星をなくした子 (フクブチョー)
しおりを挟む
プロローグ 星をなくした子は嘘を道標に歩きだす
笛吹男に踊らされた蛇は笛の音のままに貴方の大切な人に牙を突き立てるだろう
招いていない客に扉を開けてはいけない
貴方がアナタになってしまうから
「愛してる」
母が子に告げるにはあまりにありふれた言葉。けれどその一言に人々は一体どれだけの意味を込めているだろう。愛をテーマにしたドラマがいくつあるだろう。愛を謳った歌がこの世にどれほどあるだろう。この言葉を聞いて、気分が悪くなる人間は少ない。
しかし、母の腕の中で抱きしめられた少年にとって、その一言は耐え難いものだった。
突き立てられたナイフから溢れる血。掠れた声、徐々に力が弱くなる手。その全てがこの愛しい人の命が消えかけていることを示していた。
───やめて、やめてくれ、アイ
星野アイ。音が鳴るのではないかと思えるほど艶やかな黒髪に星の輝きを想わせる強い瞳を宿した、ルックスは芸能界でも指折りの美しさを誇るドーム公演や映画の主演を控えた天才アイドル。彼女には秘密があった。恋愛禁止のアイドルが人知れず子供を産んだ事。男の子はアクアマリン。女の子はルビー。今時といえば今時の名前の双子だった。
そして今、それを知られてしまった狂信的なファンにナイフで腹部を刺されていた。
「ルビーのお遊戯会、良かったよー。ルビーもこの先、もしかしたらアイドルになるのかもなぁ。アクアは役者さん?いいよねぇ。アクアならきっとなれるよ」
───そんな、そんな……
「二人が大人になっていくのを……見たかったなぁ」
手から力がなくなる。抱きしめる身体から暖かさが、少しずつ、けれど確実に、抜け落ちていく。
「えっと……あ、コレだけはもう一度言わなきゃ」
──そんな別れの言葉みたいなの、言わないでくれよ!
「愛してる」
親が子につげる、ありふれた一言。しかしその言葉は、少年の心を壊すには充分すぎた。
「ああ、よかった。この言葉は、絶対嘘じゃない」
「あ、あぁ……あぁあアああアああ!!!?」
母の眼から星が消え、闇へと落ちる。少年の意識もそのまま消え失せた。それは、彼が出来た最大限の防衛本能だったのかもしれない。
▼
その少年はいわゆるギフテッドと言われる子供だった。幼稚園に入る頃にはなんと本すら読んでいた。絵本などではない。大人でも読むのが難しい本だ。
しかしあの事件からほとんど喋らなくなってしまった。まるで幼児退行したかのように。いや、まだ4歳なのだから年相応といえばそうなのかもしれない。けれど今まで信じられないほど早熟だった子が急に年相応になってしまったら誰もが動揺するだろう。
「アイ!アクア!」
救急車と警察が駆けつけた時、黒髪の美女はもう命を無くしており、抱きしめられた少年は気絶していた。女性は腹部をナイフで刺され、内臓を傷つけられたことで血を吐いている。
黒髪の美女の名は星野アイ。とある映画をきっかけにトントン拍子で売れ始めたアイドル。音が鳴るのではないかと思える艶やかな黒髪に星の輝きを放つ美しく、強い瞳を持つその容姿は、芸能界でも屈指の美しさを誇る。
そして抱き抱えられた少年は彼女の美を強く受け継いでいた。唯一の違いは髪色くらいだろう。少年の名はアクアマリン。親しい者はアクアと呼ぶ。二人は親子だった。
救急車に運び込まれたアクアとアイ。外傷がなかったアクアはすぐに隔離され、アイはICUへと入る。しかし残念ながら蘇生はできず、アイの死亡は確定した。
そして、アクアも未だ目覚めない。いや、目は覚めているのだが、まともに受け答えをしない。どこを見ているかわからない虚な目のまま、まるで魂を無くしたかのような抜け殻になっている。アイの死は世間的には一過性の噂で終わっていたが、関係者には多大な傷跡を残し、動揺の嵐の中だった。
「お兄ちゃん」
虚な目の男の子に華奢で可愛い女の子が寄り添い、話しかける。容姿は凄まじく良く似ている。異性であるため、判別はできるが、もし同性ならほぼ見分けはつかなかっただろう。それも当然。彼女は少年の双子の妹なのだから。
ルビーはアクアの変化に最も動揺した人間の一人だろう。お互い他人に言えない秘密を共有した、数少ない人物だったのだから。
「起きてよお兄ちゃん」
兄が茫然自失し、入院していた間、彼女は世間にキレ散らかした。アイドル殺人というセンセーショナルなニュースに対し、世間は好き勝手な噂を振り撒きまくった。中には真実に近いものも存在していた。
「アイドルが男作ったからってしゃーなしって何!?恋愛したら殺されても仕方ない!?ふざけんな!自分は散々アイドルにガチ恋しといて!キメェんだよ死ね!」
理不尽な暴力と現実に晒され、本人の現実が見えていなかったルビーは雪が積もり始めた頃に、ようやく隣に兄がいない事に気づいた。
そして今、少年の妹、星野ルビーは病院にいた。
「私、アイドルになれると思う?」
兄は答えない。それでも、妹は続けた。
「お兄ちゃんは止めるんだろうね。だってアイドルは理不尽だらけ。恋愛しただけでまるで犯罪者みたいにバッシングされるし、お金だって儲ける手段は他にいっぱいある」
でも。それでも。
「ママはキラキラしてた」
私はあの頃、病室から出ることさえ出来なかった。私にとって、健康な身体で人前で歌って踊れるというだけで奇跡だ。私の初恋の先生は今もきっとドルオタやってるだろう。あの人ならきっと私がアイドルをしているのを見てくれる。それだけで私にとっては充分過ぎる理由になる。
「お兄ちゃん。お前ならできるって。頑張れって言ってよ、お兄ちゃん」
暗い目で虚空を見つめる兄の胸が妹の涙で濡れる。掴んだ手に力が篭り、ベッドに座っていたアクアは倒れた。
「わわっ、ごめんお兄ちゃん」
ベッドから崩れ落ち、身体を打った兄を慌てて支える。けど幼児の腕力で自分以上の体格を起こすのは不可能だった。
「───いてて」
「えっ」
起こそうとした手に力が流れる。打ちつけた頭を押さえながら、少年は立ち上がったのだ。
「お……兄ちゃん」
「───ルビー?なんで泣いてるの?」
「私が、わかる?」
「?何言ってんの?ルビーでしょ?僕の双子の妹の」
キョトンとした目を妹に注ぐ。彼が口にした当たり前の事実は少年の自我を取り戻した何よりの証拠だった。
「せ、先生!先生!お兄ちゃんが!アクアが目を覚ましたぁ!」
妹が病室を飛び出す。あまりに唐突な事態だったため、妹は違和感に気が付かなかった。
兄の一人称が変わってる事に。彼がもっと粗雑な口調だった事にも。
「アイって、誰?」
両目に眩い星の光を宿していることにも。
▼
「解離性障害?」
意識を取り戻し、カウンセリングの中で、彼からアイの記憶がなくなっている事が発覚した。全てのカウンセリングを終えた後、精神科の医師が彼の症状を述べた。
「解離性障害は幼い頃の虐待、強いショックなど、心的な傷を残すような出来事が関わっています。彼はアイさんが殺害された現場に居合わせ、犯行の瞬間も、彼女の命が消える瞬間も目で見て、身体で感じてしまったのです」
先生に具体的に説明され、イメージしてしまい、ゾッとする。自分が同じ現場で、同じことを体感してしまっていたら、正気を保つことができただろうか。リアルな死の感触を身体から消すことができただろうか。心底から寒気が奔り、身震いを止めることはできなかった。
「大の大人でもPTSDを発症して、なんら不思議でないショックです。4歳の少年に受け止められないのは当たり前でしょう。自身の精神を守るため、彼は母親の記憶を忘却した」
医師の説明は的確だった。冷静で、客観的で、文句のつけようがなかった。だからこそ誰も言葉が出なかった。出せなかった。
「…………記憶を、戻す方法はあるんでしょうか?」
誰もが現実を受け止めるため、全力をつくしている中で、アイドル星野アイに代わり、母親を務めていた斎藤ミヤコが恐る恐るだが、ようやく一つの質問をした。
「ミヤコ」
「でもっ、はは──アイさんのことを思い出せないなんて、いくらなんでも酷すぎます!」
「アイの事を思い出す方が、あの子にとって酷なことかもしれないんだぞ」
「っ、それは……」
そう、記憶を取り戻す事で心的外傷が蘇り、またあの茫然自失状態に戻ってしまうかもしれないのだ。確かにアイの事を忘れてしまったのは悲劇かもしれないが、今の元気なアクアを見れば、今の方がまだいいと思うのも無理はない。
「流れに任せましょう。記憶というのは非常に繊細です。何気ないきっかけでフッと戻ることもあれば、何年経っても戻らないこともあります。けれど確かな治療法は残念ながらないんです。今はアクア君を支えてあげてください。記憶を取り戻した時、彼を守ってあげてください。それまでは見守りましょう」
▼
「元気そうだね、お兄ちゃん」
出された食事を勢いよく流し込むアクアの姿を見て、安心したような、心配してたのに裏切られたような、複雑な気分だった。
「なんか凄いお腹すいちゃって。僕何日まともにご飯食べてなかったんだろう」
「その僕って何なの?私の前なんだし猫かぶる必要ないでしょ?俺って言いなよ」
口に含んだうどんを呑み下す。どうやらルビーの前ではいつも俺という一人称を使っているらしい。
自分の症状について、さっきカウンセラーの人からある程度聞いた。僕はアイという人のことがすっぽりと抜け落ちてしまってるらしい。一人称が変わっているのはその影響なのだろう。そしてルビーの話から察するに、その人は僕らの母親のようだ。
記憶喪失について、ルビーは知らない。僕が放心している時、妹はとても不安がっていたそうだ。当然だ。彼女にとって僕は、唯一残された家族なのだから。
母親を忘れている事について、僕はそこまで動揺はしていなかった。世の中幼くして母親を亡くした子供なんて何人もいるだろう。僕もその一人というだけに過ぎない。覚えていない、顔も忘れてしまっている母が死んだと言われても、悲しくも、寂しくも感じなかった。
思い出せと叫ぶ自分もいる。忘れた方が幸せだと諭す自分もいる。どちらが正しいのか、どちらが冷酷なのかは分からなかった。
けどルビーは違う。この子は母親のことをハッキリと覚えていて、母を心から愛していた。だからこそ嘆き、悲しみ、涙し、兄に縋っている。
「お兄ちゃん、私……私ね?ママみたいなアイドルに、なりたい」
抱きついてくる妹の腰に手を回し、頭を撫でる。彼女の夢を安易に肯定も否定もできなかったが、それでも言葉をかける事はできる。
「頑張れ、ルビー。頑張れ」
「うん……うんっ」
この子が縋れる先は僕しかない。なら僕は……いや、オレは、この子の為に嘘を吐こう。
記憶の確認のため、星野アイの事はカウンセリングである程度聞いた。どんな性格だったか、どんな人だったか、大まかには掴んでいる。覚えてるふりくらい出来るはずだ。
記憶に関しては来るに任せよう。無理やり思い出す事はしないけど、忘れる事もしない。何かのキッカケで記憶が戻ったら、その時はしっかり向き合おう。怒りや憎しみに囚われるならちゃんと囚われよう。それまではただのアクアマリンとして生きていく。
ルビーのため、そして思い出せと叫ぶ僕と忘れろと諭す俺のために。
嘘だって貫き通せば真実だ。ならいつか、嘘がホントになるまで
オレは、嘘を吐き続けよう。
愛のために嘘を吐きつづけると誓った少年の瞳の中で、輝く星が暗く光った。
▼
「先に行ってるぞ」
「あー!ダメダメ!もうちょっと待って!あと5分!」
「長い。1分にして」
「あ、間違った。やっぱ10分」
「先行く」
「この制服可愛いけどフクザツなんだってばー!」
かくしてプロローグは終わり、メインストーリーの幕が上がる。
「いってきます、ママ」
自分に正直に生きる妹と嘘を吐き続ける兄を
書いてしまった。友人にこれで小説書いてみてよと勧められ、原作渡されて最初から読んでしまったのが運の尽き。面白いし可哀想だし怖いし。原作はもしかしたら誰も救われない結末になるかも知れない。そう思うと気がついたら書いてしまっていた。〇〇のバカやろー。
とまあ主人公なり代わりモノです。天才アイとクズの父親のハイブリッドになるよう心がけるつもりです。こんなのアクアじゃないと思う人は回れ右してください。感想次第では消すことも考えてます。それでは感想、評価よろしくお願いします!面白かったの一言でもいただければ幸いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
first take 葦をふくむ贋
星を失った代償に眩い光を得た子は光の使い方を学ぶだろう
焦る必要はない
貴方の光は愛に守られているのだから
「お兄ちゃんは役者になるんだよね」
カウンセリングが終わり、外傷もなかったオレは程なく退院。それから暫くが経ったころ、ダンスのレッスンをしていたルビーが唐突にそんなことを言い出した。どうやらオレは3歳の頃、アイのバーターで映画に出たことがあったらしい。いや、出演した事は覚えてる。ちょっと気味の悪い子供の役をやった。自分で言うのも何だが、けっこう上手くやれたと思う。けど、なんでその映画に出演する事になったのかを思い出せなかった。
「ママ、言ってたもんね。アクアならきっと誰より凄い役者さんになれるって」
出演した映画を見にいった時、アイがオレにそう言ったらしい。その事も全然覚えていない。しかし、ルビーにとって、役者を目指すオレこそが正しいアクア像なのだろう。
「ああ、そうだな。オレもルビーみたいにそろそろちゃんと芝居の勉強しようかな」
「いいじゃん。誰に教わるの?やっぱりあの監督さん?」
妹が口にしたあの監督さんというのが誰かはわかった。現場に来ていたオレを抜擢した壮年のオッサンで、あの後演技を褒めてくれた人だ。他に当てもない。オレはオッサンに連絡をとった。
「オレを、役者にしてください」
それ以来、オレはあの人の下で演技の勉強をしている。すぐに芸能界入りしたかったんだが、それは止められた。
「入ろうと思えば明日からでも入れる世界だけどな。あそこで長く俳優としてやっていくためには身につけておかなきゃいけない事がいくつかある。お前はまだ幼児と言えるガキなんだ。慌てる必要はねえ。ちゃんとレベル上げして耐性つけてから乗り出さねーと即死喰らうぞ」
というわけで暫くは下積みという地味でやたら長く感じる当たり前の修行から始まった。今日もそのうちの1日で、ちょっとした役をやらせてもらっていた。
「お前、変わったな」
いくつかレッスンをこなし、演じた後、監督はオレをそう評した。
「あんだけ早熟だったのが、いや今でも充分早熟の部類だが、少し年相応になった」
「…………監督それ褒めてんの?貶してんの?」
「どっちでもねえさ。だが、ちょっと精神が年相応になったおかげか、演じ方も変わった。お前は俯瞰型の役者だと思ってたんだが、今回は完全に没入型の演技をしてた」
没入型。作った役に精神ごと入り込み、まるで役そのものになったかのように演じる方法。
「…………なんか問題あるの?」
経験に照らし合わせ、役に入り込む。この方がやり易いし、何より対応しやすい。アドリブやアクシデントなどが起こった時、役の人間ならどうするかのアクションがイメージ出来るし、他の監督や役者に演技を褒めてもらう時、大体うまく役に入り込めた時だった。
「悪くはねーんだが、幅が狭いんだよ、没入型は。ハマればスゲェけどハマんなかったら泥沼に陥る事もある。監督の撮り方や作家の気分次第で役のキャラクターが変わるなんてザラだしな。それに、お前自分に経験あることでしか入り込む演技できねーだろ。メソッド演技の使い手は最初、自分にしかなれねーんだ」
「じゃあどうすれば良いの?」
「自分を俯瞰で観れるようになれ」
相手から見て自分はどう見えているのか。この舞台において、自分にはどんな役割が求められているのか。作者の、そして監督の意図を読み取れるようになれ、と言われた。
「演技全振りの役者のみが求められる訳じゃない。まずは監督のイメージピッタリの演技が出来るようになれ。没入するのはそれからでいい。もっと世界を、他人を、そして自分を知れ」
そう言われてからは映像編集やカメラマンの仕事を主にやらされた。といっても勿論助手以上のことはやらせてもらえなかったが。しかし演じる側から撮る側に回ることで学ぶことは沢山あった。カメラを意識した立ち振る舞い。求められる役割。場を繋ぐコミュニケーション。視点が変わるだけで世界はこんなにも変化する。演じるだけでは得られなかった勉強をさせてもらった。
「…………お前、超飲み込み早いな」
「そう?」
見られていることを意識する。簡単そうに見えてめちゃくちゃ難しい。当たり前だが、他人から自分がどう見えてるかなんて所詮はイメージの域を出ないし、何より目ん玉は自分の顔面にしかついていない。目から脳に伝わる映像はそのままに、他者からどう見えてるか、他者がどう見せたいかを汲み取り、自身に還元する。言語化するだけで混乱しそうだ。
しかしこの男はそれを平然とやってのけた。監督の立場やカメラマンの勉強をさせたとはいえ、この飲み込みの速さは尋常じゃない。
「オレだっていつも見えてるわけじゃないよ。調子がいい時とか、集中がいい感じの時って、なんか天井から全体が見えたりするでしょ?そういう時を、スタートに持ってきてるだけ」
さらりととんでもないことを言ってのける。鳥瞰視点、バード・アイといえば馴染みがあるだろうか?空間認識能力が高い人種が持つ特別な目。大抵の人間の視野は約120度が限界。しかしこの目を持つ人間は天の星から全体を除いているかのような、どデカい視野を持つことがある。無論常にではない。コンディションがいい、集中力が高まった、などの条件が必要になる。この少年はそのタイミングをカチンコが鳴る瞬間に持っていっている。いわゆるゾーンに入った状態を意識的にコントロールしているのだ。努力や知識などでは絶対に手に入れることのできない、神に愛された人間へのギフト。
───その瞳をコイツは持って生まれた。アイも調子いい時、似たような事言ってたな
超一流エンターテイナーやスポーツ選手でもこの目を持っている人間は稀。ましてゾーン。理想的な集中状態への没頭など、コントロールできる人間が果たして一体何人いることか。
───この顔立ち。強い自信の輝きを放つ瞳。精神性に若干のバイアスがあって、完璧主義者。そしてなんらかの秘密を抱えている、か。
目の前の少年の出自。概ね見当はついていたが、予想が確信に変わる。コイツは紛う事なく、あの天才の息子。変わったのではない。フタが開き、覚醒しつつあるのだ。この子の内に眠っていた才能が。
「俯瞰演技の習得は合格。次は出来るだけ多く人と関われ」
人間の心理というやつはパターン化できる。感情において共通する事項というのは絶対に存在するからだ。行動にセオリーがあるように感情にもセオリーがある。
「お前も経験あるだろ?あ、この人こーいうタイプの人だ、みたいな」
ある。ふるい分けが出来た方が接し方も難しくない。
「ドラマや舞台じゃ凄えスーパーマンやヒーローがいる事もあるけど、壇上に立つ役は大抵が凡人だ。そして役者が演じる役も圧倒的に凡人役のほうが多い」
「そりゃそうだ」
「お前は没入型も俯瞰型もどっちの演技もできるタイプだ。だが俯瞰型はソツなくまとまっちまう事も多い。ハマったメソッド演技と比べられたら平凡に見えちまう」
周りに合わせた演技というのは軋轢も生まないが、革新も起こさない。ドラマや舞台は役者同士の掛け合いがキモ。役者同士の化学反応が必ず必要になる。その時半端なPHではかき消されてしまう。
「だからこそ人間の思考パターンを学べ。お前の中にお前以外の性格を沢山入れろ。人間大なり小なり演技して異なる自分ってやつを持ってんだ。お前はそれを常人の百倍増やせ。そしたら監督に性格変えろって言われてもスムーズに対応できるようになる」
「なるほど」
「それに結局役者に一番大事なのはコミュ力だ。それを鍛えるためにはやっぱり人と関わるのが一番いい。お前はどんな役にも瞬時に入り込める。お前は百点満点の演技も、ピッタリの演技も、両方できる役者になれ」
それからアクアは学校生活に力を入れるようになった。勿論演技のレッスンもおろそかにはしていないが、小学校では男友達と積極的に関わり、交友関係の幅を広げた。女の子からはどんな趣味や価値観を持っているのかを知り、彼女達の習い事を教えてもらい、自分もやってみたりした。
小学校の6年間でアクアは人の心に入り込む術を大枠理解した。
まずはルックス。と言ってもこれはそこまで重要ではない。最低限清潔感があり、不快感を持たせない見た目でなければ、人は話くらいは聞いてくれる。
そして話をする際、絶対に目を見て話すこと。ここで変にキョドったりしては相手をしてくれない。なんだかんだ人間自分に自信のある人が好きなんだ。
話の中で、自身と相手で共通する事項をそれぞれの人生から見つけ、相手の経験談を引き出し、その人の話を面白くするために会話する。聞き上手とはこういう事ができる人を言うのだと知った。
そうしたコミュニケーションのノウハウを小学生で学び、アクアは中学に進学する。そして歳が変わればコミュニケーションの取り方も変わる。
男子とは一緒に遊ぶだけでなく、喧嘩や競争など、勝負事でコミュニケーションを取る機会が増えた。そして女子とは異性として接することが増えた。
良くない先輩に連れられ、夜の街に出る事もあった。と言っても、映画やドラマで見られるようなヤバい現場に鉢合わせることなど、現実ではそうそうない。精々酒とタバコで騒ぐくらいのことだ。
異性とのやりとりはそこで勉強させてもらった。女の口説き方。相手に応じて変える、異性として接するパターン。キス、性交渉。小学生の頃は神聖視していた行為だったが、所詮セックスもコミュニケーション手段に過ぎないと学んだ。そしてコミュニケーションには技術がいる。中学の3年間は演技の練習をしつつも、これらの技術の習得に費やした。
こうして義務教育9年間は役者としての下積みに終始した。嫌になることや会いたくもない人間に会わなければいけないストレスなどもあったが、たった一人の肉親を安心させるためなら嘘をつけた。
そして迫る高校生活。ようやく培った技術を頼りに、芸能界へと本格的に進出する。今までも端役で作品に出演したことは何回かあったが、敢えて仕事数は抑えた。いきなり芸能界入りするより、実力をつけてからの方がいいという監督の指示は納得できる物だった。
10年をかけて、実力とコミュ力は監督から合格点もらえる程度には身につけた。準備期間は終わり、遂に芸能界という大海原へと航海が始まる。本気で俳優をやるなら大学に行ける余裕はないだろう。恐らく
「で、なんでお兄ちゃん、一般科受けるなんて結論になるの?」
机に並べられた陽東高校入学願書を見たルビーが口にした素朴な疑問は当然のものだ。日本で数少ない芸能科がある中高一貫校。この芸能科は誰でも受けられる訳ではなく、芸能事務所に所属している事が必要となる。
アクアはかつて子役として映画に出演した際、苺プロダクションと契約しており、今も所属は苺プロだ。入学の条件は満たしている。俳優として本格的な活動を始めようと言うのに、障害が多い一般科を受けるのはリスクしかない。本気で芸能活動するなら休みとかに融通が効く芸能科の方が効率的だ。理屈はよくわかる。しかし……
「俳優が芸能科にいくなんて普通すぎてつまんないだろ」
理由の一部を伝える。せっかくの最後の学生期間。芸能界に本気で乗り出すからこそ、学校でくらい芸能人を忘れて普通の高校生もやってみたい。そういう理由も一部あった。すると妹は満足そうに笑って「つまんないか」と呟いた。
「お兄ちゃん、どんどんママに似てくるね」
「──そうか?」
「うん。ママもきっとつまんないならどんな合理的なことでもやらなかった人だから」
「…………そうかもな」
笑って肯定したが、内心では少し汗をかく。過去の映像とかを見て、星野アイについては観察したつもりだが、まだまだ掴みきれたとは言い難い。言動に破天荒な部分が良く見られる人だったし、なんとなく秘密主義者だ。故に家族に見せていただろう素の部分が掴めていない。今すぐ星野アイ役でカメラに立てと言われれば、映像上の彼女は演じられるだろうが、ルビーが見ているのは勿論そんなところではないはずだ。
───難しいな、星野アイ
この10年で人間観察の力は随分向上させたつもりだが、この人の才能と実力には底が見えない。今のところまだボロは出てないが、このままではいつかルビーと齟齬が出そうでこわい。
───オレ達以外の星野アイの家族、もしくはオレ以上の観察力を持った人間がいればなぁ
そんな人間がいれば、どんな手を使ってでも繋がりを作るのだが。しかし、そんな奴この10年で一人もいなかった。アイも調べた限り天涯孤独。交友関係も非常に狭い。
───あ、
一つ、可能性にたどり着いた。ついてしまった。ある意味星野家にとってのアンタッチャブル。あの事件から今まで10年間、一度たりとも話題に上がらなかった人物。それも当然。本来現役アイドルが持ってはいけない相手だからだ。
───父親
そう、アクアもルビーも木のまたから生まれてきた訳ではない。母親がいるなら父親も必ずいる。アイの葬式にも顔を出さなかった奴のため、会いたいとも知りたいとも今の今まで考えたことはなかった。
しかし、今は少し考える。アイのプライベートを知れるのなら、と。その為ならどんな手でも使うと思ったことも。
───でもなぁ
まったく、完璧なノーヒント。性別男くらいしかわかっていることはない。手掛かりゼロ。
ならば諦めて仕舞えばいいのに、アクアの明晰な頭脳は手掛かりゼロでも推理をしてしまう。
───アイは幼少期、施設で育った天涯孤独。人との繋がりができるのは芸能界に入ってから。なら相手の男は俳優とかプロデューサーとかの業界人。少なくとも芸能界に関係した誰かの可能性が高い。
ならいずれ出会うかも知れない。出会わなくても、オレが有名になればアッチからオレに近づいてくるかもしれない。
───上へ行こう。日本の誰もがオレの名を知っているようになるくらい、上へ
こうして少年に芸能界で戦う理由が増えた。嫌なことでも、やりたくないことでも戦い続ける準備ができた。できてしまった。
彼の歩く階段は高みへつながる道なのか、はたまた地獄への下り道なのか。
それはまだ、誰も知らない物語
最後まで読んで頂きありがとうございます。原作は恐らく復讐方向に進むと思いますので、こっちはアクタージュっぽく進めていきたいと思います。と言っても父親探しはやるんですけど。それでは感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
2nd take 悪夢を演じる
光を求め、焦るカストルの元へ宛名のない推薦状が届くだろう
カストルの望みを援けよう
貴方の信じる人が、きっと正しく導いてくれるから
私のお兄ちゃんは、結構すごいと思う。
あんな事件があった後だというのに、お兄ちゃんはアレを実際に目で見て、肌で感じてしまったというのに。あのショックで茫然状態から抜け出して以来、明るく……はないけれど、前を向いて、母と約束した未来へ向けて歩き始めている。自分が同じ立場だったら一体どうなっていたか。母の死と向き合い、乗り越え、私に弱音も弱いところも一切見せず、10年間役者として努力し続ける兄を、私は尊敬している。
私はお兄ちゃんを信頼している。
あの日以来、お兄ちゃんは少し変わった。弱ったところを見せなくなった。役者としての勉強を始めてから、夜遅くに帰ってくることや、泊まりがけで出かけることも増えた。ある朝、いつもより早く目が覚めたルビーは自宅のドアがそっと開かれるのを見てしまった。別に隠れる必要はなかったのだが、まだ暗い部屋のドアが開くところは少し怖かった。
入ってきたのは兄だった。ホッと安心し、おかえりなさいを言おうとした時、兄は壁にもたれかかり、ずるずると座り込んでしまった。
「………ふぅっ」
呼吸音にも似た小さい声。しかしその一言に彼の心労全てが込められていた。この頃、兄は監督やカメラマンなどの勉強をしていた時期。まだ10歳にもならない少年がクソ重いカメラ機材や理不尽な指示など、ADのような仕事をこなす疲労は凄まじいだろう。この溜息を誰が責められるだろうか。
「お兄ちゃん」
声をかけた瞬間、兄の顔から一気に疲労の色が抜ける。抜ける、というか見えなくなった。
「ただいま。ごめんルビー、起こしちゃったな」
さっきまで疲れ切っていたのに、おくびにもださず、こちらに笑いかけてくれる。私は嘘が嫌いだけど、兄の嘘にはいつも愛があった。愛のある嘘しかつかないお兄ちゃんを私は信頼している。
私の兄は、結構ムカつく。私も結構ママから色々受け継いでると思う。自分で言うのもなんだが、顔は超可愛いし、運動神経だって悪くない。
けどお兄ちゃんは私よりもずっとママの才能を受け継いでる。あの事件以来、本格的に始めた役者としての修行。メキメキと上達していくのは素人目で見ても明らかだったし、たまにスタジオで歌の練習とかしてるのも聞いた。ムカつくことに上手かった。私はちょっぴりヘタなのに。ルックス、スタイル、演技力、歌唱力、運動能力、カリスマ、そしてなにより吸い込まれるような星の輝きを放つ瞳。私とは違う、ママの何もかもを受け継いだ、正統な後継者は多分お兄ちゃんだ。
お兄ちゃんは凄いと認めている。尊敬してるし、信頼してる。けど凄すぎて、ママに似すぎててムカつく。憧れと羨望、両方を持ってる人だった。
兄は間違いなくママの息子と胸を張って言えるだろう。なら私は?私はママの娘と言えるだろうか?前世の記憶を持っている私は結局【さりな】のままで『ルビー』ではないのではないか。
兄の事は嫌いじゃない。むしろ好きの部類にすら入っている。けれどこの人を見ているとどうしても焦らされる。コンプレックスを突きつけられているかのようで。
あの母の娘であるために、この兄に恥じない妹であるために、私は一刻も早くアイドルにならなければいけない。
それなのに。それだというのに。
「なんで苺プロはアイドル部門辞めちゃったのよー!ミヤえもーん!!」
▼
「理由は貴方達が一番よく知ってるでしょ」
芸能事務所苺プロダクション。現在はネットを主戦場にしている芸能事務所。アクアとルビーはこのオフィスに出入り自由だ。スタッフオンリールーム、そのソファに座る妙齢の美女がルビーに擦り寄られて嘆息していた。かつて苺プロでアイドル部門を担当し、今はオレたち双子の里親を務める社長、斎藤ミヤコ。バツイチ。
真っ先にルビーを引き取ると言ってくれて、それから10年、本当の娘のように育ててくれる、優しく綺麗な人だ。オレはといえば早々に監督の下で修行するようになって以来、たまに顔を出す程度のため、ミヤコさんもオレを育てていると言う感覚はあまりないらしい。
それに年相応といえばそうなのだが、ルビーはオレよりだいぶ幼い。双子なんだから歳も顔も身体の成長具合も似たようなもんだが、精神的に幼い。故にオレにとってルビーは妹であると同時に守るべき庇護対象。それはミヤコさんも同じらしい。だからオレとミヤコさんの関係は母と兄というより、対等の協力者という表現が一番近い。
「あんな事件が起こった後じゃなぁ。やる気失くすのもわかるけど」
あの事件以来、元社長は音信不通。今は斎藤ミヤコが後を引き継いでいる。アイというスターがいなくなったアイドルグループ『B小町』はあっという間に解散。以来、苺プロはアイドル業界から撤退している。
「私だってやれるならやりたいわよ。アイの見せてくれた夢は中々忘れられるものじゃないもの。でもあんな奇跡二度も起きるものじゃないのよ。この業界に長くいればいるほどわかる。アレは宝くじに当たったようなものだと思わなきゃ。現実は甘くないわ。オーディション落ちまくってる貴方も少しはわかってるでしょ」
「うぐっ」
辛辣だが、真実だ。星野アイの足跡を辿るとそのスター街道はまさにトントン拍子という言葉がふさわしい。無論本人に実力と才能があったのは間違いない。しかしその二つがあるからと言って売れるとは限らないのが芸能界なのだ。まして売れるアイドルなんて殆どが大手プロダクション所属の選ばれしエリート。オーディションを受けても大抵の人間は門前払いをくらうだろう。実力と才能、そして運。この三つがうまいタイミングで噛み合わなければならない。
「ルビーもそろそろアイドル以外の道も考えてみたらどうだ?基本薄給で定年はなんと三十手前。日常生活にも監視の目がつきまとい、卒業後の生き残りは激ムズ。はっきり言って役者より遥かにハードモードだ。オレ的にもあんま勧めたい道じゃないなぁ」
「だからなんだっていうの。したい事をするのが人生でしょ!私はママみたいになる!それが私の人生のテーマなの!何もできず終わる命だってある!私はそんなの嫌!」
「だから反対はしてねーだろ。オレだって後悔は失敗することより何もできないことだって思ってる。でもすこしはリスクとリターン考えて生きなさいよって話をだなぁ」
「リスクリターンが怖くてアイドルができますか!」
「ならせめてもう少し歌上手くなれよ。このアイドル飽和時代。実力ある程度備えてないと話にならねーぞ。ルックスだけでやってけるほど甘い世界じゃねーんだから」
「うっるさいなぁ!ちょっと自分が歌上手いからって!もう私のアイドルとしての道は出来上がってるもん!可愛い服買ってくる!」
バタンと勢いよく扉が閉まる。向こうみずというかなんというか、努力の方向間違ってないか、心配になる妹だった。
「で?どうなの、実際のところ」
「どうって?」
「あいつマジで全部落ちてんの?大手はともかく、ルックスとダンスだけでとりあえず合格くれそうな事務所もなくは無いと思うけど」
ミヤコの目をじっと見る。責める訳ではない、けれど逃げることも許さない。視線は逸らさず、逸らすこともさせない、そんな目を向け続けていると、思ったより早くミヤコが折れた。
「殆どは本当に落ちてる。けど、合格くれた所もあったわ」
「やっぱり」
保護者のハンコはミヤコが持ってる。彼女がNOといえば未成年のルビーはいくら合格を貰ってもNOだ。
「ねえ、貴方はどう思ってるの?ルビーにアイドルやらせたいと思う?」
今度は向こうがジッとこちらを見つめてくる。瞳には若干の緊張と希望。オレがどう答えるか、そしてその答えは自分の意に沿うものか、期待されている目。彼女の今までの行動。オレに求められている答えは…
「アイツの人生だ。好きにすればいいとは思ってるけど……出来ればやらせたくはないかな」
目から緊張が解け、安堵が宿る。どうやら意思に沿う事ができたようだ。彼女が求めるアクア像を演じることはできている。
「私も同じ思いよ。あんな事があってしまったから……未だに考えるもの。今ならこうしていたのに、とか」
「どうしようもないって分かってはいるけど、考えずにはいられないよな」
「そうなの。だから正直、不安なのよ。あの子にアイと同じ道を歩ませてもいいのかって」
声に矛盾の色が混ざっている。本人の夢を叶えさせてあげたい。けど危ない道を歩ませることに不安な気持ち。本当の親でもないのに……いや、だからこそ間違えられないという責任感。その二つがぶつかり合っている。いや、それだけでここまでの矛盾の色はすまい。求められている説得の言葉は……
「でも、ルビーには、華がある」
どちらを選んでも後悔する。ならルビーの後押しをする。それがミヤコがオレに求める役割。諦めるためのエクズキュートをやってもらいたいと思っているはず。実際、オレの言ってる事を否定せず、肯定の溜息を吐いた。
「客がアイドルに求めるのはダンスや歌のクオリティだけじゃない。役者もそうだけど、大切なのは客に向きあっているかどうか。客と目を合わせ、仲間と目を合わせ、ステージで繋がれるかどうか。それこそがエンターテイナーの資質。その資質においてルビーを上回るアイドルはオレが知る限り、アイくらいしかいない」
世間一般のほとんどは無名のアイドルなんて興味がない。そんな人達をファンにするためにはまず客と繋がる必要がある。感情を込めて言葉を紡ぎ、熱を持って視線を合わせる。それができて始めて、アイドルは偶像になれる。
「だからアイツはきっとなるよ。オレ達がいくら止めても、きっと」
「…………わかった。決めた」
パサっと何か投げられる。名刺だと気づいたのは3数えるほどの間が必要だった。
「地下アイドルにスカウトされたんだって」
「…………へぇ」
思春期女子が引っかかりやすい詐欺No.1。地下アイドルになりませんか?その毒牙が妹にかかる日が来るとは。アイドルの道が出来上がってるとはこういう意味か。
名刺を見るアクアが一気に疑惑の目に変化したところを見て、ミヤコも安堵する。話が早く、相談しやすい。
「軽く調べたわ。一応ホントにあるアイドルグループみたい」
「…………評判は?」
「詳しいところまでは分からなかったけど、パフォーマンス見る限り、一山いくらってかんじね」
ルビーにアイドルレッスンに付き合わされる機会が多かったからか、それとも違う理由か、アクアもアイドルを見る目はある。映像を見せてもらうが、可もなく不可もなしという感想だった。
「ま、遅かれ早かれアイツにこういう話はくると思ってたけど。で?オレにどうして欲しいの?」
「どうって?」
「とぼけんな。して欲しい事があるからわざわざオレに教えたんだろ」
決めた、と言ったからにはなんらかの決断をしたという事。ルビーにアイドルをやらせてみるという決断をしたのならもうオレに相談する意味はない。つまり、ミヤコが決めたのは他のことのはずだ。
10数えるほど押し黙っていたが、観念するように息を吐く。
「この地下アイドルの実態、すこし調べてくれない?外から見ただけじゃわかんない事は沢山あるから」
「…………やり方はなんでもいいんだな?」
「犯罪行為はやめてよ。あと寝業を使うのも禁止。良いわね?」
「了解。ちょっと事務所の名前借りるよ」
「…………何する気?」
「人を騙すには嘘とホントを混ぜるのがコツって事」
▼
そして時間が少し経ち、その日の夜。苺プロ事務所に一組の男女が訪れた。
「ようこそ、苺プロへ」
「わっ、本当に事務所だぁ。嬉しぃ〜。スカウトの人すっごく若いしイケメンだし、タチの悪い勧誘かと思っちゃいましたよぉ」
───タチの悪い悪夢だわ
輝く黄金色の髪をバックに纏め、見事な愛想笑いを見せる義息子にミヤコは心中で盛大なため息を吐いた。
最後まで読んで頂きありがとうございます。このアクアがルビーのアイドルをあそこまで反対するとは思えなかったので止めてたのはミヤコさんということにしました。ちょっと無理がありましたかね?それでは感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
3rd take それぞれの第一歩
偽りを纏う少年は小さな火になる事を求められる
失くした星に扮すると良いだろう
愛を取り戻すきっかけになるはずだから
人を本気で騙すには必要なコツが三つある。
一つは嘘っぽいウソを用意すること。あからさまにウソだと相手にわからせることで警戒感を引き上げると同時に嘘を見破ったという安堵を相手に与える。
次に相手の興味を引く話題をすること。この時、戯けたり笑わせたりするとなお良い。嘘っぽいウソで高めた緊張が弛緩すると人は通常時より隙を見せる。遅いボールを見た後に速球を見れば数値以上に速く見えるのと似た現象だ。
最後にホントっぽい嘘をつくこと。ウソにリアリティを持たせるために、絶妙のバランスで真実を混ぜこむのがミソだ。
嘘っぽいウソに気づくことで人間は安心する
警戒している人間は話を注意深く聞こうとするため、興味を惹く話題には反応する
弛緩した後に提示されるホントっぽい嘘は真実に見えてしまう。
「お姉さん」
夜の原宿竹下通り。平日だろうと人でごった返す若者の通り道。一人の少女が話しかけられる。声の主は男性だった。黄金を溶かしたかのような蜂蜜色の髪はバックに纏められており、ソリッドなグラスは知的かつ大人の印象を植え付ける。声をかけられた少女の第一印象は『上京ホストの客引き』だった。
「たった1日、簡単な仕事をするだけで百万円が貰える仕事に興味ありませんか?」
「興味ないです」
あからさまな嘘で相手に嘘を見破ったと思わせ
「あー!嘘嘘!ウソっぷー!ごめん冗談!ちょっと話聞いてお願い!」
「嫌です」
「ごめん!正直に言う!僕は芸能プロダクション苺プロのスカウトマンなんだ!」
相手が関心を持つ話題で興味を惹き
「ほら、証拠の名刺。どうだろう、君をスカウトしたい。話だけでも聞いて貰えないだろうか?」
真実混じえて嘘にリアリティを持たせる。人を本気で騙したいなら最低この三つの工程は踏まなければいけない。
▼
「貴方詐欺師になれるんじゃない?」
ルビーがスカウトされた地下アイドルに所属している少女が帰り、二人きりになった後、開口一番、ミヤコがそんな事を言ってきた。
スカウトに見せかけてプロダクションに連れ込み、言葉巧みに今のグループの事情や不満を喋らせる。その手腕はまさに詐欺師と呼ぶに相応しいものだった。
「役者って仕事は半分詐欺師みたいなものだ。嘘をいかに本当に見せるかにかかってる。演技なんて言葉自体、たいてい良い意味には使われないしな。詐欺師と役者は紙一重だよ」
「…………口も上手いわね。貴方そんなことばっかやってるといつか痛い目見るわよ。自宅の鍵やチェーンロックには気をつけなさい」
「ご忠告はありがたく受けておくとして……」
本題へと移る。聞きたいことの概ねは地下アイドル所属の女の子から聞けた。
雇用形態自体は普通。ライブ出るという前提での最低保証給やチェキが主な収入源。給料も月で10万いくかどうかなら地下アイドルとしては真っ当だろう。
その他のことで口にしたのはプロダクションやグループの不満がほとんど。運営が推している子が贔屓されてる。理由は運営と付き合ってるなど。メンバー内の嫉妬や軋轢。地下アイドルやってればいくらでも蔓延る噂を実にリアルに語ってくれた。
「ま、事実かどうかなんて定かじゃねーけどな。グループ売り出す以上、『運営の推し』って奴はまあいるんだし」
「そうね。優秀な子はどうしても他と差をつけた扱いをしてしまう。その結果、センターに抜擢された子に対する不満がありもしない噂を生むなんてザラもザラ。そもそも若い女の子を纏めるなんてめちゃくちゃ大変なんだから」
「だろうなぁ。女のイジメは分かりにくい分、辛辣で陰険だ」
直接的な暴力に出る事は少ないだろうが仲間内でハブにする、化粧品に細工するなど、犯人が特定しにくく、故意的な犯行だと判断もしにくい。女のケンカは精神を責めてくる。
「で?どうする?今の子、雇う?」
「ウチは仲間を悪く言う子を雇うような事務所じゃないわ。貴方がそうであるようにね」
アクアの心のうちを全て知ってるとは思わない。母親の記憶を無くしていることも知っている。けどこの子はいつもルビーや私のことを大切に思っている。その事だけは誰よりも良く知ってるつもりだ。恐らくルビーよりも。だからアクアの問題行動には出来るだけ理解を示したいと思っている。
「でも、この手二度と使うんじゃないわよ。コレで問題起こしたら普通に訴訟するから」
「アンタに頼まれたからやったんであって、オレだってやりたくてやったんじゃないんだが……で?どうすんの?アイツそこでやらせるの?」
「…………最後にもう一度ルビーが本気がどうか確かめる。それで本気だって判断したら、十数年ぶりに苺プロでアイドルグループを立ち上げるわ」
「…………そうか」
「ちょっと、怒らないでよ」
我ながら少し素っ気ない言い方になってしまった。機嫌を悪くしたと取られても無理はない。オレの想像以上にミヤコはオレに気を遣っているらしい。思わず笑ってしまった。
「怒ってない。それが一番なんじゃね?社長のところでやってくれるならオレもまだ安心できる」
あの悲劇を知っているからこそ、繰り返さないために。なによりルビーのためにこの人は戦ってくれるだろう。それぐらいのことは信じれた。この10年を見ていればわかる。言葉は嘘をつくけど、行動は偽れない。人を判断する時、アクアはその人の過去を見ることを第一としていた。
「あ、そうそう。今日貴方がいない間に監督さんから電話あったわよ。ちょっと来て欲しいって」
「監督から?何だろ、なにか言ってたか?」
「いいえ。でもちょっと不機嫌そうだったわね。行くの?」
「…………行ってみるさ。気になるしな」
「いいけど明日にしなさいよ。今日はもう遅いし」
「わかってる。メイク落としたら今日はもう風呂入って寝る」
「今日は悪かったわね。お疲れ、おやすみ」
「good night,boss」
メイクを落とした鏡の中の素顔のオレは意外と疲れた顔をしていた。
▼
五反田スタジオはとあるマンションの一室に居を構えた個人経営スタジオである。五反田泰志は自宅兼仕事場の扉を開き、真っ直ぐに自室へと向かう。
壮年の男性が扉を開くとそこには先客がいた。華奢な人影が暗い部屋でDVDを眺めている。画面の中には幼い少年が映っていた。少年が出ている映像を何度も何度も繰り返し見続けていた。部屋の扉が開いたことにも恐らく気づいていない。同じ映像を巻き戻しては再生を繰り返すその姿はヘタなホラーより不気味に見える。
───またか
先客の少年を五反田泰志はよく知っていた。この10年、役者としての基礎を教え、カメラワークを学ばせ、監督としての思考を叩き込んだ。と言ってもこの少年に直接何かを教えたことはあまりない。この天才は自分で見て、感じて、発見し、理解し、実行する。試行錯誤を繰り返し、独自の感性と経験で実力を身につけた。
───しっかし、すげえ集中力だな
この男がこういう状態になっていることは何度か見た事がある。自分の芝居に何が足りないか。何が出来て何が出来ていなかったか。出演作を見返し、自身に還元する。役者であれば誰もがやる事だが、こいつは少し変人だ。
───ま、常人と同じ感性で芸術家なんてやれねーか
「おい、やや早熟」
肩を叩くと、ようやく視線が画面から外れた。ヘッドホンを外し、椅子を回転させる。薄暗い部屋で輝く瞳がこちらを見上げた。
「監督、やっと帰ってきたか」
少年の名前は星野アクア。今時のキラキラネームと壮絶な過去を背負い、人としての何かが欠けてしまった。故に独特の引力とオーラがある俳優の卵である。
▼
「ごめんねぇ、アクアくん。泰志今出かけてて」
「お構いなく」
翌日。監督のスタジオに行ってみたら何と本人は留守。どこかで時間潰してからもう一度来ようかと思ってるとおばさんが家に入れてくれた。監督の母親で幾度となく顔も合わせている。いい人なのだが、少し苦手だ。いい歳したオッサンなんだからいい加減家出ればいいのに。都心近くのマンションだから利便性を考えれば出るメリット少ないのはわかるが、恥ずかしくないのだろうか。
───どうでもいいこと考えすぎた。
一度頭を振り、大きく深呼吸する。何もせずに待っているのも退屈なのでスタジオルームを借りて自身の過去作を見返して時間を潰すことにした。テキトーにDVDを再生するが、よりによって最初期のモノを選んでしまった。まったく目を覆いたくなるほどヘタ。しかし初心を忘れないためにも恥を忍んで見続ける。
「おい、やや早熟」
肩に手を置かれる。気づいたら結構時間が経っていた。集中している時の時間は経つのが早い。
「監督、やっと帰ってきたか」
「呼び出しといて悪かったな。ちょっと呼ばれてよ」
「で、わざわざ電話してまでのオレへの用事ってなに?」
「仕事だ、仕事。俺はやりたかねーんだが弱小スタジオの弱いところでな。押し付けられちまった」
薄い冊子が投げられる。台本らしい。ザッと目を通すとどうやらストーカー撲滅運動を宣伝するためのPVのようだ。少女がストーカーに襲われるが、警察官を目指す少年に助けられるというベッタベタなストーリー。
「で?オレにストーカー役でもやれってのか」
「それならまだマシだったんだがなぁ。今回お前がやんのはトラだ」
「…………なるほど」
トラ。正式名称エキストラ。どんな制作にも必ずと言っていいほど存在するその他大勢。早い話がモブ。売れない役者に押しつけられる代表的な役回り。
「不服なのはわかる。よりによってストーカー犯罪がテーマの映像なんて出たくねーだろうが、レッスンの一環だと思ってくれ」
「別に。どーでもいいさ。テーマなんて」
モブしかやらせてやれないことへの配慮なのか。それともあの事件を気にしての言葉なのかはわからないが、どちらにせよ余計な配慮だった。そんなことより優先することがオレにはある。
「駆け出し役者への仕事なんてこんなもんだろう。不服なんてないさ。やるよ」
「そう言ってくれると助かるが、もう一つ説明しなきゃいけねーことがあってな」
「?」
「お前のモブ役なんだが……」
▼
勢いよく階段を駆け上がる。今日の昼、ミヤコからアイドル部門を再び立ち上げると聞いたルビーは苺プロと契約することが決まった。スカウトされた地下アイドルを蹴るのは心苦しかったが、それでもルビーにとって一番の夢は母の跡を継ぎ、新生B小町としてアイドルを目指すことだった。その夢のためならばスカウトを断るくらいなんでもない。一も二もなく、契約書にハンを押す事を決めた。
すぐ近くにある自宅から判子を持ち出し、一目散へと事務所に走る。夢へと繋がる階段を駆け上がる。何度となく使った階段だが、恐らく人生で最も長い30秒だった。
「社長ー!ハンコ持ってきた……よ……」
スタジオの扉をルビーが勢いよく開く。大きな鏡の前には女子の制服を見に纏う、黒髪の美少女が立っていた。
艶やかな黒髪に整った顔立ち。輝きを秘めたその瞳はまるで……
「マ……マ?」
「誰がママだ馬鹿」
星野アクアが女装した姿だと、鏡の前に立つ美少女が兄だと理解するのに、ルビーは少し時間が必要だった。
「ぅお兄ちゃん!?ちょっ、まっ!?え!ヤバ!なんで!なんでママのコスプレしてるの!?おっぱいは?!えっ、キモ!ちゃんと柔らかい!クオリティ高すぎてキモ!女の子にしか見えない!元々中性的だったけどお兄ちゃんついにソッチに目覚めたの!?」
「うるせーな!ちげーよ!そういう役なんだよ!揉むなバカ!」
「アクアは元々まつ毛長いからそんなに必要ないかと思ったけど、アイシャドー使うとやっぱ違うわね。ファンデの伸びもいいし。若いって素晴らしいわ。あとルビー。最近のメイクはおっぱいを装備できるのよ」
与えられたモブ役。それは被害女子と同じ高校の生徒の一人。ストーカーが女の子を襲うのは早朝の駅前が舞台。通勤通学する人達は出来るだけ関わろうとせず立ち去るか、遠くから眺めるかのどちらか。アクアの役は後者。同じ学校の生徒だから見過ごすこともしにくいが、関わりたくもないという典型的偽善者役。なら男でいいじゃんとも思うが、画面の見栄え的に女子の方が華やかだからという理由で、立ち去るモブは男性が、立ち止まるモブは女性が多めの設定になっているらしい。
「その場からすぐいなくなるエキストラよりは少しでも長く画面に映ってる方がイイものね。女の格好するだけで立ち位置良くなるなら私でもやるわ」
「だからってわざわざママの制服着なくても」
「あら。ならルビーの制服貸してくれる?」
「絶対ヤだ!キモいっ!」
「なら文句言わない。それに今のアクアの体格にルビーの服は合わないしね」
アクアは同年代の男子と比べても線は細いし、華奢な部類に入る。だがルビーより背は高いし、肩幅も広い。流石に彼女の中学の制服は入らない。その点、アイの衣装は都合が良かった。高校時の服なら全然入るし、ロングヘアのウィッグなら骨格も誤魔化せる。喉元もリボンで隠せるため、制服は使い勝手が良かった。
「ま、こんな役出来るのも体格が出来上がってない今だけだしな。貴重な経験とさせてもらうよ」
「でもモブならあまり美少女過ぎても良くないわね。もう少し野暮ったくする?」
「コスプレが過ぎて原型とどめないのもオレの宣伝にならねーだろ」
といってもまあ元々宣伝になるとは思ってないが。現場でも偽名名乗るつもりだし。この仕事を引き受けた最大の理由はめちゃくちゃやっても誰にも迷惑がかからないということにある。
「ならせめてメガネくらいかけなさい。アイも外に出かける時はよく使ってたわよ」
ほら、帽子もと地味なキャップを頭に被せられる。薄い黒縁の地味なメガネはアクアの最も印象的な目の輝きを少しだけ曇らせた。
「よし、メイクも終わり。いい感じに地味に纏まったわ。可愛いわよ、アクア」
「嬉しくねー」
「撮影場所どこ?送ったげるわ。その格好で外出歩くの恥ずかしいでしょ?」
───別に恥ずかしくはねーけど
このクオリティならまず女装とは気づかれないだろう。でも下手に公的交通機関を使っては無用のトラブルを起こす可能性もゼロではない。ここはミヤコの配慮に甘えるとしよう。
「悪いな。頼めるか」
「いいわよ。所属アーティストの送迎は事務所の仕事の一つだから」
▼
都心から少し離れた駅前。今日だけ関係者以外立ち入り禁止となっているストーカー撲滅運動のPVロケ地に一台のバンが止まる。妙齢の女性マネージャーと共に制服を着た美少女が降車する。背中まで伸びた黒髪に女性としては高身長。メガネをかけていても伝わるルックスの良さに少し周囲の目が引き寄せられた。
「エキストラで呼ばれました。マリンです。本日はよろしくお願いします」
星をなくしたことで天才を受け継いだ俳優。その一歩目がついに始まる。
最後まで読んで頂きありがとうございます。マリンちゃん降臨。イメージとしては制服着てメガネかけたアイと思っていただければOKです。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
4th take その羽ばたきがもたらすモノ
貴方を見守る星が語りかけてくる
星の言葉に耳を傾け過ぎてはいけない
その言葉は貴方と違う世界から放たれるものなのだから
人目を引く方法とは必ずしも一つではない。
普段のテレビなどでも自然と目を寄せられるのは声が大きな人とか、大げさな反応をする人など。これらに共通するのはアクションが大きいという事。
しかし、アイドルグループで同じダンス、同じ声量で歌っていても、目立つ者と目立たない者というのが存在する。それは純粋に立ち位置が悪いなど、取るに足りない単純な理由もある。が、入れ替わり立ち替わりが当たり前になった現代の大人数アイドルグループで、センター付近にいる者でも、目が引かれない人間というのは確かに存在する。
目を引く人間と引かない人間、この二つの人種にどんな違いがあるか、明確にはわからない。説明すればいくらでもできるだろうが、反論もまたいくらでもできる。
しかし、芸能界ではこういう目を引く力の正体をこう呼ぶことが多い。
オーラと。
▼
役者にとって台本は絶対である。現場の状況次第でアドリブを入れる事もあるが、それでも台本の意志や解釈に沿ったモノでなければいけない。与えられた役割を理解し、役割の中で動きを決める。それが役者に与えられる最初の仕事。
「でもモブって事は突っ立ってりゃいいんじゃねーの?」
今更役者の基礎中の基礎を話す監督の言葉を渡された台本を弄びながら聞く。駅で暴れるストーカーを遠巻きに見ているだけ。特別な事をする必要は感じないし、しちゃいけない。
「ああ。普通はな。だが今回に関しては、今まで教えてきたこと、全部忘れていい」
「なんで?」
「仕事というよりは、お前の力試しの場だからだ」
「力試し?」
「お前、長いこと実戦で本気出してやってねーだろ?」
「…………」
言われてみれば確かにそうだ。勘を鈍らせないため、たまに出演する事はあったが、そんなちょい役で本気など出せるはずがない。俯瞰演技はともかく、没入する演技は何年もやっていない。
「モブのいいところは多少問題行動したところでハブられるだけで済む。まして今回は女役。偽名まで使うんだ。何しても構いやしねえ。俺が監督だったらめちゃくちゃムカつくけど」
「…………自分がやられて嫌な事はやっちゃいけませんって習わなかったか?こどおじ監督」
「誰がこどおじだ!都心に近い実家あると家出るメリットねーんだよ!クリエイターあるあるだから!」
ムキになって説明してくるあたり、引け目は感じているんだろう。ちょっと安心した。
「出演者全員、喰い殺してこい」
▼
背中まで伸びた黒髪に女性としては高身長。黒のタイツにブレザーの制服。女優として考えても相当な美貌の持ち主で何よりも特徴的なのは両目に星の輝きを宿したその瞳。
「エキストラで呼ばれました。マリンです。本日はよろしくお願いします」
マリン。本名アクアマリン。性別男。この役のためだけに作ってきたキャラと衣装である。
「ああ、うん、よろしく。トラへの説明はあっちでやるから。向こういっててね」
「はい」
「…………何アレ、偉そー」
美少女の背に隠れるようにこちらもサングラスとキャップを被った少女がつぶやく。バンの中にはもう一人同行者がいた。名前はルビー。マリンと名乗った役者の双子の妹。アイドルの卵だ。
「売れてねー役者にまで一々配慮してらんねーさ。それよりルビー。あんまり前に出るなよ。マネージャーとして振る舞うっていうから見学させてやってんだから」
「わかってるよ。だからこうして変装してるんじゃん」
「サングラスとれ。逆に目立つから」
「だってこんな美少女がカメラマンとか監督さんの目に留まっちゃったら、女優やってくれとか言われちゃうかもしれないじゃん。ゆくゆくはそっちに進出してもいいけど、今はアイドルに集中したいんだよね」
「…………アホが」
自意識過剰、と言ってやりたいところだが、ゼロとは言えない可能性だったため、それ以上のことはいえなかった。
「でもいっぱい人がいるんだね。PVなんて全部で10分行くか行かないかでしょ?あんなにいるの?」
「ばーか。ドラマなんてワンカット取るのに数時間かかることだってザラだぞ。監督がいて、演出がいて、カメラがいて、音響がいて、初めて映像は撮れる。コレでも充分少ない方だ」
『エキストラの方ー!集まってくださーい!傍観役の群衆はこちらへー!』
メガフォンで集合がかかる。
「じゃ、行ってくる」
「頑張れ!お兄ちゃん!」
「ルビー、モブはあんまり頑張っちゃダメなのよ」
ミヤコが言うことは正しい。モブが目立つような行為をしてはいけない。役者にとって台本は絶対だ。コレに逆らってはどんなに才能があっても使ってもらえなくなる。
───でも台本の範囲なら何してもいいんだよなぁ
押しつけられたモブ役。名前もマリンという偽名。そして監督から与えられたミッション。悪戯心が刺激される。
「社長、いつでも逃げられるように準備しといて」
「…………何する気?」
「確かめてくる。今のオレがどれだけできるか」
集合をかけられた場所へと走る。また何かやらかすんだろうなと悪い意味で信頼しているミヤコは車のキーを回し、エンジンをかけた。
▼
『皆さんいいですかー!場面設定は女の子に一度フラれたストーカーが再アタックをかけて迷惑がってる場面です!通勤通学中の皆さんはその事態に巻き込まれないよう遠巻きに見るか、見て見ぬ振りして立ち去るかのどちらかでーす。とりあえずなんかそれっぽく振る舞ってくださーい』
「とりあえずそれっぽくだってよ。いい加減な指示だよな」
いつのまにか隣に立ってた男が口を開く。モデルだろうか?背は高い。オレが確実に見上げるほどだ。顔もそこそこ。まあオレとは比べ物にならんが。
「ああ、ごめん。俺は甲島瀧。17歳。yangyangのモデルでさ。俳優も目指してんの。君は?」
「マリンです。15歳。所属は苺プロです」
「へぇ、苺プロ。ウチの母さんがファンだったよ。確か、B小町だっけ?」
「伝説の先輩です。よくご存知ですね」
「まあね。俺、こう見えてまじめに色々勉強するタイプだからさー」
本番が始まるまでのしばらく、時間があるからか。モデルくんのなんとも中身のない会話が続く。コッチも適当に相槌打つが、めんどくさい。ナンパ目的バレバレ。男声ボイス出してやろうかと本気で思ったが、ここで騒がれても面倒だ。
「そっかー。でもマリンちゃん15歳ってことは今中学生?高校どこ行くか決めた?」
「陽東高校ですよー」
言ってしまった後に少し迂闊だったと気づく。ここまで話すつもりはなかったのに、つい心を無にして喋っていたせいで漏らしてしまった。此処からは少し色々警戒しよう。
「あー、陽東かー。俺のモデル仲間も何人か通ってるよ。芸能科がある学校って良いよなぁ。授業とか楽そうじゃね?」
「さあ、まだ入学してないのでなんとも……」
「ね、マリンちゃん。良かったら連絡先交換しない?お互いの学校の様子とか知りたいし。いいっしょ?」
「あはは。ごめんなさい。バッグ、マネージャーさんに預けてて、私今携帯手元にないんで」
「じゃあコレ終わったらでいいからさ。ちょっと二人で出ない?反省会とかもしたいし。ね?」
思ったよりしつこい。多少騒ぎになっても男声ボイスでオレ男だよ、と言ってやろうかと本気で思った時、耳をつんざくメガホンのハウリングが鳴った。
『失礼。それでは通行するモブの方ー。こちらに集まってくださーい。傍観する方達は此方へ』
「…………チッ。じゃあマリンちゃん、後でね」
「ははは」
返事はせずに笑って誤魔化す。出来るだけ位置特定されないよう傍観組の中へと入り込んだ。
『では皆さん、ストーカーに絡まれてる女の子を遠巻きに見ている感じで。立ち位置は自由にしちゃってくださって結構です。それでは始めまーす』
傍観組は女性がほとんど。その中で背の高い部類に入るマリンことアクアは自然と後ろの方へと追いやられた。
カチンコがなる。まずは普通の通学風景。ヒロインの女の子が駅の中を歩き、その後ろにモブたちがいる。さっきのナンパモデルもその中にいた。しばらく通行シーンの撮影が続く。その間にアクアは自分の中の設定を考えていた。普通ならこれはやらなくてもいい事だ。名前有りのキャラならともかく、アクアの今回の役はモブ。ただ突っ立ってるだけでいい仕事だ。いちいち設定など考える必要はない。
しかし、この場にいる全員を、一言も発せず、身動きすら取らずに喰おうと思えば、動いて喋る以外のことは全てやらなければならない。
本来、監督がモブ役に求めるのは周囲に溶け込む俯瞰演技。しかし丸ごと呑み込むために必要とされるのはメソッド演技。メソッド演技とは与えられた役に精神ごと憑依する演技のこと。その為には役の歴史を構築せねばならない。何が好きで何が嫌いか。何を許し、何に怒るか。キャラクターの核を作ることが第一歩。
───ストーカーに絡まれる女の子を遠巻きに見る、か
制服を着た少女なのだから、親近感が湧くのはわかる。だが会った事もない赤の他人に強い感情は湧かないだろう。メソッド演技で最も必要なのは感情の発露。それがなくては迫力は出ない。
───なら作るべきは自分の事情…
本当は助けたい。でも何かと天秤にかけたなら、出来ない。そんな板挟みがマリンにとって最も自然に感情が湧く状況だろう。
───しかしこの場全てを呑み込もうというなら、普通の感情ではダメだ
例えば怒り。それも殺意を伴うような、激しい怒り。もしくは世界が崩壊したかのような絶望感。それをセリフも身振りも無しで表現しなければならない。まったく無茶振りもいいところ。
──なんかムカついてきた。
怒りの演技の勉強はしてきた。それなりには出来るつもりだ。だがそれはアクションがあってこそ。怒りのポーズ、声、動作があって初めて役者は感情を表現できる。だが、今回はそれら全てが禁じられている。動きはもちろん、声を出すことすらダメ。
───こんな状況で、周り全部呑み込むような怒りなんて、どこから生み出せば……
アハハっ
葛藤するオレを嘲笑うかのような、無邪気な笑い声がどこからか響いてくる。思わず振り返るが、誰もいない。足早に歩くモブだけだ。
───今のは、いったい…
まだまだね、アクア。そんなんじゃ私の息子は名乗れないわよ。
───この声を……オレは、俺は、僕は、知っている
周り全部を呑み込むような怒りの源、そんなの、カンタンでしょ?
───この声は………この声は………!
そんなの、『愛』に決まってるじゃない
稀に、こういう事がある。行き詰まって、煮詰まって、雁字搦めになっていた思考回路が、ふとしたきっかけで砂糖菓子のように解けていく感覚が、頭の中で弾ける事が。
こうなった後は大抵、絶好調になる。自分で自分を凄いと思う時がある。キャストも、観客も、監督の顔も全部が隅々まで見える。まるで天の星から覗き込んでいるかのように。
怒りや焦燥で狭くなっていた視野が一気に広がる。被害に遭った女子高生がナイフ片手に迫ってくるストーカーに手を掴まれそうになるところだ。自然な動作で立ち位置を変える。
よくわかる。誰がどこに立っていて、どう動けば人にぶつからないか。カメラからはコチラがどのように写っているか、どこに行けば画角の中に自分が収まるか。どの位置なら自分の顔を写してくれるか。そのベストポジションが、見える。
カチンコの音が鳴る。ヒロインの女の子がストーカーに手を掴まれ、脅される。ここでもう少し問答があった後に主人公の少年が助けに割って入る。それまでは現代の、厄介ごとに関わらないようにする事なかれ主義を批判するような撮り方がされる。
この間に、憑依りこむ。
ストーカーに殺された実母。涙にくれた妹。親代わりを名乗り出てくれた里親。その人たちへの愛。その愛を
【怒りに変える】
逆らうヒロインに苛立ったストーカーがナイフを取り出す。ヘタにストーカーに手を出せばそのナイフはオレに突き刺さるかもしれない。それだけでなく、その男の逆恨みは家族にも及ぶかもしれない。
───そんな言い訳をして彼女を助けない自分への、殺意に。
▼
最初に気がついたのは、左右の隣にいた女子だった。理由もなく背筋に寒気が走り、肌が泡立つ。人体には稀にこういう時がある。自分には何も起こってないのに、ゾクッとすることが。
高所から飛び降りる映像を見ると足元がおぼつかなくなる錯覚に襲われるように。隣で大泣きしている人がいたら、なぜか自分も泣きそうになってしまうように。
共感覚と呼ばれる現象。誰もがこの現象を体験したことは一度はあるだろう。欠伸がうつるなどが代表例に挙げられる。役者は特にこの感覚に優れている。
モブとはいえ役者は役者。殺意を伴う本物の怒りは一般人よりは伝わりやすい。寒気の発生源を見ると横に立つ美少女の美貌が歪んでいた。怒り、悲しみ、躊躇、決意、それら全てがないまぜになっている表情は恐ろしくも美しい。思わず目を奪われてしまう。握りしめた拳から血が滴り落ちていることに、気づく者はいなかった。
次に反応したのはカメラマンだ。今まさにヒロインが襲われていて、ナイフが手のひらを傷つけてしまう。緊迫感を高めなければいけないシーン。だというのに動線が背後に引かれる。唇を噛み締め、拳を握り込み、眉間に皺を寄せ、瞳が暗く輝く少女の変化を捉えてしまっていた。普通に登校していた少女が偶然目にしてしまった非日常。通常の感情から、現状を理解し、見過ごすことしかできない自分への怒りと悲しみ、そして殺意。感情の爆発が不気味な引力を作り出していた。
カメラマンとほぼ同時、唖然とした表情でアクアの変化を見ていたのはミヤコだった。明らかにヒロインよりも目立ってしまっている。確かに動いてはいない。言葉も発していない。台本にあることは完璧に守っている。
だが現場のタブーは何一つ守っていない。モブが主役級より目立ってしまうなど、絶対にあってはならないことだ。この一件で協調性のない役者だとレッテルを貼られれば、ヘタをすれば今後誰も使ってくれなくなる。
───でも、アクションどころか、声ひとつ出さずに、周囲丸ごとの目を引き寄せた。
アクアは元々目を引く存在だと知っていた。独特の雰囲気や何より瞳に力がある。だがこの現象はそんな常人の延長にありうる程度の話ではない。こんなことが出来る人間が他にいるかと問われれば、可能性を感じるのはアイしかいない。
ミヤコの脳裏にとある名言が浮かぶ。アイドル界に伝わる、一般人も一度は聞いた事があるかも知れない格言。
『目からビーム、手からパワー、毛穴からオーラ』
それは身体から出る、人の目を引く引力。目には見えない。実態もない。だが確かに存在する魔力。アイも持ち合わせていたカリスマとオーラ。それら全てがこの場にいる全員の時を奪っている。
「やってくれたわね」
ミヤコが発したその一言で、時間が動き出す。呆気に取られていた監督が現実に引き戻された。
「カ、カット!カット!あの子、あの黒髪制服の女の子を外してくれ!これじゃ主役にまるで目がいかない!たった一人のエキストラに、シーン丸ごと喰われちまう!」
監督の指示に周りがざわつく。それも当然。実際に目にしていないほとんどのエキストラには何が起こったかわからなかった。少なくともエキストラが何か問題行動をしたとは思わなかった。それなのに問答無用のNG。不審に思うのも仕方ないだろう。
だが一発NGの犯人が指定されたら流石に目立つ。周囲にいたエキストラ達がアクアから距離を取った。
「───えっ」
人がハケたその中心。立ち尽くす黒髪の少女は微動だにしていなかった。整った眉は歪んだまま。握りしめた手からは血が滴り落ち、瞳の暗い輝きは恐ろしさと美しさを兼ね備えていた。
素人目で見ても彼女が深い怒りと悲しみに囚われているのがわかる。そして目が引かれる。
「え、まさかあの子とヒロインの子、知り合い?」
「あのナイフ、もしかして本物?血も血糊じゃない?本当に切られた?」
「え?事故?ホント?」
さっきとは違う意味でざわつき始める。人がハケたからか、アクアとヒロインの前に人の壁は無くなっていた。
「…………えっ」
立ち尽くしていた少女が歩き始める。ゆっくりと近づき、襲われて尻餅をついていたヒロインの頬にそっと手を寄せ、血のついた手のひらをハンカチで包み込む。
「…………ごめん」
「えっ、その……えっと?」
赤い塊を拭い去ったその下には、当たり前だが傷跡ひとつない。
「あ、良かった。何もない」
「いやそりゃそうだろ」
「えっ、今の演技?」
「アクっ、マリン!」
後ろで見ていたマネージャーらしき女性が手をひく。これ以上この場に留まっていては本当に問題になる。女装しているとはいえ、ちゃんとした部屋とかに連れていかれ、尋問されたらバレる。
「帰るわよ!ホラ!ルビー!扉開けて!」
「あっ、キミ!ちょっと待って!」
「申し訳ありません監督!失礼いたします!」
近くに停めていたバンの中へと引き込み、一気にスタートさせる。エンジンはかけたままにしていた為、車が動き出したのは乗り込んだ時とほぼ同時だった。
「あの子……試したんだ。今の自分の全力が、どこまで出来るか」
監督が現状を全て理解し終えたのは、車が猛スピードで去った後だった。
▼
認めていた。お兄ちゃんは凄いって。お兄ちゃんの才能を誰よりも認めているのは私だと思っていた。
───でも、甘かった
素人目で見てもわかる引力。いつもは眩い輝きを放つ瞳があんなに暗くなって、でも目が離せなくなる。まるでブラックホールを覗き込んでいるかのような感覚だった。動作もなく、声一つ上げられないあの状況で、周囲全部を喰い殺した。
───もうカメラは回っていないのに、まだ怒りと悲しみが抜けてない
バンに乗り込んでから、お兄ちゃんはずっと無言のままだった。助手席に座った黒髪の少女は外を眺めたまま、茫然としている。
シーンが終わっても役が抜けないというのは役者としてはあるあるの話だとは思う。でもこのレベル、この深度を維持し続けていた。
───お兄ちゃん、大丈夫なの?
この茫然ぶりはあの時を思い出させる。10年前、病院で自分を見失ってしまった、あの時を。
「アクア。いつまで役に入り込んでるの」
信号が赤になった時、ミヤコが話しかけると同時にカツラを引っ剥がす。ミラーの中にいた黒髪の少女がいつもの煌めく黄金色に変わったからか、瞳の中の暗い空洞から、いつもの光が戻った。
「まったく。何かやらかすとは思ってたけど、現場丸ごとぶち壊すとは思わなかったわ。多分もうあの監督、貴方使ってくれないわよ」
「…………オレってさ」
「ん?」
「同年代の男子と比べれば、そこそこいろんなもの見てきて、いろんなことを知ってきたつもりだったけど」
「そうね。良くも悪くも、あなたは子供の時間が短かったとは思うわ」
「でも、違った。知らない事ばっかりだった。オレってこんなに怒る人間だったなんて知らなかった。怒りの発生源が愛だなんて思いもしなかった」
愛がない怒りもあるだろう。詐欺師に騙されたとか、通り魔に襲われたとか、理不尽に怒る事もある。
でも被害に遭った家族や友人、恋人が犯人に抱く怒り。コレは間違いなく愛が発端として起こる。この怒りはもしかしたら被害者本人よりも深く、大きいかもしれない。そんなことも気づいていなかった。
「世の中、知らないことばっかりだ」
「怖い?」
「怖いよ。役者なんてやんなきゃ良かった」
その言葉にルビーとミヤコ、二人とも背筋が寒くなる。この才能が消える。それは恐らく業界の損失。持たざる者としては、なんとしても止めたい。
「でもやるよ。この怖さも嘘にして見せる。
なんと声をかけようか、迷っていたときに、答えが返ってきた。不知の知を知る喜びと恐怖。それを実感し、受け入れた。10年間ずっと役者として修行してきた。いくつか作品にも出演した。しかし、真の意味で俳優アクアが始まったのは今日、この時なのだろう。
「ま、一歩目としては上出来か。エキストラだったから所属も本名も教えてないのが幸いだったわね。女装してたのがこんなところで役に立つとは思わなかったわ。でも今後はもう少し周りに合わせてやりなさいよ」
「わかってるよ。トラじゃなかったらオレだってここまで好き勝手はやってないさ」
「…………信用できないわね、このトラブルメーカー」
▼
そう。確かに今回の件、特に問題にはならなかった。一部で噂になる程度のものだった。アクアがやったことは芸能界という巨大な大海原に小石を投げ込んだ程度のもの。波風が立ったとしても、僅かな波紋。
しかし、芸能界とは常に才能を探している。新たなスターを発掘する。ライバルの存在を警戒する。アンテナを張り続けるというのは芸能界において必須の業務だ。たとえ僅かな蝶の羽ばたきだったとしても、耳聡くその音を聴きとる人間は必ず存在する。
このネットドラマの現場、そしてあのPVの主演とヒロインが所属している事務所もその波紋が届いた場所だった。
「なんか俺のモデル仲間が出てたPVでさ、すげー女の子が現れたんだってさ。思わず写真撮っちゃったって」
「危うくウチの役者が彼女一人に喰われるところだったそうです。幸い、監督がすぐに外したので問題にはならなかったそうですが」
モデルだらけのドラマ現場では出演している役者の一人が写真を。事務所ではお蔵入りになったテープを見せている。
───チッ、また新しいのが出てきたのかしら
───エキストラが外された?一体何したのかな、その子
異なる場所にいる二人。ドラマに出演している主演ヒロイン、そして事務所の看板を背負うアイドルのアンテナに噂話が同時に引っかかる。女優有馬かなは写真を。アイドル不知火フリルは映像を見た。
「───っ!!」
「───んっ」
写真を見た有馬かなに戦慄が奔る。記憶の中のアイツとは違う。黒髪だし、背も伸びてる。何より女の子の格好だ。気のせいかもしれない。でも、有馬かな、芸能人としての勘がこの女子が誰かを告げた。
主演の子よりずっと後ろにいる。顔とかはちゃんと全部映る立ち位置にいるけど、それでも目が引かれる。主演の子達の存在が希薄になっていることに、不知火フリルは気づいた。
───この引力。暗く、怖い、けれど目が引かれる不気味なオーラ。なによりもこの瞳の輝き…
───強い感情の発露。自分を曝け出す、メソッド演技。一瞬で私の目を奪った。なのにこの子の、顔が視えない。
「へぇ、可愛いじゃん。この子、名前なんてーの?」
「…………確かに才能としては恐ろしいものを持ってる子ね。名前は?」
モデル仲間が、事務所社長が、この女優の名前を聞く。モデルはワンチャン狙って。社長は新しい才能を警戒するために。
「えっと、たしか……あ、マリンって言うらしいぜ」
「マリンと名乗っていました。エキストラだったので所属は聞かなかったそうです」
───マリン、マリン……あいつの名前はアクアマリン
有馬かなは知っていた。10年前、役者として自分を完璧に負かしたアイツの名前。10年間、ずっと頭の中にいたアイツの名前だ。忘れるはずがない。
───芸名かな?それとも本名?今時ならありそうな名前だけど。
不知火フリルは知らなかった。それも当然だ。彼女はアクアと面識は一度もなかったのだから。
「アクア!アクア!やっと来たわね!星野アクア!何やってたのよ、10年間!まったく、なんて格好してんのよ!落ち目の役者ってなんでもやるわよね!」
「この人、ミステリアスでいいですね。魅力的です。綺麗なのに顔が見えない。女の子か男の子なのかもわからない。完璧に自分じゃないその役を演じている」
知っているからこその興味、知らないからこその興味が、かつて天才と呼ばれた役者と、今天才と呼ばれるアイドルを呼び起こした。
「ね、鳴滝くん!コイツ今どこにいるか知ってる?コイツどこチュー!?私の一つ下だから今年から高校生よね?どこ行くとか聞いた!?」
「この人、どこの所属かわかりませんか?私、この人に会ってみたいです」
10年に一度の才能。それは世代を代表する人間を形容する言葉。〇〇といえばその人だと誰もが知る人間が、その呼称を許される。星野アイもかつてそう呼ばれた。世代代表、10年に一度の才能と。
その才能を全て受け継いだ俳優、覚醒した天才、星野アクア。
10年前、子役達の代表として名を全国に轟かせた女優、有馬かな。
現在、マルチタレントとして全国を席巻するアイドル、不知火フリル。
10年に一人の三人が、繋がり始めた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。PV主演のヒロインがフリル様と同じ事務所という設定です。こちらではフリル様との絡みを増やしたいと思ってます。あかねはもう少し後で。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
5th take 羽化のさなか、羽を休める
道半ばで出会う音が貴方を癒すだろう
癒しの力を求め過ぎてはいけない
今度は貴方の光がその人を焼いてしまうから
こういう場所に長くいると、わかる時がある。
不良や半グレと呼ばれるやつらは大抵がツッパることがかっこいいと勘違いして気取ってる人間だ。やることなす事中途半端で、自分を守ることが第一で、未来や保身のことを常に考えている。適度に社会に反抗して、適度に不良しているファッションアウトロー。
たまにいるのが本当のやけっぱち。未来のこととか考える頭とかない本物のバカ。破滅しようがどうなろうが構うかってヤツ。そういう人間とは関わらないようにしている。近づけば迷惑だが、距離をとっていれば、そう被害は被らないし、そういうやつはこの場でも長くはいられない。どこに行っても居場所を失うタイプだ。
だけど今日、その二つとも違う人間に初めて出会った。
不良仲間が連れてきた後輩の少年。金髪のアシメヘアで顔立ちは凄まじく整っている。ヤンキー界隈でたまに見かける雰囲気イケメンとは格が違う美少年。華奢で小柄で不良的要素はまるでない。喧嘩なら私にすら負けるんじゃないかとさえ思う。
しかし、彼を暴力的に支配しようとする者は誰もいなかった。彼も不良仲間がやるようなバカに付き合うことはあまりなかった。
けれど会話をすればするほど人の心の中に入り込み、自然に仲間として受け入れていた。普通に考えれば一番多いファッションアウトローの部類だと思うだろう。
でも、私にはわかる。瞳を見ればわかった。こういう人種、芸能の世界には、たまにいる。
人としての何かが欠落している人。
普通の人がブレーキをかける場面でむしろアクセルを踏める人。しかしそれはただの自暴自棄ではない。こういう人種にだけ見える成功の道というのがあるのだ。それに向かって冷静に命を懸けられる人。
自分のことをどうなっても良いと思っているわけではない。それをやることのリスクも承知している。正気を保ったままの、強靭な狂人。
こういう人と一緒にいると大成功するか、関わる人みんな巻き込んで諸共破滅するかのどちらか。強烈な毒は時に良薬になる。毒と薬は紙一重の代表例。しかし私の知る限り、この手の人種が大成功したところは見たことがなかった。
大怪我しないためには深く付き合わないのが最適解。そういう人たちと関わらないために、私はあの世界から逃げ出したのだから。
そう、頭の中ではわかっている。この人種と付き合ってはいけないと、わかっているのに。
人間なんて蛾と変わらない。強い光があれば誘われてしまう。その光はもしかしたら自分を焼き尽くすほど危険な光かもしれないというのに、本能に逆らえない。思わず落とした包丁を、素手で受け止めようとしてしまうように。
出会ってしまった。欠けているからこその美しさ。猛毒を含むかもしれない華を、綺麗と思ってしまった。
知りたくなってしまった。その華の甘さ。心地よさ。気持ちよさ。毒を得たことで得られる快楽。毒を飲んだことで感じる苦痛と恐怖。その全てを、知ってしまった。
「ね、アクア。この後、ご飯にでも行かない?その後、前のホテルで、どう?」
気がついたら、禁断の果実を誰にも渡したくなくなってしまっていた。
▼
───…………化けたな
あの大騒ぎを起こしたロケから数日。稽古をするアクアを見て、五反田は戦慄する。明らかに昨日とは次元が違うクオリティになっている。たかが基本稽古でこれほどの違いが出るとは。超一流のプロ野球選手は、基礎中の基礎であるキャッチボールからして尋常じゃなく質が高いと言われる。これは野球に限らないだろう。ボクサーのシャドーボクシング。サッカー選手のトラップ。陸上選手のランニングなど、どの分野においてもトップレベルにいるもの、トップに行く素質を持っている者は、基礎からして常人とは異なる。今のアクアはそんな状態に近い。
───今まではどこか表面的だった。心に響くような何かはなかった。
芸術においてこう評価される人種がいる。
『上手いが、上手いだけだ』
これといった特徴がない。武器がない。欠点もないが長所もないアーティストがこのように評されることが多い。演劇も極めれば芸術。今までのアクアは画家で例えるなら模写はめちゃくちゃ上手い贋作絵師のようなものだった。それが今は明らかに絵に魂が篭っている。今のアクアはレオナルド・ダ・ヴィンチやレンブラントのような往年の巨匠を思わせる。こと感情演技において、アクアはアイに並んだかもしれない。
しかし……
「ちょっと面倒なことになっちまったな」
▼
───やばい。たいへんだ。エマージェンシーだ。このままではオレの事を使ってくれる監督はいなくなる。
監督が感じた問題について、アクアは自覚していた。あらゆる感情の源が『愛』だと知ってしまった。理解し、実践できるようになってしまった。今までだって手を抜いていたわけでは決してなかったが、それでもわかる。怒りも、悲しみも、喜びも、楽しさも、全て魂が篭る演技になってしまっている。真に迫る迫力が出てしまっている。
普通に考えたなら別に悪いことではないのだけれど、監督の立場から見れば致命的。正しく使えば素晴らしい良薬。しかし、用法容量を誤れば全てを破壊する劇薬になってしまう。今のオレはそんな存在。主役級以外の役ができない状態になってしまっている。今、オレはどんな脇役をやったとしても、たとえセリフも動きもないモブだとしても、その辺の主役級は喰い殺してしまう。
───オレ、今までどうやって脇役やってたっけ!?
あの時以来、ちょっと憑依るとオーラダダ漏れになってしまう。意識的にオフにすると可もなく不可もない普通すぎる演技になってしまう。以前はこうではなかった。自分に与えられた役割を理解し、適切に入り込み、良いと思われる演技ができていた。これまでは狙って80〜90点が取れていたのに、今は120点か50点しか取れない状態になってしまっている。他人への理解が完全に飛んでしまった。
───監督や演出の意図を理解するピッタリの演技。それには50点では足りない!かと言って120点の演技をしてしまうと監督のイメージを超えてしまう!
例えるなら、たかがアップのキャッチボールで160kmのストレート投げてる感じ。報道用のヘリコプターを破壊するためにゴジラが破壊光線使ってるようなもの。オーバーキルが過ぎている。
───ピーキーすぎる役者は2回以上使ってもらえない!やばい!大変!エマージェンシー!あの『声』なんて事してくれやがったんだ!
あのPVで鼓膜を震わせずに響いてきた『声』に心中で呪詛を吐く。確かにあの場で全員喰うためには最適解だったが、後々を考えればマイナスの方が多い。あの声の主は今この瞬間のために後先考えないタイプだったのだろう。刹那主義かつ完璧主義者。大抵が破滅する、もしくは稀に大成功するかの2パターンだ。
───アドバイス求めてもアレ以来聞こえてこねーし!何しに来たんだあの女!
「お前、しばらく演技から離れろ」
頭抱えて床に突っ伏していると空から声が降ってくる。この声はよく知ってる。役に立つようで立たないようでやっぱり立つこどおじ監督。求めていた声でないことに、ため息を止めることはできなかった。
「失礼だなクソガキ。まあ症状自覚してることについては安心したけどよ」
監督がイメージするピッタリの演技ができなくなっている。ピーキーな役者は使ってもらえない、と。しかしそれは少し違う。ここまで潜れる役者は貴重だ。これほどの才能なら欲しがる監督は必ずいる。だが使い勝手が悪いのも事実。無自覚に他人を振り回す役者は魅力と同じくらい弊害がある。使い分けができればベストなのだが、アクアはまだ覚醒したての
「打開策は見つかってねーんだろ?だから提案してやってんだろーが」
監督からの提案はアクアも考えていたことの一つだった。少し演技から離れて今の感覚を忘れることができれば、以前の感覚を思い出せるかもしれない。
けれど、実行しなかったのにも理由がある。
「今のも昔のも忘れたらどうしよう」
「その可能性はあるけど、今のままいくら練習しても疲弊するだけだ。それにもうすぐ高校受験本番だろ?まあ陽東は偏差値高くねーから大丈夫だとは思うがな。それにお前の役者としての本番も高校入ってからなんだ。少し学生に専念してもバチは当たらねーさ。休みも必要だ」
というわけで、しばらく役者は休業することになった。演劇や映画からは一切離れ、ポッカリできた空白の時間は勉強して、面接対策して、息抜きに費やすことにした。
▼
アクアには趣味と呼べるものが二つある。一つは読書。本には他人の人生が詰まっている。そういったところから知識や実感を取り入れ、役に還元する。実益を兼ねた趣味。
そしてもう一つが音楽鑑賞。特に演奏を生で聴くのが好きだった。音楽家と役者には通じるものも多い。優れた競技者と話すことも勉強の一つだ。
「ご無沙汰してます」
「あら、ジュニア。久しぶりね」
監督のスタジオから出て、日が暮れてしばらくが経った頃、アクアはとあるバーを訪れていた。以前斉藤社長が訪れていたジャズバーで幼いアクアも幾度か来たことがある。店の雰囲気にそぐわない美少年はあっという間に店側に認知され、斎藤社長の息子として紹介された彼はいつの間にかジュニアと呼ばれるようになった。
あの事件の後もアクアは時々ここで遊んだり、ボーイのふりして働いたこともある。中学時代、少し良くない人達と関わっていた時、仲良くなった年上女性を連れてくるときも大体ここを使っていたため、オーナーは彼のことを良く知っている。
「珍しいわね。今日は一人?」
「今はもうあの頃ほど遊んじゃいませんよ、マスター」
「なら小遣い稼ぎ?ホール入る?ジュニアの服、まだあるわよ」
「それも悪くないけど、今日はやめときます。純粋に息抜きで来てますんで」
「前の、飲む?」
「だからもうそこまで遊んでないって。ペリエで」
「かしこま〜」
ドリンクを作りにマスターが奥へと引っ込む。入れ替わるようにドレス姿の女性がカウンターの奥から現れた。黒を基調としたタイトシルエットドレス。大胆に開いた胸元は底が見えない深い谷間を創り出している。女性にしては高身長でスリットから伸びる脚はスラリと長い。ブラウンのロングヘアが風に靡く。歳は少女と淑女の間といった頃だろう。
この美女をもちろんアクアは知っている。
「ナナさん」
寿ななみ。このジャズバーで働くホステスの一人で、ピアニスト。声を掛けると、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに逸らされた。相変わらず素っ気ない。まあ本番前でピリピリしてるんだろう。自分にも覚えがあることだったから、特に不快にもならず、アクアは手を振った。
それから、しばらくは店の生演奏を楽しむ。このところ、なにかと張り詰めることが多かったため、こうして頭を空っぽにして演奏を愉しむ機会は貴重だった。
───いや、張り詰めてんのはいつもか
演技の稽古はもちろん、ルビーの前でも、ミヤコの前でもオレはいつも気を張っている。彼女達が自然と思うアクアを演じるため、そして彼女達が求めるアクアをこなすために。
あの頃からずっと夢を見ている。暗闇の中、一人スポットライトを浴び、周りには観客も演者もいない。喉が張り裂けるほど声を上げても返事どころか残響も残らない。それなのに誰かの視線は感じる。見られているとわかってしまう。その視線は誰なのか。オレが忘れた母なのか、それともかつての俺や僕なのかもわからない。
夢の中って意外と痛覚がある。張り裂けるほど叫んだ喉の痛みで目が覚めたら、冷や汗で身体中ぐっしょり。そんなことが一番長くて二ヶ月近く続いた。一時期、本当に眠るのが怖かった。
今でも夢はたまに見るし、眠るのが怖いと感じることはある。次に目が覚めた時、オレはオレのままでいられるだろうか。俺や僕が帰ってきたらオレは消えてしまうのではないか。
最初はそれでいいと思っていた。けれどオレはもう10年以上オレなのだ。星野アクアの主人格はもうオレといってしまっていいのではないだろうか?でも今のオレはルビーやミヤコが知ってるであろうアクアを演じているに過ぎない。となるとやっぱりオレはいつか消えるべきなのか。
答えは、わからない。
わからないということはいつも怖い。次に目を覚ました時、オレが生きている保証はどこにもないのだ。オレに残された時間は一体どれくらいあるのか、考えれば考えるほど怖くなる。怖いからこそ、張り詰める。気の休まる時間など、もうどれくらい過ごしてないだろう。人の目ばかり気にしてる。一人でいる時すら、オレは俺の目を気にしている。久々に忘れられたのがあの憑依りこんだPVロケだったのだから皮肉だ。
───あー。なんかヤク中になる役者の気持ちが、わかった気がする
人の目を忘れたくて、張り詰め続けなければいけない自分を無理やり弛ませたくて、あーいうのに手を出してしまうのかもしれない。オレのような特殊な事情の人間は少ないだろうが、芸能人は大抵が人の目を気にして、誰かが理想とする自分を演じているもの。だから、心を病んで薬に走ったり、自ら命を絶ってしまったりするのだろう。
「アっくん?聞いてる?」
いつのまにか隣に座っていたウエイトレス。軽くウェーブがかかった艶やかな黒髪のロングヘアをバレッタで纏めた美女。レディーススーツの上にグレーのエプロンを腰に巻いている。ネームプレートに鷲見と書かれている。
「ハルさん、いつのまに」
「ついさっき。やっぱり気づいてなかった。こーんな美女が隣に座ってるのに失礼じゃない?」
「ごめんごめん。ちょっと考え事してまして」
鷲見はるか。2年ほど前から此処で働いているバーテンダー。ディーヴァの卵で、このジャズバーでは歌手兼バーテンダーとして働いている。
「私の妹も最近似たような顔してるなぁ。いっつも眉間に皺寄せて。これからどうしようってブツブツ言ってる」
「読モでしたっけ?ハルさんの妹」
「今は正式にファッションモデルとして事務所に雇われてるみたい。看板アイドルがビッグネーム過ぎてなかなか前に出れないみたいだけど」
「でも、そんなビッグネームがいる大手事務所に正式にスカウトされたんなら凄いじゃないですか」
「そうなの。私から見れば全然トントン拍子のくせに。今まで顔の良さでさして苦労してない人生送ってたせいか、逆境に弱いのよ」
ハルさんは典型的『上手いけど上手いだけ』と評されてしまうタイプの歌手だ。オレから見れば超上手いし、才能もあるのだけど、本人曰く、「私より上手い人なんてゴロゴロいる」世界らしい。
「そういう意味では多分アッくんの方が売れる見込みあると思うよ。不思議と耳に残るもんね、アッくんの声」
以前カラオケに付き合った時に言われたことで、ミヤコも似たようなことを言っていた。上手いだけじゃない何かがないとこの世界では上に上がれない、と。
ハルさん本人も、もう歌手として大成するのは半分諦めている。ただ歌は好きだし、ずっと音楽に関わって生きていきたいとは思っているそうだ。
「そ・れ・よ・り」
カウンターに置いていた手に指が絡みつく。グッと引き寄せられ、耳元で囁かれた。
「ね、アっくん、今日時間あるんでしょ?私もこの後一曲歌ったらもう上がるし、二人でご飯にでも行かない?その後、前のホテルで、どう?」
そして従業員一男遊びが激しい人として一部では有名。一ヶ月ごとに付き合う男変えると言われた女。
「相変わらずですね、ハルさん。誘い方が直球だ」
「あら、ムード欲しい?なら付き合っちゃう?歳上の彼女、欲しくない?」
「彼女ですか。今サンタさんが目の前に現れて、一番いらないモノ何かって聞かれたら、ソレを答えますね」
「ははっ。いいね、アッくんのそういうとこ、嫌いじゃないよ」
自然な動作で太腿の上に手を添えられる。声が出そうで出ないギリギリの力加減。くすぐるというより、撫で回す。揶揄うというより、感じさせる愛撫。
♪
演奏が終わる。次は歌唱曲。ハルさんの出番だ。演奏者が入れ替わる。
「じゃ、後でね」
エプロンを解きながら席を立つ。ディーヴァの衣装に着替えに行くんだろう。返事の意味も兼ねて手を振った。
こういうのは楽でいい。ミヤコやルビーと違って、この人とは一生付き合いがあるわけではない。人生という長い時の中で触れ合う時間はほんの僅かだろう。だからこそ演じる必要も気を張る必要もない。お互い本気じゃないとわかっているから楽だし、本気じゃなくても身体は気持ちいい。得るものも失うものもないから、楽でい──
「───っ!?」
カウンターの上にあったグラスが跳ねる。思わずビクッと震えるほどデカい音がテーブルの上で鳴った。音源にはすらりと伸びた指が美しい手。まさにピアニストの手という感じだ。目一杯開かれた状態で叩きつけられている。
「───アクアくん」
「…………ナナ、さん?」
「あんなクソビッ○とヤるくらいなら私とシなさい。足腰もあそこも立たなくなるくらい犯してあげるから」
「…………はっ?」
▼
舞台の上からでもはっきり見えた。あの超絶尻軽女がグラス片手にアクアの隣に座ったところが。何やら談笑している。流石に演奏中には聞こえないが、話してる内容の想像はつく。4〜5年前からこの店に来たことがあるアクアは従業員にとってはアイドル的存在で、大きくなったら絶対イケメンになると騒がれていた。そして今、あどけなさを残してはいるが、絶世の美少年に成長した。あの女が手を出さないはずがない。
運指の速度が上がる。曲が崩壊しない範囲で出来るだけテンポを早めた。最後の1小節までが嫌になるほど長い。
演奏が終わり、聞いていた人たちが拍手してくれたが、どうでもよかった。サッサと舞台袖に引っ込み、カウンターへと向かう。
「───っ」
カウンターからはわからないだろうが、サイドテーブルから見れば丸見え。アクアが太腿の付け根に近い部分を撫で回されている。愛撫されてる本人は少し困った顔をして、笑っていた。
もの凄くムカッと来た。
気がついたらアクアの元へと歩いていた。近づかない方がいいとさえ思っていた相手だというのに。我に返ったら、苛立ちのままカウンターを思いっきり叩いていた。グラスが跳ね、アクア自身もビクッと跳ねる。驚きと戸惑いの目でこちらを見上げていた。
───もう、2年近く会ってなかったのに
私の意志のなんと弱いことか。あの目を見ただけで、消えかけていた火があっという間に燃え上がった。
「───アクアくん」
「…………ナナ、さん?」
ああ、変わらない。
この瞳。星の輝きが溢れる強い瞳。かつて私が求め、憧れた自身の才能と実力に絶対の自信を持つ者特有の光。
この瞳を恐れ、欲し、逃げ出し、引き込まれ、恋をした。
「あんなクソビッ○とヤるくらいなら私とシなさい。足腰もあそこも立たなくなるくらい犯してあげるから」
「…………はっ?」
───言ってしまった…
羞恥で顔が赤くなるのが自分でわかる。ここまで言うつもりじゃなかったのに。はるかのせいで、余計なことまで口走ってしまった。
───でも、困惑してるアクアくん、ちょっと可愛い
この顔が見れたのだから、まあいいかと思ってしまった私は、既にもうだいぶコイツの毒にイカれてるなと思った。
▼
あの爆弾発言の後、我に返ったのか。ナナさんは顔を真っ赤にはしたが、オレの手は離さなかった。
「行くよ」
「えっ、ちょっ!待ってナナさん!会計!」
「奢ったげるから!マスターすみません!上がります!」
舞台ドレスのままポシェット片手にオレを引っ張り、大通りに出て、タクシーに乗り込んだ。その間もずっと腕を絡めたまま離してくれなかった。まるで結婚式場から花嫁攫った間男になったみたいな錯覚に陥ってしまう。
「…………別に逃げたりしませんよ?」
「こうでもしておかないと、貴方はすぐどっか行っちゃうから」
いつもの顰めっ面が少し可愛くなった状態でホールドされ続ける。ホテルにでも連れ込まれるかと思ったら、行き先はマンション。まさかのお家お持ち帰り。
「え、いいんですか」
「財布も携帯も店のロッカーの中なの!この格好で察して!」
確かに舞台ドレスそのままでポシェット一つしか持ってない。場当たり的すぎる。タクシー代どうすんのかと思ったら震えながらごめんなさいと謝られた。いや、全然いいんですけどね。謝るナナさん可愛いし。タクシー代くらいには余裕でなる。
家の鍵だけはポシェットに入っていたらしい。カードキーを取り出し、オートロックが開く。前に一度だけ来たことがあるが、相変わらず立派なマンションだ。ナナさんは家がそこそこ金持ちらしい。でなければピアノの英才教育など受けられないが。
「今日は何時までいられるの?」
「…………監督のとこに行くって言ってあるから朝まで大丈夫です」
部屋の扉を閉じ、鍵をかけた瞬間、オレとほぼ変わらない……いや、ヒール履いてるからオレより少し高い位置で頬を掴まれ、濃厚なキスをされる。エレベーターに乗り込んだ時点でもう完全にスイッチが入っていた。無造作に靴を脱ぎ散らかし、ベルトを外される。
「シャワーは?」
「あと」
「ご飯は?」
「全部あと。まずは私を抱いて。話はそれから」
寝室へと手を引かれる。そのままもつれあうように二人はベッドに倒れ込んだ。
▼
───思ったより情熱的だな、この人
ベッドの上。生まれたままの姿で眠るナナさんの胸の中で少し鼻を動かす。みじろぎしたオレが気になったのか、頭を抱きかかえる彼女の手が少し強くなった。
───後先考えないっていうか、クールなのに結構気性激しいっていうか。まあピアニストならそんなものか
音楽も演技も極めれば芸術。ピアニストとは芸術家だ。常人とは異なる気性を持っていなければやれないだろう。
「…………起きた?」
「おはようございます、ナナさん。起こしましたかね?」
「私は貴方の少し前から起きてたから」
ギュッと抱きしめられたあと、頭を解放される。時計は5時を刻んでいた。
「良く寝てたね。あんまり眠れてなかったの?」
「最近夢見が悪くて。久しぶりに寝覚め良いです。やっぱり温もりがあると違いますね」
あの夢も見なかった。我ながら現金だなと自嘲する。
「シャワー浴びる?」
「ナナさんからどうぞ」
「いいわよ、私が誘ったんだし。アクアくん、先に使いなさい」
「…………」
「悩みもあるんでしょ?顔見ればわかるわ。身体あっためて、思考回路整理してくると良いわ」
「では、お言葉に甘えて」
シャワールームへと案内される。服は昨日のと同じのを着るしかなかった。
「あ、ナナさん」
「何?」
「頭に血が昇っても、あー言うこと人前で言わない方がいいですよ。人間関係大事にしなきゃ。あの店広くないんですからさ」
「あーいう…………?」
「あんなクソビッ○とするくらいなら──」
「わーっ!わーっ!」
「足腰もあそこもたたなくなるくらい──」
「よく一字一句覚えてるね!凄いね役者さん!」
枕を投げつける。ハハハと笑いながら軽く受け止めた。
「ナナさんもっとクールな人だと思ってたから。ちょっとビックリした」
「私が一番驚いたし」
「やっちゃってからビビる事ってありますよね。でもオレ今誰とも付き合う気とかないんですけど、大丈夫ですか?」
下積みだった頃はともかく、これから本気で芸能界に挑戦するならスキャンダル的な不安要素は無くしておきたい。今まで異性関係は軽い付き合いしかしてなかったのだが、本気にさせてたなら申し訳ない。
「わかってるよ、それくらい」
手を引かれる。再びベッドに引き込まれた。
「ナナさん?怒った?」
「怒ってない。いいから寝てて」
唇が合わさる。下腹部に柔らかい感触が押し当てられた。
「私の方がおっぱい大きいしスタイル良いから私にしとけってこと。お互い気持ち良くなるに越した事ないでしょ!それだけ!」
「…………そっか」
流石に嘘だとわかる。気づいて欲しいなら気づいてあげる。でも気づいて欲しくないなら気づかない。それが女とうまくやるコツだ。覆いかぶさる豊満な美女の後ろに手を回した。
▼
───私のバカーー!シラフだーー!全部覚えてるー!!!
行為が終わり、今度こそアクアがシャワーを浴びている傍ら、ななみは激しい自己嫌悪に陥っていた。
───結局身体から入っちゃってるしー!セフレ軽蔑とかしてたの誰よー!はるかのこと言えないしー!
男を取っ替え引っ替えするはるかを心から軽蔑していた。そういうことはちゃんと好き同士がやるべきだと今でも思っている。それなのに今の自分ときたら完全に都合のいい女になっている。
───アクアくんが引き返すチャンスくれたのに強がって、自分から二軍女になっちゃってるし!でもアクアくん上手かったなぁ。セックスがというか、いやそれも上手だったけど、何より気遣いが上手かった。
頭をぶつけないように手で守ってくれたり、ギュッと手を握ってくれたり、大丈夫?と何度も声をかけてくれたり、常にこちらを気遣ってくれていた。止まって欲しい時に止まってくれて、動いて欲しい時に動いてくれた。私が気持ち良くなることを第一に考えた動きだった。
こちらが慣れてきた頃には激しく動いてくれた。いつも優しいんじゃなくて、優しさと荒々しさをちょうど良いタイミングで使い分けてくれた。女は優しくされるだけじゃなく、時に乱暴に扱って欲しい時もある。その方がその人の特別になれたような気がするから。アクアくんのように基本的に誰にでも優しい人には尚更だ。
感情が変われば、感覚も大きく変わる。久々に心も身体も満たされるセックスだった。やはり男女とは身体の相性も大事だが、心の相性はもっと大事だ。
───でも、私だけが好きってバレちゃったら。私以外としないでって言ったら、きっとこうして会いに来てもくれなくなるから……
悟られないように努めなければいけない。その代わり、私だけが彼の羽を休める場所になれるように。
「シャワー、頂きましたー。次どーぞー」
「服、洗って乾燥機かけといたから。多分もう乾いてるよ。それ着てね」
「ありがとうございます」
悟られないように。悟られないように。
バスタオルを持っていく。鍛えてはあるけれど、華奢で細身で、未発達。けれど見られることを意識して作り上げられたアクアの身体は未完成ゆえの美しさがあった。蛹から蝶になりかけているまさに進化の狭間。最も神秘的かつ美しい瞬間を私は見ているのかもしれない。
───ああ、やっぱり好きだなぁ
シャワーのコックを捻る。羞恥と情欲で沸き立った頭を冷水が冷やした。
最後まで読んで頂きありがとうございます。アクアの父親部分。女性関係パートでした。いかがだったでしょうか?求められてないかもしれないけど、物語の都合上どうしても書きたかった。
ちょっと見ない間にお気に入り数が300超えてる…ランキングにも入ってる。
重曹ちゃんが凄いのか、アクタージュが求められてるのか。
期待に応えたいところですが今回はアクア遊び人パート。
今までは母親の遺伝子強めでしたが、少しは父方も発揮していきたいと思います
ちなみに今回登場したオリキャラの鷲見はるかはリアリティショー共演者鷲見ゆきの姉。寿ななみはルビーの陽東高校クラスメイト寿みなみの従姉妹という設定です。世間は狭いですね。容姿も二人を大人っぽくした感じでイメージしてます。待望の重曹ちゃんの出番は次話で。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂けたら幸いです。時間はかかるかもですが、感想には必ず返事をします!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
6th take まず二人
魔法が解けた少女の耳に届くだろう
2人の出会いは物語を加速する
良いか悪いかはわからないが
前も後ろも真っ暗。何も見えない。何も感じない。進むも地獄、下がるも地獄。それが芸能界。少なくとも私にとってはそうだった。
私が光り輝いていた時はなんの不安もなかった。頑張れば頑張っただけ、大人達は褒めてくれた。
けど光とは永遠には続かない。電球のフィラメントが切れてしまうように、輝きにはリミットがある。
けれど、私が辞めようと思う度に、私の先で輝くモノがあった。
4歳の頃、私は光り輝いていた。人とは2種類いる。輝ける人間と、その光に縋る人間。私は前者。周りの大人も、同年代の子役も全部後者。そう本気で思っていた頃に出会った光。私以外で初めて自力で輝ける人間を見た。それも私のようにただ単純に眩いだけじゃない。不気味で、暗くて、でも引き込まれるオーラ。生まれて初めて完璧に負かされた黒い光。
あの光もきっと今、戦っている。この前も後ろも真っ暗な世界で、ただ一人、自分の輝きだけを頼りに進んでいる。なら私が先に根を上げるわけにはいかない。
あの光があるから、私は戦ってこれた。あの頃からずっとアイツが頭の中にいたから、進み続けることができた。
でも、あれ以来、直にアイツと会うことはなかった。
やめちゃったのかもしれない。役者とは本当に一寸先は闇。進むのが怖くて普通の道に戻ってしまったとしても私は何一つ責められない。むしろ手遅れになる前によく決断したと誉めるかもしれない。退くのも勇気なんだ。わかっている。
わかっているけど、それでも。
───アイツが辞めたのなら、私も、もう…
ネットドラマ。『今日は甘口で』の現場。杜撰な脚本。大根だらけの役者たちに埋もれている有馬かなは、漠然とそんな事を考えていた。10年ぶりの主役級の大仕事。気合いを入れられたのは最初だけ。台本渡されたのも本番直前。いざ始まってみれば役者らしい役者は自分以外一人もおらず、無名の役者なのかと思っていたら全員モデル上がり。大根役者という呼称すらおこがましい大根素人集団。オリキャラ無理矢理詰め込みまくった脚本にも問題はあるが、それ以上に変に鼻にかけたようなカッコつけ演技をするクソ大根共が問題過ぎる。コレなら棒読みの方がまだマシだ。
そんなヘタ以前の素人集団に自分がぶち込まれた理由はわかっている。作品を破綻させないための最低限の演技力。一応かつて全国に名を響かせたネームバリュー。つまりは宣伝のためのダシ。私はこの大根どもの踏み台にされているのだ。
見学に来てくれていた原作者の失望したあの顔。そしてこの大根達もあの顔を見ているハズなのに、改善の意思はまるで見られない。監督やプロデューサーもろくに指摘しない。演技とはこんなにもどうでもいいものだったのだろうか。私が人生を賭けるほど夢中になった芸術は、この世界では無価値なのだろうか。
考えれば考えるほど、虚しくなる。努力すればするほど自分を殺さなくてはならなくなる。このままでは私は役者どころか、自己を持った人間でもなく、商品になってしまう。
───そうなる前に、もう…
「なんか俺のモデル仲間が出てたPVでさ、すげー女の子が現れたんだってさ。思わず写真撮っちゃったって」
それでも芸能界で生きてきた感性が、無視できない情報を拾ってしまう。
───チッ、また新しいのが出てきたのかしら
撮ったという写真を覗き、驚愕する。10年間、ずっと脳裏で輝き続けていた灯火。忘れるはずがない。見間違えるわけがない。
「アクア!アクア!やっと来たわね、星野アクア!何やってたのよ、10年間!まったく、なんて格好してんのよ!落ち目の役者ってなんでもやるわよね!」
ディスプレイの中に、光はいた。10年間、戦い続けていた光はあの頃よりも強い輝きになって帰ってきた。
▼
高層マンションのとある一室。一人暮らしにしては大きいソファに少年が腰掛けている。若い。どう見ても10代後半という歳頃。高層マンションに一人で住むにはちょっと色々合わない男子。金のアシメヘアに星の輝きを放つ瞳が特徴的な美少年だ。読書をしながら湯気のたつ紅茶を口に運んでいた。
読んでいるのは女性向けの小説で、キャリアウーマンと歳下後輩男子との秘密の恋愛模様が描かれている。今読んでいる所は奇しくも主人公の女性と後輩男子が一夜を過ごした後、朝食を共にしている場面。彼女達の朝食メニューは和食だった。
「…………卵かけご飯食べたい」
「なんでそういうこと作り始めちゃった後に言うかなアクアくん……うわ最悪、私も食べたくなってきた」
アクアの独り言にシャツ一枚にエプロンのみというラフな部屋着姿の女性が答えた。
女性は少年よりは歳上だろう。二十代に差し掛かるかどうかといった見た目。ウェーブのかかったブラウンのロングヘアを簡易に纏め、格好はラフなのに服の上からでもわかるほどハッキリと優美な曲線を描いている。
少年の名前は星野アクア。本格的に芸能界へと進出を始めようとしている少年。美女の名は寿ななみ。クラシックの第一線からは退き始めているピアニストだ。
「ごめんごめん。ちょっとこの本読んでて思っちゃっただけで。パンケーキも好きですよ」
「人の本勝手に読まないで、もう」
読んでた本を取り上げられる。部屋に備え付けてある本棚へと戻された。
「…………ミドジャン?ナナさん、ああいうの読む人でしたっけ」
本棚に並べてある雑誌の一つに目が止まる。明らかに他の本とは趣向が違っていて、少し浮いていた。
「買わされたのよ。親戚が表紙やってるの。グラビア」
「へぇ〜……うわ、さすがの血統。可愛いじゃないですか」
グラビアには大文字で期待の新鋭、寿みなみと書かれている。水着姿が大写しになっており、顔の良さもさる事ながら、スタイルの良さに目がいく。
「おっぱいだけならナナさん負けてんじゃないですか?」
「負けてへんし!私の方がおっきいし!」
「?なんで唐突に関西弁?」
「…………あの子のがうつった。みなみ、なんか最近エセ関西弁にハマってるらしくて」
「はは、可愛いですもんね、方言女子」
「もーいいでしょ!ホラ、返して!」
「えー、もうちょっと見たい」
「紙の女なんか見なくても、昨夜散々本物見たでしょ!」
「グラビアにはグラビアの良さがあってですね」
「ちょっと、もう!アクアくん!」
取り上げようとするななみとソファの上でもみあっていると、携帯の振動音が鳴った。液晶ディスプレイにはルビーと書かれている。
「妹さん?」
「ですね」
「朝食作ってる間に終わらせてね。パンケーキは温かいうちに食べてこそよ」
頬に軽くキスをするとななみはキッチンへと戻る。アクアもソファから立ち、部屋の奥へと移動した後、電話を取った。
「もしもし」
『お兄ちゃん?いまどこ?まだ監督さんのところにいるの?』
「ああ、スランプの相談してたら遅くなって。泊めてもらった」
『ふーん。なら良いけど。わかってる?今日日曜だよ』
「わかってる。晩御飯はそっちで食べる」
『約束だよ!仕事や勉強で泊まりで出かけることがあっても、日曜は家族でご飯!絶対だからね!』
「わかってるって」
『ちなみに何食べたい?』
「卵かけご飯」
『え、なんで?』
「美味いじゃん」
『美味しいけど!好きだけど!せっかくみんなでご飯なんだからもうちょっと良い物ねだりなよ!』
「その辺はルビーに任せる。じゃあな」
電話を切る。そして途中から会話を盗聴してたナナさんを押し退ける。途中から二人の耳は携帯一枚挟んでくっついていた。
「ずいぶん可愛い家庭内ルールがあるのね、星野家は」
「家族とのつながりを何より大切にしてる妹ですので」
「双子だっけ?アクアくんと似てる?」
「顔は似てますが、性格は全然。二卵性ですし」
「なら良い子ね。家族に嘘ついてお姉さんの家で泊まっちゃう男の子に似てないなら」
「今回に関してはオレが連れ込まれたんだけど」
「う、うるさいな!ほら!ご飯にするで!パンケーキ冷めてまうやん!」
「はいはい」
「あ。あとアクアくん、電話で言ってたけど、今スランプなの?」
「相談したいのはその事です。後でゆっくり、お話しします」
パンケーキは普通に美味しかった。
▼
「周りに合わせた芝居ができない?」
朝食が終わり、人心地ついた後、アクアは今ぶち当たっているスランプについて、ななみに話していた。
「…………一瞬訳わからなかったけど、よく考えたら音楽の世界でも聞く話ね。一人のレベルが高すぎて周りと合わないってヤツ」
ソロのコンクールならともかく、複数で演奏する場合、最も大切なのはアンサンブル。ハーモニー。要するに調和だ。バランスが取れている必要がある。それが崩れて仕舞えば、どんな名曲も駄作に堕ちる。
「今まではできてなかったって訳じゃないんだ。寧ろオレはそっちの方が得意だった。けど、あのPVでオレの中で何かが壊れた」
「いるのよね。ある日突然何かを掴んで急成長する人。音楽も演劇も一緒か」
ずっと下にいた人間が一気に上をぶち抜く。そういうことが芸能の世界ではある。スポーツだと身体の成長を待たなければならないため、子供は大人にまず敵わない。が、音楽や演劇は感性の世界。何か一つのピースがハマればプレイヤーは別人に変貌する。その変化が良いものか悪いものかはわからない。しかし良いものであれば子役でも大人の役者を喰うことはできる。芸能の世界において、大人と子供は対等なのだ。
対等だからこそ調和が大事。調和とは古代ギリシャでハルモニーと呼ばれ、【調和の根本原理は数の関係によって成り立つ】と謳われた。調和をより深く探求するために、古代ギリシャでは4つの学問が生まれる。天文学、幾何学、数論、そして音楽。
そこからまた分かれる数多の分岐の中に芸能があった。つまり芸能の祖とは音楽であるとも言える。演技と音楽に共通項が多いのはむしろ当然と言えるかもしれない。かつてムジカと呼ばれた芸能の祖は調和の根本原理そのものを指している。理論的に調和の真理を探求するための学問が音楽だった。
「
「博識ね。プレイボーイには教養も必要なのかしら」
「役者にはと言ってください。マスターに教わったんですよ」
神の作りし調和を学ぶための学問。それが音楽であり、芸能だというのなら、芸能の本質とは調和にあると言っても過言ではない。
だからこそ良くも悪くも特別扱いはしてもらえない。いくら飛び抜けた実力を持っていても、調和しないなら無用の長物。傑出した才能が呪いになる場合もある。今アクアは身に余る自身の才能に潰されかけている。
───凡人の、抜かれる側の人間だった私には、わからないな
上には置いていかれるし、下には抜かれる。競技者としての私のピアノ人生はそれの繰り返しだった。だからあの世界から逃げて、楽に音楽ができるロックにのめり込んだ。格調高いクラシック界に比べ、ロックの世界は下品で、不良や半グレの転落場な事も多かった。今思い出せば、あそこにいたのは恥ではないけど、負けの証だったなとは思う。
───でもあそこにいなければ、アクアくんと出会うこともなかった
一眼見て、アッチ側の人間とわかった。常人と異なる感性を持ってて、その感性は地を這う凡人を尻目に天高く飛翔する翼になる。そんな可能性を秘めた側の人間だと。
そして今、その感性に振り回されている。自分に巨大な翼があることは自覚した。扱い方も実感した。けどどこを目指して飛べば良いかが、わかっていない。才能に自分自身が追いついていないタイプの典型だ。凡人とは学び方が逆なのだ。凡人はどこまで飛ぶか、目標を決めてから練習を繰り返し、飛び方を学習する。それまでに何度も墜落し、失敗するだろうが、落ちても痛いで済む範囲でしか飛べないから危険はない。そうやって飛翔と着地を学んでいく。
だがアクアは天才ゆえに、練習しなくても空高く飛翔できてしまった。そして練習してないから低空飛行も、着地の仕方もわかってない。このままでは空高く舞い上がった場所から垂直落下するだろう。
「聞いた話だっていうなら、ナナさんならわかりますか?こういう時、オレは何をしたらいい?」
「…………そうね。幾つか対策はあるよ。今のアクアくんみたいに芸能から離れるっていうのも、一つの手だと思う」
こういう相談の相手に自分を選んでくれたことは少し嬉しい。私もアーティストの一人だと、この天才が認めてくれていたのだから。
「でもね、結局そういう時は弾くしかないのよ。いろんな人と弾いて、弾いて、弾いて弾きまくる。感覚を掴めるようになるまで」
低空飛行している奴らの高さまで降りる方法を見つけるためには、結局彼らと飛ぶしかないのだ。それまではいろんなところにぶつかるだろう。共演者とぶつかり、監督とぶつかり、演出家とぶつかり、そして自分とぶつかる。怪我なく習得することは不可能だ。なんとか垂直落下だけは避けながら特訓するしかない。
「もう練習できないほど疲れたなら、そこから離れれば良い。その時はいつでも私に会いに来てよ。羽を休める場所くらいにはなってあげる。でもまた飛びたくなったら練習しなさい」
だって、貴方は……
「誰かのために、そこまで懸命になっているんでしょう?」
私ではない誰かのために。私は結局私のためにしか弾けなかった。でも貴方たちは自分以外のために、芸能に命を懸けられる。そう、懸命とは読んで字の如く、命を懸けること。でもそれが利己的では人は惹かれない。当然だ。自己愛者を人はスターと呼ばない。我欲でない懸命こそが、無条件で顔も名前も知らない人々を惹きつける。
自分のために頑張る人と誰かを支えるために頑張る人。大衆がどちらを応援したくなるか、論ずるまでもないだろう。
家族のため、ファンのため、支えてくれる人のため。人によっては綺麗事と吐き捨てられるモノに本気で命を懸けられる感性。その気性こそがスター性と呼ばれるモノの正体なのだ。
「ありがとう、ナナさん。貴方に相談してよかった」
柔らかで人の心を掴む微笑。そのあどけなさと可愛らしさに心がキュッとなると同時に少しイラッとする。手の届く距離にあるというのに、私はこの笑顔を手に入れられない。動揺するのはいつも私で、彼は余裕綽々だ。イラッとした。イジワルしたくなった。口角が妖しく歪む。我ながら悪い笑顔してるんだろうな、とわかった。
「感謝してる?」
「…………ここで素直にしてますと答えるのは非常に怖いのですが」
「感謝してるなら、アクアくんのピアノ、聴かせてよ。少しは弾けるんでしょ?」
「妹の歌の練習の伴奏でちょっと齧った程度ですよ!バイエルとソナチネくらいしかアルバム終わらせてないし!」
子供の頃からあのジャズバーに訪れていた。子供にお小遣いをあげる感覚でマスターから簡単にピアノの基礎は教わった。レッスンテキストももらった。だから中学時代、バンドやってる良くない先輩と関われたし、キーボードをやった事もある。けどもう最後に鍵盤に触ってから一年は弾いていない。指が衰えまくっているのはわかっている。ああいうのは毎日やらないと失われていくのは本当に一瞬なのだ。
「その二つ終わらせてるなら一般レベルじゃ充分だって。一番得意なやつでいいから。ね、お願い。一曲だけ」
「嫌だよ。なんでわざわざピアニストの前でサビきった腕披露しなきゃいけねーんだ」
「大丈夫。ヘタでも間違っても笑わないから。なんならレッスンしてあげるし!」
彼の細い手首を掴んで、ある部屋に無理やり引っ張る。そこそこ防音してあるその一室には黒塗りの大きなピアノが鎮座していた。
「ほらほら、感謝してるんでしょ?」
「感謝が後悔に変わりそうです」
「いいじゃない、一曲くらい」
部屋の扉を閉め、座り込む。私が動かない限り、このドアはもう決して開かない。
「さあ、存分に。maestro」
もう逃げられないと悟ったのか、大きく一つ息を吐いたアクアは、渋々椅子に座り、鍵盤を開いた。
───うわぁ、よりによってソレかぁ
少し辿々しい手つきで紡がれる音の羅列はどんな曲を奏でてているか、ななみには一瞬でわかった。とゆーか、誰でもわかるだろう。それほど有名な曲。
「WoO59かぁ。実際に弾いてるの見たの、何気に久しぶりかも」
「ちょっと話しかけないで……集中させてくださいっ…今必死に思い出しながら弾いてるのでっ」
鍵盤と睨めっこしながらだけど、それでも必死に、精一杯、メロディを紡いでいる。誠実にピアノに向き合ってる。
その辿々しさとそこそこ聞ける範囲のヘタクソ加減が可愛い。
───コレを狙ってやってて、狙ってこの曲選んだなら、とんでもないタラシだなぁ
「ほら、もっとリットかけて。なんとなくで弾いちゃダメ。ピアノは一人でオーケストラよ。ちゃんと音を聞きながら弾く」
「黙ってて!あークソ!全然指思うようにまわんねえ!なまりきってる!やっぱこういうのは毎日やらねーとダメなんだよなぁ」
Beethoven,Ludwig van:Bagatelle WoO.59
'Für Elise' a-moll
ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン作。ピアノ独奏曲イ短調。
"エリーゼのために"
恋多き天才作曲家ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンが心を寄せていたテレーゼ・マルファッティのために作曲されたとされている
───けれどあの偉大な天才作曲家が、たった一人のために作った曲である事も事実
贈られた女はめちゃくちゃ嬉しいだろう。惚れてまうやろう。やっぱり音楽できる男はモテるよそりゃ。
そしてジャンルは違うが、この天才もまた、今私のために一生懸命ピアノに向き合っている。私のためにこの曲を弾いている。リズムもテンポもグダグダ。もはやベートーヴェンっぽい別のナニカなベートーヴェン。
コレを"ナナさんのために"とか言ってアクアくんが弾いたら大爆笑してしまうかもしれない。
───でも、嬉しいな
私のために懸命になってくれるのが嬉しい。ヘタを自覚していて、少しでも良くしようと頑張ってくれているのが嬉しい。だからこの人には手を貸したくなってしまう。守ってあげたくなってしまう。
「あー、アクアくん。一回やめよう。私が隣で弾いてあげるから」
「文句言わないんじゃなかったんですか」
「文句じゃないよ。レッスン。ハーモニーを学ぼう?調和ってのは思いやりよ。もっとピアノに寄り添って。今のアクアくんじゃピアノが可哀想だわ」
「音楽の調和学んで演技に活かされますかね?」
「活きるかもしれないじゃない。ピアニストの役やる日が来るかもよ?」
隣に座って、実際に弾きながら、レッスンしていく。そして寒気が走る。一つのアドバイス、一度の見本でめちゃくちゃ良くなる。まるで見えない手に導かれているかのように。
ああ、なるほど。確かに愛されてる。芸事の神か偉人か、目に見えない何かに。そりゃ凡人はついてこれないはずだ。
───いつか日本中がこの子の名前を知る日が来るんだろうな
そんな事を漠然と思う。だから今はこの時を噛み締めよう。私だけのためにピアノを弾いてくれている、この時を。
▼
練習しよう、そう決意しても、できないのがリアルの事情。
ナナさんと相談して、ようやく気づいた。オレは傷つくことが怖かったんだ、と。このまま演ればオレは絶対現場とぶつかる。役者に大切なのはコミュ力。問題を起こしてはならないと10年間かけて刷り込まれ続けてきた。わかっていたからこそぶつかる事を恐れ、逃げた。
でもそれじゃダメだった。芸能なんて結局ギャンブル。ルビーじゃないが、リスクが怖くて行動はできない。問題なのはどこまでリスクをかけられるか、だ。多少の怪我や火傷は覚悟しなければならなかった。
ナナさんに会えてよかった。やっぱり本物のアーティストと話をすることは貴重だ。こどおじ監督よりはるかに為になるアドバイスだった。オレは甘かった。覚悟もした。練習しようと思った。だけど……
「苺プロも五反田スタジオも所属アーティスト、オレしかいねぇ」
オレの特訓は人とやって初めて意味がある。低空飛行してる連中から低空飛行のやり方を学ばなければならないのに。オーディションをうけても良いが、一応高校受験を控える身。まだ生活全部を芸能全振りにするわけにもいかない。
「だからってなんでお兄ちゃんピアノの練習してるの。モテたいの?」
「毎日少しでも触らねーとダメなんだこういうのは」
「前から息抜きとかでたまに弾いてたけど。想像以上に指動かなくて焦った?」
「そんなとこ」
苺プロのスタジオにはキーボードが置いてある。一応かつてはアイドル事務所なだけあり、作曲スペースもあるからだ。かつて前社長やアイもこの部屋で曲や詞を作っていた。次会った時に笑われないためにも、かつての全盛期程度にまでは腕を戻しておきたい。
「てゆーか演技の練習したいなら私がいるじゃん。私を参考に勉強してもいいよ」
「素人以前はすっこんでろ、自称アイドルの一般人」
「はぁ!?」
「はは。確かに。端役とはいえ、いくつか作品に出演してるアクアに比べて、ルビー実績0だもんね。一般人と言われても反論はできないわ」
「だからってそんな言い方無いじゃん!コッチは善意で協力申し出てるのに!」
「焦ってるのよ、アクアも。なにせ学生の自分は学生の間しかないから」
そう、学生だからできない演技もあるだろうが、学生だからこそできる演技もあるはずだ。そして、その経験はいずれ学生でなくなっても必ず生きる時が来る。オレに残された時間はあと三年。無駄にしている余裕はない。
「でもね、アクア。ルビーの言うことも案外鋭いわよ」
「?どういう意味?」
「貴方の悩みってようは役のバラエティを増やしたいってことでしょ?」
ちょっと違うと思うが、確かにそうかもしれない。今オレは120点か50点の二種類しか出来ない状態になっている。普通の感情の出し方がわからなくなっているのだ。なら役のバラエティを増やすというのは一つの解決策かもしれない。
「芝居が迫真すぎて輝きが強くなりすぎる。それでは出演者を喰ってしまう。主演をやるならそれでも良いけど、脇役となるとそうはいかない」
「だから低空飛行のやり方を学びたいのに、ここには低空飛行できるやつすらいねーし」
「そこがちょっと間違ってるのよ。大体貴方、役者の素人とプロの違い、言える?」
改めて言われると即答はできなかった。役者には免許も試験もない。いや、オーディションはあるけど、オーディションに落ちるなんてことはプロでもいくらでもある。
「…………経験?」
「あら、子役は全員素人?」
「実力?」
「プロより上手いアマチュアなんていくらでもいるわよ」
「…………知名度?」
「じゃあアクアも素人ね」
「あはは!」
「ルビーにだけは笑われたくねー」
と思ったが反論はできなかった。確かにプロと素人の差など明確に説明はできない。
「誰でも人生、大なり小なり演技してるの。技術や経験値なんて大した差じゃない。役者で生涯を生きる覚悟がある人をプロと呼ぶと私は思っているわ。でもプロだって素人を演じる事がほとんどなのよ」
「社長…」
「大抵の人間が貴方の言う低空飛行で生きてるわ。ならそれをトレースすれば良いのよ。誰でも良い。人の物真似テキトーにしまくって」
仕草も、目視も、笑いも全て心が脳に命令して行う動作。つまりは心の表現。形を真似れば心が見える。
「心が見えたら感情も見えるでしょ?残りの中学生活、人間観察に費やして。芝居がリアルなのが問題だというなら中途半端に抑えようとするんじゃなくて、突き抜けたリアルを目指しなさい。大丈夫、その程度で掴めるほど人って浅くないのよ。相手によって態度も性格も変わるのが人間なんだから。練習時間も機会もいくらでもあるわ」
それからは監督の所へは一切行かず、ひたすら学校生活に力を入れた。受験勉強。面接対策。有名進学校に進路を希望している人、就活している人、いろんな人に張り付いて仕草を、目線を、感情を真似た。
少しずつ、少しずつだけど、他者への理解が直ってきた、と思う。この人はこういうことがあった時、どの程度怒るのか。人前では隠すタイプなのか。陰で物を殴るのか。中学3年間でやったコミュニケーション能力を培うレッスンをより深いレベルで再履修することで、あの頃の感覚を少しずつ取り戻してきた、と思う。
───けど、少し油断すると、『愛』が湧く
怒り、悲しみ、嘘、本音、その根底に愛があるという事は、深く人を知ることでより一層の確信へと変わってしまった。もうオレの演技から愛を取り除くことは出来ない。でもそこは問題じゃない。どんな作品にも愛や恋は関わる物だ。問題なのは使い方。
───こればっかりは本番の壇上でないと掴めない。脇役ならどの程度の深度が適切か、実戦で、監督やカメラマンや共演者に指摘してもらわないと、改善もできない。
そしてあっという間に訪れた受験当日。この試験が終わったら、本格的にオーディションとか受けるか、と考えながら試験問題に手を付ける。流石に偏差値40の高校受験。この程度の問題なら片手間で解けたし、面接は得意だ。本名が
「どうだった?」
「多分平気」
「そこは多分つけてほしくなかったなぁ」
「うるさいなぁ、お兄ちゃんは?」
「名前でちょっと引かれた」
「あはは!確かに、アクアマリンはちょっと凄いよね」
「ルビーも大概だけどな」
試験が終わった後、人気のない学校の廊下でルビーと合流する。高校受験は基本的に土日に行われるし、学校自体は休み。受験生以外の学生はいないのだから人気がないのは当然だ。
だから今日、校舎に在学生がいるのは何かしらの用が学校か、受験生にある人間だけだろう。
その後者にあたる人物が足早に廊下を駆け、肩を並べて歩く男女の男の方の背中を掴んだ。
「やっと見つけた!星野アクア!」
高校の制服にベレー帽が特徴的な童顔の少女が、アクアの肩を引っ張り、振り向かされ、二人の視線が合う。
かつて天才と呼ばれた少女と、先の未来で天才と呼ばれる少年。
まず二人。
芸能界という舞台で旋風を巻き起こす役者達の内、まず二人が、壇上に揃った。
最後まで読んで頂きありがとうございます。ようやく役者が揃い始めます。スランプ中のアクアは地獄の現場『今日あま』でどう戦うのか。
てゆーか今回なんでこんなに音楽要素盛り込んでるんだろう。あと筆者もピアノは少し齧っており、筆者もソナチネ終わらせてリタイアしました。あるあるです。わかる人はわかると思います。合唱コンクールで伴奏やった時が人生で一番モテた時かもしれない。
それでは感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。時間がかかるかもしれませんが、頂いた感想には必ず返信します!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
7th take 救済か、契約か
半身は天使で半身は悪魔
下達が集う偽りだらけの舞踏会に誘うと良いだろう
仮面を纏う少年の愛が、きっと貴方の手を引いてくれるから
あの敗北からずっと、現場に入るたびに見続けている。
いない
違う
コイツじゃない
───どいつもこいつもニセモノばっかり!
あの完璧な敗北から約一年。とある子役のオーディション会場。候補者を一通り見たが、芸能界に夢見たお花畑な子供ばかり。アイツのようなわかったヤツは一人もいない。このオーディションだけじゃない。脚本の意図、監督の意図、台詞回し、そんなモノを理解した上で演技するような子役なんて一人もいない。
私もこんな連中に埋もれるようになってしまった。
この時期の有馬かなは人気絶頂期を少し過ぎた子役だった。主演級の役は与えてもらえず、端役だというのに形だけとはいえオーディションを受けなければいけない立場になった。上にいた時は共演者は大人達ばかりだったから気が付かなかった甘さやぬるさ。下に落ちてきているからこそ感じる大人の事情。
急速に自分の立ち位置は変わり始めてる。仕事だってどんどん減ってる。だから今まで以上に演技を頑張ったが、歯止めにもなりはしない。一度落ち始めたら逆らう事はそうそうできなかった。演技力なんて及第点あればいいんだと気づいたのはこの頃だった。
───それでも、アイツなら…
与えられた仕事を完璧にこなす。今の私に期待されているのは有馬かなというネームバリュー。ならこのアドバンテージを最大に活かす。演技なんかどうでもいい。出来レースでも仕事があるなら構いはしない。
私は、アイツのような、本物の役者になりたい。
「かなちゃん」
だから嫌いだった。演技さえできれば成功すると思っていたアイツと出会う前の私のような子供。次々現れるニセモノ達。芸能界に憧れ、私に憧れ、私みたいになりたいなどと臆面もなく言う連中が───
大嫌いだった。
▼
いない
違う
コイツじゃない
朝からずっと張り込んで面接試験の部屋から出てくる人間を一人ずつ確認しているが、目的の人物はさっぱり現れない。
たった一人を追い求めて試験会場に張り込む姿は若干ストーカーじみて見えなくもなかったが、今回、有馬がこんな事をしている理由はアクアだけが目当てではなかった。この学校に入ってくる人間は芸能界に進出する予定のライバル予備軍。今年の一年のレベルを測るという目的もあった。
ウチの芸能科を受けるだけあって受験生達の容姿は良い。それもそのはず。彼らは全員どこかしらのプロダクションに所属している。近年二十歳超えても無所属という者も多いながら、ここに集うのは15歳までにオーディションをくぐり抜けてきた精鋭だ。
しかし、どれも有馬かなのアンテナに引っかかるような奴はいない。あのオーラ。あの光を身に纏うホンモノは誰一人として現れなかった。
───使えないわねあの大根モデル!あいつテキトーなこと言ったんじゃないでしょうね
陽東高校を受験すると本人が言っていたらしいが、又聞きだから当てにはならない。それにあいつが嘘をついた可能性もある。変装もしてたし、身バレや粘着を恐れてテキトー言ったとしても、責めることはできない。
───けど、今はコレしか手がかりないし
一応試験が終わるまでは張り込もうとは思っていたが、このままでいいのだろうか、と思い始めたその時だった。
「星野ルビーです!」
面接会場から僅かに聞こえた、明るい自己紹介。派手な名前にも少し引っかかったが、何よりその苗字が出たことで、私の中でベルが鳴った。
───アイツと同じ苗字!そしてアイツと似たようなキラキラネーム!子供の頃確か妹連れて現場来てた!十中八九アイツの妹!
ならこの女子を尾ければいずれアイツにたどり着くはず。その推理は見事に的中。待ち合わせでもしていたのだろう。少し歩くと壁にもたれかかり、本を読む少年が見えてくる。
───ああ、変わってない。
容姿は変わった。背も伸びた。でも纏う雰囲気は変わってない。
特別な事をしてるわけではない。試験を受けて、妹と合流しただけ。どこにでもある普通の兄妹の、日常の風景のはず。
しかしなぜか気味が悪い。
アイツが立っているだけでゾクリと背筋が泡立つ。あの瞳を見ているだけで足元がおぼつかなくなる。アイツの背後に別のナニカが取り憑いているかのような錯覚に陥る。
───すごい
目が引かれる。視線を外せない。ブラックホールを覗き込んで、その真っ暗な穴の中で光る星の光に見返されているかのような感覚。アイツにはやっぱり凡百の役者にはない、何かがある。一流へと駆け上がるために必要な何かが。
足早に駆け寄る。背を向けて二人で歩くその肩を掴み、強引にこちらへ振り向かせた。
「やっと見つけた!星野アクア!」
振り返った顔は驚きで染まっており、大きく目を見開いていた。出会ったのは大昔だが、顔を間近で見たのは初めてだ。コイツ、綺麗な顔しているなと、ようやく気づいた。
▼
「やっと見つけた!星野アクア!!」
デカい声で名前を呼ばれて少し動揺する。肩を掴まれ、思いっきり引っ張られる。振り返ったらデコが顎に当たるんじゃないかというような距離まで詰められていた。
「アクア!アクア!あなた、星野アクアね?!」
何度も名前を呼んでくる女の顔に見覚えは、微かにあるようなないような。頭の中で知人女性リストをパラパラとめくるが、ここ数年で思い当たる人はいない。少なくとも中学以降で見た顔ではない事だけは確かだった。
「…………誰?」
「ウチ受けるってのはホントだったみたいね!朝から面接会場で張ってた甲斐があったわ!」
「聞けよ人の話」
思いっきり肩掴んで、振り向かせて、一方的に捲し立てる女に苛立ちが湧く。制服見る限りここの学生のようだが、まだこの学校に入学してないオレに生徒の知り合いがいるとは思えない。
「誰だ?」
「なんで私に聞くの……あっ、確かアレだよお兄ちゃん」
しばらく考え込むと思い当たったのか、妹が少女の異名を叫んだ。
「重曹を舐める天才子役」
「10秒で泣ける天才子役!!」
そこまで聞いてようやく思い至った。3歳の頃に映画で競演した…
「名前は確か……有馬──」
「そう!競演した有馬かな!」
なんだっけ、と言おうとした時に補足してくれた。よかった。出来れば人間関係を築くにおいて、なんだっけ、は言いたくない。
「お?」
「良かった……ずっとやめちゃったのかと…」
両肩掴まれて胸に頭を預けられる。まるで暗闇の中で迷子になった子供が、仲間を見つけたかのような振る舞い。
「───やっと会えた」
安堵と共に溢れた言葉に少し違和感が立ち上る。有馬と競演した事は覚えている。キッカケは忘れてしまったが。
───だけどあの時、コイツは確か大泣きしてたはずだ。オレの方が上手かった、とか言って。それなのにオレに会いたかったというのは……ああ、なるほど。
同年代の子役で未だに役者をやっている奴は少ない。きっと仲間意識のようなものを持っているのだろう。そう考えれば違和感に説明がついた。
「で?!入るの?ウチの芸能科!入るの!?」
「妹はね。オレは一般科」
「なんでよ!」
「その方が面白そうだから」
「意味わかんない!」
「ウチの兄ちょっと変わってるの」
「それは知ってるわよ!」
「なんで知ってんだよ。昔一回会っただけじゃねーか」
「一回あれば分かるわよ!アンタみたいな変な子供!」
───相変わらず失礼だなコイツ。
ほとんどの人は共感してくれたら嬉しいものだ。誰しも理解者を求めてるし、悩みを共有する相手を欲している。
けれどアクアは分かるとか知ってるとか安易に言う人間が嫌い、とまでは言わないが苦手だった。いつ自分が消えてしまうかという恐怖。朝目が覚めたらオレがオレでなくなってるかもしれない。そんな怖さで眠れない夜を過ごす苦しみ。分かるはずがない。知っているはずがない。人が他人の全てを分かるなんて無理な話だ。安易に理解者ぶる人間がアクアは苦手だ。
「私、この人あんま好きじゃないんだよね」
相手に聞こえるかどうかという声で耳打ちしてくるルビーに少し救われる。こういうところの好き嫌いは血筋なのか。それともオレがルビーと上手くやれてるだけなのか、わからないがどちらにしても心がホッとした。
「理由は察しがつくが、口に出すな。受かったら後輩になるんだぞ」
「…………仕方ないなぁ、仲良くしましょ、ロリ先輩」
「イビるぞマジで!!」
「漫才終わったら呼んでくれ」
「あ、ちょっと待ちなさい!」
「ルビー、監督の所行ってくる」
「ご飯は?」
「今日はうちで食べるよ」
「りょー」
制服のボタンを緩め、校門を出る。朝から始まった試験は昼過ぎに終わっている。空を見上げると日は少し傾き始めていた。
▼
「ちょっと待ってよ!今どの辺住んでんの?!」
「忘れた」
「アンタどこチュー!?」
「それ聞いてどうすんだよ」
校門を出てからずっと無視して歩き続けていたが、あまりに意味不明の質問されて思わず止まってしまった。これはある程度答えてやんなきゃ引っ込んでくれなさそうだ。本当は今日、前回待ち合わせすっぽかしてしまったハルさんに謝りに行こうと思っていたのだが、仕方ない。
「やっと止まったわね!さあタップリ話を聞かせてもらうわよ!」
「悪いけど今オレお前に構ってられるほど余裕も時間もなくて」
「PV見たわよ!相変わらず気持ち悪かったわね!なんで女装?!いや、おおかた想像つくけど!」
「…………アレ、見たのか?どこで?」
5秒前までマジで消えてほしいと思っていたが、この一言でオレも有馬に用事ができる。完成したPVはオレも一応見た。オレが出たあの映像は当然カットされており、姿形はどこにもなかった。あのVも当然お蔵入りになっている。目にしている者は多くないはず。そう思ったからアレだけ派手にやらかしたのに。
見られていた。しかも、あの姿でオレだとバレた。聞きたいことが一気にできた。
「私も本当に偶然目にしたのよ。モデル仲間が写真録ってたらしくてね」
「写真…」
この一億総カメラマン時代。誰が何を撮っててもおかしくはない。が、ロケ現場を撮るとはなんと非常識な。流石に想定外だった。ノンモラルな若者が多い事は知っているが、ここまでとは。
「よくオレだとわかったな、アレ」
「わかるわ!」
当然のように言い放つ。我ながらなかなか高いクオリティの変装だと思ったのだが。この辺は流石の洞察力なのかもしれない。
「そう簡単にバレないと思ってたんだが」
「そこは否定しないわ。実際アレが男だって気づいた奴はモデルどころか、ディレクターとかにもいなかったし。でもあんたを知ってて、見る人が見ればわかるわよ。外見以外のものが特徴的過ぎる」
「…………そうなのか?」
「本人はわからないものなのよね、こういうのって」
自分の姿を鏡で見る事はできても、所詮は虚像を見ているだけ。実際に目で見る事とは天と地の差がある。特にこの男の場合。目で見て、肌で感じる情報がデカ過ぎるし、特異過ぎる。
「女子の格好までして役もらったんだもの。まだ役者やってるのよね!」
「あー、まあ一応」
「そっか……そっかぁ」
大きく息を吐き、胸を撫で下ろす。
「嬉しい」
───こんなに他人の事情を気にかける奴だったか?コイツ
もっとこう、自己中心的な奴だったはずだが。自分以外全員バカみたいに思ってて、周り全て敵視するタイプだったはず。それで一度痛い目にあったかな?まあガキの頃からあの態度でい続けたのなら当たり前だ。
「ね、今からカラオケでも行かない?」
「行かない」
「え……じゃあウチ来る?」
「グイグイ来るじゃん」
距離の詰め方がエグい。コイツはアレだ。目的のためならたいていの事は犠牲にできるタイプだ。
「だってしょうがないでしょ!コレでも一応芸能人だし!ちょっと喫茶店でってワケには行かないの!」
「ふむ…」
自意識過剰じゃね?という言葉が喉元まで出かけた。なにせオレすら初見ではコイツが有馬かなだとは気づかなかった。普通の一般市民が気づくとも思えないし、何より日本人は日和見主義だ。たとえそうかもと思っていても、違う可能性があるなら下手な事はしない。今や誰でも有名人を叩ける時代だが、写真などをアップするとなると少し変わる。その手のノンマナーな連中を罰金などで取り締まる法律も少しずつだが出来始めている。
だが、有馬の心配も芸能人ならして当然のことだから理解はできるので…
「───それなら…」
▼
有馬かなは今、人生で最高潮の緊張を味わされている。あの後、どこかにアクアは携帯で電話をかけた。5分ほどでタクシーが来たので、ああ、タクシー会社に電話したのかと理解した。行き先を運転手へと告げた時も特に違和感はなかった。そんな派手な名前のカラオケあったっけ?くらいのものだった。
気がつくとタクシーはいつの間にかいかがわしい空気が流れる場所へと到達していた。東京の怖いところの一つだ。どこから先が危ないかなど、明確に知らせてくれるようなものはなく、無意識に歩いているといつの間にか危ないエリアに踏み入ってしまっている。
とか考えているうちに連れてこられたのがここ。頭文字にラのつくホテル。いわゆるそーゆー事をする為の施設。
───え、なんで!?どういうことコレ!
思考停止しているうちにアクアは慣れた様子で部屋を手配し、鍵を受け取っていた。逃げ出そうにもここから一歩でも外に出れば、客引きなどの、危ない連中がそこかしこを歩いているはず。女一人で出歩いていれば格好の餌食。こう言った事態に未経験な有馬かなにできた事はアクアの背中に隠れることだけだった。
そして部屋へと案内され、現在に至る。妖しい光に照らされた円形のベッドの上で有馬かなはカチコチになって座っていた。
「なんか飲む?」
連れ込んだ当の本人は呑気に冷蔵庫を物色していた。その様子にカッと苛立ちが湧き上がる。怒りが羞恥を上回った。
「なんでこんなところに連れてくんのよ!」
「?お前が人目のないとこ行きたいっつったんだろーが」
「だからってなんでラブホ!?もっと他に色々あんでしょーが!」
「密談するのには結構便利なんだぞ?タクシーは駐車場の中入ってくれるから人に見られる危険も少ないし、運転手やホテルの従業員は客に対してノータッチが鉄則だし」
「カラオケでいいじゃない!」
「カラオケは部屋に乱入されることも結構あるぞ。鍵とか掛けられないから」
中学時代、ナナさんと二人でカラオケ行った時、そういうことがあった。二人で遊んでいたところをハルさんに見つかり、乱入され、結局三人で色々ヤった。
「…………え?有馬もしかして初めて?」
「当たり前でしょ!?」
「最近は女子会でラブホ使うことも珍しくないんだが」
「っ……まあそうだけど!そういう友達確かにいたけど!」
嘘である。
有馬かなは人一倍スキャンダルに気をつかうし、エゴサもガッツリやってる。異性関係など皆無に等しい。彼氏いない歴=年齢である。そして物心ついた時から芸能界で子役として活躍し、あの性格だった。友達いない歴もほぼ年齢だ。
───言えない…
だからそんな事できる友達いないし!なんて事は口が裂けても言えない。絶対バカにされる。いや、バカにされるだけならまだいい。最悪同情され、優しくされる。それだけは絶対嫌だ。
「あ、アンタはなんでそんな手慣れてんのよ!…………まさかっ!?」
「言ったろ?密談で使うって。女に内緒話される事くらい、オレだって初めてじゃないさ」
嘘である。
確かに密談で使うこともあったが8割以上はラブホ本来の使用目的で利用している。中学時代から今までにかけ、いろんな勉強をしてきた。異性との付き合い方もその一つだった。セックスとは異性とのコミュニケーション手段の一つに過ぎない。誰とでも仲良くなれるようになる為に、アクアはその技術も経験も取得してきた。故に軽く接した方がいいタイプと、じっくり時間をかけなければいけないタイプの扱い、両方ともよくわかっている。ハルさんとかは前。ナナさんはどっちかっていうと後ろ。有馬は完全に後者だ。
「びびんなよ。流石に10年ぶりにあったばかりのお前とセックスしようなんてオレも思ってねーから」
「セッ……!?」
あえて口に出すことで頭の中から追い出そうとしていた行為を印象づけ、そして約束という言質を引き出すことで警戒感を下げさせる。部屋に備え付けられた豪奢な椅子に腰掛けた。色々試したが、本当に今日、アクアにその気は無い。
見ていて大体わかった。コイツは感受性が高く、意外と押しに弱い。そして10年オレのことを覚えていたあたりかなり粘着。やろうと思えば出来るだろうが、一度既成事実を作ってしまうと面倒になりそうだ。
冷蔵庫から取った飲み物を投げ渡す。自分の分を一口飲むと同時に、いろんなものを飲み下した。
「さ、話を聞こうか。オレの気が変わらねーうちにな」
「っ!?」
脅し文句とも取れる後半の言葉に反応する。こちらを見据える瞳の光は鋭くも美しい。美と畏れは表裏一体だ。
私今、コイツに迫られたら断れないかもしれない、とかつての天才子役は漠然と思った。
▼
「ふーん、あの監督に演技教わってるんだ」
「ま、他にツテもコネも無かったしな」
「でもちょっとがっかりね。あの監督、親元で寄生虫やってるなんて」
「相変わらず口悪いねお前」
「アンタは妹と暮らしてんの?」
「ああ。里親もな」
本当に何もしないし、会話しているうちに、なんだかんだ慣れてきた有馬は意外と饒舌になった。アクアもとりあえず苺プロで生まれ育ち、ミヤコに引き取られたと説明している。あまり深く突っ込まない方がいいと思ったのか、この辺のことは詳しく聞いてこなかった。
「私に連絡くれれば良かったのに」
「お前の連絡先知らねーし」
「…………それもそうね」
ラブホに入ってしばらく、とりあえず今まで何してたのか吐けと言われ、ある程度のことは話した。監督に演技を習った事。下積みをこなしてきた事。その他諸々を。
「でもその割には全然名前聞かなかったわね。この業界狭いから子役同士顔を合わせることもあって良さそうなのに」
「まあ勘を鈍らせない程度にやってはいたが、意図的に抑えてたからな」
「じゃあ出演作とかいくつかあるの?」
「あるっちゃあるけど……お前に見せたくはないな」
「なんでよ」
「だって……ヘタだし」
反省のため、出演作を観ることはあるが、今の自分から見れば目を覆いたくなる事も多い。パフォーマンスをする者にとってはあるあるだと思うが、初期の頃の作品は本当に黒歴史だ。身に覚えがあるのか、有馬も笑った。
「バカね。気にしないわよそんなの。初期の頃なんてヘタで当たり前なんだし」
「初対面の他人散々こき下ろしてたヤツが良く言うな」
「…………それはもう反省してます」
一気にテンションが落ちる。やっぱ一度頭打ったんだな、コイツ。心の傷は治りにくいし、簡単に開く。有馬の脳裏には黒歴史が生々しく蘇っていることだろう。ざまみろ。
「で?今は上手くなったの」
「最初に比べればな。最低限の基礎くらいは身についたと思うよ」
「ならなんで一般科なんかに入るのよ」
「…………その方が勉強になると思ったんだよ」
誰かが芸能界は少し大きな学校のようなものと例えた事があった。ハッキリ言って広くはない世界だし、噂なんか1日で千里を走る。芸能科の高校とは規模を縮小した芸能界と言っても過言ではない。たった一度しかない高校生活。芸能人予備軍に囲まれて疑似芸能界生活を送るより、多様な生徒達と高校生活を送る方が芸の肥やしになると思ったのだ。
「芸能活動に理解があって、かつ普通の高校生も経験できて、近くで観察もできる学校が、あそこだった。それだけだよ」
役者的な理由から一般科を受けた理由を説明する。この方が有馬的に納得してくれるだろう。質問とは相手によって答えや言い方を変える方が円滑にコミュニケーションが取れる。
「でも芸能活動はするんでしょう?」
「ああ。焦って子役からやるより、実力とコミュ力身につけてからの方が良いと思ったから」
「間違ってないわ。大正解よ」
「まあ、その二つは最低限身につけたと思うし、ここからは今までよりは頑張るよ」
「へぇ…やる気はあるんだ」
妖しく口角が上がる。人間観察なんてしなくてもわかる。明らかになんか企んでる顔。
「実はね、私が今ヒロインやってるドラマがあるんだけど、まだ役者決まってない役あるの。ねえ、やらない?偉い人に掛け合ってあげるから」
「どんな作品?」
「『今日は甘口で』ってヤツ。知ってる?」
「『今日あま』か。名作じゃん」
演技かじってる人間ならまあ大抵知っているだろう。ドラマ化されてたなら話題になっててもおかしくないはずだが……それに既に始まってるドラマのキャストが未決定?考えられる理由は、ドタキャンか。もしくは……
「───もしかして問題ある現場か?」
「…………察しの良さは流石ね。いずれバレる事だから言うけど、かなり」
やっぱり。実写化というのは本当に難しい。いかに名優、いかに優秀な脚本や監督を揃えても散々叩かれる事なんてザラ。『今日あま』ほどの作品のドラマが話題になってないって事はそういうことなんだろう。
「で、でもね、主演の男の子は可愛いわよ!顔は整ってるし女の子みたいで。脇の子もモデルとかばっかだし!それに……えっと、Pが鏑木さんだし!」
「頑張ってポジティブ材料探さなくていいよ。やるやる」
「ほんと!?」
「ああ。贅沢言える立場じゃないし、機会があるならやるさ」
スランプ脱却の特効薬は結局のところ、本番しかない。実戦の機会が欲しいと思っていた所だ。こちらからすれば願ってもない話。断るわけがない。
「ハッキリ言って全然いい役じゃないわよ!キモいメンヘラストーカーで完全に主人公の引き立て役だけど!いいのね!?」
「お前はオレにその役やらせたいのか、やらせたくねーのか」
「やらせたいから本当のことを言ってるんじゃない!不服があるのはわかるけど…」
「ないよ、不服なんて」
迷いなく言い切った。流石に意外
だったのか、有馬の怒涛の勢いが止まった。しかしコレは本音だ。
「モブだろうと、キモいメンヘラストーカーだろうと、その作品には欠かせない必ず必要な役、向こう側の住人。役者には変わりない」
そう、どんなキモい役だろうと、セリフすらないモブキャストだろうと、作品を成立させるためには絶対に必要な、幻想の世界の住人。それになるためにオレは10年間嘘を吐き続けてきた。
「ありがとう、有馬。ベストを尽くすよ」
握手を求める。しばらく呆然としていたが、差し出した右手を両手で掴んだ。
「本当に、ちょっと、結構、かなり、問題のある現場だけど、貴方とならきっと出来る。お願い、力を貸して」
「貸すって。お願いするだけ損だぜ」
▼
───ああ、コレだ
コネで仕事をとって、与えられたのは完全な引き立て役。端役もいいところだというのに、この男に不満の色はまるでない。不公平ともズルとも思っていない。今彼から出た言葉も虚勢じゃないと分かる。
───変わってないな、コイツ
コネだろうが出来レースだろうがそんな事は過程にすぎない。与えられた仕事の中で、結果を出してこそ本物。その事を10年前からわかっていた。私すらあの時はわかってなかったのに。
今アクアがどんな演技をするのかはわからない。あの写真から見るに、それなりにはできるのだろうが、アレは演技というよりオーラという引力で無理やりねじ伏せた力技。アレをこの役でやられたらただでさえ問題だらけの現場が崩壊する。
でも、わかる。信頼できる。コイツならあの最悪のドラマを変えられるかもしれない。コイツとなら、きっと。
差し出された手を両手で掴む。この世界に来て誰かに縋ったのは初めてかもしれない。
「お願い、力を貸して」
「貸すって。お願いするだけ損だぜ」
後に有馬かなはこの時のことをこう述べている。
あの時、掴んだ手は、落ちる一方だった自分の人生に差し伸べられた神の救済か、魂ごとあの男に引き摺り込まれる悪魔の契約だった、と。
最後まで読んで頂きありがとうございます。今日あま編導入パートでした。いかがでしたでしょうか?隙あらばクズムーブするな筆者の頭の中のアクアくん。でも将来的な事も鑑みて、今回は見送っています。父ほどクズではありません(多分)。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂けたら幸いです。時間はかかるかもですが、感想には必ず返事をします!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
8th take 星の光には赤と碧がある
赤と青の星はそれぞれの方法で輝き方を模索しはじめる
星の輝きを支えてあげよう
きっと貴方の希望の光になるはずだから
「え〜〜!そりゃ大変ですよ、あの2人のマネジメントは」
都内のとある居酒屋。取材を申し込まれていた苺プロ社長、斎藤ミヤコは取材の場をこの飲食店に設けていた。こういった場を人の入りが多いファミレスなどで行われることは意外と多い。ある程度雑多な場所の方が盗み聞きされる心配も少ないし、話もしやすいからだ。
かと言ってガンガンビールを飲むのはどうかと思う。取材する方としては口の滑りが良くなるので好都合だが。いま飛ぶ鳥を落とす勢いで芸能界を駆け上がる2人を支える敏腕女社長は大ジョッキを勢いよく流し込んだ。
「考えてみれば……いえ、考えてみなくてもおかしかったんです。あの2人は。特に兄の方。最初の方は行く先々でやらかして。初仕事なんてPVのモブだったのに現場騒然NG叩き出して、一発レッドカードですよ?どうやったらそんなことできるっていう。妹も兄とは違うベクトルで目が離せないっていうか…とにかく普通じゃないんです、あの子達は」
唇を突き出して放つ2人の愚痴だったが、その響きはどこか自慢げで嬉しそうだ。
「天才?私は否定しないですけど、本人達は否定するでしょうね。そして私もそういう風にあの子達を呼びたくはないです。なら何かって言われると難しいんですが……」
酒で赤くなった顔を少し歪めながら天を見つめる。その先に何か見えたのか、一転して笑みを浮かべた。
「導かれてるんです、あの子達は。きっと」
それがなんなのか、ミヤコは答えなかった。神様なのか、それとも別の何かなのかはわからない。けれどミヤコは確信を持った様子で断言した。
「寵愛と試練、どっちも正しく与えられて、それぞれのやり方で乗り越えてる。一人一人では劣るかもしれない。でも2人だから、あの子達の愛はきっと星に届く。星を超える」
空に向けて開いた手をグッと握り込む。何を掴んだのか、記者には分からなかった。
「だから私は───」
テーブルに置いていたスマホが振動する。電話のようだ。相手が誰かを確認するとミヤコは慌ててコールをとった。
「もしもし!?えっ、トラブル?今すぐ!?ああ、わかった。ちょっと待ってて、すぐ行くから──ごめんなさい、2人に呼び出されてしまいました。話はまたいずれ!」
電話で酔いが吹き飛んだのか、即座に立ち上がり、会計を済ませると慌ててタクシーを拾う。不安と緊張で焦るその顔はマネージャーというより、母親の姿だった。
▼
双子コーデというものをご存知だろうか?
最近ではシミラー(similar)ルックと呼ばれている。服装やアイテムの中で友達や恋人と同じカラーやデザインで揃えるというファッション。少し前は仲の良い同性の友達同士で流行していたが、近年では恋人と楽しむことが多い。例えば彼氏が真っ赤なTシャツに白いパンツというコーディネートなら、彼女は真っ赤なワンピースに白い帽子。といった2人でトータルコーディネートを行うというものだ。
写真にも映えるし、仲の良さもアピールしやすい。気軽に挑戦できるという点で優秀なファッションと言える。
ならば本物の双子が同じ格好をしているのは仲の良さの現れなのか?残念ながら違う。理由のほとんどが一々違うデザインの服を買うのが面倒だから、だ。それも幼児の頃までだろう。思春期の双子はそれぞれで服装や髪型を変えたがることが多い。わかりやすく見た目で差別化を図り、自分は兄弟と違うという事をアピールするためだ。14〜8歳の思春期少年少女が双子コーデをしているとすれば、インスタメートル映え狙いか、本当に仲が良い酔狂兄妹だけだろう。
そして星野アクアと星野ルビーはそのごく一部の、部屋着はもちろん、2人で外を歩く時も平然とペアルックをやらかす酔狂兄妹だった。
しかし同じ格好で歩く2人がバカにされるようなことは一度としてない。フォトグラフィックから抜け出したかのような美形兄妹のシミラールックはドラマのワンカットのように画になっており、ルビーがやってるインスタに写真がアップされると軽くバズることもあった。
今日の2人の格好もその一つ。部屋着として使っている黒のTシャツの胸元にはTWINSと白抜きで描かれている。苺プロの事務所でPCを開いた少年の後ろで、全く同じデザインのTシャツを着た少女が覗き込んでいた。
「今度アクアが出るドラマってソレ?」
凄まじく整った容姿に星の輝きが特徴的な美男子と、性別以外ほぼ同じと言っても過言ではない美少女が2人で仲良くパソコンを囲んでいる。星野アクアと星野ルビー。母親から絶世の美貌を受け継いだ美形兄妹であり、それぞれ役者とアイドルを志している。
「ミヤコのお喋り」
「怒らないでよ。所属タレントの広報活動は事務所の立派な仕事なんだから」
情報の発生源を軽く睨む。苺プロ現社長、斎藤ミヤコ。もうそこそこ年のはずだが、10年前からほとんど老けない美魔女。流石にこの人に無断で仕事するわけにもいかない為、ミヤコには教えていたのだが、こうも早くルビーに話すとは思わなかった。ミヤコはホントルビーに甘い。いや、オレにも結構甘いけど、オレ以上にルビーには甘々だ。
「ママとの約束の第一歩だね!私は将来アイドル!アクアは役者って!」
「記念すべき第一歩にしてはしょっぱい仕事だがな」
「そんなものよ。駆け出し役者の初仕事なんて。名前ありの役が貰えるだけ恵まれてるわ」
「わかってる」
「なんて作品?」
「今日あま」
「あっ、アクアの部屋にあるやつ!?面白かった!」
「勝手に入るな。そして読むな。大事な資料とかも置いてんだから」
逆のことオレがやったら、はちゃめちゃ怒るだろーに。まあ見られてはヤバいようなもの、あの部屋には置いてないが。それでも位置とかが狂うのは少し困る。
とか思っているといつのまにかミヤコも後ろにくる。開いていたネットのページには『今日あま』についての情報が記載されていた。
「最近できたネットTV局制作ドラマ。全6話でもう3話は放送済み。メイン級のキャストも殆ど新人。規模としては小さいわね」
「アクアのはどんな役?」
「最終話に出てくる悪役みたいよ」
「向いてるじゃん。悪い顔してるもんね」
「うるせーな、お前とほぼ同じ顔だよ」
性別差のお陰で判別は難しくないが、お互いピースの特徴は殆ど同じ。2人のことを知らない人がいても一発で血縁だとバレる容姿だ。アクアの言い分は正しい。
しかしルビーはむふんと胸を張り、自慢げに応えた。
「確かに顔のパーツは似てるけど、お兄ちゃんは性格の悪さが顔に出てるからねー」
「お前は頭の悪さが顔に出てるな」
「はぁ!?」
「あ?」
「やめなさい2人とも」
至近距離で睨み合う2人の間にミヤコが割り込む。言い争いなどしょっちゅうの2人だが、アクアがルビーの挑発に乗るのは珍しい。この2人が本気で口喧嘩したら高確率でまずルビーが負ける。そうなる前に止めなければならない。
「ルビー、先に悪口言ったのは貴方でしょう?喧嘩は口火を切った方が悪いのよ」
「………はぁい」
「アクアも。貴方にしては随分大人げないじゃない。容姿の悪口だからイラッとしたの?これから容姿への批判なんて役者なら嫌ってほどされるわよ?その程度サラッと流しなさい」
「…………わかってるよ」
わかってるけど、苛立ちが湧くのを止められない。顔も忘れてしまったが、母の数少ない形見であるこの身体の事を悪く言われるのは例えルビーでも良い気はしない。コレは忘却の彼方へ消えたアクアの残滓なのか。それともオレ自身のプライドなのかはわからない。だがオレにとっても大切な感情だと信じていた。
「まったく意外とナルシストなんだから」
「意外じゃないと思うけど」
「ルビー!言ってるそばからこの子はもう!」
「…………ルビー」
「なに?」
「悪かったよ、ごめんな」
謝り、手を差し出す。すると妹は一気に困った顔になった。先に謝られたことで、良心の呵責が一気に襲ってきたのだろう。根はいい子なのだ。兄が差し出した手に対し、妹は俯いたまま、手を取った。
「私も、ごめんなさい」
「ありがとう。じゃ、一緒にドラマ観ようぜ。『今日あま』過去放送分。ネットTVのだから今観れるから」
「っ──うん!観る観る!」
2人で並んでPCの前に座る。その様子を少し後ろでミヤコが微笑ましく見守る。アクアもルビーも基本的に引きずらない性格であることに安堵した。切り替えの早さは役者にもアイドルにも重要な要素だ。失敗も成功も引きずって現場に持ち込めば大失敗の要因になることもある。もちろん失敗の反省はすべき事だし、成功の自信は持っていい。だが反省が過ぎれば萎縮につながり、自信が過ぎれば驕りに化ける。成功にも失敗にも適切な距離感を保たなければいけないのだ。
───アイも、引きずらない性格だったわね
思わず嬉しくなってしまう。アイは死んでしまったけれど、彼女の生きた証はここにいる。この2人が成していく事、その全てにアイが関わっている。この2人を通して、私はいつでもアイに会える。彼女は私達の希望の星だった。その星は消えてしまったと思っていた。けれど違った。希望の星は、まだちゃんと2人の中で輝いていた。
───今は、この子達に尽くそう
2人の夢を応援しよう。2人の旅路を支えよう。天の星にまでこの2人の光が届くように。
この子たちの光が、誰かに繋がるまで。
私が、この2人を守ろう
そっと2人の頭に手を添える。振り返った表情には2人とも何?と言わんばかりのクエスチョンマークが浮かんでいた。その不思議顔に笑みを返す。
「少し開けて。私も観たいわ」
2人の椅子の距離が少し開く。三人で並んでPCを共有する姿は、紛れもなく家族の一ページだった。
▼
「…………酷いな」
そっとPCを閉じる。 今まで放送された3話分全て観た。そして残念ながらこの感想しか出なかった。演出や裏方は悪くないのに、企画やキャスト。特にキャストが酷すぎる。演技レベル素人以下。中途半端に上手いフリしようとするからもうグダグダ。コレなら全部棒読みの方がまだマシだ。コイツらドラマ見てるのか?素人でもわかるレベルの大根ぶりなのに。
「今日あまってこんな作品だったっけ!?」
「…………概ねこんな感じじゃなかったかしら」
「構成悪過ぎ、オリキャラ多すぎ、筋書き変え過ぎでストーリー意味不明。演技ヘタ以前の問題。大人の事情入り込みすぎ。総合して、なんつーか……」
「酷いね!マジかこれ!」
「アクア、ルビー、正直に言いすぎよ」
自分がプロデューサー的立ち位置だからか、ミヤコは作品を庇っていたが、どう見ても酷すぎる。原作レ○プどころかバラバラ猟奇○人レベルだ。擁護できる範囲をはるかに超えてる。
「お兄ちゃんこんなの出るの?評判下がるよ?もっと仕事選んだら?」
「ルビーやめろ、決意が揺らぐ」
ほぼ無名のオレは下がるような評判持ってないし、失うものないから大丈夫、と思っていたが、コレほどとは想像してなかった。やり方次第で流れ弾喰らって評価マイナスまで落ち込むことは十分あり得る。
「それにロリ先輩ももっと演技上手いハズじゃん。なんでこんなヘタにやってるの?」
「ヘタ以前の集団の中で一人上手かったら周りのドヘタが一層目立つ。作品を成立させるために抑えてんだろうよ」
今のあいつの演技を知らないからなんとも言えないが、明らかに子供の頃よりはヘタだ。あの演技力は天性のもののはず。実力が子供の頃より落ちたとは考えにくい。ならばわざと下手に見せてると考える方が自然だ。
───でも、裏方は優秀だな
監督目線で見れば、脚本と演出は役者にちゃんと合わせていると分かる。クソな演技でも観れる作品に仕上げるテクニックが随所で光る。
素人が描いた絵でも額縁が立派なら様になって見えるように、撮り方次第でダメな演技のカバーはある程度できる。このドラマをギリギリ観れる作品に成り立たせているのは演出のマジックと、有馬かなだ。
「しかし、随分自分を小さく纏めやがったな、あの元天才子役」
ドラマ全体を壊さない抑えた演技。大人になったという見方もできるが、媚びた演出と言えなくもない。
───少なくとも、オレには悲痛な叫びにしか聞こえないな
作品のためなら自分を殺す。作品のため、大衆のため、身を粉にする。
『だから私を使って』
一挙手一投足からそんな悲痛な叫びが聞こえてくるような演技だ。完全に自身を『商品』として扱い、商品価値をアピールしている。
正直思うところがないわけではない。まだ16、7歳の少女。何にでもなれると夢見ていいはずだし(ルビーはちょっと夢見過ぎだが)、なれるだけの才能も実力も持ってるはずだ。それなのにこんなにも早く自分に見切りをつけてしまっている。恐らく有馬かなの演劇の哲学は芸術ではなく、ビジネス。間違ってるとは思わないが、同じことをしたいとも思わない。限界を決めるのは全ての正しい努力をしてからで遅くないはずだ。
───でも……
「今のオレに足りないのは、コレかもしれない」
「え、下手に演技すること?そんなのマネしない方が良くない?」
「いーよな、アイドルに夢見るアイドルは。悩みなさそーで」
「はぁ!?どういう意味?!」
「そーいう意味だ。有馬だってやりたくてやってるわけじゃないくらいのことは気づいてやれよ。アイドルにだって仮面は必要だぞ」
▼
「───と、一応説明はしてやっといたが…」
「うっるさいわねぇええええええ!!アンタの妹まじ死ね!入学してきたら絶対イビる!はい確定!」
時は少し流れて再びラブホテル。流石に2回目だからか、緊張した様子は前回よりは無く、自然体に振る舞っている。詳しいスケジュールの伝達という事で時間をとってもらい、一応今日台本はもらった。が、伝えられたスケジュールは本読みぶっ飛ばして即リハ即撮影。撮影日は明日。台本もらった次の日。オンエアは来週。つまり撮影してからその場で編集、即納品。言ってて怖くなるガバ超えてバカスケジュール。コレはキャストも悪いが、企画が悪すぎる。
「言っとくけど、この世代で私ほど演技できる役者そうそういないから!でもこの大根集団の中で私だけバリバリやっちゃったら他の大根ぶりが浮き彫りに出てぶり大根でしょ!」
「あんま勢いで喋るな。炎上するぞ」
ぶり大根が少しおかしくて笑いながら注意する。今は誰でもSNSで有名人を叩ける時代。迂闊な一言が命取りになりかねない。この口も性格も悪い知人は特に心配になる。
「しっかし、どんな役でも演るとは言ったが、想像以上に酷い現場とスケジュールだ。まあネットTV局のドラマって時点で名作作ろうとは思ってねーんだろうけどな」
ネットドラマの視聴率は地上波放送のドラマとは比べ物にならないくらい低い。それこそ原作ファンか、関係者しか興味を持たないだろう。しかしネットとは見ようと思えば全世界から見ることができる。大衆の目に触れられるチャンスであることは間違いない。ドラマ自体、作品の宣伝が目的なのは真実の一つ。今回のネットドラマは恐らくキャストの売り込みが第一目的なんだろう。売り出し中のモデルや見込みのある役者に機会を与える。それもプロデューサーの大事な仕事だ。
「でもそれだけじゃ作品が破綻する。だから私みたいな演技がちゃんとできるキャストも呼ばれてるってわけよ」
「確かに、キャスト陣の中で有馬だけ毛色違うもんな」
ほとんど無名の役者やモデルばかりの中で有馬だけがビッグネーム。仮にもかつて全国に名を轟かせた天才子役。今更知名度アップを狙う必要はないし、駄作ドラマに出演するというのは自分から落ち目だと認めているようなもので、下手をすれば黒歴史扱いされかねない。
「ま!モデル共に混じっても負けない顔の良さもあるんでしょうけど!あのPほんとメンクイよねー!アクアも写真見せたら一発OKだったし!」
「遠回しに褒められてんのかな?ありがとう」
役者とは基本的に自信家が多い。根拠のない自信がなくてはやってられないというのもある。常に不安を抱え、一つの番組が命懸けであることを自覚し、それでも自分は大丈夫と言い聞かせなければ、本当の意味で役者とは言えないだろう。
「しかしようやく台本に目を通せたけど、裏方は優秀だな」
台本にはセリフが書かれてるだけではない。裏の演出、大雑把なカメラワークも書かれている。読み込めば作品が破綻しないよううまく立ち回っているのがよくわかる。コレはきっかけ次第で良くなるかもしれない。
「演出が鏑木Pだからよ。あの人メンクイでキャストは美形第一主義だけど、他は堅いの」
「それでもコレは売り手の事情が前に出過ぎだな。これじゃ面白くなりようがない」
「…………一度、原作者の先生が現場に来たの。あの失望した顔はキツかったわ」
お互い悪意があっての事ではない。役者や裏方は個人個人では精一杯やっている。しかし自らが魂込めて作り出した作品のバラバラ猟奇○人現場を見せられては、落胆を見せるのも仕方ないだろう。
「あなたも気をつけなさいよ。問題ある現場だし、ちょっと勘違いしてるモデルとかもいる。彼らと軋轢生まれない程度には仲良くして」
「お前がソレ言うか」
「私だから言えるのよ。役者にとって、演技力なんて及第点があれば充分。一番大切なのは結局コミュ力。私は子供にしては演技ができたけど、それを鼻にかけてたせいで、旬を過ぎたらあっという間に周りから人がいなくなった」
芸能界には才能が集まる。若手NO.1と呼ばれる役者だけでも一体何人いるだろう。役者の代わりはいくらでもいるのだ。代わりはいる中で自分を使ってもらうために必要なのは周囲と良好な関係を築けるか。この子ならまた使おうと思ってもらえるか。そのために最も必要なのがコミュ力。
「だから監督が貴方に実力とコミュ力つけてからって言ったのは流石だと思ったわ。私にはそんなこと言ってくれる大人、周りにいなかったから」
「でも、オレ達ももう大人だ」
カメラの前に立つ以上、未成年だなんだは言い訳にならない。一人のプロとして、責任と自覚を持つ必要がある。
「そうね。私も貴方も、子供が言い訳になる時期はもう過ぎたわ。作品を良くするためならコネで役者引っ張ることもする。いやぁ、私も汚い大人になってしまったものよ」
「綺麗な大人なんてのはオレが知る限りいねーけどな」
15、6歳の少年少女がもつ感性としては老成し過ぎている。しかし良くも悪くも人の悪意を多く見てきた二人は精神的に大人にならざるを得なかった。
───私だって、ホントは本気でやりたい。でも作品のためならヘタな演技だってする。藁にだって縋る
「藁で悪かったな」
「…………口に出てた?」
「顔と感情に出てた。ま、そう思ってくれてる方が助かるけど。オレ今スランプ気味だから。あんま期待するなよ。」
「期待してるわよ、星野アクア」
貴方は私に初めて敗北を与えてくれた役者なんだから
最後まで読んで頂きありがとうございます。三連休は筆が捗りますね。ですが、ストック尽きたので次回から少し更新速度が落ちると思います。それと今回から前書きに詩の形を借りた四行詩を書く事にしました。過去回にも追記しています。寒いかもしれませんが、ハンターハンターで見て以来、一度はやってみたかったのでお付き合いください(不評が多いようなら消します)。
それでは感想、評価よろしくお願いします!面白かったの一言でもいただければ幸いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
9th take 魔法の時間
愛の真実に近づくほど星の声は鮮明になっていくだろう
星の言葉に耳を傾けすぎてはいけない
道の先に死神が佇む限り
やってきた撮影当日。一晩かけて台本と演出とその意図を頭に叩き込み、与えられた衣装を纏って現場に入る。舞台は使われなくなった廃倉庫で、そこかしこから雨漏りがしている。今日はあいにくの悪天候。陽の光も届かず、ジメジメした空気はどんより重い。だが…
「いい感じだな」
「そうね。原作の不気味感が上手く再現されてる。舞台としては申し分ないわ」
有馬かなと星野アクア、このドラマの中で数少ないまともな役者2人の意見が一致する。そう、今日の悪天候はドラマとしては都合が良い。今回撮るのは原作の名シーン。ヒーローとストーカーの対決。おどろおどろしい不気味な舞台で、愛を知らない少女が初めて誰かに守られ、流す一筋の涙が輝く場面。辺りが薄暗く、空気が重苦しいのは好都合だ。
「よう、かなちゃん。今日雨ヤバない?撮影延期にして欲しかったわー」
…………素人はわかっていないようだが。主役を演じるモデルの少年は悪天候に不満を漏らしていた。
「星野アクアです。よろしくおね───」
「よろー」
挨拶の途中で切られる。少しキレそうになるが、大きく息を吐いて飲み込んだ。ロック界隈の連中はもっと行儀悪かったし、アレに比べたらまだ我慢できる。
「…………ま、まあ向こうも若いから」
「気にしてねーよ。態度悪い若者には慣れてる。昔のお前よりは遥かにマシさ」
「ぐふっ」
言葉のナイフが的確に有馬の心を抉る。なんだろう、コイツ虐めるの、ちょっと楽しい。
「で?今日のスケジュールは?」
「…………本来ならドライやカメリハ、ランスルー踏んでから本番だけど、このロケ地1日しか確保できてないらしいから、ドライ、ランスルー、全部纏めてリハ扱い。練習は一回きりよ」
溜息が出そうになるのをなんとか堪える。ただでさえ大根だらけだというのに、練習時間もないのでは上手くなりようがない。雑がすぎる。
「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ」
「予算も時間もないのよ…」
「言い訳にならねーよ」
予算はともかく、時間は正しいスケジュール管理ができていればある程度確保できたはずだ。予算も時間も求め始めればキリがない。それでも必要最低限の順序くらいは守ってから企画を立ち上げてほしい。
「ちなみに主演の名前は?」
「鳴滝メルト。あのPVに出てたモデルの知り合い。例の写真は彼から流れてきたのよ」
「…………拡散されてねーだろーな」
「されててもアンタだと分かる奴はいないわよ。アレは私だから気づけたんだから」
童顔の少女が自慢げにフフンと鼻を鳴らす。なるほど、確かに素人モデルが気づけるほどヤワなクオリティではなかったはずだ。
「しかし……なるほど、モデルか。態度悪い訳だな」
「あまり決めつけない方がいいわよ。ジャ○ーズとかの大手事務所は教育しっかりしてるから若手でも礼儀正しいし、現場の好感度も高い。多く使われるのは使われるだけの理由があるの。昔の私みたいになりたくなかったら貴方はちゃんと仕事する。ホラ」
トンと背中を押される。押し出された先には初老の男性。このドラマの責任者、鏑木プロデューサー。監督やディレクターに意見を伝え、キャスティングもほぼプロデューサーが決める。まさに現場の最高責任者だ。
「初めまして。苺プロ所属、星野アクアと申します。本日はよろしくお願いいたします」
「ああ、よろしくね」
一応返事はしてくれたが、流石にそっけない。まあ本来のキャストがゴネてリスケになったところにコネで捩じ込まれた無名の役者。当たり前と言えば当たり前だ。
「アレが諸悪の根源か」
「ちょっと!小声でもそんなこと言わない!たとえ本当のことでも!」
「本当のことって認めてるじゃん」
「…………モデル事務所とかと繋がりが強い人で、ちょっと顔面至上主義なの。アクアを使ってもらえたのも多分その辺よ。私もだけど!」
「…顔面至上主義、か」
普通容姿を誉められたのなら喜ぶものだが、アクアはあまり容姿を誉められても嬉しくはなかった。自分にある明確な長所が容姿しかないようで。自分が才能がないと思い込んでいるアクアには尚更だ。
この事について、本人はいろいろ誤解している。10年間才能の塊であるアイを見続けていたからか、自分の力量をアイと比べることが多かった。アイは芸能界に入ってたった数年でスターダムを駆け上がった。それに比べ、自分は10年をかけてようやく芸能界の最底辺。
だからこそ自分の明確な長所について、胸を張って言えるものは少なかった。頭も、運動神経も、音楽もそこそこ。低くはないが、トップに行けるほど高くもない。中の上から上の下を行ったり来たり。演技に関しても10年努力してきたからそこそこ形になってきただけだ。そして今絶賛スランプ中。自分が役者に向いていないとは思ってなかったが、それでもアイに比べたら凡人だと思ってしまうのは無理のないことかもしれない。
───結局、目に見えるようなオレの長所は、顔しかねーのかな
贅沢言っているのかもしれないが、心の内で思うくらいは許してほしい。美形には美形の苦しみがあるのだ。
「アクア?どうしたの?怒ってる?」
黙り込んでしまったのを不審に、というか心配した有馬がこちらを覗き込んでくる。流石は座長。こちらのケアも考えている。子供の頃とは本当に違う。
「その、顔だけで選ばれるなんて不服かもしれないけど、最初のきっかけなんてそんなものよ!実力はコレから見せていけばいいんだし!」
「わかってるよ、一回こっきりの端役なんて、それこそ誰でもいいんだろうしな」
───バカ。自分が凡人なんてとっくにわかっていた事だろう。オレより上手いやつも、才能ある奴もこの世界には幾らでもいる。
それでも、星野アクアを演じることができる人間はオレしかいない。オレはオレを証明していればいい。後は結果が示してくれるはずだ。
「それでは、リハ始めます」
キャストに集合がかかる。一度大きく息を吸って吐く。今からオレは自分でない何かに成らなければならない。それはいつもオレがやっている事であり、しかし少し違うことでもある。緊張が胸に走ると同時に己を鼓舞する。この瞬間は嫌いじゃなかった。
「行くか」
「ええ」
▼
水滴に頬が濡れる。廃倉庫の屋根から滴る雨漏りの量が増えていた。外を見てみると音が鳴るほどの本降りになってきており、撮影の続行は困難になり始めていた。リハーサルの大部分はもう終わっていたので、撮影のスケジュール上問題ないが、本番は少し雨が弱くなるのを待つ必要がありそうだ。
「一旦休憩です」
カメラが止まったのを確認し、キャストから緊張感が解ける。フードを被った少年もその1人で、息を吐くと同時に適当に腰掛けた。
───あれが、今のアクアの演技…
短い時間だったが、彼の一挙手一投足は全て見ていた。役の内面の理解、台詞回し、立ち回り、全てよくできている。随所に見える丁寧な細かいテク。若手特有の俺が俺がと前に出たがる感じもなし。自分が何を求められているか、何をすべきか、よくわかっている。あの手の心配りや観察力は一朝一夕では身につかない。なるほど、10年下積みを積んできたのは伊達ではない。
───私と同じ、ずっと努力してきた人の演技
前も後ろも真っ暗な世界。努力することはできる。だが努力し続けることがどれほど難しいことか。有馬は誰よりもよく知っている。この演技が見られただけでも、アクアをここに呼んでよかったと心から思っている。
───でも、PVの時や10年前みたいな凄みはないわね
上手いが上手いだけ。今アクアがやってみせたパフォーマンスはそう分類されるものだった。
勿論今回みたいな端役の悪役であんなオーラ出されては困る。場の全部を食い殺すような事をしてしまっては、今更クビにはできないが、カメラ構成的にアクアの出番を無理矢理カットさせられてしまうだろう。そして今後二度と呼んでもらえなくなる。それは駆け出し役者にとって致命傷になりかねない。だから抑える。エゴを殺し、監督の意志を尊重し、作品に寄り添う。アクアは何一つとして間違ってはいない。
───だけど、それでも。アイツなら。
全部に応えた上で、特別な何かをもたらしてくれるのではないか。星野アクアという触媒が劇的な化学反応を起こし、このドラマを救ってくれるのではないか。そんな期待をせずにはいられなかった。私に初めて敗北を思い知らせた、アイツなら、と。
一度首を振って余計な思考を追い出す。何を無茶な期待をしているんだ、私は。そんな事、私でも出来るか分からないのに。とゆーか出来てないからこの現状なんだろうに。演技力なんて及第点で充分と言ったのは私じゃないか。今のアクアの演技は充分に及第点だ。このド下手集団の中でなくとも、決して悪い評価がされるようなものではない。たとえあの実力派劇団ララライだったとしても、アクアはちゃんと舞台に立てるだけの実力と才能を持っている。
場を乱さず、キャラクターを理解し、監督を納得させる演技だった。それ以上を求めるのは求めすぎだ。いくら素質があるとはいえ、アクアはまだ駆け出しなのだから。
フードを外して空を見上げる彼の元に駆け寄る。上手くなったのを褒めようと思った。
▼
───つまんねーな
リハが終わり、一旦休憩に入った後、今までを振り返ってアクアはそう評した。
現場が、ではない。現場はむしろ面白いとさえ言える。ここまでクソが振り切っている中にぶち込まれて、真顔を貫くのは大変だったくらいだ。特に主演のなんとか言うモデルの、『ヒトリニサセネーヨ!』は噴き出す寸前だった。エセ外国人タレントのエセ日本語を酷くしたらあんな感じだろう。
つまらないのは、自分自身だ。
まさに可もなく不可もないという表現がふさわしい演技。オレの今回の役はヒロインをツケ狙うストーカー。良くも悪くも彼女のことを知っており、綺麗事ばかり言うヒーロー気取りの主人公にムカついている。お前はこいつを何も知らない。オレの方がよく知っている。お前みたいに何もかも持ってるキラキラした男にこの子を渡したくない。ストーカー君の心情はこんなところだろう。
今回は原作の名シーン。オレに求められるのは主役達の引き立て役。あまり目立たず、カッコ悪く振る舞うことで、彼らを輝かせるのが、監督がオレに求める役割。
役の内面も、監督の意志も理解している。その上で演じた。及第点はもらえる演技だったとは思う。
けれど、つまらない。
ストーカー最大の行動原理に蓋をしたままやったこのシーンは原作の良さがカケラも出ていない。勿論このモデルがフォローしきれないド下手が最大原因だが、それでもオレすらこんなに何も出来ないとは思わなかった。『愛』を封じたオレはこんなにつまらない役者だったのか。オレは10年よくこんなつまらない役者のままで満足していたなと思ってしまう。
───ああ、やっぱりアイは凄かったんだな
分かってたことだが、再認識する。アイの演技力はめちゃくちゃ高いと言うわけではなかった。特に最初の方は。けれど不思議と目を引く存在で、気がついたら誰もが彼女を目で追っていた。あの人は知っていたのだろうか?オーラの源は『愛』だということを。知ってたとしても充分凄いが、知らなかったのならもっと凄い。知らずにあれだけのオーラとカリスマを持っていたということなのだから。
───やっぱり、オレは凡人だ
この10年、思い知らされ続けていた。そして現場に立って改めて思い知らされる。アレだけのオーラ、アレだけのカリスマを持っていながら、アイは脇役も主役も両方できていた。自分が活きる事で他人を活かし、他人が活きる事で自分が更に活きる。意識的にやっても普通できる事ではないが、無意識でやっていたのならもう天才の一言で済ませられるレベルじゃない。上手くなったからこそ、理解したからこそ分かる凄さというのは確かにあるのだ。上手くなればなるほどヘタになってるように思うことだって珍しくない。一般的には停滞期と呼ばれる状況。
アクアにとっては多分あのPVが分岐点だった。芸能界という果てしなく高く遠い山。あの『声』に誘われて、緩やかに続いていた坂道から、断崖絶壁だらけの獣道へと足を踏み外した。その選択によって起こった成長幅はコツコツ積み上げた10年分を超えるモノだった。確かにあの『声』に、誘われて選んだのは上へと駆け上がる早道だったのだろう。
しかしこの
アクアは今ちょうどそんな時期だった。
「アクア」
ぼんやりと空を見つめていると後ろから声がかかる。この現場の実質的な座長、有馬かなが立っていた。
「ちゃんと演れてるじゃない。何がスランプよ」
「そりゃいくらスランプって言っても地力全部無くしたわけじゃねーし。この程度、基本押さえてれば誰でも出来る」
その基本すらできてないのが、さっきからずっと髪いじってるクソモデルどもなワケだが。
「悪いな。オレが加わることで何か変えれると期待してたんなら、ちょっと無理そうだ」
諦めたように空を仰ぐ。実際にやってみてよく分かった。彼らはフォローするしない以前の問題だ。一応やれるだけのことはやったのだが、差し伸べた手を彼らは掴もうとしてこなかった。
───向上心が感じられない。現状で完全に満足してしまっている。
あの演技で最終話の今までOK貰ってるから、無理もないといえば無理もない。過去回とか見て、違和感を感じていたとしても、監督などの玄人が何も言わないならいいのかと思ってしまっているのだろう。
───アイなら違ったんだろうな
自分が活きる事で他人を活かし、他人が活きる事で自分が更に活きる。そんな神業を無意識にやっていた、あの人なら。
───オレはアイとは違う。オレにフォローできるのは、オレの手を掴もうとしてくる人間だけだ。
「…………そうね。貴方が此処に加わる事で何か変わるんじゃないかって期待してなかったといえば嘘になるわ」
その一言にグッと身体が重くなる。そこまで期待されても困るという言葉が出そうになった自分にイラついた。期待されて困るなんて事、役者は死んでも言ってはいけない。ソレなのに、言いそうになってしまった。
「でも、じゅーぶん。アクアの演技を見れて、私嬉しかったわ。貴方は自分を殺し、エゴを殺し、作品に、そして大衆に寄り添える人。10年前と同じだった」
エゴを殺す。それが役者にとってどれだけ難しいか。10年間殺し続けることがどれだけ心に負荷がかかるか、有馬は誰よりも知っている。
「もしかしてそれは、普通の人には分からなくて、私たちみたいに、役者を長くやっている人以外にはどうでもいいことなのかもしれないけど」
けど、それでも
「現場の人はきっと分かってくれる。貴方の価値を見つけてくれる人は必ずいるわ。私みたいにね」
その積み重ねが信用に繋がる。その信用が次の仕事に繋がる。結果に繋がらない努力はあるかもしれない。けど無意味な努力などきっとないのだから。
「私は好きよ、アクアの演技」
少し胸に込み上げるモノがあった。この世界にいて10年、そんな事を言われたのは初めてだった。オレの演技を好きだと言ってくれた人は多分誰もいなかった。それを当たり前だと思っていた。
───そうか、オレは…
オレの演技が好きじゃなかったんだ。
「アクア?」
黙りこくってしまったアクアに、有馬が心配そうに眉を歪ませる。ふう、と一つ息を吐くと、星の瞳の少年は笑みを浮かべた。
「持ち上げてくれるね、流石は座長。ブタもおだてりゃ木に登るってか」
「──ヒネてるわね。本当にそんなつもりで言ったんじゃないわよ」
「見てくれる人はいる、か。じゃあ聞くけどお前にはいたのか?」
「うぐっ」
厳しい現実が勝手の天才子役の心に突き刺さる。いてたらこんな落ち目ドラマには出てないだろう。
「確かに、私にとって闇の時代は大分長かったわ。終わった人扱い何度もされてきたし、引退って言葉だって数えきれないほどよぎった」
一度頂点を見ているから、暗闇はさらに暗く見え、出口のないトンネルの中で幾度となく、膝をついた。頂点からどん底に叩き落とされた。そういう意味ではただ這い上がるだけのアクアより有馬の10年間は辛く厳しいモノだったのかもしれない。
「だけど!見てくれる人はやっぱりいたのよ!10年ぶり、しかも原作は名作と言われてるドラマで、主演級の役に抜擢してもらった!実力を評価してもらった!今まで本当に辛かったけど、続けてきてよかった!」
薄暗い廃屋の中で、輝く少女の笑顔。その笑顔はきっと演技でも、嘘でもない。彼女の本心からの喜びの感情をオレは再開してから……いや、初めて出会った時から今日に至るまでで、初めて見たかもしれない。
「だからね、別にあんたがめちゃくちゃ凄い演技しなくたって、この仕事を続けてたって知れただけで、本当に嬉しかった。こんな前も後ろも真っ暗な世界で、自分の光だけを頼りにもがいてる仲間がいたんだって知ることができた。それだけで充分。それだけで私は、これからも闘っていけるから」
手を差し出される。やわらかく開いた手は小さく、華奢だ。この細く、柔らかく、小さな手で彼女は戦い続けてきた。
「これからも頑張ろう。私達の光が、きっと誰かに届くと信じて」
差し出された手を握る。少し力を入れれば壊れてしまうのではないかと思うほど、この手はもうボロボロだった。
▼
撮影再開の声が掛かるまでの時間。アクアは廃屋の隅で立ち尽くし、ジッと自分の手を見つめていた。
───小さかったな、あいつの手
子供の頃はほとんど変わらない大きさ。ヘタをすれば有馬の方が大きいくらいの手だったが、今は完全にオレの方が大きかった。
───あいつ、今は寮で一人暮らしなんだっけ
ラブホでお互いの近況報告をした時、そんな事を言っていた。事務所を抜けて、フリーになって、プライベートでもずっと一人。あの小さな手で、本当に一人で戦っていた。
───オレより遥かにキツかっただろうな
なんだかんだでアクアは家族に支えられていた。息子同然に育ててくれるミヤコ。心を軽くしてくれるルビー。愚痴を聞いてくれる監督。空っぽになって接することができるナナさんやハルさん。色んな人に守られてオレは此処まできた。有馬はオレのことを10年間戦い続けていた同志などと呼んでくれたが、オレは息抜きも回り道もいっぱいしてきた。有馬のように芸能一本で10年を過ごしてきたわけじゃない。後悔はしてないし、間違っていたとも思わないが、同じ10年でもあいつの方が険しい道のりだったのだろうとは思う。しかも隣に誰もいない、ずっと一人で。
その末が今だというなら、あまりに苦労と結果が見合っていない。有馬は実力が評価されたと言っていたが、ソレもどうなんだろうと思う。もちろん実力で選ばれたという理由もゼロではないだろう。だがこのネットドラマの第一目的は明らかに役者の宣伝材料。有馬はそのためのダシ。落ち目のフリー女優など、ギャラも所属俳優などに比べればゼロも同然のはず。仮にも全国に浸透したネームバリューを格安で使えるのなら、プロデューサーとしては丸儲けだろう。
その事を、今の有馬が気づいていないとは思えない。
───珍しい話じゃねーけど
この世界で実力と評価が見合っている人間が、一体どれだけいるだろう。埋もれた才能がどれだけあるだろう。具体的な数字など想像もつかない。適切な評価なんて、つけられる方が稀な世界だ。
『私だって本気でやりたいわよ』
この間、台本を渡された時、ポロッと出たあいつの本音。でもこの現場でオレもあいつも本気を出せば、全部壊れる。
「撮影、再開しまーす」
ディレクターの声が掛かる。まだ何の打開策も思いついていないのに。
始まる。始まってしまう。
『実力を評価してもらった!今まで本当に辛かったけど、続けてきてよかった!』
偽りを纏うのが当たり前のこの世界で、初めて見た偽りのないあの笑顔が脳裏によぎる。
「なんとか、してやりたいな」
わかってきたじゃない
誰にも聞こえない音量で呟いた声に、何かが反応した。背筋が粟立つ。ゾクリと寒気が走る。
何もされてないのに背中から圧のようなものを感じることがある。誰かに無言で背後からジッと見つめられていたら、背中に何かを感じるように。
振り返る。後ろは廃倉庫の隅だ。ただでさえ薄暗いのに、光が届きにくい隅はほとんど暗闇だ。何もないのに、気味が悪く感じるほど。
───…………いや、違う。
何かいる。何も見えないが、引力のような何かを感じる。そこに何かあるのは間違いない。けれどそれが何なのかはわからない。その暗闇だけ周囲と空気が違う。そこだけ濃い闇に覆われてるせいか、周囲の薄暗さは明るく見えるほどだった。
───そこに一体何が……
暗闇に向かって手を伸ばそうとした時、ズッと何かが動いたような気がした。見えない闇は中途半端に伸ばしたオレの手を包み込んだ。
アクア
耳元で鼓膜を震わせない『声』が響く。間違いない。あの時の『声』だ。あの時は音しか聞こえなかった。今も見えはしないけれど、その存在を感じることができた。
───貴女は、一体……
世界を愛して
眩い星の光を放つ瞳がオレの目線の少し下で輝く。大人になったルビーがオレに笑いかけた気がした。
▼
廃屋の隅、後ろを向いているあの男に疑問符が募る。ディレクターから再開の声がかかった。もうすぐカチンコが鳴る。カメラが回り、空気がズシッと重くなる。人生そのものを問われるかのような一瞬が始まろうとしているのに、あの男は背後を振り返ったまま、動かなかった。
「ちょっとアクア、何やってるのよ。始まる──」
肩に手をかける。振り返ったその顔を見て、思わず息を呑んだ。
星の輝きの瞳が光っている。と言っても眩い光ではない。むしろ逆。暗く深い、全てを吸い込むかのような闇の輝きが、私を捉えて離さなかった。離せなかった。
───コレは、この雰囲気は……10年前の…そしてあのPVの
恐ろしく、気味の悪い、背筋すら凍りつかせる、あの時の…
「───有馬」
ハッとなる。現実に戻ってきたと、有馬は比喩抜きで思った。一度目を閉じたアクアも先ほどのオーラは消え失せている。穏やかに笑っているのは、さっきまでの少し皮肉屋な少年だ。
「───ドラマって文化の主役って、誰だと思う?」
脚本、監督、プロデューサー、カメラマン、そしてファン。様々な人に支えられ、世界中で愛されている芸能。それがドラマ。それが演劇。
けれど、それでも。
「この文化の主役は間違いなくオレ達役者なんだよ」
どれだけ優秀な脚本があっても、キャストがいなければ成り立たない。どれほど有能なプロデューサーがいても、役者がいなければドラマは絶対に成立しない。こと役割という点において、監督やプロデューサーの変わりはいても、役者の代わりはいない。
芸能界を夢見ても、芸能界に夢を見るな。芸能界に関わるものであれば、誰もが知っている鉄則。
だけど、それでも、今だけは。
「夢を見ろよ、有馬かな」
自分を諦めてないで、夢を見ろ。お前はまだ何者にもなっていない。何になれるかは、コレからなんだ。
「演出ってのは脚本の化粧。どんなに素晴らしい脚本でも演出がクソなら駄作になる。そして演出の核は、役者だ」
「あんた、何を言って…」
「化粧ってのはルーツを辿れば、魔法に行き着く」
見る事は人類の最初の魔術。自分を美しく見せたい。強く見せたい。幻想に近づきたい。その願いが生み出した魔法。それが化粧。それが芸能。それがドラマ。
「かな。今だけはオレがお前の魔法使いになってやる」
お前を強く見せよう。美しく見せよう。幻想の世界に連れていこう。今だけはその為に、全力を尽くすと約束しよう。
「夢を見ろよ、12時を過ぎたシンデレラ。魔法はオレがかけてやる」
魔法の時間が、始まった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。最新話では新キャラ出ましたね。またもや衝撃の展開。一体どうなってしまうのかハラハラです。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします!面白かったの一言でもいただければ幸いです。時間がかかっても感想には必ず返信します!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
10th take 焦がれて、焦げる
星をなくした子の魔法が貴方を優しく照らす
差し伸べられた手を取ることはあまり勧めない
その魔薬の虜になってしまうから
カチンコの音が鳴る。
カメラが回り始める。
ずしりとした空気が肺を満たし
一年の時を凝縮したかのような
重く強い時間が流れる
人生そのものを問われるかのような
永遠より長く、刹那より短い一瞬に
役者たちは命を懸ける
そう思っていたのは私だけだった。
私はかつて光り輝いていた。
誰もが私を天才と呼び、大人も子供も私をちやほやしてくれた。
でも輝きにはリミットがある。
小学生辺りで私は終わってしまった。あっという間に人はいなくなった。
何もしなくても舞い込んでいた仕事はピタリとなくなり、オーディションを受けなければならなくなった。
そして今やもうオーディションを受けても仕事はもらえなくなった。
魔法が解けてしまったかのようだった。
卵を産まなくなった鶏は経営者にとって荷物以外の何者でもない。居場所がなくなった私は事務所を抜け、セルフプロデュースで業界にしがみつき、ようやく待望の主役級の仕事を掴んだ。
何がなんでも良い作品にしたい。このドラマをきっかけに私はまた芸能界を駆け上がる。そう思っていたのに。
直面する現実。落ち目の役者に与えられた、当たり前の試練。
喜び勇んで挑んだ現場に待ち構えていたのは基礎もできていないモデル達。私以外で役者と呼べる人間は一人もいない。案の定グダグダの撮影。そして当然のように殺到する罵倒。誰もが最初の1話で失敗作の烙印を押し、原作者は失望した、駄作。それが今の私が参加を許されるドラマだった。
───そりゃそうよね
落ち目の役者に与えられる現場なんてこんなものだ。何かしらの欠陥があって当然。私と同じ志を持ってるような人と仕事なんてできるわけがない。
魔法が解けた。夢を見ていられる時間は終わった。
なら現実の中で足掻く。まだ手遅れじゃない。最後の一話に、チャンスは残っている。その為にできる事を。
そう思っていた時、あの写真に出会った。
女装をしてまで出演したPV。やりたくてやったことのはずがない(多分)。あいつも魔法が解けた現実の中で戦っていた。できる事をやっていた。私一人じゃ無理でも、アイツとならきっと。
この時点で、私はまだ夢を見ていた。
現状を改善する現実的な手段の一つとしてだけでなく、子供の頃の夢想そのままに、アイツのことを見ていた。
人生で初めて無様に負けた。自分は天才じゃないと本物の天才に思い知らされた。それ以来ずっと探し、リベンジの機会を待ち望んでいた。はっきり言って憎んでたとすら言ってよかったと思う。
でも、いつまで経ってもアイツと出会う機会は訪れなかった。
何やってるんだとイラついた時期もあった。あれ程の才能、どこで腐らせているのかと腹立たしかった。今度は私がアイツに敗北を味合わせてやる。絶対泣かす。そればかり考えていた時期もあったのに。
ある日、クルッと裏返った。
アイツに何かあったんじゃないか。ケガ?病気?若くても命に関わる重病に罹ることなんていくらでもある。怪我なんか、幼い方がしやすいだろう。
それとも精神的なもの?子役が鬱病になっていたとしてもまったく驚かない。子供がこの世界にしがみつき続ける事がどれだけ大変かは誰よりもわかっているつもりだったし、もしかしたらそれ以外の理由もあったのかもしれない。家族になにかあったか。怒りは心配に入れ替わり、復讐心は消え、会いたいという願望に変わった。
他人のことをこんなに心配したのは、多分生まれて初めてだった。
そしてついに、夢にまで見た、星野アクアとの共演の時。
写真を見て、期待はしていた。子供の頃に見たあの不気味なオーラが遥かにレベルアップしていたから。コイツなら何かを変えられるんじゃないかって。
けれど現実は厳しいものだ。
優等生、及第点、上手いが上手いだけ。それが今のアクアの演技だった。勿論台本を渡した次の日に迎えた本番と考えれば充分高いクオリティだ。台詞の読み込み、キャラクターの理解、監督の意図、物語の意図、全てよくわかっている。たった一晩の完成度とは思えないほど。
周りと軋轢を生まない、イメージ通りの演技。しかし、それだけだ。大人になったという見方もできるが、媚びた演出と言えなくもない。
───ああ、コイツもならされてしまった
この業界で役者として生きていく方法は大きく分けて二つ。替えの聞かない存在に成るか、使い勝手のいい役者に馴らされるか。かつての天才アイドル『アイ』や劇団ララライの若きエース『黒川あかね』は前者。そして私やアクアは後者だった。周りと歩幅を合わせ、息を合わせ、求められる仕事をこなす。あの演技は特に無茶をやっても迷惑のかからないモブだからこそ出来たんだろう。女装までして身バレしないようにしてたし、私にバレた時は動揺していた。この推測は間違いないはずだ。
才能を抑える道を選んだ。
───無理もないわよね
芸能界という大人しかいない世界で、子供がつっぱり続ける事が、どれほど難しいか。私は身をもって知っている。10年前、五反田監督が言ってくれたあの言葉がなければ私なんてとっくに消し飛んでいた。アクアはその五反田監督に役者として育てられた。なら成長方向が私と似通っているのは当たり前だ。
私たちに出来るのは、現実の中で少しでも良い作品にする為に身を粉にする。それだけだ。
───そう、まだ終わったわけじゃない
最終回。このドラマ最大の見せ場が残っている。名作と言われる原作、『今日は甘口で』最高の名場面。ヒーローとストーカーの対決。漫画でここを読む時はいつも泣くし、何度も何度も読み返した大好きなシーン。
ここで相方と呼吸を合わせ、上手くフォローしつつ、アクアの作品に貢献する演技で盛り上げる。私たち二人であの最高のシーンを再現できれば、きっとまだ…!
「ヒトリニサセネーヨ!」
───何度目だろう…
まだいける。そう思って挑んで、現実に打ちのめされる。
声が鼻にかかっている。身振り手振りが声とあっていない。変に存在をアピールしようとしてるから、発音もイントネーションもバラバラ。感情の込め方が不自然。リハーサルの時と何一つ変わっていない。緊迫感もクソもあったもんじゃない。フォローしきれるはずがない。
───演技って、そんなにどうでもいいものなの?
私が人生を賭けるほど夢中になった芸術は、この世界ではここまでどうでもいいものなのか。夢の中に居続けてはいけないモノなのか。現実で戦うというのはこういう事なのか?
───無駄ね、こんな事考えても。
いくら私がダメだと思っても、監督や演出がOKを出すならOKなんだ。
───わかってるよ
この作品が結構なクソだってことくらい、わかってる。監督やプロデューサーだってわかってるはずだ。でもこのドラマはクソでいいと私以外のみんなが思っているんだ。このドラマの最大の目的はこの素人大根モデル達の宣材。作品の評価なんてどうでもいいんだ。勿論ワザとクソにしてるわけじゃないけど、クソが前提のドラマなんだ。
『オレ達も、もう大人だ』
『子供が言い訳になる時間は過ぎたわ』
アクアに向けて、私が言ったセリフだ。その言葉に嘘はない。本気でそう思っている。そうだ、夢を見ていられる時間は終わった。トップがクソでいいと思っているならせいぜいクソなドラマで完結させるのが彼らの意図に沿った行動なんだ。
───もう、終わらせよう
このドラマも、演技も、私の夢も。子供の時間は終わった。夢中とは夢の中。夢中でいられる時間は終わったんだ。
『夢を見ろよ、有馬かな』
諦めの帷が降りようとする中、有馬かなの脳裏に声が響く。思わず振り返ってしまった。鼓膜が震えたわけではない。しかし耳ではない何かがその音を拾った。
ピチャッ
廃屋の角、薄暗い空間の中で、さらに暗い影がある。そこかしこから落ちる雨漏りのお陰で床は至る所が濡れている。人の形をした闇が、雨を踏み締めていた。
───やっと、諦められそうだったのに
嘆きつつも、喜んでしまう。アイツだ。アイツが帰ってきた。身に纏う不気味な雰囲気。立ち上る異質な空気。目が引き摺り込まれる、オーラ。
ああ、思えば子供の頃からそうだった。
───コイツはいつも私に……
夢を見せる
▼
オレは、ずっと間違っていた。
感情の使い方を。感情の動かし方を。感情を向けるべき相手を。
オレは今までオレの中の感情を自分か、自分の大切な人にしか向けてこなかった。オレはオレのためにしか演技をしていなかった。
それではダメなんだ。主役ならそれでいいが、脇役が自分しか愛せないなんて論外。脇役とは引き立て役。誰かを引き立てるには、その誰か達を愛さなければいけない。
勿論それは人だけではない。雨、風、暗闇、照明。世界全てに意識を払わなければいけない。人も、モノも、カメラに映る全てに愛を捧げる。
それこそが、世界を愛するということ。
『アクアくん、調和っていうのは思いやりよ?今のアクアくんじゃピアノが可哀想だわ』
ああ、オレは思いやりが足りなかった。ピアノにも、カメラにも、現象にも。
『人の動き全てが心の動きなのよ』
そうだ。愛を原動力にして動いているのはオレだけじゃなかった。あのモデルの大根演技も、心の動きの結果だった。
───馬鹿だな、オレは。ヒントはいろんな人が沢山くれていたのに。
人間とは見たいものしか見ず、聞きたいものしか聞こえない生き物だ。オレはナナさんやミヤコの言葉をただの言葉としてしか聞いていなかった。
見方を変えたら、聞き方を変えたら、こんなにも当たり前のことだったのに。
だって、愛は真心なのだから。
人は鏡。物も鏡。恩を受けた人の大多数は恩を返そうとするし、大切に扱った道具は手に馴染む。相手の心の真の部分を動かそうと思えば、こちらも真心をぶつけなければいけない。自分にしか向き合っていない者に、一体誰が心を開いてくれるだろう。そんな事も分かってなかった。
あははっ
笑い声が聞こえる。この本番が始まる直前に再び聞こえ始めた、あの『声』。鼓膜は震えないけど、心のどこかが震え、心臓が鳴き、血が叫んだ。
ヘタねー、アクア。へたっぴだよ〜?
───うるせーな。ハンチョウかてめーは
だがその通りだ。スランプじゃない。オレが未熟なだけだった。愛の使い方がヘタクソだった。
オレは今回引き立て役。だが原作屈指の名シーンに欠かせない存在。オレが存在感を出しつつも、目立ってはいけない。オレの存在を主張しつつも、オレが一番輝いてはいけない。
なら、どうするか。簡単だ。オレ以上にオレ以外を輝かせればいい。
無音で流れる雨水を踏み締める。水の音が目立つことでオレの存在が認識される。しかし、ここで輝くのはオレでなく、雨水。オレはその付属品であればいい。
照明の位置を意識し、立ち位置を変える。カメラから映る逆光はオレの存在を主張すると同時に朧げにもする。
───次は、コイツ。
ヒロインを守るこの男を輝かせる。大根モデルに手の打ちようはないと侮っていた。オレは差し出した手をとってくれる人しか救えないと思っていた。それも間違いではないが、真実ではない。こちらが手を出しても掴まないのであれば、相手からこちらに手を出させてやればいい。
「哀れだな、お前。悪いこと言わねーから役者はやめとけ」
マイクが拾わない小声で鳴嶋に耳打ちする。他人に感情を持たせるにはどうするか。手段はいろいろあるが、最も手っ取り早いのは愛する者を侮辱すること。
───コイツが最も愛しているのは自分自身
真心は己のプライドの中にある。なら、そこを揺り動かせば、感情は湧いてくる。
「PC加工まみれのメッキモデルが通用する世界じゃねーから」
「…………は?なんつったオメエ!」
激昂してオレの肩を掴みかかってくる。脚本には無い動きとセリフだが、問題ない。求めていたのは生の感情の発露。それさえしてくれるなら、あとはこちらでフォローできる。
『聞こえなかったか?そんな女に守る価値なんて無いって言ったんだ!』
台本も立ち位置も無視。今のセリフもアドリブ。即カット食らって、叱責されても無理はない行為だが、それは無いと踏んでいた。
───裏方は優秀だ。オレの意図に気づかないはずがない。ココでカットはまず掛けない。
相手の意図に応えることばかり考えていた。監督や演出を信じる。これも今までやってこなかったこと。期待に応えることも愛ならば、たとえ期待を裏切る事でも、信じて最善を尽くすこともまた愛なんだ。
照明が強くなる。そうすれば闇が濃くなる。そう、此処は『闇』を演出するシーン。薄暗い舞台の中で、人の闇が周囲を覆う。だからこそ一筋の光が輝く。わかっている。やっぱり裏方は優秀だ。信じてよかった。
オレのオーラ。周囲の目線を集め、引き摺り込む引力を、オレにのみ使うのではなく、オレを含めた世界全てに使う。オレの中から溢れる
今度は有馬に、オレの真心を届ける。『本気でやれ』と。
───こういうことだろ、『声』
世界を愛するってことは。
▼
魔法を魅せられているかのようだった。
アイツが現れた途端、何もかもが変わった。暗闇から現れた闇より暗い人影。跳ねる水音。逆光により、塗り潰された表情。その全てがズシリと空気を重くした。
闇を作り出した張本人が誰かは誰でもわかる。注目も集めている。けれどその目線は個人にのみ向けられたものではなかった。闇の中心が暗すぎるおかげか、その周囲は明るく見える。故に注意は水音や取り出されたナイフなどの小道具に向き、その所有者の存在感は寧ろ希薄になるくらいだった。
───周り全部を引き摺り込むオーラ。それを今度は周囲を目立たせるために使っている
「…………は?なんつったオメエ!」
『聞こえなかったか?そんな女に守る価値なんて無いって言ったんだ!』
この収録で……いや、過去全てを含めて、初めて鳴嶋から出た、本気の感情が篭ったセリフ。台本にない完全な
───あ、いい
強くなる照明。影が濃くなる演出。原作の名シーンが、再現されている。
「この子は俺の大事な友達だ!」
鳴嶋のセリフも悪くない。鼻にかかった薄っぺらい言の葉に、感情という芯が篭る。私から見ればまだまだだし、下手だけど、フォローが届くレベルにまで引き上げられている。
このシーン最大の見せ場へと、闇が演出されていく。怖く、キモく、痛々しく。だからこそヒロインの涙が輝くように、展開が広がっていく。
───これが、星野アクアの本気
自身の引力を周囲に伝え、相手の感情を無理やり引っ張り出し、全力以上を引き出す。自分が活きる事で、周りが活きる。そして周りを活かす事で自分がさらに活きる、最高の潤滑油。化学反応を半ば強制的に引き起こす劇薬的演技。
『私だって本気でやりたいわよ』
やりたかった。けど出来ないと諦めていた。場が壊れるから。私の本気が作品を崩壊させてしまうから。
けど目の前で見せつけられる魔法は、私の本気を許す場に変わり始めていた。
自惚れかもしれない。アクアはただ作品を良くするためにこの演技をしているのかもしれない。
けれど、本物の役者同士は動きだけで語り合える。少なくとも私の目にはアクアの一挙手一投足がこう叫んでいるようにしか見えなかった。
『夢を見ろ。小さくまとまってんな。本気でやってみせろよ、有馬かな』
そのための場はオレが作ってやる。オレがこの現場全部に魔法をかけてやる。そう語っていた。本番が始まる前に私に向けて放った言葉は大言壮語ではなかった。
視線が一瞬合う。星の輝きの瞳が、私に向けられた。
ああ、光がある
10年前、私は光り輝いていた。でも光には
そこからは前も後ろも真っ暗なこの世界で、僅かに残った自分の光と、どこかできっと戦っている、私を完璧に負かした光を頼りに歩き続け、しがみついた。
結局10年間、その光に出会うことはなかった。
けれど10年間探し続けていた輝きは、それでも今、たしかに此処に。
『それでも、光はあるから』
両頬から熱い雫が流れ落ちていることに気づいたのは、泣き演技をしようと意識した後だった。
▼
「はい、OKです」
カットが掛かる。一つ大きく息を吐き、殴り飛ばされた状態から身体を起こすと、ずきりと痛んだ。鳴嶋の拳が当たったアクアの頬にはあざが出来ていた。
「あ……!その…」
何か冷やすものないかな、と探していると後ろから声がかかる。あざを作った張本人が後ろめたそうに立ち尽くしていた。
「…………悪い、拳、当たったよな?リキっちまって」
謝ってきたことに少し驚く。オレの暴言に対して文句言ってくるかと思っていたのだが。ちゃんとオレがやったことの意図を理解していた。なんだ、コイツは思ったより伸び代あるかもしれない。
「気にするな。煽ったのはオレなんだ。このくらいは覚悟してた」
嫌味でも謙遜でもなく、本音だった。場合によってはオレから殴られにいこうとするつもりだった。思惑通りに動いてくれて良かったとすら思っている。
「感情の乗った演技、できるじゃん。今日の感覚、忘れるなよ。これからも役者としてやってくつもりならさ───もしもし?うん、撮影終わった。迎えよろしく。あとついでになんか冷やすもの持ってきて。いやちょっとヒートアップされちゃって……オレは何もしてないって。ほんとほんと──」
電話しながら奥へと引っ込む。その様子を二人の役者はただ見ていることしか出来なかった。
「かなちゃん、最後のシーンもうイケる?…………かなちゃん?」
「あっ、はい」
2回名前を呼ばれて、ようやく反応する。どうやらさっきまでの役がまだ抜けていないらしい。彼女にしては珍しいことだが、役者的にはあるあるだ。特に気にもせず、監督はカメラを回し始める。
アクアもメルトもさっきのシーンでクランクアップだが、有馬だけはまだ最後のワンカットが残っていた。
最大の見せ場が終わり、ヒロインのアップでこのネットドラマは締め括られる。台本には一言、こう書かれている。
この日、有馬かなは生まれて初めて、演技をせずにカメラに映った。
▼
ネットドラマ、「今日は甘口で」の最終回が放送された。視聴者の多くはリタイアし、コアなファンや一部関係者のみが視聴を続けていたコンテンツだった。が、だからこそ視聴者達は過去話と最終回の違いに気づき、感動し、SNSで少しだけ話題になった。
『最終回よくね?』
『今までとのギャップでめっちゃ刺さる!』
大きくバズったわけではない。トレンドランキングもトップ10にすら入っていない。狭いところで熱い支持を集めただけだ。
けれど芸能界は常に才能を求めている。
このネットドラマの最大の目的は駆け出し役者達の宣伝。役者の売り込みが第一である。故に視聴を続けていた一部関係者の中に映画やドラマの監督。まだ見ぬライバルを警戒する事務所が含まれているのは当然だった。アンテナを伸ばすことは芸能界の大事な業務の一つなのだから。小さな規模でも、良いという反響があればチェックするのは必然。狭い界隈とはいえ、熱烈な賞賛が上がった一話。アンテナに引っかからないはずがない。
もちろん、この事務所も例外ではなかった。
「あの有馬かなが出ているからと言うことで一応見ていたが…」
「落ち目であることを自ら吐露した、駄作に過ぎないドラマが……」
「最終話だけは良いな」
「元々の下地を作っていたのは有馬かなだけど、変化をもたらしたスパイスは彼だ。フードを被った、ストーカー役の」
一般視聴者たちは最終回の立役者が誰かわかっていなかった。しかし、見る者が見れば、最終話の良さがどこから出ているかは一目瞭然。そもそも、劇的に良くなったのはあのヒーローとストーカーの対決からだ。分からないはずがない。
「名前は…………星野アクア?聞いたことないわね。新人?ねぇ、貴方知ってる?」
隣でドラマを見ていた所属タレントにマネージャーが問いかける。同世代だし、様々な現場に引っ張りだこの彼女なら、面識くらいあるかもしれないと思ったのだ。
その推測は半分当たっている。直接会ったことはないけれど、彼女はこの男を知っていた。
「───見つけた」
「フリル?やっぱり知ってるの?」
不知火フリルは妖艶な笑みを浮かべ、エンドロールに流れるキャスト紹介の名前を指でなぞる。格好は違う。あの時は女の子だったけど、今回は男の子。女の子が男役をやる事なんて、演劇の世界じゃ珍しくはないけど、流石に今回はわかる。
───やっぱり男の子だったんだ
あのPVを見た時から、女か男か分からなかった。今回もフード被ってるし、影の濃い演出をしているから、よく見なければこの役者がどんな顔をしているか、わからない。けれどわかる。この雰囲気、周囲への影響力、このオーラ。分からないはずがない。気づかないはずがない。
「星野アクア」
覚えた。絶対に忘れない。ここからは簡単だ。たとえ芸名でも、名前がわかれば後は難しくない。
「マネージャー。彼の所属事務所、調べてもらえますか?」
「いいけど……なんで?」
言われなくても調べるつもりではあった。新しい才能のチェックは業務の一つだから。けれどフリルから頼まれるとは思わなかった。
「彼に興味があるんです」
自分を曝け出すメソッド演技。なのに顔が見えない。自分でない何かを完璧に演じている。異常なまでに自然で、異常なまでに分厚い仮面。今まで演技が上手いと思う人は何人もいたけど、こんな人は初めてだ。
自分より分厚いかもしれない仮面を纏う人間は。
「会いたい」
会って、知りたい。その画面の下に何を隠しているのか。仮面の下の素顔はどんなものなのか。どうすればそんなに凄い仮面を纏えるのか。会って知りたい。その人の技術も、素顔も、心も、全部曝け出したい。盗みたい。大衆の前に立つ彼がひた隠す全てを私だけのものにしたい。
「会いたいんです。彼の所属事務所。できれば今後、彼が出演する仕事なんかも。お願いします」
現在、芸能界の中心において旋風を巻き起こしているアイドル。
芸能界の片隅で生まれた、未だ小さな小さな台風の卵。
二つの嵐が勢いを増しながら、少しずつ近づき始めていた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。今日あま編最大の山場が終わりました。いかがだったでしょうか?遂にフリル様に名前がバレました。今の天才とこれからの天才が出会うまで、あと少しです。不知火フリルの性格とか設定とか、原作と違う事もあると思いますが、バタフライエフェクトとということで、生暖かく見守ってください。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
11th take 追う者、追われるもの
貴方は真実を語る見世物小屋へと招かれるだろう
星の軌跡を辿る道が開く
残る足跡を追う者に気づく事なく
「ふーん。この子がレンちゃんの後輩かぁ」
東京のとあるハコ。派手なピアスが特徴的な少女がツレを紹介していた。中学の後輩で、歳は12歳。まだ喉仏も出ていない少年。容姿は天使と見紛うほど凄まじく整っている。美貌のせいか、性差に乏しい。女の子だと言われればななみは信じたかもしれない。
「そっ。私の後輩で愛玩動物。ピアノやってた子でドラムとかも仕込んでる。腕はまあ中の上かな。促成栽培で育てたにしてはまあまあだと思う」
「かっわいいじゃん。ボク、お名前は?」
「アクアマリン」
「スゲー名前w」
「面倒だからアクアでいい」
「そう?じゃ、アクア君。決めよっか」
「?」
「私とななみ、どっちとバンド組みたい?」
コレが歌姫、鷲見はるか。ピアニスト寿ななみ。そして俳優星野アクアの出会いであり、3pieceバンド、【
▼
「ヘイヘイアッくん。男ならスパッと決めな。私か、ななみか、どっちと組みたいの?」
レンさんに連れられて、いきなり紹介され、そのまま先輩とは別れ、三人で個室のある居酒屋に入った。隣に座ったハルさんはパーソナルスペースもあったものではなく、ビのつく金色の飲み物片手に絡みついていた。
「ウザ絡みやめなよハル。アクアくん引いてるよ」
「えー。そんなことないでしょー?初対面だけどなんとなくわかるよ。私とアッくん。気が合いそうだもんね」
でた。初対面の相手にも大概好印象を持ってもらえる言葉、気が合いそう。美人に気が合うと言われて悪い気がするやつなど、まずいないし、仲良くする気があるというアピールでもある。男慣れしてる女が(男もだが)よく使う手だ。
「そうですね。鷲見さんモテそうですもんね。大概の人には合わせられるでしょうね」
この返事には、はるかもななみも驚かされた。中学生になりたての少年が普通こんなこと言われたら舞い上がるか、緊張してあがっちゃうかのどちらかだ。こんなペシミスティックな対応をしてくるとは思わなかった。
「ヘェ〜、君面白いね。あの変人レンの後輩やってるだけはある」
「レンさんは変人じゃありませんよ。ちょっと病んでるだけ。普通の人です」
「お姉さん、ヤんでる人は普通じゃないと思うよ」
「そうですか?オレが知る限り、病んでない人なんて、この世に一人もいませんよ」
言い方が悪いかもしれないが、間違ったことを言ったとは思わない。TikTokやインスタでツイートを気にしすぎているような人は承認欲求過多の病気だし、恋愛に夢中になってる人だってハタから見れば病気に見える。みんな生きてればどこかしら病んでるのが当たり前だ。病んでいるのは精神上異常なのかもしれないが、人間としては至極真っ当だと思う。
「レン先輩は別に特別な病み方してるわけじゃない。たくさんいますよ、歪んでる奴なんて。役者なんてその典型でしょう。承認欲求拗らせてるやつばっかですよ」
「じゃあ君もどこかヤんでるのかな?」
「勿論。オレもしっかり病んでますよ。大事なのはそれと上手く付き合えてるかどうかです」
母親の記憶がない。妹のために嘘をつき続け、好きでも楽しくもない演技に人生を注ぎ続けている。まったく我ながらなんと病んでることか。でもしょうがない。病んでなければ星野アクアでいられないのだから。
「はは、君ホントに面白いね。自分で自分のことヤんでるなんて言う人、初めて見た」
「みんな普通でありたいですからね」
この国の教育は個性を排する主義だ。同じ教育、同じ環境で、冒険をさせない。教師という管理者の元、枠から出ることを禁じられる。出る杭は打たれ、伸びない杭は虐げられる。アベレージは高くなるかもしれないが、突出した何かは生まれにくい。そんな教育環境を作っている。そのくせ社会に出れば積極的に動け、とか個性を出せとか言われる。まったく訳の分からない国だ。人とは一人ひとり違っているから面白いというのに。
「その点、ロックは良い。いろんな人のいろんな個性が許される。認められるかどうかはわからないけど、許してはもらえる。だからこの世界を一度見ておきたかった」
「レンから聞いたよ。アッくん役者志望なんだって?」
「はい。この世界に身を置くのもそのための勉強の一つです。オレはこの世界に居られれば、色んな人を観察できるなら、誰とでも組みたい」
本気でロックで成功するつもりはない。それはまだ夢を追いかけている人たちから見れば怠惰に見えるかもしれない。ともすればオレのスタンスは失礼にすら当たるだろう。
「だからオレからどちらか選ぶなんてことはできませんよ。許可を得たいのは寧ろオレの方です。オレがロックの世界にいられる期間は1年から2年。楽器はキーボードとドラムを少し。それでも良ければ是非組んでいただきたい。よろしくお願いします」
こうしてthree-pieceバンド、【カントル】は結成された。活動期間は一年と少し。中高生のみで構成された実力派美少女バンドは限られた場所でのみだが話題になり、少し騒がれた後に解散の運びとなった。
▼
♪
最後の一音が終わる。フウと息を吐くとほぼ同時、小さな拍手が部屋の中で響いた。拍手をしているのは二人の女性だった。
二人とも歳は二十歳そこそこ。一人は軽くウェーブした桃色がかった茶髪に卵型の大きな瞳。そして服の上からでもわかるスタイルの良さが目を引く美女。
ピアニスト寿七海
フワリとした立体感のある黒髪ロングに、スレンダーな肢体。妖艶な瞳はいかにも男慣れしている雰囲気を醸し出している。
ディーヴァ鷲見はるか
「この三人が揃うのも結構久しぶりね」
「解散ライブやって以来だから2年くらいか」
この二人に星野アクアを加えた三人はかつてバンドを組んでいた事がある。はるかがボーカルアンドギター。アクアがドラム。ななみがベースだった。二人とも音楽歴が長いおかげか、ギターもベースも人並み以上の実力があり、アクアのドラムも先輩達との付き合いの中で、特にレンさんに色々訓練され、人前で恥ずかしくない程度の腕前にはなった。ただ一つ、恥ずかしかったことがあるとすれば…
「久々に私の服着る?マリンちゃん」
「勘弁してください。もう懲り懲りです」
そう、三人は女子中高生のみで組まれた(と誤認させていた)バンドだった。アクアは地毛と同じ色のウィッグとハルさんの中学時代の服を借りて、マリンと名乗っていた。実は女装、あのPVが初めてというわけではなかったのだ。
ななみとはるかが高二の時にそれぞれが組んでいたバンドが解散となり、夢を諦めた者とまだ夢を追う者とで別れた。ななみとはるかは後者。高校まではまだロックを続けると決めた。そして夢を諦めた者が自分の代わりにと連れてきた後輩が、アクアだった。
「うん、めちゃめちゃ上手ってわけじゃないけど、充分。歌いやすいし、聴きやすい。気遣いが上手い子ね」
「なにより、何というか、目を惹く。人を惹きつける何かがある」
一応選抜テスト的なものを受け、合格をもらった。ではバンド名を何にするか、などの話し合いになった折、こんな発言がはるかから飛び出した。
「ねえ、アッくん。女の子にならない?」
「はあ!?」
突拍子もない爆弾発言だったが、ハルさんにしては珍しく、ちゃんとした理由があった。女二人に男一人のバンドは悪い意味で目立つし、あらぬ噂(少なくともこの時は)や余計な波風が立ちやすい。そこでメンバー全員女子なら問題ないでしょ、という事になったのだ。
圧倒的な歌唱力を持つギターアンドボーカル、ハル。スタイル抜群音楽センスの塊ベーシスト、ナナ。小柄ながらも情熱的かつパワフルな顔面偏差値鬼高少女ドラマー、マリン。タイプの違う三人の美少女で構成された3-pierceバンド【
話を戻そう。今日はマンションの一室。ピアノが備え付けられているその部屋でアクアは恩返し演奏を披露していた。昨日、アクアはナナさんとLINKで連絡をとった。『お礼がしたい、都合のいい時間はあるか』、とだけ。すると自宅で会おうと返事が返ってきた。そして訪ねてみるとなんとハルさんまで部屋で待ち構えていた。唐突に休みを取ったナナさんの行動を訝しんだ彼女は今日アクアが来ることを無理やり聞き出したらしい。
「まったく、私との約束すっぽかしたまま、ナナとばっか会ってるなんて許せないよねー」
扉を開けて早々、肩に腕を回されて耳元で囁かれた。その事については申し訳なく思っていた。本当なら受験が終わって、ルビーと別れた後、その事についてハルさんに謝りに行こうと思っていたのだ。が、有馬がくっついてきたせいでできなくなってしまい、仕事も重なって結局行けずじまいだった。
「それでは、ハルさんへのごめんなさいと、ナナさんへのありがとうを込めて、演奏させていただきます。ご拝聴ください。『cantorのために』」
エリーゼのためにを少しジャジーにアレンジした曲を演奏する。色々考えたが、ナナさんへのお礼はやっぱり音楽が一番良いと考えてのことだった。
演奏が終わると拍手をもらう。二人とも嘘ではなく、心から笑っていた。よかった。上手く弾けたっぽい。
「すごーい。凄いわアクアくん。この短期間で驚くほど上手くなってる。あの時に聞いたベートーヴェンとはまるで別物よ」
「ピアノできるの知ってたけど。てゆーか、だから三人でカントルやってたんだけど。クラシックもこんなに上手とは知らなかった」
「練習しましたからね。貴女達二人のためだけに」
少し嘘である。ナナさんはともかく、今日ハルさんに聴かせる予定はなかった。けれどそんなことは言わなければわからないし、少なくとも今の演奏だけは二人のためだけに弾いた。幻想と真実はかけ離れすぎては嘘くさいし、近すぎてもつまらない。良い塩梅で混ぜることが女性と付き合うコツだ。
「技術の上達もあるけど、それ以上によく音が聞けてる。ピアノにも、聞き手にも、ホールにも配慮出来てる、わかった演奏」
ハルさんは満足げに笑ってくれたが、ナナさんは聞こえるかどうかの声量でブツブツと呟きながらガチ評価中。オレの軽口は聞いてくれていなかった。この人、ピアノに関してはホントガチ勢だな。
「何かいいきっかけでもあった?」
「さあどうでしょう。けどハーモニーの真髄に触れることはできたかな、と思います」
座椅子から降りると、グッと背筋を伸ばす。演奏に集中していたからか、思ったより体は固くなっていた。
「何か飲みますか?」
「そうね、紅茶をお願い」
「はい」
あれから数日。ネットドラマの撮影が終わった後、アクアは意外と暇をしていた。中学の卒業式は終わったし、高校の入学式まではまだ時間がある。ぽっかりと空白の時間が出来てしまった。
紅茶を淹れている間に二人がPCでドラマの最終話を見ていた。
「………コレがアクアくんが出たドラマかぁ。あんまりいい役じゃないわね」
「駆け出しなんでね。期待させてたなら申し訳ない…………しかし我ながら酷いナリだな」
そういう役だと言ってしまえばそれまでだが、まあキモい。フードで顔も半分以上隠れてる上に逆光でさらに見えにくくなっている。言わなければオレだと気づく人は少ないだろう。
「…………でも、目が引き寄せられるよね。全体的に暗いシーンだけど、暗さの根源がアクアくんから出てるって感じ、する」
「怖いしキモいけど、見ちゃうわね。怖いもの見たさって気持ちが初めてわかったかも」
流石は二人とも芸術家。細かいテクニックなんかはわからないけど、演出の芯の部分がわかっている。目の付け所や感じ方が素人とは明らかに違う。
「こういうキモいアッくん見た後にピアノとか弾いてるアッくん見たらなんかいつもよりエロく見えるね」
「オレ、いつもエロいですか?」
「エロいというより、今日のアッくんなんか色っぽい……」
伸びた背筋。細い指先。流麗に動く運指。ピアノへのタッチ。随所に思い遣りが光る。愛の使い方を学習したアクアは動作の一つ一つに以前にはない艶があった。
「ね、アッくん。先っちょだけ、先っちょだけいいかな?」
「ハルさんキモいです」
「キモくないキモくない。ちょっと二人だけになれるとこ、行こうか」
「そろそろやめてくれません?」
若干引きつつも、心情は理解できる。いつも見ているはずのものが、ギャップでさらに良く見える、というのはあることだし、男女の関係をすすめる戦略としても有効だ。
「きれいは穢い。穢いはきれい、か」
「あ、シェイクスピア。流石はカントル作詞担当。詩人だねぇ」
「役者は詩人多いけどね──お待たせしました」
花と蔓のデザインが美しい白磁の陶器から湯気が立つ。テーブルには人数分の紅茶とクッキーが盛り付けられていた。
「ん、美味しい。腕衰えてないね」
「当然」
「ま、茶葉がいいんだけどね」
「ハル、そういうのは自分で美味しく淹れられる人だけが言っていいセリフよ」
「はは、でも事実ですよ。実際良い茶葉です。流石はナナお嬢様の嗜好品」
「ピアノなんて金持ちじゃないとできない趣味だよねー」
「なんか引っかかる言い方ね、二人とも」
こういうのも久しぶりだ。根がまじめなナナさんが不満そうに鼻を鳴らす。Sっ気強めなハルさんがオレかナナさんをからかってケラケラ笑う。オレはその様子を少し下から見ている。オレたち三人は絶妙なバランスの上で成り立っていた。
「……で?俳優アクアさん、見事に鮮烈なデビューを飾ったわけですが」
「鮮烈デビューにしては暗い結果だ」
「期待の新鋭の今後の活動について何かありますか?」
「…………」
思わず黙り込んでしまう。いずれバレる事だし、別に隠すほどでもないのだが、この二人に言うのは少し憚られる。
オレの沈黙を違う意味で受け取ったのか、ナナさんがエアマイクを押しつけてくるハルさんを制止した。
「ハル、あんまりアクアくん追い詰めないの。駆け出し役者が一つ仕事終わったところで、いきなり次が舞い込むなんてそうそうない事、私達がよく知ってるでしょ?」
「そっかー、次には繋がらなかったかー。気を落とすなよアッくん。チミはまだ若いんだからコレからチャンスはいくらでも──」
「…………二人に嘘つくの嫌だから言いますけどさ」
誤解のままにしておこうかとも思ったが、この二人には嘘をつかなくていいから楽なのだ。だが一度でも嘘をつくとこの二人との関係もそのままズルズル嘘に塗れていくだろう。それはいやだった。
「実は……」
▼
「まさかオレも呼ばれるとは思わなかったぜ」
時間は少し遡る。とあるホテルの一室を借り切ったパーティルーム。わざと薄暗くした部屋の中でミラーボールの輝きが目立つ幻想的な会場で、学生服を着た少年が飲み物片手に息を吐く。大人達がひしめくその空間に未成年であることを象徴するその服装はある意味特殊だ。
「そりゃ呼ばれるわよ。最終話の準主役なんだから」
このパーティが始まってから、ずっと彼の隣に立っている、たった一歳しか歳の変わらない少女でさえ、ドレスを纏ってその場にいるのだから。
「…………なによ」
別に何もないのだが。寧ろそっちが何かあるのだろう。入った時からなんかずっと隣に張り付いてるし。チラチラ見てきて何か言って欲しそうだし。まあ、大体予想つくが。
「有馬も随分ドレスアップしてるな。いいじゃん。有馬ってもっとガーリーなイメージだったけど、フォーマルなのも似合う」
表情が一気に明るくなる。女の服装を誉める時、ただ似合うと言うだけではいけない。通常との違いを具体的に説明することで、普段から有馬を意識していることを知らせる。その上でいつもと違うところを具体的に褒めることで、特別感を演出する。コレが女に男を意識させる褒め方というやつだ。
───といっても、別に有馬を落とそうとかはあんま考えてないけど
しかし、長年培ってきた、相手に好意を持ってもらうコミュニケーションスキルはほとんどパッシブで発動してしまう。そのせいで良いことも悪いこともあった。だからあの世界から離れた時に人間関係は大体精算した。今もなお交流できるのはナナさんとハルさんくらいだ。
「あんたはなんかあざといわね。何で学ランなのよ。こういう場は普通スーツでしょ?」
「そうか?オレらって大概制服で冠婚葬祭こなすだろ?」
「打ち上げパーティは冠婚葬祭とはちょっと違うでしょ……それに私たちはこの場に業界人として来てるんだから、学生服だと舐められることもあるわよ」
ふむ、言われてみれば確かに大根モデル共も皆スーツやカッターだ。確かに一人学ランは浮いている。
「ま、こういう場所は監督志望の人とかディレクターとかもいるから、多少浮いてても目立ってる方が記憶に残してもらえるかもだけど。大人って制服好きだから」
「やな印象の残り方だな」
出来ればもっと違う方向で残してもらいたいものだ。自分で言うのもアレだが、最終話はオレのおかげで成功したんだから。土壇場ギリだったけど。
「有馬さん、撮影お疲れ様でした」
二人の背中に声がかかる。ドレスとしては少しラフな部類に入る衣装を着た女性。フワリと身体を包むストールが特徴的だ。歳は30そこそこくらいだろうか。顔立ちは比較的整っており、美人の部類に入ると思う。どこかで見かけたような気もするが…
「あっ、先生……」
「先生……って事はこの人が」
今日あま原作作家。恐らくはこのドラマに最も心を抉られたであろう人物。引け目があるのか、声をかけられた有馬は少しバツの悪そうな顔をしていた。
「こ、この度は申し訳ありませんでした」
「そんな、謝らないでください。私は有馬さんにお礼を言いに来たんですから」
「…………えっ」
「いろんなことを言う人がおられますけど、少なくとも私はこの作品は有馬さんに支えられていたと思っています。本当にありがとうございました」
感謝と共に頭を下げる。感謝を述べられた元天才子役はうっすらと涙を浮かべていた。
「…………いたな、見ていてくれる人」
「───うんっ」
「星野さんもですよ。本当にありがとうございました」
今度はオレの手を取り、頭を下げられる。流石に少し動揺した。まさかオレにまで謝辞を述べてくれるとは思わなかった。
「そんな、オレなんて最後に少し出ただけで」
「ご謙遜を。私もクリエイターの端くれです。見ればわかりますよ。最終回のあの感じを作ってくれたのが誰かくらい」
全6話のドラマの中で最終回だけが際立っていた。それまでの5話との違いは何かなど、見る人が見ればすぐにわかる。
「メディア化の話を受けて、本当はずっと不安だったんです。経験ある作家仲間はみんな過度な期待はするなって言ってましたし、『今日あま』はもう完結済みで伸びが期待できない作品。動きがあるだけでありがたいって」
スラスラと流れるメディア化失敗の理由。自分が心血注いで作り上げた作品が、あんなクソ化してしまった事に対するやり場のない怒り。それをこの人はこうやって自分に言い聞かせて今までごまかして来たのだろう。申し訳なさと不甲斐なさに有馬は唇を噛んだ。
「それでも、私は最後の最後に、この話を受けて良かったと思えたんです。有馬さんが支えてくださっていた土台に、星野さんが加わり、化学反応が起こった。私はこのドラマ化を受けて良かったと思うことができたのは間違いなく貴方がたお二人のおかげです。本当にありがとうございました」
二人の手をグッと握る。万感の想いがこもった握手だった。手に篭った熱はしばらく手から離れなかった。
「…………たまに、こういうことがあるから、やめられないのよね」
先生に掴まれた手を有馬もジッと見つめていた。
「………映画やドラマって文化の主役はオレ達役者だけど、いろんな人が関わってんだなって、改めて思い知ったよ」
「その通りよ。私達の演技には多くの人が乗っかってる。彼らを生かすも殺すも私達次第。冗談抜きで沢山の人の人生が懸かってるわ。だから結果を出さなきゃいけない。不本意でも作品のためなら自分を殺さなきゃいけない。そういう意味では今回のアンタは大失敗よ。結果オーライの大振りばっかりしてるといつかカウンター食らって痛い目見るから、気をつけなさい」
「ハッ」
確かに、勝手に立ち位置変えるわ、余計な音わざと立てるわ、アドリブ挟むわ、やったことだけ振り返ればとんでもない新人だと思う。勿論作品のためにやったんだし、結果的に好評価を貰ったが、逆になる可能性なんてめちゃくちゃあるだろう。ラッキーパンチだと言われれば否定はできなかった。
「上手くならねーとな」
「上手くならなきゃね」
ラッキーパンチで終わらせたくなければ実力を身につけるしかない。今回は本当にギリギリの土壇場で形になっただけだ。即興の限界はいつか必ず来る。まあ、今回はスケジュールがガバ過ぎたからアレだけど、次回からはあんなアドリブや『声』なしで成功させなければならない。
「い、言っとくけど芸の肥やしになるからって女性トラブル起こしたりしないでよ。売り出し中の役者なんて一番スキャンダルに気を使わなきゃいけないんだから」
「ハハハ」
乾いた笑いしか出てこない。まあその辺は中学卒業までにある程度綺麗にはしたし、ナナさんやハルさんはそういうので騒ぐ人じゃないけど、一抹の不安はあった。
「…………ちなみにあんた、彼女とかいるの?」
「いねーよ。ご心配なく」
「そ……ふーん…」
「有馬は?」
「…………いないわよ、勿論」
ちらりと横目で見ると目が合った。何か言いたそうな、でも言わない方がいいかな、みたいな顔をしていた。なんとなく察しはつくが、これ以上コイツといると面倒な事になりそうだ。飲み物を取りに行く素振りを見せ、その場から離れた。
「や、星野くん」
偶然か、それとも一人になる時を見計らっていたのか。いつのまにか隣にいた壮年の男性に声を掛けられる。鏑木勝也、今回のドラマの最高責任者。裏方は実力派だがキャストが顔面至上主義の少し極端なプロデューサーだ。
「プロデューサー、今回はお世話になりました」
「いやいや、いいんだよ。寧ろ唐突にねじ込んじゃったから、君には借りが出来たかな、くらいに思ってる。それに最終回、評判良かったよ。収益的にはキビかったけど、君みたいな新しい才能に機会を与えるのが目的だったから、それは達成できたかな」
「ありがとうございます」
「君についての問い合わせも幾つかあってね。苺プロの星野アクアだって宣伝しておいたから」
ハハハと笑いを返す。そういうの勝手にしていいのかなぁと少し思ったが、まあ宣伝してくれたなら文句はない。
「そうそう、苺プロで思い出した。君の顔、どこかで見たなとずっと思ってたんだけど、アイになんとなく似ているんだ」
「アイって……あのアイドルの?」
「そうそう、B小町の天才アイドル『アイ』。よく知ってるね」
「事務所の大先輩ですから」
偶然事務所が同じだから知っている。アクアの設定と演技はほぼ完璧に近かった。鏑木も特に違和感は感じておらず、口元に笑みを浮かべてアクアと接している。
「鏑木さんと関わりがあった事は存じませんでしたが」
「はは、そりゃそうだ」
「どういうご関係だったんですか?」
一応聞いてみる。なんとなくカンでこの人が父親というのはないだろうと思っていたが、思わぬところでアイに関する情報が手に入りそうだった。ここはもう少し踏み込んでみよう。
「ファッション雑誌のモデルの仲介で一緒に仕事してね。以来仕事を振るだけじゃなくて色々世話もしたよ。いい営業先紹介したり、内緒で男の子とかに会う時、静かな店を教えてあげたり」
───思ったより核心に近いところの情報来たな
このドラマに出演したおかげでこんな話が聞けるとは思わなかった。家族に見せないアイの顔。仕事とプライベート。この二つの情報はなんとしても欲しい。父親に迫る情報もあるかもしれない。心中で大きく息を吐き、質問を考えながら、口を開いた。
「どんな店で誰と会ってたか、わかりますか?」
「ん………君はもしかしてアイくんのファン?故人のゴシップとかにも興味あったりする?」
「───ファン、というほどでもないですが、目標ではあります。大手事務所出身でなく芸能界で成功した伝説の先輩ですから。勿論興味もありますよ。その足跡も、プライベートも」
先人の過去を辿り、踏襲して自分に還元する。芸能界に限らず、どの世界でも行われている事だ。アクアの行動も言動も不自然とは言えないだろう。寧ろこれだけで親子関係などを疑ってくる方が余程不自然だ。
「それに、オレもそういう事務所に内緒な、使い勝手のいい店なんかは是非知りたいです」
「…………なるほどねぇ。今回は君に借りがあるし、教えてあげてもいいけど、この情報は結構貴重だ。ちょっとおつりが欲しいのだけど、構わないかな?」
「…………内容次第ですが」
ここでがっついては足元を見られる。無茶を言うくらいなら引く、くらいの態度の方がいい。
「恋愛リアリティショーに興味あるかい?」
▼
「恋愛リアリティショー?出る出る!でるよぉ!チャンネルに動線引くチャンスじゃん!」
▼
「…………やってみたいです。演技を頑張ってるだけじゃいけないと思いますし」
▼
「…………やります。そのショーで私が一番目立って見せます」
▼
「やります。鏑木さん。やらせてください。その代わり、お話聞かせてもらいますからね」
こうして、一つの舞台を終えたアクアの前に新しい道が開く。その先に彼の人生を大きく変える出会いが待っていることなど、この時アクアは夢にも思わなかった。
「…………そう、あの人、出るんですか。わかりました。出演者の一人に連絡取れませんか?ええ、私の仕事ひとつ譲っても構いません。お願いします」
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。遂に始まる恋愛リアリティショー編。さまざまな思惑が交錯する心理ショーに役者たちが集い始める。最後の声は一体ダレナンダー!そこ、バレバレとか言わない。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
12th take 合流
数多の夢を潰す二つの台風が合流する
一人は星をなくした子、一人は火を恐れぬ少女
太陽と闇が作るのは新たな銀河か滅びの深淵か
「───というわけで、暫くはお二人に会える機会も減ると思います」
「ふーん、アッくん恋愛するんだぁ。へぇー」
事のあらましを話すとなんか一気にめんどくさい態度になった。まあ敢えてそういうムーブして楽しんでるんだろうけど、フォローする方は結構しんどい。
「するとは限りませんよ。ああいうの、くっつかない人の方が遥かに多いし、くっついても大概一年持たずに別れますから」
「アッくんって、そーやってすぐ別の女のとこに行くよね」
「スッゲー人聞き悪い。やめてくれません?」
「私たちなんてどうせ身体だけの関係よ。ね?ナナ」
「ナナさん巻き込まないでくださいよ。かけがえのない相談相手の一人なんですから」
「…………私はそれでいいと思ってるけど」
「ナナさん、乗らないで」
「いいのよ、貴方がどこで女作っても。私は別に気にしないから」
「ハルさん悪いけど言うわ。めんどくせぇ。こういう時サバサバしてるのがハルさんのいいとこだろ」
「サバサバしてる女子なんてこの世にいないよ。そういうふうに見せかけてるだけ。どうでもいい男子相手なら幾らでもサバサバしてあげるけど」
ふー、と一つ息を吐く。空を仰ぐその横顔はいつもより大人びて見えた。
「アッくんだとやっぱり話は別だった。こういう事、言いたくなっちゃった」
それを言われるともう何も言い返せない。仕事だからという言い訳で納得してくれるわけがないのは歴史が証明している。
───でも、ホントに珍しいな。ハルさんがこんな事言うなんて
オレをリアリティショーに出させたくない特別な理由でもあるんだろうか?疑似恋愛なんてこの人オレの100倍してるだろうに。なんかリアリティショーに特別なトラウマでもあるのか?それとも、何か他の理由が?
