手じゃないぞ、なんて、そんな事はわかってる。

『キャスバル、“チカラ”ってのは、こう使うのさ』

 そっと手を動かす。

 視界の隅で、シンが、ライトニングが、そして仲間たちがソロリと動き出す。

 デラーズ達は、おれたちに意識を向けてるせいで、それに気付けない。

「キャスバルを連れて行くと言うなら、僕も参ります」

 宣言すれば、デラーズの顔から笑みが消えた。

「ガルマ様、お聞き分けくださいますよう。閣下からは、キャスバル殿お一人をお連れするようにとのご命令です」

 険しさを顕にされても、微笑みは絶やさない。威圧は受け流す。何も感じていないみたいに。

「エギーユ・デラーズ」

 声の響きを変えて名を呼びつければ、大男は目を見開いた。

 かすかな動揺。それを見逃すわけ無いだろ。

「控えよ。この“ガルマ・ザビ”が、キャスバル・レム・ダイクンと共に行くと言っている」

 これは覆すことの出来ない“絶対”だと、その意識に捻じ込んでやる。

 親衛隊を率いてはいても、この男は“従う側の人間”だ――つまり、命令を受け入れることに脳が慣れているってこと。

 そしてそれは、親衛隊の隊員たちにも言えることだった。

 一瞬でも躊躇したなら、おれの勝ちだ。

 内心でニンマリと笑う。

「――いかにガルマ様と言えども…」

 我に返って反論を試みるけど、遅いんだよ。お前たちに、選択肢なんてもう無いんだ――デラーズが途中で言葉を止める。

 自分たちが、学生の群れにグルリと囲まれていることに気付いたから。

 さっきのおれの合図で、シンたちが談話室の面々を、さらに外からも仲間を呼び込んでいるから、その人数は親衛隊を軽く凌駕してる。

 たかが学生と侮るなかれ。彼らは、日々ここでドズル兄貴に扱かれてる軍人の卵だ。雛にすらなれてなくても、その戦闘力だけなら、既に完成されつつあるんだよね。

 さあ、この場は既におれの支配下だ。号令一つで、ここに居る全ての人員がお前たちに飛びかかる。

 これだけの人数を相手取って、大立ちまわりする気は無いだろ。

 苦虫をかみ潰したみたいな厳つい顔に向けて、おっとりと微笑みかける。

「共に、参ります」

 畳かければ、数瞬の沈黙のあと、エギーユ・デラーズは深く溜息を落として、そっと目元を覆った。

 頭痛を払うみたいに二度、三度頭を振って。

「――……仕方ありますまい」

 地を這うような低音が、唸るように是を唱えた。

 

 

 連れて行かれた先は、“ギレン”の艦だった。

 道中はキャスバルと一緒だったけど、ここから先はおれだけ留め置かれるとのこと。

 通された部屋には、ポツンと、一つだけ椅子が置かれていた。

「ガルマ様は、こちらで、お待ちください」

 そんなに力を込めて言わなくてもいいじゃないか。

 禿頭の大男の恨みがましい眼差しにゲンナリする。

 どっかで見たような目付きだと思い返してみれば、あれだ、タチ・オハラ。

 同僚――と言えなくもないよね、“ギレン”配下だし――は似るものなのかね。

「わかりました」

 素直に受け入れつつ、キャスバルと視線を合わせて頷きあう。

『なにかあれば呼んでよ、キャスバル』

『ただの説教だ。心配ない』

 そう答えながらも、珍しく気落ちした様子で、キャスバルが部屋を出ていった。

 デラーズが付いていき、部屋にはおれと、何故か四人もの親衛隊員が残った。

「お座りください」

「ありがとうございます」

 勧められた椅子に座るけど。

 うん。いい感じに丈夫で座り心地の良い椅子だけどさ。

 なんで四方を固めてんの。ついでに部屋の外にも人の気配が。

 これじゃ檻と大差なくない? どんだけ警戒されてんの。猛獣じゃないってば。

 じっと大人しく座ってるけど、こう凝視されてては落ち着けるもんじゃないよね。

 キュッと眉を下げて、俯く。

 威圧も生意気さも引っ込めてれは、パッと見、不安そうに映るんだろう。

 どことなく気まずそうな空気が部屋に流れはじめた。

 まぁね。“ガルマ”は見た目だけなら非力そうだし?

 あれだけ鍛えたってのに、あんまり筋肉ついてるようには見えないんだよね。

 でも脱いだらそれなりにスゴイんだよ。割れてるから、腹筋。級友たちほどバッキバキじゃないけど。

 ……ケッ。

 フーっと息を落として目を閉じた。

 目の前の連中を気配を遮断して、キャスバルの意識だけを追いかける。

『……キャスバル?』

 “ギレン”を前にして緊張してるのか、呼びかけるけど応えが返らなかった。

 “耳”を澄ましても、届くのはノイズみたいな感情の断片ばかりだ。

 怒り、戸惑い、少しの哀しみと、また怒り。

 波打つみたいなそれが、不意に慄きに変わった。

『……無理だ! スペースノイド全ての命運なんて、僕ひとりでどう背負えって言うんだ!?』

 まるで薄氷の上に独り立たされるみたい。寒さにも似た心許無さは、恐怖と紙一重だ。

 伝播する不安が、おれの心にも怯えを生む。

 ブワリと毛が逆立つような心地がした。

『ガルマ!』

 キャスバルが呼ぶ声が、まるで悲鳴みたいに。

「『キャスバル!!』」

 なにしてんの“ギレン”!?

 キャスバルが怖がってるじゃないか!!

「っ!? なにを!!?」

 椅子を蹴倒して立ち上がったおれに、弾かれたように四人が飛付こうとする。

 最初に反応した奴の腕を引いて盾に。

 視界を遮った瞬間、後続の男の脚を倒した椅子に絡めて引く。

 体制を崩したところで纏めて突き飛ばせば、ひどい音を立てて二人が転がった。

「何があった!?」

「開けるな!!」

 残る監視が叫んだけど、物音に驚いたんだろう、見張りらしき男たちが部屋に飛び込んできて団子になる――と、同時に起こした椅子を踏み台にして、彼らの頭上を飛び越えた。

 ありがとう、椅子。偉いぞ、椅子。

 さあここからチキチキレースの始まりだ。

「ガルマ様!!」

「『キャスバルが呼んでるんだ!』」

 廊下を一気に駆け抜ける。

「糞ッ! そのクソガキ捕まえろ!!」

 叫んだのは――“伝書鳩”か。クソクソ言うな。おれも言うけど。

 士官学校で鍛えた逃げ足である。長距離は弱いけど、短距離ならそれなりに。

 キャスバルの思考波を辿るから迷いやしないし。

「『キャスバル、いま行くから!』」

 必死に走る、けど、追手が増えてるっていうか、前からもかよ!

 真っ向から叶うわけもないから、ここは受け流す――合気柔術、相手の力を流して放り転がすのは得意技。追手の足元に、お、上手く巻き込んで転ばせられた。

 ボーリングならSTRIKE?

「ダ〜ッ!? くーそーがーきーッ!!」

 転がったのはお前か“クソ鳩”。

 ――ザマァ。

 さあ、“ギレン”の居室まではあと少し――。

 コーナーをドリフトっぽく曲がれば、前方に限界まで目を見開いたデラーズがいた。

 ん。扉も偉そうだし、ここでビンゴ。

『キャスバル! キャスバル!!』

 名を連呼する。

『僕が、皆を死地に追いやるのか!? 幾万の将兵の命と屍を抱えて行けと……!?』

 “悲鳴”が聞こえる。

『投げちまえ!!』

 叫び返す。

 そんなもの、お前が潰されるってんなら、投げ捨てろ。

 捨てて良いよ。

 拾えって言うなら、おれが拾うから。

 背負えって言うなら背負ってやるから。

 守れって言うなら守る。殺せって言うなら殺してやる。

 泣くなよ。泣かないで。

 思考波の“手”を精一杯伸ばして触れる。

『……ガルマ?』

『ん。おれ』

 応えが返ったことに安堵する。

『ここにいる。望むなら扉もぶち破るけど』

『それはよせ』

 お。冷静さが戻ってきた?

 触れ返してくる思考波が、おれの意識の隅々までを探る――大丈夫、いまの全部、嘘じゃないよ。

『君は馬鹿だな…』

 呆れた“声”だけど、少し笑ってる。

『ヒドイわー』

 お前のために、監視ブッちぎって駆け付けてきてんのに。

 ゼイゼイ喉は鳴ってるし、ドキバク心臓も大暴れしてるんだぞ。

『ガルマ、ストップ。僕は大丈夫だ』

『ホントに?』

『ああ。だから大人しく待っていろ』

 返った“声”には力が戻っていたから。

『……はいよ。りょーかい』

 素直に受け入れてやる。

 しかしなー。

 我に返って振り返れば、なんか包囲網がとんでもないことに。

 なに、エイリアンでも出たの?

 おれひとりにそんなに人数割いてどうすんのさ。武器構えてんじゃないよ、そこの“クソ鳩”、お前だお前。

 急に足を止めたから飛びかかられるかと思ったけど、そんなこともなく、みなジリジリと隙を伺ってる感じ。

 その、市街地に出没した猿を追い詰めるみたいな空気はやめて欲しい。

 上がった息を整えつつ。

「……キャスバルは大丈夫みたいだから、僕は部屋に戻りますね」

 取り敢えず、両手を広げて扉を護るデラーズに、ニコリと微笑む。

 ね、この人たちどっかにやって。お目々ギラギラで怖いんだよ。

 仁王立ちの大男から、物凄く深い溜め息が落ちた。

「……ガルマ様」

「はい」

「キャスバル殿は、閣下から説教を受けているだけです」

「はい」

「なんの危険もありません」

「……そう?」

「あ り ま せ ん」

 物凄く、力の篭もった声だった。

 

 

 あの後、キャスバルに回収されて、学校に帰ってこれた。

 “ギレン”からは、一言だけメッセージが来てた。

 〈お前をニュータイプとは認めん!〉

 ――って、なによそれ。

 キャスバルの動揺に引きずられて大暴れしたことで、繋がってんのがバレたんだろうけどさ。

 せめて直接言いなよ、艦に行ってたんだし。どれだけ避けられてんの、おれ。さびしーじゃないか。

 ふぅ、と、溜息を落とす。私室の寝台に転がり込めば、グッタリと身体が沈み込んだ。

『疲れたのかい?』

『そりゃね。大運動会だったし』

 答えれば呆れ顔が返った。

『ギレンにもだけど、君を監督しろって、方々から言われたよ。ちゃんと手綱をとれって』

『だが断る! おれが縛られんの嫌いなの知ってるだろ』

『ああ。それでも、君は僕の頼みなら聞く。そうだろう?』

 確信犯的に言うのやめろ――いや、聞くけどさ。

 顔を顰めたのに、キャスバルは薄く微笑むだけだった。

『……君は言ったな。投げていいと』

『ん、言ったよ』

『拾うとも、背負うとも』

『うん』

『護るとも、殺すとも』

『……お前を護って、お前の敵ならみんな殺してやる』

 見下ろしてくる青い瞳を仰ぎ見る。

 至上の青だ――“煉獄”から見上げる天上の色に似てる。

 そこには涙の気配も、迷いも、もう見つからなかった。

 もっと迷ったって良いのに。

 “ギレン”がお前に担わせようとしたモノの見当なら付いてる。

 ムンゾの。コロニーの。

 スペースノイド全ての未来――ついでに人類の命運まで。

 そんなもの、ひとりの人間に背負えると本気で思ってんなら、それはもう正気じゃない。

 ――“天才”も一回りすると紙一重だよね。

 なにやってんのさ、“ギレン”。

 キャスバルは、正真正銘、十代の“子供”だ。

 スペースノイドの命運を、その双肩にだなんて、それなんて少年漫画?

 そもそも物語の彗星様だって、この時分は復讐まっしぐらで、人類がどうとかなんて考えてなかったはずだ。

 “ギレン”は、いつだって“個”よりも“全”を優先する。それは良い。為政者としては、そうじゃなくちゃ失格だし。

 “駒”が“人間”であると知って、大事にしつつも、必要とあらば切り捨てるその非情さを、否定しようとは思わない。

 己を含む何もかも犠牲にしてでも、組織を、社会を護る守護者。尊敬してるさ、ずっとずっと“昔”から。

 だけど、おれは強欲で身勝手だからね。

 庇護対象が犠牲に含まれるってんなら、話は別だ。

 大事なものはどうあっても手放さないし、犠牲にするのを諦めるまで、何がなんでも抵抗するよ。

 そうなったときのドンパチを、よもや忘れたわけではあるまいに。

『……僕は投げない』

 その宣言が耳に滲みたとき、落ちた息は安堵だったのか、悲嘆だったのか。

『クソ重たいよ』

『ああ。重いな――だから、君も背負うんだ』

 うぇへぇ。そーくると思った。

『面倒くせ』

『……君らしいな、ガルマ』

 文句は言うけど拒否はしない――なんて、おれがお前を拒めるとでも?

 フンと鼻を鳴らす。

 キャスバルがのしかかってくる――ちょ、重てぇよ。

 この筋肉ダルマめ。細く見えたって、バリバリのバッキバキ筋肉野郎じゃないかお前は。

 筋肉の重量を甘く見るんじゃない!

 振り落とそうとしたけど、

『……僕も疲れたよ』

 それが、沈み込むみたいな声だったから、払うことができなかった。

『おつかれさん』

 小さな子供にするように、背中をポンポンと叩いてやれば、すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。

 ふぉう。動けん。

 あれだ。折り重なって眠ってる子猫や子犬は可愛いけど、下になってる方はやっぱり重たいんだよ――こんなことで実感したくなかったわー。

 キャスバルだって、寝るならフカフカの敷布団の方が良かろうに――寮の寝具はフカフカじゃないがな。

 ついでに、おれだって腹の上に乗せるならグラマラスなクール美女の方が良い。

 様々な不平不満が渦巻く中、取り敢えず、支給の毛布を引っ張り出して、キャスバルと自分を覆った。

 動けないなら寝るしかないよね。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「事案じゃないか!」

 ほとんど悲鳴みたいな声になった。

「何がだい?」

 キャスバルは呑気そうにしてるけどさ。

 ちょっと待って、シンがミア嬢に告白しに行ったって何さ!??

 彼女はおれの“義姉”になる女性だぞ!

 ミネバ・ザビの母になるひとなんだぞ!

 おれたちが留守にしてる間に歴史が変わろうとしてるなんて、よもや思うまい。

 ――恨むぞ“ギレン”!

 飛び出して行こうとしたおれに、ライトニングが組み付いた。

「やめろ御曹司! そっとしといてやれ!」

「はーなーせー」

 ゼナ・ミアが頷いちゃったらどうする気だ。

 おれの可愛い未来の姪っ子が、がが!

「慰めてあげたいのはわかるけど、いまはそっとしておいてあげようよ、ね、ガルマさん」

 クムランまでが、そんな風に立ち塞がる――そんな風…え?

「あんな良物件を袖にするなんてね」

 ルーが言えば、

「俺なら靡いてたかもなー」

 ケイがカラリと笑った。

「うわ、お前、シンがタイプなのかよ!?」

 リノが仰け反ってるし。

「シンがオンナなら、けっこうな巨乳じゃね?」

「……バカやめろ脳にダメージがくる」

 ワイワイガヤガヤ、いつも通りに面々が騒いでる。

 ――え?

『振られたそうだ』

 思考波でつつかれて振り返る。

 ええ、振られたの?

『何をそんなに混乱してるんだ。まさか君までゼナ・ミアに気があるわけじゃないだろうな?』

『それは無い』

 断じてないけど――そうか、振られたのか。

 それはそれでなんか切ないな。

「…………シンの好物でも作っておこうかな」

 ポツリと漏らせば、それがいいと思うよ、と、クムランも頷いてくれた。

 

 

 日常が戻ってきた。

 だけど、あれからキャスバルが考え込むことが増えた。

 根が真面目で、あげくにピュアだからさ、“ギレン”に言われたことが、結構な深さで突き刺さっちゃったらしい。

 ……今度、ちょっと物理で話し合おうか、“ギレン”?

 もともと遠ざけられてはいたけど、ここのところ、ものすんごく避けられてるのって、もしかしてそれの回避でもあるのかな。

 ん。急襲案件だな、これ。

 よし、“ギレン”のスケジュールを入手しよう。

 作戦を練りながら、キャスバルの横顔をそっと伺う。

 ただでさえ少なめな口数が減って、皆も心配してる――無口を通り越してるベンに気遣われるって相当だぞ――とは言え、こればかりは外からどうこう言って簡単に納得できるもんじゃないって、経験上知ってるからさ。

 結果、何もできずに、沈み込むキャスバルの隣に、ただ大人しく座ってる。

 時々かすめる思考波には、トントンと手の甲を叩いて返した。

 いつも、お前がしてくれてることだ。

『……ガルマ』

『はいよ』

 呼びかけに即応答する。

 ここにいるよ。お前の隣に。

『ロメオが言っていた。君は、とっくに覚悟を決めていると』

 って、また余計なことを。〆るのはあの野郎もか。

 演習での滑落騒動のあと、ロメオ・アルファには妙に懐かれた。

 ほとんどいつものメンバー入りしそうな勢いで傍にいるから交流も増えて、自然、キャスバルとも接点ができたわけだが。

『……あの野郎、おれのこと200%くらい理想化しやがるから、差し引いて聞いてよ』

 文句をこぼすおれに、ほんの微かな苦笑が返った。

『“生き残れる兵隊が欲しい”と言ったそうだね』

『ん。言った』

 それなりに情が移ってる奴らが、消耗品並みに消えてったら色々と削れるだろう。

 だからこその訓練、だからこその演習だ。

『彼らを死地に送り出すのは自分だとも』

『……おれはザビ家の人間だよ』

 なんの因果か、“ガルマ・ザビ”として目覚めたあの日から、既にそのレールは敷かれてた。

 もちろん、唯々諾々と従ってきたなんてことはなく、好きに動いて来たけどさ。

『僕はジオン・ズム・ダイクンの息子として生まれた』

『ん。そうだね』

『……だが、僕はその覚悟を“ギレン”に説かれたとき、そんなに重たいものを背負いたくないと思ってしまった』

 自嘲が滲む“声”だった。

 言われた内容に、一瞬ポカンとする。

『……幻滅したかい?』

『キャスバル。お前、なに当たり前のこと言ってんの――って、幻滅の方じゃ無くてな』

 宇宙ネコみたいになった顔を戻せないまま、幼馴染の顔を覗き込む。

『んなもん、誰が好き好んで背負いたがるのさ? はいはい立候補する奴がいるなら、そいつはその重さを知らないか、考えもしない阿呆だろうよ』

 んな奴にはついて行きたくないわー。イヤイヤと頭を振る。

『お前が、ちゃんと悩んでくれる人間で良かった』

 キョトンと見返してくる表情は、存外に稚さが残ってんな、なんて思いながら笑いかける。

 怯んで当たり前だ。

 怯まないヤツなんて信用ならんし。

『もとから背負い切れるモンじゃねーもん。でも頑張るんだろ? それでいいよ。キャスバル、お前は確かにジオン・ズム・ダイクンの息子だけどさ、全部引き継がなきゃいけない訳じゃないし』

『……え?』

『おれも、ザビ家の”ガルマ”だけど、好きにやるし』

『……は?』

 それで良いのかって、良いんだよ。

『共感できるトコは継げばいいし、そうでなきゃアレンジすりゃ良い。現に“ギレン”だってそうしてるし。大体、極論過ぎるでしょ、お前のパパン』

『……だが、皆が父を理想化してる』

 難しい顔しちゃってるけどさ。

『おれはお前が良いよ、キャスバル。シンたちも、ここにいる奴らはみんな、お前の方が良いんだ。ジオンの理想なんて関係なくさ』

 かぱりと意識を開いて、そのまま笑う。疑い深いお前は、触れてみないと信用しないだろ?

 隅々まで撫でる思考波の波が少しだけくすぐったい。

『お前が最初に背負うのはアイツらだ。お前が良いって、お前を信じて付いてくる彼らだよ。背負甲斐あるだろ』

 ポンポンと腕を叩く。

 背負うものがわかりさえすれば、覚悟は追々ついてくるんだ。

 大事なものなら投げたくないだろ?

 それならきっと踏ん張れる。

『それ以外に背負うもんは、自分で決めてきなよ』

 闇雲に何もかもを背負ったんじゃ、しんどさに勝てないから。ましてや勝手に乗っかってきた輩に手のひら返され罵られた日にゃ、いっそ全部叩き潰してやりたくなるし。

 取捨選択は必要だ。

『やりたいようにやれよ』

『……君がしてるようにか?』

『そ。積載量は無限じゃないからね』

 ニヤリと笑えばフンと鼻を鳴らされた。

『それにしては大き過ぎるんじゃないか? ムンゾを、コロニー社会を背負うなんて、柔な君には荷が重そうだが』

 意地悪い声が言うけどさ。

『仕方ないだろ。そこが安定してなきなゃ、おれの可愛い“precious”たちが困るんだ』

 “precious”――子どもたちと、ザビ家の家族と身内たち。お前も含まれてんだけどね、キャスバル。

 おれが“ムンゾ”を背負う理由なんて、それ以外に無いしね。

『大事なもんだけはしっかり抱えてなよ。手放したくないものは絶対に諦めんな』

 守ると決めた奴らについては全力で踏ん張れ。

 おれは、その隣で頑張るからさ。

『……じゃあ、君の手綱を僕にくれるかい?』

 お。ここでお強請りか。ちょっと調子戻ってきたかな。

『どーだろ。お前が捌ききれるってんなら、取ってみれば?』

 ニヤリと口元を曲げる。

 ジロリと睨んでくる青い眼は、やっぱり綺麗で嬉しくなった。

 

 

 寮の屋上にひとりで上って、眼下を見下ろしてみる。

 宵の時分。人工の地平に昼が消えて、頭上には暗い帳が降りていた。

 キャスバルに口数が戻って、シンも失恋の痛手から復活した頃。

 2年次も終わりに差し掛かり、皆の意識が変わってきた。

 ここへきて、幾たりかが、また学舎を去っていった。

 戦場に臨む未来を間近に捉えたとき、ここに残るか去るかを、それぞれが真剣に考え出したからだ。

 逃げ出す自分は臆病者だと、泣いて訴えてきた奴も居た。

 兵士と言う枠に囚われずに、自分に出来ること考えてよとお願いしたけど、縋りついたまま泣き止んでくれなかった。

 むしろ余計に泣かした気がする。

 ごめんね。そういう機微に疎いおれは、戦力が減ると知っても引き止める術を持ってないからさ。

 だって、戦えないと己に見切りをつけたなら、早く逃げ出した方が良いだろ。

 捨て駒にされる前に。

 おれの中で、冷めた眼をした“おれ”が仲間を選別していく――戦いに身を置けるか否かを。

 研ぎあげて、研ぎあげて。それでも、折れる刃は有るんだ。

 ひと瞬きのうちに消えていった同朋たちを“覚えて”いる。

 誰ひとり取りこぼさずに戦い抜けるなんて、思えるのはただの阿呆だ。

 いつだって痛みなら覚悟してる。

 だけど、どれ程に覚悟してたって、その時になったら足りないんだって、“おれ”は何度だって思い知ってきた。

 ――馬鹿だなぁ、キャスバル。

 この先へ行くなら、お前もあの無力さを噛み締めることになるのに。

 投げるって、逃げるって言っても良かったんだ――言えば良かったんだ。

 そしたら、おれが逃がしてやったのに。

 “ギレン”からだって隠してやったのに。

 だって、“ギレン”が第一に思うのはムンゾで、コロニー社会で、人類の世界であって、お前じゃない。

 “ギレン”の臨む先に世界を動かしてくだけ

なら、それはお前じゃなくたって良いだろ――お前が誰より相応しくて、望ましいってだけで。

 身代わりにだってなってやれたのに。

 そしたら――もう、傍には居られなかったけどさ。

 ――……おれは酷いやつだね。

 お前が傷つくのをあれだけ怖れたくせに、投げないと答えたあの瞬間に、嘆くのと同じほど安心したんだ――お前から離れなくて済むって。

 だから、幻滅されるんなら、それはきっとおれの方だよ。

 しょんぼりしていたら、横からレーズンくるみパンが差し出された。

 顔を向けると、ロメオ・アルファがいた。

「やるから食えよ」

「……なにゆえに」

「あんたがそんなに辛気臭い顔してるときは、腹すかせてるときだろ?」

 なんたる。

 心外だと眉を寄せたら、冗談だと返された。

 それでもパンは引っ込められなかったから、真ん中で割って半分だけもらう。

 屋上で、二人並んでパン咥えてるって、何コレ青春?

 柵にもたれて。

 じっと視線を向ける先、一人の青年が、教官に付き添われて寮の玄関を出ていくのが見えた。

 キム・ボンジュン――先日、おれに泣き縋った、仲間だった青年だ。

 頭脳明晰で、成績も良かった。

 だけど、だからこそ、冷静に自らに資質を問いかけたとき、否と返ったんだろう。

 ひとを殺められるか――できないと。

 去ることを何度も謝られた。

 ――謝るようなことじゃないのにね。

 お前は“まとも”だっただけだよ。それは本来なら誇るべき美点だろうに。

「……元気でね」

 ポツリと喉からこぼれた声は、風に紛れて消えるだけ。届くことなんか決してない。

「――……あいつの見送りだったのか」

 ロメオが目を見張る。

「偶々だよ」

 ――今日去ることは知ってたけど。

 苦笑いしたら、何を思ったのか、ロメオは急に柵から身を乗り出した。

「キムーーーーー!!!!!!」

 その大音声に仰天する。

 ちょ、おま、いま鼓膜がビーンっていったぞヲイ!!

 距離があったにも関わらず、その声は階下のキムに届いたようだった。

 俯いてた顔が弾かれたように上がって、声の元を探している。

「キムーーー!! “元気で”って、ガルマがーーーッ!!!!!!」

 ホントに声がデカすぎる。そしてなにを代弁してやがるの。

 ああ、もう。また泣かせたじゃないか。

 屋上のおれたちに気付いたんだろう。仰ぎ見た次の瞬間、キムは、崩れ落ちるように蹲った。

 教官が宥めてるみたいだけど、彼はそこから動けずにいるし。

 何やってんだよ。

「泣くな!!!」

 大声出すのは、そんなに得意じゃないんだ。

「キム・ボンジュン!! 立て!! 前を見ろ!! 君は君の未来に進め!!! ……ッ」

 ゲホゲホと、ほら、咳き込んじゃったじゃないか。格好つかないなぁ。

 慌てたようにロメオが背を擦ってくれるけど、元はと言えばお前のせいだし。

 涙目で睨んで。

「叫んで。“その先でも、僕たちの道はつながってる”って」

 どのみち、おれたちはコロニー社会で生きてくんだから、嘘じゃないだろ。

 ほら、人間拡声器、早く叫んでよ。

 バシバシ叩くと、ロメオが頷いて立ち上がった。

「“その先でも、僕たちの道はつながってる”!!! ガルマがそう言ってる!!! 立てよ、キム!!! 胸を張れ!!!」

 めちゃくちゃに叫ぶ。

 屋上でこれだけ騒げば、そりゃ煩く思うだろうさ。

 何事かと寮室の窓は開くし、屋上まで上って来る輩も居る――いつものメンバーとかね。

「ここに居たのかい、ガルマ。『なんの騒ぎだ?』

「ああ。騒がせたね、ゴメンよ。『人間拡声器が暴走したんだ』」

 ちょっと遠い目になった。

「なんだよ。御曹司、見送りはしないんじゃなかったのかよ」

 ライトニングがニヤニヤしやがるのをジロ見する。

「別に成り行きだし。良いから、ほら、整列してよ」

 促せば、メンバー達がズラリと横に並んだ。

 一様に表情を改め、姿勢を正す。

「キム・ボンジュンの道行きに、敬礼!!」

 隊伍を組み、号令に合わせ、一斉に敬礼する――階下からも、それは見えただろう。

 キムがヨロヨロと立ち上がって、そして、泣きながら敬礼を返してきた。

 丸まった背をシャンと伸ばして。うん。頑張りなよ。

 何度も振り返りつつ、キムが去っていく。

 小さくなる背中を見送りながら。

「……君たちは良いの?」

 今ならまだ引き返せるよ。

 ラストの1年が過ぎたら、もうそこは戦場だ。

 戦力が欲しいと掻き集めながら、それが同朋であるから、同じ程に逃げてくれと思う、ひどい矛盾。

 自分でも歪んでるとわかる笑みに、「今更だ」と返したのは誰だったのか。

『……本当に背負うの? キャスバル』

『ああ。君とともに』

 答えが返り、逃げ道は断たれた。

 息が落ちる。ギュッと目をつむってから、開く。

 双眸に映るのはどれも、様々な葛藤を飲み干した顔だったから。

「『――……いいよ、行こう』」

 なにがなんでもお前の隣を歩くから。キャスバル、一緒に行こう。

 こいつらも、何もかもを背中に担いで。

 宵闇は深さを増していき、やがて訪れるはずの朝を、ひどく遠いもののように感じさせた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 15【転生】

 

 

 

 ダルシア・バハロがやってきた。例のムンゾ大学立て籠もり事件の数日後のことである。

「虫の良いことだと思われるとは存じますが」

 ダルシアは、そう云って眉を下げた。

 議事堂の控室で、マツナガ議員と談笑――と云えるのかどうか――している時だった。件の立て籠もり犯である議員たちの、本人不在の弾劾裁判が、この後はじまる、と云う頃合いである。

「かれらには、ほとほと愛想が尽きました。まさか、大学で立て籠もり事件を起こすとは……」

「そのお気持ちは痛いほどわかりますが――それで、何故私のところに?」

 目の前の男をじっと見る。

 謹厳実直を絵に描いたような男、に見える。が、そればかりでないのは、ザビ家崩壊後のムンゾ、すなわち原作軸のジオン共和国初代首相を、この男が務め上げたことでもわかっている。いるかどうかわからない息子・モナハンのことも含め、油断のならない男だと思う。

「閣下が、ムンゾやコロニーのために尽力しておられることは承知致しております。理念の合わぬところがあるのは承知の上で、閣下の他にひとがありません」

「……貴殿の野心はどうなる」

「は?」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔、さて、これは本物か、あるいはフェイクなのか。

「政治家を志すならば、野心のひとつやふたつはお持ちだろう。私の許に来られると云うことは、ザビ家の配下に入ることと同義だ。貴殿は、ご自身の野心や野望を、ここで断念なさるのか」

 もちろん、“ひとまずは”と頭につくのだろうけれど。

「私の野心――と云って良いものかはわかりませんが、それは、ムンゾをもっとも繁栄したコロニーにしたいと云うことです。そのためにもっとも適切な指導者が閣下ならば、それに賭けるのもひとつの道だ」

「貴殿が先日まで拠っていた会派のものたちは、ムンゾの繁栄とは無縁のように思われるがな」

 マツナガ議員が、意地の悪い声で云う。

 ダルシアは、わずかに顔を赤くした。

「そこは……お恥かしい話ですが、それこそ野心のようなものがあったようです。私が今から独自の会派を作るには、既に出来上がっているものを崩して再編するしかない。それよりは、烏合の衆に近いところを取りこむ方が容易いと考えたのです。――浅知恵でした。結果が、ご覧のとおりです」

 かるく両手を拡げる。道化じみたポーズ、だが、その底にあるのは自嘲よりも怒りなのではないか。

「それに、今回の事件で改めて、ザビ家の強さを思い知らされました。まだ士官学校のガルマ殿ですら、もう、事態をどのように動かすかをご存知だ」

 と云われて、渋い顔にならざるを得ない。

 件の立て籠もり事件の後、犯人たちの取り調べの最中に、かれらが別の事件も計画していたことが判明したのだが、それが、“ガルマ・ザビ襲撃計画”だったと云うのだ。“ガルマ”のスケジュールがどこからか漏洩し、その情報を入手した“馬鹿手議員”どもが、襲撃を画策していたというのだが、

 ――“ガルマ”だな。

 スケジュールを洩らしたのは。

 “ガルマ”まわりの人間たちは、気の毒に、ドズルらに問い詰められているようだが、こちらはタチ・オハラから報告が上がっている。しかも、漏洩のために“伝書鳩”を使ったことまでだ。

 どうやら、“ガルマ”は今回の事件に関しては完全にノータッチで、むしろ自らの方をこそ事件を誘発する材料として播いたと云うことだったようだ。ジンバ・ラルを巻きこんだことで、シャアの方を優先することになり、“ガルマ”は難を逃れた――と云って良いのか――ことになる。

 まぁ、実際に“ガルマ”が襲撃された場合は、“ザビ家が軍を私物化”云々が証明されてしまうことにもなりかねなかったので、そのあたりは僥倖だったと云うべきだろうが。

「……あれについては、あまり良いように取られると、後で面倒なことになりますぞ」

 としか云いようがない。

「ギレン殿はこう云われるが、実際大したご一家だよ」

「買い被りですよ。例え個々の能力が高くとも、結束が強くなければどうにもならない」

「傍から見れば、充分以上に高いと思いますぞ」

「そう、あらまほしいものですな」

 このやり取りに、ダルシア・バハロはわずかに目を見開いた。

「これでも足りぬとおっしゃる?」

「足りぬでしょう。自分の望む先行きが、他の兄弟のそれと同じ方向とは限らんのです。しかも、兄弟は皆、無駄に優秀だときている」

「優秀さに、無駄も何もありますまいに」

「だが、見ている方向が違うのに、馬力ばかり大きな馬が引くなら、馬車は転覆してしまう――ほど良い愚かさも、まとまっていくためには必要と云うことです」

「……なるほど」

 ダルシアは頷いた。何やら、思うところがあるようだ。

「ですが、賢しいつもりの愚者に率いられた、愚者どもの集団よりは、遙かにましではありませんか。そう云う輩は、先にあるものも見えぬのに、まっすぐに崖へと突き進む――ちょうど、今回の事件を起こしたものたちと同じように」

「あれは、一部の暴発だったのでは?」

 問うと、ダルシアは首を振った。

「事件そのものはそうですが――ガルマ殿を襲撃する計画は、残りの面々も賛同しておりました。多分、かれらもいずれ、議員資格を剥奪されることになるでしょう」

 なるほど、それが、ダルシアの“手土産”と云うわけか。

「それは、補欠選やら何やらで、ムンゾ全体が慌ただしくなりそうだ……」

 既に逮捕されているあたりだけでも結構な人数であるのに、その上残りの面子まで、となると、両手の指の数どころではない。かれらの選挙区すべてで補欠選挙を行うとなると、その費用たるや。

「サスロの渋い顔が目に浮かぶな……」

 もちろん、反ザビ家の勢力が議会からほぼ一掃されることについては、サスロもキシリアも喜ぶだろうとは思う――キシリアは、複雑と云うか、微妙な気持ちではあるだろうが。

 しかし、こと経費の問題となると、三十名にも及ぶ議員の失職と、それに伴う補欠選挙と云うのは、まったく国費の負担でしかなかった。まぁ、クーデターが成功したよりは、少ない支出で済むだろうが、それにしても。

「まぁ、世間はキシリア殿とシャア・アズナブルの婚約で、お祭り騒ぎでそれどころではありませんからな。そこが、不幸中の幸いでしょう」

 と云ってマツナガ議員が振り回したのは、キシリアとシャアの婚約を知らせる記事の載った、タブロイド紙の束だった。

 そう、つい先日、シャアはキシリアに正式に結婚を申しこんだ――年齢の差や、家柄や立場など、諸々の障害があったはずなのだが、何しろ世間の後押しがある。

 そもそも、ザビ家としても、まだ学生で、確固たる地位もないシャアを慮って婚約を止めていただけだったので、それ自体に否やはなかったのだが――勢いと云うのは侮れない。

 シャアは、事件の事情聴取が終わるや否や、花屋に駆けこんでアマリリスの花束を買い、その足でキシリアの執務室――!――に赴き、部下たちの面前でプロポーズをやってのけたのだと云う。その日は大変な騒ぎでしたと、後で補佐官のひとりは云っていたそうだ。顔を赤くして挙動不審になったキシリアは非常にレアだったから、後々までも語り種にされるのだろう。

 “父”も、ここまで騒がれることになったのだからと、もう早々に婚約発表を決め、そして数日を経た今、TVやタブロイド紙は、二人の婚約で大騒ぎだった。

「ザビ家の力は、いよいよ盤石になったと云うことですな」

 マツナガ議員は云うが、あまり“盤石”になったとしても、反感が地下水脈のように、見えぬところを滔々と流れていると云うのも困る。適度に空気抜きをしてくれる“穴”が必要だったのだが、さて、それは今後、どのあたりが担ってくれるのか。

 ともあれ、今後は“伝書鳩”の存在が、一層重要になってくるだろう。諜報機関は大切だ――特に、自分の耳に正確に情報を伝えてくれるものは。

「盤石、とは参りませんが、まぁそれなりには」

 驕る平家は久しからず。それは、もちろん平家ならずともあてはまることだ。

 さりとて、身内のこともきちんと気にかけておかなくては、結局はそれで続かなくなることもある。

 この時間軸では、キャスバルと云う後継があるから良いものの、それとても、その後が続かなければ意味がない。鎌倉の源氏将軍は三代で途絶えた。室町幕府は、五代・義量以降は、実質的にはあってなきがごとしだった。徳川将軍家のように、初代の得た力を、兎にも角にも十五代継承し得ると云うのは、実は中々に稀なケースなのである。

「ギレン殿は、本当に慎重派ですな」

 マツナガ議員の言葉に、ダルシア・バハロが頷いた。

「まさかこれほどとは、思いもよらぬことでした。私も慎重な方だと考えておりましたが――とてもとても」

「私は迂闊な人間なので、用心し過ぎるほどで丁度良いのですよ」

 と云うと、二人は破顔した。

「またまた、そのような」

「ギレン殿は、冗談がお好きなようだ」

 と云うが、

「いや、本当の話です」

 何と云うか、“できそうに見える”と云うのも良し悪しだと思う。

 何度も云うようだが、こちらは“ギレン・ザビ”本人ほど知能が高いわけではない、本来的に、迂闊なところも多いのだ。

 であるからには、とにかく用心するに越したことはない。自分ひとりのことならまだしも、今のこの身には、ザビ家のみならず、ムンゾの命運がかかっている。連邦との戦いをぎりぎりまで回避し続けるためには、どれほど用心しても、し足りないと云うことはないだろう。

「国運を、多少なりとも背負っているからには、迂闊さはあるべきではない――連邦との間が良好とは云い難いのであれば、なおさらに」

 隙を見せれば、つけこまれる。それは、“昔”から幾度も経験したことだった。

「……私は、本当にギレン殿を見誤っていたようだ」

 ダルシア・バハロが、ゆっくりと云った。

「閣下の目指されるものは、私のものとそう大きく変わるわけではなかったのですな。ムンゾの独立と、スペースノイド、ニュータイプによる人類の革新――閣下のお心はわかりました」

「私は、ジオン・ズム・ダイクンの遺志をそのまま継ぐもの、と云うわけではない」

 この男がジオニストならば、これだけは云っておかねばならぬ。

「ジオンの理想は崇高だが、あまりにも過激すぎる。私としては、もう少しだけ現実に近いかたちで軟着陸させたい、それだけのことだ」

「それがわかれば充分です。ジオンの理想を忘れた輩に用はありません。私も、閣下の麾下に加えて戴きたい」

 ――さて。

 どこまで本気で云っているのか――確かに、原作の“ギレン・ザビ”よりは穏健だが、その時間軸でこの男がデギン・ソド・ザビ寄りであったことを考えると、その言葉をすべて信じるのは危ういような気がするが。

 だが、

 ――毒を食らわば皿まで、か。

 ここでこの男の手を取らなければ、強い敵を新たに作ることになるだけだ。それならば、潜在的な敵であっても手許に置いた方が、見張ると云う意味でも良いか。

「――わかった」

 肚を決めて、ひとつ頷く。

「宜しければ、貴殿も新しいムンゾ――私の目指す“ジオン共和国”の建国にご参画戴きたい。……宜しくお願いする」

「……こちらこそ、宜しくお願い致します」

 握手をかわす。その様を、マツナガ議員は微妙な表情で見守っていた。

 さて、これが吉と出るか凶と出るか。

 ともあれ、ダルシア・バハロはザビ家の勢力に加わった。当面の障害はなくなったわけだ。

 兎にも角にも、これでやっと、一年戦争に向けての体制を整えることができる。意外に強い掌を握り返しながら、胸中密かに溜息をついた。

 

 

 

 弾劾決議は滞りなく出され、これで“馬鹿手議員”どもの失職は決定された。立てこもりに参加しなかった輩についても、警察の操作状況を見て、議員辞職勧告を出す運びになっているので、これでひとまず山は越えたことになる。

 さてしからば、ドズルとの話で出てきた“宿題”を終わらせなくてはなるまい。

 流石に、学期半ばのキャスバルを、表向きの理由なしにズムシティへ来させるわけにはいかないので、中間地点まで呼び出す。つまりは、ガーディアンバンチの宙域まで船を出し、その船内で顔を合わせると云う寸法だ。これならば、キャスバルはものの半日もあれば戻れるので、学業に問題は出ないだろう。

 と思っていたら、キャスバルのみならず、“ガルマ”までもがついてきたと、デラーズが弱りきった顔で告げてきた。

「キャスバルひとり呼び出して、何かあったら許さないと息巻いておられます」

「……つまり、ともに連れてきた、と」

「……有体に申し上げれば」

 仕方ない、あれが云い出したら、物理で拘束できない限りは、どこまでもついてくるのだろう。

「――仕方ない、“ガルマ”は一室に籠め、椅子に坐らせて、そのまわりをお前の配下四人で囲ませろ。戸口に“伝書鳩”二人を張りつかせるのも忘れずにな」

「……そこまでなさいますか」

「あれは、それくらいしないと乗りこんでくる。お前の配下だけでは、舌先三寸で騙されるだろうが、いつも迷惑を被っている“伝書鳩”なら、それにも引っかかるまいからな」

 デラーズは微妙な顔になったが、しかし、多少は察するところもあったのだろう、敬礼して部屋を出ていった。

 ややあって、キャスバルひとりを伴って戻ってくる。

 キャスバルは、緊張した面持ちでデスク――と云うか、コンソール――の前に立った。

「お呼びと伺いました、ギレン」

 “シャア・アズナブル”の鳶色ではない、かれ自身の青い瞳が、こちらを見る。

「うむ。――また、“ガルマ”がぞろ暗躍したようだな」

 そう云うと、緊張が一層高まったようだった。

「そ、れは……」

「“伝書鳩”から報告は上がってきている」

 云い訳は不要だ、と云ってやると、力の抜けたような、だが緊張は持続したままのような、微妙な空気が返ってくる。

「今回の件については、コルヴィン・シスの元同僚が、シャアのスケジュールや警備体制について、あちら方にリークしていた、と云うことは把握した」

 コルヴィン・シス――数年前の狙撃事件の時に、自分の代わりに死んだ男。遺族に対する補償はしていたが、まさかそれ以外から、“仇討ち”をしようと云う輩が出てくるとは思わなかった。しかも、自分の警護対象者を囮にまでして。

「あの男については、既に懲戒解雇が決定している。そちらはそれで終わる、が、問題はもうひとつの方だ」

「――ガルマ襲撃計画ですか」

 この件については、既に新聞沙汰にもなっている。キャスバルが知っていても不思議はない、が、これは恐らくそう云うことではあるまい。

「そうだ。――スケジュールを流したのは、“ガルマ”本人だな?」

 問うと、キャスバルは、驚きと諦めがないまぜになったような表情で、のろのろと頷いた。

「そうです。その……かれは、自分を囮にして、反ザビ家の勢力を燻り出すつもりだったようで」

 結局は、シャアが拉致されたのが先で、そちらは出番がなかったようですが、と云う。

「まぁ、あれのやることだ、そんなところではあるだろうな」

 自分の身を囮にすることで道が拓けるのなら、それを躊躇するようなタイプではないのだから。

「……僕は、知らされなかったし、止めることもできなかった」

「まぁ、あれを止めるのは、至難の業だな」

「あなたは! それで良かったと云われるんですか!」

 キャスバルの掌が、デスクの表面を強く叩く。

「あれは、そう云うモノだ」

「ものじゃない!」

 青い目が、こちらを睨みつけてくる。強いまなざし、心地良いほどの激情。

「ガルマは――僕にとっては兄弟も同然だ! それが、あんな危ない橋を渡るような真似……」

「だが、ムンゾにとって重要なのは、お前の方だ、キャスバル」

 指を組んで云うと、きつい視線がこちらを刺し貫いた。

「それは、自明のことであり、そうあるべきものでもある。お前はダイクンの子だ、それは、“ガルマ”と立場が違うこととイコールでもある。ある意味においては私もまた、お前の歩むべき道を整える、露払いのようなものでしかない」

 ガンダム世界、この宇宙世紀においては、キャスバル・レム・ダイクンこそが“メシア”であり、待ち望まれた“来たるべき救世主”なのだ。

 “赤い彗星”と呼ばれた男、“シャア・アズナブル”、つまりはキャスバル・レム・ダイクン――それは、“ガンダム”と云う長大なサガにおける英雄であり、燦然と輝く星である。

 この時間軸において自分がやっていることは、例えるならパプテスマのヨハネのような、“来たるべき主の道を整える”ことなのだ。

 いずれ、原作とは違うかたちではあるにせよ、キャスバルは、スペースノイドの救世主として、コロニー社会に姿を現すことになる。その前に地を平らかにするのが、自分の役目であると了解している――それは、多分“ガルマ”も同じことであるだろう。

 立ち上がり、コンソールをゆっくりと回りこむ。

「お前は、いずれわれわれザビ家の兄弟を使いこなし、ムンゾの、コロニー社会の頂点に立つ。そのためには、多少の非情さも必要となってくる。――私の云うことがわかるか」

 キャスバルは、目を見開いていた。

「わ、わからない……」

 呟くように云うが、“わからない”と云うより、“わかりたくない”が本当のところだっただろう。

「お前の双肩に、スペースノイドの命運がかかることになるのだ。私や“ガルマ”は、それを支えるものでしかない。賢いお前には、よくわかっているはずだな、キャスバル」

「わからない、わからない!」

 激しく首が振られる。

「父の跡を継げと云うのならわかる、だけど、スペースノイドの命運? 僕に、そんなものが背負えるわけがない! 無理だ、無理だよギレン!!」

 子どものよう、あるいは、『the ORIGIN』のガルマ・ザビのように、キャスバルは云った。

「無理ではない。お前にしかできないことだ」

 耳許に唇を寄せ、囁くように云う。

「現に、“駒”はほとんど揃ったではないか。アムロ・レイ、マリオン・ウェルチ、フロリアン・フローエ、ゾルタン・アッカネン。連邦に取られもせず、かれらがムンゾに集まったのは、お前の足許を支えるためだ」

 フォウ・ムラサメやロザミア・バダム、カミーユ・ビダンは、現在進行形で“伝書鳩”たちに探させている。サラ・ザビアロフやパプテマス・シロッコも、どこかに生まれているはずだ。そして、シャリア・ブルも――かれらがムンゾに味方するかはともかくとして、連邦の研究所などに買い取られる前に、こちらが押さえておかなくてはならない。強化人間として無理矢理覚醒させるのではなしに、ゆるやかに、ニュータイプとして覚醒させることができたなら。そうすれば、かの強化人間の悲劇は存在しなくなるはずなのだ。

 キャスバルは、濡れた目を大きく見開いた。

「ギレン、それは……」

「その顔ならば、心あたりはあるようだな?」

 あるいは、アムロと交流するうちに、ニュータイプとしての覚醒が訪れたものか。

「わかっているだろう、ムンゾは、われわれは、ニュータイプを戦場に出すことになるだろう。MSに乗るパイロットとして。かれらを戦場に送り出すのは、お前の役目になる――今のお前に、それができるのか?」

 上に立つものの孤独を、キャスバルはまだ知らない。家族ではなく、国を、組織を、何よりも優先させねばならないこと、それをなすために孤独であらねばならぬことを。

「“ガルマ”を、今の学友たちを、お前は、自分自身は後方に控えていながら、戦場に送り出す立場になる。もちろん依怙贔屓は許されない、そんな指揮官についていく兵卒はない。――今のお前に、それができるか?」

「ぼ、僕、は……」

 キャスバルの唇が戦慄く。泣き出しそうにも見える顔。そうしていると、確かにシャア・アズナブルと瓜二つなのがわかる。

 ――甘やかし過ぎたな。

 原作軸の妙な自信のなさは払拭されたが、その分、お坊ちゃんらしい傲慢さと、この平和が続くのだと云う、根拠のない無邪気な確信を植えつけてしまったのかも知れない。

 だが、上に立つからには、そろそろそれでは困るのだ。幾万の将兵の生命を預かる身としての自覚と、その重圧に耐え得る強靭な精神――いい加減、それを培ってもらわなくてはならぬ。“赤い彗星”の強さの何割かは、孤独そのものに育てられた部分があっただろうからだ。その孤独が、キャスバルには圧倒的に足りていない。

「――お前は、独りであることに慣れねばならん。そして、数多の将兵の屍を踏みしめて、スペースノイドを新たな世界に導くのだ」

 云いながら、苦笑がこぼれる。

 これでは、パプテスマのヨハネと云うよりも、荒野の誘惑におけるサタンのようだ。

 だがまあ、仕方あるまい。今の自分は、正しい道を勧めるのではなく、修羅の道へとキャスバルを押し出すものであるのだから。

 キャスバルが息を呑み、震える唇を、ゆっくりと引き結んだ。

 と――

 いきなり扉の外が騒がしくなった。まさかと思うが、“ガルマ”が包囲網を躱して、ここまで来ようとしているのか。

「……ガルマ」

 キャスバルが呟く。

「……それはよせ」

 誰かと会話しているように――多分“ガルマ”と。

 ――なるほど?

 どうやらこの二人、何らかのかたちで精神が“繋がって”いるようだ。“ガルマ”がニュータイプであるはずはないが、まぁ“人の類”であるからには、人智を超えた何かでそうなることもあり得るだろう。“三日月”の時にも、さっさと阿頼耶識に馴れてしまったくらいなのだし。

 騒ぎは、部屋のすぐ近くまでやってきたが、やがてじりじりと離れていき、ついにはまた、元の静けさが戻ってきた。

「――何があった」

 外のデラーズに問いかけると、弱りきった声が返ってきた。

〈申し訳ありません、ガルマ様が……〉

 なるほど、六人体制の見張りを躱して、ここまで来たか。

「六人では足りなかったな。人数を増やして留め置け。邪魔をされては敵わん」

〈は〉

 そうして、キャスバルに向き直る。

 “ガルマ”が近くまできて、落ち着きを取り戻したものか、キャスバルは、先刻までより平静な顔になっていた。

「わかるか、キャスバル。“ガルマ”はやりたいようにやる。誰がどう止めてもだ。それを少しでも回避したいのなら、お前がきちんとあれの手綱を取れ」

「……ガルマの手綱なんて、取れるのですか」

「完全に取るのは無理だろうし、強引に繋げば、鎖を切って逃げるだろうな。――あれを繋ぐのは、際限なく伸びるゴム紐で良い。但し、その端はきちんと握って、どちらへ走ったかは知っておけ。さもないと、とんでもないところで騒ぎが起きることになるぞ」

 溜息まじりに云ってやると、青い目がまっすぐこちらを見つめてきた。涙に濡れてはいるが、もう狼狽えてはいない。強いまなざし、こちらの言葉を漏らさず聞き取ろうとするように。

「あれをただ野放しにすれば、お前の踏みしめる将兵の屍が増えるだけだ。回避し得るものは回避し、仕方のないものは甘んじて受け入れろ。ムンゾを、その国民を、活かすも殺すもお前次第なのだから」

「――ガルマが……何故?」

「あれの守るものは、自分が守ると決めたものだけだ。国としてのムンゾそのものが含まれるわけではないし、“敵”であろうと庇護対象になると考えれば守る。それを、こちらが捕虜にしようとすれば、あれが暴走するだけだ――今、お前に対してそうしているように」

 そして、下手に兵卒に人気が出るからこそ、“ガルマ”が上に反抗した時に、それが内乱の発端ともなりかねないのだ。それに近いことは、実際“昔”幾度も起こりかけたのだし。

「……やっぱりよくわからないけれど」

 キャスバルは、注意深く云った。

「でも、ガルマのことはわかった。やり過ぎないように、コントロールする。完全には不可能。そう云うことですね」

「あぁ、そうだ」

 キャスバルがその意識を持つだけでも、多少は違ってくるだろう。

「ドズルも、あれには手を焼いている。それには、お前も一枚咬んでいるようだが――この際、それは不問としよう。ガーディアンバンチの駐屯部隊と、今、これ以上の揉めごとを起こさせないよう、よくよく“ガルマ”を監督しろ」

「……“今”と云われるのなら、“その時”であれば問題ないのですか?」

 聡い子だ。こちらの言葉尻を逃さず捉え、そのようなことを云ってくる。

「あぁ、“その時”であれば。――あれが、それに備えているのはわかっているが、無駄も多い。無用の揉めごとで、突発的に戦いに引きずりこまれたくはない。見極めて、よく監督するように」

「……はい」

 ようやく、キャスバルは納得したようだった。

「では、戻れ。あれを回収して、間違いなく制御してみせろ」

「わかりました。では」

 下位の士官がするように敬礼して、キャスバルは部屋を出ていった。少し引かれてしまったかな、と思う。

 ――これで、多少なりともおとなしくなると良いのだが。

 “ガルマ”もキャスバルも。

 “暁の蜂起”まではあと一年――それまでに、他にことが起きれば前倒しだが、MSはともかく、サイコミュシステムに目鼻もついていない今の状況で、戦いが起きれば面倒だ。

 まして、原作とは異なり、あれが起きれば、開戦まではすぐであるだろう――ムンゾは今、あまりにも連邦から危険視されている。せめて、MS-04ブグがMS-05ザクにならなくては、戦うどころの話ではない。

 そろそろニタ研の凍結も解除し、フラナガン博士にも研究を再開してもらわなければ――もちろん、人体実験等に関する監視は続けるにせよ。

 戦いの前の地固めを終えて、本格的に戦時への移行を考える時がきたようだ。

 何をするにも、これからは慎重に、慎重の上に慎重を重ねるくらいの慎重さで、ことにあたらねばならぬ。火薬庫は満たされている。少しの間違いで、それが吹っ飛ぶ可能性もあるのだから。

 

 

 

 ズムシティに戻ってすぐに、“ガルマ”以外の兄妹で顔を合わせる。ドズルはガーディアンバンチなので、通信での参加である。

「いきなり呼び出すなんて、何があったの、ギレン」

 最近はメディアに追いかけられてばかりのキシリアが、やや疲れた顔で問いかけてきた。

「そうだぞ。しかも、ガルマ抜きで――お前は、そんなにあいつが疎ましいのか?」

 サスロが云うが、

「あれにとっては、既に知ったことだからな。あれにとって既定のラインであれば、改めて知らせる必要もない」

〈それで、ガルマは承知するか?〉

 ドズルも云う。

「心配であれば、ガルマには、終わった後で云ってやれ。――連邦とのことだ」

 途端に、三人に緊張が走った。

「動きがあったか」

 キシリアが云う。

「いや。だが、もうじき動く。そうだな、あと一年、“ガルマ”が士官学校を出る、その時を目安に、戦時体制に移れるよう、密かに準備を進めてくれ――MSも、ニュータイプ研究もだ」

「根拠は」

「云えん。流動的な部分もあるからな。だが、正式な開戦は、少なくとも“ガルマ”が卒業するまでは、最大限引き延ばすつもりだ。逆に云えば、“ガルマ”が卒業すれば、いつ戦いがはじまってもおかしくないと云うことだ。そのつもりで、それぞれ準備を進めてもらいたい」

「何故、ガルマの卒業後なの?」

「あれが、ザビ家の最大火力だからだ」

「あの子を戦場に出すと云うの!?」

 キシリアが、デスクを激しく拳で叩いた。

「あんなに身体が弱い子を――指揮官としてですらなく、戦場に!? お前には、人の心がないの!?」

「あれは、戦場に置いてこそなのだ」

 システムは違えど、ガンダム・フレーム――バルバトスに乗っていたのだ。MS戦には慣れているし、元々“昔”から、いつでも戦場では前線に立っていた。後方に留め置く方が、“ガルマ”にとっては我慢ならないことだろう。

「あれには、MSを駆る能力がある。戦術指揮もとれるのだ、今の学友たちも含めて、小部隊を作らせ、遊撃隊として前線に出す」

「ギレン!!」

〈……やっぱり本気なのか、ギレン〉

 ドズルが云う。

「本気だ。かつてテム・レイ博士を迎えた時に、お前には云ったはずだな、ドズル。“ガルマ”は、あるいはキャスバルも、MSに乗せて、前線に出す。シャア・アズナブルは、元々そのための影武者のつもりだった」

「キャスバルも!?」

 流石にサスロが目を剥いた。

「ダイクンの子をか! 正気か、ギレン!?」

「正気も正気だ。あの二人には才能がある」

 原作で明らかであるように。

「“ガルマ”など、お前たちからMS計画の概要を受け取った後、テストパイロットたちに顔見せに出向いたそうだぞ」

〈聞いてないぞ!〉

 ドズルが吼える。

 が、

「事実だ。“伝書鳩”が巻きこまれてな。報告が上がってきた。例の、ガイア、マッシュ、オルテガの三人と接触している」

〈ダークコロニーには来ていないぞ!〉

「休暇中で、ズムシティに出ていたところを摑まえたようだな」

「あの資料を渡したのは、三年も前の話じゃないの! 十五にもならなかったあの子が、そんな危ないことを!?」

 “弟妹”たちは驚愕しているが、こちらとしては想定の範囲内のことだ。

 大体、“ガルマ”は中身だけなら老人もいいところである。体感年齢的には百ニ、三十歳くらいであるはずだし、賢くはならないが、悪知恵と悪賢さには磨きをかけているはずだ。見た目に騙されたら失敗するのだが、どうもザビ家の面々は、“ガルマ”がきゅるんとしてみせるのに、簡単に騙され過ぎるきらいがある。タチ・オハラをはじめとする“伝書鳩”たち、あるいは最近ではデラーズたちも、あれの本性に気づきつつあると云うのにだ。

「だから、お前たちはあれに騙され過ぎていると云うのだ」

 と云ってやるが、三人とも、どうにも承服し難いらしい。

「“ガルマ”とキャスバルは、ガイアたちに挨拶に行ったのだそうだ。自分はいずれパイロットになるので、その時には宜しく頼むとな」

「馬鹿な!」

 キシリアは叫んだ。

「あの身体の弱い子が、そんなことを! お前が何か吹きこんだのではないの、ギレン!」

 それには、肩をすくめるしかない。

「私が吹きこんで動かされるようなタマか。あれが望んだことだ。だが、純粋に個人の戦闘能力を云々するなら、確かにあれは、ザビ家一だと思ってはいるがな」

 システムは違えど、実際にMSに乗ったと云う経験は大きい。

 もちろん、宇宙世紀のMSは、エイハブリアクターとやらもナノミラーアーマーとやらもない。ビーム兵器も有効であるから、その戦いは、鉄オル世界でのそれとは大きく異なってしまうだろう。

 それでも、対艦隊戦ではなく、限りなく白兵戦に近いMSでの戦いは、“ガルマ”のポテンシャルを最大限に活かすものになるはずだった。

 その上、ザビ家の人間として、また士官学校を出た士官として、作戦指揮にもあたることになるだろうから、戦局全体をドズルと共有しつつ動くなら、連邦何するものぞと思えるほどではあったのだ。

「……だが、親父が納得するとは思えんぞ」

 サスロが云う。

「そこは、“ガルマ”本人に説得させる」

 何しろ、こちらに断りもなく――事実上、こちらの思惑をすべて蔑ろにして――“黒い三連星”に接触したくらいなのだ。その熱意で、“父”を是非とも説得してもらわねばなるまい。

「親父が賛成するとは思われんが」

「だが、説得できるのはあれくらいのものだろう。ザビ家の男として戦場に出たいと“ガルマ”自身が云えば、“父上”とて無下にすることはできるまい」

 キャスバルの方は、最悪シャア・アズナブルを――“父”に対しても――影武者にするとしても。

「父上は、お前にも説明を求めるのではないか?」

 キシリアが云う――それは、シャアのことを考えているからか。

「そうだとしても、“父上”にも納得して戴かなくては――何のために士官学校にやったかと云うことになってしまう」

「……私は反対だわ、ガルマ、あの弱い子を、戦場に出すなんて」

「俺も、賛成はできんな。あまりにもリスクが大きすぎる」

「……お前はどうだ、ドズル」

 沈黙している“弟”に問うと、ドズルは苦虫を噛み潰したような顔になった。

〈サスロ兄やキシリアの危惧もわかる、が……正直、あの統率力は、後方にやるには惜しいとは思う、な……〉

「何を云うの!」

〈いや、聞いてくれ。ガルマは、必ずしも虚弱ってわけじゃない。この間も、二年次の演習で、二〇km行軍を見事に踏破したからな。キャスバルにしてもそうだ。あの二人を中心に、今の二年生はよくまとまっている。恐らくは、来年予定されている連邦駐屯部隊との合同演習でも、良好な成績を叩き出すだろう。――あの二人の統率力を見るにつけ、後方に留めるのは……いかにも惜しい〉

「それほど、あの子にカリスマがあると云うの」

〈キャスバルのようなものじゃないがな。下のものたちからは、妙に好かれているようだ。“野生の御曹司”なんぞと揶揄する輩もあったが、それこそこの間の演習で捻じ伏せたようだった〉

「それで、本人は、MSに乗る気だと」

〈そうでなきゃ、三年も前に、MS計画の資料を見たいなぞとは云わんだろうな〉

 それを聞いた二人は、深い溜息をついた。

「絶対に揉めるぞ……」

「父上が激怒なさる姿しか思い浮かばないわ……」

 まぁ確かに、“ガルマ”には甘過ぎるほどに甘いデギン・ソド・ザビであるからには、それはそれで想定内ではある、が。

「“父上”とて、戦いの気配は感じておられよう。その状況で、末子とは云え、士官学校まで出たザビ家の子が、ただ守られているわけにはいかんのだと、そう申し上げるより他あるまい」

 原作のガルマ・ザビも、地球侵攻時には前線に立った――それは、多分にシャア・アズナブルへの対抗心からではあったのだが。

 それでも、ガルマ・ザビは地上に降り、カリフォルニアあたりを拠点に軍事作戦を遂行し――そしてイセリナ・エッシェンバッハと恋に落ち、シャアに計られて戦死したわけだ。

 今回は、イセリナとのラブロマンスに出番はない――何と云っても、“ガルマ”には、アルテイシアと云う婚約者がいるのだし――が、まぁ、何があるかはわからない。“暁の蜂起”の“後始末”も、キャスバルが“シャア・アズナブル”でない以上、どう変わってくるか知れたものではないのだし。

「それに、今後の状況如何によっては、いろいろ考え得る展開も変わってくるからな。とにかく、慎重に流れを見定める必要がある」

「……本気で連邦をことを構えるつもりか」

 サスロが云うが、そんなものは、こちらの都合でどうこうできる話ではない。

「コロニー同盟を志した段で、道筋はつけられていた。連邦も、もはや後には退けまい。われわれにできるのは、どれほど少ない犠牲で終戦まで持っていくことができるか、そのための手段を講じることくらいだ」

「回避はできないのか」

「私が狙撃された時に、その機は既に逸していたさ。後は、どちらが有利なかたちで開戦に持ちこめるか、それくらいだな」

 キシリアとサスロ、そしてモニターの向こうのドズルも、皆が唾を呑むのがわかった。

「……いよいよ、と云うことか」

〈この時のために、準備は進めてきたが……〉

「あぁ。いざとなると、やはり……」

 三人ともに、表情が硬い。

「まさか緊張しているのか?」

 まだ、一年は先の話だと云うのに。

〈まさか。武者震いと云うヤツだ〉

 ドズルは云って、震える掌をぐっと握りこんだ。

〈これで、今まで雌伏させてきた奴らにも、陽の目を見せてやれる。奴らのしてきたことが、無駄ではなかったと知らしめてやれるんだ――そして、ミノフスキー博士やテム・レイ博士の技術にしても〉

「計画は順調か」

 問うと、ドズルからは、力強い頷きが返された。

〈ああ。じきに、MS-05が量産に入れるようになる。パイロットの育成は途中だが、徐々に戦闘機からMSに、軸を移しているところだ。一年後には、MS部隊が実働に入れるようになるだろう〉

「よし。――キシリア、お前の方はどうだ」

「フラナガン博士には、研究室の再開を告げたところよ。サイコウェーブの研究については、私には何とも云えないわ――博士の方は、手応えを感じてはいるようだけれど」

 仕方がないけれど、実験が制限されるから、どうしてもね、と云う。

「そちらは、後々のためにも、甘んじて受けてもらおう。期待していると、フラナガン博士には伝えておいてくれ。――サスロ、お前はどうだ」

「ムンゾの財政は、悪くはないな、今は。――だが、本当に連邦とやるとなれば、やれて一年、欲を云うなら半年程度で終わらせて欲しいものだな。中世紀の世界大戦のように年単位で引っ張ることになれば、その後の復興にも差し障りが出てくる可能性はある」

「――充分だ」

 コロニー落としがない以上、人類の半分が死滅するような戦いになることはない。第二次世界大戦における原爆のように、“あれがあったからこそ戦いが短く終わった”と云われる可能性もあるが、後々のことを思えば、もちろんコロニーを落とすメリットは少ない。ムンゾを、そんなことで“人類の敵”にするつもりはない。

ザビ家の、ムンゾの戦いを正当化するには、特にこの時間軸では、もっと違う選択肢もあり得るので、そちらから攻めていく方が得策だろう。

 ガンダムのない連邦が、どのような戦い方をするかはわからないが――泥沼化する前に和平交渉に入り、早期に戦いを集結させる。今回は、当然コロニーレーザー“ソーラーレイ”も存在しなくなるので、和平の緒を見出したら、即それを掴まねばならない。そのためにも、議会や内閣と、軍の掌握は必須である。太平洋戦争時の東條英機のように、兼務する軍の役職に、ずるずると引きずられるようなことがあってはならない。

「開戦から時が過ぎるほど、我らの勝機はなくなってゆく。短期決戦を旨として、それこそ半年で蹴りをつけるつもりでいくぞ」

 そう云うと、“兄妹”三人は力強い頷きを返してきた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 16【転生】

 

 

 

 おれは愛されしザビ家の末っ子である。

 

 ドズル兄貴におれだけ呼び出され、校長室に出頭した。

 今度は何事かと首を傾げる先で、兄貴は、ちょっと逡巡する様子だった。

「ドズル校長……兄様?」

 これは、兄弟としての話かな、と口調を崩せば、苦笑する気配が返った。

 伸ばされた手に近づくと、当然のように掌が頭上におり、昔と変わらず、その太い指が髪を梳く。

「ガルマよ……お前は本当にMSに乗るつもりか?」

「はい」

 即答する。真っ直ぐに兄貴の視線を受け、胸を張って。

 数瞬の沈黙のあと、兄貴は悲しげにも見える表情で息を落とした。

「ガイア達に会いに行ったそうだな。入学前に」

「はい。キャスバルと二人で」

「その頃から決めていたのか」

「はい」

 正確には、もっと以前から――“ガルマ”として目覚めたその日に。

「――……戦場に出る気なのだな」

「はい」

「それがどういうことか分からぬお前ではあるまいに」

「はい」

 兄貴が思うよりもずっと、“おれ”はそのことについて知ってるんだ。

 おれを覗き込んだ兄貴の眼には、哀しみと勁さが同じほどに浮かんでいた。

「言い表せぬ程の恐怖を、悲しみを、憎悪を、痛みを、僕はこの身に受けるのでしょう」

「耐えられると思っているのか!」

 恫喝のような響きに、浮かんだのは微笑みだった。

「耐えねばなりません」

 柔らかく響いた声に、兄貴が息を呑む。

「……ドズル兄様、僕もザビ家の人間です。兄様たちと同じ血を受けてここにいます。心も同様に――僕は、戦う側の人間です」

「……ガルマ」

「それに僕は、自分の価値を知っています。その僕が戦場に立つ利を、兄様が一番とご存知でしょう?」

 元から低くはなかったけど、ザビ家の末子の知名度は、ここへ来て急激に上がっている。

 メディアへの露出は家族総出で抑えてくれてるけど、それにより一層秘蔵っ子感というか、溺愛されてる感が強まっているんだよね。

 それが前線に出て見なよ。ザビ家の本気を皆が知ることになるだろう。

「……本当に、お前は本当にそれで良いのか?」

 繰り返される問かけに、ドズル兄貴の優しさと弱さを知る。

 傷ついて欲しくないと。失いたくないのだと。

 例えばおれがここで退くと言えば、兄貴は落胆と安堵を抱えて、この頼りない弟を、戦場から最も遠いところへ匿おうとするだろう。

 ――大事にされてるなぁ。

 こそばゆい程に慈しまれていると、ちょっと泣きそうになるじゃないか。

 今生のおれの拠り所だよね、ザビ家。だからこそ、相応しくてありたいと強く思う。

 伸ばした掌で、兄の頬に触れる。

 傷だらけの顔は、厳しくて、優しい。

 自然と口角が持ち上がって、心底慕わしいんだって、そんな顔になってるんじゃないかな、おれ。

「僕は、兄様をお助けするんです」

 言い切ると、ドズル・ザビの目から滂沱の涙が溢れた。

 こんなに強いのに涙脆いなんて、可愛いね、兄貴。

 ギュッとしがみつけば、太い腕が背に回った。苦しいくらいの抱擁。

「――……ならば、もはや何も言うまい」

 らしくも無く、震える声で兄貴が答えた。

「だが、無理だけはしてくれるなよ」

「はい」

 素直に頷いて身をはなす。

「このやんちゃ坊主め。キシリアとサスロ兄も心配していたぞ」

「ええ。メッセージが凄いことになってました」

 ちょっと真顔になった。

 ものすんごく長文で怯んだ。姉様のもだけど、特にサスロ兄さんの。

 ラップトップの画面いっぱいにミッチリ詰まった文字列には、キャスバルでさえ慄いてたし。

「それで、姉様とサスロ兄様にも、できればいまのうちに顔を見せて来たいなぁって」

 3年次にあがったら今よりも忙しくなるし、何よりも争乱が間近になるから、兄姉の余暇などまるで無くなる筈だ。

 上目に見上げる先で、兄貴は思案する様子だった。

 暫しのちに。

「そうだな。ちょうどサスロに予算の件で資料を求められてたから、お前が持っていってくれるか? キシリアにも伝えておくから」

「わぁ、ありがとうございます、ドズル兄様!」

 ワシっと、もう一度抱きつく。

「なんだなんだ。随分と大人びた事を言ってた奴が、もうそんな子供みたいに」

 そんな風に言いながらも、撫でてくる手はめちゃくちゃ優しい。

 フフフ、甘えも処世のうちさ。ここぞとばかりにお強請りしてやろう、なんてね。

 ここらで少し空気を変えて。

「でも……“ギレン兄様”でしょ。ガイアさんたちに会ったことをドズル兄様に話したの――また僕だけ除け者で兄姉会議しましたね?」

 おれの拗ねた声に、兄貴の身体がギクリと強張る。

「いや、いやいやいや。お前はまだ学生であるからして…その…」

「“ギレン兄様”が、知らさずとも良いって言ったんですね」

 見当はついてんのさ。

 視線に少しだけ詰る色を混ぜてやれば、兄貴は大仰に仰け反って目を逸らした。

「ドズル兄様?」

「ぅ、おぉ」

 ゴホンゴホンと、わざとらしい咳なんかしちゃって。

「……“ギレン兄様”は、僕のことがお嫌いなんでしょうか?」

 しょんぼりとした表情を作り、寂しげにつぶやいてみる。

 ほんっとに遠ざけられてるからね、おれ。

 最近じゃゴシップ系のタブロイド紙なんかで不仲説も書き散らからせてるし。

 なんなの、あの出版社。

 内心でギリィっとしつつ、あくまでも寂しそうに俯くおれの肩に、兄貴の大きな掌が乗った。

「お前を嫌うなど、そんなはずがあるか!」

「……本当に?」

「もちろんだ。むしろ、ギレンは誰よりお前に期待している」

 力強く請け負う兄貴に小首を傾げる。

「“ザビ家の最大火力”だと評していたんだぞ。この俺を差し置いてな」

 太い笑みを浮かべながら伝えてくる。本当は兄貴――ドズル・ザビこそが、正しくザビ家の最大火力だろうに。

 だけど、“ギレン”がまだちゃんとおれを戦力だと思ってくれてるなら。

「――……“ギレン兄様”と会ってお話しがしたいです」

 面と向かって言ってよ、“戦え”ってさ。

 真っ直ぐに視線を合わせて、軍服の裾をギュッと掴む――身を引こうとしたってそうはさせない。

「お忙しいのは分かります。でも、この先、もっとお忙しくなるでしょう? いま、ちゃんと、“ギレン兄様”にもお気持ちを聞いておきたいんです」

 ねえねえ、お願いだよ、兄貴。

 お強請り聞いておくれよ。ね?

 じーっと眺め上げ続ければ、とうとう兄貴は両手を上げた。

「わかった! サスロとキシリアに諮ってなんとかしてやる!!」

 なんだかやけくそ感があるけど、ん、ドズル兄貴なら何とかしてくれるでしょ。

 ニンマリとほくそ笑む。

 

 おれは愛されしザビ家の末っ子である。

 だから、兄姉の力を借りれば、“ギレン”にだって手が届くのだ。

 

 ――覚悟してよね。

 ウキウキワクワクしながら、おれはもう一度、ドズル兄貴の腹周りに抱きついた。

 

 

 

「『――ってことで、“ギレン”に急襲かましてやるんだ。キャスバル、僕、一度ズムシティに戻るね』」

「『待て。どうしてそうなるんだ』」

 先日、脳ミソ絞り出されそうな勢いで“報・連・相”を義務付けられたから、ドズル兄貴とのやり取りを報告をしたってのに。

「『あだだだだだだっ!!?』」

 なぜだ!? なにゆえにまた脳ミソ絞り出されそうにならねばならんのだ!??

 就寝前、私室で寝台に腰掛けながら伝えてみたら、上の寝台からキャスバルが降ってきた。

 挙げ句に頭を鷲掴みってさ。

 必死にウゴウゴしてその手から逃げ出してから。

「『“ギレン”はおれを蔑ろにしすぎ! こないだだって会ってさえくれなかったし!!』」

 キャスバルを呼び出したとき、おれの面会要請をさっくり却下しやがった。

 メッセージだってレス無ぇし、返信があっても罵倒か説教ってさ。

 いい加減、温厚なおれだってキレていい案件だろ。

「『君が温厚かどうかはさておいて、要するに拗ねているのか』」

「『まだ“特攻レベル”だけど』」

「『……瞳孔開いてるよ、ガルマ』」

 キャスバルは呆れ気味だけどさ。

 おのれ“ギレン”め。

 ホントにここらで不満解消させとかないと、次のフェーズに移行するよ?

「『明日、キシリア姉様とサスロ兄様に書類届けた足で突撃する。もう協力は取り付けてあるんだ』」

「『……さっき校長室から帰って来たばかりでもうそれか』」

「『“兵は拙速を尊ぶ”って言うだろ』」

 ふんすと鼻を鳴らす。

「『お前を脅かしたことの文句もあるし』」

「『それは、僕の覚悟が甘かったせいで…』」

 キャスバルは少し気まずそうだけどさ。

「『それにしたって、言い方ってもんがあるだろ』」

 いきなり大荷物押し付けてどーすんだ。

 背負うか背負わないか、その選択肢すらなく、完全に背負う前提ってのはどうかと。

 そのあたりも含め、一度お話し合い(物理)をだな。

 掌に拳を打ち付けるおれを前に、キャスバルは溜息を落とした。

「『程々にな』」

「『おう。……止めないわけね?』」

「『どうせ君は止まらないし。その程度ならそれほどの被害は無いだろうしな』」

 やれやれと肩をすくめ、キャスバルが上の寝台に戻っていく。

「『おやすみ、キャスバル』」

「『ああ。おやすみ、ガルマ』」

 明かりを落とせば、眠りはすぐにも訪れた。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「キシリア姉様! サスロ兄様!!」

 サスロ兄さんの仕事場に入るなり、そこに居た二人に飛びついた。

 事前にドズル兄貴から通達されていたサスロ兄さんとキシリア姉様が、おれの我儘のために、余暇を作ってくれたのである。

「ガルマ! 子供じゃあるまいにみっともない真似をするな!」

「本当に、いつまで幼いつもりでいるの」

 言葉では叱ってくるけど、めちゃくちゃ抱擁してくるからね、この兄姉たち。

「ふふふ。ごめんなさい。だって、会えて嬉しくて」

 寄宿してると中々帰れないし、兄姉たちはみんな忙しいしで、いつでも顔を見れるわけじゃ無いからさ。

 つい全開ではしゃいじゃうんだよね。

「……仕方のない奴だな」

「そうね……日々頑張っているようだし」

「うむ。まあ、たまになら大目に見てやろう」

 なんて。

 どこまでおれに甘いんだろうね、うちの兄姉達は。

 そっと身を離して、持ってきた書類を二人に差し出す。これも用事の1つだし、先に済ましちゃおう。

「ドズル兄様から、お二人にお渡しするようにと預かってきました。どうぞ」

「ああ。また金食い虫の相談だな」

「全くね。――ギレンやドズルが言うほどの戦力になるのかしら」

 ぬ。二人とも未だに懐疑的なのか。

「MSは、連邦との戦いの切り札足り得ますよ」

 静かな声で伝える。

 二対の目が向けられ、その顰められた顔に苦笑いが浮んだ。

「お前、本当にアレに乗る気なのか?」

「ギレンから聞いているけど、賛成できないわ。危険すぎる」

 渋る口調は、おれを案じるが故だ。

 ね、誰が想像し得ただろう。いつかの時間軸で、悪役一家だったザビ家の家族への情は、本当はこんなにも深い。

 あの世界でザビ家が崩壊したのは、向かう情の先が定まらなかったからなんだろう。

 二人とも、ザビ家の末っ子が戦場に立つメリットを図れないはずも無いのに、おれの身の安全を優先させようなんてさ。

 嬉しさに唇がほころぶのを見咎められるけど。

「ドズル兄様にもお伝えしましたが、僕も“ザビ家の人間”です。兄様たちや姉様と一緒に戦います。僕は僕のやり方で」

 生意気をするけど許してって、真っ直ぐに視線を向ければ、めちゃくちゃ困ったような顔になった。

「……親父が何て言うか……」

「そうね。ギレンは、あなたに説得させるなんて言ってたけれど……」

 そうだね。デギンパパにも心配をかけることになるけど。

「お父様は、おそらく、既に予測されているでしょう」

 納得まではしてないだろう。だけど、その流れについては見通している筈だ。

「だって、お父様は、僕のことをとても良くご存知だもの――兄様たちや姉様がそうであるように」

 おれの、“ギレン”の言うところの“悪辣さ”や“悪知恵”まで含めて、“可愛い”って言い切っちゃったんだよ、デギンパパ。

 おれの本性を透かし見てさえ、揺るがなかった愛情ってすごいの一言に尽きると思う。

 それは、ときどき綻びる猫皮の下を覗いてなお、可愛がり甘やかしてくる兄姉たちも同様だと思う。

「本当に、どうしてこんなにやんちゃに育ってしまったんだ!」

 サスロ兄さんが天を仰ぐ。

「全くね。あんなに姉さま姉さまって、くっついてきていた甘えん坊が……」

 キシリア姉様が頬を抑えて溜息を落とす。

 だけどさ。

「僕、なんにも変わってないですよ。今だって甘ったれだし、昔からやんちゃしてます」

「そうだが! そうなんだが!!」

 サスロ兄さんが頭を抱えてる。

 姉様もだ。

 ――好きだなぁ。

 ザビ家に生まれてよかった。

 言葉は口からも転がり落ちてたみたいで、顔を上げた二人に、再び抱擁される。

「……この件は取り敢えず保留だ」

「突き進みたいなら、実力で示すしかないのよ。出来るの? ガルマ」

 あと一年で、って。言外に告げてくる二人に力強く頷く。

 身を震わすような溜息をついて、サスロ兄さんとキシリア姉様が身を引いた。

 空気が重たくなっちゃったから、ここらで話題を変えようかね。

「それはともかく――姉様、ご婚約おめでとうございます!」

 婚約祝いと一緒にメッセージは送ってたけど、ここは直接伝えないとね!

 おれの言葉に、キシリア姉様は唇を柔らかくほころばせた。

「ありがとう……シャアを助けてくれて」

 その瞳が潤んでるように見えるのは、気のせいじゃないんだろう。

「シャアにも言ったけど、あれは皆のおかげでしたよ」

 突入はキャスバルの采配だし。

「でも、お前も頑張ってくれたのでしょう? ドズルから聞いているわ」

 白い指先にサラリと髪を撫でられてて、擽ったさに身をすくめた。

「それにしても、あれは圧巻だったな! 見ていて椅子から転がり落ちそうになった」

 サスロ兄さんが、珍しく大口を開けて笑った。

 姉様が冷ややかな眼差しを向けるけど、見かけほど怒ってる訳じゃない。頬が赤いし。

「お前も良く認めたな。このシスコンが」

 兄さんが軽く小突いてくるのには、唇を尖らせて遺憾の意を。

「別に……もともと認めてなかった訳じゃないですよ。でも、あそこであんな風に叫ぶんだもの」

 命を懸けて。

 あの瞬間、殺されることすら覚悟して、シャア・アズナブルはキシリア姉様を守ろうとした。

 ザビ家を決して陥れはすまいと。

 ――最期なら、愛を伝えようと思った。

 あとで聞いたとき、シャアは笑いながら、何でもないことみたいにそう言ったんだ。

 みんなのド肝を抜いたあの発言には、それ以上の覚悟が籠めれてたことに気づかされた。

 勝ち負けじゃないけど、でも、あの瞬間、“ガルマ・ザビ”はシャア・アズナブルに完全敗北したんだろう。

「あいつが姉様を幸せにできるかは分かんないですけど、頼りないし! ……でも、あいつは姉様と居られればそれだけで幸せみたいだし。姉様も、あいつと居ると笑顔だし……」

 ああ、もう。拗ねてる訳じゃないんだ。

 モゴモゴと口籠るのを、生暖かい目で見てくるの止めてくれないかな、二人とも!

 大体、からかわれるなら姉様の方なんじゃないかと思うんだけどね。

 そんなこんなで会合は和やかに進み、多忙な兄姉の都合で終了する。

「ガルマ、車を呼んであるから家まで乗っていけ。ギレンはまだ自室にいるのを確認したからな」

「また締め上げられそうになったら叫びなさい。女中頭に話してあるから――あのひとなら、ギレンにも強く言えるでしょう。いいわね?」

 バタバタしくも名残惜しげに去っていく二人をニコニコと見送る。

「はい。ありがとうございます、サスロ兄様、キシリア姉様。お忙しい中、お時間作ってくれて嬉しかったです。お仕事、無理しないでくださいね!」

「お前も無茶しすぎるなよ!」

「本当に、やんちゃし過ぎないようにね」

 そんな甘い顔も、一歩部屋の外に出れば別人みたいに引き締まるんだ。

 側近たちが、「もう慣れた」みたいな様子でいるのがなんとも。

 彼らにも目礼しつつ。

 ――さ、待っててよ“ギレン”。

 楽しい逢瀬と行こうじゃないか。

 

 

 車は勝手口につけてもらった。

 使用人エリアを抜けて、いざ表廊下へ。

「坊っちゃん、ご武運を!」

「お気をつけて!」

 力強い激励の言葉が背中を押す。

 使用人たちは、ほとんどがおれの味方だからね。

 ん。幼少から関係性を築いてきた甲斐あったわ。

 ここまでは穏便に侵入できる――いや、自分の家なんだけども。

「ありがとう。皆はここまでで良いですよ。“ギレン”に見咎められるけどいけないから」

 流石にカチコミに付き合わせるわけにはいかんので、ここで止めとく。

 さて。ここまではおれの支配領域だったけど、この先は“ギレン”の領土だ。

 親衛隊という名の護衛や伝書鳩達がウヨウヨいるからね。一気に本丸まで駆け上がれるかが勝負になる。

 最近、よく走ってんなぁ。

 ウォーミングアップは済ませた。

 ――いざ参る!!

 自宅の廊下でクラウチングスタートきるって、そうそう無いよね。

 一気に加速して補佐官たちの部屋の前を抜ければ。

「クソガキィイイ!???」

 ガタガタンと何かを蹴倒したような音と、罵声か悲鳴か判じがたい声がおれをdisった。

 誰かが廊下に飛び出してくる気配。

「敵襲ーーーーーッ!!!!」

 もはや絶叫である。

 お前かクソ鳩。

 帰宅した末っ子に向かって何言ってんの。そこは「おかえり」だろ?

 舌打ちしつつも足は緩めない。しかし広いなザビ邸。

 クソ鳩の叫びに、血相を変えた護衛たちが飛び出してきた。

「ッ!? ガルマ様じゃないか!!」

 一瞬、武器を構えてから慌ててそれを下ろす。

「敵に違いねぇだろ!! スタンガンブチ込め!!」

「閣下の弟君だろう!!」

 いいぞ仲間割れ。その隙にさらに距離を稼ぐ。

 つか、クソ鳩、お前は許さん。

 角を曲がったら、まるで栓をするみたいに、護衛と伝書鳩とギレン派使用人がミッチリと廊下に詰まっていた。

 ふぉう。物理で塞ぐ作戦に出たか。

「ここはお通しできません!」

 アメフト選手みたいな構えだな。

「推して参る!!」

 対抗策 “因幡の白兎”。

 鰐の背中を飛び渡った兎みたいに、疾走の勢いを殺さず飛び上がって一人目を踏み台にする。

「うわぁ!?」

「嘘だろうッ!?」

 ――ホントです。

 混乱する連中を足場に文字通り頭上をかけ抜ければ、“ギレン”の執務室は目前だ。

「おれ推参!! さあ話し合おう(物理で)!!」

 扉を蹴り開けて飛び込み、目前の誰かにラリアットかました――ら。

「……何をやっているんだお前は?」

 ものすごくガッチリした腕にガッシリと抑え込まれていた。

 ――あれ?

「…………………ランバ・ラル?」

 額の青筋がすんごいことになってるラルおじさんが目の前に。

 ふぅおぉぉううううううッ!???

 なんで居るの!?

 ここ“ギレン”の執務室。

 キョロキョロ見回すけど、当の“ギレン・ザビ”がどこにも居ないんだけど!?

 デラーズも見えないし、タチの姿もないってことは。

「逃げたな“ギレン”!!!!」

 ジタバタウゴウゴするけど、抑え込んでくる腕はビクともしない。

 ――おのれ怪力め!

 一拍開けて、護衛たちが雪崩こんでくる。

 おれを抱えたまま、ランバ・ラルは静かに彼らに向き直った。

「……どうにも躾が行き届かずに済まんな」

 とっても申し訳無さそうな声だった。

 幼少期からダイクン家の護衛をつとめているランバ・ラルは、キャスバルとおれのお目付け役みたいな役割も担っていたから、事あるごとに「育て方を間違えた」とこぼすんだよ。

「こいつは俺が預かる。お前たちには荷が重かろう」

 ランバの言葉に、あからさまにホッとした顔を見せて、面々が頭を下げた。

「申し訳ありません」

「お任せいたします」

「そいつヤっちまってください!!!」

 クソ鳩、お前、拳握ってなに言っちゃってんの。

 護衛一同が“鳩”の首根っこを掴んで退散していくのを、ランバが微妙な表情で見送っていた。

 パタンと扉が閉じたと同時に、その視線がこちらを向いた。

「……わぁ。お久しぶりです、ランバ。お元気そうで何よりです」

 ニコリと微笑んで挨拶をした次の瞬間、背骨が軋みを上げた。

「ちょっ、キ○ルグマ!???」

「お前はそろそろ“やんちゃ”で済む範疇を学べ。心底から学べ」

 とか言いながら本気で締め上げてくんのやめて!

 渾身のベアハグやめて!!

「折れる折れる折れる!!!」

「この程度で折れはせん」

「誰かモンス○ーボール持ってきて! このキテ○グマおじさんしまっちゃって!!」

「ふざけてられるならまだ余裕だろう」

「ぎゃーーーーッ、たーすーけーてーーーー!!!!!」

 おれの叫びを聞きつけた女中頭が飛び込んでくるまで、ランバ・ラルのベアハグからは逃げられなかった。

 

 

 テーブルに向かい合わせに座って、おれは紅茶、ランバはコーヒーを啜っている。

 部屋の隅には目が笑ってないメイドたちが控えていて、ランバ・ラルは少しだけ居心地が悪そうに俺を睨んだ。

 ツンと顎を反らして反抗する。

「拗ねてるガキの見本みたいな面だぞ」

「拗ねてますから」

 “ギレン”に逃げられてオカンムリなんだよこちとら。

「これが悪手だと分からんお前じゃあるまいに」

 ランバが苦笑する。

 そりゃね、突撃は褒められた手段じゃないのは百も承知だけどさ。それに、そろそろ“ギレン”の方がキレそうだと思わなくもない。けど。

「……構ってほしいんですよ」

「壮絶に面倒くさい奴だな!」

 そんな即答しなくても良いじゃないか。

「キャスバルにも言われる」

「直せ」

「性分ですぅ」

 シレッと答えれば天を仰がれた。

「良いじゃないですか。“ギレン”とキャスバル限定だもの」

 他にウザ絡みなんかしやしない。

「――………そう言やそうか」

 不思議そうな顔をされても。

「なんだかなぁ。ギレンもことお前に関してはガキみたいにムキになるきらいがあるしな」

「そう?」

 そんなことあったっけと首を傾げる。

「当事者にはわからんだろう。サスロやキシリアもそう言っている」

 ふぅん? そんなもんかね。

 姉様たちか言うならそうかも知れないけど。

 腑に落ちないないながらも頷く。

 取り敢えず、襲撃は失敗した。

 また次の手を打ちたいところだけど、流石にもう暇が無くなるし。残念。

 溜息を落とす姿をどう見てか、ランバは軽く肩をすくめた。

「で、このあとはどうする気だ?」

「子供たちの顔を見てから帰りますよ。昼時には帰ってくるって聞いてますし……父様はお忙しくてお会いできないみたいですから」

 顔を見たいし見せたいと知らせけど、こう急だと、やっぱり無理だよね。

 会談やらなにやらで時間が取れないと、側近からメッセージが入ってた。

 これ、途中で情報止めたね?

 まあ、万が一にでもパパンが末息子にあいたいなんてゴネたら大変だとか思ったんだろうけど。

 なんて。デギンパパは公正なる公人だからそんな無茶言う訳ないのにさ。

「そうか。では帰りは送っていこう。ドズルに用事もあるからな」

「結構です。多忙なラル家当主を煩わせる訳には…」

「お前を放置してまたぞろ何かしでかされる方が事だ」

 なんたる信用の無さよ。目を細めてイヤだという顔を作ってみるけど。

「送るぞ」

「――………………はぁい」

 拳骨の形に握られた手を見てしぶしぶ了承した。

 ランバが吹き出す。

「お前、そういう顔は悪ガキの頃からまるで変わらんな」

「昔ばなしするのって年取った証拠……そんなことより、ハニムーンは楽しかった?」

 話題を変える――だから、その拳骨しまってよ!

 

 

 昼になって、子供たちが帰って来た。

『〜ッ!? ガルマ!??』

 真っ先におれに気づいたのは、やっぱりアムロだった。

 思考波が飛んでくるやいなや、さっきのおれに負けないほど騒々しい足音が廊下に響きわたる。

 メイドたちか微苦笑しながら、あらかじめ部屋の扉を開けておいてくれた。

 激突されたら大変だもんね。

 おれは椅子から立ち上がって、待ち受ける――そのままだと椅子ごと倒されそうだし。

「『やっぱりガルマだ!!』」

 両手を広げた次の瞬間には、記憶より背丈の伸びた少年が真っ直ぐに飛び込んできた。

 踏ん張る。一瞬、軋んだような気がする肋骨は、頑張って意識の外へ。ここでフラフラしたら格好つかないからね。

「『アムロ、また背が伸びたね!』」

 うわ成長早いなぁ。どんどん視線の高低差が無くなってく。

 え、これそのうち抜かされる?

 愕然としてるおれに気づいたんだろう。抱きついたままのアムロがニンマリと笑った。

 鮮やかな碧の眼がいたずらに細められるのに、一瞬見惚れる。

 キャスバルの青も物凄いけど、アムロの碧も格別だよね。

「『みんなも伸びたよ。ガルマは?』」

 言ってくる言葉は生意気だけどさ。

 スンッと表情を薄くしたおれに、アムロはますます楽しげに笑った。

 さらにギュウギュウ締め上げてくるから、ギュッと締め返す。

「『多分、2mm伸びましたー』」

「『それ気のせい!』」

「『違うから! 伸びたから!』」

 なんてやってたら、ドスンともうひとり来た。ふぉう。

 吹っ飛びかけたのを、アムロに支えられる。

「『ホントだガルマだ!』」

 お前かゾルタン。

 うっわ、こっちも背が伸びてるし。

 猫みたいなつり上がり気味の双眸が一つ瞬いて、ライトグレーの瞳がキョロリと回った。

「『……ちょっと縮んだか?』」

「『言ってはならんことを!?』」

 だから、2mm伸びてる筈だってば!! 多分。

 身長差が縮んだから、相手が小さくなったように感じられるんだろう。子供らの成長は大変に嬉しいが、微妙に悔しくもあるな。

 コイツもまとめてギュウギュウする。

 キャーとかギャーとか、また笑い混じりの悲鳴が上がる。

 じゃれていれば、さらに戸口に気配が。

「『カイ、と………………フロル?』」

 え、えええ、フロリアン・フローエ、だよ、ね?

 まだ一桁台だったはず、年齢は。

 なのに、めっちゃくちゃ誇らしげに胸を張るチビっ子は、ちょっとチビと呼ぶには差し障りそうにニョキニョキ伸びてた。

 トコトコ近づいてきて、バフリと抱擁に混ざってくる。

「『見違えた。もしかしかしたら、将来、キャスバルよりも大きくなりそう』」

「『なるよ!』」

 ニコニコしちゃって、まぁ。

「『……君は変わらないね、カイ』」

「俺だって3cm伸びてんだよ!!」

 抱擁には混ざらずに捻くれた顔で見てくるカイ・シデンをからかえば、真っ赤な顔して怒鳴られた。

 戻ってきたのはBoysだけで、お姫様たちはレディ・ラルとお出かけなんだって。あれま残念。

 アムロたちは帰還を知らせてなかったことに拗ねたりしてるけど――“ギレン”に察知させないようにしてたからさ――サプライズだと思ってよ。

 久しぶりに皆ではしゃいで、おやつを作って、またはしゃいで。

「『キャスバルは一緒じゃなかったんだね』」

「『うん。ごめんよ、僕だけだ』」

 “ギレン”襲撃がメインイベントだったからさ、なんて意識の下でコッソリ思う。失敗しちゃったけど。

「『良いんだ!』」

「『だいじょうぶ!』」

「『いつも独り占めしてるからな!』」

 アムロとフロルは許してくれるけど、ゾルタンはご不満らしい。

「『あ〜。そうだね。いつもキャスバル独占しちゃってごめんね?』」

「『違う! おやつとか!! キャスバルばっかり!!』」

 ふぉ。そっちか。

 思わず吹き出しちゃったじゃないか。相変わらずおやつ要員だよね、おれ。

 それなら日持ちしそうなものを、山ほど作り置きしておこうかな。ビスコッティとか。割と簡単だし、コックが手伝ってくれるから失敗しないし。

 みんなも手伝ってくれるのが、めちゃくちゃ可愛いし楽しい。

 あれ、おれの帰宅の真の目的って子供らと遊ぶことだったっけ?

 きっとそう。そうに違いない。うん、そうだった。

 癒やされるったらないね。デロデロに蕩けそう。

 時間ギリギリまで粘って構い倒して、やがて、しびれを切らしたランバ・ラルに首根っこを掴まれた。

「そろそろ戻るぞ」

「『ううう……みんな、またね。今度はキャスバルも連れてくるよ』」

「『絶対だよ!!』」

「『待ってる!!』」

「『いっぱいかえってきてね!!』」

 うわぁ。可愛すぎる。戻りたくないよぅ……むしろ、キャスバルが来いよ今すぐ。

 なんて、願っても叶わない事もあるもんだ。

 無情にも、ランバは引っ張る腕の力を強くした。

「刻限過ぎるだろうが!」

 ズルズルと引きずられていくおれを、子供たちが手を振って見送ってくれた。

 

 

 そんな天使たちから、キャスバルとおれ宛にプレゼントが贈られてきたのは、それから半月くらいの後だった。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 16【転生】

 

 

 

 帰宅すると、見慣れぬ顔に出くわした。

「これは、ギレン殿」

 と云う男の年齢は、多分こちらより幾分上、声をかけてくると云うことは、それなりの地位にある人物だろう――原作では、まったく見た憶えのない顔であるが。

 口髭を蓄えた壮年の男で、ランバ・ラルをもう少しスマートにしたような風貌である。軍服を身に着けていないので、議会か内閣の関係者だろうが、記憶にある原作――1stや『the ORIGIN』、Zや『逆シャア』――では見た記憶がない。

 さて、この男は誰なのか。

 と、

「これは、マハラジャ・カーン様」

 後ろにいたデラーズが、そう云って慇懃に頭を下げたようだった。

 ――なるほど、これがハマーン・カーンの父親か。

 そう云えば、議会などで、“父”の側近くにいたのを見たような気もしないでもない。

「ご無沙汰しております。今日は、“父”の用事で?」

「さようです」

 男は頷いた。

「軍や外交に関しては、ギレン殿やドズル殿がおられる故に安泰だと、閣下はおっしゃられております。ご自身は、内政の安定に徹するおつもりのご様子」

「“父”あればこそ、我らもあれこれと講ずることができます。今後とも、“父”の片腕として、宜しくお願い致します」

「もちろんのこと」

 とマハラジャ・カーンは云うが、さてこの男、どれほどの野望を胸に秘めているのだろうか。

 ――悪い癖だとは思うのだが。

 それでも、考えてしまうのだ。次女がネオ・ジオンを率いて連邦と戦い得るほどの勢力を持った男が、首相の補佐などと云う立場で満足していたのかと。

 一年戦争後、この男はミネバ・ラオ・ザビを擁し、ネオ・ジオンの基礎を作ったわけだが、その心の裡に、わずかにでも“ジオン公国”を己の手に、と云う意識がありはしなかったのか? 当時のミネバはわずかに二歳、それを推戴すれば、ジオン残党を統括し、自分が新たな“ジオン公国”の主ともなり得る――“ネオ・ジオン”とは、そのような命名ではないか――と、まったく考えもしなかったと云い得るのか。

 ましてこの男は、長女――マレーネと云うらしい――をドズルに近づけ、次には“シャア・アズナブル”にハマーン・カーンを近づけたのだ。そのやり口は、それこそ閨閥政治を目指すもののそれではないか。

 男の顔を見つめると、相手はにこりと笑いかけてきた。

「……そう云えば、キシリア殿がご婚約されましたな。おめでとうございます。ガルマ殿も既にお相手がお決まりですし、ザビ家は安泰ですな」

 ――厭な方向に話を向けてきたな。

 こうくると、大体流れはこちらの結婚に向いてくるのだ。

 案の定、

「後は上の男たちだと、閣下がおっしゃっておられました」

「……私はともかく、弟たちは大丈夫だと思いますが」

 後ろでデラーズが微妙な表情をした、ような気がする。デラーズははっきりと笑いはしないが、こちらが縁談やら何やらを煩わしく思っているのは知っているので――まぁ、後で笑っているのだろうとは思っているが。

「またまた、そのような」

 カーンは云って、くすりと笑った。

「秋波を送る女性たちを袖にしていると、閣下はぼやいておられましたぞ。お眼鏡に適う方はないのですか」

「私のようなものは、妻を蔑ろにしがちですからな。それでも良いと云う女は、なかなかおらぬものです」

 江戸の武士ではないが“女とは愛を交わし、男とは恋をする”くらいの関係が受け入れられる女と云うのは、なかなかいないのが実情だ。妻と云う女は、ともに“家”を維持するための共同経営者のようなものであり、それ故に昔の男たちは、他に女を囲ったり、江戸の世であれば念友などと懇ろになっていたわけだが――昨今は、夫婦関係だけですべてを完結させようと云う風潮が続いており、そうなると、どちらかの比重が夫婦以外――それは、仕事や子どもと云うこともある――に傾くと、関係が拗れることになるわけだ。

「閣下もそうですが、ザビ家の方々はムンゾを動かす仕事をされてあられますからな。普通のご婦人方では、なかなか荷が重いでしょう」

 カーンは笑って云った。

 それから、

「……ところで、私には娘が二人おりまして。下のハマーンは流石に幼いですが、上の娘をお側には――それなりの“教育”はしていると自負しておりますが」

 ――きた。

「上、と云われると、確かマレーネと云われる方でしたかな。“ガルマ”とあまり変わらぬお歳と聞き及びますが、私とでは、あまりに離れ過ぎではありませんか」

 何しろ、“ガルマ”と同年のキャスバルが生まれた年には、もう二十歳を過ぎていたのが“ギレン・ザビ”である。

 マレーネ・カーンが実際幾つかなのかは知らないが、ドズルの愛妾であった――そして、『Z』の時に二十歳だったハマーン・カーンの姉である――と云うからには、キャスバルの前後一つ二つあたりまでであるだろう。つまりは、現在十五〜二十歳と云うことだ。

 対するこちらは、既に四十、歳の差二十以上の男女では、流石に夫婦になるのは難しいだろう。女が成人して久しいのならまだしも、二十歳になるかどうかの年齢では、それこそ大きな齟齬をきたすことにもなりかねない。

 だが、カーンは食い下がってきた。

「男の方が、精神年齢は低いなどと申しますからな、多少離れていた方が、どちらにとっても宜しいのではありませんかな。マレーネは、歳の割にはわきまえた娘であると、親の贔屓目を抜きにしても思っておりますが」

「いやいや」

 仮に、カーンの云うことが本当だとしても、やはりいささか年齢が離れすぎているだろう。親が許しても、まわりの目はやはり厳しいのではないか――それに、こちらもあまり歳の離れた女は守備範囲外であるし。

「私などにご令嬢を娶せれば、口さがないものたちに、あれこれ云われることにはなりませんか」

 有体に云えば、擦り寄りだの、閨閥政治を目論んでいるなどと。

 そう云うと、相手はふと笑った。

「何の。ギレン殿ならば、娘に否やはございますまいよ」

 ――そうして、キャスバルにはハマーンを宛てがうつもりでいるのか?

 早々に婚約者を決めた“ガルマ”と違い、キャスバルにはまだ決まった相手はいない。もちろん、今後現れるはずのララァ・スンのために、敢えてその座は空けてあるのだが、ザビ家が、キャスバルに相応しく、また勢力拡大に役立つ家の娘を選定している最中だと云う噂が、あからさまに囁かれているのは知っている。

 今回のキシリアの一件で、ザビ家が、実は意外に当人たちの恋愛感情を重視すると驚かれたようだ――それに続いて、ドズルがゼナ・ミアと結ばれれば、政治偏重の一家だと云うイメージは払拭されるのかも知れないが、それにしても、キャスバルはまた別のことだと、皆は考えているに違いない。

 そう云う考えに乗っての、カーンのこの科白なのだろうが、

「生憎と、私は粗忽者でして。妻を放置して逃げられた男に、嫁ぎたい女などございますまい」

 それに、カーンの娘と云う立場を振りかざして、構ってくれと駄々をこねられても困る。国を、組織を家族よりも愛する男であると、理解しない女を迎えて、また出ていかれるのも面倒だ。それならば、はじめから結婚しないと云うのも、ひとつのやり方だと思うのだ。

 それより何より、“妻の父”と云う立場でもって、カーンにムンゾの政治を牛耳られるのも戴けない。和平派らしいカーンは、確かにあの“馬鹿手議員”どもよりはましだろうが、既に権力の中枢近くにあって、この上ザビ家との婚姻関係を望むとなれば、自分が取って代わるのだと云う野心が、まったくないとは思われない。

 確かに、一年戦争までの道筋は、実質ザビ家が敷いたのだが、それを姻戚の立場から動かそうとされても困る。今まで入念に構築してきた計画を、個人の功名心だけでふいにされたくはない。

 戦いが済んでから、迫ってくるのは勝手だ――もちろん、こちらは受け入れる気はない――が、そんなことで折れると思ったら大間違いだ。

「最初の結婚で、私も少々懲りました。キシリアや“ガルマ”には相手もあることですし、私はもう少し落ち着いてから、考えることに致しますよ」

「何と勿体ない。女が家を守ってくれると思えばこそ、思う様仕事にあたることもできますぞ」

「そうですな。ランバ・ラルの妻のような女性が他にあれば、とは思ったこともございます」

 カーンは目を見開いた。

「それは――その、クラウレ殿のことを……?」

「まさか。こちらに欠片も関心のない女だ」

 その科白を一蹴する。

「ただ、クラウレ――まぁ、今は私の“義娘”ですが、あのような気性の女があればな、と思うだけです。ランバ・ラルだけしか眼中にない女を娶ったところで仕方がない」

 云いながら、尾鰭はひれがついて流布されそうな話だなと思う。まぁ、それで余計な女を追い払えるなら、それはそれで構わないか。

 案の定、カーンは目を見開いた。

「……未練があるとも取れるお言葉ですな」

「お好きなように」

 どうせ、噂好きの連中は、火のないところにでも煙を立てるのだ。

「単に私は、双方の意に沿わぬような結婚はしないと云うことです。どうせ破綻することになるのなら、するだけ手間と時間の無駄だ」

 そして、お互い不愉快な思いをすることになるのだし。

「家庭と云う安らぎを、お求めにはならないと?」

「私は、ムンゾのためなら家族を見殺しにすることも厭わない男ですよ」

 片頬を引きつらせるように、笑いかけてやる。

「例えば娘御を娶ったとして、私の反対勢力にマレーネ殿が人質に取られたとする――連中は、こう要求する、“妻の生命と引き換えに、軍総帥の座を辞すように”と」

「……は」

「連中は過激派で、例えば闇雲に戦争を求めているとする。奴らの云いなりになればなれば、ムンゾは策もなく戦争に突入し、億の国民が死ぬことになるかも知れない――そのような場合、私は妻を見殺しにして、奴らを逮捕、あるいは射殺するよう命令する。マレーネ殿は生き残るかも知れないが、死ぬほど恐ろしい思いをするだろうし、運が悪ければ死ぬだろう。……さて」

 言葉を失ったマハラジャ・カーンに、薄く笑みかける。

「貴殿は、このような男に、愛娘を嫁がせたいとお思いになりますかな?」

 家族よりも国を愛する男などに。

 カーンから、返る言葉はなかった。

 そちらに一礼すると、これで終わりと示すように、踵を返してその場を辞した――沈黙の中に、男を置き去りにして。

 

 

 

「すまなかった!!」

 執務室を訪れるなり頭を下げたのは、義理の息子になった男、ランバ・ラルだった。

 クラウレ・ハモンとのハネムーンから帰ったと思ったら、すぐさま実父の起こした事件の後始末に追われることになったらしい。

「親父の後始末にかまけて遅くなったが――すまなかった、俺の不手際だ」

 深々と頭を垂れる。

「まぁ、そこは猛省してもらおうか。――とは云え、予期されたことではあった、私に対しては、そこまで気にすることはない」

 まぁ、キシリアはねちねち云うだろうがな、と云ってやると、ランバ・ラルは、苦虫を噛み潰したような、笑顔を作り損ねたような、微妙な表情でこちらを見た。

「……もう云われてきた」

「なるほど、シャアに謝罪にいってきたのか」

 それで、隣りにいた――何と云っても婚約者だ――キシリアに、ここぞとばかりに厭味を云われたか。

 まぁ、キシリアとしては、“弟”の次に愛する男を、ジンバ・ラルのせいで危険に晒すことになったので、いろいろと云いたくなる気持ちはわからぬでもないが。

「いや、俺の監督不行届故に、そこは仕方ないと云うか、当然のことだとは思っている。……それはともかく、キシリア・ザビは、あんなに甘い女だったか? シャアが横から口を出したら、煮崩れた砂糖菓子みたいなことになってたが……」

 腑に落ちぬと云いたげな顔で、ランバ・ラルは首を捻った。

 まぁ、想像はつく。シャアが“僕も無事だったんだし、あまりラルさんを責めないであげて”などと云えば、シャアには甘いキシリアのことだ、相好を崩してシャアを褒め、云われるまま、とまではいくまいが、とにかくいつもの百倍くらい甘い処断で終わらせるのだろう。

「……まぁ、あの二人は婚約を決めたばかりだからな。云っては何だが、あのキシリアが、砂糖を吐きそうなほどに甘い顔をしているぞ」

「……それは見た」

 複雑そうな顔。

「あのキシリア・ザビが、と云うような顔だったな。恋をすると女は変わると云うが――」

「まぁ、あれはシャアに対してだけで、他はいつもどおりだと聞いているがな」

 そうでもなければ、軍上層部に籍を置き続けることなど適うまい。そのあたりは、正しく“氷の女”である――最近はやや融け気味だが。

「それはともかくとして、お前にも云っておかねばなるまいな。いずれ起こるだろう連邦との戦いにおいて、キャスバルと“ガルマ”をMSに乗せ、前線に出すつもりだ」

 ダイクン家の警護を担当し、自身もまた軍人である男に、“今後の日程”を軽く告げると、目を見開かれた。

「戦場に出すと云うのか、あいつらを!」

「そうだ」

「ザビ家の息子とダイクンの子を? 奴らは後方にあって、指揮を執るべきなんじゃないのか」

「兵士を戦場に送り出すよりも、自分もともに戦った方が気が楽だ、と云う考えもあり得ると云うことだ」

 そう云う気持ちはわからぬでもない――親しい友や知人たちを戦場に出し、自分は後ろに控えるしかない、と云うのは、情に厚い人間にはなかなか厳しいことであろうと思う。

 原作の“シャア・アズナブル”は、理解者を求めない男だった。自身の正体を仮面の下に隠し、唯復讐のためだけに、戦場を駆け、軍功を立て、ザビ家の懐にもぐりこんだ。“シャア”に友はなく、心から愛したものも――ララァ・スンを除いては――なかったはずだ。

 その孤独は、哀しいものではあったかも知れないが、失うものがなにもなかったことで、離別の哀しみをさほど味わわずに済んだのは、あるいは良かったのかも知れなかった。親しいものを、己の手で死地に追いやるのは、覚悟を決めていても辛いだろうからだ。

 だが、この時間軸のキャスバルは、シャア・アズナブルやリノ・フェルナンデス、ジョニー・ライデンやシン・マツナガなど、友と呼ぶべきものたちを手に入れてしまっていた。

 先日は、かなり強い言葉でキャスバルに覚悟を持てと迫ったが、実際にそのような立場に立つのは、戦争がはじまって、ややあってからのことになるだろう。

 それでも、あのように詰め寄ったのは、他人――使用人でもなく、軍における部下――の上に立つ訓練を、キャスバルがほとんど受けていないことに気づいたからだった。使用人――ある意味では、家族のような――とは違う、規律正しい動きを要求すべき目下のもの。本来ならば、それは父親が手本となって、背中を見せるように教えていくものだったはずだ。

 だが、父親であるジオン・ズム・ダイクンは早世し、かれは母親に育てられることになった。もちろん、実の母親の手で育てられたことは、キャスバルに精神の安定を与えたが、同時に、戦う男としての覚悟を奪った部分もあったのではないか。

 ――まぁ、ジオン・ズム・ダイクンが既に亡い以上、男親がいないでは、仕方ないところではあるのだが。

「――だが、キャスバルは少しばかり脅かし過ぎたかも知れん」

「……何をした?」

「したと云うよりも、云った。友を戦場に送り出すのはお前なのだと」

 云うと、ランバ・ラルは舌打ちした。

「ストレート過ぎるんじゃないのか、お前」

「それは認める。だが、そろそろ上に立つものとしての覚悟を決めてもらわねばならん頃合いだろう」

「――それについては、俺も甘かったのは認める」

 何と云っても、キャスバルに一番近い“大人の男”は、このランバ・ラルだったのだ。そこは当然、認めてもらわねばなるまい。

「とは云え、やはり血縁者でないとなかなか、な」

「まぁ、“ガルマ”もいて、やりたい放題だったからな」

 それはそれで、幸せな少年時代だったはずだとは思う。

 しかしながら、

「そろそろ、軍人であること、政治を志すことの厳しさも知ってもらわねば、学生気分の延長でことにあたられては、下のものに示しもつかん」

「まぁな、部下を持てば、その生活もこちらにかかってくる」

 その言葉に、原作の中でのこの男の名科白を思い出す。

 ――わしの出世は、部下たちの生活の安定に繋がる。

 WBを撃墜すれば二階級特進だ、と云う言葉の後に続いた科白である。

 原作に於いては、ザビ家との確執もあり、不遇であったランバ・ラルだが、部下を思う良き上官であったことは、この科白からも明らかだった。いや、あるいは不遇だったからこそ、その自分についてきてくれた部下たちを、ことさら気にかけていたのかも知れないが――いずれにしても、世のサラリーマンたちから、このような上司が欲しいと思われたのは理解できる。

 だがまぁ、それはあくまでもこの男の部下目線での話であって、キャスバル、そしてアルテイシアからすれば、少々厳しくても、基本的にはやさしい“ラルおじさん”だったのだろうと思うのだ。

「お前のそのようなところが、きちんとキャスバルに伝わっているといいのだがな」

「弟には云わんのか」

「あれはあれで、そう云うところはできている」

 少々過剰なまでに。だからこそ、部下がこちらに反旗を翻すようなことにもなるわけなのだが。

「キャスバルは、その点、狭い“家族”だけで生きてきてしまったからな。使用人の使い方はわかっても、部下の扱いはこれからだ」

「お前はキャスバルに、少しばかり求め過ぎているんじゃないのか?」

 ラルは云って、首を傾けた。

「確かに、部下をちゃんと扱うことは、上官にとっては必須のことだが――あいつは、まだ士官学校生だぞ。軍に入るにしても、いきなりどうこう、ってわけじゃあるまい」

「だが、悠長に成長を待つ時間はない」

 原作より早いペースで物事が進んでいる、この時間軸では。

「――どう云うことだ」

「これも、お前には云っておこう。ムンゾは、近いうちに連邦と開戦することになるだろう。早ければ、キャスバルたちが士官学校を出てすぐにでも」

 原作よりも激烈に、“暁の蜂起”が戦乱を呼びこむことになるだろう。

「キャスバルが、戦場で自覚するのを待つ暇はない。今から、軍人であり、兵たちを指揮する側の人間であると意識させなくては、キャスバルはこの戦いを乗り切れんだろう」

「……ガルマは良いのか」

「云っただろう、あれは、そのあたりの覚悟はできている」

 戦場で指揮官であると云うのがどういうことか、兵たちを前線に送り出すのがどういうことかは。

「足りんのは、キャスバルの覚悟だけだ。それを、あと一年でどうつけさせるか、だが」

「待てんのか」

「待っては、徒に兵が死ぬことにもなりかねん。無自覚であることほど恐ろしい罪はない」

 上に立つもの如何で、兵は生きも死にもする。当然のことながら、兵も良い上官のもとに配属されたいと願うし、上官が誰かによって、士気もまた変わってくる。“常勝将軍”などと綽名される上官を持てば、士気があがってその部隊はまた勝つだろうし、逆もまた然りである。

 そして、これはどんな組織においてもそうであるが、上官、上司が部下をきちんと認識しているかどうかで、やはり士気は変わってくるものだ。誰でも、自分を人間として、きちんと認識してくれる上官を好ましく思うに決まっている。人間として認識すれば、非-人間的な扱いなどできなくなるし、兵を捨石にするような作戦指揮はできなくなる――まぁ、根本的に作戦指揮が下手な士官の場合は、それ以前の問題になるが。当人の人格は宜しくても、“常敗将軍”などと呼ばれる人間の下につきたいとは、普通の兵はなかなか思うまい。

 ランバ・ラルは、腕組みして、うぅむと唸り声をあげた。

「普通ならば、“求め過ぎだ”と云うところだが……確かに、キャスバルの立場では、そうも云ってはいられんか」

「あぁ」

 普通の名家の子息であれば、多分そこまで要求されることはなかっただろう。

 だが、キャスバルはジオン・ズム・ダイクンの子であり、またザビ家の庇護下にあるものでもある。どちらも、今のムンゾを象徴するものであり、自然、人びとの期待も大きくならざるを得ない。であれば、他の士官学校生よりも、求められるものが多くなるのは、これはもう仕方のない話なのだ。

「キャスバルに対しては、皆、過大に求めるようになるだろう。それを、すべてクリアすることは難しくとも、“流石はダイクンの子”と云わしめねばならんのだ。そのためには、甘い気持ちでいてもらっては困る」

「お前が、キャスバルの父親みたいだな」

 にやにやと云われるが、その側面は否定できない。

 そして、

「それは、お前とて同じだろう」

 つまり、キャスバルは、二人の“父親”持ちだと云うことだ。厳しいギレン・ザビと、少しは甘いところもあるランバ・ラルと。

 そう云うと、男はひょいと肩をすくめた。

「違いない」

「仕方ない、これは、持てるものに課された義務なのだからな」

「“noblesse oblige”と云うヤツだな 」

「お前とて、憶えはあるだろう」

「あぁ。まぁ、実践しているヤツばかりとは限らんがな」

「だが、キャスバルは、それが許される立場ではない」

「そう云う意味じゃ、あいつはガルマよりよほど不自由な生き方をしなけりゃならんのだなぁ」

 しみじみとラルが云った、ところで、扉が忙しなく叩かれた。

「閣下!」

 タチ・オハラの声である。緊迫した響き。

「どうした」

「今すぐお逃げ下さい、ガルマ様がこられます!」

「何」

「何だ何だ、襲撃か?」

 ランバ・ラルが、片眉を上げる。

「ある意味ではな」

「ガルマとか云わなかったか」

「“ガルマ”の襲撃だ」

 キャスバルに勝手についてきた時に、結局顔すら合わせないままだったのだ。それで“ガルマ”がくると云うのなら、多分、物理の“話し合い”のためだろう。

 ――冗談じゃない!

 “ガルマ”はかつて格闘技をやっていたのだ、インドア派のこちらとは、練度が桁違いなのである。そんなものに“物理の話し合い”など、ほとんどされるがままに傷めつけられるに決まっている。

 そう云えば、とランバ・ラルを見る。原作軸で、結構な殴り合いを繰り広げ、一対多で勝利をおさめていたこの男であれば、“ガルマ”を抑えこむこともできるのではないか。

「ランバ・ラル」

「何だ」

「今から“ガルマ”が、私を狙ってここを襲撃してくる。悪いが、“ガルマ”の始末はお前に任せた」

「って、お前は」

「逃げる」

「逃げるぅ!? ここはお前の家だろうが!」

「だから、あれも簡単に帰ってきているのだ」

「閣下! お早く!」

 焦れたのか、デラーズが扉を開けて促してきた。もちろん、その横にはタチもいる。余裕がないところを見ると、もう間近に迫っているのだろう。実際、表の方から、何やら騒ぐ声が聞こえる。

「今いく。――任せたぞ、ランバ・ラル!」

「お、おい!」

 手を伸ばしてくるのをすり抜けて廊下に出ると、向こうの角の先まで、“ガルマ”は迫ってきているようだった。

 息を潜めて、しかし急ぎ足に、ザビ邸を出る。鉢合わせないように、裏口へ回って。

 裏門につけてあった車に、急いで乗りこむ。デラーズが運転席に、助手席にはタチが坐り、そのまま車はなめらかに走り出した。

「……危機一髪でしたね」

 タチが、汗を拭いながら云い、デラーズがそれに頷く。

「まったくです。部下たちが、何とか妨害できたようで、何よりでした」

 なるほど、デラーズ配下のものたちが、総懸りで進路を塞いだが故に、“ガルマ”はこちらに追いつけなかったのか――そして、今、この車内にデラーズとタチの二人しかいないのも、その総懸りの故であるのか。

「……後は、ランバ・ラルがどれほど頑張ってくれるかだな」

 鉄オル世界におけるクランク・ゼントほどではないが、“ガルマ”は、ランバ・ラルには若干の苦手意識――但し、説教されている時だけ――もあるようだったから、うまくすれば、あのままガーディアンバンチに送り返されてくれるのかも知れない。本当に、そうであってくれれば良いのだが。

「然様でございますな。――この後はどちらへ?」

「議事堂へやってくれ」

 元々、この後は議会の方に顔を出さなくてはならなかったのだ。本当は、もう少しゆっくりするつもりだったのだか、もうこのまま行くことにしよう。

「承知致しました」

 デラーズが応え、ハンドルを切る。

 車はゆっくりと、議事堂へと向きを変えた。

 

 

 

 さて、身近な人間にこそ、今後の流れを告げはしたが、まだまだムンゾ中、あるいは議員全体にでも、現状を詳しく語るわけにはいかない。

 よって、議会では、まぁお定まりの攻防戦が繰り広げられることになるわけだ。

 軍事費が多すぎるだの、機密費の内訳を公表しろ――したら“機密”ではなくなると云うのにだ――だの、仕方ないことだが、やかましい。

 まぁそれはそれとして、最近じわじわと増えているのが、“ムンゾ独立運動”に関するあれこれだ。

 独立運動そのものは以前からあり、キャスバルと“ガルマ”が拉致された時や、あるいは自分が狙撃された時などに、間欠泉のように沸き上がってはいた。

 但し、いずれも長続きはせず――もちろん、こちらが裏から手を回して、鎮火にあたったためでもある――デモや、大規模な集会には発展しないままに終わってきた。準備が整わないのに開戦にもつれこむことになっては困るからだ。

 が、そろそろ機は熟しつつある。“暁の蜂起”――これだけ様々なことが変わってしまった今となっては、果たして原作のようなかたちで起こるのかどうか怪しいが――の頃に、独立の機運が最高潮になるよう導いてやらねばならぬ。

「正直に申し上げますと、何かあればすぐに大規模なデモが起こる可能性はあると思います」

 などとタチは云うが、“可能性はある”で開戦まで漕ぎつけることはできない。確実に、明白に、国民が開戦を望むようにならなければ、戦いがはじまってから挙国一致体制に移行するのに差し障りが出てくる可能性はある。

 元より、知識階級と云うのは非戦派が多く、メディアも――それが一般大衆に許容されるかはともかくとして――そう云う人びとに意見を求めることが多い。一般大衆は勇ましくやれば良いが、そうでない人びとにもある程度は支持されなくては、とても戦争などやれるものではない。

 と云って、太平洋戦争時の日本のように、言論統制などで無理矢理に非戦派を封殺しては、後に禍根を残すことになるから、そのあたりも考慮せねばなるまいが。

 つまり、合法的に、そして国民の支持を十二分に得た上でなければ、戦争などはじめられぬと云うことである。独裁政治によって開戦すれば、それこそヒトラーのような扱いを受けるだけだ――そうでなくとも失敗すれば、事実はなくとも“独裁者”と謗られることもあるのだし。

 とにかく明確に、明白に戦わねばならない状況にしなくては、今の知識人たちも、後世の歴史学者たちも、これからの戦いを肯定はするまい。

 しかし、さて、ガーディアンバンチで士官学校生と連邦駐屯軍がぶつかり合うためには、今の状況は、なかなか生ぬるいものがある。カイ・シデンにかつて云われた“ムンゾ内の失業率の上昇”も、社会全体に不満を抱かせるほどではない――大企業を潤した金が、徐々に隅々までいきわたりつつあるので――し、原作の事故が、漫画の方でもアニメの方でも構わないが、起こったとして、果たして開戦をと求める運動にまで発展するのだろうかと思う。原作軸では、それを鎮圧しようとした連邦軍が、市民に発砲したり何だりで騒ぎが大きくなったわけであるのだから。

 ――さて、どうしたものか。

 正直に云えば、事故のラインはあまりありがたくはない。コロニーの破損が伴うので、下手をすれば結構な数の人命が失われる可能性があるからだ。

 それに、コロニー同盟がかなりの力を持ちつつある昨今では、原作軸ほど連邦軍が傍若無人に振るまっているわけでもないので、そもそもあのような――入港の慣例法に背くような――こともなくなっている。

 もちろん、直接的な軍事力を保持しているのは、未だほぼムンゾのみではあるが、今や各サイドは独自に経済力などを強化しつつあり、連邦側としても、無闇にことを荒立てるのはマイナスにしかならなくなっているのだ。

 故に、原作軸よりも、連邦軍はかなり動きを慎重にしているようだ。そのため、事故などの不測の事態は、この時間軸では起こり難いように思われる。

 それはもちろんありがたいのだが、そうなると、何が切欠で一年戦争――そもそも、この時間軸で、本当に“一年戦争”になるのだろうか?――の火蓋が切られることになるのだろう?

「――何をお考えですかな」

 何故かともに昼食を取っていたマツナガ議員が、そう問うてくる。やはり何故かともにいる、ダルシア・バハロも問いかけるまなざしだ。

 ちなみにこちらはポルチーニ風クリームパスタ、マツナガ議員は日系らしく松花堂弁当、ダルシア・バハロはクラブハウスサンドである。松花堂弁当が、この時代まで生き残っているのは、なかなか驚きだ。

「……この先、ムンゾと連邦の関係がどうなるのか

と」

 議員食堂だったので、誰の耳があるかもわからない、迂遠な云いまわしにしたつもりだったが、この二人にはそれで何もかもが通じたらしい。

「なるほど、それはなかなかの難問だ」

「どこまでを想定されてのことなのか、そちらが気になりますな」

 ダルシアが、ちらりとこちらを見る。

「どこまでもここまでも」

 この男の目が苦手だと思いながら、肩をすくめる。

「思うままになどならぬものだと、己の眼力のなさを噛みしめているだけです。神託でも降りてくるなら良かったのですが」

「神託! 神頼みとは、らしくもありませんな!」

「神にでも何でも、縋りつきたい気分ですよ」

 むろん、“神は自ら助くるものを助く”とやら、自分で動かなくてはならないのは百も承知だが。

「相手がある以上、いくらこちらが画策したところで、乗ってこなくては意味がない。と云って、予想以上に乗ってこられても、それはそれで対応が後手に回る可能性がある。悩ましい限りです」

「それは……確かに」

「この先千年を見通す目が欲しいものです」

 あるいは、運命すらも操る神の手か。

 院政期の頂点であった白河法皇は、“賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの”と云う、所謂天下三不如意を口にしたそうだが、そこまででなくとも、多少いろいろと意のままにならぬものかとは思ってしまう。

 あるいは、原作のラインを外れたのの時間軸の先を見通し得る、透徹したまなざしが手に入れば。

「今も、ムンゾでは随一の“未来を見通す目”をお持ちでしょうに、贅沢なことですな!」

「これでは、とてもとても足りませぬよ」

 千年とまではゆかずとも、せめて五十年先まで見通すことができたら良かったものを。

「そう云われますが、では、どれほど先が見えておられるのです?」

「――半年ですかな」

 一年戦争が終わるまでの歳月、と云いたかったが、既に原作のラインと違いすぎている。一年戦争開戦どころか、“暁の蜂起”のはじまりすら予期できないでは、お手上げと云うよりない。

「むろん、長期の展望と云うべきものはございますが、それが果たして近いラインをとおって推移するかと云うと――あくまでも“希望的観測”と云うよりございませんので」

「……これはこれは」

 ダルシアが、わずかに目を見開いた。

「私はまた……ギレン殿は、もっと策謀を十重二十重に巡らせておられるものとばかり」

「巡らせた策謀が、すべてあたるわけではございませぬからな」

 正直、これでもかなり知恵を絞っている――まぁ、“悪知恵”、と云うよりも“悪賢さ”だが――と思うのだが、所詮は未来を見通せるものではない、場当たり的に動いていると云う方が正しいくらいなのだ。

「しかし、おっしゃるとおりでこれならば、千年を見通せば、どれほどのことが適うのでしょう」

「いや、さほどは変わりますまいよ」

 結局、千年先が見えたところで、目前の些事に目が届きにくくなるだけのことだ。江戸城無血開城をなし遂げた勝海舟は、既に日清戦争の頃、後の太平洋戦争を示唆するような発言をしていた――もちろん、否定的な意味でだ――が、福沢諭吉に『瘠我慢の説』とやらで突っこまれていたくらいだ。もちろん、福沢諭吉のことは嫌い――大体、同時代の同郷人に“あんな風にはなるな”と云われるのは、どれだけ評判が悪かったのかと思う――なので、その評価自体はどうとも思わないのだが。

 ともかく、見えたからと云って、すべての陥穽を回避できるわけではないので、意味がないと云えば意味がないのだが、それでも足掻かずにはいられないのが人間と云うものだ。

「僧侶や仙人であれば、もっと達観できるのでしょうがな」

 生憎と只びとである身では、望むべくもないことである。

「だが、僧侶も仙人も、現実を動かす力などは持たぬ。そうではありませんかな?」

 マツナガ議員の言葉に、ダルシア・バハロも頷く。

「そのとおりです。政に関わる我らだからこそ、現実にもみくちゃにされも、また現実を動かしもすることができる――そうではございませんか」

「……確かに、然様でございますな」

 そうではあるのだが。

 平たく云うなら、

「……正直、疲れました……」

 一度、全部投げて、つまりは卓袱台返しをして、逃亡できたら楽なのだが、と思わずにはいられない――もちろん、そんなことなどできるわけもないのだけれど。

 大体、ここしばらく、ニタ研の人体実験やら、“ガルマ”の場外乱闘やら、“馬鹿手議員”どものあれこれやら、“ガルマ”の襲撃やら――半分が“ガルマ”のやらかしではないか、どう云うことだ――、面倒ごとばかりな気がする。

 否、それは、鉄オル世界に飛ばされたところからずっとなのかも知れなかったが。

「しっかりされよ、ギレン殿! 応援いたしますぞ!」

 マツナガ議員が励ましてくれるが、それで復活するようなら、とうの昔に元気いっぱいだ。

「――お気持ちだけ、ありがたく頂戴致しましょう……」

「お手伝いできることがございましたら、何なりとおっしゃって下さい」

 ダルシア・バハロも云ってくるが、この男に、ガルマと対抗できるような悪知恵があるとも思われぬ。

「あぁ、お気持ちだけ……」

 と云いながら、ふと思いつく。

 “ガルマ”に意趣返しをするのなら、こちらも向こうを襲撃すれば良いのではないか?

 なに、別に“ガルマ”のように、物理でどうこうする必要はない、例えばパイや小麦粉の袋をぶつけるとか、その程度で構わないのだ。格闘技やら何やらは、到底“ガルマ”に敵わない、であるからには、子どもの悪戯――それこそピンポンダッシュのような――のようなもので構わないから、何か返してやらねばなるまい。

 そう思うと、これはなかなか良いアイディアであるように思われてきた。

 ――よし。

 とりあえず、作戦を練ることにしよう。これ以上、あれにしてやられてなるものか。

 いきなり含み笑いをはじめたのを、マツナガ議員もダルシア・バハロも、ぎょっとしたような顔で見つめてくるが、構うことはない。

「見ていろ、“ガルマ”……!」

 それこそ、“旧世紀の言葉で「ギャフン」と云わせてやる”だ。本格的な戦時体制に入るまでに、一矢報いてやらねば、溜飲を下げるどころではなくなってしまう。

 握り拳をかためる姿を、二人が何とも云い難い表情で見つめてきたが、それには特に意を払わず、残りのパスタを絡め取ると、それが“ガルマ”であるかのように、強く噛みしめたのだった。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 17【転生】

 

 

 

 爆発した。

 

 プレゼントが爆発した。

 もう一度言おう。

 天使たちからのプレゼントが、爆発した。爆発、したのだ。

 

 事のあらましはこうだった。

「『――プレゼント? あの子たちから?』」

 寮の私室に届けられたそれに、飛び上がるほど喜んだ。

 “ギレン”の急襲に失敗してから半月ほど経ってのことだ。

 誕生日でもクリスマスでも記念日でも無いけど、日頃のお礼なんだって。

「『キャスバルはこっちで、おれのはこれだね』」

 綺麗にラッピングされた小箱を、矯めつ眇めつ、あらゆる角度から愉しむ。

 落ち着いたリーフグリーンの包装紙。リボンは、おれのがネイビーで、キャスバルのはカーマインだった。

 ――なんだろう?

 ワクワクする。

 手渡す先で、キャスバルがバリバリと包装紙を剥がした。ヲイ、もうちょい丁寧に剥けよ。

「『そうだな。……あぁ、メッセージカードもついている』」

 指に挟んだカードを、ヒョイと差し向けてくるから覗きこめば。

「『寄せ書きだ! ……みんな、字が上手くなったねぇ。ふふ、可愛いなぁ』」

 “いつもありがとう”とか“大好き!”とか。定番だけど最高に嬉しい言葉が並んでる。

「『……おれのには、何て書いてあるかな?』」

 期待と、ちょっとだけ不安でドキドキしてるおれを尻目に、キャスバルはサッサと箱まで開けてしまった。

「『ふぅん……万年筆だ。インクも入ってる』」

 その手が翳したものに目を見張る。

 深紅の艶も美しい万年筆。使い勝手を重視することで知られる老舗の一品だ。

「『わぁ、奮発したな!』」

 比較的手に入りやすいメーカーのそれではあるけれど、子供らにとっては決して安い買い物じゃなかったはずだ。

 お小遣いを貯めていたのか。

 欲しいものを我慢したんじやないのかな。

 あの子達が、おれたちのためにって思ったら、ちょっと涙が滲んできたよ。

 万年筆なんて、一生使える物じゃないか。

「『おれのも、そうかな?』」

 高鳴る胸を抑えながら、そっとリボンを解く。

 包装紙を丁寧に剥がし。

「『……せ〜の』」

 ヒョイと箱の蓋を開け――。

「『ッ!? ガルマ!??』」

「『……っぷ』」

 その、白く埋め尽くされた世界をなんと言い表そう。

 天使たちからの贈り物だったはずの箱から飛び出したのは、小麦粉爆弾だった。

 それはおれの顔面にぶち当たって、あたり一面を染め変えてる。

 ゲホガホと噎せこむ息を必死で整えれば、ポロリと涙が溢れた。

 何? 何が起こったの……?

 呆然と視線を向ける先、箱の裏蓋に貼られている一枚の写真を見つける――タチ・オハラとその一党の、物凄くいい笑顔の集合写真を。

「『…………クソ鳩共がッ!!!!!!!!』」

 面識ある面々は顔出しで。それ以外は小馬鹿にしたような仮面をつけて。

 アイツらの仕業か。なんて嫌がらせだ。箱にバネ仕掛けで小麦粉袋を仕込みやがった。

 ん。怒り狂うと、ほんとに体ってワナワナ震えるんだね。

 何してくれやがるの。おれの天使たちをダシにしやがって。

 ひどく醒めたような、冷めたような、焼き切れるような気分。

 箱の隅に仕掛けられてたカメラも見つけて叩き潰す。

「ガルマよ、子供らから何か送られてきているぞ……ガルマァアッ!???」

 部屋を訪れたドズル兄貴の悲鳴が上がるけど、ちょっと取り繕ってる余裕無いわ。

 肚の底で“獣”が咆哮する。

 良かろう、ならば戦争だ。狩りだ。“鳩”共め。一羽残らず毟ってやる。喰い殺してやるよ。

 殲滅の為の100のプランが明滅した。

「『ガルマ、少し落ち着つけ』」

 駄々漏れの思考波にキャスバルがドン引いてる。

 ラップトップに飛びついたおれを、キャスバルが羽交い締めにして、シャワーブースに引っ張っていこうとする。

「『脱げ。そして流せ。ついでに頭も冷やせ』」

「『“鳩”を焼き払ってからだ!』」

「『部屋を粉まみれにする気か』」

「『もうなってるだろ!』」

「『これ以上はよせと言っている』」

 狭いブースでギュウギュウ押し合い、ギャンギャン遣り合ってると、ドズル兄貴がおろおろしながらも首を突っ込んできた。

「何があった」

「ギレンの悪戯ですよ。おそらく」

「……何をやっとるんだ彼奴は」

 理解できないと言うように、首を振ってため息をついた兄貴は、俺の頭に手を置いた。粉で汚れるのも厭わずに。

「ギレンには俺から言っておく。お前はとにかくそれを落とせ。子供達からの贈り物は、俺が預かってきた。シャワーを浴びたら渡してやる」

 太い指が宥めるように撫でてくる。

 そうか。プレゼントは無事か。

 置かれた手のひらにグリグリと頭を擦り付けてから、頷く。

 よく粉を払ってからシャワーを浴びたけど、ダマダマになって手間取った。

 なんとか落とした後も、ブース内の片付けが面倒だった。

 ぐったりとして出てきたら、部屋の中の粉っぽさは無くなっていた。

 モップとかの掃除用具は出しっぱなしだったけどさ。

「『それは君が片せよ』」

 疲れた顔でキャスバルがため息をついた。

「『はいよ。りょーかい』」

 お掃除ありがとう。

 ドズル兄貴はもう居なかったけど、机の上には小包が置かれていた。

 さっきのそれと寸分違わぬ包装にドキドキする。

 急いで掃除用具を片付けて戻って来て、ネイビーブルーのリボンにそっと手を伸ばした。

 仕切り直しだ。

 しゅるりと衣擦れの音を立ててリボンは解けた。リーフグリーンの包装紙を丁寧に剥がすと、メッセージカードが現れた。

 “大好き!”って、最高の言葉だよね。

 おれも大好きだよ。

 今度こそ嬉しい気持ちで涙ぐむ。

 そっと開けた箱の中には、キャスバルとお揃いの万年筆があった。

 おれのは濃紺の色合いで、光にかざすと、深い青みがトロリとした艶を増した。

 金色の筆先はスタンダードで、どんな用途にも合うだろう。

 ――お礼の手紙を書こう。

 もらったメッセージみたいに、心に届く言葉が書けたらいい。

 だけど最初は、あの子達の名前、それからキャスバル、お前の名前を書くことにするよ。

「『宝物だ』」

 ふふふふふふ、ふふ、ふふふふふふ……

 段々、笑い声の響きが変わっていく。

 この宝物を、アイツら、あんな風に扱いやがったんだ。

「『万死に値する』」

「『……まだ怒りが鎮まらないのかい』」

 呆れ声だったけどさ。

「『何で鎮火すると思うの』」

 万年筆を恭しくしまってから、おもむろにラップトップを開いた。

「『ほどほどにしておけよ』」

「『……プレゼントは無事だったからね』」

 ぎりぎりリカバリーが可能な範囲にしといてやるさ。

 ポチッとな。

 別件で仕込んでおいた仕掛けを流用して発動させれば、物凄いビープ音が鳴った。

 無視して強行する。

 ラップトップは静かになったが、その後で、とんでもない数のメッセージが送りつけられてきた。

 攻撃に気づいた“鳩”たちからだ。

 どうせ捨てアカだからと、落として捨てる。

 バイバイ“鳩”共。

 ――せいぜい慌てふためくが良い。

 おれの逆鱗に触れてこの程度で済んでるのは、ひとえにプレゼントでこの心が慰められたからだ。

 アムロ達に感謝しなよ。

 明日は朝一で、あの子達にお礼のお手紙を書かなくちゃ。

「『……おやすみ、キャスバル』」

「『このまま寝るのか』」

「『寝るとも』」

 疲れたんだよ。

 のそのそと寝台に這い込んだおれを、キャスバルの呆れ顔が覗き込んできた。

「『……本当にリカバリー可能な範囲だろうな?』」

「『へーきでしょ、奴ら、優秀らしいし』」

「『まあ、そうだな』」

「『そうだよ』」

 無能なら“ギレン”が飼ってるわけないんだし。

 枕に頭を乗っければ、気絶するみたいに眠りに落ちた。

 

 

 さて。そろそろ“鳩”は切り離そう。

 もともと“ギレン”に近況を知らせるつもりで繋いでたけど、こうもつつかれると、お互い気に触るし。

 “ギレン”の状況ならヤツらを介さずとも手に入るし――つか、どうせ奴らはくれないしね。

 そんなこんなで、“鳩”共をすべてシャットアウト。何もかも隠蔽すること1ヶ月。

 さぞかし清々しい気持ちで過ごしているんだろうと思いきや、何故か、目の下に濃い隈をこさえたタチ・オハラに急襲された。

 学校まで乗り込んできた“伝書鳩”の頭目は、おれの腕を引っ掴んで相談室へと連れ込んだ。

 あまりの剣幕に、いつものメンバーは、キャスバルを呼びに走って行ったらしい。

「おい、ガルマ・ザビ」

 敬称抜けてるって、何?

「どういう育ち方をしたらあんたみたいな悪魔が生成されるんだ。錬金術か? ザビ家の全ての悪辣さを煮詰めたのか?」

「なにうちのことdisってくれてんのさ」

「俺がディスってるのはあんただけですよ!」

 えええ。そんなに怒鳴らないでくれたまえよ。

「どうしたの、タチ? 別にこの前のいたずらのお詫びで来たわけじゃないんでしょ?」

 小首を傾げる。

 何なの、心当たりないんだけど。最近お前たちに何も流してないし、押しつけたりもしてないじゃないか。

「謝って済むなら、謝ったっていいんですよ!」

「そんなにキレられても。何なの? 何に追い詰められてるの?」 

 そりゃ仕返しで全データのパス上書きしてやったけど、あの程度のセッションハイジャックなら、翌朝には復旧してたじゃないか。

 それくらいで揺らぐお前らじゃないだろ?

 本気で思い当たる節がなくて、目をパチクリとしていたら、まじまじと覗き込んできたタチが、ものすごく大きなため息をついた。

「無自覚だったよこの坊っちゃん…」

 だから何がさ。

 温厚なおれ――みんなは否定するけどさ――だってそろそろ怒るよ?

「あなた達が煩わしいって言うから、厄介事を押し付けるのだってやめてあげたのに、何の文句があるって言うんです?」

 唇を尖らせる。

 タチは目をひん剥いた。

「それですよ! あんたが暗躍している気配はあるのに、ちっとも情報が上ってこない。後手後手に回って、こっちはてんやわんやです!」

 何を勝手なことを。

「調べるのはそっちの十八番でしょ?」

 “伝書鳩”って、詰まるところ“ギレン”の諜報機関じゃないか。

「他にもやることが満載なんです! なんで、上司の弟の悪巧みに、我々が戦々恐々しなきゃいかんのです!?? 敵か!?? 敵なのかあんた!???」

 バリバリと頭をかきむしるタチに、ちょっと引く。

「ええ〜」

 そんなこと言われたって。

「大体、今までのあれが、近況報告のつもりだったなんて誰が思うんです? あんたのしでかすことに疑心暗鬼になった部下が二人も倒れましたよ……」

 ガックリと肩を落とされてもなぁ。

 目を細めて眺める。

「……わかりました。程々に知らせれば良いんでしょ」

「暗躍しないって選択肢は無いんですか」

「無いよ。あると思うの?」

「悪魔め…」

 恨みがましい顔されても、こればっかりはさ。おれはおれにできる準備を最大限頑張ってるだけだし。

「“報連”を心がけます。それで良いでしょ?」

「“相”が抜けてますよ。“報連相”です」

「はぁい」

 心掛けはするよ、一応。

 タチはフンと鼻を鳴らした。

「ついでにお聞ききしますがね、いまは何をたくらんでるんです?」

「年がら年中悪巧みしてるみたいに言わないで欲しいな」

「あんたの思考は基本が悪巧みなんですよ」

 もはや息をするかの如くに、悪態を吐き出すタチである。

「酷いなぁ。別にいまは何も。仲間の底上げにかかりきりですよ。時間がないもの」

「閣下も仰ってますね、時間が無いと」

「でしょうね」

 この時間軸じゃ全てが前倒しで進んでいる。

 引き締めて引き締めて、“暁の蜂起”まで暴走させないようになんとかコントロールしてるんだよ。

「……閣下といいあんたといい、一体何が見えてるんですか?」

 歯痒そうな声だった。

「見ようとしてるだけです。“ギレン兄様”はより良い“未来”を。僕は勝つための“戦場”を」

「同じではないと?」

「同じだったらこんなにすれ違ってないよ」

 ため息が落ちる。着地点は遠からずだけど、おれと“ギレン”では、その経過が大きく異なるからさ。

「大丈夫。大枠では同じ方向を向いてる…はず」

「大枠過ぎるでしょう!」

 タチが叫ぶのと、ほぼ同時にノックがあって、ドアが開いた。

「キャスバル、来てくれたの」

「タチがすごい剣幕で君を連れていったと聞いたからな」

 部屋に入ってきたキャスバルが肩をすくめた。

「それにしても、酷い隈だな。タチ、休めてないのか?」

「察して下さいよ。あなたも、ちゃんとコレの手綱をとれって言われてたんじゃないんですか」

「悪さはさせてないぞ」

「隠蔽してるだけじゃないですか」

 ヲイこら。“コレ”って何だよ、そして“コレ”をスルーすんなよキャスバル。

 プクリと膨れる。

「その件については、いま手打ちをしたはずでしょ。蒸し返さないでよ」

 ふんすと鼻を鳴らしてから。

「丁度いい機会だから僕からも訊くけど、“ギレン兄様”の見解は? 開戦時期について、さ」

 キャスバルの瞳にも真剣な光がともる。

 おれたちに見つめられて、タチは小さく肩を竦めた。

「あるいは、あなた方が卒業されたらすぐにも、と」

「やっぱりね」

 下手すりゃ“暁の蜂起”が、そのまま開戦の火蓋になりかねないってことか。

 こりゃ殊更慎重にコトを進めないと。

「ついでに、最近、“ギレン兄様”はなにか動いた?」

「と、言いますと?」

「誰かを呼び出したとか、なにかをコッソリ命じたとかさ」

「……守秘義務がございます」

 タチがプイとそっぽを向いた。

「なるほど、あったんだ」

「どういう事だ?」

 訝しげな表情のキャスバルに苦笑いする。

「ん。多分、おれたちの上が決まったかな」

「誰だ?」

「さあ? ……ね、タチ。図太くてちょっと素行に問題がありそうな将校って誰かいる?」

 どのみち、“ギレン”の考えそうな事ってそんなトコでしょ。

 おれたちが少しくらいやんちゃしても、然程ダメージくらわなさそうな相手をピックアップしてるはず。

 元の時間軸のガルマはマ・クベについてたけど、今回は外される筈だ。

 おれの希望としては、優しくて強くて格好良いドズル兄貴だけど、配属先としては、流石に身内贔屓が過ぎると見做されるだろうし。

 それはランバ・ラルでも同じ事だから、そうなると、消去法で。

「強靭な精神力かつ、最悪潰しても“ギレン兄様”の懐が痛まなさそうな輩ってどの辺だろ?」

「ゾンジアゲマセン」

 うわ。凄い棒読み。

「……いるんだ」

 やだなぁ。ロクデナシ確定じゃないのさ。

「いいよ、ドズル兄様にお聞きするから」

 願わくば、与しやすい相手であってほしいものだね。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 3年次は、演習や模擬戦闘に明け暮れていた。

 ゴリラとかゴリラとか、脳筋とか、頭脳派だけどゴリラとかが量産されるわけだよ。

 その過程で、ちょっと予想を超えて、3回生の結束は強固なものになっていった。

 一糸乱れぬゴリラの群れ。何それ頼もしい。

 そんなこんなで、とうとう駐屯兵との模擬戦闘が行われる運びとなった。

 演習の内容を通達された時には、思わず鼻で笑っちゃった。

 対等に戦うつもりなど欠片もないのだと、馬鹿でもわかる兵力差。

 まあ、竹槍で戦闘機に挑むほどの差ではないけどね。

 鼻白む面子を宥めつつ、薄く笑う。

「これで勝ったら気持ちが良いだろうね」

 その一言に、皆の目の色が変わった。

『どうするつもりだ?』

 キャスバルの思考波が触れてくる。

『概ねお前の頭の中の作戦と変わらんよ。ただ、メンバーをちょっといじらせて欲しい』

『配置をか?』

『そ。特攻はライトニングじゃなくて、ロメオに。ライトニングは遊撃に使いたいんだ』

『ロメオで行けるのか?』

『彼は“できる子”だよ。加えて特攻の指揮はシンが良いな』

『それならな。で、君はどうする?』

『奪った拠点でお前の指示を待つさ』

『遊撃する気か!?』

『ライトニングのお株を奪うみたいで悪いけど、おれも行くよ』

 この辺りで実績を作っておきたいんだ。後々のためにさ。

 と、ここまでは思考波の高速会話である。

 文字通り一つ瞬くうちに、全ての計算を終えたんだろう。

 キャスバルがニヤリと笑う。

 内なる闘争心が滲みだすみたいな、獰猛だけど、見惚れるほど綺麗な顔。

 つられて口の端がつり上がった。

 居並ぶ3回生の前に、堂々と立つキャスバルの斜め後ろに控える――見た目だけなら副官か参謀みたいで格好良いだろ。

「まともにぶつかれば勝ち目はない。だから奇襲を行う。特攻の先鋒はロメオとゼナ、指揮はシンで行く。君たちは可能な限り速やかに拠点を落とせ。そこが反撃の要になる。極めて重要なミッションだ。心して当たってくれ――良いな」

「任された!」

「……俺が?」

「ッ、はい! 必ずや!」

 力強く頷くシンと、信じられないとでも言いたげなロメオ。それから高揚に頬を赤くしたゼナが。

「リノとケイとルーは陽動の指揮を。クムランは敵方の支援を叩け。ベンは何とか持ちこたえさせろ。各班は直属系統の指揮に従え」

「おっし、めいっぱい引き付けてやるぜ!」

「はっはー、煽んのは得意だぜー」

「程々にしときなよ、ケイ」

「君も相当だからね、ルー。分かったよ、僕とベンでブロックしてみせるよ」

「……やる」

 ワイワイと、やる気たっぷりの面々である。

 リノは器用だし、ケイは情報戦に特化してる。ルーの閃きと即断に適う奴は中々いないし。

 クムランとベンのコンビは防衛にかけてはピカイチだし。

 それぞれの班に振り分けられてる一同も、ギラギラした目で力瘤を見せつけてる。

「俺は?」

 一人名前の出なかったライトニングが右手を上げた。

「君は遊撃だ。ガルマと行け」

「ちょ、こいつとか!?」

 動揺したのはライトニングだけじゃなかった。

「ガルマが!?」

「本丸で指揮をとるんじゃないの?」

 リノやクムランまで、驚いたような声を上げるし。

 級友たちの、ザワザワとさざ波みたいな戸惑いの気配に苦笑する。どんだけひ弱だと思われてんのさ、おれ。

「でも、これが一番効果的なんだよ」

 敵方の動きに応じて反撃する――悪知恵勝負だね。

 おれのアドバンテージが、一番に活かせるから。

「危険だろうが!」

「そうさ。だから、ちゃんと守ってよね」

 パチリとウインク――うげぇと吐く真似をしないでくれないか、ライトニング。

「やってくれるな? ガルマ。ライトニング」

「『りょーかい!』」

「しっかたねぇなあ!」

 不貞腐れたみたいにライトニングが叫んで、腕を振り上げた。

「おら野郎ども、姫さん守るつもりで行くぞ!!」

「「「「「「「「「「「おう!!!!」」」」」」」」」」

 遊撃隊に振り分けられた連中が呼応するけどさぁ。

「……そこまで弱くないつもりだけど?」

 って、みんな聞いちゃいねえ。

 キャスバルも笑ってないで訂正してよね。

 ぎゅぎゅっと眉根が寄った。

 

 

 晴れである。

 練習当日の天気は、どこまでも清々しくコントロールされていた。

 駐屯兵と向かい合って立たされる。

 居並ぶ隊員たちの大半は真面目くさった顔をしているけれど、ヒヨコどもに胸を貸してやるんだと、中にはニヤニヤと煽ってくる輩もいた。

 煽り返すつもりで、にっこりと微笑んでやったのに。

 ヲイこら、なに顔を赤くして手ぇ振ってきやがるんだよ。

『……君、“ホイホイ”なのをもう忘れたのか?』

『!? そういやそうだった……』

 肌が粟立つ。最近無かったから忘れてた。

 本家のガルマほど愛嬌はないし、秀麗さはキャスバルに劣るけど、柔和に作った表情のせいか、今でも一定数引っかかってくる輩はいるんだった。

 ――気をつけよ。

 特に口笛吹いて投げキッスしてきたアレ。

『キャスバル、アイツ潰して』

『自分で潰せ』

 ――……冷たいわー。

 それはさておき、今回の作戦はスピード勝負だ。

 長引くほど戦力差が響いてくるから、敵にカバーする間を与えずに、一気に拠点を奪えなければ、全てが水の泡。

 勝利するためには、戦闘開始から間を置かず、特攻部隊と遊撃隊が、それぞれのタイミングで攻撃を完璧に通す必要がある。

 常識で考えれば、いかに軍務に就くことを前提に教育されてきた士官候補生といえど、実戦を経験したことがない学徒に完遂できるミッションじゃないんだよね。

 フフフ。

 だけど舐めてもらっちゃ困る。

 おれたちは、ただ漫然と軍人になろうとしてきたわけじゃない。戦うための術を磨いてきたんだ。

 おれとキャスバルが無茶ぶりしてきたせいで、みんな、それどんなシチュエーションだっていうような滅茶苦茶な作戦を強いたって、ついてこれるだけの実力を身につけちゃってるんだよ。

 なんちゃって歴戦の強者。

 開戦の号令と同時。

「『征け、諸君!』」

 キャスバルの号令下、おれたちは一斉に飛び出した。

 ケイの直下には予測計算の天才がいる。だから、砲弾の軌道はほぼ予測値に等しい。

 陽動班は、逃げ回ってるように見えて、早々に沈められるようなもんじゃないさ。

 派手に走り回るリノたちに苛立ってか、敵本隊からはドンドンバンバン砲撃の大盤振る舞いである。

 いいね。すっごく引き付けてくれてるよ。

 予想以上に好戦的。まるでおちょくってるのかって動きで、ヘイトは鰻上り。

 やり過ぎかも……。

 あれは今後の課題のひとつかな。煽りすぎて潰されると困るし。

 ああでも、ベンたちが神サポートを展開してる。

 一見、乱戦に見えて、駐屯兵が俺たちを見失ったその隙に、シンが率いる特攻部隊がポイント4に迫っていく。

 陽動に兵力割きすぎて、ちょっと手薄なんだよ、ここ。予想通りで有り難いわー。

 ん。良いタイミング――だけど。

「ライトニング、気付かれた。砲弾が来る前に稜線射撃! 急いで!!」

 如何に手薄とはいえ、あっちの火力をもってすれば、2小隊くらい抑え込むことは可能だろう。

 ――反撃なんてさせるもんか。

 遊撃隊は、特攻援護のために、既に射程圏内の丘に待機済みだからね。

「もう狙ってるぜ! 撃て!!」

 ライトニングが獰猛に吼えた。

 号令と同時に、戦車が一斉に火を吹いた。

 01小隊のゼナ・ミアと、03小隊のロメオ・アルファ。その間を縫うように、敵拠点に向けて集中砲火を浴びせてやる。

 迎撃を潰されて、浮足立つ連中の中に2隊の同朋が突っ込んで行く。

 然程に間を置かずに。

〈こちら01小隊ゼナ・ミア。P4を奪取しました!〉

〈02小隊ロメオ・アルファ。これよりこれより弾着点を観測します!〉

 ん。奪取成功。

「よっしゃぁ!!」

 拳を振り上げるライトニング。小隊の面々も喝采を叫んでる。

「ほら、気ィ抜かない! 反撃はここからだよ!」

 ここが1つ目のターニングポイント。この機を逃さずに行くよ。

〈『キャスバル、陥とした!』〉

〈『ああ。砲撃用意、効力射、撃て』〉

 迫撃砲が発射され、ドォンと、大きな土煙が上がる。模擬弾とは言え、敵からの悲鳴は本物だった。

 観測点を手に入れたいま、その攻撃の精度は格段に上がってる。

 しかしながら、敵だって、当然ここを奪い返そうと襲い来るわけだ。

 勝負は、いかにここを防衛するかに掛かってる。

 戦場を透かし見る。

 “阿頼耶識”は無いけど、不思議と遠くまで見えるんだ。

 味方と敵の動きが、つぶさに伝わってくる。

『キャスバル、お前にも見える?』

『ああ。君が見ているものが』

 コレってニュータイプの能力なのかな――よく分からんけど、使わない手はないよね。

 キャスバルの思考波が、おれの“視界”を浚う。

 戦域のほぼ全てをカヴァーできるセンサーがあれば、自軍の助けにもなるし、敵軍の弱い所を見つけるにも有利だ。

 陽動班が、キャスバルの指揮で役割を切り替えていく――動きがガラリと変わった。

 だけど、相変わらず集中砲火を浴びてるのは。

「……煽り過ぎたな」

 案の定、先に潰してやろうって、ムキになってる輩が居るね。

「ライトニング、今度あっちねー」

 リノ達のほう。

 拠点はキャスバルとシンに任せとけば、暫くは保つでしょ。

 今度は壁役を助けないと。

 さあ、最速で走り回れよ戦車。申し訳程度しか数が無いからさ。

「すげぇいい加減な指示なのに、バッチリ分かるんだよな…」

 ライトニングがぼやく。

 でも、そうね。3年目ともなればね。

 さ、遊撃の本領発揮といこうか。

 基本はクリーピングして稜線射撃。気付かれて追われても、今度は陽動班が一斉砲撃に転じる。

 追い詰めてたつもりだろうけど、お前たちが居るのは追い込まれた袋小路さ。

 敵分隊は引き離して撃破する。

 その間にも、敵本隊に向けて迫撃砲が撃ち込まれ続けてる。

 ジリジリと削られていく駐屯兵の戦力。

 ね、蟻に喰い殺される獅子の気分はどう?

 奴等の動きには、余裕が見られなくなってきた。

 ときどき飛んでくる通信には、〈馬鹿な!〉と〈まさか!〉と〈なんだと!?〉が満載。あとは芸の無い罵倒文句――語彙少ないね。

 ここへ来て、クムランとベンのブロックもジワジワと効いてきてるし。

 そろそろかなー?

