かつて私だった僕~闇を照らすヒカリは眩しい~ (幽美 有明)
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家族の在り方
「僕はこれからどうすればいいんだろう」
そんなことを口に出しながら道を歩く。
夕焼けが眩しくて半分ほど目を瞑りながら、思考を巡らせる。
結局、僕の片思いはなくならなかった。忘れることすらできなかった。
今頃あの二人はなにをしてるんだろう。後輩の話しぶりから察するに、イチャイチャしてるわけではないんだろうけど。
でも……
「幸せなんだろうな」
僕には、そんな相手が現れるんだろうか。
僕は、涙が好きだった。
僕は、女の子が好きだ。
僕は、男を恋愛対象としてみることができない。
全てが全て、理由もなく怒るわけはなく。僕が男を恋愛対象として見れないのには訳がある。
決して涙には明かすことのできない秘密。
いや、涙に想いを告げることのできなかった最大の理由かもしれない。
想いを告げたら涙の心が死んでしまうからと。御託を並べていたけど。突き詰めればあれは言い訳だ。僕が想いを告げることのできない本当の理由を隠すための方便。
本当の僕は、汚れている。
どうしようもないほどに穢れている。
本来なら、涙の側にいることができない人間だった。
涙はどんなにつらいことがあっても、白いままだった。
泥水の中から綺麗な花を咲かせる、蓮の花が涙だとしたら。
紫の綺麗な花を咲かせるが毒を持つ、トリカブトが僕だ。
僕は存在するだけで、涙を傷つけてしまう存在だったんだ。でも片思いをしたから、幸いにも涙を気付つけることはなかった。
本当の僕は醜い存在だ。
いつもの答えに行きついて、前を見ると日陰の中にいて。
そこ日陰を作り出していたのは家だった。見ず知らずの他人の家ではなく、僕の帰ってくるべき家。
かつて帰る場所だったところ。
今は、寝食をする場所かな。
「ただいま」
「おかえりなさい」
自分の部屋に行こうとしたら、お母さんに呼び止められた。キッチンで料理をしてるから、晩御飯作ってるんだろうね。
「今日お出かけしてきたんでしょう。楽しかったの?」
「楽しかったよ」
「そう、良かったわね。もう少しで夕飯できるから待っててね」
「うん」
なんてことの無い、家族の会話。なのかも、僕には分からない。
昔、僕と母の関係性は壊れていた。壊されていた。親と子、家族であることに違いは無いけど。そこには深い溝が彫られていた。
階段を登って自分の部屋へ向かう途中、弟の部屋が騒がしかった。ゲームをしている音が部屋から漏れてきている。
いつもいつもゲームをして飽きないものだと思う。
そして僕は今日も弟の部屋に入る。
「入るよー」
「またかよ姉ちゃん」
「まただよ愚弟」
私はいつも帰ってくると、弟の部屋に入り浸る。
「なんでいつも俺の部屋に入ってくるんだよ」
「居心地がいいから」
「なんだよ居心地って。仮にも男の部屋だぜ?」
弟のことを男だと認識してる姉は世界にどれほどの数いることか。まずほとんどありえないだろう。
「仮にも僕は君の姉だよ。弟の部屋に入り浸ってもいいだろ」
「弟って義理だろうが」
「それがなんだって言うんだ」
義理の弟、義理の姉。
それが僕と愚弟との関係性。血の繋がりのない赤の他人、という名の家族。
僕は母親の、愚弟は父親の連れ子だった。
義父の方の離婚原因は知らないけど、母の離婚原因は凄惨なものだ。僕だって関わっていた。
だからこそ再婚するだなんて思いもよらなかったし、母親との関係により深い溝が出来上がった。
「だからその……姉ちゃんを姉ちゃんとして見れないって言うか」
「なるほど、まだ僕は君の姉になりきれていないということか。僕は君のことを弟として見てるんだけどね」
「そういう事じゃなくて」
「じゃあどういうことさ?」
愚弟も高校一年生だ。そして、僕は愚弟の言いたいことを理解しているつもりだ。分からないふりをしているけど。
愚弟はどうしたって僕のことを姉として見れないんだろう。
一人の女としてみてしまう。多分愚弟の言いたいことはそれだ。そりゃあ再婚したのはもう三年も前だけど、その月日の中で初めは愚弟もボクを姉として受け入れようとしていたけど。そのうちに僕が高校生になって、それが揺らいだ。
愚弟が高校一年生になり、僕が高校二年生になると。もうそれは、決定的なものになっていた。愚弟が僕を姉だと受け入れる前に、僕も愚弟も大きくなってしまったってことだ。
「だーもう、 ゲームの邪魔するなら出ていけ!」
「はいはい、大人しくしてるよ」
僕は愚弟を男としてみることは出来ない。
