季節の兄妹 (九龍城砦)
しおりを挟む

世界の引き金

 ふとした瞬間に、思うことがある。

 

「…………」

 

 私は、兄が好きだ。

 

「………………」

 

 もちろんLOVEじゃない、LIKEの方だ。

 

「……………………」

 

 スコープを覗き込み、対象の動きをじっと観察する姿が好きだ。

 獲物を仕留めるため、感情を抑えて隠密に徹するその姿勢が好きだ。

 空中に打ち出された弾を撃ち落とす、なんていう変態的な芸当をするその腕が好きだ。

 

「………………………………」

 

 そんな大好きな兄の姿を、私はスコープ越しに見つめている。

 距離1700。

 スナイパーならあってないような距離。まるで私と兄の心の距離みたいだ。

 市街地に立つビルの上。吹き荒ぶ風に晒されながら、私は一心不乱に兄の姿を見つめている。

 そんな時。ピクリと、兄の片眉が吊り上がった。

 

「今」

 

 引き金を、引く。

 今私が使っているのは、狙撃トリガーの中でも一番弾速の速いライトニング。撃たれたと分かってからシールドを展開することはほぼ不可能。

 だというのに。

 

「あ」

 

 兄は、潜伏ポイントにしていた家の屋根から、転がり落ちた。

 まるで、自然に体勢を崩したように。

 まるで、ほんの小さな凡ミスで落下してしまった素人のように。

 

「やられた」

 

 だけど、それは全て兄の()()だったのだと、撃った瞬間に理解した。

 だって、転がり落ちている兄の銃口がこちらを向いているのが、その証拠だ。

 

「────」

 

 さっき、私は兄の好きな部分を色々と挙げていたけれど。

 けれど、私が一番好きなのは。

 

「反則」

 

 私を撃ち抜くときに見せる、あの表情だ。

 

『トリオン供給器官破損、ベイルアウト』

 

 私は、兄のあの顔を見るのが、たまらなく好きなのだ。

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

 気がつけば、私は作戦室のベッドの上に倒れていて。そんな私の周りを、見慣れたチームメンバーが囲んでいた。

 カッチリとしたスーツを着込んだ、可愛らしい顔立ちの少年。そして子供っぽい服を着こなしている、同じ顔をした双子の少女だった。

 

「いやー、見事にやられたッスねー」

「とーかちゃんだらしなーい」

「なーい」

 

 ムクリとベッドから体を起こせば、口々にそんな言葉を投げかけてくるチームメンバー達。

 うーむ、ここは嘘でもいいから労いの言葉をかける場面じゃないのかなー?

 

「ポイントは取ったんだから、仕事はしたでしょ」

「まぁー、最低限ッスけどね?」

「わたしたちの方がとったポイント多いもんねー」

「ねー」

 

 うっさいわ、このチビッ子ども。私はスナイパーなんだよ。スナイパーは一試合中に一点でも取れれば御の字なんだよ。

 というか、私の援護があったからこそ点取れたってことを忘れないように。

 

「でも、うまく決まって良かったッスねー、グラスホッパー狙撃作戦」

「まぁね。でもあれ一回きりの奇襲技だから、今度からは絶対警戒されると思う」

「ふふん、それでも当てるもーん」

「もーん」

 

 いや、無理だから。B級中位と下位の試合ならともかく、B級上位以降は絶対単純に撃っても当たらなくなるから。特に影浦先輩ね。

 

「ま、反省は後でするとして……裕貴、今回のログは?」

「バッチリッスよ! 流石は桜子の発明した自動録画トリガーッス! 演算の邪魔にならない上に、ベストバウトまで自動で選出してくれる優れものッスよ!」

「ん、ならよし」

「わたしたちにも見せてー」

「見せてー」

「もちろんッス!」

 

 ワイワイ騒ぐチームメイト、長嶺裕貴(ながみねゆうき)板橋心(いたばしこころ)板橋心寧(いたばしここね)の三人。

 そんな三人を尻目に、私は作戦室中央にあるモニターの前に立つ。

 

『最終ポイント、3-2-5! 5ポイントを獲得した(あずま)第一隊の勝利です!』

 

 そこに映し出されている、一人の男性の姿を見ながら。

 

 東春秋(あずまはるあき)

 

 ボーダー始まりのスナイパーと呼ばれている、私の兄である。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

 私がボーダーに入ったのは、兄の影響が強い。

 

 というか、それしか理由がない。兄が入っていたから、自分も入る事を決めた。それほどまでに、兄は私にとっての光なのである。

 私と兄は歳が離れているが、それでも兄妹の仲は良好だ。というか、離れてるからこそ良好と言える。

 

「……ちょっと買いすぎたかな」

 

 食材の入ったビニール袋を見て、少しだけ眉をひそめる。今日はやけ食いだー、なんて調子に乗って色々と買いすぎてしまった。給料日だったっていうのもあるけど。

 夜の帷の落ちた三門市の町を、いつも通りの街並みを、私たちが守っているものを、じっくりと眺めながら帰路に着く。なぜこんな時間になってしまったかといえば、ランク戦の後に戦いの反省点やらを挙げていたら予想以上に遅くなってこんな時間になってしまったのだ。