〈『これより総攻撃を開始。01、02小隊は観測を継続。03から07小隊は分隊を足留め。残りは一気に本隊を叩け』〉

 了解、と、異口同音に返る中。

『行けるな、ガルマ?』

『とーぜん。如何なる命令も果たして見せましょうとも』

 さあ、おれの手綱をとってみなよ、“My Load(我が君)”。

 なんて、ね。キャスバルが含み笑う気配。

 当初は圧倒的だった戦力差は、今となっては意味を成さない。

「さぁクライマックスだ。気を抜かないでよ」

「誰に言ってんだ」

 ライトニングが鼻を鳴らした。それから表情改めて。

「陥とすぞ!」

 応じるのは、声が枯れるんじゃないかってくらいのウォークライ。

 反撃は来るけど、この場ではおれたちの方が火力が強い。

 分隊と分断してやったから、援護はもう来れないんだ。あとは“頭”を潰すだけ。

 戦車は最大速度で本陣まで突っ走る。

 砲撃はもちろん、歩兵連中だって自動小銃の掃射の嵐。

 模擬弾から飛び散るペイントで、飛び出してくる駐屯兵達が真っ黄色に染まっていく。

 生徒にも犠牲は出るけど、もう流れは変わらない。

 偽物だけど、ある種、地獄絵図みたいな光景。

 本当なら蜂の巣になって、引き裂かれて、ひき潰されて、バラバラにぶっ飛んでる。

 慈悲も容赦も、迷いさえない蹂躙。

 凄惨な幻臭がくる――本当は土埃と火薬の臭いだけなのに。

 学生達より、余程にホンモノを“知っている”だろう兵士たちの目に浮かぶのは、怒りや闘志よりもむしろ怯えだった。

 動ける敵がいなくなったその場を、ゆっくりと見せつけるように進む。

 信じられないものを見るような視線が追いかけて来るけど、ま、“慣れてる”しね。

 少し高い台の上に登って、優雅に見えるように一礼。おっとりと微笑んで。

「『敵本部制圧完了』」

 インカムから報告すれば、戦闘域全域から勝どきが上がった。

 “あの時間軸”といまの違いは、純粋に仲間たちの練度だ。

 一匹狼だった“シャア・アズナブル”は、生徒たちを捨て駒のように使ってたけど、ここでは違う。

 キャスバルは指揮官だ。その肩に同朋の命を背負ってるんだ。

 出来る限り味方を損なわず、敵を叩くこと考えた結果がこれだ。

 被害をゼロにすることは、そりゃできなかったけど、確かに最低限に抑えることができた。

『ね、気分はどう?』

『……まだまだ錬れそうだな。だがまあ、そう悪い気分でもない』

 ん。妥当かもね。

 さてと、で、敵さんはどう出るのかな。

 おとなしくここ退くのか、泥沼覚悟の抗戦に出るのか。

 なかなか鳴らない演習終了のブザーに、肩を竦めて鼻を鳴らした。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 17【転生】

 

 

 

 しかしながら。

 計画は早々に頓挫した。

 タチとデラーズ、ことにタチが、非常に強く反対したからだ。

「絶対にお止め下さい!」

 語気も激しく、タチは云った。

「敵地に自ら飛びこんでどうなさいます! 無謀です! 私は断固反対です!!」

 拳を振り回し、熱弁を振るってくる。

「……デラーズはどうだ」

「私も、賛成は致しかねますな」

 こちらも、渋い顔である。

「いかんか」

「タチではありませんが、危険過ぎます。ガルマ様は、士官学校生を掌握しておられるのでしょう? となると、返り討ちに合う可能性は高いと考えられます。仮にも軍総帥である閣下が、返り討ちに合うのは外聞的にも宜しくはありませんな」

「外聞はともかく、やられるのは確かに面白くはないな」

 特に、返り討ちでなど。

「そうでしょうとも!」

 タチは強く頷いた。

「とにかく、御自ら襲撃されるのはお止め下さい! ……代わりにと云っては何ですが、私に策がございますので」

「策」

「はい。“伝書鳩”は、皆こぞって参加するでしょう」

 にやりとその唇がつり上がる。

「このところ、われわれ“伝書鳩”もガルマ様にいいように使われてばかりですからね。情報提供はありがたいですが、余計な仕事ばかり押しつけられて、本来の業務に支障が出るのは戴けません」

 と云うタチ本人も、いろいろと思うところはあるのだろう。

 まぁ、そうだろうとは思う。“ガルマ”が情報をよこすのは構わないが、とにかく説明はないし、裏づけもその後で取らなくてはならないし、裏が取れたとしても、さらにそれをどう活用するかと云う問題も出てくる。

 云っては何だが、“ガルマ”は相手を殲滅したい方であり――だから、往々にしてやり過ぎるのだ――、また戦術能力的にそれが可能である。それが良くないと思うのだ。

 “ガルマ”は自身を臆病だと云うが、それで殲滅されては、やられた方の残党は地に潜み、いずれその首を掻っ切ってやると心に誓うだろう。それでは、いつになっても平穏など訪れない。平穏とは、須く小知恵と妥協の産物なのだ。臆病だからと云って、相手を叩き過ぎないこと、窮極的には、それが肝要であるのだと思う。

 が、まぁ、それは政治の問題である。今求められているのは、“ガルマ”に対する確実かつ効果的な制裁なのだ。

「案と云うが、一体どのような?」

 デラーズも首を傾げている。

 タチは、またにやりと笑った。

「閣下のお宅の子どもたちを使います」

「まさか、子どもたちに何か手伝わせるのではなかろうな」

 あの子たちは聡いので、片棒を担がせようとしても、気づいて“ガルマ”に注進してしまう可能性があるのだが。

 そう云うと、タチは首を振った。

「そんなことは致しませんよ。――閣下から子どもたちに、提案して戴きたいことがあるのです」

「何だ」

「つまり、ですね……」

 と、その“策”のあらましを語られる。

 聞き終えたデラーズは、低く唸った。

「それは……確かにガルマ様ならば、警戒はなさらないと思うが」

「そうでしょう? 下手にわれわれが絡むと、上手くいかないのは目に見えておりますからね! 我ながら良い策だと思うのですが」

「確かにな」

 “ガルマ”は、子どもたちには甘い。元々、庇護対象には甘過ぎるほど甘い――そのせいで、“昔”は子どもらのやんちゃに手を焼いていた。完全に自業自得だったし、周囲にもそれは云われていた。

 流石に、アムロやゾルタン、フロリアンたちはそこまで甘やかされてはいない――そもそも、それができるほど近くにいない――が、実情はほとんど変わらないはずだ。つまりは、恐ろしく無防備になると云うことである。

 妙に勘の良い“ガルマ”であるから、実害のありそうな、怪我や何かをしそうなものには引っかかりをおぼえるだろうが、そうでないなら――勝機はある。

「――なるほど、面白い」

 お前に一任する、と云うと、タチは恭しく頭を下げた。

「お任せ下さい。必ずや閣下の御意にかなうように致します」

 

 

 

 半月ほどの後、タチから動画の添付されたメールが届いた。メールなのは、本文も何もなく、動画も機密でも何でもない――いや、見ようによっては機密事項かも知れないが――ものだったからだ。

〈――プレゼント? あの子たちから?〉

 “ガルマ”の、驚きと喜びの入り混じった声。画像が黒い、のは、これが恐らく“プレゼント”の内部に仕掛けられたカメラだからだろう。

〈キャスバルはこっちで、おれのはこれだね〉

〈そうだな。……あぁ、メッセージカードもついている〉

 こちらはキャスバルの声。

 他の声はなく、まわりにざわつきもない、と云うことは、これは二人の自室なのだろう。そう云えば、ドズルから二人を同室にしたと聞いた憶えがある。ザビ家の子と、隠してはいるがダイクンの子である。それくらいの配慮は、確かにあって然るべきだろう、が。

〈寄せ書きだ! ……みんな、字が上手くなったねぇ。ふふ、可愛いなぁ〉

 ガサガサと包装紙を開ける――と云うよりも、多分破く――音。

〈あぁ、万年筆だ。インクも入ってる〉

 先に開けたらしきキャスバルが、子どもたちの選んだプレゼントを見せているようだ。

 そう、確かにあの子たちは、万年筆とインクのセットを選んでいた。キャスバルには深紅、ガルマには紺の、エナメルの美しい万年筆。キャップのホルダーは、確かK10鍍金のシンプルなものだった。

 学生である今は使う機会は少ないだろうが、いずれ政治の世界に入る時には、署名などで使う機会も多いからと、子どもたちに勧めてやったものだ。

 子どもたちにとってはなかなか高価な贈り物だが、万年筆としては割合にリーズナブルな銘柄である。尤も、老舗の商品には違いなく、実際、現役の議員の中にも、同じブランドの万年筆の使いこんだものを未だに愛用している人物もある。つまりは一生ものの贈り物と云うわけだ。

 インクは耐水、耐光のブルーブラックで、こちらはどちらも定番のものにしたようだ。まぁ、赤やら紫やらのインクでは、調印式などでは使えないから、無難なところに落ち着いた感じではある。

〈わぁ、奮発したな!〉

 “ガルマ”の浮き浮きした声。そうして、おれのはどうかなと云いながら、箱を開けた。

 次の瞬間。

〈……ぅわっ……ぷ〉

 白が画面を埋め尽くした。正確に云えば、箱を開けた“ガルマ”の顔に、小麦粉が直撃したのだ。

 上半身を真っ白に染めた“ガルマ”と、驚愕に目を見開いたキャスバルが映る。

 一瞬の沈黙。

 の後、

〈……〜〜〜クソ鳩〜〜〜〜ッ!!!!〉

 地獄の底から響くような“ガルマ”の声と、

〈おぉ、ガルマ、お前の子どもらから、何か届いて……ガぁルマぁっ!!?〉

 ドズルの叫び、そして拳がカメラに接した、と思った次の瞬間、音声も映像もブツッと途切れ、そのまま動画は終了した。多分、“ガルマ”がカメラを叩き壊したのだ。

「……ご満足戴けましたか」

 と、前に立ったタチがにやりとした。

「あぁ、溜飲が下がったな」

 この目で直に見られなかったのは残念だが、こうして動画を見るだけでも違う。

「ところで、“ガルマ”はお前たちの仕業と確信していたようだが、どうしてだ?」

 子どもたちからの贈り物に仕掛けをするなら、確かにザビ家まわりであるには違いないだろうが、それにしても、即確定されるほどではないはずだ。

 と云うと、

「実は、中に“伝書鳩”の写真を貼ってありまして」

 ガルマ様にお会いしたことがある、含みのある面子は顔出しで、あとは仮面で集合写真を撮りました、と云う。

「なるほど」

 見たことのある面子がいるなら、それはどのあたりの差配なのか、一目瞭然だ。そして、画像加工ではないから、そこから素顔を割り出すこともできない。

 しかしながら、

「……後で報復がくるかも知れんぞ」

「その時はその時です」

 タチは平然として云った。

「われわれとしても、ガルマ様に意趣返しできたので、少しすっきり致しました。先日、キャスバル様とともに来られた時の監視要員などは、快哉を叫んでおりましたよ」

 よほど腹に据えかねていたようです、との言葉には、頷くよりない。

 大体“昔”から、“ガルマ”とこちらの諜報部門とは相性が良くない。上から下まで、大体揉めていた印象がある――否、揉めると云うほどでもないが、反りは合っていなかった。“ガルマ”とても、諜報員を使わぬわけではないと云うのにだ。

「あれは、組織のかたちを、本当の意味では理解していないからな……」

 使いでが良ければ、組織図など無視して声をかける――それは、下の方のものであれば感激することかも知れないが、例えば親衛隊のように、誰か個人の直下であることを誇りとしているものたちにとっては、越権行為を働く無礼な人物、と云う判断にならるだろう。

 今は、ザビ家の御曹司と云うアドバンテージがあるから大きな問題になってはいないが、士官学校を出て、軍組織に組みこまれることになれば、それでは済まされない。

 そのあたりのことを、ドズルからよくよく教えこんでもらわなくては――もちろん、キャスバルからも。

「ザビ家の坊ちゃんでなければ、いろいろと難しかったのでは?」

「難しいどころの話ではない」

 “昔”でも、他処からクレームや苦情や批判などが多々よこされたのだ――そこそこの権限が与えられていたにも拘らず、である。鉄オル世界では、まぁスタートこそ民間警備会社――しかも子どもばかりの――だったのに加え、曲がりなりにもガンダムフレームを操るエースだったので、そこまで軋轢はなかったように思う。が、まぁそれもギャラルホルンに入ると完全にアウトだった。“義父”であったラスカル――ラスタル・エリオンの苦労は、まだ記憶に新しい。

 まぁ、権限のある遊撃隊長と云うのが一番良い立ち位置なのだろうが、それとても、ギャラルホルンよりもよほど普通の軍隊であるムンゾ共和国軍では、少々難しいのではないか。

「――実際軍に入るとなれば、私かドズルの直下以外は厳しいだろうな……」

 直属の上官の胃に穴が開きそうだ。

 原作では、ガルマ・ザビは地球降下部隊の一員として、マ・クベ配下でカリフォルニアに降りたはずだが――正直“ガルマ”では、マ・クベがあまりにも気の毒過ぎる。美術品蒐集を好む智将は、悪知恵と悪賢さばかりの“ガルマ”を相手にすれば、患って入院してしまいかねない。

 コンスコンなどと云うものもあったが、あれはあれで割合常識人のようなので、“ガルマ”の無茶に対応できるとも思われない。

 と云って、“ガルマ”の上が即ドズルでは、他のものたちにも示しがつかぬ。

 ――さて、一体どうしたものか……

 と思ったところで、閃いた。

 いや待て、いたはずだ、“ガルマ”の暴虐をものともしない、ある意味一騎当千の“強者”が。

 ――ガルシア・ロメオ……

 『the ORIGIN』で登場した、ジャブロー攻略の指揮官である。『ガンダムエース』初代編集長をモデルに造型されたキャラクターらしいが、それはさておき、自惚れが強く、僻みっぽく嫉妬深い、なかなか“個性的”なキャラクターだったと記憶している。

 部下としては少々使いづらいタイプであるが、“ガルマ”たちとこちらとの間のワンクッション、と思えば、まぁまぁ適任なのではないかと思う。少なくとも、“ガルマ”を部下にしたところで、胃に穴が開くような繊細さはないだろう、と云う意味において。

 指揮能力に問題があったとしても、そのあたりはキャスバルと“ガルマ”がどうにでもするだろうし、戦いに勝利するのならば、多少好き勝手やられたとしても、ガルシアはそれほど気にはするまい。むしろ、楽をして勝利を手にできてラッキーだとでも思うだろうか。

 まぁ、それくらいの神経の持ち主でもなければ、“ガルマ”の上には立てるまい。

 ――よし、これでいこう。

 士官学校卒業後の“ガルマ”の処遇を決めてしまうと、かなり気が楽になった。

 とにかくあと一年。

 それまでに、ムンゾ独立の機運も、ほどほどに盛り上げてゆかねばならぬ。やらねばならぬことは山積していた。

 

 

 

 とにもかくにも、ガルシア・ロメオである。

 “ガルマ”の件を置くとしても、気になることがあったので、軍の執務室へガルシアを呼び出す。

 ノックの後、

「ガルシア・ロメオ、ただ今参りました! 私に何か御用とか?」

 くしゃくしゃの黒髪に無精髭、目つきの悪い男が、そう云って中に入ってきた。軍服もやや着崩している、なるほど、原作どおりの男である。

 トド・ミルコネンも、狡っ辛いと云うか小狡いと云うか、癖のある目つきの男だったのだが、ガルシアはまた違うタイプの狡っ辛さを感じさせる。有体に云えば、トドは自分的に使いでのある男だったが、ガルシアはそうではないと云うところか。もちろん、今回は、その使いでの悪さが逆に良かったわけだから、何がどこでどう転じるかと云うのはわからぬものである。

「うむ。……実は、我が弟“ガルマ”が、来期で士官学校を卒業するのだが、それを貴官に預けたいと思うのだ」

「は、閣下の弟君をでございますか!」

 ガルシアは、目を見開いた。

 そのまなざしの底には、微かに喜びのいろが混じっている。一方的にライバル視しているマ・クベではなく、自分に“ガルマ”を預けられることに、喜びを見出しているのだろうとわかった。

 まぁ、残念ながら、ガルシアの想定するような“お坊ちゃん”は、存在しないわけなのだが。

「そうだ。“ガルマ”はなかなか難物でな、開発中の新型兵器に乗りたいと云うのだ」

「は、あの、MSにでございますか?」

「そうだ。少々やんちゃでな、マ・クベでは胃に穴が空く、その点貴官であれば、あれを御せるのではないかと思ってな」

 少なくとも、言葉を理解する気のない“ガルマ”を、物理でどうにかしそうな気はする。

「は、光栄でございます!」

 妬みの対象であるマ・クベと比較されての任命に、嬉しいのだろう、ガルシアは鯱張って敬礼するが――まぁ、犠牲の獣のようなものだ、あまり期待されても困る。

 そして、

「それからもうひとつ、貴官に指令を与える。小規模な艦隊を率いて、少しばかり遠方へ出向いてほしいのだ」

「……は」

 ぎょろりとした目が、瞬かれる。

「その……遠方とは、一体どのあたりのことでしょう?」

「サイド7だ」

 そう云うと、ガルシアは、今度こそ鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。

「サイド7とは……真逆のコロニーではありませんか! しかも、建設途中の!」

「そうだ」

「そんなところに、どんな仕事が!?」

「そこに、連邦の秘密工場のようなものがあるのでは、とわれわれは考えているのだ」

「は」

 そう、しかしV作戦とやらのものではない。

 月はともかくとして、この時間軸では、連邦側が艦船や、ガンキャノンなどのMS紛いを作るにも、また試験運用するにも場が限られている。

 そこで注目すべきなのが、原作軸でガンダム開発の場となったサイド7である。

 何しろ、まだ人の居住できるコロニーが二つしかないのだ。他のコロニーの建設資材だと云えば何でも持ちこめるし、完成した艦船を係留しておく場所にも事欠かない。

 そして何より、ムンゾとは地球を挟んで真逆の位置である。こちらが何かを察知して艦隊を動かすにしても、あまりにも遠い。なるほど、V作戦の基地にも選ばれたはずだ。

 はじめから宇宙空間で船を建造してしまえば、原作のようにわざわざジャブローあたりから艦隊を打ち上げる必要はない。もちろん、地上より宇宙での作業の方が危険は多いが、重力がない分楽だと云う考えもあるだろう。

 何より、地球や月ばかり気にする――だろうと思われる――コロニーサイドの目をかい潜って、秘密裏に艦隊を作り、運用することが可能になる。他サイドは建設途中のコロニーに用などない。航行する船舶もなければ、哨戒する必要も乏しい――大規模演習も、月軌道外で可能なのではないか。こちらのサイド7にはガンダムの秘密工場はないのだから、なおのことである。

「そのような情報が、閣下のもとに?」

「憶測の域を出はせんがな。だが確かに、私が連邦軍の首脳陣であれば、サイド7で艦隊を作るだろうな」

「確かに、地球から艦船を宇宙に上げるとなれば、なかなか目立ちましょうからな」 

「そうだ」

 劇場版『the ORIGIN』最終話のEDに、その様子が描かれていたが、ジャブローから打ち上げられる何隻もの艦船の図は、アニメとしてもなかなかに壮観だった。

 あれを、この時間軸でやるとなると、徒に各サイドに警戒心を抱かせることになるのは明らかなことだった。

「そうであれば、建設途中のコロニーと云うのは、いろいろと良い隠れ蓑になるだろうと思ったのだ」

「は」

 ガルシア・ロメオは、微妙な表情で頷いた。

「それで、私にサイド7を探れとおっしゃる?」

「そうだ」

 貴官ならば可能だろう? と云えば、ガルシアは少しばかり胸を張り、たくわえた髭を指先で捻った。

「それはまぁ、もちろんできますけれど」

「けれど、何だ」

「その、連邦の動きを捉えることができましたら、昇進などは……」

 小狡い笑いを浮かべ、ガルシアは揉み手する。何と云うか、わかり易いの一言である。

「貴官は既に将官ではないか。これで昇進を望むとは、ドズルや私を抜きたいと云う思いがあるのかな?」

「めめ滅相もない!」

 慌てたように、男は手を振った。流石にそこまでは考えていないのか、あるいは、野心を持ち過ぎたものとして、粛正されるのを恐れたか。

 ――まぁ、どちらでも良いが。

 どちらにしても同じことだ。佐官であればまだしも、将官となれば、いろいろと上が閊えている。いくらマ・クベをライバル視したとしても、おいそれと同格に上げるわけにもゆかぬ。

「――そうだな、無事に何もかもが終わり、貴官の働きが公になった暁には、無論、そのような査定もあり得るだろう。しかし、今の時点では確約はできん。もちろん、そのことは弁えていような?」

 ちらりと横目で見やると、男は、張子の虎のように、こくこくと頷いた。

「も、もちろんです!」

「我が弟のこともある。見事手綱を取って、武勲を上げれば、無論、昇進も夢ではない」

「は!」

 とは云うが、こと“ガルマ”に関しては、なかなか骨だろうとは考えずともわかっていた。

 現にタチからは、この間の意趣返しについて“伝書鳩”に報復があったと報告がきている。

 報復、と云っても、何か怪情報を撒き散らされたと云うのではなく、“ガルマ”の怪しげな活動の痕跡を、奇麗さっぱり消されたのだそうだ。SNSのアカウントやら何やらから通信記録まで、ひとつ残らず跡形もなく。

 それで、“伝書鳩”たちが疑心暗鬼になって、幾人かはストレスで倒れたと云うから相当である。

 一体全体、“ガルマ”は“伝書鳩”を普段からどう扱っていたのか。

「貴官の手腕に期待している」

 まぁその点、ガルシア・ロメオと云う男は、ストレスで倒れるタイプでもなかろうから、そのあたりは安心なのだが。

「は!!」

 ガルシアは敬礼した。捕らぬ狸の皮算用で、欲に膨れ上がったような顔だった。

 が、

 ――いつまでその顔でいられるかな。

 猫かぶりの“ガルマ”の実態は、もちろん自分まわりしか見知っていないから、こちらがその酷さについて何を云おうと真に受けるものは少ないが――まぁ、自身で実地に経験してみれば、認識も改まるのだろうけれど。

 ガルシアが退出してすぐに、通信端末を起動させる。

「――タチ」

〈……は〉

 音声通話で応えが返る。

「ガルシア・ロメオをサイド7の偵察に出すことにした。その部隊の中に、“鳩”を何人か送りこめるか」

〈……早急に手配致します〉

 いつもの打てば響く返答ではないことに、首を傾げる。映像がないのでわからないが、いつものタチらしくないようだ。

「何かあったか」

〈……ガルマ様のお蔭で、倒れた連中の代替がおりませんで、青息吐息なんです。あの坊ちゃんに、一言文句を云わせて戴いても宜しいですかね〉

 よほど疲労しているのか、あるいは怒り心頭過ぎて、逆に疲弊してしまったか。タチは、普段はしないようなぞんざいな口ききをした。

「それは構わんが――人員は回せるのか」

〈そちらに関しては、何とでも致します。もともと少将殿の麾下にある連中を、こちらに籠絡することだって可能ですからね〉

 あの方の機密を抜いてこいとおっしゃるなら、いろいろ面倒そうだと思いますが、閣下のお望みはそうではないんでしょう、と云う。

「……まぁ、そうだな。本人はともかくとして、麾下がきちんと連邦の動きをチェックしているかどうか、それをこちらに報告して寄越す気があるかどうかが知りたいだけだ」

〈それならば、何とでも致します。――とりあえず私は、ちょっとガーディアンバンチに行かせて戴きます。ドズル閣下にご連絡戴いて宜しいでしょうか〉

 どうやら、自身で文句を云いに行くつもりであるようだ。どれだけ腹に据えかねているのか。

「わかった、ドズルには伝えておく」

〈宜しくお願い致します。――少将殿に関しましては、整いましたら、改めてご連絡差し上げます〉

「あぁ、任せた」

〈では〉

 そう云って、通信は切れた。

 どうも、この間の悪戯が、大変なことになっているようだ。

 まぁ、云い出したのはこちらだが、タチも“鳩”たちも乗り気だったのだし――そのあたりの責任は五分五分だと云うことにしておく。多分、それで大丈夫なはずだ。

 ――何かあれば、また云ってくるだろうからな。

 そのあたりは、適度に遠慮がなくなっているようだ。良いことではある。

 とりあえず、ガーディアンバンチへ出向くタチの便宜ははかってやらねばなるまい。

 通信端末を再度立ち上げ、今度は士官学校にいるだろうドズルを呼び出すことにした。

 

 

 

 ゴップ将軍から連絡が入ったのは、それから一月ほど後のことだった。

 以前ガーディアンバンチで対面してからは、時候の挨拶をやりとりする程度の間柄にはなったのだが――今は特にそう云った時期でもない。さて、いかなる用件があると云うのか。

〈元気に暗躍中のようだな、ギレン・ザビ〉

 ゴップの第一声は、そのような皮肉めいた言葉だった。

「お久し振りです、閣下。むしろ、暴発を抑えるのに必死で、暗躍どころではありませんよ」

 云いながら、“ガルマ”が何かやらかしたかと思う。

 “ガルマ”が連邦との戦い、なかんずく“暁の蜂起”に向けて、いろいろと暗躍しているのは知っていたから、そのいずれかがゴップの情報網に引っかかって、それでわざわざ釘を刺しに連絡してきたのだろうか。

〈よくも云う〉

 憤然と、ゴップは云った。

〈配下の“伝書鳩”とやらを、ガーディアンバンチにやったのは何故だ? あの小賢しい弟を使って、駐屯軍に何やら仕掛けようと云うのではあるまいな!〉

「……あー……」

 ――そっちだったか。

 確かにタチ・オハラをガーディアンバンチにやりはしたが、あれは純然たる苦情申立のためであって、連邦が心配するようなことなど何もないのだが。

 しかし、確かに向こうから見れば、良からぬ企みを巡らしているのではないかと勘繰りたくなるだろう。何しろムンゾ軍総帥の士官学校にいる弟と、直属の部下である。しかも、ゴップにしてみれば、言葉でではあるが、少々やりこめられた記憶があるだけに、なおのこと。

「あれは、部下が“ガルマ”に苦情申立を」

〈ふざけているのか?〉

「いえ、その、私が“ガルマ”に悪戯を仕掛けましたところ、協力した“伝書鳩”にとばっちりが」

〈……は〉

 ゴップ将軍が、ぽかんとした顔になった。

「“ガルマ”はご存知のとおりの質なので、私も部下たちも腹に据えかねておりまして。意趣返しをしましたところ、今度は“鳩”たちに報復を。それで、二人ほどがストレスでやられまして。――部下がガーディアンバンチを訪れましたのは、それに関する苦情を云いにです」

 まぁ確かに、取り合わせと場所を考えると、連邦に対する企てがあると思われても仕方ない、が。

「申し訳ない。だが、流石に悪戯に対する報復がそれでは、仕事にならぬと訴えられまして。直接苦情を云いたいと懇願されれば、無碍にもできませんで」

〈……まぁそうだろうが――どうしてそんなことに?〉

 半ば呆然とした様子で、ゴップが問うてくる。

「ご存知かどうかわかりませんが、あれは初年度から、駐屯軍の兵士たちと揉めごとをおこしまして。その後も学内での規律違反などがありましたので、説教をしていたのですが――先日、自宅であれに襲撃されまして」

〈は?〉

 理解不能と云う顔。それはそうだろう。自宅で、弟に襲撃されたと聞けば、冗談か何かだと思うに決まっている。

 しかしながら、

「冗談などではございません。“ガルマ”はドズルの手を借りてズムシティに戻り、襲撃してきたのです。幸い、事前に察知して事なきを得ましたが、その意趣返しをしましたら、今度は部下の仕事の邪魔をして参りまして」

〈……ザビ家の長兄と末子は、仲が悪いのか?〉

 不可解だと云わんばかりの顔で、ゴップが云う。

 無理からぬことだが、そう云うわけではない。

「あれが勝手をしたがるのを抑えましたら、そのようなことに」

〈兄弟喧嘩と云うことか? それで部下が倒れると云うのは、ザビ家に仕えるのも大変だな〉

「面目ないことでございます」

〈ところで、その悪戯とやらは、どんなものだったのだ? 報復されるとは、よほどのことではないか〉

 興味深そうに云ってくるのは、単なる好奇心か、それとも。

 とりあえず、例の動画を転送してやると、ゴップは微妙な顔になった。

〈これは……意外にくだらない悪戯だな〉

「まぁ、悪ふざけのようなものです。これくらいの戯れで、報復に“鳩”を倒れさせるほどのストレスを与えるのですから、お察し戴きたい」

〈思ったより普通の兄弟、と云って良いものか、悩むな。普通の兄弟は、喧嘩に部下は巻きこまんものだと思うが〉

「面目次第もございません」

 まぁ、ガーディアンバンチの出入りは連邦軍側が管理している――機密もある以上、当然のことだ――から、そんなところへ“伝書鳩”の長が入っていけば、警戒されるのは仕方のないことだ。個別の“鳩”たちとは異なり、タチは立場上、それなりに顔も知れている。

 しかも、その訪問の目的が“ガルマ”との面会――これは、正直に申請したらしい――だ。連邦軍としては、すわ極秘任務かと色めき立ったようだが、もちろんそんな要件ならば、馬鹿正直に申請などするはずもない。

 連邦軍とゴップは、まんまと“ガルマ”に踊らされた恰好になったわけだ。

〈何と云うか、癖のある若者だったわけだな。なるほど、以前見えた折に、もの凄い顔をしていたわけが腑に落ちたぞ〉

 笑いながら云われる。正直、複雑な気分でしかないが、とにかくも、無駄な嫌疑は晴れたように思われた。

「お察し下さい。あの弟に加え、ムンゾ内には、ことさらに連邦とことを構えようと煽り立てる輩もあるのです」

〈そう云えば、先だってはムンゾ大学で、何やらひと悶着あったようだな〉

 なるほど、流石にそのあたりもきちんと押さえているか。まぁ、あれだけの騒動になったのだ、当然と云えば当然か。

「えぇ。若いあたりが、状況を慮りもせず、あのような暴挙に出たのです。お蔭で、議会もザビ家もてんやわんやの騒ぎでした。若さ故の過ちとは、あのようなものを指すものですかな」

〈あの折の速やかな幕引きは、なかなか見事だったな。しかも、拉致された若者の恋物語まで巧みに使って〉

 愉しませてもらったよと云うが、そこまで深謀遠慮を巡らせた挙句のことだったなら、どんなに良かったか。

「あれは――僥倖でした。たまたま、学内にいたTVクルーが、所謂ワイドショーの関係で」

 それで、第一声がふたりの馴れ初めを問う言葉だったから、世間の意識がうまく逸れてくれただけで、実際はかなり危ういものがあったと思う。

 例の“馬鹿手”議員たちは、当人たちや所属政党、会派などがつるし上げをくいはしたが、議会や内閣にはダメージはこなかったので、それに関してはただ胸をなで下ろしたのだ。またザビ家の専横云々と云い立てられては、面倒なことにしかならない。

「まぁ、あれがきっかけで婚約にこぎつけましたので、妹には良かったのかも知れませんが」

〈キシリア・ザビ少将か。“氷の女”も、意外な面があるのだな〉

「そう云うところは父に似たのでしょう」

 “ガルマ”に対する愛情が、キシリアに受け継がれるとああなる、と云う意味で。

〈ほう、デギン殿は子煩悩だと思っていたが、子弟もそうなのか〉

 良からぬことを思いついたような、そしてそれを押し隠したような声。

「そうですな。そう云う意味では、“ガルマ”が一番かも知れません。あれは、自分の庇護下のものに手を出されることを非常に嫌います――その報復たるや、“鳩”に行ったものの比ではないでしょう」

 なので、はっきり釘を刺しておく。ザビ家や“ガルマ”まわりに手を出せば、“ガルマ”からの激烈な報復が待っている、と。

〈そんなにか〉

 ゴップが目を見開いた。

 それに、真面目な顔で頷いてやる。

「はい。もしも、レビル将軍閣下がそのようなことをなさったとしたら……」

〈したら?〉

「あれは、どうにかして閣下のもとに忍びこみ、お休み中の閣下の髭を、全部剃り落としてしまいますでしょうよ」

 かつて、自身の養父であった男の髭を、脱毛クリームで消滅させたように。

 ぶふっとゴップは吹き出した。文句を云ったり窘めたりするより先に、髭を剃られたレビルの姿を思い浮かべてしまい、笑いが堪えられなかったのだろう。

〈レ、レビルがそれなら、私ならどうなるかな?〉

 笑いながら云う。

 確かにゴップには髭がないが、

「閣下ならば、眉と髪でございましょうな」

〈おぅ……〉

 流石に、想像してぞっとしたのだろう、ゴップは思わずと云うように、灰色の頭に手をやった。

〈それはなかなか……なかなかだな。いや、想像して、ぞっとしたぞ。――なるほど、逆鱗には触れぬよう、気をつけることにしよう〉

「互いの平穏のためにも、是非ともお願い致します」

〈そちらも、あまり騒ぎを起こしてくれるなよ。――ではな〉

 そうして、ゴップは通信を切った。

 端末を落としてから、溜息をつく。

「……とりあえず、ガルシア・ロメオの件は、まだばれてはいないようだな」

 椅子の背に身を預けて呟くと、それまで沈黙していたタチが、頷いてきた。

「どうも、そのようですな。まぁ、釘を刺してこられた可能性は高いですが」

 まぁ、タチが“ガルマ”を訪問したのは、ゴップ将軍に告げたとおりの内容だったので、腹芸をする必要はなかったのだが、もしガルシアの動きについて把握されていたら、ポーカーフェイスができたかどうかはわからなかった。

「うむ。まぁ、“まだ”把握されていないと云うだけだろうがな。それでも、偵察する余裕はありそうだ」

「はい。……ガルシア少将の部隊には、“鳩”を一人送りこみました。協力者は三人ほど、そちらは、別のものが統括致します。二手から情報が入りますので、閣下のお望みの精度は確保できるかと」

「うむ」

 いかなあまり航行する船もないような宙域であれ、遠く離れたムンゾの船が出没しようものなら、何だかんだで目について、連邦側に警戒される可能性は高い。

 “暁の蜂起”前にいらぬ騒動を起こさぬよう、ガルシアには慎重の上にも慎重を重ねて行動してもらわなくては困る。

「お前の行動も、連邦には注視されているようだからな。今回のことは、まぁ試金石のようなものだったと云うことで良かったのかも知れないが」

 と云うと、タチは情けなさそうに眉を下げた。

「私としては、いろいろな意味で、二度とご免ですがね」

「そこは同意する」

 まったく、身内の襲撃に恐々とするなど、馬鹿々々しいにも程がある。

「ともあれ、“その日”は近い――情報収集を怠らぬように」

「は!」

 踵をかちっと合わせ、タチは敬礼した。

 ――あと、恐らくは半年ほど。

 “ガルマ”とキャスバルが三年次のうちに、戦いの火蓋は切られるかも知れぬ。

 “暁の蜂起”がどのようなかたち――原作どおりの事故か、あるいは別の発端か――で起こるにせよ、最早猶予はない。

 燻る火種が炎上するまでに、すべての準備を終えなくては。

 かるく手を上げて敬礼に応え、タチを送り出すと、総確認をすべく、すべてのデータを呼び出した。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 18【転生】

 

 

 

 ずらりと整列。

 ニコリと微笑んだら軍監に睨まれた。しかめっ面でも睨まれるし、何がどうあったって睨まれるから仕方ない。

 スルーすれば、忌々しげな視線のまま軍監は口を開いた。

「講評! 本日の模擬戦は諸君ら3回生の履修度の高さを判定するものであるが、おおむね可であると認める」

 ――は?

 あれだけボコボコにされといて、「可」って何さ?

 それは、ここに居る生徒一同の感想だったろう。そこはかとなく不満気な空気が一帯を満たした。

 軍監は、さらに肩を怒らせて声を張り上げる。

「諸君はあれが演習であったことを忘れてはならない。本物の戦闘であれば、拠点は奪い返され、全滅の憂き目を見たのは諸君らである」

 いやいや。そうならんように、第2第3のプランを練ってたから。

 そもそも、おれたちが次のフェーズに移る動きを読み取って、慌てて演習を終了させたのはお前たちじゃないか。

「順当であれば全員は晴れて専修課程を修了し、おのおのの配置に就くことになる。それが諸君の任務の始まりである。連邦とコロニーの離反を図る悪しき扇動が顕在化しつつある今日。諸君らはそれらに惑わされることなく本来の任務を……」

 何か高説振ってるけど、いい加減脳内ツッコミも飽きてきた。

 それに、どうにも隣が不穏で、そっちの方が気がかりなんだよね。

『キャスバル、トゲトゲすんなよ。こんなの聞き流しときゃ良いんだから』

 どうせ小者だ。

 宥めてみるけど、聞く気は無いんだな。

 とうとうキャスバルが一歩前へ出た。

「質問」

 うわ、だからやめろって挑発すんの!

 話を遮られた軍監が、驚いた顔で眉を上げた。

「ん? 質問だと? ……本来ここはそんなものを受け付ける場所ではないが、特別に聞く。言ってみろ」

 いや、そこは撥ねつけてくれて良かったんだよ。

 チラリと横目で見れば。

 あああ。キャスバル、お前完全に喧嘩モードじゃねえのさ。

「ご高配に感謝します。では2点伺います。本日の演習が実際の任務を模したものであるなら、装備において劣勢とされた我々が一体いかなる敵と戦うことを想定されていたのですか。もう1点。軍監殿は、先ほど連邦とコロニーの離反は認めぬと言われましたが、ならば圧倒的に劣勢であるしかない我々スペースノイドの自衛軍とは、所詮コロニー側の弱さを自覚させるための偽装軍隊でしかないのではありませんか」

 うぁあ。

「言っちゃった……」

 リノがボソリと零した。

 うん。言っちゃいやがったね。

 ため息が落ちる。そんなの、みんな最初から知ってた。

 本来なら、今ここにいるおれたちは、貧弱な装備故に駐屯兵に蹂躙され、泣きっ面をさらすことを期待されてたんだ。

 キャスバル、見ろよ、そいつの額。青筋がバッキバキに浮いてるじゃないか。

「――……特別に認めたのは質問だ。しかし今のは質問ではない! 反抗と見なす。所属と姓名を言え!」

 ほらね、激昂しやがった。

「第一斑班長“シャア・アズナブル”」

 その正体は暗黙の了解であるものの、“ギレン”の指示で、卒業まではそう名乗ることになってるんだよね。

 背筋を伸ばし、真っ直ぐに正面を見据え答えたキャスバルに、軍監はわずかに怯み、それを取り繕うようにふんぞり返った。

「軍では上官に対する反抗は許されない。今のうちにその身に刻んでおけ!」

 案の定、頭に血が上った軍監の腕が振り上げられた。

 とっさに飛び出す――キャスバルの前へ。

「『ガルマ!?』」

次の瞬間、頬に衝撃を受けてそのまま吹っ飛んだ。

 殴りやがったね。一応平手だけど。無様に転がったじゃないか。

 いや、受け身は取ってるけどさ。アイタタタタ。唇切れたわ。

「ガルマさん!?」

 クムランの悲鳴が。

「御曹司!」

「ガルマに何を!?」

 ライトニングに、シンもか。

 一同からぶわりと立ち上る怒気を、腕を上げて制す。

 やめて爆発しないで。

 キャスバル、お前も、殺人光線みたいな視線を飛ばしてるんじゃないよ。

 ポンポンと埃を払って立ち上がる。

「……軍監殿。第三斑班長“ガルマ・ザビ”であります」

 自己紹介。いまお前が殴ったの、おれ。ムンゾ首相の末息子で、兄姉もみんなムンゾ要職の、可愛い可愛い末弟だからね。

 真っ直ぐ視線を合わせれば、あからさまに狼狽える素振り。

 だよね、親兄姉の七光り。如何に連邦と言えど、軍監殿の階級くらいじゃ太刀打ちできんでしょ。

 虎の威だろうがなんだろうが、優位に立つなら使う主義。

 一歩前に進めば、軍監の踵がじりじりと下がった。

「先程の“シャア・アズナブル”の質問は、我々一同の疑問であります。本演習において、我々が相対した敵が、果たして何者を想定していたのか、お答え頂きたい」

 さあ、答えられるもんなら答えてみろよ。お前たち連邦が想定していた敵こそが、おれ達スペースノイドだって。

 ――言えないだろ?

 演習でおれ達を痛めつけて、如何に連邦が優勢かを思い知らせてやろうとしていたなんて。

 建前としては、ムンゾは連邦の敵じゃ無いんだろ? スペースノイドも含め、人類を守護するべき連邦軍サマだ。

 軍監がプルプルと震えているのは、怒りと屈辱にか、それとも慄いているのか。

 まさに一触即発。ただの演習のはずが、返答一つで暴動に繋がりかねない。

 その顔は、紙みたいに白いし、引きつって歪んでる。

 おれの中で“おれ”が嗤う。

 ずっと、いつだってくすぶり続けて消えることのない心火が、目の前の男を燃やしてしまえと囁く。

 軍監が目を見開いた。

 ヒューヒューと鳴っているのは、この男の呼吸音かな――聞き苦しいね。

 脂汗も見苦しいし。

 みっともないほど怯えた表情。バケモノを見るような視線が鬱陶しい。

 あんまり、長く見てたくない無い顔だよね。

 キャスバルを殴ろうとしたこと、おれは許さない。けど、まあ、ここら辺で収めてやろうか。

 本当に開戦するにはまだ早いし。

「……それとも軍監殿は、我々がいかなる劣勢であっても、決して怯むことなく、立ち向かう姿を確認されたかったのか――あの装備は、そのためのものであったと仰るのでしょうか」

 用意してやった口上に、軍監は、首振り人形のように頷いた。

「そうだ! 諸君らの不屈の精神を確かめるためである!」

 裏返った声で叫ぶ男を冷たく眺めて、それからにこやかに微笑んだ。

「我々はその期待に応えられたと思ってもよろしいでしょうか」

「無論、諸君は想像以上の働きを見せた!」

「光栄です、軍監殿」

 ピシリと敬礼する。

 これに倣って、学生達も一斉に敬礼した。

「諸君らの一層の研鑽を期待する!」

 心にも無い事を。

 表面上は、何とか格好がついた形で退散していく彼らを見送る。

『……ガルマ』

 咎め立てするみたいな、キャスバルの思考波に眉を寄せる。

『なにさ。元はと言えばお前があんな質問するからだろ』

『……皆の総意だ』

『まぁね』

 駐屯兵が引き上げていくのを確認して、切れた唇に触れる。イタタ。頬もちょっと腫れだしたかな。

 でも平手で良かった。

「ガルマさん、早く手当を!」

 クムランが叫んで飛びついてきた。

「救護班、早く来い!!」

 シン達も、少し騒ぎすぎだよ。

「大丈夫。大したことないよ」

「早く冷やさないと!」

 聞いてないね、クムラン――皆もか。

 グイグイ引っ張られるままに、緊急処置用のテントに連れて行かれる。

 大怪我でもないのに担架持ち出そうとすんな。実は混乱してんのか、リノ。

 隣に並んだキャスバルが、表情の抜け落ちた顔で、熱を持つ頬に触れた。

『庇う必要なんか無かっただろう』

『無いわけあるか』

 おれが目の前で、お前の事を殴らせると思ってんの。

 そのキレーな顔に傷でもついたらどうすんのさ。おれが号泣するよ。

 殴った奴をなますに刻まなきゃならないし。そうなったら、開戦案件になっちゃうじゃないか。

 おれは、今暫くの平和のために頬を差し出したんだよ――だからって、さらに右の頬を差し出す気は無いけどね。

 おれの思考を読んだキャスバルが、呆れたように溜息を落とした。

 痣も傷も無いその顔に、フニャリと笑いが溢れる。

 この顔はやっぱり宇宙の宝だよね!

 

        ✜ ✜ ✜

 

 違和感。

 胸騒ぎとか、虫の報せとか、とにかくイヤな感じ。

 演習が無事に終わり、例によってドズル兄貴から呼び出しを食らったわけだが、当の兄貴が中々来ないなーなんて、待ちぼうけてる矢先のことだった。

 不自然なくらい、鼓動が一つ大きく打った

「『どうした、ガルマ』」

 急に落ち着きを失ったおれに、キャスバルが反応した。

「『分からない。でもザワザワする』」

 ザワザワしてブルブル震えてる。

 腹の底で“獣”が吼えてる。怒り狂ってる。いまにも制御を失いそう。

 ――……“ギレン”?

 “ギレン”に何かあった? 意識の腕を伸ばすけど、キャスバルみたいに繋がらないのがもどかしい。

「『ガルマ、ガルマ!!』」

 上の空のおれに苛立ってか、キャスバルが強く体を揺さぶって来るけど、それすら遠い。

 その時、爆発するみたいな大きな音を立てて、ドズル兄貴が部屋に飛び込んできた。

「ギレンが撃たれた!!」

 その声に、自分が撃たれたような衝撃が。

 やっぱりと思うのと、なんでって思うのは同時だった。

 反射的に飛び出そうとした体を、抑え付けてきたのはキャスバルだった。

「『放せ!!』」

 突き飛ばそうとしたら殴られた。

 挙げ句に馬乗りってお前。

「『いまの君に何ができる! 頭を冷やして状況を見ろ!!』」

 胸元を締め上げられて喘ぐ。空気が足りない。

 浴びせられる声も思考波も意識に痛い。

 猛る意識とは裏腹に、竦んだ体が勝手にボロボロ涙を零した。

 思考と肉體が剥離しそう――以前にもあった。

 感情を制御出来なくなると、身体さえ上手く動かせなくなるんだ。

「止めないかお前たち!!」

 ドズル兄貴がおれ達を引き離して、ぐちゃぐちゃになった顔を覗き込んできた。

「落ち着けガルマ。脅かしてすまん。ギレンは生きている。大丈夫だ」

 飛び込んできた時の形相が改まって、いつもの兄貴に戻っていた。

 自分より狼狽えてる相手を見ると冷静になるって、ホントだね。

 ゴメン、みっともなく取り乱した。

 もうずっと“ガルマ”として生きてるのに、未だに、肉体と意識がずれるのを制御しきれてないなんて。

 兄貴に抱きついて深呼吸。

 ん。目の前がチカチカしてるのが収まってくる。

『……キャスバル』

 こっちに来ておれに触れてて。

 どっかに飛んでっちゃいそうな意識を留めておくれよ。

『……世話が焼ける。意識を少し閉じろ』

『ぐわっ!?』

 そこで頭鷲掴むのありか!??

「こら止めろ! ガルマがまた泣くだろう!!」

 ドズル兄貴が庇ってくれる。

 ふぉう。変な衝撃で、かえって落ち着きが戻ってきた。

「…………“ギレン兄様”は?」

「治療中だ。直に知らせが来る。お前たちはここにいろ」

 頭を撫でられる。

「お前にも医務官を呼んでやる――ガルマ、前にも言ったが、簡単に狼狽えてはならんぞ。お前もザビ家の男ならな。弱みを簡単に晒すな」

「――……はい」

「二人とも、大人しくしていろよ」

 言い置いて部屋を出ていく、ドズル兄貴の大きな背中を見送る。

 だね。自覚はしてるんだ。おれは身内にひどく弱い。何かあれば、すぐに動揺して冷静さを失うくらいに。

 “昔”からその傾向はあったけど、“ガルマ”は特に顕著だ――意識と身体がバラけるなんて、そこまでのことは無かったし。

 多分、元々“おれ”とガルマの乖離が大きいせいだろう。

 何とかしないと。戦闘中にコレが出たら命取りだ。それじゃ守るべきものを守れないじゃないか。

 肺の息を全部出すみたいな溜息をついたら、キャスバルに手の甲をトントンとつつかれた。

「『……ん。落ち着いた。大丈夫』」

「『頬を冷やせ』」

「『……殴ったのキャスバルだよね。さっきと反対の頬』」

「『軍監に打たれたところは避けてやったんだ。君が錯乱するのが悪い』」

 錯乱て……まあそうだけど。

「『ごめん?』」

 イマイチ釈然としないけど、悪いのも確かだから謝るけどさ。

 程なくして医務官が駆け付けて来て、おれの顔を見て盛大に眉を寄せた。ふぉ。眉間の皺レベル・フィヨルド。

「聖書じゃあるまいし、反対の頬まで差し出さなくても良いんですよ、ガルマ・サビ。さっき左頬を治療したばかりじゃないですか」

「お手数おかけして申し訳ありません」

「謝罪など不要です。あなたは謝るだけで反省などしないんですから」

 ふぉおおう。不機嫌モード来たわー。

 キャスバルが一歩下がったけど、痩せぎす医務官の険しい眼は、逃がすまじとギラリと光った。

「あなたも同罪です。“シャア・アズナブル”。なぜすぐに手が出るんですか。口でも勝てるでしょう、あなたなら、コレにも」

 医務官までおれをコレ呼ばわりすんのかよ。

 例によって、キャスバルは肩をすくめるだけだし。

 ぷくりと膨れたら、湿布で押し潰された。痛いわ、もっと優しく丁寧にして。

 手際は良いんだ。雑に見えて適切なのも知ってる。ちょっと…だいぶ痛いだけで。

 恨みがましい視線に気づいたんだろう。

「懲りるように痛くしてるんです」

 ピシャリとテープを貼り付けてきた医務官が、フンと鼻で笑った。

「はい。これでちょっとはマシなお顔になりましたよ」

「両頬湿布とか笑えるんだけど」

 みっともいいもんじゃないし。変な顔。

「だったら自重することです。では、私はこれで。あまり手をかけないで下さいね。お二人ともですよ」

 最後に、そう釘を刺して退出して行く医務官は、きっと初年度の長距離爆走事件の、30人医療棟送りをまだ根に持ってるに違いないんだ。

 

 

 落ち着いたと思ってたけど、ドズル兄貴に呼ばれて廊下を行く間に、また腹の底の“獣”が猛りだした。

 キャスバルからの視線を感じてはいても、応じるほどの余裕がない。

 部屋に通され、モニターに映し出された“ギレン”を見たとき、顔から表情が抜け落ちていくのがわかった。

 “ギレン”の顔色は悪かった。当然だ、少し前に撃たれたばかりなんだ。

 衣服こそ改められていたけど、姿勢は不自然だった。

「“ギレン兄様”」

〈――“ガルマ”、余計なことはするんじゃないぞ〉

 開口一番がそれか。

 平静を装った声の裏側で、呼吸が乱れていた。

「――犯人は」

 “ギレン”をそんな目に合わせたやつは、今どうしてるの。

〈逃走中だ。今、警察が捜査している〉

 そいつらに何ができるって言うのさ。あっちの圧力そっちの圧力で、どっち向くか分からない奴らに。

 どうせ“ギレン”は火消しの方向に動いたんだろ――まだ開戦させる訳にはいかないから。

「……なら、僕が捕まえます」

 培ってきたネットワーク――その全てを使えば、できないことじゃない。

 “ギレン”を傷つけたやつを、引きずり出して来るくらいのことはね。

「おい、ガルマ」

 ドズル兄貴の手が肩に乗った。

 “ギレン”はモニターの向こうで嫌そうな顔をした。

〈駄目だ〉

「何故? 捕まえて、警察に引き渡せばいいんでしょ」

 小首を傾げてみせる。

 市中にスナイパーなんてヤバイ存在を野放しにしておいちゃだめでしょ。

 捕獲して相応の扱いをしてやらないと。

〈お前のことだ、その間に、“うっかり”とか云って、犯人に怪我をさせたり、拷問したりするだろう〉

 なんて言い草さ。

「ひどいな。“ギレン兄様”は僕を何だと思ってるの? しませんよそんなこと」

 “ガルマ”は、いつかの“おれ”と違って直裁的な手はあまり使わないんだ。

 おれはただ、“ギレン”の信奉者たちに狙撃手の情報をリークするだけ。

 大丈夫。ちゃんと生かしたまま捕まえてねって言うし、あんまり酷いことしないでねってお願いもするよ――どこまで聞いてくれるかは知らないけど。

「シャアを助けたときと同じです。僕はガーディアンバンチからは出ませんよ」

 微笑んだおれに向けられる“ギレン”の顔は、顰められたままだった

〈……お前が穏便に済ますものか。大体、お前はいつでもやり過ぎる。キャスバル、これの手綱はきちんと取れよ〉

「取ってますよ。これでも大人しくさせてるんです」

 ぶすくれた風情のキャスバルが答える。

〈もっとしっかり取れと言っている〉

 双方が不満そうに眉を寄せ、それからギロリとこちらを睨んだ。

 ヒラリと両手を上げる。

「……わかりましたよ。犯人を見つけるくらいならいいてしょ? キャスバルと二人で探します。報告は“鳩”にします。ね!」

 言い募ると、“ギレン”が深々と溜息を落とした。

〈犯人を見つけるだけならな〉

「ええ。見つけて報告するだけにします」

 ――おれは、ね。

〈……忘れるなよ、“暁”はすぐそこまで迫っている。今はまだ、ことを荒立てる時じゃない。“暁”より前に、連邦に口実を与えるわけにはいかんのだ――私が撃たれたことなど些事に過ぎん〉

 ――些事?

 “おれ”の大事な“ボス”が傷つけられたことが?

 ぶわり、と、黒いモノが膨れ上がる気配を何とか留める。

〈犯人を捕まえるにしても、怪我はさせるな。殺すなんぞ以ての外だ。いずれ、連邦との端緒が開く時に、向こうが先に仕掛けたのだと証明する、大事な駒になるんだからな〉

 言い分としては、尤もだろう。それは理解できる。感情が飲み込めるかは別として。

「…………はい」

 軋みそうになる声を飲み込んで、笑ってみせた。

 “ギレン”は尚も疑わし気な眼差しを投げてくる。

「――“ガルマ”」

〈なに?〉

〈あまり好き勝手するなら、お前のしでかしたことを、全部子どもたちに云うぞ〉

「……え」

 微笑みがシュンと消えた。

〈お前のこれまでのあらん限りの悪行を、子供たちにすべてバラしてやるからな。何もかも全部だ〉

 “ギレン”の目は座っていた。

 むしろ今すぐ何もかもバラしてやりたいと、その眼差しが語っている。

「……何ノコトカ分カリマセン」

 冷たい汗が背中を伝った。

〈バラしてやるからな〉

「余計ナコトハ致シマセン!」

 悲鳴みたいな声になるのは仕方がない。だって、あんなコトやそんなコトが、アムロの耳に入ったら。

 それで冷たい目で見られたりしたら、おれの心臓がもたないだろ。

 おれの豹変に、ドズル兄貴が目を剥いてる――あ、やべ、猫皮剥げたわ。

〈厭なら、犯人は見つけるだけにしろ。怪我もさせるな。殺害は絶対に禁止だ。俺や、サスロの手を煩わせることは、一切合切禁止だ。……いいな〉

 勝ち誇ったみたいに言われるのは癪だけど。

「……りょーかい」

 ここは頷くしかないみたい。

 “ギレン”は満足そうに口元を緩めた。

〈よし。……ドズル、後はお前とサスロに任せる。キャスバル、何度も云うが、“ガルマ”の手綱はきちんと取れ〉

「わかった」

「……わかりました」

 ドズル兄貴とキャスバルが頷いてる。

 肩を落としつつ溜息。

「では、僕は良い子にしてますよ。“ギレン兄様”は、お大事にね」

 今も無理してるんだろ。早く休みなよ。

全然平気に見えないし。それは兄貴もキャスバルも気付いてる。

 それなのにさ。

〈“いつもの”調子に戻ったな。猫はきちんと被れよ。先刻は、化けの皮が剥げかけてたぞ〉

 そんな軽口まで叩いてみせるんだから。

「兄様!」

 ハハハと、声を上げて笑うけど、その顔は蒼白だった。

〈釘は刺したぞ。おとなしくしてろよ〉

 軽く手を振ったあと、“ギレン”は通信を切った。

 これ、むこうで倒れてるんじゃないかな。

 思わずドズル兄貴を見上げたら、頭の上にポンと手を置かれた。

 太い指が髪をかき回す。

「大丈夫だ。医者の話では、命には別状はない」

「……うん」

 生きててよかった。

 我慢してた涙が、一粒ポロリと転がり落ちた。

 あれだけ釘を刺されたから、今しばらくは大人しくしといてやるよ。

 復讐は冷めてからが一番美味しいらしいしね?

 

 

 コッソリとリノとケイとルーを呼び出そうと思ったけど、何かを察知したらしきキャスバルの睨みに白旗を上げる。

 報・連・相を義務付けられてるから、仕方ないね。また頭を搾られたら堪らんし。

「今度は何だ? 犯人探しじゃないのか」

「だからだよ。リノとケイとルーに手伝って貰ってんのさ――今回もね」

 ケイとリノ、そしてルーは、おれの情報収集と分析の要だ。

 実のところ、在学中の暗躍の裏には、彼らの助けがあったわけだよ。最近だと、“鳩”に対する証拠隠滅とかね。

 にっこりと微笑んだおれに、キャスバルが向けてきたのは、絶対零度の眼差しだった。

 背後で3人が震え上がっている気配がする。

「ひぇ…」

「……何故あれでニコニコしてられるんだろう」

「そりゃ図太いからだろ……やべーな」

 青い目は冷たいままに、キャスバルが口角を上げた。

「つまり、これまでの君の善からぬ企みの影には彼らが居たと?」

 うわ、声も冷たいわー。

「善からぬ企みとは異なことを。僕の最高の協力者たちだよ」

 両手を広げて讃える。

 シン達も、そりゃとんでもなく優秀だけど、シンは父親がマツナガ議員だし、ライトニングは一応“ギレン”の紐付きだ――本人は忘れてそうでアレだけど――事案によってはそれぞれ報告義務を負う可能性がある。

 クムランとベンは、別の用事を頼むことが多かったからね。

 だからこそこの選抜になったんだけど、いざ蓋を開けてみたら、めちゃくちゃ相性が良かった。何よりコイツらの気質が向いてた。

 今じゃおれのネットワークの大半は、彼らが支えていると言っても過言じゃない。

「そろそろ君にも繋いとこうと思って。『キャスバル、お前がおれの手綱を取る気なら、彼らのことも使えるようにならないと』」

 向けた視線をどう取ったのか、キャスバルは短く息を吐いて、肩を竦めた。

「確かに早々に見つけ出す必要があるから、協力はありがたいが」

 なんてね。もう、ある程度は絞り込んであるんだ。

 狙撃地点はもう割り出されてる。周辺のカメラにそれらしい男も写ってた。

 幸いと言っていいのか、“ギレン”の体内から摘出された弾丸は、ザビ家で調べることができたから、線状痕から過去同様の襲撃がなかったかなどは調査中。

 目下、表のネットワーク並びに裏のネットワークから、様々な情報を収集、分析させてるところだけど、これは鳩との競争みたいな感じか。

 ヒラリと手を振って促せば、ケイが、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 その手がタブレットを一つ撫でて。

「容疑者の画像解析と追跡結果がコレな」

「歩行の癖を見るに軍人っぽいね。途中の痕跡は追えてないけど、予想範囲から割り出したルートがこっち」

 ルーが横から画面を分割。

 監視カメラの映りが微妙でも、ある程度は解析出来るからね――流石に顔映りは無いけどさ。

「で、予想をもとに近隣の環境センサにハッキングして掻き集めたのがコッチな」

 更に画面が切り替わる。

 監視カメラに映らなくても、コロニーの環境を維持するための様々なセンサを回避するのは不可能だ――とは言え、莫大なデータからひとりを追うなんて無茶は、本来なら有り得ない発想だろうに。

「以上を踏まえて、実際に聴き込んでみた結果がこれだ!」

 リノがもう一台のタブレットを掲げる。

 そこには、20代半ばってとこか、浅黒い肌の黒髪の男がタバコをふかしている姿がバッチリと映っていた――見知らぬ女と顔を寄せ合って自撮りしてるリノの背後にである。

「……美人じゃないか」

 染めてるらしき金髪、茶色い瞳のグラマラス――真っ赤な唇が分かりやすく蠱惑的だね。

 ダレよこれ。

「“ジェーン”だって。この店の看板娘って感じ?」

 それ“ジョン・ドゥ(身元不明)”の女性版じゃ無いのさ。名前は明かさんと。つまり脈無しってコトか。

「頼み込んで写真だけ撮らせてもらった――間違った振りして動画も撮ってあるぜ。ほら」

「Excellent!」

 そりゃ、この状況なら警戒されないわ。

 男が呆れたように笑いながら店を出て行く姿は、先の映像解析の後ろ姿に完全に一致してた――歩き方さえ。

 次々と出てくる情報に、目を見開いていたキャスバルが振り返った。

「優秀でしょ。『この3年間で磨きまくったんだ』」

 ニンマリと笑う。

『キャスバル、お前は誰より優れてるけどさ、一人だけで出来ることは限られるだろ――だから、おれ達を使え。大事にね』

 その為に磨いたんだ。

 冗談めかして、だけど真剣に伝えれば、青い眼が真摯に瞬いた。

「これから先は、僕たちは君の指示に従う。この情報も、うまく使って“ギレン兄様”と交渉してみせてよ」

 まずはお手並み拝見。“ギレン”でさえ梃子摺るおれの手綱を取ってみるといい。

 うまく乗りこなせるなら、どこまででも疾走ってやるから。

「わかった。ありがたく使わせてもらおう。だが、少し厄介だな」

 その顔が少し曇る。

 そうね――コイツ、間違いなく連邦兵士だ。

 つまり、捕らえるのは、ほぼ不可能ってコト。そして、身柄を確保出来ない以上、連邦は幾らでも言い逃れが出来る。

「一応、コイツと交流があったと思しきムンゾ高官も抑えてみたけど、コレはなー…」

 ケイが言葉を濁しながら差し出してくるのは――ヲイ。

「まだ今はこの辺には触れるなって言っておいたじゃないか……」

 流石に“伝書鳩”の“網”に侵入するって、どうなの。

 大方、こないだの痕跡消し手伝って貰ったときに解析しやがったんだろうけど、油断も隙も無ぇな。

 見つかったら大目玉じゃ済まないだろ。

 今度はタチどころか、“伝書鳩”総出で突っ込んで来るぞ。

「ちゃんと隠蔽したんだろうね?」

「バッチリー。万が一見つかっても、俺じゃなくてガルマに繋がるよーにしといた!」

「それ絶対ダメなやつ!!」

 何やってくれてんのさケイ!??

「ガルマなら大丈夫でしょう」

「いつも、俺たちにできない事を平然とやってのけるからな!」

 痺れて憧れんのか。ルーもリノもヤメロ。石仮面吸血鬼になる予定なんか無いんだ。

「……暴走してるじゃないか。『彼らの手綱は君が取れよ、ガルマ』」

 キャスバルが目を覆った。

 早々に突っ返されてきたメンバーに、内心で涙する。

 過ぎるほどに優秀ではあるんだけどね。

 

 

 そんなこんなで、データは、一部を削除して“ギレン”に送った――キャスバルが。

 きちんと手順を踏んで報告されたそれらに、“ギレン”はともかくタチは小躍りして喜んでたとか。

 ついでにその質についても驚愕されたそうで、これを収集した面子がおれの級友じゃなければ引き抜いたのに、と、めちゃくちゃ悔しがってたらしい。

『引き抜かせるわけないだろ!』

 大事な仲間を渡すもんか。ふんすと鼻を鳴らせば。

『……君の息が掛かってるから要らないって言われてるんだぞ』

『なら良かった』

『……良いのか』

 取られないならそれで良いんだ。

『それで、君は、また何をやらかそうとしてるんだ?』

 キャスバルが横から覗き込んでくる。

 ラップトップには、おれが集めてた海洋データが表示されてた。

『二枚貝の旬をね、ちょっと』

『……子供たちにボンゴレでもせがまれたか?』

 訝しげな声に笑う。

『そうだね、それならとびっきり美味しくて安全なアサリで作ってやるさ』

 その答えをどう取ったのか、キャスバルが眉を潜めた。

『……………“安全”な?』

『――…………………最近、ごく一部の市場に、安全じゃない二枚貝が流れたらしいよ?』

 ニコリ、と微笑んだらガシリと頭を掴まれた。

『削除したデータにあった例のムンゾ高官だが、今日、ムール貝に当たって緊急搬送されたらしいな? 愛人宅から』

 その指先に、ジワジワと力が籠もってくるのが恐ろしい。

『……………わあ、ヤツの清廉潔白なイメージが台無しだね』

 ニュースとワイドショーでやるかな?

 世間は“ギレン”狙撃事件で湧いてるけど、愛人もそこそこ有名女優だったから、ちょっとだけ別の話題も提供された感じ?

 開戦派の気を逸らすにはお粗末でも、無いよりマシでしょ。

『事前に知らせろとあれほど!!』

『ギャーーーーーー!!!?』

 頭蓋に指のあとが残るんじゃないかな!??

 悶絶するおれに、キャスバルが深々と溜息をついた。

 

 

 でも、確かに、まだ平和だった。

 どれだけ周囲がきな臭かろうが、まだ、半歩ほど火種は遠かった。

 だけど――“暁”は、思うよりずっと早くに訪れようとしていたんだ。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 18【転生】

 

 

 

 さて、あまり触れてきてはいなかったが、ムンゾはムンゾなので、独立の気運はいつでも高い。連邦からの理不尽な要求やら、連邦の細々とした失態やらでこまめに盛り上がるので、その度にサスロが鎮火するの繰り返しである。

 考えてみれば、宇宙世紀がはじまってまだ百年足らず、地球連邦と云う統一国家が厳然としてあると云うにはまだ早い時期だから、と云うこともあるのかも知れない。況して、ムンゾの前首相は、地球連邦政府のやり方に異を唱え、議会を飛び出してきたジオン・ズム・ダイクンである。その首相を選出した国民の意識など、ことさらに云うまでもないものだろう。

 そのジオン死去の時もそうだが、ムンゾには幾つか“危機”と云うべき場面があった。 

 特に危なかったのが、キャスバルと“ガルマ”が拉致された時と、こちらの狙撃事件の時だった。どちらも連邦、あるいはその息のかかったムンゾの人間の仕業だったわけだ。

 いずれも時機ではなかったので、上がりかける火の手を何とか鎮火させたわけだが――

 今回は、なかなか難しそうだと思う。

「閣下!!」

 護衛が声を上げたのは、血飛沫が上がってからのことだった。

 衝撃に後ろへ倒れこむ。議事堂前の階段の途中、見晴らしの良いところだ。左の腕のつけね、鎖骨の下あたりが熱い。

 今回のスナイパーは、目的を達成したわけだ――但し、半分でしかなかったが。

 後ろからマツナガ議員に声をかけられ、立ち止まって振り返ったところだったので、まぁこの程度で済んだのだろう。いつもどおりに下まで降りようとしていたら、額の真ん中に穴が空くところだった。デギンを殺したわけでもないのに、原作と同じ死に方は戴けない。

「閣下!」

 護衛と議事堂警備のものたちが、まわりに立って壁を作る。

 そのせいか、あるいは仕損じたので早々に撤収することにしたか、ともかくも次の弾丸は放たれなかったようだ。

「……赤井秀一でなくて、助かったな」

 “赤い彗星”をモデルにして造型された、漫画のキャラクターを思い出す。地球とコロニーでは条件が違うだろうが、それにしても、700ヤードの精密照射が可能なスナイパーであったなら、間違いなくこちらの生命がなかったはずだ。

「ギレン殿!」

 青ざめた顔で、マツナガ議員が膝をつく。

「……いやはや、呼び止めて戴いたお蔭で、生命拾い致しました」

 ゆっくりと身を起こしながら云うと、ほっと吐息が返ってきた。

「今、救急車を呼んでいます」

「いや、結構。このまま帰宅致します。病院を襲撃される可能性もなくはない」

 随分遠くからの狙撃だったのだろう、弾も貫通してはいない。この分だと、大きな血管を損傷している、と云うわけでもなさそうだ。

 摘出手術は必要だが、首相公邸の方が、警備面等では安心だ。救急搬送された先が襲撃でもされようものなら、一般市民に被害が出てしまう。

「医者は!」

「往診してもらいましょう。何、戦場よりはよほどましなはずだ」

 ICUに入るとなれば話は別だが、そこまでの怪我でもない。

 脂汗が滲むのを自覚しながら、立ち上がる。撃たれた左腕を無理矢理あげた。軽傷であると見せるように。

「醜態を晒したな。すまないが、あまり騒がんでくれるか」

 警備のものたちに告げるが、かれらは当惑したように顔を見合わせた。

 その代わりのように、

「そう云うわけにはいかんだろう!」

 マツナガ議員が、厳しい顔で叫ぶ。

「これは、間違いなく連邦の仕業だ。尻尾を掴んで、糾弾すべきだ!」

「まだ、早いのです」

 今、開戦しても、確実な勝利は見こめない。まだ早い、せめてあと一年。

「まだ、早過ぎる。……幸い、今回は死人はない、犯人を捕らえるとしても、開戦のカードは切れない」

「閣下!」

 デラーズが来て、身体を支えてくれる。こう云う時、痛みや怪我に慣れていないのは不利だな、と思う。耐性があれば、もう少しましな風を装えただろうに。

 それでも、精一杯平然とした顔――とてもそうは見えるまいが――をつくり、背筋を伸ばす。

「帰宅する。警察の聴取は、後日にしてもらおう」

「しかし!」

「帰宅すると云ったのだ」

 強く云って、車に乗りこみ――その後の記憶はない。

 気がつくと、自室のベッドの上で、左肩まわりには厚く包帯が巻かれていた。

「気がつかれましたか」

 と云ってきたのは、公邸付の初老の医師だった。“ガルマ”がよく世話になっていた医師である。

「……弾は」

「摘出済です。帰宅すると駄々をこねられたとお聞きしましたよ」

 微笑みながら云われるが、腹も立たないのは、よく知った年長者であるからか。

「駄々とは、酷い」

「駄々でしょう。病院に行かれれば簡単でしたものを――幸い、輸血は必要ありませんでしたが、そこそこ失血されていますので、しばらくは安静に」

「そう云うわけにもゆくまい」

 身を起こそうとするが、麻酔が抜けていないのか、上体の左側が痺れたようになっている。

「安静にと申し上げましたよ」

「その前に、やらねばならぬことがある」

 デラーズを、と云うと、医師は困った顔をしながらも、扉の外へ顔を出した。

 すぐに、硬い面持ちのデラーズが入ってくる。

「すまないが、肩を貸してくれ。サスロに連絡を入れなくてはならん」

 それから、ドズルと“ガルマ”にも。

 だが、怪我のせいか失血のせいか、どうにも身体が巧く動かない。情けない話だが、肩でも借りなければ、執務室に行くこともままならぬ。

 衣服をきちんとしたものに改め、肩を借りながら執務室へ辿りつく。発熱しつつあるのか、先刻より体調は芳しくないが、そんなことを云っている暇はない。

「――サスロ」

 通信端末を起動させ、“弟”を呼び出すと、思ったよりも早く繋がった。

〈ギレン! 撃たれたと聞いたぞ!〉

 サスロは、噛みつくようにそう云ってきた。

「大した傷ではない。――それよりも、犯人は」

〈残念ながら、まだ捕まってはいない。狙撃ポイントと思しき場所は見つかったが、今は、周辺の防犯カメラの映像を解析中だ。……随分遠くだったぞ。確実に、連邦軍が咬んでいる。向こうも本気を出してきたな〉

「そうだろうな」

 とは云え、ゴップとはつい先日話したところだったから、あちらは除外しても構うまい。

 とすると、可能性があるのは、ヨハン・イブラヒム・レビルか、あるいは見知らぬ連邦の重鎮か。

 ともあれ、

「――とりあえず、今回の件は、できれば伏せてほしいのだが」

〈はぁ!?〉

 何を馬鹿な、とサスロは云った。

〈目撃者も大勢いる。既にニュースにもなっているぞ。そんなことができるわけはない!〉

「それなら、何とかして、市民の抗議行動を抑制してくれ。開戦を叫ぶ輩が跋扈するだろうが――今はまだ、その時ではない」

〈ギレン!〉

「今開戦しても、勝ち目はない。……なに、そう待たせはしない、とにかく、今は駄目だ。――だが、完全に抑えこむ必要はない」

〈……“次”があれば、即開戦と云うことか〉

 サスロは、考えこむような顔つきになった。こう云うところは、流石に頭が回る。

「そうだ。と云うか、そう思わせておいてくれ。そうすれば、今回は多少抑えられるだろう」

〈……本気なんだな〉

「そうだ」

 そろそろ辛くなってきた。

 ドズルや“ガルマ”にも話をしなければならない以上、このあたりで切り上げさせてもらおう。

「キシリアにも、よく話をしておいてくれ。ドズルと“ガルマ”には、直接話す」

〈……わかった〉

 何を察したか、短く云って、サスロは通信を切った。

 次はガーディアンバンチだ。

〈兄貴!!〉

 サスロ以上の速さで繋がったドズルは、青筋を浮かべ、目を見開いていた。

〈撃たれたんだと!? 下手人は!? 許せん、俺が絞め上げてやる!!〉

 情愛深いドズルらしい言葉に、思わず苦笑がこぼれる。

「大したことはない。――ところで、“ガルマ”は」

〈呼ぶか〉

「あぁ。直接話したい。キャスバルもだ」

〈……わかった。今呼ぶ〉

 やや間があって、ドズルは頷き、席を立った。あの二人を呼びにいったのだろう。

 ――くらくらするな。

 失血性の貧血なのはわかっていた。かつては親和性のあった貧血だが、性差故か、以前よりもきついように感じられる。気を抜くと落ちてしまいそうだ。デラーズの腕が、背中に強くあてられている。それが、じんわりとあたたかい。

 しばらくして、“ガルマ”とキャスバルが画面の中に入ってきた。

〈……“ギレン”兄様〉

 と云う“ガルマ”の顔は凍りついている。その中で、目だけがぎらぎらと、吼え猛る獣のようだ。

「――“ガルマ”、余計なことはするんじゃないぞ」

 云うと、キャスバルは目を見開いたが、“ガルマ”は沈黙している。

 暫の沈黙ののち、

〈――犯人は〉

 平坦な声が、そう訊ねてきた。

「逃走中だ。今、警察が捜査している」

〈……なら、僕が捕まえます〉

 などと、瞳孔が開いた顔で云われると、“ガルマ”の考えていることが大体わかる。

「駄目だ」

〈何故? 捕まえて、警察に引き渡せばいいんでしょ〉

「お前のことだ、その間に、“うっかり”とか云って、犯人に怪我をさせたり、拷問したりするだろう」

 それは、“昔”よくやっていたことでもあった。こちらが冷徹だの何だの云われることが多かったけれど、物理的に拙いのは“ガルマ”の方だ。一見穏和そうに見えるのが、余計に始末に悪い。

〈ひどいな。“ギレン兄様”は僕を何だと思ってるの? しませんよそんなこと〉

 と云う“ガルマ”の目は笑っていない。

〈シャアを助けたときと同じです。僕はガーディアンバンチからは出ませんよ〉

 などと云うが、信用できるわけがない。

「……お前が穏便に済ますものか。大体、お前はやり過ぎる。キャスバル、これの手綱はきちんと取れよ」

〈取ってますよ。これでも大人しくさせてるんです〉

 キャスバルが、むっつりとした顔で答える。

「もっとしっかり取れと云っている」

 それに応えたものかどうか、キャスバルは“ガルマ”をじろりと睨みつけた。

 “ガルマ”が軽く両手を上げる。

〈……わかりましたよ。犯人を見つけるくらいならいいでしょ? キャスバルと二人で探します。報告は“鳩”にします。ね!〉

 まだごねているようだ。

 だが、忘れてはならない、分水嶺は、もうそこに迫っているのだ。

「犯人を捕まえるだけならな」

〈ええ。見つけて報告するだけにします〉

 と云うが、その目つきが言葉を裏切っている。

「忘れるなよ、“暁”はすぐそこまで迫っている――今はまだ、ことを荒立てる時じゃない。“暁”より前に、連邦に口実を与えるわけにはいかんのだ――私が撃たれたことなど、些事に過ぎん」

 幾万の兵を死地に送る理由になるほどのことではない。

「犯人を捕まえるにしても、怪我はさせるな。殺すなんぞ以ての外だ。いずれ、連邦との端緒が開く時に、向こうが先に仕掛けたのだと証明する、大事な駒になるんだからな」

〈…………はい〉

 不満そうなその声に、ドズルが震え上がったような顔になった。可愛く甘ったれだと思っていた弟が、不意に怪物だと知ったような顔だった。

 しかし、この様子では、今頷いていても、容易く掌を返しかねない。

 仕方ない、奥の手を使うか。

「――“ガルマ”」

〈なに?〉

「あまり好き勝手するなら、お前のしでかしたことを、全部子どもたちに云うぞ」

「……え」

 途端に瞳孔が収縮する。

「お前のこれまでのあらん限りの悪行を、子供たちにすべてバラしてやるからな。何もかも全部だ」

〈……何ノコトカ分カリマセン〉

 空惚けようと、逃がすものか。

 あれやらこれやら、バラされたくないものは山ほどあるはずなのだし。

「バラしてやるからな」

〈余計ナコトハ致シマセン!〉

 よし、とりあえず歯止めはかかりそうだ。

「厭なら、犯人は捕まえるだけにしろ。怪我もさせるな。殺害は絶対に禁止だ。俺や、サスロの手を煩わせることは、一切合切禁止だ。……いいな」

〈……りょーかい〉

 若干の不本意さを孕みつつも、とにかく頷かせたなら、目的は達成だ。

「よし。……ドズル、後はお前とサスロに任せる。キャスバル、何度も云うが、“ガルマ”の手綱はきちんと取れ」

〈わかった〉

〈……わかりました〉

〈では、僕は良い子にしてますよ。“ギレン兄様”は、お大事にね〉

 殊勝な顔に、笑いがこぼれる。

「“いつもの”調子に戻ったな。猫はきちんと被れよ。先刻は、化けの皮が剥げかけてたぞ」

〈兄様!〉

 はははと笑うと、傷が痛んだ。そろそろ限界だ。

「釘は刺したぞ。おとなしくしてろよ」

 軽く手を振り、通信を切る。

 堪え切れたのは、そこまでだった。

 画面が黒くなるとともに、視界も暗転する。そして、本日二度目の失神をし、まわりを慌てさせることになったのだった。

 

 

 

 議会に復帰したのは、五日後のことだった。警察の聴取やら何やらで、時間を取られたせいもある。

 腕自体は問題ないが、撃たれた部分の負担を軽減するために、黒いリボンで左腕を吊っての登院である。どうにも大仰な気がするが、流石に傷が塞がりきっていない状態では、おとなしく医師の云うことを聞くより他ない。

 知った姿を見かけ、片手を上げて挨拶すると、マツナガ議員は目を見開いて立ち上がった。

「ギレン殿、もう宜しいのか!」

「お蔭様で。その節は、お騒がせ致しました」

 鉄オル世界の医療ポッドのようなものがあれば、話は簡単だったのだが、元々の延長線上にある宇宙世紀――考えてみれば、今は西暦2122年であるはずなのだ――では、そのような発展はしていないようだった。iPS細胞による再生医療がどうのと云う話が出ていたのに、不思議なところではある。

 もう少し科学が進んでいても良いのではないかと思わぬでもないが、元々の方でも、アトム誕生の年を過ぎても二足歩行どころか、ロボットそのものすら量産されず、AIも感情を得るところまでには至っていなかった。現在は、ドラえもんが誕生した年あたりのはずだが、そちらも当然影もかたちもない。あるのは、工業用ロボットから発展したようなMW、そして開発途中のMSがあるくらいである。

 輝かしい未来は、やはり過去が夢見た幻影だったのだろうか。

 ともあれ、この時間軸では、鉄オル世界ほどには生体科学は発展してはいないようだった。つまり、怪我人はおとなしく療養するしかないわけだ。

「そのようなことなど!」

 マツナガ議員は、大きく腕を振った。

「貴殿のたっての望みだと、デギン閣下がおっしゃるので、連邦に対する抗議は見送られることになったのですぞ。世論は、政府は弱腰だとくさしているようだ。それでも構わんとおっしゃるのか?」

「何ごとにも、時機と云うものがございますので」

 連邦と互角以上にやれる、と確信が持てない限りは、迂闊に開戦云々を唱えることはできないのだ。

 と、

「……ギレン殿」

 ダルシア・バハロが、心配そうな顔で近づいてきた。

「もう登院なさるとは――お加減は宜しいのですか」

「お蔭様で。醜態をお見せしたようで、お恥かしい限りです」

「連邦の手のものによるとお聞きしましたが」

「犯人を捕らえたわけではありませんので、まだ何とも」

 もちろん、犯行を指示したあたりは限られるのだが、まだ迂闊なことを云える段階ではない。容疑者については、黙っておくに限るのだ。

 ダルシア・バハロは、溜息をついた。

「相変わらずの慎重居士であられますな。議会内でも、連邦の指示だと云う噂話が、まことしやかに囁かれておりますが」

「あまり言挙げせぬが宜しいでしょう。万が一にも向こうの知るところとなり、あれこれ捩じこまれては敵いません」

 案外、そのあたりが向こうの狙い目なのかも知れないのだし。

「……然様でございますな」

 ダルシアはゆっくりと頷いた。何やら思うところがあるのだろうか。

「連邦は、ムンゾの現状に神経を尖らせているようにも感じます。あるいは、先だってのムンゾ大学立て籠もりも、あちらの手のものに、知らず唆された可能性も……」

「あれは、ギレン殿の盾になった男の、旧友が企てたと聞いていたが?」

 マツナガ議員の言葉に、ダルシアはゆるく首を振った。

「表向きはそうだとしても、連邦は、こちらの様子を逐一窺っているのではないかと思うのです。それで、若い議員たちが甘言に乗って、うかうかとあのような犯罪に手を染めることになったのでは、と」

 その言葉に、マツナガ議員は腕を組み、うぅむと唸った。

「――わからんでもありませんな」

 思わずそう呟く。

「ギレン殿にもお心あたりが?」

「先日、私の配下のものが、ガーディアンバンチに弟を訪ねまして」

 ドズルではなく、“ガルマ”の方です、と云うと、二人は一様に首を傾げた。

「ギレン殿の配下であれば、軍属ですな。それが、ガルマ殿に何のご用が?」

「何と申しますか、私と弟の戯れで、そのものの配下が倒れまして」

「……は」

「ほんの些細な戯れだったのですが、まぁ“ガルマ”のことですので。――それで、部下が苦情申立に参ったのですが――それを後日、連邦サイドから指摘されたのです」

「――通信傍受でもされておりましたか」

「いえ、ガーディアンバンチ駐屯部隊に届けを出して行ったようなのですが、それがまわりまわって上層部にまで」

「……ちなみに、どなたに」

「ゴップ将軍です」

 声を潜めて云う。

 二人は息を呑んだ。

「何と」

「それは、随分なお相手だ」

「いろいろありまして、時候の挨拶をかわす程度の間柄なのですが、先日、いきなり直接連絡がありまして。何用かと思えば、“部下をガーディアンバンチへやっただろう”と」

「それは、随分と警戒されておられる」

「“ガルマ”も、ゴップ将軍にはお目にかかったことがありますからな。まぁ、悪戯の詳細を動画でお見せしたところ、今回の潔白は信じて戴けましたが」

「ギレン殿ばかりでなく、ガルマ殿も警戒されておられると云うことですか」

「まぁ、あれは悪辣ですからな」

 と云うと、二人は思わずと云うように顔を見合わせた。

 まぁ、ザビ家の“悪辣”とは、と云うような気分なのは、わからぬでもない。ザビ家そのものが、悪辣な人間揃いであるからだ。

 だかまぁ、賢明な二人は、余計なことは当然口にはしなかった。

「……まぁ、ザビ家の方々は優秀であられますからな」

「連邦も警戒せざるを得ないでしょうな」

 何と云うか、奥歯にものの挟まったようなもの云いである。まぁ、いくら何でも、目の前にいる人間の身内を“悪辣”だとは、かれらの立場では云い辛いか。

「その上、この悪人面では、確かに信用ならぬでしょうな」

「いやいやいや」

「そのようなことは」

「中では“ガルマ”が一番愛らしい顔なのですが、それが一番悪辣ときている。どうにもなりません」

 本心から云うが、返るのは微妙なまなざしばかりである。

 まぁ良い。

「ともかくも、あまり騒ぎ立てるのは得策ではありません。まだ犯人も捕まってはいないのですから、ここは穏便にことを収めたいのですが」

「しかし、そうは参りますまい」

 ダルシア・バハロは腕を組んだ。

「仮にも議会、そして軍の要人を狙った事件です。これを看過すれば、ムンゾの体面にも疵がつく。むろん、いきなり開戦はどうかと思われますが、かと云って、何もなしと云うわけにはゆきますまい」

「そうですな、私も同意見だ」

 マツナガ議員も頷く。

「もしも、本当に連邦が背後にあるならば、厳重に抗議するのは当然のことだ。自治国家とは云え、ムンゾにも主権がある。それを侵されては、黙っているわけにはいかんでしょう」

「ですが、犯人も捕まっていない現状で、連邦に抗議は時期尚早です。それなのに決議まで俎上にのぼるのは、正直困る」

 戦争したい輩は、それに乗じて開戦しろとシュプレヒコールを上げるだろうし、昨今度々行われているデモも、暴動に発展しやすくなるだろう。

 それに引きずられるように開戦するでは、これまで手綱を絞って堪えてきた意味が半減する。まだ少し、今少しの猶予が必要なのだ。

「ギレン殿のご懸念はわかりますが、なかなか難しいかと思われますよ」

 ダルシアは、考えこむように云った。

「民衆に、それを云って納得するかと云うと――根拠がなくとも、連邦に報復しろなどと云い出す輩は出て参りますからな」

「それを受けて、開戦だと騒ぐ議員もな。仮にも立法の府に籍を置きながら、考えなしのものが多過ぎる」

 まぁそれは、ムンゾに限った話でも、今に限った話でもない。下品なアジテーター、犯罪者すれすれの人間まで、議員の裾野は、悪い意味でも広いのだ――とても残念なことながら。

「……私としては、こちらの準備が整うまでは、戦争など冗談ではない、と云うところなのですが」

 そう云うと、二人はともに頷いた。

「それは、もちろんのこと」

「戦争は最後の手段ですからな。況して連邦相手となれば、当然の話です」

 しかし、とダルシアは続けて云った。

「ここで過剰に騒ぐ輩には、もしかすると連邦の息がかかっているのかも知れません。あちらとしては、ムンゾがすっかり準備を終える前に、少しでも有利なかたちで開戦に持ちこみたいはずです」

「それが案外、今回の裏で糸を引いていたのやも知れませぬな」

 マツナガ議員も頷く。

「まぁ、決議自体は、穏健派もありますので、可決される心配はないでしょう。だが、賛成にまわるものをよく見て、そ奴らの動きを注視せねばなりますまい。敵は、ムンゾの中にも紛れておりますぞ」

「……心致しましょう」

 確かに、敵はムンゾの中にもいる。厄介なのは、それが連邦の息のかかった連中ばかりでもない、と云うところなのだ。

 と、議会開始五分前の鐘が鳴った。

「そろそろはじまりますな」

「えぇ。ではまた」

「また後ほど」

 挨拶をかわし、自席につく。

 そうしながら、階段状に広がる議場をゆったりと見渡す。

 ほぼ埋まった席にいる議員たち――この中のどれほどが味方で、どれほどが日和見で、どれほどが連邦の手のもので、どれほどが単なる愚かものなのか。

 それを見極めていかなくては、後々、国内の泥濘に足を取られることにもなりかねぬ。

 ――気が重いことだな。

 戦いまでは、あと一年近くある――そうあるようにしなくてはならぬ。

 国と云う巨体の舵取りは難しいものだと、しみじみと思う。“父”デギン・ソド・ザビが首相の座にあるからこそ、これくらいで済んでいるのだと云う事実に改めて感謝し、議事に集中するべく前を向いた。

 

 

 

 ゴップ将軍から再び連絡があったのは、数日後のことである。

〈災難だったようだな、ギレン・ザビ〉

 と云う男は、どうも軍の執務室か、あるいは連邦議会の控室か、とにかくやや公的な場所から連絡してきたようだった。

「見舞いと云うことですか。ありがとうございます」

 と云いながら、珍しいな、と思う。

 もちろんまだ一戦交えているわけではないが、連邦軍の重鎮が、仮想敵たるムンゾ国軍総帥に連絡を入れると云うのは、あまり堂々とできることではないはずだ。

 それを、敢えてやるからには何らかの理由があるのだろうが、さて?

〈それもあるが――こちらも昨今、少々きな臭くてな〉

 ゴップは苦笑した。

「と云うと」

〈私がムンゾと裏で繋がっていると、讒言するものがあるようでな〉

 讒言、と云うか、傍から見ればそうだろうな、とは思う。確かに、まだ完全に敵対しているわけではないのだから、交流があって悪いわけではないはずだが――こんなことにもとやかく云う輩はあるものだ。

〈まぁそれで、私のまわりも何やらきな臭くなってきたのでな、万が一に備えて、もうひとつルートを作っておくべきではないかと思ったのだよ〉

「……それは」

 差し迫って、身の危険があると云うことか――こちらが狙撃されたのと同じように。

 だが、ゴップは笑って否定した。

〈危機管理をしておかなくては、火薬庫に火がついてからでは遅いのでな〉

「なるほど」

 そう云えば、原作では、ムンゾ――ジオンと繋がっていたのは、レビル配下のエルラン中将だったが、もちろん、この時間軸ではまったく接点がない。それに、エルランの行為は軍事機密の漏洩であり、背信と云うべきものだったが、ゴップのそれは、あくまでも対話の窓口を確保する行為でしかないのだ。

 とは云え、窓口を設けておくと云うのは、かなり危機感を有しているが故であるのは間違いないようだ。何もなければ、そこまで備える必要はないはずだから。

「……しかし、もうひとつのルートと云うと、一体どなたに」

〈そこだ〉

 ゴップはにやりと笑った。

〈丁度良いのを摑まえたのだよ。つい最近昇進したばかりの男だがな、ブレックス・フォーラと云う〉

「は」

 それは、『Z』において、シャア――クワトロ・バジーナ大尉の上官であった、エゥーゴの指導者のことなのか。

〈君と同じくらいの年齢だが、なかなか優秀でな。しかも、割に理想家肌ときている。気が合うと思ったのだが、どうかね〉

 その言葉とともに、壮年の男が画面の中に入ってきた。

 淡い金髪、青い瞳、髭はまだ蓄えられてはおらず、意志の強そうなしっかりした顎が顕にされている。額も、『Z』の時ほどではないが生え上がっており、あの頃の面影がある、と云うか、これがああなるのかと思うと、感慨深いものがある。

「ブレックス・フォーラ、准将ですか……」

 クワトロ・バジーナ――シャア・アズナブルを後継にと望んだものの、志半ばで暗殺された男。この男とヘンケン・ベッケナー、そしてクワトロ・バジーナは、なかなか良い関係を築いていたようだった。

 あの関係が無事に続いていたならば、シャアは連邦議会に失望することも少なくて、『逆シャア』に到る道程はなくなっていたのではないか。

 個人的に、『Z』では、ヘンケンとエマ・シーンのカップルが好きだったのだが――もしかすると、この時間軸では成立しないのではなかろうか。

〈私をご存知ですか〉

 訝しげに云うのに、はっとする。

 そう云えば、ゴップは位階を口にはしていなかった。今云ったのは『Z』の記憶のなせる技であって、特にこちらが調べたわけではない。

「そうではないかと思ったまでです」

〈怪しいな、案外、連邦軍の人事もチェックしているのではないか?〉

 ゴップが冗談めかして云うが、もちろんそんな暇はない。

「興味はございますが、なかなかそこまで手が回りませんよ」

 ブレックス・フォーラが准将ならば、ジャミトフ・ハイマンやバスク・オムはどうなのだろうとは思うけれど。

 ――いや、待て。

 確か、ジャミトフ・ハイマンは、デラーズ紛争の折に准将で、『Z』つまりグリプス戦役時に大将だったはずだ。

 ブレックス・フォーラは、グリプス戦役時に准将であり、そうであるならば、現時点では良くて大佐、そうでなければ少佐あたりでも不思議はないのだ。人材不足気味のムンゾならばともかく、潤沢に人のいる連邦軍は、そのあたりが厳しいのではないかと思うのだが。

「……それにしても、お若いのに准将におなりとは、飛び抜けて優秀であられるのですな」

 遠回しに経緯を知りたいと思いながら云うと、当の本人が、苦笑しながら答えてきた。

〈私は、連邦議会議員の席も持っているのです。ですので、まぁ、准将と云うのは名誉職のようなものですよ〉

 とは云うが、それだけならばティターンズ台頭の折、対抗組織であるエゥーゴを立ち上げることは難しかっただろう。

「……嘱望されておられるのですな」

 あるいは、原作のラインとはかなり様々なことに違いが出てきたため、連邦軍内でも、政治色の強い人材が重用されるように変わってきているのかも知れないが。

〈私よりお若くて、ムンゾ軍の総帥の座にお就きの方に云われるのは、面映いものがありますな〉

〈ギレン・ザビは、なかなかの男だぞ〉

 ゴップまでが持ち上げてくるので、こちらの方が照れてしまう。

「ご冗談でしょう。ムンゾでは、争うほどの人数もおりません。多士済々の連邦軍とは違います」

 だからこそ、安彦良和も、ジャブロー攻略の司令官に、ガルシア・ロメオなどと云う新キャラを作らねばならなかったのだし。

〈それでも、君ほどの逸材は、流石にぱっとは挙がらんよ。ムンゾの重職にあるのでなければ、こちらに引き抜きをかけたいくらいだ〉

「お戯れを」

 こちらは、躯体が小さいムンゾだからこそやれるのであって、連邦軍ほどの巨大な組織では、これほどのことすらできないに違いない。人間には、それぞれに相応しい場と云うものがある。自分にどうにかできるのは、ムンゾひとつがせいぜいだろう。

〈閣下にそこまで云わしめるとは……噂はお聞きしていましたが、優秀な方なのですな〉

 感心したようにブレックス准将に云われるが、そんなものではない。

「申しましたとおりですよ。連邦にあれば埋もれる程度の人間です」

 それ以上は、過信、あるいは妄信となる。まぁ、ムンゾひとつとても動かせるのならば、世間では大人物と云われるだろうから、あるいは謙遜も厭味になる類なのかも知れないが。

 元のギレン・ザビより知能に劣るので、そのあたりを他の要素で埋めているだけで、実態はさしたるものでもないはずだ。と云うよりも、その“埋める他の要素”が、つまりは優秀な他の人間なのである。タチやデラーズは、こちらを天才の何のと云うが、それは元のギレン・ザビに対するもので、こちらの能力ではないのだ。

 こちらがギレン・ザビに優るものと云えば、対人関係構築、政治力と調停能力、そして多少の原作知識くらいのものだ。戦略とアジテーションは、元のギレン・ザビの足許にも及ばない。

〈いや、そのおっしゃりようでも、優秀な方だとわかります。ザビ家は皆優秀な方揃いとはお聞きしておりましたが、なかなか〉

 と、感心したように云われても困る。

 ゴップは、このやり取りを満足そうに聞いていた。

〈いや、上手くやれそうな風ではないか。これで私も一安心だ〉

 そのもの云いからは、“危機管理”以上のものが感じ取れた。

 ――連邦内は、それほどか。

 ゴップが、真剣に身の危険を感じるほどに?

 こちらの沈黙を何と取ったか、ゴップはにやりと片頬を歪めた。

〈何を真剣な顔をすることがある。これは保険だよ。リスク分散は基本だろう。投資と同じことだ、どれかひとつに絞れば、痛い目を見ることもある〉

 とは云うが、その程度のことで、このような連絡をしてくる男であるとは思われなかった。

「……何かございましたら、微力ながら助太刀致しましょう」

 こちらとしても、せっかく掴んだ連邦の太いラインを、みすみす失いたくはない。

 だが、ゴップは、にやりと笑っただけだった。

〈そうやって、連邦に介入するつもりなのか?〉

「そのようなことは、決して」

〈ふふ、冗談だ――だがまぁ、若いものに助けられるのはまだ先だ。手出し無用さ〉

「……然様でございますか」

 そこまで云われては、引き下がるしかないではないか。

「わかりました。ですが、手がご入用でしたら、いつでもお声がけ下さい。私も、連邦との窓口が減るのはありがたくないものですから」

〈云いおるな!〉

 笑って云うが、隣りのブレックス・フォーラは、心配げな顔になった。

〈まぁ良い。用件はそれだけだ。――こちらとしても、ムンゾ側の窓口が減るのは困る。くれぐれも用心しろ〉

「えぇ。閣下も、ご自愛下さい」

 そっくり返すと、また笑いが返った。

〈ではな、ギレン・ザビ〉

〈失礼致します〉

「それではまた」

 そうして、通信は切れた。

 そのまま、今度は別のところへ通信を入れる。

「……タチ」

〈はい〉

 素早く反応する“伝書鳩”の長に、今しがた感じた懸念を云う。

「連邦上層部の動きが知りたい。勢力図に変化があったのかも知れんのだ」

〈ゴップ将軍まわりと云うことですか〉

「そうだ。新任の准将を紹介された。本人は、かなり身の危険を感じているのではないかと思うのだ」

〈ゴップ将軍がいなくなるのは大損失ですね。――わかりました、早急に調べて、ご報告致します〉

「頼んだ」

〈はい、では〉

 連邦に限らず、議会や軍は保守が強いものだが、ゴップはどちらかと云えば中道で、対ムンゾ強硬派はレビルと云う印象――ブレックス・フォーラは、やや革新寄り――だったのだが、あまり注意を払ってこなかった他の保守派が、ゴップを排除しにかかっているのかも知れない。

 別段、ゴップが連邦のすべてを掌握しているとは思わないが、それにしても、身の危険を感じている――そうでなければ、ブレックス准将を紹介してくることはあるまい――となれば、連邦内部の勢力争いが、思っていたより激化している可能性が高い。

 そうであれば、当然それは、ムンゾのこの先にも大きく影響してくることになるのだ。

 情報は、確実に集めておきたかった。

 ――あと半年。

 それで、“ガルマ”とキャスバルが士官学校を卒業する。何とかそれまで持ち堪えることができるだろうか。

 すべてが前倒しで進んでいる以上、最悪、在学中の開戦の可能性もなくはないのだが――とにかく、引き延ばせるだけ引き延ばす、それくらいしかできることはない。

 口を突いて出る溜息を呑み下し、目の前の些事を片づけるために、少し先の未来から目を逸らした。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 19【転生】

 

 

 

 ムンゾの独立運動は、もはや止めようがなかった。

 連日に渡るデモ。メディアの論調も、それを後押しするものでしかない。

 “ギレン”の狙撃は、民衆にとっても許し難いものであったらしい。

 反して地球連邦側は、当然、その警戒を強め、ムンゾ国民――のみならず、コロニー社会への締め付けを強化してきた。

 反発は必至である。

 ここ、ガーディアン・バンチでも、駐屯兵の動きが、日々慌ただしさを増している。

 隣接するムンゾ自治共和国国防軍士官学校では、ドズル校長以下教官や職員が気を張り詰め、士官候補生らもまた緊張を強いられていた。

『……どこもかしこも火種だらけだ』

『めずらしく弱り顔だな』

 談話室のいつものソファで、見せかけだけは寛いでる振りを。

 溜息を落としたおれの手の甲を、キャスバルの指が宥めるように叩く。

 ――弱りたくもなるさ。

 いかなる火消しも、こうなってしまっては意味をなさない。

 導火線に火は点火され、火薬庫に至るまで、もう秒読みに来てるんだろう。

 思うよりずっと早い。これ、連邦側でどいつが画策しやがったんだろう。

 ゴップ辺りは、頭を抱えてるんじゃないかな――主戦派のレビルだって喜んではいないだろうさ。双方で、戦力が整わないまま、見切り発車なんてね。

『“ギレン兄様”はどう動くかな?』

『彼はまだ引き延ばしたいだろう』

『だよね』

 引き延ばせるかどうかは分からないけど――だって、どんな手段が残ってるって言うの。

 手持ちのピースを脳裏に並べても、パズルはちっとも完成しない――どころか、混迷の度を深めるだけだし。

 悪知恵が泣き言を零してる。

 他力本願したい気分。頑張ってよゴップ。そっちで思い切り綱を引いて。

 ――なんて、この事態に陥ってるって事は、当のゴップ自身が、追い詰められてる可能性があるってことか。

 思い付いて身震い。

 拙いわ。これホントに拙いわ。

 もしデモが暴動に発展し、それが一線を越えたら、連邦軍の本格介入の理由になる。

 そうなれば、ここの駐屯軍が動く。真っ先に抑えられるのは、この士官学校だ。

 アチラは一個連隊、3000人の戦闘要員を有している。対するおれたちは、教官、士官候補生の総数でさえその半分にも満たない。

 まして、一回生やニ回生の練度じゃ、足手まといにこそなれ、戦力には到底数えられないだろう。

 死命を制されて支配下に置かれるなんて、それこそ冗談じゃない。

 ――何か手を打たないと。

「ガルマ、キャスバル、大変だッ!!」

 血相を変えたリノが、談話室に飛び込んできた。

 浮足立つ周囲を、キャスバルが腕を上げて抑える。

 止めてよ、リノ。ここには一回生も居るんだ。怯えてパニックになったら大変だろ。

 よほど慌てて走ってきたのか、ゼイゼイと喉を鳴らすのに、クムランが水を飲ませてる。

「落ち着いて。ほら、こぼさないでちゃんと飲んで」

 のんびりとした口調は作られたものだ。ふくふくした頬に血の気は薄い。

 シンもライトニングも、他の皆も、その瞳に浮かぶ光は険しかった。

「どうしたの、リノ?」

 あんまり良いニュースじゃなさそうだね。

「いま、駐屯軍の司令が来て、ドズル校長と話してる」

 そこで区切ったリノは、悔しそうに表情を歪めた。

「奴が言ってたんだ。ガルマ・ザビを連れてこいって」

「ガルマを?『君、今度は何をしたんだい?』」

 キャスバルの声と思考波が険しさを増す――でも、なぁ。

「……僕を?『や、なんもしてないはず??』」

 こんな風に呼び出されるような真似は、最近はしてなかった筈だ――過去に遡れば分からんけど。

 殺気立ついつものメンバーを宥めつつ、首を傾げる。

 ――どういうことさ。

 この、一触即発の状況で、ザビ家の人間を駐屯軍の司令が迎えに来るって、さらに火に油を注ぐつもりか。

 それとも、鎮火のための人質でも欲したか。

「ガルマ・ザビ、ついて来い」

考えてるうちに、教官が呼びに来た。苦しそうな表情だった。

「どういう事だよ!?」

 前に飛び出して食ってかかるライトニングの腕を、シンが掴んで止めた。

 チラリと目配せ。この場は頼んだよ、キャスバル、それからシン。

「参ります」

 ゆっくりと立ち上がる。

『ガルマ』

『大丈夫。待ってて』

 兎に角も、行かなきゃなんも分からんし。

 さて、鬼が出るか蛇が出るか。

 おっとりとした微笑みを浮かべて、呑気にすら見えるように。

 おどけた仕草で優雅に一礼。

「騒がせたね。ごめんよ、皆はこのまま寛いでてよ」

「ああ。また後でな『気をつけていけよ』」

「後でね。『りょーかい』」

 キャスバルも悠々とソファで寛いで見せるから、2回生や1回生の緊張は少し解けた様だった。

 リノは少しバツの悪い顔をしたあと、クネクネと変な踊りを披露した。

「待ってるぜ!」

「うわ止めろよリノ、気持ちワリーだろ!」

 それをケイ達がド突けば、張り詰めた場にようやく笑いが生まれた。

 

 

 教官に連れられて校長室へと急ぐ。

 通いなれた道だよなぁ、なんて場違いな感想を抱いてれば、旋毛に視線を感じた。

 顔を上げると、厳つい教官の厳しい眼差しとバッチリ目があった。

 眼力凄いね。

「お前は……」

「なんでしょう?」

 ふぉ。珍しい、私語なんて。

 小首を傾げて見せれば、教官は何か言いさして、けれど何も言わずに首を振った。

 それからは無言で進む。

 んん。覚悟はしてるけど、それ以上に“悲劇的な展開”が待ってるらしい――少なくとも、周囲がそう捉えるような。

 たどり着いた先には、ドズル兄貴の他に、連邦の将校二人と、兵士三人が待っていた。

 上官はソファに腰かけて、兵士はその後ろで直立不動の姿勢である。

 随分多いね。

 司令の顔は知ってるけど、あとは知らない。

「ガルマ・ザビ、参りました」

 姿勢を正して敬礼する。

 ドズル兄貴から向けられる視線は、憤りと憂いが綯交ぜになっていた。

 司令官の隣に居る、もう一人の将校がニタリと笑った。

 スキンヘッドでつぶらな瞳――のくせに性格の悪そうな目つきが何とも。

「ガルマ・ザビ……本物か?」

 いきなり失礼だな、おい。

 瞬間、兄貴と教官から立ち昇った殺気は目に見えそうなくらいに濃い。

 司令は顔色を変えたけど、ハゲつぶら瞳のオッサン将校――に見えるけど、もしかして30前後?――は、煽るような空気のままだ。

「発言をお許しいただいても?」

「許そう」

 ハゲつぶらが頷いた。

「本校に“ガルマ・ザビ”はひとりしかおりません」

「そうか。ザビ家にしては、随分と可愛らしい顔だな」

 安い挑発だね。

「父曰く、母に似ているそうです」

 渾身の笑顔を振る舞ってやる――“キレイ“も”可愛い”も作れるんだぞ。

 眉も目尻も口角も、そのすべての角度を計算しまくった微笑みは、ポスター撮影だって怖くない――撮る予定なんかないけどさ。

 ハゲつぶらのみならず、司令達まで目を見開く。

 ――よし、勝った。

「……なるほど」

 何かなるほどか知らんけど。

「ガルマ・ザビ。君は我々と来てもらう」

 ――は???

 クソ偉そうになに言ってんの、ハゲつぶら。ムンゾ語学んでから出直して来いよ――を、丁寧に言うとこうなる。

「失礼ながら、理由をお伺い致します。それとも、わたしを直ぐに連れていけるとお思いですか?」

「たかが四男坊が、威勢だけは良いな」

「価値のないものを、わざわざお迎えに?」

 緩く首を傾げて、苦笑。

 ご苦労さまです? 

 口には出さなくても嫌味ってのは伝わるもんさ。

 視線の先で、ハゲつぶらの額に青筋が浮き出した――髪が無いとよく分かるね。

 司令や他の兵士も鼻白むと思ってたのに、シレっとした顔。なに、人望ないの?

 まぁ、そうかもね――初対面の未成年に高圧姿勢でマウント取ろうとするくらいだし。

 ――その程度で怯むと思うなよ。

「改めてお伺いします。なんの意図があって、わたしを?」

 さあ、勿体ぶらないで、建前でも本音でも言ってみなよ。どうせろくなもんじゃ無し。

 火を吹きそうな視線には、冷笑で返してやる。

 と、場を払うみたいな咳払いがひとつ。

「……ガルマよ」

「はい」

 ドズル兄貴が重々しく呼ぶのに、素直に答えて歩み寄る。

 ニコリと向ける笑みは、作ったものじゃなくて、いつものそれだ。

「急な話で驚いたのだろうが、バスク・オム少佐を、そう困らせるものではないぞ」

 ドズル兄貴の眼の奥には、面白がる光があった。

 おれが、ハゲつぶらをやり込めたことに、溜飲がちょっと下がったのかも知れんけど……って。

 ――バスク・オム?

 え、ハゲつぶらってバスク・オムなの??

 ゴーグル無いじゃん。

 ゴーグルが無いバスク・オムなんて、バスク・オムじゃ無いっていうか、ただのハゲつぶらじゃないか。

「本件については、ジーン・コリニー中将から議会を通じて打診があった」

 兄貴はそこで言葉を切って、また表情を険しくした。

「“ガルマ・ザビを地球によこすなら、デモ隊の鎮圧はムンゾ国軍に任せる“そうだ」

 吐き捨てるような語調。

 なるほどね、人質か――その価値があるかは知らんけど――ザビ家としては屈辱的なことだね。

 だけど、ムンゾ国民の事を思えば、条件は悪くない。

 少なくとも、連邦の治安と称した市民への弾圧を先延ばしにはできるだろうから。

 ハゲつぶ…バスク・オムが小気味良さげに含み笑うけど、おれが顔色さえ変えないのを見て、つまらなそうな顔になった。

「僕は、お父様の決定に従います」

「……そうだな」

 ドズル兄貴も頷く。

「わが子可愛さに、閣下が決断を誤らぬ事を望むぞ」

 バスク・オムが口を挟む。

 兄貴とおれが嗤ったのは同時だった。

 ――舐め過ぎだろ。

 ザビ家がそこまで甘いと思ってか。

 牙を剥く獣みたいに。場に満ちる怒気に、将校の後ろに控えた兵士らが一歩下がった。

 鼻白むハゲつぶらに、告げるドズル兄貴の声は、いっそ静かに、けれど反論を許してなかった。

「追って返答する。貴殿達は基地で待たれるが良い」

「……急なことですまないな。では、よろしく頼む」

 バスク・オムよりも先に、今まで空気みたいになってた基地司令官が了承した。

 顔色は悪いものの、口調ははっきりとして乱れはなかった。

 そのまま、膝を打って立ち上がる。

 バスク・オムは忌々しげな視線を一つ投げ、小さく舌打ちしてからあとに続いた。

「返答は、明日の昼まで待つ。それ以降は、治安部隊が動くと思え」

 まるきり脅迫じゃないか。

 ホント、随分な態度だな――声だけはドズル兄貴によく似てるのに、ぜんぜん好感度あがらんわ。

 声だけは良いのに。まったく。

 去って行く後ろ姿を眺めて。

 いつか喰い殺してやるよ、なんて、腹の底の“獣”が舌なめずりするのに薄く笑った。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「『………………キャスバル?』」

 そして、今おれは弱りきっている。

「『キャスバル、キャスバル、応答願います――って、頼むから応えておくれよ』」

 そりゃ、普段からオープンじゃないけどさ、それにしたって、一切の意識を閉じて締め出すってどうなの?

 おれが閉じたら、なにが何でもこじ開けてくる癖に。

 思考波でもダンマリ、言葉でもやっぱりダンマリって、ヒドイ。

「『キャスバル、キャスバル〜………キャスバル』」

 ちょっと泣きそうなんだけど。

 ジーン・コリニー中将とか言うヤツのゴリ押しで、おれは地球に連れてかれる――それはもう避けようがないんだろう。

 その事を告げた途端、この有様である。

 時間が無いのに――明日の昼までにはザビ家からの回答が。

 そしたら、直ぐにでも、お前から引き剥がされるんだぞ。

 拒絶するみたいに向けられた背中に、張り付いて揺さぶる。

「『ねえ、キャスバル、お願いだから話を聞いてよ!』」

 悲鳴じみた“声”が出た。

 お前から離れたくなんかないのに――だけど、もう、いまはどうにもならないだろ!

 畜生、コリニーだかコロリーだか、ソイツを今すぐ血祭りに上げてやりたい――ついでにハゲつぶらも。

「………聞いてるさ」

 硬い声だった。

 意識は閉じられたまま、けれどようやく返った声に、力が抜けた。

 顔は背けられたままで、青い眼が見られないのが、ひどく寂しい。

「『どのみち、そんなに長いことじゃない。おれが地球に降りたって、ムンゾの反発は収まらないだろ』」

「むしろ高まるだろうな」

 吐き捨てるみたいな口調。

 そうね。ムンゾ国民、怒り狂うかも。でも、サスロ兄さんあたりが、お涙頂戴話にしてくれるはず。

「『だけど、上手くすれば半年は稼げる――そうなれば、お前は卒業する。ちょうど、“ギレン”の想定してる開戦時期だ』」

「……危険だ」

「『だね。でも、やんないと。そんで、お前のとこに戻って来なきゃ』」

 行ったきりになるつもりなんか皆目無いんだ。

 絶対に帰ってくる。

「『ね。これはおれに用意された“戦場”だ』」

 おれに――ザビ家に売られた喧嘩だ。

「『ちゃんと勝つよ』」

「『……勝って、戻れ』」

 その瞬間、意識に触れたのは思考波だった。

 いつも通り、嘘がないことを確かめるみたいに、おれの内側を浚っていく感覚は、いつもよりも少し強くて、引っ掻かれてるみたいだ――けど、抵抗せずに好きにさせる。

「『戻るさ。当然だろ』」

 隣を歩くって決めたんだから。

「『だから、それまでは頼むよ、まずは“あの子達”のこと』」

 おれの“宝物”――アムロたち、子供たちのこと。

「『……泣かれるぞ』」

「『だから頼むって言ってんの! それから、“仲間たち”のこと』」

 お願いしてんのに、なんでまたダンマリさ。

「『キャスバル? 暴走させないように、アイツらのこと、ちゃんとセーブしてよ?』」

「『……彼らのフリーダムは君のせいだぞ』」

 ゲンナリした“声”だった。

 今更なに言ってんの。

「『大丈夫! お前の言うことは聞くから!』」

「『………なぜ、そう言い切れる?』」

 疑い深いなぁ、もう。

「『そんなの、みんな、お前に、ゾッコン惚れ込んでるからに決まってるだろ!』」

 この3年間、何を見てきたのさ。

 いつものメンバーは勿論、生徒一同、お前に付いていくことに異存はないんだ。

「『それは君にだろう……』」

「『最初はそうだったかもね。だけど、いまはもう、お前なんだ、キャスバル』」

 彼らが従うことを決めたのは、“ガルマ・ザビ”じゃなくて、キャスバル・レム・ダイクンなんだよ。

 みんな、おれと一緒にお前を支える同志ってわけ。

「『自分で落としたんだぞ、自覚無しかよ』」

 孤高気取って周り見落としてんじゃないよ。

 ゴスっと、背中に頭突きを一発かましてやる。

「『この誑しめ。今じゃ、どいつもこいつもおれのライバルじゃないか』」

 ふんすと鼻を鳴らすと、キャスバルの背中が小さく揺れた。そこで笑うのか。

「『――……半年だ』」

「『ん。半年だね』」

「『卒業しても戻らないようなら、君の居場所は――そうだな、シンにでもくれてやるか』」

 ちょ!? なんつーことを!!?

 意地の悪い“声”で、意地の悪いことを言うキャスバルの背中に、ガツンガツン頭突きを繰り返す。

「『やめろ、痛い』」

「『――……シン、始末してから地球に降りて良い?』」

 軋る様なおれの声に、キャスバルの背中がさらに揺れた。

「『だめに決まってるだろう』」

 嫌ならさっさと戻ってこいなんてさ。

 半年後の“居場所”のために、おれは死にものぐるいで戦うしか無さそうだね。

 

 

 メンバーへも通達した。

 なんと言うか――阿鼻叫喚だった。

 武器庫に走ろうとした面々を、キャスバルと二人で必死に制止した。

 ここを爆心地にするつもりか貴様ら。

 3回生諸氏、決起はまだ先だって言ってんだろ!!

 全員、格納庫の床に正座でお説教である。

「『君達が暴走すると、僕の帰る場所がなくなるんだぞ』」

 溜息。そろそろ泣き止んでよクムラン。

 ロメオ、君もだ。脱水になりそうで心配だよ。

 それから、唸りだか軋りだか呻きだか、形容し難い声を上げてる皆もさ。

「――我々が護るべきは、なんだ」

 カツンと、ひとつ硬い靴音を響かせて、キャスバルが前に出た。

 格納庫の照明を受けて、キャスバルの金色の髪が、青い眼が燦めく。

 声を張るわけじゃないのに、場の視線が一身に集まった。

「同志であるガルマひとりの身か――それとも、それぞれの故国、そこに暮らす家族や人民の命や暮らし、コロニー社会の自由か」

 その問いかけに返るのは、噎び泣く声と、いまだ悔しさの滲む唸りだ。

 だけど、一同の瞳に宿には、理性の光が戻り始めてた。

「ガルマは言った。これは自分に用意された戦場だと。勝って戻ると。……戦いはもう始まっている。この中の誰よりも早く戦場へ赴くガルマに、我々が出来ること、すべきことは何だ」

 キャスバルが振り向き、つられて皆の視線がおれに向いた。

 え。これ、おれも演説ぶる流れ?

 うぬ。ちょっと緊張――なんて、小難しいことを言うつもりなんて無いけどね。

「練度を上げて。……悔しいけど、今すぐに連邦に介入されたら、僕たちの勝ちは薄い。だけど、少し先の未来ならどうかな? ムンゾはいま、急速に戦力を高めつつある」

 グルリと見回す。

 機密にではあるけど、既にザクⅡの製造に入ったと聞いてる。量産までは、まだ少し掛かるだろう。それでもあれが装備されれば、MS戦はムンゾが有利になる。

 建造中の新戦艦だって数が揃うだろう。

 その時まで連邦軍の動きを抑えることが出来れば――歴史が変わる。

「卒業までだ。精鋭中の精鋭を、僕は期待する。ムンゾの“牙”が揃うまで――僕はそれまでの“時間”を稼ぐ」

 どんな手を使っても。

「そして、来たる日には、僕は必ず、君達の隣にいる――“ガルマ・ザビ”の名に誓って」

 言い切って胸を張る。

 だから、“良い子”で待っててよ。

 それなのにさ。

「……そこは、もうひと声欲しいぜ」

 リノが、鼻を啜りあげながらニヤリと笑った。

「そうだな、足りないな」

 なんだよ、シン、何が足りないってのさ。

 クムランやライトニングも、ルーもケイもベンも、ロメオまで――ゼナ、君もか。

 それに倣うみたいに、3回生達が、みな口々に足りないと文句を付ける。

 “ガルマ・ザビ”の名で足りないってなにさ。

 何だったら足りるの――って。

 ――……あ。

「……そうだね、足りなかったかも」

 思い付いて、小さく笑った。

 キャスバルに目を向ける。

 おれが、絶対に破れない誓いをたてるなら、それはおれ自身より、むしろ。

「『“ガルマ・ザビ”は、キャスバル・レム・ダイクンに誓うよ。戦いのその日、必ず、その隣に立つと――立会人は、ここに居る諸君だ!』」

 その誓約に、今度こそ、雄叫びみたいな呼応があがった。

 格納庫の壁に、天井に、床にまで反響し、空気を震わせるそれは、腹の底の“獣”さえも奮い立たせるもので。

『……頼むね』

『ああ。必ず戻れ』

『はいよ。りょーかい』

 行きたくない気持ちには蓋をして、不敵に見えるだろう笑みを浮かべてやった。

 

 

 あくる朝までは、家族からの通信に応じてた。

 姉様は、目が赤かった。

 もしかして、少しだけ泣いたのかな。いつかの世界線からは想像できないかもね。

 でも、ここでのおれの“姉”は、苛烈だけど愛情深いひとだ。

 サスロ兄さんも、ひと目で空元気とわかる様子だった。時々訪れる沈黙が、そこで飲み込まれた言葉があることを知らせてきて、小さく胸が痛んだ。

 デギンパパは、ただただ、「愛している」と「すまない」を繰り返してた。

 ごめん。一番悲しんでるのはパパかもね。

 憔悴した様子が胸に刺さる。国を治めるものとして、その決断は“斯くあるべき”もので、おれはそれを尊敬してる。

 約束するよ、絶対に帰ってくるって。

 モニタ越しに手を重ねたけど、当然、返ってくる温みはなくて、ちょっとだけ寂しい。

 子供たちには、まだ知らせる事はしない。今頃休んでる頃だろ――良い夢を。

 ナイショにしたこと、きっと怒るんだろうなぁ。

 通信が終わっても、画面を落とせないでいたら、背中からキャスバルに目を覆われた。

 言葉にならない思考波だけが渦巻くようで、感情が纏まらない。

 おれは臆病だから、ほんとは、今だって震えそうなほどコワイんだ。

 口角は持ち上がったままだったのに、掌の温度を感じた瞼の奥から、ジワリと滲んだもので皮膚が濡れた。

『…………泣き虫め』

『君が言わなきゃバレないよ』

 良いだろ。どうせ、地球に降りたら、意地でも涙なんて溢せないんだから。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 明くる日、正午までは大分あるってのに、早くもハゲつぶら――バスク・オムが襲来しやがった。

 ドズル兄貴が青筋立てながら対応してるとか。

 なんなの?

 暇なの? バスク・オム。

 おれは正午までは出てかないよ。身支度とか色々あるからさ。

 必要最低限のものは纏めてあるけど――それ以上は後で送ってもらうことになってるし――何より、いまはパック中なんだ。

『…………そのヨーグルトは食べるんじゃ無かったのか』

『ヨーグルトパックだよ』

 手っ取り早く肌を整えられるだろ。

 ハチミツやら何やら、有効成分満載のそれは匂いからして美味しそうだけど。

『必要なのか?』

『必要だとも』

 ある種の戦化粧だとでも思うがいい。

 身奇麗にしておくことは勿論、それ以上に好ましい姿でいることは武器になる。

 幸い、ガルマ・ザビの見た目は整ってるから、少し余計に手入れすることで、一層人目を引くことが出来るだろう。

『そりゃ、お前ほど整ってればこんな小細は工不要だろうけどさ』

 クスリと笑う。

 キャスバルが顔をしかめた。

『籠絡する気か』

『……できたら良いけど、妲己や末喜じゃあるまいし、そこまでは期待してないさ』

『――どうだか』

 なんて。ジーン・コリニーの為人も知らんのに、そうそう懐柔は難しかろうよ。

 せいぜい、手元に置いて不快にならん程度には磨いとかんと。

 甘い匂いのヨーグルトを洗い流せば、モチモチ艶々の肌があらわれた。

 ん。あっちでもこの程度なら続けられるだろ。

 手触りを確かめたかったのか、プニプニと突いてきたキャスバルの指が、不意に頬を摘んで引っ張った。

『ふぉ!?』

 お止めよ。跡がついたらどうすんのさ。

『伸びる』

『痛いからね!?』

 なんて、じゃれていられるのも、あと少し。

 

 

 刻限が迫って、校長室へと連れて行かれる。

 何故かキャスバルもついてきて、誰もそれを咎めなかった。

 バスク・オムは前回と同じソファに座っていて、おれを振り返ると、ニヤニヤ笑った。

 相変わらず性格悪そうね。

 隣でキャスバルが視線を鋭くする。

『こんな奴が迎えか』

『そ。ハゲつぶら。バスク・オム少佐だってさ』

 キャスバルの思考波が一瞬震えた。吹き出すのを堪えた様子。ね、的確な表現でしょ。

 そんな相手とずっと対峙してたドズル兄貴と言えば、いま3人くらい殺ってきました、みたいな凶悪な人相になってた。

「来たか、ガルマよ」

「はい。参りました」

 ニコリと。

 ハゲつぶらにはおざなりに会釈を。

 バスク・オムが不満そうに何かを言いかけたとき、正午を告げる鐘が鳴った。

 部屋に設置されていたモニタが点り、そこには“ギレン”とデギンパパの姿があった。

 いつもと何にも変わらない“ギレン”はともかく――いやほんと、借りにも“弟を人質に出す”ってのに、まったく何も感じて無いように見えるってどうなの――デギンパパも、昨夜見たような憔悴の影は隠せてた。

〈――バスク・オム少佐か〉

 老いてなお張りのある声が場を打った。

「いかにも」

 余裕がありそうに見えて、一瞬の緊張にオム野郎の背筋が伸びる。

「首相御自らご返答戴けるとは、光栄ですな。――して、そのご返答はいかに」

 嘲るような声は、事更に優位に立とうとする故かね。

 そんなバスク・オムを、パパンは成り損ないの道化師を見るような目で眺めた。

〈……ガルマをお預けしよう〉

 乾いた声だった。

「そうこなくては!」

 バスク・オムがパンと手を打って、おれを振り返った。

 酷薄な笑い貼り付けたまま、その腕が延ばされる――けど。

〈まだだ!! 貴公は、暫の間離れ離れになろうと云う親子に、別離の言葉すら交わさせぬつもりか!〉

 慮外者へ叩き付けられる声。

「……これは失礼した」

 オムは小さく舌打ちして、それでも取り繕うように、おれをモニタの前に押し出した。

〈ガルマ…〉

 近寄れば、色硝子の奥で、パパンの目がせわしなく瞬いていた。

「お父様」

 答えて微笑む。

 いつも通りの表情で。少しいたずらっぽく小首を傾げ視線を合わせてから、それを社交の場で浮かべるそれに切り替える。

 それだけで、パパンにはおれの“やる気”が伝わったみたいだった。

 だって、おれは“ガルマ・ザビ”だからね。

 子供の頃から要人の間で生きてきたんだ。立ち居振る舞いやら受け答えやら、果ては腹芸の数々まで、この身にしっかり染み付いてんのさ。

 門前の小僧が習わぬ経を読むんだ、いわんやザビ家の末子をや、なんてね。

「お父様、行って参ります。どうかご健勝で。僕のことはご心配なさらずに」

〈……子を心配しない親があるものか。くれぐれも身体には気をつけるのだぞ〉

「はい。メッセージを送ります。お手紙も」

 この辺りのことは、実は昨夜も伝えていたことではあるけど。

 でも、心配なのも、寂しいのもホント。何度だって伝えたくなるんだ。

「それから、あの子達のこともお願いします。何も伝えられないままなので、泣いてしまうかも知れません」

 むしろ、ギャン泣きで大暴れする可能性無限大――ごめんなさい。なんとか宥めてくれると嬉しい。

 キャスバルにも頼んではいるけど、身近に居られるわけじゃないからね。

「おお、もちろんだとも。お前の可愛い子どもたちのことは、よくよく気をつけておくことにしよう」

 デギンパパが何度も頷いた。

 あの子達のことは、パパンも可愛がってるからね。

 そして、“ギレン”に向き直る。

 さあ、敵地に赴くおれに、なんか言うことあるよね?

 じーっと見てれば。

〈――………あー…〉

 この期に及んでまだ言葉を探すのか。パパンがめっちゃくちゃ睨んでるじゃないか。

〈……とりあえず、サスロとキシリアからは、伝言を預かっている。“愛している、身体にはくれぐれも気をつけて”と〉

「……はい」

 とりあえずってなんだよ。

『ほんと“ギレン”ってマジ“ギレン”だよね!』

『……ギレンだからな』

 ずっとトゲトゲしてるキャスバルでさえ、呆れたように息を吐いた。

〈……私からは、気をつけて行け、と。そう云う意味では心配はしていないが――まぁ、何があるかわからんご時世だからな〉

 いや、心配してよ。何があるか分からんって言ってんだし。

 そろそろ脳内ツッコミがカナシミに変わってきそう。

〈……まぁ、それくらいか。そうだ、“あまり羽目を外し過ぎるな”よ〉

 それは、取ってつけたみたいな言い方だった――けど、さ。

 ――え?

 “羽目を外すな”じゃなくて?

 あの、ギチギチに手綱引き絞って監視付けまくって行動制限しまくりやがってくれた“ギレン”が、“羽目を外し過ぎるな”、なんて、つまり。

『解禁きたわー!!』

『ギレン、正気か?』

 パパンが“ギレン”をどやしてるけど、これはGOサインが出たと判じるよ。

「わかりました。“ギレン兄様”――“羽目を外し過ぎないように”気をつけます」

 つまり、開戦までの時間を稼ぎつつ、出来るだけ連邦軍の内部を掻き回してこいって指令だよね。りょーかいした。

「“兄様”も、お気をつけて」

〈無論だ〉

 既に戦端は切られているって、“ギレン”はとっくに知ってるんだ。

〈お前が“暁”に間に合わんとしても、必ず戻ってこい。お前のあるべき座は、用意されているのだからな〉

 ん。やっと“戦え”って。その場を用意してるって言ってくれたね。

「はい――それでは、行って参ります。父様も“ギレン兄様”も、どうかご健勝で」

 踵を合わせて敬礼する。

 デギンパパと“ギレン”からは返礼が。

「……宜しいですかな」

 底意地の悪そうな声だった。

 お前は、そんなにおれをムンゾから引き剥がすのが愉しいのか、バスク・オム。

〈結構だ〉

 いつまでも引き伸ばせないのは、みんな分かってるんだ。

〈バスク・オム少佐にお訊きしたい〉

 だけど、“ギレン”にはまだ少しだけ話す事があるみたいだった。

〈コリニー中将殿は、“ガルマ”がどんなものであるか、ご存知でそれをご所望になったのか?〉

「何を云うやら。ザビ家の最も愛された四男坊、そうではないのか」

 バスク・オムが馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 デギン・ソド・ザビの掌中の珠、酷薄で知られるザビ家の兄姉が例外的に溺愛していると言う――だからこその人質なのだと言外に告げてくる。

〈――なるほど〉

「さて、それが何か?」

〈いや――では、本当に“ガルマ”で宜しいのだな?〉

 “ギレン”は思案顔だった。

「くどい!」

 バスク・オムが吼えた。

「コリニー中将は、ガルマ・ザビをとの思し召しなのだ。貴殿らに、それに疑義を差し挟むことなど許されることではない!」

 振り払うかに手を振って、苛立ちを隠そうともしない。

 対する“ギレン”が薄く嗤った。

〈なるほど、了解した。では、“ガルマ”を望まれたのはそちらであると、コリニー中将にはお伝え戴きたい。“ガルマ”がそちらで何をしようと、われわれは一切関知しないとな〉

〈ギレン!!〉

 あまりの言い分に、デギンパパが唸り声を上げた。

 そりゃね、おれが何をしようとザビ家は関知しない――裏を返せば、連邦がおれに何をしようが構わないって言ってるようなもんだし。つまり、おれには人質の価値なんて無いってことだろ。

 一瞬、激昂しかけ、それでもパパは自分を抑えた。

〈……失礼した。ガルマに何かあってみよ、連邦は、ザビ家のみならず、ムンゾすべてを敵に回すことになる。然様心得られよ〉

 刺すような語調。重くて暗い、呪詛みたいな声だった。

「――なるほど」

 バスク・オムが厭らしく嘲笑する。

「ガルマ・ザビを、ザビ家が溺愛していることは理解した――ただひとりを除いてな」

 長兄からは疎まれてるって判断なんだろうけど。

 ――それ違うから。

〈敵を見誤ると、いずれ足許を掬われることになるぞ〉

 “ギレン”の言葉は、全部、おれの箍を外すものばかりだ。

 お前が何をしようと、ザビ家は止めない。思う存分やって来い”って、“おれ”にはそう聞こえるから。

 腹の底で“獣”が嗤った。

 雁字搦めの鎖が、ジャラジャラと音を上げてる外れていくようだ。

『……“ギレン”は本気で君を解き放つ気か』

『そうさ。“喰い荒らして来い”って言ってんの』

 内心でニンマリするおれに、キャスバルの思考波がやり過ぎるなと突っ込みを入れてきた。

「さて、もう宜しいでしょうな」

 バスク・オムが促してくる。

〈あぁ〉

〈ガルマ、息災でな〉

「お父様も」

 見交わして、頷いた。

 不意に腕を引かれて、キャスバルの胸元に鼻を突っ込む――ちょ、潰れたらどうすんのさ。

「……ガルマ、気をつけて。『必ず戻れよ。……女絡みは、“アルテイシア”の名前で躱せ』」

「“シャア”も無理しないでね。『勿論、必ず 戻るさ、誓ったろ。……なんでお姫様さ。下手すりゃ疵がつくだろ』」

 おれが名前を出したら、他に嫁ぐことが難しくなるじゃないか――アルテイシアの将来の恋を潰しかねないのに。

『兄の僕が構わないと言ってるんだ』

『……お兄ちゃん横暴だわ』

 ――……まぁ、いっか。いざとなりゃ、おれが振られたことにしよ。

 ちょっと遠い目になったら、キャスバルが小さく笑った。

 ギュッと抱きつく。不覚にも鼻の奥がツンとした――息を詰めて、涙だけは引っ込めたけど。

「ザビ家の男として、胸を張って行ってこい!」

「はい、ドズル兄様」

 兄貴の苦しいくらいの抱擁に、物理で涙ぐみそうになるのを、こっちも根性で止める。

 バスク・オムの野郎が、ニヤニヤ眺めてくるからね。

「では行くぞ」

 偉そうに命じてくる声に、鼻を鳴らしそうになるのを堪える。

 ハゲつぶら如きにおれが従うと思ってんの?

〈行ってこい〉

 モニタの向こうから、“ギレン”に送り出される。

「……はい」

 ――征ってくるさ。

 この先は戦場だ。

 そして、どんな戦いだって勝ってやるって、“おれ”は、そう決めてるんだ。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 19【転生】

 

 

 

 ものごとは、まま、思うように動かぬものだ。

 狙撃事件をきっかけにして、ムンゾ独立運動が再燃してしまった。実行犯に手が届かぬうちに、である。

「面倒なことになったな……」

「抑えようとはしたんだがな」

 頭を抱える横で、サスロがやや投げやりに云う。

 未だ半療養中で、仕事を早く切り上げたところに、サスロが来てのティータイムである。中年の男ふたりでは、優雅も何もあったものではないが、茶器と菓子器があるだけで、陰謀を企んでいる感はぐっと減ったように感じられる――あくまでも“気持ち”程度のことではあるが。

「お前が、意外に人気があるのがいかんのだ。事件のことを耳にしたシンパたちが、許せんと云って、連邦からの独立を叫んでいるんだ」

「人気? あるのか」

 “父”デギン・ソド・ザビならともかくとして、軍総帥で強面の、この自分にそんなことが?

「あるぞ。何だったか、雑誌の企画のひとつに、理想の上司を選ぶと云うのがあったが、お前の名前も挙がっていた。親父より上で、驚いたぞ」

「一国の首相を上司に持ちたい人間は少ないだろう……」

「まぁな、基本、俳優やジャーナリストが多かったが――お前は結構高かったぞ。確か、三十位以内にはいたはずだ」

「……それは、私を近くで見たことがないから、投票できたのだろうな」

 “オルガ・イツカ”の時すら、インテリヤクザと云われたのだ。今なら、強面ぶりはそれどころの話ではない。

 それにしても、あり得るとは思ったが、実際に独立運動が盛り上がってしまうと、何とも云い難い気分ではある。

「困ったものだな……」

 確かに、“暁の蜂起”の後、すぐに開戦に持ちこむためには、前振りとしての独立運動がある程度盛り上がっている必要はあった。

 あったがこれでは、早々に連邦軍の介入を招くことになりはすまいか。

「……“ガルマ”たちが、演習で良好な成績だったと聞きはしたが……」

 原作では、その後の掃海実習の時に、連邦軍の戦艦が事故を起こして、そこからの独立運動激化、そして“暁の蜂起”だったはずなのだが。

「おう、そうだったな。その日にお前が狙撃されたので、うっかり失念していた」

 サスロは嬉しそうに云った。

 何だかんだでこの“弟”は、“ガルマ”のことを気にかけている。演習の件も、我がことのように喜んでいるようだ。

「少々トラブルもあったようだが、向こうの軍監も絶賛せざるを得ないくらいだったらしい。ドズルが喜んでいたな」

 まぁ、お前が撃たれた話で、それどころじゃなくなったわけだが、と云われては、素直に謝るしかない。

「すまん、迂闊だった」

「いや、あれはどうにもなるまいさ。まぁ、お前が、連邦にとってそれだけ脅威だと云うことだな」

「コロニー同盟は成立してしまっている以上、私をどうこうしても、状況が激変するわけではないと思うが」

「そんなわけがあるか」

 サスロは、やや乱暴にカップを置いた。

「正直に云えば、他サイドのムンゾに対する信用は、お前一人で担保されているようなものだろう。お前に万が一のことがあれば、コロニー同盟は嵐の中の小舟になって、やがては瓦解することになると思うぞ」

「大袈裟な」

「本当のことだ」

「少なくとも“ザビ家”が担保しているのであって、私一人ではあるまい」

「まぁ、お前と親父がな。その一方が欠けては、少々な」

「まったく替えの利かない人間などない」

「そりゃあそうだが、まるごとカバーできる代役がないと云うのも本当のことだろう」

「……まぁ確かに」

 俳優などは、往々にしてそうなのだが。

 それでも、いざ代役が立てば、その人物はそれなりに業績を残し、場合によっては元の人間よりも評価を得たりもするものなのだ。

「――しかしまぁ、本当に参ったな。この分だと、いずれ連邦軍が、治安維持などと称して出張ってきそうだ」

「ガーディアンバンチに動きがあるのか」

「あぁ。何やら慌ただしくしているようだ。一応、ズムシティの警備については、ムンゾ国軍で行うと通達しているが――あまりにもデモが激化するようなら、生ぬるいと云って鎮圧部隊を出してくる可能性はある」

「それは困るな……」

 原作のラインでいけば、もちろんそこから“暁の蜂起”だが、この時間軸の微妙な力関係では、武力衝突即開戦、と云うことにもなりかねない。

 もちろん、MSに関しては、MS-05、すなわち旧ザクが量産体制に入ったところではある。が、原作の一年戦争開戦が“暁の蜂起”の二年後だったのに対し、こちらはおそらく、そこまでの時間の猶予はないだろう。下手をすれば、旧ザクばかりで開戦に持ちこまれることになりそうだ。

 無論、今回は連邦にガンダムがないので、こちらにアドバンテージがあるが、しかし何と云っても“戦いは数”である。ムンゾ一国と地球連邦では、そもそも抱える兵の数が違い過ぎる。間違いなく、このままやり合って勝てると云うルートはないだろう。

「国民が独立を求めているのはわかるが、独立となれば即戦争になるだろう。それは覚悟の上だが、いかんせん、準備が足りないからな」

「まぁな。親父は慎重だ。まぁ、常識で考えれば、連邦とまともにやり合って、勝てるはずがないからな」

「私とて、今開戦は絶対に御免だ」

 だが、連邦内がごたごたしている気配がある以上、絶対はない。

 “伝書鳩”の調べたところでは、やはり連邦軍内部は不穏であるようだ。ゴップは、そもそも兵站担当で、強硬派だの改革派だのと云う枠ではなかったはずなのだが、いつの間にやらそのあたりのせめぎ合いに巻きこまれ、少々面倒なことになっているらしい。

 悪いことに、その争いにはレビルもあまり関係はなく、タカ派同士の勢力争いに、まわりが振り回されているような恰好らしい。

 正直、原作における連邦軍内部の抗争など、1stや『the ORIGIN』ではあまり描写されておらず――まぁ、どちらも主役はアムロ・レイとWBクルー、そしてシャア・アズナブルであるからには仕方ない――、また、その後の枝サーガなどほとんどフォローしていない身としては、アンテナが働かないのも仕方ないことだと思う。わかるのはせいぜいがブレックス・フォーラとジャミトフ・ハイマン、バスク・オムあたりの『Z』の面々くらいなのだ。

 そう、しかし“鳩”の伝えてきた抗争の面子の一人は、どうやらそのジャミトフ・ハイマンと関係がある男であるらしい。

 ジーン・コリニー、連邦軍中将と云うことらしい。ジャミトフ・ハイマンは、この男の部下であるようだ。ハイマンに良い印象がまったくないので、その上司だと云うジーン・コリニーにも、良い印象は抱けない。

 そして、それと敵対、とまではゆかずとも、主導権を争っているのがグリーン・ワイアットと云う男だ。こちらも中将と云うことである。そして、イギリス出身であるらしい。

 どうも、主戦派、しかも割合に強硬派の二人が、対ムンゾの先行きを決めることになりそうだった。

 ――どちらについても、さしたる情報がないのが痛いな……

 こう云う時、トミノライン以外もフォローしておくべきだったと思うのだが――まぁ、枝は枝でしかないので、今でも興味はあまりないのだ。いくら公式が“正史”だと云ったところで、受け入れるか否かは視聴者次第なのである。

 ――ワッケインなら、1stにもいたから、まだ認識しているが……

 こちらは『the ORIGIN』では少将で、ルウム戦役前から戦闘に参加し、本編ではルナツーの司令官として登場していたはずだ。やや官僚主義的な――つまりは頭が固い――描写をされていたが、こちらとしては、それならそれでやりようもあったのだ。

 しかし、相手がジャミトフ・ハイマンの上司などであっては、それすらも見こめまい――少なくとも、誠実で“民主主義”の前提を信奉するタイプではないだろうからだ。

 ジャミトフ・ハイマンの部下であったバスク・オムに至っては、アースノイド至上主義者であり、ブライト・ノアを殴りつけたりと、粗暴さを隠しもしないキャラクターだった。そのような部下たちを従える人間に、他人、殊にスペースノイドに対する気遣いや思いやりなどあろうはずはない。

 そのあたりが跋扈して、かつタカ派同士の抗争もあるとなると、さしものゴップも身の危険を感じるか。

 そこでブレックス・フォーラに声をかけたのは、あるいは、議会に席を持ち、かつあまり派閥色のない――だろうと思いたい――人間を、とりあえず自分の近くに引きこもうと云う意図があったのかも知れない。

「……連邦も、いろいろと複雑なようだな……」

 それに較べれば、ムンゾのあれこれなど、児戯にも等しいものではないか。

 軍の中だけですらこれならば、議会や政府も含めれば、どれほど複雑な関係図が描けるのか、想像に難くない。

 気がついたら“ブレックス・フォーラ”ではなく、気がついたら“ギレン・ザビ”であったことに、何とも知れぬものに感謝するしかない。

「とにかく、連邦の駐屯軍が介入してこないよう、ぎりぎりまでは踏ん張るが――最悪の事態もあり得るのだと、親父には伝えるしかあるまいな」

「まぁ、予期はしておられよう」

 まったく憶えていないが、撃たれた日の夜には、わざわざ公邸から顔を出してくれたようなのだ。まぁ、こちらは貧血で意識を失っていたようなものだったので、あとからそのことを聞いたのだが。

 それから顔を合わせずじまいだが、まぁ、こちらの仕事も多少流れて、それに忙殺されているのに違いない。議会で会うこともあるが、あちらとこちらで、家族の会話をかわすどころではなかった。実際、サスロとこうして話すことすら、あの後ほぼ初めてであるのだし。

「まぁな」

 サスロは肩をすくめた。

「そもそも、開戦させることが狙いの事件だったんだろうしな――独立派が煽りまくるお蔭で、俺の方も大忙しだ」

「デモが暴動に発展すれば、連邦の思うつぼだからな。治安維持と云う名の出動が、市民の制圧になり、そこから死傷者が出る事態になり、あとは戦争に一直線だ」

「残念だが、俺も同じことを考えていた。開戦までは、もはや秒読みだとな」

「まだ、どちらも体制が整わん時に……」

 これが、第三勢力が漁夫の利を狙わんとして、と云うのならわかる。が、正直、この状況では、泥沼の戦いになるだけだ。

「どうしたものかな……」

 その呟きに頷こうとした、その時。

 控えめな、しかしどこか乱れた調子で扉が叩かれた。

「……どうした」

 問うと、答えが返った。デラーズ配下のものである。

「――閣下、デギン閣下から通信が」

「何」

 一応こちらは半療養中の身である。しかも帰宅後、つまりは就労時間外に通信とは、よほどの事件が起こったのか。

「何かあったか」

「存じません。が、サスロ殿もおられると申し上げましたところ、ご一緒に公邸へと」

 思わず、サスロと顔を見合わせる。

 そろそろ晩餐の時間だと云うのに、今から公邸へ、とは、やはりかなりの重大事であると思われる。

「わかった。今から出る」

 カップに残った紅茶を飲み干し、サスロと目を合わせる。

 そうしてひとつ頷くと、“父”の許へと向かうべく、席を立った。

 

 

 

 公邸の“父”の執務室には、既にキシリアも到着していた。つまり、ガーディアンバンチにいる“ガルマ”とドズルを除き、ザビ家の家族が顔を揃えたことになる。

「何があったのですか」

 デスクについて低く唸る“父”に、そう問うと、

「連邦よ。連邦軍のジーン・コリニー中将の使いだと云うものがガーディアンバンチを訪れて、ガルマを地球によこせと云うの」

 代わりにキシリアが、地を這うような声で答えた。

「何だそれは! 人質ではないか!」

 サスロの額に青筋が浮く。

「そうよ。ムンゾ国軍は、デモ隊と意を同じくして、連邦に対する暴動を起こす可能性がある。ガーディアンバンチの駐屯軍に制圧を命じるが、もしもガルマ・ザビを地球によこすなら、デモ隊の鎮圧はムンゾ国軍に任せることにする、と」

「まるっきり恫喝だ!」

 まぁ、そうだろうと思う。

 “父”を見やれば、歯を食いしばっているものの、それは、最愛の息子を人質として差し出すことを回避できなかった、自身の不甲斐なさに対する憤り故のもののように思われた。

「――返答の期限は」

「明日の正午までよ」

「それで“父上”は、決断なさったのだな」

「お前は反対しないの、ギレン!」

「“父上”が下された決断に反するような意見は持たんよ。国の上に立つ以上、已むないことではある」

 国のトップなどと云うものは、つまりは国事の奴隷である。国のため、国民のためなら、妻子を人質に差し出すことも、あるいは自らの地位を手放すことも、必要とあらばなさねばならぬ。

 その決断を、“父”はしたのだ。そうである以上、こちらが何を云うことがあろうか。

 “ガルマ”に甘いキシリアやサスロは歯噛みするが、国政を担うとはそう云うことなのだ。もちろん、この“弟妹”とても、拒否できぬことは承知の上でのことだろうが。

 と、通信が入った。ドズルからだ。

〈――親父〉

 厳しい顔で、ドズルは云った。

「ドズル」

〈向こうの使いがきた。バスク・オム少佐と云ったな〉

「バスク・オム?」

 思わず問い返す。

 バスク・オムとは、あのバスク・オムか――『Z』において、ティターンズの幹部であったあの?

〈知っているのか、ギレン?〉

「あぁ、名前はな」

 なるほど、こちらでも本当に、ジーン・コリニー、ジャミトフ・ハイマン、バスク・オムのラインは健在だと云うことか――しかし、ブレックス・フォーラが原作より昇進していることを思えば、そのあたりは据え置きなのは、ある意味でこちらに風が吹いていなくもない、とも考えられる。

 ゴップの身を案じていたが、案外、そこまでの危うさはなかったか。だが、タカ派の抗争が勃発していると云うのなら、ゴップに直接被害はなくとも、ムンゾとしては大いに影響がある。現に、“ガルマ”を人質によこせと云ってくるくらいなのだ。

「ガーディアンバンチ駐屯軍の、さらに上がジーン・コリニーだと云うことか……」

 あるいは、コリニーの息のかかったものであるものか。

「まぁ、バスク・オムが出てくるのであれば、そう云うことなのだろうな」

〈わかるのか〉

「“伝書鳩”が出れば、その後ろに私が控えているのと同じことだ。バスク・オムの後ろには、ジーン・コリニーがいる。……まぁ、連邦も一枚板ではない、ジーン・コリニーをいなす間に、他を攻略する」

「軽く云う!」

 キシリアは云うが、そのあたりは、それこそゴップやブレックス・フォーラあたりとやり取りして、上手く舵取りするしかない。

「せっかく“ガルマ”が時を稼いでくれるのだ、それを無駄にするわけにはゆくまい」

 そう云うと、キシリアははっとした顔になった。

「……あの子には、覚悟があるのだと云うの」

「あれもザビ家の男だ」

 そして、それ以上に遙かに悪辣な。

「“父上”の判断に否とは云うまいよ。われわれがなさねばならんのは、“ガルマ”が地球へ赴くことによってできる時間を、一分一秒無駄にせず、開戦に向けた準備を進めることだ」

 新型MSの量産、パイロットの育成、そしてニュータイプを戦場で使いこなす算段も。

「……お前もあの子も、覚悟があると云うことなのね」

「云っただろう、“ガルマ”はMSに乗るつもりがある。最前線に出る覚悟があるなら、今回のことも、また異なる戦場と思うはずだ。戦いは既にはじまっている。“ガルマ”は、それを知っているのだ」

「俺たちの方が、覚悟が足りなかったと云うことか……」

 サスロが、渋い顔でそう呟いた。

「お前たちは“ガルマ”に甘いからな」

「お前が厳し過ぎるだけだろう」

「まったくだわ」

〈まぁ、ガルマは心配ない、上手くやるだろう〉

 何の根拠があってか、ドズルは力強く云う。

〈バスク・オム少佐相手にも、一歩も引かぬ態度は、なかなかだった。地球でも、連邦の連中に臆したりはしないだろうな〉

 まぁ、そこは疑わない、が、

「バスク・オムは、そちらに出向いたのか」

〈あぁ。ガルマが強烈なヤツをお見舞いしていたぞ。なかなか小気味よかった〉

 なるほど、お得意の厭味攻撃か。

「それならば、“ガルマ”は心配あるまい」

〈むしろ、気になるのはキャスバルだな……〉

 ドズルが溜息をつく。

「何かあったか」

〈ガルマが人質に出されると思って、何と云うか、塞いでいるようでな……〉

「ほぅ」

 まぁ、幼少期からずっとともにあった人間が、初めて引き離されることになったのだ。わからぬでもないことだ、が。

「まぁ、キャスバルにとっても、初めての戦いと云うことになるか」

 親密な相手を“戦場”に送り出し、それをただ後方から見るしかない、と云う状況が。

「良い機会だ。“ガルマ”は必ず戻ってくるが、キャスバルも、そのような事態に慣れてゆかねばならんのだからな」

〈……ガルマは帰ってくるか〉

「帰ってくる」

 強い語調で、云う。

「少なくとも、開戦のその瞬間に、ムンゾにいないなどと云うことはあり得ない。われわれは、それまでの間にできることをすべてやり、万端の準備で連邦との戦いに臨むようにするのだ」

「……わかったわ」

 遂に、キシリアが頷いた。

「双子のように育ったキャスバルが耐え忍んでいるのに、年長のわれわれがいつまでも愚痴をこぼすわけにはいかない――あの子が時を稼ぐうちに、やるべきことはやらなくては」

 噛みしめるように云い、頷く。

「そうだな、俺も、覚悟を決めなければならんな」

 サスロも同意してきた。

「末っ子がそれだけの覚悟をしていると云うのに、兄である俺が動じているわけには、確かにいかん」

 納得したならば、“兄弟”は全員、次のステップに進むことができるだろう。

 さて、それならば、

「――“父上”」

 残りは、デギン・ソド・ザビただひとりである。

 無論、ムンゾ首相としての“父”は、愛してやまない“末子”を地球にやることは決めていただろうが――それと気持ちが納得することとは、まったく別の話である。

 デギンは、恐らくは怒りと悲しみと悔しさによって、顔を赤く染めていた。

 やがて、

「――ガルマを、地球へやる」

 軋るような声だった。

「ガルマひとりのために、ムンゾを連邦軍に踏み荒らされるわけにはゆかん。たとえ、人質に取られるのだとしてもな――ジーン・コリニーめ……!」

 最後は、獣の咆哮のようだった。

「“父上”、お気持ちはわかりますが、落ち着いて戴きたい。あまり激されては、お身体に障りがありましょう」

 宥めようとすると、ぎろりと睨みつけられた。

「お前は! ガルマが気がかりではないのか!」

「あれは、間違いなく上手くやれます」

 その“上手くやる”が、“父”の思う意味かはともかくとして。

「あれを信じてやって戴けませんか――あれも、ザビ家の男です」

 と云ってやれば、“父”は、まだ唸りながらも頷いてきた。

〈――それじゃあ、バスク・オム少佐には、承諾の返答をして良いか。一応、明日またくるとは云っていたが〉

「……いや」

 それに首を振ったのは“父”だった。

「儂から直接告げよう。ガルマにも一言云っておきたいし――その、バスク・オムとやらの顔も見てみたい」

 なるほど、禿頭対決と云うことか。

 そう云えば、どちらも眼鏡やゴーグルで目許を隠していたから、本当に似たもの同士の対面となるわけだ。

「そうね。私も見ておきたいわ、我が弟を託すことになる男が、どんな人間かを」

 キシリアの言葉に、サスロも頷く。

 ――愉快な気分にはなれないと思うぞ……

 胸中で呟く。

 バスク・オムは、元来アースノイド至上主義者なのだと云うことだった。そればかりでなく粗暴なところが目立ち、敵を殲滅するために味方を巻きこむことも平然と行うことでも知られていた。『Z』の戦い――グリプス戦役は、そもそもバスク・オムの、デラーズ紛争におけるかれ自身の振るまい――友軍ともども敵を殲滅したと云う――が原因で起きたのだそうだ。

 そもそもティターンズは、デラーズ紛争の後、ジオン残党掃討のために結成された組織だったのだと云う。その性質上、アースノイドを中心に、エリートをかき集めたのだと云うことだったが――集まった人間のエリート意識がおかしな方向に作用して、あのような歪んだ組織を作り上げることになったのか。

 ともあれ、バスク・オムならば、ムンゾ首相である“父”のことすら見下すのだろう。まぁ、後で吠え面をかくが良いのだ。ザビ家は、そう甘い一族ではない。

「では、明日の正午に。その時には、バスク・オムはそちらを訪れるのだろう?」

 “ガルマ”を連れるか、あるいは、ムンゾに対して事実上の宣戦布告をするために。

 ドズルは頷いた。

〈わかった。念のため、向こうにはその旨通知しておこう。勝手な解釈をされて、いきなり戦闘になっても困るからな〉

「あぁ、任せた」

 “父”は云い、深く椅子に沈みこんだ。

〈では〉

 通信が切れても、“父”は額に手をあてて、自分の思考に浸りこんでいるようだった。

「――しかし、明日か……俺は同席できんな、予算委員会がある」

 サスロが悔しそうに云った。

「私も、見たいとは云ったけれど、フラナガン博士の面会が入っているの。――お前は同席するのでしょう、ギレン?」

 鋭いまなざしが、こちらを見る。

「あぁ……まぁ、割合暇だからな」

 それもこれも、半療養中と云う、微妙な状況故である。

 だがまぁ、今回に関しては幸いだった。バスク・オムの為人を、この目で確かめることができるのだから。

「頼んだわよ、ギレン。あの子に、私から愛していると伝えて頂戴」

「俺からも、無茶はするなとな」

「……今日のうちに、直接伝えた方が良いのではないか」

 こちらが、そんなことを云う人間だと思っているわけでもあるまいに。

 と云うと、キッと睨みつけられた。

「もちろん、そうするに決まっている。お前に頼むのは、そのバスク・オムとやらに、ザビ家の絆を知らしめるためよ」

「奴らがおかしな真似をしないよう、釘を刺すためだ」

「……なるほど」

 しかし、それは“ガルマ”の人質としての価値を高めはするが、同時に連中の要求を高騰させることにもなりはすまいか。

 まぁいい。

 どのみち、おとなしく人質生活を送る“ガルマ”でもないのだし。

 了承の応えを返すと、ふたりはとりあえず気が済んだらしく、尊大な風で頷いた。

 

 

 

 明くる日の正午。

 ぴったりの時間に通信を入れると、向こうには、もう面子が揃っていた。

 ドズル、“ガルマ”、バスク・オム、それから何故かキャスバルもいる。

 それはともかくとして、特筆すべきはバスク・オムである。

 あの特徴的なゴーグルが、ない。

 体格と連邦軍の軍服とで何者かは判別がついたが――正直、最初に聞いていなければ、誰であるかわからなかったに違いない。

 バスク・オムは、何と云うか――意外に可愛らしい目をしていた。ゴーグルに隠されていたのがこの目では、あるいは視覚障害云々以前の問題として、自身の愛嬌のある風貌を変えたいと云う意志があったのではないかと勘ぐりたくなるくらいに。つまり、ある種の犬のような、何ともつぶらな瞳をしていたのだ。

 ――これは、意外だ。

 もっとも、そこに宿る光の方は、『Z』で見せた暴力性を裏づけていたのだが。

「――バスク・オム少佐か」

 “父”が、ゆっくりと口を開いた。

〈いかにも〉

 と男は云った――声も、記憶にあるあの声だ。なるほど、確かにバスク・オムである。

〈首相御自らご返答戴けるとは、光栄ですな。――して、そのご返答はいかに〉

 言葉選びこそ丁重なものだったが、その声音がすべてを裏切っている。そして、瞳に湛えられた酷薄そうな光も。

「ガルマをお預けする」

 “父”の言葉に、バスク・オムはにやりと笑った。

〈そうこなくては〉

 云いながら“ガルマ”の方へ身を捩り、その腕を捉えようとする。

 それへ、

「まだだ!!」

 “父”は叫んだ。

「貴公は、暫の間離れ離れになろうと云う親子に、別離の言葉すら交わさせぬつもりか!」

「……それはそれは」

 バスク・オムは鼻白んだ様子だったが、流石に一国の首相――それが、自治国家であるとは云え――相手に、嘲弄することはできなかったようだ。

 自分が一歩下がり、“ガルマ”を画面の前へ押しやった。

「ガルマ」

〈お父様〉

 そう云って、微かに身を震わせる“ガルマ”は、一見すると、チワワや何かの小型犬が主を見上げているようでもあった――小型犬と云うよりも、むしろケルベロスの子どもと云う方が正しいことはわかっていたが。ついでに云えば、なりが小さいだけで、成犬どころではないことも。

 “ガルマ”もキャスバルも、制服――と云うか、ムンゾ国軍の准尉の正装――を身に着けている。まだ成長途中の完成しきらぬ身体が、バスク・オムの小山のような体躯の横にあると、少年たちの華奢さがなお一層際立った。

〈お父様、行って参ります。どうかご健勝で。僕のことはご心配なさらずに〉

「……子を心配しない親があるものか。くれぐれも身体には気をつけるのだぞ」

〈はい。メッセージを送ります。お手紙も。――それから、あの子達のこともお願いします。何も伝えられないままなので、泣いてしまうかも知れません〉

 と云うのは、アムロやゾルタンたちのことだろう。

 確かに、昨日の今日のことだったから、“ガルマ”も誰も慌ただしくしていて、碌に話す暇もなかったはずだ。多分、“ガルマ”がガーディアンバンチを発ってから、話して聞かせることになるだろう。

 子どもたちは、置いていかれたと思うだろうか、それとも、こんな目にあわせてきた連邦に憤るだろうか。いずれにしても、かれらのケアをしてやらなくてはならないはずだ。それを、“ガルマ”は気にかけているのだ。

 子どもには甘い“ガルマ”らしい一言に、“父”はうんうんと頷いた。

「おお、もちろんだとも。お前の可愛い子どもたちのことは、よくよく気をつけておくことにしよう」

 そうして、“ガルマ”のまなざしがこちらを向く。何かを期待しているような、あるいは命令を待つ犬のような、まっすぐなまなざし。

「あー……」

 言葉を探すと、“父”のまなざしが突き刺さってきた。

「……とりあえず、サスロとキシリアからは、伝言を預かっている。“愛している、身体にはくれぐれも気をつけて”と」

〈……はい〉

 やや不満そうな顔。だが、後ろに控えるバスク・オムにはわかるまい。

 キャスバルが、微妙な表情でこちらを見る。

「……私からは、気をつけて行け、と。そう云う意味では心配はしていないが――まぁ、何があるかわからんご時世だからな」

 まぁ、まさかバスク・オムの目の前で、“連邦の連中は油断ならないからな”などと云えるはずもない。

「……まぁ、それくらいか。そうだ、“あまり羽目を外し過ぎるな”よ。向こうでは、われわれがフォローしてやることはできんのだからな」

「……ギレン! お前は!」

 “父”が叱りつけてきたが、“ガルマ”が微かに目を光らせたのがわかった――そしてキャスバルが、驚いたように目を見開いたのも。

 ――まぁ、そうだろうとも。

 何しろ、今まで“ガルマ”の行動をぎちぎちに戒めてきたのだ。先日の狙撃事件の後ですら、“余計なことはするな”と云って、わざわざ釘を刺した――もちろん、その場にはキャスバルもいた――くらいである。

 “好き勝手したいー”などと云うのをどやしつけ、とにかくおとなしくしていろと云うばかりだった、それが、ことこの期に及んで“あまり羽目を外すな”と云ったのだから、驚くのも当然だろう。

 “あまり羽目を外すな”とは、つまり“多少ならば羽目を外しても構わない”と云うことだ――と、“ガルマ”や、絶えず手綱を締めろと云われてきたキャスバルにはわかったはずだ。すなわち、少しばかり手綱を緩めたのであると。

〈――わかりました、“ギレン兄様”〉

 “ガルマ”はこくりと頷いた。手綱を緩めたことも含めての応えなのだろうことは、その目のいろを見れば了承された。

〈“羽目を外し過ぎない”よう気をつけます。“兄様”も、お気をつけて〉

「無論だ」

 この先はすべて戦場だ。砲弾が飛び交うことはなくとも、戦いは既にはじまっている。

「お前が“暁”に間に合わんとしても、必ず戻ってこい。お前のあるべき座は、用意されているのだからな」

 “ガルマ”が乗るべきMSも、いずれは。

〈――はい〉

 きっぱりとした態度で、“ガルマ”は頷いた。

〈それでは、行って参ります。父様も“ギレン兄様”も、ご健勝で〉

 士官学校生らしく踵を合わせ、敬礼する。

「うむ……行くが良い」

 鷹揚に“父”が云う。が、色のついた眼鏡の下、その瞳が潤んでいるのがわかった。そして、返礼をする指先が、微かに震えていることも。

〈――宜しいですかな〉

 バスク・オムが、笑いながら云った。底に嘲笑を含んだ声だった。

「結構だ」

 “父”は、万感のこもった声で、そう云った。

 が、そう、こちらはまだ一言ある。

「バスク・オム少佐にお訊きしたい。コリニー中将殿は、“ガルマ”がどんなものであるか、ご存知でそれをご所望になったのか」

 そう、連邦駐屯軍をかき回したのがこの“ガルマ”であると、知った上で迎えをよこしたのか、それとも。

 その問いに、バスク・オムは鼻を鳴らした。

〈何を云うやら。ザビ家の最も愛された四男坊、そうではないのか〉

「――なるほど」

 こちらの駐屯軍からは、特に何も報告は上がっていないのか――だがまぁそれも当然か、士官学校生にきりきり舞いさせられたなどと云う報告を上げれば、支部長やその上長は叱責を免れ得まい。上手く口を拭っておくに如くはないだろう。

〈さて、それが何か?〉

「いや――では、本当に“ガルマ”で宜しいのだな?」

 少なくとも、表面上はおとなしくするはずの、キシリアやサスロではなく。

〈くどい!〉

 怒鳴り声が返された。

〈コリニー中将は、ガルマ・ザビをとの思し召しなのだ。貴殿らに、それに疑義を差し挟むことなど許されることではない!〉

「なるほど、了解した。では、“ガルマ”を望まれたのはそちらであると、コリニー中将にはお伝え戴きたい。“ガルマ”がそちらで何をしようと、われわれは一切関知しないとな」

「ギレン!!」

 “父”の怒声が再び響きわたった。

 が、我に返ったように、咳払いをひとつして、

「……失礼した。ガルマに何かあってみよ、連邦は、ザビ家のみならず、ムンゾすべてを敵に回すことになる。然様心得られよ」

〈――なるほど〉

 バスク・オムは、にやりと笑った。

〈ガルマ・ザビを、ザビ家が溺愛していることは理解した――ただひとりを除いてはな〉

 それへ、一言つけ足す。

「敵を見誤ると、いずれ足許を掬われることになるぞ」

 警告はした。手綱を弛めた“ガルマ”は、いずれ連邦軍を搔き回した挙句、開戦の前に脱出してくるだろう。そのことを、ごく迂遠な云いまわしであるにせよ、面と向かって告げたのだ。後から、“聞いていない”とは云わせない。

 が、バスク・オムは、恐らく子どもの悪戯程度の悪さを想定したのだろう。狼狽えたり構えたりもせず、ただ嗤っただけだった。

〈さて、もう宜しいでしょうな〉

「あぁ」

「ガルマ、息災でな」

〈お父様も〉

〈……ガルマ、気をつけて〉

〈“シャア”も無理しないでね〉

〈……あぁ〉

〈ザビ家の男として、胸を張って行ってこい!〉

〈はい、ドズル兄様〉

 画面の向こうでも、キャスバルとドズルが別れを惜しんで言葉を交わしている。

 その様子を、バスク・オムは薄笑いを浮かべて眺めていたが、やがて、

〈では行くぞ〉

 自身の部下に云うようにそう告げて、身を翻した。

「行ってこい」

〈……はい〉

 強い頷きが返る。

 “ガルマ”は、戦場へと一歩を踏み出した。

 同時にそれは、ムンゾそのものが戦場へと歩み出した瞬間でもあったのだ。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 20【転生】

 

 

 

 地球航路は、まあまあ快適だった。

 隣にハゲつぶらが居なければ、ね。

「この先、貴様の我儘を聞いてくれる人間など居ないのだ。精々、ジーン・コリニー中将閣下に媚びて温情を賜ることだな」

「……案外お話し好きなんですね、オム少佐。単身、地球に赴く僕への気遣いであれば、お気になさらず。(うるせぇ黙れハゲつぶら)」

 ニッコリと笑う。

 後ろの席で、護衛らしき誰かが吹き出したのは、()を正確に読み取ったものか。

 それとも、“お話好きのバスク・オム”ってあたりがウケたのかな。

 どちらにしろ、こめかみどころか、側頭まで青筋を浮かべたバスク・オムが振り返ることで静かになった。

 カフっと、あくびが落ちる。

「……少し休みます」

「おい!」

 返事を待たずにまぶたを下ろす。

 寝不足だしね、今のうちに体を休めときたいんだよ。ハゲつぶらの嫌がらせに付き合ってるより有意義だろ。

 寝心地は悪いけど、無いよりマシだと隣に寄り掛かれば、大柄な体が大仰に跳ねた。

 ――大人しくしててよ、枕が動くと眠れないだろ。

 ジロリと睨めば、信じられないモノを見下ろすような、見た目だけつぶらな瞳と視線が合った。

 無視して、もう一度目を閉じる。

「……おい」

 今度は小声だった。

 突き飛ばされるかと思ったけど、そんなこともなかった。

 水を打ったみたいに静かになった機内で、ひと時の平穏に微睡む。

 

 

 ――なんて。

 存外に爆睡できた、なんてホクホクする横で、ハゲつぶらは不機嫌そうな面で、これみよがしにグルグルと腕を回してた。

 睡眠によりコンディションも整ったし、いざ、ジーン・コリニーの面でも拝んでやるか。

 連れて行かれたのは、中将の私邸だった。

 ちょっと意外。軍の施設の方かと予想してた。

 これ、思ってた以上に権力を持ってるってことかな。

 確かに、連邦の介入を盾に、ザビ家からおれを引き剥がすくらいのチカラがあるのは分かってる。でも、それよりもっと、ってコト。

 つまり、個人の意向だけで連邦軍を抑え、ムンゾにネジ混んだ訳だ。

 ――……イイね。敵も多そう。

 掻き回してやるには都合が良い。

 殊勝な表情を作って、歩みを進める。大人しくなったことで、緊張してるとでも思ったのか、バスク・オムの機嫌は上昇してるみたいだった。

 長い廊下。敷地は広いし、豪邸っちゃ豪邸だけど、貴族的な程じゃない。

 使用人の質はそれなり。

 警備もそれなり――この辺りはもっと調べる必要があるけどさ。

 比較的若年の執事に、主人の部屋へと導かれる途中。

「バスク・オム少佐は、こちらの部屋でお待ちください」

 と、ここでハゲつぶらにストップが掛かった。

「なんだと、俺はコリニー中将閣下の命で、こいつをここまで連れてきたのだぞ!」

 ふぉう。高圧的。

 仮にも上官の使用人に、その態度はどうかと思うよ?

