とあるミサカの欠陥個体 (蟻走感)
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第1話 寝覚め
強烈な倦怠感、目眩、……それと吐き気。
続くジリジリとした焼け付くような痛みが体中の
……酷く頭が痛む、それに呼吸も苦しい。まともに息を吸うことも叶わない。混濁する意識の中、時間だけがただ過ぎていく。
私、このまま死ぬの……?
そんな考えが脳裏を
心残りがない……?
いや、その表現は何だか違う。
さながら馳せられる『
なら、私って……───そう思い至った束の間、目と鼻の先辺りでパチンッという甲高いクラップ音が響く。
思わず眉間に力が入り、顔をギュッと強く
残響か耳鳴り、若しくはその両方か。キ───ンという余韻がしばらく耳に残る。
それが収まると、次は思考が次第と覚め、同時に先程まであった不調が嘘だったかのようにみるみると消えて無くなっていくのが分かった。
麻痺していた四肢の感覚が戻ったことでさっきまでの焼けるような痛みとは打って変わり、金属のひんやりとした感触が腕や手足に伝わってくる。どうやら私は金属板の上にでも寝転んでいるらしい。
「──妙ね」
私ではない、誰かの声。
自然と声のした方に目が向く。視界はまだ若干ぼやけているものの、女性らしい小柄な体格が目に映った。目を凝らしてみると視界も徐々に広がり、その輪郭がくっきりと形を帯びていく。
「反応が薄い。maybe,
そう呟く、白衣姿の女性。
いささか女性と呼ぶには少し若すぎるような気もする。……けれど、少女と呼ぶには余りにも大人びた雰囲気の女。
人相はお世辞にも良いとは言えない。
少し藍色掛かった髪で、年齢は凡そ高校生ほどだろうか。覚めたての頭でじっくりと目の前の彼女を分析する。多分、今し方のクラップ音もこの人によるものだろう。
……ただ、やっぱりいくら観察したところで状況は掴めない。
寝起きで頭が冴えていないとかそんは話じゃなく、何もかもがシンプルに頭から抜け落ちている。それこそ、赤子から現在に至るまでのありとあらゆる過程が。ここはどこで彼女が誰か、ましてや自分自身のことすらも分からない。
さながら今の私は産まれたばかりの赤子同然だとすら思えた。
いつまでも寝転んでいたってしょうがない。そう思い立って上半身を持ち上げ、辺りを一瞥する。
……最初に目についたのは人がちょうどひとり入るサイズのガラスで覆われた、金属製ベッド?
横を見ると、それが幾つにも並んで壁際を沿うようにして連なっているのが分かる。恐らく、私が今ちょこんと座っているこれもその内の一つ。更にそれらから伸びる無数の配線がタイル製の床を這って壁の方に繋がれていた。
……他には何もない。無機質な空間。
当然これだけでは何の手掛かりにもならない。頼りはやはり目の前の彼女だけか。
そう考えていると、彼女の方からこちらに声を掛けてきた。
「意識はあるようね。……まず、貴方の検体番号を教えてもらえるかしら?」
検体番号……。
そんな言葉に覚えはない。
彼女が白衣であることからして、私は患者か何かなのだろうか、記憶喪失みたいだし。と、勝手に推察してみる。……でも明らかに病院じゃない。
……何も返せずぽけーっと呆けている様子を見て痺れを切らしたのか、本日2度目のクラップ音がパチンッと目の前で鳴り響く。当然、私は反射的に目を閉じた。
そして再び開くと、顔の先には私を
「──っ」
ひ……っ。
「──ちゃんと、起きてる?」
背筋が凍るような、冷たい声。
本能的に恐怖を刺激される。……黙っていたらまた脅されかねない、そう判断して私は懸命に言葉を紡いだ。
「ぁ…あの、検体番号とは何のことでしょうかと、……は、……は質問を、、あれ」
しかし、その声は途中で止まる。
自分の名前が出てこず、その先を……喋れない?