 主にあの双子のせいでもあるけど。あの二人が騒ぎ出すとほんと沈めるのに時間かかるからなぁ。なんて、愚痴にも近い感想を心の中で呟いていたら、いつの間にかもう家は目の前だった。

 

「おかえり」

 

 玄関のドアを開けて、リビングへと入る。そこではテーブルに座った兄がこちらを向いていた。

 いつもと変わらない、死んだ魚のような目をしている。いや、死んだ魚のような、は言い過ぎか。無感情な、が正しい。

 

「ただいま。お父さんとお母さんは?」

「今日、結婚記念日だろ」

「あ、そっか」

 

 うむ、すっかり忘れていた。

 今日は二人の思い出の場所を巡るんだとか、嬉しそうな顔で言ってたっけ。今頃はどこぞのレストランでディナー中だろう。

 まったく、呆れるくらい仲良いよね、ウチの両親。

 

「兄さんもお腹減ったよね。待ってて、今つくっちゃうから」

 

 私は今しがた買ってきた食材を持って、小走りのまま台所へと入る。そうして、いつも愛用しているエプロンを取ろうとした所で。

 

「いや、今日は外に食べに行こう。ちょうど給料日だったしな」

「えっ」

 

 兄はそんな、割と心躍るようなセリフを、なんの臆面もなく言い放ったのだった。

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

 じゅうじゅうと肉の焼ける音。

 頬を炙る熱い熱気。

 そして食欲をこれでもかとそそるいい香り。

 

「ほら、焼けたぞ」

「…………」

 

 私たち兄弟は、いつもお世話になっている焼肉屋さんにやってきていた。色気も華やぎも無い、ただ食い気だけを感じるような、甘い雰囲気とは無関係のジューシーな焼き場だった。

 まぁ、ですよねーって感じだ。この兄に、そういう乙女心を理解しろっていうのが無理な話だったのだ。

 

「どうした? 食べないのか?」

「……食べるけど」

 

 美味しいから食べるけども。

 取り分けられた牛カルビを、タレに浸して口に運ぶ。一口噛めば濃厚な脂がジュワッと溢れ出し、タレと絡んで一気に舌を旨味で満たした。

 やっぱりうまい。これは何枚でもイけそうだ。二口、三口と箸が進んで、あっという間に取り分けられた牛カルビは姿を消した。私も大概、色気より食い気だったらしい。まだまだ子供だなぁ、なんて自分の胃袋に呆れるのでした。

 

「兄さんって、焼肉好きだよね」

「ん、まぁな」

 

 いつも通りの眠たそうな顔で、兄さんはコンスタントに肉を焼いていく。こういうところにも性格って出るもんなんだなぁと、常々密かに思う。

 

「美味しいから?」

「いや、それもあるが……一番は、こうしてみんなで網を囲めるからかな」

「ボーダーの人と?」

「そうだな」

 

 少しだけ、兄さんの瞳が下を向いた。あの動きは、昔を懐かしんでいる動きだ。きっとA級一位だった頃の東隊を思い出しているのだろう。

 私が入る前のボーダーにあった部隊。それこそ、兄が始まりのスナイパーと呼ばれる理由になった部隊。

 

 二宮匡貴。

 

 加古望。

 

 三輪秀次。

 

 今ではそれぞれB級一位、A級六位、A級七位部隊の隊長を務める人物たちだ。

 いずれもボーダーの主戦力と呼べる人物たち。そんな人たちをまとめ上げていたのが、今目の前にいる私の兄、東春秋なのである。

 

「前のチームの人たちとも、焼肉来てたの?」

「ああ。ランク戦で勝った時とか、負けた時とかによく来てた」

「それ毎回行ってるじゃん」

 

 勝ったときは祝賀会、負けたときは反省会として焼肉に来ていたらしい。どんだけ好きなんだ、焼肉。

 

「お前もチームの子たちと来たりしないのか?」

「あのね、高校上がりたてのひよっこにそんな財力あると思う?」

「はは、そうだったな」

「それに、あの子たちまだ中学生と小学生ですし。門限あるからそんな連れ出せないよ」

「それはごもっともで」

 

 そんな会話をしながらも、兄は焼き終えた肉をひょいひょいと自分と私の皿に取り分けていく。量の偏りもなく、焼き加減も完璧。うーむ、相変わらずのデキる男ですな。

 デキる男、という単語で嫌なことを思い出してしまった。今日のランク戦で見せた、屋根の上から落下しながらの狙撃。あれこそまさにデキる男の名に恥じない芸当だろう。

 

「……あのさ、今日のランク戦なんだけどさ」

「ああ。最後、詰めが甘かったな」

「うぐっ」

 

 お見通しだったらしい。

 当たり前か。じゃなきゃ、あんな釣りしてこないもんな。

 

「だが、中盤で見せた援護は良かった。特に、小荒井の足を削った一発だな。あの双子アタッカーの強みをよく理解している狙撃だった」

「う、へへ……」

 

 かと思えば、今度は褒められてしまった。

 さすがは兄さん、飴と鞭の使い方がお上手ですこと。

 