───ダメだ、答えはでない。現時点では情報が少なすぎる
考え込んでいると紅茶とクッキーを食べ終えたはるかが立ち上がっていた。
「ごめん、今日は帰る。紅茶ご馳走さま。じゃね」
性格上、不機嫌な顔は見せない。だが彼女にしては明らかに不満が見えた。理解はする。でも納得できない。言葉に言い換えれば、そんな態度だった。
「…………やっぱ断ろうかな」
ハルさんのことは好きだ。明るいし面白いし、綺麗だ。彼氏彼女になる事はまあないけど、これからも付き合いは続けたいと思う。貴重な相談相手の一人だ。その人にあんな顔をさせてしまうくらいなら。情報源は鏑木Pだけではないし。
「断っちゃダメよ、アクアくん」
独り言に応えたのはナナさんだった。予想が外れた。どっちかというと反対してくるのはナナさんで、賛成するのがハルさんかなと思っていたのに。
「今の仕事が即、次に繋がるなんてこと、普通は起こらないわ。恋愛リアリティショーって言えば今や世界中で行われてる若手の役者やアイドル、ミーチューバーの登竜門的番組。ここから名前を売った芸能人だっている。チャンスがあるなら逃しちゃダメ。次があるなんて思ってたらあっという間に奈落に叩き落とされるわよ」
「……………」
「私はわかってた。アクアくんと付き合うってことはこういう事も起こるって。それでも付き合いたいって思ったから私は此処にいる。言い方悪いけど、ハルは覚悟がなかったのよ。いつまでもアクアくんが可愛い弟分でセフレとしか思ってなかった」
でも、私は違うとナナさんは言う。
「貴方は私やハルとは違う。貴方は選ばれてる。芸能の神様か、偉人か、分からないけど、目に見えない何かに。選ばれなかった私たちにできる唯一のことは貴方の枷にならない事。枷になるっていうなら貴方はハルを切らなきゃいけない。そういう意味ではアクアくんも覚悟が足りない」
思わず息を呑んでしまう。ナナさんが甘い人だと思った事はない。特に音楽に関してはとてもストイックだ。だけど3年近い付き合いの中で、オレを窘めるような事を言った事はなかった。オレが甘いと言った人は今までいなかった。自分で言うのもなんだが、オレは自分には厳しい方だったから。
「アクアくん、自分に厳しくするのは得意だよね。自分が頑張れば良いだけだから。貴方は10の努力が12の結果で返ってくる人だし、努力する事も苦じゃないんだと思う。でも他人に厳しくするのが苦手。アクアくん時々クズだけど、根は優しいもんね」
優しくて、真面目で、感受性高くて、必要以上に他人の気持ちがわかってしまう。だからこそ他人に甘い。親しい人間には特に。
「なにを趣味として、なにを仕事にして、誰を友達にして、誰を異性とするか、選択しなきゃいけないときは必ず来る。どんな天才も、凡人でもね。私たちは二年前だった。アクアくんは今なのかもね」
息を吐くと同時に天井を見上げる。選ばなきゃいけない時。それはあの人にもあったのだろうか。天高い空の上で燦然と輝くあの星にも。オレがなんにも思い出せない。何度見ても他人にしか見えないあの天才にも。
耳元で息遣いが聞こえたとほぼ同時。フワリとした温もりが自身を包む。背中に柔らかく、温かい感触が押し当てられて初めて、ナナさんに抱きしめられたと気づいた。
「…………ごめん、ちょっと厳しかったね。アクアくん、まだ一応中学生なのに」
「プロに歳は関係ないです。それに甘かったのは事実ですから。オレも選ばなきゃいけない。たとえハルさんやナナさんでも、手が止まる理由になるなら切らなきゃいけない」
当たり前のような事で、当たり前じゃなかった。プロのピアニストを目指してきたナナさんでなければ言えない事だった。
「ありがとうございます」
「感謝してる?」
「…………なんかデジャヴ」
「大丈夫、今度は簡単なお願いよ」
ホントにぃ?という顔で背を抱きしめるななみを見る。アクアは結構疑り深い。他人を無条件で信じるということはまずしない。『人を見たら泥棒と思え』とまでは言わないが、世の中善人の方が少ないくらいには考えている。
そういう意味では、ななみはかなり信を置いている部類に入る。が、前科がある事柄となると、いかにななみといえど無警戒で接する事はできなかった。
「今日はうちに泊まっていって。今度は私のピアノを聴かせてあげる」
その日、アクアは2回演奏を聴いた。1度目は防音の施された一室で素晴らしい演奏を。2回目はベッドの上で喘ぐななみの
▼
私は嘘で出来ている。
時々そんなことを思う時がある。ステージで演奏する時、店の客に作り笑いを返している時。日常を上手くこなすために、嘘を貼り付けて生きている。
それでも最近は思わなくなってきていた。嘘だって吐き続ければ真実になるように、いつのまにか嘘を貼り付けるのが当たり前になってしまったここ最近では、自分が嘘をついていると自覚することさえしなくなった。
けれど今、強烈に思い知らされた。
「───というわけで、恋愛リアリティショーに出ることになった」
私は嘘で出来ている、と。
アクアくん、恋愛するの?本気で?私との関係は?もう会いにきてくれないの?
口に出して言いたい事は山ほどあった。でも、言ってしまったら、もうアクアくんは私に会いにきてはくれなくなる。何もできなくなる。ピアノを聴くことも、聴かせてあげることも、彼に抱いてもらうことも、不安に震える彼を私が抱きしめてあげることも。
「アッくんって、そーやってすぐ別の女のとこに行くのよね。私たちなんてどうせ身体だけの関係よ。ね?ナナ」
「…………私はそれでいいと思ってるけど」
思ってもいない事を口にする。ああ、嘘だ。嘘をついているとまざまざと自覚させられる。
───そっか。人って愛があるから嘘をつくんだ。
ステージで嘘をついていた時は、自分のため。そして今は恋のため。愛する人を守る時、人は嘘をつく。それが自分か、他人かはその人次第だろう。多分、私は前者だ。ステージでも、そして今も、自分のために嘘をついている。
「アッくんだとやっぱり話は別だった。こういう事、言いたくなっちゃった」
ハルにしては珍しく、面倒な女のムーブをする。コレもかなり有効な手だ。普段は軽い女が、時折自分だけに見せる重い感情というのは特別感が増す。
───でも、アクアくんには悪手だ
自覚があるかどうかはわからないが、アクアくんはあまり他人と距離を詰めたがらない。真面目だし、優しいし、人と仲良くなる事は簡単にできる。でも、一定のパーソナルスペースは必ず確保している。だからセフレはいても本命はいない。友達がいても彼女はいない。そういう女が踏み込もうとして、どうなったか。何度も見てきた。
アクアくんは人を愛する事は得意だけど、恋する事が苦手なんだ。
───だからずっと踏み込んでこなかった。私もハルも。でも今回、ハルは踏み込んだ。
何でだろう。焦る理由でもあったのかな。空を仰ぐハルの表情は穏やかだったけど、不満と焦燥が伝わってくる。ハルのこれは演技じゃないだろうな、と思った。
「ごめん、今日は帰る。紅茶ご馳走さま。じゃね」
「…………やっぱ断ろうかな」
ハルが部屋から出て行った後、小さく呟かれたその言葉に動揺すると同時に昂揚する。
「断っちゃダメよ、アクアくん」
ツラツラと出てくる彼を想ったアドバイスのような言葉。もちろん本気の助言もある。ピアニストとして大成できなかった私だけど、本気で挑んだ挑戦から得た学びは沢山あった。彼に言った事に嘘はなかった。
けれど私の中に嘘はあった。100%アクアくんのことを想って言ったアドバイスではなかった。ハルに傾きかけた彼の心を引き込むための方便ではないのかと言われれば否とは言えなかった。
重い女として振る舞うのも戦略だが、私はハルの戦略を利用して自分の戦略を打ち出した。
私はハルが嫌いだった。昔も今も。
でも仲間だと思っている。昔も今も。
そんな仲間の失着を利用して、ちょっとだけ安堵してしまった私は、最低だろうか。
彼の温もりを身体の中で感じながら、身をよじり、声を上げる私の胸から罪悪感が消える事はなかった。
▼
深夜の町。とある建物の前に一台の車が止まる。助手席側の扉だけが開いた。辺りの暗がりのおかげで顔は分からないが、体格は華奢。背格好から15〜6歳の少年だと推察できる。
「ここでいいの?明日学校の最寄駅まで送るよ?」
運転席に座る亜麻色髪の美女が少し不安そうに助手席から降りた少年を見上げる。流石にこの距離ならお互いの顔は認識できた。
「ありがとうございます、ナナさん。いいんですよ。明日の入学式はルビーと出席するって約束しちゃいましたから」
金のアシメヘアに星の瞳を持つ美少年は柔らかな微笑を浮かべる。その態度を可愛らしいと思うと同時に少し憎らしい。私と一緒に時間を過ごすことより、妹との約束を重くみた。それが少し悔しい。彼は私やハルより妹を優先する事が多い。みっともない嫉妬だとわかってはいたが、何か負けたみたいでいい気はしなかった。
「…………ね、次はいつ会える?」
「そうですね……いつ、と明言する事はできませんけど、リアリティショーが落ち着いたら、必ず」
「…………わかった」
アクアがこちらへと手を伸ばす。意図がわかったナナはシートベルトを外し、ウィンドウに身を少し乗り出した。
顎を優しく引き寄せられ、唇が重なる。ついさっきまで幾度も交わしていた熱く深いモノとは異なる、けれど親愛が込められたキスだった。
「おやすみ、ナナ。貴方が夢の中でオレと会ったことを忘れませんように」
「…………こういう時に作詞家が本気出すの、ずるいわよ」
顔が熱くなる。深夜の闇の中でも、頬の紅潮がわかった。
「おやすみ、アクア。良い夢を」
彼のように気の利いたセリフは言えない。なら行動で返す。首を抱き寄せ、もう一度、さっきより深く、情事の時より熱いキスを返した。
ウィンドウを閉じ、家路へと車をスタートさせた。逢瀬が終わってしまったことを残念に思いつつも少しホッとする。彼といる時は少しでも綺麗で、凛々しくて、優しく、エロいお姉さんを演じなければいけない。緊張からの解放による疲れと安堵で軽く息を吐く。バックミラーを覗くと、こちらを見送るアクアが小さく手を振っていた。
───ホント、ずるいわね
そして我ながらチョロい。こんな事で嬉しくなってしまう。少し濡れた唇を指で撫で、撫でた指を舐める。ゾクっと背筋が震えた。まるで媚薬か魔法にでも罹ったかのようだと震えた自分を嘲笑う。
車が見えなくなるまで、魔法使いは見送りをやめなかった。
▼
「ふぅ」
限りなく呼吸音に近い、小さな溜息。少し疲労もあった。あの人達と接する時は嘘をつかなくていいから楽だけど、楽な関係だからこそグサリと来ることも言われる。オレは甘い。オレに覚悟がない。そんな事を自覚させてくれるのはあの人達だけだ。
───無くしたく、ないなぁ
たとえそれぞれに彼氏が出来て、セフレでいられなくなる日が来るとしても、友達であってほしい。心の底からそう思った。
「お帰り」
耳慣れた声が背中から響く。声主が誰かはわかったが、なんで?と思う。なんでこの人がここにいる?こういうことにならないように、わざわざ自宅から少し離れた場所に送ってもらったというのに。
今度は大きく息を吐く。このタイミングで現れたんだ。一部始終を見られていただろう。下手な言い訳は愚の骨頂。何事もないかのように、振り返った。
「ただいま、ミヤコ」
「お早いお帰りねぇ。しかも家からこんなに離れた場所で。まあ歩いて10分ってとこかしら?」
「よくわかったな」
「この時間だもの。電車は動いてないし、車通りは少ない。なら大きい車道近くから来るだろうなって」
「外泊してる可能性もあったろう」
「それはないわ。貴方、ルビーとの約束は守るもの。その辺は信用してるわよ」
信用している部分としていない部分、二つを照らし合わせた結果、というわけか。なるほど、この人らしい推察と行動だ。
「安心なさい。別に責める気ないわよ。ウチは異性関係に関して、そこまでうるさい事務所じゃないし。男は若いうちに遊んでおくべきだと私は思うし。ただ、帰りが遅くなるなら私にだけは連絡しなさい。心配するでしょ?」
「母親か」
「母親よ」
強い瞳でこちらを見つめる。虚勢でも思い込みでもない。強い自信がこもった瞳だった。この目から逃げられない。両手を挙げた。
「参った。オレの負けだ。悪かった。コレから夜に帰る時はアンタにだけは連絡入れる」
「そ、なら許すわ」
クルッと踵を返し、歩き始める。もっと文句言われると思っていたアクアはそのあっさりとした態度に思わず呆気に取られた。
「何してるの、帰るわよ」
歩きながら、ミヤコの背中がブルッと震える。もう4月とはいえ、夜はまだ流石に冷える。ストール一枚では寒いだろう。足早に義母に追いつき、上着をかけた。
「…………他の女の匂いのする上着ってイヤね」
「気に入らねーなら返せ」
「しょうがないからコレで我慢しておいてあげるわ」
肘に手をかけてくる。夜の街を歩く美魔女と美少年はバリキャリが少年にイケナイ事を教えてそう。少なくとも親子には見えなかった。
「あ、あと責任取れないようなこともするんじゃないわよ。貴方もアイの二の舞はイヤでしょ」
「その辺はご心配なく。ちゃんと飲んでもらって、ちゃんとつけてますから」
「私とも寝てみる?」
「勘弁してくれ。多分勃つ」
▼
4月上旬。桜が咲き、多くの学生が新たな環境に身を投じる時期。新しい制服に身を包み、少年少女はまた一つ人生の階段を上がる。
星野ルビーとアクアももちろん例外ではない。私立陽東高校で執り行われる入学式。新しい環境での3年間を学ぶ事を許される儀式に二人とも出席していた。
「入学おめでとう、アクア──あとルビー」
入学式が終わった後、体育館の外で待っていたのは、かつて天才子役と呼ばれた童顔の少女。アクアとルビーより一年早く入学している、所謂先輩にあたる。
「オリエンテーリングでもしてるのか?有馬先輩」
「先輩として忠告と助言をしてあげるのよ、星野後輩。ウチは芸能科のある学校っていっても、普通の高校との違いは授業日数に融通が効く程度。赤点取ったり出席日数足りなかったりしたらフツーに留年するし、カリキュラムに差もほとんどない」
仮にも学舎としての施設。必要以上の特別扱いはしてもらえないし、許されない。学生である以上、その本分が勉強であることに違いはない。
「けど勿論、一つだけ、決定的に違う事があるわね」
庭を歩く男は俳優
木陰で談笑している女の子達は最大手アイドルグループのメンバー
ベンチに腰掛けるスタイルのいい女子はモデル。
他にも声優、配信者、ファッションモデルに歌手、果ては歌舞伎役者まで、多種多様な業界人、もしくはその卵達がひしめいている。
とある業界人がこう言った事がある。芸能界は規模の大きな学校のようなものだ、と。
「ここは日本一観られる側の人間が多い高校。この世界に足を踏み入れた時点で、貴方達は引き返せない道に踏み出したことになるわ」
そう、ルビーも事務所と契約している芸能人。一般科のアクアはともかく、ルビーは少なくとも3年、芸能界からドロップアウトする事は許されない。
「歓迎するわよ、後輩。芸能界へようこそ」
▼
美形には大きく分けて二つのパターンがある。
一つは親しみやすい、誰とでも仲良くなれる美形。
社交的で、明るく、朗らかで人に好かれる。今風に言うと会いに行けるアイドル系の、イケメンと呼ばれる存在。
そしてもう一つは近寄りにくい、高嶺の花の美形。
イケメンとは少し違う。整いすぎていて、自分とは違う人種にさえ見えてしまう、人間というよりはグラフィックや彫刻に近い、神秘的なオーラを持つタイプ。
星野アクアはどちらも演じる事ができるが、学校では前者を選ぼうと思っていた。この高校の普通科を選んだのは普通の高校生を経験するため。そのためには容姿をフルに利用して手っ取り早く男女の友人を作り、交流を深める事が必要だと考えていた。その方が人間観察はやりやすいし、いろんな人の感情を見て、聞いて、感じる事ができる。
───そう、思ってたんだけどなぁ
今、アクアの周りに人はいない。誰もが彼の座る席を避けるように円を作っている。円の中心にいるのは星野アクアのみ。
そう、このクラス、1ーAでは。
「えっ、なんで……もしかしてあの二人、知り合い?」
「うわ、ちょーキレー。テレビなんかよりずっと美人」
「でも、アイツも負けてなくね?」
「あそこだけ顔面偏差値最強すぎる」
星野アクアが座る席のひとつ前。本来一般科の生徒が座るべき椅子に1ーF。つまり、芸能科の生徒が座っていた。
「ここ、座っていい?」
「ははははいっ!?もももちろん!?」
「ありがとう………はじめまして、星野アクアさん。ようやくお会いできましたね」
「貴方に名前を知ってもらっていたとは、光栄です。あと、敬語は結構ですよ、不知火フリルさん」
「では、アクアと呼ばせてもらうわね。私のこともフリルでいいわよ」
「では、フリルさんと」
「さんもいらないわよ」
「流石にそれは……」
「なら、私がマリンと呼べば、呼び捨てにしてくれるかしら?」
ピクっと眉が震える。その一言は無視するにはあまりに大きすぎた。
───あのPV、出回りすぎじゃねーか?それとオレの女装、結構ヌルいか?カントル時代は疑われたことすらなかったんだが。
しかしそんな事を言っている場合ではない。アレが見破られたというならば、無視するわけにもいかない。
「───わかった、フリル」
「ええ、よろしくアクア。貴方とは長い付き合いになりそうね」
握手を求められる。握った手に力は感じなかったが、ジンと何かが身体の中に響いた。自分より遥かに華奢な身体が大きく見える。その光の眩しさと熱量はまさに火と呼ぶにふさわしい。油断すれば焼き殺されかねない、オーラ。
───コレが、同世代のトップ中のトップ、不知火フリル
アクアが熱気と存在感に圧倒される中、黒髪の少女もまたアクアのオーラに戦慄していた。
───映像とはまるで違う。見れば見るほどわからない。見れば見るほど興味深い。興味が尽きないほどに美しく、畏ろしい仮面
全てを飲み込むかのような、不気味なオーラ。だからこそ引き立つ、眩い輝きを宿した瞳。全てを呑み込む闇だからこそ、一条輝く星の光に目を奪われる。
───コレが、星野アクア。闇と光が同居する新星
今の芸能界から日本中を照らす輝きを放つ太陽、不知火フリル。
11年前に起こった、
最高の光と最深の闇が、ついに出会った。
後書きです。最新話ヤバいですね。ゴローだからこその展開多すぎでピンチです。なんとか頑張りますのでよろしくお願いします!それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
13th take 銀河ステーション、乗員2名
星をなくした子はなくした星を探している
二人はコインの表裏
半身は天使で半身は悪魔
「よかったんですか、社長」
とある芸能事務所の一室。看板女優のマネージャーが自身のボスに問い詰めていた。本当にコレでよかったのか、と。
「なにが?」
「とぼけないでください。星野アクアのことです。所属事務所だけじゃなく進学先まであの子に教えるなんて。
「別に構わないわよ。一つや二つのスキャンダルでどうこうなるような時期、あの子はとっくに過ぎてるわ」
名前が売れはじめて日が浅いアイドル時代ならいざ知らず、もうマルチタレントと呼べる領域まで実力と地位を身につけたあの子は、スキャンダルくらい燃料にできる位置にまで来ている。もちろん隠し子がいたとか、法を犯したとなれば話は別だが、高校生の恋愛くらいなら彼女の人間性を深めるのに役立つくらいだ。
今やSNSで誰でも有名人を叩ける時代だが、軽率に不知火フリルを叩こうものなら、圧倒的な数を誇る支持者たちによって、批判した者が袋叩きにされるだろう。可哀想なのはむしろ
「それに、多分初めてなのよ。あの子が本気で他人に興味を持ったのって」
才能があった。センスがあった。常人と感覚が違った。何をやっても素早く吸収し、大概の分野において、あっという間にトップへと駆け抜けた。
故に、他人への理解が乏しかった。
人間が嫌い、というわけではない。寧ろ好きな方だろう。共演者の情報は積極的に入手するし、記憶もする。コミュニケーション能力も高い。大概の人間と良好な関係を築いている。
しかしそれはビジネスであり、欲求ではない。
幼い頃から変わった子だと言われる事が多かった。空を見るのが好きで、暇さえあればずっと空を見上げている少女だった。
一度聞いた事がある。なんでいつも空を見ているの?と。
『あそこから私がどう見えるのか、見たいから』
鳥瞰視点。バード・アイと言えば聞き覚えがあるだろうか?自身の顔にしかついていない目が、遥か天空から覗き込んでいるかのように、鮮明なイメージとして脳で再現する目のこと。選ばれた人間にだけ送られる神からのギフト。
この子は特別だ、とその言葉で確信した。
そこからは研究の日々だった。表情の作り方、言葉の選び方、ファッション、所作、体型、全てを身体の成長に伴って完璧に調整し続けた。カメラの位置、レンズの写り方、自身を捉える目の全てを熟知した。
観客の理想を体現する
結果は数字となって返ってきた。若手No.1、天才、天使。彼女を讃えるあらゆる形容がまたさらにフリルの仮面を強くした。
大衆が望む不知火フリル。それを体現し続けるということはその他大勢に向き合い続けるということ。彼女の目は多数にのみ向けられ、誰か一人に向けられるモノではなかった。全ての人間と分け隔てなく接し、誰と話していても泰然とした美しさを絶やさない。
だがその笑顔は作られた仮面。心の底から出たものではない。まさに作り笑顔だ。
大衆への理解は誰よりも深かっただろう。だが、個人への理解はそれに反比例するように浅い。誰とでも明るく、泰然と、平等に接する。聞こえはいいが、言い方を変えれば誰のことも特別と思っていないとも言える。
本人もそれでいいと思っていた。今までは。
「自分を曝け出しているのに、顔が見えない」
星野アクアを見た時、呆然とした表情で彼女が漏らした言葉。用意された受け答えではない。表情も完全に見られていることを忘れている。目を見開き、口元も半開き。どんな顔もフリルは美人だが、『
それが、あのPVのワンカット。駄作ドラマのワンシーンだけで、凶器で狂気なフリルの仮面の一部を壊した。名前も聞いたことのなかったような、駆け出しの俳優が。
初めて出会ってしまったのだ。同年代で、自分に匹敵しうる才能に。
───あの子が興味を持つのも仕方ない
フリルでなくとも、興味を惹かれる。あの俳優、星野アクアは確実に何かを持っている。あの不知火フリルが知りたがる、盗みたくなる、何かを。
「思う存分、むしゃぶり尽くしてきなさい、フリル。その代わり中途半端はなし。星野アクアがもう許してくれと泣きわめくまでね」
▼
新しい教室、新しい環境、ママと約束した芸能界への第一歩。私は結構緊張していた。扉を開けた先には左右前後どこを見てもイケメン、美少女。中学までとは明らかに違う環境。私もママの遺伝子を受け継いでいるだけあって、顔はいい自覚はあったけど、芸能界については全くの無知。右も左もわからない状況で身動きが取れなかった。
そんな私に隣の席の子が話しかけてくれた。寿みなみちゃん。可愛くて制服の上からでもわかるほどおっぱい大きい。何をしてる子か聞いてみたら、やっぱりグラドル。可愛らしい関西弁を喋るからそっちの出身かと思ったら生まれも育ちも神奈川のエセ関西弁。可愛くて、巨乳で、面白い子だった。新しい環境で、友達になれた。
みなみちゃんのお陰で緊張が解けた。確かに周りの誰もが美形だけど、芸能界を常にチェックしている私さえ知っている人はほとんどいない。一人だけ凄い人がいたけど、その人はチャイムが鳴ると直ぐに教室から出て行ってしまった。教室にいたとしても話しかけられる勇者はいなかっただろうけど(少なくとも私には無理)。
みなみちゃんのおかげで、新しいクラスで居心地悪い思いはせずに済んだ。スタートダッシュはまずまずだったと思う。
新しくできた友達を自慢しようとお兄ちゃんにLINKで連絡する。放課後にお互いの様子を話し合うつもりだったからちょうどよかった。
───お兄ちゃんは友達できたかなぁ
少し心配だった。才能ある役者で、最近ますますママに似てきただけあって、普通の人と感覚が違う。他人には上手く誤魔化してるらしいけど、身内から見ても、『お兄ちゃん変』と思うことは結構あった。この国は『変』に対して不寛容だ。
アクアはそういう立ち回り上手な方だけど、もしかしたら失敗して、普通科に居場所がないかもしれない。そう心配していた。
だから夢にも思わなかった。待ち合わせをしていた校舎の中庭に、あのお兄ちゃんが、芸能科で唯一名前が全国的に知られているスーパーマルチタレントを伴って現れるなんて。
▼
先にも述べたが、美形には大きく分けて2通りいる。
親しみやすい会いに行ける
美しすぎて近寄りがたい
オレの隣を歩く女は典型的……いや、国民的後者にあたる人物。そしてそんな存在に興味を持たれていると周知されてしまった今、オレも後者が確定した。少なくともこのクラスでは。
「貴方、どうして普通科にいるの?」
「その方が面白そうだから」
「兄弟はいる?」
「妹が一人」
「趣味は?」
「読書と音楽鑑賞」
「女装じゃないの?」
「違う。アレは必要に駆られてやっただけ」
「あのPVでやってたのはなんで?」
「その方が立ち位置良くなるから」
「特技はなに?」
「ピアノとドラム」
「女装じゃないの?」
「違うっつーに。せめて変装と言ってくれ」
「彼女はいる?」
「いません。てかなんなんだこの質問攻め。ア○ネーターか」
「不知火フリルよ」
「知っとるわ。てかトーク面白いなお前」
「貴方のツッコミもなかなかよ」
あの後、チャイムがなり、ホームルームが始まる前に、一度フリルは自身のクラスへと帰った。普通にチャイム後にクラスへ向かっても遅刻確定だろうが、あの不知火フリルに文句を言える人間はいないだろう。
その後、ホームルームが終わり、本日の学校行事が終了したアクアは中庭へと向かっていた。ルビーと合流してお互いの初日がどんな感じだったか報告し合うためだ。一人で行くつもりだったのに、チャイムがなってすぐにまたこの女が現れ、着いていくと言い出した。来るなと言いたかったが、強く拒む理由もなく、そしてクラスの連中のまえで不知火フリルに向かって直接的拒否はしにくかった。
そして中庭までの道のりで今は質問攻めを受けている。そろそろ勘弁しろと目線を向けた時、柔らかな春風が辺りを包む。背中まで伸びた艶やかな黒髪が風に流れた。
───美しい
美人というだけではない。佇む姿から所作の一つ一つまで、全てが美麗だ。流石に今まで出会ってきた女たちとは違う。立ち上がる姿も、自然に靡く黒髪も、全てが美しい。座っているだけで、立ち上がる姿だけで画になる。頭のてっぺんから爪先まで貶すところが一つもない。姿形も、動作も、全て含めて、美しい。それ以外の形容はできなかった。
───コレは
人にどう見られているか。役者じゃなくても、大抵の人間が意識していることだろう。だが不知火フリルはそのレベルが常人を遥かに上回っている。客観的な美しさのみを求め、自己を排除した。まさに
───カメラもない、観客もいない、仮にも高校生活というプライベート空間で、このレベル。
その凄まじさはわかるつもりだ。どちらかといえば、アクアには欠けてる技術。アクアの演技はメソッド演技。キャラクターに対する理解を深め、監督の意図を読み解き、感情へと還元する。主観性に重きを置くタイプの役者だ。客観性ももちろん取り入れてはいるが、あくまで主観を深めるためのツールに過ぎない。
───コレが不知火フリルか
不知火フリル
芸能界の片隅で勉強しはじめて約10年。幾度となく耳にした名前。
曰く歌って踊れて演技もできるアイドル、というよりマルチタレント。
曰く最も天使に近い人間。人々の理想が集合し、具現化したかのような神秘。
───あながち大袈裟な表現ではないな
椅子から立ち上がる。廊下を歩く。ただそれだけの動作を見惚れたのは初めてだ。美しさという点においてだけならあのアイをも上回っているかもしれない。
不知火フリルという超弩級の台風が過ぎ去った後も、クラス内は騒然としていた。
───こりゃぼっちコース確定か
不知火フリルに声をかけられる猛者が普通科にいるはずがない。そしてあの天使と対等の口をきくことを許されていたアクアもまた普通ではない。大衆とは普通でありたいものだ。普通でない人間と関わったら、普通でなくなってしまう。アクアに絡める人間など、普通科には皆無だろう。
───ま、いいか
学校生活を人の群れの中で見られないのは少し残念だが、仕方ない。ハッキリ言ってそれ以上に興味深い相手が向こうから来てくれたのだから。しばらくは謎多き孤高の美男子路線で行こう。それに今の状況はある意味予想を遥かに上回るチャンスでもある。先も述べたが、アクアは客観的視点というモノがどっちかというと苦手だ。天性のバード・アイの持ち主ではあるが、それ以上に自身の感性が強い。憑依った時、自分以外が見えなくなる。ハマれば怪演。脇役時でも強烈な化学反応を引き起こす。一周回って才能の域だが、諸刃の剣。それだけでは共演者を振り回し、作品を壊しかねない。
『いつかカウンター喰らうわよ』
有馬の言葉が脳裏に蘇る。そう、今までは危ういバランスでなんとか上手くいってきたが、撮影の規模が大きくなり、共演者が増えればバランスが取れず破綻する時が必ずくる。破綻の原因となった役者は二度と使ってもらえない。そうならないために必要な技術の一つが客観視。
───それを盗むにはこれ以上ない最高の研究対象。凡百の高校生に混ざるより、こいつ一人と交流する方が遥かに価値がある
「私に興味持ってくれた?」
他人の顔を覗き込む。ただそれだけの行為が、絵になる。日常動作のどこを切り取ってもアラというアラが見当たらない。そしてオレの僅かな表情の変化から心情を読み取る洞察力。
───ここまで来ると超能力だな。マジで人間じゃなくて天使なんじゃねーかと思えてくる。
笑ってしまう。トップとオレとの差。わかっていたつもりだが、ここまでとは思わなかった。有馬が意外と手の届く位置にいたから、尚更だ。
「フリルに興味ない俳優なんて、いねーだろ」
「1人いたじゃない。ほんの数分前まで、アクア私に興味なかったでしょ?」
「…………わかる?」
「わかるよ。仮面の持ち主は特定の個人に興味を持ちにくいから。私もそうだった」
仮面。その言葉の意味するところはわかるつもりだ。だからこそわからない。オレはフリルのように、人からどう見られているかへの意識が高くない。オレの演技は良くも悪くも曝け出している。
「映像で見た貴方も、今隣を歩く貴方も、とても不気味。私のように表情や仕草を研究しているわけじゃない。ちゃんと曝け出してる。なのに私、貴方がどういう人間か見えない。こんなに近くにいるのに、貴方からは貴方の匂いがしない」
どんな分野でも、一流と呼ばれる人物は常人と感覚が異なる。凡人には見えるモノ、感じるモノがわからず、凡人には見えないモノ、感じないモノがわかる。天才は変人と呼ばれる事が多い理由の一端だろう。不知火フリルも例外ではなかった。
「こんなこと、初めて。見えないどころか、匂いすら覆い隠す、私とは似て異なる仮面。貴方はどうやってその仮面を作り上げたの?その下に何を隠してるの?本当の貴方はどこ?」
隣を歩く女の言葉に戦慄する。この天才はほんの数シーンの映像と出会って4、5分で、オレが11年以上妹にすら気づかれていない隠し事の片鱗を掴んでいた。最近はオレすら忘れかけていたことだったというのに。意外かもしれないが、人間とは自分の感情や意識を正確に把握していないことが多い。オレの演技からフリルはオレが嘘をついていることを嗅ぎ当てたんだ。
「…………仮面の下の真実、か」
「アクア?」
「ごめんフリル。その質問には答えられない。オレもそれを知りたくて、役者をやってるんだ」
あの目覚めからずっと、自分を偽り続けてきた。偽りの時間が長すぎて、自分でも嘘を真実と思い込みかけていた。けど、そうじゃなかった。嘘だって貫き通せば真実だと考えてたけど、やっぱり嘘はどこまでいっても嘘で、真実じゃない。分かる人には分かってしまう。そのことを思い出させてもらった。
「ありがとう、フリル。オレが何を目指して歩いているか、少しわかったかもしれない」
微笑を浮かべて、感謝を述べる。そして驚く。出会ってから今に至るまでで初めて、不知火フリルは戸惑いの表情を見せていた。はっきり言って美しくなかった。いや、驚いた顔も可愛いし、ファンなら狂喜するだろうが、『美しさ』『大衆の理想』という点においてはかけ離れていた。
───コレが、不知火フリル。天使の仮面の下の顔、その一部か
「…………そこにいるのに、遥か遠い」
「…………?」
「貴方も、死に向かって旅をしている」
「それはオレやお前だけじゃないだろう。人間誰だっていつか死ぬんだ。死に向かって生きてるのは別に特別なことじゃない」
「でも、それを認識できてる人は少ない。少なくとも同世代では貴方が初めて」
一度目を閉じ、こちらを見上げてくる。その時にはもう『美しさ』が戻っていた。
「とても不気味で、何かを演じていて、嘘をつく。でもその嘘は、アクアが誰よりも優しいから」
「誰よりも美しくあろうと振る舞い、そうあり続けた。でも、誰もがそう思っても、フリルだけは自分の嘘に気づいている」
歩く足を止める。二人の手がお互いの頬に触れ合った。
「貴方なら、私のカムパネルラになれるかな?」
「お前なら、オレをあの星まで連れて行ってくれるか?」
無言で見つめ合う。しばらくするとお互い体を揺すって笑い出した。
「いきなりなんで宮沢賢治なんだよ。フリルに似合うけどさ」
「うん、銀河鉄道の夜。私アレ好きなの」
宮沢賢治の死後に発見された最後の遺作。死に向かうカムパネルラが、本当の幸を求め、最後の旅路を行く物語。
「みんな私をカムパネルラみたいに見てる。綺麗で、優しくて、憧れで、いつも遠くを見つめている。でも
銀河の星であることを求められ続けたフリルには、本当の幸を求めながら、本当の友達を持つことも、本当の憧憬を持つ事も許されなかった。
「アクアならきっとなれると思う。私の友達にも、憧れにも。貴方ならきっと」
「…………性格悪いな不知火フリル。プレッシャーかけてくれるぜ」
そこから先、二人に会話はなかった。けれど不快感はまるでなく、二人は二人の横顔をそれぞれの目線で見つめ続けた。
「とりあえず、友達からお願いします、
「話し相手くらいにはなりましょう、
▼
「───というわけで、アクアさんと友達になった不知火フリルです。よろしくね、妹のルビーさん」
結局無言のまま合流場所まで着いてきたフリルをルビーに紹介する。といっても、オレの言葉はあまり聞こえていないようだ。隣にいる女の子と二人、絶句したまま動かない。そしてオレも結構驚いている。隣の子に見覚えがあったからだ。
寿みなみ。
新進気鋭のグラビアモデルにしてナナさんの従姉妹。顔立ちのパーツパーツに血縁を感じる。そして何より遺伝しているのが、身体のラインが出にくい制服の上からでも分かるスタイルの良さ。
───まさかタメだったとは…そして同じ高校でルビーのクラスメイトかよ。世間は狭いぜ
反応からして、この子はオレを知らないようだが。まあ当たり前か。ナナさんも言いふらすはずはない。
「あ、あの。不知火フリルさんは、お兄ちゃ……兄の事を知ってるんですか?」
「はい、『今日あま』でお見かけして。ああ、言うの忘れてた。アクア、凄く良かった」
人前だからか、PVのことは言わないでいてくれたことに安心する。まったく、この女といるのは色んな意味で心臓に悪い。
「よく気づいたな。顔とかフードと逆光であんま見えなかったろう」
「わかるよ。貴方は顔以外も特徴的だから」
「もうちょっといい役でそう言ってほしかったが……まあ、ありがと」
「あ、それウチは見てないんですけど、お姉ちゃ、従姉妹も見たって言うてました。知り合いが出るからって。アクアさんもではったんですか?」
「最終回だけ、ちょっとね」
「っ、そうですか」
「貴方のことも知ってますよ。ミドジャンの表紙で観ました。みなみさん、でしたっけ」
「あ……はいっ」
一瞬暗くなったみなみの顔が一気に明るくなる。まああの不知火フリルに認知されていたとなるとそりゃ嬉しいだろう。
「お兄ちゃんは知ってた?みなみちゃん、グラドルでGなんだよ!」
「やめてー!」
「ははは」
───Gか。やっぱ負けてんじゃん、ナナさん
あの人はFだったはず。まあ単純にカップ数か、それともトップとアンダーの差で言ったのかはわからないが。あの人、おっぱいには妙なプライド持ってるからな。充分大きいのに。
「とゆーかお兄ちゃん!なんであの不知火フリルと友達になってるの!?」
「いやなんか急に話しかけられて……てかなんでヒソヒソ話?」
肩を抱えられ、少し離れたところで耳打ちしてくるのを疑問に思う。それくらい普通に聞けば良いのに。
「そりゃそうでしょ!月9のドラマで大ヒット!歌って踊れて演技もできるマルチタレント!美少女といえばほとんどの人がまず思い浮かべるスター!不知火フリル!そんな殿上人がなんでアクアみたいな下の下の下の俳優と友達に?!」
「下の下の下で悪ぅございましたね……てゆーかエラくご執心だな」
「今最推しだもん!」
「アイじゃなかったのか」
「アイは伝説!不知火フリルはリアルタイム!それはそれ!これはこれ!」
永遠のNo.1で殿堂入りだけど、アイドルオタ活動のリアルタイムでは一位という事らしい。その辺の認識の差は役者には少し分かりにくかった。
「で?!どんな弱み握ったの!?」
「弱みはむしろオレが握られてるんだけど」
「…………あの」
二人でコソコソ話しているうちに、渦中の人物がいつのまにかすぐそこまで来ていた。流石にバツが悪いのか、パッと離れ、オロオロする。妹よ、芸能人を前にキョドるな。ハッタリでいいから胸を張れ。
「ごめんなさい、私大抵の情報には目を通しているんですけど、貴女のことはわからなくて……何をしてる方ですか?」
「わ、わたしは、その…………」
アイドルと言いたいところだが、実績ゼロ。舞台の上はおろか、人前で歌ったことすら皆無。知られているわけがないし、ルビーが言いにくいのもわかる。
───それでもアイドル活動を少し、くらい言っときゃいいのに
しかし、それが言えないのがルビーの良いところであり、悪いところ。
「…………今のところ、特に」
「───そう、えと……頑張って?」
「うわーん!!」
泣き出して一目散に逃げていく。まあ今日は入学式とホームルームだけ。学校自体はもう終わってるし、帰っても問題ないのだけど、初日からお互い幸先悪いなぁと思う事は避けられなかった。
「…………悪いことしちゃったかな」
「悪くない悪くない。実績ゼロのアイツが悪い。気にしなくて良いよ」
逃げ去った先を見つめていたフリルをフォローする。実際オレがフリルでも似たようなことしか言えなかっただろう。彼女に落ち度はない。
「じゃあオレも帰るか。今日は午後から仕事だし」
「そう。なら一緒に帰りましょう。私も人と会う予定があるの」
「彼氏?」
「残念、女の子。安心した?」
「がっかりした」
ドスンと肘で脇をこづかれる。さすが歌って踊れる天才マルチタレント。鍛えているのだろう。ちょっと痛かった。
「それじゃ、みなみさん。妹のこと、よろしく。仲良くしてあげてくれ」
「はい、アクアさんもよろしゅうに。お疲れ様でした」
荷物を取りにいく傍らでタクシーを呼ぶ。フリルは校門を出たところに待っていたソレに乗せて帰らせた。
「一緒に帰るつもりだったのに」
「ふざけんな、お前と二人で歩いてるとこなんて見られてみろ。比喩抜きで命に関わる」
「どのみち遅かれ早かれだと思うけど?」
「そうならねーように校内はともかく、外では気を使うよ。ほら、タクシー代。釣りもくれてやるからさっさと帰れ」
諭吉2枚握らせる。10年間いろんなところでバイト紛いのことして、バンド活動でグッズ売ったりもしていたアクアは学生にしては結構金持ちだった。無論フリルの方が圧倒的に金持ちだろうが。その辺は男のプライドだ。意思を汲み取ってか、思ったよりあっさり折れてくれた。
「ま、焦ることないか。またね、アクア」
「ああ、また学校で」
───そういう意味じゃないんだけどなぁ
扉を閉める。アクアから見えない位置と確認すると、黒髪の美少女は口角を歪める。バックミラーに写ったその笑みは天使と呼ぶにはあまりに妖しく。悪魔と呼ぶにはあまりに美しい笑顔だった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。筆者の中のクズが、みなみちゃんに手を出せと囁いてくる。しかし筆者の中のアクアが、『それはやめとけ、オレらしくない』と天使側で説得してくる。半身悪魔のくせに。筆者が全身悪魔だからか。フリル様のキャラクターと才能はアクタージュの大天使、チヨコエルをモデルに描いております。原作の設定と違うかもしれませんが、ご容赦ください。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
14th take 身代わりの羊
悪魔の契約の対価は貴方の姿を変えるだろう
哀れな身代わりの羊か空に輝く偶像か
どちらに転ずるかは星のみぞ知る
「ミヤえもーん!早く私をアイドルにしてよー!!」
学校が終わり、フリルを送って、帰路に着き、事務所の扉を開くと、飛び込んできた第一声。社長に泣きつく我が妹の声。まあほかに頼る先もいないし、ミヤコに縋るしかできないのだろうが、もうちょっとこう、頼み方を考えて欲しいものだ。
「急かさないで…アイドルグループ作ります、はいオーディションってわけにはいかないの。あ、アクアおかえり。初日はどうだった?」
「ただいま。もうしっちゃかめっちゃか」
「…………詳しい話は後で聞くわ。あとコレ、届いてたわよ」
冊子がテーブルの上に置かれる。来たか、メディア用PV資料。といっても書かれている事は少ない。フリートークがメインの番組だし、見どころは生のリアクション。下手に喋る事を決めて、自然な絡みが無くても困るのだろう。大枠決まっている事は出演者とロケ場所と時間くらい。
───宣伝用の集合写真はもうすでに撮ったが……本当にこの人数でやるのかよ
トラブル起こる前提みたいな人数だ。その方が番組自体は盛り上がるし、視聴者も興味を持つだろう。ドロドロの人間関係は見ている方は面白いし。
───しかしえげつねーな
誰か一人くらい犠牲になるのは覚悟の上。呼ばれたメンバーたちの中で一組の成功者を作る。蠱毒と言われれば否定はできなかった。
「ちゃんとしたグループを作るにはちゃんとしたスカウト雇ったり、いろいろ手順があるのよ」
「でも!私あの不知火フリルになんかすごく困った子扱いされた!何で貴方ここにいるの?的な!」
「大げさだな。多分そうじゃねーって。彼女なりに精一杯気を遣った結果だと思うぞ」
頑張って言葉を選ぼうとしていたのは側から見れば明らかだった。しかし当事者はそうはいかない。
「このままじゃ私、いじめられる!一般人が紛れ込んでるとか、厄介なミーハーとか言われて!」
「そこまでは言われねーって。入学式んとき、芸能科はザッと見たが実績あるやつなんて殆どいなかったし。不知火フリルは勿論、ナ──寿みなみだってかなり特別なんだって」
「寿みなみ?聞き覚えあるわね。モデルだっけ?」
「そう!胸バカでかくて可愛い子!スカウトし──」
「却下。他所の事務所の子でしょ、ダメ」
そりゃそうだ。みなみが所属してるモデル事務所に比べ、苺プロは弱小もいいところ。揉め事になれば消される。
「苺プロのアイドル部門はまだ発足したて。事務所間の揉め事はごめんよ」
「スカウトするならフリー、もしくはすでに苺プロ所属のタレント……」
フリーはともかく、ウチに所属しててアイドルできるような人材などいるわけがない。とゆーかオレ以外のタレントってあの筋肉系ユーチューバーだけだったはず…
黙り込んだルビーが少し気になり、顔を上げる。すると視線の先には色とりどりの衣装の数々。かつて天才アイドルを抱えており、ショボイが一応スタジオもある苺プロには撮影用の衣装が結構ある。アクアが以前変装に使った女子用制服もその中にあった。ルビーはそれをじっと見つめており、その視線はやがてオレへと行き、もう一度衣装に行った。
「…………ひらめいt──!!」
「閃くなバカやめろ」
女子用制服を引っ掴み、オレの元へと持ってくるアホ妹を止める。何を考えているのか、悲しいことに気づいてしまった。
「良いじゃん!もう1回女装してカメラに映ってるんだから2回も3回も100回も同じだって!やろうよマリンお姉ちゃん!」
「桁二つ景気良く飛ばしたな」
「ああ、その手があったわね」
「同調するなミヤコ。同じじゃねーよ。無理に決まってんだろ。状況が違いすぎる。アレは経歴とか特に明かさなくて良いモブだったから出来たことだ。マジでアイドル活動するんならプロフィール公開しなきゃいけねーだろ。マリンで通用するはずがねー。無理、不可能、絶対バレる」
インディーズバンドやってた時すらヤバかったのに。メジャーの話が来た時、オレはすぐにカントルを辞めた。過去にこだわらず、こだわられず自由にやれてた時とは違う。メジャーデビューするなら正体を偽り続けるのは絶対無理だ。だから辞めた。
「プロフィール嘘っぱちのアイドルなんていっぱい居るわよ。不思議ちゃんだって今時珍しくないんだから」
「そうそう!前みたいに黒髪のウィッグかぶってればバレないって!取材とかは私に任せてくれればいいし!目指せ!高身長モデル系アイドル『マリン』!」
「お前ら他人事だと思いやがって…アレ結構バレるんだぞ。有馬にもフリルにもバレたし」
「…………よくアンタと友達でいてくれてるわね、その二人」
「仕事のためってわかってるし、わかってくれるからな、二人とも」
それにアイドル一本に絞っているルビーとは違う。コイツはアイドル失敗してもその道が断たれるだけだが、マリンの正体がアクアとバレれば役者業にも致命傷を負う。
それどころか女性アイドルグループに男が混ざっていたともなれば、バッシングはオレだけで済まない。容認した苺プロにも大打撃が襲いかかる。
───まあそっちはバックレる方法もなくはないか。
しないとは思うが、ミヤコがシラを切り通してトカゲの尻尾切りすれば、最悪オレだけが犯罪者で済む。しかしオレは普通の人生すら歩めなくなる。
「マリンお姉ちゃん、アイドルの寿命は短いの。大体が二十歳でタイムアップ。私たちにはもう4、5年しか残されてない」
「その
「もう一刻の猶予もないんだよ。ウソつくのが問題なら切り落としちゃおう。そうすればウソじゃなくなるじゃん」
「無視すんなバカ」
肩を掴み、据わった瞳でオレを見つめてくる。ヤバい。ミヤコはともかく、ルビーは結構本気っぽい。流石に切り落とすは冗談だとしても、それをされたくなければアイドルになれ、と脅しにかかる程度のことはしてきそうだ。
───代案が必要だ。オレに匹敵する素質を持ったメンバーをスカウトしなければ…
必死に頭の中の可愛い女子名簿を開くが、アイドルできるレベルとなると限られる。ましてルビーとアイドルやらすとなるとただ可愛いだけではいけない。ダンス、歌唱力、ルックス。その全てにおいてオレと匹敵する才能を持った人物。自分で言うのもアレだが、オレは歌もダンスもそこそこ上手い。ピアノもドラムも人並みには出来る。ルックスは言わずもがな。カントルやってた時、美少女三人組という広告を否定した人間はいなかった。
ならあの二人誘うか?いや、ナナさんはダメだ。音楽家だけど、どっちかっていうと芸術家肌でアイドル向きじゃない。
ハルさんはワンチャンいけるか?歌はクソうまいし、運動神経も悪くない。仕込めばダンスくらい出来るだろう。でもあの人をこの事務所に招くのは嫌だ。オレの過去を知りすぎている。不発弾と一緒の事務所に所属するのは精神的に辛すぎる。それにあの人とは仕事抜きの関係だからいいのであって、仕事絡むとお互いのストレスが増える。それに今、微妙に喧嘩中だし。仲直りを出汁にアイドルやってくれなんて頼んだら流石に愛想つかされる。
───フリーランスで、あんま仕事無くて、顔が可愛い子……
LINKのトーク履歴を開く。頭の中以外で記録している女子を探すためだ。そして目が留まる。条件を概ね満たしている人物が、割と最近に登録されていた。
───丁度いい。12時を過ぎたシンデレラに魔法の代償を払ってもらうとしよう
無償の魔法は物語の中でのみ。代償のない
笑みを浮かべながら、二人に候補を話す。差し出した身代わり羊は色んな意味でリスク高すぎるマリンよりは現実的だった。
▼
インスタメートル、TikTok、Twitter、その他もろもろetc.
ソーシャルネットワークサービス、通称SNSが一般化し、情報が溢れる現代において、アーティスト達は芸能活動以外にも注力しなければいけない。もはやネットは見るなという時代は過ぎ去った。
『楽しそうにライブするよね、カントル』
『ボーカル可愛いしな!盛り上げ役っていうか、ノリがいい!歌もこの辺ではレベチ!』
『ベースの人カッコ良かったー!なんていうの、クールで出来る人ってかんじ!私ストイックな女の人好き!』
『あのドラム、なんか目が惹かれるんだよな……にしてもパワフルなドラムだな。あんな小柄で可愛い女の子なのに』
ライブ後、ハルさんの携帯を覗き込む三人。立ち上げられたアカウントにはライブの評価で埋め尽くされていた。
「おー、概ね高評価。フォロワーも千人超えたし、滑り出し上々!」
「マリン、パワフルだって。もう少し抑える?」
「ダメ!マリンちゃんの小さな身体から溢れる情熱とパワーが評価されてるんだから!アッくん、今のままでいいからね!寧ろもっと魅せる感じでも良いんだよ!」
「…………おかしい。誰一人オレを男と疑ってない」
「疑うわけないじゃん。ちょー可愛いよ、マリン」
あの他人に関心の薄いアクアすらネットの反応を見ることはあった。個人ではやってなかったけど、3-pieceバンド【カントル】で作った公式アカウントでライブの感想を見ることはあったし、ネットマーケティングもナナさんとハルさんの三人で力を合わせてやっていた。インディーズ・バンドは誰もがセルフプロデュース。イベントが終わった後の打ち上げなど、エゴサしながら酒飲んでたバンドもあったほど。
今やSNSでライブの日時の報告や「新曲出します」などのありふれた宣伝だけではダメ。もっと外に届ける宣伝をしなければならない。カントルも三人のプライベートを切り取った動画とか、作詞作曲風景とかをアップしていた。
「でもアッくん、こういうの向いてないよねー」
「わかる。私も苦手だもの」
ハルさんとナナさんに烙印を押されたように、アクアはこの手の活動が酷く苦手だった。女の子相手ならマメに色々してくれるのに。
「顔も声もわからない人に向けて、何かする気が起きない」
クラシック界では珍しくない、典型的芸術家肌のアーティスト。芸能活動はルビーやミヤコなどの家族のためにやってることであって、その人たちが良いなら他人の評価は気にしない。そういうタイプのドラマーだった。
「わかった。アッくんは個人でアカウント作るのはやめとこう。ただでさえマリンって名乗っちゃってるんだし、変なこと呟いちゃったりしたら厄介だから。その代わりポエムも不満も怒りも全部作詞に回してね」
ということで、アクアは今時の芸能人としては絶滅危惧種に近い、ビッグデータほぼノータッチアーティストだった。できる人がやればいいと思ってるし、他人の評価にあまり興味もなかった。
しかし、これはセルフプロデュースといっても、バンドという集団に属していたから出来たこと。ソロで活動している人間はそうはいかない。俳優やアイドルは自分自身がコンテンツ。エゴサは業務の一つだし、野心のある人間ほど、ネットマーケティングに力を入れている。
その両方の条件を満たす有馬かなはゴリゴリにエゴサをやっていた。高評価を貰っているものは特に。地獄のネットドラマ【今日あま】。しかし唯一絶賛された最終回。ドラマが終わってそこそこの日数が経ったというのに、その感想、評価を未だに調べていた。
『やっぱり有馬かなは抜けてる』
『さすが一時は全国に名を轟かせただけある』
久々に目にする自身への賞賛の言葉。意図せず笑みが漏れてしまう。こういうところをアクアが見れば、『流石役者。良い感じに病気だな』と言うだろう。勿論貶してはいない。寧ろ褒めてすらいるだろう。有馬かなを役者と認めているからこその言葉だ。
───ん…
『あのストーカー役、演技めちゃキモくて嫌悪感バリバリだけどよくよく見るとあの暗さはアイツから出てる気がする』
SNSのコメントの多くは世間の評価に同調するモノが多いが、時折鋭いコメントもある。自分が活きる事で周りを活かし、周りが活きる事で自分がさらに活きる。最高の潤滑油。恐らくどんな現場だろうと欲しがられる完璧な
───本当に魔法みたいな時間だった
私すらもうフォローしきれないと諦めたあのどん底から見事に持ち直した。同じことをやれと言われても私には無理だ。アイツはやっぱり、私にはない何かを持っている。
───まったく、少しは大人になったかと思ったら。やっぱり全然変わってないんだから、アイツ…
有馬かなの脳裏にはあの時のアクアの演技が蘇っていた。周囲丸ごと引き込むオーラ。子供の頃から身に纏っていたそれの使い方を身につけた。そのオーラをモノや音に使うことで、自身の存在をアピールしつつも個人を希薄にする。
『夢を見ろよ。12時を過ぎたシンデレラ。魔法はオレがかけてやる』
───いや、ちょっと変わったか。昔よりキザになった。
ずっと耳に残っている。あれから何日経っても薄れる気がしない。寝ても覚めてもあの声が頭の中でリフレインされ続けている。ムカつくような、こそばゆいような、実に複雑な感情。アイツは昔から私に初めての感情を植え付けてくる。
───ハッ、まったく夢見てんのはどっちよ。やる事がいちいちクサイのよ、アイツは
役者にはある事だが。常日頃から平凡に生きているだけではまず言わないようなセリフや行動を求められる。感情表現や言葉遣いが日常から大袈裟になることは長く役者をやっている者にはあるあるだ。
しかし…
───ああいうこと、誰にでも言ってんのかな
責められる事ではない。共演者をやる気にさせるというのは役者にとって重要な才能の一つ。本来ならマネージャーや監督の業務だが、同業者にしか出来ない火の付け方というのは確かにある。自分だって似たようなことは何度もやってきた。
けれど、それでも。
やってほしくない。誰にでも言ってほしくない。私だけにしてほしい。そう思ってしまうのは、わがままだろうか。
SNSを閉じ、LINKを開く。友達リストに最も最近に加えられた名前とアイコンに指を止めた。
───ねぇ、教えてよ。誰にでも言ってるの?必要なら貴方は誰にでも魔法をかけるの?救いの王子様になってしまうの?私だからやってくれたの?どうなのよ、アクア
ポロン
メッセージの通達が鳴る。一瞬、幻でも見ているのかと本気で思った。アイツはいつもそうだ。こちらの心を見透かしたようなことをやってくる。
───えっ、なに!?見られてた!?
思わず周囲をキョロキョロと見渡すが、2年の生徒しかいない。物陰で隠れてたり、廊下で誰か待ってる様子もなし。ホッと安堵とガッカリ両方の息を吐き、再びスマホに向き合う。メッセージアプリの通達に冒頭の一行のみ表示されていた。
【大事な話がある…………】
その一行で未読のままにして暫くもったいぶろうという気が吹き飛んだ。迷わずアイコンをタップし、続きの文を読む。
大事な話がある
少し時間が欲しい
今から会えないか?
ポロン
校舎の中庭、ベンチで待ってる
会いたい
───…………え、ちょっと、待って。いや、ホント。何考えてんのアイツ
もう今日の授業は終わっている。今は既に放課後だ。即座に立ち上がり、校舎の中庭へと向かおうとするが、ふと立ち止まる。女子化粧室が道すがらにあった。
───なによ……なんだろ……大事な話とか改まって
鏡に写る自分をより綺麗にするために櫛を取り出す。もともと艶やかな髪だが、櫛を通すことでよりきめ細やかな美しさを取り戻した。
スマホを取り出し、検索サイトを呼び出す。
後輩 男子 大事な話
検索開始。ゾロゾロと現れたのは告白に類するワード。
───えぇ……もしかして、本当にそういう!?ちょっと、困るなぁ……まだ私もアイツも売り出し中の身なんだし、お互いのために、もうちょっと、こう…
などと心の中で言いつつ、身体は飛び跳ねたくなる衝動をなんとか抑えている。それでも漏れ出るウキウキ感は、どう見ても困っている少女のものではなかった。
待ち合わせ場所をチラリと覗き込む。待ち人はイヤホンを耳にかけ、ベンチに腰掛けていた。黄金を溶かしたかのような髪が夕陽の光で眩く反射される。桜が散り始めたこの季節、桜吹雪の中で佇む美少年の姿は神秘的ですらあった。
───アイツ、あんなに綺麗だったっけ?
しばらく見惚れていたが、視線を感じたのか、こちらへとアクアが目を向ける。一度咳払いすると、まさに今来たところを装って、校舎の影から待ち人の前へと出て行く。
「お待たせ」
「いいよ、待つのは結構嫌いじゃない」
イヤホンを外す。そういえばコイツが音楽を聴いているところは初めて見た。
「なに聞いてたの?」
「ん、少し前にハマってたインディーズ・バンドの曲」
「なんて名前?」
「いいよ、どうせ知らねーって」
「知ってるかもしれないでしょ。良いじゃない、教えてよ」
「カントル」
「…………知らないわね」
「ホラな」
ベンチの左へと寄り、スペースを空ける。胸元からハンカチを取り出し、敷いた。
「…………ありがと」
「どういたしまして」
敷かれたハンカチの上に座る。暫く無言の時間が続いた。アクアは風に吹かれるまま、空を見上げており、有馬はチラチラと横目でアクアの横顔を盗み見た。
───え、なに?なんで無言?話があるんじゃなかったの?それとも言い出しづらいこと?じゃあやっぱりそういう!?私がキッカケ作ってあげるべきなのかなぁ。でも、こういうの女の方から言うのってなんか……なんかじゃん!あれだけキザなこと言えるくせにヘタレてんじゃないわよアクア!別にカッコつけた言葉じゃなくても優しく受け止めてあげるからさっさと…
「有馬」
「はいっ」
思考が逡巡している間に唐突に話しかけられたからか、会話の準備が出来ていなかった。ちょっと裏返った声が出てしまった。
「……色々考えたけど、化かしあいするのもめんどくせーから、単刀直入に言うぜ」
「え!?いや、ちょっと待って!私まだ心の準備がっ」
「物事の大抵は心の準備が整う前にくるものだ。こういうのは早いうちにハッキリさせたほうがいい」
「で、でもいくらなんでも早くない!?私達この間10年ぶりに再会したばっかだし、まだ一回しか一緒に仕事してないし!」
「一回あればオレ達には充分すぎるだろ。一回演技を見ればわかる」
迷いない言葉の強さに心が掻き乱される。もうコイツはわかっているのか。私の気持ちも、自分の気持ちも。
「で、でも私、珍しいかもしれないけど、その、今時の若手女優とは違うっていうか、そんな余裕もなかったっていうか」
「わかってるさ」
「本当に?!」
「お前はちょっと向こう見ずで、口悪くて、直情的だけど、真面目でストイックな努力家だ。だからオレもその気になった」
「…………」
少し驚いた。想像以上に深いところを突いてきた。若干泣きそうになる。見ていてくれる人は先生だけではなかった。ここにもいた。
「苺プロに来ないか、有馬」
「はぃ…………………は?」
YESと答えかけた状態で口が止まる。そのまま疑問文へと繋がった。人が言葉を聞き返す時のパターンは二つ。聞き取れなかったか、聞こえた内容が想定外だった時か。今回は後者にあたる。
「…………え?これって勧誘?」
「?他の何に聞こえる」
「まじめな話?」
「大事で真面目な話」
「…………」
顔が赤くなっていくのが自分でわかる。黙り込んだ私を覗き込もうとしたアクアから身体ごと背中を向けた。
「…………お前、まさか──」
「そんなわけないじゃない!わかってたわよ!おおむね、そんなところだろうなって思ってたわよ!あーホント予想通り!意外性のない男よねー!アンタって!あーつまんないつまんない!予想通り過ぎてホントつまんないわー!」
「…………まだ何も言ってねーじゃん」
早口で捲し立てる有馬の背中をみてアクアが苦笑する。かつての天才子役が落ち着くまで、10分ほと時間がかかった。
▼
ギャーギャー喚く有馬をなんとか落ち着かせる。少し思わせぶりだっただろうか。けれど勧誘において、必要な駆け引きだったから仕方ない。演技を見ていることもアピールし、そこから人となりを知ったという顛末は有馬にとってかなり有効な心理的攻略法だったはずだ。
仮にも有馬かなは全国にその名を轟かせた天才子役。表面的な美辞麗句など普通の人の一生分以上を既に浴びてきただろう。だからこそ内面的評価を求めている。見た目じゃない、本当の自分を知ってほしいと考えているはずだ。そういう相手を評するとき、褒めるだけではダメ。自覚しているであろう欠点を指摘し、なおかつそれを上回る美点を比較対象として出さなければいけない。
口が悪くて、直情的。しかし演技に関しては真摯で懸命。これが有馬かなに刺さる分析のはずだ。
それだけ本当の自分を見てくれる人の勧誘なら、受けてみたい。そう思わせることが第一の目的だった。そのための台詞回し。これでも誤解されにくいワードを選んだつもりだったのだが…
───意外と思春期だな、こいつも。
スキャンダルなんてもってのほかと言ってたくせに。まあ華の現役女子高生なんだし、仕方ないか。
「で?なんで私を苺プロにスカウト、なんて話になったのよ」
落ち着きを取り戻した有馬がようやく本題へと切り出す。勿論その為のセリフも用意している。
「勿論第一はオレの為だよ。お前もパーティで言ってたろ?大振りばっかじゃカウンター喰らうって。だがオレは今のところビッグパンチしか打てない役者だからな。オレが知る限り、小技に関してはお前以上に上手い奴はそうそういないだろう。同じ事務所なら技術を盗む機会も増えるはずだ」
嘘じゃないところから理由を述べる。聞こえのいいテキトーなことを言うのは簡単だが、今の冷静になった有馬かなにはバレる。最大の理由を言ってしまったら絶対断られる。最後の最後まで隠し通し、真実のみで誤魔化す。
「…………なるほど。確かにアンタと仕事する機会が増えるってのは私にとってもメリットね。アンタが私から盗むように、私だってアンタから盗みたいモノはある。一考の価値はあるわね」
「だろ?」
「でも苺プロはハッキリ言っていいとこ中堅程度の事務所。アンタに『可能性』があるのは認めるけど、才能だけじゃどうにもならないのがこの世界。私が貴方の事務所に入って、跳ねることができる根拠はある?そうじゃないならフリーの方がメリットはまだ多いわ」
事務所に所属するとなると売り込みも勝手にできなくなる。フリーでいることの強みの一つにギャラが安いというモノがある。しかしどこかの所属女優になってしまえばギャラは事務所同士の交渉となる。そうなってしまえば『今日あま』の時のような手が使えない。
どう返してくるか、と有馬がアクアを見返す。すると星の目を宿した少年は呆れたように肩をすくめた。
「苺プロに入って跳ねる根拠?そんなのいちいち聞くまでもないと思ってたんだけどな」
「…………は?なんで?」
「オレとお前がいるからだ」
言い切った言葉に絶句する。才能があるとは言え、まだ駆け出しも駆け出しの俳優が言っていいセリフじゃない。なんという傲慢。なんという不遜。
「オレ達の化学反応の結果は見ただろ。あの地獄の現場ですら、そこそこ見れるところまで持ち直したんだ。なら今度はもっとちゃんとした役者達が揃う場所でやってみたくないか?オレとお前の化学反応がどこまで爆ぜるか、見てみたくないか?」
ゴクッと唾を飲む。確かに見てみたい。もっと高い舞台で、アクアと二人で演ってみたい。
「できるさ、お前ならどんな事務所でも。一度どん底に叩き落とされたせいか、お前は意外と自分に自信がねえな。もっと夢を見ろよ。有馬はそんじょそこらのアイドルなんかよりずっと可愛いんだぜ」
「かわ、いい?私が?」
「当たり前だろ?お前が可愛くなかったら世の中の女子の9割以上可愛くねーさ」
ベンチから立ち上がる。舞い踊る桜を背に、星野アクアがその掌を有馬へ向けた。
「行こうぜ、有馬かな。もう一度、芸能界のてっぺんに。オレとお前の、二人で」
気がついた時には手を取っていた。その差し伸べられた光が、悪魔の契約の代償とも知らずに。
▼
「苺プロへようこそ。歓迎します」
あれからそのまま事務所へと案内され、赤みがかった黒髪の少女は斎藤ミヤコが差し出した契約書に目を通した有馬と刻印されたハンコを押していた。これで有馬かなは正式に苺プロ所属のアーティストだ。
「…………なんか上手く乗せられた気がするわ。本当にこれでよかったのかしら」
「ハンコ押してから何言ってんだか。もう後の祭りだぜ」
「あー、なんで私っていつもこう──」
「じゃ、今後の活動についてはユニットを組む二人でごゆっくり」
「…………は?」
ミヤコを伴って部屋から出ようとするアクアに疑問符が宿る。ユニット?一体なんの話だろう。役者同士の共演を普通ユニットとは言わない。ならアクア以外の誰かと組むということ。
「これからよろしく。頑張ろうね、先輩」
肩を叩かれる。背後にはアクアとよく似た顔の美少女が能天気に笑っていた。
「ユニット?ルビーと?」
「そう。これから芸能界で苦楽を共にする仲間だ」
「ルビーって確か…」
「自称アイドル」
「それと組むってことは…」
「目指せ!女優兼アイドル有馬かな!」
事務所に沈黙が訪れる。しばらく誰も話すことを許されない空気の中、やはりというべきか。渦中の人物が爆発した。
「だぁまぁしぃたわぁねぇええええ!!!!」
「人聞き悪いな。何一つ嘘はついてないつもりだ」
「女優としてスカウトしたんじゃなかったの!?」
「そんな事は一言も言ってねー」
振り返ると確かに女優としてスカウト、などという事は言っていない。が、この状況は騙されたと感じても無理ない事だろう。
「大丈夫、ウチに所属している間は女優としても仕事はできるし、そっち優先にミヤコが調整してくれるから。合間にちょこっとアイドル活動やるだけだよ」
「それでも新陳代謝の激しいアイドル業なんて数こなさなきゃやっていけないでしょうが!アイドル枠で跳ねなかったらどっちも失うわよ!どうしてくれるの!?」
「お前達なら大丈夫。どっちも跳ねるって」
「アンタ他人事だと思ってるでしょ!?セルフプロデュース上のリスクがどれだけ高いと思って…」
「他人事じゃないさ。家族の事だ。オレの事以上に重く考えてる。その上で判断している。お前達ならできるって」
口調に真剣さが戻る。あまりに唐突な変化に騙された有馬さえも一瞬黙った。
「な、有馬。お前はコイツをどう見る?」
肩を抱かれ、部屋の隅へと移動する。視線の先にはアイドル活動できるとはしゃぐ自身の妹の姿があった。
───なるほど、確かに『何か』を感じる
かつて一度だけ共演した天才アイドル『アイ』を彷彿とさせる何か。10年以上、芸能人として培ってきた嗅覚が、アクアと同様の可能性を感じ取らせた。
「流石はアンタの妹ってところかしら。アクアのオーラとは似て非なるけどね」
「だろ?適性だけでいうなら多分オレ以上だ」
才能を数値化したなら、恐らくアクアの方が上だ。しかし、アクアは良くも悪くも芸術家肌。客寄せパンダには向いていない。しかし俳優もアイドルも客を集められてナンボ。そういう適性という意味ではルビーはアクアを遥かに超える。
「でも向いてるだけじゃできないことも必ずある。有馬のような、芸能界をわかってるブレインが必要な時が来る。頼むよ有馬。アイツを導いてやってくれ。オレでは出来ないことなんだ」
「…………はぁ」
大きな溜息が出る。まあもう契約書にハンを押してしまった以上、諦めるしかないのだが。
「それにお前、『今日あま』が終わってから、女優業なんて全然やってねーじゃん」
「グフっ!?」
「なら暇な時間エゴサしてるより、少しでも世間に活動アピールした方がマシだろう」
「ぐぶはぁっ!?」
夢を語り、頼み込み、厳しい現実を突き刺してくる。これでもう完全に後には引けなくなった。
「…………ま、まあどのみち何らかのカンフル剤は必要だったし」
「お、いいな。前向きになってきたじゃん。その調子で自分を騙し世間を騙して頑張れー。じゃ、今度こそ二人でごゆっくりー」
「?ちょっとアンタ、どこ行くのよ」
「仕事。内容詳しく知りたければルビーに聞け。じゃあな」
「あ、ちょ───」
声を遮って扉を閉める。同時にフゥと一つため息を吐いた。コレでなんとかマリンでアイドルやるのだけは避けられただろう。
「まさか本当に引っ張ってくるとはね……相当あくどい手使ったみたいだけど」
呆れと称賛、両方の声をミヤコにかけられる。フンと鼻で笑った。
「栄光と挫折を味わっている者は高いプライドと折れた自信の両方を持っている。その二つをくすぐれば、動かすのは難しくない」
「…………そういう事ばかりしてるといつか本当に刺されるわよ。夜道に気をつけなさい」
「元はと言えばアンタがルビーの『マリンアイドル化計画』を止めないからだろうが。そっちこそアイツに甘いの何とかしろ」
鞄を拾って玄関へと向かう。今日はこれから撮影だった。
「送ってこうか?」
「いいよ。それより今はルビーと有馬見てやってくれ。どっちも違う方向で意地っ張りだから。緩衝材がいないと喧嘩しそうだ」
「よくそんな混ぜるな危険みたいな人スカウトしたわね」
「わかってねーな。摩擦があるから熱いんだよ。チームは」
熱無くして人は動かない。エンジンは内部で激しく燃えているからこそ、車という重量が時速100キロで走ることができる。
───かつて、カントルがそうだったように
ハッキリ言ってナナさんとハルさんの相性は良くなかった。一人はストイックな音楽家で、もう一人はポップなシンガー。意見の食い違いなんてしょっちゅうだったし、上を目指す熱量自体は同等だったが、熱の種類が違った。
だからこそ、あの三人でいた時間はあんなに熱かった。
「…………バンドやってた頃の経験かしら?ドラムス、マリン?」
「───知ってたのか」
「息子の活動くらいチェックしてるわよ。何かあってからじゃ遅いんだし。それにいいバンドだったから、聴いてて楽しかったしね」
実力も、ルックスも、華も、あのライブハウスでは間違いなくNo.1だった。マリンアイドル化計画をミヤコが強く止めなかった理由の一端がここにあった。
ハァと一つ大きく溜息を吐く。隠しているつもりだったものを知られていた情けなさと恥ずかしさをごまかす息だった。
「ありがたいけど、そろそろ子離れしてくれよ、ミヤコさん。恥ずいだろ」
扉を閉める。出ていった先をミヤコはしばらく見つめ続けた。
───やっぱり、母さんとは呼んでくれないか
今のアクアに母親の記憶がない事は知っている。おそらくだが解離性障害も治っていないだろう。だが4歳から今日に至るまで、アクアから自分を母親と呼んでくれた事はない。記憶がなくとも、根源のところで、母と呼べる人間は一人と知っているのだろうか。それとも……
───最愛の人が殺されたと知った時、あの子は……あの子達は、どうなってしまうのだろうか
忘れようと努めるのか。復讐に囚われてしまうのか。
答えは、わからない。
けど、どちらになったとしても、私は。
『あの子達を見守ってあげてください』
12年前、医師に言われた言葉。ずっと忘れない、私に唯一できる事。
でも願わくば、今のまま。あの子達らしさを失わずに生きてほしいと心から願う。
扉の奥から姦しい喧騒の声が漏れ出てくる。早速二人の摩擦が発生しているようだ。思わず笑みが漏れる。安堵なのか、失笑なのかはわからなかった。
───今は、あの子達に尽くそう
扉を開く。本格的なアイドル活動を復活させる前に、アイから託された星を守るため、ミヤコはもう一度覚悟を強くした。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。最新話やべー。
復讐に取り憑かれる事で両目に暗い星を宿した原作のルビー。
復讐を忘れたことで両目に眩い星を宿した拙作のアクア。
なんかめっちゃ対比になってね!?シンクロしてね!?参ったね先生!筆者の思いつきも捨てたもんじゃねーな!もしかして筆者未来予知した!?……言い過ぎだな。偶然だよ。すみません、ちょっとハイになってました。とにかく原作ヤバいです。めっちゃ色々刺激されます。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです!良いGWを!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
15th take 代打、私
招待状を持たぬ異邦人がその戸を叩くだろう
招かれざる客に扉を開けてはいけない
火を知らぬ少女の炎は貴方を焼き尽くしてしまうから
「やっぱダメね、私たち」
東京。とあるライブハウス。演奏を終えた寿ななみと鷲見はるかは楽屋で手足をだらしなく伸ばして、今の感想を述べた。
「ダメって何が?人はそこそこ来てたし、盛り上がったじゃん」
「そこそこね。半年前はそこそこなんてもんじゃなかったでしょ?」
そう、自分で言うのも何だが、私たちはロックの世界では上手い部類に入る。演奏も、歌も。ルックスも。だからそこそこ人気があった。今も、今までも、別のバンドにいた時も。
でも、明らかに違うんだ。熱量も、熱気も、注目も。あの時とは。
「アクアくんがいた時とは比べ物にならない」
そう、三人がいたあの時とは、まるで違う。
それを指摘すると、ハルにしては珍しく、不快感をあらわにして舌打ちした。
「あのさぁ、それわざわざ指摘してなんになんの?アッくんが辞める時、私達は納得して送り出したじゃん」
そう、カントルの人気絶頂期。一度だけメジャーデビューの打診が来たことがあった。まだ本決まりではなかったけど、やってみないかと言う話だった。
しかし、その話が来た時、アクアくんはすぐにカントルから抜けた。
「オレはロックで大成する気ないし、モチベーションはパフォーマンスに出ます。それにメジャーデビューするなら女性ドラマー、マリンのままではいられないでしょう。カントルは美少女のみで構成されたバンドっていうのも強みの一つですし。話を受けるなら結成時に約束した通り、オレは抜けます。大丈夫。ナナさんとハルさんならやれますよ」
そう言ってマリン……いや、アクアはカントルをやめた。その時私もハルも特に問題視はしなかった。万が一、こういう話になれば辞めるというのは組んだ当初から言っていたことだ。有言実行。寧ろ妙な欲や願望でダラダラ居座られなくて良かったとすら思っていた。バンドにとって、ドラムは欠かせない存在だけど、技術さえあれば代わりは効く。ドラムはバンドの伴奏。伴奏者が大きく目立つ事は少ない。大手レーベルから代わりの女性ドラムスも送ってもらえる事になっていた。問題ないと思っていた。
しかし、現実は違った。
レーベルの人が送ってくれたドラムスは上手かった。多分アクアくんよりずっと。でも、それだけだ。上手いけど上手いだけ。三人が合わさった時のあの一体感、グルーヴ感、熱量、化学反応。1+1+1が10にも100にもなる感覚がなかった。
観客は正直だった。マリンが変わった途端、一人また一人と減っていき、いつのまにか私やハルがアクアと組む前程度の数にまで減っていた。メンバーが変わって、メジャーデビューはしばらく様子見されていたのだが、もうほぼ絶望的だった。
【
「解散しよう、ハル。私達は選ばれなかったんだよ。神様か、他の何かはわからないけど、そういう目に見えない何かに。もう私達高校も卒業だし。ちょうど良い機会だったよ」
「…………そうね。音楽は好きだし、一生音楽に関わって生きていきたいとは思ってるけど、ロックはもう潮時かもね」
「あーあ。世の中って不公平だよねー」
音楽に本気でぶつかっていた私達が選ばれず、趣味や腰掛けにしている人間が選ばれていたりする。二兎を追って、二兎を得てしまう人間がいる。天は与えるところには二物も三物も与えている。才能とは望んだところに降りてくるわけではないのだ。
「【
こうして、カントルは解散となった。アクアくんにも正式に解散することを告げた。残念がっていたけど、二人が決めたのなら仕方ないと言ってくれた。最後に解散ライブに出てくれと頼んだら、快諾してくれた。
ライブハウスに帰ってきたアクアくんはかなり大きくなっていた。私よりも低かった背が今は超えていたし、声も少し低くなっていた。それでもまだ高音は出せるみたいだし、ドラムだから歌は目立たない。素性を明かさなくていいなら、まだマリンは演れると言って、ウィッグを被った。
「おはようございます!今日はよろしくお願いします!」
「…………貴方が、私たちの対バンの…」
「はい!渡辺あやか言います!私たちも女性3Peaceバンドです!カントルにはずっと憧れていました!対バンできるなんて、ホンマに光栄です!今日は胸をお借りします!」
「はは、関西弁かわいいね。こちらこそよろしく」
握手を求めてきたのは亜麻色髪をお団子にまとめた可愛らしい女の子。歳はハルやナナより少し下。アクアとほとんど変わらないくらいだった。握手した感じ、指先が硬い。多分ギターボーカルだなと思った。
「…………なにが胸を借りるよ。嫌味ね」
「嫌味?」
「あの子達、今度私たちに声かけてきたレーベルでメジャーデビューするらしいよ。謂わば後釜ね。私達ができなかったから」
「…………なら、負けられないね」
マリンがスティックをクルクルと手の中で回す。バンドは辞めたけど、ずっとカントルの応援はしていた。ハコにも何度か足を運んだ。彼女達の音も聞いたことはあったが、客観的に見ても、ナナさんやハルさんの方が上手かった。
「行こうか、ハル、ナナ。自由な
メジャーデビュー直前に立った舞台より遥かに小さく低い舞台。けれどどのステージよりも熱く、世界と溶け合うかのようなハーモニーの一時だった。
▼
人身御供を差し出したその日の夕方、というよりは午後。アクアはとあるスタジオに向かっている。来週から参加する恋愛リアリティショー【今からガチ恋始めます】。その初回直前の顔合わせ兼メディア用PV撮影で呼ばれていた。
参加者は全員で7名。アクアを含め、男子三人。女子四人の構成となっていた。わざわざ奇数にしているあたり、プロデューサーの性格の悪さが出ている。三角関係や男女トラブルが起こりやすいよう作られている。
───参加メンバーはみんな若手の芸能人
皆18歳未満の未成年で、まったくの無名、ではなく少しずつ名前が売れ始めた、まさに売り出し中の有望株を集めていた。まさに若手芸能人の登竜門。ここで名を売ることができれば、大きな躍進へと繋がる。
───………ん?
苺プロの事務所を出てしばらく歩くと歩道のすぐ横に車が止まる。可愛らしいワンボックスカーだ。思わず足を止めるとウィンドウが開いた。
「…………ハルさん」
「やほ、アッくん。今日撮影でしょ?乗りなよ。近くまで送ってあげる」
何で撮影日知ってんだよと思ったが、すぐに理由に思い至る。この人の血縁も今日参加するのだ。なら知っていても不思議ない。
逃げられないと悟ったのか、それとも違う理由か。黙ってアクアは扉を開き、助手席に腰掛けた。
しばらく無言で車が走る。何から話せばいいか、わからなかった。
「…………あの、ハルさん」
「んー?なにー?」
「まだ怒ってますか?」
あの日、リアリティショーに出演すると伝えた時、ハルさんは確実に怒っていた……いや、少し違うか。イヤそうにしていた。
「やぁね。別に怒ってないよ。あの時も、今もね」
「資料届いてやっと渋ってた理由が解りましたよ。一瞬同じ苗字なだけかとも思ったんですけどね」
資料に記載されていた共演者に見覚えのある名前があった。苗字は全く同じ。名前にも少し繋がりを感じる。ハルとユキ。どちらも季節を連想させる。
「鷲見ゆき。以前ハルさんから聞いたファッションモデルの妹さん。まさか共演する日が来るとはオレも思いませんでした」
「…………」
笑みを浮かべたまま、黙り込む。雄弁な沈黙だった。
「…………ゆき、私の妹さ」
「はい」
「私の妹だけあって、色々立ち回り上手いっていうか、強かというか、テクニカルなんだよね」
「想像できますね」
ハルさんは社交的だ。明るくて可愛くて、誰にでもモテるタイプ。複数の男子と同時に付き合う、なんて事も幾度かあった。だが大きな問題を起こした事はアクアが知る限り、ない。どうすれば波風立たないか、どうすれば相手をメンヘラにまではしないか、よく心得ている。人との立ち回りという点において、ハルさんに学んだ事はアクアも多い。妹ならば尚更だろう。
「でも、あの子は私と似ているとこも多いけど、似てないところもあるんだ。当然よね、私とゆきには同じ血が流れてるけど、別の個人なんだから」
「当然ですね。オレにも双子の妹いますけど、容姿以外はまるで似てませんよ」
同じ家庭で、同じ環境、同じ教育を受けても、人は違う人間になる。だから面白いし、だから興味深い。
「…………ねぇ、アクア」
「──ハル」
「私ね、貴方が誰と付き合おうがセフレになろうが、文句を言うつもりはないの。私だって今まで好きにしてきたし。どんな女と何をしようと、私はアクアが好きだから」
「オレもハルが好きだよ」
「ありがと。だから貴方がゆきと付き合っても、私は構わない。妹の相手がアクアなら嬉しいとすら思うくらい」
「…………」
「でも、もしあの子と付き合うなら、彼氏彼女の関係になるなら、私と貴方のような関係にはしないであげて。付き合うならちゃんと恋して付き合ってあげて。あの子は私と違うの。私は飽き性だけど、ゆきはこうと決めたら結構一途だから」
ハルが見ている限り、ゆきは今まで夢を追いかけるのに必死で男と付き合ったことすらないはずだ。ハルの背中を見て育ってきただけあって、立ち振る舞いは軽いし、男遊びもしてそうだけど、中身は姉とは違う。あの子が男と付き合うとすれば、それはちゃんと相手に恋している時だけのはずだ。
「それを約束してくれるなら、私はアクアがリアリティショーに出る事、何も言わない。今まで通り、貴方の相談相手で、セフレでい続ける。私も貴方との付き合いをなくしたくないから」
アクアとハルは同じバンドで苦楽を共にした仲。一年以上、仲間であり、戦友だった。男と女というより、悩みを分かち合い、快楽を貪り合う関係。よく言えば気の置けない友人以上。悪く言えばなあなあ。人によっては互いが互いをキープしているかのように見えるだろう。
しかし、気軽に男女の関係でいられて、それぞれがいろんな場面で都合良く使える存在を、二人とも貴重に思っていた。
「…………オレは、結構気分屋だ」
「知ってる」
「場当たり的に動く事も多いし、その場のひらめきで行動してしまう事もある」
「そのくせ完璧主義で、秘密主義。理性的に見えて意外と破天荒。目的のためなら必死に積み上げてきたものを一瞬で捨てることができる人」
「ははは…流石、大変よくご存じでいらっしゃる」
一年と少し、同じユニットで活動し、苦楽を共にしていただけのことはある。最近はその傾向が特に顕著だ。ドラマではアドリブしまくったし、PVでは現場をぶち壊した。
「だから、このリアリティショーでオレがどんな行動に出るか、その結果、何を引き起こすか、オレにも予想はできない」
「うん、わかるよ。リアリティショーって台本ないらしいからね」
「でも、約束する。鷲見ゆきと付き合うことになるとすれば、その時はなあなあで済ませることはしない」
「じゅーぶん。すぐ別れたって全然いいから」
「じゃあ、仲直りしてくれるか?」
少し不安と緊張が声に出る。それに気づいたのか、車が止まった時、ハルさんの口端に笑みが上った。
「私は元々喧嘩してたつもりはないんだけど……ごめんね、変な空気にしちゃって」
「ありがとうございます」
唇が重なる。サラッとした花の香りが鼻腔をくすぐった。
▼
「おはようございます」
スタジオに入り、受付を済ませると、アシスタントらしき人物が現れた。そのまま案内された部屋へと入る。部屋には既に五人が待機していた。アクアは六人目だった。
「おはよう、星野くん。好きなところにかけて」
オレで六人目。つまり参加者のほとんどは来ている。参加メンバーの中で唯一気になった名前の主をさりげなく探す。そして一眼でわかった。よく似ている。
───鷲見ゆき……彼女がハルさんの妹
お嬢様カットに、フワッとウェーブのかかった黒髪。卵型の大きな瞳と少しモードな衣装が特徴的。体型はスレンダー。美人というよりは可愛いという表現が似合う少女だ。
───オレのことは知らないようだが…
宣伝用の集合写真ではオレの右隣だったのに、特別なリアクションはなかった。まああのハルさんがたとえ妹といえど、言いふらすような真似をするとは思ってなかったが。
───それでも、あまり迂闊なことは言えないな
ハルさんの妹なんだ。カントルのライブに来ていた可能性は高いし、下手なことを喋ればオレがドラムだったこともバレる。ハルさんにはああ言ったが、オレが彼女とどうかなる可能性は極めて低いだろう。むしろ彼女とは出来るだけ距離を取ろうと決めていた。
「星野アクアさん、ですよね」
隣に腰掛けていた少女が話しかけてくる。肩近くまで伸ばした青みがかかった黒髪。凛々しくも柔らかい瞳。モデルやアイドルというよりは、こっち側の匂いのする少女だ。宣伝用の写真撮影でオレの隣にいた。名前は確か……
「黒川あかねです。ララライという劇団で舞台役者をやらせてもらっています」
───劇団ララライ
オレはどっちかというとカメラ演技の役者のため、舞台についてはあまり詳しくないが、ララライは知っている。舞台系の劇団の中では屈指の実力派集団。そこの舞台役者というなら彼女も相当の腕だろう。
「あの、お会いできて嬉しいです。私、子供の頃からずっと演技の稽古しかしてこなかったので、こういうのでどうしたらいいかわからなくて……それでも同業の方がいてくれて、安心しました。よろしくお願いします。どうか仲良くしてください」
───あんま、そんな感じには見えないが
一流特有の、技術に裏打ちされた自信というものを彼女からは感じない。仮にも歳上だというのに、ずいぶん腰が低い。役者なんて基本根拠のない自信家が多いのに。彼女は究極に謙虚なのか、完璧に隠しているのかのどちらかだ。
「星野さんも──」
「ごめん、苗字で呼ばれるの、慣れてないんだ。アクアと呼んでほしい。黒川さん」
「あっ…!あの、では……アクアさん、と」
視線を逸らし、軽く頬を染めながら辿々しく名前を呼ぶ。演技には見えなかった。だとしたら、ちょっとクサい。男慣れしていないのだろうか?美人なのに少し意外だ。
「オレも貴女を名前で呼んでいいかな?これからしばらくは一緒に仕事するんだし」
「あっ、はい!勿論です!」
「じゃ、オレに何か用かな?あかね」
「あかっ、」
呼び捨てにされたことに少し動揺する。けれど、自分で名前で呼んでいいと言った手前、今更拒否もできない。人とは一度許してしまうと2回目からはNOと言いにくい生き物だ。呼び方をこちらで決めることで優位を作り、距離を詰める。どちらかといえば歳下相手に使う戦略なのだが、腰の低い相手にも有効だ。
「オレの名前と顔を知ってるってことは、もしかして『今日あま』観た?」
「あっ、はい!拝見しました。かなちゃ……有馬さんが出てたから気にしてたんですけど」
「はは、流石は元天才子役。注目度高いな」
「でも、あのドラマで一番強く光っていたのはアクアさんでした。素晴らしかったです。まるで周囲丸ごと食べちゃうような演技……まるで昔のかなちゃんや姫川さんみたいな…」
「かなちゃん…それに姫川?」
「ああっ、すみません!なんでもないです!」
聞いた事あるような無いような名だ。ララライの役者さんだろうか?オレはカメラ演技専門で舞台役者に関してはちょっと疎い。
「アクアさんは、子供の頃から役者を?それともアレが初仕事?」
「一応デビューは子役。3歳の頃にちょい役で映画に出させてもらった」
「やっぱり。随所に光る細かいテクニックから長くやられてる方だと思ってました。私も子役からなんです。5歳から」
「それは長いな……てゆーか敬語やめてくれよ。一応あかねの方が歳上だろ?」
「いえ!芸歴で言えばアクアさんの方が先輩ですし!」
芸能界は年功序列ではない。先輩後輩は芸歴で分けられる。オレは13年。あかねは12年。一応オレの方が一年先輩ということになる。あかねの態度は間違っていない。しかし、今まで自分に敬語を使う業界人はいなかったため、少し違和感があった。
「ま、言葉遣いくらいで人との距離は変わらないか。好きに呼んでくれ」
「はい!アクアさんとも是非一緒に仕事したいです。もちろん演劇で!」
「ありがとう。オレもあかねと演ってみたいよ……それにしても、遅いな」
時計を見る。集合時間はすでに過ぎていた。待つのあんまり好きじゃないため、結構ギリギリに来たのに。(←新人にあるまじきスタンス)
「全員で7人でしたよね。あと来てないのは……あの茶髪にお団子ヘアの」
「渡辺あやか。大手アイドルグループセンター。元バンドマンで一度メジャーデビューも経験したギターボーカル」
「詳しいですね、調べたんですか?」
「いやハコで結構話題になってたことがあって──」
そういや今はバンドやってないんだな。そんで現在大手アイドルグループ所属ってことは、メジャーデビューうまくいかなかったか?まあ良くある話だが。
「…………ハコ?」
「ンンッ、事務所!事務所で話題になってたことがあって!その、オレん家一応芸能事務所だから」
危ない。人の名前忘れっぽいオレだが、流石にあの解散ライブの対バン相手くらいは覚えている。宣材撮影の時もいたし。相手はオレの事をわかっていなかったようだが。まあそれも当然だ。彼女との初対面の時、オレはマリンだったから。気づかれていたらえらいこっちゃ。だが直前までハルさんと話をしてた事もあって、ついポロッと漏れてしまった。咄嗟についた嘘にしては結構上出来だったと思う。その証拠に、あかねもあまり疑わずに信じていた。
「そうなんですね。事務所の名前は?」
「苺プロダクション」
「…………聞いたこと、あるようなないような?」
「はは。素直に無いって言ってくれていいよ。ホントに小さい事務所だから。オレも身内が社長やってなきゃ入ってなかっただろうなぁ」
扉が開く。最後の一人が来たのかと思ったが、現れたのは男性だった。歳は三十を超えるかどうかといったところ。恐らくADだろう。オレ達よりは歳上だが、世間一般では若手と呼ばれる人物だ。
「皆さん、集まってますね。おはようございます。それでは早速、打ち合わせに入りたいと思います」
「待ってください。渡辺さんがまだ……」
「渡辺あやかさんは今回、出演をキャンセルされました。急遽別の仕事が入ったとかで」
出演者たちの空気がざわつく。オレも少し動揺していた。女子4人に男子3人の奇数組み合わせでは問題があるとは思っていたが、宣伝用のポスター撮影もやった後にドタキャンするとは。少し予想外だった。
「ああ、ご安心ください。渡辺さんの代わりにスペシャルゲストの参加が決定しています。ですから今回、メディア用の宣材撮影とPV撮り直しますので、よろしくお願いします」
「スペシャルゲスト?」
「ええ。本人たっての希望でして。多忙な方なので少し遅れているそうですが……お名前は──」
「遅れて申し訳ありません。集合時間には間に合わせたかったんですけど」
ADの言葉を遮るように扉が開く。そして現れたピンチヒッターが誰かを認識した面々が声を上げる。アクアもしばらく開いた口が塞がらなかった。
▼
鷲見ゆき
大手事務所に所属するファッションモデル。看板モデルの影に隠れがちだが、近年徐々に雑誌などの掲載も増えつつある。高校一年生。
熊野ノブユキ
Japan spirits family、通称JSFに所属する、ブレイク系を得意とするダンサー。お調子者なところもあるが、そこも彼の長所。高校2年生。
黒川あかね
劇団ララライの役者。舞台劇界では天才と名高い若きエース。舞台の外では少々引っ込み思案なところがある。高校2年生
森本ケンゴ
インディーズからメジャーへと這い上がったバンドマン。作曲を担当している。マッシュヘアーが特徴的。高校三年生
MEMちょ
メルヘン系ユーチューバー。天然おバカキャラでプチバズりを繰り返し少しずつ知名度が上がりつつある。18歳?
星野アクア
役者。デビューは13年前。映画に子役として出演。以来無名だったが、ネットドラマ『今日あま』で一部業界に話題を呼んだ俳優。高校1年生。
渡辺あやか
関西出身のアイドル。大人数グループのセンター。元バンドマンで歌唱力に定評あり。高校2年生
以上7名で執り行われる恋愛リアリティショー、【今からガチ恋始めます】。芸能活動をしている高校生がさまざまなイベントや行事を通じて関係を深めていく──様子を楽しむ、
───はず、だったんだけどなぁ
撮影初日。各々の学校の制服を身にまとい、自由に会話をしなければいけないはずなのに、誰一人言葉を発する事は出来なかった。
それもそのはず。本来なら呼ばれていないはずの人間が、この場にいてはいけない人物が、演者達の中心に座っていた。
そう、このリアリティショーは若手の有望株、つまりまだ名前が売れかけている芸能人達が呼ばれる企画。言うなれば甲子園をめざし、プロを夢見る高校球児。その中でも地元少年野球チームではエースで4番を張れる程度の選手達の舞台。県予選のようなものだ。
そんなところに甲子園どころかNPBでホームラン王で二刀流で完全試合達成したかのようなトップ中のトッププロが代打で入場してきたら、高校球児達はどうしていいかわからないだろう。リアリティショー参加者達はいつ爆発するかわからない核弾頭の前に立たされているかのような、錯覚に陥っていた。
ここでこの核弾頭の爆発処理に挑むことが出来るものなど、頭のネジが飛んだやつか…
「やぁフリル、千年ぶり」
「貴方に会えない半日は千秋に値する時間だったよ、アクア」
彼女と同等のポテンシャルを持った天才か
穏やかな風に吹かれる黒髪の美少女の前に、太陽の光を眩く反射する蜂蜜色の髪に、星の輝きを宿した瞳の美少年が座り込む。
不知火フリルと星野アクア。
この先、幾度となく比較され、並び称される二人の第一歩。記念すべき初共演企画。恋愛リアリティショー『今からガチ恋始めます』が始まった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。GWが終わりますね。明日から皆さんがんばりましょう!皆様の日常のひとつの彩りにこのSSがなってくれれば幸いです。
以下後書き。渡辺あやかさんはオリキャラですが、一応原作登場人物。今ガチ編冒頭の宣伝写真に写っていた森本ケンゴの隣にいた女の子です。あの子一体何者だったんだろう。名前は筆者がなんとなく考えました。
そして高校野球の代打にメジャーリーガーが現れました。才能を秘めたエース、アクアはどのような投球内容をみせるのか。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
16th take 海が燃える
海の名を冠する少年が立ち向かう
勇気と蛮勇を履き違えてはいけない
その火は海をも焼き尽くす炎なのだから
恋愛リアリティショー『今からガチ恋♡始めます』
その宣伝用のメディア向けPVと宣材写真がネット上に放映され、多くの人の目にその番組と出演者が発表された。
出演するのは今まさに名前を売りつつある若手有望株と呼ばれる高校生達。といっても、世間一般からすればほぼ無名の者達ばかり。視聴者への配慮、何より出演者達への配慮として、初回放送では出演者の簡単なプロフィール紹介。
そして1分のアピールタイムが設けられていた。
鷲見ゆきの場合はファッションとメイク。ランウェイを歩くたびに様々な衣装が、そしてファッションに合わせたメイクが、一歩一歩踏み出すたびにチェンジしていく。その様相はまさに七変化。ラストの衣装を靡かせ、モデルポーズにてフィニッシュを決めた。
熊野ノブユキはダンス。ブレイク系を主としてダイナミックかつ繊細な動きを披露する。
黒川あかねは1人エチュード。バックはロッジ。一人旅の中、美しい自然に迷い込んだ美少女を演じてみせる。
森本ケンゴはギターソロの超絶技巧。目にも止まらぬピック捌きでロックな演奏。最後にピックを天高く投げ捨てた。
MEMちょはCGを駆使したポップな映像。可愛らしく、華やかなアイドルダンスはどこか熟練したなにかを感じさせる。ユーチューバーらしい、映えるダンスだった。
そして星野アクアは……
♪
森の中にポツンと聳える一台のグランドピアノ。薄暗い森の中で太陽のスポットライトが照らされるその中に、1人の少年が鍵盤を叩く。演奏される曲目は『鏡』。ピアニスト、ジョゼフ・モーリス・ラヴェルがパリの若き芸術家達に捧げた、挨拶と歓迎の曲。
「あいつ、ピアノなんて弾けたの!?」
「大人達の悪い遊びに付き合ってるうちに、いつの間にかね。私の元亭主が発端だから、あまり強く言えないのだけど」
「最近ちょこちょこキーボードの練習してたのはコレかぁ。まったく、ホント無駄に才能あって、その才能を無駄遣いしかしないんだから。お兄ちゃんは」
「ラヴェルの『鏡』……確かに挨拶としては最適だけど、またキザな選曲ね。しかも少しジャジーにアレンジしてるし。意味わかる子、あの中に居るのかしら」
PCで初回放送を観ている有馬かなと星野ルビー。そして斎藤ミヤコは特技を有効活用(見ようによっては悪用)するアクアを見て、呆れと驚愕、そして怒りがないまぜになりながら、アクアの一分間のアピールを観続けた。
♪
演奏が終わる。そこで初めて、カメラが自分を捉えていたと気づく(演技をする)。フッと浮かべた柔らかな微笑はまさに儚げな美少年と呼ぶに相応しい美しさを誇っていた。
『いや誰!?』
皮肉屋でドSで嗜虐的な笑みに慣れきっているルビーと有馬はカメラの中の美少年に鳥肌が立つ。さすが役者と言えなくもないが、普段の彼を知る身としては違和感が凄すぎる。
「キャラ作りすぎでしょ!!何この今にも消えちゃいそうな薄幸の美少年?!傍若無人自信過剰自分信仰天上天下唯我独尊クソヤローのくせに!」
「メディア用とはいえ作りすぎ!誰よこいつ!あんまり本来の自分とかけ離れたキャラ作ると後でキツいわよ!キモ!バーカ!ナルシスト!」
と言いつつスマホの連続シャッター音が密かに鳴り響く。ここ最近で一気に増えたアクアの映像が素早く有馬かなのプライベートフォルダに保存された。
6人の撮影が終わり、しばらくはフリートークへと移行する。出演者達はそれぞれのアピールについて、感想を述べ合っていた。
「かっこいい〜。役者さんなのにピアノも上手なんて凄〜い」
一つ前にダンスを披露したMEMちょが真っ先にアクアのピアノを誉める。ありがとうと一言微笑むと、蜂蜜色の髪の少年は幼く見える淑女の手を取り、エスコートを始めた。
「アレくらい少し練習すれば誰でもできるよ。MEMちょこそ素晴らしいダンスだった。一朝一夕じゃない、積み重ねを感じたよ。勿論、貴女の可愛さも含めてね」
【は?死ね】
流れるような紳士的エスコート。単純ではない、その人の内面と努力を讃える賞賛。息をするように出る口説き文句。どこからどう見ても女慣れしきった男の軟派な態度。そして自分には一度として見せたことのない優しさと美辞麗句に、妹と同僚からは呪詛しか湧き上がってこなかった。
「なんだアイツ……私には可愛いなんて勧誘の時にしか言わなかったくせに」
「女に囲まれて絶好調だなクズ兄貴……」
「2人とも落ち着いて。身近な男が女にデレデレしてるところ見ると腹立つのはわかるけど、アクアも役者だから。好感度の高い男を演じてるのよ。大衆の人気を得る方法としては正しいわ」
「わかるけどさ!コレはいくらなんでもウソでメッキ貼りすぎじゃん!帰ったら説教………え?」
ルビーの怒涛の文句が止まる。少し沈んだ様子でPCを見ていた有馬かなも目を見開いた。まだもう1人、しかも全員の紹介が終わったと見せかけた上で、ラストを飾る明らかな特別扱いをされている人物が残っていた。その衝撃はルビーの怒りも、有馬の呪詛も、全て吹き飛ばす大爆弾だった。
恋愛リアリティショーは基本偶数。カップリングが作りやすいように設定されている事が多い。
しかし、稀にだが奇数の組み合わせになる事もある。三角関係…いや、それ以上のいざこざを狙ってのことだ。ドロドロの人間関係や恋愛戦略は観ている分には面白いから。
しかし、突発事故が起こる可能性も跳ね上がる。今や誰でも有名人を叩ける時代。普通のリアリティショーでさえ、炎上騒ぎが巻き起こることなどザラなのに。出演者達は火薬庫の中を静電気にすら気をつけて歩くが、企画する者達はタバコを吹かして歩けと言っているようなものだ。
しかしそれだけなら芸能界ではよくある理不尽で済む話。だが、最後に現れた人物が火薬庫を全て加工済みの爆弾に変えた。
一分間のアピールタイム。しかし、最後の1人は何もしない。桜舞う庭園の中、佇むだけ。何もしない一分というのは意外と長い。TV番組で一分間無言の時間があればそれは完全に放送事故だろう。アクアですら、一分間笑顔のみで持たせることはできず、ピアノという特技に頼った。
だが、最後の1人はこの長い一分を刹那の時間に変えて見せた。遠くを見つめる視線。憂を秘めた瞳。風に靡く艶やかな黒髪。掻き上げた手から覗く泣きぼくろ。全てがため息が出るほど美しい。見惚れている間に60秒が終わる。ルビーにとっては初めて。有馬かなにとっては二度目となる魔法の時間。しかも今回は同じ現場ではない。画面越しという果てしなく遠い距離から届かせてみせた。はっきり言って今のアクアとは比べ物にならないレベルの魔法使い。アピールタイムが終わってようやく、視聴者達の時も正常に戻った。
「…………不知火フリル」
魔法使いの名が全国で呟かれる。恋愛リアリティショー、『今からガチ恋始めます』
静寂と波乱のスタート。
▼
アーティストとは、人気商売だ。
才能があるだけではダメ。パフォーマンスが良いだけでもダメ。努力するなんて当たり前。一寸先は闇の世界の中で、出演する番組や企画一つ一つが命懸け。真っ暗闇の中で見えない地雷がどこに仕掛けられているかもわからない。
情報に溢れたこの社会。いまや誰でも有名人を叩ける時代。迂闊な一言、ちょっとした誤作動一つで引退に迫られて何らおかしくない世界。ミュージシャン、ダンサー、俳優、アイドル、あらゆるジャンルのタレントが、芸能界という火薬庫を、自然発生する静電気にすら気をつけて、一挙手一投足に細心の注意を払って歩いている。
そんな中、静電気はおろか、僅かな振動で大炎上を巻き起こす爆弾が空から降ってきたとしよう。常人ならば一目散に逃げ出すだろう。それを扱うことが仕事の者であれば、逃げはしないだろう。しかし真っ先に挑む事はまず避ける。できれば他の人に任せたい。そう思うのを責めることはできない。誰だって厄介ごとに首を突っ込むのは避けたい。ましてこの爆弾は自分程度、あっさり吹き飛ばす威力がある。
───かといってこのままだんまりじゃ番組にならない!
───でも、何をすればいいのよ!?話しかける?とっかかりは?どうすればどの方面にも角が立たないトークができるっていうの!?
校庭を模した広場。その中心に座る爆弾を相手に、出演者達は身動きひとつ取れなかった。
風に靡くその黒髪は音が鳴るのではと思わせるほど、美しく、憂を秘めた眼差しは万人を虜にする。均整の取れたスタイルは大衆の理想が形になったかのよう。
美麗な指が頬に触れる。滑らかな白磁の肌にまるで一点の墨を落としたかのような泣きぼくろは彼女の艶を一層際立たせる。
不知火フリル。たった一つのその美しさ爆弾は出演者のみならず、カメラマン、ディレクター、プロデューサー。全ての時を奪っていた。
ただ、一人を除いて
自身の目の前に座る人物を確認すると、泣きぼくろの美少女は口元を緩める。それでこそ、と表情が語っているようだった。
「やあ、フリル。千年ぶり」
彼女の
▼
4月も中盤に差し掛かり、桜の花びらが空を舞う季節。ひだまりの中咲き誇る花々の中、白い椅子に佇む黒髪の美少女。実に絵になる光景だ。画家や写真家でなくとも、一枚記録に残したくなる光景だろう。表面的には。
しかしオレの目には庭園の中に突き刺さった不発弾……いや、核弾頭にしか見えない。他の演者達もほぼ同意見なのだろう。誰も近づこうとしない。定点カメラのアングルにだけ注意して自由に会話してくださいと言われたが、目に見える地雷原を前に誰一人身動きできなかった。
───だがまぁ、このままというわけにもいかないか
このリアリティショーでオレはあまり目立つ行動するつもりはなかった。最大の目的は鏑木Pからアイについてのプライベートを聞くこと。そのために無難に、批判も賞賛もされることなく大人しく番組に貢献するつもりだった。ここでの活動が演技に役立つとはあまり思えなかったし、ヘタに何かすると批判の対象になりかねない。有馬も言っていたことだが、オレはまだ売り出し中の若手役者。スキャンダルには人一倍注意しなければいけない時期だ。
しかし、この現状に対して、オレは少なからず関係しているだろう。ならこの場で動ける人間はオレしかいない。心の中で諦めの溜息を吐くと、庭園に備え付けられたテーブルへと近づき、美しい爆弾の前に座り込んだ。
「やあ、フリル。千年ぶり」
「貴方に会えない半日は千秋に値する時間だったよ、アクア」
思わず苦笑が漏れる。皮肉のつもりで言ったジョークだったのだが、見事に返された。フリルも微笑んでいる。アクアが自分に振り回されている今のこの状況を完全に楽しんでいた。
「千年ぶりと言ってくれて嬉しい。貴方も私と同じように思ってくれてたなんて。学校ではそっけなかったから。せっかく一緒に帰ろうって誘ったのに」
「君があの時遅かれ早かれと言った意味がやっとわかったよ。ったく、どこでオレがコレ出るって情報掴んだんだか。まあ不知火フリルならこの程度のネタは一発ツモれるか」
「カンのいいイケメンは、好き」
「イケメン限定かよ」
「顔がいい人が嫌いな人なんてこの世にいないでしょ?ジョバンニ」
「その呼び方やめろ。他の人に通じねーだろ、カムパネルラ」
鼓膜を震わせない無言のざわめきが周囲に響く。それも当然。はっきり言ってほとんど無名と言ってしまって差し支えない駆け出し俳優があの不知火フリルと対等…いや、それ以上の口の聞き方をして、しかもフリルはそれを受け入れている。会話の内容も素晴らしい。言葉の端々に比喩やジョークを混じえ、適した言葉を選んでいく。
───客観視
フリートークの極意の一つは、自分自身が冷静な視聴者であること。おかしい事はおかしい。気になる事は気になる。それを出演者がTVで言うから、視聴者はトークにノれる。
無論、口で言うほど簡単ではない。バズーカと見紛うデカいカメラに囲まれ、周囲は大人ばかりのこの状況。高校生の少年少女の精神状態が乱されるのは当たり前。まして自分達は視聴者ではなく出演者なのだ。右を見ながら左を見ろと言っているようなもの。まるで自分の家でくつろいでいるかのような精神状態を保ち、カメラの目を理解し、視聴者の目をトレースしなければ不可能。
───バード・アイ
空間認識能力が高い人間がごく稀に持つ特別な目。まるで天の星から全体をのぞいているかのような視界をもたらす、神に選ばれた者へのギフト。
───オレも調子がいい時、そうなる事はあるけど、コレはそんなレベルじゃない。上空どころか、360度全方向。千メートル望遠あらゆる距離に自分の目を張り巡らせている。
客観視。自身を俯瞰的に見ることによる立ち振る舞い。アクアを没入型の役者とするなら有馬は俯瞰型。そしてフリルは有馬の究極型の完成形。
───学校の中でも大概だったが……
コレが不知火フリルの仕事。徹底的に自己を廃し、見られていることを突き詰めた、『
───といっても、まだまだ本気じゃねーだろうな。オレ程度が気づき、理解し、曲がりなりにも真似できるレベルに抑えてくれてる。この番組に来た時はオレの事潰すためかと疑ったが、そういうわけではなさそうだ
それでも充分恐怖だが。その気になればいつでも消せると、喉元にナイフを突きつけられている気分だ。会話しながら身体から緊張が消える事はなかった。
しかし、戦慄しているのはアクアだけではなかった。大衆の理想を振る舞うフリルにアクアは食らいついている。彼女の冗談や比喩的言い回しを的確に大衆に理解できる言葉で言い換えつつ、トークを続けている。
───正直、不知火フリルが急遽参加すると決まった時、全てが喰われると思っていた。
ディレクターはそれでもいいと考えていた。あの不知火フリルが出るというだけで嫌でも話題になるし、数字は跳ね上がる。他の若手が潰れようが喰われようが、ディレクター的にはどうでも良かった。このリアリティショーの価値さえ鰻登りになってくれれば、企画関係者としては万々歳だ。
───だが…
ディレクターの予想が外れる。いたのだ。曲がりなりにもあの不知火フリルと渡り合える逸材が。
同様の驚きはフリルの中にもあった。
───私を喰らいながら、私に食らいついてくる。
しばらく会話を続けていたが、どんどん良くなる。視聴者が何を求め、何を感じているだろうか。私の言葉の端々から理解し、取り入れている。出演者でありながら、1人の聴客になりはじめている。
───凄い
そう感じるタレントは今までで何人かいた。けど、それは元々凄い人か、研鑽を積んだ末に今がある人だった。
少なくとも私は初めて見た。ロケをしながら成長していく人は。
不知火フリルという炎。引けば闇の中に消える。しかし、踏み込めば焼かれる。消える事も焼かれる事もないギリギリの間合いにアクアは踏みとどまり続けた。自身を炙る熱は感じているだろう。喉元に突きつけられたナイフの冷たさもわかっているだろう。ある意味炎に焼かれるより、ナイフで刺されるより辛いはずだ。楽になることもできないのだから。
喉元にナイフを添えられながらも、彼は私の手を掴み、恐れで引くことも、蛮勇で踏み込むこともせず、真っ直ぐにこちらを睨みつけている。
───行こう、
あの列車に乗って、それぞれの目的とする星まで。私1人だとどこか遠いところへ飛んでいったまま、帰ってこれない気がしていた。けれど2人ならきっといける。2人なら帰ってこれる。私や貴方だって、いつかこの世界から身を引く時が来る。いつまでも空に輝く星ではいられない。光を失い、ただの人になる日はいつか必ず来るんだ。
───その時の引き際は、多分輝く星になるより難しいかもしれない。高く昇れば昇るほど降りてくるのは危険が伴う。
長く芸能界で生きているタレントでもふとしたきっかけで奈落に落とされることもある。常に気を張り続けることに心が折れ、自ら命を絶ってしまうことも。芸能界から円満に身をひく事が出来るものなど、一体何人いるか。アクアは勿論、フリルでさえ、そうならない保証はどこにもない。
───それでも、貴方となら
不知火フリルという炎。星野アクアという水。ぶつかり合えば、対消滅で凄まじいエネルギーが発生し、最後はお互い静かに消える。そんな存在になってくれる。なぜかそう思えた。コレはおそらくアクアでなければ無理だ。他の人では私が焼き尽くして終わってしまう。アクアもきっと私でなければダメだ。貴方の暗く、重い水はほとんどの人を呑み込み、溺死させてしまうだろう。
まだ私と比べればアクアという水の規模は小さい。なら私が導こう。水脈を掘り下げ、大きくし、その才能を全て引き出してみせる。そして最後は全て私のものにする。貴方の水を飲み干してみせる。だから、それまでは……
「よろしくね、親友」
たおやかな笑顔と共に差し出される華奢で美しい手。かわした握手からは逃れられない運命をお互い感じ取っていた。
▼
───なんか、すげえ意味深な何かを感じるなぁ
朗らかに手を差し出してくるフリルに笑顔で応対しながらも身体から緊張は抜けない。側から見れば共演者としてこれから同じ番組を盛り上げていくための友好的な挨拶にしか思えなかっただろう。しかし当事者は違う。ある種の才能を持つ人間は握手をするだけで…もっと言うなら目を見るだけで何かを感じさせる。アクアもまた、友好以外の意思をこの華奢で偉大な手から感じ取っていた。
ついてこい。さもなくば焼き殺す。
無理矢理言語化するならこんなところだろう。このリアリティショーにおいて、オレの役目は中間管理職だな、となんとなく思った。
「よろしくするのはいいけど、一つ聞きたい。いいか?」
「一つと言わず、幾らでも」
「フリル、なんで君がここにいる?」
恐らく出演者だけでなく、視聴者も、ディレクター達でさえ思っていて口に出せなかったことをようやく口にする。自分ができなかったことをやってもらったことの安堵が全体に広がると同時に、一部では緊張が走る。アクアは今、地雷原に踏み込んでいた足を大きく動かした。放し方を間違えれば大爆発する。後に放送される映像の前で、ミヤコとルビーは息を呑んで身内の言動をPCごしに見つめていた。
「…………どっちかっていうとオレも
「どっちかっていうと?アレで?どっちか?」
「うるせーな。ああわかった。訂正する。けっこー破ります。でもな、だからってフリルが破っていいことにはならねーの。この手の番組はまだ無名の人間に与えられる貴重なチャンスの場だ。フリルクラスの有名人が来ていい場所じゃねー」
明確な規定があるわけではない。けれど誰もが守っている暗黙のルール。それを破った時のリスクとダメージ。フリルが知らないはずはない。なのに今回彼女は派手に破った。立場上バッシングなどはされないだろうし、評価も変わらないだろうが、目に見えない何かが変わる。そこまでして此処に来た理由がわからない。
───オレに会いに来たってのも理由の一端だろうが、それだけのためにコレほどの暴挙をコイツの事務所が許すとは思えない
「フリル、お前はここに、何しに来た?」
しばらく沈黙が訪れる。この場は完全にアクアとフリルの2人に支配されていた。2人とも真っ直ぐにお互いを見つめている。心の弱いもの…………いや、強い人間でも不知火フリルの瞳力に抗える者はそういない。五秒ともたず視線を逸らすだろう。だが、アクアは決して逸らさなかった。ここで逸らして仕舞えば完全に格付けが決まってしまう。コレからのこと、そして番組のことを考えてもそれは絶対にできない。
フッと泣きぼくろの美少女が息を吐く。これ以上は放送事故になると思ったのか、それとも他の理由か。わからないが、口の端には笑みが昇っていた。
「そんなに警戒しないで。勿論貴方達を潰しにきたとかそんなのでは決してないの。本当よ」
「そんな事は思ってねーけど」
だって格が違いすぎる。芸能界の村人Aに過ぎないオレ達をわざわざ大魔王フリル様がタブーを破ってまで踏み潰しにくるはずがない。この6人のうち、ほとんどは黙っていても消えていく可能性の方が遥かに高いのだから。
「もちろんリアリティショーを軽く見てるわけでもない。参加者みんなイケメン美少女だし。とても目の保養になる。素敵な番組だと思う」
「目の保養したけりゃ鏡見ればいいだろーが。日本一と言っても過言でない美人を毎日見れるぞ」
「ありがとう。貴方にそう言ってもらえるのは素直に嬉しい。でもアクア、わかってない。自分の顔じゃ萌えないでしょ」
「それはわかる」
作家や作曲家などのクリエイターなら経験があるだろう。いくら名曲でも自分の作ったものより誰かが作ったものの方が遥かに感動する。一般人で例えるなら自分で作った料理より他人に作ってもらった料理の方が美味しく感じるアレに近い。なんにせよ、自分の作るものとは自分の想像を決して超えることはない。故に目の保養になり得ないというフリルの心情は理解できた。
「で?本当の理由は?」
「…………信じてもらえないかもしれないけど」
一拍置いて、口を開く。
「普通の放課後ってやつをやってみたかったんだ。私も」
軽い口調でつぶやかれた一言だったが、ズシリと空気が重くなる。言葉だけで、自身が背負う悲しみや苦しみ、後悔を表現していた。
「中学からこっち、同年代の友達と遊ぶ機会なんて全然無くて……勿論ありがたいことなんだけど、やっぱり少し寂しかったのも事実だから。やってみたかったんだ。友達との放課後とか、試験勉強とか、女子会とか」
「フリル……」
「だからね、私がこのリアリティショーで目立ちたいとか、そういうのは本当にないの。仕事の都合上、私は毎回出る事はできないだろうし。勿論、できるだけこっちを優先するけど。だから皆には私の事を踏み台にしてほしいとさえ思うくらい」
たしかにフリルが出るなら『今ガチ』の注目度は跳ね上がるだろう。たしかに出演者にもメリットはなくはない。だいぶリスクの方がデカいが。
「私、貴方以外の親友を作りたいの。だから皆には積極的に話しかけて欲しいし、話しかけたいと思ってる。でも実際来てみると、やっぱり難しそうだなって」
「それが普通だ。誰もがオレみたいに接してくれると思うなよ?あと一応言っとくけど、オレもフリルと会ったの今日が初めてだからな。少しは手加減してくれるとありがたい」
「だから、アクアに手伝って欲しいんだ。みんなが私に慣れてくれるまで、クッションになって欲しい。貴方にしかできない事だと思うから」
「無視ですか……ま、いいけどさ」
やっぱりこの番組におけるオレの役割は中間管理職っぽいな、と考えてしまう事は避けられなかった。まあこういう台本のないショーで、自分のロールが早めに決まってくれるのはいい事だが。何が起こっても不思議でないのがリアリティショーの醍醐味。だが役割がわかっていれば、安全な立ち回りもしやすいし、番組内における居場所も作りやすい。
「あ、勿論恋愛にも興味あるから。そっちもよろしくね」
「…………サポートしろってか。構わねぇけど、誰狙いよ?」
泣きぼくろの少女がキョトンと首を傾げる。何を言っているの?と頭の上に浮かんでいるかのようだ。
「アクアって、もしかしてニブい?」
「…………いや、結構聡い方だと自負しているが」
「私が『今ガチ』に来た理由、わかってないでしょ?」
「普通の学生の放課後やりたかったんだろ?」
「それなら他のリアリティショーでもいいでしょ?」
確かに、恋愛リアリティショーの歴史はもう20年。今や世界中で行われているショー番組。フリルならどんな番組でも選びたい放題だったはず。わざわざ今ガチを選んだ理由にはなっていない。
「私ね」
「あ、待った。やめて、言わないで。察したか───」
「私、今のところ、異性としての興味対象、貴方しかいないから」
日本中の、時が止まる。
「改めて、色々な意味で、よろしくね。親友」
その日、アクアの名前が全国に広がり、各所SNSで燃え上がったのは言うまでもないだろう。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。いきなりの爆弾投下。アクアマリン大炎上。これから一体どうなってしまうのか。筆者すらよくわかってないっていう。まあキャラの動き追っかけていくしかないんですけどね。ちなみにフリルはアクアに惚れてはいません。今までは誰からどう見られているかを研究し続けていたフリルですが、今はアクアにどう見られているかを気にしている。まだ観察対象といった感じですね。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でもいただければ幸いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
17th take 業火の陰で燃える海
名も無き幾億の火の粉が集い、やがて大火となるだろう
火を知らぬ少女の店へ行くといい
水でなく海の名を名乗って
私は彼を知っていた。
数日前、お姉ちゃんがPCでドラマを観ていた。作品は私も知っている。
『今日は甘口で』
原作は面白い漫画で、私も好きだった。ドラマ化した事は知ってたし、ネットドラマも最初の1話だけは見た。
見て損した、と心から思った。
素人の私から見ても下手な演技。グダクダの構成。オリキャラのオンパレードでストーリー支離滅裂。とてもじゃないが、見ていられなくて、一話で切った。
私ですらそう感じた駄作ドラマ。歌手で芸術家のお姉ちゃんなら、私なんかよりずっと悪いところが分かるはずなのに、改めてあのドラマを観ている。それも最終話だけを、何度も。
「…………お姉ちゃん」
「───ゆき、帰ってたの」
「それ、『今日あま』だよね。そんなつまらないドラマ、何で観てるの?」
「それがね、最終話だけは結構悪くないの。観る?」
こういった批評に関して、姉は世辞を言わない。悪いものは悪いと言うし、良いものは良いと評価する。その評価が外れていた事は今のところ一度もない。興味を惹かれた私は、最終話だけもう一度見てみた。
「───えっ」
冒頭はいつも通りクソ。だがクライマックス。ここは原作でも名場面として有名な、ストーカーとヒーローの対決。暗闇の中で光を見つけたヒロインの流す涙が美しい名シーン。ここに差し掛かった時……いや、ストーカーが倉庫の暗闇から現れたその瞬間からガラリと変わった。
闇に同化した人影。しかし雨水を踏み締める足音からどこにいるかは認識できる。立ち上る不気味な雰囲気はストーカーの存在感を強くするが、人物そのものは未だ朧げなままだ。
なのに、目が離せない。
空気が重くなる。景色が暗くなる。ストーカーの恐ろしさ、暗さ、怖さ、キモさがヒーローとヒロインを包み込んでいく。だからこそ闇の中で抗う2人に光が集まっていく。
───凄い
人によってはただ異様なまでにキモいストーカーにしか見えないだろう。そうとしか見えないほどに、リアルで、真に迫った演技だった。けれど、本質は違う。彼はストーカーをその身に宿しながら、作品のために全力を注いだ。全てはヒロインの涙のために、自身を殺した。
「この人、誰?」
「んー。こいつ?こいつはね、私のだーいっきらいなヤツ」
その表現をした事に心から驚く。姉は人を嫌いになるということを滅多にしない人だ。特に男の人は。どんな男性でも美点を見つけて好きになるし、どんな女性とも仲良くなる人だったから。この人が嫌いと表現した人間を、私は2人しか知らない。
1人はナナ姉。かつてお姉ちゃんとバンドを組んでて、クラシックの世界でもジャンルは違ってたけど、面識はあった人。
もう1人はマリンちゃん。私と同い年で、こちらもお姉ちゃんとバンドを組んでいた。一度だけ近くで見たことがある。容姿の良さも凄まじかったが、何より瞳が特徴的だった。自信の光を宿した眩い星の輝きは今でも覚えている。
お姉ちゃんの好きは、自分の思い通りになる人を指している。
お姉ちゃんの嫌いは自分の思うようにならない人を指している。ナナ姉やマリンちゃんはその筆頭だっただろう。自分以上の才能の持ち主をお姉ちゃんは嫌いと評していた。
でも、お姉ちゃんがホントに好きな人は。芸術家として、仲間として、友達として、異性として、恋をするのはそういう人だけだと私は知っていた。
「───星野、アクア」
エンドロールに流れる名前を呟く。この人が、お姉ちゃんをムカつかせた俳優。たった一度の、ドラマのワンシーンだけで……いや、お姉ちゃんの口ぶりから察するに、きっと前から交流はあったんだろう。私と違ってお姉ちゃんは男性との交友範囲広いし。それでも男性で初めて大嫌いと言わせた男。
───ナナ姉は来なかった。マリンちゃんはやめちゃった。コイツはどうかなぁ
少なくとも、お姉ちゃんが嫌いになる程度には才能がある人なんだろう。その時からなんとなく頭の中の一部に星野アクアが住み着く事になった。普段は忘れているけど、ふとした瞬間やドラマを観ている時なんかに思い出すようになった。
だからこのリアリティショーで出演者として名前が出てきた時は驚いた。世間は狭いと生まれて初めて思った。どんな人か、会うのが仕事抜きで楽しみだった。
そしてようやく本人と直接出会う。なるほど、確かに超絶美形だ。芸能界に来て、モデルやってるからには顔の良い男には結構出会ったが、間違いなくダントツ。この顔だけでもある程度ファンはつくだろう。
でも、最も印象に残ったのは瞳の輝きと纏うオーラだった。かつて近くで見たマリンちゃんと同じ目の輝き。自身の技量と才能に絶対の自信を持っていて、それが過信でなく瞳に表れている。できそうで難しいことだ。テレビの前で天才っぽく振る舞うのは意外とできるけど、それを続ける事には異様なまでに集中力と体力を消耗する。しかし、彼はそれを素のまま、自然体で維持していた。
没になった宣材写真ではさりげなく隣に立った。彼は私のことを知らないようだった。私は彼を知ってるのに、彼は私を知らない。当たり前のことかもしれないが、少し腹が立った。
───番組始まったら、イジワルしてやろっかな
撮影が終わった時はそんな事を思っていた。しかし、そんな甘い考えは吹き飛ばされる。とんでもない爆弾が降って沸いたからだ。
不知火フリル
言わずと知れた天才アイドル。歌って踊って演技もできる、アイドルというよりはマルチタレント。うちの事務所の大看板の妹さん。
突然現れた大スターに誰もが硬直した。当然だ。指先一つ触れるだけで大炎上に繋がりかねない火薬庫。その場から逃げ出さないだけでも褒めてほしいと思うくらい。
───けど、このままじゃ番組が成り立たない!
トークがメインのリアリティショーでだんまりなどあり得ない。何かしなくては、何をしに来たかわからない。わかってる。わかってるけど……
───動けない…
目に見える地雷と見えない地雷。両方に囲まれた私達は凍りついてしまった。不知火フリルという業火に凍らされた。この時点で格付けが終わる。この先一生、この人には敵わないと思わされてしまった。ああいう人が第一線。本物で、私達は所詮二線物。ニセモノなのだ、と。
「はぁ」
ただ、1人を除いて
ため息の音に釣られ、視線を向ける。すると、迷いない足取りで不知火フリルが腰掛けるテーブルへと歩みを進める者がいた。勢いよく対面の椅子を引き、腰掛ける。その様子は虚勢でも、強がりでもなかった。ただ、目の前の困った共演者をなんとかしようという、対等の人間の振る舞いだった。
「やあフリル、千年ぶり」
「貴方に会えない半日は千秋に値する時間だったよ、アクア」
───完全に、持っていかれた
定点カメラも、カメラマンも、ディレクターや出演者さえ、あの2人のやり取りから目が離せなくなっていた。眩いカリスマ。溢れるオーラ。ジョークを交えながら自然に、まさに視聴者が求めるこの異常事態の状況説明をするフリートーク。その全てが若手のレベルを遥かに超えている。不知火フリルは当たり前だが、星野アクアがコレほどとは前情報があった私さえ思っていなかった。他の人は私以上のショックを受けているだろう。
「彼女は鷲見ゆき。ファッションモデル。オレ達とタメ」
「よろしく、鷲見さん。ゆきって呼んでいいかな?」
いつのまにか渦中の2人が目の前に来ていた。アクアが出演者一人一人に不知火フリルを紹介して回っているのだ。先程のトークで約束していた通り、他のメンバーとの緩衝役に努めているらしい。
「変なヤツだけど、みんなと仲良くしたいってのはマジっぽいから。気軽に……は無理だろうから、まあ学校の先輩くらいに接してやって」
「それ、どういう意味かなぁ?私が老けてるとでも?」
「だってフリル色んな意味で貫禄ありすぎで16には見えねーし、絶対歳サバ読んでるって───MEMちょが言ってた」
「言ってないよぉ!?」
「人のこと言えないくせに。アクアってホントは転生者で実年齢アラサーだって───MEMちょが言ってたよ」
「私をオチに使うのやめてくれるぅ!?言ってないってばぁ!」
「ふふっ」
思わず笑ってしまっていた。同時に2人からも苦笑が漏れる。この時、ようやく良いように手のひらの上で踊らされたと気づく。気後れしていた私に、最初の一歩のきっかけをくれたんだ。
───ホントに凄いな、2人とも……
不知火フリルと私たちの緩衝材。いきなりやれと言われても普通できる物じゃない。けれど、この男はぶっつけ本番で見事に回している。燃え盛る業火と私たちの間に入り、火傷しない程度の距離まで近づけている。多分本人は大火傷を負っているだろう。それでも与えられた役割を完璧に果たしていた。
───正直、不知火フリルとはまだ戦える気がしない。
自分と彼女との差がどれほど隔たっているか、想像もつかない。挑むにはこの炎は大き過ぎるし、熱すぎる。
───でも、この人なら…
自分より上にはいる。けれど遠すぎず、近すぎず、目標にするには丁度いい位置にいる。いずれ彼はもっと上にいくだろう。けど、彼の手を掴み続けていれば、きっと私も上に連れて行ってもらえるはずだ。
「よろしく、フリルさん。アクアくんも」
両手を差し出す。一度顔を見合わせると、2人ともフッと笑みをこぼし、優しく私の手を握った。
しばらくして、全員への紹介が終わったアクアは大きく息を吐いて木にもたれかかる。流石に疲労の色が濃く見えた。無理もない。あの核弾頭の相手を序盤から今までずっとしていたのだ。私なら蹲っていたかもしれない。
「アクアくん、お疲れ様」
手にしたペットボトルを後ろから首にくっつける。とりあえず定めた標的に向けた、ベタな挑戦状だった。
▼
「ふぅ」
とりあえず挨拶回りが終わり、定点カメラが自分から離れたのを確認した後、オレは木陰に入り全体重を木に預けた。同時にドッと疲労感が押し寄せる。今までの気苦労とこれからの気苦労を考えると身体が鉛のように重くなった。まさに気が重い。もしかしてこれが毎回続くのか?フリルとその他の間にオレが挟まれて、笑いや演出に頭を回しながらトークしなければいけないのか?考えただけで気が遠くなる。放送されるまでに何か対策を考えねばならない。
───ダメだ、今は頭が回らん
思考を放棄し、しばらく心の休息に努める。まだリアリティショーは始まったばかり。今後のことは少しずつ考えていこう。そうだ、フリルも毎回は出れないと言ってたし。今は他人のことよりオレのことを……
「アクアくん、お疲れ様」
声がかかると同時に冷たい感覚が首筋にくる。お茶のペットボトルが眼前に突きつけられていた。持ち主は鷲見ゆき。ファッションモデル。ひと通りザッと見た限り、フリルを除けば出演者の中では一番上手い。流石はハルさんの妹。姉の背中から良いことも悪いことも学んでいそうだ。
「挨拶回り大変そうだったね、大丈夫?」
「大丈夫に見えるか?」
「だよねー」
カメラマンが寄ってくるのが視界の端に見える。この時点でアクアは鷲見ゆきからさりげなく離れることを諦めた。出来るだけ彼女とは関わりたくなかったのだが、仕方ない。
恋愛リアリティショーのノウハウ。台本はなく、基本的に自由に過ごして良いとされている。が、カメラマンが寄ってきた時はさりげなく前後のやり取りを要約したトークをしなければいけない。
「あっちこっち歩き回って流石に疲れたよ。お茶持ってきてくれてありがとう、ゆき」
「フリルさん凄かったよね。いろんなところで何度も見たけど、実物はやっぱりすごく綺麗」
「そこは否定しないけどさ」
「でもアクアくんも凄かったよ。トークすっごく上手で。私なんか緊張して何もできなかったから」
「ははは……ほとんどやぶれかぶれだよ」
事実だ。もう大炎上確定だから開き直っているというのもある。言ってしまえばヤケクソだ。言葉にはしないが。
「私なんか臆病で前になんていけないし。トークも2人に比べれば全然だし。きっと埋もれるんだろうなぁ」
「大丈夫。フリルがいるから埋もれても誰も文句言わないし言えない」
「そういう問題じゃなくない?」
「それくらいのスタンスでいた方が良いってことだよ」
頑張らないと出来ないことなんてやらない方が良い。無理して出来て仕舞えば、人はそれを出来る人だと思ってしまう。人は頑張ることはできるけど、頑張り続けることはできないんだ。いつか絶対ツケを払わされることになる。一度の失敗が命取りになるこの世界。頑張らなければできないことなどやってはいけないとさえ思う。
頑張らなくてもできる範囲のことをやれば良い。その代わり、全力で。ベストを尽くして。少なくともアクアはずっとそのスタンスで今まで来た。勉強も、バンドも、演技も。それでも何度も失敗してきてしまった。
「てゆーか、トーク得意じゃないってのにどうしてこんなトークメインの番組出ようと思ったんだよ」
「…………うちの事務所の看板の人、仕事断らない主義でね」
声のトーンが低くなる。それもそうか。なんせ近くにいる方の姉上殿だ。オレも名前は知っている。たしかめっちゃ頭いい金持ち学校に通ってる文武両道スーパーアイドルだ。ゲーマーとしても一部では有名。
「事務所に来た仕事全部持って行くから、私年中暇でさぁ……なんか足掻きたくて…そんな時に鏑木さんが…」
「なるほど、渡りに船だったってわけか」
「そうそう!恋愛にも興味あったし!今まで全然してこなかったから。恋人とかも作ったことないし」
「へぇー」
「あ、信じてないでしょ」
「信じてるよ」
「もー、ホントだってば。私にもお姉ちゃんいるんだ。歌手なんだけど、その人はめっちゃ恋愛する人でね。私が知ってるだけでも5人は彼氏いたかなぁ」
本当は5人なんかでは効かないが。正確な人数はアクアすらよく知らない。
「私なんかより遥かに才能あるお姉ちゃんなのに、結局音楽で大成はしなくてさ。この人でも簡単には成功しない世界なんだって思うと、恋愛なんてしてる余裕なかったよ」
「…………別に嘘だなんて思ってないって」
「ホント?」
「ああ、ゆきって可愛くて軽くて、今をときめく恋愛めちゃつよ女子高生って感じだけど、本当はすごく真面目で、努力家で、強くて弱い人だと思うから」
その言葉に思わずゆきは絶句してしまう。あまりに的確にこちらの長所と短所を突いた言葉だった。
「苦手だって自分で言ってるトーク番組に出演している時点で、充分努力してるし、オレにこうして話しかけてきてくれる事だけでも真面目だってよくわかる」
適当な美辞麗句ではない。彼女の行動と言動から推察した人読み。アクアが十年以上の時をかけて培ってきたコミュニケーションスキル。表面と内面、同時に評することで、その人は自分のことをどれくらい見てくれているのかを判断する。ただ褒めるだけでは人の心には響かない。
「だいたい頑張ってる人じゃないと、足掻きたいなんて言葉は出てこないさ。ゆきはすごいよ。すごく強い人だと思う。でもその強さは不安の弱さの裏返しでもあるんだよな。わかるよ、オレもそうだから」
そして人は本当の自分を見てくれる人と理解者を求めている。人は綺麗なところも、弱いところも全て受け入れてくれる人に恋をする。
「…………流石役者さん。口八丁だね。油断するとすぐ好きになっちゃいそうだよ。貴方、その綺麗な顔と上手なお口で一体何人の女の子泣かせてきたの?」
「やだな、オレだって彼女なんていないよ」
「…………私のこと信じてくれたから私も信じるけどさ。なら君は恋愛に興味ないの?」
「まさか。あるさ、バリバリ。オレら高1だぜ?寧ろ今なきゃいつあるのってくらいだ……でも」
「でも?」
このリアリティショーが始まって初めて、アクアが口篭る。しばらく待っていると、頬を掻きながらゆっくりと口を開いた。
「思春期中学生みたいだって、笑われそうだから言いたくねーんだけど」
「やだな、笑わないよ。私達こないだまで中学生だったじゃん」
「…………オレは、恋愛がよくわかんねーんだ」
自分で言ってて厨二くさい。でも仕方がない。事実だ。
「…………思ったより中学生っぽかった」
「うるせーな。だからあんま言いたくなかったんだ」
「……でも、いるよねそういう人。特にモテる人に。私は役者さんじゃないからわからないけど、なんとなく想像はつくな。お姉ちゃんも似たようなこと言ってた」
「はは。恋多き女性なら一度は悩むことかもな」
あと、拗らせた男もな、と心の中で呟く。オレはどっちかというと後者なんだろう。
「じゃあ、お互い乗り越えないとだね。初恋ってハードル」
「なんか言語化するとすげー恥ずかしいな」
「知ってる?前シーズンのカップル、最後にキスしたんだよ」
「知ってる。まあ定番だな」
「…………ここに来るまで良い人いるか不安で、来てからもハプニングの連続で心配だらけだけど」
肩に体重を預けられる。そのままマイクが音を拾わないように耳打ちされた。
「私、君にならキス出来るかも」
ゾクリと背筋に寒気が走る。嫌悪感ではない。寧ろ逆。おそらくは快感に属する反応だった。
「わ、流石役者さん。微動だにしないね」
「当然」
ポーカーフェイスは作り笑顔より得意だ。睨めっこならフリルにさえ負けない自信がある。勝てるかどうかはわからないが。後ろにカメラが来ていることには気づいていた。この内緒話のシーンは使われるだろう。まさにフリルとゆき、アクアの三角関係を匂わせる、視聴者がドキドキする特別なシーンだ。まさに企画の狙っていた絵のはず。撮らないはずがない。
「私が教えてあげるね。君に恋を」
「そりゃ楽しみだ」
心中で大きく息を吐く。流石はハルさんの妹。なるほど、確かに姉の言う通り、強かというか、テクニカルだ。一番恋愛リアリティショー向きなのは、ゆきかもしれない。
「なになに?内緒話?私も混ぜてよ、ジョバンニ」
軽く衝撃が来る。いつのまにか後ろに来ていた爆弾魔が肩に手をかけていた。
「………因みにアクアくんとフリルさんってどういう関係なの?」
「今は親友だよ。ベストフレンド。今後どうなるかはアクア次第だね」
「今日初めて出会った同高の生徒。クラスメートですらない。友達かどうかも怪しい」
「そんなこと言っていいのアクア?泣いちゃうよ?私の涙の一雫はガソリンよりよく燃えるよ?」
「親友に決まってるじゃないかカムパネルラ。オレ達の間に時間なんて無意味だ」
「そうそう。その通り。十年来の知り合いにだって裏切られることもあるのが、この世界。時間の長さなんて砂の城より脆い絆。わかってるじゃない、ジョバンニ」
「2人のその呼び方何?ステージネーム?芸名?」
誰もが気にしつつ、聞けなかったことを遂にゆきが尋ねる。常にではないが、たまに2人は名前でも略称でもないこの呼び方を使っていたのだが、ゆきは……いや、共演者のほとんどは宮沢賢治を良く知らなかった。
「愛称みたいなものだよ。性格変わってて少し不思議なアクアがジョバンニ。私が
「今時宮沢賢治なんて古いし、厨二くさいからやめろって言ってんだけど。あと変わってるってフリルにだけは言われたくねーな」
「…………(ベソかくふり)」
「銀河鉄道の夜って素晴らしいよね。フリルさん教養豊か。賢い。ユニークなところが君の魅力だよ」
弱みにつけ込み、振り回すフリル。振り回されるアクア。ショーの太陽がフリルとするなら、その周りで公転する最も大きな惑星がアクア。そしてアクアの引力でなんとか振り落とされないようにしているさらに小さな星がゆき達5名。少し……いや、かなり波乱はあったが、アクアの尽力と5名の出演者の賢明さのおかげで、リアリティショーはひとまずのバランスを得て、初回の撮影が終了した。
▼
「お疲れ様でしたー」
撮影が終了し、カメラがオフになったところで全体から緊張感が抜ける。と言っても、ロケが終わったというだけで、裏方は寧ろこれからが仕事。カメラマンや音響はショーを見る視聴者たちにウケる編集作業を行わなければならない。監督やディレクターなどは次回以降の段取りや企画を詰める必要がある。初回放送の収録が終わった時点で、次の収録は既に始まっている。
「じゃあ、初回記念って事で打ち上げいこーぜー!メシメシー!」
だからこんな呑気なことが言えるのは収録が全ての出演者、それも今後のことに悩みのないヤツのみである。
「良いねえ!いこいこ!」
「どこ行くー?やっぱサイザ?」
「うわ、ノブってデートにサイザ選ぶタイプ?バカにするわけでは勿論ないけど、天下の不知火フリル連れてサイザは無理でしょ?」
「でも自慢じゃないけど、俺金ないよ?自由な人と書いてフリーター兼ダンサーだから」
「本当に自慢にならないわね」
打ち上げ先の相談をする共演者たち。そこに混ざるべきはずの1人はふらつきながら男子トイレへと向かい、座り込んでいた。
間違いなく今回の撮影で最も体力と精神力を磨耗させた人物。影のMVP星野アクアにそんな呑気な相談に混ざる気力は残っていなかった。そしてこんなに弱っている姿を見せるわけにもいかず、最後の力を振り絞って、なんとかここまで辿り着いていた。
───ひでぇツラだな
タオルで顔を拭うと、鏡に映っていたのは疲労困憊と書いてあるかのような自身の顔。携帯しているバッグから化粧用品を取り出し、色々なところを直す。疲労の色は表面的には消えたが、心中は膨大な不安と損傷がまざまざと残っていた。
───これからマジでどうなるんだ、オレ
喧騒を脇に、頭の中にはそれしかない。撮影中はフリルに食らいつくので無我夢中だったが、収録が終わった今、未来のことを考えざるを得ない。アクアは元々計画や策略を巡らせて事にあたるタイプ。ただ本番に異様に強いので、当初の目標よりベターな結果を得られるためには積み上げたそれを捨ててアドリブしてしまう事も多いというだけだ。
今はカメラも止まったオフの時間。残り少ないであろう穏やかな時間の間に有事に備えるのは至極正しい。
───リアリティショー自体は問題ない。今回のロケでMCのコツは掴んだ。潤滑油役としての居場所も得た。コレでオレがこの番組に不要と言われることはない。
まあ不知火フリルが興味を持つ男というだけで外されるわけはないのだが。問題なのは番組外。今後の芸能活動やプライベートが先行き不安すぎる。
───放送後、各所SNSは絶対荒れる。オレはTikTokもツイッターもインスタもやってねーからアカウントがどうこうなるってことはないけど、それでも今はどんなネットワークでも燃えられる時代。オレへの風当たりは絶対強くなる
誹謗中傷は当たり前。事務所への悪戯電話、怪文書、脅迫状、その他諸々。街中を歩くだけで比喩でなく命の危険があるかも知れない。実際それでアイは死んだ。オレがそうならない保証はない。
───だめだ、暗い未来しか見えない
今後のことは後で考えるとして、扉を開く。いつまでもトイレに篭っているわけにもいかない。
「仕方ないなぁ。今回は飛び入りということで、私がみんなの大蔵省になりましょう。個室のあるバーベキューを紹介してあげる」
「きゃー!さすがぁ!フリル様かっこいいー!」
「美少女!」
「トップスター!」
「よしよし、お店に着くまで私を褒め称え続けて」
ドアを開けた瞬間、かしましい声のトーンが一段高くなる。どうやら打ち上げ先とサイフが決まったらしい。ゾロゾロとスタジオから出ていく共演者たちの背中を見てため息が出そうになる。出来れば行きたくない。暢気にメシ食うテンションにはならない。けれど、ここで断れば今後の人間関係に支障が生じる。
───行かなきゃ。これも仕事だ。立ち上がって、笑顔を作って、フリルとみんなの間を取り持たなきゃ
「あの、アクアさん」
いつの間にか隣に来ていたミディアムヘアの美少女が心配そうにこちらを覗いていた。黒川あかね。リアリティショー中、何度か話を振ったのだが、受け答えに慣れておらず、ゆきと違って本当にトークが苦手な若手女優。でも、視野は広いのだろう。あの中で唯一、オレがトイレへ向かったことに気づいていたのだから。
「あの、本当にお疲れ様でした。私、トークのことはよくわからないですけど、今回のロケがアクアさんに救われたことはわかります」
「…………大げさだな。みんなが頑張ったおかげだよ」
「お疲れのところ、本当に申し訳ないんですが……打ち上げ、行きませんか?色々お話し聞きたいですし」
「うん勿論。ちょっと休憩したら行くから」
「じゃあ7人でお店予約しますね。楽屋出たところで待ってますから!」
携帯片手に外へと向かう。意外とイベントごとには熱心らしい。まあ、たまにいるタイプだが。大人しくて真面目なキャラなのに、この手の出席率高いやつ。
「お疲れ、アクア」
もう1人スタジオに残っている人物がいた。と言っても、このお疲れは全然慰めにならない。疲労の元となった張本人から言われても、おちょくってんのかとしか思えない。
「誰のせいで疲れさせられたと思ってんだ」
「そうね、反省はしてないけど同情はしてなくもないよ」
不知火フリル。今回のショーの中心人物にして、トラブルメーカー。公共の電波でオレのことを親友と呼び、異性として意識しているとまで言い放った業火の源。
「これでも配慮したんだよ?直接的に告白したわけでもないし。私だって親友くらい作ったって文句言われる筋合いないでしょ?」
「ああ、親友どころか恋人作ったって誰にも文句を言う資格はねえよ。けどな、お前は他人の人生を壊す力を持っている」
人間、誰でも気分次第で壊せるモノがある。おもちゃだったり、家族だったり、国だったり、人によって様々だ。フリルはそれが人より少し大きく、多い。
「ボクサーだって誰と喧嘩しようが自由だけど、プロが喧嘩に拳を使ったら犯罪だろ?お前はプロボクサーどころか世界チャンピオンだ。力の使い方を誤るとそのうち痛い目みるぞ。お前には狂信的なファンも間違いなくいるんだから」
今はまだ大丈夫だろう。不知火フリルほどのマルチタレントともなれば、アンチも微量にいるだろうが、それをはるかに超える支持者がいる。下手に誹謗中傷しようモノなら圧倒的な数の支援者たちに袋叩きにされる。戦争犯罪を犯し、後に大悪党と呼ばれるような大統領でも、大統領就任中は凄腕のSP達が警備につき、世界最高峰のセキュリティで守られているのと近い。今の不知火フリルは芸能界において、良くも悪くもそういう存在だ。だがどんな世にもテロリストは存在するし、暴走する人間だって必ずいる。用心をするに越したことはない。実際アイはその理不尽に殺された。
「…………そうね、私がどうなろうと私の行動の結果で自業自得だけど、私のせいでアクアが傷ついたり、まして殺されたりしたらすごくイヤだ。貴方を活かすのも殺すのも私がいい」
怖えよ、という言葉が喉元まで出かける。やろうと思えばできる力を持っているから、尚更だ。
「私を活かすのも殺すのもアクアがいい」
「怖えよ」
「そこでね、アクア。貴方を守れて、かつ私のためにもなる提案があるんだけど」
「…………嫌な予感はするが、一応聞いとこう」
警戒は解かない。どうせこの天才は常人には思いつかない突拍子もない解決策を提示してくるに決まっている。それくらいには親友を名乗るやべーやつである不知火フリルを、アクアも理解していた。
「アクア、うちの事務所においでよ」
「…………」
人が人の言葉を聞き返す時は、聞こえなかったか、聞こえた事実が信じられないものかのどちらかである。
「はぁ!?」
今回は後者にあたる。
▼
リアリティショー収録から数日。不知火フリルは別の番組に出演することになっていた。もちろん『今ガチ』なんかとは比べ物にならない人気番組。ゴールデンタイムのバラエティ。ゲストとして呼ばれていたフリルは収録時間の約1時間前にスタジオ入りをしていた。
「おはようございます」
「おはよう、不知火さん。今日はよろしくね」
「はい、こちらこそ」
「…………ん?その子は?見ない顔だね。新しいマネージャーさん?」
不知火フリルに付き従うようにスタジオに入ってきていたのは同年代くらいの少女だった。サラッとした黒髪は背中まで伸びている。背は女性にしては高い。170は確実に超えているだろう。前髪で少し顔が隠れていたが、顎の形は整っている。美人であることは容易に想像できた。
「はい、マネージャー兼付き人として、私のお世話をしてくれる人です。ほら、挨拶して」
自分の前に出るようにと女性の腕を引っ張る。何やら躊躇っていたが、耳元で何やら囁かれ、態度が変わる。スッと背筋が伸び、頭を上げた。
「本日からお世話になります。マリンです。皆様、フリルともども、どうぞよろしくお願いいたします」
夜闇の如き黒の帷の向こうから、星の輝きを宿した瞳が、現れた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。マリンちゃん再び。ちなみに衣装やウィッグはフリルから借りてます。めちゃ高級品です。
それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします!面白かったの一言でもいただければ幸いです!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
18th take 人は磨かれて何かになる
貴方は現代にまで伝わる魔術の贄となる
なくした星に近づきすぎてはいけない
貴方の光が死神に届いてしまうから
『不知火フリル本当に恋愛リアリティショー出てた!?』
『誰だよあのアクアとか言うやつ!』
『フリル様に対等ぶった口聞いてんじゃねえよ死ね!』
『勘違い男クソ屑すぎ』
『でも、敬語使うのもなんか違くない?』
『本人が受け入れてんならいいんじゃね?』
『接し方がムカつくんだよアイツ!女なら誰でも自分のこと好きになるとか思ってそう!』
『ヤリチンイケメンにありがち』
『勘違い男マジキモい』
『そういえばMEMちょのことも口説いてたね』
『褒めてただけじゃね?』
『いや、アレは口説いてた。断言する』
『死ね』
『もげろ』
『灰になれ』
『草w』
───あいつ、バチボコに燃えてるわね
陽東高校、四限終了後の昼休み。人気のない木陰でスマホを眺めていた有馬かなは各種SNSで今ガチの評価を覗いていた。
番組自体は概ね高評価だ。特に不知火フリルの今までにない一面が盛りだくさんで湧いていた。確かに私も驚いた。実質的なMCを務め、話のフリやツッコミ、ショーの潤滑油を担当していたアクアの貢献もかなり大きかったが、あの不知火フリルがあんなにトークが上手くて面白いとは思わなかった。
しかし、だからこそ、ヘイトは星野アクアに集中していた。
擁護するわけではないが…いや、寧ろ非難したいが!
…………客観的に見て、アクアは今回被害者だ。突然降って湧いた爆弾の相手をさせられ、見事に立ち回ったにも関わらず、自分から勝手にカウントダウンを始め、三秒どころか一秒以内で自爆しやがったのだから。アレは私でも避けられなかったと思う。色々ムカつくところはあるが、アイツを責めることはできなかった。
しかし、これは客観的な意見。批判が趣味の連中がウヨウヨいるSNSではそんな正論は通じない。
フリルと対等ぶるアクア氏ね
何様のつもりだ
ちょっと顔がいいだけの性格クソ
この程度ならまだ可愛い方。公共電波に乗せられない罵詈雑言は各所で溢れ、どうやって調べたのか、アイツの過去作なども晒し上げられている。もちろん直近の『今日あま』も。ストーカー役だったせいもあり、批判のブーストになっていた。
───けど、わかる人は分かってるでしょうね
あの釣り合いの取れないキャストによるアンバランスな今ガチが、誰のおかげでバランスを取れていたか。誰のおかげで崩壊することなく、リアリティショーの形を保っていたか。アクアは演技力だけでなく、MCスキルやトーク力も相当に高い。そのことを各関係者たちは理解したはずだ。
───ニュース番組とかネットバラエティのMCに呼ばれる事も、アイツならあるかもしれないわね……ん?
ガサ、と何かが揺れる。木の葉が数枚落ちてきたのを確認した次の瞬間、空から何か黒い塊が降ってくる。人間だと気づくのに三数えるほどの時間がかかった。
「アクア…」
「……なんだ、有馬か」
木の上から落ちてきた星の輝きを宿す瞳を持つ少年を見下ろす。まだ買って間もないだろう制服にはそこら中に擦り傷や埃の跡がある。乱雑に払うとアクアは大きく息を吐いた。
「どこから現れてんのよ。忍者にでもなった?」
「逃げてたんだよ」
「何から」
「言いたくない」
唇を前に突き出して弁当の包みを解く。珍しい表情だ。コイツが不満を露わにするところは初めて見たかもしれない。端役でもコネで取ってきた役でも眉一つ動かさなかった。立ち位置を良くする為に女装しても、仕方ないで済ませてきた。良くも悪くも、コイツはごまかすのが上手いヤツだ。それをここまで不服さを面に出すとは。
「相当溜まってそうね」
「コレが溜まらずにいられるか。どいつもこいつも人の事お化けか腫れ物みたいに扱いやがって。あーあ、やっぱ普通科つまんねーや。普通の人間しかいねぇ。やっぱ人間ちょっと変わってるくらいが面白いよなぁ」
案の定、学校では孤立しているらしい。まあ当たり前だ。不知火フリルが出たと言うだけであのリアリティショーの注目度は跳ね上がった。まして此処は芸能科のある学校。その手の情報には敏感な生徒が多い。ウチの生徒で今ガチ観てない奴はいないだろう。そしてウチの生徒がアレに参加していることを知らないものもいないだろう。あの不知火フリルと対等の口を訊いて、本人もそれを許していて、あまつさえ自ら親友と呼んでいた。一生徒を爆弾に変えるには充分すぎる。そして爆弾に関わりたいと思う人間など、普通科にはまずいない。
「SNS見てる?アンタ今日本中から非難されてるわよ」
「見てねぇ。オレ個人でアカウント何一つ作ってねーし。他人の妬み嫉み僻みに付き合ってられるほど暇じゃねーんだ」
「…………アンタ、もしかしてエゴサやってない?」
「やってねーよ。顔も名前も知らねーヤツのために芸能人やってねーし」
「…………スマホ、見せてくれる?」
「どーぞ」
なんの躊躇いもなく渡される。一応念のために検索履歴を確認したが、本当にやってない。ちょっと信じられなかった。
───LINK…
画面下の常駐アプリ四つの中にある一つが目に留まる。やってはいけないとわかっているが、見たくなる。コイツは一体誰とどんなやり取りを交わしているのだろう。一度タップするだけであらゆる個人情報が…
「返せ」
視線が邪なものになったことに気づいたのか。それとも躊躇に揺れる感情の揺らぎからか、良からぬことをしようとしていると気づいたアクアは変質者から携帯をひったくった。
「…………マーケティング大丈夫なの?ネットは見るなって時代は終わったのよ」
「だからって今オレが何言っても燃料にされるだけだろ。こういう暇な連中は反応を求めている。誰かが反応してくれるだけで嬉しいんだよ。それが良いものでも悪いものでも。後は全部フィルターかけて自分の意思に沿うように曲解してくるんだ」
少し驚く。大衆の感情をコイツがここまで理解できてるとは思わなかった。リアリティショーという究極の見せもの番組に出演した影響だろうか?観客への理解が深くなっている。
「こういう連中を黙らせるには実力と結果しかない。不幸中の幸いで、このお陰でオレの名前は全国に響き渡った。最初に浸透するのは悪名でも構やしねーさ。第一印象なんて悪いほうがいいくらいだ。後は上がっていくだけだから」
最初にいいヤツアピールしてから良いことしても当たり前にしか取ってもらえない。それより性格悪いと見せておいて、少し良いことすると好感度は格段に上がる。人の好意とは感情の振れ幅で決まると言ってもいい。誰もが悪いと思っているところに、自分だけに見せる素顔。ギャップを上手く使いこなすことが、女を落とす秘訣の一つだ。今までアクアが落としてきた女たちの中で、第一印象最悪だったものは少なくない。有馬もその1人だ。
「フリルも、炎上も、全部利用してやるさ。今は一瞬の噂かもしれない。でも繰り返していけばオレの名が全国に染み込む。見てろ。今ガチが終わった時、オレは全国区の俳優…いや、マルチタレントになってやる」
炎上マーケティング。不知火フリルを踏み台に知名度をあげる戦略。確かに未だ無名のアクアにとって、悪名でも名前が売れるということは悪いことばかりではないのかもしれない。売れる芸能人とは大きく分けて2通り。誰からも好感度の高いタイプか、歯に衣着せぬ毒舌キャラか。アクアは後者を目指す模様だ。
───ネットマーケティングを疎かにしているわけじゃなかった。コイツなりに炎上対策はちゃんとしてたってわけね
初手としては悪くない。ヘタに謝罪したり弁明するよりよっぽど上等だ。炎とは燃料をつぎ込めば燃え続けるが、放っておけば勝手に燃え尽きてくれるのだから。
しかし、当初の計画から無理やり舵を切ったのも事実だろう。なぜなら……
「アピールタイムでピアノとか弾いて、誰からも好感度の高いキャラ目指してたけど、完全に計画頓挫したわね」
「…………観たのか。ま、当然か」
少し照れくさそうに顔を背ける。あまり観られたくないことだったのだろうか。ピアノを?それとも……
───不知火フリルと、仲がいい所を?
脳裏に蘇る2人の親密そうなやり取り。お互い名前と顔は知っていたが、直接出会ったのは学校が初めてだったと言っていた。それなのにあの2人の会話のキャッチボールはどう見てもお互いを深く理解した仲としか思えなかった。
───ねえ、教えて
貴方と不知火フリルってどういう関係なの?ずっと前から知り合いだった?いつから?私よりも前?後?それとも本当にあの日に会ったばかり?ならなんで、あんなに仲良いの?なんでお互いあんなに理解しあってるの?親友だから?なら…
私と貴方の関係の名前は、一体何なの?
喉元まで込み上げてくる。聞きたい。でも、怖い。全部私の嫌な予想通りだったら。こんな事を根掘り葉掘り聞いてくる私をコイツが警戒したら?どっちにしろ今まで通りの関係ではいられない。コイツは誰とでも親しげに見えて、どこか線を引いて、常に一定の距離を取っている。けれど、多分私やルビーには引いていない。でも、一度警戒対象になってしまったらもうコイツは素を見せてはくれなくなる。
「なによ、ピアノ弾ける所観られるの、嫌だったの?」
だから、私が聞けるのはココまでが精一杯。
「…………べつに嫌っていうか、隠してはないんだけど……あんま上手くないし」
「そう?結構上手かったわよ」
「そう言ってくれるなら良かったけど……」
「けど?」
「あの程度の腕で特技アピールしたのが恥ずかしいっていうか…」
ピアノの良し悪しなど有馬にはわからない。けれどアクアにとって、自分の演奏はあの程度と言い切ってしまえるモノのようだ。まあアクアらしいといえばらしい。基本的に自分の情報を明かしたがらない秘密主義者にして、やるとなったら一切妥協しない完璧主義者。ピアノのこと、世間に見せるのは気が進まなかったんだろう。けれどアピールタイム一分間という長い時間をしのぐ方法は他に思いつかなかった。故に仕方なく演奏したが、理想の音とは遠かった。だから恥ずかしいし観られたくなかった。言語化するなら大枠こんなところか。少し笑ってしまう。普段は自信家で、自信に見合う実力も才能も持っているのに、変なところで謙虚だ。
───いや、わかる
本当は自信なんてないんだ。だから努力するし、できることは何でもやる。ピアノだって、社長の旦那さんに教えられたっていうけど、十年以上前の話らしい。それを今まであれほどの腕前を持続させるには絶対努力が必要だ。ああいうのは身につけるのに時間がかかるけど、失うのはあっという間だから。
自分が天才じゃないと誰かに思い知らされているから、努力する。天才だと必死に自分に言い聞かせているから、カメラの前で胸を張れる。私に思い知らせてくれたのはアクアだったけど、アクアは誰だったんだろう。それだけが少し気になった。
「あ、アクア。やっと見つけた。探したんだよー?お昼一緒に食べようってさそったじゃない。LINK見てる?」
校舎の窓から顔を出し、こちらを見下ろしてくる黒髪の美少女。チラリと横を見ると、『見つかった』と呟く小さな声が耳に届いた。逃げていたのはどうやら彼女かららしい。
───ねぇ、不知火フリル。貴女は知ってるのかしら。
自分と同類と思っている少年が。自信と度量を瞳に宿したこの男が、芸能界という闇の中を、才能というか細い光を何とか守って生きている、強く弱い男なのだということを。
「………にしてもアンタ、最近随分忙しそうね。ルビーに聞いたけど、家にも帰ってないそうじゃない」
「帰ってるよ。深夜なだけで」
「そんな深夜まで何やってんのよ。収録土日だけなんでしょ?」
「…………」
少し悩む様子を見せたが、口を開く。こちらとしても助かる。昼休みももう半分過ぎている。2人きりでいられる時間は残り少ない。
「オレ、今フリルの事務所でバイトしてんだよ」
語られた事実は思ったより衝撃的で、私の頭は見えない何かが頭を直撃したかのようだった。
結局口をつけなかった弁当を握りしめて立ち上がる。程なくして不知火フリルが弁当箱を片手に中庭へと降りてきた。
「お弁当渡して即さよならしなくてもいいでしょ?」
「バカやろー、余計なことしてあらぬ噂が立ったらどうすんだ」
「あらぬじゃなくない?」
「あらぬだ」
「中身同じなお弁当持ってるのに?」
「お前が作らせたんだろーが!」
眉を歪めるアクアに対し、フリルは心から楽しそうに笑っている。アクアにとっては口喧嘩。しかし側から見れば付き合いたてのカップルにしか見えないそのやり取りを、私はただ見ている事しかできなかった。
▼
時は少し遡る。今ガチの初回収録が終わり、出演者たちで打ち上げに行く直前、予約等で時間が空いた2人はお互い壁に身体を預けていた。
1人は男子。煌めく黄金色の髪に星の輝きを宿す青い瞳の美少年。疲れている様子だが、そのやつれた様子と纏うミステリアスな雰囲気が蠱惑的なオーラを放ち、目が引き寄せられる美男子。
もう1人は音が鳴るのではと錯覚するほど美しい黒髪を背中まで伸ばし、スラリとしたスタイルは人々の理想を黄金比で表したかのよう。濡羽色の黒髪の奥に見える泣きぼくろは少女の色気を引き立てる。立ち姿だけでもため息が出るほど絵になる美少女。
不知火フリルと星野アクア。
美という名の巨大な光と熱を放つ眩い太陽と魔性の鱗粉を纏い人を惹き寄せるブラックホール。
纏うオーラは正反対。しかしそれゆえに化学反応を起こした初回放送。恋愛リアリティショー『今からガチ恋♡始めます』の中心に座する2人が、とある密約を交わそうとしていた。
「アクア、ウチの事務所においでよ」
「ハァ!?」
まるでちょっと散歩に行こうよ、みたいな口調で信じられないことを問いかけてくる。ヘッドハンティング?この場で?こんなに軽く?不知火フリル自ら?オレがイエスと言うとでも思っているのか。それとも他に何か狙いがあるのか?さまざまな可能性が脳内を駆け巡る中、泣きぼくろの少女が笑う。オレの逡巡を見透かしているようなその笑みが、オレの思考を吹き飛ばした。端的に言うとイラついた。コイツのためにあれこれ考えるのがバカらしくなった。
「これって勧誘か?マジメな?」
「結構マジメ。頷いてくれるなら今すぐ社長に繋ぎをつけるし、説得するよ」
「なるほど、お前の独断か。少し安心した」
組織立っての決定であればかなり面倒だったが、説得する、という言葉を聞いて安堵する。説得が必要、つまりトップの決定ではない。苺プロ程度の弱小が最大手事務所と綱引きすれば結果は火を見るより明らかだっただろうが、今回は不知火フリルの個人的勧誘。なら袖にするのは難しくない。
「苺プロはオレの恩人の事務所なんだ。あの人に恩を返すまで、移る気はない」
「そっか。残念」
あまり残念じゃなさそうな感じだった。受けるならよし、受けなくてもよし、声の印象から感じるイメージはそんな感じだ。
「因みにどんな恩があるか、聞いてもいい?」
「ダメ」
「ダメっていうことは、前みたいに答えられないとかじゃないんだ」
眉が一度ピクリとひくつく。いけない、こいつ、駆け引きも相当上手い。僅かな綻びを鋭くついてくる。
「大丈夫、すごーく聞きたいけど、貴方が話したくないなら聞かないよ。私も親友が嫌なことはさせたくないから」
「それはありがたいことで。演技だけでなくて交渉もお上手だな、親友」
「お互い様でしょ?まさか説得の一言だけで独断ってバレるとは私も思わなかったよ、親友」
笑いが込み上げる。2人とも大人と関わっていた時間が長すぎた。まだ子供といえる年齢の頃から大人の交渉ゲームに付き合わされてきたことがよくわかる。
壁に背を預け、もたれ掛かった時、無意識に指が触れる。離そうとしたが、そのまま小指がオレの小指に触れてきた。振り払う気も起きず、そのままこちらも指を寄せる。どちらからともなく、最も小さな運命の指は絡み合っていた。
「同類だね、私たち」
「そうかもな」
「だから私は、貴方を守りたいんだ」
どういう意味か聞こうとする。しかし2人とも止まった。複数の足音が近づいてくるのに気づいたからだ。手を振り払う。少し睨まれたが、構ってられなかった。こんなところ、見られたら今後がめんどくさすぎる。
「アッくーん!フリルさーん!店の予約取れたってー!行こうぜー!」
「うん、今行くよ───詳しい話は後でね」
最後だけ小声で呟く。フリルに腕を引かれて、アクアも共演者たちの輪の中に加わった。
▼
「じゃあ、取り敢えずはバイト扱いで私の付き人やらない?」
あの後、打ち上げの喧騒の中でフリルがオレにしてきた提案……というか、折衷案がコレだった。フリルと行動を共にすることでヘイトの対象であろうオレを有象無象から守る。同時にオレが四六時中フリルの傍にいることで暴走する狂信的なファンからオレがフリルを守る。そのためならフリルのセキュリティをオレも使っていいということになった。
当たり前だが、不知火フリルのガード態勢はオレなどよりはるかに高い。
こんな事件が起こる前からフリルにはファンの暴走やストーカー被害など、起こる可能性はあった。故にフリルの事務所は出来うる限りの最高のセキュリティを取っている。移動の際は車輌による送迎は当たり前。住所も何重にも秘匿されており、一般人は近づくことすら困難な状況。アクアからすれば垂涎である。
しかし……
「オレがお前の付き人なんかやったら余計に変な噂立つだろうが」
ただでさえ2人の仲を疑う事件が勃発したのだ。この状況でアクアがフリルのガードなんてやったら、それこそ虚構が真実と自ら吐露するようなモノ。
───寧ろそれが狙いか?
警戒の段が一つ上がると同時に、泣きぼくろの美少女は手を振って苦情を漏らした。
「もちろん、すっぴんでそんなことしろなんて言わないよ」
「変装でもしろって…………まさか」
「流石。察しいいね。アクアの趣味にして特技が唸る時だよ」
「違うっつってんだろ」
変装、つまりマリンになれと言っているのだ。確かにアレならまずバレ……ないと思う、多分。最近バレること多くて自信喪失気味だが……いや何の自信だ。
「私のコンディションを毎日気遣って、できれば栄養バランス考えたご飯を作ってくれて、プライベートでも私に安らぎを与えてくれるだけの簡単なお仕事だよ?時給は応相談」
「召使いか、と言いたいところだが、オーディションすればめちゃくちゃ倍率高そうだな」
「それをオーディション無しで一発採用。まったく、我ながら親友に甘いよね」
どこが、と言いたいところだが、言えなかった。今の不知火フリルのセキュリティ態勢は彼女が実力と努力と才能で掴み取ったモノ。それをオレは無償……いや、給料有りでレンタルしようと言うのだ。事実だけ切り取ってみれば確かに甘い。この事態を招いたのは本人なので自業自得と言えばそれまでだが。
───でもなぁ
万が一バレた場合のリスクがデカすぎる。オレもフリルも。いや、フリルはやろうと思えばトカゲの尻尾切り出来るだろう。しかしオレは言い訳が効かない。
「心配しなくてもホントのマネージャー業務はちゃんと正規の人がやるから。アクアは私の隣にいてくれればいいだけ。視界にいてくれる方がお互い守りやすいでしょ?」
「…………でもなぁ」
「それに、私の仕事、自分の眼で見たくない?」
一番弱いところにグサリと突き刺さる。今のアクアに必要な技術。観客への意識。客観視。その全てをフリルは超高水準で備えている。リアリティショーでは周りのレベルが低い為、本気はまだ見せていない。しかし、仕事でついて行くとなれば、コイツの本気を見る機会は必ず来る。技術とは結局のところ、基本さえ修めて仕舞えば、そこから先は見て盗むしかない。フリルの技術を一歩引いた目線から観れるというのは、共演するより価値があるかもしれない。
「観たくない?」
「…………観たい」
「なら、決まりね」
天秤が一気にぐらついたところへ畳みかけるようにスマホを向けてくる。連絡先を交換しようという合図。苦虫噛み潰した顔で10数えるほど悩んだが、屈辱に震えながらスマホを差し出す。新しい連絡先が二つ加わった。仕事用とプライベート用でフリルはアカウントを二つ作っていたらしい。
「詳細はまた連絡するから」
こうしてアクアとマリンの二重生活が始まった。仕事で外に出る時はマリン。学校などのプライベートではアクア。ウィッグや化粧品などはフリルから支給された。自分で用意すると言ったのだが、『気にしないで。バレたら私の信用にも関わるから。ここでケチるようなことはしないよ』と断られる。後日、フリルの事務所社長にも挨拶させてもらった。
「この度はお世話になります。よろしくお願いします」
「いいのよ、巻き込んだのはこちらだし。それより貴方には感謝してるの」
「…………感謝?」
「あの子の仮面を壊してくれて、ありがとう。おかげであの子、最近はとても楽しそう。あんな不恰好で生き生きした顔、久しぶりに見るから」
という感じで、意外と暖かく受け入れてもらえた。普通に無視されるとか覚悟していたのだが。といっても、好意的なのは社長だけで、本来のマネージャーや関係者のオレへの態度は冷ややかだったらしい。まあそれも当然。他人から見れば、密会して誑かしたと疑われても仕方ない。少なくともあの収録日に初めて出会ったとはとても思えないだろう。
「だからマリンになる必要があるの」
マリンの正体を知っているのは社長とフリルだけらしい。だからオレは事務所では新規に雇ったバイトで、フリルとは以前からコネがあって引っ張ってきた扱いとなっている。
「ほら、こっち来て」
衣装と変装用具諸々をフリルから渡される。綺麗なウィッグだ。艶やかで美しい。見た目も手触りもほぼ本物と変わりない。流石に良い衣装とメイクを取り揃えている。
「アクア、貴方の女装はまだまだクオリティが低いよ」
「えぇ……今のところクオリティ低いって言われたことねーんだけどな」
「元が美形だからそこそこ観れるけど、男の子感が抜け切ってない」
「そこまでやる必要ある?」
「あのね、私の付き人やるってことは業界トップの人達の目にマリンが触れるってことなの。芸能人だけじゃなく、マネージャーやカメラマン、ディレクターその他諸々もその道の一流。洞察力だけなら私以上の人は何人もいる。今のままじゃ即バレするよ」
「…………確かに、見る目ってだけで言えば芸能人よりむしろマネージャーやカメラマンの方がありそうだな」
「そう、目より先に手が肥えることはないの。あの人達の審美眼は肥えきってる。だからその辺もきっちりレッスンするね」
そして本当にきっちりと仕込まれる。まずはメイクのやり方。
「アクアは元々目大きいけど、大きく見せるメイクしないと。もっとまつ毛とかしっかり艶めかせて、涙袋もちゃんと描いてね」
「…………すげぇ、ホントに目大きくなった」
「あと剃り残しとかはコンシーラーで隠すよ。ほら、目を閉じて」
ファンデーションのようなものをブラシに塗って顔の至る所をなぞっていく。顔面の加工はソレで取り敢えず終わった。
「当たり前だけど、ウィッグはロング。セットもハードスプレーでしっかり固めて。頬にかかる感じで。アクアは顔小さいけど、それでも女の子としては普通だから。輪郭は髪で隠して。骨格も。眉毛もすね毛も全部処理するよ」
「眉はともかく、すね毛もか?タイツか黒スト履けばいーじゃん」
「変装は見えないところから。どんなきっかけで人目に触れるかわからないんだから。ありとあらゆる男の部分は全部隠して………ん、メイクはこんなところかしら。次は採寸ね。背丈、測るよ」
メジャーであらゆる箇所を数値化される。首周り、肩幅、指、足のサイズ。バスト、ウエスト、ヒップ、股下。膝の形も全て。
「うん、どれも俳優って感じ。ちゃんと努力して身体作ってるね。指も綺麗。爪もちゃんと手入れしてる」
「当然」
「じゃ、このデータをもとに服は用意してあげるから、次は姿勢ね」
「姿勢?」
「立ち姿だけでも性別って出るものなの。その辺もちゃんと矯正していこう」
女らしい重心の置き方。歩き方、佇まい、肩の位置。どれもそれなりに意識していたことだったが、フリルの目から見ればまだまだ雑。身長ばかりはどうしようもないが、他の全てを叩き込まれた。
一度やるとなったらフリルとアクアに妥協という言葉はあり得なかった。2人とも完璧主義の完全主義者だ。全ての特訓が終わった時、鏡の中にいたのは、
「ふふっ……ははは……」
あのPVとはまるで別人……とまでは言わないが、素人目で見ても明らかに…
「あははは……あはははははっ、あはははハハハははは!!」
「そこまで笑わなくてもいいだろーが。お前がカスタマイズしたんだろカムパネルラ」
身体をくの字にして笑い転げるフリルに思わず声を荒げてしまう。確かに自分でもここまで美しくなるとは思わなかったが、それにしても笑いすぎだ。
「あはははっ、貴方男性ホルモンどうなってるの?似合いすぎ。美しさだけなら私より上なんじゃない?この短時間で心なしか骨格も変わった気がする。さすが私のジョバンニ。私が男なら押し倒してた。素敵よ」
「嬉しくねー」
「言ってみて。その格好で、男性ボイスで、『お前ならオレのカムパネルラになれるかな?』って言ってみて」
「お前ならオレのカムパネルラになれるかな?」
「あはははっ、わはははははっ!」
「言わせといて笑うんじゃねーよ!」
あまりの美しさに完全にツボに入ってしまったようだ。しかしそれも無理はない。大衆の理想を体現し続けてきたフリルにとって、その逆は人生で初めての経験だ。今のマリンはフリルの理想が体現された姿。芸能界で十年以上生きてきて、彼女は初めて自分の理想を具現化したのだ。それも中身は男。達成感やら滑稽やらで湧き上がる笑いを堪えることはできなかった。
「うん、これなら見抜ける人はまずいないね。我ながら素晴らしい出来」
目尻から流れる涙を拭いながら、改めて出来栄えに満足する。その意見に否を唱えることはアクアにもできなかった。
「………しかしマジですげぇな。コレほんとにオレか?なんてセリフが素で出てくるとは思わなかった。まさにmake。作り込まれてるなぁ」
メイクのやり方は基本的に知っているつもりだったが、やはり一流は違う。化粧は魔術とはかつてオレ自身が言ったことだが、これは確かに変身魔法だ。
「あー楽しかったぁ。お人形遊びなんてしたの、いつ以来だろ。イケメンで遊ぶのは目に良いね。アクアはイケメンと美少女両方できて一粒で二度美味しいし。視力0.5は良くなったと思う」
「やっぱりオモチャにしてやがったかクソが」
「私も着せ替え人形にしてみる?今機嫌いいから、アクアの好きな服着るよ。男装もしてあげる」
「いらねぇ。お前の男装なんかカッコいいだけじゃねーか」
「あ、メイクの仕方、ちゃんと覚えてね?今回は私がしてあげたけど、毎回できるわけじゃないんだから」
非常に気は進まないが、言わんとすることはわかるため、諦めの息を吐いた。
「まったく、余計な技術や知識ばっかり覚えるなオレは」
「技術や知識に余計なんてないよ。それは貴方の人生で備えたツールの一つ。確かに一生使わないかもしれないけど、使うかもしれない。備えておいて無駄なんてことは絶対ない」
その言葉を否定することはできなかった。音楽家であるナナさんやハルさんとの出会いだって、役者としてなら意味のないモノに見えるかもしれない。けど、あの2人との出会いはオレに沢山のものをもたらしてくれた。
「じゃ、及第点の仕上がりになったところで、社長にも挨拶にいこっか」
そうして一度、社長に面通しすることになる。彼女はアクアとマリンが同一人物であると知っていたが、今回のグレードアップで流石に目を丸くしていた。段違いにクオリティが上がっている。女の子にしか見えなかった。
「驚いたわ……貴方、本当にウチの事務所に来ない?フリルの妹分として売り出してみたいわ」
「お、いいね。私妹欲しかったの。マリン、私のこと、お姉ちゃんって呼んで」
「ころ……殴るぞ。社長、バレた時のリスクを考えた方がよろしいと愚考しますが」
「全然構わないわよ、このLGBT時代、ニューハーフや男の娘タレントくらいちゃんといるんだから」
「そういうのが許されるのはちゃんと心まで女の子な場合でしょう。オレはバリバリ男ですよ。この格好は仕方なくです」
しばらく冗談か本気かわからない会話が続いた後、社長から全体に紹介される。
「この子にはフリルのメンタルケアと現場での雑用を主にやってもらうわ。仕事の受注やスケジュール調整なんかは今まで通り。みんな、そのつもりでよろしく」
───歓迎、はされてないな、当然
拍手は起こるが、どう見ても受け入れられている雰囲気ではない。ヒソヒソ話す声も聞こえる。フリルを利用して芸能界デビューを狙う女子にでも見えているのかもしれない。
「周りの目なんか、気にするタイプじゃないでしょ?」
見透かされたような言いようは少しムカついたが、その通りなので何も言わない。他人の評価というものに関して、自分は無頓着だ。名前も顔も知らないどうでもいい人のために芸能活動やってない。オレのモチベーションは妹への
「行くよジョバンニ。全部盗んでいいからね」
「ああ。たっぷり盗ませてもらうぜ、カムパネルラ」
そして本格的に不知火フリルのマネージャー兼付き人の仕事が始まる。
より洗練され、美しくなったマリンの姿が、伝説の天才アイドル『アイ』と瓜二つであるなどと、今のアクアとフリルには知る由もなく。
最後までお読みいただきありがとうございます。かつてララライのワークショップに参加したアイ。フリルの事務所でマルチタレントのノウハウを学ぶアクア。着実に母と同じ道を歩み、死亡フラグを積み上げております。一体どうなってしまうのか。
それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
19th take 爪痕は2人の傷跡
深淵を覗く時、深淵に覗かれている
弟子が師から学ぶ時、師は弟子から学ばれている
貴方が死を望む時、あなたは生を欲している
「アクアはさ。死にたいって思ったことある?」
中学に入って二度目の冬。とあるホテルで一夜を過ごしたアクアは隣で寝そべる美少女からこんな事を聞かれていた。彼女は現在高校生。少し明るめの茶髪に切長の瞳。スタイルは良い部類に入るだろう。闇の中でも優美な曲線は分かるし、胸だって小さくはない。DよりのCくらいだろうなと触った感じわかった。美大を目指す画家で、今年は受験を控えているらしい。
「…………まあ、何度かありますけど」
「だよねー。芸術家なら一度はあるよねー」
体を起こし、跨られる。フワリとしたロングヘアが宙に翻り、女の汗独特の甘い香りが鼻をくすぐった。
そのまま覆いかぶさるように抱きしめられる。同時に冷たい感覚が胸板の一点に届く。人差し指で突かれていると触覚で分かった。
「じゃあ死ぬ時、ここに私とセックスしましたって書いて死んでね?」
「えぇ……それは恥ずいですね」
「恥ずかしいなら、まだダメね」
爪が立てられる。そのまま力を込められ、痛みと共に赤い何かが胸から流れた。
「世界がどうでもいいと思えないなら、貴方はまだ死んじゃダメだよ」
「…………アンタはどうでもいいのか?」
「ううん。だから私もまだ死ねないの」
爪を退けてくれる。手で払ってもよかったのだが、なぜかそれをしてはいけない気がした。
「今後死にたいって思ったら私が言ったことと、この痛みを思い出して。貴方は選ばれてるから。私と違って、ね」
再び身体を起こす。赤い舌で舐める彼女の人差し指には舌より紅い液体が付着していた。
利き手を掴まれ、自分の胸へと押し当ててくる。「爪、立てて」と囁かれたアクアは頼み通り、指に力を込めた。白い肌から赤い筋が流れる直前、僅かに喘ぎ声が漏れ、ハァッと息を吐いた。
「一生消えない傷になるといいね」
「なんで?」
「私とあなたの関係は一瞬だけど、お互いの体にお互いの爪痕が一生残ってると思うと、嬉しいでしょ?」
アクアの上に倒れ込み、唇を合わせる。自身の爪のささくれが剥けていることに気づいたのは朝になってからだった。
▼
───死にてぇー
アクアはこんなところに来てしまった事を思い、この感情に囚われていた。或いは時間を遡ってフリルの話を受けたオレを殺したい。
朝の5時。まだ日が出てるかどうかギリギリの頃合いに調理した具材を女子用の可愛らしい弁当箱に詰める。
「…………ホントに作ってるのね」
「うるせーな。どのみちオレのとルビーのは作らなきゃいけねーんだ。二人分も三人分も大した手間は変わらねーし」
「貴方って女には……というか、才能に甘いわよね」
「ほっとけ。行ってきます」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
起きてきたミヤコに見送られ、弁当をバックに包み、タクシーでフリルの事務所へ向かう。そこからは事務所お抱えの車と運転手に乗り、フリルを迎えに行く。
「おはようございます」
「おはよう、マリン。辻倉さんも」
付き人と運転手に挨拶した後、後部座席へと座る。本来のマネージャーから送られてきたスケジュールを読み上げ、現場へと向かう。
「マリン、お弁当は?」
「こちらに」
「わ、また作ってきてくれたんだ。半分冗談だったんだけど」
脅しておいてよく言う、という言葉は呑み込む。貸し借りで言えばこちらが圧倒的に不利だし、弱みもガッツリ握られている。オレの生殺与奪権はフリルに握られていると言っていい。
現場に入るとそこからは完全にマネージャーとして扱われる。私の視界にいてくれるだけで良いとはなんだったのか。応対、スケジュール管理。あらゆる雑用を押し付けられた。
気がつけば完全にパシリ。こうなる事も予想できたハズなのに、なんでオレは女装してまでこいつの言いなりになっているのだろうか。
───恥ずかしいとか屈辱とか通り越して、なんかもう……死にたい
「マリン」
「はいはい」
屈辱に震えながら振り返る。すると閃光で目が灼かれた。
「……またカメラか」
休憩時間。フリルが手にした機材の正体を呟く。コイツと一緒にいて知ったことの一つ。暇があればフリルはしょっちゅう何かを撮影している。
フリルの趣味なのか、仕事道具の一つなのか、わからないが、彼女は沢山のカメラを持っていた。どうすれば写真写りが良くなるか。可愛く見えるアングルは?セクシーさを見せたい時は?それらを研究するために実際に撮ってみることご必要だったのはわかる。その結果趣味に講じてもおかしくはないだろう。
だがしかし……
「そんなにオレばっか撮ってどうすんだよ」
「綺麗なものは残しておきたいじゃない?」
コイツはその高そうなカメラで自分は撮らず、最近はオレばかり撮る。それもマリンだけではない。メイクを取ったアクアの状態のオレも、満遍なく撮る。オレが作ったメシも。料理をしている風景も。ピアノの練習するオレも。今のアイツのフォルダの中はオレやマリンでいっぱいになっている事だろう。普通に恥ずかしいが、それ以上に脅しのネタをバシバシ撮られているようで怖い。
「でもパッとしないなぁ。目で見た時の方が綺麗」
「そりゃそうだろ。素人……とは少し違うが、専門家じゃねーんだし、カメラの性能にも限界あるしな」
「被写体に問題があるんじゃない?」
「なんだと?」
「うそうそ、冗談。私が仕立てたお人形だもの。どの角度で見ても超綺麗だから、安心して」
「それはそれでなんか悲しいけどな」
「私やアクアのスマホで撮ってもイマイチだったしね」
「…………道理で知らねー写真増えてると思ったよ」
フリルの付き人をやるとなった時、仕事用のスマホを支給されていた。特に仕事以外で使ってなかったのだが、時折カメラフォルダに変化があった。事務所の誰かに取られたか、はたまた心霊現象かと思っていたのだが、少し安心した。
「一番良いカメラでも上手くいかなかったしなぁ。コレなんて○イカだよ?」
「うん、お前の腕が悪い」
手にしたカメラのブランドを聞き、断言する。一口に一眼レフと言ってもその価値はピンキリだが、今フリルが手で弄ぶソレは間違いなく最高品質だった。
「…………それ、買ったのか?」
「ううん、事務所の。私が借りたいって言えば撮影機材なら大抵のものは借りれるから」
───言ってみてー
さらりと言ってのけるセリフに痺れて憧れる。腕の良いドライバーやパイロットはテストドライバーとして最新鋭のスポーツカーやモーターボートを長期間使用できると聞いたことがある。一芸も極めればここまでのことができるようになる。成功者の掴み取った環境に羨望と憧れを覚えずにはいられなかった。
「…………なあ、フリル」
「ん?」
「お前はさ、死にたいって思ったことある?」
その質問にキョトンとした表情を浮かべる。質問の内容を理解した天使は、にや〜っと口角を上げた。どちらの顔も『大衆の理想』とは程遠い。コイツ、どんどんオレに猫被らなくなってくる。
「アクアって時々中学生っぽいよね。芸術家にはあるあるだけど」
「茶化すな。結構真面目に聞いてる」
残念なことだが、俳優の自殺は珍しくない。ニュースに取り上げられたものだけでも前例はいくらでもある。名もない端役の役者達を含めれば、膨大な数に及ぶだろう。それほど芸術家の自死は多い。アクアだって何度死にたいと思ったか。夜眠る時の自分が自分でなくなるかもという不安。朝目が覚めた時に自分が自分だった時の安堵。この無間地獄への恐怖は今もなお克服したとは言い難い。ある程度割り切りはした。けれど不安は常に付き纏っている。
───でも、オレは裸で死ぬのはまだ恥ずかしいから
だから死なないし、死ねない。その時が来るまで、世間を騙し、自分を騙し、家族を騙す。
「私は思った事ないなぁ」
「そりゃ羨ましい」
「だって人間なんてイヤでもいつか死ぬんだから。そんな無駄な事考える暇があるならもっと他のことした方がいいでしょ?」
確かにその通りだが、それがわかってても考えてしまうのが人間というモノだろう。この辺の切り替えはアクアも結構上手い方だが、やはり超一流は違う。
「あー、でも人生が沢山あったらなぁとは時々思う」
「そうなのか?」
「ええ。次の人生で私の意識があったら写真家になりたいな、と思うくらいにはね」
手の中にある超高級カメラをクルクルと回す。思わず体が前のめりになった。ホントに価値わかっとんのか、この女。
「初めてプロが撮った写真を見た時は感動したなぁ。私物心ついた時から可愛かったから色んな人が沢山写真撮ったし、アルバムもいっぱいあるけど──」
「自慢か」
「違うよ、客観的事実。話の腰折らないで……明らかに違った。目で見るより綺麗な写真を初めて見た」
似た経験はアクアにもある。ジャズバーに勤めていた時、練習でカクテルを作らせてもらったことがあった。同じ材料、同じ道具、同じレシピで作ったのに、オレが作ったカクテルにはまるで統一感がなく、バラバラの変な飲み物だった。だがマスターが作ったカクテルは全ての材料が調和し、一つの良くできた飲み物になっていた。
『要所要所で見えない小技があるのよ』
見よう見真似だけでは決して習得できない技術。経験を重ね、改良を続け、少しずつ向上してきた熟練の技が全体の味を決める。一つ一つは小さな差だが、総合し、調和させる事でコレほどの差が生まれる。プロとアマチュアの違いを肌で……いや、舌で学ばせてもらった場面の一つだった。
「今の私は撮られる側だけど、次は撮る側をやってみたい。私の手でスターを作ってみたい。そう思ってる」
「…………そうか」
「貴方はないの?もし2回目の人生があったら、やりたい事」
「2回目の人生、か」
ある意味オレはそうなのかもしれない。一度記憶を無くし、何かが欠落した今の星野アクアは記憶を失う前とは別人なのかもしれない。そしてオレは今二度目の人生を生きている。この生き方は欠落する前のオレが望んだ姿なのだろうか?答えはわからなかった。
「アクア?」
「…………生憎、オレは今を生きるので精一杯なんでな。そんな先のこと考えてる余裕はねぇよ」
「良いね、さすが私のジョバンニ。熱いね、若いね」
「同い年じゃねーか」
「そう思うならせめて私に追いつくまでは、死にたいなんて二度と考えないでね」
眉が少し引き攣る。えっ、と声が出そうになった。オレを見つめる目に不安と焦燥の色が宿っている。緊張と罪悪感で揺れている。
思ったより心配されていたのだろうか?確かに星野アクアは現在炎上真っ只中。心ない批判やコメントを目にしていれば、オレが死にたくなっているのでは、と考えるのも不思議はない。俺は見てないが、もしかしたらフリルはオレのエゴサをやっているのかもしれない。あの様子だと相当な事を書かれてそうだ。それこそ人生が終わったと錯覚するほどの。
───まあ、そういう風な仮面でオレに復讐心持たれないようにしているという可能性もゼロじゃないが…
どっちにしろ、いらぬ気遣いだ。この状況を後悔する事はあっても、フリルを憎む気持ちはカケラもない。こうなる可能性も考慮した上であの爆弾処理に挑んだのだから。まあ想定外の形で爆発されはしたが。それもこの待遇で貸し借りチャラだと少なくともアクアは思っている。
「気にするな。顔も名前も知らねぇ人のために芸能やってねーし」
「………そう、なら良かった。まあアクアが赤の他人の批判でどうこうなるとはあまり考えてないけどね。貴方はファンに対してそこまで真面目でもなければ誠実でもないから」
「おい」
「あーあ、人生が5回くらいあったら良いのになぁ」
安心したのか。椅子の背もたれに上半身の体重全てを預け、笑顔で大きく伸びをする。
「写真家にもなって世界中を旅してみたいし、子供好きだから保母さんとかにも興味あるし、化学者とかになって、薬効あり!とかもやってみたいし。あとお母さんにもなりたい。5回の人生で5回とも違う子を産んで、5回ともいっぱい愛してあげたい」
───可愛いとこあんじゃん
指折り数えながら空想を語る。その様子は『
「そして、5回とも……」
一度目を瞑る。まぶたが開いた時、美しさがフリルの全身に宿る。吸い込まれるような黒い瞳は真っ直ぐに星の瞳を見つめていた。
「同じ人に恋をする」
以前目を合わせた時は意図的に逃げなかった。ここで目を逸らせば負けだ、と。だが今は違った。目が離せない。美しさと可愛らしさと必死さが絶妙に混ざったその黒い瞳から、逃げられなかった。
フッと力が抜ける。唐突に自身から溢れた微笑がアクアにかかった金縛りを解いた。
「なら最低でも4回は不倫だな」
「もう、貴方はすぐそういうこと言う。わからないでしょ?一つ一つがパラレルワールドで、それぞれでちゃんと結婚してるかもしれないじゃない」
「そういうオカルト、オレあんま信じてないからなぁ」
目に見えないものは確かにこの世にはある。けれどそれは全て人の努力や行動の果てに存在する揺らぎで、オカルトではない。この世の全ての事象は人々の行動の結果であるとアクアは信じていた。
しかし、こういう空想話も悪くはない。こんな馬鹿みたいな話ができるのはフリルにとってはアクアだけだし、アクアにとってもフリルだけだった。
「貴方に会えてホントに良かった。嫌われたらどうしようなんて思ったの、人生で初めて。貴方と出会ってから、毎日ワクワクドキドキしっぱなし。トキメキは肌にいいってことも初めて知った。アクアは目にも肌にも潤いをくれるね」
「…………オレもお前に出会ってから毎日ドキドキしてるよ」
主にハラハラ方向でだが。しかしたまにドキッとさせられる。今まで色んな女性と色々な関係を持ってきたが、こんな事は初めてだった。
「期待してるよ、私のジョバンニ。コレからも私にいっぱい初めてを教えて。そしたら私は貴方の
「期待してるよ、オレのカムパネルラ。喰らっても喰らってもなお、喰らい尽くせない憧憬である事を」
お互いを喰らい合う炎と水。それぞれを消滅させるエネルギーが爆発するのは、もう少し先の話。
▼
「…………何やってんの」
その日、苺プロは異様な光景に支配されていた。
備え付けられた撮影用スタジオ。そこは複数人が運動しても問題ないほどのスペースが設けられている。所属タレントがダンスの特訓などをして、汗だくになっている事もかつての全盛時代にはあった事だ。
しかし、それを踏まえてなお、目の前の光景は異様と言わざるを得ない。体操のような、運動のような、奇怪な動きをするヒヨコ?のマスクを被った筋骨隆々パンイチの変態。ゼェゼェと荒い息を吐きながら動きを真似る2人は変態と同じマスクを被り、苺プロのクソダサいTシャツを着ている。スカート履いてることからおそらく女子と思われる。
「おかえりなさいアクア。今日は早かったのね」
「そんなことより何やってんの。ルビーと有馬だよな?ダンスの稽古?にしては随分面白いカッコでやってんな」
「違うわよ。アイドル活動」
改めて目の前の異様を眺めるとホント何してんのと言いたくなる光景。しかしコレは立派なアイドル活動。新人アイドルの仕事といえばビラ配りなどの草の根運動や小さなライブハウスの出演などが真っ先に連想されるが、それはもう一昔前の話。現代のアイドルカルチャーの主戦場はネット。草の根運動もわざわざビラを手作業で配るより遥かに効率的で、広範囲に届き、コスパも良い。まず誰でも気軽に見れるユーチューブで固定客を作り、ライブに人を呼ぶ。コレが今の新人アイドルのスタンダードだ。
「で、ぴえヨンとコラボってわけか。まあ登録者数増やすには確かにコラボが一番手っ取り早いわな」
ホワイトボードの企画案を見る。踊りきれなかったら顔出し無しという条件の下、コラボ動画の許可をもらったという設定らしい。面白いが、ヤラセや編集と思われるんじゃないか少し心配になる企画だった。
「貴方が不知火フリルにしてる事と一緒ね」
「一緒にするな。めちゃくちゃ大変なんだぞ」
フリルのマネージャーもどきを初めて少し経った。平日は学校以外全て仕事に割り振られている。事務所の迎えの車に乗り、車の中でマリンに着替え、細かい変装諸々は出先の化粧室で行い、フリルと合流。その後は付き人としてあらゆる現場に同行し、マネージャー業に従事していた。
「分刻みのスケジュールってヤツが実在するとは思わなかった。マジで殺人的。それをこなしながら疲れも何も見せず美しくあり続けてやがる。知ってたけどマジでバケモンだ、不知火フリル」
付き人には付き人の苦労があるが、疲労度だけで言えばフリルの方が上のはず。それなのに苛立ちも疲労も一切見せず、『
「裏方の苦労が少しはわかったかしら?ざまぁみなさい」
「フリルに比べたらオレなんて可愛いモンだよ」
相手がオレだからか、それとも付き人には全員やらせてるのか、肩揉んでだの、ご飯作ってだの、食べさせてだの、好き放題やってくる。ミヤコに苦労をかけている自覚はあるが、身の回りの世話までやらせた事はない。それに加えてあの破天荒。アイツのマネージャーはある意味不知火フリル本人より心労がキツいかもしれない。
「でも、辞めないんでしょ?」
「辞めねぇよ、お互いの身の安全が掛かっている」
星野アクアの炎上。不知火フリルの爆弾発言。どれもが比喩抜きで命に関わる事態に発展する可能性は大いにある。大衆の憎しみはオレに向いてる。今オレは変装なしで街を歩く事はできない。一方で表面上はなんともないが、フリルも決して楽観視できる状況ではない。狂信的なファンやストーカーはアイドルのああいった発言を裏切りと取ることもある。そしてファンの暴走は男より女に向くケースが遥かに多い。女は男より弱いから。物理的にも、精神的にも。
オレが関わったことでアイツに死なれては寝覚が悪い。少なくともリアリティショーが終わるまではこの仕事を続けるつもりだった。
「それだけじゃないわよね?」
「…………」
「あの不知火フリルの現場が見られるんだもの。勉強になるでしょ?」
「勉強になるかだと?はっ、めちゃめちゃ勉強になりますがなにか?」
一歩引いた視点からだからこそ、よく視えた。立ち振る舞い、話し方、視線、あらゆる現場で最適に適応させていた。大衆の理想である事には変わりないが、そこで自分が何を求められているか、どんな受け答えがベストか。現場現場で全て違っていた。何一つとして同じモノや使い回しがなかった。そのパターンの豊富さはオレにはない引き出しだった。独学では得られない、彼女が今まで培ってきたノウハウの一部を見せてもらった。これだけでも付き人を引き受けた価値は充分にある。
───良い傾向ね、アクアはせっかく良い眼持ってるのに、使い方が良くなかったから。手本がいれば吸収も早いでしょう
仕方ないことではある。鳥瞰視点、バード・アイの持ち主は希少だ。持っていないものを教えられるわけがない。不知火フリルとてアクアに手取り足取り教えることはできないだろう。感覚というのは十人十色だ。下手に自分の感覚を教えて仕舞えば、変なクセになり、逆に遠回りになりかねない。だが、見る者が見れば、違う視点から観察できれば、見えるものがある。同じ眼を持つ者にしか見えない気づきがある。
見て、感じて、発見し、理解し、実践し、実行する。学びとはコレの繰り返し。今までアクアは映像でしかそれをしてこなかった。これなかった。しかし今は最高の手本を生で観れる。これ以上勉強になる機会はないだろう。
「トップとの差に自信を無くさないかだけが心配だったけど、この様子だとそれはなさそうね」
「ははは」
笑って誤魔化すが、このミヤコの心配、実は少し当たっていた。確かに同系統の眼を持つ者として、フリルから学ぶべきところは多かったが、だからこそ絶望した事もあった。
「でも解せないわよね」
三人の奇怪な踊りを眺めながらミヤコが疑問を口にする。
「貴方が不知火フリルの付き人するのはこれ以上ないメリットがあるけど、アチラには何の利益もないじゃない。わざわざ他の事務所の俳優育てるようなマネして、しかも給料とセキュリティまで使ってくれてる。なんでアッチがそこまでするのかしら」
そこはアクアも疑問に思っていたことだった。いくら看板中の看板である不知火フリルの頼みだからって、なぜオレを雇ってまで守る?なぜオレを育てるような真似をする?付き人やってるくらいじゃ学べないと舐められてるのか?女優でなく、男優なら敵にはなり得ないと思っているのか?だとしたら危機管理意識が低すぎる。オレがアイツから技術を盗む可能性はゼロじゃないんだ。実際色々盗んでる。そんな可能性に思い至らないほどあの社長は鈍ではないだろう。
「………………いざというとき、盾に使うためじゃねーの」
「そんなの、貴方じゃなくてももっと適任いるでしょう。そんな細い身体じゃ肉壁にも心許ないわよ」
「うるせーな、敢えて絞って作ってるんだ」
「…………移籍とか、誘われてる?」
「軽く」
「移りたかったら遠慮しないで移っていいのよ?この業界、売れる芸能人殆どが大手の独占市場なんだし」
「そんな普通なの、つまんねーだろ」
───………コレだ
この男の行動原理にはコレが多い。どう見てもそっちの方が効率的で楽な道なのに、つまらないという理由だけで平気で蹴る。記憶がなくても……いや、ないからこそ性格とは遺伝するものなのだろうか?アイもつまらないならどれだけ合理的なことでもやらない主義だった。
「ま、問題児から解放されたいというミヤコの考えもわからなくはねえけど」
「そんなつもりは…!」
「───悪いが、もう暫くは付き合ってくれ。オレの死出の旅に」
ゾクリと背中が泡立つ。こういう時がこの子には稀にある。いつもは星と見紛う眩い光を放つ瞳が、全てを吸い込む暗い星の瞬きになることが。全身から放たれる魔性のオーラに引き摺り込まれそうになる時が。アイが持っていたモノとは似て非なる。だが、人によってはアイより惹き込まれるだろう。それこそ精神ごと、中毒になるほどに。
不知火フリルの手によってより美しく洗練された今のマリンはアイの美しさとアクアのオーラが融合した、まるで悪魔に取り憑かれ、蘇った星野アイを見ているかのようだった。魅力という力が人の心を奪う様を指すのなら、今のアクアはある意味、アイを超えている。
「…………アクア、貴方死にたいとか思ってないでしょうね」
才能ある役者が、そう心の中で思う事は多い。はたから見れば順風満帆。才能や実力が正しく世間に評価されている俳優でも、薬物に走ったり、自ら命を絶ってしまう事は知られているだけでもいくらでも前例がある。世間に公表されてないモノも含めれば、それこそ数えきれないだろう。そして死に取り憑かれた俳優は独特のオーラを持つ事もある。今のアクアはそんな危うさと美しさを併せ持っていた。
「ははは。まさか。全然思ってねぇよ。やりたい事まだまだあるし。オレはまだ死ねない」
「死ねない?」
「この世界がオレはまだどうでもよくないから」
グッと心臓を掴むように拳を握る。胸元に僅かに残った傷。コレを世界に晒す気はオレにはまだ起きない。この傷が完璧に消えるまで、オレはまだ死ねない。
───爪痕を残す、か
ふと、今自分が出演している番組の参加者に想いを馳せる。オレは今、あのリアリティショーの実質的なMC、バランサーを務めている。故にチャンスは出演者達に平等に割り振る必要があり、全員にスポットライトが当たるように調整しなければいけない。だが、MCができる事には限界がある。目立っていない人間が誰か気づいていても、特別扱いはできないからだ。
現在、今ガチには好かれても嫌われてもいない状態のやつが2人いる。この状態は芸能界的には嫌われるより良くない状態だ。嫌われるということは嫌いになる程度にはその人物のことを注視しているということ。しかし好きでも嫌いでもないということは視聴者の印象に残っていないということ。真っ当なマネージャーや事務所であれば、この状態の不味さはわかるだろうし、爪痕を残せと言われるだろう。
しかし、爪痕とは一方的につける傷ではない。柔肌に突き立てたハズの爪が思わぬ抵抗に遭い、爪の方が剥がれてしまうという事もある。双方が傷つきかねない傷なのだ。
───その辺、わかってるのかな。アイツは
「いちごぷろしょぞく……ほしのるびー、自称アイドルです」
スタジオからそんな声がマイクを通じて伝わってくると同時、意識が思考の海から戻ってくる。スタジオの中で横ピースをキメる我が妹の痴態。息もたえだえで、顔も真っ赤だ。まあろくにトレーニングもやってないど素人のアイツには1時間ガチるのはキツいだろう。元が良いため、バテてる姿も可愛いが、あまりアイドルが見せていい顔はしていなかった。
「てきとーに編集して貰えばいいのに」
「出来るだけ嘘はつきたくないんでしょ。あの子らしいわ」
「……嘘つかずにこの世界で生きていけるわけねーだろうに」
オレや有馬はもちろん、アイやフリルでさえ嘘を避ける事はできなかった。あいつもいずれどこかで必ず嘘をつく。だが、その時まで…
「通してみせろよ、その綺麗事。そうじゃなきゃ面白くねーから。お前から可能性感じなくなったら、オレもお前にウソつくのやめるぞ」
アイの顔をした男が嗜虐的に笑う。これはこれで需要ありそうだな、とミヤコは思った。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。フリルに付いての修行。学ぶことは多くあり、アクアは着実にレベルアップしてますが、劣等感に絶望している時もあります。その辺りの詳しい話はまた後日。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
20th take それぞれの立ち位置
火と星は小屋を支える方へと回るだろう
降りてはいないステージに上がってはいけない
貴方にまだ配役はされていないのだから
『今ガチ』が始まり、数週が経った。芸能活動をしている高校生たちが放課後に集まり、様々なイベントを通じ、交流を深めていくリアリティショー。番組が始まった当初、当たり前といえば当たり前だが、中心にいたのは不知火フリル。そして唯一渡り合える星野アクアだった。
しかし、初回に彼女自身が言った通り、彼女はこの番組の中心に立とうという気はないらしい。フリルはMCを務めるアクアと共に、徐々に番組を支える方へと回り始めていた。今ガチでは放課後に男女がトークするだけでなく、男女対抗で争ったり、または男女混合でゲームを楽しんだりする事もあった。
そういう時、フリルとアクアは率先してイベントの口火を切り、メンバーがイベントに慣れてきたら他の人間たちが中心になるよう、裏方や支える方へと回っていた。
例えば、先日、男女混合チームでバスケの3on3勝負を行った時──
「じゃあマークは男同士で俺が──」
「11番には私が着くね」
「へ?え、ちょっと───!?」
ノブが作戦を話そうとした時、背中まで伸ばした艶やかな黒髪をポニーテールに纏めた少女が相手チームの選手へと近づく。白のゼッケン9番がこっちに来ていることに気づいた煌めく蜂蜜色の髪をアップにした赤のゼッケン11番はリストバンドを付け直した。
「バスケはコンタクトスポーツ。パワーで勝るオレの方が有利……そう思ってるでしょ?」
「…………だったら?」
「私はパワーでも負けないよ」
挑戦的に見上げてくる黒髪の美少女の挑発に対し、11番は嘲るように笑った。
「オレをパワーだけの男だとでも?アマいよ?」
ティップオフ。ジャンプボールの結果、先攻は白チーム。パスが9番へと渡った。
「オレが全国を制す」
「いいえ私が制す」
「来い北沢!」
「沢北よどあほう!」
「いや不知火だろ」
『うぉおおおおお!!』
素早くドリブルをつくフリル。腰を落とし、突破させまいと手を広げるアクア。2人の一対一を少し離れたところで他の4人は眺めていた。
「……何やってんのあの2人」
「スラダンごっこじゃね?」
「あの2人の演技力でやると、ごっこ遊びも無駄に迫真だね」
「しかも2人とも運動神経良いから無駄にレベル高いし」
「ホント、二人とも上手…演技も、バスケも」
「才能の無駄遣いしてるねぇ」
男女対決で身体的に有利な男が気後れしている時、このように真っ先に1on1をおふざけ混ぜながら繰り広げる事で緊張を緩和し、楽しくゲームができる雰囲気づくりをしたり───
男女対抗カラオケ大会では……
「これフリルはズルじゃねーか?」
「あら?アクアさんはハンデをご所望?お望みとあらば構わないけど?」
「いらねーし。コッチにはミュージシャンのケンゴいるし」
「そう。でも私はハンデが欲しいわね」
「へぇ、天下の不知火フリルがハンデをご所望とは。ケンゴってそんなに上手いのか」
「ちょ、ハードル上げるのやめてくれよ!」
「それもあるけど、私がハンデに欲しいのは貴方だよ、アクア」
意味を理解できずいると、イントロが変わる。フリルが選んだ曲が流れ始めたらしい。CDとか出してる持ち歌でも歌うのかと誰もが思ったが──
「私の今の気持ちを歌います……『わたしのきもち』」
♪
悲しくて悲しくてLULULULU
どうして、貴方の一番になれないの
好きになんてならなければ、よかった
ただ一言 言って欲しかった
♪
流れ出した失恋ソング。圧倒的歌唱力により歌われるそれは特定の人間の心に突き刺さる。
フリルの歌が上手ければ上手いほど、熱唱すればするほど、アクアの顔色は悪くなった。
「この後でオレに歌えってか」
「はは……アっくんこれまためちゃくちゃ燃えるんじゃね?」
「まさにアクア専用デバフだな」
「オレも失恋ソング探そうかな」
「これにしなよ。『3年目の浮気』」
「出会って数週だっつってんだろ。そんなレトロな曲サビ以外知らねーし。ドライローズにしてくれ。声も顔も性格も大嫌いだよってヤツ」
勝負そっちのけでウケ狙いの曲ばかりを選び、メインどころは譲るなど、他のメンバーに比べ明らかに実力の抜けているフリルとアクアは盛り上げ役に徹していた。
数週間経つとアクアとフリルの組み合わせも世間に受け入れられ始めていた。理由はいくつかある。一つはアクアが下手に燃料を投下する真似をしなかったこと。番組以外でツーショットが撮られるような事はなかったし、SNSで謝罪も弁明もしなかった。世の情勢は常に動いている。SNS界において一週間前はもう古い情報である。勢いよく燃え上がったアクアだったが、寧ろそのため、炎は燃料源をあっという間に燃やし尽くし、自然鎮火へと向かい始めていた。
そして最大の理由が、フリルの謝罪と弁明だった。
アクアは何もしなかったが、フリルとその事務所はSNSでネットマーケティングへの対策を行っていたのだ。
『星野さんとは、直接お会いしたのは本当に高校の入学式が初めてです』
SNSでフリルはただ真実のみを語った。
同じ高校に通っていること。とある出演作をきっかけにアクアを知ったこと。彼の才能に興味を持ったこと。アクアを知ってから今までに至る全てを。
『リアリティショーでの私の発言は軽率でした。私の事を悪く言う事は構いません。ですが出来れば星野さんのことを責める事はしないでください。お願いします』
普通に考えればSNSにおける謝罪や弁明はあまり良い手ではないが、行ったのが不知火フリルとなれば話は変わる。
日本人は自身が悪いと認めた人間を必要以上に責める。悪い奴には石を投げる。みんなが石を投げるなら自分も投げていい。空気という怪物に流されるのが日本人の風潮だ。
しかし、不知火フリルに石を投げられる者など、この国にはほとんどいないだろう。以前も記したが、彼女のセキュリティ態勢は芸能界でもトップクラス。圧倒的な支援者たちによるガードがある。下手に石を投げようものなら、それこそ日本中から袋叩きにされる。SNSにおける不知火フリルは真摯で健気だった。心中はともかく、表立って批判などできるはずがない。
下火になりつつあるアクアの炎上。
正式に行われたフリルのフォロー。
番組内で見せる2人の仲の良さ。
これら全てがアクアとフリルの関係を少しずつ世間に認めさせ始めていた。
『トップスターのフリル様だからこそ同年代の友達作りづらかっただろうしな』
『タレントである前に16歳の女の子だもん。男の子とだって仲良くしたいよね』
『それに星野アクア、顔だけならフリル様とタメ張れるしな』
『トークも面白いし、実質今リアリティショー回してるのはアイツ』
『お似合いかもね、アクフリ』
長い物には巻かれるのが日本人。あの不知火フリルが白と言えば大抵の黒いものも白になる。SNS内でお許し空気が流れ始めると、大衆はすぐに空気に流された。
それに加え、今ガチの中心から少しずつ離れ、アクアとフリルは少し高い位置から他の今ガチメンバーを見守るような形へと移り変わっていく。
『アクアとフリル、なんか大人だよね』
『歳はメンバーの中で一番若いのにね』
『2人とも子供の頃から芸能活動してるし、精神年齢は高いんだろうね』
『でもアクアといる時のフリル様って、なんか可愛くない?』
『わかるマン。年相応っていうか、今までのイメージになかったっていうか』
今までその美しさで人気を誇っていたが、反面、あまりに神秘的かつ神聖すぎて近寄り難いと思われることもあった。
しかし今回の今ガチで古参ファンも知らない一面を見せることで、また新たな層を開拓し、ファンを増やしていっている。
そして今ガチも変化が訪れる。中心からフェードアウトしたアクアとフリルの代わりにその席に座ったのは鷲見ゆきだった。立ち回りの上手さ。キャラクターの表現力。カメラ映りの良さ。それら全てを駆使して鷲見ゆきはゲームメーカーとしてリアリティショーに居場所を作った。
そして最新の収録では───
「…………私、もう『今ガチ』やめたい」
【えぇっ!?】
夕暮れの校舎、高校生たちが放課後を思い想いに過ごす中、唐突にこぼれた涙からそんな一言が吐き出される。涙の主は鷲見ゆき。高校一年生にして、ファッションモデル。ウェーブのかかった黒髪を背中まで伸ばし、前髪は切り揃えている。美人というよりは可愛いという表現が似合う少女。
「こんな途中で!?」
「なんでそんなこと言うんだよ!」
「アクア、この問題なんだけど」
「ん、どれどれ……また数学か。フリル理系苦手だなぁ」
「最近ね、学校の男子がからかってくるんだ……お前こういう男が好きなんだ、とか」
「公式覚えるだけだから応用ができねーんだよ、本質を理解しろ。ここはな──」
「自分の好きって気持ちを皆にみせるって、こんなに怖いことだったなんて……始めるまで全然わかってなかった。注目されることの怖さも」
「…………メムも自分のチャンネルでバカやってるから、分かる……皆私のことバカだと思ってて……実際バカなんだけどぉ」
「ほ、本当に辞めちゃうの?」
「アクアだって現文苦手じゃない。作者の気持ちとか、登場人物の心情とか、理解できてるけど言葉にできてないっていうか。感覚派の役者にありがちだけど」
「そんなこと言わないでくれよ!俺がいつでも話聞くからさ!だから──」
「人の心情理解できないってフリルにだけは言われたくねぇなぁ。ガンガン爆弾投げてくるくせに」
「私は敢えて空気読んでないの。困る貴方を見るのが楽しいから」
「お前のこと天使だと思ってるファンが泣くぞ、サド」
「アクアは意外と尽くすタイプだよね。マゾ♪」
「───だからいつまでもイチャついてないで2人も説得に参加しろや!皆で頑張ってる『今ガチ』だろーがよ!」
教室の隅で向かい合わせに机を並べ、同じ参考書を広げるアクアとフリルについにノブから雷が落ちる。我関せずで2人の世界に入っていた黒髪のに美少女と星の瞳の美男子は揃えたように気怠げに視線を向けた。
「えっと、2人、話聞いてた?」
「聞いてたよ、ゆきがクラスメイトにバカにされて今ガチ辞めたいって話だろ?辞めたいなら辞めれば?としか」
「うわ、アクたんスーパードライ。薄々気づいてたけどぉ」
「失礼だな、思いやり込めて言ってんだぜ?ゆきが泣くほど嫌なら気持ち押し殺して頑張れなんてオレには言えねーよ。頑張んなきゃできないことならやらねー方がいい。この番組が全てじゃねーんだから」
アクアの言い分にも一理あると誰もが認めたのか。ドライな対応しかしていないアクアを責める者はいなくなった。寧ろ視聴者含め、アクアって結構いいヤツ?とさえ思われていた。一緒に続けようというのも優しさなら、辞めたいなら辞めればいいと教えてあげるのも思いやりなんだ。
しかし最初にドライな対応をしたからこそ、後で見せた優しさが本来以上の価値を持つ。アクアの得意とするテクニックの一つ、落としてあげる。ジャイアン映画版の原理である。
「私も概ねアクアと同じ意見。辞めたいなら辞めていいと思う。他にもこの番組に出たい人は沢山いるんだし、序盤の今ならまだ傷は浅いから。ただ、辞める理由が弱いなぁと私は思う。クラスメイトにちょっと噂話されただけなんでしょ?それでいちいち心折れてたら板の上には立てないよ?」
批判も歓声もこの場にいる誰よりも浴びて芸能界の頂点まで駆け上がったフリルの言葉は重かった。今でこそ彼女をおおっぴらに悪く言う人間はいなくなったが、駆け出しの頃というのはどんなスターにも必ずある。
夢見てんじゃない。
無理に決まってる。
世間に媚を売りたいか。
アイドルを目指すと人に言って、止められたり、笑われたりした事がない人間の方が少ないだろう。フリルはゆきの何万倍の言葉の矢で射抜かれてここまで来た。彼女に甘いと言われて、反論できる者はこの場にはいない。
「有名になるっていうことは他の誰かを無名にするってこと。妬み嫉みやっかみからは逃げられない。この番組から逃げることは出来るかもしれない。でも逃げ続ける事はできないよ。私達は世間と向き合ってナンボなんだから」
全員押し黙ってしまった。駆け上がった人間からの正論とプレッシャー。批判も賞賛も全て食らいつくしてきたからこそ生まれる、圧倒的な
「大体な、批判くらいで番組やめなきゃいけねーならオレはどうなる?」
重い空気を切り裂いたのは軽い調子で放たれた言葉。重苦しかった雰囲気が一気に軽くなる。星野アクアの少しおどけた、自虐のような一言が、凍りついてしまった5名を溶かした。
「そうそう。死ねだのクズだの四股だの股裂の刑だの叩かれまくってるアクアが平気な顔して参加してるんだよ?」
「うっせーな、誰のせいだと思ってんだ」
「まあ流石にここまで顔の皮厚くなれとは言わないけど、鷲見さんなんか軽い軽い。アクアの好感度が1なら鷲見さんは95はあるね。間違いない」
「どんだけ低いんだオレの好感度。あと微妙な数字がリアルっぽくて腹立つ」
「これでもかなり甘めの見積もり。私ってホント親友に甘いよね」
「親友だと思ってくれてんなら無茶振りすんのやめてくれない?」
場が一気に軽くなり、笑いすら生まれる。今ガチを辞めたいという衝撃発言を発したのはゆきなのにも関わらず、場はいつの間にか完全にアクアとフリルに支配されていた。
「さて、これでアクアも私も言いたい事は全部言った。ノブたちの言い分も全部聞いた。ここからはゆきちゃんの決める事だよ」
「ゆき、これからどうしたい?お前が選んだ方をオレは応援する」
「俺はやっぱ続けてほしい!みんな揃ってねぇと今ガチじゃねえよ!ゆきが辞めるなら俺も辞めるから!頑張るのは辛いかもしれねーけど、一緒にやろうぜ!」
「…………私は───」
ここでカメラが止まる。ラストカットに映っていたのはアクア、フリル、ノブ、ゆきの4名。偶然か、狙ってか、わからないが、今ガチのコアを担う4人だった。
「はい、オッケーです。お疲れ様でしたー!」
参加者全員から力が抜ける。普段通りに過ごしてというのがリアリティショーのコンセプトだが、やはりカメラが回っていると、身体のどこかに力を入れずにはいられなかった。しかしそれゆえの解放感が少し心地良い。
放送後、ネットニュースに記事が挙がる。鷲見ゆき、リアリティ番組降板か、という見出しで書かれていた。SNSもコメントで溢れている。
『ゆきマジで辞めるかもな』
『メンタル繊細そうだもんね』
『ノブは熱くてカッケーな』
『アクアは逆にドライでクールだな』
『不知火フリルも現実的っていうか、大人だよね』
『あの2人絶対高校生じゃねーよ』
『フリル様は歳サバ読んでるからね………ってMEMちょが言ってた』
『アクアも人生二周目だからね………ってMEMちょが言ってた』
「言って、ぬぁあああい!!」
ネットニュースを見ていたMEMちょが叫ぶ。メンバー達は笑いでどっと包まれた。
「アクたんと不知火さんのせいでいつまでも私が2人の陰口言ったみたいになってんじゃん!どうしてくれるのぉ!?」
「いいじゃん。定番のネタ持ってるってのは武器になるぜ」
「こんな武器いらないよぉ!炎上と隣り合わせだよぉ!?」
「見て見て!記事になってる!私もちょっとは視聴者獲得に貢献できたかな?」
「そーだな」
少し前まで見せていた涙はなんだったのか。MEMちょが風評被害に悩む傍、笑顔でネットニュースを見せるゆきの姿を見てアクアは感心と、少し呆れが混ざった目で彼女を見る。ハルさんも切り替え上手い方だったが、ここまでではなかった。
───10秒で泣けるなんてのは、業界人なら当たり前のスキルなのかもしれねーな
「で、辞めるの?」
「えー、辞めれないでしょ?契約残ってるのに」
「おお。意外と現実的」
「え!?じゃあ演技って事!?」
「いやいや。黒川さんや不知火さんみたく女優じゃないし、演技なんてできないよ」
出来てるよ。涙見せた後で笑えるなら出来てるよ。
「ちょっと自分の気持ちを膨らませて話しているだけ。学校でイジられて悲しかったのはホントだし、辞めたいって思ったのもホント」
「それは立派に演技だぜ、ゆき」
渡された台本を読み込んで、キャラクターの心情を理解し、同調し、入り込む。その一環で感情の誇張というのは誰しもが行っている。無論それが演技の全てではないが、今回に関して、ゆきは演技と呼べるだけのことをやっている。
「えー、俳優のアクアくんに言われると自信持っちゃうなぁ」
「でも、私たちは嘘をホントに見せるところまでいけてようやく半人前だからね。そういう意味ではまだ演技とは呼べないかも」
「あはは、なるほど。嘘じゃなくて誇張」
「…………そういうのもトークではありなんだ」
手帳にメモを取るのは黒川あかね。ミディアムヘアに美麗な表情。黙っていればクールな美女。話してみると真面目な良い娘。しかし真面目すぎて、行動する前についつい考え込んでしまい、結局行動できなくなるタイプ。役者としては少し珍しい。基本的に待ったなしで、アドリブなどの独特の動きも求められる職だ。考える前に動くことが重要になってくる。
MCとしてどうすべきか、悩んでいると肩に手を回される。この距離感の近さと許される感じはノブ独特だ。
「アっくんメシ行こうぜ!今日はもうアガリだしいいだろ?」
「お、いいね。どこ行く?」
「メっさんが焼肉奢ってくれるって」
「言ってないよぉ!?このセリフ番組外で言わせないでぇ!」
なんか身内にすらあることないこと言ってるキャラ扱いされてる。発端のアクアは少しだけ罪悪感を覚えた。
「知ってるよ、最近登録者数増えてウハウハなんでしょ?」
「事務所の取り分5:5なんでしょ?」
「5:5!?まじですか!」
「へぇ、そりゃ高い」
大手であればあるほど事務所側の取り分は多い。所属タレントに取り分の内訳明かしてない事務所もザラ。苺プロもこのタイプである。大手は売れるまでのプロセスやノウハウを持っている分、色々と有利だが、売れるまでの期間、タレントの経済事情の厳しさは大手所属の方がキツイかもしれない。
「アクアさんはいくらですか?」
「さあ?ウチは取り分教えてくれないタイプ。まあ社長が一応身内だから、変な中抜きはしてないと思うけど。あかねは?」
「…………うちは8:2。もちろん私が2です……お金のためにやってるわけではないですけど……羨ましいなぁ」
カメラが止まっているからか、切実なお金事情がポロポロと漏れていく。そして支配される金持ち羨ましいの空気。根が善人であるMEMちょがこの手の空気に逆らう事は難しい。救いを求めて自分より遥かに金持ちであろうフリルへと目を向けるが……
「ごめん、参加したいけど私この後仕事なの。お金は置いていくから、みんなで行ってきて」
手荷物を整理すると本当にバッグから財布を取り出す。そこで完全にMEMちょは折れた。
「いいよぉ不知火さん!前にも払ってもらったんだし!今日は私が出すからぁ!お仕事頑張って!」
「ごめんねMEMちょ。お礼に今度キスしてあげる。じゃあねアクア。私の事は気にしなくていいから。焼肉楽しんで来てね」
部屋から出て行く。さて、オレもと鞄に手をかけた時、二つの手がオレの両肩に触れた。背後に立っていたのは鷲見ゆきとMEMちょだった。
「───え?なに?オレなんかした?」
「何もしてないのが問題なの」
「アクたんならきっと知ってるよねぇ?」
一転してアクアが責められる空気。男性陣と黒川あかねはわかっていないようだが。アクアも次にくる言葉が何か、なんとなくわかった。
「女子が特定の個人に向けて気にしないで、って言った時は?」
「気にして欲しい時が多いと思います」
「わかってるなら追いかけなさい!」
「行ってこぉい!」
バシンと背中を叩かれる。言われなくても行くつもりだったのだが。アイツの仕事に帯同するのはマリンの業務の一環でもある。しかし2人から言ってくれたおかげで出て行きやすい空気にはなった。そこは助かった部分でもあるが……
───こうなることまで計算してあんな事言ったんじゃねーだろうな
鞄を背負い直しつつ、トイレに入る。服装を変え、ウィッグをかぶり、現場から出る。4、5分歩き、少し離れたところでスモークが貼られた車が止まっていた。
「遅い」
「ごめん」
後部座席で待ち構えていたのは少し不機嫌顔の不知火フリル。簡易的な変装だが、女の子にしか見えない黒髪の美少女が謝罪とほぼ同時に車の中へと乗り込んだ。
「焼肉、行きたかった?」
「仕事……というより、命の方が優先だ」
車の中に入ったアクアはコンパクトを取り出し、細かい化粧を施していく。待たせている事はわかっていたため、トイレでは最低限の変装しかできなかった。人目につかない今のうちに完全に仕上げておく必要がある。
「だが奢り肉食いっぱぐれたのは惜しいな」
「今度回らないお寿司連れてってあげるね」
「いらねー。見返りが怖い」
「アクアの手作りお弁当一ヶ月でいいよ?」
「長い。せめて一週間」
「二週間」
「
───なんか、バリキャリと同棲してるホストとの会話聞いてるみたい
運転手を務める本来のマネージャー、辻倉麻美は2人のやり取りを間近で見聞きし、そんな事を思っていた。
「今ガチもだいぶ軌道に乗ってきたね」
「役割や立ち位置も大方固まってきたからな」
数回番組を共にしていれば各々のキャラクターや実力は概ねわかる。今、このリアリティショーは大きく分けて4種類に分かれている。
一つは上手い奴。視聴者が求めているもの。キャラクターの魅せ方。立ち回りを心得ている人間。小悪魔キャラの鷲見ゆき。養殖天然ムードメーカーMEMちょ。実質的なMCを務めることでメンバー間を取り持ち、番組を円滑に回している星野アクア。リアリティショーで自身の役割と居場所を獲得しているのがこの三人。
次に立ち回りとか細かいところは出来てないが、素のキャラクターに味があり、人間的に面白い奴。これは熊野ノブユキ。本人は嘘とか苦手っぽいがわかりやすい体育会系熱血キャラ。遠慮のない態度や物言いで積極的にコミュニケーションを取り、男女間の交流を活性化させている。
三つ目は番組映えが悪く、スポットが当たらない人間。ここに入るのが森本ケンゴと黒川あかねの2名。ミュージシャンと女優。2人ともアーティストだからか、こういったトークショーの経験が少ないため、前に出る動きが出来ていない。
不知火フリル:不知火フリル
「以上の4種類が『今ガチ』のキャラクターだな」
「私への説明少なくない?」
「だって、他に表現しようねえし。他とレベル違いすぎて」
立ち位置で言うなら3種類。少し高いところから他のメンバーを見守るのが不知火フリルと星野アクア。番組の中心で活躍しているのが鷲見ゆきと熊野ノブユキ。中心近くで囃し立てるのがMEMちょ。
下の位置から三人のやりとりを見上げているのが黒川あかねと森本ケンゴ。
リアリティショーという若手の登竜門に相応しいタレントが中心に座し、経験不足の2人が追いかける。そしてリアリティショーという枠で収まらない実力の2人がサポート役に回る。このような形で『今ガチ』は纏まりを見せ、バランスを保っていた。
「──電話?」
「ああ、ウチの社長からだ……あ、もしもし。オレ。うん、今日もフリルと仕事。メシいらねーから……え、ルビー?なんでお前が代わる…日曜ルール?仕方ねーだろ仕事なんだから……いや、ヤラセとは言わねーでやれよ。学業優先してくれてんだからこっちにはありがたい話だ。そう怒るな。テレビ局の高い弁当お土産にしてもらうから。じゃあな」
電話を切る。同時に電源も切った。これ以上アイツの相手をする気は起きない。
「日曜ルールってなに?」
「日曜は家族でご飯食べるって約束」
「え?なにそれ可愛い」
「オレもめんどくせーんだけど、アイツが怒るのもわかる。番組始まってから一度も守ってねーからな」
「今ガチ土日収録だもんね」
「さっきもその事でギャーギャー言ってたな。放課後って設定なのにヤラセだなんだと」
「でもリアリティショーって思ったよりヤラセ少ないよね」
「まあ、一部の人間はあからさまにやってるけどな。誰とは言わねーけど」
「あはは。鷲見さんとMEMちょくらいなら可愛いものだよ。少し前ならもっと酷いのもザラだったし」
規制やコンプライアンスが厳しくなり、どこからでも情報が洩れ、誰でも気軽に通報ができるようになった現在。極力あからさまなウソはテレビも避けるようになっている。
「自分をよく見せようなんてこと、人間なら誰でもやってる事だしね」
「合コンとかでもザラだな」
「アクア合コン行くんだ」
「中学までの話だがな」
「じゃあアクアは恋愛する気ないの?」
「今のところ。フリルは?」
「私はアクア次第だよ?」
「こえー」
リアリティショーにヤラセは想像以上に少ない。だからといって全員マジで恋愛しているわけではない。スタンスはまちまちだった。
「鷲見さんは……表向きしてないように見せかけて実はやってるタイプだね」
「MEMちょもな」
「ノブはガチだよね。良くも悪くも嘘つけないヤツだし」
「ケンゴは……カメラ回ると固くなるタイプだから、ねえかな」
「黒川さんは……そんな余裕無さそうだね」
「役割まだ見つけられてねーからな」
あかねは立ち回りというか、嘘が下手だ。リアルを売りにしてるからって、別にありのままでいなきゃいけないことなんてないのに。少しはキャラ作りしてくれればMCとしても楽なんだが。まあ、ゆきやMEMちょほど露骨にやれとは言わないが。
───こればかりは生まれ持った性格だ。オレも一応フォローはしているが……あかねはどうもカメラ慣れしてないっぽいな
「…………ま、オレも他人の心配してる場合じゃねーんだけど」
「炎上下火になったとはいえ、まだまだ足元危ないもんね」
「うるせーな、わかってるからこうしてマリンやってんだろーが」
「……そろそろ現場よ」
唐突に切り替わる話題と空気。しかしこの辺りは流石一流。2人とも一気に仕事モードへと切り替わった。
「行こう」
「ああ」
『今ガチ』程度はこの2人にとってもはや息抜きでしかない。フリルとアクアの本当の仕事は寧ろここからといってよかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。カラオケ大会でフリル様が歌っていたのは早坂愛がカラオケで歌っていたのと同じ曲です。曲を知らない人かぐや様は告らせたい3期のDVDを買いましょう。
それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でもいただければ幸いです。評価コメントも全て目を通してますので、そちらもよろしくお願いします!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
21st take 難易度
どれほど最善を尽くしても行動だけでは意味がない
無責任な助言に耳を傾けすぎてはいけない
貴方のために言っているとは限らないのだから
芸能界トップといえど、毎日忙しいというわけではない。マネージャーがスケジュールを管理し、動けるギリギリで調整しているが、たまにポッカリと空き時間ができる事もある。
不知火フリルも例外ではない。常になんとか空き時間を作ろうと奔走しているおかげでスケジュールに穴が開く日があった。今日もそのうちの一つで、午前の仕事をこなしてしまえば、午後からはオフ。このところウィークデーは学校と仕事。土日は撮影とほぼ休む間なく動きまくっていた。ようやく得られた貴重な休み。思う存分心と体を休めるつもりだった。
「───だからって何でウチでだらけてるのよ」
ベッドの上でうつ伏せになって倒れ伏す金髪の少年に亜麻色髪の美女が呆れたように息を吐く。季節は初夏。夜とはいえ気温は上がりつつある。纏う衣服が薄くなってくる時期。まして自宅、風呂上がりならば尚更。ラフなシャツにホットパンツ一枚の寿ななみの姿は先程までの生まれたままの状態よりある意味劣情を煽る。優美な曲線が強調されるスタイルがハーフトゥルースの下に隠されていた。
「うちに泊まりに来ること自体は構わないけど、せめて前日に連絡してよね。何にも用意してないわよ」
「全然構いませんよ。何も言わずに隣にいてくれるだけで充分です」
───…………またコイツは。
ズキッと来ることを言ってくれる。出会ってから今に至るまで、自分の従姉妹と同じ歳の少年に振り回されっぱなしだ。
「何か飲む?」
「アイスコーヒーで」
「水出しよ?」
「充分です」
冷蔵庫を開き、ポットに入ったコーヒーを注ぐ。振り返るとアクアはまだ突っ伏している。クスリと笑ってしまう。カントル時代を思い出す。作詞で詰まるとよくああしていた。悩んだり疲れたりしている時のお決まりのポーズだ。
「不知火フリルの相手はやっぱり相当キツそうね」
「…………観てるんですか」
「一応。仲間が出ている番組ですもの。微々たる数字だけど、貢献したいと思うのは普通でしょう?」
「ありがたいですよ。1はデカいですから」
気遣いでも、謙遜でもなく、アクアの本心だった。どんな偉大な記録も1の積み重ねなくしては成し得ない。仮にも元バンド仲間でセフレ。少なからず好意はあるであろう相手の恋愛リアリティショーなんて普通観たくないだろうに、観ていてくれてることがありがたかった。
「…………ん?」
携帯が鳴る。LINKからの無料通話。画面表示に記載された名前は黒川あかね。ななみも名前は知っている。彼の今出演している番組の共演者だ。
「アクア」
ベッドで横になっている彼の耳元に携帯を持っていき、通話ボタンをタップする。手の中で僅かに振動が伝わる。彼の鼓膜のみを震わせるソレに応じて、アクアは突っ伏したまま、言葉を返した。
───頼られてるわね、相変わらず
ショーを観ていればわかる。『今ガチ』のエースは現在ハルの妹だが、キャプテンと司令塔は不知火フリルと星野アクアだ。対して黒川あかねはチームの末端。彼を頼りたくなる気持ちはわかる。
───いいな
彼より4年も歳上であり、ずっとお姉さんポジションを取ってきた自分はアクアに頼るということは難しい。甘える事はある。甘やかしてもらうことも。けど、どうすればいいとか、最近これに悩んでいて、とかの相談を彼にした事はなかった。したところでアクアは特に態度を変えないだろう。場合によっては助けになってくれるかもしれない。
けれど、こちらを頼ってくる回数は確実に減る。そんな気がしてならない。
アクアにとっての私の価値は美貌とスタイル。そして芸術に理解のある頼れる相談相手という事。この三つがあるから彼は私を抱いてくれるし、私は彼を抱きしめられる。
───羨ましい
ノーリスクで悩みを打ち明けられる黒川あかねが。彼と一緒に番組を作れるメンバー達が、羨ましい。かつては自分達もやっていた。3人で音楽を作っていた。だからこそ知っている。あの楽しさ。あの快感。あの達成感。もう私が手に入れられない全てをこの電話の相手はまだいくらでも手に入れられる。
手にした携帯を叩き割りたい。そんな暴力的な衝動に駆られる。しかしできない。無防備に、そして無条件に信頼してくる彼の背中を見て、そんな真似ができるわけがない。
指に力が入る。のそりと身体を起こしたアクアを背中から抱きしめる。スマホが私の手から滑り落ちた。
───今だけは……全てをこの腕に。
指先から力が消える。代わりに全身をその無防備な背中に纏わりつかせた。
▼
『アクアさん』
耳に押し当てられたスマホから声が聞こえてくる。声主の名は黒川あかね。リアリティショーの共演者で、同業者だ。
彼女から電話なんて、珍し──くはない。真面目で努力家で、リアリティショーに慣れていない、そして性格的に向いてない彼女にとって『今ガチ』は難しいだろう。故にアドバイスやマニュアルを求めて色んな人に質問してメモを取ってる姿は何度も見てきた。あまり有効に活用できているとは思えないが。勿論オレも例外ではない。むしろ頻度はオレが一番高いと思う。共演者で実質的なMCを務め、現場から全体を把握しているのはフリルを除けばオレが一番出来ている。同業者で異性なのもあって、相談もしやすい相手だろうし、当たり前といえば当たり前だ。
「よう、あかね。どうした?」
『こんばんは、アクアさん。今お時間大丈夫ですか?』
「ああ、問題ない。何かあったか?」
『今ガチについての相談なんですけど……フリルさんとアクアさんが帰られた後の打ち上げで、ちょっと…』
「ああ、アレか。焼き肉美味かった?」
『はい、とても!……すみません。アクアさんは食べられなかったのに』
「気にしなくていいよ。美味かったならソレに越した事はないさ。MEMのヤツはちょっと可哀想だったけどな」
身体を起こす。いつまでも寝そべったままだと発声がおかしくなる。耳に当ててくれていたナナさんの手からスマホを受け取った。
「で?相談内容は?」
『あ、はい。あの後、今後の今ガチに求められているものは何かって話になって…』
「なるほど、で?」
『この数週間で交流を深めるイベントは充分やったから、視聴者としては今より過激なモノが見たくなるって言われたんです』
ソファに移動し、淹れてもらったアイスコーヒーを飲みながらしばらくあかねの話に耳を傾ける。恋愛リアリティショーは安全圏から人と人の駆け引きなどを愉しむ番組。仲が良くなっていく過程はもう充分。ここからは友達以上のやりとりが求められる。意見自体は間違っていない。
『でも過激なものって言っても限度があるじゃないですか。どの程度までならリスクを負えるか、とか……私、その辺りの加減なんて全然わからなくて…』
「オレもわかってるとは言い難いが…」
『そんなっ、あんなに上手く番組回してるのに』
「はは、そう言ってくれるのは素直に嬉しいけどな」
今のところやぶれかぶれがギリギリ上手くいってるとしか言いようがない。今ガチに関してはフリルに助けられてる面もかなりある。オレ1人ならあそこまで上手く出来ていたかどうか。フリルの凄さに引っ張られてオレもなんとかやれてるに過ぎないと、アクアは本気で思っていた。
『どこまでが番組の許容範囲なんでしょう。アクアさんはそういうの、どうやってますか?』
「…………オレの意見でよければ、参考程度に話すけど」
『勿論です!あっ、ちょっと待ってください。メモの用意するんで』
僅かに何かを動かす音が聞こえる。真面目な事だが、少し不快だ。頭以外に記録し、見える化する事は確かに大事だが、この手の芸事は習うより慣れろな部分も多い。オレが今MCの真似事をやれているのは小中時代に重ねまくって身につけたコミュニケーション能力の部分が大きい。畳の上の水練、とまでは言わないが、メモを取ることにアクアはそこまで意味を見出せなかった。
『お待たせしました。どうぞ』
「オレはリスクリターン考える時、基本成功したら、はあまり考えない。失敗したらどうなるか、最悪のケースを常に想定している」
あのPVも、『今日あま』も、今ガチも、もし失敗したらを常に考えていた。たとえミスっても取り返しのつく範囲のリスクだと理解した上で賭けに出た。PVはモブだし、今日あまは元々クソが前提のドラマ。多少クソが増えたところで問題なし。今ガチも無名のオレが炎上したところで余計な反応さえ見せなければ大したダメージはない。
人間生きていればミスはする。大切なのは取り返しのつくミスなのか、そうでないのか。
「その辺見極められるようになるには小さな成功と小さな失敗、自分の中で繰り返して、少しずつ大きくいくしかない」
『小さな成功と失敗を、繰り返す…』
「そう。あかねも無理のない範囲でやれる事、やれない事を作って、一回の収録で一つでいいから挑戦すればいいとオレは思う」
『一つでいいから、挑戦する…』
メモをとってるのだろう。おそらく手書きで。真面目な事だ。録音すりゃいいのに。
「とまあ、オレから言える事はこんなものだけど、参考になったか?」
『はいっ、凄く!さすがです!ありがとうございました!』
「意気込むのはいいが、あんま無理するなよ?ゆきにも言ったけど、頑張らなきゃ出来ないことなんてやらないほうがいいんだから」
『はい。ありがとうございます!勇気出して電話して良かったです!』
「おやすみ、あかね。良い夢を」
『はい、おやすみなさい』
通話が切られる。なんか言ってる傍から頑張っちゃってるな、と少し心配になる。空回りしなければいいんだが。
「まとめ役も大変ね」
背中に豊かな胸を押しつけ、抱きつく亜麻色髪の美女が息を吹きかける。電話に気を取られていた罰か。それとも別の意味でかはわからないが、不機嫌そうだというのはなんとなく伝わった。
「ナナさん」
「ん?なに?」
「ナナさんは今ガチ観てるんですよね」
「ええ、一応ね」
「率直に言ってくれて構いません。どう思いますか?」
客観視。フリルと行動を共にする事で鍛えられてきたとは思うが、それでもオレは今ガチメンバー中枢の1人。主観的視点はどうしても捨てられない。他者から見てどのような意見があるか、オレの分析は間違っていないか、聞いてみたかった。
十数えるほど考え込む。何か葛藤があるのか、少し躊躇っていたが、少しずつ口を開いた。
「リアリティショー自体は面白いよ。今まで超然とした高嶺の花だった不知火フリルの年相応の態度や新しい一面。アクアくんのトーク。2人を中心にメンバー達が上っ面だけじゃなく、仲を深めていってるのがわかる」
そう、リアリティショーの序盤はいかにメンバー達が仲を深めていくか。その過程を見せる事が中心。会話や交流のとっかかりをアクアが作り、そこにフリルが積極的に参加する事で他のメンバーも参加しやすい空気を作っている。リアリティショーの進め方としては模範的と言っていい。
「でも、今ガチの本領は恋愛。誰かを好きになったり、同じ人を好きになってしまったり、そういった駆け引きや心理戦を安全圏から楽しめるのがリアリティショーの真髄。そういった部分は今のところ不足してる。仲良くなったと視聴者に思わせる儀式はもういいから、そろそろエグいのが見てみたいかなって普通の視聴者は思うんじゃない?」
「やっぱり今求められてるのは見ている人をハラハラさせる過激さか」
MCとしては頭の痛い話だ。そういった恋愛頭脳戦は一歩間違えれば人格否定に繋がる。動き次第で放送事故になる可能性さえ充分ある。番組を円滑に回しつつ、誰も批判の対象にならないよう火加減する。考えるだけでうんざりするほど厄介だ。
「1人でなんでもやろうと考えすぎじゃない?」
思考の海に囚われかけていた意識が浮上する。いつのまにか隣に座っていたナナさんが肩に頭を預けていた。
「貴方はスペック高いからなまじ何でも出来てしまう。周りもそれに甘えてしまう。でも、貴方は周囲の期待に応え続ける必要はないの。いつも言ってるでしょ?頑張らなきゃ出来ないことなら、やらない方がいいって」
頑張らなければできないことならやらないほうがいい。このアクアの持論はナナさんから教えてもらったことだった。その通りだと思って守っている。頑張らなくてもできる事を。その代わり全力で。ベストを尽くして。アクアの行動理念だった。
「あの子達だって一応プロなんだし、過保護はためにならないわよ。それに、貴方に人の心配してる余裕はないでしょ?MC役だって常に危険と隣り合わせなんだから」
「…………それもそうですね」
他人に頼るという事をしてこなかった12年だった。アドバイスを求める事はあったし、助けてもらったことも数えきれないほどあったが、オレから誰かに助けを求めた事は少なかった。借りを作るのは嫌いだったし、あまり他人を信用してもいないから。
だが高校生とは言え、カメラの前に立つ以上、彼らもプロだ。自分の身は自分で守ってもらう必要がある。全てをオレの手の上で回そうというのは少し傲慢だったかもしれない。
ソファの上にドカリと座り、天を仰ぐ。いけない。せっかくのオフだというのに仕事のことを考えすぎだ。今日はもう頭を空にしよう。
「アクアくん」
ピアニストらしい美しい両手が顎に添えられる。元々上を向いていた顔が、指の力によりさらに上へと上げられた。
「今日はいつまで一緒にいられる?」
「…………11時くらい、ですかね」
ただでさえこのところ家に帰る事が少なくなっている。フリルのマネージャーバイト始めてから朝帰りなんてしょっちゅうだが、流石に学校サボるのはまずい。ミヤコはともかく、ルビーに不審がられる。アイツはオレの女性関係をまったく知らない(ハズ)。フリルは出来るだけ登校するようにしてるから、明日は登校するはず。オレだけサボったら不審がられて、説明を求められる可能性は高い。そしたら言い訳は難しい。出来るだけアイツには嘘つきたくないし、今日は日が変わる前に帰るつもりだった。ナナさんのマンションからウチまでタクシーを使えば約30分。途中から徒歩で帰るからプラス10分。まあ1時間あれば帰れるだろう。己の欲望に流される事なく、アクアは少し短めの時間を告げた。
「…………そう」
唇を重ねられる。スルリとソファの横に座ったナナはそのままアクアを押し倒した。
「…………せめてベッドでしません?」
「いや。待てない」
覆いかぶさる。アクアもななみの腰をグッと抱き寄せ、濃厚なキスをする。
結局ななみが一度鎮まるまで、2人はソファの上から動かなかった。
▼
春に始まった『今ガチ』も季節の移ろいに沿って番組は進んでいく。
春は親交を深めるためのレクリエーションが多かったが、夏が近づいてくるとイベントを開催する企画が増えていった。
「木陰は涼しいけど、日が出てるところは暑いねぇ」
「真夏じゃないからこれでもまだ気温はマシだけどさ」
「おーい、みんな遅いよー!もっと頑張って!」
「隊列間延びしてんなぁ。置いてくぞー」
「2人が早いんだよぉ!アクたん余裕あるなら背中押してぇ!」
「フリルさんももうちょっとお喋り楽しもうよー。あと出来れば手を引いていってー」
「頑張れゆき!俺が背中押してやるからさ!」
深緑が美しい山のトレッキング。
「ジャーン」
「うわ、さすがゆき。ファッションモデルだけあるね」
「浴衣に合わせて髪型も変えてるし、着こなしが上手いねぇ」
「すっげー可愛いぜゆき!浴衣超似合ってる!」
「ありがと。ノブが選んでくれたお陰だよ」
「…………アクア、普通にセンス良いね。キモい」
「理不尽すぎる。フリルが選べって言ったんだろ」
「もっと面白い感じとか、私にしか着こなせないようなモードなやつ期待してたのに。アクアって意外と冒険しないよね」
「リアリストなんでな。勝ち目の薄い博打はしても、意味のない博打はしねぇよ」
夏の装いをみんなで選び、それぞれのセンスで開かれるファッションショー。
「よーし、着いたー!」
「うーみー!」
「そういうのやるなら皆で揃ってやろーよー!」
「お前ら先々行くなよ。コッチは花火だのスイカだのクーラーボックスだの持ってんだから」
メンバー全員浴衣姿で海へと走っていく。女子達は手ぶら身軽な姿で。男は花火セットや消火用バケツ。アイスが入ったクーラーボックスやスイカを持ってえっちらおっちら歩いていた。
「おー、めっちゃデカい花火あるな。さすが業界のツテ」
カバンから取り出していく色とりどりの花火の中から一際デカいものがそこから出てくる。打ち上げ用の花火だ。普通に学生が買うだけでは用意できないだろう。少なくともアクアは初めて直に目にした。画面映えの良さを狙っての事だろうが、それでもテンション上がってしまった。
「花火ー!」
「スイカー!」
「カレー!」
「アイスー!」
「女子も花より団子か」
今日執り行われたのは前回みんなが選んだ浴衣で行う花火大会。男女の交流機会が本格的に始まり、恋愛の様相を見せていった。
「おーい!とりあえずメシは後にしてまず花火やろーぜー!最初はみんな揃って!」
「アクア、コレどうやって火つけるの?」
「マッチ使ったことねーのか」
「危ないものには近づかさせてもらえなかったの。お嬢様なので」
「ああ、そういやそうだったな。花火も初めてか」
「こんな風に自分の手でやるのはね」
デカい寸胴鍋の前でカレーを作るアクアの元にフリルが寄ってくる。材料は番組が用意してくれている。魚介類が主なシーフードカレー。そこにトマトだの野菜ジュースだのりんごだのを詰め込み、スパイスにもこだわったアクア特製カレーである。
「うわー、めっちゃいいにおーい。アクたんってピアノも弾けるし、料理も上手で何でも出来るねぇ」
「広く浅く色々やってるだけだよ……よし、あとはしばらく煮込むだけ。ほら、フリル、花火つけてやる。手で持って」
棒状の花火にマッチで火をつける。しばらく何も起こらなかったが、パッと弾け、凄まじい化学反応が巻き起こった。
「わっ、凄い。光ってる」
「そりゃ光るよ。花火だぞ」
「ははっ、凄い!煙くさい!火事みたい!」
「こらこら振り回すな人に向けるな!熱い熱い!」
「ははは!逃げ回るジョバンニ可愛い!今すごく楽しい!」
「このカムパネルラ、ドS通り越して猟奇的すぎる!怖え!」
「アクアくーん、カレーもう食べていーい?」
「鍋見たいからこの放火魔止めろぉ!」
「あははは!」
それぞれが花火を楽しみ、食事を楽しみ、思い思いに過ごす中、ノブとゆきがイベントを通して急速に接近していく。
「ゆきちゃん、上手いなぁ。どの男子とも仲良くなって、フラグ立てしつつ、一番良いところをちゃっかり食べてる」
アイスをかじるフリルが独り言のようにゆきを評価する。実際上手い。序盤はアクアにも接近していたのだが、フリルとのカップリングが進んでゆき、相手が悪いと悟ったのか、すぐさまノブに切り替えた。賢明な判断だ。不知火フリルと正面から争うなど、アクアでも避けただろう。今フリルと渡り合えているのはお互い協力関係にあるからだ。
セレクトもいい。男子の中ではアクアの次に人気を得ていて、番組の中心になりつつあるノブの恋愛模様は番組的にも欲しかった画のはずだ。
番組序盤、早々と出来上がったカップリングであるアクアとフリルより、初めて知り合い、交流を深め、友達からカップルになっていくプロセスを撮れる熊野ノブユキと鷲見ゆきが番組の中心になり、最も目立つ位置に立つのは当然だった。
そして番組映えが悪かった森本ケンゴもノブの恋敵役として役割を獲得する。
ゆきを巡るノブとケンゴの三角関係が成立する事で、視聴者が求めていたハラハラドロドロの恋愛模様がスタートしていた。
ゆきはケンゴとノブにはボディタッチ多めで思わせぶりな態度を。アクアにはフリルが居ない時に誘惑するような少し大人なアプローチを仕掛けてくる。まさに小悪魔な彼女のキャラクターのおかげで番組が盛り上がっている。恋愛面だけで言えばフリルより貢献度は高いかもしれない。自分が目立ちながら視聴者の需要、番組の要求に応え、ゲームメーカーとして機能する。とても難しい事だ。少し前ならアクアにすらできなかった。
「確かに上手いな。近くに優秀なブレーンでもいるのかもしれない」
てか、ハルさんがアドバイスしてんだろう。あの人はこの手のことに関しては多分フリルより上手い。
「私たちも、そろそろ関係進めない?」
「進めない。いいだろ、もうしばらくは普通の放課後楽しむだけで」
花火を手渡す。自身が手にしている煌びやかな閃光を撒き散らす炎からフリルの花火に火をつけた。
「───ホント、アクアってずるいね。そんなこと言いつつ、こんなカップルっぽいこと平気でしてくるんだから」
「オレ達のカップリングも求められてるものの一つだからな」
「アっくーん!そろそろメインの一番デカいのやろうぜー!」
「打ち上げ花火?近くで見たい」
「バカ、フリル!危ねぇから離れろ!こういうのはちょっと引いたところから見るものなの!」
腕を引っ張り、勢い余って抱き抱えるような形になる。2人で砂浜の上に倒れ込んだ次の瞬間、夜空に光の華が咲いた。
『おお!』
そっと手を繋ぐノブとゆき。抱き抱える形で砂浜の上に座り込み、空を見上げるフリルとアクア。その様子を光の華の残滓が照らす、幻想的な一枚が締めくくったこの回は各所でバズり、大きな反響を呼び、トレンド上位に入った。
フリルが火をつけ、ゆきが油を注ぎ、アクアが火加減を調節する。観客への意識を理解する3人が番組を盛り上げ、中高生を中心に『今ガチ』は人気を獲得していった。
▼
「アクたんはいいのぉ?ゆき争奪戦に参加しなくって」
花火大会から数週間後。ロケが終わり、帰路に着くバンの中、隣に座っていたMEMちょが話しかけてくる。『今ガチ』は朝からの収録で、今は夜。今日は一日中動きっぱなしでメンバー達は疲れて眠っていたが、日頃色んな場所で鍛えられているアクアと、メンバー最年長のMEMちょはまだ余裕があるらしく、起きていた。
「今日は不知火さんいなかったんだしぃ。鬼の居ぬ間に浮気ムーブは見てる分には面白いよぉ?」
そう、今日の収録にフリルはいなかった。本人も最初に言っていたが、仕事の都合上、フリルは毎回出演できるわけではない。今ガチなんかより優先度の高い仕事はいくらでもある。それでも出来るだけコッチを優先してくれていた。オレのバイトも今ガチの収録には穴を開けないよう割り振られている。フリルが居ない時、オレはMCを務めつつ、孤高のイケメン俳優的ポジションで、ゆき争奪戦を眺めていた。
「バッカ。トライアングルまでは意外と人間関係単純だけど、四角以上は一気に複雑になって、立ち振る舞いの難易度も跳ね上がるんだよ。わざわざそんな見えてる地雷に突っ込む気はないね」
「ドラマとかで四角以上とか普通にあるけどぉ?」
「アレは作家という神が都合よく複雑になる部分を曖昧にしてくれてるから成り立っている。現実はそうはいかない。ご都合主義も残酷な現実も、全て平等に、ありのまま降り注いでくる」
ドラマだってある程度リアリティのある脚本にはしてくる。だからご都合主義的展開が現実で起こることもゼロではない。しかし、ドラマでは楽観も、非情も、作家という神の手で調節されている。現実ではそうはいかない。目の前で起こるリアルが全てなのだから。
「さすが役者さん。考えてる内容が脚本っぽいねぇ」
「役者ってのは演者であると同時に作家だ。自分の役のストーリーを組み立てる必要がある」
台本を渡され、読み込み、役のキャラクターを自分なりに解釈する。そして物語の中で、キャラクターのストーリーを創作する。役者誰もがやっているわけではないが、コレをしているしていないで演技の質はめちゃくちゃ変わる。解釈が一致しない場合もあるが、それでもいい。間違っていたら監督が違うと言ってくれる。だが注意すらされなくなったら役者は終わりだ。
「でもまぁリスク犯したくないってのはわかるなぁ。私も天然おバカキャラで癒し枠キープできれば充分だし」
「そう、オレ達はいいんだ。今このリアリティショーの中心はあいつら三人の三角関係。オレは女の奪い合いしてるあの二人を斜めに見てる孤高の俳優。そしてメムはバカ故にオレの人を拒む空気を読まずにグイグイ来る天然キャラ。オレもお前の馬鹿につられて少しずつ壁を無くしていく。フリルが居なくても番組内で役割とストーリーが成立している」
「でも、まだ自分の役割が成立していない人は……私達なんかよりずっと心配だよねぇ」
誰のことを言っているかはわかる。恐らく真面目ゆえに演技の勉強以外ほとんどせず、人間関係の訓練をしてこなかった黒川あかね。舞台なら役は与えてもらえるが、リアリティショーはそうはいかない。役は自分で作らなければいけないのだから。
「変に焦ったりしないといいんだけどねぇ。何かアドバイスしてあげたらぁ?同じ役者さんなんだしぃ」
「一応言えることは全部言った。ここからどうなるかはアイツ次第だ」
「アクたん、やっぱりスーパードライ」
「人生二周目ですから」
「謝るからそれやめてよぉ!言ってないってばぁ!」
肩をポカポカ叩かれながら、星の瞳の少年が嗜虐的にカカカと笑う。同乗していたカメラマンがその様子を撮影してる事に、2人とも気づかなかった。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
祝!推しの子アニメ化決定!