そのことに、得体の知れない不安感を覚えた。
……私は今なぜ名乗ろうとした? それがそもそも分からない。どれだけ考えても、納得のいく理由は浮かばない。
起きてからずっと不可解なことだらけで、今にも頭がパンクしそうだった。
そんな様子の私を、彼女はただ
「──貴女もしかして、……繋がってないの?」
☆
改めて頭の中で整理してみる。
簡潔に纏めるなら、つまるところこの私は『御坂美琴という人間のクローン』で、『単価18万円の
流石にこれはちょっと倫理観ゆるゆるすぎるのでは? と、生まれたばかり……? の私でも思った。
ただ、何となく腑に落ちる感じはある。
私のこれは、記憶喪失というよりむしろ『
それに自分でも不思議なことに、こんな不条理を突き付けられた割りには至極冷静でいられている気がした。……実感が湧かないという面もなくはないのかも知れない。でも多分、すんなりと受け入れられたってことなんだと思う。
「──それにしても、
布束砥信はデスクチェアに腰を掛け、物臭にそう呟いた。
どうやら先程までの知識は、本来ミサカネットワークという脳波リンクを通じて直接脳内に送られてくるはずだったらしい。記憶や意識が共有されるシステムだとか、確かそんなことを言っていた。
プライバシーもへったくれもないなぁ……。繋がっていなくてよかったのかも?
「but, インプットされた知識自体に異常は見られない。だから問題があるなら、恐らく貴女の方ね」
そう言われて、私は自分の手のひらを見つめる。
頭の中で
「多分、演算能力の問題じゃない。もっと抜本的な、そうね────
私には、なぜかそれが足りていないらしい。
「……原因に心当たりはないのですか? と、ミサカは疑問を投げかけます」
「それはむしろ、私が聞きたいわね」
今にもため息を漏らしそうな面持ちでそう返す布束。
それから少し考えにふけるような仕草をしたあと、おもむろにパソコンへと体を向けた。そしてカタカタと音を立ててタイピングを始める。
「well, 取り敢えずは、上に報告ね」
……上、かぁ、どんな人たちだろう。こんな実験を決行するくらいだ、須らくマッドサイエンティストなんだろうけど。まあ、殺処分でさえなければ何でもいい。
それから数日。
私は初日に割り振られた施設内の一室で、日々自堕落な生活を続けていた。
なんの面白みもない白一面の空間。毎日届くディストピア飯さながらの固形栄養食だけが唯一の娯楽。
ただ、そんな独房のような空間でも1つ自由にできることはあった。言わずもがな、考えを巡らせることだ。
私はずっと、私について考えていた。
能力や実験、それと
自分自身が
けど、ひとつ気掛かりなことはある。
もしこのまま私が実験に参加できなかったら、"この私は、どうなる?" それが唯一心に引っかかることだった。
不必要な存在として処分されるのか、はたまた別の実験に転用されるのか。もし前者なら──そう考えると、どうしようもなく情けない感情がジワジワと溢れ出てくる。
仮に、私がこの先何も残せずただ処分されるだけの運命だったのだとしたら……この私に生まれた価値なんてあったのか?
答えは明白だった。
でも、それを言葉にしたくはない。
私が私を否定してしまえば、それこそ
自分では解決のできない自問に、ただモヤモヤとした感情ばかりが募っていく。
「ミサカ10019号、朗報よ」
ノックもなく部屋に入ってきた布束が、どこか気鬱とした表情でそう口にした。私はベッドに腰掛けたまま、一抹の期待を胸に続く言葉を待つ。
「──実験は、予定通り実施される。貴方の順番にも変化はないそうよ」
思わず、ほっと胸をなでおろした。
よかった、ミサカには生まれた価値があった。
「わーい。と、ミサカは喜びのあまり歓喜の声を口にします」
「……にしては、随分と淡白ね」
ぅ、表情筋も声帯も全然動いてくれないから仕方ない。培養器の中にずっといた訳だし、多分他の皆んなそんなもんだよね……?