男に恋愛感情を持たないから、無理な話だと言うわけだ。
男そのものに興味が無いから、愚弟は愚弟以上にはなれない。
いくら愚弟が僕を女だとして見ても、僕はそれに応えることができない。片想いどころか身近にある恋心にすら僕は応えられない。
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弱り心に絆されて
病は気からなんていうけれど。こういう精神論はちょっと古い気がする。まあ、思い込みで病気が治る偽薬《プラセボ》効果って言うのもあるから。一概に精神論が無意味だとは思わないけど。
まあそれでも風邪ひいたら、誰だって気が弱くなるものなのは確実で。
「ケホッケホッ」
「全く愚弟は愚弟だね」
「風邪ひいてる時くらい、優しくしてよ」
「優しいだろ、こうして看病してるんだから」
愚弟が風邪をひいたのは、涙のデートについて行った日から一週間後のこと。両親は仲睦まじく旅行に出かけている。元々、留守番予定だったけど。愚弟が風邪をひいたことで、暇じゃなくなった。
元々予定があったかと言われればなかったんだけど。
ベットの上で横になっている愚弟は、顔が赤らみ吐き出す息は弱弱しい。
病院に行ったら風だっていうことで、薬をもらったけど。すぐに治るわけもなく。こうして愚弟の看病をしないといけないわけだ。
「食欲はあるの?」
「腹減った……」
「おかゆでも作ってくるから、大人しく寝てなよ」
料理は得意な方だ。卵がゆくらい作るのは難しくない。お腹が減ったから僕の分も一緒に作る。
味付けは薄めに。と言うか、出汁だけで済ませる。病人に濃い味付けのおかゆは良くないから。
十五分足らずで出来た、卵がゆをお盆に乗せて階段を上がる。本当は七草粥《ななくさがゆ》なんかがいいんだろうけど、そんな贅沢は言ってられないし。
「ほら愚弟、優しい僕が卵がゆを作ってきてあげたよ」
「あんがと、ねえちゃん」
「ずいぶん弱弱しい、感謝だね。ほら、愚弟の分」
ベットの隣にあるサイドテーブルに、愚弟の分の卵がゆを置く。
自分で作ったにしてはいい出来だ。ベーコンの塩味がいい風味を醸し出している。
「そっちは」
「これは僕のだ」
「そっちのほうがうまそう」
「愚弟の分はそこに、あっ」
「いただきます」
「はぁ、全く」
さっきまで食べていたお椀を奪い取られ、愚弟はそのまま食べ始める。味濃いベーコン入り卵がゆを奪われたから、味薄いただの卵がゆを食べる。
「うめぇ」
「それはよかったね、僕のは味が薄いよ」
男って生き物は味濃い食べ物が好きなのかな。そうなると僕は男にはなりきれてないのかもしれない。まあ、味覚とかは体の方に引っ張られんだろうから。間違ってはいないのかもしれない。
熱が出ている今は、この愚弟間接キスだとかも考えないんだろうね。いつもなら恥ずかしがるのかもしれないけど。
「ごちそうさま」
「おそまつさま」
「なぁ、ねえさん」
「ん?」
卵がゆ食べてベットに再び寝ころんだ愚弟が何か言ってる。
「おれ、ねえさんのこと好きだわ」
「は?」
風邪ってものは脳まで蝕む病気だったっけ。これは脳神経外科病院まで連れて行かなきゃいけないのか。この辺の脳神経外科病院ってどこ?
「優しいし、綺麗だし、好きだし、愛してるし」
「愚弟、本当に頭大丈夫?」
「うそじゃねぇ。いまじゃなきゃいえないんだ。いつもならねえさんはぐらかすだろ」
そりゃまあ、好きじゃないからはぐらかすに決まってる。その資格すらないし。
「風邪で頭がやられてるんだよ。寝言は寝ていいなよ。ほら寝た寝た」
「頭がおかしくなったわけでも、寝言でもねぇ」
「なわっ!?」
ベットの上で弱ってたはずの愚弟が、声に覇気を取り戻して。男特有の力でそのままベットの上に引きずり込まれた。
「俺、姉ちゃんのこと。本気で好きなんだよ」
風邪ひいてる時に無茶して、涙で顔をぐちゃぐちゃにして、顔を赤らめて。女々しい愚弟だ。
馬鹿で、どうしようもない、愚弟だ。
ベットの上で、顔とかとを付き合わせる。
「僕は愚弟のことを好きになれないって言わなかったっけ?」
「そんなの聞いた事ねぇ」
「そうか、じゃあもう一回言ってあげよう。僕は愚弟を好きになることもないし、愚弟が好きになるような人間じゃないんだよ」
「俺はそんなことどうでもいい!」
愚弟にはどうでもいいことでも、僕にはどうでもよくないんだ。
僕は醜い存在だ。
「愚弟にはどうで良くても僕にとってはどうでもよくないんだよ」
「何が姉ちゃんをそうさせるんだよ、何が姉ちゃんを縛ってるんだよ!」
「何ってそりゃあ、過去だよ。ちょうどいい聞かせてあげるよ」
愚弟の顔の両側に手をつく。壁ドン、いやベットドン?