いつかするだろうなと思ってましたが、内容暗いから難しいかなと考えてたらやっぱりしました!とても楽しみですが、声のイメージ、筆者と公式が違ってたらどうしよう。重曹ちゃんだけは皆さんと一緒だと思いますけど。誰のマキちゃんとは言いませんが。
ついでに拙作お気に入り千件突破しました!ありがとうございます!とても嬉しいです!
それでは今後も感想、評価よろしくお願いします!面白かったの一言でもいただければ幸いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
22nd take ダブルミーニング
降りていないステージに上がってしまうだろう
意味が異なる同じ音を冠する言の葉に気をつけなさい
死神の囁きは嘘をつかず、真実を語らないから
私はずっと演技の勉強をしてきた。
親に勧められて子役の世界に入り、初めてオーディションを受けた。その中には私が最も憧れ、ファンになり、この人みたいになりたいと心から願った人がいた。
「私はアンタみたいなのが一番嫌い」
憧れて、この人みたいになりたくて、勇気を出してこの世界に足を踏み入れたのに、初対面でこの人は、私が真似して身につけた帽子を地面に投げ捨てた。
「私の真似なんかするな」
私が憧れた人は表舞台から姿を消していった。細々と活動しているのだけは知ってたし、しばらく追いかけてもいたのだが、ピーマン体操とか、楽曲とか、演技に関係ないピエロみたいな事に力を入れているのを見て、失望した。
私は、かなちゃんみたいな事はしない。
私が人生で唯一褒められ、才能があると言ってもらえたこの演劇の世界でスポットライトを浴びて見せる。ずっとそう思っていた。
その努力の甲斐あって、舞台劇の世界では一流と呼ばれる劇団ララライに入る事を許され、少しずつ大きな役を貰えるようになり、最近ではエースと呼んでもらえるようになった。
でもそれはあくまで板の上だけでの話。舞台劇の世界はハッキリ言って広くない。エースと呼ばれるようになっても世間にはまるで認知されない。劇団で力をつけ、テレビドラマや全国で放映される映画に出演できるようになって初めて、舞台役者は名前を売ることができる。
───このまま、舞台の上に立ってるだけで、いいのかな
劇団での仕事が良くも悪くも安定し始め、他のことを考える余裕ができ始めた時、マネージャーが話を持ってきてくれた。
「あかね、コレ、やってみないか」
恋愛リアリティショー『今ガチ』。高校生達のリアルな恋愛模様を撮るトークバラエティ。ハッキリ言って気は進まなかった。こういうの得意じゃない自覚はあったし、演劇以外のことをやるのにも抵抗があった。だって私がコレに出るということは、かなちゃんの活動を肯定する事になってしまう。
───やっぱり、私は演劇で頑張りたい……
「トーク苦手なのは知ってるけど、コレならまだやりやすいんじゃないか?キャストもみんなあかねと同年代だし。同業者もいるみたいだぞ、ほら」
マネージャーが冊子を渡してくる。出演者やコンセプトが纏められている資料らしい。ほとんど無意識に手に取った時、ちょうどキャストの一覧のページが開かれた。
「……星野、アクア」
その名前が目に止まる。つい最近見たばかりだ。忘れられるわけがない。
地獄のネットドラマ『今日は甘口で』。基礎もできていないキャスト達の中で唯一演技ができるかなちゃんも周りに合わせて作品が破綻しないためにワザとヘタな演技をしていた。途中で見る気なくなりそうだったけど、かなちゃんが出ているから最後まで見ようと思った。この人なら何かどんでん返しをしてくれるんじゃないか、と思っていたのは元ファンの期待だったのかもしれない。
しかし、終盤に至るまで何の変化もなかった。演技ナメてるとしか思えないモデル上がりで作られたドラマは最後までクソのまま。かなちゃんも大人の都合と番組のために自分を殺し続けていた。
───もう、観るのやめよう。
これ以上観たくない。かつて……いや、多分今も憧れて、復活を心のどこかで待ち望んでいたけれど、これ以上役者として落ちていくかなちゃんを観たくなかった。もうすぐ原作の名シーン。ストーカーと主人公の対決までクソにされるのは嫌だ。停止ボタンをクリックするべくカーソルを動かす。あと3秒あれば、ウィンドウが全てオフになっていただろう。
ピチャン
暗闇の中から響いた水の音。今までになかった演出の妙に思わず手が止まる。音源を見るがまだ何も見えない。薄暗い倉庫の闇に紛れているせいで、そこに誰かいるのだけはかろうじてわかったが、それ以外何もわからない。
だからこそ、目を惹かれる。
───……一体なにが
暗闇から現れたフードの男。その顔は陰で隠れていた。歩くたびに雨水が踏みしめられる。水音で彼の存在感は強調されているのに、未だ顔が見えない。故に目が離せない。止めようと動かしていたカーソルの事など忘れてしまった。食い入るように画面を覗き込んでいる。
───コレは、暗闇のせいだけじゃない
かつてのかなちゃんを周り全て食べちゃう太陽とするなら、彼は全てを闇に塗り潰すブラックホール。人を、目を、意識を惹きつける魔性のオーラを纏い、闇への恐怖と関心を掻き立てる悪魔の演技。ストーカーという悪役。主人公より目立ってはいけない。事実彼は目立っているわけではない。目を引き寄せられるけど、顔すらまだハッキリわからない。
雨水や逆光を利用して存在だけは強調しているけど、それ以外は人の心の闇を演出する事だけに心がけている。
全ては闇の中で主人公とヒロインを輝かせるために。
───この人はやろうと思えばこのモデルも、かなちゃんでさえ闇に塗り潰せただろう
けれどそれをすればドラマが破綻する。だから敢えて抑えている。自分のオーラを周りのためだけに使っている。
シーンは進む。主人公に襲い掛かり、罵倒を浴びせるストーカー。毅然と立ち向かうヒーロー。今までになかった熱が現場に灯る。観ているこちらの手がいつのまにか強く握り締められていた。
『……それでも、光はあるから』
かなちゃんが流す一筋の涙。10秒で泣ける天才子役の得意技。完璧なシナリオと演出だった。その核を担ったのはかなちゃんでも、監督でもなく、名もないストーカー役の少年である事は玄人の目で見れば明らか。
今までになかった唐突な変化。これは監督などの裏方の意図ではない。恐らくこの役者さんの独断。作品のため、かなちゃんのため、何より自分のために、ネットドラマを私物化した。
なんて身勝手。なんて圧倒的。周りを無理矢理引き上げて、自分のレベルに無理矢理合わせた。
チームや現場には、それぞれの水がある。
現場のルール、暗黙の了解、合理性、自由度、さまざまな要素が絡み合い、一つの水を形成する。プロの世界とは常にその水の中で行われる椅子取りゲームだ。
水の中で生きる手段はいくつかある。水が合わないと嘆き、
自分色に水を染めるか。
そんな事ができる人間は少ない。若手でそれができる人間など不知火フリルくらいだろう。天才と謳われる黒川あかねすら、水に適応した上で進化してきた。
しかしもう1人いた。同年代に、自分好みに水を変えられる人間が。
「星野……アクア…!」
この人がリアリティショーに出る。私と同じ役者で、私より長くずっと演技の勉強をしている人が。
会ってみたかった。会って話がしたかった。面識がない人と会話するのって、結構苦手だけど、演技の話なら無限にできる。この人は必ず演技に情熱を持っている人だ。会いたい。会って話したい。貴方はどういうタイプの役者なのか。今後の展望はどう考えているのか。舞台に興味はあるのか。考えれば考えるほど聞きたいことが湧き出ていった。
最初の顔合わせでは気後れして話しかけられなかったけど、直に会って、隣に立つ事はできた。
───綺麗
太陽を眩く反射する艶やかな蜂蜜色の髪。整った顔立ち。煌めくような輝きを宿す瞳。全てが美しい。
そして何より、全てを引き込む、魔性のオーラ。
何もしていない。ただ立ってるだけで目が引き寄せられる。
こんなことを感じさせられたのはかなちゃん以来だった。
そしてリアリティショーが始まった。最初の打ち合わせの時、ようやく話をすることができた。やっぱり子役から長く役者をやってる人で、この10年は下積みに費やしていたらしい。
───もっと色んな話が聞きたいなぁ
しかし、話をする機会はゴッソリと奪われる。なんとあの不知火フリルがアイドルの代打として今ガチに参加を発表したのだ。
初めての撮影の時、誰もが固まってしまった。何を話せば良いのか、誰にもわからなかった。誰もが不知火フリルという大炎に飲み込まれていた。
たった1人を除いて。
「ようフリル、千年ぶり」
気後れした様子など微塵も見せず星野アクアは彼女の前に座り込む。板に水が流れるようなトークでフリルとコミュニケーションを取り、現状の説明を行い、他のメンバー達との交流まで促した。
───凄い
まるで魔法を魅せられているかのようだった。自分とのあまりのレベルの差にただ立ち尽くすしかできなかった。
けれど、立ち尽くしている間にもリアリティショーは進んでいく。フリルさんとアクアさんが中心になってイベントを企画し、実行するのは他のメンバー。2人は盛り上げ役に徹していた。しかしそれ故にカップリングが成立し、アクアさんと話ができる機会はグッと減った。
不知火フリルというスター。そのスターと渡り合う星野アクアという新星。2人が盛り上げる熱に乗って引き上げられていく鷲見ゆき。恋愛リアリティショー『今ガチ』はもう不知火フリルだけで注目される番組ではなくなった。中高生を中心に、ネットバラエティでは社会現象を巻き起こす人気番組へと変貌していく。
けれど立ち尽くしてるだけの私が、目立つはずもなく……
「お前はクビになりてぇのか!?あぁ!!」
大気を震わせる怒声が事務所中に響く。当然私の鼓膜にも届いていた。責められているのは私のお世話をしてくれているマネージャー。
「不知火フリルのお陰で注目されまくってるリアリティショー!大チャンスだってのにこれっぽっちも目立ってない!総出演時間10分もいってねぇんじゃねえか!?ああ!?どういう指導してんだお前は!!」
「ですが社長、慣れない仕事であかねも頑張って……」
「頑張るだけじゃ金にならないんだよ!他にもやりてぇって奴は山ほどいる中で選んでやったんだ!爪痕残せ!星野アクアを見習え!鷲見ゆきに取って代わるくらいのことやってみせろ!」
何も悪くないマネージャーが罵声を浴びせられている。私のせいで。
「マネージャー、ごめんなさい」
「あかねは精一杯やってるんだ。気にしなくていい。防波堤になるのも俺の役目だから」
私のマネージャーは優しい人だ。どれだけ責められても私を責めることなんてしない。でも、その優しさが辛かった。少しくらい私の事も責めてほしかった。でも、今の私は責められるレベルにすら達していないんだ。
「私が、不甲斐ないから…」
申し訳なさで両目から熱い雫が流れる。自分のせいなのに泣いてしまうこの状況すら情けなかった。
「頑張らなきゃ……頑張って、アクアさんを見習って、ゆきちゃんに取って代わるくらい、爪痕残さなきゃ……!」
今ガチ収録中に記録したメモ帳を取り出す。みんなで話し合ったことやアクアさんに相談した内容が書き留められていた。
今求められているのはカゲキなもの
それから私はすぐにアクアさんのことを調べた。彼を見習って、その技術やトークをトレースするために。
フリルとの炎上騒ぎがあり、SNSで出演作が晒されていたこともあり、アクアの足跡を辿るのは難しくなかった。デビューは子役。とあるホラー映画の子供の案内役。かなちゃんが天才子役と呼ばれていた全盛期の映画だったため、少し探せばすぐに見つかった。
それからポツポツと名前もないちょい役で出演していることも知った。マイナー過ぎて出演作全てを見る事はできなかったけど、考察するには充分な情報が手に入った。
「特徴的なのはやっぱりあの瞳。そしてオーラ。どうやって身につけたんだろう?自信からくるもの?でも瞳はともかく、あの魔性のオーラを纏うようになり始めたのは『今日あま』から……なにかキッカケ掴んだのかな?」
図書館やネットカフェで情報を精査する。興味を持った人間や学びたい何かを持っている人の考察は昔からよくやっていた。与えられた役の理解にも使っている。
「トーク力やMCスキルの高さから、友人関係は豊富だと思う。恐らく女性経験も。思春期にありがちな異性への気後れもなし」
考察した内容を紙に書き出し、ペタペタと壁に貼っていく。コレなら一々ページを捲らなくても一目で読める。
「家庭環境はどうだろう……多分悪くはない……でも複雑そうだな。社交的だからわかりにくいけど、人と線を引いてるところがある。少し人間不信のきらいもあり、と」
ペタリ
「愛情の抱き方に何かしらのバイアスあり」
ペタリ
「秘密主義者にして完璧主義者、行動は破天荒に見えて実は計画的、けれど所々で破滅願望のようなものも見受けられる、ファッションは無難だけど知識とセンスはあり流行を追いかけて勉強してる、金銭感覚はどちらかというと浪費傾向、視力は良い、精神的になんらかの障害がある模様、恐らく幼い頃に心的外傷を患ったと考えられる、思春期の間に性交渉を経験した少年特有の性価値観、教育レベルは一般程度だけど地頭は良い、完璧主義と秘密主義は5歳辺りから顕著に見られる、何か強い悪意に晒されたのかな、PTSDの理由もここにあると考えられる、破滅的行動については改善の傾向なし、しかしそれがあの遠慮ない態度と物怖じしない度胸を作り出している」
ペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリ
次々とアクアの情報と推理があかねの自室の壁に貼られていく。その全てが的確で家族や本人すら自覚してないモノまで言い当てられている。第三者がこの光景を目にすれば恐怖を覚えるだろう。それほどの考察力とプロファイリング能力だった。
───でも、今アクアさんからMCの立場を奪うのは難しい…
番組ももう中盤から終盤。ポジションが定着してしまったアクアとMCを争ってもほぼ勝ち目はない。ヘタをすれば不知火フリルも敵に回す。それは避けなければいけない。見習うのはあの人を引き込むオーラとトーク力。そして対立するならアクアではなくゆき。
「……頑張らないと」
そして土日がやってくる。一般人にとっては待望の。しかし黒川あかねにとっては緊張と試練。そして人生の転機となる…
『今ガチ』収録日である、土日が。
▼
「アクたんアクたん」
ケンゴとカードゲームをやっていると声を掛けられる。手にはスマホとカメラ台を持っていた。
「なに?」
「番組公式アカウントに動画アップするから、撮影手伝ってぇ」
「えぇ……めんどくさい、なんでオレ」
「だってダンス動画だし。アクたんならこれくらい踊れるでしょ?」
「そういえばメムは元々ティックトッカーだっけ?」
「そそ、当時は広告収入も投げ銭もなかったからユーチューバーに転身したんだけどさ。アクたんもなんかアップしなよ。せっかくマルチな才能持ってるんだから」
「無理無理。顔も名前も知らねえやつのためにこんなマメにはなれねぇよ。かえってストレスになる。絶対放置する。向いてない」
カントルでもこの手のSNSにはノータッチ。完全にハルさんに任せていた。その代わり作詞を頑張っていたのだからトントンだが。
「ダンスならノブに頼めよ。本職だろ」
「ノブくんは……今ちょっとねぇ」
チラリと視線を向ける。その先にはゆきと絡むノブ。そしてそこに加わるあかねの姿があった。
「………なんかあかね雰囲気変わったな。暗いっつーか、怖いっつーか……でも目が離せないって感じで」
目の色も以前と違う。横顔だけならいつもと同じに見えるのに、正面から見据えると引き込まれる。左目に暗い星の光と引力を感じた。
「まるでアクたん見てるみたいだねぇ」
「………オレ、傍から見るとあんなか?」
「本人はああいうのわかんないんだよねぇ。でもアクたんの方がだいぶ怖いし不気味だけどぉ。簡易トレースって感じかなぁ」
完全なキャラ被りは避けている。当然だ。この手のトークショーで共演者の丸パクリはNG。が、明らかにアクアの面影を感じさせるトークとオーラ。どちらもアクアが長年かけて培ってようやく習得したもので、簡単に真似できるものじゃないはずなのだが。
「………もしオレのキャラを演じているんなら、役者としては優秀だな」
「ノブにアタックかけるあたり、あかねちゃん攻めてるねぇ」
「攻め方自体は間違ってない。女子同士の対立は番組的にも欲しかった絵だろう。キャラも立つし、番組の中心に落下傘降下するわけだから、間違いなく目立つ」
でも本人がそれをいまいちわかってない。根が善人だから、悪役ムーブに徹しきれてない。とゆーか今まで悪役感出してなかったあかねがいきなり悪女をやろうとしても見てる側としてはなんだコイツみたいになってしまう。悪役だと自覚しているからこそ回避できる地雷もあるんだが。その自覚がなければいずれ踏み抜く。
「焦ってるな。エゴサでもしたか。ほっときゃいいのによ、あんなの」
「アクたんはエゴサしてないの?」
「名前も顔も知らない誰かのために役者やってないからな」
「芸術家肌で唯我独尊何様オレ様王子様なアクたんならそれもアリなんだろうねぇ。でもあかねちゃんは真面目だからこそ、意見は全部見てるはず。良いのも、悪いのもね」
そして、今SNSであかねに好意的な評価は少ないだろう。焦る気持ちはわかるが…
「じゃ、アクたん。動画撮るよ。カウントダウンでミュージックスタートさせるから」
「わかったわかった。メム、曲は?」
「これこれ。踊れる?」
「………一通り見せてくれ」
「りょ」
その後SNSで少しあかねのことも話題に上がるようにはなった。
そういやいたわこんな子
あかね別に居てもいなくても同じじゃない?
接し方がアクアの劣化コピー。見てて痛々しい
好意的なモノは少なかったが、話題にすらなっていなかった頃と比べれば確かに前進している。メンバーであれば、その頑張りはわかるモノだったが……
「あかね。最近焦ってる?」
あかねの爪を研ぎ、ネイル加工していたゆきが、誰もが思っていたことを遂に尋ねた。
「放送も終盤差し掛かるしね、気持ちはわかるけど」
「別にそんなんじゃ……私はただ、どうにか目立って、結果を残したいだけで」
「………そっ。でもそうはさせないよ」
ピンセットを軽く振る。ラメの輝きがあかねを襲った。
「私は私が一番目立つように戦う。毎回来ないフリルさんや潤滑油役のアクアよりも目立ってみせる。悪く思わないでね」
強がりでもなく、不遜でもない。結果を残してきたものだから言える言葉に、あかねは気圧され……
「こら」
アクアは丸めた雑誌でゆきの頭を軽く叩いた。
「不必要に煽るな。仲良くしろ。オレやだぜ?女の喧嘩の仲裁なんて」
「みんなのお兄さん役は心配性ね」
「あかねも。あんまりキャラじゃねーことやるなよ?言ったろ?頑張らなきゃ出来ねぇことなんてやらない方がいいって」
「………すみません」
「ね、アクア。ネイルやってあげよっか?」
「男がやったら気色悪いだろ」
「そんな事ないよ。男子でもネイルやってる人いっぱいいるよ?ネイリストのお姉ちゃんも言ってたし」
「お姉さんディーヴァって言ってなかったっけ?」
「昔はね。今も夜にバーとかで歌ってるらしいけど、本職はネイル」
演技でなく心から楽しそうに笑うゆきとアクア。エゴサしてみても2人の評価はあかねとは比べ物にならない。ゆきは可愛いとか性格良さそうとかで溢れている。アクアは直裁でエグい物言いをするから、批判する人もいるけど、それを遥かに上回る高評価がある。
アクアはズケズケ物を言うけど言ってることは正しい。
MEMちょへのフリとツッコミがえぐい。
心の傷にいい感じに塩胡椒塗りたくるのオモロ。
クールで嘘つかないからアクアの言うことは信用できる。
など、有○やマツ○デラックスのような、遠慮のない毒舌ツッコミキャラとしての地位を確立している。
───なんでゆきちゃんやアクアさんとはこんなに違うんだろう。同じ女子、同じ役者なのに…
フリルさんが収録に来ていない日ですら、ゆきと絡んで番組の中心にいるアクアに苛立ちが募る。ピアノも、トークも、演技力も、美貌も持ってて、この上人気まで持っていくのか。ゆきもアクアに乗っかって、あわよくばフリルさんからアクアを取る事も企んでるかもしれない。2人共なんて強欲。なんて傲慢。この人達はきっと今までの人生でこんな劣等感を抱いた事なんてないんだ。器用になんでも出来て、才能と実力に溢れるこの2人は…
「アクア、久しぶりにピアノ弾いてよ。昔お姉ちゃんがバンドでやってた曲なんだけど」
私の身体を押し退けてゆきがアクアの腕に抱きつく。その時、ぷつっ、と何かが切れた。
「やめてよ!」
押し退けてきた腕を押し返すように手を払う。何かに引っかかった感触が僅かにあったが、服か何かだと思った。
「そうやってすぐいろんな男に引っ付いたりしてやり口に品がないよ!アクアもアクアだよ!フリルさんのこと……は……」
激昂するあかねだったが、周囲の空気が凍りついていくことに気づき、言葉が止まる。
爪とは人体で2番目に固い部位である。まして限りなく爪に近い加工品である付け爪やネイルは本来の爪を庇護するため、さらに硬く、鋭利に造られており、人間の頬程度であれば容易に切り裂く凶器となり得る。
目を開くと片腕を大きく広げたアクアの頬から赤い雫が滴り落ち、あかねの指は鮮血で染まってていた。
「いったん撮影止めます!」
「……って」
カメラが止まったことを確認するとアクアが指で血を拭き取り、軽く舐める。痛いと口にして、凍った時間がようやく動き始めた。庇われたゆきがハンカチを取り出し、アクアの血を拭き取る。しばらく誰も言葉を発することができなかった。
「………あかね、怪我ないか?」
「あっ……う……」
「良かった。付け爪が変に引っかかって生爪剥がれるなんて珍しくないから」
「そんなことより!アクア!大丈夫!?ごめんね!私がぼーっとしてたから!」
「なんでゆきが謝る。ヘーキヘーキ。お前が怪我してたことに比べればなんてことないよ」
人に聞こえる音量で会話するのは出演者達のみ。しかし、動き始めた時間の中、関係者達の囁き声は重なり、鼓膜を震わす声量になった。
「俳優の顔にそれは……」
「アクアくん、雑誌の撮影オファー来てるって話じゃなかったっけ?」
「おいおいおい……」
騒然となる現場。加害者を追い詰める空気。やってしまったことへの罪悪感。その全てがあかねの精神を限界に追いやった。
「わた……そんなつもり……ちが……」
「おい、あかね」
「ごめ……でもっ……!」
ぽすん
アクアの手があかねの頭の上に置かれる。綺麗に整えられた艶やかな黒髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、鷲掴みにした頭をグラグラ揺らした。
「………少しはぐちゃぐちゃになったその脳みそ、落ち着いたか?」
「アクア……さん」
「言っとくけど慰めねぇよ?爪痕残したいとは聞いてたがリアルに残してどうすんだ。人の忠告聞かないからこうなるんだ。少しは反省しろ」
「忠告…?」
「頑張らなきゃ出来ねぇことなんてやるんじゃねぇよ。ああいう悪役ムーブ、お前に向いてねーんだ。根が正直者で善人なんだから。メムと違って」
「…………え、ちょっと待って。なんか突然コッチが斬られた。どういう意味ぃ!?私だって善人だよぉ!?」
「人のこと実年齢アラサーとか、人生二周目とか、ウソでも言えるキャラじゃねーんだから」
「アクたんは私でオトさないと気が済まないのぉ!?私だってどっちも言ってないからねぇ!?」
カカカと朗らかにアクアが笑った事でようやく全体の空気があかねを責めるモノから、なごやかな状態になる。さすがにあかねは笑っていなかったが、ようやく涙は止まった。
「アクア、さん……」
「ああ、雑誌撮影なら気にするな。元々断るつもりだったんだ。向いてねーから」
もう一度傷を指で撫でる。なめとった血で染まった赤い舌と唇を見たあかねは加害者であるにもかかわらず、その美しさとオーラにぞくりと寒気が走った。
「ケン、どう今のオレ。かっこいくね?」
「それを言わなきゃマジでかっこいーのにな」
「どうだあかね。オレはちょっと怪我しようがかっこいいんだよ。この程度の傷でオレの仕事の心配するなんざ、10年早い」
「ごめん……ごめんなさい…」
「オレに謝る必要ねえって。勝手に首突っ込んだだけだし」
「ありがとうっ、ございます…っ」
「礼を言うのはどっちかっていうとゆきじゃねぇか?庇ってやったのに何にもないし」
「口挟める空気じゃなかったでしょ!?もちろん感謝してるよ!?」
「はい、そんじゃ後は本来怪我させてて、本来謝らなきゃいけない2人で話し合え」
トンと背中を押し、ゆきの方へと追いやる。お互い抱き合ってゆきはあかねへの理解を示し、あかねは涙ながらにゆきへと謝罪した。
▼
「で、そんな立派な傷作ってきたわけだ」
フリルの事務所、泣きぼくろの少女の対面に座るアクアはバツが悪そうに顔を背けている。顔を合わせた時、傷のことを隠そうとしたアクアは頬に貼り付けられたバンソーコーをフリルに無理矢理剥がされていた。超痛かった。
「庇うにしても顔以外で受けられなかったの?腕とか肩とか色々あるじゃない」
「咄嗟だったんだよ、反応するので精一杯だったんだ。寧ろ今思い出してもよくゆき庇えたなと我ながら感心するくらいなんだから」
「でも、傷が治るまではマリンは無理だね」
そう、今日はこのことで謝罪に来ていたのだ。マリンとアクア。別々の人間の同じ位置に同じ傷がある場合、身バレの確率は跳ね上がる。化粧でなんとかならないかなと試したが、ファンデーションを塗った瞬間、激痛が頬を襲い、メイクで隠すのは無理と断念。肌テープとかでも完璧には不可能。もういっそ開き直るかとも思った。同じ位置に同じような傷があっても男と女が同一人物と思われることなどまずない。
けれど、万が一はある。フリルの仕事にマリンが付き添うようになったのは今ガチが始まった時とほぼ同時。そこまでなら偶然で片付くが、もし2人が同じ場所に怪我をしていると誰かが気づいたら流石に偶然では済まされない可能性は高い。マリンとアクアって同一人物じゃない?と噂が立つだけでもコッチはアウト。細心の注意を払う必要がある。
「あーあ、今度私が出る学園ドラマ。文化祭の背景で歌ってる人にマリンねじ込もうと思ってたのにな」
「………なんて恐ろしい事考えてんだお前は」
「仕方ない。私との共演はもっと然るべき場で…………あ」
スマホを覗いていたフリルの口から感嘆詞が漏れる。しかし感嘆というにはどう聞いてもトラブルの色が聞こえた。
「………なんだ、今のヤバそうな『あ』は」
「私達に何かあったって訳じゃないけど……あかねが今ガチのアカウントで謝罪文投稿しちゃってる」
「………あの真面目バカ。オレの時見てなかったのか」
つい力が入って。カッとなって。誰にでも起こりうるありふれた些細な諍い。当事者同士が話し合い、許し合ったのならば本来はそれで終わり。後は他人が口を挟めることではない。
しかし、残念なことに、現実はそうはいかない。あの放送は公共の電波に乗ってしまっている。幾千幾万の目に触れてしまう。大衆の最大にして最後の娯楽である『批判』に飢えている人間達の目に。
そんな人間達の口を綺麗な物語で封じることなど、できるはずがなかった。
「爪痕を残すほどの傷を作ってしまった時、傷付けた人間にも痛みはできてしまう」
未だ胸元に僅かに残る傷跡を服の上から握りしめ、利き手を広げて空に掲げる。かつて裂けたささくれから血が滲んだような気がした。
「まだ痛い?」
「そっちじゃない」
「でも私はもっと痛かったよ」
「それはごめんな」
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。というわけで怪我したのはアクアでした。あかねのアクア考察部分はもっと狂気ある感じにしたかったのですが、小説では難しいですね。最後のフリル様との会話?もちろん怪我したアクアを心配したフリル様だよ!怪我したアクアを見て心優しいフリル様は心にもっと痛い想いをしたんだよ!
話は変わりますが、本誌でフリル様が登場する度にドキドキする筆者。今のところ大きく解釈間違ってなさそうでホッとしてます。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
23rd take 正しさの圧力
貴方の正しさは多数の人を救うことができるだろう
しかし忘れてはならない
多数は全てではないということを
「アクたんってさ、結局どっちなの?」
収録終わり、あかねへの励ましもあり、久々に開催された今ガチ食事会。対面に座ったMEMちょが本人に向かってズバリと切り込んだ。
「なんだ唐突に」
「番組も終盤に差し掛かって、みんなの性格とか個性とか、色々見えてきてるけどさ。アクたんだけはキャラ全然見えてこないよねぇ」
「MEMにだけは言われたくねぇな。キャラ付けしすぎだぞお前は。オレが気づいてるだけでも一つ、お前はデカいウソをついている」
「ウッ」
───ユーチューバーなんてそんなもんと言われればそれまでだけど
今や完全にレッドオーシャンと化したユーチューバー市場。キャラが強くなければステージにすら上がれない。メムの取ってる戦略は正しい。文句を言う気はないし、オレが気づいてるこのウソを暴露する気もない。
だが、お前にだけは言われたくないと思うことは避けられなかった。
「ま、まぁ公共の電波に映る以上、売れてる人はみんなキャラ設定はしてるよね!私は天然おバカ。ゆきは小悪魔系。そしてアクたんは毒舌クール」
今ガチにおいてキャラ設定がしっかりできているのはこの3人。番組の中心を支えているのもこの3人だ。不知火フリルは言うまでもない、というやつだろう。
「アクたん番組始まった当初は光属性の陽キャイケメンって感じだったけど、フリルちゃんの爆弾発言で方針を転換した。でもその後の悪役系王子様キャラがあまりにハマってたから、ああ、こっちが素に近いんだな、と思ってた。今日の収録までは」
あかねの感情の発露による暴走。咄嗟の行動にも関わらず身を挺して庇ったあの動きにキャラがついているとはメムには思えなかった。
「陽キャかと思ったら闇系もできて、スーパードライかと思ったら咄嗟の行動はウェット。どっちがホントのキャラなのか。こんなに長く一緒に番組やってるのに、貴方の奥底が私には見えない」
「………………」
流石は養殖天然。バカではない。寧ろ鋭い。いつも軽やかな調子で、饒舌で、騒がしい奴だが、見るべきところはちゃんと見ている。メムの奥底には鋭い観察眼と思索力の持ち主が住んでいる。驚きはしない。とっくに気づいていた。
「フリルちゃんもキャラ使い分けてるけどねぇ。表のキャラは
大衆が不知火フリルに何を求めているか。それのみを考え続け、研究し続けてきた彼女はもはや無意識に、自動的に不知火フリルの最適行動をとる。それを壊すことができたのがアクアだった。だから彼女は星の瞳の少年に強く興味を持った。
「誤解しないでね。別に責めてるんじゃないんだよぉ。人間なんて二面性あって当たり前なんだし。でも二面って事は表と裏があるって事。表が裏かはわからないけど、精神は本質に近い方に強く傾いてる。だからフリルちゃんの二面性はわかるんだよ。でもアクたんは表も裏も右も左も全部同じ比重なの。まるでその場その場で色を変えるカメレオンみたい。だから本当の色が見えない。星野アクアという人間がどうやって精神のバランスを保っているのかが、わからない」
星野アクアという人間が破綻しているとは思わない。でなければ不知火フリルという爆弾を加えた、あまりに不均衡な今ガチのバランスを保てるはずがない。支点となる人間が揺らいでいて全体の均衡を保つことなど不可能だ。
だからこそ、わからない。コレほどバランスに優れた人間の精神の奥底が見えてこない。もう何ヶ月も一緒にいるのに。MEMちょにとって、こんな事は初めてだった。
「………無理にキャラ付けしているつもりないが」
「だからこそ余計不気味なんだよ。無理してるわけじゃない。本人は多分素を見せてるつもり。でも違う。器用さと多才さで誤魔化されてるけど、貴方の奥にはそれだけじゃない何かがある」
見透かしたような物言い。少し気に入らないが、反論はできなかった。当たらずとも遠からずだ。
「で?結局どっちなの?ドライ?ウェット?いい奴?冷酷?どっち?」
「………それがわかってれば、多分オレは芸能界なんて正気じゃねえ世界には来てねえよ」
明確な正解もなければ、終わりもない。明日自分が立ってる場所の保証もない。まったく狂気の沙汰だ。こんな世界に自ら足を踏み入れる奴の気がしれない。少なくともオレは絶対ゴメンだ。
「………不気味だなぁ。その多才さで抑えきれない不気味さがアクたんの魔性のオーラと吸い込まれるような強い瞳を作ってるんだろうね。フリルちゃんがゾッコンになるのもわかるよ。その事を番組が始まる前から気づいてたんだろうから」
「気持ちがわかる、ね」
あまり好きではない言い回しだ。きっとフリルも好きじゃないだろう。あいつの気持ちをわかってやれる奴などおそらくこの世に一人もいない。多分それをオレに期待してるに違いない。でも悪いが、本人が隠している事をわざわざ暴く気はオレにはない。興味ないと言えばウソだが。
「でもコレからはある程度キャラ決めておきなよ。私やフリルちゃんみたいに、アクたんの不気味さを面白いと思ってくれる人は少ないよぉ。キャラが決まってる方が話振りやすいし、振られやすいから」
「わかってるよ」
「でも、嬉しいな。ようやく今日、貴方の素が垣間見えた気がしたよ。私も本気になっちゃおっかなぁ」
「オレ、歳上は4つ上までって決めてるから」
言葉の矢がメムの心にグサリと突き刺さり、ニヤけた口元から吐血する。コイツ、18歳以上な事はなんとなく気づいてたが、二十歳超えてんのか。
「お前もたいがい面白いよ。本当に今ガチはメンツに恵まれてる。退屈しないな」
今ガチが始まってから今日まで、予想外の連続で良くも悪くも退屈しない。普通の学校生活を送っていればこうはいかなかっただろう。芸能界自体は狂気の世界だが、集まる人間は面白い。それだけは確かな事だった。
「あ、MEMちょとアクア、また内緒話してる。私知ってるのよ。二人がよくバンの中とかでコソコソ話してるの」
「え?なに?アッくんマジで浮気?フリルさんにチクっちゃおっかなぁ」
「うるせえ、そんなんじゃない。あとフリルには黙っててください」
二人で話していることに気づかれる。ここまでだな、と自嘲した。こんな話ができるのはフリルを除けば有馬くらいだったので、もう少し続けたかったのだが、仕方ない。もうしばらくは、死に向かって旅を続けるとしよう。
座席を変える。あかねの隣へと座ろうと思った。気にするな、と伝えるために。多分今を逃せば、オレの言葉が届く機会は当分失われるとわかっていたから。
意図がわかったのか、隣に座っていたゆきが席を開けてくれる。一度ウィンクを返し、あかねの隣に座った。
「………あのぉ」
「ん?」
「アクたんが気づいてる私のウソって、誰かに…」
「言ってねぇよ、めんどくせぇから」
「………そうだよね、アクたんは言いふらす人じゃないよね。よかった」
「まあフリルは気づいてそうだけどな」
「え゛」
安堵から一転、不安が感情全てを支配する。なるほど、たしかに可愛い。フリルが虐めたくなるのもわかる気がした。
▼
都内の高校。とある朝。女子高生たちが今話題になっている流行についての話をしているというありふれた何気ない風景。芸能人が通うこの学校も例外ではなかった。
「ねえねえ『今ガチ』見た?」
「見た見た!アクアくんちょーカッコよかったよね!ゆきのこと庇ってさ!」
「不知火フリルとのアレのせいでアクアくんって憎まれ役というか、そういうイメージついちゃってたけど、一気に見方変わったなぁ」
「普段の正論で殴るクール毒舌キャラって後付けだったんだろうね。咄嗟の行動って本性でちゃうものだから。きっとアレが素なのよ」
「今までちょっと斜に構えた感じで偽悪ぶってたけど、根はいい人、みたいな?」
「なにそれアクアくん可愛い」
「アクゆき、実はもう付き合ってんじゃないの?」
「え、じゃあノブくんとフリルさんは?」
「あの2人はそれぞれカムフラージュでホントは裏でこっそり、とか?」
「なにそれオモロ!」
「頭良いアクアくんならそれくらいやりそうだよね!」
「終盤に差し掛かってドンドン面白くなってくね!『今ガチ』!」
「………おはよう」
姦しく騒いでいた生徒達が静まり返る。同時に溢れ出す醜いものでも見るかのような眼差し。黒川あかねの登校で、教室は一気に負の空気で支配された。
「………黒川さん、学校来たんだ」
「よく来れるよね、あんな事やっておいて」
「アクアくん大丈夫かな。よりによって顔なんて…」
「あのご尊顔が傷ついたのを見た時は……正直ゾクッとしたけど」
「わかる。この表紙もめっちゃカッコいいし。王子様が戦士になった、みたいな」
生徒の1人が雑誌を開く。見開きに映っているのは煌めく蜂蜜色の髪を手でかきあげた姿の美少年。彼は結局モデルの仕事を断らなかったらしい。大胆に胸元は開いており、その口元は不敵に笑う。首筋から腹筋にかけてまで半開きになったワイシャツから覗く肢体はうっすらと筋肉で割れている。右目の下に出来た傷は美少年の野生味を引き立てていた。
「王子系だと思ってたけど、ワイルドもいけるねアクアくん」
「イケメンは基本なんでも似合うのよ」
「その上心までイケメンだし」
「それに比べてあかねは……」
「まあいつかやると思ってたけど」
「仕事ある〜とか芸能人ぶってさ、いちいちマウント取らねーと気が済まないのかって」
「マジ性格悪いし」
聞こえそうで聞こえなさそうでやっぱり聞こえる声量で囁かれる悪口。けど、コレにどんな反応を返しても私が悪者にされるだけ。ならこちらは聞こえてないフリをし続けるしかない。
───私が悪いんだから…
わかってる。私が悪いことをしたからいけなかったんだ。私だって逆の立場なら暴力を振るった人が悪いと思う。
わかってるけど、それでも…
───なんで私とアクアさんはこんなに違うんだろう
スマホの中のSNSを覗く。そこには自分への悪口とアクアへの賞賛が溢れていた。
▼
『手を上げようとしたあかねからゆきを守ったアクア。あかねは……』
───悪意ある次回予告だな
収録日、教室の隅でアクアは前回の放送を見ていた。その内容は明らかにあかねを悪役に仕立てる意図が見られる。確かにそうした方が番組的には面白いだろう。だが、コレでは根も葉もないあかねへの悪口を番組が認めたも同然。バッシングがあかねに向くのは避けられない。
「なに見てるの?」
「ん……別に」
スマホの画面をオフにする。別に隠すことではないが、説明するのは面倒だ。
「じゃあこっち来て。傷、手当てしてあげるから」
「え、いや、いい。病院で診てもらったし」
「ちゃんとガーゼ毎日変えてるの?交換する時毎回消毒してる?」
「それは…」
「ホラ、やってない。貴方は他人を見ることは得意だけど、自分に無頓着すぎ。事務所からちょっと良い救急箱持ってきてあげたから。そこ座って」
「………道具貸してくれたら自分で──」
「それ以上抵抗するならキスするよ」
「………」
黙ってフリルの前に椅子をひき、腰掛ける。その様子を見た黒髪の美少女は不服そうに鼻を鳴らした。
「そこで大人しく座られるのもなんかシャクね。嫌なのか?私とのキスは嫌なのか?」
「イヤだよ」
「………………」
「無言で手を伸ばすな、怖いだろ……いったっ、もっと優しく……ちょ、まだカサブタも張ってねえんだから……痛い痛いマジで痛い」
「フリルさん、私にもやらせて。私を庇って出来た怪我なんだし」
「私も手伝うよぉ。ウヒヒ。日頃のイジリの恨み、今こそはらす時……めっちゃ沁みるヤツ持ってきてあげたからねぇ」
「ノブ先生、ケン先生。このクラスにイジメが発生してます」
「バカなことを言うんじゃないよアクアくん。ウチにイジメなんてあるわけないじゃないか」
「まあコレは半分以上アクアの自業自得だな」
「ほら、諦めて治療されなさい」
「やめろ逆に傷口開くわ」
アクアとフリルが教室の隅でドタバタとやり取りをしている間、ゆきとMEMちょも加わってくる。笑ったり怒ったり揶揄ったり揶揄われたり。いつも通りの『今ガチ』だった。
黒川あかねがこの場にいないことを除いて。
▼
あの一件から数日。当初SNSの反応は意外と穏やかなものだった。
真っ先にフォーカスされたのはアクアの献身。そして新たに沸きたったゆきとアクアのカップリングについて。
咄嗟にゆきを守ったアクアの行動は今までの悪役イメージやクールキャラを吹っ飛ばした。仲間のために身体を張れる。傷つけたあかねにもまるで怒りや憎しみを見せなかった。視聴者達のアクアへの好感度はマイナスから徐々にプラスへと変化しつつあったところにこの起爆剤が打ち込まれたことにより、一気にジャンプアップ。不知火フリルとの件で第一印象が悪かったことが逆に功を奏したと言えるだろう。まさにジャイアン映画版現象である。
撮影のオファーを出した雑誌も、傷を理由に断ろうとしたのだが…
「顔の傷?大丈夫!それぐらいならむしろカッコいいくらいだよ。今しかない特徴を全面に押し出していこう!是非モデルを引き受けてくれ!」
と言われ、結局断りきれず、引き受けてしまった。当初はスーツとかタキシードとかの衣装でキメるつもりだったらしいが、この傷を活かすため、軍服や迷彩服といったワイルド系と、少ない衣服で露出を増やすセクシー系メインの撮影となる。
「いい?アクア。モデルの撮影するとき基本目線は少し上。視線をカメラに移すのはカメラマンさんが視線をこっちにくださいって言った時だけでいいから」
モデル撮影のコツと基礎をフリルから教わり、挑んだ現場。撮影は滞りなく進んだ。
「いいよアクアくん!もっと睨んで!頬の傷を強調するように!あー、いいね!その感じ!」
そして雑誌が出版される。賛否両論覚悟していたが、傷に関する悪評価はほとんど無く、アクアの新しい一面に概ね好評を博すこととなった。
───やっぱり大衆ってのはストーリーが好きなんだよな…
クールでドライなキャラが本当は熱かった。アクアが子役あがりな事は今ガチ視聴者なら誰もが知っている。子供の頃から芸能界にいた少年は社会の荒波に揉まれ、大人達の悪意に晒され続け、クールでドライにならざるを得なかった。けど芯のところで、まだ熱い何かが残っている。SNSの意見を総合するとこんなところで、星野アクアはあっという間に悲劇のヒーローに仕立て上げられる。
そして一度フィルターがかかれば今までの全てが美談に見えるのが大衆。リアリティショーでは積極的に人と絡んで、憎まれ口叩いて、悪者になって、不知火フリルという爆弾抱えたまま、今ガチのバランスを保ち続けた。MCという最も危険な役回りも自ら買って出た。
根も葉もない虚構で溢れかえるSNS。しかし無数の噂話の中には真実を捉えているものもあった。アクアが今までうまく隠してきた悪役の裏の顔は白日のもとに晒される事となる。
しかし、アクアの幸い中の不幸はコレだけではなかった。言うまでもなく今ガチのテーマは恋愛。誰が誰とくっつくか、恋の鞘当てを安全圏から楽しむ番組。
番組を見た視聴者達は誰と誰がくっつくか。誰が気がありそうかなと、大いに語り合う。友達や家族と直接話すこともあれば、掲示板で不特定多数と遠慮のない抗争に発展することもある。
そして今回、SNSではこんな見出しが飾られる場面があった。
【速報】アクア、三股説
アクア、遂にツンデレがバレる
あかねの凶刃からゆきを守る
クールでドライに見えて実は熱くてウェット
薄々そうじゃないかと思ってましたー
小学生の頃好きな子いじめてたタイプ
なにそれ可愛い
アクゆき、もしかしてデキてる?
あり得る。ノブとフリルはカムフラージュで本命は、みたいな?
アクアって結局誰が好きなの?
普通にフリル様じゃない?
とおもーじゃん?だがあの咄嗟の行動は本音にしか見えない
アクフリの仲の良さが演技とも思えないけど
仲の良さと恋愛はイコールじゃないでしょ。男女の友情は成立するよ
お互い親友って言ってるしね
じゃあやっぱりゆきかな。
忘れるなおまいら。アクアは好きな子いじめちゃうタイプだ
アクアにいじられ率最高は──つまりそういうことだ
えっ、MEMちょも候補なの?
もう3人同時攻略してんじゃね?
アクア三股説
それだ
もげろ
ねじきれろ
灰になれ
とまあ、このように、真っ先にクローズアップされたのはアクアの本性と、フリル、ゆき、MEMちょとの恋愛関係についてで、吊し上げられたのは主にアクアだった。フリルの件で一度炎上してるアクアは吊し上げやすかったのだろう。
あくまで、表向きは。
メジャーなSNSではあかねを責めるよりアクアの正体を暴く方がメインだった。あかねがゆきを傷つけていたのなら違ったのだろうが、多少の傷なら男には勲章。ふとしたきっかけでカッとなるのも人間にはままある事。表面的にあかねを責める空気は流れなかった。
しかしサイトや掲示板には無数のジャンルがある。単純に感想を述べるところ。番組や出演者の評価をするところ。
そして他者を批判するためだけのサイトも当然存在する。
急な暴力とヒステリーで怪我をさせられたアクア。庇っていなければゆきが怪我をしていただろうという事実。しかも、この空想話はゆきにどのような重傷を負わせる事もできる。
『アクアが庇ってなきゃ、ゆきどうなってたか』
『顔に傷は確実。下手すりゃ失明』
『あかね最低』
アングラなSNSにおいての炎上。それはさながら煮えたぎるマグマ溜まりのような状態だった。
そして噴火のきっかけになってしまったのがあかねの謝罪文の投稿。
まだ予告の段階で本放送はしていないため、具体的な説明はなかったが、言える範囲のことを全て言ってしまった。それも自分が悪いと認める方向で。
SNSという気軽に暇が潰せるコンテンツ。そこにこんな餌を与えて仕舞えば食い尽くされて燃料にされるのはあまりに必然。まして投稿前から水面下で破裂寸前の状態だった。そこに自らから切ってしまった火蓋。アクアの炎上など呑み込んでしまうのに時間は掛からなかった。
「人は謝ってる人に群がるんだよ」
収録合間の休憩時間、スマホでSNSを見ていたアクアの後ろに立つMEMちょが独り言のように呟く。
「謝ってるってことは悪いことをしたって認めたってことでしょ?」
「ましてあかねは自分が悪かったと完全に認める書き方をしている。潔いといえば聞こえはいいが……」
文字通り煮るなり焼くなり好きにしろ、と言っているように聞こえるだろう。批判という娯楽に飢えた暇人達には。
「謝罪って道徳的には正しいけど、炎上対策としては下の下」
「オレの時を見てなかったのか、あかねは」
番組当初、炎上したのはアクアだった。無論アクアは暴行などの行為を自らやったわけではない。謝罪する要素がないというのも確かにあった。
けれど、本当に自分が何かをして、あの状況を呼び込んだとしても、謝罪するようなことはしなかっただろう。見ざる言わざる聞かざる。三猿を貫き通すことで、批判の意見などまるで意に解さなかった。
「アクたんはファンとか視聴者に対して、いい意味で真面目じゃないからねぇ。賞賛も罵倒も好きにすれば?その代わりオレも好きにする、みたいなスタンスだから」
「悪いか」
「ううん。悪くない。寧ろ正しい。アクたんの一番優秀な才能は最速で最善に辿り着くIQの高さだと私は思ってる。でもね…」
人とはそんな合理的な人間ばかりではない。
「あかねはアクたんほどズルくもなければ、強くもない。真面目で素直ないい子。良心の呵責に耐えかねて、少しでも心を軽くしたくて、謝っちゃった。謝罪って自分を守るための手段でもあるしね。批判の意見なんて見なきゃいいのに、真面目な子ほどダメージでかいんだよ。全部の意見を、真摯に真正面から受け止めようとするから」
そしてその結果がこの大炎上。一部に目を通しただけだが、当人でもない自分が胸糞悪くなる言葉がズラリと並べられている。よくもまあ無責任にこんな言葉を吐けるものだと、ある意味感心してしまう。
人は死ねとかゴミとか人の心に永遠に傷を残すようなことを平気で言う。まあ自分も覚えがないとは言わない。友人に殺すぞとか言った事も言われたこともある。だがこれは……
「単純に口で言われるより心にくるな」
「批判ってさ。口で言われるより目で見るほうがキツいんだよね。人間ってほとんどの情報を視覚で処理してるから」
そう、言葉で殺すぞなどと言われても、シチュエーションでは冗談の延長だとわかる。だが文字ではわからない。冗談なのか、本気で殺意を込めているのか。なら冗談だと思い込めばいいものを、あかねは真面目ゆえに全部本気だと思ってしまう。
「でも、フリルさんの時は…謝罪で結構収まったのに」
「不知火フリルと黒川あかねでは立場と使える権力が違いすぎる。フリルは言い回しも上手かったしな」
オレに非がないとは言ったが、自分に非があるとは言わなかった。私を非難することは構わないとも言った。日本人とは逆説的で、自己犠牲を尊ぶ風潮がある。そういう言い方をされたら非難より先に同情や遠慮が生まれる。まして相手は不知火フリル。健気に振る舞う彼女に、石を投げようものなら張本人が袋叩きにされる。人は何を言ったかでは態度を変えない。誰が言ったかが重要なのだ。
「やっちゃったねぇ」
「だから言ったろ?四角以上は難しいって」
あかねなりにリスクリターン考えて行動していたのだろうが、想定内の失敗など、最も悪いとは程遠い。最悪とは想定外の事象だから最悪なんだ。
───あいつ、大丈夫かな
今日の収録、あかねは来なかった。この炎上騒ぎがある程度下火になるまでしばらく休養した方がいいという判断。賢明だ。今は普段通りに振る舞っても、反省を顕に殊勝な態度を取っても、燃料にしかならない。ヘタな事をするより、出ない方がいい。それはオレとしても同感なのだが……
───あかねは1人にしてると悪い方へ考え込むタイプだからな……
しかもこのアングラなSNS全部目を通していれば、それこそ鬱になっても、なんら不思議ではない。役者はただでさえ精神を病みやすい職業なのに。
「電話するのぉ?」
携帯を取り出したアクアを見て、メムが確認の質問をする。一度頷いて肯定の意思を示した。
「やめといたほうがいいかもよぉ?今は知り合いに何かされることを求めてないと思うから」
そう、あかねが今、求めているのは顔も名前も知らない人たちからの肯定。オレが幾ら元気出せとか、SNSなんて見るなとか言ったところで意味があるとは到底思えない。
しかし……
「生きてるか、確認するだけだ。耐性のない10代少女が浴びせられる批判の集中砲火は、余裕で『人生が終わった』と錯覚させる力がある」
オレだって少し前、誰かの視線を気にし続けることが嫌になって、薬物中毒になる芸能人や自殺したくなる役者の気持ちに共感してしまった。今のあかねはあの時のオレより遥かに追い詰められた状況にある。自殺を図ってリストカットしたと言われてもオレは驚かないだろう。
「絶対『SNS見るな』とか正論言っちゃダメだよぉ。あかねだってそれくらいのこと、頭の中ではわかってる。それでも心が言うこと聞かないから大変なんだから。SNSの闇は」
「わかってる」
少し迷ったが、LINKのアカウントを開く。無料通話のボタンをタップした。
───特別な事を言うつもりはないが……
何を言えばいいか、わからない。気にするな、なんて言葉が届くはずがない。元気出せよ、で出るはずがない。励ましも叱咤も今のあかねには届かないだろう。それでも、声だけでいいから聞きたかった。声が聞ければ、精神状態のおおよそは掴める自信があったから。
『───もしもし』
数コールの後、あかねが電話をとってくれたことに安堵する。思ったより元気そうな声だった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。次回は良かれと思って行った電話で……あかねの闇が露わになります。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
24th take 貴方は溺れない
遭難した時の寒さや飢えは遭難した人にしか答えられない
正しさから抜け出してみよう
夕暮れ時の暗い川で溺れる少女と話がしたいのなら
「アっくーん、ご飯食べに行こうよ〜」
都内、とあるスタジオ。3人組ガールズバンド【カントル】はバンド練習をしていた。この後はライブハウスでライブがある。夜からだから、今のうちに何か食べておかなければ体力がもたない。
「ほら、ナナも待ってるって」
「ん……ハルさん達先行っててください。私この曲まだちょっと気になるから、練習しとく」
「ライブどうすんの?お腹減ったら力出ないでしょ?アっくんのドラムはパワフルがウリなんだから」
「本番前にコンビニでテキトーに済ませる。せかせかご飯食べるの嫌いですし……あと、スタジオでアっくん呼びやめてください。誰かに聞かれたらどうするんですか」
今のアクアはセミロングの金髪にユニセックスの服装を纏っている。カントルは女性のみという設定で活動しているスリーピースバンド。この辺りでは結構名前も売れてきている。スタジオ貸してくれるオーナーなんかはメンバーの名前も当然知っていた。練習とはいえ、アクアの姿でスタジオには入れない。バンド活動をする時、アクアは常にマリンになっている。
「大丈夫だって。ここあんまり人来ないし」
「万が一があるでしょう」
「優等生だなぁ、アっくんは」
「ハルさん」
「わかったよ、マリン。本番までにはちゃんと何か食べてね」
スタジオから出る。一人になって、ドラムを叩いていると、何故かハルさんに言われたことが頭に引っかかった。
───優等生、か
稀によく言われる星野アクアへの形容。基本的に無茶で無鉄砲で人の予想につかない行動をとることが多いアクアだが、彼のことを深く知る人間は一度はこの呼び方をする。
ルビーも、ミヤコも、ハルさんも、ナナさんも、誰もがアクアをリアリストと知っている。無茶なこともするが、本人からすれば勝算のあるギャンブルで、後から聞けば納得する形に収まることが殆どだった。
だから皆アクアのことを認めている。彼のやることならまず正しいだろうとわかっている。今までアクアがこうと決めた事を覆すことができた人間はいなかった。
それでも、本人だけは優等生と呼ばれることに少し不満があった。
───オレってつまらないかな
面白い人を、変わった人を求めてこの世界に来た。多様な在り方が許されるロックの世界に。そんな人と会いたくて、役者としてそんな人も演れるようになる為に、オレはドラムを叩いている。けど、日本語とは不思議なモノで、優等生とは優秀さを表すと同時に人としてのつまらなさも表している。やっぱりこの世界に来ても、人はオレを優等生と呼び、オレはオレの正しさを捨てられない。
───でも、理論武装を辞めたら、オレは多分ステージに立つなんて事、怖くてできないから…
今はまだ、もう少し、正しいままのオレで頑張ろう。そう思いつつ、女の格好をした奇天烈な美少年はドラムの練習に没頭する。
その後のライブは無事成功。メジャーからスカウトの話が来たのは翌日だった。
▼
SNSのアカウントから音がする。今ガチが公式で作っているモノだ。新しい動画と写真がアップされていた。中に映っているのは怪我した部分をいじられて逃げるアクア。フリルさんとMEMちょが楽しそうにアクアに復讐してるシーン。
───私がいなくても、みんな楽しそうだな
今ガチは本放送の前にこういった映像や写真をアップする事がある。次回への期待感を高める演出。ようは宣伝だ。私の暴力行為もまずはこの形で世に出た。そして次回予告で決定的になる。その結果が今だ。
『今ガチにお前はいらない、消えろ』
『ゆきちゃん可哀想。アクア立派。おまえクズ』
『お前が消えたらみんな喜ぶよ』
脳裏に蘇る数多の批判の文章。目を瞑ると炎上のことしか考えられない。寝ても覚めても私を詰る無機質な文字の羅列が心を埋め尽くす。
───もうすぐ番組の更新日。本放送……
見る気力はなかった。今頃はみんな来週以降の撮影してるんだろうけど、私は出られなかった。事務所からストップがかかったから。
【今は何をいっても何をやっても燃料にされるから。少し様子を見よう。何か言う時は相談して】
正しい判断だと思う。あんな事をしでかした後に私が何食わぬ顔で出演していたらそれこそ収まるものも収まらない。番組には迷惑かけるけど、しばらくはあの6人に任せるしかない。
───迷惑をかける?
自分で言ってて笑ってしまう。アップされた映像を見ろ。みんな私なんか居なくても楽しそうにやっている。アクアさんはいつも通り円滑に回してるみたいだし、傷を面白おかしく扱うことで、番組が暗くならないようにしてくれている。
───凄いなぁ、アクアさんは
かつての彼と同じ状況になった今、改めてあの人を凄いと思う。不知火フリルに手を出しているかもしれない。そんな噂話すら出回ったら即死の爆弾が爆発した。
しかしアクアさんはまるで動揺を見せなかった。燃えたぎる炎で全身焼かれながら、実力と才能で少しずつ周囲を黙らせ、最終的には世間に認めさせてみせた。星野アクアなら不知火フリルとお似合いだと。
それに引き換え私はどうだ?MEMちょから中途半端に謝罪することは炎上対策としては下の下と聞かされておきながら、私の罪悪感を軽くしたいがために謝ってしまい、結果このザマ。番組に出るどころか、街を出歩くのも危ない状況に自分から転がり落ちてしまった。
───なんで私はこんなにダメなんだろう
私の軽率な行動が、アクアさんの忠告を聞かず、空回ってしまった結果が、私だけじゃなく事務所やマネージャー、果てはお母さんにまで迷惑をかけてしまった。
───もっと、早く……
アクアさんのことを研究していればよかった。彼の思考パターンをもっと深く取り入れておくべきだった。あの人ならきっと私と同じ状況になっても上手くやるのだろう。私なんかではできない方法で解決してしまうのだろう。あの人はいつだって正しく、賢く、強く、美しいから。
ヴー
電気のついていないカーテンを閉め切った暗い部屋でスマホが光る。着信時の表記には星野アクアと書かれていた。
「………………………」
出るかどうか迷った。今この人と話をしてしまったら言いたくもないことを言ってしまいそうで。
だって彼は正しいのに。
私がいないからって番組をうまく回さなかったら私以外の全員に迷惑が掛かってしまう。いつも通り、普段通りに番組をやるのは正しいことだ。この電話だって、きっと私を心配して掛けてきてくれたものだ。表では何もなかったように。裏では心配して直接電話をかけてくれる。全て正しい。心配の電話だって嬉しい。他のメンバーすらLINKで様子を聞いてくるだけで、直接電話してくれる人はいなかったのに。
「───もしもし」
迷った末にコールをタップする。安心したかのように息を吐いてくれたことがわかった。
「アクアさん?どうかしましたか?」
『いや、別にどうもしてねぇんだけど。ちょっと声が聞きたくなって』
探り探り言葉を紡ぐアクアの声。気を遣われてる。その事が嬉しいと同時に少し腹立たしい。
「それだけならもういいですね。切りますよ」
『あー、待って。悪い、まだ待って』
待って、と言いつつしばらく黙り込む。けれど待たされて不快な気にはならなかった。いっぱい考えて、言葉を選んでくれてるのがわかったから。
でも、今の私の心にはどんな言葉も響く気はしなかった。今私に届くのは文字の羅列だけだ。
『………あかね、今のお前に言葉で何言っても響かないだろうけど、一応言っとく』
今の言葉は少し響いた。まるで私の心を見透かしたようなセリフに驚かされた。
『───』
しばらくアクアさんは懸命に、そして真摯に語りかけてくれたけど、やっぱり私の心には響かなかった。
『ま、最初に言った通り、今は聞いてくれるだけでいい。頭の隅にでも入れておいてくれ』
何かをしなくていい。その言葉は少し私に安らぎをくれた。
『───なあ、あかね。オレに何かしてほしいこと、ある?』
一瞬呆気に取られる。は?と聞き返しそうになった。電話の向こう、少し不安そうな口調で紡がれた一言は、あまりに予想外すぎて、閉め切っていた心の隙間に入り込んできた。
「───あはははっ」
『………笑うなよ、恥ずかしいこと聞いた自覚はある』
電話口から照れたような声音が響く。顔は見えないけど、どんな表情をしているか見えるようだ。絶対あの整った眉間に皺を寄せて、軽く頬を掻いている。ありありと脳内再生されるその姿も可愛くてまた笑みが漏れる。少しして驚いた。こんなに心から笑ったのはあの事件から……いや、今ガチが始まってから今日まで、多分初めてだ。
───ホントに、貴方は魔法使いみたいだな
『今日あま』の時といい、今といい、貴方は人を変える何かを持っている。世界を変える何かができる人。
私は、アクアさんのようになりたかった。
「──してほしいこと、かぁ」
『………オレが出来る範囲でな』
私はこの人に何をしてほしいだろう?この魔法使いに。一つ願いを叶えてもらえるとしたら、何を望むだろう。
「じゃあ、会いに来て。今すぐ」
ほとんど脳を経由せず漏れた言葉は、魔法使いへの願い事にはあまりにささやかな。けれど収録中の芸能人に願うにはあまりに難しい願いだった。
▼
───これでいいのか、オレ
電話しながら自問する。声が聞ければそれでいいと思っていた。そして、声は聞けた。思ったよりは元気そうだった。けれどそれは表面的なもので、声の端々に何かを感じた。オレの声も多分鼓膜を震わせてはいるが、心に響いていない。
───何の根拠もないけど……
『それだけならもういいですね。
切りますよ』
「あー、待って。悪い、まだ待って」
今電話を切ったら、アイツはその洞穴に落ちて、二度と戻ってこないかもしれない。そんな確信があった。
『………あかね、今のお前に言葉で何言っても響かないだろうけど、一応言っとく』
そしてオレは言えるだけのことを言う。心に届かなくていい。耳に聞こえているなら脳には嫌でも記憶されている。今は頭の隅にでも残していられれば、それでよかった。
「───なあ、あかね。オレに何かしてほしいこと、ある?」
少し恥ずかしかったが、思い切って切り込んだ。案の定笑われた。まあ笑ってくれたという事実は少しホッとした。まだ笑えるなら心は完璧には壊れていない。
『なら会いに来て、今すぐ』
「………………は?」
思わず絶句する。あのあかねが今ガチの公式アカウントを見ていないはずがない。オレ達が今撮影中で、合間の休憩に掛けてることくらい、知ってるはずだ。今すぐなんて不可能。女に同じことを頼まれたのは何度かあったが、間違いなく一番理不尽な願いだった。
「………………今すぐは、無理だが」
『ですよねー!』
食い気味に返事がくる。声音は異様に明るく、傷心中の役者とは思えない声だった。
『今収録中ですもんねー。アクアさんがいきなり抜けたら大変ですよ。ただでさえ私いなくていつもより人数少ないのに』
「わかってるなら……収録後でよければ──」
『でもな、アクア。そういうところだぜ?オレがスーパードライとか、人生二週目って言われんのは』
声色が変わる。一瞬ゾッとした。声色だけじゃない。まるで人格ごと変わってしまったかのような感覚。声音は変わっていない。あかねの声だとわかる。それなのにスピーカーの向こうで、黒川あかねが他の誰かに変身したかのような錯覚に陥った。
『オレは溺れてる人が目の前にいたら救命道具は持っていくけど、飛び込むことはしねぇ。山で遭難してる人がいたらレスキューは呼ぶけど、山に入って探すことは絶対にしねぇ。そうだよな。オレは常に最悪を想定する。ミイラ取りがミイラになるなんて、間抜けな真似をいつも正しいオレはしねぇ』
肌が粟立つ。
血が逆流しているかのような寒気が奔る。
うだるような夏の暑さによって張り付いていた汗が一気に冷たくなる。
この声がスピーカーから鼓膜を震わせているのか、あの『声』のように、血が、鼓動が、遺伝子が叫んでいるのか、判断がつかない。
オレの口調、オレの声色、そしてオレとは違う声音が脳内で木霊する。このスピーカーの先にいるのは誰なんだ。あかねか?オレか?それとも……星野アクアか。
『アクア、オレは優秀だよ。いつも視野が広くて、冷静で、最善を最速で選択し続ける。優秀で、有能で、正しい。そりゃ強いよな。オレは常に負けないところでゲームをしてるんだから。常に負けないから皆はオレのことを尊敬し、信頼し、認めてるんだ。常に正しく、賢く、強く、美しい星野アクアを……でもなっ』
語尾が震える。泣いていると気づいたのは電話が切られてからだった。
『正しく高い場所から見下ろしてしか話せないなら、私が貴方に話すことは何もないよ……っ!』
声色がいつものあかねに戻った。スピーカー越しからでも伝わる負の引力は感じなくなった。けど、何も言う事はできなかった。衝撃が冷めやらない。はやる鼓動を落ち着かせるので精一杯だった
『収録頑張ってね。それじゃ』
「……………はぁっ」
電話を切られる。止まっていた呼吸がようやく正しい動きを取り戻し、肺の中に溜まった空気が排出された。
───なんだったんだ、今のは…
PVや『今日あま』の時とは明らかに違った。あの『声』には悩まされることもあったが、今考えるとなんだかんだでオレの味方で、オレの外から発せられる『声』で、オレを正しい方向へと進歩させてくれた。
だが今のは違う。
───話していたのは間違いなくあかねだ。だが……
あかねの声が、オレを真似たエチュードが、明らかにオレの中の何かと共鳴した。
「────クソ」
しばらく無機質なスマホを眺めていたが、ディスプレイをオフにする。やっぱり電話なんてするべきじゃなかったか。でもあいつ、そっとしておいたら病むタイプだからな。てかもうだいぶ病んでたが。
───病んでるのはオレも同じか
自嘲する。ひょっとしたら、オレの仮面の下を誰よりも理解しているのは、オレでも、フリルでもなく、あかねなのかもしれない。
「アクア、電話終わった?誰にしてたの?」
「誰でもいいだろ」
「目を閉じて」
「あかねだあかね」
首に手を回し、背伸びして顔を近づけてくるフリルを引き剥がす。この女、キスを脅しの道具に使いやがるとは、なんで卑怯なやつなんだ。
自身の口づけに人を殺せる力があることを自覚する天使の容貌の悪女は少し不満そうに鼻を鳴らした。
「あかねには心配して電話とかするんだ……私には何もなかったのに」
「お前の時はほぼ四六時中一緒にいたろ。電話する意味がねぇ」
「でもアクアってそんな事するタイプだっけ?辞めたいなら辞めればってスタンスじゃなかったの?」
「………………」
言われてみれば確かにそうだ。辞めようが続けようが最終的に決めるのは本人。来る者拒まず、去る者追わず。これがオレのスタイルだったはず。それなのに、なんであかねに限ってこんなお節介…
「なんかやだな。私以外に貴方が変えられるのは」
「………別に変わってはいねーだろ。ちょっとらしくない行動してるな、くらいのもんさ……そもそも、オレはオレらしさってのがよくわかってない」
自分らしさなんてもの、自分が一番わかってない。そんなのはよくある事だろう。けれど、オレがオレらしさをわからないのはそんなよくある事柄とは違う気がする。
「ただ俺は、人が死ぬのが嫌ってだけだ」
言ってから驚く。ほとんど脳を経由せず出た言葉だった。場当たり的に動く事自体はオレにとって珍しくない。先に動いて、口に出してしまって、後から理屈をくっつける。そういったことはままあった。特にあのPV以降は。しかし今の一言はそんな今までの経験と違う気がした。オレ以外の誰かが勝手に口を動かしたかのような気分だった。
───あかねに充てられたか…
強い光を見た後は一時的に視力を失うように。突然真っ暗になったら目が慣れるまで何も見えなくなるように、唐突な変化は意識を隔離する。オレはまだトリップ状態から抜け出せていないのかも知れない。
「………貴方の仮面の下、少し見えてきたかも」
「まだ少しかよ。オレは多分もうフリルの仮面の下、50%以上は見えてる。ぼやぼやしてると追い越すぞ、カムパネルラ」
「………ホントは60%だった」
「残念だったな。実はオレは62%だ」
「私もホントは65%」
「オレは72%」
「80」
「90」
「100」
「それはウソだろ」
『………………』
しばらく沈黙したまま、2人は廊下を歩く。
「
「望むところだ、
「えー、なに?ケンカ?」
「またアクアとフリルが対決するってー。今度は何で勝負すんの?」
「アクアが勝てる勝負でいいよ」
「この……じゃあどっちが早くMEMちょをメス顔にできるかゲームで」
「のった」
「やめてよぉ!?」
休憩時間が終わり、アクアとフリルが歩いているところからカメラが追っていたからか、当然2人のやり取りを他のメンバーも聴いている。詳しいルールを決めようとする星の瞳の少年と黒髪の美少女の間にツノ型のカチューシャを付けた淑女が割り込んだ。
「阿吽の呼吸すぎないか、あの2人」
「センス、というか、趣味嗜好が似てるんだろうね。どっちもドS」
その後、結局メンバー全員を巻き込んでNGワードゲームが開催される。ワードは折れない厚紙に書かれ、オデコに貼り付けられた。
「ヘイヘーイ、アクたんびびってるぅ」
「聞いたぞメム。こないだ奢り肉食いっぱぐれたオレのために今度回らない寿司奢ってくれるんだって?」
「言ってないよぉ!?」
「メっさんOUT〜」
「………このNGワード書いたの絶対アクたんでしょ」
「ちょろいね最年長」
「むかちーん!!フリたん!後でもうワンゲームね!このなんちゃって
「誰がなんちゃって
「にゃあああああ!!!?」
何かを口走ろうとしたアクアの口をMEMちょが飛び掛かって塞ぐ。なんだかんだで盛り上がり、仲良くケンカしながらゲームを楽しむ様子は、SNSでちょっとバズった。
「───貴方は正しいですよ……正しいですけど」
生まれて初めてかもしれない。こんなに人を憎悪したのは。
───そんなに楽しそうにしなくてもいいじゃないですか…
割れんばかりの力で握りしめられたスマートフォンの中には笑顔でゲームを楽しむアクアの姿があった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。今のアクアをトレースしたからこそ生まれたあかねの闇。いかがだったでしょうか。本当は前回でここまで書きたかったのですが、長くなったので分割で。次回からはまた週一更新目指して頑張ります。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
25th take 貴方に溺れて
曇天の空に星が昇る
雲間からさす一筋の光に頼りすぎてはいけない
神と悪魔に大きな差などないのだから
アクアは水が好きだった。身体を包む清涼感と浮遊感。身体を沈めたときに起きる空気の音の心地よさ。水はときに優しく、ときに冷たく、時に固く、いくらでもその形を変えて自分を包み込んでくれる。
偽りだらけの自分を覆い隠してくれるようで。水の中でだけは全てのしがらみから解放されたようで。
雨も好きだった。見えにくくなる視界。誰もが視線を伏せ、雨具で視界はさらに狭くなる。常に視線を気にする生活を送っているが、雨の日はその緊張から解き放たれるようだった。
けれど、こんな事を思う人間は多いはずもなく。
「私雨ってキラーい。髪型崩れるし、服もダメになるしー」
いつの日かの梅雨。外に降りしきる雨を見て、ルビーがこんな事をぼやいていた。間違いなく今時の女子の意見の多数派に属する感想を。
「ね、お兄ちゃんも嫌だよね、雨」
「…………ま、好きなやつは少数派だろうな」
「だよねー」
コミュニケーションの基本。他者の意見を否定しない。骨の髄まで染み込んでいる対人能力はほぼ自動的に発動してしまう。この時から、アクアは雨のことを少しずつ嫌うようになり始める。誰かが求めるアクア、誰かが理想とするアクアであるために。
他者から見れば少数派な、変わったモノを好きであった場合、正直に好きだと他人に言うことの怖さを知った。
好きなモノを好きでい続けることの難しさを知った。
それでも、アクアは未だこう思い続けている。
自ら死を選ぶ時が来たとしたなら、溺死がいい、と。
▼
外を打ちつける雨あられ。ガタガタと鳴る窓の音は豪雨の強さを物語っている。今外を出歩けば比喩でなく命に関わるだろう。まあ最近暖かくなってきたし、そういう時期だといってしまえばそれまでだが。この大雨のおかげでせっかく仕事もオフになったと言うのに。
「…………体調悪いんなら、オレじゃなくちゃんとしたマネージャー呼べよ」
まだ雨が比較的マシな時間、黒髪の美少女に呼び出されたアクアはバイクを使ってフリルのマンションに訪れている。ドアを開くと、アイツは青い顔してベッドに横たわっていた。常備しているらしい薬と水を一杯用意し、運んでやる。フラフラと薬を飲み、壁を背に座り込んだ。
「んっ……ふぅっ……はぁっ」
「ホントに辛そうだな、大丈夫か?」
ちょっと色っぽいが。さっき熱を測ったら平熱より少し高かった。
「私、気圧の変化に弱くて……天気悪い日とかには頭痛くなるタイプなの」
「偏頭痛だな。女性には結構いる」
「結構いるって知ってるくらいには女の子の知り合い多いのね」
「なんか飲む?」
「はぐらかされた。紅茶で」
ケトルのスイッチを入れる。コイツと知り合ってから、なんだかんだこの手の話はあまりしてこなかった。オレが過去の話をするのが苦手だと察していたのだろう。そういうの察するのはオレも結構得意だが、フリルはオレの比ではない。それなのに、今回は切り込んできた。2人きりだからか、それとも相当に体調悪いのか、どちらかだ。
「しかし生活感のない部屋だな。家具はデカいベッドとテーブル、TV、あとゲーム機だけ。食い物飲み物も日持ちする系のやつしかないし」
「此処は偶にしか使わないからね。住居バレとかした時用の緊急避難場所の一つ。他にもいくつかあるよ。アクアは持ってるの?」
「ねえよ。お前ほど売れっ子でも、大手事務所所属でもねぇんだから」
まあ泊めてくれる相手や一晩くらい雨風凌げる場所の当てなら幾つかあるが。そういう意味では緊急避難場所は持っているとも言えた。
「アクアも結構バケモノね」
「なんだ急に。失礼だな」
「新人で私のマネージャーこなせてる人、貴方が初めて」
「あいにく新人じゃねーんだよ。下手したら役者業よりこっちの方が経験値高いかもしれないくらいだ。ミスだって山程してきた。だから今、多少上手くやれてるってだけだ」
「あはは。下積み長かったらしいもんね」
その一言にどきりとする。この女、オレのことをどれくらい調べたのだ。まあ過去の出演作くらいまでは知っていると思っていたが……ヘタをすればカントル時代の事もバレてるかもしれない。
「オレのことは調べたってわけだ」
「もちろん。一番近くに置く人の経歴を知らないわけにはいかないでしょ?」
紅茶が入ったカップを置く。一口含むと、美味しいと漏らした。当然だ。コーヒーも紅茶も淹れ方はナナさんに叩き込まれた。不味いはずがない。
「ピアノはベースの女の人に教わったの?ナナ、だっけ?」
やはり調べられていたか。まあマリンがバレてるのだからそっちの誤魔化しが効かないのは想定内だ。
「違うよ。知り合いのジャズバーのマスターに習ったんだ。あのバンド仲間から技術的なことは何も学んでない」
「じゃあ学んだのは女の扱いかな?」
「ノーコメント」
「ロクでもないんだろうなぁ、アクアの女性歴」
「お前だってどーせ人のこと言えねーだろ」
「あら失礼ね。私はまだ処女だよ」
「ウソぉっ」
心から漏れた叫びが部屋の中で響き渡る。しばらくの間、部屋の中には雨音しか聞こえてこなかった。
「ははは……アクア、ここからは慎重に言葉を選べ?」
カップを持つ手に力が入ったのがわかる。大人しく「ごめんなさい」と謝る。美麗な指から力が抜けたのを確認し、ホッと息を吐いた。
「…………あ、『今ガチ』のこと、やってる」
薬が効いてきたのか、さっきよりは楽になった顔をしている。何の気なしに点けたTVからは今最も注目を集めるリアリティショーという題目で『今ガチ』の事が取り上げられていた。その理由はもちろん……
【なんとあの不知火フリルさんも参加されているのです!】
「ふふ、今最も注目されてるって。やっぱり私が参加して良かったでしょ?」
「一長一短だ。少なくともオレにとっては」
ゆきやMEMちょは今やノーリスクでフリルの名前に乗っかれてるから得しかないだろうが、オレは未だこの爆弾相手に番組を回している。ハイリスクハイリターンの司会進行役は常に気が抜けない。
【不知火フリルさんのお相手として注目を集めているのが、イケメン俳優と話題の星野アクアさん。甘いマスクと高いトーク力でメンバーの潤滑油を務め、不知火さんも彼のサポートに回っている場面が多く見られます】
───あかねのことは触れてこない、か
まあ無難だな、とは思う。下手に擁護しても批判しても飛び火をもらう。なら触らぬ炎上に祟りなし、で偏向的報道をする方が大怪我はしない。
【まさに美男美女カップル。2人とも16歳とは思えない落ち着きで、番組内ではメンバーのお兄さんお姉さんといった感じです】
【フリルさんもですが、星野さんも凄く冷静というか、大人ですね】
「………大人、かぁ」
リポーターの言葉にフリルが反応する。不快に思ったのか、テレビの電源をリモコンでオフにする。オレもだが、コイツはオレよりさらに言われ慣れてる言葉だろうに。
「アクアはさ、大人ってなんだと思う?」
「そんなことよりお前体調大丈夫なのか?」
「あんまり。だからお喋りして。喋ってる方が気がまぎれるから」
膝を抱えてベッドの上に座り込む。ただでさえ白い肌がより一層白くなっており、少し気味が悪いほどだ。しかしそんな病的な姿さえ、儚げな美しさに映る。
これは美人だからだろうか?それとも不知火フリルだからだろうか?
美しいから不知火フリルなのか。不知火フリルだから美しいのか。
答えの出ない問いにアクアは考えることをやめ、フリルの横に座る。恐らく両方正しく、両方違うのだろう。
「大人、か。良くも悪くもいろんな大人見てきたが……歳食ってるだけの子供もいるんだよな」
敬語が使えないやつ。常識備えてないやつ。未だ親の庇護下で生活してるやつ。色々いた。勿論そうでない人もたくさんいたが、この人に比べればハルさんやナナさんの方が大人だな、と感じた事は多かった。
「いるよね。芸能界は特に。何か欠落したまま促成栽培で成長しちゃった人。私達も人の事言えないんだろうけど」
「ませたガキだと言われれば否定はできねぇな」
15、6歳の少年少女が自分の倍以上の年齢の人間に大人と形容される。褒め言葉にも聞こえるが、ともすれば生意気とも取られかねない。
「子供とオレ達を油断してる人から見れば大人で、見下してる人から見れば生意気なガキ。赤の他人がオレらを大人と褒めてくれるのは結果を出してる間だけだ。結局印象の問題で、明確な答えや根拠はないとオレは思う」
「結果や実績だけじゃなくて、他人の評価。なるほど、アクアらしい。現実的かつ冷淡な意見だね」
「オレらしい、か」
どうもこの言葉は苦手だ。星野アクアを演じているせいもあるのだろうが、オレは自分らしさというのがよくわかっていない。オレがよくわかってないことを他人がわかってる。こういうケースは実は多いけれど、不安になる。オレは正しくオレをやれているか。オレらしいと言ってくれているうちは大丈夫だが、らしくないと言われた時が怖い。
「私はね、経験した失敗の数だと思う」
ネガティブに落ち込みそうになったところを現実に引き戻される。いけない、悪い癖だ。考え込み始めたら止まらなくなる。この女に弱み見せたら何に利用されるかわからない。隙を見せてはいけない。
「学生の間ってさ。犯罪でもない限り、どんな失敗しても学校とか法律とかに守ってもらえるじゃない?」
「…………まあ、社会人に比べたら色々考慮してくれるな。実名で報道しなかったり」
「でしょ?勿論限度はあるけど、子供のうちにする失敗はたいてい取り返しはつく。人も、生活も、仕事も」
仕事してる学生は少なくねえかなぁと思うが、高校生でバイトしてる人間なんて山ほどいる。学生に与えられる責任は少なく、失敗が前提の場合も多い。確かに守られている事もあるだろう。
「アクア、さっき言ってたじゃない?山程ミスしてきたから今多少上手くやれてるって」
「…………言ったな」
「私はさ、あまり失敗ってしたことないの」
「自慢か」
「事実だよ。オーディションがダメだったくらいのことはあるけど、そんなの失敗なんて呼べないし。それを遥かに超える成功を収めていればオーディションに落ちたことは良かったことだとさえ思える」
「…………かもな」
塞翁が馬、ではないが、一つのオーディションには落ちたけど、さらにデカい仕事のオーディションには受かった。そんなことは芸能界ではよくあること。オーディションとは役者の相性を見るお見合いのようなモノ。実力と合格はイコールではないのだ。
「人、学校、仕事、そして──恋愛。私はそのどれもほとんど失敗せずにここまで来てしまった」
人から見れば幸せなことかもしれないが、本人が不安になる気持ちもわかる。経験していないことを恐怖するのは人間として当たり前だ。まして今高い位置にいる人間なら特に。
「失敗したいな」
は?と思った時には遅かった。両肩を抑え込まれ、体重を預けられる。そのままベッドに倒れ込んだ。
「…………なんのつもりだ」
「失敗したいなって」
「種類が悪い。マジで冗談じゃすまない。お前が誰と恋仲になろうとセックスしようとファンへの裏切りなんて、オレは微塵も思わねぇけど、世の中オレみたいに冷めたやつばかりじゃない。前にも言ったろ。誰もがオレと同じ反応してくれると思うな」
「あはは、アクアって破天荒に見えて意外と優等生だ」
その一言に少しムッとする。ついこの間、あかねにも言われ、とうとうフリルにまで言われてしまった。
自分で言うのもなんだが、オレは今まで結構無茶をしてきた。『今ガチ』は勿論、『今日あま』でも、あのPVでも、その他色々なところで。安全な道を歩んできた事はないつもりだ。
本当に?
頭の中で声が響く。あの声とは少し違う……気がする。女性の声にも男性の声にも、マリンの声にも聞こえた。
お前はいつも考えていたじゃないか。『今日あま』はクソが前提のドラマ。あのクソ具合に多少無茶して失敗したところで大きな咎めなんて掛からない。その上であの行動を取ったじゃないか。有馬を救うため、そして己の存在をアピールするために。
───違う、オレは作品を良くするために……アイツの10年を無駄にしないために
PVはどうなの。結果的に私の声が聞こえてきたのは偶然だけど、それ以前から貴方は全て食い殺すつもりだった。それも名前のないモブ役だったからできた事でしょう?
───それは……でも
今ガチだってそうだろ?ほぼ無名の今なら炎上しようがどうでもいい事だ。フリルに比べたらお前のリスクなんてゼロに等しい。そんな事よりフリルに乗っかって名前を上げることの方が遥かにメリットは大きかった。
───だけど……そうだとしても
貴方は常に負けないところでゲームをしている。自分1人は安全圏にいて、意のままに人を動かす快感を楽しんでいる。
───違う……オレだっていつも命懸けで…
首筋に指が添えられる。見上げた先にいるのは黒髪の美女。ここ数週間で見慣れた顔……のはずなのに。
「貴方の命懸けなんて、私に比べたら、おままごとよ」
血の気のない顔で妖艶に微笑み、覆いかぶさっているのが、荒天で体調を崩したフリルなのか、なんらかの致命傷を負ったマリンなのか、それとも別の誰かなのか、わからなかった。
両肩にのしかかる腕を掴み、力任せに引き倒し、のしかかる。それだけで精一杯。まるで何キロも全力疾走したかのようだ。それなりに鍛えて、体力にもそこそこ自信のあるこのオレが、動けない。荒い息が治らない。大汗かいてるのに身体が熱くない。気持ちが悪い。吐きそうだ。
「女の子一人押し倒した程度で、随分辛そうね。合意のセックスしかしてこなかった優等生に、私を襲うなんてことは無理だったかな?」
頭の中で何かが散る。カッと熱くなると同時に真っ白になった。強引に肩を掴み、顎を指で持ち上げた。
「んっ、…痛……んむ」
唇を奪い、濃厚に舌を絡ませる。相手のことなど考えない。いつものアクアではあり得ない。ただ、自分の欲望を押しつけるようなキス。縦横無尽に動かしながら、それでも身につけたテクニックは無意識に、そして艶かしく口内を這い回り、お互いの身体に快楽を刻み込む。
「…………っは……はっ、ははっ。新発見。キスってもっと神聖なモノかと思ってたけど、凄くやらしいね」
今度はフリルから身体を起こし、首に腕を回し、唇を合わせてくる。フリルのぎこちない舌使いに応えるように、アクアも黒髪の少女の細い身体を、折れろと言わんばかりに強く抱きしめる。苦悶の声を漏らしながらも、フリルは一切逆らわなかった。
▼
ピグマリオン効果というモノをご存知だろうか。
1964年に行われたローザンサールらによる実験によって証明された効果である。
とある小学校のクラスでランダムに数名の生徒を選び、この生徒たちは成績が向上する才能があるという嘘の情報を教師に伝えたところ、教師から生徒への期待感、それによる教え方の変化が生じた。一般の生徒より優遇された彼らは本当に成績が向上し、成長に大きな影響を与えたとされている。
また、ジェーンエリオットによって、生徒に差別を体験させる教育が実施されたことがある。茶色の瞳を持つ子は青い瞳の子より優れた傾向にある、と話し、茶の瞳の生徒を優遇した。
すると差別を受けた生徒の成績は大幅に下がり、優遇された生徒の成績は本当に上がった。
つまり周囲から馬鹿だ、劣等だと言われ続けた人間は本当に劣等になり、優秀だと言われた人間は本当に優秀になる。思い込みの威力を証明する実験だったということ。
これは成績に限らない。血液型性格判断のように、根拠のない通説が現実になるという事例はどんな世界でも無数に存在する。
無論芸能界も例外ではない。根も葉もない噂が真実以上の力を持つという点において、これほど顕著な世界も他にないだろう。
そして、黒川あかねは今、学校などという小さな箱庭はおろか、ネットという年齢、性別、あらゆる垣根を越えて発言が許される場所で批判を浴び続けている。
『あかねと同じ中学だけど、アイツマジ嫌われてた』
『性格クソ悪い。仕事だーとかマウントとって早退することなんてしょっちゅう』
『単純にブス』
こんな事を四六時中言われ続け、寝ても覚めても批判の幻聴が己を苛む状況下で、性格が荒むなという方が無理な話。そして心の変化は表面に出る。ろくに眠れず、食事もまともに摂れない現状で、今のあかねが美しいはずもない。
───はは、私ってホントにブスだ
鏡の中に映る、髪もボサボサ。頬もこけ、目の下に濃いクマのできた自身の顔の酷さに笑ってしまう。
顔を洗い、力なく自室へと戻る。薄暗い部屋の中で立ち上げたPCには自身の閲覧履歴に沿ったホームページが表示される。
ユーチューブには自己中女あかねVSゆきと大文字で書かれたサムネイルが。
SNSにはあかねの炎上の詳細、出演作などが晒し上げられ。
───アクアさん…
ネットニュースにはアクアが表紙を飾った雑誌についての記事や今ガチにおける立ち回りの賛辞。あの事故を利用して脚光を浴び、賞賛を受け、さらに美しくなった星の輝きを瞳に宿す少年の微笑が大写しになっていた。
───ずるい…
私のせいで怪我をした。けれど私のおかげで彼はさらに注目を浴びることになった。初めはマイナスから始まった評価が今や不知火フリルと渡り合うほどの名声を博した。私のせいで。私のおかげで。
恨むのはお門違いとわかってる。理不尽なことも重々承知している。けれど、憎まずにはいられなかった。そうしなければ今の私に生きる原動力がなくなってしまう
ヴン
携帯が振動する。今ガチメンバーからの心配のLINKだ。時折メッセが送られてくるけど、返信する気は起きなかった。安全圏から、上から目線で心配だけされても何の救いにもならない。
───はは、ホントに性格悪いな、私
『ごはん買ってくる』
ちゃんとメシ食べてる?というノブのメッセに答えているような、答えになっていないような、よくわからないメッセを返す。外は雨だったが、特に気にならなかった。今のブサイクな私が多少濡れようが風邪ひこうがどうでもよかった。
家族に黙って家を出て、最寄りのコンビニへと歩く。顔を隠すために一応フード付きの雨ガッパだけは着て行った。
「ありがとうございましたー」
コンビニの店員というのも大変な職業で、こんな台風が直撃している日でも仕事に来なければいけないらしい。買い物を済ませ、歩きながら、今度生まれ変わったらコンビニの店員だけはやめておこうなんてことを、漠然と考える。
「───きゃっ」
大きな道路の上を通る歩道橋。足場の悪いその橋の上で一際強い強風が全身を叩きつける。持っていた傘の骨はバキバキに折れ、倒れ込んだ先に落ちたコンビニ袋からは買った商品がバラバラにばら撒かれていた。
───もう、拾うのもめんどくさい
今まで機械的に体を動かしてきたけど、別にお腹なんてすいてないし、何か食べたいとも思わなかった。
「───もういいや」
疲れた。考えるのも、恨むのも、憎むのも。なにも考えたくない。真っ白になりたい。私の炎上はきっと番組が終わっても消えない。芸能界人生に一生尾を引く。いや、芸能界だけじゃない。引退したとしても囁く人は絶対にいる。もうどうせ人生終わりなんだ。なら、もう──
ヴー
倒れ込んだ先にあった携帯が震える。今度はメッセじゃない。コールだ。わかる。一度の震えでなく、ずっと震え続けていたから。携帯が手に届かない位置なら無視したかも知れなかったが、少し手を伸ばした先に薄い板の電子機構はあった。この謹慎期間、携帯だけは常に手元に置いていた。震えるたびに内容を確認していた。だからか、ほとんど無意識に震えるスマホを手に取る。
表示には星野アクアと記載されていた。
出るかどうか、少し迷ったが、取ることにする。死ぬ前に一言くらい文句を言ってやろうと思ったのだ。この人に一生消えない傷を作って、この天才に私のことを刻み込んで、それから死のう。私の生きた証を、この人にだけは残してやろうと思った。
『お、ホントに出た』
電波でも悪いのだろうか。少し雑音が多く、聞こえにくい。けれどはっきりと耳に響く能天気な声。こっちの状況をまるでわかっていない軽い声。苛立ちの炎が強くなる。もう敬語など、使う気になれなかった。
「なに?貴方みたいな優秀な人が、私なんかに用なんてないよね?」
『はっ、この世の終わりみたいな声でそんなこと言われても挑発には聞こえねぇよ』
見透かされてる。この男はいつもこうだ。飄々として、安全圏にいるくせに見えてるものは全て見えてて、安全圏の中から踏み込んでくる。でも大衆からは危険を顧みず堂々と振る舞っているようにしか見えないだろう。だから評価されるし、だから負けないんだ。この人は。
「話すことないって言ったよね。そんな高いところからしか喋れないんならさ」
『そうか。でもお前がいるところも結構高いところだろ。なんせ歩道橋の上だ。大抵の人間は見下ろせるんじゃねぇか?』
一瞬、何を言われたかわからなかった。歩道橋?なんで私が今いる場所を知ってる?どこかから見てるの?一体どこから…
俯いていた顔を上げ、周囲を見渡す。すると、真正面に黒い何かが見えた。この大雨の中、視界も悪く、はっきりとは見えない。けれど目を引き寄せる強烈なオーラを放つその物体は少しずつ、けれど確実にこちらへ近づいてくる。
「な……んで…」
「『なあ、あかね』」
スピーカーから聞こえてくる擬似音声。そして鼓膜を直接震わせる肉声が両耳からほぼ同時に飛び込んでくる。歩きながら、黒い塊は会話を続けた。
「『アレから色々考えたんだけどさ』」
なんで貴方が此処に?どうして私が此処にいるってわかったの?なんでこんなところにまできたの?この嵐の中を?
「『オレは目の前で溺れてる人がいたら救命道具持ってくし、山で遭難した人がいたらレスキュー呼ぶよ。だって飛び込んだらパニクって一緒に溺れるかもしれねぇし、素人が山の中探しに入ったらオレまで遭難するかもしれねーだろ?』」
そう、彼はいつも正しい。常に最悪を想定し、それを避けるべく最善の行動をとる。なのに…
この嵐の中、私を探しにきた?台風が直撃してるこの状況で外に出たら比喩抜きで命の危険があるのに?ずぶ濡れになって、風邪ひいて仕事に穴を開けるかもしれないのに?そんな最悪の可能性を貴方が考えていないはずはない。それなのに、なんでこんな
聞きたいことはたくさんあった。けれどその全てが喉をつかえて出てこない。動揺と、恥ずかしさと、歓喜で、身動きが取れなかった。
そうこうしているうちに黒い塊は目の前に立っていた。しゃがみ込み、私のところまで視線を合わせ、顎に手を添える。大雨の中、薄暗く視界も悪い中、全身から色香を匂い立たせる星野アクアがアップで迫る。そっと腰に手を回され、そのまま優しく抱きしめられた。
「でも、目の前に神様が現れて、お前が飛び込む以外、救うことはできないって言われたら、その時は飛び込むさ。あかねを助けるためなら」
耳元で甘く、優しく囁かれる。同時に鼻腔を埋め尽くす、男の匂い。ここまで走ってきたのだろうか。立ち昇る熱気と汗は雄独特の獣性となって自身を包み込む。あかねの脳髄を蕩けさせるには充分すぎた。もう夢か現かわからない。けれどそんなことどうでもよかった。ただ、今はこの心地よいトリップに酔っていたかった。
───男の人に抱きしめられたの、初めて…
優しく、けれど力強い抱擁。気がついた時、私はアクアさんの首に腕を回していた。
───暖かい…
大抵の人間は、雨が嫌いだ。
整えられた髪も雨に降られれば台無しになるし、化粧も崩れる。服は傷むし、濡れる感覚は不快感に満ちている。
けれど、あかねはこの瞬間、雨が好きになった。
濡れて冷えた身体が抱擁によって暖められる。彼の熱が、鼓動が、ダイレクトに伝わってくる。雨だからこそはっきりとわかる感覚。凄い。知らなかった。男の人の身体がこんなに熱いなんて、誰も教えてくれなかった。
落ち着いたと判断したのか、アクアは抱擁を緩め、立ち上がり、手を差し伸べる。
「行こうぜ、溺れに」
濡れそぼった蜂蜜色の髪は雨に晒されてなお、くすむことは無く、鈍く高貴な輝きを放ち、星の光の瞳はまっすぐに私を捉える。
長いまつ毛。整った顎のライン。頬に未だ残る傷跡。いつもより少し艶っぽい頬。何より、雨に濡れていることさえ忘れさせる、魔性のオーラ。
───綺麗……
神様みたいだって思った。
もう人生終わったと思っていた私に、生きていいと、一緒に溺れようと言ってくれるこの人を。
闇の中にあってなお暗く、しかしだからこそ輝く光を放つ、闇の中にあるからこそ惹かれる星を背負うこの人を…
神様みたいだって、思った。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
やってしまった……アクアとフリルの濡れ場。けれど書きたかったシーンなので後悔はしてません。フリルがアクアをここまで煽ったのは理由があります。結論だけ言ってしまうとあかねのせいです。
人生経験16年のアクアが知る自殺を止める方法は2つのみ。そのうちの一つを今回は実行しています。詳しくはまた次回。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
26th take 自己のための自己犠牲
家畜を立派に育てるのは食べるため
人が手を掛けて何かを育てる時
それは自己の欲求を満たすため
「アクアが動揺してた?」
あかねが番組を休んだ次の週。収録中の休憩時間でMEMちょが私に告げ口した。
「うん、炎上のことで心配してアクたんがあかねに電話したんだけどね。その時すっごい動揺してたんだぁ。目を見開いて、呼吸も荒くなって、冷や汗までかいちゃってさぁ」
ちょっと信じられない。この私と初めて相対した今ガチ初回収録の時でさえ、動揺などしていなかったのに。何度も顔を合わせて、会話もしてきて、実力も才能も芸能人としてハッキリとアクアより格下のはずのあかねとの会話で動揺?一体どんな会話をしたのか。とても気になった。
「やぶ蛇にあっちゃったのかなぁ、アクたんは」
「…………やぶ蛇?」
「フリたんなら気づいてるでしょ?アクたんの仮面。悪役かと思ったら良いやつで、スーパードライかと思ったら咄嗟の行動はウェット。人間二面性あって当たり前だけど、アクたんには本性がない……いや、あるんだろうけど、全然見えてこない」
「正論の理論武装でガチガチに固めてて、ホントに人間?て聞きたくなるほど合理的。でもいざという局面では積み上げた全てを捨てて場当たり的に動くこともある。合理主義なのか、刹那主義なのか、よくわからない。完璧主義なのは間違いないと思うけどね」
だが普通の人間は完璧のために合理的になるか、アドリブかますか、どちらかだ。どっちかぶれてしまっては完璧とは程遠い。けれどアクアはどちらでも結果を出す。得意不得意がないのだ。
「フリたんがいない時、あかねアクたんの真似してたことがあったんだよぉ。トークのやり方とか、会話のパターンとか、あの独特の雰囲気とかね。あかね、アクたんのこと相当研究したんじゃないかなぁ」
誰かをトレースするためにはその人を理解する必要がある。何が得意で何が苦手か。無意識に好み、無意識に嫌うパターンは何か。本人すら自覚していない思考や癖を読み解き、理解し、実践する。それが出来て初めて、学ぶための真似ぶとなる。
「あかねと何を話したのかは知らない。けど多分、あかねはアクたんの芯を噛んじゃったんだよ。誰にも見せてなかった仮面の下の一部を見抜かれた。だから動揺した。人に隠してるものを暴かれるってすごく怖いもんね。私も携帯の中身とか勝手に見られたらって考えるだけでゾッとするよ」
私が今なによりも興味のある星野アクアの仮面の下。それを一部とはいえ、あかねに噛みつかれた。そうだとしたら動揺するのも無理はない。私がアクアに食いつかれた時に、すごいと思ったように。あかねにとってのアクアはアクアにとっての私のようなものなのかもしれない。今は自分より格上だけど、同等になりうる可能性を持っている、好敵手。
───アクアも、追われる側になり始めてるのか
わかっていたことだ。いずれいろんな人が彼の背中を追うことになる。大衆の多くが彼の服装を真似し、髪型を真似し、キャラを真似する。大衆だけではない役者やモデルたちも彼を手本とし、自身を向上させる。日本中が彼の名前を知る。そんな存在になることはあのPVを見た時からわかっていた。
わかっていたが、少し複雑だった。
ただマネするだけならこんな事、思わなかっただろう。けれど、あの仮面の下を暴き、食らいつくそうとしている人間が、他にもいた。気持ちはわかる。あの素材、あの才能だ。私だって、この数ヶ月で何度背筋をゾクリとさせられたか、わからない。食べたらさぞかし美味しいだろう。
だけど……
───星野アクアは、私の獲物だ
あの未知を。神秘を。不気味さを。怖さを。美しさを。全て食らいつくす。その為にリアリティショーに参加し、ファンが減るのを覚悟でアクアとフラグを立て、身バレのリスク承知でマリンをマネージャーにした。
全ては最高の素材を最高の形で調理するための下準備。目論見通り……いや、それ以上の速さでアクアは成長し、私から色々なものを盗んでいった。観客の意識。視線。大衆の思想パターン。客観視。才能だけでやっていたアクアに
それでも恐らくまだ完熟には至っていない。伸び代はまだまだ残っている。当然だ。アクアはドラマに一度出演しただけ。経験値という点において、自分とは比べ物にならない。数ヶ月、自分の傍らにおき、仕事を見せ、学習はさせたが、やはり実際に立つと外から見るとでは学ぶものが違う。
───今はまだ私が大切に育てている最中なんだから
彼はいずれ私に並ぶ。私と並び称され、比較され、誰もが追いかける存在になる。
それまで誰にも喰わせはしない。
私以外の誰かに追いつかれるのも許さない。私から離れることも許さない。まだしばらくはアクアを吸収し、成長する私の背中を追わせ続ける。その足を緩めることも、私以外に目を向けることも許さない。
その為なら、私はなんでもする。女の武器も、身体を使うことも、躊躇いはしない。
───まだ、しばらくは私に溺れなさい
「───はぁっ」
動きに合わせ、腰をくねらせると、熱棒がコツンと何かにあたり、勝手に体がえび反りになって痙攣する。嬌声を挙げながら、自身の胸へ彼の頭を抱きしめる。灼熱が身体の中で弾け、身体の震えは最高潮に達した。
次第に快楽の波が引いていき、天にも昇ってしまいそうだった身体に、倦怠感と疲労感が押し寄せる。反った肢体を維持できなくなり、力なくアクアの上に倒れ込んだ。しばらくお互いの温もりを全身で味わいながら二人とも荒い息を吐く。呼吸が整い始めた時、視線の合った二人はどちらからともなく、唇を合わせ、お互いを貪りあった。
▼
───やってしまった……
雨音が立ち込める薄暗い部屋の中、ベッドから上半身だけ起こした蜂蜜色の髪の少年は後悔と自責で息を吐いていた。
見下ろす先には生まれたままの姿で眠る黒髪の美少女。10年に1人と言われる天才。不知火フリルが穏やかな息遣いで目を閉じていた。
───挑発されたのは事実だが、オレってこんなにカッとなりやすかったか?
そんな事はないつもりだった。沸点は高い方だし、滅多に怒ることもしない。あの能天気妹のイタズラやアホ行動にも、大抵笑って済ませてきた。あの世界にいた時だって、口喧嘩はあっても、殴り合いの喧嘩なんてしたことは一度もなかった。
───あかねとのアレ以来、なんか下手だな、オレ
つい最近まで、カッとなって頭が真っ白になるなんてこと一度もなかった。内にある感情を隠す術も押し殺す方法も、とっくに知っている。羞恥も落胆も怒りも喜びもそう簡単に晒したりしなかった。ニセモノの笑顔で隠し、ニセモノの怒りで覆い、自分を制御し続けてきた。
それが最近、どうも上手くいかない。
あかねのあの声を聞いてからだ。あの声を聞いた時、オレの中で何かが目覚めた。ずっと蓋をしていた何かをこじ開けられた。
───焦ってるのか、怯えているのか、オレがオレでいられる時間は、もうあまり残っていないのかもしれない、と。
それでいいと思っていた。無くした記憶を取り戻した結果、オレがいなくなっても良いと思っていた。いや、今も思っている。だってそれが正しい本来の星野アクアのはずなのだから。正しい持ち主にあるべき姿を返す。オレはそれまでの仮初。できるだけ良い形で本来に返す。そのための繋ぎ役だと思っている。間違ってないはずだ。なのに……
───やっぱり怖いな、死ぬのって…
死にたくなったことなんて何度もある。けれど実行した事は一度もない。当たり前だ。それは生きる覚悟なんてかっこいいものではなく、ただ死への恐怖が生きる恐怖を上回っているだけに過ぎないと、改めて思い知らされた。
「───アクア?泣いてるの?」
隣で横向きに眠っていた少女が、オレに視線を合わせるために、ゆっくりと寝返りを打ち、仰向けになる。いつも丁寧に整えられた艶やかな黒髪は乱れ、寝ぼけ眼で半開きになったその表情。暗闇の中、わずかな光に照らし出される不知火フリルのありのままの姿は、先ほどまではなかった蠱惑的な美しさがあり、思わず息を呑んだ。
「───起こしたか。悪い」
「ううん。起きたくて起きただけ。それより貴方の方が心配。泣いてたの?後悔してる?」
「泣いてはねぇが、後悔はしてる。もうめちゃくちゃ」
「ごめんね、言い過ぎたね。でもあれくらい言わなきゃ、貴方の仮面は壊れそうになかったから」
「そっちはあまり気にしてねぇけど」
初めての情事としては、結構乱雑に扱われたというのに、フリルに不快な様子は微塵もない。身体を起こし、アクアを労わるように頬に手を添えた。
「でも、やっと見れた。貴方の仮面の下の顔を。よかった。私ばっかり見せてて不公平だとずっと思ってたから」
蒼白な顔で笑う美女。今度はしっかりとフリルに見えた。
「貴方は強くて弱い優秀な役者。何かを失うことを恐れる、誰かの理想を演じる影法師。それが貴方の仮面の下の素顔の一部」
「…………がっかりしたか?」
「まさか。とても綺麗で、とても不気味。強く、弱く、賢く、愚か。逞しく、儚く、美しく、脆い。ダイヤモンドの砂粒でできた砂上の楼閣のよう。ますます貴方の全てを私のものにしたくなった」
「砂上の楼閣、か」
的を得ている。オレが10年かけて積み上げたものは指先一つで崩される。どれくらい突けば崩れるか、フリルには知られてしまった。そしてオレも知ってしまった。オレは常に負けない勝負しかしていない卑怯者だと言うことを。
「別に気にしなくていいでしょう?それが一番賢い戦い方。貴方は泥くささが似合う役者じゃない。私と同じで、ね」
気にしてはいない。卑怯だとも実はあまり思っていない。そう立ち回れない者が愚かなんだ。感情に引っ張られ、振り回され、全体を俯瞰することもできず、当たって砕けて、消えていく。そんな生き方、オレにはできないし、したいとも思わない。
ルビーや有馬のような生き方は、オレにはできない。
「消えろ 消えろ 束の間の灯火 人生は歩く影法師 哀れな役者だ」
「マクベスね。第五章第五場。マクベスが妻の死を知らされた直後……破滅へと向かう男の科白」
「知ってたか。さすがだな」
「シェイクスピアは一通り勉強したもの。悲劇に突き進む色男の話は好きだしね」
成功を積み上げてきたフリルにも、自身の賢く狡猾な仮面を無意識に嫌うアクアにも、破滅的行動が見られる時がある。銀河鉄道は死へと旅する物語。その乗員である2人の出会いは破滅願望を改善させるはずもなく、むしろ蒸気機関にさらなる石炭を焚べていた。二人の情事は死の星へと向かう速度をさらに速めた気がする。
───あかねは、どうなんだろう
ふと、もう一人の影法師のことが脳裏によぎる。星野アクアを探究し、取り込み、理解を深めることで闇の中に迷い込んでしまった、あの少女は。
───失うには惜しい才能なんだが……
電話だけで、声だけでオレの中の何かをあそこまで揺さぶった。誰にでもできることでは絶対にない。このまま消えていくにはあまりに惜しい。
「ね、アクア。もう一回しない?」
「…………元気だなお前。体調悪いんじゃなかったのか?」
「ん、なんか軽くなった気がする。いい感じに血が抜けたからかな?」
「今日はもうしない。こんなことになるなんて思ってなかったから、なんの準備もしてなかったし」
「えー、今日は大丈夫な日だから問題ないって。一晩中退廃的に過ごしてみない?」
「女の大丈夫は間に受けないことにしてる」
「じゃあゴム買いに行く?」
「この台風直撃クソ雨の中出歩けるか。比喩抜きで命に関わる」
「でも今から何するの?寝ちゃったから眠くないし」
そう、雨の日で暇なら寝るという手段があるが、昼過ぎから延々とドロドロしつつ、22時すぎの今まで寝てた。だから眠気はあまりない。メシでも作ろうかとも思ったが、ろくな材料もないし、流石にこの時間帯にモノは食べられない。
「発展途上国とか、貧乏家庭とかで子供の出生率が高い理由がわかるよね。セックス以外に娯楽がないんだよ」
「この家はゲーム機あったろ。アレやろうぜ。ソフトは……お、大乱あるじゃん」
「大乱交した後に大乱闘…」
「いちいちうるせーな。乱交はしてねーだろ、意味わかって言ってんのか」
「あとピンクの悪魔がトラックとかほおばるのもあるよ。姉さんに勧められて新しいやつ買ったはいいけど全然できてないんだよね」
ヴー
ゲームを物色していると、テーブルに置いていた携帯が震える。そういえばさっきからずっと放置していた。まあ気にしてる余裕なんてなかったので当然といえば当然だ。一度人差し指を立て、静かにしてろよとフリルにジェスチャーする。指で丸を作ったのを確認すると通話をタップした。
『あ、やっと繋がった!アクたん!携帯見てないでしょ!?何やってんの!』
「メムか。どうしたこんな時間に。そりゃ見てねーけど別にいいだろ。オフなんだし」
今の時代、携帯と仕事はワンセットと言っても過言ではない。オフの期間、そういったデジタルから完全に切り離して過ごすデジタルデトックスも芸能界では珍しくない。責められることでは本来ないのだが、現状は少し普通とは違った。
『グループLINK見て!今すぐ!』
メムの切羽詰まった様子から、素直にLINKを開く。すると未読メッセージにあかねを心配するメッセが幾つかと……
「───は?正気か?」
ご飯買ってくるなどという、ありふれた、けれど台風が直撃している今は自殺行為に等しいメッセが書かれていた。
『そうなの!この嵐の中外に出たみたいで!みんなでやめろって呼びかけたんだけどそのLINK以降なんの返事もないの!アクたんも探すの手伝って!』
「手伝うのはやぶさかじゃねぇが……LINKじゃなくて直電しろよ」
『してるよ!でも全然出てくれないの!だから住所知ってる私が探しに出てるんだけど、どこに行ったかもわからないし…』
「───まて、メムお前今外か?」
『う、うん。そうだけど』
「今すぐタクシー拾って帰れ。二次災害が起きたらシャレにならねぇ」
『でも!でも…』
「足のあるオレが探してやるから。それまで待機してろ」
『アクたん一人じゃ……』
「なら何でオレに電話した?口ぶりからして他の奴らは外に探しに出てはいねぇんだろ?オレなら見つけられると思ったんじゃないのか」
返事は来ない。雄弁な沈黙だ。会話を続けながら服を着て、雨具を身につける。
「いいからお前は安全なところで待機してろ。見つけたら連絡する。いつでも連絡取れるよう携帯は握りしめてろよ」
『アクたん』
「なに?」
『私がアクたんに電話したのは、アクたんなら見つけてくれるって思ったからだけじゃないよ』
「まだるっこしい。時間がないんだ。結論を言え」
『多分あかねが電話出てくれる相手がいるとすれば、貴方しかいないって思ったからだよ。多分今、あかねが一番感謝してて、でも一番憎んでる、貴方しか』
怪我をさせた。ゆきを自分から守った。その事は何度謝っても足りない。けれど、落ちていく自分とは裏腹に、怪我をしたおかげで人気が爆上がりしたアクアに、妬みを感じるのは人間であれば無理もない。理不尽とわかっていても抑えられないのが感情なのだから。
『お願い。あかねを助けて。深淵を覗き込んで、洞穴に転がり落ちて、闇に堕ちようとしているあの子を助けられるのは、ゆきでも、フリルでもなく、貴方しかいない』
「言われなくても助ける。あかねの住所だけメッセで送れ。重ねて言うが携帯握りしめてろよ。電話したらワンコールで出ろ」
通話を切る。もう外に出る準備万端整っていた。ベッドの上、毛布一枚で身体を隠すフリルへと向き合う。
「悪い、そういう事だ。ちょっと出る。お前はここにいろよ」
「この台風直撃クソ雨の中、バイクで探す気?危ないよ?」
「わかってるけど、タクシー待ってる余裕はない。一刻を争う状況だ。多少のリスクは背負わねえと間に合わない」
「警察に連絡すれば?」
「それは最後の手段だ。話がややこしくなるし、アイツのためにもあまり大事にはしたくない。出来れば身内だけで片付けたい」
「気をつけてね」
「わかってる」
頬に軽くキスをする。バイクのキーを取り、部屋を後にした。
「───貴方らしくないね」
誰もいなくなった部屋で黒髪の美少女は一人ごちる。
「いつもの貴方なら多少時間がかかってもタクシー呼んで、探しに行ったはず。リスクは最小限に、最大の結果を。それが星野アクアのスタンスのはずなのに」
こんな危険行動に出るのを見たのは今日が初めて。私が散々挑発して、侮辱して、身体まで使って、ようやく出来たことを、あかねは台風の中外に出かけるというだけで、やってのけた。
「───貴方は何を失うことを恐れてるの?誰かが死ぬことがそんなに怖い?それとも……」
───相手があかねだからそこまでするの?会話だけで貴方の仮面を壊しかけた、あの子だから?
その時の様子をフリルはメムから聞いていた。あかねに電話した時、アクアの様子が明らかにおかしかった。動揺は顕著に見られ、汗を流し、呼吸も乱れていたそうだ。私がようやく見れた仮面の下をあかねは私より先に引き出していた。
「私が同じことをしたら、貴方は飛び出してくれる?雨の中でも、火事の中でも、ナイフを握る狂信的なファンが、私を血の海に沈めようとしていても」
問いかけた言葉に返事は来ない。ベッドの上に倒れ込む。まだ異物感の残る下腹部をほっそりとした美しい指で優しく愛撫した。
▼
「あの、アクアさん」
手を引かれて歩道橋を降りる最中、沈黙に耐えきれずあかねが口を開く。振り返りはしなかったが、構わずあかねは続けた。
「…………どう、して…」
「別に。散歩中に通りかかっただけだよ」
「この、嵐の中を」
「文句あるか」
あからさまな嘘。その一言にあかねから涙が溢れる。世界全てから否定されたと思っていた。でも違った。救いの手を差し伸べてくれる人がいた。私の為に愛のある嘘をついてくれる人がいたんだ。
「…………お前の人生だから」
しばらく雨音とあかねの嗚咽しか鼓膜を震わせない時間が続いたが、耐えられなくなったのか、今度はアクアが口を開く。
「生きるも死ぬもお前の自由にすればいいとは思う。けどオレと共演してる時はやめろよ。寝覚め悪いだろ」
「っ……ごめん、なさい」
「別にオレに謝る必要はねえって。言ったろ?散歩中に通りがかっただけだから」
「───ハハ」
この期に及んでまだその嘘を続けるのか。おかしくなってようやく少し笑えた。
『確保』
グループチャットにその一言を書く。良かったとか安心したとかのメッセが飛び交う。迎えにいこうかなどというのもあった。バイクがあるからいいとだけ返信する。
「お前、これからどうしたい?」
「…………どうって?」
「溺れようとは言ったけど、あかねがしたいことが最優先だ。家に帰りたいなら送ってくし、保護してほしいなら警察呼ぶし。どうする?」
「やだっ!待って!」
本当に帰ろうとしたわけでもないのに、縋りついてくる。
「家には、帰りたくない。今こんな状態で帰ったら心配される」
「…………こんな時くらい心配かけていいとは思うが」
まるで捨てられた子犬だな、と思う。中学の頃、家出した女の子と一晩過ごした事がある。あの子も似たような顔をしていた。
「じゃあとりあえず雨露しのげる場所行くぞ。このままじゃ風邪ひいちまう。バイク下に停めてあるから。乗ってけ」
「…………散歩なのにバイク乗ってきたの?」
「オレはバイク使って散歩すんだよ。悪いか」
「ご、ごめんなさい」
「ったく、余計なことに頭回るようになったんなら大丈夫そうだな。ほら、行くぞ」
手を掴んで引っ張り、歩道橋を下りる。スタンドも立てず、無惨に横倒しになったバイクは雨に濡れてるせいか、傍目から見ても少し哀れだった。
「…………起こすか」
「て、手伝う」
200キロの鉄の塊を二人がかりでなんとか立たせる。キーを回し、キックすると問題なくエンジンはかかった。乱雑に扱ったが、特に故障もせずいてくれたらしい
───となると問題なのはこれからどうするかだ。もう夜の11時前。こんな時間にチェックインできる宿なんて……
思いつく宿泊施設はラブホテルだが、ここからは少し遠い。この雨の中二人乗りで長距離走るのはだるい。それにフリルと散々やった後だ。今はそんな気分になれなかった。
───しょうがない。久々にあそこ使うか。ここからならすぐだし
目的地を頭の中で決めるとハンドルを回そうとする。しかしそこでようやくタンデムシートに誰も乗っていないことに気づいた。見上げてみると何かを躊躇っているかのように、あかねが立ち尽くしている。
「なに?乗らねーの?人の目気にして空気ばっか読んできたお嬢さんに男と無断外泊はハードル高かったか?まぁオレとしてもそっちの方がありがたいが」
雨ガッパのフードを深く被り直し、挑発するような口調で問いかける。以前優等生と言われたことへの意趣返しがこんなところで出来るとは思わなかった。
流石にムッとしたのか、それとも図星をつかれたことの焦りか。差し伸べたアクアの手を強く掴み、タンデムシートに座る。大雨の中、小さなライトのみで夜をかける二輪車は、深海の中を進む、沈みかけの船のようだった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
フリル様の焦りの理由はアクアに迫るあかねの足音が聞こえたからでした。フリルはアクアのことが好きですが、恋愛というより独占欲の方が今は強めです。自分がさらに美しくなるために。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
27th take DIVE DIE
正しさから外れた貴方は彼女の手を掴むだろう
しかし忘れてはいけない
掴んだその手は死神の手かもしれないということを
死に飛び込む。
夜の闇。大雨の中。凄まじい速度で暗がりに突っ込んでいく人生初のバイクは私にとってまさに死へ飛び込んでいくような感覚だった。
腹の底から突き上げるかのような振動が恐怖心を煽る。
風と雨をダイレクトに感じるからか、速度自体は車より遅いはずなのにとても速さをリアルに感じる。
怖い、危ない、死にそう
バイクが動き始めた時、私はそれしか考えられなかった。視界の悪いヘルメットの中、目を開ける余裕すらない。
───ヘルメット……
そう、私は今ヘルメットを被っている。少しサイズは大きく、メットのヒモをアクアさんに絞めてもらい、調節した。だから私の頭はこの安全防具で守られている。
でも、アクアくんは?
その事実に気づいた時、ようやく目を開く。深夜、雨、台風、バイク乗りがおよそ考えうる最悪の条件下。風に煽られ、雨ガッパのフードもハズレた星野アクアは雨晒しになっていた。整った眉にシワを寄せ、艶を感じさせる口元は真一文字に結び、煌めく蜂蜜色の髪はずぶ濡れになっている。
「あ、アクアくん!ヘルメット、ヘルメットして!私の外していいから!」
信号で止まった時、大声で必死に呼びかける。私は死んでもいいけど、この人を死なせるわけにはいかない。メットのヒモに手をかけようとした時、右手が強い力で握られた。
「いらねぇ。今貴重な経験してんだ。邪魔するな」
「貴重な、経験?」
「雨の中、ノーヘルでバイクに乗るとどうなるか。まあ今時ドラマでもこんなことやらせねーだろうけど、こんな最悪の視界は人生で初体験だ。やりきってみせたい。最悪をやりきった時の感情を知りたい」
眉間にシワを寄せながらも、その口元は妖しく歪み、星の瞳は夜の中で燦然と輝く。
こんな時でもこの人は全てを自分の養分にしている。非日常を楽しんで、役者として積み上げてる。
───天才っていうのは、こういう人の事を言うんだろうな
常人と感覚が違う。何気ない日常がこの人にとっては稽古の一環。才能とは結局努力の積み重ねでしかない。それはわかっている。だが常人は努力しようと思って練習したり稽古したりする。けれどこの人はただ外を歩くだけでも意味を見出し、上手くなる理由を見つけてしまう。日常が全て稽古なら、この人の積み重ねは一体どれほどの高みに達しているのだろう。想像もつかなかった。
「私は……」
「黙ってオレにしがみついて、おまわりに見つからないよう祈ってろ。あ、死んだらゴメンな」
軽い口調で重い冗談をあっさり言ってのける。信号が青になったのか、再びエンジン音が大きく響く。けれど私の脳には殆ど届かなかった。
───死んでもいい
ついさっき、歩道橋でも思ったこと。けれど同じ言葉でも、その意味はまるで違う。
この人と一緒に死ねるなら、死んでもいい。
身体の震えも、突き上げるような振動も、雨も風もほとんど何も感じない。
艶やかな金髪を濡らし、眼前の闇へ真っ直ぐに挑む星の瞳しか脳に響いてこない。
女友達が良く言っていた。危ない男や悪い男が魅力的だと。
初めて聞いた時は理解できなかった。彼氏にするなら優しくていい人が良いに決まってる。不良や怖い人なんか近づきたくもない。
けれど、今なら少しわかる。悪い男に惹かれてしまう女の子の気持ちが。
きっと、この人となら堕ちてもいいと思ってしまうのだ。
ああ。そうか
虜になるっていうのは、きっとこういうことを言うんだ。
さっきより優しく、けれど強くその背中に縋りつく。もう恐怖は感じなかった。
▼
「あ、お母さん。うん、連絡遅れてごめん。今日は友達の家にいて、台風で出れなくなっちゃって……今夜はそっちで泊まるから……うん、うん、また明日」
電話を切って少しすると猛烈に罪悪感に襲われる。やってしまったことの後悔。もう後戻りできないことの絶望。それら全てが私を押し潰そうとしていた。
───生まれて初めて、お母さんに嘘をついて外泊しちゃった…
「あ、やっぱ無断外泊はヤバいから親に電話しとけよ。家出と思われて捜索願いとか出されたら面倒だろ」
アクアさんのアドバイスに従って殆ど無意識にコールを掛けた後、咄嗟に思いついた嘘をついてしまう。これでも一応役者。一度ウソをつくと決めるとスラスラ出来る。しかし、会話が終わり、正気に帰るともう罪悪感しか湧いてこない。
───世の中の不良少女達はコレを毎日してるの?メンタル強すぎない?!
「電話、終わった?」
頭をタオルで拭きながら元凶が現れる。ちょっとだけ恨みがましい視線を送ったが、パチンと一度頬を叩く。彼なら今日の体験を芸の肥やしにするはずだ。私も役者。今はまだ追いつけないけど、この非行を養分にする努力をしなければ行けない。恨むのではなく、感謝しなければ。
「どうだった?初めてバイクに乗ってみた感想は」
「なんというか……ウォータースプラッシュのジェットコースターに乗ったみたいな感じだった」
「そりゃ良かった」
「…………死んだらごめんって言ってたけど、やっぱり危ないの?」
「まあ四輪車よりはな。けどそんなにスピード出さなきゃ大丈夫だよ。死亡事故なんて滅多に聞かないし」
そのための免許と講習所だ。知識と技術と経験さえ積めば誰でも安全にバイクは乗れる。だがあのバイク独特の快感を強く感じようとすればするほどアクセルは大きく開く。そして速度を上げれば上げるほど僅かなミスで大きな事故に繋がる。
「まあ今日みたいな雨の日は別だが。タイヤは滑りやすいし、ブレーキ効きにくいし、キャブに水は入るし、いつエンスト起こしてもおかしくねーっていう」
「…………」
世の中知らない方がよかったと思うことは結構多い。そんな綱渡りな状況だったことを改めて知らされ、よく生きてここまでこれたなぁと息を吐いた。
「でもまぁ、あかねが思ったより大人しくて助かったよ。後ろで暴れられたらマジで事故ってたかもな」
───それは、アクアくんだからだよ
死んでもいいと思うことができていなかったらもっと恐怖で暴れていたかもしれない。この人以外目に入らなかったから、私はあそこまで安心してこの人に身を任せられたのだ。
両手が柔らかな暖かさに包まれる。いつの間にか、アクアはあかねの両手を取り、跪き、蕩けるような微笑を浮かべていた。
「オレに命を預けてくれて、ありがとう」
───…………あれ?
気がついた時、両目から熱い雫がいくつも流れ落ちていた。止めようとしたが止まらない。涙を流している事を自覚したからか、さっきよりもボロボロと滴り落ちるほどだ。慌ててアクアから手を解き、目元を拭う。
「違うの、違うんだよ。別に悲しいとか怖いとかそんなんじゃなくて……ただ──」
ありがとう、て言われたのが信じられなくて、感謝されたのなんて、久しぶりすぎて…
「アレ?ダメだ。私おかしい。涙腺壊れちゃったかな?」
「───壊れてないさ」
優しくあかねの頭を抱きしめる。雨で濡れたアクアの胸元があかねの涙でさらに重量を増す。
「頑張ったな、あかね。本当に、よく頑張った」
「…………私は…」
「でも、もう頑張らなくていいんだ。ここには大衆の目もカメラもない。オレとお前、2人きりの海の中。だからもう、頑張らなくていい。泣きたいなら泣け。恨み言を言いたいなら言え。オレに怒りたいなら怒れ。溜めたもの全部、吐き出してしまえ」
優しくあかねの頭を撫で続ける。しばらく続けていたが、十数えるほどが経つと、ドンと胸元に衝撃が来た。
「なんで私ばっかりこんな目に合わなきゃ行けないの!?確かにアクアくんとゆきには悪いことしたけど貴方達には何もしてないじゃない!死ねとかブスとかみてるだけのお前らに言われたくないよ!」
「そうだな、その通りだ。そう思ってんなら無視してりゃいいのに。僻んでる奴らなんてそれこそブスばっかりさ。あかねはかわいいよ。オレが保証する」
「アクアくんもアクアくんだよ!私がいない時にあんなに楽しそうに番組回さなくてもいいじゃない!怪我のこと面白おかしく扱ってさ!本当に私は今ガチには要らないのかななんて思っちゃうでしょ!」
「ごめんな。オレなりの配慮だったんだ。お前が帰ってきた時に負い目感じないように場をあっためておこうって。あと怪我を茶化したのは気にしてない事を世間にアピールするためで」
「番組の人たちも酷い!私のこと悪者にするような編集ばっかりして!面白くするためなら私はどれだけ非難されてもいいと思ってる!」
「数字取ることだけが連中の正義だからな……学校の教師とかと一緒で、大人は子供を守ってくれねーのよ。学校って組織は生徒ではなく教師を守ってるから」
「学校の女子どももマジムカつく!芸能界で仕事してますアピール?マウント取ってくる?取ってねーよ!事実言ってるだけでしょ!それをマウントと取るのはそっちが勝手に僻んでるからじゃない!悔しかったら行動してオーディションの一つでも受けなよ!なんにもやってない人が現状嘆くな!」
「僻むことしかできねーんだよそいつらも。高嶺の花こそ落ちてきてほしいと願ってる連中だから」
「事務所の社長も嫌い!元はと言えば爪痕残せってあの人が私のマネージャーに怒鳴りつけてたからこんなことになったんじゃない!私リアリティショーなんて初めてなんだよ!アクアくんやフリルさんみたいな天才と比べないでよ!」
「フリルはともかく、オレは天才じゃねぇよ」
「天才を自覚してない天才が一番ムカつく!さっきから慰めてくれてるようで全然慰めになってないしぃいいい……」
「事実に即して己を律する。それがオレの行動理念だからな」
「アクアくんのスーパードライ!人生二周目!精神年齢アラサぁあああああ!!」
しばらく胸を叩かれながら恨み言をぶつけられ続ける。女の扱いに長けた俳優であれば黙らせることは容易だっただろうが、星野アクアはただ、彼女の闇を受け入れ続けた。
▼
泣き腫らした目元が赤い。同時に頬も。親にも見せたことのない駄々っ子のような一部始終を見せてしまった。恥ずかしくてしばらく顔を上げることはできなかった。
「…………落ち着いたか?」
「あの、アクアくん…」
「ん?何?」
「さっきのはその……忘れてもらえると…」
「そうしたいところだが……殴られた胸元のアザが消えるくらいまでは、多分覚えてるだろうな」
「ごごごごめんなさい!治療費とか掛かるようなら全部出すから!」
「いらねぇよ。取り分8:2の女優よりは多分金持ちだぜ、オレ」
下積み時代、年齢偽ってバイト紛いのことをしまくってたし、フリルの付き人もギャラはある。カントル時代も活動費はほとんどナナさんとハルさんに任せてたし、ドラムもレン先輩のお下がり使ってたからほとんどタダ。資産運用もしてるし、10年かけて恐らく500万くらいは貯まってる。
「…………もう一つ聞いていい?」
「なんなりと、姫殿下」
「───ここって、一体どこ?」
アクアのバイクの目的地は明らかに廃墟と化した建物だった。鍵は壊れており、出入り自由。そこかしこにお酒の空き缶やコンビニ弁当の箱などが転がっており、どこか生活感がある。
「───鍵とかはかかってなかったけど、勝手に入ったりしていいのかな?」
「何とかいう会社が倒産して工事が途中で中止になった廃ホテル。完成直前でベッドとかも積み込まれてる。流石に電気は通ってねぇけど一晩過ごすくらいなら普通にできる」
普段は不良や半グレ、その他ロックな若者の溜まり場になっている場所。流石に今日は誰も使っていないらしい。台風直撃は不幸中の幸いだったかもしれない。
「ま、ヤーさんとかがヤバい粉の取引とかで使う時もあるみたいだけど」
「え!?」
「大丈夫大丈夫。そういう時はオレらみたいな非行少年少女が入らないように見張り立ててる。ドラマみたいに鉢合わせることなんて普通はありえない。奴らもカタギとゴタゴタしたくないんだから」
「…………アクアくん、よくそんなことまで知ってるね」
「ワルい友達もそこそこ多いんでね」
ロックの世界にいた時、こういう場所に何度も足を運んだ。お陰で緊急避難場所には事欠かない。安全性はペケだが。
「あーあ、パンツまでグショグショだ。気持ち悪くて着てらんねーな」
私に背を向けたアクアさんも服を脱ぎ始めた。細い。鍛えてはあるけど筋骨隆々というわけではない。細身の絞った身体。うっすらと割れた腹筋。無駄な肉のない腕や腰。節制とトレーニングによって作られた、役者の肉体と分かる。
───綺麗
役者としての勉強ばかりしてきたあかねに男性経験はない。けれどわかる。見られることを意識し、見られるために作り上げた星野アクアの身体。10年間の努力の結晶、その一部を見た時、あかねは濡れそぼった美少年に尊敬と親愛を感じた。
役者の世界にいるのだ。見た目がいい人間には何人も出会った。カッコいいと思った人もいた。だけど初めてだった。異性を綺麗と思ったことは。
「…………なに?」
見られていることに気付いたのか、ちょっと不快そうに視線だけを向ける。慌てて手を振って、なんでもないと告げた。
「ほら、お前も早く脱げよ。風邪ひくぞ」
「え、その……でも…」
「恥ずかしいならコレにくるまってろ。流石に着替えはねーけどタオルとかシーツなら山程あるから」
白い大きな布が渡される。思っていたよりはキレイだ。屯ってる人が持ち込んでるんだろう。
大きなタオルとシーツを置くと、アクアは部屋から出て、扉を閉める。視線がなくなった事を確認すると、私も服を脱ぎ、身体を拭いて、シーツにくるまった。
「アクアくん、いる?」
「いるよ」
「…………その、どんな格好してる?」
「多分あかねとほぼ同じ。裸の上にシーツ一枚」
「…………入ってきてくれる?」
「いいのか?」
「1人でいるの、何か怖くて……お願いします」
ドアが開く。私と同じように、シーツを肩から羽織り、下半身は隠している。
私を安心させるためか、それとも呆れたのか、アクアさんはフッと微笑を漏らし、私の隣に腰掛け、緊張で震える私の手を優しく包み込んだ。手つきにいやらしさは感じない。私を安心させるためだとわかってる。けれど彼の優しさは今の私には逆効果にしかならなかった。
「あっ、あのっ、アクア、く──さんっ」
「びびんなくて大丈夫だよ。流石にこんな状況でセックスしようなんてオレも思ってねーから」
「セッ……!?」
唐突に口にされた言葉は的確に私の心と思考を射抜く。羞恥と動揺で顔が赤くなっているのが自覚できる。
「慣れるまでこうしていよう。震えが止まったらすぐ寝ようぜ」
「…………はい」
それからしばらく静寂の時間が部屋を支配した。何もしない時間など、彼にとって退屈でしかないだろうに、私の震えが止まるまで、ずっと付き合ってくれた。
▼
「…………何も、聞かないの?」
沈黙に耐えきれず、口を開いてしまう。そっとしておいてくれる時間がありがたかったのに、自分からそれを壊してしまった。
「聞かねぇよ。てゆーかさっき大体聞いたし」
「…………そう、だよね」
「だからあかねが言いたくなるまで待つよ。口にする事で楽になるってのもあるけど、心の傷を改めて言葉にするってのも辛いだろうからさ」
「……………………」
アクアさんは凄い。私が欲しい言葉、考えてることが全部わかっているみたいだ。演技も上手。演技に関する事ならわかる。私が唯一取り柄と断言できる事だから。
オーバーにならない、リアリティショーに映える自然な範囲で孤高の王子を演じている。斜に構えた俳優なんて炎上対象になっていてもおかしくないが、アクアさんはいい意味で悪役をこなしている。エゴサした時に、アクアさんの評判も見た。アンチも何人かいるが、それを遥かに超える支持者がいる。
細かいテクや気遣いが丁寧で、作品や企画に寄り添っている。長く役者をやっている人特有の努力と才能を垣間見ていた。
「聞いてほしいなら聞くけど?」
「…………」
それもどうなんだろう。言いたいのか、言いたくないのか、自分でもよくわからなかった。けど、確かなことがあるとすれば、聞いてもらうならこの人しかいないということだけだ。
「なら質問しようか。あかね、なんでリアリティショー出ようと思った?」
性格的に向いてないことくらいわかってたはずだ。まあ理解が甘かったのは事実だろうが、それでも苦手分野に踏み込んだ。まずはその理由からだ。
「…誰にも言わないでね」
「安心しろ、口は固い方だ」
「…………私は、ある役者さんに憧れて芸能界に入った。その人はだんだん売れなくなって、仕事も選ばなくなって、役者なのかピエロなのか分からなくなっていった」
ポツポツと自分のルーツを話し始める。なぜ私が芸能界に来たのか。
「その人みたいになりたくて、けどその人みたいになりたくなくて、私はずっと演技を頑張ってきた。そのおかげでララライに入れたし、最近では大きな役もやらせてもらえるようになった」
でも板の上に立っているだけでは限界がある。もっと有名な女優になって、これからもずっと演技を続けて行くために今回のリアリティショーに出る事を決意した。
「でもソレしか頑張ってこなかった私なんかじゃ、うまくいかないのは当たり前だよね」
現状に至る全てを少しずつ、ポツポツと話す。炎上の内容。その全てに目を通してきたこと。炎上してからどういう精神状態だったか。その全てを。アクアは相槌を打つことすらせず、聞き役に徹していた。
「…………アクアくんは、どうしてそんなに立ち回りが上手なの?」
私と同じ、長く演技の勉強をしていた人。なのに私と違って、リアリティショーでも人気を得て活躍している。私だって作品や企画に寄り添って頑張っているつもりなのに、ここまで差がつくのは不思議だった。
「んー……そんなに立ち回り上手いってつもりはないんだけど」
「上手だよ。少なくとも、私よりは」
「…………それでもあかねからオレがそう見えてるんなら、多分、リアルを意識してないからだと思う」
「リアルを、意識していない?」
リアリティショーなのに?私たちの素を撮ることこそが、あの企画の本筋じゃないの?そう思ったから……最初にディレクターがそう言ってたから私は普段通りに振る舞うのを心がけてたのに。
「あかねは真面目だからさ、リアリティショーはタイトルそのままリアルを見せることが大事だって思ってたんじゃないかな」
「だって、それが前提の番組のはずじゃ…」
「言い方悪いかもだけど、そんなのは建前でしかないんだよ。視聴者達はカメラの向こうの人間のリアルじゃなく、リアルっぽいモノを見たいだけなんだ」
恋愛リアリティショーにおいて最も重要なのは番組の意志ではなく視聴者の意思。視聴者が見たい擬似恋愛の肝は駆け引き。想い人の意識を引くため、演技している部分とそうでない素の部分をギャップさせて見せることでリアル感を出す。それがリアリティショーで出演者に求められるムーブ。
「あかねは嘘つかないままユキからノブを奪う悪女をやってた。でもあかねは根が善人だから素のままでそれをやるのは難しい。どこかで絶対ムリが生まれる。その結果があの事故に繋がったんじゃないかって、オレは思ってる」
「……………………」
凄い
本当に凄い。私は番組でどうやって役に立てるか、ディレクターが何を求めてるかしか考えられなかった。でもアクアさんはカメラの向こうの人の意志や感情まで考えた上で立ち回っていた。しかも共演している人間の内面をここまで正確に捉えてる。一人一人をしっかり見ていないと出来ないことだ。私は自分の事しか考えられてなかった。アクアさんは私と同じと考えていた自分が恥ずかしい。差が出て当たり前だ。
「なーんて言ったら戦略的でカッコよさげだけどな」
口調が変わる。今までも決して暗くはなかったが、真剣だった。それがおどけと少しの緊張が声に入ったことにあかねは気づいた。
「ホントは臆病なだけなんだよ、オレは。自分にキャラ付けして、自分を守ってるだけなんだ」
驚く。横顔には本当に怯えが出ていた。長いまつ毛が軽く震え、強い光を宿した瞳は小刻みに揺れている。
「オレってホント全然自分に自信ないんだ。ありのままのオレじゃ絶対売れない。センスも才能もないから経験していないことはできない。理論武装しないと人と接することすら怖い。オレより上手い人なんていっくらでもいるんだから」
「アクアさん……」
すごく良くわかる。芸能界でこの不安を抱えていない人なんてまずいないだろう。でもそれを見せないようにする。少なくともアクアさんはしてきた。私さえ気づかなかった。あんなに堂々と孤高の王子をやれているアクアさんが私と同じ不安を抱えているなんて。
「周りの人間はオレの事結構過大評価するけど、それは多分オレが人よりいろんなことを広く浅くやってるおかげなんだよ。結局経験に勝る武器はない。だから戦略を考える。テーマを理解し、いろんな視点から世界を見て、演出する。オレの戦略はコンプレックスの裏返しなだけなんだよ」
「そんな、そんな事……」
「ない、と思ってくれてるなら成功だけどさ。あるんだよ。勉強すればするほど、上手くなればなるほど、オレは臆病になっていく」
その気持ちは痛いほどよくわかった。長く何かに取り組んでいると、いくら上手くなっても足りないような時期がある。やればやるほど不安になる時が来る。アクアほどの天才でもそれは例外ではなかったんだ。
「オレな、母親の記憶がねぇんだ」
「……………………え?」
「まぁオレが4歳の頃に死んだらしいから憶えてないのも別に不思議ではないんだけど」
ちょうど物心がつくかどうかという歳の頃。高校生に4歳頃の記憶があるかと問えば、殆どがNOと答えるだろう。
「でもルビー……あ、オレの妹ね。そいつは母親のことを鮮明に憶えてるみたいでな。オレは昔、母親と約束したらしい。いつか役者になるって」
子供なら誰でも経験のある、母親との約束。大抵がたわいない事柄で、守られなくても誰一人気にしないような小さな誓い。
───幼い頃に患ったと考えられる心的外傷……
以前アクアくんを研究して時に予想したPTSD。恐らくはこの件が発端だろう。約束は呪いとなり、呪いは才能を育て、アクアくんを天才にしてしまった。
「自信も、センスも、才能もないオレが未だに役者をやってるのは、この約束を守るため。コレさえ忘れてしまったら、オレと母の繋がりが、何一つなくなってしまうような気がするから」
握った手から震えが伝わってくる。押し込めていた彼の恐怖が、言葉にする事で吹き出してしまった。
───私の、せいだ
私が彼の心の一番弱いところを剥き出しにさせてしまった。私なんかを慰めるために、彼は自分も私と同じなんだよと証明させてしまった。穴があったら入りたい。この人はなんて強く、優しいんだろう。
「初めて人に話した。誰にも言わないでくれるとありがたい」
「ごめん、なさい」
「謝らなくていい。内緒話ってのは共有するのが一番安全だ。あかねだけ話させてオレだけノーリスクなんて不公平だろ?」
「それでも……ごめんなさい」
「はは、情けないな。励ますつもりがオレが慰められてる」
「ちがっ!違うよ!」
「頼まれてもいないのに自分語りして、わかってた事なのに震えて、マジ恥ずい」
繋いでいた手を解く。温もりが消えたその瞬間、あかねはアクアを抱きしめていた。
「情けなくなんてない!アクアくんは凄いよ!自分が強くない事わかってて、でも強くあろうと努力して、ちゃんと結果出して!アクアくんは立派だよ!本当に立派だから!」
「…………」
涙でうるむ目で彼を見つめる。いつも強い輝きを秘めたその瞳が揺れていた。私の涙でではない。彼の心で揺れていた。けれど引き込まれる。揺らぐ光に引力を感じた。
星の瞳は揺れながらも私を見つめている。彼は私の目に何を感じているのだろう。少なくとも彼のように魅力的には写っていないはずだ。けど視線を外さないでいてくれた。目を背けない程度には私のことを見てくれている。その事が嬉しかった。
頬を引き寄せる。柔らかな感触が唇から伝わった。
「いいのか?」
「──アクアさん?」
「さっきはああ言ったけど、オレも意識してなかったって言えば嘘になるぜ」
「───あはは」
笑ってしまう。彼も緊張してたのか。
───神様みたいだって思ったけど…
違った。この人は神様みたいな人間だった。強さだけじゃない。弱さもちゃんと持ってる人だった。少し心が軽くなる。アクアくんはあまりに完璧すぎて、私なんかが独り占めしちゃいけない人だと思ってたから。
───この人を守りたい
彼の美しさは弱さを隠すことで成り立っている。誰にも弱みを見せず、毅然と振る舞い、完璧を演じ続けてきた。でもいつまでも完璧でいられるはずはない。だってこの人は人間なんだから。この人が唯一秘密を話してくれた私が、この人の安らげる場所になりたい。
「安心した」
「安心?」
「意識してるの、私だけじゃなかったんだ」
再び唇が重なる。体重を預けられ、身体が沈む。私は彼の全てを受け入れた。彼が私の全てを認めてくれたように。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
廃ホテルで一夜を明かした2人ですがエッチなことはしていません。キスしてほとんど裸の状態で同じシーツにくるまって一晩過ごしただけです(充分だよ!)メンゴはしてません。炎上解決編は次回以降。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
28th take リアルチックショータイム
鎮火に必要なのは水ではなく火を飲みこむ炎
黄昏に沈む太陽を救いなさい
星の真実を望むのであれば
「…………またアクアいないの?」
ここ最近ですっかり溜まり場と化した苺プロ事務所。かつての天才子役と活動内容ユーチューブ一本のみの自称アイドルに仕事などなく、暇を持て余している有馬かなと星野ルビーはここでクダを巻くのが日常になってしまっている。今日もそんなありふれた日常の一コマだった。
「朝、不知火さんに呼び出しコール来て仕事行ったー。それから帰ってきてない」
「…………そう」
童顔の美少女から思わずため息が漏れる。アイツが不知火フリルの事務所でバイトしてるのは聞いた。理由も。確かにお互いにとってメリットのある契約だった。それに、アイツにとっても非常に有益だろう。芸能界のトップ達が集まる現場で仕事が見られるのだ。目の良いアイツなら盗めるもの、吸収できるものは多いはず。実際アイツは見て、盗んで、真似て、学び、成長している。最初から高かったトーク力にはますます磨きがかかり、視野の広さは現場を突き抜けてカメラの向こうにまで広がっている。見られていることへの意識。客観視が以前とは比べ物にならないほど向上していた。
「お兄ちゃん今ガチ始まってから毎日ホントに忙しそうだよねー。なんか最近私すらゆっくり話せてないし」
「…………そうね」
「でも、お兄ちゃん全然疲れた様子見せないんだよね。まあ、それは昔からなんだけど」
「疲れた様子を見せない?」
「そうそう。弱ってるところ家族にすら見せようとしないんだよ。ウチでくらい弱音吐いたっていいのに。私にグチすら聞かせたことないから」
少し不満そうに鼻を鳴らすルビーを見ながら、有馬はクスリと笑ってしまう。家族にも弱い所を見せない。その気持ちはよくわかる。一度でも人前で緩んでしまうともう一度引き締める事が難しくなる。いつでもどこでも誰にでも強がってみせる。その心情は痛いほど理解できた。
「でも変なの。お兄ちゃん昔より今の方が絶対しんどいはずなのに、どんどん綺麗になってる気がする」
その一言にズクッと胸が痛む。それはルビーの気のせいではない。リアリティショーを観るたびに、たまに顔を合わせるたびに、有馬も思っていたことだった。
メイクが上手くなってる。ファッションに流行だけでなく星野アクアならではのポイントが散りばめられるようになっている。そういったぱっと見の印象が変わった事もある。この辺りは恐らく不知火フリルの入れ知恵だろう。
しかし、アクアの変化はそういった表面的なことが主因ではない。
女子達と交流を深めたからか。不知火フリルと世代の離れた人間達と仕事をしたからか。言葉の端々や行動の一つ一つに今までにない艶が出ている。疲労は影のある色気を醸し出し、立ち姿からは儚さが漂い、微笑には蠱惑的な妖しさが香る。
全てを吸い込むようなあの魔性のオーラに媚薬の鱗粉のようなものが纏わりつくようになっていたことに気づいたのは、いつのことだっただろうか。この事務所に顔を出しに来た時だったことは覚えている。
『…………有馬か』
匂い立つ
たった一言、確認のような言葉を発しただけなのに、強烈に香った。それを何と呼ぶのか、どんな香りなのか。有馬かなにはわからない。甘いような気がするけど、絶対にそれだけではない。しっとりとした湿り気を帯び、鼻腔をくすぐるその瞬間に、紫か紅か、とにかく艶やかな色が、強制的に、そして鮮烈にイメージされる。華やかで、爽やかで、暗く、深い。一度その香りを匂うだけで引きずり込まれそうになった。
色の香りと書いて、色香。
まさに色が匂い立つ。赤みがかった黒髪の少女は生まれて初めて、本物の色香というものを感じ取った。
「異性と交流を深めることで身につく艶はある。年齢……というか、経験を重ねることで精神が変化することはある。見た目が大きく変わるわけではない。けれど心が変われば身に纏う何かが変わる。そういったものは鼻でなく肌に香る。敢えて言葉にするならフェロモンとでも言うのかしら。大衆を虜にするのはそういった五感以外の何かに働きかけてくる人間よ」
───そう、かつてのアイのように…
星野アクアの変化を当然斎藤ミヤコも感じ取っていた。元々目を引くオーラを放っていたアクアだけれど、今はそれだけでない何かがある。アイドルで言うのなら『釣り師』と呼ばれる人種がそれを持っていると言われることが多い。もちろんアイも不知火フリルもこのカテゴリに含まれる。誰からでも様々なことを学び、盗んできたアクアはそういった天性まで身につけ始めている。
───記憶はなくとも、血は争えないってやつなのかしらね
元々母親とよく似た少年だった。けれど、フリルによって作られたマリンを見てから……いや、恐らくもっと前。あのPV以降、眠っていた才能が覚醒を始めてからだ。まるでアイ本人を見ているかのような錯覚に陥る事がある。マリンになっている時は尚更。10年に一度と呼ばれた才能に星野アクアは追いつきつつある。
───そりゃ、評価も覆るわけよね
スマホの中に踊るのはアクアへの賞賛。不知火フリルの相手役として一時大炎上したSNSに、アクアへの誹謗中傷を書き込む人間は今や殆どいない。下手な言い訳はせず、火元から少しずつ鎮火し、才能と実力で周囲を黙らせ、そして鷲見ゆきを黒川あかねから守ったあの行動で、大衆の憎悪は完全に裏返った。
「それに引き換え、黒川あかねは大変そうね」
他人事のように呟くが、決して対岸の火事ではない。何の気なしの独り言が芸能界人生を絶つこの時代、どんな芸能人だろうと炎上には細心の注意を払う必要がある。
「リアリティショーはいまや世界中で行われてるけど、年間50人近い自殺者も出してる。出演者にカウンセリングを義務付けている国もあるくらいよ」
「50人死んでるって事は軽くその10倍は死にたい思いをしてギリギリで留まってる人がいるでしょうね」
「お兄ちゃん、大丈夫かなぁ?」
「気をつけても無駄よ。日常生活の些細な行動でも燃えうるのが今のネット社会。燃える要因ってのは誰でも持ってる。ああいう他人に弱味見せないタイプはフラストレーション全部自分の中に貯めこんでるしね。いつかパンクして信じられない行動に出ることも──」
震動音が部屋に響く。三人全員が携帯を確認した。コールがかかったのは斎藤ミヤコ。
「はい、もしもし苺プロダクションです…… って、なんだアクアか。どうしたの?昨日帰ってこなかったみたいだけど。今どこ……え?ちょっと、何したの!?何があったの!?怪我でもした?!大丈夫なんでしょうね!………わかった、着替え持っていくわ。バイクのレッカー?嫌よ、自分でやりなさい。罰よ……なんの?母親の心臓止めるようなこと言った罰。それじゃ」
電話を切る。かけてきた相手が誰かはなんとなくわかった。しかし内容が不穏だった。
「お兄ちゃん?なんて?」
「黒川あかねが病院に運び込まれたみたい。アクアも救急車に乗ったらしいわ。迎えにいってくる」
「は!?病院!?救急車!?なに!どうしたのあいつ!黒川あかねに逆恨みされて怪我でもしたんじゃないでしょうね!?」
恐れていたパターンの一つだった。怪我をしたことで人気が爆上がりしたアクア。堕ちていく自分と裏腹に上へと駆け上がる彼を恨むことは本来なら筋違い。だが人間は時としてその暴挙に出てしまう。
「大丈夫。そういうのはないみたい。アクアには怪我一つないって。とにかく行ってくるわ。あまり穏やかな状況でもなさそうだから」
軽くメイクをし、服を着替えるとバッグを片手に飛び出していく。なんの不平不満を漏らさず、黙ってアクアを迎えにいくその背中を見て、私にもこんな母親が欲しかったな、と思わずにはいられなかった。
▼
───ま、こんなところか
時は少し遡る。起こさないようにそっと立ち上がる。伸びをすると身体がギシギシと悲鳴を上げた。いくらシーツがあるといっても、床で寝るのは身体に悪い。ベッドのないところで眠ったのは結構久々だった。たまになら面白いが、毎日はキツイなと、ストレッチをしながら漠然と思う。
泣き疲れたのか、意外と穏やかに眠るあかねを見やると、心中で息を吐く。
人を支配し、コントロールする方法は大きく分けて2通り。
依存先を見つけ、盲信させるか
自らが誰かの依存先になり、他者の命を背負い込むか
自らに劣等感のある者は前者でコントロールしやすく、自らに自信がある場合、後者で支配しやすい。
自らに劣等感のある者は誰かに答えを求めたがる。自分で導き出した答えに自信がないからだ。その誰かは自分の理解者であり、その人だけは自分を肯定してくれる人であれば尚良い。自分に憧れてくれる人ほど操りやすいものは無い。
能力に自負のある者は頼られることに弱く、人に何かを与えることで充足感を得る者が多い。充足感を与えるため、そのプライドを上手くくすぐれば、逆に相手の行動を予想し、縛るのは難しくない。
今回、あかねには両方のパターンを取った。強さと弱さをあえて両方見せた。
正確に言えば前者よりの方法だが、役者としての弱さをあえて見せ、共感と理解を深めることで依存しやすい距離感を保った。
完全無欠の印象を植え付けることも出来なくはなかったが、あまり神聖視されるとギャップを見せた時、一気に心が離れる可能性がある。自分よりはるか格上の、憧れの存在でありつつも、人間らしさ、天才に似つかわしくない未熟な部分を残す。理想と現実を上手い具合に混ぜ合わせることであかねの中の星野アクアの偶像にリアルを持たせた。
同様の理由でセックスはしなかった。人との距離感というのは身体を重ねると良くも悪くも近くなる。初めての時は肌を見せるのも恥じらうのに、回数を重ねるごとに躊躇わなくなっていく。早々にセックスに及んでしまってはオレへの偶像視も薄くなる。少なくとも今ガチが放送している間はしない方が都合が良い。
今、あかねが公私両面から頼ることができる人間はオレしかいない。そしてあかねもオレを理解しているのは自分しかいないと思っている。これでオレの許可なく死ぬことはしないはずだ。当面の危機は脱したと考えていいだろう。
アクアの考えは概ね正しい。一つ誤算があるとすれば……
ヴー
「…………フリルか」
人をコントロールする方法を心得ている人間は自分だけではないということ。
「もしもし……ああ……あんまり大丈夫じゃねーな。取り敢えず自殺は思いとどまらせたとは思うが……オレ?オレはもっと大丈夫じゃねーよ。バイクもメンテ出さなきゃ行けねーだろうし、余計な出費が……身体?まあ今のところ元気だが……そう。わかった。取り敢えず一度集まろう。あかねには説明責任果たしてもらわなきゃいけねーし……ああ、そうだな。病院で。体調崩してたら面倒だし……着替え?ああ、ウチの社長に頼むよ。ご心配なく。それじゃ」
電話を切る。さて、救急車呼ぶか。それとも警察にするか……いや、その前にまずバイクまともに動くかどうか試さねーと。明日になったら…
なんとなく外を見る。台風が過ぎた東京は雲一つない空になっている。
───もう今日か
ビル群の向こうからまだ目に優しい光の星が東の空に登り始めていた。
▼
台風の夜から一夜が明け、あかねは近くの総合病院で診察を受けていた。一応アクアも。健康体であることを確認するとアクアは入院着を纏い、カウンセリングルームの前で座っていた。
「病院に呼ばれた時は遂に刺されたかと思ったけど……」
いつのまにか背後に立っていた人影に直前まで気づかなかった。この人、オレの背後からいきなり声をかけることが好きなのか?隣に腰掛けた妙齢の美女、斎藤ミヤコは微笑みと共にアクアの頭に手を添えた。
「よくやったわ、アクア。誇らしいわよ」
「ミヤコに真っ当に褒められる日が来るとは。明日は台風だな」
「茶化さないで。本当に嬉しいのよ。貴方は他人と線を引いてるところがあったから。ちゃんと見てたのね」
「生憎MCなんでね。見ることが仕事と言っても過言じゃない。オレの唯一の武器でもある。オレも役者だ。人を見ることからも見られることからも逃げられねーさ」
「バイクは?」
「案の定キャブに水入ってエンストしたからディーラーに頼んでレッカー移動してもらった。修理費絶対請求してやる」
「ケチね」
「命助けてこの程度で済ませてやってんだ。むしろ太っ腹だろうが」
『うわぁああああああ!!』
ドア越しから声が聞こえてくる。語尾は震え、音からは湿り気が感じられる。流石は舞台役者。大した声量だ。
「アクア!」
早歩きで若い男女4〜5名が近づいてくる。先頭を歩くのは長い黒髪に前髪を姫カットにした美少女。名前は鷲見ゆき。ファッションモデルにして、恋愛リアリティショー『今ガチ』の現エース。
メンバー達が来たからか、黙ってオレから距離を取る。オレも椅子から立ち上がった。
「来たか」
「あかねは!?」
「母親と一緒にカウンセリング中。五体満足だからその辺は安心しろ」
ほーっとメンバー全員から安堵の息が漏れる。何も解決してはいないが、取り敢えず一安心というところだろう。
しばらく話し声のようなものが続いていたが、カウンセリングルームの扉がゆっくりと開く。泣き腫らした黒川あかねの表情は申し訳なさと少しの爽快感が滲み出ていた。
真っ先に鷲見ゆきが駆け寄り、その頬に音高く平手を打ち付ける。赤くなった頬をあかねが手で押さえた時、ゆきの目からは涙がこぼれ落ちていた。
「このっ、ばっ……!なんで、こ……んっ!……心配させて…!なんでもぉ!相談してよぉ!」
女の友情を確かめ合う2人を少し引いたところで眺めていると、肩に手をかけられる。昨夜日付が変わる2時間ほど前までずっと一緒にいた女が隣に立っていた。
「昨夜はお楽しみでしたね?」
「お楽しみじゃねーよ。何もしてねーってマジで。流石にあの状況で手ェ出すほど見境なしじゃねーさ。てかお前が言うなよフリル」
「でも慰めのキスくらいはしたんでしょ?」
「ノーコメント」
「アクア、そういう手段ばっか使って人間操ってると、いつかホントに刺されるよ。愛と憎悪は表裏一体なんだから」
「わかってる」
「どーだか。初めて奪った女をその日の夜に放置して、他の女助けに行く男が。私だからいいけど、普通の女なら刃傷沙汰だよ?」
「うるせーな、お前でなければしてねーよ。オレだって選んでやってる。人を見る目はそれなりにあるつもりだ」
重い女相手に軽はずみなことはしていない。有馬もあかねもやろうと思えばできたが、していない。2人とも既成事実作ったら面倒そうだから。
「私って軽そうに見える?」
「男の事情に理解がある方には見えてる」
これ以上この話をするのは嫌だったのか。不知火フリルの隣を離れ、あかねの方へと足をすすめる。
「なあ、あかね」
女子だけで話していた三人の視線が一斉にこちらへ向く。邪魔をしたわけではないが、少したじろいだ。
「お前、これからどうする?」
「どうって……」
「別に辞めてもいいんだぜ?」
「でも、契約とか……」
「ことここに至ってそんな悠長なこと言ってる場合か。あかねは未成年なんだ。その辺はどうにでもなる」
ただでさえあかねは芸名でなく本名で活動している。引き際を誤れば比喩抜きで今後の人生を左右する。
「あかね」
星の瞳が真っ直ぐに青みがかった黒髪の少女を捉える。威圧的ではない。むしろ優しさを感じる光だ。けれど逃げることも許さない。そんな目だった。
「本当の幸いってなんだろう」
厳しい目とは裏腹に、口調はとても甘く、優しいものだった。
「本当の……幸い?」
「宮沢賢治最後の遺作。死の直前に投げかけた題目だ。オレの旅の目的でもある」
アクアの発した言葉の意味を正しく理解できたのは泣きぼくろの美少女だけだった。
「楽な道を、選んだっていいんだぞ」
そっと頬に手を添える。揺れてもいい。惑ってもいい。逃げてもいい。けれど選べ。自分で道を選べと、星の瞳の少年は言った。
「いくら演技が得意で、ずっと好きで、長くやってても、それがツラくなったんなら選ばなくったっていいんだ。オレがお前に、頑張らなきゃできないことなんてするなって何回も言うのはな。自分に無理のない頑張らない選択をするって、険しい道を選ぶことと同じくらい勇気がいる、難しいことだからだ」
楽な選択をするというのは、意外と難しい。自分も他人もその他大勢も、みんな一途が好きだからだ。目標を持つ人が好き。努力する自分に安心する。汗を流し、涙を流し、泥に塗れ、成長していく。そんな姿を誰もが無意識のうちに求めている。役者となれば尚更だ。その才能を正しく育て、結果を残し、感動したと褒めてもらい、励まされたと手を叩く。
そして何もしないものにはそれら全てが批判へと繋がっていく。楽な道を選ぶ者。無為に時を過ごし、何も生み出さない者への嫌悪や軽蔑の刃となる。これらの刃を全て受けることはとても辛い事だ。あかねは身をもって知っているだろう。ここで逃げることも、残ることも、どちらにしろ茨の道。道はある。歩くことはできる。けど傷つくことからは逃げられない。そんな悪路をアクアは選べと言った。未来永劫続く怠惰の刃か。芸能界という獣道に敷き詰められた針の筵を登るか。二つに一つだ。
「だが、険しい道に本当の幸いがあるとは限らない。楽な道の先にだって本当の幸いはあるかもしれないんだ。でもどちらにあるにせよ、幸せは歩いてこない。だから歩いて行かなきゃな」
座して待つだけでは何も得られない。した事も、しなかった事も、最後には全て平等に自分に返ってくる。
「どんな道を選んでも人は幸せを探さなきゃいけないし、その幸せだけは嘘をついちゃいけないんだ。みんな気づいてないけど、オレ達にだって心も人生もあるんだから」
偶像は偶像であることを求められる。彼らにも感情があり、心があり、人生があることを大衆は知ろうとしてくれない。わかってる。そんなこと百も承知の上でこの世界に来た。だからこそ、オレ達だけはそこから目を背けてはいけない。オレ達だけは、本当の幸いに向き合い続けなければいけないんだ。
「───アクアくんは」
しばらくの沈黙の後、青みがかった黒髪の少女が口を開く。俯いたまま、けれどハッキリと問いかけた。
「今ガチが始まって、炎上した時、辞めようって思った?」
「…………」
そう、今回真っ先に炎上したのはアクアだった。燃え広がり方だけで言えば、あかねの時とは比べ物にならない。なにせあの不知火フリル関連だ。まだ人間性もあまり知られていたかった頃、アクアはそれはもうクズ男orヒモ男扱いされた。殺害予告すらあったくらいだ。あの時、ビビって逃げていてもおかしくない……いや、逃げているのが当たり前なくらいだった。
「アクアくんは、なんで留まったの?」
「…………オレは、あかねほどエゴサしてなかったってのもあるが…」
あまり人前で言いたくない事だったが、仕方ない。テキトーな嘘で誤魔化す事は、なんとなくすべきじゃないと判断した。
「多分エゴサしてても辞めなかったと思う。本当の幸いがどこにあるか、オレにもわからないが、少なくともオレが今探しているモノは
母親との約束。失った記憶。父親。その全てを解き明かす鍵は芸能界にある。選ぶことが難しい楽な道には存在しない。それだけは確かだ。だからオレはまだ此処で戦う。なくした全てを取り戻すか、星の光に焼き尽くされて灰になるまで。
「怖く、ないの?」
「怖いよ。でも仕方ねぇ。それ以外にオレに許される道はない」
「…………なら、私だけが逃げ出すわけにはいかないよ」
ほとんど聞こえない小さな声で呟かれる。俯いたままだった顔が上を向く。真っ直ぐにアクアの星の瞳を見据えた。
「私も、このまま終わりたくない」
「………分かった」
大きく息を吐く。決意表明は聞いた。とりあえず自殺はもうしないだろう。が、だからこそ大変なのはこれからだ。このマイナス振り切った状況でどうあかねのポジティブキャンペーンを展開していくか。オレはもちろん、フリルすら今何を言ったところで連中は聞く耳持たないだろう。中々に難題だ。
「で?どうするつもり?」
あかねから離れた時を見計らってか、いつのまにかフリルが隣にいた。まあ丁度いい。コイツにも手伝ってもらうつもりだった。
「乗りかかった船だ。何とかしてやるさ」
「貴方がそこまでする必要ある?命助けただけで充分じゃない?」
「…………」
確かに、いつものオレならもう手を引いていたかもしれない。深入りして火傷するのはごめんだ、とか何とか言って。だがオレは今火中の栗に自ら手を突っ込もうとしている。らしくないと言われても仕方ない。らしくなさを何よりも恐れるこのオレが、だ。わかってる。
けれどなぜか手を引く気にはなれなかった。あかねの炎上内容に目を通した時から……いや、多分もっと前から、オレの中で芽生えた初めての感情が燻り続けている。これを晴らさない限り、あかねから手を引く気にはなれない。
「アクア?」
「………今回の件は、責任の一端がオレにもある。オレは今ガチのMC。番組のバランスを取るのがオレの役目。なのにオレはそれを全うできなかった」
「それは……」
「しかもオレはあかねが無理してるのに気づいてた。らしくない行動を取ってる事も知っていた。それなのにああなるまで積極的には止めなかった。当たり障りのない忠告で止まった」
この事態を招いた人間の1人はオレだ。このままではオレも煽った番組や好き勝手言うネット連中と同じカテゴリになってしまう。それは嫌だ。
「それに……お礼をしてやんなきゃいけねぇしな」
「お礼?」
「生まれて初めて、はらわたが煮え繰り返るって感情を教えてくれた番組サイドと批判が趣味の暇人どもに」
その後、あかねの自殺未遂のネットニュースが流れ、界隈ではさまざまな議論が巻き起こる。それで炎上から手を引く者もいたが、新たな火種に中傷者も加速。SNSの闇を叩く偽善者とあかねの行動をメンヘラ女の構ってちゃんと罵る正義マンの、争いが勃発した。
「…………やったわね貴方。褒めた私がバカだったわ」
久々に自宅へ帰り、シャワーを浴びた義息子にミヤコは呆れと咎め両方の視線を向ける。突き刺さるような目を向けられながらも雨で傷んだ金髪に艶やかな輝きを取り戻した美少年はフフンと得意げな笑みを浮かべた。
「やろうとしてることは分かるわ。注目度は確かに上がるし、擁護者も出るでしょう。偽善者はどこにでも湧くから。けれど中傷者も増えてプラマイゼロ。炎上対策としてはあまり良い手じゃないのよ。わかってる?」
「あんだけマイナス振り切った状況だったんだ。プラマイゼロなら上出来上出来」
これで大衆どもが聞く耳を持つステージは整った。あとはどう演出するか。
「勝手な子。こんなに話大きくして。責任取れるの?」
「責任なんて取るわけねぇだろ。オレは勝算のない賭けはしねぇよ。まぁ見てなって」
着地点は考えてる。つまりはあかねへの誤解と偏見がことの発端。せっかくのリアリティショーなんだ。ちゃんとリアルを見せてやればいい。
「ただし、
羽織っていた無地のワイシャツが、地面に落ちた。
▼
数日後、SNSにとある動画が投稿される。タイトルは『今ガチ総集編。紅ver.』。再生ボタンをクリックすると、しばらくは暗転。真っ暗な画面が続く。
コツン
闇の中で足音が響く。ゆっくりと、けれど確かに近づいてくる。視聴者達は息を呑み、いつのまにか画面に釘付けになっていた。
「───黒川あかね?」
闇の中から見え始めるシルエット。青みがかった黒髪を肩近くで切り揃えたショートボブ。学校の女子制服に均整の取れたスタイル。スマホの小さな画面から現れた少女は確かに黒川あかねらしき姿に見える。
だが、関係者は気づいた。黒川あかねにしては身長が高いこと。そして、少女が星の輝きを放つ瞳を持っていることに。
これって……
まさか……
『───アクア!?』
本当の、リアリティ・ショーが、始まる。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
本作のアクア、何かあったらすぐ女装するな。でも一応理由はあります。やりたくてやってるのではなく仕方なくです。ちなみに今回のクオリティは鬼高。アクアの瞳を知らない人なら全員が騙されるレベルです。詳しくは次回以降。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
29th take ここにしかない
幸福の青い鳥は我が家にいた
星をなくした子が求めるもの
あるとするならそれはきっと
私は一度も言っていない。
不知火フリルが16歳に見えないとも、歳サバ読んでるとも言ってない。
星野アクアが人生二周目だとも、精神年齢アラサーとも言ったことはない。
けれど、それは直接口に出したことがないというだけだ。誰にも言わないけど、10代の少年少女としてはあまりに早熟なこの2人を見て、年齢相応と思うことはできない場面も多々あった。
「アクア、ここのテンポまだ早い。表現力が先行し過ぎてる。もう少し間をとって」
「わかった。ならフリルが入ってくるタイミングは……」
PCを覗き込みながら、撮影した動画の問題点を的確に指摘し、ブラッシュアップを繰り返し、Q&Aを提示する2人を見て、こう思わずにはいられなかった。
絶対この2人、私より歳上だろ、と。
▼
「みんなが映ってる映像や写真が欲しい?」
時は動画投稿より少し遡る。今ガチ収録前、MEMちょにアクアが珍しく頼み事をしていた。番組側が撮影している以外の素材を持っていないか、と。
「あるだろ?ユーチューバーなんて写真やV撮るのが仕事なんだから」
「そうは言ってもねぇ。勝手にアップとかはできないし、フリたんはいない時も多かったから、そんなにたくさんはないよ?せいぜい100枚いくかどうか」
「充分過ぎるわ」
「だってあの不知火フリルをタダで撮れるんだよ?本音を言えば5倍は欲しかったぁ……で?何に使うの?」
タダで渡してもいいけどやっぱり用途は気になった。あかねへの炎上対策に使うのであれば少し遅い。
「今回の騒動はあかねへの誤解と偏見から成り立っている。そこにたとえオレ達が違うと口だけで言ったところで信用なんて誰もしない。なら一番手っ取り早い証拠は写真か映像。この二つを使って大衆を説得することで日和見決め込んでる大多数に火をつける」
「───なるほど、アクたんは私たち目線の今ガチをやろうとしてるわけだ」
「というよりはあかね目線の、と言う方が正しい。無論オレらの目線も入れるけどな」
「…………それ、フリたんの入れ知恵?」
「まさか。自分で考えたんだよ。フリルはオレがこの件に首突っ込むの、どっちかっていうと反対してるから」
それは私も感じていた。フリたんはアクアにこれ以上危険なマネをして欲しくないと思っているに違いない。フリたんがアクたんの事を好きなのは間違いないだろう。芸能人としてその才覚に惚れたのか、男性として恋をしたのかはわからない。だが不知火フリルは明らかにこのリアリティショーで星野アクアを鍛えていた。
───私の目で見ても、アクたんの才能がフリたんに劣っているとは思わない
恐らくフリルも同じ考えだろう。しかし大衆はそうはいかない。男女の恋愛に関わらず、人間関係において、釣り合いというのは非常に大きなファクターの一つだ。
───フリたんは大衆にアクたんが自分と匹敵する才能の持ち主である事をこの今ガチで証明した。
フリたんが今ガチに参加した理由は表向き同年代の友達と、普通の放課後を送ってみたかったからということになっているが、真の目的は恐らくコレだろう。アクアを育て、その才能を引き出し、自分の隣に立てるだけの存在だと知らしめる。このリアリティショーが終われば、私たちの関係は一気に疎遠になる。けれどフリたんは番組が終わってもアクたんを自分の元から離さないために恩を売り、貸しを作った。
───そして今、大衆への意識、客観視を鍛えられたアクたんはその力であかねを救おうとしている
フリルから見れば面白くないだろう。あの不知火フリルが尽くし、育てた逸材がその能力を他の女に使おうとしている。そりゃ反対したくもなるだろう。自分が食べるために美味しく育ててるA5ランクの霜降り牛肉。他人に掻っ攫われていい気分になるはずがない。アクアを責めるのは筋違いなのはわかってるから止めようとまではしないが、すすんで協力も絶対しない。
「アクたん、ホント見る目が広くなったねぇ。番組始まった当初は目に見える範囲の人間の心理くらいしか認識してなかったのに」
「どういう意味だ?」
「だって現状最も多い炎上派閥が、あかねを叩いてる正義マンでも庇ってる偽善者でもなく、
「…………」
黙り込む。アクたんはどうでもいい人相手なら嘘が上手だけど友達や仲間に嘘をつくのが苦手だ。冷静沈着、スーパードライな孤高の仮面を剥がすと案外ウェットな一面を見せてくる。根が善人の、なんちゃって悪役ツンデレ王子だ。
「一見あかねへの叩きが目立ってるけど、それは氷山の一角。全体の数%に過ぎない。殆どの客層は誰かに明確な答えを求めている指示待ち人間」
「そこに共感性の高いコンテンツをぶち込むことで大衆にそれが正義と思い込ませ、炎上マーケットをコントロールする。ネットの炎上の解決策として最も有効なのは水ではなく火を飲み込むガソリンだ」
「アクたんが作った動画なら公式アカウントでアップできるし、実質の公式発表に偽装する事もできるねぇ。いやあ、策士策士。ついこの間までSNSノータッチ芸能人だったとは思えない」
「…………数ヶ月、その手のことに関しては同世代最高の天才と仕事してたんだ。これくらいは身につく」
「いやぁ、天才なんて照れるなぁ」
「フリルのことだぞ。当たり前だけど。同世代っつったろ」
「うっ」
不服そうに鼻を鳴らす。どうやらネットマーケティングに関してもフリたんから相当しごかれたようだ。芸術家肌のアクたんには合わない勉強だったろうに。いつもの余裕顔に深くシワが寄っているのを見て、ざまあみろと可哀想にと両方の感情が湧き上がる。おかしくなって笑ってしまった。
「完成したらデータちょうだーい。UPしとくよ」
「他人事のように言ってんじゃねぇ。お前も手伝うんだよ」
「えぇ〜」
「えぇじゃない。下積み経験のおかげで動画編集の技術はそこそこあるつもりだが、SNSに関しては完全にメムのが畑だろう。投稿時間のゴールデンタイムとか導線の惹き方とか」
「まあ、それくらいなら…」
「あと動画制作も勿論付き合ってもらうぞ。今ガチメンバー全員で作ってるとアピールするのが一番大事なんだから」
「じゃあ共演者として聞かせてもらうけど、アクたんはどんな動画UPするつもりなのぉ?大衆の意見まるっと乗っ取るために必要なのはやっぱりクオリティだよぉ?」
星の瞳の美少年の口角が妖しく上がる。その質問を待ってましたと言わんばかりの笑顔だった。クイクイと指を曲げて近づいてこいと指示してくる。悪巧みの気配がして、少し躊躇ったが、好奇心が勝った。耳を寄せる。
「今ガチ総集編をドラマ仕立てに演じる。もちろん主役はあかね。リアリティショーの仕事を引き受けたところから焦って空回った理由とその行動の結果まで、全て演技で説明する。写真や動画は演技内容が嘘でない事を証明するために使う予定だ」
告げられた内容に唖然とする。確かに企画は面白いが、演者に全てかかっていると言っていい。
「…………主演は誰がやるのぉ?休止中のあかね引っ張ってくるわけにはいかないよぉ」
「当然オレだ。セリフ無しで作るつもりだから
▼
そして始まる撮影会。主演を張るのはもちろん星野アクア。あかねの学校のものとよく似た制服を纏い、眩い蜂蜜色の髪は青みがかった黒髪のウィッグで隠されている。メイクも入念に施され、遠目から見ればメンバー達にすらあかねに見えるクオリティ。ただ、星の輝きを放つ瞳だけは加工のないアクアのものだった。
「よし、こんなもんか」
鏡の前で格闘していたあかねらしき人物が立ち上がった。そこでようやく楽屋の時間が動き出す。星野アクアから黒川あかねへと変貌していく化粧という魔法に凍りついていた者たちがようやく現実に帰ってきた。
「いや凄いね。アクア化粧も出来るんだ。しかもメイキャップアーティストレベルで」
姉もネイリストという職に就いているからか、その凄さの一部がわかるゆきが感嘆の息を吐いた。
「一応役者だからな。一通りのことはできるさ」
「私のおかげだけどね」
「うるせーぞフリル。一々チャチャ入れんな」
唯一魔法にかかっていなかった……というか、アクアに化粧という魔法を教えた師であるフリルだけは彼の様子と腕前を見ても特に驚きを示さなかった。それも当然。この数ヶ月、フリルがアクアにマリンのメイクをしていたのは最初の数回のみ。あとは全てアクアが独力でやっているのを実際に目の当たりにしている。この程度のことは驚くに値しない。だが…
───こんなことさせるために教えたんじゃないんだけどなぁ
教えた技術をどう使うもアクアの自由。それはわかってる。だけどそう思わずにはいられなかった。
「わざわざアクアがあかねを演ることなくない?私が演ってもいいんだよ?」
「バカ、なら誰がフリル演るんだよ」
今ガチが七人でやっている限り、1人欠けてる今、誰かが二役をやらなければいけない。だが不知火フリルの代わりができる者など、この場はおろか、芸能界全てを見渡しても存在しない。アクアすらそれは不可能だ。
「お前があかねを演って、代わりにオレがフリルを演じたとしても、絶対に余計なバッシングを呼ぶ。オレの代わりはまだいくらでもいるけど、不知火フリルは不知火フリルにしかできねぇんだ。他のメンツは演技の基礎すらロクに学んでいない。なら二役ができるのはオレしかいねぇ」
アクアの主張は筋が通っている。現実的で、客観的だ。
「それに……」
───あの心の闇を知らない人間に、本当の黒川あかねを演じられるとは思えない
あの雨の夜、オレの胸を何度も叩きながらぶつけられた慟哭を思い出す。アレは客観視だけでは絶対に見えない。フリルについて勉強した今だからこそより強く思う。演技に外からどう見られているかの目を意識することは確かに必要だが、それでもやはり主観を捨て去ることはオレにはできない。俯瞰を意識しながらも憑依りこむことが今のオレの演技だ。
「それに、何?」
フリルが覗き込んでくる。相変わらず綺麗だ。美人は3日で飽きると言うのに。この数ヶ月、うんざりするほど一緒にいたが、飽きる気がしない。むしろ日を重ねる毎に美しさを増しているような気さえした。
「それにクソ多忙のお前じゃこの総集編の稽古時間も取れねぇだろ。時間的にも実力的にもオレしかいない」
「じゃああかねはアクアがやればいいとして、私達は何をすればいいの?」
首を傾げてゆきが問いかける。アクアがあかねを演じることも、写真や動画が必要な事もわかった。けれどアクア以外のメンバーは何をすればいいのだろう。舞台に立ったことのないメンバー達には台本が必要だった。
「基本は今までの今ガチにあったことの再現だ。無声動画にするつもりだし、特にセリフを覚えたりはしなくていい。ただシーン毎にメンバーの出番はあるからそこには出てもらうぜ。音がないからこそ身振り手振りはクオリティ求めるから覚悟してろよ」
「うっ…」
自分に厳しくするのは得意だが、他人に厳しくするのが苦手な男が、厳しくすると言った。自分と同等のクオリティを求めると宣言した。普段滅多に怒らない男が怒ったら怖いように、これはフリル以外のメンバーは相当しごかれるかもしれないと唾を飲んだ。
「ケンゴは楽曲提供やってもらう。声は出さない動画だからこそ、音響にはこだわる。頼りにしてるぜ?プロミュージシャン」
「おう、そういうのなら任せろ。エモい感じで泣かせりゃいいんだろ?得意得意」
コレで大体の配役は決まった。後は行動あるのみ。
「さあ劇団『今ガチ』スタートだ。バズらせに行こうぜ」
『おぉ!!』
「…………え、俺の仕事は?」
1人何の指示も受けず、ポツンと残されたノブは慌てて立ち上がり、みんなの後を追いかけた。
▼
そしてしばらくが経ち、今ガチ公式アカウントに投稿された動画。『今ガチ総集編、紅ver.』が公開となった。
───真っ暗
再生画面は闇のまま、静寂の時間が支配する。あまりに長い暗闇に視聴者達が訝しみ始めたその時…
カツン
カツン
イヤホンで視聴しているとわかる。右、左、足音が別方向から響いてくる。それも近づいてくるような形ではない。遠くから、近くから、あらゆる距離から反響し、距離感が掴めない。
───闇の演出……アクアの十八番になりつつあるわね
人は見えないことに恐怖する。闇というのは人の想像をいたずらに掻き立てる。この仕掛け人が誰かはわかるものなら誰もがわかった。
───人の興味の惹き方をわかってるのよ、アイツは
自分のことを顔も名前も知らない人間への印象の残す方法。興味の惹き方、観客への魅せ方。あらゆるステージで見て、学び、自らもステージに立ち、実践してきた。
淡い光が画面を照らす。人影のシルエットがようやく見えた。
カツン
カツン
近づいてくる。逆光で顔は見えない……いや、それ以前に仮面のようなもので顔を隠していた。青みがかった黒髪を肩まで伸ばしたショートボブ。高校の女子制服に身を包んでいることから視聴者達はこの人物が誰なのか、大体の予想をつけ始める。けれど誰一人画面から目を離す事はできなかった。
───見えない、見れないというのはそれだけで人の興味を誘う。人はやるなと言われるとやりたくなる。見えなくさせられると見たくなる……意地の悪い演出ね
これほど大衆を意識した演出は以前のアクアにはなかった。この辺りは恐らく不知火フリルの影響だろう。彼女から学んだ客観視がアクアの魅せ方に磨きをかけた。
遂に外れる。仮面の下から現れたのは怒りとは裏腹に妖艶に微笑む美少女。しかしなぜか迫力があり、文字の刃を投げつけようとした人間の手を止めた。
笑顔は時に言葉より多くを語る。
満面の喜びを表す笑顔
悲しみを誘う寂しげな笑顔
そして、怒りの笑顔
腹の底から煮えくりかえる激情に薄皮一枚でフタをする、圧殺の顔が星の瞳を彩った。
『今ガチ総集編、紅ver.』静寂と激情の、スタート。
▼
暗転から始まり、視聴者を引き込んだ先から現れたのは黒川あかねに扮した星野アクアだと気づくことができたのは星野アクアの関係者だけだった。話題に釣られて誘導されたサイレントマジョリティ達はその人物の正体など気づくことなく動画が再生されていく。
まずはスタート。舞台役者として日々を懸命に生きるあかねをアクアが演じる。板の上、1人の観客もいない中、暗闇に向かって身振り手振りだけで懸命に演じるアクア。
───凄い
声もない。観客も、共演者すらいない。たった1人闇の中に立つアクアから、演劇が見える。観客に語りかけ、共演者と掛け合う姿を感じる。
パントマイム。何もない空間にジェスチャーだけで観客にイメージを見せつける技術。役者にとって基本であり、やろうと思えば誰でもできる稽古。しかし、だからこそこれほど熟練と素人の差が出るモノもないだろう。
リアリティショーが始まり、フリルの付き人を務め、磨きがかかった星野アクアのオーラ。
周囲全てを引き込む魔性の闇が一層の魅力と色香。多彩な表現力がより鮮やかに、そして妖しく視聴者を取り込んでいく。
───コレが、今のアクアの本気
動画を見ていた有馬かなが唸る。
あのPVで見せた圧倒的なオーラは変わっていない。寧ろ磨きがかかっているくらいだ。しかし、暴力的ではない。見る人を引き込み、演者と共鳴し、観客にわかりやすい演じ方になっている。
そうこうしている間に動画は進む。暗闇の中、ただ1人スポットライトの下で立っていたあかねに一枚の手紙がひらひらと舞い落ちてくる。中身は『今ガチ』への招待状だった。
葛藤の末、引き受ける事を決めた彼女は人生初のリアリティショーへと身を投じていく。
しかし、慣れない環境、SNSの声、思うように結果が出せない現状に戸惑い、焦り、行動が空回っていく。その様子を実際に撮影された写真や動画を背景に、わかりやすく鮮明に描写される。
セリフは一切ない。身振り手振りオンリー。それにメムが撮ってた動画や写真が添えられ、ケンゴのBGMが彩る。演劇と呼ぶには色々と要素が欠けている。だが鮮やかに変化する表情。動きに合わせて迸る感情の発露。この手の舞台は星野アクアが得意とするメソッド演技の独壇場。あのPVで周囲丸ごと食い殺したオーラが、今度は主演として遺憾なく発揮され、見る者を虜にしていった。
そしてついにあのシーンがやってくる。焦り、苛立ち、空回った結果、手を上げてしまった、今回の炎上事件の根幹。
ゆきが男と腕を組んで映像に登場する。ゆきの隣に立つのは鮮やかな金髪の美少年。スマホの小さな画面からは星野アクアに見える。しかし、注意して見ると、いつものアクアより少し背は低く、瞳からも星の輝きは感じられない。その代わり、美しさと色香が香る。歩く姿、動作の一つ一つが美麗だ。頭のてっぺんから爪先まで貶すところが一つもない。客観視を身につけ始めたアクアでもまだこの境地には達していない。
───これは……この星野アクアは…
「不知火フリルか」
▼
「でもあのシーンはどうするの?ホラ、あかねがアクアの頬を、その……」
そう、総集編を作るのならあのシーンは絶対欠かせない。この事件の発端にして、最も説明が必要なシーン。しかしあかねをアクアが演じるなら、ゆきを庇うアクアが居なくなる。
「あの後私があかねを優しく抱きしめるところは絶対欲しいよねぇ」
「メム、あのシーンは撮ってるか?」
「いやぁ、流石にそこまでは……そんな余裕も時間もなかったしぃ」
「チッ、使えねーな最年長」
「ぬぁんだとぉ!?じゃあ聞くけどアクたん何曜日の何時に動画アップするのが一番RT稼げて、何文字程度の投稿が一番インプレッション高くなるのか知ってるんですかぁ!?バズらせのプロの力が必要じゃないのぉ?ネットマーケティングとセルフプロモーションだけで、ここまで来た私が使えないぃ?言えるもんならもう一度言ってみろぉ!」
「その辺の知識はフリルがいたら充分だろ」
「うん、知ってるよ。教えてあげる。時間はね──」
「フリたんごめぇん!私のアイデンティティに関わるから知らないフリを通してぇ!」
「じゃあ私に自分は使えない最年長ですって言って。メス顔で」
「自分は使えない最年長ですぅ!」
「三人とも、ドSコントやってないで本題に戻って。あのシーン誰がやるの?」
咽び泣くMEMちょと愉悦顔で見下ろすフリルが会話に戻ってくる。確かに今は遊んでいる場合ではない。
「ま、あの場にいなかった人間がやるしかねぇだろ」
「というと…」
「頼むぜ、
「でっかい貸しだよ、
ハイタッチを交わす。演者は決まった。問題は映像と写真。
「それなら大丈夫。きっと番組サイドが持ってるよ」
「…………定点カメラか」
「そうそう、さすが。気づいてたね」
「え、なに?わかんね。どういう事?」
現状を飲み込めていないノブに視線が集まる。といっても別に責められる事ではない。そういうのを意識してないのがノブの良いところなのだから。
「つまりゆきはあかねを慰めるとき、カメラ写りのいい位置を意識してたって事」
「定点カメラはいきなり止められるものじゃないからね。プロモデルなら気にしてて当然。ちゃんと一番気持ち良く写るポジでやってました」
「色々台無しなんだけど」
「ゆき、それ絶対あかねに言うなよ。アレに救われてる部分も絶対あったはずだから」
呆れと感心、両方の意味で息を吐く。流石はハルさんの妹。強かだ。嫌いじゃないけど。そういう人。
「でも映像データは持ち出し厳禁がルール。頼んでもきっと出してはくれないよ?」
「そこは心配いらないと思うよ。詭弁については私以上の達人だと思うから。ね?女たらしのアクアさん?」
「失礼だな、オレは嘘ついて女と付き合ったことは一度もねーぞ」
ハルさんにもナナさんにもフリルにも隠し事はしても、嘘をついた事はない。本気で向き合ってくれる人には本気で返す。それがアクアの流儀だった。
「それに、いくら口が上手かろーと、大人は基本16のガキの頼みなんざ聞いてはくれねーよ。前にも言ったろ。何を言うかじゃなく、誰が言うかが大切なんだ」
「…………じゃあ誰に言わせる気?言っとくけど私はやだよ?あかねの為にDに頭下げる気までにはなれない」
ただでさえ今回のアクアの行動は気にいるものじゃない。それでも彼がやりたいならと黙認した。しかし私から能動的に何かをする気にまではなれなかった。
「そんな事はさせねーさ。オレだってお前が誰かに頭下げるところなんて見たかねーし。巻き込むならちゃんと然るべきところを巻き込むよ」
通話ボタンをタップする。3コールで通話相手は電話を取った。
「もしもし、あかねのマネージャーさんですか?先日はどうも、星野アクアです」
▼
ディレクターとの交渉はあかねのマネージャーを巻き込んで行われた。流石にDも最初は渋った。当然だ。映像データの持ち出しは厳禁。業界の鉄則。破ろうとするはずがない。
「使って欲しくないならNGを出せば良かった。そうしなかったのはあかねの意思だよね」
「あの時のあかねにそんな思考が出来たとホントに思ってるんですか。やってしまったことへの後悔と罪悪感でいっぱいだったはずです。そんなことくらい、ずっと一緒に仕事してきたDならご存じのはずでしょう」
「アクア君、それでも何も言われなければ放送するのが僕らの仕事だ。あかねも僕もプロとしての責任と義務がある」
「なら私にもプロとしてあかねを守る義務と責任があるんです!」
アクアとDの会話にマネージャーが割って入る。続いた。
「あかねは責任感の強い子です。プロとしての自覚も誇りも持っています。けれどあの子はまだ17歳なんです。失敗も間違いもして当たり前でしょう。未来ある若い才能達を守ることも我々の責任ではないのですか」
この言葉が決定的だった。Dは何一つ反論しなかった。
「安心してください。決してあかねへのバッシングが番組に向くような動画にはしませんよ。責任はオレが取ります。信じてみてくれませんか?」
「自惚れるな、悪ガキ。君程度が取れる責任なんてたかがしれてる。君一人では番組から映像一つ引っ張れないことを忘れるな」
ペロッと舌を出す。思わぬ反撃だったが、確かにその通りだ。オレ一人で出来ることなど少ない。だからあかねのマネージャーを巻き込んだ。
「君達には才能があり、君たちにしか出来ないことがある。けれど大人には大人にしか出来ないこともあるんだ。責任を取るのは僕の仕事だ。君如きが取ろうとするな」
「失言、謝罪します」
頭を下げる。屈辱ではなかった。寧ろ感心したくらいだった。この人がこちら側に立てる度量があるとは思わなかった。
「アクア君」
「はい」
「ありがとう」
初老の男性がアクアの手を握り、頭を下げる。自分の子供ほどに歳下の少年に頭を下げることにこの人はなんの躊躇もなかった。簡単そうに見えて難しいことだ。この人もすごい人だと思った。
「あかねのこと、よろしく頼みます」
「全力を尽くします」
こうした危うい交渉の末、手に入れた数多の映像データ。流石にMEMちょ一人で撮ったものとは量も質も比べ物にならない。当然あのシーンのデータもあった。
「コレならMEMちょのデータ要らなかったな」
「なんでそういう事言うかなぁ!私の方が使える写真だってあるじゃん!ほらコレとかいいでしょ?!」
「いつの間に撮られてたんだってのも結構あるね。バンの中で寝てる写真とか…」
「…………ふーん。アクア、私がいないところでMEMちょとこんな事してたんだぁ」
フリルが手に取っていたのはバンの中で怒りながらも楽しそうに肩を叩くMEMちょと身体を震わせて笑うアクアのツーショット。確かにどう見ても二人でいちゃついてるようにしか見えない。
「コレ撮られてたのぉ!?」
「…………いや待てフリル、違うんだよ。コレはな、いつも通りメムをからかってた時のでだなぁ」
「別に何も言ってないよ。ただ私とアクアって殴り合いの喧嘩した事なかったなぁって。親友なのに」
「しねーぞ絶対。オレがボコされるだけじゃねーか」
「それが目的だしね」
「…………性格わりーなフリル。知ってたけど」
「お、やっぱり殴られとく?」
「ごめんなさい」
このようなやりとりの中、写真や動画が厳選され、使える素材に合わせ、アクアのエチュードの内容も詰められていく。
「それじゃあ撮るよ。あかねがアクアの頬を爪で切るシーン。二人とも、準備して」
髪を纏め、金髪のウィッグを被ったフリルが化粧を手伝ったゆきと共に現れる。流石に上手い。ぱっと見ではオレにしか見えない。シークレットシューズのおかげでいつもより背も高い。これなら出来るだろう。
「まさか、こんなに早く貴方と共演する日が来るとはね」
「こんなホームビデオレベルの自作動画で共演なんて言えるかよ。こんなの共演なんてオレは言いたくねーぞ」
そう、こんなところじゃないはずだ。オレ達の旅の終点は。まだ母との約束も、オレがなくした記憶も、父親も見つけられてない。オレ達が立つべき場所はこんなしょぼい場所じゃないはずだ。
「なら、どこだと思う?」
オレの姿形をした別人に覗き込まれる。変な気分だ。コイツの洞察力には今更もう驚かないが、オレがオレを見透かしたような事を言ってくるのがちょっとおかしくて笑ってしまった。
「さあ、どこだろうな」
それが分かれば苦労はない。芸能界という前も後ろも真っ暗な世界。自分がどこに向かって歩いているかなんて、わかっている人の方が少ないだろう。
───でも、歩みを止めるわけには、いかないから。
「行こうぜ、もっと遠い場所に」
「ホームビデオレベルでも手加減しないでね。コレがその場所への最初の一歩なんだから」
「当然」
二人ほぼ同時に足を踏み出す。チラッと外を見ると夕暮れがはじまりかけていた。逢魔時だ。世界がアイツの色に染まっている。
───なあ、あかね。お前今どこにいる?自分の家か?お前には今世界がどんなふうに見えてる?