まぁ使っていけば動くようにもなるでしょ(他人事)
それはそれとして、実に釈然としない話だと思う。
よくて転用、悪くて廃棄処分くらいには覚悟していたんだけど、そのまま決行なんて判断が通るとは。……私はレベル1にも満たない、からっきしの無能力者だってのに。
そういえば、
「して、ミサカの外部研修はいつ頃になるのでしょう? と、ミサカは目を輝かせながら期待を込めて問いかけます」
演算が終わったってことは、つまりミサカにある程度の自由が与えられる……ってコト!? クソ独房から出られるチャンスに少し胸が踊る。
「unfortunately, まだまだ先ね。今は9000番台が研修中だから、その後。最低でもひとつきは掛かると思って頂戴」
えぇ……ひとつき、ひとつきかぁ。
ここ数日ですら気が狂う思いだったのに、後ひとつきも耐えられる気がしない。研修が始まる前に病みそう……。
そんな思いが顔に出ていたのか、布束は補足するように「but,」と、言葉を付け足した。
「研修自体は施設内でも行うわ。ネットワークに繋がってない以上、貴女は自力で経験を積まざるを得ない訳だし」
そう言うと、そのまま研修の説明へと入った。
曰く、外部研修が始まるまでにこれまで
……他の
私は、まだ彼女達に会ったことがない。
なんせ今の今まで幽閉されていた上、部屋から出られたのは検査のための数回。ミサカネットワークすら繋がらない私に
与えられた情報では、私と同じ容姿、同じ性格、同じ性能だと言うが、如何せんイメージが湧かない。少なくとも性能面においては私の方が数段劣っているはずだけれど……。まぁ演算能力自体に差はないという話だし、知能は同等なんだろう。
そんなことを考えていると、ふと扉の外が気になった。
人の気配を感じる。
布束にもそれを伝えると「着いたようね」とだけ言って、ポケットから折りたたまれた一枚の紙を取り出した。
「これは貴方の
well then, 頑張ってね、そう言い残して部屋を去っていく。
入れ違いに入ってきたのは、私と瓜二つの少女──否、人形だった。
「初めまして。ミサカはミサカ9982号です」
定期的に気になった箇所修整するけど大筋は変えないので読み返す必要性はあんまりないです。
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第2話 先生
「──と、ミサカは無知蒙昧な10019号に先生としてまず挨拶の模範を示します」
部屋に入るなり、直立不動でそんな挨拶をかまして見せる少女。
その容姿を一言で形容するなら、まさしく人形のようだった。吹けば飛びそうな華奢な体格に、暗く濁りきった深淵のような瞳。また、そこに抑揚のない無機質な声音も合わさってこれでもかと非人間的な空気を醸し出している。
事前に聞いてはいたものの、こうして実際に見てみると本当に私とそっくり……というか外見上は少なくとも同一人物そのものだった。つま先から頭のてっぺんに至るまで寸分の狂いもなく同じ容姿、そして同じ声帯をしている。格好だって一律に支給された学生服を着ている訳だから、いよいよ見分けなどつかない。
まあ同一の素体をもつクローンな訳だし、当然といえば当然。
……とは言ってみたものの、実のところ私はまだ自分自身の容姿をあまり見慣れていない。鏡を見ても、あっ私だ、という認識より、あっ人だ、という認識の方が先にくる。
だから、自分を見ているような錯覚や双子を見ているような感覚なんかは味わえなかった。ぶっちゃけると、今のところ他人を前にしている感覚とさして違いはない。
それに一点。容姿はともかく、服装は私と彼女とで明らかに違う点があった。
それは、頭に着けたゴーグルだ。
あのゴーグルは
私だけが支給されてないみたいだし、多分これがミサカのアイデンティティ。(遠い目)
……余計な事を考えていたら、目の前からチクチクとした視線を感じた。思いに
「名乗られたら名乗り返すのが礼儀ですよ。と、ミサカは不躾な10019号に時代劇から学んだ知識を披露します」
先程から若干棘のある言い回しなのが気になるが、一先ずそれは置いて挨拶を返すことにした。私のことは既に布束さんから聞いている様子だけど、多分名乗り合うことに意味があるのだろう。
「……初めまして。知っての通り、このミサカはミサカ10019号です。と、ミサカは挨拶に応えます」
自分で発言しといてアレだけど、そろそろミサカという単語がゲシュタルト崩壊してきそう。……でもこの喋り方、文法としてインプットされてるみたいだから改善のしようがない。
主語を省略できない縛りとか、英語か何か?
ただまあ機能的な制約がある訳じゃないから我慢は可能だったりする。カタコトに話してるような違和感に苛まれるから極力しないけど。
そう言えば、挨拶をする際なにか合わせてするようなことがあったはずだけど…………、思い出した。
私は9982号に対し、ゆっくりと右手を差し出す。
そう、確かこういう時は握手をするのが礼儀だったはず。ミサカの予備知識に不備はない。
彼女は一瞬困惑したような表情を見せたが、すかさず右手を差し出してきた。それから握手を、───パチンッ
……は?
「ハイタッチですね、とミサカは」
「いや、ちげーだろ」
え、何これ。新手のギャグ?