 執事は微かに青褪めたものの、表情を変えることなく一礼した。

「大変に恐縮ではございますが、主人からそう申し遣っております。どうぞ、お寛ぎになってお待ち下さいますよう」

 丁寧に指し示された部屋には、執事よりよほど顔を蒼くしたメイドが居た。

 可哀想に。

 これ、こっち矛先向かせといた方が良さそうだ。

「……オム少佐、この場までお連れ頂いて、ありがとうございます。今後も良しなにお願いしますね!」

 場違いなほど明るい声と笑顔で告げれば、酷い形相のまま、ハゲつぶらが振り返った。

 せっかくつぶらな目をしてるのに、可愛気がどこにも無いのがなんとも。

 これで性格が良ければギャップ萌する輩も居たかも知れんのに、残念だね。

 だけど、コイツ、こんな奴だったっけ?

 朧な記憶は曖昧で頼りないけど、尊大で粗暴、残虐行為も嬉々として行っちゃうアースノイド至上主義者だったような――まぁ概ねその通りの印象だけど、結構な悪役だった筈なのに、なんとなく小物感が。

 まだ少佐だからかな。もうちょい年とると貫禄出ちゃうのか。

 30バンチ事件とか、起こさせる気は無いんだよね。

 腹の底で、“獣”がベロリと舌なめずり。

 さて、まずは様子見だけど、そのうちに、ね。

 怒鳴り散らすハゲつぶらを前に、そんな事を考えてた。

 何度か殴るみたいなモーションをしたけど、途中で下げてるから、暴力の行使は禁じられてるんだろう。

 執事がハラハラしながら制止しようとするのを、目配せで止める。とばっちりで殴られたら大変でしょ。

 甘ったれのボンボン育ちは空気すら読めないと、散々にこき下ろしてから、バスク・オムは用意された部屋に入っていった。

 怒鳴るだけでもそれなりに発散できたのか、ソファに腰を下ろすところまでは乱暴だったけど、その後はメイドに当たることもなく、大人しく目を閉じた。

 あちらも強行軍だったろうから、少し休むつもりかも知れない。

 チラリとメイドに視線を投げ、微かに口角を上げれば、ホッとしたような顔で、こっそり会釈を返してくれた。

 執事から向けられる視線にも、なんとはなしに、柔らかさが。

「中将をお待たせすることになって、申し訳ないです」

 他家の使用人であるから、へりくだる事はできないけど、そっと目を伏せることで気持ちを伝える――謝罪はあくまでも中将宛だ。

「いいえ。顛末は主人にお伝え致しますので、ご心配なく」

 意図は伝わったらしくて、一息つく。

 煽ったのはおれだけど、あの有様だと、悪感情はバスク・オムに向くだろう。

 敵場だからこそ、日頃世話になる使用人からのヘイトは、出来るだけ避けたいからね。

 やがて辿り着いたのは、ジーン・コリニーの執務室らしかった。

 これで私服なら舐め過ぎだろうと思ってたけど、中将はちゃんと軍服を着ていた。

 撫でつけられた灰色の髪。しゃくれた顎が目立つ気難しそうな顔には、深い皺が刻まれている。

 壮年で左手に杖をついてはいても、軍人らしく姿勢は悪くなかった。

 窓際に立っているのは、庭でも見ていたのか。

「……よく来た、ガルマ・ザビ」

「はじめてお目にかかります。ジーン・コリニー中将閣下。お会いできて光栄です」

 伏し目がちに、柔らかく、控え目に微笑む。それから真っ直ぐに視線を上げて、敬礼。

 一拍おいて、中将からも返礼があった。

 ――蛇みたいな眼だな。

 値踏みしていることを隠そうともしない、爬虫類みたいな、温度を感じにくい視線。

 張り付くみたいで不快なそれに耐えていれば、眼鏡に適ったのか、中将はひとつ頷いた。

「少し遅かったようだが、何か?」

 コリニーの問に、執事がそっと近づいて耳打ちする。さっきのバスク・オムの振る舞いを伝えてるんだろう。ジーン・コリニーの眉間の皺が深くなった。

「――……ガルマ・ザビ、遠路はるばる出向いてくれた君に、私の部下が不躾な振舞いをしたようだ」

 不愉快さを滲ませた声だった。

「わたくしの至らなさ故でしょう。……お待たせして申し訳ありませんでした」

 済まなそうな顔に、ホッとしたような表情を混ぜて浮かる。

 あの男の振舞いが、中将の指示によるものではないと分かって安堵したと、見た側がそう思うように。

 バスク・オムは怖いけど、中将は親切――そんな感想を持ったように印象を操作すれば、ジーン・コリニーはまたひとつ頷いた。

「疲れているだろう。晩餐まで部屋で休まれよ。寛いでくれ」

「お心遣いに感謝します」

 微笑む――表情はまだ控えめに。

 執事に促され、一礼して部屋を辞す。磨かれた硝子に、心細さを拭いきれてないように見える少年が、一瞬映って、すぐに消えた。

 

 

 用意された部屋は、なんだかひどく懐かしい感じがした。

 落ち着いたクリーム色と深緑を基調に、クラシカルな装飾の家具が配されてる。

 これ、子供の頃に過ごしたダイクン家のフラットの、おれの部屋を彷彿させるよね。

 微かに薫る花の匂いに視線を巡らせれば、少卓の上に、紫がかったピンクの薔薇が可愛らしく生けられていた。

 覗き込んで、なにか違和感――あれ、この薔薇、棘がない。

 ザビ邸の使用人も薔薇の棘は取って飾ってくれるけど、ツルリとした茎には、元から棘がないらしかった。

 ――嫌な感じ。

 使用人はみんな下がって、いまは部屋に一人だ――けど、何処に眼があるか分からないから、ただ花を愛でてるフリをする。

 居心地は良いけど、悪い。矛盾してるのは当然だろう。

 ガルマ・ザビの寛げる空間を演出しつつ、その空間が造り出せるくらいにこっちの情報を掴んでるって、無言のアピールだからね、これ。

 ――なんの嫌がらせなの?

 ムンゾの叛意を抑えたくて、ザビ家で愛されている“ガルマ”を地球に迎えたんだよね。

 ガルマたんhshsとか、そういう意図はないんだよね?

 しばらく休んでたら、晩餐だと呼ばれる。

 なんだか忙しない。ホントはもう寝ちゃいたいんだけど、仕方ない。

 ブラックスーツに着替えようとしたら、チャコールグレーのジャケットが差し出された。

 既製品じゃなさそう――前もってオーダーしてたってことか? え、サイズ知ってんの?

 ブラックに比べればラフで柔らかい。

 シャツと靴は断って自前のを。なんなの、上から下までプロデュースするつもりなの?

 冗談でしょ。

 髪も整えられて、分け目を少し変えられる。より柔らかく甘さを強調するような感じ。これが中将の好みだとでも言うのか。

 食堂について、案内された席も、コリニーにいやに近くて当惑。

 テーブルの端っこかと思ってたのに、むしろ家族席じゃないか。

 間を置かずにコリニーが現れ、晩餐が始まった。

 つか。さぁ……。

 おれがいま味わってるのは、料理じゃなくて恐怖かも。

 だってさ、アミューズに始まって、スープもサラダも、メインもフルーツも何もかもがおれ好み――ちょっと情報が古くて、フラットで暮らしてた頃の。

 なんなのこのリサーチ。

 意気込んで乗り込んできた先が、実はストーカーの家だった的な?

 ドン引きである。

 それでもマナーを叩き込まれた体は、卒なく食事を勧めていく。

 変なモノは混じってなさそうなのが救い。とは言え、それだって舌頼みの判断だから断言はできないし。

 コワイわー。

 対するジーン・コリニーときたら、傍目にも分かるほど上機嫌で、薄笑いが引っ込まない。楽しそうねオッサン。

 振られる会話に控えめに答え、顔を顰めたくなるのを、辛うじて堪える。

 晩餐を乗り切っても、中将はおれを開放しようとはしなかった。

 連れて行かれたのは書斎――私室なら仮病を使ってでも逃げるわ――で、執事がグリューワインを用意してた。

 何処まで再現する気なのさ?

 これって気遣いなのか、嫌がらせなのか。

 ジーン・コリニーの人為を知らないからまだ判断つかないけど、気遣いだとしたら行き過ぎだろ。

 お前を(お前の子供の頃を)知ってるぞアピール?

 ソファに深く体を預けた中将は、度数の高い酒の入ったグラスをくるりと回した。

「どうだね、部屋は気に入ってくれたかね」

 今一つ温度の読み切れない視線が向けられている。

「はい。懐かしい感じのする部屋で、とても寛げます」

「それは良かった」

「……部屋に薔薇が飾ってありました。棘がないのは珍しいですね?」

 尋ねると、コリニーは人の悪そうな笑みを浮かべた。

「人に愛でられる為の花に、棘など要らぬだろう」

 抑えつけるような声。暗におとなしく従えと、そう言いたいんだろうけど。

「中将閣下は、ただ咲くばかりの花をお好みですか」

 ニコリと微笑む。声は柔らかく、けれど棘は隠さない。

 反抗に顔をしかめるかと思ったけど、ジーン・コリニーは、くつくつと喉を鳴らし、最後は顎を反らして笑った。

「なるほど、幼くともザビ家か!」

 不躾に伸ばされた手を、僅かに身を反らして躱す。

 簡単に触れられると思わないでよね。

 視線を冷たくすれば、さらに愉快そうに笑うから質が悪い。

 不意に、戸口から猫の鳴き声が聞こえた。

 ――猫?

 視線を巡らせた先に、毛足の長い……。

「ヒマラヤン?」

 シャム猫に似たポイントカラーと、ペルシャ猫系のフワフワの毛並み。サファイア・ブルーの瞳がチャーミングだね。

 よそ者のおれを警戒してるのか、それでも興味津々と言うように、まんまるく見開かれた眼がこちらを凝視してた。

「良くわかったな」

「……猫は好きなので」

 ヒマラヤンと見つめ合いながら、頷く。

 猫は可愛いし。まあ、犬もフクロウも好きなんだけど。ウサギとかモモンガとかも。モフモフしてるものは、大体。

 ついでにトカゲも蛇もカエルも好き。

 生き物はだいたい好きだけど、昆虫は好きなのと嫌いなのが居る。因みにG、テメェはダメだ。

 そんなことを思いながら、ピタリと動きを止めたおれと、やはり動かない猫を、中将は興味深そうに見ている様子だった。

「ザビ家でも飼っているのかね?」

 飼ってないよ。ダイクン家にはルシファの子孫がコロコロしてるけどさ。

 なんて、話す必要もないことだからね。

「いえ。猫が怖がるので」

 なにせ悪党面一家なものでね。

「……そうか」

 何かを察したのか、中将閣下が目を逸らした。でも、笑いを隠せてないよ。

 いや、あんたもどっちかって言わなくても悪党面だからな。

 チチチと舌を鳴らすコリニーに、猫が反応して膝に飛び乗った。

「可愛いだろう――これが懐くにも時間がかかったものだ」

 意味深に投げられる視線に、腹の底だけで嗤う。

 手懐けるつもりがあるなら、それなりに“駆け引き”できそうだね?

 ツンと顎をそらしてそっぽを向く。

 それこそ、気が乗らない猫みたいな傲慢さで。

 横顔に感じるコリニーの視線が、気持ち悪くて不快だった。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 一週間は、あっという間だ。

 環境に慣れる暇もなく、コリニーは、おれをアチコチ連れ回しやがる。

 ある種のアクセサリー。ムンゾから手に入れた戦利品を見せびらかすみたいに、何処にでもおれを伴う中将に向けられてる視線は、熱いもの冷たいもの生暖かいもの、様々だ。

 今日も今日とて、コリニー中将は“お気に入りの少年”を従えての登庁である。

 まぁ、好都合ではあるんだ。

 おれが謀るまでもなく、連邦軍の重鎮らと面識ができる訳だし。

 ついでに、スペースノイドを侮る連中も、中将に連れられた客分には絡めないから煩わしさは減る――その分、コリニーが鬱陶しいからマイナスが勝ってるけど。ふぉう、ストレスフル。

 カツンカツンと、杖の立てる硬質な音を聞きながらコリニーのあとをついていけば、廊下の先からグリーン・ワイアット中将が部下を連れて歩いてくるのが見えた。

 ワイアット中将とは2度目の遭遇だ――まだ言葉を交わしたことはないけど――軽く会釈。

 チラリと向けられた蒼い目には、皮肉気な光と、少しばかりの興味が浮かんでいた。

 そのまま通り過ぎるかと思えば、ワイアットは足を止めて向き直った。

 杖の立てる音が止まる。コリニー中将も足を止め、同輩へと顔を向けた。

「……何かね?」

「最近は、どこへ行くにも“彼”を伴っているのだな」

 不躾なほどマジマジと眺めおろしてくるのに、澄ました微笑みを向けてやる。

「大切な“客人”だ」

 おれのことを尋ねられたとき、コリニーの答えは、大体これだった。

 大切な“客人”――聞こえはいいけど“人質”ってことな。

 そして、答えられた方は一様に、哀れみと嘲りの綯交ぜになった視線を寄こすんだ。

 例に漏れず、ワイアットからの視線も似たようなものだった。

「なるほどな。よくもザビ家を頷かせたものだ――もう、帰す気は無いのだろう?」

 その意地の悪い問いかけに、コリニーは顔を顰めてワイアットを睨み、それからおれの方を伺うように見た。

 ――なにを今更。

 散々に連れ回されて、たった一週間でも、おれは連邦の機密の一部に触れている。

 これで大人しく帰して貰えるなんて思えるのは、余程の阿呆か能天気だけだ。

 表情は変えず、温度だけを下げた視線に、少しだけ哀しみの色を乗せる――どうよ、演技派だろ。

 取り乱すでもない様子に、ワイアットが少しだけ気まずげに咳払いをした。

「すまない。英国流の冗談はあまり通じなくてね」

「――……趣味が良いとは言えませんな」

 冷たい声で言い放ってるけど、元凶お前だからな、コリニー。

 そのまま別れると思いきや、何故かワイアットがついて来る。

 ちょっと、部下の人が困惑してるじゃないのさ。大丈夫?

 小首を傾げて見れば、お付らしき人が苦笑いして目礼してきた。

「まだ何か?」

「いや、私も彼と話をしてみたくてね。構わんだろう? 君はそこまで狭量では無いはずだ」

 なんだかバチバチ火花が散ってる。元々が不仲なんだろうね、言葉の端々に棘があった。

「ガルマ・ザビ」

 コリニーの返事を待たずに、ワイアットが話しかけてくる。

 チラリと向けた視線の先で、コリニーは渋い顔だった。

 それでも制止する気はない様子だったから、もう一人の中将に向き直る。

「はい。何でしょう、グリーン・ワイアット中将閣下」

「ほう、私を知っているのか」

「ご高名は伺っております。……コリニー中将閣下から」

 ふんわりヤンワリ。ちょっとだけ含みを持たせて、卒なく受け答え。微笑みは明らかに社交用のそれだ。

「それは恐ろしい。どんな話を彼に吹き込んだんだ?」

「もちろん、勇猛果敢さをだ」

 コリニーが答えた。

 向かい合う中将sは、冷たい視線のまま、ニッコリと歯を剥くような笑顔を見せあう。

 ワイアットの部下に目をやれば、あからさまにブルブルしてた。

 ふぅん。それでもこの二人は背中から刺し合うような関係までは行かない様子だね。

 先日目にした、ジョン・コーウェン中将とのやり取りほど緊迫はして無いし。

 連邦軍上層部の人間関係を含め、相関図を更新していく。

 さて、どのへんに楔を打ち込んだら屋台骨に罅を入れられるのかな。

 その為には、まずは懐に喰い入らないとね。

 ――って、ほんとにどこまでついてくんのさ?

 廊下を進み、建物の外に出ても、ワイアット中将は世間話を続けていた。

 頃合いは夕刻で、そろそろ帰宅するのかな、という時分。

 まさか、このままコリニー宅まで押し掛けるつもりなんじゃ――なんて懸念を、コリニー本人も抱いたようだった。

 少し苛立ったみたいに足を止め、辞別を試みたその時、強い風が吹いて。

「…ぅわッ!?」

「おぅッ!?」

 中将二人の帽子が飛ばされる。

 部下が慌てて拾いに走った後ろ姿に、ワイアットは舌打ちして肩をすくめた。

「Nice breez(素晴らしいそよ風だ)! 帽子が飛んでしまったよ」

「首が飛ばなくて何よりでしたね」

 シレッとした顔で言い放ったら、2対の瞳が面食らったような視線を向けてきた。

 やだな、そんなに見ないでよ。

 いつかの時間軸で観た、映画のラストあたりのセリフ。

 崖っぷちで帽子が飛んだとき、英国紳士が口にした冗談なんだよね。

 ――不謹慎過ぎた?

 可愛いイギリス風味のブラックジョークだと思ったんだけど。

 無邪気そうにニコリと笑って見せたら、唐突にワイアットが吹き出した。

 すごく愉快そうな笑い顔を、コリニーが珍獣でも見るかに眺めてる。

「良いね、うん」

 ひとしきり笑ってから、ワイアット中将は部下を伴って去っていった。

 コリニーが目に見えて安堵してるのがオカシイね。

 後ろ姿を見送って嗤う。

 さて、何処まで通じたのかね、おれの嫌味は。

 イギリスに準えれば、ジョークは真逆の意味にもなる。

 深読みするならさっきの言葉も、“首も飛んじまえば良かったのに”だ。

 英国紳士を気取るなら、きっと気づいただろう――あの無神経な一言に、おれが怒ってるってこと。

 そのうえで大笑いしやがった。

 ――性格悪そうだね。

 コリニーについて来たときの、敢えての空気の読まなさも、引き際を逃さない撤退も。

 あれは冷静で冷徹な男だろう。ある意味、コリニー以上に。

「――……ワイアット中将が気に掛かるか?」

 ボンヤリしてたらコリニーから声が掛かった。

「ええ。とても」

「……ワイアットは紅茶を嗜む。確か、君も好んでいたな」

「はい。最近は閣下も飲まれますね」

「君が淹れてくれるからな」

 コリニーの目尻がちょっと下がった。

「――……ワイアット中将閣下は、ムンゾ鎮圧を唱えられていると」

 沈鬱な声は、別に作ってる訳じゃない。おれだって心配で不安なんだ――それ以上に腹立たしいだけで。

 うつむけば、肩に手が置かれた。

「我々が出るのは、ムンゾ国内で暴動が起こり、政府が――ザビ家がそれを抑えきれない場合に限られる」

 そうだね。そういう約束で、おれは地球に降りたんだ。

 だけど、ムンゾ国民はそのことで余計に連邦への反発を強めてる。

 連日のデモ騒動のニュースは当然、地球にも聞こえてきてるし。

 裏で扇動しやがる奴等もいるだろう――なんとしてもムンゾに手を出したい勢力はどこだ?

 グリーン・ワイアットもその一人には違いない。

 パズルのピースが脳裏で踊る。

 どうにかして半年、時間を稼がなきゃ。

 どうやって侵攻を止める?

 気もそぞろなおれに向けるコリニーの視線は、ちょっと焦れたものだった。

 

 

「……御茶会、ですか?」

 膝の上のヒマラヤンを撫でながら、小首を傾げた。

 夕食後に書斎で寛ぐのは、既に習慣と化している。例によってソファに隣り合わせに座っていたら、コリニーが苦渋い顔と声でそう切り出してきた。

 グリーン・ワイアット中将に会ったのは先週だってのに、なに、もうお誘いが来てるの?

 しかも明後日って。

 動きが早いなあのオッサン。

「奴め、本場の紅茶を君に振る舞ってやると上機嫌だ」

 コリニーが忌々しげに吐き捨ててる。ん。これ断れないヤツ。断る気も無いけど。

「出席しても?」

 一応、コリニーに許可は取る。

 渋い顔をするものの、駄目だとは言われなかった。

「私は所要で行けないがな」

 まぁね。ワイアットも狙ってその日にしたんだろうさ。おれだけを呼び出せるように。

「……閣下と一緒では無いのですね」

 ここで残念そうに、ちょっと不安そうに眉を下げれば、反対にコリニーの口角が持ち上がった。

「案ずるな、誰か信頼できる者を傍につけよう」

「……はい」

 浮かぬ素振りで、それでも頷く。

 伸びてくる腕を避けず、3秒だけ撫でさせてから、すっと身を引く。

 サラッサラに仕上げたキューティクルヘアの手触りは最高だからね。ニャンコ様に負けんくらいに。

 少し残念そうにコリニーの指がさまようのを、いつもより温度低めの眼差しで封じた。

 そう簡単にヨシヨシさせると思わないことだね。

 とは言え、2週間前は触れさせることさえ無かったから、少しずつ懐いてきたと思ってるんだろう。中将閣下の表情は暗くない。

 ――……なんでオッサン攻略に勤しんでんだか。

 溜め息を零さないように飲み込む。どうせ売らなきゃなんない媚なら、高値で買わせなきゃ損でしょ。

 視線の冷たさを和らげれば、コリニーは更に機嫌を上昇させた。

 宛行われてる部屋に戻り、寝台に入る前に、体が鈍らなないようにトレーニング。

 部屋にはシャワーもバスタブもあるし、好きなときに使って良いって言われてるから、ありがたく汗を流す。

 流石に寝る前はシャワーだけにしとくけどね。

 地球――この地域は水の量が潤沢で、好きなだけ湯を浴びられるのが嬉しい。

 そりゃ実家でも好きなだけ浴びてるけど――ごめん贅沢して――寮だと特別な場合以外はシャワーを出す時間が制限されてるからさ、速攻で流さんといかんのよ。

 環境が変わって肌が痛む(嘘)って訴えてみたら、アメニティがめちゃくちゃ充実した。

 肌も髪もボディもケアし放題なので、実は寮に居たときよりコンディションは良かったりする。

 体重だけは落としたけど。

 だって、ねえ、肌艶ピカピカでさらにふっくらな人質って何よ。悲壮感ゼロじゃないか。

 ちょっとくらいは弱ってる感出さないと。

 そんなこんなで、バスルームの鏡の中には見た目だけならアンニュイな、見目(そこそこ)麗しい、少年から青年になりつつある“ガルマ・ザビ”が居るわけだ。

 まぁね、女じゃないから色仕掛けは無理――する気もないし――でも、お気に入りの侍従レベルなら行けるだろ。

 さて、グリーン・ワイアットのお好みとはどんなものかなぁ。

 

 

 ――夢を見た。

 キャスバルが居た。

 仲間たちに囲まれて、いつもと変わらず澄ました顔で、それでも唇がほころんでいた。

 アムロも、子どもたちも居て、みんな笑ってた。

 おれの家族は、おれだけ居ないテーブルを囲んで、ティータイムの最中だった。

 ランバもレディたちも――おれの親しい人たちは、みんな笑顔だった。

 おれは、冷たい硝子のこちら側から、愉しそうな向こう側を、ただ眺めてた。

 声は聞こえない。

 硝子は硬くて冷たくて、向こうからはおれが見えないみたい。

 おれの中で“ガルマ”が泣く。

 寂しくて淋しくて辛くてかなしい。

 思考波は、どこにも響かずに消えていく。

 ――ただの夢だ。

 夢の中でも、それと知れる、実体のないマボロシに過ぎないもの。

 なのに、こんなに慕わしいのは反則じゃないかな。

 帰りたい、と、強く思う。

 ――……邪魔だね。

 おれを地球に留置く、連邦の重鎮どもが。

 ジーン・コリニー、グリーン・ワイアット、ジョン・コーウェン……ついでにバスク・オムも、それ以外の連中も、みんな“敵”だ。

 “敵”なら、喰い殺せばいい――いままでそうしてきたみたいに。

 ――その為に、おれから枷を外したんだろ?

 ね、“ギレン”?

 硝子の表面を指の先で撫でて、向こう側の景色に薄く嗤う。

 いつの間にか、あの楽園みたいな世界は消えて、今度は連邦の奴らが、テーブルの上のムンゾを切り分けようとしていた。

 ――させるもんか。

 指が触れている硝子に、ピシリと罅が入る。

 それは蜘蛛の巣より細かく網状に拡がっていき、すべてが砕ける瞬間に――、

 

「……新しい朝が来た〜」

 希望の朝だといいね。

 

 

        ✜ ✜ ✜

 

 

 御茶会と言うから、どんなものかと思ったら。

「よく来てくれたな、ガルマ・ザビ」

 グリーン・ワイアットが両腕を大きく広げた

――彼の執務室の真ん中で。

「お招きありがとうございます」

 ――機密書類の散らばる真っ只中に。

 にこやかに微笑んで応えるおれの背後では、ジヤミトフ・ハイマンが目を剥いてる筈だ。

 ジーン・コリニーが、代わりに信頼する者を付けてくれるって言ってたけど、まさかの大物だったよ。

「ワイアット中将閣下……これはあまりに……」

 ほらね、低い声が唸るみたいに。

 馬鹿にするにも程がある。わざわざ呼び出しといて、何の用意もしてないとか。

 ハイマンの抗議に振り返ることはせず、ワイアット中将の顔だけを見つめる。

 形だけの笑顔。冷徹な蒼の双眸。皮肉と嘲りの気配を隠そうともしない。

 ――ふぅん。反応を見てるのか。

 煽って不快にさせて、あわよくば怒らせて、おれの失態を狙うつもり?

 そこの機密書類だって――多分フェイク――この間の“帰すつもりはない”を、蒸し返してるんだろうし。

「その辺に掛けてくれ。いま用意をしよう」

「分かりました――気乗りしないお仕事があれば教えてください。上手に粗相してみせます」

 おれの返しに、ワイアットはパチクリと目を見開き、ジャミトフも同じような顔して、背後からワザワザ覗き込んできた。

 ニコリと微笑む――どう、カワイイ笑顔でしょ?

 怒りも不快も顕にしないけど、舐められる訳にはいかんのだ。

 中将の無礼をジョークでぶった斬る――つまり、「いい加減にしないと、ココでお茶ぶちまけるぞ」ってことだよ。

「……気乗りしない仕事は確かにあるが、流石に紅茶の染みをつけるのは拙いな」

「そうですか」

 お茶ぶちまけるどころか、お前ごと燃やすぞレベルなんだが。

 ワイアットは苦笑して、続き部屋の扉を開けた。

「来たまえ」

 やっぱりね。

 奥の部屋にはちゃんと茶器一式と軽食が用意してあった。

 時刻としては17時――となると、“Five o'clock”か。丁度、中将の休憩に合わせたんだろう。

 促されて席につく。

 ジヤミトフ・ハイマンも隣に座ったけど、物凄く渋い顔をしてた。

 おちょくるような遣り口が不満なんだろう。

 ホントに何が目的なんだか――それが分かるまでは迂闊に動けんし。

 グリーン・ワイアットはムンゾへの武力行使を望んでる。

 例えば、ここでおれを毒殺でもすれば、そりゃ簡単に戦端が開かれるだろうさ。

 とは言え、この男がそんな愚策を取るとは考えにくい。

 あれこれ思考しつつ、目の前のティーセットを眺める。

 さて、どこの磁器だろ。ブルーの銅板絵付け、かな、牧歌的な風景が描かれてる。

 一式を同じブランドで揃えているらしく、テーブルはスッキリと統一されていた。

 ――……“スポード”?

 確か“ブルー・イタリアン”シリーズがこんな感じだった。この時代まで続いてるかどうかは知らんけど。それっぽいなー。

 なんて、小首を傾げてたら、

「知っているのか?」

 なんて。蒼い眼がキョトリと見開かれてる。

 あれ、口から出てた?

「“ブルー・イタリアン”ですね」

「そうだ――アンティークでね。勿論、本物だ」

「素晴らしいです!」

 いやホントに。これは称賛していいと思う。何百年続いてんのさ。

 思わず本気でニコニコしてしまうじゃないか。

 ワイアットとハイマンは、そんなおれを見て目を細めた。

「……それで、君は普段、どんなカップを使っていたんだ?」

 ワイアットが意地悪そうに唇を曲げた。

「家族はともかく、わたし個人は“デンビー”の復刻版です」

 めちゃくちゃ普段使い。電磁調理器にも対応してるスグレモノ。安価だし。

 ワイアットもハイマンも意外そうに眉を上げるけど。

「家には預かってる子供たちがいるので。それなりに欠けます」

 おやつに夢中になれば、器は二の次三の次だ。笑って答えると、深く頷かれた。

 と、ここまでは先程と打って変わって和やかに。

 しかしながら、今度はお茶係らしき人の眼が死んだ魚みたいな事になってるけど、大丈夫?

 本物のアンティーク……とか、震える声が小さく聞こえて、心配になったのか、中将がグルリと振り向いているのがオカシイ。

 割ったれ――とは思わない。だってこの世界で古窯に触れるなんて素敵じゃないか。

 緊張が伝わってくるサーブでお茶をいただく。

 無難にダージリン。ん。水色は濃い目。

 香りは流石。

 口に含んでみれば、ちょっと渋いかも――まぁ、このへんは好みか。

 他にも供されている軽食を、そっと摘む。

 ――そろそろ来るかな、本題が。

 チラリとワイアットに視線を向ければ、蒼い眼も、やっぱりこっちを見てた。

「……ときに、ガルマ・ザビ。君はここ数日間のムンゾの動向を知っているかね?」

 表情、仕草の一つも見落とすまいとするような、強い視線。

「詳しくは存じません、コリニー中将閣下は教えてくださらないので。ですが、兵士達の噂話程度には」

 正直に答える。

 ジーン・コリニーの野郎、おれがムンゾの情報を得ようとするのを悉く邪魔しやがるんだ。

 ニュースもみせてもらえない。

 ギリギリしながら噂話を耳で拾うのが精々だ。

 少ない情報によれば、デモ隊がザビ家を取り囲み、それを“ギレン”が演説ひとつで鎮めたとか。

 ――さすが“ギレン”。

 だけど、ムンゾはいま、とんでもなく不安定な状況にある。

 あと羽根一枚の重さでも加えたら、ひっくり返る秤みたいに。

 ワイアットの目は厳しいままだった。

部下が一台のタブレットを差し出し、おれに画面を見せた。

 懐かしき我が家が群衆に取り巻かれていた。

 歳若いリーダーらしき男が、もっともらしいことを叫んでる。すぐにも開戦を望むような。

 ――どうなのコレ。

 おれの努力をふいにする気?

 こんなこと繰り返したら、連邦は嬉々として制圧部隊を送り込んでくるだろう。そうしたら、真っ先に傷つけられるのは市民じゃないか。

 誰の息がかかってるの。

 ムンゾが叩き潰されても、己だけは甘い汁を吸おうって言うのか。

 どうせこの男も操られているんだろう。

 糸の先にいる輩をすり潰してやりたいね。

 ワイアットとハイマンの視線を感じるけど、表情が冷たくなっていくのは仕方がない。

 ニコニコする要素なんてどこにもないから、別にいいでしょ。

 やがてバルコニーに、ピシッとスーツを着こなした“ギレン”が現れた。

 撃たれた肩は癒えたのか、その動きに不自然さはなかった。

〈諸君――諸君らは、今ムンゾがどのような状態にあるか、本当に理解しているのか! 諸君らの行動如何によっては、連邦が諸君らを、このムンゾを踏み荒らしにやってくると、わかってそのような要求を口にするのか!〉

 その通りだよね。

 口々に異を唱える連中は、自分の身体に風穴が開かないと分からないのかな。

 別に、デモ自体を愚かとは思わない。

 主義、主張、不満を訴えることは大切だ。体制の思うままにされたくなかったら。

 だけど、機と利を見てやれよ。

 開戦の前に街が廃墟になるぞ? 狭いコロニーで、何処に逃げる気なの?

 演説はまだ続いてる。

 理を説く“ギレン”の言葉に、群衆のざわめきは、少しずつ方向を変えはじめてる。

 焦ったような怒声は、リーダーと思しき男のものか。

 そして、“ギレン”はおれの名前を出した。

〈……“ガルマ”は、連邦軍の介入を防ぐのと引き換えに、地球へ向かったのだ。ムンゾを、諸君らを、連邦の軛の下に置くには忍びないと考えて。――その心を、諸君らは何とする!!〉

 このデモの発端は、ジーン・コリニーが、強引におれを地球に連れ去ったことらしいから、そのおれの名前が出て、群衆の罵声は、また少しトーンを下げた。

〈諸君! “ガルマ”はただ人質となりにいったのではない! “ガルマ”は、戦いに出たのだ! 戦艦も砲弾もない、だが、確かな戦場に!〉

 ――待って。

 “ギレン”、ちょっと待って待って。

 内心でかなり焦る。

 それそこでバラしちゃったら、おれの今の立場ヤバくね? さっきから突き刺さってくるワイアット中将の視線の意味はコレかよ。

〈そう、それはムンゾを、諸君らを守る戦いである! われら、ムンゾに残るザビ家のものは、“ガルマ”の銃後を守るものなのだ! “ガルマ”が守らんとするムンゾとその国民を、われらはさらに防衛しようと云うのだ! すべては、諸君らを踏みにじらせぬためのことである!〉

 うわぁ、良いこと言うねぇ。おれ、英雄みたいじゃん。

 変な汗かきそう。

〈われわれは耐え忍ばねばならぬ、この試練を――古来、過誤が永遠に支配を続けた歴史はない。現在の苦難を耐え忍び、真の“刻”を待つのだ! そのための時間を、“ガルマ”は稼いでくれたのである! その選択を、“ガルマ”の選んだ戦いを、諸君、どうか無にしないで欲しい!!〉

 録画されてたんだろう映像を見ながら、でも、“ギレン”元気そうだな、なんて場違いに思っちゃったら、小さく笑いが溢れた。

〈ムンゾ万歳!〉

 群衆の中から、誰かが叫んだ。

 ――……なんか、聞き覚えがあるよーな…気のせい?

〈ガルマ・ザビに祝福を! ザビ家万歳!!〉

 ん、やっぱり、よくおれをバイクで運んでくれた、ムンゾ大学の先輩の声に似てる――童顔を気にしてた。

 その叫びを皮切りに、人々が口々にムンゾを、ザビを叫び出した。

 流れは完全に変わっていた。

 ザビ家への罵倒は、ザビ家への歓呼へ。

 声に呼ばれて、“ギレン”の隣に、キシリア姉様とサスロ兄さんまでが立った。

 場を揺るがすような歓声の大きさで、もう他の声は聞こえなかった。

 “ギレン”の勝ちだね。この勝負は。

 映像の中に小さく映る家族の姿を、指でそっとなぞる。

「――……地球に降りてから、はじめて、顔を見れました――ありがとうございます」

 ポツリと落ちた声は、思ったより静かで、感情が抜けていた。

 再生が終わった画面から顔を上げて、ワイアットに向ける。

 蒼い双眸は厳しかったけど、僅かばかり、案じるような色が乗っていた

 目の前にいるのが、家族から遠く引き離された未成年者だって言うことに、いまさら気がついたように。

「……ギレン・ザビは、君が戦いに赴いたと言っているが?」

 問いかけに、薄く笑う。

「わたしを招いたのは、ジーン・コリニー中将閣下です――従えば、市民への対応はムンゾ政府に任せると。さもなくば連邦の治安部隊がデモ隊を制圧する……ザビ家に拒否権が?」

 それは脅迫であり恫喝だ。

 横暴とも言える仕打ちに応えたのは、ただムンゾの国民のため。

「“戦い”と言うのなら、そうでしょう。この身ひとつを持って、連邦軍のムンゾ介入を止めると言う意味においては――いま、このときも」

 欠片も温度をのせずに、蒼い眼を見返す。

「グリーン・ワイアット中将閣下は、現在のムンゾに対し、武力行使も辞さぬと伺っております」

 隣にいるハイマンが止めようと身を乗り出すのを、ワイアットが制止した。

「連邦軍は、人類の平和を維持する為にある。平穏を脅かすものに対処するのは当然の事だ」

 冷たい声――その底に測るような響き。

 おれの出方で、その対処を変える余地があるなら目っけもんだ。

 ――唸れ舌先三寸!

「そうですね。ムンゾ国民も、当然、その中に含まれるのでしょう」

 語尾は上げない。問いかけでなく、当たり前のことを確認するだけの響き。

「だが、ムンゾが地球連邦に対し反旗を翻すというのなら、すなわち、それは人類をも脅かす敵である」

「なぜ、ただ敵であろうとなさるのです?」

 問いかけは少し悲しげに。 

「閣下、彼らは…わたしたちは、ただ闇雲に独立を求めて騒いでいるのではありません。生まれながらの自由を、搾取されることのない権利を、棄民と蔑まれることのない…誇りを実感したいただけなのです」

「過分な要求だ」

 吐いて捨てるような語調。

「なぜです? なぜ、わたしたちは搾取されて当然だと?」

 一拍、言葉を切って。

「わたしたちが“スペースノイド”だからでしょうか」

 “棄民”だからと切って捨てるのか、それが本音かと突きつければ、ワイアットの視線が一瞬ぶれた。

 そうだろ。建前はどうあれ、ただ“地球に生まれなかった”、そのことだけで差別される。それがこの時世だ。

 バスク・オムなら、ここで、当たり前だと嗤うのだろう――アースノイド至上主義者め。

 ワイアットには、そうしないだけの理性があるってだけだ。

「――……ムンゾが、連邦に牙を剥かぬというのなら、我々とて敵対はしない。護るべき人民だと言うことに違いはないのだから」

 “棄民”云々から話を逸らそうとしてか、ワイアットの回答は、存外にストレートだった。

 ――言ったね。

 言質は取ったよ。ハイマンだって聞いてる。

 内心でニンマリと笑う。

「つまり、ムンゾ国内が落ち着けば、連邦軍は決して出兵しないと?」

「……無論だ」

 畳かければ、ワイアットは渋い顔で、それでも深く頷いた。

「では、わたしから一つお願いがあります」

 切り出すと、渋い顔がもっと渋くなった。

「なぜ私が君の頼みを聞くと?」

「お願いが駄目なら、“賭”でも良いですよ」

「“賭”だと?」

「はい――わたしもワイアット中将も、ムンゾに“平穏”を取り戻したい。それぞれの方法で」

 覗き込んだ先の瞳が、興味深げに瞬いた。

 おれは暴動を抑えたいし、ワイアットは暴動を煽って武力介入を強行したい。

「まずはわたしのやり方で、ムンゾを鎮めてご覧に入れましょう」

 息を飲んだのは、ワイアットか、ハイマンか。

 見開かれた蒼瞳に笑いかける。

「……どうやって?」

「手紙を一通出させてください。検閲してくださって結構。ただし、必ず父に届けてください」

 答えると、しばしの沈黙が落ちた。

「――……それだけか?」

「それだけです」

 笑みは崩さない。瞳にだけ真摯な色を。

「……それで、ムンゾが鎮まらなかったときは?」

「どのみち、この身はただでは済まないでしょう」

 言外に命が担保だと知らしめる。

 ワイアットは、まじまじとおれを見て、それから天井を仰いで大きく息を吐いた。

「……君は幾つだ?」

「18です」

「――……私が君ぐらいの頃は、どんな風だったかな。君はどうだ、ハイマン?」

「さて、随分昔の事ゆえ、思い出せませんな。……しかしながら、ザビ家とはつくづく恐ろしいものです」

 隣でハイマンまでため息を落とした。

 ワイアットが苦笑いを浮かべて。

「どんな教育を受けたら、君やギレン・ザビのような人間になるのだね」

「他の兄姉も皆、優秀らしいですしな」

「なるほど、ムンゾは強敵だ」

 そんなふうに話してるけど、おれ、まだ返事を聞いてないんだ。

 じっと見据えると、ワイアットは両手を上げた。

「分かったよ。手紙は必ず届けよう。ハイマン、コリニー中将にもこのことを伝えてくれ」

「……かしこまりました。必ず」

 ――よっしゃ。

 これで一つ手が打てた。ガッツポーズは心の中だけで。

 グラグラ揺れてる秤の片方に、今少しの重しを足してやろう。

 ひっくり返るその時を、もうちょっとだけ先に延ばせるように。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 20【転生】

 

 

 

 案の定、子どもたちは大騒ぎした。

 執務室に乗りこんできての大暴れである。

「ギレンさん、ガルマを連邦軍に連れて行かせたって、本当!?」

 アムロを筆頭に、子どもたちがなだれこんでくる。

「何で!? 何でガルマが地球に行かなきゃなんないんだ!?」

「ガルマが地球にって、どうして!?」

 一番暴れたのは、当然ゾルタンとミルシュカだったが、年長のアムロも、不満をいっぱいに湛えた顔で、こちらをじっと睨みつけていた。

 だが、

「納得いかねぇ!!」

 それ以上に大荒れだったのは、実はカイ・シデンだった。

 カイは、“ガルマ”に距離をおいていたようなところがあったと思ったのだが、意外に懐いていたのだろうか。それとも、口下手なアムロの代弁をしているのか、あるいは将来ジャーナリストを目指すが故の、相手を選ばない正義感か。

「何で、唯々諾々と連邦の云うとおりにガルマを差し出したんだ! アンタ、撃たれて気が弱くなったんじゃねぇだろうな!?」

 こちらがまだ腕を吊っていたからだろう、殴りつけてこそこなかったが――怪我人でなければ、拳を打ちつけられたのだろうな、と思うような怒りぶりだった。

 それにしても、カイ・シデンの科白には、少々見縊られたものだと思う。

「随分、われわれの決断を軽く見てくれたものだな、カイ・シデン?」

 すこしばかり声にドスをきかせて云えば、一瞬怯むが、すぐにぎっと睨みつけてくる。

「決断とか云うけどな! ムンゾは納得してねぇ! ガルマを犠牲に、戦争を回避するなんてな!」

「“戦争”は既にはじまっている」

「は」

「はじまっているのだ、カイ・シデン。“ガルマ”は戦場に出ていったのだ」

「詭弁かよ!」

「違う」

 まだ若い少年には、了解は難しいのかも知れないが。

「武器を取るばかりが戦争ではない。“ガルマ”は、そう云う“戦場”に出たのだ。あれは、人質になりに行ったのではない、戦いに行ったのだ」

「……政治ってことかよ」

 アムロも、じっとこちらの会話に耳を傾けている。それに何かを感じたのか、ゾルタンも、そしてミルシュカも。

「政治、とは違うな。“ガルマ”は政治を理解しない。あれがしに行ったのは、有体に云えば悪戯だ」

 但し、連邦軍そのものを手玉に取るような。

「悪戯? 悪戯って、戦争なの?」

 アムロが首を傾げる。

 まぁ、普通は違うだろう。だが、

「やりようによってはな」

 “ガルマ”の“悪戯”は、戦争におけるゲリラ戦のようなものにもなり得る。元々が悪辣なのだ、“そのつもりで”やれば、結構な攪乱戦法になるだろう。

「“ガルマ”は、連邦軍のジーン・コリニー中将に呼ばれていった。だが、向こうに着けば、それ以外の将校たちとも会うことになるだろう。――ところで、ムンゾでもそうだが、連邦も、決して一枚岩と云うわけではない。それはわかるな?」

 保守派、改革派、中道、日和見――ひとつの議会や軍の中でも、振れ幅は結構あるものだ。そして、同じ保守派や改革派の中でも、各人スタンスは異なるものである。例えば、割合行動を共にしていても、自分とマツナガ議員、ダルシア・バハロの立ち位置が異なるように。

「例えば、アムロと“ガルマ”の間にカイが入って、“実はアイツ、お前のことが嫌いだって云ってたぜ”とでも囁けば、その誤解が解けるまで、二人の間はギクシャクするだろう?」

「カイはそんなこと云わないし、僕もガルマのこと疑ったりしないよ」

 アムロが云う。

 そう云えば、“ガルマ”はなんちゃってニュータイプだった。意思の疎通が直接できるなら、確かにそのとおりだろう、が。

「喩えだ。それなら、サスロと私でもいい。――誤解が解けるまでは、お互いちょっと引き気味になって、仕事も滞るかも知れないな?」

 子どもたちは、ようやくこくりと頷いた。

「――つまり、アレか、ガルマの“悪戯”ってのは、そう云う不和の種って云うか、疑心暗鬼にさせるようなのをばら撒いてくる、ってことなのかよ」

 カイが、むすっとしたままでそう訊いてきた。

「そうだ。“ガルマ”の被った猫の皮は厚いからな、まさか、無邪気っぽい子どもが、そんな悪辣なわけはないと思うだろう。それが、“ガルマ”の強みでもある」

「そりゃ、ひでぇ“悪戯”だな……」

 気が抜けたような顔と声で、カイは云った。

「俺はまた、てっきり……デギン首相とキシリアさんが激怒してたって聞いたからさ……」

「あー……それはまぁ、本当のことではあるな」

 通信が切れた後、“父”からはひどく叱責されたし、キシリアも同じだった。サスロは、まぁ微妙な顔ではあったが、理解はしてくれたと思う。

 それから、婚約者を人身御供に出されたアルテイシアにも、少しではなく恨み言を云われた。

 一方、タチ・オハラとエギーユ・デラーズは、“本当にガルマ様を野放しになさるんですか”と、戦慄したように云ってきた。この二人は、“ガルマ”の本性をよく知っているから、まぁそう云う反応になったのだろう。

 似たようなことは、ランバ・ラルからも云われた――“あいつを、歯止めも何もなしに地球へやったのか”と。まぁ、あの男も“ガルマ”のことはよく知っているから、当然と云えば当然の反応だった。

 本当なら、巻き添えを食いそうなゴップやブレックス・フォーラあたりには、一言警告してやるべきなのかも知れないが――まぁ、“ガルマ”をと望んだのはジーン・コリニーであるのだし、何かあったら恨み言はそちらへ向けてもらいたいものだと思う。こちらは、望んで出したわけではないのだし。

「どうも、“父”やキシリアは、あれがどんなものなのかわかっておらんようでな。ひ弱で甘ったれでやさしい子どもだと思っているようなのだ」

 冗談ではない、悪知恵と悪辣さを撞き混ぜて固めたようなものが“ガルマ”だと云うのに。

 バスク・オムに念押ししたのも、半分は、“ガルマ”が何をやらかしても責任は持たない、と云いおくため――残りの半分は、無論“ガルマ”の箍を外すため――だったのだから。

 キャスバルからは、あの後“本当にガルマを野放しにするつもりですか”と云われたが――せっかく連邦にやるのだから、せいぜいかき回してきてくれなくては。

「……ガルマが、アンタが云うほど悪辣だとは思わねぇけど、ひ弱で甘ったれはねぇなぁ」

 やさしくないわけじゃないのはわかってるけどさ、と云う。

「そうだろう? “ガルマ”は戦いに行ったのだ、弾丸飛び交うのとは異なる戦いに、な」

 だから、“鎖”をすべて外して出したのだ、と云うと、カイは微妙に疑わしげな顔になった。

「それで、ガルマが無事帰ってくるって保証はあるのかよ?」

「帰ってくるさ」

 鉄オル世界での、ちょうど一期と二期の間の二年間、“ガルマ”は――“三日月”は、仲間の許を離れ、獲物を求めて彷徨っていた。ほぼ音信不通で、宇宙世紀よりも通信も交通も不便なあの世界の中で、獲物を見出して張りつき、それとともに還ってきた。

 ――“鉄華団よ、私は帰ってきた”!!

 『0083』の、アナベル・ガトーの名言とともに。

 まぁ、今回はそれができないのはわかっている。そもそも“ガルマ・ザビ”は対外的にはそう云うキャラではないし、そもそも大本のアナベル・ガトー本人が、士官学校にいるからだ。

 “ガルマ”やキャスバルの二年下、つまりは今期の新入生にその名を見つけた時には、“ガルマ”の執念が実を結んだのかと戦慄した。あの二人の“薫陶”は、下級生にも及んでいるらしく、今やすっかりザビ家とダイクンの過激派らしいと聞いている。

 ともかくも、“ガルマ”は連邦においても十二分に戦えるし、戦わせてやるべきだろう。予定より少し早いが、好きにさせる機がやってきたと云うことだ。

 “父”や“弟妹”は、こちらを冷徹だの酷薄だのと批難するが、親子兄妹で殺し合ったザビ家にしては、随分と生ぬるい話ではないか。

「あれは、もっと酷い状況から戻ってきたこともある。だから、必ず戻ってくるさ――その前に、向こうの気に食わない連中に、盛大にやらかして見せてからな」

「ぅわぁお……」

 カイが、天を仰いだ。

「そいつは大変だ。ガルマって、結構いろいろやらかしてるって聞いたぜ?」

「……どれのことかな」

 この時間軸に入ってからだけでも、古くはローゼルシア・ダイクンの足下にネズミを放ったこと――お蔭で、老女が心臓発作を起こしかけて、大騒ぎだった――から、近くは先日の“襲撃”まで、“ガルマ”のやらかしたことは枚挙に暇がない。

 ひとつ前の鉄オル世界や元々のあれこれ、幾つもの“昔”までも勘定に入れれば、百や二百ではきかないだろう。直接的な暴力から、情報を駆使した嫌がらせまで、タチや“伝書鳩”が見たら戦慄か絶望するしかないようなことばかりだ。

「士官学校の合同演習で、連邦の連中をコテンパンにしたって」

「……あぁ」

 それは、“やらかした”と云う枠ではない気がするが――しかし、一応向こうが格上であることを考えると、“やらかした”と云うのも間違いではないのか。

「あと、アンタを襲撃しに、わざわざガーディアンバンチから戻ってきたとか」

 なるほど、そこも知れていたか。まぁ、そうだろうとも。

「……まぁ、君が知る以上に、“ガルマ”はいろいろやらかしている、それだけのことだ。だから、私もそれほど心配していないと云うことさ。鎖も枷も、全部取り払ってやったからな」

 連邦では、様子を見ながら、やりたい放題やるのだろうから。

「え……ガルマ、あれで好き勝手してなかったのかよ……」

 カイが、呆然と呟く。

 “ガルマ”がいたら見せつけてやりたかった。そう、あの言動は、世間一般から見れば、充分以上に“好き勝手”だったのだと。

「あれでも、とてもとてもとても抑制されていたのだが」

「マジかよ……どんだけなんだ、あのひと……」

 呆然とした口調、そう、これが普通の反応と云うものだ。

「だからこそ、口を酸っぱくして“自重しろ”と云ってきたのだが――まぁ、連邦の、しかも軍の動静を盾にとって、無理矢理人質を取っていくような輩には、遠慮や気遣いも必要あるまいと思ってな」

 好きにやってこいと云って送り出したのだ、と云うと、カイはさも厭そうに顔を顰めた。

「ガルマもガルマだけど、アンタも大概だよな……」

「それは褒め言葉だと思っておこう」

「……褒めてねぇよ」

 とは云ったものの、先刻までの激昂は、少年の中からはすっかり抜け落ちてしまったようだ。

 そして、カイが納得したようなのでアムロが落ち着き、アムロが落ち着いたのでゾルタンとミルシュカもおとなしくなった。どうやら、“説得”には成功したようだ。

「半年、待て。“ガルマ”は、キャスバルにそう約束していた。だから、“ガルマ”は半年で帰ってくる。それまで、おとなしく待っていられるな?」

 そう云って、アムロの茶色い髪をくしゃりと撫でると、アムロは少しばかり考えて、やがてこくりと頷いた。それにつられたように、ゾルタンとミルシュカも頷く。

「良い子だ」

 カイ・シデンが、呆れたような顔になったが、まぁとにかく半年待つと云ってくれれば良いのだ。

 こちらもその間に、着々と“準備”を進めなくてはならないのだから。

 

 

 

 子どもたちを説得することはできたが、そうはいかないのがムンゾ国民である。

 何しろ、面と向かって対話できるわけでもない、しかも、狙撃事件に続いての“ガルマ”の地球行きである。

 過激派のみならず、“連邦許すまじ”の声は、日に日に大きくなるばかりだった。

「このままいくと、せっかくガルマが作ってくれた猶予が、フイにもなりかねんぞ」

 自宅の執務室――と云うか書斎――を訪ねてきたサスロが、難しい顔で云う。

「収めるのは難しいか」

「難しいな。お前の後にガルマだろう、どのメディアを見ても、論調は反連邦一色だ」

 フェデレーション・ポストですら、連邦に対して苦言を呈するような風だったからな、と云う。

 なるほど、連邦系メディアですらそれならば、ムンゾ国内のメディアは云うに及ばずだ。

「国民に、実情を語るわけにいかんのが辛いな……」

 まさか、“着々と戦いの準備は進んでいる、独立まであと僅か、それまで耐え忍べ”などと云うわけにはゆくまい。云えば、駐屯軍どころではなく、連邦軍の本体が、ムンゾを制圧しにやってくるだろう。

「とは云え、世論の望むように連邦に抗議したとしても、行きつく先は開戦だからな。ガルマを取られている現状では、それも回避したい」

「そうだな。まぁ、いいように使われる“ガルマ”ではないとは思うが」

「……いつも思うが、お前の見ているガルマは、一体どうなってるんだ」

「見たままだと思うがな。――キシリアは」

「毎日ガルマを案じて嘆いているらしいぞ。シャアが、甲斐々々しく慰めていると聞いた」

「なるほど」

「父上は、未だお前におカンムリだ。“何をしようと関知しない”なぞと云うからだぞ」

 責めるように云われ、思わず眉が寄る。

 “父”は、あの後ずっと怒りが収まらぬようで、ここのところは公邸にこもり切りである。よほどこちらの顔を見たくないのだろう――ある意味、原作の再現となったわけだ。

 だが、こちらにも云い分はある。

「云っておかなくては、あれがやらかした後に、コリニー中将から苦情を云われることになるだろう」

「……何でやらかす前提なんだ」

「やらかさなくては、開戦前に帰ってくることはできるまい?」

「……それはそうかも知れんが」

「まぁ、“ガルマ”はなるようになる。今の問題は、デモ隊をどうやって沈静化させるかだろう」

「まぁな」

 ふと目をやれば、モニターには、反連邦とムンゾの旗を掲げてデモを行う市民たちの姿が映し出されている。ムンゾ国軍が警戒にあたっているが、今のところ、市民が暴徒化して商店を襲撃したりと云うことはないようだ。そのような事態になれば、ムンゾ国軍としても、催涙弾を使用したり放水したり、少々手荒にならざるを得なくなってくるので、まだ平穏であると云えるかも知れない――あくまでも、“今のところは”でしかないのだが。

「政府も議会も軍も動かん、弱腰だ! と云う連中ばかりときている。まったく、われわれの都合もわからずに!」

 とは云うが、

「機密であるからには、わかるわけもあるまいよ」

「わかっている!」

 サスロは、苛立たしげに手を振った。

「だが、俺が腹立たしく思うのは、一部の議員どもが、デモ隊の尻馬に乗るようなかたちで、政府や軍の不手際だと云い立てていることだ! 彼奴らめ、有象無象に過ぎんくせに、政府批判だけは一人前に……」

「馬鹿ものどもは、以前のあれで一掃されたかと思ったのだがな」

「あいつらが消えたら、今度は別の連中が、実は馬鹿ものだとわかったってことだろう」

 まだしも、親連邦の連中の方が、黙ることを知っている、などと云うが、さてそれは本当に賢明であるからなのか。

 まぁ、デモなどと云うものは、ある種日常の憂さ晴らしを政治的行動としてやっている部分はあるのだし、暴徒化しなければ好きにしろと思わぬではない。

 ただ問題なのは、サスロの云うとおり、そのデモを、自らの政治力に利用しようとする一部の議員があることだ。デモ隊が、自らの主張を政治に反映させるために、政治家に近づく、と云うのはよくある話だし、それ自体をどうこう云うつもりはないが、自らの勢力拡大のためだけに、そう云った政治行動を行う連中に、政治家の方が擦り寄っていくと云うのは、政治倫理的にもいかがなものかと思わずにはいられない。

 もちろん、それが当人の政治理念と合致するが故の行動であるのなら、こちらの心情は措いて、納得せざるを得ないところはあるのだが――昨今散見される一部の政治家は、それまでの自らの主張を擲って、デモを行う団体の主張に擦り寄る風なので、余計に見苦しさが際立つのだと思う。

「しかしまぁ、その“馬鹿もの”どもは、いずれも小物でしかないだろう。もちろん、動向に注意は必要だが……」

「甘いぞギレン!」

 サスロはテーブルを叩いた。ドズルと云いサスロと云い、ザビ家の兄弟は、何かを叩かずには話ができないのか。

 眉を顰めるが、サスロには通じなかったようだった。

「あのような軽佻浮薄な輩が、暴動を起こさせるのだ! こちらの計画にも差し障る、何かあれば、奴らを即、拘置所送りにしてくれる!」

「が、連中も尻尾は掴ませんのだろう?」

 そう云ってやると、いかつい肩が、がっくりと落ちた。

「そうなんだよ……あいつらめ、鼠だか狐だか、ちょろちょろするくせに尻尾を出さん」

「もとより、デモを行っているのは市民たちであって、政治家が裏で糸を引いていたと云うわけでもないからな」

 政治向きの話で云えば、現状、連邦とことを構えたいと考えているものなど、ほとんどありはしないのだ。幾ら市民運動が盛り上がろうとも、戦争には機と云うものがある。少なくとも互角以上にやれると確信できる兵力、技術、情勢が揃わなくては、恐ろしくて戦争などできるものではない。もちろん、威勢ばかり良い愚かものもなくはないが、議会内ではごくわずかでしかない。

 原作においては、ムンゾ――ジオン公国は、サイド2、ハッテを攻撃し、その第8バンチ――アイランドイフィッシュを地球に落下させた。世に云うブリティッシュ作戦である。

 コロニー落としは、そこに住まう住民の生命をも刈り取り、かつ地球上にも、二次災害を含めた甚大な被害を与えたと云う意味で、“歴史”に残る事件だった。元々の方でも、人類が宇宙に進出し、そこで戦争になったとしたら、『ガンダム』を思い出して似た作戦を決行するものが出るかも知れない。それほどに、インパクトの強い“事件”だった。

 原作軸のムンゾ――ジオン公国、そしてギレン・ザビは、あの作戦とMS、そしてソーラ・レイを切札に、連邦と云う巨人に戦いを挑んだのだ。

 だが、ブリティッシュ作戦はやはり人道的には戴けないものであり、後々ムンゾとそれ以外のスペースノイドの間に深い溝を作ることにもなった――宇宙世紀で幾つも語られた、ジオン残党の戦いを思い出すが良い――から、想定せずに戦うことを考えるべきである。まして、コロニー同盟などを成立させ、力を合わせて連邦と戦うと約したのだから、なおのこと。

「だが、糸はなくとも、絡んでいく輩はあるぞ。特に、自分の現状に不満のある奴らは、ぶつけどころを探しているところがあるからな。そう云う輩は、手っ取り早いぶつけ先として、反連邦を叫ぶわけだ。面倒くさいことこの上ない」

「確かにな」

 元々の方でも、老人や低収入の人間などに、勇ましい言葉や自国中心主義に歓喜するものは多かったように記憶している。身近なところにぶつけて、挙句DV、とならないだけましなのかも知れないが、かれらの小さな“運動”が、いずれ国そのものを、戦争と云う巨大なうねりに投げこむことになると思えば、軽視するわけにもいかない。面倒なことである。

「ともかく、議会の方を抑えこんで、かつメディアも軌道修正させるしかなかろうな」

「それで抑えられるか?」

「それ以外に、何ができると云うのだ」

 武力行使に出るわけにもゆかず、デモに迎合するわけにもゆかぬとなれば、できることなど限られてくる。

「せめてお前が撃たれていなければ、もう少しやりようがあったんだがな……」

「繰言か、サスロ。お前も年寄りじみてきたな」

「誰のせいだと!」

 とは云うが、少なくともこちらのせいではない。

「敢えて云うなら“ガルマ”か、あるいは連邦のせいだろうな」

「……くそ」

 などと吐き捨てられても、どうなるものでもない。

「繰言に費やす暇などあるまい。“ガルマ”が稼いでくれた時間は半年だ。場合によっては、それより短くなる可能性もなくはない」

「……あぁ、わかっている」

 とにかく半年、半年こらえて“ガルマ”が戻ってくるまで開戦を回避することができたなら、こちらにも勝機、とまではゆかぬにせよ、戦いを有利に進める可能性も出てこようと云うものだ。

「――新型MSの生産状況はどうか」

「MS-06は、そろそろ量産体制に入れるかと云うところだな。このままいくと、MS-05は、出番もないままお役御免になりそうだ」

 まぁ、それほど作らないうちに新型に移行できるんだから、コスト的にはそこまでひどいことにはなっていないが、と云う。

「新型機が主力になったとしても、MS-05は、引き続き訓練機として使うのだろう?」

「まぁな。それに、量産体制に入ると云ったって、すべてのパイロットに即新型を与えてやれるわけじゃない。まずは新旧入り混じっての運用になるだろうな」

「そうか」

 まぁ、せっかく作ったものを、一度も運用せずに廃番にするのは胸が痛む。MS-05、所謂“旧ザク”が、日の目を見るのは喜ばしいことだと思う。

 それに、今現在MSの訓練を受けているパイロット、乃至はパイロット候補生たちにとっては、馴染んだ機体の方が良いのかも知れないのだ。

「新旧の別はともかく、今の目標は、すべてのパイロットにMSを充てがうことだ。そうだろう?」

「そうだな。――今は、どれくらいのパイロットに、MSを行き渡らせることができるのだ?」

「正確な数値はわからんが、新旧取り混ぜても、恐らく四割にいくかどうかじゃないか」

「四割か……」

 それは、まだまだ足りない。足りな過ぎると云ってもいいくらいだ。

「少ないな、七割、せめて六割には供給できるようにしたいが」

「新型の方が、生産ラインとしては楽だから、半年あればもう少し稼げると思うが――七割はどうかな」

「急がせろ。さもなくば、われわれに勝機はなくなるぞ」

「……わかった」

 ムンゾが勝利、乃至は有利な状況で停戦に持ちこむためには、だらだらとした戦いではなく、短期決戦にする必要がある。

 そして、純粋な数では連邦に敵うべくもない以上、MSが圧倒的な“新技術”であるうちに、決着をつけなくてはならないのだ。

「――とにかく、“ガルマ”の帰還までに、こちらも準備万端調えておかねばな」

「あぁ」

 半年。

 “ガルマ”がキャスバルに約束した半年と云う期間のうちに、戦争に耐え得る体制を作り上げておかなくてはならぬ。それが、後を守るものに課せられた義務なのだから。

 

 

 

 しかし、数々の操作にも拘らず、反連邦の動きは、一向沈静化の兆しが見えなかった。

「ガルマが行って、まだ一月にもならんのだぞ!」

 サスロは叫ぶが、まだ一月にもならないからこそなのではないか。一月では、衝撃が薄れるにはまだ早い。

「それだけ、国民にとってはショックだったのだろうな」

 と云えば、強く睨みつけられた。

「他人事のように云うな!」

「そうだぞ、ギレン」

 キシリアが頷く。

 “ガルマ”が地球へ行ってから、泣き暮らして憔悴している、との専らの噂だったが、噂は噂でしかなかったと云うことか。見事なほどにいつもと変わらない。あるいはそれが、“氷の女”たる所以なのか。

 珍しく、三人揃った休日の午後である。キシリアは、シャアを伴ってはいなかったが、それは大学の課外授業のせいであるらしい。しかも、生徒の立場ではなく助手として駆り出されたのだそうだ。教授に気に入られたとかで、キシリアとしても悪い気分ではないらしい――少しばかり淋しそうな顔はしていたが。

 まぁそう云うわけで、士官学校長として忙しいドズルを除き、久し振りの兄妹でのティータイムとなったわけだが。

「お前が、ガルマをどうにでもせよと云わんばかりに送り出したので、父上はひどくご立腹だ。国民には、お前のもの云いは知られてはいないが、知れれば父上と似たりよったりの反応になることは、想像に難くないな。――お前、この後一体どうするつもりでいる?」

「どうするもこうするも」

 肩をすくめてやる。

「私に、何かやりようがあると思うのか。下手を打てば、連邦軍がデモ隊を踏み潰しにやってくるぞ」

「だから、下手を打たせん方策をと云っているのではないか!」

 サスロの拳がテーブルを打ち、カップが跳ねてがちゃんと鳴った。中の紅茶はこぼれなかったが、少々動作が荒過ぎるのではないか。

「落ち着け、サスロ」

「これが落ち着いていられるか!!」

 短気な“弟”は、ぎりぎりと歯を軋らせた。

「これで連邦の介入を許すようなことがあれば、ガルマは何のために地球へ行ったのかと云うことになるではないか! コリニー中将とやらの高笑いが目に浮かぶようだ……!」

「まだ、連邦軍が介入すると決まったわけではあるまい」

「悠長なことを!」

 とは云うが、連邦軍が介入するとなれば、それこそデモ隊が暴徒化して、近隣の商店などが襲撃されるくらいの事態にならねばならないだろう。

 それとも、デモ隊の中に不穏な動きをするものがあって、そのものの煽動で、市民が暴徒化しかねないとでも云うのか。

 そう問えば、

「ないとは云い切れんだろう!」

 と怒鳴られた。一応“長兄”のはずだが、どう云うことだ。

「ない、とは確かに云い切れんが、それとても、よほどの事態にならなければ、ムンゾ国軍の管轄になるはずだ。議会が占拠されるなど、よほどの非常事態でない限り、連邦軍は手を出してはこれんさ」

 ただの暴徒化ではなく、それこそ民主主義の根幹を揺るがす事態にでもならない限りは。

「ただまぁ、国民が納得せねばこの騒動が収まらんと云うのは、確かにそうだろうな。そしてそれに関しては、メディアをもう少し穏当な報道に軌道修正させるくらいしか、打てる手はない」

 政府の公式見解など、色眼鏡で見られるしかないのは、どの時間軸でも同じことだ。そして、それを補強するような報道に軌道修正させれば、“政府の圧力だ”などと批難されるのも。

「どうしたところで、政府に対する批判が減るわけではないのだ。まぁ、姿勢を低くして、今の熱量が沈静化していくのを、じっと待つより他ないだろうな」

「落ち着くと思うのか」

「“ガルマ”の身に何か起こると云うような、新しい“燃料”が投下されるならわからんが、そうでなければ、人間はそう長く怒りを保持することは難しい」

 怒りと云うのは、かなりエネルギーを消費する感情なのだ。思い出して再燃することはあるが、ずっと同じ熱量で怒りを抱き続けるのは、経験則から云っても不可能である。そして、大体の人間は、怒りを再燃させたとしても、最初と同じほどの熱量にはならないものだ。

 つまり、時が過ぎゆけば、大抵のことは沈静化せざるを得ない。それまでに、例えば連邦軍の艦船が事故を起こすなどの、新たな燃料さえ投下されなければ。

 今回に関して云えば、こちらが撃たれたすぐ後に、“ガルマ”を地球に、と云う話があったので、矢継ぎ早に“燃料”を投下された感はあった。これで、さらに何やら事故でも起これば、完璧な構図が完成だ。陰謀論者たちが喜びそうな流れである。

 だがまぁ、仮にこの流れのすべてが陰謀だったとして、それに乗ってやらねばならぬ義理がどこにある?

「私は、そこまで案じてはおらんよ。とにかく、今のところは、開戦論をあまり抑えこむのは、逆効果でしかない。多少は発散させてやれ。連邦が出てくるような事態になるなら別だが、そうでなければ、抑えつけた分だけ酷いことになるぞ」

「そうは云うが、あまり野放しにもできんだろう。既に、警官隊との衝突で、怪我人も出ている」

 サスロの言葉に、キシリアも渋い顔になった。

「確かに、これで死者が出ようものなら、大変な騒ぎになるな。自業自得になるとは云え……」

「死傷者が出るのが、デモの参加者や警官隊からだけとは限らんからな」

「……確かにな」

 だが、現状で連邦軍が介入してくるには、それこそムンゾ国軍がデモ隊と組んで、連邦政府の事務局や連邦軍兵士たちを襲撃するくらいの出来事が必要である。あるいは、デモ隊によってムンゾ国軍や議事堂、首相官邸などが襲撃されるくらいの。

 と思ったところで、扉が忙しなく叩かれた。

「ご歓談中失礼致します。ギレン閣下にご報告が」

 タチの声だ。

「どうした」

「デモ隊に、怪しげな煽動者がある模様。デモの進路をこちらに――このお邸に向かって進めている模様です!」

「なに」

 途端に、サスロとキシリアからまなざしが飛んでくる。

「どうするつもりだ、ギレン」

 などと云うが、ここは公邸ではなくザビ家の私邸である。これで“父”がいる時ならば、様々な問題になりそうだが――いや、一応ここにいるのも、政府や軍の要人枠ではあるか。

「……これで警備のものに排除させても、大事になるだけだろう」

 そこから乱闘になって、機動隊やら軍やらが出てくることになると、それはそれで面倒だ。

「では、どうする」

 見つめてくる、二対の目。

 さて。

「……とりあえず、話してみるしかないだろうな」

 あまり自信はないが。

「代表者とか?」

「きちんと対話になるとは思わんよ」

「ならばどうする」

「さて」

 “本来の”ギレン・ザビが得意な分野で勝負できるかどうか。

「どこへいく?」

「着替えてくる」

 ゆるゆると茶を飲んでいた衣服のままで、いきり立つデモ隊と対峙できるとは思われない。

 扉の外でタチを掴まえ、諸々の準備をするよう云いおいて、クローゼットへ向かう。

 怪我が回復し、腕を吊るさなくなっていたのは幸いだった。着替えのような日常動作も楽にできるし、見た目もよい。

 軍服ではなく、議会に出席する時のようなスーツに身を包むと、それだけで、多少引き締まった気分になる。

 必要なのは、戦争への道筋ではなく、デモ隊の感情を抑える理性である――今はまだ。そのことを、全身で、見えるように示してやらねばならぬ。

 背筋を伸ばし、鏡を見る。その中にあるのは、まさしくギレン・ザビの姿だ。ここ数年は自身の顔として見てきたが、紛れもなくガンダムにおけるジオン軍総帥、天性のアジテーターとして知られた男の顔貌が、鏡の向こうからこちらを見つめてきた。

「――力を貸せ、ギレン・ザビ」

 ムンゾの、スペースノイドの勝利のために。

 瞑目して何とも知れぬものに祈り、廊下へ出ると、タチが近づいてきて、準備ができたと報告してきた。

「残念ながら、ここから脱出することは適いませんが――デモ隊は、完全にこのお邸を取り囲んでいる状態です。“頭”は、正門前に固まっているようですが」

「中へは入れていないだろうな?」

「当然です!」

 憤然と云いながら渡してくるものを受け取り、襟元につける。

「警備のものもおりますので、流石に門扉や塀を乗り越えてくるようなものもありません。……ただ、ザビ家の方々のいずれかが出てこない限り、包囲を解くつもりはないなどと息巻いている輩がおりまして……」

「まぁ、そうだろうな」

 云いながら、バルコニーに続く部屋の扉を開ける。

「――子どもたちは」

「フロリアン・フローエやカイ・シデンも含め、奥の安全な部屋に。メイド頭がついていて、部屋の前には警備のものを」

「そのまま、騒動が終わるまではおとなしくさせておけ」

「はッ」

 掃き出し窓を開け放って、バルコニーに出る。

 警備のものの居並ぶ先、門扉の向こうにデモ隊が群れ集まっているのが見える。かなり厚い層になっているようだ。あの調子で、ぐるりとこの邸を取り囲んでいるのなら、確かに大した人数だろう。千、二千は下らないかも知れない。

 そのものたちの耳を、こちらに向けさせることができるかどうか。

 ――力が試される時がきたと云うわけだ。

 胸許のマイクのスイッチを入れ、声を張り上げる。

「いかなる用があって、この邸へ来たのか!」

 マイクがそれを拾い、スピーカーを通じてデモ隊の耳に届ける。

 デモ隊は、てんでにあれこれ叫んでいたが、やがて、代表者かそれに近しい位置の人物が、拡声器片手に門扉近くに進み出た。

〈われわれは、ギレン・ザビ狙撃事件及びガルマ・ザビ略取に関して、連邦へ抗議することを求めている! われわれの嘆願を容れ、抗議案を議会へ提出して戴きたい!!〉

 割合に若い、だが、充分な教育を受けたとわかるような、理性的な話しぶりだった。

 しかしながら、それで連邦へ抗議を、とは、喋り方の割には現状認識が甘いのではないか。抗議すれば、ムンゾ内で反連邦運動が加速し、それに背中を押されるようにして開戦へと突き進むことになる、そのようなことは、目に見えた話ではないか。

「……愚かな」

 その呟きを、無駄に高性能なマイクが拾い上げたようだった。

〈愚かと云うか! 撃たれたのはあなた自身ではないのか、ギレン・ザビ! にも拘らず、弟であるガルマ・ザビを、連邦の云うがままに差し出したのは何故だ! 臆したと云われて然るべきではないのか!!〉

 そうだそうだ、と、デモ隊から声が上がる。

 気を良くしたのか、男はそのまま高らかに叫んだ。

〈われわれの要求はただひとつ! 連邦への抗議と、場合によっては開戦である!〉

 ――尻尾を出したな。

 しかも、要求はひとつではない。

 正面にいるデモ隊の中には、開戦まで要求するとは思っていなかったのか、明らかに当惑う気配があった。が、それ以外は、言葉が正確に届いていないのだろう、同意の声を上げるものばかりである。

 ザビ邸のまわりを取り囲んだのは、中の人間を逃さないと同時に、雰囲気だけで同意の声を上げさせるためだったか。なるほど、よくできたことだ。

 ムンゾ国内の主戦派か、あるいは連邦の手のものか――いずれにしても、あの男が“頭”であり、また入りこんだ“蛇”でもある。

 ちらりと横へまなざしをやると、バルコニーの影にうずくまったタチが、心得た顔で頷いてきた。そのまま身を引いて、密やかに部屋から出ていく気配。

 大きく息を吸い、口を開く。

「――諸君!」

 声を、代表の男ひとりに向けてのものではなく、デモ隊すべてにむけたものへと変える。

「諸君らは、今ムンゾがどのような状態にあるか、本当に理解しているのか! 諸君らの行動如何によっては、連邦が諸君らを、このムンゾを踏み荒らしにやってくると、わかってそのような要求を口にするのか!」

 弱腰のものが何を云う、と叫ぶものがあり、またそれに同意する声も上がる。

「弱腰、弱腰と云うか。……良かろう、私はそれで良い。だが諸君! それでは“ガルマ”の意志はどうなるのか!」

 喧騒が、ほんの少し静かになる。

「わが“弟”、諸君らがそうして案じてくれている“ガルマ”の意志は! ……“ガルマ”は、連邦軍の介入を防ぐのと引き換えに、地球へ向かったのだ。ムンゾを、諸君らを、連邦の軛の下に置くには忍びないと考えて。――その心を、諸君らは何とする!!」

 バルコニーから、デモ隊を睥睨する。そのまなざしが届いたわけでもあるまいが、ざわめきはさらに静かになってきた。

「諸君! “ガルマ”はただ人質となりにいったのではない! “ガルマ”は、戦いに出たのだ! 戦艦も砲弾もない、だが、確かな戦場に!」

 この言葉尻を捉えられるのは拙いなと思わぬではなかったが、また、これ以上にデモ隊に響く言葉を、残念ながら思い浮かべることができなかった。

「そう、それはムンゾを、諸君らを守る戦いである! われら、ムンゾに残るザビ家のものは、“ガルマ”の銃後を守るものなのだ! “ガルマ”が守らんとするムンゾとその国民を、われらはさらに防衛しようと云うのだ! すべては、諸君らを踏みにじらせぬためのことである!」

 一息おいて、またデモ隊を見回す。既に、野次や罵声は鳴りをひそめ、真剣なまなざしばかりがこちらに向けられていた。

 ――よし。

 手を拡げ、最後につけ加える。

「われわれは耐え忍ばねばならぬ、この試練を――古来、過誤が永遠に支配を続けた歴史はない。現在の苦難を耐え忍び、真の“刻”を待つのだ! そのための時間を、“ガルマ”は稼いでくれたのである! その選択を、“ガルマ”の選んだ戦いを、諸君、どうか無にしないで欲しい!!」

 街区に響いた谺が消え、一瞬の沈黙が落ちる。

 次の瞬間、

「……ムンゾ万歳!」

 誰かの声が、沈黙を小さく切り裂いた。

「ガルマ・ザビに祝福を! ザビ家万歳!!」

 ごく若い、子どものような青年の声。

 ざわめき、の後。

「……万歳」

「ムンゾ万歳!」

「ガルマ・ザビ万歳!」

「ギレン・ザビ万歳!」

 口々に叫ぶ声はやがて、まとまり、うねりのようにザビの家名を呼ぶものとなった。

 ザビ! ザビ! ザビ! ザビ!

 それに呼ばれたか、両側にサスロとキシリアが立った。

 歓声がまた大きくなり、今や声は、ズムシティそのものを揺るがすかのようになった。

 両脇のふたりを見やると、ちらりと笑みが返される。

 そして、屋内の陰になったところから、タチが頷くのが見えた。あの代表者らしき男とその仲間を、どうやら巧く確保できたようだ。

 ――とりあえず、勝った。

 少なくとも、この勝負には。

 内心で胸を撫で下ろし、半ば苦笑しながら、歓呼の声に手を振った。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 21【転生】

 

 

 

親愛なるお父様

 

お父様、やっとお手紙をお届けすることが叶います。

けれど、なにをお伝えすれば良いのか、胸がいっぱいで悩むばかりです。

優しいお顔が目に浮かびます。

お元気でいらっしゃいますか、ご無理はしていませんか、きっとお父様のことだから、まず国民を守っていらっしゃるのだと思います。

ちゃんと食事をして、睡眠を取ってくださいね。

頼みます、スチュワード。

兄様たち、姉様もお元気でしょうか、いつも無理ばかりされているから心配です。

抱きしめてくれる腕がないことを寂しく思う度に、僕がどれだけ守られていたのかと、今更に思い知ります。

子供達は悲しんではいませんか。僕は君達が元気に駆け回っていることを望みます。家の者が、きっとよく世話をしてくれるでしょう。

アルテイシアはどう過ごしていますか。優しいお姫様は、僕を案じているかもしれないね。

キャスバルは無茶なことをしていませんか。いつも一緒だった君が傍に居ないことが、こんなに苦しいことだなんて知りたくはなかったよ。

仲間たち、みんなみんな、元気でいてくれてるかな。

僕が、ムンゾに残してきたすべてを、とても慕わしく、愛しく感じています。

いまにも胸から溢れそう。

愛しています。

遠く離れても、心まで離れることはないのだと、いま、そう実感しているのです。

 

先日、僕のことを案じたデモがあったと聞きました。

叶うなら、国民の皆さんにお伝えしてください。

決して早まることがないようにと。

僕が地球に降りたのは、彼らに連邦の銃口を向けさせないためにです。

誰にも傷ついてほしくない。

今、ムンゾはとても大変な局面にあります。

誰しもが自由を願い、生まれ持ったその権利を侵害する力を憎むことは当然で、それ自体を黙ることは、確かに間違いなのだと思います。

けれど、そのことで、いま連邦の介入を招いたら、真っ先に傷つくのは彼ら市民です。

撃たれるのは誰かの親で、子供で、友人で、恋人なのです。

もちろん、ムンゾ軍だとて黙ってはいないでしょう。

そうなれば、そこには先の見えない真っ暗な戦場があるだけ。

それはとても恐ろしいことです。

もう少しだけ、心を落ち着かせて考えてみてほしい。

あなたの隣にいる大切なひとが、傷つくかもしれないということを。

それでも武器を取って戦うと言うなら、できるだけ大切な人が傷つくことのないプランを考えて、そっと僕の兄達に知らせてください。

僕を取り戻したい兄や姉は、喜んであなたがたのお話を聞くでしょう。

法に則って戦うのなら、僕の恩師、ドライバイム教授を訪ねてください。

戦いを望まないひとは、どうすれば地球もコロニーも、共に栄えていけるかを、皆で考えて話し合ってください。

そしてそれを、僕の父に教えて欲しい。

どんな思いでも考えでもいい。

どうか、たくさん――たくさん話し合って、考えて、そして答えを出してください。

僕はそれまでの間、この地球で、あなたの答えをお待ちします。

その結果、皆が歩み出すその先で、僕が“枷”なることは決してないと、きっとお約束しましょう。

僕は何も怖くない。

いいえ、それは嘘です。本当は、怖くて寂しくて、心細くて仕方がない。

けれどこれが、僕がザビ家に生まれた意味なら、あなた方を守ることと引き換えなら、価値があると誇れる。

あなたを、愛しています。

どうかあなたが、あなた方が幸せでありますように。

全ての祝福が、あなたの上にあればいい。

 

最後に、お父様。

この手紙に、僕のありったけの愛を詰め込んで送ります。

どうか受け取ってくださいね。

お元気で。

 

ガルマ・ザビ

 

        ✜ ✜ ✜

 

 手紙は無事届いたようで、ワイアットが、わざわざ録画したニュースを、コリニーのもとに居るおれのところまで持ってきた。

 本当にフットワークが軽いな。お偉いさんなんだろ――部下に持たせればいいじゃないか。

 なんて、直におれの反応を見たいだけだよね。知ってる。

 なんだかんだで、グリーン・ワイアットがおれに絡むから、ジーン・コリニーの方でも随分慣れたみたい。

 以前よりも会話が増えてきた。

 そこにジャミトフ・ハイマンも加わることが多くなって、反対に、バスク・オムは遠ざけられることが多くなった。

「……お父様」

 おれの手紙を読むデギンパパの目には、隠しきれない涙があった。

 声も、落ち着いてはいたけど、わずかに掠れてて、聞く人の胸を切々と打つ。

 そこにいるのムンゾの首相であると同時に、愛する子供を人質に取られた親だった。

 すべては国民を守らんが為だと、その苦悩を、表立って非難することは難しいだろう。

 クールで知られる美人のニュースキャスターも、マスカラが滲むほど泣いてた。

 ――美女に泣いて貰えるって役得。

 クールでセクシーな彼女がお気に入りで、おれもよくこの局のニュースを見てた。

「彼女は中々だね」

 なんと! グリーン・ワイアットと女の趣味は合うのか。

 ちらりと目を向けたら、不謹慎と咎められたと勘違いしたか、ワイアットは肩を竦めた。

「英雄色を好むとは言うがね、さすがにそれはどうなんだね」

 おや、咎めてたのはコリニーだったか。

 ワイアットは気にするでもなく笑っている。

「ムンゾのデモはすっかり下火だ。手紙一枚でこれとは恐れ入ったよ。今回は君の勝ちだな」

「いたみいります」

 別に手紙一枚でこうなった訳じゃない。それ以前の、“ギレン”の演説の影響も大きいんだ。

 それに、手紙で名指ししたドライバイム教授とその一派も世論に働きかけてくれてるだろうし。

 おれはサビ叩きを一部封じただけ。過激な開戦論者達の主張を小声にしただけで、連邦憎さまで封じちゃいない。

 膨らんでく風船みたいに、どんどん溜まるだろうその反発は、もう少し先の未来で爆発する。

 冷たくなりすぎた視線を隠すように、目を伏せた。

 機嫌よく話している中将二人は気づかない。ハイマンさえが、引き離された父の姿を見て感傷的になっていると捉えた程度か。

 慰めこそしないものの、少しだけ気遣わしげな空気を漂わせる。

 3人共に、それなりの好意は引き出せたんだろう。

 コリニーは物珍しい子猫に対するような。ワイアットはスリリングな賭けが出来る相手として。ハイマンは頭の回る子供とでも。

 いずれにしろ、“良い駒”程度の好意だろうさ。

 ここは敵地で、おれは次の手を考える。

 今しばらくの時間は稼げそうだから、今度は戦力を削いでやろう。

 再生が終わってしまった画面に目を落とす。

 ――待っててね、デギンパパ。

 あんな悄然とした姿。本当に悲しんでるってわかった。

 連邦はおれの大事なものを、次々と傷つけやがる。

 そして、おれはおれの“宝物”を傷つける輩は、絶対に許さないんだ。

 有用な人質だと、ほくそ笑んでる野郎どもの顔を、慌てふためくそれに変えてやったらどんなに気持ちいいだろう。

 俯いて、視線を下げた影で嗤う。

 お前たちが“子猫”と侮る、この爪と牙を、その身をもって味わうがいいさ。

 

 

 バスク・オムの粗暴さは、日に日に増していく。

 相当に苛立ってるんだろう。これまで重用されていたものが、急に疎まれ出したんだ。さもありなん。

 ましてや原因が、奴が侮ってる“スペースノイド”たるこのおれだ。

 ハゲつぶらから向けられる視線は、既に殺気混じりで、当然、それに気付いてる周囲も、決して、奴を“ガルマ・ザビ”に近づけようとはしなかった。

 バスク・オムに呼応するように、アースノイド至上主義者たちが集まり、過激な声を上げはじめたことについては、連邦上層部は眉を顰め、鎮火に動くようだった。

 現時点で連邦軍の主流は、やや穏健傾向だ。強硬にムンゾ討伐を主張していたグリーン・ワイアットが、静観に方向を転じたことが大きい。

 相変わらずヨハン・イブラヒム・レビルとジョン・コーウェンは対ムンゾ武力制圧を唱えてるけどね。

 概ね狙った通り、連邦内部での綱引きを拮抗させて、ズムシティへの侵攻は食い止められてる感じか。

「食わせ者め」

「……とても心外です」

 出会い頭に、その発言はどうかと思うんだ、ゴップ将軍。

 さすがに階級が上の大将に物言いはつけられないのか、隣に居るジーン・コリニーは渋い顔で黙っている。

 軍本部の廊下での出来事である。

「ご無沙汰しております、ゴップ将軍閣下。再びお目にかかれて、光栄です」

 にこりと笑って仕切りなおす。

 初めて会ったのは、士官学校に入る前だから、もう4年も前のことか。目の前にいるゴップは、その頃とあまり変わってないみたい。

「どうだかな」

 素っ気ない返答に、少し眉を下げてみた。

 何なの、“ガルマ・ザビ”を虐めるつもりか?

「……兄が何か告げ口しましたか?」

 “ギレン”ったら、ゴップに何を吹き込んだの――それくらいしか考えられないよね、この塩対応の原因。

「告げ口されるような心当たりが?」

「そうですね。“ギレン兄様”とはよく喧嘩するので」

「“喧嘩”かね?」

「“ギレン兄様”は、僕にだけ悪戯するんです。僕もしますけど」

 シレッと答えれば、ゴップはようやく破顔した――と、言うより吹き出してるんだけど。

 笑い転げる将軍を、コリニーが珍獣でも見るような目で見てる。

 ねぇ、“ギレン”、ホントに何を言ったのさ。

「そう言えば、粉まみれになっていたな!」

 あぁ、あれか――“ギレン”の指示で、“鳩”がプレゼントに仕込みやがった小麦粉爆弾。

 スンと真顔になったおれに、ゴップはさらにゲラゲラ笑ってる。遠慮もへったくれも無ぇな。

「わざわざ映像まで送ったんですか、“ギレン兄様”ったら」

 呆れ声になるのは仕方がない。

「いやいや、成り行きでな。まぁ、君たちの報復合戦は苛烈だと聞いているからな。程々にしてやりたまえよ。部下は巻き込んではいかん」

「……それ、僕にだけ仰るんです?」

 拗ねた声。唇を尖らせると、ゴップはまた吹き出して、それから数回頷いた。

「ふは、うん。いや、うん」

 ――どっちだよ。

「うん、うん。そうだな、ギレン・ザビにも言っておこう」

 ヒーヒー言いながら答えてくれるけど、実は笑い上戸だったりするのか、ゴップ?

 コリニーを振り返ると、なんだか面白くなさそうな顔が見返してきた。

「コリニー中将閣下?」

「……君は、普段は“わたし”ではなく“僕”と言うのだな」

 あ。以前の調子で話したから、少し砕けすぎてたか。

「これはご無礼を。以前お会いしたときのままの口調でした。幼い時分でしたので」

 咎めに素直に謝罪したのに、コリニーの眉間の皺は伸びてない。なぜだ。

「構わない。私に無理はしなくて良い。今後は“僕”で通しなさい」

 ――……まぁ、その方が楽だから有難いけど。

 なんだろう。あれか、飼ってる猫が他に擦り寄ったみたいで気に食わないという事か。

「はい。では、遠慮なく」

 わずかに甘えを滲ませ、柔らかく微笑んで返すと、今度はゴップの視線が頬の辺りに突き刺さった。

 ――なんなの、もう。

「コリニー中将、これは“虎の仔”だぞ。“子猫”を愛でるつもりでおれば、大怪我をする」

 その言い分に、コリニーは露骨に顔を顰めた。

「無論、相応の扱いをしておりますのでご心配には及びません」

「そうか。ではそのようにな」

 そう言って笑う将軍は、煮ても焼いても炒めても喰えそうにない大狸の顔をしていた。

「では、また後日に。ガルマ・ザビ、君にも会わせておきたい者が居るからな」

「……僕に?」

「あぁ、ブレックス・フォーラ准将と言う。ギレン・ザビとも既知だ。君も見知っておけ」

 なるほど、つまり自分とブレックス・フォーラとやらには“オイタ”をするなよ、と釘を刺された形だね、これ。

 笑みを消して頷いたのを、了承と取ったんだろう。ゴップも満足そうに頷いた。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「護衛、ですか?」

 言われて首を傾げる。

 大体、ジーン・コリニーに連れ回されて一緒にいるので、いつでもその部下に囲まれてる感じのおれに、さらに護衛を付けるってなんぞ?

「そうだ。最近は何かと物騒だからな」

 コリニーもハイマンも、苦虫を噛み潰したような表情だった。

 あぁ、バスク・オムか。先日押しかけて来てたね、そう言えば。

 二人ともに忌々しげな顔してるけど、そもそもあんた達の部下じゃないか。無碍に扱ってると、そのうち噛みつかれるよ――なんて、忠告も警告もしてやる筈がない。

 せいぜい噛みつき合ってよね。

 抑圧されたアースノイド至上主義者達は、先頃ではコロニー社会そのものよりも、穏健に傾いた軍上層に牙を剝きつつある。

 これにはレビル大将もコーウェン中将も、当然良い顔をしないから、勢力は穏健、強硬、差別主義の三つ巴。

 更にそこにそれぞれ思惑やらが絡めば、あらまぁ複雑怪奇奇々怪々。

 絡まった関係図の中で動くのは、誰しもなかなか大変そうだ。

 小規模であれ騒動は頻発してて、その度に誰かが更迭されてたりされてなかったり。この辺には上の意図を感じるね。

 この機に組織改変をするつもりか――こういうことすんのはゴップあたりかな。

 ともあれ、護衛をつけるってことは、コリニーの身辺から離されるってことか?

「君には、連邦の士官学校に通ってもらう」

 ――……なんですと?

「ムンゾのそれは、卒業直前でこちらに来たからな。きちんと卒業しておくに越したことはない」

 コリニーの言葉をハイマンが補う。

 ――あぁ。そうきたか。

 ますますおれをムンゾに返す気は無いようだね。地球で卒業させて、そのまま連邦軍に取り込むつもりでいるのか。

 この場面で、おれに拒否権は無いから大人しく頷く。

「分かりました。いつからでしょう?」

「来週からだ。とは言え、君は全て履行済みだからな。顔出し程度だと思ってくれていい」

 だよね。実績作りの為だけだもの。

「制服は届いているから着てみるといい。袖を通した君を見るのが楽しみだ」

 愉快そうなコリニーに、ハイマンも頷いている。

 苛立って視線を逸らす。表面上、困ったような微笑みは、照れてるようにも見えるだろう。

 ――“子猫”の次は“着せ替え人形”かよ。

 ハラワタが煮えるような、凍るような。剣呑な感情は、溜め息に落とすことさえせずに飲み下した。

 そして、衝立を部屋に運んでの強制お着替えである。

 せめて私室で着替えさせてよ、って心の声が漏れたのか、執事がこっそり苦笑してる。

 ――うわぁ。コスプレ〜。

 鏡を覗き込んで、顔を顰めそうになるのを堪える。

 衝立が取り払われたら。

「おお、似合うではないか」

 悦に入った声が飛んできた。ご機嫌だね、コリニー。

 ガルマ・ザビの連邦軍服姿ってさ。ファンアートでも見たこと無ぇわ。

 ブライト・ノアと同じ制服じゃないか――……どっかに居るのかな、ブライト・ノア。微妙に現実逃避。

 ORIGIN枠だと…2歳くらい年下だったか。

 あれ、もしかしたら士官学校にいるんじゃないかな。いま一回生? 初々しい!

 なんか、途端にワクワクしてきた。

 鏡の向こうで、“ガルマ”が愉しげに笑った。

「気に入ったようだな」

 いや別に。制服が気に入ったわけじゃなくて、ブライト・ノアに会えるかと期待しただけ――なんてことは勿論言わないけどね。

「……同世代とも交流ができるかな、と」

 少し恥ずかしそうに顔を伏せる。

「なるほど」

 コリニーが唸り、ハイマンも頷いた。

「同じ年頃の人間との交流も、彼には必要でしょうな」

 瞳に灯るのは、どこまでも酷薄な光――これ、学友も厳選されそうで、ゲンナリする。

 それでも、まぁ、少しでもココから解放されるなら息抜きにはなるだろ。

 複雑な心境のまま、ちょっと浮かれた空気が漏れる。

 それこそ、コスプレと思って楽しんでやろうなんて、この時までは呑気に考えてたんだ。

 

 

 連邦の士官学校の規模はデカかった。

 候補生数も教官数も、ムンゾの3倍以上だし、当然、敷地も広かった。

 ムンゾには一つしかないのに、地球にはこんなのが幾つもあるんだ。

 こんなところでも兵力差が透かし見えてイヤになる。

 案内してくれる教官の自慢げなことったら無いね。

「……素晴らしいですね」

 微笑んで称賛すれば、案内の教官はキジオライチョウのオスみたいに立派な胸部を膨らませた。

 ――ドズル兄様のゴリラ胸筋には遠く及ばんがな。

 あれ以上の胸をもつ猛者は、おそらく居ないだろ。

 ちょっとスライドしてた思考をもとに戻すと。

「ジーン・コリニー中将閣下はじめ、お偉方からは君のことはくれぐれもと頼まれているそうだ――流石にムンゾ首相の息子は違うな?」

 ふぉ? 最後のは嫌味か?

 見下ろしてくる目がイヤらし気な笑みを含んでるし。

「そうかも知れません。僕は“担保”ですから」

 つまり人質って事だ。

「この身ひとつの有り様で、連邦とムンゾの行く末が変わるのだと、方々から言い聞かされております。ここに在席するのも、こちらならば安全と判断されているからでしょう。どうぞよしなに」

 言外に「信頼されてますね」と滲ませながら、実際には「ちゃんと守れよ」って言ってるわけだが、教官は誇らしげに胸を反らすばかりである。

 おれの身に何かあれば、ここの人間の首が幾つ飛ぶのか分かってんのかな、コノヒト?

 分かってなさそう。

 もとより自衛を怠るつもりは無いけど、早めに手を打っておかない拙いな。

 ジーン・コリニーは、おれを連邦軍に取り込む算段で士官学校に突っ込んだんだろうが、そもそも、仮想敵がムンゾだぞ。

 教官や士官候補生にはアースノイド至上主義者が少なくないってのに、そこに敵国首相の息子を突っ込むってさぁ。

 まぁね、だからこその“顔出し”程度の特別授業なんだろうが。

「コリニー中将から“級友”になる方々について伺っております。このあとお会いできますか?」

 ハイマンが厳選した“お友達”候補生だ。

 優秀かつ、スペースノイドへの偏見少なめな面々で固めたって聞いてる。

 できれば早めに合流しときたい。

「ああ。それだが、こちらでより優秀な人員を選び直した」

 ――は?

 なに言ってんの? その権限が自分にあると思ってんのか。

 ニヤニヤ笑う顔を見上げて、首を傾げる。

「……恐縮ですが、関わる人間について、僕は制限されております」

 その話は、当然この男も聞いてる筈だろ。

 教官は厳つい顔を真っ赤に染めた。

「校内での差配は校長に一任されている! これ以上、部外者が口を挟むことではない!!」

 怒鳴りつけてくる男を冷めた目で見る。

 なら、先にそう言ってやれよ、コリニー本人にさ。

 どのみち、内心文句だらけで口には出さず、ハイハイ頷いといて、後から勝手に変えたって事だろ。

 つか、ホントに校長の差配かね?

 いずれしろ、この事は――これから起こるコトも含めて、直ぐにコリニー達の知るところになるだろう。

「なに、君もすぐに“仲良く”なれるだろう。告げ口する気にもならないくらい」

「そうですか」

 んなワケあるか。

 告げ口云々は別として、よりヤベェことになるのは保証してやるよ。だって、おれは“おれ”だし。

 “ガルマ”だけど、“おれ”だし。

 キャスバルもアムロも――子供たちも家族も仲間も、“ギレン”だって居ないんだ。

 誰が“おれ”を止められるってのさ。

 猫皮が剥がれないように、慎重に神妙な顔を作りつつ。

 ――さて、どうしてやろう。

 この先に待ってるのは、どうやらあまり好ましくない連中ってコトかな。

 どっち系だろ。

 アースノイド至上主義のエリートによる陰湿な虐めか、脳筋による暴力か、それともそれ以外の凶行か。

 連れていかれたのは、研究棟らしき建物の片隅だった。

 イアン・グレーデン先輩やアルフレディーノ・ラム先輩は元気だろうか、なんて思い出す。

 ムンゾのラボ棟で、サイエンス・スイーツから人造宝石まで、3人で色々作って遊んでたのは良い思い出だ――コレも現実逃避の一種かね。

「おい! 開けろ!! そこにいるのはわかってるんだぞ!!」

 教官が、ガンガンと締め切られたドアを叩いて怒鳴ってる。

 暫くしてから、バァンと凄い音を立ててドアが開かれた。

 うわ。大丈夫かドア? イカれてないか?

 そして、威勢よく怒鳴ってた割に、「ヒッ」とか息飲んでどーすんのさ、教官?

 戸口に現れたのは、制服をちょっと着崩した感じの――士官候補生か? 結構貫禄あるけど、年上かな。

 中にも数人いる、と、覗き込んで。

 ――……あれ?

 机の上に見知ったものを見つけて、招かれる前に室内へと踏み込んだ。

「……おい」

「お邪魔しますねー」

「おい、ガルマ・ザビ!!」

 襟あたりに延ばされたらしき教官の腕は、出迎えてくれた彼が留めてくれたらしい。

「…………ガルマ・ザビ? お前が、あの?」

「ムンゾから来たガルマ・ザビであれば、はい、僕です」

 振り返ってニコリ、と。

「教官殿から、“級友”になる皆さんを紹介していただけると聞いています」

 明らかに違いそうだけど、グルリと見回せば、5人。不良とは行かないまでも、品行方正とは言い難い空気が。

 彼らはおれの言葉に事情を察したんだろう、一斉にゲラゲラ笑い出した。

「へぇえ、ムンゾの首相の息子が俺達の級友かよ!」

「そりゃまた面白ぇ話だな!」

 奥から出てきた一人に肩を組まれた。

 ぐいと引っ張りこまれて、よろめく。ふぉ、力強いな。

 一見すれば質のよろしくない候補生に絡まれてるように見えるのかな。

 教官の口元がイヤな笑みに歪んだ。

「せいぜい仲良くしてもらえ」

「ええ。そうします」

 ニコニコと答えると、忌々しげに歯を剥かれる。それでも、戸口に居座ってる一人が威圧するみたいに睨めば、ニヤニヤ笑いながらも身を引いた。

 小心者め。

 バン、と、また扉が大きな音を立てて閉められる。ついでに鍵も。

 ふむん。あの教官は嫌われてるらしいね――分かるわ。

「……ありがとうございます。助かりました」

 ふぅ、と、息を吐いてお礼を。

「――……この状況でか?」

 呆れた口調だけど、あの教官と居るより100倍はマシだろ。

「ええ、ほんとに助かってます」

 少なくとも、コイツらは今のとこ、積極的におれを甚振ろうなんて素振りは見せてないし。

 おれの表情を読んだらしき連中は、苦笑い混じりの微妙な顔だ。

「急に押し掛けてごめんね。お迎えが来るまで置いておいて貰えます?」

 懐っこさを装って、小首を傾げてみせる。

 リーダーらしき青年は、胡散臭げに一瞥したあと、仲間を見て肩をすくめた。

「……その方が良さそうだな」

「来んのか、迎え?」

 肩を組んだ候補生が覗き込んでくるのに、曖昧に頷く。

「どうでしょ。校内では期待薄くても、さすがに定刻までに戻らなかったら、コリニー中将のお使いの人が飛んでくるかと」

 おれは、ココでは招からざる異分子みたいだから、校内関係者は来ないかも知れんが――案内にあんな教官を付けるくらいからさ――中将達は血相変えるかもね。

 ふふふ。微笑むと、何故か組まれてた腕が解かれて、一歩下がられた。なに、仄黒さが滲み出てた?

「そこまで待たされることは無ぇだろうな」

 リーダーが唇を歪めた。

「別に校長はお前を疎んでねぇよ、上の覚えが目出度くなるってほくそ笑む事はあってもな。大方、それが面白くねぇ阿呆が、あの教官を付けやがったのさ」

 なるほどね。何処でもあるよね、権力闘争って名前の嫌がらせ。

「参考までに、その阿呆…失礼、どのあたりの関与が疑われるか聞いてもいいですか?」

「聞いてどうする?」

「自衛します」

 真っ直ぐに目を見て答える。

 おれに“何か”あれば、今度こそムンゾの反発はただの反発じゃ済まない筈だ。

 それが分かってて“やらかす”つもりなのか、それすら分からない阿呆なのか、背後に誰か付いて居るのか居ないのか。

 知らずに済ますわけにはいかんのよ――いま、この身を守ることは、即ちムンゾを、そこに残してきた大切なものを守ることに他ならないから。

 飛んでくる火の粉は叩き落として踏み消さないとね。

 相手は少しだけ目を眇めて見下ろしてきて、ひどく嫌そうに顔を顰めた。

「お前ら、ゼッタイにコイツに変な手出しすんじゃねぇぞ」

「言われなくても出さねーよ」

 リーダーの言葉に、さっきまで肩を組んでた奴が同意してる。

「……弱っちそうだからか? 怪我させたら可哀想だもんな!」

 奥にいた男がひとり、ニカッと笑いかけてきた――ん、優しそうなヤツだね。

 でも、弱っちそうは余計だから。

「バカ黙れ!」

「お前ってヤツは!!」

 両隣から殴られてるけど。

 ともあれ、一時の居場所は確保できたみたい。

 おれは皆の名前を聞かないし、彼らも名乗らない――1名だけ自己紹介しようとしたヤツが居たけどさ――暗黙の了解。向こうが知ってるだけで充分なんだ。

 おれが知らなきゃ、“巻き込まれる”ことは無いからね。

「ところで、すごく見知ったものがあるんだけど?」

 最初に気づいたやつ。

 机の上に広げられた盤面とダイスを指差すと、一同の視線もそっちに向いた。

「あ? “The Game of Fun Army Life(素敵なアーミーライフ)”か? “killer bee”の」

「“killer bee”じゃなくて、“The Bee”です」

「あ゛ぁ゛? あれが“The Bee(ただの蜜蜂)”なわけねぇだろ。あんなの“killer bee(殺人蜂)”じゃなきゃ“Devil Bee(悪魔)”か“Satan Bee(魔王)”だ!」

 悪魔って酷いわ。でも、“蝿の王”はともかく“蜂の王”なんて居たっけ?

 いや、そんなに凄まれてもさ。皆の目が一斉に険しくなってても、ここはビシッと訂正しないとね。

「良くないです。それだと“音”が合わなくなる」

 そう。“The Bee”。つまり、“ザビ”。

 いつぞやおれが作った、刺激的な人生ゲームの市販版である。

「プレイしてみたんですね」

「……お前もプレイしたことあんのか?」

「ありますよ。試作品から」

 もともと、その試作品が変な具合にウケて市販に繋がったわけだし。

 答えたら目を剥かれた。

「幻の“Dark Game(闇のゲーム)”じゃねぇか!」

 ――なにその遊✘王?

 ただの人生ゲームじゃないのさ。別に負けたからってペナルティは発生しないだろ。

「なぁ、時間あるんならやるか?」

 人懐っこいひとりがダイスをコロコロ振った。

「いいですね」

 久々にやってみようか。

「そうこなくっちゃ。ザビ家の人間をボコボコにできるなんてそうそうねぇもんな!」

 そんなすごい良い笑顔を向けられると、ちょっと燃えてくるね。

「全力でお相手しましょう」

 こっちも満面の笑みを返す。

「なあ……なんかすげえ嫌な予感がするのは俺だけか?」

「大丈夫だ。俺もだ」

「問題ない。ゲームじゃ死なん…だろ」

 やる気な2人に対して、残る3人は微妙に消極的と言うか何と言うか。

 そして、ゲームはスタートする。

 ムンゾの士官学校でも見た、懐かしい阿鼻叫喚図がそこにあった。

「俺、この戦いが終わったら、結婚するんだ……」

 ぷるぷると震える手がダイスを握りしめている。

 運命の分かれ道であった。

「やめろフレッド! それフラグだからな!!」

「俺を置いていくなフレッド!!」

「頼むダイス、フレッドを見捨てないでやってくれ!!!」

「神様!!」

 誰しもが手に汗を握る一瞬。

 コロリ、と転がったダイスの目を見る皆の視線が、絶望に染まった。

「――――ッ!?? うわああああああああああああ!!!!?」

「「「「フレーーーーッド!!」」」」

 チュドーン、と、ゲーム内の爆発炎上で一人が脱落した。

 そしてまたゲームは進む。

「もう人間なんて信じねぇ!! くそ野郎どもがッ!!」

 正しい道を行ったのに、腐敗した権力に陥れられ、またひとり粛清された。

 刑場に響く銃声は理不尽極まりなく、零れ落ちた命を嘆く者たちの胸さえ、暗く深く穿つのだ。

「――……お前は良いやつだったよ、オリヴァー」

「なんでだよ、どうして正直者ばかりが馬鹿を見るんだ……」

「この世界が腐ってやがるんだ!」

「大丈夫! 天国で俺が待ってるから!」

「「「「黙れフレッド」」」」

「……えぇ〜」

 なんか、カオスになってきたねぇ。

 そしてさらに、進軍した先の沼地にて惨劇が起こる。

「嫌だワニ!! なんでワニだよ!? 何で俺がワニに食われるの!??」

 ――それもこれも運命だからです。

「アイザック、落ち着いてダイスを振れ! まだだ、まだワンチャンある!!」

「諦めるな!!」

 そして運命のダイスは。

「なんで!? なんで今度はアナコンダ!??」

「ウワァアアアーーー!!」

「アイザーーーック!!」

 人生は非情だよねぇ。

 ワニから逃れたと思ったら、今度はアナコンダに呑み込まれるとかさ。

 脱落した3人は元より、残る2人の顔も、もはや蒼白である。

 ――……ただのゲームなんだけどね?

 なんでそんなに憔悴してんの。

 そして、とうとうゲームは終盤に。

「……お前なのか、ルーカス」

「マテオ……これも宿命だ。恨まないでくれ」

 時の流れは、親友だった二人を容赦なく引き裂いた。

 敵味方に別れ、最後の決戦。

 これを制した方が人生の勝者となる――友を殺したその先で。

 この世は、なんという地獄であろうか。

 その背に負うものを思えば、たとえ親友であれ、決して譲ることができない道の上で対峙する二人の目には、涙が浮かんでいた。

 先にお星さまになった面々も、落涙を禁じ得ないでいる中で、運命のダイスロール。

 淡く微笑んだルーカスを前に、マテオが遂に膝をついて号泣した。

「ルーカスぅ〜〜〜〜ッ!!」

「泣くな。……おめでとう、お前が勝者だ」

 破壊されていく敵艦隊――それを指揮していた友が爆散するのを、瞬きも出来ずに見つめる勝者に、運命は王冠を授ける。

 さあ、マテオ。全てに置いて勝ちを得たお前こそが、運命を制した最後の人間。

 偉大なる大将軍マテオ。

 富も名誉も、何もかもを手に入れた男――ただひとつ、平凡な幸せを除いて、全てを。

 勝者が定まり、ゲームが終わる。

 そこで、5人の士官候補生たちの鬼の形相が、一斉におれに向けられた。

「なぜだガルマ・ザビ!?」

「なぜお前だけが小さな庭付き一戸建てのマイホームで、妻と子供たちと愛犬に囲まれて、平凡な幸せを満喫してやがるんだ!!!?」

 ふぉ。そんな胸ぐらつかまれたってさぁ。

 戦場で負った傷が元で、早々にリタイアした先の暮らしだもの。

「全てはダイスの思し召しですし?」

 別に操作できないよ。わかってるだろ?

「今回はたまたまこの結果だったけど、前回は友を庇って爆散したし、その前はバックファイアに巻き込まれて四散したし、さらにその前は友軍に裏切られて背中から撃たれましたよ」

 やれやれと溜息をつく。

「なんでこんなに地獄なんだよ……」

「やっぱりこれ作ったヤツ悪魔だろ」

 グッタリとした声が言うけどさ。

 失礼な。

 だいたい、本物の戦場なんて、それ以上の地獄だっての。

 これは、ちょっとばかり、いつかあったような事を盛り込んだだけの、罪の無いゲームさ。

 ――と、言うことで、そろそろ胸ぐら放しておくれよ。

 なんて。次の瞬間、鍵が掛かってた筈のドアがバターンと開いた。

 ――ふぉうッ!?

 誰かが――男たちが飛び込んでくる。

 びっくりして硬直しそうになったけど、辛うじて反応して、拘束から身をもぎ放す。

「『防衛しろ!』」

 腹の底から声が出た。

 咄嗟に机の影に身を隠し、襲撃に備える。

 5人の候補生たちも、ほぼ条件反射のように姿勢を低くし、武器になりそうな物を手に掴んだ。

「ガルマ・ザビ、無事か!?」

 それなのに、乱入者はそんなことを叫んだ。

 ――はい?

 ひょこりと机の影から伺えば、なんか爽やかそうだけど厳つい茶髪のニイさんと、その仲間らしき面々が居た。

 バッチリと視線がかち合う。

「――……どなたです?」

「ウッディ・マルデン。君の護衛を申し遣った者だよ」

 ――……なんですと?

 猫皮の上に、宇宙猫が張り付いた感じか。

 あれだよな、ウッディ・マルデン――みんなの憧れマチルダさんの婚約者?

 マジマジ見るに、うん、それっぽいよ。年上の好青年。いかにも包容力有りそうな。

 ――ナイスガイ・バルス!

 なんて呪ってる場合じゃ無かった。

 ノロノロと机の下から這い出して、ホコリを払う。

「失礼しました。いきなり入ってこられるので驚いてしまって」

「こちらこそ済まない。校内で君の姿が消えたと騒ぎになっていてね」

 探したよ、なんて言いながら、鋭い眼差しが部屋の隅に向いた。

 そこには、面白くなさそうな顔の士官候補生達が、鼻を鳴らしてたり、中指を立ててたり。

 なんだね、君ら、そんな不良みたいな振る舞いしてさ。

「ああ。彼らに保護してもらってたんです――教室ではない何処かに連れて行かれそうだったので」

 嘘だけど、嘘じゃないよ。

 事実はどうあれ、“ガルマ・ザビ”からすれば、案内の教官によって、当初の予定とは異なる場所に誘導され、その途中で出逢った彼らに匿って貰ったってコトだからね。

 あくまでも“主観”ってやつ。

 室内の視線が一斉に集まるのを受けて、小首を傾げて憂い顔を作った。

「彼らがいなければ、僕は、とても困った事になっていたでしょうね?」

 例えば、スペースノイド排斥思想の奴らからリンチを受けるとかね。

 大方、そう言うのを案じて、今も突かましてきたんだろ?

 マルデンは表情を歪めた。

 申し訳なさそうにも見える、少し苦しげな顔だった。

「彼らが保護? いましがた胸ぐらを抑えられていたように見えたが……」

「ああ、あれですね」

 思わず笑いが溢れた。

「だってそいつ、“平凡な幸せ”リタイアだったんだ!」

 叫んだのは、アイザックとか呼ばれてたひとりだ。

「そういう君は、アナコンダに丸呑みされてましたね」

 視線を机の上に向ける――ゲームの盤面に。

 つられて目を向けたマルデンが、食べ物じゃない物を飲み込んだみたいな酷い顔になった。

「――…………なるほど」

 心を落ち着かせようとしてるように見える深呼吸。

「うん。なるほどな、良く分かった。――ガルマ・ザビ、この遊戯はお勧めできない。場合によっては、人間関係に罅を入れかねない代物だからな」

 真剣な眼差しで何を言ってくるのさ。

 ――そんな大仰なゲームじゃないんだが。

 それにさ。

「試作品に比べて、大分マイルドに抑えられてると思ったんですが……?」

 小首を傾げて曖昧に微笑む先で、マルデンは天井を仰いだ。

「あれは“封印対象”だよ」

 なんてヒドイことを。

 そんな、おれのちょっとしたハートブレイクで、この“ガルマ・ザビ”プチ行方不明事件の幕は下ろされたようだった。

「じゃあね。フレッド、オリヴァー、アイザック、ルーカス、マテオ。この部屋を出るまで、君たちのことは忘れないよ」

「何ですぐに忘れるんだよ、健忘症か?」

 フレッドの突っ込みというボケに、アイザックの正拳突きという突っ込みが入った。

 やべぇな、コイツら面白すぎて“忘れる”のが勿体なくなるんだけど。

 マルデンが半笑いになってる――堪えないで笑えば良いよ。

 だから、おれが“覚えて”たら、おまえらは呼び出されたり処分を受けたり、面倒臭い事になるんだってば。

 はからずもゲーム中に名前も知れたわけだしね。

 他の四人とマルデン達にはそれが分かってるみたいで、静かに頷いてくれた。

 研究棟を離れて、今度こそ教室に向かう道すがら。

「……僕を案内していた教官は?」

「事情を聴かれている。知らぬ存ぜぬで通すつもりのようだが、そうは行くまい」

「そうですか」

 まあ、そうなるよな。

 だけど、あんなのはトカゲの尻尾切りだ。頭にダメージを与えんことにはね。

 完全に潰すとまた次のが生えてくるだろうから、程々に絞めなくちゃならんのが面倒くさい。

 チミチミかかずらわってる余暇はないってのにさ。

「Mr.マルデン……この先、護衛をしてくださるんですか? それとも、今日だけなのでしょうか?」

 取り敢えず聞いとかないと。

「ウッディで構わないよ。それなりに長い付き合いになりそうだからな」

 破顔するのに、微笑み返す。

 なるほどね、しばらくの間は、彼がおれに張り付くことになるわけだ。

 これもハイマンのチョイスって事か――優秀かつ、適度に頭が硬く、なにより連邦に忠実。

 コレを誑かすのは難しいね。

「ウッディさん、では、僕のことは“ガルマ”とお呼び下さい」

 人懐っこく差し出してみた右手を、大きな手が握った。温かみのある、厚い掌だった。

 ――この人も、マチルダさんも、この先、どうなるのかね?

 ふと過ぎった思考に、指の先が冷えた。

 いつかの世界線では、マチルダ中尉は黒い三連星に叩き潰された。

 マルデンも、“シャア・アズナブル”のズゴックに潰されていた。

 シナリオが擦れていくこの時間軸では、もう先なんて見えないけど、仮に同じことが起こるとしても、“おれ”はそれを止めないだろう。

 ――……だって敵だし。

 どんなに好感が持てたところで、それは変えられない。

 おれは、この世界で護るものをもう決めていて、彼らはそこに含まれないから。

「……ガルマ?」

「すいません。……慣れない環境で、ちょっと茫っとしてました」

 声は思ってたよりも力無くて、ウッディ・マルデンが少し慌てた素振りを見せた。

「ああ、そうだな――気が付かずにすまん、少し休むか?」

「いいえ。そこまでは」

 握られた手をそっと放す。

 ――ここは、敵地だ。

 守るべきものなんて何もない。好意だって全てまやかし。

 仲間と同世代の奴らとの遊戯での大騒ぎも、マルデンの掌の生きた温度も、おれが気にすべき事じゃない。

 心に抱くのは“宝物”だけでいいんだ。

 ――……キャスバルたちの“こえ”が聴きたい。

 できるだけ意識しないようにしている想いが、うっかりと表面に浮かんできて困る。

 アムロの、子供達の“こえ”が。

 家族と、そして仲間たちの声が、いま、とても。とても。

『……あいたいよ』

 滲み出していく思考波は、どこへも響かずに消えていく。

 まるで、“52Hzの鯨”のみたいだ。

 だけどこの“海”を泳ぎきれば、おれはこの世にたったひとりなんかじゃないから。

 まだ、やっと3ヶ月。あと、たった3ヶ月。

 いくらでも欺こう。

 いくらでも傷つけよう。

 そんなことで痛むような“心”を、“おれ”は最初から持っちゃいないから。

 嗤いに歪む表情を見咎められないように、少しばかり顔を伏せて。

 さあ、せいぜい好青年を演じて見せるから、お前も踊って見せておくれよ。

「よろしくお願いしますね?」

 微笑みを整える。

 それから次なる舞台に上る足を、ことさらに軽やかに踏み出した。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 21【転生】

 

 

 

 デモは沈静化した――とりあえずは。

 とりあえずはと云うのは、本当に“とりあえず”のことで、完全に沈黙したわけではないからだ。

 先だってのデモの“煽動者”は捕らえたが、よほど訓練されたものであるのか、背後関係を何ひとつとして語らなかったからだ。

 まぁ、語らずとも大体裏は取れた――連邦の意を受けた、某議員が裏にいたようだ――ので、そちらはそちらで一件落着である。

 そう、副次的に、“父”の機嫌がなおった。どうも、例の“演説”を動画に撮ったものがあったようで、それがネット上で流布されたのだ。

「お前も、ただガルマに厳しいだけではなかったのだな!」

 などと云われたが、まぁ概ね厳しいのは間違ってはいない。“ガルマ”にやさしくしてどうするのか――元のガルマ・ザビならばともかくとして。“ガルマ”では、悪辣の化身が野放しになるだけである。

 ドズルによれば、士官学校に残ったキャスバルは、ひとりなりに何とか頑張っているようだった。

 が、ずっと一緒に育ってきた“ガルマ”が突然いなくなったので、やはり何と云うかバランスを崩しがちなところがあり、やや心配だとドズルは云っていた。まぁ、同じく残された“ガルマ”まわりの同級生たちが、何だかんだと支えているようなので、それほど案ずることもないだろうとも云ってはきたのだが。

 とりあえず、こちらが何とか落ち着いたので、ゴップ将軍に一報を入れる。

〈もっと早くに連絡があるかと思っていたぞ〉

 画面の向こう、やや不機嫌に、ゴップは云ってきた。

「申し訳ございません、デモ隊などに時を取られまして」

〈その間に、お前の弟がこちらに来たではないか〉

「あれは――コリニー中将殿のご希望で」

〈知っている〉

 むっつりとした顔で、ゴップは頷いた。

〈あれは奴のスタンドプレイだ。大方、猫の子を取ったくらいの気でいるのだろうよ〉

「申し訳ございません」

〈ふん、心にもないことを。……まぁいい、こちらはこちらで、巧く使わせてもらう。後で文句は云うなよ〉

「滅相もない」

〈まぁ、そこまで予測して、お前はあの弟をこちらによこしたのだろう? コリニーに対して、“ガルマが何をしようと関知しない”と云ったそうではないか〉

「耳がお早い」

 思わず云うと、にやりと笑われた。

〈私の情報網を舐めてもらっては困る。連邦とのやり取りで、私にわからぬことはない〉

「……なるほど」

 ではあるいは、先だってブレックス・フォーラを紹介されたのは、新たな伝手を手に入れたこちらが、どう動くかを注視するためだったのだろうか。

 だとしたら、大した狸ぶりだ、と思う。

〈それから、デモ隊を沈静化させたと云う、お前の演説もな〉

 にやにやにやにや。

〈なかなか際どい言葉が散りばめてあったな。いかにも“いずれ連邦と戦う時はくる”と云っているように聞こえるが、具体的なことには言及しない――悪党だな、ギレン・ザビ〉

「これは異なことを」

 こちらも、かなり慎重に言葉は選んだが――まぁ、突っこまれるのは仕方ないか、ムンゾ国民向けとなると、どうしても強い言葉を使わざるを得ない。あまり弱腰に見えては、今度は矛先がムンゾ政府や軍に向くことになるだけだ。

「閣下とて、同じ状況であれば、似たような文言をお使いになられたのでは? 激した民に冷静になれと云ったとしても、素直に容れられるとは思われません。かれらの気分に配慮しつつ、行動だけでも沈静化をはかるより他ございますまい」

〈策士だな〉

 ふんと鼻を鳴らされる。

「ご冗談でしょう」

 ゴップに云われる筋などない。どちらがより策士かなど、ひとに問うまでもないではないか。

「連邦軍が鎮圧にかかれば、ズムシティなど、あっと云う間に制圧されてしまいましょう。それを防ぐための方策です、何とでも申しますよ」

 背に腹は代えられぬとは、まさにこのことだろう。連邦軍の介入を許してからでは遅いのだ。とにかく、どんな手段を使っても、連邦につけ入る余地を与えないこと。それが、何より肝要なのだ。

「“ガルマ”を獲られたムンゾのものがどう考えるかなど、よくおわかりになるはずだ。それなのに、コリニー中将殿は、ごり押ししてこられた。――あるいはこれは、どうしてもムンゾと戦争に持ちこみたいどなたかの策謀なのでございましょうかな?」

 そう云うと、ゴップは一瞬沈黙した。どうも、心当たりがあるようだ。

 ――なるほど?

 “ガルマ”を人質にと望んだコリニー中将はもちろんのこと、他にも対ムンゾ強硬派が幾たりかあるようだ。そのうちのひとりには、もちろんレビル将軍もいるのだろうが。

 片頬を、笑いのかたちに歪めてみせる。

「連邦軍の中には、戦いたくてたまらぬ方がおられるようだ。だが、ムンゾは子どもの砂場ではございませんぞ。砂の山を壊すような気持ちで踏みこんでこられては困る」

 初めて手に入れた銃で、誤って弟妹を射殺するような“子ども”であってもらっては困るのだ。

「それとも、連邦軍の方々には、スペースノイドは“人”ではないと思われる方が多いのですか」

 『Z』のバスク・オムがそうであったように?

〈そのようなことはない!〉

 ゴップは云った。そこは、何の作品だったかで強化人間の養女を取っただけのことはある。

「アースノイドとスペースノイドに差異はないとおっしゃる?」

〈そうだ! ……まぁ、人間は差別せずにはいられん生きものであるからな、そこでいろいろ出てはくるが――法のもとに平等であるのは、間違いのないことだ!〉

「――なるほど」

 少なくともゴップは、良い意味で官僚的な人物であるのだな、と意外な気分とともに思う。

 もちろん、アースノイド至上主義者でないのは知っていたが、何と云うのか、連邦の優位を、そのためのアースノイド偏重を、肯定こそしないが否定もしない方だと考えていたのだ。

 しかし、それでゴップがブレックス・フォーラを取りこんだ意図はわかった。どちらも、連邦軍内部での、行き過ぎたアースノイド偏重を苦々しく思うものであったからこその、タッグであったのだろう。

 それに、1stはともかくとして『the ORIGIN』では、ゴップは連邦軍でも“制服組”のトップであったように記憶している。後方支援中心の職掌であり、かつ“制服組”の中でも官僚に近い立ち位置であるのならば、すぐに武力行使したがる下のものたちを、どうにかコントロールしたいと云う気分があるのに違いない。

 こちらと割合に利害が一致するわけである。

「そうおっしゃるのでしたら――こちらとしても穏便に済ませたいのは同じことです。戦争になどなれば、どれほどの金と人命が失われるか知れたものではない」

〈お前は、本当にそのふたつを気にかけるな〉

「気にせず国事にあたれるのなら、それは狂人でございましょうな」

 血税、と云う、それはまったくそのとおり。

 国民の血にも等しい税金を、湯水のように使えるのなら、そのものは、国民の血で身体を洗っているようなものだ。その意識なくして税金を使うなら、いずれそのものは国民からつるし上げられるし、またそうでなくてはならないだろうと思う。

「いやしくも人の上に立つのであれば、己の責務には自覚的であらねばなりますまい。そうでなくて、如何で国民を導くなどと称せましょうや」

〈なるほど、禁欲的だな。それは、敵も増えるだろう〉

「……まぁ」

 痛いところを突かれた。

 確かに、いつやらの“昔”では、あまりに潔白だったのが災いし、汚職に手を染めたものどもに陥れられて失脚したことがあるからだ。

 だがまぁ、流石にそれから幾星霜、自分を律しても、多少他人のことに片目を瞑ることくらいは憶えている。

「とは云え、利で動くものをとやかく云うのが、国のためにならぬことも弁えております。要は、食い潰されそうになるようなもの以外は放っておけば良いのですからな」

〈蟻やアブラムシのような連中はどうする〉

「花が枯れねば宜しいのです」

 そして、枯れそうならば、摘んで捨てれば良いのだ。

〈私がそうなら、摘んで捨てるのか〉

「花を食い尽くそうとなさるなら」

 花を――ムンゾを。

「ですが、世界には生態系と云うものがあり、ひとつの“害虫”を排除すれば、他が死に絶える可能性があることは、私とて存じております。肝要なのはバランスです、大幅にバランスを崩すのでない限り、“排除”は望ましいことではない」

〈ふむ〉

「ですので、まぁ、排除以外でできることを致しますよ。私自身が排除される側になるのも、業腹でございますので」

〈なるほど、“大人”ではないか、ギレン・ザビ。弟相手に鬼のような顔をしていた男とは思われんな〉

「それだけの月日が流れたと云うことでございますよ」

 “ガルマ”相手にやさしい顔ができるかどうかはともかくとして。

「ともかく、“ガルマ”に関しましては、あまりお近づきにならないことをお勧め致します。可愛い子どもたちと引き離されて、気が立っておりましょうからな」

〈ふむ? コリニーに懐いているように聞いているが〉

「ムンゾを人質に取られたような状態で反抗して見せるほど、あれも愚かではありませぬよ」

 向こうが手を噛まれたと思えば、即軍を介入させてくるのだろうから。

〈まぁ、それもそうか。デモ隊に対する連邦軍の介入を回避することが、条件であったのだな〉

「然様でございます」

〈気をつけることにしよう〉

 と云って、ゴップはまたにやりと笑った。

〈それで、ザビ家は沈黙すると?〉

「“ガルマ”を人質に取られている以上、“父”は連邦とことを構えるのを良しとは致しますまい。例え、腸が煮えくり返っていようとも、ザビ家が動くことはない」

〈……なるほど〉

 今度こそ、ゴップは大きく頷いた。

〈その言葉を信じよう。――まぁ、ガルマ・ザビに関しては、こちらでも様子を見ておくことにする。まさかないとは思うが、暴力沙汰などになっていても困るからな〉

 それは、バスク・オムのことか、それとも?

「……宜しくお願い致します」

 仮に“ガルマ”本人の素行の話だったとしても、ゴップ相手に無茶はするまい――そうあってほしい、と思う。

 そう云うと、またにやり笑いが返ってきた。

〈云ったろう、“巧く使わせてもらう”と。あの若いものに、澱んだ水槽を掻き回させるとするさ〉

 そして、驚いて跳びはねたものを、体よく放逐するわけか。

「……お手やわらかに願います」

 様々な意味で。

 念押しの言葉に、ゴップはにやりと笑っただけだった。

 

 

 

 さて、そうこうしているうちに、“ガルマ”から手紙が届いた。

 まぁ、検閲――どころではない――されているのは間違いないので、迂闊なことは書いていないだろうし、あてになることもないだろう、と思っていたのだが。

「……『お元気でいらっしゃいますか、ご無理はしていませんか、きっとお父様のことだから、まず国民を守っていらっしゃるのだと思います。ちゃんと食事をして、睡眠を取ってくださいね』……」

 “父”が、“ガルマ”の手紙を読み上げる。震える声、今にも落涙せんばかり、その姿を、TVカメラが捉えている。そのクルーたちも、盛大に目を潤ませている。

 ――何の茶番だ。

 壁際に立って、その様を見つめるが、どうにも釈然としない。

 何がどうなって、このお涙頂戴の収録と相なっているのか。そして何故、自分がこの場にいなければならないのか。

 そもそもの発案者は、当然サスロだ――“ガルマ”から手紙が届いたと見るや、テレビ局に連絡を入れ、そのカメラの前で手紙を開封させると云う徹底ぶりだった。

 もちろん、連邦軍の検閲を通っているからには、過激なことは書かれてはいないだろうし、抗議運動がかろうじて収束しただけのこの時期に送ってきたからには、それを慰撫するような内容であろうとは思っていた。

 サスロもそうと察して、“父”に茶番劇の片棒を担がせようと考えたのだろうが、

 ――何故、巻きこむのだ。

 “ギレン・ザビ”が、“弟”を疎む風であるとは、ムンゾ国内でもまことしやかに囁かれていることだ。その自分を、どうしてこの場面に引きずりこむ必要があったのか――“弟”を溺愛するキシリアであればまともかくとして。

 それともこれは、その“冷徹な長兄”のイメージを払拭しようと云う、サスロなりの気遣いだとでも云うのだろうか。

 それなら余計なお世話だ、と思う。

 冷徹、とは、どの“昔”でも云われたことである。何なら妻であった女にも、“冷たい”と詰られたことは多々あった。

 冷徹でない為政者などあるものか――その結果、娘のひとりがひどいファザコンになったようなのは措くとしても。

 とりあえず、カメラがこちらを撮すことがないように、ことさらクルーの背後に寄せて立つ。

「……『僕が地球に降りたのは、彼らに連邦の銃口を向けさせないためにです。……誰にも傷ついてほしくない。――今、ムンゾはとても大変な局面にあります。誰しもが自由を願い、生まれ持ったその権利を侵害する力を憎むことは当然で、それ自体を黙ることは、確かに間違いなのだと思います。けれど、そのことで、いま連邦の介入を招いたら、真っ先に傷つくのは彼ら市民です。撃たれるのは誰かの親で、子供で、友人で、恋人なのです』……」

 なるほど、“感動的な”文言だと思う。

 思うが、それを“父”が、顔を涙に濡らして読み上げる様を見ると、胸の底が冷えるのを感じざるを得ない。

 ――愛情の差、か。

 ガルマを割合可愛がっていたらしいギレン・ザビは、このような光景を見て、何も思いはしなかったのだろうか。

 もちろん、こちらは実の親でも子でもない、そこまで冷たい気分になる必要などないのだが、それにしても、末子ひとりだけ――しかも、ここは『the ORIGIN』枠だから二十歳以上の年齢差があるが、1stなら十数歳差である――溺愛される様を見て、父親に対してわだかまりなくあれるとは思い難い。

 結局、デギン・ソド・ザビがソーラ・レイによって殺害されたのは、他の子どもたちの心中を、まったく察しようとしなかったが故なのだろう。性根のやさしいドズルはともかくとして、父親の“仇”を取ったキシリアにしても、そこに親子の情がどれほど介在したかと云えば、甚だ怪しいとしか云いようがないのだし。

「……『もう少しだけ、心を落ち着かせて考えてみてほしい。あなたの隣にいる大切なひとが、傷つくかもしれないということを。――それでも武器を取って戦うと言うなら、できるだけ大切な人が傷つくことのないプランを考えて、そっと僕の兄達に知らせてください。僕を取り戻したい兄や姉は、喜んであなたがたのお話を聞くでしょう。法に則って戦うのなら、僕の恩師、ドライバイム教授を訪ねてください。戦いを望まないひとは、どうすれば地球もコロニーも、共に栄えていけるかを、皆で考えて話し合ってください。そしてそれを、僕の父に教えて欲しい。――どんな思いでも考えでもいい。どうか、たくさん――たくさん話し合って、考えて、そして答えを出してください』……」

 “父”の声が震えるのに、レポーターの女性も落涙する。うっすら黒い水滴が、睫毛から落ち、頬に後を残す。化粧が剥げているのか。

 他のクルーも、落涙し、あるいはかすかに嗚咽をこぼしている。

 なるほど、よくできた茶番劇だ。

 その中心には、“ガルマ”の手紙と、それを涙ながらに読み上げる“父”の姿。

「……『これが、僕がザビ家に生まれた意味なら、あなた方を守ることと引き換えなら、価値があると誇れる。――あなたを、愛しています。どうかあなたが、あなた方が幸せでありますように。全ての祝福が、あなたの上にあればいい』……」

 よく練られた“手紙”だ。プロパガンダとしては最高の出来だと云っても良い。

 だがそれ故に、何とも云い難い不快感のようなものはあった。

 “ガルマ”に、他に対する愛情がないとは云わないが、それをこうも全面に出してこられると、聊かならず“演技”であるとの思いが強くならざるを得ない。

 自身の“身内”だけに向ける“愛情”を、さも美しいものであるかのように塗り固め、さらには“美談”に仕立て上げる――上策だ、とてもよくできた戦略だと思う。

 だが、いかに美しく仕立て上げてみようとも、それに感動することなどできはしなかった。

 それは恐らく、こちらが人を信じてはいないからだろう――性善説を信じるのと矛盾するようだが、しかし、善良であることがすなわち信ずるに足る保証とはならぬのだ。

 人間は裏切る。例え、当人がそう意図しなくとも、それどころか相手のことを想っていてすら、裏切らぬ保証とはなり得ぬのだ。

 “ガルマ”の手紙に涙し、隣りにあるものへの愛を確かめたとて、それがそのものの行動を保証するわけではない、人間の価値観は、それぞれであまりに違う。相手のためを思ったが故の選択が、却って相手を苦しめることも、あまりにしばしば起こりうるのだ。そう、親が、子のためと云いながら、結果的に子どもから何もかもを奪うことがあるように。

 それに、この“手紙”にもやもやするのは、これを書いたのが“ガルマ”だからでもあるだろう。愛よりも、溢れるほどの悪辣さを備える“ガルマ”の言葉に、どうしても偽りのにおいを感じずにはいられないから。

 それで、世間を騙しおおせて、紅涙を絞らせるのだから、何と云ったものかわからない。

 つまりは、

 ――“ガルマ”め!!

 と暴れる気持ちなのだ。

 まぁ、八つ当たりのようなものであるのは確かなのだが。

「……『最後に、お父様。この手紙に、僕のありったけの愛を詰め込んで送ります。どうか受け取ってくださいね。お元気で。――ガルマ・ザビ』」

 読み終えて、“父”はゆっくりと顔を上げた。その頬は、涙に濡れて鈍く光っていた。

 ――茶番だな。

 繰り返して思う。

 もちろん、“父”は本心から、“ガルマ”を想って涙しているのだろうが――総体的に見れば、これは茶番以外の何ものでもない。実際問題、本心からの涙であろうとも、“父”が“ガルマ”の意図を正確に把握して、きっちり政治利用する気でいるのは、この上なく確かなことであるのだし。

 と、サスロが近づいてきて、腕を取って脇へ引っ張っていった。

「ギレン、お前、顔!」

 ひそひそとした声で云ってくる。

「顔がどうした」

「もう少し顔を作れ。お前、父上を睨みつけていたぞ」

「そうだったか」

「気をつけろ、ガルマの手紙を読む親父を睨みつけているとわかれば、またお前とガルマの不仲説が立つぞ」

「“ガルマ”と云うよりは、“父上”だな」

「あ?」

「デギン・ソド・ザビは、何故、ガルマ・ザビ以外を愛さなかったのかと思ってな」

 それ以外の子どもたちにも当然幼少期はあり、ガルマほどではないにせよ、それなりに愛らしい時分もあったはずだ。それなのに。

「……お前」

 サスロは、やや呆然とした風に、呟いた。

「それではお前、反抗期か何かの子どものようだぞ。四十も過ぎて……今さらそれか」

「いや、純然たる興味と云うか――何故なのだろうな?」

 それがなければ、ジオン公国は一年戦争において、少なくとも連邦軍に無惨に敗北することはなかったのだろうに。

 そう、ギレン、ドズル、キシリア、生きていればサスロも――これだけの人材が揃っており、かつMSについて連邦に一歩も二歩も先んじていながら、終に敗北を喫することになったのは、結局のところはザビ家そのものの問題だったのだろう。そう、シャア・アズナブル、すなわちキャスバル・レム・ダイクンの復讐の成就を措いたとしても。

「親父は、ガルマが生まれて初めて、“家族”を意識したようなところがあったからなぁ」

「それはわからぬでもない。が、私が気になるのは、その時に何故、他の子どもたちにもその意識を持たなかったのか、と云うことだ」

 そこで家族の情に覚醒める、と云うラインも、ないことではなかったのだろうに。

 まぁ、こと“家族の情”とやらに関して云えば、こちらも、デギン・ソド・ザビを批難することなどできはしないのだが。

「それは、あれだ、ジオン・ズム・ダイクンに夢中だったんだろう」

「ふむん?」

 片目を眇めると、サスロは、微妙に顔を顰めた。

「お前だってそうだっただろう。ジオンの唱えるニュータイプ理論、スペースノイドが人類の新たなステージに進むべき優良種である、ってのに、心酔してたじゃないか」

「無論、ニュータイプ理論は素晴らしいものだ」

 この先の人類の、新たな姿を描き出したと云う意味において。

 だが、それとガルマ・ザビひとりを溺愛することとの間に、何らかの関連性があり得ると云うのか? 平等に愛するか、あるいは平等に無関心であるならともかくとして。

 サスロは、微苦笑とともに溜息をついた。

「親父とお前は、ある意味ではよく似てる。ジオン・ズム・ダイクンの理想に取り憑かれてるって意味でな。お前だって、親父のことをどうこう云えんだろう、家庭を蔑ろにした挙句、妻に逃げられたわけだからな」

 そう云って、にやりと笑う。

「……こいつめ」

 思わず小突いてやると、サスロは笑って、かるく肩をすくめた。

 向こうではカメラの前で、綺麗な女性レポーターが涙を拭いながらも“父”にコメントを求めている。

 “父”は重々しい口調で、カメラに向かって訴えている。

「ムンゾ国民よ、どうか、わが息子、ガルマの願いを聞き届けてほしい――己の身を、ムンゾの平穏のために投げ出した子の願いを、この老いぼれた父に免じて叶えてやってくれぬか」

 ――茶番だな。

 とは云え、必要な茶番でもある。

 ――さて、これでどれほど時が稼げるか。

 半年、と“ガルマ”は云ったが、果たしてそれほどの猶予があるものか。

 ともかくも、すべてを急がねばならぬ――ムンゾがムンゾとして生き残るために。

 

 

 

 ガルシア・ロメオからは、まぁまぁの頻度で報告が上がってきている。

 それと、その麾下に忍びこませた“鳩”たちの報告とを総合すると、やはり連邦は、サイド7に秘密基地を築き、そこで多くの戦艦を建造しているようだった。

 まぁ、予測されたことではある。

 問題は、その指揮を取っているのが誰なのかと云うことだ。

 まぁ、そこにゴップも一枚噛んでいるのは間違いない――“ジャブローのモグラ”は大狸である。こちらに手を差し伸べながら、裏ではあれこれ画策するなど朝飯前だろう。何となれば、こちらも似たようなことはやっているのだし。

 しかし、

「――少しばかり邪魔してやりたいな」

 と思うのは、当然の人情ではないか。

「邪魔、ですか」

 報告にきたタチが、眉を寄せる。

「そうだ。あちらの物資を強奪したりな。大々的にやれば、こちらの関与が疑われるが、こう、小さくやれば、どうだろうか」

「それは、海賊をやるとおっしゃる?」

「面白くないか?」

 と云えば、

「ガルマ様みたいなことをおっしゃらないで下さいよ……」

 戦慄したような顔で、そう返される。

「そうか? そこまでではないだろう。単に面白いと思うだけで」

 それに、何とも云い難い表情が返ってきた。

「面白いか面白くないかで云えば、面白いでしょうけれどね――問題は、それを誰がやるかってことでしょう」

「確かにな」

 正規の軍人で、海賊稼業に身を窶しても良いと云う人間などはあるまい。連邦側から自警団扱いを受けようとも、ムンゾ国軍は“国軍”なのである。

 だが、

「大航海時代後期のイギリスは、“女王陛下の海賊”を使って、無敵艦隊を誇ったスペインを追い落としたと記憶しているが」

「それは、そう云う連中を正規軍に編入した、ってことじゃないんですかね」

「……まぁ、そうかも知れん」

 だが、今求めるのは、正規軍の規律と目的意識を持った“海賊”である。

 確かに宇宙世紀にも海賊はいるが、まぁ鉄オル世界と似たりよったりで、とてもムンゾ国軍に編入できるようなものではない。ブルワーズにしても“夜明けの地平線団”にしても、ラテン系ならともかく、ゲルマン系っぽいムンゾとは、限りなく合わないだろうとは知れたことだった。

「誰か、正規軍の中で、海賊をやれそうな輩はないかな」

 ガルシア・ロメオにでもやらせれば良かったかな、と呟くと、

「あの方は、何だかんだで正規の軍人ですよ」

 と返された。何がだ、経歴がと云うことか。

「コソ泥みたいな真似は、プライドが許さないだろうと申し上げているんです」

「ほぅ?」

 むちゃくちゃな指揮ぶりや、艦内にバーを作り女を連れこむやりたい放題ぶりで有名な男が、“正規の軍人のプライド”とは。

「……私の知らぬ間に、ムンゾはラテン系になったのかな」

「何のお話ですか」

 が、タチには通じない話だったようだ。

「……いや。それで、海賊をやってくれそうな士官に、心当たりはあるか」

「即答は致しかねますが、何とか探してみます」

 と答えてから数日。

 タチは、数名からなるリストを持ってやってきた。

「閣下のご希望に添えるような人材となりますと、ぎりぎりこの面子かと」

 と云って提示された名簿の中に、知った名があった。

「ドレン少尉、か……」

「あぁ、その男ですか」

 タチは、軽い口調で云った。

「兵卒からの叩き上げの男のようですね。一応、輸送船の副船長までは務めたようですが、あくまでも輸送船ですので、荒事の経験はないかと思われます。まぁ、海千山千だろうなと思わせるものはございます。曲者ですね。海賊をやりたがるかどうかはわかりませんが」

「ドレン少尉にしよう」

 ドレンと云えば、“シャア・アズナブル”の副官として、ムサイ級戦艦ファルメルの指揮を取った男であり、“シャア”失脚後はキャメル艦隊の指揮官をも務めたはずだ。1st、『the ORIGIN』ともに“シャア”に好意的であり、最期はWBを追い詰めるために“シャア”に助力し、アムロによって宇宙の塵となったはずである。

 どちらの作中でも、叩き上げの士官らしい、やや癖のある態度が記憶に残っているが、それに対しては、割合好意的な気分で見たように思う。タチとはまた違うが、部下としては好みのタイプだ。

「他にもおりますが、ドレン少尉で宜しいんですね?」

 タチの念押しに簡単に頷く。

「叩き上げなら、経験も豊富だろう。海賊をやれなどと云う命令に、どう答えるかはわからんが――不測の事態に備えられんものを、この任務に送り出すことはできん。となると、中ではドレン少尉が適任だろう?」

 他の面子は、いかにも若い。血気盛んなのは良いが、本当に戦争に突入しかねないのは困る。

「まぁ、そうですがね――では、その線で進めると云うことで」

「あぁ、任せる」

 と頷いてから一週間、タチがドレンを伴って、軍の方の執務室にやってきた。

「閣下、ドレン少尉です」

 と押し出されてきた男は、記憶にあるとおりの顔と体格で、おたおたと敬礼した。

 まぁ、流石に軍総帥に呼び出されるのはともかくとして、直接命令を受けるとは思ってもみなかったのだろう。ドズルや“シャア”相手に、そこまであたふたしていたようには思えなかったが――“ギレン・ザビ”ではそうもいかないか。

「ドレンであります!」

 と云う声も、やや裏返っているようだ。

「ドレン少尉、貴官を呼び出したのには、わけがある。内密の命令を与えたいのだ」

「は、はいぃ!」

「そう硬くなるな」

 苦笑がこぼれる。

「命令と云うのは他でもない。貴官に、艦船を一隻与える。それを指揮して、サイド7にある、連邦軍の秘密基地へ向かう補給艦を襲撃してほしい」

「は?」

 ドレンは、思わず、と云うような素の表情で問い返してきた。

「ちょっとお訊き致しますがね、閣下は今、私に海賊行為を働けとおっしゃったんですか?」

「そのとおり」

 呑みこみが早くて結構なことだ。

「サイド7――ムンゾから云えば、丁度反対側にあるコロニーだな。未だ建設途中のそこに、どうやら連邦軍が秘密基地を作っているらしい。既に、偵察に出した部隊から報告が上がってきている」

 正確に云えば、“偵察に出したガルシア・ロメオにつけた“伝書鳩”から報告が上がってきた”だが。

「連邦軍は、サイド7で多数の軍艦を建造しているようだ。――もちろん、ムンゾが表立って襲撃すれば、連邦と即開戦となる。それは拙い、が、このまま好きにさせておいては、この先のことにも差し障りが出る」

「それで、民間の艦船を装って、そこに物資を運ぶ艦船を襲撃せよと」

「そうだ」

「ってことは、正規の軍艦じゃないってことですかね」

「ムンゾの仕業と知れては困るからな」

 特務と云うことになる、と云うと、ドレンは額を押さえて天を仰いだ。

「ッかーっ! ムンゾ軍人に、海賊のマネごとをせよとおっしゃるわけですか!」

 先刻のおたつきはどこへ消えた、と云う態度だった。

「まぁそうだな。やり過ぎてもいかんが、適度に連邦軍を撹乱してほしいのだ。軍艦建造が、あまり着々と進んでもらっては困るのでな」

「……その軍艦ってのは、ムンゾに向けられる可能性があると?」

「他に、今連邦軍とやり合える軍事力を持つサイドがあるかね?」

「……まぁ、確かに」

「そのような任務をやってのけられそうなのが、貴官以外に見当たらんのでな。通常は、少尉に艦一隻を任せることはないのだが――任務の性質上、貴官を指揮官に据えるのが相応しいと判断した。何か質問は?」

「……質問、って云いますかね――」

 太い指が頬を掻く。

「まず、船ですよ。まさか戦艦は無理だとわかっちゃいますがね、そこそこのものをご用意戴けるんでしょうなぁ?」

「違法改造艦になるが、エンジンと火力は最大限に積ませよう」

 襲ったくせに拿捕されたでは、笑い話にしかならぬので。

「それから、クルーも、無論肝の据わったのを揃えて戴けますな?」

「いかにも新兵では、海賊になどなれまいからな」

「連邦ばかりでは疑われましょうから、他の船を襲うのも已むなし、ですな?」

「もちろんだ」

「で、そのすべてを“特務”故に不問にして戴ける、と」

「そうだな、そうでなくば“特務”とは云うまい」

「う〜ん……」

 ドレンは腕を組み、暫、考えこむ風だった。

 が、やにわかっと目を見開くと、

「やりましょう!」

 と叫んだ。

「不肖ドレン、閣下にそこまでおっしゃって戴けるなら、本望でございます。その任務、受けさせて戴きます!」

「うむ。期待しているぞ」

 まぁ、ここまで話を聞いて拒絶された場合は――機密保持の観点からも、総帥室付だか何だか、つまりは左遷と云うか、監視をつけて手許に置くことになったのだろうから、生命拾いしたわけだ。

 そうそう、もうひとつ云っておかねばならないことがあったのだった。

「そう、わが弟“ガルマ”が地球に行っているのは、もちろん知っているだろうが」

「はい」

 少し傷ましそうな顔をするのは、気遣いなのか本心からか。

「その“ガルマ”がいずれ戻ってくる時に、貴官に迎えを頼みたい。地球周辺の航路について、細かく調べておいてほしいのだ」

「はぇ?」

 上官――しかも軍の最高指揮官に対して発する声ではない。

 が、まぁ、この男はそんなものなのだろうなと思う。叩き上げの士官と云う連中は往々にして、エリート街道を突き進んだような“上官”を、本当の意味で信じたり仰ぎ見たりはしないものだ。

 だが、それもまた良し。

「連邦が、簡単に無罪放免にするとは思われんのでな。いずれ、何らかの非合法な手段で宇宙に上がってくるに違いないのだ。それを巧く拾うルートを、今から調べておいてもらいたい」

「ははぁ……ガルマ様ってのは、お聞きしているより大概なお方のようで」

 と云ったのは、ややこちらに対する揶揄もあったのかも知れないが――それに深く頷いたのは、タチ・オハラだった。

「本当ですよ。ガルマ様は、筆舌に尽くしがたいくらい悪辣な方です」

 断言している。過去のあれこれで、よほども懲りているらしい――まぁ、そうだろうとは思うけれど。

「ザビ家の方々は…閣下以外は何故だか騙されておられるようですがね、あの方は、ザビ家の悪辣さを集めて煮詰めたような酷い方ですよ。ドレン少尉も、くれぐれもお気をつけあれ」

「お、おぅ……」

 タチの言葉に、ドレンは引き気味に頷いた。

 まぁ、総帥直下の“伝書鳩”の長に、これほどまでに貶されるとは、どんな人間なのかと思っているのか、それともこれだけ貶される“ガルマ”の人間性に納得しているのか。

 とまれ、これで少しばかり、ゴップの鼻をあかしてやれるだろう。

「船の名前は“レッド・フォース号”にしよう」

 元々のあれで有名だった海賊漫画の、“赤い彗星”と中の人が同じ人物が乗っていた船の名に。

 歴史上の私掠船絡みの名にしようかとも思ったのだが、それだと勘のいい人間に、ムンゾ関係だとわかられてしまう可能性もある。

 その点、このネーミングなら、わかるものがあっても“ガルマ”くらいのものだし、後に“シャア・アズナブル”の麾下となった男――そして『the ORIGIN』ではその乗艦の艦長をも務めた――の船には相応しいだろう。

「突貫で船は用意させる。クルーに関しては、特に希望があれば申し出でよ。可能な限り集めよう」

 もちろん、軍以外からも人を集めることにはなるだろうが。

「えぇ……はい、それじゃあそちらは早々に」

 と云うからには、目星はつくらしい。

「うむ、任せる。――期待しているぞ、“ドレン艦長”」

 そう云うと、ドレンは改めて背筋を伸ばし、踵を揃えて敬礼した。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 22【転生】

 

 

 

「初めまして。ブライト・ノアです」

 ――ブライトさん!??

 なんて荒ぶる内心とは裏腹に、おれの猫皮は、ばっちりお仕事をしてた。

 穏やかな微笑みを貼り付け、少しだけ首を傾げて、そっと右手を差し出す。

「“ガルマ・ザビ”です。ウッディさんから聞きました。連れ去られるところを知らせてくれたそうですね。ありがとうございました」

「いえ、当然のことをしたまでです」

 ブライト・ノアは、少し緊張した面持ちで、それでもしっかりと手を握り返してくれた。

 ん。真面目だね。

 黒目がちなところも、早くも前髪をあげている――でも後れ毛が多めだ――ところも、いつか見た画面の中の彼の面影がある。

 まだ16才とのことで、なんとも初々しい。

 これがあと数年で、あんなにも落ち着いた青年になるのか。

 引き合わされたのは、校内のラウンジでだった。

 先日の騒動――案内役の教官がちゃんと案内しやがらなかったことだ――の時に、いち早く異変に気づいて、ウッディ・マルデンに知らせてくれたのが、彼だったそうな。

 実際には危険なことは何もなかったけど、状況によっては酷い事態も考えられたわけで、となれば、ブライト・ノアは“ガルマ・ザビ”の恩人というわけだ。

「時間があるなら、一緒にお茶をしてくれませんか? 僕まだあんまりここに慣れてなくて……だけど、君となら話せそうです。ダメ?」

 年上だけど、ちょっと上目遣いに伺ってみる。

 だってブライトさんだぞ。あのブライトさんだぞ。どうしたって、わくわくドキドキしちゃうだろ。

「ノア、頼めないか? ガルマは少し人見知りのようでな」

 マルデンか援護射撃をしてくれた。

 ブライトさんは、少しためらう素振りで、でも少しならと席についてくれた。

 心中で小躍りする。

「コーヒーにする? 紅茶がいいかな?」

「……ではコーヒーで」

 はいよ、りょーかい。

 ひらりと手をふれば、給仕はすぐに注文を取りに来てくれた。

 コーヒーを待つあいだ、それからコーヒーが来た後も、とても他愛ない話をした。

 “ガルマ”と呼んでほしいとねだったら、ブライト呼びを許可してもらった。

 素晴らしい。これで大手を振って「ブライトさん」って呼べるじゃないか。

 最初は緊張した様子だったけど、そのうちに、二人で声を上げて笑った。

 マルデンは、そんなおれ達を見て、穏やかに微笑んでた。

 一見して和やかな時間だった。

「あ! ガルマ・ザビ!!」

 唐突に名を呼ばれて振り返る――誰よ闖入者?

「……フレッドじゃないか」

「なんだよ、覚えてられるじゃないか」

 そんな真顔で言われてもな。

 ――だからおれが覚えてたら、いろいろまずい事に……って、もう良いか。

 溜め息に苦笑が混じる。

 先日、一度だけボードゲームをしただけなのに、フレッドは気安かった。

 勧められるのを待たずに、隣に座ってくる。

「君一人かい?」

 ――愉快な仲間たちはどうしたのさ?

「ああ。あいつらは後から来る」

 なるほど。ここはじきに過ぎるほど賑やかになるということか。

 乱入者にブライト・ノアが目を見開いていた。

「先日、僕を匿ってくれた人です。あと4人いて、“The Game of Fun Army Life(素敵なアーミーライフ)”を一緒にプレイしました」

 事実だけを伝える。そもそも自己紹介ちゃんとしてないから、それ以外のこと知らんし。

「…………あのゲームですか」

 あれ、プレイしたことあるのかな。ブライトさんの目がちょっと遠い。

 市場調査で感想聞きたいかも。

「今度一緒にやりま…」

「ご遠慮します」

 誘ったら食い気味に答えられてしまった。滅茶苦茶強い拒否である。なんたる。

「そうだやめとけよ、こいつ平凡な幸せエンドだったんだぜ」

「……それは、なんと言うか…」

 なに二人で仲良く頷きあっちゃってるの。

 ぷくりと膨れたら、拗ねんなよとフレッドが肩を組んできた。

 ヲイ。ゼロ距離って慣れ慣れしすぎない?

 グイグイ来るなぁ。

 ウッディ・マルデンは苦笑いしてるけど、フレッドを追っ払ったりはしない。

 ――追っ払ってもいいのよ?

 あんまり深入りしないことにしてるんだ。

 だから級友とも距離を置いてるし、ブライトさんに関しては、ちょっとだけ浮かれたけど、今だけのことにしようって思ってるし。

 どう席を立とうか、頭の中で巡らせた時、横からマルデンに腕を掴まれた。

「君は、ここで少し友人を作った方がいい」

 黒に見えるほど濃い茶色の瞳には、純粋な気遣いが浮かんでた。

 ――要らねぇんだよ!

 一瞬、大きく波だった感情を、深く深く沈める。

 ここで激昂とか、ゼッタイにしちゃ駄目なことだ。

 ――……関わりたくないんだ。

 あと、たった数ヶ月のことだろ。

 もしかしたら、戦場で銃口を向けなきゃいけない相手と親しくなってどうすんのさ。

 それが必要なら“おれ”は躊躇いなく撃つけど、だからって知り合いを好んで殺したい訳じゃない。

 やんわりと笑うだけのおれに、マルデンの気がかりそうな視線が刺さる。

 そんなふうに見ないでよ。

 無意味なんだよ。この、地球での士官学校生活なんて。

 黙りこんだおれを、フレッドが覗き込んでニカッと笑った。

「なんだ、ぼっちかよ? そんじゃ、俺らの仲間に入れてやっても良いぜ?」

 ――黙れフレッド。

 なんだろう、微妙にイラッとくる。

 そのうちにドヤドヤと残りの四人が来て、おれたちを見てドン引いた顔をした。

 そうだよね、そっちの反応が普通だよね。

「ねぇ、オリヴァー、フレッド回収してくれません?」

 多分リーダー的な立場にいるオリヴァーに頼んでみる。

「なんか辛辣なんだけど、ガルマ・ザビ」

「……何やってんだお前ら」

「交流だよ」

 なぜかマルデンが笑いながら答えた。

「協力してくれ。どうにもこうにも、ガルマはクラスではツンツンしてしまってね。馴れない猫みたいなんだ」

「……へぇ。意外だな。もっと人懐っこいのかと思ってた」

 オリヴァーが目を瞬く。

「なんだ? 気が合わない奴でもいるのか?」

「合うも合わないも……みんな良い人たちばかりですよ」

 そもそも会話してないし、視線も躱してるし、交流の糸口を作らんようにしてるだけ。

 だってさぁ。ハイマンの野郎が集めただろう面々は、予想外に“普通の子”達だったんだ。

 スペースノイドへの反発心の薄い、比較的ボンボン育ちの――決して上に影響のある家柄じゃない子供たち。

 コレがエリート集団だったら、利用してやれたのにさ。

 なるほどね、“人質”の交流範囲には最適だ。親しくなれば、後々、“ガルマ・ザビ”の足枷になろうほどに。

 まぁ、癖のある人間を好きになる傾向があるおれとしちゃ、食い足りない感があるけどね。

 おれを手元に置きたがるのはジーン・コリニーだけど、地球に留め置きたがるのはジャミトフ・ハイマンだ。

 個人的な嗜好が強くなってきたコリニーより、ハイマンは、連邦とムンゾの関係の行く末を考えて、ザビ家の末子を抑えておきたいんだろう。

 奴は、一部のエリートによる人類の支配と管理を理想としてる――愚かな人類は、優れた人間が管理しなければ、たやすく滅びると、心底から信じている様子だったから。

 ここで言うエリートとは、ハイマンが厳選した人間のことだ。それなりにお眼鏡にかなっただろうおれも、候補の一人らしかった。

 コリニーにしろ、ハイマンにしろ――グリーン・ワイアットにしろ、いずれもおれをムンゾに戻す意志は無い。

 手懐けて駒にしたい連中は、おれに鎖をつけようとあの手この手の毎日だ。

 あいつらはそのうち噛み裂くとして、今のこの現状はどうしようかね。

 曖昧に笑うおれを、オリヴァーは顔を顰めて見て、それでもフレッドの隣に座った。

 オリヴァーが席に着けば、他の面々も次々にそれに習う。

 ラウンジのその一角は、ぎゅうぎゅう詰めの大所帯になって、人目も集めるから、居心地は微妙だ。

 それでも、ブライト・ノアを交えて皆であれこれ話すのは、楽しくないとは言えなかった。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 華やかに飾られた会場には、軍服姿が溢れてる。

 ムンゾより、軍関係者のパーティーは多いんじゃないかな。

 地球に連れて来られてから、コリニーに連れられて、度々出席するようになったから、だいぶ慣れたし顔見知りも増えた。

 もちろん、そのすべてが友好的とは限らないんだけど。

「古来、将にすり寄って国を傾ける毒婦は枚挙に暇がないが、本物の“毒婦”というものは、とてもそうは見えないものらしいな?」

 表面上は穏やかな表情だけど、おれを見下ろすジョン・コーウェンの眼には、蔑みが浮かんでいた。

 大方、ジーン・コリニーを誑かしただの何だの、そんな事を考えてるに違いない。

 隣に居る本人の怒気が膨れ上がるのを感じながら。

「……人生経験が豊富なジョン・コーウェン中将閣下らしい薫陶ですね。引っかからないように気をつける、と、お答えすべきところでしょうが、僕にはあまり当てはまらないようです」

 悪戯っぽく笑い返してみた。

 暗におれの事を言っているのだとしても、あからさまにそれとは知らせてこないものに目くじら立てても仕方ない。

 ここは受け流して、不発に終わらせるに限る。

 少し離れたところで、グリーン・ワイアットが面白そうな視線を投げてくるのを感じた。

 他にもチラホラと。ああ、ゴップも来てたのか。

「当てはまらない?」

 驚きを装った声に、首肯する。

「僕のレディはたったひとりですから。毒婦なんてとんでもない」

 たった一人はもう決めてるから、他には誑かされませんよと、そう話をすり替えてやれば、コーウェンは片眉を跳ね上げた。

 まさか、ここで「毒婦はお前だ」なんて話を戻せないだろ?

 苦虫を噛み潰したようなコーウェンの顔に、溜飲を下げた。

 隣からも、コリニーの勝ち誇ったような気配が。

「まぁ、そのお年でもう将来の伴侶を決めていらっしゃるの?」

 早すぎないかしら、と、秋波じみた視線を投げてくる美女に苦笑。

 コーウェンの気を引きたいなら、おれに絡むのは逆効果だよ。

「いやいや、確か、十二の頃から決まっているのではなかったかな」

 後ろから割り込んできた声に目を見開く。

 ――なんですと?

 くるりと振り向く。

 何それ初耳なんだけど。ゴップ、適当なこと言わないで欲しいな。

「そうだろうガルマ君?」

 ――いいえ知りません。

 なんて答えられないから、ただ微笑む。

 変な設定ぶっこまれてきて、ちょっと戸惑うけど、その方が立場的には良いかも。

 余計な相手を押し付けられないし。

 なるほど、キャスバルが言ってたのもこれか。

「相手がいなければ、彼女をそういう意味でも紹介してやれたんだろうがな。おいで、ミライ嬢。彼がガルマ・ザビだ」

 ふぉおおおおぅ。

 ミライさん。ミライ・ヤシマ。

 ブライト・ノアに次いでの遭遇だよ。

 ここでも荒ぶる内心を、優秀な猫皮がすっぽりと覆い隠してくれていた。

「お会いできて光栄です、レディ・ヤシマ」

 渾身の笑顔を振る舞う。

 フルネームを伝えられる前に、ファミリーネームを呼んだおれに、ゴップがパチクリと瞬いた。

「知っていたのかね?」

「ええ、お名前は。我が兄“ギレン”を唸らせた才媛だと」

「まぁ!」

 レディ・ヤシマは少し頬を染めてコロコロと笑った。

 肩で切りそろえられたブルネットの髪。象牙色の肌は滑らかで、薄く化粧が施されていた。

 作中で見たよりも、まだ稚さを残してるね。

 少女が着るには深すぎる臙脂色のワンピースドレスも、知的な面差しにはよく似合っていた。

 少女の登場で、その場の空気が改まる。

 さすがにヤシマのご令嬢の前で、おれをあげつらうのはよろしくない。

 それすら見越して、ゴップはここで彼女を紹介したんだろう。

 ――この場はアンタに勝ちを浚われたね。

 一番と穏便に、波風立てずに抑えてみせた、この大狸の貫禄よ。

 ジョン・コーウェンは、おれを一睨みした後、当たり障りのない挨拶をして離れていった。

 もしかしたら、あの目にはおれが春秋の“夏姫”にでも見えてるのかも知れないね。

 まぁ、コリニー達の他にも、交流し得る限りの複数人数の将校、士官(男女問わず)から好意や興味を引っ張り出してるから、コーウェンの危惧は分からんでもない。

 中にはおれの気を引こうと、ムンゾに有利な条件を提示する輩も出てきたし。

 ついでに、一部のガチ勢から送られてきた手紙のせいで、先日もちょっとした騒ぎがあったらしいしね。

 「私の夢の中で君は」から始まる官能小説モドキだったとは、ゴシップ紙を読んだフレッドからの情報だ。

 おれ、読んでないけど――ゼッタイに読みたくない! 検閲バンザイ!!