「おーい!撮るぞー!二人とも早く来いってー」
「ああ」
カメラが待ってる。板の上に立てる。そのことが嬉しい。アイが立っていた場所に比べれば遥かに低いステージだけど、それでも自分の力で掴み取り、作り上げた場所だ。それは変わらない。10年以上、立ちたくても立てなかった場所だ。
早く出て来い、あかね。部屋の扉を開けて、外に出て、お前もここに立て。
「よーい、アクション!」
オレ達が求めるものは、ここにしかないはずだから。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。あかねのポジティブキャンペーンは役者ならではの手段でした。動画や写真をDから引っ張る方法に大人を巻き込んだのは前世の記憶が無いからこその発想です。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
30th take 幻想の祈り
実在しない星の光は消えそうなくらい輝いてて
星の光は世界に知られはじめるだろう
独占しようとする悪魔たちが現れなければ
ディスプレイを見つめる目から無意識に涙がこぼれ落ちる。感動、歓喜、感謝、そしてそれらをはるかに超える悔しさが心の底から湧き出た結果、私の目から止めどなく熱い雫が溢れた。
女優である私の目から見ても、アクアのパフォーマンスは上手だった。
動画の後半に差し掛かるに至って芽生えるアクアとゆきへの羨望と嫉妬。それら全てを言葉もなく、身振り手振り、そして表情だけで全て完璧に表現し切るあかねを演じるアクア。視聴者はもちろん、主に撮影してるメムや裏方のノブやケンゴの目をも夢中にしていく。
メソッド演技
担当する役柄について徹底的なリサーチを行い、劇中で役柄に生じる感情や状況については、自身の経験や役柄がおかれた状況を擬似的に追体験する事によって、演技プランを練っていく。
役柄の内面に注目し、感情を追体験することなどによって、より自然でリアリステックな演技・表現を行う手法。
あのPVで覚醒した星野アクアの独自性。しかもあの時は指一本動かすことも許されなかった。表現できたのは表情とオーラだけ。あの時に比べれば星野アクアにとってこの舞台は憑依り込みやすく、難易度もあの時ほど高くはなかった。
───私も役者としてはアクアくんと同系統。だけどこんな人の目を吸い寄せるようなオーラは、私にはない。
キャラクターへの考察や演技技術だけならアクアくんと私に大きな差はない。だけど努力や技術で身につけられない天性に関しては、アクアくんの方が遥かに上。同じ役者として、星野アクアに賞賛と嫉妬心が湧き上がる。同時に申し訳なさも。
───わざとわかりやすいように演じてる
自然すぎる演技は素人には伝わりにくい。悲しみの演技なら涙を。怒りの演技なら激昂を見せなければ大衆には理解されない。故にアクアは本来ならしていない、バカにもわかる演技をしていた。
客に上手いと思わせる役者は二流。
上手いと思われるという事は、演技をしていると素人にもバレているという事だからだ。
一流は大衆に演技を感じさせない。上手いと思わせないほど自然に演じてみせる。メソッド演技の使い手なら、尚更。
アクアは少し前まで上手い役者だった。
『今日あま』で有馬かなと共演した時から、凄い役者になった。
不知火フリルと一緒に行動するようになって、もの凄い役者になった。
今のアクアなら本来一流の、演技を感じさせない演技ができる役者のはず。けれど今、彼は二流の演技をしていた。素人にもわかるように。大衆にわかるように。
私の、ために
謝罪の気持ちが涙と共に溢れてくる。不本意な演技をしなければ行けない役者の辛さは誰よりもわかっている。叶うなら今すぐ彼に土下座して謝りたい。動画を見ている最中、ずっとそう思っていた。
フリルが演じる星野アクアもまた圧巻だった。
アクアと交流するシーンは本人同士の撮影だったが、それ以外のアクアの登場シーンはほぼ全てフリルが演じた。
メンバー達と仲を深め、潤滑油役を務め、実質的なMCへと立ち回っていく。これ以上ないと言えるほど客観的かつリアルに星野アクアをやりきってみせた。この場にいなかったことも少なくなかったと言うのに。やろうと思えばフリルは自分以外のメンバー全員を演じることができるだろう。そう思えるほどの客観視。
主観の視点はアクアのメソッド演技が遺憾なく威力を発揮し、俯瞰の視点からはフリルの演技が視聴者に落ち着きをもたらす。
二人の化学反応はティックトッカーの動画レベルをはるかに超越し、まさに一つのドラマへと昇華させた。
───どうして私はあそこにいないんだろう
二人の掛け合いを見て悔しさと切なさが胸の中を満たす。確かにフリルが演じるアクアは完璧だ。自信家で、ドSで、スーパードライで、天才で、そして美しい。徹頭徹尾、非の打ち所がない。100点満点中100点だってつけられる。
でもそれだけだ。
あの嵐の夜、私に見せてくれた怯えや弱さがフリルの演じるアクアからはまるで感じられない。役の心を呑み込み、理解し、演じることができていない。それも当然といえば当然。彼はあの時、自分の弱さを初めて人に話したと言っていた。その言葉に恐らく嘘はない。フリルはアクアのことを慎重さと大胆さを併せ持つ天才としか考えていないはずだ。
───私ならもっと上手くできるのに…
悔恨で視界が歪む。固く拳が握り締められていることに気づいたのは動画が終わってからだった。
そして、あの問題のシーンがくる。腕を押し退けられ、カッとなったあかねが振り払おうとし、アクアの頬を爪で切り裂いてしまうあのシーンが。
「…………っ」
声は出さない。けれどマイクが僅かに呼吸音を拾う。言葉にならないその音は動揺、後悔、懺悔、あらゆる負の感情が込められていた。
暗転。アクアがあかねに気にするなと言わんばかりにあかねらしき女子の頭を撫で、ゆきとあかねが抱き合う。定点カメラが撮影していた映像と照らし合わせて行われた一幕を演じ、動画は終了する。
終わった、と誰もが思った。あかねの事情、他のメンバーの感情。全てこれ以上なくわかりやすく、異論の挟みようがないほど克明に表現された動画だった。コレで勝手な憶測からあかねを誹謗中傷したり、ゆきやアクアの心情を決めつけてゆきが怒っているとか、アクアが可哀想とか言える機会もグッと減るだろう。
なくなると言わないのは炎上に完全な解決はありえないからだ。アクアの炎上だって下火になったと言うだけで言う奴はまだまだいる。勿論あかねも例外じゃない。事あるごとに蒸し返されて、批判が娯楽の暇人達の中には一生言い続ける奴もいるだろう。
しかし、完璧主義者の完全主義者であるアクアが、それを良しとするはずもない。
終わったと思われた動画だったが、まだ数分再生時間が残っていた。暗転からパッと明るくなる。あかねを除いた六人のメンバー全員がカメラの前に集まっていた。もちろんアクアも。メイクを解いて、いつもの格好で映っている。
『みなさん、ご視聴ありがとうございます。今ガチ総集編でしたー!いかがだったでしょうか!』
『いやぁ、この数ヶ月ホントに色々なことがあったなっ、て思い出させてくれる動画だったね』
『でも改めて見ると、この番組の美味しいところってほとんどアクたんとフリたんに持っていかれてたような気がするねぇ』
『ほんとほんと。二人とも狡いよねー』
『機を見るに敏と言って欲しいね』
『?どういう意味?』
『ざっくばらんにいうと、察しが良くて要領がいいってこと。機敏な人』
『さっすがフリたん。博識ぃ』
『アクアってワザと難しい言い方して人の事バカにするところあるよね。ちょっと自分が頭いいからってさー』
『そんなに良くねーよ。ウチの高校偏差値クソ低いぜ?』
しばらくメンバー達の雑談トークや動画撮影にあたっての苦労話が続く。主に恨み言やアクアとフリルへの苦情が多かった。
『でも、面白かったね』
フリルの一言で全員が止まる。何を?とは聞かない。聞けなかった。聞けば、決定的になってしまうから。
しかし、今ガチメンバーの中にはスタートからこの終盤まで、ただ一人、不知火フリルにも大衆にも遠慮しない人物が、一人いた。
『そうだな。総集編作るのも、今ガチやってた数ヶ月も、悪くなかった。ま、めんどくさいことも多かったけどな。特にオレは』
『大人の意志とか、台本とか関係なく番組を作るって私も初めてだった。自分で話を決めて、トークして、ゲーム考えて、自分たちで台本書いて、出演する。ドラマとか舞台とかにはない面白さだった』
ハッとアクアが笑う。肯定はしたくない。けれど否定もできない。そんな感情のこもった嘲笑だった。
その言葉にはあかねも含めたメンバー全員が同調する。確かに、面白くはあった。計画を練り、準備し、本番の舞台に立つ。計画通りに行くこともあれば、全く予期せぬ展開に転がり込むこともあった。その度に常に適応を求められ、番組を導いていく。台本のない企画だからこその面白さが確かにあった。
自分達で動画を作成するというのも恐らくそうだろう。大人の権限やしがらみ、思惑から全て外れて、一つの作品を作り出す。番組ではできないことが出来る。
確かになかなか面白くはあった。それは事実だった。
『でも、それももうすぐ終わる』
▼
もうすぐ終わる。何気なくアクアが呟いた一言にこの場にいた全員が沈黙する。
そう、この動画も、そしてリアリティショーも、もう終わる。この世に終わらないものなどない。だから今が大事だし、大切なんだ。
チラッとアクアの視線が後ろに向く。フリルを除いた全員がそこにいた。鏑木P選抜メンバーなだけあって、全員顔が良い。だがそれだけではなかった。一人一人に特徴があり、クセがあり、独特の性格をしていた。面白い奴らだった。良くも悪くも退屈しない数ヶ月を送れたのはフリル一人のおかげではない。全員面白い奴らだったからこそ、アクアもMCを務めることができた。このメンバーだったからこそ、救われたことや助けられたことが幾つもある。自覚していた。
コイツらとも、もうすぐお別れなんだ。
「でも、このままじゃ、まだ終われない」
フリルの一言に誰もが頷きを見せる。そう、『ありがとうございました』も『お疲れ様』も『さようなら』も、まだできない。この場にはあと一人、役者が欠けている。
「一番休んでたお前が言うかぁ、とは思うがな」
「うるさいよなんちゃって
「そうそう、この動画、アッくんが作ろうって言い出したんだぜ。あかねへの誤解と偏見を解けるのは実際に傷つけられたオレしかいないって」
「今はいつも通りのすました綺麗な顔で写ってるけど、これ撮る直前まで冷えピタ貼って死んだように寝てたもんな」
「役者兼監督で一番動き回ってたもんねぇ。完璧主義者なのは知ってたけど、もうちょっといい意味で力抜くとか出来ないのぉ」
「うるせーな、できねーよ」
初めて一から十まで全て自分で動画を作った。技術や知識はあったが、完成させなければいけない動画制作など未経験だ。どこで手を抜いていいかなどわかるはずがない。
───ましてこの動画には人一人の芸能人生が懸かっている。手を抜けるはずがない
「オレにここまでさせたんだ。戻ってこいよ、あかね」
「あかね、このままじゃ終われないんだよ、私達。前にも言ったでしょ。今ガチは七人揃って初めて今ガチなんだから」
「他の誰かをINするって意味じゃないぜ!黒川あかねじゃなきゃ意味がねーんだ!」
「周りの雑音なんて気にしないでよぉ。少なくともここに6人、あかねの味方はちゃんといるんだから」
アクア、フリル、ノブ、メムがカメラの前で切実に訴えかける。
届け、と。
強く強くメッセージを発する。戻ってきていいんだ、と。世間の誰もが認めなくても、この六人だけはあかねを認めていると。お前の居場所はここにある、と訴え続ける。
「あかね」
そう、あの事件の根本の原因を作ってしまった……善意からとはいえ、あかねの爪を凶器にしてしまった
「帰ってきて」
鷲見ゆきが、誰よりも強く、高らかに叫んだ。
「せーのっ」
『待ってるよー!!』
六人六様、それぞれが大きく手を振る。ノブは朗らかに笑い、MEMちょは手をメガホンのような形にしていた。
ノブは大きく手を広げ、ブンブンと振り回し、ケンゴは少し控えめに手をヒラヒラと振った。
フリルはアクアの肩に手を掛け、妖艶に微笑む。腕組みして椅子に座るアクアは片手だけカメラに向け、大きく広げる。
そしてゆきはセンターで、祈るように手を組み、真っ直ぐにカメラを見つめていた。
今ガチ公式アカウントに総集編と銘を打って投稿されたこの動画は24時間後、8万RTという驚異的な数値を達成。黒川あかねのイメージは完全に払拭され、『今ガチ』の人気を決定づけるものとなる。
そして男性でありながら黒川あかねを完璧に演じてみせた星野アクアの怪演を大衆に見せつける結果となり、リアリティショーでは本来評価されないはずの、役者としてのアクアの才能を世間に知らしめる結果となった。
▼
『今ガチメンバー仲ホントに良いね』
『ゆきもアクアも、きっとあかねへのバッシングは望んでなかったんだよ』
『まさか番組ぐるみであかねを守るとは思わなかった』
『動画見る限り、発案者はアクアっぽいね』
『やっぱりツンデレなんだね。ほぼほぼバレてたけど』
『てゆーか黒川あかね動画出てた?どうやって?活動休止中じゃなかったの?』
『メンバーの誰かが演じてたんでしょ。消去法で多分アクア』
『マジで!?』
『番組の貢献度に比べて、動画のアクアの出番極端に少なかったから、恐らく』
『暴行シーンであかねとアクア同時に映ってなかった?』
『不知火フリル以外のメンバー全員映ってたからフリルがアクアかあかね演ったんだと思う』
『だとしたら演技力ヤバくね?フリル様は知ってたけど、アクアってフリル様とタメ張れるレベルなの?』
『流石に不知火フリルは本気じゃないだろ。それでも凄いけど』
『でもそういえばアクアって役者だったわ』
『覚えててやれよウケるw』
『ツンデレとトーク力が過ぎて炎上系芸人だと思ってた』
『草』
「…………概ね高評価だが、オレを役者と忘れてる奴多すぎねーか?」
スマホの画面を見ながら金髪碧眼の少年が息を吐く。眉間に寄った皺は星野アクアの不満を言葉より遥かに雄弁に語っていた。
「私たちすらアクアが俳優ってこと、地味に忘れかけてた時あったしね」
「なんだと?」
「まあまあ、しょうがないよ。素を見せてるってのがリアリティショーの建前なんだし。毒舌クールキャラ演じてるなんて、現場の人間じゃないとわからないって」
「SNSの住人はゆきのこと健気で良い子って未だに信じてるもんねぇ」
「キャラのことMEMちょにだけは言われたくないなぁ」
「でもコレでアクたんの俳優としての能力も世間に知られることになった。バラエティだけじゃなくて、ドラマや演劇でアクたん使いたいって人も増えるだろうねぇ。コレはアクたん思わぬ収穫?それとも計算通り?」
「当然、後者だ」
あかねをオレが演じるメリット。もちろん現実的にやれるのがオレしかいないというのが最大の理由だったが、この打算がゼロだったかと言えば嘘になる。
世間的にオレがまともに出演したドラマは『今日あま』の一本のみ。後は名前もない端役ばかりだ。炎上の件でこの辺りも晒されはしたが、幼過ぎて今の仕事に反映されるようなものは無い。今日あまの件も玄人が見ればオレの影響はわかるだろうが、素人には絶対わからない。
その点、今回の動画はわかりやすい。誰に遠慮する必要もなくやらせてもらった。特にフリルとの掛け合いのシーンは本気も本気だった。言い方は悪いが、批判が趣味の暇人にもわかりやすいように演った。正直素人にも上手いとわからせる演技は役者の仕事としては二流なのだ。一流は演技を感じさせない。限りなくリアルに寄り添うのが本物。無論アクアはこちらの方が得意だ。心象表現がリアル過ぎると監督に言われた事もあるくらいだ。しかしあかねの風評被害を払拭するためには、二流の、わかりやすい演技が必要だった。
「アクたんってトラブルも呼び込むけどピンチをチャンスに変えるのが上手いねぇ」
「転んでもタダでは起きないっていうか、逆境を利用できるっていうか……神様と悪魔の両方に愛されてるって感じね」
「はっ」
思わず嘲笑が漏れる。アクアは基本神も悪魔も信じていないからだ。なぜなら…
「目に見えない力ってのは確かに存在する。だがトラブルもラッキーもチャンスも、結局のところ、人の行動と意志の累積結果だ。オレが巻き起こしたトラブルも、掴んだチャンスも、すべてオレの積み重ねによるもの。あまり神とか悪魔とかわけわかんねーモノのおかげとか言われるのは不快だな」
ゔっとメムもゆきも黙り込む。アクアは滅多に怒らない。大抵のことは流すし、皮肉を言い返されて終わる。今も決して怒っているわけではなかったが、不快だと直接口に出したのは初めてだった。
───才能ある人ほどこういう表現嫌うんだよなぁ。忘れてた
アクアが才能だけの人間だなどと思っている人間はメンバー内で一人もいない。努力と、それに見合った実力と度胸を持っていると誰もが思っている。しかし、常人にはない何かを持っている事も事実だ。だからこそ失念してしまった。
「…………しかし遅いな、アイツ。今日は来るんだろ?」
変な空気になってしまったことを察したのか。軽い調子で口を開いたのはアクアだった。そう、今日は収録前にあかねが顔を見せることになっている。炎上もひとまずの落ち着きを見せたため、来週から撮影に復帰すると、報告と挨拶に来ると聞いていた。
「まだ約束の時間まであるじゃん。大丈夫、あのあかねが遅刻なんて──」
しない、とメムが言いかけた時、扉が開く。現れたのはニット帽に眼鏡を掛けたぱっと見顔の印象が分かりにくい少女。秋めいてきたとはいえ、服装は少し厚手。けれど体型のラインも出にくく、シルエットでは誰だかハッキリと分かりにくい。総じて地味な装いと言ったところだろう。印象の残らない、街のどこにでもいる女の子。
それも当然。今、彼女が素顔を晒して歩いたなら、比喩抜きで命に関わるかもしれないのだから。
「…………来たか」
扉を開けた少女の名は黒川あかねと言った。
▼
ズキン
心臓の鼓動と胸の痛みがほぼ同時に身体の中で響き渡る。顔が火照っているのが自覚できる。今日来る事は伝えてあるけれど、この扉を開くことにはとても勇気が必要だった。
───この奥に、彼がいる。
あの雨の夜から一度も出会わなかった。声を聞く事もできなかった。それも当然だ。あんなに頑張って、あんなに高いクオリティの動画を作っていたんだ。それも自身の仕事を疎かにすることなく。動画をアップするまでの一週間は本当に寝る間もなかったはずだ。私に電話なんて出来るはずがない。
ずっと会いたかった。会って話がしたかった。感謝を、感動を、伝えたかった。
けど、それでも。
扉を開けようとして、開けられない。心臓が痛い。鼓動が落ち着かない。まるで、初めて舞台に立った子供の頃に戻ったかのようだ。
───やっぱり、ディレクターさんにことわって、今日は帰らせてもらって…
遅いな、アイツ
扉越しに、僅かに声が聞こえる。誰のことを言っているのかは、わからない。けれど自分の事を言っている可能性はある。
───アクアくんが待ってる
彼が私を待ってる。私をここに呼びもどすために、雨の中を溺れに来てくれて、動画を作って、私の居場所を守ってくれた。ここで足を背けては、彼の献身を全て無駄にしてしまう。何に恥じることがあっても、それだけはしてはいけない。
意を決して扉を開く。こんなにドアノブが重く感じた事はコレまでの人生で一度もなかった。扉の先がこんなに眩しかった事も。あまりの白さに目を瞑る。光を取り戻し始めた時、碧の視線がこちらへ向いた。
「…………来たか」
星の瞳が、真っ直ぐにこちらを捉える。威圧的でも、感情的でもない。けれど何より力強い輝きが目を眩む光の源だった。くらりと視界が歪む。同時に思い出される、あの匂い。彼の胸の中で、汗と雄の獣性が混ざり合い、脳を満たした、あのトリップが今度は視線だけで再現された。
───へたり込まなかった自分を、褒めてあげたい。
足元がおぼつかない。膝から下は恐らく震えている。
逃げ出したい。跪いてしまいたい。
だけど、止まらない。震える足が勝手に動いて、あの人の元へと近づいてしまう。
まるで、星の引力だ。
「おかえり、あかね」
何の感慨もこもっていない。こちらを責める色も、恩を着せるような色もない。少し散歩していた友人が帰ってきたかのような自然体のまま、その言葉を口にする。特別な感情のない「おかえり」が、こんなに嬉しいモノだなんて、初めて知った。
───私に一体何が出来るだろう
この恩を、感謝を、想いを、どうすれば伝えられるだろう。私なんかが、この人にどうやってお返しできるだろう。
神様のようなこの人に、私は一体何の役に立てるだろう。
「ホラ、待ってるぜ」
いつのまにか立ち上がっていたアクアくんは私の背中を軽く押す。すると目の前にはゆきとメムがいた。
「───ごめんなさい」
「バカ、なに謝ってるのよ」
思わずこぼれてしまっていた。アクアくんに気を取られすぎて、二人が見えていなかったことに対する謝罪だったが、二人はそう取らなかった。
「おかえり、あかね。待ってたよ」
「頑張ったね。本当によく来てくれたよぉ」
俯く私を優しく抱きしめてくれる。メムとゆきの優しさが嬉しかった。だけど、二人に抱きしめられながらも、私の目はあの人に囚われたまま、離せなかった。
私を二人の元へと引き渡した後、アクアくんはずっと外を眺めていた。秋と呼んで差し支えない季節である今は日の入りの時間が早くなりつつある。ガラスの向こうは夕焼けに染まっていた。あかね色だ。世界が私の名前の色で染まってる。遠くを見つめるアクアくんの目は少し虚で、妖しく、美しく、寂しげだった。
あの夜から……いや、もっと前から多分知っていた。アクアくんは人と関わっているようで関わっていない。他人といつも一定の線を引いていて、近くにいてもどこか遠い。目の前で話をしていてもその目は違うモノを見てて、遠い何かと繋がっている。あの夜に語ってくれたことに嘘はないだろうけど、隠してる全てを話してくれたわけではない。気づいていた。
───ねぇ、教えて
貴方から見える世界は一体どんな色なの?貴方のその綺麗な目には一体なにが写ってるの?貴方は一体何を探してるの?不知火フリル?忘れちゃったお母さん?それとも……
答えは出ない。いくら手を伸ばしても、彼の事をプロファイリングしても、真の部分は、わからない。
中学の頃、自由研究で作ったプラネタリウムを思い出す。部屋の中いっぱいに埋め尽くされた星はどれも美しく、煌めいていた。いたずら心で一つだけ、実在しない星を勝手に作った。その星はどんな星より強い光を放っているように見えた。
手を伸ばすとその星に触れる事はできた。でも何も触れる事はできなかった。そこにあるのに、本当はない。私が作り出した、ただの幻想。
アクアくんはその幻想の星に似ている。確かにそこにある。触る事もできる。けれどその光には触れる事もできず、その輝きは消えてもくれない。
───でも、いつか……
貴方が秘密にしている事を全て打ち明けてくれるくらい、私に依存してほしい。貴方が私を救ってくれたように、今度は私が貴方を守りたい。その寂しげな横顔を心からの笑顔にしてみせる。そしてできれば、その笑顔を私だけのものに。
この祈りが、遠く輝く幻想の星に届いて欲しいと、強く願った。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
メンバー達の仲の良さをアピールする事で炎上を封殺する作戦でした。アクアの完璧主義がさらに顕著に出る動画となっています。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。良い盆休みを!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
31st take 落陽の星
海を名に冠する少年はなくした星の影を追いはじめるだろう
なくした星の秘密を差し出すと良い
夕暮れの陽が限りなく本物の星に変貌してくれるから
『今ガチ』収録後の楽屋。ディレクターや監督に挨拶を済ませた後、黒川あかねは出演者たちに用意された控室に訪れている。変装用のニット帽と黒縁眼鏡を外し、来週からの復帰をメンバー達にも報告していた。
「まだちょっと怖いけど……次の収録から復帰する。Dにもそう伝えてきた」
「良かったぁ」
MEMちょが心から喜びの声を漏らし、ゆきは深く安堵の息を吐く。ちらりと奥で佇む美少年に目をやったが、星の瞳の少年は特に大きな反応は見せなかった。
「でも無理して出なくてもいいからね───あっ、違うの!今のはヤな意味じゃないから!私としては無理してでも出て欲しいんだから!」
「わかってる、ありがとう」
「確かに今のは聞きようによっては嫌味くさいな」
日本語というのは本当に難しい。気を遣っての言葉が真逆に取られる事もある。ましてSNSでは口調やトーンなどもわからない。日常では何でもなく溢れている言葉が炎上のきっかけになりうるのが今のビッグデータ時代だ。
「…………前にあかね、オレのマネしてた事あったろ?」
「え?……あ、うん。やっぱり気づいてた?」
「当然。アレは悪くなかったと思う。キャラ付けは自分を守る鎧になるし、素を叩かれるよりダメージも軽い。だが共演者の真似をしたのが良くなかった。中途半端にオレの真似しても劣化コピーって言われんのがオチだし、かといって共演者のやり方丸パクリしても叩かれる」
実際あかねのアレをオレの真似だと気づいた連中はSNSの中にもいた。キャラ付けするにしてもあっさりと誰かのマネとバレるようではダメだ。
「でも、それじゃあどんな役を演じればいいんだろう?」
「そうだな……演るならこの場にいる誰か以外。それもあまり素の自分が演じて無理が出ない虚像」
「んー、具体的な像が欲しいねぇ。キャラ設定で躓けばまた元の木阿弥になりかねないし」
しばらく四人とも考え込む仕草を見せると、MEMとゆきの目がアクアへと集まる。なんだ、と言わんばかりに眉を顰めると二人とも椅子を持って身体を寄せてきた。
「ね、アクたんはどういう女が好み?」
「うわ、なんかコッチきた」
「だって今この場にいる男君だけだし。よく考えてみれば仮にも恋愛番組でアクアのタイプ聴いたこと無かったからね」
収録中、アクアは司会進行役だったし、フリルにべったりな事もあり、アクア本人の恋愛観を聴く機会は無かった。確かに気になるところだった。あかねも興味深げに身を乗り出している。
「好みのタイプ、ねぇ。そう言われても、オレそういうのよくわかんねぇんだよな」
「もう、アクアって人の秘密は暴こうとするくせに自分の事は語らないよね。それってずるくない?」
「結構秘密主義だよね。ミステリアスなところもアクアくんの魅力だとは思うけど」
「そんなんじゃねぇって。マジでわかんねぇんだよ」
笑いながらヒラヒラと手を振る。腰掛けていた椅子の背もたれに身を預け、大げさに肩をすくめた。
「好みのタイプ?優しい人?明るい人?賢い人?そういうのが好きって人間の気持ちはわかるし、否定はしないけど、少なくともオレはそれだけで人を好きにはならない」
なぜなら、そういった表面的なものはきっかけ一つであっさりと裏返るから。
「勿論それは悪い事じゃない。当たり前だ。どんな聖人君子でも常に人に優しくあれるはずがない。怒る時だって冷酷になる時だってあるだろう。抜群の頭の良さを誇る人だってその冴えはいずれ失われるだろう。そうなってしまった時、お前らはその人の事、好きじゃなくなるのか?」
「それは……」
実際は程度によるだろう。一見優しそうに見える人が嗜虐性を持っていたとしても、常識の範囲内であれば嫌うところまではいかない。けれど同棲を始めてうまくいかず、破局に繋がったというカップルは多い。長く時間を過ごして『あの人は変わってしまった』と良く言われる。が、実際はそれぞれの見る目が変わり、見えなかったものが見えるようになったのだ。
「人を好きになる理由に貴賎はない。だけど一側面だけ見て好きだの嫌いだの、オレには言えない。どんな人間だってどこかしら病んでて、人に言えない何かは持ってる。大切なのはそれから逃げずにうまく付き合えているかどうか。ちゃんと上手く付き合えてて、病んでもなお揺るがない芯があれば、オレは他のことは求めないよ」
ハルさんもナナさんもフリルも人間性に難はある。けどそれ以上のポリシーとプライドを持ってる。人を人たらしめているのは品性だとアクアは思っている。それを無くしてしまえば、人は少し賢しい猿に堕ちる。
「人の美しいところも醜いところも、それを隠す行為すらも、すべて含めて『愛しい』と思える相手を、オレは好きって呼ぶんだと思う」
もうアクアをずるいと言える人間はこの場にいなかった。アクアの恋愛観は厳しくも現実的で、平等だった。
「それでもあえてタイプを言えってんなら───」
そう、この一言を聞くまでは。
「好きになった女の子がタイプかな?」
「最低」
「パリピの常套句TOP3出たな」
「ちょっと前までいい話してたのに一気に胡散臭くなった」
「なんだよ、誠実に答えたのに」
「誠実に答えてるからこそタチが悪いんだよ」
アクアの言った事がウソだとも詭弁だとも思わない。けれど、だからこそアクアの本質が見えてくる。多くの女性と関係を持ってきた男だからこその恋愛観と持論だとわかってしまう。
人は誰かを好きになった時、その人の過去まで気になってしまうもの。この男は自覚無自覚関わらず、一体どれだけの女を泣かせてきたのか、想像もつかなかった。
「ま、アクアがその辺クズなのはある程度わかってた事だし今は置いておきましょう」
「おい、ひでぇ言い草だな。オレはいつだって誠意を持って──」
「今はあかねの事が本題でしょ?キャラ付けするにしてもわかりやすい目標は必要なの。もう好みのタイプはいいから、アクアの理想言ってみてよ。タイプはなくても理想くらいあるでしょ?」
「理想ねぇ」
「難しく考えなくていいわ。歳下と歳上ならどっちか、とか。パッと思った方を出していって」
ふむ、と少し考える。理想とタイプなんて似たようなものじゃないかとも思うが、ここで抽象論で煙に巻くのは流石に心象が悪い。過去付き合いのあった女達の共通項を挙げてみる事にした。
「そうだな、顔は……オレと同等以上なら文句ねぇかな」
「うっわ最悪」
「ルッキズムの権化」
「…………私、いきなりダメだぁ」
「なんだよ、いいだろ理想なんだから。顔で決めるなんて言ってねーし」
「それでも、ねぇ」
「アクたん自分の顔鏡でちゃんと見てる?」
美形揃いの芸能界でも顔面偏差値だけならアクアは屈指だ。この顔と同等以上を求めるのは理想が鬼高いと思っても仕方ない。
「この狭い空間に三人もいるんだ。そんなに高いハードルでもねぇだろ」
唐突な一撃に三人の心臓が跳ねる。この男にしては直接的に褒めてきた。容姿への賞賛など、今まで何度もされてきた三人だったが、人を滅多に褒めないアクアからと自覚すると流石に戸惑ってしまう。
「…………たまにこういう事言うから、この男は」
「やー、正直顔は好みだし、能力は抜群だし、なんだかんだ性格も悪くないんだけどぉ、私の手には負えないなぁって思っちゃうよねぇ」
「──私が、アクアくんと、同等以上……」
ヒソヒソと密談する二人に、メモ帳片手にポカンと虚空を見つめるあかね。テーブルに肘をついたアクアが大きくため息をついた時、三人とも戻ってきた。
「いちいち中断するならもうやめるぞ」
「ごめんごめん。続けて」
「…………そうだな、あと何かしら才能がある人が好きかな」
「才能?やっぱり演技とか?」
「別にこだわらねぇよ。音楽でも、ダンスでも、なんでも。素質があって正しい努力をしてて、自分の夢に向かって歩いてる人」
ハルさんもナナさんも才能があった。夢に向かって努力してた。ああいう人たちと一緒にいるのは楽しい。向いてない人間が無茶な努力をしているのは見てて痛々しいけど、自分に無いものを持ってる人には強い敬意を表してきた。
「才能ある人が好きってことはパフォーマンスもクオリティを求めるってこと?」
「そうだな、高いに越したことはないが……発展途上な事もあるだろうから、パフォーマンスには『可能性』を感じさせてくれればいいかな」
「ふーん、なるほどね」
「あとたとえ今はクオリティ低くても自信は持ってる人がいいな。自分を信じている人は目に力がある」
「そりゃアクたんが自信家嫌いなんて言ったら、今世紀最大のおまいうだからねぇ」
「は?オレはいつだって謙虚だろうが」
「自覚がないのが一番危ないのよ」
「ははは…」
アクアの心からの自身への評価にあかねだけは笑いを返す。確かにアクアは自分のことを天才とは思っていない。しかし自分への評価とは他人が決めるもの。あの不知火フリルにさえ物怖じしない立ち振る舞い、そして人を惹きつけるオーラの源は自信しかないということをこの場にいる全員が知っていた。
「───ま、パッと思いつくのはそんなところかな」
「顔はアクアと同等以上、何かしらの才能があって、それに伴う実力も持ってて、自分に自信のある人、かぁ」
「結構難しいですね、抽象的です」
「…………アクたん、もしかしてフリたんどストライクなんじゃないのぉ?」
しばらく黙って考え込んでいたメムの言葉に女性陣がアッとなる。確かに不知火フリルならほぼ全ての条件を超高水準で満たしている。
───だとしたら、私なんかじゃとても……
メモ帳を手にするあかねの目から光が失われていく。どう見ても不知火フリルはアクアに特別な感情を持っている。恋愛感情とは少し違うかもしれないが、それでもきっとアクアからフリルに告白すれば恐らく彼女はOKするだろう。まずはお試しからだとしてもそこから本気になる可能性は非常に高い。そう確信できるほど、星野アクアの『可能性』は高い。
不安になり、横目でチラリとアクアを見る。すると星の瞳の少年は辟易したように眉を顰め、手を振った。
「無理無理。あんな危ない怖え女、オレの手には負えねぇ。恋愛ってのはどちらかが圧倒的な強者なのは良くない。恋愛対象にするなら出来るだけ対等な、どっちも不満を言い合える関係でいたい」
「あはは、確かにフリたんとそういう関係になったら気は休まらなそうだねぇ。アクたんも人の事言えないとは思うけど」
「心外だな。オレはいつだってフェアなつもりだが?」
「それは認めるよ。でも本人はそのつもりでも付き合う方は気後れしたりするんだよ。アクアほどのスペックの相手なら特に」
不思議そうに首を傾げるアクアだったが、あかねはゆきの言ってる事がよくわかった。才能とは時に人を虜にするが、畏怖の対象にもなる。天才を自覚していないアクアは今まで何人も無意識のうちに人を追い込んできた事だろう。
「まあどのみちフリルさんを真似するのはダメだよね。共演者はNGに引っかかる」
「んー、その条件で考えるとぉ、他に思い当たるのは──」
口を窄め、天井を見つめながらメムが再び思考を張り巡らせる。
「───B小町のアイ、みたいな?」
ドクン
人知れずアクアの心臓が跳ねる。同時にゾクリと背筋に寒気が走る。メムが出した名前は、理想の女子像を聞かれ、思考の中にいなかった人物だった。アクアがさっき述べた理想にアイを連想した部分などカケラもなかった。アクアが過去付き合いのあった女子。歌手のはるか。ピアニストのななみ。ドラマーのレン。いつか付き合いのあった絵描きの女。ルビー。有馬かな。思い浮かんだのはこの辺りの女性陣達だった。アイのことなど、今の今まで忘れていた。それなのに……
「アイって確か……」
「聞いたことあるね。昔死んじゃったアイドルの…」
「そうそう、画像探す〜」
───確かにほぼ全てが当てはまる
顔の良さ。才能。可能性。自信。強い瞳。どれもアイは持っている。それはオレが誰よりも良く知ってたはずなのに。
───それでも、オレは無意識のうちに、理想像をアイの中に見ていた……
背筋が寒くなる。恐怖で心臓が冷える。さっき述べたオレの理想は本当にオレの意志か?オレの頭が絞り出した答えなのか?それとも……
オレが忘れた星野アクアの意識が、オレを支配し始めているのか
ゾクリと身体が震える。表に出さないよう必死に押し殺し、唇を噛む。それでも冷たいものは身体の中から消えない。
───オレには、もう時間が残されていないのかもしれない
今まで何度か思ったことだったが、こうもリアルな感覚として感じたことはこの12年で初めてのことだった。
心臓が早鐘を打つ。汗が冷たい。眩暈がする。吐きそうだ。あのフリルと肌を重ねた時以来の感覚。しばらく目を開けることすらできなかった。
「───アクたんってば!!」
ブラックアウトしかけた意識が戻ってくる。目を開けると三人とも心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「やっと気づいた。どうしたのぉ?さっきから何度も呼んでるのに」
「顔色悪いよ?大丈夫?」
「…………なんでもない。少し疲れただけだ」
ヒラヒラと手を振る。水を一杯口にすると次第に心音も正常な鼓動を取り戻していく。身体の中の冷たさがスッとひいていった。
「で、なんの話だっけ」
「だから、アクたんの理想がB小町のアイなんじゃないかって話」
「よく知ってるな、ちょい前のアイドルだろう」
「いやいや、B小町はみんなの憧れだったんだよ?少なくともアイドル目指してた子にとっては」
「へぇ、そうなんだ……うわ、確かに超美少女。人気出るのもわかるなぁ」
メムが検索した画像をゆきとあかねが覗き込む。その間にいつのまにかメムがアクアの隣に腰掛けていた。
「アクたんこそよく知ってたねぇ」
「オレは知ってるに決まってるだろ。事務所の大先輩だ」
「ああ、そういえばアイも苺プロだったね……え、てことはアクたんもしかしてアイに会ったことあったりする?」
「あるらしいが、覚えてねぇ。その頃オレ4歳だったらしいし」
「そりゃそっか」
アイのことを追求された時にする完璧な言い訳。メムも納得した様子で椅子に座り込み、身体を沈めた。
「…………だが、ウチにビデオは腐るほどあったからドルオタの妹と映像やデータは死ぬほど見た。確かにオレが知る限りピカイチのアイドルだろう……不知火フリルを除けば」
「チッ、忘れなかったか。もしその一言なければフリたんに言いつけてやろうと思ってたのに」
「なんて恐ろしいこと考えてやがるんだ」
「ピカイチ……あのアクアくんが」
滅多に人を貶す事も褒める事もしないアクアがピカイチと称した。そこまで心酔するアイドル。色々な意味で興味が湧いた。負けたくないと心から思った。
「…………わかった。アクアくんの理想の女の子、やってみる」
「おお、やれやれー!」
「アクアを落とせー!」
「お手並み拝見させてもらおう」
この時、アクアを含め、誰もが楽観視していた。あかねを守るキャラ付け程度になればいい、と。MEMちょの天然おばかキャラやゆきの健気でいい子キャラ。上手くできてもアクアの毒舌クールくらいのレベルだと思っていた。
みくびっていたのだ。リアリティショーでは本来見られない能力。変貌の才能を。
▼
学校の屋上。昼休み、携帯食糧を齧っていると昇降口の扉が開く。指定の制服にリボンのついたベレー帽を被る、赤みがかった黒髪の少女だ。名前は有馬かな。かつて一世を風靡した天才子役で、今は自称アイドル。現れた人物を見て、一瞬身構えたアクアはフッと息を吐き、再び壁に身体を預ける。有馬かなもアクアの隣にハンカチをひき、座った。
「珍しいわね、アンタがそんな味気ないゴハン食べてるのなんて」
「今日はフリルのバイトオフの日だからな。もう自分のためにメシ作る気力はねぇよ」
いざ作るとなると二人も三人も手間的には変わらないが、栄養バランスだのカロリー計算だのは考えなければならない。わざわざ自分のためにその辺りの面倒な事をやろうとは思えなかった。
「お前、昼メシは?」
「もう済ませたわよ」
「どーせまたあんなウサギの餌みたいなメシ食ってんだろ。ちょっとはカロリー取らないとパフォーマンス上がらねーぞ。食う?」
「私なんてそこまでシビアに糖質制限やってない方よ。食べないと戦えないってのは私だってよく知ってるしね」
前も後ろも真っ暗な芸能界。不安に押しつぶされてご飯が食べられなくなった人間や不眠症になってしまう人間など、山ほどいる。睡眠不足、摂食障害から鬱病になってリタイア、なんてこと数えきれないほど前例がある。無理でも食べて、無理でも寝なければ芸能界では戦えない。
「…………動画、見たわよ」
ボソッと呟かれた一言に少し動揺する。別に悪いことしたわけじゃないけど、なんか微妙に責められてるような気持ちになった。
「上手くなったわね、アンタ。少し前まで色々規格外過ぎて扱いにくい役者だったのに。伸びる奴を見たことはあったけど、アンタほど短期間で大幅な変化を見たのは初めてだわ」
「短期間で大幅?10年以上この世界にいるんだぞ。めちゃくちゃ育ち遅いだろ。早熟ってんならオレこそ有馬以上の奴をお目にかかったことねぇけどな」
「…………アクアって意外と自己評価低いわよね」
「高くも低くもねぇよ。普段高いフリしてるから低く見えるだけだ」
「…………そうよね。高いフリしなきゃ、やってらんないわよね」
やっぱり人は自信のある人間が魅力的に映る。カメラの中にいる人間が気弱では話にならない(稀に例外はいるが)。大衆には明るく元気なキャラで売っている人が裏では根暗なんてのは良くある話。自信がなくともあるフリをするのが芸能人の義務だ。
「───っ」
甲高い破砕音。思わず震えた。多分ガラス的な何かが割れたのだ。少し興味を惹かれ、立ち上がると、身体が引っ張られる。有馬がアクアの制服の袖を掴んでいた。
「見ない方がいいわよ」
「悪いな、オレはそう言われると見たくなるタイプだ」
袖が解放される。下を見るとやっぱりカップが割られていた。顔は見えないが、近くに女子生徒がいる。恐らく彼女が意図的にやったんだろう。しばらく立ち尽くしていると、しゃがみ込み、泣き崩れた。
「───アレは……」
「オーディションか何かに落ちたんでしょ」
いつのまにか隣に来ていた有馬がアクアの独り言に答える。続いた。
「ウチの学校にはたまにいるのよ。人目のつかないところで泣いたり吐いたりしてる奴」
「…………まあ、わかる」
努力しても努力しても上手くならず、むしろヘタになっているような気さえしてくる。努力の量に対して結果がまるで吊り合わず、どうしていいかわからない。そんな経験はアクアにもあった。少し前のあかねの軽いバージョンだ。
興味が失せたのか、背を向け、手摺りにもたれかかり、紙パックのコーヒー牛乳を口にする。有馬はまだ階下を眺めていた。
「ま、人目につかないところって言っても、見てる人はいるけどね」
「…………お前もか?」
「意図的に見ようとはしないけど、たまに」
今日、アクアが屋上に来たのはなんとなくだったが、有馬がここに来たのはもしかしたらオレに会いに来たのではないのかもしれない。
「落ち込んでる人見てると、私はまだ大丈夫だって、思えるじゃない?」
コーヒー牛乳むせそうになった。芸能人なんてみんな大なり小なり病んでるモノだが、あの有馬かながこんな卑屈な病み方をしているとはちょっと思わなかった。
「…………フン、どうせ性格悪いわよ」
「何も言ってねぇ。気持ちはわからなくもねえし」
下を見て安心するな、と大抵の人は言うけれど、下を見ることで自身の精神の安定に繋がるならアリだとアクアは思う。メンタル崩すのも持ち直すのも自分のせい。やり方を他人にとやかく言われる筋合いは無いはずだ。
「少し前の黒川あかねも酷かったんでしょうね。持ち直したの?」
「まあ、なんとか」
「そう……よかったわね」
「あんま思ってなさそうだな」
「うるさいわね、アンタだって上にいる人間に落ちてほしいと思うことくらいあるでしょ?」
「オレは上にまだまだ幾らでも詰まってるからな。一人二人落ちたところであんま変わらねーよ。他人の失敗気にできるほど余裕ねえし」
コレはアクアの本音だった。自分のことで精一杯で、他人の情報などあまり気にしていられないし、実のところ興味もない。そんな暇があれば自身を向上させることにリソースを割くべきだと考えていた。この辺りはフリルの影響だろう。彼女も凄まじく前向きで合理的だ。
それに……
───明日オレが生きてるかもわからねえのに、そんな先のこと考えるなんて、今のオレにはできない
あの時の寒気。忘却の彼方にある星野アクアの意識がオレの無意識に入っていたあの恐ろしさはまだ身体の中から抜けきっていない。この間は久しぶりに眠りにつくのが怖かった。
「羨ましい」
「は?」
「…………アクアは自分がいい演技する事以外で悩んだ事ないのね」
「そんな事はないけど」
「ねぇ、アンタはないの?アイツさえいなければ、とかちょっとは堕ちてこい、とか思ったこと」
「………あるよ、一応」
シャーデンフロイデ。他人の失敗や不幸を喜ぶ感情。認めたくはないが、人間なら誰もが持っている負の側面。思ったことがないといえば嘘になる。星野アイ。オレが忘れ、オレが目標に掲げる天才アイドル。彼女がいなければ、オレはここまで自分を凡才と自覚する事はなかったのではないか。彼女のおかげで成長した部分もあるが、コンプレックスになってしまったところも多くあった。
───しかしそれにしてもちょっと意外だったな。
あの有馬かなが黒川あかねにここまでのコンプレックスを持っているとは。
「あかねって、もしかして凄い?ララライにいるんだから上手いんだろうとは思ってたけど」
「…………あー、あんたカメラ演技の人だからアイツの演技見た事ないのか。黒川あかね。劇団ララライの若きエース。演劇界隈では天才と名高い舞台女優よ」
▼
土日のがらんとした校舎に人が集まる。今日から本格的にあかねが復帰し、七人が揃った今ガチの収録が始まろうとしている。
「皆さんご迷惑をおかけして真に申し訳ありませんでした!頑張りでお返ししたいと思っています!よろしくお願いします!」
カメラが回る直前。全員の前で青みがかった黒髪の少女が深々と頭を下げる。周囲のまばらな拍手が鳴り終わるまで平身低頭の姿勢を崩さなかった。
「…………一生懸命なのは結構だが、また頑張りすぎるなよ。オレの言った事忘れてねぇだろうな」
挨拶を終え、自然な足取りでアクアの隣に佇んだあかねに囁く。すると思ったより気負いのない表情で微笑みを返してきた。
「勿論。ありがとう。気をつけるよ」
「ならいいけど」
「…………でもね」
「カメラ回しはじめまーす」
あかねが何かを言いかけたと同時にカメラマンの声がかかる。背筋に力を入れ、仕事モードに意識を切り替えた、その時──
「頑張ってる方が楽なんだよね、私」
一瞬、手があかねの肌に触れる。その瞬間、肌が粟立つ。まるで熱を持った光に手を触れたような感覚。指先からヒリつくような感覚が全身に広がっていく。
───オレは一体何に……
触れたんだ、と思い、あかねに振り向く。
えっ、と声が出そうになった。
淡い燐光があかねの全身を取り巻いている。所作の一つ一つに目が吸い寄せられる。生欠伸、カメラへの手振り、本来ならあまりやってはいけない仕草。どれもフリルとは違う、完成された美しさは感じない。けれど目が離せない。ポップで、可愛らしく、不思議な引力があった。アクアのような不気味さも、フリルのような熱もない。だが白く眩しい光。
フリルを太陽の熱。アクアを深海の闇とするなら、あかねはスポットライトの光。
「アクアっ⭐︎」
今まで数多の人間をその不気味なオーラとカリスマ、何より星の輝きを秘めた瞳で圧倒してきた星野アクア。この日、初めて自分の目で他者のソレを見た。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
不知火フリルは俯瞰型で、自分と違うタイプの才能の持ち主だったのでそこまで動揺しませんでしたが、あかねはアクアと同系統の憑依型役者で、自分以上の才能の持ち主かもしれないと思っているのでビビってます。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
32nd take to be or not to be
雨に溺れた夜に支払った対価
二つのばらけた点と点がうっすらと繋がり始める
交わる線に死神が佇むとも知らず
「アクアは怖いと思った人に出会った事はある?」
いつだったか、マリンとしてフリルの付き人を始めて少しが経った頃、聞かれたことがあった。貴方は人を恐れた事はあるか、と。
「顔がおっかない人とか、腕っ節が凄い人とかじゃないよ。役者として、誰かに畏怖を感じた事はある?」
「…………どういう意味だ?」
「明らかに自分以上に優れた才能と出会った事はあるかって事」
「そんなの、幾らでもあるが」
アクアは自分の事を才能ある役者だと思った事はあまりない。音楽においても、演技においても自分より遥かに優れた才能の持ち主を見続けてきたから。
「…………そう、アクアはまだ出会ったことがないんだ。もしかしたら自分が一生敵わないかもしれないと、思わされた人に」
「フリルはあるのか?」
「勿論。でなきゃこんな話はしないよ」
この天才をビビらせる程の才能の持ち主なんて想像したくもねーな、と心中で息を吐く。その数少ない一人が自分であることなどまるで気づかずに。
「そっか。アクア、私今初めて気づいた」
「なにを?」
「貴方は星野アクアを実際に目にした事がないんだ」
「は?」
「そうだよね。貴方は絶対に触れられないんだよね。その全てを吸い寄せるようなオーラにも。真っ直ぐに向けられる瞳の光にも。鏡なんかで見る事はできても、直接触れる事はできない」
ジッとアクアを見つめる。少し憐れむような目だった。自分が彼と出会った時の感動、衝撃、歓喜、恐怖、そのどれもをこの男は感じることができない。少し羨ましく、少し哀れだ。私がその役割を果たせればよかったのだが、彼にそこまでの衝撃を与えられたとは思えない。
───けど、それでも……
「アクア、貴方も芸能界で役者として戦い続けるなら、『恐怖心』との戦いは、いつか必ず来るよ」
「…………『恐怖心』ね。そんなのオレが感じる日が来るとは思えないけどな」
ここに来るまでに何度となく失敗してきたし、実力不足も痛感してきた。今更才能の差なんかで凹む日が来るとは思えなかった。
「今はまだわからないかもしれない。でも覚えてて。聡明で優秀な人ほど持ってる感覚なの。『恐怖心』っていうセンサーは『見極める力』でもあるから」
「…………」
黙り込む。フリルの話はいつも為になった。経験に即し、事実に即し、説得力のある話ばかりだった。だが、そんなフリルの言葉が初めて信じられない。舞台に立つ時、恐怖は常に感じている。だがそれらを全て飲み下し、力に変え、胸を張らなければ板の上になんて立てないじゃないか。それができるから役者なんじゃないか。そんな事、オレなんかより遥かによくわかってるだろう。それなのに、なんでそんな話をする。
「アクア、貴方がその眼で何を見ているのかは知らない。知りたいけど、無理やり知ろうとは思わない。でもね、貴方の常に先を見据える姿勢は良いところでもあり、悪いところでもある。遠くばっか見てると足元掬われることもある。そんな事にはなってほしくないの。前にも言ったけど、貴方を活かすのも殺すのも私がいいから」
覚えておいて、アクア
「恐怖に足がすくんだ時は、貴方の過去を思い出して。自分が積み重ねてきた努力とその実績が貴方を支えてくれる。動けないと思った時は帰るべき場所や貴方が出会ってきた仲間、そして私のことを思い出して。これは感傷じゃないよ。帰るべき場所も、仲間も、私との関係も、紛れもなく貴方の努力の結果なんだから」
▼
ドラマのとある現場、滅多にNGを出さないフリルに一度だけ待ったがかかったことがあった。演じていた役は才能ある女性スポーツ選手。しかし今は実力が停滞しており、格下との試合で負けてしまった。唇を噛み締め、悔しさを滲ませながら毅然と立ち上がる。無様さと美しさを両立させた名演だった。
───流石に上手い。自分に求められているキャラクターと作品の登場人物。全て黄金比で調節されている。
心中で感心していたその時だった。
「フリルちゃん。そこはもっと大げさに悔しがって。初めての挫折が受け入れられないって感じで」
その指示を聞いた時、アクアはこの手のタイプか、と落胆した。映画やドラマにおいて、監督が登場人物のキャラクターを掴めていないという事は意外と多い。役者は自分の役を徹底的に分析している。そして、自分なりの理解の元、演じる。アドリブを求められる時もその分析に基づき、このキャラならすること、しない事を一瞬で取捨選択し、行動に移す。分析なしに板の上に立つという事は真っ当な役者ならあり得ない。
勿論この理解が間違っている時もある。だが、今回に関してはフリルの解釈とアクアの理解は一致していた。フリルが演じているのはプライドの高い早熟の天才。彼女なら人前で臆面もなく悔しがったりはしない。人前では毅然として敗北を受け入れたように見せ、悔しがるなら誰も見ていない場所。涙を流すなら人知れず、声を押し殺して、だ。オレがフリルでも同じように演じる。しかしこの監督はわかりやすい感情表現を求めた。初めての挫折に心折れる女性。確かに分かりやすさや大衆の理解を優先するならこっちだが、脚本と物語の不一致は後々のストーリーや展開に違和感を生じさせる。長い目で見るならこの演技は間違っている。
───どうする?説得するのか?それとも……
馴らされるのか。後者はあまり見たくない。実力、人気、才能、全てにおいて間違いなく芸能界若手トップ。その彼女でさえ馴らされてしまうというのなら、いつかオレも…
「わかりました」
この時、オレはフリルに少なからず失望した。オレが理解している事をフリルが理解していないはずはない。なのに苦情ひとつ入れない。気持ちはわかるが、オレとフリルでは立場が違う。監督にモノを言う力ぐらい余裕であるはずだ。将来的に困るの自分という事も。それなのに……
場が乱れるのを嫌った?監督との軋轢を避けたかった?どちらも真っ当な理由だが、それをお前が避けたら他の役者も従わざるを得なく───
ぞくり
思考が吹き飛ぶ。同時に背筋に寒気が走り、鳥肌が立った。
take2はフリルが負けたところから始まる。ドラマの中では試合後のため、息も絶え絶えになり、動くどころか立ち上がることさえ難しい状態。膝をついて荒い息を吐く。そこまでは理解の範疇。
顔を上げた時、フリルの全身から滝のような汗が滴り落ちていた。
このカットが始まる直前、勿論フリルは激しい運動などしていない。最後のポイントを取られ、膝をついたところから撮影は始まった。
なのに体温の調節機能が全力で彼女を冷却していた。
───イメージしたんだ……試合を終えた後の自分を。
唇を噛み締めると同時に流れる一筋の雫。汗と混ざって分かりにくいが、カメラが役者に寄り添ってくれるのがカメラ演技の良いところ。TVで見れば、確かに彼女の目からこぼれ落ちたとわかる。
見せたくない。けれど溢れてしまう屈辱と無念。高いプライドがあってこその涙を、1st takeでは見せなかった汗と共に表現する事で、監督の意図もキャラクターの本質も全て捨てずに見せた。
そして何より……
───不知火フリルらしさを消さずに演じきってみせやがった。
通常、俳優は役を演じる際、自己を排する。当然だ。彼らの仕事はいかに他者になりきるかという事だから。
しかし不知火フリルはそれをしない。彼女が演じる役は全てに不知火フリルらしさがある。
スポーツ選手ならスポーツが得意な不知火フリル。
凡人役なら自信のない不知火フリル。
どんな赤の他人でも自分との共通項はどこかに必ずある。そこをクローズアップし、役のキャラクターと自分のキャラクターを重ね合わせて役作りをする。それが不知火フリルの演技だ。
なぜなら、それが大衆から求められているから。
テレビの前にいる視聴者達は別人になりきった迫真の演技を見たいのではない。様々な表情や性格の不知火フリルが見たいのだ。
だから敗北した不知火フリルも、悔しさに涙を滲ませる不知火フリルも見たい。けれど彼女とかけ離れすぎたキャラクターは見たくない。それが大衆の心理。
監督からの指示はそのらしさを消してしまいかねないモノだった。にも関わらずアイツは受け入れた。だからこそアクアは失望しかけた。求められている最大の武器を無視するつもりか、と。
しかし、そうではなかった。全て理解した上で、全てを食い尽くしやがった。
───学ぶ気が起きない
10年以上芸能界にいて、下積みをこなして、別分野の勉強もしてきた。真似て、学んで、モノにしてきた。ハルさんも、ナナさんも、有馬も、他のいろんな人も、全て糧にしてきた。
その過程で、無理だと気づいた事はあった。マネして、学んでみた結果、オレには向いてない。身につけられない。努力の方向を間違えた。時間を無駄にした、と感じる事は。そういう時は切り替えて別の道を探る。それでよかった。それが出来ていた。
けれど10年間で初めて思い知らされた。思わされた。学ぶ気が起きない、と。真似するまでもない。時間を無駄にしたと思わさせてもくれない。これを学ぶことなど不可能だと、アクアの脳が、身体が、血が、遺伝子が告げていた。
何を演じても───天才も凡人も、主役も脇役も全てこなした上で、不知火フリルであり続ける。
───コレが、不知火フリルの哲学……アイツの、本気
というより本質。しかし本質とは本気にならなければ他者には見えてこない。本気であり、本質。不知火フリルの核を見た気がした。
一生敵わないかもしれない
本気でそう思わされたのは二度目……いや、生で見せつけられたのは恐らく初めてだ。手が軽く震えているのに気づいたのは次のカットが掛かってからだった。
───何を今更ビビってんだ、オレは
誰に勝てるか、誰に負けるかなど、どうでもいい事だろう。そんな事の為に芸能界に来たのではない。オレはオレの目的のために戦うだけだ。
ルビーの為に嘘をつく。
ミヤコに恩を返す。
父親を見つける。場合によってはぶん殴って母の墓の前で土下座させる。
死んだ人のためじゃない。もちろんオレのためでもない。今生きているオレの大切な人のために。
「マリン」
名前を呼ばれる。椅子を立った時、もう震えは止まっていた。
目的のために常に前を向き、向上心や貪欲さを精神力にできる星野アクア。後ろ向きな思考を削り、自分を貫き続けることは彼の長所であると同時に…
『貴方の過去を思い出して』
削る作業は鋭さと同時に脆さを生むことに気づかない短所だった。
▼
「…………こんなところかな」
アイの資料を集め、プロファイリング作業を終えたあかねは背もたれに身体を預け、大きく伸びをする。部屋にはアイを分析したメモが数多く散りばめられていた。
ここは黒川あかねの自室。あまり他人には見せたくない考察と分析の場。図書館などで資料を集めた後、あかねは自室でアイの研究を行なっていた。
「今回の考察は結構楽だったな…」
過去も、性格も、思考パターンも分析するのにそんなに時間が掛からなかった。なんでだろ、と思い、メモ帳をパラパラとめくる。するとそこには直近のデータが収められていた。
「…………そっか、どこかで見覚えあると思ったら」
集められていたのは星野アクアのデータ。リアリティショーの最中、彼のトーク力とオーラを真似するために分析した数々。メモに書かれたアクアの性格や主義、理念、思考パターン、行動パターンがアイと似ているのである。勿論全く同じではない。似て非なるところもあるし、真逆な部分さえある。しかし、根っこの匂いというか、土台というか、そういうのが酷似していた。
───あのアクアくんがピカイチと認めるアイドル、か
アクアは才能に寛大だ。だからこそかなちゃんが出たドラマを現場無視してでも成功に導き、不知火フリルの無茶振りにも応え、今ガチの舵を取ってきた。しかしその代わり才能を見る目は厳しい。滅多に人を貶さない代わりに、滅多に褒めない。そのアクアがピカイチと称した。
───アクアくんが芸能界に来たのは、この人に憧れてかも知れないなぁ
驚きはしない。よくある話だ。テレビの中、光り輝く彼らを見て、自分もそうなりたいと願い、この狂気の世界に踏み込んでくる。ありふれすぎるほどありふれた話。あかねだって初期衝動は憧れだった。同年の天才子役、有馬かなへの。
───私にとってのかなちゃんが、アクアくんにとってはアイなのかもしれない
賭けてもいいが、アクアくんは憑依型の役者だ。プロファイリング能力、人読み能力が優れている。役の内面を読み解き、理解し、浸透させる。集中し、目を開いたら別人が取り憑いている。そういうことができるタイプの役者。
ならば憧れ、目指した人間の模倣をしていたとしても何ら不思議はない。4歳までの幼児期にアクアくんはアイに直接会ったこともあるらしい。流石に幼少期から出来ていたとは思わないが、子供心に『ああなりたい』と思った人物を真似て、学び、無意識のうちに今の人格が形成されたとしたのなら、充分理解の範疇。アクアとアイに共通項が多くても頷ける。
───っと、いけないいけない
変な方向に思考が向いてしまったことを自覚し、一度軽く頬を叩く。まだプロファイリングが終わっただけだ。このデータを元に思考パターンや行動パターンを考察し、キャラクターの内面を構築し、役作りを行わなければならない。大変なのはこれからだ。過去を辿り、行動を調べ、どんな時にどんな考えのもと、どんな決断を下してきたかを調べなければ。
「もう一踏ん張り。亡くなったのは……12年前か。私が初めてオーディション受けた時とほとんど同じ時期だなぁ。破滅的行動に改善が見られたのはそれから更に4〜5年前、思春期の頃に性交渉を経験したと考えられるため、おそらく異性の影響。それ以降破滅願望の再発は見られないところから男性との関係は良好だったと考え、いや違うか、アイは事件に巻き込まれる20直前まで異性関係は囁かれなかった、それに一度一年近く休業してる。病気ってことになってるけどこの間に妊娠、出産していたとしたなら、不可解だった数々の行動に整合性が取れる……いや、流石に突飛すぎるか、でもいいよね、あくまで設定だし、でもだとしたら恐らく隠し子の年齢は今頃15〜6歳ってところかな、3、4歳で母親をなくしてるなら子供も凄く大変だね。まだ物心つくかどうかって頃だろうに母親の顔すらろくに……」
この時、あかねの中でチラッと何かが引っかかった。そう、最近聞いた、あの嵐の夜に彼が私にだけ語ってくれた話だ。忘れられるはずがない。子供の頃、母親を亡くしたと言っていた。あの時アクアくんはたしか……
『オレには母親の記憶がない。と言っても、4歳の頃に死んだらしいから、当たり前っちゃ当たり前だけど』
ゾクっと背筋に寒気が走る。嫌な想像が脳裏をよぎってしまった。一度頭を振る。少しドラマチックに考えすぎだ。幼い頃に親を亡くした子なんていくらもいる。たまたま時系列の符号が合致しただけだ。そういう偶然もあるだろう。根拠とするには薄すぎる。
「───さっ、続き続き」
怖い妄想を頭の中から振り払うため、もう一度大きく頭を横に振った。意外とあっさり怖い妄想は頭の中から消えてくれた。
▼
芸能界に来て12年。良くも悪くもいろんな人に出会ってきた。その中でオレより遥かに優れた人間には数多く出会った。ハルさんやナナさんもその一人だろう。
しかし、この12年で、恐ろしいと思えるほど、オレより遥かに優れた才能と出会ったのはたった2人。
1人は星野アイ。眩いばかりのオーラとカリスマを持った、超一流のアイドル。もし彼女と同世代だったならと思うとゾッとする。
もう1人は不知火フリル。有象無象を焼き尽くす強烈な熱を持った大炎。リアリティショーが始まってから今に至るまで、家族以上に密な時間を過ごしてきた。オレとは少しタイプが違うけれど、それでもこいつには一生敵わないかもしれないと思わされた。
この2人に並ぶ恐怖を感じる事はないだろうと思っていた。
しかし今日、もう1人出会ってしまった。オレを遥かに超える、しかもオレとほぼ同系統の才能に。
一生敵わないかもしれない。
しかも今度は自分と酷似した才能。オレの完全上位互換。恐怖という点だけならフリルを超える衝撃かもしれない。
───関係ねぇ
一度頭を振ると、もう恐怖心は消えていた。ビビるだけ無駄。あかねがどんな天才だろうが関係ない。オレはただ、オレの仕事をするだけ、と余計な思考を削り取った。
「アクアっ⭐︎久しぶりっ」
「ああ、待ってたぞ。あかね」
「あかねお帰りー!」
いつのまにか、自然とあかねを中心に輪ができる。手を合わせたり、肘でつつかれたり、しばらくスキンシップの時間が続いていたが…
「…………あかね、大丈夫なの?」
「えっ、なにが?……あー、炎上のこと?」
「それもあるけど…」
少し遠巻きに見守っていたフリルが切り出す。普通に考えれば炎上のことを指しての心配と取られるだろうが、違う事はアクアにはわかっていた。トんでしまった芸能人が心を病むのはよくあること。確かにこの豹変ぶりはなんらかの精神的異常を見出してもおかしくない。
「やっちゃったなぁとは思うけど、あれくらいよくある話でしょ?私は全然っ⭐︎」
「はっ、よく言うぜ。ちょっと前まで死にそうなツラしてたくせに」
「あー!アクアなんでそれ言っちゃうかなぁ!心配かけたくないから私たち2人だけの秘密だよって約束したのにー!」
「してねぇだろ、そんな約束」
「しましたー。あの雨の夜にお願いしましたー」
はしゃぐようにアクアの腕に縋りつく。それからもあかねはアクアの傍にべったりと張り付き続けた。キャストも、スタッフも、フリルですら、呆気に取られ、視線を吸い寄せられてしまった。
「ベタベタすんなよ、暑苦しい」
唯一違和感などなかったかのように接することができていたのはアクアだけだった。まるで以前からあかねがこんな性格をしていることを知っていたかのように、自然に、円滑に、今まで通りの会話をしている。それが自分に求められる役割だとわかっていたから。
「えー、別に暑くないでしょ?もう秋なんだし。人肌恋しくなる季節じゃない?」
「暑苦しいってか、鬱陶しい」
「そんなスーパードライなこと言わないでよ。お礼のつもりなんだから」
「お礼?」
「聞いたよ、あの動画、アクアが作ってくれたんでしょ?」
「言い出しっぺだったってだけだ。作ったのは皆でだよ」
「それでも、貴方がいてくれなければ私は溺れて死んじゃってたかもしれない。私がこの場に帰ってこられたのはみんなのお陰だけど、その源になってくれたのはアクア。ホントに感謝してる。ありがとう」
「……………」
───なんか、今のあかねにマトモに礼とか言われると怖いな
眩しさに目が眩む。瞳の輝きに押し潰されそうになる。フリルの時とは似て非なる感覚。アイツはオーラの強弱も自在に操れたから、焼くか焼かれないかギリギリの火加減がされていたが、今のあかねはダダ漏れ。常に全開状態だ。制御できないのではない。演技なのだからコントロール出来るはずだ。今のあかねはオーラを制御できないのではなく、する気がない。ある意味フリルより厄介だ。感謝の言葉を口にされながら、アクアの背筋から冷たいモノが消える事はなかった。
「感謝はもうわかったから、離れろ」
「ええ?なんで?男の子的には嬉しくないの?」
「オレ、ベタッと絡みついてくる感じは苦手なの」
「またまた。この間はそんなこと言ってなかったじゃない」
「この間?」
「ほら、雨の中私迎えにきてくれて、そのまま一緒に眠っ──」
「余計なこと言うなマジで」
「え?なになに?なんの話ぃ?」
「アクアやらし」
「きゃー!なになに?やらしい話?傷心のあかねにつけ込んでやらしいことしたのアクア!」
「なにもしてねぇ」
「思春期男女が一晩一緒に寝たってだけで充分だよねっ⭐︎」
「お前マジ調子乗んなよ」
「ふーん、否定しないって事はホントなんだ」
『きゃーー!!』
こうして、暫くはあかねとアクアを中心に姦しく番組は盛り上がりを見せる。いつも通りに回すアクアが緩衝材の役割を果たし、黒川あかねは休業していたとは思えないほど自然に『今ガチ』へ溶け込んでいった。
「化けたね、あかね。何かアドバイスしたの?」
質問攻めからようやく抜け出し、壁にもたれかかったアクアの隣にいつの間にかフリルが立っていた。未だあかねを中心にワイワイやっている様子を眺めながら、2人同時に息を吐く。
「アドバイス、と言うほどのものはしてねーよ。化けた、とは少し違うんだろう」
アイツは元々化けられる能力は持ってて、自分もそのことを知っていた。でもリアリティショーで使っていいか、わからなかった。そこでオレが使っていいよ、と許可を出した。
「その結果がコレだ。能ある鷹が隠していた爪を見せたってのが近そうだ」
「それならやっぱりアクアのせいだね」
「あっ、また2人でコソコソ話してるーっ」
少し肩が震える。あかね以外の全員が少したじろいだ。
このリアリティショーでフリルとアクアのツーショットは何度も見られたが、2人の間に割って入ろうとする者はいなかった。アクアとフリルのカップリングはほぼ序盤から確定していたし、あの不知火フリルを敵に回そうとする者はメンバーの中にはいなかった。
それをあかねはアッサリと踏み込んできた。逆の立場なら恐らくアクアすら出来ないことだ。たじろぐのも当然と言えるだろう。
「アクアってさー。いつもスーパードライなクセに、フリルさんにだけは随分優しくない?差別はんたーい」
「そんなんじゃねぇ」
「………あかね、あんまり言いたくないけど、あんまりアクアにそういう絡み方しないであげて。苦手なの。嫌がってるでしょ?」
「アクア、嫌?それとも迷惑?」
「──まぁ、迷惑、とまでは」
少し考え込む。あかねこのキャラ、発端は自分だ。お手並み拝見と言った手前、あまり強くやめろとも言いづらい。
「アクア、ここで変に優しさ見せたら自分の首絞めるよ」
「…………なんでお前まで寄ってくる」
「アクアの優しさは変じゃないよ。ちょっと性格悪くて、臆病だからわかりにくいだけ。ホントは誰より優しい人。私だけはわかってるから」
「私だけってどういう意味?あかねってもしかして私よりアクアのこと理解してるつもりだったりする?」
「?だったら何か問題ある?」
「お前ら喧嘩するなら出てけ」
『アクアがハッキリしないからじゃない(でしょ)!』
「…………ならオレが出てく」
本当に教室から出ていこうとするアクアに2人がついていく。他のメンバーたちはその様子を唖然とした表情で見つめることしかできなかった。
「…………仕上げてきたなぁ、あかね」
「グイグイ行ってるねぇ。まあ失う物もう無いし、アクたん相手なら今までの恩返しってので大衆納得させる理由としては充分だからねぇ」
「持っていかれたね。視線も、リアリティショーの中心も、何もかも」
フリルについては覚悟していた。アクアに関してはこの数ヶ月で思い知らされた。
そして今日、初めて気づいた。あかねもアクアやフリルと同類なのだと。
芸能界に限らず、プロの世界において、一流と呼ばれる者、一流へと辿り着く者には独特のオーラがある。体から出るというより、人の目を引き寄せる引力とでも呼ぶべき力。
このリアリティショーにおいて、オーラをすでに纏っている者は三名。
不知火フリル
星野アクア
黒川あかね
最終盤に差し掛かった恋愛リアリティショー『今からガチ恋始めます』。
メンバー全員が揃ったリスタートは強烈な引力を持つ三名による三角関係から、始まった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
大三角関係勃発。アクアのトレースをしているせいであかねは真実に近づく速度が増しています。次回、女好きのタラシが吊し上げに合います。果たして無事に収拾がつくのか。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
33rd take 見せ合える相手
冤罪で有罪な星をなくした子に罰が下される
罪を重ねないよう気をつけなさい
重なる罰はいずれ刃となるかもしれないから
ママが死んじゃって、周りの人たちは少なからず変わった。
苺プロのホントの社長はいなくなっちゃった。
社長にとってママは所属アイドルというだけでなく、自身の夢と希望と親愛を注ぎ込んだ、娘のような存在だったらしい。夢も希望も愛も無くした社長は妻も事務所も全て捨てて失踪した。悲しくはあったけど、仕方ないかとも思ってる。
ミヤコさんは私とお兄ちゃんにすごく優しくなった。
夫と別れ、まだ若く綺麗なあの人なら新しく恋人を作る事も再婚することだって難しくなかったはず。それなのに他人の双子を抱え込んで、一緒に生きると言ってくれた。私達を我が子同然に愛してくれた。ママがいなくなる前も決して邪険にされてたわけじゃないけれど、明らかに保護を受ける部分が多くなった。私もお兄ちゃんも凄く感謝してる。私にとって、先生とママとお兄ちゃんの次に恩のある人だ。
そして、お兄ちゃんは泣かなくなった。
元々感情丸出しで怒ったり、泣いたりする人じゃなかった。子供の頃すらあの人が臆面もなく涙した姿を見た覚えはない。まあ私と同じ転生者っぽいから当たり前っちゃ当たり前だけど。
それでもお兄ちゃんは思ってることが意外と顔に出る人だった。
怒る時は眉間に皺寄せて相手を睨んだり、昔子供だったロリ先輩に「殺しはしない」とか殺意バリバリの顔で言ったり、ママとお風呂に入るのを恥ずかしがったり、喜怒哀楽を表に出す人だった。何でもできる人なのに、意外と不器用だった。
けど、ママが死んじゃって、事件に巻き込まれて、病院で眠りから覚めたあの日から、お兄ちゃんは感情を顔に出さなくなった。
私と口喧嘩することはある。あ、今怒ってるな、と感じる事もある。一度パニック発作を起こして倒れたことすら。けど眉間に皺を寄せたり、顔を赤くしたり、パッと目で見て分かるような感情の出し方をしなくなった。喧嘩する時も、怒る時もいつもあの綺麗な澄まし顔を崩さなくなった。きっと私に心配かけないために。倒れた時、私が泣いてしまったのも理由の一つかもしれない。
「動揺を顔に出せば、そこにつけ込まれるからね」
以前ミヤコさんが言っていた。深夜アクアが疲れて帰ってきて、私に見つかりそうになった途端、それを隠した時、私は一度ミヤコさんに相談したことがある。お兄ちゃんが無理してる、と。
「どんなに優勢な人間でも思わぬ反撃を喰らうと顔が歪んでしまう。すると不利だったはずの人間が勢いづいて優勢と劣勢がひっくり返ってしまうことって、芸能界に限らずよくあるのよ。たとえ本当に辛いとしても隠すことで圧倒する。痛がるのは全てが終わってから。そういうスタンスの役者やアイドルは少なくないわ。アクアもきっとそうなのよ。多分無意識でね」
そう語るミヤコさんの顔は辛そうだった。普通、子供は辛いことがあれば親を頼る。怒り、涙し、不平不満を訴えかける。けれどアクアはそういうことは一切しなかった。全て自分の内に抱え込み、解決に奔走し、自分の手で決着をつける。幼少期から今までずっとそうしてきた。そのことがミヤコさんには悔しく、私には嬉しいと同時に悲しい。
───私にくらい泣いてくれてもいいのに
自分で言うのは悔しいが、私は何度もお兄ちゃんに頼ってきた。アイドルになるための相談も、なってからの活動も、仲間集めも。私の今を形作る要素にお兄ちゃんが関与していない事柄なんてほとんどない。そしてその事に不満一つ漏らした事もない。いつも背筋を伸ばし、その背中に私を守ってる。
ルビーを守れるのは、もうオレしかいないから
そう語る背中をこの12年で何度も見てきた。
動揺を見せず、隙を見せず、ママから受け継いだ才能を駆使して、強く美しくあり続けた。涙はおろか、感情すら
どんどんママに似ていくお兄ちゃんを、羨ましく、妬ましく、愛しく思うと同時に、ひどく寂しかった。
貴方にとって、私はただ守られるだけの存在なの?
そう問いかけることさえも躊躇われるほどに。
▼
「えー、第一回〜」
『アクアの二股を吊るしあげようの回〜〜』
「イェー!」
「やんややんや」
大量のお菓子やジュースが並べられたテーブルを中心に、今ガチメンバー全員が揃って座っている。一番大きなソファにはゆきとMEMちょがアクアの両隣を押さえ、両面のお誕生日席にはノブとケンゴが座し、アクアたちの正面真向かいに、フリルとあかねがいる。
「…………待て、異議あり」
「何かご不満?」
「当たり前だ。オレは二股どころか一股すらしてねぇ」
「被告人の異議を却下します」
「もうすでに被告扱いかよ」
「黙りなさい女の敵。貴方みたいな口が上手で頭の回転早い人はのらくらやってたら言いくるめられちゃうの。アクアに今許されてるのは私たちの質問に正直に答えることだけよ」
ゆきも他人のこと言えないとは思うが、言ってる事は概ね正しい。一対一で話をしてもお互い主観が入りすぎるため、公正な判断は難しい。こういうのは第三者交えてやった方がいいのは確かだ。
「まあまあ。そんなに警戒しないでよぉ。別にアクたんの事責めようなんて思ってないよ。あかねが救われたのは間違いなくアクたんの貢献が一番おっきいって、ここにいる全員が認めるところだし」
アクアの肩に手を回したMEMちょが笑う。その言葉を否定する人間は1人もいなかった。何日も徹夜し、動画編集に勤しみ、監督を務め、キャストとして出演もした。その行動と結果はあかねを除いた全員が直接見ている。アクアの献身に下心があったなどと、疑うものはいない。
「ただ、あそこまでやられちゃうと女の子は勘違いしちゃうの。だからハッキリさせるところはしときたいよねぇってだけだから。場合によっては私たちがアクたんのカバーに回るよぉ」
「信用できねぇ。恋バナの肴にして盛り上がりたいだけだろ」
「しないしない」
「するわけないじゃん」
───ウソだけどね!
ゆきとMEMちょの心の声が一致する。思春期女子……いや、年齢関わらず、他人の色恋は最高の娯楽の一つ。まして相手はここまで鉄壁完璧付け入るスキなしを貫き続けてきたアクア。からかう絶好のチャンス。特にここまでアクアとフリルにいじられまくってきたMEMちょは絶対に逃したくない千載一遇。
「じゃあ早速聞くけど、アクたんどっちが好きなの?」
何人かがゴクリと唾を飲む。のらくらやってたらこの男は言葉巧みに言い逃れる。それはこの場にいる誰もが理解してることだったが、流石に予想以上に切り込んできた。
「おお〜。さすがメッさん。ぶっこむねぇ」
「この小賢しツンデレ王子にはこれくらいしないとねぇ。で?どうなの?」
「どう、と言われても。どっちも嫌いじゃない、としか」
「出た」
「最低」
「アっくんひどーい」
「うるせーな、どっちも好きって言わなかっただけマシだろうが」
もうそう言ってしまおうかとさえ思ったくらいだったが、流石に心象悪いと思って言葉を選んだ。
「そういう好きを聞いてんじゃないってことくらい言わなくてもわかるでしょ?恋!LOVE!LIKEじゃないほう!どうなの!?」
メンバー全員が固唾を呑んでアクアを見る。恐らくカメラの向こうの視聴者達もほぼ同じ行動をとっているだろう。
一度大きく息を吐く。十数えるほど瞑目すると、ようやくアクアは重い口を開いた。
「…………最初の方にゆきには言ったけど、オレは、恋愛ってのがよくわからない」
これは詭弁ではなく、アクアの本音だった。好きな人はいた。セックスした相手もいた。でもそれらが恋だったかと言われると、わからない。いや、多分違う。特定の誰かに心を奪われることを恋と呼ぶなら、アクアはまだ恋を経験した事はない。
「この期に及んでまだそんな……」
「待ってMEMちょ。コレは多分ホントだよ。少なくとも私に同じこと言ったのは事実だから」
「───言われてみると、アッくんって頭も回るし、察しもいいのに、他人からの好意にけっこう鈍感だよな」
「確かに。フリルさんの時もあそこまで言わないと気づかなかったし」
「…………言い訳をさせてもらえるなら、3歳の頃から芸能界にいたせいで、良くも悪くも人間のいろんなもの見すぎたってのは根底にあると思う」
記憶があるだけでも4歳から芸能界にいた。闇の部分は嫌でも目に入った。
「好意もないのにメリットだけ求めて近づいてくる人間。価値が無くなればあっという間に手のひらを返すヒト。本当にたくさん見てきた。軽く人間不信なのかもしれねぇ。オレだって今は人と付き合う時、リスクリターン考えてないと言えば嘘になる」
鏑木Pに近づいたのだって打算だし、あかねを助けた時だってオレのメリットを考えた上で動画を撮った。芸能界にいて、得るものは多かったが、同じくらい失った物も多い。
「これでも役者だからな。恋愛要素はどんな作品にもある。だから恋愛について勉強もしたし、実際に演りもしたが……いや、だからこそ余計にわからなくなったかもしれない」
「…………それは、わかるなぁ」
アクアの独白に同業者のあかねが同調する。さっきまでの口調と少し違う。素のあかねに近い声だった。
「どういうところが好きとか、好きになった理由とか、物語ではハッキリしてるから、なりきって演じる事はできるけど、現実ではそうもいかないもんね……」
「打算ありきで考えちゃうのもわかるな。私だって最初アクアに近づいたのは貴方の才能に興味持ったからだしね」
あかねもフリルも子供と言える歳の頃から大人達と交渉ゲームや裏のあるオーディションなど、闇の部分は多く見てきた。アクアが軽く人間不信だとしても責める事はできなかった。
「───てことはアクたん、その、初恋、とかは?」
「多分まだだな」
『きゃーー!!』
アクアの両隣から黄色い声が上がる。興奮そのままにアクアの頬をつついたり、髪を撫でくりまわされた。
「まだだってぇ!えー!?嘘でしょそんな女慣れしまくってるくせしてー!」
「ひゅー!マジかよこいつぅ!てことはあかね、初恋でカップル成立かもよー!」
「いい加減なこと言うな。あかねがオレのこと好きってのもお前らの勝手な推測だろ」
「…………えぇ、アクたん、それ、本気で言ってる?」
「違うのか?」
「あのねぇ、なんとも思ってない男のために、その男の子の理想になろうと努力する女の子なんてこの世にいるわけないでしょぉ」
「ちょっ、メム!やめてー!」
真っ赤になってメムを止めようと手を伸ばす。その様子をゆきとメムはきゃいきゃい言いながら笑っていたが、フリルをはじめ、男子2人はキョトンとした顔でアクアを見る。視線が合わないよう、目をそっと伏せたことにゆきが気づいた。
「カミングアウトしてしまいますが、この間の収録後、アクアが恋人にしたい理想の女性像を語ってくれました」
「語らせたんだろーが」
「それでそれで?」
「顔は自分と同等以上、何かしら才能があって、自信持ってて、瞳に力がある女の子だそうです」
「私じゃん」
「フリルさんは怖いからヤだそうです」
「えー、なんで?私はこんなにアクアに優しくしてるのに」
「同じくらい脅かしてくるだろーが」
「ああ、ソレでか。あかねが雰囲気変わったのは」
「もー!やめてよノブくん!別にそれだけってわけじゃないよー!」
「でもソレもあるんでしょ?」
「…………まぁ、その…」
『きゃーーー!』
『ヒューーー!」
雄弁な沈黙に男女とも歓声を返す。先ほどまでキラキラしていたあかねだったが、今は羞恥で真っ赤になり、ソファの上で縮こまってしまった。
「で?どうなのアクア」
「好きなんか?こういうあかねが好きなんか?」
「あかねのことは元々好きだよ」
「うわ、出たよ。好きとか言い慣れてるの丸わかり」
「でも自分のために努力してくれる女の子って嬉しいでしょ?」
「…………」
黙り込む。確かに今まで付き合いのあった女性は良くも悪くも素のまま接してくれることが多かった。ハルさんもナナさんも自然体で、綺麗になる努力を惜しむ人たちではなかったが、それはオレ1人の為の努力ではなかっただろう。もちろんあかねだってオレのためだけにキャラ付けしたわけではない。けれどオレの影響がここまで大きい努力を見たのは初めてかもしれない。
「ね。どうなの?」
「…………まぁ、そりゃ、多少…いや結構、その…」
「え?え?!え!!なになに!?なんだーー!!」
「え、マジ?ガチ!?アクアが照れているーー!」
頬をかき、ソッポを向くアクアの態度。この数ヶ月一度も見たことのない紅潮したアクアに女子達が一気に色めきたった。
「できるじゃん!そういう反応!」
「綺麗すぎてホントに人形かロボットみたいって密かに心配してたけど!感情死んでなかったんだね!」
「よっ!思春期!高校生!」
「帰る」
「えー!やだやだ待ってよぉ!やっと面白くなってきたのにぃ」
「冷やかしの肴にすんなら帰るっつったろーが」
「ごめんごめん。もうからかわないから。ほら、お菓子食べよ?ジュースもあるよ?」
「グラスに注いであげる。殿下、どうかご機嫌をお直しください」
ゆきとメムに宥められ、ようやく席へと座る。しばらくワーキャーしてる間にフリルとあかねは距離を詰めていた。
「アクア、しばらく肴にされるだろうね」
「………ちょっと申し訳ないな。私のせいみたいなものだし」
「気にしなくていいから。今まで散々人をからかって弄んできてるんだし。少しくらいお灸据えといてあげないとね」
その一言に笑いを返すと同時に少しムッとする。まるで貴方より私の方がアクアのことを理解してますよ、と煽られたような気分になった。
「で?あかね。どうなの?アクアのこと、好き?」
「え……」
「私は好きだよもちろん。親友としても、役者としても、男性としても。一見完璧に見えて、色々欠けてるあの人に、私は興味が尽きない。長く芸能界にいるけどあんな人、ホントに初めて出会ったから」
容姿端麗。運動神経も良く、才能は特級。性格も多少ひねてるが、悪くはなく、オーラに関しては筆舌に尽くし難い。人によっては恐らく中毒になる程引き込まれるだろう。人としても役者としても男性としてもアクアは魅力的だ。
だけど、人として何かが欠けている。具体的に何か、と説明することはできないが、少なくとも本人はそう思っている。だからあれ程の才能と実力を持っていながら、劣等感を隠しきれず、不完全を自覚しているから異様なほど完全で完璧主義者。
矛盾とそれを隠す仮面。仮面の下にある相反する二つの魂に、フリルは興味が尽きない。惹かれずにいられない。番組をこなし、この数ヶ月家族よりずっと一緒にいてもアクアとの時間は飽きる気がしなかった。
「あかねは?アクアのこと、好き?」
優しい口調で問いかける。しかし、言葉に熱と圧があった。半端に言い逃れるなら焼き尽くす。そんな怖さが優しさの裏に潜んでいることに、あかねは気づいた。
「好き、だよ」
マイクが拾わないくらいの小さな声で、フリルにだけ聞こえるように呟く。
「強くあろうと背筋を伸ばす姿が好き。どんな人やモノからでも学ぼうとするプロとしての姿勢が好き。不安やコンプレックスを隠そうとする努力が好き。綺麗なところも、醜いところも、ソレを隠そうとする行為すらも、全て『愛しい』。私にこの感情を教えてくれた、神様みたいなのにどこか私と似ている……あの人が、好きです」
「…………そっか」
息を吐くと同時に頬杖をつく。視線の先には美少女二人に接待され、眉間に皺を寄せながらもまんざらではない星の瞳の少年がいた。
「ねぇ、アクア」
「…………なに」
「あかねがもしガチだったらガチで返すの?」
「お前まで…」
「揶揄うとかじゃなく真面目に聞いてる。答えて」
真面目に聞いてるというフリルの言葉に嘘はない。熱を持った熱い瞳が碧眼を真っ直ぐに捉えていた。
「マジで付き合うルート、ある?」
「…………ありかなしで言うなら、まあ、ある」
『きゃーーー!!』
「チッ、いちいちキャーキャーうるせーなそこの二人。猿か」
「そっか」
アクアの答えに満足そうに頷くと泣きぼくろの美少女はおもむろにソファから立ち上がる。
「私、今ガチに参加してよかった」
眩い、けれどあかねとは違う。見ているものを熱くするような笑顔でフリルは大きな声で宣った。
「前も後ろも真っ暗で、右も左も敵しかいない芸能界で、
隣に座るあかねを見下ろす。
「敵よりもとても面倒で、厄介で、タチが悪くて、でも悩みを分かち合える、
笑顔は崩していない。それなのに威圧感がある。笑いとは本来威嚇の意味を持つという言葉をあかねは思い出していた。
「あかねって言いたいことがあっても遠慮や我慢しちゃうし、出来ちゃうでしょ?でも炎上騒ぎも落ち着きを見せて、あかねも堂々とできるようになった。おかげでやっと同じ目線で話せるよ。残り時間は少ないけど、勝負は勝負。負けないからね」
「それは私だって!」
『きゃーー!!』
いつのまにか、あかねも立ち上がっていた。向かい合う二人をアクアは唖然とした表情で見上げ、女子二人は手を握り合って立ち上がった。
「女の友情を確かめると同時に恨みっこなしの勝負勃発!」
「残り時間は僅かの短期決戦!
『面白くなってきたーー!!』
【面白くない】
収録から少し時間が流れ、場は変わり苺プロ事務所。関係者のみしか入れないブースで赤みがかった黒髪の美少女と星の瞳の少年は同じ部屋で同じ言葉を呟いていた。
「そもそも人の恋愛安全圏から眺めるなんてコンセプトが悪趣味なのよね誰と誰の掛け合わせがいいとかなんなの?馬主なの?三冠狙えるUMA娘を作りたいの?シンデレラグレ○なの?はーやだやだホント悪趣味」
「人の事わかったよーなツラして好き勝手言いやがって散々オモチャにしてくれてオレは人をオモチャにするのは好きだがされるのはだいっきらいなんだよキャーキャーキャーキャー発情期の猿かアイツら女って男の事すぐ猿扱いするけど女も変わんねーよな恩を仇で返しやがってマジふざけんな」
携帯をソファに放り投げながら番組批判する有馬かなと、床に突っ伏して寝転ぶ星野アクア。二人の愚痴は絶妙なバランスで組み合わさり、呪詛となって部屋を支配していた。
「───先輩とお兄ちゃんがあんなに意気投合してるの、初めて見たかも」
「人を団結させるのは共通の敵なのよ」
その様子を呆れ半分、心配半分で眺めていたのは星野ルビーと斎藤ミヤコ。アクアの妹と養母だ。二人とも系統は違うが容姿は凄まじく整っている。ルビーはアクアとよく似た顔立ちで、違いは瞳と髪の長さくらいだろう。赤い瞳に左眼から星の輝きが見られる。
ミヤコももう三十後半に差し掛かる歳だろうが、ちっともそんな風には見えない。ちゃんと化粧をして形を整えればまだ余裕で二十代で通るだろう。いつまで経っても老けない美しさを持った苦労人だ。
「不知火フリルを別格とすれば、今ガチで一番伸びたのはお兄ちゃんだけど、どこまでが仕込みでどこまでがアドリブなんだろう」
「今回に関してはほとんどアドリブだと思うわよ。アクアって計画的に見えて実は行き当たりばったりだから」
その結果、トラブル続きでこっちの胃は痛くなるばっかりだけど、なんだかんだで良い方向に転がるから厄介なのよね、とミヤコさんは独り言のように呟く。眉間に皺を寄せながらも、アクアを見つめる眼は優しげだった。
───お兄ちゃんは、ママが死んじゃってから、少し変わった
以前は意外と私に愚痴とか言うことはあったし、ズケズケと遠慮のない物言いをすることもあった。今も私に遠慮してるとかは思わないし、口喧嘩する事だってある。
けれど弱いところを見せなくなった。
憔悴した表情や態度を見せる事も疲労に溜息を吐く事すらなかった。いつも毅然として胸を張り、誰より強くあり続けていた。ママがいなくなった代わりに自分が家族を守る。そう背中が語っているかのような生き方だった。
それなのに今はまるで無防備だ。床に突っ伏して寝転び、延々とグチを言い続けている。16年この人の妹やってるけど、こんなの初めて見た。
ついにストレスがキャパくなったのか、それとも……
───先輩といる時は結構昔のお兄ちゃんみたいなんだよね
感情的に怒ったり泣いたりはしない。けれど喜怒哀楽を顔や態度に出す。先輩といる時、お兄ちゃんはママが死んじゃう前のようになる。いつものすました綺麗なお兄ちゃんもいいけど、こっちの方が本当のお兄ちゃんっぽくて私は好きだった。
そんな事を思っていると拍手の音がルビーを現実に引き戻す。ミヤコが手を叩いていた。
「はいはい二人とも。グチるのはかまわないけど明日は学校でしょ。仕事もないんだし、そろそろ休みなさい」
「明日はオレフケる。悪いけど、学校にテキトーに連絡しといてくれ」
「…………は?本気?」
アクアの美点の一つに真面目というところがある。仕事や業務に対してはいつも誠実で、真摯に向き合い、責任感を持って取り組んできた。事仕事に関して、サボるどころか、妥協したところすらミヤコは見たことがない。それなのに、今、アクアは堂々とサボると宣言した。
「一般生徒たちの遠巻きからの視線にはもう慣れたが、あの収録以来、フリルのやつ学校ですら一層付き纏うようになりやがって。明日あたりアイツにちょっかいかけられたらオレはフリルを殴るかもしれねぇ。最悪の事態を回避するために明日はフケる」
「…………ま、それで心が落ち着くなら、構わないけど。貴方なら1日くらい休んでも問題ないだろうし」
「明日は久々にストレス発散させてもらう。おい有馬、お前も付き合え」
「そう、付き合うってのはそんな打算だけじゃいけないのよ人間と競走馬は違うんだから馬と違って人間は感情がないと………はっ!?なんて?!」
まだ愚痴ってて意識が現実に帰ってきてなかった有馬かなは唐突なアクアからの誘いに思わず生返事を返してしまっていた。
「聞いてなかったのか?お前も学校サボってパーっと遊びに行こうって言ってんだよ。いいだろ?」
「…………うんっ、いく」
先程まで眉間に皺寄せて反吐でも吐きそうな顔をしていたかつての天才子役が高揚と期待で一気に明るくなる。イライラしてその様子に気づかなかったアクアと一瞬で顔つきが変わった有馬を見て、ミヤコは大きく息を吐いた。
───この子がいつかアイの二の舞にならないように、私がしっかりしないと。
眉を顰めたまま、自室へと向かう義息子の背中に刃物が突き立てられることがないよう、ミヤコは思いを新たにした。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
次回重曹ちゃんとデート。上げて落とされる前段階です。前回ここまで書きたかったのですが、長くなったので二分割。ただでさえ拙作の文字数多めですからね。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
34th take もしも魔法のない世界を
魔法が解けた世界で遊興に興じながら
魔法の時間を知らなかった世界に想いを馳せる
かの魔法使いが王子様であったならと
芸能界生活14年。有馬かなは今、人生で最高潮の苦悩を味わわされている。
自室のクローゼットは全開になっており、ベッドの上はもちろん、部屋中足の踏み場がないほどとっ散らかっている。普段から家事片付けが得意ではない方だが、今はもう泥棒でも入ったかのような状態だ。広げられた衣服の数々の前で下着姿で仁王立ちする赤みがかった黒髪の少女は頭を悩ませていた。
───どういうのがアイツの好み!?
セクシーなの?キュートなの?どっちが好きなの?今ガチは全部見てたけど、アクアは女子の服装を褒めることはあっても、自分の好みを言っていたことはなかった。色とりどり、ジャンルバラバラの服たちを鏡の前で体に合わせるも、どれも違うような気がして一つに決められなかった。
「清楚めかつ身体のラインを綺麗に出るワンピ。大人っぽいし王道デートスタイルだけど……」
脳内でこの服装を見たアクアがどんな反応をするかイメージする。まあ貶しはしない。普通に褒めてくれるだろう。アイツはこういう機微には聡い方だから。でも…
『しかしお前、随分気合い入れてきたなぁ、そんなに楽しみだったか?』
お可愛いやつめ
「うっるさいわねぇ!!」
見下した顔で嗜虐的に笑うアクアに向けて体に当てていたワンピースを叩きつける。穿った妄想かもしれないが、あのドS捻くれ王子ならこれくらいのことは言いかねない。
「ならもっと私服っぽい感じにする?スポーツミックスにダストスニーカー。キャップはいつも被ってるから特別感はあんま出ないし…クールな感じも似合うじゃん、て言わせるのもありかも……けど」
『いかにもタレントの私服って感じだな。お前自分が女優である事にめちゃこだわるよなぁ』
お可愛いやつめ
「こだわって悪いかぁ!この道に来て14年こだわり続けてきたものをそう簡単に捨てられないわよ!…………いけないいけない。ならもっと私という素材をMAXに活かす服にする?あいつって才能とか長所とかを伸ばしてる人が好きそうだし。ロリandガーリー路線でいくならこれもアリ…けど」
『似合ってるけど……だからお前ルビーからロリ先輩って言われんだよ。歳考えろよな』
お可愛いやつめ
「…………ダメ、何着て行っても同じパターンにしかならない。」
どんなジャンルのどんな服を着ていってもお可愛いやつ扱いされて終わる。可愛いなんて本来なら褒め言葉なのにおが一つ付くだけでこんなに屈辱的になるなんて。日本語って不思議。
「いっそ制服?アリだと思うしちょっと憧れるけど制服デートって相手にも合わせてもらわなきゃ意味ないし……それに平日に制服着てサボってたら学校に連絡されるかも」
軽く変装はするつもりだが、この一億総カメラマン監視社会。平日に制服で遊んでいたら最悪警察とか呼ばれる可能性すらある。
そもそもアクアはどんな格好して来るつもりだろう。アイツも変装はするだろう。すっぴんで外を歩いて身バレする確率は今や私よりアクアの方が高い。私は帽子に眼鏡くらいのつもりだが、アイツは下手したらデートで女装してくるかもしれない。身の安全のためなら妥協はしない男だ。
───いやデートとは言ってなかったけど
憂さ晴らしに付き合え、という口調だった。アイツは友達と遊びに行くくらいの感覚かもしれない。待ち合わせ場所もアミューズメント施設が近くにある駅だし。
───なんか、馬鹿馬鹿しくなってきた
なんで女装男のために私がここまで服とか悩まなきゃいけないんだろう。アイツは恐らく事務所の適当な服選んでウィッグ被って不知火フリル仕込みの化粧してくるに違いない。アイツがどんな格好してきても私はデート気分でいられる自信はある。でももう気を使う気にはなれなかった。
いつもの私服っぽい格好にちょっと女の子要素を入れたワンピースを掴むとタクシー呼んで部屋を出る。もう待ち合わせ時間が差し迫っていた。
▼
───ヤバ、ちょっと遅れた
ラインで通知は送ったが、それでも気は急いてしまう。あの皮肉屋ロジカルドS王子に付け入る隙を与えようものならネチネチ正論パンチをドスドス入れられるに違いないからだ。
『なんでタレントって時間守らねえの?』
『女って普段男女平等とか色々訴えてるけど、都合のいい時だけ女を言い訳に使うよな』
絶対言う。間違いなく言う。そりゃ私が悪いけど、せっかくのデートで開口一番そんなこと言われたらもうまたいつもみたいに喧嘩になっちゃう。それは嫌だ。
「そもそもアイツどこに……駅で待ち合わせって言ってもそこそこ広い……ん?」
タクシーがようやく待ち合わせの駅に到着し、待ち人の姿を探す。辺りを見渡した時、一箇所に人だかりが出来ているのが目についた。同時に聞こえてくるピアノの旋律。綺麗な曲だ。滑らかでいながらもポップで耳に楽しい。ダンスなどのバックミュージックに合いそうな曲。
音に誘われてフラフラと歩く。人垣の向こうで極彩色に塗装されたピアノが見えた。
ストリートピアノ。駅や庁舎など、公共施設に備え付けられた誰でも弾けるピアノ。
しかし、実際にこのピアノを弾こうとする人間は少ない。人前でパフォーマンスを披露するというのは相当の勇気と技量を必要とする。こんな大きな駅の中、このピアノに触れられるのは下手が許される年端もいかない子供か、超絶テクニシャンのどちらか。
そして今演奏している人間は完全に後者。音楽に関しては素人である有馬にすらわかるほどの技巧と表現力。まるで旋律から色が見えるかのような芳醇かつ厳かな演奏だった。
───いったい誰が……
人垣をすり抜け、演奏者の姿がようやく見える。旋律に沿って揺れる体と靡く黒髪はサラサラと音が鳴るかのような艶やかさ。ソリッドなスポーツグラスは美青年の怜悧な美しさを際立たせている。ほっそりとした指はまるで女性の手のように整っており、ふしくれだった関節は男性特有の色気を魅せる。
演奏者が誰であるか、有馬かなにだけはわかった。髪色もメガネも見慣れないが、その奥で光る星の瞳を見間違えるはずがない。
星野アクア。リアリティショーをキッカケに急速に世間に認知され始めた俳優。特技がピアノである事も一部では有名。
最後の小節が終わり、演奏者の足から力が抜ける。ペダルによって引き伸ばされた旋律がフッと消えた。
「ご清聴ありがとうございました」
黒髪の美少年が敬礼した。同時に周囲から拍手が巻き起こる。有馬かなもいつのまにか一人の聴衆となって思わず手を叩いてしまっていた。
ひとしきり挨拶すると演奏者がピアノから離れる。すると女子大生らしきグループがアクアの元へ集まった。
「素敵な演奏でした!お兄さんプロのピアニストさんですか?」
「今日はお仕事ですか?それともユーチューブとかの動画を?」
「ありがとう。素敵なお姉さん。まさか。趣味の素人マンですよ。暇つぶしに少しね」
「もしかしてこの後時間あったりしますか?もしよかったら一緒にご飯でも食べに行きません?」
「私たちもちょっと音楽やってるんですよ。少しお話とか…」
「あー…」
携帯を覗き込む。しばらく操作していたが、すぐにオフにした。
「ちょっと体動かしたいな、て思ってるんだけど、お姉さん付き合ってくれる?」
「えっ…もちろん!スポッチャ近くにありますもんね!是非!」
「ホント?いやツレ待ってたんだけど遅れてるみたいでさ。一緒に遊んでくれる人いないかなって思ってたんだ。そしたらこんな綺麗な人たちと出会えるなんて。ピアノやっててよかっ──うぉっ」
唐突な引力に肩ごと引っ張られる。力にかなり強い感情が込められているのがわかった。見下ろすといつのまにか隣に来ていたのは遅れていた待ち人だった。
「行くわよ」
「お兄さん!?」
「ごめん、お姉さん方。ツレ来たわ。またね。連絡してくれるならここに」
「渡すんじゃないわよ」
ポケットから取り出したメモを握りつぶされる。黒髪の美少年はベレー帽の少女に首根っこを引っ掴まれてそのまま人混みの中へと消えていった。
▼
「…………なー、有馬。有馬さんってばー」
握っていた手を離し、無言で前を歩き続ける小柄な少女に呼びかけ続けるも、返事はない。顔を見なくても背中からだけで不機嫌が伝わってくる。めんどくせ、と思いながら、アクアは乗ってきたバイクを手で押しながら声をかけ続けた。ここでやめたら余計に面倒になると知っているから。
「怒んなって。ちょっとした暇つぶしだろ。言っとくけど謝らねーからな。お前が来んのおせーからああなったんだから」
「…………」
「チッ、やめた」
踵を返す。こういうタイプは下手にでてたらつけあがる。このままだと本当にオレが頭下げなきゃならなくなりそうだ。そうなる前にこっちから手を引く。
───何人か当たってみるか。遊ぶ相手くらい当日でも……
スマホをイジろうとポーチに手を伸ばしたところで袖を引っ張られる。ようやく話をする気になったらしい。やっぱ有効だな。押してダメなら引いてみろ。
「誰でも良いんでしょ」
「は?」
「遊び相手なんて誰でも良いと思ってるんでしょ」
「…………」
まだ終わってなかった。面倒な拗ね方されてた。
「ルビーや不知火フリル誘えばよかったって思ってるでしょ」
「ないない」
ちょっと嘘だけど
「私を誘った理由なんてないんでしょお」
「拗ねんなよ。何も泣くことはねーだろーが」
「だってぇ」
悔しさと悲しさがないまぜになった雫がボロボロと有馬の目から流れ落ちる。この状況で泣くのは卑怯とわかっているのに止められない。そんな想いが溢れていた。
───こんなつもりじゃなかったのに
溢れる涙を拭いながら、かつての天才少女は後悔する。遅刻だってするつもりはなかった。なんならアクアより早く来て『ごめん、待たせたか?』『ううん、今来たとこ』もやりたかった。女装してくるかもと思ったけど、アクアはちゃんとデートの格好で来てくれた。綺麗な男性用の黒髪のウィッグを被り、眼鏡をかけていただけだった。金髪じゃない、黒髪のアクアもいつもとは違う気品に溢れていて魅力的だった。アイツのファッションをほめて、私の服も褒められたかった。それなのに…
───なんで私はこんなに可愛くないんだろう
思ったことがポロッと口に出ちゃうこともあるのに、肝心なところじゃ心と反対の言葉が出てしまう。アイツが誰でもいいなんて、思ってないことぐらいわかってる。遊ぶ女なんて沢山いる中で私を選んでくれたことも。それなのに私はあんなこと言って、こんなふうに泣いてしまう。なんて可愛くない。なんて卑怯。
「ま、確かに遊ぶだけならそれこそ今ガチのメンバーとか、誰でもよかったけど──」
「っ……」
「今回は有馬じゃないとダメなんだよ。ちょっとマジな話もしたいから」
さっきとは違う意味で息を呑む。振り返ると目線を上に逸らし、頬をかくアクアの少し照れた顔があった。
「アイツらとの関係は今のところビジネスだ。そういう相手に打算なく無駄な会話はしづらい。どこから綻びが出るかわかんねぇし。常に戦略と嘘を纏っている」
「…………」
言わんとすることはよくわかる。隙を見せたら誰が背中から刺してくるかわからない世界だ。カメラがあろうとなかろうと常に気を張っていなければならない。
「だからこそ、嘘には真心がなくてはいけないと心がけてはいるがな。真心のない嘘はメッキだ。偽りしかない嘘っぱちタレントはいずれ必ず馬脚を表す」
アイに嘘がなかったとは思わない。寧ろ嘘だらけだったろう。隠れて男もいたし、オレ達を産んでいる。アイドルとして売れるために、そして自分のために嘘と戦略を纏っていないはずがない。
だが、アイの嘘には真心があった。
ファンを好きだという想い。ミヤコや社長への感謝。ステージに立てる喜び。そしてオレとルビーに捧げてくれた愛。アイツの嘘にも戦略にも真心があった。それは間違いない。だからこそアイは本物だった。
オレも嘘はつく。戦略は常に持っている。だが、『今日あま』の時も『今ガチ』で動画を作った時も、有馬を最悪の現場で本気にさせてやりたい。あかねを炎上から救いたいという真心は忘れなかったつもりだ。
「その点お前はお互いもう本性知ってっから特段気とか使う必要ねぇし」
「使えやコラ」
苛立ちと共に胸を張りたくなる。そういう相手に選んでもらったことは悪い気はしない。この鉄壁完璧隙なし男の特別になれているという事だから。男女問わず、特別扱いされたら大概は嬉しいものだ。
「悪かったよ。ごめん」
有馬の心にグッと罪悪感と他の何かが湧いてくる。謝らないと言ったアクアに謝らせてしまった。これはストレートに謝罪するより威力がある。謝罪とは口にすればするほど軽くなる。なら絞り出した一言のごめん以上に重いものはない。
「…………もう良いわよ、遅れた私も悪かったんだし」
重い謝罪が功を奏したのか、彼女にしては素直に自分の非を認め、矛をおさめた。
───最初からペコペコするよりちょっと争ってこっちから折れたアピールする方が効くんだよな
ルビーと喧嘩した時などによく使うアクアのテクニックの一つだなどと、有馬かなには知る由もなかった。
「今日はワンピか。オーソドックスだが、いいじゃん。お前なら意外と王道も映える」
「っ、ふんっ!意外って何よ。当然よ当然!アンタこそ黒髪なんて初めて見たけど、シックで良いじゃない。そっちの方が品良く見えるわよ。今回はウィッグ?いっそ染めたら?」
「ウィッグだ。毛染めは遠慮しとく。染毛剤って結構身体に悪いから………ほら、乗れよ。すぐそこだけど、今日は他も周りたいから」
「うんっ」
押していたバイクに乗り、ヘルメットを渡す。タンデムシートに勢いよく座ったのを確認するとアクアはエンジンをスタートさせた。
▼
「は〜〜〜っ!マジありえなくない!?学校サボって、バイク二人乗りして、こんなところで遊ぶなんて不良じゃん!あり得ない!マジさいあく!マジさいあく!」
───の割には機嫌良さそうだなオイ
都内某所アミューズメント。ボーリング、カラオケ、ゲーム、果ては室内スポーツまで、ありとあらゆる娯楽施設が敷き詰められた場所で有馬かなは両手を広げ、ステップを踏みながら小躍りしている。こいつ、ホントに女優か、と、聞きたくなるほど感情丸出しの姿にアクアは呆れの息を吐いた。
「めんどくせーな、帰るか」
「そうは言ってない」
出入り口に向きかけたアクアの肩をがしりと掴む。細い腕だが、思ったより力があった。
「マジな話したいんでしょ?ま、最近あんた思い詰めた顔してること多かったし?相談相手くらいにはなってあげようかなって。心が天使よね、私」
「自分のこと天使とかいう女でホントに天使だった奴には会ったことねぇなぁ、オレ」
「で?なにする?ボーリング?ゲームセンター?プリクラ?あ、カラオケは嫌よ。私音痴だから」
「体動かしたいって言ったろ。スポッチャ。テニスから」
「ええ……本気でスポーツするの?この服で?」
せっかくのデート服だというのに、汗まみれになるのは色々と困る。アクアの汗だくの姿は少し見たいが。
「そんなマジにはやらねーって。身体動かせればそれで良いから。軽くジョギングくらいの気持ちでやるぞ」
ヘアゴムでウィッグを軽く縛る。わずかに覗くうなじに少しドキッとした。
───ま、いっか
『今ガチ』ではスポーツ対決とかもやっているのも見た。少し羨ましかったのもやってみたかったのも事実だった。
ラケットから軽いサーブが打ち出される。見よう見まねで打ち返したボールは明後日の方向へ飛んでいった。
「15-0」
「ぐっ、コレからよ!」
それからしばらく二人はゲームに興じる。テニス、バスケ、サッカー、キャッチボール、ボーリング、シューティング、格ゲーetc.
その全てでアクアはボロ勝ちした。
「くぁーっ、楽しかったぁ」
「…………そりゃアンタは楽しいでしょうよ!人のこと散々サンドバッグにしてくれて!」
「勝負事ってのはギリギリの勝負も悪くないが、やっぱ圧勝してる時が一番面白いなぁ。今ガチじゃ番組的にマジ出せなかったことも多かったし。いやー爽快爽快」
───フリルとやる時だけは常にマジでガチだったが…
あれはアレで面白かった。だから強敵との戦いを楽しむ連中の気持ちもよくわかる。が、少なくともアクアにとって、快感という意味では圧勝してる時の方が遥かに勝る。
「あんたねぇ。相手を楽しませようって心はないの!?」
「やるからには勝つ」
目覚めてから12年。練習から本番の舞台。スタジオからステージ。日々のちょっとした競争。何千何万と積み上げてきた戦いの日々。負けてもいいと思ったことは、一度もなかった。今ガチでも接戦に見せかけるため、手を抜いたことはあったが、その中で常に勝とうとしていた。手抜きの本気だった。
「それに、お前は
「っ……」
纏めていた髪を下ろすと同時に放たれる不意打ち。アクアの色香と言葉に思わずドキッとしてしまう。コレだからこの男は手に負えないのだ。こちらをハネのけるような態度がスタンダードなのに、時折人の深い所を突くことを言う。散々変化球投げられた後にどストレートにズバンと来られたらそりゃ一番対応しにくいだろう。人がやられて嫌なこともわかってるが、人の喜ばせ方もこの男は深く理解している。
「っ、わかってないわね!こういうので楽しくやれるなら気遣いはアリよ!接待じゃなくて!ホントわかってない!」
「気遣いしなきゃいけねー相手なら有馬は誘ってない」
「…………ふんっ」
会話しながらアミューズメント内のフードコートへと足をすすめる。スポッチャで身体を動かし、ゲームセンターで遊んだ二人はいい感じに腹が減っていた。
───けど、楽しかったな
歩きながら身体を満たす充足感に有馬は心を弾ませる。確かにボロ負けだったが、もちろん全てにおいて完封されたわけではない。アイツからポイントを取った時は嬉しかったし、本気で悔しそうにするアクアを見るのは楽しかった。ゲームでは二人で協力プレイもした。一緒にクリアした時に交わしたハイタッチの痺れは今も手に残っている。手の痺れは身体全てを揺らし、甘い痺れとなって心を揺らした。
───もし私もアイツも芸能人じゃなかったら……
ずっとこんな関係でいられたのかもしれない。不知火フリルよりずっと先に私がアクアの親友になって、いろんな悩みを打ち明けて、こんなふうに学校サボったり、放課後にデートしたりして、いつのまにか彼氏彼女になってる。そんな恋愛ができたのかもしれない。私もアクアも普通の人だったら……
そこまで考えて、頭を振った。楽しい空想だったが、少し虚しかった。お互い子役やってなかったら私たちは出会わなかった。10年以上芸能人を続けてなければ同じ学校に通えてなかった。私たち二人とも何か一つでも欠けていたらきっと出会いも再会もなかった。二人とも今までの人生で諦めず、妥協を許さず、ここまで来たからこその今だ。それを否定することは今までの私やアイツの努力も才能も否定することになる。それだけは同じ役者としてやってはいけない。
「ん、オレはパンケーキプレート季節のフルーツを添えてで。ドリンクはアイスコーヒーにしよ。有馬は決まったか?」
───こっちの気も知らないで…
いつのまにか入店していたフードコートのカフェ。メニューを見ながら呑気に聞いてくる。苛立ちと諦め、両方の息を吐いた。
「そうね……私はグリーンスムージーにするわ」
「そんな植物みたいなもん食ってんじゃねぇよ。一番高い豪華デラックスケーキプレートにしろよな。そんで一口くれ」
「アンタこそ女子より女子みたいなモノ食べてんじゃないわよ。ていうか意外ね。アクアって甘いもの苦手そうなイメージだったわ」
「偏見だな。男子だってたまには甘いもの食いたい時はあるさ」
注文のブザーを鳴らす。威圧感も卑屈さもなくスラスラと私の分まで注文をしてくれる姿はポイント高いと同時に女との食事に慣れてるのがわかってイラッとした。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
やっぱり重曹ちゃんは不憫かわいい。
次回デート回終了。そして今ガチ編最終章。果たしてアクアはどちらを選ぶのか。それともどちらも選ばないのか。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
35th take 奇貨居くべし
栄光か、破滅しか星をなくした子に選べる道はないだろう
夕暮れの名を冠する少女は貴方を心から愛するはずだ
貴方が真心を殺さない限り
時間は少し流れる。とある高級ホテルに若い男女が生まれたままの姿で一つのベッドで身体を重ねている。一人は背中まで伸ばした艶やかな黒髪に、白磁の肌。目元と口元に一点の墨を落としたような泣きぼくろが艶っぽい。スタイルもよく、細身に絞ったスレンダーな肢体を持つ美少女。名前は不知火フリル。日本人なら誰もが知るマルチタレント。
もう一人もルックスだけなら彼女に劣らない美少年。煌めく蜂蜜色の髪は暗闇の中にあっても輝き、青い瞳の中には眩い星の光を宿す。そしてルックスだけでなく、才能においても日本一のマルチタレントと遜色ないポテンシャルを持つ天才俳優、星野アクア。
あの嵐の夜以来、衝動的に行為に及んだ二人はお互いの時間が合う時、たまにこうして肌を重ねるようになった。もちろんなんの準備もなかったのは最初だけで、あれ以来お互い避妊に注意を払っている。今日はフリルの付き人マリンを勤めた最後の日。仕事の後、お疲れ様パーティとして二人でホテルのレストランで食事し、そのまま一晩過ごすことになった。
「アクア?帰るの?」
ベッドから起き上がり、服を着替え始めた時、背中から声がかかる。起こさないようにしたつもりだったんだが、流石に色々敏感だ。
「起こしたか、悪い」
「ううん。勝手に起きただけだから。それより帰るの?」
「ああ。家族には外で泊まるって言ってるから、その辺の漫喫で時間潰すよ」
今ガチでああなってしまった以上、もうフリルと二人でいるところを誰かに見られたら不味い。今日一夜を共にしたのはこの関係を精算するためでもあった。
黒のウィッグを被り、軽く化粧をして、アクアからマリンへと変貌を遂げる。コレでもうホテルから出てくるところを誰に撮られても問題ない。
「じゃあ私達の関係もしばらくはお預けね。私のマネージャー、お疲れ様。この数ヶ月、そこそこ時間あったのにすっごく短く感じた、濃密な時間だった。楽しかったよ。ありがとう」
「こちらこそ。マジで色々世話になった。オレがここまで上手くやれたのはフリルのおかげだ。ありがとう。感謝している」
差し出されたフリルの華奢で美しい手を握る。そのまま跪き、手の甲にキスをする。別れのキスではない。親友への親愛と敬愛のキスだった。
「アクア、目閉じて」
顎に手を添えられる。頬にでも口づけされるかと思ったら目に柔らかい感触が押しつけられる。どうやら閉じた瞼にキスをされたらしい。
「またね、アクア。あかねと仲良くね」
柔らかな笑みを浮かべるフリルからは悪意も皮肉も感じられなかった。その代わり、オレの考えや目的も見透かされている気がした。
「…………なあ、フリル。お前ならどうした?」
「どうって?」
「いつ爆発するかわからねぇ、一発で自分を頂点に吹き飛ばすか、破滅に導くかの爆弾が、目の前にあったとすれば、お前ならどうした?遠ざけたか?目の届く場所に置いたか?どっちが正解だと思う?」
「多分どっちでも一緒」
真剣な口調で問いかけたアクアだったが、フリルはとても軽い調子であっさりと答える。続いた。
「選択が正しいか間違ってるかなんて終わってみないとわからない。芸能界は選択に溢れてる。私達は常に選び続ける。でも正しい選択をするために私達の才能や努力は使っちゃいけない。選んだ道を正解にするために、使わなきゃいけない。正解にできなければ、それは選択が間違ってたんじゃなくて、私達の能力不足」
息を呑む。思わずフリルから目が離せなくなった。目から鱗が落ちるとはまさにこのことだった。
「ね?」
この数ヶ月、ルビーより遥かに長い時間を共に過ごし、それなりにフリルのことを理解したつもりだったが、まだまだ浅いと思い知らされた。コイツはオレなんかより遥かに難しく重い選択を繰り返し、ここまできたんだ。
「ありがとう、フリル」
もう一度、心から感謝を述べる。マリンを務め、フリルから巣立つ最後の夜が明けようとしていた。
▼
「で?マジな話って何よ」
時間は戻って現在。有馬かなと星野アクアはお互い軽く変装して学校をサボり、アミューズメントでデートしていた。今は一通りの遊びを終え、フードコートで食事する。しばらく雑談している時、有馬が切り出してくる。少し助かった。どのタイミングで話すべきか、少し迷っていたから。
「有馬はさ、恋愛ってしたことある?」
「ぶっ」
スムージーがむせる。吹き出さず咳き込まなかった事を自分で褒めたいくらいだった。話題を振ったのは自分だったが、予想以上にぶっ飛んだ話をいきなりぶっ込んできた。
「そ、そりゃした事なくはないけど!」
「その時ってお前、その人のどういうところに恋をした?」
「こっ…」
口にするのも恥ずかしい事を平然と聞いてくる。思春期男女の会話らしいと言えばらしいが、この男から出てくると違和感しかない。
「アンタ、何か変なものでも食べたの?」
「いや、パンケーキプレート食べてる」
「知ってるわよ」
真面目なのかふざけてるのかよくわからない口調と態度だった。いや、多分真面目なんだろうけど。
───コイツ本人の前で言うのはちょっと勇気いるわね
悟られないように、かつ嘘をつかないように。そんな話を心掛けなければいけない。ちょっとプレッシャーだった。
「…………子供の頃からずっと芸能界にいて、今まで生きてきたけど、やっぱり私のことを見てる人は子役の頃の私しか見てなくて」
子役じゃない有馬かなに価値はない。そんなネットに溢れる批判を自虐のように口にし出したのはいつからだったろう。自分で自分を貶めるようになるのが当たり前になったのはいつからだったろう。
「でも、ある日、今の私の本気を見たいって言ってくれた人がいて……私はいつも関わってくれる人たちのために演技をしてきたけど、その一回だけはその人のためだけに演技をした。その人のことを思うと演技ができなかった」
あの何もかもが最低の現場。流した涙は演技ではなく、溢れた笑みは演技で、ラストカットは素顔だった。
「表面だけじゃない、今の私の良いところも悪いところも、本質を見てくれた人に、私は恋をしたんだと思う」
勢いのまま言い切って、恐る恐るアクアの顔を見る。自分のことを言われていると気づいているのか、それとも全く気づいていないのか。星の光を宿す真剣そのものの瞳から読むことは出来なかった。
「…………ちょっと。なんとか言いなさいよ」
「ああ、ごめん。そうだよな、普通そんな感じだよな」
納得したように何度か頷き、口元に笑みを浮かべる。そのままアイスコーヒーを口にした。
「今ガチの楽屋でさ。オレの好きなタイプを聞かれたんだけど」
「っ……」
ピクリと眉が動く。非常に興味深い話だった。出来るだけ動揺は見せず、けれど一字一句聞き逃さないように耳をそば立てた。
「容姿とか性格とか、時間や場合によって変わるものじゃなくて、本人が持つ美しさも醜さもそれを隠そうとする行為すら愛しいと思える相手ってオレは答えた」
有馬かなが述べた人を好きになった理由と重なる答えだったことに赤みがかった黒髪の少女はぎゅっと胸の前で手を握る。浅はかだとわかってはいるが、それでももしかしたら、と思ってしまう。
「オレは今のところ、そういう人に出会ったことはない。良くも悪くもオレはオレより歳も立場も上の人間と関わり過ぎた。大人は醜さを隠すし、歳下相手に弱さも隙もなかなか見せない。他人の全てを知るなんてこと、不可能だとはわかってるけど、それでもオレはやっぱり知りたい」
その人の本質を知ってから恋をしたい。今オレの中でそこに限りなく近いのは二人だろう。
この数ヶ月、ルビーを遥かに超える密度でベッタリで、公私において行動を共にし、言葉を重ね、手を重ね、肌を重ねた不知火フリル。
あの雨の夜、思いの丈を全て打ち明け、オレの胸の中で泣き、笑い、オレも彼女を演じるべく研究した、黒川あかね。
この二人の、どちらがオレは好きなんだろう。
この二人の、どちらがオレを好きなんだろう。
一人で考えても答えは出なかった。だから他人の恋愛観が聞きたくなった。アイツらと同じ、子供の頃から芸能界にいる、有馬と話をしたくなった。
お前はどうやって恋をする、と。
「…………私も、他人の事あまり言えないから、言いにくいんだけど」
少し迷った様子を見せ、少しずつ言葉を口にする。躊躇いながらも有馬はアクアのことを評した。
「高二病ね。仕方ないことだけど、出来るだけ早く卒業しなさいよ。世の中アンタが思うほど病んでないから」
「は?高二病?厨二病は知ってるけど高二病ってのは初耳だな。なにそれ」
「アクアって無償の善意とか、打算のない提案とか、苦手でしょ?」
「………まあ、何企んでるんだ、とは思うな」
芸能界は貸し借りで成り立っている。相手のメリットデメリットが明確であってくれた方が信用できる。逆に信じてくれとか、臆面もなくいう人間が最も信用できない。騙し騙されに慣れきってしまったアクアや有馬は人を疑ってかかることがスタンダードになってしまっている。
「理想や根拠のない自信とかを綺麗事やご都合主義って吐き捨てる。何にでも自分が納得できる理由求めて、他人に期待とかしないで、人間不信になったり、ストイックに走るヤツを、高二病って言うのよ」
「…………ふーん」
自分が病んでる自覚はあったが、病名があるとは思わなかった。なるほど、たしかに当てはまる部分はある。不服気にしながらも最後のパンケーキを口に運び、飲み下した。
「有馬も似たようなものだと思うが」
「そうね。でもアンタほど他人を信用してなくはないし、人間不信でもないわ。少なくとも私はルビーとミヤコさんは信じてる」
「オレは?」
「理由なく裏切ったりはしないでしょうけど、場合によっては私ぐらい切るでしょうね」
当たっている。ルビーと有馬を天秤にかけたら、オレは恐らくルビーを取るだろう。芸歴オレより長いだけはある。流石に鋭い。
「有馬のそういうとこ、嫌いじゃないよ」
「…………ちなみにアンタって歳上と歳下どっちが好き?」
「年齢近ければ特に選り好みする気はないが……どっちかというと歳上」
ロックの世界に居た時は歳下の女の子とも繋がりはあったが、どうも恋に恋していた子が多く、深い付き合いをする気にはなれなかった。
「歳下は思い詰めたら怖い行動することも多いからな。ある程度芸事に理解ある人となると大概は歳上になる」
「へー?ふーん?へー?」
「なんかイラつくなその言い方。言っとくけどあかねも歳上だからな」
「っ…ふんっ!わかってるわよ!」
残ったスムージーを一気に飲み干す。苦情を漏らしながら、アクアも最後の一口を呑み込んだ。
「さ、腹ごなしにキャッチボールでもやって帰るか」
「何よ、もう帰るの?早くない?」
「もうそこそこ夕方だ。放課後になると人や学生も集まってくる。お前だって一応仮にもアイドルだろ。身バレしたら面倒だ。行くぞ」
「でも私キャッチボールなんてやったことないわよ」
「またか」
今回のスポッチャ、有馬は殆どのスポーツが未経験だった。役者は体力勝負。身体が資本。オレも有馬も鍛えてるため、運動神経は悪くない。筋も良かったため、教えがいはあったし、面白かったが、全てを一から教えるのは面倒でもあった。
「しょうがないでしょ。普通の女の子が遊んでる時間、私はずっと芸能界に注ぎ込んでたんだから。アンタが遊びなれ過ぎなのよ」
「オレだって稽古の一環だ。俳優にはある程度運動神経も必要だからな」
「だから私、こんなふうに誰かと1日遊んだのなんて、アクアが初めて。一番最初」
「それは光栄」
備え付けられたグローブとボールを取り、その一つを有馬へと渡す。握ったボールを見せながら、投球のコツを教えた。
「握りはこう。キャッチボールだから腕に力は込めなくて良い。それより大事なのは下半身とスナップ。足は投げる方向にまっすぐ踏み出す。肩を中心に腕を大きく縦に回すことを意識して、最後に立てた手首を返す。こう。ホラ」
ボールを投げる。アクアから放たれた白い球体は有馬の胸元へまっすぐ飛んでいった。
「ちょっと!キツくない?」
「こんなもんだって。慣れてないなら取る時は両手で受けろ。右手をグローブに軽く添える感じ」
「両手なんてカッコ悪くない?」
「エラーする方がカッコ悪い」
「もう!」
「それに女の子の両手受けは可愛いぞ」
「そ、そう?」
「そうそう、っと!」
有馬から投げられたボールはすっぽ抜けて飛んでいく。頭上を遥かに越えていく軌道のボールをジャンプし、顔を伸ばした手の反対方向に向けることでキャッチに成功する。
「ご、ごめん」
「力まない。力を入れるのは投げる瞬間の一瞬。こう」
「こう?」
「腕が回ってない。人間の想像より身体は動いてないものだ。もっと大げさにイメージしろ」
「こう!?」
「お、腕の振りは今の感じ。だが下半身への注意が散漫になってる。踏み出す方向、意識しろ」
何球か投げ合い、その度にアドバイスをしていくとだんだんと胸元近くにボールが飛んでくるようになる。やっぱり飲み込み早いし、筋は良い。
「有馬」
「なによ」
「ナイスボール」
「っ、アンタこそ、ナイスキャッチ」
それからしばらく、二人はボールを投げ、ボールを受け、声を掛け合う。周囲に人が増えてきたことに気づいたのは有馬のミスショットがケージに激突してからだった。
▼
恋愛リアリティショー『今からガチ恋始めます』最終回直前の談話室。最終回の収録に関して相談はなく、今後の活動やこれからの仕事についての話が主だった。一つの仕事が終わろうとしているが、次の仕事が決まっている人間はこの場にはフリル以外存在しない。これからのことを話したくなるのは自然だろう。
「アクたんはいいよねぇ。今ガチが始まってから終わりまで、全部騒動の中心近くにいたから人気出まくりでしょぉ?もう次の仕事も決まってるんじゃないのぉ」
「ないない。もうオレの今ガチバブルは結構弾けてるよ。話題性といえば今は断然あかねだろう」
アイをトレースしたことであかねの立ち位置もキャラもハッキリし、不知火フリルの対抗として、急速に人気も出始めている。トータルで言えば知名度の上昇はアクアが上だが、旬という意味なら今はあかねだ。
「えぇっ、やだなぁ。そんなこと全然ないよ」
「またまた。俺の学校でも噂になってるぜ。あかね、復帰後垢抜けたって」
「そうそう、ゆきユキもいいけど、アクフリとアクあかがアツすぎるって」
「番組を通してずっと隣に居続けたアクアとフリルの時間か、炎上トラブルを二人で乗り越えたアクアとあかねの絆か、一体どっちが熱いのかってね」
数ヶ月通して近づき続けた親交の長さか、それとも突発救済イベントの強烈さか。恋愛において付き合いの長さと衝撃の出会いは常に比較対象にされる。三角関係の王道を行く三人。しかもドラマでも映画でもなく、台本のないリアリティショーで実現しているという奇跡。外野が騒ぐのも当然と言える。
「三人の関係如何で今後の芸能活動に影響出るかもなぁ。リアルと舞台の関係リンクさせることって結構あるし」
「勘弁してくれ。舞台上の設定汲み取って役作りするだけでも難しいのにリアル事情まで考慮しなきゃいけないなんて、考えただけでゾッとする」
ノブの何気ない一言にアクアが辟易した顔でヒラヒラと手を振る。物語と現実の共通項を板の上に上げるというのは大衆から見れば面白いかもしれないが、演じる側としてはたまったものではない。本来の関係と食い違いは絶対出てくるし、その辺りを完全無視して役を作ると観客は白ける。矛盾する場面をむりくり直そうとすると今度は脚本に違和感が出てしまう。二人の関係を知ってる人なら納得してくれるかもしれないが、観客全員がアクアの事情を知ってくれているはずがない。観客が役に持つ情報とは一律であってくれた方が刺さる役作りをしやすい。
「あかねもそうだろ?」
「うーん、私はそんなことないかなぁ。舞台は舞台。リアルはリアル。舞台上の設定と本来の関係なんて全然関係ないし、私なら脚本のことだけ考えて役作りすると思う」
「あかねも結構芸術家肌の役者だな」
アクアも本来そっち側だったが、不知火フリルと行動を共にし続けたことで客観視を身につけ過ぎてしまった。思考回路の中に大衆への意識が組み込まれたことで間違いなく成長はしたが、自分本位な演技は薄くなったかもしれない。
「みなさん、そろそろ本番です。準備してください」
ADさんが控え室に声をかけてくる。その瞬間、全員顔色が変わる。さっきまで学校の休み時間の学生そのものだったが、一気に仕事の顔になる。今ガチが始まった頃はこうではなかった。緊張と固さが顔に出ていた。この数ヶ月、成長したのはオレだけではないと思い知らされる。少し嬉しく、少しムカついた。
「行くか」
「うん」
隣を歩くあかねも良い顔をしている。恐らく演劇の舞台に上がる前のあかねはいつもこんな顔なんだろう。最初からこれができていればオレがあんな命懸けでバイク転がすこともなかっただろうな、と不満と感謝両方の感情が胸に湧いた。
「では、不知火さんが来られるまでもう少しお待ちください。不知火さんが入られ次第、スタートします」
ビリついた空気が少し弛緩する。全員肩に力が入っていたというわけではなかったが、それでも張り詰めた空気が緩んだ。
「…………なあ、あかね」
「ん?なあに?」
もうキャラが変わっている。纏う空気は眩く、瞳の奥で光る星の輝きは気後れすら感じる。フリルの時ですら感じなかったことだ。アイツに知られたら殺されるな、と思わず苦笑が漏れてしまった。
「さっきの話の続きなんだけどさ。あかねってどうやって役作りしてるんだ?」
「?役作り?」
「オレは基本的に自分の経験と照らし合わせてやってる。それ以外はイメージだな。役の内面と設定分析して、この人ならどうするか、を取り込んで、憑依りこむ」
メソッド演技の初心者は最初自分以外にはなれない。だから芝居というより身体が勝手に動くという感覚に近い。しかしそれだけでは作品が破綻する。だからカメラから自分がどう映ってるのかをイメージする。そのために必要なのが客観視と
「…………アクアくんは、歪だね」
「歪?」
「役者はね、普通他人からどう見られてるかをまず一番に気にかける。私も最初は憧れの、人マネから入った。他人から見て、私がその人みたいって思ってもらえるように役作りをした」
「…………」
憧れから芸能界へと足を踏み出す。よくある話だ。オレのような義務感で戸を叩く人間の方が少ないだろう。
「アクアくんも、きっとそうだよ。貴方にも憧れの人はいる。目指す人がいて、その人のようになろうとしてる。でも、アクアくんにその自覚はない。自覚はないままに役作りして、『俯瞰の眼』を身につけてる。星野アクアという役の上に役を作ってる。すごく歪。不知火さんやMEMちゃんが貴方のことを不気味って言うのもわかるなぁ」
話を聞きながら背中に冷たい汗が流れる。この数ヶ月でフリルから俯瞰の視点を学んだことだけじゃない。オレの思考回路やルーツまで気づきかけてる。オレの研究をしたとは聞いてたが、ここまで正確にトレースされているとは。薄ら寒いモノを感じずにはいられなかった。
「話がそれちゃったね。私の役作りだっけ。そんな大層なモノじゃないんだけどね。役の事いっぱい調べてプロファイリングして、自分なりに解釈加えてるだけ。足りないところは勝手な設定とか色々盛り込んじゃったりしてね」
「設定?」
「そうそう、アクアくんが軽く人間不信なのはちっちゃい頃にPTSDを患った、とか。アイには隠し子がいる、とか」
息を呑む。感情を表に出さないために、口の端を食いしばった。
「アクアくんの完璧主義って5歳くらいの頃に急に強く見られるようになってるから。大人に完璧求められて、それが当たり前になっちゃった、とか。アイって所々破滅思考みたいなのがあったんだけど、思春期くらいに急に改善されて、そのまま再発もしてない。感情のラインに整合性が取れるし、不可解だった行動の数々…例えば急な一年近い休業にも説明つくし。何を考えて、どう行動するか、パズルみたいにわかってくるの」
心臓の鼓動がうるさい。脂汗を必死に押し込める。まるで殺人を犯した犯人が徐々に推理で追い詰められていくかのような感覚に陥ってしまう。膝から下が震えそうになる。腹の底にグッと力を入れた。そうしなければ本当に崩れ落ちてしまいそうだ。
「でもアイのトレースはいつもよりやりやすかったなぁ。アイとアクアくんって結構似てて、プロファイリングも難しくなかったし……まるで────」
あかねが発した最後の一言が、アクアの行動方針を決めてしまった。
「すみません、遅れました」
「不知火さん、入られます!用意出来次第本番です!皆さん、準備してください!」
芸能界には才能が集まる。
自由奔放で、嘘も戦略も纏っていながら、真心を忘れなかったアイ。
「鷲見ゆきさん!俺と付き合ってください!」
客観視を極限まで高め、自己を完全に排し、己の美しさを偶像崇拝レベルにまで昇華した不知火フリル。
「ごめんなさいノブ君!私、今は仕事に集中したくて!」
自分に足りない何かを埋めるかのように、さまざまな分野や人からあらゆるモノを吸収し、何にでも変化する星野アクア。
「ケンちゃん、慰めの音楽弾いてあげてぇ」
そして、高い観察力と洞察力、深い考察によってそれらを演技へと還元する天性のセンスの持ち主、黒川あかね。
「あ、ああ。ノブ、元気出せよ」
今ガチという小さな番組の中ですら、三つの巨大な才能が集まった。芸能界全体を見渡せば、それこそ大小幾つもの才能があるだろう。普通に生きていれば、埋もれてしまうような、原石が。
アクアも10年以上芸能界にいた。才能もいくつかみてきた。けれど、この10年で初めて出会った。妖しく、危うく、近くにいたら己を滅ぼしかねない大炎。それも二人同時に。
「…………アクア?」
普通に考えれば、逃げるべきなんだろう。どれだけデカい炎だったとしても対岸の火事ならこちらに飛び火することはない。
「アクたん?」
でも、この炎をうまく乗りこなせれば、一気に近づけるかもしれない。オレの目的の一つに。
「アっくん?」
あかねの洞察力は半端じゃない。オレが12年以上隠している秘密に既に辿り着きかけている。近くにいたら、全てを暴かれる可能性は高い。もしあかねに全てがバレて、世間に暴露されたら、オレの人生は終わる。
「アクア?」
諸刃の剣。キレすぎる刃は持ち主すら傷つけるかもしれない。そうなれば芸能界での成功は勿論、人並みの幸せすら……
───人並みの、幸せ?
思わず自嘲が漏れる。自分の甘さに吐き気がする。今まで利用できるものは全て利用してきた。どんな手を使ってものし上がる。そのためにロックの世界にもいた。危ない橋も渡った。色んなところで人脈を伸ばし、コネを作り、他人の好意を利用し、ここまで来た。そんなオレが、今更人並みの、穏やかな幸せを求めるなんて、都合が良すぎる。オレに許されている道は大成か、破滅か、どちらかしかない。
───全ては今を生きる大切な人のために…
そのためにできる事ならなんでもする。今までも、これからも多分そうだ。なら足を止める理由はない。それに、いつ爆発するかわからない爆弾を自分の目の届かないところに置くのも怖い。番組が終わればオレ達の関係は一気に疎遠になるだろう。ここで失うのは惜しい。
「アクア、くん」
無言で、ゆっくり、一歩ずつ、ベンチに腰掛けるあかねの元へと歩く星の瞳の少年の名前をメンバーたちが呟く。彼の歩みに、瞳に、寒気がするほどの覚悟が伝わっていた。
『まるで、親子みたいだなって』
あかねに言われた一言が脳裏をよぎる。バレるかもしれない。彼女をそばに置くことは、オレを破滅に導くかもしれない。けれど、そうなったとしても構いはしない。使えるモノはなんでも使う。どんな手を使っても目的にたどり着く。最悪、オレ一人が消えれば済むだけのこと。元々いつ消えるかわからないオレだ。今更破滅を恐れても仕方ない。人並みの幸せなんて、とっくの昔に捨てている。リスクを無視すれば、あかねはオレの目的へと一気に近づく推進剤となりうる。
「黒川あかねさん」
逃す手はない
「オレと、付き合ってください」
「…………はいっ」
あかねから星の輝きが消え、うっすらと涙が浮かぶ。あかねの頬に添えられたアクアの指が、その滴を吸い取った。
───嘘には真心があるべき。それは変わらない、オレの持論
だからあかねとの付き合いには誠実でいよう。しばらくはビジネスカップルだろうが、カップルしている間はちゃんとしよう。ナナさんやハルさん、フリルとの付き合いも精算し、必要に応じて、彼氏を演じよう。できるだけ、あかねを優先しよう。真心を持ってあかねを大切にする。
その代わり、オレの心は死んで良い
どちらともなく、目を閉じる。二人の唇の距離がゼロになった時、周囲から拍手が巻き起こる。それは祝福か、それとも呪縛か、今は誰にもわからなかった。
「あーあ……マジ最悪。死んじゃえばーか」
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
遂に今ガチ最終回を迎えました。長かった。色々書きたい事ありすぎて寄り道しすぎましたね。次回でようやく今ガチ編完結。そしてマリン無双編突入(大げさ)予定です。ご期待ください。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
36th take 真実のみの偽り
少年少女達はひとつの区切りを迎える
星をなくした子は落陽の少女の手を取り、新たな舞台へ
道化を演じる淑女は偶像の世界へと
「『今からガチ恋始めます』全収録終了です」
【お疲れ様でしたー!!】
本日貸切となった少し大きなバル。収録を終えたキャスト裏方諸々全員が集まり、手に持ったグラスを近くの人にぶつけ合う。今日をもって全てのロケを終えた『今ガチ』スタッフは慰労のパーティを開催していた。要するに打ち上げである。座席もあるが、基本的に立食パーティのような形で始まった打ち上げは皆一箇所には留まらず、思い思いに過ごしていた。
「お疲れー。いやぁ、何ヶ月かやってたはずだけど、思い返すと一瞬だったわー」
「ホントに色々あったけど……うん、楽しかった」
「あかねがそう言ってくれるなら大満足だな」
「オレはひたすら精神すり減らされた数ヶ月だった。軽く2年分は気苦労使い果たした気がする。芸能人は早く老けるっての、わかるなぁ」
皆が笑顔で過ごす中、星の瞳の少年だけは疲労感を露わに頬杖をついていた。
「あ、アッくん帰ってきた。プロデューサーから呼び出されてたけど、なんだった?」
「普通に説教。あの動画について。まるでオレ個人が作って流出したみたいに言われた。ったく、なんでオレだけ説教されなきゃいけねーんだ。アレはメンバー全員で作ったってのに」
「あはは。でも言い出しっぺと主演及び監督ぜんぶアクたんだもんねぇ。黒幕扱いされてもおかしくはないよぉ」
ケッ、と吐き捨て、飲み物を呷る。まあ、説教はおざなりなもので、本題はこのリアリティショーに出演したことの真の報酬。アイの裏話についての確約だったのだが、まあそれは言わなくていいことだ。
「それで、どうだったの?アクアくん、怒られたり、なんか」
「問題ない。ちょっと脅されはしたが、まあ穏便に済ませてくれたよ」
「ああ、よかった。もし私のせいでアクアくんの迷惑になったらどうしようかと…ごめんなさい」
いつのまにかアクアの隣に座っていたあかねがホッと胸を撫で下ろす。空いたグラスにあかねの手からシャンメリーが注ぎ込まれた。
「とにかくめちゃくちゃ疲れた。もう当分MCはやらねぇ」
「初っ端から不知火フリル参戦なんて爆弾背負わされて、あかねの炎上騒動。最後は三角関係で、番組内外のトラブルでアクアが関わってなかった事ってなかったもんね。いつも騒動の中心ってわけじゃなかったけど」
「ご、ごめんね」
「あかねが謝る事じゃないよ。半分以上はアクアが自分で首突っ込んだ事なんだし」
「その通りだけどフリルにソレ言われるのムカつくな」
間違いなく元凶の一人だ。フリルと行動を共にした事でメリットもあったが、やはり序盤のデメリットを水に流すことはできなかった。
「次の仕事とか決まってねぇけど、もうショーバラエティはゴメンだ。当分は俳優業に専念する」
「賛成!私もこれからは本業に集中したいと思ってた!今度は舞台でアクアくんと共演したい。ララライでアクアくんのこと話してみるね。ウチは劇団所属じゃなくても外部から人を呼ぶことも結構あるから。アクアくんなら何かの役で使ってもらえるかも」
「お、いいの?悪いな、頼めるか?」
「勿論!任せて!」
「あら。早速仲が良いね、お二人様?」
パーティが始まってから……いや、始まる前からずっとアクアの隣に侍っていたあかねに遂にツッコミが入る。誰もが聞きたくて、でもなんとなく聞きにくかったところにメスを入れたのは、やはり不知火フリルだった。
「そうそう!最後のキス!どういうつもりなの!?」
「やっぱりガチで付き合うの!?どうなの!?」
女性陣が一気に姦しく捲し立てる。問い詰められた二人はどちらからともなくお互いを見つめ合い、あかねは「あはは」と笑みを浮かべ、アクアは肩をすくめた。
「…………そのあたり、私も少し話がしたい。いいかな?」
「勿論。なんなりと」
「…………番組でああなった以上、しばらくは交際するしかないとは思うんだけど…」
ゴクッと一度あかねが唾を飲む。少し逡巡を見せたが、意を決して口を開いた。
「私達の交際って、仕事?それとも、本気のやつ?」
本題に切り込まれ、メンバー全員が黙ってアクアの答えを待つ。真剣な口調での問いかけに対し、アクアは意外と軽い調子で応えた。
「あかねはどう思ってる?」
「え……私は、それは……」
「──なんてな、質問を質問で返すのは卑怯か。ちゃんとオレから答えないとな」
───上手い……てかズルい
アクアの受け答えを見て、フリルとメムが心中で呟く。質問を質問で返すな、とはよく言われることだが、コレは本来理不尽な話だ。相手が質問してきてるというのにされる方だけはするな、なんて不公平だと言われても反論はできない。しかし、アクアはこの不公平を受け入れる、と宣言した。一度公平な立場へ上ろうとした後に、だ。コレはアクア側からの譲歩であると同時にあかねへ罪悪感を植え付ける。会話の主導権は本来質問した側にあるものだが、この一言でアクアはイニシアチブを取り戻したと言える。
「仕事、ていうのがどこまでの意味を指すのかで変わるな。金が発生する業務を仕事というなら違うし、芸の肥やしにするっていうなら、広い意味では仕事に含まれる、と思う」
「…………恋愛の勉強するためにあかねと付き合うってこと?」
「その意図がゼロかと言えば嘘になる。オレも今まで仕事一本でやってきて、まともな交際なんて一度もやってないし、彼女なんて作ったことなかったからな」
「それは、私もそうだからわからなくはないけど…」
「なんだか意外だねぇ。一番とっかえひっかえしてそうな二人が、彼氏彼女いない歴=年齢なんて」
少し眉間に皺を寄せるゆきと飄々とした様子のアクアを見て、MEMちょが率直な感想を述べる。二人とも異性に慣れてて、コミュ力も高い。実際アクアは交際経験はないが、女性経験自体は豊富だ。MEMの感想も言いがかりと言えるほどではない。
「モデル周りはそういう子そこそこいるけどね。高校生を対象にした交際経験の有無の比率は一般人と大きく変わらないんじゃないかな。5:5ってとこだと思う」
「おお、フリたんからそういう事言われると説得力すごいね」
「モデルも女優もみんながみんな恋愛禁止じゃないからね。アイドルじゃないんだから。読モなんて撮影現場に彼氏連れてくる人とかザラだし」
「高校生になったんだから、そろそろ彼氏彼女作りたいって思うのは当たり前かぁ」
少し不誠実に捉えられかけた、アクアの発言が少しずつ受け入れられ始める。実際交際するにあたって本気の相思相愛というケースの方が少ないだろう。相手にそこそこ好意があり、きっかけとタイミングが重なれば、試しに付き合ってみるというケースの方が遥かに多い。交際自体、お試し期間と考える人の方がスタンダードだ。
「でも、アクアくんって、私のこと、異性として見てくれてる?」
「ははっ、あかねは男性か?」
「そうじゃなくて!ちゃんと恋愛対象として私のこと見てくれてないでしょってこと!」
「そんなわけ──」
「変な気は使わなくて良いよ。演技してる私のことは良く思ってくれてるかもしれないけど、私そのものには興味ないでしょ?分かるよそれくらい」
誰もが聞こうとして聞けなかったところに本人が切り込む。確かにアクアの態度はあかねの復帰後を境に変わった。今までの素のあかねでは何もなかったのに、演技をし始めた途端に接し方が変われば、本当のあかねを見てくれてないと思ってしまうのもわかる。
どう答えるか、と誰もが固唾を飲んで見守る中、アクアは柔らかくあかねに微笑を返した。
「分析能力が高いのも考えものだな。過学習状態になってしまってる。まあオレも覚えあるけど」
「過学習?」
「深読みして設定自分で作り過ぎてるってこと。色々誤解あるみたいだから、一つずつ解いていこうか。オレはあかねに凄い興味あるよ。女優としても、勿論異性としても」
疑心暗鬼に囚われ、不安を見せる少女を安心させる柔らかな笑顔。この場にいる誰もがアクアの微笑みをそう捉えていたが、対面に座すフリルと間近にいるあかねだけはアクアのよくできた作り物の笑顔を見抜き、そこに僅かに滲む微細な本音を感じ取った。
───仮面に気づかれるのは想定内。今までもオレの嘘を疑ってかかる女はいた。嘘つきの本領はここからだ
ここで心にもない美辞麗句を言うのは論外。あかねにはほぼ100%見抜かれる。真実のみで偽りを見せられてこそ、
「オレ、前に言ったろ?理想の女性像。顔はオレと同等以上で、何かしらの才能があって、醜さを隠そうとする行為も愛しいと思える相手って。その要件全部満たしてるあかねに、異性として興味ないわけがねーだろ」
過去に言った本音と行動の結果を現状にミックスし、相手に都合のいいストーリーを組み立てること。言葉だけではない、行動の過去を交えて、相手の脳を騙すことが本気で人を欺く嘘だ。
「あかねは演技してる自分と素の自分は違うって考えてるのかもしれないけど、少なくともオレはそうは思わない。演技してるのがあかねなんだったら、それは紛れもなくあかねの一部だ。だって演じてるのは黒川あかねなんだから。だから演技してるあかねに興味を持ったって事は少なからずあかね本人にも興味を持ってるってことなんだよ」
出演したドラマや映画をきっかけに女優や俳優のファンになるなんてこと、世の中には溢れかえっている。そして好きになった俳優の出演作が気になり、本人のことを知りたくなっていく。コレを本人に興味を持っていないと言わず、なんと言うのか。少なくともアクアには他の言葉で説明はできなかった。
「あかねは演技で自分の醜い部分を隠し、カメラの前で立ち振る舞った。そのことをオレは凄いと思ったし、懸命さを愛しいと感じた。だから好意を持った。コレはマジだ」
「アクアくん……」
「でも、あかねが言ったことも半分あってる。この興味が女優黒川あかねに対するものなのか、一人の異性であるあかねに対するものなのか、オレにもよくわかってねぇんだ」
相手の意見を完璧に否定しない。君が不安に思う理由もわかるとアピールすることで、オレの嘘に現実感を持たせる。全て理想で塗り潰すより、こちらの方が相手も安堵する。
「コレも前に言ったけど、オレは恋愛感情がよくわからん。この興味が今までのものとは違うってのはわかるけど、ガチの恋か、て言われると自信がない」
「確かにどこまでが好意で、どっからが恋愛か、なんて言われても説明は難しいよな。結婚とかならともかく、高校生の交際でそこまで深く考えてる奴の方が少数派じゃねぇ?」
「結婚の方が多分打算多いと思うよぉ。結婚って恋愛感情の延長じゃなくて、家同士の契約に近いからねぇ」
今までのアクアの答弁が誠実に聞こえたから、ノブとMEMがフォローに回る。そこまで難しく考えなくて良いよ、と遠回しにあかねに伝えてくれた。
「だから、まだあかねと離れたくない。もう少し、今度は仕事仲間から一歩進んだ関係で、一緒にいたい。初めて知ったこの感情の名前を知るまで。そう思ったからオレはキスした。この興味が不誠実だってあかねが思うなら、オレもすっぱり諦める。でも、そうでないなら、もう少しオレと一緒にいてほしい」
改めての告白。聞きようによってはキープ宣言にも聞こえるが、アクアは後ろ暗い部分も全て晒した。テーブルに置かれていたあかねの手に細くふしくれだった無骨な手を重ねる。その手つきにいやらしさはまったくなかった。
「…………アクアくんが思ってるより、私は醜いよ。炎上の時だって鏡の中の自分が自分でもブスだと思えるほど酷かった」
「凹んでる時は誰だってそうさ。オレだって凄いぞ。昔一度倒れた時はそれはもうグロかった」
「アクアくんが思ってるより、私は普通の人だよ。すぐ落ち込んで、すぐ死にたいとか思っちゃう。ずっと演技の勉強してたから隠すのだけは上手くなって、役者っぽく振る舞えるだけで…」
「だからこそ凄いんじゃないか。
「アクアくん……」
「だから、もう少しオレと一緒にいてくれ。今度は仕事仲間としてだけじゃなく、星野アクアの彼女として。お願いします」
「…………私で、良ければ」
あかねが真っ赤になって頷くとほぼ同時、周囲から拍手が起こる。番組の時ほど派手ではなかったが、アクアの誠意が伝わったからか、みんな少し気恥ずかしそうにしていた。
「いやあ、聞いてるこっちが少し恥ずかしくなっちゃったねぇ」
「うん、アクアが告った理由が思ったよりガチだった。ビジネス面でも恋愛面でも。もっとクズいかと思ってたのに」
「お前ら人のことなんだと思ってたんだ」
「女好きのタラシ男」
「前世結婚詐欺師」
「あのなぁ」
「ま、冗談はこの辺にしておいて」
「冗談ですますかどうかはオレが決めることだからな?」
「アクたんの想いは分かったけど、フリたんの事はどうするの?」
あっ、とあかねから思わず声が出る。メンバーの視線が一気にフリルへと向かった。実は最後の収録以来、フリルとまともに絡む事は誰もが避けていた。番組的に決定的なシーンは撮影しなかったが、結果だけ見ればフリルはアクアに振られた形になっている。下手にその辺りをつつくと炎上しかねないため、誰もが避けていたことだったのだが、カメラが止まり、オフの状態になって初めて、MEMが切り込んだ。
恐る恐るあかねもフリルへと目を向ける。しかし、本人はなんでもない様子で飲み物を口にしていた。
「別に、私のことは気にしなくていいよ。アクアはアクアがやりたいようにやってほしいっていつも思ってる。私がアクアの才能の妨げになるっていうなら私から離れるつもりだったし」
「なんというか、お前の想いはいつも重くて軽いな」
こうと決めたらフリルの熱量は凄まじい。リアリティショーにも出るし、オレを女装までさせてマネージャーとしてそばに置くこともする。だが離れるとなるとすっぱりあっさりだ。この業界、見切りと切り替えの早さはなによりも重要だ。ならば芸能界トップ中のトップである彼女が、コレらの能力が低いはずはない。
「それに、アクアの親友までやめるつもりはないしね。あかねもそれくらいなら許してくれるでしょ?」
「えっ、あっ。そのっ」
「許してくれるよね?」
「そんな、アクアくんの交友関係にまで口を出す気は……」
「許してくれるんだよね?」
「…………はい」
しっかりとした言質を取るまで同じ質問を繰り返したフリルに根負けする。軽い口調だったが、明らかに
「アクアと関係続けられるなら、私は彼女でも親友でもどっちでもこだわらないよ。彼氏にするとしたら、今はアクアしか考えられなかったってだけ」
「…………」
「それにこの手の番組でくっついたカップルって基本的に続かないしね。半年保てば長い方じゃない?」
「…………え、なにそれ。全然諦めてないじゃん」
「?当然でしょ?諦めるなんて一度も言ってない」
怖っ、と全員の心の声が一致した。アクアもそうだが、フリルの恋愛観も結構歪そうだ。
「これからはあかねとも長い付き合いになりそう。よろしくね、
「…………こちらこそ!」
二人のグラスがかち合う。その乾杯を見たメンバー達は、あかねもえらい二人に巻き込まれちゃったなぁ、と少し同情した。
▼
「じゃあお疲れ様でしたー!」
「あかね、送ってこうか?」
「ありがとう、大丈夫。みんなとタクシー使うから」
「気をつけろよ」
「アクアくんも。バイク、飛ばしすぎちゃダメだよ」
「アクア、私の心配は?」
「お前は白河さんが迎えに来てるだろーが」
「アクアさん、お疲れ様でした」
「はい、白河さんもお気をつけて」
「私には?」
「…………またな」
「うん、また。今度は舞台の上で」
パーティもお開きとなり、それぞれの帰路に着く。アクアも近くの駐車場に停めたバイクを拾うべく、キーを取り出した。
「………メムは歩きか?」
「うん。この辺住みだから。アクたんはバイク?」
「歩きで帰れなくもないが……まあ足があるとついな」
「一度楽覚えちゃうとねぇ」
グーッと両手を広げ、伸びをする。人もまばらな夜の街は、開放感と同時に寂寥感が呼び起こされた。
「コレでみんなとも一気に疎遠になるだろうね」
「元々分野はバラバラな奴らも多かった。オレやあかね、フリルはともかく、他のメンツとはなかなか直接顔を合わす機会はほとんどないだろうな。まあ番組が終わるってのはそういうことだ」
芸能界は規模の大きな学校。番組の終わりは一つの卒業に近い。中学を卒業した後は進学先の人間との交流が最優先になり、中学時代の友人とは一気に疎遠になる。例えるなら、あの状態に近かった。
「でもノブとゆきは違うだろうけど。あの二人こないだから付き合い始めたらしいし」
「らしいな。まあ、特に驚きはしないが。番組ではちゃんと振って裏で付き合う、か。ある意味
「テクニカルだよねぇ。お陰で寂しいのは私とケンだけになっちゃったよぉ」
よよよ、と泣きまねをした後、大きく深呼吸する。見開いた目からはいつものおちゃらけた様子は見えなかった。
「…………寂しいな。私、この現場が大好きだった」
真っ直ぐに虚空を見つめる瞳はアクアから見ても、美しかった。
「二度目だな」
「2度目?」
「お前の心からの言葉を聞いたのは、多分二度目だ」
一度目は嵐の中の電話。オレにしかあかねを救えないと言った時、MEMからいつもの作っているキャラはなく、本人の心からの声だった。二度目は今。カメラも、オレの存在すら忘れて、メムは言葉を放っていた。
「…………ホント、顔は好みだし、性格もなんだかんだ悪くないし、能力はプラチナレベルだけど、君は手に負えないね」
人間、自分と不相応な相手に恋愛感情は抱きにくい。尊敬は畏怖となり、畏怖は弱気になり、相手から離れることを選んでしまう。才能とは炎に似ている。人は巨大な炎と相対した時、接し方は大きく分けてふた通り。火の明るさと強さに引き寄せられるか、自分が燃えないように距離を取るか。メムの場合は後者だった。
「そういう意味ではあかねも相当だと思うがな」
「ね。本気出せばあそこまでアイのことをトレース出来るとは思ってなかったよねぇ」
「ああ、流石に少し驚かされた。芸能界に来て、才能にはいくつか出会ってきたが、アレほどのはなかなかお目にかかれない……ていうか、メムも結構アイのこと詳しいな。世代じゃないだろうに」
「いやいや、B小町はアイドル目指してた女の子にとっては誰もが憧れたグループなんだよ!」
「…………アイドル目指してたのか?」
キュッとメムの口が閉じる。ちょっと言いすぎてしまったと後悔している顔だったが、十数えるほど経つと、諦めたように目を閉じ、語り始めた。
「ここだけの話だよ?」
「安心しろ、口は固い方だ」
「…………私、元々アイドル志望だったんだぁ」
諦めと挫折、そして未練が声音から感じ取られた。
「でも色々あって挫折しちゃってね!今は元気にユーチューバーやってます!まあよくある話だよ!」
「そうだな。よくある話だ」
「───そう、よくある、話」
今の時代、誰でもネットに動画をアップできて、アイドルもどきをやることができる。動画上げること自体はタダだし、もしバズれば金にもなる。リスクと人生賭けてアイドルやろうなんて人間の方が今や少数派だ。アイドルになれなかったユーチューバー、ティックトッカーなんて溢れかえっている。よくある話だ。
「そして夢が追える環境が整った時、もう一度再チャレンジするのもな」
「…………へ?」
「オレは自分に才能がないことを自覚してる。だからと言ってはなんだが、才能を見る目に関しては、結構優秀なつもりだ」
惑うメムの目を星の瞳が真っ直ぐに見つめる。その目に冗談も嘘もなく、本気の光しかなかった。
「苺プロは先日アイドル部門を本格的に復活させてな。今新規にアイドル事業を始めようとしてる。けれどメンバーはまだ二人しかいない」
そして新メンバーの募集も難航しているそうだ。それも当然。実力のある可愛い子は大手のオーディションを受ける。わざわざ苺プロのような小さな事務所を受けようとはしない。
「一人はオレの妹。素質はいいもの持ってるんだが、頭の中には夢しかないような世間知らず。もう一人は実力はあるのに、栄光と挫折を経験してるせいで色々拗らせちゃってるめんどくせー女」
二人とも光る物はある。素材としては悪くない。だがそれぞれに難とクセがあり、あの二人だけではユニットを作ることは難しい。あの二人を繋ぎ合わせ、化学反応を起こさせる触媒となりうる人材が少なくとも一人、必要だ。
「メム。お前なら出来ると思う。夢を追って、挫折して、それでもまだこの世界で戦ってるお前なら」
「アクア……でも、私は──」
「多少の嘘は構わねえさ。今時個人でやってるヤツがプロフィールサバ読んでるなんてザラだし。少なくともルビー……あ、オレの妹ね、やウチの社長は気にしねーよ。問題児には寛容な事務所だ。心配しなくていい。なんせオレをアーティストとして雇ってんだから」
「あはは。確かに、そうかもね」
「なんだと?」
「あ、ごめん」
笑うメムに対し、眉を顰めるアクアだったが、フッと口の端に笑みを浮かべる。そのまま手を差し出した。
「メム、新生『B小町』にはお前みたいなヤツが必要なんだ。夢と現実、両方知ってて明るい方向に意識を向けられるムードメーカーが。やってみねーか?もしお前がまだ夢を諦めてなくて、夢にチャレンジしたい想いが僅かでもあるなら、ウチに来てほしい。頼む」
人を口説く時のコツ。情熱と冷静、理想と現実をうまく混ぜ合わせ、熱さに乗せる。今、ここで人生を変えてやる、という熱に。
アクアの熱に浮かされ、希望を持ってしまったメムの煌びやかな目と顔は、アクアから見ても可愛らしく、少し愚かに映る。
残暑がまだ残る夜。三日月が僅かに明るい日、新たな
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
次回からJIF編スタートです。よろしくお願いします。あと最新話怖。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
37th take 愛は幻想、恋は勘違い
12時を過ぎたシンデレラが見た光
道化の淑女の遠い日の憧れ
星をなくした子が体現する
「…………貴方はスカウトマンとして雇うべきだったかもね」
今ガチの打ち上げが終わったその夜、アクアは連れを伴って苺プロ事務所に訪れていた。事前に電話で事情は伝えている。電話越しでは半信半疑といった感じだったが、こうして目の前に連れてきた以上、信じるしかないといった様子だ。
「人気ユーチューバーにしてインフルエンサー『MEM』を引っ張ってくるなんて。彼女がアイドルに興味あったとは意外だったわ」
「ま、オレが本気で口説けばこの程度は楽勝……と言いたいところだが思ったより簡単に釣れた」
「なんかすっごく引っかかるなぁ。私尻軽だと思われてる?こう見えて結構一途で尽くすタイプだよぉ」
「嘘で塗り固められた女ほど甘い
「…………落ち着け私。こういう言い方でしか好意を表現できない可哀想なツンデレなんだよ。フリたんもそう言ってたでしょぉ」
「誰が可哀想なツンデレだ年齢詐称」
「ちょっ!アクたん!社長の前でいきなり…」
慌てた様子でミヤコを見るが、特に驚きも不満も顔には見せていない。やっぱりね、と言わんばかりに口角を上げていた。
「気づいてたか」
「貴方が気づくことに私が気づかないわけないでしょ。そういう目に関しては貴方より上のつもりよ」
「…………私ってそんなにバレバレですか?」
現場を何度も共にしたアクアはともかく、今まで画面越しにしか見てなかったはずのミヤコにまでバレていた。不安を感じるのは無理ないことだろう。暗く沈んだ目と俯く陰を見て、流石に少し哀れに感じた。いつも朗らかで能天気な彼女に見慣れていたから、尚更だ。
「心配しなくていいわ。貴女はちゃんと幼く見えてるわよ。骨格とかも相応だし。玄人の目でない限りはバレないわ。安心なさい」
「そ、そうですか……それで、ですね」
「怯えなくていいわ。個人でやってる子が年齢いくつか若く言うなんてよくある事よ。私はそういうの気にする経営者じゃないから」
「本当、ですか……よかった」
ホッと胸を撫で下ろす。最大の懸念はアクアの言った通り問題なく解消された。
「だから言ったろ。大丈夫だって」
「うん、ありがとう」
「それよりメムってウチでアイドルできんの?他所との契約周りとか、そっちの方がオレは心配だが」
まあここまでついてきてるんだから、その辺りは問題ないんだろうが、それでも確認していない懸念事項のため、少し引っかかっていた。
「貴方、その辺確認しないで連れてきたの?」
「ま、勢いと思いつきで口説いたからな」
「あ、それは大丈夫です」
MEMは一応個人事業主として活動している。業務提携という形で事務所とは契約しているが、所属タレントというわけではないらしい。だから自分で仕事を取ってくるのもアリ。今回の場合は苺プロからMEMへアイドル業務を依頼するという形になる。
「人気ユーチューバーにB小町をやってもらえるなら、こちらとしては渡に船ね」
「バズるのはなんだかんだコラボが一番手っ取り早いもんな」
「ちなみに本当の歳は幾つ?」
事務所として避けられない質問を遂にぶつけられる。流石のメムも苦虫噛み潰した顔をしていたが、コレは仕方ない。タレントを守るためにも事務所としては真実を知らねばならないのだから。
「…………ガッツリ盛ったわね!!」
「申し訳ございませんーー!!」
「え?なに?そんなに?幾つ?幾つ盛ってた?教えて」
「急にワクワクするなこのドS王子!そのキラキラの眼をより一層キラキラさせるなぁ!」
格好のネタの匂いにアクアの嗜虐心が躍り上がる。ミヤコの元へ耳を寄せようとするアクアを成人を遥かに超えている少女風淑女が必死に止めた。
「貴方は幾つだと予想してたの?」
「まあ二十歳は超えてるだろうな、くらいは」
「まだまだ甘いわね」
「え、じゃあまさかみそ──」
「そこまでじゃないよぉ!25だよぉ!」
「───盛ったな、お前」
風評被害に思わず真実を口走ってしまう。その失言が狙いだったと気づいたのはアクアが虚空を見つめ、何かを数え始めてからだった。
「お前今ガチでは18って言ってたよな。てことは……うわぁ」
「指折り数えないでぇ!うわぁとか言わないでぇ!事情があったんだよぉ!山よりも高ーく海よりも深ーい事情がぁ!」
そして語られたのはアイドルを挫折した女の子?の話。母子家庭で下に二人の弟を持つ彼女はむこうみずに夢を追うにはその環境は厳しく、その性格は優しすぎた。母親は良い人だったらしく、娘の夢を応援していたのだが、三人の子供を育てるなど、両親が揃っていても大変なこと。片親だけでは限界が来るのは当然だった。
「ママが倒れて入院しちゃってからは夢を追うどころじゃなくて、お金も必要でさ…弟たちを大学に行かせたかったし。オーディション辞退して、高校も休学して、バイトしたりガールズバーで働いたりしてお金作って──」
そして弟たちを無事大学に進学させ、母親も元気になった。
「──でも、その時私は23になってた」
───凄いな
アクアの中でMEMの評価が爆上がりする。今や芸能界もロックの世界も中流家庭出身者が大多数。夢を追うには資金も環境も絶対に必要。母子家庭出身者や家が貧しい人間はスタートラインから不利。そういう意味ではナナさんやハルさんは恵まれていたと言える。二人とも実家は金持ちだったから。
しかし、いわゆる普通でない人間が集まるのが芸能界。アクアが知るだけでも、才能があるのに家庭の事情から夢を諦めざるを得ない人達は何人かいた。MEMもその一人だった。それだけならここまで凄いとはアクアも思わなかったかもしれない。けれど彼女は未成年のうちからしなくていい苦労をしてきた。社会人すら難しい人を育てるという難業をたった一人でやり遂げた。母親を恨んだことも、父親を憎んだことも、弟を妬んだこともあっただろう。当たり前だ。それでもやり遂げた。やり遂げて、今は笑顔を作ってユーチューバーをやっている。凄いことだ。アクアでは多分できなかった。ルビーの面倒をミヤコに丸投げしてたからこそ、自分はここまで好き勝手ができた。わかっていた。自覚していた。
───こいつ、凄い
初めてかもしれない。才能ではない。積み上げてきた足跡を、凄いと思ったのは。
「行き場を失った情熱で配信とかやってたんだけど、その時まだ一応高校休学中でさ。現役JK(笑)みたいな感じでやってたら、なんかウケて、登録者数とかめちゃくちゃ増えちゃって!」
「引っ込みつかなくなったか」
「その通りですぅ。それから2年くらいそのままで今に至ります……」
膝から崩れ落ちる。一度ついたウソが大事になって真実以上の力を持ってしまう。コレも芸能界ではよくあることだった。
「…………凄いじゃん」
全てをぶちまけたMEMの顔は諦めと少しの未練に染まっていた。改めて事実を口にして、やっぱり無理だ、と。無理かいけるか、口を出す権利はオレにはない。だからこそ、思ったことを言おうと思った。
「凄いよ、メム。公称18歳は神経の図太さオレ以上だと思ったけど」
「ゔっ」
「ここまで積み重ねてきた過程と結果は、本当に凄いと思う。お前の積み重ねは、アイドルを諦める理由にはならないとオレは思う」
「アクたん…」
「その通りだよ!」
いつの間に来ていたのか。なんかこうして直接顔を合わせたのは随分久しぶりな気がする我が妹が、メムの肩に手を添えていた。
「MEMちょだ!本物!かわい〜〜っ!!」
「話は聞かせてもらったわ」
「おお、有馬。いたのか……ってなんで号泣?」
壁に手をかけてカッコつけたポーズで入ってきた赤みがかった黒髪の少女はボロボロと大粒の雫を溢していた。
「私も年齢でウダウダ言われた側だから、ちょっとだけ気持ちわかるから…!」
「ちょっとじゃなさそうだが……ま、お前確か小学校高学年あたりからほぼセルフプロデュースだったもんな」
子役事務所なんて中学入学前にはお払い箱。アクアは軽々に人の気持ちがわかるとかいう人間が苦手だが、有馬の境遇を考えれば、充分に納得できた。
「さっきも言ったけど、私は反対しないわ。有馬さんも様子を見る限り大丈夫そうね。ルビーは?」
「しないよ!アイドルをやるのに年齢は関係ない!だって憧れは止められない!」
俯くメムに大きく手を広げる。差し出した手になんの迷いも躊躇もなかった。
「『B小町』へようこそ!」
その能天気な顔が、夢と希望しか見てないその瞳が、アクアには少し嬉しかった。
「自分で集めといてなんだが……ホント癖のあるメンツしかいねぇグループだな。コレから苦労するぞ、有馬」
「うるさい気安く話しかけないで」
ゾッとするほど底冷えした声がぶつけられ、思いっきり睨まれる。流石にこの態度は想定外だったアクアは思わずたじろいだ。
「アンタは黒川あかねとよろしくやってなさいよ、このスケコマシ三太夫が」
「…………お前な」
「言われなくてもこのグループは私がなんとかする」
話は終わりと言わんばかりに背を向けられる。その後、新生メンバー達はご飯だお泊まりだと姦しく騒ぎながら部屋を後にした。
「───なんでアイツあんなキレ散らかしてんだ」
「貴方ならわかるでしょ」
「いやまぁ概ね想像つくけど」
もしこの想像通りなのだとしたら流石に理不尽だ。オレと有馬は交際はおろか、キスも手を繋ぐことさえしていない(一方的に握られることはあったが)。肉体的接触ゼロ。思わせぶりな態度もオレにしては控えている。勘違いさせるような言動もあまりしていない。むしろ結構ぞんざいに扱ってきた自覚さえある。オレに彼女ができようがどうしようが文句を言われる筋合いはないはずだ。
「1回デートしたくらいで勘違いするタイプだったか?」
だとしたらオレの分析が甘かったと言わざるを得ないが…
ハァと一つ大きく息を吐く。鏡に写る自身の顔は疲労感が濃いながらも、それ故に妖艶な美しさを誇っていた。
「カッコ良すぎて申し訳ない……罪深いな」
「バカなこと言ってないでとっととお風呂入って休みなさい。明日までバイトあるんでしょ?」
「あ、仕事の後送別会やってくれるらしいから多分泊まりになる」
「わかった。学校は?」
「一回は家に帰る。そこからいつも通りだな」
「お酒飲んじゃダメよ」
「言われなくても」
こうして一つの節目が終わり、バラバラの道を行くと思われた二名は意外と近くで活動を始めることとなる。
俳優星野アクアとアイドルグループB小町。いよいよ本格的に活動をスタートした。
▼
MEMちょが加入し、B小町の活動は俄に慌ただしくなり始めた。
今までアイドル業に乗り気でなかった有馬と夢しかなくて何から始めていいかわかってなかったルビー達ではその歩みが牛歩以下になるのは当たり前と言えば当たり前だった。
しかし、プロデュースの基本とノウハウを知るメムが加入したことにより、ネットマーケティングは大幅に活動内容が改善される。ユーチューブチャンネルは一気にアイドルのそれらしくなり、元々のメムファンの導線を引くことにより、一定の再生回数を確保。一通りの自己紹介動画がアップされ、いよいよ楽曲PVの撮影に取り掛かりはじめる。
「楽曲なんてまだできてないでしょ?」
「いやいや。私たちはB小町なんだから。過去曲いっぱいあるでしょ?」
「あ、そっか!昔の曲使っても私達なら問題ないんだ!」
「チッ、気づいたか」
「今からでもやれることはいっぱいある!チンタラやってたらあっという間にアラサーだから!」
「自虐〜」
笑顔の奥の迫力に逆らえず、結局有馬も巻き込んでアイドルの華であり、最も楽しく、最もしんどいダンスの振り入れにようやく入るのだった。
とはいえ、B小町はアイ死亡後もしばらくは活動を続けてたグループ。映像残ってる曲だけでも30曲はある。
───まさか、全部覚えろ、なんて言わないでしょうね…
休憩時間、汗だくになりながらも楽しそうに踊る二人を見て、黒髪の少女はゾッとする。根っからのドルオタであるルビーとメムはアイドル活動できることが楽しくて仕方ないが、アクアの口車に乗せられ、なし崩し的にアイドルをやってる有馬かなとしてはモチベーションが保たない。
「はぁ……なんでアイドルやるなんて言っちゃったんだろ」
「オレのせいだと責められても文句は言えないな」
頭の上に何かが乗る。いつのまにかこの世界に私を引っ張り込んだ張本人がミネラルウォーター片手に隣に立っていた。
「よう、ちょっと前から見てた。おつかれ」
「…………ありがと」
「慌て者、誰がやると言った厚かましい。オレが2本飲むんだよ」
「っ!だったらこんなところに置くんじゃないわよ!」
「ウソ、お前の、やる」
頭の上に置いていたペットボトルをこちらへと差し出してくる。憤然と鼻を鳴らしながら取ろうとした時、あのキスシーンが頭をよぎった。
「いらない!あっち行ってよ!」
パァン
手を振り払おうとした時、同時に乾いた音が鳴る。ペットボトルに当てる気はなかった。
しかし目を閉じたまま無造作に振るわれた平手はアクアの手の甲を捉えてしまった。衝撃と痛みでアクアが取り落とす。重力に従って落下したペットボトルは廊下を転がった。
「あ──ご、ごめ……」
流石に謝ろうと視線を上げた時、有馬の背筋がゾッと冷える。
こちらを見下ろすアクアの目。いつもは星の輝きで眩いその青い瞳が、今は暗く、ドス黒く光っている。睨みつけているというわけではない。敵意はないし、理不尽な暴力への憎しみもない。
だが同時になんの感情もなかった。
怒りも、憎しみも、哀れみも、好意も、悪意もない。道端で足にぶつかった石ころを見下ろすような目。無機質で無感情な瞳を見た時、有馬は心臓をギュッと握りしめられたような感覚に陥る。
それと同時に、背筋が粟立つような、ゾクリとした快感に近い感覚も。
なんの感情も宿していない無機質な瞳に、震えがくるほどの色香が香った。
「そうか、わかった───よ、二人とも、やってるな」
「あ、お兄ちゃん。見て見てこのフリ!可愛くない?スカートがくるっと回っててね!」
「全体通して見ないと批評はしにくいな。ほら、練習もいいけど少しは水分摂れ」
「アクたんお水持ってきてくれたのぉ?ありがとぉ」
転がったペットボトルを拾い上げ、トレーニングルームを開く。姦しく騒ぐ二人にアクアは手にしていた二つのミネラルウォーターを手渡していた。
───なによ、何よ……そっちが先に…
そっちが先に、なんだというんだろう。アクアは私と付き合ってるわけじゃない。思わせぶりな態度もないわけじゃなかったけど、充分友達の範疇に収まる行動だった。二人で何か約束したわけでもない。アクアは悪くない。私が勝手に勘違いして、勝手に気まずくしてるだけだ。
───わかってる。わかってるけど……!
用事が終わったのか、部屋から出てくる。無言で廊下を横切るアクアは私に一瞥も寄越さなかった。
───アクアは、他人と線を引いてる
ヒトの事情は暴きたがるが、自分のことは滅多に語らない。弱みや本音を常に隠した、秘密主義者。芸能人なんて基本的にそんなものだ。人に言えない事情を抱えていない人間の方が少数派だろう。
しかし、ルビーや有馬には違った。
二人にも言ってないことはあるだろう。隠してることはあるだろう。でもいざ交流する時は遠慮や気遣いもない。暴言も吐けば接待もしない。ありのままの自分で接していた。
───でも、今私の前を横切ろうとするアクアは違う
テレビやスマホで見慣れたすまし顔。凛として、クールで、気品に溢れ、美しい。俳優星野アクアの仮面。今ガチでフリルから盗み、鍛え上げられた、鉄壁で完璧な、頭のてっぺんから爪先まで貶すところが一つもない姿で歩いていた。
それは、有馬かなを線の外側の人間に割り振った何よりの証拠。
「ア、アクア……ッ」
去りゆく背中に声を掛ける。このままでは一生元の関係に戻れない。そんな確信があった。
しかし蜂蜜色髪の少年はなんの反応も返すことなく、非常口の扉を閉めた。
▼
「ただいま」
「おかえりなさい」
深夜、といってもまだ日付が変わる前。アクアにしては早い時間の帰宅。誰もいないかと思っていたが、リビングにはミヤコがいた。風呂上がりなのか、少し紅潮した肌が艶っぽい。この人なら再婚相手いくらでもいるだろうに。いちご社長が羨ましいと同時に腹立たしい。こんな美人ほっぽって何やってんだ、あの人は。
「遅かったわね。不知火フリルのところでのバイトはもう終わったんでしょ?何してたの?」
「営業」
テーブルに資料を置く。資料に目を通すと数ページで概要は伝わった。
「JIF!?貴方こんなのどこから引っ張って──」
「鏑木Pからもらった」
ジャパンアイドルフェス。通称JIF。アイドルイベントとしてはかなり大きなステージに入る。通常なら何年も必死に活動してなんとか立てるかどうかという舞台。飛び入りの参加などコネだのなんだの叩かれるだろうが、またとないビッグチャンスには違いない。
「興味あるならねじ込んでくれるってよ」
「…………悪いわね、本当なら私の仕事なのに」
「気にするな、オレの売り込みのついでだ。さしたる労力でもない」
本当を言えばアイの裏話のついでだが。色々と聞かせてもらった。田舎から出てきた無気力な娘がララライのワークショップを通していきなり女の子に変貌したこと。あかねと繋がりを持つべきと下した判断はやはり間違ってなかった。
「でも、ホントは貴方の売り込みだって、私の──」
「仕方ないさ。やっと正式にメンバーも決まって一番デリケートな時期だ。今はあいつらを見てやれ。ルビーはオレと違って純朴な分、世渡りがヘタだ」
ミヤコは自覚していた。アクアとルビーでは、はっきりいってアクアに負担をかけている部分がかなり大きい。あの雪の夜、目が覚めてから、アクアは少し変わった。元々早熟ではあったけど、少し年相応になり、そして兄としての自覚が強くなった。
勉強する姿勢が貪欲になった。自分が強くなるために、必要以上に人と関わるようになり、必要以上に自立心を身につけ始めた。ルビーに弱ってる姿を見せないように。誰にも弱みを見せないように。
強くあろうと、立派な兄であろうと願い続けた12年はアクアを本当に強くした。知識、技術、お金、コネ。この世界で必要になる全てを自分の努力が届く範囲で揃え、使えるもの全て使って、才能と美しさを磨き続けた。人によっては卑怯だズルだと言われるかもしれないが、少なくともミヤコは全く思っていない。金もコネも何もせずに得られるはずがない。培ってきた全てを使って少しずつ広げていった努力の根。それを使うことが一体なんの卑怯があるか。アクアが作り上げてきたものはこれからのアクアを作るために本人が得た努力の結晶。それを自分のために使うことに不平を言われる筋合いはない。
そう、アクアは強くなってしまったのだ。誰の庇護も得ず、たった一人で。
『オレはいいから、ルビーを見てあげて』
『オレのことより、ルビーをなんとかしてあげて』
この12年でこのセリフを一体何度聞いたことだろう。このセリフに何度甘えてしまったことだろう。実際アクアは自分のことは自分でなんとかしてしまった。初仕事のPVも、今日あまも、今ガチも、全てアクアのコネが元で、アクア自身が拾ってきた。私がしたことなんて、あの子が持ってきた仕事に許可の判子を押すだけ。
───母親だなんて、思ってもらえないはずよね
テーブルに置いた資料とはまた別のデータをタブレットで見る義息子の姿が、誇らしいと同時に腹立たしい。全く、この子は私のことをなんだと思っているのだろうか。感謝はしてくれてるだろう。この子なりの気遣いも感じる。でも可愛げは全く感じられなかった。
「なら遠慮なく言わせてもらうわ。有馬さん、なんとかしなさい」
タブレットをタップする手が止まる。ほんのわずかだが目に不本意な光が混ざった。珍しい。目に感情が宿る程度には有馬さんのことは気にかけていたようだ。
「なんとかって言われてもなぁ」
「あの子思ってることと逆のことばっかり言っちゃうでしょ?まあルビーもメムさんもいい意味で鈍感だから多少毒吐かれても全然気にしてないけど、あの子自体はすごく敏感。自分が吐いた毒に自分がやられちゃってる。このままアイドル続けてたらあの子は良くない方向に行ってしまいそう」
そういう人間は芸能界には何人もいる。理想と現実のギャップ。やりたいことと出来ることの違い。それらを無理やり押し込め続けていては、いずれ破裂してしまう。あの子がアイドルをやれる、義務感以外のポジティブな理由が必要だった。
「──それにあの子たち三人自体もまだまだJIFに立てるようなレベルじゃない。このままじゃ大怪我するわ」
「…………ちなみにあいつらの歌唱力ってどんなもんなの?」
返事の代わりに渡されたのはデモテープ。それぞれの名前が割り振られている。一つ一つに耳を通す。そして1分持たずにスイッチをオフにした。
「どう?」
「…………大甘に採点して」
メム、ヘタウマ
ルビー、オンチ
有馬、アイドルレベルなら言うことなし
「ヤバい、コレで出たらあいつらマジで叩かれる。ツラの良さにあぐらかいて努力怠ってのうのうと生きてきたのが歌に滲み出てる……」
アクアはコネで舞台に立つのを悪くもズルだともまったく思わない。結果を出せるだけの実力が伴っていれば。しかしこの体たらくで、コネを使うのは悪だしズルだ。鏑木Pの顔に泥を塗ることに等しい。
「だから努力の方向間違ってるっつったんだあの頭お花畑愚妹が」
「歌唱力とダンス。二つを指導してくれる人間が必要なの。でもよそから引っ張ってくるお金も権力もうちには無い。お願い、アクア。力を貸して。コーチとしてなら有馬さんも話を聞いてくれると思うから」
「オレの指導をちゃんと聞くかぁ?特にルビー。やると決めたらオレは妥協許さねーよ?」
どんな素晴らしい指導者や教育者を揃えても生徒の耳が聴こうとしなくてはなんの意味もない。人とは何を言ったかではなく、誰が言ったかが重要なのだ。役者としてならともかく、アイドル経験のないアクアのコーチを奴らがまともに聴くとは思えなかった。
「ならピエヨンの被り物でもする?うちの稼ぎ頭だし、上下関係的にも言うこと聞いてくれると思うわよ」
「それはやだ。呼吸しんどそうだし、オレの美意識が許さん」
「ならどうするのよ」
▼
JIFの参加が決まり、ルビーのオンチとメムのヘタウマが有馬かなにバレた事で、チームのセンターが決まった。ようやく新生B小町も形になり、スタートラインに立った時、ミヤコが三人の前に現れた。
「JIFまでそんなに日がないわ。これから追い込みを掛けるためにも、臨時コーチを呼びました。みんな、この人の言う事、ちゃんと聞くように」
「コーチ?」
「………それって、アク──」
ミヤコの手招きを受け、部屋の中へと入る。まず真っ先に目に入ったのは艶やかな黒髪。風に靡き、流れる糸はサラサラと音が鳴るかのような美しさ。
次に印象に残ったのはスタイルの良さ。スラリと長い足はタイトパンツに覆われ、スレンダーな肢体は黄金比の美しさで保たれている。
そして何より、三人を見つめる黒い瞳は星の輝きを放っていた。
この女性に二人は見覚えがあった。一人はスマホの写真で。そしてもう一人は肉眼で。
しかし二人とも脳裏によぎった人物と同一とは思えなかった。確かにパーツは似ている。けれどあの時とあまりに美しさが、そして纏うオーラが違いすぎた。
「…………マ、マ?」
「誰がママですか。貴方のような大きな子供を持つ歳ではありませんよ」
背中まで伸ばした艶やかな黒髪。均整の取れたスタイルに誰もが目を引く美貌。そして星の光を宿す瞳を持つ美少女。その姿はまさに伝説のアイドル『アイ』と瓜二つだった。
「今日から貴方たちの臨時コーチを務めます。レンです。安心してください。貴方たちの足がもげようと喉が潰れようと私は決して貴方たちを投げ出しません。アイドルの基礎の基礎。体力、表情、覚悟、全てを身体に叩き込みます。甘えた性根ごと叩き直しますので、よろしく」
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
今ガチ編に時間かけた分、JIF編はさくさく行きます。臨時コーチレン爆誕!これがやりたかったがためにマリンをフリルにバージョンアップさせたまである。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
38th take 紙一重のビカレスク
物語の主人公は悪役にとって憎むべき敵
貴方が正しい選択をする時
どこかで死神が生まれている
「うん、ジュニア。一回やめよう」
時はずいぶん遡る。そう、ハルさんやナナさんとバンドを組むよりさらに前。不良グループの中に入れてもらう際、アクアはジャズバーで知り合った中学のOGである先輩を頼っていた。名前は加賀美レン。バンドマンであると同時にダンサーでもあり、オレにダンスとロックのイロハを教えてくれた人。近々、日本でもダンスのプロリーグが発足することを知り、本格的にそちらの道へと進むことを決めた。しかし兼ねてからバンドメンバーに誘われていたレン先輩は自分の後釜としてオレを選んだ。
「今まではジュニアのセンスと可愛さに免じて、私の愛玩動物になることを条件に色々教えてあげてたけど、今日からは本格的なバンドマンとして仕上げるために訓練する。一ヶ月でどのバンドに出しても恥ずかしくないドラムスに育てるから、覚悟してね」
「はい、レン先輩」
そして始まった本格的な特訓。今までギター、ベース、ドラムとどれも基本的なことは教えてもらっていたが、これからはドラムのレッスンに専念することになる。ロックの世界において、ドラムは慢性的に不足している。手っ取り早くバンドに入れてもらうならドラムがいいというレン先輩の説明にアクアも異論はなかった。
一つの楽器に専念したおかげでアクアのドラムは目に見えて向上する。技術的にはもうどのバンドにいても恥ずかしくないレベルになっていた。
しかしそんなある日、レンがドラムを叩くアクアを止める。どこか間違っていたのか、いやそんな覚えはない。蜂蜜色の髪の少年は止められた事が不思議な顔をしてレンを見上げていた。
「ジュニアの歌もドラムも優等生過ぎるトコがあるんだよね。正解を当てにいってるっていうか、勉強のために勉強してる感じっていうか…月並みな言い方すると音を楽しめてない」
「だって、作曲者の意図した通りの音を出さないとダメでしょう?」
音楽に限らず、創作物には作者の意図が必ずある。何がテーマで、何を伝えたいか。どのような音で、色で、文で、テーマを伝えるか、明確な意図が存在する。創作者の意図を汲み取り、寄り添い、表現する。それが
「ジュニアの言ってることは正しいよ。どんな曲にもテーマはあって、それを伝えたくて私たちは楽器を取る。でもそれは採点されるようなコンクールとか品評会での正解。ロックやダンスはそういうのと少し違う」
いい?ジュニア。覚えておいて
「音楽っていうのはね───」
▼
「ねー、あの人ってホントに誰か心当たりないの?」
「アクアの変装、かと一瞬思ったけど、前に見た時と違いすぎるのよね」
「この世にはそっくりな人が三人はいるっていうけど、ママのそっくりさんもいたってことかなぁ」
「もしアレがホントにアクたんなら、色んな意味で引くねぇ」
「…………絶対違うわよ。今のアイツが私のために、そこまでしてくれるとは思えない」
「今の?どういう──」
「お喋りできる余裕があるとは驚きですね。なら坂道ダッシュもう10本追加しますか」
『真面目に走りますーー!!!』
驚愕の臨時コーチ就任発表直後から、B小町には特別特訓が繰り広げられていた。
▼
時間は少し遡る。トレーニングルームに集められた三人はレンの前で三角座りをして自分達で撮影したダンスを見ていた。
「おおー!なんかそれっぽーい!」
「うんうん、多少不恰好だけど、形にはなってるよね!」
「黙りなさい、ヘタウマとオンチ。そんなんだから私達はゆとりだのさとりだの言われるんです」
容赦のない言葉の刃が二人の胸にざくりと刺さる。しかし同時に反抗心も湧き上がった。名前も顔も知らない……いや、顔はすごく見覚えあるけど、歌手としてもダンサーとしても無名の見知らぬ人に言われても納得はできなかった。
「いいでしょう。まずは貴方たちの現状をハッキリと自覚してもらいましょうか」
ミヤコに目配せするとスタジオに音楽が流れる。何をする気かと思ったら、右手を高く天に上げ、足を広げ、スタンスを取る。そう、このフリはB小町のダンスの最初のポーズだった。
そこからのパフォーマンスは圧巻だった。
真っ直ぐに突き上げられる強い拳。
まるで心を込めて書いた手紙を読むかのような感情のこもった歌声。
全身の血が躍り上がるかのような、躍動感溢れるダンス。
そして何より、こちらの視線はおろか、心まで鷲掴みにするかのような、真っ直ぐな光を放つ瞳。
最後のステップが終わった時、声を上げられる人間は一人もいなかった。
全身を突き抜けるかのような歌唱力
強靭な体幹が生み出す、全身を使ったダイナミックなダンス
見ているものの心臓を握り締めるかのような、暴力的なほど魅力的なオーラ
───コレと比べたら、今の私たちなんて……
「ダンスも歌もハッキリ言ってお遊戯会レベルです」
三曲全て踊り終えた、汗はおろか、息一つ乱れていないレンから告げられた、残酷な真実。
声が揃っていない。発声もまだまだ。声に重みがない。ダンスに統一感がない。複数名によるグループダンスとはシンクロしていれば華やかだが、一人でも合わない動きをしたらとてつもなくみっともない。コレを人前で見せるつもりだったのかと思うと恥ずかしくなる。客観的な視点から自分達の惨状を見たルビーたちは身体を小さくして俯いていた。
「正直な話、お遊戯会レベルでステージに立つアイドルグループは数多くいます。別にこのまま出ても文句は言われないでしょう」
ホッと少し安心した顔でコーチを見上げる。しかし続く言葉は彼女達を再び小さくした。
「ですが、聴衆の耳と心に残ることも決してない。せっかくコネで掴んだチャンスをみすみす見逃し、貴方達も消えゆく数多のアイドルグループの一つになっておしまいです」
アイドルなんて一皮剥けばほとんどが一般市民。熾烈な競争を潜り抜け、スカウトを夢見て昼夜を問わず何年も練習してドラフト会議なんてモノが執り行われる選ばれしプロの世界とは違う。可愛い服を着て、メイクを施し、ステージに立ったのならば、それだけでもうアイドルと呼べる。本当に歌唱力やカリスマを兼ね備えた人間など、まずいない。
「コレは大手事務所所属のアイドルであろうと似たようなものです。彼らのダンスも歌もほとんど大して上手くはない。ミキサーやカメラワークのマジックを借りているおかげでなんとか聞けるレベルになっています」
そう、たまに番組のミスや企画的事情でテープなしの生歌を披露する時もあるが、お世辞にも上手いとは言えない場合がほとんど。実力を備えた本物の歌手とデュエットするときなど、あまりの差に聞いてるこっちが辛くなることさえある。
「それなのに彼女らが売れる理由。それは事務所の力とマンパワーに他なりません。大手事務所であればオーディションに応募する人間も多くなります。そして分母が大きければ、才能と実力を兼ね備えた本物が現れる可能性も高くなるのです」
そうした本物と抱き合わせで売り出すことで彼らは素人を騙せるだけのパフォーマンスを手に入れる。事務所の力で売り出し、バーターで他のアイドルも売り出し、公共の電波で名前を知ってもらう。今時の売れるアイドルはほとんどが大手の独占市場と言っていい。
「そんな大手の独占状態のアイドル市場。JIFという舞台。通常であれば何年も掛けなければ辿り着けないステージに、貴方たちは立つ。しかもコレがファーストステージ。結局のところ、経験に勝る力はありません。貴方達は今、何もかもが足りない状態です。現状、貴方達以下のグループはおそらくJIFにはいないでしょう」
わかっていたつもりだった。でもわかっていなかった。並べ立てられた現実は大きなステージを前にして浮かれていた二人を一気に沈み込ませる。しかしそれでもルビーだけはレンから目を逸らすことはしなかった。
「貴方達の現在位置は飲み込めましたか?貴方達は大手所属のアイドルでもなければ、実力No. 1のグループでもない。むしろワーストワンと言っても過言ではない。そんな貴方達は、今のままで、この映像でいいと、本当に思いますか?」
「いいえ!」
「一人でもやる気は無くしていないようで結構。金も業界のパイプも権力もない貴方達はそれ以外の全てを手に入れる必要があります。心の準備が出来たところで、まずは体力作りから始めましょう。本番の緊張は練習の何倍もスタミナと余裕を削り取ります。コレからは身体をいじめ抜きます。坂道ダッシュ10本。私も付き合いますので、張り切っていきましょう」
「はい!」
勢いよく返事をしたのはルビーとメムだけだった。
▼
こうして始まったJIF出演に向けた特訓。ジャージに着替え、坂道登り降り往復10本。3本毎に1分休憩。そして最後の一本が終わった後、休憩なしで発声練習。
「喉じゃなく下腹部に力を入れて声を出す。音の出る方向をイメージする。頭のてっぺん突き抜けるように」
「ダッシュ終わった後じゃなくても……」
「練習とは疲れてる時にやらなければ意味がないのです。有馬さん。辛そうな顔をしない。いつもどんな時も笑顔。常に見られていることを自覚しなさい」
「…………はい」
練習はキツかったが、内容は常に理にかなっており、そしてレンの実力は凄まじかった。ルビー達と同じ特訓、同じ発声をして、そのクオリティの差は嫌でも理解させられた。あの有馬かなでさえ、レンに逆らうことは一切なくなっていた。
ダッシュしても軽く息を弾ませる程度。声を出せば向こうの山にまで届くのではないかと思えるほどの声量。それでいて怒鳴り声ではない。透き通った美しい声をどんな時でも一定に放っていた。
「あの、レンコーチ。歌とかダンスの練習とかは…」
「まだそのレベルではありません。曲を歌うなどもってのほか。アイドルの基礎の基礎。体力、発声、腹式呼吸、コレらを条件反射レベルで叩き込みます。ダンスもですがそれ以上にそこのヘタウマとオンチの歌がひどい。ですがオンチは治ります。腹式発声。まずはコレを徹底です。わかりましたか?」
「はい!」
「よろしい。ではもう一度ランニング」
こうしてしばらくは本当に基礎の基礎。ランニングと発声のレッスンのみを繰り返した。食事メニューも栄養バランスや喉への影響を考えたものに変更。一通りの下地作りが終わると、ようやくダンスや歌のレッスンへと入る。
「腹式発声を忘れないで。身体を動かしながら歌うというのは思っている以上に声に変化が出ます。歌う調子は常に一定を保つように」
「ルビーさん、歌声に感情を込めない。貴方はまだ抑揚やメリハリをつけられるレベルの歌い手ではありません。トーンは一定に。けれど表情は豊かに」
「メムさん、ステップを端折らない。グループダンスというのは揃っていれば美しいですが、一人が少しでも変な動きをすればとても不恰好です。多少のミスはかまいませんが、全体の調和は意識してください」
「有馬さん、走り過ぎです。二人がついてきていません。全体の音を聞いて、合わせるように歌って。アンサンブルを心がけてください」
レンのコーチは常に容赦なく、厳しく、冷徹で、的確だった。その完璧主義ぶりはとある誰かを思い起こさせたが、本人からすれば、まだ手加減してやってるレベルである。アクアがレンからコーチを受けていた頃はこんなものではなかった。
───変な感じだな
あの時、オレに音楽やダンスを叩き込んでくれた先輩と同じ名前を使って、今度はオレが妹達を指導している。あの時のレッスンが何年も経ってから活かされるなんて思ってもいなかった。妙な因果というか、言葉にできない縁のようなモノを感じずにはいられなかった。
───特に、コイツには
「はい、一回ストップ」
スタジオでのレッスン途中。特に大きなミスはなかったと思うが、レンからストップが入った。
「有馬さん」
指摘された人物に三人とも驚く。十中八九ルビーかメムだと思っていたが、最も能力の高い人が本格的なレッスンが始まって一番に注意された。
「声が小さくまとまり過ぎてます。貴方はアイドルレベルならちゃんと上手いんですから、もっと大きく歌っていいんですよ」
「や、そんな……私なんて、向いてないの、自覚してますから」
「向いてない?」
「ホントはセンターなんてやりたくないんです」
「なぜですか?能力は貴方が三人の中で一番ですよ。自信を持っていいと思いますが」
「私がグループの顔になんてなったら、失敗しそうで…」
いろんな分野に手を出してみたものの、結果は伴わなかった。歌も何曲か出したけど、最初の一曲以外は全滅。唯一成功したその一曲はクオリティという意味において最悪。他の曲の方が絶対に内容はいい。けれど売れなかった。最も下手な子供がお遊戯で歌った歌だけが売れた。
「結局私の価値は子役というブランドにしかなかったんです」
「随分卑屈ですね。役者にしては珍しい。基本自信家が多い職種ですのに」
「わかります。私のお兄ちゃんもめちゃくちゃ自信家です。そりゃ才能あるのは認めますけど、ホント唯我独尊というか、エゴイストというか」
「演者はエゴイストくらいで丁度いいんです。私が誰より可愛い。私が誰より上手い。たとえ事実でなくとも、そう思える人間が結局一番強いんですから」
「…………だから私には向いてないんです」
私が可愛くないことなんて、誰より私が知っている。私が面倒でひねくれてることなんて、私が誰より自覚してる。だからアイツも私じゃなくて、あの子を選んだ。
「なるほど、確かに貴方はアイドルに向いていない」
軽い口調で重い一言が紡がれる。何気なく放たれた一言は有馬かなの肩をズンと重くした。
「ルビーさんもメムさんも貴方よりハッキリ下手です。ですが二人に見込みがないとは思いません。二人とも個性的で、魅力があります。これから頑張ろう。夢に向かって進もうという想いが歌にこもっています。だから聞き手も耳を傾ける。気持ちが伝わる。これはアイドルにとって上手い下手より遥かに重要なことです」
アクアは自分の能力の高さについては、大いに自負がある。歌もダンスも演技も数値化して競うのなら大抵の人間に負けない自信がある。それでも自分には才能がないと思っている。アイやルビーが持っている何か。フリルやあかねが持っている何かが自分にはない。
「有馬さんは自分に自信がないわけではない。ただ、過去の自分と今の自分を切り離せない。本当の自分を見てほしいと思ってるのに、見てくれる人なんていないと、勝手に諦めている」
有馬かなの深いところに何かが突き刺さる。お前なんかに何がわかると言いたいけど、言い返せない。言い返すにはあまりに真実を捉えていた。
「…………なんでそんなことまでわかるんですか」
「パフォーマンスを見れば大抵のことはわかります。創作物とは作者の心を映し出しますから。アイドルで言えば、ダンスと歌。ダンサーは物語の演者であり、音楽は世界なのです」
作曲とは創作者の心が訴えかけるテーマを形にしたものの一つ。その曲を通して、作者は何を問いかけたいか。何を表現したいのかを表している。題材は様々だ。愛や希望がテーマの作品もあれば、悲しみや絶望がテーマの作品もある。しかし、言葉にできない、言葉だけでは表現しきれないモノを現実に映し出す手法が芸術。どんな天才でも凡人でもこの大原則は変わらない。演者の心はパフォーマンスに投影される。有馬かなの歌とダンスは培ってきた能力。間違えられない怯え。現状の不満が表面化することで、自分自身を小さく纏めていた。言うなれば、及第点を探しているかのような演技だった。
───かつての、オレのように
「現状に不満を持つこと自体は悪いことではありません。ですが、
二人のダンスと歌には希望がある。夢に向かって突き進む情熱が表されている。それが今の二人の、心の世界。そう、世界とは人それぞれだ。誰かのマネではいけない。自分が持つ本当の夢を表現しなければいけない。
「有馬さん。今の貴方を見ている人は必ずいます。貴方も気づいているはずです。過去の貴方のためじゃない。今の貴方が輝くために力を尽くしてくれた人が貴方にもいたでしょう?」
その一言で脳裏にあの時の衝撃が蘇る。全てが暗闇の地獄の現場。しかしその中で見た、一筋の輝き。私を輝かせるために放たれた、星の光。
星野アクアの、献身を。
「私だってその一人です。貴方の過去などどうでもいい。今の貴方が輝くために、私は貴方のコーチをしているんです。そして、それは貴方の仲間たちも。元天才子役とではない。新人アイドル有馬かなとユニットを組んでいるんですよ」
「そうだよ先輩。確かに先輩は素直じゃなくて捻くれてて、ああ言えばこう言うめんどくさい女だけど」
「喧嘩売ってんのか」
「それでもよく手入れされた髪が艶々で、あどけなさの抜けない童顔が可愛くて、コッテリしたオタの人気をめちゃくちゃ稼ぐ女の子と思ったからスカウトしたんだから!」
「やっぱ喧嘩売ってんだろコラ」
褒めてるか、そうでないのか、よくわからない。それでもルビーの評価は子役の有馬かなではない、今の有馬かなを表したモノだった。
「私は何かどうこう言えるほど昔のかなちゃんもいまのかなちゃんも知らないからねぇ。でも、これから知りたいって思ってるのは今のかなちゃんだよぉ。コレはホント」
「そうそう。先輩の過去を気にしてる人なんて先輩が思ってるよりずっと少ないって!自意識過剰!ある意味傲慢!」
「悲劇系ナルシスト」
「おいなんつった誰が言った今」
ぼそっと誰かが呟いたその一言はあまりに無感情で、男か女かさえもわからないほど中性的な声だった。
「その怒りを、不満を、貴方に抱かせた誰かさんにぶつけてやりましょう。私の魅力で土下座させてやるぐらいのつもりで。そう考えれば痛快じゃないですか」
脳裏にある顔が浮かぶ。星野アクアが私のステージに見惚れている姿。私の一挙手一投足に視線を注ぎ、私しか見えなくなる。そんな姿、はっきり言って想像できない。けれど、だからこそ見たい。だってアイツは見ているはずだ。私がアイツの一挙手一投足に注視していた目も。アイツしか見えなくなった顔も。アイツに見惚れた姿も。私だけが見ていない。皮肉屋で、ドSで、常に余裕があって、美しい。そんな誰もが知るアイツしか知らない。
有馬の中の負けず嫌いに火が灯される。そうだ、恋愛とは惚れた方が負け。現状、私はアクアに負けてるんだろう。でもコレからどうなるかなんて、誰にも分からない。恋愛なんてきっかけ一つで立場は容易に変わる。不知火フリルも、黒川あかねも、他の誰でも、目に入らないくらいアイツを夢中にさせてみせる。
そのためなら、アイドルだってやってやる
「いい目になりましたね。そう、幸せは歩いてこないんです。だから歩いて行かなければね。貴方も、もちろん私も」
惰性や義務感だけの目ではなくなった。自分から進んでやる気になれる、ポジティブな動機が有馬かなの中で芽生えたことを確認すると、レンは一度大きく手を叩いた。
「それではもう一度頭から。モチベーションは常に忘れずに。精神論をバカにしてはいけませんよ。メンタルはパフォーマンスに大きく影響しますから」
『はい!!』
今度は新生B小町全員から、勢いよく返事があった。
▼
「…………お疲れ」
レッスンが終わり、深夜。変装を解き、メイクを落とし、汗を流したアクアにスポーツドリンクが渡される。レンの正体を唯一知る斎藤ミヤコが、労いの言葉をかけた。
「サンキュ」
「見せてもらったわ。貴方の人心掌握術」
「…………見てたのか」
「当然。あの子達の面倒を貴方一人に丸投げするわけにはいかないもの」
アクアの歌もダンスもハイクオリティだ。指導能力だって高い。それは認める。けれどアクアだってアイドルは未経験。バンドマンとしてステージに立ったことはある。バンドとアイドルなんて似たようなものかもしれない。だからライブの核はわかってる。何が大事で、何を重視すべきかは経験している。けれど細かいところの差はどうしても出る。その差を埋めることがミヤコの役割だ。
「相手が何を欲しているか。何が不満で、どんな言葉をかけてほしいかを見極め、相手に応じて対処を変える。いつもああやって女の子口説いてるわけね」
「別にナンパのためだけに使ってるわけじゃねぇけどな」
やる気のない共演者をノせる時や、同じステージに立ってほしい相手を誘う時にも使う。人を動かすには感情をくすぐる必要がある。そのために必要なのは言葉の魔術。人とは結局感情の動物。心が動けば身体も動く。
「友情も愛も好意も基本的には後付けだ。人間なんて所詮みんな自分が一番可愛い。己の欲望や欲求をより多く満たしてくれる相手を好きになる。コレを知ってれば相手の脳を騙すことは難しいことじゃない」
「…………程々にしないと、ほんっとーに刺されるわよ貴方。一人で歩く時は背中に気をつけなさい」
「かもな」
そんなヘマはしない、と言いたいところだが、その可能性は常にある。実際アイはその可能性に殺された。オレがそうならない保証はない。
だからこそあらゆる可能性を想定する。
人間ミスはする。間違えることはある。重要なのは、そのミスが取り返しのつくミスかどうかということ。
本当に怖いのは想定外のミス。目に見えない裏切り。理不尽な暴力。コレだけは絶対に避けなければいけない。コレさえ間違えなければ、他のミスは取り返しがつく。
常に最悪の可能性を考え、そうならないために段取りし、計画を立て、実行する。それが決定的なミスを避ける、道を間違えない唯一の方法だ。
───オレは間違えない
常に正しく、冷静で、有能で、最善を最速で選択する星野アクア。しかし、たった一つ抜け落ちていた。
どんなに優秀で、優等生でも、誰かの物語では悪役になってしまう。自分にとって正しい選択とは、誰かにとっては最悪の選択かもしれないということを。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
常に正しい拙作のアクア
間違っていることを自覚する本誌のアクア
果たして破滅に近づいているのはどちらなのか
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
39th take 女子会は男子禁制
紅い原石の寝物語は星をなくした子に齟齬を齎すだろう
不明なことを不明のままにしてはいけない
死神を妨げる道を一つ減らしてしまうから
「アクアくん、まだ練習してたの?」
とあるスタジオの防音ルーム。練習のために借りていたその部屋で少女にしか見えない美少年が汗を流しながらドラムを叩いている。名前は星野アクア。ステージではマリンと名乗っている。艶やかな黄金色の髪はヘアゴムで纏められており、いつもと違う色気を放っている。可愛らしさと猛々しさを併せ持つその様相は寿ななみの心臓をどきりと跳ね上がらせた。
「…………ナナさんは帰っていいですよ。部屋のことはオレがやっときますから」
「貴方一人にしてたら何かあった時対処できないでしょ。明日はカントルのファーストライブなんだから、貴方に倒れられたら困るの」
そう、明日はいよいよバンドを組んで初めてのステージ。この日のためにレン先輩からドラムを教わり、ハルさんとナナさんとバンドを組んで、三人で練習してきた。そして遂に明日、本番を迎える。
「アクアくんは今でも充分上手いよ。本格的にドラム始めたのが一か月ちょっと前だなんて信じられないくらい。自信持っていいと思う」
「…………そう、ですかね」
努力が足りないとは正直思っていない。やれることは全てやった。練習も妥協なく取り組んだ。だけど……
「なんか……上手くなるほど下手になっていってる気がする、というか」
上手くなればなるほどアラが見つかる。練習すればするほど不安になる。競技者であれば誰もが一度は経験する現象。
「はは、あるよねそういうの。学べば学ぶほど足りてないことに気づくっていうの。でもソレは本当に実力がついてきてる証拠でもあるんだよ」
「実力が足りない証拠でもあります。オレだってこういう経験がないわけではありません」
アクアも演劇の世界でそれを経験したことはあった。しかし割り切れていた。なぜなら、あの時は成功も失敗も自分一人の責任だったから。
「オレが失敗したら今度はハルさんやナナさんにまで迷惑がかかる。そう思うと手を動かさずにはいられなくて…」
技術が足りない。センスが足りない。経験が足りない。工夫が足りない。理解が足りない。上手くなればなるほど明るみに出る欠点。コレらを埋めようとすれば練習しかない。その事も身をもって実感している。だから練習せずにはいられなかった。
「バンドマンなんて人に迷惑かけてナンボだよ。アクアくんが本番でトチっても、私もハルも何も言わないって」
「言ってくれた方がオレはありがたいんですが」
「それに、どんなに上手くなってもそのジレンマからは抜け出せないよ」
その一言に何も言い返せなくなる。そう、アクアだってそれはわかってる。演劇の世界でだってそうだった。今の自分がなんの欠点もないだなんて思ってない。まだまだ下手な事も、自分より上手い人が腐るほどいる事も嫌になる程わかってる。それでも仕事に挑むしかない。
「完成とは、諦めに限りなく近い」
足りてない事も、改善の余地がある事もわかっている。だが今の実力ではコレが限界と諦め、ピリオドを打つ。それが芸術家にとっての完成。心から何もかもに満足して筆を置ける人の方が遥かに少ないだろう。アクアも所詮、その他大勢の一人に過ぎないというだけの話だ。
「みんな一緒だよ。本気で何かを作ろうとしてる人はみんな同じことを考えると思う。私だってそう。ファーストライブでは緊張して、メンバーにいっぱい迷惑かけた。当たり前だよ」
「…………そう、ですかね」
「アクアくんは私たちに敬語で丁寧に話してくれるでしょ?それってなんで?」
「そりゃ歳下ですし、新参ですし、先輩に謙るのは当然で…」
「じゃあ先輩が後輩に優しくするのも当然だと思わない?」
その言葉に絶句する。言い返せないという意味ではない。アクアもこの業界に来て長い。いろんな人を見てきた。だが上の人間に出会えば出会うほど、下の扱いはぞんざいな人ばかりだった。上が下に優しくする。上が下を守る姿なんてものを見た事がなかった。そして、逆はたくさん見た。下に責任を押し付ける人。失敗を下のせいにする人。言ってもないことを言ったと言って、下を叱る人。うんざりするほど見てきた。
───こんな人も、いるんだ
驚愕と感動で言葉が出なかった。ナナさんがアクアの中で特別な友人になった瞬間だった。
「アクアくん、覚えておいて。貴方もいつかきっと追いかけられる立場になる。誰かに何かを教える人になる。その時は厳しさと優しさを備えた人になって。上の人にもらった恩は上の人に返すんじゃないの。先輩にもらった恩は後輩に返す。その後輩はまたその後輩に恩を渡す。そうして人は繋がっていく。それが本当の人脈を作るってことだと私は思う」
綺麗事だと思った。人脈とは貸し借りで、コネクションとは打算だ。それも変えられない事実であることは知っている。
けど、この言葉を、一生忘れないでおこうとも思った。
▼
「いよいよJIF本番は明日。現時点でやれることは全てやり、リズムも音程もダンスもなんとか見れるレベルにはなりました。今日は軽くおさらいをして、1日身体を休め、心身共に万全の状態へ持っていくことに努めてください。あとはレッスン通りの成果を発揮するだけ(コレが一番難しい)。つまり!」
腕組みをしてパイプ椅子に座るレンの目がカッと見開かれる。星の瞳は真っ直ぐに彼女らを見つめていたが、同時に呆れの色を宿していた。
「もう少し落ち着きなさい、貴方達」
青い顔をしてアワアワする二人を見て、大きく息を吐く。ステージ経験のないルビーはともかく、ユーチューブで活動しまくっているMEMちょまで、こんなに緊張するとは思わなかった。
「ぜっ、ぜぜぜぜんぜん全然緊張なんてしてないよ!うん!最初のターンってこっちだっけ?!」
「ババババババカだなぁ、るびー、最初のターンは右だよホラ。ところで右ってどっち!?」
「こっちだよこっち!」
「そっか天才!」
「何やってんの二人とも。あとそのターンはこっちよ」
あわあわドタバタやってる二人を有馬かなが落ち着かせる。流石に彼女は動揺していないらしい。まあ場数だけで言うならアクアすら遥かに超える。今更初舞台で緊張なんてしないのかもしれない。
───まぁ、本番直前になるまでわからねえけど
ライブの緊張とカメラの前での緊張はまた違う。ドラマは本番でミスってもカットが掛かってやり直しができるが、ライブはそうはいかない。逆に練習ではできなかった改心が本番で出来たりもする。
ラッキーも実力も現実も全部ごちゃ混ぜの大乱闘。それがライブのステージだ。
「あー!ダメだ!こういう時静かにしてると変なことばっかり考えちゃう!こうなったらアレしかない!」
「アレ?アレって何?」
「女子の女子による女子のための秘密の花園!悩める女子達でもこの言葉を聞けば否応なしにテンションが上がるアレをやろう!」
「…………それって、まさか──」
「突発開催!新生B小町お泊まりパジャマパーティ!またの名を、女子会!」
「おお〜!イイね!やろうやろう!」
「げっ」
「ちょ、先輩!げっ、はないでしょ!せっかく仲間内で親睦を深める大事な儀式なのに!」
「そういうのに良い思い出ないのよ、私は」
女子会。それは女同士の腹の探り合い、牽制の取り合いと言っても過言ではない。誰が敵で誰が味方か。誰が誰に同調するかで今後の方針が決まってしまう。まさに男には見せられない女の戦いの場なのだ。
有馬かなは仮にも全国に名を轟かせた元天才子役。そういう場に招かれること自体希少だったし、招かれたとしても数の暴力で邪険に扱われてきた。良い思い出がないのも当然と言える。
「大丈夫!世間一般の女子会とは違うんだし!一応参加者全員芸能人な訳だしさ!変な探り合いとか、誰が好きー、とか最初に宣言して他の女子牽制するとかもないって!楽しくお菓子食べて今度のステージの相談するだけ!ね?やろうよ先輩」
「…………それなら、まだいいか」
あまり男が聞きたくない女の裏事情の一部が聞こえてしまう。これ以上この場にいると色々崩壊しそうと判断したレンはその場から立ち上がった。
「モチベーションが上がるのならなんでもいいです。ですがやるなら日付が変わるまでですよ。今夜はしっかり休んで眠って体調を整えてもらわなければいけません。いいですね」
「?なんでレンさん出て行こうとしてるんですか?」
「私がいたら邪魔でしょう。三人で会議しなさい」
「いやいや。レンさんも参加に決まってるじゃないですか!」
「………はぁ?」
思わず地声が出かけた。軽く咳払いし、声の調子を整える。続いた。
「女子会絶対明日の本番の話になりますし、先生の意見も聞きたいですから」
「もうレンさんも仲間みたいなものでしょ?やりましょうよ女子会。楽しいですよ、きっと」
「私は明日オフではないんです。そんな悠長に夜更かしはできません」
「ならお仕事の都合のつく時間だけ!1時間だけでもいいですから!お願いします!」
「…………」
なんとかしろ、と言わんばかりに星の瞳が有馬かなを捉える。意図が伝わったのか、そうでないのか、わからないが出てきた言葉はレンの期待とは真逆のものだった。
「私も、レンさんとはお話ししたいです。お願いします。本当に1時間だけで構いませんから、参加してくれませんか」
ギブアップ。ゲームセット。3対1では勝ち目がない。レンは不参加の説得を諦めた。
「わかりました。1時間だけ、参加しましょう。着替えなどを取ってきますので少し離れます。いいですね?」
「そのままバックれたりしないでくださいよ!」
「しませんよ。一度した約束は守ります」
▼
「それではみなさま、揃ったところで、特別コーチお疲れ様でしたー!!」
手にしたジュースを高く掲げ、ぶつけ合う。スタジオの少し広いブースに毛布やクッションを持ち込み、いつでも座ったり寝転んだりできる環境を整えた上で、色とりどりのお菓子やジュースが持ち込まれている。まさに女子会と言った雰囲気の中、ラフな格好をした4名の女子。事務所で普通に寝泊まりしているルビーと有馬かなはほとんどパジャマみたいな格好。メムもラフなTシャツとパンツ。レンも似たような服装だった。
「いやほんときちゅいトレーニングの日々だったわー!」
「でもさっき改めてV見たけど、明らかに良くなってたねぇ。最初ので出るつもりだったと思うと寒気がするよぉ」
「少しは努力の大切さがわかったかしら。コレだから顔の良さにかまけてのうのうと生きてきた連中は困るのよ」
「有馬さんのソレだけは最後まで直りませんでしたね。笑顔を作ることは出来てましたけど、心からダンスや音楽を楽しませることはできませんでした」
女子会ではしゃぐ二人に対し、本番でセンターを張る少女は結局最後まで仏頂面を崩さなかった。練習中やカメラを回している時は華やかな笑顔を見せていたが、一度オフになると瞬間笑顔が消える。アイドル業に気が進まないことは知っていたが、コレほど歌えて、コレほど踊れる人が楽しそうじゃないのは初めてだった。
「実際のところどうですか?私たちのパフォーマンス、良くなってますか?」
期待と若干の不安に揺れる瞳がレンを見つめる。輝く左眼が不安に曇るのをレンは初めて見た。
「言ったでしょう。ギリギリ、なんとか観れるレベルには仕上がった、と」
「そういうのじゃなくて!各々もっと具体的に褒めてくださいよぉ!これでもこの数日は本気で頑張ったんですから!」
「ならいちいち褒め言葉など必要ないでしょう。やり切ったという自負を胸にステージに立ちなさい」
「それでもやっぱりレンさんにだけは褒めて欲しいじゃないですか。可愛い教え子のためのと思って。お願いします!」
フッと少し息を吐く。考え込むように空を見つめる瞳から星の輝きが無くなっていることに気づく者はいなかった。
「ルビーさんのダンスは元々悪くありませんでした。長く、そして詳細にB小町を見てきたんでしょう。最大の課題は歌でしたが、腹式発声を覚えて、大幅に改善されてます。まあ基礎を修めてしまえば、10点を50点に上げることは難しいことではありませんが。しかしここから上に行くためには継続的な練習が必要ですよ。わかってますね?」
「はーい」
「メムさんも長くユーチューバーとしてダンスを投稿してるだけあって、地力はあります。視野も広いですし、立ち回りも器用です。アクアさんがバランサーとして貴方をスカウトしたのもわかります」
「えへへ、ありがとうございますぅ♪」
「有馬さんは元々の畑は違いますが、実直で飲み込みも早い。練習中もミスらしいミスはありませんでした。狙って合格点が取れるタイプですね。コーチや経営者としては計算できるアイドルほどありがたい存在はありません。B小町は貴方に支えられていると言っても過言ではないでしょう」
「あ、ありがとうございます」
思ったよりしっかりと、個人の良いところをよく見た上で褒めてくれた。基本叱られる事が多かった三人はようやく聞けた直截な褒め言葉に動揺と歓喜両方が渦巻いていた。
「レンさんって厳しさの中に優しさがありますね。どっかのアクアとは大違いです」
「そう?私はレンさんとアクたん、似てると思うけどねぇ」
「は?!どこが!あの顔の良さにかまけて女にだらしない皮肉屋毒舌ドS男が!」
「他人には厳しくて優しいけど、自分には厳しくて厳しい。人の長所と短所、どっちもよく見てて、それぞれに合わせて人を導いてくれるところ」
グッ、と黙り込む。その言葉に反論できる人間はこの場に誰一人存在しなかった。
「MEMちょって、お兄ちゃんのこと好きなの?」
「お、恋バナ?イイねぇ。女子会っぽくなってきたねぇ」
「だって今ガチでずっと共演してて、お兄ちゃんとの相性悪くなさそうに見えてたし。正直私はお兄ちゃんとくっつくなら不知火フリル以外ならMEMちょか鷲見ゆきだと思ってたから」
コレはルビーだけでなく、SNSでも一部騒がれていたことだ。あかねとアクアの急接近はあの炎上騒動を知った上でなら納得がいくが、今ガチスタートから視聴していた古参ファンから見れば、アクアのあかねへの献身はかなり意外なものだった。いつもクールで冷静でイベントの渦中にいながらも、トラブルからは極力距離を取る。リスクヘッジの上手さがアクアの長所と誰もが知っていた。それなのにアクアはあの時、火中の栗に手を突っ込んだ。アクアのことを知っていればいるほど、あの危険を顧みない爆弾処理は意外に映ったことだろう。
一時は不知火フリルとの関係はカムフラージュで、本命は庇ったゆきかいつもからかわれてるMEMちょとまで言われていた。ルビーの意見はあながち的外れではない。
「ルビーさん、今ガチ観てたんですか」
「そりゃ兄の恋愛事情は妹としても気になりますし」
「キスしてるところよく見れましたね」
「そりゃもう超複雑だったよ!兄妹モノのドラマのキスシーン流れた時の5倍くらい気まずかったですよ!でもやっぱり兄の彼女とか気になるじゃないですか!」
───それに、アクアのあかねに対する気持ちって、きっと……
言葉にはしない。できない。この世で私と兄だけの秘密。でもなんとなくわかっていた。あのキスは純粋な恋愛感情だけじゃないことに、他の誰が気づかなくても、私だけは分かる。けれど責められない。母の面影を追っているのは誰よりも私なんだから。
「…………で、どうなの?メムってアクアのこと好きなの?」
黙り込んだルビーの代わりに有馬が重い口を開く。少し沈んだ様子の有馬かなとは打って変わって、髪飾りをつけた淑女は軽い調子で応えた。
「アクたんの事は好きだよ。人間としても。もちろん異性としても。顔は好みだし、性格もドSで捻ててツンデレだけど、なんだかんだイイやつで、才能は芸能界でも特級。話をしても面白いし、一緒にいて楽しい。魅力的な人だと思う。そんな人と数ヶ月恋愛ごっこして、好きにならないわけがないよ。アクたんに本気で迫られたら、私は多分断れないと思う」
軽い調子で紡がれたのは本気の言葉。思ったよりガチでアクアへの好意を示したメムに全員の意識が集中した。
「でも、アクたんって凄く遠いんだよね。隣に座っても距離があるというか、私を見てても、その瞳は遥か遠くを見つめてる」
数ヶ月、一緒にいた。いろんなイベントを一緒にこなして、アクアにオチに使われて、彼の肩を叩いたりもした。けどアクアの芯を噛めた事は一度もなかったと思う。フリルやあかねのように、アクアを動揺させることなんて一度もできなかった。動揺させられるのはいつも私で、アイツは私のはるか先でケラケラと笑っていた。
「アクたんと付き合える人はあの人と同じモノが見えて、あの人と同じ速さで歩ける人だけ。そう思ったから私はアクたんと距離を取った。いい友達でいられる距離に落ち着いた。ゆきが早々にアクア攻略をやめたのも似たような理由だと思う。だから安心して有馬ちゃん。私がアクたんとどうこうなるなんて事、まずないから」
「……あ、安心してってなによ!あんな男、好きになる要素なんて一つもないんだから!」
「アレ?有馬ちゃんアクたんの事嫌いなの?私はてっきり…」
「嫌いに決まってるでしょ!デリカシーと常識ないし!クールぶってるけどただのムッツリ!口ばっかり達者な女タラシのすけこまし!兄妹揃って歳上への態度がヤバいし!敬語とか一度も使われた事ない!私の方が芸歴先輩なのに!才能があれば何してもいいと思ってる!一度頭を打つ前にガツンと言ってやらなきゃダメよアイツは!」
お前がソレいう?とは誰もが思った。特に子役の時の、クソ生意気なガキ時代を知るルビーとレンは。でも口にすると100倍になって帰ってくるか、黒歴史でメンタル落としそうなのでやめといた。
「あーあ。子供の頃はまだ可愛げあったのにね」
「あれ?付き合い長いんだ?」
「そうよ小さい頃現場でね!私とアクアがまだ3つとか4つの頃!あんなやつ一度会ったら忘れられないじゃない!?」
「う、うーん……わからなくはないけど」
あの不知火フリルと張り合える才能だ。確かにインパクトとしては一生残るレベルと言っても言い過ぎではないだろう。しかし…
「子供の頃からずっとアイツが脳裏にいたのよ!あの頃は天使みたいだったのに!才能の片鱗は当時から見せてたけど、あの輝きと正比例するみたいに憎たらしく育っちゃって!私の思い出汚さないで欲しいんだけど!!」
「ん……ん〜〜?」
メムの中で疑問符が浮かぶ。嫌っているにしてはずいぶん湿度の高い評価だった。
「…………ルビーさんはいないんですか?好きな人とか」
盛り上がる有馬とメムの傍ら。いつのまにか隣に来ていたレンがルビーに話しかける。少しもじついたが、ゆっくりと話し始めた。
「──いますよ。初恋の人が。多分今も大好きです」
「へぇ。どんな人です?」
「ドルオタの先生です。私のことを家族よりも親身になって、色々面倒を見てくれました。私がアイドルに憧れたのはあの人のおかげなんです」
どこか遠くを見つめながらはにかむ蜂蜜色の髪の美少女は、僅かに頬を朱に染め、言葉を一つ一つ噛み締めるように話し続けた。
「私は昔、ずーーっと部屋の外に出られない生活してて、未来に希望も何もなくて、このまま静かに、ドキドキもワクワクもしないまま死んでいくんだろうなって思ってました。だけど、ドルオタになってからは毎日が楽しくて、好きな人と同じモノを好きになれた事が嬉しくて、たくさんの好きで胸の中がいっぱいになった」
かつて少女が憧れた人と限りなく近い容姿をした少女は、静かに教え子の独白に耳を傾け続けた。
「そしていつか、先生に言われたの。私がアイドルになったら推してくれるって。その時からずっと、アイドルを夢見てた」
黙って話を聞いていたのはレンだけではなかった。いつのまにか有馬もメムもルビーの独白を静聴していた。
「…………先生、今どこにいるんだろ。あの病院には今いないみたいだし……どうせ女性トラブルだろうけど。でもまだドルオタは絶対やってるだろうし……アイドルで売れていけば、きっと……」
疲れのピークが来たのか。夢現に紡いでいた言の葉が途切れ、レンの膝へと倒れ込む。そのまま静かに寝息を立て始めた。
「…………この辺でお開きにしましょうか」
「そうですね。二人も早く休んだ方がいいです。睡眠の重要性を舐めてはいけませんよ」
「はい」
ルビーを起こさないように膝から持ち上げ、枕の上へと頭を乗せる。有馬とメムはそのまま就寝準備に。レンは外着に着替えた。
「それでは明日本番、頑張ってください。重ねて言いますが、やれる事は全てやりました。あとは実力を発揮するだけ。練習は本番のように。本番は練習のように。この鉄則を忘れないでください」
「はい」
「それでは、皆さん今日までお疲れ様でした。私は明日観にいけませんが、貴方達なら大丈夫と信じていますよ」
レンが部屋から出ていく。そのまま二人とも休むこととなり、女子会は終わった。
「なんか、立ち上がった時、レンさんいつもより小さくなかった?」
「そう?よくわからなかったねぇ。有馬ちゃんの気のせいじゃない?」
「…………そっか、そうよね」
「あ、アクアくん。うん、終わったよ。迎えに来てくれる?───うん、特に問題なし。私と入れ替わってるってのはバレなかったと思う……うん、アクアくんは出なくて正解だったよ。結構アクアくん絡みでヘビーな話もあったし───別に。私の彼氏はモテモテで、彼女は大変だなぁ、って改めて思い知らされただけ───ううん、気にしてないよ。彼氏がモテるってのは彼女としては結構気分良いし───それにアクアくんも苦労してるんだなって知れたから。明るそうな妹さんなのに引きこもってたなんて…って、コレを言っちゃうのは流石にダメか。うん、なんでもない。最寄り駅までは歩くからそこでピックアップして。待ってる。じゃあね」
───…………アイツが引きこもり?なんの話だ?