一体誰がこの状況でハイタッチ求めるんだよ……。
「この手はどう見ても握手だろ。と、ミサカは9982号に落胆の色を隠せません……」
「む、握手というものは知っています。ただ、こちらの方が場に適切だと判断しただけです。と、ミサカは弁明を試みます」
弁明できてない……なくない? でも、考えてみればそうか。
下手をすれば、
「……それで、9982号は私に一体何を教えてくれるのですか。と、ミサカはポンな9982号に授業の催促を試みます」
「ポン…? ミサカは10019号の活動に際して必要最低限の知識を叩き込むよう命じられています。だからまずは学園都市の地理をと考えていたのですが……」
そこまで言って彼女はなぜか言葉を詰まらせた。
それから一息。
「生憎、ミサカは地図を所有していません」
あれ、やっぱり
☆
施設内の一室。プレゼンルームにデカデカと映し出された学園都市の市街地図。それを背にポインターでひとつひとつ場所の解説をする少女。言わずもがな、ミサカ9982号だった。
私はその前方で席に座り、至極真面目にノートを取らされている。自身が制服姿であることも相まって、さながら本物の学生になった気分だ。
……それにしても布束さん、部屋だけじゃなくプロジェクターの使用許可まで取って下さるとかやっぱり聖人君子なのでは……、なんでこの実験やってんだろ。
「おい、そこのミサカ。手が止まっていますよ。と、ミサカは教師さながら注意をします」
なぜか異様に張り切った様子の9982号。役に成りきっているところ悪いけど、制服姿で教師役は無理があると思う。でもミサカは心優しいミサカなので、そんな茶番にも仕方なく乗ってあげることにした。
「はい、ミサカ先生。質問があります」
「なんでしょうかミサカさん。と、ミサカは意外にもノリのいい10019号に驚きつつ質問を許可します」
「これ全部
事のついでに、さっきからずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。自分としては至極当然の疑問だったけど、9982号からは何言ってんだこいつ、みたいな目で見られてしまった。不服だ……。
「
「……名称の他に学ぶことがある、ということでしょうか。と、ミサカは重ねて質問します」
「その認識で間違いありせん。と、ミサカは肯定します。ミサカが今から共有するのは、各市街地における詳細な実践データ、いわば戦歴です」
あれ、なんか突然きな臭い話になった……?
…………
……
「──ここの通りは菓子屋が点在するスポットです。特にミサカのオススメはここですね。とても美味しい紅茶が飲めます。と、ミサカは好みの場所を布教します」
きな臭い話かと思ったら割と呑気な内容だった……。実戦じゃなくて実践かよ、それも
「……因みにここのダージリンは他店より濃い琥珀色なのですが、見た目に反して苦味は薄く、さっぱりとした味が特徴です。特筆すべきは来店してすぐ鼻孔を刺激してくるあの瑞々しい香りで、あれは恐らくセカンドフラッシュの……」
しかも、やけに饒舌だった。絶対これ個人的な趣味マシマシのやつだ……。授業中趣味の話とか織り交ぜてくる先生確かにいるけども……。因みにソースは
……
「──因みに
ひぇ、そんな取ってつけたように訃報流されても。ミサカさんついさっきまで温かい紅茶の話してなかったっけ……、温度差で風邪引きそう……。
終始こんな様子で授業を続けること数時間。
学区ごとにみっちりと土地勘を叩き込まれくたくたになった私と、それとは対照的に満足げな面持ちの9982号。これだけの学べばきっと実験にもより一層貢献することができるだろう、できるか……? できるといいな……。
取り敢えず授業は一段落ついたので、彼女とは別れ真っ直ぐ自室へと戻る。部屋につくと、私はいつもの白いベッドに力いっぱい寝転んだ。それから今日とったノートを1ページ目からパラパラと見返していく。
彼女の授業は少しばかり癖が強かったが、今思えば何だかんだ重要な話も多かった気がする。
例えばこれ。
少なくとも、これらの知識があれば外で何かヘマをやらかす心配はぐんと下がる。
それより、私は実戦の方がずっと気掛かりでならなかった。火器の扱いこそインプットされてはいるものの、たったそれだけ。そこに本来あるべき精神的な慣れや応用力など当然ありはしない。そもそも1万体分の経験則を残り僅か数ヶ月で補おうなんて狂気の沙汰と言っていいだろう。
……それでも私は、何としてもこの実験を遂行しなければならない。それが私に与えられた唯一の存在価値、言わば私の全てだ。
私は
そう決意して、ゆっくりとノートを閉じた。
ある程度構成考えてるけど話持っていくのが難しい
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