そんなことはどうでもいいか。
愚弟を見下ろす、これからは僕が話す内容から逃げないように。
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心の闇を晴らせるのは心だけ
誰にだって話したことが無い。自らの内に封じ込めた忌まわしい記憶。消して思い出したない、トラウマ。
「愚弟、母さんは何故離婚したか知ってる?」
「そんなの聞けるわけないだろ。父さんが離婚した理由だって知らないし」
「そう。義父《とう》さんの方はどうでもいいや。母さんが離婚した理由はね、僕さ」
まあ、結果論かもしれないけど。
「どういうことだよ」
「僕はね、襲われたんだよ。実の父親に」
中学に進学して、ちょうど性の目覚めとやらを経験したころだった。
「夜中、僕が寝ているところにやってきて。実の父親は僕を襲ったんだ」
忘れもしない、脳裏に焼き付いている光景。
泣いた。
叫んだ。
喚いた。
懇願した。
助けを求めた。
そのすべては、冷え切った部屋に消えて。母の耳には届かなかった。
「もともと、クソみたいな父親だった。女子供だろうと関係なく殴る男だった。瞼の裏に焼き付いた母の顔はいつも涙を流していた」
愚弟は僕が何を言っているのか理解できずに、目を見開き口をだらしなく開けて呆けていた。
「そしてその母親は、僕を売った。自分の身可愛さに、あの母親は私を売った!」
トラウマを思い出すと同時に、かつて存在していた私が出てくる。
あの時死んでしまった私の残滓が顔を出す。
「何を、言って……」
「あの日、私と言う存在は死んだ。実の父親に裏切られ、実の母親に裏切られ。心に広がったのは、絶望でも、怒りでも、憎しみでもなかった。そんな感情幼かった私は、感じる前に空っぽになった」
真っ白だった心は黒を通り越して、虚無になった。この体に存在していた純粋無垢な、私と言う存在は死んだ。いや自分自身で、苦痛から逃れるために殺した。
そして空になった体に生まれたのが、
「愚弟僕はね、空になった体に生まれた存在。女に生まれた自分自身が大嫌いで、男として生まれ落ちた。醜い化け物なんだよ。僕は愚弟の姉になる資格なんてない。僕は誰かに愛される資格がない。誰かを愛する資格のがない。醜い、化け物なんだよ……」
愚弟の顔に、涙のしずくが零れ落ちる。この涙に意味があるのか。なんで涙は流れるんだろうか。涙って何だろう。なんで僕は泣いているんだろう?
「姉ちゃん、泣いてる」
「なんでだろうね……」
「俺、姉ちゃんの辛さとか分かんねぇけど。今の姉ちゃんがなんだって愛せる自信ある。なんなら、姉ちゃんのくそおやじ殴りに行ってもいい」
「殴りに行けないよ、もう刑務所の中だ」
警察を呼んだのは結局母親だった。裏切られた末に、助けられて。僕は助かってしまった。
「姉ちゃん、泣くなよ。どうせ泣くなら嬉し涙を流せよ。もし悲しい涙を流すなら、俺にその涙くれよ。俺、姉ちゃんのこと好きだから。全部受け止めるからさ」
流れ落ちる涙を、愚弟の指が拭う。
自分が風邪ひいて辛いはずなのに、無理して僕を慰めようとする。本当にどうしようもない愚かな弟。
僕は誰かに愛されていいんだろうか?
僕は誰かを本気で愛していいんだろうか?
僕は、僕で居ていいんだろうか?
「俺、姉ちゃんのこと本気《マジ》で愛してるんだ」
そんなに真っすぐな澄んだ瞳で僕を見つめないでくれ。
眩しい程の笑顔を僕に見せないでくれ。
僕は、その愛を受け取る資格なんてないはずなのに。
やってくれたな愚弟。
僕の昔のトラウマ引きずり出して、挙句の果てには僕を泣かして。自分で自分を縛り付けていた、片思いの鎖に罅《ひび》まで入れて。
闇い閉ざされていた僕の心に、愛と言う名の光を当てて。
夜に浮かぶ月みたいじゃないか。
僕が愚弟を好きになるはずがないのに。
愚弟の女々しい泣き顔にちょっとキュンとしたのは内緒だ。
愚弟でも女装したら案外行けるかもしれない、そう思ったのは内緒だ。
愚弟なら、僕のすべてを受け止められるかもしれないと思ったのは内緒だ。
全部、全部、内緒だ。
「愚弟には、まだ臭いセリフは似合わないよ。愚弟は女じゃないし、僕の恋愛対象外だ。でも、愚弟のおかげで僕はやっと前に進めるかもしれない」
ベットから降りてドアノブに手をかける。
「姉ちゃん、どこか行くのか」
「ああ、終わりを告げに行ってくるよ」
でもその前に、腫れた目元冷やさなきゃな。心配されちゃうから。
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