ここでアクアの少し良くないところが出てしまった。考えてわからない事はサッサと切り替えて次に向かう。切り替えの早さはアクアの長所であると同時に短所でもある。切り替えるという事は忘れるということに近い。記憶喪失である、アクアは忘れてしまったことに大切なことがあることを知っているはずなのに。母の記憶がないことがもはや当たり前になってしまった今、忘却に関して軽んじている節があった。
駅近くのネカフェで時間を潰していたアクアは違和感を感じながらもバイクのエンジンをスタートさせる。夜の街を走り始めた時、もう違和感のことは頭の中から消えてしまっていた。
「…………え。なに?どういうこと。レンさんはアクアだった?でも今のレンは黒川あかね?入れ替わってた?なんで?」
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
我ながらよくもまぁこんな重曹ちゃん曇らせる展開思いつくな、っていう。筆者はSではないつもりなのですが、アクアがドSなので酷いことしちゃいますね。ちなみにレンの背格好がいつもと違うことに気づいた重曹ちゃんがちょっと後を尾けてみたら電話してる所にぶつかっちゃったって感じです。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
40th take メイクアップ
半身は天使で半身は悪魔
天使の祝福は微笑む相手を選ばない
悪魔の呪縛に魅入られるかは貴方次第
「路上ライブ、やろー!!」
スタジオの扉が勢いよく開かれると同時、ギターバックを背負った鷲見はるかがそんな言葉と共に勢いよく入室してくる。練習していた桃色髪のベーシストと青い瞳に星の輝きを宿す少女にしか見えない美男子は一瞬演奏の手が止まったが、二人はまるで聞こえなかったかのように再び演奏を始めた。
「…………路上ライブ、やろー!」
「ハルさん。来たんなら練習始めてください。もうフェスまであんま日がないんですから」
「路上ライブ!やろーよ!」
「挫けなさいよ。アクアくんのこんな能面みたいな無表情、私初めて見たわよ」
「いいじゃん、やろーよ路上ライブ。本番前に度胸つけるいい練習になるよー」
「前にその理由でやった時、オレとナナさんしこたま怒られたんですから」
そう、ファーストライブの直前。オレがいまいち自信がないとナナさんから聞いたハルさんは路上ライブをやろうと提案してきた。一理あると思ったオレはナナさんに「キツいよ」と忠告されながらも承諾したのだが、現実は思っていたより非情だった。目の前にいるのは知らない人ばかり。ライブハウスで演奏していたら起きないようなトラブルが目白押し。そして歩く人から注がれる冷たい視線。荒療治だが、確かに度胸をつけるには効果的だった。しかし……
「警察に厳重注意されるのはともかく、ヤーさんに事務所連れていかれそうになるのはもう懲り懲りです」
「アレはアッくんとナナが逃げるの遅いのが悪いんだよ」
「ハルさんは良いですけど、オレはドラムですよ。ギターやベースと違うんです。電子ドラムでもデカいし電源はあるしパッと片付けて逃げられるわけねーだろ」
それにアンプありでもなしでもバンドってなんだかんだドラムが一番うるさいから一番怒られる。
「オレだけ取り残されそうになった時は人生終わったと思いましたよ。ナナさんが残ってくれた時はマジで泣きそうでした」
あの時取り残されたオレを心配して、ナナさんだけはベース片手に残ってくれた。そこでようやくドラム見捨てて逃げる事を選択した。オレ一人ならまだいいが、女性のナナさんを巻き込むわけにはいかない。電子ドラム一台は高い代償だったが、ナナさんのためなら惜しくはなかった。
「…………わかった。ならちゃんと許可取って出来るところでやろう。アンプも使えるところ知ってるから、それで──」
「ホントに好きですね、路上ライブ。なんでですか?」
なお食い下がるハルを見て純粋に疑問が湧く。外でやるのは本当にキツい。通行人の視線は冷たいし、反応もない。野次られる方がまだマシと初めて思った。はっきり言ってやってて楽しくはない。それなのにどうしてこうもやりたがるのか、オレにはわからなかった。
「ストリートこそがロックの原点とか古臭いこと思ってるのよ、ハルは。典型的形から入るタイプだし」
「ちょっ、違うし!それだけじゃないし!私たちに興味のない冷たい人間達の視線浴びて、こんちくしょう!って気持ちで弦ガンガン鳴らして、叫ぶように歌って、そいつらの視線を熱いのに変えるのが快感なの!」
「ほら本性出した。アクアくんのためとか言っといて、結局自分の快感のためなんだから。だから貴方はセフレはたくさんいても本命がいないのよ」
うっ、と黙り込む。その様子をアクアはハラハラしながら見ていた。ハルさん相手にここまで言えるのは仲間で幼馴染で悪友のナナさんだけだろう。二人の友情を尊重すると同時に少し羨ましい。いろんな場所を移り変わり、広く浅い関係を心がけていたアクアにこんな友人はいなかった。
「…………多分、何度路上ライブやっても同じですよ」
スティックを手の中で回す。脳裏にはファーストライブの緊張がありありと蘇っていた。
「ミスできない状況。オレの迷惑がバンド全体の足を引っ張る恐怖。慣れて薄める事はできても、それらが払拭される事は絶対ない。今度のフェスもオレは絶対ビビってステージに立つ」
そう。次のライブはインディーズバンドがメインのフェスが行われる。中でもそこそこフォロワーが多いバンドか、デモCDで高評価を得たバンドのみが招待される。カントルは一応前者だが、念のためデモも渡すよう言われている。いわば当落選上ギリギリのバンドだ。ミスは絶対に許されない。
「そういう状況を耐えるために必要なのって、結局毎日の積み重ねなんですよ。練習してきた日々だけがバックボーンになって震える身体を支えてくれる。ライブの経験値ももちろん大切ですけど、そういうのも付け焼き刃じゃいけない」
路上ライブをやるにしても10回20回と回数を重ねなければ身にはならない。この土壇場でやったとしても大した武器にはならないだろう。
「ストリートも悪くないですけど、次の舞台はフェス。お客様ありきのステージです。こんな弱小three-pieceバンドを観に来てくれる人達のために、今は練習しましょう」
スティックを握り、クロスに組む。ナナさんも一度頷き、ベースを背負いなおした。二人の視線は我らがguitar &vocalへと注がれる。諦めたように肩をすくめると黒髪の美少女はケースからデコったレスポールを取り出し、スタジオの中心に立った。
「行きます」
スティックでシンバルをリズミカルに叩く。曲目は『
三人同時に放たれた音が響き渡る。スタジオが、喝采に揺れた気がした。
▼
『さてさてやってきました!ジャパンアイドルフェス!』
遂に迎えた本番当日。緊張しながらもファーストステージの高揚感がルビーとメムを熱くしていた。が、ただ一人、この世の終わりのような顔とコンディションで会場へと歩いていた。
───どうしよう、一睡も出来なかった…
絶望の表情を浮かべているのは有馬かな。元天才子役にして、新米アイドル。何か違和感のあるレンの後を尾行してみたら、昨夜、知らなくて良い真実を知ってしまった。
───レンさんの正体がアクア?でも昨夜の女子会に来てたのは黒川あかね?入れ替わってた?なんで?
アクアがレンに化けた理由は何となくわかる。恐らく私たちに真面目にレッスンさせるためだ。身内の指導というのは気楽さと同時に緩さを生む。あの完璧主義の完全主義者がそれを許すはずもない。適度な緊張と厳しさを演出するための変装。
───そこまではわかる……でも、なんで…
なんで女子会の事を、黒川あかねに頼んだんだろう。
昨日の夜から今に至るまで頭の中を支配していたのはこの疑問だった。
───流石に女子会に男が出る事を遠慮した?でもなんで頼った先が黒川あかねなの?アイツには女装のことも全部話してた?私には何の相談もなかったのに?じゃあ女子会で言ってくれた励ましの言葉は全部ウソ?レッスンの時に言ってくれた言葉も?受け答えは元々決めてたの?それとも全部黒川あかねに任せてた?なんで?アンタはあかねのこと、どこまで信頼してるの?どうしてそこまで信じられるの?彼女だから?どうして?
どうして私には頼ってくれなかったの?
「有馬さん、そっちじゃないわよ」
心ここに在らず。頭の中ぐちゃぐちゃ状態でほぼ機械的に足を動かしていた有馬にストップがかかる。彼女が向かおうとしていた先はステージ側の楽屋。広さも限られていて使えるのは出番直前のグループのみ。この手のフェスの楽屋は……
▼
───懐かしいな
一足先に前入りしていたアクアは目の前の光景を少し郷愁を持って眺めていた。ステージとは少し離れた多目的ホール。その大部屋に出演者達は詰め込まれていた。えぐい人口密度。出演者同士のトラブル。ありとあらゆる雑音がごった煮になっている。
そう、この手の大人数規模のフェスの楽屋は全グループ共有。出演者関係者が全部詰め込まれ、荷物の置き場もない。今回はアイドルフェスだからまだマシだが、ロックフェスの場合、楽器を置くことすら難しい。ましてドラムは最悪だった。直前までバンの中に詰め込んでおいて、出番になったら慌てて取り出し、会場へ向かう。まったく重労働もいいところだ。
───ま、地下アイドルやインディーズバンドの扱いなんてこんなもんだ
メインステージに呼ばれるようなバンドは別室が与えられていたが、カントルがそこまで辿り着くには1年以上の時間が必要だった。すしづめの楽屋に押し込まれ、出番までにメシだの諸々の用事を済ませ、本番直前に衣装を着替え、メイクし、ステージに上がる。良い待遇を受けたければ出世するしかない。
「アクア」
関係者共有スペースで壁に背中を預けていた黄金色の髪の美少年に声が掛かる。声主を確認し、一度頷くと、仕事道具を持ってスペースを出た。
▼
あたりを取り巻く熱気。女同士で繰り広げられる陣地の奪い合い。廊下で屯している女子達は撮影会などを始め、それぞれで牽制し合う。誰もが必死で、良くも悪くもアゲているなか、一人気が滅入り続けている新人アイドルがいた。
───いけない、空気に気圧されてる
哺乳瓶咥えている頃から芸能界にいた有馬かなだったが、この熱気、この緊張感は初めてのことだった。こんなすし詰めの楽屋も、ザワザワガヤガヤ喧しい待ち時間も。仮にも天才子役として名前だけは売れていたあの時、楽屋はもっと静かだったし、周りの大人達も表面的には気を遣ってくれていた。
───私がコケたら、みんなコケる
幼い頃、女優業だけではやっていけなくなった時、歌やダンスに手を出したことがあった。最初の一つ、『ピーマン体操』は大成功した。作詞作曲をしてくれたのも日本でいまだトップを走るアーティストだったし、私のネームバリューも相まって、全国の児童があの曲とあのダンスを真似した。
でもそれ以外は全滅。
出す楽曲すべてコケ倒した。どんどん減っていくお客さん。失笑混じりのこんなもんか、という視線。サクラの私服スタッフが半数以上を占めるイベント。今でも鮮明に思い出せる。
───期待に応えられなかったタレントの苦しさは、なかなか言葉に出来ない
無くなっていく仕事。離れていく家族。子役として価値をなくしていく有馬かなというネームバリュー。晒されていく批判の数々。
『子役じゃなくなった私に価値なんてないのよ』
『成長しちゃった私にファンなんていないから』
ネットで呟かれている数多の書き込みを真実だと自ら認め、自虐のように口にし出したのはいつからだったろうか。
『B小町の核はお前だ』
『このグループは貴方に支えられていると言って過言じゃないでしょう』
アクアとレンが……いや、両方アクアが言っていたこと。そこに嘘はないだろう。わかっている。けれどなぜか響かない。悪口や批判ばかりが私の中に収まって、誉められる言葉だけが届いてこない。
───私なんかが…
「みんな、もう着替えたわね」
その一言で現実に戻ってくる。楽屋ホール。パーテーションで目隠しされた場所で有馬かなはいつのまにかアイドル衣装に着替えていた。気が滅入っていても体は勝手に動いていたらしい。
「それじゃあメイクするわよ。全員一列になって並んで」
「あ、ミヤコさんやってくれるの?」
「いいえ。流石に私じゃ素人に毛が生えた程度しか出来ないから。でも安心して。スタイリストじゃないけど、腕は一流の人を呼んできたから」
「それって、もしかして、レンさ──」
「おう、お前ら。さっさと座れ」
「お兄ちゃん!?」
「アクたん!?」
「っ……!?」
姿を見せたのは見慣れた蜂蜜色の髪に星の輝きを宿す瞳の美少年。化粧道具を片手にパーテーションから現れた。
「お兄ちゃんメイクなんて出来るの?」
「不知火フリル仕込みだ。このホールにいるアイドル連中よりは遥かに上手い自信がある。なあメム」
「そりゃアクたんの腕はあの動画撮った時に見せてもらったけどぉ。他人の肌事情と自分の肌事情は違うと思うよぉ」
「文句あるなら終わった後に受け付ける。まあ文句なんて言わせねえけど。時間あんまねぇんだ。ほらルビー、座れ」
渋々、というわけでもないが呼ばれた妹は少し抵抗を見せつつパイプ椅子に座った。化粧箱が開かれる。当然だが普通のメイク道具とは違う。コンシーラーだけでも数種類あるし、筆なんてこんなに細いの必要なのか、というのまである。肌の状態を確認すると、アクアは化粧水から取り出した。
「ルビー。目を閉じろ」
「うん」
「昨日はちゃんと眠れたか?」
「うん。女子会してたらいつのまにか眠くなっちゃって──」
会話をしながらも手は止まらない。流麗に、澱みなく、アクアの細く華奢な手はルビーを美しく彩っていく。
「…………いよいよだな」
「───うん。お兄ちゃんと比べて、ずいぶん出遅れたスタートだけど」
「早ければ良いってものでもない。それぞれに合ったペースを守っていればそれが一番だ。別にオレと比べる必要はねーさ」
「…………うん、そうだよね」
「緊張してるか?」
「───ものすごく。気を抜いたら泣いちゃいそうなくらい」
「そうか。それを聞けてホッとしたよ。小さいやつほど虚勢張って、無理して本番でやらかすからな。自分の現状ちゃんと把握してるみたいで安心した」
「お兄ちゃんはどうだった?初舞台の時は緊張した?」
「当然。普通にビビってたし、周りに迷惑かけまくったよ」
「嘘ばっかり。あのPVの時は全然だったじゃん」
「アレは初舞台じゃなかったから緊張はさほどな。けど周りには迷惑かけてたろ」
「あ、そっか。言われてみれば」
「緊張にはいずれ慣れる。でもどんだけ回数重ねてもミスはするし、迷惑はかけるものだ」
「──うん」
「これからお前は何度もステージには立つ。ミスだって数えきれないほどする。だがファーストライブはこれ一回限り。人生最初で最後のステージだ。楽しんでこい」
「うんっ!!」
緊張を緩和するべく会話を重ねる二人だったが、周りは言葉一つ発することも出来なかった。流麗に動くアクアの手。一筆描かれるごとに美しく変貌していくルビーの姿に驚きを隠すこともできなかった。化粧水で引き締められた肌は瑞々しく輝き、添えられるチークはルビーの頬に生気を吹き込む。アイシャドウが目の輪郭をより強く主張し、髪と同じ黄金色の眉は光沢を増していく。
───凄い
アクアの化粧の腕が、ではない。もちろんそれも凄いが、有馬かなが戦慄した点は他にあった。
ルビーの緊張を緩和すべく、明るく、軽い口調で話すアクア。
しかしその眉間には深い皺が刻まれていた。星の双眸からはいつもの余裕はまるで感じられず、険しく顰められている。額からは薄らと汗が滲み、袖で拭った時、血管が浮き出ているのを見て、筆を握る指が真っ白になってる事に気づいた。
───こんな真剣な顔のアクア、初めて見た
まさに鬼気迫るとはこの事。ワンミスも許されないと自分に言い聞かせつつ、声には出さず、作業する手にも見せない。迷いなく、油断なく、果断に、精緻に、大胆に、星野ルビーというキャンバスを彩っていく。彼女の緊張を解きながら。
まるで新しく命を吹き込むかのように
同じ人間でありながら、別人がルビーに取り憑いていくかのような、そんな神秘的でいて、どこか恐ろしい何かがパーテーションの中を支配していた。
「よし、終わり。目、開けていいぞ」
「うん……わ!凄い!私可愛すぎない!?最高すぎるんだが?!え!ヤバ!可愛い!私、可愛い!」
「誰がメイクしたと思ってる」
「お兄ちゃんのメイクが映えたのは私が可愛いおかげでもあるからね」
「言ってろ。次、メム」
「…………」
「メム?」
「あっ、ごめん。うん、座るよぉ」
カチューシャで髪を留めて、パイプ椅子に座り、目を閉じる。ルビーの時とは打って変わって、あまり会話はなかった。あの真剣な表情のまま、流麗に、一心不乱に手を動かしていく。
「私には何も言ってくれないのぉ?」
沈黙に耐えきれなくなったのか、それとも違う理由か。メムの方から口を開く。魔法使いの眉間によった皺が少し和らいだ。
「メムのことは心配してない。なにせ神経の太さはオレ以上だ」
「…………褒めてるの?」
「勿論。オレは大概の人間より優れている自負がある。そのオレ以上の素質を持ってるってのは凄い事だ。誇っていい」
「アクたんって、すんごい自信家だよねぇ。知ってたけど」
「日々の練習なんてなくても、アイドルを目指した時間の長さが。夢を諦めきれなかった情熱が。お前の神経を作って、お前を支えてる。今更メムにオレなんかの言葉は必要ねぇさ」
カァッと頬が熱くなる。思わず立ち上がってしまいそうになった。この緩急の使い方の上手さがアクアのトーク力の真骨頂。それをメムは知っていたはずだったが、それでも派手に動揺させられた。
「今日のB小町のステージ。閑古鳥が鳴いてても不思議じゃないが、そうはならない。メムが活動を続けてきた2年間で培った、メムのファン達が必ず来てくれるからだ。何年も行き場をなくして、彷徨い続けてた、でも捨てられなかった情熱を。これが生のMEMちょだってのを、そいつらにぶつけてこい。思いっきりぶつけた後はクールな頭と視野を取り戻せよ。B小町のバランスを取れるのはメムしかいないんだから」
───好きだ。私は、星野アクアが好きだ
きっと迫られたら断れないくらいに。身体だけの関係でもいいと思ってしまうほどに。顔も好みで、性格もなんだかんだ悪くなくて、天才で、口が上手で、女に甘い夢を見せてくれるこの人が、好きだ。
でも、この想いは口にはしない。形にもしない。この近くて遠い、夜空の星のような人は、私なんかの手にはとても負えないから。
「よし、出来た。次、有馬」
▼
アイツの手で二人が別人に変貌していく姿を見て、私は歯軋りが抑えられなかった。別人に変わっていく理由は化粧ではない。いや、勿論それも一つの理由だが、最大の理由は違う。
───二人ともさっきまでと目の輝きがまるで違う
相手を叱咤する言葉を。奮い立たせる言葉を。相手が欲しい言葉を的確に、絶妙に選択し、鼓舞する事で、緊張をいい方向へと持っていった。この男は人の煽り方もわかってるが、それ以上に人のノセ方を心得ている。
まさにmake。誰かを美しく、力強く作り変える、人類最初にして最古の魔法。からかって、あおって、煽てて、ノせて。あらゆる手法を駆使して別人へと変貌させた。この男はmakeを自在に操る魔法使いだ。素直に凄いと思う。
だが…
───誰にでもするんだ、こういうこと
脳裏に蘇る魔法の時間。地獄の現場『今日あま』での奇跡。過去の私ではなく、今私が輝くためにアイツが魅せてくれたあの献身を今度はルビーとメムに尽くしていた。
───アクアが、誰にでもいい顔するような奴だとは思ってない。
むしろ他者への関心は薄い方だろう。今ガチで炎上しようがアクア本人は全くのノーダメージだった。顔も名前も知らない人間のためには1秒の時間も割かない男だ。
けれど、一度でも身内になると、そこまでやるのかと言いたくなるほどの献身を見せる時がある。
「アクアって才能に甘いのよ」
以前ミヤコさんが言っていた。アクアは基本人を貶すこともしないが、褒めることも滅多にしない。その代わり認めた才能には甘くなる。自分のためより誰かのための方が力を発揮するタイプだと。それはそれで素晴らしい形だと心から思う。だけど、それでも。
───私だけが、特別なんじゃなかった
そう考えずにはいられなかった。私達は恋人じゃない。友達とも言い難い。昔も、今も。
けれど特別な仲間だと思ってた。同じ逆境で戦ってきた同志だと思っていた。昔も、今も。
それなのに。私にとってアンタは特別なのに。
「有馬?早く座れよ」
薄らと浮いた汗を拭いながら、こちらに座るよう促してくる。その態度はルビーやメムに見せていたものと何一つ変わらない。その不変が格好良くて、ムカついた。
「ルビー、メム。先に行ってて。ちょっとコイツに話があるから」
「え?なに先輩。私たちが聞いちゃダメなの?」
「ちょっとマジな話したいの。悪いけど、お願い」
「えー、気になるなぁ。先輩のマジな話、私も聞きたい」
「ほらほらルビー、先行ってよ。もう時間ないんだからさ」
一度視線が合うとメムはルビーの背中を押してパーテーションの向こうへと移動していく。まだブーブー言ってる声が遠くなったのを確認すると、ようやく有馬はパイプ椅子へと座った。
「…………どうした。マジな話、しねーのか?」
化粧水を適量手に吹きつけながらアクアが問いかける。恐らく何か言い返しても、黙り込んでも、この魔法使いの手のひらの上なのだろう。それでもまだ話をする気にはなれなかった。
「流石の有馬かなも緊張してるか?批判なんか気にしないみたいに自虐するけど、実はメンタル繊細だもんな。わかるぜ。今回の失敗は自分だけの責任には出来ない。自分がコケたらルビーやメムにも迷惑がかかる。アイツらに自分と同じ思いはさせたくない。そう思ってるんだろ?でもそれは臆病とかじゃない。有馬の優しさだ。その思いを誇ることはあっても、恥じる必要なんて───」
「うるさい!!」
叫び声がパーテーションを通り越して周囲に響く。喧騒の音が一瞬鳴り止む程の怒声だった。
「アンタに私の何がわかるのよ!そうやって適当なこと言って適当に煽てれば私みたいなチョロい女は落ちるって思ってんでしょ!」
違う、そんなこと思ってない。アクアは才能には誠実だ。さっきのルビーやメムへの言葉に相手をノせる意図はあっただろうけど、それぞれをずっと見てきた上での本心の言葉だった。それくらいはわかってる。
「そりゃそうよね!実際私はアンタに煽てられて、勘違いして、アイドルなんてやっちゃって、こんなところにまで来ちゃってるんだもんね!不知火フリルや黒川あかね落として、メムからも好意持たれてて!口八丁手八丁でモテまくりのアンタから見たら私なんてチョロいでしょうよ!でもチョロい女にもプライドはあるのよ!他の女チヤホヤ褒めてる口で適当なこと言われても何にも響くわけないでしょ!」
違う。アクアの言葉はいつだって私の芯を捉えてる。いつもちゃんと響いてる。今日あまの時から……いや、12年前のあの時からずっとアクアとの出会いと言葉を支えにしてここまで来た。そんなアクアの言葉が響かないはずがないのに。
「レンに化けてコーチやってたのは私への当てつけ?私達に真面目にレッスンさせる為の仮面?あんたの指導を私達がマトモに聴くと思わなかった?ええそうかもね。身内のコーチは気楽さと同時に緩さも生むわ。ルビーあたりには必要な工夫だったかもね。でもなんで私にまで黙ってたの?私はアンタの指導ならちゃんと真面目に聞いたわ。ミヤコさんから特別コーチ雇ったって聞いた時、アンタが出てくるのかなと思ったくらい。それなのにアンタは正体隠して、ウソついて私たちの前に立った!ウソをつくってのはね、思いやりであると同時に相手を嘗めてる証拠でもあるのよ!あそこまでしなきゃ私が本気にならないってアンタは思った!」
それだって事の発端は私のせいだ。何も悪くないアクアの手を事故とはいえ叩いてしまった。その前からずっとアクアを避けるような態度を取り続けていた。だからアクアもああせざるを得なかったんだ。わかってる。全部わかってるのに。
「そのくせ黒川あかねには本当の事伝えて身代わりなんてやってもらうんだ!出会ってたった数ヶ月で随分な信頼関係ね?私とは大違い。やっぱり一緒にトラブル乗り越えた絆は強いのかしら?彼女とその他大勢の扱いにちゃんと差をつけてて偉いじゃない!やろうと思えば立派な彼氏もできるのね?でもこんなふうに女にメイクしてるなんてことまでは知らないんじゃない?私が教えてあげましょうか?それが嫌なら変に優しいふりなんかしないで、サッサと──」
パァン
破裂音が鳴り響く。私が引っ叩かれたのかと思ったが、頬にもどこにも痛みはない。恐る恐る目を開くと、アクアは私の目の前で大きく柏手をした状態で止まっていた。
「静かにしろ。
押し込まれる。
まだ言いたいことは山ほどあった。しかし、声が出せなかった。真っ直ぐに見つめてくる青い星の瞳。その輝きは暗く、引力を放つほどの重さがあり、そして無感情だった。無言の圧力が私の身体を竦ませ、冷たいほどの暗い光が私を凍り付かせる。
静かになったのを確認したからか。止まっていた手が動き出す。コットンで頬を彩り、コンシーラーで睫毛を艶めかせ、眉を描き、筆で唇を塗る。先ほどまでと同じように、淀みなく、流麗に、大胆に有馬かなを色づかせる。
「終わった」
無機質に終了を告げると、無表情に化粧品をバックの中に片付けていく。怒っている様子も焦る様子もなく、いつも通りの平坦な顔つきだ。だからこそ怖かった。あの廊下でアクアの手を叩いてしまった時と同じ顔だ。諦めたような、見捨てたような、どうでもいいものを見つめる無表情。さっきまであんなに溢れていた怒りが縮こまる。怒鳴り返してくれた方がまだマシだった。
「…………今のお前に、何言っても無駄だと思うが」
背を向けたまま、冷淡な声でアクアは続けた。
「夢を見せろよ、12時を過ぎたシンデレラ。魔法はちゃんとかけておいてやる」
一度手を振るとパーテーションの外へと出て行く。取り残された私は手袋などの小道具を身につけ、最終チェックに入る。髪の乱れはないか、不恰好な点はないか。微に入り細を穿ち、欠点を少しでも少なくする。
───あ…
鏡の中の私はいつもよりずっと綺麗に彩られていた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。アクアの魔法はまだ終わってません。本番はステージです。
ちょっ、重曹ちゃんおま……重曹!!やっちまったなぁ最新話!ホント先生重曹ちゃん曇らせるの好きだなぁ!私も大好きですが!
それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします!面白かったの一言でもいただければ幸いです。時間がかかっても感想には必ず返信します!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
41st take 星を目指す子
しかし星が輝ける場所には限りがあって
新たな星が空に上がる時
どこかでまた一つ、夜闇に星が流れている
「ねえ、アンタってシンデレラのこと、どう思う?」
今ガチが始まって暫くが経った頃。アクアの炎上騒ぎが下火になり、その才能を認めはじめた世間はアクアのことを一部でこう呼ぶようになっていた。『天才不知火フリルに見初められたシンデレラボーイ』。有馬かなが手にとっている、頬に傷を負ったアクアが表紙を飾ったティーン向けの雑誌にもその文言は大きく書かれていた。
「唐突だね、どしたの先輩」
「いいから。答えて」
「どうって……そりゃ女の子の夢っていうか。憧れ?」
「夢?憧れ?ハッ。あんなの地位に惚れた美人の女が着飾って城に出向いて顔見ただけで惚れるような面食い王子捕まえたっていう。脳みそ盛った男と打算女の利害が一致しただけの、超リアル話じゃない。物語の中でも結局男と女の恋愛の価値観なんて変わらないのよね。男は性欲。女はステータス。真実の愛なんて物語の中ですら滅多にお目にかかれないわ」
生物学的見地からすると、極論男はセックスできれば誰とでも恋に落ちうる。女は生まれた子を男に庇護してもらう必要があるため、自分と子供にリソースを払ってくれる人を相手に選ぶ。男は性欲。女はステータス。それが恋愛における男女の根本。
もし王子が継母達に虐められ、それでも懸命に働くシンデレラを見て、恋に落ちたというならまだわかる。けれど王子が知るのは魔法の力で美しく着飾られたシンデレラのみ。出会って、一眼で惚れて、ちょっと踊っただけで恋に落ちたというのなら、思慮の浅さに呆れざるを得ない。とんだ脳みそピンク王子だ。
「───私なら、魔法使いに恋をする」
きっと魔法使いにとってシンデレラは特別じゃない。あんな魔法を施すのがシンデレラが初めてなはずはないし、きっと彼女が最後でもない。コレからもあの魔法使いは哀れで本当に美しい人間を救うために、旅を続け、人を救い続けるだろう。
そもそも、魔法使いがあんな人助けを続ける理由はなんだろうか。あんな力があるのならいくらでも私腹を肥やせるはずだ。それなのにあの人は人を助けるために魔法を使う。
あの優れた技術を求め、一体どれだけの人間が群がっただろう。どれだけの人間があの
そんな人間達がイヤになって、行方を眩ました。自分がされなかった事を。技術や才能と言った表面的なところではなく、本当の美しさを持った人間だけを救う。その為に魔法使いはコレからも旅を続けるのだろう。だからシンデレラも救った。
懸命に働き、舞踏会を夢見て、涙する彼女を愛おしく思い、彼女のために力を尽くしてくれた。
私ならそんな人を好きになる。醜い姿を見ても愛情を示してくれる人を。技術や過去ではなく、今の自分を見てくれる人を、幸せにしてあげたいと思う。
本当の私を知る人に恋をする。
───アンタはどんな人に恋をするの?
雑誌の中でカッコつけてこちらを睨む男の顔を指で弾く。この男は顔や身体だけで女を選ぶような事はしないだろう。性格?才能?能力?それら全て?どれも違う?答えは、わからなかった。
「あの魔法使いっておばさんじゃなかったっけ?」
「…………もちろん男ならよ」
▼
スターステージ。JIFに十あるステージのうちの一つ。屋外型の舞台で大きさはステージとしては小さい部類。地下アイドルが多くこのステージに割り振られている。B小町もそのグループの一つであり、有馬かなをセンターに舞台に立った三人が出番を迎えていた。
「…………B小町、かぁ」
観客の一人が呟く。ステージに集まった客のほとんどはインフルエンサーMEMちょが目当て。グループ名など参考程度にしか知らない人たちばかりだったが、壮年の男性が郷愁を漂わせながら、その名前を口にした。
「店長、知ってるんですか?」
「ああ、今の若い子は知らんか。アイっていう伝説的な子がいた幻のアイドルグループ。そりゃもう凄かったんだけど、志半ばで死んじゃって、一人の大エースに支えられてたグループもそのまま解散。この子達は多分その襲名」
店長の言葉には期待も衝動もまるでなかった。名前だけ一緒でも、あの輝きに敵うはずがない。
「…………でもパフォーマンスは結構レベル高くないですか?」
MEMちょ目当てで会場に訪れていた一人が呟く。確かに先ほどまでの地下アイドルと比べれば、歌をダンスも上手い。もちろんまだまだ上には上がいるが、新米アイドルグループとして考えるなら充分高評価が与えられる。
しかし、壮年の男性はため息と共に首を振った。
「アイは上手いとか下手とか、そういうの超越してたんだよ。引きずり込まれるっていうか。光に目が焼かれるっていうか、そんな感じ。多少踊りや歌が上手い木端三人集めたところで、あのB小町とはまったく───」
別物、と言おうとして、止まる。ステージ上の踊り手の立ち位置が変わる。複数人のアイドルダンスはセンター固定ではない。もちろん曲の入りと終わりは固定だ。グループの顔とでも言うべきアイドルが最も映える位置に陣取る。しかし一曲まるまるそうかと言われるとまず違う。ステップの中で移動があり、他のメンバーが真ん中に来ることもある。B小町もその例に漏れない。センターが有馬かなから金髪の少女へと移った時、ステージの何かが変わった。
「でも、曲はいいっすね。歌詞とかはまあ普通っすけどリズム隊が良い。コレってドラムは生演奏っすかね?」
▼
心臓の音が、規則的に脈打つのがわかる。うるさくも、大人しくもない。理想的なリズムで鼓動を奏でている。
───不思議…
あんなに緊張してたのに。一度ステージに立てば、細かく震えていた身体は落ち着きを取り戻し、あんなにアクアへの怒りと自分の情けなさでぐらついた心はまるで揺れなくなっていた。
声が良く出る。何も考えなくても身体が勝手にステップを刻む。意識しなくても表情が作れて、胸を張って踊ることが出来る。
コレは場慣れのお陰か。それともあの男の
───いや、多分どっちも違う。
余計な事を考えながらも身体は勝手に動く。叩き込まれた腹式発声が自然にできている。レッスンしてきたことが、身を結んでいる。
───練習とは今までできなかった事をできるようにする為に。今まで知らなかった新しい事を覚える為に行う行為
そこまでは知っていた。しかし、もう一つ意義があることに有馬かなは気づく。
人間が呼吸する事をわざわざ意識しないように。染み込ませた動作は何も考えなくても行われる。
練習とは身体の奥に潜在する無意識に染み込ませる作業なのだと。
『無意識レベルまで叩き込みます』
レッスン中、事あるごとに言っていたレンの言葉。それが今になってようやく溶け込んでいく。
───演技の勉強だけで知る事はなかった。子供の頃にやってたなんちゃって歌手でも気付かなかった。けど、あいつは知ってた。だから私たちに教えられた。
コーチングとは先人の歩いてきた道を後進へ伝える事。踏みしめられた悪路は拙いながらも順路として刻まれており、後ろの人間に正しく伝えることができれば、歩きやすい獣道となって、人を導くことができる。
───あいつは一体誰に教えられたんだろう
アクアが歌もダンスも素人ではない事はわかってる。顔の良さに胡座をかいていた妹と違って、ありとあらゆる分野で広く深く学習し、努力してきたことも。けれど誰に教わったのかは気になった。だってどうせ女だ。あいつは顔の良さも、生まれ持った才能も、努力も、使えるものは全部使って、欲しいもの全て手に入れてきた奴だから。
───集客は悪くないわね
余計な事を考えすぎていると自覚し、周囲へと目を向けると、思ったよりステージ前に人が集まっていることに気づく。コレもアクアの言っていた通りだ。インフルエンサーMEMちょのファンが集まってくれている。彼女の2年間を見てきた人が来てくれている。
なぜMEMちょのファンだとわかるか。前列の人間たちが彼女の名前を呼んでいる、というのもある。しかし最大の理由は他にあった。
───ペンライト、黄色ばっかり
ステージが始まる前日、各々のサイリウムカラーを決めた。ルビーはアイと同じ赤。メムはキャラのイメージ的に黄色。そして私は白。
色なんてなんでも良いからあんまりキラキラしない色を選んだつもりだった。実際私の色は目立ってなかった。
───前よりの客が振っているのは黄色ばかり。でも赤のペンライトも思ったより目立つ。目に入ってくるのは黄色と赤だけ。白なんてほとんど無い
気持ちが落ちかけたからか、はたまた偶然か。ステップを踏むルビーと目が合う。まるで私を覗き込んでいるかのような錯覚に陥った。
先輩、笑って
右目を瞑る。兄とよく似た星の輝きを放つ左瞳をウィンクにより一層際立たせ、両の人差し指で口角を上げる。その仕草はあまりに魅力的で、可愛くて、思わず被った。かつて一度だけ共演した、売れるべくして売れた本物の天才アイドル『アイ』と。
───良いな
この子達は眩しい。ルビーも、勿論アクアも。才能だけじゃない。言葉にできない特別な何かを持ってて、自分から光り輝ける人。今この瞬間にも誰かの心を奪ってて、どんどんファンを増やしていく。血は争えないという事だろうか。きっとこういう子達が昇っていくんだろう。
───羨ましい
この子達は全部持ってる。家族も、母親も、マネージャーも、ファンも。今の自分を見てくれて、慈しんでくれて、求めてくれる人たちを。
『お兄ちゃんは大丈夫かなぁ』
『有馬、ルビーを頼む』
『ごめんなさい、有馬さん。ちょっとあの子達のところ行ってくるわ』
あの事務所に入り浸るようになって、何度も見てきた。喧嘩する事もある。突き放すことも、嘘をつくことだって。でも彼らの中にはいつも愛があった。真心があった。何をしていても常に気にかけ、お互いを思い遣っていた。
───私には何も無い
ママもマネージャーも私のことなんてほったらかし。ファンだって見ているのは過去の私の面影ばかり。
『誰か私を見て』
十数年間、それだけを叫び続けてきた。
自分の価値を証明する為にやりたくも無い歌を唄い、踊りたくも無い踊りを踊り、大嫌いなピーマンだって食べ続けた。
タダ同然のギャラで自分を売り込み、ど下手くそだらけの現場に挑み、不本意な演技にだって取り組んできた。
誰かに必要としてもらいたくて。
あの子は使えるって、言ってほしくて。
ただ一言、頑張ったねって褒めてもらいたくて。
ただ、それだけなのに
───誰か、だれか、ダレカ
アクア
助けて
「いいよ、かな」
シンバルの音が、鳴り響いた。
▼
「アクア、打ち込み終わった?」
「まあ、大体」
アイドルミュージックは基本的にポップな音が採用される。クラシカルにピアノやバイオリンが伴奏になることもあるが、殆どはギターやベース、ドラムが主なロックミュージック。それらを打ち込み、電子音に置き換え、シンセで流す。トップアイドルにもなればバンドが生で演奏してくれるが、売れないアイドル達はまず音源を利用している。
B小町もその例に漏れない。下積みが長く、この手の機械の扱いに慣れていて、ロックに理解が深いアクアにミヤコは音源の打ち込みを頼んでいた。
「大体ってなによ。何か不都合あった?」
「んー……音聴いてて思ったんだけど、やっぱ打ち込みじゃつまんねーなって」
───出た
アクアのつまらない。コレが出た時、アクアはどんな合理的なことでもやりたがらない。時間と手間がかかっても満足のいく仕事に仕上げる。完璧主義の完全主義者。しかし負の側面がないわけでは無い。
「もうフェスまで日もないし、バンド引っ張ってくるようなお金も練習してもらう時間もないのよ。そりゃ打ち込みじゃつまらないかもしれないけど、コレでやるしか今はないのよ」
「でもなぁ。ギターとベースはこっちで多少弄れなくもないけど、ドラムがなぁ。単調なエイトビートだけだと、幅が…」
ギターは多少リズムが違ってもコード進行さえ守っていればリズム隊でカバーできる。ベースも歌手が歌いやすいような打ち込みに変える事はできる。しかし、ドラムはどうしようもない。曲のノリ、観客のノリ、そしてアイドルのノリ。それらに合わせてリズムを保つロックミュージックの背骨。コレは生の演奏を聴きながらでなくては、ベストのパフォーマンスは発揮できない。打ち込みであらかじめ弄るなんて事は不可能だ。
「…………なあ、スターステージってピットある?」
演奏者のための場所。観客からは見えず、けれどステージの様子とアイドル達の様子が見える空間。一応あるにはある。フェスのスターステージに立つのは地下アイドルが主だが、それでも生演奏を持ってくる大手所属のコレから来るアイドルが立つ事だってあるんだから。
「───あなた、まさか」
「ま、ファーストステージだしな。大サービスだ。一度だけならやってやらんでもねぇ」
スティックを手の中でくるりと回す。柄の部分は赤と黄と白のトリコロールで彩られていた。
「ねえ、アクア。貴方バンドで作詞やってたのよね」
「まあね」
「もしかして作曲とかもできたりする?」
「…………やれと言われれば不可能じゃねぇと思うが、やだ」
「まだ何も言ってないでしょ」
「やだ」
「新生B小町の新曲、作ってくれない?ツテを頼りに探してるんだけど、なかなかうまくいってないの。お願い」
「私情抜きでやめとけ。オレの詞、結構暗いから。アイドルソングには向いてねぇよ」
▼
なんか、いつもより歌いやすいとは思ってた。
コンポから流れる音と違う。いつもは伴奏にこっちが合わせるような歌い方だったのに、今日は音が私たちに寄り添ってくれるような、そんな気はしていた。
けれど、ステージの上で、反転して初めて気づいた。観客から見えない空間。ステージのバックにあるその場所に一台のドラムが置かれているのを。
ハイタムロータムが、スネアドラムが、シンバルが。赤と白と黄で彩られたスティックにより振動している。真ん中に座るのは蜂蜜色の髪をスポットライトの飛び火で煌めかせる美少年。星の輝きを放つ瞳はステージに立つアイドル達に注がれ、黄金色の髪がかかる耳は微細な音も聞きもらさないよう、そば立てられている。
───あいつ、ドラムなんて出来たんだ
流麗に動く腕と足。まるで、それぞれが別の生き物のように独立した動きで旋律を奏でていく。ピットの奥からでも見える煌めく汗とこちらの背筋をゾクリと震わせる奏者の色気。
ロックに関してほとんど素人の有馬かなですらわかる。このドラムスが立つべき場所は、あんな小さなステージではないことぐらい。
チラッとメムとルビーを見る。アクアがドラムを叩いていることに気づいているのか、そうでないのか、ぱっと見ではわからない。でも二人ともいつもよりハツラツと歌っていた。リズム隊の小気味よさにノせられていると理解していたのは有馬とミヤコだけだった。
ギターもベースもアンプを通せば電子音だ。打ち込みだろうと生演奏だろうと、素人にその差はわからない。
だがドラムは違う。電子音などではなく、衝撃が大気を振動し、鼓膜を叩き、腹の底を痺れさせる。生の音とシンセの音では素人でもわかる違いが出る。アクアはステージの一挙手一投足を見逃さず、演者に寄り添い、観客に寄り添っていた。
─── 何やってんのよ、そんなところで
呆れと同時に笑みが溢れる。全く、この男は一体どれだけの魔術を使うのか。この男は芸術と名のつくモノならなんでもできるのではないか。演技、メイク、音楽、ダンス。どれもが並のレベルを遥かに超えている。一朝一夕でない年季を感じる。顔の良さに胡座を描いている妹と明らかに違う。この兄妹は似ている部分もあるが、分野によってはトコトン正反対だ。
バカみたいだとは思う。すましたツラの奥には血の滲むような努力の12年を隠している。ならもっとわかりやすくアピールすればいいのに、あんな見えるか見えないか、ギリギリのところで披露している。隠す事がカッコいいとでも思ってるのだろう。男の美学かもしれないが、女からすればバカみたいとしか思えない。
───魔法はオレがかけてやるってコレのこと?オレがお前らを支えてやるって?ご丁寧に三色でカラーリングされたスティック持って。後方理解者ヅラか?箱推し気取りか?この浮気者め
アクアと目が合う。ほんの僅かだが口角が緩んだ。そして目が合ったのは一瞬。次の1秒ではまたルビーやメムに視線が行き、走り気味に歌う二人に寄り添うように演奏を紡いでいく。
───ホント、ムカつく
いつもいつも、私が諦めよう、もうやめよう、て思うたびに、光を見せやがって。今の私を見てくれてるかもしれないけど、アンタが見てるのは身内全員であって、私だけを見てはくれないくせに。
私がアクアに見惚れた姿をアンタは見ているだろう。息を呑み、言葉も出せず、頬を赤らめ、アイツ以外の何も目に入らなくなった姿を露わに見せた。他の誰が見てなくても、アイツだけは見たはずだ。あの屈辱を。あの快感を。アイツだけは。
苛立つ。ムカつく。ねじ伏せたくなる。喧嘩でではない。演技ででもない。感情で。
───絶対味わわせてやる
あの周り全て見えなくなってしまって、演技ができなかった屈辱を。初めて人前で演技をせず、ありのままの感情を曝け出してしまった快感を。アイツにも絶対に味わってもらう。私がアイドルをやってる間に。いつか演奏する側でなく、聴く側に立たせてやる。そんなところにアンタが立つなんて、逆立ちしてでも出来なくしてやる。
アンタが何を追いかけてるのか知らない。何を求めてるのかもわからない。けど、そんなの全て忘れさせてやる。今まではあんたが私の光だった。闇の中で彷徨ってしまった時、あんたが私の行くべき道を照らしてくれる星だった。けれど、今度はあんたに私を追いかけさせて見せる。
アンタの星になってやる
ピットに向かって指を突きつけ、親指を下に立てる。観客には決して見せられない最悪のジェスチャー。あの男は見ただろうか。それとも他に目を向けてて見えなかっただろうか。わからないが、どちらでもいい。私だけが見つけた、私だけのモチベーションだ。誰に理解されなくても構わない。もう後ろは気にならなかった。
▼
───やっと吹っ切れたか
ドラムを叩きながら心中で安堵の息を吐く。表情は見えないが、声を聞けば状態は大体わかる。さっきまではセンターのくせに消え入りそうなテンションだったが、ようやく声にハリが出てきた。コレならもう大丈夫だろう。
───あの親指はサムズアップの準備か、準備だよな、準備だと言ってくれ
もしオレに向けて放っていたとしたらこのスティックぶつけてやる、と思いながらも、スティックを握り直し、最後のシンバルを叩き鳴らした。
「…………アイドル、辞めるか」
B小町を偶然見にきていたとあるアイドル。名前は鈴城まな。芸能界歴6年。200人規模の巨大アイドルグループに所属していた大手事務所所属の芸能人。名もなく消えていく人間が大半の中、彼女は成功した部類に入るアイドルだった。地上波放送の番組にも出演し、年末の特番にも立った経験を持つ。JIFに出るのは4回目で、自他共に認めるアイドルオタク。
───本当にコレでいいのかな
そんな事を何度も自問してきた中で、今日、とんでもない毒に出会ってしまう。
チーム名は知らない。けれどステージの上でキラキラと輝く3人を見て、私もこうなりたかった、と無意識のうちに思わされてしまう。
3人とも他のグループなら充分エースを張れる容姿。歌も上手く、ダンスも躍動感があり、バックミュージックも良い。コレに比べれば大半の地下アイドルのパフォーマンスはお遊戯会だ。
この瞬間、夢にどれだけ執着しているかで道は変わる。執着心がある人間は、見てろ、いずれ超えてやる、と思う。しかし惰性で現状維持に甘んじている人間にとっては、辞める理由になってしまう。
鈴城まなは後者だった。
「お願いだから、いつまでもそのままでいてね」
最も単純で、最も難しい願いを唱え、また一つ、空に輝いていた偶像は夜闇に流れて消えた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
ファーストステージ編終了です。今回は難産でした。いやいつも難産なんですけど。原作との差がつけづらくて、いつも以上に難しかったです。いかがだったでしょうか?
さて、次回からは東京ブレイド舞台編に突入。迫る真実と死神。帰ってくるアイツ。加速するアクアのクズ。色々待ち構えておりますので、乞うご期待。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
42nd take ダブるダブル
今日の友は明日の敵
火を知らぬ少女は星をなくした子の味方
たとえ対立の立場に立ったとしても
「60点ってとこね。カントルのファーストライブは」
ライブハウスでの演奏が終わり、出演者達で打ち上げを開催していた折、いつのまにか参加してたレン先輩がジョッキ片手に評価を下した。
「えー、レンちゃん辛くなーい?」
「正当な評価よ」
「つかなんでレンが打ち上げ来てるの。ただの観客でしょ」
「まあまあナナさん。いいじゃないですか。レン先輩の意見は貴重ですし」
「前から思ってたけどアクアくんはレンに甘くない?ドラム教わった恩があるからってさ」
「レン先輩、60点の理由、教えてくれませんか?」
ナナさんのツッコミをはぐらかす。アクアにとってレンは色々な意味で初めての相手だ。感謝も恨みも敬意もある。身内以外では一番頭が上がらない人かもしれない。あまり強く出れないのは自覚していた。アクアの意図を察してか、一度頷くとレンは批評を始めた。
「個々としてまあまあだけど、バンドとしてはまだまだ若い。ハルは才能あるけど、うまぶって変に外すのやめた方がいいよ。分かる人には分かるしイラっとするから。もっと素直に歌いな。ナナも腕はあるけど、硬い。生真面目過ぎる。早くなると音の粒が揃わなくなる。全体練習よりベースそのもののレッスンを重ねたほうがいい。ジュニアは腕も足もよく動いてた。パッションもパワーもあるし、俯瞰で全体を見れてる。でもそのせいかな、賢過ぎ。演奏中にいろんな事に気を遣いすぎ。もっと自分本位にやっていいんだよ」
『………はい』
辛口だが、流石に全て正当な指摘。アクア達は身を小さくするほかない。
「でも、いい演奏だった。ちゃんと観客に向き合って、観客の目を見て、視線を感じて、声に応えてた。真心があった。貴方達がどんなバンドか、よくわかった。ステージの『本質』全てが詰まったライブだった。私も何か弾きたくなっちゃった。もう一度くらい、ライブしたいなぁ」
最後になってようやく少し褒めてくれた。そしてその一言は思ったより嬉しかった。気づいたらオレ達3人は音高くハイタッチを交わしていた。
「そうそう!悪くなかったよね!お客さんは盛り上がってたし、3人のグルーヴ感もバッチリだったし!やっぱライブって世界一楽しいなぁ!」
「レン先輩バンドやる気あるなら入ってくれませんか?やっぱリードギターあるほうが曲に厚みができますし」
「ジュニアにそう言われると迷っちゃうけど、ダメ。コレからはダンス一本で行くって決めたから。私の決心揺らがせないで」
「レンってアクアくんにナニしたの?ドラム教えたってだけじゃないんでしょ?白状しなさい」
全員未成年なのにジョッキ片手にどんちゃん騒ぎ。姦しくも楽しい時間。不安も現実もなく、ただ夢だけを見れたひととき。
家族も大事だし、ミヤコさんには感謝している。ルビーはオレが守らなきゃとも思う。
けど、中学生になりたてのオレは思春期のガキらしく、家族が煩わしいと思うことも多かった。
バンドがあって、才能ある人たちと仲間になれて、地元じゃ結構有名で、チヤホヤしてくれる人も多くて(マリンとしてだけど)。人肌が恋しくなった時はハルさんやナナさんに相手をしてもらえた。
面白いことも、楽しいことも、ムカつくことも、3人でやった。3人で笑った。
思えばこの時がアクアが心から笑えた最後の時間だったかもしれない。
▼
───疲れた…
ドラムをバンのトランクの中へと片づけたアクアは疲労困憊の表情で車にもたれかかっていた。ドラム演奏は全身運動。身体への負担はギターやベースとは比べ物にならない。まして久々にステージの前で披露した。ミスができない状況。ほとんど合わせの練習はしていない状態。ハルさんとは違い、あまり上手いとは言えない歌手に合わせなければならない気苦労。体力的にも精神的にも疲労はかなり蓄積していた。
───ロックが楽しいだけじゃなくなったのって、いつからだったっけ…
ステージに立つのは楽しかった。レコーディング作業は自分の下手なところとか悪いところ丸出しにされるから恥ずかしかったけど、明確に課題も見つけられるから面白かった。意見の出し合いが口論になったり(特にハルさんとナナさんが)もしたけど、今となってはアレもいい思い出だ。
『ジュニアはドラム向いてるよ。俯瞰がよく出来てる』
レン先輩にドラムで初めて褒められた時は嬉しかった。
───メジャーの話が来てからだったかな、多分
ただ自分がやりたい音楽を。自分が表現したい世界を鳴らしているだけではいけなくなって、ハルさんとナナさんの口論の内容も変わってきて、いずれ辞めるオレは居心地悪くなって。多分あの頃辺りからロックが楽しいだけじゃなくなった。
───あいつらも、いつか…
今はステージに立てるだけで楽しいだろう。でもいずれ現実に向き合わなければいけない時が来る。売れるために、上に行くために、楽しくない事に手を出さなければいけない時が来る。アイドルには彼氏がいる子も多くて、異性と接さずに活動することの難しさを知る時がくる。その時、あいつらはどうするのだろうか。ルビーは今のままでいられるだろうか。一度頭を振る。考えてもわからなかった。
「…………お疲れ」
いつのまにかルビー達も戻ってきていたらしい。童顔の美少女がこちらと目を合わせず水の入ったペットボトルを目の前に差し出してくる。「サンキュ」と一言返し、受け取るとバンの中へと入った。
「お兄ちゃん、どうだった?私達のファーストライブ」
「…………50点。甘めで」
「えー、なにそれ辛くない?」
「辛くない。レンも言ってたろ。歌もダンスもギリギリなんとか観れるレベルだって」
声のハリ。歌のうまさ。ダンスのキレ。演者としての色気。はっきり言ってまだまだ。
「大体ファーストステージで高得点なんて有り得るわけねーだろ。アーティストにとって、初期作品は大抵黒歴史だ」
「アクたんも?」
「勿論。他人に見せるのなんて絶対ヤだね」
「うわぁ、なにそれ。逆に観たいねぇ。今度観賞会やろっ。社長、DVDとかあります?」
「あったんだけど、アクアに全部買い取られちゃって、今は無いわ」
「それはまた……アクたんらしいというか」
「ほっとけ」
そうでもしなければ渡そうとしなかったミヤコが悪い。まあ金であの黒歴史が買えるなら安いものだが。本音を言うなら世に出回ってる全てを回収したい。しかし流石にそれは無理だから金払って買い戻したのは身内だけだ。
「パフォーマンスはせいぜい及第点。だがお前達のライブにはちゃんとステージの『本質』があった。それさえ忘れなきゃパフォーマンスなんて回数重ねてりゃ勝手に良くなるさ」
「ステージの、本質?」
「観客に向き合っているか。ちゃんと観客の目を見て、視線を感じて、声に応えているか、ということ」
観客だって馬鹿じゃない。ステージ上のアイドル達が自分達を見ているかどうかくらいわかる。そういうアイドルはいくら歌やダンスのクオリティが高くとも、絶対にハネない。見た目が煌びやかな装飾で彩られただけのメッキアイドルはいつか必ず馬脚を表す。所詮ファンはその他大勢の一人としてしか見ていないことに気づく。練習は本番のように。本番は練習のように。アイドルに限らず、どの分野でも言われる鉄則。
しかし練習と本番は違う。本番と練習は違う。練習だからできるパフォーマンスがあるし、本番しか見せられない熱量もある。
観客に向き合わず、ただ鏡の前でだけ踊る練習のダンスを観客の前で披露しても、大衆には決して刺さらない。
新生B小町は完全なぽっとでグループ。メム目当てで人は来るだろうが、観客のほとんどはB小町そのものに興味はない。
そんな人たちの心を掴むにはどうすればいいか。
それは真心を捧げる他にはない。
視線を合わせ、生の感情を捧げ、心からの笑顔を向けることで初めて興味のない人の心を動かすことが出来る。結局相手の真心に届くのは真心だけだ。
アイドルがステージに立てることは当たり前のことじゃない。運営の許可を得て、事務所の許可を得て、そしてファンの許可を得なければならない。そのことを自覚し、ステージに立てることに感謝し、来てくれた人たち一人一人に向けて歌とダンスを捧げなければいけない。
ステージの上にも嘘はある。醜いところをメッキで固めていないアイドルなどいない。だからこそ本当の真心を届けなければいけない。
その他大勢でなく、目の前の一人を幸せにするためにステージに立つ。
それがきっと、アーティストが持つべきファンへの『
「オレが見ていたのはそこだった。そしてそれはちゃんとできてた……まあ有馬は途中まではなんか余計なこと考えてた感じだったけど」
「うっ…」
「だから、良かった。まだまだ荒削り。ステージにもライブにも慣れてない。けどこれから良くなるグループの音だった。50点。甘めでな」
───バンドの経験、生きてるわね
運転しながら会話を聞いていたミヤコが心中で感嘆の息を吐く。アクアは他人への興味が薄い男だ。名前も顔も知らない誰かがなにをしようがどうでもいいと思っていた。それは今も恐らく変わってないだろう。しかし、観客への意識を知った上でそれをするのと、知らないで大衆を無視するのとでは大きく違う。
一芸を極めることは百芸に通ずる。役者もバンドマンもアイドルも基本的には綺麗事を体現する仕事。心にもない事を言わなければいけないこともある。
しかし自分のためだけにそれをやっていてはパフォーマンスに真心は決して籠らない。
見ている人はいる。そのことに感謝もしている。けれどオレはオレだから。オレが納得できる仕事をする。その代わり全力で。ベストを尽くして。それでこそ心にもない綺麗事に、真心が宿る。
───どんどんアイに近づいていく
嘘は何よりの愛。かつての天才が言っていた言葉。アプローチの仕方は違うが、アクアもアイの哲学に、無意識のうちに近づいていた。
「ま、一肌脱いでやった甲斐はあったよ。今は批評なんて気にしないで、少し休めばいい。お疲れ様」
「…………あっそ」
車内に沈黙が訪れる。けれど少し前までの気まずい感じはない。穏やかな静けさだった。
「………やっとまともに話しする気になったみたいね」
「かなちゃんが一方的に避けてた感じでしたけどねぇ。仲良いのか悪いのかよくわからないですね。あの二人」
「そういうのとは少し違うわよ、きっと」
「?」
クエスチョンマークを浮かべているとミヤコさんがアクアへと目線を向けた。
「ねえアクア、『今ガチ』のあかねとは上手くいってるの?」
「ん……まあ悪くはない。お互い勉強になることも多いし」
「勉強?」
「特定の女性への感情の持ち方とか、今どきの女子高生がどういうこと考えてるか、とか。演技にフィードバック出来ることも多い」
「もっと恋愛的な要素はないの?」
「ゼロとまでは言わねぇが……今はまだお互い仕事相手感の方が強い。良くも悪くも、腹の底は見せ合ってない感じだ」
「………仕事」
アクアの答えの一部を有馬が呟き、視線を向ける。嘘をついてる様子はなかった。
「はん!そうよね!あの黒川あかねがアンタなんかに本気になるハズないもの!テレビショー上の演出ってやつね!あるある!芸能界じゃ良くあることよ!」
「………なんか他人に言われるとムカつくな」
「アンタも哀れねー!ダメよー、ああいうの本気にしちゃ!」
「うるせーな、ただビジネスってだけじゃねーよ。今度のオフ一緒に美術館行くことになってるし」
「それもアリバイデートってやつでしょ!建前は大事だものねー!わかるわかる」
「急にウゼェなこの女」
二人のやりとりを見てメムも大体の事情を察する。そしてアクアの勘違いも理解する。彼はまだあかねのことをビジネスとしか見てないかもしれないが、あかねは確実に違う。今は嘘の関係だけど、いずれ本当の彼氏彼女に。そうなりたいと思っているハズ。だけど何かしようとは思わない。あかねの応援も、有馬の応援もしない。
───私だって…
そう言いたくなるのを押さえつけるので精一杯だった。
「てゆーかアンタってドラムなんてできたのね!意外な特技持ってるじゃない!凄ーい!」
「あの程度大したことは……」
「そんなに私のこと助けたかったんだー!どれくらい練習してたの?ぶっつけ本番な訳ないわよね!走って踊って歌ってドラムの練習までやってたなんて、彼女そっちのけでどんだけ気にしてたんだか!もっと本業の方に力入れた方がいいわよー?」
「………別にお前の為って訳じゃなくてだな、お前らの初ライブがカスな結果だったらコネくれた鏑木Pの顔に泥を塗ることにもなって、オレの心象悪くなるから──」
「はいはい流石ね。便利な言い訳たくさん備えてるわねー!理論武装バッチリで感心するわー!」
「……………ミヤコ、下ろせ。オレはこっから歩いて帰る」
「お?逃げんの?逃げんの?私のために女装して、ドラムして、尽くしまくっちゃったことがバレて恥ずかしくて逃げんのー?」
「もういいよソレで。ミヤコ、停めて」
「流石にできないわよそんなこと。有馬さんも車内で煽るのやめて。続きは帰ってから事務所でお願い」
「望むところですけどー?」
───うっせえ爆発しろ
心の中で悪態をついて、メムは気怠い疲れに身を任せ、目を閉じた。
▼
世界の有名絵画や壁画、石像などのありとあらゆるレプリカが飾れている都内の美術館にとある男女が訪れていた。帽子に眼鏡をかけた少女が化粧室から現れる。最近髪を伸ばし始めた彼女は以前よりグッと女性らしくなり、少し前までにはなかった艶を纏うようになり始めている。恋は女性を美しくするというのは本当らしい。
「アクアくん、お待たせ」
名前は黒川あかね。舞台劇界では天才と称されており、ネットバラエティを契機に、世間へと認知され始めている女優である。
「アクアくん?」
化粧室から出て、周囲を見渡すが、同行者の姿がない。流石に女子トイレの前で待っているわけにもいかなかったのか、少し離れたのだろう。なんとなく辺りを歩き回る。案の定大して時間もかからず、探し人は見つかった。
「アクアく──」
声をかけようとして、止まる。人違いをしたとかではなかった。ただ、圧倒され、息を呑んでしまったからだった。
彼が佇んでいたのは教会のような、宗教的なデザインの建物の中だった。黒と青を混ぜたような深い藍色で壁は彩られており、煌めく花紋が壁画中に散りばめられている。まるで美しい夜の星空を見ているかのよう。
そして夜空の真ん中を彩る、
夜空を想わせる玄室で一人。儚げな美少年がどこか愁いを帯びた表情で佇んでいるその姿は、部屋の神秘的な雰囲気も相まって、まるで絵画の世界そのもののようで。
フォトグラフィックからそのまま現れたかのような幻想的で美しい光景は、黒川あかねから言葉を奪った。
「あかね」
声をかけられて、ようやく現実に戻ってくる。ごめんなさいと一言謝り、彼のそばへと駆け寄った。
「お待たせ。ごめんね」
「全然待ってないよ。大丈夫」
「この部屋凄いね。青と黒が混ざった、夜空みたいな綺麗な青。これってなんで言うんだろう。藍色?」
「瑠璃色。天上界の夜空を描いたモノだ」
「部屋自体も神秘的って言うか、宗教的っていうか……なんだろうこの建物。教会?」
「霊廟だよ。お墓」
穏やかに応えるアクアの横顔に少し寒気がする。この人は死とか霊とか、そういうのが似合いすぎる。
「ビザンチン美術の一つ。イタリアのラヴェンナが西ローマ帝国の首都だった頃、皇女ガラ・プラキディアの霊廟内に描かれた静謐なモザイク壁画。生を終え、静かに、そして厳かに天に召される場に相応しい。オレも本物は見たことないが、レプリカでも充分に美しさは伝わるな」
「詳しいね」
美術館に入ってすぐ。音声ガイド機が借りられるのだが、アクアは見向きもしなかった。その理由が今わかった。
「この程度なら教養の範囲だ。逆にあかねは意外と無知だな。美術はいいぜ?多角的に歴史を覗ける。まさに世界を知る学問だ。役者にとっても非常に興味深い」
「それもどうせ女の人に教わったんでしょ?」
「ノーコメント」
「もう。これ以上はお互い不快になるから突っ込まないであげるけど。私、浮気は許さないタイプの女子だよ?」
「わかってる」
「今日はいろんな女の人に植え付けられた教養を私のためだけに使ってもらうから、覚悟してね」
アクアくんの左腕を抱き締める。彼が利き手側の自由を奪われることを嫌うのは知っている。腕を組む私に少し息を吐いたが、特に抵抗はなく、されるがままを受け入れてくれた。
今は私だけが許されるこの神席で、今日は1日を過ごすと決めた。
順路に沿って美術館の中を歩く。流石に全て解説できるというわけではなかったが、アクアくんの知識量は一般人のそれとは比べ物にならなかった。ゴシック様式、ロマネスク様式、バロック様式にロマン主義。丁寧に、わかりやすく私に解説してくれた。
「………」
解説がない時、アクアくんは作品を静かに、ジッと見つめている。時折口の端に笑みがのぼる事もあった。作品一つ一つに込められた物語。作者の意図。時代背景。それら全てに丁寧に想いを馳せ、喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。まさに鑑賞と呼ぶにふさわしい態度だった。
───冥利に尽きるだろうなぁ
こんな目で。こんな感情で作品を見てくれる。クリエイター冥利に尽きるだろう。こういう人のためにモノづくりをしていると言っても過言ではないはずだ。
───ああ、私……
私の演技を見ている貴方を見たい。
私の一挙手一投足に注目して、それら全ての意図を理解し、想いを馳せ、喜怒哀楽を見せる貴方を見たい。
───アクアくんは元々映像の人だけど…
私の演技で、私の舞台で、演劇を好きになってくれたら。そしてララライで一緒に活動できたら、こんなに嬉しい事はないだろう。
「んふふふ……んふふふっふ」
「あかね、笑い方キモい」
「酷い!」
「いい時間だな、そろそろ昼食にするか」
「あ。待って。SNSにファン向けの投稿する写真撮りたいから」
「はいはい」
自撮り棒で写真を撮る。背景はバルーンで作られた大きなハートマークが特徴的なベンチだった。
▼
「で?」
美術館を出て、少し歩いたところ。いかにもフォトジェニックを狙った今風のカフェでパスタを口にしつつ、アクアは尋ねた。
「なに?」
「なんか話があるから呼んだんだろ?」
「やだなぁ。純粋にデートを楽しみたかったっていうのも本音だよ」
「ま、想像つくけど。東京ブレイドの件だろ?」
「あ。やっぱりアクアくんにも話いってたんだ」
東京ブレイド。雑誌連載時から知名度はそこそこあったが、アニメ、映画で爆発的な大ヒット。主題歌も数ヶ月連続でオリコン一位を取っている、今や週ジャンの大看板。累計発行部数五千万部突破の怪物作品。その舞台化が、ララライ中心となって執り行われることが決定している。そして外部から呼ばれる役者のうちの一人に星野アクアが選ばれていた。
「アクアくん、この話、受けるよね?」
「勿論。待ち望んだ演技の仕事だ。断る理由がない」
「やった!」
嬉しそうに手を叩く。こう無邪気な反応をされると、ララライのことを調べるために引き受けた、が一番の理由である事に少し後ろめたさを感じた。
「『今ガチ』ではトンデモお世話になったから、今度は私がアクアくんの助けになるね!舞台は私の本業だし!」
「流石一流役者しかいないと言われる劇団ララライの若きエース様。自信満々だな」
「そんなんじゃなくて!ただアクアくんと一緒に舞台に立てるのが嬉しいってだけだから!」
「でも出番が一緒になるかどうかはまだわかんねーぞ。出演してほしいって話が来ただけでオレのキャスティングまだ決まってないし。あかねは?」
「実は私もまだ……話したかったのはその事でね。私達、一体なんの役が振られると思う?」
「そんなのわかるわけねーだろ。役作り的にはできるだけ早く決まってほしいが」
「私の予想ではね、アクアくんは刀鬼で、私は鞘姫」
刀鬼と鞘姫。二人は恋人でアクアとあかねのリアルとリンクしている。刀鬼は主人公の敵キャラだけど男女共に人気のあるいわゆる敵のメインキャラ。今のアクアが主演を張るのは俳優としての知名度的に難しいだろうが、対抗くらいならば『今ガチ』での活躍によるドラが乗ってギリ許されるだろう。
「名前が世間に認知され始めてるアクアくんの現在地的にもピッタリだと思う。どう?」
「どうって言われても……オレは与えられた役を全力でやるだけだよ。あまり今のうちから先入観は持ちたくねぇな」
「もう。優等生だなぁ、アクアくんは。言ってることは正しいけど、こういう空想話できるのは今だけなんだよ?アクアくんはやりたいキャラとかないの?」
「そりゃもちろんやるからには主役のブレイドが演りてーけどな」
「あはは。アクアくんのそういうところ、私好きだけど、流石にそれはね。仮にもララライ主体の舞台だし、多分うちの看板……姫川さんが演る事になると思う」
「その理屈で言えばヒロインもララライの役者だろ。あかねはブレイドの同門で女従者のシースなんじゃね?」
「私がシースなんて恐れ多いよ!あの東京ブレイドのメインヒロインなんだから!多分外から有名どころ引っ張ってくるんじゃないかな。あんまりララライの役者ばっかりがおいしい役独占しても心象良くないし」
二人の予想はどちらも当たらずとも遠からずだった。そう、どちらも。二人の聡明な頭脳とキャラクターへの考察。大人の事情を配慮した現実的な推理は概ね真実を捉えていた。
そう、二人とも
一見矛盾している状況だが、ある一つの条件が加わればこの矛盾は解決する。
携帯が振動する。仕事用のスマホだった。この業界、返信が早い人はそれだけでありがたい。仕事の連絡が来た時は何を差し置いてもこれを優先することを二人とも決めていた。
───噂をすれば……
メールの内容は東京ブレイドのキャスティング決定について。添付されたファイルを開くと役の横に個人の名前が書かれていた。
───ん?
違和感。沢山の名前が表記がされているPDFだったが、自分の名前は真っ先に目に飛び込んでくる。だからすぐに気づいた。自分の名前が、星野アクアという名前が二つ書かれている事に。
「これって……」
携帯を見ていたあかねが呟く。よく見ると黒川あかねも二つ表記されている。
一人二役ということ?間違っていないが、付け加える必要がある。星野アクアの上にもう一つ名前が書かれているということだ。そして黒川あかねの上にも、もう一つ名前が書かれている。
アクアの上には姫川大輝。
あかねの上には不知火フリル。
あかねにはどちらも馴染み深い。そしてアクアにとってもある意味繋がりのある二名であることは、この時は知る由もなかった。
「ブレイド役をオレと姫川大輝……」
「シース役を私とフリルさん……」
「そして刀鬼役もオレと姫川」
「鞘姫役も私と不知火フリル……アクアくん!コレって!」
携帯を見つめていた視線をオレへと上げる。この表記が意味するところ。オレもようやく理解が追いついた。映像演技ではまず見ない。だが演劇では珍しくない編成。コレはつまり……
「ダブルキャスト」
あるところまでを一人が演じ、あるところからキャストが交代する演出。
「えぐい事やるな、プロデューサー」
───それとも先生がアレを真に受けたのか?
「どっちにしろ大変だぞコレは」
すでに今、一流と呼ばれている天才『姫川大輝』と『不知火フリル』
これから来ると目されている才能『星野アクア』と『黒川あかね』
「今回の、舞台『東京ブレイド』は同世代の若手同士。剥き出しの才能の、真っ向勝負だ」
新たな舞台の、幕が上がろうとしていた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
東京ブレイド舞台編スタート。いかがだったでしょうか?メインヒロイン『シース』はオリキャラです。普通に鞘を英語に変えただけです。フリル様ぶっこむためだけのキャラです。同じ師匠に剣を習った間柄でブレイドの従者というくらいしか設定作ってません。
ちなみに今回出てきた美術館のモデルは大塚美術館。あまり印象に残ったレプリカなかったですけど、あのモザイク壁画は素晴らしかった。
次回はアクア、ダブルキャストとはいえ主役に抜擢された裏事情。驚異の営業についてです。クズです。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
43rd take 華と根
生と死が異なるから
華が根を伸ばすのは
可能性を広げたいから
『かんぱーい』
都内のとある居酒屋。今日もどこかでグラスを打ちつける音が鳴る夜。ここでも二人の女性が同じ儀式を行なっている。どこにでもあるありふれた風景だが、この二人はどこにでもいるありふれた人とは少し違った。一人は月間連載作家であり、名作『今日は甘口で』を生み出した、吉祥寺頼子先生。そしてもう一人は黒髪の癖っ毛に少し猫背気味な姿は見た目のかわいらしさも相まって、まさに警戒心の高い猫を連想させる女性。鮫島アビ子。かつて彼女の元で働いており、様々なことを学ばせてもらい、『東京ブレイド』で大成功を収めた作家だ。
一本生み出すのが奇跡と呼ばれる世界。成功する漫画家など一握り中のひとつまみ。そのひとつまみに位置する二人だった。
「精算お願いします」
「すみません、ご馳走になってしまって」
「こういうのは歳上が払うモノよ。まあそっちの方が圧倒的に稼いでいるのは分かってるけど、メンツを立ててちょうだい」
吉祥寺は鮫島アビ子の師匠でもある。弟子に追い抜かれたのは認めるが、それでも師として譲れない所はある。酒代くらいは気前良く払う姿は見せたいモノだ。
「それより貴女こそ大丈夫なの?結構お酒飲んでたけど。ちゃんと帰れる?」
「あ、ハイ。大丈夫です。迎えがきてくれるみたいなんで。すみませんけど、その間に歯磨きいいですか?私何か食べた後はすぐ磨かないと気持ち悪くて」
「ああ、そうだったわね」
化粧室へと向かう彼女の背を見ながら、吉祥寺は少し不安感を覚えてしまう。彼女からは何度か相談を受ける事があり、師匠としてどんな質問にも誠実に応えてきた。今日の相談内容はメディアミックスの不安についてだった。
───変人が多い漫画業界の中でも、アビ子先生は中々癖が強い方…
漫画は最悪一人でも描けるが、メディア化は数多くの人間が携わっている。どうしてもコミュ力が必要になってしまう。
人と関わることを煩わしく思い、現場に任せっきりにしてしまうとどのような悲劇を生み出すか、身をもって知っている。
───この子、いつか人間関係で大怪我するか、彼女の成功に目をつけた悪い男に騙されそう
東京ブレイドといえば、もはや日本国民なら知らない者の方が少ない大ヒット……いや、大ホームラン作。その作家ともなれば、善人悪人問わず才能と金に群がる人間は計り知れない。ある程度人間関係に免疫と耐性をつけておかなければ、身の破滅もあり得る。
───だから、あの地獄を救ってくれた、信頼できてコミュ力が高い。そしてあの子と年もちょっと離れてて、好みの対極に位置するあの人に、人との関わり方を教えてあげるよう頼んだわけだけど…
「先生、お待たせしました」
「ううん、全然。それじゃあ行きましょうか」
店の扉を開き、暖簾をくぐる。すると真っ先に目に入ったのは繁華街のライトに照らされ、輝く眩い黄金色。出た先には黒銀の単車が停まっており、その持ち主と見られる少年はガードレールに腰掛けている。吉祥寺と目が合うとポケットに入れていた手を出し、軽く会釈をした。
「アクアさんっ」
その日、吉祥寺は初めて見た。漫画では幾度となく見られる表現。自分も何度も描いてきた空想のシーン。
一瞬にして、目の色が変わる。
勿論物理的に何かが変わったわけではない。瞳の色はブラウンのままだ。
けれど、表情が変われば目の輝きは変えられる。
鮫島先生はせっかく可愛い顔をしているのに、普段からあまり表情を見せない人だ。いつも伏目がちだし、こちらを真っ直ぐ見つめるということもあまりしない。整った眉を困ったように歪ませることも、何かに怯えるように視線を泳がせることも多い。悪い言い方をして仕舞えば暗い表情が彼女のデフォルトだった。
しかし、今この瞬間は違った。
顰められていた眉は一瞬にして解放された。瞳は歓喜に見開かれ、満面の笑みが溢れ、頬が紅潮する。私の存在など、忘れてしまったかのように彼の元へと駆け寄った。
「こんばんは、吉祥寺先生。直接お会いするのは久しぶりですね。鮫島先生も」
「迎えに来てくれてありがとうございます。忙しくなかったですか?」
「先生の頼みとあらばいつでも馳せ参じますとも。どうせならご飯もご一緒させて欲しかったですけどね」
「もー、私だってそんなに何度もご馳走しませんよ」
「オレの二千倍稼いでらっしゃるのに?」
「プライドの問題です」
笑顔を見せ合い、楽しそうに語り合う二人を見て、私はその光景をただ微笑ましく眺めることはできなかった。
───免疫をつけるには、強すぎる毒だったのかもしれない。
星野アクアという、魅惑の華は。
▼
「原作者とは仲良くしておけ」
昔、五反田監督に言われた言葉だった。
「なんで?」
「作家先生ってのは縦のつながりも横のつながりも強いんだよ。名作を描く漫画家の弟子ってのは将来有望な人間も多いし、同期の作家ってのはライバルであると同時に同じ悩みを分かち合う理解者でもある」
そういう人にこの役者は信頼できる。頼りになるという印象を与えておくと、それは上から下へ、横から横へと繋がる草の根になりうる。
「メディア化っていうのは多くの作家の夢だ。そして、いざ夢が実現するとなったら大抵の人間は不安になる。今までは成功も失敗も全部自分のせいにできたが、メディア化はそうはいかねーからな。そして、人間ってのは不安になったらどうすると思う?」
人によって不安への対処は様々だが、多くの人間が真っ先に思い浮かぶのは、まず誰かに相談するということだろう。
「そう、不安になったらたいていは先にメディア化した作家仲間に相談するんだよ。自分がどこまで口出していいのか、とかな。その時、あの役者を起用して良かった、とか。監督をあの人にして正解だった、とかの話になる可能性は高い」
だから作家先生とは仲良くしておけ。
そう監督から言われた。そしてそれはある程度守った。と言ってもオレにとって明確に関わりがあって、お互い名前を覚えてもらった作家なんて一人しかいなかった。あの地獄のネットドラマ『今日は甘口で』原作者、吉祥寺頼子先生。あのパーティで連絡先を交換し、以来繋がりを保ち続けた。
直接会ったことも何度かあったが、会話はほぼ全てLINKを通してのものだった。
漫画家と役者。立場は違えどクリエイター。お互い独特の悩みもあれば、共通する苦難もある。ましてアクアは元作詞家。物語を作りだした経験もあるし、役者とは役のストーリーを自身で作り出す作家でもある。有益な情報交換をできる機会は多かった。
男女の関係ではない。ビジネスの会話もあまりしない。愚痴が言えて悩みを話せて相談できる、お互いの協力者という関係を保ち続けた。
しかし、いつだったか。今ガチが始まるよりも前。こんな相談をされたことがあった。
『私のアシをやってくれてた子なんだけど、人や異性との関わり方が下手な子なんです。あの子の練習に付き合ってくれませんか?』
役者が華ならコネとは根。根とはできるだけ長く遠くまで広げる必要がある。特に断る理由も当時はなかったため、吉祥寺先生からの紹介という名目の元、鮫島先生と連絡を取る。といってもいきなり会ったりはしなかった。人となりを聞く限り、あまりコミュ力の高い人ではなさそうだ。まずはハードルを低く。顔を合わせないで済む会話から入るべきというアクアの判断は正しかった。
しばらくはメッセージでのみの会話となる。師匠である吉祥寺先生からの紹介ということもあり、鮫島先生から邪険にはされなかった。顔を見せないトークというのは遠慮も発生しにくい。軽い話から連載に至るまでのエグい苦労話まで結構なんでも話し合った。
『相談したいことがあるんです。一度直接お会いしませんか?』
このメッセが来たのは、連絡先を交換してから一ヶ月近くが経った時だった。
「鮫島先生ですか?はじめまして。星野アクアです」
「えっ、あっ、えっ!?」
オレと初めて会った時、鮫島先生は明らかに動揺していた。吉祥寺先生からオレが役者なことは聞いていたはずだが、物書きとしてのやり取りが多かったからか。実際オレもメッセで作詞家だったことは話していたから、すっかり同業者とやり取りしている気分になっていたらしい。
「ご、ごめんなさい。私、イケメンの人とかと交流してきたような人生じゃなくって。アクアさんみたいな人とは、その、目を見るだけでテンパるっていうか…」
───ああ、このタイプか
ロックの世界やカントルのファンにもいた。自分になんらかのコンプレックスを持っていて、キラキラした存在が苦手な人。自分とは別世界の生き物のようで、恐れ多くて、遠くから応援するだけならいいが、いざ近づくとなるとテンパってしまうタイプ。才能ある人間にしては珍しいが、作家には変人も多い。こういうこともあるだろう。
そして当然、こういう相手の対処法もアクアはしっかりと心得ている。
「想像よりチャラそうって思いましたか?」
「っ、あ、いえ。その…!」
「気にしないでください。よく言われるんですよ。容姿と中身が違いすぎるって。この髪とかも地毛なんですけど、こうも派手だと中身も派手みたいに思われて……」
「いえ、そんなこと……アクアさんが軽い人だなんて思ったこと、一度も無いです。メッセの感じから陰がある人だっていうのは伝わってましたし。作詞も、その、暗いなって感じたこと多かったですから」
「そうなんですよ。こう見えて根はけっこう陰キャなんです。他人から自分がどう見られてるかとか、変わりたいのに変われないとか、そんなことばっかり考えてるんです……才能ある漫画家で、プロとしての誇りも既に持ってる鮫島先生にはわからないかもしれないですが」
「いえっ、わかりますよ。すごくっ」
「ありがとうございます」
お礼と共に鮫島先生の手を取る。指先は硬く、タコのような感触が伝わってきた。
「鮫島先生はやっぱりメッセージから伝わる通りの人でした。物事の本質と向き合い、自分と向き合い、真実を見つめてくれる人。外見なんかで人を判断しない。クリエイターとして、心から尊敬出来る人です」
「ありがとう、ございます」
手を取らせてくれた時点で心の壁を突破したと確信する。こういう手合いは自分と他人を別の生き物として認識している。だから怖い。人が猛獣やお化けを怖がるのはその対象が自分とは違いすぎるからだ。
オレは怖くないですよ
貴方と同じ生き物ですよ
と、教えてあげれば、心の壁は薄くなる。安心と自信。積極性を増幅させ、コントロールできれば、後はこちらのペースへ持ち込める。時間の問題だ。
この予想は大きく外れはしなかった。吉祥寺先生の元を卒業し、新連載に持ち込むにあたっての相談を皮切りに、彼女に編集がつくまではストーリーの手伝いや漫画の手伝いもやった。公私共に彼女がオレを頼ってくるようになるのに時間は掛からなかった。
「アクアさんは絵も上手ですね」
「ありがとうございます」
絵の描き方はかつて一度だけ逢瀬を交わし、肌を重ねた女から教わった。人生なにが役に立つかわからないものだ。身につけて無駄になる技術など、この世にないと言っていたナナさんの言葉は正しかった。
そしてある日、ついに新連載を勝ち取ったという報告があった。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます!アクアさんのおかげです!本当にありがとう!」
彼女のアパートに招かれ、開かれた小さなパーティ。気が大きくなってたのだろう。彼女にしては珍しく飲酒の量も多かった。
「アクアさん……好きです」
イケメンが苦手という人はチラホラいる。けれどそれは心の底から嫌悪しているわけではなく、あまりに自分と違いすぎて、一緒にいるとコンプレックスを見せつけられるような気になるからというのが殆どの理由。
しかしそうでないと教え込まれて仕舞えば、容姿の優れた人間を嫌う者など、まずいない。
「先生、可愛い」
抱き寄せた手に、抵抗は一切無かった。
▼
ここで、終わっていれば美しい思い出のままだったのかもしれない。
星野アクア。吉祥寺先生から紹介された俳優。彼のことは知っていた。まあ酷かったネットドラマ『今日あま』を最終回で観れるドラマにしてくれた役者さん。私が大好きで、心から尊敬している先生の作品を救ってくれた人。印象は最初から悪くなかった。
けれど、初めてアクアさんに会った時、私はハッキリと気後れした。すぐに帰ろうとすら思った。だってこの人はあまりに綺麗だった。容姿も、立ち振る舞いも、紡ぐ詩も。何よりも瞳の輝きが美しすぎた。ドラマで見せた、私がシンパシーを感じた暗さや醜さはカケラもなかった。
「根は陰キャなんです」
この言葉を聞いた時、心底驚いた。こんな綺麗な人に、私と同じようなコンプレックスがあるなんて思いもしなかった。
この時、私が作っていた心の壁に隙ができたのだろう。僅かに開いた空間にアクアさんはあっさりと踏み込み、私の心の中へ住み込んだ。
アクアさんはどんな相談も真摯に向き合ってくれた。人によってはそんなこと、と思われるような内容でも決してバカになどせず、こちらの想いに寄り添ってくれた。
───あ
ある日、横顔を至近距離でじっくり見てしまう。まつ毛が長い。目が大きい。鼻筋が通っている。顔が小さい。一つ一つの動作に品と艶がある。
───綺麗
まるで本当に漫画の中から出てきたみたいに、完璧で、綺麗な人だった。
「アクアさん、好きです」
大手週刊誌で連載を勝ち取ったその日、お酒の勢いに任せて言ってしまった。そこからはあまり覚えていない。気が付いたらシングルベッドの上でアクアさんの胸に頭を預けていた。
「先生?泣いてる?」
あの時、初めて異性の前で産まれたままの姿を見せた。生まれて初めて自分が女だと実感できた。実感させられた。
あの時の感動を、羞恥を、歓喜を、私は多分一生忘れない。
「ごめんなさい。アクアさんは役者だって知ってたのに。こんなこと、一番気をつけなきゃいけない人だってわかってるのに、私、大変な事を…」
「先生…」
「今日のことは一生の思い出にします。だから無かったことに…本当にごめんな──」
涙ながらに謝罪する私の言葉を遮り、細く美麗な指が、私の顎に添えられた。至近距離にあの顔が迫る。私が今まで見てきた中で……物語や漫画などを含めても間違いなく最も美しいと断言できる人が、甘く、優しく、私の耳元で囁いた。
「本当に?無かったことにしたい?」
まさに悪魔の囁きだった。
「アクアさん、好きです」
「ありがとうございます。オレも好きですよ。でも、これは多分恋愛感情じゃありません。だからオレは先生と付き合うとかは出来ませんけど、いいですか?」
そんなこと、わかっている。わかっていた。だから別に構わなかった
「私に恋してるアクアさんなんて解釈違いですから」
それからも何度か会う機会はあり、一夜を過ごすこともあった。セックスするだけじゃなく、今後の連載をどうするか、二人で一晩中話し合ったことも。
そしてアクアさんの言う通りにして、間違っていたことなんて一度もなかった。今や私たちが作り上げた『東京ブレイド』は日本を代表するコミックの一つとなった。
アクアさんって、神様みたい
半ば本気でそう思いはじめた、ある日のことだった。
「黒川あかねと、交際?」
「はい。色々考慮した結果、お互いにメリットのある関係だろうって。だからコレからはこうして会うのは難しいですね」
アクアさんが今ガチに出演していたのは知っていた。不知火フリルと共に一気に知名度が上がったのも。けれど、どこか他人事のように感じていた。だってこの人が…
「意外、ですね……アクアさんが、特定の彼女を作る、なんて」
「ええ。オレも初めてのことですが……まあ半分ビジネスみたいなものなので」
その後のアクアさんの言葉は耳に入ってこなかった。
───うわ、私、何動揺してるんだろう
わかってたつもりだった。
全然わかってなかった。
私がこんなに欲張りだったなんて知りもしなかった。
気まぐれに触れてくれるだけでいいって、
そうおもってたのに。
黒川あかねのインスタを見るたびに。
公然とアクアの彼女と名乗る彼女を見るたびに、心がドス黒くて汚い感情にまみれていった。
「勿論先生との関係を完全に断とうなんて思ってませんよ。コレからもお互い良き相談相手として…」
気が付いたら、あの人を胸の中に抱きしめてしまっていた。
「アクアさんの邪魔はしません。黒川あかねとの関係も応援します。でも、ストレスが溜まったら、私で発散してくれて良いですからね」
───星野アクアにとって、都合のいい女になろう。それが私に出来る唯一の戦い方。
そこからのアクアとの関係は本当に誠実なものだった。食事することはあっても、泊まりになることはなく、相談することはあっても、異性関係に踏み込むことはなかった。
今日もそうだ。迎えに来てくれるかと半ばダメ元で送ったLINK。数分後、いいですよ。と帰ってきた時は躍り上がりたくなるほど嬉しかった。
「あの、上がっていきませんか?お礼もしたいですし」
「ありがとうございます。でも遠慮しておきますよ。今日は結構急だったからあまり準備もしてませんし」
ヘルメットを外さないまま、こちらにだけわかるように笑顔を向けてくれる。確かに今日のアクアさんはすっぴんだ。メガネも、ウィッグすら着けてない。もう公式に彼女がいる俳優として、今はスキャンダルに一層気を払う必要があるというのは理解できる。ここでしつこく食い下がっては彼の心象を悪くする。残念だけど大人しく引き下がろう。
「では先生。おやすみなさい」
「あっ、待って、待ってください。一つ相談したいことがあって」
バイクのエンジンをかけようとしたアクアさんを止める。相談があるのは本当だった。
「あの、東京ブレイドが今度舞台化するんですけど…」
「ええ、存じています。おめでとうございます」
「ありがとうございます。それで、脚本が送られてきたんですけど、このキャラはこんな事言わない、とかこんな事しないってのばっかりで……どうもコレ書いた人って私のキャラのこと、わかってないと感じること多くて……」
「残念ながらある事ですね。監督や脚本家がキャラクターを把握できていないという事」
「展開を変えるのはいいんです。舞台の中で完結させなきゃいけないんですから、構成上やむを得ないこともあるでしょう。でもキャラは変える必要なくないですか?ウチの子達はあんなにバカじゃない!」
「脚本に目を通してないからなんとも言い難いですが、仰ることはよくわかります」
「脚本家さんとは何度かやりとりして、修正して欲しいところは言ったんですけど、どれだけ言っても直らなくて……余計にキモくなる事ばかり……どうすればいいですか?やっぱり私が全部描き下ろさなきゃいけないんでしょうか。でもどこまで口出ししていいのかわからないですし……」
メディアミックスにあたって、原作者と脚本家の間で揉めるというのはよくある事だ。プロデューサーと演出家の間で第一稿が作られ、二稿、三稿とブラッシュアップ。原作者には完成した脚本が渡される。
「先生はきっと修正指示を何度も出したんでしょう。けれどメディアミックスでは多くの大人が介在します。先生からのリライティングの伝わり方は殆ど伝言ゲームです。まして先生はロジックでなく感性で創作するタイプです。何人もの大人の意思が仲介しては伝わり方がおかしくなるのも無理ないでしょう」
アビ子先生はいつも自信なさげな態度だが、漫画に関しては熱くて多弁な人だ。リライティングの指示も怒りに近かっただろう。伝え方や言い方を変えてたこともあったはずだ。まして仲介者は全員が創作に関して知識と経験があるわけではない。作家の意志を上手く翻訳できない人も必ずいる。まして相手は天才鮫島アビ子。自分の才覚には絶対の自信を持ってて、世のクリエイター殆どが三流に見えてしまう。例外はオレが知る限り吉祥寺先生くらいのものだろう。
「でもね先生。脚本家や演出家はプロです。まして天下の東京ブレイドを舞台にしようという人達です。センスや才能がない人がやるはずがない。先生の意思を理解出来る人たちのハズです」
「でも、実際に……」
「最近の舞台は学校の劇みたいなものじゃないんですよ。幕はモニターですし、客席そのものが動くこともある。まさに客も参加する体験型コンテンツ。そう言った事情をご存知ですか?」
「それは……」
知らないだろう。漫画に関しては誰よりも情熱がある人だが、それ以外にはかなり関心の薄い人だ。
「先生の意思を向こうも理解し切れてはいない。けれど先生も舞台の事情に関してはよく知らない。双方の主張がぶつかり合うのは当然です。コレを解決するにはコミュニケーションしかない」
「コミュニケーション…」
「先生の苦手分野ですよね。わかります。けれど作品を良くするためには欠かせない事なんです。一度プロデューサーさんや脚本家さんと腹を割って話をしてみてください。彼らもクリエイターです。お互いが納得できる妥協点を見つけ出してくれますよ」
「………」
「それに、ただでさえ週刊連載なんて常人には不可能な仕事をなさっているんです。アニメだのなんだの重なりまくってる先生がこれ以上仕事を増やしたら本当に死にますよ。具体的に言うなら、鬱病リタイアコース。オレは先生にそんな事になってほしくありません。作品のため、そして何より先生のためと思って、苦手な事に踏み込んでくれませんか?もちろんオレも出来る限りの協力はします」
「…………わかりました」
あまり知らない人と接するのは苦手だが、作品をダメにされる事と比べれば百万倍マシだろう。
「ありがとうございます。アクアさんとの話は本当にいつも有意義です。私、この世の9割のクリエイターは三流だと思ってますけど、アクアさんは例外の1割です」
「先生にそう言っていただけるのは素直に嬉しいですね」
「…………だからこそ、私情抜きで、ブレイドはアクアさんにやって欲しいんですが」
「光栄ですが、流石にそれは無理です。今のオレでは圧倒的に格が足りない」
今のオレなら実力が足りないわけではない、と過信ではなく思う。けれど、この世界は実力よりも重視されるものがある。地位、名声、ステータス。周りを納得させるだけの風評。すなわち役者としての格が足りない。貫禄が足りない。こればかりは一朝一夕では手に入らない。幾つかの作品に出演し、成功を積み重ねなければならない。
「オレにできるのはせいぜい今一流と呼ばれる人の引き立て役か、咬ませ犬ぐらいでしょう」
「咬ませ犬……アクアさんが」
「ま。咬ませが本命食うってのも稀にですけど芸能界じゃある話です。今のオレが狙える大穴はそんなところですね」
今ガチでは不知火フリルの名声に乗っからせてもらった。お陰で通常では考えられない速度で知名度は得た。当然リスクもデカかったが。しかしあんなの、そうそうある事じゃないし、できることでもないし、あまりやりたくもない。
「ここからはコツコツ行きますよ。あと三年……いや二年か一年で何とかしてやります。それでは、お疲れ様でした。先生、良い夢を」
今度こそバイクをスタートさせる。この時、アビ子先生が何かを考えている様子だったことには気づかなかった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
とまあコレがダブルキャスト抜擢の真相でした。重曹ちゃんはギリギリで回避しましたが、アクアならまあ枕くらいやってるよね。と言ってもコレはあかねと付き合う前で今ガチ最終回以降はやってません。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
44th take 巡る因果
太陽のオーラを纏う少女を中心に、世界は廻る
ゆえに貴女は惹かれるのだろう
貴方の引力に惑わない青い星に
平日。学校の屋上。一応基本的に立ち入り禁止なのだが、そんなものはほとんど守られておらず、鍵も掛かっていない。芸能科のある高校である陽東高校の屋上は悩める芸能人が一人になりたくて使われる場所なことが多いからだ。故に昼休みや放課後にここへ一般科の生徒が来ると芸能科の生徒に出会える事もある。
しかし、今この時間は誰も来ないだろうと屋上に備え付けられたベンチでパックジュース片手に黄昏ている少年は油断していた。なぜなら今は授業中。学生の本分をサボってまでこんなところにくる生徒など、普通あり得ない。
そう、普通の生徒なら
鉄扉のラッチ音が僅かに響く。出来るだけ音を立てないようにゆっくりと開かれた扉から、微かな足音が聞こえた気がしたが、秋の訪れを思わせる風の音が掻き消す。星の瞳の少年が一つ大きなため息を吐く。振り返らなくても誰かが背後にいるのがわかった。
「今日はサボり?舞台俳優さん。不良だなぁ」
「お前もだろ、舞台女優」
ベンチに肘をかけ、少年の背中に体重を預けるのは音が鳴るのではと思えるほど美しい黒髪を秋風に靡かせ、妖艶に微笑む泣きぼくろの美少女。名前は不知火フリル。今や日本に知らないものの方が少ない推しも押されぬ大マルチタレント。
「やっぱりもう知ってたか」
「当然。てゆーか意外だ。お前はもっと早く知ってるものだと思ってた」
キャスティングは必然ランクの高い役者から通知されていく。不知火フリルともなれば間違いなく真っ先に知らせが来るだろう。それを今日まで匂わせる行動すらなかった。オレとほぼ同時というのは少し意外だった。
「で?こんなところでなんで一人で黄昏てるの?」
「うるせーな。どうでもいいだろ」
「やっぱり教室には居場所ない?」
「誰のせいだと思ってんだ、この核弾頭」
入学早々不知火フリルとのカップル疑惑が持ち上がり、今ガチで大炎上。その後も良くも悪くも騒動の中心におり、世間への認知が爆発的に広がった一般科所属の俳優。お近づきになりたいと願ってる人は多いかもしれない。けれどハードルが高すぎて。核爆発に自らが巻き込まれるのを恐れて遠巻きに見守る事しかできていない。まさに腫れ物扱いだった。
「そうなの?普通科でモテモテってみなみさん言ってたけど」
「そういう奴らは動物園のパンダ観てる連中と同じだ。安全な檻の外からかわいーかわいー言ってるだけで、直接は来ねえ」
「ならやっぱり芸能科に来ればよかったのに。ウチの女子でアクアに興味持ってる子、たくさんいるよ?」
「そいつらもほぼ打算だろ。うまくいけばワンチャン不知火フリルとコネ作れるもんな」
「捻くれてるなぁ、私のジョバンニは」
「カムパネルラに現実たくさん見せてもらったお陰様でな」
フリルの付き人をしていた際、それはもう沢山の打算人間を見てきたし、ヤリ目男もうんざりするほど見た。
芸能界が綺麗でないことなど、とっくの昔に重々承知だったが、改めて身をもって教えられていた。
「…………今回の件、お前の仕業か」
しばらく静寂が二人を包んでいたが、本題をアクアが口にする。なんのことを言っているか、こいつならこれだけで分かるだろう。事実、肩をすくめると泣きぼくろの美少女はヒラヒラと手を振った。
「今回のキャスティングに関して私は何もしてないよ。ホントホント」
「今回は?今回以外に何かしたのか」
「私だってアクアとの共演がこんな形で実現するなんて夢にも思ってなかった」
「おいはぐらかすな。今回以外で何したテメェ」
「貴方を活かすのも殺すのも私がいいけど、もうちょっと後にしたいと思ってたくらい。まさかこんなに早く貴方を殺す機会が回ってくるなんて、私としても不本意なんだよ」
「怖えよ。今回以外で何したんだよ」
「もう。時効だと思うから言うけど、今ガチで本来出るはずだった女の子に私の仕事ひとつ譲る代わりに出演代わってもらった」
「やっぱり今ガチのアレはごり押しだったのか…てゆーか全然時効じゃねぇよ。ほんの数ヶ月前の話だろ」
「数ヶ月前なんて大昔だよ。その頃は私、貴方に出会ってさえいなかったんだから」
その答えにアクアは何も言い返せない。体感時間の違い。象の1秒と鼠の1秒が違うように、年齢、人間関係、状況によって時間の過ぎる速度は大きく変わる。確かにフリルと出会ってから今日に至るまでの密度はここ数年を凝縮したような濃さだった。オレの存在をフリルに知られたPVを撮ったのは今年の春のことだが、それもオレにとっては記憶の彼方だ。
───ま、いいか
あのPVも今ガチも既に終わったことだ。今更蒸し返しても仕方がない。それよりも今はこれからのことを考えなければいけない。
フリルの仕業じゃないってことはダブルキャストは恐らく鮫島先生の提案だ。それを演出家かプロデューサーが面白いと思って採用したんだろう。しかしそうなると問題になってくるのが演じ方。フリルはともかく、アクアは姫川大輝の実力についてはよく知らない。まあ話を聞く限りは一流なのだろうが、アクアは基本的に自分の目で確かめるまでは信用しない主義だ。
───1度ララライの舞台観にいこうか……スケジュール見る限り東ブレは今年の冬くらいが千秋楽。時間はまだ充分にある
チケットはあかねのコネを使えば簡単に手に入るだろう。後は予定の調整をすれば──
「───っ?」
思考の海から引き上げられる。いつのまにか背後に立っていた黒髪の美少女はそのほっそりとした美麗な指を絡ませるようにオレの下顎に触れていた。そのまま優しく力を込められ、強制的に視線を上へと向けられる。全てを飲み込むような黒の瞳が至近距離でオレを捉えた。
「───ダブルキャストの件、私と違ってアクアは何か心当たりありそうだね」
ごくりと唾を呑んでしまう。その所作だけで今の言葉が図星であると、この妖怪にはバレた筈だ。口元が三日月の如き曲線を描き、微笑を作る。万人を魅了するはずの微笑みだが、アクアにとっては恫喝以外の何者でもなかった。
「答えて」
「…………嫌だと言ったら?」
「このままキスする」
「……あのな」
下手に誤魔化すとマジでヤられると悟ったアクアは今回の顛末を話す。『今日あま』繋がりで鮫島先生と知り合ったこと。何度か相談を持ちかけられるくらいの関係になったこと。その相談の一つに舞台化の脚本に関してがあった事。問題を解決するための方法を提示した事。嘘はつかず、面倒なことは教えず(気づかれてるだろうが)、説明した。オレの俳優としての立ち位置についても。
「先生の前で、オレが今できることはせいぜい主役の引き立て役か、かませ犬だと言った。考えすぎかもしれないが、今回のダブルキャストにこの事が関係している可能性はある、と思う」
オレの草の根運動について、フリルは一言も発さずに黙って聴き続けた。そして話は終わったと確認するためか、しばらくの間、無言を通した後、大きく息を吐いた。
「───なるほどね。私のシースのキャスティングが遅くなったのはそういうわけか。もしかしたら今回の東ブレ、本当ならダブルキャストなんて予定はなかったのかもね」
「………怒ってる?」
「なんで?怒られるような事したの?」
「いや──」
その笑顔が怖いんだよ、とは流石に言えなかった。
「別にアクアの営業努力について非難する気はないよ。私だってアクアが彼女作ろうが枕やろうが誰にも文句を言う資格はないって思ってる。一昔前ならもっと酷いのだってザラだったんだし。生まれ持った美貌も、培ってきたコミュ力も、使えるものはなんでも使うのが星野アクアのやり方だってのは知ってる」
「…………………」
「貴方の才能を妨げるならなんだって切り捨てるべき。逆に貴方の才能を伸ばすためならなんだってやるべき。もし私と貴方が正式に彼氏彼女だったとしても、貴方が美しくなるために必要な行為なのだとしたら、私は責めない」
「───相変わらず重くて軽いな。お前の想いは」
「ただし、やるなら私以外にバレないようにやってね。基本変装、顔隠しは必須。ご飯食べるなら個室。ホテル行くなら車で乗り入れ。バイクで動くなら人目のつかないところまでヘルメットは外さない。写真撮られるなんて論外。ある程度のことなら私がフォローしてあげるけど、庇いきれないことだってあるんだから」
「その辺は注意してますよ。ご心配なく」
「そうなったら、手遅れになる前に私が貴方を殺すから。覚悟しておいてね」
「───ほんと、おっかねぇなぁ、お前は。嫌いじゃないけど。ヒリヒリさせてくれる女」
ある意味独占欲より厄介だ。オレがフリルに並ぶ前に成長を止めたのなら、コイツはあっさりオレを切るだろう。だが自分の元へと追いつくためだというならどんな事でも許容する。束縛しているわけではないが、脅されている。芸能界という崖を登るためにオレが掴んでいるロープの先をコイツは握りしめている。
「それに貴方の行動の結果が今回の試練なわけだし。私が何かするまでもなく因果応報喰らってるから、いいかなって」
「───オレは自分で自分の首を絞めたってわけか。確かに自業自得と言えばそれまでだが」
「今回の東京ブレイド。アクアの立ち位置はすごい難しいね。でも自分で言ったようにかませが本命食うってのもなくはない話なんだし。チャンスだと思ってよ。上手くいけばこの一回で貴方は私に並ぶかもしれないんだから」
「他人事だと思いやがって……まあ今はそっちより心配な事が他にあるけどな」
プリントアウトしたキャストの一覧表を見る。ほとんどが知らない名前だが、二つだけ知った名前がある。一人は鳴嶋メルト。単純に演技力の心配。あの地獄を作り出した主犯だ。『悪夢再び』と思うことは避けられない。
───そしてもう一人は演技力の心配はしてないが……
一つ息を吐く。まさか自分の彼女が共演者とあんなに仲が悪いとは思わなかった。
「私の他に知ってる人いるの?」
「…………遅かれ早かれだし、相談する事もあると思うから言うが、実はな──」
▼
「───しかしまぁこんな事になるとは…」
時間は少し遡る。関係者にのみキャスティング発表があったあの日。送られてきたPDFを眺めながら嘆息する。ダブルキャストとは演劇の世界では珍しくないが、まさか自分にお鉢が回る日が来るとは夢にも思っていなかった。
「ダブルキャストなのは私たちだけで他は普通みたいだね」
「そりゃ全部が全部ダブルにはできねーだろうよ」
出演者の頭数だけでも単純計算で倍になるんだ。稽古時間やギャラ諸々考えたら倍じゃすまないだろう。4人でも多いくらいだ。
はあ、と一度大きくため息をつくと注文したクレープにかぶりつく。全く、甘いものでも食べなきゃやってられない。
「あ、アクアくん、ちょっと待って。動かないで。こっち向いて」
「?」
キョトンとしているとシャッター音が鳴る。あかねが携帯をいじっている隙に、頬についたクリームを指で舐めとった。
「じゃーん。見て見て。題して、『意外と甘党?星野アクア、素顔のひととき』」
「………なんか恥ずいな」
あかねのSNSに投稿されたのは二人でカフェで食事する風景と、頬にクリームがついた状態で小首を傾げている妙にあどけないオレの写真だった。
「アクアくんっていつもクールで澄ました王子様系だから、こういう可愛い写真って凄くウケると思う。こういうギャップを間近で見れるのは彼女の特権だね」
「くだらない事言ってないで仕事の話に戻るぞ……キャスト発表以外にも情報あるな」
PDFをスクロールする。台本はまだだが、大まかな構成と宣伝の謳い文句は送られてきた。今回舞台となるのは東京ブレイド渋谷編。序盤、劣勢な主人公達が努力し、仲間と友情を重ね、徐々に困難を跳ね除けていき、逆転に持っていく。少年漫画の王道を行く展開。アクア達が演じるブレイドとシースは劣勢の前半部分。フリル達が演じるのは逆転していく後半部分。
宣材ポスターは大きく縦に二分割されている。そのうちの左半分。アクアとあかねが中心となるポスター。舞台の前半部分──
『東京ブレイド・影打』
右半分の姫川とフリルが中心のポスター。舞台の後半部分──
『東京ブレイド・真打』
と、大々的に銘が打たれている。前半が影打。後半が真打。まさに刀を題材にした演劇にはもってこいの前後編のテーマと言える。
「神社への奉納、主人への献上等、特に大事な刀剣製作の依頼を受けた際、刀工は複数の刀を打つ。真打とはその中で最も出来の良い刀のこと。そして影打とは真打以外の習作───まさに引き立て役だな。演るの相当難しいぞ」
引き立て役が本命より目立ってはいけない。だが仮にも主役とヒロイン。影が薄すぎては話にならない。無論姫川とフリル次第だが。
「東京ブレイド渋谷編の前半はブレイドがまだ精神的に未熟な時から始まる。観る人によってはイライラするような時期。そこを演じなきゃいけないんだもんね」
「踏み台にされることは避けられない。ま、今一流と言われている姫川大輝に乗っかれるのは悪いことばかりじゃねぇがな」
オレのことを知らなくても姫川大輝を知っていると言う人間など、この国にはまだゴマンといる。今回そういう人たちの目にオレは触れる。触れられる。どんな才能も知ってもらわなければ無意味だ。その点ではメリットは高い。
「───すごいね、アクアくんは」
「?まだ何もしてねーけど?」
「姫川さんと真っ向勝負しなきゃいけないって時にそんな事まで考えられるなんて……私なんてフリルさんとのダブルなんてどうすればいいかしか頭に浮かばないよ」
先ほどまでのデート気分はどこへやら。ずっと隣で笑っていたあかねの美貌は不安と焦燥で歪んでいる。それも無理ないことだ。あかねの相手は同世代では間違いなくNo.1。踏み台どころか、台ごと踏み潰されたとしてもなんらおかしくない怪物。挑むより萎縮が先に来てしまうのも当然だろう。あかねが情けないとは思わない。寧ろ悪くない。変に虚勢を張る奴よりよっぽど安心できる。
ビビるというのは弱気からくる感情ではない。むしろ逆。闘争本能から来る感情だ。人間戦わない相手には恐れることすらない。あかねはフリルとちゃんと戦う気がある。真っ向からやる覚悟がある。だから恐怖を感じるし、だから焦っている。プレッシャーを感じていると言い換えても良い。悪くない。プレッシャーとは相手に勝ちたいと思うから生まれるし、感じられる。勝つ気があることに安心した。
「───だが、ちょっと熱くなりすぎてるな」
「え?」
「対する相手が巨大すぎて、役者が第一にやらなければいけない事が失念している」
「第一に、やらなきゃいけないこと……」
「相手を知るより、まずは役について知らねーとな」
アッ、と声を上げるとほぼ同時、さっきとは違う意味で暗い表情を見せる。恥辱と自責に苛まれているのだろう。こんな基本中の基本を普段のあかねが忘れるはずはない。熱くなりすぎてる。ある意味やる気が空回ってる。
「今はダブルキャストとか姫川大輝とかより演じるキャラそのものについてを知らなきゃな。あかねもフリルなんつー爆弾と戦わなきゃいけねー気苦労は察するが、あまり対決ばっか意識しすぎて熱くなるなよ」
───ま、その辺はオレちょっとズルしてるけど
東京ブレイドのキャラクターについて、オレは他の俳優陣より遥かに詳しい。それも当然。彼らの設定やストーリーの構築にはオレも少なからず関わった。ブレイドも刀鬼も
「ブレイドも厄介だが、それ以上に刀鬼は面倒だな」
「鞘姫の他にもカップリングあるもんね。つるぎ」
そう、刀鬼にはカップリング要素が複数ある。一人は恋人の鞘姫。そしてもう一人がバトル要素においての相棒役つるぎ。ヒロインキャラと相棒キャラ。愛情か友情か、どっちが結ばれるかで毎週論争になっている。いわゆる三角関係。
「………またトライアングル演じなきゃいけねーのか」
「あはは。でも今度はちゃんと台本あるんだし、今ガチの時よりは楽なんじゃない?」
「それも相手次第だがな……えーっと、つるぎ役は──」
「私よ」
スマホのPDFを見直そうとしたとき、背中から声がかかる。一瞬何が起こったか分からなかった。幻聴か、と本気で思った。慌てて振り返ると立っていたのは黒のサマーニットにワンピース。いかにも女優の街歩きといった服装の小柄な少女。かつて天才子役と呼ばれたアイドル見習い。有馬かな。
「お前、なんで──」
此処にいるんだよ、と言おうとして、やめる。もし尾行されてたとか言われたらコイツの見方がめちゃくちゃ変わる。世の中知らない方がいい真実もあることをアクアはこの歳で充分すぎるほど知っていた。
しかし、この心配は一応杞憂に終わる。解釈しようによってはあまり変わらないのだが。
おもむろに鞄からスマホを取り出し、画面をこちらへ見せる。表示されているSNSにはオレとあかねの美術館デートの風景。そしてこのカフェで撮った写真。そして頬にクリームのついたオレが大写しになっていた。
「リアルタイムの投稿はやめなさい。こういう投稿から悪質なファンに追いかけられてストーカー被害に遭う事もある」
「今まさにその状況じゃねーか」
「うるさいわよアクア、話の腰折らないで。外での写真は全て予約投稿。こんなの基本中の基本よ。SNSの揉め事は周囲を巻き込むことは身をもって学んだはずでしょ?懲りないわね、黒川あかね」
有馬の視線があかねへと向く。有馬にしては随分気やすい接し方だが、知り合いなのだろうか?この二人。まあ二人とも長く子役をやっているのだから意外というほどでもないが。
しかし、少し沈黙していたあかねの態度はかなり意外だった。
「………かなちゃんがつるぎ役かぁ。共演は何年振り?てっきり役者辞めたんだと思ってた。今はア・イ・ド・ルだもんねぇ?」
貼り付けたような笑み。笑っていない目。少し乱れた髪。役者にとって表情とは商売道具であると同時に武器でもある。今あかねが浮かべているのは明らかに威嚇の笑顔。こんな顔、今ガチの数ヶ月でも、あの雨の夜でも見た事なかった。
───コレが黒川あかねの、本気の敵意
対して有馬の皮肉な顔は対して珍しくない。オレも幾度となく向けられた。しかしそれでも、背すじをゾクリとさせられる。この底冷えするような声のトーンは初めて聞いた。
「ずっと板上に引きこもっててお金にならない仕事してても仕方なくない?あっそういえば最近リアリティショー出てたっけ?私生活切り売りして人気出たらしいじゃない。よ・かっ・た・わ・ね?」
「やめろお前ら。周りに迷惑だ。あとクレープ不味くなる」
睨み合う二人の間に入って、皿の上にクレープを置く。胸焼けが過ぎてもう食う気になれなかった。
「………近く通りかかったから注意しにきただけよ。お仕事デートの続きは場所を変えなさい。じゃ」
カラカラとチャイムが鳴り、店を出ていく。フッと一つ息を吐くと同時に椅子がガタリと揺れる。先ほどまでピンと伸ばしていたあかねの背筋は曲がり、小刻みに震えていた。
「───知り合いだったか。ま、この業界狭いし驚きはしねーが」
「同い年でお互い子役の時はこの業界にいるから……それはもう」
直接の面識も、耳に飛び込んでくる機会も嫌というほどあっただろう。オレはちょっとロックに浮気してた時期もあったからそんな相手はいないが、心中察してあまりある。
「仲良く、は出来なさそうか?」
「無理だよ」
オレの言葉を真っ向から否定する。あかねにしては珍しい事だ。それだけ恨みが深いのか。
「アクアくんの同期にはいないの?この人さえ居なきゃ、もっと楽しく役者やれたのにって人」
「同期にはいねぇな。上にはいるけど」
「同期にいるともう最悪だよ。欲しい役は片っ端から持っていかれる。まして相手は有馬かな。想像できる?あの天才子役と同い年に生まれちゃった役者の気持ちを」
一人の大天才の陰に隠れてしまった不遇の天才。芸能界に限らず、ある話だ。どんな世界も頂点に立てるのは一人。たった一人が輝くために切り捨てられた才能はこの世にいくつもあるのだろう。あかねもその一人だった。
「いいんじゃねーの?」
アイスコーヒーを口にしながら、なんでもないかのように宣う。流石に意外だったのか、俯いて何かを睨んでいたあかねが思わず顔を上げてしまった。
「………仲良くしろ、とか言わないの?」
「言わない言わない。合わねえ相手ってのは誰にでもいるんだし。無理して仲良いフリする方が面倒だ」
「でも、舞台にリアル持ち込んで、ギクシャクしたら……」
「別にいいじゃん、ギクシャクしたって」
流石に絶句する。このコミュ力の化け物、あかねが知る限り、誰とでも仲良くなれる男No. 1がこんなことを言い出すとは思わなかった。
「オレ達は曲がりなりにも一応プロだ。板の上に立って、チケット売って、金払ってもらって仕事する以上、年齢は言い訳にできねぇ。舞台をやる以上、金に見合った仕事はしなきゃいけない。けどそれは役者同士で衝突するなって意味じゃない。寧ろ衝突のない舞台なんてつまらない。現代日本は周りに気を遣いすぎだ」
役者は芸術家。そして芸術家とは基本的に負けず嫌いのエゴイスト。エゴがぶつかる事だってあって当たり前。
「大事なのは、仕切り直すことがちゃんとできるかどうか。仕切り直して、お互いの主張を理解して、衝突を化学反応に昇華できるかどうかだ」
そのためなら多少の衝突は全然アリだと思う。PHが低いもの同士が混ざっても大した反応は起きないし、摩擦なくしてエンジンは動かない。問題なのは発生するエネルギーを良い方向へ持っていけるかどうか。譲れる部分、譲れない部分を理解し合い、同じ目的へ向かえるかどうか。全てを譲らないなんてのはエゴイストではなくただのガキだ。プロである以上、ガキであることは許されない。年齢は関係ない。役者とは目的へ向かって挑戦を切り替えられるエゴイストでなければいけない。
「登場人物全員仲良しこよしなんて物語の上ですらあり得ねーんだし。まして二人は三角関係の恋敵。軋轢あるくらいで丁度いいだろ」
「……………そっか。そうだね」
眉間によっていた皺がなくなる。憎悪を良い方向に向けることはできたようだ。やっと口にしたクレープに甘さが戻ってきた。
「それに、一年遅く生まれるよりは良かったんじゃねえの?オレとタメだったらフリルが同期だったんだから」
「あはは。それは確かに。フリルさんは何でもできて、全て自分の糧にしてきた。でもかなちゃんはピーマン体操とかふざけた曲とか出してる割に何も糧に出来てない。私が今回直接対決するのはフリルさんなんだ。かなちゃんばっかりに構ってられない」
───ん?なんか変な方向に向かってるような…
「演技も、恋愛も、絶対負けない……積年の恨みも、恋敵との決着も、全部纏めて果たしてみせる……負けないぞ……!」
ふふふふふ、と笑い続けるあかねを見て、変なスイッチ押しちゃったかな、と若干後悔する。口にしたクレープが再び苦くなった気がした。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
重曹ちゃん……強くなったね。ネタバレになるからこれ以上は言いませんが。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。年末になって公私共に超忙しくなってきてるので、年内に次話を投稿できるかはわかりませんが、頑張ります。皆様、メリークリスマス。良いお年を。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
45th take 受け継いではいけないモノ
次代を担う彼ら彼女らが一堂に会する舞台
かつての星もまた、そこにいた
死神を魅入り、死神に魅入られながら
「アクアー、本読み付き合ってー」
マリンが付き人をやっていた頃のとある平日の夜、私はアクアに本読みの相手を頼んだことがあった。
「撮影日は?」
「7日後だけど、リハが前日にあるから時間は実質5日」
「OK。5分で読み込むから設定資料見せて。それから本読みやって意見すり合わせていこう」
「基本だけど、いいね。アクアとの意見交換は楽しそう」
台本冊子とともに設定資料を渡す。テーマはスポーツもの。幼い頃、オリンピックを見た二人の少女はその試合に感銘を受け、スポーツ選手としての道を選ぶ。
『………わあ、凄いね。私たち、今からここで試合できるんだ』
家も裕福。優しく大らかな両親に育てられ、友達も沢山いる優等生。しかしそんななんの不満もない生活が何かイヤで、何かを変えたくて家を飛び出し、選手として生きることを決めた。
『………私は会場なんてどうでもいい。あの家から抜け出せるのなら、後はなんでも構わないわ』
対して隣に座る少女は彼女とは対照的。病で既に他界した母。家にいつもいない父。誰にも守られず、無視され続け、生きていくには自分の才能に縋るしかなかった。
「…………綺麗すぎだな」
一通りの本読みが終わった後、アクアは端的に感想を述べた。
「文句なく上手いが、フリルらしさが先行し過ぎてる。勿論それをなくせとは言わない。なくしたらフリルの演技じゃなくなるから。でももうちょい役の性格憑依させたほうがいい」
「アクアは感情掘り下げ過ぎ。カメラは役者に寄り添ってくれるからソレも一周回って才能だけど、演劇じゃソレ通用しないよ。深さと伝わりやすさを両立させなきゃ」
しばらく役と役の意見交換を重ねる。設定資料や映像資料もお互い読み直し、役作りを続けた。
「じゃあアクア、私の役やってみて。憑依するっていう点において貴方以上の才能はそうそうないでしょ。全力で憑依させてみて。ソレをみて私の演技にフィードバックするから」
「───わかった」
設定を読み直し、今度はアクアがフリルの役を演じてみる事となる。一度深呼吸し、輝く星の瞳を瞼に隠した。
───えっ
アクアがこういう役者だというのは知っていた。あのPVでも、今ガチの動画でも見せてもらった。私が誰よりもアクアがそういう役者だって、知ってるはずだった。
なのに声が出そうになった。
目の色が変わる。纏う空気が一変する。先ほどまでの陰鬱としたオーラから明朗とした、何不自由せず、夢を見て生きてきた少女のオーラへと変貌した。
『………わぁっ』
頬が紅潮している。声に興奮と感動が混ざる。見つめる視線が明らかに変わり映えのしない楽屋の壁を見ているものではない。輝く星の眼のせいか、瞳に宇宙の星々が反射しているようにさえ見えた。
───映像資料まで見てたのは不思議だったけど
視えているのだ、この男には。目の前に広がる、全国大会の大舞台。アップする選手。誰かのために集まった応援団。アドバイスする監督、コーチ、ソレら全てが。
生まれて初めて、マネできない才能を目の当たりにした。勿論系統が違うと言うのもある。私は俯瞰型でアクアは没入型。和食とフレンチを食べ比べているようなものだ。どちらが美味しいかなど、一定のレベルを超えて仕舞えばそこからは人の好み次第で、ハッキリとは決められない。けれど、この分野で戦ったら100回やって100回負ける。そう確信出来る相手に、生まれて初めて出会った。
「ありがとう」
本読みを終えたアクアに心から感謝する。同時に少し残念だった。もしアクアが同性だったら。本当にマリンだったら、きっとお互い刺激しあえる最高のライバルになっただろうに。
「…………それはそれで困るか」
「?何に?」
「ううん、なんでもない。それじゃあやるね。見てて」
アクアを戦慄させる、監督がキャラを掴めてない故に生まれたシーンの撮影は、この7日後だった。
▼
「───というわけで、今回は……いや、今回も色んな意味で面倒そうだ。特にオレがな」
先日のデートで発覚した一件。黒川あかねと有馬かなの不仲。そして今ガチから波及する、あかね・フリル・アクアの三角関係。そのあらましを説明している際、フリルはオレの両肩に肘を預け黙って聞いていた。そして話が終わったと判断したのか、フッと軽く息を吐くと、両肩に預けられていた体重が一段重くなった。
「アクア、これは普通に親切心から言うんだけど、無責任に女の子落とすのやめた方がいいよ。思春期女子なんて思い詰めたら何するかわからないんだから。貴方も言ってたじゃない。四角以上は難しいって」
それはもちろんわかっている。だからフリルとあかねについてはオレに言い訳の余地はないし、そこまでは計算してやっている。だが有馬に関してはオレはそこまで勘違いさせる行動はしていないつもりなのだ。むしろ結構ぞんざいに扱っている自覚さえある。なのになぜこんなことになったのか、オレとしても不本意だ。
「カッコ良すぎるが故の罪、か」
「貴方みたいに普段はクールでドライな人が、急にウェットになられると特にね。女の子の勘違いはギャップから始まるの。誰にでも優しい人じゃなくて、自分だけに優しい人に
愛は真心。恋は勘違い。恋愛なんてつまるところ自身に都合のいい幻想を与えてくれる相手への偶像視でしかないのかもしれない。
「貴方みたいな顔の良い相手なら尚更。世のトレンドなんてうつろうものだけど、イケメンの不良が雨の中捨て猫を助ける姿に弱いのは二世紀前から変わらないんだよね」
「だがあかねと有馬の不仲に関してはオレだけの責任じゃねーだろ。元々因縁あったっぽいし」
同い年の子役で、二人とも相手を強くライバル視している。その理由にオレが介入する部分もなくはないんだろうが、メインは違う…はずだ。
「同期のライバルってそんなに嫌なものかなぁ。私は結構憧れるけど」
「お前、そういう相手には恵まれてねーからな」
オレ達の歳でNo. 1は誰かと言われれば誰もが間違いなくフリルを上げる。しかしNo.2が誰かと言われればこの人、と断言できる人はいない。候補は何人かいるが、フリルから下は結構ダンゴだ。まあこの怪物が突き抜けすぎていると言えばそれまでだが、確かにフリルにライバル的存在は同い年には今のところいないだろう。
「豊作な世代って言われること、あるじゃない?」
同世代に有望な若手が一気に出てくること。芸能界のみならず、スポーツなどでも見られる現象。古いところでは松坂世代とか言われるアレだ。
「私、アレって偶然才能ある人が同世代に揃ったとかじゃないと思うんだよ。同期にいい仲間やいいライバルがいて、切磋琢磨し合って、才能が磨かれる人たちが出てくるんだと思う。私が芸能界で売れたこと、運だって言う人もいる。けど、もしこの世界に運と呼ぶものがあるとするなら、それは人との出会いだと私は思う」
フリルの脳裏にあの本読みが過ぎる。初めてマネできないと思わされた才能、星野アクア。和食とフレンチの違い。
けれど完全にマネできないというわけではない。和の中に洋食のテイストを入れることはできるし、逆もまた然り。あの本読みのおかげでフリルはあのスポーツ選手の演技ができた。滝のような汗の中、一筋の涙を紛れさせることができたのは、間違いなくアクアのおかげだ。
「それだってオレに言わせりゃ、その人の行動の累積結果だと思うけどな」
「でも運要素ゼロとは絶対言えないでしょ?」
「───そうだな」
脳裏にいくつか浮かぶ。ルビー、ミヤコ、レン先輩、ハルさん、ナナさん、有馬、メム、あかね、そして少し癪だがフリルも。出会えてよかったと思える人物達。全員自身、もしくは誰かの行動の結果による出会いだが、運の要素が大きいのは認めざるを得ない。
「マリンちゃんがもうちょっと早く私に出会ってればなぁ」
「この世にいない人間ねだるな」
「アクアがもう一人いればなぁ。それかモロッコ行く?取っちゃう?あ、でもそれはそれで私が困るか」
「───オレがもう一人、か」
冗談めいたフリルの言葉から、心当たりが一人だけ思い浮かぶ。二卵性だからまるで同じというわけではない。けれどオレと同じ血をその身に宿し、適正でいえばオレを超える、赤い宝石の名前を冠する少女を。
「フリル、お前を脅かすのは、きっとマリンでも無理だっただろう」
アクアは意外と自己評価が低い。他の誰が認めても、アクアだけは自分に才能があるなどとは思わないだろう。愛に勝る才能はないと知っているから。
「お前を脅かすのは……きっと───」
「アクア?」
これ以上口にするのはやめておこう。もし名前を出して、フリルに笑われたら流石に気に入らない。もちろん今のアイツとフリルの実力差なら笑われても文句言えないのだが、だからこそ不愉快だ。
「もうちょっと待ってろよ。お前が望むモノはそう遠くないうちに手に入るさ」
パックジュースを飲み干し、ベンチから立ち上がる。学生の本分の終了を告げる鐘が鳴り響いた。
「あ、アクア。待って」
「?」
「大事なモノ渡すの忘れてた。はい、これあげる」
ポケットから取り出したのは一枚の紙。ずいぶん細長い長方形でぱっと見はお札に似ているが、金よりは小さい感じ。ポケットに入ってた割には皺一つなく綺麗な状態だった。
「これは……」
「中列真ん中少し下。関係者用のプラチナチケット」
オレのとは別の、自分の手にも持っている紙をヒラヒラと風に靡かせながら見せつける。座席番号からして、オレの隣の席のようだ。
演目は2.5次元舞台。スパイの夫と暗殺者の妻、そして超能力者の娘という、風変わりでは済まされない家族が主演のファミリー系コメディの物語だった。
「一体何のつもりだ」
「なんのって?」
「こんなの二人で観に行ったらまためんどくせーことになるだろうが」
「大丈夫だよ。私たち共演するんだし。二人で舞台見る言い訳としては充分だって」
「余計な火種をわざわざ作らなくても───」
「姫川さんが出演する舞台だよ。アクア、見たいでしょ?」
その一言でゲームセット。こちらの主義や手の内を知り尽くしている妖怪に全てを封殺されたアクアはため息を吐くことしかできなかった。
▼
拝啓 天国のママへ
新生B小町のファーストライブが終わり、少しの時が過ぎました。
ネット配信はメムちょのサポートもあり順調で、小さいけれど、これから何度かライブも予定されています。
ウチの芸能科はみんなどこかの事務所に所属している芸能人で、実績のない私は芸能活動の話をされるたびに疎外感を感じていましたが、最近は話に乗れることも増えてきました。
「悪い事じゃないが、あんまり活動内容ベラベラ話すなよ?」
いつか、この話をしたとき、お兄ちゃんは私にこう忠告しました。あの仕事をしたとか、この仕事はどうだった、とかグチのつもりで話していても、人によっては自虐風自慢に取られることもある、と。
「あるある。アクアの言ってることは正しい」
お兄ちゃん繋がりだけど、恐れ多くも不知火さんとも仲良くなれて、最近はお昼を一緒にする仲です。このクラスでうまくやってく相談をした時、お兄ちゃん情報を渡す代わりに教えてくれました。
「私だって昨日俳優の堂山くんにDMで食事誘われちゃって、とか言いたいけど、言えないもんね」
「それは自慢やろ」
「バレた?」
「フリルちゃんの話は次元が違う…」
けれど、一緒にお昼を食べるグラドル寿みなみちゃんも、芸能科一年の中では大活躍している芸能人さんで、この二人と一緒にいるのは今でも少し気後れします。
「で……いくの?」
「まさか。あの人遊んでるって話そこかしこで聞くし、今は私本命いるし」
「…………フリルちゃんって、ホントにお兄ちゃんのこと好きなの?」
「好きだよ当然」
「えっ、でもお兄さんって確か…」
「彼女がいる男好きになっちゃいけないなんてルール、恋愛にはないよ」
口元についた米粒を指で拭い取りながら、不敵に笑うフリルちゃんの姿は、同性の私から見ても背筋に寒気が走るほど魅力的です。
「………こういっちゃなんやけど、アクアさんも遊んでそうやけどなぁ。あの見た目で経験ゼロはないやろうし」
「いいよ、最後私のところに戻ってくるなら」
「世紀末覇王やないんやから」
「そのかわり、戻ってきたら浮気許さないけどね」
「フリルちゃんも怖いなぁ」
気後れはするけど、芸能科には意外と売れっ子とそうでない子との間には上下関係はありません。お互いの恋愛事情を握り合う運命共同体的な仲間意識の方が強いです。だから女子同士なら結構オープンに恋バナします。
「堂山くんのこと、アクアにも言ったんだけど、いつものすまし顔で『行けば?』なんて言われた」
「想像つくなぁ」
「虚勢とかでなく本気で言ってるのわかるから、燃えるよね」
「燃えるんや……ムカつくとかじゃなくて」
笑みを浮かべたまま、フリルが携帯を覗き込む。画面にはお兄ちゃんが主演を務めるCMが流れていた。
「清涼飲料水のヤツやね。ウチも見た。爽やかやよねぇ」
「アクアほど水が似合う人はなかなかいないだろうね」
『今からガチ恋はじめます』という番組でハネたお兄ちゃんは、最近、雑誌やCMのお仕事が増えました。
ネットドラマからネットバラエティ。そして地上波。少しずつ自分が乗る公共の電波を大きくしていっています。「一過性の今ガチバブルではなく、知名度を確実に取りに行く作戦」らしいです。
無駄に豊かな才能をフル活用して、お兄ちゃんはスターダムを駆け上がっています。その売れ方は私なんか比較にならない、トントン拍子という言葉では言い表せないほど順調で、まさにママを思い出させます。
あっ、そうそう。お兄ちゃんには彼女ができました。さっき言った『今ガチ』という番組で付き合い始めたんだけれど、本人曰く『恋愛の勉強。芸の肥やし』だそうです。
クズ男、女の敵って思います。
女子の目線から見れば、あかねちゃんがお兄ちゃんにガチなのは明らかなので、直接会うことがあったら優しくしようと思います。早く会ってみたいなぁ。
「ママ」
私は、私たちは順調です。
いつかママの立てなかったドームのステージに立つ日まで、一生懸命アイドルを続けます。
お兄ちゃんも、ママとの約束を果たすまで、役者を続けると思います。クズだけど、クズなりに一生懸命に。私なんかとは比べ物にならないほどの努力と、ママから受け継いだ才能を発揮して。
どうか、私たち兄妹を見守って───
物思いに耽っていた意識が現実へと戻ってくる。とある外れの墓地。身内しか知らない星野家の墓に先客がいたからだ。煌めく蜂蜜色の髪を風に靡かせ、喪服のようなシックスーツに身を包む華奢な青年。手には花束を持っている。
名前は星野アクアといった。
「お兄ちゃん」
「………ルビー」
少し驚いた様子で兄は私を見る。しかし2秒数える間も無く、フッと微笑した。
「そうか、今日は月命日か」
そう、私は月に一度、このお墓へ近況報告に来る。これから仕事が忙しくなり始めたら多分そんな事できなくなるだろうけど、余裕のある今のうちはちゃんと毎月来ると決めていた。
でも兄は違う。この人がお墓参りなんてことをするのを私は初めて見た。この人は良くも悪くも前しか見てない。盆も正月も墓参りなんてせず、神社でおみくじすら引かない人だ。私が月に一度お墓参りしていることすら知らないと思っていた。
「知ってたんだ。私が月命日に来てること」
「兄だぞ。妹の習慣くらい把握してる」
「そっちはどういう吹き回し?普段はもちろん、お盆とお正月すら来ないくせに」
「ちょっと縁を感じる出来事にあっちまってな。報告がてら1度くらい顔を見せに来ようと思ったのさ」
───なんか、儚い
柔らかな笑みを浮かべたまま、優しく言葉を紡ぐ兄が、綺麗に見えると同時に、ひどく儚い。目の前から消えてしまいそうな、今のアクアがまるで蜃気楼みたいな、そんな錯覚に陥ってしまう。そしてそんな姿が、寒気がするほど美しい。
「───此処、少し怖くてな」
儚い姿のまま、消え入りそうな声で兄が紡いだ。
「今のオレは、アイが知ってる……あの人が愛した息子をやれてるのかどうか。此処に来たらウソだらけのオレがバレるんじゃないかって……少し怖くて、来れなかった」
驚いた。心の底から驚いた。この人が私に弱みを見せている。弱っているところを見せている。4歳の頃から今日に至るまで、一度の弱みも見せなかったこの人が、不安と恐怖で揺れている姿を、私に見せている。
───嬉しい
ずっと守られてばかりだった。兄妹で、お互い唯一残された血の繋がりを持つ家族で、支え合って生きていこうって決めたのに、支えられてるのはいつも私だった。兄はその背中を私に支えさせてはくれなかった。でも、今日、ママが亡くなってから初めて、守る背中ではなく、揺れる背中を見せてくれた。そのことが嬉しかった。
───お兄ちゃんは……
いつも綺麗で、クールで、かっこよくて、頼りになる。どんなこともスマートにこなして、どんな時も結果を出す。その背中に私は憧れ、妬み、愛した。
でも、初めて気づいた。兄の背中はこんなにも小さかったんだ。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
そっと寄り添い兄の腕を抱き締める。背中から包み込んであげたかったけど、それをするには私と兄は体格差がある。
「お兄ちゃんがお兄ちゃんである限り、何をしても、何をやっても、ママはお兄ちゃんを愛してくれると思う」
「……………───ないから、怖いんだけどな」
聞こえるか聞こえないか、ギリギリの声量で呟かれた言葉の意味は、私にはわからなかった。
「今度、劇団ララライが主催する舞台に、一応主演で出ることが決まった」
「───えっ、主演?凄いじゃん!いつの間に!?」
「つい先日。まあダブルキャストで、オレはかませだけどな」
「どんな舞台?題名は?何やるの?」
「東京ブレイド」
「東ブレ!大名作じゃん!その主演!?お兄ちゃんトントン拍子過ぎじゃない!?」
「運が良かっただけだよ」
「その運ちょっとこっちによこせぇ〜〜!私にもあやからせろ〜〜お兄ちゃん大明神〜〜!」
運気を吸い取ろうと、右腕を掴んで引っ張る。予想通りすぐにやめろ、と振り払われた。お兄ちゃんは意外とスキンシップ嫌いだ。
「でも、それがなんでママとの縁を感じるなんて話になるの?」
「………お前には教えとくが、誰にも言うなよ」
「うん」
お兄ちゃんの忠告は基本的に聞くようにしてる。この人の言葉が間違ってたことなんて、今までなかったから。
「アイ──母さんは昔、ララライのワークショップに参加していたらしい」
「ワークショップ?」
「体験型学習とか、研究集会とか、まあ実践的な社会科見学、インターンみたいなヤツ」
初耳だった。ママがそんなのに参加してたなんて。そこで役者やアイドルのノウハウを学んだのだろうか?そしてそのワークショップを開いたララライが主催する舞台に、アクアも立つ。確かに縁を感じる。お兄ちゃんは確実にママと同じ道を歩いている。
「………なぁ、ルビー」
「なに?」
「お前、オレ達の父親について、興味あるか?」
「は?何言ってんのお兄ちゃん。昔にも言ったじゃん。ママは処女受胎に決まってるでしょ。アイドルは恋愛しちゃいけないし、ママに男なんて存在しないんだよ」
「……………」
何言ってんだコイツ、みたいな目で見てくる。私だってバカなこと言ってるのはわかってるけど、世の中見たくない現実はあるし、知りたくない真実はあるものだ。知って仕舞えば無視はできないが、知らない無知は許されるのだから。
「…………お前が気にしてないならそれでいいんだけどよ。もしかしたら今度の舞台でその辺の話聞けるかも、て思っただけだから」
「聞きたくない。てゆーかお兄ちゃんだって聞けない。そんなの存在するわけないんだから」
「そうか」
「───でもね」
認めたくはない。けれどバカなこと言ってるのはわかってる。お兄ちゃんも聞きたくはなくても自然と耳に入ってくることがあるかも知れない。だから──
「もしお兄ちゃんがそんな話聞いちゃって、その与太話を抱えきれなくなったら、私にも話していいからね。私はウソだってわかってるから、サラッと聞き流しちゃうから」
せめて私に話すくらいはしてほしい。なんでも出来て、なんでも抱え込んでしまうこの人は、いつかママの全てを受け継いでしまうかもしれないから。容姿や才能だけじゃない。あの人のやり残しも、心残りも、負の遺産も。文字通り全て。
「───ありがとう、ルビー」
「やめてよ、お兄ちゃんに普通にお礼なんて言われたら、鳥肌立って鳥になっちゃいそう」
「礼は言えるときに言っとかねーとって決めてるんだ。いつ死んでもおかしくねー職種だからな」
「ちょっと、ホントやめてよお兄ちゃん。私がそういうの嫌いだって知ってるでしょ。いつもみたいに偉そうにしてて」
「なんだよ、素直に感謝してんのに」
カアと鳴く声が響き渡る。音に釣られ、見上げると不吉を思わせる漆黒の鳥が夕暮れの空を横切っていった。
「日が暮れるの、ちょっと早くなってきたな」
「もう秋だしねー」
「帰ろうか、暗くなったら面倒だ」
「お兄ちゃん、バイクは?」
「そんなのに乗ってきたら花束吹っ飛ぶだろう。今日は歩きだ。行くぞ」
墓石を掃除するために使った道具を片付ける。最後にもう一度だけ、兄妹は墓の前で手を合わせた。
「舞台が終わったら、また来るよ」
「二人でねっ」
二人で墓地を後にする。兄の肘に手をかけ、肩を並べて歩くよく似た二人は、誰が見ても仲睦まじい兄妹の姿だった。
「星野、アクア……星野、ルビー」
誰もいなくなった墓地で、帽子とメガネで顔を隠した男が呟く。
「二人とも美しく育ったね……そして彼はよく似ている。容姿も、才能も、足跡も………流石、僕と君の子だ」
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
書けてしまった……年内無理かな、と思ってたので自分でも驚きです。ギリ間に合いました。やっぱり感想と評価、ランキングは執筆の原動力ですね。でも毎話四行詩考えるの難しすぎる。誰だよ前書きで四行詩毎回入れようなんて言い出したやつ!(←筆者です)
次回は(も)舞台観劇で修羅場か?対峙するあかねとフリル、そしてアクアと姫川。ハブられる重曹ちゃん。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。良いお年を。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
46th take 普通の努力
火を知らぬ少女は常に優位を譲らない
そのためなら水面下でどんな努力も厭わないだろう
星をなくした子の興が今は他にあったとしても
「あ、もしもし。お世話になっています。フリルです。明日は───」
不知火フリルが所属する事務所では珍しい光景が広がっていた。昨日から一日中我らが看板タレントは各所に電話などをしている。話している内容は端的に言えばスケジュール調整が主だったが、本来ならマネージャーの役目。それを本人自らが方々に掛け合っているという事は、結構無理矢理スケジュールに穴を作ろうとしているのだろう。
「はい、無理言って申し訳ありません。ありがとうございました」
電話を切る。すると一度大きく伸びをした。どうやら時間調整は終わったらしい。
「お疲れ様。明日オフにできた?」
「ありがとうございます社長。はい。今から完全オフです。携帯も仕事用のは切っちゃいますんで、会社で保管しておいてください。失礼します。白河さん、お願い」
手に持っていたスマホを社長に手渡すと軽く身支度を整え、白河に車を用意してもらう。大変そうだが、挙動にどこか楽しさというか嬉しさというか、そういうのが見え隠れした。
「社長、明日フリル何かあるんですか?」
「ん、星野アクアとデートみたいよ」
「デッ!?」
思わず絶句してしまう。星野アクアと不知火フリル、ついでに黒川あかねの三角関係といえば関係者にとっては周知の事実。とはいえリアリティショーが終わった今、ショーバラエティ上の演出は終わったと思っていた。が、それはどうやら違うらしい。
「あの子にとって星野アクアは未だ食い尽くせていない未知みたいね」
「…………まさか、ここ数日飛び回っていたのは──」
「明日まるまる一日オフにするためみたいよ」
「えぇ……」
そこまで知ってて黙認する社長に思わず呆れの目を向けてしまう。もし星野アクアと熱愛などすっぱ抜かれてはどうするつもりなのか。リアリティショーでの説得力があるとはいえ、それでも被害は甚大だろう。
「いいんですか。放っておいて」
「良いのよ。デートって言ってもララライの観劇に行くだけみたいだし。今度あの二人舞台で共演するのだから、マスゴミ連中が一緒にいるところ撮って、熱愛なんて言い出したら寧ろ逆に名誉毀損で訴えることも出来るわ」
「それはそうかもしれませんけど…」
マスコミはありとあらゆる手を使ってタレントのプライベートを暴き出す。その代わりと言ってはなんだが、基本的に決定的証拠がなければ安易な熱愛報道などできない。それにウチはその手の対策ガチガチにやってるし、相手が星野アクアであれば言い訳はいくらでも出来る。とはいえウチの事務所に波風が立つのは避けられないだろう。
星野アクアと関わり出してから、フリルは危ない橋を渡ることが多すぎる。あの男も大概ハイリスクハイリターンが信条と見える。付き合う男の影響で身持を崩す女性タレントなど幾らでもいる。星野アクアとの付き合いについて、事務所の人間の多くは賛成していなかった。
それでも社長だけはフリルの行動に関して常に鷹揚な態度を崩さなかった。
「あの子ね、この間私に聞いてきたの。普通の高校生って、どういうデートするんですかって」
「普通の、デート?」
「お弁当とか作って行ったほうがポイント高いのか、カフェするなら変に隠れ家なところより人の多い所の方がいいのか、この服なら変装してても可愛く見えるか。私もだけど、アクアもきっと普通の高校生のデートなんてしたことないから、楽しませてあげたいって」
「……………………」
唖然としてしまう。あの不知火フリルが男のために尽くしている。いや、尽くしているは言い過ぎかもしれないが、それでも相手のことを考えて行動している。フリルはいつだって思慮深い。コミュ力も高くて、人の気持ちがよくわかる、気遣いもできる子だ。
けれどプライベートにおいては、どちらかと言えばSな気性。何も言わなくても相手が勝手にフリルに尽くしていた。それが当たり前だった。なのに今はフリルが相手に尽くしている。信じ難いことだ。不知火フリルを尽くさせるだけの何かが星野アクアにはあるのだろうか。それとも星野アクアも結構尽くしてて、そのお礼というだけなのだろうか。どちらにしても驚愕だ。
「あの子が仕事以外で話すのは星野アクアの事ばかり。最近は妹さんの活動ばっかり優先してる。私が会いに行ってもつれない。堂山くんにご飯誘われたんだよ、とか煽ってみたけど全然刺さらない。本当に女子高生のグチみたいだったわ」
みたいじゃなく、まんまその通り女子高生なのだが、言わんとすることはよくわかった。
「楽しそうですね、社長」
「あの子が男に見せる服で悩む姿なんて一年前は想像もできなかったからね。私の知らない不知火フリルがどんどん出てくる。それは全てあの子の才能になって戻ってくるわ。今は一人の人間に夢中になる感覚をしっかり覚えて来てほしい。その後どうなるかは星野アクア次第ね」
「それじゃあ社長、辻倉さん。明日は電話しても出ないんで、よろしくです。お疲れ様でしたー」
最後に顔だけ見せて挨拶してくる。こちらの不安とは裏腹にどんどん可愛く、綺麗になっていくフリルを見て、辻倉も諦めの息を吐いた。
▼
演劇。カメラ演技との大きな違いは何か、と問われれば、それは撮り直しが効かないことだろう。勿論稽古はする。舞台で最高の演技をするために幾度も試行錯誤を重ね、役者同士で掛け合い、一つの作品を作る。そこはカメラ演技と同じだろう。
しかし、カメラ最大の利点は編集ができるということ。
ドラマの撮影において1話から10話まで順序よく撮影するとは限らない。撮影場所の確保。借りられる時間的制限。様々な事情が絡み合い、撮影するシーンが飛ぶことなどザラ。失敗してもやり直しができる。
だが演劇はそうはいかない。正真正銘、その日限りの一発勝負。一発で最高の演技をしなければいけない。
「それが演劇だよ」
以前から何度か使用している緊急避難用マンションの一室で、泣きぼくろの美少女から演劇の演技を説明される。帽子とメガネ、マスクのおかげでぱっと見誰かわからない。しかしぱっちりと開かれた大きな眼と綺麗な二重瞼だけで相当の美人であることは判別できる。佇まいには品があり、身体の中に一本芯が通っているようだ。
少女の名前は不知火フリル。日本国民なら知らぬ者はいないと言っても過言ではないマルチタレントだ。
「知ってるよ、それくらい」
「でも自分がその舞台に立つイメージをしたことはないんじゃない?」
少年が舌打ちする。こちらはマスクはしてない。けれど髪色は本来のものとは違い、艶やかな黒だった。
「演劇……一発勝負、か」
───カントルでライブは何度もした。スタジオで一発録りもやった。やり直しが効かないパフォーマンスの経験がないわけじゃない。だが…
ロックのライブは多少トチッても特に問題ない。玄人ならともかく、素人はまず気づかないし、大抵流される。ミスっても焦らず立て直しさえ出来ればそれでよかった。
しかし演劇となるとそうもいかないだろう。セリフのミスは勿論、身振り手振り、立ち位置さえミスったら取り返しがつかない。なるほど確かに未経験だ。一歩踏み間違えれば即死。崖と崖を繋ぐ鉄骨を渡るかのような舞台は。
「今日は観るべき部分と学ぶべきこと、私が解説してあげるけど本番はそうはいかない。板の上では私たち敵同士だからね」
「要らねぇ。観るべき部分も学ぶべきことも自分で気づかなきゃ意味ねぇからな」
人に教えられたものはいずれ消える。だが、自分で見て、発見して、理解して、実践して、自分のモノにした答えは一生消えない。演技もピアノもドラムもそうやって自分の血肉にしてきた。そのやり方を変えるつもりはない。
「ん、よし。できた」
全身が分かる大きな姿見を眺めながら、満足そうに一度頷く。映っているのは黒のフード付きパーカーに黒いパンツ。黒縁眼鏡に黒髪の少年。まさに黒ずくめ。いつもの煌びやかなアクアの姿はどこにもない。ここまで黒で統一すると逆に目立つのではと思えるほどの衣装。今から強盗しますと言われても納得してしまう出立ちだった。
「いいね。古参厄介ファンって感じで。今にも包丁取り出しそう」
「まったく、朝っぱらからTEL来て何事かと思えば……」
朝イチで呼び出されたアクアは今の今までコーデをフリルにいじくり回されていた。どんな服装にするか、迷ってたのでファッション自分で考えなくていいのは楽だったが……
「ここまで犯罪者チックにする必要あったか?」
「あるある。お互いもう有名人なんだし、これくらいはしなきゃ。ね?」
「今日あまの時もストーカー役だったが、ここまでではなかったぞ」
「言ってみて。その状態で『お前ならオレのカムパネルラになれるかな』って、言ってみて」
「お前ならオレのカムパネルラになれるかな」
「うわぁ、病んでるファン感すご……ハンパにイケメンが見えるから余計にキモい」
「ひでぇ言われようだ」
「ちなみにアクアって古参厄介ファンっていたことある?」
「あるよ。バンドやってた時に、何人か」
女性のみのthree-pieceバンドだったため、女の子のファンが基本的に多かったが、男のファンもいた。そして男女両方で厄介なファンはいた。
「女の子が持ってきた差し入れに髪の毛入ってたこともあったな」
「わかるなぁ。差し入れでナマモノはやめてほしいよね。何入ってるかわからないから」
「あとライブ会場の最寄駅で待ち構えてる人とか」
「約束もしてないのに待ってたよー、とか言って来る人ね。私は会場近くでが多いけど」
しばらく意味のない雑談が続いていたが、チラリとフリルが時計を見た時に会話が途切れる。約束の時間まで割と結構迫っていた。
「じゃ、後でね」
「もうここまで来れば一緒に行こうぜ。下にバイク停めてるし、そのほうが効率的だろ」
「ダメ。待ち合わせもデートの醍醐味なんだから。1秒でも遅れたら変装全部解いてアクアの名前スピーカーで呼び回りながら探すから」
「悪魔か」
「不知火フリルよ」
「知っとるわ」
▼
というわけであの後バイク飛ばして、待ち合わせ時間15分前に到着したのだが…
「───早えな」
人が溢れる雑踏の中、ありふれた格好をしているはずなのに、なぜか一眼で待ち人がわかった。立っているだけでもこの女は美しさが香る。
「だって、早く来なきゃ遅れた時貴方のこと拡声器で探せないでしょ」
「本気だったのかよ」
「私は貴方にはいつだって本気だよ」
スルリと腕を取られる。少しムッとしたが、大きく息を吐いて溜飲を下げる。オレ以外で彼女が不知火フリルと気づいている者はいないだろう。これくらいなら勘弁してやろう。
「行こっか」
「ああ」
開演は午後からだ。まだ時間はある。チケット代の対価として、残りの数時間をフリルはアクアとのデートに要求した。
「私、渋谷歩くの久しぶり」
「オレはなんつーか……身体中に爆弾括り付けられて鉄骨渡りしてる気分」
もしくは隣に立つ女に常に脇腹にナイフを突き立てられているかのような気分だ。流石にコッチは口にしないが。もし機嫌悪くしてマスクでも取られようものなら一瞬で炎上する。
「今日は普通の学生みたいな、ベッタベタなデートしよう。まずはクレープからね」
「はいはい」
人でごった返す竹下通りでクレープを買い、食べ歩きしながら渋谷の各所を回る。まずは街を適当に歩き、写真を撮りまくった。
「ん、おいし。こんな身体に悪いモノ食べるのも久しぶり」
「お前はもっと肉つけたほうが良いと思うがな」
主に胸周りに。
「…………痛いんだが?」
「変なこと考えてた罰」
「エスパーかお前」
組んでいた左腕に痛みが走る。傍目からはオレすらつねっていると気づかない。それほどまでに自然に、さりげなく人の腕にダメージを与えていた。
「私の身体で大発情したくせに」
「うるせーな、男の下半身は別人格なんだよ」
「可愛かったなぁ。必死に腰振るアクア」
「オレの下で泣いてるお前も結構可愛かったよ」
足を踏まれる。割とマジで痛かったのでこの辺にしておこう。次はヒール部分で踏まれそうだ。そうなったら流石に痛いで済まない。話題を変えることにした。
「今更だが、お前こんな事してていいのか?忙しい身だろう」
「ん、今は大丈夫。撮影の合間だから、結構休みあるよ。ご心配なく」
「マリンやってた時はめちゃくちゃなタイムスケジュールだったくせに」
「あの時は今ガチ出るために結構無茶したからね。その反動」
「…………オレってお前の無茶のとばっちりばっかり喰らってる気がする」
「私が無茶した原因はアクアなんだから、一緒に背負うべき責任だったと思う」
「理不尽すぎるだろ」
話を聞く限り、フリルがオレに興味を持ったのは、ドラマに出演したのをコイツが見たというのがきっかけらしい。オレから能動的にフリルに何かしたというならともかく、普通に仕事しただけでこの爆弾に巻き込まれたというのならもうどうしようもない。
「ブラブラするのも飽きたね。カラオケでもいこっか。アクアのストレス発散も兼ねて、今度はお互い手加減なしでやろう」
「のった」
今ガチで手加減していたのは知っている。そしてオレがセーブしてたことも気づいていたらしい。フリルの本気の歌唱も聞いてみたかったため、特に抵抗もなくカラオケに入った。
「いぇーい、私の勝ちー」
「くそっ、よく考えたらお前が歌で勝負は反則だろ」
「負け犬の遠吠え語は聞こえませーん。大体元バンドマンなんだからその手の言い訳は通用しないでしょ」
「オレはドラムだったんだってば。ボーカルならともかく、それ以外のバンドマンの歌唱力なんて、みんな素人に毛が生えた程度だよ」
一応仕事の一環としてボイトレもやった。歌でハネた作品なんていくらでもあるし、役者といえど、そういう機会が無いとは言い切れない。けど本職のディーヴァに比べればオレなんて足元にギリ及ぶかどうかと言ったところ。本当に上手いボーカルなんてモノ、ロックの世界でも結構少ない。ハルさんは数少ない本当に才能ある歌い手だった。
「なら次はゲーセンでは太鼓の鉄人で勝負する?それとも普通のシューティングとかにしとく?」
「…………その二択ならシューティング」
「負けたら言い訳できないもんね」
「うるせーな」
「よし、なら太鼓の鉄人で勝負ね。絶対勝つ」
「ホントいい性格してんなお前は」
最寄りのゲーセンに入り、勝負に明け暮れる。流石に太鼓は勝ったが、ギリギリだった。あと、シューティングも格ゲーもレースもやったが、どれも7:3くらいで負け越した。
「んー、たーのしかったぁ。やっぱりアクアとの勝負は面白いね。なんだかんだ負けん気強くて、どのジャンルでもコツ掴むのが早くてスジが良い。そして最後には私が勝つ。勝つから楽しい」
「お前なんでこんなに上手いんだよ」
「姉さんが結構ゲーマーだからね。付き合ってるうちに上手くなっちゃったの。私も基本何やってもセンスあるから」
「ムカつくが否定できないな」
「でもアクアもまあまあだよ。私には負けてるけど、ハイスコアには大体ランクされてる。結構経験値あったりする?」
「中学時代に一通りはやった」
「プリクラとかは?」
「その手の映像データが残るのはやらねぇようにしてたな」
「じゃあ、やろう」
手を引っ張られ、筐体に連れ込まれる。パッと見ただけで中学の頃より随分色々機能が増えているとわかった。
「ほら、メガネ取って。ウィッグも外して。いつもの私のアクアに戻って」
「誰がお前のだ。人の事自分のものみたいに言うの──ちょ、わかったからやめろ。雑に外すな。色々傷む」
「私もマスク取ろっと」
筐体の画面にはいつもの美しさを取り戻した二人が映っている。フリルにされるがまま、指示通りのポーズをとって、複数回撮影した。
「負け越しジョバンニって書いていい?」
「好きにしろ」
楽しそうに画面を覗き込み、色々いじる姿は、不覚にも可愛いと思ってしまった。
▼
一通りのデートが終わった頃にはいい時間だった。バイクのタンデムにフリルを乗せて、劇場へと向かう。この強盗一歩手前の格好をしたカップルが不知火フリルと星野アクアだと気づく者はいなかった。
「…………思ったより広いな」
会場に着いて、第一に思ったことがこれだった。あってもせいぜい映画館程度の広さだと思っていたのだが、想像以上に客席の数は多い。
「客席数は約3000。並みの映画館は余裕で超える。ましてこの舞台はステアラ使ってるし」
「ステアラ……」
ステージアラウンド。360°全てモニターが覆っており、劇に映像演出を使うことを可能とする。客席も回転するし、場面転換も素早くシームレスに行える。劇の課題といえば大袈裟な演技や場面転換のたびに幕が下りて一々止まるテンポの悪さだったが、この発明によって劇的に改善された。
「アクアってステアラの舞台観るの初めて?」
「知識として知ってはいたがな。それにオレはどっちかっていうと映画派だし」
「カメラ演技の役者にとっても勉強になるよ、演劇は」
警告音が鳴り響く。始まるようだ。二人とも口を閉じる。『演劇とは客も含めて完成する作品である』と呼ばれるほどの体験型コンテンツ。故に観客は守るべきマナーが幾つかある。その最たるは静かにする事だ。
───え
しかしそのマナーを破りそうになってしまった。口から言葉が漏れそうだった。それほどまでに今目の前にいる役者は圧巻だった。
───近い
関係者用のVIP席とはいえ、距離はある。なのに映像で見ているかのような───いや、それ以上の至近的距離感を感じた。叫んでいるわけではない。主役は冷静沈着なスパイ。動揺を見せず、ミッションを遂行することが信条。
ステージアラウンドの舞台装置が動く。風が、音響が、熱が、肌に触れる。客席が動く。演劇の欠陥を物理的に克服しているというだけではない。客席が回転するというのは演出の妙にも一役買っている。演出が刺さるから演技にも乗れる。
なるほどコレがステージアラウンド。確かに観ると聞くとでは大違いだ。
しかしそんな大違いが気にならないほど、目の前の役者の演技にオレは目が離せなかった。
───コレが、現在一流と呼ばれる俳優、ララライの
実力派若手俳優といえば、まず第一に上がる名前。でも実際に見たのは初めてだった。
「私と貴方を足して二で割ったって感じね。姫川さんは」
舞台が終わった後、しばらく客席から動けなかったオレにフリルが声を掛ける。その評価に否はない。一言で表すならそんな感じだ。
「才能の系統としてはアクアと同タイプだと思う。憑依して、入り込むメソッド演技。でも彼はそれを心だけじゃなくて身体全部使って表現する術を心得ている。俯瞰と没入。深さと伝わりやすさを両立させてる。貴方の進化の先に私はいないと思うけど、彼はきっと貴方の先にいる人ね」
「オレの、先に………」
つまりオレの完全上位互換。今すぐ真っ向勝負するなら100回やって100回負ける。そんな相手とオレは数ヶ月後、同じ舞台に立つ。同じ役を演じて、同じ役を演じられて、比較される。今のままでは虐殺必至の相手。
「見に来てよかった」
「その言葉が聞けてちょっと安心した。殺されないでね。貴方を活かすのも殺すのも私がいいから」
「わかってる」
客席から立ち上がる。もう用はない。姫川の才能の系統も、演じ方もなんとなくわかった。これからはどうやって奴を喰うか。前半のブレイドはオレが演る。姫川の役作りに沿った上でどうやってオレが主役だとアピールするかだ。
───つってもコレは台本上がらねーとどうしようもねーんだけど
「…………帰るか。有意義な時間だった」
「姫川さんに会っていかないの?関係者用ブース行けば挨拶くらいできるよ」
「いいよ。いずれいやでも顔は合わせるんだ。別に今日じゃなくていい。どっかで茶でもしばこう。礼だ。奢ってやる」
「じゃあホテルオーカワのアフタヌーンティーを──」
「あ、姫川さん!待って!」
二人の会話を遮るような声が響く。ほぼ無意識に視線を音源へと向けると、ラフなパーカー姿でこちらへと近づいてくる男がいた。
───まさか…
「待ってください姫川さん!まだ取材とかあるんですから!戻ってもらわないと───って、あれ?ひょっとして……アクアくん!?え、なんて格好してるの!変装?強盗でもするの?」
「あかね…」
「てゆーか観に来てくれたんだ!言ってくれれば私がチケット用意したのに!どうだった!?私の演技?良かった?ダメだった?」
捲し立てるあかねの言葉はほとんど耳に入ってこなかった。アクアの星の瞳はただ一人に向けられている。
───この人が……
「君、誰?」
あかねの静止がなくなったからか。グッとこちらに顔を近づけてくる。流石に顔立ちは整っている。だが近眼なのだろうか?焦点の合わない視線。こちらを見ているかどうかよくわからない眼の動き。生気の感じない表情に、猫背でシャキッとしない立ち姿。舞台の上とはまるで別人。あんなにエネルギッシュな演技ができる人とはとても思えない。舞台と素でギャップがある人なんて役者の世界じゃ珍しくないが、ここまで落差がある人は少ないだろう。
「舞台の上からでも、君のことが気になった。客席で君達二人は明らかに目を引く存在だった。一人はここに来て納得した。不知火フリルだ。目を引かれないなら俺の目が節穴だったことになる」
「…………え、フリルさん?───観に来てたんだ……アクアと二人で」
「直接お会いするのは久しぶりですね、姫川さん。あかねも。挨拶に行こうと思ってたところです。わざわざ来ていただいてありがとうございます」
「でも君はわからない。一体誰?」
フリルの言葉も、あかねの葛藤も、全て無視して姫川はオレに来る。光栄だと思うと同時にムカついた。ダブルキャストの相手も知らねーのか、この人は。
───いや、違うな
眼中にないだけ。オレを見てないわけじゃない。ただ目標を見ているだけ。違うのは意識の置いている場所。
───その意識の置き場所にオレが入ってきた。今はそれだけでいい。
柔らかく手を差し出す。これ以上なく友好的に、そして攻撃の意思を込めて、口角を吊り上げた。
「初めまして。姫川大輝さん。東京ブレイドで貴方と共演することになりました。星野アクアです。どうぞよろしく」
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
あけおめです(大遅刻)。新年第一話いかがだったでしょうか。今回はフリル健気シーン。スペック高い女子って意外と尽くしてくれる子多いですよね。頼られることに慣れてるからでしょうか。
あかねにデートバレしました。出来れば修羅場まで書きたかったのですが、長くなったため分割。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
47th take 通り過ぎていた
一人は火を知らぬ少女、一人は沈みゆく落陽
星をなくした子の旅に同行する二人は気づかない
道標に落としていたパンのカケラが闇に呑まれていることに
幼い頃は、恋愛ってもっと素敵なものだと子供心に思っていた。
好きな人がいるっていうのはとても嬉しいことで、その人を見てるだけでドキドキして、心がふわふわして、毎日が楽しくなるものだと思っていた。
でも私はこの歳になるまで、本気の恋というものをしたことがなかった。
5歳の頃から芸能界にいて、一応は役者として10年以上活動していた。だからカッコいいな、と思う人は結構いた。そういう人と恋愛のシーンを演技することもあった。けど、だからだろうか。私は本当の恋がどんなものなのか、だんだんとわからなくなっていった。
生まれて初めて恋をした。
星野アクア。なんでもできるのにどこか不器用。自信家に見えて、実は自己評価が低い。他人の心理や感情を読み解くことはできるのに、自分のこととなると鈍い。美しさと醜さ、両方を持っている。神様みたいなのに、どこか私と似ている人。
魅了という言葉が心を奪われることを指すなら、私の心はこの人に奪われた。あの雨の夜に私はこの人に恋をした。
最初はとても楽しかった。
あの人のことを考えるだけでドキドキして、あの夜、私にしてくれたことを思い出すだけで笑みが溢れて、あんなに沈んでいた気持ちがふわふわと浮き上がって。
とても楽しかった。嬉しかった。
けれど、いつのまにか楽しいだけではなくなり始めた。
「だからなんでお前はいつもいつも───」
「そんなに怒らないでよ、私の
今ガチが始まってから今日に至るまで、二人の口論は何度も聞いた。大抵アクアくんがなんらかの被害を被って、フリルちゃんが言葉巧みな言い逃れして、不服そうにしながらもアクアくんが受け入れて打開策を考えるっていうのがいつものパターン。中にはアクアくんが本気で怒ってた時もあったと思う。
でも、二人はいつも楽しそうだった。
アクアくんは無茶振りされるのに慣れてるんだろうか。それとも難しい問題を解くのが好きなのだろうか。とにかくフリルちゃんがアクアに課すトラブルを、苛つきながらも楽しんでるように見えた。
フリルちゃんはきっとアクアくんを試してるんだと思う。自分がどこまでならわがままを言っても聞いてもらえるか。どれくらいの難易度ならアクアくんは解決できるか。ずっと課題やノルマを問われ続けた身である彼女が、今度は与える側に回る。アクアくんの能力で解決できるかどうかギリギリのトラブルを振り続けた。そしてアクアくんは今のところ全て見事に解決し、その度に役者としてだけでなく、マルチタレントとして成長を見せている。フリルちゃんにとってアクアくんは出来の良い弟子のようなモノなのかもしれない。
既に芸能界の遥か高みにいる不知火フリル。
いずれその高みまで昇り詰めるであろう星野アクア。
二人はきっと、運命に導かれた出会いで。とてもかけがえがないものなのだった。
二人の並び立つ姿は誰が見てもお似合いで。とても絵になるものだった。
きっと二人にとって二人は、誰かが変わることなどできない存在なのだろう。
───でも、私は?
アクアくんが私と付き合っているのは恋愛の勉強のためだ。彼の理想に自分が近かったというのもあるんだろうが、彼が私に恋をしているとは思えない。寧ろ無意識のうちに惹かれている相手はフリルちゃんか、若しくは───
『懲りないわね、黒川あかね』
かなちゃんが私達のデート中に会いにきたことを思い出す。私も女子だ。女の子が好きな人を見つめる目がどんなものかくらいわかる。
『アクたんのことは勿論好きだよ。人間としても、異性としても』
アクアくんに頼まれて参加した女子会でメムちゃんもハッキリと言っていた。
───彼氏がモテるっていうのは、彼女としては気分良いけど…
私の他に3人もガチ恋勢がいるなんて聞いてない。このことにアクアくんが気づいているかどうかはわからないけど、ただ恋愛の勉強するためだけに私と付き合ってるんだとしたら、相手なんてこの3人の中の誰かでもいいはず。私なんかいつ切り捨てられるかわからない。
───こんな事、冷静に考えてる自分も嫌になる
恋愛ってもっと素敵なものだと思っていた。
でも付き合いが長くなればなるほど、彼のことを知れば知るほど、嫌な感情が芽生えてくる。胸の奥がチクチクして、もやもやが溢れそうになる。
───これ以上、深入りする前に……
これ以上アクアくんを好きになってしまう前に、彼から距離を取るのも一つの……いや、それどころか最も正しい選択肢なのかもしれない。アクアくんは間違いなく天才だけど、才能とは呪縛に近い。大きくなればなるほどその呪いは強くなり、周囲を巻き込む。彼が平穏に、当たり前の幸せを掴むことなど、まずないだろう。周囲を巻き込んで破滅するか、大成し、全てを栄光で照らす太陽になることで周りの人間をも幸福にするか、そのどちらかだ。
私はそんな成功が欲しいとはあまり思わない。
もちろん女優として成功はしたい。お金だって欲しい。いろんな舞台に立って、いろんな役を演じてみたい。けれど私だっていつまでも女優ではいられない。
いずれは芸能界という美しくも醜い舞台から身を引く日が来る。
その時、身に持て余すほどの地位や名誉、財産に包まれていたいとは思わない。好きな人ができて、結婚して、子供を産んで、家族を作って、子や孫に見守られながら逝くことができれば、私はそれで満足だ。
でも星野アクアと付き合い続けていれば、おそらくそんな穏やかな幸せを掴むことはできないだろう。破滅か、栄光か、どちらかしか道はない。
───そうなる前に、私は…
「ごめんなさい。今日は一日付き合うって約束したのに」
「気にするな。不知火フリルと付き合ってんだ。この程度のトラブルは想定内だよ。気にしなくていいから、早く行ってこい」
都内某ホテルの一室、アフタヌーンティーを楽しんでいた私たちに一本の電話が入ってきた。鳴ったのはフリルちゃんの携帯で、どうやら今すぐきて欲しいという内容らしい。オフに仕事が舞い込むなど、芸能人やっていればよくある話。まして不知火フリルともなればもはや日常だろう。アクアくんもその認識に大きく違いはなかった。
「…………あっさり許されるのもシャクね。ちょっとくらい怒ってくれた方が私は嬉しいんだけど」
「怒らない怒らない。オレ怒るってキライなんだよ。基本的に非生産的なことにしかならねーからな」
「…………ホント、自分の危険に関しては結構鈍いよね、アクアは」
は?と思った時には遅かった。
おもむろに踵を返したと思ったら足早に駆け寄り、アクアくんの首に腕を回す。
私が驚きに思わず瞬きし、目を開いた時には、勢いにのけぞったアクアくんの口はフリルちゃんの唇で塞がれていた。
「そういうこと言われると、怒らせたくなる人間だってこと、貴方は知ってるくせに」
「───何しやがるこのクソアマぁああああ!!?!」
「あはは。じゃーね!この埋め合わせはいつかまた!」
「二度と戻ってくんなぁああああ!!」
柳眉を逆立て、激昂するアクアくんと、してやったりと笑って部屋を出ていくフリルちゃんを見て、私の心にビキリと音がした。
───ああ、そっか。私、もうとっくに……
もうとっくに、離れられなくなるくらい、この人に恋をしていたんだ。
▼
───どうしてこうなった…
オレはただ、観劇して、姫川大輝の実力と役者としてのタイプを見られればそれでいいはずだった。本当なら今頃どこかでランチして、過去の姫川大輝の出演作でも観て、傾向と対策を練るはずだったのに。
都内の某ホテル。個室四人席に3人の男女が腰掛ける。普段なら優雅な淑女達がアフタヌーンティーを楽しむ穏やかな空間のはずなのだが、その一室だけはピリピリとした緊張感が漂っていた。
「…………椅子とってこよ──」
「アクアくん、私の隣が空いてるよ?」
「…………」
「空いてるよ」
「ハイ」
ポンポンと手で叩いた場所に座る。紅茶を口にするが、味など楽しめる状況ではない。背筋を伸ばし、少しでも粗相がないように細心の注意を払う。
唯我独尊、とまでは言わないが、あまり他人に気をつかうことをしないこの男の謙虚な態度の原因は関係者が見れば一目瞭然。
隣に座るのはベレー帽を被り、紅茶を口にする少女。最近青みがかった黒髪を伸ばし始め、グッと艶を増し、少女から女性へと羽化を遂げようとしている。アクアとは一つ歳上だが、芸歴で言えば後輩にあたる舞台女優。名前は黒川あかね。仕事上がりだからか、いつもより大人びて見える。美人に知り合いの多いアクアでも、この人以上に綺麗な人はなかなかいないと言えるほどの女子だ。
そして対面に座るのがその数少ないあかね以上の美しさを持つ女。この状況にありながら紅茶片手に呑気にスコーンを口にする。流石は不知火フリル。凄まじい神経の図太さだ。
「…………あかね、出てきていいのか?まだ公演期間だろう」
「今更稽古したところで大して変わらないよ。ここからは本番積み重ねて昨日より良くしていくしかない。少なくとも明日の夕方まではオフだから、安心して」
「…………そうか」
「嬉しくない?」
「嬉しいよ、もちろん」
自然に笑うことはできていたと思う多分。そしてあかねもこれ以上なく綺麗に微笑んでいた。だからこそ怖かった。時間稼ぎにカップを手にするが、中身がカラなことに持ち上げるまで気づかなかった。
「───新しい紅茶淹れてくる」
「私がやるから、座ってて」
「いや、別に──」
「アクアくんは言い訳でも考えてて」
「…………はい」
笑顔の迫力に圧殺される。というか、言い訳ってなんだよ。別にあかねに責められるような事は……してなくもないが、少なくとも今日は友人同士の遊びで済む範疇のことしかしてない。それなのに何故オレはこんな糾弾されるような位置に立たされているのか。少し理不尽だった。
「このスコーン美味しい。さすがホテルオーカワのパティシエ」
───コイツは相変わらずだし。
泣きぼくろの美少女はケーキスタンドに飾られている色とりどりのスイーツを楽しみながら、呑気に、美しく笑っていた。
「じゃあ大事なことから確認するけど、なんで二人は今日デートしてたの?」
「別にデートしてたってつもりはねぇんだが。姫川大輝の演技見にきただけで。フリルがついてきたのはチケット持ってたからってだけで」
「そうそう。渋谷で待ち合わせして、クレープ食べて、カラオケ行って、ゲーセンで遊んでから劇場に来ただけで、全然デートなんかじゃないよ」
両肩がズシっと重くなる。チリチリと火がついていた雰囲気が灼熱に変わった気がした。もし空気に力があるとすれば、手にしたカップにヒビが入っていただろう。余計なことを言い出しやがった核弾頭を睨みつけたが、まるで刺さっている感じはしなかった。
「姫川さんの演技見るのが第一なんだ……私じゃなくて」
「え?そこ?地雷そこなの?」
「私にとっては一番大事なことだから」
役者らしいといえばそれまでだが、やはりあかねも普通の女子とは違う感性の持ち主らしい。
「もちろんフリルちゃんと二人でデートしてたことも充分地雷だけどね」
静かだが迫力のある声で付け足される。あかねの方を見る勇気は流石のアクアもなかった。
「あかね、アクアを怒らないであげて」
「…………」
「アクアは今回悪くない。私が誘ったんだ。うちの事務所のツテで今日の演劇のチケットが手に入ったから。ダブルキャストの相手の演技ならアクアは絶対見たいと思って」
「なら私に言ってくれれば、チケットくらい用意したのに」
「そこはあかねも悪いと思う。私はアクアに何も言われてないけど、用意したよ?」
ビキって音がした。振動ではない。鼓膜を震わせるモノではなかったけど、確実に何かがひび割れた音がした。
「ダブルキャストのこと、あかねも勿論知ってるよね。ならアクアが姫川さんの演技がどんなものか、知りたいってなるのは必然。アクアのためを考えれば、これぐらいのことは言われなくても思いつくべきだと思う」
「…………私はいま公演してて、他のことを考える余裕なんて──」
「うん、だからあかねを責めてる訳じゃない。真面目で仕事に真摯なのはあかねの良いところ。アクアはそういうのに理解ある人だし。でも、だからこそ仕事に集中させてあげるために、出演中のあかねに余計な頼みはしづらかったっていうのは、理解してあげて」
───スゲェ
偏見と詭弁、そして正論を混じえて捩じ伏せた。オレも口は上手い方だと自負していたが、この美しき鬼女と比べてはまだまだだと実感させられた。
そしてようやくピリついた空気が緩和された今を逃すわけにはいかない。
「フリル、もういい。お前達が言い争う必要ねぇ。言うまでもなく、誤解させるようなことしたオレが悪いんだ。ごめん、あかね。姫川さんの演技見たかったのも、あかねに余計な情報入れたくなかったのも本当だった。けど、一言くらいことわっておくべきだった。ごめん」
「───私も、甘えてた。普段のアリバイデートも、電話やLINKも、いつも私に合わせてくれてて、それが当たり前になっちゃってた。自分のことばっかりで、アクアくんの事考えるの、忘れてた。俳優の彼女失格だね。本当に、ごめんなさい」
二人が頭を下げ合う。しばらくお互いその姿勢から動けなかったが、パンと乾いた音が鳴り、反射的に二人とも音源を向く。すると手を叩いた状態で静止したフリルが笑っていた。
「はい、仲直り終わり。ここからはあかねもアフタヌーンティーを楽しもう。もちろん、アクアの奢りで」
「…………参った。完全に降伏する。好きなの飲んで、好きなの食べろ」
「やった。降伏するって。あかね、この二股男の財布カラになるまで二人でめっちゃ高いの端から端まで頼んじゃおう」
「よーしっ。じゃありんごのシブーストとシェフ特製焼き立てスフレと季節のフルーツコンポート──」
「パパ❤︎私は苺とリコッタチーズのショートケーキにベリーシトロン。あとキャラメリゼのアップルショコラ──」
「なに頼んでも良いからパパはやめろ」
スラスラとメニューに記載されたスイーツの名前を口にする二人を見て、ほんとにサイフカラにされるかも、と内心で汗を掻くが、この場を和やかに収められるならオレのサイフくらいは安いものだと諦め、紅茶を口にする。今度はちゃんと味がした。
▼
「それにしても、姫川さんの演技は凄かったね」
しばらくアフタヌーンティーを楽しみ、当たり障りのない雑談をしていたが、やはり役者が3人集まれば、いずれは仕事の話になる。何気なく口にしたフリルの感想に二人とも食いついた。
「舞台劇の弱点の一つに、演技が大袈裟すぎて客がシラケるってのがある。それも当然。舞台において、役者と客は物理的に距離がある。表現を伝えるにはどうしても大げさな演技が必要になる。姫川大輝の演技もちゃんと大袈裟だった」
「けど、あの人の演技は大袈裟なのにリアルが伝わってくるでしょ?」
そう、大袈裟なのにリアル。動作の一つ一つから感情がダイレクトに伝わってくる。だから距離が近く感じる。映像で見ているのと大差ない……いや、それ以上の近さを感じた。
「今のオレには、多分出来ない」
役者にもタイプがある。オレやあかね、姫川は憑依型。フリルや有馬は俯瞰型。憑依型は感情の掘り下げに優れ、俯瞰型は表現力に優れている。どちらがどうと言うわけではないが、演劇においては恐らく俯瞰型の方が向いているだろう。
「私もララライで長くあの人と仕事してるけど、あの領域にはまだまだ辿り着いてないなぁ。私ってキャラの考察とかイメージが台本に沿ってればそこそこ良い演技できてると思うけど、脚本と原作でキャラに差があるなんてよくある事。そういう時、私は100%の演技ができてるとは思えない」
「オレは恐らくあかね以上だ。カメラ演技の経験しかねぇからな」
カメラだったら口元や眉の動きだけで感情表現できるが、演劇はそうはいかない。感情が動けば身体も動くものだが、アクアの心象表現はリアル過ぎて舞台では伝わらないだろう。掘り下げた感情を全身で表現する技術に欠けている。
「感情の掘り下げっていうのは役者なら誰もがやってる。けどアクアは内面に深く潜りすぎて、いざ演技となると表面に浮かび上がってくるのはせいぜい首から上まで。全身浮かび上がるどころか数メートルジャンプするくらいじゃないと演劇じゃ通用しない。衝動的で大胆な感情表現させれば天下一品なんだろうけどね」
「その点、フリルちゃんはアクアくんとは真逆だね。フリルちゃんはどんなキャラを演じてもどこかにフリルちゃんらしさが香る。自分の魅せ方を誰よりもわかってるからこそ誰よりも美しい。表現力極振りの演技。そりゃ売れるわけだよ。千年に一人の美少女って言われるのも頷ける」
「監督や演出家さんなんかからはつまんないってよく言われるけどね」
「ま、媚びた演技に見えなくもねーからな。精度高すぎてパンピーにはわからねーけど」
「私の
「でも、最近はそうでもない」
アクアの脳裏に衝撃を与えたあの時の演技が蘇る。何不自由なく育った天才が初めて敗れたシーン。滝のような汗の中に一筋の涙を紛れ込ませた、あの怪演を。
「アレは感情の掘り下げをやってなきゃ出来ない演技だ。初めて見た時、正直ビビった。一生敵わないかもしれないと思わされた。フリルはもうただ美しいだけじゃないよ」
「アクアくん、よく知ってるね……それってかなり最近放送されたヤツなのに。フリルさんの出演作、チェックしてるんだ」
「強要されてただけだ」
嘘ではない。付き人として帯同させられたら嫌でも目に入る。強要と言い換えても、こじつけではあるまい。
流石に怒るかと思い視線だけをフリルに向ける。意外なことに怒ってはなかった。笑ってもなかった。何かを見つけたように、目を見開いてオレを見ていた。美しさというフリルの仮面。それが完全に剥がれ落ちていた。
「───フリル?」
「驚いた」
「何が?」
「貴方はこんなにも早く、私の
「───ちゃんと聞いてたか?オレはまだお前には遥か及ばないって話をしてたんだが──」
話が中断される。電子音が部屋中に響き渡った。どうやら誰かの携帯が鳴ってるらしい。
───って、あれ?この曲……
「『
カントル最初の曲。オレが初めて詩をつけて、ナナさんが曲をつけた、オレ達のためだけの曲。コレがまさか他人から、しかもフリルの携帯から聞けるとは思わなかった。
「着メロ何使ってんだよ……よく音源手に入れられたな」
確かにネットにも上げたし、インディーズバンドのCD売ってる店行けばカントルの曲ならまだ手に入るだろうが…
「私は私が良いと思ったものならなんでも使うよ。メジャーもインディーズも関係ない。コレは良い曲。特に詞が良い。私的にお気に入りなのは一番から三番までの詩全てで一つの物語になってるところが───」
「解説しなくて良いからさっさと出ろ」
自分が作った詞を解説されるのって結構恥ずかしい。ああいうのはリズムや音に乗ってるから言えることであって、何もなしだとただのポエムだ。
───ん?
ディスプレイを見て眉を顰めるフリルに、違和感というか、珍しいものを見た気になる。トラブルもチャンスもなんでも楽しむこの女が不快そうな顔をしたところをオレは初めて見たかもしれない。少なくとも、美しさはまるで感じなかった。
「はい、フリルです。社長、今日は私電話出ないって言いましたよね───そういうの、今日は断ってくださいって頼んだはずですけど───随分動き早いですね。相手もさすがといったところですか。わかりました。戻ります。迎えは……はい、ホテルオーカワです。お願いします。それでは」
通話を切る。そしてまたも珍しいものを見た。所在なさげに、申し訳なさそうな顔でオレを見つめてきた。こんな弱気なこいつは初めて見た。
「───会話の内容で大体分かったと思うけど…」
「仕事だろ?いいよ、行ってこい」
オフの日に呼び出されるなんてオレすらよくあること。不知火フリルであればほぼ日常だろう。同情こそすれ、怒りはまるで湧いてこない。
「ごめんなさい。今日は一日付き合うって約束したのに」
「気にするな。不知火フリルと付き合ってんだ。この程度のトラブルは想定内だよ」
「せめてアフタヌーンティー代だけでも置いてくよ」
「野暮天。男が一度奢ると言ったものを撤回できるか。いいから行け」
オレとていつ同じ立場になるかわからない。そして同じ立場になった時、面倒くさくさせないためにもこういう時にちゃんと貸しを作っておいた方がいい。フリルはこの手の貸し借りに関してはシビアだ。
流石にホテルの外までは無理だが部屋を出るところまでは見送ろうと立ち上がる。フリルも既に扉の前まで移動していた。でも何故かそこで立ち止まっている。まだ後ろめたいのかな、と少し心配していると躊躇いがちに口を開いた。
「…………約束破った方がこんなこと言うの気が引けるけど、あっさり許されるのもシャクね。ちょっとくらい怒ってくれた方が私は嬉しいよ?」
「怒らない怒らない。オレ怒るってキライなんだよ。基本的に非生産的なことにしかならねーからな」
「…………ホント、自分の危険に関しては結構鈍いよね、アクアは」
「?」
どういう意味か、問い詰めようとしたその時、急に振り返りこちらへと走ってくる。なんだ殴られるのか、と身構えた時には遅かった。ダイブするような勢いでオレへと飛びつき、倒れまいと踏ん張った時には何ヶ月見ていても飽きる気がしない美しい顔面が焦点の定らないほど至近距離に迫り、声を上げようとした時には自分のそれとは比べ物にならないほど潤いと弾力のある唇でオレの声を塞いでいた。
「そういうこと言われると、怒らせたくなる人間だってこと、貴方は知ってるくせに」
「───何しやがるこのクソアマぁああああ!!?!」
「あはは。じゃーね!この埋め合わせはいつかまた!」
「二度と戻ってくんなぁああああ!!」
怒声から逃げるように扉を閉める。フンと大きく息を吐くと椅子に座り込み、グジグジと口元を服で拭った。
───気のせいかな。アイツ、いつもより……
ゾクリと背筋に寒気が走る。先程己が発した怒気など比べ物にならない怒りと殺意が背中から立ち昇っているのがわかる。恐る恐る後ろを向くと、これ以上ない満面の笑みで佇むあかねの姿があった。
怒りってやつは通り過ぎると笑いしか出てこないとは言うが、どうやらフリルだけでなく、あかねもそのタイプらしい。
「…………今のに関してはオレ悪くないだろう。不意打ちじゃねーか」
「え?なにが?何か悪いことしたの?私別に何も怒ってないよ?」
「…………なら、良いんだけどよ」
「ところでアクアくん、相談があるんだけど、この後って時間ある?」
「今日は何時でも付き合いますよ、あかねさん」
「良かった。それならコレから少し私に付き合って」
荷物を纏め始める。まだケーキスタンドにスイーツは残っていたが、もう食べる気はないらしい。オレも黙ってあかねに従った。
「…………ちなみにどこ行くつもりだ?」
「アクアくんの感情演技のレッスン。ビシバシ行くから覚悟してね」
───あ、コイツ稽古にかこつけてオレをいじめるつもりだ
前を歩く青みがかった黒髪の美少女の魂胆に薄々気づきながらも、アクアはただ付き従うことしかできなかった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
最新話ヤバいですね。ネタバレになるからあまり多くは書きませんがアクア重曹ちゃん好きすぎだろ。もはやアイ超えてんじゃねーか?
原作であんな爆弾落としていいならこっちも負けてられない気になりますね。ちょっとコレはやり過ぎかな、と思ってた話、やっちゃおうと思うほどの衝撃でした。どんなストーリーかは今後をお楽しみに。やるかどうかはわかりませんが。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。質問等も大歓迎です。本編には載せてない設定とかもありますので。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
48th take dear my audience
かつての赤い宝石の目が蘇らせる
夕焼けを名に冠する少女は知る由もない
虜の魔性はなくした星から受け継がれていたことに
好きにならざるを得ない人というのがいる。
何をしていても目がいく人。
何をしていても目が追ってしまう人。
何をしていても絵になってしまう人。
万人を惹きつける魔性の鱗粉を纏う人が。
───アイさんって、普段学校ではどんな人なんだろう
今みたいに、クラスの中心で、太陽のようにみんなの盛り上げ役みたいなことをやってるのだろうか。
それとも日陰の花みたいに、窓際の席でそっと一人佇み、遠くを眺めているのだろうか。
どんな姿を想像しても絵になった。もし自分が同じクラスにいたのなら、絶対に彼女の一挙手一投足を目で追ってしまうだろう。人気者も、孤高も、ミステリアスも、全てが似合う。似合ってしまう。
アイドルだらけの運動会の中、クリームで顔を汚し、遊んで歌って笑う目の前の光景も、背筋に寒気が走るほど似合ってしまう。
───ああ、こんな人誰でも……
好きになっちゃうでしょ
▼
「…………此処って──」
ホテルを出た後、あかねをバイクの後ろに乗せ、あかねのナビの下、行き着いた先は公的施設だった。ぱっと見幼稚園っぽく見えるが、小学生らしき児童もいる。幼稚園というよりは恐らく───
「児童養護施設。ララライのメインスポンサーが経営してるの。身寄りのない子や家庭に事情がある子達の為の場所。私も此処で演劇会したことあるよ」
言葉にしないアクアの疑問にあかねが答える。星の瞳の少年はこの手の施設は少し苦手だった。
『二人が良ければ、本当にうちの子になりませんか』
記憶をなくしてしまってから、初めてミヤコと交わした言葉が脳裏に蘇る。恐らくオレが生きている限り、一生忘れない。
『もちろん二人の母親はアイさんしかいない。私のことも母親だなんて思わなくていい。でも私は君たちのことを自分の子供のように思ってる』
もしミヤコに出会えなければ。あの人が嘘偽りなく述べてくれた心からのあの言葉がなければ、オレ達もこういうところに世話になっていたのかもしれない。だとしたらオレとルビーの人生も大きく変わっていただろう。アイと交わした約束を果たす余裕などなく、今を生きるだけで精一杯だったかもしれない。
そう思うとここであまり冷静な対応ができる自信がなかった。
「こんなところで一体何を…」
「───鴫沢先生、お久しぶりです」
「あら、あかねちゃん、ホントに久々ね。ちょっと見ない間に随分綺麗になって。髪伸ばしてるの?」
「はい。ロングの方が彼の好みらしくて──」
開け放たれた門扉を堂々と通り抜ける。エプロン姿の鴫沢と呼ばれた保育士らしき人とあかねは知り合いのようだ。髪は後ろでお団子に纏めており、比較的美人の部類に入る人だと思う。何より纏う空気が穏やかで優しい。先生という職が向いてそうな人だった。
「その人は?いつもの?」
「はい。今度ララライの舞台で主演を務める一人の星野アクアさんです」
「はじめまして、鴫沢さん。星野アクアです」
「はい、はじめまして。鴫沢奈津美です。今日はお世話になります」
「…………お世話に?」
どういう意味だ、と隣のあかねを見る。にっこりと笑い、軽い口調で切り出した。
「感情演技のレッスン。この施設の子どもたちと仲良くなって。全員と友達になれれば合格。どれくらいの期間やることになるかはアクア次第。頑張ってね♪」
ヒラヒラ手を振ると園の外へと足を向ける。どうやら送るのはここまでで、あとは自分でやれということらしい。
「…………こういうこと、多いんですか?」
「はい。ララライの役者さんがボランティアで来ることはよくあります。皆さんは此処で大人になるまでで得た代わりに失ったモノを見つけて帰るそうです」
───大人になるまでで失ったもの、か。
そんなモノ、オレにあるんだろうかと思ってしまう。あの日、病院で目覚めてから今日に至るまで、我ながら子供らしくない人生を送ってきた。フリルや有馬ほどではないが、オレもかなり早熟だろう。感情の出し方に戦略を纏うのが当たり前になっている。
子どもたちと触れ合えというのはそういった戦略の無い感情を子供達から思い出せという意味のはずだ。あかねが課したレッスンの意味はおおよそわかる。感情を大げさに、けれど自然に表現するための技術。それは確かに大人より子供の方が優れているかもしれない。
───けど、元々ないモノを思い出すなんてこと、できるのか?
なくした記憶。その中にはきっと赤子の心も入っている。オレがこのレッスンでやらなければいけないのは、ないモノを思い出すのではなく、ないモノを他の何かで埋めること。
「では星野さん、子供たちに紹介しますので」
「…………はい、よろしくお願いします」
戸が開かれる。ワラワラガヤガヤ遊んでいた子供達の視線が集中する。興味、違和感、不信感、いわゆる誰コイツ的な空気が教室中を支配した。
「みんな、今日は特別に新しい先生が来てくれたわよ」
「はじめまして、皆さん。星野アクアです。よろしくお願いします」
これ以上なく綺麗で、友好的な笑顔。同年代なら男女問わず誰でも好印象を得るだろう。しかし目の前の人種達は容姿の良さが通じにくい、というより良し悪しが今のところまだよくわかってない人間達だった。
「なんだなんだみんな暗いぞー!パーっと外で遊ぼー!お兄さんなんでもやってやるぞー!」
盛り上げようと口調を軽いものに変え、大げさに身振り手振りをやってみせたが、響いている気はしない。笑っても騒いでも彼らの心にはまるで届いていない。自分達とは異なる異物を見る目が突き刺さり続けた。
猜疑心に満ちた子供達の目。コレを見た時、オレにはなぜか既視感があった。以前どこかで見た目だった。オレに直接向けられたわけではないけど、その隣で、一番近くで、ずっと見てきた。
───この目は……
幼い頃、ルビーがオレ以外の大人達を見る目だった。
───あの時、オレはどうしたんだっけ
ミヤコに引き取られるまでの間、何とかしなければいけないと思ったオレは、あの時何かをした。少しずつだが確実に以前の明るい朗らかで能天気なルビーを取り戻すために、オレは確か…
あははっ
───………ああ、思い出した
アイツが好きなことを。
『ア・ナ・タのアイドル♪サインはB♡』
アイツに喜んでもらうことを、したんだった。
▼
───いきなり洗礼浴びてるなぁ、アクアくん
苦戦している様子のアクアを青みがかった黒髪の少女が園の陰から様子を見守っている。唐突に現れた自分に向けられる異物感。コレはこの養護施設に来た者なら誰もが通る試練。実際にあかねもこの洗礼を受けている。
施設に預けられる子供というのは、基本的に家庭に事情がある。そしてその事情とは8割以上ネガティブなモノだ。
幼くして両親を亡くしてしまったとかならまだマシ。親に捨てられた子などザラ。ひどくなってくると虐待を受け、親から引き離された子さえいる。
───感受性が豊かな幼年期に心の傷を負ってしまった子供達。彼らから信頼を得るのは容易じゃない。
私はまだ演劇というイベントで、彼らの興味関心をかっていたからやりやすかった。けれど前情報も何もないアクアくんの現状は私の時よりはるかに厳しいだろう。
───さて、どうするかな?私の彼氏様は
アクアくんは頭が良い。感覚派の役者だけど、後から理論をくっつけて再現性を見出すタイプ。学習能力もコミュニケーション能力も高い。誰とでも仲良くなる術を心得ている。
けれどそれは同年代、もしくは彼の分析力が通じる相手にのみ効果がある。
外国人に日本語が通じないように。犬や猫に人間の顔の良さがわからないように。
彼らにはアクアくんの戦略は一切通じない。戦略も言葉も通じない彼らと仲良くなるためにはあることをしなければいけない。
───まずはそこに気づくところから……え?
視線をアクアへ戻すと、複数の子供達が屯しているところに座り込んでいた。子供達は東京ブレイドのコミックをみんなで読んでいるらしい。二言三言話しかけると、アクアくんはニッと笑って、一度咳払いをして立ち上がり、目を閉じた。
『心に火を灯せ!新宿クラスタの勇士達よ!』
それは、誰もがアニメのブレイドを思い起こさせる声色だった。
漫画のページに沿ってアクアくんが演技を続ける。喜ぶブレイド。悲しむブレイド。怒るブレイド。楽しむブレイド。喜怒哀楽全てを見事に演じてみせ、子供達の興味を丸ごと惹き込んだ。
───出来てる……全身を使った感情表現
この短期間で、なんてものじゃない。あのアフタヌーンティーから1時間も経ってないのに、出来ないと言っていた感情に潜り込んだ後、水面から全身浮かび上がる演技が、出来ている。
───あの動画とは、まるで別人
私を救ってくれた今ガチ総集編。あの時の動画は衝動的で大胆な感情表現が多かった。カメラもアクアくんに寄り添ってくれていたし、だからこそ表情の変化や感情の起伏だけでも視聴者に没入と表現を理解させられていた。だがあの演技を演劇でやっても通用しなかっただろう。
しかし今の演技なら…
───もちろん、まだスタートラインに立ったに過ぎない。大変なのはここから。
台本に入って、キャラクターを掴んで、姫川さんのブレイドや刀鬼とギャップが出過ぎないように役作りをしなければいけない。大変なのはここからだ。
───それでも、驚いた。この課題を一日で終わらせた人、初めて見た
こんなに早く、こんなにあっという間に子供達の心を掴んでしまう人は。
▼
喜怒哀楽の感情表現。表情を変えるだけでは伝わらないモノ。それを子供達に伝えるために、まずは何をすればいいか。
───思い出せ。オレはもう知っているはずだ。あらゆる感情の発露の源泉は……
愛に決まってるじゃない
脳に声が響く。鼓膜を震わせない、オレにしか聞こえない声。時々忘れそうになるが、この声はいつもオレにまとわりつき、オレのパフォーマンスの源になっている。
───そうだ。あの時学んだだろう。愛の使い方を。愛の伝え方を。それを全身で表現する
って、どうやるんだろう。あの時、『今日あま』の時と今とでは条件が違う。雨音や逆光を利用できる状況ではない。周囲に真心を注ぐ方法は成り立たない。
難しく考えすぎじゃない?
かもしれない。表現なんて言葉を使うから難しくなる。思い出さなきゃいけないのは表現方法などではなく、オレの初期衝動。目覚める前の俺の記憶ではなく、オレが目覚めてからの感情の発露。
───オレの初めての表現は……
記憶の補完のために見まくった、そしてルビーの前で見せた、アイのモノマネ。あの時のオレができた、精一杯のアイドルダンス。
今思えばひどく拙い。もしビデオなど残っていて、他の誰かに見せられたのなら、即座にテレビごと破壊したくなるほど恥ずかしいクオリティ。今のオレが同じことをやったのなら9000倍は上手くやれる。
───でも、ルビーは喜んでくれた
技術もクソもない。児童の見様見真似のアイドルダンス。けれどあの時のオレができる精一杯のことをやった。心から笑顔を見せて、全身でアイの真似をして、喜怒哀楽全て曝け出していた。
全てはルビーの笑顔を守るために。
───ルビーを喜ばせるためにやったことを、今度は子供達のためにする
東京ブレイドのストーリーはわざわざコミックを見なくても全て頭に入っている。演じること自体は難しくない。難しいのはこの子達に共感してもらえるかどうかということ。
『心に火を灯せ!新宿クラスタの勇士達よ!』
オレが鼓舞すれば、アイツの頬が紅くなる。
『俺はシースを守るために強くなる!』
オレが怒れば、アイツも怒り
『兄さん、なんで!?俺は……貴方を信じていたのに!」
オレが悲しめばアイツも悲しみ
『俺たちは、東京を統一する唯一のクラスタになる!』
オレが笑えば、アイツも笑う
オレはずっと、やっていたことだった。
意図しなくても溢れる感情。それこそが愛の表現。愛情とは無くしてしまったとしても、誰かがどこかに種を蒔き、いずれ芽吹く。消し去ることなどできない感情。それこそが、オレの思い出さなきゃいけないことだったんだ。
「ご清聴、ありがとうございました」
恭しく頭を下げる。先生が手を叩いてくれたのを皮切りに、子供達からも拍手が巻き起こった。
「お兄ちゃんすごーい!」
「ブレイドみたいだった!」
「お兄さんってブレイドなの!?」
先ほどまでとは打って変わって、キラキラした瞳で子供達が押し寄せてくる。やはり
「少し違うな。お兄さんは魔法使いなんだよ。誰にでもなれるし、何でもできる。けどそれは特別なことじゃない。努力すれば君たちにだって出来ることだ」
「そうなの?俺たちもブレイドになれる?」
「なれる。演劇は死せずして生まれ変わる芸術なんだから」
「よーしっ!『オレタチハコノトウキョウヲトウイツスルユイイツのくらすた二ナル!』」
「なんかちがーう。お兄さんみたいなブレイドじゃなーい」
「ははは。いきなりは無理さ。お兄さんだってここまで出来るようになるのに10年以上かかったんだから」
「じゃあお兄ちゃんなら刀鬼も出来る?」
「勿論」
「じゃああのシーンやって!ブレイドと刀鬼が新宿と渋谷の境界で決別するシーン!」
「『残念だ、ブレイド。貴様は俺の糧に過ぎなかった』」
【すごーい!!】
それからしばらくはお遊戯会だった。子供達のリクエストに応えてオレが演じ、子供達も思い思いのキャラを必死に演じる。男の子とはチャンバラごっこを。女の子とはお姫様ごっこをして、ママゴトに興じる。
───ん?
視界の端で何かが留まる。遊びに加わらず、一人隅で何かの本を開いている女の子がいた。髪を二つ結びにした幼い少女。歳は7〜8歳といったところだろうか。背を向けているため、美醜はよくわからなかった。
───なんか、引っかかる
ずっと昔、どこかで似たような子供を見たような。あるいはオレ自身に覚えがあるような、そんな既視感。放置することはできなかった。肩車して遊んでいた子供達を地面に下ろし、彼女の元へと向かう。名札には平仮名で、りこと書いてあった。
「りこちゃん。一緒に遊ばないか?」
子供達が一つの空間に集められる施設。周りに馴染める子もいれば、馴染めない子もいる。遊びの輪から一人離れ、本を読む少女の元へアクアがしゃがみ込んだ。
「バイエルだな。りこちゃんはピアノ習ってるのか?」
「…………わかるの?」
「もちろん。お兄さんもその楽譜から始めたからな」
「ピアノ、弾けるの?」
「人並み程度には。りこちゃんは?練習中かな?りこちゃん好きな曲ある?できる限り弾いてあげよう」
「…………『紅蓮の華』」
「東京ブレイドの主題歌だな。オッケー。その代わり、りこちゃん歌えよ」
「っ、ムリ!わたしっ、音痴だから…」
「大丈夫。オレが魔法をかけてあげるから」
教室に備え付けてあるピアノの座椅子をひき、鍵盤を開く。一度フッと指に息を吹きかけると、日本全国のオリコンチャートを独占し続けた曲のイントロが流麗に流れ始める。
「りこちゃん、歌って」
演奏と共にアクアが軽く歌う。するとチャンバラやママゴトをして遊んでいた子供達が少しずつピアノを取り囲み始める。
旋律に乗せられ、他の子供達が歌いそうになった時、ツインテールの少女は少しずつ歌い始めた。
▼
あの演技の後も、私はずっとアクアくんを見続けた。ブレイドだけでなく、刀鬼や他のキャラクターを演じ、子供達のごっこ遊びの中にアクアくんは見事に溶け込んでいった。
───あ
一人だけ女の子が遊びの輪に入っていないことに気づく。ほどなくアクアくんも気づいたようだ。肩車していた子供を下ろすと、少女の元へと向かう。二、三言話をすると、アクアくんはピアノの前に座った。
───『紅蓮の華』……東ブレの主題歌
東京ブレイドのアニメOPテーマをピアノで演奏する。すると少女だけでなく、他の子供達もアクアの周りを取り囲み、旋律に耳を傾ける。
誰か他の子が歌おうとしたその時、ツインテールの少女はようやく口を開いた。
───気持ち、わかるな。
せっかくアクアくんが自分のために弾いてくれた曲。他の誰かに歌わせたくはないだろう。少なくとも一番乗りは自分が良い。そう思うのは当然だ。
女の子の歌を盛り上げるように、演奏のピッチが上がる。二人の歌と伴奏に惹かれ、他の子供達も歌い始める。サビに差し掛かった時、子供達は全員笑顔で、大きく口を開けて、あの日本中を風靡した大ヒットソングを歌っていた。
「すげー!りっちゃん歌うめー!」
「なんで黙ってたの?もっと一緒に歌おうよ!」
演奏が終わった後、りこちゃんの下に子供たちが集まる。確かに子供にしては上手だった。多分音楽的な習い事をやっていたのだろう。子供達の人気を集めるために最も手っ取り早いのは優れた特技。彼らくらいの年齢なら男の子は足が速い子がモテるアレと同じだ。彼女の場合は音楽だった。彼女もこれからは輪の中に入れるだろう。
慣れない人気者扱いにりこちゃんはオロオロしていた。助けを求めてか、アクアの方をチラリと見る。孤立していた少女を救った魔法使いは視線にウィンクを返した。
りこちゃんの頬がカッと紅潮する。女子が恋に落ちる時の顔というのは、幼くても変わらないらしい。
多分私も今、似たような顔をしてるんだろう。
─── 好きにならざるを得ない人というのがいる。
何をしていても目がいく人。
何をしていても目が追ってしまう人。
何をしていても絵になってしまう人。
万人を惹きつける魔性の鱗粉を纏う人が。
───アクアくんって普段学校ではどんな人なんだろう。
今みたいに、クラスの中心で、太陽のようにみんなの盛り上げ役みたいなことをやってるのだろうか。
それとも日陰の花みたいに、窓際の席でそっと一人佇み、遠くを眺めているのだろうか。
どんな姿を想像しても絵になった。もし自分が同じクラスにいたのなら、絶対に彼の一挙手一投足を目で追ってしまうだろう。人気者も、孤高も、ミステリアスも、全てが似合う。似合ってしまう。
ピアノの前に座り、次の曲をリクエストされ、演奏し、沢山の子供たちと一緒に遊んで歌って笑う目の前の光景も、背筋に寒気が走るほど似合ってしまう。
───ああ、こんな人誰でも……
好きになっちゃうでしょ
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
感情演技の学習完了。ようやくスタートラインに立ったアクアはついに舞台へと挑みます。感情演技できるようになったらあのシーンはどうなるのか?安心してください。ちゃんとトラブります。
次回共演者顔合わせ。大根なアイツとの再会。原作者との秘密の関係。看板役者との螺旋のつながり。もうぐちゃぐちゃドロドロですが、果たしてどうなるのか。あと最新話ヤバい。やっちまったなアクア。最近本誌の感想コレしか言ってない気がする。物書きにあるまじき語彙の貧困さ。でもヤバいとやっちまったなしか言えない。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
49th take 役者が揃う
神に魅入られた星をなくした子は許されるだろう
新星が集う舞台の中心に立つことを
死神の足跡が残る場所だとしても
私は今日、アビ子先生のマンションを訪れていた。噂で、彼女が雇っているアシを全員クビにしたという話を聞いたからだ。作家仲間曰く───
『何度言っても絵柄合わせてくれない』
『背景で感情表現がまるでできていない』
など、漫画家としては尤もな、けれどある程度は譲歩しなければいけない理由からだった。
───そんなことしてたら、あの子本当に死んじゃう
漫画家も芸術家。作家の自殺は少ない話ではない。売れない漫画家が絶望して首を吊るケースが多いが、売れている漫画家も例外ではない。ヒット作家でも、周囲からの期待に耐えきれず鬱になってリタイアした人は何人か見てきた。はたから見れば贅沢な悩みかもしれないが、鬱になる人の気持ちも痛いほどわかる。アビ子先生がそうならない保証はなかった。
───漫画に関しては妥協しない子だから、厳しくなるのはわかるけど……
アシスタントとはベテランを除けば基本的にまだ作家の卵。中長期的なスパンで育てなければいけない人材。妥協が必要な時期は必ずある。
人間関係の構築のために、星野アクアとの付き合いを進めたが、今のところ上手く行ってはいないらしい。
───けど、漫画のクオリティは高いままね
自身の弟子の作品だから、東京ブレイドは全巻揃えている。週刊誌の最新話も全てチェックしている。最初はセンスに頼りきった目新しさが売りの作品だったけど、連載が続くほど物語として面白くなっている。ファンの意見や期待に応えつつも、自分の描きたいモノを描くというエゴはブレていない。
───読者人気に押されて、刀鬼とつるぎのカップリングが目立ち始めた十二巻見た時は、どうかと思ったけど…
今は完全に持ち直している。一人でやっているなら凄いことだ。
考え事をしているうちに部屋の前に到着する。LINKで部屋を訪ねることを伝えると、『鍵開いてるので入ってきてください』と返信があった。
「アビ子先生、お邪魔するわよー」
部屋を開けて少し驚く。売れっ子作家が自分の生活を後回しにするなど当たり前のこと。自分の部屋も決して綺麗とは言い難い。ならアビ子先生はもっとだろう、と覚悟して部屋を訪ねたのだが、思ったよりは綺麗だった。廊下も最低限歩ける程度には床が見えるし、ゴミ袋は各所に散らばっているが、ちゃんと分別されて、適度に掃除もしていて、不衛生にならないようにはなっている。
───私が来るから掃除したのかしら
そう思いながら作業場へと向かうと机に向かっていたアビ子先生が慌てて振り返っていた。
「先生、すみません。あまり大きな声は出さないであげてください。ホントについさっき休まれたところなんです」
人差し指を一本立て、小声で話す彼女を見て、ようやく気づく。作業部屋の片隅で毛布にくるまり、息を立てている少年がいることに。薄暗い部屋の中でも、その艶やかな蜂蜜色の髪は目に眩しく、一層眩い星の輝きを放つ瞳は今は閉じられている。眠っている姿はいつもよりかなりあどけなく、年相応の少年の可愛らしさと美しさを兼ね備えていた。
少年の名前は星野アクアと言った。
「彼、来てたのね」
「ホントにヤバい時とかにアシスタントやってもらってます。今回来てたのは別件が主な理由だったんですけど、私の惨状見て手を貸してくれて…」
「───これ、彼が?」
原稿の一つを手に取る。目を通すとほぼ同時にゾッとした。
───なんて書き込み量
週間で、しかも1人のアシと作家でやる密度ではない。しかしアクアは彼女の要求に完璧に応えている。背景、トーン、ベタ、全て文句のつけようがない。アビ子先生の作品を理解しているからこその仕事だと作家の目で見れば一目瞭然だった。
「アクアさん絵も上手なんですよ。連載前から色々相談してたのもあって私の漫画のことめちゃくちゃわかってくれてますし。その辺のアシより五十倍優秀です」
「……一人で描いてるらしいわね」
「アクアさんの五十倍使えないんで」
「いつから1人でやってるの?」
「先月……いや、アクアさんが来る前から数えれば二ヶ月前からですね」
「寝てるの?」
「一日三時間は睡眠時間とってるのでまあなんとか。昨日はデッドギリギリだったので寝てませんけど。アクアさんも休まれたのは原稿終わったの確認してからでしたね」
「…………でも貴方は今も寝てないのね」
「来週はカラーもありますし、単行本作業も控えてますしね」
「舞台の脚本は?」
「そちらはもうほとんど終わってます」
「そうなの?意外ね」
「アクアさんの要件はそっちがメインだったんですよ」
チラリとパソコンが備え付けてある一角に視線を送る。すると少し前までなかったカメラやスカイプのマイク。クラウドのテキストデータなどが残っていた。
「脚本家さんと私の間を取り持つために色々設置していただきまして。ホントに助かりました。私液タブ以外の機械の取り扱い、疎いですから。知ってますか先生。最近の劇って幕はモニターなんですよ。ステージアラウンドって言って、客席が回転したりもするんです。劇って学校の演劇の延長ぐらいしか思ってなくて、もし私が脚本全部書いてたら大失敗してたと思います」
「…………貴方が歩み寄ったの?人に?」
少し信じられない。私も人のことは言えないが、彼女はそういうのに関してめちゃくちゃ欠けてる。自分から能動的に起こした行動とは思えなかった。
「そうしないと死ぬって言われたんで」
眠っているアクアへと目を向ける。その目の中には私でもわかるほどのわかりやすいハートマークを輝かせていた。
「私に死んでほしくないって、言ってくれたんで」
「…………そうなの」
「普段の凛としてるアクアさんもかっこいいですけど寝顔はまだあどけない16歳って感じですね。めちゃくちゃ可愛くないですか?この世に天使がいるなら多分こんな顔ですよ」
───思ったよりよくない状況かもしれない
ツラツラとのろけを口にするアビ子先生の姿を見て、少し危機感が生じる。
アクアさんが手を貸してくれているお陰でキツいスケジュールでありながらもなんとか進行出来てる状態になってしまっている。対人コミュニケーションも彼女なりに努力してるようだが、全てアクアありきになってしまっている。
───もちろんアクアさんが悪いわけじゃない
先生のコミュニケーション能力を高めてくれと頼んだのは自分だし、そのために手を尽くしてくれているのもわかる。けれどアビ子先生にとって、異性の理解者というのはおそらく人生初だろう。同性を含めれば私がいるが、同性では出来ないこともあるし、同性には抱かない感情もある。
元々初対面の人間には臆病だが、一度気を許せば依存してしまうタイプだ。このままではアビ子先生はアクアから離れることができなくなるかもしれない。
「アビ子先生、アクアさんに彼女がいることは──」
「知ってますよ、もちろん」
食い気味に、しかし意外と冷静な口調で答えが返ってきた。表情も穏やかで、依存しているようには見えない。
「恋愛の勉強して、芸の肥やしにするための交際だって言ってました。俳優星野アクアに必要な事なんだって。なら私はいくらでも待ちますよ」
「…………アクアさんが言ったの?待っててくれって」
「いいえ、一言も」
「だったら──」
「いいんです」
私の言葉を遮る。真っ直ぐに彼を見つめる瞳には希望と現実と覚悟がこもっていた。
「アクアさんが誰と付き合っても、誰のことを好きであっても関係ありません。私はアクアさんが好きです。いつか振り向いてくれるまで、たとえ振り向いてくれなくても、想い続けます。いつかこの気持ちが叶うか、風化してしまうまで」
───驚いた
星野アクアに対して、ここまで成熟した気持ちを持っているとは夢にも思っていなかった。事恋愛に関しては自分より達観しているのかもしれない。本気の思いとは人をここまで成長させるかと感心すると同時に不安になる。こんなアンバランスな成長をしていると、いつか根っこから崩れ落ちてしまうような気がした。
───まったく、罪作りな男の子ね、アクアさん
天使の寝顔を見下ろしながら心中で嘆息する。本人は特別なことはしていないつもりだろう。相手のため、何よりも自分の目的のため、行動しているに過ぎない。私自身アクアさんに悪感情はない。むしろ好意さえ持っている。あのドラマを救ってくれたこの人に恩義を感じずにはいられなかった。
彼が無自覚に振り撒く魔性の鱗粉は周囲を虜にしてしまう。どんな人でも好きになってしまう人間。創作の中では見かけるが、現実で目の当たりにする日が来るとは思わなかった。
「───吉祥寺先生?」
2人の視線が集中したからか、それとも別の理由か。星の輝きの瞳が開かれる。眠る前まではいなかった人物を認めたアクアは目を擦り、一度咳払いすると立ち上がって会釈した。
「ごめんなさい。起こしちゃいましたか」
「職業柄、視線には敏感でして。いらしているとは驚きました。何か飲み物でもお持ちしましょうか?」
「いえそんな。今日はアビ子先生の様子を見に来ただけですから」
「…………あれ?先生まだ作業されてたんですか。原稿は上がったって」
「あはは……まだ単行本作業とか巻頭カラーとか残ってまして」
「言ってくださいよ。手伝ってから寝ましたのに」
「いやいやそんな!ただでさえアシスタント以外にも掃除とか色々やってもらったのに!」
「あんな不衛生な部屋で仕事なんてできませんよ。半分オレのためでしたのでそっちは気にしないで結構です。あとどれくらい残ってるんですか?」
「あ、なら私も手伝うわ」
「いやホントいいですって。2人とも座っててください」
「言ってる場合じゃないでしょ」
「オレらに遠慮するくらいならちゃんとしたアシ雇ってください」
ぐうの音の出ない正論をかまされ、黙り込む。しばらく3人とも筆を動かす音しか室内に響かなかった。
「終わったー」
夜が明け、鳥の鳴き声が響く頃、原稿及びその他諸々を受け取りに来た担当に全てが詰まった封筒を渡す。2人のプロ作家が床に倒れる中、少し眠った俳優は朝日を浴びて大きく伸びをしていた。
「毎度疑問なんですが……今週こそヤバい、ってほぼ毎週思いながら、なんだかんだ間に合ってしまうのはどうしてなんでしょうね」
「わかりみしかない」
「お二人ともプロだということですよ。持つべき責任とプライドをお持ちなんです」
「吉祥寺先生のところも酷かったですもんね。朝9時始まりの深夜4時終わりとかザラで……」
「うわ」
「アクアさん、うわとか言わないでください。今日あまの時は本当にごめんなさい。今は割とホワイトよ……私のかつての職場環境をブラックだと思うなら貴女も少しは私を反面教師にしたらどう?」
とりあえず仕事の山場が終わったため、ようやく今日吉祥寺先生がここに訪れた本題へと移る。作家同士のプライベートな話のため、聞かない方がいいかと逡巡していると吉祥寺先生の方からアクアへと話が振られた。
「アクアさんはアシの仕事経験あるんですか?」
「いえ全然。絵の描き方は中学の頃美術部の先輩に習いましたが、漫画家の職場には鮫島先生の所が初めてです」
「この仕事体制、アクアさんはどう思います?」
「多少クオリティに妥協してでも人間として文化的な最低限度の生活を送った方が良いかと」
「その通りね。先生、聞いてる?」
床に布団を敷いているアビ子先生へと声をかける。少し渋い口調で返事を返した。
「私だって編集に言ってるんですけど、アクアさんレベルのアシ送ってくれないんで……きっと大御所に回してるんですよ」
「アクアさんレベルを全員に求めるのは要求高過ぎよ。少なくともコレは間違ってるわ」
正論だ。徹頭徹尾非の打ち所がない。だからこそ人は抗いたくなる。
「私やアクアさんがいなくなったらどうするの。私だって自分の連載あるし、アクアさんだってコレから舞台に専念しなくちゃいけない。作品のクオリティを人質に、真っ当なコミュニケーションから逃げるのには限界あるわよ」
「…………先生、言い過ぎでは」
「言わないとわからない子なんですよ。アクアさんが甘やかしすぎです」
ピクリとアクアの整った眉が動く。才能に甘いのはアクアの欠点であり、本人もそれを自覚している。何も言い返せなかった。
「…………どうやったら人と上手く出来ますか?」
「歩み寄りなさい。メディアミックスは他人との共同制作。自分1人でできないことの集合体だってことはもうわかってるでしょ。長期連載も同じことよ。ある程度は任せないと」
「…………でも、任せた結果があの惨劇じゃないですか」
あの惨劇が何を意味するか、アクアと吉祥寺には一瞬で理解する。2人ともあの地獄のネットドラマが甦った。
「…………そりゃ私だってまだまだ上手くできないことの方が多いわよ。業界じゃまだまだ小娘扱いされるし、根は陰キャだからコミュ力高くはないし。でもみんなそれぞれで一生懸命やってるのは知ってる。割り切るところは割り切らなきゃ」
「………私は『今日あま』のドラマイヤでしたよ」
寝ぼけ眼の奥から一筋零れ落ちる。朝日に照らされたその雫はとても美しく見えた。
「先生の作品は……もっと、すごいのに……」
吉祥寺の脳裏にかつての彼女の姿が過ぎる。初めて職場にアシとして入って挨拶した時、今日あまの単行本を抱えてきた時のことを。
「『今日あま』世界一面白いです!先生みたいな漫画家になるのが夢です!」
似たような事を言ってくる人は何人もいたけど、お世辞か、おべんちゃらが殆どだった。同業者で心からこの言葉をくれたのはこの子だけだった。
「好きな作品が汚されるのがイヤなこと……私が誰よりもよく……知ってる、つもりで……」
疲労からか、それとも泣き疲れたのか、夢現に言葉を口にしながら眠りへと落ちる。弟子のあどけない様子を師は慈愛の目で見つめ、頭を撫でた。
「尊敬されてるんですね、先生は」
「不器用な子でしょう。思った事を口に出しちゃうんです。根は悪い子じゃないんですけど」
「そういう子ほどほっとけないというか、見捨てる気が起きないですよね。オレにもそういうバカがいますよ」
「女の子ですか?」
「もちろん。男なら甘ったれんなでおしまいです」
女の影を隠そうともしない。こういう人種との付き合いは吉祥寺も少ないので彼の態度が誠実なのか不誠実なのかよくわからなかった。
だが、だからこそ聞いておかなければいけないことがある。
「アクアさんは今回どうしてこの子を手伝いに来たんですか?」
「東ブレの舞台脚本が出来上がったと聞きましてね。いずれ渡されるものですが、先に見れるものなら見せていただこうと。そしたらあの惨状でしたので。流石にアレを放置できるほど冷酷じゃありませんよ」
部屋の片隅に置いてあった冊子を手に取る。何も表記はされてないが、おそらくはアレが台本なのだろう。
「そういうの、役者さんに渡される前に見ちゃっていいものなんですか?」
「ダメです。アシ代がわりの報酬ですから先生も、この件はどうかご内密に」
人差し指を口の前に立て、ウィンクする姿がこれ以上ないほど様になっている。こういう動作をさせればアクアさんより似合う人は日本でも数少ないだろう。
「黙ってる代わりに一つ教えてもらえますか?」
「内容次第ですが、どうぞ」
「アクアさんはアビ子先生の事をどう思ってるんですか?」
緊張感を持って尋ねる。答えによっては、私が紹介しておいてなんだが、この子との縁を切らせてもらうつもりだった。
「才能ある尊敬すべき先達と思っていますよ。好意もあります。ですが恋愛関係になるつもりはありません」
「そのこと、アビ子先生には言ってるんですか?」
「もちろん。私に恋愛感情抱くアクアさんなんて解釈違いだってフラれてます」
屈託なく笑って答える。役者の嘘を見抜けるほど人間観察力に自信があるわけではないが、私なら後で本人に裏を取るくらいのことはこの聡明な少年なら気づいているだろう。バレるような嘘をつくとは思えない。とりあえずは納得した。
「では先生。本日はお疲れ様でした。あとはよろしくお願いします」
冊子片手に部屋から出ていく。玄関を開ける頃にはメガネと帽子とマスクで色んな意味で何もかもキラキラした顔面を覆い隠していた。
「…………あの人を好きになる人は、大変ね」
捉えどころがなく、話す言葉一つ一つに誠意があるのに今一つ真意を掴めない。光は目に届くのに手は決して届かない星の光のようなあの男の子を、吉祥寺も嫌いにはなれなかった。
▼
昼休み、高校生達が友人や部活仲間、恋人と昼食を共にする時間。学生の休み時間で最も楽しい時と言っていいだろう。そんな時間を屋上で過ごすという生徒は少なからずいた。しかし今年度が始まり約半年。今では二名の生徒を除いて誰も訪れなくなっている。なぜならこの場所が2人の若手トップ芸能人のテリトリーであることは既に有名だったからだ。
「またボッチ飯?」
校舎裏を覗き込むのは背中まで伸ばした滑らかな黒髪を秋風に靡かせ、髪をかきあげた指の奥の泣きぼくろが艶っぽい美少女。名前は不知火フリル。屋上の主の1人にして、世代No. 1タレント。
もう1人は星野アクア。次の舞台東京ブレイドでは主演を務める1人だ。
「最近また周りがうるせーからな。こういうところじゃねーと落ち着いてメシも食えない」
そう、数日前、テレビや雑誌で東ブレの舞台について大々的に発表があった。それもそのはず。東京ブレイドといえば、今日本の漫画界で最も上り調子と言っていい漫画。その舞台化というだけで話題性は充分なのに主演はあの不知火フリル。さらにダブルキャストのおまけ付き。入学して半年近くが経ち、アクアに慣れてきた一般科の生徒が色々聴きたくなるのは当然だった。
「大変だねー、一般科」
「お前も似たようなもんじゃねーのか」
「私はちゃんと仕事絡み以外の友達学校にいるから。親友はアクアだけだけどね」
手に下げた袋を開く。出したのは一瞬で食べ終わるようなエナジーバーだった。
「それだけで足りるのか。スタイルに気を使ってるのはわかるが、食べないと芸能活動できねーぞ」
「そう思うならアクアがお弁当作ってよ」
「…もしかして体調悪いのか?」
単純に時間が足りない以外の理由があるように感じた。ファンデーションの色がいつものより濃いヤツを使っている。本当は体調悪いのではないか、と察するには充分だった。
「………舞台の稽古時間作るためにスケジュール詰め込みすぎちゃってねー。体内時計狂ってて調子悪くて。食欲あまりないの。生理周期不安定くらいはいつものことなんだけど」
「2人だからってそういうこと大っぴらに言うな。こんなとこ来てないで休んでろ」
「うん、でも今日はちょっと話したかったから」
手に持っていた冊子を広げる。つい先日、自分も貰いに行った。舞台東京ブレイドの脚本だった。
「台本きた?」
「ああ、もちろん。一通り目は通したが……なんというか……」
「トガッた脚本だったよね。説明セリフはゴリゴリに削られ、「動き」だけでどうにかしなきゃいけないシーン目白押し。役者の演技に全投げの、いわゆるキラーパス台本」
原作者や脚本家、クリエイターが団結して作られた台本だとこういうことが起こりがちになる。ストーリーとしては文句ない。キャラも立ってるし、話としては面白い。その代わり失敗したら全部役者のせいにされる無茶振り台本。
───正直、アビ子先生が脚本家と本気でコミュニケーション取るなら、こういうこともあり得るとは思っていたが……
演じるのは相当難しいだろう。しかもオレとフリルはダブルキャスト。難易度は単純に通常のキャストの倍では済まない。
「私は嫌いじゃないんだけど、これだけ身体張る台本だと、あの記事の通りの事になりかねない」
そう、この台本が降りてくる前、少し騒動があった。記者挨拶をほっぽり出してオレとフリルに会いに来た姫川大輝。記者連中が追っかけていないはずはなく、オレとフリル、あかねと姫川、4人が揃い踏みしているところを撮られていた。
【演劇『東京ブレイド』主演でダブルキャストを務める4名が邂逅!若手トップを決める戦いが舞台の上で勃発か!?】
こんな記事が出回り、すでに舞台東京ブレイドはかなり世間の注目を集めている。あの後フリルに電話がかかってきたのはこの記事についてのことだったらしい。
成功すれば一気にオレとあかねの知名度は上がるだろう。だが失敗すれば一気に手のひら返し。地の底以下にまで堕ちる。そんな地盤でこのキラーパス台本。しかもオレの仕事は咬ませ犬。状況はかなり厳しい。
「いよいよ来週だね、顔合わせ」
「ああ、わかってる」
「勝てそう?私に」
「わからない」
姫川に、と聞かない辺り性格が出ている。自分に勝てるなら姫川にも勝てるだろうと、過信でない自信から出る言葉だった。
「でも勝つよオレは。前半影打編だけで、東京ブレイドの主演はオレだと思わせてみせる」
それが今回のオレの仕事だ。
不安も、恐怖もある。だからこそ胸を張り、星の瞳を輝かせる。その輝きを見たフリルは満足そうに笑った。
「何か掴んだっぽいね。あの後あかねと何かあった?」
「あかね個人とは別に。養護施設でごっこ遊びして感情演技のレッスンしただけだよ」
「なるほど、子供って感情丸出しだもんね。感情表現に関しては、私なんかより良い見本かもしれない」
エナジーバーを齧る。味気ない食べ物のはずなのに、コイツが食べるとやたら美味そうに見えるから不思議だ。
「期待してるからね。私以外に殺されないで」
「お前こそ、あかねに喰われるなよ」
コツンと軽く拳をぶつける。それからは無言でお互い昼食を済ませる。その後しばらく無言だった。隣に座り、壁にもたれかかり、秋の風に身を任せていた。冬が迫り始めている風は少し寒く、2人の距離は無意識に縮まり、いつの間にか指が触れ、絡み合い、優しく、けれど強固に握りしめられていた。
「…………アクアの手は温かいね」
「お前が冷たいんだ」
「私実は末端冷え性なの」
「偏頭痛持ちだったり、意外と弱点多いよな」
「人目につかない所はね」
みじろぎ、肩に頭を預けられる。手を離す気にはならなかった。
「……あったかい」
「……心が冷たいからな」
黒髪の少女がクスッと吹き出す。こんなフリルの笑顔をアクアは初めて見たかもしれない。
「貴方って意外と変な迷信信じてるのね」
「そうか?ジンクスとかけっこう気にするタイプだぜ?」
「心の冷たい人はこんな冷たい手を暖めてはくれないよ」
「…………」
なにも言い返すことができなかった。泣きぼくろの少女はしてやったりと言わんばかり笑い、一層体重を預けてくる。少し前のオレなら肩を抱くくらいはしたかもしれない。
───けど、今のオレはあかねの彼氏だから…
だから今はこの冷たい温もりに身を任せるのが精一杯だった。
お互い身体を預けあったまま時間が過ぎていく。するとフリルは多忙から。アクアは先日のアシの疲れからいつのまにか眠ってしまい、午後の授業は2人ともまるまるサボった。
▼
「ララライって硬派なイメージだったけど、よくもまあ2.5受けたわよね」
やる事やっていれば一週間なんてあっという間に立つ。顔合わせ当日を迎え、同じ苺プロに所属するタレントである有馬かなと星野アクアは一緒にスタジオへと向かっていた。
「緊張してる?」
「はっ、誰が。芸歴何年だと思ってんの。アンタこそブルってんじゃないの?なんたって初主演だものね」
「そうだな。この結果次第でオレの芸能人生めちゃくちゃ変わるだろう。外様のオレはアウェイだし。緊張がないと言えば嘘になる」
えっ、と軽く声が上がる。この男が弱音を口にするところを有馬は初めて見た。驚くのも無理はないのかもしれない。
「その、気にする事ないわよ、ララライ主体って言っても半分は外部のキャストなんだし!前半はあんたブレイドで私もフォローできるから!少しずつ慣らしていけば……」
「でも楽しむよ。この緊張も、恐怖も、足が震える感覚も、全部楽しんでみせる。噛ませとはいえ、10年以上かけてようやく掴んだ主演だ。ワクワクがギリ勝ってる。心配すんな」
星の瞳が一層眩く輝いている。口にした言葉に嘘も虚勢もないと、有馬だけはよくわかった。
「失礼します」
スタジオの扉を開く。すでにほとんどのキャストは集まっていた。そして流石は東京ブレイド。若手実力派No. 1姫川大輝。世代最高の天才不知火フリルをはじめ、有馬かなの目から見ても錚々たるメンツが揃っている。
ただ1人を除いて。
「影打編でブレイド役を、真打編で刀鬼役を務めさせていただきます。苺プロ所属、星野アクアです。よろしくお願いします」
「同じく苺プロ所属。つるぎ役を務めさせていただきます。有馬かなです。よろしくお願いします」
運命の歯車と自らの力、そしてこの世ならざる何かによって導かれた新星達。
世代No. 1を決める舞台に、役者が揃った。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。間に合った。今週は無理だと思ってたのに間に合った。皆様の感想や評価コメントのおかげです。全部目を通させていただいております。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
50th take 反省紀
天使の光に照らされるか悪魔との契約を受け入れるか
選択肢は二つに一つしかないだろう
美しくも醜いこの舞台で生き残りたいのであれば
「舞台の出演依頼?」
社長が唐突に持ってきた新しい仕事。それは東京ブレイド舞台化の話だった。役所は悪くない。あの東京ブレイドのメインヒロインならフリルの格には合っている。ダブルキャストという演出も面白い。すでに天才と呼ばれている不知火フリルと今注目を集め、天才を認められ始めている黒川あかね。2人を競わせるというのは一ファンとして興味深い。
問題なのはスケジュールだ。ただでさえゴールデンのレギュラーを掛け持ちし、映画やドラマもこなしているフリルのスケジュールはギリギリ。コレに長期間かつ長時間稽古の時間を取られる舞台の出演など不可能だ。一ファンとしては興味深くてもマネージャーとしては許可できない。社長もわかっているはずだ。
「断ったんですよね?」
「いいえ。約束したでしょ?仕事を受けるか否かはこの子に話を通してからって」
「フリル、貴女が仕事を断らない主義なのは知ってる。けど今回は物理的に不可能なの。断るけど、構わないわね?」
「…………社長。ダブルキャスト、男の方の主演は誰ですか?」
「ソレを聞かないでイエスノー決めて欲しかったんだけどなぁ」
社長からのその一言でゾッとする。半年前からフリルに付き纏い始めた…というのは身内視点の言い過ぎかもしれないが、あの美しい疫病神の姿が私の脳裏に過ぎった。
───そして、私が連想してしまったということは……
この聡明な美少女の頭にも当然浮かんでいることだろう。目の色が変わったことがそれを何よりも雄弁に語っている。
「ブレイド役は姫川大輝と星野アクア。このダブルキャストよ」
「出ます。白河さん、スケジュール何とかして」
「フリル!貴女いくらなんでも星野アクアにこだわり過ぎよ!彼が貴女の興味を惹くだけの才能なのは認めるけど好奇心でこれ以上無茶してどうするの!まだ『今ガチ』の爪痕も癒えたとは言い切れないのに!」
そう、あの時も相当に無茶をした。全てのロケに出演したわけではなかったけれど、できるだけあのリアリティショーを優先してしまったがために各所に借りを作ってしまった。今はその返済の真っ最中。完済したとは言い切れない状況だった。
「白河さん、ごめんなさい。でも私この舞台に出れなかったら絶対後悔する。アクアが主演の姿を見て、私の想像を超える演技をする彼を見たら……どうして私はあの場に立ってないんだろうって、どうしてアイツのヒロインが私じゃないんだって、絶望する。そんな感情引きずっていつもの仕事ができるとは思えない。アクアのためじゃない。私の将来の為だと思って、スケジュールなんとかしてください。お願いします」
タレントとマネージャー。あるところまではマネージャーの方が優位だと思う。けれどタレントに人の人生を変える力を持たれてしまえば、力関係はあっさりと逆転する。このセリフを言われてはマネージャーに出来ることなど、溜息を吐くくらいだった。
「レギュラーに幾つか穴開けるわ。あとレコ大用に書き下ろしてもらう予定だった曲、貴方じゃないグループに譲る。それでもいい?」
「全然構わない」
「貴方が構わなくても事務所が構うのよ。一体いくらの損失になるか…」
「いずれ私が絶対返すから。お願い白河さん、愛してる」
両手を合わせてウィンクする我らが看板タレントにマネージャーはもう一つ大きく息を吐いた。
▼
俺にとってこの舞台はかなり気に入らないものだった。
ララライが主体となって行われる演劇『東京ブレイド』。今日本で最も話題な漫画と言って過言でない作品。その舞台に鏑木さんのツテで呼ばれたまでは良かった。
不満なのはその後に発表された配役についてだった。
主演級がララライの役者なのは仕方ないと思う。彼らが演者の半分を占めるんだし、メインどころが彼らになるのは必然だ。だから姫川大輝や黒川あかねが主人公とヒロインをやることについては文句ない。
不知火フリルに関しては言うまでもない。推しも押されぬ日本一のマルチタレント。歌って踊れて演技もできるのはプロの目で見ても明らか。彼女に文句を言える若手芸能人など、今の日本に存在しない。
気に入らないのは、この2人だ。
1人は星野アクア。最近やたらとその名を耳にするようになった俳優。共演するにあたって少しこの男の事を調べてみたが、やっていることは炎上商法に便乗商法。その都度話題の人間に乗っかって、安全圏から小賢しく立ち回る、いわゆる他人の褌で相撲を取るばかり。そんな男が2.5経験豊富なこの鴨志田朔弥を差し置いて主演級を演る。気に入らない。実に気に入らない。
けれど百万歩譲って、星野アクアはまだ許そう。今回の渋谷抗争編、ブレイドの前半の年齢設定は15〜6歳。22の俺がやるにはちょっと無理がある。それに『今ガチ』の動画も見た。星野アクアは確かに非凡な才能を持っている。異常な没入による感情表現はほぼ自己催眠の領域。故に繊細すぎて演劇で通用するかと言われれば微妙だが、多くの演出家が欲しがるだろう逸材だ。大きい役で使ってみたくなるのもわかる。
わからないのは、もう1人の方だ。
鳴滝メルト。モデル出身の鏑木組。役はキザミというまあ大きい役ではないが、出演者の少ない舞台に置いて名前ありの役。しかも出番は物語の序盤。小さくもない。それなのに1人ハッキリと下手。挨拶後の軽く本読みしているのを見ただけだがそれだけで充分わかる。役を掴めてる掴めてない以前の問題。素人に毛が生えたかどうか程度の演技。
───マジ消えろ
大嫌いだった。なんの苦労もしないで顔だけで仕事を取ってくるやつ。俺だってあまり人に誇れるようなプライベートはしていない。自他共に認める女好きだし、同業者のなかでもチャラい方なのはわかってる。
けどプロとしてやるべきことはやっている。
今回の舞台、裏方や上の方の気合が入っているのはわかる。それもそのはず。あの東京ブレイドが原作だし、コケたら絶対脚本のせいにされる。そのプレッシャーのおかげか、台本も実に面白い。演じるのは大変そうだけど、やり甲斐を感じる良い脚本だ。そして役者達は皆非凡な何かを持っている人達ばかり。星野アクアは気に入らないが、大きな役で使ってみたくなる気持ちもわかる。それだけのポテンシャルを秘めた役者だ。
その中で、一つだけ、だからこそ目立つ不純物。
上手い人たち、今一流と呼ばれる人たちを相手に、最高の原作と脚本で、思いっきりできるの期待していたのに…
大嫌いだった。なんの苦労も努力しないで顔だけで仕事を取ってくるやつ。下手に合わせる演技をしなければいけない役者とも言えないクズが。
大嫌いだった。
▼
スタジオの廊下を歩いていると、一組の男女とすれ違う。俺はその2人に見覚えがある……どころではなかった。いつもテキトーにやってなんだかんだ上手く行ってた多分今までの俺の人生で、初めて敗北感を刻み込んだ2人の俳優だった。
「メルトくん、久しぶり」
「…………オス」
有馬かなと星野アクア。9ヶ月前ドラマで共演し、いろんな意味で引け目がある俳優。あまり会話したくはなかったが、挨拶くらいちゃんとしなければまた同じことの繰り返しになってしまう。それにこの2人にはおそらく助けてもらわなければいけない場面もある。
「この公演、外部キャストは鏑木Pが噛んでるらしい。つまり俺たちは鏑木組ってわけだ。よろしくな」
仲間意識を持ってもらい、仲良くしようという意思を込めて挨拶したんだが……
「────」
「…………よろしくね」
無表情を決め込むアクアと、不安や心配がない混ぜになった有馬。返事にも変な間があった。
───『今日あま』の悪夢再び、とか思ってんだろうな…
不快だが、思われたとしても文句は言えない。この2人と比べられたら、俺なんて……
───絶対見返してやる
この9ヶ月で得た成長をぶつけてみせる。この微妙な顔と能面を驚愕に変えてやる。そんな決意と共にスタジオへ入り、深々と頭を下げた。
「キザミ役を務めさせていただきます。ソニックステージ所属、鳴滝メルトです。よろしくお願いします」
▼
「キザミ役を務めさせていただきます。ソニックステージ所属、鳴滝メルトです。よろしくお願いします」
腰を直角に曲げて頭を下げる少年を最後に、鏑木推薦組の挨拶が終わる。
今回の舞台は掛け持ちになる役者も多かったが、初顔合わせとなる今日、主要人物は全員揃っていた。
公演の責任者、雷田澄彰。演出家金田一敏朗。脚本家GOA。2.5次元俳優鴨志田朔弥。ララライの役者達。黒川あかね。姫川大輝。そして……
「不知火フリルです。よろしくお願いします」
───流石に顔合わせには来るか…
正直本格的に稽古始まるまでは顔見せないかと思ってたんだが。この辺りちゃんとしてるところがフリルが使われ続ける理由なんだろう。
「本当にフリルちゃんとやるんだね」
いつの間にか隣に来ていたあかねに耳打ちされる。その感想もわかる。あの不知火フリルとの共演など、若手芸能人なら誰もが夢に見る。事前にわかっていてもいざ目にすると信じがたくなるのも当然だろう。
「アイツとの共演は初めてじゃないだろう」
「今ガチとは訳が違うよ!今回は色んな意味でハッキリ敵対関係取るんだから!しかもこんな難しい台本で!うー、緊張する〜!!」
肩をすくめ、両拳を握りしめるあかねを見て、星の瞳の少年はフッと笑みを浮かべる。思ったより可愛らしい所作だった。
「流石のララライ若きエース様も不知火フリル相手はビビるか」
「アクアくんがいつも通りすぎるんだよ!あの姫川さんやフリルちゃん敵に回すっていうのによくそんな澄ましてられるね!」
「相手に合わせて演じ方変えられるほど器用な役者じゃねーからな。誰が相手でもオレができる事を頑張り過ぎねー範囲でやるだけさ。その代わり全力で。ベストを尽くして」
「アクアくんの一番優秀な才能はその腹の座り方だよね。どんな相手でも状況でもブレない芯があるっていうか、いい意味でマイペースを崩さないっていうか……自信の裏返しなんだろうけど、羨ましいなぁ」
「自信なんてねーよ。ただでさえオレって共演者無自覚に振り回すタイプらしーし、この大舞台が初舞台。しかも難易度激高のキラーパス台本。多分迷惑かけまくる。その時はフォローよろしく、相棒」
「──うんっ!任せて!相棒!」
甲高く手のひらを合わせる。笑顔でハイタッチを交わす姿は微笑ましくも愛らしい。
2人が彼氏彼女なことはこの場にいる全員が知っている。ほとんどがリアリティショーのビジネスカップルなどもっと表面的かと思っていたが……
「仲良いんだな、あの2人。付き合ってるんだっけ」
鳴滝の感想はほぼ全員共通しているものだった。そのことに好感を持ちこそすれ、悪感情を持つものもいなかった。
たった1人を除いて。
「はっ!番組の演出上そうなってるみたいね?でもあくまでビジネスみたいよ?!そりゃキスまでした相手とすぐ疎遠になったらファン受け悪いでしょうし!」
「有馬さんはアクアとあかねの関係否定派?2人の役は前半主従で後半許嫁だけど、どっちもカップリング要素はある。狙ってのキャスティングは気に入らない?」
「当然でしょ!役者のリアルと板の上をリンクさせるってノイズになるし!基本的に観客が持つ情報は一律な方が広く刺さるのに!プロモ側がそういう意味あるかわかんないちょい足し好きなのは2世紀前から変わらないのよね!あーやだやだ」
「2世紀は言い過ぎじゃない?せめて半世紀くらいだよ」
「…………お前、よくそんな言葉遣いできるな」
「は?」
言葉の意味がわからず振り返る。するとゾッと血の気が引いた。鳴滝に向かって話しているつもりだったのに、背後にいたのは泣きぼくろの美少女。不知火フリルだった。
「あ、あのっ。そのっ──」
「気にしないで。私の方が年下なんだし。素の有馬さんで接してくれたら嬉しいな」
「あ、りがとう、ございます」
「敬語もいらないのに。まあ好きなように話しかけてね。さて、私もあの2人邪魔してこよーっと」
足早にアクア達の元へと向かっていく。アクアの背後から丸めた台本で蜂蜜色の頭を叩く。眉間にシワを寄せたアクアが二、三言話すとアクア自身も台本を丸め、殴ろうとしたが防がれる。そのままチャンバラが始まってしまったが、2人の間にあかねが割り込んで小競り合いを止めていた。
「…………不知火フリルがアクアを好きっての、マジなのかな」
「アイツってホントややこしい女にばっか好かれるわね」
「………………」
「なによ?」
「別に」
「それにしても、アンタあの時とはずいぶん雰囲気変わったわね。挨拶もちゃんとしてたし。ちょっとは痛い目にあった?」
「…………あったよ。ちゃんと」
目を逸らしながら嘆息する。あの地獄から9ヶ月が経った。酷評を見る機会も自分の演技を振り返る時間もたっぷりとあったはず。そりゃ少しは変わりもするか、と心中で納得した。
「───お前ら2人の演技、見たからな」
「私達?」
「……今日あまの時、最終回以外ワザとヘタにやってたろ」
「──へぇ、気づいたの」
「最終回との差を見りゃイヤでも気づくさ………最初からあんなふうに演ってくれてたら、俺だって……」
「変わってたと思う?」
「…………思わねーけどさ」
───思ったより客観的に自分を見れてるわね
正直彼がキャスティングされているのを見た時、『今日あま』の悪夢再び、と思わずにはいられなかった。アレが初めての演技だったとか、そんなことはプロである限り言い訳にならない。今もあまり彼の演技に期待してはいないが、かつては自分も通った道。少しは暖かい目で見てやろうという気にはなった。
「前半はアクアがブレイド。私との共演も多い。ちょっとアイツがどんな感じで役作りしてるか聞いてくるわ。貴方は見学してなさい」
「見学って……アクアの真似して盗めっていうのかよ」
「言わないわよそんな無茶な事。真似する必要はないわ。でも、知っておきなさい。ああいう才能もあるんだって事。いつか必ず役に立つはずだから」
台本片手にフリルとあかね、アクアの3人で話しているところに突撃していく。自分も行きたかったが、それを実行するには自身が非力過ぎることくらいはもうわかっていた。
▼
「あんた達いつまで遊んでんのよ」
いきなり頭叩かれて喧嘩売ってきたフリルとチャンバラしているうちにいつの間にか有馬も近くに来ていた。台本片手に自身の肩を叩いている。
「雑談も結構だけど本読みの準備くらいしたらどうなの?アンタ達ちゃんと演じるキャラ掴めてる?」
「大枠」
「当然」
「私も、自分なりに」
「どうだかね。確かめさせてもらうわ。アクア、打ち合わせするわよ」
「え。オレだけ?」
「当然でしょ?前半は私達共演シーン多いんだから」
「それはあかねもだろう」
「…………アンタも来る?」
「もちろん!」
「ならサッサとやるわよ!準備して!」
「はいはい……ったく、めんどくせーな」
「演技への情熱すごいねぇ。流石は元天才子役」
少し離れた隙に小声でぼやく。有馬には聞こえていなかったようだが、感覚器官がオレ以上に優れた泣きぼくろの少女の耳には届いていたらしい。
「……細かいことグチャグチャ言われそう」
「アクアって演技の話は苦手?」
「苦手とまでは言わねーが……オレの話って、理解されないことがほとんどだからな。ふざけてるとか馬鹿にしてるとか誤解される事も多い」
「バード・アイの持ち主はこの世界でも
「トリップはともかく、バード・アイ?」
「鳥瞰視点。雲の上から全体を俯瞰してるような感覚。アクアにもあるでしょ?」
ある。調子のいい時に限って見える、天の星から見下ろしているような感覚。他人に話しても理解されなかったこの感覚に名前があったとは知らなかった。
「アクア!何してんの!始めるわよ!敵とベタベタしてないでサッサと来なさい!」
「はいはい」
「はいは一回!」
「やっぱめんどくせぇ」
「面倒な女、好きなくせに」
「うるせ」
有馬とあかねとオレ、そして何故かまだ出番は先のはずのフリルまで交えて談義に入る。いちいち細かいと思う事もあったが、意外と有意義だった。
▼
「それじゃあ、本読み入るぞ。全員集まれ」
演出家の金田一さんの集合がかかる。雑談や仕事、舞台の話をしていた面々は一度切り上げ、スタジオの中心に集まる。もちろんアクア達も例外ではない。
「行くか」
「ちょっと待って……」
───あ、変わった
目を瞑るあかねの雰囲気が変わる。健気で儚い、けれどどこか高貴な風格。ブレイドの巫女として厳格に育てられたシースに相応しいオーラ。
「行きましょう」
「ああ」
───はいったな。憑依の前に一度目を瞑る、か。トリガーを作るっていうのは良いかもしれない
オレは気がついたら勝手に潜ってるタイプだから、意識的に憑依りこむってのはあまりしたことがなかった。けれど今回は二役。ブレイドと刀鬼、それぞれで没入しなければいけない。今までのオレのやり方ではブレイドに憑依りっぱなしになってしまいかねない。
「次、星野。ブレイドが初めて刀を手に取るシーンから」
声がかかる。返事の代わりに目を閉じ、ブレイドのキャラクターに想いを馳せる。
東京ブレイドは主人公が一振りの刀を手にするところから始まる。異質な力を持つ極東に集った21振りの刀【盟刀】。持ち主に様々な力を与える異能の武器。全ての【盟刀】が最強と認めた剣主には国盗の力がもたらされるという。
この時のブレイドはまだ盟刀を持っていない流離の旅人。剣の心得はあれど、戦士としての気構えはない状態。新しい力に夢と希望しか持っておらず、まだ何も背負っていない天真爛漫な青少年。鮮明にイメージできる。東京ブレイドの考察に関してはこの場にいる誰よりも深い自信があった。潜るのは難しくない。問題なのは浮かび上がる事。
あの養護施設で掴んだ、そしてアレから一週間訓練し続けた感情表現を意識する。ブレイドの初登場シーン。どんな感情を表現すれば喜んでもらえるか。観客、共演者、監督、環境、感情の源である愛を周囲全てに捧げる。
───うん、こうか…
暗闇から放たれた世界はすでにありふれたスタジオなどではなく、風荒び草木茂る広野だった。
▼
真っ先に異変に気づいたのは有馬だった。渋谷抗争編冒頭。盟刀をシースから受け取ったブレイドは偶然居合わせたつるぎと戦うシーンから始まる。
───えっ
星の瞳が見開かれる。同時にアクアの蜂蜜色の髪が揺れた。スタジオという密閉空間。風が吹くなどあり得ない。だけど有馬は確かに風を感じた。
ブックカバーを見れば中身がなくとも本の厚さがわかるように。
ケースを見れば包丁の刃渡がわかるように。
アクアの……いや、ブレイドの所作、身体の揺れ、佇まい、服のたなびき、そして揺れる髪が、あるはずのない風を連想させたのだ。
───コレが、今のアクア?