「後もう一つ、お前が撃った弾をグラスホッパーで反射させるあの芸当。あれはお見事という他ないな、相当練習したんだろう?」

「うん。二人の門限ギリギリまで、毎日練習してたんだ」

 

 今回が初お披露目となった、グラスホッパー狙撃。理屈は単純で、私が撃った弾を心と心寧がグラスホッパーで反射させるというものだ。

 通常のトリオン弾だとグラスホッパーでは弾けず消滅してしまうので、使うのは普通の弾丸を装填したカスタマイズ狙撃銃。

 ダメージは与えられないが、敵の気を引いたり体勢を崩したりするのには最適で、あの二人にとってはそれだけで十分なボーナスタイムとなるのである。

 

「若い芽が順調に育ってきてるようで何よりだな」

「兄さんも十分若いじゃん」

「俺はもうボーダーの中じゃ老人だよ」

「うわ、バリバリ現役の人が何か言ってますよ」

「ははは」

 

 何笑ってんねん。

 いやまぁ、兄さん25歳だし、平均年齢が10代後半のボーダー内では結構年食ってるってのは事実だけどさぁ。

 でも、未だにあんな狙撃をする人が老人とか、まず有り得ないからね。それに、日本の社会全体で見たら、25歳とか十分若者だわ。

 

「まったく、兄さんは自分に対して厳しすぎるんだよ。もっと甘やかしてあげたら?」

「善処するよ」

 

 本当かなぁー? 善処する、は大人たちの言葉でやれたらやるけど期待しないでね、と同義だからあんまり信用したくないんだけど。

 パクパクと焼かれた肉を口に放り込みながら、私は内心で兄さんに疑惑の目を向ける。

 そんな時、不意に、兄さんの瞳が私の方を向いた。

 

「なぁ、冬夏」

「もぐもぐ……なに?」

「楽しいか?」

 

 ゆっくりと、確認するように、兄さんはそんな言葉を私にぶつけてきた。

 何に対しての言葉だろう、なんて考える必要もない。兄さんのその質問に対する答えは、すでに決まっているのだから。

 

「うん、もちろん」

 

 楽しいよ。

 ボーダーで過ごす時間が。兄さんと過ごす時間が。生きているこの瞬間が。

 今の私には、すごく楽しい。

 

「そうか」

 

 そう短く呟いて、兄さんは皿に取り分けた肉に手を付ける。

 ん、あれギアラじゃん。いつの間に焼いてたんだ、相変わらず隙が無い人だな。

 

「それなら、良かった」

 

 そう言って、兄さんは照れくさそうな表情を浮かべて笑うのだった。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

 子供の頃から、かくれんぼが得意だった。

 

 同年代の子たちと遊んだ時には、私を見つけられた子は誰一人としておらず、時には隠れた私を放置してみんな帰ってしまったレベルで得意だった。

 大人ですら本気で隠れた私を見つけることはできず、あわや誘拐事件かなんて大騒ぎになってしまった時もあった。

 

『くふふ……探してる探してる』

 

 隠れている時間は心地いい。まるで世界に自分一人しか居なくなってしまったように感じられる。

 それに、私を探して駆け回る友達や、起こったり呆れたりしながら私を探す大人達の姿は、見ていてとても面白い。

 だから私は、度々姿を消しては、周囲の人々を困らせて楽しんでいたのだ。

 今思うと、我ながら子供だったなぁと反省する所ではあるのだけれど。

 

『早く来ないかなー』

 

 とまぁ、私にとってはそれが密かな自慢だったわけなのだが。

 

『見つけた。こんな所にいたのか、冬夏』

 

 何故だかいつも、兄だけは私をあっさりと見つけ出してしまうのである。

 薄暗い路地裏に隠れていても、隣の家の屋根によじ登っていても、どこにいたって必ず兄は私を見つけ出してしまう。

 まるで、私が隠れる場所が分かっているみたいに。

 

『みんな心配していたぞ。さぁ、帰ろう』

 

 私を見つけると、兄は決まってそう言いながら手を差し伸べてくる。

 そして、私は決まってそんな兄の手を握り返す。

 

 まぁ、実を言うと。

 

『うん!』

 

 本当に楽しみなのは、この瞬間の方だったりする。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

『2時の方向、二人の援護イケるっすか?』

「うん、まかせて」

 

 兄と焼肉に行ってから数日後。今シーズン二回目のランク戦が始まった。

 相手は影浦隊と生駒隊。どっちも狙撃手が居るチームであり、どっちも狙撃が刺さったり刺さらなかったりする隊員が居るチームである。

 

「高低差、よし。方角、よし。距離、よし」

 

 手頃なビルの屋上に跳び移り、身を潜める。我ながら絶好の狙撃ポイントが取れたんじゃないかな?