 そんなこんなで、コーウェンは連邦のために“ガルマ・ザビ”を排除したいと、それを隠しもしないから、おれを懐に入れたジーン・コリニーとグリーン・ワイアットとは事あるごとに衝突していた。

 本来、彼は改革派であり、気質も陽気なんだろうに、“コロニー産のプロスティテュート”の存在を唾棄するあまり、あまり質のよろしくない奴輩と交流を始めたと聞いてる。

 そんなコーウェンの態度は、スペースノイドへの差別とも誤解され、一部のアースノイド至上主義者たちを惹きつけていた。

 ――くわばらくわばら。

 まるで波にさらわれる足の下の砂のように、立場に危うさの混じり始めた初老の将に、ほくそ笑んだ。

 

 

 若い二人でダンスでも楽しできなさい、と、ゴップに促され――むしろ強制だった――、ミライ嬢の手を取ってホールの中央へ。

 いまさらダンスに怖じ気づくことはないけど、腕の中にホールドするのが“ミライさん”ってのは、ちょっとだけ緊張するかも。

 オカシイね、ずっと一緒だったアルテイシアには、そんな事なかったのに。

 だけど、ミライ嬢の手は少しだけしっとりしてて、彼女も緊張してるんだって分かった。

 ――おれが緊張しててどうすんの。

 気合を入れろ、おれ。リードなんて、いつかの時間軸で、魂に刻まれるほどに叩き込まれたじゃないか。

「大丈夫、君は羽根みたいに軽々と踊るから」

 微笑んで、ぎりぎり強引にならないくらいの強さで淑女の腕を引いた。

 つられて踏み出した爪先にタイミングを合わせて、軽やかにターン。

 臙脂のスカートが花みたいに翻り、彼女の足は止まらずにステップを踏んだ。

 少し小さなチョコレート色の眼が、驚いたように見開かれた。

 唇が綻んで、愛らしい笑みの形を作る。

 上気して林檎色に染まった頬、キラキラ光る瞳。

 優雅に、そして何より楽しそうに踊る彼女に、周囲の視線が集まるのは当然だろ?

 場所を譲るように、幾たりかがホールを引いた。去り際、年配のご婦人からのウインクには、微笑んで目礼を。

「……アルテイシアさんとも、こんな風に踊るの?」

 茶目っ気たっぷりに尋ねてくるのに、内緒話をするように耳に唇を寄せる。

「ええ。でも彼女はお転婆でね、時々、爪先で僕の足に飛び乗ってくるんです」

 つまり、たまに足を踏まれるってことだ。

 意味を悟ったんだろう、ミライ嬢が眉を跳ね上げた。

「まぁ!」

「だけどそれが、薔薇の花びらみたいに軽くて、可愛らしくて、とても愛おしいんです」

 内緒ですよ、なんて囁やいたら、その頬が林檎を通りこして紅くなった。

「聞いてる方が恥ずかしいわ!」

「これは失礼を」

 澄ました顔で謝罪。

 それから顔を見合わせて、堪えきれないみたいに声を上げて笑う。その間も、ステップは流れるみたいに。

 くるくると、宣言通り羽根みたいに軽々と、小鳥みたいに可愛らしくホール中を飛び回ったら、最後はゴップの傍までそっと戻る。

 一礼したところで、彼女も将軍に気付いたようだった。

「楽しかったようだな?」

 ゴップがミライ嬢に笑いかける。

「ええ! ええ! ガルマさんったら、アルテイシアさんがどんなに可愛いかなんて話されるの!」

「なんと! それは君らしくもないマナー違反だぞ、ガルマ君。パートナーの前で別の女性を褒めるとは!」

「申し訳なく。彼女にとても可愛らしく尋ねられて、うっかり僕の口が滑りました」

 和やかに会話しているところに、落ち着いた足音が一人分。

 これもゴップによる予定調和かな。

 視線を向ける先には、壮年の将校が居た。

 中肉中背のコーカソイド。顎がガッチリしてるね。

 少し色の抜けた金髪に、水色の双眸は、色合いの割に温かみを感じた。

「……ご歓談中に失礼する」

 穏やかな声。ゴップがそちらに振り返り、満足そうに頷く。

「ああ、ブレックス・フォーラ准将。紹介しよう、こちらがムンゾ自治共和国のガルマ・ザビ。そして、ヤシマ財閥のミライ嬢だ」

「よろしく。君たちのことは、ゴップ大将より聞いている。大変優秀らしいね」

 穏やかな水色の目が細められ、目尻に柔らかな皺がよった。

「お初にお目にかかります、ブレックス・フォーラ准将。ご紹介いただいたガルマ・ザビです。兄“ギレン”と面識があると伺っております。どうかよしなにお願い致します」

 丁寧に一礼する。

「初めまして。ミライ・ヤシマです。お会いできて光栄です」

 隣でミライ嬢も、初々しく微笑んだ。

「さて、お嬢さんにはこの老いぼれとも踊っていただこうかな?」

 垂れた目をきょろりと回して、ゴップはコミカルな仕草でミライ嬢に手を差し伸べた。

「その間、ガルマ君はフォーラ准将の相手をしていてくれ。彼は時々ギレン・ザビとも話をしているようだからな、近況を知れるかもしれんぞ?」

 ――なんと。

 動きそうになる表情を抑える。古狸は、些細な変化も見落とさないだろうから、隠しおおせられたかは分からないけどね。

 ホールに出て行く大狸とご令嬢を見送ってから、ブレックス・フォーラ准将に向き直った。

 准将の目には、“人質”に向ける少しの憐れみと興味はあっても、嘲りと優越はなかった。

 それだけでも好感度が高い。

 努めて、殊更に柔らかな微笑みを浮かべて見せる。

 准将は僅かに首を傾げて、それから口を開いた。

「閣下は、ギレン・ザビの近況と言っていたが、君とは?」

 連絡は取れていないのかと案じる風情。

 問いかけに、笑みは崩さずに視線だけを落とした。

「……僕に許可された手紙は一通だけです」

 地球に降りてから間もなく、ムンゾを鎮めるために出した一通だけ。それ以降は書くことを許されないし、向こうから送ってきてるだろう手紙も、通信も、何も届かない。

 コリニーは――ハイマンもワイアットも、おれをムンゾから切り離したがってるから、どうしようもない。

 その意味は正しく伝わったんだろう。

 ブレックス・フォーラの双眸に過った光には、痛ましさと憤りが混じっていた。

「そうか。――ムンゾは安定している。安心しなさい」

「……はい」

 まぁね。その程度のことなら把握してるから問題ないんだ。

 頷いたおれを見て、准将は少し考え込む素振りだった。

「……私の知るギレン・ザビは、大変に優秀で、しかし何を考えているのかは計ることができない人だ。理想家肌であることは分かるがね。清濁併せ呑むこともできるだろうに、時に酷く清廉に見えて、危うく思えてしまうこともあるよ」

 ふぉ。唐突に語りだしたよこの人。

 ――ねぇ、“ギレン”。コイツ、そっちで誑したの?

 胸中だけで首をかしげる。

 なんかムンゾの“ギレン”シンパ達と同じようなこと言ってるんだが。

 じっと見つめてくるのは、おれからの情報も待ってるんだろうか。

「……僕の知っている兄は、いつもしかつめらしい顔をしてますけど、実は結構やんちゃでお茶目です」

「――……やんちゃで、お茶目?」

 キョトンと。

 すんごい意外そうな顔に、吹き出しそうになった。

「ええ。ザビ家はみんな、ちょっとやんちゃでお茶目なんです。ご存知なかったでしょう?」

 ほんの少しだけ社交用の仮面を外して、素の笑顔をチラ見せする。

「なるほど……家族だけに見せる顔か。だが、まぁ、うん。ちょっと見てみたいものだね」

 何を想像しているのか、くすくす笑いながら「やんちゃでお茶目なギレン・ザビか」なんて呟いてるし。

 その笑みが消えて、もの思わしげな表情になったブレックス・フォーラは、急に手を伸ばしておれの頭を撫でた。

 ちょっと待って、おれ、ちっちゃい子じゃないから。

「ザビ家の結束の固さは、聞き知っている――君が、とても愛されていることも」

 そのザビ家からおれを取り上げたコリニー達に対して、フォーラは強い嫌悪感を抱いているようだった。

 ――良いね。

 准将の心情はザビ家寄りだ。“ギレン”に懐柔されてたんだろう。

 ゴップは連邦とムンゾのパイプの一つとしてフォーラ准将置いたんだろうけど、少しばかり“ギレン”に引っ張られている感が強い。

 この先思えば、フォーラは連邦で安定した立場を築いてもらいたいね。

 元々ゴップに釘を刺されてるけど、それ以上に、この男に手出しをするのはやめておこうと思った。

 ホールに流れている曲調が変わって、見れば、ダンスを終えたゴップがミライ嬢の手を取って戻ってくるところだった。

 めちゃくちゃ汗をかいてるっぽい。頑張ったんだね。

「いやいや…若いお嬢さんの手を取って……踊ることは素晴らしく愉しいが…、なかなか、体が…ついていかんよ…」

 弾む息を抑えきれてない大将に、うら若き乙女は息も乱さず微笑んでいた。

 日頃から少し体を動かしたほうがいいんじゃないかな、ゴップ。

 さて、そろそろ大将閣下により遠ざけられていたらしいコリニーやハイマン、ワイアットが戻ってきていた。

 連れ帰られる頃合いだろう。

 屋敷に戻れば、どんな話をしたのかなど、根掘り葉掘り聞かれるんだろうと思えば、今からちょっと憂鬱。

 ――老境の旦那に嫁いだ、若い嫁じゃないんだからさ。

 もうちょっと自由が欲しいなぁなんて、思っても無駄な事だって分かってるけどね。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 日々は忙しい。

 地球に降りてから4ヶ月目に入った。約束の帰還まで、残すところ2ヵ月あまり。

「……君が気を許す相手は、ここには居ないのか?」

 マルデンがため息をつく。

 表面上は穏やかに、当たり障りなく周囲と接しているけど、その実、決して壁を崩さないおれに、困ったようなイラだったような。

 なんなの。そんなにおれが“オトモダチ”を作らないことがご不満か。

 教育者じゃあるまいし、それとも護衛の仕事内容って、おれの情緒まで入ってんの? そんな莫迦な。

「すいません。人見知りなんです」

 ニコリと笑うのに、渋い顔が。当然、嘘だって向こうも気づいてるからね。

 士官学校に放り込まれたのは、連邦軍にガルマ・ザビを取り込むためだ。

 発案は、コリニーかハイマンか――もしかしたらワイアットかも――いずれにしろ、誰かの部下として組み込む予定だろう。

 ついでに仲の良い学友を作らせて、感情面でも絆すつもりなんだろうけど、生憎とおれの愛情は、全部ムンゾに置き去りなんだよ。

 いまさら、ここで大切なものなんかつくるわけ無いだろ。

「ブライト・ノアでも駄目か? あの5人は?」

「ブライトさんは好きですよ。と言うか、みんなのことも嫌いなわけじゃない。好ましいとは思ってるんです」

 そのあたりは嘘じゃないよ。愛情がなくたって、好意くらいは湧くもんでしょ。

 ただ馴れ合いたくないだけで、とは言えないから、そこは黙る。

 これがコリニーやハイマン、ワイアットとか居並ぶ敵軍将校たちなら、媚びるも騙すも進んでするよ。ある種の戦いなんだから。

 だけど士官候補生なんて、まだ“雛”だし。積極的に喰らうのは気が引ける。

 甘さと言っちゃそれまでだけど、その辺はまぁ勘弁してもらいたい。

 どのみち地球にいるのは、もう、そう長いことじゃないんだ。

 マルデンに言われたからか、ブライト・ノアも、最初に知り合った5人も――特に能天気なフレッドと、アナコンダに飲まれたアイザックが――よく声をかけてくれる。

 性根が優しいんだろう。嬉しいと、ありがたいと思わないわけじゃない。

「――……ですが、今の僕には、あまり関わってほしくないんです……何があるか、わからないから」

 そっと視線をそらして、呟く様に。

 マルデンが、ハッとしたような顔をした。

 そうそう。最近、おれの周囲がきな臭くてさ。

 アースノイド至上主義者たちの動きが、目に見えて活発化してる。

 将校たちを手玉に取っているように見えるスペースノイドの小僧が余程に気に食わないと見えて、些細な嫌がらせから、重大な事故につながるような工作まで、いろんな事態が起きているわけだ。

 さすがに校内では控え目であるけど、ゼロってわけじゃない。

 近いうちに、必ず“事件”は起こるだろう。

 巻き込まれた“雛”が対処できるかなんて不明だろ。

「ウッディさんだって、僕に関わる全ての人を守ってくれるわけじゃないでしょう?」

 彼はおれの護衛だから、守るのはおれだけだ。

 間に合えば、他も助けてくれるかもしれないけど、例えば同時に狙われた時、マルデンが優先すべきは、護衛対象たる“ガルマ・ザビ”ってこと。

「――すまない。私の考えが足りなかったようだ」

 悔しそうな声。

 おれが親しい友を作らないことを、相手を案じてのことだと認識しただろう彼は、己の力不足に憤ってるようにも見えた。

「いいえ。気遣っていただいたことは、とても嬉しい。ありがとうございます」

 袖口をそっと摘んで、小さい声でお礼を言う。

 マルデンは少しだけ眉間の皺を伸ばし、それからおれの頭をそっと撫でた。

 せいぜい守ってよね。ウッディ・マルデン。

 うっそりと嗤う。

 おれが撒いた毒は浸透し、連邦軍上層部はかなりガタガタしてきた。

 直に、勢力図は少しばかり塗り換えられるだろう。

 脳内でパズルのピースを並べたて、俯瞰する先――ここからは、危ない橋を渡るというよりも、いっそタイトロープ。ひとつでも踏み外したら、この身の破滅だ。

 見えないダイスを振る。

 生死を伴わない盤上のゲームじゃ無いんだ。

 この先で流される血を思う――おれのじゃないといいね。

 

 

 程なくして、バスク・オムとその一派が更迭された。

 ジーン・コリニーも、ジャミトフ・ハイマンも彼らを庇わなかった。

 ジョン・コーウェンも手を差し伸べることは無いだろう。

 そして、カタストロフィの幕が上がる。

 踊れ役者ども。

 この舞台の上では、誰も彼も、おれも、みんな道化師なんだからさ。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 22【転生】

 

 

 

 一月の後。

 ドレンを艦長とするレッド・フォース号は、任務のためにムンゾを後にした。

 クルーには、ムンゾ国軍の叩き上げばかりを集めた。まぁ精鋭部隊と称しても良い一団になっただろう。面子が面子――新兵なし――なので、平均年齢が高くなったが、まぁそこは仕方ない。若手に関しては、途中で適宜雇い入れることにするようだ。

 任務とは云え、軍人と知れては拙いので、当然のことながら衣服はかれらの普段のものだ。

〈どうです閣下。海賊らしくありませんかね?〉

 にやにやしながら、ドレンが云う。

 どちらかと云えば、海賊と云うよりも土木作業員か町工場の親父のようだな、とは思ったが、まぁ、云わぬが花というものだろう。

「うむ、私掠船の船長らしいな」

 頷いてやれば、ドレンは、無精髭をたくわえた顎を、少し得意気に撫でさすった。

〈まぁ、軍人にゃ見えんでしょうよ。――とりあえずは、地球航路を回った後で、サイド7に向かう連中のルートを割り出して、仕事にかかりたいと思います。――あんまりサイド7に近づき過ぎても拙いでしょうからね〉

「まぁ、あくまでも新しいカモを見つけた、と云う体にしたいからな」

〈承知しておりますとも。まぁ、お任せ下さい〉

 にやりと笑い、自身のまわりをぐるりと見る。

〈野郎ども、ギレン総帥に敬礼!〉

 と、カメラが切り替わり、レッド・フォース号のブリッジ全体が映し出された。

 居並ぶ男たちは、軍服ではなく、てんでバラバラな恰好ではあったが、一様に背筋を伸ばし、いかにも軍人らしい姿勢で敬礼してくる。

 それに軽く返礼し、

「うむ。諸君の健闘を期待する」

〈はっ!!〉

 そうして、レッド・フォース号は旅立っていった。

 タチが、微妙な表情でこちらを見た。

「何だ」

「いえ……ガルマ様とご兄弟なのだな、と」

「あれほど悪辣ではないつもりでいたのだが」

「云わせて戴ければ、五十歩百歩と云うヤツでしょう」

 段々云うようになってきた。

「……まぁ、昔の渾名が“キツネ”だったからな」

 しかも、九尾の方だ――古代中国ならば、“九尾狐”は瑞獣だったらしいのだが。

「なるほど、納得致しました」

「するのか」

「ガルマ様とは違う類の悪辣さと云うことですな」

「……あれと一緒にされるのは不本意だな」

「天才と呼ばれる方は違うのだな、と思ったまでです」

 それでそのもの云いは、まったく褒めていないのではないか。

 ――まぁいい。

 “伝書鳩”を好きに使っている自覚は一応あるので、そのあたりは云われても仕方ない。

 それよりも、

「連邦は、その後特に動きはないか」

「少し。――バスク・オム少佐が、どうやら更迭されそうです」

「何」

 アースノイド至上主義の厭な男ではあったが、曲がりなりにもエリート集団ティターンズを構成した男である。まだ開戦すらしていないこの時に、何があるとも思われないのだが。

 と云うと、タチは肩をすくめた。

「恐らくはガルマ様です」

「“ガルマ”が?」

「順調に、連邦軍内部に罅を入れているようですね。今現在は、ジーン・コリニー中将の他に、グリーン・ワイアット中将を籠絡中とのこと」

「……連邦軍内部に伝手を持ったのか」

「いえ、地球に本社のあるゴシップ紙に協力者が」

「なるほど」

 ゴシップは強い。連邦政府や軍内部の事情も、ゴシップとしてなら流布されることがある。元々の方のタブロイド紙や週刊誌のようなものだ。“ガルマ”を取り巻く状況にそれらしく見出しをつけるとなれば、“ムンゾの貴公子をめぐる確執! ガルマ・ザビの「愛される理由」”にでもなるか。

 元々の方の歴史でも、ゴシップがジャーナリズムに繋がったところはあったはずだ。明治維新直後のジャーナリスト、成島柳北は、『朝野新聞』を創刊したが、かれは所謂論説のみならず、ゴシップをもこよなく愛した人物だった。

 下っては“文春砲”とやら、週刊誌が政局を揺るがすゴシップを掲載し、時の権力を転覆させもした。

 つまり、ゴシップとジャーナリズムは背中合わせ、裏表の存在なのだ。それは、様々な情報を集めるには都合が良かろう。単なる芸能人のゴシップが、政局に関わってくることもままあるのだし。

「面白いものだな。ムンゾ内のゴシップも、いろいろ集まっていそうだ」

「まぁ、そうですね」

「何か、気になるものはあったか」

「そうですね――閣下の記事もございましたな」

「ほう」

「“もはや一大ネットワーク!? ギレン・ザビの「ホモソサエティ」”――だそうです」

「何だそれは」

 “ホモソーシャル”ではなく“ホモソサエティ”とは――男性同性愛の共同体、のようなニュアンスを感じずにはいられないのだが。

 確かに、女は面倒だとは思っているが、それは頭の悪い男についても同様であるし、元腐女子(?)なのでホモフォビアもない。

 まぁしかし、それが自分に向けられるとなると、話は別だ。友愛程度でも好意があればともかくとして、好きでもない相手にべたべた触られるのは、それが男であれ女であれ、気持ちの良いものではない。幸い、“ギレン・ザビ”としては、そう云う目にあったことはないが。

「閣下が、マツナガ議員やダルシア・ババロを侍らせておられるので、そう云う話になったんでしょう。まぁ、私やデラーズ殿も入れられている可能性はありますが」

「どうしてそうなった……」

「結婚なさらないからです」

 何度も云われた言葉だが、タチの口から聞くと、また別の力がある。

「他のご兄弟は、多少なりとも浮いた噂がおありだったり、婚約なさっていたり致しますからね。その点、閣下はここ十年ほど、まったく何もございませんでしたので――そうなると、ゲイセクシュアルを疑われることになるわけです」

 なるほど。わかった、が、わかりたくはなかった。

「別にゲイでも構わんが、事実無根のことを書かれるのはきついな……」

 特に、マツナガ議員やダルシア・ババロは既婚者で子どももいるのだし、自業自得のこちらとはわけが違うはずだ。

 が、タチの意見は違うようだった。

「お二方で、閣下の寵愛争いをしておられるのを目にしますと、あながち事実無根とも云い難いのではないかと」

「寵愛争い?」

 そこまで争われてはいないだろう。第一、こちらはザビ家だ、まぁ、権力を求めて擦り寄ってきているというのなら、納得できるところもあるが。

 しかし、タチは首を振った。

「それなら、サスロ殿でも宜しいはずでは?」

「サスロは――気性として、難しかろう」

 悪い男ではないが、『the ORIGIN』に見られたとおりに直情なので、つき合う相手を選ぶところがある。マツナガ議員やダルシア・ババロのような、いかにもな政治家は、あの“弟”にとっては“はっきりしない優柔不断な人間”と云う認識にもなりかねない。

「……例えが微妙でした。ジオン・ズム・ダイクンに、デギン閣下とジンバ・ラルが貼りついていたようなもの、と申し上げれば宜しいですかね」

「……ジオンほどのカリスマはないと思うが」

「私は、ジオン・ズム・ダイクンを直接には存じ上げませんでしたので、あくまでも例えです」

 しれっとした顔で、タチは云った。

「まぁつまり、閣下にはそれだけのカリスマがおありになり、またそれだけの価値があるとまわりから思われておいでだと云うことですよ」

「……まぁ、そう云うことにしても良いが」

 どちらにしても、ゴシップ記事にしか過ぎず、今後のことには直接の関係はない。

「まぁ良いことでしょう、ムンゾは今、それなりに団結しております。しかるに連邦は、どうもがたがたしているようでございますからね」

「ほう?」

「コリニー中将とワイアット中将が、ガルマ様に興味を持たれるので、連邦軍内部のアースノイド至上主義者が、固まって不穏な動きをしているようなのです」

「中心にいるのは? バスク・オム少佐か?」

「そちらもそうですが――もっと上の方の名が。ジョン・コーウェン中将です」

「ほぅ」

 ジョン・コーウェンとは、確かひどく女にもてる男で、誰だったかに“どうやったらそんなにもてるのか”と問われて、“生き残ればいい”などと返した人物であると、“ガルマ”から聞いたように記憶しているが。

 アースノイド至上主義なところのあるジーン・コリニーとは相容れず、結果、デラーズ紛争の折に、奸計によって降格になった男、ではなかったか。

 そう、つまり、ジョン・コーウェンと云う男は、ジーン・コリニーと対立する程度には、アースノイド至上主義者ではなかったはずなのだ。

 それが、どうしてそんなことに?

「ガルマ様です」

 疑問が顔に出ていたのだろう、タチが云った。

「ガルマ様を争って、コリニー中将とワイアット中将が鍔迫り合いをしているので、それを苦々しく思っているコーウェン中将まわりに、ガルマ様を排斥したいアースノイド至上主義者たちが集まっているらしいですね」

「なるほど、自分たちの領袖だと考えていた男が、スペースノイドに骨抜きにされているでは、他に旗頭を求めざるを得ないか」

「コーウェン中将が排斥したいのは、ガルマ様おひとりなんでしょうがね。まぁ、傍からは、そんなことなどわかるはずもありません」

「期待どおりやってくれているわけだな」

「ムンゾの中で同じことが起きたらと思うと、ぞっと致しますがね」

「まぁ、あれは何だかんだで人誑しだからな」

 それ故に、“昔”には、“ガルマ”――当然のことながら、当時はそんな名前ではない――配下のものどもが、こちらに反旗を翻してきたこともあった。

 “ガルマ”の存在は、あまりにもリスキーで、場合によっては諸刃の剣ともなる――敵を切り裂くが、返す刀で、味方であるはずのこちらをも切り裂きかねないと云う意味で。

「恐ろしい方だとは思っておりましたが、これは予想以上ですね」

「今回は、それが巧く働いていると云うことだ」

「それが、連邦軍内部だけで済んでくれることを、心から願いますよ……」

「確かにな」

 とりあえず、“ガルマ”の云っていた半年の、その半分が過ぎようとしている。

 半分でこの事態であれば、さて、三ヶ月後には、連邦軍は一体どうなっているだろうか。

「まぁ、楽しみなことだ」

 含み笑いながらそう云うと、タチは厭そうに顔を歪め、

「こちらに余波がこないように願いますよ……」

 と呟いた。

 

 

 

 数日の後、ドズルから連絡が入った。

〈見せたいものがある。ダークコロニーへ来てくれないか〉

 珍しいこともあるものだ。ドズルが、理由も何も云わずにこちらを呼び出すなど。

 ――さて、MS開発に、何かあったか。

 進展ならば良し、もしも欠陥が発見されただの、重大事故がだのであったなら。

 事故の類でなければ良いのだが、と思いながら、ダークコロニーへ向かう。

 出迎えたドズルは、鹿爪らしい顔をしていたが、すぐに顔面に土砂崩れを起こした。

「聞いてくれ、兄貴! テム・レイ博士のMSの試作機が完成した!!」

「何」

 RX-78ガンダムが、完成したのだと?

 ドズルは大きく頷いた。

「おう! 今は既にテスト稼働中だ。かたちと云い素材と云い、ミノフスキー博士のものとは大分異なるが――ムンゾには天才科学者がふたりあるとすぐ知れる。これはやれる、やれるぞ兄貴!」

 興奮した声。握った拳が震えている。

「見たい。どこだ」

「こっちだ」

 憶えのあるモニタールームに案内される。

 そこにはテム・レイ博士とミノフスキー博士、そして“黒い三連星”のガイア大尉が揃っていた。かれらはこちらに気がつくと、かるく頭を下げてきた。

 それに手を上げ、正面モニターを見る。

 その画面に映し出されていたのは、紫に塗られたMS-06ザクⅡと、見憶えのある白い機体――RX-78ガンダムの戦う姿だった。

 ヒートホークとビームサーベルで戦う様は、まさしく宇宙世紀の戦いそのものだった。

「――パイロットは誰が?」

「マッシュ中尉だ。新型ザクの方にはオルテガ少尉が機乗している」

「なるほど」

 『the ORIGIN』のランバ・ラルとオルテガの二人で、YMS-03ブグで行われた光景に近いものが、目の前で展開されていた。

 だが、まだコード付だったあのシーンとは違い、ガンダムもザクⅡも、軽やかに武器を振りかざしている。それは、さながら剣舞を見るようでもあった。

 ガンダムの白い機体が跳ね上がり、ビームサーベルを振り下ろす。それをすんでのところで躱したザクⅡが、着地した足許へ薙ぎ払うようにヒートホークを繰り出す。

 跳ね、止まり、躱して打つ。まるで、熟達した武芸者のよう。

 踊るようなこのボディが、二〇メートル近い鉄の塊であるとは感じられぬ。それほどになめらかな動きだった。

「……すばらしい」

 この戦いも、それを可能にする駆動系の仕上がりも。

「そうだろうとも!」

 ドズルは、我がことのように胸を張った。

「RX-78が実戦投入されることになれば、ムンゾの戦力はさらに上がる! 無論、数としては連邦に及ぶべくもないのはわかっているが――しかし、技術力では負けはせん!」

「まったくだな」

「兄貴もそう思ってくれるか!」

「あぁ、予想以上だ」

 これによって、いずれはνガンダムとサザビーが共闘する様も見られるようになる、と云うことだ。

「……すばらしい」

 繰り返して云うと、テム・レイ博士が身を乗り出してきた。

「閣下、ご満足戴けましたでしょうか」

「無論だ」

 強く頷きを返す。

「これが、ミノフスキー博士のものとはまったく異なる駆動系で動いているかと思うと――いや、すばらしい。そして、ザクⅡも、ブグからの進化の目ざましさときては!」

 それを、自分のテリトリーのうちで、目のあたりにすることができようとは!

「すばらしいな、テム・レイ博士、ミノフスキー博士」

「恐れ入ります」

「ありがとうございます!」

 頭を垂れてくるのをかるく受け、もう一度モニターを見る。

 ザクⅡとガンダムは、既に手合わせを止め、コロニーの“大地”の上に佇んでいる。

 草色の機体と白い機体――それが、戦場でではなく並び立つ日がこようとは。

「――すばらしい」

 語彙のない若造のようだが、他に言葉が出てこないのだから仕方ない。

「順調にいけば、半年後くらいには量産体制に入れそうだぞ、兄貴!」

 ドズルは、興奮冷めやらぬように叫んだ。

「ザクやザクⅡはジオニック社に任せているからな、RX-78――テム・レイ博士曰くのガンダムは、ツィマッド社に任せようと思う。駆動系がまったく違うからな、生産ラインを分けた方がいいだろう?」

「あぁ、そうだな」

 ガンダム。やはりその名がついたのだ。

「……しかしツィマッドは、確か以前、MSの空中分解事故を起こさなかったか」

 それも、ザクと主力MSの座を争った模擬戦で。

 ツィマッドのMSヅダは、能力値ではザクに勝りながら、その事故故に採用されることなく終わり、今は技術提供を受けながら、ザクの量産などに携わっていたはずだ。

 が、ドズルは笑っただけだった。

「いつの話をしているんだ! ツィマッドもなかなかだぞ! MS-06をツィマッドでも製造しているが、品質はジオニック社に勝るとも劣らない――あの二社が、これからのムンゾの重工業を引っ張っていくんだ! アナハイムにばかりやらせはせん!!」

「そうか――そうだな」

 原作では、一年戦争のジオン公国敗北の後、ジオニック社はアナハイムに売却――ほぼ国営企業のようなものだったのだそうだから、宜なるかな――され、一方のツィマッドも二分割された後、一方はやはりアナハイムに合併、もう一方は細々と、旧ジオン軍のMSの修理・調整等にあたっていたらしい。もしかすると、『逆シャア』のサザビーやナイチンゲールは、その二社の流れを組む技術者たちの手によって誕生したMSだったのかも知れない。

 そう思えば、なかなか心躍るではないか。

「――すばらしいぞ、テム・レイ博士。そして、ミノフスキー博士のMS-06も。引き続き、お二方とも宜しくお願いする」

「はい!」

「鋭意努めます」

「ガイア大尉も、ご苦労だった――マッシュ中尉、オルテガ少尉も労ってくれ」

「ありがとうございます」

 スタッフをも労うと、ドズルに別室へ誘われる。

「で? 兄貴は、ガルマとキャスバルを、どっちのMSに乗せる気なんだ」

 なるほど、あの場では聞き辛かったか。まぁそうだろう。

「……“ガルマ”はMS-06だな。RX-78は――本当ならアムロを乗せたいが、流石に若過ぎる、まぁキャスバルだな」

「アムロって、アムロ・レイか! 兄貴は、アムロもMSパイロットにするつもりで手許に置いていたのか?」

「それだけではないが、それもある」

 どちらかと云えば、アムロとシャア――キャスバルが共闘する、あるいは少なくとも戦わずに済む世界、を夢想していただけだった。

 キャスバルがキャスバルとして、名も何も偽らず、母と頒たれることもなく、ザビ家とラル家の確執がなければ可能だったように、多少の不足はあれども幸福な幼少期を送ってくれればと思っていた。その結果、やや甘い若者に育ったのは、誤算と云って良いものか。

 ともかくも、キャスバルはアムロと、敵としてではなく出逢い、ともに育ってきた。それ自体は良いことだったと思う。

 誤算――本当の意味で――だったのは、それを手に入れる過程において、連邦とムンゾの対立が、原作よりも早くあらわれてしまったことか。

 だが、いける、少なくとも原作のように、勢いで勝りながら、ザビ家の内紛によって無惨に敗れ去る、などと云う結末にはさせない。

「アムロ・レイには才能がある。時が許せば、MSに乗せたかったが――まぁ、出さずに済むならそれも良かろう。子どもを戦場に出すのは、褒められたことではないからな」

 とは云え、戦力に劣る組織なら、少年兵を使うのに躊躇しないこともよくわかっていた。鉄オル世界のCGS参番組や鉄華団、海賊ブルワーズのスペースデブリたち――もちろん、元々の発展途上国のゲリラ部隊の少年兵たちまで。安価な金で使われる、学のない少年兵は、自爆テロなどにも使いやすく、補充のためには子どもを攫ってくるだけで良いのだ。使い捨てる側にとっては、楽なことこの上ない。

 その上、“聖戦”だの“神の戦士”だのと吹きこんでやれば、簡単に洗脳された少年兵たちは、嬉々として戦場へ赴くだろう。

 原作のWBクルーにも、実は近いものを感じぬでもない――戦場の大局は、実はかれらとは関わりのないところで動いていたにも拘らず、特にレビルなどは、WBの少年たちを持ち上げて、さもかれらが重大な戦局を担ったかのように扱った。だが――ア・バオア・クーにおけるセイラ・マス、すなわちアルテイシア・ソム・ダイクンの存在が鍵となった『the ORIGIN』は措いて――、結局かれらは、遂に一年戦争の中心とはなり得なかったのだ。

 原作において、かれらが戦いの中心であるように思えたのは、物語における切り取り方の問題であって、また世界内的な意味においては、勝利を収めた連邦側による一大プロパガンダの成果でもあっただろう。

 少年兵は使うべきではない。が、戦意高揚のために、若い兵士による“美談”が有効であるのは否定し難い事実だった。

 それに、何ごとも、なりふり構わぬ方が強いのだ。つまり原作軸においては、組織立って運営されたジオン軍よりも、民間人上がりの少年兵を動員した連邦軍が強かったと云うことになる。

 そのことを、今後の戦場においては、よくよく考えねばならぬ――戦闘のプロフェッショナルでないものと、どう対峙していくかと云うことも含め。

 ――それこそ、そこがニュータイプの使いどころなのかも知れん。

 素人がまぐれ当たり的に、プロフェッショナルな武術家に一撃入れることがあるように、訓練された軍人ではないからこその視点が、戦局を動かすことがあるのかも。

 だが、まぁそれは主に“ガルマ”についても云えることであるし、そうであるならば、わざわざ子どもたちを危険に晒すことでもあるまい。

 そう考えていると。ドズルがぽつりと云った。

「あぁ、アムロと云えば、ガルマはどうしているかなぁ……」

 あの手紙以来、何の知らせもないが、と呟く。

「こちらの手紙にも、ナシのつぶてだし――寂しい思いをしているのじゃないか」

「忙しくしていると思うぞ」

 主に、連邦軍内部に亀裂を入れるのに。

「兄貴は本当に、ガルマに厳しいな!」

 と云うが、せっかく手綱を緩めたのだ、それに見合う“仕事”をしていると期待するのは、仕方ないことだろう。

 むしろ、

「……どうして、連邦を通してまともに手紙がやり取りできると思ったのだ」

 もしも連邦側が、当初はまともに手紙のやり取りをさせる――もちろん検閲つきで――つもりだったとしても、先日の“茶番”を見た後では躊躇するに違いないのだ。

 たかが手紙一通で、“ガルマ”はムンゾ国内の不穏な動きを封殺してみせた。それがザビ家の差配によるものだとしても、連邦としては、その力を恐れずにはいられないはずだ。つまりは、手紙など出させぬにしくはない。映像や音声もプロパガンダに使われる可能性がある以上、直接間接一切の接触を禁止することになるだろう。

 “父”や他の“弟妹”は、それに気づいているからこそ、便りのないことに何も云いはしないのだ。

「……お前は、良い男だが、そう云うところは鈍いな」

「仕方ないだろう、俺は、兄貴たちほど頭が良いわけではないんだ」

「戦略には頭が回るくせにな。――まぁ、それがお前の良いところではあるのだろうが」

 謀略に傾くザビ家の良心が、このドズルなのだろうと思う。

 この愚直さが、かれの命取りになったところもあるのだろうが、しかし、ザビ家――ミネバ・ラオ・ザビ――が“生き残った”のも、またその愚直さ故でもあったのだろう。

 いずれにしても、この時間軸では、ミネバだけが“ザビ家”であると云う事態は、回避せねばならぬ。

 とりあえずは、

「――お前は、謀略などに頭を使う必要はない。お前にできることをやってくれ」

 戦い、また子孫を残すと云うことを。

 ドズルは、一瞬当惑った様子を見せたが、ふと思い当たったように表情を引き締め、

「お、おぅ」

 と頷いてきた。

 

 

 

 ブレックス・フォーラから連絡があった。

 原作で後にエゥーゴの指導者となる男は、最近よく連絡を入れてくる。

〈――ガルマ殿にお会いしましたよ〉

 ゴップ将軍のお計らいで、と云う。

「ほぅ、それは――あれは元気にしていましたかな」

 まぁ、元気なのは間違いなかろう。タチからの報告では、ジーン・コリニー、グリーン・ワイアット、ジョン・コーウェンまで巻きこんでの、“愛憎劇”に発展していると、もっぱらの評判だそうだから。

〈えぇ。パーティーで、ミライ・ヤシマ嬢とダンスをしておられた〉

「それはそれは……許嫁には聞かせられぬお話ですな」

 “ガルマ”の帰りを、首を長くして待っている、アルテイシア・ソム・ダイクンには。

 が、ブレックス・フォーラは笑って手を振った。

〈いや。ガルマ殿は、どうも踊りながらミライ嬢に、婚約者どのの惚気話をされていたようですよ〉

「ほぅ、それは、知らせてやればアルテイシアも喜ぶでしょうな」

 自分を婚約者として扱ってくれていると知ったなら。

 何しろ、婚約してから随分になると云うのに、“ガルマ”はまだ、その事実を把握していないようなのだ。

 パーティーで婚約者のことを惚気けた、と云っても、どうせそうするようにキャスバルに云い含められたか、あるいは地球のご婦人方とあまり親しくなるのは――戦略的に――宜しくない、と判断したかでそうしたに決まっている。

 “ガルマ”の女性がらみの倫理観に関しては、微塵も信用していない、と云うのが正直なところなのだ。

 が、ブレックス・フォーラに、“ガルマ”のそのような本性などわかるはずもない。

〈是非、そうして差し上げると良い。婚約者と引き離されて、やきもきしておられるでしょうからな〉

「そちらでもご婦人方を誑しておりますか」

〈甘い貴公子に、誑かされたかったご婦人方は多くありましたな〉

 なるほど、それでアルテイシアの名が出てきたのか。

 流石に、異郷に身を置く貴公子――婚約者あり――に手を出すほどには、地球のご婦人方も堕ちてはいないようだ。

「ではまぁ、連邦の男性陣が、“ガルマ”を恨んで呪詛の言葉を吐く、と云うことにはならずに済んだようですな」

〈年若い、甘いマスクの貴公子に目がないご婦人も、自制心が働いたと云うことでしょう〉

 むしろ、とブレックス・フォーラは声を落とした。

〈コリニー中将とワイアット中将の間が何と云うか――いや、それよりも、アースノイド至上主義者たちの動きが不穏です。ないとは思いたいが、ザビ家の方々も注意された方がいい〉

 ガルマ殿をよこしたザビ家に対し、良からぬことを考える輩もあるようです、と云う。

 思わず、笑いがこぼれる。

「“ガルマ”をと望まれたのは、コリニー中将殿でしたのにな。話がどこでねじ曲がっているやら」

 だから、最初にわざわざバスク・オムに釘を刺したと云うのに。

〈逆恨みはどこにでもあると云うことです〉

「確かに」

 まぁ、それだけ“ガルマ”が連邦軍内部をかき回していると云うことだから、そこは喜んでおくべきだろう。

「だが、ご心配なく。狙撃されてから、ザビ家まわりは警備が固くなりまして。われわれも一応は軍籍にあるのですが、幼い子どもにでもするような扱いを受けておりますよ」

 やれそこは危ないだの、もう少しこちらへだの、よちよち歩きの赤ん坊のように。

 もちろん、護衛対象を目の前で狙撃されたデラーズなどにしてみれば、二度と同じことを繰り返さないためのことなのだろうが、やられる方にしてみれば、やや鬱陶しいとしか思われない。変装して抜け出すと云うならまだしも、昨今は本当に、職場と自宅の往復しかしていないのだし。

〈まぁ、護衛のものたちの心配もわかりますな。ギレン殿は、少々無防備なところがおありだ〉

「どれほど気をつけたところで、何か起こる時は起こるのです。子どものような扱いは戴けない」

〈それだけ案じられていると云うことでしょう。人望がおありなのですよ〉

「どうだか」

 もちろん、デラーズなどに好意――という云い方はおかしいか、とにかくプラスの感情――を抱かれているのは知っているが、それを人望と云うのには、語弊があるように思われる。

 この時間軸のデラーズは、一年戦争に敗れたとしても、“デラーズ・フリート”などと云う組織を作るかは怪しいし、作ったとしても、あれほど過激な行動に出るかどうかも定かではないように思われる。

 その差を人望の差とは思わないが、まぁカリスマの差ではあるのだろうとは思う。あるいは、人を動かすのに長けたアジテーターと、調停者との差であるとも。

 わずかに沈黙が落ちた。

 ややあって、ブレックス准将が口を開いた。

〈……そう云えば、ガルマ殿にお聞きしましたが、ギレン殿は“結構やんちゃでお茶目”だとか〉

「は」

 何だそれは。“ガルマ”め、一体どう云う印象操作をするつもりなのだ。

〈ご家族の中だけの顔をお持ちなのかと思いましたが――その真偽はいかがです?〉

「……それは多分、“ガルマ”がいろいろとやらかすので、それを叱りつけているのをそのように云うのでしょう」

〈ゴップ将軍も、そのようなことを云われておりましたな。あの愛らしい少年が、どんなことをしてのけるとおっしゃる?〉

 なるほど、ゴップも一応警告はしたわけだ。

「そうですな――そもそもゴップ将軍とはじめてお目にかかった時には、“ガルマ”も呼ばれたのですが、その時に、友人を伴って参りました」

 もちろん、あれは合法的にガーディアンバンチに立ち入れる――つまりは合法的に下見ができる――からであるとはわかっている。が、それにしても、ごく目上の人間に呼ばれて、その場に呼ばれもしない友人を伴うのは、礼儀知らずにも程がある所業である。

 案の定、

〈……それはそれは〉

 ブレックス准将は、半ば呆れたようにそう云った。

〈何と云うか――大胆な若者ですな〉

「そこは後ろに“不敵”とつけたいところですな」

 ただの“大胆”では済まないところが、“ガルマ”にはある。

〈いやいや、豪胆と云うか何と云うか……それで、中将たちにももの怖じするところがないわけですな〉

 感心したような口調だが、そこは感心すべきではないところだろう。

 とは云え、ブレックス准将こら聞く限りにおいても、“ガルマ”は、順調に周囲を誑かしているようだった。

「……まぁ、元気そうで何よりですよ」

〈両中将には、下にも置かぬ扱いをされているようですからな。まぁ、それを“誑かされている”と云う輩もあるようで……そちらが心配ではありますが〉

「何か、ございましたか、“不穏な気配”と云われるのは?」

 恐らくは、ジョン・コーウェン中将まわりの件だろう。

 あるいは、更迭されると云う噂のバスク・オムまわりが、クーデター的な事件でも画策しているのか。

〈噂話程度のことですが〉

 ブレックス准将は頷いた。

〈ガルマ殿があまりに両中将に構われているので、アースノイド至上主義者のグループが、二人に脅迫状を出したとか〉

「……それは、確かに不穏だ」

 それが軍内部のグループなのか、あるいは外部のそれなのかはわからないが。脅迫状を送りつけるのは、かなりのことだろう。脅迫状の送付は、それだけで威力業務妨害罪などが適用される事態のはずだ。

 気配だけと云うよりも、それはもう事件が起こりかけていると云うのではないか。

 これで、バスク・オムやその周辺が何やら起こすとなれば、間違いなく連邦軍は上を下への大騒ぎになるはずだ。

 それにしても、

 ――善人なのだな。

 ブレックス・フォーラ准将は。

 ブレックス・フォーラは連邦軍の人間であるから、軍内部のあまりにも赤裸々な話をこちらにすることはできるまいが、“ガルマ”のまわりが不穏で、危険が迫っているかも知れないと、言外に知らせてくれようとしているのだ。

 もちろん、『Z』でのあれこれを見れば、単に善人なだけでないことはわかるのだが――それにしても、友好的な感情を抱いた相手には、損得を抜きにして手を差し伸べようとするところは、“善人”と云っても許されるのではないか。

 そうであれば、こちらも――無論、事情の許す限りではあるが――応えたい、と思うのは人情だろう。

 ――まぁ、渡せるネタなどないのだがな。

 ブレックス准将の後ろには、ゴップ将軍がいる。それを思えば、出せる情報など微々たるものだ。

 それにしても、

 ――ブレックス・フォーラと親しくなりつつあるのは、良いことなのか悪いことなのか。

 もちろん、ゴップは、こちらがブレックス准将に絆される、までいかずとも、手心を加えることを期待して、この男を近づけてきたのだろう。

 ブレックス・フォーラは好きだ。『Z』で暗殺されたのを残念に思う程度には、好ましく思っている。

 が、それであっさり情に流れるほど、こちらもぬるい生き方はしてこなかった。

 これはつまり、狸と狐の化かし合い、と云うものなのだ。

 何となく“日本一の大天狗”と呼ばれた後白河法皇を思い出す、が、ある意味究極のいきあたりばったりだった後白河とは違い、ゴップには確実に、裏に含むものがある。

 今のこの状態は、ブレックス・フォーラを間に挟んで綱引きをしているようなものだ。

 だが、綱引きにも技があるように、ただ闇雲に引けば良いと云うわけではない。

 引いたり緩めたり、そうして様子を見ながらじわじわと引いていき、最後にこちらに中心線がきていれば、最初から最後まで優勢である必要などありはしないのだ。

「……まぁ、こちらも気をつけてはおきましょう。准将殿も、あまり危険な方へはゆかれぬ方が宜しいかと」

〈もちろんです〉

 くすりと笑われる。

〈ガルマ殿についても、気をつけるように致しましょう。今の状況は、表面張力で膨れ上がるほど水の満ちたコップのようなものだ――少しの刺激で、あふれることになるかも知れません。ムンゾからの預かりものに、傷をつけるようなことがあってはなりませんからな〉

「ありがとうございます」

 “ガルマ”が地球へ赴いてから、もう四ヶ月が過ぎようとしている。

 ――あとふた月。

 キャスバルと約束していた期限までは、ふた月しかない。

 その間に、どれほど連邦軍の内部を食い荒らし、素知らぬ顔で脱出してくるのか。

 ――こちらも、そろそろ仕上げにかからねばならぬ。

 MSの量産ばかりではなく、ムンゾを、“ジオン共和国”へと生まれ変わらせるために。

 ブレックス・フォーラに微笑みかけながら、今後打つべき手のあれこれを、頭の中で算段した。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 23【転生】

 

 

 

 隣には、脇腹から血を流しているウッディ・マルデンが。

 アースノイド至上主義者達から、おれを庇っての事だった。

 傷の位置からして重要な臓器に損傷は無さそう――臓腑の臭いもしないしね――だけど、出血が多いし、弾丸も抜けてない。

 応急処置はしてみたものの、そろそろ動くのは限界なんだろう。

 ズルズルと崩折れていく体を、なんとか担ぎあげる。

 ――重てぇわ!

 血腥いし。

「……逃げろ」

 軋るような声だった。

「逃げますよ」

「……俺を置いて行けと言っている。護衛対象に助けられる護衛なんて…笑い話にもならないだろう」

 マルデンの自嘲に、小さく鼻を鳴らした。

「心配しなくても、もうちょっとマシな場所に置き去るだけです」

 共倒れする気はないんだ。

 だけど、この場で見捨てたらマルデンは殺される。

 だから、救援が来るまで隠れられるところに押し込んどかないと。ただ、それだけ。

 出逢ってから初めて叩いた憎まれ口に、マルデンは目を見開き、少し笑った。

「案外、親しく…なれていたのか?」

 君はいつでも他人行儀だったから、なんて、こんなときに何言っちゃってんの。

 おれの中で“おれ”が舌打ちしてる。

 役立たずの護衛なんか捨ててさっさと逃げれば良い――それをしないのは、結局、“おれ”もマルデンをそれなりに気に入ってたからだ。

 もちろん、“天秤”には載せられない。そこはもう大事なものでいっぱいだから。

 だけど。“おれ”が少しばかり骨を折ってやらん事もないって思う程度には、ウッディ・マルデンは“ガルマ”に心を砕いてくれてた。

 “人質”だの“囲われ者”だの“棄民の末”だの――“悪童”だの“異郷の貴公子”だの、一度も色眼鏡で見られたことは無かった。この男は、護衛対象の“単なる少年”として、内面の心配までしてくれやがったんだ。

 それがこの地の大人たちの中で、どれだけ稀有な事だったか。

 一度は助けてやるよ。

 次に会うときは知らんけどさ。

 

 

 

 グリーン・ワイアットが襲撃されたとの一報を受けたのは、士官学校のラウンジで寛いでいた時だった。

 一命は取り留めたものの、意識は戻らぬ有様だと言う。

 言うまでもなく、アースノイド至上主義者たちの仕業だった。

 マルデン率いる護衛達は騒然となった。

「ワイアット中将閣下が……?」

 おれの顔は、ちゃんと青褪めているかね。

 ショックを受けた風に震えて見せれば、隣にいたオリヴァーが「しっかりしろ」と力付けてきた。

「ヒデェ事しやがる!」

 アイザックが憤っている。

 気遣わしげな視線が一斉にこっちに向いて、少しだけ居心地が悪くなった。

 そもそも、おれが煽りに煽った末に勃発した事態だし。

 連邦の“チカラ”を削ぐことは、地球に降りた当初からの計画だった。

 仲間割れからの同士討ち――バスク・オムの離叛だって想定内だ。

 敵を潰すのに罪悪感なんて無いけど、気の良い彼らに本気で心配されると、なけなしの良心がチクチクするね。

 その場には、おれの「親しくなりませんよ」アピールが全く通用しなかったフレッドと、彼に引き摺って来られたらしき面々が揃っていた――ブライトさんまで。

「コリニー中将閣下から、すぐにお戻りになるようにとご命令です」

 護衛のひとりが硬い声で告げてくる。

「ここに残るほうが安全では?」

 ブライトさんが控え目に提言した。

 確かにね、校内に押し入ってくるのは大変だろう。だけどさ。

「万一、ここで何かが起こったら、皆が巻き込まれてしまいます」

 首を横に振った

 士官候補生の群れじゃ、対処できない事態になる可能性があるんだ。

「だけど、そしたらお前が!」

 アイザックが荒ぶるのを、オリヴァーが肩を掴んで抑える。

「無事に済むのか?」

 低い声が。

 睨めつける目は真剣で、嘘は許さんと告げてくる。

 不良ぶってんのに、実はブライトさん並みに真面目だよね、オリヴァー。

「……何とかなるでしょう」

「その程度かよ。なら、ここに残れ」

 引き留める声は真摯過ぎて、隠せない苦笑が零れた。

「ありがとう。でも……決めるのは君じゃない。分かってるんでしょう? 帰還は“命令”です」

 発したのは中将閣下だ。

 士官候補生達が主張したところで、護衛達が従うべきは“上”だ。

 ついでに言えば、防御に優れたここから離さなきゃならない理由があるのかも知れんし。

 例えば、ジョン・コーウェンあたりが“ガルマ・ザビ”の拘束を求めた、とかね。

 ――うわ、あり得る。

 奴は、荒れる連邦軍内部の全ての原因がおれだと思ってるから――そりゃちょっとはそうかもしれないけど、全部押し付けるのはお門違い――この混乱に乗じて、排除するつもりかもね。

 地球に降りて5ヶ月目。

 ここに至って、連邦軍上層部はバッキバキに割れていた。

 “ガルマ・ザビ”を擁立して、比較的穏便にムンゾの実質的支配を構想してるジーン・コリニーやグリーン・ワイアットと、アースノイドによる永続的なスペースノイドの隷属を求めるバスク・オムが対立して、先頃、過激思想を持つの面々が更迭された。

 不満を抱く過激派たちは、反発の度合いを深め、もはや凶行をも辞さない始末。

 大小様々な事件の散発は、治安当局の頭を痛めていた。

 さらに、あくまで武力をもってコロニー社会の反抗の芽を根こそぎにしたい一派や、それ以外の連中も、それぞれ根底のところで利害が一致しないから、あっちとぶつかりこっちとぶつかり。日々、連邦の勢力図は塗り変わっている。

 身内で権力闘争に明け暮れてるんじゃ、当面はムンゾ攻略なんて出来っこないでしょ。

 こんな中で日和ってるゴップは、本当に何考えてんのかね。

 何にせよ、さっさと避難しないと――間に合うかどうかは、別として。

「さあ、早く」

 マルデンに促されて席を立った。

「参ります」

 答えてから、短い間ではあったけど、学校生活を共に過ごした一同に視線を向ける。

 ――元気でね。

 敵地で過ごして、だけど、君たちといた時間だけは楽しかったよ。

 できれば戦場では会いたくないから、これっきりでさよならになるコトを祈ってる。

 微笑んで、敬礼。

 声には出さず、心の中でバイバイしてから背を向けた。

「またな!」

 なんて、なんだか祈るみたいなフレッドの声には、振り返らなかった。

 すたこらと士官学校を出て、車で移動するけど、この先は森林地帯を通るルートだ。

 演習場にもなっている広大なエリアは、待ち伏せにだってもってこいだろう。

 アースノイド至上主義者達でも、コーウェンの手の者でも、おれに手心を加えるとは思えないから、きっと殺す気で来る。

 ちらりと横目でマルデンを見た。

 巻き込んでごめんね――出来れば生き延びて、マチルダさんとイチャイチャしてよ。

 なんて。思ってる矢先に、後方から猛スピードで追いかけて来る不審な車が、

 ――ほら来た。

 マルデンも気付いて、この車の速度も上げるよう指示するけど。

「車を停めろ!!」

 隣に座ってた護衛のはずの男から、こめかみに銃口を突き付けられた。

 ふふぅ。敵が紛れ込んでたか。

「貴様!!」

「ほら、停めろよ! ガルマ・ザビが死ぬぞ!?」

 ニヤニヤしながら怒鳴らんでくれたまえ。

 それでイニシアチブ取ったつもりなら甘過ぎるんだよ。

「『停まるな! 走れ!!』」

 命じる。

 懇願でも提案でもない。命令に、運転手はアクセルを踏み込んだ。

 その瞬間に、狼狽えた慮外者の指を圧し折る――これでトリガーは引けないね。

「〜〜ッ!??」

 苦鳴が喉から迸る前に、男の喉仏を一突きすれば、見開かれた眼がぐるりと白目を剥いた。

 ん。仕留めた。

 こっそり武器も回収する。

 ここまでは数秒で済んだ。

「……嘘、だろ?」

 アングリと口を開けた運転手がバックミラーに映ってる。

 前見ろよ前。

「ガルマ・ザビ……?」

 マルデンの唖然とした声が。

「森へ逃げます。この先、待ち伏せてるところに突っ込むのは御免ですから」

 そのまま森林地帯に突っ込んでよ。

 混乱に乗じて指揮権を奪い取る。車は進路を逸れて、公道から演習場方面へ。

 幸い、今日は演習は無かったはず……だよね?

 ドンづまりで車を乗り捨てて走る。

 足場の悪い森林地帯を、障害物レースみたいに突き進むおれに、マルデンはピッタリと付いてきた。

「待て、ガルマ!」

 待てと言われて待つ逃亡者なんか居るもんかい。

 他の護衛たちが付いてこれてないから、合流するつもりなんだろうけど、おれはアンタ達も振り切る気満々なんだよ。

 ――ここらが潮どきだ。

 きっと今頃は、ジーン・コリニーやジャミトフ・ハイマンだって襲撃を受けてるはず。

 だいたい、ワイアット襲撃の報告と帰還命令を受けたのって、さっきおれに銃を突きつけた奴じゃないのさ。

 帰還命令自体が罠の可能性大だ。

 いまや、この地上の何処にも、おれが安全に過ごせる場所なんて無い。

 ――帰らなきゃ。

 帰る――やっと帰れる。

 溢れそうになる笑いを噛み殺す。ここでヘラヘラしてたら正気を疑われそうだし。

「ガルマ、あまり奥に踏み入ると戻れなくなるぞ!」

 マルデンが警告してくる。

 だろうね。だけど、戻り道ならわかってるんだ。ここ、演習で入ったことあるから。

 追手に気付いた時、頭に浮かんだルートがこの森だった。

 “おれ”のアドバンテージを一番に活かせる。

 ゲリラ戦得意なんだよね。森林なんか一番と身体に馴染む。ナイフ一本持たせりゃ余裕で野生化するって、方々から言われてた。

「ガルマ、止まれ!」

「いいえ! 止まったら捕まります。僕は絶対に、彼らに捕まるのだけは嫌だ――ムンゾの“枷”ならないって、約束したんです」

 そもそも捕まったら、十中八九命がない。

 見せしめに殺されて開戦の発端になるか、よしんば生き延びたとして、ムンゾに対する今度こそ不利な人質になるか。

 背後から、追ってきた敵と護衛達のドンパチが聞こえる。

 多勢に無勢。分が悪かろうよ。

 運がないねぇ、おれの護衛なんか命じられたばっかりにさ。

「貴方たちは投降してください。反撃の意思はないって」

 同じアースノイドなんだから、命だけは助かる可能性がある。

 せっかくお勧めしたのに、マルデンは目を吊り上げて、それから怒鳴った。

「君を見捨てろというのか!」

「そうです。多勢に無勢で、どっちみち勝ち目がないんです。仲間の人も、このままなら殺されるかもしれない」

 ほら、お仲間を助けてあげなよ。

「馬鹿にするな! 俺達はすべて覚悟している!! それを君が愚弄するのか!?」

「死んでほしくないだけです。いい人達だから、みんな」

 一瞬だけ足を緩めて、振り返って微笑みかける。またすぐに全力疾走に戻るけど。

 鋭い音は、マルデンが舌打ちしたものか。

「なぜ守らせてくれない!?」

 ――守られてちゃ逃げらんないからだよ。

 本音は全部隠してる。

 ねぇ、ウッディ・マルデン。お前が見てた“ガルマ・ザビ”なんざ、全てが虚像だ。

「充分に守ってもらってました。心まで気遣ってもらって。嬉しかったですよ」

「だが、君は一度も頼らなかった!」

 そりゃね。頼ったり、縋ったりしたらおしまいなんだ。

 敵をずっと敵だと思い続けるには、拠り所なんていらないんだよ。

 ぬるま湯は怒りを鈍らせる。癒しも憩も、刃を鈍にするだけだ。

 だから“おれ”は、アンタが嫌いだったよ。

 その瞬間、飛び出してくる人影があった。

「見つけたぞ! ガルマ・ザビ!!」

 憎しみと怒りと、喜びとが綯い交ぜになった声だった。

「バスク・オム」

 ギラギラと光る目。歯を剥き出しにして、顔はいっそどす黒いような赤で。

 酷い形相だった。

「死ね! お前はここで死ね! ガルマ・ザビ!!」

 泡を飛ばす勢いで、口汚く怒鳴り散らす。

 正気とは思えない有様だ。変わらずに筋骨は隆々としてても、頬の辺りは随分こけてるし、無精髭も目立ってた。

「殺してやる! 何もかもお前のせいだ! 悪魔め!! 殺してやる!! 殺してやるぞ!!」

「やめろ! 彼はただ地球に連れてこられただけだ。コリニー中将がそうしたんだろう!」

 そんな制止は逆効果だよ。

「奴はもう居ない! ジーン・コリニーは死んだ!」

「なんだと!?」

 マルデンは驚愕するけど、おれは驚かない。

 だろうね。そんなこったろうと思ってた。

「貴様も誑かされたのだ!」

 どいつもこいつも、みんなそいつに取り込まれて狂わされた、なんて呪詛みたいに吐き散らす様は、どこか哀れでもあった。

 バスク・オム、アンタは悪役らしい悪役だったよ。

 “ガルマ”を貶んで、憎んでたアンタのことを憎むのは簡単だった。

 孤立させて追い詰めた。その先で、よりイカれた野郎とつるみ出してからは、見る間に零落してったね。

 それまで築いた地位も立場も、何もかもが崩れたんだ。

 憎かろう、恨めしかろうさ。

 嘲るように微笑んでやれば。

「死ね!!」

 まっすぐに向けられた銃口が、躊躇なく火を吹いた。

「危ない!!」

 回避ムーブと同時に、飛び込んでくる人影に目を見開いた。

「ウッディさん!?」

 なんでだよ。何で割って入った。

 おれ、当たらなかったのに。何やってんだよ。

「ウッディ・マルデン! お前も死ね!!」

 崩折れたマルデンへと銃口が下がりきるより先に、おれの指がトリガーを引いた。

 さっき護衛もどきから奪っといた銃だ。

 射撃の成績はいつだって最高得点だった――弾丸は眉間の真ん中に。

 あっけないね。

 何が起こったか分からないと、限界まで見開かれた目のまま、バスク・オムが崩れ落ちてゆく。

 馬鹿だね。

 アンタが一番よく踊ってくれた。

 ムンゾから引き離されてこっち、ずっと食い殺してやろうと思ってた。コイツをそのままにしといたら、同朋が食い荒らされると思ったから。

 これで、“ティターンズ”に至るルートは閉ざされたと思って良いのかな。

 感慨に耽ってる時間は無い。バスク・オムは始末しても、その仲間たちはまだ付近を捜索中なんだ。

 地面で呻いてるマルデンに駆け寄って、傷の具合を確かめる。

 撃たれたのは左の脇腹。ギリギリで臓器は避けられてるっぽい。でも、弾は体内に残ったままだ。

 あんまり動かしたくないけど、そうも言ってらんない。ごめんね。

 止血をしつつ、傷の部位を固定した。

 引きずり起こすと、マルデンはよろめきながらも自分の足で立った。

 肩を貸してやって、森の奥へ。

 あと少し先には演習で使うガレージ(と言う名の空き地)がある。

 “ガルマ”の動向を気にしてるのは、命を狙ってくる連中だけとは限らないんだ。

 “ガルマ・ザビ”の身を案じる存在もそれなりに居る――ゴップは微妙だけど、ブレックス・フォーラとかね。

 あの辺りがこの状況を聞きつけて、既に動いてる頃合いだ。

 この森に逃げ込んだことは知れるだろうから、捜索するにしても拠点になるのは“ガレージ”だろう。

 そこらへんにマルデンを転がしとけば、きっと見つけてもらえるだろうさ。

 途中で意識を落とした男を、気合と根性で担ぎあげ、道無き道を突き進む。

 なんか、以前にもこんな事あったよね?

 あの時は雨で、足元がボロボロ崩れて、まだ仲良く無かったロメオを担いでたんだっけ。

 コックに救いを求めたら、後でキャスバルに怒られた。

 お前が助けてくれたんだ。

 おれの“英雄”。“誰より凄い奴”。“幼馴染”。

『……キャスバル』

 だけど、お前はここに居ないじゃないか。

 どれだけ呼んだって、いまは届かない“こえ”が苦しくってしょうがない。

 サイコウェーブが時空を超えるんなら、地球とコロニーを繋いだって良いじゃないか。

 なんで届かないの?

 地球に降りてから、ずっとずっと。

 いつも傍にあった思考波を探して、叫び出しそうになる“意識”を殺し続けるのは、もう嫌だよ。

『キャスバル、キャスバル!』

 お前の隣に戻らなくちゃ。

『……アムロ…ゾルタン、アルテイシア、ミルシュカ、フロル、マリオン、カイ……』

 まるで呪文みたいに、“宝物”達の名前が胸の底に渦巻いてる。

『デギンパパ…キシリア姉様、ドズル兄貴…サスロ兄さん――“ギレン”』

 “意識”が漂いだす。

 身体の輪郭を越えて、それは霧みたいにこの森に広がって、そこにある気配をおれに伝えた。

 “阿頼耶識”みたいだ――センサーが敵を捉えてる。

 “ガレージ”に程近い場所でマルデンを下ろした。

 ――ここなら見つけて貰えるだろ。

 木に凭れさせて、息があるのを確かめる。ついでに止血の具合も見て。

 ん。暫くは保つでしょ。

「お元気で、ウッディさん」

 じゃあね、と、踵を返そうとしたところで、マルデンが低く呻いた。

「……ガルマ…」

 気がついちゃったか。伸ばされた手を避ける。

 これがラストだ。とびっきりの笑顔を振る舞ってやろうじゃないか。

 渾身の愛想笑い――をしようとして、失敗した。

 苦笑いのなりそこない。しかめっ面って言った方が良いかもね。それでも口角だけはキュッと上げて。

「……僕はいきます。さよなら」

 引き留める声を無視して背中を向けた。

 いざ、疾走れ。

 途中で、追手に小突き回されてる運転手を見つけた。

 ついでだから助けてやるか。

 いやアンタも一応兵士だよね? なんで一方的にボコられてんのさ。

 敵は二人だ。

 先手必勝。一人は膝を潰し、体制が崩れたところを狙って耳介の後ろを刺し貫く。

 もう一人に撃たれる前に、土塊で目潰。怯んだ隙に、腿をナイフで裂いてやった。

 下半身って、割と反射が弱いから狙いやすい。耐えきれず膝が落ち、目の前に晒された頚椎を破壊。

 さて、運転手と言えば――あれ? 気絶してんのかよ。

 ――ね、なんでアンタが護衛だったの?

 頭数揃えるためか。それともスケープゴートか何か?

 まぁイイや。どうせこの先会うこともないしね。

 生きてて良かったね、と、その手に血塗れのナイフを握らせてやる。

 指紋はちゃんと拭いたし、暴行に朦朧としてたみたいで、おれの事も見てないし。

 センサーみたいに広がった思考波は、追手から隠れるのにも、不意打ちをかましてやるにも便利だった。

 気分は“プレデター”。まるで不可視の異星人みたいに、見つかる前に近接して個別に始末する。

 これもある意味敵討ちなのかな――ジーン・コリニーを殺したやつら。

 おれをムンゾから引き離した男だけど、無碍に扱われたことは一度もなかった。

 最近なんか、息子かなにかと錯覚してるんじゃないかって、苦々しく思うこともあったけど。

 おれを引き込んで身を滅ぼした男。

 馬鹿だねって、哀れみも同情もしないけどさ。

 あんたを殺した輩くらいは、おれが片付けておいてやるよ。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 おれ、“ガルマ・ザビ”。逃亡者。

 いま、海辺のリゾート地にいます。

 青い海と空と、ついでに輝くような緑。楽園みたいに良いところだよ。

 マリンスポーツはもとより、カジノなんかもあって、世界中のセレブだの何だのが、あちらこちらを闊歩してたり。

 もちろん、たわわな美女もわんさかいる。

 ――いや待って、違うんだ。

 遊びに来たわけじゃないんだ、たまたま逃亡ルートがそうだったってだけで。だってここ、宙港の傍なんだよ。

 士官学校から3番目に近い宙空。最短距離のところだと、張られてる可能性が高いし。

 2番目か3番目か悩んだけど、ちょうど乗り継げるトラックの行き先がこの街だったんだ。

 なんて、誰に言い訳してんのかね、おれ。

 森林地帯での攻防戦を経て、なんとか逃げ果せることができた。

 現状、ニュースやら何やらは、その話題でもちきりだった。

 アースノイド至上主義者達による、連邦軍上層部並びに“ガルマ・ザビ”襲撃事件。

 ジーン・コリニーは襲撃時に死亡。重傷を負ったジャミトフ・ハイマンも、数日後に息を引き取った。

 グリーン・ワイアットは、一命こそ取り留めたものの、いまだ予断を許さず、回復しても軍部への復帰は絶望的だろうと。

 実行犯のバスク・オムはすでに死亡してるし、首謀者と目されてるジョン・コーウェンと言えば拘束され、取り調べを受けてるらしい。

 そして“ガルマ・ザビ”は、襲われた森林地帯で行方不明。

 今なお、森を捜索中だとか。

 この事件で連邦軍上層部はガタガタだし、連邦政府も内外の対応に追われててんやわんやだ。

 いたるところのモニタに映し出されている“ガルマ・ザビ”は、どれも余所行きの澄まし顔で、いかにも深窓の令息といった風情だ。

 体重落としといたから、なんだか華奢だわ。

 儚げにさえ見えるって、どっかのキャスターも言ってた。

 地球でも“ガルマ”の手紙が読み上げられ、ハンサムなコメンテーターがボロ泣きしてて、ちょっと引いた。いや、男の涙はそんなに要らないかな。

 世論はアースノイド至上主義者達に対して批判的だし、ムンゾの報復を危惧する声も多い。

 ――だろうね。

 ザビ家、ムンゾでは割と人気なんだよ。例に漏れず、“ガルマ・ザビ”も。

 無理やり地球につれてった挙げ句、襲撃されて生死不明/行方不明ってさ、故国からすりゃ「フザケンナ 」でしょ。

 今頃、救出だの奪還だので紛糾してるかも。

 ぜんぜん連絡取れてないから、みんな心配してるはず――但し“ギレン”除く。

 デギンパパなんか倒れちゃって無かろうな。心配だわ。

 キャスバルやアムロはどうしてるだろ。

 子供達は、兄姉や仲間たちは、おれを信じて待っていてくれてるかな。

 ――早く帰んなきゃ。

 じゃないと今度こそムンゾが暴発する。

 森から脱出して、ここまでたどり着くまでに1週間かかった。

 三つ目の街までは、荷物に紛れて移動した。そこから先は、人に紛れて。

 髪をバッサリと切って、ツンツンのショートカットにした。それだけでも印象がガラッと変わるでしょ。あの髪型もトレードマークだし。

 お澄ましから素の表情に改めたおれは、“ガルマ・ザビ”の虚像に一致しないらしい。

 顔を出してその辺をぽてぽて歩いてても、誰にも見咎められなかった。

 それでも念のため、ちょっとした変装はしてるけどね。

 そうして過ごした更に2週間。タイムリミットは、もう目前だ。

「ねぇねぇ、Mr.ベル、今日はカモ来てる?」

「堂々とホテルのラウンジを狩場にしないで下さいよ」

 とかなんとか。文句を言いつつ、顔見知りになったベルボーイが、視線を中程のソファに投げた。

「世間話ですが。こちらにお泊りの、あのご婦人、ご主人からカジノの出入りを禁止食らって、ちょっとした遊戯に飢えてるそうです」

「なんと! じゃあ、優しいおれが遊んであげちゃおう」

「……当ホテルの感知することではございません」

 僅かに頬を上げてせせら笑うところを見るに、彼にあんまり良い態度とってないね、御婦人よ。

 四十絡みかな。割と美人――派手なタイプの。

 大柄ボタニカルのいかにもなワンピースドレスが、それなりに映えてる。スリットから覗くスラリとした脚がご自慢かい?

 通りすがりに、ポケットからパラリとカードを零す――けど、床に触れる前にキャッチ。

 その動きに、ご婦人の気怠げな視線がおれを捉えた。

 こっちに来てから調達した、清潔だけど、少し着古した感のある綿のカジュアルジャケットにボトム。

 靴だけはちょっと奮発して良いものを。

 旅行者と言うより地元の浮ついた若者――駆け出しのギャンブラーに見えるかな。

 ね、どう、可愛い子でしょ?

 マダムはバッチリおれを見てた。

 それに気づかないふりで、視線を敢えて彼女の膝小僧に2秒固定。

 それから何食わぬ顔で目を逸らして、立ち去る素振りをした途端、マダムはその白い脚を優雅に組み替えた。

「ねえ、あなた、ポーカーはお好き?」

 喉に絡むみたいな甘い声だった。

 にっこり笑う唇は下品なほど紅く、こっちを見る目は獲物を見つけたライオンの雌みたいにギラギラしてる。

 ――ふぉ、食いつきいいねぇ。

 内心で苦笑しつつ。

「……好きっていうよりオシゴトだよ、マダム」

 少し警戒した感じを出しつつ、指先でトランプを操って見せる。

 どうよ、このテクニック。子どもたちを喜ばせるために散々練習したんだ。キャスバルにマジシャンにでもなるのかと呆れられるくらいに。

「じゃあ、私相手にお仕事なさいな。暇なの、退屈なのよ」

「……賭けるってこと?」

 小首をかしげる。

「そうよ」

「現金オンリーなんだけど、おれ」

「良いわよ」

 どうしよっかなと迷って見せれば、マダムはとうとう紙幣を出した。

「これで文句ないでしょう?」

「無いね」

 ん。中の上程度のカモだわ。

 ニコリと微笑ってテーブルにつく。

「ね、あなた名前は?」

「マダムが勝ったら教えてあげる」

「あなたは秘密を賭けるの?」

 面白そうにご婦人が笑った。

 まぁね。全部イカサマだけど。名前も経歴もニセモノのマヤカシ。

「秘密でも、夢でも、お金でも。勝てば何でも手に入るよ」

「……素敵ねぇ」

 舐めるみたいな視線。紅く染められた爪が、おれの配ったカードを捲った。

 

 

 カモはカモでも、ネギがあとから付いてくるタイプのカモだった。

 結論から言うと、後から来た旦那の方が、メチャクチャ儲けさせてくれた訳だ。

 最初はプリプリしてたけど、おれが奥さんに手加減してるのに気づいたらしい。

 だって女性相手だしさ。

 本気で喰い物にするのは気が引けるし、なんてコトをコッソリ伝えてみたら、意外そうな顔で眉を上げた。

 いたずらっぽく笑いかけて、「アンタが相手なら容赦しないさ」とかね。

 喰い付いてきたから毟らせて貰ったとも。

 3桁を即金で払ってくれるなんて、気前がいいったらないね。

 お陰様で、目標額を軽くクリアできた。

 これまでもカジノで悪目立ちしない程度に稼がせて貰ってたし。

 思考波を使って周囲を探れば、ルーレットも賽の目も、ポーカーなら尚更に手札が読めるんだ。

 手先のイカサマを使わない分、見破られることもないしね。おれ、ギャンブラーが天職かもよ。

 ただ宇宙行きのチケット買うだけなら、こんなに稼がなくても良かった。

 身分証の偽造が高っかいんだよ。嫌んなる。

 誰か迎えに来てくれれば――なんて、詮無い繰り言だけどさぁ。

 どうせ連邦の連中に見つかると厄介だとかなんだとかで、自力で帰還することを求められてるはず。

 “ギレン”、ほんとにそーゆートコだからね!

 ともあれ、懐は暖かい。

 ホクホクしながらの帰路。せっかくだから海側をまわってみようと思って、桟橋に向かった。

 潮の匂い。海風が気持ち良い――あとでベタベタするのが難だけど。

 昼下がりの海は穏やかで、降り注ぐ光の下、どこまでも青かった。

 お前の瞳の色を思い出すね、キャスバル。

 おれの知る中で、一番きれいな青。

 もうすぐ帰るよ。チケットも身分証も、もう目処はついてる。

 お土産まで手が回らないのが悔しいけど、そこは勘弁してもらいたい。

 最近、垂れ流しの思考波が、また漂い出す。

 繋がる相手を探して探して――誰もいないのは分かってるのに。

 だって、キャスバルもアムロも隣にいないんだ。ゾルタンだってフロルだって。

 早く帰りたい。

 思考は同じところをぐるぐる回ってる。

 キラキラする海を眺めながら歩いていると、唐突に、ギュンっと――

『……!??』

 頭の芯に、何かにぶち当たったみたいな衝撃がきた。

 痛い!?

 ビリビリ震えてる。

 たまらずに蹲った。

 ――なに!? なんなの!??

 梵鐘を100個ぐらいぐわんぐわん打ち鳴らされてるみたい。頭も体も全部が揺すられて目が回る。

 痛い痛い痛い!!

 痺れるよ、なんなのこれ!??

 頭の中に銀河が。

 うわ、綺麗。光と闇の万華鏡。

 どこかに吹っ飛ばされそうで、必死で意識を閉じようとするのに、何かに引っ張られて逃げられない。

 ――“ガルマ”は逃げられない!

 って、これがラスボスを前にした冒険者の気持ち?

 蹲ってるのはおれなのに、なんでか視界にそのおれが映ってる。

 ダンゴムシみたい。

 驚いて目を開ける――え、いま閉じてたよね?

 今度こそ自分の視界に、華奢なフラットシューズが見えた。

「『……君、だれ?』」

 喉から落ちた、すごくひび割れた声に我ながら驚く。

「『あなたこそ誰? なんなの? ひとなの? それとも魔物?』」

 澄んだ少女の声が、わりかし失礼なことを聞いてきた。

 それ、なんてファンタジー。

「『ヒドイ。れっきとした人間ですぅ……」

 むしろ君が人間か。

 出会い頭にギャラクシーエクスプロージョンくらったかと思ったじゃないか。

 小宇宙燃えてんの?

 誰か聖衣持ってきてよ。

 もしかしてさっきの、思考波が繋がった感じ?

 だとしたらとんでもなく強い――キャスバルより、アムロより。

 ――ゴジラかな。

 視線を上げたら、仁王立ちの美少女がいた。

 瞬間、思考がバグを起こした。

 きらめく様な艶のある豊かな黒髪、きめ細やかな肌はオリーブの色。

 インドアーリア系の整った目鼻立ち――何より見開かれた、その森の中の湖みたいな、新緑の双眸が。

 ものすごくどっかで見た覚えしかない、素晴らしく美しくて、美しい……。

「『――ッ!? ふぇえええええええッ!???』」

 仁王立ちの、

「『ララァ・スン!????』」

 心臓が飛び出すくらいビックリした。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 23【転生】

 

 

 

 事件の一報が飛びこんできたのは、“ガルマ”が地球に降りてから、ちょうど五ヶ月が経過したころのことだった。

「ガルマが!?」

 キシリアは叫び、

「――ガルマ……」

 “父”は手にした書類を取り落した。

 昨日、グリーン・ワイアット中将、並びにジーン・コリニー中将、ジャミトフ・ハイマン大佐が襲撃され、コリニー中将は死亡、ワイアット中将とハイマン大佐は意識不明の重体を負ったと報じられた。コリニー中将邸は、原因不明だが出火して全焼し、死者・負傷者多数、そして、“賓客”であったガルマ・ザビは行方不明である、と。

 犯行は、バスク・オム少佐をはじめとするアースノイド至上主義者のグループ、及びかれらに担がれたジョン・コーウェン中将であるとのことで、軍がかれらを拘束し、詳細を調べているそうだ。もっとも、バスク・オムは、“ガルマ”の護衛にやられたとやらで、既に死亡しているのだが。

 一説によると、バスク・オム少佐は、ガルマ・ザビを迎え入れたコリニー中将に反発しており、昨今ではスペースノイドに対する暴言や、粗暴な態度が目立っていたのだと云う。

〈いつか、こんなことが起こるのでは、と思っていました〉

 テレビの中では、顔を隠し声を変えた、連邦軍士官と思しき男女が口々に語る様を流している。どうやら“ガルマ”が出向いてから、バスク・オムの反スペースノイド志向はより顕著なものになっていたようだ。

 ――やったな、“ガルマ”。

 無論、この騒ぎそのものはバスク・オムが起こしたものだろうが、そもそもの反スペースノイド志向を拗らせたもとは、確実に“ガルマ”であるだろう。

 バスク・オムは暴発し、少なくともジーン・コリニーが死亡した――下手をすればグリーン・ワイアットやジャミトフ・ハイマンも死ぬかも知れないし、首謀者のひとりと目されたジョン・コーウェンは、良くても失脚することになるだろう。死亡したバスク・オムは云わずもがなである。

 これで、連邦軍の指揮官が、最低でも二人減ったことになる。しかも、一人は対ムンゾ強硬派だ。

 “ガルマ”は、見事に仕事を果たしてくれたのだ。

「――何を平然としているのだ、ギレン!」

 キシリアのまなざしが、鋭くこちらを睨みつけてきた。

「お前はガルマが心配ではないのか! あの子を、どれだけ疎んだら気が済むのだ!!」

「お前は、あれが死んだとでも思うのか、キシリア?」

「……ッ、馬鹿なことを云うな!!」

 とは叫ぶが、その悲痛な表情は、“ガルマ”の生存をほぼ絶望視していることを表していた。

「案外、諦めが良いのだな」

「何を!」

「“ガルマ”は行方不明、だ。死体が見つかったわけでも、身体の一部が見つかったわけでもない。――ところで、あれが地球に降りてから、五ヶ月が過ぎた、と云うことは、あとひと月足らずで半年だな?」

 キシリアが、はっとした顔になる。

「半年だ。“ガルマ”がキャスバルに約束した期限が、あとひと月足らずでやってくる。それで、あれが手もなくやられると思うのか?」

「……お前は、ガルマを信じていると云うの」

 先刻よりも落ち着いた声が、そう問いかけてきた。

 それに、大きく頷いてやる。

「もちろんだとも。あれとてもザビ家の男だ。まして、“ガルマ”は、連邦の力を見事に削いで見せたではないか」

 ジーン・コリニーは死に、グリーン・ワイアットとジャミトフ・ハイマンも生命が危うい。そして、主犯格と目されたバスク・オムは死亡、ジョン・コーウェンは降格、場合によっては極刑もあり得るだろう。

 これだけの人材が一気にいなくなり、また処分されるとなれば、連邦軍内部の力関係も大きく変わってくるはずだ。

 今挙げた面子は、いずれも対ムンゾ強硬派であり、かれらがいなくなれば、とりあえず中立派や和平派の力が強くなる。つまりはゴップやブレックス・フォーラあたりが権限を強めるだろう。それは、ムンゾにとってはもっけの幸いだ。

「信じろ、キシリア。“ガルマ”は必ず帰ってくる。――あれが帰還するために、既に手は打っている」

 但し、地球に誰やらを降ろすわけにはいかないから、“ガルマ”が宇宙に自力で上がってくることが前提にはなるが。

「……お前は、本当にあの子を信じているのね」

「信じているとも、あれが、連邦軍と戦うこともなく、子どもらの顔を見ることもなしに、むざむざ死ぬはずはない」

 既に、ドレン少尉率いるレッド・フォース号には、地球航路あたりで“ガルマ”を探すよう指示を出している。

 この数ヶ月で、海賊船としてすっかり有名になったレッド・フォース号の名は、貨物船のみならず客船においても、恐れとともにその名を囁かれているそうだ――と、“伝書鳩”からは聞いている。

 某海賊漫画の赤髪の海賊の船と同じ名を聞けば、“ガルマ”のことだ、こちらの手のものと了解して近づくだろう。

 そして、その船長の顔を見れば、からくりに気づくに違いない。

 宇宙へ上がれば回収できるのだ――宇宙へ上がってさえくれば。

「――わかったわ」

 キシリアは、遂に云った。

「お前がガルマを信じているのね。――わかったわ、父上には、気をしっかりお持ち戴くよう、私から伝える。ガルマは必ず帰ってくる、お前がそう信じていると」

「そうしてくれ」

 どうにも、“父”とはしっくりこない。こちらが何か云っても、聞く耳を持たぬ風なのだ。それならば、まだしもキシリアの方が、相性は良いだろう――原作でそうであったように。

 同じくそれを思ったのか、キシリアはくすりと笑いをこぼした。

「本当に、お前と父上はうまくかみ合わないのね、ギレン。噂に聞く議会での話では、父上すら手玉に取るのじゃないかと思ったのだけれど」

「――何の話だ」

 まさかと思うが、例のゴシップ記事でも読んだのではあるまいな。

「部下や同僚でまわりを固めていると聞いたわよ。それも、癖のある男ばかり。最近では、ゲイセクシュアルの噂も立っているわよ」

 悪いことに、お前が重用している二人が二人とも、独り身で浮いた噂もないじゃないの、と云う。

「――デラーズは知らんが、タチ・オハラには想う女がある。絶対に結ばれない相手だから、他を選ぶ気はないのだろうさ」

 “伝書鳩”のトップとして、そこそこの地位――タチは、先日少佐に昇進している――と金はあるから、それなりに相手は選べそうなのだが、ランバ・ラル夫人に捧げた心を他にやる気はないらしい。

「それで、お前自身はどうなの」

「あげつらうな、結婚は二度とごめんだ」

 自分がシャア・アズナブルと婚約したからと云って、その言動はどうかと思う。

「そんなに懲りたというわけ?」

「ザビ家の権勢に惹かれただけの女が多過ぎるのでな。既に一度失敗しているのだ、二度、三度と繰り返しては、いずれ青髭扱いされることになるかも知れん」

 妻を何人も殺した、童話の中の怪物のように。

 が、キシリアには通じなかったようだった。

「お前には髭などないじゃないの」

 確かに、髭どころか眉すらない。

「――童話のはなしだ。知らないか」

「童話など読んだ憶えがないわね」

 なるほど、才気煥発なザビ家の娘に相応しい、が。

「むしろ、お前がそれを読んだことがある、と云うことが驚きだわ。ザビ家きっての天才も、意外に可愛らしいところがあったのかしら」

「よせ」

 云うと、“妹”はふふんと笑った。

「父上に関しては、時間を稼いでやろう。お前の部下が、一刻も早くガルマを見つけることを願っている」

「あぁ。――シャア・アズナブルにも、宜しく伝えてくれ」

 と云うと、キシリアの顔が赤くなった。

「……伝えておく」

 そう云って、踵を返す。

 それを見送って、伸びをひとつ。

 ――さて、ドレンは、無事に“ガルマ”を拾えるか。

 流石に、旅行者な何かの中に紛れた“ガルマ”を、恐らく直接対面したことのないドレンが見分けることはできないだろう。

 つまり、“ガルマ”がドレンを、あるいはレッド・フォース号の名を伝え聞いて、“ガルマ”の方から接近しなくては、回収しようがないと云うことだ。

 ドレン、あるいは配下の士卒のいずれかが地球に降りたとすれば、どうも訛りか何かでムンゾの人間とバレてしまうらしい。そうなっては、そのものはあっと云う間に捕まって、ジーン・コリニーたちの一件が、ムンゾやザビ家の陰謀にされてしまう。

 もちろん、“ガルマ”のことを考えれば、あながち冤罪であるとも云い難いのだが――せっかく稼いだ時を無にしないためには、“ガルマ”の回収は、慎重の上にも慎重を期さねばならなかった。

 大体、まともな恰好をしているとも思われない“ガルマ”――連邦の目をかいくぐろうと云うのだから、“ガルマ・ザビ”とひと目でわかるようにはしていないはずだ――を、ドレンにどう見分けさせる?

 “ガルマ”のいつもの言動を考えれば、

 ――“シャンクス”!

 レッド・フォース号と云えば、の赤髪の海賊の名を叫びそうではある。何しろ“鉄華団よ、私は帰ってきた!!”だ。

 それならば、ドレンには、“シャンクス”と云う言葉を発して近づいてきたものを、“ガルマ”であると認識させるしかない。

 まぁ、“シャンクス”と云う名前自体はないでもない可能性はあるが、それと“レッド・フォース号”を結びつけるものは他にないだろうから、それで良いような気がしてきた。

 ――よし。

 早速、暗号通信で、ドレン少尉に伝えてやる。“シャンクス”と云う言葉を発しながらレッド・フォース号に近づくものが“ガルマ”であるから、回収するように、と。

 受け取ったドレンは、“シャンクス”の意味に首をひねるかも知れないが、気になるなら、回収した“ガルマ”に訊くだろうし。

 ――とりあえず、打てる手は打った。

 あとは、“ガルマ”が無事に地球を出てこれるかだ。そして、それがすぐであるのか、ひと月、ふた月後であるのか。

 場合によっては、ムンゾ国内をまた反連邦の嵐が吹き荒れることになる。それだけは、どうあっても回避せねばならぬ。

 ――とっとと帰ってこい。

 窓の外遙かに、かすかに見えるズムシティの“外構”を、その向こうを思いながら、呪詛のようにそう念じた。

 

 

 

 子どもたちは、葬式のような空気に沈んでいた。

「ギレンさん、ガルマ、ガルマは……」

 ミルシュカは、両目いっぱいに涙を溜めて、それ以上は言葉が出てこないようだった。

 それを宥めるように撫でるゾルタンも、アムロも沈鬱な表情をしている。

 カイ・シデンは、忙しいのか、あるいは子どもたちの気持ちを考えると訪問し難いのか、今日は姿が見えなかった。

「“ガルマ”は大丈夫だ」

 そう云うと、

「でも……」

 不安げに云ったのは、アムロだった。

「地球は遠いよ……確かめに行きたくても行けないし……」

「オレたちが大人だったらな! 地球にでもどこでも飛んでって、ガルマを助けるのに!」

 ゾルタンも、悔しそうに云う。

 その頭を、くしゃくしゃと撫でる。

「大丈夫だ。“ガルマ”は今ごろ、どうやってムンゾに帰ってくるかの算段をしているさ」

「どうしてそんな風に考えられるのさ。ガルマと一緒にいた人たちは死んだんでしょ!?」

 次の年度には中学に入ることになるアムロは、少しばかり物ごとに対して懐疑的になった。それは、もっと懐疑的な友人・カイ・シデンの薫陶によるものなのかも知れなかったが。

 こうして、子どもは少年に、少年は大人になっていくのだな、と感慨深く思うが、当の本人は、それどころではないようだった。

「ギレンさんが、どうしてそう平気な顔をしてられるのか、僕にはわからないよ」

 沈鬱に云って、顔を背ける。

「信じているからだ」

「信じる?」

 声が、不穏に跳ね上がる。

「何を信じるの? カミサマが奇跡を起こしてくれること? それとも、アニメみたいなスーパーヒーローが、ガルマを助けてくれるってこと?」

「“ガルマ”自身の悪辣さをだ」

 そう云うと、三人はきょとんと目を丸くして――やがて、アムロが吹き出した。

「何だそれ! 確かにギレンさんらしいけど!」

「アニキの云うことじゃねぇ!!」

「ギレンさんひどい!!」

 ミルシュカだけは、本気で怒っているけれど、他の二人は笑い出した。

 それに、しれっとして続けてやる。

「本当の話だろう。あれが、そうそうやられてしまうものか。見ているがいい、いずれ、しれっと帰ってくるに決まっている」

「そんなこと云うの、ギレンさんだけだよ!」

「ホントにひでぇ!」

「いやいや、私の部下たちも、そう云っているぞ」

「そりゃ、ギレンさんの部下だからでしょ!」

「だが、もう迎えは出している」

 そう云うと、子どもたちは、はっとした顔になった。

「連邦にバレると拙いからな、内緒にしてくれ。――今、“ガルマ”を迎えに、部下が地球に向かっている。流石に、地上に降りることはできないが、“ガルマ”が宇宙に上がってきたら、きちんと回収できるのだ。だから、しばらくおとなしく待ちなさい」

「……内緒なの?」

 まだ目の赤いミルシュカが訊く。

「バレて、そこで連邦に捕まることになったら拙いだろう?」

 云うと、こくりと頷きがかえった、

「捕まったら、大変なことになっちゃうものね」

「そうだ。だから、迎えがちゃんと“ガルマ”を回収して戻ってくるまでは、誰にも云ってはいけない。どこに耳があるかわからないからな」

「……わかった」

「それにきっと、“ガルマ”に本当に何かあれば、お前たちにはそれがわかるはずだ」

 その言葉には、少年二人がはっとした顔になる。

「――どうしてそう思うのさ」

 用心深くアムロが問う。

「お前たちが“わかる”のだと云うことを、私が知っている、それだけのことさ」

 “ガルマ”は“なんちゃってニュータイプ”だが、この子どもたちは本物だ。稀代のニュータイプ、アムロ・レイと、“赤い彗星のなり損ない”と呼ばれた男、ゾルタン・アッカネン。

 ニュータイプの感能力は、時間と距離を超越するのだと云う。それならば、この子たちが気にする“ガルマ”の安否を感じ取ることも、不可能ではないはずだ。

「お前たちが、不安を感じているだけで、何かが欠けたり、失われたような気がしないのなら、“ガルマ”は平気だ。だから、その間は、あれが無事に回収されるようにお祈りでもしておきなさい」

「お祈りが、何の役に立つんだよ!」

 ゾルタンが、拗ねたように云う。

「立つさ。お祈りすれば、気持ちが落ち着く」

 祈るためには、ある程度の落ち着きが必要だ。ただ闇雲に願いを叫ぶのではなく、静かな気持ちで祈ること。恐慌状態では、本当の意味で祈ることなどできはしない。

「帰ってきて、お前たちがあまり酷い状態だと、“ガルマ”が悲しむだろう。だから、信じて、おとなしくして待ちなさい」

「うん」

「はい」

「そうする」

 三人は頷き――でも、とアムロが続けた。

「帰ってきて、僕らが落ち着いてても、ガルマは騒ぐと思うけどな」

 ひどい! とか云って、との言葉に、残りの二人も吹き出した。

「云うな!」 

「云いそう!」

「……まぁ、云うだろうな」

 元々でも、“構え〜”だの“褒めろ〜”だの云っていた“ガルマ”である。それなりの艱難辛苦を乗り越えて帰ってきて、子どもたちが落ち着いた顔をしていたら、それはそれで文句を云うに決まっている。

「その文句を云う顔を想像してみろ。ちょっと笑えるだろう?」

「うん」

「笑えるな!」

「笑っちゃだめだけど――」

 と云いながら、ミルシュカも小さく笑っている。

 ひとしきり笑って、

「――キャスバル、大丈夫かな……」

 アムロが遠い目をした。

「気になることがあるのか」

「……別に、話したわけじゃないんだけど」

 と、もうバレていると思ったのか、ちらりとこちらを見る。

「何だか、トゲトゲしてるみたいなんだよね――ガルマが行っちゃってからずっと」

 それは、ニュータイプとして、精神で触れ合った感触が、と云うことなのだろう。

「荒れていると云うことかな」

「荒れてるって云うか、閉じてる? こう、敵に囲まれてるお城の門みたいに、閉まって、誰も入れようとしてないみたい」

「お前もかね」

「う、ん……」

 またちらりとこちらを見る。

「ね、僕たち、研究所に連れていかれるの?」

 不安そうな顔。

「何故」

「だって……」

 と云いながら、ミルシュカを見、ゾルタンとまなざしを交わす。それで、ゾルタンはニュータイプとして覚醒しているが、ミルシュカは違うのだと云うことがわかった。

「他処に、いくつもりが?」

「そんなの! カイもいるし、ゾルタンやミルシュカもいるし、フロルだってくるし――いれるんなら、ずっとここがいいよ!」

「ならば、いれば良いだろう」

「――いいの?」

 アムロの声は、震えるようだった。

 ゾルタンがミルシュカを抱き寄せ、その力にか、ミルシュカが不安そうな顔になった。

 それに、肩をすくめてやる。

「私たちは、お前たちを“ガルマ”から預かっているのだ。あれがいないうちに、お前たちがどうにかなるようなことがあってみろ、帰ってきた“ガルマ”がどれほど暴れることか」

 下手をすると、この邸が崩壊する、と云えば、子どもたちはきょとんとして、その後で盛大に吹き出した。

「やだなぁ、ギレンさんてば大げさなんだから!」

「いくらガルマでも、それはないだろ!」

「ガルマ、怪獣みたいじゃない!」

 とは云うが、あながち誇張しているわけでもないと思う。

 子どもたちの意思で出ていったのならばまだしも、こちらが叩き出したとなれば、怪獣大戦争どころの騒ぎではなくなるのは間違いない。

 挙句、他の“弟妹”たちは、自分たちが賛成したり、あるいは見なかったことにしたりしたことを棚に上げ、こちらを批難してくるに決まっているのだ。

 こちらにひとつも利のないことを、どうしてわざわざしなくてはならないのか。

 例え“駒”として使うにしても、それならばなお一層、それまでの間は楽しく、心地良く過ごしてもらうのが一番だ。好意的に思えない相手から何かを頼まれたとして、返る利益もないのなら、どうしてそれを聞き届けねばならぬと思えよう。情も利もない相手に、骨を折りたいと思う人間などあるまい。

 まして、ニュータイプだからだけではなく、この子どもたちには、ある程度思い入れもあるのだし。

「アムロは、父君からも頼まれているしな。だから、お前たちが、もうここには我慢がならないと云うのでない限り、ずっといてくれて構わないのだぞ」

 子どもたちは顔を合わせ、やがてこくりと頷いた。

「わかった。僕たちはどこにもいきたくない。ガルマの帰りを、ここで待たせてくれる?」

「もちろんだ」

 こちらとしても、帰ってきた“ガルマ”と盛大な鬼ごっこ、などと云う事態は御免こうむる。こと腕力勝負において、“ガルマ”に勝てる要素もないのだし。

「今までどおり、ここはお前たちの“家”だ。まぁ、両親には誰もなれんが、家族のようなものなら充分いるだろう?」

 “ガルマ”やシャア、最近では、サスロやキシリアも、くる度に手土産を用意して、子どもたちに構っているようなのだし。

 云うと、子どもたちはこくりと頷いた。

「良い子た」

 と頭を撫でると、くすぐったそうな顔をした。もう、馬鹿なことは考えないだろう。

 が、アムロかふと表情を改め。小さく袖を引いてきた。

「ねぇ、ギレンさん、やっぱりキャスバルが心配だよ――僕たちにしてくれたみたいに、話をして、頭を撫でてもらえない?」

「――お前がそう云うのなら」

 ニュータイプ同士だからこそ、わかることもあるのだろう。

 確かに、ドズルからも、最近のキャスバルは孤立しがちだと云う話は聞かされている。シン・マツナガたちが、何くれとなく気を配っているそうなのだが、すっかり自分の殻にとじこもってしまっているようだ、と。

「オレからも、お願い!」

「わたしからも!」

 アッカネン兄妹も、口を揃える。

「ガルマと一緒に、いろいろしてくれてたから……」

「それに、アルテイシアも元気がないの。ガルマはいないし、キャスバル兄様も全然連絡もくれなくなったって……」

 なるほど、ミルシュカは、キャスバルと云うより、アルテイシアのことが心配なのか。

「わかった。――通信では云えないこともあるからな、今度、キャスバルに会いに行ってこよう」

 無論、士官学校に出向けば大騒ぎなので、どこかの宙域で待ち合わせることになるだろうが。

「お願い、ギレンさん」

「頼むぜ!」

「キャスバルに、僕らも心配してるって、伝えておいて」

「わかった」

 そう云って頷くと、子どもたちは、ハグをねだるように身を寄せてきた。

 それを抱き寄せてやりながら、ドズルに連絡を入れなければならないなと考えた。

 

 

 

 どうも、ほとほと手を焼いていたらしい。

 連絡を入れると、ドズルはふたつ返事でお膳立てしてくれた。

 ガーディアンバンチから少し離れた宙域に、自分の旗艦を出して、そこにキャスバルを呼び寄せる。

 やってきたキャスバルは、ひどく硬い顔をしていた。

「お呼びと伺いました、ギレン閣下」

 その口ききも、硬い。以前、覚悟を決めろと呼び出した時とは、別人のようだ。

「――なかなか、尖っているようだな」

 苦笑交じりに云うが、返るのは沈黙ばかりである。

「“ガルマ”のことが気がかりで身が入らんのかな」

 そう云うと、強いまなざしで睨み返された。

「あなたは、“ガルマ”が行方不明でも平気なんですか!」

「逆に訊くが、お前は、あれがそう簡単にやられると思っているのか?」

「敵しかいない場所に、独りで送り出して――その挙句の言葉がそれですか!」

「指揮官であるとは、そう云うことだろう」

「……ッ! 僕は……」

「そんな風にはなりたくない、か? だが、戦争とは、こう云うものだ」

 どれだけ手放し難い部下であっても、戦地に送り出さねばならない。戻らなかった部下、戻ってはきたがそのまま生命を落とした部下も大勢いた。負け戦とわかっていながら、送り出さねばならなかったことも。

「まぁそれに、あれが戻ることを信じているからこそ、送り出したところもある。お前も、あれが帰ってくると信じて待てば良い」

「あれだけの人間が死傷したのに、ですか!」

 確かに――ジーン・コリニー、バスク・オム、グリーン・ワイアット、ジャミトフ・ハイマン。主だった人物だけでも、これだけが死傷した。その中で、“ガルマ”ひとりが生き延びられようはずはない――そう思っても仕方ないところではある。

 だがしかし、

「お前は知るべくもないが、あれはかつて“悪魔”と呼ばれたこともあるのだ」

 “鉄華団の悪魔”。あるいは、もっと“昔”には、さらに違う恐ろしい名でも。

「だから、何です」

「“ガルマ”を信じろ。あれの悪辣さ、えげつなさをでもいい」

 かれこれ十年近くをともに過ごしてきているのだ、“ガルマ”がどんな人間か、二番目によくわかっているのはキャスバルであるはずだ。

 にも拘らず、こうして他を弾くほどに荒れると云うのは、正直に云えば良いことではない。

「――キャスバル」

 変わらずそっぽを向くようなキャスバルに、声をかける。

「私は前に云ったはずだな? 上に立つ覚悟を――友を、同胞を、戦場に送り出す覚悟を持てと。今が、その時なのではないのか?」

 きっと青いまなざしが睨みつけてくる。

「云ったはずだ、独りであることになれろ、とも。今はまさにその時であるはずだ――それなのに、お前のその体たらくはどうだ?」

 道化じみた風に、両手を広げてやる。

「“ガルマ”ひとりが戻らぬだけで、他にあたり散らすようではないか。それでお前は、スペースノイドどころか、小隊ひとつも御せるとでも?」

「……あなたは! 大事な人間を持たないのか! だから、何があっても平然としていられるのか!」

「云わなかったか、個々人よりも、私が重んじるべきはムンゾそのものだ」

 その答えに、キャスバルは、叫び出したいような顔をした。

 その隙を与えず、言葉を続ける。

「どうあっても、人間はひとりであるし、真にわかり合うこともない。だが、少なくとも国は、国民はそこにあって、われわれの手を待っている。それを手あてすることも、上に立つものに課せられた責務だ」

「それで良いんですかあなたは!!」

 キャスバルの手が、コンソールを激しく叩いた。

 それて良いのか。

 そう云われても、

「良いも悪いも、どうせわれわれは、死ぬときは独りだろう」

 友や伴侶がいつまでもともにあるなど、幻想でしかない。人間は独りで死ぬし、生きていても容易く独りになる。“昔”には、腹心たちを皆失って、独りで戦い続けたこともあるし、目の前で盟友の生命を断たれたこともある。

 人間は独りだ。そこから発しなければ、何もはじまりはしないのだ。

「“ガルマ”に云われたのではないか、仲間を作れと」

 薄暗いまなざしが、こちらを見る。

「言葉を変えて云おうか。腹心を作れ。それも、幾人もだ。“ガルマ”ひとりに寄りかかるのではなく、例え“ガルマ”を失ったとしても、そこを埋めてくれるものたちを」

 ばちんと音がして、左頬が熱くなった。

 キャスバルが平手打ちにしてきたのだ――歯を食いしばって、頬を紅潮させて。

「そんな、ことを!!」

「その覚悟なしに、お前は、誰かを戦場へ送り出せるのか」

 くり返して、云う。

「“ガルマ”にその覚悟があったことを、お前はよく知っていたのではないか? にも拘らず、お前の方は、この半年ですら、何の覚悟もできなかったと云うのだな」

 甘いことだ、と云うと、また強く睨みつけられる。

 だが、他に何と云えばいいのだ。

 キャスバルは強くならねばならないのだ。

「ひとは、いずれ、独りで死ぬ。お前のまわりの人間とても例外ではない。あるいは私や父やドズルにしても、何か不慮の事故で明日にも死ぬかも知れんのだ。そうしたなら、お前は一体どうする?」

 その双肩に、突然ムンゾの何分の一かを担うことになったなら。

「泣き言を云っている暇などなくなるぞ。その時にお前の力になる人間を、少しでも固めておけと云うのだ。私やドズルの部下が、お前に使われてくれるとは限らんのだからな」

「……あなたは、そうして誰を失っても良いようにしているのだと?」

 その問いかけは、先刻までの声とは少し違う響きを帯びていた。

「誰を失っても“良い”わけではない」

 軽く肩をすくめる。

「だが、失う可能性を零にできるわけではないのだ。その時に、何も残らぬではやっていけん。ダメージを最低限にすることを考えているだけのことだ」

 現実には、誰かの穴を完全に埋め得る別の誰かなど、存在するはずもない。

 だがそれでも、似た欠片を集めて、集めて、そうやって生きていかねばならぬものなのだ。

 だからこそ、人をたくさん置かねばならぬ――“ガルマ”でなくとも、タチやデラーズでも、完全に取って代われる人間などないのだ。そのことを、自覚して、それでも欠片を集めなければ。

 キャスバルは沈黙した。先刻までの尖った沈黙ではない、強いて云うなら、どこか悲哀や、憐愍のような気配を含んだ沈黙だった。

「……あなたには、心を預ける相手はいないのですか」

「いるさ。敢えて云うなら、“ガルマ”だな」

 いつも同じ方を向いているわけではないし、お互いの手法に文句もある。それでも、もっとも近くにいて、ともに何かをなしてきたものと云えば、“ガルマ”をおいて他にはなかった。

「だが、心を預ける相手が、永遠に傍近くにあるわけではない。私は単に、それを良く知っているだけのことだ」

 病か、事故か、あるいは事件か戦争か。人生に別れは必ずくる。幾度もくり返した“人生”の中、運良く最期までともにあれたのは、片手の指にも満たぬほどでしかなかった。

 別れはくる。死別でも、離別でも、あるいは決裂でも。それを知るからこそ、多くの人間と触れ合うべきだと思うのだ。

「“ガルマ”がいなくなって動けなくなる、では話にならん。お前は、もう少し同世代の友人を作るべきだ。お前にとって、“ガルマ”が“特別”なのは仕方ないが、それだけでは士官学校に行った意味はないぞ。友人を、腹心を作れ。それが、これからのお前の力になる」

「――あなたが意外に普通の方で、安心しました」

 キャスバルのもの云いに、思わず片眉が上がる。

「私は普通の人間だよ」

 ギレン・ザビのように卓越した頭脳があるわけではない。ギレン・ザビと同じように振るまえているとすれば、そこにそう見せるための取捨選択があるからだ。

 ギレン・ザビは非情な男でなければならないし、情愛に左右されるようなことがあってはならぬ。

 本物のギレン・ザビは、情に流されるところはないが、こちらはその欠片も見せぬようにせねばならぬ。その差は、恐らく判断速度に表れてきていることだろう。

 だがまぁ、人の上に立つからには、情をまったく理解しないではいられない。要は、バランスなのだ。情と知のぎりぎりのところで、敢えて知の方に振ってやること。情が絡んでしまえば、人事などぐだぐだになってしまう。それを回避するためには、適度な非情さは必要なのだ。

「私は普通の人間だ。単に、非情になるべき時にそうなれる、と云うだけのことだ。――お前には孤独が必要だと、かつて私は云ったが、訂正しよう。今のお前に必要なのは、同輩ときちんと交わることだ」

 祀り上げられ、神輿の上にただ乗るのではなく、きちんと他人と向き合って、仲間として行動することだ。

 それがあれば、『Z』や『逆シャア』などでシャア・アズナブル=キャスバルの見せた、誰かとの心の交流を拒むかのような描写も、その後の悲劇的な結末も、すべて回避できるのではないかと思うのだ。

「お前は、ただの十八歳の若者として、キャスバル・レム・ダイクンとしてではなく“シャア・アズナブル”として、同級生と過ごすべきだ。その上で、独りであることを選び取れ。さもなくば、お前は、ジオンの後継としてムンゾの頂点に立つ前に、自ら潰れていくことになるだろう」

「……学校では、僕はもう、キャスバル・レム・ダイクンだとバレていますが」

「――なるほど?」

 “ガルマ”との会話が切欠なのか、あるいはムンゾ大学立て籠もり事件のせいなのか。

 ともあれ、シン・マツナガがいる以上、いつまでも騙し切れるものではないだろうから、保った方だと考えるべきか。

 どちらにしても、

「それならばそれで、丁度良いではないか。今、お前のまわりにいる人間は、お前がキャスバル・レム・ダイクンだと知ってなお、それまでどおりに振るまってくれるものばかり、と云うことだろう?」

「……そう……なのでしょうか……」

 と云う様子は、半信半疑のようだ。

「あまり疑うものじゃない。まぁ、気持ちはわからぬでもないが。――もちろん、その疑念は間違っているわけではないが、あとはお前の勘を信じることだ。お前が信頼できると思う相手は、多分お前のことを信頼しているはずだ」

 不思議なことに、こちらが相手を嫌えば向こうも嫌い、こちらが好ましく思えば向こうも好意を抱いてくれるものだ。恋愛云々はまた違うかも知れないが、友人関係の好悪と云うのは、割合通じ合っていることが多いものだ。

 そして、よほど愚かであるか、あるいは現実から目を背けるのでない限り、何らかの意図を持って近づいてくるものは、そのにおいのようなものが嗅ぎ取れるものなのだ。

 だから、

「――そう云う相手を見極めて、友情を育め。今のお前に大切なのは、そんなことだ。……今のお前を心配しているものが、お前の力になってくれるだろう」

 そう云うと、キャスバルは少しばかり首を傾げ、やがてこくりと頷いた。

「心あたりはなくもありません」

 そう云いながら思い浮かべるのは、シン・マツナガか、リノ・フェルナンデスか、あるいはもっと別の誰かなのか。

「――キャスバル」

 立ち上がって、その目の前に立つ。

 見上げてくる、その目線はまだ低い。『逆シャア』では180cmになっていた男も、まだこの時は175cmがいいところだ。つまり、こちらよりも15cmも低い。

 何となく、まだ子どもだと思ってしまうのは、その身長差のせいだろうか。

 子どものままでいてはならぬと云いながら、いつまでも小さいままだと思ってしまうのも。

 その、まだ成長途中の身体を抱きしめる。

「信じろ。“ガルマ”は無事だ。もう、地球の近くまで迎えを出している。あれは間違いなく帰ってくる――その時に、お前の方がそんなでどうするのだ」

 キャスバルは一瞬硬直し、やがてゆるゆると、こちらの袖を掴んできた。

 顔を埋めるようにする、その息遣いが乱れている。

 泣くに泣けなかったのか、と思うとともに、原作軸よりも弱さを見せる姿に、安堵もする。

「独りで気を張るばかりでは消耗する。少しはまわりを頼るといい」

 例え、能力的にはその必要がなかったとしても。

「頼ることで、まわりもお前を信頼する。そうやって、ひとのネットワークを作れ。――“ガルマ”がいつもやっているだろう」

「……ガルマのは、少し違います」

 子どものように反論してくる。

 それならそれでいい。

「どちらでも構わんさ。誰かと繋がれ。“ガルマ”やアムロたちのようにではなくとも、そうすれば、心は伝わるのがわかるはずだ」

 考えることが筒抜けになっていなくとも、信じることができる人間は確かにある。

 そのことを、もっと知ってほしいと思った。

 キャスバルは何も云わなかったが、袖を掴むその手の力が、答えを返しているように思われた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 24【転生】

 

 

 

 彗星と流星と白鳥。

 この世界で、一番美しいとおれが思っている存在のひとり。

 その白鳥が目の前にいた。

 痛みより衝撃が、衝撃より感動が勝った。

 二つに分けて緩く結われた黒髪は、黒絹なんて目じゃなかった。

 浅黒い肌は瑞々しくきめ細やかで、小さな唇はふっくらと桜桃の色。

 長い睫毛。いつか見たクロアチアの美しい湖より、なおも澄みきった新緑の瞳が大きく見開かれている。

 その水面に沈んでる光はなんだろう。

 神秘的って言葉は、彼女の為にあるのかも知れない。

 ただ、ただ綺麗だと見惚れる。

 朝焼けの丘で空を眺めるみたいに、降るほどの星空に酔うみたいに。

 湧き上がるありきたりな賛美に絶望しそうになるほど、ララァ・スンは綺麗だった。

 地べたに座り込んだままポカンと見上げてるおれは、さぞかし間抜けに映るだろうさ。

 少女の細い指みたいな繊細な思考波が、そろそろと突付いてくるのを、呆然としてされるがままでいれば。

「『……あなたは誰? わたしのことを“読んだ”の?』」

 めちゃめちゃ不信感に満ちた声だった。

 しまった。名乗られる前に、名前を呼んじゃったからか。それとも突然、思考波が繋がったからか――多分、両方だ。

「『ごめんよ! わざとじゃないんだ。誰もいないと思ってたから……読んだわけじゃないけど、ほんとにごめん!!』」

 いきなり意識にズカズカ入られたんじゃ、そりゃ怒るし、嫌な感じだよね。

 心底から謝る。

 どうしよう、これ、土下座案件かな。

 さっきの激烈な反応だって、びっくりして弾いただけかも知れないし。

 こちらからは触れずに、“意識”だけを開く。敵意も害意も何もないことを示すために。

「『おれは……ええと、名乗るのは後でもいいかな? 訳ありなんだ。だけど君に偽名は名乗りたくない』」

 上目遣いに伺う。

 ララァ嬢は、ツンと顎をそらして、それから肩をすくめて頷いてくれた。

「『だったら、これはなに? 耳だけじゃなくて、あなたの“声”が聞こえてる』」

「『“思考波”。研究所ではサイコウェーブって呼んでる。ニュータイプの意思疎通の手段だよ』」

「『……ニュータイプ? スペースノイドたちのお伽噺って聞いてたわ』」

『どうだろう? でも、君とおれはこうしてお喋りしてる』

 声を出さずに、思考波だけを投げても、ララァ嬢はちゃんとキャッチしてくれた。

『変な感じね』

『慣れると楽だよ』

『……そうかも』

 ここじゃ嘘はつけないのね、なんて、どこか安心した様子に、いつかのキャスバルを思い出した。

 出逢いの衝撃からなんとか回復して、ふたりで桟橋に腰掛けて海を眺める。

 ララァ嬢が、小さくて華奢な足をぶらぶらさせているのが可愛らしかった。

『あなたは“ソラ”から来たの?』

 少しの沈黙のあとに、少女が尋ねてくる。

 思考波でつついてたときに、おれが零した記憶を拾ったんだろう。

『そう。だから、“ソラ”に帰るんだ』

『……そこには綺麗なものがいっぱいるのね』

 羨まし気な声色だった。

 長い睫毛が、新緑のきらめきを少し翳らせる。

『帰ろう。君も一緒に』

 ポロリと転がり落ちた言葉に、ララァ嬢はパチリと目を瞬いておれを見た。

 星が瞬くみたいな光が一瞬灯って、すぐに消えた。

 華奢な首が振られる――横に。

『……行けないわ。家族がいるの。お金を送ってあげないと』

 細い指が、一枚の写真を取り出して見せてくれた。大家族の――だけど、そこに写ってるはずの少女は、いまよりもずっと幼い姿でしかなかった。

 それはいつの写真?

 どれだけの時間会えてないの?

 たったひとりで引き離された彼女を、どうして取り戻そうともしない――。

 刹那に浮かんだ、怒りみたいな疑念は噛み殺したけど、鋭すぎる感性はそれすらも捉えたんだろう。

 達観した大人みたいな顔で、ララァ嬢は微笑った。少女が浮かべるにはそぐわない笑みだった。

『遠くにいれば優しいもの』

 溜息みたいな声に、腹の底で“獣”が唸った。

 よく見れば、幼さの残る頬には少しの腫れがあった。

 独りぼっちの少女を誰かが叩いたのか。

 今度の怒りは隠せそうもなかった。

 ギリと奥歯が鳴って、ララァ嬢は驚いたように身じろぎしたけど、逃げる様子は見せなかった。

 そう言えば、いつか見たスクリーンの中の彼女の頬も腫れていた。

 カジノで、その能力が見破られて、賭けに勝てなかった翌日――物語の中で、キャスバルが……“シャア・アズナブル”が彼女を連れて逃げた日。

 そうして、赤い彗星とその運命の少女の物語は始まったんだ。

 だったら、いま、おれが君を連れて逃げたっていいだろ?

 君を運命の元へ――キャスバルとアムロの隣へ連れて行こう。

『ねぇ、もっと遠くに行こう』

 手を伸ばして、少女の手首を掴んだ。それは折れそうなほど細くて、少し哀しくなる。

『おれは悪党なんだ。だから――君を攫うよ』

 ごめんよ。

 出会ったからには、連れてく以外の選択肢は無いんだ。

 ニコリと嗤う。

 行こう。彗星と流星が、みんなが、君を待ってる。

 

 

 爆発は、おれが少女を立たせたのとほぼ同時だった。

 桟橋から少し先に浮かんでいた船が、火柱を上げて吹っ飛んだ。

 見る前に船体が沈んでいく。

『……ッ!?』

 ララァ嬢が叫んだのは雇い主だったギャンブラーの名前か。

 続いて1艘の船が桟橋の方に突っ込んでくるのを認めて、咄嗟に少女の手を掴んで駆け出した。

 こんなところで、物語と同じ展開になるとか。

 アレだろ。あいつら彼女を狙ったギャングどもだろう。

 捕まるわけにはいかない。

 マリーナから一足でショッピングモールへ。ここを抜け大通りへ出たと偽装しつつ、そこからは裏道に逸れた。

 狭い隘路。ここからは全力で行くよ。少女の脚ではついてこれないだろうから。

「『ごめんよ!』」

「『きゃぁッ!?』」

 ララァ嬢を担ぎあげた。

 荷物扱いで申し訳なく。キャスバルなら華麗にお姫さま抱っこが出来たんだろうけど。

『舌噛まないでね!』

 ドンっと、一度背中を叩かれたのは少女からの返事か抗議か――イタタ。多分、後者だろう。後で叱られるから赦しておくれよ。

 雑然とした路地は、このリゾート地の裏側の世界だ。

 とは言え、スラムほどじゃない。富裕層のおこぼれを頂戴して、逞しく活きる界隈。

 グネグネと曲がり道分かれ道行き止まり、迷路でメイズでラビリンスだった。

 だけど、おれにとっちゃここは“庭”だ。

「マーサさんスンマセンお邪魔します!!」

「まーたなんかやらかしたんかい、坊」

 洗濯干してる恰幅のいいご婦人の横を駆け抜け、勝手口からお邪魔して窓から抜け――隣の家の窓から侵入。

「いい天気だねリベラ爺さん!」

「またお前かイカサマ小僧……」

 今度は玄関を出て向かいの家へ。

「あっ! 兄ちゃん駆け落ちか!?」

「相変わらずマセてんな、ニコ。むしろ略奪だよ」

「こら! おかしなこと教えんじゃないよ!」

「ジェンナ、ごめんよー」

「ほら、裏から出な」 

「ありがと!」

 なんて。

 家を突っ切り庭を駆け抜け窓を抜け。走る走る。

 そしてたどり着いたのは、安宿の裏口だった。

 軋んだ音を立てる扉から汗だくになって駆け込むと、そこには大家たるジネヴラが。

「ちょっと、マーサから知らせが来たけど。あんた女の子攫ったとか駆け落ちしたって……ホントなんだね!?」

 恐るべし下町ネットワーク。おれがたどり着く前に、既に情報が回ってたよ。

「まぁまぁまぁまぁ! そんな美人さん担ぎ上げて、あんた一体何してきたんだい!?」

 なんてジネヴラが、歓声だか悲鳴だか、おれに対する怒声だかを上げながらヅカヅカ近づいてきた。

 腕まくりが不穏である。

 そろそろ五十になるっていうけど、とてもそうは見えない。若々しくて騒々しい赤毛のご婦人だ。

「『……おろして』」

 そして担ぎ上げてた美少女からは、静かだけど明らかな怒声と、再び背中に一打が。イタタ。

「『ごめんよ。手荒にするつもりは無かったんだけど、捕まるわけにはいかんし。奴等の方が100倍手荒だと思うから許して?』」

「『反省の色がないわ』」

「ほんとにね!」

 ジネヴラまでが深々と頷いてるし。

 ええ〜。孤立無援?

 よっこらせとララァ嬢をおろせば、ツンと顎を上げて睥睨された。見上げられてるのに、見下されてる感じのする不思議である。

「奴等ってなんだい? 厄介事の臭いがするね」

 おれたちを見比べながら、ジネヴラが鼻の頭に皺を寄せた。

 面倒な事はゴメンだと手を振るのに、90度で腰を折る。

「まことに申し訳ございません。マダム・ジネヴラ。おれ達、ギャングから逃げてます」

 ララァ嬢が不安そうに身を震わせた。

 だよね。怖いよね。さっきも船の爆発を見たし。

 あれ、船上の人間は全滅だったろうさ。

「はぁあああッ!??」

 大音声だった。

 ジネヴラが目を剥くのに、眉を下げて笑いかける。

「だから、すぐに出て行くよ。今日までの家賃もいま払うし」

 だから通報だけはしないでおくれよね、なんておどけて見せると、女傑は険しい顔のまま仁王立ちになった。

「バカにすんじゃないよ! 誰か店子を売るもんかい!! あんたら隠すことくらい訳ないんだからね!」

 おお。肝っ玉母さんのイメージそのままだね。

「うん。信じてないわけじゃない。でもさ、おれたちがここに居たら危ないでしょ? ジネヴラだって、他のコ達だってさ」

 ここの宿は素泊まりの客も居るけど、アパート代わりに使う夜の女たちも多かったし、おれみたいな流れ者の仮初の住まいにもなっていた。

 この短い間でも、常連はみな顔馴染みだ。彼女たちに危機が及ぶのは本意じゃない。

 なにより、懐の深いジネヴラに、これ以上の迷惑はかけたくなかった。

 もともと、そろそろ出て行くつもりだったんだし、それが数日早まったってだけのこと。

 想定してた流れとは違うから、修正は必要だけど。

「おれがこの子を連れて逃げてたってこと、おしゃべりな連中の口にはとっくにのぼってるよ。ここが割れるのだって時間の問題でしょ」

 おっかない奴らが駆けつけてくる前に、消えなくちゃ。

 ジネヴラにもそれは分かってるはずだ。

「……大体、ここを出てどこに行こうって言うんだい? 危ないやつらを怒らせただなんて、派手なイカサマでもしたのかい? あんたらしくもない。なんなら私が顔役に口を聞いてやったっていい」

 それでもなお、おれを庇おうとするジネヴラの手をギュっと握った。

 荒れてざらついてるそれは、だけどとても温かい。

「ありがと……ジネヴラ。短い間だったけど、おれ、ここに居れて楽しかったよ。あなたも、みんなも優しかった」

 それからそっと手を離す。

 ジネヴラは顔を顰めて、少し潤んだ目を瞬かせてた。

「本当に出てくのかい。行く宛は?」

「うん……郷に帰ろっかなって。彼女連れてさ」

「――……そうかい。ならもう止めないけど、戻ってくんならいつでもおいで」

 何度も何度も、いつでも戻っていいんだって繰り返す女の頬にキスを贈って、背中を向ける。

 ただ黙っておれ達のやり取りを聞いてたララァ嬢の手を取り直して、間借りしている部屋に戻った。

 トイレのタンクを始め、部屋中に隠しといた金を掻き集めてカバンに突っ込む。

 ついでに体中に武器を装備して。

 ララァ嬢はその様子をじっと、睨むみたいに見てた。

『……あなた、誰なの?』

 二度目の問かけに、ニコリと笑い返した。

『君は、もう“読んでる”でしょ?』

 触れてくる思考波は、時々記憶をかすめていた。隠してる意味はもう無くなった。

『……ほんとに、ガルマ・ザビなの?』

『そ。“ガルマ・ザビ”だよ』

 両腕を大きく広げて、それから一礼。舞台の上の道化師みたいに。

 同時に“意識”を開放した。読みやすいように。おれが何者か、嘘の付けない方法で識らせてみせる。

『どうぞよしなに』

 パチリとウインク。

 途端に、少女は毛皮を逆立てた仔猫みたいになった。

『कॉन मैन! crook! grifter! ペテン師!!』

 ふぉ!?

 めちゃくちゃ罵られてるけど、なんで??

『心外! 本物だってば!!』

 偽者じゃないよ、ホンモノで本人だってば。

『じゃあ、あっちが偽者なの!?』

『どっちさ!?』

 おれに偽物とか影武者とかダミーとかはいなかった筈だ。

 混乱するおれに、ララァ嬢は『絶望した!』みたいな思考波と眼差しを向けてきた。

 えええぇ?? だからなんでさ???

『――……臙脂のドレスの女の子と踊ってた、あのひとは、だれ?』

 ああ、ミライ嬢とのダンスがニュースにでも流れてたのかな。

 新緑の瞳の中で、ゆらゆらと光が揺れている。

『おれ』

 正直に答えたのに。

「『 ちっとも貴公子じゃないじゃない!!』」

 平手が飛んできて、ちょっと泣けた。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 そう言えば、白鳥って意外に凶暴な生き物だっけ。

「『また失礼なこと考えてるでしょう』」

「『いいえ〜』」

「『嘘つき!』」

 ポカリと少女が叩いてくる。

 別に痛くないし、可愛いから良い。

 住まいにしてた宿を出て、予備の隠れ家に移ってみた。

 こっちは完全に物置。

 荷物置き場でしかないから、まともな寝具さえ無いんだよね。

 寛げなくてスマヌ。

 来る途中で飲み物と食べ物、簡単な調理器具、それからブランケットにクッションくらいは買ったけどさ。

 少しでも居心地を良くしようと、剥き出しのマットレスをブランケットとクッションで即席ソファに設えた。

 並んで座って、間にアレコレ物資を広げる。

「『オーシャンビューのレストランあたりでご馳走できれば良かったな……』」

「『いいわ。ケーキもキャンディもいっぱい買ってくれたもの』」

 いっぱいなんて言うけど、こんな小さな寝台にちらほら乗るばかりじゃないか。

 可愛らしくデコレーションされたケーキと、瓶の中でキラキラ光るキャンディやグミ。

 そんなものを宝物みたいに眺めてる姿に、やるせない気分になる。

『ねぇ、ガルマの“precious”を見せて』

 思考波がねだってくるから、意識を開く。

 記憶の中から、少女の好みそうな綺麗な光景を思い起こして投影する。

 例えば、ラル夫妻の結婚式。それから少女達が集うティーパーティーの可愛らしい賑わい。

 キャスバルの勇姿、アムロの、子供たちの朗らかな笑い顔。

 綺羅びやかな社交界――は、あんまり興味をそそられて無さそうだから、いっそのこと士官学校のアレコレとか。

 お。こっちのほうがお好みか。馬鹿騒ぎを見せるのは気恥ずかしいものがあるけど。

 ララァ嬢の望みのままに、記憶を好きにさせる。

 流石に凄惨なものとかは隠すけど――“ガルマ”としてのこれまでの時間の中じゃ、然程のものが無いのが幸い。

 少女がおれの世界を覗き込んでくれば、自然と彼女の記憶の断片もこっちに流れ込んできた。

 雑然とした部屋の中で、膝を抱えてる女の子の姿が過る。

 花もレースもフリルも、ケーキもキャンディの瓶も、女の子が好きそうなものはそこにはなかった。

 そこにいる人間は誰もが少女の能力を有り難がったが、同時に薄気味悪いと疎んじてもいた――ララァ・スンは人の心が読めたから。

 人間は自分と違う存在を怖がる生き物だ。

 たとえ血を分けた家族であっても、それは変わらない。

 だからこそ、彼女は家族のもとを離れることを選んだ。選ばざるを得なかったから。

 売られるように身を寄せた先は賭博師で、そこでの扱いも、あまり良いものじゃなかった。

 当てるのが当たり前。外れれば殴られる。

 手当は出るけど、それは少女の類まれな能力に見合うものじゃ決して無かった。

 ――爆死してなかったら、おれが喰い殺してたかもね。

 意識の底でそっと唸る。

 その間も、ララァ嬢は新緑の瞳を宝玉みたいに光らせて、夢中でおれの“記憶”に触れてた。

『……ここでなら、わたしは“ひとり”じゃないのね?』

『そう。“おんなじ”だ。君とおれみたいに』

 思考波でつながることができる。

 それは、おれたちの中では特別なことじゃない。当たり前にしてるコトだ。

 ララァ嬢は壊れそうな微笑みを浮かべた。

『……泣かないで』

『泣いてないわ』

 花びらみたいに繊細な意識が震えてるのを感じる。

『攫ってくよ』

 黒い髪に触れて、そっと撫でる。

 綺麗なものが好きなララァ嬢の為に、連れて帰ったら、その部屋を花でいっぱいに飾ろうか。

 いつかのアルテイシアみたいに、お姫様に憧れているらしき彼女に、お洒落も楽しんで貰えたら良い。

 その美しさに、キャスバルもアムロも、子供たちだって、きっと目を見張るだろう。

 “ギレン”も度肝を抜かれるかもね。

 思うだけで笑いがこみ上げた。

『なぁに? とっても悪い顔をしてるわ』

 少女の指先が、鼻の頭をつついてくる。

『おれは、“悪い魔法使い”で、“ネズミの馬”で、“カボチャの馬車”で、“トカゲの御者”なのさ』

 ニンマリと笑う。

『君を、悪役の城につれてく役にはピッタリだろ?』

 ガラスの靴なんか履いてなくとも、君は、きっとシンデレラより綺麗だよ。

 

 

 お菓子でお腹をいっぱいにした少女は、小さな子供みたいに満足げな顔で、スヤスヤと眠ってる。

 その横で、おれは今後の算段を始めた。

 当初の予定では、一人で帰るつもりだったから、偽造の身分証も、チケットもひとり分で済んだ。

 だけどここへきて、ララァ嬢と出会ったからには、なんとしてでも彼女を連れ帰らねばならない。

 さて、どうしたものか。

 脳裏でパズルのピースが明滅してる。

 いまからふたり分稼ぎ直してたんじゃ、期限に間に合わない。

 カジノで荒稼ぎするって手もあるけど、善からぬ連中に目をつけられている今は、危険すぎるし。

 おれ一人ならともかく、ララァ嬢を荒事には巻き込みたくない。

 今ある資金でどうにかするには……。

 ――……仕方ないなぁ。

 後で“ギレン”はともかく、タチから色々言われそうだけど、背に腹は代えられない。

 明日、宙空に行こう。

 木星行きのチケットなら格安だ。アッチはいつだった人手を欲してる。

 少々素性が怪しくたって、容易に潜り込める。

 だけど行き先が大幅に目的地とは異なるから、この辺は小細工が必要だ。

 頭の中でパズルを組み上げていく。

 中古のラップトップを開き、無線にタダ乗りして木星行きのチケットを2枚取ったら、封印してた回線を開く。

 “彼”がおれを覚えててくれればいいけど。

 用件を手短にまとめて、送信。

 それからできるだけ迂遠な措置をとって、やっぱり短い情報を“網”の中にあげておく。

 運が良ければ、ケイか“伝書鳩”が拾うだろ――いや、拾ってくださいよ、マジで。

 直接、ムンゾと連絡が取れりゃ良いんだけどさ。その辺は連邦だってずっと張ってるだろうし。

 ここで見つかるわけにはいかんのだ。

 眠ってる少女を見る。胎児みたいに丸まって、穏やかな寝息。

 かけらも警戒してないのが笑えるね。

 まるきし男扱いされてないんだろう――まあ無体する気はないし、それもわかってるんだろうから、ここまで気安くいられるんだろうけど。

 信頼がこそばゆくて、少しだけ気恥ずかしい。

 ――君を運命のもとへ連れて行くよ。

 ララァ・スンを目の前にした時、あの二人はどうなるんだろう。

 彼女の類まれな、ニュータイプとしての能力を目の当たりにした。

 おれなんかより、ずっと洗練されて優れた能力だった。

 今度こそ、この3人の輪の中に、おれは入れないだろう。

 それを思えば、寂しくないと言ったら嘘になる――けど、それ以上に。

 仲良くしてる姿が見たいんだ。

 それは素晴らしく美しい光景だろう。

 

 

 一夜開けて。

 ラップトップには一通の返事が。

 

   元気です。君も元気で。

   会える日を楽しみにしてます。

 

 たったそれだけの言葉に、文字通り飛び上がって歓声を上げた。

 そのせいで、寝ていたララァ嬢を叩き起こすことになったけど。

「『……まことに申し訳ございません』」

「『朝食にフレンチトーストが出てきたら許してあげる』」

 三つ指ついて許しを乞うたら、リクエストが返ってきて笑った。

 「『仰せのままに』」

 ケトルで紅茶用のお湯を沸かしてる間に、卵液を用意する――バニラエッセンスは無いけど、そこは目溢し願いたい。

 パンは先に半分に切っといた。

 浸したそれがぐんぐん液を吸い込んでくのを、ララァ嬢が興味深げに眺めている。

 どことなくお猫様みたいで、とても可愛い。

 そう言えば、アルテイシアもフレンチトーストが好きだった。

 それから、ミルシュカとマリオンも。

 彼女達もいまのララァ嬢と同じように、よく手元を眺めてたっけ。

 キャスバルやアムロは、クロックマダムの方を好んでたから、これはお姫様達の専用メニューと化してた。

 笑みが息になって漏れた。

 “思い出”も零れたのか、新緑の双眸がパチリと瞬いてこっちを見る。

「『……お姫様専用メニューなの?』」

「『そうだね。君も姫君だ』」

 しっかりと卵液を吸い込んだパンを、ふわふわになるように焼き上げる。

「『Bon appétit』」

 飾りのないシンプルなそれだけど、恭しく差し出せばララァ嬢の瞳が輝いた。

「『ずっとそんな風に振舞えば良いのに』」

 唇を尖らせるのに苦笑する。

「『あっちに戻ったら、大体こんな風さ』」

「『そう。なら良いわ』」

 ツンツンして見せてる表情が、トーストを含んだ途端に柔らかく解けた。

 ほんとに可愛いよね、ララァ嬢。

 あらかた食べ終えた頃。

「『それ食べたら変装してもらうから』」

 一言伝えたら、キュッと眉が顰められた。

「『……ものすごく嫌な予感がするわ』」

 新緑の瞳でジロリと睨まれる。

 大丈夫、絶対に可愛く仕上げるから。だからそんなあからさまに、食べる速度を落とさないでくれ給えよ。

 

        ✜ ✜ ✜

 

『……納得いかないわ』

『なんでさ。どっからどう見ても、美少年サマサマじゃないか』

 ぷくりと膨れていても、素晴らしく可愛らしい少年がそこにいた。

 髪は編み込んで帽子に隠した。

 新緑の双眸は猫みたいに切れ上がって勝ち気にきらめき、肌の色は元のそれより随分と明るい。

 シンプルなシャツとボトムから、すらりとした手足が伸びている――華奢すぎる体は、中にぐるぐるとタオルを巻いて修正した。

 化粧で顔立ちも変えてるし、少し幼さを強調したから、12かそこら辺の、まだ少女といっても通りそうな美少年――といった外見に落ち着いた。

 生意気オプションも追加。

 ぱっと見の印象からして、もとの彼女とはぜんぜん違う。

 いい出来だと思うんだけど。

『私じゃないわ、あなたのことを言ってるの!』

 ふお。毛皮を逆立てた子猫みたいだ。

「まぁ、どうしたの? ラフ。ご機嫌斜めねぇ。木星へ行くことは、何度も話し合ってあなたも納得してくれたじゃないの」

 頬に手をあてて、そっと溜息を落とす。睫毛を伏せて。悲しそうに。

『なんであなたが女の人なの!?』

『変装だからです』

 ララァ・スンにしろ“ガルマ・ザビ”にしろ、男女逆転してりゃ、どの探索網からも外れるだろ。

 ギャングどもが追っかけてんのは、白人の少年とインディアン(インド人)の少女だし、連邦が探してんのはムンゾの貴公子だ。

 ここまで化けりゃ、誰にもそれとは分かるまいよ。

 肌を艶めかしい淡褐色にして、髪は波打つブルネットを緩くまとめた。

 コンタクトで瞳の色を緑の強いヘーゼルに変えて、メイクは少しアンニュイに。

 長い睫毛。別人級に大きくした瞳のラインは、ララァ嬢に寄せてみた。

 ポッテリとした唇で色気も追加。

 これなら姉弟に見えるだろ?

 背は高めだけど、見た目だけなら華奢で庇護欲を誘うタイプ。

「おう、坊主、あんまり姉ちゃん困らせるんじゃねぇぞ〜」

「仲良くな〜」

 なんて、知らんおっちゃん達が援護してくれるくらいにはね。

『納得がいかないわ!』

『そうカリカリしないで、ね?』

 そっと抱き寄せて胸にしまえば。

『……フカフカなのも理不尽だわ!』

 余計にプンスコされてしまった。

 そこはホラ、オトコのロマンっていうか、つい盛っちゃったっていうか、ね?

「お気遣いすいません。仲のいい友達とはなれることになったから……」

「そりゃ寂しいなぁ、坊主」

 伸ばしてくる腕をさり気無くガード。簡単に触らせるわけないだろ。

 名残惜しげな視線をするりと躱して、宙空のゲートへと進む。

 案の定、良からぬ連中が見張っている様子だったけど、おれたちにはニヤニヤと脂下がった顔を向けてくるばかりで、寄ってこようとはしなかった。

 木星へ渡る人の群れの中に混じっていれば、少し不安そうに袖を引かれた。

『ムンゾに帰るんでしょう? 木星行きだとルートが違うわ』

『そこはもう仕掛けてある』

 どの便に乗るのか、それをもう“ギレン”は掴んでるはずだ。

 宇宙に上がりさえすれば、後は回収されるのを待てばいい。

『……本当に?』

『大丈夫。艦に乗れさえすれば、後はなんとでもするから』

 最悪、ハイジャックでもしてみるかね――って、これは冗談だけど。

『……あなたが言うと冗談に聞こえないわ』

『それは失礼。実は昨夜のうちに、友達に知らせたんだ。この便に乗るってことを』

『――……それ、気が付かれたら、捕まっちゃうじゃないの?』

『だからこその変装さ。それに、できるだけ遠回しに連絡した。退学した同級生に事情も名前も出さずに知らせたんだ。マークは外れてるはずだよ』

 キム・ボンジュン――三寮の士官候補生だった。最終学年で、己に資質の無しと見極めて、自ら去った。

 仲間たちと屋上から見送った日のことを、今も鮮やかに思い出せる。

 昨夜、ラップトップから、その彼に向けてメッセージを打ってみた。

 気が付くかは賭けだった。だけど、聡い彼のことだ。絶対に気づくと思ったし、現にすぐに返答が来た。

 向こうもそれと悟らせぬよう、ひどく短くてシンプルな文面だった。

 きっともう、キムから知らせが届いてる。

 ケイや“伝書鳩”達だって、それを裏付ける情報を拾ってるだろうし。

 あとはこちらが、迎えを見誤らずに接近すれば良い。

『……やっと、帰れる』

 約束の半年――たったそれだけの時間なのに、こんなに焦がれるなんてね。

 ララァ嬢の細い指が、おれの頭をそっと撫でてきた。

『あなた、ひとつ鼓動するたびに、帰りたい、会いたいって繰り返してる』

 ん。そうかも。

 情けなく眉が下がっただろう顔を、ひんやりした手が両側から挟んでくる。

『大丈夫。帰れるわ』

 微笑みを浮かべた新緑の瞳は、途轍もない慈愛を伝えてくるから。

 ふぁ。聖母かな。

 グレート・マザー。

 太古よりの母たる存在よ。

 きっと、彼女がおれの“母”だ。そうだ。そうに違いないよ。

 いつかの世界線で、彗星様が“わたしの母になるかもしれなかった女性”って言ってた気持ち解っちゃったわ。

『……また変なこと考えてるでしょう』

『いいえ、ママ』

『ぶつわよ』

『ごめーん』

 心の中だけで思っとこ。

 そうこうしてるうちに、乗り込みが始まった。

 地球を離れる人々の表情は、明暗様々で、そこにはそれぞれの人生があるんだろう。

 その列に混ざって進んでく。

 おれたちのそれと、彼らのそれは、道がまるで違うけどさ。

 “ソラ”に生きることが、来る未来に、誰しもの誇りに、憧れになれば良いね。

 そのためには、もう“棄民の裔”なんて言わせないほど、強く、自由にならなくちゃ。

 帰りつけば、その先には戦いが待ってる。

 ――“鬼”にでも、“悪魔”にでもなってやろうじゃないか。

 “宝物”を護るためなら、“おれ”は、伝説の悪龍より残虐非道になれるんだ。

 “ギレン”は頭を抱えるかも知れないけどね。

 少女の柔らかな手を握りながら、見た目だけは、優しく柔らかに微笑んだ。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 24【転生】

 

 

 

 キャスバルが落ち着いたので、何とかなるような気分になっていたが、もちろんそう簡単に状況が変わるわけではない。

 “ガルマ”が行方不明――しかもそれが、連邦内のアースノイド至上主義者たちのせいであるらしい――と云うことで、ムンゾ国内は沸騰していた。炎上、と云っても良いかも知れない。

「とてもではないですが、抑えきれるようなものではありません」

 と、この件に絡んだ軍の統制を任せているマ・クベは云ってきた。

 やはり『the ORIGIN』の軸らしく、1stよりも知性が際立っている。痩せた頬と薄い唇、中背の細い体躯。心理学の教本などで見かける一類型そのままである。

「正直なところ、兵たちのうちにも、デモ隊に同調するものが出ているような状況です。今は何とか統制を取っていますが、これは早晩、暴動にも発展しかねません。しかも、軍もその中に巻きこまれかねない」

「駄目そうか」

「いけませんな」

 ムンゾ一の智将は肩をすくめた。

「ガルマ様が“行方不明”と云うのもいけない。負傷程度であれば、何とでも云いくるめようがありますが、行方不明では――聞いた人間は、希望を抱きつつも、最悪の予想も思い浮かべざるを得ません。そうして、そう云う“想像”こそが、ひとの不安を増大させる」

 マ・クベの手が、軽く振られる。

「否定できんな」

「せめて、生死が判明していれば、それが生存であるとわかったなら、落ち着かせようもあるでしょうが――」

 と云いながら、ちらりとこちらを見る。

「――閣下」

「何だ」

「閣下はご存知なのではありますまいか。閣下の配下には、かの“伝書鳩”がおります。中でもタチ少佐は、その敏腕さで連邦にも名が知られているとか。……閣下は、既にガルマ様の行方をご存知なのでは?」

「残念ながら」

 と、こちらも肩をすくめてやる。

「もちろん、“ガルマ”が宇宙に上がってくれば、回収できる手筈は整えてある。が、人を地球に下ろせるわけではない――ムンゾの人間は、その訛りですぐ出自がバレる。その上、連邦としても、“ガルマ”を手放すつもりはないはずだ。あれが宇宙に上がってくるまでは、こちらも迂闊に動けんよ」

 ムンゾ、と云うかジオン公国の人間は訛りが酷いのだと原作にもあった。

 まさか、標準語に対する河内弁、あるいは薩摩弁のようなことはあるまいが、クィーンズイングリッシュに対するコックニーくらいの違い――これとてもかなりの違いだ――はあるのだろう。日本語で云えば、侍言葉とべらんめぇ口調くらいの差があるはずだ。

 無論、ハイソサエティは訛りはほぼない――だからこそ、“クワトロ・バジーナ大尉”は、連邦軍にすんなり入りこめたのだろうし、ハイソサエティと交わるからこそ訛りがないと目され、“黒い三連星”などからやっかみのまなざしを向けられたのだろうとも思う。

 まぁ、イギリス英語とアメリカ英語のような違いであると云うのは何となくわかる――その訛りを逆手に取って、オーストラリアの牧場主を、疑惑のあるイギリスの馬主のもとに潜入させる、と云う小説があった、オーストラリア訛りは、コックニーに似たところがあるそうだ――から、すぐにムンゾ、あるいはコロニーの人間とわかるようなものを、おいそれと地球にやることはできなかったのだ。

 “ガルマ”はと云えば、元々のアレではシカゴ訛りの英語と、一応クィーンズイングリッシュを話していたから、場合に応じて使い分けるのだろう――もっとも敬語に関しては、教師に頭を抱えられるようなものだったらしいのだが。

「ですが、閣下はガルマ様の生存を信じ、かつ既に手を打ってはおられる?」

 探る声。

「もちろんだ」

 頷いてから、声を潜め、

「だが、内密にな。これは、家族と、命じた部下たちしか知らんことだ」

 そう云ってやれば、マ・クベは微妙に満足げな顔になった。まぁ確かに、秘密を打ち明けられれば、大抵の人間は悪い気はしないものだ。

「閣下とガルマ様の不仲説なども囁かれておりましたが――やはり、ザビ家のご兄弟だ、通じあっておいでですな」

「まぁ、傍から見れば不仲にも見えるのは認めようが、あれは、一応わかっていればこそのことでな」

「なるほど」

 と云う、男のまなざしははかり切れぬものがある。

「ムンゾ一の智将に聞かせるには、馬鹿々々しいことも多いがな」

 例のプレゼント爆弾の件などは、ゴップは大笑いしてくれたが、マ・クベは冷笑しそうである。

 いくらマ・クベの方が歳上であるとは云え、あまりに冷ややかな対応をされては、こちらの体面と云うものも出てくるのだ。

「いつまでも童心を忘れぬのは良いことです」

 などと云うが、裏で何を考えているかは知れたものではない。

「貴官に云われるのは面映いな」

「私も、閣下に“ムンゾ一の智将”などと云われますのは、面映いものがございますよ」

「事実だろう」

「智略において、閣下の右に出るものがあるとは思われませんな」

「買いかぶりだ。私のは政治だよ」

 それこそ、政治力にはそこそこの自信がある――“昔”の自分につけられた“圧倒的な政治力”と云うキャッチを見たこともある――が、戦略、軍略についてはまったく自信はない。

 大体は“ガルマ”か、あるいは優秀な軍師、軍監がついていたので、云っては何だが、軍の仕事としては人心掌握くらいのことしかしていなかったのだ。多少勝ったこともあるが、基本的には防衛戦が中心だったからで、攻撃には、それこそMSの操縦くらいに自信がない。人には得手不得手と云うものがあるのである。

「政治なくして、戦争をすることはできません」

 マ・クベは云った。

「軍内部や国内が千々に乱れていては、いくら戦力があったとしても、局地戦に勝ったとしても、戦争そのものには勝てないのです。その点、閣下であれば軍も国内もよく取りまとめられ、少なくとも内紛故に敗北すると云うことにはなりますまい」

「――なるほど」

 耳が痛い話だ。いや、実際耳が痛いはずなのは、自分ではなく原作軸のザビ家だろうが。

 実際、せめてキシリアとギレンが殺し合わなければ――まぁどちらにしても、最終的には“シャア”に殺されたのだろうけれど――、少なくともジオン公国は生き長らえることができたはずだ。つまり、最後の最後で、責任者がすべていなくなると云う、あり得ない事態が起こらなければ。

 今回のルートにおいては、ザビ家の内部分裂と、“シャア”=キャスバルの復讐劇だけは回避できそうなのが幸いだが、コロニーにおけるムンゾの重要性は原作以上になっているので、戦いそのものはより熾烈なものになりそうなのだ。

 今は、それこそ政治的なあれこれで、連邦の矛先をかわしているが、これが開戦となれば、ある意味において原作以上の激烈な戦闘が繰り広げられる可能性は高かった。

 いっそのこと、

「連邦を、地球のみに押しこめることはできぬものかな……」

 月やサイド7を完全に封じることができれば、ムンゾと地球の戦いに収束させることも可能かも知れないのに。

「良い案ですな」

 マ・クベが、うすく目を光らせた。

 だが、

「戯言の域を出んよ。いかにコロニー同盟が強固であろうとも、連邦軍の駐屯地は各サイドに存在する。連邦の戦力は圧倒的だ」

 原作のギレン・ザビの言葉を借りれば、“わがムンゾの国力は、連邦の三十分の一以下”なのだ。それだけしかない国力で戦うためには、智慧と、充分な下準備が必要になる。

「ですが、今回のガルマ様に対する一連のことどもで、各コロニーでも、反連邦の気運が盛り上がっているようではありませんか」

 マ・クベは冷静に云ってきた。

「いくら警戒しているとは云え、未成年を人質にとり、こちらの行動を封じた挙句に、内部のごたごたでその人質を生死不明にしたのです。連邦のやり方に批難が殺到するのは当然のこと。問題は、われわれがそれをどう利用できるかです」

 その言葉は、ムンゾ一の智“将”に相応しいものだった――つまり、状況を軍事的に解釈していると云う意味において。

「流石だな」

「私はガルマ様の血縁者ではございませんからな、突き放した見方ができると云うことですよ」

 と肩をすくめる。

「どちらにしても、多少の暴発は、連邦の違約のせいであると云い立てることも可能です。実際問題として、これでデモ隊の鎮圧に連邦軍が出てこようものなら、火に油を注ぐことになるでしょうからな、開戦の道筋をつけるにも、この事態は充分に利用できる」

「開戦はまだ早かろうと思うが」

「布石は打っておくべきかと」

 マ・クベは云った。

「閣下は、連邦との戦いは避けられぬとお思いであると、そのように拝察致します。無論そちらの方も、既に手を打っておられるのでしょう?」

「……まぁひととおりは」

「閣下の“ひととおり”は、世間のものとは違いますからな」

「貴官の“ひととおり”ほどではないと思うぞ」

「はは、私ごときが」

 とは云うが、知的であると云うならマ・クベこそだろう――1stはともかくとして。

「私としては、貴官のことを高く買っているのだがな」

「ご冗談を。それならば何故、ガルマ様を、私ではなくガルシア・ロメオ少将に預けるとおっしゃったのです」

 その言葉に、おや、と驚く。

 本人の耳に入っているとは――ガルシア・ロメオが、聞こえよがしに独り言ちでもしたか。

「不満か」

「不満、とは申しますまいが、しかし、私ではガルマ様をお守りできぬと判断なさったのかと思いますと、含むものは出て参りますな」

「逆だ」

「は?」

「貴官では、“ガルマ”を配下につけては、心身を患うのではないかと思ってな。その点、ガルシア少将ならば、あれが何をしようと怒鳴り散らすくらいで済むだろう?」

 マ・クベは沈黙した。

「何か」

「いえ――閣下とガルマ様の不仲説は、あながち間違いではなかったのかと」

「不仲なのではなく、あれを正確に理解しているだけのことだ」

 鼻を鳴らしてやる。

「家族は、あれの被った猫に騙されているだけだ。どうせ、あれはやりたい放題やる。戦いとなればなおのことな。そうなった時に、ストレスなどで貴官を潰したくないだけだ」

「――それはまた、随分なおっしゃりようですな」

「別に誇張しているわけではない」

 ザビ家の面々が、こちらの云う事実を理解しようとしないだけで。

「デギン閣下とキシリア少将は、ガルマ様を猫可愛がりされていると、専らの評判ですからな」

「ドズルとサスロは、ある程度は把握しているが、どうにも可愛い“弟”と云う意識が強いようでな。甘やかし放題なのだ。私が厳しくしなくて、誰があれに歯止めをかけるのかと思うのだが」

「まぁ――しかし、あまり厳格なのもいかがなものかと。先日も、ゴシップ紙の餌になっておられましたな」

 確かに。“生死不明にも動揺なし! 末弟へのギレン総帥の冷酷”とやら、いろいろ書き立てられていた。動揺して失政を犯したなら、即バッシングなのは知れたことであるのに――仕方ないが、ゴシップ紙と云うのは無責任なものである。

「傍からどう見えるかはともかくとして、別にわれわれは不仲でも、私があれを疎んじているわけでもない。ただ、学生のうちくらいはおとなしくしろと思うだけだったのだが――まぁ、好き勝手書かれたわけだよ」

「まぁ、ゴシップなどは、九割方でたらめだと思うべきでしょうな」

「だが、残りの一割に真実が潜む場合もある」

「含みのあるお言葉ですな」

「さてな。――ところで、貴官は、陶磁器の蒐集家だそうだな」

 と云うと、マ・クベは表情にわずかに警戒感を滲ませた。

「えぇ……それが、何か」

「いや。純粋に興味があってな。良ければ今度、見せてもらえないだろうか」

 そう云うと、マ・クベは、エアポケットにでも落ちたかのような顔をした。

「閣下に陶磁器を愛でる趣味がおありとは、寡聞にして存じませんでした」

「興味はあるが、良いものは中々手に入らんのでな。愛でると云っても、手に取るわけでもない」

 まぁ、マ・クベの好みだろう景徳鎮の大明成徳年製とやら、万暦赤絵とやらではなく、志野や萩、それから李朝青磁などの方が好みだから、この男の望むような反応が返せるかは微妙なのだが。

 とは云え、この男を抱きこむためには、こちらも歩み寄りが大切だ。

 それには、共通の話題――この男の場合には、陶磁器――で繋がっておく必要がある。

 マ・クベは、警戒感をまとったままで、云った。

「宜しければ、幾つか良品を見繕って、お目にかけに伺いますが」

「いや」

 そんなことをしたら、大変なことになる。

「我が家では、幾人か子どもを預かっていてな。そのうちにやんちゃなものがあって――大事なものを持ってこられて、破損でもしたらことだ。貴官の都合の良い時に、私から訪ねさせてもらおう」

「は。――何やら、破損されたことがおありなのですか」

「私のカップがな」

 宇宙世紀前からの名窯のカップが宙を舞い、床に叩きつけられて粉々になった。深い赤のエナメルの美しいもので、元々の頃に野望として、いずれと思っていたカップだったのだ。

 無論、作家ものなどではなく、また現在も作られてはいるラインのものではあったのだが――ほどよく使いこみ、愛着がわいてきたところだったので、残念で仕方なかった。

 割った当の本人――もちろんゾルタン・アッカネン――は、流石にもじもじとして、上目遣いに謝罪してきたが。

「まぁ、貴官のコレクションなどには遠く及ばぬものだったが、愛着が出てきたところだったのでな。――しかし、私のカップは新しいものを買えば良いが、貴官のものはそうはゆくまい。それで、そちらで見せてもらえぬかと思ってな」

「……そう云うことでしたら」

 と云うが、まだ警戒は解かぬ様子である。まさか、コレクションを取り上げられると思うわけでもあるまいが。

 原作軸では、マ・クベはキシリアに近しく、特に1stでは“シャア・アズナブル”をライバル視していたわけだが、そもそもこの時間軸――恐らく『the ORIGIN』――では、マ・クベはガルシア・ロメオにライバル視される側であるし、ライバル視すべき“シャア・アズナブル”も厳密に云えば存在しない。

 そしてキシリアの部下でもなく、キシリアと“ギレン・ザビ”の間に確執もないので、ザビ家が取りこむ要素もなかったのだ。

 しかし、作戦に甘さがあると云われる――だが、箱館戦争時の大鳥圭介よりはましだろう――マ・クベでも、これからの戦いにはなくてはならぬ人材である。

 他に取りこまれる前に、こちらに確保しておかなくては。

 微妙な表情のマ・クベに薄く笑んでやると、また微妙なまなざしが返されるが、とりあえず手は打った。さて、これがどう転がるものだか。

 

 

 

 マ・クベから声がかかったのは、それから数日後のことだった。

 場所は、ズムシティの中にある、小さな戸建ての家だった。ズムシティで戸建ては贅沢だろうが、ムンゾ国軍中将の邸としては、割合に小さい。マ・クベが独り身だろうことを考えれば、やはり贅沢と云える大きさではあるが。

 まぁ、陶磁器コレクションを、まさか戦艦の艦内には持ちこむまいとは思っていたが、なるほど、流石にフラットなどでは足りないか。

 シノワズリとまではいかないが、陶磁器に合わせたのだろう、ややモダンなインテリアで、もう少しで殺風景と思わせるぎりぎりのところでうまく踏みとどまっている。

 供された茶器は、意外にもと云うか、有名なブルーレースのフルレースだ。まぁ、明代の青花紋のような風はあるから、それ故に選ばれたのかも知れないが。

「……良い趣味だな」

 ハーフレースはともかくとして、フルレースには数えるほどしか触れたことはない。元々では、丈夫さ故に専らウェッジウッドの安いラインだったし、そうでなければノリタケやらロイヤルアルバートやらで、どれも金が剥げるまで、罅が入ってしまうまで使いこんだものだ。

 今は、子どもたちには何やら安いカップ――“ガルマ”が何やら云っていたが、聞き憶えのないメーカーの――を与えていたが、個人的には、趣味でユーランダーパウダールビーを使っている。

 まぁ、そちらはマ・クベの趣味ではあるまいとは思う。中国陶磁器を愛するこの男にとっては、英国屈指のブランドであれ、量産品には興味はないだろう。

 マ・クベは、少し首を傾けた。

「今出来のものですよ」

「今出来だろうが何だろうが、これを選んだのは、貴殿の審美眼でのことだろう? それを良い趣味と云うのだよ」

 ここでマイセンなどに走らない――もちろん、マイセンが伝統ある窯であることは認めた上で――ところに、この男の矜持を感じるのだ。

 こちらが呼称を軍でのものから変えたことにだろう、男は微かに眉を歪めた。が、その胸中は推し量るべくもない――マ・クベと云う男は、あまりにも表情が読み難いのだ。

「――私のこの、趣味と云って良いものかわかりませんが、これは、地球の文化に対する敬意からきたものなのです」

 そう云って、男はその薄い唇に、繊細なフルレースの縁を押し当てた。

「人類が宇宙に上がって八十年足らず、スペースノイドは、未だ自ら独自の文化を築き上げているとは云えません。私は、地球の文化を愛する――アースノイドの暴虐を憎むよりも、なお一層強い心で」

「確かに地球の文化は素晴らしいとは思うがな、それは、今地球に住まうものたちの価値を保証するものではあるまい」

 と云いながら、こちらもカップに口をつける。癖のある香りの紅茶、キームンのブレンドか、あるいはアールグレイのブレンドか。まさかラプサンスーチョンなど混ざってはいるまい。あれは香りが強過ぎる。

「しかし、かれらの祖先たちが営々と築いてきた中から、あの文化の精華はあらわれたのです。ジオン・ズム・ダイクンは、スペースノイドを人類の新たな進化と唱えましたが、進化のために文化が蔑ろにされてはなりません。文化は、人間が人間であることの証明なのですから」

「どんな文化も、文化であることには変わりあるまい」

 元々のあれでは建国二百年あまりでしかなかったアメリカ合衆国に、欠片も文化がないと云えるものはあるまい。確かに、“立って食べるくらいの文化しかない”と揶揄するものもあったが、まぁ、それはそれで“文化”である。

 あるいは、“未開人”などと呼ばれるものたちに文化がないかと云えば、それを肯定するものもまたあるまい。かれらの文化の持つ高い精神性は、西欧の諸文明を凌ぐとも目されていたはずだ。

 結局、何をして“文化”と呼ばしめるかは、その時々での恣意的な判断に委ねられていると云うことだ。

「宇宙世紀に入ってから、世に工業製品しか存在しなくなったと云うわけでもあるまいし、地球で素晴らしい文化の華が咲き誇っているわけでもあるまい。貴殿の愛でているのは、地球の文化の華の名残でしかないのではないかな」

 そう云うと、ややむっとしたようなまなざしが向けられた。

「閣下は、美術工芸品の類に価値はないとおっしゃる?」

「いや。私も好きだ」

 過去の職人たちの技の極み、芸術家たちの息吹。絵画彫刻、それらのものは、確かに見るものの魂を高めてくれるように思う。

 が、それを、現在に生きる人間の生命と比較しようとは思わない。美術工芸品の中には、過去の戦禍で失われたもの、そもそも現在まで伝わらず消えたもの、分割され、そもそもの価値を失ったものなどが多数ある。

 確かに、芸術は素晴らしい。伝え残してゆくべきだとは思うし、“かつて”の“自分”の作品も、より未来まで残っていてほしいとは思う。が、それは、今現在の人間の権利を代償にして良いと云うものではないはずだ。

 もちろん、マ・クベが“ジオニズムの理想なぞ、私にとって、白磁の名品一個にも値しない”と云ったのは、その意味ではなかろうが、しかし、それは事実上、現在のスペースノイドの窮状を打破することよりも、白磁の名品に価値があると云っていることになりはすまいか。

「美しいものを嫌う人間などないだろう。だが、その美しい、美術品などを贖うために、今生きる人間の社会保障などが蔑ろにされるのならば、ひとは、それを購おうと云う人間のみならず、美術品そのものをも憎むことになるかも知れん。私は、文化芸術には金を惜しむべきではないと考えてはいるが、それは民の生活がある程度安定してこそ云えることだとも思っているのだ。――貴殿の考えはいかがかな」

「それが、閣下の理想と云うことですか」

「私の、ではなく、国家とはかくあるべきものではないのかね」

 少なくとも、民主主義を標榜する国家であれば。

「無形のものであれば、その存続が保障されねば、芸術とともにそれを継承するものの生活も失われようが、既にできあがったもの、名品と称される過去の作品は、真に価値があるなら、金に余裕のあるものが保護するだろう。私は蒐集家と云うわけではないからな、そのあたりの感覚は、貴殿と異なるのだろうが」

「……閣下は、私を批難しておられるのですかな」

 その眉間に、微かに皺が刻まれている。

 気分を害したか、とは思ったが、今さら引き下がれるはずもない。

「そうではないが、国民の苦況を目にしながら、芸術作品を見たとしても、真の意味で楽しめぬのではないかと云っているのだよ」

 貴殿が、そこまで芸術のみに入れあげているとも思えぬのだがな、と云うと、マ・クベは沈黙した。

 そう、国民よりも美術工芸品を愛すると云うのなら、軍人になる謂れなどないはずだ。軍や警察の、特に士官やキャリアになるならば、国を、国民を、正義を愛する心があるはずだからだ。それなくして、ただ生きんがために軍に入る必要は、この男にはないだろう。中将にまで上りつめた男が、他で食ってゆかれぬとは思われない。

「……まぁ確かに」

 やがて、マ・クベはゆっくりと口を開いた。

「私もムンゾ国軍の一翼を担うものとして、ムンゾ国民の苦境を座視するのは心苦しく感じます。ただ、閣下ほどの理想があるわけでは、残念ながらございませんので、そのあたりは……」

「何、私が云うのは他でもない、貴殿の智略を貸してもらいたいと云うだけのことだ」

「私の、智略と云われますか」

「そうとも」

 と頷いてやる。

「私も、最近はすっかり政略ばかりで、軍略の方は錆びついた。ザビ家では“ガルマ”があるが、あれひとりでは連邦とやり合うのには心許ない。それで、貴殿の智略が必要となるのだ」

「――連邦と、戦いになるのは確定なのですか」

「それが貴殿にわからぬとは思われんがな」

 そう云えば、沈黙が返る。

 やがて、

「――暫、ご猶予を戴きたい。私と致しましては、軽々にご返事致しかねます。今しばらく熟考致しまして、しかる後にご返答させて戴きます」

「無論のこと」

 と頷きはしたが、まわりとは関わりなく、マ・クベひとりの話である。

 ――これは、断る気でいるか。

 二つ返事とはいかないだろうとは思ったが、返答を先延ばしにするほどとも思わなかった。

 それならば、ここで日を置くのは、断り文句を考えるためだろう。

 ――まぁ、仕方ないか。

 やや喧嘩を売るような言葉を口にした、こちらにももちろん非はある。

 即座に拒否されなかっただけまし、とでも思わねばなるまい。

 と、マ・クベは立ち上がり、

「ところで、肝心のコレクションをお目にかけておりませんでしたな。こちらへどうぞ」

 そう云いながら、奥の扉をそっと開けた。

「拝見しよう」

 そうして足を踏み入れたその奥は、まさしく私設美術館だった。

 いつぞや東博で見た免震装置の上のガラスケースの中に、白磁や青磁の小品が陳列されている。もちろん、1stでマ・クベがキシリアに献上しようとした、あの白磁の壷もある。

「――なるほど、これはなかなか……」

 確かに、故宮博物院だか館だかの銘品――元々の方で、まとめて来ていた時があったのだ――には及ばないが、これはマ・クベが誇るだけのことはある。

「皇帝の持物とまではゆくまいが、確かにこれは良いものだな。特に、その白磁の壷」

 “あればいいものだ”と云ったのも道理だ、あの壺の美しさは、複製品などでは再現し得ない。彫られた紋様は優美だが、蓋との継ぎ目や高台などはくっきりと鋭く、そのめりはりが、これを作り上げた職人の腕の冴えを表していた。

「恐れ入ります」

「これが頭抜けているのは確かだが、他のものも良いではないか。この青磁など、色味が良い」

 と、手近の花器を指してやると、マ・クベは首を振った。

「そちらは新しいもので」

「新しいと云って、いつ頃だ」

「清の末期とか」

「辛亥革命前か。それでも二百年は経つではないか」

 云うと、わずかに目を見開かれる。

「中国の歴史にご興味が?」

「詳しくはないが、概要はな」

 何しろ、元々は“隣国”で生まれ育ったのだ。三星堆や殷墟、春秋戦国や秦漢の皇帝たち、遣隋使や遣唐使、南宋貿易、論語や諸々の漢籍など、学校の授業で知ったことは多かった。三国志や兵法七書など、趣味で紐解いたものもある。ドラマの華流ブームなるものもあったりもした。それは、ある程度明るいのも当然のことだ。

「まぁ、基本的な教養の域は出んよ。白磁も青磁も好きではあるが、個人的には、高麗青磁の不完全さをより好ましく思うしな」

 それから、志野や萩などもな、と云うと、マ・クベは沈黙した。

「――閣下は、私が考えておりましたより、陶磁器に深い見識をお持ちのようだ」

「何、私のは見識などではない。若干茶の湯を噛ってな、それで珍重されるものを知るくらいのものだよ」

 大体、茶の湯方面では、大成者である千利休からしてが、瓦職人に新しく焼かせた茶碗――黒楽と云われるものである――を好んだくらいなのだ。あれは、あくまでも“亭主”の審美眼、あるいは取り合わせの妙を問うものであって、美術工芸品としての価値の有無とは、また異なる基準があるのである。

「しかし、高麗青磁など、ムンゾの他の誰の口から聞かれましょうか」

「まぁ、あまり一般的ではないのは確かだな」

 もちろん、好むものはあるけれど、割合に地味なので。

「明代の陶磁器ほど完璧ではないが――私は、その不完全さを好ましく思うのでな」

「なるほど」

 マ・クベは深く頷いた。

「それで、閣下の重用なさるものたちの顔ぶれが腑に落ちました。皆、癖の強いものばかりと思っておりましたが――閣下は、その癖をこそ愛されるのですな」

 とは、少々こちらの配下にあるものに失礼なもの云いではないか――まぁ、否定はできないが。

「まぁ、初めから完全では面白くないと思ってしまうのだよ。変化していく余地のあるものは、育ててゆく愉しみがある」

 萩の釉薬の罅割れに茶渋などが入りこみ、それがやがて繊細な網目を施してゆくように。

 古代の木造建築も、鮮やかな色を塗り直したものよりは、時を経て、変色した木材が黒々としている方が趣があるように思われるのだ。

「経年を愉しまれるのですな」

「そうとも云うな」

 新しいものも悪くはないが、経年によって風合いの増したものを愛でるのも、また良い。それは、陶磁器の類にしても、皮革製品などにしても同じことだ。新しいことが良いことであるのは、学術研究や工業技術くらいのものだろう。それとても、例えば白熱球のように、古い技術の味わいがあるものも存在するのだし。

「――わかりました」

 マ・クベは云った。

「今すこし考えさせて戴きたいとは思いますが――閣下のお申し出は、前向きに考えてみたいと思います」

「それはありがたい」

 どのような心境の変化かはわからないが、断り文句を聞く可能性が下がったのは嬉しいことだ。

「色よい返事を期待している」

 最大限にこやかにそう云うと、マ・クベは微笑んで、優雅に頭を下げてきた。

 

 

 

 タチが執務室に飛びこんできたのは、その返答を受け取らぬうちのことだった。

「閣下、ガルマ様が!」

 息せき切ってそう云うが、まさかムンゾ内に、いきなり姿を現したわけでもあるまい。

「落ち着け、“ガルマ”がどうした」

 問いかけると、

「ガルマ様が、宇宙へ出られたようです!」

「ふむ? “伝書鳩”に知らせが?」

 それに、タチはわずかに云い澱んだ。

「いえ、それがその……ガルマ様の元同級生に連絡が入ったのを。そのものがこちらによこしまして」

「ほう」

 元同級生とは、ムンゾ大学の時の同級だろうか?