異常な没入。人格からすでに別人と化してるのが、この段階でわかる。深く潜り、戻ってくる。水面から全身が浮かび上がる、どころではない。周囲の環境すら動かす、表現力。
───見える……聞こえる……
高原に吹く風の音。剣を手にした動揺。重さと鈍さ。そして──
『なんだ、これ……光って──』
少年の瞳が映す、鞘から放たれる剣の輝きが、見える。
───あの時とは、まるで別人……
有馬かなに動揺が走る。今ガチの時に見せた神がかり的演技。アレがアクアの最高値だと思っていた。リアリティショーなどで演技力が上がるはずがないし、あかねの救済動画も見たが、客観視を身につけたくらいで、あとは『今日あま』の時と大きく変化はなかった。
アレから数ヶ月。何かを身につけるにはあまりに短い時間。その短期間でチューンアップしてきた。演劇という舞台で通用する表現力を。
───俺を差し置いての主演、ムカつくと思ってたけど……
鴨志田朔弥も、認めざるを得なかった。ポテンシャルで言えば自分など遥かに凌ぐ、姫川大輝に肩を並べうる大器だと。
───何者だ、アレは
監督金田一敏朗の背筋に冷たいものが宿る。才能にはいくつか触れてきた。有馬かなや黒川あかねがソレだ。才能を数値化するなら星野アクアは彼女らと大きく変わらないだろう。
なのに、彼からは有馬や黒川からは感じない何かを感じる。人の心を掴み、暴力的なほどの力で奪う何か。オーラ?カリスマ?間違ってはいないが正解ではない。何かがあるのではない。きっと何かが欠けている。その欠けた隙間に人の心を吸い込むのだ。
───恐らく姫川やフリル……あの女と同種だろう。噛ませとはいえ、主演に抜擢されるのも頷ける。その価値がある才能だ
「…………なんだよ」
鳴滝メルトは唇を噛んでいた。目の前の男と自分との差。この9ヶ月、自分なりに勉強してきた。あの頃よりは上手くなった自覚がある。俺とアイツの差は縮まっていると思っていた。
まるで違った。
この9ヶ月で進歩するのが自分だけなはずはなかった。俺みたいな怠けた亀が今更急いだところで、勤勉なウサギとの距離が縮まるわけがなかったんだ。
『真似する必要はないわ。でも知っておきなさい。ああいう才能もあるんだってことを』
真似なんてしない。しようとも思わない。だって出来ない。時間の無駄だ。それくらいはわかる。
───でも、どうすりゃいいんだよ
同世代の若手俳優。この舞台に限らず、彼とはこれからも争い続けなければならない。ソレはわかってる。でも、どうすればいいかわからない。こっちが十進んでる間にあっちは百進む。こっちが一休んでる間にあっちは千進む。俺が戦わなければいけないのはそんな怠けないウサギ。
───どう戦えばいいんだ。あんな天才と。
「あはっ……」
亀がウサギを恐れる中、ウサギと同種の、そして現時点でアクアの遥か先を走るウサギは歓喜に笑う。今は本読み。出番がある人間以外が声を出してはいけない。そんな事、百戦錬磨の不知火フリルは誰よりもわかっている。だけど止められない。溢れる笑みが抑えられない。震える身体が静まらない。腹の底から興奮と恍惚と言葉にし難い何かが湧き上がってくる。
───コレがあの後、あかねとの
「素敵」
スケジュールを押してでも。いくつかのゴールデンのレギュラー番組を休んででも。大御所プロデューサーがレコ大向けに書いた歌唱曲の担当を蹴ってでも、この舞台に立つ事を選んで良かったと、心の底から思う。
本読みの段階で私の想像など遥かに超えた。本番ではどこまで化けるかわからない。今までの成長を見過ごしただけでも既に悔しいのに、そんな過程を間近で見る機会を自ら失うなど、考えただけで惜しすぎる。
「…それでこそ、それでこそ私の、
この感情を忘れない。歓喜、狂喜、興奮、後悔、嫉妬、そんな言葉では片付けられないこの想いを忘れない。
───きっといつか、私をより美しくしてくれる。そのために必要なモノのはずだから。
ほっそりとした美しい指を顔の前で合わせ、両手を組む。一挙手一投足を見逃すまいと日本最高のマルチタレントは前のめりになった。
誰もがアクアの豹変に動揺していた。恐怖、嫉妬、歓喜、感情は様々だったが、心が揺さぶられていた。
ただ2人。
『貴方様こそ神託の剣主。【盟刀・風丸】に選ばれたお方。わたくしの主様でございます』
彼に侍る『剣の巫女・シース』が憑依している黒川あかね
『風丸が渡ったか……ならばいずれその者と雌雄を決する日が来るだろう。俺がこの【盟刀・雷斬】を持つ限りな』
ブレイドの宿敵『姫の懐刀・刀鬼』として振る舞う姫川大輝だけだった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。評価者数200人到達、総合評価5000超え、ありがとうございます。多いのか少ないのかちょっとよくわかりませんが。もっと上の人沢山いますからね。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
51th take 現状把握のカルテット
空っぽを埋めるために蒼い惑星は光を求め
求められた星達は舞台という星座を作る
同じ星に惹かれた不協和音を伴いながら
才能のある人が好きだった。
演技でも、音楽でも、美術でも、ジャンルはなんでもいい。どの分野であろうと光るものを持っていて、それを磨いていて、オレが美しいと感じられる何かを作り出す人が好きだった。
そういう人は自分に自信を持っている。
もちろん才能ある人にも色々なタイプの人がいる。いつも明るくて和の中心にいる人。逆に普段は暗くてひっそりと影の花になっている人。普段は平凡な人とほとんど変わらない人。本当に色々だ。
しかしどの人も、自分のジャンルになると目の色が変わる。
この場の誰より自分が優れている。この場の誰より最高のものが作れる。私こそが一番だと、疑いもなく信じている目になる。
そういう人の目にはいつだって光がある。人を惹きつける何かがある。空っぽなオレにとって、その光はとても眩く、そして魅力的だった。そういう目をした人が好きだった。
いつからだろう。そうじゃなくなったのは。
いや、少し違う。今でもそういう目をした人は好きだ。だけどオレが一番好きな目はそういう目ではなくなった。
才能ある人が好きで、そんな人になりたくて、その人に近づき、言葉を重ね、手を重ね、身体を重ねた。重ね続けてきた。
そしてそれは唐突に訪れた。
才能ある人の目から、光が消えてしまう瞬間。
その状況は人によって様々だ。何気ない雑談をしている時。食事を共にしている時。デートしている時。セックスしている時。本当に唐突に。なんの前触れもなく訪れる。
自分が一番と思っている人が、そうでなくなる。そんなことどうでも良くなる。オレのことが一番になる。そんな瞬間に人は目から光を失った。消える瞬間に強く輝きを放ったりなどしない。消えるべくして消える。
けれどオレは、消える瞬間の、あんなに眩しかった、星のようだった光より。
まるで陽炎のように頼りない。けれど確かにまだ輝きが残るあの最後の一瞬が好きになった。
目の光が消えるのと、その人から才能や技術を大方吸収し終えるのがほぼ同時期だと気づいたのは、中学の半ばくらいの頃だった。
才能ある誰かの光を自分のモノにした時、オレの中の欠けた何かが満たされる。
それはまた時間と共に欠けていき、最後には無くなってしまうけれど、その瞬間だけはオレの心が熱くなる。
オレのために光を失い、オレのことがその人の一番になったと実感した時、空っぽなオレの中に価値が生まれた気がする。オレは生きていると、世界に存在すると感じられる。
人には言えない。オレにしかわからない、オレだけの充足。
才能ある人が好きだった。才能ある人にしかない光が好きだった。その光がオレのものになる瞬間が大好きだった。
そんなオレが嫌いだった。
こんな事でしか生きている実感を得られないオレが。こんな事で興奮を、高揚を、愉悦を、感じてしまう自分が、大嫌いだった。
▼
陽東高校は日本に数少ない芸能科が存在する高校である。女優や俳優はもちろん、音楽家、声優、アイドル、果ては歌舞伎役者まで、多種多様な芸能人の卵たちが集う。この高校は規模の小さな芸能界といっても過言ではない。
しかし教育機関としては世間にいくらでもある普通の高校とほぼ変わらない。出席日数に多少融通がきく程度で、単位を落とせば普通に落第するし、カリキュラムに関してもほぼ差はない。
故に学校行事も普通に執り行われる。
むしろココは普通の学校より力を入れているくらいだ。芸能人の卵達が集う学校とはいえ、本格的に芸能活動をしている生徒など数えるほど。ほとんどの学生達は日の当たらない場所で下積みをこなしているのが現状だ。日の目に当たるところに出たくても出られないのがほとんどの生徒の事情。
しかし学校行事は生徒であれば誰でも参加可能な舞台。一般にも門戸を開き、人の目に触れてもらえる貴重な機会。今時は誰でも撮影してネットに動画を上げられる時代。何がバズるかわからない。イベントに対する熱量が普通の高校より高くなるのは必然だった。
そして熱とは飛び火するもの。本来芸能科とは関係ない普通科の生徒達も、たまには芸能科の連中を見返してやると言わんばかりに気合いが入っていた。
もちろんアクアが所属するクラスも例外ではない。
陽東高校文化祭。舞台演劇やライブ。ファッションショーが学生レベルを遥かに超えるクオリティで執り行われるこの日は沢山の一般客でごった返し、訪れた人の多くは普通科が開いている飲食店や休憩室を利用している。
アクアのクラスも飲食店という括りになるだろう。接客する人間の衣装が少し特殊な事を除けば。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
1-A執事喫茶。ホールを担当するのはクラス選抜のイケメン達。その中に星野アクアが入っていないはずもなく──
「おかえりなさいませ、お嬢さ──ま゛っ!?」
「いぇーい、お兄ちゃん。仕事してるー?」
「あはは……アクアさん、お邪魔します」
「へぇ、そういうのも似合うじゃない。私の
ルビー達が彼の姿をからかいに来るのも必然の流れだった。
「おい、誰だあの子。可愛いー」
「芸能科の生徒だよね……アクアくんにソックリ」
「双子の妹さんがいるって聞いてはいたけど…」
「遺伝子強すぎない?」
「親の顔が見たい…」
「絶対美形」
「桃色髪の子って寿みなみだよな?」
「グラビアで見るよりキレー……あとデカい」
「スタイルがいいって言ってあげなよ……しかしデカい」
「もう1人は……なんか名前を出すのも烏滸がましいっていうか」
「名前を言ってはいけないあの人」
「不知火フリル」
「言ってんじゃん」
客、スタッフ問わずヒソヒソと囁く声が聞こえてくる。こういう時無駄に良い聴覚や嗅覚がイヤになる。世の中聞こえない方がいいことはあるし、嗅覚良くて良かったと思ったことなんて一度もない。いい匂いがすれば腹が減るし欲が湧く。イヤな匂いがすれば単純に不快になる。感覚が優れていて良かったと思ったことはこの眼の良さだけだ。
「お帰りやがりませ、お嬢様方」
「店長さーん。この執事、お嬢様に暴言吐きまーす」
「店の迷惑だから帰りやがりませお嬢様」
「授業参観みたいなものだよ。どうせお兄ちゃん普通科でボッチなんでしょ?」
「余計なお世話でございますからとっとと失せろでございます」
「まーまーアクアくん!良いじゃないか!可愛い妹さんを邪険にするものじゃないよ!ささ、ご案内して」
「あ、貴方がオーナーさんですか?私たちこの執事指名で」
「フリルお嬢様。ここはそういう店ではございません」
「どーぞどーぞ!煮るなり焼くなりご自由に!」
「川上、後で覚えてろよ───ご案内いたします。こちらへどうぞ」
「アクアくん、お嬢様方を外に誘導しようとしない。ちゃんとテーブルに案内して」
クラスメイト達の裏切りに遭い、渋々テーブル席へと誘導する。テーブルに備え付けられたメニュー表を広げた。
「ふーん、メニューはカップオムライスとコーヒー、紅茶だけなのか…まあ学生の喫茶店なんてそんなものね」
「でも、ソースは3種類から選べるんやね。ケチャップとホワイトソースとデミグラス」
「お兄ちゃん作れば良いのに。大抵のものは作れるでしょ?」
「ホールスタッフがキッチンまで手を回せるか。火を使わずレンジだけで調理やろうと思ったらこの程度が限界だ」
火器を使うとなると、いろいろ手続き面倒だが、電子レンジだけならあっさり許可が降りた。カップオムライスならレンジでできるし、コーヒーも紅茶もケトルで淹れられる。料理ができない生徒でもこれなら仕事が等分で負担できる。
「味は……可もなく不可もなくだね」
「電子レンジ製のオムライスに期待すんな」
「でも紅茶とコーヒーは執事さんが淹れてくれるんですね」
「一手間くらいは惜しみませんよ、お嬢様」
ジャンピング。カップとポットの距離を高く開き、上から注ぐ。茶葉に沸騰したお湯を勢いよく注ぎ込み、空気を混ぜ、撹拌によって味と香りを引き立たせる淹れ方。付き人時代、不知火フリル直伝である。
「なんかみなみちゃんと私たちの差、激しくなーい?」
「どーせみなみさんはこの傍若無人ワガママお嬢2人に連れて来させられたんだろーが。当然だ」
「ワガママお嬢様からお願い。執事さん。可もなく不可もないオムライスに美味しくなる魔法、お願いしても良い?」
「おい死くなーれ、ふわシネはーシネもえシネキュン」
「この執事こわーい。SNSにあげていい?」
「勝手にしろでございます」
ようやく接客から離れると外は人混みでごった返していた。それも当然。芸能科でまともに仕事があるみなみさんだけでも十分な宣伝だというのに、あの不知火フリルがいるのだ。人が集まらないはずがない。
「アクア!コッチヘルプ!」
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「執事さん!写真一緒に良いですか!」
「あちらに写真館がございますので、整理券を取ってお待ちを。お待ちの間、どうぞお寛ぎください」
人をさばく方へのヘルプに入る。混雑は変わらなかったが、目に見えて喧騒が収まり、整然とした列へと変化していった。
「…………なんだ。ボッチかと思ったら、そうでもないじゃん」
クラスメイトに頼られ、協力しながらイベントに当たる兄を見て、妹が安堵の嘆息を吐く。普通科の中にも兄の居場所はありそうで安心した。
▼
「じゃあ私たちそろそろ出るね」
しばらくオムライスと紅茶、そして雑談を楽しんだ後、ルビーとみなみさんの2人は店から出て行く。やっとか、と内心で喜んだが、少し違和感が残る。フリルはまだテーブルに残っていた。
「実は私とみなみちゃん、ファッションショーのモデルやってって頼まれちゃっててさー。ランウェイ歩くんだー。お兄ちゃんも暇なら見に来てよ。じゃあね」
「ご馳走様でしたお兄さん、また」
テーブルを立って教室から2人が出て行く。1人残されたフリルの空のカップにおかわりの紅茶を注ぎ込んだ。
「フリルは?」
「私はパス。そんなのに出ちゃったら会場の注目全部持ってっちゃうから」
「腹立つが事実だな」
「今日の芸能科は私や貴方が上がっていい舞台じゃないの」
言わんとすることはよくわかる。今日は一般客だけじゃない。パンピーに紛れてスカウトや芸能関係者も何人か訪れている。そういう人たちにアピールできるチャンスの場。そんな場所に不知火フリルが出てしまっては何もかも台無しだろう。彼女なりの気遣いを感じた。
「私たちが立っていい方の舞台さ、みんな面白いね」
2人きりになった途端、仕事の話を振られる。どうやらこの話をしたくてウチのクラスに来たらしい。
確かに今回の舞台、キャストは粒揃いだ。
周りの演技を綺麗に受ける有馬かな。
地力が高いララライの面々。
天才の評価に相応しい没入を魅せる黒川あかね。
「その中心で一際眩しい異才を放つ、星野アクア」
「なんだそりゃ」
「貴方の光に照らされて才能ある星達も輝き、その輝きに照らされた貴方はさらに光る。影打編の主演組は今最高の循環の中にいる。その中心に座すのは間違いなく星野アクア」
「お前に言われても皮肉にしか聞こえないな。『太陽』不知火フリル」
「ヒネてるなぁ、私の
「主演組なんて小さな枠じゃなく、舞台全体の中心がお前達だってことくらい、オレだってわかってる」
誰よりも美しくあり、燃え盛る熱を持つこの女に、オレが中心にいるなど嫌味もいいところ。実際確かに途中まではオレが中心だったと思う。しかしその座はあっという間に持っていかれた。姫川大輝と不知火フリル。この2人に。
まだ本読みと稽古を少しやっただけだが、それだけで充分解る。明らかに別格。上手いとか下手とか、そんな言葉で説明できない、怪物の存在。
『渇く』
姫川大輝の演技が脳裏に蘇る。無意識に人の視線を集める何かの持ち主。
『俺の中の渇きと飢えが、収まらない』
まだ本読み段階で鬼気迫るあの表現力。
『幾ら酒を飲んでも、姫を抱いても、返り血を浴びても、渇きが癒えない』
観客だけじゃない。共演者にすら、「俺を見ろ」と強制するかのような引力。
『姫の懐刀である事に不満はない。戦いに飽いてもいない。全てにおいて、俺はそこそこ満ちているはずなのに』
自信、覚悟、才能、狂気。それら全てがオレ達から境界線を奪う。観客席からでもあれだけ近く感じたのだ。共演ともなるともはや脅迫に近い。
『誰だ……俺の渇きと飢えを満たすのは』
コレが月9主演を務め、帝國演劇賞最優秀主演男優賞受賞。世代No. 1俳優、姫川大輝。
そしてその引力を付き従える刀鬼より上の存在。そう、刀鬼は懐刀。渋谷クラスタNo.2だ。No. 1は彼のオーラを超える人間でなければいけない。
姫川大輝相手にそんなことができるのはこの場では不知火フリルしかいない。
『新宿の連中を……皆殺しにしてやりなさい……!』
内気で気品があり、人を殺める事に葛藤を抱く慈悲深さと上に立つ者が果たすべき義務を知っている。優しさと帝王学を併せ持つ少女。少し暗い、だからこその威圧感を持つ。それが鞘姫というキャラクター。普段太陽に例えられることが多いフリルとは真逆と言える。しかし、だからこそ完璧に鞘姫を演じつつ、フリルらしさを匂わせる演技はオレの背筋を寒くした。
姫川大輝と不知火フリル。この2人の相乗効果が作り出す
「まだ本読み。誰もがまだキャラクターを掴み切ったとは言えない段階で、あの完成度。ここからまだまだ上がるのかと思うとゾッとする。このままじゃオレが殺されるな」
現段階で舞台演劇のクオリティとしては及第点程度は出来ていると思う。むしろ噛ませ役としては満点かもしれない。このまま舞台をやっても批判はされないだろう。
だが恐らく賞賛もされない。オレの出演など姫川に食い潰され、人々の記憶から消えてしまう。
「さてはて、どう戦うか……今のところ打開策は見つかってねーな」
「ふーん、そう。意外と弱気ね」
「怒った?」
「ううん。客観的に自分を見れてるみたいで安心した。本番までまだ1ヶ月以上あるんだし、焦らず急いで頑張って。間に合わなかったら介錯くらいはやってあげる」
ありがとよ、と一言ぼやき、カップの紅茶を奪って飲み干す。なんか文句くらい言われるかと思ったが、特に何も反応はなく、口元に笑みを浮かべていた。
「どの人にも特徴がある。今ガチとは違う意味でキャストに恵まれてるね」
「そうか?有馬とか今のところ結構つまらねぇだろ」
前半はオレとの共演が多いからわかる。確かに上手い。特に受けに関してはオレ以上。一緒に演ってるとやりやすいし、オレがより引き立つ演じ方をしてくれている。だが……
「テメェを安く見積もりすぎだ。もっと自分本位に演ってもいいだろうに」
「でもああいう人って舞台に1人いるとすごく助かるから。狙って泥臭い演技できる人は色んな人が使いたくなる。これから彼女は上がってくると思う。私にはもう出来ないタイプの女優さん」
「…………泥臭い役者、か」
演劇といってもヒーローのかっこいいシーンばかりではない。脇役や敵役、憎まれ役のシーンは必ずある。そういう所に使える役者を目指す、というなら悪くはないが……
───お前はそういうタイプじゃねーだろ
アイツがどんな時に一番輝くのか、知っているからこそ自分を安く見積もる有馬に苛立ちが募る。オレはお前に照らして貰わなきゃいけねーほど脆弱な光かと怒鳴りたくなる。
「みんな面白い。有馬さんも、有馬さんに敵愾心メラメラのあかねも、もちろん姫川さんやアクアも。この仕事引き受けてよかった」
「鳴滝もか?」
「あははっ。ある意味彼が一番面白いよね。みんな上手なのに1人飛び抜けてヘタ。私の共演者であんなヘタな人久しぶり。かえって珍しくて、笑っちゃいそう」
酷い言いようだが、あながち的外れとも言えないのが痛い所だ。
「自覚がなかったらまだ気楽なんだろうけど、彼の場合自分がヘタなのわかってるから、より背伸びしようとして、出来ないことまでやろうとしちゃって、空回る。見てて懐かしい。私にもあんな時期があったなぁ」
「あったのか、お前にもあんな時期」
「勿論。誰だって最初はヘタだよ。ヘタを自覚してからが芸達者への第一歩。アクアだってわかるでしょ?」
勿論、痛いほどわかる。ここに来るまででオレは10年以上かかっているのだから。ダーニングクルーガー効果で言えばオレの位置は10年の経験を経て少しずつ自信とプライドを持ち始めているくらいの頃合い。鳴滝は短慮による根拠のないプライドが崩れ、自信を失い始めた状態。フリルは真の実力を得て実力に相応しいプライドを備えている状態といったところだろう。
「ね、文化祭の仕事、何時まで?」
「昼には上がらせてもらうつもりだ」
「なら今日は一緒に稽古行こう。待っててあげる」
「いいけど、仕事上がってももう少しオレは学校残るぞ」
「なんで?」
「ルビーのファッションショー観ていくから」
「…………シスコン」
「ほっとけ」
「ルビーも大概ブラコンだけどね」
立ち上がる。喫茶店内の写真館へ入っていくと常備しているらしい簡易な変装道具で顔を隠して出てきた。
「しょうがないから私も付き合ってあげる。久々に観る側に回るのも楽しそうだし。その代わりアクアは執事の格好のままでいてね」
「なんで」
「お忍びのお嬢様と専属バトラーって感じがするじゃない」
手を差し伸べてくる。蜂蜜色の髪の執事は一度諦めたように嘆息すると、恭しく帽子を目深に被った黒髪の令嬢の手を取った。
「ショーの会場までエスコート、お願いね」
「As your wish, my lady」
喫茶を出た後、2人でショーの観客席へと向かう。芸能科の生徒には特別席が用意されていた。まして来たのは不知火フリル。どこであろうと顔パスだろう。同行していたオレも特別席に座ることを許された。
しばらくしてショーが始まる。流石は芸能科のファッションショー。衣装のレベルも高いし、モデルもほぼプロと言っても過言でない生徒達。
寧ろルビーはモデルウォークとか練習してないのバレバレで浮いてて、身内として観てて少し恥ずかしかった。
「ルビーにTGCはまだ早そうね」
「アイドルすら半人前だよ、アイツは」
ルビー以外学生とは思えぬクオリティで執り行われたショー。概ね盛況の末、拍手喝采で幕を閉じた。
▼
舞台の稽古期間は1ヶ月と少し。昼集合で夜解散の大体7〜8時間。掛け持ちしている人も多いため、なかなか全員は集まらない。
アクアは今回のメンツの中ではまだ時間に融通がきく方だったが、例外ではない。雑誌の撮影やCMの録りで離れることもある。しかし今日だけは何としても頭から稽古に出ることを優先している。なぜなら───
「今日は原作の先生来るんだよね。楽しみだなぁ。どんな人なんだろ」
そう、今日は鮫島先生が稽古の様子を見学に来られる日。事前にスケジュールを聞き、いつならオレが頭から最後まで出れる日か確認されている。
『先生。お会いするのは楽しみにしていますが、オレとは他人のフリでお願いします』
キャスティングに関してコネがあったと知るのはプロデューサー等を除けばオレとフリルだけ。しかし此処で親しげな態度をキャスト陣に見られて仕舞えば、ダブルキャストの裏に気づく者が出てくるかもしれない。
勿論バレたとしても実力と結果で黙らせる自信はある。だけど面倒な諍いが起きるのもごめんだ。ただでさえフリルと姫川に追い詰められている現状。これ以上マイナスファクターを作るわけにはいかない。
「アクアくん?聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。鮫島先生来るって話だろ?綺麗な人だって噂だけどな」
「作品だけじゃなくて本人のファンだって人もいるくらいだしね。でも私は作家として尊敬してるよ。こんな面白い作品描いてる人だもん」
「才能ある作家なのは間違いないだろう」
「…………アクアくん、気になる?」
「なにが?」
「だってアクアくんの好きなタイプでしょ?美人で才能ある人」
当たっている。流石の分析能力だ。ここで変に否定するのは愚の骨頂。微笑を浮かべ、軽く頷いた。
「そうだな。オレにとって魅力的な興味対象であることは否定しない」
「…………そこはウソでも違うって言って欲しかったな。一応私、貴方の彼女なんだけど」
「ウソなんてつかねーよ、特にあかねにはな。ついたってすぐバレるだろ」
分析能力だけでいえばオレは勿論、フリルすら超えるかもしれない。あかね相手に下手なウソは逆効果だ。
だから、真実だけで偽る。
「でも、今のオレの彼女はあかねだけだ。そこは胸を張って断言できる」
「…………私の彼氏も、アクアくんだけだよ」
「ありがとう」
「こちらこそ」
一瞬だけ手を握り合う。監督と現場責任者がスタジオに入ってきたのを確認したからだった。
それでも目敏く2人の仕草を見ていた人間は二名ほどいたが。
「今日はスペシャルゲストがお越しでーす!」
「あ……えと……こんにちは」
雷田の後ろから身体を小さくした人影が現れる。首筋まで伸ばした少し癖のある黒髪。自信なさげに揺れる黒の瞳。俯き加減の表情はせっかくの整った顔立ちを暗く落としている。
鮫島アビ子。東京ブレイドの原作者にして、売れっ子作家だ。
「私は付き添いの吉祥寺と申します」
一緒来ていた吉祥寺先生が鮫島先生の紹介をする。こういう挨拶が苦手な人だということはオレなんかよりあの人の方が遥かによく知っているだろう。鮫島先生から吉祥寺先生に付き添いを頼んだのかもしれない。なんだかんだあの人も弟子に甘い方だ。
「吉祥寺先生!お久しぶりです!」
「有馬さん!『今日あま』の打ち上げ以来ですね!お会いしたかったです!」
手を合わせ、2人とも嬉しそうに再会を祝う。多少歳の差はあるが、この辺りは流石女子同士といったところだろう。きゃっきゃうふふする姿は見ていて微笑ましい。
「アクアさんも。またお会いできて嬉しいです」
「ご無沙汰しておりました、吉祥寺先生。光栄です」
笑顔ではあったが、有馬に向けていたものより真剣な目つきで挨拶される。この人とは良き知人としての関係を構築しているが、それ故に一定の警戒もされているようだ。
「先生、おひさっす」
「……………………………あ、ども」
───塩いなぁ、無理ないことだが
話しかけてきた相手が鳴滝と認識するとオレの比ではないほど一気に笑ってない目になった。
「わかっちゃいるけど……やっぱり塩対応だな」
「作家にとって作品は我が子同然だ。自分の子供のバラバラ猟奇殺人事件実行犯の1人相手に神対応はできねーだろうさ。ちゃんと挨拶返してくれるあたり、先生はまだ人間できてる」
「…………そう、だよな」
「先生、はじめまして」
あかね達が挨拶しようとすると、サッと吉祥寺先生の後ろに隠れる。吉祥寺は鮫島に挨拶を促すが、「イケメンと美少女は目を合わせただけでテンパる」と呟き、挨拶を拒んだ。
───美形苦手の根本は変わってないか
心中で笑みが漏れる。かつてアクアも同じ扱いをされた身だったから特に不快には思わなかった。それはララライキャスト陣も同じらしい。まあ作家でコミュ力欠けてるのは役者内ではあるあるだ。
───オレも挨拶しないわけにはいかないな
鮫島先生に言葉だけでも届けるために近づく。すると偶然か、それとも探していたのか、左右に彷徨っていた目線が合う。
───あっ、ヤバ
その日、初めてアクアに動揺が走る。自分が何かやらかしたというわけではない。だからこそ先生に起こった変化に動揺した。
一瞬にして、目の色が変わる。
引っ込み思案を絵に描いたようにオドオドしていた態度が、行き場なく泳いでいた目が、たった1人を認識したことで一変する。表情はパッと明るくなり、瞳が一気に輝きを増す。目は口ほどに物を言うとはまさにこのこと。
───そしてオレもまずった。ヤバいって顔しちまった
頬を軽く叩く。アクアの動揺も後悔も刹那のうちに消えたが、この変化の意味を理解してしまう者が、吉祥寺とフリルの他に三名いた。
───えっ、アビ子先生とアクアって知り合いなの?
先ほどまで吉祥寺のそばにいて、その変化を誰よりも近くで見た有馬かな。
───アクアくん……知り合い、なんてレベルじゃなさそうだね
人の感情の変化の察知。分析能力に優れ、誰よりも深い人読みをする黒川あかね。
才能ある人が好きだった。才能ある人にしかない光が、その光がオレのものになる瞬間が大好きだった。
けれどその瞬間を人生で初めて見逃した。同じ顔に三つも囲まれては全てを認識するのは不可能だった。
「───絶望しかねぇよ」
一番後ろで眺め、3名の空気が変わった事に気づいた姫川大輝は、大きく息を吐いた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
今回の四行詩は勿論ぼっち・ざ・ろっくからの引用です。
筆者、流行り物には逆らいたくなる嫌な性格をしているのですが、友人に勧められて視聴しました。神曲だらけで感動しました。『星座になれたら』と『ギターと孤独と蒼い星』を聴きまくってます。特に『ギターと孤独と蒼い星』
ぼっちちゃんの心の叫びを歌にした曲だと分かっていますが、めちゃ拙作のアクアと重なるところが多くてビビりました。だから友人が勧めてくれたのですが。ぼざろで二次創作書きたくなったなぁ。ウチのマリンぶっ込んで。でも難しそうだなぁ。ぼざろ二次創作既にいっぱいあるし。わざわざ筆者が書く必要はないかなぁ。ちなみに今話冒頭は最新話との対比。アクアはあそこまでイッてないけど受け継いでるところはあるって感じです。半身は天使で半身は悪魔。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
52nd take ノートの差
愛と憎悪は紙一重
窮地を好機と捉えるか
それは貴方の星次第
「よろしくお願いします」
アクアさんの手を借りて、ようやく完成した脚本家と原作者、プロデューサー等その他裏方対談の場。ネットワークカメラを使ってお互いの顔と声を聞きながら、保存されるテキストデータをクラウドで保存、共有する。通話しながら修正を重ねる共同制作の環境。プロデューサーが許可できるギリギリのラインを見極め、提案してもらった。
───渋々っぽかったけど、プロデューサーさんはOKをくれた
その報告をするとアクアさんは「でしょうね」と笑っていた。
「コレやると原作者と脚本家って仲良くなるか悪くなるかのどっちかなんですよ。揉めるレベルが爆上がりして企画そのものがポシャるなんて可能性も普通にあります。仲介屋としてはやりたくはないけど許可できなくもない最低ラインです。渋るのは当然でしょうね」
けれど、脚本が難航している現状、何らかのカンフル剤は不可欠。キャストもそろそろ稽古に入らなければいけない時期。この辺りで着地点を作らなければ本当にポシャる。
「それに、先生と脚本のGOAさんは相性悪くないと思いますよ」
大事なのは認識のズレを正すこと。なにを許せてなにを許せないか。そのラインが分かればきっと良い脚本が作れる、とアクアさんは言っていた。私も脚本の舞台は見た。ステアラを知らなかったというのも大きいが、それを差し引いても脚本センスが悪いとは思わなかった。
「ココとココはカットしていいです。その代わり刀鬼にこのセリフを足してください」
「それやると大分原作と展開離れませんか?」
「展開が変わるのは良いんです。大事なのはキャラクターなんで」
「…………なるほど。先生の許せるラインがわかってきました」
アクアさんの言った通りだった。それからディスカッションを重ねていったが、彼のセンスは悪くない。私がやりたいこと、書きたいことに理解を示してくれるし、舞台脚本家ならではの私にない引き出しも持っている。もっと喧嘩してしまうかと思った脚本作りだったが、最後の方はお互い笑っちゃうほど意気投合してしまった。
「ありがとうございます。皆さんの協力のおかげでかなり良い脚本が出来ました。役者さんが演じるシーンが目に浮かぶようです」
脚本は私から見てもかなり満足のいく作品に出来上がった。プロデューサーさんや関係者の人たちは青い顔してる。実際この脚本を演じるのは難しいことくらいは私にもわかる。だけどクリエイターの目で見たら間違いなく良い脚本だ。ココから先はまた別のプロの仕事。彼らと役者さん達次第だろう。作者としての仕事は終わった。
───だからこそ、ここからは私も私情の時間
「あの、この舞台のキャストって、私の希望を言っても良いですか?」
カメラ前で全員がぎょっと目を見開いたが、すぐに落ち着きを取り戻す。原作者からこの手の提案をされるのはよくある事。ファンの役者や声優を自分の作品に使いたくなるのは当たり前だ。プロデューサーの雷田さんは笑顔を取り戻した。
「ええ、勿論。先生の希望を言ってみてください」
「主演のブレイドを、やってほしい人がいるんです。私はブレイドを、ずっとその人をイメージして書いてきましたから」
「ブレイドを、ですか……役者さんの名前は?」
ギュッと目を瞑る。連載が決まった時、彼が私にプレゼントしてくれたペン。思い出が詰まったそれを握りしめ、口を開いた。
「星野アクア」
カメラの前でも全員が息を呑んだのが分かる。流石に芸能関係者。ここ数ヶ月で急速に売れ始めたこの名前は知っているのだろう。しかし全員が肯定的な顔はしていなかった。
「…………先生、流石にそれは…」
「間違いなく才能ある役者さんです。それは皆さんもご存知のはずでしょう」
「ですが、その…!才能以外の大人の事情があってですね」
「私だって大人です。私は誰かに笑顔になってもらいたくて、私の作品を楽しんでもらいたくて、今の仕事をしています。作品のため、ファンのため、そして演じる役者さん達のために今回の舞台もあると思っています。その人達のために力を尽くすのが大人の事情だと思ってます。その理解の上で言ってます。ブレイドは星野アクアにやって欲しい、と」
才能と業の両方を背負い込み、芸能界という修羅の世界で戦うあの人。強くて、美しくて、誰が見てもキラキラと光っている人なのに、本当は陰がある。強さと弱さ。光と陰。それを他者に見せないプライド。全てブレイドとアクアに共通している事だった。
「私も最初は無名でした。いくら才能があっても誰もが初めは無名です。ですがチャンスの場をもらって、色んな人に支えられてなんとかここまでこれました。なら今度は私がチャンスを与える側に回りたい。もうすでに有名な人だけじゃなくて、才能も努力も実力も兼ね備えているのに日の目を見ない人のために。私の舞台をチャンスの場にしてあげたいんです。お願いします」
恩を返したい。私の舞台を踏み台にしてほしい。その想いを込めて頭を下げる。アクアのためなら惜しいとは思わなかった。
「………先生のお気持ちはわかりました」
口を開いたのは雷田さんではなく、別の人だった。名前は確か鏑木。キャスト陣のサポートをしているプロデューサーのはずだ。
「ですが最早国民的漫画といって差し支えない東京ブレイドの主演を、まだ売り出し中の役者1人に任せるのはあまりに重いとは思いませんか?」
「それは……」
どうなんだろう。あの人は仕事に関して弱音を吐く人ではないけれど、もしかしたら私がやっていることはただのありがた迷惑ではないのか。そんな不安がこの人の発言で頭をもたげた。
「とはいえ、プロモーター側としては先生の希望は出来るだけ通したいと思っています。原作者人格権には同一性保持権というものがあり、先生が許可できないものをこちらが押し通すことはできません。最悪企画全てがポシャります」
「鏑木さん、それは…!」
「そこで、一つ提案というか、折衷案があるのですが、いかがですか?」
「───折衷案、というと?」
「今回の脚本を見る限り、舞台東京ブレイドは第一幕、第二幕の前後編で区切られています。そこでですね……」
鏑木さんから提案がされる。それを聞いた時、私にある言葉が蘇った。
『今のオレにできるのは、敵役か、主演のかませでしょう』
主演のキャスティングが決まった。またもアクアさんの予言通りに。
▼
あの会議のときから、ある程度はわかっていた。
原作者と脚本家のデータ共有による脚本制作。その最終盤になってアビ子先生が突然キャスティングについて希望を述べてきた。主演に星野アクアを起用してほしい、と。鏑木Pの推薦もあって、元々彼は使う予定だったが、割り振る役は準主役の敵キャラ【刀鬼】。これでもちょっと破格のキャスティングだったのだが、彼の出演作や今ガチの動画を見て、納得はした。確かに非凡な、それでいて口で説明できない何かを持った役者だと。鏑木ちゃんが推すのもわかる、と。
けれど流石に主演を張るにはまだ実績が足りない。不知火フリルがメインヒロインを務める相手役を演じるには、せめてあと半年は結果を出し続ける必要がある。
それは僕以外も同意見だったらしい。星野アクアの名前を出して、即座に納得した人間など、たった1人を除いていなかっただろう。
「折衷案があるのですが、いかがでしょうか」
そう、ダブルキャストを提案してきた、鏑木ちゃん以外は。
舞台演劇において、ダブルキャスト自体は珍しいことではない。
星野アクアは前半の影打編。ブレイドが不利な状況でキャスティング。そして逆転し、大団円を迎える後半の真打編。いいところ全部持っていくブレイドを姫川大輝が務めるということで落とし所となった。
───しかし、アレだね。アクアくん
顔写真とプロフィールが載っているデータに目を落とす。原作者アビ子先生による突然のプッシュ。そして鏑木ちゃんのフォロー。星野アクアは少なくとも2名と強力なコネクションを築いている。
特にアビ子先生の方は邪推かもしれないが、ビジネス以外の何かを感じざるを得なかった。
驚きはしない。責めるようなことでもない。芸能界にいる人間なら大なり小なり誰もがやっていることだ。責めていたらキリがない。
現場に持ち込まなければ。
時間は戻って現在。舞台稽古の見学に来た鮫島先生がアクアを見た途端、表情が明るくなった。
そしてそれを見たアクアが「ヤバい」的な顔をして、さらに「ヤバい的な顔をしたオレがヤバい」的な顔をした。
そんな2人を見た黒川あかねと有馬かなの目つきが変わった。
───アクアくんもまだまだ青いなぁ。
年齢相応と言ってしまえばそれまでだし、ヤバい顔をしたことがヤバいと自省して即座に無表情に戻ったのも16歳という年齢を考えれば上出来だ。現に前情報のない一般キャストで彼の変化に気付いた者はいないだろう。
しかし、アクアに特別な感情があるだろうと察していた監督やプロデューサー。そしてアクアの性格や行動理念を知っている人間達にはわかってしまう。この2人は事前になんらかの直接的繋がりがあった、と。
▼
「アビ子先生、お久しぶりです。その折はお世話になりました」
「あ……その……え?」
はじめまして、から入ろうとした挨拶を切り替える。お互いあの反応をしてしまった後では、初対面のフリはできない。あかねにバレる。ならもう開き直るしかない。
「アクアくん、アビ子先生と知り合いだったんだ?」
いつのまにかあかねが背後に立っていた。振り返ると柔らかでいながらどこか頑なな笑顔でこちらを見上げている。
「ああ、以前吉祥寺先生が招いてくれたホームパーティでちょっとな。そうですよね、先生」
「え、あっ……そのっ…」
「そうそう!キャストさんをお招きしてご飯会みたいなのやりましてね!そこで!そうよね鮫島先生!」
「あっ…!───はい」
この手のウソに慣れていない鮫島先生の代わりに吉祥寺がフォローに入る。彼女がキャストを呼んでご飯会をやったのは事実だが、そこにアクアは呼ばれていない。羨ましそうに語っていたアビ子から話を聞いていただけだ。その事を瞬時に思い出し、事実を織り交ぜ、リアリティのある嘘を即興で創り出したことに吉祥寺は心中で感服すると同時に辟易する。『慣れてるんだろうな、
「…………私呼ばれてないけど」
「有馬はあの頃アイドル活動だなんだと忙しそうだったからな。先生が気を遣ったんだろ」
「私も知らなかったなぁ。アクアくんがそんな会に呼ばれてたなんて」
「オレが何するかいちいちあかねに報告する必要あるか?」
「それはっ………そうかもだけど」
───絶対それだけじゃないくせに!
その言葉が喉元までせりあがり、激昂しかけたが、なんとか落ち着かせる。星野アクアの秘密主義は今に始まった事ではないし、束縛を嫌うタイプであることも知っている。これ以上追求すれば私のことを鬱陶しく思うかもしれない。その不安がもたげたあかねは大きく息を吸い込んで自分を止めた。けれど不満はあるので、思いっきり頬を膨らませ、精一杯抗議の態度を取ってアクアの肩を引っ張った。
「私、本物に会ったことないけどさ、アクアくん見てるとこう思うよ」
「?」
「歌舞伎町No. 1ホストってアクアくんみたいな人なんだろうなって」
「なんで?」
「金髪アシメのシャー芯脚。生まれ持った顔の良さ活かして女の子沢山たぶらかして貢がせてるところ」
「誰1人貢がせた記憶ありませんけど」
「お金を才能って置き換えてもいいね」
その一言で絶句してしまう。今まで両手の指で数えられるくらいの女達と関係を持ってきたが、どれも容姿に優れているだけではなく、何か強烈な特技を持っている人たちだった。その才能をオレのために使わせたことがない人など1人もいなかった。
「ならアクアのエースは私だね」
「エース?」
「担当ホストに一番お金使う人のこと」
気がついたら最近のアクアのトラブルの元凶の大半を担う美しい疫病神が左腕を取ってピースしていた。そしてその言葉は間違っていない。この半年、誰よりも密に行動を共にし、誰よりも技術を吸収させてもらった。まだまだし尽くしてはいないだろうが、今のアクアのスキルで最も貢献度が高いのは不知火フリルだ。
「じ、時間使わせてるって意味なら私がダントツでエースでしょ!なにせこの中の誰よりも長い付き合いだし?そりゃもう―ちっっっっちゃい頃からの知り合いだし?」
「ちゃんと再会したの今年の初めだし実際に関係してた時間の長さで言えばトントンだろ」
「公式で本営してる私がエースだよ!」
「本営?」
「本気営業。ホストが本気で彼女として扱う営業のこと」
「なんでお前らそんなにホスト用語詳しいの?」
「ホストが出てくる少女漫画多いからねー」
わかりやすくイケメンアピール出来るし、表向き見える仕事としては華やかだ。確かに女の子の憧れとしてフィクションとしてなら使いやすいだろう。表向きは。
「この舞台でアクアが主演張れるほど知名度上がったのは誰のおかげかな?」
「べっ、別に特定の誰かのおかげってわけじゃないでしょ!色々な要素が絡み合った結果よ!」
「私の炎上で『今ガチ』が世間の注目集めたからだよ!……ごふッ」
「アピールしながら自傷する人初めて見た」
「バズる土台作ったのは私とアクアだよね?」
「…………ア、アクアさんを主演に抜擢したのは───」
「わー!先生!わー!!!」
何かを言いかけた鮫島先生を吉祥寺が慌てて口を塞ぐ。助かった。ただでさえもう泥沼なのにアビ子先生まで加わられてはフォロー不可能だ。
「お前らいい加減にしろ。もう公演まで1ヶ月しかねーんだぞ。これ以上部外者の前で醜態晒すな。言いたいことあるなら稽古後に幾らでも聞いてやるから」
本気のトーンで語られた正論に全員が黙る。この辺りは流石のプロ意識。理論で攻めれば黙ってくれるのは本当に助かる。
「わかった。これ以上は聞かない。でもこれだけは教えて」
「内容次第だが、どうぞ」
「アビ子先生と関係を持ったのは私と付き合う前?後?」
「前だよ。正真正銘『今日あま』がきっかけだ」
「…………なら許す」
しばらく目をじっと見つめられた後、台本へと戻る。どうやら嘘ではないことはわかったらしい。実際嘘ではないのだが。
───洞察力ある女の相手は大変だ
そしてこの関係者だらけの現場に辟易する。芸能界という集落は底辺は広大だが、上がってくると極端に狭くなる。これから1ヶ月、こんな事が繰り返されんのかと思うとゾッとした。
「自業自得だ。俺もあんま人の事言えないけど、女と遊ぶ時は後腐れないやつとだけにしとけよ」
こちらを一瞥もせず肩を叩いたのはこの舞台の本当の主演だった。
▼
「ふぅ」
前半の出番が終わり、スタジオの隅で休憩に入る。主演といえど出ずっぱりではないし、まして今は稽古の時間。遅れている人間や演技指導に時間が割かれる事もある。優等生組のアクアは監督の指導から外れる空き時間も多かった。
「お疲れ様です」
「──吉祥寺先生……ありがとうございます」
飲み物を片手に吉祥寺が隣に立っていた。鮫島先生はいいのかと思ったが、雷田さんと稽古風景を懸命に見つめている。創作モードに入っているあの人なら当面付き添いはいらないだろう。素直にペットボトルを受け取った。
「凄いですね」
「何がです?」
「アクアさんの本気の演技を初めて見ました。鬼気迫るというか、人格ごと別人になっているっていうか。素人の私でも凄いってわかりましたよ。あんなストーカー役をさせてしまったのが申し訳ないと思うくらいでした」
「ははは。どんなに才能あっても駆け出し役者の仕事なんてあんなモノですよ。名前ありの役がもらえただけでも『今日あま』には感謝しています。先生が引け目を感じる事ではありません」
「聞きましたよ。今回の脚本、アクアさんがディスカッションの場を作ってくださったそうで」
「特別なことは何もしてませんよ。ネット環境少し整えただけで、そこから先は先生達の力です」
メディアミックスにあたって脚本家と原作者が揉めるというのはよくある事。その根本原因はなんだかんだコミュニケーション不足。話し合いの場を設けても余計拗れるなんてしょっちゅう。しかしアビ子先生は今回そうならなかった。それはオレの功績でなく彼女自身の努力だ。事実オレは何もしてないと思ってる。
「でもアビ子先生を説得するのは大変だったでしょう。ちょっとその……こだわりの強い人ですから」
「芸術家で社会性欠けてる人なんてザラですよ。特別な事ではありません。オレの苦労なんて脚本家の人に比べたら塵芥も同然です」
メディアミックスの脚本家とは本当に板挟みの弱い立場。つまらなかったら戦犯扱いされるしヒットしても基本原作の手柄。プロデューサーや原作者の趣味を捩じ込まれ、大手事務所からは所属タレントのでじろを増やすように圧力がかかる。それでも作品として成立させるために起承転結を創り出さなければいけない。一応作詞という形で創作に関わったこともあるアクアからすれば考えただけで吐きそうだ。脚本家の先生には頭が下がる。
「……………いい舞台になりそうですか?」
「やってみなければわかりませんが、脚本は面白いと思います。残りはオレ達次第ですね」
コレは本音だ。設定もストーリーも原作とは違う部分も多い。演出全振りのトガッた脚本だが、創作物としては面白い。コレをうまくできないのならそれは裏方のせいではなく、役者の技量不足だ。
「今回若手のキャストが多いですが、ララライの役者は上手い人ばかりです。外部も不知火フリルを始め、面白い連中が揃ってます。きっと良い舞台になりますよ」
「…………上手い人ばかり、ですか」
否定的な声音と共に吉祥寺が見つめるのはアクアと同じように離れたところから稽古風景を見て、台本とにらめっこしている少年。といっても彼が稽古場に立っていないのはアクアとは全く違う理由。まだ指導するレベルに到達していないが故の見学だった。
「…………ごめんなさい。必要以上に厳しい目で見ているってのはわかってるんですけど」
「当然でしょう。先生の立場ならオレでも好印象は持ちません」
「他の人は私みたいな素人でも上手だとわかります。だからこそ彼が目立つ」
あの時はヘタだらけの中で有馬だけがマトモに演技と呼べるレベルの仕事をしていた。それでも彼らに合わせてヘタな演技をしていた。だから彼のヘタは目立たなかった。しかし今回は逆だ。
「このままじゃ今度は有馬さんだけじゃなくて、キャスト全員が彼に合わせなければいけなくなる。そうなればまたあの時の悪夢が甦るんじゃありませんか」
「実に鋭いご指摘です。正直そうなる可能性もあるでしょう」
表現力極振りのキラーパス台本で下手に合わせた演技をして仕舞えばこの舞台は成り立たなくなる。そうなればせっかくの面白い脚本も台無し。舞台東京ブレイドは失敗の烙印を押され、オレや有馬などの上がり始めたばかりの役者達は芸能界という舞台から消えるだろう。
───そうなってはオレも困るから…
「あと一ヶ月あります。たった1人を化けさせるだけなら充分な時間とメンツです。先生はどうぞ世界一厳しい目を彼に向け続けてあげてください。今の鳴嶋もきっとそれを望んでいます」
「───いいんですか?」
「役者にとって批判の目はありがたいくらいですよ。ひっくり返せた時、その人は高確率でファンになってくれますから。好意と憎悪は紙一重です。どうかオレにも厳しい目を向けてください、先生」
立ち上がり、恭しく一礼する。稽古場へと向かう彼の背中を見て、この人に憎悪を抱くのは難しいだろうな、と笑ってしまう。人間一度好意を持ってしまうとそう簡単に嫌いにはなれないモノだ。
───あ
一冊の本が落ちている。ブレイド役と書かれているから、恐らくアクアさんの台本だ。稽古場ではまだ台本片手に稽古している人もいるが、何も持っていない人も何人かいる。アクアさんもその1人らしい。手ぶらのまま、稽古に入っていた。
好奇心で少し台本を覗いてみる。すると凄まじい書き込みがされていた。と言っても文章量が凄いとかではない。とても綺麗に整頓されている書き込みだった。理路整然として、読む者に優しく、美しい。文字を追うだけで鮮烈に頭の中でイメージが湧き上がるようだった。
そして記載内容は自分のセリフだけではなかった。掛け合う相手のパターンなども細分化されており、気の強い演じ方の場合はa1(からかうように)、とかここで間をとってくるようならb2(一歩迫る)など、具体的かつ計画的にスケジュールされている。
───凄いなぁ
アクアさんは凄いと思う。誰にでも好かれる人だし、何をしても何を言っても絵になる人だ。俳優よりアイドルとかの方が向いてるんじゃないかと思う。いつも和の中心でキラキラと輝いている。
同時にだからこそ分からないことも多いんだろうな、とも思った。
『どうか厳しい目を向けてください』
───そのセリフを言えるのは、貴方が天才だからだと思いますよ。アクアさん
天才だから。しかもここまで来るのに10年以上の時をかけて挫折と失敗を繰り返し、本当の実力を手に入れてきた。たとえ一時批判されても覆せると自分の才覚を信じている。だからそのセリフが言える。そのセリフが様になる。
───だけど彼は……
恐らくロクに挫折もせず売れてしまったんだろう。自分が絶対だと信じているんだろう。漫画家も似たようなモノだ。売れた作家のメンタルケアも編集の仕事になる。ある程度わがまま言われても受け入れなくてはいけなくなる。すると増長して忙しさを言い訳に破綻する。根拠のない自信を手に入れてしまう。
───アクアさんの言い分が、間違っているとまでは思わないけど…
少なくともたった一ヶ月。未だに台本になんのマークも書き込みもしておらず、「こんなの出来る気しねえ」とかぼやいてる彼がこの舞台が終わるまでにどうこうなるとは思えなかった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
なんとか修羅場収束。台本トラブルがない分、人間トラブルどんどん起こしていきたいと思います。
ココから最新話ネタバレ注意
ついに、ついに来てしまった。不知火フリル共演。いつかくるだろうとわかってましたがついに……今まで出てこなかったからって筆者の妄想膨らまして好き勝手しまくった分ガクブルです。絶対原作と齟齬が出ると思いますが、パラレルワールドと思って温かく見守ってください。しかし十五年の嘘想定キャストすげえな。厨パーが過ぎる。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
53rd take 雷鳴より
貴女は奴隷が支配者に変わる瞬間を見るだろう
星をなくした子の手を放してはいけない
もう貴女は降りられない地の底に来ているのだから
季節は秋。葉が紅に色づき、森は美しく彩られる。紅葉を求め、登山道に足を踏み入れる人も多く、山の中は観光客でひしめいている。
しかし、今この時に限ってはそういった人はいなかった。それも当然。空は鈍色の分厚い雲で覆われ、全身を冷たい雨が濡らす。雷鳴も至る所で轟き、打ちつける風は立っているのも困難なほど。まさに嵐山。こんな悪天候の中で登山など自殺行為と言っていい。
しかしそんな自殺行為を進んで実行している2名がいた。
「お前はこなくてもいいんだぞ。むしろ帰れ」
「貴方1人にして何かあったらどうするの。主演が怪我でドタキャンなんてしちゃったら舞台そのものがポシャる可能性もある。それに言ったでしょ。今度は私の番だって」
「…………勝手にしろ」
名前は星野アクアと黒川あかねと言った。
▼
トンネルを抜けるとそこは、から紅に彩られた街だった。
車から降り立った星の瞳の少年は胸を大きく膨らませ、深呼吸する。自然が近くに溢れているだけあり、空気の良さは東京とは比べ物にならない。
けれど共通点もある。山の中だというのに人口の密度が結構高いことだ。
有名な観光地であるがゆえの、避けられない宿命。まして今は紅葉シーズン。平日であっても人の流れは存在し、多数の観光客が人波を作っている。
そんな山の中に星野アクアは訪れていた。もちろん観光などではなく、仕事だ。
「アクアくん、行こう」
「ああ」
今日は番宣。舞台東京ブレイドの宣伝。稽古場を離れ、ブレイドとシース、そして刀鬼と鞘姫をダブルキャストで演じる主演組は秋の京都を訪れていた。なぜこの場所かというと、東京ブレイド渋谷編における修行パート。ブレイドが盟刀の扱いを学ぶ場所のモデルが此処だからだ。
「オレこんな事してる場合じゃねーんだけどな」
刀鬼の衣装とメイクを施された星野アクアは嘆息する。頭の中は先日の稽古で言われた事でいっぱいだった。
『星野、やめろ』
この舞台稽古が始まってから、少し経つ。本の読み合わせも終わり、背景や音響に合わせての稽古が始まっていた。
より本番に近い稽古が始まってからしばらく、今まで一度も注意らしい注意をされたことがなかったアクアが初めて明確にやめろと止められた。
『形から入りすぎだ。音が入ったから音に合わせて演技してる。合わせようとするのをやめろ』
この辺りはかつてレンからも注意された、アクアの癖の一つだった。バンドマン時代、ドラムという伴奏役を務めることが多かったアクアは誰かの演奏に合わせるということに慣れきっている。確かに伴奏である以上、人に合わせる演奏は正解なのだが、アーティストとしてはそれだけではいけない。もっと自己主張をする演奏というのも必要になる。そしてそういう演奏がアクアは少し苦手だ。『もっと自分本位にやっていい』と何度も言われてきた。
『この風を巻き起こし、雷鳴を切り裂く衝撃はお前が発してる。発しているお前が音に従ってはダメだ。音がお前に従わなければいけない』
難しいことを言う、と思った。カメラ演技では経験しないことだ。ドラマなどでは音響など撮影の後で編集されるもの。自分が何か演じている時にわざわざ音を立てたりしない。むしろ逆。効果音や背景の音など撮影中に入ったら間違いなくカットされる。出来るだけ無駄な音は立てないのがカメラ演技だ。
『お前、自分が経験してない事できないだろ』
その一言に少しムッとする。そんなことはない。経験はなくてもイメージはできる。できていた。だから今まで俳優をやってきた。
『ブレイドも刀鬼も普通の人間じゃない。現実ではあり得ない超常の力を持ってる。いくら内側と向き合い続けてもイメージの力は育たない。お前に今必要なのは外側の想像力だ』
───外側の想像力って言われてもな…
『冒頭はできてた。表現力がちゃんと環境まで行き渡って、観る者にイメージを見せられてた。だがあれはお前が経験しうる事象だったからだ。異能の力を使う場面や戦闘のシーンになるとダメ。アレじゃ大きく動いてるだけだ』
迫がないんだよ、お前の殺意には
「監督も厳しーね。あそこまで言わなくてもいいと思うけど」
シースの格好をしたフリルがいつのまにか隣に立っていた。どんな格好をしてもコイツは綺麗だが、この女に従者は似合わねーなと感じる。何考えてたか読まれたことに関してはもう何も思わない。コイツは妖怪だ。
「妖怪はこんな事で悩まねーんだろうな。オレってほら、いたって普通の善良な人間だから」
「私の
「珍しくフリルちゃんに同意」
十二単のような和服に身を包む美少女が軽く手を上げて同意を示す。名前は黒川あかね。務める役は鞘姫。渋谷クラスタのトップ。姫と呼ぶに相応しい威厳と美しさを持つ鬼女。
流石に様になってはいるが、どっちかというとあかねよりフリルの方が鞘姫に合っている気がする。いや、フリルだけではない。オレもブレイドより刀鬼のような影のあるキャラの方がやりやすい。
───多分、その辺のギャップ狙ってるんだろうけど
合わない役。初めての舞台。そこに加え演技に迫がないと言われた。頭を悩ませずにはいられなかった。
「確かに難しいこと言ってたけど、金田一さんがあんなに厳しいのは見込みのある人だけだから。期待されてるんだよアクアくん」
「期待、ね」
模造刀を手に取る。撮影用に用意された小道具だ。刀の扱いは勉強した。少し離れるように手振りで指示する。刀の鯉口を切り、抜き放つ。袈裟斬り、切り上げ、しばらく振り続け、納刀した。
「おぉ〜」
「お見事」
パチパチと軽い拍手が起きる。そう、刀を振ることは出来る。この経験から刀の重さをイメージし、振った時の煌めきを思い起こし、演技することは出来る。
───だが、人を薙ぎ倒すような風を吹かせる刀を扱った経験はない。
その刀を人に向けて振るったことも。誰かに本気の殺意を抱いた事もない。まあ刀鬼はともかく、ブレイドは殺すまでは考えてなさそうだが。それでも振るえば間違いなく人に大怪我をさせる武器を振るった経験などない。イメージも難しい。原作読めば絵は見られるが絵と現実はやはり違う。リアルのイメージができなかった。
───芝居の中では盟刀・風丸も雷斬も自在に扱えなければいけない。
フリルは自分の魅せ方をわかっている。その表現力を演劇で通用するレベルに調整した上であのオレに鳥肌立たせた感情演技もモノにしてきた。
あかねは舞台経験豊富だ。ファンタジーも当然演じたことがある。空想の中に自分をリアルにイメージできる。結局経験に勝る武器はない。
だがオレは違う。
『今日あま』の時も、『今ガチ』の時も。今までオレはずっとリアルを演じてきた。だが今回の舞台は
「不知火さん、黒川さん、星野さん、撮影始めます。準備してください」
「はい」
「名前呼ぶのオレが最後か」
「悔しい?」
「ムカつく」
刀を腰に差す。ずっと同じ場所で待機していた姫川さんと合流し、宣伝用の撮影が始まる。4人それぞれで撮ったり、一緒にポーズ取ったりと、思ったより時間が掛かった。
▼
「はあ、まあそんな感じです」
撮影が終わり、雑誌記者から舞台に向けてインタビューが行われる。すでに終わったアクアやフリルは衣装を着替え、メイクを落とし、ひと段落していた。今は姫川のインタビューを遠目から見ていたのだが……
「インタビュー成り立ってんのか、アレ」
「ははは……姫川さん相変わらずだなぁ」
「インタビュアー泣かせだよねぇ」
ハアとかまあとか生返事ばかり。表情も能面。撮影の時はちゃんとしてたのに。カメラの前では人が変わるというのは役者にはある話だがこの人はちょっと極端だ。
「よくアレで芸能界生きていけるな」
「役者は芸術家だからね。ああいうキャラもウケる層にはウケるんだよ。才能があれば」
役者にもコミュ力は必要。しかしそれと同じくらいキャラクターも大事だ。俺様キャラの人が急に遜った態度を見せればガッカリする人はガッカリするだろうし、普段ファンサービスが丁寧な人が塩対応をしたらSNSで悪口くらいは書かれるかもしれない。通常はマイナスの性質でも貫き通せば個性になる。
「今回はブレイドと刀鬼という正反対と言ってもいいキャラクターをダブルで演じられるわけですが、難しさとかはありませんか?」
質問が聞こえてくる。オレにはしてこなかった質問だ。主演に抜擢された感想は、とか不知火さんとはどういう関係なのかとか、どっちかというと私的な質問ばかりで、仕事に関することはあまり聞かれなかった。
───この舞台の主演はオレ達4人。だが主人公は違うってか。
主人公は姫川大輝と不知火フリル。そう言われたも同然だった。
屈辱感と興味が湧き上がってくる。オレがこの質問をされていたら綺麗に答えることはできなかったかもしれない。姫川大輝ならどう答えるんだろうと気になった。
「別に難しくはないです。そこに難しさを感じてたら俳優なんて一つの役しかできないでしょう」
さらりと答えた。続く。
「人間歳を取れば取るほど雁字搦めになる。子供の頃は何にだってなれるって誰もが信じていた。漫画の世界の主人公にも、悪役にも、なんでも。たとえ演技としては低いレベルだとしても本気でそう思っていた。だけど歳を重ねれば常識ってやつが身について、常識外のことはできないって思うようになる。俺は役を演じる時、そうならない事だけを考えてる。それができれば役者はなんだってできる」
芝居の世界に、限界はないのだから
目から鱗が落ちる気分だった。
オレはずっとオレであることに拘り続けてきた。星野アクアであることを心がけ続けていた。星野アクアならする事、しない事。星野アクアなら言いそうな事、言わない事。常に意識していた。だがそれはある意味自分で自分に制限を課していたようなものだった。
星野アクアという現実の常識の鎖で縛られたまま、
「───あ」
フリルの視線が外へ向く。窓にはいくつもの水滴がへばりついていた。撮影した時は晴れていた空がいつのまにか分厚い雲に覆われている。
「山の天気は変わりやすいってホントだねー」
「撮影終わった後でよかった」
日没も過ぎた時間だったし、薄暗くなっていることに誰も違和感は感じなかった。
───今日は、星が見えないな
ならきっとアイも今はオレのことを見ていない。らしくないことをするならいいタイミングかもしれない。
「オレ、今日こっち泊まる。あかね、明日の稽古はサボる。監督に言っといてくれ」
「は?アクアくん何言ってるの?え?どこ行くつもり!?」
スタッフにライターを借り、雨合羽を着て外へ出ようとするアクアの肩をフリルが掴んだ。
「何か思いついたの?」
「今日ならよく見える。自身の身体を薙ぎ倒すような風も、視界を埋め尽くす雷も、今夜ならたっぷり感じられる。感じたいんだ。盟刀で斬られる感覚を」
「宿の外で感じたら?」
「できるだけ人工物がない場所で感じたい。ブレイドや刀鬼と同じ場所を見てみたい。溺れてみたいんだ。頼む」
「…………ならせめて私も──」
「ダメよフリル。貴女はもうこれ以上仕事に穴を開けるのは許されない」
「でも……白河さん。私はこれを見る為に───」
「もうこちらは充分譲歩したわ。これ以上はプロじゃない。恋に狂った乙女のワガママよ」
白河さんが止めに入る。当然だ。稽古以外特に予定のないオレと違ってフリルは明日も仕事がある。ましてこの舞台に出る為にまた相当無茶をしたはずだ。これ以上のバカなマネが許されるはずがない。
「元々誰かを付き合わせるつもりはねーよ。お前らはサッサと帰れ」
「でも貴方に何かあった時のためのお目付け役は必要だよね」
「…………は?」
思わず間の抜けた声が出る。振り返ると雨合羽を着込み、完全防備を整えたあかねがオレの隣に立っていた。
「私も明日は稽古以外仕事無いし。姫川さん、私とアクアくんは一日欠席って伝えておいてください」
「いやお前、何言って───」
「順番が来ただけだよ」
何かを言おうとしたアクアの口元に人差し指を立てて遮る。青みがかった黒髪の美少女は笑みを浮かべて左目を閉じた。右目に眩い星の輝きを放ちながら。
「そういえばまだお礼言ってなかったね。あの嵐の夜、アクアくんは私に会いに来てくれた。私と溺れてくれた。本当にありがとう。今でもすごく感謝してる。あの時星野アクアがいなければ私はもうこの世にいない」
これは比喩でも大袈裟でもなくその通りだ。あと一分、アクアが来るのが遅れていたらあかねは歩道橋から飛び降りて車がひしめく国道に叩きつけられていただろう。
───あの時、アクアくんは命を懸けてくれた
「今度は、私の番だよ」
フリルちゃんとキスをするアクアを見て、どうしようもなくこの人が好きだと自覚した時、誓った。どんなことがあってもこの人と一緒にいると。駆け上がる時も堕ちる時も運命を共にする、と。
俳優は人気商売だ。一つ一つの仕事が命懸けで、いつ芸能界から消されるかわからない。今星野アクアは東京ブレイドの主演であり、この舞台に懸けている。
もうアクアくんは舞台俳優としても一流だ。今の演技力のまま、本番を迎えたとしても、絶対に批判などされない。
しかし彼はそれで良しとしない。一流の上にいる
まだまだ上を目指し、殻を破ろうともがいているこの人を、尊敬している。
神様みたいなこの人を、心から愛している。
「行こうよ、溺れに」
手を差し出す。曇天の中でも眩く輝く黄金を溶かしたような髪をグシャグシャと掻きむしると、星の瞳の少年は諦めたように息を吐き、自身の彼女の手を取った。
▼
雨の中を歩き始めて数十分。登山道へと差し掛かろうとした時、私はついに彼の肩を掴んだ。
「アクアくん、ここまで。これ以上はダメ」
雨の登山は本当に危険だ。視界は悪いし足元も滑る。どちらか片方怪我するだけで済めばいいが、2人とも滑り落ちて大怪我するなんてこと余裕であり得る。山の麓の小川のほとりだって充分危険だがここは近くに洞窟もある。いざとなったらここに避難すれば一晩くらいは保つはずだ。
「…………頂上まで行くつもりだったんだけどな」
「それは明日雨が止んで日が昇ったらにしよう。これ以上は共演者としても彼女としても譲れない。自殺行為から自殺決行になっちゃう」
「わかったよ」
2人で洞窟に入り、濡れないようゴム袋の中に入れていた着替えやライター。火を起こす道具などを取り出す。雨具は一応着てきたが、この雨ではそんなものほとんど役に立たない。下着までグッショリと濡れていた。
───あの時と同じだな
違いは今回はちゃんと着替えがあるという事と寝袋などのキャンプ用品も借りられたこと。観光名所なだけあってその手の道具には困らなかった。
「お前は先着替えてろ。オレは外に出てる」
「…………山登っちゃダメだよ?」
「あかねの目の届く範囲にしかいかねーよ。心配すんな」
雨具を脱ぎ、外へ出ていく。少し歩き、小川の辺りで止まったのを確認してから着替えを始めた。
───あ…
着替えながらも、できるだけアクアくんから目を離さないようにしていた。油断すると彼は山に登りかねないから。すると雨の中でしばらく立ち尽くしていた蜂蜜色の髪の美男子は雨と戯れるように踊り始めた。
───綺麗……
秋とはいえまだ残暑が残る季節。身体を濡らす雨は中途半端なら気持ち悪いだろうが、あそこまで濡れると逆に心地良いだろう。アクアのステップとほぼ同時に雨粒が飛び散る。彼の髪を、服を、肌を滴る雫が舞い踊る。
綺麗だった。美しかった。
持ってきたカメラで動画を撮る。コレはフリルからの借り物だ。カメラが趣味の彼女はいつも持ち歩いているらしい。
『あかねお願い。アクアのこと、コレで撮ってきて』
出来れば生で観たいけど、できない以上コレがフリルができる最大限。気持ちはわかるし、私も綺麗なアクアくんをデータに残したかった。頼まれた雑用を特に不快には感じなかった。
「…………違うな」
ステップが止まる。かろうじて聞こえたその一言は私の頭に疑問符を生じさせた。
───何が違うんだろう?
アクアくんがやっていたことは多分自然現象を身体全部で感じ取ろうとしていたんだ。自身の経験から感情を思い起こし、憑依させるのがメソッド演技。自然のありのままを触れることによって盟刀が引き起こす超常現象を再現しようとした。間違ってないはずだ。それなのに彼の中では何かが違うらしい。
「コレじゃあただ雨に降られてるだけだ。オレが雨を降らせねぇと」
アクアくんの手の中に溜まった雫を振り払う。水飛沫は雨音でかき消された。
「アプローチの仕方は間違ってないはずだ。コレをもっとデカいスケールで、イメージする………」
開いた拳を握りしめ、じっと見つめる。何を想像しているのか、外側から見ているだけではわからなかった。
「あかね、お前はどうしてる?」
「どうって?」
「この世にあり得ない空想をイメージする時、どうやってる?」
「…………そうだね。私の場合は資料を読み込んだり、実際現地に行ってみたりして映像を目で見る。アクアくんが今やってることだね。そのあとは……実際に口に出してみるかな」
「実際に?」
「そう。例えば舞台が天空だったら、今私は雲の上にいて、それで──」
天空にいる私の身体中を風が取り巻いてる。
地に足はついてない。空を飛んでるから。
目の前は雲海が広がっていて、その上は真っ青な空。
太陽が輝き、太陽の下にはシンデレラ城みたいな城が飛んでいる。
「───実際に口にしてから目を開くとね。一瞬。ホント一瞬だけど、そんな世界が広がってる気がするんだ」
自己催眠。アクアは無意識のうちに、あかねはプロファイリングを重ねることでコレを行い、役に入り込んでいる。それはそれで凄いことだ。本番では台本にない言動は一切できないのだから。役者としては正しい。
が、実際に音に出すのとそうでないのとではイメージの鮮烈さに大きな差が出る。
ピグマリオン効果で実証された、優秀だと言われ続けた人間は本当に成績が上がるように。
酸っぱいものの話をされると口の中に唾液が溜まるように。
自己催眠を自己暗示の領域に押し上げることで、あかねは空想を強く具現化してきた。
「アクアくん、目を閉じて」
貴方は超常の力を宿す刀を手にしている。
その刀は風を巻き起こし、雨を降らせ、雷鳴を轟かせる。
風が貴方を包み込む。それは剣が織りなす息吹
風が立ち上り、打ち上げられた熱気は世界を曇天に変える雲
全身を濡らす雨は剣の光に誘われ、剣の熱を冷やす為に貴方が落とす雫
───さあ、目を開いて
心の中で口にする。聞こえたのだろう。他の誰に聞こえなくても彼には聞こえたはずだ。正しくイメージができているなら。
閉ざされた青い瞳がゆっくりと開かれる。星の光は目の前の光景をどう捉えているのだろう。わからないが、少なくともただ雨が降り頻る小川ではないはずだ。
何かを掲げるようにアクアくんが手を握る。それが何か、私の目には映った。
───刀だ
ブックカバーを見れば、中身がなくともその本の厚さがわかるように。
包丁ケースを見れば、中身がなくともその刃渡りがわかるように。
一流のパントマイマーがジェスチャーだけで観客に幻影を見せるように。
アクアくんの所作だけで、私には彼が刀を構え、大上段に振り上げている姿が見えた。
───ここまでは以前のアクアくんでもできていた。
問題はここから。今現在降っている雨を、彼が降らせていると私に思わせられるかどうか。刀を振り上げたまま静止するアクアくんの姿を、握りしめたカメラはしばらく映し続けていた。
───動かない?
そう思った次の瞬間だった。
世界が真っ白に染まる。反射的にあかねは怯み、眩しさに目を閉じてしまう。それとほぼ同時、地を揺るがす雷鳴がこだました。落雷したのだと頭が理解したのはしゃがみ込んでからだった。
このあかねの行動は人間として当然の反応だろう。フェンスにボールがあたれば誰だって身をかわす。膝を何かで叩かれれば無意識に足は上がってしまう。誰しも人間の反射からは逃げられない。
もしこの場で近くに落ちた落雷に動じないものがいるとすれば───
感情のない、あかねの手から滑り落ちた
この雷を落とした
一瞬だったが、あかねも見た。世界が白で塗りつぶされる中、僅かの反射も見せず、手にした刀を振り下ろすブレイドを。
地に落ちたカメラは捉えていた。雷が落ち、雷鳴が轟いても、まるで動じず、目も閉じず、自身を守るような挙動を微塵も起こさない星野アクアを。
まるで、この雷を、本当に彼が落としたかのように。
───アクアくんの芝居は、自らの経験を呼び覚まし、感情を作り出す。地味で、繊細で、あまりにリアルだからこそ背筋を凍らせる迫力のある芝居
不知火フリルは自分の魅せ方を心得た芝居。誰よりも眩く、美しく、規格外の存在感を放っている。
姫川大輝は迫力の芝居。役には憑依りこみながらも大袈裟でわかりやすい。その上で強烈な存在感で『俺を見ろ!』と言わんばかりのオーラを放つ怪物。
誰が優れているとは簡単にはいえない。けれど
───今のアクアくんがやったことは少し宗教的……狂信的といってもいいかもしれない。思い込みの極地
いま降っている雨も、自分が降らせたと思い込む。
偶然の落雷も、自分が落としたと思い込む。
世界に存在しない、少なくとも目には見えない幽霊や神様を、存在すると他者に芝居で訴えかけ、芝居で他者に信じ込ませる。
───凄い
洞窟に吹き込む風が、まるで彼が操っているかのように見える。実際はもちろん違う。風の流れに身を委ね、身体を動かしているだけだ。
しかしその動かし方が風とあまりに同化しているせいで。風よりも先にアクアが動いているせいでそう見える。そう見えてしまう。
『シース、何してる。火を起こせ。風邪ひいちまうだろうが』
『はいっ、申し訳ありません』
修行編の折、ブレイドの裸体に見惚れたシースへのセリフ。ゾクっと震える。初めての体験だった。私の意思に関係なく、まるで無理矢理シースに憑依りこませられたかのような錯覚に陥った。
───いや、今のは錯覚じゃないかも……
火を起こそうとする私を見て、アクアくんがフッと笑う。同時に手にしていた刀も消え失せた。
「なにマジで答えてんだよバカ。冗談だ。貸せ」
慣れた手つきでライターを扱い、小枝や新聞紙を集め、火をつける。炎が安定したのを確認すると濡れた服を脱ぎ、身体をタオルで拭いた。
「明日、雨が止んだら、朝イチで頂上まで登ろう」
「…………なんで?」
「今のオレなら、テッペンから見える景色、全部自分の意のままに動かせる気がするから」
そのセリフを傲慢と思えなかったのは惚れた弱みだろうか、それともまだ彼が創り出した
フリルちゃんから渡されたカメラを落としてしまっていたと気づいたのは、翌朝になってからだった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
アクア覚醒。沼に沈むあかね。またも見逃すフリル。我ながらよくもまあこんなドロドロさせられるな、と思います。でも安心してください。まだまだトラブルは本気出してません。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
54th take 自己に眠りを催して
それは無意識の海へと沈み込む行為
貴方のなくした星が眠る場所
そのカケラはきっと愛の中に
ソレを初めて見た時、正直俺はホッとした。
音響を交えた稽古が始まってからアクアは注意されることが多くなった。今までカメラ演技ばかりやってきたアイツは演劇の環境に慣れてないらしく、その違いに戸惑っていた。
「星野、止めろ」
ついに止められて、俺のように少し見学してろとまで言われていた。正直ホッとした。アイツでも止められたり見学したりとかするんだって。止められるのが俺だけじゃなくて安心した。
けど、違った。
アイツは実力が足りなくて見学させられてたんじゃない。ただチューニングが合ってなかっただけなんだ。演劇向けに微調整させる為に見学に回されたと、今日アクアの稽古を見て思い知らされた。
『兄さん!なんで!?オレは、貴方を信じていたのに!!』
前半最後の山場。ブレイドの戦闘シーン。盟刀の扱いもある程度学び、盟刀特有の技などが繰り出される場面。風が舞い上がり、雷鳴が轟く。
その全てをまるで星野アクアが支配しているかのような、鳴滝メルトはそんな感覚に襲われていた。
「…………やればできるじゃないか」
監督は一言、アクアを褒めた。
「ありがとうございます」
「今の感覚のまま、次。刀を折られるシーンから」
───前までと何かが違う。けれど俺にはそれくらいしかわからない
「やばいね、星野アクア」
隣から声が上がる。外れていた不知火フリルだ。軽い口調だったが、どこか固い印象がある。声のせいだろうか?それともいつも笑みを浮かべている不知火フリルが、笑ってないからだろうか。
「アクアは没入型の役者。今まで自分の内面に深く潜り込み、感情を掴み、水面から浮かび上がってた。でも今回の東京ブレイドはファンタジー。いくら内面に潜っても空想を掴むことはできない。アクアが今回役作りで悩むのは必然だと私も思ってた」
「…………じゃあなんで今は出来てんだよ」
「潜り込む先が変わったの」
俺の質問に答えたのは不知火ではなく黒川だった。
「内面に潜るんじゃなくて、創り出したイメージに飛び込むようになった。雨に打たれ、雷を目にして、イメージ力を底上げして、頭の中で創り出した想像に潜り込むようになった。没入の先が変わっただけ。特に特別新しい何かを備えたわけじゃない」
「…………映像、見せてもらったわ。撮ってきてくれてありがとう」
「いえいえ。今ガチじゃフリルちゃんにもトンデモお世話になったからね。たった一つのこと以外ならなんでも融通効かせるよ」
「ん?なんでも?ならアクアの彼女譲って♡」
「ごめんなさい。たった一つはそれ」
「いったい何があったのよ、アイツ。この短期間であんなに……」
「アクアくんが今やってることは芝居というより、思い込みに近いと思う」
子供の頃は誰もが自分がヒーローになれると信じ込んでいる。演技として拙いごっこ遊びでも、その瞬間は自分がヒーローだと思い込んでいる。サンタクロースはいると信じているし、オバケだっていると思っている。
「知ってる?赤ん坊ってね、熱してもない火箸を肌に押し付けられて、信頼しているお母さんが『熱いっ!』て叫んだら泣き出して、本当に火傷の跡が肌に残るの」
思い込みの威力。強く思い込むことは現実になり得る。思い込みには人を殺せる威力があるのだ。
もちろん普通そんなことは起こらない。大人になっていくうちに、常識とかを備えていけば、思い込む力より常識の力の方が遥かに強くなる。熱していない火箸を押し付けられても何も感じなくなる。しかしまだ何も備えていないまっさらな状態なら話は変わってくる。
「アクアくんが今やってる事は、それに近い。イタコさんとかが神を憑依させたと思い込むと、本当に痙攣するみたいに。思い込みの極地」
「スピリチュアルね。まるで新興宗教の勧誘だわ」
「いいセンだね。さすが元天才子役有馬かな」
有馬と俺に疑問符が浮かぶ。何を褒める要素があったのかわからなかった。続いた。
「芝居の起源は神楽。古事記にある神々の物語を舞で表現してみせたことから始まるという一説がある」
「その舞は人智を超えた存在を他者に知らしめるもの。普通の表現力じゃ不可能。目に見えないモノを本気で他人に信じ込ませる説得力が必要。役者と詐欺師は紙一重。ある意味芝居は宗教の勧誘と言っても言い過ぎじゃない」
ごくりと唾を飲む。アクアが今やっている事。俺には凄いぐらいしかわからなかった。しかし、それ以外がわかる奴が俺にわかるように言語化してくれた。だからこそさらに恐怖が湧き上がる。目に見えない、感じることもできないスピリチュアルを他者に感じさせる星野アクア。その魔性のオーラに。
「今年の初め。あのPVを見た時から、私はずっとアクアを見てきた」
───PV?
なんのことだろう。アクアは何かPVに出演してたのだろうか?俺にはわからなかったが、有馬は心当たりがあるらしい。一度頷き、独白するフリルを見つめていた。
「初めての出会いはモニター越し。自分を曝け出すメソッド演技をしていながら、仮面で顔が見えなかった。巨大な何かを隠している人だった。とても興味を持った。初めて人に会いたいって思った。焦がれるって感情を知った」
それからずっと彼を見てきた。彼と一緒に仕事をして、私の仕事を見せて、私のプライベートを見せた。仕事からセックスまで、ありとあらゆる全てに付き合ってもらった。
「自惚れでなく断言できる。星野アクアは私が育てた。間違ってなかったと思ってる。後悔もしてない……だけど、私。今初めて、彼が怖い」
黒の瞳はまっすぐに星野アクアを見つめている。しかし天使の相貌には強張りが浮かび、白磁の肌には冷たい汗が流れている。今ハッキリと不知火フリルは星野アクアに恐怖している。
「私以外に殺されないでね」
独白は終わっていなかった。青ざめた表情のまま、フリルは言葉を紡いでいく。
「この芝居が始まって……ううん。そのずっと前から、何度も何度もアクアに言ってきた。貴方を活かすのも殺すのも私がいいって」
「物騒ね。言わんとするところはわからなくもないけど」
「なんて傲慢だったんだろう」
不知火フリルが傲慢。そんなことが言える人間はこの世界にいないだろう。それを言うには彼女は芸能界という修羅の世界であまりにも高い位置にいた。
「私はアクアのことを見下した事なんてないつもりだった。寧ろ対等に接してきて、誰よりも彼の才能を認めているのは私だと思ってた」
「…………アクアの才能に誰よりも早く触れたのは私よ」
「彼が殻を破る瞬間を見続けてきたのは私だね」
才能を認めている。誰が一番かは譲れないが、それだけはこの場にいる全員が共通している事だった。
「…………でも、本当に認めてたら。本当に対等だと思ってたら。アクアの今の姿を見て、私がこんなに動揺するなんてあり得なかった」
今までアクアの成長に、フリルは歓喜していた。こちらがフる無理難題をこなすたびに成長していくアクアが嬉しかった。私の目に狂いはなかったと安堵していた。
だが今は、今までとハッキリ違う。歓喜の他の感情が渦巻いている。渦巻いて、動揺している。
「ナメてたんだなぁ、私。星野アクアを」
天才と充分に認識していた。天才と見込んだから育ててきた。出会ってから約半年。たった半年でアクアは不知火フリルを追い抜こうとしている。想定外だった。認める。ナメてた。対等だと思っていること自体が、上から目線だった。対等扱いしてやってると言い換えても反論できなかった。
「殺人許可証を持っているのは、私だけじゃなかった」
滑らかな指で自らの細い首筋を撫でる。今彼女は自身に突きつけられたナイフの鋒を感じている。今ガチから今日に至るまで、ずっとアクアが感じていたこと。今日この時、立場は逆転し、ナイフは取られた。一方的に突きつけていた刃は、お互いに突きつけられる事になった。
「やばいね、星野アクア」
同じ立場になって思い知る。首元に刃を押し付けられる怖さ。一歩踏み間違えれば終わってしまう緊張感。今ガチの時からアクアはずっとこの恐怖に晒され続けてきた。晒されたまま、MCを務め、私の無茶振りにも対応した。自身の炎上を解決し、あかねの命を救った。まるで蜘蛛の糸を切れないように手繰り寄せるかのような、危うい道程。それでも彼は歩き切った。歩き切り、今まさに私を追い抜こうとしている。本当に凄いと思う。私が育てたというのを差し引いても。
───この間、白河さんが私のことを恋に狂った乙女って呼んだのは注意喚起のための大袈裟な表現だったんだろうけど…
今はもうその言葉が言い過ぎとは思わない。少なくとも今この瞬間、私が他の男性を好きになることはないだろう。そう断言できるほど、私の目には彼しか写っていない。
───だからこそ…
「負けたくない」
熱が籠る。いつも綺麗で、クールで、飄々としていた不知火フリルに。恐らく人生で初めて、火がついた。心にではない。ケツにだ。人生で初めて追い詰められた。
「負けられない」
自分に特別な才能がない事なんてわかってる。私なんて典型的努力型。秀才の域を出ない、凡人の延長。人より少し器用なだけ。その器用さでメッキを貼り、剥がれそうになったらまた新しいトレンドを取り入れ、舗装し続けてきた。
最も天使に近いとか、人々の理想の具現化とか持ち上げられて、実力以上の場所まで祭り上げられてしまった。ただそれだけだとわかってる。けれど…
「勝ちたい」
彼と対等であり続ける為に。肩を並べ続ける為に。彼を活かす為に。彼を殺す為に。負けたくない。負けられない。勝ちたい。この舞台だけは、絶対に。
「良かった」
驚き、振り返る。いつのまにか姫川大輝も来ていた。彼もフリルの独白を聞いていた。
「正直、不知火のシースはつまらないと思ってた。上手いは上手いし、綺麗は綺麗。だがそれだけだ。星野アクアはもうただ上手いだけで勝てる相手じゃなくなった。綺麗さと醜さを両立させなきゃいけなくなった」
「姫川、さん」
「シースも鞘姫も本当なら戦いなんて好まない。だけど仕える主人の為に、愛する婚約者の為に、剣を取ることを選んだ女達だ。彼女達の行動の根源には愛が存在する」
「行動の、根源…」
「不知火。その感情を忘れるな。もっと星野アクアを憎め、妬め、愛せ。美しく、醜く、みっともなく、星野アクアに恋焦がれろ」
そうでなければ、今のアクアには勝てない。
「お前の10年間、この舞台だけは捨てろ。天使じゃ神には勝てない」
そう言い放ち、稽古場へと戻った。ここからは後半。主演組が交代する。姫川はブレイドに。フリルはシースに。あかねは鞘姫に。そしてアクアは刀鬼になる。
「天使じゃ神には勝てない、か」
文面にすれば当たり前の事象に見える。しかし意味するところは重大だ。あの若手No. 1実力派俳優、姫川大輝が認めたのだ。今のアクアは神の領域だと。
「フリルちゃん。もっと綺麗になるだろうな」
恋に狂った不知火フリルが。今まで世界全てを愛してきた天使が、その莫大な愛をたった1人に捧げる。どんな変化が起こるか、あかねにも想像がつかなかった。
「負けられない」
ここからはあかねも鞘姫だ。今まで健気に、献身的に主人を支えていた立場から、今度は組織のNo. 1になる。まるで逆の立ち位置。なかなかに演じ分けは難しそうだ。
「そうよね。ここからはアクアは敵に回るんだから。アクアの時とは違う受けを考えないと」
ピシャンと頬を軽く叩く。現場を見据える有馬かなに絶望はなかった。寧ろ逆。ワクワクして、あの世界に入りたくてたまらないという顔をしていた。
───みんな、すげぇ
神と戦う。神と共闘する。その認識で稽古に挑んでいる。その認識で誰もが負けないと。自分が勝つと信じている。
───もう嫌だ。この世界……
俺だってあれから九ヶ月、自分なりに頑張ってきた。でもいくら頑張っても、こいつらみたいな連中は少しのきっかけやひらめきで俺の九ヶ月なんて秒で追い抜いていく。
───俺は……俺だって……お前らみたいに…
「鳴滝、お前はまだ外れてろ」
力が入りかけた足は監督の一言で崩れ落ちる。屈辱感はなかった。寧ろホッとしてしまった。それがまたたまらなく情けなかった。
▼
「───ふぅっ」
第二幕の稽古が始まってしばらく。休憩時間にララライが練習で使ってる部屋とは違うスタジオに座り込む。肌を伝う汗はラフなTシャツにへばりつき、若干気持ち悪かった。
───空想への没入……だいぶできるようになってはきたが…
経験に潜って感情を引き出す時と比べ、段違いに集中力と体力を消耗する。それも当然と言えば当然。今までは掘り下げたら見つかるところのものを使って演技してきた。しかしファンタジーは全く何もないところから創り出し、掴み、持ち上げ、表現しなくてはいけない。一を十や百にするのはそこまで難しくないが、ゼロから一を創ることがこれほど難しいとは正直思わなかった。
───コレを本番はぶっ通しでやんなきゃいけねーのか…
稽古で経験を作れるから、多分創造という点ではマシなんだろうが、本番の緊張は稽古の数倍体力と集中力を持っていかれる。あのテンションを演劇中まるまる保ち続けなければいけないとか、考えただけで若干吐きそうだ。
───あ……
他にも休憩中の人達がいる中で少し目につく。流石はスタジオ。恐らく楽器の調律用だろう。ピアノが備え付けてあった。
丁度いい。ちょっと気分転換させてもらおう。
鍵盤を開き、ペダルの状態を確かめ、座椅子の高さを調整する。フッと軽く指に息を吹きかけた。
さて、何を弾くか……やっぱ『紅蓮の華』か?でも前養護施設で弾いたしありきたりで少しつまらない。
基本つまらないと感じたことはやらない。それがオレのスタンスだ。一緒に休憩室にいる人達が興味深げにオレを見てるから、彼らが知ってる曲を弾いた方がエンターテイメント的にはいいのだろうが、主目的は息抜き。仕事ではない。ならオレが弾きたい曲を弾かせてもらおう。
───そうだな……久々に。
指を動かす。素早い運指がキラキラとした音を紡ぐ。穏やかでいながら華やかで色彩豊か。そういったモノがピアノから溢れてくる。
「うわっ、凄っ、うまっ」
「指の動きめちゃくちゃ早い……よくあんなに早く動かせるね。なんて曲だろ」
聴客のほとんどが曲名を知らない。それも当然と言えば当然。クラシック界では屈指の名曲だが、普通に生活してるだけならまず耳に入ってはこない曲だ。
C.ドビュッシー作。ピアノ独奏曲イ長調。
"喜びの島"
華麗さ、豊かな色彩感、ファンタジックさ、或いは官能的な側面と、非常に多くの表情を持った名作。
しかしこの曲の作曲背景は煌びやかさとは裏腹にひどく身勝手。ドビュッシーは最初の妻であるリリーという存在がありながら、エンマ・バルダックという女性とジャージー島へ逃避行した。バカンス先で新しい恋人とよろしくやりながら作られた曲。
男の身勝手な浮気の中で、傑出した才能によって作り出された名曲。凡人がやったならただの最低男で終わるが、偉大な芸術家にかかれば、浮気も芸の肥やしになる。
楽曲自体浮かれっぱなし。特に終盤の喜びのエネルギーに満ち溢れた様子から、恋に夢中になったドビュッシーの姿を想起させる。
恋に我を忘れたドビュッシー
なぜこの曲を弾く気になったのか、自分でもよくわからなかった。さっき稽古しながら、雨の中であかねがオレを見つめていた時の瞳を思い出したからか。休憩に行く際、一瞬すれ違ったフリルのオレを睨む目が凄かったからか。有馬がかつてオレがとっくに忘れてしまった直向きな目で稽古に挑んでるのを見たからか。
───どいつもこいつも、恋してんなぁ
仕事に。演劇に。オレに。みんながそれぞれの想いを持って舞台に立ってる。みんな上手くて、若くて、自信があって、楽しそうで、キラキラして、それぞれの恋が混ざり合って、一つの音を作り出してる。
───ああ、この舞台がきっと……
みんなの喜びの島なんだ。
最後の一音が弾き終わる。波を打ったかのように静まり返る部屋の中で、オレのため息が小さく木霊した。
「Bravo!!」
「アクアくんすごーい!」
「ピアノ弾けるってあかねから聞いてはいたけど実際弾いてるところ見せてもらえるなんて思わなかった!」
「かっこいい!今度二人っきりで聞かせて!」
拍手がスタジオを埋め尽くす。巻き起こる賞賛の嵐。ああ、たまにこういう目に合わせてくれるから芸術はやめられない。ピアノやってて良かったと思う。オレはたぶん演劇はあまり好きじゃないが、音楽は結構好きだ。
「お前ってピアノも弾けんのかよ」
女性陣からチヤホヤされてから少しあと、影が落ちる。見上げると飲み物片手に鳴滝が壁に寄りかかっていた。どうやら話しかけられてるらしい。
「習ってたのか?」
「習ってたっていうか……昔バイト先のお姉さんにちょろっと教わった」
「ちょろっと、か」
視線が下に落ちる。なんかあからさまに落ち込んでる。慰めてほしいのだろうか。でも今オレ他人を慰められるほど余裕ない。落ち込む暇があったら見て盗めとか言っちゃいそう。それは流石に可哀想だった。
「いいよな、才能あるやつは。少しの努力で報われて…この舞台だってお前にとっちゃヌルゲーだろ」
「───はぁ?」
流石にイラッとした。オレが知る限り、少しの努力で報われている人など芸能界にはいない。あれほど才能あったハルさんやナナさんですら音楽の道で大成することを諦めざるを得なかった。あの不知火フリルでさえオレとは比べ物にならない努力を重ねている。努力した人が報われるとは限らないのがこの世界だが、成功に近しい成果を得ている人はそれに相応しい努力をしている。
例外はウチのルビーくらいだろうか。あいつも努力がゼロとは言わないが、それでも10の努力で30くらいの成果が返ってきてると思う。生まれ持った星の差というのはあるのだろう。しかし……
「…………言っとくけどオレ、演技の稽古4歳の頃からず〜〜〜っとやってたんだぞ。ピアノだって教わったのはちょろっとだけど、3歳の頃から触ってたし」
「……………え?」
「下積み時代なんかマジで朝から晩まで……小学生の頃からADまがいの事やってきて……12年かけて技術増やしてようやくここまで辿り着いた。けど、このダブルキャストで惨敗したら奈落の底に叩き落とされてまた12年やり直しだ。まして相手は不知火フリルと姫川大輝。オレの人生基本難易度ルナティック。クソゲーのオンパレード……要するにまだ何一つ報われてねーんだよ、オレは」
言ってて悲しくなる。ルビーなんか本格的にアイドル活動始めたのは今年に入ってから。ミヤコやメム。そしてオレが協力したとはいえ、既に公式チャンネル登録者一万人越え。年単位の成長幅で言えばオレなんて比べ物にならない。もってるヤツというのはああいうのを言うのだと知った。
「オレなんていつもギリギリだ。かけたコストに見あったリターンが来たことの方が稀。お前の方がよっぽどローコストハイリターンだと思うぜ」
立ち上がる。息抜きもした。愚痴を吐いた。休憩としては充分だ。ここからは後半パート。刀鬼の稽古に入る。もう一度設定資料読み直して、頭を切り替えなければいけない。
「あ、あのさ!」
呼び止められる。少し鬱陶しく思いながらも目線だけ振り返った。
「…………12年も稽古してきて、思うように結果でなくて、嫌になったりしたこと、ねえの?」
「したさ。なんでオレはこんな世界に入っちまったんだって、呪ったことなんて数えきれねぇ」
くだらない約束をしたかつての俺を呪った。オレの気も知らねーで能天気に生きるルビーを呪った。律儀に星野アクアとして生きるオレを呪った。
そしてアイを呪ってきた。
「でもしょうがねえだろ。それが自分で選んだ道で、それが今の実力なんだし。無理したって結局作品も自分も破綻するだけだ。自分ができることをできる範囲で。その代わり全力で。ベストを尽くして。少しでも作品を良い物にすることしか、オレたちにはできねーし、する必要もねーんだよ」
休憩室を出る。もうこれ以上何か話す気にはなれなかった。
▼
羞恥でしばらく顔があげられなかった。こういう時、なんかしたら入りたい、みたいなことわざあったなとなんとなく思い出す。正しい名前は覚えてないけど、きっとこういう時に使うやつなんだろうなくらいはわかった。
12年。星野が芸能界にしがみついてきた年月。アイツは苦労自慢なんかするタイプじゃない。寧ろ逆。苦労とか努力とか隠す人間だ。嘘じゃないことはわかる。
俺たちいま16歳だから人生の四分の三。アイツはずっと今の俺みたいな気持ちを持ち続けてきた。苦しみ続けてきた。呪い続けてきた。それに引き換え俺はたった九ヶ月。比べることも烏滸がましい時間。差がついて当たり前だった。それを俺はよくも簡単に才能の差などと。
『少しでも作品を良い物にすることしか、オレたちにはできねーし、する必要もねーんだよ』
アイツのこのセリフが耳をついて離れない。思えばあの時からそうだった。アイツはいつだって作品を良くするために全力を注いでいた。俺はそれを見てたはずなのに、言われるまで気づかなかった。
───作品のことなんて考えたことなかった。いつも俺が俺がって、自分のことばかり…
今悩んでるのだって作品のためなんかじゃなかった。上手い人ばかりの中で俺1人が下手だから。目立って、足を引っ張って、カッコ悪くて嫌だから、なんとかしたかった。
───カッコ悪りぃ……マジでカッコ悪りぃな、俺
変わりたい。変わらなきゃいけない。そのために何をすればいいのだろうか。努力はしてきたつもりだった。でも、それだけじゃ足りないのは嫌というほどわかった。
───あ……
去っていく背中が目に入る。俺と同じことを12年も悩み続け、それでも前に進み続けてきた男の背中。きっとアイツなら、答えを知っているはず。
───でも……
人に何かを尋ねるというのは結構難しい。自分の至らなさを吐露することにもなるし、今更こんな事聞いてくるなんてと呆れられるかもしれない。明らかに目上の人にするならともかく、同い年の人間に答えを聞くなんて恥ずかしかった。
───て、バカか俺は!
今更自分を守ってどうするんだ。カッコ悪いのもダサいのもとっくの昔からだ。星野はそんなこと、もう百も承知のはず。これ以下なんてないのに、これ以下を恐れてどうする。
───今の俺がダサいなら、上がるまではとことんダサくあれ!
「あ、あのさ!星野!」
声をかける。一度口を開いて仕舞えば、そこからは意外と簡単だった。
▼
第二幕の稽古が始まり、初日。主要メンバー全員集まってることだし、とりあえず最後までまた通しでやってみようということになった。ブレイドから刀鬼の切り替えできるか不安だったが、刀鬼はブレイドより役に合っててやりやすいのもあり、思ったよりはスムーズに役に憑依りこめた。
「アクア!ごめん、ここなんだけど──」
あの時以来、鳴滝はオレに質問や相談に来ることが多くなった。なぜオレに?とは思ったが、向上心があるのは悪くない。どんな質問もバカにしたりなどせず、真摯に答える。何がわからないかを言ってくれるから指導もやりやすい。
「メルトくん、すっかりアクアくんに懐いたね」
稽古場から少し外れている時、あかねに話しかけられる。どうやらさっきまでのやり取りを見ていたらしい。
「結構キツイことも言ってるんだがな。役者ってM多いのか?」
「あはは。打ちのめされたことない人の方が少ないだろうしね。いやでも打たれ強くはなるのかも」
「打たれ強い、ね」
「ちょっとアクア!なにビジネス彼女と2人で話し込んでんのよ!次!クライマックス!アンタの最後の見せ場でしょーが!早く来なさい!」
有馬の怒号が飛んでくる。一度息を吐くと壁を支えに立ち上がった。
「行くか」
「うん」
深呼吸し、目を閉じる。クライマックス。東京の最大の難所である無間城での戦闘。新宿、渋谷クラスタ両陣営が入り乱れ、戦うシーン。ブレイドと刀鬼が一騎打ちを繰り広げる中、ブレイドの助太刀をしようと斬りかかってきた一撃に対処しきれず、斬られそうになる寸前、鞘姫が間に割って入り、重傷を負う。絶望する刀鬼だったが、鞘姫が持つ盟刀の特性により、奇跡的に息を吹き返し、安堵と一筋の涙を漏らす。まさにクライマックスの見せ場にふさわしい、ドラマチックなシーン。
───イメージしろ
他者には聞こえないよう、口の中で呟く。
城内の広い和室。
目の前には因縁の敵。
切り結ぶ中、死角から迫る白刃。気配に気づき、振り向いた時にはもう遅い。
斬られる覚悟を決めた瞬間、割って入る影。
その人物が誰かを認識する。その人は自分が誰よりも守らなければいけない人。
守らなければいけなかった人を守れなかった。
守らなければいけない人に護られた。
誰より愛したその人が腕の中で体温を失っていく。
その絶望を、イメージする。
目を開く。自己暗示の先に広がる光景は見慣れたスタジオなどではなく、和装の邸内───
などではなかった。
───え……
どこかわからない。見覚えはない。けれどどこにでもある光景。マンションのリビング。ドアから繋がる廊下。そのドアを開き、玄関口へと誰かが歩く。たぶん女性だ。紫がかった黒髪は背中まで伸び、均整の取れたスタイルは女性らしい丸みを帯びている。
───アンタは、一体……
玄関前に誰かいるのだろうか。扉を開けようとノブに手を伸ばす。その瞬間、ゾッと怖気が走る。
開けるな!
怒鳴ったつもりだが、声が出ているかどうかもわからなかった。
ズブリと。
液状の何かが潰れるような音がする。玄関に立っていた男は二、三言女と話したと思うと走って逃げていった。扉が閉じる。女は力なく崩れ落ち、オレの腕の中に倒れ込んだ。
───なんだ、これは……
頭が痛い。肌が粟立つ。血が逆流しているかのような寒気が走る。目の前の空想がなんなのかわからない。オレの
ぬるり
手が何かで濡れる。血だ。女の腹部から溢れている。人間太い血管や大事な内臓が傷つかない限り、刺されても死にはしない。だが、この女は明らかに壊れてはいけない
すぐに救急車を……!!
立ちあがろうとした時、頬に指が添えられる。見下ろす先にいる血の気のない女の顔に少しずつ焦点が合う。
その人は自分が誰よりも守らなければいけない人だった。
守らなければいけなかった人を守れなかった。
守らなければいけない人に護られた。
誰より愛したその人が腕の中で体温を失っていく。
星の輝きを放つ瞳と、目が合った。
『愛してる』
大人になったルビーが、血の海の中で笑った気がした。
「あ、あぁ……あぁあアああアああ!!!?」
血塗られた
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
今回少し長めでした。でもここまで書ききりたかったので。いかがだったでしょうか?こちらでは記憶をなくしているからこそのパニック発作でした。ここ数話で催眠とか暗示とか強調してたのはこの為です。ちょっとこじつけくさいかなとも思ったんですが、実際解離性障害の治療法で催眠療法とかあるらしいのでアリかな、と思ってます。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
55th take スティグマ
それは貴方がなくした星のカケラ
なくした星の秘密を差し出すと良い
落陽の星が貴方の手に堕ちるから
「ええ、その双子ならよく覚えていますよ。受け持ったのは一年ぽっちでしたが」
初老の女性がインタビューを受けている。彼女はとある幼稚園の園長先生を務めている人だった。
「ギフテッドというべきなのでしょうか。兄の方はいつも難しい本を読んでて、妹の方も小、中学生くらいの知性はあったと思いますよ。でも年長さんくらいの頃ですかね。お家の方で何かあったらしくて、転園してしまって…」
どうやらとある有名人の幼少期について取材しているようだ。有名人のルーツとは誰もが知りたくなるもの。この取材自体は特に珍しいものではなかった。
「あ、でも転園する直前。一度だけ園に来たことがあったんですけど。兄の子が一度倒れちゃいまして……いえ、病気とかではなかったんですけど、他の園児が怪我したのを見ちゃって、それで。あのぐらいの子なら当然と言えば当然なんですけど、血とか怪我とかをすごく怖がる子でしたね」
取材を受けている記者は特に疑問も持たず、記録を続けた。
▼
最初に異変に気づいたのは、やはり不知火フリルだった。
第二幕クライマックスの戦闘シーン。姫川とアクアはマスコットの刀を用いて打ち合わせ通りの殺陣を演じる。その時は特に違和感など感じなかった。
おや?と思ったのはそれからすぐ後。一騎打ちを繰り広げる中、ブレイド陣営の剣士がアクアへと切り掛かる。そこにあかねが割って入り、斬られ、アクアの腕の中へと倒れ込んだその時だった。
───あかねを、見てない?
星の瞳は明らかにあかねを認識していなかった。それだけなら
───アクア、貴方は一体、今何を見ているの?
『愛してる』
今際の際に漏れた、鞘姫のセリフ。絶望する刀鬼の頬に手を触れ、この言葉を口にした瞬間、アクアの中で何かが崩れた。
「あ、あぁ……あぁあアああアああ!!!?」
腹の底から絞り出されたような、聴く者に寒気すら感じさせる絶叫。この叫びを聞いた時、あかねも少し変だと思った。
───凄いけど……まだ通し稽古の段階でここまで憑依り込むなんて………え?
抱きかかえたアクアがフラッと虚空を眺めたと思うと、そのまま仰向けに倒れ込んだ。硬質な床に頭を打ちつける鈍い音がホールに響く。この時、はっきりと全員何かがおかしいと気づいた。
「アクア!」
「アクアくん!?」
横たわっていたあかねは飛び起きる。それとほぼ同時、フリルもアクアの側へ駆け寄っていた。
「えっ、なに?どうしたの?」
「アクア………アクア!?ちょっと!変な冗談やめなさいよ!何してんの!」
周りが騒然とする中、2人に遅れて有馬もアクアの元へと駆け寄る。形の良い眉は険しく歪んでおり、星の光を宿す青い瞳は焦点が合わず虚空を眺めていた。
「意識が……ない?」
「なんで……さっきまでなんともなかったのに」
誰もがまだ現状を理解しきれず、動揺している中、フリルの細い指がアクアの額に触れる。彼女だけは解決に向けて適切な行動を取っていた。
───熱はない……高熱による昏倒とかじゃないみたい
だとしたら。
「…………まさか、脳に何か…?」
最悪の事態が頭をよぎった瞬間、フリルはあかねへと険しい目を向けた。
「あかね!この間の雨の登山!アクアころんだりとかしてた!?」
「え……あ……え?」
「脳にダメージ負うような事なかったかって聞いてるの!答えて!」
「え、フリルちゃん、何言ってるの……いまそんな事、聞いてる場合じゃ……」
舌打ちする。まだ頭の中グチャグチャで現状打開の方向にまで頭が回ってないらしい。まあ仕方ない。たとえあの登山が原因じゃなかったとしても、日常生活で脳にダメージを負う事だって普通にある。あかねが今の質問に答えようが答えまいが大きく影響はない。
───とにかく、脳だとすれば早く意識を取り戻させないと
「きゅ、救急車呼ぶ?」
「でも、一緒に警察とか来て問題があったら、舞台中止になるかも───」
「ど、どうすればいいのよ、不知火フリル」
「脳だとすれば下手に動かすのは危険!揺らすのもダメ!とにかく呼びかけて!ほら!あかねも!大きな声で!」
「わ、わかった。アクアくん!!目を覚まして!」
「アクア!起きなさい!起きないとキスするよ!周りが引くくらいのディープキスして写真撮って週刊誌に売り飛ばすよ!起きて!」
あのいつも飄々とした不知火フリルが血相を変えて怒鳴り込む。その必死さにつられ、あかねも有馬も自然と声が大きくなっていった。
「アクア!私の声聞こえる!?起きなさい!アンタが嫌いなピーマン口に突っ込むわよ!」
「アクア!」
「アクアくん!!」
3人の少女が大声でアクアへと呼びかけ続ける。舞台俳優とアイドルとマルチタレントの必死の声量は凄まじく、ホール内を強く反響させた。
「…………ぅ…………ぁ…………」
虚に彷徨っていた星の瞳が現実に戻ってくる。焦点が定まり、自分を見下ろす3人の少女をぐるりと見渡した。
「アクア!」
「アクアくん!」
「アクア!!」
「…………ぁクァ……?」
不思議そうに自分の名前を呟く。まだ完全に意識は現実に戻ってきてないようだ。
「なに寝ぼけてんのよ!しっかりしなさい!」
「……ぁくぁ……あくあ……アクア……オレの名前……星野アクア……ああ、オレだ。オレの、ままだ」
髪を掻きむしり、起き上がろうとするが、フリルの手がそれを留める。仰向けに倒れたまま、身体を動かせなかった。
「アクア。3+7は?」
「…………は?」
「足し算の計算。わかる?」
「───え?なぞなぞ?オレそういうの苦手」
「なんの捻りもないから。答えて。3+7は?」
「………10」
「うん、正解。5×9は?」
「45」
「アメリカの首都は?」
「ワシントン」
「貴方が今いる場所、わかる?」
「ララライスタジオ」
「私の指を顎で挟んで」
「顎?……こうか?」
首筋に添えられた指を顎で挟む。小学生でもわかる計算に常識問題。フリルとアクアが何をしているのか、理解している者は少なかった。
「うん、オッケー。強い呼びかけで開眼。見当識の保たれた会話。命令によって身体も動く。問題なさそう」
「グラスゴー・コーマ・スケールか?」
グラスゴー・コーマ・スケール。救急外来や集中治療室など、限られた場所で使用される意識障害を計るテスト。開眼を4段階。発語を5段階。運動を6段階に分けて評価する。点数が低いほど重症度・緊急度が高い。
「知ってたのね、流石。呼びかけで開眼したし、発語、運動も問題なし。15点満点中11点ってところね。まあ大丈夫でしょ」
「脳障害でも疑ってるのか?」
「急に倒れたのよ。疑うのが当然」
「大袈裟だな」
「バカ。突然死を甘く見ないで。日本ではこの数年間で10万人が突然死していると言われてる。前日までなんともなかった人が急逝するっていうのは誰にでもありうることなんだから」
ようやく許可が降り、身体を起こす。グラリと世界が揺れた。まだ気持ち悪い。吐きそうだ。
「星野、大丈夫なのか?」
「すみません。ちょっとまだ気持ち悪いです」
「わかった。今日はもう帰って休んでろ。誰か、付き添ってやれ」
「アクア、別室行こう。肩貸してあげる」
「悪いな」
「貸し一つだからね」
誰に言われるでもなく、率先してフリルがアクアの肩を抱きかかえる。ホールから出ていってから、しばらくキャスト達は騒然としていた。
「…………アクアくん、大丈夫かな?」
「貧血?二日酔い?」
「雷田さんじゃないんだから。彼はまだ未成年よ」
「クスリだったらやべーな」
「アクアくんは仕事には真面目で誠実です。舞台の最中にそんなバカな事はしません」
「信頼してるのね。流石彼女」
「はい」
「てゆーか一緒に付き添わなくてよかったの?彼女なんでしょ?」
「…………監督」
「心ここに在らずで稽古されても迷惑だ。行ってこい」
「っ、ありがとうございます!」
足早にスタジオから出ていく。自分もスタジオを飛び出してアイツの元へ行きたいという衝動を押し殺し、その背中を眺めることしか有馬かなにはできなかった。
「───親友と彼女、か」
脳裏に冷や汗を流し、必死に呼びかける不知火フリルの姿が蘇っていた。いつも泰然と美しかったあの不知火が、仮面をかなぐり捨て、血相を変えていた。今ガチからこっち、いろんな表情を見てきたが、あんな姿は初めて見た。黒川あかねもだ。子役の頃からなんだかんだ長い付き合いで、泣きべそかいてるのは見てきたけど、まるで親が倒れた姿を目の当たりにしたかのような、あんな絶望した顔は初めて見た。
「便利な設定だこと」
膝を抱えて座り込む。何も設定を持たない自分には、誰にも聞こえない皮肉を言うくらいしかできないことが腹立たしかった。
▼
「ほら、アクア。水飲んで」
「ありがとう」
給湯室。何本も用意されたミネラルウォーターを一口含む。倦怠感はあまり解消されなかったが、少しホッとする。ペットボトルを額に押し当て、深呼吸した。
「倒れた時の状況、わかる?」
「───ああ、なんとなく」
嘘だ。ハッキリと覚えている。見知らぬマンションの一室。刺された女。抱きかかえたオレ。血に染まるオレの手。全てリアルに、生々しく思い出せる。
「───っ!?」
喉元から熱いなにかが競り上がってくる。給湯室の洗面台へと顔を向け、苦い胃の内容物を吐き出した。
「───苦しいね。大丈夫。私以外誰もいないから。全部吐き出して」
「アクアくんっ!?」
フリルが優しい声で語りかけながら、背中をさすっていると、給湯室の扉が開く。フリルは振り返ることすらしなかった。ずいぶん遅れてきたものだと呆れたくらいだった。
「吐いちゃったの?」
「みたい。まだフラフラしてるっぽい。あかね、見てあげて。私もちょっとトイレ行ってくる。もらっちゃった」
少し青い顔してフリルも給湯室から出る。共感力の高い役者はこういうのもらっちゃうというのはよくある事だ。特に気にもせずフリルからアクアの介抱を受け継いだ。
「アクアくん大丈夫?全部吐けた?口の中すすぐ?はいお水」
「ありがとう……ごめん、スゲーみっともないな。オレお前に裸とかは見られても平気だけど、こういうの見られるのはめちゃくちゃ恥ずい」
「みっともなくなんかないよ。演技途中で役に入り込みすぎてパニック発作起こしちゃう役者ってそんなに珍しくないし。それだけアクアくんが仕事に真剣に向き合ってる証拠だよ」
「貧血とか、そういうありきたりな発作には見えなかったけどね」
トイレからフリルが戻ってくる。ただでさえ白い肌がさらに蒼白になっている。蝋人形のような美しさがあかねの背筋にゾッと寒気が走った。
「お前大丈夫か。顔色悪いぞ」
「今のアクアにだけは言われたくないなぁ」
「今日だけじゃない。ホテルでお前にキスされた時から思ってた。あの頃からお前ずっといつもより濃いファンデ使ってるだろ。最近ちゃんと食べてるのか。やつれてるとまでは言わないが、生気が薄い。前も屋上でエナジーバー数口齧ってただけだったし」
「言ったでしょ。体内時計狂ってて食欲ないの。あんまり食べたらもどしちゃうし。いつものことだから大丈夫。それにちょうどいいし」
「ちょうどいい?」
「シースも鞘姫も儚いお姫様系だから。ちょっと生気ないくらいの方がミステリアスで合ってるの」
「あんま身体張った役作りすんなよ……珍しい話でもないけど」
「それもアクアには言われたくないなぁ。昏倒するほど没入する役作りする人に」
黙り込む。それを言われては何も反論できない。震える膝を叩き、無理にでもなんとか立ち上がった。
「心配かけたな。もう大丈夫。稽古に戻ろう」
「何バカなこと言ってるの。座って」
「そうだよアクアくん!まだ顔色真っ青だよ。発汗も酷いし、稽古なんてできる状態じゃ──」
「うるさい」
心配してくれている相手にかける言葉ではないことぐらいはわかってる。でもやめて欲しかった。こんなに真摯に、真剣に、真っ当に労られたくなかった。
この12年間、ずっと虚勢を張って生きてきた。大丈夫じゃなくても大丈夫と言い、大丈夫じゃなくても大丈夫にしてきた。誰かに本気で心配などされたくない。思いやられたくない。誰かに何かしてもらうことなど、期待したことはない。そうやって生きてきた。1人の力で生きてきたとは思わないけど、他者に本気で心配されるような生き方をしてはこなかった。
「アクア、何があったの?」
うるさいなどと言われてもフリルは少しも不快そうな顔は見せなかった。隠してるんじゃない。本当になんとも思ってない。そういうのはわかる。誰よりも隠してきたから。あんなことを言われても、真摯に、誠実に、本気でオレを心配している。あかねも同じだった。
───お前達なら、話してもいいか
心中で舌打ちする。こういう気分になってしまうから本気で心配などされたくなかったんだ。誰かを籠絡するのも誰かに自分を信じ込ませるのも得意だけど、誰かを信じるのは苦手だった。
けどこの美しい妖怪と、自身の彼女は、このままだんまりを許してくれるほど、御し易い相手ではない。諦め、話す事にする。この天才2人の協力を得られるなら、悪いことばかりでもないはずだと無理やり言い聞かせた。
「オレ、昔から血とかスプラッタとか、異様に弱いんだよ」
「え?」
「幼稚園の頃なんて誰かが転んだりしただけでもダメでな。ケガしてんの見ただけでパニック発作起こしたり吐いたりしてた」
血や臓物など、グロ系が苦手というのは誰でもある普通なことだが、他人の小さなケガだけでダメというのは確かに少し顕著だ。
「でも、今ガチでは……」
あかねが何かを言いかけて、止まる。その続きはなんとなくわかる。こう言いたいのだろう。あかねが付け爪でオレを怪我させた時、頬を斬られても平気そうだったのに、と。
「ああ、自分のは大丈夫なんだよ。ダメなのはオレじゃない人の血」
自分がいくら傷ついても何とも思わない。動揺するのは他人から流れる血。誰かが傷つくのが嫌だから、今ガチでも咄嗟にゆきを庇った。あかねが自殺しようとしたのも止めた。
「それでも年取るごとにマシにはなってたんだがな」
───そういえば最後に他人の血を見たのっていつだっけ
多分あのPVだ。ストーカー撲滅のプロモーションビデオにマリンとして参加した。今思えばあのPVの時も、一種のパニック発作のようなものだったのかもしれない。あの『声』が聞こえるようになったのは、女学生役の子がストーカーにナイフで斬られ、血を流すシーンを見てからだった。
「…………あかねには話したけど、オレ、母親の記憶がないんだ。4歳の頃に死んだらしいから、当たり前っちゃ当たり前だけど」
「うん、聞いた」
「私は初耳……アクア、お母さんの死因、聞いていい?」
流石は妖怪。察しが良すぎる。この言い方から、ほとんど真実に辿り着いているのだろうが、言葉を選んで労った聞き方をしてくれた事に感謝した。
「殺された。包丁で刺されて」
あかねが口を両手で覆う。フリルも傷ましそうに眉を顰めた。
「オレはその現場にいたらしい。その現場にいて、倒れた母と一緒に昏倒した、そうだ」
「…………憶えてないの?」
「全然まったく。気がついた時、オレは病院のベッドの上だった。多分オレが物心ついた瞬間の記憶は、運び込まれたあの病室だ。憶えてないっていうより、失ったという方が正しいんだろう」
記憶喪失。解離性障害。母が殺された時の心情と、あまりに酷似した状況をイメージする事で無意識のうちに蓋をした記憶が揺り起こされたのかもしれなかった。
「解離性障害は幼い頃のショックで引き起こされると聞いたことがある。耐え難い苦痛から逃れるために、脳が記憶をシャットアウトするの。アクアのお母さんの記憶がないのはそういう事だろうね」
目の前で母親が殺される。大の大人でも立ち直れないほどショッキングな場面だ。4歳の子供のキャパなど遥かに超えている。脳が防衛本能で記憶を切り捨てる判断をしたとしてもなんら不思議はない。
「刀鬼のクライマックス。鞘姫が刀鬼を庇って斬られて倒れる。血の海の中で体温を失っていく姿が、オレの中の何かと強烈にデジャヴした」
「倒れた原因はきっとそれね。自己催眠に近い没入によって、無意識に沈めてたPTSDが呼び起こされ、防衛本能がアクアの意識をシャットダウンさせた」
「PTSD……前私がプロファイルした、アクアくんの心的外傷……ホントにあったんだ」
「カウンセリングも受けてたが、記憶ないから平気なフリするのは簡単だった。家族、特に妹に心配かけたくなかったし」
「その事件の犯人って、捕まったの?」
「ああ、実行犯はな」
「………………」
含みのある言い方をしてしまった。そう、実行犯は捕まっている。世間的には終わった事件。だがおそらくあの事件は終わっていない。アイは芸能人だ。その住居やプライベートは隠されてる。売れっ子になってたし、苺プロなりにガチガチに守ってきただろう。
なのにあの男が、ストーカー如きが、アイの住居をピンポイントに突き止められたのはおかしい。
───リークした人間がいるんだ。アイがあそこに住んでいると。男作って、子供作って暮らしている、と。
今まで深く考えないようにしていた。しかし記憶が揺り起こされたおかげでアクアの聡明な頭脳はたどり着いてしまった。まだあの事件は終わっていない、と。
「アクア?」
「…………なんでもない」
───話せるのはここまでだな
ここまでだ。これ以上を知ってしまえばコイツらもヤバい。情報とは持っているだけで危険に晒されることもある。なんでもやたらめったら話せばいいというものではない。
「───っと」
フラつく。まだ完全には回復していないらしい。
「ごめん、話させすぎちゃったね。今日はもう帰ろうか。ウチの人に連絡する?」
「やめてくれ。社長も妹も一度オレが倒れたのを見てる。余計な心配させたくない」
あの時もミヤコはともかく、ルビーの方は見ていられなかった。倒れたことを申し訳なく思うほど取り乱していた。もうあんな姿は見たくない。
「じゃあ私のマンション行こう。タクシー呼ぶからちょっと待ってて」
「え?マンション?フリルちゃんの?」
「ダメ?」
「寧ろ良いの?アクアくんとはいえ、男の人連れ込むなんて、事務所が……」
「大丈夫。ちゃんとタクシー2台呼んでバラバラに入るから」
「そういう問題じゃなくて!」
「アクアがウチ来るなんて今更だし。大丈夫よ」
その一言に絶句する。この2人、私が知らないところで会ってるだろうなくらいは予想していたが、一体どこまでいっているのか。最悪の予想まで過ぎったが、考えるのをやめる。不快になるだけだ。
「じゃ、あかねとアクアは同じタクシー乗って。コレ鍵。アクアをそこまで送ってあげて。公式カップルの2人なら一緒にマンション入ってるところ撮られても問題ないでしょ。一時間後に私も入るから、鍵は開けておいてね」
決定事項のようにカードキーを渡される。言いたいことは山ほどあったが、今はアクアくんの介抱が最優先。黙って鍵を受け取り、アクアくんの手を取った。
▼
「あかね、どう思う?」
フリルちゃんのマンション。最低限の家具と生活用品しかない簡素な部屋で、アクアくんが寝息を立て始め、ようやくホッと息を吐く。
アクアくんが眠ったのを確認したからか、フリルちゃんが口を開いた。
「どう思うって?」
「アクアの話。隠してること、全部教えてくれたと思う?」
アクアくんが眠った。フリルちゃんと2人きりの時間ができてしまう。お互い考えるのはやはりさっきアクアくんがしてくれた話。
───アクアくんはなんで役者やってるんだろう。
思い出す。あの嵐の夜に語ってくれたこと。私の秘密を知った代わりに自分の秘密を教えてくれた。役者をやる理由は母親との約束だ、と。
今日は多分、あの時の続きを、さらに深く話してくれたとは思う。だけど───
「まだ何か隠してはいるんだろうな」
母親との約束。それは役者を志すきっかけではあったのだろう。しかし今や星野アクアは才気あふれる一人前の役者だ。もう約束は果たされている。約束だけが理由なら、もう役者を続ける理由はないはずだ。
───ただでさえ、アクアくんは演技のこと、好きじゃなさそうなのに
あれほどの才能を持っていながら、アクアが演技を楽しむ姿をあかねは見たことがなかった。いつも感情を押し込め、他人には結構甘く、自分にはめちゃくちゃ厳しい。ストイックな姿しか、見たことがなかった。
「社長さんは、今のアクアをどう思ってるんだろう」
「社長さん?」
「今のアクアくんの保護者。斎藤ミヤコさん」
苺プロ社長。斎藤ミヤコ。アクアの今の保護者。あかねも運び込まれた病院で一度会った。
「ホントの母親誰なんだろうね」
あの話を聞いて仕舞えば、当たり前に浮かび上がる疑問。あかねも同じことを考えていた。
「───隠すってことはやっぱり芸能人かな。アクアが4歳の頃に亡くなったっていうなら事件自体は12年前か……12年前に殺された芸能人で調べれば結構絞れそう……」
改めて条件を口にされたことにより、あかねの頭の中でキーワードが浮かび上がる。
苺プロ。
12年前の殺人事件。
PTSD。
カウンセリング。
芸能人。
とっ散らかっていた点と点が、うっすらと線になって繋がっていく。
───この感覚、前に…
そう、アイのプロファイルをやっていたときに、私の中で引っかかった、あの時の感覚。
あの時は推理するには材料が足りなかった。けれど今は揃っている。揃ってしまった。あかねの明晰な頭脳は望まずとも的確に、そして正確に真実へと辿り着いてしまう。
「アイ」
「アイ?聞いたことある名前ね……確か昔亡くなったアイドル…」
倒れたばかりのアクアは少し緩んでいたのかもしれない。この2人の優秀さを知っていながら、あそこまでヒントを与えてしまった。
「アクアくんがPTSDを患ったのは、12年前」
「…………そしてアイが殺されたのも、12年前」
「アイはアクアくんと同じ事務所」
「アイドル活動をしている妹はB小町を襲名、復活させた」
「兄妹共にアイに強い執着。事務所の先輩後輩以上の繋がりがある可能性は高い」
「殺人事件の実行犯は逮捕されている」
「でもそれ以外がいそうな、少なくともアクアくんはいると思っている口ぶり」
「複数犯の可能性」
「里親制度で斎藤ミヤコに引き取られているにも関わらず、兄妹は星野性を使い続けている」
「アクアから記憶のない母親の話は聞くけど、記憶があるはずの父親については話どころか影すら見えてこない」
「アイの名字は公表されていない」
『アイには隠し子がいる、とか』
脳裏によぎる、プロファイルの穴を埋めるため、黒川あかねが創り出した、勝手な設定。
『アイとアクアくんって結構似てて、まるで親子みたいだなって』
思い出す。アイとアクアのプロファイルを比較した時、思わず漏れた、この感想。
───辻褄は綺麗に合う。合ってしまう
もちろん勝手な推理だ。こじつけに近い部分もある。アクアの母親が芸能人じゃない可能性だって普通にあるし、シングルマザーなんてこの世に幾らでもいる。
───でも、それでも……そうだとしたら……
一体どれほどの絶望と苦悩。誰にも話せず、誰にも頼れず、芸能界という伏魔殿で生きてきた。12年。人生の四分の三の時間を、本当に誰にも頼らず、ただ自身の才覚と努力だけを頼りに、生きてきた。
───私、なんて甘っちょろい世界で生きてたんだろう
頼る家族もいて、6人だけだけど芸能界で友達も出来て。いろんな人に甘えて、泣いて、縋って、そして……
───この人に救われた
どん底に沈んだ自分に生きていいと言ってくれた。
一緒に海の底に溺れてくれた。
そのお返しに私もあの雨の山の中で一晩を過ごした。この人の背負った辛さの百分の一くらいは一緒に背負えたと思っていた。
なんて甘い想定だったのだろう。
───凄すぎるよ、アクアくん
貴方は凄い。貴方は強い。強すぎる。強すぎるから、みんな貴方を頼って、貴方なら大丈夫って勝手に思って、アクアくんを同じ人間として見てこなかった。神様みたいだって、思ってた。思って、背負わせて、そして今日、ついに決壊してしまった。
「…………あかね、涙を見せるのはアクアに対する侮辱だよ」
フリルちゃんの言っていることはよくわかる。この最悪の想像がすべて事実だったとして、アクアくんは私に憐れまれるなんてカケラも望んでないだろう。同じ強さを背負う彼女は、多分私よりずっと彼に近いのかもしれない。
───だけど…
「フリルちゃん」
「なに?」
「私は何があっても、アクアくんの味方だよ」
涙に濡れる頬を拭いながら、強く不知火フリルを見つめる。敵意ではない。悪意でもない。けれど強い光を宿した瞳で、真っ直ぐに見据え続けた。
「フリルちゃんがアクアくんとどういう関係なのかは知らない。聞き出そうとも思わない。だけど、コレだけ覚えておいて。貴方がアクアくんを害するっていうなら私は貴方の敵になる」
不知火フリルと星野アクアの関係は独特だ。お互い親友であると認めていながら、いざ戦うとなるとどちらも遠慮も容赦もない。
不知火フリルは不知火フリルの目的で星野アクアを利用しており、星野アクアも星野アクアの目的で不知火フリルを利用している。
故にこの2人は同じ道を共に歩く可能性も、不倶戴天の敵になる可能性も、両方持っているだろう。
だからフリルの想いは重くて軽い。
「私は、違う」
私は決して彼の敵にはならない。口が裂けても、『私以外に殺されないで』なんて言わない。上がる時はその背を支え、共に上がろう。堕ちる時は、貴方の手を取り、共に堕ちよう。いつか貴方の真実が世間に洩れ、貴方の周りから人が離れ、世間がどのようなバッシングを浴びせようと、私だけは貴方のそばに居続ける。貴方を守り続ける。
たとえ世界全てを敵に回しても、私だけは、貴方の味方でい続ける。
実際にアクアくんに向けて口にすることは多分生涯ないだろう。そんなことを望む人ではない事はよく知っている。だからせめて、この人にだけは伝える。彼にとって、最も高く聳え立つであろう壁はきっとこの人だから。
「この人を支え続ける。多分、一生」
重い愛と覚悟を両目に宿した、星の光。この目を見た時、フリルは思い出していた。
『お前を脅かすのは、きっと……』
あの時、アクアが誰のことを言おうとしていたかはわからない。だけど、それができるとすれば、現時点で最も近いのは、黒川あかねかもしれないと思った。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
なくした星の正体があかねとフリルにバレました。あかねはともかく、フリルにバレたことで兄妹の運命はどう転がっていくのか…筆者すらまだわかってません。
あと全然関係ないけどWBC日本世界一おめでとう!
全試合全部熱かった!日本代表全員凄いけど大谷翔平さんかっこよすぎ。準決最終回のあのミートに徹するバッティングでツーベース。決勝最終回ラストバッターがトラウト。ストレートで押しまくり、最後は2009年ダルビッシュ雄投手と同じウイニングショットのスライダー。漫画か!?とリアルに叫んでました。事実は小説よりも奇なりをマジで見れる日が来るとは思わなかった。
おほん、それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
56th take 生きる代償
なくした星のカケラを拾いながら自らの星を削る修羅の道
火を知らぬ少女はその歩みを見守り、夕暮れの少女は共に歩む
死神に刈られるか、死神を狩るその時まで
不知火フリルの事務所が所有するマンションの一つ。中でも此処は緊急避難用のプライベートスペース。オレはこの部屋の合鍵をフリルから渡されている。だからこの部屋には幾度か来た。仕事の合間の休憩だったり、仮眠取ったり、セックスしたりと、この短期間で多岐にわたって利用してきたが、今初めての光景が目の前に広がっている。
マンション内に備え付けられたシステムキッチン。それをオレ以外が使用している。もちろん使っているのは不知火フリルではない。普段ならオレが着てるエプロンを纏い、髪を束ね、オタマを使ってスープの味見をするのは青みがかった黒髪の美少女。
黒川あかね。舞台東京ブレイドでアクアの相方を務める天才女優にして俳優星野アクアの公式彼女。ハイスペックなシステムキッチンを使用する彼女もまた、公的においても私的においても凄まじく高いスペックを誇っていた。
「うん、こんな感じかな」
一度頷くと、湯気の立つ数々の料理をテーブルに並べる。メニューは温泉卵をトッピングしたお粥がメイン。残りはスープとサラダ。病人用のメニューっぽいのが1人分。あかね達の分であろう2人前は普通の朝食だった。
「あ、起きたのアクアくん。おはよう。身体はどう?」
「ん。もう問題ない……今何時だ」
「7時」
「………夜の?」
「朝の」
カーテンを開く。同時に飛び込む眩い朝日。なんとアレから一晩中眠ってしまっていたようだ。そりゃ体調も良くなるはずだ。
「私も昨日は泊めさせてもらったの。30分くらい前に起きてね。お礼に朝ごはんでもって」
「フリルは?」
「朝シャン中」
廊下の奥から水音が聞こえてくる。同時に床に敷かれた敷布団も目に入った。
「床で寝たのかお前ら。起こせよ。ベッド替わったのに」
「病人床に寝かせられないでしょ。最初はフリルちゃんが添い寝しようとしてね。流石に彼女としてそれは許されなかったから。私が添い寝しようとしたら邪魔されたし。折衷案で3人で寝る事も考えたんだけど…」
この部屋に設られたベッドはシングルにしてはかなりデカいが、ダブルベッドというほどではない。2人ならともかく、3人で寝るには流石に狭い。ならもう2人は床で寝るしかなかった。
「───あ、アクア起きたのね。おはよう。身体大丈夫?」
簡易な服だけ纏い、バスタオルで頭を拭きながら泣きぼくろの美少女がリビングに現れる。ほてった肌と濡れた髪。フリルのそういう姿は何度か見ているが、何度見ても背筋が震えるほど艶っぽい。
「人を病人みたいに扱うなよ。これだけ寝たんだ。もう問題ない」
「お腹空いたでしょ。昨日から何も食べてなかったもんね。ご飯にしよう」
「あかねがコレ作ったのか」
「うん、簡単なものでね。アクアくんの口に合うと良いんだけど」
オレが起きた時、あかねはすでに料理を始めていた。どうやら寝ている間に買い物に行ってたらしい。買ってきた食材全部使ってテーブルには所狭しと料理が並べられていた。
「…………作ってもらっといて申し訳ないんですが……オレ今あんま食欲ないんですけど…」
「食べなきゃ治るものも治らないよ。大丈夫。胃に優しくてすぐパワーに変わる料理で揃えたから」
「そうそう。やっぱりゴハンは誰かに作ってもらったやつの方が美味しいよね」
「それは普段自分で作ってるやつだけが言っていいセリフだ」
付き人やってたからコイツの食生活は大体知ってるが、いつも弁当か気軽に食べられる軽食。オフでも大概ウーバー頼り。まあ料理なんてやってる時間ないのはわかるが、それでも付き人やってる間はしょっちゅう手料理せがまれた。
「フリルちゃん、まだ食べちゃダメ。アクアくん座ってないし、いただきますもしてないでしょ」
「えー、細かい」
「アクアくんも。せっかく作ったゴハン冷めちゃうよ。早く座って。食欲ないならちょっとずつでもいいから」
「お母さんか」
「アクア、あーん」
「あ!フリルちゃんずるい!そういうのは作った人の特権だよ!」
「2人ともやめろ気色悪い」
「ひどい!」
レンゲで粥を掬ってこちらへと向けてくる。相手は不知火フリルと黒川あかね。一般人が見たら殺意を抱くほど羨ましい状況だろうが、人の優しさやおせっかいに慣れていないアクアにとっては違和感が半端じゃなかった。
「いただきます」
『…………いただきます』
あかねの無言の圧力に負け、フリルとアクアも手を合わせ、料理の前に頭を下げる。まずはスープから手に取り、一口含んだ。
「…………美味い」
「よかった」
彼氏から漏れでた感想にホッと胸を撫で下ろす。温かさが身体全体に染み渡る。なるほど、確かにメシとは他人に作ってもらったもののほうが美味い。
「うん、アクアのより美味しい」
「もう作ってやらん」
「挽回して欲しかったら次はもっと腕によりをかけて作って」
「作りません。調子乗んな」
「あー、アクア抱きかかえて給湯室まで行くの重かったぁー」
「………卑怯な」
わざとらしく肩を回す泣きぼくろの少女に怨嗟の視線を送る。オレが他人に貸しを作るのが嫌いなの知ってやがる。
「ねえ、アクアくん」
「ん?」
「アクアくんとフリルちゃんって、いつもこんな感じ?」
「?」
「なんでもない」
問われた意味がわからず、疑問符を浮かべているとあかねは諦めたように息を吐き、天井を見上げる。ファイト、と小さく呟いたのが聞こえた。
「あーあ、フリルちゃんいいなぁ。私もアクアくんの料理食べてみたいなぁ」
「あかねの方が美味しいよ?」
「関係ないよ。彼氏のだから、食べたいの」
「関係性の名前でご飯の味は変わらない」
「変わるよ。家族としたキスとアクアくんとのキスじゃ味は全然違ったもん。あ、フリルちゃんは知らないか」
食卓を挟んでなんかチクチクやり合ってる。お互い表情は穏やかだが圧を感じる。なんか昨日より敵対感が強い気がする。
───オレのせいか?オレが寝てる間に何があったんだこの2人
考えてもわからない。居心地の悪さを誤魔化す為に食事に没頭するふりをして知らんふりを決め込んだ。
「ホントに美味いな……普段からやってるのか?」
「えへへ、まあね。お母さんと料理教室行ったり、家でも時々」
「そっか……いいな、そういうの」
綺麗な笑顔の中に哀しみの色が宿る。母親の話をしたからだろうか、いつもより少し弱さを見せている。あかねは申し訳なく思うと同時に少し嬉しかった。
「アクアは誰に習ったの?」
「今時レシピなんざネットに溢れかえってる」
半分ウソである。小学生までは必要に駆られて覚えざるを得なかった料理だが、バンド時代ナナさんに習った事もあった。ハルさんは全くできない人だった。故にカントルの料理担当はアクアとナナさんで回していた。
「どうせ女に習ったんだろうけど」
「そう思ってるなら聞くな」
「アクアくんの女性歴知っときたいなぁ。どこでそんなに女の子引っ掛けてるの」
「引っ掛けてない。メシ食うほど関係があった女なんて数える程度だよ」
ウソではない。8人だろうが10人だろうが数えられるなら数える程度の範囲のはずだ。
「───で、本題に入ろうと思うんだけど」
一度食べ出したら意外と箸が進んだ。しばらく本当に食事に没頭するアクアを上機嫌であかねが眺めていたら、箸をすでに置いたフリルが口を開いた。2人の視線が泣きぼくろの美少女に注がれる。
「アクア、最後の刀鬼の演技、どうするの?」
あかねが息を呑む。いずれしなければいけない話ではあったが、どう切り出すべきか迷っていた。少なくともご飯の後でいいと思っていた。それをフリルから切り出された。今回の舞台であれば敵の、アクアの不調は好都合であるはずの彼女から。様子見をしていた自分が情けないと思うと同時に悔しかった。
「別にどうもしねーよ。今のままでいく」
「え!?」
「あれだけ生の感情引っ張ってこれたんだ。利用しない手はねぇ。今のままでいく」
粥を口にしながら、なんでもないことのように今後の方針を口にする。確かにあの絶叫はすごかった。演技とは思えない迫力があった。一番近くで見たあかねは誰よりもわかっている。しかし──
「また発作が起きたら……!」
「起きるだろうな」
「じゃあやっぱりやめようよ!アクアくんならそこまで入り込むメソッド演技しなくても──」
「しなきゃフリルに勝てない」
その一言に、全てが凝縮されていた。アクアが今誰を一番脅威に思っているか。この舞台で誰が一番気になっているか、全てが伝わった。
───悔しいな…
恐らく私がフリルちゃんと同じ立場になったとしても、ここまで警戒はされないだろう。第一に姫川さん、次に私か、下手をすればかなちゃんが上がるかもしれない。悔しい。あの舞台でアクアくんの気を最も惹いているのは不知火フリルだと改めて認識させられた。
「発作は起こる。それ自体はいい。客には迫真の演技だと思ってもらえるだろう。問題はオレの意識まで昏倒してしまうこと。コレだけは避けねーとな。明日から本番まで、稽古の後、毎日あのクライマックスの自主練を重ねる。回数重ねれば慣れて気絶まではいかなくなるだろ」
最後の一掬いを飲み下す。アクアの膳に並べられた料理は全てカラになった。
「…………アクア」
「ん?」
「壊れないでね」
「…………へぇ」
少し驚いた。フリルはオレに無茶振りする事はしょっちゅうだ。殺されないでね、なんて脅される事も何度もあった。しかしこんなふうに真っ当に心配されたのは初めてだった。
「笑い事じゃなくて。そんな魂切り売りするような仕事ばっかりやってたらいつか壊れるよ」
「『私以外に殺されないで』じゃなかったのか」
「『私のせいで壊れて欲しい』とは、言ってない」
揺るがない目でじっと見つめられる。星野アクアという才能。『私以外に殺されないで』というセリフはあくまでハッパ。潰されず、才能を磨き、より強い輝きを放つ事で自分の隣にまで来てほしいという願望。『殺されないで』というのは言い換えれば『生きて欲しい』という意味の裏返しでもある。
壊れるとはまるで違う。
「…………傲慢だな、不知火フリル」
見つめられた視線を逸らしながら星の瞳の少年が息を吐く。続いた。
「オレがベストを尽くすのは確かにお前に負けない為だが、それ以前の大前提はオレ自身の為だ。オレはオレが一番目立つ為に最善を尽くす。お前に勝つというのはその過程の副次的な結果に過ぎない。この演技でもしオレが壊れたとしても、それはお前のせいなんかじゃない。オレのせいだよ」
失敗を誰かのせいにするというのはアクアが一番したくない事だった。今まで演技でもロックでも、失敗など数えきれないほどしてきたが、それを他人のせいにしたことなどない。成功も失敗も全部自分のせいだ。ミスを恐れて挑戦はできない。挑戦を成功させるのは誰よりもミスを経験した人間だった。
「別に舞台で死ぬわけじゃねーんだ。壊れたとしても生きてるならまた破片を集めて作り直す事はできる。まあその時はまた12年やり直しだろーがそれは自分の不得のいたすところ。誰かを責めるのはお門違いだ。お前の考えは傲慢だよ、フリル」
黙り込む。フリルにも言いたい事は沢山あった。そういうことを言ってるんじゃないとか、ビジネス上じゃなくて、貴方自身の心配をしてるんだ、とか、色々。けれどそのどれも口にしたとしてもこの男には響かないだろう。その程度には彼のことを理解している。他者の心配や愛情など、彼は理解しているようで理解していない。少なくとも自分に関して、その手の感情に対して非常に鈍く、緩慢だ。
「───っ」
スマホの振動音が沈黙の一室に響き渡る。3人とも自分の携帯を確認するが、鳴っていたのは1人の携帯だけだった。
「──もしもし……はい、不知火です。今はいつものマンションに………はい、わかりました。すぐに用意します。迎えは───はい、お願いします」
鳴ったのは案の定不知火フリルの携帯だった。毎日仕事が敷き詰められている彼女のスケジュールは多忙極まる。稽古後の夜のみとはいえ、スケジュールをポシャった。もうこれ以上の猶予は許されなかったのだろう。
「ごめん、仕事入った。行ってくるね。2人は好きな時間にでて行ってくれていいから。鍵はポストに入れておいて。あかね、ご飯ありがと。ご馳走様。それじゃ」
ドレスルームへと向かい、軽く化粧を済ませ、服を着替えると部屋から出ていく。さっきまでの情念はどこへやら。完璧に仕事モードの美しさへと変貌していた。この辺りの切り替えは流石超一流。まだまだ彼女から見習う事は多い。
「──どうする?私達」
「あかね、仕事は?」
「今日は特に。稽古まではオフだよ」
「なら午前中はここで休ませてもらおう。部屋使わせてもらう礼に洗い物と掃除くらいはやっといてやるか」
「アクアくんは休んでていいよ。私がやるから」
「このくらい大丈夫だって。少しは借り返させろ」
「貸し借りいうなら私の方がまだまだ返済真っ最中だよ。アクアくんはゆっくりしてて。亭主関白得意でしょ?」
お互い仕事を奪い合いながら雑務の家事を片付けていく。意外と衝突は少なく、久々に穏やかな時間を過ごせた気がした。
▼
片付けが終わって、時間ができた頃、アクアはベランダへと出ていた。あまりフリルのマンションで顔を晒すようなマネはしない方がいいのだが、まあ部屋の特定されたわけでもないし、今は午前中。パパラッチもマスゴミ共も活動休止の時間帯だろう。一応見える限りで見渡したが、それらしい車が停まってもいない。肉眼ではわからない望遠カメラで万が一撮られたとしてもオレ1人ならどうということもない。少し太陽の光を浴び、外の空気を吸いたかった。
「良い風だね」
部屋の掃除を終えたあかねがベランダへと出てくる。流石に少し咎めの視線を向けた。
「お前まで出てきたら……」
「大丈夫だよ。公式カップルなんだから、撮られたって問題ないって」
それを言われては反論できない。一度息を吐くと、爽やかな秋の風に身を任せた。
「…………アクアくん、ピアス開けてるんだ」
風で蜂蜜色の金糸が捲り上がる。普段は髪で隠している右耳。そこにはピアスホールの穴が開いている。
「中学の頃に開けられた。バンド仲間にな」
「アクアくんバンドやってたの?」
「2年くらいな。ドラムだった」
「キーボードじゃないんだ」
「three-pieceバンドだったからな。ロックにマストな楽器しか許されなかったよ」
バンドの結束感を上げる演出でナナさんとハルさんと3人でお揃いのピアスを着けて活動していた時期がある。仲間同士の仲の良さはアピールしておいた方が良かったし、メンバーのキャラや関係性は売りにして良い時代だ。
だからSNSで仲良し写真あげたり、ギターケースに虫のおもちゃ仕込んだドッキリ動画を上げたりもしていた。このピアスもその一環だった。提案者はハルさん。この手の活動の中心にはいつもあの人がいた。
「そのバンド、なんて名前?」
「内緒」
「なんで?」
「一部黒歴史だから」
あかねはオレの女装に関して、少し知ってる。レンに化けた時、身代わり頼んで、オレの変装姿を見せている。
『…………綺麗すぎてヘコむ』
これに化けてくれと頼んで写真を見せた時、力無く座り込んでこのセリフを呟いていた。
だがマリンに関してあかねは全く知らない。自力でたどり着いたフリルと、過去を知る有馬以外でマリンについて知っている人はいないし、話すつもりもなかった。
「私、アクアくんのこと、まだ全然知らないんだな」
少し唇を尖らせながらベランダの手摺りにもたれかかる。風に靡く青みがかった黒髪はアクアの目から見ても美しく映った。
「…………知らねえ方がいいことも沢山あるだろ」
遠くを眺めるアクアの目に迷いのようなモノが見える。倒れてから一晩が経って、冷静に振り返ってみると、明らかに喋りすぎた。昔のトラウマ揺り起こされて、気が動転して、介抱してもらって、完全に気が緩んでいた。話さなくていいことまで話してしまった。
遠くを見つめていた目を閉じ、一度深呼吸する。今からあかねに切り出す提案はアクアとしても惜しいものがあった。葛藤を消す事はできない。けれど仕方ない。命より優先することなど、ないはずだ。
「あかね」
「アクアくん?」
「別れようか、オレたち」
なんでもないことのように。動揺も未練も一切表に出さず、端的に告げる。しばらく沈黙が2人を支配していたが、フッとあかねが笑った。
「アクアくんにしてはつまらない冗談だね」
「冗談じゃないからな」
そう、冗談じゃない。あかねと付き合っているのはアイの性格やキャラクターを限りなく本物として再現できる彼女からアイの情報を得るため。オレが忘れてしまったアイの情報を補完するため。どんな男が好きで、どんな男に惹かれて、どんな男となら子供まで作ってしまうかを知り、オレたちの父親像を掴む為。それらの目的はまだ何一つ達成できていない。この段階で別れを切り出すのはアクアとしても実に惜しい。だが……
「…………実は後悔してる。お前らに母の話をしたこと」
母が誰か、明確に特定されるような情報は出さなかったつもりだが、それでもあかねとフリルの優秀さならいずれ真実に辿り着いてしまうかもしれない。そしてそうなった場合、オレの最悪の推理通りなら、オレだけでなく2人にもきっと…
「フリルには言わなかったが……母の殺人事件、多分まだ終わっていない。実行犯は捕まったが、その奥に恐らく殺害を教唆した人間──黒幕とでも呼ぶべき相手がいる、とオレは見てる」
「黒幕……」
「推理において、一番考えなければならないのは
殺人教唆などをする人間の動機は大きく分けて2種類。恨みか、口封じかだ。
恐らく母はその黒幕にとって、知られては不都合な事実を知っていた。だから口封じのために消した。己の手は汚さず。
「そして息子であるオレも、自覚はないがその情報を握っている可能性は高い。今オレが無事なのはまだ疑いの段階で、核心にも確信にも至っていないからだと思う」
まだ確定ではない。だから泳がせる。人間1人殺すなんてのは大変だし、非常に手間だ。やらずに済むならやらない方がいい。だが疑いが確信に変わったらその黒幕は躊躇いなくやるだろう。
「窮地を逃れる手段に犯罪を使い、成功した人間は、また同じ窮地が訪れた時、必ず繰り返す」
人間一度経験した成功体験は正しいと思い込んでしまう。無意識のうちにその体験をなぞり、今回も大丈夫と思ってしまう。『いざとなれば』と。
「オレは芸能界で上に上がっていくことがその核心に近づく唯一の手段だと思っている。だが近づけば近づくほど、オレの命の危険も増すだろう。そしてオレに近しい人間の危険度も」
やっと本題に入れる。オレにしては随分回りくどい事をしたと自覚している。けれど仕方ない。オレらしくなくてもあかねには理詰めで外堀埋めて説得しなければ納得してもらえないとわかっていた。
「オレはいい。いつ死んでもいいように、悔いのないように生きてきた。だけどあかね、お前は違う。今ならまだ引き返せる。オレから聞いた話なんて忘れて、ただの仕事仲間に戻れば、お前の危険度は───」
「それは無理だよ」
遮られる。短く、けれど力強く、あかねの言葉はアクアの多弁を止めた。
「もう遅いよ」
「そんな事はない。今ならまだ──」
「だってアクアくん、実際もう喋っちゃったじゃない。私とフリルちゃんに」
その事実はアクアの雄弁を止めるには充分すぎた。
「私たちはまだビジネス上の彼氏彼女で、フリルちゃんだって公式にはアクアくんの親友。側から見ればそこまで深い関係じゃない。だけど、そんな立場であっても、アクアくんは喋っちゃった。この事実は動かせない」
「……………」
「この動かせない事実がある以上、黒幕さんだって同じ事考えるよ。星野アクアはすでに不知火フリルと黒川あかねに話してしまっているんじゃないかって。なら少なくともこの2人は消しておくべきじゃないかって。この可能性をゼロにはもうできない。だって事実だから」
だからもう遅い、とあかねは言う。正論だ。完璧な正論だ。あの星野アクアをもってして、まるで反論できない。
「誤解しないでね。アクアくんを責めてるんじゃないんだよ。寧ろ逆。話してくれて嬉しかった。フリルちゃんも同じ気持ちだと思う。でもアクアくんは私を舐めてる。いつまでも貴方に守られるだけの黒川あかねじゃないんだから」
「…………」
「私はもう覚悟してる。覚悟してた。この人と一緒にいる以上、その先に待つのは栄光か破滅のどちらかだって。人並みの幸せなんてきっと手に入れられないって。覚悟した上で貴方の彼女でいると決めた」
「あかね……」
「罪を背負うなら一緒に背負う。罰を受けるなら私も受ける。あの雨の日、一緒に溺れてくれたあの時から、そう決めてた。私だけはありのままのアクアくんを受け入れる。受け入れて、良いことも悪いことも2人で分け合いたい。その上であなたを守りたい」
貴方と、この世界で、生きていたい。
迷いなく、惑いない瞳で真っ直ぐに見つめられる。嘘も誤魔化しも、阿諛も追従もなかった。全て剥き出しのあかねの本音だった。
「───オレが殺されることになってもか」
「その時は一緒に殺されてあげる。本当ならあの夜になくしてた命だもん。貴方のためなら惜しくない。死ぬ時は一緒に死のう」
「…………お前もオレやフリルとは違ったベクトルでイカれてるな」
「あら嬉しい。私のこと、マトモだと思ってくれてたんだ」
「演技以外じゃ普通の、真面目ないい子だと思ってたよ。じゃなきゃ炎上で心病んだりしねぇからな」
「私だってあの頃とは変わってるよ。変えたのはアクアくんなんだから、責任とってよね」
───変えたのはオレ、か
一つ大きく嘆息する。あの黒川あかねがまさか対人関係においてここまで重くヤんだ感情を持つとは思いもしなかった。ちょっと脅せば自分から離れていくとまで考えてた。まったくなんという勘違い。表面だけ見て理解した気になるのはオレの悪い癖だ。なまじその分析が正確だからこそタチが悪い。
「オレもあかねのこと、何にも知らねーんだな」
「だからこそ私は貴方を知りたいよ。アクアくんは?」
「…………そうだな。女優黒川あかねじゃなく、生身の黒川あかねを、知りたくなった」
「なら私も貴方も死ねないね」
「死ねない、か」
少し不思議な感覚だった。オレは仮初で、いつ消えてもいいと思って、後悔のないよう生きてきた。
───死にたくないも死にたいも、結構思ってきたけど、死ねないは初めてだな
死にたくない。死ねない。字面は似てるが、内容はまるで違う。前者は願望。後者は義務。願望に乗っかっているのは自分だけだが、義務には自分以外の何かも伴う。今回ならあかね。オレの命にはもうあかねの命も乗っかっている。
「アクアくん」
「わかってる」
もういつ死んでもいいなんて言わない。もうオレの命はオレ1人のものではない。今までは罪も罰も1人で背負ってきた。全てをオレ1人で片付けるつもりで生きてきた。だがもうそれはできない。少なくともオレには2人、背負うべき命ができてしまった。
「貴方は私が守る。だから貴方は私を守って。貴方が生きてくれなきゃ私が死んで、私が死んだら、貴方も死ぬ」
「あかね…」
「だからね、アクアくん」
柔らかく、慈愛すら感じる瞳で星の瞳を見つめる。けれどその優しい目の奥に強い咎めと頑なな光を感じた。
「生きて」
逃げないで。他者の好意から。自分の幸せから。私の愛から。逃げないで、向き合って、求めて。貴方にだって幸せになる権利がある事を思い出して。自己犠牲という美徳に逃げるのをやめて。
貴方にはその責任と義務がある。
生きて
万感の想いを込めて紡いだ三文字だったが、何かを探すように秋の青空を眺める星の光のような少年に届いたかどうかはわからなかった。
「ああ、わかった。守るよ、あかね。オレが、必ず」
冬の前触れを感じさせる冷たさを伴った風が吹く。枯れた葉が宙を舞う中で、二人はそっと唇を合わせた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
2人は幸せなキスをして…その後はご想像にお任せします。
以下本誌ネタバレ
フリル様ぁあああ!かっこえー!ネタバレになるからあまり多くは言えませんが「駄目だけどやろ?」とか拙作のフリル様もめっちゃ言いそう!今のところ超解釈一致!未だヴェールに包まれたその実力が明らかになる日も近そうです。コメントでも好きなように書いていいと言って貰えていますが、キャラ考察はかなり重きを置いて執筆してますのでやはり気になります。どうか演じ方も解釈一致であってくれ!あとこどおじ監督可愛いなぐへへ。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
57th take 実らず終わる物語
ほぼ実らず終わる物語
星をなくした子の魅力は多くの物語を紡いだだろう
そしてまた一つ、実らず終わる
「「お揃いのピアスを着けよう?」」
中学時代。バンド活動をしていた時、楽器のチューニングをしていたオレ達にハルさんが唐突に提案してきた。
「そっ。そういうのあった方がチーム感でるし!仲間感のアピールはやっといて損ないし!」
「突然何を言い出すかと思えば……まあ今時はメンバー間でギスってるよりは仲良い方がウケますしね」
唐突な提案だったが、意図はよくわかる。基本バンドマンも恋愛関係については禁止ではないがシークレット。その代わりメンバー間の情報や実情は売りポイントにしていい時代だ。上手く立ち回ればファンも増やせる。その手の戦略に関してハルさんはSNSガン無視アーティストのオレなどよりはるかにエキスパートだろう。オレ的には特に否はなかった。ある事を除いて。
「そうそう!こういうの好きな人の方が大多数だから!グッズにもできてファンも推しメンとおそろにできるし!」
「実情はともかくね」
「えー、私達ちゃんと仲良いじゃん!」
「人のギターケースに虫仕込んどいてよく言うわね!」
「ホンモノじゃなくてオモチャじゃん」
「ホンモノだったら絶交してたわよ」
「でも面白かったよねぇ。ナナが『きゃー!』とかいうの久々に聞いたし。動画もそこそこバズったし」
「可愛かったですよ、ナナさん」
うぐ、と言わんばかりの表情で静止する。この天使と見紛う歳下の男の子に柔らかく微笑まれるとなんでも許してしまいそうになる。
「それにナナと私だって別に悪くないじゃん。10年来の付き合いだし。ある意味じゃ姉妹だし?」
星の瞳の少年が思わずむせる。ナナも顔を真っ赤にしていた。心当たりがありまくる2人は唐突なカミングアウトに思わず動揺を面に出してしまう。平然としていたのはこの手のことを仲間内では明け透けにしているハルさんだけだ。この時はアクアもまだ若かった。
「やっぱりヤッてたんだ。まあ良いと思うよ。一番感度良くて気持ちいい今の時分でセックスしなきゃいつするの?って私も思う。ましてこんなに可愛くて天才でいずれ別れるってわかってる子がそばにいて我慢できるわけないよねぇ。うんうん、ナナが襲っちゃうのも当然だよ」
「なんで私が襲ったって決めつけてるのよ」
「違うの?」
「ノーコメント」
「ちなみにアッくん。私とナナ、どっちが姉?」
「ノーコメントでお願いします」
雄弁な黙秘だった。変な空気になってるのを打破するため、一度大きく咳払いする。本題は別のことだったはずだ。
「まぁハルさんのアイデア自体は良いと思いますよ。でもピアスにする意味ありますか?イヤリングじゃ…」
「イヤリングはライブじゃ落ちるよ?ドラムは特に」
「全身運動だものね」
「うっ…」
ロックバンドはギターもベースもカッコつけてステージでジャンプしたりする。ドラムは流石にそんなことできないが、魅せる演奏として頭を振ったりすることは幾らでもある。確かにバンドマンのアクセサリーとしてイヤリングは適性がない。
「私とナナはもう開けてるからいいとして」
「バンドマンでピアスしてない人の方が少数派だものね」
「問題はアッくんだね」
「…………はぁ」
そう、受け入れ難い唯一の理由はアクアの耳はまだピアスを受け入れられる状態にないこと。確かに自分の怪我なら特にショック症状が起きることはないが、それでも自傷行為のような事をした経験は今のところない。それにピアスがバレればミヤコ辺りに何か言われ、ルビーが真似するかもしれない。そうなると説明が面倒だ。抵抗はあった。
「怖いのはわかるよ。誰だって初めては痛いし怖い。でも安心して。優しくシテあげるから。緊張しないで。まずは先っぽだけだから」
「ハル、言い方」
「それにアッくんだって色んな女の子の膜破ってきたでしょ?自分の番が来ただけだよ」
「ハルさん、品性」
───まあ、髪で隠してればいいか
エクステつけてる今はもちろん、普段のアクアのアシメヘアも耳が隠れる程度には長い。隠すことはできるだろう。少し抵抗は見せたが、色々な意味で弱みを握られてるアクアは断れず、ピアッサーで開けられることとなった。
「じゃあ右耳と左耳どっちがいい?」
「どっちがどうとかあるんですか?」
「男の子なら普通左耳だけど、マリンちゃんのことを考えれば右耳の方がいいかも」
「なんで?」
詳しく聞いたところ、片耳どちらかのピアスには意味があるらしい。男で左耳ならノーマル。右耳なら同性愛者。女の子の場合はその逆だそうだ。
「両方ならどっちでも問題ないんだけど」
「なら両方で」
「いいの?痛いよ?」
「自分が痛いのは別に」
痛みも苦労も惜しいと思ったことはなかった。むしろ追い詰められるほどホッとした。艱難辛苦こそオレの居場所だ。
「じゃあ両耳一気に行くね。ナナ、肩押さえてて」
「え?そんなに?身体押さえなきゃいけないほど痛いの?」
「痛みはそこそこだけど身体動いちゃうと危ないから。ジッとしててね。逃げたり避けたりしたら大惨事になりかねないよ」
「…………わかりました」
「じゃあ123でいくよー、いーちっ」
「うっ」
バチンと、意外と大きな音が耳元で鳴る。しかも1のタイミングで。
「…………2と3は?」
「知らないねぇそんな数字。バンドマンは1だけ知ってれば生きていけるのよ。それにこういうのは実際やられる時より待ち時間が怖いから、短いに越したことないし」
確かに痛みは多少あるが、耐えられないほどではない。それよりもピアッサーを耳に当てられた時の方が確かに恐怖だった。
「じゃあ穴が安定するまで二週間はそのままね。この間にピアスどんなのにするか決めちゃおう。私はねー、このフックタイプの色違いがいいと思うんだ。スタッドだとステージからじゃわかりにくいし」
ピアスカタログを広げると耳に引っ掛けて吊るすタイプのピアスを指差す。確かに普通に耳につけるだけなら観にくいし、ハルさんもナナさんもロングヘアだ。小さいのだと髪に隠れてしまう。アピールするならフックの方が良いだろう。デザインセンスも悪くない。星の形に模られたガラス玉は輝きというだけなら宝石よりも煌びやかだ。
「私は黄色にしよーっと。目立つし。ナナは?」
「なんでも良いわよ」
「じゃあ一番地味で無難な白ね。アッくんは?」
「そうだな、オレは──」
「…………へえ、意外。アッくんは青選ぶと思ってた」
「別にオレ青色特に好きじゃないですよ。水は好きですけどね」
二週間後、カントルはお揃いのピアスを着けてステージに立つこととなる。動画で告知していた事もあり、ハルさんの目論見通り、グッズは好調の売れ行きを見せた。
▼
私はアクアさんのことを知っていた。
陽東学園に入学したときに知ったのではない。もっと前から。中学生の頃から、私はアクアさんのことを知っていた。
2年前、従姉妹のナナ姉さんはロックバンドをやっていた。幼少期からクラシックの世界でピアニストとして努力してて、私はナナ姉さんが天才だと疑いもなく信じてた。けど上には上がいて、ナナ姉さんすら凡人扱いされて、姉さんはクラシックで大成することを諦めた。
でも音楽に対する執着は捨てられず、クラシックからロックへと転身する。音楽の世界ではよくあることらしい。元々天稟のある人だ。ギターもベースも常人よりはるかに短いスパンで習得した。
新しい音楽にナナ姉さんはあっという間に馴染んだ。馴染んだゆえに良くないこともあった。ロックの世界は不良の世界と紙一重。ナナ姉さんの知り合いや友達にガラの悪い人が増えるのは当然だった。
「ナナ姉さん、ピアス開けたん?」
「ん、まあね。付き合いで」
少しずつ私生活が派手になり、ハルさんほどじゃないけれど、男遊びもするようになった。
そんな姉さんが嫌だった。あの人はいつも綺麗で、かっこよくて、才能があって、私の憧れだったから。あの人が堕ちていく姿なんて、見たくなかった。
でもある日、ナナ姉さんの男遊びがピッタリと止まった時があった。
今までバンドにサポートで入ったりすることが主だった姉さんが本格的にメンバーを集め、three-pieceバンドを作ったのだ。バンド名は
3人のメンバーの内、1人は知っていた。ギターアンドボーカル鷲見はるか。姉さんと同じクラシック出身。分野は声楽でピアニストの姉さんとは少し畑が違ったけど、顔を合わせる機会は何度かあった。姉さんとは性格正反対で、お互い嫌ってるっぽいのに、何故かよく一緒にいた。あの2人の友情は私にはちょっとわからなかった。
そしてもう1人は知らない人だった。歳は私と同じくらい。けれどその容姿の良さは私なんか比較にならない。煌めく蜂蜜色の髪は肩近くまで伸びている。体格は華奢で小柄。けれど力強く情熱的なドラムス。
名前はマリン。名字は知らない。姉さんにも聞いたけど、秘密と言われた。
この3人で活動するようになってから、姉さんはまたかつてのように輝き始めた。
私もライブを観に行った。楽しそうにベースを弾き、3人で笑い合い、ステージに立っていた。憧れたあの人が戻ってきた。
カントルの活動はインディーズバンドとしてはかなり順調で、フォロワーも増え、グッズも売れるようになっていった。結成一年後には全国ツアーなんかも行っていた。
ある日、SNSに一つの動画がアップされた。
バンドメンバー全員でお揃いのピアスを着けようという内容のものだった。既にピアスホールを開けていたハルさんと姉さんは新しくピアスを作るだけだったが、まだ開けていないマリンは新しく開ける必要がある。メンバーがピアッサーを用意して、ちょっと嫌がるマリンを押さえつけながら両耳にピアスを開けていた。
そして穴が安定する二週間後、お揃いのピアスを着けた写真がアップされた。ハルさんは黄色。姉さんは白。そしてマリンちゃんは赤い星を模ったピアスだった。
界隈ではメンバーの仲の良さや結束感が話題になり、ちょっとバズった。
写真が投稿されてから少しが経った頃、地元のハコでカントルがライブをした。私はそのとき用事があって観に行けなかったのだが、帰り道に近くを通りかかった。
───あ…
裏通り。ホテル街へと続く道から人が出てくる。1組の男女だった。背丈はほぼ同じくらいか、少し女の方が高いくらい。自分とよく似た桃色がかった茶髪の女性と夜の闇の中にあってなお眩く輝く黄金色の髪の少年。2人ともしっかりと手を繋いでおり、どう見ても男女の関係に見える。
1人は寿ななみ。自分の従姉妹。もう1人は誰かわからなかった。だけど私には彼に見覚えがあり、そしてある特徴があった。
少年はマリンと同じ、右耳に紅い星を模ったフックピアスを着けていた。
───綺麗…
信じられないぐらい整った顔。発展途上の華奢な身体。煌めく蜂蜜色の髪。星の輝きを放つ、青い瞳。
なにより、私が憧れた姉さんが、私に見せたことのない顔で、彼に寄り添っていた。
───ナナ姉さんに、あんな顔をさせる人がいるなんて…
生まれて初めて、異性に強く興味を持った。カントルを追っかけていくうちに、マリンとあの人が同一人物であることも知った。気がつけばあの人に夢中になっていた。
───あ…
バンドを結成して2年が経ち、マリンがバンドから脱けた。その時、ぽっかりと穴が空いたような気分になり、私のカントルへの興味も消え失せた。そのことに気づいた時、頬に静かに雫が伝った。
───そっか、私……
名前も知らない星の輝きを放つあの人に、恋をしていたんだ。
▼
「ルビーちゃん、やっぱりやめようやぁ」
「大丈夫大丈夫」
みなみは今日、ルビーに半ば無理矢理連れられる形でララライスタジオ近くへと足を運んでいた。腕を引っ張りながらも前へと進む蜂蜜色の髪を背中まで伸ばした可愛い少女も、口では大丈夫と言いつつも、声色と動きから緊張感が伝わってくる。
そう、みなみはルビーに舞台東京ブレイドの稽古風景を見学しようと誘われていた。けれど業界人が許可もなく稽古風景を覗くのはNG。100歩譲ってルビーは主演男優の妹という事でギリ許されるかもしれないが、みなみは完全に部外者、無関係。バレたら絶対ドヤされる。ただでさえモデル事務所はそういうのに厳しいのに。
「だってね!最近お兄ちゃん帰ってくるのいっつも日付けが変わる頃なんだよ!帰ってきても洗面台でゲーゲーやってるし!日を追うごとにやつれてってるし!絶対現場で人間関係うまくいってなくて現場でイジメられてるんだよ!謂わばコレも授業参観!見学も家族の義務だと思うわけ!」
「お兄さん、帰んの遅いん?」
「それだけじゃないよ!最近私が朝とか起こしに行くんだけど、いっつもうなされてて。なんか悩んでるのは間違いない」
そう、毎日帰ってくるのは深夜。顔には疲労とそれ以外の何かがありありと浮かんでいる。まるで何かが取り憑いているかのように、どんどんやつれていっている。
───それなのに……疲れてるはずなのに…
昨日、帰ってきた兄を見た時、ゾクッとした。何かに苦しみ、悶えるアクアが、美しく見えた。ママのような、眩しさに目が焼かれるなオーラとは違う。けど恐らく種類は同じだと思う。見る者の視線を強制的に引き寄せる、魔性の闇。ママのオーラをスポットライトの光とするなら、アクアのオーラは深海の闇。どちらも生物を活かすと同時に死に引き寄せる。光り方が真逆なだけで、系統は同じだ。
───どんどん綺麗になっていく。どんどんママに近づいていく
羨ましいと思うと同時に心配だった。このままでは本当にあの人はママの全てを受け継いでしまう。良いところも悪いところも。あの人の行き着く先に何があるか、結末は12年前にすでに見ている。このままではアクアも同じ道を辿ってしまいそうで、心配だった。
「ルビーちゃん、お兄さん大好きやなぁ。気持ちは分からんでもないけど」
「は!?そんなんじゃないし!私がいないとあの人いつか霞になって消えちゃいそうだから面倒見てあげてるだけだし!まったくどっちが妹なんだか!」
「君ら、誰かの出待ち?」
ムキになってみなみの言葉を否定していると、後ろから声が掛けられる。振り返ると役者らしき男が肘を塀についていた。金髪だがアクアやルビーのような地毛でなく染めているのだろう。頭頂部は黒くなっている、いわゆるプリンヘアだ。
「んー、誰?」
「あっ、そういうのじゃなくて…」
「えー、じゃあ役者の子?2人とも可愛いもんね」
「えへへ、でしょー?」
「そんな、可愛いなんて…」
「どこの事務所の子?良かったら今度遊びに行かない?コレ俺のLINK」
「あー……」
まあ、役者さんだし、付き纏われても困るし、連絡先くらいいいか、と携帯を取り出そうとしたその時だった。
「すみません、鴨志田さん。この子オレの妹と友達なんです。そういうのは勘弁してもらえませんか」
スマホを取ったみなみの手を覆い、庇うように前に出る。染めた髪とは違う、自然な艶の蜂蜜色はまさに黄金と呼ぶにふさわしい。少年の名は星野アクアと言った。
「お兄ちゃん」
「アクアさん…」
「えー、なに星野。お前もしかしてその子狙ってんの?彼女いるくせに。あかねちゃんにチクっちゃおうかなぁ」
「構いませんよ。あかねはそれくらいでどうこう言う女じゃないですから。それより身内の安全の方が大事です」
ほら、携帯しまって、と掴んでいたみなみの手をカバンへと突っ込む。そのまま駅の方向へ身体を向けさせた。
「ルビー、お前がなんでここに来てんのかは後で聞くから。今日はもう帰れ」
「えー!お兄ちゃんの稽古風景見学しに来たのにー!」
「今日はもう稽古終わってるよ。オレは自主練してただけ。ほら、帰った帰った」
「ならなんで最近帰ってくるの日付変わってからなのー!」
背中を押されながら手足をジタバタさせて抵抗する妹に兄が溜息を吐くと同時、「ハッ」と嘲笑する声が響いた。
「最近稽古は日が暮れる前には終わってんのにお前は朝帰りしてんのかよ。そういや帰る時お前と黒川、いつも一緒にいんな。黒川いない時は不知火さんと懇ろだし。はっ、お前も取っ替え引っ替えやる事やってんじゃん。なら俺だって文句言われる筋合いねぇと思うけど?」
「変な勘違いやめてください。自主練してるだけですから。フリルとも最近は全然話してませんよ」
「ねぇ、やることやってるって、何?」
アクアと鴨志田が口論している間にルビーがみなみに耳打ちする。やることの内容に察しがついている桃色髪の少女と違って、純真無垢な紅い瞳は本当になんの話か分かってない様子だった。
「…………ホンマかウソかはわからんけど、あの人が言うてんのは……えっちなことやろ」
「エッ!?」
聞かされた内容は思春期少年少女なら誰もが興味を持つ、しかしルビーにとっては色々トラウマがある部分だった。
「そんな……」
まるで崖から突き落とされたかのような絶望的表情を浮かべている。しかし従姉妹のこともあり、みなみにとって馴染みはゼロではない内容だったため、アクアを責める気にはならなかった。
「あんな綺麗な彼女おったらそりゃそういうコトになるのもしゃーないよ。アクアさんかて16歳の男の子なんやから。やつれるほど毎晩するのはどうかと思うけど」
「──しない」
「ルビー?」
「お兄ちゃんはそんな事しない!!」
一歩下がってヒソヒソ話していた場所から離れ、ズンズンと歩いていく。鴨志田とアクアの間に割って入った。
「お兄ちゃんは高校生相手に軽はずみに子供ができるような事しません!!兄の事何にも知らないのに適当な事言うのやめてください!!」
「は?なに急に。なんで突然この子キレてんの?え?もしかしてブラコン?キモ、せっかく可愛いのに」
「ブラコンじゃありません!信じてるんです!私はアクアのこと、世界で三番目に尊敬してて、世界で一番信じてるんです!」
「ルビー、わかった。わかったからもう帰れ。鴨志田さん、妹がすみません。オレも今日は帰ります。お疲れ様でした」
「あ、おい──」
「放してお兄ちゃん!私はまだこの人に言いたいことが──」
「一応同じ現場の俳優さんだから。これ以上ややこしくすんのはやめてくれ」
再び背中を押す。今度は駅前まで解放されなかった。
▼
「なんであんな事言われっぱなしにしておくの!」
駅前、怒り心頭のルビーを相手にアクアは宥めるようにスタバで購入したフラペチーノを手渡した。
「別に好きに言わせときゃいいだろう。真実はオレとあかねが知ってりゃいいんだし。あんなの一々噛みついてたらキリがねぇ」
「だからってさー!あんな風に言われるの私が気に入らない!」
「こういう現場来ると根も葉もない噂なんざ幾らでも入ってくるぞ。もっとスルースキル身につけろお前は。真面目に価値があるのは義務教育までだぜ」
もう一つのマキアートをみなみに手渡す。アクアも購入したコーヒーに口を付けた。
「あ。ありがとうございます」
「いいよ。こちらこそ愚妹と仲良くしてくれて本当に感謝している。色々ワガママ言うだろうが、見離さないでやってくれるとありがたい」
「あははは…」
「そんな事よりお前、女の連絡先とかガツガツ聞いてくる相手に軽率に情報与えるなよ?そういう2.5役者はたいていエグい。火傷じゃ済まなくなる。会おうとかDM来ても絶対乗るな。ルビー、そういう相手いるなら今のうちに教えとけ。ブロックしてやるから」
「それは偏見じゃない?」
「自分以外全員敵くらいに思っててちょうど良いんだよ、芸能界は」
コーヒーを呑みくだす。この手のことに関して、それなりに良い思いも痛い思いも両方してきたが故の、重い説得力のある言葉だった。
「…………お兄ちゃん」
「ん?」
「最近帰り遅いの、自主練してるだけなんだよね?」
「ああ。あかねも一緒なのは共演するシーンが多いから。それ以外に理由はない」
「ほんとにほんと?」
「ほんとにほんと」
「ほんとにほんとにほんと?」
「くどい」
顔の造形ほぼ同じ2人がしばらくじっと見つめ合う。妹の疑いの視線を兄は真正面から受け切った。
「わかった。信じる」
「最初からそう言ってりゃ良いんだ。大体お前オレへの尊敬世界で三番ってなに。一番は母さんだとして、二番誰だよ。ミヤコ?」
「ナイショ。私の初恋だもん」
「へぇ、お前そんなのしてたのか」
「ショック?」
「全然。寧ろ安心した。お前アイドルへの憧ればっかでその手の経験皆無そうだったから。恋愛は免疫つけとかねーと後が酷いからな」
一つの恋愛に夢中になって、溺れすぎて、壊れてしまった人間も何人か見てきた。出会いと別れは人の営みの中に必ず存在する必然。出会いの嬉しさも、別れの悲しさも、人生を変える大きな要素となりうる。免疫をつけていなければならない。
「ちなみに相手は?」
「言っても無駄だよ。お兄ちゃんの知らない人だもん」
「お前が知っててオレが知らない人とかいるのか?芸能科の生徒?」
「ううん、もっと大人の人」
ますます分からない。学校の先生とかだろうか。でも小中と同じ学校に通ってて、オレが知らない先生がいるとは思えなかった。
───ま、いっか
考えてもわからないことは考えない。ルビーが言ってるだけで、オレが知ってる人の可能性だって普通にあるし。それにこれ以上この話題を続けて、オレの女性関係について突っ込まれるのは嫌だった。無責任に子供できるようなマネはしてないつもりだが、妹に話せるような事もしていない。全て赤裸々に明かせば絶対軽蔑される。それは嫌だった。
「ちょっとトイレ借りてくる。お兄ちゃんはこの後どうするの?」
「自主練。先に帰ってろ。帰りは夜になるから、飯はいらないってミヤコに伝えといてくれ」
「お兄ちゃん、いつも自主練ってどこでやってるの?」
「五反田スタジオ。もしくは公民館のホール」
「監督のところだけじゃなくてホール?お金は?」
「あの手のホール、借りるのめちゃくちゃ安いんだよ。2時間で200円」
「200円!?意味わからんほど安くない!?」
「こういう時のために高い税金払ってんだ。利用しないとな」
疑問が解消されてスッキリしたのか、紅い瞳に星の輝きを左目に宿す少女は朗らかな顔でコーヒー店の店の中へと入っていく。フウと息を吐き、壁にもたれかかった。
「ホンマにお疲れみたいですね」
心配そうに覗き込んでくるのは良く知るあの人の面影を強く残す女の子。従姉妹というのは血縁としては薄い部類に入ると思うのだが、みなみちゃんとナナさんはよく似ていた。
「あの、ありがとうございました。助けてくれて…」
「別にお礼を言われるほどのことはしてない。でも寿さんももっと警戒心持った方がいい。さっきも言ったけど、ああいう2.5役者はたいていエグいから」
「───なら、正体隠してるバンドマンは、エグいですか?」
コーヒーをむせそうになる。思わず指に力が入った。
「やっぱりマリンちゃんやったんですね、アクアさん」
「…………ナナさんが喋ったのか?」
「いいえ。でも気づいたきっかけはナナ姉さんです。ドラマとか興味ない姉さんが、夢中になってネットドラマ見てたから」
ネットドラマ『今日あま』。演技素人のモデルばかりが集められ、早々に駄作の烙印を押されたドラマ。なんの話題にもなっていなかったソレをあの人は最終回だけ何度も見ていた。きっかけには充分だった。
「それだけで?」
「カントルのみんなでお揃いのピアスつけて活動してた時期、あったやないですか」
あった。広報活動の一環で、同じデザインで色違いのピアスをつけていた時期がカントルにはあった。
「あの時、マリンちゃんがつけてるのと同じピアスしてる男の子が姉さんと仲良く歩いてんの偶然見て……気になって後つけたら、その…」
その先は口にしなかった。そしてしなくてもなんとなくわかる。あの頃はオレもハルさんもナナさんも時間があればホテル行ってセックスしてた。人生で一番動物だった時期だ。おおかた2人でホテル入るところでも見られたんだろう。
「…………多分、姉さんは今でもアクアさんのこと、好きなんやと思います」
「オレもナナさんのことは今でも好きだよ」
「アクアさん、今でも姉さんと関係続けてるんですか?黒川あかねと付き合いながら?そうなんやとしたら──」
「だとしたらどうする?あかねやルビーにバラす?世間に公表する?」
「…………………」
口元に笑みを浮かべながら、穏やかに話す。しかしその穏やかさがみなみには怖かった。疲労でやつれた顔。身に纏う視線を吸い込むオーラ。不気味でありながら背筋が粟立つほど美しい。こういう人は自身の滅びを何も恐れない。そして保身を考えない天才の末路は他を圧倒する栄光か、周囲丸ごと巻き込む破滅か、どちらかだということ寿みなみは知っていた。
フウとアクアがもう一度息を吐く。それと同時に空気が一気に弛緩する。身の毛がよだつようなオーラが消え失せた。
「安心しろ。オレとナナさんはもうそういう関係じゃない。相談する事とかはあるけどな。今は気の置けない友人だよ」
「でも、今でも好きって……」
「好きな女友達がいるのも罪か?」
そう言われると何も言い返せなかった。少なくともアクアは好きの種類がラブではなくライクだと宣言した。
「オレがキスできるのも、彼女と呼べるのも、今はあかねだけだよ。その事にオレは一切まったく不満はない」
壁に寄りかかっていた背中が離れる。店のトイレから出てきたルビーと合流していた。
「残念やったね。あれはビジネスだけちゃう。ホンマもんやわ」
この場にいない、未だあの人に恋をしている姉に語りかける。
そして、自分にも。
「さよなら、私の初恋」
走り寄る。ショーウィンドウ前で「ケーキ奢って」と兄にねだり、「調子乗んな」と軽く喧嘩している兄妹の間に、割って入った。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
というわけでみなみちゃんとルビーをナンパの魔の手から救ったのはアクアでした。ルビーの反論を聞いてる時、アクアは内心冷や汗かいてます。でも避妊は心がけてるからセーフだよね、て感じです。本日アニメ放送開始!震えて待ちましょう!
以下本誌ネタバレ
フリル様演じ方判明しました。何を演じても不知火フリルらしさが香るというのは外連味と言い換えることも出来なくはないのでまるきり解釈違いではなかったかな、と思います。思わず注視してしまうってところは特に。けどプライドや目的のためなら暗黙のルールとか破っちゃう
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
58th take 錯綜する星達
12時を過ぎたシンデレラは恋慕と憧憬
火を知らぬ偶像は情念と占有
夕暮れの演者は崇拝と依存
その日、私は眠れなかった。
クライマックスの稽古中、アクアが倒れた。その倒れ方は普通でなく、不知火フリルは脳の障害すら疑うような状態だった。
私達の強い呼びかけでアイツは意識は取り戻した。誰の呼びかけが一番効果的だったのか、知りたいところだったが、あの時はそれどころではなかった。私も、アイツも。
現実を正しく認識するために頭を動かしている間に不知火フリルに先手を打たれる。アクアの肩を抱えて別室へと行ってしまった。
少し遅れて、彼女だからという理由で黒川あかねもそのあとを追った。
強い声で呼びかけた3人の中で、私だけが、取り残された。
その後は散々だった。心ここに在らずな身の入らない演技でこなせるほど今回の脚本は甘くない。今回初めて監督に外れてろと言われ、その後稽古に戻してもらえることはなかった。
稽古後、すぐに苺プロへと向かった。事務所について、ルビーと社長と会ったけれど、いつもと変わらない平穏な様子だった。どうやらアクアが倒れたことは知らされてないらしい。アイツらしいな、と思う。余計な……いや、私は余計じゃないとは思うけれど、とにかくこの2人に心配をかけたくなかったのだろう。なんでもできるアイツはなんでも自分1人で抱え込んで、解決しようとしてしまう悪癖がある。なまじなんとかしてしまうから、タチが悪い。間違った成功体験は過ちを繰り返す言い訳になってしまう。
「おかえり先輩。お兄ちゃんは?一緒じゃないの?」
私の口から話そうかとも思ったが、アイツの意に沿わないことをして嫌われるのもイヤだったため、監督の指示で居残り稽古をやっていると説明しておいた。
その後は苺プロで泊まらせてもらった。晩御飯を食べ、お風呂に入り、何度か使わせてもらった仮眠室で一夜を過ごした。
どんな時もスマホを見えるところに置いていた。
ご飯を食べてる時はテーブルの上に。お風呂に入ってる時は防水対策をして手元に。眠る時は枕元に置いていた。
その間に何度もLINKでメッセージを送った。
今どこにいるの、とか。身体大丈夫なの、とか。今日は帰ってくるの、とか。思いつく限りの心配事を30分ごとにLINKした。携帯が振動するたび手に取った。そして送り主がアクアでないことに落胆し、項垂れる。その繰り返しだった。
アイツの連絡を今か今かと待ち構える。そんな精神状態で眠れるはずもなかった。
翌日の午後。ようやくアクアが苺プロに顔を出した。
「おかえりなさい。貴方昨日はどこで泊まったの?」
「ただいま。五反田スタジオで自主練してそのまま。連絡しなくて悪かった」
「自主練のことは有馬さんから聞いてたからそれはいいけど。お昼は?」
「ありがとう、貰う」
昨日と同じ服を着替えながら、努めて平静に振る舞うアクアを見て、少しイヤな気分になる。この人が息をするように嘘をつくところなんて、何度も見てきた。だけど家族同然の身内にまでここまで自然に振る舞えるのか。もしアクアが私にウソをついたとき、私は気づけるか、不安だった。
真っ直ぐにシャワールームへ向かい、10分ほど水音が鳴り響く。サッパリした様子で出てきたアクアはラフな格好で事務所内を彷徨いていた。
「悪いな有馬。助かった」
何について礼を言われてるのかはわかった。倒れたのを内緒にしたこと。外泊理由を稽古だと言ったこと。それらに関する感謝だ。
「なんで今の今まで連絡の一つもよこさなかったのよ!LINK見てなかったの?!」
小声で、けれど怒りを込めて囁く。湯気の立つ蜂蜜色の頭はペコリと下げられた。
「ごめん。あの後すぐ眠ってて携帯一切見てなかったんだ。気づいたのは帰路についてからだった」
「アンタ昨日はどこで泊まったの?」
「フリルのマンション」
「フリルのマンション!?」
息を呑む。なんと危険な橋を渡るのかこの男は。キッと強く睨みつけた。
「撮られたらどうすんのよ!この舞台直前の大事な時期にスキャンダルとか洒落にならないわよ!」
「大丈夫だよ。マンションには別々に入ったし、万が一お前の言うように一緒にいるところ撮られたとしても今は舞台共演中だ。仕事の延長で言い訳はいくらでもできる」
「それはっ…!そうかもだけど!」
そういう問題じゃないと言いたいが、言えない。一応コイツへの私の恋心は隠しているつもりなのだ。これ以上文句を言ってしまうと勘のいいコイツは気づいてしまう。
「何もしてないんでしょうね!」
「してないしてない。あかねもいたし。流石に2対1で何かできるほど豪胆じゃねえよ」
「あ・か・ね・も・い・た・し?」
そっぽ向いて話していたのだが身体の向きが180°回転する。なんでもなさそうに虚空を見つめる星の瞳が苛立ちを掻き立てた。
「黒川あかねと不知火フリルの3人で一晩過ごしたの?」
「らしいな。オレはほとんど寝てたからあかねが泊まったこと知ったのは今朝だったが」
「その後は?」
「あかねが作った朝メシ3人で食べて今後の方針話し合って解散」
余談だが母親の記憶喪失について話したことやその後あかねと色々あったことについて、アクアは有馬に伏せる。余計な諍いを招くだけだし、もし誰かに愚痴られたら星野アクアの信用に関わると判断した。
「黒川あかね、料理できるの?」
「ああ、美味かったぜ。今時男女どっちが料理できてもいいとは思うが、やっぱメシは自分が作るより他人に作ってもらうほうが美味いな」
「ぐっ…」
有馬かなは料理の類はほとんど出来ない。そんなことに構ってられる時間も余裕もなかったし、子役時代に引くほど作った貯金にあかせて食事は大体ウーバーなどに頼ってきた。
───アクアが、そういう家庭的な女子がタイプって感じはしないけど……
アクアは交際相手に良くも悪くも対等であることを求める。故に女なら、とか女のくせに、的な発言を有馬にした事は一度もない。しかしそれはそれとして誰かに何かしてもらうということに関しては人並みに嬉しかったりするらしい。
「…………今後の方針について話し合ったって、どんな話したの?」
「内緒」
口元に人差し指を持っていき、こちらへウィンクする。
ずきりと心臓に痛みが走った。
この男は基本クールで澄ました顔がスタンダードだが、たまに柔らかく微笑んだり、アイドルが見せるような、キザな所作をする時がある。不意打ちのように時折顔を出すその笑みや仕草は、こちらの無防備な心にグサリと刺さる。自覚できるほど紅くなった顔を見せないためにアクアから顔を背けた。
「な、なによ!演技の話なら私だって混ぜてくれてもいいでしょ!」
「後半パートについての話だったからな。その辺有馬敵だし。余計な情報は与えねーよ」
「なら不知火フリルだってそうじゃない!」
「そうなんだけどな。今回は借りがあった」
借りがあった。その一言で納得してしまう自分が少しイヤだ。アクアが人に貸しを作るのが嫌いなことは知っている。フリルは今回アクアが倒れた時、誰よりも適切に対処し、介抱してくれた。そのことをアクアが借りと思うのは当然だ。借りを返すために敵に演技方針話すくらいのことはするだろう。
───でも、あかねは?
今回の騒動において、あかねはアクアに貸しというほどのことはしていない。大体今ガチであれだけ足を引っ張ったのだ。貸し借りで言えばアクアの持ち出しが圧倒的に多い。それなのにアクアはあかねには演技方針を話した。
もちろん今回あかねはアクアの相棒ポジで、恋人ポジだ。貸し借りなど気兼ねなく話をしても、なんらおかしい間柄ではない。
───私は?
確かに後半、アクアと私は敵方だ。でも刀鬼とつるぎにはカップリング要素もあり、完璧な敵対関係とは言い難い。アクアの演技方針について、私的な意味だけでなく聞いてみたい願望はある。
だけど、アクアは話してくれなかった。内緒と唇を真一文字に結び、キザな所作を重ねることで誤魔化された。
星野アクアにとって、有馬かなは貸し借り抜きで話ができる相手ではない、と言われたも同然だった。
───貴方にとって、私ってなんなの?
聞きたい。尋ねたい。喉元まで競り上がったそのセリフを呑み込む。そんなことを聞いてしまってはバレる。もう今更バレバレなんだとしても、自分から負けを認めるようなマネはできなかった。
───負けってなによ…
心の中で自嘲する。負けってなんなのだろう。この場合私は誰に負けることになるのだろう。不知火フリル?星野アクア?それとも、黒川あかね?
頭を掻きむしる。誰だとしてもイヤだった。絶対に認めたくなかった。
▼
それから少し、時間が流れる。その日の午後から、舞台稽古に入った。公開までもう半月を切っている。小道具やステージを利用した、本番に近い状態で稽古を重ねていく。
「アクアくん」
稽古中も、そうでない時も、常にアクアの側に青みがかった黒髪の少女が侍っていた。隣を歩き、腕に絡みつき、他人には聞こえないように口元を耳に寄せる。あまりベタベタされることを嫌うはずのアクアも、特に不快そうな態度はとらなかった。あかねにはパーソナルスペースに踏み込むことを許していた。昨日と今日で明らかに距離感が違う。
「──何かあったのかな、あの2人」
「もしかして遂に───」
「えっ、そうなの!?この間まであかねまだキス止まりって言ってたのに───」
「逆に不知火さんは2人から距離取ってない?流石に諦めたのかな?」
「まあ役柄的にあの2人とは敵対関係なんだし、普通と言えば普通だけど。今までが近すぎたのよ」
3人の態度の変化に、女性キャスト陣はあることないことコソコソと話し合う。恋バナは女子の華。その声は当然有馬の耳にも届いていた。
───アイツはビジネス彼女にそんなことしないわよ
そう言い聞かせながらも不安はある。足元がおぼつかない。まるで断崖絶壁に立たされているかのような、一歩間違えれば奈落に落ちるかのような、そんな錯覚に陥ってしまう。
あの2人はどこまで行ってるんだろう。もう恋人としてやること全てやっているのだろうか。アクアは責任オバケだ。手を出すとすればそれだけの覚悟を決めてしているはず。あかねもウブな分、そういう相手には重い感情をぶつけるタイプだろう。既成事実が出来たのなら、もういくところまで行く決意をしててもなんら不思議ではない。
「貴方にとって、私ってなんなのよ」
アイツには絶対聞こえない声量で呟いた。
「黒川のこと、そんなに嫌いか?」
声が降ってくる。いつのまにか隣に立っていたのは今回の主演俳優。黒髪にメガネ。ある意味アクアと対照的で、パッとみただけでは俳優とは気づけないかもしれない。名前は姫川大輝。今一流と呼ばれる舞台役者だ。
「別に、そんなんじゃ──」
「まあ同期でお互い子役からやってんだから、確執はあるとは思うけど」
一冊の本が手渡される。結構前の雑誌だ。タイトルは演劇時代。この頃はまだ私もアイツも子役と呼べる時期だろう。
「黒川はお前のこと、悪くは思ってねーと思うから、少しは仲良くやれよ」
眼鏡を外す。模造刀を構えた彼は俳優へと変貌していた。
▼
「アクアくん」
台本を読み込んでいると、声がかけられる。視線を向けなくても、誰が来ているかわかった。
顔を上げる。台本片手にすり寄ってくるのは青みがかった黒髪を背中近くまで伸ばした少女。
黒川あかね。今回の舞台東京ブレイドの共演者。中でも常に隣にいるパートナーの役を務めている。本番まであと僅か。相談する事柄が尽きることはない時期だが──
───明らかに、距離が近くなった。
今までも仲が悪かったというわけではない。寧ろ良好。世間一般が理想とする彼氏彼女をやれていたと思う。
しかし理想とする彼氏彼女をお互い演じていたとも言える。
リアリティショーでくっついたビジネスカップル。アクアもあかねも仕事の延長という意識は多かれ少なかれあり、腹の底は見せ合っていないと自覚していた。
しかし、あの倒れた夜から。オレの彼女を務めるあかねの覚悟を聞いた時から、空気が変わった。
───ビジネスを超え始めてるのかもしれない。あかねも、オレも。
今まで身内以外誰にも話したことのない話をしてしまった。母親の記憶がない事についてはルビーにすら話していない。そんな秘密を共有してしまった。もうとっくにビジネスの一線は越えている。
そういう意味ではあかねがオレとの付き合いにマジになってくれるのはこちらとしてはありがたい話だった。
致命的なところは話していないつもりだが、コイツの優秀さならいつか自力で、オレよりも早く真実に辿り着いてしまうかもしれない。その時オレとの仲が良好でなければ、あかねから答えを聞けないし、あかねを守るという点でもやりにくくなる。彼女を手元から離すわけにはいかなくなった。
───だから、あかねの変化はまだいい。問題なのは……
チラと横目で見る。視線の先にいる泣きぼくろの美少女は姫川大輝と何やら話し込んでいる様子。
そう、気になるのは彼女。オレの秘密を共有してしまったもう1人、不知火フリルだった。
「アクアくん?聴いてる?」
「ああ。この時の入りはあかね中心に。オレも引き立つ動きに徹する。問題があるとすればこの時の戦いに刀を無くしたシースにもスポットを当てなければいけないってところなんだが…」
もう一度。今度は堂々と不知火フリルへと目を向ける。視線を感じたのか、それとも違う理由か。アクアと目が合った彼女は自然に、けれど少し露骨に、フイと目を逸らした。
「…………オレ、なんか避けられてる?」
そう、あの日から、フリルはオレのことを避けるように、は言い過ぎかもしれないが、明らかに距離を取るようになった。今までは用事がなくともオレをからかったりオレで遊んだりしていたのだが、そういうのを全くしなくなった。もちろん会話自体を避けているというわけではない。用事があれば話はするし、邪険な対応をされるというわけでもない。けれど、何やら壁を感じるようになった。
「フリルちゃんは距離を取る選択をしたのかもね。アクアくんが私に 《別れよう》って言った時みたいに」
その可能性は高いと正直思っていた。アイツなら複数犯の可能性にも気付き、オレと関わりが深くなれば自分にも危害が及ぶと推測したとしてもなんら不思議ではない。だとしたら責めはしない。オレから距離を取るというのは実に正しい選択だ。流石は不知火フリルと称賛さえするだろう。
───けど、らしくねぇな
らしさの押し付けなど、アクアが最も嫌う事だが、それでも思ってしまう。らしくない。アイツは自分のプライドと主義を守るためなら大抵のことはする。自分の納得こそが最も大切と思っているからだ。だから暗黙のルールを破ってでも今ガチにも出ていた。もしかしたら東京ブレイドもそうかもしれない。舞台の拘束時間は結構長い。フリルほど多忙なタレントが受けるのは少し不自然だ。
「その程度の想いだったんだよ、フリルちゃんは」
違和感を感じ、黙り込むアクアを尻目に、冷たい口調であかねは言い放った。
「…………だとしたら、なんか変だな」
アクアのことを親友と呼んでいた。実際そこそこウマも合い、幾度も現場を共にし、家族以上に密な時間を過ごしてきた。アイツはアイツで結構ヤバい橋を渡ってここまで来た。まだ出資した分の回収はできてないだろう。それなのにこんなにも早く損切りするのかと思ってしまうのは、オレの願望ありきの解釈だろうか。
色々厄介ごとを押し付けられもしたが、トータルで言えばオレはアイツに恩も借りもある。このままサヨナラは出来ればしたくなかった。
「アクアくん。典型的な押してダメなら引いてみろに引っかかってるよ」
「やっぱり?」
「そういう戦略なんだとしたら、その程度の想いっていうのは訂正しなきゃだけどね」
「ちょっと。何アンタ達さっきからコソコソ話してんのよ」
あかねの目つきが一気に剣呑になる。会話を邪魔されたからか、それとも話しかけてきた相手が有馬かなだからか。とにかくオレには向けたことのないような目でベレー帽の少女を見下ろしていた。
「なに睨んでるのよ」
「睨んでないですけど」
「ウソつきなさい。いつも眠そうな目が私の時だけ異様にキッとしてるでしょ」
「誰に対してもこうですけど?」
「ならさっきまで台本読んでるアクアの横顔見てた時の目と比べてあげましょうか」
カァっと赤くなる。突っかかりそうになったあかねをアクアの手が止めた。
「有馬。喧嘩売りに来たなら帰れ」
「あら。流石はビジネス彼氏。随分優しいじゃない。けど安心して。ちょっと世間話しに来ただけだから」
「世間話?」
「そ。例えば、役者をはじめたキッカケについて、とかね」
役者をはじめたキッカケ。俳優やってれば一度はインタビューで聞かれる質問。役者同士でも何度も話題に上がる事柄だ。確かに世間話と呼ぶに相応しい。しかし、この何気ない世間話はあかねにとって鬼門らしい。唇は真一文字に結ばれ、冷や汗が頬を伝った。
「天才役者と名高い黒川あかねさんが役者をはじめたキッカケってなんだったんですかー?」
「な、なんだっていいじゃ──」
「なになにー?子役の時のインタビュー雑誌があるってー?へー、憧れの役者さんがいたんだー。誰なんだろーねー?きっとすごい役者さんなんだろうなー」
棒読みと共に取り出されたのは一冊の本。『演劇の時代、子供劇団特集』と銘打たれている。
「なにあの本」
「ちょっ!それっ!どこでっ」
「あら?あらあら?あらあらあらー?憧れの人って私!?あかねちゃん私に憧れて演劇始めたのー?」
あかねの取材ページを大開きにして目前に迫る。確かにインタビューには有馬かなへのまっすぐな憧れが記載されている。
「やだもー!私が大好きならそう言ってくれればいいのにー!ごめんね?私は貴方のこと大嫌いで!一方通行の思いでごめんねー!」
「お前この雑誌どこで手に入れたの。10年以上前のじゃん」
「ララライの誰かが保管してたやつに決まってる!誰!?誰が教えたの!」
「すまん」
「姫川さん…」
髪を振り乱して怒るあかねを前に、あっさりと自首したのはララライ看板俳優、姫川大輝。フリルを除いたこの場にいる全員が強くは出れない相手に、あかねは怒りの矛先を下すほかなくなった。
「ライバルなのは知ってたつもりだったが……反転アンチだったか」
「そんなんじゃないよ!アクアくん雑誌じっくり読まないで!」
有馬から受け取っていた雑誌を取り上げられる。そのままゴミ箱へと叩きつけられた。
「…………そりゃ、昔はそうだった。同い年でテレビに出てて大人気のかなちゃんを見て、憧れの気持ちで劇団に入った」
「けど現実は?」
「見ての通りコレよコレ!そりゃ100年の愛も冷めるでしょ!態度大きくて失礼で!人のことこんなふうにバカにして!」
わざわざゴミ箱から雑誌拾って再びページを開いてケラケラ笑う有馬かなに指を指す。確かに性格の悪さは弁護のしようがなかった。
「マルチタレント気取りでアイドルとかやって!ユーチューブでメムちょに乗っかってお金稼いでるくせに!」
「ちょっとスタッフさーん?稽古場に素人厄介ファンが紛れ込んでてて怖いんですけどー?」
「誰が素人厄介ファン──」
「やめとけあかね。根が善人のお前じゃ有馬にレスバでは勝てない」
「そんなことない!代表作ピーマン体操の人なんかに負けない!」
結構いいパンチが有馬のボディにグサリと刺さる。高笑いが消え、膝から崩れ落ちた。
「そっちだって代表作は恋愛リアリティショーでしょうが!マルチタレントはどっちよ!」
「おっ。これはいいカウンター」
「やっぱ有馬レスバ強いな」
「…………今のはちょっとオレにも効いた」
噛み締められたあかねの唇から血が滲む。アクアも心臓を抑えて蹲った。
「まあ有馬の口の悪さは今に始まったことじゃねーけど」
「ああ。そういやアクアも子役の頃有馬と共演してたんだっけ」
「あの頃から酷かったなぁ。オレなんてコネ扱いされて……いやまあ実際コネだったわけだが。大御所気取りで自分の六倍以上歳上のADさん使い走りにして、オレにも『遊びに来たなら帰れ』的なこと言ってきてなぁ」
「うわぁ…」
「まあその後しっかり演技でわからせてやったわけですが」
「そうなの!?」
鳴滝にだけ話してたつもりだったのだが、聞いてたらしいあかねが食いつく。
「ああ。オレの演技見た後、私の方が全然ダメだったーって大泣きしてなぁ。自分からリテイク頼み込んで、でも結局納得いく仕事はできなかったみたいで、そのままバラシ」
「えらい!さっすがアクアくん!天才!私の自慢の彼氏!」
嬉しそうに手を叩く。喜色満面の笑みを浮かべ、腕に抱きついてきた。
「ちょっとアクア!古い話するんじゃないわよ!てゆーかよく覚えてるわね!」
「まあ三つ子の魂なんとやらで、基本的な性格は変わってねーけど、コレでも子供の頃に比べればだいぶマシになった」
「コレってなによ!別に私アンタには……その、最初だけでしょ!」
「そうなの!性格終わってたの!アクアくん知ってるならもっと味方してよ!」
「下手に味方したら口喧嘩に巻き込まれるだろう。オレも根が善人だから多分勝てない」
「根が善人?誰が?どこが?」
「うるせーぞフリル。ここぞとばかりにチャチャ入れんな。一切関わってこなかったくせに。人のこと責められるポイントは逃さねーなこのドS」
「アクアくんは善人だよ。すぐ偽悪ぶるし、普段はクールで澄ました正論マシーンだけど、クールの向こうに熱がある。ほんとにピンチの時は手を差し伸べてくれる。なんちゃってヒールツンデレ王子だもんね」
「ありがとう、あかね。そう言ってくれるのはお前だけだよ……ところどころディスられてる気がするのは置いておこう」
あかねの肩に肘をかける。少し体重を預け、フリルと有馬を正面から見据えた。
「オレもあかねも口喧嘩じゃ勝てない。だから演技で負かす。あの時のように。できるさ、オレとお前ならな」
「っ!!うんっ!」
稽古で使う小道具を持ってステージ裏へと向かう。その背中に縋り付くように、あかねも着いていった。
▼
「───っとに、ムカつく」
舞台袖へと向かった2人の背中を見据えながら、小声で呟く。聞こえていたのか、少し心配そうに鳴滝くんがこちらを覗き込んできた。
「なんでそんなに黒川に突っかかるわけ?仮にも同じ事務所のアクアの彼女なんだしさ、仲良くした方が───」
「ビ・ジ・ネ・ス・上・の・ね?」
心の底を震え上がらせる声で忘れてはいけない冠を付け足す。瞳は闇で塗りつぶされていた。
「───まあ、理由は色々あるけど…」
平たく言って仕舞えば、アクアのせいだ。
黒川あかねと自分では演技の向き合い方も違うし、役柄に対するアプローチも違う。良いと評価する演技すら食い違っている。演じ方も正反対。だからか、それとも違う理由か、共演のたびに揉めてきた。
───お互い演技に対しては譲らなかった。譲らないまま、ここまで来た。
そして結果が今だ。黒川あかねは今天才と評され、スターダムを駆け上がろうとしている。対して自分は完全落ち目の女優。アイドルとかユーチューブとか、カンフル剤を入れて少し上がっては来ているが立ち位置の差は歴然。このままでは自分が間違っていて、彼女が正しかったと認めることになってしまう。この世界は結果が全てだ。
───それでも、たとえ現状立ち位置で負けていたとしても、私はあの子に演技で負けてるなんて思ったことは一度もない……それなのに。
負けてるなんて思わない。コレは意地じゃない。客観的事実だ。アプローチの仕方は違うし、演技に対する哲学も正反対だけど、負けたなんて思ったことは一度もない。それなのに───
人生で初めて、そして唯一負けたと思わされた俳優が、あかねの味方をしている。私に敗北を教えた男が、あかねを守っている。今ガチの時から、今日に至るまで、ずっと。気に入らない。ムカつく。なんでアイツが私の敵に回っているのか。出会ったのは私の方が先だった。役者として惚れたのも、男の人として好きになったのも私が先だった。それなのに…
「ムカつくよね。わかるよ。私もそんな感じだから」
そっと肩に手を添えられる。同じ方向を向いてステージに立つアクアとあかねを見つめていたのは艶やかな黒髪を背中まで伸ばした泣きぼくろの美少女だった。
「見つけたのも、先に出会ったのも、育てたのも私なのに、彼の隣に立つのは私じゃない。私が求め、私が欲したものを全て持っていかれる。ムカつく。でもあかねが悪いわけじゃない。アクアは悪いと思うけど、責めることはできない」
「………意外ね。不知火さんが黒川あかねにそこまでコンプレックス持ってるなんて」
「あかね見てると思わされるのよ。『アクアのことを誰よりも理解してるのは私です』『貴方は違う』ってね」
あのPVを見て。あの美しい仮面と、その下の秘密を知りたくて、あの人に会いに行った。あの人をそばに置いた。それなのにあの仮面の下を最も早く見たのはあかねだった。私が身体まで使ってようやく見れたものを、あかねは電話一本で暴いて見せた。アクアが隠していた真実に先に辿り着いたのもあかねだった。自分はあかねからのヒントがなければ辿り着けなかった。
「もちろん私だってあかねが知らないアクアを知ってる。あかねが持ってない、アクアからの贈り物を、私は持ってる。けど、そういう問題じゃないんだよね」
あかねとアクアが付き合い始めてしばらくが経つ。合わなければそろそろ別れてもおかしくない時期だ。しかしその傾向は全くない。2人の彼氏彼女の関係は良好だ。あの夜を経て、さらに深くなったかもしれない。それはあかねのアクアへの理解が間違ってない証拠だった。
「だから勝つ。勝って証明する。あの人の隣に立つのは、私だってことを」
「勝つのは私よ」
小道具の刀を抜き放ち、スポットライトの下へと向かう。出番のまだ先な鳴滝はその背中を見つめながら、素朴な疑問を口にした。
「姫川さんから見て、アクアと黒川。有馬と不知火。どっちが優勢なんです?」
「4人とも才能あるし、4人とも上手い。演劇の良し悪しなんてメシみたいなもんだから、一定のレベル超えれば優劣つける方がヤボだと思うけど?」
「そこをあえていうなら」
「…………黒川は異質な演技をする。天才と呼ばれるだけの非凡さを持ってる。有馬はこれといった非凡さはないけれど、演技というものへの執着は誰より深い。不知火は演技の上手さを数値化するならあの中で一番低い。でも不知火の長所は上手い下手じゃない。不知火フリルにしか出せない味。何を演じても香る、不知火フリルらしさ。大衆が思わず目を寄せてしまう何かを持っている」
「…………つまり、誰が有利なんですか?」
「演劇という舞台において、最も刺さる長所を持っているのは不知火。監督やディレクターとかが高得点をつけやすいのが有馬。大衆が凄いと思わされるのがあかね。それぞれに長所が違うから、3人のうち誰が勝ってもおかしくない。後は本番の仕上がりと外部の要因次第だろ」
「外部の、要因?」
「俺と星野。同系統の才能で、役柄という内面に俺より深く潜るアイツか、演劇という表面化する世界、舞台で魅せ方を心得てる俺か。どちらが相手の長所をよりうまく引き出せるかに掛かってる」
メガネを外し、刀を片手にステージへ向かう。あの時、客席から自分を見ていた少年はハッキリと格下だった。しかし稽古が始まり、あかねと同等の位置まで来て、この終盤、戦い方次第では負けかねないと認めるところまで上がってきた男に、姫川は作り物の刀を突きつけた。
───そう、長所は3人とも異なる。だけど3人とも共通していることがある。
星野アクアへの、強い執着
有馬かなは恋慕と憧憬
不知火フリルは情念と占有
黒川あかねは崇拝と依存
それぞれ似て非なる執着を抱えて、舞台に臨んでいる。星の瞳の少年が彼女らの想いを理解しているのか、そうでないのかはわからない。しかしもし理解していないのであれば、この舞台、有利なのは自分だと考えている。
役者の衝動の元をわかってるのとそうでないのとでは、生の感情の引っ張りやすさが違うからだ。
───その辺、分かってんのか?兄弟
姫川大輝が振るった刃を真っ向から受け止める。至近距離にあるその眼は美しく輝きながらも、初日より随分やつれていた。
二週間後、ついに舞台の幕があがる。
星をなくした子を中心に。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
アニメ見た衝動のまま連続投稿。第一話やばかったですね。いや展開知ってるんですけど映像と声が入るとまた……情緒がぐちゃぐちゃになりました。凄まじかったです。
拙作はようやく稽古が終了。次回から舞台東京ブレイド公開です。さてはて、どうなるのか。筆者すらまだよく分かってません。でも確実に荒れそう。楽しみです。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
59th take 出会い、別れ、集う
火の中で身につけた光は数多の人を惹きつけるだろう
星達が集い、舞台という名の星座を作る
死神となくした星が鑑賞する中で
「ん」
舞台東京ブレイド公開前日。最後の仕上げのため、ソファで台本を読み込んでいる兄の前に、妹が満面の笑みを浮かべ、大きく手を広げて立っている。胡乱な顔をしながら星の瞳の少年が顔を上げた。
「なんだ。小遣いならミヤコにねだれ」
「違うよ。東ブレのチケット。お兄ちゃん持ってるでしょ?ちょーだい」
「ねぇよ」
笑顔のまま、妹がピシッと固まる。ため息をつきながら兄は台本に目を落とした。
「嘘でしょ持ってないわけないじゃん!」
「オレの手持ちの分は欲しがってた友人知人に渡した。もう手元には残ってない」
「普通家族の分くらい取っとくモノでしょ!…………え?マジで言ってる?私マジで観れないの!?」
「知るか。前日にねだるお前が悪い。観たきゃ金払って観に来い。あ、もうとっくの昔にソールドアウトか。ザンネン」
「アクア、意味のない意地悪するんじゃないわよ」
やりとりの一部始終を見ていた二人の保護者、斎藤ミヤコがヒラヒラと指を振る。人差し指と中指に挟まれた間には細長い紙片が揺れていた。
「ミヤえもーーん!!」
「チッ、ネタバレが早すぎる。もうちょっとコイツに後悔という感情を植え付けさせたかったのに」
「なんでお兄ちゃんはこういうイジワルするかなぁ!」
「社会の厳しさとお前の見通しの甘さを教えてやってんだよ。ったく、チケット用意してもらうのが当たり前だと思ってんじゃねぇ」
「とか何とか言いつつ、結局用意してるじゃない」
ミヤコの指摘に眉が動く。相変わらず痛いところをつく人だ。デカい恩があるこの人には強くも出にくいし、こっちの思考回路も知り尽くされている。まったく、やりにくい事この上ない。
「アクアってホントめんどくさいなー。妹にまでツンデレしないでよねー」
「誰がツンデレだ。文句あるなら観にこなくていいぞ」
「コレが舞台東京ブレイドのチケットかぁ。この席ってどの辺なの?」
「真ん中後列。舞台だけじゃなく客席全体も見える場所よ」
「ふーん。もっと前の方の席かと思ってた。やっぱお兄ちゃん程度じゃVIP席は確保できないか」
「やっぱ返せそれ」
「そうでもないわよルビー。この手の劇場の後方の席っていうのは大体関係者用。演劇は観客まで含めて一つの作品。評価を適切に下すためには客の反応まで見る必要がある。ならやっぱり後ろの席じゃないと。アクアはかなり頑張ったと思うわ」
「おお。なんか偉い人になったみたいで気分良いね!」
「なんでお前がドヤる。何もしてねーだろうが。いい加減オレに寄生して生きるのやめろ」
アイドル活動から今日に至るまで、ルビーの芸能活動でアクアが関わらなかった事やアクアのコネを使わなかった事などほとんどない。無論アクアとていやいややってる訳ではなかったが、それでもそろそろ自立してほしいと思うのは無理ない事だろう。アクアだってこの演劇の結果次第ではルビーになどかかずらう暇はなくなる。いい加減自分の力で芸能界を生き抜く術を身につけてほしい。
「ルビー、お礼くらい言いなさい」
「お兄ちゃん、ありがとう」
「フン」
「ところでアクア。コレ以外のチケット、誰にあげたの?」
「昔のバンド仲間。それと五反田監督」
「へぇ、あのカントクさんに。らしくないことするじゃない。知人に演技見てもらう事、あまり好きじゃないでしょう」
「そんなんじゃない。自主練の時、タダでスタジオ使わせてもらった礼だ。それにこういうの見せとけば、あのこどおじ監督が映画撮る時、オレのこと使ってくれるかもしれねぇだろ。メインは営業だ」
台本を閉じる。もう落ち着いて本読みができる状態ではない。あとはシャワー浴びて身体休めて寝ようと決めた。
「アクア」
浴室へ向かう背中に声が掛かる。足を止めて背中越しに振り返った。
「頑張りなさい。見守ってるからね」
「ファイト!お兄ちゃん!」
「…………ああ」
笑みが溢れる。あの日から肩にずしりとのしかかる重さと柔らかさが、少し和らいだ気がした。
▼
こんにちは!私はモブブチョー。東京ブレイドを題材に二次創作に勤しむ素人絵師です。今日は東京ブレイドの舞台を観に、人生初のステアラにやってきました。観劇した後はレポ漫画とか描きたいと思ってます。
推しのカップリングは王道のブレイド×シースのブレシスと刀鬼×つるぎの刀つる。といっても私は基本原作・アニメ派で、漫画の実写化舞台化は造詣が浅く、ちょっとなぁ、とか思っちゃうタイプでした。
しかしキャスト発表と各キャラクタービジュアル公開を見て手のひら返し。
キャスト陣みんなイケメン・美少女勢揃い。特に主演級は私のようなガチオタが見てもピッタリ。まるでこの役やるために生まれてきたの?ってくらいです!