 ウチは双子アタッカー+スナイパーというチームの性質上、割と狙撃が刺さる。特に、心寧はまだ心に比べて狙撃ポイントの探り方が拙い。

 ウチのチームの得点源は、二人揃った場合の心と心寧だ。どちらかが欠けても、それは戦力の大幅ダウンに繋がる。

 

「影浦先輩以外だよね?」

『そうッスね、今戦ってるのは海先輩と水上先輩みたいッス』

「ならよし」

 

 影浦先輩でも生駒さんでも無いなら、それは逆に好都合。

 二人揃っている今のうちに、出来るだけ場をかき乱して点を取る。

 私は出来るだけ体勢を低くして、イーグレットを戦場に向けて構える。

 

「視界良好」

 

 スコープの先では、裕貴の言った通り2対2のタッグ戦が繰り広げられていた。

 戦況は……こっちがだいぶ有利っぽいかな。水上先輩の脚と、海くんの腕を持っていってる。

 それに対してこっちは二人とも無傷。やるね、二人とも。水上先輩も海くんも、決して弱い訳じゃないのに。

 

「目標確認」

 

 なら私も、少しは先輩らしいところ見せなきゃね。

 

発射(ファイア)

 

 引き金を、引く。

 その瞬間イーグレットからトリオンの弾丸が放たれ、水上先輩の胴体を撃ち抜いた。

 

着弾(ヒット)

 

 続けてもう一発、と海くんに狙いを定める──フリをして。

 

「やっぱり、釣れた」

 

 素早くバッグワームを解除し、グラスホッパーを起動する。

 すると私の体は弾かれるようにビルの屋上から落下し、今まで私が居た場所を一発の弾丸が通り過ぎていった。

 

「目標確認」

 

 空中で爆速落下しながら、弾丸が飛んできた方向に照準を合わせる。

 私の視線の先に居たのは、影浦隊のスナイパーであるユズルくん。

 

発射(ファイア)

 

 引き金を、引く。

 イーグレットから放たれた弾丸は、またもや正確にユズルくんの驚き顔に命中した。

 

着弾(ヒット)

 

 よし、二点目。これで最低限以上の仕事はしただろう。

 受け身を取りながら民家の屋根に着地し、渾身のドヤ顔を浮かべる。私だってやれば出来るのだ、ふふん。

 

 なんて、そんな達成感や優越感に浸る間もなく。

 

「目立ちすぎだ、バァカ」

 

 隣の民家の屋根の上から伸びてきた、透明な刃に胸元を貫かれた。

 

「あ〜……影浦先輩、空気読んでくんない?」

「知るかボケ」

 

 崩壊を始めるトリオン体。

 その視線の先には、ボサボサ頭をした目つきの悪い先輩が立っていたのだった。

 

『トリオン供給器官破損、ベイルアウト』

 

 相も変わらず、アタッカーなのにその攻撃範囲はズルいなぁ、と思う私なのであった。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

『チームのオペレーター? 別にいいッスよ』

 

 私がB級に上がってチームを組んだ際、一番最初にチームメンバーとなったのはオペレーターである裕貴だった。

 まぁ、当然だろう。チームを組むには、オペレーターが必須。だからまずは他の何よりも優先するのは当然の事で。

 ゆえに、近所に住んでいる幼なじみの彼が、オペレーターとしてボーダーに入っていたのはとてもラッキーだったと言えるだろう。

 

『近距離タイプの隊員ッスか? あー、なら丁度いい子たちがいるッスよ。おれの従姉妹なんスけどね』

 

 そして次にチームに入ったのが、双子アタッカーである心と心寧だった。

 二人は裕貴の従姉妹らしく、小学生ながらボーダーに入隊してきた逸材だという。

 まだC級らしいが、その強さはB級レベルだと裕貴は太鼓判を押していた。

 

『えー、やだー。おねーさん弱そうだもん』

『もん』

 

 そんな彼女たちとの初対面時の会話がコレだ。

 いやもう、子供らしい小生意気を体現したかのような、まさしくメスガキのお手本とも言える対応だった。

 まぁ、私は大人なので? そんな事でいちいち怒ったりはしませんが?

 

『かくれんぼしよっか』

 

 私は極めて理性的に、この双子に対してそんな提案をした。

 戦闘力とは、戦う力のことだけでは無いのだとわからせる為に。

 実際問題、二人はアタッカーなのだから、近づかなきゃ戦いにすらならないしね。

 

『制限時間内に私を見つけられなかったら、君たちの負けってことで』

 

 そんなこんなで、入隊を賭けた壮絶なかくれんぼは、ご存知の通り私の圧勝で終わった。

 二人は私の影すら目にすることは出来ず、制限時間いっぱいまで私は余裕で逃げ切る事ができたのだった。

 

 というのが、私が隊長を務めるチーム・B級6位『東第二隊』が出来た経緯だったりする。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

「さて、これから反省会を始めます」

「ぶーぶー」

「ぶー」

「ほらほら、そんな拗ねないでくださいッス。小佐野先輩から貰った飴あげるんで」

 

 ランク戦後、東第二隊の作戦室にて。

 中央に置かれたテーブルを囲んで、私たちは反省会を開いていた。

 今回のランク戦の結果は、3-5-4で5ポイントを獲得した影浦隊の勝利となった。あの後、水上先輩が落ちた事で数的有利を失った海くんを見事仕留めた──までは良かったのだけれど。

 