「キム・ボンジュンと申しまして、士官学校の――今は退学しているようですが」

 タチは云う。

「そのキム・ボンジュンから、配下のものに連絡がございまして。ガルマ様は、木星行きの船に乗られるそうです」

「木星?」

 木星と云うと、かの“木星帰りの男”パプテマス・シロッコを思い出すが――いや確か、木星は鉱物資源を採取する衛星やら、同目的で開発されているアステロイドベルトの小惑星やら、それからヘリウム3の採掘場やらしかないのではないか。

「何故木星……」

「木星行の船は、採掘場で働くために乗る作業員などが多いですからね、紛れこみ易かったのでは?」

「――なるほど」

 まぁ、いくら木星帰りにニュータイプに覚醒したものが多いと云っても、そのために船に乗るわけでもなかろうし。

「しかし、木星行きとは――確かに便数は少なくて特定しやすいが、方向はかなり違わないか」

「まぁ、ですからドレン少尉に襲撃させましょう」

 タチは悪い顔で云った。

「元々、レッド・フォース号は、連邦の資材運搬船を襲撃しておりますから、そう違和感はないでしょう。木星行きの船は、遠隔地を往復する関係上、人間以外の積荷も多いですからね。カモフラージュにもなります、丁度宜しいでしょう」

「それは良いが、“ガルマ”の乗る便はわかっているのか?」

 いくらカモフラージュに良いとは云え、二度続けて同じ航路を襲うと、連邦側に不審がられる可能性があるのではないか――旨みのある航路と認識された――と思われているだろう――サイド7への航路はともかくとして。

「それも知らせがきております」

「なるほど」

 周到なことだ、が。

「しかし、問題はそこではないぞ」

 “ガルマ”をピックアップしてめでたしめでたし、とはなるまい。

 そう、問題は、

「何故、地球にいたはずの“ガルマ”が、宇宙に上がっているのかの、何となくでも良いから説明をつけなくてはならん」

 少なくとも、ムンゾ内がある程度納得するくらいの理由づけが必要だ。

 無論、ゴップあたりは騙せまいが、それにしても、ある程度の云い訳は用意しなくてはなるまい。

 しかし、そう云うと、タチからは投げやりな返答が返ってきた。

「何でもいいんじゃありませんか。ガルマ様のことなら、ムンゾ国民は何でも信じますよ」

 記憶がないでも、天使様が助けてくれたでも、と云う。

「それは流石に雑ではないか」

 特に、天使様云々は。

 と云っても、タチは首を振っただけだった。

「閣下もよくおっしゃるじゃありませんか。人間は、信じたいものを信じるんです。そしてガルマ様の場合、“あり得そう”の振れ幅が広いんですよ」

「確かに、そこは否定できないが」

「あるいは、アースノイド至上主義者たちに襲われて、恐慌状態だったので記憶がない、でも宜しいでしょう。連邦側を騙せるかどうかはともかく、ムンゾ国民が信じれば、いずれあちらもその説を受け入れざるを得ません。少しばかり日をおいて、適当に説明なされば良いのですよ」

「――正直に云え、タチ少佐。今、かなり面倒くさく感じているのだろう」

 と云えば、いかにも面倒くさそうなまなざしが返された。

「ガルマ様のことで、私が面倒でなく感じることなどありませんよ。本当にあの方ときては、この世の悪辣さと面倒くささを焦げつく寸前まで煮詰めたみたいな方ですね!」

 と云うのは、これまでのあれやこれやがすべて鬱憤になって溜まっているのだろう。

 タチは、今や泣く子も黙る辣腕の情報将校だが、そのタチをしてここまで云わしめるとは――“ガルマ”の悪辣さも、さらなる進化を遂げたと云うことか。まぁ、嬉しい類の“進化”ではないが。

 しかしながら、

「――それにしても、その云い訳で、他はともかく、ゴップ将軍は納得するまいな……」

「あの方が納得する云い訳なんか、私には無理です」

 ことガルマ様に関しては、あの方だってよくご存知なのでしょうし、と云う。

「まぁ、そうだな」 

 多分ゴップは、今回の顛末にしても、半分以上は“ガルマ”のせい――存在がアースノイド至上主義者たちの気に障った、と云うのではなく、多分に謀略をめぐらせたと云う意味で――だと考えているのだろうし。

「そうでしょう。それなら、どんな云い訳でも同じことです。考えるだけ無駄ですよ」

 段々、タチが“昔”の誰やらと似たようなもの云いをするようになってきた。

 まぁ、“ガルマ”を相手にしていると、どうしても含みが出てきてしまうのだろうが、それにしても。

 だが、確かに、

「私も、考えるのが面倒になってきたな……」

 連邦、特にゴップからすれば、どんな云い訳も“云い訳”にしか過ぎないのであるし。

「まぁ、連邦への云い訳は、ガルマ様を拿捕してからでも遅くはありませんよ」

 拿捕。拿捕ときたか。それは、“ガルマ”が海賊船か何かのようではないか――あながち不適当とも云えないが。

「確かにな。――ドレン少尉には、便名まで知らせてあるのだな?」

「いえ、それはこれからです。まぁ、あまり地球の近くでは、すぐに連邦軍が出てきかねませんから、ある程度離れてから襲撃するようにはさせますが」

「よし、ではドレンへの連絡は任せる。“シャンクス”を忘れるなと念押ししておくように」

「は」

「コンスコン少将は、手隙だろうか」

「……まぁ、マ・クベ中将殿よりはお暇でしょうが」

 それはそうだ、ムンゾ国内の“治安維持”――それも、主にズムシティの――にあたり、暴発寸前の市民たちと対峙するマ・クベに較べれば、誰でも暇には違いない。

 早速、コンスコンに通信を入れてみる。

〈――これは、ギレン閣下。いかがなさいましたか〉

 画面に映し出されたその顔は、1stや『the ORIGIN』で見たとおり、恰幅の良いちょび髭の中年男だった。

「うむ。実は貴官に頼みがある。頼みと云うか、司令なのだが」

〈は、どのようなものでございましょう〉

「海賊船を拿捕してほしい。今ではなく、ひと月、否、半月ほど先に」

 そう云うと、男はきょとんとした顔になった。

〈今ではなく、でございますか〉

 怪訝そうな声だった。

 まぁ、そうだろうと思う。

 “ガルマ”が行方不明で、ズムシティや各地でデモが頻発し、これが暴動になれば連邦軍が出てくるかも知れない、と云う緊迫した局面で、海賊船の拿捕、しかも即日ではなく間をおいて、と云う指示である。命ぜられた方としては、何の冗談かとも思うだろう。

「きちんと理由がある。実は、“ガルマ”の消息がわかった」

〈何と!?〉

 男の顔に喜色が表れる。さてはこの男も、“ガルマ”に騙されたものか。

 ――いや、それともドズルの影響か。

 コンスコンは、1stや『the ORIGIN』の一年戦争時、ドズルの部下だったはずだ。ドズルが士官学校の校長中心の仕事であるので、現在は直接の上下関係――位階ではなく、所属などにおいて――にはなかったはずだが、元よりある程度関係があったのかも知れない。

「そうなのだ。今、密かに回収を命じたところなのだ。――が、ただ“ガルマ”が帰ってきたでは、いろいろと角が立つだろう」

 特に、連邦側は、将官が死亡した事件の関係者として、探し求めているのだろうし。

〈――まぁ、確かに、知らぬ間に逃げられていたでは、連邦の面目丸潰れですからな〉

「そうなのだ。それで、カモフラージュと云うか、まぁ云い訳用に、“ガルマ”を“拉致した”海賊でもでっち上げるかと思ってな」

〈でっち上げる……〉

「まさか、自力で宇宙まで上がって、ムンゾから迎えを出した、とは、連邦に対して云えるまい」

 それが事実なのだとしても。

「第一そうなれば、何故おとなしく連邦側の保護下に入らず、宇宙に上がることを選択したのかと云う話になるだろう。ムンゾ国民は当然のことだと思うかも知れないが、コリニー中将の独断だったとは云え、一応“預かっていた”体の連邦としては、いささか不愉快な事態になる。何でも良いから“よんどころない事情”を作ってやらねば、連邦としても、面目を潰されたままと云うわけにはいかなくなるだろう」

〈何でも良いから、それらしい理由を作れ、とおっしゃるのですな〉

「そうだ」

 連邦から見て、どれだけ胡散臭く、また嘘臭い“理由”でも、とにかくそれらしい理由を作り、それをムンゾ国民が信じれば、まぁ既成事実ができたようなものだ。

 そうなれば、少なくとも連邦も、大々的な軍事行動には移れまい。暫くは、の話だが、その“暫く”が重要なのだ。

「そのために、“ガルマ”が“いた”適当な海賊が必要なのでな。すまんが、見繕って拿捕してくれ」

〈――ご命令の趣旨は理解致しました。なかなか特殊だとは思いましたが〉

「まぁ、こと“ガルマ”絡みでは、どうしてもそうならざるを得んのだ。すまんが、頼んだ」

 馬鹿々々しい命令だとは、正直こちらも思わぬでもないのだが。

〈了解致しました。適当な海賊を見繕い、しかるべき時に拿捕致します〉

「任せる」

〈は〉

 敬礼して、コンスコンは通信を切った。

 さて、とりあえず手は打った。手は打ったが――どのみち、ゴップからは何やら捩じこまれるのだろう。

 ――その時に、何と答えたものかな……

 まさか、正直な話をするわけにもゆくまいし。

 少し考えて、すぐに投げ出す。

 どうせ、考えても無駄だ。あちらはあちらで、信じたいものを、信じたいように信じるのだから。

 溜息をつき、少し先の現実から逃避するために、とりあえず簡単な書類仕事に手をのばした。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 25【転生】

 

 

 

 木星航路の初っ端で、けたたましく鳴り響くアラートに、船の中はパニックになった。

「『なんなの!?』」

「『静かに』」

 怯える少女を腕の中に抱きしめる。

 目下、この船は海賊の襲撃を受けてるらしい。

 ――どっちかな?

 ホンモノの海賊か、それとも“ギレン”が差し向けたダミーか。

 そう言う手段取りそうなんだよね、“ギレン”。 

 だけど情報が少なすぎるから、いまは息を殺して潜まなきゃ。

 船員に誘導されて避難する乗客の群れから離れて、物陰へと移動する。

 その裏側で、思考波を開放した。

 這い出すように広がるそれに、ララァ嬢が目を見張る。

『何してるの?』

『探ってる。コレは、こういう便利な使い方もできるのさ』

 センサーみたいに、人の動きが察せられる。強い思念をピックアップすれば、ある程度の情報を読めるからね。

 海賊――ちょっと名の知られてる奴等らしい。

 ぬ? ホンモノか? だとしたら厄介。

 見つからんように隠れとこうか……でも、ここ最近で知られるようになった奴らっぽいし、どうだろ?

 呼称なんだよ――んんん? 聞き取れんわ。

 拾ったそれらをピースにして、脳裏でパズルを組み上げようとするけど、ニュータイプの思考波と違ってノイズが多すぎだろ、これ。

 もっとマトモな思念ないかなぁ……。

 できれば海賊共の思念を拾えないかな。

 腕の中から、ララァ嬢がソロリと意識に触れてくるのを感じる。ん。不安だよね。

『わたしもやってみる』

 って、結構アクティブだった。新緑の瞳がきらきらしてる。楽しんでるって訳じゃないけど、自分の“力”に興味津々って感じか。

『……そっとだよ?』

『わかってるわ、大丈夫!』 

『――……そっとね?』

『わかってるってば!』

 ララァ嬢のそれは出力高いからなぁ。そりゃ、精度も高かろうが。

 次の瞬間、星光の波紋が広がるみたいに、ララァ・スンの意識が拡大した。

 澄んだ湖に映る星空。どこまでも深く、謎めいたそれ。

 物凄く綺麗だ――なのに。

 ――……なんだろう、この危機感?

 “おれ”の危機察知アンテナが、チリチリビリビリしてる。

 サイレンが鳴りっぱなし。海賊にじゃなくて、目の前のララァ嬢にだ。

 冷や汗がぶわりと吹き出す。

 咄嗟に思考波を思いっきり引っ込めた。甲羅にもぐる亀みたいに。

 全力防衛――の、刹那。

『……何者だ!?』

 誰かの意識が接触し。

『きゃーーッ!!!!?』

『ぐはぁ!???』

 思考波が真正面からぶつかって、どっかの誰かが宇宙の果てへと飛ばされてった。

 おれの脳裏にも星が散る。

 うわキレイだなお星さまー。

 防衛してたけど、ダメージはゼロじゃない。

 少女を抱えてなきゃ、ダンゴムシAgainだったろうさ。

『ナニかいたわ!?』

『ッ…出力…落として……』

 ララァ嬢には罪がない。慣れない思考波が誰かのそれとぶつかって、ただ驚いただけだ。

 知ってる。

 でも、それ交通事故に近いから。

『……ナニかいたわ』

 “小声”で言い直してくれるけどさ、“ナニか”じゃなくて“誰か”なんだよ。

『“お仲間”が乗ってるみたいだね』

 ちょっとビックリ。ニュータイプだ。

 無事かな。

 今はまだ数少ない同朋だし、取り敢えず回収しなきゃ。

『……拾うの?』

『拾うさ』

 なんで嫌そうな顔してんの?

『だって、すごく捻くれてそうだったわ。素直じゃない感じ』

 あれま。そーなの?

 パチクリと瞬く。

『あれだけでそこまでわかるの? すごいね』

『……別に。すごくなんかないわ』

『すごいよ。ララァ嬢は、綺麗で強くて可愛くていいね』

『……』

 あれ、照れたのかな。形の綺麗な耳が少し赤い。ニコニコして見下ろしてたら、パチリと叩かれた。

 イテテ。なるほど照れ隠し。

 潜んでいた場所からそっと出て、周囲を探りながら思考波の元に向かえば、少し先の廊下で人間ダンゴムシを発見した。

 ん。そうなるよね。

 少年だ。髪の色がおれのに似てる。背格好もあまり変わらないかな?

 彼も海賊たちから身を隠す途中だったんだろう。

『生きてるかー?』

『…、うぅ……』

 お。反応があるわ。

 意識が朦朧としているっぽいのを、よっこらせと担ぎ上げて、さっきまで潜んでいた場所に急いで戻った。

 体に負担が来ないように少年を横たえて、様子を見る。

 割と綺麗な顔をしている――けど、なんか記憶に引っかかるんだよね。

 何だっけ、居たんだこういう顔。鼻につく美形。さっきの“声”も、思えば聞いたことがあるような?

 白すぎるほど白い顔を、じっと見下ろす。

『……何かモヤモヤしてる?』

 ララァ嬢が、思考波でつついてくる。

『あなたの意識って、整理されてない雑貨屋の倉庫みたいで、ごちゃごちゃしてて良くわからないわ』

『だろうね。幼馴染にも整理しろってよく言われる』

 混沌だの何だの言いながら、キャスバルはそのゴチャゴチャの意識を、いつも浚ってるんだよね。

 脳内に万華鏡みたいに幾万の記憶の欠片が散らばって、その中の一つがキラリと光った――ように思えた。

 あ。あれだ。あいつ。

 あの、潰されてたアレ。スイカバー。物凄い顔の。

『パプテマス・シロッコ!!』

 そうだコイツだ。まだ若いけど、面影あるよ。ニュータイプだし。これ木星行きの船だし。

 これは当たりだろ。

 叫びを呼びかけと捉えたのか、少年がカッと目を見開いた。

 銀色にも見える、グレーの虹彩がきらめいた。

 なんだよ。美少年バルス!

 どいつもこいつも美麗な顔しやがって。キャスバルが一番綺麗だけどさ。

『お前たちは何だ!? なぜ私を知っている!?? …うぅ』

 急に身を起こすから、目を回したんだろう。ぐらりと傾いた体を支えてやる。

『え。お前その歳で一人称“私”なの? いや、らしいし似合ってるけどさ』

『そこはいま問題じゃないわ』

 ごめん。横道に逸れた。ちょっと気になったからさ。

 軌道修正。

『パプテマス・シロッコ。お前もニュータイプだったね』

『……だから何者かと聞いている』

 パプテマスは、毛を逆立てた猫みたいに、警戒心満載だった。

『おれ、”ガルマ・ザビ”。こちらのレディは、ララァ・スン。よろしくね』

 名乗れば、銀色の双眸が限界までに開かれる。

 まじまじとおれを見て、ララァ嬢を見て、またおれを見て、さらにララァ嬢を見た。

「『嘘だ!!』」

 うわ叫ぶなよ。海賊どもに見つかったらどうすんのさ。

『嘘だ!!!』

 別に思考波で叫び直せって言ってない。

『……そうよね、信じたくないの分かる。でも本物なの』

 そんな悲しげに言うことないんじゃないかな、ララァ嬢。

『信じられるものか! だってあなたは女の人じゃないか!!』

 指を突きつけて、ぷるぷるしてるパプテマスに、ニンマリと微笑いかける。

 コイツを騙しおおせるおれの変装術って、捨てたもんじゃないよね。

 

 

 海賊たちは、あらかた船内を制圧したみたいだった。

 すこぶる手際がいい。訓練された軍人みたいだ。

 船員や乗客は船倉に集められてるらしい。

 積荷が目的のはず、だけど、他にも何か捜しているものがあるみたい。

 バタバタと走り回って、隠れている人間がいないか、隅々まで探し回ってる。

 こんなに時間をかけて捕まる危険を冒してまで、見つけたい何かがあるらしい。

 これはますます“ギレン”が差し向けたと考えるべきだろうけど、万一違ったら万事休す。

 ――さて、どうしようかな。

 無茶はできない。

 おれ一人ならともかく、ララァ嬢を危険にさらすわけにはいかんし

 いままた一人、連れが増えたしね。

 だけど、このまま潜んでても、見つかるのは時間の問題か。

『奴らが何者が分かればいいんだけどな』

 呟きにパプテマスが顔をあげた。

『……“レッド・フォース”と名乗っていたぞ。最近じゃサイド7辺りを荒し回ってる奴らだ』

『……“レッド・フォース”?』

 え? レッド・フォースって、あのレッド・フォース号? 某海賊漫画の赤髪の船長が率いてる。

 ソロリと物陰から様子を伺う。

 硬い足音がする。一人分か。不用心な。

 乗客が、船員か、海賊か。

『……たぶん海賊よ』

 ララァ嬢の直感なら間違いないだろ。

『何をする気だ?』

 パプテマスが腕を掴んで強く引いた。苛立ちと焦りを帯びた声。

 研ぎ澄まされた勘が、こっちのわずかな動きを読み取ったのか。

『あいつを捕まえる』

『馬鹿か、何を言ってるんだ!?』

『もしかしたら迎えかもしれない』

『海賊がか!? 馬鹿を言うな!!』

『お前はバカバカ言うなよ』

 バカって言うほうがバカなんだぞ、バカめ。

 パプテマスを振り切って、物陰から滑り出る。

 対峙した後ろ姿はひどく背が高かった。

 振り返る間を許さず一息で距離を詰めて、くるぶしを刈り取る。

 バランスを崩したところを、後ろから引き倒すように首を掴んで引けば、相手はのけぞって蹈鞴を踏んだ。

「動くな。首を掻き切るよ」

 耳元で伝えると、強烈な猿臂が繰り出された。避けたけど、危ないね。

「だから動くなって。お前の船に“シャンクス”は乗ってるの?」

 もし“ギレン”の寄越した相手なら、この名前に反応するだろ――しなかったら、本当に首を掻き切るしかないけど。

 その瞬間に、海賊は抵抗をやめた。ただただ驚愕の気配。

 ん。これは“お迎え”確定だね。

 安堵したのもつかの間。

「“シャンクス”と言ったか!? お前いま“シャンクス”と!??」

 その声が存外に高くておれも驚いた。

 そういえばこの首、喉仏が感じられない――って、女性かよ!?

「無礼をお詫びします。レディ。お怪我はありませんか?」

 開放して、一礼。

 口調を“ガルマ”のそれへと戻しておく。

 意識の片隅で、ララァ嬢とパプテマスのびっくりしたような気配を察するけど、基本、“ガルマ”は敬語なんだよ。

 改めて海賊を見直したら、背は高いけど、その体つきは女性特有のものだった。

 長い黒髪。素敵なお姐さまじゃないか。

 女性に暴力を振るうなんて以ての外。

 ほんとに申し訳ないと眉が下がった。

「なぜ海賊などに身をやつしているか存じませんが、怪我すると危ないので、早々に足を洗った方がよろしいかと思いますよ」

「そんなことはどうでもいい! お前、なぜ“シャンクス”を知ってる!? お前は何者だ!? ガルマ様はどこにいる!??」

 まだ20代半ばくらいの年頃だろうに、髪を振り乱して叫ぶ姿には、結構な迫力があった。

「それは船長にお話しします。連れて行ってください。この子達も一緒に」

 ちらりと視線を投げた先、『おいで』と促せば恐る恐る出てくるララァ嬢とパプテマス。

「……3人だと? 聞いてないぞ」

「いろいろありまして」

 さぁ、早くしよう。当局に拿捕でもされたら、それこそ目も当てられないからね。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「お前は誰だ」

 厳しい声だった。連行された先のブリッジ。レッド・フォース号の船長は30がらみの厳つい男で、当然赤髪のシャンクスとは似ても似つかない容姿をしていた。

 抜け目のなさそうな目つき。顔も体もガッチリとして、崩して見せてるけど、元の姿勢は良さそうだった。

 なんかこの人にも見覚えがあるような。うーん、と首をかしげた。

「……どなたですか?」

「こちらが聞いている」

 苛立ったような声。

「ガルマ様はどこだ? そっちの少年はではないことは分かっている。髪の色は似せているがな」

 刺すような眼差し。あれ、替え玉とか疑われちゃったのかな。

「ええ。彼はパプテマス・シロッコ。あの船の中で出会いました。……“ガルマ・ザビ”は、僕です」

 答えた時の、男と、その部下たちの顔は見ものだった。

 ポカンと一斉に顎が落ちて、まじまじと凝視してくる視線は「嘘だ!」と叫んでいるようだった。

「ひとまず、“ギレン兄様”に連絡をお願いできますか。あなた方を差し向けたのは“ギレン兄様”なんでしょう? こんな無茶なことするの、あの人くらいしか居ないし」

 慎重に見えて、実のところ力技が好きだよね、“ギレン”。考え過ぎてブッ飛んだ結果かも知らんが。

「…………失礼だが、貴女は女性では?」

 透かし見るように見てくるけどさ。

「いいえ。それとわからないように変装してみました。それなりに上手に出来ているようで良かったです」

「……それなりにと言うか、度肝を抜かれるレベルと言うか……」

 唸るみたいな声だった。

「まぁ、お上手ですこと」

 口元に手をかざしてコロコロと笑って見せれば、「シャレになりませんぜ」と、船長がぼやいた。

 海賊船は、極秘で一路ムンゾへと向かう。

 船長はドレンと名乗った――って、あのドレンか!

 いつかの世界線の“シャア・アズナブル”の部下だった男。ん、見覚えあると思ったはずだよ。

 ニコニコして握手。

 まだ半信半疑なのか、胡散臭そうな表情を向けてくるけどさ。

「……そのままの格好で通信に出る気ですか?」

「ええ。褒めていただけたみたいなので」

「ええぇ…褒めたわけじゃ……」

「美人ではないと?」

「いやすこぶる美人ではありますが」

 だったらいいじゃん。ふふふ。“ギレン”を驚かせてやろう。

 半年ぶりの対面に、ワクワクしながらモニターを見上げる。

 オペレーターとの通信の後、メインモニターに、半年前とちっとも変わらない“ギレン・ザビ”が映し出された。傍にはタチとデラーズもいる。

 楚々とした風情で微笑んでみた。

 どうよ、ララァ・スン似の美女だろ?

 豊かな黒絹の髪に、淡褐色の艶めく肌。長い睫毛に縁取られた大きな瞳は緑がかった煌めきを宿し、撓む唇は官能的に。

 華奢な身体に豊満な胸。

 表情さえ謎めいたそれに。瞬間の顔面修正さえ行使すれば、ちょっとお目にかからないレベルの佳人になるはず。傾城って言ってくれてもいいよ?

 男にとっての理想の女性は、その無意識化の“anima”の具現に他ならない。

 だとすれば、おれが顕現した“夢の女”は、他の男にとっても“ Femme fatale”足り得るだろう。

 目を剥いた“ギレン”が何か言う前に、禿頭の巨漢が前に出た。

〈何者だ〉

 デラーズのこんな声は初めて聞いた。冷々として、意識に刺さるような。

 向けられる眼差しもそうだ。どこにも温かみのない、敵かもしれない相手を見る目。

〈連邦の手のものか? その容姿で閣下の篭絡でも目論むつもり…〉

 だけど言い終わる前に。

〈ちょ、何やってんだガルマ・ザビ! あんたまさかその格好で連邦諸氏誑かしてたんじゃないだろうな!??〉

 タチが横から飛び出してきた。

 ヲイ口調。相変わらずヒドイな。

 ともあれ、流石に情報将校のトップだね。難なくおれだと見抜いたみたい。

〈なッ!? これがガルマ様だと!??〉

 デラーズの声は悲鳴みたいだった。

 なんかカオス。

 ちょっと君ら“ギレン”の部下じゃないの。何で“ギレン”が話す前に発言しちゃってんのさ。

「お久しぶりですね。お二人ともお元気そうで何よりです」

 それから、背後の“ギレン”に向けて。

「ただいま帰りました。“ギレン兄様”」

 とびっきりの笑顔を振る舞ったのに。

〈……そのふざけた格好はなんだ〉

 あら額に青筋が。

 拳もフルフル震えちゃってるし。

「変装ですよ。連邦に捕まるわけにはいかなかったもので。綺麗に化けたでしょ?」

 まぁ、実際にはギャング対策だったわけだが。言うと更に面倒だからさ。

 ニコリと。この微笑みで和んでくれないかなー。

 ま、無理か。“ギレン”だし。

 スンと表情を改めて。

「家族にも、僕の“宝物”にも変わりはないでしょうね?」

 真っ直ぐに視線を向ける。

 親兄姉は、キャスバルは、アムロ――子供たちは。そして、仲間たちは。

 どれか一つでも、よもや欠けてはあるまいな。

 こちとらただひたすら再会だけを願って耐えてきたんだ。

〈……何も変わらんよ、何も〉

 ため息とともに、“ギレン”が吐き出す。鋼色の瞳には、降り積もった疲れは見えたけど、嘘や隠し事は無さそうだった。

 良かった。

 帰る早々、おれの宝物を害した連中を潰して廻るようなことにはならないみたい。

 心底からほんわりと微笑みが浮かんだ。

 “ギレン”は頭痛を払うみたいに頭を振った。

〈着替えて出直せ〉

 なんて一言で、半年ぶりの通信はぶった切られた。

 ――つれないなぁ。

 この麗しい姿は、しかしながら“我が兄”の好みでは無かったらしい。

 肩をすくめて、ドレン船長に向き直ると。

「……本当に、本物のガルマ様だったんですね」

 しみじみとした口調だった。

「そうですよ?」

 最初に名乗ったじゃないか。なにさ、今まで疑ってたの?

「取り敢えず、着替えたいんですけど……あちらの船におおかた置いてきてしまって」

 貴重品は身に着けてたけどさ。

「なにか貸してもらえますか? 僕と、それから彼女の分を」

 改めてララァ嬢を示せば、こちらでも目を剥かれた。

「彼女って……こっちは女の子か!?」

 確かに華奢だしきれいな顔してるけど、とかなんとか。

 それから、パプテマスのことも恐る恐る振り返って。

「なら、お前は……女の子か?」

「男です!」

 そんなやり取りに、声を上げて笑った。

 

 

「『…………本当にガルマ・ザビなんだな?』」

 変装を解いて、素顔に戻ったおれを、パプテマスがまじまじと覗き込んでくる――近ぇよ。

「『まだ言ってるの? だからそうだってば』」

「『その髪はどうしたんだ?』」

「『切った。あのままじゃすぐに僕だとわかってしまうからね』」

 森林を抜けたあとに切り捨てた。

「『メディアで見てたのと随分違う。その面変りは……痩せたのか?』」

「『ゲッソリいったね』」

 苦笑い。

 森林を抜けてから最初の一週間は、ほとんど飲まず喰わずだったんだ。

 その後それなりに食わして貰ってたけど――ありがとう、優しいご婦人たちよ。おかげで行き倒れずに済みました。

 ともかく、そもそもがウエイトを落としてたところにさらに無茶したもんだから、地球に降りる前と比べたら10kg近く結果にコミット。

 肋が浮いてて、貧相で物悲しいったらないね。ドレン船長に用意してもらった着替えだってブカブカだ。

 まぁ、ここまで削られてたからこそ、女装が不自然にならなかった訳だが。

「『それより、パプティ、君は幾つなの?』」

「『“パプティ”!??』」

「『長いでしょ、パプテマス。良いじゃないか、パプティ。可愛くて』」

「『可愛い必要がどこにある!? シロッコで良いだろう!』」

「『可愛いは必須項目なのを知らないの? じゃあシロちゃんで』」

「『“シロちゃん”!?』」

「『叫ばないでよ、パプシロ』」

「『“パプシロ”!??』」

 めちゃくちゃツッコミ要員。

 律儀に反応してくれるのは有難いんだけど、いかんせん喧しい。

 話が進まないじゃないか。

「『それで、君いくつなのさ?』」

 パプティは、肺の息を全部吐ききるみたいな溜息をついた。

「『――……15だ』」

「『3つ下か。木星へはひとりで?』」

 もしも家族がいるなら、ここに至るまで一言くらいあっても良い筈だ。無かったってことは、単身で渡るつもりだったのか。

「『私の家族構成に興味が?』」

 皮肉っぽい声だった。冷えた眼差し――家族は“地雷”か。

「『無いよ。つまり家出小僧か』」

「『……帰る家などそもそもないさ』」

「『ふぅん?』」

 そりゃ拉致るのには好都合。

 無理強いするつもりはないけど、その才能は逃がすには惜しすぎる。

「『うちにおいで――お前なら木星でも成功するだろうけど、どうせならムンゾでそのチカラを奮いなよ』」

 言えば、パプティは銀色の瞳をパチクリと瞬いた。まるで意外なことを聞いたとでも言うような反応に、首を傾げる。

「『私が……成功する?』」

「『そりゃそうだろ』」

 何を当たり前のことを。その頭脳も度胸も特級じゃないか。

 周囲から突出するのは目に見えてる。その分、叩かれもするだろうけど――出る杭なんとやらって。

 パプティの思考波がそっと触れてくる。嘘がないのを確かめるみたいに――恐る恐る。

 オカシイね。おまえ、そんなに自信ない奴じゃないだろ?

 それとも15歳の少年ではまだ、そこまでの自負を持ち得ていないのか。

 小憎らしい顔が可愛らしく見えてくる。思わず手を伸ばして頭を撫でたら、目を見開いたままピシリと固まった。

 ――手触りイイなー。

 こんなところまでハイスペック。

 フリーズしているのを良い事に撫で続けてたら。

「『ガルマ!』」

「『おや、おかえり。素敵なワンピースだね、とても似合ってる。可愛いよ』」

 船内で用意してくれた服に着替えたララァ嬢が戻ってきた。

 もともと、あのラインが好きなのか、ストンとした余裕のあるカナリア色のワンピースは、いつか見た画面の中の彼女を思わせた――髪は解かれてるけど。

 一緒にいるのは、木星行きの船で最初に会った背の高い女海賊だった。護衛も兼ねてるのかな。

 パプティがハッとしたように身を離す。

 ララァ嬢はたいして気にした様子もなく、両手を突き出して見せてきた。

「『これを結んで』」

 差し出されたのは、カラフルな数本のリボンだった。

「『良いね。どうせなら編み込もうか』」

 了承すれば、いそいそと前に来て座る。

 飛び切り素敵に編んであげようとも。

 まずはウォーターウォールでリボンの冠と流れを作る。さらに流した髪の房を細やかに編み垂らし、更に束ねながら所々にリボンを散らしていって、最終的に2つに分けた髪を、耳の後ろで複雑なシニョンにして留めたら。

「異国の姫君のようだな……」

 女海賊がうっとりと溜息をついた。

 ――だろ!

 我が事のように胸を張る。

 ソワソワするララァ嬢に、女海賊が笑いながら鏡を見せてた。

 思考波がキラキラしてるから、気に入ってくれたんだろう。

「良かったら、君も結ってみますか? レディ・パイレーツ。素敵な黒髪をしているから」

 出会い頭のあの無礼もあるから、ちょっと挽回しておきたい。

 促してみたら、めちゃくちゃ首を振られた。横に。

「私みたいな大女がそんなことをしたら笑われる!」

「背が高いことは、女性が卑下する理由になりませんよ。そう思わせるのは男が不甲斐ないからです」

 キッパリと言い切る。

 肩をすぎて流れる真っ直ぐな髪は艷やかだし、顔立ちは少しキツイけど整ったものだ。

 強い意志を宿す黒瞳が煌く様は美しい。

「そうでしょ『パプティ?』」

「『急に振るな!』……それは間違いではないな」

 パプティも頷く。

 ララァ嬢が女海賊の腕を引いておれの前に座らせた。

 おずおずと見上げてくるから、笑いかける。

「大丈夫ですよ。甘過ぎないように編むから。髪に触れても?」

 小さく頷くのに、さらに微笑みかけて。

 さて。じゃあ、可愛くて凛々しいを目指してみようかね。

 サイドは残して、後ろ髪をかご編みの要領で編み垂らしていく。いわゆるバスケットウェーブってヤツ。女性らしい柔らかさを残しつつ、先端にいくにつれてキツく靭やかに編んでやれば、ベルトか鞭みたいな毅さを演出するだろ。

 女海賊には相応しかろうさ。

「『……今度、わたしにもそれやって』」

 お。ララァ嬢のお眼鏡にも叶ったんなら、上々でしょ。

「『いいよ。――如何です? レディ・パイレーツ』」

「……シーマ・ガラハウ。私の名前です」

 女海賊が微笑んだ。

 ――なんと!?

 えええぇ!? お姐様ってあのガラハウ姐さん!?

 ちょっとマジマジと覗き込んでしまった。だって、印象が結構違う。

 画面の中の彼女の、あのふてぶてしい女傑振りからすると、目の前の彼女は可憐と言っても良さそう。

 表面上は分厚い猫皮が覆っているけど、内面の動揺は聡いふたりに伝わってしまう――けど。

『……君の思考はスクラップ工場の廃材置場のようで読めないな』

『自分では4日目のカレーって思ってる』

『煮込みすぎたターリーってこと? 言えてるわ』

 このごちゃごちゃ加減がいいぐあいにブロックになってるみたい。助かった。

「私の顔に何か?」

 じっと見すぎたんだろう。居心地悪そうにガラハウ姐さんが身動ぐのに、慌てて謝罪する。

「申し訳ない。笑顔が素敵だったので…つい」

 ちょっと目を逸らして照れてみせる。

 ――いや、嘘じゃないってば!

 ララァ嬢、叩くの止めて。そしてパプティ、ゴミ虫を見る目を止めて。

 頬を紅く染めたガラハウ姐さんは、いそいそと立ち上がった。

「これ、ありがとうございます」

 髪に手を添えてはにかむように微笑む姿に、やっぱり見惚れた。

「ギレン総帥閣下との合流のために小艇を用意しております。準備が整うまでここでお寛ぎください。入り用なものはお申し付けくださればお持ちいたします」

「ありがとうございます」

 素直にお礼を。

 ガラハウ姐さんはそそくさと部屋を辞そうとして、ふと戸口で立ち止まってこっちを見た。

 その顔に、じわじわとひどく嬉しげな笑みが広がっていき。

「……お戻りをお待ちしておりました。ガルマ様」

 一言。そして、彼女は一礼して、そのまま部屋を去っていった。

 “おかえりなさい”と言わなかったのは、その言葉を、おれの親しい人たちへと譲ってくれたんだろう。

 ――良い女だね!

 気遣いのできる黒髪のクール系でも可愛くて、豊満なお胸様装備のお姐様だぞ。

 うわ、ポイント高っけぇ!!

『ああいうのが好みか?』

『違うわ。ガルマの中には、“青と碧”がいつもキラキラしてるもの』

 揶揄してくるパプティに反論したのはララァ嬢だった。

『……青と碧?』

『自覚してないのね』

 新緑の瞳がひとつ瞬く。

『………いいや』

 たぶん、それはおれの中で“一番綺麗なもの”で、いずれ遠くない未来に、きみと共に生きることになる相手だ。

 キャスバルもアムロも、運命に惹かれるようにララァ・スンを愛するだろうから。

 それは楽しみなような、淋しいような、複雑な気持ちには違いないけどね。

『幸せにおなりよ』

 話の流れが変わったことにか、ララァ嬢が小首を傾げた。

 彗星と流星と白鳥。この世のなにより美しい者たちが、争うことなく共にある未来を想う――ずっと想ってた。想い続けていたことだ。

 微笑みが浮かぶ。

『幸せって、どんなふうに?』

『いっぱい食べてぐっすり眠って、たくさん笑いあえる、大好きな相手が共にいる』

『……難しいわ』

『そうかもね』

 だけど、きっと叶うよ。

『少し…こわいかも』

『大丈夫』

 全身全霊をかけて護るから。

『……それは、わたしもガルマの“宝物”になるってこと?』

『そうだね』

 君がそれを赦してくれるなら。

 それから少し所在無げにしているパプティに向き直って。

『君はどうする? さっきの返事をまだ聞いてない』

 忙しなく瞬いている銀色の双眸を覗き込んだ。思考波が乱れてるのは、きっと、凄く迷ってるんだろう。

 ごめんよ。だけど、そんなに待ってあげられる時間は無いんだ。

『ムンゾに来てくれる? それとも、木星へ行きたい?』

 意思表示は明確にしといた方が良いよ。曖昧、もしくは無回答なら拉致るからさ。

『……物騒な思考が漏れてるぞ』

『そう? で、どうするの?』

『――攫われてやろう。いずれお前がほぞを噛むほど、出世して見せようじゃないか』

 ふん、とパプティが胸を張った。

『やってみなよ』

 お前なら、それも出来るだろう。

 もしかしたら“ギレン”辺りが重用するかも知れない――扱き使われるって事だけどさ。

『なぜいちいち思考が不穏なんだ』

『そういうひとだもの』

 ええぇ〜。

 したり顔のララァ嬢に、ちょっと眉が下がる。

『ね、君の中のおれの評価って底辺這ってない?』

『……そこまでじゃないわ』

 そっと視線が逸らされた。

 んんん。高くなさそうなのは分かっちゃった。

 ガックリと肩を落としたら、ふたり分の楽しげな笑い声に追撃を受けた。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 小艇はホントに小さくて、ほんとにこれに乗るのって3回聞いてしまった。

 操縦士含めて全部で10人も乗れないじゃないか。

 艇って言うかポットみたい。

「大丈夫ですよ。仮にも海賊船で接舷できんでしょう」

 襲撃になっちまう、とドレンが笑う。

「そうですけど、こんなに小さな艇は初めてです」

 ドレンの他にはガラハウ姐さんと、ほか3人、それからおれとララァ嬢とパプティの3人だから、合わせても8人ぽっちりだ。

 狭いわー。

 空気が薄いような錯覚まで覚える。

 緊張してるらしきララァ嬢と手を繋いで、反対側にはツンケンしつつもパプティが張り付いてくる。

 その様子を、ドレンはニヤニヤしながら眺めてきた。

 モニタからはまだ船影を確認できないけど、センサーはその先にいるらしきムンゾの小艦を捉えていた。

 あれに、“ギレン”が乗ってるのか。

 ふと、意識するより先に思考波が広がった。

 “ギレン”は思考波を捉えたりは出来ないから、そういう意味で触れ合えたりはしないのに。

 鼓動が早くなる。耳元に心臓があるみたいにドクドクと煩いほどで。

 なんだろ、急かされるみたいにぶわりと、感覚で補足できる範囲が拡大される。

 遠く遠く、肉眼で捉えられない先へと視線が伸びて、瞬きさえ封じられた目をかっぴらく。

 突然のことに、ララァ嬢とパプティの戸惑いを感じたけど、だけど――。

 ――……キャスバル?

 そこにいるの? キャスバル?

 居る――ああ、居るんだね。

 澄み切って、深くて、轟々と激しい。

 燃え上がるみたいな、凍てつくみたいな。煉獄から見上げる天上の青に似てる。

 一番綺麗な青。これ以上に綺麗なものをおれは知らない。

「『……キャスバルだ』」

 記憶の中にあるそれより、なおも美しく思えて、瞬きを忘れた目から涙が溢れ出した。

 つぶやきに、ドレンが目を見開いておれを覗き込む。

「……わかるのか?」

 ――わかるさ。

 ずっと一緒に居たんだぞ。離れたのは、この半月間だけだった。

 あの“青”が、半月も傍になかっただなんて。

 虚空に手を伸ばす。

 お前も伸ばしてるんだね、キャスバル。

 触れないけど、触れてる。思考波が震えて波紋が広がって、そこにお前が形作られてる。

「『……見えた。お前だ、キャスバル』」

 約束通りに帰ってきたよ。

 さらに手を伸ばそうとした瞬間――隣から白鳥が飛び立った。

 星光の波が広がる。緑を映す湖面みたいな。その最中に羽ばたく少女は、一羽の白い鳥のようだった。

 伸ばしかけた手を引いて、ただ見守る。

 伸びやかで美しい光の羽が、虚空を軽々と飛び越えていく。

 運命がふたりを引き合わせるのか。

 次の瞬間、まるで星と星がぶつかったみたいなインパクトが来た。

 ――ふぉッ!?

 なんでビックバン!??

 壮大なる銀河の爆発を受け、全ての感慨と感情と感動と、ついでに意識も木っ端微塵に吹っ飛んだ。

 

 

「『……शुद्ध नीला, चमकता पक्षी, मैंने ब्रह्मांड की सच्चाई को छुआ।…(青の中の青よ。清らかな鳥よ。おれは宇宙の真理に触れたぞ…)』」

「『…! ……ッ!! ガルマってば!?』」

 カックンカックン揺すぶられて、ふっと我に返った。

 無辺の光は何処だ?

 なんかものすごく尊いものに触れていたような気がするんだけど、いま。

 目の前には泣きそうになってるララァ嬢が。

 ――え? なんで??

「『……誰が君を苛めたの?』」

「『あなたが急に壊れるから!』」

 ええぇ、おれ?

 ――って。

「『キャスバルは無事か!??』」

 あのビッグバンを思い出して飛び起きたら、小艇はもう小艦に収容されるところだった。

 時間にして数分ってところかな。

「『別になんともなさそうだったわ』」

 ぷくり、と、ララァ嬢が膨れた。

 ノロノロと意識を拡大して探れば、馴染んだ思考波に絡め取られた。

 ホントだ無事そう。流石だキャスバル。

 ところでパプティは……。

 ――伸びてるわ〜。

 ダンゴムシAgain。まぁそうなるよね。

「『生きてるー?』」

 ツンツンとつついて見たら、恨めしげに睨まれた。

「大丈夫なんですか!?」

 ドレンとガラハウ姐さんが、冷や汗をかきながら覗き込んでくるのに、なんとか笑顔を向けた。

「大丈夫です」

「何があったんです?」

「“恒星の邂逅”。“deep impact”ってところです」

 なるほど分からん、ってドレンの顔には書いてあった。

 こればっかりはニュータイプじゃないと実感できないだろうね。

 多少のハプニングはあったものの、小艇は無事にムンゾの迎えの艦に取り込まれた。

 クルーの手を借りて船内に移れば、まるで隣にいるみたいキャスバルの気配が感じられた。

 自然と足が早まる。

 案内されなくても真っ直ぐ目的の場所へ進んで行くおれを、数人のクルーが不思議なものを見るような目で見たけど、気にしている余裕なんかなかった。

 代わり映えのない廊下を突き進む先、目指す相手を見つけて駆け寄る――と、同時に伸びてきた腕に固く絡め取られた。

「『キャスバル! キャスバルだ!!』」

 思い切りしがみつく。

 腕の中の身体は、確かな質量を持ってそこにあった。

 込み上げる感情がぐちゃぐちゃで、自分にもよく理解できない。

 苦しいくらい嬉しいのだけはわかったけど。

 ポロリと一粒涙が転げた。

「『そう。僕だ。ガルマ』」

「『ん。おれだよ。……キャスバル』」

 以前と同じように、キャスバルの思考波がおれの意識が余さずさらっていく。

 その強さに痛みすら覚えるのに、隅々まで触れてくるそれに安心する。

 たった一人で切り離されていた心細さから解放されて、やっと深く息ができるような。

 ちょっと拙いな。ここまで依存してたのか。

『問題ない』

『そ?』

『ああ』

 キャスバルがそう請合うなら、問題ないのかも。

「『ただいま、キャスバル』」

「『おかえり、ガルマ』」

 ぐりぐりと猫みたいに頭を擦りつけて、それから名残惜しいけど体を引っ剥がした。

 周りを見回せば、呆れた顔の“ギレン”と、深い笑みを讃えたデラーズと、渋面のタチがいた。

 ――“ギレン”!!

 さぁ、“お兄様”、褒めていいのよ。むしろ褒めるべき。

 褒めるよね?

 ワクワクしながら視線を合わせてみたら。

 「……貧相になったな」

 ――って。

 ヲイ、ちょっと待て。

 クワッと目をかっぴらく。

 半年間、単身頑張りまくって、最後は命懸けで帰ってきた“弟”と直接顔を合わせた第一声がそれで良いのか!?

 ――良いわきゃねぇだろ!

 いま、瞳孔開いてるんじゃないかな、おれ。

『ぶちのめしますわよ、お兄様♡』

『気持ちはわかるが、落ち着け、ガルマ』

 キャスバルがなだめてくるけどさ。流石にこれはどうよ――見ろ。デラーズもドレンもガラハウ姐さんも、みんな唖然としてるじゃないか。

 大笑いしてるタチは後で絞めるとして。

「……まぁ、よくやった」

 ギリギリ凝視してたらようやく労いらしきものが口から溢れたけど、それだけだった。

「――ようこそララァ・スン、そしてパプテマス・シロッコ。ムンゾは、お前たちを歓迎する」

 “ギレン”の興味は、既におれが連れてきたふたりに移っていた。

「あなたがガルマのお兄さんなのね」

 ララァ嬢が仰け反るように見上げて首を傾げた。

『大きいわ』

『3番目のドズル兄貴はもっと大きいよ』

『……凄いわね』

 なんて裏側でコソコソしつつ。

「そうだ。私はギレン・ザビと云う。そして、もう知ったと思うが、こちらがキャスバル・レム・ダイクンだ」

「キャスバル――ジオン・ズム・ダイクンの……!」 

 パプティがめちゃくちゃ反応した。なに、お前もジオニストなの?

 さっきからキャスバルの名前呼んでたけど、フルネームじゃないと気づかんのかい。

 ジト目で見れば目を逸らされた。

「“ガルマ”が声をかけて、それに応えてついてきた、と云う認識で間違いないのかな、君たちは、このままムンゾに来ると云うことで?」

 ララァ嬢は溜息をついて肩をすくめた。ついでにおれをチラリと睨んで。

「応えたわけじゃないけど、もう戻れないもの『誰かさんに攫われたから』」

『……ギャングよりもマシって思ってよ』

『比較対象それ?』

『ごめんて』

 ムンゾに来てくれたら大事にするからさ、なんてやり取り。

『何があったら地球から少女を攫ってくるような事態になるんだ』

 キャスバルには盛大に溜息をつかれた。

『色々あったんだってば』

『後で全部聞かせてもらうからな』

 それ、頭ン中から全部引っ張り出すってコトだよな。うぇへぇ。

 “ギレン”の話はその間も続いてた。

「さて、パプテマス・シロッコ、お前はどうだ?」

「その前に、ガルマ・ザビと云いあなたと云い、何故私のことを知っているのか、教えて戴きたい」

 警戒心マックスのパプティが、銀色の眼で“ギレン”を睨んだ。

「なるほど?」

 僅かばかりに首を傾げて、“ギレン”の片目だけが眇められた。アンバランスな表情。

 回答を面倒臭がってる時の癖だからね、それ。

「すまないな、私はそれに返す答えを持たん。ただ“知っている”だけなのでな」

 ――ほらね!

 投げやがった。それくらいなら最初から誤魔化しとけっての!

 この場では誰も“ギレン”に対してこれ以上の追求はできない。

 と、なれば。

『さぁ、吐け』

 案の定、キャスバルの追求がこっちにきた。

『思えば君は昔から、未来を語るようなことがあったな。つまりは、ギレンの言うあれこれは君が原因ということだろう――未来が視えているのか?』

 素晴らしく青い眼がひたと見据えてくる。

 思考派もガッツリ絡まってるから、嘘はつけない。

 ――……おのれ“ギレン”め。

 面倒事になるのは目に見えてるのに、なんであいった言動をしやがるのか。

 おれが難儀するじゃないか。

 ふーっと溜息。

『……視えない、未来はね。もう視えない』

『つまり、以前は視えたと?』

 パプティもグイグイ来るなぁ。

『あれが未来かは怪しいけど――……そんなものだったのかもね?』

 いつかの世界線。物語の時間軸。そうあったかもしれないシナリオ。

 今じゃ流れが違い過ぎて、なんの役にも立ちゃしない。

 ゆるゆると首を振る。気が抜けた笑みが零れた。

『キャスバル、お前に会う前のことさ――おれがまだ誰とも繋がってなかった頃、たまたまそのチャンネルがひらいたんだ』

 TVの画面に映し出された、機動戦士ガンダム。1stから始まって、一連の宇宙世紀に夢中になった。

 この辺の思考は混沌の海に沈めとく。

 表層から見れば、おれがナニかヤベえモンに触れたと思われるかもね。

 だけど、まぁ、他人と意識が繋がるんだ。他のナニかと繋がることだって有り得なくは無いだろ? 証明できないし。

『おれは“それ”を視た――鮮やかに切り取られた世界のカケラだったよ。だから知ってた。いつか会うかもって、会いたいなって願ってたんだ。魂で触れ合える同朋。――その時、“ギレン”も“それ”を視たんだ』

『だが、ギレンは自分を“オールドタイプ”だと』

『だね』

 残念だけど、“ギレン”とは思考波でのコミュニケーションはできない。

『なら、なぜだ?』

『きっと……あなたが巻き込んだんだわ、ガルマ』

 ララァ嬢がポツリと。

『あなたの“それ”は簡単にひとを呑み込むもの』

 言われて内心首を傾げる。

 ――おれのはララァ嬢みたいに強くないよ?

『そうだな。ガルマの“これ”は、基本的に他者を“弾かない”。意図した場合は別だが』

『なるほど。だから、こうもやすやすと繋がるというわけか』

 ――って、3人でなにを完結してんのさ。さっぱり分からんからおれも交ぜてよ。拗ねるぞ。

 ぷくり、と膨らんだナマカフクラガエルのイメージを投影。

 グフッとパプティの喉が鳴ったのは笑いを飲み込みそこねたか。

『……やめろガルマ』

『フグのほうが良かった?』

『そうじゃないけど、それよ』

 ――どれ?

『投影だ』

『自分が視たものを、ギレンに強制的に投影したんだろう』

『おそらくそれだろうな』

『こういうイメージとか、簡単に送ってくるものね』

 3人が頷いてる。

 あれ。

 何か勝手に解釈されてるんだが。

『……そう?』

 それなら、それで良いけど。

 追求が止んだことにホッとする間もなく。

「さて、それでは当座の隠れ家へ案内しよう。仕込みが終わるまでは、そこで待機してもらうことになる。その前に、まずはキャビンだな」

 言うだけ言って、“ギレン”は素っ気なく踵を返した。

 ホントにさぁ。半年ぶりに帰還した“弟”に対する配慮はどこなの“お兄様”?

 そんなんだから、いつまでたっても不仲説が下火にならんのだ。

 ドレンやガラハウ姐さん、そしてデラーズまでが気遣うような視線を向けてくるのに、苦笑して肩をすくめる。

「我々はふかふかのベッドとソファとバスタブを要求します! それから美味しい食事も!」

 まとわりついてシッシと払われるのも業腹だけどさ。

「船内では我慢しろ。……隠れ家には腕の良いコックを派遣してやる」

 溜息混じりでも言質をとったから、これで譲歩してやろうかね。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 25【転生】

 

 

 

 マ・クベが、各サイドで反連邦の気運が高まっていると云っていたが、それは間違いない話だった。

〈とにかく頭が痛い話なのです〉

 と、サイド5ルウムの首相は云ってきた。

 原作軸では、ルウムはそこまでムンゾよりではなかった――だから、緒戦の戦場になってしまった部分もあるだろう――が、この時間軸では、コロニー同盟のお蔭もあって、割合にこちらよりの心情であるようだ。

〈アースノイド至上主義者が幅を利かせる連邦などに従う必要はない、との論調が大半を占めており――いつもの過激派ばかりであれば、こちらも黙殺できるのですが……〉

「そうではないからお困りなのですな。心中お察し申し上げます」

 まぁ、仕方のないことではある。

 未成年を人質に取った挙句、内輪のごたごた――無論、アースノイド至上主義者たちが主導した事件ではあるが――で将官を少なくとも一人、また犯人の一人ではあるが佐官を一人――否、ジャミトフ・ハイマンも死亡したそうだから、佐官は二人か、失ったのだ。

 これまで連邦に良い印象を抱いていなかったものたちとしては、“ほら見たことか”だろうし、連邦寄りの人間にしても、今回の件は擁護は難しいだろう。比較的中立的な見方だった人びとにしても、抗議の声を上げるものも多いだろうから、つまり、多少の振れ幅はあるが、抗議活動が大規模にならざるを得ない状況なのだ。

〈――随分と余裕がおありですな、ギレン殿〉

 などと皮肉を云われるが、こちらは“ガルマ”を地球にやる際に、デモの鎮圧はムンゾ国軍に任せる旨の言質を取ってある。そこは、他のコロニーと違うところではあろう。

「ムンゾは、“ガルマ”を地球にやるのと引き換えに、デモ隊の鎮圧などは国軍に任せるとの言質を取っておりますので」

 そう云うと、相手ははっとした顔になった。

〈そ、そうでしたな。――そのガルマ殿は、その後?〉

「まだ行方が知れません。帰ってくると信じてはおりますが」

 眉根を寄せ、やや沈痛な顔を作って見せると、相手は気の毒そうな顔になった。

〈――そうですな、ザビ家の御曹司が、そう容易くなくなるわけはない〉

「まぁ、いずれひょっこり帰ってくるのではないかと思っております。――とりあえず、ムンゾから兵を出すわけにはゆきませぬので、何とか連邦側と交渉して、よほどの事態になるまでは静観してほしいとお申し入れされてはいかがか」

 それが聞き入れられるかどうかはともかくとして、申し入れをしたと云う事実が国内的には意味が出てくる場合もあるたろう。

 それに、連邦軍としても、ここで軍事介入すれば、ムンゾやルウムのみならず、コロニー全体に反連邦の運動が拡がってゆく――それはもう、燎原の火のように――のはわかっているだろう。否、わかっていなくてはならない。国軍に任されているムンゾはともかく、ルウムでデモ隊の鎮圧に武力をもってすれば、間違いなく反連邦の狼煙が、他サイドでも上がることになるだろう。

 ムンゾだけであればまだしも、六つのサイド――サイド7は連邦の秘密基地も同然であるから、この際措く――すべてで暴動が起こったとすれば、対応し切れるものではあるまい。戦争とは異なり、コロニーごと戦艦で砲撃すると云うわけにもゆかぬ――まぁこれは、戦時でも批難されるやり方ではあるが――のだ。

 それかわからぬ重鎮が、連邦軍内にあるとは思われないが――しかし、現場の指揮官はしばしば暴走するものである。その手綱を、地球にいる連邦軍のお偉方が、きちんと把握し、統制できるかどうか。

〈連邦がどう答えるにせよ、申し入れをした事実を作っておくわけですな〉

「えぇ。自前の自衛軍に任せたいと申し入れたにも拘わらず、連邦軍が拒否した、となれば、まぁ抗議活動がさらに激しさを増すことになるとは思いますが」

 しかし、拒否したなら、それは連邦軍側の責任者の問題となる。市民たちの怒りに火を注ぐだけの話になるわけだが、まぁ、そのあたりは知ったことではない。

「われわれとしては、打てる手はすべて打ったと示す必要がございます。その申し入れをどう判断するかは、連邦側の問題だ」

 つまり、現場の指揮官の判断如何によっては、ムンゾ以外のコロニーにおいて、デモが暴動に発展する可能性が高い、と云うことである。

 とにかく、原作軸よりも圧倒的に、スペースノイドとアースノイドの対立が激化しているのは間違いない。元々コロニー同盟が成立した段階で、やや強まっていたそれが、今回の“ガルマ”の地球行きからこの“事件”の一連の流れの中で、より大きな火の手を上げることになりそうだ、と云うことである。

〈しかし、わがルウムの軍組織では、少々心許ないところはあるのです。――お訊き致しますが、もしもの時には、要請すれば、ムンゾから部隊を出して戴けるのでしょうか?〉

「極力、ご希望に沿うようには致しますが――今、確たるお約束は致しかねますな」

 ムンゾ国内も、決して安穏としていられる状況とは云えないので。無論、ムンゾから兵を出すとなれば、ルウムからは歓迎されるだろうが――しかし、ことはルウムのみにはとどまらぬだろうから、そのすべてにムンゾ国軍のみであたれるとも思われない。ある程度は、自前で何とかしてもらう必要がある。

 ただ、連邦軍に対する申し入れは――受諾されるかどうかはともかくとして――しておく必要はある。

 仮に、連邦がデモ隊を鎮圧するために少々過激な方法を用いることになったとして、そこから批難の声明を出すのでは遅いのだ。はじめに武力での鎮圧を回避するよう申し入れをしておけば、その先連邦が暴発したのは連邦軍、あるいはその現場指揮官の責任となる。

 とにかく、申し入れを拒否されるにしても受諾されるにしても、政府側の不利には働くまい。

〈そこを枉げて! われわれとしましても、反アースノイド至上主義者の運動はともかくとして、暴動から連邦との抗争に発展するような事態は、極力避けたいのです!〉

「……コロニー同盟内では、ルウムを一番に考えるとお約束致しましょう」

 それ以上は、今の段階では、とても確約などできはしない。

 まぁ、シャア・アズナブルの故郷である。何だかんだシャアには甘いキシリアは、文句は云っても、多少の人員を派遣することに否やはないだろう。

 どちらにしても、人員を派遣すると云っても、パフォーマンスに過ぎないのだ。ムンゾ国軍から人員を出せば、それでルウムの市民たちが喜ぶ、それだけのことだ。それしきで、大きな戦闘を回避できるのなら、ルウムとしても、そしてムンゾとしても、それしきの労力など苦にも思われまい。

 ルウムの首相は、あからさまにほっとした顔になった。

〈お願いしましたぞ!〉

 念押しとともに、通信は切れた。

 深く吐息して椅子に沈みこむと、使いこんだそれは、ぎしりと軋んで身体を受け止めてくれた。

「お疲れですか」

 セシリア・アイリーンが声をかけてきた。

「そこまでではない。が、まぁ考えることは多いな」

 面倒ではある、が、考えることを止めては政治は成り立たない。思考停止している暇はない、それをしては、国が衰退するだけだ。

「少しお休みになれば宜しいのに」

 閣下は働き過ぎです、と云われるが、国政に携わるとはそう云うものだろう。その分、休みの時には何も考えず、のんべんだらりとするなりなんなり、リフレッシュすれば良いだけだ。よくある自己啓発系の書籍などで見るとおり、“切換が大事”なのである。

「休める時には休んでいるし、仕事が終われば、もうそれには煩わされんよ。割合に切換は早い方なのでな」

「心配です……」

 ど、沈鬱な顔をされても、これが一番性分に合っているのだ。

「倒れるほどに仕事をするタイプではないからな。疲れたら、適当に休息する。それが、私には合っている」

「でも……」

 と、やけに食い下がってくる。

 さて、これは厭な予感がする、が。

「やはり、閣下のお身体が心配です。お許し戴けるのでしたら、お傍にお仕えして、癒して差し上げますのに」

 ――きた。

「これ以上傍にか?」

 問うと、秘書官は微かに頬を染めた。ビンゴだ。

「えぇ……ですから、“お許し戴けるのでしたら”と」

「それは困るな」

 と云うと、セシリア秘書官は小鳥のように首を傾げた。己の容姿をよくわかった上での仕種であることは明らかだった。

 その様はもちろん愛らしい、が、正直に云えば好みではないし、そもそも伴侶とするなら、もう少し胆力のあるタイプでなくては困る。有能さをひとつ超えたものがあらまほしいのだ。

「困る、とおっしゃいますと」

「とりあえず、癒しはそこまで求めていないし、ストレスが溜まったなら、“ガルマ”でも弄っていた方が良いと思う」

 あれの厭がることをして、絶叫させ、また威嚇するような奇声――丁度、猫の威嚇のような――を上げさせた方が、セシリア秘書官の“癒し”よりもすっきりするだろう。

 妻にするのなら、“昔”の妻たち――北条政子や田村の愛姫や光明子のような――くらいの性格の“太さ”が欲しい。包容力とでも云うべきかも知れないが。

 セシリア・アイリーンが、ギレン・ザビを慕っていたらしいとは、何やらで読んだ憶えがあるが、こちらは“本当のギレン・ザビ”ではないし、かつての妻のようなタイプ以外は面倒だと感じる――クラウレ・ハモン曰く、“釣った魚に餌もやらない”――人間だ。とてもではないが、上司と部下の関係以上になれるとは思われない。

「ガルマ様は、アルテイシア様と結婚なさるのでしょう」

 セシリア秘書官は、まだ食い下がってくる。

「そうなったなら、閣下はどうなさるのです? ご自身の家庭をお持ちになりたいとは思われないのですか?」

「……既に一度、妻に逃げられた男だ」

 肩をすくめて、そう云ってやる。

「同じことをくり返す気はないし、そのようなリスクを取る気もない。平たく云えば、女は面倒だと思っているのだ。――君は、そんな男が良いのかね?」

 まぁ、結婚していたのが本当のギレン・ザビだったのは良かった。冷徹この上ないギレン・ザビ本人ならともかく、脇の甘いこちらでは、妻に執拗に構えなどと云われることになった公算は高い。そうなった時にこちらが爆発して、いつの間にか離婚、どころではない騒ぎになった気がする。

 まぁ、もっと平たく云うなら、とにかくとことん身勝手なのだ。“昔”の妻が出ていかなかったのは、それだけ惚れていてくれたからだが、それ以上に忍耐強く、またよく見極めて“適度な我儘”を云える賢さがあったからでもあるだろう。つまり、並の女では難しい、と云うことだ。“昔”、知人にその時の妻のことを“天璋院”に似ている、と云われたが――つまりは、幕府終焉の大奥を支えるほどの器量のある女、くらいしか、こちらの伴侶は務まらないと云うことなのだろう。

 セシリア・アイリーンは、きゅっと唇を噛みしめた。

 哀しげな表情と仕草は、確かに美しかったのだが、それで心が動くようなら、そもそも妻には逃げられるまい。

「――私は、お邪魔なのでしょうか?」

 と云われても、どう返せと云うのだ――邪魔とは云わないが、それ以上ではないと、正直なところを口にしろと?

「……邪魔とは云わないが」

 と云う言葉で、女はすべてを察したようだった。

 うっすらと目許に水を溜め、秘書官は頭を垂れた。

「わかりました。――異動願を提出致します。お世話になりました」

 こうなった以上は、もう秘書官の仕事は難しいと判断したようだった。

 その賢さは素晴らしい、が、部下としてはともかく、求めているのは伴侶ではない。

「……わかった」

 そう応えると、セシリア・アイリーンは一礼して、執務室を出ていった。

 酷いことに、その寂しげな後ろ姿を見ながら、心底安堵している自分がいるのだ。本当に、身勝手極まりない話である。

 と、入れ替わりに入ってきたタチが、戸口で秘書官を見送り、こちらを半目で睨みつけてきた。

「……閣下」

「何だ」

「何だじゃないでしょう。振ったんですか、あの人を!」

「――私とでは幸せにはなれんだろう」

「嘘ですね」

 タチは云った。

「正直なところをおっしゃって下さい。本当のところはどうなんてす」

「……面倒くさい」

「ッか――ッ!! 女に不自由していない人は、これだから!!」

 天を仰がれるが、別にもてるわけではなく、権力と地位と家柄の問題である。

「もてるわけではないぞ」

「モテてますよ! 私のようにお声がかりがないわけじゃないでしょうに!」

「お前とて、縁談を断っていると聞いたぞ」

「……私のは、いいんですよ」

 伝えるべき家名もありませんからね、と云う。

「私の方も、とりあえず“ガルマ”は相手が決まっているから、構わんはずだ」

「名家はそうは参りませんでしょう」

「私は予備で良い」

 恐らく、ザビ家はここが頂点だ。ドズルの娘、ミネバはそれなりに優秀であったが、ザビ家の家名なしに何かを成し遂げるほどではなかった。“ミネバ・ラオ・ザビ”ではなく、偽名のとおりの“オードリー・バーン”であったなら、『UC』の物語はあのとおりには進まなかっただろう。否、バナージ・リンクスとの関係はともかくとして、その後の“ラプラス事変”とやらのことである。

 天才が輩出されると、それを境にその家系は没落してゆく、とは、E.クレッチマーの説だったが、多分それは正しい。ザビ家は、ギレン・ザビ――無論、本来の――を輩出した時点で、その後の家系の衰退がはじまっていたのだろう。現に、兄弟は確かに優秀だが、いずれもギレン・ザビほどではなく――キシリアが本当にジオン公国の実権を握るつもりだったなら、敗戦後、兄に戦犯の責任を被せ、その後自分が軍総帥にでも公王にでもなれば良かったのだ――、ミネバがほどほどに優秀であったのは、ドズルの妻であったゼナ・ミアの血統が入ったからだろうと思う。

 とにかく、多分、少なくともギレン・ザビの血統は途絶えることが確定していたのだ。グレミー・トトなどと云うものが出てきはしたが、正直、顔も性格も似ていないように思われる――未見なので、話を聞いた限りでは、だが。DNA鑑定でもしてみれば、案外別の男の名が上がったのではないか。

 ともかく、天才の家系は速やかに死滅すると云う話が真実であれば、どのみちギレン・ザビの血統は残りはしなかったと云うことになる。

 ならば、こちらがわざわざ好きでもない女と結婚する意味はなかろう。

 タチは、わからないと云いたげに肩をすくめ、そして思い出したように云った。

「それはともかく、閣下、ドレン少尉から連絡が。ガルマ様らしきものが現れたそうなのですが……」

 タチには珍しく、はっきりしないもの云いだ。

「が、何だ」

「えー……お一人ではなく、見たところガルマ様らしい容姿のものはいない、とのことです」

「ふむん?」

 容姿云々は、まぁどうにでもなるとして――人数が増えているうちの、一人は想像がつくが、もう一人は誰だ。

「……とりあえず、顔を見てみるとしよう」

 見れば、“ガルマ”を見分けられぬわけはない。

 そう云うと、タチは頷き。

「こちらへ」

 と扉の外へと誘ってきた。

 

 

 

 海賊船との通信を、まさか通常ルートで行うわけにもゆかぬ。

 レッド・フォース号との通信は、“伝書鳩”の詰所とも云うべき、軍本部の地下にある部屋で行われた。外に出るわけではないが、デラーズも警護のためについてきた。

〈――閣下〉

 と、すっかり海賊船の船長が板についてきたドレン少尉が、微妙な表情でこちらを見つめてくる。

「“ガルマ”が現れたのだと?」

 問うと、

〈とりあえず、“シャンクス”と云いながら現れたそうですがね――あれはどうなんでしょうなぁ。女ひとりと少年二人で、“シャンクス”と口にしたのはご婦人だそうで〉

「“ご婦人”」

 タチの声が、不穏な響きを帯びた。多分、こちらと同じ危惧を抱いているに違いない。

「――それで、そのものたちは」

〈今、連れて参ります〉

 その言葉とともに、ドレンの姿が画面から消える。

 ややあって、男は、三人の人間を伴って戻ってきた。

 一人は、“記憶”よりは若いが、見た顔だ。淡い色の髪の少年、恐らくは若き日の“木星帰りの男”パプテマス・シロッコ。

 もう一人、もう少し若い、華奢な“少年”は、褐色の肌と漆黒の髪、翠の瞳の持ち主だった。これは、もしかするとララァ・スンだろうか。

 そうすると、最後の一人が――

「何者だ」

 デラーズが、一歩前に出て、云った。画面の向こうとこちらだ、何ができるわけでもあるまいに、どうやらこちらを守る気らしい。

「連邦の手のものか? その容姿で閣下の篭絡でも目論むつもり……」

 と、腰に下げたサーベルに手をかけた時。

「ちょ、何やってんだガルマ・ザビ! あんたまさかその格好で連邦諸氏誑かしてたんじゃないだろうな!??」

 タチが、割って入るように、そう叫んだ。

 デラーズが、驚愕する。

「なッ!? これがガルマ様だと!??」

 まぁ、そうだろうなと思う。

 何しろ、最後の一人は、黒髪と翠の瞳、灼けた肌、豊満な胸をことさら強調するような恰好の、妙齢の婦人、のように見えたからだ。

 だが、わかる。このどことなくにやついた雰囲気、これはまさしく“ガルマ”に違いない。

 “ガルマ”はにっこりと笑った――その恰好に相応しい、つまりは優雅な“ご婦人”らしい優雅さで。

〈お久しぶりですね。お二人ともお元気そうで何よりです〉

 そして、舞踏会にでもいるかのように腰を屈め、最上級に作り上げた笑顔を、こちらに向けてきた。

〈ただいま帰りました。“ギレン兄様”〉

 頭のどこかで、何かが激しく切れた音がした。

「……そのふざけた恰好はなんだ」

 声が震えるのを感じる。握りしめた拳もだ。これで、手にグラスでも持っていたなら、余裕で握り潰せただろう自信がある。

 正直、“ガルマ”とキャスバルを、“父”やゴップ将軍とともに迎えた時以来の感情だ。

 つまりは、思いっきり怒鳴りつけてやりたいが、怒りのあまり声が出ないと云うことである。

 “ガルマ”は、こちらの気も知らぬ気に――あの時とまったく同じだ――にこりと笑った。 

〈変装ですよ。連邦に捕まるわけにはいかなかったもので。綺麗に化けたでしょ?〉

 “綺麗に化けたでしょ?”ではない。

 本当に、どう云う了見でこの“弟”は、女装で海賊船に乗りこんできたのか。

 ――この碌でなしめ!!

 どうせ、このひと月あまり、地球ではそれなりに過ごしていたに違いない。女に匿ってもらったり、女に食わせてもらったり。駄目だ、何かの漫画の、女でのし上がったサラリーマンしか思い出せなくなってきた。

〈家族にも、僕の“宝物”にも変わりはないでしょうね?〉

 まっすぐなまなざしがこちらを見る。それが何よりも大事なことだと云うように。

 ぷすっと気が抜けた。怒り過ぎて、安全弁でも働いたのかも知れない。

 がっくりする。何だか、どっと疲れたような気がした。

「……何も変わらんよ、何も」

 変わってほしかったような気もしないでもないが。

 “ガルマ”は心底嬉しそうに、やわらかい笑みを浮かべたが、だからどうだとしか思えない。

 まったくもって、この“弟”は、混乱からの使者そのものだ。

 画面の向こう、レッド・フォース号のクルーはざわついている――多分、この“女”が“ガルマ・ザビ”であったことに――が、それにどうこう云う気力も尽きた。

 とりあえず、

「着替えて出直せ」

 疲れた。何だかもう、本当に疲れた。

 それだけ云い置いて、通信を切る。

「ほ、本当にガルマ様なのですか!?」

 デラーズは、未だ混乱のただ中にあるようだ。

「間違いないですよ。あれはガルマ様です」

 タチはもう平常心に戻ったのか、平熱の温度でそう答えた。

「……とりあえず、コンスコンを少し急がせよう」

 ムンゾ近隣の宙域を荒らしている海賊の目星はつけたと云っていたから、とりあえず拿捕させて、すぐに“ガルマ”発見の報を出させよう。

 その前に、キャスバルを呼び出さなくては――原作のこともある、ララァ・スンと、アムロ・レイより先に会わせてやらねばなるまい。その先は、どうせザビ家で引き受けるのだ、なるようになるだろう――法律が許さずとも、あの三人でどうにかすれば良い。

 それよりも、どちらかと云うと、問題はパプテマス・シロッコの方だが――

「――居候がまた増えるか……」

 まぁ、部屋には困らないが。サスロもキシリアも、最近は外に居を構えているので、実家に居残っているのは実質自分だけだ。嫡子だからそんなものだろうが、結婚もしていないのに、多数の子持ちになった気分である。

 とりあえず、ドズルに連絡を入れる。

 すぐに繋がり、ドズルが顔を見せた。

〈どうした、ギレン〉

「キャスバルは」

〈一時よりは落ち着いているぞ。呼ぶか〉

「頼む」

 ややあって、キャスバルがやってきた。

〈お呼びですか〉

 と云う、その顔は確かに以前よりも力に満ちている。かなり持ち直したのは本当のようだ。

「あぁ。――“ガルマ”が戻ってきた」

〈なにィ!?〉

 と叫んだのはドズルだった。

〈兄貴、本当か! 本当にガルマが……〉

 喧しい。キャスバルも、目を白黒させているではないか。

「本当だ。先刻、部下から報告があった。顔も見た。ふざけた恰好をしていたがな」

〈ふざけた恰好とは……〉

「女の恰好だ。女装して帰ってきた」

 それに、さしものドズルも沈黙した。

〈……ま、まぁ、ガルマは可愛らしいからな……〉

 などと云うが、そう云う問題ではない。

「とりあえず、キャスバルに引き合わせたいものを連れ帰ってきたのでな。“ガルマ”の引き取りにつき合え。但し、誰にも何も洩らすなよ」

 そう云うと、ドズルは目を見開いた。“ガルマ”と似たような“かっ開き方”だった。

〈ガルマの同級生たちにもか!〉

 心配しているんだ、安心させてやりたい、などと云うが、冗談ではない。

「駄目だ。“仕込み”がまだだ。“父上”やサスロ、キシリアにも云うなよ」

〈兄貴!!〉

〈――何故、すぐに知らせないのです?〉

 沈黙していたキャスバルが云った。

〈ムンゾの状況を考えれば、今すぐガルマの帰還を公表すべきなのではありませんか。それなのに、何故引き延ばそうとするんです?〉

 だが、その口調は、この間のように感情的なものではない。説明を求める淡々とした声。

「地球で行方不明の“ガルマ”が、自力でムンゾに帰還したとなれば、連邦はどう思う?」

 そう返すと、青い瞳がわずかに見開かれる。

「何故、自力で帰還する前に、連邦側に出頭しなかったかと詰られることになるだろう。だから、とにかくかたちだけでも、“ガルマ”が地球に帰れなかった理由を作るのだ」

〈かたちだけで、連邦は納得しますか〉

「するまいな。だが、云ったもの勝ちと云うことだ。そして、“父”やキシリアの涙を見れば、かたちはどうあれ、ムンゾ国民は“ガルマ”を信じるだろう。それだけで良いのだ」

〈連邦が信じなくとも、ですか?〉

「云い立てられなければ良い。ゴップなどは疑念を抱くだろうが、表立っての抗議はできんさ。そもそも、“ガルマ”を差し出せと云ったことが無理筋だったのだからな」

〈――なるほど〉

「私は、単に“落としどころ”を作りたいだけのことなのでな。信憑性やら何やらは、この際二の次だ」

 まぁ、あまり長引かせては、再び盛り上がっているデモが暴動に発展しかねないので、あくまでもコンスコンが巧く海賊を拿捕するまでのことではあるが。

〈でも、それならどうして僕には教えて戴けるのです?〉

 キャスバルが、純粋な疑問に首を傾げる。

「云っただろう、引き合わせたいものがある。目立たぬ船で出る。合流しろ」

〈――わかりました〉

〈兄貴、俺は〉

「お前は、今回は遠慮しろ。お前まで来ては、連邦側に疑われる可能性もあるし――後で“父上”やキシリアに恨まれたくもあるまい?」

 そう云ってやると、ドズルはやや不満げながらも、

〈お、おぅ〉

 と頷いた。

 “父”に割合理不尽に怒られることの多いドズルは、これ以上怒りの原因を追加したくないと思ったのだろう――それで可愛い弟に会うのが先延ばしになったとしても。

 キャスバルが小首を傾げた。

〈それで、いつ発つと?〉

「すぐ発つ。いつものポイントで、後ほど会おう」

〈わかりました〉

 キャスバルは、士官候補生らしい敬礼をし、慌ててドズルもそれに倣ったのだった。

 

 

 

 宇宙へは、“伝書鳩”の使う小型船で出た。

 ザビ家の船、あるいは軍艦で出ると、それだけで連邦軍に探られる。それを回避するために、恰好も“オルガ・イツカ”で乗りこむと、先に入っていたデラーズには目を丸くされた。

「そう云えば、デラーズ殿は、閣下のこの恰好をご存知なかったのでしたっけね」

 タチの言葉に、デラーズが声もなく頷く。

「閣下、やはりガルマ様とご兄弟に間違いありませんよ。変装の仕方が本気です」

「少し変えただけだろうが」

「話し方まで変わるじゃないですか。そう云うのを“少し”とは云いませんよ」

「TPOってヤツだと思うんだがな」

「それなら、ガルマ様とのご対面には、いつもの恰好でお臨みになるんでしょうね?」

「スーツは持ってきてる」

 “ガルマ”だけならまだしも、キャスバルやララァ・スン、パプテマス・シロッコなどもいるのだし。

「それなら、さっさとお召し替えを。もたもたしておられると、キャスバル様が来られますよ」

 確かに、それは問題だ。

 着替えていつものスタイルになったところで、キャスバルの到着か知らされる。

 タチとデラーズが胸を撫で下ろすのを横目に見ながら、キャスバルを迎えると、こちらは微妙に緊張した面持ちだった。

「それで、ガルマは」

 挨拶もそこそこに、キャスバルは云ってきた。

「これからだ。流石に、海賊船に接近するのは拙いからな。あちらからも小型船を出させる」

「海賊船って……何がどうなってるんですか!」

「連邦の動きを邪魔するために、海賊行為を働かせているものがあるのだ。それに、“ガルマ”を迎えに行かせた」

「……海賊船云々は、あながちでたらめと云うわけではなかったんですか……」

 などと云うが、あまり呆然としてほしくないものだ。

「まぁ、“ガルマ”の乗る船を襲撃させたのは事実だな」

「……あなたが確かにガルマの兄弟なのだと、今の今思い知りました……」

 タチのようなことを云わないでほしい。

「敵の勢力を削ぐのは、兵法の常道だろう」

 夜討闇討ち騙し討ちだ。連邦が秘密裏に軍需工場を建造するのなら、こちらは密かにその邪魔をする。ジャブローの秘密基地が多分なくなって、その代わりにサイド7が秘密工場になったわけだ。それは、攻撃もするだろう。

「それにしても、海賊とは……」

「云っておくが、かれらはれっきとしたムンゾ国軍兵士であるし、この海賊行為は基本的に特別任務として命じてある。まぁ、普通の士官では難しかろうから、少々特殊な面子を集めはしたがな」

「――“伝書鳩”と云い、閣下は本当に、そう云うのがお好きですよね……」

 タチがぼやくように云う。

 ――失礼な。

 とは思うが、まぁしかし、諜報や特殊工作員が好きなのは昔からのことではあったか。あの時もあの時もあの時も、大体何らかのかたちで諜報や工作をこととする部署を作っていたのは確かなのだし。歴史的に云えば、御庭番だの草のものだの、様々なものがあった。まぁ、根本的に、そう云うものが好きなのだ、その存在そのものも含め。

 それは好奇心に拠るものであり、また知をもたらしてくれるものに対する好意でもある。まぁ、そのような変則的な存在のものたちは、いずれ歴史の波の中で賤視されていくことになるのだが。

 ともあれ今は、

「そのお蔭で、お前は少佐にまでなっただろう?」

 と云うと、やや自棄気味に、

「まぁ、そうですけれどもね!」

 と応えが返った。

 どうせ諜報員になるのなら、部門のトップになりたいのではないかと思ったのだが――十二分に素質もあったのだし。

「不満か」

「不満ではないですがね……キャスバル様、どう思われます?」

 タチの言葉に、キャスバルはひょいと肩をすくめた。

「僕には何とも」

「思うところをおっしゃって下さいよ、大丈夫、閣下は気になさいませんよ、多分」

「多分とは、随分根拠があやふやですね」

 云い合うふたりを見やりながら、デラーズは口を噤んでいる。沈黙は金、か。

 そうこうしているうちに、船は約束のポイントに到着した。

 やがて、向こうの方から小型船が接近してくる。レッド・フォース号はかなり大きな艦船になるので、恐らくダークコロニーあたりにでも停泊させているのだろう。サイド間、あるいは惑星間を行き来するのでないならば、クルーズ船感覚の小型船でも移動には充分だ。

「……ガルマ」 

 キャスバルが呟いた。ニュータイプの感能力が、“ガルマ”を捉えたのか。

 だが、次の瞬間、キャスバルの目が見開かれた。

 空気が、変わったような気がした。

 まるで、足許から闇が光に呑まれるような――幻影、あるいは一瞬のヴィジョン。

 ――馬鹿な、ニュータイプと云うわけでもないのに。

 だが、もしかしたら、それほどの衝撃があったのかも知れない。二つの恒星がぶつかったかのように、光の奔流が見えた、ような気がした。

 原作におけるアムロとララァの邂逅を思い出す。

 オールドタイプたる自分が、あの光景を見ることはできないだろうと思っていたが――これはまさか、キャスバルとララァの邂逅の余波が、こちらにまで及んできたと云うことなのか。

「――キャスバル」

 呼びかけるが、応えは返らない。何か、目に見えぬ大きなものに、心を奪われているかのように。

「閣下、いかがなさいましたか」

 デラーズが訊いてくる。タチも、やや不審そうな顔だ。この二人には、今の“光景”は認識されなかったらしい。

「――いや」

 と云いながら隣りを見るが、キャスバルはまだ、あの“光の奔流”に呑まれているかのようだ。

 ――ララァと“接触”したか。

 アムロが先ではいろいろあるかと考えて、ともかくもキャスバルを伴ったのだが、これが吉と出るか凶と出るか。

 そうこうしているうちにも、船影はこちらへと近づいてくる。本当にこれが宇宙空間を渡ってのれたのかと、不安になるほど小さな船だ。1stの最終回、あるいは『めぐりあい宇宙』のラストシーン、フラウ・ボゥや子どもたち、ホワイトベースのクルーの乗った、あの小さなボートのようだ。

 既視感を感じながら見るうちに、ボートはどんどん近づいて、遂には距離がゼロになった。ドッキングする、その振動が伝わってくる。

 接舷して、乗員がこちらへと移ってきた気配があった。

「キャスバル」

 もう一度声をかけ、肩を叩くと、キャスバルは夢から醒めたような顔で、あたりを見回した。

「あ……今の、は」

「お前は、もう“逢った”のだろう」

 ララァ・スンに。

「――今のを、予期していたのですか」

「誰が宇宙に上がってきたかはわかっていたからな」

 この時間軸では地球に降りられぬキャスバルの代わりに、“ガルマ”がララァ・スンを連れてくるのではないかとも予想していた。

「なるほど、圧倒的だ」

 ニュータイプならぬものにも何かを“見せる”ほど、ララァ・スンの能力は高いらしい。

 キャスバルのまなざしが、何か奇妙な――あるいは戦慄すべき――ものを見つけた時のようになった。

「……あなたは――どこまで、これを」

 その言葉には、肩をすくめてやるしかない。

「私はオールドタイプだよ、残念ながら。ただ、知識がある、それだけのことだ」

「知識で、これを見透すことはできないはずです」

「ならば、ただ知っている、と云おうか。――私のことなどどうでも良い。“ガルマ”と、あの娘が待っている」

 キャスバルは、まだ何かを云い募りかけ――言葉を探しあぐねたように口を開け閉めして、やがて唇を引き結んだ。

 接舷したハッチへと近づいていくと、向こうから“ガルマ”に先導された――と云うか、先を急ぐ“ガルマ”に、引きずられていると云った方が正しいか――人びとがやってきた。

 髪をごく短くした“ガルマ”の後ろにはドレンととララァ・スン、その後ろからパプテマス・シロッコ、殿は背の高い女――こちらと変わらぬほど――が務めている。

 “ガルマ”は、そのまままっすぐにキャスバルに抱きついた。

「キャスバル! キャスバルだ!!」

「そう。僕だ。ガルマ」

「ん。おれだよ。……キャスバル」

 ぐりぐりと頭をすりつける様は、不在だった飼い主になつく犬のようだ。

「ただいま、キャスバル」

「おかえり、ガルマ」

 背の高い女が、微笑ましい顔で見守っているが、いや、あれはそんなものではない。

 そして“ガルマ”は、こちらに顔を向けると、期待に満ちたまなざしで見つめてきた――つまりは、“さぁ褒めろ”と云う顔である。

 が、正直、そう云う顔をされて素直に褒めると云うのも、癪と云うか業腹と云うか。

 とりあえず、

「……貧相になったな」

 かりかりだし、髪も新兵のようだし、かつての、まがりなりにも貴公子然としていた雰囲気は微塵もない。

 その言葉に、“ガルマ”はくわっと目を見開いた。“他に云うことはないのか!”と、今にも叫び出しそうだ。キャスバルも、微妙なまなざしでこちらを見てくる。

 仕方ない。

「……まぁ、よくやった。――ようこそララァ・スン、そしてパプテマス・シロッコ。ムンゾは、お前たちを歓迎する」

「あなたがガルマのお兄さんなのね」

 少女が、考え深げな顔で云う。

 鮮やかな黄色――レモン・イエローではなく、カナリア・イエロー――の、丁度例の“美しいものが嫌いな人がいて?”あたりで着ていたような、ゆったりと広がるドレスをまとい、黒髪をとりどりのリボンでふたつに結いまとめてある。まぁ、大体は原作どおりの姿と云うことだ。

「そうだ。私はギレン・ザビと云う。そして、もう知ったと思うが、こちらがキャスバル・レム・ダイクンだ」

「キャスバル――ジオン・ズム・ダイクンの……!」 

 シロッコが驚愕している。『Z』では見なかったような素直な表情だ。なるほど、見た目と同様に、精神的にもまだごく若いようだ。

「“ガルマ”が声をかけて、それに応えてついてきた、と云う認識で間違いないのかな、君たちは、このままムンゾに来ると云うことで?」

 問うと、ララァ・スンは溜息をついて、肩をすくめた。

「応えたわけじゃないけど、もう戻れないもの」

 憂いを帯びたまなざし。“ガルマ”は一体、何をやらかしてこの少女を引っ張ってきたのか。

 一方のパプテマス・シロッコは、この頃からの嗜好なのか、紫がかった髪をやや伸ばし、生成りの上下を身に着けている。

 まぁ、ひとのことは云えないが、宇宙に出るのにノーマルスーツなしとは、なかなかいい度胸をしているな、と思う。

「さて、パプテマス・シロッコ、お前はどうだ?」

「その前に、ガルマ・ザビと云いあなたと云い、何故私のことを知っているのか、教えて戴きたい」

「なるほど?」

 確かに、当然の疑問ではあるだろう。

 が、しかし、

「すまないな、私はそれに返す答えを持たん。ただ“知っている”だけなのでな」

 まぁ、まさか異世界転生云々的なことを説明したところで、信じてもらえるわけもない。正直、ニュータイプ理論よりも何倍も怪しい話でしかないだろう。

 シロッコは、やや不満そうな顔になったが、もちろんムンゾの軍人ばかりが集まるこの場所で、こちらに食ってかかるような真似はしなかった。賢明なことである。

 ララァ・スンはと云えば、その翠の瞳でじっとこちらを見つめている。先刻の言葉の裏側を、探り取ろうとするかのように。

 思わず、苦笑がこぼれる。それで、すべてがわかるわけでもないだろうに。

 その気配に気づいたか、少女がわずかに頬を膨らませたのがわかった。

「さて、それでは当座の隠れ家へ案内しよう。仕込みが終わるまでは、そこで待機してもらうことになる。その前に、まずはキャビンだな」

 くるりと踵を返すと、後ろから“ガルマ”の不満そうな気配が上がったが、まぁそこは放置する。

 貴賓室とでも云うべき部屋に、キャスバルも含めた四人を入れると、船は、少し外れた“隠れ家”へ向かうため、ゆっくりと宇宙を滑り出した。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 26【転生】

 

 

 

 全身の倦怠感に、節々の痛み。寝返りを打つことさえ億劫な――発熱である。

 地球に降りてた半年間は、こんなことはなかった。

 最近では発熱自体が稀なことになっていたから、本当に久々の体調不良だ。

 ムンゾに帰ってきて、気が緩んだのが一番の原因だろう。

 これまでなら1日寝てれば回復してたけど、積み重なった疲労のせいか、3日経ってもまだ寝台に転がってる。

 医師の話じゃストレスと疲れからってことだから、無理に熱冷ましで下げるより、ダラけることが一番の治療とか。

 いや、くれよ熱冷まし。

 “ギレン”が用意してくれた“隠れ家”には、約束通りコックも派遣されてきていたし、世話をしてくれる人もいたから、助かっているけどさ。

「『大丈夫?』」

「『ただの熱だからね。体質みたいなものなんだ、大事はないよ』」

 心配げに覗き込んでくるララァ嬢に、ゆるく笑み返す。

 “ガルマ・ザビ”生還シナリオの準備が整うまで、この隠れ家で待機を命じられた――“ギレン”から。

 本来なら、この待機中も復帰に向けての下準備に充てられた筈なのにな。

 無為な時間が少し悔しい。

 寝たり醒めたりうつらうつら。

 たまに地球にいる時の夢を見て、帰還したことの方が夢だったんじゃないかと怖くなって飛び起きたり。

 その度に、ララァ嬢かパプティが枕元にやってきて、夢じゃなかったってほっとする。

 キャスバルはガーディアンバンチに戻って行ったから不在だ。

 やっと会えたのに、また離れるって何だよ――早くシナリオとやらを用意して欲しい。

 みんなに会いたい。

 とりとめもない我が儘が浮かんでは消えるのを繰り返すのは、熱で頭が煮えてるからか。

 弱ってんなー。

 堂々巡りすぎて、我が事ながら嗤えるね。

 どっこいせと身を起こす。

 寝てばっかりいるから滅入っているのかも。

「『ちょっとキッチン貸してもらおう』」

「『起きてもいいの?』」

「『そういう気分なんだ』」

 室内履きに足を突っ込み、カーディガンを羽織って部屋を出る。

 使用人もコックも心配そうな顔で止めてくるけど、もう寝飽きたんだ。

「無理はしませんよ」

「本当にそうしてくださいよ!」

 そうして許可をもぎ取って、キッチンでスコーンを焼いた――パプティとララァ嬢が。

「『なぜ私まで!?』」

「『怠くて身体がうまく動かないんだ。仕方ないだろ』」

 手伝っておくれよ。

 紅茶はおれが入れるからさ。

 そんなこんなでティータイム。

 整えられたテーブルに目を輝かせる二人は、お菓子の家を前にしたヘンゼルとグレーテルみたいだ。

 クロテッドクリームは勿論、ジャムは定番のベリー系に加えて、変わり種だとイチジクなんかも。

 パンとケーキはコックに用意して貰った。瑞々しい胡瓜のサンドイッチと、シナモンの効いたアップルタルト。

 少し不格好で膨らみが足りないスコーンもご愛嬌。思い切り頬張る姿が可愛らしいね。

 よく言えば大人びていて、つまるところ子供らしさが少ない二人だけど、ここへきて年相応の表情を見せることも増えてきた。

 曰く、『ガルマの前で肩肘張るのが馬鹿らしくなった(パプティ談)』とのことである

 馬鹿にしてるのが8割、懐かれたのが2割ってとこかな。

 ララァ嬢とパプティと“ガルマ”。いつかの世界線じゃありえないメンバーだけど、それなりに和気藹々と。

 そんなふうに交流を深めること10日目。

 ついに“ギレン”が、“ガルマ・ザビ”の生還をムンゾに公表した。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「ガルマよ……ッ!!」

 おれの身体をかき抱いて、デギンパパは、それ以上言葉が出てこないようだった。

 半年前より少し痩せた体が震えてる。降り注いでくるのは涙で、笑みを形作ろうとしてる唇は歪んで、嗚咽ばかりが溢れていた。

「……、……!」

 背中側から抱きついたキシリア姉様の声も震えて、意味のある言葉にはならないみたい。

「ただいま帰りました」

 抱きしめられている中で、泣き笑いで帰還を告げる。

 抱擁は強くなるばかりで、もしかしたらもう離してもらえないんじゃないかなって思う程だった。

 

 

 “ギレン”によって書かれた筋書きによれば、おれを助けたのはコンスコン少将なんだって。

 どういう経緯か、地球から海賊によって拐われていた“ガルマ・ザビ”は、その賊を拿捕したコンスコンの手によって解放されたものらしい。

 ――なんでアースノイド至上主義者達に襲われてた筈のおれが、スペースパイレーツに攫われてんの?

 海賊船のクルーが地球出身ってコトで、たまたま拐ったなんて話になってるっぽいけど、めちゃくちゃ無理があるよね?

 どこでどうやって出くわして拉致ったのさ?

 ツッコミどころしか無いんだけど。

 なのに、ムンゾ国民はその荒唐無稽な話をあっさりと信じた。

 髪を切られ食事も禄に与えられない中で、それでも希望を捨てずに、同じく拐われていた少年少女を庇ってたとかナントカ。

 モニタの中で、コンスコンが痛ましげな表情そんなことを騙ってた――微妙に得意そうに。

 英雄コンスコンって、それってアリなの?

 そして、おれはどう振る舞えばいいのさ。

『――よし。記憶を無くそう!』

 “一切記憶にございません”だよ。君らもね。

『そんないい加減な……』

 パプティが呆れてるけど。

『だったら、なんか良い言い訳ある?』

『無いわね』

 即答してくれたララァ嬢は、多分、面倒臭くなったんだろう。

 じゃあ、2対1の多数決だ。3人ともに記憶曖昧ってことで。

『……なんていい加減なんだ』

 パプティがまだなんか唸ってるけど、そろそろ出番なんだよ。

 ひっそり帰るのかと思いきや、帰還報告の場にメディアを呼ぶって、サスロ兄さん何考えてんの。まるきり見世物じゃないのさ。

 こちとら髪はツンツン身体はカリカリ。ダラダラと続いてる熱のせいで――熱冷ましでも下がらん――、更にやつれてふらっふらも良いところだぞ。

 こんなみっともない姿を晒させるって、誰得なの。

 なんて。文句は尽きないけど、いまさらダダ捏ねてもどうにもならんし。

 ふぅ、と、温い息を吐いてから、脱いでた猫皮をしっかりと被りなおした。

 姿勢を正し、表情を改める。

 痩せても枯れてもザビ家の御曹司としての顔を作ると、横から驚愕の思考波が突き刺さった。

『本当にガルマ・ザビだったんだな……』

 いつまでそのネタ引っ張る気なの、パプティ。鼻にシワ刻んだ猫みたいな顔しちゃってさ。

『“ガルマ・ザビ”ですとも。さて、行こうかね』

 ヒラリと手を振って、足先を進めた。

 少しふらつくから、戻ってきたコンスコンとその部下が、護衛という名の介助として付いてくれるみたい。

 お礼を言って顔を上げる。

 コンスコンは、例のチョビ髭の中年男性で、部下は、ずいぶんと横にも縦にも大きなひとだった。

 小さな目がキラキラしてる。キャッチャーミットみたいな手が、おれの骨ばった手をそっと包んだ。

 あれ? なんか既視感。

 何だっけこの感じ。

「以前……お会いしたことありますよね?」

 何処かで――じっと眺め上げると、小さな目から驚きに見開かれた。

「覚えておいででしたか! ……はい、兵士に会いたいと酒場まで出向かれたときに」

 後半は小声で。

 ああ、そうだ思い出した。黒い三連星に接触しようとして、キャスバルとタチ・オハラも巻き込んで冒険した夜のことだ。

 おっかないくらいの大男が、小さなお目々キラキラさせて握手してきたんだっけ。今と同じように。

「お髭がないので、ちょっと迷いました」

 小さく笑いがこぼれた。

 あの時はモジャモジャのお髭だった。

「護衛にはむさ苦しいので、せめて剃れと」

 チラリと上司を伺う視線に、命じたのはコンスコンだと知れる。

 あの時はドズル兄貴の麾下だったけど、異動でもしたのかな。

「残念です。よくお似合いでしたのに」

 視線を交わしてクスクス笑い合う。

 親しげに見えたからだろう。コンスコンが大きく咳払いをした。

「さぁ、ガルマ様。お父上達がお待ちですぞ!」

「ええ。案内を宜しくお願いします。英雄コンスコン少将殿?」

 いたずらっぽく――僅かばかりの皮肉混じりなのは気づいて無さそう――告げると、ちょっと緩んだ笑みが返った。

 なるほど。英雄扱いは満更でもないってコトだね。

 見せかけだけの栄誉なんか、ランバならごめん被るって拒否しそうだけど。ま、人それぞれか。

 誘導されて廊下を行く。

 スタスタ進もうとするコンスコンを、大男の部下が止めた。

 指先の温度で、まだ熱が下がりきってないことに気づいたのか。

「……ゆっくりで構いませんよ。ガルマ様。足元に気をつけて」

 って、まるでご令嬢に対する気遣いだね。でも確かに弱ってるから、有り難く受けるよ。

 やがてたどり着いた先で、重厚な扉が開かれた。

 足を踏み出せば、カランと、何かが転がる音。さらにガタガタと大きな音が続いた。

 視線の向こうに、

「…ッ! お父様!?」

 元首ともあろう人が、椅子を蹴倒すようにして立ち上がっていた。

 杖を取り落としたことにも気づかぬ様子で、まろび寄ってくる――危ないと止めようとするお付きの人さえ押し退けて。

「ガルマッ!!」

「お父様!」

 伸ばされた腕の中に飛び込む。

 いつもみたいに。子供のようだと笑われながら、甘えてた頃と同じように。

「ガルマよ……ッ!!」

 涙声に、何度も頷く。

「ええ。僕です。“ガルマ”です」

 背中側からもきつく包まれた――姉様だ。

「……、……!」

 多分、名前を呼んでくれようとしてるんだろう――声が震えて、形にはならないみたい。

「ただいま帰りました」

 伝えれば、抱擁はますます強くなった。

 稲光みたいなフラッシュと、うるさい程のシャッター音。

 これ、みんな報道されるのか。ちょっとやり過ぎじゃないの、サスロ兄さん。

 もっと内々で喜び合いたかったよ。外野が邪魔。

「いまのお気持ちをお聞かせください!!」

 少し黙れレポーター。

 ぎゅうぎゅうと抱き潰されてるうちは喋れないし、デギンパパも姉様も、これでまともに返せると思ってんの?

 ――その様さえ餌なのか……。

 視線の端に、満面の笑顔でおれの帰還を喜びつつ、頬を赤らめてこの会見に興奮してるらしきサスロ兄さんが。

 内心で溜息。

 こういうところだよね、ザビ家。

 情は深いけど、状況を利用することに躊躇は無い。

 ま。そういうの、“おれ”には合ってるから、嫌いじゃないよ。

 ずいぶん長いこと抱き締められて、やがて周囲に促され、パパはようやくおれを放した。

 キシリア姉様も、少し遅れて腕を解く。

 用意されてた席につけば、初めて家族以外とも向き合うことになった。

 見渡せば会場は6割方泣き笑いの表情で、1割が号泣、残る3割がそれ以外に見えた。

 冷静に見えるのはともかく、忌々しげなのは何なの? 反ザビ?

 何でもいいけど。好悪の好だけ100%なんて有り得ないからね。

 とは言ってもさぁ。

「海賊船の中で、どんな目に合わされていたんですか?」

 って、いきなり聞くか? 普通、本人に。

 両隣のパパンと姉様の怒気が凄いことになってんのに、よくニヤニヤしてられるね。

 なるほど、その神経だからこそこの質問か。

 暫し視線を合わせ。

「……すいません。あまり覚えてません」

 素で首を傾げる。

 そもそも知らんし。

「その髪は海賊達に切られたんですか?」

 逃亡する為に自分で切ったんだよ、なんて答えらんないからね。俯いて曖昧に笑う。

「――……短いの、みっともないですよね?」

 しょんぼりして見せれば、

「それも可愛いです!!」

 そんな声援が後ろの方から飛んできたから、控えめに微笑んで手を振ってみた。

「あまり、辛い記憶を刺激するような質問は避けて頂きたい」

 これはパパンの補佐官からの牽制か。すんごい冷たい声にヒヤッとする。

「救出時の詳細は、このあとコンスコン少将からお話があるでしょう」

 って、シナリオには無かった展開みたいだね。コンスコンが目を白黒させてる。

 ま、頑張ってね、英雄殿。

 取り敢えず、コッチは言うべきことを言っておこうか。

「この度はご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。また、温かい応援やご配慮に、心からお礼申し上げます」

 立ち上がって、深々と一礼。それからグルリと視線を巡らせた。

「海賊達に囚われた経緯は……先程のお答えのとおりに記憶が曖昧で、お答えすることは困難です。ただ、それ以前の事についてお伝えしたいことがあります」

 会場が静まるのは、これから語られる言葉を待ってるんだろう。

 少し掠れ気味の喉を絞るようにして、声を張った。

「ご存知の通り、僕が地球に降りたのは、ズムシティへの連邦軍の介入を回避する為でした。僕の身柄を望んだのは、ジーン・コリニー中将閣下です……」

 少しだけ瞳を伏せて、俯く。

「地上での生活は、自由こそ制限されていたものの、決して無碍に扱われるようなことはありませんでした。後に親しくさせて頂いたグリーン・ワイアット中将閣下にしても、ジャミトフ・ハイマン少佐にしても、それは変わりません。彼らは僕を初めて身近に接したスペースノイドとして、彼らの中の先入観を、少しづつ改めている様子でした」

 ふぅ、と息継ぎ。

 発熱の怠さで、たくさん話すのは少々キツイものがある。

 言葉を切ったおれに向けられる視線は、真摯なもの、興味深気なもの、不快そうなもの、他には良く読めないものと様々だ。

「……5ヶ月に渡る交流の中で、彼らは、ムンゾを――コロニー社会を、決して討ち取るべき敵ではなく、また搾取するべき対象でも無いと……そう認識してくれました。そして、地球とコロニー社会の新しい関係を模索し始めていたのです」

 ん。これは嘘じゃないよ。

 ジーン・コリニーは“おれのために”ムンゾを蹂躙すべきでは無いと心を変えてたし、グリーン・ワイアットは“おれを通じた”ムンゾのコントロールを構想してたし、ジャミトフ・ハイマンは“おれを含めた”選民による人類の統治を夢想してた。

 これって、“新しい関係”って言えるだろ。

 その為にはコロニー社会への過剰な締めはするべきじゃ無いと、方向を転換してたし。

 だから、おれの声にも、眼差しにも、一挙手一投足どこにも嘘はない。人間だから“揺らぎ”はあるけど。それすら無けりゃ、かえって嘘臭いからね。

「ですが、それがアースノイド至上主義者達には受け入れられなかった――……とても――とても、残念でなりません」

 正直なところ、ここまで意識を変革してやった将校を喪うのは、ちょっとばかり勿体なかったとは思う。

 だけど、その頃には既にバスク・オムは離叛してて、襲撃は時間の問題だった。

 止めることはできなくも無かっただろう。

 でも、そうしたら、おれはキャスバルに誓った刻限までに帰れなかった。

 ――だから、止めなかった。

 彼らは、おれを地球に繋ぎ留めようとする“鎖”だったんだ。

 断ち切ることを選択したおれを、“ギレン”なら“人でなし”と判じるのかもね。

 “ギレン”に詰られるのは悲しい。知らずに眉が下がった。

「いまはただ、彼らの魂が安らかであることを祈ります――そして、ワイアット中将と、またこの件で負傷した方々の一日でも早い快癒を…」

「まるで聖人のようですね?」

 目を伏せたおれに、鋭い声が刺さった。皮肉げな眼差しの――さっきの記者とは別人か。

「……まさか。僕は、ちゃんと恨んでいるし、憤ってもいます」

「それは何について?」

「家族から、ムンゾから突然引き離されたこと。自由を制されたこと――手紙のやり取りすら、ただ一通を除いて許されなかった。面白おかしく揶揄され、心ない言葉を浴びせられた。そして……命を脅かされたこと」

 淡々と告げる言葉を、先の記者は存外に真剣に聴いてくれている様だった。

「バスク・オムは、僕に向けて引き金を引いた」

 そう言ったとき、ヒュッと喉を鳴らしたのは、パパンか、それとも姉様だったのか。

「結果的に、それは護衛をしてくれていたウッディさん……ウッディ・マルデンが防いでくれましたが、彼が……負傷しました」

 ちょっと喋り過ぎたか。熱がまた上がってきたかな。息が続かなくなってきた。

「…………僕は、ムンゾを守りたくて地球に降りたけど、そのことで、連邦に混乱が起きた――オム少佐は、その人生を狂わせました。ジョン・コーウェン中将も。彼らは……“ガルマ・ザビ”を憎んだ。殺したいと思うほどに」

 そう仕向けたのはおれだ。

 だけど、おれが居ても居なくても、奴らは破滅に向かったかも知れないし、そうじゃ無かったかも知れない。

 この世界線に生きるひとの先行きは知れないから、あるいは努力すれば歩み寄れさえしたのかもね。

 もし、おれの目的が最初から連中の懐柔であったなら。大人しく飼われる素振りで、奴らの意識にまで喰い入っていたら。

 長い時間――それこそ一生分――をかければ、ムンゾを無血に近い状況で独立させるルートを開くこともできたのかな?

 だけど、そんな“if”は、今となっては無意味だ――する気も無かったし。

「……アースノイドが憎いですか?」

 その問いかけには、パチクリと目を瞬いた。

 ――なんでまた?

 キョトンと素の顔が零れて、しまったと取り繕う前に、記者の目もパチクリと瞬いた。意外そうに。

「あなたを虐げたのは、アースノイド達ですよね? ジーン・コリニーも。バスク・オムも、ジョン・コーウェンも、そして海賊達もまた地球籍でした」

「……僕を護ってくれていたウッディ・マルデンも、気にかけてくれたゴップ大将、フォーラ准将も、士官学校で知り合ったブライトも、オリヴァーやフレッド、アイザックにルーカス、マテオも、みんな地球籍でしたよ」

 皆で遊んだあのゲームは面白かった。初めて会ったときの阿鼻叫喚は、思い出すだけでいまも頬が緩む。

「………最初から、助けて貰ってたんだ。彼らは“敵”じゃなかった」

 ポツリと。

 思えば、質の悪い教官から庇ってもらった。その後も孤立しないように、寂しがらないようにと何かと構ってくれてたね。

 ――良い奴らだった。

「彼らは好きでした。だけど……僕は聖人でも善人でもないから、バスク・オムは嫌いですし、ジョン・コーウェン中将だって好きになれなかった。他のアースノイド至上主義者達もです。嫌悪してたと言ってもいい。……酷いことをしてくる相手を、ニコニコと受け入れろって言うほうが無理です! ひとが言うほど、僕は優しくなんかない!!」

 そもそも、それ全部猫皮だし。

 ちょっと癇癪。

 ごめんよ。模範解答じゃない。故人に鞭打つべきじゃないのはわかってる。形だけでも悼む姿を見せるのが正解。

 でもさ、言い訳になるけど、奴らは徹頭徹尾敵意むき出しで、こっちも好意なんて持ちようがなかったんだ。

 この場で殊勝さを見せたところで、観察眼に優れた連中に嘘を看破されるだけだろ。

「――……ムンゾに、帰りたかった。寂しかった。みんなに会いたかった。……本当に帰りたかった――優しくしてくれた人は好きでした。嬉しかったです。でも……やっぱり帰りたかった。帰りたくて、堪らなかったです」

 毎日帰りたいって思ってたさ。

 だから、不謹慎だけどすげぇ笑顔がこぼれる。抑えられないし、取り繕う事もできない。

「――帰れて…嬉しい」

 めちゃくちゃ正直な気持ちだよね、これ。

 全部吐けば、記者の眼差しの色が少しだけ変わった。良いか悪いか分からないけど。

 さて、次の質問は何だ――なんて身構えたところで会見は終わった。

 ドクターが止めてきたとか。

 フラフラしそうになるのを、パパンと姉様が両側から支えてくれた。

 って、姉様。目が真っ赤じゃないか。

「……早く冷やさないと」

 目元に手を伸ばしたら、しっかりと掴まれた。

「お前こそ、早く熱を冷ましなさい。こんなに……」

 いま、ボロボロになってって言ったよね?

 そんなにボロボロか?

 溜息が落ちる。

 あんまりみっともないのは嫌だから、さっさと戻さないとね。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 家に帰った。

 熱が下がった。

 これ、最初から帰宅してたら治ってたんじゃないかな、“ギレン”。

 久々の自室は満員御礼だった。

「『My Precious! Cuties!』」

「『おかえりなさい! ガルマ!!』」

「『ガルマ!!』」

「ガルマ〜〜〜!!」

 両腕いっぱいに子供達を抱きしめる。

 アムロ、ゾルタン、ミルシュカ。

 ザビ邸で預かってる彼らは、帰宅と同時に嵐みたいに飛びついてきた。

 執事や女中頭が宥めても叱っても離れないし、おれも離したくなかったから、ぎゅうぎゅう抱きしめて部屋に連れて帰った。

 大事。大好き。可愛い。会えて嬉しい。幸せ。そんな思考波が溢れ出して、そこいら中を満たしてく。

 ミルシュカはギャン泣きしてしがみついてくるし、アムロとゾルタンからは、恒例の噛み付きキスを貰った――絶対、頬に歯型ついてる。

 キャスバルたち――アルテイシアとフロルとマリオンも、この後ザビ邸に来るみたい。

「『……会いたかったよ』」

 すりすりと擦りよれば、子供たちは擽ったそうに笑った。

「『うん。みんな心配してたよ!』」

「『ギレンさんは心配してなかった!』」

「ガルマはちゃんと帰ってくるから、信じて待ってなさいって」

「『そう! “ガルマの悪辣さを信じてる”って!』」

「『心配しなくてもシレッと帰ってくるから大丈夫って言ってたよ』」

 と、口々に。

 ふぉう。なんたる申告か。

「『……………“ギレン”まじ“ギレン”め…』」

 ギリィと奥歯を噛み締めてみれば。

「でも、ギレンさん、わたしたちをぎゅっとしてくれたよ」

 と、ミルシュカが。

 んん。フォローはしてくれてたみたいだね。良かった。

「『ちゃんと守ってくれた?』」

「『うん! 僕たちに何かあれば屋敷が崩壊するからって!』」

「『ガルマが怪獣大戦争するんだってさ!!』」

 なんかゲラゲラ笑われてるんだけど。

 ――……“ギレン”?

 どういう宥め方をしたのさ。物理で聞き出すぞ、ヲイ。

「『でも……大変だったんだね』」

 ふと、アムロの思考波が、撫でるみたいに触れてきた。

「『ギレンさんが言うから、もっと何でもない顔で帰ってくるのかと思っちゃってた』」

 しょんぼりした気配。じわじわ溢れてる思考波は、痩せてるとか、髪短いとか。

「『ボロボロだ!』」

 ゾルタンは、もうちょい言葉を選ぼうか。

「『……まぁねぇ。逃亡生活最初の方で、“水だけで何日保つかなチャレンジ!”とかやったからね』」

 あれは拙い。その後に食べ物にありついたって、いきなり食ったらヤバいことになるんだ。

 泣きたくなるくらい我慢しながら、チマチマ舐めるとこからスタートだぞ。

 ストレスで倒れるかと。

「『……そっち?』」

 食べられないストレスより、我慢するストレスの方が上なのって突っ込みがきたけど、そっちだよ。

 経験してみれば分かると思う。でも絶対に経験すんなよ。

「『……どっち?』」

「『経験すんなってコト』」

 お前たちにそんなこと、絶対にさせないから安心しな。

 まあ、やつれ切ったのは帰還後の待機期間に熱出してたのが一番の原因だから、すぐに取り戻せると思うよ。

 ニコリと笑って、さらに順繰りに抱きしめてベッドの上をゴロゴロ転がった。

 そんなこんなできゃあきゃあ騒いでたら。

「ダイクン家ご一同様、ラル家ご一同様がお見えになりましたよ」

 と、執事から。

「アルテイシア!」

 お姫様に一番懐いてるミルシュカが、ベッドからぴょんと飛び降りた。

「ガルマはやく! アルテイシア、ずっとずっとまってたよ!!」

 はやくはやく、と、グイグイと腕を引っ張ってくる。

「『わかった、ほら、皆でお出迎えだ!』」

 アムロとゾルタンもベッドをおりて、皆で小走りでリビングに向かった。

 すれ違う使用人たちは、みんな笑顔で目尻を拭いながら、小声で「おかえりなさいませ」って。

 帰宅のときにも聞いたけど、何度でも言ってくれるのが嬉しいね。「ただいま」を繰り返しながら長い廊下を急ぐ。

 部屋の寸前で、付いてきてくれてた執事が、乱れた髪とシャツのよれを直してくれた。

「姫君方がお待ちでございます」

 ん。身だしなみ大事だね。浮かれてて疎かになってたよ。

「……ありがとう」

 見た目ボロボロらしいけど、ちょっとは繕えてるのかな。

 居間の扉は開かれていた。

 一歩踏み込めば。

「ガルマ!!」

 腕の中に金色の光が飛び込んできた。

 最初に感じたのは眩しさで、それから抱きしめた柔らかさを壊しそうでこわいって、守らなきゃって。

「……アルテイシア。僕の大切なお姫様だ」

 唇の端がきゅっと持ち上がった。作らなくても微笑みがこぼれ出す。

 僕たちのお姫様。きれいで可愛くて、可愛すぎる。

 しゃくり上げる少女の、豊かな金色の髪を指で梳く。

「泣かないで、水宝玉の瞳が融けてしまう。僕の可愛いひと。僕はちゃんと帰ってきたよ」

 抱きしめる腕に少しだけ力を込める――苦しくないように、そっと。

『……相変わらず、よくそんな台詞が吐けるな』

『感動の再会に水を差すなよ、お兄ちゃん』

 突っ込みを入れてきた幼馴染に、内心で溜息をつく。

『……お前もこれくらい吐けるようにしとけよ、キャスバル』

 ララァ・スンがムンゾに来たんだ。うかうかしてるとアムロに取られちゃうぞ。

 と、鼻で笑われる気配が。

 ホントにさぁ。まぁ、お前は良い男過ぎるから、小細工なんか無用なのは分かるけど。

「……半年じゃ、アルテイシアのお転婆は治らなかったな。『君が甘やかすから、きっとずっと治らないぞ』」

「前にも言ったろ。それもお姫様の魅力さ。――ただいま、キャスバル。『先に会ってたけどね』」

「おかえり、ガルマ。『今日は泣かないのかい?』」

 ぬ。一粒泣いただけなのをあげつらうとは、この意地悪め。

『格好つけさせてよね』

『せいぜい頑張れ』

 この言いようである。

 でもまぁ、キャスバルの思考波がすぐそばにあるのは、めちゃくちゃ意識が安定するね。

 思考がズレない。おれと“おれ”と僕が乖離せずに“ガルマ・ザビ”を形成できてる。

『……お前の傍は息がしやすいね、キャスバル』

『そうか』

 素っ気ない返事だったけど、意識を撫でる思考波はいつもより優しかった。

 腕の中で、もぞもぞとお姫様が身動ぎして、それから振り向いた先でキッとキャスバルを睨んだ。

「ひどいわキャスバル兄さん! 私が先におかえりなさいって言いたかったのに!!」

「君がモタモタしてるからだろう、アルテイシア」

 ふぉ。ここで兄妹喧嘩勃発とか。

 実際には、キャスバルとは先に船で会ってるんだけど、これは秘密だし。

「大丈夫だよ、アルテイシア。君の心の声が聞こえたもの。おかえりなさいって、僕はもう聞いていたよ?」

 ポンポンと背を叩いて宥める。

 すぐに飛びつかれたから見えてなかったけど、今日のアルテイシアは、ホリゾンブルーのシルクシフォンのワンピース姿だった。

 細やかな刺繍、スピーカースリーブのラインが愛らしい。

 何を着てたってアルテイシアは美しいけど、今日の彼女もまた格別に美しい。

 目に映るたびに美しい。

 理屈じゃなく、美しくて可愛い――異論は認めない。

「ただいま、アルテイシア」

「ガルマ、おかえりなさい」

 誘われるようにかがみ込んで、瞼にキスを贈った。

 アクアマリンみたいな瞳がパチパチと瞬いて、それから怒りに紅潮してた頬が、さらに紅く染まった。

 うわ、可愛いな!

 気がつけば、さらに髪と頬にまでキスしてた。

 やべぇな。キス魔復活してるかも。

 だって仕方がない。可愛すぎるんだ――密に抗えない蝶を誰が責められようか。

 もういっこキスしとこ。

『その辺にしといてやれ。そろそろアルテイシアの心臓が止まる』

 思考波がめちゃくちゃ笑ってる。キャスバル、お前、妹に対してそれは無かろうよ。

『それに、保護者の前だぞ』

『……そうだったわ』

 この場にはキャスバルとアルテイシアだけじゃ無かったね。

 顔を上げたら、真っ赤な顔のミルシュカとマリオンと、ダァダァ泣いてるフロルと、あらあらとでも言いそうな御母堂様――アストライアとレディ・ラル、それから砂糖を吐きそうなランバ・ラルが居た。

 アムロとゾルタンは「ひゅーひゅー」言ってくるし。どこで覚えたの?

 改めて。

「ご心配をおかけしました。“ガルマ・ザビ”、ただいま帰りました」

 一礼を。

 ぱぁっと、居間の空気が明るくなった。

 皆が次々に寄ってきて、腕や背を優しく叩いて「おかえりなさい」を言ってくれた。

 ランバ・ラルの一撃だけ、ちょっと強めだったけど。

「『〜〜〜ッ、ガルマァ…』」

「『大丈夫。帰って来たからね!』」

 かなり大きくなったフロルを、なんとか抱っこして宥める。

 よろめいたところを、キャスバルとアムロが支えてくれた。

「一時はどうなることかと思ったわ!」

「助かって本当に良かった」

 アストライアとハモンが、交互に頭をなでてくれる。

 まだ未成年とはいえ、それなりの年の青年ぞ、おれ。そんな幼子にするみたいに――美人にチヤホヤされるのは嬉しいから、もっとお願いします。

『ブレないな、君は』

『ガルマだし』

『ガルマだからな!』

 思考波での突っ込みは流すからな。

「……マリオンも綺麗になったね。“ラル家の紅玉”だ。ランバも気が気じゃなくなるね」

 赤と見紛うほどに明るい茶の瞳は、光にかざせば柘榴石もかくやだ。

 微笑みは明るくて無邪気だ。もう、以前の翳りは見つからなかった。

 スモッグタイプのゆったりとしたワンピースはマリンブルーとホワイトのストライプで、切り替えのリボンが少女らしいね。

 ハモンもマリンブルーのスーツだから、母子で色を揃えたのか。

 そう言えば、ミルシュカもベビーブルーのドットのワンピースだった。

 なるほど。アストライアのスカイブルーのドレススーツも、少女達のそれぞれのブルーに合わせたってことだね。

 ――おれの一番好きな色だ。

 意識して装ってくれたのか。すごく嬉しい。

「お前に誑かされんかヒヤヒヤするぞ」

 そんな風に睨んでくるランバは、ちゃんと父親の顔をしていた。

「ガルマは色々言われてるけど、アルテイシア一筋よ!」

 と、マリオンが。

「どんな美人にも社交辞令だけで靡かないって言ってたわ。パパも見たでしょう?」

 え、それドコ情報――って言うか、パパ! ランバがパパ呼び! ランバパパ良いね!!

 プスっと、ちょっと溢れた笑いに反応してか、ギロリと睨まれた。

『君、あっちで女優を袖にしただろう。ゴシップに流れてたぞ』

 キャスバルが笑う。

『そんなことあったっけ? ………んん。あったような?』

 いつかのパーティーで、好みじゃない女に撓垂れ掛かられた事があった気がする。金髪で青い目の。そういや女優だったっけ。

 正直、地球じゃ女どころの話じゃなかったし。毎日オッサン攻略の綱渡りで――思い返すと泣きそうだ。

「お前のことだから、てっきり羽を伸ばして来るんじゃないかと思っていたんだがな」

 そんなデリカシーのない言葉は、妻と娘から背中を叩かれて止められた。

 アルテイシアもミルシュカもプクリと膨れて、ランバが慌てて謝ってた。

『おれ、ここに心を置いてっちゃったからさ、そりゃ靡きようがないよね』

『そうか』

 キャスバルが笑う。

 アムロも、ゾルタンも笑ってるのか。

 フロルはきゅっと服の裾を握って、グリグリと頭を押し付けてくる。

「僕の楽園はここだもの。羽はここでしか伸ばせないよ。『つまり、お前たちの傍でってこと』」

 大事なものをすべて詰め込んだムンゾは、おれにとっての故国であり楽園であり、宝箱だ。

 今回のことで、思いがけずその中に、ララァ・スンとパプテマス・シロッコまで入ったんだし。

 ますます護らなきゃなんないね。

『まずは、そのやつれ切った様をなんとかしろ。ギレンにも“貧相になった”って言われてただろ』

 って、馬鹿にして鼻鳴らすのやめて、キャスバル。

 ――おのれ“ギレン”め。

『はいよ。りょーかい』

 目標は今週末まで。

 遅くとも再来週には、お前の隣に戻りたいからね。

 

 

 “ギレン”に、ララァ・スンを姫君として扱うようお願いした。

 これまであまり良い扱いを受けてこなかった少女はどこか投げやりで、他者からの搾取を仕方がないと諦めて受け入れる素振りだったから。

 そんなの許しておけないよね。

 だって彼女は、キャスバルとアムロのお姫様だ。

 ましてや美少女。磨けばどれほど輝くか。

 “ギレン”は少し渋い顔をしたけど――多分、おれの過去の女絡みのアレコレを思い出したんだろう。アレはそんな顔だった――ザビ邸で保護することに反対はしなかった。

 パプテマス・シロッコも纏めて引き取ると言ってた。

 パプティについては、育てればいい秘書官になるだろうから、それもあってのことか。

 屋敷に入れるのは、おれが士官学校へ行ってからだって。

 この辺りはアルテイシアへの配慮だとか。

 ――なんか最近、おれの婚約者みたいだよね、アルテイシア。

 大丈夫なのか。いや、そこらの男共の牽制になるから、おれの方は文句は無いが。

 だけど、彼女の未来の恋の芽を摘んじゃいないか、おれ。

 ちょっと心配。

 “ギレン”は生温い視線でおれを見てた。なんなの。

 そんなこんなで、結局、屋敷で二週間を過ごした。

 落ちた体重はザビ家のコックがせっせと戻してくれたし、アムロやゾルタン、それからフロルに付き合って転げまわって遊んだのは、いい鍛錬になった。

 カイが呆れた顔をして見てたから、当然、巻き込んでやった。

 すんごい悲鳴を上げてて笑った。

 おれが地球で記憶してきたデータは、全部タチに渡しといた。多分、フェイク混じりだとは思うんだけど……どうだろ。

 最後の方なんか、コリニー辺りは駄々漏れっぽかったから、ホンモノだったりしてね?

 連邦軍の機密あれこれ――あちらこちらで仕入れてた色んな事柄――は、一通り脳ミソに焼き付けといたから、全部出力した。

 タチは戦慄、デラーズは驚愕、“ギレン”は普通の顔して受け取ってた。

 もっと褒めてよ、“ギレン”。

 溜息が落ちるのも、通常運転に戻ってきた感じかね。

 デギンパパにはまだ家にいろと引き止められたけど、流石にね。

 皆にも誓ってる訳だし――キャスバルの隣に戻るって。

 さあ、いざ行かん士官学校。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 思い切り忘れてたけど。

 ――……そう言えば、地球に降りたのに、イセリナ・エッシェンバッハには会えなかった。

 キャスバルはララァ・スンに会えたのにね。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 26【転生】

 

 

 

 コンスコンが、“適当な海賊”を拿捕して帰ってきたのは、十日の後のことだった。

 それに合わせて“ガルマ”の生還を公表すると、ムンゾ国内は大変な騒ぎになった。

 海賊を拿捕し、“ガルマ”を“保護した”コンスコンは英雄になり、連日メディアに大きく取り上げられている。

 もちろん、公表される前に“知らせ”を受けていた“父”やキシリアも、カメラの前で喜びの涙を見せていた。

「――巧くいったな」

 それを眺めながら、囁きかけてきたのは、サスロである。

 “父”やキシリアよりも、この“弟”に“ガルマ”の帰還を伝えると、サスロは張り切って、TVの中継を手配したり、記者会見のスケジュールを組んだりと、四方八方に手を回してくれたのだ。持つべきは、情報操作の得意な“弟”である。

「あぁ、まったくだ」

「お前が話を持ってきた時には、こんな雑なアイデアで、皆が信じるものかと思ったが――意外にいけるものだな」

「“ガルマ”は、昔からいろいろあったからな。何をやってもあり得そうな気がするのだろう」

 子どもの頃に、キャスバルとともに誘拐されても戻ってきたし、ごく一部では、“黒い三連星”と会うために場末の酒場に出向いた話も知られているようだったのだし。

 多分連邦側も、海賊に捕らわれた経緯はともかくとして、海賊船から救出されたこと自体は疑ってはいないだろう。何しろ、反ムンゾの急先鋒ふたり――その片方は、既に神に召されたのだが――を、見事に籠絡してみせたわけなのだから。

「……それにしても、まさかコンスコン少将が、ガルマ救出の英雄とはな」

 サスロが云うが、

「一応、艦隊司令官なのだから、海賊を拿捕したとて不思議はあるまい?」

 それ故に、コンスコンを“ガルマ”救出役にしたところはあるのだし。

「いや、絵面の問題だ。もう少し、こう、華やかさが欲しかったんだよ。せめてガルシア・ロメオ少将かマ・クベ中将くらいの見た目だったらなぁ……」

「コンスコン少将は、割合人が良さそうな見た目だからな」

 まぁ、その分地味ではあるのだが。

「それはわかるが、こう、ぐっとこないんだよ。白馬の騎士とまではいかなくても、ご婦人方が夢を見るような雰囲気とかがな……」

「云いたいことはわからんでもないが」

 しかし、コンスコンとて軍人なのだ。役者やモデルでもないのだから、そのあたりを求めるのはどうかと思う。

 第一、サスロが名を上げたマ・クベやガルシア・ロメオにしたところで、年齢と云い見た目と云い、とても“白馬の騎士”などと云う柄ではあるまいに。

「これで、あの子どもたちを前面に出せたのなら、少しは恰好もついたんだが……駄目だと云うんだろう?」

「あぁ」

 “あの子どもたち”――つまり、ララァ・スンとパプテマス・シロッコは。

「で、あの二人も引き取ると聞いたが、本当か」

 “父”やキシリアにカメラが向けられているのを横目に見つつ、サスロが小声で訊いてくる。

「あぁ。お前やキシリアも家を出ているし、“父上”も、最近はすっかり公邸にばかりお住まいだ。子どものひとりやふたり、増えたところで構うまい?」

「父上の件は、お前のせいだと思うがな……」

 と云うサスロの言葉は、聞かなかったことにする。

「ララァ・スンは、キャスバルかアムロと、と思っているのだ。パプテマス・シロッコは、どうやら政界を目指したいようなのでな。まずは学校にやって、その後は、シャア・アズナブルとともに、私の私設秘書にでもするかと思っている」

「あぁ――そう云えばお前、あの秘書官を追い出したそうじゃないか」

 にやにや笑いを向けられる。

 じろりと睨んでやるが、一向おさめる様子はない。

「あれは、向こうが踏みこんできたのが悪い。こちらにその気がなくてぐいぐいこられたら、逃げたくなるのが人情だろう」

「父上は、お前とあの秘書官が一緒になるもの、と思っていたらしいからな。多分がっかりされているだろうさ」

「いい加減、私が結婚に向かぬ男だと、理解して下さらんものかな……」

 家族である以上、難しい気はするが。

「無理だろう」

 案の定、サスロも云った。

「お前がまったく女から見向きもされんならまだしも、意外にもてているじゃないか。特に、あの秘書官はかなり本気だった。それは、父上としては期待もするさ」

「どうせ皆、ザビ家の家名や私の地位が目当てではないか」

 だから、早々に破綻することになるのだ。

「俺たち兄弟は皆、見た目が宜しくはないからな。地位だの何だのが目当てでも、選ぶ余地があるのはありがたいことだと思うぞ」

「結局破綻するなら、選ぶ余地があっても変わるまい」

「そうでもないさ。探せば、案外いるものだぞ?」

 とにやつくこの“弟”は、やはり家を出てから、相手を見つけたのだろう。

「――“父上”に報告は?」

 と云うと、あからさまに狼狽えた顔になった。

「お前がそんな云い方をすると云うことは、もう家に住まわせているのだろう? 結婚秒読みではないか。それで父上に何も報告なしか?」

「う、い、いや、もう少し本決まりになってからと……」

 今度はこちらがにやにやする番だ。

「家に入れているなら、もう本決まりではないか。向こうももちろんそのつもりだろう。何を躊躇うことがある?」

「しかし、お前より先に……」

「お前が決まってくれた方が、“父上”も諦めて下さり易いだろう。相手を待たせるな、さっさと行け」

 サスロはあぁとかうぅとか唸った後、

「……今度報告する」

 とだけ云って黙りこんだ。

 ――なるほど、本気なのだな。

 とは思ったが、これ以上突くと本格的に拗ねそうなので――それはそれで、この“弟”としてはレアな光景だ――、この辺で切り上げておく。別段、兄弟仲を拗れさせたいわけではないのだ。

 もう一度、カメラの前を注視する。

 髪の短い“ガルマ”が、“父”とキシリアに抱擁されている。ララァ・スンやパプテマス・シロッコもともに壇上に上げられたのだが、二人は邪魔にならぬようにか、ひっそりと奥に退き、ザビ家の“感動の再会”に道を開けた恰好だ。

 まぁ、確かにあまり前面に出されても困るだろう。かれらを攫ってきたのは“ガルマ”であって、コンスコンが拿捕した海賊ではない。“海賊船での生活”を訊かれたとしても、曖昧なことしか云えないのだから。

 その、コンスコンが拿捕した海賊は、裏取引により、船を破棄することになった。公式には全員銃殺刑だが、乗員はそっくりレッド・フォース号に移すことにしている。ドレンたちを正規の任務に戻すためのことだ。

 かれらは、ドレンの代わりに、引き続きサイド7への航路を襲撃する。連邦に拿捕された場合のあれこれは、かなり脅しつけた上で吹きこんでやったし、“伝書鳩”が数人を籠絡したので、一応動静はわかるはずだ。まぁそもそもこちらが用意した船なので、識別番号も何も完全に把握している。目一杯改造済なので、これ以上弄るとしても、発信機などを探して外すくらいのことしかできないに違いない。まぁ、高性能な船なので、そのまま使ってほしいとは思う――追跡が楽だと云う部分も含めて。

 レッド・フォース号の特務から解放されたドレンたちクルーは、全員一階級ずつ昇進させた。そのため、ドレンは現在中尉である。

 驚いたことに、レッド・フォース号には、シーマ・ガラハウが乗っていたようだ。“ガルマ”から聞いたので、昇進の辞令を出す時に、他の士官とともに呼び出したが、確かにビジュアルはあのままだった。まぁ、もっと若いし、何と云うか初々しさも残っている。驚くほどの長身――190あるこちらとほぼ同じ――だが、『0083』における狂的な雰囲気は見られない。さて、この時間軸で、今後シーマ・ガラハウはどのような軍人になっていくのだろうか。

 まぁ、このままいくと、ブリティッシュ作戦の汚れ仕事云々はなくなるので、そう云う意味では、後の女傑とは違った道を歩むことになるのだろうが。

 とにかく、すべてが原作軸とは大きく変わっているのだ、各キャラクターの先行きも、当然大きく変わってゆくはずだ。

 その最たるものが、ララァ・スンとパプテマス・シロッコである。

 ララァ・スンは、本来ならジャブローの建設現場近くの歓楽街で、キャスバル――“シャア・アズナブル”と出逢い、やがてはフラナガン機関に入れられることになるわけだが、今回は無論、研究所になど入れるつもりはない。キャスバルとアムロの“運命の女”として、多分どちらか、あるいは三人で、生きていくことになるだろう。

 シロッコの方は、原作よりずっと早い段階で、歴史の表舞台に出ることになる。こちらの方も、ララァ・スンや覚醒したキャスバルやアムロと接することで、『Z』で見せていたような過剰な自信と選良思想は弱まらざるを得ないはずだ。

 この二人の動向によって、この時間軸は、さらに大きく姿を変えていくだろう。

 その先に何があるのか、考えても見透かすことはできなかった。

 ――何にしても、開戦してみなければ、先などわからんな。

 連邦の将官を三人“葬り去った”――結局、ジョン・コーウェンは銃殺刑になり、グリーン・ワイアットは退役することになった――わけだが、その後にどんな人物がくるかはわからない。ブレックス・フォーラの早い昇進は歓迎だが、かれ一人であの三人の穴を埋められるはずもない。ジャミトフ・ハイマンは死んだようだが、連邦軍に、他にどんな将校があるのかもよくわからない。まさか、この騒ぎの後でアースノイド至上主義者を昇進させるとも思われないが、かと云って、穏健派ばかりを上にあげるとも思われぬ。つまりは、ムンゾにとっては、危険が去ったとは云い難いと云うことである。

 いよいよデータが頼りにならない状況になってきたわけだ、と苦笑するしかない。

 ――エルラン中将でも、早目に籠絡しておくか。

 とは云え、原作でも内通者であったかの中将のことは、それほど良く思ってはいないのだが。

 ――他に、連邦の将官は誰があったかな……

 『the ORIGIN』枠であれば、ワッケインが少将であったはずだが、あの男は割合堅苦しいタイプであるような描写があった記憶がある。それからティアンム提督――階級は中将――だが、こちらも特筆すべき描写はなかったように思う。一応上官のはずのレビルを呼び捨てにしていたあたりで、レビルを軽んじているらしいとはわかったが、対スペースノイド的な態度までは描写されていなかったような気がする。

 まぁ、どちらにしても期待薄だ。ゴップとブレックス准将と云う、割合太いラインがあるのだから、それをしっかりと掴みつつ、連邦の動向にも注視していく今の路線でいくしかない。下手なところに手を出して、馬脚をあらわしたと云われるのも癪である。

 まぁ、1stにしても『the ORIGIN』にしても、エルラン中将と接点を持ったのはキシリアだった。それならば、そこはおとなしくキシリアに任せ、こちらはこちらのなすべきをなそうではないか。

 たくさんのカメラの前に、“ガルマ”がまろび出る。それを、“父”とキシリアが支えるように抱きとめた。

 見れば、“父”が坐っていた椅子が、投げ出されたかのように倒れている。最愛の“息子”の姿に感極まって、椅子を蹴倒して立ち上がったのか。

「ガルマッ!!」

「お父様!」

「ガルマよ……ッ!!」

 “父”の声は、泣き噎んでいるかのようだった。

「ええ。僕です。“ガルマ”です」

 微笑みすら浮かべる“ガルマ”に、キシリアの方は声もないようだ。

「ただいま帰りました」

 その言葉に、一斉にフラッシュが焚かれる。そして、“ガルマ”や家族の言葉を拾おうと、躍起になるレポーターたちの声。

 茶番なのは相変わらずだが、これも必要な茶番ではある。

 多分、このカメラやレポーターたちの中には、連邦系メディアのものもあるだろうから、このカリカリよれよれの“ガルマ”の姿は、他のコロニーや月都市、もちろん地球でも流れるに違いない。

 コロニーや月、地球の市民たちはともかくとして、連邦軍上層部は、一体どんな気分で、この“感動の再会”劇を見るのだろうか。

 ――まぁ、間違いなくゴップ将軍には何やかやと捩じこまれるな……

 “ガルマ”を“巧く使う”などと云っていたが――しかしまぁ、将官三人佐官二人が離脱と云うのは、ゴップにとっても想定外だろう。せいぜいが、バスク・オムを更迭したり、場合によってはジーン・コリニーを降格、あるいは左遷させたりと、その程度しか想定していなかったはずだからだ。

 幹部クラスが一気に五人減るのは、いかに人材の多い連邦軍と雖も結構な痛手のはずである。もちろん、こちらとしては願ったりの状況であるのだが。

 まぁ、とは云うものの、あまり本気で捩じこんでくるとは考えていなかった。

 連邦軍の人間と云えども、やつれ切った“ガルマ”の姿を見、また“ガルマ”が地球に降りたそもそもの発端を思えば、そうそうこちらを批難できるとも思われなかったからだ。

 ――とりあえず、ゴップ将軍からの苦情だけは覚悟しておこう。

 それを回避することだけは、どうあってもできないだろうから。

 そう思ってまなざしを戻したその先では、“ガルマ”と家族たちが、未だひしと抱き合っていた。

 

 

 

 案の定、ゴップからの連絡があった。かの再会劇が報道された、すぐ翌日のことである。

〈見たぞ、ギレン・ザビ〉

 と云ったゴップのまなざしは、睨めつけるかのようだった。

「は、何をでございましょう」

 素知らぬ顔で、しかし注意深く問いかける。

〈とぼけるな。ガルマ・ザビのことだ!〉

 ゴップは叫んだ。

「“ガルマ”のこと、と申されまして――とりあえず、どのあたりのことでございますか」

〈海賊に捕われていた、と云うところだ!〉

「しかし、私の部下のひとりが、“ガルマ”を海賊船から救出したのは確かなことなのですが」

 まぁ、正確には“海賊船で身柄を強奪し、然るのちにこちらに引き渡してきた”わけなのだが。

〈そこはともかく、あの小僧が、おとなしく海賊などに捕らわれたままでいた、とは、とても思えん!〉

 なるほど、流石に多少なりとも本性を知るひとは、よくわかっている。

〈あの小僧のことだから、地球を拠点とした海賊連中を誑かして潜りこんで、まんまと脱出してのけたに違いない。そうだろう、そうなのだろう、ギレン・ザビ!?〉

「……確かにありそうな話ではございますが、流石にそれなら、もう少し肌艶よく帰ってきたかと思いますが」

 そう云ってやるが、ゴップは、とても納得したようには見えなかった。

 まぁ、これで納得されたら、それはそれでアレである。

〈あの小僧は、誰をどう誑かすか知れたものではないからな!〉

 憤然としてその言葉は、いくら火種になるかも知れなかったとは云え、将官三人を失ったことに対する憤りもこめてのものだっただろう。

 まあ確かに、逆の立場であったなら、こちらも理屈が通らないのは承知の上で、ゴップに憤りをぶつけたはずだから、これは甘んじて受けねばなるまい。

 しかし、

「あれを巧く使うとおっしゃったのは、閣下ではございませんか」

 ちくりと云いたくなるのは許してほしいものた。

 途端に、ゴップは渋い顔になった。

〈確かに云ったが――まさかここまでとは思うまい〉

「まぁ、正直、私も驚きました」

 確かに“ガルマ”に掻き回してこいとばかりに枷を外しはしたが、せいぜいがバスク・オム、ジャミトフ・ハイマン、ジーン・コリニーのラインを潰すくらいだと思っていた。他に将官二人を巻きこむとは、流石は悪辣さと悪知恵の権化である。

 ゴップは片目を眇めた。

〈正直に云え、ギレン・ザビ。お前、どんな指示をあの弟に与えたのだ〉

「何も」

〈嘘をつくな。何もなしに、あれはなかろう〉

「何も申してはおりません。ただ、手綱を少しばかり緩めただけで」

 その“少しばかり”が、これほどの被害を引き起こすことになるとは想定していなかったのだ。

〈“少し”がこれか〉

「然様でございます」

〈それならば、お前が“全力でやれ”と云ったなら、あの小僧は一体どれほどの事件を引き起こすのだ〉

「さて、それは……」

 “昔”のあれこれを思い返すなら、連邦政府の転覆とまではゆかぬにせよ、連邦軍の一角を消滅させるくらいのことはやれそうな気がする。一角と云うか、三分の一くらいだろうか。

〈まだ学生の身で、ここまでとは……末恐ろしいな〉

 戦慄した口調で、ゴップは云う。まぁ確かに、敵に回せばこれほど恐ろしいものはない。

「私が手綱を締め上げていたわけを、もう閣下もご納得戴けたのではございませんかな」

〈あぁ……とてもよくわかった〉

 冷汗を拭う仕種をしながら、ゴップは頷いた。

〈私の危険人物リストの最上位に、ガルマ・ザビの名を上げておくことにする。このようなことが、二度もあっては堪らんからな〉

「それが宜しゅうございましょうな」

 まったく、タチではないが、これがムンゾ国内のことでなくて本当に良かった。確かに反対勢力は一掃されようが、余波で軍や議会ががたがたになりかねない。既に、ムンゾ大学立て籠もり事件や、“ガルマ・ザビ”襲撃計画などで、議会の方はがたがただと云うのにだ。

――狙撃事件の後に、きちんと釘を刺しておいて、本当に良かった……

 これで何も云っておかなかったなら、議会の穴がさらに大きくなっていただろう。かつてサスロにも云ったが、“ガルマ”に任せると、やり過ぎて一帯が焼け野原になるのだ。多少の“雑草”は、健全な社会の存続のためには必要なのである。

 ふと思ったが、“昔”の恐怖政治とやらのあれこれは、あれに引っ張られたところもあったのではないだろうか? “画期的、人道的な処刑方法”が編み出された後とは云え、あの処刑数はいかにも多過ぎた。敵対する一族を滅亡させた時のように、やりまくった結果があれ、と云う可能性は捨て切れない――そう云ってやれば、“ガルマ”は“自分だけじゃない”などと返してくるのだろうが。

 ――まぁ確かに、“ガルマ”だけの問題でもなかったが……

 しかし、一帯を“焼け野原”にする才で、“ガルマ”の右に出るものはない。

 今回の件で、ゴップのみならず、連邦軍の少なくとも半数には警戒心を抱かれただろうから、この騒ぎが落ち着いた後暫くは、とにかく表舞台には立たせないようにしなくては。

〈――ともかく、あの小僧は、しっかりと鎖に繋いでおけよ。良いな!〉

「は、心致します」

 こちらの言葉に、ゴップは荒く鼻を鳴らし、通信を切った。

 とりあえずは、何とか躱した。

 深く息をついて椅子に身を沈めると、

「……随分とお怒りでしたな」

 控えていたデラーズが云う。

「まぁ、仕方あるまい。あの惨状では、文句のひとつやふたつ、云われて当然だろう」

 実際、同じことが起こったらと思うと、ぞっとする。将官三人――例えばコンスコン、ダニンガン、マ・クベを一度に失ったなら? それに加えて、ランバ・ラルとタチが更迭されるようなことにでもなれば、ムンゾ国軍はお終いだ。

 軍事は、ただ戦略があれば良いと云うものではない。指揮官によって、部隊は生きも死にもするし、士気も変わってくる。同じ作戦も、良い指揮官と高い士気によって遂行されれば良い結果が残ろうが、そうでなければ惨憺たることにもなりかねないのだ。

 戦いは確かに数だが、その差を補うものももちろんある。良い指揮官は、その差を多少なりとも埋めるのに役立つのだ――凡百の将では、そうはゆくまい。

「ムンゾとしては、上々の結果かと思われますが」

「しかし、連邦に、“ガルマ”に対する強い警戒感を植えつけることになったのだから、やはり良し悪しだろうな」

 今後は、“ガルマ”の名が出ただけで、連邦側が用心しかねない。“ザビ家の御曹司”として、兄弟で唯一警戒されていなかったが、これからはそうはいかなくなる。

 デラーズは苦笑した。

「まぁ、確かに“ザビ家の御曹司”には違いございますまい」

「それは、悪辣だと云う意味でだろう」

 少なくとも、本来のガルマ・ザビのような、“謀略まみれの一家の中の、穢れなき薔薇”と云うイメージは、連邦軍内部では消滅した。

 これから“ガルマ”は、連邦からのより厳しいまなざしを受け続けることになるだろう。

 ――さて、それが“暁の蜂起”にどう影響してくるか。

 既に大々的な事件が起き、かつ連邦側と約定が交わされているムンゾにおいて、原作のような学生の蜂起、あるいはそこに端を発する細々とした争いと、そこから発展したルウム戦役のような開戦ルートがあり得るのだろうか。

 今のラインで行けば、ミノフスキー博士の亡命もなく、そこからの月面の戦いもないだろう。連邦軍がムンゾに対して慎重になっているからには、連邦軍の艦船と、ムンゾの民間船舶の事故もないだろう――ムンゾの世論を鑑み、ムンゾの宙域では慎重な行動を取らざるを得ないはずだからだ――から、そうなれば、火種は他サイドに生まれることになる可能性がある。

 となれば、可能性が高いのは、今現在デモ隊と連邦軍の衝突が危惧され、かつムンゾと同じほどに人口の多い、

 ――サイド5、ルウムか……

 その可能性は、十二分にある。

 実際、既にルウムの首長からは、デモ隊を抑え、連邦軍との衝突を回避するために、ムンゾから部隊を派遣してほしい、との要請もうけている。

 あの時は即答できなかったが、“ガルマ”が戻った今、ムンゾは多少なりとも落ち着きを取り戻しつつある。

 それならば、ルウムに部隊を派遣することも可能なのではないか――無論、連邦軍に対抗できるほどの大部隊を送るわけにはいかないか、例えば、シャア・アズナブルと婚約したことによって、ルウム市民が親しみを感じつつあるキシリアに、小部隊を率いて出向かせるなどはどうか。

 とりあえず、キシリアに連絡を入れてみる。

〈どうなさったの、ギレン。珍しいこともあるものね〉

 と云うのは、いつもは勤務中に連絡することがないからか。

「頼みたいことがあるのだが、スケジュールがあけられるか、確認したくてな」

〈私に?〉

「あぁ」

 訝しげに首を傾げられる。

 まぁ、あまりそう云う相談を、部下もいるだろう時にしたことはなかった。何かあれば、帰宅後にでも相談すれば良かったからだ。

 だが、今回は、キシリアの部下たちにも関わってくる話である。一緒に聞かせた方が良いだろう。

「実は、ルウムの首長から、デモ隊を抑えるために、ムンゾから兵を出してほしいと云われていたのだ。ムンゾも落ち着いてきたことだし、小隊ひとつくらいは派遣したい。それを、お前に率いてもらいたいのだ」

〈何故〉

「お前は、シャア・アズナブルとの婚約のお蔭で、割合にルウムで人気があるからな。連邦軍には反発するルウム市民たちも、お前が率いる部隊になら、友好的な態度になるのではないかと思うのだ」

〈……ふむ〉

「何なら、シャア・アズナブルを連れて行けば良い。そろそろ卒業だっただろう」

 二人の睦まじい様子を見せてやれば、暴発も抑えられるのではないか、と云うと、キシリアは顔を赤くした。

 キシリアの部下である男――名前は知らぬ――が、苦笑しながら顔を覗かせた。

〈閣下のご采配は目を瞠るものがございますが、あまり私の上官でお遊びにならないで戴けますか〉

 とは云うが、遊んでいるつもりは毛頭ない。

「私は、ごく真面目な話をしているのだがな」

〈キシリア様とシャア・アズナブルが、ともにルウムに赴くことが、でございますか〉

「そうとも」

 忘れがちだが、キシリアは、アルテイシア・ソム・ダイクンと並んで、ムンゾのプリンセスのような存在だと、他サイドでは考えられているのだ。その“ムンゾのプリンセス”が、自サイドの、テキサスコロニー管理者とは云え“庶民”の若者と恋に落ち、婚約した――それはもう、物語の中のロマンスとして、ルウム市民に歓迎されたようなのだ。

 シャア・アズナブル本人の、憎めないところも良かったのだろうが、『ローマの休日』か何かのような物語にされて、どうやら映画化もされたらしい――“家族”としては、そんなものではないとわかっているが。

 つまり、大ヒットした物語のモデルである“プリンセス”が、自サイドを救うために軍を率いてやってくる、と云うのは、まぁかなり熱狂的に歓迎される事態であると思われる。そこに、ロマンスの相手である若者も一緒となれば、熱狂は、いやが上にも高まるだろう――デモの怒りを一時忘れるほどに。

 まして、キシリアは“ガルマ・ザビ”の姉である。“悲運の貴公子”の姉が軍隊を率い、それでも気丈に振るまえば、多少なりともルウム市民の憤りは沈静化するのではないかと思うのだ。

「まさか、ルウムで連邦と干戈を交えるわけにもゆくまい。あまり大人数ではなく、小隊をひとつふたつ率いるくらいでな。大々的にやって、小競り合いになるのも拙い」

 あくまでも、ルウムに部隊を送るのは、ルウムとムンゾの友好の証であって、連邦軍とルウムでやり合おうなどと云うことを考えているわけではない、少なくともまだ。

 そろそろ戦いの支度は整いつつあるが、それでも万全とは云い難い。避けられるなら、それに越したことはないのだ。

〈相変わらず、連邦をひどく恐れるのね。総帥としては、まだ軍備が足りないと?〉

「足りることなどあるまいよ。“戦いは数”だ、そうではないか?」

 コロニー同盟のお蔭で、原作軸より敵が少ないとは云え、連邦軍には敵うべくもない。それを埋めるためには、用心と、充分な戦略、的確な戦術が必須なのだ。

〈慎重居士だこと。――わかった、折を見てルウムへ行こう。どのあたりを想定すれば良い?〉

「遅くとも一月後、できればすぐにでもだ」

〈すぐは流石に無理ね。……わかった、兵を選抜して備えよう。ムンゾが戦いの火蓋を切ったと云われぬよう、心して行く〉

「頼んだ」

 さて、ルウムはキシリア――とシャア――に任せるとして、果たして盛り上がった反連邦のうねりが、簡単に収まってくれるものかどうか。

 ――まぁ、最悪開戦だな。

 半年前よりは、こちらの準備もできている。但し、勝てるなどとはとても云えない。どうにか対抗できるくらいで、開戦となれば、原作以上の泥沼の戦いになるかも知れないのだ。

 できれば、“ガルマ”とキャスバルが正式に任官するあたりまで、引っ張るようにしたいのだが。

 ないものねだりなのはわかっていた。

 まぁ、こう云うものは、なるようにしかならぬものだ。

 ともかくも手は打った、あとは、事態がどのように流れてゆくか、それをよく見極めることが肝要だ。

 

 

 

 とは云え、そう簡単にものごとが動くわけではない。

 “ガルマ”が回復し、士官学校へ戻っていったので、ザビ家の本宅に、ララァ・スンとパプテマス・シロッコを迎え入れることになった。まぁその前に、“身体検査”を経ることにはなるが――このあたりが“名門”の面倒くささである。

 ララァ・スンは、確かアルテイシアと同い歳、シロッコは“ガルマ”やキャスバルの三つほど歳下だったように思ったが、どうだっただろうか。

「ララァ・スンは十三歳、シロッコは十五歳、で間違いないのか」

 確か、調書――拿捕した海賊に捕われていた、と云う設定上、そのようなものも必要だったのだ――の記載にあった文言を思い出しながら問うと、シロッコは微妙な顔になった。

「本当に、私を引き取るおつもりですか」

「“ガルマ”に無理強いされただけで、そんなつもりはないと云うなら、別の途を用意することも可能だが?」

 そう云うと、少年は首を振った。

「いえ、そうではなく――そんなに簡単に、見ず知らずの人間を懐に入れて宜しいのですか、と」

「あまり深く考えない方が良いぞ、少年」

 と云って、その肩を叩いたのは、タチ・オハラだった。

「ガルマ様も閣下も、常人にははかり難いところがおありだからな。厭なら厭、良いなら良いで、自分の気持ちだけ把握していれば良い」

「あ、あなたは……」

「そうやって引き抜かれた人間ですよ!」

「だが、引き抜かれて良かっただろう?」

 と云ってやれば、酷い渋面が返ってきた。

「そりゃあ確かに出世はしましたがね、閣下もガルマ様も、人遣いが荒過ぎますよ! しかも、いつでも無理難題ばかり!」

「それは“ガルマ”の方だろう」

「いいえ! 最近は、流石ご兄弟と思うことばかりですよ!」

「酷いもの云いだな……」

「あの、あなたは……」

 シロッコが、恐る恐る問いかける。まぁ、自分より年長の、しかも軍総帥と丁々発止のやり取りができる人間だ、下手に出るのも当然か――『Z』のシロッコからは想像もできないが。

「私? 私はギレン閣下の“伝書鳩”を束ねる人間ですよ」

 軽く云うが、“伝書鳩”の名を知っていたものか、シロッコは目を見開いた。

「“伝書鳩”……」

「おや、ご存知で」

「では、あなたがタチ少佐?」

「有名になったものだな、タチ」

「ええ、お蔭様をもちまして、いつの間にやら」

 肩をすくめられる。本当に、六、七年の間に、随分出世させたと思うのだが――少尉だったものが、今や少佐である。原作軸なら、まだ中尉だったはずだ。

 が、当人はあまり喜ぶ風ではない。まぁ、こちらの無理難題と、“ガルマ”の傍若無人に振り回されていれば、そうならざるを得ないのは確かだろうが。

「まぁ、良いんだか悪いんだかはかりかねますがね」

「……何と云うか」

 シロッコが、やや呆然と呟いた。

「ムンゾはザビ家を中心に、強権的な国家を形成していると思っていましたが――随分と、ざっくばらんにお話しされますね」

「軍の力が大きければ、自然に強権的にならざるを得ないからな。まぁ、側近との間だけでも、風通しは良くせねばなるまい。それが全体に及べば、なお良いのだが」

「なかなかそうは参りますまいよ。まぁ、各部署の長の力は、それなりに大きいですが」

「そうでなければ、大きな組織を効率的には回せんよ。できるものにできることをさせる主義だからな」

 適材適所と云うものである。

 正直、自分が学習していくのは良いのだが、新人に教えるのに向いていないのは自覚がある。察しの良い人間なら、学んでくれるところはあるのだろうが、そうでもない人間の場合、こちらが、相手がどこに引っかかっているのかがわからないので、意思の疎通と云うか、何をどう教えたら良いのかがわからないのである。

 そう云う、自分の不得手なジャンルを、有能な部下に埋めてもらう、と云うのが、自分のこれまでのやり方だった。それに関しては、そう間違ったことではないと思っている。

「できないことをさせるより、できることに集中させた方が、効率も上がる。私が新兵教育をしても、上手くいかない上に互いに苛立つだけだが、“ガルマ”に政治向きのことどもを任せるのも同じことだ。それならば、それぞれを得意なものにさせた方が、よほどスムーズだし、軋轢も減るだろう。無意味な“汎用性”を目指すよりも、特化した能力をさらに磨くことを、私は好む」

「――能力のある人間が、そうでない人間を管理すれば良いと?」

 そろりと訊いてくる、それはシロッコ自身のポリシーではなかったか。

 だが、もちろんエリート偏重も意図するところではない。

「違う。能力には、偏差があると云うことだ。私の得意な分野と、お前のそれでは違いがある。それぞれの得意な分野で能力を活かせれば、実は思うより能力差などないのだと云うことがわかる。私の云うのは、そう云うことだ」

 筆記試験が良くなくとも、例えば運動に特化した人間と云うのはある。得てしてそう云った人間は、テストでは測れない賢さをも併せ持っているものだ。本当に“愚か”な人間と云うのは実は少ないし、賢いはずの人間が、あまりにも“愚か”な意見に賛同することもある。

 結局のところ、人間は多面体なのであって、一面だけでその人間を判ずることなどできはしない、そう云うことなのだ。

「自分を賢いと思う人間の愚かさに、足を取られることもある。自分は愚かだと思っておいた方が、陥穽に陥り難くなるだろうしな」

「ザビ家は優秀な方ばかりとお聞きしますが、それでも、自らのみでムンゾを導いてゆこうとは思われない、と?」

「一部のエリートだけで国が動かせると思うのが、そもそも誤りだと思うがな」

「ですが、愚人がトップにいれば、無駄が多いのではありませんか」

「愚かでも、人を取りまとめる才のあるものもある」

 新撰組局長の近藤勇がそうであったように。

「自分を賢明と思うなら、そのような人間の下につき、自分がそれを支え、舵取りしてやれば良い。その方が、自分が前面に出るよりも、巧くことが運ぶ場合もある」

 つまり、ザビ家よりもダイクン家の方が押し出しが良い、と云うことでもある、と云うと、複雑怪奇な顔をされた。

「あなたの云いようは、まるで、ダイクン家の人間が愚かだと云っているかのようですね」

 その言葉に肩をすくめてやる。

「能力値が同じなら、旗標としては、ダイクン家の方が良いと云うことだ。ザビ家は、見てのとおりの悪人面でな。ダイクン家よりもなお一層、まわりから警戒され易い。それくらいならば、ダイクン家の補佐に回る方が賢明だと云うことだ」

「それこそ、ダイクン家を“巧く使う”ことなのでは?」

「その云い方が良いなら、そうでも良い。但し、同時にそれは、ダイクン家がザビ家を“巧く使う”ことでもあるだけだ」

「それが、あなたの考える“適材適所”ですか」

「そうだ」

 互いに巧く使い合えるならば、それがもっとも良いに違いない。どちらにも利があれば、原作軸のザビ家とラル家のような関係にはなり辛いであろうし。

「私は……」

「ん?」

「私には、どんな“適所”があると思われますか」

 それは、若者らしい切実な、けれど老人から見れば愚かしいような問いだった。

「いろいろな適所があるだろうな。若者は伸びしろがある、まだ、決めるのはこれからだろう」

 年齢を重ねていくごとに、やれること、新しく憶えていけることの範囲は狭まってゆく。

 まだ少年でしかない、そして原作軸においても人並優れたパプテマス・シロッコが、今ここで、己の先行を決めてしまうのは、早過ぎるように思われる。

 シロッコは、唇を噛んだ。

「そんな……何ものでもない状態など、耐えられない。私は、早く何ものかになって、世間で名を挙げたいのです」

「――若いな」

 眩しいほどに。

「十五で、何をそう急ぐことがある。何になるか選べるのは幸いだぞ。私など、なれるものがなかったから、こうしているのだしな」

 元々の職業にしても、就職氷河期で無職になりかけていたのを、友人の引きで滑りこんだところがあったのだ。しかし、引っ張ってくれた友人の方が、先に辞めていったのだが。

「なれるものがなくて議員など、ごくごく恵まれた話ではありませんか」

 シロッコの言葉に、タチが指を立てて云った。

「騙されるな、少年。閣下の“なれるものがない”は嘘だ」

「やっぱり」

「なれるものがなくて、議員と国軍総帥は兼任できん。まったく参考にならないから、話半分に聞いておけ」

「そうします」

 酷いもの云いである。

「本当の話なのだがな」

 どうせやるなら、創作者の方が良かった。実際、“作家”だった“昔”もある。その方が、よほど建設的だと思うのだが。

 しかしまぁ、ガンダム世界にきて作家も何もあるまいし、これはこれで良かった、のかも知れない。

 それらのやり取りを、ララァ・スンは黙ったまま、ずっと耳を傾けていた。

「お前は、異存はないのか、ララァ・スン?」

「ないわ」

 きっぱりと云い切られる。

「もう、地球には帰れないもの。それに――ここには、あのひと曰くの“お仲間”がたくさんいるみたいだし」

「たくさんと云うほどではないがな」

 しかし、アムロ、ゾルタン、キャスバル、フロリアン、マリオン、そして“なんちゃって”の“ガルマ”も加えると、まぁそれなりにはいることになるか。

「お前にとって、ムンゾが心地よい場所であってくれることを望むよ」

「そう願っているわ」

 その能力を搾取されていた少女は、多くを期待してはいないようだった。

 まぁ、そうであるからこそ、原作においては、“シャア・アズナブル”にフラナガン機関へと導かれても、反発もせずに従ったのだろうが――ここでは、そんなことにするつもりはない。

「うちには子どもが三人いる。もしかすると、子守のようになってしまうかも知れないが、望む道があれば云いなさい。できる限り叶えよう」

「食べられるのなら、子守でも構わないわよ」

「そう云うわけにはいかんよ」

 何と云っても、あのララァ・スンである。

 キャスバルとアムロ、二人の人生を左右する可能性の高い少女を、ただ子守をさせるなどとんでもない人材の無駄遣いだ。

 まして、“ガルマ”からは、この少女を姫君として扱うようにと強く云われているのだし。

 ――まぁ、確かにキャスバルとアムロの“姫君”にはなるのだろうしな。

「あなたは、何か私にさせたいことがあるのではないの?」

 翠の瞳が、まっすぐにこちらを見る。

 させたいこと。

「あるにはあるが、多分、お前の考えるようなことではないだろうな」

 端的に云えば、あの二人の傍にいてくれれば良いのだし。

「ふぅん?」

 少女は首を傾げた。作中では白鳥と重ねられることの多かったララァだが、年齢のせいか、白鳥と云うよりももっと小鳥めいた印象が強い。

「まぁ、仕事などと云わず、まずはムンゾに腰を落ち着けてくれると良いのだが」

 軽々と他処へ移るなど考えずに。

 そう云うと、

「――わかったわ」

 少女は幾度か目を瞬かせ、やがてこくりと頷いた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 27【転生】

 

 

 

「ふぅおわぁッ!???」

 爆撃かと思った。

 物凄いクラッカーと爆竹と、何か音の鳴る色んなものが。

 まだ一回生だった頃に駐屯兵士と乱闘騒ぎを起こして謹慎処分になったことがあったけど、その“復帰祝いクラッカー事件”が可愛く思えるほどの轟音だった。

 当時も、暴発事故と間違われて出動騒ぎになってたのにね。

 今回は教官まで参戦してんのか。

 ビックリし過ぎて表情が抜け落ちたおれを、滂沱の涙を流すドズル兄貴がぎゅうぎゅう抱きしめてる。

 キャスバルはニヤニヤしてるし、リノ達は腹を抱えて笑ってる――泣き笑いっぽい顔で。

「ふぅおわぁッ、ってなんだよ! その悲鳴可笑しいだろ!!」

 ライトニング、おかえりなさいの前に突っ込みかよ。

「おかえりなさい! ガルマさん、皆、信じて待ってたよ!!」

 真っ赤な目を擦りながら、クムランが。

「ただいま、クムラン。信じてくれてありがとう! 皆もありがとう!! 帰ってきたよ!!!」

 兄貴の腕の中で、ウグウグしながらも叫ぶ。

 割れんばかりの歓呼が有り難し。

 戻ってきたぞ、士官学校!!