主人公とヒロインを務めるのはそれぞれ2人ずついるみたいです。コレはダブルキャストという演出で、アニメやドラマではありえないですが、演劇では珍しくないそうです。でも名前が売れてる役者さんほどやりたがらないらしい。白黒優劣ハッキリ着いてしまうから。
そしてそんな有名どころはやりたがらない演出をやってしまう辺り、姫川大輝と不知火フリルらしいなぁ、なんてこと、私は思ってしまうのです。
姫川大輝。私のような二次元派の人間でも知っている俳優さん。普段はぬぼーっとしたカンジだけど、一度カメラが回ると黄金に輝き出す。まさに磨けば光るイケメン!たくさんの賞も受賞してて、まさに実力派俳優!って感じの人。ブレイドと刀鬼って、性格真逆なんだけど、この人ならなんとかしてしまうんだろうなって思います!
不知火フリル。これまた今の日本で知らない人はいないんじゃないかと思うほど有名なアイドル。歌って踊れて演技もできるマルチタレント。この方をテレビで見ない日はないんじゃないでしょうか。最近は熱愛報道とかもされてちょっと人気落としてたけど、私はしょうがないと思う。だって16歳の女の子に恋愛禁止なんて思春期禁止って言ってるようなものだし。それでもNo. 1の座を譲ってないから凄い。千年に1人の美少女と言われるこの人を生で見れるだけでも今回の舞台には価値がある。
姫川大輝と不知火フリル。現在日本の若手で人気、実力共にNo. 1と言っても過言じゃない。こんな2人と対決しなければいけない相手は可哀想だな、と思ってた時期が、私にもありました。
ダブルキャストの相手の役者さんのビジュアルが公開された時、私は灰になりました。
黒川あかねと星野アクア。
ネットのなんとかいう恋愛リアリティショーで炎上し、話題になり、私も名前だけは聞いたことがあった。けど役者さんかどうかさえ私は知らなかった。多分ほとんどの人がそうだろう。知名度だけで言えばあの姫川大輝と不知火フリルとは格が違いすぎる。
けれど、少なくともビジュアルでは2人とも負けていない。特に星野アクア。
太陽の光が反射しているかのような黄金のアシメヘア。青みがかった瞳の奥には光があり、まるで星が輝いているかのよう。本当にフォトグラフィックから抜け出してきたかのような狂気で凶器な顔面。彼の発表直後、ブレイド推しと刀鬼推し界隈がざわついた。この爆イケ人間国宝、どっから出てきた、と。この子はこれから間違いなく来るだろう。てゆーか来る。私が推す。
黒川あかねもビジュアルだけなら負けてない。特に星野アクアと付き合ってると宣言してからは可愛さに磨きがかかったと思う。SNSにアップされてる写真をいくつか見たが、星野アクアと付き合う前と後では明らかに目の輝きが違う。やっぱり恋する乙女は美しくなるというのは本当のようだ。
主演級以外のキャストもみんなイケメン・美少女揃い踏み。特に目を引いたのは有馬かな。昔ドラマで観てたよ〜!ちょっと見ない間に大きくなって……(ほろり)。今はアイドルもやってるみたい。頑張ってるなぁ。
などと色々考えてるとステアラに到着する。流石は覇権ジャンル東京ブレイド。たくさんの人がもう集まってる。私もよくチケット取れたなぁ、と思う。
さあ、いざ抜刀───
「アビ子先生?」
どこからか衝撃の名前が聞こえてくる。それも当たり前と言えば当たり前。東京ブレイドファンなら神も同然の人だ。衝撃を受けない方がおかしい。音源を思わず振り返るとパンフを両手に持った黒髪癖っ毛の可愛らしい人が緊張した面持ちで立ち尽くしていた。
「どうしたの?緊張してる?」
「しないわけないじゃないですか……私が散々口出しして、しかも前半影打編でブレイドを演じるのはアクアさん……コレで失敗したら全部私のせい……アクアさんの評価も地に落ちる……比喩抜きであの人の人生がかかってます。緊張の一つや二つしますよ」
「コレばっかりは慣れないわよねー」
当たり前のように神とお話ししてるのは誰かと思ったらもう1人も神だった。少女漫画の名作『今日は甘口で』作者、吉祥寺先生だ。
「脚本は納得いくものに仕上がったんでしょ?」
「先生は自信満々で出したものがボツくらった経験ないんですか」
「───あるわねぇ」
深い共感の言葉が心の奥底から漏れ出る。私など神と比べるのも烏滸がましいが、それでも絵師の端くれとして非常に分かる事柄だった。私も最高傑作のつもりでアップしたイラストが何度酷評でボコにされたことか。
「演劇という構成上、ストーリーは原作と変えざるを得なくて……勿論キャラの性格は守りましたし、舞台の脚本も面白いと思ってますけど、もし自分の作ったものが、自分しか面白いと思わないものだったら……」
創作とは食べられないごはんのようなものだ。甘い味が好みな人、辛い味が好みな人。受け取り方、感じ方は十人十色で千差万別。万人に刺さる作品などない。私にとって美味しくても、他の誰かにとっては不味いのではないか。この不安を抱えたことがないクリエイターはいないだろう。
「大丈夫ですよ」
そう言いたい。でも私如きが言えるはずがない言葉を、目の下にホクロがある男の人が事もなげに言い放った。
「僕もあの脚本の出来には満足してます。創作に賛否両論はあって当たり前ですが、少なくとも世界に二人は面白いと思ってる人はいますから」
話しかけられた男の人からアビ子先生は距離を取り、吉祥寺先生の背中に隠れる。その様子を見た壮年の男性は空を仰いだ。
「割と仲良くなれたと思ってたのに」
「気にしないでください。この子青春の全て漫画に費やして男性への免疫ないだけなんで。気にせずグイグイいってあげてください。ホントはそうされるの嬉しい子なんで」
「ははは…」
「───免疫ないわけじゃ……私もう処女じゃありませんし」
乾いた笑いが冬の空気に響く。吉祥寺先生の肩越しに呟かれた言葉は木枯らしにかき消されてよく聞こえなかった。
「この舞台の成功は脚本は勿論ですが、何より役者の方々にかかってる。でも皆様実力ある演者さんなので、良い舞台になると信じてますよ」
その言葉にアビ子先生は頷いたが、吉祥寺先生だけは少し不満そうに下唇を突き出していた。
▼
「MEMちょおひさー!」
ステアラのホールに入ると女の子の元気な声が聞こえてくる。声に釣られて振り返るとそこには若いイケメン・美少女達がグループを作っていた。
───MEMちょって…
絵師の私でも聞いたことがある。確かそこそこ有名なユーチューバーだ。彼女達はその友達だろうか。それとも芸能人の卵か。あのルックスなら納得してしまうメンツだった。
「ゆきちゃん!あとその他ども」
「その他言うな」
「アクアとあかね凄いねー!こんなおっきな舞台の主演やるなんて!マジで役者さんだったんだなぁ。SNS見る限り二人の交際も今のところうまくいってるみたいでよかったよかった!当て馬になった甲斐があったってもんよ」
「なになに?そっちは上手くいってないのー?」
「あはは、まあまあかな?」
「まあまあ、ねぇ。同じブレスレット着けて匂わせお揃っちしてるくせにー?」
その指摘をされた少年少女は手首を隠す。しかしもう遅い。少なくともあそこで屯してるメンバー達は全員バカップルのバカ行動を目撃してしまった。
「やってんねぇ」
「こ、これは!ちがっ…!」
「なんで、芸能人と付き合ってるやつって綱渡りしたがるのかな」
「芸能人っても恋すればただのアホな女の子だから」
「たっ、たまたまだから!」
そのやりとりが聞こえた私はついホッコリとしてしまう。うんうん、存分にアホになりたまへ若人よ。そんなアホなことができるのは今だけなのだから。アレ?おかしいな?なんか涙出てきた。
「うわ、めっちゃ可愛い子いる」
マッシュヘアの少年の言葉にグループ全員の目が寄せされる。視線の先にいたのはパンフを持った女の子。真っ先に目に入ったのは眩い金髪。そして宝石のような紅い瞳。特に左眼が強く輝いている。確かに超絶美少女。しかしどこかで見覚えのある、てゆーか一目であの人の血縁と分かる容姿だった。
「あの子がアクアの妹だよ」
「マジでか!噂の!実在したんだ!」
「妹いるって話は本人から聞いてたけど、実物見せてくれなかったしな!」
「でもその気持ちわかるね。アレだけ可愛い妹ならわるい虫がつかないか、ふつう心配するよ」
噂の女の子はステージの後ろの方に腰掛ける。周りも雰囲気のある人が多い。あの辺りは業界人スペースなのだろう。
───えっと、私の席は…
もう少し前の方、と歩き始める。お目当ての番号を見つけ、座った時、目の前の空席二つも同時に埋まった。
「なんでアンタが此処に、しかも私の隣の席にいるの」
「それはこっちのセリフよ」
背中越しのため、顔は見えないが、おそらく女の人だろう。どちらも髪が背中近くまで伸びている。一人は黒髪で一人は桃色がかった茶髪だった。
「あーあ、やっぱチケットもらうんじゃなくて自分で買えば良かった。そうよね。彼が用意したチケットなら連番になっててもおかしくないよね」
「お金出して買うって言ったのに、頑として拒まれて。彼らしいと言えばらしいけど。こういう事になるのも考えて欲しいわ」
「もしかしたらワザとかもよ。私とあなたの関係、羨ましがってた時あったし。覚えてる?『オレもハルさんとナナさんみたいな友達欲しかったです』って言ってたの」
「言ってたわね。まったく、何が羨ましいんだか。彼、コミュ力高いんだから友達多いと思うけど」
「にゃはは。ウソばっかりついてるからねぇ。あのお顔の良さと口の上手さにヤられてる友達もどきは沢山いるんだろうけど、私たちみたいな本音で話せる相手は少ないんだろうね」
「女子の格好でバンドやらせた私達にそのセリフを言う資格はないけどね」
聞こえてくる話から判断するに、どうやら彼女達の友達がこの舞台に出演してるらしい。しかも女装させてバンドやってたような、イロモノが。
───美形多いから、女装できる子はいるだろうけど
パンフを見ながら誰なら女の子の格好ができるか考える。姫川さんは無理だ。もう成人男性で女子として振る舞うには男性フェロモンが出過ぎている。同じ理由で鴨志田さんもない。となると鳴滝くんか、星野くんだが…
ブー
警告音が鳴る。舞台の始まりを告げる汽笛。雑談していた人達のざわめきが一気に収まる。そう、コレからは余計な物音は厳禁。スマホも電源を落とし、私語も慎まなければならない。今から私たちは現実ではなく、東京ブレイドの世界へ潜り込むのだから。開いていたパンフを閉じる。さっきまで考えていたことはもう頭の中から吹き飛んでいた。
───始まる
ホールが暗くなる。劇場マナーのアナウンスが響く。通り一遍の約束事が終了し、いよいよ舞台の幕が、今回の場合はモニターが開く。ゆっくりと確実に広がっていく世界が、非常にもどかしく、少し惜しかった。
さあ、楽しもう!
▼
メイクを終えた役者達が、スタンバイルームへと集まる。前半は刀鬼の姫川大輝。眼帯の鬼キザミ役の鳴滝メルト。他にも続々と準備に入っていく。
もちろん有馬かなも黒川あかねも例外ではない。有馬はつるぎの姿で。そしてあかねはシース。巫女ベースの服装だが、戦いやすいようアレンジが入った衣装で集中力を高めていた。
「…………かつて、天才だとか持ち上げられた私と、今天才と呼ばれてるアンタ……悔しいけど意識はしちゃうのよね。こんなこと言うのも癪だけど、アンタとまた演るの、楽しみにしてたのよ」
隣にいる人間に届くか届かないか、ギリギリの声量。独り言のようにも聞こえる。しかしその内容はとても独り言には聞こえなかった。
「ここでアンタに勝って、誰にも私を、元天才子役なんて呼ばせなくしてやるから」
言いたいことは全て言い終えたのか。スタンバイルームから出て、舞台袖へと向かっていく。その背中を眺めながら、健気な巫女服の少女は嘆息した。
「私も、かなちゃんとまた演るの、楽しみにしてたよ……ずーーっと、ずーーーーっと」
でも、ごめんね
「今はもう私、かなちゃんのこと、どうでも良いんだ」
スタンバイルームの扉が開く。ああ、彼がいる。待っていた。待ち望んでいた。この日を待ち焦がれていた。有馬かなと同じ舞台に立つ日より、ずっと。
長い黒髪を髷に結い、前髪はセンター分け。服装も着物に袴。当たり前だが、いつもの格好とはまるで違う。
けど分かる。一眼で感じる。あの星の輝きを放つ瞳を、生物全てを引き摺り込むかのようなオーラを、見間違えるはずがない。
「アクアくん」
星野アクア。私の星。私の命の恩人。私の全てを捧げられる人。私の彼氏。
やっと彼と同じ舞台に立てる。
今ガチの救済動画を見たとき、一緒にいられなかったことを心の底から後悔した。一緒に演じられなかったことを心から悔やんだ。あの時からずっと焦がれていた。ずっと夢見ていた。この人と一緒に舞台に立つことを。この人に私の演技を直接見てもらうことを。この人の演技を直接見ることを。
貴方はきっと、鑑賞と呼ぶに相応しい態度で、私のことを見るのだろう。私に思いを馳せるのだろう。美術館でデートしたあのときのように。
「行くぞ」
一瞥もしない。ただ前だけ見据えて簡潔に一言つぶやく。しかしその一言だけで充分過ぎるほど分かる。もう彼は星野アクアでなく、ブレイドになっている。
なら、私もなろう。
「行きましょう、主様」
一度目を瞑り、見開く。もう言葉は必要なかった。
▼
時間は少し遡る。まだメイクをする前の控え室。一人の少年が佇んでいた。
───聞こえる。
もうイメージなど考えなくても。トリップなどしなくても。あの『声』が聞こえる。初めて聞いた時はあのPV。次は今日あま。その他にもオレが集中力を最大限に引き出し、自身の最奥に潜り込んだ時、あの声は聞こえてきた。
そして今、その声はオレの周りを常にまとわりついている。多分それは今までもずっとそうだったんだろう。ただ、オレが無意識のうちに押し込め、聞こえないようにしていただけだ。
目を閉じる。もう自己暗示などしなくても瞼の裏に浮かぶ、あの光景。どこにでもあるマンションの一室。暗い廊下。開く扉。潰れる水音。血の海に沈む女。あの夜、オレが倒れたあの時から、何度も思い起こし、その度に昏倒し、嘔吐し、そしてまた思い起こした。
何度繰り返しても慣れるどころかやる度に情景は変化した。空想はリアルを帯びた。無音の静寂。鉄の匂い。滑らかな肌。消えていく体温。どんどんリアルに、艶かしく、そして生々しく感覚に蘇る。いつしか毎晩夢に見るようになった。うなされ、飛び起き、ぐっしょりと全身を冷や汗で濡らした。
その頃にはあの『声』がいつもオレの周りにまとわりつくようになっていた。両肩にずしりと。しかしどこか柔らかく暖かい重さがのしかかるようになっていた。
そう、もちろん今も。
『愛してる』
耳元で囁かれる。振り返るが、もちろん部屋には誰もいない。肉眼で見ることは決してできない。だけど、見える。聞こえる。感じる。そこにいる、と。
控え室に備え付けられた大きな鏡を見る。そこにはテーブルに両手をつき、息を荒げる男がいる。
───はは、ひでぇツラ
頬はこけ、目の下にはクマができ、肌も荒れてる。いつも完璧な体調管理を心がけていたこのオレが、美しさを損ねている。まったくプロ失格だ。
───だが、それよりも問題なのは……
鏡に映るオレの背後に、何かが見えること。
いつからだろう。この肉眼では決して見えない幻影が鏡に映るようになったのは。
顔は見えない。黒髪だろうか。とにかく何かで隠れていて誰かはわからない。男か女かさえも。モヤのような人影がオレを背後から抱きしめ、オレの耳元で囁く。
『愛してる』
物語、音楽、果てはゲームにまで、溢れかえってるありふれた文言。くだらない平凡な五つの音が囁かれる度に身体が震える。膝から崩れ落ちそうになる。愛ほど歪んだ呪いはないと誰かが言ったが、言い得て妙だ。
───愛って、なんなんだろうな…
あの病院で目覚め、今日まで約12年。それなりに懸命に生きてきた。同年代の男子と比べ、多くの人間関係を構築してきた自負はある。
その中で特別な人はいた。好きだと断言できる人も何人かいた。けれど誰かを愛したことは、多分なかったと、思う。
オレは、恋愛がよくわからん
今ガチでゆきに、そして吊し上げられた時、全員に向かって言った事。オレにしては珍しく、嘘ではない言葉だった。恋も愛もよくわからない。人並みに性欲はあるつもりだし、何人か女性と関係を持ちもした。オレに愛してると言ってくれた人もいた。
だがオレからそのありふれた言葉を口にしたことはなかった。
『あはっ』
声が聞こえる。楽しそうにも、嘲笑ってるようにも聞こえた。
『おんなじだね。貴方と私は』
たくさんの人が貴方を愛してる。誰もが貴方に目を奪われる。完璧で、嘘つきで、天才的な
『でも貴方は愛がわからない』
愛したいと思ってる。愛を理解したいと思ってる。でもわからない。理解できない。心から誰かを愛したことなんて、貴方にはない。
『だから
その笑顔を。才能を。愛してるを振る舞って。誰も彼もを虜にしていく。完璧を装って、完璧を振る舞って、完璧以外を許さない。そんな自分しか
『貴方の
「うるせぇっ!!」
部屋全体が揺れる。テーブルを殴った振動で、幻影を掻き消そうとする。しかし何も消えた気はしなかった。寧ろより嘲笑われてるような気がした。手に残った痛みだけが徐々に虚しく消えていく。
───アンタを思い出せば、わかるんだろうか。母さん
思い起こす度に克明になる光景。しかしたった一つだけ、一番最初が最も鮮明だったモノがある。オレの腕の中で倒れる女の顔だ。コレだけは何度思い返してもハッキリとは見えなかった。あの夜が最も鮮明だった。大人になったルビーが見えた、あの時が。
オレの腕の中で血の海に沈み、そして今もオレの首に腕を回し、背後から抱きつく女。アンタの顔だけが、わからない。
大人になったルビーなのか。
あの嵐の夜、オレが抱いたフリルなのか。
オレを演じるあかねなのか。
『それとも、貴方自身か』
胃の奥から何かが競り上がる。慌てて口を手で塞ぎ、天を仰ぎ、喉を鳴らした。
「…………アクア」
ノックの音が響く。一度大きく深呼吸し、競り上がりかけた内容物を呑みくだす。「どうぞ」と答えるのも億劫だったため、自分の手で扉を開けた。
「………フリル」
扉の前で立っていたのは泣きぼくろの美少女だった。
「メイクさん、呼んでる。行こう」
「ああ」
そろそろだと思っていた。用意したミネラルウォーターを一口煽ると、そのまま部屋を出て、廊下を歩く。フリルもそのままアクアの隣に続いた。
「アクア、大丈夫?」
「何が?」
「弱み見せないのは立派だと思うけど、私にまで強がるのは気に入らない」
思わず笑ってしまう。そして笑えたことに少し驚く。さっきまで笑うことなどとてもできる気がしなかった。それなのに。
───流石は妖怪。こっちの状態なんてお見通しってか。
ここ最近ろくに話すらしてなかったはずだが。まあ驚きはしない。いつものことだ。
「体調的には絶不調。だが演劇的には絶好調だ。問題ない」
「そうだね。今の貴方はかつてないほど潜ってる。怖いくらいに。誰よりも貴方を見つめ続けてきた私にはわかる」
日を追うごとにやつれていきながら、背筋を震わせる美しさは増していった。その変化が泣きぼくろの親友は嬉しいと思うと同時に少し怖かった。
「なんだ、優しいな。オレのこと避けてたんじゃなかったのか」
その一言でフリルの顔が一気に沈む。コレは珍しい。初めて見たかもしれない。落胆、とは少し違うが、褒められても悪口言われてもいつも飄々とした態度を崩さないこの妖怪が、明らかにテンションをオとしている。
してやったりと思うと同時にちょっと後悔した。本番直前に共演者のテンションを落とす言動をするなど、プロ失格だ。
「…………アクアは、私のこと、好き?」
「はぁ?」
なんかめんどくさい彼女みたいなこと言い出した。オレも人の心とか感情とか読むのは得意な方なのだが、この女だけはさっぱり読めない。
「私達、出会ってから結構経つよね」
「え?なに?なにこれ?なんの話」
「色々したなぁ。良いことも、悪いことも。私の人生でいちばん刺激的な数ヶ月だったと思う」
「マジでなんなんだよ本番前に。真面目な話か?」
「私はアクアのこと、好きだよ」
遂に足を止めてこちらを見上げてくる。有無を言わせぬその強い目にアクアも足を止めた。
「貴方が何者でも。その仮面の下に何を隠していても。私は星野アクアが好き」
「…………ありがとう、でいいのか?」
「アクアは?」
最初の質問に戻る。星野アクアは、不知火フリルをどう思っているか。
「貴方が好むのは、才能。容姿という才能。技術という才能。努力という才能。光るモノを持つ非凡な何かを貴方は愛する」
「それは、お前もだろう」
「私はもう違うよ。貴方が天才だろうが、凡人だろうが、もう関係ない。貴方が歳をとって醜くなっても、何かのきっかけでその才能をなくしてしまったとしても、私は貴方のことを好きでい続ける。その自信はある」
そう、才能とはいずれ衰える。明日なのか、10年後なのか、死の間際なのか、それはわからないが、衰える日は必ずくる。そうなった時、オレはその人を好きなままでいられるのか。好きでいられなくなってしまうのなら、そんなものは愛じゃないのではないか。そう思うからこそ、愛がわからない。
だからフリルが羨ましく思う。自信があると断言できる彼女を、凄いと思う。コイツが口先だけの女だと思ったことは一度もない。この妖怪が断言するなら、恐らくそうなのだろう。
「アクアは?」
「……………」
「アクアは私が何をしても。貴方が好きになってくれた才能をなくしても。私がどうなっても。私を好きでいてくれる?」
「怖いな。この舞台で何する気だお前」
「答えて」
手を握られる。相変わらず冷たい手だ。この冷たさが少し心地よかった。
「わからない」
適当な美辞麗句を言うことはできた。嘘で煙に撒くことも。けれどその気にはならなかった。真心を持って来るなら真心を持って返す。それがオレのスタンスだ。
「お前がオレにとって嫌な奴になるなら嫌うと思うし、悪いことしたなら怒ると思う。その辺りを感情でなあなあにしたくはない。対等でいたい。オレがお前を愛してるかはわからないけど、少なくとも親友だとは思ってるから」
嘘偽りのない言葉だった。心からの本音だった。相手の望むセリフではないのかもしれないけど、フリルが望む心構えで返すことはできたと思っている。
「…………わかった。ありがとう」
いつの間にか扉の前に立っていた。男子と女子のドレスルーム。ここで二人は別れなければいけない。親友ではある。互いが師であり、互いが弟子であり、この半年、切磋琢磨してきた戦友でもある。けれども同時に男と女でもある。故に訪れる、分岐点。
「星野さん、不知火さん、入られます!」
「じゃあね」
「ああ」
背を向ける。もうお互い振り返ることはなかった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
今回ちょっと長くなりました。でもここまで書き切りたかったので。後半の『』で囲われてるセリフは全て幻想のアイが言ったセリフです。原作ではアクアのスタンドはゴローでしたが、拙作ではアイです。最後フリルとのフラグが折れたみたいな書き方になってますが、一応違います。詳細は、今後をお楽しみに!
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
60th take 東京ブレイド
火を知らぬ偶像は弟子から得た光で新たな境地を開く
二人はコインの表裏
半身は天使で半身は悪魔
その物語は、逃走から始まる。
『はあっ、はあっ、はあっ』
後方を気にしながら、少女は雑踏を駆ける。歳の頃は10代後半といったところだろう。真白の髪は肩に届くかどうかという長さ。紫紺の瞳はまっすぐな輝きを放ち、均整のとれた肢体は赤と白で彩られた巫女服に包まれている。少女の手には一振りの刀が握られている。その可憐な見た目からはあまりに不似合いな持ち物だった。
『もう少し!ここを抜ければ……!』
草原を走り抜ける。路地へと入り、分岐をいくつか曲がると、三メートルは高さのある壁が聳え立っていた。一見行き止まりに見えるが、レンガを数回叩くと、壁が独りでに動き出す。開けた視界の先には和装の屋敷が幾つも並んでいた。
『ここが、東京!』
足を踏み入れようとする。しかし、止まった。新たな東京への侵入者が持つ刀に、雑踏の視線が集中したのだ。
『なんだ、女?こんなところに一人で来るとかバカか』
『おい、あいつが持ってるのって……』
『マジかよ!使えなくても売れば──!』
『───っ!!』
身を翻す。思ったより治安の悪い所に出てきてしまったようだ。既に追われてる身だが、相手は一人。複数人に迫られそうな今の方が状況は悪い。
再びレンガを数回叩く。壁が閉じていくのを待たず、来た道を引き返した。
『───でも、引き返しても』
『見つけただぁ!』
最悪の声が聞こえる。そう。自分が野原から……いや、故郷の里から刀を抱えて走らなければいけなくなった元凶が、遂に追いついてきた。
『安心せれ!おらは女子を斬る気はねぇよ!その盟刀さえ置いてってくれりゃあそんで良い!だが置いてかねぇってんならぶった斬る!』
自らも刀を振り回し、田舎者口調で迫ってくるのは鬼人と呼ばれる種族の少女。身体的特徴はほぼ人間と変わらないが、頭部に一、二本。人にはない角を持っている。彼女が持つ刀もまた、盟刀と呼ばれる剣であった。
『貴女も剣主の一人ですか』
『応とも!ウチこそが盟刀【燕雀】が剣主つるぎ様だ!その盟刀を捨てて逃げるか、ウチと戦うか、選びな!』
彼女の名はつるぎ。鬼人の少女にして、極東に散った盟刀と呼ばれる特殊な21工。全ての盟刀に最強と認められた剣主は國盗の力が手に入ると言われる伝説の刀。そのうちの一振りを手にする剣主である。
『申し訳ありませんが、私の刀も、この盟刀も、仕えるべきお方はもう決まっているのです』
巫女の少女が剣を抜く。すると東京から彼女を追ってきたゴロツキ達も追いついてきており、巫女は挟み撃ちにあう形となってしまった。
しかし、一人の少女がよってたかって囲まれている場はなんとも目立つ。草原の野原のような遮蔽物がない場所では尚更だ。最悪の状況だからこそ、その光景は運命を引き寄せた。
『おうおう。か弱い女の子一人相手に鬼人とゴロツキ沢山かよ。随分不細工な事やってんじゃねえか』
絶体絶命の場面に現れたのは長い黒髪を髷に結った美少年。彼こそがブレイド。そして背を合わせ、盟刀を少年に捧げる巫女の名はシース。この物語の主人公とヒロインである。
『ブレイド様!コレを!』
『なんだ、コレ……光って……!』
託された剣から輝きが漏れる。風が舞い上がり、周囲を揺らす。その異様にゴロツキもつるぎも近づくことができなかった。
『貴方様こそ神託の剣主。盟刀【風丸】の所有者。私の主様でございます』
少年と少女、そして一本の太刀によって、東京ブレイドの物語は始まった。
▼
───凄い
ミヤコは戦慄していた。アクアの演技を直接見るのはあのPV以来。もちろん今ガチの動画は見たが、あの時は炎上対策として素人にもわかる演技で抑えていた。真剣ではあったけど本気ではなかった。彼女からしてみれば、10ヶ月ぶりの、アクアの本気だった。
ヒロインの危機に颯爽と現れた壇上のブレイドは快活に笑い、ゴロツキ相手に躍動し、剣主のつるぎに追い詰められても、主人公然とした勝ち気な態度を崩さなかった。
『盟刀も持ってねぇオメェが私に勝てると思ってんのか!』
『負けるかどうかは、やってみなきゃわかんねぇ!』
───なんて繊細な、それでいて異常な没入…
役の内面に深く潜り、そして戻ってくる。既に人格からして別人と化しているのが、この距離でわかる。
───いや、違う
この距離でもわからされている、というのが正しい。ブレイドが手にする刀が光っている、というのはモニターで映し出されているから分かる現象。当たり前だが実際にアクアが手にする刀は光ってはいない。ただの一振りの太刀だ。漫画やアニメのようにはいかない。
けれど、観客たちはあの刀から光が放たれているように見える。あの刀から風が舞い上がり、彼の髪や服をたなびかせているように見える。
刀を見つめるアクアの目が、まるで太陽を直接見ているかのように歪む事で。
ステアラの装置によって巻き起こっているはずの風が、絶妙のボディバランスと着物のたなびき、髪の揺れによって、まるで刀から巻き起こっているかのように魅せる事で。
表現力を水面の上に留まらず、環境まで影響を及ぼすレベルまで昇華している。だから観客と演者の距離が近くなる。距離感が曖昧になる。
『一ノ刃・疾風迅雷!!』
轟音が鳴り響き、つるぎが打ち倒される。刀から放たれる風と雷。音響とモニターによって表現されているはずのソレが、まるでアクアが放ったかのような支配感があった。
無論錯覚だ。実際は音がいつ出るか、どのように振動が観客へ伝わるか、事前に知っているアクアが、環境に身を委ね、刹那先を動いているに過ぎない。
───だけど、早すぎても不自然になるし、遅すぎては観客も冷める
早すぎず、かつ遅すぎない。経験と読み、そして没入によって誤差ワンフレーム以下に抑える。コレがどれほどの神技か、理解している人間が、このホールに一体何人いるだろう。
つるぎとの戦いを勝利で終えたブレイドが鞘へと刀を納める。聞こえないはずの鍔鳴りの音がホール中に響き渡った気がした。
表現力という点のみでいうなら、もはや姫川大輝に匹敵する。
───あの子、舞台は今回が初めてでしょ
舞台経験なし。稽古期間約1ヶ月。つまりたった1ヶ月であの姫川大輝に並ぶ表現力を身につけた。
───選ばれてる……導かれてる……
芸能の神か、偉人か。それとも全く別の何かか。とにかく明らかに常人とは異なる。次元を画する成長速度。本人の努力と才能だけで説明できる範囲を超えている。目に見えない何かに、あの子は導かれてる。手を引かれてる。
「何者だ、あれは…」
関係者が多く座る後方の席。その中のどこかから、声が聞こえてくる。劇場では静かにするのがマナーだが、まああのくらいの独り言は許されるだろう。許されなければあまりに酷だ。そう言いたくなるのも当然だから。自分が同じ立場なら、間違いなく同じ感想を抱くから。
「…………ずるい」
隣に座る義娘の呟きが聞こえる。何がずるいかは聞かない。わかる。私からすれば、ルビーも十分持つ側だが、それでもこの異才と比べられたら、その感想を抱くのは自然だ。
兄が天才であることくらい、とっくの昔に知っていた。才能に溺れない努力をしているのもわかっている。
わかっているけど、それでも。
「どうして
こんなにもあの人になりたいと願っているのに。そのためだけにこの16年を費やしてきたのに。あの人の全てを受け継いでいるのは、私じゃない。
私はあのステージの上で、あんなに眩しく輝けない。
【お兄ちゃんの部屋って殺風景だよね】
いつだったか、そんな話をしたことがある。兄の部屋にあるのは演技の本などの資料が入った本棚と机、ベッドくらいしかない。赤ちゃんの頃は私に匹敵するドルオタだったくせに、いまやその手のポスターもCDすらない。ママのあの事件をきっかけにアクアはその手の活動などから完全に縁を切った。ストイックに、自身の向上のみにその才能と情熱を傾けた。
あれから12年。自室の家具やインテリアには性格が出るというが、まさにクールで合理的で無駄を好まない兄を表しているかのような、殺風景な部屋と化した。
【お兄ちゃんって憧れてる人とか、目標にしてる人とかいないの?】
【いねえよ全然。スゲーと思う人はいるし、手本とする人はいたけど、お前みたいにその人になりたいなんてことは思わない。だって、その人とオレは違うし、オレはオレにしかなれないから】
兄は私を否定したりしたことはない。アイドルを目指すのだってリスクリターン考えて行動しろ、とかの忠告はしょっちゅうされたけど、目指すこと自体をやめろと言った事はない。
ママみたいになる。子供の頃から事あるごとに口にしてきた私の夢を、否定したこともない。
でも一度だけ、こんな事を言っていた。
【何かに夢中になるのはいいが、自分の人生から逃げる現実逃避の手段にだけはするなよ】
イラっとした。ムカついた。自分だって昔はママのオタで、男がいる事実から逃避してたくせに、と。絶対いつかママみたいになって、見返してやると思っていた。
でも、現実は、コレだ。
アイドルと役者。ステージの種類は違う。オーラだって真逆だ。だけど今、この瞬間、アクアは誰よりも輝き、視線を集めている。眩しさに目が焼かれる。それでも見てしまう。暴力的な引力。人を狂わせる何かを持つ者だけが放てる光。
あの事件からすっかり脱オタして、ママのことなんて忘れちゃったみたいに、自分の道のみを追求している。そんなあの人が今誰よりもママに近い。あの光を手に入れたのは、こんなにもあの光を求めている私じゃない。ずるいと思わずにはいられなかった。才能とはここまで理不尽なものかと妬まずにはいられなかった。
「ついに至りやがったか」
壇上を見つめる五反田監督が呟く。才能はあった。努力もしていた。けれど何かが拒んでいたあと一歩。何がきっかけかはわからないが、その一歩をついに踏み出したと五反田は確信する。
そう、アクアは至った。かつての天才『アイ』と同じ領域に。16歳というアイと同じ年齢で。
───決まりね
舞台袖で、十二単衣のような分厚い着物を纏う美少女は確信した。この男は、あの天才の息子だと。
───流石……!
最も近くで、彼に侍る少女は歓喜した。コレが星野アクア。稽古の時とは比較にならない、本気で憑依った時の演技。自らの彼氏に置いていかれないよう、自身も役への深度を深めた。
───凄い……
打ち倒され、腰を抜かし、両手をついてへたり込む少女。彼と戦い、倒された後の今なら演技の流れからして、ごく自然な態度だったが、もし演技でなかったとしても同じ挙動をしていただろう。それほどまでに有馬かなは魅入っていた。
『さて、コレがコイツの盟刀か。とりあえずぶち折っとくか』
『ま、待ってくれだぁ!!』
つるぎが落としてしまった盟刀に向けてブレイドが大上段に刀を振り上げる。そこに慌ててつるぎが平伏しながらブレイドへ詰め寄った。
『やめてけれ!おらの盟刀を折らねぇでけれぇ!』
『ったく。命だけは勘弁っつったり、刀折るなっつったりワガママだな。もうめんどくせぇからコイツから斬っとくか』
『ひぃっ』
『主様。剣主が屈服した盟刀は既に主様の配下です。折るのは勿体無いかと』
『じゃ、刀だけもらってコイツは斬る』
『いいですね。それでいきましょう』
『ま、待ってけれ!おらもアンタの配下になる!それならいいだろぉ!』
『………どうする?』
『刀だけもらって行きましょう主様』
『待ってけれぇ!必ず役に立つだぁ!』
『弱い配下いらねぇんだよな』
『おらもアンタと強くなるからよぉ!』
『アホも主様には不要なのです』
『アホ言う奴がアホなんだぁ!』
ドタバタしながら3人は共に旅をする事となる。つるぎとシースが揉めたり、ブレイドが呆れたりする一幕をコミカルに演じ、劇場内に笑いが起こる事もあった。
───アクアの深さに引っ張られて、二人の演技も深くなっていく。
ブレイドに尽くすシース。命乞いしつつもシースと対抗するつるぎ。二人の演技に生の感情が吹き込まれていく。観客が演技を忘れ、見入り、笑っている。大衆に上手いと思わせる役者は二流。一流は演技を感じさせない。3人とも完全に一流の域に踏み込んでいる。踏み込んだ上で、さらに潜在能力を引き出している。アクアが光ることで周りも輝き、周りが輝くことでアクアがさらに光る。最高の循環が今、舞台にはもたらされていた。
『仕方ありません。新たに剣主を見つけるのも面倒と言えば面倒です。同行を許可しましょう。しかし主様の足手纏いにはなりませんようご注意を』
『おらから逃げ回ってただけのおめえに言われたかねえな!』
『私の【戦乙女】は守りの刀なのです。仕える主あればこその盟刀。あと主様に気安くされませんようにも』
『喧嘩するなら二人とも置いてくぞ』
『あ、待ってけれ!』
『申し訳ありません、主様。どうかご容赦を』
『てゆーかこの剣、そんな特殊な刀なのか。盟刀、だっけ?』
『はい。中でも【風丸】は風神の力を宿すと言われる21工の中でも上位の盟刀でございます』
どんな武器であろうとその力は使い手次第。だが國中に散らばった盟刀の中にも序列というモノは存在する。こと戦いに関して、【風丸】はかなり高い位置にいる。
『全ての盟刀に最強を認められた剣主は、國盗りの力がもたらされる、か』
『伝説ではございますが、それを絵空事と思わせない力が、盟刀にはあります』
『面白い。俺が最強になって、この東京を統一する唯一のクラスタを築き上げ、俺が王になる』
『私は主様の王道を支える盾となりましょう』
『ならこの「つるぎ」はアンタの王道を切り開く剣となるさ!その代わりアンタが王様になった際には私を大臣にしてけろ!』
『アホに大臣が務まるとは思えませんが』
『ああ!?』
『なにか?』
『置いてく』
『待ってけれ〜!』
『主様、お赦しを』
以上が物語の冒頭。東京ブレイドの骨格となる設定。ここからはブレイド・シース・つるぎの3名が首都・東京で快進撃を進めていく。次々と敵を打ち破り、仲間を増やすブレイド一行。新興勢力の存在に最も敏感に反応したのは古くから渋谷に拠点を置くクラスタだった。
『【風丸】が目覚めたか』
『はっ。剣主の名はブレイド。近頃新宿で話題の小僧です』
『ならばいずれ戦う運命にあるだろう。俺が【雷斬】を手にする限り』
【風丸】と対をなす21工上位の盟刀【雷斬】。剣主の名は刀鬼。渋谷に拠点を置く一大クラスタのNo.2である。
『戦いが恐ろしいですか、刀鬼』
闇の奥。御簾が下された座敷から声が響く。豪奢な髪飾りに十二単衣のような和服。濃い色の紅を差した威圧感のある美女。彼女が渋谷クラスタトップ。【
「綺麗…」
観客の中の誰かが思わず呟く。その言葉を肯定するかのようにほうっと息が漏れた。そしてそれを最後に再び無音がホールを支配する。マナーではない。誰もがその美しさに目が離せず、押し黙り、意識を持っていかれた。
『まさか。俺は貴女の懐刀です。刀に感情はありません。無論、恐怖も』
『…………そうでしょうね』
───えっ
芸能関係者、中でも審美眼に肥えた人達から、声が出そうになった。そしてアクアからも。
意外なことをしたというわけではない。刀鬼の答えに微笑を返しただけだ。それだけのはずなのに。
───なんて哀しそうな、儚い笑み
恋人に隠し事をされているのが。嘘をつかれているのが。強がっているのが哀しい。説明されなくてもダイレクトに伝わってくる。そんな笑い方と声だった。演技とは思えない震え方だった。
何より不知火フリルらしさを感じない。
───いつも強く、凛として、美しいのが不知火フリル。だけど今の彼女は女が持つ特有の弱さを曝け出してる
メソッド演技。経験から芝居を作る。アクアやあかねの演技手法。没入型の役者の演技。それをあの不知火フリルがやっていた。俯瞰型の極みにいるはずの彼女が、だ。
───オレに言ってたのはこの事か?
舞台袖で見ていたアクアは思い出す。本番が始まる直前に、自分に言っていた言葉を。
『私が何をしても、貴方は私を好きでいてくれる?』
不知火フリルがメソッド演技。意外性はある。大衆もすごいと思うかもしれない。だが言い換えれば今まで成功を収めてきた手法を捨てたと言える。それは今までのファンを蔑ろにしたも同義。
───諸刃の剣……どころの話じゃない。このダブルキャスト。勝っても負けてもアイツは今までの立場は失うかもしれない
そこまでして勝ちにきた?意外とまでは言わないが腑に落ちない。フリルらしくない。らしさの押し付けなど、あまりしたくないが、それでも思う。らしくない。
───コレはまるで……
「アクアくんみたいな演技だね」
隣に侍るあかねの呟きはアクアの心を代弁した。
そう、コレはまるでオレの演技。
メソッド演技のことではない。メソッド演技自体は驚くには当たらない。アレは別にオレやあかねの専売特許というわけではない。訓練次第で誰でもできる。オレとフリルは互いが師であり、互いが弟子。オレがアイツから学んだようにアイツもオレから学んでいるはず。メソッド演技ができること自体は何ら不思議ではない。
腑に落ちないのは、驚愕させられたのは、アイツの行動の指針だ。
完璧か崩壊か。120点か0点か。勝つか死ぬか。後先を考えていない、破滅的行動。完璧主義の負の側面。観客にはわからないだろうが、オレには伝わってしまう。今のフリルの危うさが。
───お前はそういうタイプじゃねーだろ
鞘姫を演じるには確かに効果的だ。自分の魅せ方を誰よりも心得ていて、演技力も充分あり、演劇という舞台で通用する表現力にまで昇華している。その上で役の内面に潜り込んだ。このシーン、台本には特別な感情表現の指示はない。稽古でも平坦な演技を、と言われていた。
───気持ちを押し殺しているという感情を表しながらも、悲哀を込めた…
台本にはない。しかし刀鬼の婚約者としては妥当な反応。経験から作り出した演技。僅かな差だが、あの哀しげな微笑があるとないとではキャラの深みに雲泥の差が出る。鞘姫は基本無表情で端的、それでも決して冷徹な氷の姫ではない。外見の美しさ。そして内面の葛藤が観客に伝わる。
───フリルの真骨頂は上手い下手じゃない。本人の美しさ、カリスマ、外連味。生まれ持った存在感で大衆を虜にする。今もそれらの武器を捨てたというわけではない。あくまでも演じ分けという形で女の弱さを乗せてるだけ。今のフリルが演じる鞘姫は魅力的だ
だが、内面を汲み取った演技をするということは、不知火フリルらしさを薄めるということ。そしてメソッド演技という土俵で争うことになる。オレと、何よりあのあかねと。
内面に潜り込む。その点においてはあかねはオレを超える才能を持っている。深い考察力。分析力。洞察力。それらを踏まえて作り上げた役を完璧に演じきる、この怪物と同じ土俵で戦う。しかも大衆が望まないであろう弱い不知火フリルを乗せて。
この方針でいくということは、もうフリルに残された道は二つに一つ。完璧に勝つか、完膚なきまでに負けるか。どちらか。
確かに勝った時のリターンはデカいだろうが、負けた時のダメージは計り知れない。ハッキリ言って分は悪い。
────っ、
壇上のフリルと目が合う。その瞬間、ゾクリと背筋に寒気が走った。オレを見た時、フリルが確かに笑った。
一流の役者は動作や視線で演者の意図がわかる。
今舞台に立つ美女は紛うことなき超一流。そしてもはやアクアもその域に踏み込んでいる。だからわかった。今のアイツが何を言いたいか。今のアイツが何を言っているか。
刹那に消えたが、ハッキリと見えた。聞こえた。
『貴方を活かすのも殺すのも私がいい』
『私を活かすのも殺すのも貴方がいい』
───懐かしい感覚だな
首筋を撫でる。『今ガチ』の序盤で味わった、首元にナイフを突きつけられる感覚。ついてこなければ焼き殺すと脅され続けた、あの感覚が生々しく蘇る。あの時と違うのはオレもナイフを持っていて、お互いに突きつけあっているということ。もう一方的に殺される関係ではない。刃を交える関係だということ。
───お互い既に背水。そこまでやっても勝てる保証はないのもお互い同じ……
全てわかっている。わかった上であの場に立つと決めた。アイツと戦うと決めた。
相手は天才。自分は凡人。少し人より器用で、経験を積んでいるだけ。持って生まれたと言えるのは恵まれた容姿のみ。互いが師で互いが弟子。
───オレは凡人
───貴方は天才
お互いがお互いに持つ印象もまるで同じだった。
違いがあるとすれば、相手に抱く想いの差。
『愛してる』
壇上に立つ鞘姫から伝わってくる、刀鬼への愛情。偽物ではない。作り物でもない。本当の真心。
愛があるから彼が戦いに身を落とすことが哀しい。愛があるから彼に嘘をつかれるのが辛い。愛があるから虚勢を張る彼が愛しく、憎らしい。
今のフリルからはそんな鞘姫の感情が、リアルに、生々しく、迫を伴って伝わってくる。
───フリル……
叶うならこのまま舞台へ飛び出したい。飛び出して、肩を掴んで、聞いてみたい。
お前は愛を理解しているのか、と。
少し前までアイツはオレと同じだった。アイツも愛とか恋とか理解してなくて、でも理解したいと思ってて。だからオレに近づき、リアリティショーに出て、オレと関係を持った。
全く同じ経験を積んだはずなのに。リアリティショーだけじゃなく、あの頃は仕事からプライベートまで共にし、家族以上に密な時間を過ごしてきたはずなのに。
それなのに、オレは未だわからず、フリルは理解した。だからアイツは今、刀鬼に愛を捧げる演技ができている。同じ過程の中で、まるで異なる結果を手に入れている。
───なあ、フリル、知ってるなら教えてくれ
お前が掴んだ愛は、いったい何なんだ。
「アクア」
舞台を食い入るように見ていたアクアの肩に手が触れる。つるぎに扮した有馬だった。わかってる。もうすぐ場転。刀鬼と鞘姫にスポットを当てていた場所から、ブレイド一行へと戻る。旅の中、鬼人の剣主キザミと戦い、仲間になるシーンが始まろうとしている。
「───メルト」
小道具の刀を握り締め、刀の柄を額に押し当て、何かに祈るように目を瞑っていた眼帯を付けた少年の肩がビクリと震える。メイクを施されてなおわかるほど青い顔色でこちらを振り返った。
「行くぞ」
「…………ああっ」
わかりやすく緊張している。良くも悪くも『今日あま』の時にはなかった精神状態だ。この1ヶ月。やれるだけなことはやったつもりだが、1ヶ月で演技力そのものが向上するはずがない。緊張が悪い方向へ転がれば、あの時の悪夢の再現となる可能性は普通にある。
───まったく、いろんな意味で心身に悪い、この舞台
溜息を吐きそうになるのを何とか堪える。今から弱音を吐いていてはこの先思いやられる。
後に演劇界で伝説と語り継がれる舞台『東京ブレイド』
まだまだ始まったばかり。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
ついに始まりました東京ブレイド。原作では第一幕はサクサク進みましたが、拙作はダブルキャストの前後編。第一幕はもうちょっとだけ続くんじゃよ。オリジナル展開も入れる予定ですので展開遅いかもですがお許しを。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
61st take 運命
現実も空想も関わらず、容赦なく平等にもたらされる
最も強く、最も身近で、最も確実な運命
それは血の縁に結ばれた出会い
女の子は誰でも、一度は王子様に憧れる。
童話、小説、映画、あらゆる場面で颯爽と現れる、ヒロインを救うヒーロー。白馬にまたがり、少女に手を差し伸べ、時に笑い、時に歌い、時に踊る。そんな理想の王子様の存在を、夢想する。
運命の出会いを、待っている。
しかし年齢を重ね、常識を備えていくうちにそんな幻想は消えていく。
現代日本に王子様など存在しないと学んだ時。人の二面性を知った時。ませた女の子の生々しい恋バナを聞いた時。現実を知るうちにかき消されていく幼く淡い想い。理想を追い求めることなどせず、手の届く範囲の出会いで満足し、ある程度釣り合いの取れる異性との出会いと別れを繰り返す。
ほとんどの人間が妥協の恋愛に追いついていく。
しかし、ごく稀に、一握りのさらにひとつまみほどの中に、運命と断言できるような出会いがある。身を焦がすほどに恋をしてしまう人がいる。童話や小説、映画などと比べても遜色ないと思ってしまうような。
この身が炎で悶えて、消えて、また灰の中から生まれ直すかのような、燃えるような恋をしてしまうことが。
───アクアくん
壇上、三千人以上の観衆が固唾を飲んで見守っている。六千以上の視線を一身に受ける。並の人間なら気後れしてしまう状況の中でも、いや、だからこそ誰よりも光り輝き、胸を張る主人公。
───アクアくんっ
身の丈ほどの太刀を自在に操り、風が、雷鳴が轟く。壇上で起こる森羅万象を支配しているかのように振る舞う、一等星。
───アクアくんっ!
『俺は東京を統一する唯一のクラスタを作り、この国の王になる!』
一つ演技をするたびに、一つセリフを口にするたびに、黒川あかねの全身に電気が走る。鳥肌が収まらず、快感にも似た寒気が背筋を震わせ続けた。
異常な没入。目の輝き。佇まい、見えている世界。全てがブレイドのものになっている。もしかしたら今アクアくんは客席など見えていないのかもしれない。六千以上の瞳が彼を凝視していることなど、意識の彼方なのかもしれない。それほどまでに、繊細で、緻密で、トリップに陥っている。
普通そんな繊細な没入など、演劇の世界では通用しないのだが、今アクアは全身を使った表現力で観客と演者の距離感を曖昧にしていた。
大袈裟だけど不自然じゃない。大きなリアクションだけどオーバーじゃない。服のたなびき。風に靡く髪。ありとあらゆる事象を全身で表現することによって、環境そのものを表現していた。
───あなたと出会えて、本当に良かった
キッカケは恋愛リアリティショー。その出演者の中でたった一人の同業者。記憶に新しい人だった。あのかなちゃんが出演してたドラマの共演者だったから。
あの時から、可能性は感じていた。
周りにも自分にも妥協しない、大人の都合とか企画の意図とか、分かった上で、汲み取った上で、周囲全て食い荒らした。脚本の悪いところ全てを飲み干し、自分が最も輝いた上で、かなちゃんに寄り添った。すごかった。そんなことができる人を直接見たのは二人目だった。
───周り全部、食べちゃう演技ができる人
全盛期のかなちゃんや、姫川さんみたいに。そんな可能性を感じさせる人だった。
実際には私の想像などはるかに超える天才だった。
リアリティショーで共演が始まってから、私はこの人に圧倒されっぱなしだった。あの不知火フリルと対等に渡り合うトーク力。慣れないネットバラエティで初めてMCを務めるにも関わらず、完璧に熟す視野の広さ。演技しかやってこなかった私はどんどん埋もれて、なんでもできるこの人はどんどん上へ上がっていった。
正直恨んだこともあった。妬んだことも。焦った時期もあった。その結果があの事故だった。
SNSで晒される非難の集中砲火。今思えば馬鹿らしいが、あの時は本当に人生終わったと思わされた。ネットの深淵を覗き込んで、その暗闇に取り込まれ、溺れていった。
もう疲れた。もがくのも足掻くのも飽きてしまって、あとはただ沈みゆくだけだった。あの嵐の夜、私の目の前は本当に真っ暗だった。
闇の中で私を照らした光は、スマホのディスプレイと、そこから流れた擬似音声だった。
「海に飛び込むことでしかお前を助けられないなら、その時は飛び込むさ。あかねを助けるためなら」
あの時、神様が舞い降りたと思った。王子様なんて小さな存在じゃない。死ねとしか言われなかったあの頃、私に生きろといってくれたこの人が、神様みたいだと思った。
あの時が、私にとって星野アクアが運命になった瞬間だった。
───だから、私にはシースの気持ちがよくわかる
盟刀が納められた里で、剣巫として厳格に育てられたシース。神託によって盟刀【風丸】の剣主の従者として生きることを義務付けられた少女。
不安も多くあっただろう。会った事もない人を主人としなければならない不安。主人となる人が善人か悪人かもわからない不安。感じないはずがない。重荷にならないはずがない。
里から出て、盟刀一本を背負い、魔都・東京へ行かなければならない理不尽。里からでも噂は聞いていた。治安は悪く、ゴロツキも横行し、クラスタ同士の諍いなど日常。暴行などの軽犯罪は当たり前。強盗、殺人なども決して珍しくない。そんな場所に少女が刀一本をぶら下げ、旅をしなければいけない恐怖。
剣巫として選ばれたことに誇りはあったし、自負もあった。風丸の剣主の従者として生きる自分の意味に不満を持った事もない。けれど同年代の少女達を羨ましく思う事もまた、揺るぎない事実だった。
───でも、そんなもの、吹き飛んじゃうよね
『君の、名前は?』
運命と出会った衝撃を前にしてしまえば。
彼と出会い、守り、守られ、旅をする。この人は本当にトラブルというものに愛されているようで、行く先々で様々な厄介ごとに巻き込まれた。
時に力で。時に利益で。時に義で。彼は解決に尽力した。
剣主が棟梁を務める盗賊集団を三人で撃ち倒したり、お金のために用心棒的な仕事をしたり、恩を受けた人に借りを返すため、剣を取る事もあった。
旅をして、仲間を増やし、また次のトラブルへと招かれる。あの運命の出会いから、日々は本当に目まぐるしく過ぎていき、息を吐く暇もない。正直ここまで過酷な旅になるとは思わなかった。
けれど、それでも───
『行こう!シース!』
───彼の言葉が、行動が、表情が、とてつもなく魅力的に映る
差し伸べられた手を握ることになんの躊躇も持つことはできず、手を取った彼はどこまでも縦横無尽に走り回る。
目を離せば消えてしまう、疾風のようなその背中を追いかける事が当たり前になり、人生となっていく。
───あなたと共にいると誓った。その先に待つのはきっと、栄光か破滅のどちらかだ。わかっている
けれど確信していた。私には勿体無いほどの歓喜と思い出をくれるのも、この人だけだと言うことを。
───あなたと出会って、まだ半年も経ってないけれど
断言できる。私とあなたは運命の出会いだったと。
「───スゲェな」
舞台袖からステージを見つめるアクアくんが小さく呟く。視線の先には鞘姫に扮する少女がいた。名前は不知火フリルと言う。アクアくんの親友で、私の恋敵だ。
何が凄いと言っているか、私にはよくわかる。
役者とは大きく分けて二種類に分類できる。役の内面に憑依りこむ没入型と、他者の目で見た役の解釈を演じる俯瞰型。前者は主観的アプローチから役を作りだし、後者は客観的アプローチから役作りをする。
私とアクアくんは没入型で、かなちゃんとフリルちゃんは俯瞰型。中でもフリルちゃんの俯瞰は精度の高さが尋常でなく、同世代では間違いなくトップ。俯瞰型の極みと呼べる演者だ。大衆が求める不知火フリルと言うものを誰よりも深く理解し、大衆の期待に応え続けるスーパースター。
そんな俯瞰型の木綿と言える人が今、没入型の演技をしていた。婚約者である刀鬼が自らに感情を隠し、強さを演じる行為に哀しみを感じている。
メソッド演技。自身の経験から感情を作る。俯瞰の役者はあまりやらない、私やアクアくんが得意とする演技法だ。
───これ、わかる人は理解っちゃうんじゃないかな
恋人に嘘をつかれた悲しさ。その感情を経験から作り出した。つまり彼女には恋人が、そうでなくても恋をしている人がいて、その人に嘘をつかれた経験がある、と。
無論その恋は過去形で、今はフリーという可能性だってあるけれど、彼女を少し深く知る人であれば当然知っているだろう。彼女が親友と呼び、恋愛リアリティショーでほとんど一緒に行動し、諦めていないと宣言している男性がいることは。
親友発言はともかく、恋を諦めていないというのはショー番組中でしか言っていなかったため、大衆は知らないだろうが、芸能関係者であればそこそこの人間が知っている。そして芸能界におけるスキャンダルの発覚は、身内からのリークがほとんど。
───これできっと、アクアくんとフリルちゃんの関係を怪しむ人は、絶対出てくる。
火のないところに煙を起こし、ガソリン撒いて山火事を起こすのが芸能界。火種があったらそれこそ燃え広がるのはあっという間。私でも身をもって知ってるその事を、あの不知火フリルが知らないはずはない。気づいてないはずがない。
───マスコミの視線を増やすと分かっていても、今まで成功を収めてきた自分のやり方を捨ててでも、この舞台で勝ちに来た
アクアくんが凄いと思うところはここだろう。フリルちゃんがメソッド演技をした事では決してない。あれは別に私やアクアくんの専売特許じゃない。やろうと思えば努力次第で誰でもできる事だ。
あの不知火フリルが、なりふり構わず、捨て身でこの舞台に臨んできた。
いま舞台上にいるのは鞘姫に扮した不知火フリルではない。もちろん不知火フリルらしさが全てなくなったわけでもない。いつもより薄くはなっているが、消えてはいない。不知火フリルしか持ち得ない、思わず注視視してしまう存在感、常にらしさが香る外連味、オーラ。それらを損なわず鞘姫が入り込み、黄金率の配分で融合した鞘姫なのだ。こういう役作りも出来るんだ、と関係者にアピールするには充分すぎる。新境地を開拓した彼女にはまたたくさんのオファーが舞い込んでくるに違いない。
怖いだろう。凄いと思ってしまうだろう。舞台から視線が外せなくなるだろう。舞台を見つめる彼の心情はよくわかる。
だからこそ気に入らなかった。
一挙手一投足に魅入るその視線が嫌だった。そんな視線を私以外に向けてほしくなかった。私だけにその目を向けて欲しかった。
───きっとアクアくんは思っているんだろうな。フリルちゃんとの出会いは、運命だったって。
親友と呼び合い、意気投合し、切磋琢磨する二人。以前フリルちゃんがアクアくんは自分が育てたって言ってたけど、それはフリルちゃんもそうなんだろうと今の舞台を見ていると思う。没入型の極みであるアクアくんから真似び、学び、実践している。二人の出会いは運命だったと言って、反論できる人はいない。
───私だって
今は多分私しか言えないけど、いつか必ず貴方にも言わせてみせる。思わせてみせる。私との出会いが、運命だったと。
───アクアくん
盗賊の剣主、キザミを倒すため、剣を取ったブレイド。流石にこの辺りの一大盗賊団なだけあり、三人で倒すことは困難だったため、新宿周辺の若者を集め、戦える者を選抜しての討伐となった。しかし強制で集められた者たちに戦意などなく、むしろ盗賊団から逃れるため、村を捨てようとしている若者たちだった。
このまま戦っても惨敗は必至。彼らを戦士に変える必要がある。
一堂に会した若者たちの前に、ブレイドが立った。
『この新宿から逃れようとしている者も多いと聞く。ならば俺はその望みを許す。なぜなら俺は臆病者と沓を並べる気はないからだ』
若者たちがざわつく。事実とはいえ、面と向かって臆病者と謗られた。苛立たない者の方がおかしいだろう。
『しかしながら諸君。諸君らの故郷であるこの新宿を捨て、生き残る事ができるのは諸君らだけだろう。君たちの母や力のない子供。老人たちは盗賊に虐げられ、賊の奴隷に身を落とす』
目を逸らしていた現実を突きつけられる。そうなる未来を薄々予想していたが、考えないふりをしていた事実を改めて認識させられた。
『逃げても生きられるのは諸君のみ。そして彼らを救えるのもここにいる諸君のみだ』
逃げ出すことに後ろめたさを覚える若者たち。しかし、戦いへの恐れも隠せない。進むも退くも地獄。立ち尽くす以外に彼らにできることはなかった。
『心に火を灯せ!新宿クラスタの勇士たちよ!』
淡々と現実を語る口調が突如変わる。まるで天の向こうまで轟くような透き通った声に熱が籠る。聞いているだけで力が沸いてくるかのような。そんな檄が、若者たちに叩きつけられた。
『今日という日から逃げ、生きる事ができたとしても!このままでは諸君らは似た窮地に立たされた時、逃げることしかできなくなる!だが今日という日を雄々しく戦い、生き残る事ができれば!諸君たちの心には決して消えない炎が生涯灯される事だろう!』
武器を持った手に力が籠る。逃亡に振り切っていた彼らの意思に迷いが生じる。彼らは今人生の岐路に立たされていることに気づいたのだ。窮地から逃げ続ける人生。家族や愛する者のために戦える人生。どちらを選ぶかを。
『くそぉ!やってやるよちくしょう!』
『ここで逃げたら永遠に逃げ続ける人生になっちまう!そんなのごめんだ!』
『そうだ!逃げられねぇ!女房も子供もいるんだ!』
『俺には母親が!』
『俺は来年には子供が産まれるんだ!』
口々に上る、戦いのための鼓舞。ブレイドが放った火は、確かに若者たちに届いていた。
『心の準備は整ったか!』
【おう!】
『今を生きる家族!そしてこれから生まれてくる家族を守るための戦いだ!』
【おう!】
『最後まで共に戦うぞ!新宿クラスタの勇士たちよ!』
【おう!】
『ならば諸君!進軍を!兄弟たちに盟刀の加護が在らんことを!!』
【うぉおおおおおおおお!!!!】
雄叫びに地が揺れる。ステアラの演出で本当に揺れる客席に座る観客達も胸を熱くしていた。雄々しく腕を天に掲げる者たちの先頭に立つのは、黒髪を総髪に結った青年。
『凄い。檄一つでこんなに士気を高めるなんて。それもさっきまで逃げ腰だった若者達を戦士に変えた…』
その様子を側近の位置で見ていたつるぎが感嘆のセリフを息と共にもらす。常にブレイドの隣に侍る少女は、主人の背中をキュッと握りしめた。
『ブレイド様』
───アクアくん
「あなただけが、私の生涯唯一の主人です」
自らの一生をかけて支えるに足る人であると心から受け入れる原作の名シーンの一つ。この時あかねはシースと完全にシンクロしていた。
▼
物語は進んでいく。
ブレイド、シース、つるぎら一行は旅を続けながら盟刀を狙う敵や盟刀をもつ剣主達と戦い、勝利し、仲間を増やし、旅を続ける。少年漫画の王道展開が繰り広げられる。
その中の仲間の一人にキザミという鬼人がいた。新宿のゴロツキ共を纏め上げる小悪党の親玉。盟刀【晩成】の剣主である。
『おらおらぁ!怪我したくなきゃ雑魚は引っ込んでな!』
キザミ率いる盗賊団と新宿に住まう若者たちを味方に引き入れたブレイド一行。戦いが始まり、彼らの旅で初めての多人数対多人数の乱戦が繰り広げられた。
『散らばるな!俺とつるぎ以外は固まって戦え!』
『主様。背中はお任せください』
そして戦況はブレイド達へと傾き、ついに総大将であるキザミを追い詰めるにまで至る。
『お前ら、下がってろ。こういうのは言い訳の余地のねぇ形で叩きのめさねえといつまでも負けを認めねぇ』
多数対多数で始まった戦い。このまま棟梁のキザミを討ち取ってもなんら責められる謂れはない状況で、黒髪の剣士は眼帯の鬼人の一騎打ちを提案する。数合打ち合ったが自力の差、何より盟刀の格の差が如実に現れる。そう時間もかからず、決着となった。
『クソっ。つえーな、アンタ』
倒れたキザミは表情に悔しさを滲ませつつも、ニッと白い歯を見せた。
『俺もアンタの仲間にしてくれよ!アンタが王になったら、俺のポジションは将軍な!』
『ショーグン?』
『軍事を司る長の役職のことです』
『………にしては弱くねぇか?』
『まあ所詮ゴロツキの延長、お山の大将ですし』
『聞こえてんぞ!』
『彼自体は問題になりませんが引き連れてる人数はそこそこです。彼らを丸ごと配下にできるなら悪くないかと。現在最大派閥の渋谷クラスタも人数は相当なものとか。いかに盟刀使いといえど数の暴力に抗するのは難しいですから』
ましてブレイドは殺しはできるだけ避ける主義だ。盟刀使いが相手なら仕方がないと思っているが、普通人には基本的に不殺。盟刀使いには珍しい優しさ。性格も根明。こういった盗賊やゴロツキ集団は凄惨な末路を辿る事も多い。
『ちなみにこの辺りだと賊の処し方はどんなのだ?』
『面倒な場合は首を落とすのが普通です。都市の衛兵に首か耳を渡すと報奨金が出ます』
『…………そんなとこだよな』
ハアと一度息を吐くと
『…………俺は基本服従する人間は受け入れるし、俺が率いるクラスタも結構人が増えた。上に立つ人間に盟刀使いは欲しい。けど今のお前じゃショーグンには力量不足だ。もっと強くなれ』
『おう!言われなくても!』
こうしてブレイド陣営にも人数が増え、クラスタと呼べるだけの一団となり、東京内でも警戒されるクラスタの一つとなる。
しかし、そうなれば立ちはだかる敵も強敵が増えていく。
ブレイドは普通の刀の扱いに心得はあったが、盟刀に関しては全くの素人。今までは地力だけで倒せていたが、今後は盟刀の特性を強く活かす必要が出てくる。
『今までほとんど素の力で戦ってたのがおかしいのよ』
『主様、一旦クラスタの活動は休止。メンバーの面倒はキザミに任せ、私たち自身の向上に努めましょう。良い場所を知っています』
つるぎから指摘されたブレイドはシースの提案で東京内の中立地帯。渋谷と新宿の狭間にある深山【嵐峰】へと赴くことを決意する。
『おう、来たな。シースから聞いてる。とりあえずお前らはコレ持って修行しろ』
嵐峰へと到着したブレイド一行は山に住む刀鍛冶、スミスから一振りの剣を手渡される。
『【影打】。盟刀のなり損ないだ』
盟刀を作る技術自体は太古の昔に失われた。しかし再現しようとする刀鍛冶はいつの時代にもおり、その習作は相当数存在する。スミスが持っているのもそのうちの一つで、盟刀使いはこの影打で修行する事が必須となる。
『その影打が【握れる】ようになる頃にはお前らの盟刀もちったぁ力を引き出せるだろ。そっから先はテメェらの修練次第だ。しっかりやんな』
こうして始まった盟刀の修業だったのだが、すでに盟刀使いとしてある程度経験を積んでいたシースとつるぎの修業は結構順調だった。
『なるほど。鬼人の娘っ子の特性は速度だな。飛燕の力が握られている』
『剣の巫女は守りの力。花弁となる刀身が盾と刃両方の役割を果たす盟刀か』
『若造の方は……』
『ふぬぁああっ!!?』
思いっきり影打を握りしめるブレイドだったが、刀からは僅かにそよ風が感じられる程度のものだった。
『これはひどい』
『見るに堪えんな』
『ヘタ以前の問題だ』
『才能ないんじゃないか』
『ひどい、ひどすぎる』
『うるせぇっ!!』
刀鍛冶衆から下される容赦のない批評。そして思いっきり叩きつけられる影打。しばらくすったもんだのドタバタを繰り広げた後、ブレイドだけ特別メニューが課せられることとなった。
『くそっ、しょうがねえだろ。あいつらと違って俺は盟刀持ち出して短期間しか経ってねぇんだから』
元々基本スペックの高かったブレイドはこれまでの人生で苦労というものをあまりしてこなかった。そして今回、人生で初めて味わう苦難の壁に、悪戦苦闘の日々を過ごすこととなる。
『一ノ刃は出来たんだがな……それ以上の力を出そうとすると弾かれる……でも力で握っても意味ない感じするし、かといって緩めては本末転倒───だぁあああっ!どうすりゃいいんだぁっ』
『誰だこんな山奥で騒いでいる奴は。俺の修練の邪魔だ』
森に流れる川のほとりで頭を抱えていると、声が背後から届いてくる。振り返った先にいたのは目に眩しい金の髪をバックに纏めた、三本ツノの鬼人だった。
これが、ブレイドにとって二度目の人生を変える出会い。
東京最大勢力渋谷クラスタの長たる姫の懐刀。戦闘能力で言えば実質的なNo. 1に位置する鬼人【刀鬼】
急速に台頭を始めた新宿クラスタのトップ【ブレイド】
長きにわたる因縁を結ぶ二人の、最初の邂逅だった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
推しの子二次小説めっちゃ増えてて嬉しいです。どれも面白くて、筆者の頭では思いつかなかった設定もたくさんあって。やっぱ皆アイに生きてて欲しかったんだなぁってのがよくわかります。それでも拙作が一番面白いと言っていただける声もあって感激してます。大感謝です。一応拙作でもアイの救済案は考えているのですが、実現するか微妙。してもまだ先の話です。もう少しお待ちください。直前になればアンケートとか取る予定です。
舞台東京ブレイドは次話で第一幕影打編終了です。独自設定盛り込みまくってます。違和感なく読んでいただけていれば嬉しいのですが。しかし原作では数ページで終わった第一幕に三話かかるとは。第二幕一体どれだけかかるのか、筆者すら想像つきません。読者の方々に読んでてダレないよう頑張りますので、どうかお付き合いください。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
62nd take 兄弟
重なる真実は死神の元へ近づく道標になるだろう
血の宿縁に頼り過ぎてはいけない
愛の真実をなくしている限り
『ふぅ』
場面転換。舞台の上は長屋の簡素な一室。そこに正座で佇むシースの姿から始まった。彼女の前には一脚のテーブル。その上には冊子と墨が置いてある。
【風丸】の剣主を探す旅が始まって以来、シースは手記をつけていた。路銀や宿代など、当面生活に困らないためのお金は里から支給されていたが、その代わり定期的に旅の内容を報告する義務がある。そのため、頭以外に記録しておくことは必要だった。
それにシースには一つ夢があった。ブレイドはいつか必ず東京を統一し、この国の王になるお方だと信じている。ブレイドの名は歴史に刻まれ、それまでの足跡はいずれ伝説になる。ブレイドがなした偉業は数多くの人に知ってもらわなければいけない。全ての戦いが終わった時、この手記を主として紀行文を書き、後世に伝えようと決めていた。
『───今日はこんなところですかね』
墨が乾くのをしばらく待って、ページをめくる。この旅が始まってしばらくが経つ。最初は真っ白だったページも、今はそれなりに埋まっていた。気がついた時、ページは一番前まで捲られていた。
《───弥生の十壱。【戦乙女】の修行も終わり、とうとう剣巫としての旅が始まります。里の社に奉納されていた盟刀【風丸】を持って、いよいよ神託の旅に出ます。なんだろう。ずっと待ってたはずなのに、いざこの日が来てみると不思議な感じです。身体がふわふわして落ち着きません。不安なのか、緊張なのか……とにかく、神託の剣主。我が主様に相応しい巫女として、全霊を尽くす所存です》
クスリと笑ってしまう。我ながら固い字だ。そのくせところどころ震えている。この時はこんな気持ちだったなぁと文体から生々しく蘇ってきた。昔、というほど時間は経っていないはずなのに、シースにはこの頃がひどく懐かしく思える。それほどまでにブレイド様との旅は密度が濃く、刺激の連続だった。
ページを捲る。その後はしばらく旅の楽しみや苦労などが綴られている。そしてとうとう運命の日。ブレイド様と出会った時について語られていた。
《───卯月の参。ついに神託の剣主と出会えました。お名前はブレイド様。心根は優しく、明るい。この乱世には珍しい明朗な方でした。元々剣の心得はあるらしく、初めて握った盟刀にも気後れされることはなく、早くも刃術の一を会得されました。敵だった剣主も部下として遺恨は残さず、受け入れられた、広い器を持った方です。この方を支えるべく、私も奮励努力いたします》
この時の自分に少し苛立ちが募る。当時はまだブレイド様の事を品定めしていた部分も大きかった。自身の傲慢が今となっては腹立たしい。
《───皐月の五。東京の新宿へと訪れた私達は襲撃を受ける。襲撃犯は近隣の住民で驚いたことに市政の民でした。この辺りに拠点を構える盗賊に迫害され、窮した彼らは旅人などを襲い、なんとか生計を立てているらしい。盗賊の親玉は盟刀の剣主だそうです》
ここでブレイド様は盗賊団を倒すべく剣を取り、村の若者を纏め上げ、戦いへと挑んだ。あの時の感動を私は一生忘れない。
《───皐月の七。私は今日という日を忘れないでしょう。ブレイド様に倒され、盗賊にも逆らえない若者達は新宿を捨て、逃げようとしていた。つるぎは怒っていたけれど私は仕方ないと思いました。誇りのために命を張って戦える人間なんてそうはいないものです。逃げる者を責めることはできない、と思っていました》
しかしコレは彼らへの諦めであり、侮蔑だったと気づきました。
《───ブレイド様は違った》
主様は彼らを諦めなかった。見捨てなかった。侮ったりなどしなかった。
『心に火を灯せ!新宿クラスタの勇士達よ!』
あの瞬間、鳥肌が立ちました。人が生まれ変わる瞬間を、光に照らされ輝く人を、初めて目の当たりにしました。
《この方しかいない》
この荒れ果てた東京を統一し、この国の王となり、戦乱の世を終わらせられる人は、主様だけだと、私は心の底から確信しました。
しかし、そんな王の器を持つ人でも、この課題にぶつかるのはある意味必然だったでしょう。
《───水無月の十七。盟刀の修行として影打を鍛治職人の方から渡されました》
主従の契約を交わした盟刀と剣主の間にはパスが繋がっている。盟刀がもつ超常の力が剣主と繋がり、馴染み、深度を深めることで剣主は刃術を会得していく。盟刀使いなら誰もが行う基本にして奥義へとつながる修行。
《 私は里で似たような修行をやっていたため、身体に馴染んだ盟刀の力を影打で握るのは難しくなかったですが───》
『ぬふぁああああっ』
主様は盟刀使いとしてはまだ半年のキャリアもありません。刃術の一を会得するだけでも本来なら半年近くの修行が必要。主様と風丸の繋がりはまだまだ薄い。コレばかりは一朝一夕ではいかないだろう。
《───お手伝いしたいところですが、盟刀と剣主の繋がりは十人十色で千差万別。下手に私の感覚をお伝えしても余計な先入観を与えてしまうかもしれません。心苦しいですが、今はただ見守ります》
そして主様単独の修行が始まって少しが経った頃、一度食事を用意してご様子を伺いに行った。
───えっ
影打を前に座禅を組み、剣と向き合う。【盟想】と呼ばれる盟刀と剣主の繋がりを深める対話の儀式。小川を支配する主様は衣擦れの音すら躊躇われるほど静謐なオーラを溢れさせていた。
───まさか、自力で盟想を?
『ふぅっ』
【盟想】を終えたのか。目を開き、大きく深呼吸する。同時に流れ出す滝のような汗。相当の集中を持って挑んでいたのだろう。静謐さは霧散し、ようやく周囲の時が動き始めた。
『主様』
『…………シース』
『お食事をお持ちしました』
『ありがとう』
竹筒に入った水を一気にあおり、葉で包まれた握り飯を口にする。美味い、とブレイドが一言もらし、シースはホッと胸を撫で下ろした。
『主様。先ほどは【盟想】を行っておいでのようでしたが、自力で辿り着かれたのですか?』
『まさか。教えてもらったんだよ。刀との対話が最初の一歩だって』
『どなたに?』
『とある鬼人の兄さん』
それから主様はその鬼人について楽しそうに語られた。無愛想な人なんだけど、なんだかんだ優しくて面倒見も良くて、若干ツンデレ。パッと聞いた印象では主様と正反対な方のように聞こえたが、よくよく考えると似ている部分も結構ある。そんな人だった。
『しかし大丈夫なのですか?それだけ盟刀の事を知っておられるという事はその方も恐らく剣主でしょう。いずれ敵対するかもしれません』
『大丈夫だよ。少なくともこの場でやる気ないって言ってたし』
『ですが……』
『俺も聞いたんだよ。なんで教えてくれるのかって。そしたら───』
「箒と塵取り使って風呂掃除してるようなマヌケが目の前にいれば俺のストレスになる」
と、言われたそうだ。
『───失礼な方ですね、主様に向かって』
『まあこちらは教えを乞う身だ。多少の無礼は仕方がないさ』
おにぎりの最後の一口を呑みくだす。米粒がついた口元には笑みが登っていた。
『楽しそうですね』
『ああ。鬼人の友達って初めて出来たし、こんな風に人に教えてもらうのも初めてだから』
その一言にシースの胸がずきりと痛む。この人と出会って、旅をして、色々な事をしてきたが、私はいつも守られてばかりだ。主様を守るのが剣巫の役目のはずなのに。つるぎもキザミも主様に頼ってばかりで頼られているところはあまり見ない。クラスタのトップなのだから当然と言う者もいるだろうが、支える従者としては情けない。
───私も、もっと強くならなければ…
いつか主様に心から頼っていただくため、決意を新たに拳を握りしめた。
▼
再び場面転換。今度は和装の邸内。天守閣と呼ぶべき頂上の一室。二人の男女が佇んでいた。盃を傾けながら膝を立てて座るのは3本ツノの鬼人。そして乾いた盃に酒を注ぐのは十二単衣のような荘厳な着物を纏う、艶やかな黒髪を背中まで伸ばした美女。
刀鬼と鞘姫。東京最大派閥渋谷クラスタのトップツーである。
『───渇く』
刀鬼の独白。酒盃を傾けながらホールに響き渡る声の迫は、観客を震わせるほどの圧があった。
『───幾ら酒を飲んでも、姫を抱いても、返り血を浴びても、渇きが癒えない。姫の懐刀であることに不満はない。戦いに飽いてもいない。全てにおいて、俺はそこそこに満ちているはずなのに』
観客だけではない。共演者にすら、俺を見ろと強制するかのような引力。
『誰だ……俺の渇きと飢えを満たすのは』
独白が終わった瞬間、チラリと脳裏に浮かぶ。あの山の中、【影打】で修行をしていた小僧。いかにも初心者という感じだったが、僅かなアドバイスで驚くほど飲み込みの早い男だった。アレほどセンスのある剣士は渋谷クラスタでもお目にかかったことがない。久々に少し面白いヤツと出会ったと思った。
『楽しそうですね』
無言で酒盃を口にする刀鬼に向かって、鞘姫が柔らかく微笑む。評された刀鬼は怪訝な目を主人へと向けた。
『最近の貴方は楽しそうです。新しいオモチャを見つけたような。秘密基地を探索してるかのような。そんな目をしています』
『お戯れを…』
『懐かしいですね。昔を思い出します。まだ貴方も私も子供で。クラスタなんて背負ってなくて。ただの男の子と女の子だった………私の手をいつも引っ張ってくれた、あの時を』
あの頃、刀鬼と鞘姫に序列はなかった。親が引き合わせた二人ではあったが、婚約者であるなどまるで知らず、仲の良い男女として過ごしていた。
昔から鞘姫は誰かを引っ張る、というタイプではなかった。いずれ上に立つ者としての教育は受けていたし、引っ込み思案というわけでもなかったが、積極的に何かと関わろうという事はしなかった。
手を引っ張ってくれたのは。いろんな場所に冒険へ連れて行ってくれて、私を守ってくれたのは、いつだって刀鬼だった。
今も彼は私を守ることに全力を尽くしてくれている。こうして二人きりで過ごす時間だって作ってくれている。彼が婚約者であることに不満はない。
けれど時間が経つに連れて。自分がいずれ渋谷クラスタのNo.2になることの自覚が強くなるに連れて。感情を表に表す事をしなくなった。子供な頃に見せてくれた、天真爛漫な笑顔を見せてくれなくなった。強くなればなるほど、彼の心が凍りついていくような気がした。
人に弱みを見せないために、感情を封じ込める。私の懐刀であることに徹している。それは渋谷クラスタNo.2としては至極正しい。
しかし昔の、本当の刀鬼を知る鞘姫から見れば、その変化はとても悲しかった。
───だけど今、刀鬼の心の氷が、少し溶けている気がする。相変わらず顔には出さないけど、纏う空気が変わった……いえ、戻った気がした。
『何か良い出会いでもありましたか?女性であるなら私もぜひ挨拶したいものですが』
『そのようなものはありません。まあ、ストレス解消の道具みたいなものを見つけただけです』
そして刀鬼から語られる。ブレイドとの出会い。【嵐峰】の山の中で【盟想】に努めていると、唸り声が聞こえてきた事を。
『ほどほどに弱く、根性もあり、打たれ強い。実によいサンドバッグです。ストレス解消にはちょうど良い』
『やり過ぎないであげてくださいね………しかし貴方がそこまで評価するのも珍しい。その者の名前は───』
『失礼します』
鞘姫の言葉が遮られる。扉の奥から現れたのはいつも黒のフードを目深に被った、覇気のない青年。名前は【匁】。彼もまた、渋谷クラスタの剣主である。
『───あっ、申し訳ありません。取り込み中でしたか』
『構いません。何用ですか?』
『はっ、どうやら新興クラスタが渋谷のシマを荒らしているようです』
『渋谷を?』
渋谷が鞘姫達の支配領域であることは東京に長く住む者なら誰でも知っている。それを知った上で荒らしているのであれば確かに問題だ。
『基本的に渋谷の実情を理解しての行動とは思えません。何も考えていないと言う方が正しいでしょう』
『その者達の名前は?』
『新宿クラスタと名乗っていました。攻めてきたのはキザミという鬼人でしたが、奴らが口にしていたトップの名は──』
▼
『───よしっ』
鍛治職人のオッサンに、今日から盟刀で修行することを許可された。その足でいつもの小川のほとりにいき、風丸をグッと握る。俺を中心に風が強く舞い上がった。やっと力のパスが繋がった実感が湧く。刀の特性を理解し、盟想を重ねて刀と対話することで、風丸の力の流れが自身の生命エネルギーの流れと同調した。柄を通じて流れ込む力を握る。これが【掌握】の基本にして奥義。《盟刀を握る》という感覚がようやくわかった。
『影打でも力の流れは感じてたけど、やっぱ盟刀は格が違うな』
内在するエネルギーの量が影打とは段違いだ。その分握るのは難しいけど、知覚だけなら遥かにやりやすい。コツを掴んでしまえばブレイドにとって、風丸は影打よりも握りやすかった。
『───雨、降りそうだな』
どこか遠くで雷鳴が聞こえた気がする。空を見上げると分厚い雲が山の上を覆っていた。
『───ブレイド』
名前を呼ばれる。振り返ると予想通りの人がいた。曇天にあっても眩い金色の髪に三本ツノの鬼人。
『刀鬼の兄さん』
ここ数日、ブレイドに盟刀の扱いの基本を教えてくれた鬼人だった。
『見てくれよ。今日は盟刀使って修行してたんだけど、結構上手く握れてさ。この分なら刃術も一だけじゃなくその先まで──』
『それがお前の盟刀か』
固い口調のまま、こちらへと近づいてくる。この人の砕けた口調など想像もつかないが、それでもどこか頑なな雰囲気が感じられた。
『盟刀・風丸。雷斬と対をなす上位の一工』
『なんだ、兄さん。知ってたの──』
『貴様が始めからそれを持っていれば、俺も貴様に【掌握】など教えはしなかっただろう』
どういう意味か、聞こうとする間もなかった。反射的にブレイドが飛び下がる。気づいた時には刀鬼の鞘から剣が抜き放たれており、頬には赤い筋が走っていた。
『…………良い反応だ。剣主としてはまだまだだが、剣士としては優秀だな』
『兄さん、なんで!?俺は、貴方を信じていたのに!!』
▼
背景が消える。照明も。ブレイドと刀鬼を照らすための、最小限の明かりだけが残った。音響も消え、立ち込めるのは雨音のみ。真っ暗な舞台。雨音だけが支配するステージの上で、少年と鬼人が向かい合う。
マイクの音が聞こえてくる。ステージ上の誰でもない音声。声の高さからして女性だろう。透明感のある声はよく通り、ホール内を埋め尽くした。
『むかーしむかし。そのまた昔。まだ盟刀を作る技術が失われていなかった太古の時代。一人の少年と鬼人がいました』
ステージ上、切り結ぶブレイドと刀鬼の傍らで、語り部の声だけが強く、虚しく響く。
『生まれも育ちも違う二人はそれぞれの運命によって、それぞれの盟刀に選ばれます。少年は風丸。鬼人は雷斬の剣主となりました』
聞いているうちに東京ブレイドの読者は気づく。それは物語の中でも語られる、東京に古くから伝わる伝記の一つだった。
『少年と鬼人は、それぞれの目的のために旅をします。しかし二人の目標は同じ。世界を平和にするために剣を取った者達でした。故に二人が出会うのも必然だったのでしょう』
少年より長い時を生きる鬼人は少年より盟刀の扱いに長けており、まだ若い剣主である少年は鬼人に教えをこう事となる。
『生まれも育ちも違う。性格も表面的には正反対。けれど二人は何故か気が合い、友達になっていきます』
しかし目標を同じとする二人、しかし目的が違う二人。袂を別つのは必然だったのかもしれません。
決闘をすることになってしまった二人。戦いながら、少年の目からは涙が溢れました。そして鬼人も、彼を傷つけるたびにまるで自分が斬られているかのような痛みを心に感じていました。
『少年と鬼人は、兄弟だったのです』
母親は違う。ブレイドの母は人間で、刀鬼の母は鬼人。しかし同じ種から生まれ、身体には半分同じ血を宿している。腹違いの兄弟。それがブレイドと刀鬼。本人さえも知らない事実だった。
『少年は鬼人の兄が好きでした。鬼人も人間の弟が好きでした』
だからこそ、兄は弟を殺せなかった。
語り部の声が止まる。ステージ上に残ったのは劣勢ながら戦う意志を見せるブレイドと、とどめを指す事を躊躇う刀鬼。
『ブレイド。お前に教えたのは盟刀の扱いの基礎に過ぎない。見せてやろう。刃術の最高峰を』
盟刀を立てる。カチリと鍔鳴りの音が響いた。
『【盟刀掌握】』
[千鳥雷切一両筒]
甲高い鳥の鳴き声のような音が響く。その音に付き従うかのように雷霆が轟き、ホール中を真白の光が支配した。あまりの眩さに思わず観客達は目を瞑り、轟く雷鳴に身を竦ませる。音が止み、雷光が収まった時、観客達はゆっくりと目を開く。
視界の先に広がっていたのは、刀を振り下ろした状態で静止する刀鬼と、真っ二つになった盟刀を抱え膝をつくブレイドだった。
『…………残念だ、ブレイド。貴様も所詮、俺の糧に過ぎなかった』
雷斬を腰へと納刀する。何も答えず、呆然とするブレイドに背を向けた。
『風丸が破壊された以上、殺す価値もない。クラスタを解散して、せいぜい日陰で生きろ。拾った命を噛み締めながらな』
舞台から刀鬼が出ていく。残されたのは雨音と、膝を折ったまま動けないブレイドのみ。
『兄さん……!兄さぁああああんっ!!!』
絶叫が木霊する。ブレイドの悲痛な叫び声のエコーが収まってから数秒後、全ての照明が落とされ、少しずつホール全体が明るくなっていく。モニターが閉じていく音と同時に警告音が鳴った。
〈これより、15分間の休憩になります。席をお立ちの際は手回り品にご注意を───〉
無機質なアナウンス音がスピーカーを鳴らし始めて、ようやく観客達は現実の世界に帰ってくる。姫川大輝、そして星野アクア。二人の神がかりが、観客達をトリップに誘っていた。前半が終わったことへの拍手が起こったのはアナウンスが終わってからだった。
「すごかったねー」
「うん、鳥肌立っちゃった」
「まだ夢の中にいるみたい」
一般客が休憩に席を立つ。今の間にトイレなどを済ませるために外へ出ていくのだろう。まだ後半の長丁場が残っている。今のうちに済ませておくものは済ませなければいけない。
しかし、芸能関係者は席を立つことができなかった。
「………圧巻だったな」
「まったく引けをとっていなかった」
「主役を際立たせるため、姫川大輝が加減してた可能性もあるが……」
「星野アクア、か」
圧巻だった。まるで引けをとってなかった。この劇を観ている者で、星野アクアの才能を認めていない関係者はいないだろう。
しかし
「あまりに不安定。危うい才能」
フリルの事務所社長はまだ星野アクアへの評価を決めかねていた。
今のところは文句なし。徹頭徹尾非の打ち所がない。この戦い以降のブレイドは初めての敗北を経験したことにより、持ち前の明るさを失うことはないが、それでも少し影を落とすようになる。そのための説得力を持たせるのが第一幕の役目。それは完璧にこなしていた。ここから先、ブレイドを観る観客達はどこかに星野アクアの影を幻視してしまうだろう。この舞台の主役はオレだと主張するには満点の演技。
そう、あくまで満点を与えられるのは主役という役割についてのみの話。
主役は誰かを慮る必要などない。作品の理解と解釈の範疇であれば、自分本位に、衝動的に、大胆にできる。そういう分野はメソッド演技で誰よりも深く潜る星野アクアの独壇場だ。ただ自身の感情を、暴力的なまでのオーラで表現すれば良いだけだった。
しかし後半から彼が演じるのは刀鬼。トップでなくNo.2。思うがままに暴れるだけではいけない。主役を喰うことなどもってのほか。明朗で快活でなく、複雑な情念と捩れた崇拝を併せ持つキャラクターを演じなければならない。その衝動を理解しなければいけない。
───その衝動の元は、愛
後半において主要となる五人の役者、それぞれの演技への愛──哲学と言い換えても良いかもしれない。アクアを除いた主演組全員が演技についてそれぞれの哲学を持っている。
不知火フリルであれば、大衆に寄り添うこと。どんな役を演じるとしても、大衆が求める不知火フリルであり続けることが彼女の哲学。
有馬かなであれば、監督などの裏方に寄り添うこと。監督や脚本家が自らに求める意思や内容に寄り添い、使い勝手の良い役者であり続けることが有馬かなの哲学。
黒川あかねであれば、演じる役に寄り添うこと。与えられた役の内面を徹底的にプロファイリング、考察し、自らに還元する。どんな役にも憑依し続けることが黒川あかねの哲学。
姫川大輝であれば、自分に寄り添うこと。自分に与えられた役割も、大衆が求めるものも、役の内面も、全て理解している。それらを汲み取った上で自分がやりたいように演じる。欠けた何かを埋めるように、自らのモチベーションを高め続けることが、姫川大輝の哲学。
───けれど、ここまで観ても、まだ星野アクアの哲学は見えてこない。星野アクアの愛の形が、わからない
どちらの方面へも中庸なのだ。
大衆への想いも、監督や脚本家への配慮も、役の内面への没入も、自分自身のエゴも。どれも中庸。どちらにも傾いていなければ、どれかに特化しているというわけでもない。
一見没入が深く見えるけれどそうではない。アレはできるからやっているだけ。そのレベルがあまりに高いから偏っているように見えるが、どれも100%を尽くしていることは変わりない。普通はもっと偏る。没入を100にする代わり客観視が軽くなったり、エゴを優先する代わり、裏方への配慮が雑になったりする。その偏りこそが人間臭さに繋がる。星野アクアにはそういった偏りがない。人間臭さがないのだ。
───不気味ね…欠落している。人としての何かが欠けてる。だから彼は美しく、危うい
俯瞰型なのか、没入型なのか、気配り上手なのか、エゴイストなのか、わからない。
持って生まれた多才さと、培ってきた技術によって作られた美しく強靭な
───未だ哲学を持てていない貴方が、この先一体どうやって愛を表現するのか……
彼の演技に愛がないとは思わない。けれど他の四人のように、哲学として表現できる説得力はない。なんとなく、感覚でやっていることを言語化し、再現性を見出す。そうでなければ彼の才能は不安定なままで、役者としての商品価値は今がピークになってしまうだろう。そうなってはもう彼をフリルと関わらせるわけにはいかなくなる。
───全ては第二幕。まだまだここから。
期待はしている。どうか応えてくれと切に願う。これからのフリルは、彼なしではキツくなるだろう。隣に居させてやりたい。事務所社長としても、一個人としても心からそう思っている。
しかしその為には資格を伴っていなければ話にならないのも、また事実。才能だけではダメだ。彼の成功がまぐれでないと大衆を納得させるための実績が要る。
「一体どんな形をしているのかしら。貴方の愛は」
警告音が鳴り響く。次第に暗くなっていくホール。幕間が終わり、第二幕のモニターが開き始めた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
第一幕終了です。影打編のクライマックスは刀鬼とブレイドの兄弟バレで締めくくろうと決めていました。オリジナル設定盛り込みまくりですが、いかがだったでしょうか。【盟刀掌握】は領域展開みたいな感じで、[千鳥雷切一両筒]は卍解みたいな感じでイメージしてくださるとありがたいです。
さて、次回からは第二幕。未だ愛の形を掴めていないアクアは一体どのように刀鬼を演じるのか。そして愛の形を掴めるのか。筆者も皆様と一緒に観劇しながら描いていきたいと思います。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
63rd take 持たざる者のカード捌き
一枚はエース、一枚はクズ、一枚はフラット
星をなくした子にカードの捌き方を習うといいだろう
エースで揃った手札の持ち主であろうと捌き方は存在するのだから
「別に悪いことじゃなくね?ナメられるって」
稽古が始まってから二週間近くが経って、鳴滝メルトから質問をされた時、アクアはこの答えを返していた。
アクアがまだ何にも報われてないと知った頃。メルトはできるだけアクアの近くで、アクアから演技を学ぶようにしていた。わかんない事は質問し、アクアと一緒に走ったりするようになった。簡単に質問に答えてくれなかったり、問題を投げかける形で返す事も多かった。今日も日課のランニングを一緒に終えた後、本番まで日が差し迫ってきて、尻に火がつき始めた頃、どうすればいいか教えて欲しくて質問した。しかし、「共演者にも観客にもナメられないようにするためにはどうしたらいい?」という問いに対し、アクアは端的に答えを返してきた。
「別にいいんじゃね?ナメられても」
と。
───そんな…
正直ショックだった。アクアは俺がどんな質問をしてもバカにしたり、突き放したりした事はなかった。俺が答えを見つけられるよう導いてくれていた。それなのに、今日初めて突き放された。
「そんなアドバイスがあるかよ!もっとまともな事言ってくれよ!」
「オレは常に大真面目だ」
「俺のせいでまた作品がダメになったらどうすんだよ!」
「そうならないために指導をしてるつもりだ。オレが信用できねーなら他の人を頼ればいい。オレの言葉を聞く価値があるかないか、判断するのはお前だ」
グッと黙り込む。星野アクアの才能は自分が誰よりも高く評価しているつもりだ。才能は不知火フリルに匹敵し、頭の良さはこの舞台の役者の中で随一と言える。演技というものに関して、彼ほど理性的に言語化できる人間は他にいないだろう。それはわかってる。だけど……
───安易に人に縋ろうとする人間を、温かく迎えてくれるほど、甘い男じゃない。
才能ある人には結構甘いが、そうでない人間には厳しい……とまでは言わないが、耳に痛い正論を突きつけてくる。喰らいついてくるなら良し。現実から目を逸らすなら、それまでのこと。それがアクアの自分に対する態度だと気づいた時、この舞台で演技について教わるのは、この男しかいないと決めていた。全身を耳にして、言葉を拾う。言葉を糧にする。アクアの言葉に質量を感じ、食らいつき、呑みくだす。それが今の俺の最善だと信じている。
「聞かせてくれ、全部」
「わかった」
冷や汗混じりの汗を拭きながらアクアへと向き合う。星の光を放つ青い瞳は直視し続けるには強すぎた。
▼
15分間の幕間。観客達の休憩時間。しかし演者にとっては幕間も仕事の真っ最中。化粧直し。ステージのスタンバイ。やる事はいくらでもある。事実モニターの奥にいる演者並びに関係者は忙しく動いていた。
中でもダブルキャストを務める4人は息を吐く暇もない。今までの装いを脱ぎ捨て、全く別のキャラクターに一からメイクをやり直す。無駄にできる時間などない。姫川とフリル、アクアとあかねは衣装を脱ぎ、裏方へと手渡しながら、駆け足でメイクルームへと向かっていた。
「アクアくん、また後で」
「心労は察するけど、メイク中に疲労の色は顔から抜いておきなさい。まだ折り返しなんだから」
「わかってる」
異常な没入。人格丸ごとブレイドへと憑依し、風雨舞い、雷鳴轟く超常現象のイメージの中に没頭し続けていたアクアからは滝のような汗が滴り落ちていた。歩きながら水をあおり、タオルで拭いているが、後から止めどなく吹き出してくる。もう季節は冬。劇場内は暖房が効いているとはいえ、上着を脱げば肌寒い環境の中で、アクアだけはまるで真夏の炎天下に晒されているかのような状態だった。
───まだ身体中がずぶ濡れになっているトリップから抜け出しきれてない
汗を引っ込めなければとわかっているのに止まらない。風雨の中に晒される空想に没頭する時間が長過ぎた。雨の中の決闘。信じていた鬼人に裏切られたショック。それらの強いイメージの残光は15分で払拭するには難しい。
────落ち着け。目を閉じて深呼吸を……
「脈拍を計れ」
男子化粧室。オレの隣でオレと同様に、全ての衣装を着替えなければいけない、後半の主演が短く言い放つ。驚きで少し汗がひいた。
「トリップってのは興奮状態で起こる。そして人間は興奮状態にある時、心臓の鼓動が早くなる。まずは心臓を落ち着かせろ。脈拍を計って落ち着きを客観的に把握するんだ」
返事はせず、自身の手首に指を添える。確かに早い。通常の倍近い早さで脈打っている。脈拍に集中し、深呼吸する。脳内に強く残っていたイメージが鼓動の音で上書きされていった。
トクッ、トクッ、トクッ、
徐々に、けれど確実に鼓動が落ち着いていく。吹き出していた汗も止まり始め、体は冬の寒さを知覚し始めた。
「焦らなくていい。第二幕は匁とキザミの戦いから始まるし、そのあとはしばらくブレイドが盟刀を復活させるシーンが続く。刀鬼の出番までは間がある。ゆっくりトリップから抜け出して、キャラクターを切り替えておけ」
「姫川さん」
立ち上がり、メイクさんがスタンバイしている部屋へ向かおうとする。脈拍を計る姿勢のまま、その背中に声をかけた。
「稽古の時から思ってましたが……なんでオレにアドバイスじみた事をしてくれるんですか?」
稽古が始まってから、アクアは姫川の気遣い的な言動を何度か受けていた。ありがたい事だったが、同時に少し不思議だった。今回アクアと姫川は対立関係。アクアの不調は彼にとって好都合のはずなのに。敵に塩を送る、とまでは言わないが、本番でまでアドバイスをしてくれるとは流石に思わなかった。
「───なんでだと思う?」
「───この舞台と成功のため、ですか?」
振り返らず、立ち止まったままの姫川に、最も現実的で可能性の高い答えを返すと笑われた。正解とも不正解とも取れる笑いだった。
「───この舞台、俺が満足いく形でお前が終わらせられたら、教えてやる」
部屋から出ていく。今教えろと思ったが、口にはせず、呼び止めることもしなかった。
▼
第二幕。それはブレイド側の視点でも、刀鬼側の視点でもないところから始まる。
ブレイドらが【嵐峰】で修行している最中、新宿クラスタの仕切りはキザミが行っている。そして盗賊上がりで、お山の大将をやっていたキザミに戦略などは存在しない。元配下達を中心に、考えなしに暴れ、クラスタを拡大させていた。
故に東京最大クラスタである渋谷クラスタとぶつかるのは必然だったのだろう。
第二幕はキザミと匁。二人の剣主の戦いから始まる。
「どうなってる?」
舞台袖。アクアより早く出番がある有馬はいつでも出れる位置にスタンバイしている。休憩時間15分丸々と、第二幕が始まってから今まで衣装替えとメイクに時間がかかっていたアクアは、ステージを見つめる有馬に現状の説明を求めた。
「───っ」
振り返った『つるぎ』を務める赤みがかった黒髪の美少女は息を呑む。アクアは普段顔半分が隠れるアシメヘア。ブレイドも黒髪ロングのセンター分け。ある程度顔が隠れる仕様となっている。対して刀鬼はオールバック。眩い蜂蜜色の髪を纏め、顔は完全に曝け出す形。
故に有馬かなは、星野アクアと再会してからほぼ初めて、完全に曝け出したアクアの顔を見た。
───綺麗
切り立った顎の形。筋の通った目鼻。綺麗に整えられた眉。双眸には僅かに疲労感が滲んでいるが、それもまた色香を引き立てる。何よりも目を惹く、星の輝きを放つ青い瞳。全てが美麗だった。惚れた弱みもあるのだろうが、それでも思う。いつもと違うメイクが施されているとはいえ、思ってしまう。こんなに綺麗な男の人、初めて見た、と。
「有馬?」
反応のなさに怪訝な顔つきを見せ、ようやく現実に戻ってくる。一度大きく咳払いすると再びステージへ視線を向けた。
「大丈夫。まだ始まったばかりよ。キザミと匁の対決。アンタの出番はしばらくないから、安心なさい」
「オレの話じゃなくて、メルトの話」
「やっぱり弟子の様子は気になるの?」
「弟子じゃねーし。演技についてはほとんど何も教えてねーし。オレが教えたのは気構えくらいのモンだよ」
「ま、1ヶ月で演技力自体の底上げはできないわよね。あの頃よりは多少マシだけど、やっぱりヘタよ」
有馬に続いて、ステージを見る。丁度鴨志田とメルトが向き合っているところだ。
鴨志田が演じる【匁】渋谷クラスタ重鎮の家柄。故に盟刀を親から譲り受けたが、本来戦い向きの性格をしていない匁。クラスタの抗争も自分はほぼ巻き込まれたと思っている。しかし血筋の良さから才能は遺伝しており、強さだけなら【キザミ】より遥かに上の剣主。
───匁って……というか、刀ブレの主要キャラってみんなどことなくアクアに似てるのよね。
戦いたくないのに、その才能だけで充分強い【匁】
自身の役割を心得ており、その役割にふさわしい強さを持っていながら、何かが欠けている【刀鬼】
明るさと前向きさを持ち合わせ、人々を巻き込み、良い方向へと導くリーダーの器を持つ。けれどどこか影がある【ブレイド】
それぞれで違う個性を持つキャラクター達でありながら、特徴を列挙すると星野アクアの共通点が浮かび上がる。
演技など好きじゃないくせに、その才能はたっぷりと持っている。
自分の役目は心得ている。けれどいつもそれ以上の何かを求め、行動する。
人の輪の中で強く輝き、そして周りを活かすこともできる。けれどそんな誰かに必要とされる自分を演じることに嫌気がさす。
刀ブレの主要キャラはみんなどこかアクアと似ていた。バーナム効果かもしれない。誰もが持つ多面性の一つなのかもしれない。けれど有馬かなは彼らからどことなく星野アクアの匂いを感じ取っていた。
───鮫島先生のキャラ作りって……いやいや。流石に考えすぎよ
確かにアクアと鮫島先生は舞台前から知り合いだったみたいだけど、そんな漫画にまで影響を与えるほどの付き合いな筈はない。
───本当に?
有馬の中で不安がもたげる。鮫島先生は男性にほとんど免疫がないと言っていた。なら男性キャラを作る時は全て想像でやっているのだろうか?そうは考えにくい。免疫のない、ほとんど知らない男という生き物を想像だけでこんなに面白く具体的に描けるものだろうか。モデルがいても不思議はない。
けど、鮫島先生にそんな漫画のモデルにまでするほど親しい人間がいるとは思えない。
───いるとしたら……
隣でステージを見つめる男の横顔に視線を向ける。真剣そのものの表情で舞台を見るその顔は綺麗で、かっこよく、少し蠱惑的だった。
「───やっぱり上手いな、鴨志田朔夜。2.5舞台で重宝されてるだけはある」
アクアの呟きで袋小路に入りかけた思考が戻ってくる。ハッとなって、一度軽く頬を叩いた。
───いけない、集中しなきゃ
今は本番中。それも撮り直しは絶対効かない舞台の最中だ。余計なことを考えるのはカーテンコールが終わってから。今は仕事に集中しなければ。ステージを、客席を見て、その空気と雰囲気を感じなければ。アクアが今そうしてるように。
「普段の性格とは真逆。だが原作リスペクトが高いんだろう。よく再現されてる。2.5のノウハウを学ぶ上で、この人ほどふさわしい教本はなかっただろう」
「その辺りはララライの役者達はほとんど気づいてたわね。私もあの人から学んだ2.5の作法は多いと思う」
「誰かさんは完全にゴーイングマイウェイだったけどね」
アクアの肘に手が添えられる。いつのまにか隣に来ていたのは十二単のような装束に着替えた黒髪の美少女、黒川あかねだった。
「あかね、メイク終わったのか」
「さっき、なんとかね。舞台袖に来てみたらアクアくんが見えたから。オールバック素敵だよ。いつも髪上げてれば良いのに」
「全部曝け出すより、ちょっと隠してる方がミステリアスだろ?」
「アクアくんはこれ以上ミステリアス要素増やさなくて良いと思うけど」
「それにオールバックじゃピアス隠せないし」
「本音はそっちか」
笑みを見せながら話す二人の姿にイラッとする。そしてもう一つ気に入らないこと。アクアがピアスを開けていること、有馬かなは今まで知らなかった。今もメイクでピアスホールは見えないようになっている。髪型だけでは気付けないアクアの秘密をあかねが自分より先に知っていたことが気に入らなかった。
「黒川あかね。アンタの出番はしばらく後でしょ。こんなところにいないで。邪魔よ」
「アクアくんだってそうじゃない」
「こいつはいいのよ。まだ身軽な格好だし。けどアンタみたいな十二単がこんなところにいたら演者達の出に差し障るでしょ。裾踏まれても知らないから」
舞台袖は確かに役者達の出入りが激しい。あかねのような衣装は確かに気を使うと言えなくもない。さて、どうするかと思っていると、意外に素直に、そして穏やかにあかねは有馬の意見を認めた。
「しょうがない。アクアくん、ちょっと下がって映像で見よ?助監さんが撮ってるの、控え室でライブで観れるから」
「そうするか。オレも一度俯瞰で観ておきたい」
「やっぱり私も下がる」
「なんで?かなちゃん私達よりも出番早いでしょ?スタンバイしてないと」
「演劇は観客まで含めて一つの作品。全体が見れる所から見るのも必要だわ」
理由になってるような、厳しいような、そんな動機で三人は動き出す。周りの共演者達は「またか」と心中で溜息を吐いていた。
▼
控え室、簡素なテーブルと机。そして小さなテレビが備え付けられてある部屋。出番がまだ先の役者や、メイクさんなどの裏方が主に利用する場所だ。テレビにはもちろん舞台の様子が映し出されている。鴨志田とメルトのバトルシーン。セリフも交え、動きの中でセリフと感情を発する場面。格好の見せ場と呼べるシーンだ。演者達も全力を尽くさなければいけない正念場。
だというのに、ステージから届く熱量は思ったほどではなく、観客からはどこかシラけているような冷たさが感じられた。
「───やっぱり、ダメか」
有馬から呟かれた一言が全てを表現していた。
ここは原作にもあるシーン。実力的にはキザミの方が匁より下だけど、この場面は無知ゆえの強者感があった。ブレイドに負けるまではお山の大将で、負けたことのなかった彼は、今まで自分が強いと信じていた。根拠のない自信を持っていた。
───けど、今のキザミに強者感はない
彼なりに一生懸命やってるのはわかる。けどそれは誰もがそうだし、プロなら褒められることではない。むしろそういう意味では世の中ナメくさっていた『今日あま』の頃の方が強者感は出ていたかもしれない。けど今、彼は中途半端に懸命で、中途半端に謙虚で、中途半端に卑屈だ。だから懸命さが自信に繋がっていない。
───直前にアクアのブレイドを、あのオーラを見てしまったせいかもしれない。
オーラを形作るのは自信と自ら積み重ねることで練り上げられる努力という名のバックボーン。自分の才能への自負。12年かけて作り上げた星野アクアの重厚なバックボーンによって生み出された、万人を惹きつけるオーラ。それがキザミからは……鳴滝メルトからはまるで感じられない。
「さっきまで凄かったのに……」
「キザミの人って……」
「あんまし──」
テレビから観客の話し声は聞こえてこない。けれど表情は見える。何を言っているのか。どういう感想を持っているのか、大体わかった。
観客に上手いと思わせる役者は二流。ならば観客にヘタと思わせる役者は論外だ。
「アクア、このままじゃ──」
「「大丈夫」」
有馬もあかねも不安そうにアクアへと振り返る。しかし星の瞳の少年は真っ直ぐに映像を見据えていた。そして少年の肩に肘をかけた白髪の美少女も真剣な面持ちで画面を見つめる。いつもの光にすかせば薄く翠がかる黒髪ではない。けれど自身が生まれ持つ人間離れした美貌と目元と口元の泣きぼくろは変わらない。シースに扮した不知火フリルだと気づくのに時間はかからなかった。
「「ここからだ」」
▼
「別に悪いことじゃなくね?ナメられるって」
あの時、アクアに言われた言葉が脳裏に浮かぶ。演じながらわかる気配。伝わる空気。第一幕ではあんなに魅入っていた観客達の冷めた視線。この空気を作っているのが誰か、嫌でもわかった。
───わかってるよ、俺がヘタクソなことくらい
あの演技を見た時から。
星野アクアの演技を。生まれて初めて本物の才能に触れたあの時。アクアのオーラに触れた事で有馬かなが光り輝いた、あの瞬間を見た時から、気づいていた。
彼女が俺に合わせて下手な演技をしてくれた事。
俺が番組を台無しにした事。
「俺にもっと才能があれば───」
「道具の性能に頼っているうちは三流だぜ」
ほとんど愚痴に近い、そんな弱音をアクアに聴かせてしまった時、アイツはバカにするわけでもなく、かと言って突き放すわけでもなく、端的に答えた。
「現実ってゲームは配られたカードのぶつけ合いだ。勝負を決めるのはカードの切り方。捨て札の選択。切り札の出しどころ。捨てカードにも戦略を纏わせなきゃ、オレ達凡人は天才と普通に勝負したら配られたカードの差で、普通に負ける」
───俺たち、凡人?
何言ってんだこいつ、と思うと同時に言っている事自体には納得する。
「人間やろうと思えばボールペンでも人は殺せる。どんな道具も使いよう。まして役者ってのは全員ハッタリ使いだ。何もないところに何かあるように見せる。ミミズを竜に。沼地を花畑に錯覚させることができて初めて役者は三流」
「さ、三流?」
そこまでできれば一流だろ、と言いたい。それを三流と言うのはお前ら天才だけだろと胸ぐら掴みたい。けれど黙って最後まで聞くと自分で言ってしまった以上、何も言えない。言ってること自体の理もわかる。
「お前に配られたカードは、主に三つ。一つは容姿。もう一つは演技力。最後の一つは稽古時間。何を捨てカードにするか、何を切り札にするかはお前次第だが、無意味にカードを切ることだけはしちゃいけねぇ」
全ての行動にストーリーを持たせろ。説得力を持たせろ。
「1ヶ月という稽古時間。演技力そのものをアップさせることは不可能だ」
「でっ、でもアクアは一ヶ月でめちゃくちゃ上手くなってるじゃん!」
「なってるか?四苦八苦の毎日だぞ」
「…………これだから天才は」
「なってるとしても、オレは12年の積み重ねがあるんだよ。なんか掴んで唐突に伸びるやつってのは演劇の世界にもいるが、そういう人たちはちゃんと地力を持ってんだよ」
それを言われてしまうとぐうの音も出ない。立ち上がりかけたメルトは再び座った。
「地力のないお前の場合、1ヶ月というカードはたった一つのシーンの向上に向けて切れ」
「たった一つの、シーン?」
「今日あまの時を見たろ。日本にはな、終わりよければ全てよしというありがたい言葉があるんだよ」
つまりはクライマックス。各々のキャストに存在する一番の見せ場に懸けろということ。
「そうすれば観客はここからの演技のために今まではわざと下手にやってたかもってストーリーを勝手に作ってくれる」
演技力がないというなら、それすらも利用する。カードパワーが10しかないなら、ハッタリと戦略で120にする。それが勝負の世界におけるカード捌き。ブラフと戦略。
「キザミの見せ場は第二幕初っ端。匁との対決。それ以外は特別なことをしなくていい。その結果下手だと観客にナメられてもかまわない。だが、ナメられっぱなしの空気のままじゃ上手くなってもフィルターかけられて適正な評価はされない」
つまりここからは違う、と観客に思わせなきゃいけない。
「ナメられてるってことは言い換えれば油断してるってこと。油断してくれるのは役者にとって悪いことじゃねぇ。オレなんか常に相手には油断してくれるよう力を尽くす。まあオレの敵は基本油断してくれないウサギばっかなんだけど」
けど、お前は違う。実際に下手だから下手に説得力があるし、演技経験も少ないモデル上がりだから、下手にストーリーが生まれる。
「ここからは違う、と思わせるために必要なのは、驚愕。印象に残るものならなんでもいい。とりあえず度肝を抜いておけ」
▼
───度肝を、抜く!
舞台上、匁との対決。舞台東京ブレイドは原作と差異のある場面も多いが、原作準拠のシーンも勿論ある。中でも一番見てくれで派手なのはこのシーン。キザミが刀を空中に投げ、高速回転する刀をキャッチすることで余裕と強者感を纏わせる演出。
正直この原作シーンの再現をすることに勇気はかなり必要だった。だって現実でこれをやるのはかなり難しい。多分原作者だって出来ると思って描いてないと思う。
それにもし失敗したらダサすぎる。この一ヶ月、空中キャッチの練習は死ぬほど重ねたが、それでも成功率は7割に届くかどうか。10回のうち3回は失敗する。そんな大技を本番前にする。怖い。
───だけど!
【凡人は天才と普通に勝負したら配られたカードの差で、普通に負ける】
なら普通じゃないことをするしかない!
意を決し、冷や汗を押し込めながら、天高く刀を空中に投げる。高速回転する刃を見極め、掴むべく手を伸ばす。
【練習は本番のように。本番は練習のように。全てに通じる基本だ。覚えておけ】
【面白いことやってるね。出来たら激アツだよ】
特訓を見ていたアクアと、偶然稽古風景を目にしたフリルの声が脳裏によぎる。メルトは一瞬、自分が舞台の上に立っているということを忘れていた。
成功したんだと気付いたのはホールを揺るがす歓声が湧き上がってからだった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。第二幕スタートは原作準拠。メルトの心情にスポットを当てました。いかがだったでしょうか。アレやるの絶対緊張しただろうなと思いました。めっちゃ難しいし、ミスったらマジ激ダサだし。ほんとよくやったよメルトくん。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
64th take 陰陽太極図
それぞれが影響し合い、光の川は佳境へと流れていく
名残惜しい終焉の鐘が鳴る
まずは12時を過ぎたシンデレラの手によって
「…………あんた達の入れ知恵?」
メルトの渾身を見た有馬が隣に座るアクアとフリルに問いかける。言い方は悪いが、自分の役割を果たすことすら満足に出来ていないメルトがあんなことを自力で思いつくとは思えない。
観客が油断しているところにギャップの一発を入れて大衆の意識を切り替える。星野アクアと不知火フリルが考えそうな回路だった。
「私は何もしてないよ。彼が練習してるところを偶然見ただけ。黒幕を言うならアクアただ一人」
「今ガチの時もそうだった。あかねへのバッシングが燃え上がっている時、誰が何を言ってもフィルターかけて自分の都合のいいように解釈してくる。あの炎上を止めるには流れを変える一発が必要だった」
あの時、あかねの擁護者を表面的にも増やし、状況をプラマイゼロに持っていくため、アクアはあかねの自殺未遂をタレ込んだ。連中が聞く耳を持ち、賛否の意見を持つ者の数を五分五分にし、日和見主義のサイレントマジョリティを最大派閥にした。
今回も同じだ、とアクアは言う。
「この大道芸で観客のメルトへの目線は変わった。だがまだフィフティ・フィフティ。演技力自体が低いのは変わってねーし、観客もこの後のメルトを汲み取ろうとしている状態。本番はここからだ」
ここからは大道芸やハッタリは効かない。純粋に演技力の勝負。キャラへの理解。感情の掘り下げ。内面への没入。キャラクターを考察し、潜り込み、心情を掴み、浮かび上がってくる。一ヶ月前まではアクアすら舞台で通用するレベルでは出来なかったこと。
「…………できるだろ、お前でも」
だからこそ出来ると思う。演技というものが好きじゃなく、あかねのような直向きさも、有馬のような執着も持っていないオレが出来たんだ。ならメルトでも出来る。
このシーンはキザミの最大の見せ場。ブレイド以外に喫する初めて敗北。しかも相手はブレイドのような強い意志を持っている敵ではない。親に刀を渡され、無理やり戦わされ、眼前に敵がいるというのに『戦いたくない』などとほざく戦士の気概を持たない男。
そんな相手に力の差を、才能の差を思い知らされ、打ちのめされる。けれどそれでもと立ち上がり、勝ち目のない敵に立ち向かうシーン。
───似てるだろう、メルト。キザミは、オレ達に
今までは顔の良さでさして苦労してこなかったヤツが、初めて才能に触れ、打ちのめされ、弱さを知る。情けない。みっともない。悔しい。
───全部経験してる、オレ達なら、できる
目から、顔から、声から、身体全身から、悔しさを迸らせ、それでもまだと叫んで見せる。出来るはずだ。オレでも出来たんだから。舞台ではない。あのステージで。ナナさんとハルさんの三人で。歌っていたあの時、オレでも出来た。
「おぅれはっ!誰にも負けねぇ!!」
映像越しでも伝わってくる。本気の感情が乗った演技。
───ほらな、出来た
観客席から伝わってくる。観ている者の驚きと戸惑い。そして感動。
「…………行くわよ」
有馬が立ち上がる。もうすぐ、ブレイドとつるぎ、シースの出番だ。立ち上がるもやはり力の差で敗れるキザミ。しかし最後の奮闘によって稼ぎ出した時間が救援を間に合わせる。盟刀を失ったはずのブレイドが、生まれ変わった【風丸・真打】をお披露目するシーン。
「アクアくん、私達も」
「ああ、スタンバイだ」
舞台袖へと向かう。メルトはベストを尽くした。10持つ実力のうち、20を出し尽くした。
───今度は、オレの番だ。
一度深く呼吸する。ブレイドの新たな盟刀のお披露目ののち、匁の戦いが終われば、渋谷クラスタの描写へ移る。その後はハイライト。渋谷、新宿クラスタの激突。そこに入って仕舞えば、あのシーンまでもういくらも時間はない。
『愛してる』
囁かれる。背中からオレの首を抱きしめ、耳元に口を寄せる何かを振り払うように、アクアは小道具の刀を手にした。
▼
折れた盟刀を復活させるために必要な物は三つ。
一つは折れた盟刀そのもの。
一つは玉鋼。
そして最後の一つは刀の芯となる折れた盟刀以外の盟刀。
この三つがあれば現代の刀鍛冶でも盟刀を復活させることができる。
折れた盟刀は手元にある。玉鋼を手に入れる技術は現代にも残っている。問題は最後の一つ。折れた盟刀以外の盟刀。
『わ、私のはやだよ!剣がなきゃアンタの王道だって切り開けないだろう!?』
刀鍛冶のスミスから話を聞いた新宿クラスタの剣主、つるぎは当然拒否を示す。キザミはこの場にいない。となると残っているのは───
『主様、私の盟刀をお使いください』
一切の迷いも躊躇もなく、シースは自身の盟刀を差し出す。しかしブレイドには流石に躊躇と迷いがあった。
『───お前の盟刀だって…』
売れば普通に生涯遊んで暮らせる財は手に入るし、剣主にとって盟刀とは命に近い。あっさり差し出せるような物ではないはずだ。
『良いのです。私の盟刀も、私自身も、あの時から貴方様に捧げた物なのですから』
そして復活した盟刀【風丸・真打】。刀身が花弁となる盟刀【戦乙女】によって生まれ変わった刀をブレイドは【桜風吹】と名付けた。
【戦乙女】と【風丸】の力が混ざった新たな盟刀は以前のモノより力強く、そして握りやすかった。
修行を終えたブレイドら一行はキザミが渋谷クラスタとぶつかっていることを聞き、彼の元へと走る。
『よくやったわ!後は私たちに任せなさい!』
ブレイドとつるぎ、シースが合流し、キザミは手当のため、仲間達に連れられる形で退場する。
「アクア」
場面転換に備え、準備する刀鬼扮するアクアの元へメルトが歩み寄る。軽く手を差し出すと、音が鳴らないように静かにハイタッチをした。
「良かったぜ、メルト」
「全部お前のおかげだ。ありがとう」
「貸し一つだ。いつか返せよ」
「二つ目だろ。今日あまの分も含めて、必ず返す」
「期待しないで待ってる」
「アクアくん」
隣にいたあかねが「急いで」とジェスチャーする。頷くと二人は肩を並べて舞台袖へと向かった。
───まだ、めちゃくちゃ遠いな
汗だくで座り込むメルトは二人の背中を見て、素直にそう思った。でも今は遠いと実感できることが少し嬉しかった。距離感すらわからなかったあの時と比べれば、成長できてると思えたから。
「───いつか俺も、お前らに……」
今の自分の実力と才能では、そこから先を口にすることはできなかった。
▼
舞台は続く。第二幕、キザミと匁の戦いに追いついたつるぎとブレイドはキザミを倒した匁と対峙する。
『よくも私の身内を傷つけてくれたわね!一兆倍にして返してあげる!』
『良いのですか?貴方のリーダーの盟刀は破壊されたと聞きましたが?』
『いつの話をしてやがる』
一歩前に出たブレイドが腰から刀を抜く。刀身が淡い紅色を帯びた美しい刀が風を伴って放たれた。
『これが俺の《風丸・真打》。【桜風吹】だ!』
風と共にモニターには桜が舞い散る。客席が360度回転し、観客達は実際に風を感じ取り、桜が舞う美しさを存分に感じ取れた。コレはステージアラウンドならではの映像演出だろう。まだまだ学校の劇の延長が主流の演劇。ステアラが初めてという観客も多い。感動している様子は舞台袖からでもよくわかった。
『これ以上攻め入るというなら、我々渋谷クラスタも黙っては──』
匁のセリフが中断される。【桜風吹】の風の演出がまだ残っていたらしい。セリフが効果音と被る。舞台ではままあるトラブル。本来なら言い直すべきだが、同じセリフを繰り返すというのは観客もかなり冷める。どうするべきか悩む数瞬、今度は風切り音が舞台の上で響いた。
『ごちゃごちゃうるさいわね!ただの肉塊になればその口も閉じるかしら!?』
つるぎが高々と剣を掲げ、振り回す。匁のセリフを遮っても不自然ないアドリブを挟んで。これなら効果音も匁がセリフを中断したのも不自然じゃない。
───流石、受けの上手さは天下一品だな
効果音と被って聞こえにくかったであろう渋谷クラスタというワードを口にしつつ、原作のつるぎが口にしても不自然ないセリフで再構成。間の取り方も違和感なく、まるで元々設定されていたかのようだ。アドリブとは思えない。
こういう役者は共演者にとっても脚本家にとってもありがたい。受けの上手い役者との共演は安心感があるし、演りやすい。コイツとならまた一緒に仕事をしたいと思うだろうし、口にもするだろう。そういった同業者の口コミというのは意外とバカにできない。噂が噂を呼び、評価へと繋がることも普通にある。
脚本家としてもこういうとっさのトラブルに対応できる役者は欲しいものだ。脚本に寄り添い、裏方に寄り添い、企画の意図を理解していて、脚本家の中にある正解を体現する役者を、いつだって喉から手が出るほど求めている。この演劇を見て、有馬かなを使いたい、と思う関係者も絶対にいるはずだ。
ただし、バイプレイヤーとして。
「嫌い」
舞台の上の有馬かなを見つめる青みがかった黒髪の美少女の瞳が冷たく暗くなっていることに、アクアだけが気づいていた。
『流石に2対1は分が悪いですね。また日を改めてお会いしましょう』
『こらぁ!逃げるなボケナス!このタルタルチキン!』
しばらくいざこざが続いたが、匁が引いたことでその場は取り敢えず収まり、場面転換へと移る。渋谷クラスタ本拠へと戻った匁が新宿クラスタについて鞘姫と刀鬼に報告した。
『…………ブレイドが、新たな盟刀を手にしていた?』
『はい、【桜風吹】と名付けておりました』
その報告に刀鬼が瞠目し、眉を顰める。No.2の明らかに動揺した姿を見て、匁は驚いたように声を上げた。
『貴方でもそのような顔をするのですね。刀鬼様はもはや身も心も刀になってしまわれたかと。人間味というものを失っていないようで安心しました』
『破壊された盟刀を復活させたと聞いて驚いただけだ。新宿クラスタの連中自体は取るにたらん』
『それに関しては僕も同意です。何も考えてない馬鹿の集まり。全員倒せばそれで良いと思ってる』
『油断はするな。向こうみずの開き直りというやつは侮れない』
『勿論油断なんてしませんよ。けどどうします?奴ら攻めてきますよ?』
『それを決めるのは俺ではない』
『そういうところは変わりませんね』
技量の高い役者同士の呼吸。観客に巧さを感じさせない日常さは、奥に佇むボスの非日常を強く引き立てる。
『鞘姫、ご決断を』
御簾の向こう。荘厳な衣装を纏った鬼女が暖色系のライトに照らされ、現れた。
『…………刀を抜けば、血が流れる』
至近距離で聞いているアクアの背に、ゾクリと寒気が走る。
───喉の震え、心の躊躇い、覚悟の逡巡。恐ろしいほどの深さで伝わってくる。
アクアは知っている。ここは脚本リテイクで最も変わった部分。本来長めのセリフで心情説明をするはずだった「語り」をざっくりカット。アビ子先生に見せてもらい、相談にも乗った部分。確かにあのままでは心情ベラベラ語り出すかまってちゃんに見えかねない。
───しかし、葛藤という部分を演劇で表現するとなると難しいのも事実。
漫画なら大ゴマ一つで表現できるが舞台だとどうしても長尺になってしまうし、東京ブレイドは登場人物も多い群衆劇。ある程度のシンプルさは必要になってくる。
───だからこそ動きだけで対立を決定する意思を表現しなければならない。
上に立つ者の義務と責任を重厚感ある演技で説明し、本来の彼女が持つ心優しさゆえの葛藤を座っているだけで表現しなければいけない。
───義務と責任。戦いの覚悟を、自らの盟刀にゆっくりと、そして威厳あふれる姿で掲げ、声の震えで葛藤を現す。
尊大だが決していやらしくなく、時間はかけているが決してわざとらしくない。カットされた鞘姫の思想を語るシーンも、この演技ならなんとなく察することはできる。
脚本にあった矛盾。舞台劇の弱点。全て克服してみせた。
───やっぱり、凄い
役の内面への没入だけなら大きく劣っているつもりはないが、この辺りの表現力は才能というより技術と経験値。今回が初めての舞台である今のアクアでは絶対届かない領域。
───積み重ねてきた12年が違う。演技から「私が正しい」という主張が聞こえてくるかのようだ。
あかねの才能と努力に舌を巻いているアクアだったが、あかねもまた、アクアの瞳に目を奪われていた。
───そう、その瞳だよ。アクアくん
あの時、美術館でデートしていた時に見せた、作品を見つめる目。私の一挙手一投足に注目して、それら全ての意図を理解し、想いを馳せ、喜怒哀楽を見せている。まさに鑑賞と呼ぶに相応しい。冥利に尽きる。
───見て
もっと見て。もっと感じて。もっと考えて。フリルちゃんもかなちゃんも見ないで。私だけを見て。私だけで頭の中をいっぱいにして。もちろん私もそうする。貴方の全てを見て、感じて、貴方で私をいっぱいにする。何よりも大切で、誰よりも特別で、誰よりも愛しい。
私の彼氏
私の神様
私の全て
貴方がその目で見てくれるなら、私はもっと輝ける。
『ならば刀を抜きましょう。合戦です』
『御意のままに。我らが姫に勝利を!』
【うぉおおおおおおお!!!】
渋谷クラスタの面々から鬨の声が上がる。星野アクアと黒川あかね。二人の異才に引き上げられ、他のキャスト達の演技にも熱がこもっていた。
▼
ここからのシーンはハイライト。それぞれのクラスタが決戦の準備を進めていく様子をダイジェスト形式で描写する。フォーカスは決戦前夜。渋谷、新宿両クラスタのNo. 1と2にスポットが当てられた。
まずは渋谷。刀鬼と鞘姫が、天守閣の一室で二人きりで身体を寄せ合っていた。
『良いのですか?』
『何がでしょう?』
『ブレイドと再び戦う事です。今度は刀を折るだけではすみません。どちらかが倒れるまでお互い引かないでしょう』
『…………』
『貴方の勝利は疑いません。ですが貴方の心を案じます。貴方を兄と慕う弟子を、貴方は殺せますか?』
『無論です。俺は貴方の懐刀。貴方に危害を及ぼす者であれば、誰であろうと斬ってみせます』
表情一つ変えず、淡々とセリフを返す。冷徹に徹する刀鬼。婚約者を心配する鞘姫。二人の様子はあまりに自然で、あまりにハマっている。本当に上手い演技を見た時、大衆は「上手い」と感じることすらできない。ただ見入り、感情移入し、没頭してしまう。
観客達の何人かは無意識のうちに胸元を握りしめる。姫を心配させないために葛藤を押し込め、冷徹を演じる刀鬼。刀鬼の思いやりを察し、彼の躊躇いに気づいていないフリをする鞘姫。
互いを思いやる上で生じるすれ違いと闇をアクアとあかねは見事に演じてみせた。
対してブレイドとシースは対照的だった。盟刀を主に捧げたシースは普通の刀を持って決戦に挑む。ブレイドはシースを止めるが、主様の役に立ちたいという裏表のない真っ直ぐな思いに、ブレイドもまた偽りを纏わず応える。
『守るよシース。俺が、必ず』
『私も祈ります。主様にご加護がありますように、と』
お互いを想う裏表のない心。絆が二人を強く結ぶ思いやりをフリルと姫川が演じてみせる。観客達はその真っ直ぐさに感化され、頬を染める者もいた。
隠と陽。二組の主従の葛藤と愛が表現された後、物語はついに最終決戦へと向かう。渋谷クラスタ本拠地【無限城】に乗り込んだ新宿クラスタの面々はそれぞれの決闘へと身を投じる。
キザミは匁。
ブレイドは刀鬼。
シースはブレイドの背中を守る戦いへ。
そして決戦の冒頭、注目を集めるのはこの対決。
かつて天才と呼ばれた者と、今天才と認められつつある者。
【つるぎ】と【鞘姫】が、対峙した。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。今回はちょっと短めですがキリがいいのでここまで。次回からは重曹ちゃん+不知火フリルVSあかね。主役級として光り輝く二人にスポットが当たるように立ち回るあの子に対してアクアは……って感じの話になると思います。お楽しみに。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
65th take 片鱗
それは経験という名の鎖の縛り
12時を過ぎたシンデレラを解き放つ魔法
あるとすれば、それはきっと──
芸能界で生きていける役者は大きく分けて2種類。
代えの効かない存在に成るか
使いやすい存在に馴らされるか
どちらになるのも容易なことではない。使いやすい存在に馴らされるとしても、芸能界という伏魔殿で消えずに生きていけるだけでその人は充分才能があると言える。
第一、芸能界で代えの効かない存在に成るなど、大御所でもそうそうできることではない。日本国民なら誰もが名前を知る大物俳優や司会者が不祥事を起こし、表舞台から消えることも芸能界ではしばしばある。が、すぐに代わりの人間が空いたポジションに収まり、何事もなかったかのように伏魔殿は運営を続ける。誰かが出なくなっても他の誰かが出てきて勝手に活躍する。芸能界とはそういうものだ。
しかし、スターと呼ばれる人間は限りなく前者に近い存在に成るよう努力をしている。芸能界で生きているのはたとえ現実に成れなかったとしても、本気でそこを目指している人間と、使いやすい存在に馴らされた人間の2種類だ。
不知火フリル、姫川大輝は前者。
黒川あかね、星野アクアは前者の成り掛け。
そして有馬かなは後者である。
───いつからだろう…
あんなに焦がれた貴女との共演。舞台のキャスティングが決まった時は、まだ残っていたと思う。
だって、貴方がいたから私はここにいて、貴方がいたから今の私がある。ずーーっと、ずーーーっと、何年も持ち続けていた想いだ。そう簡単に色褪せはしない。私の初期衝動にして、私の原点。私の第一歩は貴方への憧れだった。可愛くて、演技も上手で、大人相手でもハキハキ喋れる。貴方への憧憬が、私を引っ込み思案から踏み出させてくれた。
貴方と仲良くなりたくて。
貴方みたいになりたくて。
たくさん頑張った。見た目も変えた。オシャレも覚えた。本当に大好きだった。
初めて出会った、あの日までは。
5歳の時、初めて芸能界の闇に触れた。
かなちゃんと似た格好をした私に、大人は勘違いして、教えてくれた。
芸能界には形だけのオーディションがあるということを。
『知らないの?こういうのを───』
出来レースという言葉を5歳の頃に初めて知った。憧れだった貴方に教えてもらった。
『演技なんかどーでもいいの!!』
この世界は実力で回っているんじゃなかった。キラキラしたものだけで溢れてると思っていた世界が、薄暗く、ドス黒い物が蠢いていると知った。
『私はアンタみたいなのが一番嫌い』
貴方を真似して被った帽子を地面に叩きつけられる。
『私の真似なんかするな』
わからなかった。どうして本心でないことを言うのか。どうしてそんなに辛そうに、貴方が勝つと決まっているレースを走るのか。わからなかった。
だから、私は勉強した
人の心、心理学、コミュニケーションのハウツー。いろんな本を読んでたくさん勉強した。
だから、今なら貴方の気持ちが、少しわかる。
───怖かったんだよね?
ちょっとずつ減っていく仕事。離れていく人たち。お金になる仕事は演技以外にも沢山あって、そっちの方が大人は褒めてくれて。
自分を見て欲しかった。
必要とされたかった。
『人間なんて大概どっか病んでんだよ。役者なんてその典型。承認欲求拗らせたようなやつばっかだ』
以前、アクアくんが言っていた。どれだけ普通に見える人でも、どこかしら病んでる部分はある。フォロワー獲得に躍起になったり、飲食店で迷惑行為して世間の注目を集めようとしたり。大切なのは自分の病みと適切に付き合えているかどうかだと。
───かなちゃんは、誰かに自分を見て欲しかった。
だから言うの。星は一人じゃ輝けない、なんて。星を照らす存在になりたい、なんて。あんなに一人で輝いていた貴方が。その光を誰よりも知っていて、誰よりも持っているはずの貴方が、そんなことをインタビューで言っていたのを雑誌で見て、私の興味は少しずつ貴方から離れていったんだと思う。
それも仕方ないと思ってた。だってその方が遥かに楽で、正しい選択肢だ。周りと歩幅を合わせて、息を合わせて、周りから求められる仕事をこなして、皆と波風立てずに生きていく。間違ってない。正しい。仕方ないと思ってた。
───彼に出会うまでは
周りに合わせなくても、生きていける人がいる。
自分の目的のためなら、遠慮も妥協も一切しない。完璧を求めて、完璧を実現できる人間がいる。
身勝手で、自己中心的で、唯我独尊。けど圧倒的で、美しく、かっこよくて、凄い。神様みたいなあの人に出会ってしまった。
───やっぱり、違う。
今の貴方は間違っている。周りに合わせるんじゃない。周りに合わさせる。そういう演技をしなくちゃいけない。
それができなきゃ、あの人の隣に立つ資格はない。
───好きなんでしょ?かなちゃんも。アクアくんのこと。
私も女子だ。女の子が好きな人を見る目くらいわかる。
───でもあの人の隣に立つなら、ただ食べられるだけの女じゃダメ。
アクアくんに食べられ、アクアくんを食べる。お互いがお互いを貪れる存在にならなければ、アクアくんの隣に立つ資格はない。
その事をあかねは不知火フリルから嫌というほど教えられている。
───私じゃまだフリルちゃんの域にも、アクアくんの域にも達していないと思うけど。
それでもあの領域に足を踏み入れることを諦めてはいない。不可能だとも思わない。
───私は私が一番目立つように戦う。
思考の海から浮かび上がる。現実。ステージの上。眼前に立ちはだかる2名。鞘に収まったままの刀で【つるぎ】と【シース】の二人を相手取る。主人公の敵対勢力のボスに相応しい傲慢と実力を示すシーン。
『刀を抜きなさい!』
つるぎが啖呵を切る。鞘姫は氷の冷徹と無表情を持って、応えた。
『貴方の相手など、している暇はないのです』
『っ、バカにして!』
『刀鬼に、あの人は殺させません』
ブレイドと対峙する刀鬼の元へ行こうと前に出る。しかし、その行手を阻むように白髪の巫女が現れる。
『私は主様の盾。たとえ盟刀を無くそうと、その事実は変わりません!』
『…………勇敢ですね』
盟刀使いである自分に対して、通常の日本刀で向き合う。愚かとも言える行動を鞘姫は無表情のままに称賛した。
『ただの刀相手にこちらが抜くのも、無作法というもの』
流麗で、それでいてわざとらしくない動作で自身の盟刀を高く掲げる。その刀身は黒塗りの鞘に収めたままだった。
『このままで相手をしてあげましょう、剣巫の巫女』
鞘に納めたままの盟刀と、シースの刀がぶつかり合う。その立ち振る舞い。漏れる笑み。険しい眉の形。迫。不知火フリルと黒川あかねから発せられる全てが、ステージ上を食い荒らす。
観客達の視線を一身に集めるオーラを持った不知火フリル。主人公側のヒロインというのもあり、大抵の観衆はシースの側に立って観劇している。
対して【鞘姫】は敵側のヒロイン。氷の冷徹。威厳ある女王。あかねが役に憑依りこみ、没入すればするほど、ステージには強張りに近い緊張感が生まれる。
───油断すれば不知火フリルといえど…
喰われかねない。それほど今のあかねは極限の没入の中にいる。
おそらくは星野アクアのせいで。
───黒川あかねは、おそらく没入という意味では、自分を超える俳優に初めて出会った。
今まで役に潜り込むという点においては自分がナンバーワンだった。故に慢心ではないが、見えていないモノもあった。しかし突如として自分を超える才能に出会った。
そして人間とは才能に出会った時、取る行動は大きく分けて2通り。
自分では敵わないと諦めるか。
この人を超えると奮起するか。
黒川あかねの場合は後者だった。
向上に於いて、自分より上の存在というのは欠かせないとフリルは思う。
長年破られなかった100メートル走10秒台の壁が、突如として破られた時、後に続くものが何人も出てきたように。
フィギュアスケートにおいて、四回転ジャンプを跳ぶスケーターが一人現れると、続くスケーターが何人も出てきたように。
才能ある貪欲なものの進化は、具体的な強敵によって爆発する。
『はぁっ!!』
『っ!!』
フリルから気合いの声が上がる。この辺はシースの強みだ。戦う時に声が出せる。冷徹の女王である鞘姫では戦いの際、声を荒げることなど出来ない。
───今のはフリルの咄嗟の工夫だ
練習ではやってなかった。声を使って注目度を上げる。不知火フリルが長年を持って培ってきたテクニックの一つ。演技とは技術。それは間違いないのだが、そのアドリブにアクアは違和感を感じ取った。
───必死だな、フリル。演技中にあの手この手と使ってきてる。
誰もがやってる事だがフリルがやると違和感が出る。何も特別な事をしなくても注目を集められるカリスマを持った天才だから。
───らしくない、とか思ってる?アクア。
いつも飄々として、余裕があって、貴方のことをからかってる私を知る貴方なら今の私に違和感を感じてるのかもしれない。
───でもね。私はいつだって必死なんだよ?私は追われるカメだから
あのPVでアクアと出会った。ネットドラマで貴方の名前を知った。自ら近づき、育て、ここまできた。
───私は凡人。貴方は天才。私は怠けないカメだけど、貴方は怠けないウサギ。普通にやってたらあっという間に追い越される。事実、たった半年で貴方は私に追いつきつつある。
それは必死にもなるだろう。でも慌ててはいなかった。自分を超える才能なんていくらでも見てきたから。
───貴方は、貴方達は、まだ知らない。私にアドバンテージがあるとすれば、それは既にテッペンを知っている事。
アクアとあかね。そしてフリルとの間に最も差があるとすれば、それは経験値。あかねは舞台演劇がほとんど。アクアも実際に人前で演技をするのは数えるほど。
対してフリルの経験は膨大だ。日本の大御所が一斉に集う大河や朝ドラ。海外で賞を競うような映画にも出演してきた。だから彼女は知っている。
───この世界は、あるところまで行けば、天才の大渋滞
だからこそ天才の中で差をつけなければいけなくなる。天才の中で、自分にしかない商品価値が必要になる。
あかねの場合は、役に寄り添うこと。
有馬の場合は、脚本に寄り添うこと。
───アクアは、まだちょっとよくわかんないけど…
まだアクアは自分の哲学を見つけられていない。才能とカリスマだけでやっていけてしまっている。しかしそれだけではいつか頭打ちになる日が来る。この舞台で自身の哲学のきっかけくらいは掴んでほしいと思う。
───そして、私の場合は……
あかねと繰り広げる殺陣の中で、観客に視線を送る。誰でも良い。誰か一人の顔を視線で捉える。すると……
[今、不知火フリルと目が合った!]
観客と視線を合わせるテクニック。合ったと勘違いさせるテクニック。定期的に誰かの顔を見るだけで良い。そうすれば観客は目が合ったと思ってくれる。
不知火フリルが何年もかけて培ってきた技術。見ているだけでも、共演しているだけでも手に入れられない。アクアにすら教えていない技術。
───私は、大衆に寄り添う
皆が望む不知火フリルを。皆が見たい不知火フリルを演じる。高慢なら高慢な不知火フリル。健気なら健気な不知火フリル。演じ分けをしながらも、どこからしさが香る。外連味がある。見られている事を常に意識している。視点を自分の中ではなく、自分以外の全てに割り振っている。大衆に寄り添う。それが不知火フリルの哲学。
両巨頭、今の所五分。献身と傲慢。情熱と冷徹。正と負の芝居の攻防。ヒートアップするボルテージ。どんどん没入を深め、鋭さを増すあかねに対し、フリルは観客に飽きさせない工夫と技術を持って対峙する。手に汗握るとはまさにこの事。
───これだけ役者が入り乱れる中、誰もが平等のはずの場面で……
間違いなく、今はこの二人が主役だ。
時折あかねの視線が逸れる。シースではなく、つるぎを見つめる瞬間があった。観客からはわからないだろうが、舞台上にいればわかる。
───人を、試すような目
二人が織りなすダンス。その舞台に手招きするかのような視線。役者同士は動きで語り合える。有馬かなは黒川あかねからの招待状に気付けないほど、鈍な役者ではない。
───私もアンタ達と白黒………
踏み出そうとしたその瞬間、脳裏に過ぎる、絶望の闇。自分勝手に、演技力をひけらかした結果、どうなってしまったか。自身の経験が身体を縛る。結局経験に勝る武器はない。しかし同時に、経験より重い枷もまた、存在しない。
盟刀を持たないシース。鞘のままで戦う鞘姫。それでも武器の面で不利なシースが、つるぎと入れ替わり立ち替わりで戦ってもいい場面で、有馬はじりじりと、わざとらしくない範囲でその存在を引いた。
───意図はわかる。
前に出た黒川あかねと不知火フリル。その二人を引き立たせるために有馬かなが、一歩引く。東京ブレイド渋谷編において、表と裏でメインヒロインを張る二人の存在感を際立たせる。作品的には正解。脚本に寄り添う演技。ディレクション側からしたら、ありがたいだろう。コレほど使いやすい役者もいない。
───そう、コレが正しい。私の自我は要らない。作品が良くなるのがみんなの幸せ
───この期に及んで、まだ貴方は……
───敢えて否定しないけど、興味も失せたな
三者三様。それぞれの感想を持って、ヒロイン同士の戦いは終わりを迎える。主演組は一度下がり、準主役組の戦いへフォーカスが移る。アクア達は一度舞台裏へと引っ込んだ。
「…………嫌い」
嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い
「だいっきらい」
メイクが崩れるから何もしない。けどできるなら頭をかきむしりたい。カツラ外して、踏みつけて、地団駄踏みたい。
───なんでこの期に及んでそんな演技するの?貴方が真正面から、本気で演れる場面を作ってあげたのに、なんで引くの?舞台のため?脚本のため?仕事を失わないため?その全てを解決する方法があるのに、なんで一番正しい手段を取らないの?
これじゃ、私がただ目立ちたくて、ワガママやって、自分勝手に振る舞っただけじゃない。
───もういい。
もういい。終わらせよう。やっぱりあの時感じた失望は正しかった。かなちゃんのこと、どうでもいいと思ったあの感情は正しかった。もうあの人は完全に馴らされてしまったんだ。かなちゃんなりに戦ってるんだとは思う。けどもうあの人は私とは違う土俵の住人になってしまった。
「良かったな、今の」
ボトルが差し出される。顔を上げた先にいたのは、蜂蜜色の髪の美少年。自分の彼氏。
「フリル相手に引けをとってなかった。今のところ互角にやれてる。オレも、お前も。負けてない。姫川大輝にも、不知火フリルにも」
「アクアくん……」
「だってのに、随分不機嫌そうだな」
ドリンクを受け取りながら再び俯く。一度飲み物を口にすると、朗らかな笑顔で彼と向き合った。
「そんなことないよ。別に今の舞台に不満もない。かなちゃんが間違ってるとは私も思わないし。それに言ったでしょ?私、今はかなちゃんのこと、どうでもいいんだ。かなちゃんなんかより、今はアクアくんと──」
「お前にしては良く喋るな。それにオレは有馬の話なんか、一言もしてねーぞ?」
「……………………」
飲み物から口を離す。ほっそりとふしくれだったアクアくんの指が私の顎に添えられ、そっと上を向かされた。暗く輝く星の瞳が真っ直ぐにこちらを捉える。その暗さと輝きに吸い込まれそうになっていると、親指が私の口の中に入ってくる。指一本で彼は私の口内を愛撫した。
『おまえはいつもそう
何かを隠そうとすると途端に饒舌になる
それで私はお前の心根を知ってしまうのさ
そのよく動くお前の舌の裏側に
秘め事がじっと蹲っていることをね』
甘く、痺れるような声で紡がれる睦言。劇画調のセリフに背筋が震える。この声で、このオーラで迫られたら、耐えられる人間なんていないだろう。頬が上気し、目が潤む。このままキスされたとしても、裸にむかれて襲われたとしても、私は何も抵抗できない。そう確信できるほど、私はどうしようもなく、この状況に興奮してしまっていた。
口内から指が抜かれ、顎に添えられた指が離れる。あ、と声が出そうになる。鏡を見れば、きっと私はさぞかし物欲しそうな顔をしていることだろう。濡れた自身の親指をアクアくんが舐める。ゾクゾクと身体の中に寒気が駆け抜けた。
「虚栄心は人を饒舌にし、自尊心は人を寡黙にする」
「…………ショーペン・ハウアー」
「知ってたか、さすが」
一歩離れたアクアくんが、飲み物を再び口にする。もういつものアクアくんに戻っていた。
「人に合わせて、波風立てないよう和を保つってのがどれだけ難しいか、あかねももう知ってんだろ」
「それはっ……」
言い返そうとして、止まる。身をもって知っている。あの時、みんなと仲良くしようと心がけていたリアリティショーの時でさえ、私は皆に合わせることができなくて、あんな事になってしまった。
「それに、自分の気持ちを誤魔化すのにオレを使うのは気に入らないな。そういうことし続けてたらいつかほんとに本音がわからなくなるぞ」
───この人は、いつもそう
誰も見てないようで、誰よりも見ている。こちらの心を見透かし、見通し、容赦なく踏み込み、言い当てる。神様みたいだ。はるか高みからこちらを見下ろし、蜘蛛の糸を垂らす、神様みたいだ。
「不満があるならあるって言えばいいだろうが。ちなみにオレはあるぞ。今の有馬はつまらない。脚本や監督に寄り添ってるとか、演劇的には正しいとか知らんが、つまらない。それは間違いない」
星野アクアの「つまらない」。コレが出た時、アクアはどんなに正しいことでもやりたがらないことを、あかねはまだ知らなかった。
けど、何をする気かはなんとなくわかった。きっと救う気だ。かなちゃんを。かなちゃんから調整役を奪って、好きなようにやらせてあげるつもりなんだ。
私の時と同じように。
───でも、なんで?
私の時は、アクアくんにもメリットがあった。リアリティショーではわからないアクアくんの演技力。それを世間に公表する。フリルちゃんのおかげで上がっていた知名度に実力を上乗せし、一過性のバブルでなく、自らが本物の天才だと知らしめるチャンスだった。
けど、今回はそんなメリットはない。
ブレイド陣営のかなちゃんが活躍するような事をしてしまえば、アクアくんにとってはむしろデメリットになりかねない。舞台全体の出来は良くなるかもしれないし、私の望みは叶う。けれどアクアくんにとって良いことは一つもない。
───私が望んでいるから、っていうのもあるのかもしれないけど……
倒れた時、介抱してもらった事をアクアくんは借りだと思っているはず(私は全く思ってないが)。その借りを返すため。ゼロではないかもしれないが、それが全てとはとても思えない。
『オレは、恋愛がよくわからん』
───ねえ。アクアくん、それって……
アクアの「つまらない」を知らないあかねは、その先を言葉にはせず、胸の中にちくりとした痛みを伴ったまま、再び壇上へと向かった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。ヒロインレースで大きく突き放されている重曹ちゃん。次回、凄まじい末脚を見せられるのか。そしてアクアの愛の形とは。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
66th take その形は喪失の中に
悪魔の契約も天使の祝福も微笑む相手を選ばない
しかしそのどちらでもない者の愛は救う相手を選ぶだろう
なくした愛の形を代償に
誰かに期待というものをしてこなかった人生だった。
持って生まれたものが人より多い事は、幼い頃から自覚していた。学校のテストはいつも満点だったし、体力テストでも常に上位。運動会ではリレーのアンカー。美術や音楽でも一位の座を譲った事はなかったし、クラスの女子は大抵オレのことが好きだった。
健康な体、卓越した頭脳、運動神経、身体能力、センス、コミュニケーション、そして……美貌。他者より優れた要素を多く持つことに気づくのに時間はかからなかった。
しかし、自分一人が優れていても上手くはいかないのが集団生活。
いつだっただろうか。生徒同士で班を組み、グループワークをする事があった。あの頃から「やるからには勝つ」の精神と「つまらない事はやらない」の完璧主義を併せ持っていたオレは、普通の子供と比べ、異様だったのだろう。
班内で割り振った仕事。時間も手段も伝えてあり、あとは実行するだけでいい状況までお膳立てをした。その後は自身の役割を果たすことに没頭した。進捗も聞いてはいたのだが、子供の大丈夫ほど信用できないものはない。
発表当日、まともに役割をやり遂げたのはオレ以外誰もおらず、上がってきたのは手抜きの上に手抜きを重ねたような、オレなら30分で終わらせられる程のクオリティのモノだった。
案の定一位は取れなかった。生まれて初めて負けたと思わされた。
「別にいいじゃん、先生にも怒られなかったし」
「そうそう。マジになるだけ馬鹿らしいって」
最近のおませな子供たちは本気になるのがカッコ悪いとか思っていて、完璧なんて求めてる人間も、やるからには勝つとか思ってる人間もほとんどいなかった。
ここで誰もが納得するような理由を考え出して彼らに述べる事もできた。口八丁で適当な美辞麗句を並び立てて彼らにやる気を出させることも、多分出来たと思う。
けど、オレは何も言わなかった。
他者の奮起を促すまでするには、オレは賢過ぎたし、熱くもなかった。人間ってのはこんなもんなんだと冷めた頭で諦めた。
この辺りからオレは他人に期待するのをやめた。
勿論人と関わるからには頼み事をする事もあるし、ハッパをかける事もあった。お前ならできる、と奮起を促す事も。けれど、それとは別に、常に失敗する可能性を計算に入れるようになった。
上手く行けばよし、もしダメでも、リカバリーを考える。成功より失敗を前提に、常に最悪のケースを想定して計画を立てる。人を見て、人を知り、長所と短所を見極め、何ができて何ができないかの底を測る。してもいいミスとしてはならないミスを周知する。そうすれば大事故は起きず、物事は収束すると知った。
しかし当然、自分の想定を超える事もなかった。
想像通り。予定調和。百点満点中の八十点。悪くはないが、何か小骨が喉に引っかかる。予想通りの過程と結末。満足感もあったが、同時に湧き上がるモノがあった。
『つまらない』
オレが最も嫌うことだった。けど、ここでオレが何かを言えば余計な波紋を呼ぶ。丸く収まっていた事態が面倒になる。だから黙った。個人でやる時はともかく、グループでやる時はつまらないを受け入れることにした。
周りに合わせて、波風立てずに生きていく事の難しさを、あの時知った。あのハルさんとナナさんとさえ、合わないと感じたことがあった。
しかし、芸能界に来て、2回だけ、オレの想定を超える事態に出会う。
一度目はフリルのドラマの撮影。想像を現実に還元し、実際には動いていないのに滝のような大汗を流し、涙の一雫を紛れ込ませた、あの時。
二度目はあかねの復帰。アイのキャラクターを憑依させ、今ガチの中心に舞い降りたあかねを見た時。
あの時の衝撃は今でも忘れていない。背筋が寒くなり、恐れを覚えた。自分が一生敵わないかもしれない才能に身がすくんだ。けれど同時に胸が熱くなった。鼓動が早く強く脈打った。強烈な光に照らされ、オレの中の火も燃え盛った。
そして今日、先の2回を超える衝撃と、出会う。
▼
場面転換。前座達の戦いが終わり、戦場は再び主演組へと戻ってくる。まずはブレイドと刀鬼。嵐の決闘以来の再戦。あの時は実力差があまりに大きく、ただ圧倒されたブレイドだったが、新たな盟刀を得て、修行を終え、力をつけた今、二人は互角の戦いを繰り広げている。
互角の理由は、幾つかあった。
一つはこの戦いが、敵味方入り乱れる乱戦になったという事。
刀鬼の【盟刀掌握・千鳥雷切一両筒】は雷霆の一撃。その威力は四方千里を巻き込む。密室でも乱戦時でも使えない。まして今、同じ部屋の中には鞘姫がいる。自分の命を賭してでも守らなければいけない姫がこの場にいるのだ。使えるはずがない。
『刀鬼ぃ!!』
『ブレイドぉ!!』
火花が散る。二人の表情に血相が変わる。刀を撃ち合わせるたびに二人の表情が歪む。まるで相手を斬るたびに自分自身が傷つけられているかのように。
眉間に皺を寄せながらも、ブレイドは笑い、刀鬼は口の端を食いしばっていた。
「二人の動作、一つ一つに感情が乗ってる」
舞台袖で殺陣を見る共演者達は、二つの異才のぶつかり合いに魅入っていた。ある者は感嘆し、ある者は焦り、ある者は笑う。感じ方は人それぞれだ。けれど共通していることが一つだけあった。
───舞台経験ゼロの星野アクアが、あのララライ看板役者、姫川大輝と渡り合っている。
「対比構造……しかし無感情ではない、ですか」
「対比?」
「辛いながらも強敵との戦いを楽しむブレイド。感情をむき出しにし、熱い炎のような演技をする姫川に対し、アクアくんは眉を顰め、歯を食いしばり、暗い感情を必死に押し込めてみせている。まさに情念の炎の演技。二人の闘争心が真逆である事を表現する事で、お互いを引き立て合っているんですよ」
姫川大輝が主人公らしい、明るく熱い真っ赤な炎とするなら、星野アクアは暗く冷たい青い炎。
───というよりは、炎の形をした水、という方が近いかもしれませんね
炎と水。お互いがお互いを消滅させる、真逆の演技。しかしだからこそぶつかり合えば多大なエネルギーを生み出す。
「ですがその分、リスクも大きい」
真逆の演技。対比構造によるぶつかり合い。対消滅エネルギーによる相乗効果は確かに大きい。先の不知火フリルと黒川あかねのスケールアップバージョンだ。見ている者は手に汗握るだろう。
しかしこれは感情演技という舞台役者が得意とする土俵で姫川大輝と真っ向勝負をするという事。彼の水が押し負ければ、ハッキリと格付けは完了してしまい、少なくともこの舞台において、星野アクアは姫川大輝より下であると衆目に晒す事となってしまう。
───それでも良い、とアクアくんは思っているのかもしれませんが…
この舞台におけるアクアの役目はかませ犬。前半は劣勢のブレイドを演じ、後半はブレイドに敗北する刀鬼を演じる。主人公の引き立て役だ。負けても問題ないといえば問題ない。
───しかし、彼の演技からはそんな頭の良い計算は聞こえてこないんですよね
役者同士は動作だけで語り合える。今、アクアは壇上で高らかにこう語っていた。
オレはもうアンタと対等だ、と。
───面白いじゃん
アクアの演技を受けて、姫川の心中で笑みが漏れる。さっきから黒川がノってる。役の内面への没入が深まり、鋭さがどんどん増している。対する不知火も観客を味方につける事で渡り合ってはいるが、演技力の面でいえば不利なのは間違いない。それにここからは盟刀を持つ者達がメインとなる戦場。シースはブレイドの守りに回り、前に出ることは少なくなる。となると黒川に対抗するのは有馬かなになってくるわけだが…
───調整役に徹するままでは、キツい
しかし自分では有馬かなの意識を変えられないことはわかっていた。彼女が執着を持っているのは自分ではない。感情を引っ張り出せるのは一人しかいない。
だから、このアドリブは全てアイツに託す。
もうすぐ刀鬼とつるぎの初めての会話のシーンに入る。現在東京ブレイドで熱いカップリングであり、後々長い因縁になる二人の馴れ初め。星野と有馬が演技で語り合うならここを置いて他に無い。
───頼んだぜ、兄弟
『避けろ「つるぎ」!!』
有馬の肩を思いっきり押し込む。身体が流れた先で、星野アクアが有馬かなを受け止めていた。
▼
突然強い力で肩を押される。こけはしないが、それでもその場で踏ん張ることはできなかった。身体が流れる。立て直さないとと思った時、意外に柔らかな弾力が私を支えた。
見上げた先には冷たい目でこちらを見下ろすアクアの姿があった。
───アドリブってこっちに全振りかい!!
アドリブを挟むという話はついさっき聞いていた。本来ならもっと事前に段取り決めてやることだが、黒川あかねの本番のノリがここまで凄くなるとは私も思ってなかった。だから仕方ないことも理解していた。それに…
「お前ならどんなアドリブだろうと合わせられるだろ?」
「私を誰だと思ってるの?」
挑発込みのセリフだったのだろうが、少し嬉しかった。その程度には信頼されてると思えたから。
───合わせてやるわよ、どんなアドリブでも!
そう思って臨んでいたが、流石にこれは予想してなかった。てっきり姫川が何かするものだとばかり思っていた。こんな自分とアクアにぶん投げてくるとは思ってなかった。
───アクっ、むぐっ!?
アイコンタクトで意思疎通しようとする間もなく、アクアがアクションを起こしていた。こちらの頬を片手で鷲掴みにされる。至近距離にある星の瞳の美しさに、思わず息を呑んだ。
『女、お前何がしたくてここにいる?』
───アドリブ…
台本にない、しかし刀鬼が口にして不自然ないセリフ。私がフォローを思いつくよりも早く創り出してみせた。
───流石に役の内面への没入が深い。並の憑依系は唐突なトラブルに弱いタイプが多いけど…
この男は並の秤など遥かに超えている。これぐらいはやるだろう。姫川大輝の全振りは私だけでなく、アクアも信頼した上での行動だと気づいた。
『男に守られなければ戦場に立てないのであれば、今すぐこの場を去れ』
『わ、私は戦える!』
『あんなに重くてこんなに柔らかい身体でか?もう少し痩せて、もう少し鍛えたらどうだ?』
振り払おうとした腕を掴まれ、そのまま揉まれる。カッとなって、思わず飛び下がった。
『ちょ、あんだ!乙女の魅惑のボデー捕まえてなんて事いうだ!』
『貴様、本来の喋り方それか。一体どこの田舎出身だ?それと魅惑のボディーだろうが重いものは重い。鍛えるのが無理ならせめて痩せろ』
『殺すぞマジで!』
『今まで殺す気がないとわかるのが問題だと言ってるんだ。戦士だなんだと言ってもやはり所詮女だな』
つるぎの烈火の勢いが止まる。続いた。
『男は女を命を賭して守るものなのだろう。オレの背中には決して傷つけてはならない方がいる。俺は絶対に負けられない。そのためなら手を汚す覚悟はある』
───台本に合流した!!
こっちに全振り。しかもアクアは事前に聞かされていなかったアドリブ。フリーズしてもおかしくない場面で、完璧に対応して見せた。刀鬼が口にして不自然ないセリフで、台本にない不自然な行動を自然に見せた。後々長い因縁となる【刀鬼】と【つるぎ】の初の会話。そのシーンにキレイに繋げて見せた。
───アクアが、こんなに周りに合わせた受けの演技ができるなんて…
今日あまの時からコッチ。アクアは捕食者の演技ばかりしてきた。強烈な没入。圧倒的なオーラ。歯向かう者、己に馴染まない者。全てを取り込む演技。先にあかねとフリルがやっていたような演技ばかりをやっていた。共演者を無自覚に振り回す、調整役とは程遠い、傍若無人な主人公。それが星野アクアの本気だった。
【そんな大振りばっかしてたら、いつかカウンター喰らうわよ】
【お前から小技を盗みたい】
あの時、打ち上げパーティでアクアにした忠告。その忠告に対して返ってきた答え。私を苺プロへと勧誘した時の言葉。おべんちゃらもあったのかもしれない。けれど嘘ではなかった。アイツは私から、ちゃんと受けの演技についても盗んでいた。
───やりやすい……
立ち位置。視線誘導。声の調子。全てにおいて演じやすい。私を中心に、私に視線が集まるように立ってくれてる。そしてさりげなく、あかねやフリル、姫川さんの立ち位置も調整している。
【見てくれる人は、やっぱりいたのよ!】
貴方もまた、私のことを見てくれている人の一人だった。
───でも、なんで?
「なんで貴方は、私にスポットライトを当ててくれるの?さっきまであんなに楽しそうに姫川大輝と演技してたじゃない。見てて私も楽しかった。なのになんで今は打って変わって、私を引き立てる演技をしてくれるの?」
目線で問いかける。いつもと変わらない、冷たささえ感じる青い瞳。クールな視線が私の質問に答えた。
「今はお前に目立ってもらわなきゃオレも困るんだよ。つるぎのキャラクターは天真爛漫な戦闘狂。お前が楽しそうに戦うことで、今まで楽しさなんて見出せなかった刀鬼が、戦いに楽しみを覚え始める。刀鬼にとってつるぎが普通の敵じゃなくなるシーンだ。縮こまった演技じゃ映えねーし、オレのクライマックスが引き立たない」
「…………まあ、それもそうなんだけどね」
アクアの言っていることはわかる。楽しさから叩き落とされる絶望感。その落差があのシーンを引き立てる。それはわかってるんだけど…
「…………私が好き勝手やったら、周りの迷惑に───いたっ」
演技途中。不自然に見えない範囲で刀の柄が私の頭に当たる。観客にはわからなかっただろうが、明らかにわざとぶつけられた。
「なにをっ」
「上から目線でモノ言ってんじゃねーぞ、元天才子役」
ズキっと胸の奥が痛くなる。今まで幾度となく耳にしてきたセリフだが、アクアから「元天才子役」と言われると、思ったより傷ついた。
「今日あまの時とは違う」
あの時は確かにお前が本気出したら現場が壊れた。だからお前はオレが来るまで、本気は出せなかった。
「けど、今は違う。演劇も終盤。クライマックスに差し掛かり、舞台上には主演級の役者しかいない。どいつもこいつも腹立つほど天才ばっかだ。お前一人の本気程度、余裕で飲み込める連中だって事くらい、お前だってわかってんだろう」
「それは……」
「周りの迷惑を、言い訳に使うな。今まで紡いできた経験を、免罪符にするな」
───どうして、この男は、いつもこう……
どうしてこうも的確に見通すのだろうか。私の誰にも見せてこなかった心の内を知っているのだろうか。
何も考えず好き勝手に演技をしてきた。故に仕事を失い、人気を失い、それに焦った母親はちょっと大変になった。
母親は昔、芸能人になりたかったそうだ。だけどなれず、子供に自身の夢を託した。
お母さんは、売れてる「有馬かな」が好きだった。
よくあることだ。甲子園に行けなかった父親が、子供に夢を託す。宝塚に行けなかった母親が、子供に英才教育を施す。親の夢のニューゲーム。あの時失敗して、できなくて、後悔したことを、今度はもっと上手くできるはず、と子供に押し付ける。よくあることだ。芸能界に限らず、世界中に溢れかえっている。よくあることだ。
そして親から押し付けられた期待に応えるために、子供が己を押し殺してしまうことも。
【もう少し周りとうまくやらねえとこの業界長くやれねえぞ】
曲がりなりにも12年。消えずになんとかやってこれたのは、カントクの言葉のおかげだ。私は天才じゃないと教えてくれた、
好き勝手振る舞ったことで得た失敗。周りに合わせることで生き延びられたという事実。間違ってなかったと思ってる。けれどこの経験は、私を縛る鎖になっていたのも、今気づかされた。
あの時迷惑をかけてしまったから。
あのおかげで、なんとか生き延びられたから。
失敗を言い訳に。成功を免罪符に、私は私を誤魔化し続けていた。
ホントは、ただ我が身が可愛かっただけなのに。
傷つくのは嫌だ。見放されるのも嫌だ。誰からも見られなくなるくらいなら、お母さんから愛されなくなるくらいなら、私は主役じゃなくていい。そうやって自分を守り続けていた。
「できる事とやりたい事は違うよな。わかるよ。オレもそうだ」
別に役者なんてやりたかないけど、家族のため、そして守りたい人たちのためにやらざるを得なかった。だって、できるから。それに…
「オレはお兄ちゃんだから」
記憶を失おうと失うまいと、それは変わらない。兄は妹を守るモノ。そして男は女を守るモノだ。
『今一度、問う』
現実に戻ってくる。二人の視線と演技のみの会話は終わった。刀鬼がつるぎの眼前に刀を突きつけ、問いかける。
『お前、何がしたくてここにいる?』
できる事とやりたい事はちがう。人間やりたい事だけやって生きる事はできない。けどできることだけしかやってはいけないというのも、また違う。
「───オレは演技が好きじゃない。この世界でやらなきゃいけない事はあるけど、やりたい事なんてない」
でもお前は違う。
お前はちゃんと演技が好きで、演技に執着持ってて、やりたい事があるんだろ?ならやってみせろよ。ビビって小さく纏まってんな。
「夢を見ろよ、12時を過ぎたシンデレラ。魔法はオレがかけてやる」
───もう………もうっ!
腹が立つ。何もかもわかったような顔して上から目線で語りかけてくるコイツにも。口元に浮かぶ笑みを抑えきれない自分にも。
アクアが本当の自分を見てくれていた事実に、私の心臓は跳ね回っていた。
───どうしようもないくらい好きだなぁ、星野アクア
綺麗で、賢くて、かっこよくて、強くて、美しい。気づけばいつだって貴方のことを目で追っていた。気づけばいつも目を奪われていた。誰よりも輝く星を宿している貴方の光の虜になった。
貴方の魔法に、私はいつだって溺れてきた。
───私を見て
私と同じ目で、私を見て。私だけを見て。私以外何も見ないで。
今までは貴方が私を導く星だった。けどこれからは私が貴方を照らす星になってみせる。だから───
「私を、見て」
満面の笑顔で刀鬼へと斬りかかる。金属音と共に火花が散る。その眩さは青い炎を飲み込んだ。
▼
舞台上の空気が、一変する。
少し引いた、地味な演出をしていたつるぎと暗い雰囲気の刀鬼。二人の殺陣は刀鬼の心の暗さが押し出されており、迫力もあったが、怖さの方が色濃く浮き出ていた。
しかし、今は眩いばかりの明るさで舞台全てが塗りつぶされていた。
天真爛漫に笑顔を見せるつるぎ。刀がぶつかり合う度に踏むステップは、まるで躍り上がっているかのよう。彼女の全身から明るさが、楽しさが、愛が溢れていた。
「───楽しそう」
そう、有馬かなは本来、この演技で一世を風靡した。
商業的にわかりやすく、大衆にも凄さが伝わりやすい泣き演技がクローズアップされがちだが、人を魅了するのは悲しみなどの陰の感情ではなく喜びなどの陽の感情。目を焼くほどに眩い
「まだ枯れてなかったか」
いや、枯れてなかったは少し違うのかもしれない。実際枯れていた。引くことを覚え、使い勝手のいい役者に馴らされる道を選んでいた。けれど、変えられた。枯れかけていた水源を掘り起こし、水脈を見つけ、爆発させたことにより、再び蘇ったという方が正しいだろう。
───そして、巨星に照らされた星は、更なる輝きを魅せている
ステージ上にはもう一つ、衝撃を超える衝撃があった。
眩さを取り戻した有馬と斬り結ぶ少年に視線を送る。並の役者ならその光に焼き尽くされ、飲み込まれ、食い尽くされてしまうだろう。
しかし、一番星の光をその身に宿す少年は、並の測りなど遥かに超えている。
「刀鬼も、楽しそう…」
つるぎから一太刀受ける度に、刀鬼から笑みが溢れる。つるぎとやりとりする度に、瞳から輝きが溢れる。明るく、楽しく、巨星の演技をする有馬と全く引けを取らない……いや、それ以上と言ってしまっても過言でない。舞台上は今、二つの太陽が世界を照らしていた。
───そう、ここは刀鬼も陽の気で満たされていなければならない。天真爛漫に戦うつるぎに引っ張られ、今まで戦いに楽しさなど見出せなかった刀鬼が、初めて戦いに悦びを見出す場面
今後の刀鬼とつるぎ、長い因縁の源となる重要なシーン。つるぎの明るさに呑まれるだけではダメだ。二人は拮抗し、喰らい合い、高め合わなければいけない。
───星野アクアが呼び覚まし、有馬かなはその期待に応えた。
何をきっかけに有馬かなが目覚めたか。誰と関わったことでかつての輝きを取り戻したか。玄人の目で見れば明らかだった。
───星野アクアの哲学、分かったかもしれない
半年間、家族よりも密な時間を過ごし、誰よりも間近で見つめ続けた泣きぼくろの少女は、星野アクアの愛の形を理解する。
不知火フリルは、大衆を愛する星
黒川あかねは、役そのものを愛する星
有馬かなは、脚本や監督の意図を愛し、そして自らの光を愛する星
そして、星野アクアは───
「役者を……共演者を……才能を……
観客でも、役柄でも、裏方でも、自分自身ですらない。壇上で一つの星座を作り合う星たちを愛する。才能を育て、引き立て、目覚めさせる。
───考えてみれば、今日あまの時からそうだった…
感情のまるでこもっていない鳴滝に、殴られてまで感情を込めさせたように。全力で演技できない有馬のため、周囲丸ごとのレベルを無理やり引き上げたように。
今ガチの際は、不知火フリルという巨星にメンバー達が潰されないよう間を取りもち、あかねが炎上した際は、二流の演技をする事であかねを救った。
そしてこの舞台でも、一人取り残されている鳴滝に戦略とカード捌きを教え、見せ場を作り出した。
姫川大輝とは真逆の炎で真っ向勝負し、お互いを引き立てあった。
そして今、有馬かなにはかつての光を取り戻させた。
───勿論ただの献身というだけじゃない。それなら有馬かなのような、馴らされた役者と変わらない。そうじゃないから、凄まじい
その献身の結果、自分にも利益が出るよう立ち回っている。自分が最も輝くようになっている。
自分が活きる事で他者を活かし、他者が活きる事で自分が更に活きる。周囲の輝きを強くする事でその光を取り込み、自分のモノにする。最高の潤滑油にして、最高の
星のための役者。
役者に寄り添う役者。
それが星野アクアの哲学。今までありそうでなかったアプローチ。
それも当然と言えば当然。共演者は役者にとってライバルだ。蹴落としあいこそすれ、寄り添うことなどまずない。
───少なくとも、これほどのメンツ相手に、こんなレベルで実行している人間は初めて見る。
今この時、星野アクアは成ったかもしれない。代えの効かない唯一無二の一等星に。
▼
ブレイドを演じていた時でさえ見せなかった光に観客たちも圧倒される中、演じている星野アクア自身も戸惑っていた。
───なんで今オレ、こんなに嬉しいんだ
有馬が本気でやれるようにハッパをかけた。その檄に応え、有馬はオレの期待以上の光を見せてくれた。
一太刀交える度に、嬉しさが溢れる。一つやりとりを交わすだけで楽しさが抑えられない。
胸の中から湧き上がり、表現せざるを得ないこの感情を、なんと呼べばいいか、わからない。けれど目の前のこの女に、一つだけ抱く感情があった。
───愛しい
オレの期待に応えてくれたコイツが。覚醒するオレと有馬を見て、興奮しているあかねが。少し引いたところでオレたちを見守るフリルが、愛しいと思う。
───こいつらの美しさも、醜さも、色々見てきた。それを隠す行為も、何度も見てきた。
その全てを見ても、こいつらを嫌いにはなれなかった。見捨てることも、切り離すこともできなかった。
期待を止めることもできなかった。およそ人に期待するということをしてこなかった、このオレが。この三人には期待をし続けた。信じ、心を許した。
期待以上を見せてくれるこいつらに、愛しさが込み上げた。
───楽しい、嬉しい、愛しい。一つ一つの動作から感情が迸るのがわかる。愛が溢れる!
ああ、そうか。そういうことか。
見返りなんて求めていない。今だって失敗の可能性を考慮した上でオレは計画を立てている。けれど期待せずにはいられない。そのために行動する。誠意を尽くす。
打算を超えた無償。利己の対極にある真心こそが、愛なんだ。
『違うよ』
オレの首を後ろから抱きしめる何かが耳元で囁く。オレの意識が持っていかれる。目の前に広がる世界は眩いステージの上などではなく、真っ白な。オレとその何か以外何もいない世界へと飛ばされた。
真っ白な世界で、黒い影が形を成す。少しずつ人のような形になり、輪郭もはっきりとしていく。
『嘘だよ、アクア。嘘こそが愛なの』
オレの記憶にない紫がかった黒髪の女が。大人になったルビーのような美女が、オレに向き合う。真っ白な世界が、一変する。どこにでもあるマンションの一室。リビングから繋がる廊下で二人は向き合った。
『ブレイド!今よ!』
戦いの楽しさに溺れすぎた刀鬼。つるぎが作り出した一瞬の隙。その隙を突いて一騎打ちに乱入したブレイドが斬りかかる。斬られることを覚悟した刀鬼が突き飛ばされた。割って入り、婚約者を庇うように両手を広げた美女の胸元から鮮血が舞う。そのまま鞘姫は力なく愛しい男の腕の中に倒れ込んだ。
その人は自分が誰よりも守らなければいけない人だった。
守らなければいけなかった人を守れなかった。
守らなければいけない人に護られた。
誰より愛したその人が腕の中で体温を失っていく。
薄れゆく意識の中、最後の力を振り絞って、鞘姫は刀鬼の頬に手を添える。
星の輝きを放つ瞳と、目が合った。
『愛してる』
「あ、あぁ……あぁあアああアああ!!!?」
最後のトリップが、始まる。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
アクアの愛の形、判明しました。役者に寄り添う役者というのがアクアの哲学でした。一応序盤からこの形に収束するように伏線張ってるつもりでした。いかがだったでしょうか?
次回舞台東京ブレイド。クライマックス。スタンドアイとアクアの対決が始まります。一応次話で終幕予定。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
67th take やっと言えた
誰もが目を奪われる一番星の生まれ変わり
だから貴方達は今日も嘘をつく
いつか嘘が本当になる日を願って
今回アンケート取ります。詳細は活動報告に記載してますので、そちらもよろしくお願いします。
「アクアくん、もしお母さんが死んじゃったらどうする?」
子役時代、女の監督さんに言われたことがある。感情演技の場面で、泣き演技が求められた時だった。感情泣きや体泣きなど、泣き演技には色々手法はあるが、子供にとって最も手っ取り早く、良くあるのがコレだった。目の前の大切な何かをなくしたと思い込む。子役の世界ではよく使われる手法だ。
───お母さんが、死んじゃったら……
いくら想像しても、思い込んでも、オレはまるで悲しくならなかった。
顔も名前も知らない。何の思い出もない人が死んだら、と言われても何の感情も湧き上がらなかった。涙の一滴もこぼれる気がしなかった。
その時は結局、役そのものになりきって泣き演技をして事なきを得たが、この事をきっかけに一つの確信を得た。
オレは────
▼
観客たちは凍りついていた。ほんの数秒前まで、あんなに明るく、眩しかったステージから突然光が消え失せた。心から楽しそうに戦う「つるぎ」と「刀鬼」を観て、観ている観客たちもどこか楽しくなっていたところで、唐突に「鞘姫」が斬られた。歓声が上がるほど盛り上がっていたバトルシーンから一転、声を発することすら躊躇われるシリアスに転落する。倒れる鞘姫を抱き止めた刀鬼は茫然自失し、膝から崩れ落ちた。
『最期に、これだけは言わないと』
口の端から血を溢しながら、鞘姫は最後の力を振り絞って、刀鬼の頬へと手を伸ばす。
『愛してる』
「あ、あぁ……あぁあアああアああ!!!?」
力なく手が滑り落ちる。地面に激突するはずのその手を刀鬼が取り、握りしめた。同時に発せられる、絶望の慟哭。その声はあまりに真に迫り、迫があった。観ている観客たちの背筋を寒くさせるほどに。まるで本当に死んでしまったのでは、と錯覚させるほどに。
───スゲェな
五反田監督は星野アクアに驚嘆する。演技力についてではない。今のヤツならこれぐらいのことはやるだろう。知っている。
凄いと思うのは、自身の心の傷を最大限に活用して、今の演技をやっていること。
───うちのスタジオで稽古するのを何度も見た。その度にアイツは絶叫し、絶望の底に叩き落とされていた
そうなる理由はもう大方想像が付いている。
─── アクアとルビーの……アイツらの母親がアイである事に気付いたのはいつだっただろうか。
兄妹共に持つアイへの強い執着。初めて出会ったのもアイとの現場。一度気づいて仕舞えば色々一気に得心がいった。
12年前、アイが、母親が殺された。ストーカーによって自宅を突き止められ、刃物で刺された。
その場にアイツは居合わせていたとしたら。庇われ、刺され、血を流す母親を、目の前で見ていたとしたら。
───生涯心に残るトラウマだろう。自分の立場に置き換えて考えただけでゾッとする。
今、壇上はイメージだけで怖気が奔るその状況に酷似している。最愛の人。刃物による死因。大量の出血。過去のトラウマをフラッシュバックさせるには充分すぎる。
───しんどいな
アクアが演技というものが好きじゃないことは知っていた。「演技を楽しめる」という役者にとって最大の才能が欠けている役者だった。
けれど星野アクアはそれ以外の才能があまりに傑出し過ぎていた。
誰もが目を奪われる容姿。優れた頭脳。役の内面に深く潜れる想像力。共演者の心の機微を見抜く洞察力。観客に共感を促す表現力。全てを持っていた。持って生まれてしまった。
最大の才能が欠けている。なのに万人を魅了し、虜にする天才。大衆はそのあまりの多才さと眩しさで欠陥には気づかず、欠陥を見抜けるだけの力を持った人間は、その歪に惹かれる。
完璧を求め、完璧を体現する。欠けているところも魅力にできる。
───そっくりだよ、お前らは。本当に
アイも欠けている人間だった。その欠けをあまりある才能と嘘で隠した。
───しんどかっただろうな
好きでもない人間を好きだと言う。愛なんてわからないのに愛してると言い続ける。いつか嘘が本当になることを信じて、終わりの見えない道を走っていた。しんどいだろう。しんどかっただろう。アイはもしかしたら子供にすら愛してると言えなかったかもしれない。そんな人生はしんどすぎる。悲しすぎる。辛すぎる。
───同じ道を、行くんだな
ステージの上でアクアは楽しさを見せた。演じる事を楽しいと思いかけた。その瞬間、舞い降りた残酷な現実。楽しんだゆえに生まれた僅かな緩みが、最愛の人を死なせた。過去がフラッシュバックしている今のアクアなら、あの時何もできなかった自分のことを責めているかもしれない。4歳の子供に何もできるわけはないだろうに。
しかし誰もが一度は経験があるだろう。こんな想いをするくらいなら、最初から知らなければ良かった、と失って初めて後悔することは。アイツがもう演技を楽しむなんて二度としないと決意していたとしても不思議はない。
───才能ってのは、残酷だな。
苦しみを、絶望を、呪いを、力に変えることができてしまう。かつてアイがそうだったように。今アクアがそうしているように。
「うぁああああああああ!!!ぁあああああああ!!!」
刀鬼の泣き叫ぶ姿を、孫同然に思っている少年の慟哭を、五反田はあまりにも痛ましすぎて見ていられず、目を閉じた。
▼
物語は終幕へと進む。戦いが終わり、ブレイドたちは違和感に気づいた。あれだけの死闘を演じていたにも関わらず、誰一人傷を負っていなかったのだ。
鞘姫の盟刀は傷移しの剣。
自分が負った傷を配下たちに移し替えることができる支配者の刀。
それを鞘姫は仲間の傷を自分に移し変えることに使っていた。
『敵にこんなに情けをかけられたのは初めてよ』
『もしかして、はじめからこうして戦いを収めるつもりで……』
『まったく……』
冷徹な氷の姫の仮面の奥に隠された慈愛に気づいたつるぎは溜め息を吐き、【
『この鞘の本来の使い方は!』
『こういうことだろ!』
ブレイドと共に光り輝く刀身を鞘に納める。それとほぼ同時につるぎとブレイドが傷を負った。今まで鞘姫が引き受けていた傷を、二人に分散して移したのだ。
そして、傷をなくした鞘姫は。
『…………っ』
閉じていた瞼を、ゆっくりと開いた。
「うぁああああああああ!!!ぁあああああああ!!!」
刀鬼の絶叫が、ふたたび響き渡る。しかし、さっきの叫びとは違った。鞘姫が倒れた時は、絶望と悔恨が込められており、聞いている観衆達の背筋を寒くさせるほどの暗い絶叫だった。
今は違う。
安堵、後悔、罪悪感、感謝
陰と陽。二つの感情が複雑に入り混じった、聞いているものの心を震わせる咆哮だった。
───これが、アクアくんの感情演技…
最も近くで、強い力で抱きしめられているあかねは、思わず見惚れる。星の瞳から大粒の涙を零し、叫び続けるアクア。泣き顔など、たいてい醜くなるものだが……
───綺麗
歪んだ眉も、溢れる涙も、涙の奥の星の瞳も、全てが美しかった。美しく、綺麗で、愛おしい。できることなら、貴方を抱きしめ、キスをしたかった。不安にさせてごめんね、と。もう大丈夫だよ、と言いたかった。
───アクアの涙なんて、初めて見た
見惚れているのはあかねだけではなかった。少し引いたところから見ている有馬かなも、アクアの感情演技に魅了されていた。
───なんて真に迫る、心にくる声なんだろう
聞いているこちらも涙を流してしまいそうな。実際、観客は何人か泣いている。今のアクアには共感力の高い役者だけでなく、普通の人にすら共感を引き起こさせる力がある。
───まったく、嫌になるわね
コレで舞台演技初めてだと言うのだから。怒りを通り越して笑ってしまう。ああ、やっぱり自分は凡人でこの人は本物だと、改めて思い知らされた気分だった。
そして、同様の想いを抱きながら、二人とは全く異なる感情に支配されている女が、もう一人。
───アクア……
常に美しく、大衆の理想であり続ける不知火フリルが、今は美しさを損ねていた。眉を歪め、眉間に皺を寄せ、口元を真一文字に固く結んでいる。どんな顔もフリルは綺麗だが、今は明らかに『大衆の理想』からかけ離れていた。
───きっと今も発作は起こってるはず……なのに……
一触即発。現実とトリップの狭間。今のアクアの精神状態はギリギリだろう。表面張力限界の水面。何か一刺しあれば崩れ落ちてしまうかもしれない。極限の緊張状態。
───それでもギリギリ呑まれず、怒りを、悲しみを、絶望を、希望を、全て利用している。全ての感情を【刀鬼】に使っている
まさに役者。俳優の鑑。全てを芸能に捧げる覚悟を持った人。その覚悟を、美しさを、私は愛しいと思う。
───だけど、それなのに、今のアクアの姿に、どうして私はこんなに胸が締め付けられるんだろう
生の感情を役に落とし込む。役者であれば誰もがやっていること。しかしコレほどの深度でやられると、もはや演技と現実の境はなくなる。今のアクアは刀鬼でありながら星野アクアでもある状態だった。
───きっと今、貴方は曝け出している。その美しさと才能で作り上げた仮面の下を
仮面で隠した何か。それが何かを知りたくて、フリルはアクアに近づいた。そして今、ようやく見ることができた。人目に憚らず伏し、叫び、涙する星野アクア。美しく、醜く、強く、弱い。なんて魅力的な姿だろう。鼓動が逸る。心臓が跳ね回るのがわかる。
───ずっと見たかった。美しいだけじゃない貴方を。やっと見られた。
でも今は、そんな貴方を見るのが、とても辛い。
一体貴方には今何が見えてるの?
何が映っているの?
貴方が心の奥底に蓋をした感情はなんなの?
忘却を選ばざるを得なかったほど貴方が愛した人は一体誰なの?
叶うならば飛び出したい。あかねを突き飛ばし、貴方を抱きしめ、押し倒して、キスをして、衣装を脱いで、貴方も生まれたままの姿にして。貴方を抱きしめたい。貴方に抱かれたい。
そして聞きたい。貴方が今最も愛しているのは誰なのか。
でも、役者として、プロとして、そんな事ができるはずもなく。
私に今できる事は、痛みの走る胸を握りしめ、ズクリと疼く下腹部を撫でるくらいだった。
▼
時は少し遡る。鞘姫が斬られ、倒れた体を受け止め、『愛してる』と言われたオレは絶望の叫びを上げる。その後はしばらく茫然自失状態でブレイド達とセリフを交わす。何も考えなくても口は勝手に動く。何も見えなくても、誰がどこにいて、何をしているのかがわかる。オレの目はステージを反射していたけれど、オレの心はまるで違うところにいた。
真っ白な世界。オレは向かい合っていた。オレを背後から抱きしめていた何か。黒いモヤは人の形を作り、次第に輪郭をはっきりとさせていく。身体のラインからして女だろう。紫がかった黒髪を背中まで伸ばしたロングヘア。顔はよくわからない。大人になったルビーのようにも見えるし、あの嵐の夜、オレに覆い被さったフリルにも見える。アイをトレースしたあかねにも見えたし、オレが化けたマリンにも見えた。見覚えがある、けれど記憶にはない。そんな女がオレと向かい合っていた。
「あなたも愛が分からないんだよね」
誰かに愛されたことも、誰かを愛したこともないから。
「だから貴方は『愛してる』を振りまいた。『
誰かを愛したこともない。だから愛が分からない。ならせめて愛されようと。愛されるために貴方はその笑顔で、愛してるで、たくさんの人に愛された。
「そんな貴方が、今更真心が愛だなんて言うの?」
嘘のない貴方は愛してもらえなかったのに。嘘を貼り付けた貴方は愛してもらえたのに。誰かに愛されるために、貴方は誰よりも努力してきた。だから貴方は知っているはずだ。素材そのものの、可愛いだけじゃ、綺麗だけじゃ愛されない事を。貴方は誰よりも知っているはずなのに。
「アクア、貴方は、本当に愛が分かってるの?」
女の問いかけに、蜂蜜色の髪の青年は立ち尽くし、目を閉じている。一度天を仰ぎ、大きく息を吐くと、青年はその星の輝きを秘めた瞳を見開き、真っ直ぐに女を見据えた。
「オレは貴方が誰かよくわからないけど、とりあえず母さん、と呼ばせてもらおう」
「えー。できればママって呼んでほしいなぁ」
「質問を返すようで悪いが、ならあなたがオレに言ったことも、嘘か?」
その言葉に、女は黙り込む。それは、それだけは、彼女にとって嘘ではないと心から言える唯一のことだったから。
「母さんの言葉を否定する気はないよ。愛と呼べる嘘も、あるんだと思う。けどそういう嘘にはその奥に相手を思う真心があるはずだ」
役者は、夢を見せる仕事だ。時に美しく、時に醜く、人の夢を、業を、感情を演じる。美しさの中の醜さ、醜さの中の美しさを、嘘の中で演じる。嘘を本当に見せる。
「なんてえらそーにいってるけどな。オレだって、わかんねーよ。愛なんて」
一つの答えは得たとは思う。でもこの答えが正しいかなんてわからないし、一生変わらないとも言いきれない。こんなものの答えなんて、人によって変わるだろう。それぞれに生きる環境があり、世界がある。母さんの哲学も、オレの哲学も、正しくも間違ってもいない。
「母さんにとって、嘘は愛だったのかもしれない。けど、オレにとっては嘘は愛じゃないんだ」
貴方は色んな人に
いつか嘘が本当になる事を信じて。
たくさんの人に愛を伝えてきた。
「オレに、そんな事はできない」
顔も名前も、なんの思い出もない不特定多数に、愛なんて囁けない。オレのことを何も知らない人に愛してもらいたいとも思わない。
『アクア君、お母さんが死んじゃったらどうする?』
幼い頃に言われた言葉が脳裏に蘇る。どうもしねーよ。顔も名前も、思い出も何一つ記憶にない母親が死んだとしても、何を悲しめばいい?何を嘆けばいい?
「母さん、オレは貴方を愛していない」
だから貴方には
「オレが嘘をつけるのは、オレの守りたい人たちだけだ」
オレを本当の息子のように接してくれるミヤコ。
オレを共に真っ暗な世界で光を頼りに生きる仲間と言ってくれた有馬。
オレを親友と呼んでくれて、真っ直ぐにオレを好きだと言ってくれた、そして言い尽くせぬほど世話をかけたフリル。
何があってもオレの味方だと。良いことも悪いことも二人で分け合い、オレとこの世界で生きていきたいと言ってくれたあかね。
ハルさん、ナナさん、レン先輩、アビ子先生、吉祥寺先生。そして───
オレのことを世界で三番目に尊敬してて、世界一信頼していると言ってくれたルビー。
この人たちのためなら、オレは
「ルビーは、貴方のことを心から慕っている」
そしてオレにもそうであってほしいと思ってる。他の何で嘘をつかれても、秘密を持っていたとしても、親子の、家族の愛だけは絶対だと信じている。
「オレは貴方を愛していないけど、それでも…」
貴方を愛したいとは、思っている。
「今までの自分の人生、否定はしないし、後悔もしてないけど、それでも、もっと普通の。芸能界なんて狂気の世界に関係ない、普通の人生に、憧れた事はある」
普通に学校に通い、テストで満点をとって褒めてもらったり、運動会で一等賞を取って自慢したり、授業参観でお母さん綺麗だねって言ってもらったり、したかった。
そういう普通の思い出をたくさん重ねて、時間をかけて家族になって、心から母親に愛していると言える子供になりたかった。
「けど、それは無理だから。だからせめて大切な人に、愛してもらえる子供になりたい」
ミヤコが息子と思ってくれるオレに。
有馬が仲間だと思ってくれるオレに。
フリルが親友と言ってくれるオレに。
あかねが彼氏と、好いてくれるオレに。
ルビーが兄と慕ってくれるオレで、あり続けたい。
そのためならオレは、
「母さん、愛してる」
ああ。
やっと言えた。
申し訳ないと、心から思う。こんなありふれた一言を言えるようになるのに、12年もかかった。12年も言えなかった。
この言葉は嘘だけど。
これは絶対に嘘だけど。
それでも、やっと言えたんだ。
「嘘、なんだよね」
期待か、不安か、その両方か。わからないけど、少し揺れる声で紫がかった黒髪の美女は子供に尋ねた。
「ああ嘘だよ。ウソウソ。超嘘。大ウソだ。アンタさえいなければなんて考えたこと、この12年で数え切れねーよ」
だから言えなかった。12年間。写真や映像は死ぬほど見たけど、何度見ても他人としか思えなかった。プロファイルも何度も重ねたけど、母親なんてとても思えなかった。たとえ嘘でも、顔も名前も、なんの思い出もない貴方を愛してるなんて言えなかった。
「それでも、たとえ嘘でも、オレにとってはやっと踏み出せた一歩なんだ」
今まで嘘でも言えなかった。いつか嘘を本当にするというのは、嘘をつけて初めて目指せる目標だ。オレは今まで、目標を目指すことすらできなかった。
やっと一つ、踏み出せた気がする。オレが忘れてしまって、それゆえに縛られていた枷から。生前の星野アイ。そして記憶喪失前の星野アクアから。やっと一歩、抜け出せた気がする。
「多分今日が、この舞台が、最初の朝なんだ」
12年前からずっと続いていた暗闇。愛なんてわからず、愛の形も知らず、12年生きてきた。けれど今日、やっと光が差し込んだ気がする。
「ありがとう、母さん。たとえ妄想でも、トリップでも、貴方に会えたから、オレはこれから先を進める」
たとえ嘘でも、貴方に愛してると言えた。オレの愛の形もわかった。沼地を花畑に。ミミズを竜に。嘘を本当に見せられて初めて役者は三流。今のオレなら目の前で大切な人を失ったら、悲しく思える。涙を流せる。ようやくオレも天才達と戦うためのスタートラインに立てた。
喧騒が聞こえてくる。ああ、現実の声だ。鞘姫が倒れ、刀鬼が戦意を喪失し、戦いの決着がつく。負傷者の手当てへと移る中で、鞘姫の出血があまりに多く、生還は絶望的とされる場面だ。
「悪い。もう行かないと」
ここまでのシーン。絶望の底に叩き落とされた刀鬼なら、無感情にセリフを紡ぐだけで良かった。だがこの後。鞘姫の盟刀【
「うん。アクアの、今の大切な人たちが待ってるもんね」
「ああ、今のオレはあいつらのために嘘をつけるオレでいたい」
「立派になったね、アクア。強く、大きく、美しくなった。ママも鼻が高いよ」
その言葉に、ずきりと胸が痛くなる。コレは妄想だ。オレが調べ、プロファイルし、作り上げた星野アイの偶像。受け答えするAIのようなもの。あかねのものより精度は低いだろうし、たとえあかねでも100%完璧にトレースするなんて事は不可能だろう。
今のオレは本当に、アイに褒めてもらえるほどのオレなのだろうか。オレは本当にこの人に愛してもらえる息子なのだろうか。
オレはこの人を、愛していないのに。
答えの出ない問いに、眉を歪めずにはいられなかった。
「───っ、」
いつのまにか目の前に来ていた女はオレの首に腕を回し、胸元へと抱き寄せる。
「ごめんね、貴方を一人にしちゃって。ごめんね、ルビーのこととか、全部背負わせちゃって」
かあ、さん
「ごめんね、ちゃんとお母さんできなくて」
謝ってもらう必要なんてない。だってどうしょうもない事だったじゃないか。貴方には、どうしようも…
「何もできなかった私に、何も言う資格はないけど」
謝らなければいけないのは、オレの方で……オレの方なのに。
「だからこそ、言わなきゃいけないことを言うね」
抱きしめる腕の力が強くなる。けれど決して痛くはなく、威圧感もない。ただ暖かく、柔らかく、愛しかった。
「アクア。貴方は私のことを、愛さなくたっていいんだよ。愛したいなんて思わなくていいの」
貴方がこれからどうなろうと。
「貴方が私のことを忘れちゃっても」
貴方が自分のことを愛されてないって不安に思っても。
「私は貴方を、貴方たちのことを、ずっと愛してる」
ああ、やっと言えた。
「……あ」
これは絶対
「あぁ……」
嘘じゃない
「うぁ……」
愛してる
「うぁああああああああ!!!ぁあああああああ!!!」
そこから先は、よく覚えていない。気がついた時、オレは舞台袖で壁にもたれかかり、座り込んでいた。歓声と大きな拍手の音が聞こえてくる。その声を聞いて、無事終わったみたいだな、と他人事のように思い、息を吐く。
頬を流れる涙が止まっていないことに気づいたのは、それからもう少し経ってからだった。
かくして、舞台東京ブレイドは大好評を受け、幕を下ろす。この後、芸能界はしばらく荒れる事となる。
巨星の喪失と新星の発見によって。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
今回はいつもよりちょっと早く投稿できました。やっぱり丁寧な感想や高評価はモチベ爆上がりして筆がノりますね。まあそうでなくても今回は筆のノリ良かったですが。この話を書きたかったからこその長い舞台編でしたからね。(逆にノラない時はいくら時間かけても書けないってていう)
ついに終幕しました。東京ブレイド舞台編。いかがだったでしょうか?拙作のアクアの愛の形や哲学。フリルとあかね、重曹ちゃんの四角関係やアビ子先生とのドロドロ、その他諸々筆者の趣味を詰め込みまくった割には綺麗に完結できたと思います。その分長くなったのはご愛嬌で。筆者の乏しい文才の精一杯です。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
お気に入り件数五千突破しました!コレって凄いのかな、でももっと凄い人いっぱいいるしな、などと色々考えますが、フォロワー五千と考えると結構凄くね、と思って喜んでおきます。たくさんのお気に入り登録ありがとうございます!これからもよろしくお願いします!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
68th take 呪い呪われ、繰り返す
しかし星の光を求める者達は、休息の間も輝きを磨くだろう
星をなくした子は輝きの代償に名声と真実の一部を得る
安楽の光か、疑心の闇か、選択を迫られながら
舞台袖。真っ暗な片隅。普通に歩いているなら視界にさえ入らない場所。そんなところに、ほんの数分前まで誰よりも光り輝いていた人間が壁にもたれかかって佇んでいた。
星野アクア。今は刀鬼のメイクをしており、煌びやかな金髪はオールバックに纏められている。ぐったりと力なく座り込むその姿はいつもの凛として美しく、一部の隙もない星野アクアとは思えないほど弱々しかった。
「さすがの貴方も、グロッキーって感じね」
黒い影の前に座り込むのは白い衣装で身を包む美少女。白髪のウィッグを被り、巫女装束。戦いやすいようにアレンジされており、そこかしこにスリットが入っている。白と赤のコントラストは綺麗なバランスの上で成り立っており、覗く素肌は目に眩しい。東京ブレイドメインヒロイン【シース】に相応しい美しさだ。少女の名前は不知火フリルと言った。
「…………まだ、泣いてるの?」
暗闇の奥で雫が光る。無言で、静かに、星野アクアは涙を流していた。
「…………止め方が、わかんなくてな」
びっくりするほどか細い声が返ってくる。さっきまであんなに。聞く者全ての心を震わせるような声だったのに、今は目の前にいる一人がなんとか聞こえるくらいの声量だった。
「…………マジで泣いたのなんて、多分生まれて初めてだから」
12年。誰かに弱みなんて何一つ見せてこなかった人生だった。演技の涙を流したことはあったけど、それは自分の美しさを引き立てるためだった。本気で泣いたことなど、家族にすら見せた覚えはない。強く、美しい、完璧な星野アクアであり続けた。
けれど今、12年で初めて、アクアは心から涙を流していた。なんの打算も計算もない。ただ心のあるがままに、感情を溢れさせていた。タガが外れたと言い換えてもいいかもしれない。そしてその外れたタガを元に戻す手段が、わからない。
───コレが、星野アクア。
現実と幻想の狭間で、異常な没入を見せる役者。素晴らしい。だが同時にとてつもなく危うい。観客を虜にする芝居を超えた芝居。しかしその才能は、幻想の世界から戻れなくなる片道切符の特急券かもしれない。
───けど、それでこそ私の
一眼見て感じた。同じ星を見ている人だと。自分じゃない自分を常に演じてて、唯一無二を目指して生きている。
けど、自分というものがあまりに希薄だから、生きながらにして死んでいるようにも見える。
死に向かって生きている。私と同じ。私たちは同じ銀河鉄道に乗っている。
───なのに今、貴方は私と違うモノを見ている。違うものしか見ていない
気に入らなかった。ムカついた。引っ叩いてやりたい。この私が目の前にいるというのに、こいつは私を見ていない。
───アクア、私も多分生まれて初めてだよ。やきもち妬いたのなんて
貴方の心を捕らえている何かに、嫉妬している。役者の顔を殴りたくなるほどイラついてる。あの時、あかねとアクアがキスしてるのを見た時でさえ芽生えなかった感情だ。私は今、星野アクアを縛る何かに嫉妬している。
「アクア。貴方は、一体何を見たの?」
回りくどいマネはせず、直接聞く。もうそれ以外に方法は思い浮かばなかったし、私を妬ませる何かに遠慮してやる気も起きなかった。
「…………愛してるって」
「……………………」
「オレは愛してないって言ったのに。嘘だって言ったのに。オレには、愛してるって言った………言ったんだ」
目を手で隠し、空を仰ぐ。なんの話をしているのか、フリルには分からなかったが、アクアにとってはそれは涙を流し続けるに値する事なんだろう。これ以上を聞く気にはならなかった。
「アクア」
頬に手を添え、顔を隠す手を取る。至近距離に、お互いの息が触れ合う距離に、彼がいた。吸い込まれるような青い瞳に星の輝き。それらを涙で潤ませながら、その美しさに一切の翳りはない。目を閉じる。柔らかな感触が伝わってくる。そういえば、アクアとキスするの、久しぶりだな、なんて思いながら、彼によって上達した技術で師匠の口内を蹂躙した。
「……え、急に何?」
「いや?」
「いやとかじゃなくて、オレかの─っ」
何か言おうとする口を塞ぐ。真っ直ぐに彼を見据える。まだ涙が止まらない彼が憎い。愛しい。引っ叩きたくなる。抱きしめたくなる。愛憎全てを込めて、胸にたぎる想いを告げた。流れる涙をなめとる。身体の中に震えが走った。
「───どこでスイッチ入ってんだ変態」
「黙って」
唇を合わせる。もう抵抗はされなかった。
───この人の傷は、想像以上に深いみたい
アクアのフラッシュバックはアクアだけのもので、アクアをこんなにも泣かせるなにかに、私は何もできない。悔しい。
───けど、この人の傷を暴いてみたいとも思ってしまう。
大切なのに。親友なのに。心から愛しているのに。貴方がひた隠す何かを暴きたい。その傷に手を突っ込んだらどんな顔をするか。その傷を舐めたら私のことを好きになってくれるのか。見たい。知りたい。だけどやりたくはない。きっとこの人を苦しめることになってしまう。
───大事にしたいのに、どうしていいかわからない
「アクア」
「…………」
「難しいね、恋って」
再び口を啄む。労わるような、傷を舐めるような、優しいキス。アクアの涙が止まるまで、二人は闇の中でお互いの傷を舐め合い続けた。
▼
「…………いいの、アレ」
少し離れたところで、二つの影が壁にもたれかかる。一人は赤みがかった黒髪をボブに切りそろえた、活発な姿の美少女。もう一人は十二単のような豪勢な衣装を纏った美姫。有馬かなと黒川あかね。先ほどまで「つるぎ」と「鞘姫」を演じていた女優だ。
二人とも出番を終えた後、彼がどこへ行ったか分からず、見つからなかったアクアを心配して探していたのだ。そしてフリルに先を越されていた。
二人とも緞帳に隠れていて、何をしてるかは見えないが、時折水音がわずかに響く。男と女がいちゃついてるのは明らかだった。
「…………私は俳優星野アクアの彼女だもん。キスくらいなら、見逃してあげる。コレから彼はお芝居の恋もキスも、沢山するだろうし。一々気にしてたらキリがない」
「芝居じゃないでしょう。アレは」
「抵抗する気力のない所を襲われてるだけだよ。アクアくんは被害者。強姦魔はフリルちゃん」
「強姦て……」
───それにフリルちゃんの気持ちも、わかるから
あかねも壇上で涙するアクアを見て、抱きしめたくなった。キスをしたくなった。けれどプロとして我慢した。あのパニック発作を見て、アクアくんの内情を知っているなら、彼に恋する女として、彼を慰めたくなるのもわかる。立場が逆なら、私も同じ事をしただろうから、責められない。トリップ中で心身喪失のアクアは尚更だ。今の状態のアクアが殺人を犯したとしても法では裁けないだろう。責任能力のない犯罪は罪に問えない。法さえ裁くことのできない者を、あかねが裁けるはずもない。
「私は三千人のお客さんの前で抱きしめてもらったし?誰も見てない片隅で二人きりくらいなら許してあげる。あの二人は親友なんだし」
───だけど、いつまでも許すわけにもいかないから
二人が隠れている緞帳へ足音を立てて近づく。誰かが来ると気づいたのか、二つの塊が離れる気配がした。
「アクアくん、フリルちゃん、こんなところにいた。もう、二人とも何やってんの」
「疲れてるのは分かるけど、後もう一仕事残ってるわよ。二人とも、立って」
「わかってる。アクア、ほら」
「いいよフリルちゃん。私が」
座ったままのアクアの手をあかねが引く。ふらつく彼の肩を抱きかかえた。
「…………最悪の初日だった」
「でも最高の初日だったよ。あの光景がそれを証明してる」
「…………あの光景?」
「アクア、笑って」
───っ!?
手を引かれた先で、眩い光が叩きつけられた。音が全身を震わせる。終始薄暗かったホール内の照明は今は全て点灯しており、観客たちは何の遠慮もなく音を発していた。歓声、拍手、喝采、笑顔。多大な情報がアクアに叩きつけられた。
「…………そうか、カーテンコール」
「ほらアクア。泣いててもいいけど、笑顔笑顔」
「いつの間に観客席全部埋まってたんだ……」
「最初から満員だったわよ。何言ってんの」
「私は分かるなぁ。憑依っちゃったら観客席とか視界に入ってこないよね」
「没入型あるあるだね。それも二人の才能だよ」
アクアの手が握られる。左はフリルに。右はあかねに。あかねの隣には有馬がいた。
『ありがとうございました!』
出演者が全員頭を下げた後、手を繋いだまま全員両手を上に掲げ、観客たちの拍手に応える。アクアは相変わらず涙を流し続けていたが、ようやく笑顔を取り戻していた。
「…………私、この舞台に出ることを選んで、本当に良かった」
美しい笑顔で観衆の拍手に応えながら、フリルはアクアにだけ聞こえる声量で呟く。続いた。
「段違いに成長した貴方を隣で見られた。覚醒した貴方を壇上で見られた。涙と笑みで彩られた、こんなにも綺麗な貴方の手を取ることができた。もし観客席にいることしかできなかったなら、無理やり壇上に上がって貴方の隣にいる人突き飛ばしてその手を取っちゃってたかもしれない。本当に良かった」
「なんて恐ろしいこと言い出すんだお前は。今後どうすんだよ。お前と一緒に仕事できない時だって絶対あるんだぞ」
「この思い出があれば、多分大丈夫」
多分という言葉が引っかかったが、追求するのも怖いので黙っておくことにした。
「貴方と画面越しに出会ってから十ヶ月。こうして一緒の舞台に立つことをずっと夢見てた。その夢がやっと叶った。私の期待を超える輝きを貴方は見せてくれた。本当に夢みたいな時間だった。嬉しかった。だから私はもう大丈夫。この思い出だけで、あと一年は貴方が誰と共演しても、生きていける」
「大袈裟なヤツだな。知ってたけど」
「だからね、アクア。貴方は今日で私の弟子は卒業。私は貴方を守らないし、貴方も私を守らなくて良い。これからはお互いの道を行きましょう。今度は私の意図とか、策略はなし。それぞれの道の先で偶然交わることを祈って」
観客に向いていた笑顔がこちらへ向く。視線を感じて、目線だけフリルの方を見てみると、今まで見たことのないような、慈愛の溢れる顔でこちらを見上げていた。
「バイバイ。私の最初で最後の
大きく振った手は観客に応えるためか、それともアクアへの挨拶か。判断できる者は誰もいなかった。
公演初日の後、少しが経ってから芸能雑誌に特集が掲載される。
【舞台東京ブレイド。大盛況の末幕を下ろした傑作舞台。主演は若手4名が務めたダブルキャスト。驚嘆の幻想をもたらした新生俳優、星野アクア】
特集を飾る最も大きな写真は、涙を流しながら笑顔でカーテンコールに応えるアクアのアップだった。
▼
「はいっ、苺プロダクションです。ええ、星野アクアのことはこちらで……はい、次の仕事はまだ決まっておりませんが……いえ、まだ公演中ですし……舞台という大仕事を終えた後は少し休ませたいと……はい、待っていただけるのであれば検討させていただきます。それでは」
昼夜を問わず苺プロダクションの電話やミヤコさんの携帯にコールがかかってくる。舞台の初日が終わってから数日。お兄ちゃんの周りは一気に騒がしくなり始めた。
「芸能界は常に才能を求めてる」
いつかお兄ちゃんが言っていた。芸能界とは常に才能を求めていて、常にアンテナを張っている。噂は一日で千里を走り、悪い噂は一瞬で共有される、と。ネットのレビューやSNSをあさることは彼らにとって立派な仕事なんだ、と。
そしてどんな業界でも才能とは奪い合いなんだ、と。
そしてアクアはもう奪い合いをされる側になってしまっていた。
「いえ、まだ次の仕事については考えておりません。まだあの子は学生なんです。少し休ませてあげたいな、と。はい、はい」
ひっきりなしに電話がかかってくる。内容全部は聞こえないけど、それでもわかる。全部オファーだ。舞台、テレビ、インタビュー。ジャンルを問わず、「星野アクアを出せ」という依頼で、苺プロは溢れかえっていた。
「ミヤコさん、なんで断ってるの?」
雑誌を片手に問いかける。会話全部が聞こえてはいないが、受け答えでわかる。ミヤコさんはアクアへのオファーを全部断っていた。せっかくのチャンスなのに。少し不思議だった。
「ルビーだって見たでしょう。舞台の初日が終わった後のアクアを」
その言葉に何も言えなくなる。あの後、控え室に先輩とアクアを迎えに行った時、驚いた。心から動揺した。
憔悴していたというわけではない。先輩ですら「疲れた」と言って座り込んでいたのだから、疲労していたくらいじゃ驚かない。お兄ちゃんは2本の足で立って、背筋を伸ばして、凛としていた。
『…………ああ、ルビー。迎えにきてくれたのか』
泣き腫らした目元と、私でも仮面とわかる笑顔以外は。
───お兄ちゃん、泣いてたの?