「まぁ、反省点が色々とあるにはあるんだけど……始まる前に言ったよね? 影浦先輩と生駒さんには絶対に挑むなって」

「うー」

「うぅー」

「そんな顔してもダメです。バツとして、しばらく射撃トリガー没収ね」

 

 二人揃ってウルウルおめめでこっちを見つめてくるんじゃない。カワイイなコノヤロウ。

 

「だってだって! 逃げられなかったんだもん!」

「だもん!」

「裕貴、本当のところは?」

「いやー、ハハハ……」

 

 バツが悪そうに頬を掻きながら、裕貴は私から目を逸らす。うむ、これは逃走経路あったな。

 十中八九、二人が戦いたいと駄々をこねた結果だろう。まったく、裕貴はこの二人に対してはトコトン甘いんだから。

 

「これは戦術指揮も私が取ったほうがいいかなぁー?」

「だ、大丈夫だもん!」

「もん!」

「そうそう、大丈夫ッスよ。おれたちも成長してるんで」

 

 本当かなぁ〜? 今回のランク戦も、落ちたあとはなるべく口出ししないようにしてたけど、その結果がこれだもんなぁ〜。

 まぁ、成長してるってのは確かだろうけど。前までの二人なら、影浦先輩の腕を持ってくなんて芸当、絶対に出来なかっただろうしね。

 ただ、それに気を取られて生駒旋空で二人とも持ってかれてちゃ、世話無いんだけどね。

 

「さて、他にもあと3個ほど問題点があるんですが、分かる人ー」

「はい!」

「はーい!」

「それは冬夏ちゃんのミスも含めてッスか?」

「当然です」

 

 私だってミスした場面はあった。あの状況ではそれが最適解だと思っていても、後から見返してみればもっと違う手が最適解だったという場面は腐るほどある。

 私たちはそれらを分析して、理解して、次の戦いの糧にしていくしか無いのだ。

 それ以外に、強くなる道など存在しない。

 

「はい、まずは心から」

「うん! あのねあのね!」

 

 こうして、私たちの反省会は双子の門限時間まで続くのだった。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

「げ」

「ん、おや珍しいこと」

 

 ランク戦の翌日、学校の屋上にて。

 私以外誰もいない屋上に、一人の来客が現れた。

 

「久しぶり、葉子ちゃん」

「……何それイヤミ? この前ランク戦で戦ったじゃない」

「いや、学校で会うのは久しぶりって意味だよ。なんでそう悪い意味に取るかなぁ」

 

 屋上入り口の扉の隣に腰掛ける私と、今しがた入ってきたばかりで私を見下ろす葉子ちゃん。

 くそ、このアングルだとおっぱいがめっちゃ強調されるじゃないか。1割、いや2割くらい私にも寄越せ、コノヤロウ。

 

「まぁ、こうして出会ったのもなにかの縁ってことで、ちょっとお話してかない?」

 

 ちょいちょい、と私は自分の隣を指さしてみる。

 すると、葉子ちゃんはものすごく渋い顔を浮かべながら、私の顔を見つめてきた。

 

「アンタと話す事なんて何も無いんですけど」

「私にはあるかなぁ〜。オールラウンダーとして優秀な葉子ちゃんに、是非とも育成メソッドをご教授して貰いたいんだけどなぁ〜」

 

 ピクリと、葉子ちゃんの眉がわずかに反応した。

 相変わらず分かりやすいというか、なんというか。

 

「ほら、対価としていちご牛乳もあげるからさ」

「……5分だけよ」

 

 不機嫌そうに眉をひそめながらも、葉子ちゃんは私の隣に腰を下ろした。

 私は、持っていた紙パックのいちご牛乳を葉子ちゃんに手渡す。

 

「言っとくけど、アンタが期待してるような話は出来ないわよ。アタシ、感覚で上達するタイプだから」

「全然いいよ。むしろ、その感覚を教えてほしいかな。ウチの双子アタッカーも感覚タイプだからさ〜」

 

 バリバリの感覚派だからね、あの二人。

 あの歳でピンボールとか、マンティスとか使いこなすヤバい逸材だからね。

 思わず、これが若さか……って呟いちゃったくらいだもん。ほんと、私にはもったいないレベルのチームメンバーだよ。

 

「……ムカつく」

「え、急に何さ」

 

 めっちゃイラついてるじゃん。どうしたの? カルシウム足りて無いの?

 

「アンタがB級上位に上がれたのはあの双子のお陰で、アンタ自身が強いわけじゃないでしょ」

「うん、そうだね」

「なのにそうやってヘラヘラ笑って……ああもう、ホントムカつく」

「そう言われてもな〜」

 

 葉子ちゃんは結構めんどくさい性格をしている。でも根はいい子ではあるし、その本質はとても情に厚い子だ。

 ボーダーに入った本当の理由も、幼馴染みである花ちゃんを独りにさせない為だしね。

 

「……で、何が聞きたいの。スコーピオン? アステロイド? グラスホッパー?」

「スコーピオンかな」

 

 ほら、今もちゃんと約束を守ってくれてるし。

 そうして、葉子ちゃんがいちご牛乳を飲み終わるまでの20分間で、私はとても有益なアドバイスを貰うことができたのだった。

 

 これは心と心寧の特訓に活かせそうだ! 