 結局、体重は戻し切れなかったけど、体調なら万全だ。

 ――いま締め上げられて、ちょっとライフ削られてるけどね?

 兄貴、そろそろ放しておくれよ、とタップ。

「……ドズル兄様、そんなに泣かないで下さい。僕、こんなに元気ですよ?」

 腕の中で小首を傾げて上目遣い――したら、涙と拘束がますます強まった。なぜだ!?

『……君は馬鹿か』

『助けてキャスバル!!』

 落ちる、落ちるから!

「ドズル校長、その辺りで。ガルマが締め落とされます」

「ぬ? うぉ…すまん!」

「……大丈夫、です」

 からくも救出されて、フラフラと幼馴染に懐いた。

「『すごい騒ぎだね』」

「『君を迎えるために皆が準備した』」

 薄く笑ったキャスバルの横顔はどこか誇らしげだった。

 士官学校はお祭り騒ぎで、三回生だけじゃなく、すべての学年が参加してた。

 ふと、その動線に目を見張る。

 野放図に見えて、彼らの動きはどこまでも統制が取れていた。

 組があり班があり、隊がある。

 長がまとめ上げ、さらにその上が、またその上が指示し――その総てを指揮してるのは。

『お前は最高だね、キャスバル』

 この場の司令はドズル兄貴じゃない――キャスバル・レム・ダイクンだ。

 この半年の間に、キャスバルは名実ともにこの士官学校を掌握し、完璧に統括、指揮するに至っていた。

 凄いね。怖いくらい。

 何ていう求心力。カリスマ。この歳にして、統率者の貫禄かよ。

 いつものメンバーのサポートもパーフェクトだ。

 何これ脱帽。

 キャスバルと仲間たちとの間に、以前より強い信頼関係が見て取れた。

 ここで嫉妬するのは、心が狭すぎるって分かってるけど。

 半年の不在で、おれの居場所が無くなっちゃってるんじゃないかなんて、不安がチクリと胸を刺した。

『…………もしかして、おれのポジション、シンにあげちゃったりした?』

『どうかな?』

 キャスバルの青い目が意地悪そうに瞬いた。

 悔しいけど、だとしたらおれより確実にキャスバルを支えられちゃってる気がするよ。

 シンだけじゃない、他の面々だって能力値はとても高いんだ。

 幼馴染っていうアドバンテージを取り払ったとき、純粋なアビリティスコアは、ヘタをすると彼らの方が上だろう。

 ――おれが勝るとこなんて悪知恵ぐらいだし。

 まぁ、簡単に譲るつもりもないから、獲られてたら死ぬ気で奪い返す所存だけどね。

「『……おのれ、シン・マツナガめ!』」

「どうした? いきなり何故そうなった?」

 いつのまにか寄ってきていたシンが、面食らった顔をした。

「……君が僕よりも完璧にキャスバルをサポートしてたからさ」

 ぷすりと膨れて見せてから、抱きついて背中を叩く。

「ただいま。本当に悔しいくらいに頼りになるね、シン」

「おかえり、ガルマ。そう言ってもらえるなら、努力も報われるな」

 なんて太い笑みが。

 良い男だよ。シン、本当にジェラシーストーム起こすくらいにさ。

 それからいつものメンバーに、もみくちゃになるまで歓迎された。

 クムランとロメオ、それからベンは、ちょっと泣きすぎだろ。溶けるぞ。

 忙しいはずのドズル兄貴も、時間が許す限りそばにいてくれたし。

 とても幸せでフワフワして、だからこそ、この先に待つだろう戦乱に、胸の奥底がチリチリと焼けるような心地だった。

 

 

 騒ぎも静まった夜半、寮の部屋に“悪巧み協力隊”を呼び出した。

 リノとケイとルーである。

 もちろん同室だからキャスバルもいる。

「本当によく帰ってきたなぁ」

 リノがしみじみと言って、くしゃりと笑った。

 ルーも頷いて、ケイは少し赤くなった目尻を乱暴に擦った。

「ね、君たちは僕が帰ってくること、発表されるより先に知ってたろ?」

 聞けば、ケイがニヤリと笑った。

「もち。網ん中に引っかかってたぜ。一瞬見落としそうだったけどなー」

「ケイから聞いて、慌てて分析した」

 ルーは苦笑いだ。

「びっくりしたぜ。こいつら俺をひっつかんで、キャスバルに特攻かましたんだぜ。真夜中に」

「昼間じゃ誰かに見つかるかも知れないだろう」

「そーそー。ロメオなんか結構目ざといぜ」

「一番はシンだろうけどね」

 と、口々に。

「キムから知らせは?」

 キム・ボンジュンにメッセージを送ったことは、ちゃんと通達されてたのかな。

「来た」

 答えたのはキャスバルだった。

「すぐにタチに知らせるように指示した。ギレンは、既に君の回収に手を打っているようだったからな」

 さすが“ギレン”、用意のいいことで。

 あの海賊船は、前々からの準備ってことか――まぁ本命は別にあって、おれの回収はついでだろう。

「ちゃんと知らんぷりできた?」

「ああ。ギレンから知らされるまでな」

 頷くキャスバルの横で。

「あ。でもリノが浮かれそーでヤバかったな」

「ニヤニヤを噛み殺そうとして、いっそ憤怒の形相になってたね」

「一回生が怖がって近寄ってこなかった」

「同級もだろう」

「だな」

「仕方ないだろ! ガルマが帰ってくるってんだから!」

 ケイ達の暴露にリノが喚く。

 キャスバルはくつくつと喉を鳴らして笑ってる。

 ん。この空気良いな。

 半年ぶり。地球の士官学校とはやっぱり違う。全然気安くて、馴染む。

 触れずとも横にキャスバルの気配と、思考波が。

 めちゃめちゃ寛ぎそうになってから、目的を思い出して気を引き締める。

「……さて、そしたらムンゾの近況とか詳しく教えてもらおうかな」

 コリニーのところじゃコロニー社会の情報は、ほぼシャットアウトされてたし、逃亡中に見てたニュースくらいじゃ全然足りない。

 自宅療養中も、真綿に包まれるみたいに大事にされすぎて、不穏な事柄からは遠ざけられていたからね。

 三人衆のまとう空気がピリリと緊張して、彼らはそれぞれに口を開いた。

 キャスバルの隣で、それらを聞く。

 おれが地球に“人質”として降りたことで、コロニー社会の連邦への反発は高まり、ムンゾはもとより、他コロニーでも連日のデモ騒動が勃発してる。

 各政府は連邦軍の介入を招かないように必死に抑えようとしてるけど、焼け石に水。

 そこへもって、ボロボロになった“ガルマ・ザビ”の帰還ときた。

 帰ってきたのは歓迎するが、あの有様は何事かと、民衆は相当ご立腹だとか。

 アースノイド至上主義者達への批判はもはや憎しみの域で、奴らが幅を利かす連邦政府などに従いたくないと。

 比較的穏やかなところでも連邦政府の改革を求め、過激なところでは独立さえ叫んでる。

 いつかの世界線では中立を唱え、最終的には連邦に与したリーアすら、アースノイド至上主義については嫌悪を隠さないって言うんだから相当だ。

 特にコロニー同盟でムンゾと結びつきの強いルウムで、いまも凄いことになってるらしい。

 キシリア姉様がルウムのシャア・アズナブルと婚約してるから、一層その傾向が強いんだろう。

 この辺までは、まぁ予測の範疇だよね。

 3人の口調は軽いものの、内容は淡々としてた。共に出身はルウムだけど、報告は客観的で私情はきれいに飲み込んでる。

 心穏やかな筈はないのにね。

 現状、最も連邦に踏み荒らされる可能性が高いのはムンゾじゃない――ルウムだ。

「……ルウムの駐屯軍の様子は?」

 その辺りの通信だって拾ってるだろ、お前は。

 真っ直ぐにケイを見れば、その唇が歪んだ――嗤いに。

「近日、治安部隊が動くかもなー」

「本部からの命令じゃないね?」

 ルウムは連邦に軍事不介入を申し入れてたはずだ。

「指揮官の独断のようだね。以前からスペースノイドを軽視した発言があったし」

 ルーが鼻を鳴らせば、リノも顔を歪めた。

「お前の帰還についても“不適切な発言”があったぜ。ゴシップのネタにされてる」

「ふぅん。『……校内の様子は?』」

『今のところは冷静だ』

 なるほど。

 キャスバルを頂点に統制が取れている士官候補生達は、憤りさえコントロールして静かに爪を研いでるってとこか。

『でも、早晩、我慢の限界かな』

『だろうな』

 目の前の3人の瞳の奥にも火種は見て取れるし。

 さて、どうしようかな。

「『キャスバル、君はどうしたい?』」

「『……そうだな。奴らに好き勝手されるのは業腹だ』」

 思案する素振りで、僅かに首を傾げて。

「『“刻”を待て』」

 青い眼が不敵にきらめいた。

「『ガルマは帰ってきた――我々は揃った、と、皆にも伝えろ』」

 息を呑む。

 その微笑の美しくも恐ろしいことと言ったら。

 こみ上げるのは喜びと誇らしさで。

 瞳の青に映ったおれも、そりゃあ愉しそうに笑ってた。

 リノたちが姿勢を正して敬礼する。

 その顔に浮かぶのは、砥がれた怒りと、若い獣みたいな獰猛さ、それから己の能力に対する自負だった。

 ん。よく練れてる。

 出会った頃とは雲泥の差だ。

 当時の軽妙さはそのままに、あどけなさは削られ、精神はより強靭に、“人でなし”の度合も増して。

 ――良い兵士だ。

『お前の兵隊だ、キャスバル。彼らも、おれも』

 巧く使えよ。この能力と、命を。

 “暁”は遠くない――おれたちはお前の為に、鎖から放たれた猟犬のように命懸けで獲物を狩るだろう。

『……せいぜい、こき使ってやるさ』

 思考波は吐息じみて意識を掠めた。

 

 

 解散して、部屋にはふたり。

『……狭い部屋、固いベッド、バスタブの無いシャワーブース』

 ほんと、帰ってきたっていう気がするよ。

 ぼやけはキャスバルの意識が笑った。

『……上のベッドにお前がいる』

 思考波に依らなくても気配が伝わる。

『また君の寝言に煩わされるな』

 思考波が揶揄ってくる。

 ううぅ。その節は申し訳なく。

 なんか、とてつもなく珍妙な寝言を吐くらしく、たまに気になって眠れなくなるとか。

『…………地球では…』

 珍しく、思考波でも言い淀む風な幼馴染に首を傾げた。

『ん?』

『……地球では、どう過ごして居たんだい?』

『気になる?』

『それなりにはね――連れてきた二人のことも』

 ララァ・スンとパプテマス・シロッコか。

 ――だよね! 気になるよね!! 特にララァ嬢!!! でしょ!?

 食い気味の反応に、ピシャリと。なんで思考波で打つかな。

『そんなに気に入ったのか』

『そりゃね。お前とアムロに匹敵するニュータイプだぞ! 可愛いし、将来は美人間違いなし。お前の横に並んだって見劣りしないだろ』

 お前の横で霞まないのなんて、アルテイシアとキシリア姉様の他には、ララァ嬢くらいなもんだろう。あとは、ミルシュカとマリオン。

 別に欲目じゃないからね。

『……………君の隣ではなく?』

『なんでおれ?』

 おれが霞むじゃないか。

 キョトンとしてれば、上からキャスバルが降ってきた。

 青い眼が目の前に。

『説明しろ』

『……んんん』

 そうだね――色々と説明は難しいし、面倒だ。

『“読んで”よ。その方が早い』

 ララァ嬢のおかげでだいぶ慣れた。するりと記憶を開放して、キャスバルが好きに“読む”に任せる。

 半月分の膨大なデータを、器用に選り分けながら“読んで”いく幼馴染の意識を、つんつんとつつく。

『おれもお前を“読んで”良い?』

『必要ない――こちらは何の変わりもなかったからな』

『ウソだ。お前、進化してるじゃないか』

 めちゃくちゃ練度上がってるじゃないか、お前も、仲間たちも。なんでそんなに成長してんの?

 取り残されてるみたいで寂しいだろ!

 つんつんつつき続けても無視される。溢れてくる記憶もないし。おのれ。

 かと言って、意識を閉じようにもホールドされてて逃げられないし。

 ――不公平だ!

 怒ってます、を、意識の上層に貼り付けると、何故かキャスバルが喉を鳴らして笑った。

『……なんなの?』

『いや。思っていたより悪辣だったが……“誘惑者”の顔の裏側で、こんなに寂しがっていたんだと思うとね』

 記憶の大半が“帰りたい”で占められてるって、そんなの。

『あたりまえだろ』

 ララァ嬢に、“ひと鼓動ごとに帰りたいと会いたいを繰り返してる”とまで言われたくらいだぞ。

『お前は……寂しくなかったの?』

 ――おれが居なくても。

 って、皆が居たか。家族も、仲間も、子供たちも、“ギレン”も。

 ちょっと溜息。寂しがる要素が無いのか――薄情者め。

 恨みがましい視線を投げても、キャスバルはどこ吹く風だ。

 だけど、次の瞬間、不意にその気配が凍るみたいに冷たいものになった。

『……キャスバル?』

 なに、なにが起こったの。

 底冷えする青い眼が。奥に揺らめいてるのは、怒りか、哀しみか――なにか名伏し難い感情だった。

『……ギレンに、覚悟を決めるようにと言われた。だれを失っても先に進む覚悟を――君のこともだ。ガルマ』

 ――……。

 ん。そうだね。“ギレン”ならそうだろう。

 誰を失くそうと、おれが消えようと、己が斃れようと、その足を止めようとはしない。

 理念を、理想を――ひとをひとたらしめる理性を何よりも尊み、真に“ひと”たり得ようとするヒトだからね。

『……お前はそれでも良いよ』

 それに倣うってんなら、それでいい。

 だけどさ。

『おれは、お前を失くす覚悟なんて決めてないから』

 失くさないために、“何でもする覚悟”なら決めてるけど。

 “ギレン”が“理念のヒト”なら、おれは“ひとでなし”だからね。巷にある“かくあれかし”なんて知ったこっちゃないんだ。

 善も悪も無い。平等もない。

 守りたいものをだけを護り、敵なら壊すか殺す。勝てなくても噛みつく。世界とだって敵対する。

『それでも……万一、失ったらどうする?』

『道連れに人類滅ぼそっか?』

 結構しぶといから根絶やしまではいかなくても、前文明まで戻すくらいまでなら出来そうだろ?

 シンプルに回答すれば目を剥かれた。

 慌てたような思考波が意識を浚っていく――嘘なんか無いよ。

 盛大なため息のあと、ポカリと叩かれた。

 なぜだ?

『……君がラスボスとやらなんじゃ無いのか?』

『お前が無事なら発動しないよ』

『ひどい脅し文句だな』

 めちゃくちゃ顔を顰めてるけど、冷たい気配はどっかに行った。

 暫しの沈黙。

 読むだけ読んで気が済んだのか、上に戻ろうとしたキャスバルの腕を掴んで引き戻した。

 グイグイと寝台に引っ張りこむ。

『なんだ狭い』

『ここで寝よう』

『子供か』

『良いじゃないか。今日だけ!』

 ふぅ、と、溜息がひとつ落ちて。

『……仕方ないな』

 横に転がり込んでくるのに含み笑う。

 思い出すのは子供の頃。あのフラットで、いたずらの算段をした。ベッドに二人、夜更かししながら。

 お互いこんなに育ったけど、あの頃とあんまり変わってないような気もする。

 触れる体温に安心して眠たくなった。

『……本当に子供みたいだな、君は』

 呆れたみたいな“声”。仕方ないだろ。だって落ち着くんだ。

 うつらうつらする間も、キャスバルの思考波は触れていて、時折零れ落ちる記憶を拾い上げているようだった。

『それにしても、ひどい出会いだ』

 おかしげに笑っている気配。

 ララァ嬢との出会いか。そうだね。

『……お前との出会いに匹敵するだろ』

 吐息みたいな笑いが。

『……………仲良く……しな…よ…』

 眠気にはもう勝てそうになかった。

『おやすみ……キャスバル……』

『おやすみ、ガルマ』

 それだけ聞いて、意識を落とした。

 

 

 半年間のブランクは、不思議と感じなかった。

 おれというピースはその集団にぴったりはまって、不在だった期間こそが幻のように思えたほどだ。

 懸念されていた体力も、おおよそ戻ってきてるし。むしろ以前にも増して求められるのは、もっぱらオツムの方だった。

 “ギレン”の言うところの“悪知恵”ってやつね。

 半年前と同じように、ラウンジのいつもの席に集まってお喋り――という名の定例会議。

「在校生はルウム出身が多い。やはり、皆、神経を尖らせているな」

 シンは顰め面だ。

 議題はルウム駐屯軍兵士によるデモ隊鎮圧について。

「事態は深刻だね。『連邦は何やってるのさ』」

 苛立って舌打ちしそう。

 デモ隊を鎮めるどころか、真っ向から対立しちゃってるし。

 大体、市民を抑えようとしてたルウムの治安部隊と衝突してどうすんの。

『暴動を煽る気かよ。開戦待ちか?』

『……そんなことは考えてさえないだろうな』

 力で抑えつければ良いと、ただそれだけでここまで関係を悪化させたって、なにその無能。

「ギレンはルウムの要請を受け入れて、小部隊を派遣するようだな。『シャアも行くのかい?』」

「指揮はキシリア姉様だ。『行くってさ。メッセージが来てた』」

 この辺りは“ギレン”らしい采配だ。

 キシリア姉様の人気はルウムでは特に高い。

 ザビ家の姫君がルウムの若者と恋仲になり、諸々あって婚約したあの流れは、市井に広く受け入れられて、物語のモデルにさえなったって言うし。

 そんな二人が、連邦と市民の間に割って入るんなら、少なくとも市民側は大きく反発しないだろう。

 反対に、駐屯軍の方が荒れそうでアレだけど。

 少数とはいえムンゾがルウムの為に部隊を動かす事で、士官候補生たちの心情も、僅かばかりではあれ宥められてはいる。今のところは。

 このまま何事もなく行きたいけど、万が一、ルウム駐屯兵が姉様の部隊にまで威圧行動に出やがったら、ルウムのみならず、ムンゾだって黙っちゃいない。

 むしろ、どこより先にこのムンゾ自治共和国国防軍士官学校が爆発する。

 ――無事に卒業したいんだけどなぁ。

 目前に控えたそれに暗雲が。

 ここは、ルウム出身者がかなりの割合を占めてるんだぞ。皆、故国に対する駐屯軍の暴圧には憤ってる――我慢も表面張力のスレスレまで来てるんだ。

 キャスバルの顔にも、そしてシンの顔にも同じ危惧があった。

「『ケイ、ルー、引き続き“連中”の情報収集と分析お願いね。リノは同郷の面々のケアをよろしく』」

「りょーかいしたぜ」

「仰せのとおりに」

「任せとけ!」

 ん。良いお返事。

「『今まで以上に統括と管理の強化が必要だ。出来るな、シン?』」

 隣でキャスバルも指示を飛ばす。

「無論だ」

 不敵な笑みと力強い頷き。頼りになるねぇ、シン。

「『ベンは二回生の統括と管理、クムランは一回生だ』」

「……やる」

「わかったよ」

 ん。こっちも頼もしい限り。

「『ロメオとミアはサポートに当たれ』」

「了解した」

「滞りなく」

 ビシリと返る敬礼。

 いまやキャスバルを頂点に、士官候補生たちは総て纏まっている。

 いつぞやの時間軸とは異なり、三回生だけじゃなく、一、二回生含む全てがだ。

 末端まで行き届いた統制は、その“刻”には恐るべき脅威になるだろう――連邦にとっては。

 ――ここまで研ぎ上げた。

 笑みが誇らしげなものになるのは仕方ないだろ。

「『じゃあ、ライトニングは、ちょっとした訓練に付き合って貰おうかな』」

「……禄でもなさそうだな」

 なんて言いながらも、その顔は笑ってた。

 脳裏に大事にしまっておいた情報を引っ張り出して確認する。

 少し古くなっているところは修正しつつ、組み上げていくのは、かつてキャスバルと偵察したガーディアンバンチの連邦駐屯軍敷地内の構造だ。

 いざとなったら抑えてやる。

 ルウムにも、もちろんムンゾにも、奴等の牙を剥かせるもんか。

 まぁ、それでも。本音を言えば、もう少し先に伸ばしたいんだけどね。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「『何をしているんだ?』」

「『手紙を書いてるのさ。あっちでお世話になった人達に』」

 クラシカルな封書で。

 アムロたちからプレゼントされた万年筆は、とても滑らかで綺麗な文字が書ける――これは地球には持って降りずに、キャスバルに預けてたの返してもらった。

 宛先は、おれを庇って怪我をしたウッディ・マルデン、ブライト・ノアと愉快な仲間たち。それからゴップと、ブレックス・フォーラにも。

 フォーラはともかく、ゴップには火に油を注ぐ感じだけど――“ギレン”に、また文句がいくかも――まぁ、お約束として?

 これも印象操作の一環だ。

 ガルマ・ザビは、アースノイドに対して敵対意識は持ってないし、友愛さえ感じていると、文面からはそう伺えるだろう。

 どうせ、検閲されるからね。

 だけどアースノイド至上主義者は嫌いだし、祖国に――同盟コロニーを害するならば、一歩も引くつもりはない。

 あくまでも憎いのは、襲い来る暴虐であって、アースノイドではないよ。これ本音だからね。

 寮の私室。コーヒーを片手にキャスバルが横から文面を覗き込んでくる。

「『……手紙には人柄が出ると言うが、君には当て嵌らないな。文字も文章も、真面目でおおらかで甘ったれに見える――あぁ、大雑把で甘ったれだけは合っているか』」

「『それを言うなら君の文字だって、優しくて誠実そうだからね!』」

「『合っているだろう?』」

 いけしゃあしゃあと。

 だけど、ここで反論したって言い負かされるって知ってるから、グギギと唸るだけに留めた。

「『………ねえ。贈り物をあのゲームの“プロトタイプ”したらどうかな?』」

 話題を変えてみたら、急にキャスバルが噎せこんだ。なに、コーヒー飲みそこねたの?

「『大丈夫?』」

 手紙の手を止めて背をさすってやる。

『……君は、せっかく築いたらしき友情とやらを粉砕したいのか?』

 ゴホゴホとまだ咳き込みながら、思考波は責める響きを帯びていた。

 なんでさ。

「『出会いの思い出だよ。おれたち、会ってすぐに、“The Game of Fun Army Life(素敵なアーミーライフ)”をプレイしたのさ』」

『――……君は、向こうで本当に禄でもない出会いしかしてこなかったんだな……』

 そんな憐れむ目を向けないでよね。

「『だめかな?』」

「『駄目に決まっているだろう。無難に万年筆辺りにしておけ』」

「『それじゃアムロたちのプレゼントに被るじゃないか』」

「『とにかく、あのゲーム以外の物にしろ。悪魔のゲームは、絶対に、駄目だ』」

 そんなすんごい形相で言われたら、従うしかないよね。

「『……はいよ。りょーかい』」

 そんじゃ、無難にキーホルダーとかにしとこうかな。

 

 

 日々は、表向きは平穏に過ぎていった。

 おれたちは、最終学年の士官候補生らしく、勉学に、演習にと励んでいるし、先頃は本物の軍務へ同行なんかもあったりする。

 それぞれの配属先も、一部の面々は既に内定していて、おれは、なんとあのガルシア・ロメオの部隊に入れられるんだとか。

 知らされたとき、みんながザワっとしてて笑えた。

 不良将校の異名は健在らしいね。

 ヤツはいま、“ギレン”からの指令でムンゾに居ないらしいけど、そしたら、おれは卒業後、すぐにどっかに飛ばされるってことか?

 キャスバルについては、今のところ、まだ保留。

 この期に及んで、“ギレン”はまだ軍務か政治端か、キャスバルの進路を悩んでるらしい。

 キャスバル自身は、一緒にガルシアのトコに厄介になる気満々らしいけど。

 曰く。

『奴に君の手綱が取れるとは思えない』

 なんてさ。野放しにするわけには行かないって使命感らしいよ。

 ――おれをなんだと思ってるの。

 暴れ馬じゃないんだよ。

 ちなみに、成績優秀なシンとミア嬢はドズル兄貴の配下になるらしい。いつかの時間軸ではシンとは歳の離れた親友だったみたいだし、もともと気は合うと思うので心配してない。そして、ミア嬢とは是非とも仲を深めて頂きたい。頑張れ兄貴!

 クムランとベンは、なんと、マ・クベから引き抜かれたとか。

 そんな風に、上位成績者は卒業を待たずに引く手数多だ。

 そして、進路についての呼び出しから戻ってきたおれの“悪巧み協力隊”は、みんな変な顔をしてた――笑いを噛み殺してるみたいな。

「どしたの?」

「俺たち、タチ少佐のところに行くことになったぜー」

 と、ケイが爆弾を。

「えええええええッ!? 3人とも!??」

「うん」

 ビックリである。

 なんでさ。おれの仲間は引き抜かないんじゃなかったのか。

「なんか、“対ガルマ専用部隊”を作るんだって言われたよ。可笑しくない?」

 ルーがとうとう吹き出しながら。

「希望者が居ないから新規で採用するってさ」

「“逃さんからな!” だってよ」

 顰めっ面を真似たらしきリノも、途中でゲラゲラ笑い出してるし。

「どれだけやらかしたら、軍総帥直属の情報機関に専用部隊を設けられるんだよ、可笑しすぎるだろ!」

 みんな、ひーひー笑ってるけどさ。

「良いの?」

 それで――タチにこき使われる未来しか見えないんだが。

「ああ。いい配属先だろ」

「君に、どこより早く欲しい情報を届けてあげられるよ」

「そーそー。なんせムンゾ随一の機関だし!」

 なんて。それじゃお前らはおれの“SPY”じゃないか。

 今更だ、とかなんとか答えてるけど、ほんとに良いのか。

 こいつらが参入することに、“ギレン”は承諾してんだろうな?

「タチ本人が来てたの?」

「いいや。“伝書鳩”の一人だってさ」

「ふぅん?」

 なんとなく“クソ鳩”を思い出したけど、ヤツが来てたのかな――よもや、お前の独断じゃあるまいね?

「ところで、ライトニングとロメオが戻ってないんだけど」

「ライトニングなら格納庫にいたぜ?」

「ロメオは例の呼び出しだ」

「そっか」

 ――みんなバラバラになっちゃうなぁ。

 仕方ないけど、叶うなら全員纏めて部下に欲しかったよ――無理なのは分かってるとは言え。

 まァ、各部署に居ることで太いパイプができたって考えるべきだね。

 それぞれが、未来を見据えて進んでいく。

 だけど、その頭上に垂れ込める戦乱という暗雲を思えば、手放しで門出を祝う気持ちにはなれそうもないんだ。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 27【転生】

 

 

 

 ややあって、ブレックス・フォーラから連絡が入った。

 “ガルマ”が士官学校に戻って、ほどなくしてのことである。

〈大変申し訳ないことをした〉

 開口一番に、ブレックス准将はそう云ってきた。

〈お預かりしていたのに、あのような事件に巻きこんで――ガルマ殿にも、私から謝罪があったとお伝え下さい〉

 平身低頭と云った態であるが、そんなに謝られると、こちらとしては申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「いや、本人はもう元気ですので、お気になさらず」

 海千山千のゴップとは異なり、こちらはまだまだ若く、何と云うか性善説を信じているようなところがある。

 こちらも割合に性善説に依っていると云われるが、今のブレックスほどではあるまい。

〈そう云うわけには参りますまい〉

 案の定、生真面目な男からは、そのような言葉が返ってきた。

〈コリニー中将の独断とは云え、預かりものを傷つけるような――あまつさえ葬り去ろうなどと!〉

 握りしめた拳がぶるぶると震えている。

 まぁ正直、“ガルマ”の悪辣さを思えば、排斥しようとした連中の気持ちもわからぬではない――と云うか、わかり過ぎるほどわかる――が、鎖を外して送りこんだこちらとしては、あまりそのような発言はできなかった。

「仕方ありません、スペースノイドとアースノイド至上主義者とでは、いずれぶつかるようにできていたのです。あれも、そのあたりは覚悟して行ったはずです」

 そもそも、その“対立”に乗じて、連邦軍内の不和を煽り立てたところはあるのだろうし。

 あの悪辣さは、最早邪神の域だと思う――旧い神話の頃からいた、対立を煽るもの。

 まぁ、まさか“うちの‘弟’は‘邪神’なので”と云うわけにもいかないので、そっと口は拭っておくが。

 そうして、ふと思い出す。

「そう云えば、“ガルマ”をかばったと云う若者はどうなりました。怪我をしたまま置いてきてしまったと、あれが気にかけておりましたが」

〈あぁ――ウッディ・マルデンのことですね〉

 ブレックスは、少し表情を明るくした。

〈かれならば、ほどなくして救助され、現在は既に士官学校に復帰しております〉

「なるほど」

 では、原作とは逆に、ウッディ・マルデンの方が先に死ぬ――もちろん、マチルダ・アジャンよりもと云うことだ――ことは回避されたと云うことか。

「では、かれにザビ家が感謝している旨をお伝え下さい。それから、かれの他にも、“ガルマ”を守ろうとしてくれた士官候補生たちにも、同じように」

〈! もちろんです!〉

 確か、中にはブライト・ノアもいたと聞いたように思うが――さて、“ガルマ”との邂逅が、かれらの先行にどのような変化をもたらすのか。

 ――まぁ、既に大幅に違ってはいるのだが。

 ガルマ・ザビは連邦に人質に取られたこともなかったし、バスク・オムやジャミトフ・ハイマンはグリプス戦役まで生きていた。

 まぁ、それを云えば、サスロも、アストライア・トア・ダイクンもローゼルシア・ダイクンも、シャア・アズナブル(本人)も生きている。

 この、大幅に変化した世界が、今後どのように進んでいくのかはわからないが――ただひとつ変わらないだろうことは、連邦とムンゾの間に戦いが起こるだろうと云う、そのことのみ。

 だがそれとても、今回の騒動で、かなり流動的になったのではないか――何しろ、将官三人、佐官二人が外れたのだ。連邦軍内は、再編だけでも大変な騒ぎだろうし、アースノイド至上主義者たちを押さえつけるために、綱紀の引き締めもより厳しくなることだろう。

 となれば、暫くは対ムンゾも棚上げになる可能性は、非常に高いのではないか。アースノイド至上主義者たちをどうにかしなくては、他サイドも反旗を翻すことになりかねない。それはすなわち、地球に降ろされる物資が減少することを意味する。

 今や特権階級と、それに仕えるものたちの住処と化しつつある地球において、コロニーからの物資が止まることは、アニメを見ながら考えていたよりも、アースノイドにとって死活問題になるのではないか。

 まぁ、物資の供給停止によって、即アースノイドが飢えに喘ぐことはあるまい――何と云っても、地球には、空気と水と大地はふんだんに――まぁ、場所にも拠るが――あるのだ。最悪、荒野を開拓するなり何なりすれば、多少は食べていくこともできるはずだ。

〈――そう云えば〉

 思い出したように、ブレックス准将が云った。

〈ガルマ殿と一緒に救出されたと云う、少年少女がありましたな〉

「……えぇ」

 もちろん、ララァ・スンとパプテマス・シロッコのことだ。

〈その少年少女は、その後?〉

「何やら事情があるようなので、とりあえずザビ家で預かることに。少女の方は、どうやら地上でギャング同士の抗争か何かに巻きこまれたようで」

 嘘ではない。少なくとも『the ORIGIN』の中では、その能力故に、はじめはギャンブラーの男に飼われ、その後には男の敵対者に狙われることになっていたのだから。

 まぁ、あれより一、二年早いけれど、そこは方便と云うものである。

〈それはそれは〉

「なおかつ、どうも幼いのに出稼ぎに出されているようなのです。それならばいっそ、こちらで保護してやった方が良いかとも思いまして――“ガルマ”も思い入れがあるようですし」

〈おやおや、それでは婚約者殿がやきもきされるのでは?〉

 ブレックス准将は、少しばかり含み笑うようである。

「いやいや、あれは、そう云う意味で伴ってきたのではありませんよ」

 そう、キャスバルとアムロのためだ――原作軸の悲劇を回避して、三人が幸せに暮らせるように。まぁ、実際どんな関係になるのかは、これから積み上げていかなくてはわかるまいが。

〈もうひとりの少年は〉

「あまり云いたがらないのですが、そちらも訳ありのようなのです。まぁ、幸いにと云うべきか、こちらも部屋が余っておりますので――とりあえずはうちで預かろうかと」

〈他にも預かっている子どもがあると、以前お聞きしたように思いますが?〉

「えぇ、ですので、まぁ、託児所のようなことになっているのですよ」

 ブレックス・フォーラは、遂に笑い出した。

〈ザビ家が託児所とは!〉

「いや、本当にそのようなものです」

 だからと云って、邸内が子どもであふれ返っていると云うわけではない――ニュータイプ二人は、同年代の普通の子どもたち相手は食い足りなかろう――が、ダイクン家の子どもたちとも交流があるので、子どもらしさは失われてはいないようだ。

 まぁ、“普通の子ども”はカイ・シデンがいるので、かれに連れ回されている少年たちは、それなりに市井の生活も満喫しているようではあるのだが。

「まぁ、軍も議会も、心荒むことしかございませぬので、子どもたちの存在は、ありがたいことではございますよ」

 これが自分自身の子どもなら、そうも云ってはいられまいが。

 大体、“昔”の自分の子どもたちは、微妙なものが多かった。よくできるがテロリスト気質の娘や、好きなこと以外はまったくできない――本当にまったく、1mmも――その妹、息子は人の心の機微のわからぬ――領有権問題を、自身の感覚で線引してどうなるのか――男。他の男二人は割合まともだったが、それでもその片方は、“外”への憧れを拗らせた挙句に殺されたのだから、つまりまともな子どもは跡取りのただひとりしかなかったわけだ。まぁ、あまりにも構わないので、テロリスト気質の娘がひどいファザコンになったのは措くとして。

 つまり、正直なところ、自分の子どもは面倒なのだった――概ね、妻や傅役などに丸投げだったにも拘らず、である。そんな人間が、人の親になって良いわけがない。いやまぁ、単に面倒なだけではあるが。

 その点、他人の子どもは面倒がなくて良い。出来が良くても、何をやらかすかわからない子ども、と云うのは、ある意味“ガルマ”以上に恐ろしいのだ。

「――まぁ、可愛い子たちですよ」

 そのあたりのあれこれを、総括して一言でまとめると、ブレックス・フォーラは意外そうな顔になった。

〈あまり子どもはお好きでないのかと思っておりました〉

「……自分の子でなければ可愛いですよ」

 子どもと云うのは、良くも悪くも親に似る。自分のあまり好きではない部分を子どもの中に見てしまえば、どうしても塩対応にならざるを得ない。自分の子どもを好きでないのは、概ねそう言う理由からである。

 “ガルマ”の方は、女も好きだが子どもも好きで、自他問わず子どもをよく構っていた。娘や息子も、こちらよりは“ガルマ”に懐いていたのではないか。

〈ギレン殿のお子であれば、さぞかし優秀になられるでしょうに〉

「いえ……」

 自分と妻の駄目なところを煮詰めたような子どもになったのは記憶に新しいので、正直、同じ轍を踏むのは御免被りたいのだ。学校に行っても、やりたい科目以外は点数のつけようがない成績だった、と云う子どももあったので、そんな子どもたちに、この大変なムンゾの舵取りを邪魔されたくないのが本当のところだった。あらゆる意味で、子どもほど悩ましいものはない。

「そうおっしゃるブレックス殿は、いかがなのです」

 と問うと、軽く肩をすくめられた。

〈おりますとも、妻と、娘と息子が一人ずつ。どちらも、そろそろ社会人になる頃合いだったはずです〉

「随分と、曖昧なお言葉ですな」

〈お察し下さい、今さら軍人になどなったのです。今は、仕事のことだけで精一杯で、それこそ妻にすべて任せっきりですよ〉

「お察し致します」

 とは云え、ブレックス准将は、おそらく議員時代には、きちんと子育てに参加しそうなタイプだったように思われる。そうであれば、こちらのように、子どもまでできた娘たちに、愚痴っぽくあれこれ云われることもないだろう。

 ともあれ、原作軸ではその家族をも、一年戦争で失ったのだそうだから、ジオンを憎む気持ちはかなり強かったのではないか。

 とは云え、『Z』において、クワトロ・バジーナ=シャア・アズナブル=キャスバル・レム・ダイクンを、自分の後継に指名したり、あるいはまた、バスク・オムなどのアースノイド至上主義者たちに対抗したりしていたことを考えると、闇雲に誰かを憎むタイプでもないのだろう。そう云うところは好感が持てる。

 とりあえず、この時間軸では、かれが家族を失わずに済めば良いのだが。

「まぁしかし、ブレックス准将殿のお子たちであれば、間違いなくできた方々でしょう」

〈買い被っておられますな〉

「あるいは、隣の芝生は青い、と云うものでございましょうかな」

〈違いない〉

 ともに呵々と笑う。

〈……とりあえず、ガルマ殿が無事に戻られたのは、本当に良かった。随分お窶れのようだったが、一日も早い本復をお祈りしていると、そのようにお伝え下さい〉

「もったいない。必ず伝えましょう」

 本当に、こんなにも“ガルマ”にもったいない言葉があるだろうか。ゴップならば、“少しはおとなしくしておかんか”などと云うのだろうに――まぁ、実際ほぼそのようなことも云われたのだし。

 軽い雑談ののち、通信を切る。

 ブレックス・フォーラは善人ではあるし、その為人も好ましく思えるのだが、その分こちらも取り繕わなくてはならないものが多い。そう云う意味でも、ゴップとの会話の方が気楽なのは確かなことだった――思い切り“ガルマ”のこき下ろし合いもできることであるし。

 ――悪い人間の方が相手にして楽しい、とは、どうしようもない話だな。

 つまりは、こちらも“悪い人間”だと云うことではないか――まぁ、否定はできないが。

 さて、裏を知らぬブレックス・フォーラが“ガルマ”に謝罪したからには、連邦軍内も概ね“ガルマ”を“真犯人”ではなく、被害者であり、その上海賊にまで拉致された気の毒な貴公子、と云う“物語”を受け入れたと云うことだ。

 これで、また暫くは時間が稼げたことになる。

 とは云え、ムンゾはやはり独立を求める声は大きいし、加えてルウムと云う新たな火種予備軍もある。即開戦とはならなくとも、いつでも戦争に繋がる導火線はあり、その傍でマッチを擂るものも少なくはないのだ。一連のあれこれで、逆に連邦への不信感を強めたものもあるのだろうし。

 上手く、巧く舵取りせねばならぬ。開戦を、より良いかたちで迎えるために。

 

 

 

 “身体検査”――比喩的な意味での――が終わり、ララァ・スンとパプテマス・シロッコが、ザビ邸にやってきた。

 シロッコはともかくとして、ララァの方は、恐らく地球で豪邸も見たことがあるだろうに、二人ともやや呆然と周囲を見回している。口をぽかんと開けてこそいないが、少しもの怖じするような風にも見える。

「ちょうど弟妹が外へ家を構えたのでな、その部屋を使ってもらおう。流石に家具はそのままだが、寝具くらいは替えてある」

「……子どもの気配がするわ」

 と、少女は云うが――確かに感じなくもないけれど、それはこちらが、この邸の内情をよくわかっているからであって、そうでないならわからないレベルのことだろう。

 実際シロッコの方は、微妙に頭を傾けている。半分頷いている風だ。

「あら、本当に結構いるのね。――あれはなに……?」

 次の瞬間、波紋が広がる。

 見えたわけではなく、そのように感じた。

 キャスバルの時とは違う、水面に広がる波紋のような、中心の衝撃が静かにあたりに拡がっていくような気配。

 ――アムロと“接触”したのか。

 確かに、ニュータイプは、時間にも距離にも邪魔されることなく意思の疎通ができるとは聞いていたし、作中でもそのような描写があったけれど、なるほど。

 ふと気がつくと、シロッコが頭を抱えて丸くなっていた。

「大丈夫か」

 かるく揺さぶると、のろのろと顔が上がり、またぱたりと伏せられる。かなりの“衝撃”だったようだ。

 しかし、シロッコでこれとなると、ゾルタン・アッカネンはどうなっているのか――昏倒していなければ良いのだが。

 仕方なく、シロッコを担ぎ上げ、ララァを促し“子ども部屋”に向かう。いつも子どもたちが溜まっている、まぁ子ども専用の居間のような部屋だ。

 扉を開けて、まず目に入ってきたのは、床で丸くなったゾルタンとフロリアンだった――遊びにきていたのか。

「おいゾルタン、フロル! しっかりしろよ!」

 と揺さぶっているのはカイ・シデン。ミルシュカの姿はない。また、ダイクン家に出向いているのか。

「そっちもか」

 と云うと、カイが勢いよく顔を上げた。

「あ、アンタ……って、何だソイツ?」

 と云って、担いだシロッコを見つめてきた。

「ゾルタンたちと同じだ。――アムロ?」

 そして、この事態を引き起こした当事者の一方は、まだ呆然としたように目を見開いていた。

 とりあえず、シロッコたちをソファの上に上げ、アムロをそっと揺さぶる。

 が、アムロはこちらに構うことなく、ララァ・スンにゆっくりと近づいた。

「おい、アムロ! どうしたんだよ!」

 叫ぶカイの声も、耳に入らぬかのよう。

「きみ、は……」

 碧い瞳は、少女の姿しか映してはいなかった。

「きみは、だれ……」

 その手が、少女の細い手に触れる。今度は何も起こらなかった――恐らくは。

 ふたりは無言で手を取り合っている。どうも、まともな――オールドタイプ的な意味で――会話にはならなさそうなので、のろのろと身を起こす残りの三人を世話しながら、ちょうど来たメイドにお茶の用意をさせる。

 ごく古典的な午後のお茶が、目の前に用意されてゆく。“古典的”と云うのは、つまり三段重ねのあれではなく、ワンプレートに、スコーンと胡瓜のサンドウィッチが盛られている、ヴィクトリア朝あたりの“アフタヌーンティー”と云うことである。

「……意外に地味……」

 と、やや落胆気味にカイは云うが、個人的には最上級のティータイムだ。外で単なる胡瓜のサンドウィッチが出てくるアフタヌーンティーはない。水気が多いので、作り置きできないからだ。

 そう云ってやると、

「アンタのシュミは、時々わかんねーな……」

 と首を捻られた。

 何とか“衝撃”から醒めた子どもたちも…アムロとララァを気にしながらも席につく。

 ケーキはないが、ジャム類が苺と林檎、三種のベリー、杏と種類が多いので、それなりには華やいだ感じである。

 食器は“ガルマ”が選んだものらしい。こちらのいつもの茶器は封印だ――まぁ、“壊し屋”ゾルタンがいるので、仕方ないところではある。

 ひととおり食べて飲み、一息ついたところで、カイがまた口を開いた。

「で? コイツとあの女は何だよ?」

 不審そうな声。

「“ガルマ”の拾いものだ。こちらがパプテマス・シロッコ、あの少女はララァ・スン。――シロッコ、かれは元預かっていたカイ・シデンだ。その隣りが、ゾルタン・アッカネンとフロリアン・フローエ、ララァ・スンといるのはアムロ・レイだ」

「パプテマス・シロッコです。――カイ・シデン以外は、皆こちらに?」

 割合に、権力のあるもの以外を蔑ろにしがちなのは、元々の性格なのか。

 まぁしかし、仕方のないところはあるか――子どもたちは、一番年長でも、カイ・シデンが中学生になったところであり、他は皆小学生である。いくら賢い子ばかりとは云え、高校生あたりになるシロッコでは、相手にするのも難しいだろう。

 その上シロッコは、“中二病”のようなところもあるのだし。

「いや、フロルは他処の子だ。そちらには今、ゾルタンの妹が行っている」

 ミルシュカと云うのだ、と云うと、シロッコはなるほどと頷いた。

「随分たくさん預かっておられるのですね」

「まぁ、いろいろあってな」

「オイ、シロッコって云ったか、オマエ、オレらのことは無視かよ」

 カイが、らしい口調で突っかかる。

「ここでの“主”はギレン殿だ。そちらに意を払うのは当然だろう?」

 つんとして、シロッコが云う。

「あんだとォ!?」

 二人の体格差はさほどでもない。日々街中を歩き回っているカイの方が、あるいは体力だけなら勝っているかも知れない。

 襟元を掴み上げられたシロッコが、助けを求めるようにこちらを見たが、子どもらは子どもらでやれば良い。

 と、アムロとララァがやっと、二人だけの世界からこちらに戻ってきたようだった。

「“話し合い”は終わったか」

 云うと、アムロは目を見開いたが、ララァはしれっとして頷いた。

「充分にね。――私はララァ・スンと云うの。先刻はごめんなさい、まだあんまり慣れてなくて」

 と云うのは、多分子どもたちを昏倒させた件だろう。

 ゾルタンとフロリアンは少し身を寄せ合い、ぶるぶると首を振った。猛獣の前に出たハムスターのようだった。

「ララァは凄いんだよ。あと、もうキャスバルにも会ったって」

 そう云って、碧い瞳がこちらをやや恨めしげに見た。

「ギレンさん――ガルマ、もっと前に帰ってきてたんじゃない」

「おっと。――ララァに“聞いた”のか」

「全部ね。海賊船で迎えにやっただとか――ホント、ギレンさんなんだから!」

 途端に、小さくなっていた二人が、興味津々に身を乗り出す。

「何だそれ、海賊船って何だよ?」

 ジャーナリスト志願のカイが、途端に食いつく。まぁ、本当のジャーナリストなら、大変なスクープを当てたことになっただろう。

「部下をな、海賊に仕立てて、少々“働かせて”いたのだ。ついでと云うか、一緒に“ガルマ”回収の任務も与えてな」

 今は、“ガルマ”を“捕まえていた”海賊が、その船に乗っている、と云うと、カイは大きく顔を歪めた。

「また、アンタってヒトは……」

「角が立たなくて良いだろう?」

 と云ってやると、盛大に顰め面をされた。

 シロッコは、微妙な顔になった。

「……随分と、親しく話されるのですね」

 “伝書鳩”の長であるタチはともかくとして、まだ中学生くらいの子どもと普通に話していることが、なかなか了承し難いようだ。

「カイ・シデンには、いずれ私がそれなりの業績を上げた後に、インタビューしてもらう約束なのでな」

「な!」

「それはまた……随分先の話なのではありませんか」

「私が、今の“父”の年齢になる頃には、カイは四十過ぎで、寄り道せずにジャーナリストになれば、もうベテランと呼ばれているだろう。今から予約するくらいでちょうど良いさ」

「それって、三十年くらい先ってことだよね」

 と、追加で運ばれてきたサンドウィッチをぱくつきながら、アムロが云う。

「三十年後って、僕たち、どうなってるのかなぁ……」

「三十年経ったら、オレたち、今のギレンさんくらい?」

 ゾルタンが、頬にスコーンの食べかすをつけたままで訊いてくる。

「カイは、それくらいだな。アムロもそうか。お前とフロルは、もう少し若いだろう。サスロか、あるいはドズルくらいではないか」

「サスロさんかぁ……」

「ってことは、キシリアねーさんより上だな! オレにも、そのころには、ヨメさんとかきてんのかな?」

「嫁……」

 他の子どもたちの頭の中にも、漠然とした“嫁”のイメージが浮かんだようだった。

 ララァがくすりと笑ったのは、子どもたちの想像が、あまりにも夢の中のようにぼんやりとして、そのくせひどくきらきらとしていたからだろう。

 子どもの夢など、大体そんなものだ。綺麗な妻と、手のかからない、賢く可愛い子どもが二人。犬か猫を一緒に飼って、白い大きな家に住む――様々なメディアが喧伝するのも、そのような“幸福な家族”である。

 が、まぁ、それがすべて揃ったからと云って、幸福が約束されるわけではないし、貧乏で美人でもない妻と、さして可愛くもない子どもしかなかったとしても、幸福である場合もある。

 否、それ以前に、結婚しない幸福もあり得るのだから、まさしく幸福はそれぞれだ。友人同士の同居、あるいはまったく関わりのなかった人びととシェアハウスで暮らすのも、また幸福であり得るのだ――あるいはいっそ、一人きりで生きたとしても。

 まぁ、

「まだまだ先の話だ。ゆっくり悩め」

 アムロに手を伸ばし、その頭を撫でてやると、くすぐったそうな笑いが返ってきた。

 それに比して、シロッコはやや不満そうな風だ。

「目標があるなら、それを目指して突き進むべきなのではありませんか。ゆっくりとは、手ぬるい気がします」

「だが、まっすぐ進む最中にも、まわりに注意を払う必要はある」

 こちらは、あまりまっすぐ進んだことはないし、できることの間をよろよろ進んでいたようなものだったのだが。

 とまれ、

「まっすぐ前だけ見ていては、様々なものを取りこぼす。上層部を見ていると、途中までは有能さで出世の速度がはかられているが、一番上に行くには、ある程度の人間性が必要とされるようだ。もちろん、名門の人間は、出自によるハロー効果があるので、その限りではないが」

 まぁそれだけでなく、名門の、裕福な家庭の人間は、はじめに施される教育――多分に教養方面の――に差があるのだ。例えば高名な画家の絵が家にある、あるいは著名な人物と家族が交流があり、耳学問的に教養が蓄積される――それは、そのような環境になかった人間との間に、確実な差をつけることになる。

 良いものに触れなければ、何がまずいものなのかを知ることはできない。例えばマ・クベに子があったなら、その子は他の子どもたちよりも、確実に美しいものに触れて育つことになる。そして、その美しいものの貴重さも、父親の態度によって知るだろう。そして、長じて様々な美術品に触れた時に、父親のコレクションに比して、少なくとも稚拙な出来のものには、違和感を抱くことになるはずだ。

 環境の恐ろしいのは、周囲の人間が“普通”であると感じているものを、子どももまた“普通”であると考えるようになる、そのことだ。その“普通”が低いレベルである場合、その子どもは、より“上”を知る子どもが“まずい”と思うものを、そうは感じない可能性が高くなる。その結果は、よくある“骨董屋に二束三文のものを掴まされる蒐集家”と云うわけだ。

 そして、それは事物に関することばかりではない。立ち居振るまいや対人関係の築き方、出世すれば、部下や使用人の使い方に至るまで、すべてにその“はじめの環境”が関わってくる。

 今のままいけば、パプテマス・シロッコは原作と同じように、利害と有益かどうかだけで他人を切り分けていくことになるだろう。

 木星船団の長くらいであれば、それでも良い。

 だか、シロッコがさらなる“上”を目指すのであれば、建前だけでも“noblesse oblige”の精神を身につけておかねばならぬ。さもなくば、真の“上流階級”はすぐさまその鍍金を見抜き、にこやかに笑みを浮かべながら、自分たちの“クラス”からシロッコを締め出すことになるだろうからだ。

「お前が、本当に“上”を目指すつもりなら、最低限の教養は身につけろ。それから、きちんとした人の使い方もな。……闇雲に己の力を誇るだけでは、いずれ自分の身を滅ぼすぞ」

 シロッコはまた、微妙に不満そうな顔になったが、もちろんあからさまにするほど愚かでもなかった。

 神妙に頷くのを、面白い気分で見やる。

 ――さて、この人を人とも思わぬものが、これからどう変わっていくのか。

 巧く育てば、『Z』のような、侮った相手にやられる結末にはならなくなるだろうが。

 先ゆきが楽しみだと思いながら、ゾルタンとサンドウィッチの奪い合いをするシロッコを見た。

 

 

 

 

 嵐は、翌日にやってきた。

 アルテイシアとマリオンが、こちらが帰宅した頃合いを見計らって現れたのだ。

「ガルマが、女の子を連れて帰ってきたのだと聞いたの!」

 夕食時を襲撃してきた少女は、憤然として云った。

 こちらはまだ軍服の上着も脱がぬまま、二人の少女を見つめ返すしかない。

「それは――どこからそんなことを」

 と云って、出元はひとつしかあり得ない。

 つまり、

「ミルシュカよ」

 マリオンが云った。

「昨日の夜、メールをくれたの。“ガルマが女の子を連れて帰ってきた、もうひとりのお姫様だ”って」

 まぁ、そこしかないだろう。

 しかし、

「あの娘は、“ガルマ”が自分のために連れてきたわけではないのだが」

 流石にニュータイプ云々を、ストレートに云うわけにはいかない。マリオンはともかく、アルテイシアには納得できないだろうからだ。

 が、

「……待って」

 マリオンが顳顬を押さえる仕種をした。

「何、これ――ちょっと……」

 と云いかけて、マリオンは昏倒した。突然のことに、アルテイシアが悲鳴を上げた。

「マリオン!?」

「しまったな、マリオンも“そう”だったか」

「どう云うことなの、ギレン殿!」

「つまり、ミルシュカ曰くの“‘ガルマ’のお姫様”は、少々特別なのだよ、アルテイシア」

「特別って、ガルマにとって、ってこと?」

「いや」

 こちらの心づもりとしては、キャスバルとアムロにとっての特別なのだが――しかし、強いニュータイプであると云う意味においてもララァ・スンは特別だったから、オールドタイプのアルテイシアには、そちらの説明の方が納得しやすいか。

「マリオンが“こうなった”のは、その娘のせいだと云うことだ」

「どう云うこと!?」

 混乱して叫ぶアルテイシアを横目に、マリオンをソファに寝かせる。

「悪気はないのだ。ただ、慣れていないだけで。――その娘は、力の強いニュータイプなのだよ、アルテイシア」

「ニュータイプって、お父様が提唱したって云う……?」

「そうだ。マリオンは、ニュータイプ研究所にいた。素質がある可能性が高かったのは確かだが、今までそんな素振りもなかったので、うっかりしていたな」

「でも、それでどうして?」

 と問われると、こちらも何と答えたものかわからない。

 とりあえず、マリオンのみならず、シロッコやゾルタン、フロリアンも頭を押さえて悶絶していたからには、何某かの“事故”が、見えないところで発生していたのだろうが。

「そこは私にもわからない。残念ながら、オールドタイプなのでな」

 と云ったところで、扉が開いた。

 見れば、ララァ・スンが、申し訳なさそうな風に顔を覗かせていた。

「あの……ごめんなさい、ついうっかり」

 ガルマには、いつもよく考えて“動け”って云われてたのに、と眉を下げる。

「まぁ、はじめはアムロを相手にして、慣れていくべきだろうな。――アルテイシア、この娘が、ミルシュカ曰くの“もうひとりのお姫様”だ。ララァ・スンと云う」

 紹介してやると、アルテイシアのみならずララァも目をぱちくりとさせた。

「ララァ、こちらはアルテイシア・ソム・ダイクン、この間引き合わせたキャスバルの妹だ」

「そうなのね!」

 ララァの顔が、途端に明るくなった。

「あの人とは感じが違うわ。可愛くて、綺麗ね!」

 にこにこと云う少女も、アルテイシアとは対称的な美しさだった。

 アルテイシアは金髪碧眼で白い肌、ララァは黒髪翆眼で浅黒い肌だったが、この二人のどちらがより美しいかと問われれば、それはもう、見るものの好みとしか云いようがなかっただろう。強いて云うなら、まだ幼さを多分に残すアルテイシアよりも、少し大人びたララァの方が、“美しい”と云う言葉にはより合いそうだと云うだけのことで。

 アルテイシアはと云えば、ぽかんとしているようだった。

 さもあろう、知らない少女にいきなり兄と較べられたりしたのだから。しかも、その少女は、親しい友人が昏倒する原因らしいとなれば、なおさらである。

「お兄様に会ったの……?」

「ええ、あの人でしょう? 綺麗だけど、少しツンとしたひと」

「お兄様は、ツンとなんかしてないわ」

 アルテイシアは噛みついた。

「いつもとてもやさしくて、誰より賢くて誇り高い――ツンとなんて!」

 とは云うが、まぁ割とツンとはしているだろうな、とは思う。誇り高いとは、つまりはそう云うことでもある。

「それでもいいけど、あなたの方がずっと可愛いわ!」

 ララァは、にこにこと云った。

 ムンゾにくるあたりからこっち、まわりは男どもばかりだったそうだから、同世代の、しかも少女の存在は嬉しかったのだろう。ミルシュカも少女だが、対等に話すには幼過ぎる。

「あの人に、こんなに可愛い妹があるなんて! ねぇ、あなた、ガルマの“お姫様”なんでしょう」

「え、えぇ」

 まったく“ガルマ”のことを気にしていないとわかる声音に、アルテイシアが当惑ったように頷く。

「教えてほしいの。あの人のどこがいいの?」

 確かに、ぱっと見は夢の王子様みたいだけど、と云うララァは、もう“ガルマ”の本性を理解しているようだった。

 が、“お姫様”として、蝶よ花よの扱いだったアルテイシアにとっては、失礼極まりない話だったようだ。

「ガルマは紳士よ!」

 憤然と云うが、こちらとしては、ララァの科白に同意しかできない。

「まぁ、どんな“紳士”だかな……」

 アストライア・トア・ダイクンとの初対面時、既に胸――だけではないにせよ――を注視していた“ガルマ”である。所謂ジェントルマンを期待するのは無理だと思うのだが――まぁ、アルテイシアの夢を壊すものでもないか。

 と、ララァ・スンの翠の瞳が、じっとこちらを見つめてきた。

「あなたは、知ってるのね」

「それはな」

 曲がりなりにも“兄”であるし、“それ以前”のつき合いもとてもとてもとても長い。今さら、あの猫皮に騙されるほど節穴な目ではないはずだ。

「サスロさん? とかキシリアさん? は、何だか騙されてるみたいだったから」

「あのあたりは、騙されたくて騙されているらしいからな」

 あと“父”も、と云うと、少女は小鳥のように首を傾げた。

「よくわからないけど――不思議な感じね」

「ひとは、信じたいものを信じるのだよ」

「じゃあ、このひともそうなのね」

 と、アルテイシアを指す。

 確かにそうだろうが、面と向かって云うことでもあるまい。

「私だってそうだ。まぁ、“ガルマ”に関しては、つき合いが長いからな」

「そう」

「ギレン殿! こ、この失礼なひとは何なの!?」

 ――おや、お姫様はお怒りだ。

 顔を真っ赤にしたアルテイシアは、今にも地団駄を踏まんばかりだった。

 まぁ確かに、婚約者が少女を連れ帰ってきたばかりか、それを自宅に住まわせたのだ。その上、その少女が、婚約者について失礼なことを云ったとなれば、激昂したくなる気持ちもわからぬではない、が。

「だから云っただろう、ララァ・スンはニュータイプだと。――安心しなさい、“ガルマ”は、この娘をそう云う意味で連れ帰ったわけではない」

 少なくとも、自分自身のためと云う意味では。

「では、何なのですか」

「――力の強いニュータイプを、地球に置き去りにしたくなかったのだよ」

「あら――でも、ニュータイプって、宇宙に出た人間が、認識能力の拡大をしてなるものじゃなかったの?」

 なるほど、なかなかの勉強家だ。兄ほどではないだろうが、アルテイシアも、一応は父親の著作、あるいはその注釈書などに目を通したものか。

「よく知っているな。しかし、どうもそればかりとは限らんようなのだ。なりやすいものとそうでないものがあるようだし、歳がいったものよりは、少年少女の方がなりやすいらしい。――ニュータイプの能力は、何も知らないものから見れば、モンスターのようにも思えるようだから、それならばと連れてきたらしい」

 『Vガンダム』のウッソ・エヴィンが、地球生まれのニュータイプだったように。そう云えば、あの話のヒロイン、シャクティ・カリンも、褐色の肌の少女だったか。

「……フロルみたいに?」

 フロリアンがダイクン家に預けられた日のことを、思い出してくれたようだ。

 頷いてやると、アルテイシアは少し考える素振りをし、やがてきっぱりと云った。

「わかったわ。それなら、このひとがここにいるのを、私も反対致しません」

「それはありがたい」

 と云う横で、ララァはかるく肩をすくめた。

 と、

「……いたた……」

 マリオンが、我に返ったのか、ソファの上で身を起こした。

「マリオン! 大丈夫?」

 アルテイシアが、慌ててその身体を支える。

「あなた、いきなり倒れたのよ。びっくりしたわ。どうしたの?」

「何か、すごい衝撃が……」

 と云いながら頭を巡らせるが、ララァの姿を認めた次の瞬間、その動きがぴたりと止まった。

「――まさか……あなた?」

「ごめんなさい、まだ慣れてなくって」

 ララァはぺこりと頭を下げ、ちらりと舌を出した。

「ガルマには、“交通事故みたいだから、気をつけろ”って云われてるんだけど――まだ力加減がよくわからなくって」

 その云い方はどうなのか。

「それ……ガルマが云ったの?」

 半ば呆然と、マリオンが云った。

 ララァは平然と頷いた。

「そうよ。最初なんて、何だか怪獣? みたいに云われたわ」

「ひどいわね……」

「交通事故って、どう云うこと?」

 あまり世慣れていないアルテイシアが首を傾げる。

 マリオンは、何と云ったものかと躊躇するようだった。

「ララァが強過ぎて、車にぶつかられたみたいだった、って云いたかったんだと思うわ」

 おや、と思う。マリオンは、ララァ・スンの名を聞かなかったはずだが――短い間に共感によって名乗りかわしでもしたのだろうか。

 思わず二人を見つめると、互いにまなざしをかわした少女たちは、ぺろりと舌を出し、肩をすくめた。考えたとおりで間違いないようだ。

「車に、って……そんな云い方を、ガルマが?」

 ちょっと心配になるくらい、女性にはやさしいひとなのに、と云う。

「そうだな、女にはやさしい。癖も悪いが」

 “ガルマ”の妻には、浮気でもしようものなら、出刃包丁を掴んでひたひたやってくるくらいの女でないと、難しいだろうと思う。その気のあるなしに係わらず、何故か女に好かれるし、世の男の常として、そのつもりもなく浮気――女にとっての――するからだ。それだから、その手の女のいる店に、妻に乗りこんでこられることになるのである。

「でも、云われたの」

「まぁ、意図せず無礼を働くからな。勘弁してやってくれ」

「――わかったわ」

 翠の瞳がじっとこちらを見、やがてララァはこくりと頷いた。

 が、その“わかったわ”がどう云う意図の言葉であるのかは、少女の表情からだけでは測りかねたのだが。

「そんなの……そんなことないわ! ガルマは、女性にはやさし過ぎるくらいにやさしいのに」

 そんなの嘘々、と云うアルテイシアは、まだ現実から目を逸らしているようだ。

「……頑張って」

 ララァが微妙な顔で云うのに、マリオンが苦笑する。こちらは、“交通事故”の衝撃のせいか、あるいはニュータイプ同士の見えない“対話”があったのか、ともかくもそれなりに仲良くできそうだ。

 まぁ、今のところは迂闊なことは云うまい。これで、アルテイシアが、実はララァが連れて来られたのが兄――とアムロ――のためだと知れば、大変面倒なことになりかねない。

 まぁ、あとはマリオンが、女同士のネットワークやら何やらで、巧くふたりの少女の仲を取りもってくれれば良いのだが。

 そんなことを考えるこちらの顔を、ララァの翠の瞳がじっと見つめていた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 28【転生】

 

 

 

 子供たちからに加えて、ララァ嬢とパプティからもメッセージが届くようになった。

 ララァ嬢はともかく、パプティはちょっと意外。

 内容は、新しい生活の中のアレコレがメインで、ときどき相談。

 ――相談? おれに??

 これもすごく意外。特にパプティ。

 ひとりで何でも解決したがる質だと思ってたのに。

 ララァ嬢は、アルテイシアに会ったそうな。

 マリオンも含めて、3人からそのときのメッセージが来てた。

 アルテイシアが、めちゃくちゃ反発したらしい。ララァ嬢がおれの本性を暴露したせいで。

 やめておくれよ。本気でやめて。

 お姫様に嫌われたらどうしてくれんのさ。泣くぞ。泣き叫ぶ“ガルマ・ザビ”が見たいのか、見たくないだろう。

 そして、マリオンは出逢いの“衝撃”で昏倒したと――おぅふ。覚醒したのか、君も。

 フラナガンの野郎が提唱してた、“強い衝撃が覚醒の切っ掛けになる”ってのは、あながち間違いじゃないようだね。

 いつかの時間軸に比して、ニュータイプとして激烈な進化を遂げたララァ・スンは、その思考波の強さにおいて他を圧倒する。

 彼女を相手にすると、アムロを除く面々は、いまだ結構な頻度で倒れるって言うから、相変わらずの無双状態である。

 まだ出力の調整が出来てないんだな。

 ふぅ、と、ため息。

 これは案件だわ。アムロもなまじ出力が大きいから、ララァ嬢の訓練には向かんだろうし。

 ニュータイプ同士仲良く過ごせるようにって思ってたけど、ゾルタンとフロルは怖がっちゃってるし、ララァ嬢もやや委縮ぎみだ。

 ミルシュカがララァ嬢にも懐いたらしいから、孤立は避けられてるようなのが救い。

 そして、パプティは“ギレン”に付いて、全く新しい階級社会の考え方や立ち居振る舞い、理念やらなにやらを詰め込まれているらしく、そろそろパンクしそう。

 ストレスが凄いのか、文面がもはや恨み節である。怖えよ。

 あれこれアドバイスも考えて、一通ずつメッセージに返信する

「『毎日、良く飽きないな。面倒だと思わないのか?』」

 後ろからキャスバルが。

「『んなわけ無いだろ。そんなんだから、お前にはメッセージが来ないんだよ』」

 送っても基本放置されるから、子供らは早々に諦めたらしい。

 キャスバル宛の内容まで、纏めておれに送ってくるようになってるし。

「『懐いてくれるのなんて、今のうちだけだろ。すぐに大きくなっちゃうんだ』」

 世界が広がれば、いずれ離れてく――子供って、基本、そういうもの。

 ちゃんと大人になってくならね。

 だけど、今はまだおれの庇護下にある。

「『……おれ、いまのうちにもう1回家に帰るよ』」

 日々はめちゃくちゃ忙しい。

 だけどこの先、もっと忙しくなることは目に見えてる――主に連邦との対立の激化で。

 そうなったら、そうそうここから離れるなんてできないだろ。

 今のうちに対処しておきたいんだ。

「『レディ・スワンについてかい?』」

「『そ。ララァ嬢についてさ』」

 隠れ家にいたときには、ある程度のコントロールができていたから、ちょっとの修正で、何とかなりそうなんだよね。

 悠長にしてたら、機会を逸してしまいそうだから、何やかやと理由をつけて、ズムシティの自宅に帰った。

 

 

「お帰りなさい」

 エントランスで出迎えてくれた少女に目を丸くする。

 照明を受けて煌めく金色の髪とアクアブルーの双眸。ツンとお澄ましした表情には、堪えきれない微笑みの気配があった。

 天使が降臨してるわ。

「……ただいま帰りました。アルテイシア、

 僕の可愛いお姫様」

 なぜ君がここに。

 執事と女中頭を従えて佇む様は、さながらザビ家の女主人といった風情だった。

 なんにしても会えるのは嬉しいから、自然に浮かんだ笑みのまま、少女をそっと抱きしめる。

 なんて可愛いんだろう。綺麗だ。花のような香りがする。

 つむじにキスをひとつ。瞼にひとつ。赤く染まった頬にもまたひとつ。

 こほんと、執事が軽く咳払いしたことで、我に返る。やべ、またキス魔復活してたっぽいよ。

 そっと身を離してから、改めて執事と女中頭に帰宅を告げた。

「お帰りなさいませ、ガルマ様」

「……子供達は?」

 いつもなら飛び出してくるアムロたちの姿がない――気配はするのに。すぐそこに。

 ちょっとニヤニヤしながら様子を伺ってるみたいだね。

『みんな、そこにいるんだろ?』

 そろりと思考波を伸ばして、物陰に隠れているらしきアムロたちをつんつんとつついた。

 さんざめくみたいな笑いの気配が溢れて、それから飛び出してきたアムロとゾルタンが、いつものごとく突っ込んできた。

 その後に続いてフロルとミルシュカも。

「『おかえりガルマ!』」

「『おかえり!』」

「『おかえりなさい!』」

「おかえりなさーい!」

「『ただいま、みんな』」

 ぎゅうぎゅう抱きしめて、くるくる回る。子供たちの笑い声でエントランスは賑やかになった。

 アルテイシアもニコニコしてその様子を見てる。

 なんて幸せな瞬間だろう。

 ――だけど、まだ足りない。

『ララァ嬢はどうしたの? マリオンも居るね?』

 屋敷の中に気配があるのに。

 パプティは留守なのか、ここにはいないようだけどさ。

 アムロがちょっと困った顔をして、ゾルタンがあからさまに目を逸らした。

 ――んんん。

 これはアレだ。

 “ギレン”のお気に入りのティーカップを粉砕したときと同じ反応だ。

 今度は何をやらかしたのさ。

 そろそろ居間にお移りくださいませ、と、執事に促されて、子供たち用のリビングへと移動しがてら。

『……………………………ガルマ』

 プルプルしながら服の裾を掴むゾルタンの頭をそっと撫でる。

『どしたの?』

『ゾルタン、ララァにひどい事言っちゃったんだよ。それで、部屋から出てこなくなっちゃったんだ……マリオンが一緒に居てくれてる』

 アムロの眉は下がりきっていた。

 俯いたゾルタンのつむじに視線を落とす。

 『だって』とか『でも』とか、ぐるぐる回るような意識が漏れたあと。

『………………ごめんなさい』

 小さく謝ってきたゾルタンの思考波は泣きそうだった。

 つまるところ、喧嘩をしたらしい。

 それで、原因はなんだったの――なんとなく予想はつくけどさ。

『ララァ嬢は強いだろ?』

『……うん』

『でも、彼女は女の子だ。そして、君よりもずっとあとに自分が“ニュータイプ”だって気づいた。まだ慣れてないんだ』

 おれと遭って、はじめてその“チカラ”を知った――そして、同朋がいることも。

 “ひとりじゃない”ことを知って、嬉しくて、ちょっとやり過ぎたんだろうなぁ。

 撫でようとした手が強すぎた、みたいに。

 ゾルタンの意識はモヤモヤしてる――悪かったと思う気持ちと、意識に受けた火花みたいな痛みに対する苛立ちと、嫌われたかも知れないことを怖がる気持ちと。

『謝るんなら、一緒に行くよ。おれも出会い頭に暴言吐いたクチだし』

 途端に、ゾルタンはハリネズミみたいにトゲトゲになった。

 灰色の眼が、いい加減なことを言うなって睨んでくる。

『ウソだ!』

『ガルマが女の子にひどい事言うはずないじゃないか』

 アムロもジト目を向けてくるけどさ。

『嘘じゃない。最初会ったときに、女の子って気が付かなかったんだよ――先に意識がぶつかったから。強烈でさ』

 思い出すのは、鮮烈なる銀河の星光。爆発的に拡大された意識世界に、おれのイメージとしての白鳥の乙女――と、認識する前はゴジラだった。

 ――内閣総辞職ビーム。

 おれの思考波での投影をうけ、アムロがゲホガホ咳き込んだ。衝撃を飲み込み損ねたのか。

 ゾルタンはポカーンとしておれを見る。

 凄いだろ、シンゴジラ。長過ぎる会議がリアル過ぎて笑えなかったんだよね。

『……ヒッデェ……』

『ひど過ぎる……』

 急に挙動不審になった少年ふたりを、アルテイシアとミルシュカご心配してる。

『ちなみに、“ギレン”にとってはおれがゴジラ』

『なんかそんなこと言ってた!』

『あれ、冗談じゃなかったんだね……』

 ほんとにさ、ゴジラとか悪魔とか、最近じゃ邪神とか、禄でもない例えしかしてこないからね、“ギレン”。

 子供専用になってる居間で、アルテイシアがメイドたちにお茶の用意をさせている――本当に女主人だ――間に、ゾルタンとアムロを連れて、ララァ嬢が滞在している部屋に向かった。

 客間は他にもあるけど、“ギレン”は、家を出たキシリア姉様の部屋を彼女に宛てたらしい。

 よく光が入る明るい部屋だから、居心地はいいはずだ。

「『ララァ嬢、マリオン?』」

 戸口に立って、ノックを。

 一拍置いて、ピリリとした緊張の気配と、戸惑いと、徹底されてない拒絶も。

 これはアレだ。拒否したい拒否したくない拒否したい――矛盾して自分でもどっちかわからなくなってる感じ。

「『マリオン、開けて』」

「『……でも……』」

 扉の向こうで、おろおろしている、もう一人の少女の気配があった。

 ララァ嬢からの返事はない。

「『大丈夫、ドアを開けて。お顔が見たいな』」

 思考波も口調も、努めて穏やかに。ついでにパカリと意識を開いて、あけすけに内面をさらす。

 ほら、だだの“ガルマ・ザビ”だ。

 君たちがよく知ってる、おれ。敵じゃないよ。

 五つくらい呼吸を数えた後、ガチャリと鍵が開く音がした。

 扉がわずかに開いて、ひょこりと顔を覗かせたのはマリオンだ。

「『ただいま、マリオン』」

「『おかえりなさい、ガルマ』」

「『困ってる君も可愛いね』」

「『こんな時にそんなこと言って!』」

 ぷんっと怒った顔もまた可愛らしい。そんなおれの思考も拾って、今度は呆れ顔に。

 ポカリと華奢なこぶしがひとつおれの胸を打って、それから彼女は戸口を退いた。

 その視線が、一瞬ゾルタンに向いて、その咎め立てするような目の光に、少年の方がビクリと震えた。

「『ララァ嬢、ただいま』」

 返事はない。

 部屋の中、少女は戸口に背を向けて、窓に向かって立っていた。

 逆光の中、黒髪の縁は光を輪郭にしていて、彼女自身が光ってるような錯覚を覚える。

 意地を張った背中は、記憶よりも小さく見えた。

 ん。閉じてる。

 思考波はわずかに震えるばかりで、振り向こうともしない――だけど。

 その奥底で、マグマみたいにグラグラ煮滾ってきた怒りの気配を察知して、意識を全開に展開した。

 ララァ嬢を覆うように、最大出力。

 次の瞬間、閃光が迸るように――、

『嘘つき!!』

 思考波が突き刺さった。

 脳裏で火花が散る――でも耐えられる――子供達に余波が及ばぬように、さらに覆い込んで。

「『嘘つき! ガルマ、あなた言ったじゃない! ここなら独りじゃないって! 仲間がいるって!!』」

 振り返って叫ぶララァ嬢の新緑の瞳は、ギラギラと光ってた。

「『言ったとも。君はニュータイプだ、ララァ嬢。僕たちも』」

 答えて両腕を広げる。

「『なら、なんでわたしは彼らを傷つけるの!?』」

 怒りと哀しみ。嘆きが悲鳴になって溢れていた。

 ララァ嬢を追い詰めたのは、ゾルタンからの暴言なんかじゃなくて、自分が子供達を傷つけたことか。

「『……優しいね。君は本当に優しい』」

 傷ついたことより、傷つけたことを嘆く少女の心根に感動すら覚えた。

「『優しくなんかないわ!!』」

「『優しいさ』」

「『あなたなんか大嫌い!!』」

 めちゃくちゃ噛み付いてくるね。

「『あなたに会わなきゃ、こんなチカラなんか知らなかったのに!!』」

 それはどうだろう。

 これほどのニュータイプ能力がいずれ覚醒せずにいられただろうか。

 きっとどこかでは目覚めたはず。

 それが今より条件が良いとは、あんまり思えないんだけど。

「『嫌いでいいよ』」

 おれのことは、ね。

「『でもこの子達のことは、嫌いじゃないだろ』」

 自分が傷つけたと嘆くくらいには。

「『心の中にズカズカ入ってこないで!』」

「『入ってないさ。おれの意識を開いてるだけ。わかるでしょ?』」

 苦笑い。

 何も読んでないよ。

 正直その余力がないし。おれは、君のそのトゲトゲを覆い隠してるだけさ。

 頑張ってるけど、ララァ嬢を包んでいる意識の膜は、このやり取りだけでボロボロになりつつある。

 背後で子供らが慄いてる気配が。

 大丈夫、君らを傷つけさせたりしないさ――そんな事になれば、ララァ嬢だって余計に傷つくし。

 ――唸れおれの“怪獣力”!!

 ここで踏ん張らずにどこで踏ん張るんだ。

 ふんす、と息を吐き、腹の底に力を溜める。

「『あなたなんて、私より弱いくせに!』」

「『聞き捨てならないな。じゃあ、おれをやっつけてみなよ』」

 思考波もこみでニヤリと笑ってやる。

 これはもう賭だけどさ。

 ララァ嬢の怒りかさらに炸裂するその瞬間、記憶の中からダンス曲を引っ張り出し、ニュータイプ全員の脳内で強制再生してやった。

 “シトロンの花咲くところ”――軽妙で明るくて場違いだろ。

 ネコ騙しをくらったみたいに、ララァ嬢の新緑の双眸が見開かれる。

 さあ、ステップはこう踏むんだ。

 ウィンナーワルツ――ヴィニーズの早い足捌きを、音楽を途切れさせることなく投影。

 一直線に駆け寄って、華奢な手を強引にとり、ステップ、そしてターン!

「『えええええっ!?』」

「『ほら、君たちも!』」

 促せば、ポカーンとした表情を晒してた子供らが、お互いの顔を見合わせたり、キョロキョロと。

 最初に立ち直ったのは、マリオンだった。

 やっぱり女の子は強いね。

「『アムロ!』」

「『――分かった!』」

 二人で組んで――そうそう、上手、上手。

「『これなんなの!?』」

 腕の中でララァ嬢が悲鳴を上げた。

 なまじ強いニュータイプなもんだから、意識に突っ込まれたステップに引っ張られてる。

 マリオネットみたいにぎこちないけど、それなりに軽妙に身体は動いてた。

「『怒ってるより踊ってる方が楽しいよ?』」

「『そういう問題じゃないわ!』」

「『知ってる。でも、ホラね、おれの勝ち。きみは、おれを倒せないもの』」

 ニヤニヤすれば、足は途切れさせないまま、腕だけでドンと叩いてきた。

「『馬鹿!』」

「『アイタ! でも、ほんとに問題ない。君よりもおれは強いし、この子達だって弱くないよ』」

 その証拠に、さっきのあの君の出力に、もう誰も倒れなかった――そりゃ、おれが覆ってはいたけどさ。

「『もう一回言うよ。ここでは、君は独りじゃない』」

 くるり、と、ターンしがてら、そのポジションをゾルタンと代わる。

 いきなり引き込まれたゾルタンも、目を白黒させていた。

「『ガルマァ!?』」

「『大丈夫。踊れる踊れる』」

 邪魔にならんように、部屋の隅っこに移動して、おとなしく蓄音機の代理を勤める。

 ゾルタン、身長も伸びてきてるし、ホールドに足りな過ぎるってことはないだろ。

 エスコートの遣り方は、ちゃんと教えてあるんだ。実践してみなよ、“良い男予備軍”なら。

 促すように音楽とステップの投影を強めてやれば、ゾルタンは、おずおずとリードを開始した。

「『…………ごめん』」

 蚊の鳴くような小さい声だったけど、確かな謝罪が――それは、ララァ嬢の耳にもちゃんと届いている。

「『オレ、格好悪いことした。あんたにひどいこと言った。あんたが強かったから悔しかっただけだ』」

 言葉はだんだんはっきりして、少年の灰色の眼の輝きも、キラキラと強くなった。

 真っ直ぐに視線をそらさずに、素直に謝る。

 ん。格好いいよ。それでこそゾルタン・アッカネンだよね。

「『もう言わない。絶対に仲間外れになんかしない。約束する!』」

 年下の少年が、一生懸命に気持ちを伝えてくることに、ララァ嬢の頬に微笑みが戻ってきた。

「『私こそ、ごめんなさい。痛い思いをさせてしまったわ』」

「『平気だ! アンタより強くなる――ガルマみたいに!』」

「『それはやめて』」

 ふぉ。即答ってさ。

 浮かんでたはずの微笑みも消えて真顔に。

 チロリと、一瞬だけ冷たい眼差しがこちらに。

「『あんな風になっては駄目よ。あれは魔物みたいなものなんだから!』」

 思考波はさらに冷え冷えとして、もはや絶対零度の域じゃないかな。

 酷いわー。

 ま、仲直りできたみたいだからいいけどさ。

 肩をすくめたところで。

「何をしているの!?」

 今度、戸口にあらわれたのは、お姫様たちだった。

 目を見開いて、腰に手を当てて、ちょっと怒ってる様子。

「いつまでも戻ってこないと思ったら、何故こんなことに?」

「どうしてみんな踊ってるの?」

 ミルシュカもキョトンと。

 唯一、思考波による演奏とステップの投影を感知できたフロルだけが、うずうずとその手足を動かしていた。

 しまった。そういえば、お茶の準備をしてもらってたんだっけ。

 音楽を止める。

 それに合わせて、みなもステップを止めた。

「『ごめんよ、お姫様。ララァ嬢とゾルタンの仲直りには、ダンスでもと思っちゃって』」

「………ダンス?」

「『そう。うまくエスコートできれば、レディは許してくれるでしょ?』」

「……そうね? そうかもしれないけど? ええと?」

 疑問符がいっぱいだね。

 アクアマリンの瞳がせわしなく瞬いて、金色の睫毛が、小さな蝶みたいに繊細で優美だった。

「『……後で君とも踊りたいな、お姫様』」

 するりと近寄って、華奢な白い指を掬い上げて口づける。

「……良いわよ。でも、お茶のあとでね!」

 はいよ、りょーかい。お姫様。

 ニコニコしながら頬にキスをおくるおれを、ララァ嬢は“ツチノコ”を見るような眼で眺めていた。

 

 

 お茶の後は、ダンスの練習の時間になった。

 気まずい空気は消えて、子供たちは終始、和やかで賑やかだった。

 ダンスホールに移動して、女中頭が奏でるピアノに合わせてステップ。

 ララァ嬢は、今度はアムロと踊っていた。

 ゾルタンはマリオンと、フロルはミルシュカと。

 アルテイシアは、2度ほどおれの足を踏んだけど、慌てて謝る様子が可憐だった。

 良いよ、どんだけ踏んだって。

 以前に比べて、断然、そのステップの精度は上がってるし――もともと難しいステップなんだよね――姿勢は完璧。立派な淑女でしょ。

「ガルマはわたしに甘すぎると思うわ!」

「そんなことはないさ。もっと甘やかしたいのを、こんなに我慢してるんだから」

 世界中のありったけ、綺麗なものと可愛いものだけで包み込んで、何処かに隠しちゃいたいくらいなんだ。

 クスクス笑って、すこし汗に濡れた金色の髪を梳いて整える。

 ずっと様子を伺ってたらしきララァ嬢は、パチパチと翡翠の目を瞬いてから、肩を竦めた。

『……あなた、“お姫様”の前でだけは、本当に“王子様”になるのね』

『自分では“騎士”のつもり。小さい頃、アルテイシアがそれを望んだから』

 叶えてあげたくて頑張ってるんだ。

『柄じゃないのなんか分かってるけどさ――あんまり彼女の夢を砕くことを告げ口しないでおくれよ』

 それで喧嘩したって聞いてるし。

 華奢な首をわずかに傾げて、それからララァ嬢は微笑んだ。

 キラキラした星の光が散るように思考波が震えて。

『良いわ。そのかわり、私にもパンケーキを焼いて! みんな食べてるんでしょう? 私だけ食べてないもの!』

 おや、食い意地がきたか。

『承りますとも。他には無い? ララァ嬢』

 ご要望は可能な限り叶えるよ。

『別に、思いつかないけど……そうね、もう“嬢”はいらない。ここで暮らすんだもの』

 他人行儀は嫌だと――はいよ。それも、りょーかい。

 

 

 賑やかに過ごした一日が終わって、子どもたちはお休みの時間だ。

 自室に戻って寛ぎながらも、思考は並列状態に。

 考えるのは、ムンゾとルウム、他コロニーや連邦の情勢――散らばる数多のピースが、刻一刻とパズルの模様を変えていってる。

 歪に撓んだそのなかで、火種は着々と育ちつつも、まだ爆発には至らない。

 いつの世でも、戦乱の火種を煽るのは人間の“欲”だ。早晩、両陣営に向けて、武器商人たちの アピールという名のマッチポンプが始まるだろう。

 一番大きいところだと、やっぱりアナハイムあたりかな。

  いつかの時間軸でもそうだったし、地球に降りてた間、実際に何度か耳にしてもいた――ガンキャノンも戦艦も、既に製造されてるんだ。

 とはいえ、現時点では実のところ、アナハイムに原作軸ほどの勢力はない。

 “ギレン”が、月にコロニー系企業をバンバン突っ込んでくれたおかげで、いまあっちは競争が激化しているからね。

 いたる所でバタフライ・エフェクトが発生してる。

 世界の流動は激し過ぎて、少し先の未来さえ見透すことが困難だ。

 点予測はするだけ無駄。ならば、ありったけの原作知識と現状データを条件に突っ込んで、範囲を予測――ついでに、範囲内でおさまるように横槍でも入れてやろうかね。

 ――どこをどう動かそう?

 敵のこと、味方のこと――そして、身内のことを思う。

 パズルの様相は混沌として、浮かぶ絵はどれも禄でもなさそうだった。

 これらを捻じ曲げて、望む景色に描き変えなくちゃならないんだ。

 それは何もかもを壊すことよりも、よほど難しくて、気が遠くなるような作業だった。

 面倒くさいけど投げ出さないのは、ただ、そこに大切な存在がいるから。

 ――踏ん張らんとなぁ……。

 自室のベッドで百面相してるおれを、転がり込んできたアムロが不思議そうな顔で見ていた。

 ちなみに、ゾルタンとフロルは、既に夢の中である。

 昼間、はしゃぎ過ぎたんだろう。ベッドのかなりの面積を占拠しつつ、健やかな寝息をたてていた。

 寝台、大きいのに買い替えといて良かった――どんどん育ってるから、これでも少し狭いんだが。

『……ガルマ、なに考えてるの? 顔もだけど、頭の中、渦巻くリキッドメタルみたいになってるよ』

 ふぉ、表現新しいな!

 なにさリキッドメタルって――液体金属状の思考はともかく、顔ってのはまずいよね?

 愕然とするおれを見て、アムロはさらにおかしげに笑った。

『女の子たちは絶対にそんな顔見せないのに!』

『……格好つけたい生き物なんだよ、男ってやつはさ』

 ふぅ、と、溜息。

 そういえば、女の子たちはララァも含めて、みなアルテイシアの部屋に泊まるらしい。

 いつの間にか、封印されてるみたいに開かれることのなかったザビ家の女主人の部屋が、アルテイシア用に整えられていた。

 ザビ家の女主人――つまり、デギンパパの奥さんであり、おれたちの“母”であるナルスの部屋がだ。

 ――……どういうことさ。

 これじゃ、彼女はザビ家に入ることが確定してるみたいじゃないか。

 嫁に来るの?

 だとしたら、相手はおれを置いて他には居ない。

 ふぉおぅ。ちょっと待って。

 これまで方々からアレコレ言われてきた事共が耳朶に蘇る。

 ゴップも言ってた――12歳の頃から相手が決まってたって。

 もしかして、あれ、本当だったの?

 ――誰からも聞いてないんだけど??

 ――……???

 とりあえず、帰ってからキャスバルに聞こう。

 早とちりだったら恥ずかしいしね。

『また変な顔してる!』

 なんて、転げまわって笑うのおやめよ。

 ぶつかられたゾルタンが、ウグウグ唸りながら寝返りをうってるだろ。

 フロルは身動ぎさえしてないけどさ。

『ね、昼間のあれ、なんであんな事になったの?』

 アムロが口元をモニョモニョさせてる。笑い過ぎで戻らなくなったみたいに。

『人間、不意を突かれると弱いモンさ。覚えておきなよ』

『うん。それはそれとして、何でダンス?』」

『得意だから』

『――……やっぱり、ガルマって時々わかんないね』

『そ?』

 おれほど分かりやすい人間は、そうそういないと思うけど。

 単純に、ララァ・スンに勝てるステージがそれだっただけだ。

 男なら技かけて昏倒させもできようが、女の子相手に、そんな手段は絶対に取れないからね。

 “勝てる戦場を選ぶ”――“おれ”の身内の座右の銘だった。おれも実践させてもらってる。

『……やっぱりわかんない』

『そ?』

 それは残念。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 キム・ボンジュンとは宙港で待ち合わせた。

 今回の帰還の恩人だからね。

 普通のカフェだと他のひとたちの迷惑になるからと、小さなウェイティング・ルームをひとつ借りた。

 帰還してこのかた、ランバ・ラルに貼り付けられた護衛と言う名の監視役には、外で待っていてもらう。

 部屋に入るとキムは先に着いていたようで、顔を見るなりガタンと立ちあがった。

 東アジア系の見た目を持つ元同輩は、その身を見てわかるほどに震わせた。

「ガルマ!」

「キム!」

  がっつりと抱き合って、めちゃくちゃ泣き出したキムの背中を叩いて宥める。

「ありがとう――おかげで 帰ってこれたよ。君は恩人だ。本当にありがとう」

 あのとき、 君がおれのメッセージを正確に汲み取ってくれたから、“ギレン”は迎えを寄越せたんだ。

  キムはグショグショになった顔で何度も頷いて、「よかった」を繰り返してた。

 しばらくそうやって団子状態でいたけど、キムが落ち着いてきたから席についた。

「……あんなにボロボロになってるなんて思わなかったんだよ」

 鼻を啜りながらキムが。

「そんなにボロボロ だった? 恥ずかしいな。今はもう大丈夫でしょ?」

  両手を拡げてニコリ。

 肌艶つやぴか、短いけど髪も揃えたし、肉付きだって筋肉だって取り戻しつつある。

  もともと筋力だけは保ってたしね。

「ああ。僕の 知ってるガルマだ」

 ようやくキムが笑った。それからその表情が 改められて。

「聞いてもいいか?」

「良いよ、君なら」

 こくりと頷くと、キムは一拍おいて口を開いた。

「君は木星行きの船に乗った。そうだよな?」

「うん」

「僕は、それを君の兄上に知らせた。“彼”にそう指示されたからな」

「うん、そう聞いてるよ」

「……僕が知らせることで、君は海賊に攫われたのか?」

「いいや!」

 不安そうに震えた声に強く否定を返す。

「あれは違うよ――ねぇ、君は、もう一つ疑ってることがあるんじゃない?」

 踏み込めば、キムは大きく目を見開いた。

 それから視線が忙しなく動いて。

「――……木星行きの船を襲った海賊は、“レッド・フォース”だった」

「うん」

「それなのに、君は10日も後に、“別の海賊”に囚われていたのを、コンスコン少将に救出されてる。遠く離れた星域で」

「だね」

「――…………普通なら、レッド・フォースから別の海賊に身柄を移されたところを、更に救出されたと見做すべきだろうな?」

「……そうだね」

 偶々、“ガルマ・ザビ”を囚えた海賊が、何らかの理由で仲間に譲渡し、それを察知したムンゾ軍が追い掛け回して拿捕したとでも。

 だけど、キムは納得してないようだった。

「それで、君はどう思ったの?」

「“狂言”。海賊騒動自体が、そのように作られたものだと」

 潜めた声。キムの黒瞳の光は、その明敏さを顕にしてた。

 士官学校に在籍していた頃、彼は常にトップレベルの成績を誇っていた。

 極めつけはその洞察力。おそらく、ルー・ファンと張り合えるクラスの。

 だからこそ、退学されたことはかなり惜しかった――引き止めこそしなかったものの、学舎を去った後も、度々連絡を取り合っていたくらいには。

 散らばった情報を精査して、その不自然さから、キムは一つの仮説を立てたんだろう。

 そしてそれは、真実にとても近い。

 ゆっくりと口角を持ち上げたおれを見て、キムは顔を覆って天井を仰いだ。

「……ぅ“あ“ー」

 なにその変な声。

「僕は口を閉ざすからな! ガルマ、僕は“Clam”だぞ!」

 気づいたことを知られたら、僕はどっかで飼い殺されてしまうとか、そんな風に嘆いてるけどさ。

「“Clam”はやめときなよ。煮たり焼いたりされたら口が開くでしょ?」

 ふはっと笑ったら、絶句されたあと、酷い奴めと揺さぶられた。ふぉう。

「大体、君が海賊ごときに捕まって良いようにされるわけが無いんだ! むしろ乗っ取るくらいのことはするだろう! ……もしかして、実は乗っ取ったのか?」

 なんでそこで真顔なのさ、キム・ボンジュン。

「君、僕をなんだと思ってるのさ?」

「ガルマ・ザビ」

 即答――その通りなんだけど、なんか、名前に変な意味合い乗っけてないよね?

 ジト目で見たら、向こうもブハッと吹き出した。

 だってさぁ、君たち、おれのこと――キャスバルも一緒くただけど――さんざん“魔王”だの“堕天使長”だの呼んでたから。

 顔を合わせて暫く笑ってから。

「なんにしてもだ、君が無事に帰って来てくれて嬉しいよ。おかえり。顔を見られてホッとした」

 キムの肩から力が抜けて、怜悧に見える双眸が、柔らかく細められてた。

 ほんとに心配してくれてたんだなぁ。なんだか擽ったいような。

「改めて、ただいま。僕も久々に会えて嬉しい。――そう言えば、君、ヤシマ・カンパニーに就職決まったって?」

 これはムンゾについてからの遣り取りで知ったことだ。

 ヤシマ・カンパニーって言ったらあれじゃないか、ミライさんのお父上の会社。

「ああ、月の方に行くよ。新しい部署だから、若手も多いらしいな」

 そう答えたキムの顔は明るくて、かつて士官学校を去っていた時、あの崩れそうな背中を覚えてる身としては、只々めでたく思えるわ。

「もし会えたら、ミライ嬢によろしくね」

 いつか画面で見たよりも、ずっと素敵なレディだった。

「そういえば彼女と踊ってたな、ガルマ。……だけどな、一介の新入社員が、社長令嬢に簡単に会えるわけないだろ」

 諭すように言わないでくれたまえよ。

 わからないだろ。未来なんて。

 社長令嬢にだって、女王様にだって、どっかで会うかも知れないんだから。

 

 

 

 ところで。

 キムと別れた直後の宙港で、未来の女傑に遭遇して目が点になった。

 よそ見をしたまま駆けてきた幼女を、護衛が前に出る前に、怪我をさせぬようポスリと受け止めたわけだが。

「ハマーン、だめよ!」

 と、よく似た女性が追いかけてきた。

 ――ハマーン?

 ハマーン・カーンと同じ名前だね。

 なんて覗き込んだ幼女の顔には、かの女傑の面影がありありと見て取れた。

 うわ。

 ――本人かよ!

 はわわ、と、焦る内心に反して、ばっちりと仕事をする猫皮は、ニコリと優しげに見える笑顔を自動的に貼り付けた。

「お怪我はありませんか、小さなレディ」

 見たところ8歳くらいかな。

 この頃は、まだあの特徴的な髪型じゃなくて、可愛らしいツインテールなのか。

 ストロベリーブロンドが軽やかに揺れてる。

「……ガルマ・ザビ?」

 きょとんと見開かれた目。ふっくらとした唇が、幼女にしては明瞭な声で名を呼んだ。

「おや、レディは僕をご存知だ」

「みんな知ってるわ!」

 ツンと逸らされた鼻が愛らしいね。

「ハマーン!」

 後から来た女性が、慌てて幼女たしなめてる。

 その面差しもまた、ハマーン・カーンによく似ていた。

 ――マレーネ・カーンかな?

 ハマーン・カーンの姉――作中ではドズル兄貴の愛妾だった。この世界線では、おそらくは、そうならないだろう。

 こっちも美人だわー。

 年は一つか二つほど、向こうが上か。大人しそうな、だけど芯は強そうな。

「申し訳ございません。妹が失礼を」

 幼女を捕まえて、姉はきれいな所作で一礼した。

「構いませんよ。怪我がなくて何よりです――お父上もこちらに? レディ・カーン」

 マハラジャ・カーンはデギンパパの側近だから、何度か顔を合わせたことがある。

 娘のことは聞いてたけど、実際に会ったことはなかった。

 カーンは何度か機会を設けようとしてたけど、パパンが避けてたような。

 と言うか、この世界線では、あんまり関わりは持つまいと思ってたんだけどな。

 だってほら、ハマーンがキャスバルに惚れると厄介だから。

 今のところ歳の差が10歳くらい離れてるから、そうそう心配ないと思うけど――でもなぁ。

「あなたもわたしたちを知っているの?」

「僕の父上と、君たちの父上が一緒にお仕事をしているんだよ」

 初対面なのに物怖じしないのは流石。

 大きな目をキラキラさせて見てくる様子は、好奇心旺盛な仔猫さながらだ。

 むしろ姉の方が恐縮しきりで、少し気の毒になってくる。

「おとなしくなさい、ハマーン。……ええ、父もこちらに来ております。よろしければお会いになりますか?」

 淑女の見本のような微笑みを浮かべてマレーネが誘ってくれるけど、ここはお断り一択。

 美女の誘いを無下にするのは気が引ける――だけど、パパンが避けているからさ。

「お誘いは光栄ですが……出発時刻が迫っておりますので、またの機会に」

 残念そうに眉を下げて答えると、マレーネも深追いはしてこなかった。

 お引き留めして申し訳ありませんと、そっと身を引こうとする姉に反して、ハマーンが服の裾をキュッと握った。

「もう行っちゃうの?」

「そう。学校に戻らないと」

「あなたのお家には、ニュータイプの子供達がいっぱいいるんでしょう?」

 食い下がってくるね。

 これは父親が情報源か。

 マハラジャ・カーンもシオニストだから、ニュータイプについては無関心ではいられないんだろう。

 いつかの世界線では、それこそ娘であるハマーンをニュータイプ研究所に送り込んだくらいだし。

「お父さまが、わたしもそうかもって」

 ――なんと。

 そりゃ素養があるのは知ってるけど、すでに開花しつつあるのか。

 まだレセプターは、かすかにしか震えないものの、これは時間の問題かな。

 身をかがめて、幼女の頭を撫でた。

 愛らしい顔の中で、深い紫の瞳がキラキラと光を湛えている

 真っ直ぐに視線を合わせて、微笑む。

「『……いつか聞けるかもしれないね、君の“声”も』」

 願わくば、あまり苛烈なそれじゃないと良いな――かの女傑の気性は、その身に降り注いだ不運が磨いたものだったから。

 思考波混じりの“声”を捉えたのか、そうでないのか、ハマーンは不思議そうにダークモーブの双眸を瞬かせた。

 そっと手を離して、一歩距離を置く。

 それからマレーネに向き直って、一礼。

「そろそろ出発します。貴女方もどうかお気をつけて――お父上に、どうかよしなにお伝えください」

 おっとりと微笑めば、マレーネの唇も優美な弧を描いた。

「必ず伝えます。いってらっしゃいませ、ガルマ様。どうかご健勝で」

「ありがとう。ではまたいずれ」

 見送ってくれる姉妹に背を向けて、出発ゲートへと向かう。

 ――……ビックリしたぁ。

 ほんとに人生って、どこで誰に遭うかわかんないね!

 

        ✜ ✜ ✜

 

「『ただいま、キャスバル』」

「『おかえり、ガルマ』」

 寮に帰り着いたおれの複雑な表情を見て、キャスバルがニヤニヤする。

「『久々の帰宅はどうだった?』」

「『……………なんか、お姫様がうちの女主人やってたんだけど……』」

「『そうだな』」

 って、知ってたのかよ。

 どういうことさ。

 あれだよ。あれって何だよって、でもあれだ。

 あれなんだ――有り得ないようなことが起こっちゃってる気がするんだ。

「『――……おれの意識過剰だったら嗤っておくれね』」

「『ああ』」

 真面目くさった顔でキャスバルが頷く。

「『…………………………おれ、もしかして……アルテイシアの婚約者、だったり、する?』」

 ずっと、有り得ないことだって思ってたんだけど。

 だって、おれだし。ガルマじゃなくて“ガルマ”だし。

 お姫様相手なんて、そもそも“ギレン”が赦さないんじゃないかなって。

 キャスバルは青い目を見開いて――次の瞬間、爆笑した。

「『やっと気づいたのか!!』」

 身体を折り曲げて、噎せこむほど笑い転げてる幼馴染を、呆然として見つめことしかできない。

 これ、自意識過剰に対する嗤いじゃねえよな?

 脳内で、未完成だったパズルが、とうとうパチリと音を立てて嵌った。

 

「『うぇへええええええええええっ!???』」

 

 本当か、本当なのか。

 嘘じゃないのか。

 おれの婚約者が、可愛い可愛いお姫様だなんて!

 今世紀最大の驚愕に、口から心臓が逃走するんじゃ無いかなって――遠ざかる意識の片隅で思った。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 28【転生】

 

 

 

 その月の末に、キシリアはシャア・アズナブルを伴い、一個中隊を率いてルウムへと赴いた。

 たかだか二百人ほどの兵力では、とてもルウムの火種を力で抑えこむことはできるまいが、まぁ、これはムンゾとルウムの友好を証立てるための派遣である。要は、儀礼的な側面が強いと云うことだ――実際には、ルウムにも連邦駐屯軍が存在するので、そちらを圧迫するような人数は難しかったのだ。

 それでも、ルウム首長からすれば喜ばしいことであったらしく、派遣を知らせる通信を入れた時には、涙を流さんばかりの様子であった。まぁ、政治家の涙が、どれほど本当かは定かでなかったが。

 ともあれ、こちらとしては義理を果たしたことになる。この上、ことさら云われることもあるまい。

 一方のムンゾ国内は、小休止と云うのが相応しい状況だった。

 “英雄”コンスコンの存在を、マ・クベはやや面倒くさそうに見ていた――あるいは、そこにやっかみもあったろうか――が、しかし、“ガルマ”が戻ってきたことで、国内の擾乱の気配が遠ざかったことには、胸を撫で下ろしていたようだった。

 まぁ、マ・クベにしても、現時点で連邦との戦端が開かれるのを、肯定的に見ることはできるまい。連邦と干戈を交えるには、まだこちらの備えが足りな過ぎるのだ。

 とは云え、MS-06、ザクⅡは量産体制に入った。RX-79、つまり量産型ガンダムも、ツィマッドで着々と生産されている。

 量産型ガンダムについては、流石に白の塗装と云うわけにはいかないので、ダークカラーの塗装にしている。濃紺、あるいはカーキ、モスグリーンなどを、部隊によって使い分けると云うことだ。基本はザクと同じグリーン系だが、位階の高い士官には制服のカスタマイズすら許されているムンゾである。ランバ・ラルや“黒い三連星”“シャア・アズナブル”ならずとも、パーソナルマークを肩に入れ、あるいはカラーリングも変えるものが出てくるだろう。そうなれば、青や黒、様々なガンダムも出てくるに違いない。

 サイコミュの方はと云うと、どうも違う方向性を得つつあるようだった。

 と云うのは、元々の方でも研究されていた、脳波による電気信号発信と、それによるある種の通信と云うものが、通常人においてもかなり使えることがわかってきたのである。

 そのため、研究そのものの軸が、ニュータイプと云う“異能者”から人類全般に拡げられることになったからだ。

 フラナガン博士も、大脳生理学者や脳医学者などと共同研究を行うことになり、所謂ニュータイプと一般人、そして新しい脳波によるシステムを使いこなせない人間の、どこがどう異なるのかについて、日々熱い議論を交わしているようだった。

「――平和で何よりだな……」

「何がです?」

 来期、学校がはじまるまでの間、臨時秘書を務めることになったシロッコが問うてくる。

 どこに行かせようか迷ったのだが、家庭的に不遇だったらしいと“ガルマ”に聞いたので、まずは普通に高校に通わせることにした。士官学校は、やはりどちらかと云えば脳筋集団なので、変に偏った人間になる可能性が高いのではないかと思ったのだ。もちろん、既に歪んでいるとは聞いていたが、わざわざそれを助長することもあるまい。

「いや、この報告書がな」

「あぁ、タチ少佐からの。……ニュータイプ研究所と云うものは、本当にあるのですね」

 一瞥しただけで、大体の内容を察したシロッコは、溜息まじりにそう云った。

「お伽話か何かのように云うではないか」

「お伽話のようなものでしょう。私だって、ララァ・スンと出逢わなければ、信じることもなかったはずです」

 そう云いながら、書類の束を突き揃える。

「ジオン・ズム・ダイクンの唱えたニュータイプ理論を、信じてはいなかったのか?」

「私は、自分の力のみで生きる術を求めていたので、そんな絵空事に使う余力も暇もありませんでしたから」

 シロッコの口調は、冷静極まりなかった。

「むしろ、あなたがあれを信じておられることの方が驚きですよ。どうしてあんなものを信じようと?」

「キャスバルがいたからだな、それから“ガルマ”も」

 実際にはもちろん、原作を見ていたからだが。

「まぁ、そうでなくとも、政治には理念が必要だ。それも、直近の利益とは関わりの薄い理念がな。ニュータイプ理論は、絵空事のようにも思えるものだが、だからこそ、互いに利益の異なる人間に働きかけるのには良い。あまり卑近な“理念”は、揉めごとの元にしかならん」

 かと云って、あまりに悠遠な理想では、それもまた人心を取りまとめるのには不向きである。

 あまり好みはしないが、こう云う場合は、ある種の選良思想的な言説が、それなりに力を持つことは、否定できないところだった。

「優生思想を好むわけではないが、虐げられたものにとっては、自分たちこそが選ばれた民であると云うような言説は、耳に心地良く響くものだ。それが暴走して、逆にアースノイド排斥運動に繋がらぬよう、巧く手綱を取ってやらねばならん」

 シトラ=此方もユルトラ=彼方も、極端なものはすべて、人民を駄目にするもとである。だからと云ってどちらをも切り捨てれば、最終的に自分が切られる羽目になることは、以前の生で経験済だ。

 巧く、巧くバランスを取らねばならぬ――束の間であっても、平和を手に入れるために。

「私にはわかりかねます」

 シロッコは、少し眉を寄せながら云った。

「ニュータイプであれオールドタイプであれ、言葉を介さずに意思の疎通ができようとできまいと、優れた人間と劣った人間の間には、埋め難い溝があると思います。よく、IQが二十違うと会話が成立しない、などと云いますが、あながちあれは間違いではないのかと――あなたと話をするのと、ゾルタンと話をするのでは、まったく通じ方が違います」

「ニュータイプ同士でも駄目か」

「駄目です。ニュータイプだろうと何だろうと、他人は他人、自分は自分ですよ」

「なるほど」

 当事者からの貴重な意見である。

 尤も、

「ゾルタンを引き合いに出すのは、少々話が違う気もするがな」

 小学校高学年と高校生では、知能指数云々以前の問題だ。小さな子どもは生活史や純粋な経験が不足しているから、ニュータイプとオールドタイプの単純な比較には適さないだろう。

「ならば、ガルマとでも構いません」

「……あぁ」

 そちらはそちらで、何と云うか“人の類”なので、一律に較べたくはない気がするが――いやしかし、ゾルタンよりは正しい比較対象ではあるか。

「まぁ、“ガルマ”は理解し辛いだろうな」

「あんなに思考を投げ出している人間はいませんよ。それに、あまりにもカオスだ。あのカオスの中で飛躍するから、よくわからない結論に行き着くのだな、と云うことはわかりましたが」

「気持ちはわかる」

 “ガルマ”の思考に較べれば、ほかの“飛躍的思考”など子どものジャンプくらいでしかない。“ガルマ”は、何がどうしてこうなった的な、壁面を走って飛び越えでもしたのかと云うような、よくわからない飛躍をすることが多いのだ。当人に云わせれば、“回りこめる壁だったから、回りこんでみた”と云うことになるようなのだが。

「あのガルマを、よくも手綱を取っていられるものですね」

「キャスバルのことか?」

「いいえ、あなたです!」

「まぁそこは、“長いつき合い”だからな」

 シロッコたちが考えるよりもずっと。

 大体、“ガルマ”については、考えても無駄なことが多い。本人はそうでもないと主張するが、その場その場で生きているようなところがある。脊髄反射的と云うか、そんな感じである。つまり、こちらが深く考察したり、忖度しようとしてもあまり意味がないのだ。

 それくらいなら、その時その時の反応を、そんなものだと捉えて対処した方が、百倍も有効なのである。

「まぁ、ご兄弟ですからね」

「……まぁ、そうだな」

 そう云うことにしておこう。

「“ガルマ”のことは置いておけ。お前が学ばねばならんのは、あれとはまったく違う類の連中だ」

 いずれ政治の場に出ていくつもりならば、それなりの振るまいを学ばねばなるまい。“ガルマ”のように野放しでは、上流階級の“妖怪”どもとはやり合えぬ。いや、“ガルマ”は巧く躱したりやりこめたりしているが、あれと同じことを、常識ある人間がやるのは困難だ。平気で一線を踏み越えられるのは、ザビ家の家名と、持って生まれた資質に依るところが大きい。どちらも、シロッコにはないものである。

 シロッコは沈黙した。

「何だ、政治の世界に進むつもりなのではないのか」

「――私が、本当にそんなことができるとお考えなのですか」

 それよりも、家名を云々され難い分、軍人になった方が、などと云うが、

「家名がものを云うのは、軍とても同じことだ」

 肩をすくめてやる。

「軍人の家系と云うのは確かにある。ザビ家は、そもそも政治家か学究の徒を排出してきたようだがな。“父”が、ジオン・ズム・ダイクンに肩入れしてから、軍に親しくなったようだ」

 そもそも“父”も、ムンゾ大学の学長であったのを、ジオンとともに歩んだが故に、首相に就任することにもなったのだから。

「あなたは、では、そもそも軍人を目指していたわけではないと?」

「私も、元は学生だったさ。ジオンに与する学生運動に身を投じて、気がついたら今があるのだ。士官学校に行ったわけでもないからな、はじめは少々苦労した」

 はずだ、多分。

 無論、マ・クベのようなタイプもある、知略で売るのはひとつの道だとは思うが、やはり士官学校で同期だったり、あるいは先輩後輩の間柄であったり、があるとないとでは大違いである。

 しかも、ジオン・ズム・ダイクンの片腕であるデギン・ソド・ザビの息子、と云う触れこみは、士官学校から上がってきたものたちから、強い反撥を受けただろうことは想像に難くない。それを、どのような手腕で捩じ伏せたのかは最早知る由もないが――並の人間にできることではないことは明らかだった。

 シロッコにそれが不可能だとは云わないが、軍の“力こそパワー”的な雰囲気は、最終的に、あの『Z』と同じような環境を、この若者のまわりに作る可能性がある。

 それならば、いっそ最大限の謀略家に仕立て上げるべく、まっすぐ政治の道に入らせた方が、後々本人にとっても、まわりにとっても良い結果が出ることになるのではないか。

「“上”から、落下傘のように降ってくる文官上がりの士官を、叩き上げの士卒や士官学校出の将校たちは、あまり良く思わないのは確かだが――しかし、かれらとても、そのものが自分たちの利益を守ってくれる、あるいは、少なくとも心情を理解してくれるのならば、無碍にしようとは思うまいよ。だが、上流階級と云うものは、どうにも新参には冷たいところなのでな」

「若いうちなら、それが払拭されるとでも?」

「少なくとも、今のお前には、ザビ家と云う後ろ盾がある。そうではないか?」

 実態はどうあれ、ザビ家の私邸で養われる少年を、上流階級の人びとは、いずれザビ家の養子に入るなり何なり、自分たちの仲間に入ってくるものと目することだろう。もちろん、最初は様子見もあって、暖かく迎えられはするまいが、少なくともまったく縁故も何もない若者が、独力でそこに入りこもうとするよりは、いずれ自然に受け入れられる、その可能性は高くなるはずだ。

「無論、お前自身の努力が必要ではあるが――お前の手間を、一段か二段ほど、少なくしてやれると思うのだ」

 シロッコは、目を瞬かせた。

「あなたは――あなたもガルマも、どうして私をそんなに買うのですか」

「“ガルマ”は知らんが、私は敵を作りたくないだけだ」

 肩をすくめてやる。

「優秀な“敵”ほど恐ろしいものはない。それくらいなら、少しでも手をかけて、味方に引きこんだ方が圧倒的に良い。味方を作るための投資であれば、これくらいは安いものだ」

 要は打算だよ、と云うと、シロッコは、何とも云い難い表情になった。

「……打算で、それほどまでに手をかけるものですか」

「そこまでかけているわけではないだろう。それに、敵になってから、それを味方にするよりも、今そうする方が遙かに簡単だ。そう云うわけだから、お前も、存分に私を、ザビ家を利用するが良いさ。それで、互いにメリットがある関係になれる。そうではないか?」

 シロッコの表情は、やはり頷きたいような、そうしたくないような、微妙なものだったが、それでも否やはないようだった。

 ニュータイプ部隊を作るにしてもそうでなくとも、シロッコを自陣営に引きこめれば、グリプス戦役への流れは完全に断ち切れる。バスク・オム、ジャミトフ・ハイマンもいないこの時間軸では、ティターンズの勃興は限りなく困難だろう。

 さて、一年戦争後の動乱の芽が、さらにひとつ潰れたわけだが――肝心の“一年戦争”、そしてその前哨戦にあたる“暁の蜂起”はどうなるのか。

 近い未来のはずであるのに、そこを見通すことはひどく難しかった。

 

 

 

 ルウムに向かったキシリアから連絡が入った。

〈歓迎ぶりはありがたいけれど、何をしに来たのかわからなくなるわ〉

 やや疲れた顔で、キシリアは云った。珍しいこともあるものである。

「歓待を受けるだけの、楽な仕事ではなかったのか」

〈楽は楽よ。ただ、あまりにもあちこちに呼ばれるものだから、正直疲れてしまって〉

「シャア・アズナブルもか」

 もしかして、それで姿が見えないのか。

〈そう。私はともかく、あの子はこう云う、前面に出なければならない仕事には不慣れでしょ。その疲れぶりときたら、本当に可哀想なくらい〉

「まぁ、そうだろうな」

 シャア・アズナブルは、結局のところ一般人であったのだ。それが、故郷に帰ったと思えば映画俳優か何かのような扱いである。それは、気疲れもするだろう。

「それで、ルウムの情勢はどうなのだ」

〈悪くはないわ。ガルマが無事に戻ったと云うニュースと、われわれが出向いたことで、アースノイド排斥運動は、少し落ち着いたところはあると思う。多少ぐずぐず云っているものもあるけれど、それは多分、ガルマの件がなくとも云っているようなものたちだろうから、概ね平穏と云って良いでしょうね〉

「そうか」

 まぁ、どこの地にもアースノイド排斥を唱えるもの、コロニー独立を云い立てるものはある。が、かれらがそれを大きなうねりにするには、今回は少々時機を逸したと云うことだろう。

 正直、ほっとした。

 独立の機運やアースノイド排斥運動の盛り上がりなどがあのままいけば、前倒しで、しかも原作とはまったく異なるかたちでのルウム戦役、そしてそこから一年戦争へ、と云う流れができてしまっただろうからだ。

 無論、こちらもただ不戦を唱えるわけではないが、とにかく準備と云うものがある。そしてそれは、連邦軍にしてもご同様だろう。戦争は、闇雲にはじめれば良いと云うものではない。

〈それは良いのだけれど〉

 キシリアは、切り出し方に迷うように言葉を切った。

「どうした」

〈これをどう取ったものか悩むのだけれど――アナハイムの人間が、密かに接触してきたの〉

「アナハイム?」

 アナハイムと云うと、“スプーンから宇宙戦艦まで”がキャッチフレーズの、あの巨大企業のことか。

 テム・レイの元の所属であり、『the ORIGIN』枠の現時点では、RCX-76-02ガンキャノンを製造しているのがアナハイムである。

 連邦政府や軍上層部にも金を注ぎこんでいると云う噂のアナハイムの人間が、ムンゾに一体何の用があると云うのか。

『本社の人間か』

〈フォン・ブラウンのアナハイム支社から来たと云っていたわ――ウォン・リーと名乗っていたのよ〉

「ウォン・リー」

 それは、『Z』でカミーユ・ビダンに鉄拳制裁しようとして、逆にいなされて終わった、あのウォン・リーか。

 しかし、ウォン・リーは、『Z』ではアナハイム会長メラニー・ヒュー・カーバインの片腕であったように記憶しているが――連邦系とも目される企業の人間が、反連邦の急先鋒と思われているムンゾの人間に、一体どんな用があると云うのだろう?

〈ご存知なの、ギレン?〉

「いや……それで、要件は何だったのだ」

〈それが、今ひとつはっきりしなかったの。ただ、お前と話がしたいと云っていたわ〉

「私と?」

 それは妙な話だ、と思う。

 そもそもムンゾは、独自の企業を多く抱えている――MSにおけるジオニック社やツィマッド社のように。

 つまり、ムンゾとしては、アナハイムに自国企業のシェアを奪われるような真似はしたくないし、国民感情としても、連邦に金を流しているアナハイムの製品を購入して、連邦にさらなる力を与える真似は――まぁ、躯体の大きな企業であるから、ムンゾの人口がどれくらいのウェイトを持つものかはわからないが――したくはないだろう。

 アナハイムにしても、よほど自信のある商品でなければ、ムンゾの企業の販路を奪取するのは難しいと、それはもう身に沁みてわかっているはずなのだ。

 それなのに、一体何故?

「簡単な概要や、何某かの提案を受けたりはしていないのか?」

〈恐ろしく用心深い男で、お前にでなければ話せないと云うの。とりあえず話を上げておくとは約束したけれど、通信でも何でも、対話が果たせるかはわからないとは云っておいたわ。罠と云う可能性もなくはないでしょう〉

「そうか――そうだな」

 しかし、罠ならば、ウォン・リーが使者であったとしても、会長であるメラニー・ヒュー・カーバインの名を出してくるくらいのことはするだろうと思われる。そうでないなら、これはウォン・リーひとりの差配であるのか、あるいはアナハイムのフォン・ブラウン支社の総意と云うことになるのか。

「とにかく、裏を探らせてみることにする」

 何しろ、原作から大きく外れてしまっているこの時間軸だ。不測の事態により、連邦内部が大きく変化した以上、関連する企業にしても、変化を余儀なくされている可能性は高い。

 問題は、それがムンゾの先行きにどんな影響があるかと云うことだが――そのあたりは、それこそタチあたりの出番だろう。

〈そうして頂戴〉

 そう云って、キシリアは、いかにも疲れた顔で溜息をついた。

〈あまりにも、いろいろと目まぐるし過ぎて――あまりよく考えられないの。環境が変わると云うのは、大変なことなのね……〉

「一時のことだ」

〈そうなのだけれど……〉

「何ごともなく帰れることを願っている。何かあれば大ごとだからな、ルウムにとっても、もちろんムンゾにとっても」

〈えぇ、もちろんわかっているわ〉

「とりあえず休め。明日も、その先もあるのだからな」

〈えぇ、そうさせてもらうわ〉

 本当に珍しいくらいに疲弊した様子で、キシリアは通信を切った。

 ――歓待されているから良い、と云うわけでもないのだな。

 まぁ、悪意があるわけではないようだから、無碍にもできずに辛い、と云うところなのだろうが。

 それはともかく、ウォン・リーとアナハイムである。

 呼び出すと、タチはすぐにやってきた。

「どのようなご用件で?」

「知っているかも知れないか、アナハイムのことだ」

「アナハイム――本体ですか、月の方ですか」

「月だ。アナハイムのフォン・ブラウン支社が、ムンゾと繋ぎを取りたいと、キシリアに接触してきたようなのだ。原因がわかるか?」

 そう云うと、タチは腕を組んだ。

「アナハイム内部で、少々がたつきがあるのは聞いておりますがね。――そもそも、あちらはニューホンコンが発祥の地と聞いております。社として連邦寄りになるのは、仕方のないことでは?」

「確かに、アナハイムのCEO、メラニー・ヒュー・カーバインが、ニューホンコンで仕事をはじめたとは聞いたことがあるな――しかし、それなら何故“アナハイム”なのだろうな」

 アナハイムは、アメリカの都市らしいと聞いた気がするのだが。

「まぁ、そのあたりも含めて、調べて参りますよ。他には何か?」

「アナハイムのフォン・ブラウン支社のウォン・リーと云う男を調べてほしい」

「その男が、キシリア様に接触してきたと?」

「そうだ」

 気になるのは、アナハイムそのものよりも、むしろウォン・リーの存在かも知れない。『Z』の時の、メラニー・ヒュー・カーバインの代理人としてのあの男を知っているからか、どうにも罠ではないかと云う疑念が消えないのだ。

 ウォン・リー自身も――『Z』劇場版の話だが――、ニューホンコンのルオ商会に、娘のステファニーを嫁に出したことになっていた。だからと云うわけではあるまいが、ルオ商会は、アナハイム・エレクトロニクスと協力関係にあるように描かれていたはずだ。

 もしも、ウォン・リーの行動が陽動だったとしたら、アナハイムは何を目論んでいるのかと云うことになる。

 逆に、罠でないとするならば、今度はアナハイム内部で何が起こっているのかと云うことになるだろう。

 とにもかくにも、ウォン・リー、あるいはアナハイムの目論見を知らなくては、泥濘に足を取られるようなことにもなりかねない。

「ウォン・リーと云う男は、メラニー・ヒュー・カーバインの腹心だと考えていたのだが――そのとおりだとしても、あるいはそうでなかったとしても、ムンゾに何を求めているのかが気になる。わかる範囲で構わんので、調べてくれ」

「そんなに気にかかりますか」

「ニューホンコンのルオ商会、あそこと関係があるかも知れん男だ。その上、多分メラニー・ヒュー・カーバインの腹心でもある、となれば、気にならん方がおかしいだろう」

「……なるほど」

 タチは、口許を歪めた。

「ニューホンコンのルオ商会と云えば、秘密主義のルオ・ウーミンですな。それを、ムンゾにいながらに探り出せ、とおっしゃる」

 なかなかハードルが高い、と云う。

「お前も、伊達に“伝書鳩”のトップではあるまい?」

「それはそうですがね!」

「そもそも、そのための“伝書鳩”ではないか。それに、お前のことだから、ゴシップジャーナリストの他にも、地球に伝手はあるのだろう?」

「……否定は致しませんが」

「そうだろうとも」

 その伝手をフルに使えば、アナハイムの動向を把握することも不可能ではないはずだ――かつて、アナハイムにおける原-MSとでも云うべきもの、つまりはRCX-76の開発計画を抜き、またテム・レイをこちらに勧誘してきた時のように。

「努力は致しますがね、あの頃より、アナハイムのガードは恐ろしく固くなっているんです。あまり期待しないで戴けますかね」

「うむ、期待しないが待っているぞ」

 後半に力をこめて云ってやれば、渋面が返された。

「どうしてそう、圧力を……まぁ、やりますけれど!」

 自棄くそ気味である。

「お前の腕を信じているからな」

「またそう云う……」

「本当のことだ」

「……とりあえずは、閣下のおだてに乗っておくことに致しますよ」

「おだてではないが、そうしてくれ」

 こちらはこちらで、あたれる伝手はあたってみる、と云えば、タチは頷いた。

「そうですね。今回ばかりは心許ないです。そうして戴いた方が確実ですな」

 まぁ、とにかく、ご希望に添えるようには努めますよ、と云って、タチは退出していった。

 さて、タチにはああ云ったものの、対企業となると、こちらもさっぱりお手上げである。

 “昔”から、経済は完全に門外漢で、それで四苦八苦したことが多かった。

 まぁ、今回は企業内部、あるいは販路的な意味での勢力図の話になるだろうから、多少わからぬでもないのだが、苦手感があったせいもあり、端緒が掴めないのだ。

 いや――

 ――シュウ・ヤシマに訊いてみるのはどうだ。

 ヤシマ財閥も、連邦寄りの企業と云われている。こちらが宇宙でじたばたするよりも、何某かの情報を持っているのではないか。

 それに、TVで見たが、“ガルマ”はパーティーで、ミライ・ヤシマとダンスをしたはずだ。そうであれば、多少なりとも“ガルマ”のことを気にかけてくれている可能性もある。それへの謝礼や報告も兼ねて、やはり連絡してみるべきなのだろうし。

 そう思うと、それがベストの選択のように思われてきた。

 無論、タチがきっちり仕事をしてくれるのはわかっているが、まぁ根本的に、いろいろと首を突っこみたい方なのである。

 とは云え、今日は既に、通常の勤務時間を過ぎている。

 無論、軍であれば、多少の時間超過はざらであるが――民間人、それも財閥トップなどと云う人物であれば、所謂“勤務時間”などはあってなきが如しであろう――今くらいの時間は、多分パーティーやら会食やらの真っ最中であるはずだ。

 とりあえず、明日以降にしよう、と考えて、目の前の書類に手をかけた。

 

 

 

 シュウ・ヤシマとは、驚くほど速やかに話すことができた。

「お忙しいところ、恐縮ですが……」

 と云うと、いやいやと手を振られた。

〈ギレン殿ほどではありますまい。……ガルマ殿がお戻りになったとか、一安心されたのでは?〉

 相変わらず、温厚な風貌である。勝海舟が云うような“人物”――日清戦争時の李鴻章のような――とは、シュウ・ヤシマのごとき人間を指すのではないだろうか。

 たっぷりした雰囲気で恰幅も良く、いかにも温厚そうな容姿の持ち主である――だが、そのまなざしは、まとう空気ほどにはやわらかくもなかったが。

「とりあえずは、各コロニーで暴動の気配が沈静化したので、胸を撫で下ろしておりますよ」

〈コロニー同盟の提唱者の身内が連邦で行方不明では、皆、不穏な空気しか感じなかったでしょうからな〉

「“ガルマ”は妙に人気があるようですので」

〈そうですな。……そう、娘も、ガルマ殿にお目にかかって、素晴らしい貴公子だったとうっとりしておりましたぞ。許嫁のことを惚気られたとかで、それも羨ましかったようですな〉

「ミライ嬢も、婚約者がおありと伺った気が致しますが?」

 と云うと、微苦笑が返ってきた。

〈親同士で決めたものですから――なかなか会う機会もなく、ガルマ殿のように情熱的に語ることもてきないようでしてな。――そのアルテイシア嬢とは、もちろん再会なさったのでしょう?〉

「お蔭様で」

 しかし、まだ婚約云々は戯言だと思っているようだ、とは、この人の前では云えなかった。壊したくない夢と云うものが、誰にでもあるものなのである。

「流石に真っ先にとは参りませんでしたが、すぐにアルテイシアが参りまして。最近は、“父”が、“母”のものであった部屋をアルテイシアに与えまして。今からザビ家の女主人の訓練でもさせているようです」

 ナルス・ザビは、1stにおいてはドズルとガルマのみの母であったのだが、『the ORIGIN』では、ドズルとガルマの間にキシリアが入ることになっている。つまり、デギン・ソド・ザビがナルスを愛人として長年囲っていたわけでない限り、ナルスはすべてのザビ家兄弟の母と云うことになるわけだ。まぁ、ギレン、サスロ、キシリアの顔はよく似ている――サスロのみ、体型までデギンに似たのだろう――のだし、いろいろと考え合わせると、ガルマを生んだ時には超高齢出産であったナルスは、産後の肥立ちが悪く、帰らぬ人となった、と云うのがありそうなことのように思われる――本当のところは知るべくもないが。

 ともあれ、ガルマが生まれてこの方空白だったザビ家の女主人の座に、アルテイシアが坐ることになったのは良いことであるだろう。

 人びとは、ザビ家とダイクン家の若い二人を心から祝福するだろうし、二人が、キャスバルと手を携えて、この先のムンゾを導くのだとも考えることだろう。

 新しいムンゾの象徴として、この上ない人選ではないか。

〈それは、ガルマ殿の婚約者ともなると、いろいろと大変なことですな〉

「ミライ嬢の婚約者殿ほどではございますまい」

 他に兄姉がいて、何かとサポートすることができるのとは、話が違うのだ。その上、場合によっては、ヤシマ財閥のトップとしての仕事もこなさねばならぬとなれば、生半可な覚悟ではその座につくことはできるまい。

 そう云うと、シュウ・ヤシマは苦笑した。

〈さて、どうでしょうな。わが婿も、ガルマ殿のような人物であれは良いのですが〉

「いや、それは止めた方が」

 思わずそう云うと、目を瞬かれる。

〈何と、実の兄君が、そのようなことを云われようとは〉

「いや、お勧めは致しません」

 野放しにして良いものではないのだ、あれは――人のいない原野か何かならともかくとして。

「――まぁ、それはともかくとして、ご連絡差し上げたのには理由があるのです。実は、教えて戴きたいことが」

〈ほう、どんなことでございましょう〉

 予期はしていたのだろう、特段驚くでもなく、そう問い返される。

「えぇ、アナハイムのことについて、教えて戴けましたらと」

〈アナハイム〉

 流石に意外そうな声。

「はい。実はアナハイムから、我が妹に接触がありまして。意図が掴めず困惑しております。ヤシマ殿でしたら、何かご存知ではないかと」

〈ふむ……〉

 シュウ・ヤシマは、腕を組んで、難しい顔になった。

〈アナハイムは、メラニー・ヒュー・カーバインがトップに就いて以降、順調に業績を伸ばしていたが、ここ暫くは伸び悩んでいるとは聞いております。恐らくは、ムンゾの企業が月に進出したり、各サイドのメーカーが、コロニー内でシェアを伸ばしているからかと思われますな〉

「なるほど」

 月にムンゾの企業を進出させたのは、まぁ“ガルマ”の要請に沿ってのことだったのだが、半分はシュウ・ヤシマのお蔭でもある。

「その節は、大変お世話になりまして」

〈いやいや。お蔭で私の方も、新たな販路を得ましたからな。あれはお互いに良い関係を構築できました〉

「本当に」

〈アナハイムは、各サイドの企業がシェア拡大に動いた時に、やや動きか鈍かったので、あるいは出遅れた結果、少々業績に翳りが出たのかも知れません。……それと、これは風聞の類なのですが――アナハイムの創業家と、メラニーCEOの間に、方針の齟齬があると聞きました。あるいはそれで、アナハイム社内に亀裂が入っているのかも知れません〉

「創業家? メラニー・ヒュー・カーバインが創業者ではなかったのですか」

 『UC』ではそのような描写があったように記憶していたが――しかし、考えてみれば、Wikipediaなどには特に創業者の名や創業家の話は触れられていなかったように思う。『UC』は、やたらと名家を作り、名家の血が宇宙世紀を動かしているかのような描写をしていたようだが――そもそも1stでも『the ORIGIN』でも、そのような名家の存在は明示されていなかったのだ。

 況して、『Z』や『逆シャア』にも繋がらぬかも知れぬ『the ORIGIN』軸であれば、あれやらこれやらの“名家”が存在しなくとも不思議はないか。

 案の定、シュウ・ヤシマは首を振った。

〈違います。元々の創業家は、それこそアメリカのアナハイムであの会社を創業したようですね。それが、人類が宇宙へ出る時に、うまくコロニー事業の下請などに食いこんで、あそこまでの企業に成長したようです。まぁ、そのために、莫大な金を、連邦政府に注ぎこんだと聞きますが〉

「ほう」

 なるほど、では、宇宙世紀とほぼ時を同じくして、連邦政府とアナハイムの癒着ははじまったと云うことか。

〈まぁ、どの企業でもよくあることですな。……ともかくも、アナハイムは、宇宙進出とともに大きくなっていったのです。それをさらに拡大しようとしたのが、現CEO、メラニー・ヒュー・カーバインですな〉

「経済には疎いので、よくは知らないのですが――メラニーCEOは、生え抜きのCEOなのですか?」

 外部から迎えられたわけではなく?

〈生え抜き、と云って良いものかはわかりませんが、少なくとも役員経験者ではあったはずです。ですから創業家も、社の空気をわかっているものとして、経営を一任していたのでは。……ただ、最近では、両者の思惑の違いが鮮明になってきたようだ、とか〉

「思惑の違い、と云われますと」

〈メラニー・ヒュー・カーバインはユダヤ系らしいのですが、連邦政府に肩入れする理由が、どうやら聖地エルサレムをユダヤ教徒のものにしたいからだ、とか〉

「つまり、かたちを変えた中東戦争を繰り返そうと?」

〈おそらくは〉

「馬鹿々々しい」

 思わずそうこぼす。

 そもそもの中東戦争が、白系ユダヤ教徒の国を、パレスチナに無理矢理作ったことに端を発しているのだ。

 確かに“ユダヤ人”は、血統ではなく信仰によって成り立つ民族ではあるが、いかに迫害した負い目があるとは云え、宗教にしか根拠のない国を無理矢理作るのは、争いの種を蒔くようなものである。

 しかも、ユダヤ教徒だけの聖地であるならまだしも、エルサレムは、キリスト教、イスラム教の聖地でもある。そんなところにユダヤ教徒の国家を作り、聖地を独占しようなどと考えるから、中世紀においても泥沼の争いが繰り広げられることになったのだ。

 それを、宇宙世紀も百年になんなんとする今、この時に、まだ云うのだと?

 宗教が不要だとは云いたくはないが、この愚かしさを呼び起こすものが宗教であるのなら、マルクスに倣って“宗教は阿片である”と云いたくもなるだろう。苦しい人生のためには必要だが、使いようによっては、社会そのものを蝕む害毒にもなり得る、と云う意味で。

「旧世紀の遺物のような御仁ですな。今の世に、聖地エルサレムも何もあるものか」

〈私も、初めて耳にした時には、何の冗談かと思いました〉

「まったくですな。今現在においては、アースノイドとスペースノイドの格差こそが問題だと云うのに」

 〈そうなのです。そしておそらくは、アナハイムの創業家も、メラニーCEOのその姿勢を危惧しているのではないかと〉

「企業家としての本道を失っているのではないか、と?」

〈えぇ〉

 シュウ・ヤシマは頷いた。

〈信仰は確かに個人の自由でしょうが、それが政治にまで干渉するほどであるならば、企業人としてはいかがなものかと思われるでしょう。況して創業家ともなれば、筆頭株主であり、社主でもあるはずです。自分の持ちものを使って好き勝手されるのは、我慢ならないはずだ〉

「なるほど」

 確かに、企業の方向性を決め、導くのはCEOの仕事だが、それにしても、最低限の“社風”を守ってもらいたいと思うのは、社主一族としては当然のことだろう。

 しかも、それが宗教的な絡みがあるとなれば、問題視されても不思議ではない。従業員の中には、キリスト教徒はもちろんのこと、イスラム教徒も大勢いるに違いないのだ。かれらは、自らの勤める会社のCEOが、ユダヤ教徒のエルサレム独占のために動いている、などと知って、良い気持ちにはならないだろう。

 ――と、なると……?

 ウォン・リーは、一体どちらの使者として、面会を求めてきたのだろうか? メラニー・ヒュー・カーバインか、あるいは創業家のものたちか。

 それによって、こちらの対応も変わってくるし、何よりアナハイムそのものの行末も、大きく変わっていくことになるだろう。

 これは、大変なことになるのかも知れない――頭の中で!あれこれ算段していると、

〈……お役に立てたようですな〉

 シュウ・ヤシマが微笑んで云った。

「えぇ、大変に有益なお言葉を聞かせて戴きました」

 深く頷く。

 タチがいかに優秀とは云え、ここまでの情報は、なかなか入手するのは困難だろう。アナハイムの成り立ちや創業家との関わりはともかくとして、個人の信教となると、そうそう表に出てくるものではない。

〈それは何よりでした〉

「ありがとうございます。お時間を戴き、大変助かりました」

〈何ほどのこともありませんよ。……ガルマ殿に、宜しくお伝え下さい〉

〈はい、必ず。ミライ嬢にも、宜しくお伝え下さい。私が感謝しておりました、と〉

〈えぇ。それではまた〉

「ありがとうございました」

 通信はそれで終了した。

 時間にすれば、十五分ほどの会話だったが、欲しい情報は充分以上に手に入った。

 さて、この後は、ウォン・リーの後ろにいるものの特定と、その望みがいかなるものであるかだが。

 ――まぁ、そこは会ってからの判断でも構うまい。

 タチが、アナハイム社内の動きを持ってくれば、より詳細な勢力図が描けるはずだ。

 まぁ尤も、社内の勢力図は、外からは見え難い部分も多い。そのあたりは、やはり実際に話をして、ウォン・リーが誰の代理として、何を求めてくるかを見極めてからでも構うまい。

 兵は拙速を尊ぶとは云うが、やはりできることなら熟考はすべきであるのだから。

 とりあえずはそう結論づけて、アナハイムのことは、ひとまず脳の片隅に放り投げた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 29【転生】

 

 

 

 不穏である。

 なにがって、ルウムのことさ。

 キシリア姉様とシャアは、ルウムにデモ隊の鎮圧という名目で赴き――そして見事に鎮圧してみせた、歓迎という明後日の方向で。

 これは“ギレン”の策略だろう。

 なまじな部隊を差し向けるよりも、よっぽど効果的だ。自コロニーの青年と恋仲になった、ムンゾのお姫様のひとりが来るんだから、そりゃデモだって浮足立つさ。

 シャア・アズナブルが愛を叫んだあの一件は、メディアを通じて広く世界に配信されていた。

 その後のプロポーズから婚約発表までが爆速だったから、当時、ムンゾは元よりルウムだってお祭り騒ぎだった。

 シャア・アズナブルは、そもそもがキャスバルに容姿が似ている――要は頗るつきのイケメンって事だ。

 そしてキシリア姉様は、いつかの時間軸みたいに窶れてない――謀殺に手を汚し、女性であることからも目を反らした結果があの姿だったんだろう――元は悪くないんだ。いまは悪の秘密組織の女幹部的な、つまり悪女系の美女って感じ。

 そんな、美男美女が並んでみなよ。

 “鉄の女”とか“氷の女”とか揶揄されてた姉様が、捧げられた愛を受け入れて、花のように微笑むんだぞ?

 その恋は、当然、広く民衆に支持された。

 ラブ・ストーリーってやつは、古来、ひとの心――特に女性の――を掴んで放さないものだからね。

 そして、裏表からやんわりと、さり気なくも強かに男どもの手綱を取るのは賢い女達だ。

 愛する妻や恋人に恋物語の主役たちに会いたいと強請られれば、デモを中止してでも、その願いを聞き届けようとしただろうさ。

 各方面で主催された歓迎会がそれを如実に表してる。

 それは良い。

 じゃあ、何が不穏かって、それを良しとしない輩がいるってことさ。

「『ルウムの駐屯軍の指令に脳ミソは搭載されてないのか!?』」

「『落ち着け、ガルマ。口が悪くなっているぞ』」

 キャスバルの長い指がとんとんと、手の甲をつつく。

 波立つ意識が少しだけ穏やかになる――また直ぐに荒れそうだけど。

 ――そんなに空っぽのアタマなら、鉛玉ぶち込んで少しは中身を増やしてやろうか。

 なんて。

『物騒な思考が漏れてるぞ。そんなにぶち込んだら、中身が増える前に器が割れる』

『それでも構わんわ』

 本当に、なんであんな考えナシをトップに据えたのさ。

「『だって、せっかく姉様たちがデモ隊を宥めてるのに、なんで出動するの!? 要らないでしょ出動!! むしろするなよ出動!!!』」

 アースノイド排斥主義者相手とはいえ、威嚇射撃に失敗して撃ち殺すってどーなの!?

 その程度ならルウム当局に任せとけよ!

 ぐわぁ、と吼えるおれの手の甲を、キャスバルがまたとんとんと。

 ――はいよ、深呼吸。

「……ムンゾの人気が気に入らんのだろうな」

 シンが苦笑いしてる。

 談話室に揃ったいつものメンバーは、おしなべて似たような表情だった。

 そんなふざけた理由で出てくんなと言いたい。

 せっかく宥めた市民の神経を逆撫でして、また不穏な空気が生み出されてる。このままだと、いつ暴発してもおかしくないんだ。

 いま暴動が起こったら、姉様たちは確実に巻き込まれる――と言うより、下手したら連邦軍に攻撃される。

 その可能性はきわめて高いんだ。

 あの“脳ナシ”がトップにいる以上、コロニー社会との関係性とか均衡とか、なに一つ考慮することは無いだろうし。

 ここまでナイナイ尽くしだと、どっかの紐付きじゃないかって疑わしくなるわ。

 どこがリード紐を引いてんのさ。

 ギリギリしてれば、とんとんとんとん、と、鼓動に似たリズムで、再び手の甲が叩かれた。

 条件反射的に脳が脱力――ぐでん。

 炙られていた思考が温度を下げていくと、いつもどおり、幾万のピースが明滅しながら降り注ぎ始めた。

 瞬く間に形を変えていくピース――決して完成することのないパズル。

『……相変わらずカオスだな』

『そ?』

 もしかしたら、スノードームの内側に似てるのかもしれない――あんなにキレイじゃないけどさ。

 いま渦を巻くように広がるのは、主に地球に降りてたときに見聞きした情報だ。

「『連邦政府はムンゾを叩きたいんだ』」

 口からも溢れた言葉に、仲間たちが緊張した眼差しを寄越す。

「『“ギレン兄様”は、コロニー同盟によって各コロニーの地位を向上させた。アースノイドのお偉方が無視できないレベルまで、ね』」

 コロニーの発言力は、年々増している。当然、その影響力も。

 これまで唯々諾々と地球に従うしかなかったスペースノイド達は、口々に不平等への不満を唱え出し、是正を求めて動き出した。

 本来地球寄りだったリーンでさえ、連邦に対して改革を迫るほどだ。他のコロニーなんて推して知るべし。

 連邦政府は、いまや孤立しつつある――強大な軍事力を有したまま。

 ――なんだかなぁ。

 “ギレン”が提唱したのは“コロニー共栄圏”だ。

 そこには、コロニーと共に地球の繁栄も盛り込まれてた筈なのにね。

 自らの利権を脅かされたと見做した輩の少なく無いことにビックリだよ。

 奴等は、まず“ギレン”を潰そうと画策して何度か失敗した。

 次に“ガルマ・ザビ”地球に留めおこうとして、これも失敗。

 奴等には、もうザビ家を抑える効果的な手段が無いんだ。

 だからってルウムを叩くのはどうかと――そりゃ叩かれたらムンゾは出ていかざるを得ないけどさ。

「『時計の針は進んだ。奴等がどう足掻いたって、もう流れは変えられない――コロニーは自由を掴む』」

 “ギレン”が、そう舵を切った。この世界で“覚醒めた”あの朝に。

 流れを滞らせるものを排除することこそが、おれの役目だから。

「『……“刻”は近いよ』」

 間もなく、“暁”が来る。

 いつかの時間軸よりも早くに、おれたちは蜂起するだろう。

「『準備は万端かい?』」

 小首を傾げて仲間を見やれば、誰しもが奮い立つ様を隠せてなかった。

「『無論。君が帰還するより前に、皆、砥ぎあげてあるさ』」

 キャスバルの青い眼に鋼じみた光が――不敵な笑みに皆が見惚れる。

 不吉なくらいに美しいね。彗星と言うより、明けの明星のよう。

 Εωσφόρος――光をもたらす者。

 この混迷の時代に、お前以上に相応しい“光”はないだろうよ。

 

 

 

「ルウムの阿呆が市民に発砲しやがった!」

 その一報は、瞬く間にムンゾに広がった。

 ルウム駐屯軍兵士による、デモ隊への発砲である。

 暴徒に対処したとの言い分だが、実弾射撃により、とうとう一般民衆から死者が出た。

 未成年者を含む複数の犠牲。間に割って入ったムンゾ兵士も2名負傷した。

 キシリア姉様がルウム入りしてから1ヶ月が経とうとした時分だった。

 沈鬱を装った顔で制圧隊に抗言する姉様の瞳は、内に秘める感情でギラギラ光ってた。

 阿呆共はムンゾの“雌虎”の尾を踏んだことを、近く思い知ることになるだろう。

 モニターにはその混乱が繰り返し映し出されていた。映像を見る仲間たちの眼はどれも冷たくて険しい。

 いつかの世界線では、その銃口はズムシティの市民に向けられていたものだ。

 矛先は違えど、連邦の弾圧はどうあってもスペースノイドに向かうようだった。

 ルウムにいる阿呆の親玉は、ガーディアンバンチの駐屯軍にも出動を要請しやがり、これを請けて千人からなる一個大隊が派遣された。

 このままなら、ルウムは連邦軍に蹂躙される。

 キシリア姉様を助けるため、またコロニー同盟を維持するためにも、“ギレン”は――ムンゾはさらに兵士を急派せざるを得ない。

 この“先”に向け、どれだけ温存したい兵力であってもだ。

 校内を歩けば、もの問いたげな視線が追いかけてくる。

 皆が、決起はいつなのかと、その“刻”を待っていた。

「『ガルマ』」

「うん。『例のところで』」

『彼らは』

『もう揃ってるはず』

 自室に戻る素振りで向かう先は、格納庫の北非常階段下だ。

 おれたちが集まる時には、他の生徒たちが誰も近づかないように見張ってくれている――いつのまにか暗黙の了解になっていた。

 足を踏み入れた先で、一同の視線が一斉に向けられた。

 熱を呑みつつも冷徹な表情。誰しもが緊張をはらんで、おれ達の言葉を待っている。

 一瞬のアイコンタクトの後、おもむろにキャスバルが口を開いた。

「『諸君、“刻”は来た』」

 その瞬間に、一同の顔に獰猛な笑みが浮かんだ。

「ようやくか」

 まるで牙を剥くかのように、シンが。

「待ちくたびれたぜ」

「やっと暴れられるな!」

 鼻を鳴らしたのはライトニングで、拳を手のひらに打ち付けたのはリノだ。

「データはもう拾ってるぜー」

「解析もほぼ終わってるよ」

 ケイとルーも。相変わらず頼もしいね、情報収集解析部隊。

「整備も万全。出撃要員はみんな軍装で自室待機中。いつでも出られるよ!」

「車両庫の鍵は開けてある」

 準備は万端か、クムラン。そしてベンも。

「寮監は一回生の有志が引きつけている」

「教官たちの見張りはニ回生が。一部の選抜メンバーは出撃にも加わっている」

 二年次からメンバーに加わったゼナとロメオも。

 一同の眼差しには、一欠片の迷いも容赦も見つからなかった。

 予想を遥かに超えて研ぎ上げられた“ひとでなし”ども。

 その鍛え抜かれた刃に似た光に、唇の端がゆっくりと持ち上がる。

「『連邦軍兵営を攻撃する』」

 全てにおいて圧倒的に優勢な連邦駐屯軍の兵営を、士官学校候補生のみで襲撃するなど、本来であれば、想像もし得ない暴挙だろう。

 そう、誰も思いもしない――だからこそ、おれ達は完全にノーマークだ。

「『駐屯地には一個連隊がいるけど、ルウムの阿呆の要請で一個大隊が既に送り出されている。僕たちが抑えるべきは残る2000だよ』」

「『我々の兵力は4分の1以下だ――だが、勝機は充分にある』」

「『手筈は、わかってるよね?』」

 返るのは「当然」の一言だ。

 ケイとルーを巻き込んで、何度も何度もシミュレーションを繰り返した。

 あらゆる状況を可能な限り考慮して、対策を練りあげた――“ギレン”曰くの“悪知恵”を駆使してね。

 いつかの時間軸で蜂起したときに比して、準備も練度も桁違い。

 そして指揮するのは、同じ能力を有する――否、それ以上に洗練されたキャスバル・レム・ダイクンだ。

 “負ける気がしない”ってこーゆーことを言うんだろうね。

 最高の指揮官のもとでは、兵はどれ程も勁くなるんだ。

 思考が漏れたのか、傍らのキャスバルが薄く笑った。

『油断するなよ』

『誰に言ってんのさ』

 もとより油断禁物は承知。

 お前の作戦を完璧に遂行して、奴等を完膚なきまでに叩きのめして、封じ込めてやるさ。

「『ケイ、システムへの侵入を許可する。存分にかき回してやって』」

「まかしとけー」

 駐屯軍本部へのシステムへのハッキングは、かなり前から準備が完了してる。

 兵営と外部との通信を遮断することも、偽の情報で踊らせることも可能だ。

「『リノとロメオはドッキングベイの閉鎖を。誰も通さないで』」

「バキバキに閉鎖してやるぜ!」

「了解!」

 結構な荒事だけど、今のお前らなら踏ん張れるでしょ。

 これをもって、ガーディアンバンチの駐屯軍を孤立させる。

 あとはお前の独壇場だ、キャスバル。

 青い眼がひとつ瞬く。

「『総指揮は僕が取る。ルーは補佐を。クムランとベンはいつも通りに支援だ。何があっても持ち堪えさせろ』」

 唇から紡がれる命令はよどみなく力強かった。

「何手先だろうが読んでみせます」

 ルーの顔からは表情が削ぎ落とされている。ん。本気だね。

「やるよ!」

「やる」

 クムランが拳を握りしめて何度も頷き、ベンは重々しく一度だけ。

「『ゼナはドズル校長を抑えろ』」

 キャスバルの指令に、ゼナ・ミアは瞳を不安気に揺らした。

「わたしに……できるでしょうか」

 いつかの時間軸とは違って、彼女は既にドズル兄貴を意識しているようだったから、心に“怖さ”が有るんだろう。

 嫌われてしまわないか――乙女心は、どんな女傑をも怯ませるから。

 だけど、これは彼女にしかできない任務だ。

「『大丈夫。君なら、ドズル兄様を抑えられる――他の誰にも出来ないことだよ』」

 兄貴は女性を傷つけるなど良しとしない――ましてや、相手は己の守るべき士官候補生だ。

 そして兄貴もまた、ゼナを憎からず想っている様子だったから。

 しっかりと視線を合わせて頷く。

 ――大丈夫。未来の義姉上さま。

 微笑みかけると、硬い表情ながらもゼナはようやく頷いた。

「『シン、ライトニング。君たちはガルマと共に先行して潜入しろ。一番危険なミッションだ――できるな?』」

 キャスバルの冷たくさえ響く声に、シンとライトニングが不敵な笑みを浮かべた。

「承知」

「やってやるぜ」

 ――え、ちょっと待て。

 最初に決めたポジションと違うじゃないか。

『シンも? 彼はお前のとこに残すって言っただろ!』

 攻守ともに一番バランスが良い男だ。最強の盾として、大将の傍に付けておきたい。

 それなのにさ。

『ガルマ、僕も覚悟するのをやめたよ』

『なんの話さ?』

 この機に及んで煙に巻くとかやめてもらうからな。

 ジロリと睨む先に、涼しい顔が。

『君を失っても先に進む覚悟を――なら、失くさぬよう最大限に手を打つさ。君もそうだろう?』

 ――………ふぉう。

 やめろ。なんでいまデレんの。

 動揺して挙動不審になりそうになるのを、必死に耐える。

『総大将の護りを薄くしてどうすんのさ!』

『攻撃の要は君たちだ』

 さらりと返される。

 くぎぎ。がが。

 内心で奥歯を食いしばる。本気で撤回しやがらないつもりか。

「『ガルマ、できるな?』」

 答えないおれに、キャスバルが真っ直ぐに向き直って、再度問いかけてきた。

 ――ああ。命令なら従うよ。

「『誓って。完璧にしてのけるさ』」

 煮えたぎる意識のままに答える。それがオーダーなら、おれは走るだけだ。

 青い眼が満足そうに細められて、ひとつ頷いた。

 フンと鼻を鳴らす。

「『シン、ライトニング。僕たちはもう出るよ』」

 皆の出動を待たずに、先に行く。

 踵を返せば、二人分の足音が力強くついてきた。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 わずかな音を立ててゲートが開いていく。

 ケイは滞りなくシステムを支配したらしい。歩哨の目に止まることもなく、兵営に侵入を果たしたのは、おれを含めて16名――つまり、2班ほどだ。

 目指すのは連隊本部。

 物陰に潜んで、いまは、キャスバル達の動きをじっと待つ。

〈こちら自走重迫隊。射撃ポイントに到着。観測点確保〉

 時計の数字が変わると同時に、インカムから通信が。

「『了解。潜入を開始する――行くよ!』」

 呼号に応じて皆が一斉に走り出す。

 おれ達の役目は内部を撹乱して、本隊を速やかに進軍させること。

 さらに本隊の攻撃をもって迎撃を抑えている隙に、連帯本部を制圧して敵の武装解除に持ち込むことだ。

 かつて、ゴップに望まれてガーディアンバンチを訪れたときに、その内部を記憶に焼き付けた。

 士官学校に入ってからも、そのデータは更新し続けて来たんだ。

「これがニュータイプの能力か?」

 少しの迷いもなく突き進むおれの背中に、シンが。

「『違う。ここまでは下準備によるものさ』」

 本来、戦いなんてただ闇雲にするもんじゃない。

 勝つための場をぎりぎりまで整えて、かつ、どれだけ勝ちルートから反れずにいられるかが重要なんだ。

 まぁ、往々にして不確定要素による修正はいくらでもあるから、どれだけたくさん有利なルートを残しておけるかって話だけどね。その辺りは臨機応変に。

「『ニュータイプの真骨頂はこれからだよ』」

 一気に“意識”を拡大する――キャスバルやアムロみたいに鮮烈じゃないし、ララァみたいに美しいものでもない。

 でも、役に立つならなんでもいいでしょ。

 蜘蛛の糸みたいに張り巡らせた“意識”を、記憶したマップに重ねる。

 人の気配と動きが――“忍びの地図”の改変みたいだね。

『キャスバル、視える?』

『ああ。君はどうだ?』

『ん。お前が押し込んでくるデータで頭ん中がチカチカしてる』

 このくらいの距離なら無いも同然。隣にいるみたいにキャスバルの“声”が聴こえる。

 通信に依らず、リアルタイムで繋がることができるのは何よりの強みだ。

『基地内に潜入。このまま進むよ』

『気をつけていけ』

『はいよ。りょーかい』

 奴等はまだこの襲撃に気づいてさえいない。システムに喰い入ったケイが、アラートを全て上書きしてるからだ。

 流石に人目は誤魔化せないから、見つかる前に対処が必要だけどね。

「『……この先に二人いる。騒がれる前に潰すかね』」

 “スパイダーネット”で捕捉してけば、エンカウントは無いだろ。イニシアチブは常におれ達にある。

「便利だな」

 呑気な声。ライトニングは気味悪がることさえしなかった。

 他の面々を盗み見ても、その表情に嫌悪は見つからない――良いのか。

 シンが低く笑う声。

「……気にすることはない、ガルマ。“同志”は誰も君達を忌避することは無い」

 ぽんと大きな掌が頭に触れて、髪をくしゃりと掻き回して離れた。

「行くぞ」

 ライトニングの号令ひとつで、班員が数人、闇の向こうに滑り出していく。

 後に続こうとしたら、肩を掴まれて止められた。

「ガルマはここで待機だ」

「『なぜ?』」

「出来るだけ君を戦闘には出すなと“シャア”から言われているからな」

 ――なんたる過保護。

 馬鹿にすんなと憤りが顔に出たものか、シンが困ったように眉を寄せた。

「決して君を侮ってのことでは無いんだが」

「『見え透いた嘘だ』」

「嘘じゃない。ガルマの真価は悪知……その頭脳だと“シャア”が」

 いま、“悪知恵”って言おうとしたよね?

 目をカッぴらいてみれば、あからさまに視線を逸らされた。

 ぐるりと見廻すと、同志達も次々に明後日の方向に顔ごと背けるし。

 そりゃ、三年も一緒に居れば猫皮が薄くなるのも否めないけど、これ、出処は全部キャスバルだよね!

『ヲイ!』

『作戦に専念しろ』

 冷たい“声”が。

 ふんすと鼻を鳴らして憤慨してれば。

「なに拗ねてんだよ?」

 と、ライトニングが戻ってきた。

「『早いね』」

「そりゃな。何処に何人いるか分かってるんだから楽なもんだ――ちゃんと見つからないように始末してきたぜ」

「『……仮にも正規の軍人相手なんだけど』」

「精鋭中の精鋭だぞ、コイツら」

 そうだったわ。見るメンツ、みんな格闘術を始めとした戦闘技術でA評価しか居ないじゃないか。

 ほんとに何でこんなにコッチに戦力振っちゃったんだ、キャスバル。

「心配ない。向こうにも“foremost”が揃ってるからな」

「『シン、君こそニュータイプなんじゃないの? さっきから僕の思考を読みまくってる』」

「その百面相なら、シンじゃなくても読めるからな」

 ライトニングまで。

「ガルマさん、けっこう顔に出すからな」

「そうそう。ポーカーフェイスのときとの差が凄いよな」

 君たちもか。

 ガックリと肩を落とす――けど、呑気に落ち込んでる時間はない。

「『潜入隊、位置についたよ』」

 “声”とインカムから報告。相手はキャスバルだけじゃないからね。

〈『よし。攻撃を開始する。撃て!』〉

 号令に一拍開けて、轟音が響き渡った。

 砲撃が開始されたことによって、基地内は蜂の巣を蹴り付けたみたいな騒ぎになった。

 怒号と悲鳴は驚愕に塗れている。飛び交う“ノイズ”も混乱の極み。

 完全に無警戒だった相手からの襲撃に、奴等はパニックに陥っている。

 射弾観測は完璧に近い。

 次々に撃ち込まれる攻撃には曳火砲撃も含まれる。

 迂闊に飛び出した兵士の頭上で炸裂するエアバーストが、周辺を地獄絵図に変えてる。

 兵舎へと延びた火が奥に入るのを、必死に消火してるのが見えるけど、時間の問題かな。

「『40分後には主電源が落ちる。それまでに非常電源を含めた緊急システムを抑えるよ』」

「了解した」

 ケイが干渉できるのは表側のシステムだけだ。独立したシステムの支配はコッチの役目。

 外からの攻撃に浮足立ってる連中は、中に侵入してるおれ達に気を払う余裕はない。

 事態は有利に進んでる――けど、“腐っても鯛”、正規の軍人相手だ。長引けばそれだけ相手に余力が戻る。

 ――ここは短期決戦で行かせてもらう。

 思考波をセンサー代わりにして索敵。あとは仲間達が不意を突いて陥としていくわけだが。

「『流石にこの辺からは護りが堅くなるなぁ』」

 連隊本部中央管理棟――兵営の心臓部分。ついでに予備システムの要だからね。

 外のドンパチには参加せずに陣取ってる見張りがいる。

 当然ながら、相当に気が立ってる。“ノイズ”はバチバチ火花をちらしそうだ。

 バディで行動してるから、どちらか一方に隙を与えたら即通報されるわな。

 しかも2組。

 んんん。

「どうする?」

「『モタモタしてらんないから、真っ向勝負だね――射撃技能Aは…ほぼ全員か』」

 キャスバル、ほんとに過剰戦力だろこれ。

「『撃てるね?』」

 一瞬の緊張。

「問題ない」

「今更だろ」

 シンとライトニングは問題なさそう。あとは念のため3人ほど選出する。

「『引き寄せるから。機を逃さないでね』」

 一歩足を踏み出せば、シンが手を掴んで止めてくるけど、軽く叩いて放させる。

 心配そうな眼差しに、おっとりと微笑みかけて。

「『大丈夫』」

 おれは“おれ”だ。この中の誰よりも“ひとでなし”だから。

 暗がりからあえて足音を隠さず、慌てたように声をあげる。

「『侵入者です! こちらに向かってきます!!』」

「何!?」

 見張りに動揺が走る

「既に中に入ってやがったのか!?」

「どこだ!?」

 慌ただしい足音。外に向かって走って来るのが二人。

 迷うそぶりが一人。

「持ち場を離れるな!!」

 比較的冷静なのが一人。これが頭か。

「『二人来るよ』」

「了解」

 銃を構える。

 出入り口を先に飛び出してきた兵士の頭を撃ち抜く。一人目はもんどりうって倒れた。

「なっ!??」

 二人目は混乱して足を止めたところをライトニングが仕留めた。こちらも頭に一発だ。

「『突入』」

 飛び込んだ先、驚愕に目を見開く兵士が二人。

 増援を呼ばれる前に、インカムごと頭をブチ抜いた。

 最後の一人はシンが。

 ひとかけらの迷いもなく、引き金を引く指は訓練と同じで、背筋が寒くなるほどその弾道は精密だった。

 顔色も変わらず、呼吸も正常。

 見ていることに気付いたのか、シンとライトニングが薄く笑った。

 他の面々も、ほぼ平常通りの様子だった。

 底冷えする目の奥の光――こいつらは、みんな立派な“ひとでなし”だ。

 ここにいる誰もが、取り乱すことがない。

 最後の懸念が消えた。

 知らず唇が弧を描く。

 殺られる前に殺れるなら、生き延びる確率は格段に上がる。

 “生き残れる兵隊”だ。

 酷い匂いが立ち上る中、顔色を悪くしたメンバーは少数で、それでも誰も吐くこともなく施設内に侵入を果たした。

 

 

 兵営への攻撃は続いている。

 脳裏で目まぐるしく明滅するデータは、キャスバルが処理してるそれだ。

 指揮下の士官候補生達の奮闘が――これ、“候補生”って練度じゃねぇな。怯んでるような気配は微塵もないけど、逸り過ぎてる感じもないし

。既に古強者の風格出てない?