 

 なんてね。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

 B級上位ランク戦、三回目の戦いが始まった。

 

 今回の対戦相手は弓場隊、二宮隊、そして東第一隊。B級の王者も含めた、四つ巴の戦いとなっている。

 うむ、いい機会だ。第一ラウンドで受けた雪辱、果たさせてもらおうかな。

 

「さてさて、いっちょ行きますか」

 

 開始と同時にバッグワームを起動し、物陰に姿を隠す。

 今回の試合で警戒すべきなのは、やはり二宮隊の隊長、二宮さんだろう。

 あのバ火力で真正面から攻撃されたら、誰だって無事ではいられない。故に、やることは一つ。

 

「暗殺の時間だ」

 

 目立たない路地や屋内を通り抜け、マップ北西の限界距離ギリギリまで後退する。

 すでにマップ南東では戦闘が始まっているらしい。時折、空へ飛んでは地面へ打ち下ろされるトリオン弾が確認できる。

 おそらく二宮さんの仕業だろう。シューターなのに全方位に圧かけられるとか、大概チートだよな、あの人。

 

『戦況は?』

『弓場隊と東第一が小競り合いしてるみたいッスね。そこに二宮隊がちょっかいかけてる構図ッス』

『心、まだ誰にも見つかってないよー』

『心寧も』

『よし、作戦通りそのまま隠密状態を維持。辻先輩か犬飼先輩のどっちかが二宮さんと合流したら、一気に仕掛けるよ』

 

 理想的な状況だ。

 二宮さんの位置は割れてるし、高層ビルの屋上という理想的な狙撃ポイントも押さえた。

 後はチャンスが来るまでジッと待機するだけ──だった筈なんだけど。

 

「……狙われてる、かぁ」

 

 何処からか視線を感じる。

 ジッとこちらを見つめる、眠たげで無機質な瞳を空見する。

 

「兄さんの意地悪」

 

 こんな場所に来るのは私だけだと思ってたのに。チームメンバーほっぽり出してまで私を追跡するとか、なんて薄情な人なのだろうか。

 いやまぁ、私も人の事は言えないんだけどね。心と心寧には悪い事をした。

 

「…………」

 

 沈黙が辺りを支配する。戦火の音は遠く、世界には自分しかいないような錯覚に陥る。

 それはまさしく、私が子供の頃に感じていた感覚に、限りなく類似していた。

 

「……………………」

 

 精神がヒリつく。トリオン体なのに喉が渇いて、指先が震えるような錯覚を覚える。

 一発。

 それが、この戦いで私に許された攻撃回数だ。それ以上を求めれば、確実に()()()()()()

 

「…………………………キッツぃなぁ」

 

 どちらを撃つか。

 どちらを撃たないか。

 

 チームを取るか。

 プライドを取るか。

 

 二宮さんを取るか。

 東春秋を取るか。

 

 きっと、私は試されているのだろう。だから兄さんはこうして一挙手一投足逃さないよう、私の動きを観察している。

 でなければ、とっくに私は狙撃されている筈だ。

 

「ふぅーーー……私が、下から狙撃するなら」

 

 通常、下から上を狙撃するというのは難しい。故に狙撃ポイントは限られてくる。今私が陣取っている高層ビルなんか、下から狙うには一苦労だろう。

 だけど、あの人は当ててくる。そういう確信がある。

 

『もう少しで、いぬかいさんがにのみやさんと合流するよー!』

『準備、できてる』

 

 さぁ、そろそろ決断の時だ。

 

「…………」

 

 私は、スコープを覗いて、標的の姿を視界に収めた。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

『スナイパーに一番必要なものは何だと思う?』

 

 まだボーダーに入隊したての頃、兄さんからそんな質問をされたことがある。

 その時の私は、隠密スキルだとか、狙撃の腕だとか、そういう回答をしたように思える。

 だけど、私の答えと兄さんの答えは違ったようで。

 

『もちろんそれらも大事だな。だけど、もっと大事なことがあるぞ』

 

 それは、いったいどんな事だろうか。

 まだまだ子供の私には、兄の言わんとすることが分からない。

 分からないけど、ただ答えを聞くだけなのは癪だと思って。

 兄に向かって、自分で見つけ出してやると大見得を切った。

 

『ん、なら安心だな。スナイパーにとって──いや、人間にとって大事なことを、お前はもう分かってる』

 

 あれから結構時間も経って。

 私は、少しだけ『スナイパーにとって大事なこと』を見つけられたように思える。

 私が見つけた、スナイパーにとって大事なこと。

 

 それは────

 

 

⭐⭐⭐

 

 

「──着弾(ヒット)

 

 スコープの中に捉えた人影が、鋭い目つきでこちらを見据える。

 あの距離からではシューターは何も出来ないと分かっているはずなのに、その威圧感に身体が震える。

 

 撃ち抜いた。

 

 B級の王者、二宮匡貴を、暗殺してやった。

 

「やっ──」

 

 溢れる歓喜の感情を押し込めて、即座にバッグワームとイーグレットを解除。

 両手のシールドを起動して、思いっきり地面を叩く。

 

「──たぁ!!!」

 