 攻撃――反撃を受け逃走と見せかけて、誘き出した敵を別働隊と挟み撃ち。

 増援のため出動した戦車隊も、出端から弱点を突かれ立ち往生。

 おおよそ、初陣の一群にしてのけられるような作戦じゃない。

 打つ手全てが後手に回る駐屯軍兵士は、格下である筈の相手に良いように小突き回されてる。

 かつての“演習”が、いま本物の戦闘として再現されてるんだ。

 時おり拾う“ノイズ”には、怯えが混じり始めていた。

 有効な指揮をとれる士官が居ないのか、重火器よる掃討を繰り返し取ろうとしてるけど、それ、対策済だからね。

 慢心するわけじゃないけど、あれだけ用意したプランが半分以上残ってるじゃないか。

 ここは任せておいて心配無さそう。

 時折、この司令塔にも激しい揺れが来る。

 ――容赦ねぇな。

 建物と一緒に潰したりしないでよね。

 表ではバンバンドンドンドカーンドカーンと轟音が鳴り止まないのに、その裏側でプチプチパチンと。

 なんてスリリングで地味な作業だろうね。

 施設内に侵入して、システムを突貫で改変してる。

 先にケイ達と作っといた装置を組み込むだけなんだが。

 ――ふぉう、めちゃくちゃ大変。

 時間ギリギリだわ。

〈『どうだ?』〉

「『丁度、緊急システムの細工が終わったとこ。EMERGENCY POWER SUPPLY DEVICEもコッチが握った』」

 主電源が落ちたら基地内は闇の中だ。

 主だったシステムは既におれたちが支配してる。

 原始的な手段を除いて、通信手段さえコントロールされるんだ。

 僅かばかりに残ってたはずの奴等の勝機が、これで完全に潰えたって言っても良いだろう。

 さて、カウントダウンと行こうか。

「『これより連帯本部を急襲する』」

〈『あと10分切ったぞ』〉

「『問題ない。ルートは“視えてる”んだ』」

 ここからは最短で行く。

「『ここでキメる。そっちも気を抜くんじゃないよ』」

〈『こちらの台詞だ』〉

 戦闘開始からさほど時間は経過してないけど、既に戦況は佳境だ。

 寄越される情報によれば、まだどの隊も制圧されてないね。

 今季の卒業生ったら優秀過ぎるわ。

 さて、その優秀な面子が無駄に欠けないように、おれ達も走るとするかね。

「『行くよ!』」

「了解した」

「まかせとけ」

 口々に応えが。

 最短距離で駆け抜ける。出くわす敵は強制排除。

 早く兵営の武装を解除させて、ルウムへの一個大隊の進軍を止めてやらなくちゃ。

 ルウムを守ることで、ムンゾを護る。

 この壮大なチェス盤の向こうの指し手は誰だろうね?

 ――どうでも良いけど。

 どのみち斃すんだ。

 “ヘカテーの猟犬”みたいに、“おれ”は咬み裂くことしか知らないから。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 29【転生】

 

 

 

 ウォン・リーから、正式な面会要請があったのは、それから一週間ほどのちのことだった。

「多分、本社とフォン・ブラウン支社の対立が裏にあると思いますよ」

 とは、アナハイムについて調べてきたタチの意見だった。

「最近、メラニー・ヒュー・カーバインCEOの連邦に接近するやり方を、支社の人間がよく思っていないと云う話のようですから――まぁ、フォン・ブラウンにいるのは、大体がスペースノイドですからね。連邦に近づくと云うのは、今ではアースノイド至上主義者と目されることにもなりかねません。メラニーCEOは、今までは従業員の待遇などで、自分の方針に対する不満をよく抑えこんでいたようですが、ガルマ様の一件以来、スペースノイドたちのアースノイドに対する目は、厳しさを増しています。ウォン・リーと云う男は、フォン・ブラウンのスペースノイドの従業員たちの総代として、こちらに接触してきたのでは?」

 とは云うが、ウォン・リーの『Z』における軍隊式の態度を見れば、そう単純な話だろうかと勘繰ってしまうのだ。

「……メラニー・ヒュー・カーバインの罠と云う可能性も、どうしても捨て切れん」

 予備知識があると、どうしてもものごとをまっさらな目では見られなくなる。

 メラニー・ヒュー・カーバインは士官学校にいたことがあるそうだが、あるいはウォン・リーは、その頃の同級生、あるいは先輩後輩の間柄であったのかも知れない――そうなれば、単なる会社の上司と部下以上の関係であるだろう。

 もちろん、単なる上司と部下でしかない可能性もあるが、とにかく、考えられる可能性はすべて考えておかなくては、今後の選択にも影響が出てくるのだ。

「とにかく、ウォン・リーがどの方面に向いていても、対応できる心づもりでいくしかないたろうな」

 ここでくだくだ考えていても意味はない。

 とりあえず、ウォン・リーと繋ぎをつけることにした結果、サイド3に近い月面都市グラナダ――こちらにも、アナハイムの支社はある――とムンゾの間あたりの宙域に、互いに船を出して対面することにした。

 とにかく、ムンゾ国軍総帥と云う立場では、国の外に軽々と出ていけるわけではないのが、面倒と云えば面倒なのだ。

 連邦の目に留まると、また面倒なことになるのは目に見えているので、“伝書鳩”が手配した船で行くことにする。変装して乗りこむのも、恒例のことになってきた。とにかく、突っこみどころはなくならぬにせよ、極力減らしておきたいのは人情ではないか。

 まぁ、タチとデラーズが二人とも姿がないことを、不審に思うものもあるだろうが――しかし、タチはもともとあまりそのあたりをうろうろしているわけでもないし、デラーズはと云えば、こちらと休みを重ねているようなところがある。

 つまりは“ギレン・ザビ”が休日のため、デラーズも休んでおり、タチはどこかに潜っている、くらいに目されれば御の字なのだ。

 約束の宙域につく頃には、既に先方の船は到着しているようだった。

 周囲を警戒しつつ、接舷する。流石にこちらの船の方が大きいので、向こうの船からボートが出て、こちらに移ってくるようだ。

 簡単なボディチェックの後、対面となる。

 ウォン・リーは、当然のことながら『Z』よりも若く、おそらくはこちらの数歳上、と云う風な年頃であった。灰色の髪や、少しばかり捻じくれたような顔つきは、十年若くとも変わらないようだが、画面で見たよりもまだ筋肉はしっかりとついているようだ。

 まさか、ムンゾの総帥に“修正”などとは云い出すまい――しかし、この言葉も軍隊的である――が、もしも手を出されるようなことがあったとしても、まったくやり返せる気がしない。何かあったら、頼れるのはデラーズくらいなものである。

「お初にお目にかかる。アナハイム、フォン・ブラウン支社支社長代理の、ウォン・リーと申します」

 男は、殊勝に頭を下げてきた。

「ギレン・ザビだ。妹、キシリアから話は聞いたが――ムンゾに接近して、アナハイムに何の得が?」

「そこは、いろいろとあるのです」

 ウォン・リーは云って、詳しく語る気はないのか、口を閉じた。

「さて、それでは何とも仕様がない話ではないか。貴殿は、己の目的も云わずに要求だけを掲げ、私と交渉しようと云うのか? それで、私が貴殿の云うようを真面目に取ると、そう思っているのならば笑止千万だ」

 椅子の上で背を反らす。

「自治共和国とは云え、仮にも一国の総帥を呼び出しておいて、語れぬことがあるなどとは片腹痛い。私としても、このまま何もなしに戻る気にはなれん。洗いざらい話してもらおうか――なに、喋る気になる方法など、いくらでもあるのだからな」

 半ば脅しをかけるように云うと、ウォン・リーは慌てて両手を振った。こう云うところは、『Z』の老練さはまだないのだと思わせる。

「そ、そのようなことは、夢さら! ……ただ、お話しするとなると、長い話になります」

「構わん。聞かねば判断がつかぬからな」

 そう返してやると、ウォン・リーは溜息をつき、のろのろと話し出した。

「ことは、現CEO、メラニー・ヒュー・カーバインと、アナハイム創業家との齟齬にあるのです」

 と云う言葉からはじまった話は、シュウ・ヤシマから聞いていたのと、ほぼ変わらぬものだった。

 つまり、メラニー・ヒュー・カーバインがエルサレムから“異教徒”を駆逐すべく、連邦政府に対し、アースノイドを宇宙へ上げるために、かなりの資金供給をしていること、アナハイム創業家はプロテスタント系クリスチャン――アメリカらしく――で、篤信家ではあるが、聖地エルサレムにそこまでの思い入れはなく、また自らも追い出される側になりかねないために、メラニーのやり方に疑念を抱いている、のだと。

 それは良いとしても、

「それで、何故私に話を持ってくる?」

 ムンゾは国であって、企業体ではない。後のアナハイム・エレクトロニクスほどではないにせよ、既に一大企業体となっているアナハイムに対し、ムンゾに何ができると考えているのか。

 ウォン・リーは、『Z』からでは想像できないような、卑屈な顔で笑ってみせた。

「何の。ムンゾは今や、コロニー同盟の盟主とも目されています。そのムンゾの、しかも同盟の立役者でもある閣下ならば、メラニーCEOとて無視はできないはずです」

「アナハイムの拠点は地球、そして月だ。それで、ムンゾがどう関わっていくのだと?」

「だが、アースノイドをすべて宇宙に、となれば、コロニーの均衡も崩れることになるでしょう」

 厭らしい顔で、男は笑った。

「ムンゾは今は安泰のように思われますが、もしも数十万、いや! 数億のアースノイドが流入してきたならば、どうでしょうな? あるいは、ルウムは、リーアは、ハッテはどうでしょうかな?」

「……交渉の仕方を、よく弁えていることだ」

 確かに、現在地球上に住まう、所謂アースノイドは二十億と云われている。それに対して、コロニーのサイドは実質六つ、そのうちムンゾとルウムは既に二十億の人間が住んでいるのだ。この上、数億のアースノイドを受け入れる余地などない。

 他のザーン、ムーア、ハッテ、リーアは、ムンゾやルウムよりも住人は少ないが、さりとて数億人を受け入れ可能かと云えば、そんな余裕は流石にない。

 元々は、『Z』の設定である以上、例のブリティッシュ作戦――つまりはコロニー落とし――の余波でもって、人類が減少したが故の構想だったのではないかと思うのだが、あるいは逆に、今を逃せばコロニー側が移民を受け入れることが、物理的にできなくなると踏んでのことであったのかも知れない。宇宙に上げられたとて、人間の増えるペースが遅くなるわけではないのだ。

 しかし、それにしても、

「……少々、やり方か乱暴ではないか」

 メラニー・ヒュー・カーバインは。

 元々が、棄民政策とも云われたコロニー政策である。である以上、地球の富裕層は宇宙に上がることはないだろうし、もしも上げるつもりなら、それこそ連邦政府と議会、連邦軍の中枢を、まとめて宇宙に移転させるくらいのことでもしなければ、かれらは絶対に動くことはないだろう。

 そして、連邦の中枢を丸ごと宇宙に上げるには、今注ぎこんでいる金くらいでは、まったくもって足りるまい。それこそ、一年戦争後、否、第二次ネオ・ジオン紛争後のアナハイム・エレクトロニクスの力をもってしても、可能とは思われないほどの金額が必要となるだろう。

「そんなことを、雇われCEOが、本当にやれると考えているのか?」

「メラニーCEOが就任後、アナハイムの業績は飛躍的に伸びましたからな。かれを馘にするとなれば、今後の業績にも差し障ると考える株主は多い。創業家はもちろん筆頭株主ですが、全株式に占める割合は、過半数どころか三分の一にも達していない。その状態では、馘にと云っても、そうそう承認されるとは思われません」

「だが、メラニーCEOの“野望”のすべてが詳らかにされれば、そう云うわけにもゆかぬのだろう?」

 連邦政府すら宇宙に上げるとなれば、ちまちました金額を献金するだけでは足りぬと、株主たちとてわかるはずだ。

 あるいは、

「――コロニーか、小惑星でも落としてみるか」

 原作軸のギレン・ザビや、第二次ネオ・ジオン紛争時のシャア・アズナブルのように。

 その呟きに、ウォン・リーがぎょっとした顔になった。

「お、落とす? コロニーを?」

「コロニーや小惑星を地球上に落下させれば、その影響で大規模な気候変動が起こるだろう。巨大なクレーターができ、それによって舞い上がった粉塵が空を覆い、地上の気温を下げるはずだ――ちょうど、恐竜が滅びた時のように」

 人間は、恐竜とは違って、その気候変動で死滅するとは考え辛いが――少なくとも居住性はかなり低下するので、よほどアースノイドであることに思い入れがあるのでない限りは、それで一旦は、宇宙に上がる気になるものがほとんどだろう。

 ウォン・リーは、恐ろしげな顔になった。

「な、何と云うことを……人間の所業とも思われん」

「別にやるとは云っていないだろう。こう云う方法もあり得る、と云うだけで」

 と云うが、男は信じがたいと云うように首を振った。

「普通の人間には思いもつかんことです。謀略で知られたザビ家の方は、発想が違いますな」

「……まぁ確かに、ギレン・ザビの発案ではあったが」

 そう、あれがあったからこそ、一年戦争後のジオン残党は、繰り返しコロニーを、あるいは小惑星を、地球に落とそうとしたのだ。つまり、ギレン・ザビが、そもそもすべての元凶と云うことになる。

「しかし、そう云う“面倒”は、私も御免被りたい。“後始末”が大変になる。――メラニーCEOも、そのあたりは弁えていると思ったが」

「むしろ、そんなことなど、考えつくこともできんでしょうよ。ザビ家とは、恐ろしい一族ですな」

「……あまり迂闊なことは、口にせぬが良いぞ、ウォン・リー」

 睨み上げるようにして云うと、男はわずかに後ずさった。

「ここが我が方の船であることを忘れるなよ。口は災いの元、だ。口を噤むべきは噤むのが、賢明な人間と云うものではないかな」

「……心致しましょう」

 男は、冷汗を拭うような仕種をした。

 ここがどこで、近くに誰が立っているのか、今になって思い出したものらしい。

「ともあれ、ムンゾには、いざと云う時の後ろ盾になって戴きたいのです。つまり、メラニーCEOと創業家が決裂した場合に、われわれ月のアナハイムを分離分割し、月・コロニー企業体の一端に加えて戴きたい」

「“月のアナハイム”と云うが、それはほぼ、アナハイムの大半を本社から分離させる、と云うことではないのか」

 月の拠点としては、今の段階で既に、フォン・ブラウン、グラナダに工場や支社を持つアナハイムである。むしろ、地球上にある工場の方が、今では少ないはずだ。

 もしそんなことがあり得るのなら、それは原作軸での、一年戦争後の吸収合併を逆にするようなものではないか。

「創業家は、それほどの覚悟だと云うことです」

 きっぱりと云う、その言葉に嘘はないように見えた。

 しかし、これが本当なら本当で、罠なら罠で、どちらにしても厄介であるには違いない。

 ――アナハイムがコロニー側に、など。

 1stや『the ORIGIN』の時点では、想像すらできなかったことだ。

 ともかくも、

「――わかった。考慮しておく」

 そう答える。これは早急に、さらなる裏を取らなくてはならぬ、と考えながら。

 

 

 

 秘書見習のシロッコはおくとして、ララァ・スンは――何やらどたばたあったようだが――概ね子どもたちと馴染んだようだった。

 しかしながら、

「――話を聞いてほしいの」

 とやってきたのは良いが、時間と格好と場所を考えてほしい――切実に思った。

 何となれば、ララァがやってきたのはこちらの自室であり、時刻は夜半に近い頃合い、ついでに云えば、本人はネグリジェに枕を抱えた恰好である。

「……ララァ・スン、話を聞くこと自体は構わないが、時と服装は考えてくれないか」

 思わず顳顬を押さえながらそう云うと、少女は小鳥のように首を傾げ、不思議そうに云った。

「あら、どうして?」

「ローティーンを連れこむ悪い大人、と云う評判を立てられたくない」

「心配ないわ。だって、あなた紳士ですもの」

 ――そうか?

 紳士と云うよりは、単にミソジニストだと云われた方が、近い気はするが。

「何かご不満?」

「……あまり、簡単に誰かを信じるものではない」

「信じろと云ったり、信じるなと云ったり、いろいろと忙しいのね」

「“男は狼”と云うからな」

「狼は、獲物に注意しろとは云わないわ」

「……なるほどな」

 とりあえず、ソファを勧めて、何か飲むものはあったかと考える。

 電気ケトルに湯はあるが、眠気覚ましのコーヒー、あるいは、それよりカフェイン少なめなら紅茶しかない。

 仕方なく、香りの強いアールグレイを薄めに淹れて、少女に供する。こちらは、少しぬるくなったコーヒーを手に、向かい側に腰を下ろす。

「で? 聞いてほしい話とは何だ」

 少女は小首を傾げた。

「なに、って云うか……何てこともないんだけど」

 と云って語りだしたのは、別段主張や要求があるわけでもない、謂わば雑談と云うべきものだった。

 子どもたちのこと、アルテイシアのこと、今日のランチが美味しかったこと、アフタヌーンティーが中国茶で、苦味が少し苦手だったこと。それから、コロニーの夕立をはじめて見て、雨上がりにかかった虹の美しかったこと。

 なるほど、こういう話を聞いてくれそうな相手は、確かに今のララァの傍にはいなかったか。

 アルテイシアは同年代だが、末っ子のお嬢様育ちで、どちらかと云えば自分の意見を優先しがちだ。無論、そればかりではないだろうが、押しの強さを較べてみれば、どうしてもララァの方が聞き役に回ることが多そうに思われる。

 そして、他のアムロ、ゾルタンはまぁ典型的な“男の子”であり、またニュータイプだからかどうか、少々コミュニケーションに難がなくもない。ミルシュカは稚すぎて論外、となれば――“ガルマ”が士官学校に戻った今、話を聞けるのは自分くらいしかないだろう。シロッコは、そもそも男尊女卑なところがある、役に立つと判断した女以外には、あまりやさしくするとも思われないし。

「……退屈じゃない?」

 上目遣いに訊いてくる。

「そんなことはない。やはり、女の子と男の子では違うのだな、と思っただけだ」

 アムロやゾルタンは、街中に“冒険”に出て、その武勇譚を聞かせてくれることは多かったが、それ以外の話をすることはあまりなかった。まぁ、わくわくすること、ちょっとしたスリル、そんなもので頭がいっぱいで、少女のような、日常の細々とした発見を喜ぶ心は薄いのだろうから、当然と云えば当然か。

 と、ララァはじっとこちらを見た。

「――あなたは」

 翠の瞳は、不思議な輝きを帯びていた。

「あなたは、私に“させたいことがある”って云ったわね。それは、一体何?」

 その質問に、一瞬言葉に詰まる。何と云うか、非常にくだらない返答しか返せない気がしたからだ。 

「――アムロと、キャスバルの傍にいてやってほしいのだ」

「それって、子守り――じゃないわよね」

 あの人、もう大概いい歳だものね、と云う。

「そうだな、そうではなく、単にお前が強いニュータイプだからだな」

 とは云え、よく考えれば、キャスバルにララァは必要ではないのかも知れない。

 ――ララァ・スンは、私の母になってくれるかも知れなかった女性だ!

 『逆シャア』において、シャア・アズナブル=キャスバル・レム・ダイクンにあの言葉を吐露させた、哀しい母との別れはなかったことになった――自分が、この手で潰したのだ。

 であれば、当然キャスバル周辺の人間関係も変わらざるを得ない。キャスバルは、母を求める幼子のままではなく、当然“母になってくれたかも知れない”ララァに対する態度も違ってくる。

「あの人に、私は必要かしら?」

 いかにも“そうではないだろう”と云いたげにララァは首を傾げる。

「……さてな」

 確かに、原作のラインと較べてみれば、少女を必要としている、とは云い難いようではあるが。

 しかし、出逢った時には気づかなくとも、後になって相手が必要だったと気づくことになるのは、それこそ物語の中では飽きるほどに繰り返されてきたことであり、当然のことながら、現実においても繰り返されてきたことである。

 況してや、原作とは違い、キャスバルはまだ士官学校を出てもおらず、少女を自ら探しあててきたわけでもない。その重要性に気づくのが、もっと後のことになったとて、仕方のない話ではないか。

「必要だとは思っているが、それは、あるいは今すぐではないのかも知れんな」

 原作のシャア・アズナブルにしても、失ったからこそ、必要であったことに気づいたのかも。

 どちらにしても、

「……お前を地上においておくことはできなかった。“ガルマ”の判断は、その部分では正しかったと、私は思うのだが」

「――家族には悪いと思うけれど、私、ここに来れてほっとしているの」

 少女は云って、抱えた枕に顎を埋めた。

「あのまま旦那様に――あ、私を雇っていたひとのことよ――使われていても、いずれ使い捨てにされたんじゃないかと思っているの。家族は、こっちの状況なんかお構いなしに、仕送りしろってせっついてきたでしょうし……」

「“ふるさとは遠きにありて思ふもの”か」

「そんな感じ。……何の言葉?」

「中世紀末の極東の詩人のうただ。昔、習ったことがある」

 

  ふるさとは遠きにありて思ふもの

  そして悲しくうたふもの

  よしや

  うらぶれて異土の乞食となるとても

  帰るところにあるまじや 

  ひとり都のゆふぐれに

  ふるさとおもひ涙ぐむ

  そのこころもて

  遠きみやこにかへらばや

  遠きみやこにかへらばや

 

 憶えている詩をよみ上げてやると、ララァは、深いまなざしで頷いた。

「わかるわ。私も、もうふるさとには帰れない――帰るところじゃないの」

「では、お前の“遠きみやこ”はここか」

「そう……そうね、すごく遠いわ」

 少女は、そう云って薄い紅茶を一口飲んだ。

「でも、そのうた、何だか恨み節みたいね。そのひと、故郷で何か厭な目にあったのかしら」

「そうかもな」

 室生犀星の詳しいバイオグラフィは知らないが、何やらあったらしいと習った憶えはある。多分、帰った故郷で何やら不快なことがあり、その怒りや哀しみや、諸々の感情に任せて詠んだうたなのではないか。だから、何やら恨みつらみがこもっているように聞こえるのだろうか。

「私はガルマに攫われたから、元いたところでは、死んだみたいに思われているでしょうね。きっと、いずれ家族にもそう伝わるわ。少し淋しいみたいな気もするけれど……お互いのためにも、これで良かったんだと思うの」

 向こうは諦めがつくでしょうし、私も罪悪感を感じなくて済むから、と云う。

 それだけではないだろうに、強い娘だと思う。

 あるいは、この強さが、原作のシャア・アズナブルを惹きつけたのだろうか――はじめは、その境遇を憐れんだが故のような描写であったのだが。

「……お前が、ここで少なくとも不幸ではないなら、それで良いのだが」

「不幸ではないわ」

 少女は云った。

「少なくとも、地球にいた時よりは。幸せかって訊かれると、まだわからないんだけど」

「幸せと云うのは、その時には気づけないものだ」

 その瞬間に“幸せ”だと感じるような時と云うのは、躁状態か、あるいは何かに酔っている――それは、酒やドラッグなどとは限らない――場合くらいだろう。

「あなたは、幸せなの?」

「さて。それこそ、不幸ではないとは云えるだろうが」

 幸福となると、どうだろうか。

 それこそ何と云うこともない日に、ただ歩いているだけだと云うのに、唐突に“幸せだなぁ”と感じたことはあるが、それは元々の方での話であって、宇宙世紀や鉄オル世界でのことではない。

 だからと云って、不幸だとはもちろん思わないのだが――こう云うものは、本当にそう感じるタイミングがあるのだろう。そしてそれは、今ではないのだ。

「まぁ、それと感じるタイミングではないのだろうな」

「ふぅん」

 少女は首を傾げる。

「じゃあ、後で思い返したら、幸せだったって思えそう、ってこと?」

「……お前は賢いな」

 今の流れで、的確な言葉が返せると云うのは、頭の回転がとても速いからだろう。

 だが、

「そうかしら」

 少女は肩をすくめて云った。

「私、学校も碌にいってないのよ。全然ものを知らないの。マリオンとか、あのひと、アルテイシアさんみたいにはできないと思うわ」

「知識など、後からでも得ることはできる。が、頭の回転は、生まれもっての部分が大きいからな。お前は、十二分に頭が良いよ」

「そうなら嬉しいんだけど」

「……勉強でも、してみるか?」

 と訊いたのは、何となく、ララァ・スンが、学校に通っている子どもたちに対してコンプレックスを持っているように思われたからだ。

 少女のふんわりとした経歴を聞いたところでは、まともに学校に行ったのは、せいぜい小学校くらいまでのようだったから、もちろんすぐに学校へ、と云うわけにはいかないだろうが――キャスバルや“ガルマ”のように家庭教師をつけ、同年代に学力が追いついたところで学校に編入させれば、まぁ普通の学校生活も多少は送ることができるようになる、かも知れないのだ。

「いいの?」

 少女の顔が明るくなった。

「構わんが、その前に、家庭教師を暫くつけよう。同い年の子どもたちと同程度に学力がつけば、仲間に入りやすくなるだろうからな」

 まぁ、学力が同程度になったからと云って、仲良くなれるかはまた別の話だが。

「嬉しいわ。ありがとう、ギレンさん」

「まぁ、私にしてやれるのは、これくらいしかないからな」

「しか、だなんて。旦那様だって、お給料はくれたけれど、勉強なんてさせてもらえなかったわ」

「……まぁ、雇い人を勉強させる雇い主は、そういないだろうな」

 その“勉強”が、後々雇い主の利益となるようなものならともかくとして。

「私は雇い主ではないし、お前も雇い人ではない。そのあたりは同じにはならんだろう」

「そう? そうなのね」

 少女は云って、抱えた枕にまた顎を埋めた。今度は、顎と云うより、顔と云った方が良かったかも知れない。目も、やや半目になっている。

「眠いのか」

「まだ」

「部屋に戻ったらどうだ」

「もうちょっと……」

 こくり、と頭が振れた。

 と思う間もなく、目が閉ざされ、穏やかな寝息が聞こえてきた。

 時刻を見ると、真夜中をとうに過ぎている。十三の娘ならば、普通はとっくに夢の中、か。

 仕方ない。

 抱えて部屋に戻してやればいいのかも知れないが、こちらもいい加減眠くなってきた。

 ベッドは少女に明け渡し、ブランケットだけ持ってきて、長椅子の上に横になる。

 明日になったら、何やら云われるかも知れないが、もう知ったことか。

 現実から逃避しつつ、睡魔に身を委ねるために、ブランケットを身体に巻きつけ、目を閉じた。

 

 

 

 ルウムで連邦軍による発砲があったと聞いたのは、その翌日のことだった。

 幸いにもと云うべきかどうか、発砲の相手はムンゾ国軍ではなく、しつこく反アースノイドの運動を続けていた市民だったそうだが、打たれた市民――銃器と、火炎瓶のようなものを持っていたそうだから、有罪ではある――は、胸の真ん中を撃ち抜かれて、間もなく死亡したそうだ。

 撃ったのは、配属されたばかりの新兵なのだそうだ。場慣れしていなかったが故の“暴発”だったようなのだが。

 まぁそもそもは、三人一組で警備にあたっていた連邦軍兵士に、無駄に絡みに行った男の方に問題があったのだが――ルウムの世論は、それを加味して落ち着いた対応を取りはしなかった。

「馬鹿めが、何故実弾を使ったのだ」

 せめてゴム弾など、実弾でさえなければ、云い訳のしようもあっただろうに。

 せっかくキシリアとシャア・アズナブルが出向いて、何となく反連邦の運動も落ち着きをみせていたところに、この事件である。

 反連邦の気運は瞬く間に再燃し、それこそ燎原の火のように、ルウム全体に飛火した。

 これでは、ムンゾの兵を出した意味も半減である。

 サスロも歯噛みした。

「せめてムンゾ国内ならな……手の打ちようもあったんだが」

「流石にルウムではな……」

 いかな情報操作に長けたサスロと雖も、月を挟んだ向こう側のルウムまでは、流石に手を出すことはできないだろう。

「キシリアは」

「今のところ、様子見だと云っていたな。連邦駐屯部隊の動向如何によっては、やり合うことになるかも知れん、と」

 報告してきたキシリアは、緊張感のある顔だったが、どこか喜ぶようないろも微かに見せていた。お姫様ごっこはもう飽き飽きしていたのだろう。

 その代わりに、下手をすると銃を取って戦う羽目になるかも知れなかったが――しかし、そもそもキシリアは軍人だ。そうである以上、戦場に立つ覚悟などしていたはずだ。むしろ、あの顔色を見れば、歓喜していると云われても納得できそうなくらいだった。

 まぁ、キシリアにとって問題があるとすれば、軍にも戦場にも不慣れなシャア・アズナブルが、精神的に参ってしまわないかと云うことくらいだろう。

「――場合によっては、追加の部隊を派遣しなくてはならないか」

 呟くと、サスロが目を見開いた。

「馬鹿な、ルウムにさらに兵を出すのか!? 戦争になるぞ!」

「連邦の出方次第だがな」

 とは云え、このまま反連邦運動が猖獗を極めれば、現在のルウム駐屯部隊では足りなくなる恐れはある。

 そしてそれは、連邦側にしても同じことだろう。そうなれば、連邦軍としても、月やムンゾなどから、追加派兵をすることになるだろう。

 そうなる前の段階で、ルウム駐屯の連邦軍指揮官がうまく火消しをすれば、これほどの騒ぎにはならなかったのだろうが――どうも、“ジオンに兵なし”と云うよりは、“連邦に指揮官なし”と云った方が良いのかも知れない。

 まぁ、連邦軍が腐敗しているのは、既定のラインではあったのだが――これは、腐敗云々と云うよりも、規律が乱れていると云うべきなのかも知れなかった。

 その規律の乱れが、どのような嵐を呼びこむことになるのか――まさか、前倒しでルウムから一年戦争開始、となるとは考えたくないが。

 第一、そうなったとしたら、連邦が戦うのはムンゾのみならず、サイド7を除くすべてのコロニー、と云うことにもなりかねぬ。

 流石に、それを回避しようと考えるくらいの頭はあると思うのだが。

「ともかく、キシリアが行って、何となく落ち着いてきたところにこれでは、ルウムの反連邦運動は、一気に拡大することになるぞ」

 ルウム首相もいち早く声明を出し、連邦軍側には、デモ隊の鎮圧はルウム警察に任せて欲しいと申し入れをしている、市民には落ち着いて行動してほしい、と呼びかけていた。

 ルウム首相が、きちんと申し入れをしていたことに安堵しつつも、本当に頭を抱えるしかない事態である。

 ともあれ、その声明のお蔭かどうか、まだ投石や乱闘を伴うような過激なデモは起きていないようだったが――このような時に対処を間違えると、デモが暴動に転化しかねない。

「連邦は、慎重にことにあたってほしいものだな……」

 さもなければ、こちらの手間も大幅に増えることになる。

 そうして注視していた数日後、最悪と云っても良い情報が飛びこんできた。

 連邦軍がデモ隊に発砲、未成年を含む数名が死傷し、止めに入ったムンゾ側にも二名の負傷者が出たと云うのだ。

 当初、情報が錯綜し、撃たれたのはキシリアだと云う話まで出てきたが、その後の情報、及び報道などでも、キシリアは無傷であり、撃たれたのは麾下の兵士であると発表された。実際、画像の中のキシリアは、傷ひとつなくきびきびと指揮をとっていたので、すぐに誤報と了解されたのだが――正直なところ、一瞬ひやっとしたのは事実である。

 ただでさえ、連邦軍との間に緊張感が高まっているこの時に、物語の主人公とも目されるキシリアが負傷では、ルウムの市民感情は、一気に悪化しかねない。

 とは云え、その“不幸中の幸い”もごく些細なものに過ぎず、ルウムは一瞬にして、“連邦許すまじ”の声ばかりが聞かれるようになった。

〈私は何の問題もないわ〉

 その後連絡してきたキシリアは、生き生きとした顔でそう云った。

〈ただ、今の手勢では、デモを鎮圧するにも、あるいは連邦と対峙するにも、いかにも少ない。だが、追加派兵となると、確実にムンゾと連邦との緊張感まで高まることになるわ。……どう思う、ギレン?〉

「私としては、まだ正面切ってやり合うには早い、と思うのだが――このままいくと、難しいだろうな」

 今、キシリアたちを退かせるわけにはいかないが、さりとて追加派兵を、と云うことになれば、確実に戦争へと双方が駒を進めることになる。

 難しい舵取りを迫られることになった。

「せめて連邦軍が、増援部隊の派遣を思い止まってくれれば良いのだが……」

 しかし、比較的穏健派のゴップやブレックス・フォーラならばまだしも、主戦派のレビルあたりは、増援を後押しするばかりだろう。

〈そうね……私たちにとっても、ここは出先なのだから、できればここではやり合いたくないわ。不利だし、何のメリットもないもの〉

「ルウムの自衛軍は、駄目か」

〈駄目。ムンゾの士官学校を出たものもそれなりにいるけれど、正直、警察の機動部隊の方がましなくらいよ〉

 まぁ、士官学校で学んだことを、発揮する場もないわけだから、当然のことだけれど、と云う。

「その機動部隊に、デモ隊鎮圧を任せると云う選択肢は、連邦にはないのか」

 一縷の望みとともにそう問うが、キシリアは無情にも肩をすくめただけだった。

〈駄目よ。連邦の指揮官が、むきになっているわ。最初の発砲事件のミスを取り返そうと躍起みたい。私たちはもちろん、ルウム警察や自衛軍にも介入を許さないの。それが、余計にルウム市民の反発を買っていると云うのに!〉

「まぁ、市民感情を理解する軍人などない、と云うことだろうな」

〈お前はわかるじゃないの〉

「私は、純然たる軍人ではないからな」

 まぁ、元々の方では、それこそ純然たる一般人だったわけであるし。

「しかしまぁ、頭の痛い話ではあるな……」

 多分、連邦でもゴップあたりは、地球で怒り狂っているのだろうな、と思わずにはいられない。

 連邦軍としても、将官佐官がごっそりと減ったこの時期に、こんな騒ぎが起きては大問題だろうに――あるいは、将官佐官が減ったからこそ、内部のごたつきが、ルウム駐屯部隊の弛みをもたらしたものなのか。

 あるいは、アメリカにおいて、白人警官が黒人男性を死亡させたあとの警察のように、自らの立場と相手の立場を比較して、己に有利と判断したが故に、ごまかす方向に出てしまったのか。

 何でも良いが、その指揮官の判断はお粗末極まりないし、それを叱責しない上官も然りである。

 それにしても、

「部隊を追加派遣すべきかどうか、悩むな……」

 しなければルウムが連邦軍に踏み荒らされることになるが、したらしたで、連邦とムンゾは本格的にことを構えることになる。

 今まで、互いに周到に回避してきた戦争への道を、ルウムと云う“第三国”での騒動によって、簡単に踏み出してしまうことになるのだろうか。

〈でも、しないわけにはいかないと思うわよ〉

 キシリアは云った。

〈ルウム首相からも、矢のような催促ですもの。――それから、連邦の部隊が、ムンゾ駐屯部隊に援軍を要請したそうなの。それが千人規模の増援要請だったとか〉

 千人。それは。

「――確かな話か」

〈確かよ。ルウム首相が、そう云ってムンゾの増派を要請してきたのよ。“このままでは、ルウムが連邦に滅茶苦茶にされる”と泣きついてきたのだもの〉

「千人か……」

 連邦としても面子があるにせよ、それはあまりにも大人げない振るまいと云えるのではないか。

 だが、千人。

 それだけの兵を派遣すれば、ムンゾ国内はすわ連邦と開戦かと、浮足立つ輩が出てくるだろう。それはそれで、国内の治安的な意味では、あまり宜しいこととは云えなかった。

 第一、

「千人、増派できぬではないが、即日とはいかん。その間、何とか持ちこたえることができるか?」

 連邦の数十分の一の国力しかないと云うことは、兵力もまた同様である。

 無論、MSと云う隠し玉はあるが、それは本当の開戦の時まで温存しておきたい。

 となれば、通常の増派となり、時間も手間も食うことになる。まったく、悩ましいどころの話ではなかった。

「……とりあえず、急ぎ増派の手筈を整える。とにかくそれまで、何とか持ち堪えてくれ」

〈……わかった。私たちを見捨てないでね、ギレン〉

「もちろんだ」

 頷くと、手を振って、キシリアは通信を切った。

 さて、問題で。

「ドズル!」

 叩きつけるように通信を入れ、ガーディアンバンチの弟を呼び出す。

〈お、おう、どうした兄貴〉

 少しくつろいだ格恰好の“弟”が、ばたばたと応える。

「今、キシリアから連絡があった。連邦は、ルウムに千人の増派をするようだ。できれば、ルウムでぶつかることは避けたかったが、やむを得ん。お前の支配下で、すぐに動かせる部隊を、とりあえずルウムに派遣しろ」

〈千人は無理だぞ〉

「構わん。――連邦と互角にやり合えるかもわからんが、何より他サイドだ、できれば正面衝突は避けたかったのだがな……」

 織田信長ではないが、“是非もなし”だ。

〈ルウムでやり合うなら、艦隊戦の方がまだましじゃないか?〉

「やり合わねばならんのは、その手前の話だ。デモ隊の鎮圧をしてからでなくてはならん。――まだ様子見にはなるが、お前も、一応艦隊を出すことを念頭においておけ」

〈MSはどうする〉

「それも様子見だ。やらんで済めば、それに越したことはないのだが……」

 時期的に、これが“暁の蜂起”に繋がる可能性は高いけれど、果たしてそれで、連邦のルウム侵攻が止められるものか。

「とにかく、できる準備はすべてしておけ。――他の将官たちには、明日以降に諮る」

〈お、おう。そうだな、本当に連邦とやるなら、俺の指揮できる部隊だけでは不可能だからな〉

「あぁ。――とりあえず、今云ったことについては、早急に進めろ。一刻の猶予もないぞ」

〈おう!〉

 武者震いするかに、ドズルは笑った。

 さて然らば、こちらも対抗策を考えねばならぬ。

 ムンゾの将官もそれなりにはあるが、今動かせるとなると、コンスコン、トワニング、ノイエン・ビッター、ユーリ・ケラーネ、ダニガン、デラミン、マックガイア、ルーゲンス――ギニアス・サハリンは技術少将だと云うから外すとして、ズムシティが落ち着いたので、マ・クベも出せるか。

 とにかくムンゾは将官が少ない――多分、名前がわかるかどうかなのだとは思うが、しかし、いないからこそ安彦良和がガルシア・ロメオを作ったわけであるし――ので、ひとりひとりの統括する範囲が広大なのだ。リアル軍制的に云えば、佐官こそが将官の役割を果たしているのかも知れないが。

 まぁ、考えようによっては、フランス革命時の公安委員会、徳川幕府の老中、あるいは初期鎌倉幕府の御家人くらいのサイズ感なので、指示が出しやすいと云えばそうなのだが。

 ともかく、様々な続報を待ちつつ夜が明けた。

 途端に、盛大な爆弾が落とされた。

 ガーディアンバンチの連邦駐屯地が、ムンゾの士官学校生の手によって爆破されたと云うのだ。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 30【転生】

 

 

 長い廊下を駆け抜ける。

 迎撃のタイミングは分かってるけど、だからといって飛んでくる弾丸を全て防げるわけじゃないんだ。

「ガルマさん!!」

 文字通り肉の盾として突入メンバーがおれの前に出た。

 防弾チョッキは万全じゃない。致命傷を避けられたのは彼がラッキーだっただけ。

 ライトニングの自動小銃が特攻してきた敵を返り討ちに。

 硝煙と血と汗の匂い。

「ムラタ!」

「……ッ、大事ない!」

 怪我人を引っ掴んで、それでも走る。

 負傷箇所は肩か。多分、上腕と鎖骨も折れてる。

 脂汗を滲ませるムラタを、他のメンバーが担ぎ上げた――見れば、彼の頬にも血が流れていた。

「『この先、待ち伏せだ』」

「グレネードを使う」

 シンの指示で武器を持ち替え先制すれば、爆音のあと、廊下の向こうはうめき声で溢れた。

 指揮はシン、攻撃の要はライトニングで、その抜きん出た戦闘センスにはこの緊張下であっても感嘆が抑えられなかった。

 おれの“索敵”があるにせよ、たった12名――2班程でしかない戦力でこの兵営本部を制圧し得るのは、この二人の力によるところが大きい。

「『主電源が落ちる』」

 ナイトビジョンゴーグルを装備。カウントダウン、ゼロ。

 次の瞬間、基地内は闇に包まれた。非常電源には切り替わらないよ。

 唐突に視界を塞がれた敵を一掃するのは、そんなに難しい事じゃなかった。

 間をおかず司令室へと飛び込んで、最低限の照明を向けてやる。

 返ってきたのは何が起こっているかも把握しきれないといった、驚愕と混乱に満ちた視線だった。

 

 

「『連隊長殿ですね?』」

 司令席にいる一人に、表情だけはにこやかに話しかける。

「『降伏されることをお勧め致します。兵士へ抵抗を止めるようご命令を』」

 声は冷たく、しんと音をなくしていた室内へ凍み入るように響いた。

 誰かがブルリと体を震わせる気配が。

「『さぁ、ご決断を』」

 銃口を突きつけて促す。他に選択肢なんか無いんだ。

 中央棟にはいまも砲撃が繰り返され、防衛はもう保たないし。

「……うぅ…うぁ……」

 意味のない呻きなんて聞きたくないよ。

「『聴こえないのか。降伏しろと言っている』」

 ナイトビジョンゴーグルを外し、真っ直ぐに連隊長と視線を合わせる。

 喉笛を晒した獲物を前にして、おれの中で“獣”が嗤ってる。

 ほら、さっさとしなよ。咬み裂くのなんて簡単なんだ。

 一歩前に出ると、後ろに下がろうとしたのか、コンソールにぶつかる無様な音が響いた。

「……わ、わかった!」

「『では、すぐに指示を。通信は一部だけ生かしてありますよ。兵士への武装解除命令を』」

 命じれば、マリオネットみたいにギクシャクした動きで、連隊長はおれの要求を呑んだ命令を全部隊に向けて発信した。

 程なくして、戦闘音が止んだ。

「これで良いか!?」

 怒鳴り声だけど、これで終わりなわけ無いでしょ。むしろコッチが本題。

「『それからルウムに向けた一個大隊に即時での帰還命令もお願いしますね?』」

「……なんだと?」

「『これも繰り返さなくてはいけませんか? ルウムに派遣した大隊を、いますぐに呼び戻せ』」

 いちいち命令口調で言わないと理解できない訳じゃあるまいに。

「……いい気になるなよ、ガルマ・ザビ。お前をこの基地から出さずに置くことなど容易いのだぞ!」

 おや、脅してくるのか。

 おかしくなって唇から笑い声がこぼれた。

「『異なことを。立場をお忘れですか? この場であなたが僕にできる事など何一つ無いんです』」

 毒を染み込ませるように、甘くした声で優しく囁く。

 そっと足を進めて、追い詰められた男をさらに奥に押しやる――仰け反る事くらいしか出来てないけど。

「『僕たちはシステムを支配してる。あなたが命じないなら、僕があなたの名前で命じるだけです』」

 もうその方が早いかな。

 小首を傾げれば、連隊長はコンソールに拳を打ち付けて、それでも要求を受け入れた。

「……悪魔のようだな」

 軋る声で言われた言葉に、ぱちくりと瞬く。

「『心外です。そこは、“ギレン・ザビ”のようだと言っていただきたい。僕は“兄”を倣っているんですから』」

 ニコリと。

 ギレン・ザビ――ザビの血統の、おそらくは最高傑作。他の追随を許さない明晰な頭脳と恵まれた体躯。

 その発想、また弁舌の巧みさを悪魔に擬えられてるのは、“ギレン・ザビ”でも変わらないんだからさ。

「ザビ家の指示か」

「『それも違います。これは我々、ムンゾ自治共和国国防軍士官学校の士官候補生の総意です。これ以上の弾圧は赦さない。仲間にはルウム出身者が少なく無いのですよ』」

 肩を竦めてやる。

 さて、やることやったから撤退するかね。

 こちとら怪我人もいるし、もたくさしてたって良いことはない。

『キャスバル、制圧完了。大隊も呼び戻させた』

『把握してる。さっさと戻ってこい。大至急だ』

『はいよ、了解』

『中央管理棟がふっとぶかも知れない』

 ――はぁあ!?

 ちょ、おま、なに言って――。

 ブワリと総毛だったおれを見て最初に反応したのはライトニングで、次いでシンが。

「『総員退避ーッ!!!!!』」

 号令は絶叫に近かった。

 なんの説明もないおれを問いただす事もせず、仲間たちが踵を返すのはほぼ同時。

 呆気に取られた連邦士官達を置き去りに、本部棟からの脱出を図る。

 キャスバルの思考波が、真っ直ぐに“ルート”を示してきてた。

 見えない矢印に導かれて駆け抜ける。

 途中で出くわす兵士についても、戦わずして逃げる。とにかく逃げる一択。

 走って走って走って走って。

 この人生で最速だと言っても良いと思う。荒れる呼吸で肺と喉が焼き切れそう。

 「置いて行け」と叫んだムラタは、皆がリレーみたいに交互に担いでた。

 ついでにおれまでが途中でシンに担がれる。

 ごめんよありがとう!!

 長距離は苦手なんだ。

 せめて邪魔にならないようにおとなしく担がれながら、ルートだけを指示する。

 中央司令棟を飛び出したら、眼前に広がるのは砲弾でボコボコになった地面と建物、あちこちで上がっている火の手。

 既に戦闘は停止しているけど、鳴り響く爆発音と大きな振動は、様々なものが暴発しているからだろう。

 連中も基地を捨てる方向で動いてるっぽい――つまりは総員退避。

 ここまでやっちゃったか、キャスバル。

 想定の範囲を軽く飛び越えて、遣り過ぎな戦果をあげちゃってるよ。

 これ、“ギレン”が知ったら怒髪天突きそう。やべぇな。

 もはや開きっぱなしになってたゲートを転がり出たところで、連邦の軍用車両が3台突っ込んできた。

 ここまで来てまた戦闘かよと舌打ちしたけど、

「ガルマさん中へ! 早く!!」

 中から頭を出したのはクムランだった。そういや君も特殊車両操縦評価Aだっけ。

 なにコレ強奪したの――なんて突っ込む暇は無い。

「『先にムラタを! 怪我してるんだ!』」

 とりあえず車内に突っ込む。乱暴だけど許してくれ。

 それから3台に分かれて乗車。後はスタコラ逃げるだけだ。

 人格変わってるんじゃないかって思えるくらい荒っぽい、だけど正確な運転で、クムランが車を驀進させる。

 舌を噛まないように歯を食いしばりながら、ムラタがシートから落とされないように覆いかぶさる。

 さらにその上からシンとライトニングが。

 幾分か基地から離れられたと思った矢先、ものすごい轟音と振動が来た。

 車ごと吹っ飛ぶかと思ったけど、クムランがなんとか持ち堪えさせた――すげぇな。

 他の2台もギリギリで凌いだみたい。

 背後を見れば、視界を覆い尽くすような爆煙と連鎖する爆音と振動。

 これ、もしかして駐屯地まるごとふっとんだ?

 司令部の人間は何人逃げ切れただろう――ほぼ絶望的かな。非常システムは15分で回復させる仕組みだったけど、間に合わなかったし。

 頑丈な軍用コロニーでよかった。一般コロニーなら外壁まで被害出たかも。

 一個大隊があらかた武器を持って出てくれてたのも幸いしたかな。

 なんにしても。

「『……任務完了。これより帰還する』」

 どっと疲れた。

 最後が想定を超えてハードだったのは、お前が遣り過ぎたせいだからな、キャスバル。

 

 

 その日、コロニーに訪れた夜明けは、鮮烈なほど赤く目に映った。

「『赤いな。実に良い色だ』」

 キャスバルがそんな名台詞を吐いている横で、頭を抱えた。

「『うわぁ……こっちもボロボロじゃないか』」

 帰還してみれば、“うち”の被害も少なくねぇわ。

 死者こそ少ないが、負傷者の数が尋常じゃねえ。

 特にMBTとやりあうことになった左翼に被害が集中してる。三回生はなんとか凌げていても、練度に劣るニ回生が崩れたかな。

「でも、重症者はそんなに多くないよ!」

 そんな風に拳を握って反論してくるけどさ。

「『クムラン、骨折は重症にカウントされるって知ってるでしょ?』」

 完治するなら怪我じゃねえなんて豪語してる脳筋どもをどうしてくれようか。

 ズタボロ包帯姿で大笑いしてんのは、脳内麻薬でも噴出してんのか。主に三回生諸君――ニ回生達がドン引きしてるじゃないか。

 トリアージがなされ、医療班が駆けずり回ってる。

 いち早く基地から飛び出してきたらしき医官達は、能面のような無表情で指示を飛ばしまくっていた。

 あれ、怒りが限界突破して一周回ってきた感じだわ。一瞬向けられた視線は火を吹くみたいに鋭くて険しかった。

 ふと、遠くに土煙が見えて、それは見る間に近づいて来た。

 ドズル兄貴と、士官学校の教員からなる部隊だった。

 ゼナ・ミアによる足止めは、見事に完遂されたようだね。

 おれを見つけたらしき兄貴は、走行中の車両から飛び降りた――うわ、危ないな!

 そのまま物凄い勢いで走ってきて、気がついた時にはその腕の中に捕まっていた。

「ガルマッ!! お前というやつは……!!!」

 それだけ言って、兄貴は獣みたいな咆哮を上げた。

 暁の空に吸い込まれてくそれを、まるで勝鬨みたいだな、とボンヤリ思った。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 そして、禁固された訳だ。

 寮室とは別の、違反者なんかを隔離しとくための反省室みたいなところね。

 殺風景な部屋の中、あるのはベッドとバスとトイレ。

 これは“ギレン”の指示らしい。

 蜂起に参加した候補生は、全員自室での謹慎。

 おれとキャスバルは別々の部屋で監禁。

 事後処理が終わるまでは“物理的に表に出すな”と。

 面会も禁止。手紙もメッセージも禁止。

 とにかく外界との接触が全面的に禁止されてる。

 ラップトップも取り上げられたから、新しい情報も仕入れられない。

 娯楽もないのは、ただ“ひたすら反省しろ”って事らしい。

 これ、なんて人権侵害。

 やること無いから““ギレン”をギャフンと言わせる10のプラン”とか、““伝書鳩”の羽根を毟る10のプラン”とかを考えてる。

 あ、なんか楽しくなってきた。

『……君は本当に碌でもないな』

 不意にキャスバルの“声”が割り込んできた。

『だって退屈なんだ。お前だって不穏なコト考えまくってるじゃないか』

 おれのよりやべぇプランが伝わってきてるぞ。

『退屈だからな』

 鼻を鳴らす気配が。

 離されてたって、この程度の距離なら無いも同然。

『みんなはどうしてるだろ?』

『お得意のあれで分からないのか?』

『気配くらいなら』

 言われて“意識”を拡大。士官学校の敷地くらいなら余裕でカヴァーできる。

『あ。お前が“視えた”わ』

 ニュータイプ同士だとここまで分かるのか。

『便利だな』

『お前もできるだろ?』

『索敵くらいならな』

 呑気にお喋り。

 敷地内の脳内マップとあわせれば、“なんちゃって忍びの地図”の完成だ――あれと違って名前が出ないのが残念だけど。

 おれの“視界”にキャスバルが乗っかってくる。

『やっぱり寮以外には人が少ないね』

『候補生の大半が何らかの形で参加していたからな』

 自室謹慎の嵐。これ、学校まともに機能してないね。駆けまわってんのは、おそらく教官たちと――“ギレン”から送り込まれた後始末部隊だろう。

 そのうちに事情聴取とか来そう。

 これも、回答はあらかじめ皆で示し合わせてある――今回の襲撃については、突発的に起こったってね。

 周到な計画なんかじゃない。

 あくまでも暴発。ルウムにおける弾圧を阻止するために奮起した。格上相手だから本気でやったら、思ってたより凄いことになったと。

 裏返せば、連邦軍不甲斐ねぇなってコトだね。

 発案、指揮、実行犯ともに“ガルマ・ザビ”。

 全ての責はおれに来るようにした。

 キャスバルの名前はまだ出せないし、例え出せたとしても矢面に立たせるわけにはいかない。

 当人は少しゴネたけど、こればかりは仕方がなかった。

 いつかの時間軸のガルマ・ザビは英雄扱いだったけど、こっちのおれはそうはいかないだろう。

 なにより“ギレン”が赦さないはず。

 駐在基地を文字通り吹っ飛ばしたんだ。連邦はカンカンだろう――ゴップかレビルあたりが、ガッツリねじ込んできそうだよね。

 さて、どんな罰則がくるもんか。

 申し訳ないとは思うけど、ドズル兄貴はいつぞやと同じく校長の立場を追われるだろうね。

 おれは――放逐はされないと思うけど、どうだろ。

 まともに卒業できれば御の字だ。

 だけどさ、コレだけの結果を卒業前の候補生だけで成し遂げたんだよ。表立っては評価も称賛もできんけど、みんな裏側では感嘆せざるを得ない。

 故に、おれ以外の候補生たちの卒業後のルートには、然程の修正は無かろうさ。

 むしろ鳴り物入りでの配属になりそうだよね。

『……罰則が怖いかい?』

『そりゃね。こんどは何時間の正座になるのかと』

 まぁ、それで済むとは思ってないけどさ。

 おどけて答えれば、壁の向こうでキャスバルが肩をすくめた。

『説教の最長記録を更新するかもな』

 子供の頃、家庭教師を5人追い出したとき、2人まとめて3時間超えの説教を食らった。

 ――あれはキツかったわー。

 “ギレン”ったら完全に顔が般若面だったし。角と牙が視えた。

 様子を見に来たらしき小さなアルテイシアが、震え上がってギャン泣きしてたのを思い出す。

 挙げ句に夜、魘されてたって御母堂様が苦笑いしてたっけ。

 ポツポツと、他愛ない会話を繰り返す。

 いつもと変わらない遣り取り――いま隣に居ないだけで。

 キャスバルの思考は安定してるけど、“意識”に触れてくるそれ以外の“ノイズ”には、いまだ止まない興奮と、それから湧き上がる不安と、恐怖と苦痛と苦悶と悲嘆が混じり合っている。

 本物の戦闘の凄まじさ、悍ましさに触れて、また篩に掛けられてる――どれ程の人員が離脱するのか。

 “悲鳴”が聴こえる。

 ニ回生以下は、けっこう抜けるかもな。

 ちょっとため息が。

 感覚を――“視界”を共有できても、キャスバルには細かな“ノイズ”は響いてない様子だった。

 ただ、数多の“ノイズ”におれの“意識”が共鳴するのを感じ取ってか、思考波がソロリと触れてくる。

『少し閉じろ。僕たちだけで良い』

『はいよ。りょーかい』

 “意識”の範囲を戻せば負担がスッと減った。戦闘時以外では長く使えるもんじゃ無さそうだね、これ。

『こういう使い方は地球で覚えたのか?』

『使えることに気が付いたのは、そうだね』

 それまでも片鱗はあったけど。あの森林での逃亡劇の際に、センサーみたいに使えるなって。

 もともとは、お前を呼ぶ“声”がそうなったってだけ。

『……呼んだのか』

『呼んださ』

 そしたら“意識”が限界を超えて拡がった。森を這う霧みたいに――それに触れた敵が“視えた”のは偶然だった。

『つまり、コレもお前のおかげってコトかな?』

 くふくふ笑うと呆れた気配が。

『――……不思議なものだな。同じように繋がるのに、僕と君とでは出来ることが違う』

『それこそ個性だろ。お前やアムロ、それからララァは出力の大きなマルチタイプだけど、強い分、微弱なそれは拾いにくいし、下手すりゃ弾く』

 出会いのとき、驚いたララァがおれを弾いたみたいに。

 繋がる相手がそこそこ強くないと潰されそうだ。萎縮して先方がレセプターを閉じそう。意識してても、してなくても。

『反対におれとかマリオンは出力はそんなに大きくないけど、様々なものを拾える。フロルはまだ不安定で未知数だし、ゾルタンは正直、よく分からない。あの子は気分で出力が変わるからさ』

 一括に“ニュータイプ”って言ったって、共通項は“思考波でコミュニケーションが取れる”ってことくらい。

『パフティは、今んとこあんまり活用してないようだし』

 ほんとにバラバラだ。

『それは考察かい?』

『いや。感覚』

 答えたら、キャスバルは眉を寄せたみたいだった。

『……相変わらず、考えているようで何も考えてないな、君は。そのおつむは“悪知恵”専用なのか』

 ひどいわー。

 遺憾の意。おれだって、たまには真面目に考えることだってあるさ。たまには。

『だってさ、“ニュータイプ”なんたらなんて、今更だろ』

『……確かにな』

 あの出会いの日から、ずっと繋がってんだ。当初こそあれこれ考察してたけど、もう飽きた。

 以前、ニュータイプ研究所の資料も見たけど、その頃は目新しいものは無かったし――最近のはどうだろ。なんか新しい研究してるらしいし。

『案外、この先さして珍しいもんじゃなくなるんじゃない?』

『人口に比率すればそう多くは無さそうだがな』

『そうかなー』

 存外にポロポロ出てきそう。

『“予言”か?』

『そんなんじゃない。でもさ、“ノイズ”にも強弱があるし、もしかしたら、強いやつはそのうちに繋がるのかなって』

 例えばミルシュカとか。ほんのときおり、アルテイシアからも。

『僕には聴こえない』

 そっか。

 でも、お前もまだ未知数だし。

『どのみち、おれに聴こえればお前も聴くだろ』

 おれは、なんだかお前の“サブシス”みたいだね。

 ぼやけば“意識”が笑いを拾う。

 せいぜい働け、なんてさ。なんという暴君だ。

 

 

 窓のない部屋の中。

 時計も無いから、昼夜を図る手段は1日に2回出される食事――パンとほとんど具材の無いスープ。毎回同じメニューの上に、味付けされてねぇわ。

 味気ないじゃなくて、味がない。素材の味だけ。

 塩ひとつまみくらいは入ってんのかな? ……ねぇな。塩不足の症状出そう。

 そんな食事も、微妙に時間がズラされてる。拘束されてる体感時間が延びるようにね。

 味が無いのもその一環だろう。刺激が少ないと、人間の脳は鈍化するから。

 眠たくなったらベッドで眠って、体が鈍らないようにトレーニングして。

 小さいけどわざわざ用意してくれたらしいバスタブで温いシャワーを被って。

 “口から出る言葉”はない。ただ息をしてるだけ。

 この単調な日々が“罰”だというのなら、きっとそうなんだろう。

 何もすることがないということは、人の心を容易く倦ませる――これで“お喋り”する相手もいなかったら、この後で来るだろう審問にさえペラペラ答えそうだよね。

 この辺りは誰の差配なんだろう。

 “ギレン”なら部屋を分けたっておれたちが意志を通じ合わせられるって分かってるから、別の人間が手配してるんだ。

 もちろん、ドズル兄貴でもない。

 相手を弱らせてから叩くのが尋問の常套手段だけど、それにしたって性格悪いよね。

 精神病んだらどうしてくれんの――病まないけど。

 そして、キャスバルはおれよりはマシな待遇を受けているらしい。

 1日2食ではあるけど、味付けもされてるし、毎食メニューも違うって。

 良かったな。

 でも、退屈だけはどうにもならんらしいからさ。

『……キャスバル、どう?』

『これが地球の“海”か。悪くないな』

 “記憶”の共有によるヴァカンスもどき――リゾート地に行っといて良かったかも。

 青い空、白い雲、青くて壮大な海原には瀟洒な船影。

 割と気に入ってた桟橋――ララァと出会ったところだね――に、キャスバルをご招待、なんてね。

『落ち着いたら一緒に行こうか?』

『そうだな。どうせアムロ達も連れて行くんだろう?』

 そりゃね。

 海を――あの光景を見たら、みんなポカンと口を開けて、それから大騒ぎをするんだろう。

 海水のしょっぱさに悲鳴を上げるかも。

 想像するだけで笑いが込み上げそうになるけどさ、ここは敢えて能面をキープ。

 弱った様子を出しとかないと、いつまでたっても留め置かれてそうな気がしてきたから。

 ベッドの上で膝を抱えてジッとしてる。

 ここ数食、パンは口にせず、スープも徐々に残す量を多くしておいた。

 ちなみに今日の分は、ほぼ手付かずだ。

 水だけチャレンジ再びである。せっかく戻した体重がまた削られるじゃねぇのさ。

 ここ出たら覚えとけよ、誰だか知らんがサディストめ。

 無言で――会話は赦されてない――トレーを片付けていく監視員が、気遣わしげな視線を向けてきたのに、儚げにつくった微笑みを、うすーく貼り付けてみた。

 会釈。それと、唇の動きだけで「ごめんなさい」と。

 毎度、無視を決めこまれてても、小さなアクションはずっと続けてる。一方的でもrelationshipってのは築けるんだよ。

 監視員ったら、物凄く心苦しそうな顔して下がっていった。

 罪悪感ケージだいぶ溜まってるね。

 んんん。「連れて逃げて」なんてお願いしたら、そろそろ叶えてくれそうなレベルかな。やるつもりはないけど。

 傍目には、そうとう参ってるように見えるだろう。

 監視対象とは言え、これは“嫌がらせ”の範囲を超えた“虐待”だ。

 人間ってさぁ、予想を超えて相手が哀れだと、それ以上責める気にならなかったり、応援しちゃったりすることがあるだろ?

 世に言う“判官贔屓”とか、“アンダードック効果”。

 ついでに、今回の“士官候補生暴発事件”は、世間的には“有り”だ。

 ムンゾ軍や政府の上の方としては、絶対に喜んじゃ駄目な事件だけど、下の方からはむしろ絶賛。

 その点から言ってもアナウンスメント効果は抜群だ。

 そのトップを二人ともに拘束、かつひとりが“不当な扱い”を受けてるんだ。

 このヘイトがどこに溜まるかなんて、火を見るより明らかだろ。

 よしんば揉み消そうとしたって、“配下”が口を噤んでくれるかね?

 ――さて、と。

 ここに入れられてから7日目――相手が意図してるだろう体感時間では8日かな――そろそろ動きがあって良い頃じゃないの?

 皆の事情聴取もおおよそ出揃ってるだろうし。

 ――倒れる前にここから出せよな。

 こんくらべも佳境ってとこか。

 遅くともあと数日――と、言うことで更に3日後。体感時間としてはもうちょいプラス。

『おや。どうやらお呼びがかかったようだ』

 キャスバルの方で動きがあった。

 ようやくかって気持ちと同時に、凄いトゲトゲが噴出してる――オイ、落ち着け。

『キャスバルー、ほどほどになー、お前が暴れると、おれの拘束が延びるんだからなー』

 一応、そう伝えてみたけどさ。

『文句のひとつくらい言ってやっても構わないだろう?』

『そりゃね。だけど、これも理由あってのことだし』

『……君のこの待遇もか?』

『おれ?』

 ――お前、おれのこの扱いに怒ってんの?

『…………なんか照れる』

『そうくるのか』

 めちゃくちゃ呆れられてる気配だけどさぁ。

 だって、心配してくれてるってコトじゃないか、それ。

 最近、デレ成分多くないか。

『君は僕の“サブシステム”なんだろう? 正常に動かないと困る』

『……そっちかい』

 ため息が。

 まぁ、なんにしても程々にな。お前、時たま激烈だから心配なんだよ。

 

 

 キャスバルが監禁場所から出されて。

 そして、シャワーからは水しか出なくなった。

 ――どういうことだ!??

 内心の激クレームには、当然、沈黙しか返ってこない。

 最後の楽しみまで奪われて、ぶるぶる震えてるのは、寒さ半分、怒り半分。

 おのれサディストめ。誰だか知らんけど、貴様だけは絶対に赦さないからな!

 シーツに包まりながら、殲滅の為の100のプランの作成に専念する。

 早く出してよ。

 実践する日を心待ちにしてるからさ。

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 30【転生】

 

 

 聞いた瞬間、やったな、と思った。

 そして、詳細を続報で聞いて、愕然とした。

 ――跡かたもなくなるくらい爆破しろ、とは云っていない!!

 実際、ガーディアンバンチの連邦駐屯地は、酷い有様のようだった。

 武器庫の爆破は原作と同じだが、その上中枢部の建物に至るまでが、まともに建っているものがないと云う状態なのだ。

 それを、わずか一晩、否、数時間のうちに、数で劣る士官学校生たちが成し遂げようとは。

 ――絶対に褒めるわけにはいかないが……

 軍人の卵としては、称賛に値するものではあった――決して褒めるわけにはいかないが。

 建物だけでなく、人的被害も甚大だ。連邦軍兵士や士官、それに士官学校生サイドにもかなりの数の死傷者があると云う。

 そのためにか、ルウムに出発した増派の兵士たちが、慌ててとって返してきたのだと云うから、対ルウム増派についても一定の成果は上がったわけではあるが、それにしても。

「“ガルマ”め!!」

 机を叩いて、思わず怒鳴る。

 これが“暁の蜂起”であったのはわかる、が、いかにもこれはやり過ぎだ。つまりはオーバーキルと云うものである。

「ドズルは何をやっていた!!」

 もちろん、わかっている。ゼナ・ミアに自室で足留めされていたのだろう。それはわかる。

 が、いくら何でも連邦駐屯地が爆発すれば、その衝撃は士官学校にも伝わったはずである。そうなった後、あの“弟”は一体何をやっていたのか!

 あまりに炸裂しているためか、報告にきたタチとデラーズ、それに臨時秘書のシロッコまでが、数歩後退ったようだった。

「か、閣下、その、ドズル閣下にもいろいろとご事情が……」

 タチが云うが、

「そんなことはわかっている!」

 こちらとても、ゼナ・ミアとの仲を裂きたいわけではないし、“暁の蜂起”そのものを批難しているわけでもない。

 ただ、あまりにも、

「あまりにも酷いだろうこれは!!」

 よくわかった。

 おそらくこれは、“ガルマ”のみならず、士官学校生全体、そして何よりキャスバルか暴走した結果なのだ。

 無論、“ガルマ”単独でもできない業ではないが、それにしても被害が大きすぎる。これは、卒業後にキャスバルを“ガルマ”と一緒にしておくことはできない。迷っていたが、はっきりわかった。あの二人は、別々の部署に配属すべきなのだ!

「閣下、ドズル閣下は、ガルマ様を迎えに出られたとのことで――」

「迎えに出ただと!?」

 睨みつけると、デラーズも震え上がった顔になった。

「私に報告も何もせずにか! 懲戒処分ものだぞ!」

 ただでさえ、ゼナ・ミアに足留めされ、生徒の管理を怠っているのだ。この上さらなる懲戒処分となれば、譴責や減俸では済まず、降格もあり得るのだ。それなのに。

 ――いや、もう確実に、学校長は馘だ!

 どうせ、原作でもそうだったのだから、構うまい。云い渡すのが、“父”から自分に変わっただけだ。

 甘い甘いと思っていたが、これでは軍内部にも示しがつかぬ。

「降格処分にしないだけ、ありがたいと思えよ……」

 低く笑うと、タチがひぃと声を上げた。

「か、閣下、そのドズル閣下から、通信が……」

 シロッコが、やや震える声で云ってきた。

「……繋げ」

 そして、繋がった瞬間、

〈兄貴! ガルマがやったぞ!!〉

 その歓喜の声に、ぶつりと切れた。

「ドズル貴様! これがどう云う事態かわかっているのか!!」

 画面の向こうで、“弟”は首を傾げた。

〈どうって……連邦軍のルウム増派を止めたんだろう〉

「馬鹿が!!」

 なるほど、これだから“父”が強くあたるわけだ――武人としてまっすぐなのは美点だが、それでこの世界を乗り切れると思ったら大間違いだ。

「お前が“ガルマ”を止められぬ、よんどころない事情があったとしても、あれのこの所業を喜ぶとはどういうことだ! 学校長としての責任はどうした!!」

〈あ、う……〉

 もごもごと何やら云い訳したそうだが、そうはさせるものか。

「とりあえず、お前は今期で学校長の任を解く。それまでに、今回の経緯について、きちんと精査し、報告せよ。私だけでなく、連邦をも納得させねばならんのだ、内部調査の、名ばかりのもので済むと思うなよ」

 これだけの騒ぎである、連邦からも誰かしら――まさかレビルではあるまい――が出てくることになるだろう。端から疑ってかかっている相手に、つけこむ隙を与えるようなものであっては困るのだ。ただでさえ、突っこみどころなど満載であるのだから。

 ドズルは青くなり、赤くなり、また青くなって、ごくりと喉を上下させた。

〈わ、わかった〉

「参加した生徒たちの処分も、追って定める。とりあえず、全員寮の自室で謹慎させろ。“ガルマ”とキャスバルは、別々に謹慎だ。絶対に外には出させるなよ」

〈お、おう〉

「負傷者の収容は」

〈進めている〉

「では、健在なものの仮の駐屯施設は。建物はすべて全半壊で、まともに司令部の機能を果たせるものはないそうではないか」

〈それについては、残ったものたちが、野営用のテントを張っている〉

「だが、いつまでもそれではどうにもなるまい。爆破跡は、現場検証の必要があるから手はつけられんが、空いている場所に、仮設の建物を急ぎ作らせろ。その後さらに傷病者が増えてはかなわん」

〈わかった〉

「わかったら、さっさと行け! 私は今、猛烈に機嫌が悪い。お前がきちんと仕事をしないなら、降格もあり得ると云うことを、肝に銘じておけよ」

 ドズルは慌てたように背筋を伸ばし、敬礼してきた。

〈はッ!!〉

 それに返礼もせず、通信を切る。

 次はサスロだ。

「……サスロ」

〈ギレン! ガルマがやった、な……?〉

 こちらの形相に、歓喜の声が尻すぼみになった。

「何が“やった”のだ」

〈い、いやッ、……大変なことになったな?〉

 こちらの様子で、態度を変えられる、その観察眼と判断能力は流石だが、今はそれを求めているわけではない――もちろん、ドズルのようにそれを持たないよりは、持っていた方がましではあるが。

「まったくだ」

 吐き捨てると、恐る恐るで問いがくる。

〈その、俺に何か用があるんだろう?〉

「あぁ。ガーディアンバンチの連邦軍駐屯地が吹っ飛んだ。全半壊した建物の撤去、及び再建、それから死傷者への補償が必要になるだろう。概算で構わん、試算して、その額を捻出する方法を考えておけ」

〈補償!?〉

 するのか、と云うが、今回に関しては、こちらに全面的に非があるのだ。当然捩じこまれるだろうし、それを回避する術もない。

 ルウムで全面戦争、よりはかからないだろうが、事後処理のための交渉では、難しい局面も多々あるだろう。

「こちらに非がある以上、出さぬ訳にはいくまい?」

 なに、開戦するよりはましだろう、と云うと、サスロはやや寂しくなりつつある髪を掻き回した。

〈ルウム増派の件を云って、何とか減額できないのか〉

「無理だな。増派して、それがキシリアたちとやり合っていれば、話は別だが」

 そもそも増派そのものが、ムンゾからはできなくなっているのだ。

 多分、この騒ぎで、他サイドからの増派も中止、あるいは延期になった可能性はある。

 まぁ、コロニー最大の軍事力を誇るムンゾに、当然最大の駐屯地がある――秘密工場があるサイド7はのぞく――のだろうから、点在する駐屯地から人員を出すにしても、きちんとした 大きな部隊にして統制を取る、のは難しいように思われる。それ故に、中止になる公算は高そうだとは思う。

〈……あれだけの面積だ、建て直しとなれば、相当な額だぞ〉

「それに、人的被害に対する補償もな。“ガルマ”とキャスバルめ、必要以上の大暴れをしてくれたな」

 めら、となるのに、サスロは慌てた顔になった。

〈いや、それだけとは限らんだろう〉

「いいや、間違いなくあの二人だ。――卒業後は、あの二人は一緒にしておくかと思っていたが、気が変わった。それに、今の状況では、“ガルマ”はこのまま士官で入隊、と云うわけにはいかんだろう」

 地球の時と云い今回と云い、他が許しても、ゴップ――そして、恐らくはレビルも――が許すまい。

〈ギレン、まさかと思うが――〉

「これに関しては、お前に口は挟ませんぞ、サスロ。もちろん“父上”にもな」

 そう釘は刺しておく。

 “ガルマ”に甘い“父”は何か云ってくるかも知れないが、軍の統括はこちらの仕事だ。余計な口など挟ませてたまるものか。

「試算を急げよ。連邦は、激怒してやってくるぞ」

 どのクラスの人間が交渉の席につくことになるかはわからないが、今回のムンゾ側の人間は、自分とサスロで決定だ。“ガルマ”に甘い“父”やドズル、キシリアを、そんなところに出せるものではない。

〈……父上には、説明しておいてくれよ……〉

 そう云って、サスロは通信を切った。

 “父”。“父”か。

 今通信を入れたとしたら、デギン・ソド・ザビは、首相かそれとも父親か、どちらの顔で応じるのだろうか。

 考えながら通信を入れると、

〈ギレン! ガルマはどうなった!!〉

 残念なから、父親の方だった。

 やはり事件の一報は受けていたようで、早い時間にも拘らず、きちんとした格好である。

 それは良い、が。

「……耄碌なされたか、“父上”」

 思わず、そんな言葉が口を突く。

「ムンゾ自治共和国首相として、今なさねばならぬのは、息子の心配ではなく、全体的な被害と、それが今後にどのような影響を与えるかでございましょう。……それもせずに、ただ“ガルマ”の身を案じるのみならば、速やかに政界を引退なさり、ゆるりと余生をお過ごしになるが宜しい」

〈ギレン!〉

「連邦駐屯地の建物はほぼすべてが全半壊、死者も多数であると聞いております。いくら士官学校生の独断による犯行とは云え、連邦からは強く処断を求められるは必定。――そのご様子では、“父上”に連邦との交渉をお任せすることはできませんな。今回のことに関しては、すべて私に一任して戴く」

〈……まさか、ガルマを連邦に引き渡すと云うのではあるまいな〉

 “父”の握りしめた拳が、わなわなと震えていた。

「まさか」

 連邦、特にゴップなど、頼まれてもお断りだと云うだろう。

「それは致しませんし、恐らくあちらからも断られるでしょう。しかし、少なくとも、このまま“ガルマ”を士官として軍に入れることはできません。あれは、卒業と同時に除隊させます」

〈除隊させて、ほとぼりが冷めたら再任官かか〉

「いいえ、一兵卒として入隊させます。流石に二等兵とは参りませんから、一等兵で」

 訓練は受けておりますからな、と云うと、“父”の額に青筋が浮いた。

〈ギレン! お前はそこまでガルマを疎むか!!〉

「本当に耄碌なさいましたな、“父上”」

 冷ややかにそう返す。

「今回の事件の主犯であるあれを、そのまま士官にすることなどできるはずもない。ドズルに責任を取らせ、今期で学校長の任を解くにしても、それであちらの気が済むとは思われません。となれば、わかり易く“ガルマ”を無役で除隊させ、間をおいて一兵卒として入隊させるより他ないのです」

 ザビ家が、愛し子をそこまで処断したならば、多少は連邦側の溜飲も下がるだろう。

 まぁ、主戦派にとってはぬる過ぎる処遇と云うことにもなるだろうが、さりとてこれで即開戦、と云うには、いろいろとあちらの落度もあり過ぎる。

 このあたりが妥当な落としどころであると、割合に了解し易いラインであると思うのだが。

「仮に連邦が“ガルマ”を引き渡せと云ったとしても、正直恐ろしくて、とてもやる気にはなれません――先だっての騒動の二の舞になります。あちらの上層部とて、それはわかっているはずでしょう。ならば、“ガルマ”の地球行きはない。であれば、せめてこちらも、誠意は見せねばなりません」

〈……それが、ガルマの除隊と、兵卒としての再招集だと云うのか〉

「わかり易いでしょう」

 それくらいしなくては、連邦側の気は晴れぬと云うことだ。

「今回の件が片づかぬうちは、ルウムでの暴動鎮圧に関するあれこれも、話し合いの俎上に載せることすらできんでしょう。それを、“ガルマ”の士官の身分を剥奪するだけで果たせるのなら、躊躇うことなどあり得ましょうか」

 位階など、後でどうにでもやりようはあります、と云うと、“父”は、諦めたように頷いた。

〈……わかった……今回の件については、全面的にお前に任せる……〉

「承りました」

 さて、“父”を黙らせたので、あとは連邦側が誰を出してくるかにかかっている。

 ゴップはあり得ないだろうが、そもそものムンゾ担当であったのはジーン・コリニーで、あの男は既にこの世に亡い。その後釜は一体誰になるのだろう。

 にんまりと笑うと、“父”は疲れたように溜息をつき、そのまま通信を切ってしまった。

 まぁ、この後でキシリアなどに何やら云うのかも知れないが、自分が云った以上の妙案が出るとも思われなかった。何しろ、被害が甚大過ぎるのだ。

 そしてこの後は、

 ――まずはゴップに怒鳴りこまれるところからか。

 それは避けられない。絶対に、確実に。

 とりあえず、その時のことを脳内でシミュレーションしつつ、震え上がる部下たちを振り返り、最初の指示を口にした。

 

 

 

 ゴップからの苦情――などと云う生易しいものではない――は、その日のうちにやってきた。

〈ギレン・ザビ!!〉

 朝方の自分並の炸裂ぶりである。

「はい」

〈貴様、あれほどガルマ・ザビの手綱を締めておけと云ったはずだぞ!!〉

 ゴップは、よほど激しているのだろう、いつもの狸ぶりの欠片もない。額には青筋までも浮いている。

 ――まぁ、そうだろうとも。

 こちらとて、絶叫せずにはいられなかったくらいなのだから。

「申し訳ございません。士官学校に復帰した矢先に、こんなことになりまして」

〈計画的犯行か!?〉

「とりあえず、私や上の弟二人は感知しておりませんでした。実際、実行犯はすべて士官学校の生徒であり、かつ三年生が中心だったようです。二年は有志、一年生の参加はありませんでした」

 まだ、正式な調査は開始されてはいないが、とりあえず、簡単に聴取したところでは、こんな回答があったのだそうだ。

〈……早いな〉

「まだ全容解明には至っておりませんが。――駐屯部隊の部隊長は、未だ発見されておりません。“ガルマ”たちが本部を脱出する時には、まだ指令室の中だったそうですので、恐らくは……」

 瓦礫の中から、遺体として発見されるのではないか。

 他にも、棟内にいただろう司令部のものたちは、のきなみ死亡したか、良くて重体、あるいは重傷だろうと思う。

 つまり今回の騒動でも、“ガルマ”は、連邦の佐官数人を葬り去ったと云うことだ。

 ゴップは唸った。

〈何と恐ろしい小僧だ、ガルマ・ザビ……〉

 ゴップにとっては二度目の“惨事”である。それは戦慄もするだろう。

 しかし、

「――こうなると、例え生存していたとしても、駐屯部隊の部隊長は交代になりますな。……後任には、どなたを?」

 と問うと、渋い顔を返された。

〈今朝の話だぞ。まだ、それどころではない。……士官学校生にやられたと云う不名誉の後始末だ。簡単には決まるまい〉

 こう返すのはどうかとは思ったが、

「……お察し致します」

〈ふん、心にもないことを〉

「いえいえ、そのようなことは」

 自分がその立場であったなら、やはり面倒極まりないだろうし、今朝の自分以上に荒れ狂っていただろうと思う。

 確かに、今回はムンゾ側に非があるが、士官学校生に、正規軍の兵士がなすすべもなく敗れ、本部まで大破させてしまったのだ。

 ガーディアンバンチの駐屯部隊の最高責任者が、ジーン・コリニー亡き後、誰に引き継がれたのか知らないが――その人物は、さぞかし泡を食っていることだろう。

「碌なことをしない弟で、申し訳ございません」

〈まったくだ〉

 憤然と云われる。

〈ムンゾ、と云うかザビ家は、大変な怪物を飼っているな。それを飼い慣らすお前も、実は怪物なのではないか?〉

「ニーチェですか」

 『善悪の彼岸』の有名な一節――“お前が深淵を覗く時、深淵もまたお前を覗きこんでいるのだ”と云う。まぁ、かなり文言は違うようではあるが。

〈似たようなものだろう〉

「あれはともかくとして、私自身は怪物であるべきだと思っておりますよ」

 マクシミリアン・ロベスピエールがそうであったような、意志の怪物であれかしと。

 そうでなければ、国家などと云う、戦争などと云う非-人間的なものに己を捧げることなどできぬではないか。

「以前にも申し上げましたが、民を導くなどと云うからには、それくらいの気概は必要でしょう。情に足許を掬われるようでは、そんな資格などない」

 まして、これから戦争にムンゾを導き入れようと云うのだ。人情がどうのと云う甘い覚悟では、舵取りを誤ることにもなりかねない。わずかの人間を惜しむあまり、その数千、数万倍の人間が失われるようなことは、あってはならぬのだ。

〈――ブレックス・フォーラが、お前のことを危ういほど清廉だと云っていたぞ〉

「ほう」

 そう云われるような態度など、ブレックス准将に取った憶えはないのだが。

〈なにを云うかと思ったが――今となってはわからぬでもないな。お前は、あまりにも禁欲的に過ぎる〉

「そう評されるほどのことは、何もないはずですが」

 “昔”に較べれば、十二分にゆるゆるとやっている。ブレックス・フォーラが“清廉”などと云うのも、少なくとも敵対者が身の危険を覚えるほどではないはずなのだ。ある種の警察官僚的だと云われれば、そこは否定し難いところはあるのだが――少なくとも、汚職だの不正だのを責め立てて、相手を失脚させたりする意図はない。

 が、

 ――まぁ、脛に傷持つ輩には、枯尾花も幽霊と見えるか……

 疑心暗鬼になったものが、やられる前にと攻撃してくるのは、あの時だけではなかったのだから。

「――まぁ、せいぜい気をつけると致しますよ」

 大事の前に、些事に足許を掬われぬように。

〈そうするが良いな。元々、ザビ家は敵も多かろう。私としても、せっかくの交渉可能な相手を、むざむざと失いたくはない〉

「おや、私は“父”より組し易いとおっしゃいますか」

〈話してわかる人間は稀少だと云うことだな〉

「それはそれは」

 そう認識してもらえるのは、ありがたいと云うべきか。

〈ともあれ、駐屯部隊長の後任は、近日中には決まる。恐らくは、それがムンゾとの交渉役も兼ねることになるだろう。……生半可なものには任せられん、お前にとっても手強い相手になるはずだ〉

「心致します」

 それはそうだろう。

 駐屯地が爆破され、幹部がのきなみ死亡となれば、交渉も厳しいものになるはずだ。それを担う連邦側の代表も、下手をすれば将官が出てくる可能性もある。まぁ、流石にゴップやレビルと云うことはあり得まいが。

〈――とりあえず、あの弟を、二度と地球には寄越さんことだな。これ以上、好き勝手させるなよ〉

「もちろんです。連邦の他の方々も、それをおわかり戴けると宜しいのですが」

〈お前の弟の怪物ぶりを、わかる人間ばかりではないと云うことだ〉

「確かに」

 一番親しいはずの家族ですら、きちんとわかっているわけてはないのだから、他処の人間はなおのことだ。

〈――ふん〉

 鼻先で笑って、ゴップは通信を切った。

 さて、予告までしてもらったからには、こちらも対策を取らねばなるまい。

 とりあえず、今ドズルがやっている調査の面子に、監査の人間をさらに追加するようにしよう。

「――ノーマン・モーブスを呼べ」

 シロッコに云うと、慌てて名簿を検索するので、

「監査局だ」

 と云ってやる。

 ややあって、当の男が姿を現した。ひょろりとして見える、事務官に多い体型の男である。

「お呼びと伺いました、ギレン総帥」

「ノーマン・モーブス中尉、ミッションだ。ガーディアンバンチに赴き、現在ドズル・ザビ中将が行っている、士官学校生暴発事件の検証に加われ」

 そう云うと、男は、眼鏡の奥の細い緑の目を、ほんのわずか見開いた。

「は、例の、ガルマ様の関わったと云うあれですか」

「そうだ。連邦駐屯部隊の長が、ほぼ絶望的だと云うのは、貴官も承知していると思うが――その後任が、どうやら将官クラスになる可能性がある。事後処理も兼ねての着任となるらしい」

「は」

 と、今度はやや啞然とした声だ。

 まぁそうだろう、確かにムンゾの駐屯地は重要拠点に違いあるまいが、その長として着任するのは、大佐までの佐官が普通である。そこに将官、となれば、勘繰りを通り越して困惑せざるを得ないだろう。

「それは……随分な人事でございますな」

「まぁ、“ガルマ”絡みで佐官が失われるのは、これで二度目だからな。向こうも流石に問題視しているのだろう。もっとも、事後処理が終わり、本当の後任が決まれば、佐官になるのだろうが。――それで、だ」

 ノーマン中尉に向き直る。金髪をきっちりと撫でつけた男は、いかにも監査局の人間らしく、表情の薄い顔でこちらを見返してくる。

「ノーマン・モーブス中尉、貴官は、検証部会の検証を、さらにチェックせよ。報告書を見た連邦側から、何だかんだ捩じこまれることのないようにしてもらいたいのだ」

「は」

「特に、“シャア・アズナブル”、そして“ガルマ・ザビ”の聴取を念入りにな。どうせ、あのあたりが主犯だ」

「――弟君でいらっしゃるのでは?」

「あれは魔物だ。あるいは邪神でも良いが」

 そう返すと、何とも云い難いまなざしが返ってくる。

「あれの外面に騙されるな。憐れっぽい顔を見せても、それに籠絡されるな。――報告書は、すべてが真実である必要はないが、連邦側の納得しやすいように仕上げてくれ。意味不明なことは、カットして構わん」

「は……」

 “意味不明”の意味がわからない、と云う顔だが、こと“ガルマ”に関しては、いろいろ通常の人間の想像の範疇を超えたところがある。はじめに云っておいて、混乱を早目に収束させてやるべきだ――混乱は、どうあってもするのだろうし。

「つまりは、ザビ家云々は気にするなと云うことだ。貴官の職務を存分に果たせ。私からは以上だ」

「は、ノーマン・モーブス、しかと承りました!」

 かちりと踵を合わせ、敬礼する。

 そうして、男はきびきびとした足取りで部屋を出ていった。

 その後ろ姿を、シロッコが、少し口を開けて見送る。

「有能そうな方ですね」

「アースノイドだがな」

「は!?」

 激しく振り返るのに、軽く手を振ってやる。

「タチが捕まえてきたのだ。ネズミ、つまりはスパイだな。……ムンゾに寝返ると誓ったので、軍に入れたのだ。有能なので、監査局中尉にまで昇進したが――本当に“紐”が切れているのかはわからん。つまり、今回の監査は、あの男自身を試すものでもあると云うことだ」

 裏切ったものは、容易くまた裏切る、と云うと、シロッコは何とも云い難い顔で眉を下げた。

「軍と云うのは、恐ろしいところですね……」

「軍だけではないぞ。――だが、それ故に、有能であれば成り上がりでも出世できる。ネズミでも、巧く使えばこちらの利になる。実際あの男は、監査局に入ってから、幾つかの不正を摘発した。それで、元スパイながら、中尉にまで出世できたのだ」

「巧く使われたのですね」

「そうだ」

「つまりこれは、馬鹿し合いのようなものですか」

「そうとも云うな」

 お前には勧めはしないが、とおいてから云う。

「実力を見せつけるのは、確かに軍では出世するひとつの手段ではあると思う。但し、その後の妬みやっかみは酷いものになるだろう。足許を掬おうと云う輩も増えるだろうな。その点、まわりを懐柔すれば、少なくとも敵を減らすことはできる。ただ、進みは遅くなりがちだが」

「一長一短あり、と云うことですか」

「そうだ。しかし、個人的には、やはり地固めをしていく方が良いとは思う」

「何故です?」

「お前を引き受ける時にも云っただろう、敵は、後から排除するより、はじめから作らない方が楽なのだと。どうしても敵対せざるを得ない相手は必ずある、その他に、闇雲に敵を作るようなことになれば、こちらが徒に苦労することにもなりかねん。だから、はじめの敵は作らぬ方が良いと思うのだ」

 まぁ、違う意見があるのは承知してはいるが、と云うと、シロッコは思案顔になった。

「まぁ、よく悩め」

 この少年にとっては、どちらも平坦な道には思われないだろうから。

 だが、いずれ、何年も経った後に、今の選択の結果がくる。その時に、今の選択を後悔しないか、あるいは臍を噛むかは、いまの少年次第になるのだ。

 そう云うと、シロッコはまた微妙な表情で、しかしこくりと頷いてきた。

 

 

 

 ガーディアンバンチ駐屯部隊長の後任は、ワッケインになった。

 原作でルナツーの司令だった男は、TVで見たとおりの顔でやってきた。

 どうも、准将になったばかりであるが故に、貧乏くじを引かされたらしい。

 まぁ、面倒な交渉役も兼ねた人事である、来たがったのはレビルくらいだろうが、流石に大将、しかも軍総司令になろうかと云う人間を、駐屯地ごときの長に据えたりはできるまい。

 まぁ、割合官僚的だと云う男が相手で良かったか、とは思わぬでもない。変に目端のきくタイプでは、レビルの意を汲んで、交渉決裂、からの開戦へ、筋道をつけかねないと思うからだ。つまり、悪い意味での忖度と云うものである。

 ワッケインは、随行なのか副官なのか、数名の佐官を連れて、交渉の席についた。

「連邦駐屯軍の部隊長を仮に務めることになった、ワッケインだ。宜しく頼む」

「――ムンゾ国軍総帥、ギレン・ザビだ」

 こちらの面子はサスロ、マ・クベ、書紀官とサスロの副官――無論、文官――、それにデラーズである。

 ワッケインのやや尊大なもの云いに、マ・クベは薄く笑い、デラーズは目を剥いた。が、まぁ連邦の人間など、そんなものだろう。あるいは、昇進したばかりで、舐められぬよう肩肘張ったのが、度が過ぎてこのようなもの云いになったのかも知れないが。

 ――尊大な態度は、己の器の小ささのあらわれなのだがな……

 “実るほど頭を垂れる稲穂かな”などと云う言葉もある。まぁ、あまり腰が低くとも舐められるだけだが、あまりに尊大では、お里が知れるというものである。

 つい、ちくりと云ってやりたくなるではないか。

「なるほど、貴官が貧乏くじを引かされたと云うことか。わざわざムンゾまで、ご苦労なことだ」

 本来なら、准将がムンゾ駐屯軍などに赴任することもなかっただろうに、と嗤うと、副官らしき男が色めき立った。

「ッ、誰のせいだと!」

「私の“弟”のせいですな、もちろん」

 だが、と続けてやる。

「そもそもは、ルウムで連邦が市民に発砲せず、またそれによって起きたデモに対して増派するなどと発表しなければ、今回の事件はなかったのでは?」

「……連邦に非があると云うのか」

 ワッケインの、薄い色の瞳が睨めつけてきた。

「ルウムには、“妹”キシリアが行っている。仲の良い“姉”が危ないかも知れない時に、暢気にしているようなものは、ザビ家にはない」

「……ザビ家か」

 男は、鼻先で笑った。

「たかがスペースノイドの家系が、偉そうに云う。自治共和国の首相ごときで、何を偉そうに」

「そう云う貴官は、レビル将軍の使い走りか何かかね」

「何を!」

 副官が云って立ち上がる。その手が、腰のホルスターに伸びる。

 途端に、デラーズが、下げていたサーベルをわずかに抜いた。

「――着座されよ」

 低い声。

 デラーズとその男では、体格がまったく異なっている。恐らく、男が正確に照準を定めるよりも、デラーズがその腕を斬る方が速いだろう。

「……無礼な!」

 男は、着座しつつも憤然と云ったが、その声はかすかに震えていた。

「さて、無礼はどちらか」

 ゆっくりと指を組んで、云う。

「いかな自治共和国とは云え、一軍の総帥に対しては、多少の敬意は払って戴きたいものだな。――その流儀は、レビル将軍直伝か?」

 と、ワッケインの顔が歪んだ。さて、これは肯定か、あるいは?

「――ともかく!」

 苛立たしげに、男は云った。

「レビル将軍からの厳命だ。ガルマ・ザビは、こちらに引き渡してもらおう」

「おや、ゴップ将軍からは、あれを絶対に地球に降ろさせるな、と云われているが?」

 お聞きにならなかったかね、と云うと、一同は顔を引きつらせた。

「何故、そのような……」

 呻くような声。

「さて、連邦内でいろいろあるが故に、直接こちらに云われたのではないかね。私としても、ゴップ将軍と同じ危惧を抱いているのでな、“ガルマ”の引き渡しは致しかねる」

「危惧とは何だ」

「もちろん、これ以上の連邦軍将校の頭数減となるのではないか、と云う危惧だ」

「馬鹿な……」

「馬鹿かね? だが、あれが徒手空拳で地球に降りてから、一体何人の将官、佐官、尉官が軍から失われた?」

 問えば、男たちは強く顔を歪めた。

「名が上がっているだけでも、将官三人、佐官が二人だ。尉官や下士官まで含めれば、死傷者や処分されたものはもっと大勢あるだろう。――それを、“ガルマ”はたったひとりでやってのけたのだ」

 隣りで、サスロが小さく身を震わせたのがわかった。この“弟”も、今更ながらに“末弟”の恐ろしさに思い至ったようだ。

 サスロの副官は、今ひとつ了承しかねる様子で首を捻っている。

 マ・クベは薄笑い、デラーズはと云えば、相変わらずの無言である。 

 まぁ、こちらはそんなものだろう。

「貴官は、先だっての騒動を、地球でもう一度再現したいと云うのか?」

「……同じことが起こるとは限るまい」

「ほう?」

 本気で云っているのならば、随分と楽観的だと思う――いっそ、能天気とでも云うべきか。

「ジーン・コリニー中将のことを思い返してみるがいい。中将殿は、対ムンゾ強硬派であり、またアースノイド至上主義者であったとも聞いている。その人物が“ガルマ”に誑かされたからこそ、ジョン・コーウェン中将やバスク・オム少佐は、あの事件を引き起こしたのだろう?」

 そして、対ムンゾ強硬派の双璧であったグリーン・ワイアットすらが取りこまれたからこそ。

「同じことが、また起こりうると?」

「起こらぬと云えるかね?」

 強硬派二人を取りこんだのだ、そこまでではない人間を籠絡することなど“ガルマ”には容易いだろう。今現在も、恐らくは調査委員会のものや監査局の人間を、どう誑しこもうかと画策している可能性は高いのだ。

 ――ノーマン・モーブスは、巧くやっているだろうか。

 送りこんだ監査局の男を思い浮かべる。

 取りこまれていないことを祈ってはいるが、残念ながら“ガルマ”は組し易い相手ではない。

 さて、“ガルマ”に取りこまれるか、無事ミッションを完了するか、あるいは、

 ――ネズミの尻尾を出すか。

 何しろ、今ここには、駐屯部隊の仮の長であり、また連邦の交渉役でもあるワッケインがいる。調査結果を持ってきたの何のと云えば、あの男がワッケインに直接会うこともできるはずだ。

 裏切ったものは、容易くまた裏切る。ならば、あの男が裏切る可能性はかなり高いと云えるだろう。

 ――そのあたりもしっかり見せてもらうとしようか。

 裏切ったなら裏切ったで、ひとりネズミが消えるだけだ。どうせ、軍の中枢に関わる機密は、あの男には開示されていないのだし。

 ワッケインは、歯噛みしていた。

 しかし、どうしたところで、レビルとゴップの間で板挟み、と云う状況が変わるわけではない。

「……わかった、とりあえず、地球へ連行することは諦めよう」

 長い逡巡の後、深く溜息をついて、ワッケインは云った。

「ゴップ将軍が、こちらにまで根回しして止めたいものを、私の一存でどうこうするわけにもいかんだろうからな。――その代わり、直接の尋問はできるのだろうな?」

「止めた方が」

 思わず云うと、怪訝な顔が返ってきた。

「何故だ。尋問すら許さないとは、主犯を庇い立てするつもりか」

「いや……何と云うべきか」

 ストレートに云うか、取りこまれる可能性を考えているのだと。

 と、マ・クベが薄く笑った。

「率直におっしゃれば宜しいではありませんか。ガルマ様は誘惑者であるので、貴官が取りこまれはしないかと案じている、と」

「……マ・クベ中将」

 サスロが渋い顔をする。

「サスロ殿がどうお思いかは存じませぬが、閣下のご懸念は、そのようなことでございましょう」

「……まぁ、確かに」

 確かに、そのとおりではあるのだが。

「私が、取りこまれる?」

 ワッケインは、異なことを聞いた、とでも云いたげに、半笑いになった。

「そのようなことがあり得ると、本気で考えているのか? 笑止だな」

「ジーン・コリニー中将殿も、はじめはそのようであったかと思われるがな」

「私は……」

「違う? そう云いながら籠絡されたものを、私は幾たりも見てきている」

 その上で、“ガルマ”がやらかした暴挙のほぼすべてが、上に立っていた自分に帰されるところまで。

「気をつけるがいい、あれは魔物のようなものだ。目を合わせることも、言葉を交わすことも、存在を認識することすら慎むべきものだ。――私は警告した。あとは好きにするが良い」

 多分、これ以上は云っても無駄なのだろうから。

「そうさせてもらおうか」

 苛立たしげに、男の首が振られる。副官たちも、同じような心境なのだろう、馬鹿にしたような笑いを浮かべている。

「知らぬとは、哀れなことだ」

 マ・クベが云った。

「私も、ガルマ殿と面識があるわけではないが――耳にする評判の半分は、ギレン閣下のお言葉どおりだな。残りの半分と、どちらを信じるかは、貴官ら次第と云うわけだが」

 薄い唇を震わせるように話す、その姿を、ワッケインは強く睨みつけた。

「戯言はたくさんだ。私にも、交渉役として、また駐屯部隊長として、事件にまつわるすべてをしっかり検分する義務がある。身内が主犯だからだろうが、余計な口出しは止めてもらおうか」

「……ご随意に」

 薄い笑い。

 ワッケインは、苛立ちを隠そうともせずに云った。

「ともかく、われわれとしては、まず倒壊した兵舎や武器庫、格納庫、指令棟などの復元に関する費用の全額負担を求める。それから、死傷者への補償もだ。これに関しては、当然の権利だと認識するが、そちらはどうか」

 それにはサスロが返答する。

「依存はない。但し、こちらで、建築規模や機材など、必要な資材や工費について、概算で出している。そこを大きく上回るようでは困るな」

「何を云う! 機密もある、ムンゾのものに任せるわけにはいかんのだ!」

「そこも含めての概算だ。こちらの弱みに乗じてふっかけるような真似を、よもや連邦軍ともあろうものがするまいな?」

「ぶ、無礼な!」

 副官たちは、拳を震わせたが、やや狼狽えたような態度は、ふっかける気満々だったことを窺わせた。

「それに」

 と、サスロは意地の悪い顔になった。

「そこまで云われるのであれば、当然、ルウムにおける連邦軍暴発の補償も、充分にして戴けるのでしょうな?」

 ルウム側の申請を無視した挙句、未成年の生命も奪われていると云うのに、まだ交渉の席につくどころの話ではないそうではありませんか、と嗤う。

「己に有利な時ばかりは居丈高に交渉の席につき、そうでない時は無視とは、躯体の大きなところのやることとも思われませんな」

「……もちろん、そちらはそちらで進める予定だ」

 サスロの皮肉に、ワッケインは渋い顔で返答する。

 “弟”は、ひょいと肩をすくめた。

「そうして戴きたいものですな。ルウムのみならず、ムンゾの兵卒にも負傷者はでているもので」

「今回の犠牲者に較べれば、何ほどでもないではないか!」

「だが、先だったのはルウムの事件だ」

 指摘してやると、向こうの副官は黙りこんだ。

「ムンゾの負傷者がどうのと云うよりも、ルウム政府からの要請があったにも拘らず、強引に出動した挙句の事件であることこそが問題だろう。それを思えば、あちらの補償や、現場責任者の処分こそを、先に行うべきではないのか。それもせずに、自らの犠牲ばかりを云い立てるのは、少々見苦しいとは思われんかね」

「ルウムの件に関しては、きちんと補償や処分はする。当然のことだ」

「そのとおりですな。――きちんとなされれば、ではあるが」

 ワッケインは無言になった。これまで、連邦が関わった事件で、有耶無耶になったものが多くあったのを思い出したのだろう。

「今までとは違う、コロニーサイドの連邦を見る目は厳しい。そのことを、ゆめお忘れなきように」

 ここで連邦が処理を誤れば、第二、第三の騒乱が起こり得るのだと、言外に云う。そして、それによる第二、第三の“暁の蜂起”もまた。

「――もちろんだとも」

 歯を食いしばるように云う。

「それは結構」

 こちらとしても、無益な騒乱は御免こうむりたいところてぁる。

 そうして、男は唇を捻じ曲げるように笑った。

「……とりあえず、現場の検分をさせてもらおうか」

 確かに、この交渉も、実務に入るにはまずそこからだろう。

「どうぞご随意に」

 マ・クベが口にしたように云ってやると、連邦側は、どこかほっとしたような顔で頷いた。

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 31【転生】

 

 

 

「ジョン・コーウェン中将閣下の最期の言葉を教えて差し上げましょう」

 部屋に入るなり、その男は言った。

「あの“悪魔”を殺せ――貴方のことですよ。ガルマ・ザビ」

 温度を感じさせない声だった。

 ――いきなりだな、おい。

 同席してる他の面々も、おれをここまで連れてきた監視員も驚いている。

 なにこの先制攻撃。

 どう返すのが正解か――“ショックを受けて黙る”ってのが普通の反応だろうけど。

「……モーブス中尉、いまはガーディアンバンチ駐屯地襲撃についての聴取ですぞ。関係のない話は…」

 同席してた調査官のひとりが、低い声で注意した。

 視線を向ければ、あれ、本当に不快そう。これが演技なら賞を総舐めだわ。嘘の匂いはしないね。

 これ、単純な飴ムチ対応って訳じゃ無いのか。

 改めて目の前の男を注視する。

 金髪。銀縁眼鏡の奥の目は糸みたいに細い。見た目もヒョロイ、けど、それなりに鍛えてそう。

 ――貴様か。

 貴様がおれを監禁して禄な食事も寄越さず、シャワーを水にしやがった絶許サディストか。

 モーブス中尉とか呼ばれてたね。

 乾いて少し切れた唇をそっと舐める。さて、どうしてくれようかな。

 視線が絡んだ瞬間に、見えない火花が散った気がする。同時に聴こえないゴングも。

「……ひとつ…よろしいでしょうか?」

 久々にまともに出した声はひどく掠れていて、席に着いていた面々がぎょっとした顔をした。

 拘束により窶れたというよりは、むしろ弱ってると言った方がしっくりくるだろう。

 最後のスープだけはしっかり食ったけど、それまでのほぼ絶食が堪えてる。

 汚れたまま人前に出たくないから、我慢して冷たい水もかぶった。

「なぜ、僕に……こんな仕打ちを?」

 コンディションは良い具合に最悪。演技じゃとても出せないヘロヘロ感が、これでもかってくらいに出てるだろ。

 会見の時ほどじゃないけど、アレを思い出した人間は多いはず。元気になった姿も見せてたから、逆戻りの衝撃もあるよね。

 おれの顔色の悪さにつられてか、数人が顔を青褪めさせた。

 腐ってもザビ家の御曹司。そのガルマ・ザビが、2週間足らずの謹慎で、なんでこんなにボロボロにされてんのって話だ。

「さて何のお話でしょう? 私は適切に管理せよと指示している。何かの間違いが?」

 顔色ひとつ変えずにすっとぼけてる、そのことこそが、首謀者って言ってるようなもんだ。

 一応ダメ押しに、おれをここまで連れてきた監視役を振り返ったら、ものすごい勢いで首を振った。その目にはモーブスを責める色が浮かんでる。

 室内の視線が、つられたように糸目の男に向けられ――その視線は二通りに分かれていた。

 一群は批難を乗せた眼差しで、もう一群はどうするのかと伺う様子。

 なるほど。ここ、二勢力いるみたいね。

 サディストは、軽く肩をすくめた。

「何にせよ、私は総帥閣下より直々に申し付かっている。あなたがどんなに哀れな姿を見せても、決して篭絡されるなと」

 唇が形だけの笑みを作る。

 声は滑らかな低音――ムンゾ訛りは皆無だ。

 “ギレン”に遣わされてきたと、そう言いたいんだろうけど。

「姑息な真似はお控えなさい」

 吐息みたいに、けれどこの部屋の全員に聞こえるように声を張る。

 頭を上げ、眼差しは真っ直ぐに。

 少しだけ見開かれたモーブスの瞳の色だけは、綺麗な薄緑をしていた。

「“ギレン兄様”が、こんな嫌がらせを指示なさるはずがない。兄は高潔なひとです。たとえ虜囚が相手であっても、無碍に扱う事はありません」

 きっぱりはっきり断言してやろう――おれ相手ならともかく――虜囚や捕虜に対しては絶対、丁重に扱うよう命じるね。

「“ギレン・ザビ”の名を貶めるような言動は謹んで頂きたい」

 要約するなら、「貴様、ザビ家に喧嘩売っとんのかゴラァ」ってことな。

 位階は、士官候補生のおれの方が下だけど、ザビ家の人間として譲れない点は主張させて頂こう。

「僕に対するこの扱いが、他の人間にも為されていたら、それこそ大きな問題です。本件については、別に精査を」

 ちらりと視線をサディストとは異なる勢力へと投げる。これ圧力だから。

 しっかり頷いたのを確認したところで、薄く微笑んで会釈。

「……この場は、我々が決起した件についての審問と伺っております」

 さあ、話を戻してやるから始めろよ。

 糸目と視線をカチ合わせれば、聴こえない舌打ちを聞いた気になる。

 口喧嘩は得意な方じゃ無いけど、ギリギリ詭弁に落ちない思考誘導なら十八番なんだよ。

 少し弱らせたくらいで、優位に立てると思ったか、お間抜けめ。

 

 

 ――……。

「それでは、最初から伺いましょう」

 まじか。

 これで5回目なんだが。

 あれから何時間経った?

  調査委員がそろそろ白目を剥きそうだけど、問題ないの?

 そして、いい加減に座らせろよ、せめて。

 サディストとの戦いはまだ続いている。

 なんか これ、知らんところで怨みでも買ってたのかな――なんかそんな気がする。

  ふう、とため息が。

 こいつ、猫皮剥がそうとしてやがんのか――不快さを煽って、体力も削って、本性を顕せと――そう簡単に剥げねぇよ。

「首謀者はあなたですか?」

「そうです」

「しかし、その他大勢が、同様に言い出したのは自分であると主張しています」

「それでも、首謀者は僕です。言い出したのが誰であるかは重要じゃない。誰もが口にしていた。想像できませんか? ここにはルウム出身者が多い。家族や友が連邦の治安部隊による弾圧を受けて、果たして冷静でいられるでしょうか?」

 やり取りは単調だった。

 訊かれたことに対して、おれは何度でも同じ回答を返してた。

 だけど、ここからは感情をより多く加味してやるよ。疲労で抑えられなくなることを期待してんならな。

「級友がそのことで苦しむのを目にして、歯痒く思わないとでも? 不安があった。不満もあった。皆が我慢していた。そして――あの日、ルウムへの増派の発表があったんです」

 暴発の引き金になったのは、あくまでもルウムへの増派がなされたことだ。

 それは、とりもなおさず一つの事件に起因する。

「たった14歳の子供を撃ち殺しておいて、“反社会的勢力への措置”であったと、そう言い張られて納得しろと? 誠実さを見せるなら兎も角、さらにルウム側の嘆願も無視して増派? ……ルウムの市民はどうなります?」

 デモ隊への制圧は、より苛烈なものになるだろう――誰もがそう考えたはずだ。

「……あの場には僕の姉と、その婚約者も居ました。一個大隊を前にしても、彼らはルウム市民の盾となったでしょう」

 息を吸って、吐く。

 内にある熱を逃がすように――心火はいつだって燻っていて消えたことが無いんだ。

 腹の底で、煉獄に繋がれ続けてる“獣”が唸る。

「君は、ただ姉のために、あの暴挙に出たと?」

 その嘲るような声に、視線を合わせる。

「……ザビ家が何を護っているのか、お分かりではないのか? 侮るのもいい加減にして頂きたい」

 温度の抜け落ちた声が口からこぼれ落ちた。

「父はムンゾを我が子と引き換えても護るでしょう。兄達と姉は、ムンゾのみならずコロニー社会を、その身に代えても」

 それを否定できる人間は、ここには居ないだろう。現に、デギン・ソド・ザビは“最愛の息子”を、国民のために人質に差し出してんだ。

 おれに向けられる複数の視線に、憐れみが混じった。

「ならば僕が護るべきは何です?」

 答え合わせは勝手にしてろ。

 おれの護るもんなんて、おれが護りたいもんだけだ。

 そして、沈黙。

「……良いでしょう。では、次です。本件については暴発とされていますが、それにしては手際が良すぎる。用意周到と言っても良い。この点は?」

「僕たちは火急の事態にも対処出来るよう日々訓練を受けています。手際が良いと言うならその賜物。称賛と受け止めます」

 褒めてないのは端から承知。

 その上で、貶すこともできないのを、おれ達はみんな知ってるんだ。

 混ぜっ返せば、薄緑の眼差しに険が増した。

「……次。潜入の経緯を最初から」

 はいよ。なんつーか、よく飽きないね?

 繰り返す話に新鮮味なんか無かろうに、5回目のそれを聴く調査官達の眼は鋭かった。

 加えて、さっきから扉の向う側で複数の人間の気配がしてる。盗み聞きとは行儀が悪い。

 ――まぁ良いけどさ。

 部屋の中の面々は気付いていない様子。ここまで止められずに来られて、尚且つ部屋を窺ってても咎められない相手なんて、格上に決まってる。

 とうとう来たのか。連邦の後始末係。誰になったか知らないけど。

 この後、別陣営からの審問続行になったら、なんて思うと流石にゾッとしねぇわ。

「――……。なるほど、非常システムは停止から15分で機能を回復させるつもりだったと」

「はい」

「たったそれだけの時間で、武装解除とルウム増派の阻止をするつもりだった?」

「はい」

 現に、やってのけたじゃないか。

「部隊長に要求をのませた後、君たちはどうしたのか?」

「全速で退却しました」

「何故?」

「システムが回復すれば明かりが戻る。それまでに撤退するためです」

 相手に正常な視界が戻る前にとんずらする手筈だったのは、本当のことだ。

 よもや、システムの回復から数分で中央管理棟が倒壊するほど砲弾を撃ち込むなんてさ。

「……君にはひとつの嫌疑が掛けられている」

 5度目にして、その言葉は初めて聞いた。

 小首を傾げて見せれば、モーブスは薄く嗤った。

「この事件に紛れて、部隊長をはじめとした連邦士官を抹殺したと」

 ふっ、と、肺から息が落ちた。

 表情が呆れたものになるのを隠すために、俯く。

 何言っちゃってんだろ、この男は。

 ――だって、そんな必要ないだろ?

 ここで殺さなくたって、コレだけの失態だぞ?

 卒業前の士官候補生達にしてやられたんだ。どのみち先なんか無いし。

「なぜ、そんな疑いを? 誓って、それはありません」

 一片の曇りもなく否定する。思わずお目々が澄み切っちゃったじゃないか。

「ガルマ・ザビ、君が地球に降りてから、君を巡って少なくとも三人の将官と二人の佐官が失われた」

「……はい」

「尉官以下を含めれば、目を疑うほどの数だ」

「……痛ましいことです」

 そうだね、知ってる。

 思ってたより多くてビックリしたし。

「ですが、僕が地球に降りたのは、ジーン・コリニー中将閣下がそれを望まれたからです。ムンゾへの武力行使の停止と引き換えに」

 それは、覆しようのない事実だろ。

 おれが望んだんじゃない。ムンゾから送り込んだ訳でもない。

 降りた先で、火サス並に人間関係が絡まっただけだ。

 その結果の“暴発”があれ。

 何を指示した訳でもない。第三者から見たとき、“ガルマ・ザビ”は、ただ微笑んでそこに居ただけだ。

「諸将を誘惑した結果でしょう?」

 モーブスの薄緑の眼が、嘲笑うように細められた。

 わかり易い挑発だ。

「……三度目です。ザビ家を貶める発言は」

 いいだろう。乗ってやるよ。

 睨む瞳に力を込める。ザビ家の眼力だ。なかなかのもんだろ。

「悪意をもってしか物事を見ることができないのか。それともゴシップ誌の記事を事実と受け止めているのか――いずれにせよ、そろそろ発言には注意を払っていただきたい」

「人間、図星を指されると饒舌になるそうですよ」

 嫌味ったらしい笑い。

「どこまで愚弄するおつもりですか。これはどなたの意志です? 誰の指示で、どんな目的で、僕を貶めるのでしょう。ジョン・コーウェン中将閣下の亡霊でしょうか? あなたが最初に発言した」

 あの不適切な発言を、ここにいる皆が思い出したはず。

「モーブス中尉。あなたはアースノイドですね?」

 口に出せば、部屋の中に動揺が走った。

「ガルマ・ザビ、その発言は…」

「違いますか? そのイントネーションには聞き覚えがあります」

 遮って突き付ける。

 もしかして、グリーン・ワイアットと同郷なんじゃないかな。訛りのない、美しい“王妃の英語”。バークシャー辺りの。

「敵討ちのおつもりでしょうか?」

 ここまで一連の、非常識なまでの“ガルマ・ザビ”への扱いのあれこれは、そういう意図があったのかと。穿った見方をすれば、そうとも取れるよね。

 室内の空気が一気に険しくなった。

 おれに対してじゃなくて、モーブスに。皆の目が問いかけている――お前は“連邦のネズミ”かと。

 もしかしたら“ギレン”は知ってるのかも――いや知ってるなこれ――でも、他の面子は知らなかっただろう。

 ――さあどうする。

 この場は、おれに有利に整った。ひとつ息をついて、深く頭を下げる。

「失礼しました。言葉が過ぎました。謝罪します――誤解のないように申し上げるなら、僕は別に貴方がアースノイドでも構わないんです。そもそも、このコロニーにどれ程の元アースノイドが暮らしてるか」

 肩をすくめて微笑む。

「友人にもアースノイドが居ますから、それをどうこう思うことも無いんです。ただ、あまりにも酷いことばかり口にされるので、つい」

 売り言葉に買い言葉であったと、そう始末をつけ、もう一度、ペコリ。

 あとはそっちで頑張ってね。

 さて。ドアの向う側のお客さんも、そろそろ動く頃合いかな。

「失礼する」

 案の定、ノックもなく扉が開かれ、数人の男達がつかつかと入ってきた。

 誰かの、咎め立てしようとした声は、途中で消えた。男たちが、連邦の将校の制服を身にまとっていたからだ。

 ――……なんか。

 思ってたよりも偉そうなんだけど?

 うち一人の、この色と形の軍服って、将官クラスのはずだよね。

 徽章は准将だ。

 なんでコロニーくんだりの駐屯地の始末に准将が? 普通は佐官クラスだろ。

 それにしても、何処かで見たような顔だった。

「いつまで待たせるつもりかね。彼はこちらで聴取する」

 ポカンと見てたら、唐突に腕を取られて引き寄せられた。

 あ〜れ〜。いきなり何すんのさ乱暴な。

 ぽすんと、ほとんど抵抗もせずにその胸に倒れ込めば、自分でしたくせに慌てた様子で支えてくる。

「おい、君!」

「はい。……失礼しました」

 どっこいしょ、と、身を起こして、謝罪。

 視線を合わすと、男は怪訝そうに眉を寄せて、白い手袋を外した手でおれに触れてきた。

 冷たくて気持ちがいい。

 ジッとしてると、その顔はみるみる険しさを増していった。

 ああ。そうだね、なんか熱っぽいと思ってたんだ。やっぱり発熱してたか。

 自覚したら、めちゃくちゃ辛くなったじゃないか。

 やって来た将官が何かを怒鳴ってる、と、思いつつ、膝から力を抜いた。

 ゴメンよ、ちゃんと支えててね。

 ――ちょっと寝るわー。

 ぶっ続けで審問なんか冗談じゃないから、プツンと意識の糸を切る。

 起きたらまた頑張ろう。そんなこんなで――おやすみなさい……。

 

        ✜ ✜ ✜

 

 点滴が好きな人間がこの世に居るだろうか。

 少なくとも、おれには心当たりが無いし、個人的には大嫌いだ。

 痛いとか痛くないとかじゃない。

 だいたいずっと針が入ってるって、何その拷問。

 めちゃくちゃ眉を下げて、包帯で隠されてるそこから伸びている管を睨む。

 あれか。意識を落としてる間に刺されてたのか。何たる誤算。

 そっと寝せといてくれるだけで良かったのに……。

 おのれ赦さんぞサディスト。全部貴様のせいだからな!

 それはそれとして、抜いてくれ、頼むから抜いてくれ。

「……針、抜いて……」

 涙目でぷるぷるしてたら、なんだか吹き出すような音が――って、人が居たよ。

 誰だ。連邦将官の軍服ってことは、さっきの人か。

 何でいるのさ。見舞いなんて筈は無いし――そんな暇があるとは思えん――って、ここで事情聴取なんて無慈悲なことを始めるつもりか。

「ガルマ・ザビ、点滴が嫌いか?」

「好きな人がいるとは思えません!」

 きっぱりと。

「……そうだな。私も嫌いだ」

 とか言いながら、口の端がひくひくしてんのは、笑いでも堪えてるのか。

「医官を……針を……」

「残念だが、まだ刺したばかりだ」

 言われて管から繋がる先を見れば――見なきゃ良かった――薬液はひたひたに満たされていた。

 絶句してうなだれるおれの横に、将校は椅子を引き寄せて腰を下ろした。

 医務室らしき部屋には、まだ他にも誰かがいるようで、カーテンがユラリと不自然に揺れた。この男の護衛か、会話を記録する係かな。

「可愛そうだが、私もこれで忙しい身の上だ」

 そうだね。主におれ達がやらかした件について。

「少し話を聞かせてもらおう」

「はい」

 素直に頷いて視線を合わせる――けど、ごめん。時折、視線が針の方にブレる。抜いてくれ!

「……いや。うん。あの審問官とあれだけ渡りあっていた人間が、こんなに細い針を怖がるとは」

 ククク、とか笑うけど、そうじゃない。

「お言葉ですが、閣下。怖いのではなく、嫌いなのです」

 怖くなんかない。嫌いなだけだ。

「……そうか」

 頷くのなら、そろそろ笑うのをやめてもらおうか。

「悪いとは思ったが、話しは部屋の外で聞いていた」

 だろうね。ずっと気配がしてた。

「君達はここの兵営に対して攻撃し、尚且つ撃破した。その経緯や作戦、被害状況などは徐々に明らかになってきている――決して称賛できることではないが」

 将官はそこで言葉を切って、溜め息と共に首を振った。

「率直な感想を言わせてもらえば、何故、君達が我々連坊軍の士官候補生では無かったのかと」

 めちゃくちゃ渋い顔でこっちを見るから、思わず眉を下げてペコリ。

 称賛できないと言いつつも、これって絶賛じゃないか。凄いぞ高評価。

 逆から見れば、被害の大きさに怒髪天突いてる感じ。ふぉう、連邦軍の半分…以上はムンゾ潰せって叫んでるんじゃないかな。

 比較的和やかに会話してるところあれだけど、誰なんだ貴方。記憶にあるような気がしてるけど、地球で会ったことは無いはずだ。

「閣下に直接お目にかかるのは初めてですね」

 窺う視線に気づいただろう。将官は、少し帽子の鍔を持ち上げて顔をよく見せてくれた。

「ああ。連邦駐屯軍の部隊長を仮に務めることになった、ワッケインだ」

「こんな形でお会いすることになり、申し訳ありません」

 真っ直ぐに謝罪。

 理由あってのことっていうのは、おれ達の都合。ワッケイン達にとってはいい迷惑なのは変わらない事実だ――ワッケイン?

 え。ワッケインってあのワッケインか。“寒い時代”の。

「それは基地爆破についての謝罪か?」

「いいえ。それにより、御手を煩わせることにです」

 そこは譲れない。

「他に遣りようは?」

「増派を思いとどまって頂けるよう、抗議書や嘆願書を」

 一応出しといた。ムンゾとルウム両方に。当然のように無視されたが。

「……出していたのか」

「はい」

 いきなり襲撃した訳じゃないんだよね、これが。度重なる抗議、嘆願に耳を貸さなかったのはアチラだ。

 なんのサインもなく不意討ちされたなんて、そんな言い分は通らないよ。

 その証拠もちゃんと調査官の手に渡ってる。

「――……閣下。生意気だと思われましょうが、僕たちは家畜じゃない。屠殺所に引かれていく仲間をただ見送るしかできない生き物ではありません。家族や友を護るためには牙を向くこともある。けれど、それは必ずしも体制に闇雲に歯向かおうとしてる訳ではないんです」

 地球に根ざしてないと言うだけで、どうしてこんなに差別されねばならない。

 例えば、スペースノイドには連邦議会の議席はない。コロニーに関する法律がそこで定められるというのに、住んでいる人間達は蚊帳の外だ。

 例えば些細な罪状で、裁判もそこそこに投獄されたり。

 地球で商売をして成功したら、急によくわからない理由で追い払われた挙句に資産を没収されたり。

 哀しいかな、それは日常茶飯事だ。

 不平等を言い立てても、黙殺される。アースノイドではない。それだけの理由で。

 更には命すら軽く扱われる。

 憤るなというほうがおかしいんだ。

「だから彼らは手を噛まれたと、そう言いたいのかね」

「噛まれるような真似をしていなかったとでも?」

 落ちた沈黙が答えだった。

「ワッケイン准将閣下。……閣下の眼に映る僕たちはなんです? 人のかたちをしているだけの“なにか”ですか?」

 真っ直ぐに視線を合わせる。

 鋭かった眼光が怯むように揺れるのを逃さずに。

「いま、閣下の眼に映る“ガルマ・ザビ”は、何です?」

 貴方は人間を相手にしているのか、それとも棄民の末――廃棄物のようにソラに捨てられた“なにか”を相手にしているのか。

 返答次第では、容赦しない。

 短くない沈黙のあと。

「人間だよ。我々となんら変わることのない、ただ宇宙に生まれただけの――少し生意気な少年だな」

 その回答に、思い切り開け透けに笑った。だって、嘘の気配は無かったから。

 良かった。送り込まれてきたのがワッケインで。

 “交渉が可能な相手”だ。

 アースノイド至上主義者は論外だけど、そうでなくとも、殊更にコロニーを下に見る輩は少なくないんだ。

 ワッケインが小さな目を見開いた。

「……子供のような顔で笑うのだな、君は――そう言えば、まだ二十歳にも届いていなかったか」

「そろそろ19になります」

 ツンと鼻を聳やかして主張。子ども扱いはいただけないね。

「……そうか」

 頷いて、准将は白手袋に包まれた手を頭に置いた。

 ふぉ。撫でるのか。ビックリした。

「だが、君は、“英雄”にはなれない」

 何故か残念そうな表情と声だった。

 思わずキョトンと。

「あれだけの所業をしてのけた僕を、父も兄も庇えないでしょうから。当然でしょうね」

 いかに世間が湧いてたって状況が赦すもんか。連邦軍に攻め込まれるわ。

 当たり前の回答に、ワッケインが驚いた顔をするから戸惑う。

「それも覚悟のうえか」

「泥を被ってでも成すべきことだと判断しました」 

 ルウムへの増派は――あれは、即時での開戦に繋がりかねない事態だったから。

「閣下が僕を処断されるのでしょう? ――叶うことなら、もう地上には降りたくありませんが……どうか御随意に」

 深く頭を下げる。

 そこは大人しく従ってやるよ。

 レビルあたりは、首に縄を掛けてでも連れて来いって言ってるはずだ。

 地球に連れて行かれたら良くて禁固。悪くすれば処刑――からの開戦だろう。

 だけど、このあたりの流れは、多分、“ギレン”が防ぐんじゃないかな。

 むしろゴップが嫌がりそうだし。

 恭順の意を示したおれに満足したのか、ワッケインは見舞いの言葉を残して去っていった。

 それなりに時間が過ぎていたらしく、点滴の薬液はわずかになっていた。

 ――終わるぞ!

 抜いてくれ。針を抜いてくれ!

 祈っていればいつもの医官がやって来て、ひどく酷薄な微笑みを浮かべた。

「まだ弱っていますね、ガルマ・ザビ」

 ちょっと待って! その手に持っている薬液は何だ!?

「もう一本くらい打っておきましょう」

「もう十分です!」

「遠慮は要りませんよ、さあ」

 なんでそんなに笑顔なのさ。

 ――ここにもサディストがいたよ!

 逃げようにも針から繋がったチューブを、医官はしっかり押さえていた。

「おいたをするからこういう目にあうんです。懲りたらおとなしくしていなさい」

 唇は笑みを作ってたけど、双眸は全く笑っていなかった。

 底なし沼みたいに深くて暗い眼差しの奥には、重たい怒りがぐらぐら燃えていた。

「身体は、大事に、しなさい」

 わざと食事を残してた事に、多分、医官は気づいてるんだろう。

 途轍も無く手際よく繋がれるチューブ。

 非情にも点滴スタンドにはたっぷりと薬液が入った袋がぶら下がっていた。

 当然そこから伸びる管は、おれの腕に。

 ――抜いてくれ!!

 その叫びが聞き届けられたのは、もうしばらく先のことだった。

 

 

「こっちがプリンでこれはゼリー。ババロアにムースにパンナコッタ。こっちの栄養ドリンクはライトニング達からね」

「……って、クムラン。君、なにサクッと侵入しちゃってんのさ?」

 熱が下がっても、おれの拘留場所は医務室だった。

 ドズル兄貴が心配しての措置かと思いきや、ワッケインの指示だった。

 ちなみに兄貴は面会禁止――と、いうより全面的に禁止されてる筈なんだよ、面会。

 消灯前に姿を現した同輩は、ベッド脇のデスクに見舞いをバンバン並べてくれてるけどさ。

「それ持ってこっそりお帰りよ。審問官や調査官ならまだしも、連邦士官に見つかったらタダじゃ済まないんだから」

 せっかくおれが全部の責任を被ってんのに、わざわざ罰則を喰らうような真似はお止しと咎めたら、クムランは何でもない顔で笑った。

「大丈夫。ガルマさんに届けてよって連邦仮本部にお願いに行ったら、直接届けてこいって言われたから」

「……どういうことさ」

 そんなに緩いわけないだろ連邦軍。

 思考波で探れば廊下の先に誰かいる――なんなの、クムランに盗聴器でも仕掛けてるとか?

 別に良いけど。

 尻尾を出すのを待ってるならお生憎さま。

 聞かれて困る会話なんかしやしない。おれも、クムランも。立場は理解ってるからね。

「どうもこうもないよ。ガルマさんが絶食を強いられたって聞いて、みんなカンカンだからね! しかも倒れたって!!」

 憤懣やるかたない口調だった。

 ん。ゴメンよ。半分くらい自分のせい。

「心配かけたね。もう大丈夫。あの医官、点滴二本も打ってくれちゃったからね!」

 ふん、と鼻を鳴らしたら、クムランが吹き出した。

「なにさ?」

「ううん。相変わらず点滴嫌いなんだなぁって。僕も嫌いだから気持ちは分かるんだけどね。でも、顔色も良いし、安心した」

「……心配かけてごめん」

 ちょっとショボン。思ってたより頭に血が上ってたみたいだ。あのサド野郎とのバトルばかりに気を割いて、心配かけることまで考えてなかったし。

「良いよ。ガルマさんが無茶することは、みんな知ってるし」

「“シャア”ほどじゃないよ。ね、彼はおとなしくしてる?」

 キャスバルを“シャア”と呼んだことで、クムランは一瞬緊張して、すぐに何食わぬ顔をして笑った。

 誰かがこの会話を聞いていることを確信した顔だった。

「ご機嫌斜めだよ。シンが宥めてる。ガルマさんの見舞いに来るって言ってたけど、許可が下りなかったんだ」

「……そう」

 どうりで意識がトゲトゲしてると思った。

「シンはすっかり“シャア”の世話係だね」

 おれより頼りがいあるもんなぁ。

 不在の半年間で、ポジションを確立してたか。

「拗ねなくてもいいのに」

「拗ねてないよ!」

 別にそこまで狭量じゃないし。悔しいとか、ちょっとしか思ってないし。

 否定しているのに、クムランはくふくふ笑うばかりだった。

「ほら食べてよ。せっかく作ってくれたんだから」

「厨房にお願いしたの?」

「お願いしに突撃したら、持ってけって持たされた。もう作ってくれてたんだよ」

 プリンもゼリーもムースも、胃に負担をかけないものばっかりだった。

 ババロアとパンナコッタは、同じような理由で、でも、もうちょっと重ためのものを食べたがったらって事なんだろう。

 うわぁ。優しさが心に沁みいって、どっかに残ってた良心にチクチク滲みた。

「ありがとうって伝えて。一緒に食べよう。その方が美味しいし、こんなに持たせてくれたってことは、厨房の人もそう思ってのことだよ」

「実は期待してたんだ!」

 パッと明るく笑って、クムランが頷いた。

 これだって食い意地が張ってる訳じゃなくて、おれを寂しがらせないための心遣いだ。

 “ガルマ・ザビ”は、とことん周囲の人間に恵まれてる。

 この温情に報いるには、どれだけ釈迦力になればいいんだろう。

 ただ他人を利用するために分厚い猫皮を被ってきたけど、与えられる情にほくそ笑み続けるのは、存外骨が折れるんだよ。

 いつのまにか情に縛られている。悪くないと思う自分が少し怖い。

 抱えきれないものは、そのうち、どうしたって零れ落ちるのに――何もかもを護れるほどに、この身は万力じゃないからさ。

「クムラン、君は強くなった。でも、もっと強くなって欲しいって思うのは我儘かな……?」

「何言ってるの。そりゃ強くなるよ、ガルマさん。これからだってもっともっと。僕も兵士だし。そのためにここにいるんだよ?」

「……うん」

「大丈夫だよ。みんなそう思ってる。今回だって、三回生は、みんな生還第一で臨んだんだ。もちろん二回生有志もね」

 そこで言葉を切ったクムランは、思い出し笑いなのか、くふふふと声を上げて笑った。

「ロメオがね、ガルマさんが悲しむから、絶対死んでも死ぬんじゃないぞって檄飛ばしてた。変な言い回しだよね」

 ――“生き残れる兵隊”が欲しい。

 以前、ロメオに零した言葉だった。

 打算とか、そんなもので濡れた陳腐な言葉だったはずなのに、こんな風に返ってきた。

 鼻と目の奥が熱い。

 クスンと鼻が鳴った。

 なにかが込み上げそうになるから、慌ててプリンを掴んだ。

 早く飲み込んじゃわないと。零したら格好悪い。

「食べよう!」

「そうだね、じゃあ、僕はこれ」

 ババロアを手にとって微笑むクムランの眼差しは穏やかだった。

「甘いね」

「……うん。なんか、優しい味」

 ふんわり。甘いんだけど、甘すぎない。滋養って感じ。

 舌の上でぷるぷるする食感も含め愉しんでたら、とうとう戸口に気配が近づいてきた。

 誰なの。さっきからずっと居たよね。

 いまはもう隠す気のない硬い靴音が、夜の廊下に響いてる。

 スプーンを口に運ぶ手を止めて、ふたりで緊張した顔を戸口へ向ける。

 ドアは開け放してある。

「消灯時間は既に過ぎているぞ」

 現れたのは、まさかのワッケインだった。

 ちょっと待って。暇じゃないだろ。准将が何してんの。

 様子見とかは部下に任せておきなよ。アンタはムンゾとの交渉とか色々あるんだからさ。

 ポカンとしたのは呆れたからだけど、あちらは、突然他人が現れたからだと判断したらしい。

 ひとまず姿勢を正して迎えいれたけど、何しに来たのさ?

 昼にも会ったばかりだろうに。

 慌てて部屋を辞そうとしたクムランを一瞥。

「それを食べ終わる時間くらいは、待ってやらないでもないな」

「……恐縮です?」

 わけが分からなさ過ぎて疑問符がついた返答を気にするでも無く、ワッケインは寝台の横までやって来た。

「よろしければ、准将閣下もお召し上がりになりますか?」

 にこりと笑って差し出す。

「ムースとパンナコッタです」

「――……見た目で判断できないのだが、何か違うのかね?」

 真面目な顔で何を聞くかと思えば。

「食感がだいぶ違います。ムースはふわふわ、パンナコッタはツルッと滑らかです」

 少し迷ってから、ワッケインはパンナコッタに手を伸ばした。

 疲れた顔をしていたけど、スプーンを口に含んだ途端、表情が僅かに緩んだ。お気に召したのかな。

 ムンゾの士官候補生と、連邦の准将が並んで冷菓を食べてるって不思議な絵面だよね。

 しばしの沈黙。だけどあんまり居心地は悪くない。最初少しだけそわそわしたクムランも、すぐに落ち着いた様子だし。

 変に気安い空気が流れてる。

 手のひらに乗る大きさの、ささやかな甘味だ。すぐに消費されてしまうのがちょっと寂しい。

 マッケインは一つ息を吐いた。

「こうして見るに、普通の少年のように見えるんだがな、君たちは」

 何故か少し責めるような口調だった。

「調べれば調べるほど、今回の件については、ムンゾ国軍が関与した証左が出て来ない」

 その言葉に、クムランと目を見交わして、パチクリ。

「関与してませんから」

 回答すれば、クムランもコクリと。

「止められないように頑張りました!」

「ドズル兄様を足止めして、システムに介入して、ドックベイを閉鎖して、ね」

「ミアが死ぬほど緊張したって」

「でも、彼女しか兄様止められる人間いないでしょ?」

「ガルマさん以外にはね」

 ワッケインがこめかみを揉んでいる。

「でも、本当にビックリしたし怖かった。まさか、司令本部が吹き飛ぶとは思ってなかったから」

「僕も! “シャア”も焦ってたよ。ガルマさんを迎えに行けってすごい剣幕だった」

「来てくれて助かった。予定してたポイントまでは到底行きつけなかったと思う」

 思い出してぶるぶるしてるおれ達を見るワッケインの眼差しは、何故だが虚無っぽい。

「――……本当に…本当に学生だけであれを?」

「「はい!」」

「――…………ノーマン・モーブス中尉だったか。彼も、全てを詳らかにするべくあの措置をとったそうだが」

 やめて、ワッケイン。その話題はダメだ。

 クムランの顔が大魔神みたいなことになってるから。

「他のどの調書でも、君達のみで成し遂げたものだと」

 真っ直ぐに向き合って頷いた。

 だってそれが事実なんだ。

 冷菓を食べ終えたワッケインは、重い足取りで帰っていった。

 去り際、ギリギリ不自然にならないようにクムランの肩のあたりを叩いてと言うか、触っていったのは、襟に仕込んだ盗聴器でも回収したのかな。

「じゃあ、僕も戻るね。明日もまた来るよ」

「許可が下りたらね」

 一応念押ししてるんだが、分かってるのかいないのか。「おやすみなさい!」なんて明るい表情のままクムランも去っていった。

 ひとりになった医務室はガランとして寂しかった。

 キャスバルは相変わらずトゲトゲしてて、思考波での会話も素っ気なかった。

 それから数日間、この医務室に拘留された訳だが――医官の監視が一番厳しかった――クムランはともかく、何故だがワッケインも毎日来た。

 三人並んで差し入れを食すって、どういうことなの。

 プリンやムースから始まった見舞いは、そのうちにサンドイッチやパンケーキと言った軽食に進化してた。ローストビーフサンドとか、軽食通り越してる気もする。

 ティーセットも持ってきてくれたから、手ずからお茶を淹れて振る舞えば、ひどく寛いだ空気が流れた。

 さり気なく医官もやって来て、自分の取り分を確保して去っていくのもオカシイ。

 ここ、拘留地だよな?

 取り立てて責められることもなく、主にワッケインの愚痴を聞いたりして時間を過ごす。

 疲れた顔をしてるから、せめてもと穏やかな空間を作り出して、慰撫する。

 どうにもキャスバルがクセ者で、聴取の時にも端々で口撃され、新しい審問官がタジタジらしい。

 ほんとに何しちゃってんのさキャスバル。自分から心象悪くしてどうすんの。

 加えて“ギレン”の相手も骨が折れるとか。

 あの手この手で交渉しても、それを上回る先手を打たれるとかで、副官がとうとう知恵熱を出したってさ。

 ワッケインは顰め面でやって来て、帰るときには眉間のシワを伸ばしていた。

 ちょっと待って。なに、ストレス解消って言うか、ここでリラックスしてんのかアンタ。

 ――んん。まぁ良いかな。

 ワッケインを取り込んでおけば、ムンゾへの措置は僅かでも甘くなる筈。おれに対しての処分もね。

 そんな日々も10日で終わった。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「『男前だ!!』」

 久々にナマで見た幼馴染は、腹が立つほど格好良かった。

 なんだよお前、どっかのランサー(シャイニングフェイス)と張り合って余裕で勝つる輝きぶりじゃねぇか。

 霞むわ、その輝きでおれが霞むわ。

 ギリギリしてれば、青い瞳が物凄く呆れた視線を寄越した。

「『帰るなり何を馬鹿なことを言ってるんだ君は』」

「『バカって言う方がバカ!』」

「『言おうが言うまいが、事実は変わらない』」

「『なんだとぅ!?』」

 ガルグル唸りながら抱きつく。

「『ただいま、キャスバル』」

「『おかえり、ガルマ』」

 寮室に戻され、久々の再会である。ほぼ一月ぶりか。

 行動はまだ制限されてるから外を出歩くことはできないけど、寮内であれば監視付きで許可がおりた。

 キャスバルと連れ立って談話室へ赴いたら、沢山の包帯野郎達から歓呼で迎えられた。

 いつかの時間軸では凱旋パレードなんかをやってたけど、こっちでは皆んな拘留だからそんなことは無い。

 市街では、士官候補生達を開放せよとか何とかデモがあったとか――取り調べ中なだけだから、じきに開放されるよ。

 寮内は概ね穏やかだった。

 帰って来ない仲間を偲ぶしめやかな空気も流れてる。

 戦車隊と対峙した左翼の一角。ニ回生が崩れて被害が出て、フォローに走った三回生も数人が犠牲になった。

 写真を見て、姿を記憶に焼き付ける。

 こいつらも背負ってかなくちゃいけない。そう決めたから。

 そして、卒業を目前にして、処分が決定した。

 ドズル兄貴の校長辞職は早々に決まっていて、それに加えて、“ガルマ・ザビ”の無役での除隊と、その後の兵卒での入隊。

 その他の面々については厳重注意かつ、各配属先での監督だって。

 発表された時には激震が走った。

 ザビ家の愛し子が本件のすべての責任を負い、実家の庇護を剥ぎ取られて底辺で入隊すると。

 ワッケインも驚いてた。

 キャスバルはアルマイトのカップを床に叩きつけて凹ませてたけど、まぁ、妥当だわ。むしろ甘過ぎるくらいな。

 下手すりゃ地球で処刑されかねなかったんだから、それを思えば軽い軽い。首が繋がっただけ目っけもん――いや処刑される気ないけど。

 ワッケインを挟んだ綱引きは、ゴップの勝ちか。

 レビルが悔しがってる姿を幻視する。

 話してみて分かったことは、割と事なかれ主義なんだよ、ワッケイン。現状から、殊更に事態を荒立てない方向に進むつもりみたい。

 寮に戻ってからも、差し入れを継続するように手配しといて良かったかも。賄賂に入らない程度だけど、心情的には効果抜群だし。

 一緒に何かを食べるって、実はかなり効果的なんだよね。

 

 

「――……でも、叶うなら卒業式に出たかったなぁ」

 卒業自体はさせてくれるらしい。だが、式典に出席など以ての外。

 全ての花道は閉ざされたって感じ。

 この辺りは連邦への配慮だ。“ガルマ・ザビ”には決して花は持たせないって。

 キャスバルは辛うじて式典に出席が許された。

 首席卒業おめでとう。

 そして、おれだけズムシティに強制送還――連行と言った方が相応しい扱いだった。

 左右の腕を掴まれて、前後も塞がれて視界が悪い。

「……なんで特殊装備なの」

 テロリストにでも対抗するつもりか。

 アサルトスーツにタクティカルベストにボディアーマー。ゴーグルにヘルメット。グローブにブーツ。

 バラクラバまで被ってるから、肌の露出がほぼゼロである。

 さらに武器一式担ぐ姿は威圧感が物凄い。

「閣下のご指示です」

 と、重々しい声で告げるのはデラーズだ。こっちは顔出ししてるけどさ。

「何と戦う想定なんです?」

「護衛も兼ねてのことです」

 なんて言ってる。まぁ、半分くらいはそうかもね。それこそ一部の連邦兵士からは報復されかねないし。

 デラーズ以外は誰ひとり口を開かない。視線も微妙に合ってない。

 なんとなく、バジリスクとかコカトリスみたいな扱いされてるような気がするのは、被害妄想かな。

 そしてどこへ連れてくつもりなの?

 絶対に実家じゃないよね? だって方向が違うし。

 なんなの? 何処へ向かってるの?

 逃げ出したい気持ちを抱えながら、おれはドナドナされていく。

 ねぇ、“ギレン”、ほんとに何でこんな仕打ちをすんのさ?

 ――帰ったら、一度、本気で話し合おうか?