 その瞬間、地面から一発の弾丸が飛び出してきた。

 フルシールドでも相殺出来ないこの威力。間違いない、アイビスだ。

 

「っぶなぁ!」

 

 相殺はできなかったけど、フルシールドによって軽減された一撃は、私の右腕と右脚を持っていくだけに留まった。

 ふっ飛ばされた切断面から、大量のトリオンが漏れ出る音がする。

 

『警告、トリオン漏出甚大』

 

 もう長くないな、と理解すると同時、私は考えるまでもなくビルの屋上から飛び降りていた。

 狙撃位置は、このビルの内部。壁抜き──いや、天井抜き狙撃なんて、粋な事やってくれるじゃないか兄さん。

 

『裕貴! 敵の位置をおしえて!』

『了解ッス!』

 

 視界に映ったレーダー内に、ビル内部の構造が映し出される。

 その内部に一つの反応。

 五階層下の窓際、距離20。グラスホッパーでなら、一息に詰められる距離。

 

「い、くぞおらぁぁぁ!!!」

 

 残り少ないトリオンをかき集め、空中でグラスホッパーを起動する。

 残った左脚でバウンドし、一気に目標の場所まで突撃(落下)していく。

 

「取った!!!」

 

 空いた右でスコーピオンを起動し、右腕の切断面から直接生やして窓をぶち破る。

 そのままの勢いで、目標である兄の身体を──捉えた。

 

「え」

 

 ひどく間抜けな声が、自身の口から漏れる。

 勢いよくフロアに飛び込んで、スコーピオンを突き立てたそれは。

 

「ダミー……ビーコン……」

 

 位置情報を発する、ただのダミーだった。

 ビルの中にあった衣服を被せて、あたかも人間が隠れているように偽装させた、相手の気を引く用の正真正銘のダミーだった。

 いやマジか、完璧に騙されたわ。

 

「いつも言ってるだろう、詰めが甘いって」

 

 すぐ右隣から、聞き慣れた声が聞こえる。

 いやもう、うん。

 どんだけ用意が周到なんだ、この人は。

 

「……性格悪〜い」

「そうだな、それは自覚してるよ」

 

 崩壊を始めるトリオン体。なけなしのトリオンも、先程の特攻ですべて使い切った。

 あとはもう、私に打つ手は何も無い。

 

「だがまぁ、あんな超長距離狙撃をしっかり決めた点は評価ポイントだな」

「はぁ……ありがと」

 

 なんとも腑に落ちないけど、評価するところは評価してくれるのが兄さんだ。

 その賛辞は素直に受け取っておこう。

 

『トリオン漏出過多、ベイルアウト』

 

 こうして、私は必要最低限の仕事を終えて、この戦いを終えるのだった。

 ちなみに、この戦いの結果は2-2-2-3という結果となり、一応は東第一隊が勝者という形になったのだった。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

「ほら、こっち焼けてるよ」

「ん、はむはむ」

「はむ」

「ああもう、こぼしてるッスよ」

 

 第三回のランク戦から数日後。私たち東第二隊は、みんな揃って焼肉にやって来ていた。

 理由としては、前回の戦いの反省会といつも頑張ってるメンバーへの労いが半々といったところか。

 ちなみに、門限やその他色々な面倒事は裕貴がどうにかしたらしい。裕貴、普通に真面目で良い子だからな。信用があるってのはいい事だと思う。

 

「んー! んまい!」

「おかわり」

「はいはい、焼けてるからいっぱい食いな」

「流石は小学生……育ち盛りッスね」

「いや育ち盛りなのはあんたもでしょ。ほらほら、遠慮してないで食いなさい、中学生」

「あ、じゃあお言葉に甘えるッス」

 

 私は周囲に置かれた大量の肉を、効率よく網に並べて焼いていく。

 牛カルビ、ロース、ハラミ、タン、ホルモン、ギアラ、それに豚と鳥も合わせて、分け隔てなくいっぱい焼いていく。数は正義なのだ、うむ。

 いやそれにしてもよく食うなコイツら。食べ放題にしといてほんとに良かったよ。危うく財布の中身がベイルアウトする所だった。

 

「美味しい?」

「ん!」

「ん」

「めっちゃ美味しいッス」

 

 そうかそうか、そりゃ良かった。なけなしのお小遣いをやりくりした甲斐があるというもの。

 というか、さっきから私肉焼いてばっかで全然食えてないんだが? ちょっとは食べさせて、ねぇ?

 

「はー、おいしかったー!」

「かったー」

「ごちそうさまでしたッス」

「もぐもぐ……それはなにより」

 

 結局、三人がお腹いっぱいになる頃には、食べ放題の時間も残り十五分を切っていたのだった。

 うおお! 食え、食うのだ冬夏! 残り時間少ないけどスパートをかけるのだ! ギアラウマーなのだ!

 

「申し訳ありません、次の注文がラストオーダーとなります。ご注文はありますでしょうか?」

「バニラアイス!」

「チョコアイスー」

「あ、おれは抹茶アイスで」

「ご飯大盛り一つ!」

 

 なーんか時間ズレてねぇか? なんでそっちはデザートなのにこっちはシメのごはん頼んでるんですかねぇ?