 心細い気持ちに胸を圧されて、口から重たい溜め息が落ちた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 31【転生】

 

 

 

 キシリアから連絡があった。

〈ガルマは、ガルマはどうなっているの、ギレン!〉

 ルウムの情勢そっちのけである。

「……お前もか、キシリア」

 思わず呟くと、首を傾げられた。

〈何の話?〉

「“父上”がな、あまりにも“ガルマ”の心配しかしないので、今回の連邦との交渉からは外れて戴いたのだ」

〈……あら〉

 目を瞬かれる。

〈それはまた、思い切ったことをしたものね。父上は、それで納得なさったの〉

「させた」

 端的に答える。

「連邦側の部隊長が絶望視されていると云うのに、ドズルの学校長辞任だけで決着をつけようと云うのだ。駐屯地が吹っ飛んだ状態でだぞ。……親馬鹿にもほどがある」

〈でも、ドズルの辞任以外に、一体何を?〉

「“ガルマ”を無役で除隊にし、しばらくの後に、兵卒で入隊させる」

〈それは……〉

 キシリアは絶句した。

「それくらいしなければ、即戦争ともなりかねん。ルウムのこともある、こちらは適度に切り上げて、ルウムとの交渉に入らせたいのだ。当て逃げまがいのことは、御免こうむる」

 ガーディアンバンチの件に、連邦はかなり力を入れている。うまくすれば開戦、と考えている輩もあるのかも知れないが、こちらとしては、まだ早い。

 交渉決裂からの即開戦、とならぬためにも、妥協できるところは妥協せねばならぬ。“ガルマ”の階級くらいでけりがつけられるのであれば、それを回避することはない。

 どうせ、いずれは開戦することになるのである、その時に、どさくさに紛れて階級を上げると云う手もあるし、まぁ順当に出世する可能性もなくはない。

 とにかく今は、下手に庇い立てするよりは、代表者として、犠牲の獣に仕立て上げるべきだ――こちらがやらなくとも、いずれ“父”やドズル、このキシリアなどが、どんどん階級を上げてやるに決まっているのだし。

〈……確かに、ルウムでの発砲事件や、デモ隊制圧における犠牲者の補償などには、まったく手がついていないものね……〉

 溜息をつく。

「そちらは、まったく動く気配なしか」

〈ないわ。お蔭で、まだ当分帰れなさそうよ。連邦の補償履行を確かめないと――どう踏み倒すつもりだか、知れたものじゃない〉

「部隊も収めんか」

〈駄目ね。それもあって、連邦軍に対するルウム市民の目が厳しいの。しかも、ガーディアンバンチの事件が報じられて、反連邦派が勢いづいてしまって〉

 そう云って、キシリアは頬に手をあて、ほうと息をついた。

〈ガルマたちの行動は、ありがたいこともあったけれど――連邦との交渉を考えると、良かったのか悪かったのかわからないわ。とりあえず、私たちが連邦とルウムの仲立ちをすることになるようだけれど……それも、連邦がどのあたりを出してくるかにかかっているわね〉

「こっちは将官がきたぞ。ルウムの被害状況なら、そう云うことはあるまいよ」

〈将官?〉

「ああ、新任の准将らしい。ワッケインと云う男だ」

〈初めて聞く名ね〉

「まぁ、連邦は人が多いからな。こちらのように、将官が大体把握できる、と云うような人数ではないだろう」

 まぁ、個人的にはよく知る名ではあるが。

〈……それにしても、将官とはね。よほど警戒されているか、あるいは今回の件をことさらに云い立てたいか、どちらなのかしら〉

「両方だろう」

 と云うか、両方それぞれの意見の将軍たちの綱引きの結果が、ワッケインの派遣なのだろうと思う――煽り立てたいレビルと、警戒しているゴップとの。

「まぁ、こちらの進捗によって、ルウムの件が前に進むのであれば、多少の面倒も吝かではないさ。ルウムの片がつけば、お前も通常の軍務に戻れるだろうしな」

〈それには、まだ少し時間がかかりそうだけれどね〉

 キシリアは肩をすくめる。

「何故だ。ルウム駐屯部隊の長が、依怙地にでもなっているのか」

〈近いわ。最初の射殺事件を引き合いに出して、自分たちは悪くないと云い出してるの。そこから派生したデモ隊への発砲も、治安維持に必要だったの一点張り。ルウム首相が、事前に武力行使の自粛を申し入れていたことも、知らぬ存ぜぬでとおすつもりのようよ〉

「それは酷いな」

 まぁ、武力行使の自粛云々は、過去の報道を見返せば、すぐに嘘だとわかるにしても――それを堂々と口にする神経がわからない。よほど都合の良い頭なのか、それとも。

「連邦軍が全体にコロニーを舐めているのか、あるいはそもそも人材不足でそんな輩しかいないのか、微妙なところだな」

 自分と接点のあった連邦軍の人びとは、割合上等な人間だったと云うことか。

 それにしても、あまりに凋落甚だしくはないだろうか――もう少しまともな人間がいてくれて良いはずではないか。

 そう考えると、ワッケインなどはまだまともな方なのかも知れない。知った顔と名前であっても、エルランやティアンムがくるよりは、交渉などもまともに進みそうではあるのだし。

〈まぁ、あまり長引かせると、さらに反連邦の動きが加速しそうだから、いずれこちらにも、連邦軍本体の方から誰かしらがくることになるのでしょうけれどね〉

 だから、ムンゾの方を上手く片づけてほしいものだわ、と云う。

「――まぁ、正直“ガルマ”次第かも知れんな」

〈まぁ、何故?〉

「交渉役のワッケインは、レビルとゴップ、双方からの指示を受けているようでな」

 あの二人では、まったく真逆の指示をしただろうことは、想像に難くない。

 そのどちらを優先させるかは、ある意味、交渉役であるワッケイン次第なのだ。

 と云うことは、“主犯”である“ガルマ”の態度、それによるワッケインの心象如何で、交渉の行方はどのようにも変わっていくと云うことである。

〈まぁ、両極端な命令を出されそうね!〉

「まったくだ」

 ともかくも、“ガルマ”の処遇は、そのワッケインの肚ひとつで決まってくると云うことだ。

 ムンゾのために、あまり厳しくされるのは困りものだが、あまり生ぬるくても微妙な気持ちにならざるを得ない。複雑なところだった。

「まぁ、“ガルマ”は巧くやるだろう。巧過ぎるほど巧くな。こちらも、それを巧く活用せねばなるまいよ」

〈そこは任せるわ。ガルマが可哀想ではあるけれど――すべてをいちどきに手に入れることはできないわね、仕方のないことだわ〉

「そう思ってくれるとありがたいな」

 “父”のように揉めないのは、それだけでありがたいことである。

〈とにかく、そちらの片がつけば、こちらもどうにかなるのよ。なるたけ迅速にして頂戴〉

「あぁ、わかった」

〈頼んだわよ〉

 そう云って、キシリアは通信を切った。

「――さて」

 そう云って振り返った先には、ノーマン・モーブスがいた。

「私が何を云おうとしているか、わかるか、ノーマン・モーブス中尉」

 言葉を投げかけた当の相手は、直立不動の硬い表情で、

「はッ、いえッ、その」

 と、語気に似合わぬはっきりしないもの云いで答えてきた。

「“ガルマ”から言葉を引き出すためとは云え、少々やり過ぎたようだな」

 そう云うと、震え上がった顔になる。

 そう、ノーマン・モーブスは、“ガルマ”から何某かの言葉を引き出そうとして、少々やり過ぎたのだ。食事に乾いたパンと薄いスープのみを与え、最後にはシャワーを水にしたのだとか。

「あれをあまり痛めつけると、悪辣な罠を張ってくるからな。それで、監査局長が、ワッケイン准将に弁明しに行く羽目になっただろう」

 そう、よりにもよって“ガルマ”は、取り調べの場にワッケインがきたのを見計らって、ぱたりと倒れてみせたのだそうだ。

 謹慎中、途中からは、食事もほとんど口にしていなかったと云うから、かなり計画的な犯行である。“ガルマ”は根本的に軍人であるから、生きるためなら――毒物以外は――何でも食べるのだ。

 それがほとんど食べなかったと云うのは、ノーマン・モーブスの非をことさらに云い立てるというか、そう云うことに決まっている。つまりは、まんまと乗せられたと云うことだ。

 “ガルマ”に同情したワッケインが捩じこんできたので、監査局長は云い訳に駆り出されることになり、しどろもどろの返答をしたそうだ。

 監督責任を取らされて、監査局長は訓告、ノーマン・モーブスは減俸などは免れたものの、戒告処分となり、とりあえず今回の監査からは外されることになった。

「悪辣であると云うのがどう云うことか、良い勉強になっただろう」

 と云うと、男はがっくりと肩を落とした。

「……閣下がおっしゃった言葉の意味が、ようやく私にもわかりました」

 まぁそうだろうとも――“ガルマ”のにこにこした顔から、あの悪辣さを想定するのは難しい。ただ、ここまで徹底してやる人間は今までいなかった――何と云っても、ザビ家の愛されし末子である――ので、“ガルマ”の方も手加減なしだったのかも知れないが。

「申し訳もございません……」

 などと云うモーブスに手を振ってやる。

「まぁ良い。今回は、な。あれがどんなものかは、身に沁みてわかっただろう。次はない。いよいよ励め」

「……ハッ!」 

 きちっと敬礼をし、ノーマン・モーブスは退室していった。

「……尻尾は出さなかったな」

 そう独りごつと、控えていたタチが頷いた。

「多少は疑っていたのですが――何もありませんでしたな。元からないのか、巧く隠しているのか」

「ネズミの可能性は消えたわけではないが――しばらくはおとなしいだろう。当座は放置で良い」

「はい。――ワッケイン准将はどうします? あのままガルマ様と接触させておいて良いんですか」

「させておけ。下手に介入して、余計なことにまで手出しされては敵わん。今回の件は、ノーマン・モーブスの独断でのことだった、で話は収まる」

 ある意味では、モーブスがそこまでしたからこそ、今回の件に対するムンゾ国軍の関与の疑いは、かなり薄れることになっただろう。モーブスについては、職務にあまりに熱心だったが故の暴走、でけりがつくだろうから、つまり、あれは純粋に、学生たちの暴発の結果、と云うことで落ち着くことになるだろう。

 そうなれば、交渉も多少は楽になるはずだ。

 何しろ、ワッケインの疑いの半分ほどは、ムンゾ国軍が、あの“蜂起”を裏で操っていたのではないか、と云うところだったろうことは間違いないことだったので。

 とは云え、地球にいる将官たち――特にレビルとゴップにとっては、それはそれで、“ガルマ”の悪魔性を裏づけることにしかなりはしないのだろうが。

 まぁ、そのあたりのことは、こちらの知ったことではない。

 とにかくこちらとしては、この原作よりも派手な結末を迎えた“暁の蜂起”を軟着陸させ、即開戦と云うルートから遠ざけること、それだけを考えるのみだ。

 いくら何でもまだ早い、早過ぎるとしか云いようのない開戦への道を、とりあえずぶった切ってやる、それだけのこと。

 ムンゾ内の主戦派は、こちらの態度を弱腰だと云うが、とんでもない、備えもなくして開戦すれば、悲惨なことにしかならないことは、歴史を振り返れば枚挙に遑がない。

 やるのならば、充分だと思えるように準備はしておきたい。それであっても、いざはじまってみれば、不足ばかりになるのは明白なことであるのだし。

 ともかくも、ワッケインが――残念なことに――“ガルマ”に籠絡されたのであれば、仕方ない。

 今回のことに関しては、三年生を無事に、つまりは連邦の制裁なしに卒業させ、早々にそれぞれの配属先へ割り振ってしまうことにしよう。

 “ガルマ”と引き離すことになるキャスバルだけが心配だが、いい加減、“ガルマ”離れすべき頃合でもある。それに、さしものガルシア・ロメオも、あの二人を一手に引き受けるのは、荷が重過ぎるのだろうし。

 とりあえず、

「――ガルシア・ロメオの麾下に、“ガルマ”の監視要員を予め送りこんでおくように」

 と云うと、タチは真面目な顔で、

「心得ておりますとも」

 と頷いた。

 

 

 

 “ガルマ”の件ではなく、“父”と云い争いになった。

 原因は、ララァ・スンである。

「ギレン、最近、預かった少女を自室に連れこんでいるそうではないか」

 とは、何たる云いようか。

「誤解もいいところだ。私はただ、話を聞いてやっただけです」

 とは云うが、少々案件であることは、もちろん理解はしていた。

 ララァ・スンが、割合頻繁に部屋に来る、のは措いたとしても、その時間帯と恰好が拙かったのだ。

 そろそろ真夜中にかかりそうな頃合いに、枕を抱えて寝間着でくるのだ。それが数日と間をおかずなので、確かに、いずれ何やら云われるだろうとは思っていた。

 が、とにかくララァは寝落ちするまでいる気まんまんであったし、メイド頭を呼ぼうとしても、頑強に首を振るばかりであったのだ。

 まぁ、十五にもならない少女と四十過ぎの中年では、話にもならないのでそのままにしていたところはあったのだが――考えてみれば、世間一般で云うなら、確かにこれは、疑いを持たれても仕方のないところではあった。

 だがそれにしても! “父”の云うようは、あまりにもあんまりではなかろうか。

「故事に、“李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず”と云うではないか! 疑われるようなことはするなと云うことだ!」

「――なるほど」

 だが、この分では、あの家にいる限り、ララァは部屋を訪れてきそうな気がする。

「――わかりました。家を出ます」

 そう云うと、“父”は眼鏡の奥で目を見開いた。

「何故そうなる!」

「それが、一番簡単な解決方法でしょう」

 と云うか、もういろいろ面倒になったのだ。

 家にいる限りは、やれ結婚がどうのと云われ続けることになるし、そうでなくとも、ララァ・スンに襲撃されるには違いない。

 それならば、どちらも一挙に解決する手段として、あの家を出てしまうのは良いことではないかと思ったのだ。

「単身者用の家など、このズムシティには掃いて捨てるほどあるでしょう。サスロもキシリアも出たのです。私だけがいなくてはならぬと云うこともありますまい」

「あの家はどうする!」

「アルテイシアが、実質女主人のようなものですし、しばらくですが“ガルマ”も、そしてドズルも帰ってくるでしょう。私がおらずとも構いますまい」

 そうと決まれば、善は急げだ。

 とりあえず、簡単に荷物をまとめる。

 部屋が決まるまでぐずぐずしていると、何がどうなるかわからない。どうせ、軍の執務室の隣りが、使っていない控えの間になっているのだ。そこで暫く寝起きしつつ、適当な部屋を契約すれば良い。

 軍服とスーツが二着、それに付随するあれやこれやだけ持っていって、後は部屋が決まり次第運ぶことにしよう。

「“父上”、お世話になりました」

 大きめのスーツケースに入れるだけ入れて、頭を下げる。

「ギレン!」

 “父”か何やら叫んでいるが、知るものか。

 タクシーで軍に乗りつけ、そのまま執務室へ。

 幸いにもと云ったものか、そもそも控えの間には、仮眠用にソファベッドのようなものを置いていたので、暫くはここで寝起きすれば良い。食事は、士官用でも兵卒用でも、食堂があるのだし。

 まぁ、“暁の蜂起”にまつわるあれこれのせいで、実際かなり忙しかったから、これはこれで事務処理のためには良かったのかも知れない。

 いつぞやの“昔”など、和室であったからこそできたことだが、仕事中に寝落ちして、目が醒めたらまた仕事、と云う、それこそ執務室で生活していたこともあったのだ。それに較べれば、“寝室”を別にしただけでも上出来と云うものである。

 ――五月蠅い“父”もいないことだしな。

 それだけでも開放感がある。

 とにかく簡単に環境を整えると、その日は早めに――あくまでも当社比である――就寝した。

 翌朝目醒めると、微妙に眠り足りなさがあった――流石に、贅を尽くした寝台とは寝心地が違う――が、まぁ、いろいろ考えると、こんなものだろう。

 身だしなみを整え、しかし前髪は落として、軍服の上着はつけずに兵士たちの方の食堂に行く。

 朝食を受け取る列に並び、普通の、ややジャンクな料理を受け取る。トーストが二枚、スクランブルドエッグ、焼いたソーセージとベーコン、フライドポテト、レタスとトマトが少しずつ、それにシリアルとヨーグルトだ。兵士の食事としては少ないが、それぞれ量については注文をつけているようなので、そのとおりに受け取るのは少数派なのだろう。

 体格の宜しい若い連中の間をすり抜け、空いている片隅に腰を下ろす。オレンジジュースとコーヒーもつけたから、まぁまぁ上等な朝食だ。

 と、

「お前、見ない顔だな」

 そう若くもないが、ベテランと云うほどでもないくらい――つまり中堅――の男が、寄ってきて云った。

「まぁそうだな」

 軽く答えて、食事にかかる。タチやデラーズが出てくる前に体裁を整えなくてはならないので、あまり時間がないのだ。

「新入りか?」

「……いや」

 ベーコンとレタスを半分に折ったトーストに挟み、簡単なサンドウィッチにして齧りつく。二枚できちんと挟むよりは、こちらの方が手っ取り早く食べられるのだ。

 ベーコンはかりかりではないが、厚みがあって程よく腹が膨れる。

「所属は」

「……どう云ったものかな」

 まさか、総帥室勤務と云うわけにもいくまいが。

 簡単サンドウィッチを平らげ、もう一枚にはソーセージを挟む。焦げ目がついた皮は香ばしい。ベーコンと云い、まぁまぁ良い味ではないか。

 腕時計を見る。ゆっくりしている暇はないが、慌てて食べるほどでもないか。

 と、声をかけてきた男の目が、きらりと光った。

「おい、その時計」

「何か」

「分不相応だろう。まさか、どこかからちょろまかしてきたんじゃあるまいな?」

 云われて目を落とす。

 そう云えば、これは結構なメーカーのものだったか。元々におけるロレックスのような金ピカでも、ウブロのような超精密機械でもないから失念していた――例えて云うなら、オメガかタグ・ホイヤー、ハミルトンあたり――が、確かに、兵卒が勤務中につけるには相応しくはないか。

「いや、これは私のものだ」

 さて、この“いちゃもん”が、嫌がらせなのか、はたまた時計を取り上げようと云う意図からなのか。

「そうだとしたら、軍規違反だな。俺たちには、決められたのがあるだろう」

「あぁ……」

 そう云えば、兵卒や下士官には、時計も定められたものがあるのだったか。

 そう思って男の襟章を見ると、どうやら軍曹、つまりは下士官だ。

 なるほど、軍では往々にして下士官が、兵卒に暴力を振るったり、あるいは理不尽な要求をすることは知っていたが、これもその一環か。

「内勤でな。それには当てはまらないのだ」

「馬鹿云うな、内勤だろうが何だろうが、規則は規則だ。預かる」

 と、取り上げようとする。

 さて、どう躱そうか、と思ったところで、

「いた!!」

 向こうの方から、聞き慣れた声が上がった。

 途端に、周囲の兵卒がざわついた。

「見つけましたよ、アンタ、何てとこにいるんですか!!」

 叫んだのはタチだった。出てきたばかりなのか、上着も脱がず、きっちりと襟元も詰めている。

 その襟章や肩章で位階を知ったものたちがざわついたのか。まぁ確かに、兵卒や下士官ばかりのところに少佐がくれば、それはまわりもざわつくだろうが。

 “閣下”呼ばわりでないだけましだが、まさかわざわざ探しにくるとは思わなかった。しかも、まだ勤務開始には間があると云うのにだ。

「朝食中だ」

 慌てて敬礼するものたちの間をかき分けるようにして、着席しているテーブルにやってくる。絡んできていた軍曹も、慌てて敬礼するが、構う様子もない。

「じゃあ、急いで片づけて下さいよ。連絡を戴いたので、他の連中がくる前に探しにきて差し上げたんですからね!」

 大体、何でこっちなんですか、とぼやく。

「部屋に運ばせるとか、何とかあったでしょう!」

「面倒じゃないか」

「こっちの方が面倒です!」

 聞きつけた周囲の兵卒が、敬礼しながら囁き交わしている。

「えっ、少佐が敬語なら、もっと上?」

「中佐とか?」

「確かに、何でこっちだ……」

「偉い人かよ……それなのに怒られてる……」

 タチは、かりかりしてテーブルを叩いた。

「ほら早く! 云いたいことはたんまりありますが、戻るまでは我慢して差し上げます!」

「……感謝に耐えんな……」

 シリアルを食べ、オレンジジュースとコーヒーを飲み干し、席を立つ。

 タチが、トレイをかっ攫い、返却口に持っていくと、逃がすかとばかりに腕を掴んできた。

「逃げないが」

「アンタ方ご兄弟のことは、これっぽっちも信用できません!」

「あれと一緒にされるのは心外だな……」

 引っ張られながら、片手を上げる。

「すまんな、騒がせた」

「いっ、いえっ」

 先刻の軍曹までが、直立不動の敬礼である。

 もうここには紛れこめないな、と思いながら執務室に戻ると、即椅子に坐らされた。

「アンタって人は……!」

 ――説教か。

「デギン閣下から連絡を受けた時の、私の気持ちがおわかりになりますか! わからないでしょう! えぇ、アンタはそう云う方ですよ!」

「“父”が連絡を?」

 誰から知らせがいったかと思えば、そこからか。

「それで、まさか家に戻れとは云うまいな?」

「戻らないんですか!」

「戻らん」

 タチは、深々と溜息をついた。

「親と喧嘩とか、何、思春期の子どもみたいなことをしてるんです……」

「昔はそんな暇もなかった、まぁ、やり直していると云うことだな」

「それに、われわれを巻きこまんで下さいよ」

「巻きこんだつもりはないが」

「なくても巻きこまれてるんですよ!」

 地団駄を踏みそうな勢いである。

「まさかと思いますが、昨日は執務室にお泊りで?」

「あぁ。仮眠用に簡易ベッドがあるからな。部屋を決めるまでは、ここで良いかと思ったのだが――これで、兵卒に紛れて朝食を取ることはできなくなったな」

「せめて士官用の方にして戴けませんかね!」

 大体、と、タチは続けた。

「次の住処も定めず家出なんて、智謀で知られた閣下らしからぬことでしょう。先読みはどこに置いてこられました!」

「……タチ、私はな」

 さも重大なことのように囁きかける。

「な、何です」

「圧倒的に生活力がないのだよ」

 料理や洗濯などは問題ないが、つまり、自力で生きていくための、行政手続などのあれやこれやに、本当に疎いのだ。多分そちら方面は、“ガルマ”の方が圧倒的に強いと思う。実務に強い親が長生きしていると、後々慌てることになると云う、典型的な例である。

「……それで、どうやって暮らすおつもりだったんです」

「別に、あれこれの手続きさえ飛ばせば、賃貸契約くらいはできるだろう」

「住民票なんかは移さないおつもりだったわけですか」

「どうせ、同じズムシティ内だしな」

 タチは、長嘆息した。

「アンタって方は――警備とかはどうなさるおつもりだったんですか」

「……まぁ、適当に」

「そう云うわけにいきますか!」

 タチは、今度こそ激昂した。

「一軍の総帥ってお立場を、アンタは軽く考え過ぎです! ……もう、アンタには任せていられません! 部屋は私が見繕います! アンタは大人しく仕事してて下さい!!」

 そう云うと、足音も高く部屋を出ていってしまった。

 入れ替わるようにデラーズが現れ。タチの行先を、少し怯えたようにもとれる様子で見送っていた。

「……何かございましたか」

「家出を咎められた」

「……は?」

 心底わからない、と云う顔。

「“父”の家を出た。それで、当座はここで暮らすかと思っていたら朝食中にタチに見つかってな」

「見つかった、と云うのは」

「下士官や兵卒用の食堂にいたのだ」

「それは……」

 絶句された。

「……タチ少佐に同情致しますな」

「お前もか」

 と、

「おはようございます! 閣下は!」

 扉を騒々しく開けて入ってきたのはシロッコだった。

 シロッコは、ひとの顔を見るなり深々と溜息をついた。

「閣下……」

「どうした」

「ザビ家はてんやわんやです。一度お戻り戴けませんか」

「厭だ、と云ったら?」

 シロッコが力尽く、とはいかないのはわかっているが。

「……ララァ・スンが落ちこんでいるのです」

 云い難そうに云われるが、そもそもはララァ絡みの話でもあるし、帰れば再燃するだけだ。

 アルテイシアやマリオン、ミルシュカなどが力になるだろうし、暫くすれば勉強もはじまる。状況が変われば、どうとでもなるだろう。

 何なら、シロッコやアムロ、ゾルタンたちで慰めてやれば良い。

 そのようなことを口にすれば、シロッコはまた溜息をついた。

「……とりあえず、デギン閣下あたりと相談させて戴きます」

 シロッコはそれだけ云うと、あとはいつもの有能な――いささか若過ぎではあるが――秘書官としての顔になった。

 

 

 

 “暁の蜂起”は、何とか双方が納得できる落としどころで決着がついた。

「全面的なご協力に感謝する」

 などとワッケインは云ったが、その半分は、これから暫くのムンゾ駐留で問題を起こしたくないと云う意志と配慮、それからもう何分の一かは、確実に“ガルマ”に騙されたが故のことだっただろう。

 ワッケインは、地球に戻ったなら、レビルとゴップにねちねちと云われるのだろうが――まぁ、“官僚的”と解説されたような人物である。あからさまな違反や明らかな疑義以外は、割合に自重するのだろうし、外部の意見よりも、明らかな法などに従うことを良しとするだろう。ムンゾとしては、一安心である。

 家のことは片付いてはいないが、当座の住まいとして、タチが小ぢんまりしたアパートメント――元々の“アパート”ではなく、云うなれば“アパルトマン”か“フラット”――を押さえてくれたので、そこに住むことにした。と云っても、帰っても寝るだけなので、週の半分以上は執務室住まいのままだったが。

 “暁の蜂起”の後始末で、碌々出席できていなかった議会に、久しぶりに顔を出す。

 途端に近づいてきたのは、もちろんマツナガ議員だった。

「これはギレン殿。お見限りでしたな」

 もう、議員はお辞めになって、軍に専念されるのかと思っておりましたぞ、と云われ、苦笑するしかない。

「いやいや、どうにも手が離せぬ案件がございましてな」

「それは、もうケリがついたのでしょう? そうでなければ、議会に出てこられるわけがありませんものな」

「お蔭様をもちまして、何とか終わりました」

 後任の部隊長が決まるまでは、まだ暫くはワッケインとつき合うことになるだろうが、懸案事項が決着してだけでも、随分気分は軽くなった。

 あとは、駐留地の各建造物を建てる業者の受け入れやら、資材搬入のあれこれやら、を、継続的にやっていくことになる。

「ギレン殿の見事な手腕あって、反連邦派も、反ザビ家を標榜する輩も、ぐうの音も出ませんでしたぞ」

「私の手柄でなく、“父”の泣き落としがあったのではございませんか」

 思わずそう云うと、マツナガ議員に苦笑された。

「相変わらずと云うべきですかな。まぁ、近いことはございましたが――デギン閣下の断腸の思いが、こちらにもひしひしと伝わって参りましたよ」

「それはそれは」

 こちらに対する怒りや何やらを、そのように使うとは――流石に一国の首相なだけはある、と云うべきか。

 と、マツナガ議員がにやにやと笑いかけてきた。

「それより、聞きましたぞ、ギレン殿! 家出をなさったとか!」

 吹き出しそうになり、慌てて呑みこんだ唾が、今度は気管に入って盛大に咽る。

「……な……何ですかそれは……」

「デギン閣下と喧嘩をされて、そのまま家を出られたと聞きましたぞ。今は執務室に暮らしておられるとか」

「いえ……」

 確かに執務室には暮らしているが、どちらかと云えば、単に帰るのが面倒で、軍にいる、と云うのが正しいのだ。

「どうしてそんな話に……」

 少なくとも、この歳の男を掴まえて、“家出”はないと思うのだが。

「さて、ちっともお帰りにならぬと、軍のどなたかがこぼしておられたのでは?」

 噂は千里を走ると申しますからな、と云われ、浮かぶ顔はひとつしかなかった。

「……タチか……」

 可能性が高いのはそこだ。

 とりあえず、後で問い詰めてやろう、と思いながら歯噛みして、ふと思い出す。

「……ご子息からは、ご連絡などは?」

 その問いに、苦笑が返る。

「ございませんよ。まぁ、便りのないのは良い便り、と申しますからな。ガルマ殿のことでてんやわんやなギレン殿に較べれば、まったく問題ないことです」

「さようでございますか……」

 確かに、シン・マツナガは主犯格とは云い難い、取り調べも通り一遍のものであっただろうし、しつこく査問会に呼び出されることもなかっただろう。

 まぁ、父親もこのとおりの人であるし、マツナガ家は皆肚が据わっているのだろう。

「――賑やかなことですな」

 と云いながら現れたのは、ダルシア・バハロである。

 見れば、後ろに知らぬ顔の男を伴っている。禿げ上がった頭と蓄えられた髭は、エギーユ・デラーズを思わせなくもないが、こちらは文人肌と云おうか、学者めいた雰囲気の男である。歳の頃は、ダルシアと同じくらいか少し上。

「これは、ダルシア殿」

 マツナガ議員は、にこやかに――少々力んではいないか?――云った。

「そちらの方は? 初めて見るお顔ですな」

「補欠選挙で、新しく議員になった男です。オレグ議員です」

 ダルシア・バハロの言葉に、男は静かに頭を垂れた。

「オレグと申します。ギレン・ザビ閣下ですな」

 声音も、見たとおりの落ち着いた風であった。

「閣下は結構だ。同じ議員だ、畏まらずにお願いしよう」

「は、しかし、新参ですので……」

 と云う様は、なかなか義理堅さをも感じる。

 マツナガ議員が、胸を張って云った。

「私はマツナガだ。――しかし、補欠選挙と云うと、この間の……?」

 それは、例のムンゾ大学立て籠もり事件やらなにやらの、あのごたごたを指しているのか。

 しかし、あれから“ガルマ”が地球に降り、半年を経て復帰の後、“暁の蜂起”までやらかしているのだ。いくら何でも時間が経ちすぎているだろう。

 案の定、ダルシア・バハロも小さく笑った。

「それは流石に日が経ち過ぎでございましょう。別件ですよ。オレグ議員の選挙区の現職が、病気で亡くなられまして。ですので、オレグ議員は、つい先日議員になられたのですよ」

「ふむん」

「ダルシア殿と親しいのならば、私もお会いする機会はありそうですな。宜しくお願い致します」

「こちらこそ。名高いザビ家のギレン閣下に、そう云って戴けるとは光栄です」

 と云って握手をかわしたその掌は、厚みがあって、少し乾いていた。

「しかしまぁ……うちの息子も同じ穴の狢なので、あまり大きな声では云えませんが、ガルマ殿は、なかなかやんちゃであられるのですな」

「“やんちゃ”」

 あれは、そんな言葉で括るには、あまりにもあんまりだと思うのだが。

 ダルシア・バハロやオレグ議員をちらりと見れば、やはり苦笑をこぼしている。

 そゔだろうとも、あれはそんな生易しいものではない。云ってみれば、生ける厄災のようなものである。

「そうおっしゃるマツナガ議員のご子息は、さぞかしやんちゃであられるのでしょうな」

 皮肉ではない声でダルシアが云うと、マツナガ議員は豪快に笑った。

「私の跡を継がずに、自ら軍に身を投じるような息子ですぞ。それで察して戴けますでしょう」

「剛胆なご子息なのですな」

 場合によっては厭味に聞こえそうな言葉も、オレグ議員が云うと、非常に肯定的に響くようだ。マツナガ議員も、満更でもない風である。

 ――しかし、“オレグ”か……

 多分この男は、データだけで見た、ダルシア・バハロの側近だったと云う人物だろう。漫画だったかゲームだったか、『ギレン暗殺計画』なるコンテンツで、ダルシア・バハロが首相だった時に副首相を務めた人物が、そんな名前であったと記憶している。つまりは割合に穏健派であり、連邦との和平交渉を推進する立場だったのだろう。

 まぁそもそも、ダルシア・バハロ自体が、1stのTVシリーズではなく、劇場版のみに登場した人物であったから、こちらもあまりデータを持っていなかったのだ。

 ましてや、メインではないコンテンツのサブキャラなど、きちんと押さえているわけもない。傾向と対策などわからないので、見た感じで判断するより他ないのである。

 とりあえずは、はじめからの離反者予備軍としては扱わぬ方が良いだろう。何しろあまりにも正規ルートを外れている、そうであれば、勘繰り過ぎるだけ無駄と云うものである。

「それはともかく」

 と、ダルシアは云った。

「ガルマ殿のことはさておき…あのワッケインと云う新任部隊長は、問題なく着任になったのでしょうかな?」

「調査会に口出ししていたようではございますが、他は概ね問題なく」

 まぁそのあたりは、ノーマン・モーブスのやり口を見誤ったこちらの問題でもある。

「ただまぁ、何しろ准将ですので、何かことが起きても、ある程度はワッケイン准将自身の判断で処理できます。それが、吉と出るか凶と出るか」

「確かに、難しいところですな」

 マツナガ議員も、腕を組んで云う。

「ドズルの学校長解任と、“ガルマ”の無役での除隊で済んで、ほっとしておりますよ。ガーディアンバンチのあの惨状を見た時には、いよいよ連邦から攻めこまれるのではないかと肝を冷やしました」

「――私も映像で見ましたが、少々ではございませんでしたな」

 オレグが重々しく云う。

「元の部隊長は行方不明とお聞きしましたが、その後は?」

「現在は瓦礫の撤去作業中ですが、行方不明者の捜索もこみですので、なかなか……既に幾体かの遺体は発見されておりますが、指令部にまではまだ届かぬようです」

 何しろ基地ひとつをほぼ全壊させたのだ。瓦礫の量も半端ではない。地上であれば、仮の処分場でも作ってどうにかすれば良いが、場所に限りのあるコロニーでは、そうもゆかぬ。

 結果、重機や運搬車両、それにMWなども駆使して、瓦礫を再生工場に運び出しながらの作業になっているのである。

 行方不明者の捜索が完了し、あの場所がすっかり更地になったなら、今度はそこに、連邦が派遣した業者が新たな建物を建てることになる。

 今後の展開がどうなるかはわからないが、新たな駐屯基地ができるまでは、連邦との緊張状態は、一旦は緩和されるのではないか。

「つまり、当分は、あのワッケイン准将がムンゾ駐留部隊のトップであると云うことです」

「それは、割合に理性的な人物で良かったのでは?」

 ダルシアが云うが、

「既に“ガルマ”に誑しこまれているようですので、私としても、連邦の将軍方にとっても、あまり宜しくないのではないかと思いますが」

「ほう、ガルマ殿は、手がお早いようだ」

 マツナガ議員が笑う。

「まぁ、女でないだけまし、と申せましょうかな」

 レビルとゴップの胸中は、それはもう穏やかならざるものだろうが。

「まぁ、あのガルマ殿ですからな、それくらいのことはなさいましょう」

「宜しいではございませんか。閣下の手間がひとつ省けましょう」

 口々に云われても、素直に頷けないのは、これまでのあれこれがあるからか。

 そして、新参のオレグ議員は、面食らった顔になった。

「ガルマ殿、とは、あのガルマ・ザビのことですかな。ギレン閣下の弟君でございましょうに、随分な……」

「まぁ、あぁ云う方でございますからな」

「えぇ、“武勇伝”はいろいろと」

「武勇伝」

「世間に流布されているガルマ殿と、われわれの知るガルマ殿は、ほとんど別人ですからな。後ほど、とっくりと教えて差し上げよう」

 と、ふたりで顔を寄せてオレグ議員に云うさまは、何と云うか、悪だくみをしているようにしか見えないのだが。

 とは云え、このふたりの知る“ガルマ”像は、概ね自分が吹きこんだものだったから、あまりどうこう云えた義理ではないのかも知れなかった。

 さて、それにしても、オレグ議員も現れ、原作軸における一年戦争あたりの主要な政治家は揃ったとも云える。揃ってこれ、と云うのは、ムンゾの層の薄さを思い知らされたような恰好だが――まぁ、敵対されるよりは数段良いのだ。この先は、この三人とともに、戦争前後のムンゾの舵取りをしていくことになるか。

「――何はともあれ、宜しくお願い致しますぞ、オレグ議員」

 そう云ってやれば、オレグ議員は、やや当惑った様子ながらも、はっきりと頷きを返してきた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 32【転生】

 

 

 

 なるほど、ニュータイプ研究所。

 表向きは医療施設みたいに見えたけど、中に入ったらそうじゃないことに気がついた。

 だっていやがるし、フラナガン。

 完全に特殊部隊と化したデラーズたちに連行されて来たおれを、目を白黒させて見ている。

「……ガルマ様ですね?」

「そうです」

「私はこの研究所を預かっている、フラナガン

・ロスと申します」

 お前か。うちの子供達をひどい目に遭わせやがった野郎は。

 ゾルタンの心の中にあった、怒りと悲しみと不安と、ミルシュカの泣き顔を思い出す。

 マリオンの沈鬱な面差しを。フロルの中に刻まれてた怯えを。

「……僕の大切な子供達が、以前、こちらで“お世話に”なっていましたね?」

 ゆっくりと唇を引き上げる。微笑みの形に。

 ジワリと込み上げる黒いものを隠さずに視線を向ければ、フラナガンは3歩ほど後ずさった。

 絶許の中に、お前も入ってんだよ、フラナガン・ロス。“ギレン”が支持してるから、すぐさまどうこうする気は無いけどさ。

 デラーズの大きな手が肩に乗り、おれを引き戻すように動く。

 放してよ。なにもしやしないさ。いまは、まだ。

「そ、その節は誠に。ギレン総帥閣下よりご指摘を受けた件については、即座に改善し、二度と同様のことが起こらないようにと、厳しく措置を取らせて頂いております!」

 いやその措置の対象お前だからね。

「今は非道的なことは何もしてらっしゃらないと?」

「もちろんです!」

「……被験者たちと会うことは?」

「ご随意になさってください!」

 冷や汗をかいたフラナガンが叫び、コクコクと何度も頷いた。

 見届けて、殺気を消す。

 それから肩に置かれたままの、デラーズの手をゆっくりと外した。

「ところで、僕何も聞いてないんですけど。なぜここに?」

 士官学校からてっきり自宅に戻されると思ってたのに、変なとこに連れてかれるから不安に思ってたんだよ。

 まさかフラナガン機関とは思わなかったけど。どういうことさ?

「閣下のご指示ですよ。ニュータイプとして、博士に協力するようにと。期間は3ヶ月です」

 まだ警戒した素振りでデラーズが答えた。

 えええ。“ギレン”、おれをニュータイプとしては認めんって言ってなかったっけ?

「僕に被験体になれと?」

 モルモットになってこいって、つまりそういうこと?

 いじくりまわされるの嫌いなんだけど。

 ギロリと博士に目をやれば、ぶるりと大きく震えられた。

「大層な実験などはありません。ただ、サイコウェーブを測らせていただきたいのと、それによって機器などにアクセスができるか、お試しいただきたいのです」

 ふぅん? サイコミュってことかな。

「具体的には………『?』」

 不意にレセプターがチリリと震えた。

 僅かな痛み。新しい思考波を拾ってる。

「『……誰?』」

 誰かいるの?

 宙に視線がさまよう。ここじゃないどこか。同じ建物の中。

 “意識”が拡がって、その先にある誰かを探しに行く。繰り返してきたからもう慣れた。

「『3人いる。でも繋がらない……いや、繋がるか』」

 ひとり。こっちを感知して、警戒してる。

 “視点”を合わせれば――“視えた”。

 ニュータイプだ。少女――……美少女じゃないのさ。

 虚空を越えて睨みつけてくる眼は、冬の空を思わせるアイスブルー。流れ落ちる長い髪も冷たげな銀の色。透き通るみたいな白い肌。

 けっこう強いな。キャスバルやアムロ、ララァ程じゃないけど。マリオンと同程度か。

『……あなた、もしかして、ガルマ・ザビ?』

『そう。君は?』

『セレーナよ、セレーナ・リリー・クラーク。あなたもニュータイプなの?』

『そうらしいね』

 一瞬のお喋り。そして。

『……これはなんだ!?』

 もうひとり。こっちは――ダンディだな。口髭を整えたオジサン。

 あれ、見たことある。多分、元祖“木星帰りの男”。

『えぇと。シャリア・ブル?』

『何者だ!?』

『“ガルマ・ザビ”です』

『は? な、何が……??』

『なにこれ?……ねぇ、誰かいるの? 頭の中で声がするわ?』

 今度は女性だ。緩くウェーブした栗色の髪の。こっちも美人だ。少しだけ年上かな。ちょっと色っぽい感じの。

『“ガルマ・ザビ”ですってば。あなたは?』

『クスコ・アルよ』

『ここのニュータイプは貴方達だけ?』

『今はな。時々、増えたり減ったりしている』

 増えたりはともかく、減ったりは平和裏にだよ

ね? まさか、処分されたりしてないだろうな。

 取り敢えず、“お仲間”なら会ってみたい――ってことで。

「『僕は、ここに居ます。よろしければ、皆さんにお会いしたいです』」

 呼びかける。そして、位置を投影――直ぐに3人から了承が。

「……いまのは…」

 デラーズが目を剥いている。

「素晴らしい!! これまでのどの被験体より素晴らしい!! 早速、実験を…」

 フラナガンは手を打って身を乗り出してきて、おれの睨みを受けて一歩下がった。

 それでも双眸はギラギラしてる――うわ。マッドだコイツ。知ってたけど。

「ひとつ断っておきますが、僕は……我々は協力者であって、都合の良い実験体ではありません。無理強いができるとは思わないで下さいね」

 口調はお願いだが、実質は宣言だ。視線と表情で圧を掛ける。

 いつかの世界線での“ニタ研”の闇は、とんでもなく深かった。描かれていない影で、悲惨な末路を辿った“被験体”がどれほど居たことか。

 その殆どが子供であった筈だ。

 目の前のこの男も、“ギレン”にガサ入れされるまでは、同じような事をしていた訳だから、油断はできない。

 勿論ですと、口では返してくる博士に冷たい視線を向けていれば、ノックと共に扉が開いた。

 視界に銀色の光が溢れる。

 ツカツカと歩み寄ってくる少女の双眸は、氷に映った蒼天みたいな色。さっきも思ったけど、冬の精霊みたいだ。

「『はじめまして。クラーク嬢』」

「『セレナって呼んで良いわ』」

「『では、僕のことは“ガルマ”と』」

 ニコリと微笑めば、ツンと澄ました表情が返ってきた。

 伸ばされた指先に口付ける。

 立ち居振る舞いから見るに、出自は良さそう。でも、過去にパーティーとかでは会ったことは無い。

 これだけの美少女なら噂になっててもおかしくないんだが。

 内心で首をひねる。

 と、更に戸口に二人、目を丸くしてる男女が現れた。

「ほんとうに居たわ」

「……驚いたな」

 そんな。UMAでも見つけたみたいに言わないで欲しい。

「『おふた方にも。改めてはじめまして。どうか“ガルマ”とお呼びください』」

「『ふふ。改めてよろしくね』」

「『はい。レディ・アル』」

「『よろしく頼む』」

「『こちらこそよろしくお願いします。Mr.ブル』」

 先に名乗り合ってるからね。割とすんなりと。

 蚊帳の外のフラナガンが、どうにかして割込もうとしてるけど、さり気なく黙殺。

『………ガルマは博士が嫌いなのね』

 早くも思考波だけの会話に慣れたらしいセレナが。

『好きじゃない。僕の大事な子どもたちに酷いことをしたからね』

 ジワリと滲み出た怒りに、3人がビクリと震えた。いかん。怖がらせるつもりは無いんだ。

『ごめん。泣き顔を思い出したから、つい……』

 眉を下げて謝る。

『……それなら、仕方ないわね』

 レディ・アルが緩く笑って肩に手をおいた。

『博士、ときどきとても怖い目をするもの。私も好きじゃないわ』

 すぐ近くで、ふっくらした唇が蠱惑的に窄められる――けど、意識してのコトじゃないね、これ。わりとパーソナルスペースが狭いのか。周りの男が誤解しそうだ。

『その子達もニュータイプなの?』

 今度はセレナが反対側の腕に寄り添う。

『そうだよ。僕より強い子達だ』

『会ってみたい』

 あれ、意図せず両手に大輪の花状態なんだが。

 眉間を険しくしたデラーズが咳払いしてる。

「『……なかなか難しい。言葉で話す方が私は楽だな』」

 とは、シャリア・ブルの言葉。

 思考波で伝えようとすることが、そのまま口から出ちゃうんだろう。

「『あら、じゃあ貴方とは内緒話はできないわね』」

 レディ・アルが揶揄かうように。

「『コソコソするのは性分ではないな』」

 マジレスするあたり、真面目なんだな、シャリア・ブル。

 いつもより意識を絞って、読ませるのは表層だけに留める。

 割とコントロールに気を遣う。コレも訓練か。

 確かに、この先、こんな風にゴロゴロとニュータイプが出てきたら、ありのままの意識を読ませるのは得策じゃない。

 連邦側にだって出てこないとは限らないし。

 ブラフをかけられるくらいには、あらかじめ研いどく必要がありそう。

 おれが出来るようになれば、キャスバル達だって直ぐにスキルを獲得できるだろう。

 ん。ここへ来て目標が一つできたな。

 そんなおれの横で。

「本当に素晴らしい! これが総帥閣下がかつて言っていた、“覚醒したニュータイプは、ニュータイプ予備軍と交わることによって、その覚醒を無意識に促す”という事か……!!」

 フラナガンはまだギラギラプルプルしてた。気持ち悪いな。

 取り敢えず、挨拶は滞りなく。それから施設内を案内された。

 何故かデラーズもくっついてきてる――だから、なんにもしないってば。いまは、まだ。

 行く先々で紹介される職員たちは、似たりよったりのマッドが多かったけど、数人、まともそうな人達も居た。

 中でもルーナ・アベイルと名乗った女性は、なんと“ギレン”から派遣されてきた監査って話だ。

 ちゃんと監視がいるのだな。良かったわー。

 緑の瞳に理知的な光を浮かべ、長い黒髪を纏めて結い上げた彼女は、その出で立ちに反して愛らしい少女のようにしか見えなかったが。

 初見では被験体と勘違いするところだったよ。

 恐るべし日系童顔。二十代半ばって嘘だろ。

「局長から聞いています。ノーマンが酷いことをしたって。本当にごめんなさい」

 申し訳なさそうな顔をされると、十代の少女を虐げてるような気になるから止めて欲しい。

 タジタジしながら首を傾げる。

「……ノーマン? もしかしてモーブス中尉のこととですか?」

 あの鬼畜眼鏡をファーストネームで呼ぶ仲なのか。

「ええ。同じ部署なの」

 そうか、監査局。

「では、僕のことは色々聞いてますね?」

 苦笑い。あの鬼畜眼鏡野郎なら、あるコトないコトさぞかし吹き込んでやがるだろう。悪魔とか悪魔とか。

「やり過ぎたって言ってたわ。反省してた」

 それ、“可哀想な事をした”じゃなくて、“やり方を間違えた”の方の反省だよね。“次はもっと上手くやる”ってやつ。分かる。

 アレは絶対に“そういう男”だ。

 なんて思ってることは当然、表には出さない。

「僕も、失礼な発言がありましたしね。もうあんなことが無いなら、それで良いです」

 ニコリと。

「『ガルマはその人のこと嫌いなの?』」

 っと、セリナ嬢。そこ突っ込んで来ちゃうのか。

「『――仕事熱心な方だとは思いますけど。期限が知れない中、2週間も乾いたパンと味と具のないスープだけの提供、それに最後にはシャワーから水しか出なくなったあの仕打ちはちょっと……』」

 まだ赦せてないわ。

「『なんと……!』」

「『酷いわ!』」

 言葉にするとインパクトがあったのか、ニュータイプ組が絶句する。

 思考波で話してるから、嘘じゃないと知れるし。

 そこまでは聞いてなかったのか、レディ・アベイルが顔を赤くしてプルプルしだした。

 目がつり上がってるのは、怒ってるのか。

 可愛すぎてあんまり怖くないな。

「全面的に謝罪させます!」

 って、そんな。

 あのサディスト眼鏡にそんな要求が出来るほど、立場が上なのか、レディ・アベイル。

 ってことは少なくとも中尉以上ってこと? 大尉か、まさかの佐官とか?

 まぁ、“ギレン”が派遣してきてるんだから、それなりの権限持ちだろうし、有能に違いないさ。

 チームで来てるみたいだし、おれ達の人権確保の心配はなさそうだと、こっそり胸を撫で下ろした。

 

 

 

 思考波でデバイスを操作するのは面白かった。

 思う通りに金属のアームを操ったり、ときには義手や義足を動かすテストなんかもあった。

 殆どが明瞭に意識して操作するものだったけど、なかに一つとんでもなく反応が良いのがあって、おれが気分を害した瞬間、意識する前にフラナガンをはたいた。

 博士ポカン。スタッフ大興奮。

 人望がないのか、めちゃくちゃ喜んでいる研究員もいた。

 他のニュータイプ組も、最初こそ苦心してたけど、おれの思考波の動きからコツを掴んだんだろう、すぐに3人ともに動かせるようになった。

 はたかれたりなんだりしてても、研究成果が上がるのが嬉しいのか、フラナガンはずっと上機嫌だった。

 数日後。おれは出席できなかったけど、士官学校の卒業式が終わり、キャスバルもズムシティに帰ってきてるようだった。

 ラップトップからメッセージ送り、すぐに会う算段をする。

 おれの外出を博士は渋ったけど、レディ・アベイルが了承させた。見事な手腕だった。

 キャスバルがこっちに来ると、フラナガンがまたぞろ企みそうだったから、待ち合わせは市内にした。

 おれより強いニュータイプに、マッドが飛びつかないわけ無いからね。

 レトロな黒縁メガネに、だぶついたグレーのパーカーとベージュのボトム。その辺の学生を装ってみたけど。

「『似合わない』」

「『野暮ったいわね』」

 ニュータイプ女性陣二人からダメ出しが来た。

 レディ・アベイルも口にこそ出さないが、下がった眉が雄弁である。

「『……何と言うか、その……いかにも変装といった感じだな』」

 シャリア・ブルは言葉を選んでくれたみたい。

 まぁね、本気の変装術をここで披露するわけにもいかんから、なおざりで済ませてみたら、どうもなおざり過ぎたらしい。

「市内を歩くわけではないないのよね?」

「『待ち合わせの場所に着けば、後は向こうに“足”があります』」

 答えると、レディ・アベイルは一つ頷いた。

「そしたら迎えを呼ぶわ。待ち合わせの場所まで送らせる」

「『……いいんですか?』」

「大丈夫。今なら暇してるだろうから」

 いい機会だと緑の瞳をきらめかせ、どこかに連絡するべく彼女は去っていった。

 見送っていると、セレナに腕を掴まれた。なぜか反対の腕はクスコが。

 シャリアブルは、少し憐れむような視線を向けてから、やんわりと微笑んだ。

「『良い休暇をな。その前に、まぁ、身嗜みも必要だろうから……つまり、諦めなさい』」

 ――何をさ!?

「『似合う服を見繕ってあげる』」

「『ふふふ。着せ替えって楽しいわよね』」

 ちょっと待って、おれ、お人形じゃないんだ!

 助けてと伸ばした手を見ないふりで去っていく男の背中に、ギリギリと“念”を送る。

 ――次の犠牲者はお前だぞ! シャリア・ブル!!

 それから、散々あれこれと着せられた。

 手持ちの服じゃないと思ったら、なんと彼女たちの服。やめて。入らないし。変装以外で女装は嫌だったら。

「『大丈夫、これジュンダーレスだから』」

「『そもそもサイズがだね』」

「『これ大きかったの』」

「『……クスコ、セレナを止めてよ』」

「『いいじゃない。似合ってるわ』」

 ――味方がいない!

 時間だからと、なんとか着せ替え遊びから逃げ出して、つまるところは……多分、無難なラインに落ち着いた――と、思いたい。

 ピンクを基調としたプリントシャツは、どちらかと言わずとも可愛い系だし、救いはそれ以外がグリーンとグレーで纏まってることか。

 髪にピンまで飾られたし。

「可愛いわ」

 呼びに来たレディ・アベイルが褒めてはくれるけど。

「……出来れば格好良くありたいんですよ」

 そこだよね。

 うぅ。後でキャスバルに笑われそう。

「車は正面につけてもらったから。行き先を言えば連れてってくれるわ」

「ありがとうございます」

 エントランスを出れば、停まっていた車から。

「…………………………モーブス中尉?」

「……………………………………………………どうも」

 サディスト眼鏡が降りてきた。

 ――送迎お前かよ。

 その瞬間に流れた何とも言えない空気を、レディ・アベイルだけが華麗にスルーした。

「ちゃんと謝罪しなさいって、私さっき言ったわよね」

 腕を組んで、顎を上げてサド眼鏡を睨め上げる姿は、中々に迫力があった――可愛らしくはあるんだけどさ。

 モーブスは薄緑の目をショボショボさせた。

「………その節はまことに…」

「約束の時間が迫っているので、続きは車内で」

 遮って、レディに会釈。

「そうね。いってらっしゃい、ガルマさん」

「行って参ります。帰りは明日、お昼頃に」

 後部座席に乗り込めば、モーブスも運転席に戻った。

 走り出しは滑らかで、随分と丁寧な運転をするのだなと思った。

 しばらく車内は無言だった。

 流れていく景色は日常のそれで、穏やかと言って差し支えなかった。

 ボンヤリしながら口を開く。

「……彼女とはどういう関係なんです?」

「おや、私のプライベートに興味が?」

「所属部署での話しですよ」

 野郎のプライベートに興味なんかない。

 だけど不思議じゃないか。多分年下だろうレディ・アベイルが、この一癖ある男にあれだけ強く出られるってのはさ。

「ああ見えて才媛ですよ、彼女は」

「そうでしょうとも。そうでなかったら、“ギレン兄様”が派遣するはずがないもの」

 徹底した能力主義だからね、“ギレン”。そして適材適所。

「彼女もムンゾ大学法学部卒ですよ。ドライバウム教授に師事していました。あなたの朋輩ですね」

「そうらしいですね。それで、あなたとは?」

 連邦のネズミとどんな関係さ?

「別に。強いて言えば、部署の先輩でしょうか」

「ふぅん」

 それだけであれだけ強く出られるとは思ってないけど。まあいいや。そんなに興味があるわけでもないし。

 それきり黙ったおれに、サド眼鏡はチラリと視線を投げてきた。

「ニュータイプだったんですね」

「そう」

「どんなもんなんです?」

「どうなんだろう。友人達は気にしないし、巷で言われるように、他人の心が見えるわけでもないし」

「……見えないんですか?」

 意外そうな声だった。

「見えません。同じニュータイプ同士なら、言葉じゃなく交流もできるけど、それ以外とは別に」

 “ノイズ”として聞くことはあっても、はっきりとしたそれが聞こえるわけでもない。

 またしばらく沈黙が落ちて、それからモーブスが低く笑った。

「後で聞かれたら、謝ったことにしといてください。どうせ不要でしょう?」

「そうですね」

 別に謝るようなことでもない。すべては目的のための手段だった。

 多少やり過ぎの感はあるけど、おれ以外であればきっと効果的だったろうね。

「今後のために一つ伝えておきます」

「何でしょう?」

「まどろっこしい遣り方はしないで、まっすぐ聞いてください」

「それで答えてくれると?」

「搦め手だろうが、直接来ようが、結果は変わらないってことです」

 答えたきゃ答えるし、気が乗らなきゃ答えない。

 モーブスはフンと鼻を鳴らした。

 そろそろ、車は目的地に着こうとしていた。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「『キャスバル!』」

 ガバリと張り付いたらベリッと剥がされた。

 数日ぶりの再会なのに、冷たいわー。

「『なんだその格好は』」

「『……可愛いわ』」

 キャスバルも、一緒に連れてきて貰ったララァも顔を顰めている。

 ララァ、言葉は褒めてんのに、なんでそんな顔すんの。

「『ニュータイプ研究所の女の子達に着せ替えられたんだよ。変装が野暮った過ぎるって』」

 これでも抑えて貰ったのに。

「『それで粧し込んでどうする』」

「『それはレディ達に言ってよ』」

 肩を竦めて苦笑い。

「『相変わらず女の人に甘いのね。アルテイシアさんに言いつけてやる』」

「『やめてください。お願いします』」

 90度に腰を折って懇願。

「『……それで、潜伏先は割れてるんだろうな?』」

 その言い方だと、“ギレン”がテロリストか何かみたいなんだが。ちょっと笑える。

 卒業早々に“ギレン”に何かやり込められたらしきキャスバルの青い眼は、報復を望んでギラギラしていた。

 ララァの方は、どうも“憧れのひと”らしき“ギレン”に会えるかもって期待でキラキラさせてる。

 対象的なふたりである。

「『もちろん。とっくに特定した。セキュリティが厄介だったけど、その辺も手を尽くしたから大丈夫!』」

 “蛇の道は蛇”。協力者のタイプは様々だ。

 お願いしたら、合鍵と入室コードが届いた。生体認証は、あらかじめパス出来るようにモデル登録しといてもらったし。

 キャスバル達の護衛兼送迎はラルの部下で、フラット時代からの付き合いの彼は、おれ達の遣り取りに顔を歪めた。

「良からぬ企みに加担させられている気がする……」

「『問題ないです。貴方は職務を全うしてるだけですので』」

 護衛と送迎って言うね。それ以外はミッションに入ってないから気にすんな。

「……」

 その小声の「悪ガキ共め」って聞こえてるからね。

「『頼んでおいたものは?』」

「全て用意してありますよ」

 トランクと座席の一部にみっちりと詰まった荷物を確認。ん。いい感じだ。

「『こんなにどうするの?』」

「『どうせ、なんにも用意しちゃいないだろうからね』」

 鍋釜に始まって調理器具一式に食材に食器も。あとは人を駄目にするクッションソファとか、寛ぎグッズ。

 さて、待ち伏せといこうかね。

 “ギレン”の新しい住まいは、キャスバルのフラットから遠くなかった。

 ムンゾの一等地って言ったら、まあ、近所になっちゃうかね。だけどあっちが時代めかした重厚な建造物が多いのに対して、こっちはお洒落でモダンだ。

 ムンゾの常として、建物自体は密集してはいるけど、比較的余裕のあるスペース――懐にも余裕のある人達が住んでる感じ。

 とは言え、軍総帥の住まいとしては相応しからず。

 まさかこんなトコに“ギレン”が住んでるとはみんな思わないだろう。隠れ家としては良いチョイスだね、タチ。

 きっと必死で探し回ったんだろう“伝書鳩”の親玉を思って含み笑う。

「『……よく見つけたな』」

「『その辺はね。タチもおれに色々貼り付けてるけど、おれはおれでそれなりに網張ってんのさ』」

「『一度、君の交友範囲を詳らかにした方が良いんだろうか……?』」

 まさか。ソースを明かすわけ無いだろ。

「『ここにギレンさんが住んでるのね!』」

 ララァは純粋にキラキラしてる。

 5階にある角部屋に直行。荷物を搬入するラルの部下だけは文句を零してたけど、有名美人歌手のプレミアムチケットを握らせたら、ホクホクした顔で黙った。

 それにしても。

 ――あんまり帰ってないな。

 何処のモデルルームかと言いたくなるくらい生活感が無い。

 荷物がない。ゴミもない。シンクピカピカ。

 一応覗いてみた寝室には、スーツケースが2つ。ベッドのシーツには皺があったから、眠った形跡はある。

 シャワールームは……一応使ってはいるみたい。使いかけのボディーソープが一つ。

 ――ヲイ、シャンプーどこだよ?

 丸洗い疑惑発生。

 ホントに寝に帰ってるだけだな。

 コレで人生楽しいのかな――と、思ってから、それなりに楽しいんだろうな、と思い直した。

 “昔”から3度の飯より政治が好きだった。謀略とか策略とか調略とか。基本企んでるヒトだし。

 政治と活字があれば、そこそこ満足なんだろう。

 そして、いまのとこムンゾは、ギリギリで“ギレン”が望む方向に動いてる。

 だけど、人生には“潤い”も必要だと思うからさ。気の利く“弟”からのサプライズを受け取るが良いよ。

 冷たい感じのする室内を寛げる環境に変えれば、早速、キャスバルが人を駄目にするクッションソファに沈みこんで動かなくなった。

 これは当分立ち上がってこないだろうと諦めて、キッチンへ。

「『何を作るの?』」

「『トリッパ。“ギレン”の好物だけど、ムンゾでは一般的じゃないから、家でも出ないんだ』」

 牛の胃の煮込み料理。

 丁寧に処理をして、下茹で――横から細々と口と手を出しながらも、基本はララァに任せる。

 頑張って“ギレン”の胃袋を鷲掴むといい。

 トマトソースをたっぷり。セロリやハーブに加えて、好みで豆類も――店で出すというよりは家庭料理に近いかな。

 隣で、別の料理にも着手する。

 じゃがいもを茹でて、小麦粉と合わせて練ってニョッキに。ゴルゴンゾーラでも良いけど、ララァが苦手みたいだから、今日はカマンベールでいこう。

『……ポルチーニも好きだぞ』

 思考波でしか喋らなくなったキャスバルが――どこまで寛ぐつもりなんだ。

「『抜かりはないよ。フェットチーネにするつもり』」

『アンティパストは?』

「『アボガドと小エビのカクテル。セロリのムース。定番のブルスケッタ』」

 加えて、ミラノ風カツレツ。リゾットは3種のチーズ。めんどくせぇな。

 どれもこれも“ギレン”の好物だ。

 一番時間のかかるトリッパを煮込みながら、すべての下準備を先に済ませておく。

 実際に食べるときに出来立てを提供したいからね――その時がきたら、おれだけ戦場だ。

「『凄いごちそうね!』」

「『そう思ってくれると嬉しいね。今度は中華か、それともターリーにでもしてみようか?』」

 カリーは“ギレン”も好きだし、スパイスを抑えたのも用意すれば子供らも喜びそう。

 とは言え、それはだいぶ先の話になりそうだ――おれにはこの先、しばらくムンゾを離れることになる様だし。

「『ララァ。アルテイシアを味方につけるんだ。執事と女中頭、それから厨房長にもお願いしてあるから、仲良くね』」

 将来、本当に“ギレン”を落とすにしても、キャスバルかアムロを選ぶにしても、その辺りの味方は必要だよ。

 新緑の瞳を瞬かせて、ララァが小鳥みたいに首を傾げた。

「『……ガルマは味方?』」

「『もちろん』」

 どんな未来を選ぶんだとしても、幸せになれるよう全面的に協力する所存。

「『なら、良いわ』」

 ニコニコしながら鍋を覗き込む少女はとても楽しそうで、それがとても嬉しい。

『……“ギレン”は本当に今日帰ってくるのかい?』

 帰らなかったら料理が無駄になるとか、そんな心配してるんだろうけど。

「『帰る。タチが首に縄かけてでも連れ帰ってくるよ』」

『何処の情報だ?』

「『“鳩”さ。裏取引したんだ』」

 答えると、キャスバルがソファから身を起こしてキッチンまで来た。しかめ面でも美形って何だよ。

「『“伝書鳩”は買収できないはずだ。何と引き換えた?』」

「『ワッケインの愚痴だよ』」

 疲れた男が、唯一憩える場所で零す弱音やら愚痴やら。

 その辺の野郎ならともかく、ワッケインは連邦の准将だ。おれに溢してどうすんのってネタがわんさかあった。そりゃ、機密事項までは喋らんけど、スレスレの情報とかね。

 あれこれ含まれる連邦側の人間関係だって、“鳩”にしてみりゃ美味しく頂ける“餌”ってコト。

 まぁ、それ以外の事でも取引はしたけど。

「『“ギレン”は帰ってくる。タチとデラーズも来るから、これだけあっても食べきれるだろ』」

 ひとまず下準備は完了。

 “ギレン”が執務室を出たら直ぐに連絡が入るから、それまでは休憩だ。

 鍋の様子が気になって仕方ないララァをキッチンに残して、リビングで過ごす。

 またしても、人を駄目にするクッションソファを占拠するキャスバルの隣にもぞもぞ身体をねじ込ませれば。

『狭い。なんだ』

『また暫く離れなきゃなんないからさ、補充』

『できるのか?』

『できない。さみしい』

 地球に降りてからこっち、なにかと引き離されてばかりだ。

 意識に触れるこの思考波が無いと、ときどき叫びたいほど苦しくなる。

 おれの“脳”は、キャスバルを自分の一部だと認識してるんじゃないかな。

 だから、離れると捥れたみたいに不安定になって苦しい。

 寂しい淋しいとごねるおれの“意識”を、キャスバルの思考波が仕方がないと言うように撫でている。

「『……戻ってこい』」

「『戻るとも! お前以外の誰がおれの手綱を取るのさ』」

 ガルシア・ロメオには取らせないし。反対に、どう操ってくれようかと画策するだけだ。

 先だっての駐屯地爆撃の責を負って、おれは兵卒で入隊する。つまり、下っ端。底辺から出発ってこと。

 対するキャスバルは、ザビ家の秘蔵っ子として、華々しいスタートを切るだろう。

 そこでもおれ達には隔たりが出来る。

 せめて准尉まで昇らなきゃ、キャスバルの傍には戻れないんだ。

 それには武功を立てないと。

 敢えて戦争を望むわけじゃないけど、戦乱の中でしか機会は無いんだから複雑だ。

「『……おれの居場所、シンにあげないでよね』」

 あの半年間のあと、キャスバルの隣に陣取ってるシン・マツナガは、この先も同じ部署への配属となる。

 頼れる男だからさ。安心する反面、嫉妬もするんだ。

「『前にも言っただろう。そうなる前に、さっさと戻れ』」

「『……はいよ。りょーかい』」

 そんな風に過ごしてたら、ラップトップにメッセージが届いた。

 短いテキスト。ん。じゃ、仕上げちゃおうかね。

 キッチンに戻ると、まだララァは鍋と睨めっこをしてた。

「『そろそろ火を止めていいよ』」

「『美味しくできたかしら』」

 新緑の瞳が少し不安そうに瞬いた。

「『味見してごらん』」

「『ガルマ、食べてみて』」

「『りょーかい』」

 小皿に盛って含んでみれば、ん。

「『いい味。“ギレン”の好みだ』」

「『よかった!』」

 飛び上がらんばかりに喜ぶ様は、めちゃくちゃ愛らしいね。

「『この調子で、他のも仕上げちゃおう』」

 腕まくりして取りかかる横で、少女は健気にお手伝い。

 構成はフルコースだけど、実際はテーブルにドバっと並べる感じ。いちいち給仕が大変だからね。

「『そろそろ来るぞ』」

 キャスバルが促してくる。

「『お前も手伝ってよ』」

 そこで嫌な顔をしない!

「『……何を手伝えと?』」

「『ブルケスッタ。そこにあるトマトとオリーブ乗せといて。スプーンで盛るだけ』」

「『わかった』」

「『終わったら、リフリジェレイターからムースとカクテル出して』」

「『……わかった』」

 ソファで寝てばっかりで居られると思うなよ。

 こちとら、牛のカツレツとパスタとリゾットが同時進行なんだ。

 “ギレン”がタチとデラーズに引きずられて帰って来たのと、リゾットが出来上がるのとほぼ同時だった。

 ミラノ風カツレツはそろそろ余熱で仕上がるし、ポルチーニのフェットチーネも、もう出来る。

「『あー、おかえりー』」

 呼びかけたのに。

「帰る!!」

 って、自宅からどこに帰るの? 実家??

「あんた何処に帰る気ですよ!? 良いから家ん中にお入りなさい!!」

 ほら、タチが切れてるし。

「……なぜここにガルマ様たちが……」

 デラーズが呆然と問いかけてくるけど、その前にその銃しまってよ。ララァが怖がるじゃないか。

「そうですよ! あんたたちも何で居るんだ!? セキュリティはどうしたんです!? 不法侵入だ!!」

「『やだなぁ、そんなにキレ散らかして。落ち着いてくださいよ。食事の支度もできてるんです』」

 やれやれと肩を竦めて、ため息を落とす。

 一連の騒動に、キャスバルが腹を抱えて笑ってる。

 取り乱した“ギレン”がツボに入ったらしい。

 エントランスからリビングにかけては、ちょっとしたカオスだった。

 “ギレン”はおれの顔を見て、ギリリと怒りの表情を見せたけど、それ以上におれが怒ってることにすぐに気付いて、ぱちくりと目を瞬かせた。

 そう。実は怒ってんの。かなり深く。

 顎をしゃくって、部屋の中に戻る。

 おれの放つ空気に気づいた面々は、それぞれ顔を見合わせて、何事かと思案してるようだったけど。

「『早くおいで、せっかくの料理が冷めちゃうよ。帰宅組は、ちゃんと手を洗ってね』」

 とりあえず美味しくいただこう。

 話はそれからだ。

 テーブルにこれでもかと並び立てた品々に、目を丸くしてるのは、タチとデラーズだった。

 “ギレン”は珍しく神妙な顔で、こっちの出方を伺う様子だったけど、すぐにララァの期待に満ちた眼差しにタジタジになってるし。

 その様子を、キャスバルが意地悪そうにニヤニヤしながら見てる。

「『ワインは適当に見繕ってきたから、好きなの開けて』」

 と、差し出してみたものの、誰も栓を開けなかった。

 表面上は和やかに食事は進む。

 ララァの視線に応えるためにか、“ギレン”はトリッパを口に運び、数回「美味い」と褒めていた。

 ララァの笑顔が輝いていたことは、言うまでもなかろうよ。

 あれだけ作った料理も、それぞれの胃袋に収納されて、皿はとうとう空っぽになった。

 食後のコーヒーを用意して。

「『取引をしよう』」

 切り出せば、“ギレン”は酷く警戒した顔を見せた――鍵の壊れかけた猛獣の檻の前にいる人のような。

「取引、とは」

「『あの子たちのことだよ』」

 そう言うと、“ギレン”はようやくおれが何に憤ってるのか思い当たった様子だった。

 そう。おれのことは、取り敢えず、今は良い。

 長年に渡り蔑ろにされてきたのも、いきなりニュータイプ研究所に突っ込まれた事も置いておく。

 兵卒でのスタートについては、仕方がないと納得もしてる。

 腹立たしいのは、おれの大事な子供たちの事だ。

「『“ギレン”が実家を出た経緯は聞いてる。戻れとは言わない。だけど、あの子達をいきなり放りだすことは赦さないよ』」

 アムロも、ゾルタンもミルシュカも、“ギレン”のことを保護者だと思ってるんだ。

 残念ながら、おれとキャスバルは仲間枠だから、保護者にはなれてない。

 そんな中、“ギレン”が出て行ったことで彼らがどう思ったか、多分、想像すらしてねぇんだろ。

 アムロは母親から置いていかれ、父親からは放置されてるし、ゾルタン達は実の親からニュータイプ研究所に売られたんだ。

 あの子達は、今度のことで“また捨てられた”って嘆いてるんだ。

 おれの大事な子供達を、よくも泣かしてくれたね、“ギレン”?

「『月に数回、あの子達と過ごす機会を設けて。忙しいのは百も承知。否となれば、この先、穏便に過ごせる場所なんて無いって思うと良いよ』」

 それが、軍の執務室であっても。

 地球で起こしたアレコレの惨劇――こっちでは流石に手加減するけど――を、まさかムンゾで繰り返したいとは思うまい。

 目をカッぴらいて“ギレン”を睨む。

 “ギレン”もギリギリ睨んでくるけど、負けると思ってんの?

 こないだ考えた10のプランを炸裂させてやろうか。

 見交わす先で、深々と溜め息を落とした“ギレン”が視線を逸らした。

「……それに関しては、思慮が足りなかった。反省している」

 ボソボソと回答が。

「『ホントにね。あの子たちにとっては、“ギレン”こそが“父親”みたいなもんなんだし。ちゃんと自覚しといてよ』」

「――あぁ、そうだな」

 “ギレン”の視線が戻ってくる。

 さぁ、反省したなら取引といこうか。

「『叶えてくれるなら、おれは開戦のその時まで、全てにおいて“報連相”を徹底するよ。“伝書鳩”にちょっかいも掛けない。おとなしく軍務を全うする』」

 約束しよう。

 縛りは大嫌いだけど、あの子達のためなら我慢もしようさ。“鎖”も“檻”も甘んじて受け入れる。

 真っ直ぐに“ギレン”を見る。

 両隣で、ララァは祈るみたいに手を組んでるし、伝書鳩の親玉は、口パクで“受け入れなさい!!”と声無き叫びを上げていた。

 沈黙は短かった。

「……月に二回、私が休みの日に、泊りがけで来させよう。客間は二つある、雑魚寝になるが、構うまい?」

「『いいの!?』」

 おれより先に、ララァが飛びついた。

「アムロやゾルタン、ミルシュカもだ。シロッコが引率してくれば問題あるまい? 食事は――まぁ、簡単なものなら作れなくもないし」

「『わたしが作るわ!』」

 今回のことで自信を持ったんだろう。ニコニコしてる少女の為に、厨房にさらなるレシピ伝授をお願いしておこうかな。

「『じゃ、そういうことで。必要なものはある程度揃えといたけど、足りなかったら執事かメイド頭に言えば用意してくれるから』」

 持ってきた鍋窯、食器類やその他諸々は、実のところコレを想定してた訳だ。

 タチが今更ながら周りを見回して身震いしてる。

 デラーズは、ジッとコーヒーの表面を見つめてるだけだった――お代わりかな?

「ここにもコンシェルジュが居るが」

「『あの子達の好みは知らないでしょ』」

 色々細々とあるんだよ。

「『念のため、おれの生体認証登録はそのままにしといて。消してもまた入れるけど、面倒だし』」

 渋々でも頷いたのを見届けて。

 さて、じゃあそろそろ撤収しようかな。

 後片付けを済ませ、渋るララァを宥めすかし、またしてもソファに埋まってるキャスバルを掘り起こすようにして“ギレン”宅を後にする。

 幸い、タチがザビ邸まで送ってくれるとの事だった。

 車内で、うつらうつらし始めたララァが肩に凭れてきた頃に。

「……で、誰なんです? 我々を売ったのは」

 タチが唇を歪めて問いかけてきた。

 秘密裏に用意した筈の“ギレン”の新居を特定し、あまつさえセキュリティまで破って見せた。不定期な帰宅を予見してるし、そりゃ身内に内通者が居るって考えるのは自然だ。

「『見当ついてるんでしょ』」

 おれと取引した相手も、その条件も。

「…………アンタ、本当に、おとなしくなるんでしょうね?」

「『疑うの?』」

 ぷくりと膨れる。あの子達を守る為の条件を、おれが破るわけ無いだろ。

「『信じていい』」

 答えたのはキャスバルだった。長い指が手の甲を宥めるように撫でていく。

 タチは鼻を鳴らしただけだった。

 

 

「おかえりなさい、ガルマ、ララァ。いらっしゃい、キャスバル兄様」

 遅い時間だったけど、エントランスでアルテイシアが出迎えてくれた。

「『ただいま。遅くなってごめんね』」

「今日中に顔が見れたからいいわ!」

 微笑むお姫様の頬にキス。

「お話し合いはうまくいった?」

「『“ギレン兄様”に条件を飲んでもらったよ』」

「すごいわ!」

 そんなやり取りをしてたら。

「『早くも若夫婦みたいに見えるな』」

 キャスバルがニヤニヤと突っ込んできて、アルテイシアが真っ赤になった。

 やめて。可愛すぎて、赤くなったところ、ちょっと囓りたくなるからやめて。

「『……ガルマは本当にお姫様が大好きね』」

 ララァが眠たげに目を擦りながら、ぽそりと呟いてあくびをした。

「ララァったら!」

 頬を赤くしたまま、アルテイシアが同い年のララァの手を取って、おやすみなさいの挨拶を告げてきた。

「『おすみなさい。叶うなら、夢の中でまた会いたいね。僕のお姫様』」

 それからおまじないのように、おでこにもまたキスを。

 兄の冷やかしの眼差しから逃げるようにして戻っていくアルテイシアに連れられて、ララァもまた部屋に戻っていく。

「『この分だとデラーズの心配は杞憂で終わるということだな』」

「『何か言ってた?』」

「『ニュータイプ研究所で、美女三人に迫られていたと』」

 思わず笑いが溢れた。

 後片付けをしている時にでも聞いたのかな。

「『確かに麗しの乙女達だけどさ。おれに婚約者がいるって話は広く知られてるし、そもそも、彼女達は俺をあんまり“男”って思ってないよ』」

 むしろ、お人形さんとか。

 無害だと思うからこそ、無防備でいられる。平気で触れてきて、だけどそれだけ。

 意識に触れる思考波からは、そういった好意は感じ取れないからね。

「『それは良かった。妹が泣く羽目になるのは面白くないからな。その調子で誑しこまれるんじゃないぞ』」

「『おれ、意外と身持ちが固いって知ってるでしょ?』」

 その返しに、キャスバルは声を上げて笑った。

 本来なら客間を用意すべきことだけど、いつもの流れで、キャスバルはおれの部屋に泊まることになる。

 たどり着いた私室では、既にアムロとゾルタンと、なんとフロルまでが眠っていて、ベッドのかなりの面積を占拠していた。

 育ってんなー。

「こんなに大きくなっても、まだ保護者が必要かい?」

 キャスバルが溜め息をついてる。

「そうさ。まだローティーンだ」

 ちゃんと保護者に世話されてないと、その後の人格形成に問題が出ることがあるのさ。

「愛情なら君のそれで十分だと思うがな」

「ならいいけど。でもあまり傍にいてあげられない」

 状況がそれを許してくれないから。

 “ギレン”はあれで懐に入れた相手に対しては、結構な世話焼きだし、優しさも見せる。案外押しに弱いし。

「ズムシティから、基本出ることがない“ギレン”が適任なんだ」

 それはソレとして。

「『……客間で寝たほうがいいかね?』」

「『そうだな』」

 ボソボソ相談してたら、何かムニャムニャ言いながら、アムロが薄目を開けた。

 お。起きた? 寝惚けてるだけ?

 霧がかかったみたいな碧の瞳が、みるみるきらめきを取り戻して。

「『ガルマ!』」

 起き上がってきたのを抱きしめる。

「『ただいま』」

「『おかえり。もっと早く帰ってきてよね!』」

「『ごめんよ。だけど、“ギレン”に約束させてきたよ』」

「『……え、ホントに!?』」

「『月2回お泊り会な』」

 “ギレン”の休みの日だから、それなりに構ってもらえるよ。

 パァッと明るくなる顔を見て、急襲かました甲斐があったな、と。

「『あ、キャスバルもいるし!』」

 瞳を巡らせて、ようやく気づいたのか。

「『いるさ。ほら、つめろ』」

「『え、やだよ狭い!』」

 なんて言いながら、きゃらきゃらとアムロが笑う。

 ジュニアハイスクールに進んで、結構おとなびてきたなと思ってたけど、こういうところはまだ変わらないね。

 そんな風にギャンギャンしてりゃ、そりゃ起きるよな、ゾルタンもフロルも。

「『あ!』」

「『二人いる!』」

「『いるよー。ただいまー』」

「『もっと早く帰ってこいよ!』」

「『遅いよ!!』」

 ふはは。おんなじコト言ってるよ。

「『ごめんよ』」

 空いた隙間にダイブ。ふたりを巻き込んでギュギュッっとすれば、バタバタと暴れられた。

 アムロにしたのと同じ説明をしてみれば、もう大騒ぎである。

「『お泊り会だ!』」

「『僕も行って良い?』」

「『良いよ。マリオンも誘いなよ』」

「『うん!』」

 広いフラットだったから、全員行ったって問題ないよ、あれ。ホームパーティーだってできる。

 女の子達とパプティがいれば、まぁ、なんとかなるでしょ。

 みんな、“ギレン”の言うことは聞くらしいしね。

 そんな感じで、夜中の大はしゃぎは、女中頭が鬼女の微笑みでやって来るまで続いた。

 とても――おっかなかった。

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 32【転生】

 

 

 

 士官学校の卒業式は、何とか無事終了した。

 馘になるドズルが男泣きに泣き、ワッケインが来賓として挨拶し、キャスバルが卒業生総代となって答辞を読んだりしたが、まぁそのあたりは想定内のことなので良い。“父”が、“ガルマ”を思う祝辞を読み上げたのも、十二分に想定のうちだったので、それも良い。

 無事でなかったのは、式の後だ。

 卒業証書を握りしめたキャスバルに、控室に凸されたのである。襲撃と云うに等しい荒々しさだった。

「話があります」

 言葉だけは丁寧に、キャスバルは云った。

 “ガルマ”は、卒業式には出席していない。証書は用意されたが、名前も読み上げられなかった。多分、自宅で“父”が手ずから渡すのだろう――尤も、それは随分先のことになりそうだったが。

 そう、“ガルマ”は、一足先に寮を出ている。荷物を置いてすぐにニュータイプ研究所に連行された。デラーズが、その任を担ってくれたのだ。まぁ、完全防備で行ったようだ。

 それは、ひとつには“ガルマ”自身のあれこれを考慮したためであるが、後の何分の一かは、何と云うか“悪ふざけ”しかねない市民に対する備えでもある。

 アースノイド至上主義者たちの手を躱し、今また連邦軍の鼻を明かした“ガルマ・ザビ”は、市民にとっては英雄なのだ。

 そして、少々お調子者の市民などが、お祭り騒ぎに担ぎ出そうとすることは、まぁ想定されたことではあった。残念ながら、理性的な市民ばかりではないと云うことである。

 キャスバルがここにきたのは、その“ガルマ”に関する話をするためだろう。

 卒業後のキャスバルは、シン・マツナガやゼナ・ミアとともに、ドズルの下に配属されることになっている。

 対する“ガルマ”は、無役での卒業、除隊であり、三ヶ月ほどニュータイプ研究所で“実験”につき合った後、今度はダークコロニーへ、一兵卒として赴くことになっているのだ。MSのパイロットになるための訓練があるからである。

 そのすべてが、士官学校の同級生たちに開示されているわけではないが、まぁ、キャスバルには筒抜けであるに違いない――何と云っても、ニュータイプと“なんちゃってニュータイプ”のコンビなのだから。

 キャスバルの表情は険しい。“ガルマ”を地球にやった時以来か――否、行方不明だった時の方が近いだろうか。

「……ここでできるような話か」

「いえ」

 ――なるほど?

 怒鳴り散らしそうだと云うことか。

「では、一度戻ってからで良いか」

 流石に、卒業生総代が来賓のひとりをつるし上げ、と云うのは拙いだろう。もちろん、物理ではなく、比喩的な意味においてだが。

「それで結構です」

 結構、結構ときた。

 これはなかなかに怒っているな、と思いながら、同じ船でズムシティに戻る。

 久し振りにザビ邸に戻ると、アムロやララァ、アルテイシアなどが出迎えてくれた。

 が、その顔は、キャスバルのまとう空気を感じてだろう、急速に曇ってゆく。

 子どもたちを軽く撫でてやってから、キャスバルを居間に導くと、子どもたちは空気を読んで、そっと見送ってくれた。

「……どう云うことですか!」

 ドアを閉めるやいなやの科白である。

「どう云うこと、とは?」

「ガルマのことです!!」

 ――まぁ、そんなことだろうとは思ったが。

 どうも、キャスバルは“ガルマ”に依存しているところがある。“ガルマ”が地球にいたあの間に、少しは改善されたかと思ったが、まったくそんなこともないようだ。

 これは、ドズルもシン・マツナガも苦労するな、と思う。もちろん生活史が違うので仕方ないところはあるが、1stや『the ORIGIN』の冷静沈着な“シャア・アズナブル”は、一体どこに消えてしまったのか。

「何故、僕はドズル中将の配下なのですか!」

 テーブルを激しく叩く。

「不満か」

「以前は、ガルシア・ロメオ少将の配下になると聞いていました!」

 なるほど、それなのに“ガルマ”は除隊になり、自分はシン・マツナガと云う監視つきでドズルの下、と云うことが不満の元らしい。

 しかし、そもそも、

「私は、お前たちをガルシア少将の下につけると明言した憶えはないが?」

 それに、ガルシア・ロメオに告げたのも“ガルマ”ひとりのことであって、キャスバルについては何も云った憶えはない。

 第一、“シャア・アズナブル”はともかくとして、キャスバル・レム・ダイクンをガルシア・ロメオの下になどつけることはできるまい。キャスバルをキャスバルとして軍に入れるのなら、軍参謀本部か、ぎりぎりでドズル、あるいはキシリア配下である。ドズルにしたのは、キシリアとキャスバルの相性が悪そうだったから、それだけのことでしかない。

「ですが! ガルマをガルシア少将の下におつけになるとおっしゃったのでしょう?」

「誰がそのようなことを?」

「ガルマです」

 聞いて、小さく舌打ちする。まったく、そう云う勘だけは良い“弟”だ。

「……確かに、“ガルマ”については、そのような考えではいた。しかしな、キャスバル、私はお前については何を決めていたわけでもないのだ」

「何故です! 僕以外の誰が、ガルマの手綱を取るのだと? それならば、当然僕が、ガルマと同じ部署に配属されるべきでしょう!」

「だが、“キャスバル・レム・ダイクン”を、ガルシア・ロメオの下につけるわけにはいかん。そうではないか?」

 ザビ家の、否、ムンゾの秘蔵の子、いずれは首相候補にとも云われるジオン・ズム・ダイクンの遺児を、普通の士卒として配属させるわけにはいかない――“シャア・アズナブル”ならばともかくとして。

 だが、“暁の蜂起”のあまりに甚大な被害故に、主犯格である“シャア・アズナブル”は、書類上除隊したことになっている。主席であったことと、真の主犯が他にあったからこそ、卒業式には出席できたものの、この後すぐに、“シャア・アズナブル”の名は抹消されることになるのだ。

 キャスバルは、その代わりにキャスバル・レム・ダイクン本人としてドズルの下に配属になる――シン・マツナガは、当然補佐兼お目付役である――のだ。ダイクンの子を、まさかそのままの名でMS乗りにはできるまい。

 それを云ってやれば、キャスバルは、ぐっと言葉に詰まったようだった。

「それ、は……」

「そうだろう、そうであるなら、お前は参謀本部付少尉あたりからはじめるのでちょうど良いのだ」

 まぁ、一足飛びの叙任であるには違いないが、ザビ家の秘蔵の子、ジオン・ズム・ダイクンの忘れ形見であるならば、反対するものもないだろう。実際本人は、既にムンゾ大学を卒業してもいる。そして、軍内部、特に上層部には、“シャア・アズナブル”がキャスバル・レム・ダイクンであることに気づいているものも少なくはないはずだ。

 そうであれば、キャスバルの配属先や位階に関しては、納得するものの方が多いのではないか。

「でも、それではガルマが……」

「何だ、まだ“ガルマ”離れできていなかったのか」

 思わず云うと、青い瞳にじろりと睨まれた。

 だがまぁ、他にどう云えば良いと云うのだ。

 何と云うか、キャスバルは少々“ガルマ”に対して分離不安のようなものがあるらしい。分離不安と云うのは、通常、幼児が主に母親と離れることに対して起こることが多いようだったのだが、調べてみると、大人の分離不安と云うものもあるようだ。強いストレスが原因になると云うことだったが、正直に云えば、この時間軸のキャスバルは、母親にも充分甘えられたはずだし、そんなことはないだろうと思っていた。

 しかし、どうやらそれはこちらの思い違いであったようだ。

 もしかすると、原作軸においては母への想いを拗らせていたのが、この時間軸では対象を“ガルマ”にしてだけのことなのかも知れない。だとしたら、結局のところ、何がどうあれキャスバルは、“家族”に対するコンプレックスを持ち続けると云うことになるのか。

 ――実の母親も妹も傍にいるのだから、少しはましになっても良いだろうに。

 なかなかそうはいかない、と云うのは、人間の心理の不思議さなのかも知れないが。

「私はてっきり、地球行きあたりのごたごたで、“ガルマ”離れできたのかと思っていたのだがな」

「何ですか、ガルマ離れって!」

「言葉どおりだが。親離れ子離れならぬ“ガルマ”離れと云うことだ」

 キャスバルは顔を真っ赤にするが、まぁつまりはそう云うことだろう。

「僕は、ガルマがいなくては何もできないわけじゃない!」

「おや、そうかね」

 “ガルマ”が地球に降りたり、行方不明になった時には。ぴいぴい云っていたじゃないか、と云うと、怒りの故か、あるいは羞恥にか、赤い顔がさらに赤くなった。

「そんなんじゃない!!」

 と云うが、どう見てもむきになっているだけにしか映らない。可愛いものだ、と思わなくもない。

 が、軍務にまでそう云うところを持ちこまれるのは、やはり良いことではない。況して、キャスバルはジオン・ズム・ダイクンの子である。望むと望まざるとに拘らず、人びとの耳目を集めずにはいられないのだ。

 そんなキャスバルが、ある特定の個人にだけひどく執着している、と云うことを悟られるのは、本人にとってはあまり宜しくない事態だろう。

「どうせ、“ガルマ”は上に上がってくる」

 別段宥めるつもりがあるではないが、そう云うと、キャスバルがじっとこちらを見つめてきた。

「MS乗りになるのだ、戦功さえ上げれば、あれも少尉や中尉になるのは早いだろう。その時に、あれの上に立つに相応しい士官であれるように、今から精進するのだな」

「……ガルマを、MSに乗せるのですか」

 その問いには、首を傾げざるを得なかった。

「何を今さら。だからこそあれは、まだ幼い時分にあの三人に会いに行ったのだろう?」

 “黒い三連星”、ガイア、マッシュ、オルテガに。

「その前から、あれは本気だったさ。だから私も、あれ用のMSを用意させようとしているのだ」

「ザビ家の子を、一兵卒としてですか!」

「それは誤算だったがな」

 まぁ、まさか“暁の蜂起”があんな大惨事になるとは思わなかったのだ。

 そうでなければ、“ガルマ”を中尉くらいで入隊させ、MS部隊のひとつも任せられたのだろうに。

 まぁ、過ぎたことを云っても仕方ないのだ、が。

「それに関しては、お前もいけないのだ。あの騒動に関しては、お前と“ガルマ”が共同正犯だろう。そうである以上、お前が今回の沙汰にあれこれ云う資格はない」

「……僕が、主犯になっていれば、こんなことにはならなかったと?」

 キャスバルの、軋るような声で発せられた言葉に、片眉が上がる。

「私の云うことをきちんと聞いていたか? どちらが主犯でも、当分お前たちを一緒にはできない。何をやらかしてくれるかわからんからな」

 そう云って、手をぶらぶらと振ってやる。

「私はそもそも、“ガルマ”の手綱を取れと云ったのだ。競走馬のように走らせろと云った憶えはない。憶えておけ、お前がきちんと“ガルマ”の手綱を取れるようになるまでは、お前たちをひとつところに置く気はない」

 そう云って、椅子から立ち上がる。

「どちらへ?」

「帰るのだよ」

「は?」

 心底わからぬと云う顔。

「この家から、どこへ帰られると云うんです?」

「私もこの家を出たのでな。――代わりと云っては何だが、かつての“母”の部屋を、今はアルテイシアが使っている。今日も来ているだろうから、久し振りに顔を見せてやると良い」

「で、でも」

「アムロたちもいる、旧交をあたためたらどうだ」

 まぁ、残念ながら“ガルマ”は帰ってこないのだが。

 廊下へ出ると、向こうからララァ・スンがやってきた。

 その頭を軽く撫でる。

「ではな」

「ギレンさん!」

 伸ばされる手をするりと躱す。ここで絆されて、ぐだぐだになってしまいたくはない。

 ザビ家付の運転手に、軍本部まで送ってくれるように頼むと、“父”と行き合わぬよう、早々にザビ邸を脱出した。

 

 

 

 そう云えばうっかり失念するところだったと、軍本部に戻ってすぐに、タチを呼び出す。

「アナハイムの件は、どうなった?」

 ウォン・リーとの交渉の後、すぐさま“暁の蜂起”に突入してしまったので忘れかけていたが、あの話の裏を取らねばならぬ――アナハイムCEO、メラニー・ヒュー・カーバインが、地球からユダヤ以外の全人類を宇宙に上げるために、連邦政府に多大な寄付をしていると云う話の真偽は、どうだったのか。

「結論から申し上げますと、寄付自体は本当の話です」

 タチは、報告書を片手に、そう云ってきた。

「なかなか……凄い額ですよ。ムンゾの国家予算とまではいきませんが、年間の福祉予算に近いくらいです。とても、一民間企業からの寄付額とは思われませんね」

 と云って渡された資料に書かれた数字は、確かに驚くような額だった。少なくとも、民間企業からの“寄付”にしては、桁数が大き過ぎる。確かに、国家予算とまではいかないが、国家の一部門の予算額としてなら、あり得ない額でもないものだった。

「――メラニー・ヒュー・カーバインと云う男は、本気でエルサレムを、ユダヤだけの聖地にするつもりなのか……?」

「どこまで本気かはわかりかねますが、少なくとも、周囲にそう信じさせるほどのつぎこみようだとはわかりましたな」

「宗教と云うのは、恐ろしいものだな……」

 無論、それ以外の何かの利権のために、これだけの巨額の“寄付”をしている可能性もなくはないが――そうであればまたそれはそれで、面倒な何かがついてきそうだと云うことだけは、よくわかった。

 人間、伊達や酔狂で出せる額と、そうでないものがあるのである。

「さて、どうしたものか」

「暫くは放っておかれて宜しいのでは?」

 ひょいと肩をすくめて、タチは云った。

「所詮は民間企業のことです。あまりに度が過ぎれば解任されるでしょうし、そうでなくとも、またあのウォンとか云う男から接触してくるでしょう。アナハイムのことより先に、閣下がなさるべきことは山とありますからね」

「うむ、まぁな」

「とりあえず、早急にしていただきたいのは、お引越しです!」

 そう云って、紙と鍵らしきものを机に叩きつける。

「閣下のお部屋です。立地もセキュリティも、これ以上の場所はありませんよ!」

「私に払える物件だろうな?」

「高給取りが、何をおっしゃるやら」

 とは云うが、元々のあれこれでの“便利がよくセキュリティが良い”物件の家賃が、下手をするとこちらの月給どころではなかったことを考えれば、心配したとて仕方ないことではないか。

 渡された物件の詳細に目を通す。

 案の定、ズムシティの一等地であり、よく確認すれば、金属の鍵の他に、生体認証システムと認証コードが必要と云う、年配者にはやさしくない仕様のようだ。

「……確かに、セキュリティは万全のようだな」

「でしょう!」

 胸を張られても。

「備えつけの家具もある部屋です。まぁ、単身者用と云うにはゆったりめですがね。閣下のようなお育ちでは、ネズミ小屋と云うわけには参りませんでしょう」

「……まぁな」

 鉄オル世界では、個室があれば上等だったが、セブンスターズ入りを果たしてからは、クジャン家やらイシュー家やらの広大な邸宅になっていたし、元々の方でも、田舎暮らしで大きめの一戸建てだった。つまりは、集合住宅そのものに不慣れなのである。

 まぁ、子どもがいるわけでもない、暴れまわって上下左右の家主から、騒音の苦情を捩じこまれることもないだろう。それだけでも、独り身と云うのは気楽なものだと思う。

 シロッコは、入れ違いで退勤していたから、新しい住所のことは、まだ暫くは知られずに済むか。

「それじゃあ、早速」

 とタチは云った。

「いや、まだ帰らんぞ」

「は?」

「今日は、士官学校の卒業式で、何の仕事もしていないからな。一応、書類の確認だけでもしておきたい」

「いやいや、来賓になるのも立派な仕事でしょうが!」

 と云うが、まぁ、自✕隊の勧誘にでもありそうな言葉を並べ立てただけで、仕事らしい仕事をしたと云う感覚はなかったのだ。

 デスクの上のファイルや、PCの中のメール、データなどの量を見るにつけ、今日のうちに仕分けくらいはやっておきたいと思わずにはいられなくなった、と云うのが、正直な話であった。

「アンタ、“休むことも立派な仕事だ”とか、他の人間にはおっしゃいませんでしたか?」

「――まぁ、今日の“仕事”が、遊びのようなものだったからな」

 大体、その科白は誰に云ったものだったか――それこそワーカホリックな誰やらに云ったものでもあっただろうか。

「それに、上が仕事が多くなるのは当然だ。そのために、上に上がるほど、勤務時間も何も、固定ではなくなるのだからな」

 残業代の消滅も、また然りである。

 まぁ、こちらも休日に仕事を入れるほどの仕事中毒患者ではないので、これくらいの“残業”など、大したものではないだろうと思う。元々の方の上司などは、“休日”にも仕事をするような人物だった。そこまでのものは、様々な意味でありはしないのだ。

「――わかりましたよ」

 タチは、遂に頷いた。

「ですけどね、私がせっかく調達してきたんです。今日はきちんとその部屋に“お帰りになって”下さいよ!」

「わかったわかった」

 確かに、ここにスーツケースを置きっぱなし、と云うわけにもゆくまい。少なくもスーツケースそのものくらいは、その新しい住居に置きにゆくか。

「とりあえず、仕分けだけ終わらせたら、今日は終わりにする。部屋にも行く。それで良いだろう?」

「いえ、信用なりませんので、案内も兼ねて、送らせて戴きます」

 きりっとした顔で云う――どれだけ信用がないのか。

「デラーズ大佐とも、そう云うことで話がついておりますので。さぁ、ちゃっちゃと終わらせて下さい!」

「……デラーズもか」

 思わず舌打ちするが、タチの表情は変わらなかった。

「当然でしょう、大佐殿は、閣下の親衛隊長ですよ。その方を巻きこまずして、一体どなたを巻きこめと?」

「巻きこまないと云う選択肢は?」

「ありません」

 きっぱりと云われると、脱力するしかない。軍総帥の威厳とは。

 口うるさい“親”が増えたようだと思いながら、仕分けを終え、ついでにと、承認だけすれば良い書類に手をつける。

「ちょっと、閣下!」

「ここで泊まらんのなら、せめて承認だけはさせろ」

 控室で寝泊まりするのなら、通勤時間を短縮できるので、その分少しばかり長く仕事ができるのだが、外にきちんと家を持つなら、そうもいかなくなるからだ。どうせなら、明日はゆっくりと――あくまでも定時ではあるが――出てきたいのである。

「……仕方ありませんね」

 タチが折れたので、承認だけの案件はどんどん捌く。

 他の将官たちと協議が必要なものもあり、そちらは翌日に回すが、概ね――八割方は――当方の承認だけで通せる案件だ。

 それでも、やはりそこそこ時間はかかり、終わった頃には、既に二十一時を回っていた。つまり、かれこれ二時間ほどを、仕事に費やしたことになる。

「――で、帰られますか」

 いつの間にやらティータイムに突入していたタチが、顔を上げて云った。その向かいにはデラーズもおり、やはり優雅に茶を飲んでいる。

「あぁ、とりあえずは」

 どう云うことだと思いながら、そう答えると、二人は素早く立ち上がった。

「じゃあ、帰りましょう。ほらほら、参りますよ」

 とタチが云い、既にスーツケースを手にしているデラーズが頷く。

「お前は、私の親なのかな……」

 思わず呟くと、顔を顰められた。

「止めて下さいよ、歳上の子どもなんか要りません」

 対するデラーズは沈黙。これも、いつものことになってきた。

 何たる云い種か、とは思ったが、藪を突いて蛇を出したくはない。口は噤んでおくに限る。

 ほとんど連行されるように車に乗りこみ、知らぬ場所へ連れて行かれる。

 件の場所は、アストライア・トア・ダイクンのフラットにほど近い一角にあった。あちらは、共和国の重鎮たちに相応しい、やや重厚感のある佇まいの建物が多かったが、こちらはどちらかと云えば成り上がり向けの、つまりは今風のモダンな建物の多いあたりである。ダイクン家のあるあたりがお屋敷町なら、こちらは高額所得者向けの新興住宅地、と云うところだろうか。

 こう云う場所に軍服、とは、いかにも浮きそうな雰囲気である。まぁ、まさか軍総帥が住むとは思わないだろう、と云う意味では、良い立地ではあるのだろうが。

「流石に一階、と云うわけには参りませんので」

 と云う、タチの選んだ部屋は、五階だった。

 角部屋だが、建物のひしめき合うズムシティの常として、すぐ横は隣りの建物の壁、つまり、角部屋でも三方ではなく、二方にしか窓はない。

「――なるほど」

 こちらの好みをよくわかっている。

 タチは胸を張った。

「どうです。閣下のお好きそうな部屋を探し出しましたよ!」

「うん、そのとおりだな」

 流石に最初は金属の鍵と、認証コードでロックが解除された。

「ついでなんで、今、生体認証システムの登録もしましょう」

 と云われ、網膜と指紋の登録をする。

「われわれの分も是非!」

 などとデラーズが云い出し、面倒なので、タチも一緒に登録した。これで、何かあったらこの二人は巻きこめると云うことだ。

 部屋は、4LDKの広いもので、普通ならば夫婦、あるいはそれに子ども一人の、少なくとも二、三人で住むのだろうと云う間取だった。

 入ってすぐの左手に二部屋、右手にも一部屋が配置されている。通路を抜けて大きな、大き過ぎるほどのリビングとダイニング、キッチンがあり、その奥に、ゆったりとした主寝室がある。所謂水回り、バス、トイレは主寝室の奥にひとつ、シャワーブースが、書斎用と思しき部屋以外の二部屋にそれぞれある。トイレはその他にひとつ、来客も意識した作りだ。

「単身者用かと思ったが、これはファミリー向けだな」

「セキュリティその他を考えると、ここしかあり得ませんでした。書斎もございます、不足はございませんでしょう?」

「……まぁな」

 主寝室や客間――とりあえずは――には、ベッドやナイトテーブルが、リビングとダイニングにも家具が入っており、今来客があっても対応できそうだ。尤も、食品や食器、調理器具の類は一切ないから、実際暮らすとなれば、いろいろ調達しなくてはならないが。

 書斎用の部屋も、デスクと書架は備えつけられているが、当然蔵書はないので、ここもおいおい埋めていくか――まぁ、あっと云う間に足らなくなる可能性は高いのだが。

「お気に召しましたか」

「あぁ、気に入った」

 集合住宅に住むのなど、かるく百年ぶり――鉄オルでの集団生活は除く――くらいだが、これならばいける、気がする。

「そうでしょうとも!」

 タチはドヤ顔になった。

「大体、あんな邸宅にお住まいだった方が、単身者用の部屋で落ち着くわけがないんです。――お部屋もできましたから、もう少しまともにお帰り下さいよ!」

 そうして、タチとデラーズは帰っていった、

 独りになって、改めて部屋の中を探索する。

 このアパートメントは、ゴミをダストシュートで投げこむタイプらしく、そのあたりも含めて煩わしさが極力排除されている。軍務などと云うのは、一般的な事務職に較べて不規則なところがあるので、そのあたりもタチが考慮したのだろう。まぁ、“ゴミは、決められた曜日の朝の八時半までに家の前に”のようなルールがないのはありがたい――その分の管理費が、かなり高いのは仕方のないことだ。

 主寝室のベッドは、クイーンサイズだった。まぁ単身者とは云え、この広さの部屋にセミダブルでは恰好がつかない。これはこのまま使うことにしよう。

 クロゼットに、少ない衣服とスーツケースを収め、シャワーだけを使ってベッドに倒れこむ。

 こう云うアパートメントには、大概コンシェルジュと云う名の管理人がいるはずだから、とりあえず必要な消耗品の類は、そこに頼んで取り寄せてもらうか。

 つらつらと考えているうちに、睡魔が忍び寄ってきた。

 心地良い眠気に身を委ね、夢も見ずに朝まで眠った。

 

 

 

 とは云え、仕事場で寝起きする“便利さ”には、なかなか抗えないものである。

 新しい住居を充てがわれたにも拘らず、何だかんだと控室で寝泊まりしていたら、一週間ほどでタチにキレられた。もちろん、デラーズも控えている。

「どう云うことですかアンタ!!」

 と、怒鳴られる軍総帥もどう云うことなのか。

「何のために、私があの部屋を押さえたと思っておられるんですか! アンタの物置にするためじゃないんですよ!!」

「お前は、いつから私の親になったのかな」

「歳上の息子なんか要りませんよ!」

 この間の応酬を繰り返し、タチは、デラーズと二人がかりで椅子から立ち上がらせてきた。

「明日はお休みでしょうが! 休日くらい、家に帰って下さいよ! 下のものに示しがつきません!!」

「厭だ、と云ったら?」

「力尽くで休ませるまでです!!」

 それは、仮にも上司に向かって云う言葉なのか。

 タチだけなら勝てる自信はあるが、残念ながら、敵にはデラーズも加担している。デラーズが入ってしまうと、まったくもって勝てる気がしない。

 渋々車に乗って、“自宅”へと連れられる。一週間ぶりの“我が家”――つまり、初日以来帰っていないと云うことだ。

 時間はさほど遅くもない――二十時を少し過ぎたくらい――が、エントランスにも共用通路にも、人の姿はなかった。休日前なので街に繰り出しているのか、あるいは休み前で仕事が終わらぬか。

 ともかく、通路をずっと歩いてゆく、と。

「……ちょっと待って下さい」

 部屋の前まで連行された時、前をゆくタチが、ぴたりと足を止めて云った。

「誰か、閣下の部屋にいます」

「侵入者か!」

 デラーズの手が、素早くホルスターにかけられる。流石に、一般の集合住宅で銃撃戦は拙いと思うのだが。

「――とりあえず、私が参ります」

 ごくりと唾を呑み、タチが云う。

 生体認証とコード入力でロックを解除し、気配と足音を潜めて、室内に足を踏み入れる。

 と、

「あー、おかえりー」

 死ぬほど聞き憶えのある声に、思わず回れ右した。

「帰る!!」

 と踵を返そうとすると、タチに腕を掴まれた。

「あんたどこに帰る気ですよ!? 良いから家ん中にお入りなさい!!」

 デラーズと二人がかりで部屋に押しこまれる。

 ぱたんと扉が閉ざされたところで、

「……なぜここにガルマ様たちが……」

 デラーズが呆然と呟いた。

 室内には灯りが皓々とつき、エプロンをかけた“ガルマ”とララァ・スンがキッチンに立っている。まなざしを転じれば、キャスバルが、床に置いた巨大なビーズクッションに、半ば埋もれるようにして坐って――坐って?――いる。

 ――三人がかりの襲撃か!

 思う横で、タチも叫んだ。

「そうですよ! あんたたちも何でいるんだ!? セキュリティはどうしたんです!? 不法侵入だ!!」

「やだなぁ、そんなにキレ散らかして。落ち着いてくださいよ。食事の支度もできてるんです」

 “ガルマ”は、のんびりと――少なくとも表面上はのんびりと――云って、ダイニングテーブルにつくよう促してきた。

 キャスバルは、巨大なビーズクッション――人を駄目にするあれ――に埋まったままで、笑い転げている。ララァ・スンも、大きな翠の瞳でこちらを見つめている。

 ダイニングテーブルの上には、湯気を立てる皿の数々。と云うか、こんなに食器はなかった、否、有体に云えば、フォークやスプーンの一本、皿の一枚、コップの一つもなかったはずだ。これと食材、それに鍋釜一式、全部持ちこんできたと云うことか。

「早くおいで、せっかくの料理が冷めちゃうよ。帰宅組は、ちゃんと手を洗ってね」

 力のこもった笑顔で“ガルマ”が云う。何となく、まとうオーラが尖っている。

 ――怒っているな。

 苛立ちなどではなく、これは怒りだ。しかし何故?

 とりあえず手を洗い、上着を脱いでテーブルにつく。タチやデラーズ、キャスバルも一緒だ。ララァ・スンは、隣りにちょこんと腰を下ろしてきた。

 何とも云い難い気分で、食事する。

 メニューはトリッパのトマト煮、カマンベールチーズのニョッキ、ポルチーニ茸のパスタ、アボガドと小エビのカクテルにセロリのムース、ブルスケッタ。三種のチーズのリゾットに、メインはミラノ風カツレツだ。

 どれもこれも好物には違いなかったが、怒りをたたえた“ガルマ”が何を云い出すのかと戦々恐々で、あまり食べた気がしなかった――隣りで賛辞を期待するララァ・スンのために、辛うじて「美味い」とは云ったけれど。

 ひと通り腹に収めて、食後のお茶を供してきた後、“ガルマ”は本題を切り出してきた。

「取引をしよう」

「取引、とは」

「あの子たちのことだよ」

 云われて、“ガルマ”が何を怒って――これは多分そうだ――いるのかが、ようやくわかった。

 “ガルマ”は、子どもたちを置いて家を出た、その一点に関して怒っているのだ。

「“ギレン”が実家を出た経緯は聞いてる。戻れとは云わない。だけど、あの子たちをいきなり放り出すことは赦さないよ」

 強いまなざしが、射抜いてくる。

 確かに、アムロもゾルタンも、そしてミルシュカもまだ幼いのだ。親に放り出された子どもたちを、引き取ると云ったのは確かに自分だ。

 それなのに、置いて出ていったなと、“ガルマ”はそれを怒っているのだ。

「……それに関しては、思慮が足りなかった。反省している」

「ホントだよ! あの子たちにとっては、“ギレン”こそが“父親”みたいなもんなんだし。ちゃんと自覚しといてよ」

 確かに、云われてみればそのとおりだ。

 その上、今は“父”もドズルも、そして“ガルマ”も家にいないのだ。完全に放り出されたと思われたとて、仕方ないことである。

「――あぁ、そうだな」

 “父”とのあれこれで頭に血が上って、すっかり失念してしまっていた。

「反省したんなら、取引だ」

 “ガルマ”は云った。

「月に数回、あの子たちと過ごす機会を設けて。忙しいのは百も承知。否となれば、この先、穏便に過ごせる場所なんてないって思うと良いよ」

 酷薄な笑みが、その顔に浮かぶ。“敵”を見る目、とまではいかないが、それに近い顔だ。

 そうして、“ガルマ”はやると云ったらやる。これまで、幾多の“敵”にそうしてきたように。

「叶えてくれるなら、おれは開戦のその時まで、すべてにおいて“報連相”を徹底するよ。“伝書鳩”にちょっかいもかけない。おとなしく軍務を全うする」

「……わかった」

 これは、端からこちらの負けが決まったことだったのだ。

 だがまぁ、確かに子どもたちを放り出してきたことは、罪悪感がなくもなかったので、ただ頷く。

「月に二回、私が休みの日に、泊りがけで来させよう。客間は二つある、雑魚寝になるが、構うまい?」

「いいの!?」

 ララァは云うが、まぁ、こちらがあの家に帰るよりは良い。“父”に捉まる心配もないのだし。

「アムロやゾルタン、ミルシュカもだ。シロッコが引率してくれば問題あるまい? 食事は――まぁ、簡単なものなら作れなくもないし」

「私が作るわ!」

 ララァは、やけに乗り気である。

 若干戦慄してしまうのは、これが“父”との新たなる戦いのはじまりにならないか、と云う危惧のためだと思いたい。

 “ガルマ”はひょいと肩を竦めた。

「じゃ、そういうことで。必要なものはある程度揃えといたけど、足りなかったら執事かメイド頭に云えば用意してくれるから」

 タチが身震いしながらあたりを見回した。デラーズは――あるいは、この部屋のセキュリティについて、再考しているのかも知れない。

 気持ちはわかる――まぁ、ここまで入りこめるのは、“ガルマ”だけではあるだろうが、それにしても、入りこんだ手段や経緯については、検証が必要だろう。

 それにしても、

「ここにもコンシェルジュがいるが」

 何も、わざわざ実家から持ってこさせることもあるまい、と云うと、“ガルマ”には簡単に首を振られた。

「あの子たちの好みは知らないでしょ」

 それは確かにそうではあるが。

「念のため、おれの生体認証登録はそのままにしといて。消してもまた入れるけど、面倒だし」

 正直に云えば、ものすごくデータは抹消したいし、認証コードも変えてしまいたい。

 が、こちらも後が面倒なので、とりあえず当分は、このままにしておくしかないか――ものすごく消してしまいたいが。

「……わかった」

 仕方なく頷くと、“ガルマ”は、満足したように頷き返してきた。

「じゃあ、おれたちはそろそろ退散するね」

 そう云って席を立ち、ビーズクッションに埋まったキャスバルを引っ張り上げる。どれだけそれにやられているのか。

 ララァは名残惜しそうだったが、次があると納得したのか、そこまで粘ることはなかった。

「それでは、私もこれで」

 デラーズが云い、タチも一緒に立ち上がる。

「――お送りしましょう」

 “ガルマ”たちに向かってタチが云い、そうして皆は帰っていった。

「では閣下、また週明けに」

 釘を刺すように云い、タチが最後に部屋を後にする。

 そうしてやっと、部屋の中は静かになった。

 ひとりになって、改めて部屋の中を見回す。

 棚にしまわれた見慣れぬ食器、キャスバルが沈みこんでいたビーズクッション、洗い桶、カウンターに伏せられた幾つかの鍋。きっと棚を開けてみれば、それ以外にもいろいろと見つかるのだろう。

 確かに、ほとんど何も持たずに家を出てきたから、ありがたいと云えばありがたいのだが、テリトリーに侵入されたことを、微妙に思わぬではなかったのだ。

 洗いものは大概片づいていた――多分、食洗機の中で、そろそろ乾きかけているのだろう――ので、シャワーだけ浴びて、寝ることにする。

 入ったバスルームには、なかったはずのシャンプーとコンディショナー、バスタオルにフェイスタオルまで足されていて、それもまた微妙な気分になる。

 ザビ家の邸宅にいた時も、使用人たちがいて、決してひとりきりではなかったはずなのだが、こんなにも騒がしいと思ったのは久し振りだった。ザビ邸の使用人たちは、それだけ“主たち”を煩わせない技術に長けていたのだな、と思うと、かれらのプロ意識が貴重なものに感じられた。

 本当に、“他人”がいると感じるのは、なかなかに疲れるものなのだ。それが、子どもの頃から知っているキャスバルであろうとも同じこと。そして、長い長いつき合いである“ガルマ”にしても、その感覚が完全に払拭されることはないのだ。

 ともあれ、くだくだと考えるのは、もうなしだ。とにかく疲れた。今日はもう眠りたい。

 クイーンサイズのベッドには、もちろん誰かが触れた痕跡などはなかった。

 何となしにほっとした気分になって、ベッドに倒れこむと、シーツに潜りこむこともなく、そのまま夢の中に滑り落ちた。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 反逆の"ガルマ" 33【転生】

 

 

 それなりに有意義ではあった。

 ニュータイプ研究所での実験で、思考波のコントロールは格段に上達したし、“意識”を読ませない“鉄壁”もマスターした。

 だけど、ニュータイプとして覚醒を深める一方で、周囲からは遠巻きにされるようになった。

 ――まぁ、そうだよね。

 今まで身内や仲間たちが、全くと言って良いほど気にして無かったのが奇跡なんだよ。

 普通は気にする。だって、ある種の異能なんだから。

 なんてことを零してみれば。

「『あら、違うわよ』」

「『それ、巻き添えを嫌がってるだけだから』」

 ニュータイプ女性陣が揃って肩をすくめた。

 ――どういうことさ。

「……言い難いんだけど、あなたが博士達をポカポカしてるのが原因なのよ」

 レディ・アベイルも眉を下げてる。

「『ポカポカ?』」

「『そうよ。まぁ、分からなくはないけれど。あの人たちもデリカシーがないから』」

「『ガルマの前で、大事にしてる子達をデータ扱いすればどうなるのかなんて、分かりきってるのにね』」

 あぁ、あれか。ゾルタン達を数値化して、もう1回実験したいとかぬかしやがったことか。

 イラっとしたら例の装置が無双して、博士や研究員をハタいたりぶん投げたりしてたっけ。

「『大した怪我人が出なかったのが幸いだったな』」

 シャリア・ブルも苦笑いをして髭を撫でた。

「『君は巷で言われているより、随分と好戦的だ。それでいておっとりともしているし、アンバランスな感じがするな』」

「『そうでしょうか。自分のことはよくわかりません。士官学校時代は、みんなこんな感じだったと思いますけど?』」

 息を吐いて肩をすくめる。

 シャリア・ブルは低く笑った。

「『成程。あの“暁の蜂起”は、起こるべくして起こったということか』」

 いつかの世界線と同じように、おれ達のあの決起は、“暁の蜂起”と呼ばれることになったらしい。

 やり過ぎたから、即開戦にならんか心配だったけど、その辺はムンゾと連邦の駆け引き、ついては“ギレン”とワッケインの話し合いやらでなんとか持ち直したとか。

 反して、ルウムの方では脱連邦の動きが激烈に強まっていて、下手するとムンゾより先に独立宣言をかましかねない勢いだった。

 ――大丈夫なのか、ルウム。

 キシリア姉様、まだ帰ってこられないんだよな。先日はシャアの実家で、ピーカンパイの焼き方を習ったなんて平和なメッセージが届いてた。花嫁修業か。

「『ガルマがここにいるの、3ヶ月だけだよね』」

 セレナが左腕に絡んでくる。

「『そうだよ』」

 その後は、ダークコロニーへ行けって指示がきた。“ギレン”から。いよいよMSパイロットへの道が開いたわけだ。

 もちろん詳細は伏せられてるけど、連邦への示しの為に、ドズル兄貴の校長辞任と、おれの除隊とその後の無役での入隊は公にされてた。

 全ての責めを兄貴とおれとで被る形になり、兄貴には誠に申し訳なく。

 そうそう、兄貴と言えば、とうとうゼナ・ミアに電撃プロポーズを仕掛けたって!

 返答は、YES。

 やった! 全おれが小躍り大踊りして喜んでる。

 サスロ兄さんも彼女を紹介しに家に連れてきたし、次々と婚約が整ってる次第。

 これで、ザビ家では相手が決まってないのは“ギレン”だけになった。

 ララァに落とされたら面白いのに、なんて思ってるコトはナイショ。

「『ニヤニヤしてる』」

 白い指がプスリと頬を刺してくる。

「『身内の慶事を思い出してた』」

「『お兄さん達の?』」

「『そう』」

「『……仲が良いのね』」

 セレナの思考波には少しだけ寂しさが混じってた。

「『でも、あなたは一人で軍務につくんでしょう? それも兵卒で。恨んでないの?』」

 クスコが首を傾げてる。

 あの発表に、彼女は随分と憤慨してくれてたから気になるんだろう。

「『納得してる。むしろそれで済んでよかった』」

 最悪、地球で処刑とかもあり得たんだし――レビル将軍達が求めてきてたって、後で聞いた。

「『荒くれ者の中でやっていかねばならんよ』」

 シャリア・ブルの心配顔に笑いかけて。

「『そこは頑張ります』」

 なんて、和気藹々とね。

 後日、例の装置が撤去され、同システムの超小型機に置き換えられたら、わらわらと遠巻きだった人達が戻ってきた。

 同時に遠巻きのままで良かったフラナガン達までが戻ってきて、ゲンナリ。

 儘ならないもんだね!

 

        ✜ ✜ ✜

 

 3ヶ月間の研究所生活において、月2回週末だけ実家に帰る許可をもぎ取った――例によってレディ・アベイルが。

 フラナガン博士との激闘は見ててハラハラしたけど、法律の勝利だった。

 ビバ法治国家!!

 おれも一応法学部出た筈なんだが、あんまり役に立ってない。なんなら腕力に訴えちゃうからさ。

 もう、彼女に足を向けて眠れない気がしてきた。本当にありがたい。

 丁度、“ギレン”のところに子供達が行くのとは別の週末にしたので、お泊り会を邪魔しないし。

 いそいそと帰ったら、デギンパパが待ち構えてた。

「お父様!」

「ガルマよ」

 もう飛びつく一択で。幼子じゃないのに、条件反射みたいなものかも知れない。

「……すごく安心する。子供みたい」

 ふふふと笑えば、パパンの身体も笑いに震えた。

「儂の子供には違いあるまい」

「そうでした」

 胸元にぐりぐりと頭を押し付けてから、顔を上げる。

 あれだけの事をしたから、叱責も覚悟してたんだけど、パパンの眼差しは穏やかだった。

 後ろめたさから自然と眉が下がった。

「……ごめんなさい」

「なぜ謝る?」

「心配かけたから」

「そうだな」

 全くだと、パパンは何度も頷く。

「おまえときたら、少しも儂を安心させんのだからな」

 それについては申し開きも出来ないから、しょんぼりするしかない。

 ほんとにゴメンよ、パパン。

「……キシリアの為だろう。友の為にも、ルウムを見捨てられなかったのだな」

 お前は優しい子だからって――パパン、本当に優しい子は敵の基地を爆破なんかしないんだが。

 微妙な顔になったおれを見て、デギン・ソド・ザビは深くも凄みのある声で笑った。

「ザビ家の優しさだ……お前も“ザビ家の男”だったと言うわけだな」

 愛するものにはどれ程にでも情を注ぎ、敵であれば苛烈な冷酷さを見せる。

 それなら分かる。

「ずっと、そうなりたかったんです。僕も、お父様や兄様たちのように」

 静かに答えたら、パパンは少しだけ目尻を下げた。困ったような顔だった。

「お前は、ただ優しくあって欲しかったんだが」

「……それが許されたら、きっと良かったんでしょう」

 だけどこのご時世、優しいだけなら呑まれて消える。例えば地球に下されたって、何もできないまま流されて、ムンゾに戻ることさえできなかっただろう。

 勿論、デギンパパも、そんなことは百も承知だ。

 その上でなお、末っ子を、どんな苦しみからも遠ざけて、守って隠しておきたかったって、その目がそう語っていた。

「僕は強くなります――だけど、この禍乱が過ぎて、ムンゾに穏やかさが戻ったら……鎧を脱いで、またお父様に甘えてもいいですか」

 微笑んで尋ねたら、パパンは大きく笑った。

「今も甘えておるだろう!」

「そうですね、多分、ずっとずっと」

「……お前はそれで良い」

 背中に回った手が、幼子を撫ぜるように、ゆっくりと動いてる。

「それで良いのだ」

 言い聞かせるような声だった。

 それからパパンに、卒業証書をもらった。

 何故か現れた執事と女中頭と、それから厨房長が目頭を押さえていた。

 ねえ、廊下にも人が居るでしょ。

 気恥ずかしいことこの上ない。

「本来なら、あの日、あの場で渡してやりたかったが」

「今日、もらえただけで充分です」

 ちゃんと卒業したって、実績だけはあるわけだし。それは今後に大きく関わってくる。

 たとえ兵卒で入隊したって、訓練を受けている分、アドバンテージがあるわけだから。

「………庇ってやれなくてすまなかった」

 パパンの眼は潤んでた。

「庇われてるし、護られてますよ」

 ぱちくりと目を瞬いて小首を傾げる。

 だって、ドズル兄貴の校長辞任と、おれの位階だけの措置で即開戦を回避してのけたんだ。“ギレン”の交渉力が火を吹いたってことでしょ。

「……ギレンの奴め……」

「でも、“ギレン兄様”のお陰で地球に降りずにすみましたよ?」

「それはそうだが……」

 パパンは何だかグキギとかしてるけどさ。

 あれやこれやあったけど、事態はギリギリで小康状態を保ってるし。

 時間を稼げた分、ムンゾはまだ強くなれるんだ。

 来たるその時のために、どれ程にも周到に準備を重ねてるだろう“ギレン”を、少しは褒めてあげてよね、と、お願いしたのに、おればかりが優しい子だと褒められた。

 ――……“ギレン”がおれに辛く当たるのって、もしかしてこの辺りが原因だったりして。

 まさかね。

 身内だけの卒業式を終えて、忙しいデギンパパは、首相官邸へと戻っていった。

 いつかの世界戦より、強健なんだよパパン。なんなら杖なしでも走るし――逃げる“ギレン”を追いかける時とか。

 ふと、パパンが去った執務室の机の上に、“反抗期の子供への接し方”の本を見つけて、思わず吹いた。

 これ、アムロたちへの対策じゃあるまいよ。

 まさかサスロ兄さんが、今更“ギレン”が反抗期に突入したとか零してたの、真に受けたわけじゃないよね、パパン?

 ――………………あるかも。

 見なかったことにして、そっと書籍を棚に戻しておいた。

 

 

「『お泊り会はどうだった?』」

 と、子供たちに聞けば。

「『楽しかった!!』」

 口々に返ってきた。

 よほどに嬉しかったんだろう。年少組は文字通り飛び回って、あんなことがあったこんなことがあったと囀りだすし、年長組も良い笑顔で、どんな遣り取りがあったかを教えてくれた。

 ん。ホントに“お父さん”してるじゃないか、“ギレン”。ちょっと笑える。

「『色々とお話しできたわ』」

 はにかみ笑顔のララァは愛らしかった。

「『話したい事と、話したい相手ができたのは良いことだね』」

 初めて地球で出会ったとき、彼女はおれの“記憶”こそ夢中で“読んで”たけど、自身について語るようなことはなかったし、ポツリと漏れる過去についても、懐かしむ素振りは見せなかった。

 それは小さな変化かも知れないけど、“心を動かすもの”が増えて、それを“共有したい相手”を見つけたってことだもの。

 言われて初めて気がついた様子で、ララァはパチクリと瞬いた。それから、その小さな唇を細い指でそっと抑えた。

「『……そうね。そうだわ』」

 浮かぶ微笑みは、さっきより深かった。

「『これからもいっぱいお話ししなよ。話題なんていくらでも出てくるさ』」

 例えば、今このとき、ゾルタンが何故か部屋の中でバク転をキメやがったこととか。

 アルテイシアとマリオンが、可愛らしく怒って抗議してる。

 これでパプティが居ればさらに抗議が大きくなってただろうけど、今日は図書館へ出向いているとかで不在だった――ちゃんと学生してるじゃないか。

「『ゾルタン、そういうのは庭でって言ってるだろ』」

「『大丈夫、コンパクトにキメられるようになった!』」

 ゾルタンが胸を張る。

 めちゃくちゃ得意気に言ってるだけあって、確かに動きは最小限だった。

「『……なるほど』」

 腕を上げたな。

「『そこで納得しちゃうのがガルマだよね』」

 アムロが笑う。

「『技量についてはね。でも部屋の中ではダーメー。庭に行くぞー』」

 宣言すれば、少年たちは猛獣みたいな顔で臨戦態勢に入った――少女らは呆れ顔で肩を竦めてるけどね。

 テラスから庭に下りた途端に。

「『行くぜ!』」

「『甘いわー。踏み込みにもっと気を配れってば、ゾルタン』」

 飛付こうとするのを、片手で往なす――せっかくの身の軽さが活かしきれてないだろ。

「『えッ!? 避けたッ!??』」

「『避けるとも。アムロは予備動作がまだ大振り』」

 振り下ろされた腕をヒョイと潜って。

 威力は馬鹿にできないけど、当たらなかったら意味がない。

「『ッ、ていッ!……あ?』」

「『惜しかったね、フロル』」

 もしかして戦闘センスが一番いいのはフロルかも。死角からの攻撃はなかなか鋭かった――躱すがな。

 とは言え、教えてるのはあくまでも護身術のつもり。つまり、危険から逃げ切る為の技術だ。

 筋の良い子達だから見る見る上達してるけど、慢心は禁物。

 過信しないように、逃げ回るのをかなり本気で掴まえて、痛い目をみせずに徹底的に倒し切ることを繰り返す。

 こちとらコレでも格闘技術A評価ぞ。まだまだこの子等には負けはせぬわ。

 大人気なく無双を繰り広げてたら。

「『うわァァァ! もう少しだったのに!!』」

 地面を叩きながらアムロが悔しがる横で、ゾルタンが大の字でバタバタと駄々こねムーブを繰り出してきた。

「『た“お“せ“ね“え“!!!』」

 ――……どっからその声出してんの?

 フロルは唇を噛みしめて地面を引っ掻いてるし。

「……なんで御曹司がそんなに戦闘力高いんだよ?」

 見てるだけだったカイが、ゲンナリした視線を向けてきた。

「『ザビ家だもの』」

 御曹司には違いないけどさ、“謀略の血統”の名に相応しく、日々なにかとスリリングだしね。

「『弱かったら生き延びられないでしょ』」

「……そうだった」

 納得はしたようだけど、すごく嫌そうな顔だった。

「『でも、ギレンさん弱いじゃん』」

 復活してきたゾルタンが。

 ちょっと待て。

「『…………今度は何をしでかしたのさ?』」

「『膝カックン!』」

「『うわぁ……身長差あるのによく引っ掛けたね?』

 呟いた途端、ゾルタンだけじゃなくて、アムロとフロルも笑った。三日月みたいな口だった。

 ヲイ。なんて悪どい顔すんのさ。戦慄に背筋が震える。

 次の瞬間、三人がびっくりするくらい連携のとれた動きを見せた。

 ちょ、“黒い三連星”かよ。

「『“ジェットストリームアタック”か!?』」

 ふぉう、あっぶねーわ、危うく脚刈られるかと思った。

 膝カックンどころじゃないわ。これ。

 強烈な足払いをギリギリで跳躍して避ける、ところにまた来るから、ステップ――から距離を逆に詰めてカックン返し×3。

 すてぺんと転がった三人と目が合った。

 恨めしそうな顔だった。

「『今の連携は凄いけど、“ギレン”には禁止!』」

 絶対に避けられないから――よもや、転がらなかっただろうな。

「『カックンしてただけだよ』」

 ん。根性見せたか。

 しかし良く耐えたな。よもや軍の総統が、子供からジェットストリーム膝カックンされるとは思わなかったろうに。

「『でも、危ないから禁止』」

「『ええ〜』」

「『お泊り会中止されたら大変だろ』」

 と、諭せば、渋々ながら頷いてくれた。

 ホントに驚かせてくれるよね、まったく。

 暫く土埃にまみれて暴れていたけど、そろそろお茶にしようとアルテイシアに呼ばれたので、本日の鍛錬はこれで終い。

 シャワーで汗と埃を流してリビングへ赴けば、若き女主人の采配で、テーブルの上は既に整えられていた。

 少女らしい甘やかさを残したまま、会を重ねるごとに、その席は洗練されてきてる。

 いつぞやは“ギレン”のお気に入りのティーカップを粉砕したゾルタンも、いまや良家の子弟のような身のこなしで席についた。

 アムロやフロルも同様に。いつもは皮肉っぽいカイも、この時ばかりは紳士に。

 レディたちは言うに及ばす。

 一番小さなミルシュカだって、立派なご令嬢である。

 ――お菓子の消費は半端ないけどね。

 その辺は、まだ子供だし、食べてくれるのは嬉しい。

 スコーンとクッキーだけは、帰宅後におれが焼いたものだ――コックが焼いた方が質が良いのは分かってるんだが。

 文句も言わずに頬張るさまを、愛らしいと言わずしてなんと言うのか。

 幸せな光景に、ふと足りないものを思って眉が下がった。

「『………寂しいの?』」

 揺らぎを捉えたのか、アムロの碧の双眸が真っ直ぐにこっちを見てた。

「『……ん。そうだね。ここにキャスバルが居ればなってさ』」

 思っちゃったんだ。

 ずっと一緒だったけど、少しずつ道が別れてるのかな、なんて。

 キャスバルは既に、参謀本部付きの中尉として任官している。

 傍にはシン・マツナガ少尉が――そこは、おれが居た筈の場所なのに。

 感傷に浸る暇があれば、悪知恵絞って戻ってこいとか言われそう。ちょっと苦笑い。

「……もっと寂しくなるわ」

 お姫様の声はしょんぼりしてた。

「ガルマは、また遠くに行ってしまうんでしょう」

「『僕も寂しい』」

 いつもなら冷やかしてくるはずのアムロの声も沈んでる。

「……どうして、いつもとおくにいっちゃうの?」

 ミルシュカが膝に寄ってくるのを抱き上げて。

「『ごめん。一日でも早く帰れるように最善を尽くすよ。約束する』」

「……うん」

「『絶対だ!』」

 ゾルタンの眼差しは強くて、嘘を許さない。

「『誓って。僕の帰るべきはここだもの』」

 微笑んで返す。

「『あんまり遅かったら、オレたちが行くぞ!』」

「『僕たちだって強くなったんだからね』」

 ゾルタンもアムロも、本当にね、強くなった。そのうちにおれより強くなるんだろう――きっと、遠くない未来に。

「ガルマだってやっつけるんだから!』」

 フロルも吼える。

 勇ましいと言うか末恐ろしいと言うか。

「『そうだね。だけど、いまはレディ達を守ってて欲しいな。僕が帰るまで』」

 お願いすると、力強い頷きが返ってきた。

 頼もしいことこの上ない。安堵する“意識”の波を受けて、アムロ達が胸を張って微笑んだ。

 良い男に育ったもんだ――この先、どこまで格好良くなるのか楽しみでならぬわ。

 

 

 夜半、寝付けずにコンサバトリー――温室みたいな部屋ね――でホットブランデーミルクをチビチビやってたら、ヒタヒタと足音が聞こえた。

「『……寝てたんじゃないの?』」

 現れたのは、グレーの眼を爛々と光らせたゾルタンだった。

 眠気皆無っぽいね、珍しい。

 初めて会った頃のことを思い出す。ニュータイプとして覚醒した夜に、寝込みを急襲された。

 あの頃はガリガリに痩せて小さくて、脚の間に座らせたらすっぽりと包み込めたのに、今じゃこんなに背も伸びた。

「『どうしたの?』」

 声をかけた途端に、言いようのない敵意と憎しみが広がった。

 思考波がぐちゃぐちゃに乱れてる。厭な夢でも見たのか、額の汗に髪が張り付いていた。

 身体が冷えないように棚から引っ張り出したタオルを広げて待ち構えれば、おとなしく近づいてきて包まってくれた。

 チリチリと灼けつくようなノイズを拾う。汗に混じる緊張と怖れの匂い。

「『ガルマはあそこに行ったんだろ』」

 潜められた声と案じる響き。

 伸ばされた手が服の裾をギュッと掴んでる。

 ――ニュータイプ研究所か。

 思い出して不安になったのかな。

 かつて彼の中にあったドロドロとした“暗がり”は、まだちっとも消えちゃいないんだ。

 日頃は紛れているけれど、なにかの拍子にこうやって吹き出してくる。

 いつかみたいに抱き込んで。

「『大丈夫。“読んで”ごらん』」

 開放する“記憶”は、例の装置の無双のシーンだ。

 金属のアームが暴れまわり、縦横無尽に張り巡らされたコードが踊り狂う。

 その中でフラナガンが、研究員共が、薙ぎ払われ、転がされ、投げ飛ばされて悲鳴を上げて逃げ惑っているんだ。

 阿鼻叫喚。見るも無様にヒイヒイと。

 ご覧よ、お前たちを脅かした野郎どもの無様な姿を。

 ある種のパニック映画さながらの光景に、ゾルタンの灰色の瞳がパチクリと瞬いた。

 不安な表情の下から、プスリと吹き出す音が。

 ――お、笑ったわ。

 ちょっと安堵する。

「『これ――ガルマがやったのか?』」

「『そうさ。気に入らないから小突き回してやったんだ』」

 今んとこはこんくらいで済ましてやってる――まだ役に立つみたいだし、ギレンが容認してるから使ってやっても良い。

 だけど、それで赦されると思わないで貰いたいね。

 あの男は“敵”だ――“敵”ならば容赦しない。

 おれの大事な大事な子供たちを傷付けた。今なお、ゾルタンが震える程に。

 いかに装置を小型化しようと、サイコウェーブを数値化して管理しようと、“予期せぬ事故”なんて幾らでも起こるんだ。

 “おれ”は、それをとても良く知ってるから。

「『なんにも怖がらなくて良いよ。奴らには、もう手出しさせない。お前もミルシュカも、フロルもマリオンも、二度と研究所には戻さない』」

 絶対に。約束するよ。

 万一にもそんな事態になるくらいなら、研究所をフラナガンごと吹っ飛ばしてやるし。

 零れた思考波に、ゾルタンがまた笑った。

「『ガルマは本当にやるもんな』」

「『そうさ。だから安心していい』」

「『……うん』」

 落ち着いてきたら、おれが飲んでたものに興味をひかれたようで。

「『……ホットミルク?』」

「『大人のホットミルク』」

「『……ずるいぞ』」

 ふぉ。なじられた。

 ジト目で見てくるのに苦笑い。

 夜中に飲み食いする習慣はつけさせたくないんだが。

 ――まぁ仕方ないか。

 持ち込んでおいたアルコールランプで、スパイスと蜂蜜を混ぜたミルクを温める――ブランデーは抜きでね。

 じきに独特の香りが立ち上り、ゾルタンが鼻をヒクヒクさせた。

「『ターメリックにシナモンとカルダモン、それからクミンにジンジャーハニー』」

 抑揚をつけて歌うように、呪文みたいに唱えて、鍋をかき回す。少し泡立つミルクを、熱心に覗き込んでいる様子に小さく笑う。

「『熱いよ。舌を焼かないように気をつけて』」

「『分かってる! アチッ』」

 分かってないじゃん。お約束だなぁ。

 なおもフーフーしながら、マグカップに口をつけるゾルタンの顔は穏やかで、さっきまでの緊張はどこにもなかった。

「『それ飲んだらお休みよ』」

「『うん。ガルマの部屋行っていいか』」

「『いいけど』」

 この間みたいに寝相悪くして、またおれを蹴落とさないでよね。

 飲み終わるのを、ソファに深く身を預けて待つ。

 夜半のコンサバトリーは、控えめな明かりの中、置かれた植物たちの影が深くて、暗がりがどこかに続いているようにも見えた。

 夜に咲く花もあるから、スパイスの香りに花の香りが少し混ざって、異国を思わせる風情でもあった。

 いつもは少し騒々しいゾルタンも、ホットミルクに夢中でおとなしい。

 遠かった眠気が、少しずつ戻ってきていた。

 ……と、思ってたのに。

 静寂の中、ひたひたパタパタと複数の足音が迫っていた。

「『居た! ここだ!!』」

「『あ、ずるい何か飲んでる!』」

「『……夜中に何をやってるんだ』」

 来たか、アムロにフロル。それにパプティまで。

「『……何してるの?』」

「『いい香りね』」

「どうしたの、ガルマ? 眠れなかったの?」

「……………お兄ちゃんずるい」

 淑女たちもお揃いかね。

 ナイトウェアの上にガウンを羽織って、昼間とはまた違った無防備さがあどけないほど愛らしい。

 って、全員集合しちゃってるじゃないか。

「『みんなもどうしたの? 目が覚めちゃったのかな』」

 首をかしげたら、ララァが小さく苦笑した。

「『多分、ゾルタンね。チリチリして目が覚めてしまったの』」

 あぁ、さっきのあれか。

「ララァとマリオンが、ゾルタンが心配だと言うから起きてきたの。そしたらミルシュカも起きだしてしまって」

「『僕たちもそう。ガルマの部屋に行ったらいなかったから』」

「『リビングにも居ないし!』」

「『皆がバタバタしているから、何事かと思ったぞ』」

 屋敷の中を探してたのか。

「『もう大丈夫?』」

 アムロがゾルタンを覗き込んでる。

「『大丈夫さ。ここで僕達はひとりじゃない』」

 仲間がいるって、とても心強いことだ。

 視線の先で、ゾルタンも落ち着いた顔で笑ってるし。

 さて、と。

 ここでお開き、就寝って訳にはいかないみたいだしさ。

「『……厨房に行こうか?』」

 さすがに、ここに人数分のミルクは無いし。

 提案してみたら、反対は一人もいなかったから、皆でぞろぞろと移動した。

「パジャマパーティーみたいね」

 アルテイシアが楽しそうに笑う。

「『わたし、はじめてだわ』」

「『男子が入ったのはわたしも初めて』」

 ララァとマリオンも笑ってる。

 ミルシュカは少し眠たげだったけど、それでもニコニコしながら、自分の分のミルクを美味しそうに飲んでいた。

 ちなみに、レディ用のミルクは、ストロベリーピューレを溶かしてピンク色に染めておいた。

 子供達は気付いてなかったみたいだけど、廊下からそっと女中頭と厨房長が顔を覗かせたから、目礼だけ送った。

 咎め立てすることもなく、微笑んで戻っていった彼らに、心の中で感謝する。

 おれも含めて、この子等は本当に守られて、大事にされている。

 ひとしきりお喋りしてたけど、ミルシュカが眠気に負けて、テーブルに突っ伏したから、突発パジャマパーティーはお開きになった。

 子供達を部屋に帰して、空になったカップや鍋を洗って、厨房を元通りにしておく。

 それから部屋に戻ったら、案の定、ベッドはアムロ達に占拠されていた。

 パプティは流石に自室に戻ったか。

 それにしても、可愛い寝顔しちゃってさぁ。

 見てたらあくびがこみ上げてきた。いっぱいに広がって眠っている彼らをどかすのも可哀想だから、ソファで毛布にくるまった。

 眠りは速やかに訪れた。

 

        ✜ ✜ ✜

 

「『ガルマはお手紙が好きね』」

「『また書いてたの』」

 施設内のポストにクラシカルな封書を投函していたら、クスコとセレナがひょいとくっついてきた。

 NT女性陣のパーソナルスペースは相変わらず狭い。

「『メッセージもな。だいたい誰かしらに何かを送っている』」

 ポンと頭の上に手を置いたのはシャリア・ブルだった。ぬぅ。男性陣も変わらないか。

 NT同士は“意識”が繋がるから、距離感が近くなりやすいらしい。

 今まではキャスバルと子供達だけだったから、気にすることもなかったけどさ。

 NT研究所で他のNTたちと知り合って、その関係は友人というよりは同朋――ある種の一族みたいな感じだった。血の繋がりなんかないのにね。

 おかしいな。元の“物語”ではそんな描写はなかったのに。

「『家族とか、あとは以前地球でお世話になった皆さんにかな』」

 文通と言うわけじゃないけど、折に触れ出してるんだ。

 宝物の万年筆の書き心地は最高だから、文字を連ねるのは苦にならないし、むしろ楽しい。

 送り先は、家族と子供たち。それから士官学校のあの5人とか、ブライトさんに、ウッディ・マルデン。

 それからグリーン・ワイアット。あの事件以降、軍から身を引いて今は静かに暮らしているとか。

 多分、検閲されてるんだろう。残念ながら地球に送ったそれらに返事はない――届いてないのかも知れないね。

 時が経てば、思い出ってものは少しずつ色を変えていく。良い風にも悪い風にも。

 彼らの中でどう変わったかは分からないけど、おれのなかでは、少しの懐かしささえ。

「『……今のうちに書いておかないと、軍務についたら暫くはもう出せないから』」

 派遣される先はダークコロニーで、あそこは機密の塊だから、中に入ったら交流は制限される。

 子供らと分断されることが痛恨なんだわ。ふふぅ。ため息が重い。

 写真を持っていこう。せめて眺められるように。

「『君が去ってしまったら、ここも寂しくなるな』」

 シャリアがしんみりとした“声”を出した。

「『そうね。あなたが来てから毎日騒がし……楽しかったし』」

 クスコ、“騒がしい”がごまかせてないよ。

 視線を向けたら、ペロリと舌を出された。そんな少女じみた仕草も、彼女にかかるとセクシーだ。

「『私も行きたい。軍に入るわ』」

 って、セレナ。何を言い出すのさ。

「『……女性は軍に入れない、なんてことはないけど、君はやめておきなよ』」

「『どうして?』」

 尖った視線を向けられるけど。

「『“ひと殺し”には向いてないからさ』」

 言葉を飾ることなくストレートに伝えれば、三人共に息を飲んだ。

 平時ならばまだいい。だけどムンゾは、この先戦乱の渦に呑まれていく。そんな中で兵士になるって事は、誰かの命を奪うのと同義だ。

 ましてや兵卒となれば、直接相手と殺し合いをするってことだよ。

「『……でも…だけど…ガルマは行くんでしょう? ガルマだってそんなの向いてないよ!』」

「『僕はザビ家に生まれた。初めから戦う側の人間だよ』」

 これまでだって戦ってきたし、もうこの手も汚れてるんだ。

「『そんなの! 生まれに縛られるなんておかしい!』」

 セレナが激しく首を振るけど。

「『縛られてない。誇っているんだ』」

 今生のおれの拠り所であり、誇り。浮かぶ笑みはこの上なく晴れやかだ。

「『父や兄達、それから姉と同じく、護る側に生まれたことを、僕は嬉しく思ってる』」

 ムンゾを守ることで、大事な宝物を守れる。

 “ギレン”に言わせりゃ“伝説の悪龍”みたいなおれでも、ヒーローになれるってモンでしょ。

 なおも首を振るセレナの肩を、シャリアがそっと叩いて宥めてる。

 クスコは何か言葉を探す様子で、口を開閉させたけど、思考波もノイズばかりで、形にならないまま項垂れた。

 困ったな。しんみりさせたいわけじゃないんだ。

「『心配しないで。僕、結構しぶといから』」

 苦笑したおれに、シャリア・ブルは肩をすくめてため息を落とした。

「『我々が思うより、確かに君は強いんたろう。だが、やはり心配くらいはするよ』」

 その気持ちはこそばゆいほどで、ありがたいって思う。だから素直にお礼を言って、三人を順番に抱きしめた。

 NT研究所で過ごす3ヶ月は、もう終わりに差し掛かっていた。

 レディ・アベイルも、この頃は少し寂しげな顔を見せる。

 それ以上にフラナガンの野郎が、ギラギラとした目を向けてくるけど。

 おれの貸出期間の延長を“ギレン”に求めて、すげなく却下されたとか。そりゃそうだろう。

 何はともあれ、サイコミュの原型も出来つつあるみたいだし、収穫は結構あった。

 なにより、新しく知り合えた“同朋”と良い関係を築けたことが。

 願わくは、彼らが戦乱に巻き込まれたりしなければ良い。

 ニュータイプの軍事利用が避けられないものだと知ってなお、そんなことを強く思った。

 

 

 



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【成り代わり】another ORIGIN 謀略の"ギレン" 33【転生】

 

 

 

 子どもたちが泊まりにきたのは、その翌週のことだった。

 身構えていたが、流石にフロルやアルテイシア、マリオンなどは遠慮したらしい。

 流石に初回は、そうしてもらえるとありがたかった。シロッコまで入れると五人の子どもたちを迎え入れるのも大事なのに、その上やや関わりの薄い三人まで、となると、カオスになる予感しかなかったのだ。

「……おじゃまします」

 アムロが先頭で、恐る恐る入ってくる。

「意外に広いな!」

 ゾルタンは、ミルシュカの手を引きながら。

「それはそうだろう、仮にも軍総帥が、普通のワンルームなんかでは暮らせないさ」

 などとシロッコは云うが、その言葉のどこに突っこむべきか悩むところだ。

「厨房長とメイド頭から、いろいろと預かってきたの」

 ララァは云って、大きな袋を差し出してきた。

「そうでした、これもです」

「僕も預かった」

「オレも」

「あたしも」

 と、差し出される大小の袋。

 中を見れば、惣菜やらパンやら飲み物やら――つまりは明日の夕飯になる分までがひととおり詰めこまれていた。

「……なるほど?」

 “ガルマ”の差配なのかどうか、子どもたちの好みも考慮したメニューであるらしい。

 連休で良かったと思うが、子どもたちがくるので、それなりに早く起きてしまった――掃除はともかく、洗濯はある――ので、今ひとつ疲れが取れた気がしないが、まぁ来週たっぷり惰眠を貪るしかないだろう。それとも、疲れが取れないのは、もう若くはないからか。

 とりあえず、ランチ分以外の料理を冷蔵庫に入れ、食べる分は温めたり盛りつけたりしてテーブルに並べる。大急ぎでコンシェルジュから注文させたスツールで、何とか全員テーブルにつくことができた。ファミリー用よりもやや大きなテーブルは、こんな時のために用意されていたのかも知れない。

 これでアルテイシアたちが来るようなら、ソファにも坐らせるしかないなと思う。六人はぎりぎりいけたとしても、流石に九人は不可能である。

 ランチが終わると、お喋りタイムになった。ララァは前回訪問済なので後になったらしい。両脇をアムロとゾルタンに固められ、ここ暫くの冒険譚を聞く。

 カイ・シデンとの彷徨は相変わらずのようだ。特に、アムロが中学生になり、行動範囲も広がったようで、なかなか際どい話もしてくれる。護衛は、流石にもうつかなくなったようだ。

「しかし、ゾルタンやフロルも一緒だろうに、危なくないのか?」

 と問うと、アムロもゾルタンも胸を張った。

「僕たち、もう“プロ”だからね! 危ないところとそうじゃないところがわかるんだよ!」

「オレもフロルも、ヤバかったら逃げられるように体力つけたしな!」

 などと云う。

「なるほど、日々成長していると云うことか」

 ゾルタンの頭にぽんと手を乗せると、えへへと笑って肩を竦めた。

「そうか、今週から新学期だったな。学校はどうだ?」

 それで、ぎりぎりまで秘書見習だったシロッコも、高校に入ったのだった。

「まだ、全然授業とかしてないよ」

 アムロが云う。

「オレは、先生と教室だけ変わった」

 と云うゾルタンは、やはりニュータイプ故なのか、やや情緒が不安定なのだと云うことだった。尤も、『Z』の主人公、カミーユ・ビダンに較べれば可愛いものだろうから、そこまでの心配はしていないが。

 アムロの方は、やはりクラスでやや浮き気味だと聞いた――尤も、本人はまったく気にしていないらしいのだが。まぁ、原作よりは多少社交的になっているだろうから、こちらもあまり心配はしていない。

 強いて云うなら、フラウ・ボゥやベルトーチカ・イルマのような押しの強いタイプに、ぐいぐいこられて一悶着あるのではないか、と云うことくらいだろうか。まぁ、それもまだ中学生なら、大事にはなるまいし。

 同じ中学にカイ・シデンもいるそうなので、そのあたりも含めて、おかしな展開にはならないだろう。

 ミルシュカは、今年から小学校だと云うことで、兄に連れられて登校しているらしい。今まで置いてきぼりにされがちだったが、ミルシュカの方もいろいろ変わってくるだろう。女の子の方が、社交性は高いのだ。

 ララァ・スンは、どうやら家庭教師について、遅れた分の勉強に励んでいるようだった。ついているのは、例の“ガルマ”たちにつけたあの教師で、割合に平易な言葉で教えているらしく、ララァからは、勉強が楽しいとの報告があった。

 シロッコはと云えば、普通の高校に入ったが、同級生たちが生ぬるく、勉学もそうだが、やや物足りなさを感じているとのこと。スキップして大学に進んでしまえばいいのではないか、と云うと、考えてみるとの返答がきた。

 どの子どもたちも、実際に学校へ行ってみると、いろいろと出てくるものだ。

 とりあえず、アムロとアッカネン兄妹は順当に馴染んでいけそうなので何よりだが、ララァ・スン、そしてパプテマス・シロッコについては、まだ暫くは慎重に様子を見る必要がありそうだ。

 ひととおり近況報告が終わると、子どもたちはてんでにくつろぎ出した。

 と云っても、遊ぶ道具も何もない部屋である。アムロとゾルタンは例の“人を駄目にする”ビーズクッションに埋まってうたた寝している。ミルシュカは、ララァに宿題――もうそんなものがあるのか――を見てもらっている。

 シロッコは、

「閣下の蔵書を少し持ってきたんです」

 と云って――道理で、やけに大きなスーツケースを、重たげに引きずっていたはずだ――、書斎に入りこみ、並べるついでに読み耽りはじめた。

 まぁまぁ、好き勝手していると云うことである。寛いでいるようで、何よりだと云うべきか。

 仕方がないので、ダイニングテーブルにノートPCを載せ、メールとニュースのチェックとしていると、

「話しても平気?」

 ララァがするりと向かいに坐りこんできた。

 見れば、ミルシュカはソファで眠りこんでしまったようだ。

「宿題は終わったのか?」

「大丈夫」

 なるほど、それはともかく、さて、ララァ・スンはどんな話をしてくるのだろうか。

「話を聞いてくれる?」

「お茶の時間までならな」

 つまり午後三時まで、あと一時間あまりである。

「充分よ」

 そうして、以前の夜のように、ララァはとりとめもなく話しはじめた。

 ザビ邸の庭の薔薇が咲いたこと、マリオンが一緒の家庭教師についていること、子どもたちの様子を気にして、サスロがたまに顔を見せること、アストライアも訪問してくること、キシリアとシャアから、ルウムのものが送られてきたこと。

 楽しそうに少女が話すのは良い。

 が、これら日常のとりとめのないお喋りを、ララァ・スンがする相手が他にない、と云うのは、少々問題なように思われる。

「――こう云う話を聞いてくれる人間が、他にはないのか?」

 思わずそう問いかけると、ララァは小鳥のように首を傾げた。

「そんなことないわ。アルテイシアもマリオンも、アストライアさんだって聞いてくれるわ」

 と云う。

 それは一安心だが、それならばそれで、何故こちらに?

 と云うと、少女は仕方なさそうに溜息をついた。

「私は、あなたに聞いてもらいたいの」

 ――何だか、聞き分けの悪い夫を前にした妻のようだ。

 と思って、いやいやと首を振る。

 ローティーンにそんな発想をするとは、聊か失礼な話だ。これが、二十歳過ぎならともかくとして。

「……まぁ、話ができる相手があるのは良いことだな」

 と云えば、少女はまた溜息をついた。

「――わかってない」

 その言葉に含まれるニュアンスは、わからなくもなかったが、正直に云えば、

 ――わかりたくない。

 何と云うか、セシリア・アイリーンと同じような意味で“狙われている”などとは。

 いやいや、冷静に考えよう。相手はまだ中学生と云うところだ。アムロよりひとつ上と云うことは、中学二年生、つまりはこちらの三分の一くらいの年齢である。半分でもどうかと云うところであるのに、三分の一はない。流石にない。

 と、

「……ん〜……」

 半ば寝惚けた声が、ソファの方から上がった。

 見れば、アムロが目を醒ましたのか、半身を起こして目を擦っている。

「……目が醒めたか」

 何となくほっとした気分で云うと、アムロはほてほてとこちらに歩いてきた。

「うん。……ララァ、話できた?」

「……まぁね」

 と云う少女は、“話し足りない!”と云わんばかりだが、そろそろお茶の時間でもある。

「さて、お茶にするかな。厨房長は、どんな菓子を持たせてくれた?」

「えーとね、クレームブリュレとパウンドケーキ、それからマドレーヌと……」

 指折り数えるアムロに、ララァが横から口を出す。

「クッキーとマカロンとダックワーズと、ブラウニーもあるわよ」

「そんなにたくさん、明日までに食べ切れるか……?」

 間違いなくパウンドケーキは二本はあるだろうし、となればマドレーヌやダックワーズ、ブラウニーなども山のようだろう。クッキーやマカロンも、云わずもがなである。

「余ったら、あなたが食べるようによ、もちろん」

 ララァは顎を上げた。

「厨房長も、あなたとガルマが帰らないから、作り甲斐がないって云ってたわ。味の維持のためには、煩い人が必要なんですって」

「……それは、微妙な云い方だな……」

 確かに、ララァもアムロたちも、美味しい美味しいばかりであって、何と云うか、批評家じみたことは云わないか――シロッコなら、多少は云いそうな気がしないでもないが。

「そうかしら。あなたを唸らせたいって、厨房長が思ってたってことでしょう?」

「それはそうだが」

 まぁ、“ガルマ”とは違って、こちらは云いっ放しだったわけだが、それが厨房の味の向上に寄与していたと云うことなのか。

 まぁとりあえず、

「……今はクレームブリュレだな。紅茶にしよう」

「私が淹れるわ!」

 ララァは積極的である。

「アールグレイが好きなんでしょ? ちゃんとガルマに淹れ方も習ったの」

 どこまで周到な“弟”なのか。どうにも、裏に違う意図を感じざるを得ない。

 が、今ここで争うべきことでもないなと思い直す。

「では、紅茶は任せよう。私は皿を出したり、菓子を盛ったりする。アムロは、ゾルタンたちを起こして、シロッコに声をかけてくれ」

「りょーかい!」

 と云って敬礼する。“ガルマ”の真似でもしているのか。

 クレームブリュレは、パウンド型に入っていた。クレームブリュレと云うよりは、元々で馴染み深い、カスタードプディングに近い気がする。

 金串――竹串はない――でぐるりと型の際をなぞり、大皿にひっくり返すと、たっぷりのカラメルソースが皿に溢れた。

「うまそう!」

 起き出してきたゾルタンが、早速舌舐めずりする。

 ミルシュカも、きらきらしたまなざしでプディングを見ている――女子はやはりスイーツに目がないようだ。

 スタッキングマグ――このチョイスは“ガルマ”だろう――に紅茶を注ぎ、プディングを取り分ける。塩気のあるものも欲しいかと、チーズのクッキーも少し。酒のつまみになりそうな、塩気の強いものである。

 案の定、プディングはきれいになくなり――年少組が、カラメルソースまで舐めるように食い尽くした――、クッキーも消滅、ダックワーズを出すと、そちらも消滅した。

「育ち盛りと云うものか……」

 やや呆然とする。

 原作のアムロは、夢中になると寝食を忘れるタイプだったが、他の子どもがいるこの時間軸では、割合まともに食事を摂っているようだ。

 そのせいかどうか、やや身長の伸びが良いようにも思われる。多分それは、ゾルタンも同じだろう。

 原作枠では、ふたりとも、シャア――つまりはキャスバルより身長がそれなりに低かったが、ここではあまり変わらなくなるのだろうか? そして、元々大きかったフロリアン――F.F.――は、一体どれほど大きくなるのだろう。

 それはそれで楽しみではあるが。

「――大きくなれよ」

 ゾルタンの頭を撫でると、にかっと笑われた。

「なるよ! 今に、ギレンさんより大きくなる!」

「それは凄い」

 こちらは190cmある、それを超えるとなると、

「ドズルくらいになると云うことかな」

「ドズルさん!」

 アムロが、歓声とも何ともつかぬ声を上げた。

「すごい! 僕もなる!」

「オレも!!」

「ドズルが二人か……」

 想像すると、流石に暑苦しいが――まぁ、中身は別ものだ。

「――楽しみにしているよ」

 そう云って二人の頭を撫でてやると、揃って大きな頷きが返った。

 

 

 

 初めての“お泊り会”は無事に終わり――まぁ、ララァ・スンがもの足りなさそうだったのは措いておく――、月曜日になった。

 学生が新学期ならば、軍や役所でも、当然異動の季節である。

 無論、小さな異動は時々であるが、割合大がかりなシャッフルは、新年度ならではだ。

 普段は凪いだような総帥室まわりでも、多少の動きがあったりするわけで。

「閣下、今度配属予定の士官です」

 と云ってデラーズが差し出してきたのは、その士官のものと思しき略歴であった。アナログだが、紙の書類である――複製が簡単なデータでないのは、個人情報であるが故だろう。電子情報と云うのは、いつでも流出の危険があるのである。

 それを見た途端に戦慄した。

 否、正確に云えば、その士官本人には罪はない。単に、そこに記されたプロフィールが、“昔”知っていた誰やらたち――複数名――に、非常によく似ていたと云うだけで。

 特にちょっと“昔”の何某などは、今時の言葉で云えば“ストーカー”と云うしろものだったので、あれに似ているとなると、いろいろ考えてしまうのだ。

「ギュスターヴ・モゥブ曹長、か……」

 206cm、130kg、ドズルより少し小柄――“小柄”の意味を問い直したくはなるが――な二十六歳。“昔”の何某たちは皆歳上だったが、この男はかなり歳下である。が。

 デラーズが略歴をよこすからには、配下に入れるのはほぼ決定しているのだろうが――正直に云えば、とても、非常に回避したい人事である。

「今から配属を変えられぬものかな」

 思わず云うと、デラーズに目を見開かれた。

「何をおっしゃるかと思えば……ギュスターヴ曹長に、何か至らぬところでもございましたか」

 配属もまだだと云うのに、と、そのまなざしが語っている。

「至らぬ、と云うか――まぁ、私の我儘なのだが」

 苦手だった“昔”の知己に似ている、と云うと、デラーズは考えこんだ。

「それは……それであたりが悪くなるのは、ギュスターヴ曹長には気の毒ですな」

「本人に咎があるわけでもないのにな」

「本人は、私の配下に入れることを、非常に喜んでおりましたので、余計にですな」

「それは、ますます済まないな……」

 まぁ、似ている何某などは、とても優秀な男ではあった。あったのだが、その能力の大半をストーカー行為に使う時間のために振っていた、となると――まぁ、お察しと云うものである。

「何とか、角を立てずに所属替えができぬものかな……」

 個人的なあれこれでの選り好みで悪いが、しかし、自身に咎もないのにあたりがきついのも、当人にとっては愉快ではないだろう。

「見も知らぬ男に似ているから、と云う理由ですげなくしては、ギュスターヴ曹長も納得し難いだろうからな」

 だから、“我儘”だと云ったのだ。

 と、略歴のとある一文に目が留まる。

「――ギュスターヴ曹長は、パイロットの訓練を受けたことがあるのか?」

「えぇ、そのようですな」

「……なるほど?」

 MSではないようだが、戦闘機のパイロットとして登録されていたこともあるようだ。

 ――これは使えないか?

 どちらにしても、“伝書鳩”以外にも、“ガルマ”の監視要員は欲しかったのだ。その上、デラーズ配下、つまりは親衛隊に選出されるほどに忠義に厚く、能力もあるとなれば、早々“ガルマ”に籠絡されることもあるまい。

 いくら“ガルマ”が暴発しないと約束したとて、周囲が勝手に動く場合も多々あるのだ。実際、それでいろいろ問題になりかけたこともあった。

 だが、ギュスターヴ曹長は“曹長”である。一等兵として再入隊予定の“ガルマ”には、上官になり得る存在である。そうであれば、仮令“ガルマ”まわりの兵士たちが籠絡され、あるいは暴発しかけたとしても、この男が抑えになってくれはしないだろうか?

「――何をお考えです?」

「ギュスターヴ曹長を、“ガルマ”の監視役にできないかと思ってな」

「は、ガルマ様のでございますか」

「あぁ。後ひと月半ほどで、“ガルマ”がニタ研から戻されてくるだろう」

「えぇ。その後、兵卒として再入隊なさるのでしたな」

「そうだ」

 そしてその後すぐに、MSパイロットとなるために、ダークコロニーで、他の選抜メンバーとともに訓練を受けることになっているのだ。

「――ダークコロニーでの選抜部隊のメンバーは、もう確定していたか」

「お調べ致します。――まさか、ギュスターヴ曹長を、そこに編入するおつもりですか」

「可能ならば」

 ダークコロニーでの訓練部隊と云うのは、実際問題、真っ先に戦端が開かれる可能性の高い、ガルシア・ロメオの隊に配属される、最初のMSによる実戦部隊になる予定なのだ。

 まだ、部隊の統括者――兵卒の“ガルマ”ではあり得ない――も定かではないが、MS部隊全体のトップは、恐らく“黒い三連星”のガイア中尉になるのは確実なラインだった。

 とは云え、いかな“黒い三連星”と云えども、支配する小隊がひとつしかない、などと云うことはありえまい。聞いた話では、MSは先にガルシア部隊に納入しておいて、小隊ごとに訓練して、終わり次第本隊に送りこむ、と云う流れを想定しているそうだ。

 まぁ、元々試験場であるダークコロニーで、小隊をいくつも同時に訓練するようなスペースはない――かと云って、宇宙空間で大っぴらにやれば、連邦の耳目を集めることにもなりかねない――から、それが正しいやり方なのだろうとは思う。

 そうして、そこで行われる訓練が、後の小隊ごとのものであるのならば、“ガルマ”の所属する隊に“監視要員”を送りこんでおくのも、意味のないことではないと思うのだが。

「捩じこめるか」

「……お待ち下さい」

 デラーズは、恐らく人事局へ電話をし、やがて、

「――できるそうです。とりあえず、ガルマ様と同じ部隊に編入させました」

 と云った。

「よし」

 親衛隊を希望してくるような男が“ガルマ”の監視役なら、たとえまわりが籠絡されようと、流石にそれに流されたりはしないだろう。

「ところで、ギュスターヴ曹長に、内示は出ていたのか」

 確認すると、

「一応、異動の内示だけは」

「つまり、正確な部署はまだ知らされていない、と」

「私の下だとは知らせておりますが」

「――そうか」

 まぁ、デラーズの下に異動になるくらいだ、本人も、かなり気合を入れて職務にあたっていたのだろう。それはありがたい、ありがたいのだが。

 流石に、単に“ガルマ”と同じ部隊に異動させるだけでは、可哀想に思える。

 ――それで、うかうかと“ガルマ”のシンパになられても困るしな。

 事前に、きちんと顔を合わせて、直接ミッションを課した方が良いだろう。

「ギュスターヴ曹長には、私から伝えることにしよう。どのみち、密命には違いないのだしな」

「ガルマ様監視の密命でございますか」

 デラーズは苦笑した。

 この男は、タチ・オハラよりは“ガルマ”に対してあたりが強くはない――あくまでも比較してのことだ――から、苦笑が混じることになるのだろう。もちろん、あれの悪辣さには思うところがあるようだったので、騙されている連中とは一線を画するところはあるけれど。

 数日後、密命を云い渡すために呼び出すと、ギュスターヴ・モゥブはしゃちほこばって入室してきた。

「ギュスターヴ・モゥブ曹長か」

「は、はいぃッ!」

 敬礼する男の声が裏返っている。流石に緊張し過ぎではないか。

 身長190cmのこちらがやや見上げるほど、ギュスターヴ曹長は長身だった。長身、と云うか、横幅もあるので壁である。あるいは相撲取り――ますます何某を思い出させる。

 結構はっきりした顔立ちである。ごつごつした作りで、口が大きい。眼裂もだ。なるほど、その体格は、要人警護には良いのかも知れない。が、今求めているのは、それではない。

「ギュスターヴ曹長、貴官に指令を与える。密命、と云っても良いかも知れんな」

「な、何でございましょう!」

「この後ダークコロニーへ赴き、そこで行われるMSパイロットの訓練に参加せよ。訓練修了後は、そのままガルシア・ロメオ少将の麾下に入り、我が“弟”、“ガルマ・ザビ”の監視をせよ」

「な、何故!!」

ギュスターヴ曹長は、敬礼も忘れて前のめりに問うてきた。

「私は、閣下のお言葉に賛同し、閣下をお守りすることを目標に、軍務に励んで参りました! それが叶うかと思った矢先――どうしてそのような!」

「貴官が知っているかは定かでないが、我が“弟”、“ガルマ”は聊かならず“やんちゃ”でな」

 視界の端に、デラーズが大きく頷くのが見える。

「その上、まわりのものを籠絡して、味方につけるのもとても巧い。我が“父”など、私の云うことには欠片も耳を貸さず、“ガルマ”の云うようばかりを信じるような有様だ。――まぁ、家族の間のことなら構わんのだが、それを軍内部でやられると、とてつもなく拙いのでな」

「それで、閣下は、忠義に厚く有能な士官を、ガルマ様の元に監視者として配したいと思われたのだ」

 デラーズが、引き取って云う。

「そうだな。つまり、私の求めているのは、“ガルマ”に誑かされず、かつあれの傍近くにあれる程度のパイロットの資質を持った人間だと云うことだ」

「……それが私だとおっしゃる?」

「親衛隊を希望する人間が、そうそう他に心を移すなどと云うことはあるまい?」

「は! それはもちろん」

「だから、貴官が適任であると思うのだ。――但し」

 と、声を低めて続ける。

「このことを、あまり公にしては角が立つ。故に、これは密命である。“ガルマ・ザビ”を監視し、何かあればデラーズ、あるいは私に知らせるように」

「私が何か対応を……」

「いや…それは必要ない。あまり貴官が介入しては、徒に“ガルマ”を警戒させるだけだからな。それに、どちらかと云えば、注意してほしいのは、“ガルマ”本人ではなく、そのまわりの動静なのだ」

 いくら本人がおとなしくしていようと、まわりが暴走したなら意味がない。

 そして、その危険性は、いくつもの“昔”から絶えずあったものなのだ。

「それ故に、“ガルマ”のまわりに怪しい動きがあった場合は、速やかに私かデラーズに連絡せよ」

「はッ!!」

 ギュスターヴ曹長は、踵を合わせて敬礼した。

 それから、恐る恐ると云うように、

「……しかし、そちら方面には、閣下の“伝書鳩”があるのでは……」

「その“伝書鳩”が、どうもあてにならんのでな」

 タチ本人はともかくとして、こちらのスケジュールを売った“鳩”がいたからには、全面的に信ずることは難しい。もちろん、“敵”と云うわけでもないので、公的に処罰するわけにはいかない――どうせ“ガルマ”のことだ、何某かの有益な情報を、対価として“鳩”に与えたに違いない――が、完全に信じるには足らなくなってしまった。

「まぁそれに、“ガルマ”の配属予定先は、また別の問題もある。“ガルマ”にかかりっきりの“鳩”はないと云うことなのだ」

 無論、“ガルマ”が約束すると誓ったからには、本人は開戦まではおとなしくしているつもりだろう。

 但し、“ガルマ”の“おとなしくしている”は問題を起こさないと同義ではないし、たとえ“ガルマ”が問題を起こさなかったとしても、周囲がおとなしくしているとは限らない。

 それをよくよく監視するために、ギュスターヴ曹長のような存在は必要なのである。

「任されてくれるか、ギュスターヴ・モゥブ曹長?」

「は、はッ、一命にかけまして!」

 もう一度敬礼する。男の顔は真剣そのものだった。

「頼もしいな。――任せたぞ、ギュスターヴ曹長」

「はッ、謹んで承ります!!」

 力強い言葉に頷き、敬礼を返す。

 とりあえずは、これで“ガルマ”の監視は大丈夫だろう。これは、どちらかと云えば“ガルマ”まわりの監視であるのだし。

 とりあえず、少なくとも今後半年ほどは、開戦は考えずにおきたいものだが――後は、ルウムの事後処理の風向き次第と云うことになるのかも知れない。

 キシリアにでも再度確認してみるか、と思いながら、ギュスターヴ曹長を執務室から送り出した。

 

 

 

 通信に出たキシリアは、渋い顔だった。どうやら、連邦との交渉が難航しているらしい。

〈はっきり云えば、膠着状態ね〉

 肩を竦めて、キシリアは云った。

〈連邦からは、エルラン中将が出てきたの。あの、ぬらっとした男よ。顔と一緒で、態度もぬらっとしていて……〉

 どうにも厭なの、生理的に受けつけない、と云うのかしらね、と苦笑して、溜息ひとつ。

「まぁ、そうだろうな」

 何しろ、原作軸では、ジオンの内通者だった男である。

 偏見かも知れないが、大体内通者などになるものは、利に流されやすいと相場が決まっている。

「しかし、エルランならば、金で抱きこめるのではないか?」 

 原作軸でも、定見があっての裏切りのようには見えなかったから、金さえ積めば、簡単にこちらに落ちてきそうな気がするのだが。

 キシリアは首を振った。

〈駄目よ。そのあたりは危惧されていたと見えて、大層な人数の“随行員”がきていたもの。そこまで全部抱きこむくらいなら、普通に交渉した方がましだわ〉

 どうせ、何人かは絶対に裏切らないのだから、そこから水が漏れたら意味がないし、と云う。

「まぁ、確かにな」

 これがムンゾの交渉ならば話は違うが、云っては何だが他サイドの話である。そこから即開戦、と云う可能性が高いのならまだしも、大々的に金を積む必然性も見えはしない――金を積んだところで、連邦中枢にことが伝わってしまえば、最悪エルラン以下すべてが更迭の憂目となり、こちらの注ぎこんだ金も泡と消える、と云う可能性もある。さらにそこから開戦、などと云うことになれば、一体何のために工作したのかわからなくなる。

「では、お前はとりあえず、連邦がルウムの要求を呑むように、調停役を果たしてくれ」

〈わかっているわ。まぁ、どうしてもルウム寄りにならざるを得ないから、調停役としては怪しいのだけれど〉

「当事者同士でないことに意味があるのだと思っておけ」

 少しでも距離がある“第三者”ごいた方が、話し合いも多少は進捗があろうと云うものだ。

〈そうするわ。――ガルマは元気なの?〉

 話が変わったかと思えば“ガルマ”か。

「……元気過ぎるほど元気だ。この間は、私の“部屋”に不法侵入していた」

〈そう云えば、お前は家を出たのだったわね〉

 くすりと笑う、のは、家を出た顛末を“ガルマ”から聞いたものか。

「勢いは大事だと云うことがよくわかったのだ。――だと云うのに、“ガルマ”が妙な気の回し方をするので、どうにもな」

〈あら、ドズルが士官学校の卒業生と婚約したから、お前のことも、誰かとまとめてしまいたいんじゃないかしら〉

「それが要らぬ世話だと云うのだ」

 しかも、どう考えても、相手に選ばれたのはララァ・スンだ。トリプルスコアの相手となど、承服できるはずもない。

 が、キシリアはくすくすと笑った。

〈諦めた方がいいわよ。あの子は結構、やり手の仲人のようだから〉

 私にしてもドズルにしても、あの子が望んだところはあるようだし、と云う。

「――流石に、三倍差の子どもとどうこう、と云う気はないのだが」

 傍から見れば、犯罪だろう。

〈私だって、弟と同い年の子と婚約しようとは思ってもみなかったわ。――覚悟なさい、ギレン。お前の弟は強敵よ〉

「……知っている」

 そう答えると、キシリアは笑って通信を切った。

 “妹”からの、ありがたいのだかありがたくないのだかわからない助言を胸に刻みつつ、思い立って、ブレックス・フォーラに連絡を入れる。

 繋がらないかとも思ったが、割合スムーズに通信に出てくれた。

「ご無沙汰しております、ブレックス准将」

〈また、大変なことでしたな、ギレン総帥〉

 ブレックス・フォーラは顰め面だったが、それは概ね、苦笑いを噛み殺しているが故であるようだった。

「えぇ、私としても、想定外のことでございました」

 原作どおりの“暁の蜂起”であったなら、もっと犠牲者も建物の被害も少なくて済んだはずなのだが。

〈何と云いましょうか、ギレン殿が案ぜられることの、一端を見た思いでした〉

「……あれは、根本的にああ云うものなので」

 別に今回が特殊なわけではない、と暗に云うと、それをどう取ったものか、ブレックス・フォーラは明るい笑い声を上げた。

〈まぁ、流石ザビ家と云うべきでしょうかな〉

「微妙な気は致しますな……」

 あれは、ザビ家云々と云うようなものではないのだし。

 しかし、

「――その後、ゴップ将軍はいかがなご様子ですかな?」

 “蜂起”後、即連絡を受けてから、その後まったく音沙汰がない。

 無論、ムンゾのことはワッケインに、ルウムのことはエルランに任せたからこそではあるだろうが――ことと次第によっては、再度何やら捩じこまれる可能性もあるのだ。動向は把握しておきたい。

 ブレックス准将は苦笑した。

〈相変わらず、レビル将軍と綱引きをされておられますよ。レビル将軍は、どうもムンゾにエルラン中将を派遣したかったようですが、ゴップ将軍に押し切られたとか〉

「……エルラン中将は、それほどレビル将軍の信任が厚いのですか」

 どうも、原作での裏切りを知っているせいか、エルラン中将に信を置くその気持ちがわからないのだが。

 ブレックス准将は肩を竦めた。

〈エルラン中将は、レビル将軍とはかなり長いつき合いだと聞いております。恐らくは、気心の知れた間柄なのでしょうな。それに較べれば、ワッケイン准将は新任ですし、私のように議員出身と云うわけでもない、聊か心許なく思っておられるのでしょう〉

 それはどうだろう――いや、レビルは、ルウム戦役の時にともに作戦にあたったティアンムともあまり仲が良くはなかったから、むしろ全体的に孤立しているのかも知れない。

 そうであれば、新任の准将か、あるいは下心のあるエルランのような人間しか、まわりにいないと云うのはありうる話ではある。

「ワッケイン准将は、なかなか優秀な方とお見受け致しましたが」

〈えぇ。――ただまぁ、ワッケイン准将は、何と申しますか、やや四角四面なところがおありでしてな。正しいと思えば、連邦軍に不利な条件も呑んでしまうのではないかと、そう危惧されているのでしょう〉

「とても、そうは思われませんがな……」

 原作軸でも、官僚気質と云われたワッケインではあるが、それは規律をきちっと守ると云う意味でもなかったはずだ。まぁ、こちんとして、表面的な規則を守らせようとする男、と云うニュアンスではあっただろうが。

 個人的には、どうにも胡散臭い感じしかないエルラン中将よりは、ワッケインの方が三倍は良かったと思う。エルランは金で籠絡できるかも知れないが、裏切ったものはまた裏切る。それならば、固いばかりのように思われるワッケインの方が、籠絡はできなくとも、何と云うか、どうにかしようがあるような気がするのだ。

 ――エルランのような輩は、部下に至るまで碌でもない場合が多いからな……

 偏見は良くないとは思うのだが、自分の勘は大体当たるのだ。

 そのあたりも含め、用心はするに越したことはないのである。

〈まぁ、ゴップ将軍であれば、あまり裁量権の大きな中将を、ムンゾのような難しい舵取りを必要とする交渉には当てたくない、と思われたのかも知れません〉

 ブレックス・フォーラは微苦笑した。

〈ゴップ将軍もレビル将軍も、それぞれに思惑がおありだ。それに相応しいと思われる人物が、ちょうど正反対だったと云うことなのでしょうな〉

「まぁ、ものの見え方は、人それぞれですからな」

 黒いものが白く見える場合もあるのだし。

「私と致しましては、ムンゾはワッケイン准将でありがたかったですな。准将は、道理はきちんとおわかりになる方だ。いろいろおかしな肚の探り合いがないのも、好ましいですよ」

〈ございませんかな、肚の探り合いは〉

「ない方ではありませんかな」

 少なくとも、袖の下やら何やらを要求してこないだけでも好ましい。かれの部下も、しつけられているものか、特にそのようなトラブルは聞くことがない。これがエルランならば、どうなっていたことか。

 ――金で籠絡できないのも、それはそれで良い、か。

 まったくないわけではもちろんないが、裏表が少ないのは、こちらとしてはありがたいことである。

「まぁ、決定的な亀裂を作らぬこと、ムンゾ駐屯基地の再建、と云う共通目的に邁進できるのならば、どんな方でも相対するに吝かではありませんが、無駄な労力は使わぬに越したことはない。そうではございませんか」

〈――確かに、ワッケイン准将は、忠実過ぎるほど任務に忠実ですからな〉

 なるほど、やはり連邦軍内でもそのような評価なのか――それならば、ゴップとレビル双方の妥協点としては相応しい人選か。

 そう云えば、

「――レビル将軍と綱引きされている、とのことでしたが、ゴップ将軍とレビル将軍は、何で争っておられるのです?」

〈そこはやはり、開戦か戦争回避か、でしょうな〉

「レビル将軍は、それほどムンゾを目の敵になさいますか」

 致し方のないところとは云え。

〈そうですね、特に貴殿が敵のようですよ、ギレン殿〉

「まぁ、レビル将軍にとっては、私が“悪の枢軸”なのでしょうな」

 “枢軸”と云うには、数が足りない気もするが。

 ブレックス・フォーラは苦笑した。

〈そうですな、ムンゾ、中でもザビ家、特にギレン殿とガルマ殿を目の敵にされているようです。とは云え、今回はそもそもルウムの事件に端を発しておりますので、レビル将軍としても、そこまでムンゾに強くは出られますまい。現地の指揮官の対応の拙さもございましたからな。まぁ、ガルマ殿の処遇に関してだけは、文句がおありのようでしたが〉

「しかし、地球降下には、ゴップ将軍が反対なさったのでしょう」

〈えぇ、それはもう強硬に〉

 くすくすと笑う。

〈ゴップ将軍は、随分懲りておられるようです。“羹に懲りて膾を吹く”と云うのでしたか、それくらいにガルマ殿を警戒されておられますよ〉

「それはまぁ、そうでございましょうな」

 自分とても、同じ立場に立たされたなら、“ガルマ”を降ろすなと云うだろう。

 否、あるいは禁錮にでもするために、首に縄をつけてでも連れてこいと云っただろうか。“ガルマ”と云うのは、野放しにしても、あるいは檻に入れても、どちらにしても処し難い生きものなのだ。

〈……まぁ、連邦軍の中でも、今や対ムンゾ強硬派はレビル将軍おひとりと云っても過言ではありませんからな。少数派が声を届かせるには、どうしても過激なことを云わなくては、ひとの耳目を集めることはできません〉

「確かに。ですがそれは、連邦軍の中枢にある方の言動としては、危ぶまれるところはございますな」

 過激な発言で耳目を集める、それではまったく、煽動家のやることではないか。

〈えぇ。ですから、どうしても悪循環になりがちで〉

「なるほど」

 ムンゾに対して強硬姿勢を取ろうとする、穏健派や融和派が眉をひそめる、反応がないのでさらに過激な発言になる、のくり返しと云うことか。

「それは確かに、少々危ぶまれる事態ですな」

〈えぇ。ただ厄介なのは、あの騒動で激減したアースノイド至上主義者たちが、レビル将軍に近づいていると云う噂があることなのです〉

「何と」

 無論、あのような輩が一掃されることはあり得ないが、それにしても、レビルまわりに集まってくるとなれば、話は別だ。

 レビルは、アースノイド至上主義者と云うわけではもちろんない――そうでなければ、原作軸で、ニュータイプ部隊と目されたWBの面々に、肩入れしたりはしなかっただろう――が、ジョン・コーウェンの前例もある。本人がそうは思っていなくとも、“御輿”に乗せられてしまえば、下りることは難しい。つまり、今度はレビルが反スペースノイドの領袖ともなりかねないと云うことのだ。

 ――これは、なかなか大変なことになるかも知れない。

 しかも、今度の“敵”は、宇宙軍総司令になるであろう男である。

 これは、慎重に動かねばならぬ、が、それで完全に回避できることとも思われぬ。

「――できれば、開戦は避けたいものですが」

〈私も、そう願っております〉

 だが、戦いを回避する道はない。今回聞いたところで、より一層そうであることが確信されてしまった。

 互いの息災を願って別れながら、脳内では既に、逃れられぬ刻をどこまで先延ばしにできるか、目まぐるしく計算が開始されていた。

 

 

 



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