 こういう時はチームワークが大事って習わなかったかい? ねぇ?

 

「ごちそうさまでした!」

「でした」

「ごちそうさまでしたッス」

「ゴクンっ……はぁー、ご、ごちそうさまでした……」

 

 い、一応食べ終わったぞ、コノヤロウ。めっちゃ美味かった。

 気を取り直して、会計をしてから店を出る。外はもうすっかり日が落ちており、夜の帳が街をすっぽりと覆い隠していた。

 

「じゃあ、後は帰るだけだね。家の前まで一緒に行こうか」

「うん!」

「うん」

「ボディーガードお願いしますッス、先輩」

「どっちかというと、こういう場合は男がボディーガードするもんなんだけどなー?」

「ほら、おれ男の娘なんで」

「自分で言うか?」

 

 いやまぁ確かに、裕貴はそこらの女の子よりかわいらしい顔立ちしてるけどさ。それでも、自分で言うのはなんか違うんじゃないかと思う私なのであった。

 そんなこんなで道中何事もなく、無事に三人を家の届け終えた私は、何事もなく家の玄関をくぐる。

 

「ただいまー」

「おかえり」

 

 リビングには、兄がいた。

 いつもどおりの眠たそうな目で、帰ってきた私の顔を一瞥する。

 

「楽しかったか?」

「ん、まぁそこそこって感じ」

「そうか」

 

 そんな私の受け答えに、兄さんは面白おかしいと言った様子で笑っていた。

 何故に笑うねん。笑う要素無かったやろ。

 

「なんで笑ってんのさ」

「いやぁ、冬夏も成長してるなと思ってな」

「ん、そう?」

 

 育ち盛りだからね。胸の方は全く成長してないけど。

 

「ご飯は食べた?」

「ああ。作り置きしてあったやつ、ちゃんと食べたよ」

「ならよし」

 

 兄さん、外食の時はともかく普段は食べるの疎かにしがちだからなぁ。私がしっかり管理してあげないとなのだ。

 

「お風呂湧いてる?」

「ああ」

「んじゃお先〜」

 

 リビングを通り抜けて、お風呂場へ向かう。

 すると。

 

「冬夏」

「ん、なに?」

「誕生日おめでとう」

 

 そんな言葉と同時に、兄さんから紙袋が手渡された。

 

「え──あ、そっか! 私の誕生日、明日だ!」

「やっぱりな……忘れてるだろうと思ったよ」

 

 すっかり忘れていた。ここの所ランク戦で忙しくて、そういった事に気を回す余裕が無かったのだ。

 兄さんは呆れたように首を振り、やれやれといった様子で私の頭に手を乗せた。

 

「俺は明日居ないから、今のうちに渡しとこうと思ってな」

「あ、開けていい?」

「もちろん」

 

 ガサガサと包装を剥がし、小さいけど立派な装飾が施された箱を開けてみる。

 

「ふわぁ……」

 

 そこに入っていたのは、見るからに高そうな腕時計だった。派手では無いが、流麗な装飾が施された小さな腕時計。女性用としてはだいぶ立派なものだ。

 いやこれ、絶対高いやつじゃん。どしたの兄さん、妹の誕生日プレゼントにこんな高そうなの買うとか、もしかしてシスコンなの?

 

「に、兄さんこれ……」

「誕生日兼、成長祝い兼、ちょっと遅い高校入学プレゼントってやつだ。まぁ何も言わずに貰っといてくれ」

「え、えぇ〜……?」

 

 いや貰っといてって言われても。高校生には過ぎた代物ですよ、こいつは。

 

「別に今すぐ付ける必要はないさ。高校を卒業するまで、大事に取っておけばいい」

「う、うん、そうだね」

 

 まぁ、確かにそうか。大学生とか社会人になればワンちゃんありそう。

 私は腕時計をそっと箱に戻し、兄さんにお礼の言葉を告げる。

 

「ありがとう兄さん。大切にするよ」

「ああ、どういたしまして」

 

 そうして、私はまた大切な思い出を一つ、心の奥底に刻みこんだのだった。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

 かつての兄さんからの質問。

 

 スナイパーに必要なものは何か。

 

 それに対する私の答えは。

 

「考え続けること」

 

 常に最善手を考え、常に最悪の状況を考え、常にどう動くかを考える。

 それこそが、スナイパーにとって──人間にとって、いちばん大事なことなのだと、私は思う。

 

「思考を止めないこと」

 

 兄さんはそう言いたかったのだろう。もちろん、私は今でも兄さんに答えを聞いていないので、正解かどうかは分からないのだけれど。

 ただまぁ、正解だとしても不正解だとしても、私はやるべきことをやるだけという事だ。

 

「さぁ」

 

 イーグレットを構え、スコープ内に敵の姿を収める。

 標的は三人。今シーズン注目の、大型ルーキーだ。

 

「かかっておいで、挑戦者」

 

 玉狛第二。

 三雲修、空閑遊真、雨取千佳。

 

 彼らとの戦いに武者震いしながら、私はイーグレットの引き金(トリガー)に指をかけるのだった。

 




我が師に捧げる一作。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。