壇上でも涙を流していたのは見た。カーテンコールの時も泣いていた。けどアレはお芝居の涙で、アクアの演技だと。いつもの強くて美しいお兄ちゃんの一部だと思っていた。
けれど違った。舞台上で少し泣いていたというような目の腫れ方ではない。多分控え室から出てくる一瞬前までアクアは泣いていたのだ。
そして、それを隠しきれていない。見せまいとはしている。口元に笑みを浮かべ、優しく甘い声で私に話しかけてくれている。
それでも、隠しきれていない。これは初めてのことだった。子供の頃ですら完璧に隠し通してきた弱みを、弱点を、アクアは見せている。その事に驚き、動揺し、そして辛かった。
「今あの子に無理させたら……いえ、本人は無理じゃないっていうかもしれないけど、いざ仕事となればあの子は手加減できない。妥協できない」
そしたら、壊れてしまうかもしれない。人には見せず、笑顔を張り付け、仮面を纏い、完璧をやり遂げてしまう。それがわかるからこそ、今アクアにこれ以上負担を増やすわけにはいかないとミヤコさんは判断した。
「とにかく、一ヶ月の公演が終わったらアクアは少し休ませるわ。今のあの子なら多少仕事断っても消えはしないわよ。知名度はむしろコレから上がっていくだろうしね」
私の手元にもある雑誌をミヤコさんが手に取る。そこには舞台東京ブレイドについて大々的に書かれていた。
驚愕の夜
若き才能達が集いし傑作舞台
[国民的大ヒット漫画『東京ブレイド』]
[その舞台化は公演前から大きな話題を呼んでいた]
[話題の始めは一ヶ月以上前。舞台稽古に入る直前の時期だ。公演の主役を担う4名が一堂に会し、取材に来ていた雑誌記事はこう銘打った]
【次世代を担う若手達の直接対決か】
[この記事を掲載した時、正直リップサービスもあったと思う。しかし彼ら彼女らはこの誇大広告を決して誇大でなくしてみせた。不知火フリルを筆頭に若き演者達は舞台の上で躍動し、我らを狂喜の渦に巻き込んでいく]
[今回の舞台、主演組はダブルキャスト。という一つの役に対して2人の俳優を立て、交互に出演させる上演方法。前編後編で分けて実施される舞台という長丁場。観客を飽きさせないようにする。舞台演劇ではよく見られる、だからこそ難しい演出を、4名の役者は完璧に務めきった]
ララライ看板役者に相応しい演技を見せる姫川大輝。
新境地を切り開いてみせた不知火フリル。
キャラクターがそのまま現実に現れたかのような没入をする黒川あかね。
そして深さと伝わりやすさ。その両面において最も眩い輝きを放っていた星野アクア。
[この4名による、それぞれが持つ個性を遺憾無く発揮したパフォーマンスが、鮮やかなコントラストを作り出していたのは間違いない。特に星野アクアが演じている時は全体のレベルを2段も3段も引き上げていたように感じた]
[際立っていたのがクライマックス。最愛の人を死なせてしまった絶望。そして蘇った歓喜の叫びは、観ている者の心を鷲掴みにするかのような、暴力的なほどの迫力を星野アクアは演じて魅せた。昨今、平均的な、感情の昂まりが少ない演技が主流とされる中で、あまり観られない大胆不敵な、型にハマらない個性は、新たなスターの出現を我々に予感させた]
───って感じで大絶賛してる記事もあれば……
スマホをタップする。ネットに上がっている記事の方には、まるで違うことが書かれていた。
異色の東京ブレイド
危うい均衡の下、若さが暴走してしまった舞台
[若い演者が集った舞台東京ブレイド。ストーリーからして原作と乖離している部分が多く、演者達にとって難しい舞台であったことは間違いないだろう]
[しかもその上で若手達、特に主演を務めたダブルキャスト4名と1人はその才能のまま、好き勝手暴れ回っていた]
[序盤から憧憬的な感情移入が多すぎる。姫川大輝は相変わらずだったが、不知火フリルもらしくない感情移入が多かったように思う。特に第二幕の終盤はデコボコ。黒川あかねと有馬かな。そして星野アクアの3名が主観的表現を爆発させまくっていた。調整役がステージ上に誰もいない舞台は奇跡的に収まりを見せたが、ぶち壊しになっていてもおかしくはなかっただろう]
[コレは【東京ブレイド】かもしれないが、ファンが望んだ【東京ブレイド】ではなかったように思う。彼らにこの舞台は時期尚早だったのではないか。姫川大輝。不知火フリル。黒川あかね。有馬かな。星野アクア。この5名の才能が確かなものである事は本誌記者も認める。だからこそ時間をかけて大事に育ててほしいと願う]
創作なんて賛否両論あって当たり前。批判されている事に関して、アクアはなんとも思っていない様子だった。
しかし、世間は違う。
絶賛と批判。そして写真やテレビで強烈に印象に残る演者達のルックス。特に星野アクアの美しい涙と笑顔は大衆の興味を引くには充分すぎた。
「この舞台ウチの生徒が出てるらしいよ」
「大絶賛されてるんだって!」
「そうなの?私は批判されてるって聞いたけど」
「えー?!いいの?悪いの?どっちなの?ますます気になる〜!!」
「観に行かなきゃ!」
噂が噂を呼び、人々を集め、舞台東京ブレイドは連日賑わいを見せている。
そして、芸能界はそれ以上の騒ぎが水面下で起こっている。
「星野アクア」
「新人だけど凄まじい芝居をするらしい」
「今のうちになんとか繋がりを作っておけ」
関係者はアクアに一気に目をつけ始めていた。その結果がこの問い合わせの嵐だ。
「あー、もうコード引っこ抜いちゃおうかしら」
少しイラつきながらミヤコさんが受話器を置く。どうせ断るとわかっているのにいちいち応対するのはストレスだろう。
「当の本人はなんて言ってるの?」
「受けるも断るも私に任せるって。信用してくれてるのかどうでも良いのか。多分両方ね。まあアクアの状態抜きにしてもコレからはアクアの大売り出しはしないつもりだったけど。もうあの子は売り出し期間は終わった。コレからは露出を抑えて希少価値高めて単価を引き上げていくわ」
その言葉に、まだまだ大売り出し中のルビーはやっかみを覚える。もうアクアは仕事を選ぶ側に回っていた。
───才能の差って、残酷だなぁ
ルビーの脳裏に蘇るのはとある会話。初日の公演の後、アクアと先輩を迎えに行くため、楽屋へと歩いていた時だ。盗み聞きするつもりはなかったが、聞こえてしまった。
『私なんかまだまだだって、改めて思い知らされた舞台だったよ』
黒川あかねが、楽屋裏に来ていた今ガチメンバーに囲まれて、チヤホヤされているのが目に入る。褒められているのに、その声はとても弱々しかった。
『良い演技は、できたのかもしれない。でも、本物っていうのは自分以外の何かに働きかけることが出来てしまう……その光で、自分以外の誰かを照らすことができちゃうんだ。姫川さんや、フリルちゃん。アクアくんに……有馬かな』
[ああいう人たちを本当の天才って言うんだよ]
その一言を絞り出したあかねちゃんはボロボロと大粒の涙を流していた。
『もっと上手くなりたい……フリルちゃんにも、かなちゃんにも負けないくらい……アクアくんの隣に並んで、恥ずかしくないくらい、上手く』
あんなにすごい演技ができる人に、コレほどのコンプレックスを抱かせるのが、自分の兄と、アイドルをやらせてしまっている先輩だと思うと、ルビーの胸の中に罪悪感のようなものが湧き上がった。
『素材のままの私の消費期限なんて、多分あと2年もないんですよ』
誰かが受け答えしている声が聞こえてくる。視線を向けると、取材陣に囲まれている美少女の姿があった。公演が終わって間もないというのに、取材がやってくるのは流石は不知火フリルだと感じた。
『先ほど演じ方が変わった、という意見を仰られました。確かに今回は今まで私がやってきたことと、少し違うことをやりました。その事に気づいていただけたのは嬉しいです。ですが、それは私の今までを蔑ろにしたというわけではありません。ここまでただ不知火フリルでしかなかった私を好きだと言ってくれる人がいる事に、感謝しかありません』
しかし、何もしなければ自分の全盛期は今。ここから跳ね上がりはせず、ゆっくりと下降し、そして消える、と。
『だから私は私の味付けを変える必要があった。消費期限を更新するために……そして、あの人に食い尽くされないために』
今回の彼女の演技には真摯な想いがあった。仮面を思わせないリアルがあった。
まるで本当に自分に遠慮や隠し事をする愛しい誰かを悲しく、心配したことがあるかのように。
まるで本当に愛しい誰かのために自らが全てを捧げたことがあるかのように。
観ている者の心に迫るリアルな演技。それでいて不知火フリルらしさは残していた。リアルと幻想を両立させていた。
『なーんて言ったら戦略的でカッコ良さげですけどね。ホントはただのマネなんですよ。私に美しさの中の醜さを。醜さの中の美しさを教えてくれた、本当の天才の』
それが誰か、私には分かった。分かってしまった。あの不知火フリルが誰を天才と認めているか。
なぜかそれ以上は聞きたくなくて、ルビーは有馬かながいるであろう控室の部屋へと入った。
『つっかれたー!早く家に帰って靴下脱いで寝っ転がりたーい!』
ソファに座り込んで天井を仰いでるのは艶々の赤い髪が綺麗な少女。かつての天才子役にして、同じアイドルグループに所属する先輩が、全力で脱力していた。
『…………私は天才なんかじゃないわよ』
私が先輩のことを凄い役者だって。天才だって言うと、先輩は違うと呟いた。
『本当に難しいのは、難しいことを難しくみせないこと』
あの時の黒川あかねとアクアは、異質だったと先輩は言った。
『異常な没入によって表現される、尋常じゃないクオリティのメソッド演技という技術。生まれ持ったとてつもない存在感。他者の演技さえ振り切らせてしまう魔性の
私には真似できない、と先輩は言った。いくら努力しても、どれだけ時間をかけても、決して辿り着けない。生まれ持った差だと。
『凡人の積み重ねや努力をきっかけ一つで一瞬で飛び越して、難しいことを難しく見せず、サラッとやってのける。ああいうのを才能っていうのよ』
あかねさんも、フリルちゃんも、先輩も、自分は天才じゃないと言った。けれど三人とも天才と評する人は同じだった。
もう一度雑誌に目を落とす。不知火フリルを差し置いての、どセンターで写っているのは煌めく蜂蜜色の髪をオールバックに纏めた星の瞳の美少年。カーテンコールに涙ながらの笑顔で応えている兄は、妹の目で見ても、まるでフォトグラフィックから抜け出したかのように美しく、幻想的だ。
だからこそ、我が兄が、愛しく、誇らしく、憎らしい。
三人の天才が、共通して天才と形容した男の写真を指で撫でた後、パチンと弾いた。
▼
───どうしてこうなった…
六本木。とある隠れ家的バーで、星野アクアは世の不条理を嘆いていた。
「ジュニアぁ。久しぶりぃ」
「ジュニアが中学生だった頃以来ぃ?お姉さん寂しかったぁ」
「………ははは」
頭を撫でたり、胸元に抱き寄せてきたりする見目麗しいお姉さんを押しのけながら、乾いた笑いを返すので精一杯。下手なことを喋るとオレの過去諸々がバレる。ここにオレを連れ込んだ人をチラリと見る。呆れたような、けどどこか納得しているような。
端的に換言すると、ゴミを見る目で姫川大輝はオレのことを見ていた。
「こういう店、よく来るのか」
「むかーし、事務所社長に連れ込まれて何度か……そのツテで中学の頃に内緒の食事とかでも時々使わせてもらいました……」
相手はレン先輩やハルさんやナナさん。オレがマリンでない状態でデートする時、こういう店をよく使わせてもらった。たまに1人で呑みたい時とかにも来てたが。その時は店のお姉さんにアフターしてもらったこともあった。
「…………結局俺らは口の堅い同業者としか遊べないもんな。カジュアルに遊ぶならこういう場所しかないよな。わかるわかる」
「姫川さんも、結構通い慣れてる感じみたいですけど」
人の事は言えないが、せめてもの反撃を一応してみる。確かこの人もハタチになったばかりだ。それなのにこの慣れてる感は明らかに未成年の頃から通い詰めている。
「ま、俺も可愛い女の子好きだし」
隣にいた美女の頭を撫でる。そのまま席に招くのかと思ったが、少し離れているよう頼んでいた。
「嫌になることも多いんだけどな。人間の嗜好の殆どは身体に染み込んだDNA。女好きは遺伝くさい。俺も、お前も」
パサリ、と何かがテーブルに投げられる。乱雑に広がったのはA4用紙数枚だった。
───私的DNA型鑑定書……
最も大きなフォントで書かれた文字が真っ先に飛び込んでくる。そしてそのまま次に大きなフォントで書かれた内容が、脳に染み込んでいった。
「俺たち、父親が同じらしい」
世界が歪んだ音が聞こえた気がした。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
舞台も初日が終わり、新星の登場に芸能界は揺れています。そして突入しましたプライベート編。異母兄弟の発覚は兄からでした。賢明なる読者様には予想されていたと思いますが。詳しい経緯は次話以降で。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
69th take ヴェンデッタが歌える男
その歌を唄える条件は二つ
一つは暗い情念が持てること
一つは冷たい思考ができること
時間は少し遡る。舞台東京ブレイド一ヶ月間の公演。その中の幾つかが終わったある日のこと。
「ふぃぁああーー」
「つかれたーー」
メイクを落とし、衣装を脱ぎ捨てたキャスト達は疲労困憊の様子でそれぞれ脱力していた。無論アクアもその例に漏れない。汗だくの状態でタオルを頭に被り、両膝を立てて地べたに座り込んでいる。あかねはその隣でアクアにスポーツドリンクの入ったペットボトルを差し出していた。
「ありがと」
「お疲れ様。アクアくん、今日も良かったよ」
「この舞台消費カロリー高いのよねー」
受け取ろうとしたペットボトルをひったくられる。暴挙の犯人を突き止めようとタオルを頭から下ろした時、赤髪の美少女はすでにキャップを外し、ドリンクを口にしていた。
「…………かなちゃん、それ私がアクアくんにあげたヤツ」
「あらそうなの?何も言ってなかったからわからなかったわ。ゴッメーン。アクア、コレ飲む?」
「お前が口つけたのなんか飲めるか」
「そっ。お詫びにあんたには私がドリンク奢ってあげる」
「いらねーよ」
持参していたドリンクの方を開ける。中身はアクアがCMを務めている清涼飲料で、見本品はまだいくらでもあった。
「そういえばあかねが今持ってきたのも、アクアくんがCMやってるヤツだよね」
言われてみて初めて気づく。確かにあかねが持ってきて、今有馬が持っているのは、自動販売機にオレの写真が貼られているメーカーのスポーツドリンクだ。
「はっ、すっかり飼い慣らされてるわね。黒川あかね」
「一途で健気って言ってほしいな。あ、彼氏もいないかなちゃんにはまだわかんないか」
「はいはい。ワタシの為に争わないで。喧嘩止めんのもカロリーいるんだから」
また始まった、と周囲の誰もが思った時、星野アクアが2人の間に割って入る。お互いまだ不服そうに眉間に皺を寄せていたが、とりあえず矛を収めた。
「そうそう。そういう喧嘩は舞台裏じゃなくて飲みの場で発散すべきだ。そーゆーわけで飲みに行くか!!」
「ええっ、今日も!?」
「好きだよな、舞台人って飲み会」
初日から今日に至るまで毎回開催されている。まあ舞台の反省会やグチの会も兼ねているので参考になるといえばなる集まりだが。それにしても開催頻度が高い。
「予約は任せてください!この辺りで当日団体OKの店のデータは幾つか押さえてあります!」
そしてせっせとスマホを動かしながら店を検索する自身の彼女もまた舞台人だった。普段おとなしいやつがこの手のイベントの出席率高いのはまあある事だ。
「姫川も行くよな?」
「んー、まぁ……オッサンも行く?」
「オッサンが居たら気ぃつかうだろ?若者だけで楽しんでこい」
「気なんて使いませんよ。一緒に行きましょう!」
「んー、なら行くか」
「やった!」
なんだかんだといつも断っていた金田一監督が出席を決める。汗を拭くとアクアは帰り支度を整えた。
「アクアくん、行かないの?」
「悪いな。オレはパス」
バックを背負う。今日の公演でもトリップはあった。一番酷かったのは初日で、それ以降オレを背中から抱きしめる何かを感じることはなくなり、アレと対話するほどの夢中はなくなったが、それでもリアルな死の光景は公演のたびに襲いかかってくる。何かを食べる気にも飲む気にもとてもならない。むしろ今にも吐きそうだ。
「私も今回は遠慮させてもらいます」
「今回もって、不知火さん毎回じゃない。たまには──」
「すみません、仕事なんです。ごめんなさい」
フリルも手早く荷物を纏めると楽屋を後にする。後に続こうかとも思ったが、こいつと一緒に出るとなんか余計な詮索されそうだったのでしばらく時間を置くことにした。
「アクアが行かないなら私も行かな──」
「星野、お前は今日は逃がさん。別に仕事あるわけでもねーだろ。付き合え」
「姫川さん、パワハラですよ」
「お前が気にしてた話、してやるから」
後半は耳打ちされる。オレが気にしていた事。なぜこの人がオレにアドバイスじみたことを何度もしてくれるのか。舞台をよくしたい以外の、何か事情がありそうだとは思っていたが、やっぱりあるらしい。降参するように両手を上げる。流石に無視はできなかった。
「わかりました。付き合います」
「よし」
「やっぱり私も行く」
「かなちゃんってさ。絶対自分を曲げないみたいな空気出してるけど、実は直角に曲がるよね」
「一途で健気って言ってくれないかしら。あ、ビジネスでしか彼女してないアンタにはまだわかんないか」
「争うなっつーに」
2人の頭を軽くこづく。「有馬さん、だいぶ隠さなくなってきたね」とヒソヒソ話し合う女性陣の隣で、三人の様子を見た姫川が「絶望しかねえわ」と小さな声で呟いたのは誰にも聞こえなかった。
▼
「だからね!?役者も1人の作家であるべきなのよ!」
ジンジャーエールを飲み干した有馬かながテーブルにジョッキを叩きつけながら持論を説く。役者の飲み会となればいずれは演技の議論になることは避けられないが、シラフのはずの有馬が誰よりも早くハメを外していた。
「その場その場をミスしないように演じるんじゃなくて!作劇的な盛り上げに加担しなきゃいけないわけ!」
「それは演出家の仕事だろ」
「そうだけど!一人一人その意識は持ってなきゃいけないって話よ!自分がストーリーを作ってるって自覚がないとアドリブとか咄嗟のトラブルとかに対応できないんだから!」
───ソフトドリンクで酔えるのは安上がりで羨ましいなぁ
ウーロン茶を口にしながら議論の様子を眺めている蜂蜜色の髪の少年は息を吐く。ただでさえ公演後の疲労でだるいのに。たとえ酒が入ってたとしても、今あの熱量の中に入れる気はしなかった。
「アクアくん大丈夫?ちゃんと食べてる?」
アクアの隣でせっせと肉を焼いているのは青みがかった黒髪を背中まで伸ばした美少女、黒川あかね。こういう場では、彼女はいつも黒子役というか、周りのサポートに徹している。今ガチの打ち上げとかでもそうだった。
「今あんまり肉食う気にならなくてな……」
───というか、あの時以来、肉が苦手になりつつある
初めてトリップを体験し、倒れたあの日。人の血を、臓物を見てしまって以来、アクアはどうも肉が食べにくくなってしまった。火を通したヤツならまだいけるが、ユッケとかの生肉系や、ローストビーフなどの血の味が強い肉料理はダメ。あの時の感触が蘇ってしまう。
「オレのことは気にしないで、あかねも議論に混ざってきたらどうだ。演技の話なら無限にできるタイプだろ?」
「気にするよ。さっきからアクアくんずっと元気ないんだもん。やっぱり来たくなかった?」
「少なくとも有馬ほど盛り上がる気にはならねーな」
「ごめんね、無理矢理連れてきたみたいな形になっちゃって」
「あかねが謝る事じゃない。無理矢理連れてきたっていうなら姫川さんだろう」
あの人の耳打ちがなければオレは今日来ていなかった。サッサと帰って風呂入って寝てただろう。そう思うとちょっとだけムカついた。
「…………ね、アクアくん」
「ん?」
「もしアクアくんが良かったらなんだけど……」
アクアの耳元に口を寄せる。鼓膜をギリギリ振動させるその声は、緊張と不安で少し揺れていた。
「抜け出しちゃう?2人で」
あまりに想定外の言葉にアクアは思わず目を剥く。振り返った先にいる青みがかった黒髪の少女は顔を真っ赤にして彼氏の腕に顔を埋めた。
「ご、ごごごごごごめんっ。わ、私もちょっと酔っ払っちゃったっていうか空気に酔ったっていうか取り敢えず正気じゃなかったかもごめんねそんなことできるわけないよね私みんなの分のお肉焼かなきゃいけないしアクアくんにだって食べさせてあげたいし大体私と2人で何するんだって話だよね私アクアくんみたいに面白いトークできるわけでもないし演劇オタクだから結局演技の話ばっかになっちゃって退屈させちゃうだろうしあはは何言ってんだろごめんねできれば聞かなかったことにしてくれたらありがたいっていうか──んむっ」
「あかねって嘘つく時いつも饒舌だな。心配になるくらいだ」
人差し指であかねの唇に触れる。烈火の勢いで捲し立てていたあかねの言葉が強制的に止められた。
「本当に?」
「っ……」
「本当に無かったことにしていいのか?」
口を指で封じられてなくても、あかねは何も言うことができなかった。至近距離にある星の瞳と耳元で囁かれた甘い声があかねを金縛りにする。十数えるほどの間、見つめられ続ける。アクアの口元がフッと緩んで、あかねはようやく呼吸ができた。
「悪いが、少なくともオレは聞かなかったことにはできねーな。可愛かったから」
「アクア、くん…」
「行こうか、あかね。2人きりで」
「…………はいっ」
身体を起こすことなく、ひっそりと席を離れる。オレは監督に。あかねはララライの女優に、この場を離れることを告げると2人とも別々の出口から店を出る。
喧騒の中、誰も気づかなかったはずの2人の行動を、1人だけが眼鏡の奥で捉えていた。
▼
「アクアくんっ」
別々の出口からタイミングを外して出た2人は携帯で連絡を取り合って合流する。駐車場からバイクを拾ってきたアクアの元へあかねが足早に駆けつけた。
「ごめん、お待たせ」
「全然待ってねーよ。大丈夫」
「それじゃあどこ行く?今からだともう予約できるようなお店は…」
「オレの知ってる店で良ければ紹介する。マスターが馴染みだから予約なしでも大丈夫だろ」
「予約が大丈夫でも未成年2人で繁華街うろつくのは大丈夫じゃないな」
2人同時に音源を振り返る。夜の街灯に照らされながら現れたのは黒縁眼鏡でぱっと見は冴えない。けれどよく見たら端正な顔立ちをした美青年。
名前は姫川大輝。ララライの看板役者だ。
「ひ、姫川さん」
「黒川もやるようになったな。こっそり抜け出して男と2人で夜の街へ、か。ど真面目なヤツほど悪い男に染まり始めたら早いものだけど」
「誰が悪い男か」
「お前だ」
「違うんです!そんなんじゃないんです!ちょっと2人でお疲れ様、みたいなことをやろうってなっただけで!」
「あかねやめとけ。言えば言うほど立場を悪くする。こういう時は逃げるが勝ちだ………あ、もしもし?タクシーお願いします。場所は──」
狼狽えて言い訳を続けるあかねとは対照的に、アクアは落ち着いた様子でタクシーを呼んでいる。抜け出しが上手く行った時も失敗した時も両方多く経験しているからこその落ち着きだと姫川大輝は見抜いていた。
「お前らの付き合いに文句言う気はないし、そういうのするのも構わないとは思うが、こんな夜の繁華街を顔晒して歩くのはやめろ。いくら公式カップルでも今のご時世、色々叩かれるぞ」
「…………はい。すみません」
「星野、タクシー呼んだな?」
「はい」
「じゃあ黒川はそれで帰れ。星野はもう少し俺に付き合ってもらう」
「え?……なんで…」
てっきり2人で帰されると思っていたあかねは不安そうに顔を上げる。自分のせいでアクアくんはもっと怒られるんじゃないか、と。そしてあかねの不安は的中した。
「こいつにはまだ説教が必要と判断した」
「あの、姫川さん。アクアくんをあんまり責めないでください。今回は私の方から誘って……」
「ちょっと話するだけだ。男同士でしかできないアドバイスもあるから」
「男同士…」
あかねの頬が若干紅く染まる。繁華街のネオンや夜の香りに酔っていたのもあるんだろう。思春期女子高生の脳内はちょっとピンクに染まっていた。
話しているうちにタクシーが到着する。あかね1人がそれに乗り、ウィンドウを開いた。
「ごめんね。こんな筈じゃなかったんだけど」
「謝るのはオレの方だ。確かにオレ達が顔晒して歩いていい時間じゃなかった。誘われた時ちゃんと断るべきだったよ。ごめんな」
「そんなっ。アクアくんは───っっ」
フォローしようとするあかねの唇を塞ぐ。あかねの顎を掴んだ時、タクシーの中に軽く押したため、外からは2人の顔は見えなかった。
「今夜はここまで。おやすみ、あかね。続きは夢の中で」
「───おやすみなさい」
色香に酔った目で虚空を見つめたあかねは指で唇を抑えながらほとんど無意識にその言葉を口にした。
「────ほんと、絶望しかねぇわ」
「何がですか?」
「知らねーぞ。いつか別れるってなった時刺されても」
「ははは」
星の瞳の少年は笑ったが、笑い事ではないことは本人もわかっている。深みにハマりすぎて、依存しすぎて、彼がいないと生きていられないなんて言い出して。別れるという段になった時、貴方を殺して私も死ぬ、などと言い出す女はロックの界隈には何人かいた。あかねはそこまでメンヘラとは思わないが、それでもウブで真面目な分、ハマる時はハマるタイプだ。
───オレに尽くさせつつ、後腐れないような関係を維持する……難しいが、やるしかない
「じゃあ行くぞ」
「どちらへ?」
「ヤサ変えて飲みの続き。お前の話はそこでしてやる」
▼
そして連れられた先はバー。モデルやアイドル、役者などが副業として働く店。六本木辺りには結構多く、アクアも何度か来たことがある。
そんな口の堅い芸能関係者しか訪れないような場所で見せられたのは私的DNA型鑑定書。物的証拠と共にオレと姫川さんの父親が同じと告げられる。疑いたいところだが、先に証拠を提示された以上、否定はできない。世界が歪むような感覚になんとか耐えつつ、頭を持ち直した。
「………やっぱあるんですね。芸能界って、こういう事」
芸能界は美が集まる。オレも10年以上この世界にいて、何度か耳にしたことはあった。一昔前。規制も規範も今ほど厳しくなかった頃。この手の耳を塞ぎたくなるような話がゴロゴロある、というのは。
───売れるための枕営業。それは男だって例外じゃなく、男娼紛いのことをやっていたという話も聞いてはいた。
その結果、望まぬ妊娠などに繋がる事も山ほどあったのだろう。闇の中に葬られた存在もそれと同じだけ。もしかしたらそれ以上に。
「いつから目星つけてたんですか?DNA鑑定までやったってんなら確証はあったんでしょう?」
「第一幕のクライマックスの稽古やった時」
第一幕のクライマックス。オレがブレイドで姫川が刀鬼をやっていたシーンだ。確かにあの場面、刀鬼とブレイドが異母兄弟である事をシースが物語に乗せて語っていた。
「アレ聞いて、お前と稽古して、刀を合わせた時から、どうも他人事みたいに思えなくてな。一度気になるとハッキリさせるまで追求したくなるタチなんだ」
「オレもです」
何事も中途半端は嫌いだった。ダメならスッパリ諦めるが、可能性があるならとことん追求する。完璧主義の完全主義。2人の共通点だった。
「この話、まだ聞きたいってんなら話すけど?」
「…………」
正直、話を聞くのは億劫ではあった。知らない方が幸せなんじゃないか。他人の墓なんて暴くものじゃないなんてこと、言われなくてもよくわかっている。けれど。
───事実に目を背ける事で、オレはともかく。ミヤコやルビー。あかねやフリルに危害が及んでしまうのは…
それは耐えられなかった。アイツらにはなんの罪もない。幸せに生きる権利がある。その為に力を尽くす義務がオレにはある。
「聞かせてください」
「んじゃ店変えるか。聞きたくないってんならここで解散だったが、話すとなると、ここではな」
いくら口の堅い同業者しかいないと言っても、絶対ではない。漏れる可能性は1%でも減らしたい。アクアも賛成だった。
「俺んちでいい?」
「オレの家でなければどこでも」
▼
二段オートロックの高級マンション。その高層階のウエハラと書かれた表札の部屋へと案内される。姫川……いや、本名上原大輝の自宅だった。
「星野、母親の名前は?」
「内緒で」
「やっぱお前もタレントか」
スマホをタップする。テーブルの上に出された液晶に表示されていたのはとある昔のネットニュース。
姫川愛莉と上原清十郎の心中事件だった。
「俺の母親がこの人。父親がコレ。売れない役者ってヤツだったらしい。俺が5歳くらいの頃、夫婦共々で心中してる。もうこの世にいない」
「………………」
記事を見つめたまま、アクアは黙り込んでいた。現実を受け入れるのに時間がかかっているのか。それとも他のことを考えてるのか。姫川大輝にはわからなかった。
「親父は才能のあるタレントを引っ掛け回してたみたいだ。自分に才能がないコンプレックスを、才能のある女を抱くことで誤魔化そうとしてたのかな」
「同じ凡人の役者として、気持ちはわからなくもないですね」
「…………まあ、お前がお前をどう評価してるかはいいや。俺も子供ながらに親父は嫌いだった」
「だから芸名は姫川なんですか」
「そそ。本名は上原大輝」
アルミ缶のプルトップが開く。炭酸の音が部屋中に響いた。
「女をたらすのも才能なのかねぇ。お前見てると俺も遊びとマジは使い分けなきゃなって改めて思うわ。この事実発覚してからお前と黒川と有馬と不知火の四角見るたびに絶望してた」
「アレはオレも不本意なんです」
あかねはともかく、有馬やフリルは結構雑に扱ってる自覚さえあるのに、なぜアイツらはああもオレに好意を抱いてくるのか。結構不思議だった。
「そうだろうな。黒川には露骨にやってるけど、不知火や有馬への態度は普通。寧ろぞんざいにさえ扱ってる。けどな、覚えとけ。ああいう人生の大半チヤホヤされて育ってきた顔のいい女ってのは、雑な扱いされるのが珍しくて、面白くなっちゃう事があるんだよ」
日常で見られない人。自分にとって特別な人。人間とはそういう何かが興味の対象となる。
フリルも有馬も基本は誉めそやされて育ってきた。もちろん批判に晒される事もあっただろうが、トータルで言えば賞賛の方が上回る。
そんな中、普段と違う人間が唐突に現れ、興味を惹かれた。出会ってみると顔は文句なく美形。性格も多少捻てはいるが、なんだかんだ悪くなく。話をしても面白い。そして才能は芸能界でも特級。自分を上回ると思わされるほど。それは好意も抱くだろう。芸能関係者なら誰だって星野アクアは魅力的に映るだろう。彼女がいながらあの2人がアクアを諦められない気持ちは上原大輝にもわかる。
だからこそ、ハッキリとした態度が必要になる。
「そういうの、早くちゃんとしろよ。心中されてからじゃ遅いぞ」
この話をする為に、腹違いの兄は弟に真実を話した。突然半分とはいえ血が繋がった存在がいると知った時は大輝も戸惑った。しかし懸命に舞台の稽古に挑み、どんどん輝きを増していく少年の姿は脅威でありながらも、なぜか誇らしくもあった。
この弟が理不尽な死に晒されるのは、出来れば見たくなかった。あの才能を腐らせ、父親のようにはさせたくなかった。だから稽古でも公演中でも何かとアドバイスをしてきたのだ。
兄から弟への最後のアドバイスを受けて、星の瞳の少年は不満そうに鼻を鳴らした。
「オレはハッキリさせてるでしょう。今ガチ終わって以来、あかねだけが彼女だって公言してます」
「それだけで諦めねー連中だってわかってんだから、もっと直接的になんとかしろ」
喉越しのいい麦の炭酸を飲み干す。不満そうに肘をつく弟の姿がなぜか可笑しくて笑ってしまった。
「あ、あとコレも大事なことだった。俺のこと兄さんなんて呼ぶなよ。きしょいから」
「呼ばねーよ、オレだってきしょいわ」
「んじゃ、乾杯。兄弟」
「呼ぶなっつの、鳥肌立つ」
「ははっ」
本当に怖気で顔色青くする弟にグラスをぶつける。なぜか悪い気はしなかった。
▼
翌朝。バイクを駐車場に停め、自宅の扉を開ける。階段を上がり、事務所を通り抜け、扉を開く。すると「私怒ってます!」と顔に書いてある妹が、枕を抱き抱え、寝巻き姿のまま待ち構えていた。
「お兄ちゃん!朝帰りとか不良じゃん!信じられない!何やってたの!?」
「姫川さんのところで宅飲み。変な勘違いすんな」
「あ、ブレイド役の人?」
「オレもブレイド役だっつーの。忘れんな」
一晩過ごした相手が男だと知り、ルビーの怒りは一応収まる。「安心したなら早く着替えろ」と頭を撫でた。
「お兄ちゃん、朝ごはんは?」
「ああ、食べるよ。頼む」
「サインはB」を鼻歌で歌いながらキッチンに立つ。最初の頃を思えば随分上手くなったものだ。まあひとえにオレのおかげだが。音痴は不治の病ではないのだ。
───なぁ、ルビー。オレ達の父親は、もう死んでるんだってよ。
殺人教唆をしたと目されていた男は、もう死んでいた。ならアイの子供で、そいつの秘密を握っているかもしれないオレ達は、もう殺される恐怖や、理不尽な暴力に怯える必要はない───
───なんて、短絡的に考えられる単純な頭なら良かったんだがな
姫川大輝の話を聞いた後でも、アクアは全く楽観視はしていなかった。アクアは計画を立てる時、常に最悪の可能性を想定する。もちろん今回もその例に漏れない。アクアの明晰な頭脳は冷徹に、客観的に、真実へと辿り着く道を選んでいた。
───抜け道は幾らでもある。姫川愛莉を妊娠させた相手が上原清十郎とは限らない。夫が不倫してたなら妻が不倫してても不思議はないし、托卵の可能性だって充分にある
真実に近づいたのは確かだろう。姫川愛莉と星野アイ。2人の人生を遡って、共通項を見つけ出せば、きっとその中にオレたちの父親はいる。客観的に数値で見積もれば今は30%程度の確度だが、取っ掛かりさえ掴めれば残りの70%を埋めるのは難しくないだろう。
───あの事件は、まだ何も終わっていない。
殺人があってから12年。窮地を逃れる為に犯罪を選び、成功した人間は同じ窮地に陥った時、同じ犯罪を繰り返す可能性は高い。けれど高いだけで絶対ではない。刑事事件の時効は15年。もしヤツがこの12年、何もしてないとすれば、最短であと3年しか残っていない。楽観などできるはずがない。
───取り敢えず舞台が終わるまではまだ何もできないか。オレも余計な事実知って、平常心を失って、本業を疎かにするわけにはいかないし。千秋楽を迎えてからララライにおける姫川愛莉とアイの共通点を……
そこまで考えて、我に返り、苦笑いが漏れる。まったく、我ながらなんて冷徹で容赦のない思考ができる事か。母親を殺した人間のプロファイル。もっと私情や願望が入ってもいいだろうに。思考回路は適切で、客観的。実行手段は現実的で、具体的。もしオレが復讐に囚われていたとしたら、さぞ向いている男だったのだろう。執念深い情念と冷酷な思考の両方を持ち合わせている、醜悪なオレは。
───っと。
携帯が振動する。ディスプレイには有馬と表記されていた。
「もしも──」
『やっと出た!LINK見なさいよ!何度もメッセージ送ったのよ!!アンタ飲み会の最中どこに消えたの!?ルビーに聞いたら帰ってないっていうし!黒川あかねも消えてるし!もしかしてアンタまさかっ!!』
そこから先を口にするのは憚られたのだろう。耳をつんざく怒声がやっと止まる。キーンと反響音のする耳穴を指で揉みながら答えた。
「あー、違う違う。姫川さんに別の店で説教されてただけだから」
『…………あー、そういう?もう!紛らわしいことしないでよバカ!このバカ!おやすみ!!』
「…………朝ですけど?」
切られた通知音に向けて呟く。あいつ、もしかして一晩中起きてたのだろうか。んでようやく安心して、今から寝るのだろうか。メッセージを見てなかったことにちょっと罪悪感が湧いた。
「………あかね」
LINKを開くと、有馬の他にあかねからもメッセージが来ていた。2人のパーティが流れてしまったことへの謝罪。無事に帰れたかの確認。酒を飲むなという注意。そして……
『おやすみなさい、アクアくん。夢の中で私が貴方に会えますように』
───たぶらかしてる、か。
オレの目的のためにあかねやフリルを利用し、ルビーのために有馬を利用している。どんな関係にも利害はあるものだが、客観的に見れば確かにオレはそうなのだろう。
───だからこそ、責任は取らねーとな。
オレのせいで、アイツらを死なせることはしない。オレに巻き込んで、アイツらを不幸にはさせない。それまでオレは決して油断はしないし、楽観もしない。100%の確証を得るまで喰らいつく。あの三人の100%の安全が保証されるまで守り抜く。
───そういえば、最近フリルのやつ、メッセージよこさないな
三人のことを考えていたからか。唯一何の連絡もなかったフリルの事が気にかかる。少し前まで大事なことからくだらないことまで色々と送ってきてた。あの夜。オレがなくした記憶の話をして以来、私的なLINKはほとんどなくなっていた。
───距離取ることを選んでくれたのならありがたいが…
何か引っ掛かる。ここのところ、というか結構前からアイツは体調良くなさそうだった。今度また弁当でも作って………とまで考えたところで一度頬を叩く。押してダメなら引いてみろの術中にハマってると気づき、軽い痛みで思考を一度クリアにした。
───考えても仕方ない。もし何かあったとしてもアイツがオレに話したくなるまでは待とう。その代わりオレはオレで勝手に守らせてもらう。それがあの夜、オレがなくした記憶の概要を話してしまったことへの責任だ。
「お兄ちゃーん、朝ごはんできたよー、テーブル運んでー」
「ああ」
ルビーに呼ばれる。ソファから立ち上がった時、もうフリルのことは頭から抜け落ちていた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
いかがだったでしょうか?兄弟バレの発端は舞台でした。天才同士が舞台上で語り合った結果、兄の方が勘づいた形です。そして拙作のアクアは常に最悪を想定するので、簡単に楽になる仕様になってませんでした。だから人の心無いって筆者は言われるんだろうなぁ。
以下本誌ネタバレ
やっぱこうなったかぁ〜。いや激アツだとは思うしちょっと予想はしてましたよ?してたけどね?不幸に突き進む本誌のアクア……ゴローではみんな泣かせる未来しか見えないっていうか。悪手が過ぎるっていうか。また読者の心グシャにされそうっていうか。人のことは言えないですが赤坂先生もなかなか人の心が……ゲフン。拙作のアクアは基本最善手しか打ちませんがその結果、果たしてどうなるのか。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
70th take 神が語る幕間劇
星の光に炙られた少女は飛躍を求める
神話が語られる街に行ってはいけない
待ち構えるのは天鈿女ではなく死神だから
「もうすぐユーチューブ登録者数が2万人行きそうです」
メムちょから発された唐突なそのセリフは、私に焦燥感をせき立てた。
───まだ、そんな程度か
その思いは先輩も同じだったらしくて、あたりめ食べながらため息を吐いていた。
「………ふぅーん、まだそんくらいかぁ」
「もっともっと頑張らないとだね……」
「100万まではまだまだ遠いわねー」
「ねーっ」
「もっと私を褒めてぇ!!」
ローテンションの私達を叱りつけるようにメムちょがユーチューブ市場の内情を説明する。
ユーチューブのチャンネルは国内だけでも30万。そのうち75%が登録者数1000人以下。収益ゼロが大半の中、利益を搾取しているのは僅か数%のみ。登録者一万人を超えて初めてギリギリ生活できるかどうかというライン。ユーチューブ市場は中世も真っ青の搾取社会である。
「登録者数二万人は上位10%に食い込む数字なの!これがどれだけ凄いことか理解して!内情も知らずに100万人とか夢みたいなこと抜かすなキッズども!そこは全チャンネル0.1%の激高な壁なんじゃい!数えきれない死骸の上に成り立つ頂点なんじゃい!!この海をより深く知るほどそういう軽はずみな発言はできなくなるんじゃい!」
内情を知っているからこそ、メムちょは安易に100万人登録などという夢は口に出せない。メムちょから説明されて2万の凄さもわかった。ユーチューブに関しては完全に丸投げしてたから彼女はほぼ独力で二万という数字を獲得していた。これは確かに凄いことだ。自慢したくなるのも褒めてもらいたいのもわかる。
───でも、お兄ちゃんは……
アクアは最近の若い芸能人にはありえないと言っていいほどSNS活動をしていない。インスタにもツイッターにもアカウントは作ってないし、ユーチューブやTikTokにもまったく参加していない。故に星野アクアのフォロワーは常にゼロだ。だけど…
『彗星の如く現れた天才、星野アクア』
『新時代の旗手。不知火フリルと肩を並べうる才能』
あの舞台の初日以来。星野アクアと調べればこういった言葉がいくらでも出てくる。世間はもう認め始めている。星野アクアという存在を。日本中が兄の名を知る時も、そう遠くないだろう。
───もしお兄ちゃんがそういうのちゃんとやってて…私たちと同じくらい精力的にネットマーケティングしてたら…
きっと登録者数2万なんかでは済まなかった。10万、50万、下手をすれば100いってるかもしれない。そう考えるとどうしても2万という数字が凄いとは思えなかった。
「でも今月の収益十数万程度でしょ?」
先輩も凄さは理解しつつも、厳しい現実をメムに突き立てる。十数万から事務所の取り分引いて、諸々の手当支払って、メンバーで割ったらもうお小遣い程度の額しか残らない。
「まぁ、現状はそう。当面B小町の財政状況はよろしくない。打てる手は打たなければならない。そこでっ」
▼
「ルームツアー動画って訳か」
事務所のPCでB小町のチャンネルを見ていたお兄ちゃんが新たにアップされた動画の内容を説明する。ユーチューバーが自分の部屋を紹介したりする結構よくあるやつだ。
「よく有馬がやる気になったな。アイツこの手の私生活切り売りする活動嫌いだろうに」
「部屋の私物経費で落ちるって言ったら一発だった」
「…………世知辛いな」
動画を眺めながら私物の高級品を嬉々として説明する先輩を見ながらお兄ちゃんから苦笑が漏れる。舞台のせいか。顔には疲労の色が滲んでいるが、苦笑と混ざって妖艶な色気を匂わせている。兄の横顔にルビーはごくりと生唾を飲み込んでしまう。星野ルビーの真ん中にいる人と、あまりに面影が強くダブった。
「しかし結構高い買い物してんなアイツ。売れてねぇとか言いつつマンションも良い部屋住んでるし」
「この世界安い女と思われたら終わりなんだって」
「ああ……結構金かかるタイプだよな。一度天国味わってるから尚更」
一度上げてしまったプライドはそう簡単に下げられない。女は尚更。衣服、アクセサリー、男。纏っているもの全てがステータスになりうる。付き合う男はかなり大変かもしれない。
───お兄ちゃんは女の人に貢ぐとかはしなさそうだけど。
良くも悪くも他人に気を遣わない人で、惚れるより惚れられる人だ。貢ぐより貢がせることの方が多いはず。
「お兄ちゃんは稼いだお金とかどうしてるの?」
「半分貯金で半分運用」
「先輩とおんなじだ」
「まあ今時資産運用やってねー社会人の方が少数派だろうしな」
「………ちなみにお兄様。通帳残高お幾ら?」
「ここ最近のCMのあぶく銭合わせれば高級外車一台新品で買えるくらい」
スマホで車の値段を検索する。一口に外車と言ってもピンからキリまであった。けれど新品という括りで見れば大抵1000万円は超えている。
「…………いつの間にそんなにお金持ちに」
「12年かけて芸能界で役者からコマ使いまでこなしてようやく貯めた金だ。一年で100万くらい、やろうと思えば誰でもできる」
ましてアクアはまだ税金を払わなくて良い年頃だ。貯蓄だけなら成人男性よりやりやすいかもしれない。
「その割にはお兄ちゃんの部屋って殺風景だよね。必要最低限しか揃えてないっていうか」
「必要なものは買ってるし、使うとなると惜しまねーけどな。私物なら必要が満たされていればそれで充分。オレはその手の活動苦手だし」
兄の部屋には何度か入っているが、本棚と机。ベッド。エレキギターにキーボード。ドラムスティックくらいしか無い。アクアの部屋をルームツアーで撮ったとしてもかなりつまらないだろう。
「ルビーの部屋もルームツアーには向かないよな。どうせまだ母さんのポスターとか貼ってるんだろ?」
「…………お兄ちゃん」
「なに?」
「隠したままでいいのかな、私達」
何を、とは聞いてこない。わかってるはずだ。この賢明で妖怪な兄上様なら。
「………墓まで持ってくって言ってなかったか?」
「言ったよ。今でもそのつもり。この秘密は私達家族だけのもの。それは変わらない……けど」
「自分の中の一番の衝動を隠すことに抵抗がある、か?」
やっぱり妖怪だ。私自身言葉にするのが難しかったのに、あっさりと言語化してみせる。私の心を見透かし、踏み込み、事実だけを提示する。この12年。困ったことや相談事があれば必ずと言っていいほど私は兄を頼っていた。それかミヤコさん。けどママがらみの話となればまず間違いなくお兄ちゃんに意見を求めた。今私が心から信じていて頼れる人は、兄を除けばもう2人とも会えなくなってしまったから。
───せんせなら、なんていうかな?
兄の答えが返ってくるまで、少し想像してみる。あの人ならなんて言うだろう。きっと……
「お前がしたいようにすればいい。公表するならオレもするし、隠し通すっていうなら協力する。お前の人生だ。好きに生きろ。あまり母さんに縛られすぎるな」
脳内でイメージしていた言葉とほぼ同じセリフを、兄は口にした。
───お兄ちゃんって、ちょっと似てるかも
ぶっきらぼうで、他人に興味薄そうで、モラリストで、けれど優しい。ずっとそばにいてくれて、なんだかんだいつも励ましてくれた、私のせんせに。
『ゴロー先生は何年か前に急に連絡がつかなくなって……いわゆる失踪という──』
生まれ変わって、一度だけせんせが勤めていた病院に電話をしたことがある。今どうしてるのか。元気でいるのか。それともどこかに引っ越しちゃったか。情報を得たくて。そしていつか会いたくて。
そしたら返ってきたのは予想外の情報だった。
───失踪?行方不明ってこと?何か事件に巻き込まれた?あのせんせが?モラリストで危ないことには絶対首突っ込まないタイプのあの人が?
事件に巻き込まれたとは考えにくい。なら自ら姿を消したか。でも何で?
そこまで考えた時、真っ先に浮かんだ原因が、女性トラブルだった。
───………そーいうとこもお兄ちゃんと似てるかも
あのぶっきらぼうな優しさに、思わせぶりな態度にヤられちゃった人は私だけじゃ無いはずだ。きっと色々めんどくさくなってトンズラこいたんだ。
「ルビー?聞いてるか?」
珍しい兄の不機嫌そうな声でハッとする。我に返ると、アクアは眉間に皺を寄せてこちらを見ていた。
「ごめんお兄ちゃん。聞いてなかった」
「だろーな。完全に違う世界見てる目してたから」
「あはは……で?なに?」
「だから、再生回数やフォロワー増やしたいんなら楽曲PVが一番手っ取り早いんじゃねえのって話」
「あっ、実はその事でね。お兄ちゃんのこと誘おうと思ってて──」
▼
舞台東京ブレイドは先日無事千秋楽を迎えた。
オレのスケジュールは当面白紙。オファー自体は結構来てたらしいが、ミヤコが全部断ったそうだ。
「任せるとは言ったが、なんで?」
「貴方憑かれてるでしょ?」
「………疲労という意味なら、気にする必要───」
「その憑き物が落ちるまでは仕事入れる気はないわ。年末年始でちゃんと心と頭整理する時間取りなさい。それが済んだら容赦なくスケジュール埋めてあげるから」
………というやり取りがあった。芸能人をやっていれば、ぽっかりとスケジュールが空く期間というものはある。そういう空いた時間に色々準備するのがプロフェッショナル。それは本人もわかっているのだが。
───オレの憑き物はそう簡単に落ちてくれるタマじゃねーんだよな
初日の公演以来、幻影と会話するほどのトリップは無くなった。だが、あの凄惨な光景はこの一ヶ月で毎回見た。血の海に沈む母。失われていく体温。絶望の中囁かれる愛。公演を経るたびに鮮明になり、回をこなせばこなすほどオレの演技は洗練された。
母さんの幻影と訣別は済ませた。だからこそ芝居そのものに没頭できるようになり、オレのパフォーマンスは上がった。
私生活に影響が出るほどに。
まず食事。生肉系は食えなくなり、血の味がする系の料理もダメになった。
次に睡眠。寝つきも悪くなって、夜中に目が覚めることも増えた。そして決まってうなされて、汗だくになっていた。
腹は減ってるのにメシが食えず、疲れているのに眠れない。この一ヶ月で5キロは痩せたし、目の下のクマは色濃くなるばかりだ。ミヤコでなくとも、何かに取り憑かれたように見えるだろう。
そして性欲は……結構旺盛。朝は元気だし、ムラつく事もそこそこある。普段ならハルさんかナナさんか、レン先輩かアビ子先生か、もしくは先日訪れたような店で発散させるのだが、さすがに今はできない。あかねとの付き合いには誠実でいたい。
眠れず、食えず、欲求不満。身体から何かが取り憑いたかのような重さが抜けるはずもなかった。
───どうやったら落ちるんだろう。オレの憑き物は。
そこまで考えて自嘲する。今更何を言っているのか。オレが生きている限り消えはしないことなど、わかっていたはずだ。わかった上でオレは星野アクアとして生きると決めた。自分がついた嘘に一生苦しめられることは覚悟していた。寝不足だとどうも考えが弱気に流れていけない。
「アクアくん、大丈夫?」
隣を歩く彼女から心配そうに手を取られる。今日はクリスマスイブ。街中人でごった返し、煌びやかな装飾で彩られている。時間は夕暮れ。恋人たちに緊張が訪れ始める時間を、星野アクアと黒川あかねは過ごしていた。
「やっぱり疲れてた?この間舞台終わったばっかだもんね。デートはまた来年でも良かったのに」
「違う違う。ちょっと考え事してただけだよ。流石にイブに彼女放置できるほど甲斐性無しじゃねーさ」
12月24日の渋谷・原宿。テレビにユーチューブ。ティックトックあちこちで動画撮影が行われている。アクアもあかねも帽子やフードで簡易に顔を隠してはいるが、街中に溢れかえるカップルのひと組にすぎない2人を誰も気にしてはいなかった。
「あかねは今日何時までいられるんだっけ」
あかねは結構いいとこのお嬢様で、仕事以外だと門限があったりする。親御さんに悪印象を持たれないため、アクアは黒川家の家庭内ルールはできるだけ守っていた。
「…………毎年クリスマスは家族でパーティするから、夕飯の時間……18時から20時までかな」
「オーケー。わかった。年末年始の予定は?」
「………家族で海外旅行の予定です」
「お嬢様だな」
「デートしにくい彼女でごめんなさい」
「気にするな。お互い普段仕事で親子らしいことできてねーんだ。年末年始くらい親孝行してやれ。できなくなってからじゃ遅いんだから」
その一言であかねは黙り込む。アクアはこちらの事情に理解がありすぎて、心配になる。この人の優しいところは好きだけど、気遣いに申し訳なく感じることも多い。目を離すとあっという間に手の届かない所へ飛んでいってしまうのでは無いか。いつでも別れられるように、後腐れない準備をしているのではないかと考えてしまう。
「アクアくんは年末年始の予定はどうなってるの?」
質問を返してみる。もし何も予定がないのであれば、こちらの旅行に誘おうかと思ったが、その期待は外れることになってしまう。
「さっき考えてたのはその事でな……オレの妹がアイドル活動してるのは知ってるよな」
「うん。かなちゃんとメムちょと一緒に」
「新生B小町としてボチボチ活動はしてるんだが、今度ようやく楽曲PV撮ることになったらしくて、宮崎に行くんだと。慰安旅行も兼ねてってことでオレもそれに誘われてる」
「へぇ、いいね。でも何で宮崎?」
「なんでも、メムのツテがある会社が宮崎で、こちらからそっちに出向くんなら友達価格で撮ってくれるんだと。この世界なんだかんだモノを言うのは人脈だよな」
「あはは…そういうの、私全然ダメだからなぁ。演技しかできなくて申し訳ない」
「演技だけでここまで来れてんのは凄い事だけどな」
アクアは12年以上かけて金とコネを作り、使えるモノ全て使ってようやくここまで来た。あかねもかけた時間はほぼ変わらないが、演技一本で今のアクアと同等の地位を得ている。どっちが優れているとは言えないが、少なくともアクア本人は自分より凄いことをしていると思っていた。
「新しい楽曲PVってどんなの?アクアくんはもう聴いた?」
「いや。まだ上がってないらしい」
「………ちなみに締切は?」
「先月末だと」
「…………作曲さんは?」
「ヒムラって人」
「…………舐められてるねぇ」
「大御所ほど締切守んねえからな。どこまでがヤバいかも熟知してるから、マジのマジの締切しか守らない」
「PV撮れるの?」
「ルビーがダダこねまくって直電して動画付きメッセまで送って催促してたから、何とかなるんじゃね?男のクリエイターなんて単純で、可愛い子に『お願い❤︎』なんて言われたらすぐ調子乗る生き物だから」
「………なんか実感こもってるね」
「気のせいだ」
ウソである。
バンドマンだった頃。作詞を担当していたアクアは締切にせっつかれる日々を過ごした経験がある。基本楽曲とは先に曲を聴いてから詞を付けるものだが、カントルはその辺フリースタイルで、先に詞が書き上がってから曲が付く事も結構あった。
故に作曲担当のナナさんも作詞担当のオレもできれば相手に先に上げてもらってから、取り組みたかった。その方がモチベも上がるし、熱もこもる。
しかしそうもいかないのが時間という名の縛り。
ノってる時は寝食を忘れて没頭できるのが作家業だが、ノらない時はいくら時間を掛けても一筆も進まないモノ。
『お願い、アッくん。今回も楽しみにしてるから、頑張って』
こういう時にクリエイターは何から情熱をもらえるか。それは人によって様々だとは思うが、少なくともアクアにとっては直接感じることができる顔と声。ハルさんのおねだりだった。
顔も名前も知らない誰かのためではなく。自分の詞を待っていると言ってくれる人。才能ある仲間のために火が灯いてしまったモノだ。
「でもあの大御所のヒムラさんに直接催促するなんて、妹さん凄いね」
「行動力だけは無駄にあるヤツだからな……それに加えて、最近なんか焦ってるし。まあ、アイドルなんて寿命の短い職だからわかんなくはねーけど」
アイドルがアイドルでいられる時間は長くはない。まして有馬はいずれ役者の道に戻るだろうし、メムはあと5年で三十路だ。まだ5年猶予はあるが、やることやってれば5年なんて結構短い。(→同時刻、メムは謎の心臓の痛みで崩れ落ちている)
10代の1日は社会人の1週間。大人の時間で考えられては困るだろう。それはわかる。だが…
───それだけじゃない焦りを感じる。まるで何かと比較しているかのような……母さんと比べてもいるのか
あんなトントン拍子は10年に一度あるかないかだというのに。特殊な成功例が身近にあるとついつい比較してしまう。気持ちはわかるが、若さが焦っていい結果に結びついた事例は数少ない。経験がある。だからこそ常に最悪を想定し、最悪に備え準備、計画を整えてからことにあたっていた。
───間違ってたとも思わないし、実際この思考回路でミスったこともなかったが……
慎重さは時に毒となる。オレにもいつか、計画など考える暇もなく、ルビーのような果断さが求められる時が来るのだろう。その時オレはどうするのか。考えてみてもわからなかった。
「それで、何を悩んでるの?」
空転した思考が戻ってくる。いつのまにか眉間に深い皺が寄っていた。このところ眉を歪ませる事が多すぎる。目元を指で揉む。数秒でいつもの澄ました美麗な表情へと戻っていた。
「4歳より前の記憶がないことは、話したよな」
「………うん。恐らく解離性障害」
「オレ、育ちは東京だけど、生まれは宮崎らしいんだよ」
「へぇ、そうなんだ。祖父母の実家が近くだったとかかな」
「そういうのもできるだけ聞かないようにしてきた。ボロが出たら困るからな」
そこまで聴いて、あかねはアッとなる。恐らく彼女が察していることは当たっているだろう。オレの不安の元は、オレの記憶障害が他者にバレること。
「オレ全然覚えてねぇんだよ。自分が宮崎にいたことなんか。でも妹は結構覚えてるみたいでな」
星たちが星座をなす舞台が終焉を迎え、なくしてしまった愛の形を探す旅は、ひとまず終わる。
そしてこれから、なくしてしまった自分自身を探る旅が始まろうとしていた。
終わりと始まりが、星をなくした子を待ち構えているのも知らず。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
早く話を進めたい所ですが、もうちょっとクリスマスデートが続きます。色々やらせたいこともありますし、あと重曹ちゃんにもご褒美あげたいですしね。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
71st take 愚者の贈り物
父を憎んでも母を愛してもいない星をなくした子
その身に宿す血を尊ぶことも疎む事もない彼はあり続ける
半身は天使で半身は悪魔
「よしっ、上手くできたっ」
エプロン姿でキッチンに立つ青みがかった黒髪の少女は自分で作った料理の出来栄えに満足の息を吐く。テーブルには所狭しとクリスマスディナーのディッシュが並べられていた。ローストチキンにローストビーフ。リーフサラダにデミグラスハンバーグ。ラザニア、ラムチョップ。冷蔵庫にはケーキも用意してある。
───ちょっと、張り切り過ぎちゃったかも
完成した料理の数々を見て、ちょっと後悔する。アクアは決して少食ではないが、大食漢というわけでもない。二人でこの量は食べきれないかもしれない。あかねはまだ感情の加減というものがあまり上手ではなかった。
───好きな人ができたのも、彼と過ごすクリスマスも、初めてだから
異性とデートするのも。キスするのも。彼が初めて。何をしたらいいか。どうすれば正しいのか。男女の遊び方もわからない。
───私は、彼となら何をしてても楽しい
ただ隣を歩いているだけの時も。貴方の横顔を見つめて過ごすゆっくりとした時間も。全て楽しい。全て嬉しい。貴方といられるのなら場所も時間も構わない。関係ない。
───けど、貴方は多分そうじゃない。
貴方は私が気後れするくらい女の人に慣れてて。きっと片手の指では数えられないほどの女性達と付き合いがあって。色んなことをしてきた。色んな遊びをしてきて、色んなことを経験してきたはずだ。
多分、あまりよくないことも。
やってはいけない、世間一般で悪とされる行為。しかし思春期はそういったものに憧れ、そういうものが堪らなく楽しい時期がある。アクアくんはリスク管理が上手いし、自分から危険に首を突っ込んだりもしないけど、そういう楽しい悪いことの経験はきっとある。だからあの嵐の夜、私を救うこともできたのだ。
そんな経験をしてきた彼にとって、私との付き合いは退屈だろう。穏やかで、平穏で、踏み込まない男女の関係。お互いの立場を考慮した、決して事故が起きないよう注意を払い続けている。キスはたまにするけど、それ以上のことは何もしない。秘密の共有はしてるけど、心の奥の底の底は見せてもらえてない。
───拒絶、というよりは私がいつでも引き返せるよう、逃げ道を作ってくれてるんだ
私が苦しい時、痛い時、彼は助けてくれた。痛み止めをくれて、炎を消してくれて、生き方を教えてくれた。それなのに。
───私はまだ、何もできてない
『貴方に守られてばかりの黒川あかねじゃないんだから』
一度彼が倒れた翌日、私がいったセリフ。どの口がほざくと笑ってしまう。私がいつ彼を守れたというのか。守ってもらうのはいつも私ばかりで、救われたのも私だけだ。負の感情が自身を苛む。悔しい。情けない。寂しい。彼に会いたい。一緒にいたい。
───寒い
ふっと外を見る。チラホラと白い六花が宙を待っていた。
───せめて今日は。今日だけは…
喜んで欲しい。楽しいと思って欲しい。美味しいと言って欲しい。褒めて欲しい。その一心で向かったキッチンであかねは持ち前の集中力を発揮した。彼とのディナーのために手間暇かけることになんの労も躊躇いもなかった。アクアの笑顔が見られるのなら。
───気に入ってくれるといいな
髪を纏めていたリボンを解く。身支度を整えるため、ドレッサーへと向かった。
▼
「オレ全然覚えてねぇんだよ。自分が宮崎にいたことなんか。でも妹は結構覚えてるみたいでな」
クリスマスイブ。寒さに身を震わせながらも煌びやかな装飾が人を照らす。恋人達が心待ちにする季節であると同時に年の瀬が近いことを告げるイベントでもある。世間一般に漏れず、アクアも恋人との時間を楽しみ、そして年の瀬を感じていた。年末年始の計画。舞台の慰安と仕事を兼ねた家族旅行。場所は宮崎。アクアが生まれた場所で、なくしてしまった時間がある場所でもある。そしてそれが他者に、特に妹に露見することを星野アクアは恐れている。
「だから迷ってる。行くべきか行かざるべきか。なんかヤな予感もするしな。オレの勘は結構当たる。ヤなヤツは特に」
白い息が立ち込める。彼にかかれば溜め息すらも絵になる。白くぼやけた煙の先にある憂いの満ちた表情はあかねの心臓を跳ねさせた。
「イヤならやめておけば……もしアクアくんさえ良かったら──」
私達の家族旅行に来ない?、と言おうとして、少し躊躇する。流石に少し勇気が必要だった。躊躇っている間にアクアくんが口を開いた。
「このやな予感がオレのみの危険ならやめるんだがな。誰に降りかかる不幸かわからない。もしルビーやミヤコ、有馬に及ぶ危険だとすれば無視はできない」
アクアは自分の危険には無頓着だが、家族や知人への危険には敏感だ。常に最悪を想定する彼にとって、最悪は自分の破滅ではなく、自分が大切にする人の破滅。閉じていた目を開く。星の瞳から迷いが消えているのを見た時、あかねはアクアの答えにもう察しがついていた。
「ありがとう、あかね。話してみてスッキリした。やっぱ行ってくる。自分の知らない過去を探ることで、新しい何かを知ることもできるかもしれない」
───そうなる、よね。
出来ることなら引き止めたい。記憶のない場所へと訪れる。なくした過去を掘り返す。きっと胸に余る想いを沢山するはずだ。真実は福音も残酷も平等に伴い、様々な形で試練として現れる。アクアが強いのは分かっているが……
───彼が強いのは知ってるけど、それでもこの人は年相応の弱さも持っている。
だから迷ったし、今もこんなにやつれてる。不安だ。怖い。彼一人で行かせたら、何か良くないことが起こりそうで。私の知らない星野アクアになってしまいそうで。
私はどんな形のアクアくんでも好きでいられるとは思う。彼の芯が。人間性が。あのわかりにくい優しさや誠実さが変わっていなければ、どんなに変わっても愛せる自信はある。けれどアクアくんは、自分が変わってしまうことを恐れている。なくした記憶を思い出して、自分が自分じゃない何かに変わってしまうことを恐れている。直接聞いた訳ではないが、わかる。それくらいには長く彼と付き合い、見つめ、愛してきた。
───なら、私が今するべきことは…
勿論恐怖はある。アクアくんが恐れるモノは多分私にとっても恐いモノだろう。そんな何かが待ち構えているかもしれない場所に行くのは怖い。けれど、あの夜。彼が倒れたあの夜に、恋人と恋敵に誓ったから。昇るも堕ちるも共に行く、と。たとえ頼まれなくとも、地獄の果てまで付いていく、と。この人を守り続ける。多分、一生。
「なら私も付き合うよ。アクアくんの、自分探しの旅」
ぎゅっと手を握る。案の定動揺し、「来るな」と言ってきたが、自ら危険に首を突っ込もうとしている男の説得ほど説得力のないモノはない。最後には折れて私の同行を許可してくれた。但し、一つだけ条件を課せられる。私の両親の許可を得ること。変なところ義理堅く、誠実なのは実に彼らしくて笑ってしまった。
「じゃあ私からも条件一つ。お父さんとお母さんの説得、アクアくんも付き合ってね❤︎」
▼
バイクのエンジンを切る。眼前には立派な門構えの大きい家。ガレージには立派な外車が止まっており、白塗りの家は明らかに億を超える資金で建築されている。門扉の表札には黒川と書かれていた。
そう。アクアはあの後、黒川家に招待されていた。理由は二つ。年末年始のアクア達の旅行、あかねの参加をご両親に許してもらうこと。もう一つはクリスマスパーティにアクアも呼び、食事を一緒にすること。家族水入らずのパーティに他人の自分が参加することに遠慮し、アクアは後者は断ろうとしたのだが。
「じゃあその代わりアクアくんに宮崎旅行キャンセルしてもらって、私達のハワイ旅行に参加してもらうね」
「いや、それは──」
「どっちも断るはダメ。どちらか一つ、選んで」
「…………卑怯な」
と言う訳で、あかねの旅行の許可をもらいに行きがてら、黒川家でクリスマスディナーをご馳走されることとなった。
「…………デカい家だな」
「そう?普通だよ」
金持ちあるある。周りもブルジョワばかりだから基準が自分になって感覚がおかしくなってる。ロックの世界もいまや中流家庭が多数派だが、それでも劣悪な家庭環境出身者は一定数いた。あかねが普通なら彼らは地獄では済まない。最低限健康的で文化的な生活の真実をあかねが知る日は生涯来ないだろう。
「アクアくん。バイク、こっちに入れちゃっていいから」
機械仕掛けの門が一人でに立ち上がる。高級外車に万が一にもぶつからないよう細心の注意を払いながら、アクアは自身のバイクを停め、チェーンをかけた。
「フゥ」
「緊張してる?」
「何事も初体験は緊張するさ」
女の家に上がり込むのは無論初めてではない。泊めてもらうことも。しかしそういうのはたいてい保護者の目を盗んでやってたか、一人暮らしをしている女が相手だった。両親にまともに挨拶などした事はない。まして交際していると宣言している女性のご両親。多分今ガチの一部始終も見られている。悪感情は抱かれないよう力を尽くしてきたつもりだったが、やはり不安なモノは不安だ。
「大丈夫!お父さんもお母さんもアクアくんのこと悪くなんて思ってないから!」
「気休めでもありがとう」
「本当だって。お母さんなんか最近アクアくんの大ファンで大変なんだよ?舞台の感想アクアくん凄かったばっかだし。プロフ全部チェックしてるし。もう娘より推してるくらいなんだから」
「お父さんは?」
「そっちも大丈夫。私の娘はやらん、なんてこと言うタイプの人じゃないよ。自分の意思も簡単には曲げないけど、他人の意思も無理矢理曲げたりしない。そんな人」
譲れない部分はある。けれど娘が認めた相手であるなら話し合いのテーブルには立ってくれる人だそうだ。大人との交渉であればアクアはうんざりするほど経験がある。少しだけ心に余裕ができた。
「さ、上がって上がって」
「お邪魔します」
躊躇いながら黒川家の敷居を跨ぐ。真っ先に感じたのは違和感だった。
───人の気配がない
アクアは音には敏感だ。人間生活している以上何らかの音を発する。会話だったり、家事をする音だったり、テレビなどの娯楽を楽しんでいる音だったりする。人の気配というものが何なのかは人によるだろうが、アクアにとっては人の気配とは音だった。
───これだけデカい家なら部屋が複数あっても驚きはしないが。2階とかにいるのか?
「アクアくん。リビングはこっち。手洗い場もあるから」
逡巡しているとあかねが家の中を案内してくれる。招かれるままに部屋へと入ると、真っ先に食欲をそそる匂いが飛び込んできた。テーブルを眺めるとそこには所狭しと並べられたクリスマスディナーの数々。
───うっ。ローストチキンにローストビーフ。ラムチョップにボンレスハム。
どれも一目で完成度の高さを感じられる出来栄え。手間暇かけて作ってくれたのだろうとわかる。だからこそアクアは引け目を感じていた。チキンはともかく、血の味がするビーフ系が食べられないことに。
───これは、食えないとは流石に言い難い。
今ガチの打ち上げではこの手の肉も普通に食べてたから余計に……ご両親もこの後来るんだし。最悪丸呑みして……[カチャン]カチャン?
鍵が落ちるような音が聞こえ、違和感を感じたアクアは振り返る。すると扉の前のあかねが、ドアノブを背に隠した状態で立ち尽くしていた。
「あかね?」
「ごめん、アクアくん。私、一つだけ嘘ついてた」
「嘘?」
「お父さんとお母さんもね、今日はクリスマスデートしてて、ウチにいないんだ」
「…………………」
アクアの聡明な頭脳と経験はもう概ね真実へ辿り着いていた。誰が悪いかと問われれば間違いなくアクアが悪いのだろう。彼女の方にここまでさせてしまったのだから。不安を解消してやれなかったアクアのせいだ。その事を分かった上で、それでも思ってしまう。
───コイツ、やり口がオレに似てきたな。目的のためなら形振り構わなくなってきやがった。
「はじめよっか。二人だけのクリスマスイブ」
「…………お手柔らかに」
逃げ道を閉ざされた今、抵抗は無意味。変に逆らうと拘束されかねない。微笑を浮かべ、星の瞳の少年はテーブルへとついた。
▼
「…………食べないの?」
二人でテーブルに向かい合って座り、シャンメリーが注がれたグラスを合わせ、ディナーが始まる。最初は楽しかった。たわいない話から、演技談義。パンやチキンを口にしながら談笑を続けていた。突然だった。私がローストビーフにナイフを入れて、アクアくんの分を取り分けてから、彼の表情が凍りついた。
───アクアくん、お肉好きなはずなのに。
今ガチで一緒だった時、アクアくんはどんなお肉も美味しそうに食べていた。それなのに今は凍りついている。ナイフもフォークも微動だにしない。美しい無表情の奥で輝く暗い星の輝きがあかねの不安を煽った。
「………食べないの?」
「食べるよ。取り分けてくれてありがとう」
大根おろしを使った和風ソースで味付けし、口に運ぶ。しばらく咀嚼すると、喉を嚥下させた。
「美味い」
「良かった」
ほっ、とあかねが胸を撫で下ろした、その時だった。ガタッと椅子が音を立てる。口元を抑えたアクアが蹴飛ばすように立ち上がり、そのままキッチンの流しへと向かう。えづく声と共に大きく咳き込み始め、ついには飲み込んだはずの肉を吐き出した。
「ゲホッ、ゴホッ、オェエッ」
コックを捻る。水を流しながら、アクアは赤い肉を吐瀉し続けた。
「アクアくん!?」
呆気に取られていたあかねだったが、我を取り戻した瞬間、彼の元へと駆け寄り、背中をさする。しばらく咳き込んでいたが、胃が拒否していたモノを全て出したのか、ようやく落ち着きを見せ始めた。
「ごめんなさい、生焼けだった?それとも味が濃かった?ごめんなさい、ごめんなさい」
「…………………違う、あかねのせいじゃない」
涙声で謝るあかねを安心させるように口元を拭った蜂蜜色の髪の少年は笑顔を見せた。
「───最近、あのフラッシュバックから、肉が苦手なんだ。特にローストビーフとか生ハムとか、血の味がする系の肉が……」
そこまでの説明であかねは事情を察する。血の匂いが。血の味が。生々しくあの光景を思い起こさせた。なくした記憶が揺さぶられ、心の傷を容赦なく抉った。魂が忘却を選んだほどの拒否反応。肉体が拒否を示すのは当然と言えば当然だった。
「言ってくれれば──」
「嘘ついてるって思われたくなくてな。この間まで平気な顔して食ってたのに……」
あかねに連れ込まれて始まった二人きりのイブの夜。確かに騙された感はあったが、あかねが自分のためにディナーを作っていてくれたことは素直に嬉しかった。だからちゃんと最後まで付き合いたかった。嘘をついてると思われて、あかねとのイブを面倒くさがって、適当に理由つけて逃げようとしているとは思われなくなかった。だから───
「いけるかな、と思ったんだが……残して、ごめん」
ゾっとあかねの背筋に寒気が奔り、血の気が引く。そしてほぼ同時に羞恥で顔が赤くなった。
───浮かれてた自分が恥ずかしい…
両親が家にいない事を告げてから家に誘っても、私といつでも別れられる距離を保っているアクアくんは拒否るかもしれないと思った。だから内緒にして、旅行を口実にして、断れない状況を作ってからアクアくんを招き入れた。浮かれて作った料理を並べて、逃げ道を塞いで、彼の優しさと責任感につけ込んで、今の状況を作ってしまった。
───こんな思いをさせるために、彼と一緒にいるのではないのに…
守りたくて。この人の傷に寄り添いたくて。才能があって、賢くて、少し自暴自棄なところがあるこの人は何かを間違えれば良くない道に転がり落ちてしまいそうで。そうならないよう彼の手を取り、たとえそうなってしまっても地獄の底まで共に行くために一緒にいようと決めたのに。
───私は、自分のことばっかりだ。
「ごめんなさい、アクアくん……ごめんなさい」
「あかねは悪くないよ。オレが勝手にやって勝手に無様晒しただけだ。オレのほうこそごめん。すげぇ失礼なことした。あかねの両親がいなくて良かったよ」
「ごめんなさい」
彼の肩に頭を預け、謝り続ける。私の涙が収まるまで、アクアくんは私を抱きしめ、頭を撫で続けてくれた。その感触がたまらなく嬉しく、心地よかった自分に、さらに罪悪感が湧いた。
▼
───ここまでかな
あかねの頭を撫でながら、そんな事を思う。もう引き続き夕食を、なんて空気ではなくなった。あかねの食欲も失せてしまっただろう。クリスマスイブ。ここから始まる性の6時間だったが、どうやら穏便に過ごせそうだ。意図的ではないが、アクアの望む形に収まりそうで、吐き気でモヤついていた胸が少し楽になった。
───あ、忘れてた。
目前であかねの髪を撫でていたからか、もっと早く渡す予定だったものを思い出す。
「…………アクアくん?」
彼女を慰める手が止まったからか。泣き腫らした顔で見上げてくる。先程まであかねを撫でていた手は自身の胸ポケットにつっこまれていた。
「あーー……あかね。覚えてるうちに、渡しとく」
リボンのついた包みが取り出される。本来ならデートの別れ際に渡すつもりだったのだが、色々重なって遅れてしまった。多少流れは強引だが、仕方ない。
「これって……」
「クリスマスプレゼント。あかねに───許可も取らず目の前で開けるのは非人道的じゃねーか?」
目の前で包みを解かれ、中身が晒される。できればオレの前以外で開けて欲しかった。あかねの性格上、どんなモノでも喜んでくれるだろうけど、ダメ出しされる可能性もゼロではないし、ダメなものでも喜んでくれるかもしれない。ちょっと緊張した。
「…………綺麗な、緑」
プレゼントを軽く持ち上げながらあかねが小さく呟く。バレッタ。髪をまとめる為のアクセサリー。全体はグリーンで、中心は緑を帯びた小さなブラックパールが集中しており、パールの周囲はパールと同じくらいの大きさのダイヤ……らしきイミテーションで飾られている。明かりに透かすと黒を帯びる緑のリボンが一体となっている。あかねの青みがかった黒髪によく映える色だった。
「貸して」
手を差し出す。渡したプレゼントを手に取ったアクアはあかねの後ろへと回り、青みがかった黒髪を指で梳き、ハーフアップに纏めた。
「あかね、髪伸ばし始めたの最近だったから、
いつも背中近くまで伸びたロングヘアを下ろしていた。それか編み込んでいるか。風の流れのままに揺れる青みがかった黒髪も美しかったが、こういうのがあってもいいだろう。あかねの髪の長さで編み込みを毎日やるのは結構大変だ。
「髪の色と合わせて緑を選んだんだが、予想通り良いな。黒髪にはエメラルドがよく映える」
セットが終わる。スマホを取り出して自分を見ようとしたあかねへ鏡を手渡した。カメラでも確かに見れるが、こういうのを確認するならやはり鏡だ。
「…………素敵」
「だろ?」
「………嬉しい」
「そりゃ良かった」
ずっと泣いていたあかねにやっと笑みが戻る。しかし目尻には再び涙が滲み、顔をくしゃくしゃにしたと思ったら、オレの胸にグッと頭を預けた。
「───今ガチで炎上した時…」
小さな声で呟く。黙って続きを待った。
「もともと私のことをいらないって言ってた人も、応援してくれてたような人も一斉に私のことを批判して、たくさん悪口を言って、世界全部が敵みたいに思えた」
みたい、ではなく実際敵だっただろう。もしかしたら本人すら。あの時あかねの本当の味方をしていたのは今ガチに参加していたあかね以外のキャスト六名だけだ。
「何もかもささくれて、全部が灰色に見えた世界を、貴方が救ってくれた」
その言葉にはイマイチ納得がいっていない。オレはあかねを救ったのだろうか。オレが個人的にやったことなど、結局あの雨の日に隣にいたというだけで、残りは大衆の意見をコントロールできるマスメディアや不知火フリルを利用しただけだ。別にオレでなくても出来ただろうし、あかねほどの実力と才能があれば一度くらい落ちてもいずれは上がってきたはずだ。
「貴方に会えて良かった。あの夜から今に至るまで、そう思わなかった日はなかった」
その一言にアクアの胸は締め付けられる。いつかその言葉にオレが、誰よりもあかねが追い詰められる日が来るのではないかと、思わずにはいられなかった。
「なのに私は貴方から貰ってばかりで、私は貴方に何もあげられてない。貴方がうちに来ることに浮かれて、プレゼントの一つも用意できなかった」
「別に、何か見返り求めてあかねと付き合ってるわけじゃねーんだぜ?」
嘘だ。求めている。まだ支払ってもらうタイミングではないというだけ。見返りは求めている。
「それでも。あの時、歩道橋の上で、私を助けてくれたことに、何の打算もなかった。そうでしょ?」
どうなんだろう。打算はなかったのか。オレはただ、人が死ぬのが嫌だっただけじゃないのか。自分以外の誰かの死を目にするのが耐えられなかった。それならあの時あかねを助けた行為は十分に打算だ。自分の心を軽くするという、打算に他ならない。
「だからせめて、私が今あげられるもの、全部あげたい」
急に立ち上がる。そのまま腕を引かれて、鍵を開け、階段を上がり、『あかねの部屋』と可愛らしく描かれた扉の前に連れて行かれた。
「───っ」
押し倒される。オレの上に馬乗りになったあかねはボタンを外そうと手をかけた。
「待った」
あかねの手を取る。すでに少し鎖骨が見えていた。
「なんで止めるの?私じゃダメ?キスしてくれたの、やっぱり気の迷いだった?」
「気の迷いを疑いたいのはオレのほうだ。罪悪感と何かを返したいって焦りでテンパってんじゃないのか?そういうのの勢いでやっちまうと後悔するぞ」
経験があるからこその忠告。説得のための言葉だったが、逆効果。またあかねの目からポロポロと涙が落ちる。悔恨ではなく、本当の悲しみの涙だと、なんとなくわかった。
「フリルちゃんとはキスしてたくせに」
ドキッと心臓が跳ねる。舞台の初日。緞帳の陰でフリルに襲われ、抵抗する気力のなかったアクアはされるがままを許してしまっていた。あのタイミングで現れた事から見られたかも、とは思っていたが、やっぱり見られていた。
「アレは……」
「わかってるよ。パニック発作後のトリップ中で抵抗する力なんてなかったんでしょ?だから私も見なかったことにしようって思ってた。でもフリルちゃんにはしなかった抵抗を私にされたら、やっぱり言いたくなっちゃうよ」
理解ある彼女であろうとしていた。アクアは理解ある彼氏を務め続けてくれていたら。いつだってあかねの都合、あかねの仕事を優先し、あかねとの交際には誠実であり続けた。そのことに甘えていた自覚はあかねにはある。観劇の際、フリルに諭されたあの時から、ずっと。
けど、それでも。
「私だってわかんないよ。この思いが本物なのか。気の迷いなのかなんて……」
───こんなに誰かを好きになったのも、心の底から愛したのも、初めてだから。
それでも、たとえこの思いが気の迷いだとしても。
「貴方に触れるのも、貴方に触れられるのも好き。嬉しくて、暖かくて、心地良い。それは本当……それだけじゃダメなの?アクアくん」
潤んだ眼で真っ直ぐに見つめられる。目の奥で暗く輝く光に思わず見惚れた。
「…………そいつは殺し文句だな」
視線を逸らし、蜂蜜色の髪を掻きむしる。諦めたように大きく息を吐くと、覚悟の光を宿し、あかねを見据えた。
「ここがラストチャンスだぞ」
引き返す事ができる最後の地点。ポイント・オブ・ノーリターン。ここからはお互いひどく絡まり合い、もう綺麗に解くことはできなくなる。2人の関係を断つ日が来るとすれば、どちらか、あるいはどちらも大きく傷つくことは避けられない。ここが最後の機会だ。
脅すような口調で言い放った言葉だったが、青みがかった黒髪の美少女は笑った。
「そういうの、私はもうとっくに通り過ぎてる。ラストチャンスはアクアくんの方」
「わかった。オレも腹を括る」
ジャケットを脱ぎ、ブラウスのボタンを外す。アクアも鎖骨が露わになった。
「───来い」
あかねが倒れ込む。どちらからともなく合わせた唇は今まで2人がしてきたどんなキスより熱く、深く、拙かった。
▼
暖房も何もつけていない小さな部屋は冬の寒さで閉じ込められている。けれど寒くなんてない。あの人の体温が、私を包み、私の中に染み込んでいく。
意図せず息が荒くなる。ただキスして、絡み合い、抱き合っているだけなのに肺は酸素を求め、心臓は早鐘を打つ。
「交代」
仰向けに倒される。細身で締まった肢体が私を押しつぶす。暴力的に口内を蹂躙する熱く大人なキスは私の心をあっという間にドロドロに溶かした。
「行くぞ」
死んだ。
この夜、私の中の何かが死んだ。
そして、灼熱の中で、生まれ変わった。
自分の命より大切なものができてしまった、黒川あかねに。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
ついにアクアとあかね、メンゴ達成。今までぼかしてましたがようやくはっきり。クズとアイのハイブリッドを心がけたつもりでしたが、いかがだったでしょうか。ズルズルと深みにハマり合う2人を待ち受けるのは果たして…宮崎編でも色々やります。多分人の心ないとかサディストとか言われると思いますが、どうかお付き合いください。
以下本誌ネタバレ
知ってしましたよ。8月号のSPU◯の表紙見た時から。知ってましたけどね。アクルビのビジュが良すぎて辛い。双子カプ絵になりすぎる。色々やりたくなる。いい事もひどい事も。拙作では難しいと思われてる?いくらでも手はあります。筆者が人の心をなくせば。
そしてミヤコさんは解釈一致が過ぎて辛い。経営者と母親の板挟みで苦しむ姿が鬱くしくて、美しすぎる。ミヤコさんヒロインで書きたくなる。流石に倫理が邪魔して難しいですが。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
72nd take 前夜祭と生誕祭
星をなくした子は夕焼けを冠する少女を奏でる
聖人が生まれた生誕祭
魔法使いは12時を過ぎたシンデレラに夢を見せる
女の身体は楽器と似ていると気づいたのは、いつの頃だっただろうか。
神が創造し、与えた
たとえ使い慣れた楽器であっても毎日同じ状態という事もありえない。その日の温度、湿度、空気の流れ。様々な要素によって弦の張り。ハコの鳴りが微妙に変わる。だから毎日メンテナンスしなければならないし、時に調律やチューニングも必要となる。その日、その場に応じて、最も適した状態にアジャストしなければ最高の演奏は不可能だ。
それと同じ事が、セックスでも言える。
神が作りし設計。基本構造は誰もが同じ。鳴らし方も。しかし全く同じということはありえない。身体にも千差万別の特徴があり、感度の高いポイントもまた違う。同じ身体であっても日によって状態は変わる。
だからこそまず初めにしなければならないことは状態のチェック。楽器でいえばメンテナンスやチューニング。セックスで言えば前戯に当たる。
どこが強く、どこが弱いか。力の具合は?正しいラインは?触れ合いながら探る。初めて触れる
故にアクアは前戯には時間をかけるタイプだった。賛否両論あるだろうが、ただ闇雲に弄っても、力任せに動いても、お互いにとって気持ちの良いまぐわいにはならないことをこの年齢で知りすぎるほど知っている。
正しい力で、正しいラインを、正しいタッチで触れれば、
それは今、この時も変わらない。
「アクアくんっ……好きっ……大好きっ」
腕の中で喘ぐ黒髪の少女。初めてにも関わらず、その恍惚とした表情は女の悦びを全身で味わっており、うわごとのように紡がれる睦言は噛み締めるように男の耳元で囁かれる。
───この瞬間が、好きだ
才能ある女が。強い輝きを宿す目から光が消える瞬間が。オレのことしか見えていない。オレのことしか考えられないとわかるこの目が見られる一瞬が、好きだ。
そんなオレが嫌いだ。
こんな事でしか生きている実感を得られないオレが。こんな事で興奮を、高揚を、愉悦を、感じてしまう自分が、大嫌いだ。
▼
「ねえ、アクアくん」
情事が終わり、誰もが寝静まる時間。シングルベッドの上でアクアと身体を重ね、肩に頭を預ける少女が不安そうに名前を呼ぶ。返事はせず、視線だけをあかねに向けた。
「私ってエッチな子なのかな」
「どうした突然」
「だって私……初めてなのにあんな……あんな…ぁあああぁぁ…」
恥ずかしそうに顔を埋める。こういう反応はなんか久しぶりで、少し笑ってしまった。
「笑わなくてもぉ……どうせ私はアクアくんみたいに経験も余裕もありませんよ」
「ごめんごめん。あかねがおかしくて笑ったんじゃない。かわいくってついな。ニヤけただけだから」
プクーっと膨れた頬を軽くつつく。眉間に皺を寄せながらもあかねは心地良さそうに目を細め、アクアの手に頬を擦り寄せた。
「それよりあかね、身体大丈夫か?痛くない?」
「…………」
黙り込む。メンテナンスとチューニングは充分やったし、丁寧にほぐした。事中の反応から見ても痛みはそこまでなかったはずだが、こればかりは本人でないとわからない。そこそこ久々だったし。沈黙が少し不安だった。
「正直、凄く痛いの、覚悟してたんだけど……」
躊躇いながらポツポツと言葉を口にする。顔は胸元に埋められていて、よく見えなかった。
「私の中がアクアくんでいっぱいになって、私が知らない感覚で全身が震えて。あったかくて、幸せで。痛いより嬉しいが勝っちゃって、気づいたら溺れてた」
胸元で華奢な手を握り込む。爪にはオレの血が少しついていた。
「ご満足いただけたようで何より」
「…………いじわる」
「まあ、あかねは結構エッチな子だとは思うが」
「うぅ…」
「オレは好きだよ。あかねが好きだ。昨日よりもっと好きになった。あかねが彼女で良かった」
一瞬が呆気にとられた後、ボフッと湯気が立つ。ただでさえ赤かった顔がさらに真っ赤になり、ベッドから跳ね上がった。
「も、もう朝だし!シャワー浴びた後ご飯作ってくる!アクアくんはゆっくりしてていいから!」
毛布一枚身体に纏い、部屋から出る。ドタドタと何かが崩れ落ちた音がまだ朝日が上りきっていない薄暗い部屋に響いた。
「…………大丈夫か?」
「だっ、大丈夫!!大丈夫だからアクアくんは私が迎えに行くまでじっとしてて!でもあんまり部屋の中見ないで!直立不動で一点集中してて!」
バタンと扉が閉まる音が聞こえる。部屋の中物色してやろうかという悪戯心も芽生えたが、流石にやめておいてやろうとベッドに倒れ、あかねが身支度を整えるまで、目を閉じた。
▼
冬の寒さに締め付けられたバスルームで冷水側にコックを回す。頭から冷たい水が降ってきたが、茹で上がった頭が冷える気は全くしなかった。
────っわぁあああああ!!かっこよかったーー!かわいかったーー!どっちもできるなんてアクアくんズル過ぎない!?最中はあんなに雄々しくて獰猛だったのに、終わった後は不意打ちであんな笑顔……わぁああああっ
生まれたままの姿でしゃがみ込む。目を閉じれば昨夜から今までの思い出が鮮明に脳内で再生された。
───アクアくん、笑ってた…
デートの待ち合わせ場所に来た時から、何か元気がない感じだった。メイクで誤魔化してたけど、疲労感は伝わってきたし、春先よりなんとなく痩せた気もする。いつもの綺麗な笑顔に、なんとなく陰があった。
理由は昨日の夕食でわかった。
今まで食べられていたものが食べられなくなっている。嘔吐するほど拒否反応を示したのはローストビーフだけだったけど、それ以外の料理も決して食が進んでいる感じではなかった。軽い摂食障害になっていたのかもしれない。
昨夜の行為が終わった後、私はいろんな感情に支配されて眠れる気がしなかった。だから寝たふりしてずっとアクアくんの横顔を見ていたのだけど、彼が眠っている様子はなかった。たまに目を閉じていてもすぐうなされて、目を開いていた。多分ちゃんと睡眠も取れていない。
食事も取れず、眠れもせず、一ヶ月間あのハードな公演をこなし続け、トリップを繰り返すほどの没入に取り憑かれた続けた。痩せもするし疲労も取れないだろう。デート中も穏やかだったけど、平気なふりをする仮面のようなものを感じずにはいられなかった。
でもあの笑顔は違った。心から溢れたものだとわかった。
───私も、やっと少しはアクアくんの支えになれたのかな
そうだと良いな、と思いつつ、立ち上がり、シャワーのコックを閉める。あまり彼を待たせるわけにもいかない。時期に両親も帰ってくる。バスルームを出て最低限髪を乾かし、衣服を纏うと足早に2階の部屋へとアクアくんを迎えに行った。
▼
───疲れた…
イブの夜が終わり、一度家に帰った後、アクアはいつものバーでだらけていた。事務所では恐らくクリスマスのホームパーティーをやっている。もし昨日外泊したオレが参加していればルビーと有馬にそれはもう質問責めを喰らっただろう。流石に参加する気力も起きなかったアクアはこっそり自宅へ帰り、着替え、抜け出していた。一応ミヤコにだけは昨日はあかねの家に泊まったことと、今はマスターのバーで時間を潰していることは連絡してある。
「クリスマスに1人なんて寂しい男ね。貴方なら誘えばいくらでも女は来そうなものだけど」
「男には1人で飲みたい時間もあるんですよ」
「お酒、頼む?」
「マスターのことは信頼してますけど、周囲を信用してないんでやめときます」
「まったく、貴方たち親子は2人揃ってウチで酒飲まないんだから。定食屋じゃないのよってミヤコにも伝えておいて」
「はいはい」
机に突っ伏して今日あったことに思いを馳せる。
あの後、あかねが作った朝食をとって、2人で洗い物をし、しばらくのんびりしていたら、インターホンが鳴った。どうやら黒川家の主人とその妻が帰ってきたらしく、カメラには壮年の夫婦が映っている。
「アクアくん」
「ああ」
流石に2人で一晩過ごしたことを知られたくなかったオレとあかねは2人が帰ってくる頃合いに裏口から出る事となっていた。中途半端に出かけて見咎められたらまずいし、これだけ大きな家なら出口は幾らでもある。バレないようにこっそり抜け出す程度は容易だ。
───なんか、こういうのも久しぶり…
ハルさんと付き合いがあった頃、こういうことは何度かした。あの人複数名と同時に付き合うとか普通にやってたから。靴とウエストポーチを持って外に出るとなんとなくかつての哀愁が蘇った。
それからしばらくブラブラ歩いて時間を潰し、黒川家のインターホンを今度はオレが鳴らす。3秒も掛からず、あかねの声がマイクから響いた。
「お邪魔します。アクアです」
「いらっしゃい、アクアくん。上がって上がって」
一度だけ病院であったあかねの母親が娘と一緒に玄関から出迎えにくる。「お久しぶりです」と頭を下げると、破顔してオレを歓迎してくれた。
「その節は娘が大変お世話になりました。アクアさん、よく来てくれましたね。さ、どうぞ」
「ありがとうございます」
「あんまり硬くならないで。アクアさんとは本当に仲良くなりたいと思ってるんです。舞台も拝見しました。素晴らしかったですよ」
「恐縮です」
「イブはどうでした?至らないところもたくさんあったでしょう?この子男の子と付き合うなんて初めてだから。許してあげてね。あっ、そうだ。あかねのアルバムご覧になりますか?こんな機会もいずれ来るだろうと思って準備して───」
「お母さん!やめてーー!!」
タンスに嬉々として向かう母親を娘が必死に止める。夢中になったら突っ走ってしまうところは母親譲りなのかもしれない。
「あかねのアルバムはちょっと見たいな」
「そうですよね!えーっと確かこっちの棚に──」
「見せなくていい!アクアくんも!お母さんが味方だからって調子乗ってると私がそっちの家に行く時同じ目にあってもらうよっ!」
「おっと、藪蛇だったか。この辺にしておこう」
そんな親子の一悶着が終わった後、リビングへと通される。ソファには1人の壮年の男性が腰掛けていた。真面目で実直そうな人だ。顔立ちにはそれまで歩んできた人間の人生が滲み出るという。あかねの生真面目さはこの人の影響が大きいのだろうとなんとなく思った。
「君が星野アクアくんか。初めましてだが初めて会った気はしないな。あかねから色々話は聞いてるし、舞台も拝見させてもらったからよく知ってるよ。まあ、かけたまえ」
「失礼します」
勧められた椅子に座る。表情は柔和で、特に怒っている様子は見受けられなかった。
「あかねから聞いている。頼みがあるそうだね」
「あ、はい。実はですね───」
「娘を嫁にください、というならまだ時期尚早だと思うよ」
「言いませんよそんなこと」
「そんなこと?」
「…………失言でした。申し訳ありません」
「ふむ、謝罪を受け入れよう。しかし安堵するとともに少し残念だね。あかねに何か不満でも?」
「不満なんて───」
「お父さん!」
お茶を持ってきたあかねがテーブルにお茶を置き、慌ててオレの隣に座る。庇うように父親を睨んだ。
「私が来るまで話をするのは待ってって言ったのに!」
「軽い雑談程度だよ」
「ははは……」
アレが黒川家で軽いならそりゃあかねも重い女になるわけだ
というセリフは流石に飲み込む。心象悪いでは済まなくなる。
「それで?あかね。何か頼みがあるとのことだが」
お母さんもリビングへと入ってきて、父親の隣に座ってから、ようやく本題を口にする。怒りで歪んでいたあかねの眉は一気に緩んだ。
「…………お父さん、お母さん。ごめんなさい。私、今年の年末年始は旅行行けません」
目を伏して、軽く頭を下げる。アクアも同時に頭を下げた。
「アクアくんが家族で宮崎に行くの。2泊3日。妹さんの仕事も込みで。東ブレの慰安旅行も兼ねてるらしくて、私も誘ってくれた……だから、今年はアクアくんといたい。お願いします」
「あらあらまあ」
「2人きり、というわけではないのかね」
「はい。メインは妹のMVの撮影です。オレと、妹のアイドルグループメンバー三名、保護者一名。あかねさんを入れて六名での旅行になります」
「宮崎。良いですね。あの辺りは温泉とかも豊富そうですし」
「しかし、仕事も兼ねての旅行とは……あかねもついていって大丈夫なのかね?」
「仕事といっても本当にオレは関係ありませんから。個人的には完全にオフです。旅行中はあかねさんの側から離れません。自分の力が及ぶ範囲で、あかねさんの安全は守ります」
ここで身を挺して、とか言ったら女受けは良いんだろうが父親受けは悪そうだからやめておく。もちろん心意気はそのつもりだ。
その誠意が伝わったのか。真っ直ぐこちらを見つめる父親の視線を真っ向から受け止め続けたアクアに、最後には笑ってくれた。
「星野くん。一つだけ聞かせてくれ」
「はい」
「君は、あかねのどこが好きなのかな?」
一拍。息を吸い込む。頭に浮かんだことを瞬間的に口にした。
「オレの醜さや弱さに寄り添ってくれるところです」
隣で何かが熱くなる気配が伝わる。視界の端に、赤くなったあかねの耳がチラリと見えた。
「……………あかねを、私たちの愛する娘を、よろしく頼む」
一度だけ頭を下げられる。微力を尽くします、とアクアも頭を下げた。
▼
───て感じで、あかねの同行許可は貰えたが……
舞台並に疲れた。たかが旅行の許可を貰うだけであんなに心労を伴うとは。世の中の夫と呼ばれる人たちはみんなあれ以上のことを盆と正月、毎年やっているのだろうか。想像するだけでゾッとしてしまう。
───旅行前にはルビーと墓参り行く約束もしちまったし……全然オフになってねぇ
せめて旅行先では羽を休めたいものだ。今は家でも休めないから、マスターのバーでクダを巻いてるわけだが。
ヴー
携帯がなる。無料LINK通話の相手が有馬かなと認識する。思わず盛大にため息が出た。無視しようかとも思ったが、この後の年末年始の旅行で嫌でも顔を突き合わせる。無視は下策と理解している蜂蜜色の髪の少年は躊躇いながらも通話をタップした。
『アクアぁあ!!アンタ昨日から今まで一体どこで何してんのよバカやろー!お仕事デートから一回も帰ってきてないらしいじゃない!まだ黒川あかねと一緒にいるの!?イブはあかねと過ごす代わりにクリスマスは戻るって言ってたじゃない!こっちは今日のために色々───』
「あー……【bulls eye】にいるから文句があるなら直接言いに来い。場所はミヤコに聞けばわかる」
それだけ言って電話を切る。あと僅かとなった自由な時間を有意義に過ごすため、アクアはスマホの電源を切った。
▼
苺プロ事務所のクリパがひと段落ついた頃、私は何度目かの電話をアクアにかけた。イブはあかねとデートするというのは聞いていた。だからこそその代わりにクリスマス当日の予定は空けさせたのに、いつまで経ってもヤツは帰ってこない。会えない時間で、無駄に想像力豊かな役者の頭脳はよからぬことばかり連想してしまう。妄想の圧に潰されそうな1日半をすごし、流石にもう我慢の限界だった。
「アクアぁあ!!アンタ昨日から今まで一体どこで何してんのよバカやろー!」
ようやく出た電話で思いっきり罵詈雑言叩きつける。辟易したかのようなアクアの声が、今自分がいる場所を告げてきた。
ため息吐きたいのこっちだと怒鳴ろうとしたところで、切られる。掛け直そうかと思ったが直接言いにいった方が早くてスッキリしそうだった。
「社長!ブルズアイってどこですか!」
「───六本木の〇〇だけど、なんでそんなこと……ああ、アクア今あそこで呑んだくれてるのね」
「呑んだくれてる?まさか居酒屋ですか?」
「バーよ。マスターが古い馴染みでね。アクアも子供の頃から付き合いあるし、バイトもしてたから。あそこは会員制じゃないけど、ガードは固い。羽を伸ばすには良いところよ」
「行ってきます!」
「日が替わる前には帰ってきなさい。2人とも」
タクシーを呼んで、教えられた住所を告げる。十数分ほどで目的には到着した。
お店はぱっと見シックで、知らなければバーとは気づかないようなオシャレなお店だった。
───っ、
ドアを開けた瞬間、眉が歪む。換気はしているし、空調も効いていたがそれでも強く香る、お酒とタバコ、そして香水の匂い。店全体は薄暗かったが、だからこそ僅かに光る電灯が艶やかで、官能的に映る。夜の香り、ネオンの灯りとはこういうものなのか、と思い知らされた。
───あまり長居はしない方が良さそうね。
そういうことに未経験の有馬かなだが、だからこそこの空気に長く晒され続けては、妙な気分になってしまう。ただでさえ自分は空気だけで酔う自覚があるから、尚更だ。変な事故が起きかねない。
───アクアは…
訪ね人を探す。比較的年配の客層が多い中、明らかに1人平均年齢を下げている少年は明らかに目立つ。程なくして、蜂蜜色の髪の美少年は見つかった。
───っ、
バーに備え付けられたダーツゲームの機械。その前には何人かの人間がたむろしている。店のウェイトレスや客と見られる女性たち。一緒にゲームをしている男の人達にすら囲まれて、星の瞳の少年は笑顔でその人垣の中心に佇んでいた。
───あいつはいつでも人の輪の中心にいるわね
ダーツをやりながら笑顔を見せ、周囲も笑っている。そんな姿がまだなぜか誇らしくて、こちらも口角が上がってしまった。
「あら、来たわね。貴方が有馬さん?昔見てたわよ。大きくなったわね」
「あっ、どうも、えっと、私その、客じゃなくて…」
「ええ、アクア担でしょ?あの子もついに担当つく立場になったのね」
「アクア、担?」
「迎えに来てくれる人のこと。ジュニア」
ジュニアと呼ばれ、アクアがこっちを振り返る。どうやらアイツはここでジュニアと呼ばれているらしい。まあ、安易に人前で本名を使っていると厄介なことになりかねない。この辺りの配慮や警戒はアイツらしいな、と思ってしまう。
「来たか」
「えー、ジュニア。やっぱり女の子連れてきてたの?今日は1人って言ってたじゃない」
「少年、このゲームが終わるまでは帰らせねーよ?」
「アクア。帰るわよ」
人垣を割って入り、アクアの手を掴む。そのまま引っ張ろうとしたが、抵抗される。キッと睨みつけるが、私の怒りなどどこ吹く風で、アクアはいつもと同じ澄まし顔だった。
「アクア」
「そんなに焦らなくてもいいだろう。有馬、夕食取ったか?」
その一言に忘れていた空腹感が蘇る。ディナーはプレゼント交換の後の予定で、その前に抜け出してきたから、まだお昼から何も食べていなかった。
「このバー普通に軽食も出してるんだ。ジェノベーゼは絶品だぞ。食べていけよ。迎えにきてくれた礼に奢るから」
「…………食べたら帰るわよ」
「ああ。マスター」
「はいはい。ジュニアは何か飲む?」
「ペリエを」
しばらくして料理が届く。カウンターで隣に座り、限りなくお酒に見えるドリンクを口にするアクアの横顔に思わず見惚れる。実年齢より大人びて見えることが多いアクアだが、今夜はそれだけでない色気を感じた。
───黒川あかねは知ってるのかしら。こいつがこういう店の常連なこと
多分知らないだろう。アクアがこの手の大人な遊びにあかねをつき合わせるとは思えない。SNSを見る限り、2人は踏み込み過ぎず、離れ過ぎず。世間一般が理想とする高校生のカップルを演じている。いくら口の堅い同業者が多く働く場所でも、無駄にリスクを冒す事はしてないはずだ。
───なんか、優越感あるわね。蝶よ花よで育てられて、箱入りお嬢のまんまでビジネス彼女してるアイツじゃできないデートでしょ。ざまぁみなさい
図らずも思春期男女が憧れる、あかねすらしていないであろう、大人のクリスマスデートをしている気分になって、思わず笑みが溢れてしまった。事務所でパーティをする事はできなかったが、考えようによっては今はそんなものより遥かにロマンチックなデートをしてしまっている。ニヤけるのを抑えられなかった。
「マスター。オレンジソーダ、もらえますか」
「はいはい」
普段はカクテルを注いでいるであろうグラスに100%オレンジジュースを炭酸水で割ったドリンクを注がれる。ぱっと見はオレンジ系のカクテルにしか見えない。差し出されたグラスを手に取り、アクアへと傾けた。
「アクア、メリークリスマス」
「………メリークリスマス」
チャンっという可愛らしい乾杯の音が2人の間でだけ聞こえる大きさで木霊した。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
アクアがセックスのコツを掴んだのは楽器との共通点からでした。一応実体験です。なんかジャンルが違うことでもコツが一緒って結構ありますよね。筆者一応ピアノを齧っており、大学時代サックスもやっていたのですが、「アレって、なんか似てね?」とマウスピースの手入れとかしてる時に思いました。
イブから一夜明けて本祭。重曹ちゃんタイムに突入。ブラジリアンバーベキューデートが無い代わりのご褒美です。もうちょっと続きます。続きは次話で。
あとミヤコさんがやっぱり鬱くしくて、美しすぎる。美人って泣き顔の方がクるのはなんでなんでしょうね(筆者はSではありません)
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
73rd take 壁にありて
試練を前にした星をなくした子のための奮励歌
なくした星に語りかけ過ぎてはいけない
死神がどこで耳を傾けているかわからないのだから
「アンタってさー!黒川あかねとはいつまで付き合うわけ!?」
クリスマスの20時台、バーのカウンター。本来であれば大人たち。少なくとも二十歳以上の人間が嗜む場所と時間に、明らかに10代後半程度の男女が腰掛けている。1人は赤みがかった黒髪をショートボブに切り揃えた美少女。年齢は17歳だが、明らかにそれより幼く見える。頬を紅潮させ、男に絡んでいる姿はどう見ても悪酔いしてるねーちゃんだが、彼女が手にしているのは紛れもなくソフトドリンクだった。
そして絡まれているのは薄暗い店の中でも眩く輝く蜂蜜色の髪をアシメに整えた青い瞳。何よりも星の光を宿す瞳が特徴的な美少年。
有馬かなと星野アクア。同じ芸能事務所に所属する俳優とアイドルだった。
「番組終わって半年くらい経つじゃない!そろそろ番組への義理も、ファンへの気遣いも果たした頃でしょ!いつ別れんのよ!」
「今のところ別れる気ねーよ。一緒にいて不快じゃないし。むしろ気は休まるくらいだし。別れる理由が特にない」
「理由がないだけじゃダメよ!こういうのはなあなあでズルズル付き合う方が相手にとって良くないんだから!変な気遣いは男のエゴ!スパッと別れを切り出すのが時には優しさなのよ!」
───オレンジスカッシュでよく酔えるなコイツ。ある意味安上がりで羨ましい
変な感心をしつつ、少し考える素ぶりをする。有馬の言っていることも一理はある。けれどアレだけ真っ直ぐ自分のことを好きだと言ってくれた、自分も憎からず想っている女の子と、別れたいとは思えなかった。
「アンタって黒川あかねに恋愛感情あるの!?」
「あるよ………多分、きっと、恐らく」
「自信ない感じじゃない!あいつ今いないんだから素直に言ってもいいのよ!?キスもHもしない交際に意味なんてねぇ!くらいのこと!」
「なんてこと言うんだお前は。それはマジで思ってねーよ」
男女で付き合う理由は人によって様々だ。好意だったり、打算だったり、ステータスのためだったり、色々。本人同士が納得しているならそれらに貴賎はないとアクアは思っている。しかし少なくともアクアはキスやHをしないという理由で別れる気は起きなかった。
───ていうか昨日ついにしちゃったしなー…
ペリエを口にしながら心の中で独りごちる。昨夜行為に至ったことに後悔はない。もしあの状況で何もしなければ流石にあかねの心はオレから離れてしまっていたかもしれない。繋ぎ止めておくためには必要だったと思っている。しかし出来れば避けたい行為だったのも事実だった。
「気づいてる?舞台始まってから、アンタの雰囲気ずっと重いのよ。何かに縛られてるっていうか。納得いってないっていうか。アンタが自分に厳しいのは知ってるし、いい事だとも思うけど、緩める時は緩めないといつかはち切れるわよ。そういうガス抜き、上手くしてくれるのが彼女ってものでしょ?アンタにとって黒川あかねが気を張ってなきゃ付き合えない相手なら、少なくとも関係の名前は変えたほうがいいと思う」
───………酔っぱらいのくせに痛いとこ突くじゃねーか
摂食障害。睡眠不足。結局のところ何も解決していない。女と別れれば解決する問題とも思えないが、一度真剣に考えなければいけないことかもしれないとは思わされた。
「アクア?」
「そうだな。お前の言うことも一理ある。年末年始の休みでちょっと考えるよ」
「…………アンタ、この年末年始、宮崎行くかどうか、決めたの?」
「ああ、行くよ。ちょっと気になることもあるしな」
「よしっ、ザマァみなさい黒川あかねパート2!」
「2?1回目のザマァなに?」
あいつも来るよ、と言おうとしたがやめる。酔っ払っている今のコイツにこれを言ってしまえばシラフの百倍めんどくさそうだ。
「2泊3日の長期滞在よ!準備とかできてるの!?キャリーケースとか持ってる?」
「持ってるよちゃんと」
カントルでバンドしていた時、ツアー活動の一環で長距離移動もした。役者には地方ロケも多い。芸能活動には必需品と言っていいアイテムだ。持っていないはずがない。
「その辺のボロいキャリーケースじゃダメよ!キャリーケースは私達の相棒よ!容量大きくて運びやすい。色も綺麗なの選ばなくちゃ!」
「そこそこデカいやつだから心配ない。それよりジェノベーゼ早く食べろよ。冷めるぞ。マスターのは冷めても上手いけど」
「あらジュニア。褒めてもナッツくらいしか出ないわよ」
ミックスナッツが盛られた小皿が、差し出される。マスターと談笑しながらナッツを摘む姿はどう見ても常連のそれで、いつもでは見られない表情と色気に、有馬かなはパスタと共にごくりと生唾を飲んだ。
「───食べたわね?ナッツ」
「…………しまった。孔明の罠だったか」
「実はね、今日ピアノで来るはずだった子が急遽休んじゃって」
「素人マンにやらせていいんですか」
「若いイケメンが弾くってだけでプライスレスよ」
「…………バイト代は貰いますよ」
「今日のお代、チャラにしてあげるから」
「…………オレの、まだありますか?」
「もちろん。ちゃんと取ってるわよ」
「曲は?」
「お任せで」
ハァと大きくため息を吐く。蜂蜜色の髪を掻きむしると、カウンターの席を離れた。
「有馬、ごめん。ちょっと1人にする。一曲終わったらすぐ戻るから。変な客に絡まれたらマスターを頼ってくれ。マスター」
「わかってる。しばらくこの子から離れないわ」
カウンターの奥へと向かう扉が開く。貴重品を持ったアクアは足早にその先へと向かった。
「…………えと、なんの話、ですか?」
「観てれば分かるわ」
それ以上は何も言わず、カウンター越しに有馬のそばに立つ。その視線はステージに備え付けられたピアノに釘付けになっていた。
───アイツがまともに敬語使ってるの、初めて見たかも
プロデューサーや脚本の先生に敬語使っているのは見た事あったが、なんの打算も体面もなく、心から相手に敬意を払って話す敬語を、アクアの口から初めて聞いた。大人と話す時、いつも着けている凛々しい仮面を外し、柔和な笑顔や困り顔をするアイツを初めて見た。
───知らなかった
あの表情も。あんな喋り方も。知らなかった。出会いは10年以上前で、再会してからそこそこ密に付き合ってきたが、あんなアクアは初めて見た。知らなかった。
───まだ、私の知らないアイツがいる
会えなかった12年。一体アイツはどんな人生を送ってきたんだろう。どんな人と出会い、話し、怒り、笑ってきたんだろう。あいつが普段ひた隠す、努力の12年。一体誰と過ごし、どんなことを話し、どんな関係を結んできたんだろう。
知りたい。けれど聞けない。聞いて仕舞えば、多分あいつは私から離れてしまうから。
だから待つ。アイツが話してくれるまで。アイツが話したくなるまで。それまでは今のグチを言い合える関係を保つ。ビジネス彼女には出来ないことをやる。それが私の戦い方。
───けど、それでも、どうしても知りたくなった時は…
ステージに繋がる扉が開く。現れたのは煌めく黄金色の髪をバックに纏め、細身の肢体を燕尾服で包む、スポットライトの光を眩く反射する、青い瞳の美少年。
───アイツは、パーティの時も学生服着てくるような奴で……どっちかって言うとラフなスタイルを好んでて。いかにも令和男子って感じの格好しか見たことなかったけど
黒のジャケットに純白のワイシャツ。黒のネクタイ。モノトーンな燕尾服。
だからこそ際立つ、星野アクアが放つ、強烈な輝き。
この日、有馬かなは目撃する。
出会えなかった、隠されてきた、12年。その一端を。
▼
───2年ぶり、くらいか
この服を着て、この店でステージに立つ。バンドマンをやっていた頃、ここでバイトしていた時以来だ。今日はピアノのみのソロステージだが、ジャズプレイヤーたちと一緒にやった事もあった。その度にマスターが成長期のオレのサイズに燕尾服を調整してくれた。
最後に此処に来たのは『今日あま』収録後。スランプに陥っていた時期だ。あの時一応採寸してもらってサイズは合わせているため、ぴったりの着心地になっている。
───これ着ると、やっぱり背筋が伸びるな
パリッとした服の感触が、無意識のうちに佇まいを正させる。これから人に見られるという明確な意識。頭のてっぺんからつま先まで気を抜けない感覚。程よい緊張感と圧迫感が、アクアの背筋を伸ばさせた。
ピアノが備え付けられた壇上へ立つ。酔客の視線が集中する。笑顔で彼らに応えながら、グランドピアノの前へ立った。
白と黒。モノトーンで彩られた単純な色彩。だからこそ美しい。音が鳴らないように鍵盤へと触れる。2年前と変わらない感触に口元が綻んだ。
───あ……
触れた途端、感じた。わかった。多分、コイツに触れるのは、今日が最後だ、と。
アクアは、別れがなんとなく分かる時がある。何かに触れることが、これで最後だと感じる時が。楽器だったり、女だったり、その時によって様々だが、慣れ親しんだモノや好意を持っていた人が相手の場合が多い。その何かと別れ、訣別し、新たな舞台へと発つ。そんな岐路を感じる時があった。
今夜もその一つ。何度も弾かせてもらったこのグランドピアノとの別れを、なんとなく感じた。
───なら。オレが君に捧げるべき曲は……
曲目が決まる。本当なら試運転してからにしたかったが、流石に無理だ。チューニングは弾きながらやるしかない。座椅子に座る。指にフッと息を吹きかけた。
旋律が奏でられる。曲目は……
▼
「ショパン。ピアノ協奏曲第一番ホ短調」
アクアの演奏が始まり、十数えるくらいの時間が経った頃、マスターの口からポロリと溢れる。私はわからなかったが、多分今アクアが弾いている曲の名前だろう。アイツ、ショパンなんか弾けたのか。
「有名な曲なんですか?」
「知ってる人はね。ピアニストなら一度は弾きたいと思う憧れの曲よ」
マスターが曲について説明してくれる。1830年。音楽家としての飛躍のため、ショパンが故郷のワルシャワを発つ前に開いた告別演奏会のために作られた曲。
本来序章は管弦楽のみで始まるのだが、アクアはそこもピアノで演奏している。重厚で力強い演奏から、どこか甘く悲しい旋律に変化した。
「故郷を発とうとするショパンがこの曲に込めた気概を感じる提示部。『浪漫的』で『静穏』。『半ば憂鬱な気持ち』と『楽しい無数の追憶』」
ショパンが友人への手紙に書いた、この曲のテーマ。楽しく、切なく、大人になっていく自分への希望と悲しさをアクアはピアノで見事に表現してみせた。
「あの子、どこかに旅にでも行くのかしら?それとも誰かと別れでもした?ちょっと見ない間に随分色っぽくなっちゃって。男子3日会わざれば、よねぇ」
マスターの言葉は有馬に届いていない。艶めく旋律。美しい音と共に唄うアクア。指が魔法のようにひらめき、飛び、踊り、跳ねる。
───カッコいい…
星の輝きを放つ目を閉じて曲に入り込む姿はカッコよかった。色っぽかった。綺麗だった。今まで見たことないアクアだった。アクアの音楽が、アイツのオーラが、あっという間に人を引き込んでいく。
また曲調が変わる。弾けるようなスタッカート。しっとりとしたメロディから今度はダンスでも踊りたくなるような旋律へと変化し、ギャップとコントラストが聴客の興味を煽った。
「第3楽章。rondo vivance。ポーランドの民族舞踊を基にしたロンドよ」
アクアがこの曲を選んだ理由の一つ。それはこの第三楽章のロンドがある事。ここはバー。音楽の生演奏をやっていることは常連には周知の事実。しかし客の全員がクラシックに造詣があるわけではない。故に聞いているだけで楽しくなるような、ショパンを知らなくても踊りたくなってしまうような、そんなメロディも必要だと判断した故の選曲だった。
繰り返される主題の旋律。段々とメロディは終わりを感じさせる旋律を奏で始め、アクアの手元は忙しく動き、眉間には皺がより、頬から汗が伝う。
───難しそう…
素人でも分かるほど技術的な難所だとわかる。終盤のコーダ。しかしなんとか弾き切った。
アクアが鍵盤から手を離す。しかしピアノからは旋律が続いている。右足がペダルの最深部を踏み続けていた。
「────っ」
徐に右手を天に掲げ、大きく広がる。グッと閉じた瞬間、ペダルから足が離れ、旋律も止まった。
「bravo‼︎」
一瞬の静寂。カウンターから放たれた力強い一言。その声を皮切りに店中から湧き上がる拍手と賛辞。ブラボーの嵐。私もほとんど無意識に席から立ち上がり、手を叩いていた。
───?
壇上、アクアと目が合う。拍手に応えながら、私にしか見えないように左手で何かサインのようなモノを送っていた。
「有馬ちゃん、こっち」
「はい?」
「『裏から出る。待ってろ』だって。普通に出てきたらまたあの子、人に囲まれちゃって大変だから。ちょっとは手加減して弾けばいいのにね」
そう言われてみると、確かにステージの出口らしきところに人が集まり始めている(特に女が)。
常連は演奏者が此処から出てくるのが常だと知っている。簡単に言って仕舞えば出待ちされてる状態だった。
マスターにカウンターの向こう側へと入る勝手口を開けてもらい、そのまま案内される。非常口と思われる真っ白な廊下で、ネクタイを緩めたアクアが佇んでいた。
「ジュニア。お疲れ様。いい演奏だったわよ」
「疲れた……あんな長い曲、久々に本気で弾いたから」
「だからいつも抜くところは抜けって言ってるのよ。あんな常に全力疾走じゃ疲れるに決まってるじゃない」
「やるとなったら手加減できないタチだ」
「ほら、着替え一式纏めといてあげたから。今日はもうそのまま帰りなさい。有馬ちゃんも、いいわね?」
「あ、えっと……」
「ジュニア、タクシー呼ぶ?」
「いいよ、ちょっとほてった体冷ましたいし。駐輪場まで歩いて帰る」
ジャケットを脱ぎ、コートを羽織る。タキシードのまま外を歩いたら目立つが、季節柄上着を着て仕舞えば下に何着てるかなどわからない。私服はマスターがまとめてくれたバッグに入れた。
「有馬、行くぞ」
「あ……ハイ」
空いた手で有馬の手を引く。なんかいつもより従順でちょっと違和感を覚えたが、特段気にせず、非常口から出ていった。
「───ホンットあの子は。モテる自覚あんのかないのか、よくわかんないわ……この法治国家で流血沙汰はそうないと思うけど、女性関係でトラブル起こす日もそう遠くなさそうね」
演奏の間、ずっと有馬かなの恋する乙女の顔を見続けていたマスターはため息を吐き、店に来ている客の相手へと戻った。
▼
夜の東京。クリスマスの飾りで彩られた街を2人の男女が歩く。1人は機嫌良さそうに鼻歌を唄いながら。もう1人は頬を赤く染め、俯きながらも、男の隣を歩き、チラチラとその横顔に視線を送っている。
「アンタってさ」
沈黙に耐えきれなくなったのか。それとも別の理由か。白いファーの帽子を被る少女が口を開く。蜂蜜色の髪の少年は鼻歌を止め、視線だけ少女に向けた。
「ああいうの。どこで覚えたの?」
「ああいうの?」
「ピアノとかもそうだけど!女の子にこっそりサイン送ったり!食事できるバーとか知ってたり!そこの常連だったり!女の子の扱いに手慣れすぎてるっていうか!秘密の関係に親しみありすぎっていうか!高校生離れしすぎよ!一体今まで何人の女の子転がしてきたの!?」
「うるせーな。芸能事務所で生まれ育って業界人に囲まれて12年も過ごせば自動的にこうなる(嘘だが)」
「ならないわよ!少なくともルビーはアンタみたいに異性慣れしてないもの!」
「仮にもアイドルだ。アイツはアイツなりに考えて距離とってきたんだろう。オレも積極的に関わりはしなかったが、避けもしなかった。そういうのも芸の肥やしになるから」
その言葉にうっ、と黙り込む。色恋や異性が絡まない作品などない。役者は経験のないことを演じなければいけないこともあるが、それでもやはり経験していることの方が圧倒的に演技しやすい。ましてアクアは憑依型。経験から創造するメソッド演技の熟達者。体感することは多いに越したことはない。この辺のことを言い訳に持ってこられると、有馬かなは反撃しにくく、そしてそうなることを星野アクアも知っていた。
「ピアノはガキの頃、ジャズバーに連れていかれた時にちょろっと。そっからはたまに人に教わる時もあったけど、ほぼ独学」
「あれだけ弾けて、独学?」
「全然だよ。今日の演奏なんて聞くに耐えねぇ。特に後半。うろ覚えの部分もあったし、あの曲コーダはめちゃくちゃ難しいから、結構端折っちまった」
聞く人が聞けば『ショパンへの冒涜』と言われても何も言い返せない。練習もなしに完璧に演奏できる曲ではなかった。
「…………そっちの道に進もうとか、思わなかったわけ?」
「ないない。オレなんて素人に毛が生えた程度だよ」
「アレで?そうなの?」
「そうだよ。オレに教えてくれた人なんて、オレの10倍上手かった」
大袈裟ではない。ナナさんはオレの10倍上手い。だけど上には上がいて、下からは抜かれそうになって、その繰り返しに耐えきれなくなって、ロックの世界へと来た。
「それに、オレのピアノはその場のノリとかで結構アレンジとか加えちまうし。ライヴ感を大切にして、その時その時の、天気ひとつで変わってしまう音や楽器たちの中で、最高の演奏を求めてしまうから……クラシックには向いてないって言われた」
格調の高いクラシックやそのコンクールにはそれぞれの正解があり、解釈がある。故に評論やアナリーゼが大切になってくるのだが、些か堅い。ロック出身で自由な音楽を好むアクアには、確かに向いていなかった。
「アンタさ、この旅行の後、独立でもするつもりなの?」
「?」
「マスターが言ってた。あのショパンは訣別の曲だって。故郷を離れ、新天地へと向かう者の、決意と郷愁。未来への期待と過去の追憶の曲なんだって」
「………………」
ガリガリと頭を掻く。そういうのを、まるで考えなかったといえば嘘になる。この場で嘘をつくのはなんとなく嫌だったアクアは、マスターのおしゃべりをちょっと恨んだ。
「今度の宮崎旅行、アンタには何か、思うところがあるの?」
「さあな。何が待ってるか、わかんねーから行くんだよ。きっとこの旅行が、オレの人生の岐路の一つになる。なんとなくそんな気がするから」
上機嫌に演奏の余韻に浸っていたアクアの横顔が引き締まる。何かに縛られているような、何かが取り憑いているような、少し前までのアクアと同じ顔になってしまった。
───余計なこと、聞いたかしら
少し後悔する。さっきまでは満足と興奮とそれ以外の何かで紅潮していたほどだったのに。急速に冷えた。クリスマスの夜に相応しい顔になってしまった。
そんな顔をさせたかったわけではないのに。
ただ、もし訣別の内容が、黒川あかねとの別れだったらいいなって思って。ちょっと聞いてみたくなっただけだったのに。
「有馬。何やってる。早く乗れ」
ヘルメットを投げられる。両手で慌てて受け止めた時、もうアクアはバイクのエンジンを吹かしていた。
「バ、バイクで帰るの!?」
「?問題あるか?」
「アンタ免許持ってんでしょうね!」
「当然」
「…………」
「心配しなくてもお城みたいな建物に連れ込んだりしねーよ。ちゃんとお前の家の前で退散する」
「そっ、そんな心配してないし!」
「ならさっさと乗れ。オレの腕が信用できんというならタクシー呼んでやるが」
「…………」
「ちなみにあかねはオレのバイクの後ろに乗ったことあるぞ」
「乗る」
絶対に自分を曲げない感を出しているが、実は直角に曲がる女、有馬かな。
アクアの腕というより、『身体が密着しちゃう』とか『どこに手を回せばいいの!?腰!?腰でいいの?!』などといった、恋する乙女的理由で躊躇していた彼女だったが、その一言で迷いは吹き飛び、カクンと曲がった。
▼
都内某所墓地。目立たない場所にひっそりと立つ墓石。2人の男女が線香の前で手を合わせている。2人とも容貌は凄まじく整っており、一目で血縁だとわかるほどよく似ている。星野ルビーと星野アクア。この墓石の下に眠る女性の双子の子供達だった。
「ママ、約束通り来たよ。2人で」
妹は母に語りかける。舞台が始まる前、偶然兄と一緒になってお参りした時、約束した。舞台が終わったら2人で来る、と。
「───お兄ちゃんの舞台は無事終わりました。批判する人もいたけど、概ね好評。姫川さんに負けはしなかったと思う」
芸術は食べられない食事のようなもの。合う合わないは絶対避けられないし、賛否両論はあって当たり前。その中でアクアはほとんどの人達から天才と認められる仕事を果たした。
今年のうちはミヤコさんがあえてオファーは引き受けなかったけど、来年からアクアの仕事は増えるだろう。
「ママ、お兄ちゃんは頑張ってます。誰よりも凄い役者になる。ママとの約束を果たす日も、多分そう遠くないと思う」
「オレだけじゃない。B小町の活動も結構順調だ。ユーチューブの登録者数は2万超えたし、新曲も出来た。オレも聞いたけど、いい曲だったよ。バズるかどうかはコイツ次第だが」
くしゃりと兄が妹の頭を撫でる。ちょっと眉を顰めながらも、妹は兄の手を受け入れ、身を寄せた。
「今時はキューベースやプロツールで調整しまくる。オンチギリ卒業程度でも聴ける仕上がりにはなるさ」
「お兄ちゃんってホント自分にも他人にも厳しいよね。せめて妹には優しくしてよ」
これでも結構妹には甘いのだが、基本的に甘やかされて育った美少女ルビーに辛辣な言葉をぶつけるのは有馬以外では兄くらいしかいなかった。
「今度、そのMVの撮影で2人で宮崎に行ってきます。懐かしいよね。私たち生まれてからずっと東京だったし」
本当に懐かしそうに語る妹に兄の眉が若干引き攣る。母に語りかけるのに夢中になっている少女はその変化に気づかなかった。
カァ
一瞬の静寂、カラスの鳴く声が空気を切り裂く。冬至は過ぎたとはいえ、日が落ちるのはまだまだ早い。空を見上げるともう夕日が世界を染め上げていた。
「帰るか」
「うん。また来るね」
最後にもう一度、墓の前で手を合わせる。線香の匂いが鼻をくすぐった。
───舞台が終わってから、お兄ちゃんはちょっと辛そうです
口には出さず、心の中でだけ語りかける。兄の変化に最も近くで見てきた妹は当然気づいていた。
───疲れてるっていうか、憑かれてるっていうか。憑き物があるのは知ってたけど、それが重くなっちゃったって感じ。私なんかよりずっと早く立ち直ったと思ってたけど、やっぱりまだ引きずってるみたい。
だから、お願いします。
───これからママと同じ道を進むだろうアクアを、どうか見守ってください
今まで兄に守られてきた妹は、今日初めて、兄を守る願いを込めた。
「宮崎か」
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
幕間劇は終わり、次回からついに舞台は神話の国へと移ります。待ち構えるのは希望か、絶望か。なくした星か、死神か。最後の一言はもちろん死神。一応伏線。できれば覚えておいてください。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
74th take 神話の国へ
予言を頭の片隅に、渡された紙片を懐に納め、星をなくした子達は神話の国へと向かうだろう
旅の目的を後回しにしてはいけない
死神に時間を与えることになってしまうから
国内線では最大規模を誇る空港。バンにてそこに到着した苺プロダクション一行は、搭乗時間まで待機を強いられる。保護者であるミヤコも。帯同者であるアクアも。余裕を持って組まれたタイムスケジュール。雑談する猶予は充分にある。
無論、他の帯同者が合流する時間も。
「──というわけで、今回の慰安旅行に参加することとなった、黒川あかねさんです。皆さんよろしく」
「黒川あかねです!今回は参加を許していただきありがとうございます!皆さんの邪魔にならないよう頑張りますのでよろしくお願いします!」
アクアの紹介で遠慮がちに頭を下げるのは、青みがかった黒髪を背中近くまで伸ばした美少女。名前は黒川あかね。ここ最近で急速に名が売れ始めた女優で、星野アクアの公式彼女だ。
「なんで部外者がここにいるのよ」
B小町のセンターを務める有馬かながあかねに、というよりはアクアに詰め寄る。この旅行にコイツを招いた人物がいるとすればアクア以外考えられなかった。
「いいじゃん、東ブレの慰安旅行兼ねてるって話だし」
「だからってなんでよりによって黒川あかね1人だけ呼んでんのよ!今後のこと考えたらもっと呼ぶべき人間いたでしょ!?姫川大輝とか不知火フリルとか!!」
「姫川さんは断られた。フリルは最近連絡つかん。ま、忙しいんだろうよ」
年末年始にまとまった休暇を取る芸能人もいるが、売れてる人ほどこの時期は特番などに呼ばれる。師が走ると書いて師走。あの2人に旅行など行く暇があるわけがなかった。
「黒川あかねを呼んだ理由は!?」
「…………年末年始の予定聞かれて、宮崎行くって話したら、一緒に連れて行くか、黒川家の家族旅行にオレが付き合うかの二択を迫られた」
「ほとんど脅迫じゃない!犯罪よ犯罪!黒川──」
「わ!黒川あかねちゃんだー!『今ガチ』観てました!綺麗ー!かわいいー!」
糾弾しようと振り返ると、ルビーが黒川あかねの手を取っていた。満面に笑顔を浮かべ、彼女の同行を歓迎している。その無邪気な様子に赤みがかった黒髪の美少女は何も言えなくなってしまう。
「そんな……私なんかよりルビーさんの方が何倍もかわいいですよ」
「えへへー!」
「あかね。お世辞でもそういうこと言うな。こいつは本気にするぞ」
「べーっ。お兄ちゃんのイジワル」
「お世辞じゃないよ。私初対面の人にそんなこと言えるほど器用じゃないもん。アクアくんと違って」
「うるせー」
気安いやり取りをする三人を見て、まるで家族みたいだと思わされた有馬かなは、目の奥がジンと熱くなった。いや実際三人のうち二人は家族なのだが。
「改めまして、アクアの妹のルビーです!よろしくお願いします!」
「うんっ、よろしくね」
「素敵……容姿も心も綺麗……なんで兄なんかと……どんな弱味を握られたんですか?」
「お前がオレをどういう目で見てるか、よーくわかった」
「あはは。ルビーさん。お兄さんは素敵な人だよ。容姿は言わずもがな。能力も、人間力も高くて、魅力的。恩で言っても、まだまだ私の方が返済真っ最中だし。私が気後れすることの方が多いくらい」
オーラ。天賦の才。努力の量。カリスマ。美しさ。全てにおいてアクアが上回っていると黒川あかねは誰よりも思っている。客観的に見ても、釣り合いの取れなさでいうならあかねの方が分が悪いだろう。
───でも、この人を誰よりも愛しているのも、誰よりも守りたいと思っているのも、私だと胸を張って言えるから。
「だから、そうだな……強いていうなら…」
やっぱり何かあるのか、とルビーが身を乗り出す。アクアも心当たりがないわけではないため、ちょっと緊張が走った。
「惚れた弱味かな?」
なんの演技も打算もなく、朗らかな笑顔で述べられたその一言は、ルビーの頬を赤く染め、アクアすらも照れくさそうに頭を掻いた。
「あかねさん」
「うん?」
「お姉ちゃん、て呼んでもいいですか?」
「えーっ!?」
「私ずっとお姉ちゃんが欲しかったんです!たまに兄がお姉ちゃんやってくれる時もありましたけど──」
「いや、そのーっ!……うん?どういうこと?」
「ルビー、わけわかんねーこと言うな」
「やっぱりちゃんと女の子のお姉ちゃんが欲しいなって!だっていずれ私のお姉ちゃんになるんでしょ!?結婚するんでしょ!?」
「えっとね──私はいつかそうなれたらって思ってるけど…(チラッ)」
「こっち見んな、返答に困る」
「きゃーーっ!あかねお姉ちゃーん!!」
先日の黒川家でのアクア同様、身内の好感度を爆上げするあかね。一気に打ち解けてキャッキャする中で、どんどん暗くなっていく人が約1名いた。
「どうしてこんな仕打ち……私、この旅行楽しみにしてたのに……」
あかねとルビーに背を向けながら、表面張力限界まで目を潤ませた有馬かなは、さめざめと現状を嘆いている。その様子を見ていたメムはちょっと複雑な心境だった。
普段、有馬かなと星野アクアは口論していることが多い。
───けれどハタから見れば、アクたんはともかく、有馬ちゃんは楽しそうで…
喧嘩しながらいちゃついてるようにしか見えなかった。その様子をずっと見せつけられてきた。うっせえ爆発しろ、と思ったことも一度や二度じゃない。だからちょっとざまぁと思う部分もある。けれど今のかなちゃんは流石に可哀想が過ぎるとも思わされたため、複雑な心境のまま迂闊なことも言えず、関わらないように距離をとった。
その離れた距離の間に。キャッキャうふふしているあかねとルビーの視界の背後に、スッと自然に入り込む黄金の煌めき。
ポン
有馬かなの黒のキャップの上から、暖かく、柔らかい手が添えられる。振り返った先にいたのは星野アクア。
頭を触ってくれた人間が誰かを認識し、赤みがかった童顔の少女は嬉しさと悲しさと悔しさがないまぜになった表情で肩をいからせた。
「なによっ。こんなので誤魔化されないんだからっ」
「何も誤魔化してるつもりはない」
「私修学旅行とかも仕事で縁がなくて、こういう同世代の仲間との集団の旅行って初めてで、ホントに楽しみにしてたのにっ」
「オレもだよ」
「ルビーもなんなのっ。アイツがビジネス彼女だってことくらい知ってるはずなのにっ」
「それはルビーに言え」
「向こうのお土産物屋さんで目についたもの端から端まで買わせてやるんだから!」
「はいはい。時間は作ってやるよ」
「ふんっ」
不機嫌は治っていないが、涙目からは回復した。取り敢えずは良しとしよう。
「ナイスフォロー」
「おう」
「あとくたばれ女の敵」
「おい」
耳元で賛辞と罵倒両方囁いたメムはアクアが文句を言う前に女性陣へと合流する。安全地帯に逃げ込まれた後ではもう何も言えない。憤然と鼻を鳴らし、アクアは溜飲を下げた。
───………っ
「悪い。ちょっと先に行っててくれ」
「トイレ?もうすぐ搭乗時間よ?」
「わかってる。すぐ戻る」
一言言い置き、空港の雑踏に姿を消す。その行動に特に疑問も持たなかった一行は準備を始めた。
▼
「よく察したわね」
視線を感じた先に足を進めていると声をかけられる。やはりあの、フリルの事務所の女社長だった。相変わらず貫禄のある人だ。風貌は年相応ながらも品格があり、若い頃は大層美人だったのだろうと伺える。
「仕事柄視線には敏感でして……そちらもよくオレがここにいるってご存知でしたね」
「貴方、フリルもこの旅行に誘ってたでしょ?」
「なるほど………オレに何か用ですか?」
「とりあえず来なさい」
「もうすぐ搭乗時間なんですが」
「時間は取らせないわ。早く」
有無を言わさぬ口調で告げられる。この人にしては珍しい。余裕のなさそうな態度だ。フリルの事務所関係者には基本的に嫌われてるオレだが、社長だけはそこそこ気に入られていたはずなのだが。
まあ断るという選択肢があるはずもなく、黙って従った。
「……………………」
しばらく無言で雑踏の中をうろうろ彷徨う。こういう煩雑な場所の方が内緒話はしやすいものだ。オレから何か喋るべきか逡巡していると、ようやく向こうから口を開いた。
「舞台、見せてもらったわ」
「…………どうも」
「相変わらず不安定。でも貴方の哲学は見えた。才能だけでやってた貴方に再現性を見出せた。コレから貴方を使いたがる関係者は増えるでしょう。貴方もフリルも爆発的に成長した。良い芝居だったわ」
「ありがとうございます」
「コレからしばらく荒れるでしょうね。貴方の周りも、芸能界も」
言っている意味はわかるようなわからないような、微妙な感じだった。今回の舞台、オレとメルトを除けば、誰もがある程度役者として評価されてる人たちだ。東京ブレイドというキャッチーな作品に出演したことで、芸能界のみに留まらず、世間一般の目に触れられる事にはなった。しかし荒れるというほどでもないだろうと思っている。オレ1人の成り上がりで荒れるほど芸能界という海原は小さくない。
「まるで、エスカレーターね」
「は?」
「一年足らずで貴方はここまで駆け上がってきた。飛躍の速さだけでいうならフリル以上よ。階段なんてレベルじゃない。才能と
「………褒められてる、だけじゃなさそうですね」
「才能っていうのは祝福であると同時に呪いよ。大きければ大きいほどその呪縛は強くなる。周囲を巻き込み、大衆を巻き込む。コレからたくさんの人が貴方という星の光に惹かれるわ。良い人も、悪い人もね」
今度はよくわかる。この業界、監督、演出家、プロデューサー、その他諸々。胡散臭い人間はいくらでもいる。ほとんど詐欺師みたいな連中も。
───危険なファンも…
そう言った連中の標的にオレもなりつつある。かつてアイがそうだったように。
「貴方、ウチの事務所に入りなさい」
「………は?」
唐突に叩きつけられた本題はあまりに意識の外すぎて脳が理解するのに時間がかかる。間抜けヅラして聞き返しているであろうオレを社長は真っ直ぐに見据え続け、同じ言葉を繰り返した。
「ウチに移籍しなさいって言ったのよ」
「………そういう話は以前お断りさせていただいたはずですが」
「貴方はもうエスカレーターに乗ってしまった。それに乗る資格が貴方にはあった。けどそのエスカレーターは片道切符。一度乗ってしまうと、後はもう先に進むか、急に穴が開いて真っ逆さまに落っこちるだけ。本人の意思とは関係なく。いろんな人を巻き込んで」
「いろんな人を、巻き込んで…」
脳裏に過ぎる。あの舞台で改めて思った、大切な人たち。ミヤコ、有馬、あかね、フリル、ルビー。アイツらの顔が浮かんだ。笑ってたり、泣いてたり、怒ってたり、様々だった。
「貴方には才能がある。けれどその才能が貴方を、貴方達を幸福にしてくれるとは限らない。漫然と芸能界にいるのでは、いつか破滅するわよ。貴方が大切にしている人たちごと」
予言する、というよりは断定するような口調で告げる。続いた。
「貴方はタレントにとって一番怖いのはなんだと思ってる?」
「悪質なマスコミ、とか?」
「ハズレ。マスコミがタレントにとって厄介なのはあくまで副次的効果に過ぎない。本当に怖いのはその先にいるモノ」
「………厄介なファン」
「ご名答」
マスコミによって暴露されるスキャンダル。コレがタレントにとって致命的になるのはスキャンダルを知った一般大衆が行動を起こすからだ。バッシングが起こったり、罵詈雑言叩きつけたり、大衆イメージが最悪に落ち込む。イメージの悪いタレントを業界は使うわけにいかなくなり、仕事が干される。負の連鎖の始まりと終わりは全て厄介なファンの活動によるものだ。
「貴方は以前言ってたわね。今の事務所にいるのは恩のある人の為だって」
「───よく覚えておいでで」
「恩返しをしたい。普通の人として真っ当な、正しく小さな願望。そんなものを叶えるのは諦めなさい。それだけの才能を持って生まれてしまったからには。真っ当な、当たり前の願いを持ち続けるには、貴方の呪いは強すぎる。苺プロでは星野アクアを持て余す日がいつか必ず来る」
マスコミ、厄介なファン、その他諸々から四六時中見張られてると言って良い不知火フリル。それでも星野アクアとのゴシップが漏れないのは本人達の警戒もさることながら、事務所によるバックアップも大きい。所属タレントのデータを大手事務所のマンパワーでガチガチに守っている為、一般人はもちろん、業界人でもフリルの住居は知らないし、知られたとしてもすぐに引っ越せるよう幾つかセーフハウスを用意している。鍵も全て二段階オートロック。アイのような悲劇はまず起こらないようにシステムされてる。
大手事務所の力がなければ、流石のフリルもあそこまで危険な橋を何度も渡れなかっただろう。
「大谷○平がそこらの草野球チームに所属してたらチームも本人も迷惑でしょう?」
「あんな野球の神を超えたような人とは比較にならんでしょう」
「モノの例えってのはね。大抵真実より大袈裟なものよ。大事なのは本質が同じということ」
草野球チームがメジャーリーグのスター選手の活躍に見合う報酬を渡せるはずもなく、相応しい環境を与えられるはずもない。そうなればチームも本人も崩壊してしまう。コレと同じことが、遠からず苺プロでも起きると社長は予言した。
「貴方の才能に見合う仕事。報酬。環境。保護。全て用意するわ。もちろん移籍金も十分な額を苺プロに提示する。タレントとしての恩返しはそれで事足りるでしょう。いいわね?」
「良くないです。流石に唐突過ぎる。考える時間をください」
「この業界、即断即決できない人は大成しないわよ」
「なら貴方の見込み違いでしたね。大成しない器のタレントは見合った事務所で頑張りますよ」
背を向ける。コレがオレを呼んだ理由だというなら、もう話すことはない。
「アクア」
こちらの背を震わせるような、威厳ある厳しい声。真っ直ぐに見つめるその強い瞳に、アクアは思わず足を止めた。
「…………金じゃないんだよ」
絞り出すような声で星の瞳の少年は呟く。アクアが他人に言える精一杯。その姿はいつもの凛とした一部の隙もない星野アクアとはまるで別人だった。
社長はオレの一言を黙って聞いていた。話は終わったと判断したのか、オレが黙り込んで十数えるほど時間が経ってから口を開いた。
「上にあがる為なら何でも利用するタイプかと思ってたけど。意外と人間臭いわね、アクア」
「………オレにも良識はあります」
「だからこそ、貴方はいずれウチのドアを叩くわ。賢くて、強くて、優しく、弱い、人間臭い貴方なら」
名刺が一枚渡される。そこには連絡先も記入されていた。
「その気になったら連絡してきなさい。いつでも時間を作ってあげるわ」
「ならねーよ」
と口にしながらも名刺を捨てることはできなかった。
『漫然と芸能界にいるのではいつか破滅するわよ。貴方が大切にしている人たちごと』
『苺プロでは星野アクアを持て余す日がいつか必ず来る』
このセリフが耳にこびりついて離れなかった。
▼
「いらっしゃい、ようこそ高千穂へ!私は映像Dのアネモネって言います」
飛行機で宮崎まで飛び、レンタカーでバンを借りて、高千穂に到着すると妙齢の女性が出迎えにきてくれた。長い黒髪を編み込みで纏め、前髪は姫カット。初見の印象は快活な美人。声にもハリがあり、誰もが好印象を抱く人だ。
良い映像を撮る人は他者の感情ややる気を引っ張り出すのが上手い。結構良い人に当たったな、とアクアは思った。
「アネモネ!」
「メムちょおひさー!社長さん!この度はお忙しい中こんな田舎までわざわざ来ていただいて!」
「いえいえ」
メンバー達及び責任者への挨拶回りが終わると早速スタジオへと向かう。観光案内所も道中にあるため、途中まではアクア達も付き合った。
「街並み、面白いでしょ?」
キョロキョロ辺りを見回しながら歩いているのに気付いたのか、アネモネが感想を述べる。確かに良い場所だ。空気は綺麗だし、辺りは森林の生い茂る山に囲まれて、景観は美しい。人と自然が共生している街だ。東京ではありえない。
「大きい神社もたくさんある。パワースポット的な場所も多い。特に芸能の神様が祀られてることで有名。なんて言ったっけなぁ……日本神話で出てくる……」
「アンタなら知ってるんじゃないの?」
「知らねーよ。オレがなんでも知ってると思うな。神話とか興味ないし……観光案内所で聞いてみるか」
「ググりなさいよ」
「かなちゃんがね」
また軽くやり合うあかねと有馬だったが、いつものことなので特段止めもせずアクアはスマホで検索をかける。有馬の命令に従ったというわけではないが、ちょっと自分も気になった。
「天鈿女命」
荒立神社に祀られている歌や芸能の神様。芸能界からも参拝者が多く、商売ごとでも縁起がいいとされており、商談の場にされることも意外と多いらしい。あと縁結びも。
「えー!じゃあアクア!参拝いこ!話には聞いたことあったけど来たことはなかったし!アクアもそうでしょ?」
「いいけど、お前らスケジュール大丈夫か?MVの撮影2本に増やしたんだろ?」
「そのとーり!詰め詰めなんですわ!早く衣装に着替えてスタジオ入ってください!」
「うぇぇ…」
げんなりしつつも仕事モードに入っていく。前半はドラマパートの撮影。MVはダンスの姿を流すだけではない。イメージ映像や日々のちょっとした活動。ここの可愛さ、メンバー全員が映ったカットなどを差し込む必要がある。そういった撮影にアクアやあかねが万が一でも映ったら即ボツ。瞳に反射するだけでもアウトなため、アクア達が見学が許されているのは後半のダンスパートのみである。
そのため、今から夕方までは二人はフリータイムだった。
「私たちはどうする?」
「取り敢えず観光案内所行って荷物預けよう。まずはそれからだ」
「うんっ」
目的地まで徒歩で歩き、二人合わせて千円を支払って身軽になる。宮崎高千穂の観光ガイドブックを手にとったあかねはアクアと一緒に見るために大きくページを開いた。
「さすが神話の街。すぐ近くに天岩戸もある。知ってるよね?アマテラスが引きこもって──」
「宴会して楽しそうな音聞かせまくって誘き出したアレだろ?流石にそれくらいは知ってる。常識だ」
「───もしかして、アクアくんってオカルト嫌い?」
「別に好きでも嫌いでもない。興味ないだけだ」
「あはは」
───嫌いよりタチの悪いヤツだぁ
好きの反対は無関心。愛と憎悪は表裏一体だけど、無関心はどこまで行っても無関心。あかねはこの手の話が結構好きなため、高千穂の観光は楽しみだったのだが、アクアはそうでもなさそうだった。
「神様とか、あんまり信じてない?」
「神も神話も人間が作ったものだからな」
───なんて身も蓋もない……
超合理主義者で現実主義者のアクアらしいと言えばらしいが。それを言ってはおしまいだろうという事を平気で口にする。そこにシビれることも憧れることもあるけど、余計な敵作りそうだなと心配になる。
───そういえばゆきがアクアくんのこと、神様と悪魔の両方に愛されてるって言った時も不機嫌になってたな
目に見えない力に関しては否定しない。けれど積み上げてきた努力や実績を神様とかのおかげみたいに言われる事を嫌っていた。オカルトは興味ないだけ、と言っていたけど、本当は嫌いなのかもしれない。
「じゃあ早速始める?アクアくんの自分探しの旅」
「………いいよ。それは2日目以降で」
「え?なんで?」
「ここに来る前にミヤコにざっと聞いたんだが、オレが関わりのあった場所といえば生まれた病院くらいしかないらしい。まあそこで色々調べた結果、探索目標が増えることもあるかもしれねーが、まあ1日あれば事足りる。それに……」
「それに?」
何かを考えるように視線を伏せる。あかねと目が合ったとき、アクアはフッと柔らかな微笑を浮かべた。
「旅行中ずっとオレの目的に付き合わせるのも悪いだろう。今日はあかねの行きたいところに行こう。どこでも付き合うぜ」
「───うんっ、ありがとう」
アクアの左肘に自身の両手を絡める。隠し事をされたのはわかっていたが、彼が話したくなるまで待とうと決めた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
宮崎旅行編突入。色々不穏な始まりですが、アクアもあかねも重曹ちゃんもそれぞれで頑張っていきます。次回は宮崎デート。あかね優遇されすぎな気もしますが、話の流れ上仕方なかった。アクアは実は自分探しの旅とかやっちゃうのに躊躇いがあります。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
75th take 恵と災
選択を間違えた星をなくした子を眺める少女は思い悩む
神と呼ばれるモノは慈悲深いのか残酷なのか
答えはきっとその顛末に
地元から離れた観光名所。通常移動手段は大きく分けて三つに絞られる。
公的交通機関
タクシー
レンタカー(アクアの場合レンタルバイク)
この三つのどれかだが、あかねが「どうする?」と聞くよりも早く、アクアはタクシーを捕まえようとしていた。
「アクアくん、わざわざタクシーじゃなくても…」
「オレはガイドブックってのは基本的に信用してなくてな」
あの手の本に載っているのは大抵制作会社に金を払って載せてもらっている。制作会社のスポンサーや金出してる神社などを悪く書く筈がないし、メジャーどころはこのご時世、わざわざガイドブックを読むまでもなく調べられる。
「それに今は年末。長期休みで混雑に巻き込まれるのは避けられないが、タクシーの運転手なら抜け道とか知ってることもあるし。やっぱ知らねー土地で観光するなら地元の知識と経験持ってるタクシー使う方がいい」
「でも、お金……」
あかねが躊躇う最大の理由。確かにタクシーは早くて地元の情報も聞けて、便利だが、その分公的交通機関やレンタカーなどとは比べ物にならないほど費用がかかる。ただでさえ便乗させてもらって、旅費や宿泊費等最低限しか払っていない。あかねが気にするのは当然と言えば当然だった。
そんな心配りをよそに、蜂蜜色の髪の少年はヒラヒラと手を振った。
「金なら気にすんな。前にも言ったが、オレは取り分8:2の女優よりは金持ちだぜ?オレの通帳残高見る?」
スマホに登録してる銀行アプリをチラつかせる。あかねは慌てて顔を逸らし、ブンブンと手を振った。
「アクアくんっ。そういうの他人に気軽に見せちゃダメ!」
「別にあかねになら構わねーけど、まあ誰の目があるかわかんねーし、この辺にしておこう」
携帯を仕舞う。あかねの手を引いた。
「あかねなら、いずれオレの通帳残高なんて遥かに超えるだろうが、今はまだオレにカッコつけさせろ。行こうぜ」
「…………うんっ」
観光案内所に停まっていたタクシーを捕まえて、夕方まで貸切にすると、アクアとあかねは観光地を巡り始める。車の中であかねはハンドバッグのポケットに入っていた翠色のバレッタを取り出し、ハーフアップに髪をまとめた。
「───えへへ」
隣に座るアクアと目が合い、照れくさそうに笑う。ルビー達の前では着けていなかったアクセサリー。大事にしてるし、普段使いもしないけど、二人きりの時は特別ということらしい。
「似合うよ。綺麗だ」
「んふふっ。ありがとう」
満面の笑みを浮かべる。あかねの心の底から溢れた笑いはちょっと気持ち悪い。そのまま腕を組まれた。
「近い」
「アクアくんに触るの、好き」
「一応人の目気にしろ芸能人」
「大丈夫だよ。公式彼女なんだし、それに私たちのこと知ってる人なんて宮崎にはいないよ」
「悲しい現実だな」
「これでも遠慮してるんだから」
「遠慮しなくなったら?」
「知りたい?」
「遠慮しとく」
あかねのブレーキが効いている内にやめておく。腕一本自由にさせてやればいいのなら安いモノだ。
あかねに捧げる一日だけの観光旅行。最初は山間の巨大な滝などの自然風景の鑑賞から始まった。貸切にしたタクシーの運転手は初老の男性で、目的地を告げると今年の冬ならここが一番良いというスポットへ案内してくれた。
高千穂峡。阿蘇火山活動による火砕流が五ヶ瀬川に沿って流れ出し、急激に冷却されて出来上がった、柱状節理の断崖となった渓谷。まさに自然が作り出した芸術と言える場所だ。
「綺麗…」
眼前の絶景に見惚れ、うっとりと呟くあかね。アクアもまた冬の寒さを忘れ、目の前の光景の美しさに圧倒されていた。
「お客さん達。良ければ写真でも撮りましょうか?」
「良いんですか?」
「もちろん」
「アクアくんっ」
「ああ」
今日一日はあかねに付き合うと決めている。否などあるはずもない。嬉しそうに携帯を運転手に渡すあかねは可愛らしかった。
「撮りますよ〜。はい、チーズ」
「なんでおじさんって写真撮るときチーズって言うんだろうね」
「ググれよ」
「冷たいっ」
シャッター音が鳴る。画面には会話からはまるで想像できないような笑顔で身を寄せ合う二人が写っていた。
しばらくその写真を見続けていた二人だったが、ほぼ同時にクスッと吹き出し、笑い合った。
「次行こうぜ」
「うん」
アクアの左腕に自身の両手を絡めて、また次の目的地へと向かう。山間から平地へ戻った時、ちょうどお昼時だったため、運転手におすすめの店を尋ねると、地元民も観光客も評判のいいという蕎麦屋へと連れて行ってもらった。
「凄い!ここのお蕎麦の中のお肉、宮崎牛だって!──ごめん、アクアくん、お肉…」
食べられないのに、と申し訳なさそうな表情を浮かべたのに対し、蜂蜜色の髪の少年は店員さんを呼び止め、『肉入り蕎麦二つ』と注文した。
「無理しないで」
「ちゃんと火を通してるなら大丈夫。ありがとう」
程なくして二人の注文が同時に運ばれてくる。アクアの予想通り、蕎麦の肉はしっかりと醤油などで煮しめられていたモノだった。
「───美味しいね」
「普通の肉と違いがよくわからん。美味いけど」
「…………もー!そこはそうだねって言っておけばいいの!」
肉を飲み下してもアクアが顔色を変えたりトイレに駆け込んだりしないのを確認すると、あかねは文句を言いながらも、安堵の感情を溢れさせた。
「わかんねーもんはわかんねー」
「アクアくんって食レポとかの仕事向いてなさそうだよね。美味しくないって感じたら全部そのまま言っちゃいそう」
「ダメなの?」
「ダメだよ!?PRなんだから!嘘でも美味しいって言わないと!」
「あかねはそういう仕事やったことある?」
「ないけど、いずれ私達にそういう仕事をやる日が来る可能性は高いよ。特にアクアくんは。今ガチであれだけトークスキル高いことアピールしちゃってるから」
郷土料理に舌鼓を打ちながらも、結局仕事の話になってしまうのは職業病だろうか。
軽い議論はありながらも、なんだかんだ楽しく昼食を終え、食休みをした二人は、今度は自然ではなく、人の手で作られた芸術を鑑賞するために、神社や仏閣を見に行った。
まず最寄りの高千穂神社。約1900年前、垂仁天皇によって建てられた高千穂郷八十八社の総社。神社本殿と鉄蔵狛犬一対は重要文化財に指定されている。
「アクアくんは寺と神社の違いって知ってる?」
「まあ、最低限。寺は僧侶とかの仏門の人間が住む場所で、神社は読んで字の如く神の社。神が住まう場所っていうのが定説だな」
「さすが。神様信じてないっていう割にはちゃんと知ってるんだね」
「知識は必要だ。特に芸能にはな。演技の起源は神楽って説もあるくらいだし」
「そうそう。だから私は神話とかオカルトとか結構好きなの。面白いし、本当にあったのかもって考えると演じる時ワクワクする」
「神様、ねぇ」
眉唾ここに極まれり、という表情で石畳を歩く。知識はあっても、やっぱり信じてないのか、それとも他に何か理由があるのか。アクアはやはりそういうのが嫌いらしい。
「アクアくん、昔何かあった?家族が宗教とかで騙されたり……」
「そういうのじゃねーけど……ならあかねはさ」
一瞬躊躇う。一度天を仰ぎ、息を吐くと、続けた。
「何の罪もない人間が理不尽な暴力で潰されたり、人を殺したような悪人がのうのうと生きてたりするこの世界に、本当に神様なんてモノがいると思うか?」
アクアが何のことを言っているか。誰のことを考えているのか。あかねにはわかる。わかってしまう。あかねも躊躇いながら、言葉を口にした。
「アクアくんの、お母さんのこと?」
気遣いが多分に含まれたその声色を聞いて、アクアの口元に笑みが浮かぶ。石で作られた階段を登りながら、皮肉げに眉を歪めた。
「母さんは何の罪もないと言えるほど清廉潔白な人ではなかった。世間から見たら怒られるようなことをしたし、非難されるようなこともした」
あかねの推理が正しければ、アイは16歳で妊娠している。その後子供の存在を隠し、4年間アイドルとして活動している。確かに世間から見れば良くないことはしてるし、何も知らない大衆がこの事を知ればそれはもう凄まじいバッシングの嵐が巻き起こるだろう。身をもって知っている。
しかし、殺されなければいけないほどの悪かと問われれば、それは断じて否だった。
「因果応報は全自動じゃない。人の手で最善を尽くし、証拠を揃える必要がある。それはいい。そうじゃないと無実の人まで罪を背負うことになってしまうかも知れないからな。だがそれを制度として認めるなら、神様なんて何もしてくれねー存在を頼る気にはオレはなれない」
今までの人生で、目に見えない何かに縋ったことは一度もなかった。ステージの上ではレッスンと仲間との連携を頼りに。舞台の上では稽古と12年間で積み上げてきた経験をバックボーンに。時に亡霊のような何かに助けられたこともあったが、少なくともその何かに縋ったことはなかった。勿論神様なんてモノにも。
「頼る
「…………そっか」
隣を歩くあかねの表情から感情を推し量ることはできない。少し下に伏せた目は悲しそうにも、辛そうにも見えた。
「あかねはどう思う?オレとは違う考えか?」
「ううん。そんなことないよ。私だって舞台の上で神様に成功をお願いしたことなんてないし。アクアくんとほぼ同意見。たった一つ、違うことがあるとすれば──」
言葉を切ると、足早に階段を駆け上がる。ひと足先に頂上へ辿り着くと、そこでクルッと回り、柔らかな笑顔をアクアに向けた。
「私の神様は、アクアくんだよ」
予想外の言葉に、星の瞳の少年は呆気に取られたように自身の彼女を見上げる。陽の光を背負って泰然と笑う、青みがかった黒髪を翠のバレッタでハーフアップにまとめた少女が、やけに神秘的に映った。
───神なんてもの、信じちゃいないが、人やモノに神聖が宿るってのはあることなのかもしれない
だから大衆は一皮剥けばただの一般人と変わりないアイドルや俳優を、常識では考えられないような、巨匠と呼ばれる人物の美しい絵やスポーツマンのファインプレーを、神と呼んだりするのだろう。
超常現象を起こすだけの才能を、人が神格化する何かを、星野アクアと黒川あかねは、確かに持っていた。
一度目を瞑る。あかねに続くように階段を駆け上がり、隣に立つ。左腕に自身の両手を絡め、そっと身を寄せるあかねは、もういつものあかねだった。
▼
その後、アクアとあかねは順路に沿って高千穂神社の中を歩いた。手水で手と口を清め、境内を歩き、参道を行く。神社の敷地内のお堂なども見学し、多くの観光客と共に人気スポットを眺め、観光を楽しむ。
そして次に向かったのが───荒立神社だった。
「多分最終日にまた来るぞ?」
あかねがこの神社に行きたいと言った時、アクアは一応確認した。
2泊3日のMV収録を兼ねたこの旅行。最終日は元旦。撮影も終わりで、ルビー達にもフリータイムが与えられる。今日のアネモネさんが話してくれた流れで、芸能の神を祀るこの神社に参拝に来ないとは思えなかった。
この忠告をアクアから聞いた時、あかねはプクーッと頬を膨らませる。言わなきゃわからないのか、と恨めしそうに見つめる上目遣いが語っていた。
「アクアくんと二人で、行きたいんだよ」
「なんで?」
「…………荒立神社は縁結びの神社としても有名なの」
猿田彦命と天鈿女命が結婚して住んでた地としての伝承がある荒立神社は芸能だけでなく、夫婦円満・縁結び・子宝にもご利益があるとされている。
また、猿田彦命は天孫降臨の道案内をした神であると言われており、道開きの神として祀られている。
「通りでカップルや女性観光客が多いわけだ」
神話に興味のないアクアは知らなかったが、ここを訪れる多くの観光客、特に女性陣は知っているのだろう。そしてあかねも。アクアの腕に絡めた両手を一層強く握りしめていた。
「みんなの道も大事だよ?けどそれと同じくらい、私たち二人の道も大切だと思わない?」
「わかったよ。行こう」
あかねがアクアの肩に頭を預ける。腕に絡みついたまま、本殿や縁結びの社などにお参りをする。といっても神様を信じていないアクアは賽銭を入れて祈るフリをするだけだったが。
「─────」
チラリと横目で隣を見る。あかねは目を閉じ、真剣そのものの表情で熱心に何かを祈っていた。
───神様なんて、信じちゃいないが…
目に見えない何かはあると思っている。だから神か霊かその他の何かか知らないが、コイツの願いを聞くぐらいはしてやれよ、と心の中でひとりごちた。
そして一通りの参拝が終わり、待たせているタクシーの元へ向かっていると、アクア達はとある一団に遭遇する。
先頭を歩くのは神職の男性と巫女。二人のすぐ後ろに先導されているのは紋付き袴の新郎と白無垢の新婦。
「結婚式…」
あかねのつぶやきの通り、目の前で行われているのは結婚式だ。縁結びの神が祀られている神社で、厳かな神前式が行われていた。
「綺麗だね…」
「───ああ」
新郎新婦を見つめる青みがかった黒髪の美少女は、アクアに身体を預け、うっとりと呟く。女性が最も憧れ、最も美しくなるその瞬間に、常人ならざる才能を持つ俳優は、少女そのものの憧憬をもってその神事を見つめていた。
「羨ましいね」
「…………そうだな」
正直なところ、結婚などまだとても考えられないアクアだったのだが、ここで本音を吐露する野暮をやる必要もない。
───やっぱりちょっと変わったな、あかね
肌を重ねたあの夜から、あかねの態度は明らかに変わった。両親へ挨拶しに行った時もオレとの距離を近くし、オレを庇った。今まではオレとの交際関係を弄られたら、恥ずかしがったりすることも多かった。だが空港でルビーにその辺りのことを言及されても堂々としてて、オレへの好意を隠すこともなかった。そしてオレと二人になると手を繋いだり、身を寄せ合ったり、接触を伴うスキンシップが激増した。
───勿論嫌じゃないし、不満も全くないけど
正直よくない傾向だとは思う。今までずっと作ってきたあかねの逃げ道をあかね本人が自らの手で潰している。
「すごく綺麗。私じゃ服に負けちゃいそう」
アクアの葛藤に気づいているのか、そうでないのか、わからないが、少なくとも今この瞬間、あかねは白無垢を纏った新婦に釘付けになっていた。否定して欲しそうにチラリと横目でこちらを見上げる。一度息を吐き、呆れるような口調で答えた。
「東ブレであんなに美しく十二単着てたヤツが何言ってんだか。謙遜も過ぎれば嫌味だぞ」
「私はアクアくんみたいにいつも自信満々じゃいられないんだもん」
「オレだってそうだよ。自信あるように見せてるだけだ」
人前に立つなら、堂々と胸を張っていなければならない。人間なんだかんだ言って自信のある人が好きなんだ。自信があって、泰然としていて、余裕のある人間が魅力的に映る。カメラの前に立つことを仕事としている以上、オドオドしたり、動揺したりする姿を見せてはいけない。少なくとも星野アクアはそういうキャラではない。
クールで澄ましてて、頭の回転が早くて、正論で人の傷口にいい感じに塩コショウを塗りたくる皮肉屋。けれど仲間や大切な人の危機となると熱い。それがこの一年で売り出した星野アクアのイメージであり、キャラクター。
世間一般が勝手に持っているこのイメージと異なることをすれば大衆は一気に手のひらを返す。日和ったとか、人や立場で態度を変えるとか、普通の人間であれば当たり前にやっている事が批判の火種になる。だからアクアは常に自信を持っているフリをする。いつだって完璧を求めてて、完璧を実現する。完璧でなければ生き残れない世界だと誰よりも知っているから。
「私は、アクアくんみたいにはできない」
絞り出されたその一言は、どこかオレを責めるような色が感じられた。
▼
私は、アクアくんみたいにはできない
白無垢を纏う花嫁を見つめながら、私の脳裏には恋リアでの失敗が鮮明に蘇っていた。今ガチで思い知らされた、自身の心と行動が乖離する現象。追い詰められれば簡単に心は乱れ、みっともなく動揺する。舞台の上で、役を与えられたならその役に没頭し、徹することはできるが、一度舞台から離れたら大衆と何も変わらない、17の小娘に成り果てる。
だから舞台外でもキャラを貼り付けた。アクアが理想とする女性像を、才能があって、自信の光を放つ強い瞳を持つ女を演じると決めた。今のところそれは上手くいっている。
けれどアクアの前で、その仮面を身につけたくはない。ワガママかもしれないけど、この人にだけはありのままの私を好きになってもらいたい。人間誰しも綺麗であろうとするものだ。男の子は女の子の前ではカッコつけるし、女の子だって男の子の前では綺麗であろうと努力する。
でも綺麗なだけの人間なんているわけがない。どんなに美しい人であろうと、醜い部分、見せたくない部分は必ずある。
綺麗な所も、穢い所も、全部見せ合って、受け入れて、愛し合うことが出来て初めて、男と女は真実の愛に出会ったと言えるのではないだろうか。
イブの夜は限りなくそれに近かったと思う。嘔吐するアクアくんなんてモノをこの一年で初めて見た。他人から見ればそれは穢い行動だったのだろうけど、私のために頑張ってローストビーフを食べようとしてくれたあの姿は私にとってはかけがえのないものだった。
クリスマスプレゼントを用意してくれた。私が今身につけている黒翠のバレッタ。血の気の引いた顔で似合っていると言ってくれた笑顔は胸が高鳴りすぎて心臓が壊れると思うほど美しかった。
抱きしめずにはいられなかった。この人と一つになりたいと思わずにはいられなかった。衝動のまま、彼の手を引き、押し倒し、デートのために2時間かけて厳選した服を脱ぎ捨てるのになんの躊躇いもなかった。
その後少し問答はあったけど、アクアくんは私を受け入れてくれた。正直最初は痛かった。でも痛みを塗りつぶすようにアクアくんは手を尽くしてくれた。アクアくんの舌が、指が、手が、体温が。触れるたびに体が跳ねた。弓なりにしなった。気持ちよかった。
そして、来る。今までの私が死ぬ瞬間。
とても尊い行為だったと思う。人によっては穢らわしいとか言うのだろうけど、少なくとも私にとっては神聖な行為だった。アクアくんの裸は綺麗な部分も穢い部分もあった。けど私はその全てを受け入れた。アクアくんも多分受け入れてくれたと思う。
人の綺麗なところも醜いところも、それを隠そうとする行為すらも、全て愛しかった。真実の愛に限りなく近かった。
アクアくんも、そうであって欲しかった。
私の全てを愛してほしい。その代わり私もそうする。どんな星野アクアだろうと、愛すると決めたし、その自信もある。けど、私がそうしてもらえる自信はないから───
「私、アクアくんの彼女だよね」
「何を今さら」
「彼女だよね?」
「あかねだけがオレの彼女だよ」
こういうことを確認したくなってしまう。確認せずにはいられない。私だけが彼女だと言ってくれたことに胸がキュッと締め付けられる。嬉しくて、大声で叫びながら跳ね回りたくなる。けど、そんなことはできない。いくら宮崎で私たちのことを知っている人は少なくても、今は一億総カメラマン時代。なにが炎上の種になるかわからない。
「ごめんね、こんなめんどくさい事言い出して……もっといい彼女になるね」
「どうしたんだよホントに。なんかあったか?」
「…………クリスマス、かなちゃんとバーでデートしたんでしょ?」
ピクっと眉が動く。アクアくんはなんでもない人には息を吐くように嘘をつくが、親しい人には意外と素直だ。アクアくんにとって自分がそういう人間になれた事が嬉しいと同時に悲しい。やっぱりかなちゃんが言ってた事は事実だったんだ。
「───誰に……」
「かなちゃんから自慢された。アクアくん、タキシード着てピアノも弾いたんだって?私も聞きたかったなぁ」
「……あいつ意外と口が軽いな」
「役者畑の人はそういうの緩いんだよね」
ガシガシと頭を掻く。流石にバツの悪そうな顔をしていた。
「言っとくがデートじゃねーぞ。元々はオレが馴染みの店で一人で居たところにアイツが押しかけてきたんだ。まあ、あそこは同業者も多いし口は堅い店だけどな」
「でもアイドルって一度の炎上が致命傷だから。次からはアクアくんが気をつけてあげてね」
「…………いいのか?」
何が?とは聞かない。わかってる。
「才能も、努力も、コネも、生まれ持った美貌も、使えるものはなんでも使うのが星野アクアのやり方だってことくらい私だって知ってる。そんな貴方も好きだから私は貴方の彼女をやってる」
これから貴方はいろんな人と関係を持つだろう。芸能界は貸し借りで成り立ってて、コネクションが何よりも大切なことも知っている。男女の感情を利用することも、売り込みの際に美しさを武器にすることだってある。私だっていつそういう立場になるかわからない。男性として愛してるのもアクアくんだけだと断言はできる。が、何かのパーティで異性に声をかけられたり、食事したりは私も多分する。アクアくんほど器用でもなければ多才でもない私に使えるものなんて限られてるだろうけど、世間一般の彼氏持ちとしてはよくないことだってきっとする。
「アクアくんが誰と食事しても、デートしても、それが目的あってのことなら私は何も言わない。ヤキモチは多分妬くけど、めんどくさくなった妬いてる私を受け入れてくれて、慰めてくれるなら、それでいい。だから、一つだけ約束して」
彼の腕を抱き寄せる。縋るような目で、少女は愛しい人を見上げた。
「誰とどんな嘘の関係を築いたとしても、彼女って呼ぶのは私だけにして。星野アクアの彼女って公然と名乗れるのは私だけにして。それさえ守ってくれれば、私は、私だけは、ありのままの君を愛し続けるから」
▼
「好きだよ、あかね」
答えの代わりに耳元でアクアがそっと囁く。あかねが求めていた言葉を、その先を、先回りで言われてしまう。その事があまりに嬉しくて、頭から湯気が出る。顔も心も熱くなる。まるで火でもついてしまったかのように。
「ごめん。オレがあかねを不安にさせたせいで、そんなことを言わせてしまった。本当にごめん」
「アクアくん……」
「あかねだけだよ。オレの彼女は。あかねだけが、オレの人生で初めての、唯一の彼女だ。それだけは間違いない」
「ごめんね。私、重いね。めんどくさいね。ごめんなさい」
「好きだよ、あかね」
「───私も、好きだよアクアくん。愛してる」
彼の肩で、噛み締めるように呟く。これが精一杯。だからこそ呟き続ける。いつかこの人の隣であの衣装を着るまで。あの衣装を着た後も、言い続ける。
この人を支える。多分、一生。
新郎新婦を先頭とした一団が見えなくなるまで、二人は小さな声で、謝罪と愛を囁き続けた。
「神様はきっと優しくて、残酷だね」
冬の寒さは生命から力を奪う。葉っぱ一枚ついてない枯れた大木。命のほとんどが失われてしまったそれにもたれ掛かる白髪の少女が呟く。身を寄せ合う若い男女を見下ろしながら。
「真の意味で母を得られなかった二人と、魂のない子を産んだ母親を導いておきながら、一人はそのままに。一人は本来吹き込まれるはずだった魂を蘇らせた。あったかもしれない魂に生まれ変わらせた──とても残酷。彼にとっても、その周囲にとっても」
復讐に取り憑かれるはずだった魂を解放した。楽にしてあげた。その代わり吹き込まれた魂には祝福と呪縛の両方を与えた。容姿、才能、やり残し、負の遺産。
継いで良いもの、継いではいけないもの、全てを受け継がせた。
「天恵は解放。天災は天才」
カラスが少女の周囲を舞う。まるで彼女に付き従うかのように。
漆黒の羽が舞う。不幸を撒き散らすかのように。
「一体どういう意味があるのかなぁ。特に彼。父と母、祝福と呪縛、両方の全てを受け継いでしまった、あの少年は」
少女の目からはまるで蜂蜜色の髪の少年を中心に漆黒の羽が空を舞っているかのように見えた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
いかがだったでしょうか。メンゴした事によるあかねの依存度マシマシ回。そしておそらく宮崎編唯一の平和な回。多くは言えませんが、厄ネタガンガンぶっ込みます。果たしてアクアは耐え切れるか。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
76th take 貴方を救うのはいつだって
糸に引かれる先で待ち構えるのは自殺か蘇生の二択
星をなくした子を吸い寄せる死神の手
振り払う力があるとすれば、それはきっと
「えーーっ?こんなのも撮るんですか?」
お昼ご飯を食べている時、カメラが回っていることに気づいたルビーが、照れくさそうに質問する。mvの撮影とは歌ったり踊ったりしているシーンのみを撮るわけではない。大きく分けてドラマパートとミュージックパートの2種類で構成される。無論メインはミュージックパートだが、間奏部分や所々の演出で、メンバー個々の個性が出るシーンを撮影することで視聴者に楽曲だけでなく演者のアピールも行わなければならない。
「だから各々の可愛さを切り取ったカットも必要なのよ。ほら、かなちゃんも。このカメラを大好きな人と思って振り返って」
清涼飲料水を口にしていた有馬に声がかかる。口元を拭いて一度目を閉じた。
───カメラの先にアイツがいると、イメージする
役者にとって想像力。イメージする力というのは非常に大事だ。自分にない感情。あったけど忘れてしまった感情。そういったものを思い起こし、想像し、虚構を現実に呼び寄せることによって、役を作る。アクアもあかねもこの力に長けている。自分の内に潜り込み、感情を掴んで引っ張ってくる。自分にない感情であれば虚構を作り出し、その中に飛び込んで表現する。憑依型のメソッド演技。有馬かなは俯瞰型。だが彼女もイメージの力が乏しいわけではない。むしろ想像力は豊かな方だ。
同じ事務所で、再会してから同じ時間を過ごすことも多かったアクアをイメージするくらい造作もない。
───カメラの向こうに、アイツがいる。
いつものように澄ました綺麗な顔つきで。ポケットに手を突っ込み、壁にもたれかかり、後方理解者ヅラして私を見ている。
私だけを、見つめている。
自然と頬が緩む。口元が綻ぶ。アイツに向かって、笑いかけてやる。目に映らない星の瞳の少年と視線が合う。アイツは皮肉げに口角をあげ、目を閉じた。
「…………へぇ、良いカオ」
演技だけじゃなかった。気持ちが入っていた。本物の好意がカメラ越しでも伝わってくる。アネモネの感性に強く訴えかけられる笑顔だった。
「かなちゃん、好きな人いるんだ?」
「!!」
「どんなひとー?なにしてるひとー?どういうところ好きになったのー?」
MVはコンセプトとざっくりした流れのみを決めてどんなものを撮るかはその場の判断に任せられることが多い。故にカメラマンに求められるのは被写体の可愛さをいかに引き出すか。瞬間最大風速をいつでも引っ張れる才覚が必要になる。有馬を揶揄うように質問を重ねるアネモネだったが、今度は焦る有馬かなというジャンルの違う可愛さを引き出している。
───この場にアクたんが居たならアネモネのこと褒めただろうなぁ
今ガチで知っている。アクアは映像も撮れる人で、ノウハウもテクニックも持っていた。時に煽り、時に褒め、フリルを除いて演じることは素人であるメンバー達の感情を上手く引っ張り出していた。
「おう、やってるか」
噂をすればなんとやら。時計を見るとそろそろ日も傾いてくる時間だった。観光を終えたアクアとあかねがスタジオに入ってきた。
▼
「アクたんおかえりー」
「どの辺まで進んだ?」
「ルビーとかなちゃんのドラマパートはあらかた終わってこれからダンスパートを撮る感じ」
「メムはまだか」
「うん、後回し」
「18歳以上だもんな」
「そゆこと」
「どういうこと?」
ピンときていないあかねにアクアが耳打ちする。一気に暗い顔になったあかねはメムに頭を下げた。
「メムちゃ……メムさん、じゅうはちさい、だもんね…………………………知らなかった」
「あははははは!そういうことなのだよ!日本の成人は18歳で私はちっとも未成年じゃないからねぇえええ!!ド深夜でも労働できちゃうんだよぉおおー!あはははははぁーー!!」
「思ったより立派なスタジオとセットだな」
狂気の笑いとごめんなさいごめんなさいと何度も頭を下げるあかねを尻目に、ダンス用の撮影ステージを見て回る。スタッフの数も多い。カメラマン一人にそれぞれ助手二人。照明三人。美術に衣装、メイクに監督etc.
ざっと数えても15人以上。思った以上に多い。
「随分張り切ったじゃないか、ミヤコ」
「…………言わないで」
「幾らぐらい掛かってるんだろう。アクアくん、わかる?」
「安く見積もって、ざっと500」
「500!?」
「───いいとこ突くわね」
「採算取れんの?」
「言わないでってば」
本当に張り切ってる。カントルのMVなんて初期は50いくかどうかだった。アイドルは搾取される職業だが、金のかかるところはガッツリかかる。ミヤコの愛の深さが感じられる。
「あんま言いたくないけど、オレとの差が激しすぎじゃねーか?」
「…………悪いとは思ってるわよ」
「いや責めてはねーよ?オレよりルビーを見てやれっていつも言ってたのはオレだし。でも結局一番わかりやすい愛の形って金の掛け方だよなぁと改めて認識しただけ」
「…………わかった。45510号室よ。23時。待ってるわ」
「オレが悪かったからそういうマジっぽいのやめろ。しまいにゃ本気で夜這いかけんぞ」
耳打ちしてくる義母の肩を掴んで遠ざける。こっちはミヤコのバツの悪い顔が見たくてからかっただけのつもりだったのだが、本人はそうもいかなかったらしい。囁かれた声音からはかなり本気の色気を感じた。思ったよりオレへの負い目はデカいようだ。チラッとあかねを見る。どうやら聞こえてない様子で、胸を撫で下ろした。
「ちなみに満13歳に満たない子役は行政の許可を得て21時までの労働が認めれてるわよ。それでも紅白とか未成年が出られない時間帯の生放送があったりはするけどね」
「さすが。詳しいな子役のベテラン」
会話に入ってきた赤い髪の美少女はかつて全国の児童が踊った代表曲で紅白の出場経験を持っている。この辺りの芸能事情に関して有馬以上の事情通はそうそういないだろう。
「しかしまたガーリーな衣装だな。いかにもアイドルって感じで可愛いけど」
「ふふん、いいでしょ?みんなで話してデザイン決めたんだから」
「だが首元のリボンの締め方緩すぎ。それじゃあ踊ってる時プラプラになるぞ。あと逆にウエストは締めすぎ。全体のバランス悪くなってシルエット壊してるし、シワもよってる。細く見せたいのはわかるがな」
「うるっさいわねぇ!素直に褒めなさいよ!」
「あかねはどう思う?」
「ほぼアクアくんと同意見。あと踊る前に髪とかちゃんと櫛で手入れして。服にもいくつかホコリついてるから落とす。あと衣装さんにも迷惑だから着替えたんならあんまり歩き回らない。ちょっとこっち来て」
ハンドバッグから常備しているのであろう身だしなみを整えるブラシが取り出される。アクアが指摘した所を直し、ブラシを通すことで赤みがかった黒髪は艶やかな美しさを取り戻す。わずかな差だが、明らかに全体のクオリティが上がった。
───しかしあかねって面倒見良いっていうか、お姉ちゃんタイプっていうか……めんどくせぇなぁ
クオリティの上がった有馬かなを見て興奮してる。舞台上でも見た、憧憬と好意の目。オレにすら多分向けたことのないキラキラがあかねから見える。元ファンの反転アンチってマジでめんどくさい。愛と憎悪は表裏一体だ。
なんやかんやあったが、始まったダンスパートの撮影。アクアとあかねはスタジオの奥のパイプ椅子に座って見学していた。チラリとあかねがアクアの横顔を見る。
───プロの目だ
鑑賞の目とは少し違う。暖かく、冷たく、優しく、厳しい目。良いところも悪いところも全て見逃さない、プロフェッショナルの目。アクアは身内には甘いが、こと仕事となれば妥協を許さない。それは妹たちにも同じだった。
「かなちゃん、本当にアイドルなんだね」
「…………そうだな」
つぶやかれた一言には否定の色が強く混ざっている。まだまだだと目の奥の光が語っていた。
「厳しいなぁ、アクアさんは」
いつのまにかアクアの隣に来ていたアネモネが笑い声と共に息を吐く。彼女もアクアの言葉の裏の真意を読み取っていた。
「みんな良いカオしてるよ。特にかなちゃん。元々表情作るのは上手い子だったけど、ダンスパートになってから格段に良くなってる」
───コレなら最初からアクアさんに居てもらった方が良かったかもしれないね
言葉にはしないが、そう思う。彼女の好きな人はおそらく星野アクアなのだろうと推察する。彼が居るいないで、明らかにモチベーションが違っている。メンタルがパフォーマンスに与える影響は大きい。今あの三人の中で最も輝きを放っているのは有馬かなだろう。
───だからこそ、良くねぇんだ
アクアも言葉にはしないが、有馬に高評価をつけない理由がコレだった。自分が見ていることでパフォーマンスが上がってしまうのなら、不在時は当然下がることになる。プロとして、特にアイドルとして、そんな理由のパフォーマンスの上下はあってはならない。
「かなちゃんの演技が良くなった理由がわかった……『私を見て』って、ずっと叫んでる」
───アクアくんに向かって…
あかねが心の中で付け加える。カメラへの目線は外してないし、不自然に視線をこちらへ向けたりもしてない。だけどわかる。自然にこちらが見える瞬間、誰を見ているか。誰に自分を見せたいのか、わかってしまう。
───楽しそう…
一挙手一投足が、楽しいと叫んでいる。彼が自分を見ていると分かる瞬間、明らかに輝きが変わる。
───あの時と同じ。舞台でかつての輝きを取り戻した、あの時と。
アクアの存在が。自分を見つめる目が。彼女の光を強くしている。
見て
私を見て。
もっと私を見て。
私だけを見て。
そしたら私はもっと輝けるから。
溢れる笑顔が。輝く瞳が。躍動する所作の一つ一つがそう語っていた。
「私、アイドルとかあんまり詳しくないから、評価とかはできないけど、アクアくんは違うよね?歌もダンスも上手で、コーチもやってたくらいだし。どう?かなちゃんはアイドルとして売れそう?」
あかねはちょっと緊張しつつ、口にする。一年に満たない付き合いだが、星野アクアの予想が外れていたことはあまりない。どんな言葉が出てくるか、緊張した。
「今のままじゃ、厳しい」
出てきたのは否定の言葉。あかねもアネモネも息を呑みながら、次の言葉を待った。
「ファーストステージに比べればアイツらは上手くなった。技術を身につけ、経験を重ね、実力をつけた」
アクアから見ればまだまだ文句つけるところは無限にあるが、それは置いておく。
「でもアイドルの『
有馬は自分をアピールしている。自分の魅力を見てもらうために、『何かする』が出来ている。可愛さに説得力がある。だから彼女のことを何も知らない大衆も「顔が良い」ではなく、「可愛い」と思える。
───だが、そのアピールの対象が一人じゃ不安定過ぎる
自惚れかもしれないが、アイツはオレのためにアイドルをやってる気がする。オレが誘い、オレが望み、オレが可愛いと言ったから、アイドルをやってる。
そしてオレは多分、アイツの好意には応えられない。
そうなった時、あの輝きは消え失せるだろう。可愛さの説得力は無くなり、モチベーションも下がり、酷評も増え、「やっぱりアイドルなんて私には合ってない」って思いだすだろう。不安定だ。モチベーションを自分以外のところに置いている人間は。
「メムはなんか一歩引いてるっつーか遠慮してるっつーか。せっかく面白いキャラしてんのにB小町ではそれを売りにしてねーし。ルビーは慣れかなんなのか知らねーが、悪い意味でアイドルの教科書通りっていうか、誰かの真似してるっていうか。見ててつまんねーと思うのは本性知ってるからなのかねぇ。有馬は今のところ悪くないと思うが、一人のエースに支えられてるグループっていうのは不安定だ。軋轢も生みやすいし、やっかみも出てくる。今のままじゃ、厳しい。慣れてきた頃にやらかして解散。もって3年ってとこだな」
───きっびしー
───容赦ない……
アネモネとあかねの心の声が一致する。言ってることは的確だ。徹頭徹尾、非の打ち所がない。メンバーへの評価はアネモネもほぼ同意見だったし、グループ全体の未来予想図も鮮明に想像できるものだった。しかし仮にも妹が所属しているアイドルグループ。もう少し手心というか、贔屓目とかがあっても良いだろうに。そういうのはまるでなかった。現実的で、冷徹で、客観的だった。
誰も何も発言しないが、空気というのは伝わるもの。ちょっとアクアを責めるような沈黙が三人を支配する。居心地悪くなったのか。大きく息を吐いたアクアはパイプ椅子にもたれ掛かり、ギィと音を鳴らした。
「あくまで今のままなら、だ。見方を変えれば下地はできてきたとも言える。ならキッカケ一つで化ける可能性はある。全てはここからだ。アネモネさん、よろしく頼みます」
「まっかせてー!」
サムズアップと共に軽く拳を合わせる。ようやく少し平和な空気になった。
▼
22時を回り、未成年組が宿へと戻る時間となる。メムはアネモネと共にまだスタジオに残り、ドラマパートの撮影。18歳以上である彼女は今からが労働時間だ。
「私は今日あかねおねえちゃんと同じ部屋がいいなー!」
「えー?いいよー」
「私はもうちょっと残るわ。アクアはどうする?」
「女二人夜道歩かせるわけにもいかねーだろう。一緒に戻るよ」
「ありがとう」
「えー、お兄ちゃんがボディガードぉ?たよりなーい」
「そんなことないよ!アクアくん見かけによらず力持ちだし、鍛えてるし、運動神経も良いんだから!」
「フォローありがとう。まあ盾くらいにはなりますよ。ほら、行くぞ」
「はーい」
「失礼します。お疲れ様でした」
「お疲れ様でしたー!」
三人揃ってスタジオを出る。「お泊まりお泊まり」と外泊に小躍りする妹を眺めながら、アクアとあかねは少し引いたところで歩いていた。
「可愛いね、ルビーちゃん」
「身内だとアホにしか見えねーけどな」
あははと笑いながら夜道を歩く。時折こちらを振り返って手を振っていた。
「アクアくん」
「ん?」
「ホントはもっと早く渡そうと思ってたんだけどね…」
ハンドバッグから小さな包みを取り出す。ルビーがこちらを見ていないかを確認した後、中身を取り出した。
「ちょっと遅れちゃったけど、クリスマスプレゼント。アクアくんに」
「マジか。よかったのに」
「ダメだよ。いつも私もらってばっかりだもん。返せる時にちゃんと返さないと。アクアくんの彼女って胸を張って言えなくなっちゃう」
「開けていいか?」
「もちろん」
包みを開く。出てきたのは花があしらわれたピアスだった。スタッドタイプで派手ではないが、夜の暗闇にあっても煌びやか。宝石のような石に小さなチェーンが下がっている。花はそのチェーンに飾られている。花の名前はわからなかった。
「花のピアスか……綺麗だけど、オレには合わなくないか?」
「人前ではつけにくいかもね」
えへへと笑うあかねに疑問符が湧く。わざわざ使いにくいアクセサリーをプレゼントにした意図がアクアにはわからなかった。
あかねが髪を指でかきあげる。左耳にはアクアに渡したピアスと全く同じデザインの色違いのアクセサリーが下がっていた。
「だからね、アクアくんがこのピアスを着けるのは私と二人の時だけにして。あなたがコレをつけてる姿を見れるのは私だけにして。このピアスをつけあってる時だけは、私だけのアクアくんだって思えるから」
花の名前は、茜。
花言葉は『私を思って』
「お前──」
「えへへ、開けちゃった」
「開けちゃったじゃねーよ。いつの間に…」
「舞台稽古の合間。アクアくんのピアス穴を見た次の日くらいに」
「いいのか?あかねの学校、偏差値ど高い結構な名門だろう」
「普段は髪で隠してるから大丈夫。家でも何にも言われなかったよ。お母さんだって開けてるし、お父さんもそこまで堅い人じゃないから」
「…………」
憤然と鼻を鳴らす。ならいいか、と思うことはできなかった。あかねは恐らくオレが関わらなければやらなかったことをやってしまっている。コレからどんどんやるだろう。ピアスくらい、と思うかもしれないが、最初の一歩を踏み出して仕舞えばそこからはあっという間の下り坂だ。男の好みに染まるため、やってしまう女子を何人も見てきた。
『ど真面目なヤツほど悪い男に染まるのは早いんだよな』
いつかの飲み会の時、姫川に言われた言葉が脳裏をよぎる。あの時は反論したが、今はもう反論できる立場になかった。
「今度からそういうのやる時はオレに一言言ってくれよ」
「うん、次からはそうするね」
「お兄ちゃーん、あかねおねえちゃーん。何やってるの?早くー」
いつのまにかルビーと結構距離が開いていた。自然な動作であかねは髪を直し、アクアも包みの中にピアスを落とした。
「お兄ちゃん、なにそれ」
「あかねからもらった」
「えー?プレゼント?いいなー!なにもらったの!?」
「内緒」
「えー!なんでー!?」
「こういうのは彼氏彼女だけの秘密って決まってんだよ」
わーわー言いながら兄から包みを取ろうとするが、体格差がある兄妹は兄が天に腕を伸ばすだけで妹は手も足も出せなくなる。一通り騒いだ後、妹が諦めた。
「いいなー。私も好きな人が彼氏だったらなー」
「ああ。そういや言ってたな。初恋の人いるって。まだ片想いしてんの?」
「片想いってなに?!決めつけないでよね!」
「違うのか?」
「…………違わないけど!!」
兄妹のやり取りを見て、あかねから笑みが漏れる。二人の気のおけないやり取りが見ていて楽しい。そしてちょっと羨ましい。私もこんなお兄ちゃん欲しかったな、と思わずにはいられなかった。
「でもルビーちゃんみたいな可愛い子が片想いする相手って凄いね。どういう人か聞いていい?」
「すっごく優しい人!」
兄の前で恋バナはさすがに無理かな、と思ったのだが、あかねの質問に間髪入れずに答えてきた。もう喋りたくて仕方なかったのだろう。聞いてないことまで話してくれた。
「私がずーっと一人だった時に、そばに居てくれて、いつも励ましてくれて。せんせがいなかったら、頑張って生きようなんて思えなかったし、アイドルになろうとなんて、思わなかった」
目を瞑り、噛み締めるように一言ずつ言葉を紡ぐ。胸の前で両手を握り、祈るように呟いた。
「生きる意味をくれた人」
その言葉を、あかねは微笑ましく聴いていた。身に覚えもあることだったからだ。アクアと出会い、好意を持ち、一度は憎み、けれど救われた。
───誰もが死ねと言ってきたあの時に、私に生きていいと言ってくれた人、私の神様はアクアくん。ルビーちゃんにとっての神様は、その先生なんだろうな
「分かるよ……いいよね、好きな人がいるって」
同意を求めてアクアの方を見てみると、ずいぶん訝しげに眉を顰めていた。妹の好きな人が気に入らないのか。それとも別の理由か。わからないが、眉間には深い皺が刻まれていた。
「…………どうしたの?」
「…………心当たりが全くない」
あかねの質問に対し、答えが返ってくる。ルビーが述べた人物像にも、環境にも、思い当たる節が兄にはなかった。
「ルビーが一人だった時なんてオレが知る限りほとんどないし、そんな側にいたっていうならオレも面識くらいあるはずだが心当たりはまるでない。学校の先生か?でもアイツが知っててオレが知らない先生なんて……」
「まあ、女の子はそういうの家族に、特に男の人には隠すからね。アクアくんが知らなくても不思議はないと思うよ」
「…………なら、いいんだがな」
眉間によった皺がほぐれることはなかった。たった一つ、心当たりがあったからだ。
───12年前、母さんが殺され、オレがなくしてしまったあの空白の時間…
そうだとするなら、もう少し聞いておきたい。なくした情報のかけらでもアクアにとっては貴重だった。
「あかね、その人今どうしてるか、聞いてくれ」
耳打ちすると、急に真面目な顔になって、一度頷く。アクアが過去をなくしている事はルビーには秘密だと彼女は知っている。聡明な青髪の少女はその一言でアクアの懸念する心当たりにたどり着いていた。
「今どうしてるの?その先生」
「今はどこにいるかわからないんだって。突然職場から消えちゃって、そのまま消息不明……どうせ女性トラブルでトンズラこいただけだろうけど!!」
「えぇ……いいの?そんな人で」
「思わせぶりな人だったんだよ!私が何度好き!結婚して!って言ってものらりくらりかわしてさ!」
「…………なんか、アクアくんみたいな人だね」
「失敬な。オレはちゃんとハッキリさせてる」
「思わせぶりな態度で女性トラブル起こした事ないの?」
「ねぇよ」
嘘ではない。トラブルにはなってない。うるさくならない相手を選んでたし、ちゃんと精算してる。
「もう一度、会いたいよ…」
夜空を見上げる。澄み切った冬の空は星が美しい。あの人も同じ空を見てるだろうか。見てるといいな、とルビーは白い息を虚空に放った。
カァ
意外と近くで鳴き声が聞こえてくる。三人が振り返ると、夜の暗闇の中にあって、さらに黒く沈む鳥が佇んでいた。
「カラスだ。かわいー」
「可愛いか?」
「あぶないよー?」
「お兄ちゃんもまだまだだね。鳥目って言ってね、鳥は夜だと全然目が見えないんだよ」
「それはニワトリの話だバカ。カラスは夜目が効く。それに賢い。ちょっかいかけてきた相手のツラは覚えるし、復讐もしてくる。痛い目見る前にサッサと──」
ルビーをカラスから引き離すため間に割って入る。その時、意識が完全にルビーを守る方に傾けてしまったのが悪かった。
目を離した隙に黒い鳥はアクアが先ほど彼女からもらったプレゼントの包みを嘴で捉え、飛び去っていってしまった。
「あぁーーー!!!」
「やられた……カラスは光モノ好きだからな……追いかけるぞ!」
「あのクソカラス!焼き鳥にしてやる!」
「カラスって美味いのか?」
「知らない!」
二人で飛び去っていくカラスを追いかける。あかねも放置するわけにもいかず、二人の後を追った。
▼
ピアスの入った袋を取って行ったカラスを追いかけて暫くが経つ。
カアカアという鳴き声とこちらをおちょくってるような飛び方のおかげで目標は見失わずにすんでおり、追っかけることは可能だったのだが…
「ーーぅ、ふぅーーっ」
カラスを追いかけて進むほど、アクアくんの顔色が悪くなる。荒い息遣い、冷や汗でびっしょりの額。険しく歪む相貌。震える身体。時折苦しそうに唸りさえする。こんなにも苦しそうな彼の姿は初めて見たかもしれない。
「大丈夫?」
「問題ない」
「そうは見えない」
掴もうとした手を掻い潜られる。代わりに震える自身を抱きしめるように両手をそれぞれの二の腕に添えた。
「本当にわからないんだ。こんなところ見覚えない。トラウマも恐怖も何にもない場所のはずなのに……」
身体が震える。血がざわつく。寒気がおさまらない。まるで無意識のうちに拒否反応を起こしているかのよう。
───身体、というより、細胞の意識が拒否を示しているかのような…
自身の先を歩く少年の様子をあかねは形容する。いつもこちらを気遣ってくれて、私に合わせてくれている彼の歩幅が、今はまるで合っていない。あんな状態だけど、12年間鍛えてきた足腰はしっかりと獣道を踏み締め、泰然とした足取りで歩いている。
「アクアくん、ルビーちゃん。もういいよ。プレゼントならまた、同じの買うから」
「ダメだよ!アレじゃなきゃ!」
「バカ、アレじゃなきゃ意味ないだろう」
こちらを振り返らず、二人が口を揃えて叫ぶ。その一言が耳に届いた時、あかねは何も言えなくなってしまう。嬉しさと困惑と申し訳なさで。
───いつもは澄ました、現実主義の効率主義者でスーパードライのくせに、時々こういうことをサラッと言うから…
この人は手に負えないし、どうしようもなく夢中にさせられるんだ。
あかねもこの時点で諦めるという選択肢はなくなる。しばらく追いかけているとカラスはいつのまにか空から降りていた。包みを持ったカラスとは別の鳥が数羽、祠の周りを飛んでいる。どうやらここが巣のようだ。
「よーし!追い詰めた!」
「ルビー、下がってろ。オレが取ってくる。あかね、周囲の警戒よろしく」
「ラジャー」
「うん」
祠の裏にある空洞へ足を踏み入れる。少し狭いが人1人入るくらいの大きさは余裕である。奥も結構深い。なるほど、カラスが棲家にするにはもってこいだろう。
ドクン
洞穴へと足を踏み入れた瞬間、心臓が大きく脈打った。同時に全身に奔る怖気。寒気。鳥肌。目が。身体が。魂が。血が叫ぶ。
これ以上行くな、と。
同じくらい大きな声で、先に進め、とも。
夜の闇も相まって、洞穴の中の暗さは尋常でなく、自分の手のひらさえ視認は困難な状況だった。スマホを取り出し、ライトを点ける。明るさを取り戻した先で視界に広がったのは──
「お兄ちゃん、見つかったー?」
「ルビーあかね入るな!中も見るな!戻れ!警察に連絡しろ!」
「え?どうしたの?何があったの?」
「いいから出ろ!ここは死体遺棄現場だ!」
「…………え?」
「ルビーちゃん!出て!戻って!早く!」
呆然とするルビーをあかねが抱き止め、外へと連れ出す。出ていったことを確認すると、アクアは洞穴の中に歩を進め、死体の状況を分析しはじめた。
───完全に白骨化してる……この人、死んだのは昨日今日の話じゃねーな。
だがそれ以上に気になることが多すぎる。まずはこの遺棄現場。綺麗すぎる。もし白骨化する前からこの場所に放置されていたのなら、それこそカラスやその他の野生動物に食い荒らされ、もっと酷いことになっているはず。それなのにこの遺体は白骨化こそしているが、5体満足の状態を保っている。
───この場所に遺棄されたのはごく最近……少なくとも完全に白骨化が終わってから…
次に気になるのは纏う衣服。白衣のようなモノは羽織っているが、その下は何も着ていない。肋骨も露わになっているし、下も何も履いてない。
───いや、僅かに朽ちた衣服があるから、裸というわけではないか。しかし白衣と比べ、損傷に差がありすぎる。まるでこれ見よがしに医療関係者ですよ、とアピールしてるみたいだ。
他に情報はないか、とアクアは遺体に手を伸ばす。遺体の所持品に運転免許証などを見つけられれば身元もわかるだろう。白衣ならポケットもあるはず、と探ろうとする。
ここが、分岐点だった。
この時、アクアは通常の状態ではなかった。
いつもの彼であればもっと慎重に行動しただろう。身元不明の死体に手袋もせず直接触るなど、普段の星野アクアならあり得ない。
しかし、まるで何かに導かれるように。何かに手を引かれるように。
星をなくした子は吸い込まれるかのような引力に従ったまま、手を伸ばし、白衣に手を掛けるまで、恐らく1秒の間もなかっただろう。
もしあと一秒。アクアがこのまま誰にも止められず、遺体に触れていたら、物語は本来あるべき姿に戻っていたかもしれない。
世界の修正作用か、あるいは感応現象か。科学で説明はできない超常現象が巻き起こり、眠っていたはずの魂の抜け殻が力を取り戻し、今ある魂は天に昇っていたかもしれない。
それはある意味、復活であると同時に死でもあっただろう。今の、12年間を懸命に生きてきた星野アクアを殺す行為でもあった。
蘇生か、自殺か、判断はできないが、少なくとも一つの魂が死に至る。自覚なく自らを殺す愚行。今のアクアが最も望み、そして恐れていた事態が目の前にあった。
そんな彼を死から救うのは。
そんな彼を世界から守ったのは。
「アクアくん!ダメっ!!」
やはり愛だった。
腕を掴み、腰を抱き締め、引き倒す。2人とも尻餅をついた形で倒れたが、あかねはそのままアクアを後ろから抱きしめた。まるで何かから守るように。
警察に通報した後、なかなか出てこないアクアを案じたあかねが洞穴を覗き込み、何かをしようとしているアクアに駆け寄り、その愚行を必死で止めたのだ。
「この死体遺棄事件にアクアくんが何の関わりもないことくらい、私が一番よくわかってる。私が世界の誰よりもアクアくんを信じてる。だけど世間はそうじゃない」
火のないところに煙を起こし、ガソリン撒いて山火事を起こすのが芸能界。刑事事件に関与したという噂が流れた時点でもうアウト。アイドルが一度のスキャンダルで致命傷に至るように。俳優もまた、一度の不祥事が致命傷に至る。
「これ以上この現場にアクアくんの痕跡を僅かでも残しちゃダメ。余計なことして、疑いをかけられてもダメ。死体発見の時点でもうギリギリ。ここから先は警察に任せよう。気になるのはわかるけど、私たちにできる事は、警察が来るまで誰も何もしないよう見張っておくだけ。ね?」
耳元で優しく、言い聞かせるように紡がれる言葉は何一つ反論の余地のない正論。これから取るべき正しい行為だった。それを受け入れられないほどアクアはこの遺体に思い入れはない。「わかった」と返事をすると、ゆっくりと立ち上がる。そのままあかねの手を取った。グッと力を込め、引き上げる。勢い余ってあかねはアクアの胸元に飛び込むように身を寄せた。
「…………それでもやっぱり気にはなるね。この人、お医者さんかな」
「───やめよう。余計なこと考えるのなし。あとは警察の仕事だ」
洞穴から離れる。ピアスの入ったプレゼントの紙袋は祠の外に、まるで用済みのように打ち捨ててあった。
「触らなかったかぁ」
これでおそらく機会は失われた。彼が最も望み、最も恐れた状況に陥る事は今後まずないだろう。最後に一つだけ試してみる予定だが、流石にコレでは力不足だ。
「これからどうするのかなぁ。あの人と違って、復讐にすごく向いてる彼は」
妖艶に笑う白髪の少女はカラスの羽と共に夜の闇の中へと消えた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
ついにゴロー発見。そして迫られた分岐点。一つはゴロー復活の復讐破滅ルート。しかしこれは愛の力で回避しました。まあまだ疫病神がもうワンアクションやりますが。そして新たに始まるのは……これ以上はやめておきます。乞うご期待ということで。次回は推理パート。2人の天才が導き出した結論は進む覚悟か、退く勇気か。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
77th take ただ一つ
正しく読み取った貴方は狭い個室で二択を迫られる
覚悟か、勇気しか選択肢はないだろう
半身に流れる天使の血を裏切らない限りは
アレから5分もせず警察は到着した。最初は数人だったが、死体遺棄が真実だと確かめられると応援は一気に増えた。洞穴にはキープアウトのテープが張られ、アクアとあかねは死体発見時の状況の説明を求められ、パトカーで警察署へと赴き、事情聴取が行われた。事情聴取にはもちろんルビーも参加させられた。
警察官といっても公務員。警察署は役所と変わらない。そしてお役所仕事とは非常に時間がかかる。連絡を聞いて駆けつけたミヤコと合流できた時、時計は深夜の3時を回っていた。
「まさか、MV収録に来てこんな目に遭うとはね…」
憔悴した面持ちでホテルへと戻った三人からは流石に生気が感じられなかった。仕方のない事だ。人によっては一生夢に見るレベルのグロ映像を生で見せられたのだから。
「ルビー、あまり顔色良くないわね?明日の収録大丈夫そう?」
「うん大丈夫」
無表情で、色素の薄い唇をした左目に強い輝きを宿す美少女は無感情に言葉を発する。元気そうにはとても見えないが、あまりショックを受けているようにもぱっと見は見えなかった。
「今日はもう休みなさい。眠れなくても目は閉じて横になってるのよ。それだけでも結構違うから」
「うん」
ホテルの部屋の扉を閉じる。本当に大丈夫か、判断はできなかったが、少なくともパニックにはなっていなさそうだ。
───パニックになっているとすれば、寧ろ……
ホテルに着いてすぐ、夜風にあたってくると外へ出ていった義息子が脳裏に浮かぶ。車に乗っている時も唇を真一文字に結び、歯を食いしばり、震えていた。目を手で隠すように頭を抱え、時折髪をかきむしっていた。まるで何かに怯えるように。
「頼んだわよ、あかねさん」
そしてずっとアクアの隣でその背中を摩り続けていた息子の彼女に、ミヤコは祈るしかできなかった。
アクアの性格は誰よりも知っている。1人で何でもできるが故に、何でも1人で背負い込み、頼るということをしない。頼らなくても生きることができてしまった。12年間、一度も頼らせてあげられなかった自分では、きっと心の中を吐露してはくれないだろうから。
▼
ホテルの近くのベンチ。景観を整えるために植えられた多くの植物庭園。そんな公園のような場所を深夜も深夜。通常であれば眠りについているはずの時間帯に、一組の若い男女が歩いていた。1人は片手で頭を抱え、微かに震える少年と、その少年の隣で心配そうに見上げる青みがかった黒髪の少女。
星野アクアと黒川あかね。2人とも才能溢れる俳優で、ここ数ヶ月で急速に名を上げている。公式彼氏彼女であることも一部では有名で、一般からも人気の高いカップルだった。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫」
見上げた先で僅かに見える星の瞳はいつもとは比べ物にならないほど暗く澱み、何かに耐えるように細められた眉間には深い皺が幾つも刻まれていた。
───大丈夫なわけないよ…
出会いは春。それから今日まで一年近く付き合ってきた。彼が窮地に追いやられるような場面もいくつか見てきた。
でもどんな時も彼は余裕のある態度を崩さなかった。フリルちゃんに迫られた時もそう。ダブルキャストになった時もそう。追い詰められても余裕のあるフリをして見せた。いつでも不敵に笑っていた。
舞台の稽古中、倒れた時もそうだ。トリップに陥った時は流石に動揺してたけど、その後は余裕を取り戻した。実際は違ったのかもしれないけど、少なくとも擬態はしていた。
それが今は、擬態すらできていない。歪んだ相貌。震える身体。落ちる冷や汗。全てが隠せていない。
───息が白い。動いてるから寒くはないけど、指先は冷たい。
油断すると2人の距離があっという間に開く。何度かデートもしたが、一度も起こらなかったことだ。彼はいつも私に歩幅を合わせてくれた。私の隣で歩いて、先を歩いていたとしても、私に何かあったらすぐに駆けつけてくれた。
私が苦しい時は助けてくれたのに、私は何もできない。
───今年の冬って、こんなに寒かったっけ
頬が痛い。風が肌に突き刺さる。今年はずっと彼が隣にいた。その横顔を見つめているだけで他の全てはどうでも良かった。何も感じなかった。けれど今、初めて、冬が寒い。
───来ない方が良かったかな
アクアくんは旅行前から嫌な予感がすると言っていた。その予感は見事に当たった。私に来ない方がいいとも言ってくれた。やっぱりあの時無理にでも私たちの家族旅行に同行させた方が良かったのかもしれない。アクアくんには嫌われたかもしれないけど、こんな辛そうな姿を見るくらいなら、嫌われた方がマシだった。
───っ!ダメダメ!何言ってるの今さら!
首を大きく横に振り、パンっと一度頬を叩く。起こってしまったことを今さら後悔してもしょうがない。人間誰でもミスはする。抗えない不可抗力はある。大事なのはその後どうするか。適切な処置をして、被害を最小限に食い止める。その為に力を尽くしてきた姿を、彼の背中を何度も見てきたはずだろう。何をすればいいかわからないならせめてそばにいよう。彼が耐えきれず崩れ落ちてしまった時、すぐ抱き止められるように。
「アクアくん、少し休もう。そこにベンチあるから。ほら──」
「触んな!」
手に触れた瞬間、強い力で振り払われる。こちらを見つめる目は心の底からの怯えで震えていた。
「やっぱり、別れよう。オレ達」
震える声音のまま、言い放つ。表情は手で隠されていて、見えなかった。
「オレのそばにいると、殺される」
震える声音が紡がれる。そのまま膝から崩れ落ちる。不幸中の幸いか、崩れた体は近くにあったベンチが受け止めた。しかし予期せぬ着座にアクアの体勢は乱れる。まるで歩くこともできなくなった酔っ払いが椅子に倒れたかのようだった。
「…………殺されるって、どういうこと?」
穏やかな、優しい声で、あかねは話しかけ、隣に座る。続いた。
「私は殺されないし、もし殺されても良いよ。貴方と一緒に死ねるなら」
手の甲に手を重ねる。逃げようとしたが強い力で掴んで離さなかった。
「貴方が私の手を拒んでも。私と一緒にいてくれなくなっても」
ぼろりとあかねの目から涙が落ちる。役者とは想像力豊かな生き物だ。あかねが口にした虚構が鮮烈なイメージとして自身の脳裏を過ぎる。そのイメージの痛みと悲しみはあかねの目から演技でない涙をこぼれさせた。
「つらいけど。すごくつらくて、悲しいけど。どれだけ突き放されてもいいから、私に貴方を愛させてほしい」
初めてアクアの手から、震えが止まった。
「貴方が何に怯えてるのかはわからない。何を恐れてるのかは知らない。でも私が貴方を守るから。貴方を支えて生きていきたいから。貴方の背負っているものを、一緒に背負わせてほしい」
手を握る。今度はあかねが震えていた。
「冬は寒いから、一緒にいたい」
今年初めて、冬の寒さが身に沁みた。去年までどうやってこの寒さに耐えていたのか、わからなくなってしまった。寒い。もうアクアと一緒にいられない未来なんて、考えられない。考えたくない。
「貴方のなくした過去を取り戻してあげる事はできないけど、それでも私は、貴方と春を迎えたい。これからずっと」
だから、
「
お願い、と小さな声で呟く。ここで涙を見せるのは卑怯だとわかっている。けれど止められない。止める気もない。彼のためならどんな卑怯な手だってする。涙も女の武器も、何だって使う。使えるものなんでも使うのはアクアから教わった戦い方だ。
「あかね、ありがとう。もう大丈夫」
重ねた手をグッと握り返す。頬に手を添え、キスをする。添えられた指が、あかねの涙を吸い取った。
「さっき、振り払って、ごめん」
「私がそんなことで怒ると思う?」
「何も言わなくても許してくれると思うから、謝ってる」
「ちょっと性格悪いこと言うね。弱ってるアクアくん、私すごく好き」
「病んでんなぁ、お前もいい感じに」
「アクアくんも人間なんだって。私が守ってあげなきゃって思える。すごく好き。これからも定期的にへこんで」
「勘弁してくれ」
ふふ、と笑いがこぼれる。アクアくんも釣られて笑った。やっと笑ってくれた。
「───あかね」
「はい」
「今からオレが考える最悪の推理を話す。聞いてくれるか?」
「もちろん」
そして始まる。星野アクアの、最悪のシナリオについての推理が。
▼
「あの死体……アマミヤゴロウ、だったか」
「うん、所持品のクレジットカードから名前がわかったみたい。本格的な調査はこれからだけど、恐らく間違いないだろうって」
「一つ目の違和感はそれだ」
指を一本立てる。手の形はそのままに、続いた。
「あの人は恐らく他殺体だと警察が言っていた。つまりアマミヤゴロウは誰かに殺された後、犯人によってどこかに隠されていたということになる。だとしたらおかしい」
「普通死体遺棄なんてする人はその死体の身元がわからなくなるように工夫する」
「その通り」
いくら殺人事件でも被害者の身元がわからなければ立件の仕様がない。故に遺棄犯は指紋を焼いたり顔をつぶしたり、その死体が誰かわからなくなるようにする。まあそこまでやるのは手間なため、山に埋めたりして白骨化を待つのがスタンダードだが、クレジットカードや運転免許証は違う。持ち帰るのも廃棄するのも簡単にできる。真っ先に排除しなければならない物件だ。それがそのまま残されている。完全に白骨化するまで見つからない工夫をされた死体が、だ。おかしい。ありえない。
「犯人はきっとわかって欲しかったんだ。あの死体が誰かを」
───でも、なんで?何でそんなことを?
あかねの胸中に質問が湧き上がったが、アクアの推理はまだ終わりではない。最後まで聞こうとあかねは質問を飲み込んだ。
「二つ目の違和感は死体遺棄現場だ。綺麗すぎた。死体の状態も、あの洞穴の中も」
白衣以外の衣服は朽ちており、遺体は完全に白骨化していた。殺されたのは昨日今日の話ではない。なのに5体フルセットで遺体は残っており、野生動物に食い荒らされた形跡もなかった。
「アマミヤゴロウについて、警察署にいる時に軽く調べた」
正確には調べてもらった、が正しいが。一度行方不明になった時、捜索届が出されていたから調べるのは意外と簡単だったらしい。
「アマミヤゴロウ。宮崎総合病院に勤めていた産婦人科医。16年前に突如失踪。その後の行方は不明。彼がいつ殺されたのかはわからないが、最長で考えるなら、16年前ということになる」
つまり最長で16年間隠し通された死体ということ。あの祠の裏の洞窟。確かに人目につきにくくはあるが、入ろうと思えば成人男性でも入れて、埋めた形跡もなく野晒し状態。それが16年間も見つからないはずがない。カラスや野生動物が食い荒らさないはずがない。
「あの死体はごく最近───下手をすれば今日、オレ達が呑気に観光している間にあの場所に移されたんだ」
「…………なんで?」
ついに我慢できず、あかねが疑問を口にしてしまう。なんで?なんで16年間も隠すことができた場所から、わざわざあんな見つかりやすい場所に移す?祠の裏の洞窟。確かに人目につきにくくはある。が、あの祠にお参りする人だっているだろうし、子供が興味本位で入ってしまうこともあるだろう。まして埋めたりバラしたりもせず、野晒し状態だった。見つかるのは時間の問題だっただろう。なんでそんなことをするのか。犯人にとってはリスクしかない行動だ。移動中を誰かに見られれば問答無用で一発アウトだし、見られなくても、死体を発見されたことでその罪が自分まで遡る可能性はある。なんでそんなリスクしかない行動を取ったのか、あかねにはわからなかった。
「…………多分、警告だ」
「───警告?」
「宮崎で余計なこと嗅ぎ回ったらこうなるぞっていう、警告。黒幕から、恐らくオレへ向けてのな」
あかねの背筋にゾッと寒いモノが奔る。確かにそれなら全て説明がつく。身元が分かりやすくされていたのも。死体が見つかりやすい状態だったのも。そして、アクアがオレと一緒にいては殺される、と言った真意も。矛盾は何一つなく、綺麗に筋は通る。通ってしまう。
「誰かさんはオレが宮崎に行くことを知っていた。そこでオレが自分探しするつもりだったことまで知ってたかはわからねーが、どっちにしろそいつが探って欲しくない何かが宮崎にあるのは間違いないだろう。だからあの場所に死体を移した。身元が分かりやすくなるようにして」
それが事実だとすれば、その誰かさんはアクアとかなり近しい。少なくとも彼の宮崎旅行を知っているほどの人物となる。
「見られていたのかもしれない。宮崎に来てからはもちろん、東京にいる時も。そいつはいつも近くで、オレを見ていたのかもしれない。もしかしたら、今この瞬間も」
周囲を見回したくなる衝動を必死に抑える。もしキョロキョロして監視がバレたと相手に思われたらかえってこっちの身が危なくなる。
「ごめん。一瞬、あかねを疑った」
ベンチに座るアクアは顔の前に両手を組み、祈るような姿勢のまま、呟いた。
「オレは宮崎旅行について、家族以外じゃあかねとあかねの家族にしか話してない。身内以外で知ってるのはメムと有馬とあかねだけだ。だがメムと有馬は今日ずっとスタジオで撮影してた。ならもうあかねしか……」
「私だって!」
「そう、あかねは今日ずっとオレと一緒にいた。死体遺棄現場を移したのが今日だとすればあかねもありえない」
ホッと胸を撫で下ろすと同時に苛立つ。私を疑わない理由はそんな現実的なモノではなく、もっと感情によったモノであって欲しかった。
「ならやっぱりアクアくんの考えすぎじゃない?今言ったアクアくんの推理だって証拠があるわけじゃないんでしょ?」
「ああ、証拠はない。最初に言った通り、現在手元にある情報と状況で考えうる最悪のシナリオってだけだ。外れてる可能性だって全然ある」
だが常に最悪を想定し、その最悪に対応する策を考え、計画を立てて行動してきた。そのアクアにとって今話した推理はとても考え過ぎで片付けられるものではなかった。
「それにあの死体に二つの違和感があるのは事実だ。死体遺棄現場の移動とクレジットカードを処分しなかった理由。これを一つの動機で説明するには、警告。少なくとも誰かしらへのメッセージとしか……」
考えられない。そう推理するアクアの気持ちもわかる。実際彼の推理は理論的で現実的だ。無視するにはあまりに大きすぎる可能性を孕んでいる。
「よく考えたら宮崎でMV撮るっていうのはメムがB小町のSNSで発表してたしな……それにオレが同行するって予想しても、こじつけとまでは言えねーだろう」
「…………なんでアクアくんにだけ向けた警告だって思うの?」
「ルビーにここまでの推理ができるとは思えない」
アイツの頭が悪いとは言わない。けどこんな最悪の可能性について筋道立てて推理できるかと言われればノーだ。誰もが持ってる二面性。言葉の裏とか行動の意味とか、深読みしないのがルビーの良いところなのだから。
「他のB小町のメンツは宮崎に何の関わりもない。わざわざ宮崎で警告する意味がない。やるなら東京でやるだろう。同じ理由でミヤコもない。となるとオレしかいない」
「───だとすれば…」
「そう、だとすればその誰かさんはオレについて相当知っているということだ。オレの思考回路もな」
もしあそこで、あの状態の死体を発見すれば。発見しなくても、死体遺棄は大事件だ。近いうちにニュースになって全国に報道される。そのニュースをアクアが見たなら。アクアはどう考えるか。その真意をどう読み取るか、ヤツは知っている。熟知している。だからこそのリスクを負ってでも発した警告なんだ。
ゴクッとあかねが息を飲み込む。アクアの推理は理論的で現実的だった。今この瞬間も見張られているというのもあり得るかもしれないと思わされた。恐怖と怖気があかねに息を飲み込ませた。
「…………怖くなったか?」
表情と行動から自身の聡明な彼女の心の内を読み取った星の瞳の少年は皮肉げに口角を歪める。しかし目は穏やかで優しげだった。
「それが普通だ。とゆーかオレなら逃げるね。あかねほどの美貌と才能の持ち主だ。男なんてほっといても寄ってくる。こんなヤバい地雷抱えたやつをわざわざ選ぶ必要──」
その途中で遮られる。頭を抱きしめられ、胸に顔が埋まる。青みがかった黒髪の美少女は彼氏の耳元に唇を近づけた。
「『お前はいつもそう。心にもないことを言う時、途端に饒舌になる。それで私はお前の心根を知ってしまうのさ。そのよく動く舌の奥に、秘め事が蹲っているのをね』」
東ブレの舞台裏、アクアがあかねに言ったセリフ。そっくりそのまま、声音すら似せて、女優は男優に囁いた。
「私に男の人は1人しかいないよ。貴方に救われて、この半年、お付き合いして、いっぱい怒って、いっぱい泣いて、いっぱい笑った。貴方だけが、私にとって唯一の男の人。私の神様」
イブの夜、貴方に抱かれた。貴方に私を捧げたあの日から、もう黒川あかねは星野アクアの女の子だ。
こんなに誰かに夢中になることは、多分残りの人生で一生無いと思う。
「大丈夫だよ」
朗らかな声であかねが断言する。続いた。
「アクアくんの推理が全部正しかったとして、それでも警告なら、これ以上アクアくんが何かしない限り、その誰かさんもこれ以上何もしないと思う。人1人殺すっていうのは、死体遺棄現場を移すより、よっぽどリスキー。まして貴方を殺すっていうなら最低でもあともう1人殺さなきゃダメなんだから」
あかねの言っていることは間違ってない。ここまで推理を話してしまったのだ。的中していたとしたら黒幕にとってあかねは充分排除対象だろう。アクアを消す上で恨みを持たれる可能性も高い。アクアを殺すならあかねも消す。その最悪は現実になりうる仮定だった。
「これからどうする?危険を覚悟で黒幕さんを追うなら私も手伝う。警告に従って引くのなら私もそうする。どっちも難しい、勇気ある選択だと思うよ。立ち向かうのも勇気なら、退くのも勇気。アクアくんならよく知ってるよね?」
よく知っている。自分に無理のない頑張らない選択をするというのは、頑張る選択をするのと同じくらい難しいこと。頑張らなければできないことなんて、やらない方がいいというのはアクア自身があかねに何度も言ってきた言葉だ。
───どうするべきか。立ち向かうか、退くか
「…………やめだ」
あかねを引き剥がし、諦めたと言わんばかりに両手を広げ、立ち上がった。
「元々あんま乗り気じゃなかったんだよ。自分探しって。中学の頃、そういう奴何人かいたけど、どうも懐疑的だったし」
「わざわざ遠くに行かなくても、自分はそこにいるだろ、的な?」
「そうそう。それにゴールもよくわかんねーし。ああいうのは大抵現状に不満がある奴がやるもんだけど、それなら旅とかする前にもっと身近でやることあるだろ、て思っちゃうし」
「だから今日、自分探しする?って聞いた時、微妙な顔してたんだね」
「4歳より前の記憶なんて憶えてねーのが普通だし、今生きる上でどうしても必要ってモノでもねーし。少なくとも命懸けてまでやる価値はねーよ。やめだやめ。今からはただの宮崎旅行に戻るよ」
吹っ切れた表情で振り返る。その様子にあかねはホッと胸を撫で下ろした。
「それが正解だと思う。凄いよ、アクアくん。勇気ある選択だった」
「あかねも明日はホテルで大人しくしてるか、出かけるにしてもオレと2人じゃなく、ルビー達と一緒にいろ」
「え!?なんで!!」
「見張られてる可能性あるって言っただろうが。事ここに至ってはオレと行動を共にするよりルビー達と集団で一緒にいる方が安全だ」
「そうかもしれないけど……」
アクアを見上げる視線に咎めの意図がこもる。アクア自身の心配をしている目だった。
「大丈夫。オレも基本ホテルから出ねーし、集団行動心がけるから。あかねが出かける時はオレも一緒に行くよ。ただ、2人きりはあぶねーからやめとこうって話。頼む」
「───条件一つ」
「なんなりと」
「今夜は、一緒に寝よう」
「…………わかった」
宿へと戻る道へと歩き出す。すぐにあかねもアクアに寄り添い、その腕に自身の両手を絡めた。
▼
アクアが今夜述べた推理。ほぼ完璧と言っていいモノだった。しかし、ただ一つ。間違っていることがあるとすれば。
それはアクアがあの死体を警告と受け取るだろうと黒幕がアクアの思考を読んだということ。
アレを自身の身の危険と結びつけられない程度の頭脳であるなら、警戒するまでもない。警告と受け取る程度に頭が回るとしても、それならそれでよし、という二面の策だった。
しかし警告と受け取るなら、アクアは退くだろうとは読んでいた。
───君は僕に似てるから
常に最悪を想定し、最悪を避けるために行動する。自分にないものを探していて、他者の才能を求めている。星を愛する星。彼は自分に似ている。なら危険とわかっている場所に足を踏み入れるより、退く方を選ぶと思っていた。
この推理。ほぼ完璧と言っていいモノだった。しかし、ただ一つ。間違っていることがあるとすれば。
星野アクアは彼の息子であると同時に、アイの息子でもあるということ。
天才を受け継いだ、俳優であるということ──
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
ちょっと早めの投稿。宮崎編で書きたかった所なので筆がノりました。推理パートでした。いかがだったでしょうか。原作の忠実さとあの時疑問を持った違和感を混ぜて、考察を重ね、拙作に落とし込んだ筆者の推理です。納得していただけているならありがたいのですが。
最後についてはまた次話で説明しますのでもう少しお待ちください。真の地獄ももうすぐです。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
78th take 隠しきれない
なくした星のカケラを求め、旅の目的を果たしにいく
パンドラの箱の最後に残るもの
希望か絶望かは貴方次第
時間は少し遡る。宮崎の警察署。アクアとあかねに与えられた控え室。2人は長時間の待機を強いられていた。
───今ルビーは事情聴取中。2人だけで話ができるのは、今しかない
マジックミラーの向こう側に警察官はいるかもしれないが、それはいい。警察に聞かれて困る話をするわけでもない。むしろオレの推理を間に受けて捜査してくれるならありがたい。
「あかね、少しいいか?警察署内なら流石に監視も盗聴もねーと思うから」
「アクアくん?」
「今から今回の事件についてのオレの推理を話す。聞いてくれ」
そして語られる、深夜にホテルの庭でアクアが語る内容とほぼ同じ推理。死体遺棄現場が移されたであろうこと。身元のわかる所持品を残していた理由。それら二つの意味が自身への警告であるということ。その全てを。
「でもやっぱり推理の域を出ないから、それを確かめるために、オレは明日、宮崎総合病院へ行く」
「ならアクアくんは──」
「当然立ち向かう。今は警告でもいつ黒幕の気が変わって実行に移されるかわかんねーし。誰かの影に怯えてビクビク生きるなんてオレはゴメンだ。キッチリ捕まえて、全ての罪を白日に晒して、裁きを受けさせる」
深夜の話と唯一違ったのはここだけだ。あの時は見張られている可能性があったため、聞かれていても問題ないセリフに変えていた。本音はこっち。今回は警告だったが、何がきっかけで実行に移るかわからない。相手に主導権を渡したままで済ませるほどアクアの最悪の想定は楽観的ではなかった。
「おそらくこの宮崎旅行中は常に見張られていると思っておいた方がいい。この事情聴取が終わった後なんか一番やばいだろう。だからこそこの状況を利用する」
今夜、あかねと2人でホテル周りに出かけて、もう一度この推理を話す、とアクアは言った。黒幕にオレが警告を受け取ったことを知らせ、そしてオレが諦めた、と知らせるために。
ここまでは最悪の場合、黒幕の掌の上だろう。だがここからは変えなきゃいけない。まずは油断させる。計画通りに状況が進んでいる奴は楽観視をしてしまうものだ。まずは掌の上から脱出しなければ話にならない。そのために油断させる。天才と呼ばれる才能を持つ2人の演技で。
「あかねはオレの背中を押すけど、どっちかっていうと止める方向に演技してくれ。オレも最終的に諦めるフリをする。演技内容は任せる」
「いいの?今のうちにセリフとか決めておいた方が…」
「相手に演技を見破られたら厄介だ」
オレの推理が正しければ、黒幕はかつてララライに所属していた俳優の可能性が高い。ならば演技力も高いと思っておいた方がいいし、演技を見抜く力もあると用心しておいた方がいい。演じる力と見破る力はまた別だが、相関はしている。警戒しておくに越したことはない。
「オレ達の
こうして、深夜に出かけ、諦める演技をするという計画が立てられた。そして事情聴取後の深夜3時。この計画は実行される。我ながら熱演だったと思う。
それもそうだろう。演技ではあったが、言ったことは全部事実だったし、本音の一部だった。殺されることを恐れ、あかねと別れた方がいいと思ったのも。警告を受けて退く方を選びたくなったのも。
何もないところから感情を生み出して演じるのが役者。なら実際にある感情を膨らませて表現するのは容易だ。オレとあかねのあの演技を見破れる人なんて、まずいない。
「アクアくん」
芝居を終えた後のホテル。同じ部屋、同じベッドで横になっている2人は今後の予定について話し合っていた。
「病院に行くって言ってたけど、どうやって行くつもり?」
「変装してくさ。旅行先でトラブった時のために簡単な変装道具は持ってきてある」
アクアもあかねも名前が売れてきている芸能人。宮崎ではデートすることもわかっていたし、素顔で歩いて、もし騒ぎになったら簡単な顔を隠せる用意は必要だと思っていた。まさかこんなことに使うとは思っていなかったが。備えあれば憂いなしだ。
アイに化けてもいいんだが、流石にリスクが高すぎる。てゆーかそこまでの用意はしてないから、そもそもできない。
「オレはホテルに篭ってるってことにしておいてくれ。あかねは自由にしてていいけど、出かけるとしたらルビー達と行動を共にすること。ホテルにいるとするならオレと2人でいるように振る舞うこと。あかねが狙われるとすればオレが殺された後だろうが警戒するに越したことはない。オレの変装道具は貸すけど、食事もホテル内で済ませてくれ。流石に人目のあるところで滅多な事はしないだろう。だが1人で外に出るのは絶対ダメだ。ルームサービス使うのもやめておけ。わかってるな」
「わかってるけど、流石に明日はルビーちゃん達と行動はできないと思う。外ロケのMV撮影って言ってたし。今日の午前中と同じ理由で部外者に見学はさせてくれないよ」
「そりゃそうか」
外ロケというと川とか水場でキャッキャしたり薄着で走ったりするのだろう。この真冬の寒空の下で。MVの外ロケは季節感が重視され、リアルの季節感は無視される。真冬なのに水着で外走ったり、炎天下コートにマフラーの完全装備で冬っぽい演出やったり。役者もアイドルも、結局は肉体労働だ。
「なら明日はホテルで大人しくしててくれ。知り合い以外誰が訪ねてきても開けるなよ。オレもできるだけ早く戻るけど、遅くなるようなら連絡する。18時回って何も言ってこなかったら、オレに何かあったとミヤコか警察に連絡してくれ」
「…………わかった」
不満そうなあかねを抱きしめ、キスをする。あかねの腰が弓形にしなった。
「アクアくん…」
「苦しい?」
「気持ちよくて死にそう」
あかねの薄い唇が再びオレの息を塞ぐ。喘ぐあかねに舌で割って入り、蹂躙した。あかねもキスしながら全身を押し付けてくる。
「悔しいなぁ」
「何が?」
「これで誤魔化されちゃう自分が」
「バレたか」
「早く帰ってきてね」
「必ず」
その夜、結局セックスはしなかったが、オレとあかねは抱き合ったまま、目を閉じた。
▼
宮崎旅行2日目。ルビー達は予定通りMVの外ロケのため、バンに乗って出掛けて行った。
「ミヤコ、ルビーのこと、気にしてやってくれ」
「わかってるわよ。アクアは?大丈夫なの?」
「一晩考える時間あったからな。もう落ち着いたよ」
「………信じるわよ?」
「ああ。オレのことは気にしなくていい。マジで。だからルビーをよろしく頼む。平気そうな顔してるけど、きっと心の中はちがうはずだから」
「…………今度、時間作って2人でゆっくり腹を割って話しましょう。今日は大人しくしてるのよ?」
「言われなくてもそのつもりだよ。流石に出かける気力は起きない。昨日もろくに眠れてねーしな。今日はホテルで大人しくしてる」
「それがいいわ。今は休みなさい」
ルビー達を見送って約1時間後、黒のウィッグで金髪を隠し、帽子とメガネ、マスクを着ける。簡易な変装だが、これでぱっと見くらいは誤魔化せるだろう。
「じゃ、行ってくる」
「気をつけてね」
「大丈夫、すぐ戻る」
あかねの頬に軽く口づけし、背を向ける。その背中があかねにはひどく寂しく、儚く映る。
───まるで、2度と戻ってこないみたいな、アクアくんがこのままどこかに行ってしまいそうな……
パンっと頬を叩き、頭を横に振る。そんなはずない。すぐ戻るってアクアくんは約束してくれた。アクアくんは場合によっては嘘もつくけど、約束を破ったことはない。帰ってくる。必ず帰ってくる。
帰ってきたら、その時はいっぱい甘えよう。いっぱいキスしてもらって、抱きしめてもらって、最後までしてもらおうと、心に決めた。
▼
階下へと降りると、アクアは堂々と正面ロビーから出かける。こういう時変に周囲を警戒したり、キョロキョロしたりする方が疑われる。少し前に流行した疫病のおかげで人前でマスクをつけていても不自然ではない。いつも通りが最大の防御策であることをアクアはよく知っていた。
「レンタルバイク店に」
ホテル前のタクシーを捕まえてレンタルバイク屋へと向かう。いきなり目的地に向かっては尾けられていた時に対処できないし、このタクシー運転手とて100%シロとは言い難い。初手から目的地に行くのは危険と判断した。
レンタルバイク屋へ向かう最中、追跡されていないか、車内で確認したが、それらしい車はなく、それ以前に車通りも少なかった。バイク屋に到着した後、タクシーもあっさりと見えなくなり、尾行の危険はほぼないと判断した。
「どれにする?」
「SRで」
免許証を見せ、カードを渡し、バイクを借りる。色んなバイクが置いてあったが、やはりいつもの慣れた車種を選びたくなってしまうのはなんでなのか。ちょっと不思議だった。
バイクを借りて、しばらく周辺を走らせる。ここでも特に尾行等は無いことを確かめると、ようやくアクアは宮崎総合病院へと向かった。
───ここがオレの、オレとルビーの、産まれた病院
山の頂上を切り崩して建てられたデカい病院。宮崎ではおそらく最大規模なのだろうが、交通インフラは整ってないし、バスなども1時間に一本あるかどうか。タクシーを使うか、もしくは車を持ってることが必須と言った感じの病院だ。
───それでも結構広いな。中庭もあるし、そこかしこ患者らしき人が散歩してる……都内の病院じゃできねーだろうな、こういうの
土地が広く、安い田舎だからこそできる病院。あまり長居したい場所では無いが、入院するならこういうところの方がのびのびしていていいかもしれない。昨日も夕暮れから星が綺麗に見えた。東京では見れない空だった。
───っと、ちょっと横道それ過ぎた。
病院の中へと入り、受付へと向かう。お世話になった先生にお礼をしたくて会いにきた、というと意外とあっさり話を聞いてくれた。
「アマミヤゴロウという人が勤めていたと思うのですが…」
割と若い看護婦さんはその名前に聞き覚えはないようで、しばらく待たされると古株っぽい女の人が現れた。看護婦さんだろうか?歳はおそらく30代後半程度。ダークブラウンの髪をシニヨンに纏めている。顔立ちは整っており、美人と分類される女性だ。
「お待たせしました」
「初めまして。斎藤スイと申します」
流石に本名を名乗る訳にはいかない。多分アイも偽名を使って入院していたはずだ。
「初めまして───」
お互い自己紹介し、手を差し出す。握られた手は華奢だが細かい傷が幾つもあった。懸命に生きている人の手だった。
「あの、失礼ですが、ゴロー先生とはどういう関係なんですか?」
「母がお世話になったと聞いています。ちょっと色々偶然が重なって宮崎に来ましたので一度ご挨拶を、と」
「そうなんですか……ちなみにお母様のお名前は?」
「聞いても無駄かと。もう随分前に死にましたから」
下手に偽名を名乗って後で調べられても面倒だ。こう言っておけば追及はされないだろう。
「…………ごめんなさい」
「いえ、お気になさらず。本当に昔の話です。オレももうよく覚えてないくらいですので」
「…………先生も、随分前に行方不明になられました」
心の中でグッと拳を握る。知っている人がいた。勤めていたのは16年前。人の入れ替わりもあっただろうし、空振りの可能性も高いと思っていたため、あまり期待はしてなかったのだが、当たりを引いた。
「どんな人でしたか」
「基本的には優しい人でした。サボり魔だけど、モラリストで。誰かに合わせるのが上手で。他人に寄り添える人でした。産婦人科医としては間違いなく優秀な人だったと思います」
となると誰かに恨みを買うような人ではないと思える。怨恨で殺されたという可能性は低い。
───なら、彼が殺害された動機はやっぱり母さんなのか?
16年前、母さんの担当医がアマミヤゴロウだとすれば、当然彼もアイの妊娠を知っていたということになる。ならば標的としてカウントされても不思議ではない。
───いや、流石に考え過ぎか。そんなこと言い出したら関わった病院関係者皆殺しにしなきゃいけなく……母さんが偽名を使っていたならその限りではないか?けど少なくとも結論を出すのは早すぎ…
「たった一つ、良くないところがあったとすれば、幼い女の子が好きだったってところですかね」
思考の海が吹っ飛ばされる。産婦人科医として一番良くない欠点ではないだろうか、それは。
「当時10代だったアイドルの女の子に夢中になって。仕事中でも普通にオタ活してたし。ホント信者で。せめて休憩中にやれっつーの。素で引いてたわ」
「あはは……お医者さんにもそういう人いるんですね」
「そのアイドル好きになったキッカケも12歳の女の子と仲良くしてたかららしいし。要するにロリコンだったのよ」
「一番産婦人科医やっちゃいけねー人じゃねーか」
ついにアクアまでタメ口になってしまう。アマミヤゴロウは怨恨で殺された訳ではないだろうが、社会的には結構ギリギリのところで生きているヤツだったのかもしれない。
───夢中になっていたアイドル、か
もしオレの最悪の予想が当たっているのなら、関係者以外で唯一、やはりアマミヤゴロウだけはアイの妊娠を知っていたのかもしれない。そこまで推してたのなら偽名程度で騙せるはずはないから。
「そのアイドル……名前なんだったっけな。忘れちゃった。もう十何年も前の話だし。でもあの人のハマりっぷりの生々しさはよく覚えてるわ。さりなちゃんにかこつけて自分の欲望解放してただけよあの人は。付き合ってって言われたらどうするって聞いた時絶句してたし」
「…………さりなちゃん?患者さんの名前ですか?」
色々思い出しながらだんだん苛立つような口調になっていた看護婦さんだったが、その一言で迂闊さに気づき、口元に手を当てて動揺する。どうやら今のは思わず口が滑ってしまったらしい。医療関係者には守秘義務があって、患者さんのことをあまり他人に話してはいけない。名前を聞いただけでどうこうはできないが、それでも確かに迂闊な行為だった。
「ごめんなさい。今のは忘れてください」
「はい。聞かなかったことにします」
嘘だ。後で調べよう。下の名前だけでは難しいだろうが、その子ならアマミヤゴロウの情報を持っている可能性は高い。
「まあ、その子ももう亡くなってるので、知られても特に意味はないんですけどね」
「…………病気ですか?」
「ええ。難しい腫瘍でね。12歳の若さだったらしいわ」
その一言でさりなちゃんの価値がアクアの中で無くなる。死んでしまっているなら話も聞けない。せめて苗字が分かれば家族伝いに情報が取れるかもしれないが、流石にもう教えてくれないだろう。
───ここまで、だな
この看護婦さんから、もうアマミヤゴロウについて知れることは無さそうだ。為人は知れたし、誰かに恨みを買っていたような人物でなかったとわかっただけで充分。最後に産婦人科病棟によって、アマミヤゴロウについて知っている人がいないかを確かめたらホテルに戻ろうと決めた。
「お話、ありがとうございました。いつかアマミヤ先生とお会いしたら、よろしくお伝えください」
「色々余計なことまで話してしまってごめんなさい。貴方、なんだか話しやすくて。またいつでも遊びに来てくださいね」
最後にもう一度、握手をして別れる。できることなら連絡先の交換もしたかったが、偽名を名乗っている以上できない。こんなことになるとは思ってなかったため、別アカ登録した携帯は今回の旅行で持ってきていないし、余計な疑いをかけられても厄介だ。余計な真似はせず、大人しくその場から離れる事にした。
看護婦さんが仕事に戻ったのを確認すると、アクアは再び病院内の散策に戻る。病院関係者も入院患者も沢山いる。が、主に年配の人が多いのはやはり田舎の病院の特徴だろうか。
『アイドル「きゃりん」と芸人「ゼロワン」結婚及び妊娠電撃発表!!』
待合室に備え付けられたテレビが芸能ニュースをアナウンスする。少し前なら大スキャンダルとも言える内容だが、最近はそうでもない。令和の時代、恋愛報道の性質は変化しつつある。
SNSの普及により、アイドルや芸能人の熱愛報道など爆発的に増え、とっくに飽和状態を超えている。一つ一つのニュースがとても弱くなり、現代ではそこまでビッグニュースではなくなりつつある。熱愛報道を食らってもよっぽど倫理に反しない限り、時間をおけば復帰できる流れが出来つつある。この風潮に救われている芸能人は多いだろう。
───すっぱ抜かれるような熱愛報道なんて、大抵が身内のリークだからな
芸能界とは決して綺麗な場所ではない。残酷で、生々しく、シビアで、醜い。アクアですらたまに逃げ出したくなったり、自殺やドラッグなど考えたくなることもある。
───アイは、どうだったんだろうか。
この世界が綺麗に見えていたのだろうか。もし現代の風潮が16年前に出来上がっていたのなら、アイはオレたちの事を公表せずに出産など、しなくても良かったのではないか。
───あまりifの話をするのは好きじゃねーんだけどな
なんの意味もないし、絶対プラスにはならない。むしろ害になることすらある。けれどやはり人間として、考えずにはいられない事だった。
もし、オレたちが普通の家族であったなら、と。
「───っと」
「───ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ」
点滴の台を杖代わりにして歩く老婆の身体がぶつかる。道の真ん中で考え事をし過ぎた。頭を下げる老婆にアクアも謝罪を返す。早く産婦人科病棟に向かうべく、足を進めた。
▼
結果から言うと、産婦人科病棟での調査は空振りだった。
16年も時間が経っていれば、人員の入れ替えも当然ある。医療関係は転勤が多い仕事だ。少なくともあの看護婦さんほどアマミヤゴロウについて知っている人はいなかった。行方不明になって、退職扱い。それだけが産婦人科病棟で得られた情報だった。
───帰るか
あまり長居したい場所でもない。最後にグルッとこの辺りを回って帰ろうと決める。これはアマミヤゴロウの情報収集ではなく、今回の旅の本来の目的。自分探しのためだった。
この病院で生まれたこと、宮崎に住んでいたこと、アクアは全く覚えていないが、ルビーはかなり鮮明に覚えているらしい。確実に物心つく前の年齢のはずだが、幼児の頃から記憶が残っている人間は稀にいるらしい。ルビーも恐らくそうなのだろう。
そしてルビーはオレも当然そうだと思っている。
この病室のどこでオレが産まれたのか、どこで暮らしていたのか、記憶にない情報を頭の中に入れておくために、アクアは産婦人科病棟内を歩く。ルビーが病院の話をした時、ちゃんと話を合わせられるように、この病棟を全て見て回り、頭の中へ叩き込む。キョロキョロしていると思われないよう頭はできるだけ動かさず、視線だけを動かして歩き始めた。
───……若いな
産婦人科病棟は他の病棟に比べ、比較的若い人が多かった。それも当然。出産はある程度体力がなければ出来ない大変な大事業。この病棟にいる人は20代後半から30代前半程度が大多数になる。
この時、アクアは別に何も感じなかった。この病棟にはそういう人もいるよな、程度にしか思わなかった。
すれ違った瞬間、背筋がゾクリと泡だった。
普通に歩いているだけの女。目立った特徴もなく、服装も地味。表情も目深に被ったキャスケット帽のお陰で、よく見えない。
しかし、すれ違う瞬間、肩が振れるほど近くを通る瞬間、強烈に香った、『
「────フリル?」
口をついて出たのは、ほとんど脳を経由せず発せられた名前だった。
すれ違った女は、20代後半から30代前半程度が大多数の中で、彼女はどう見ても10代後半程度だった。
歩みを止める。十数えるほど立ち尽くすが、意を決したように踵を返し、アクアの手を取り、病室へと連れ込み、扉を閉じた。目深にかぶっていたキャップを取る。艶やかな黒髪を靡かせながら現れたのは目元と口元の泣きぼくろが特徴的な美少女。
「あーあ。なんで気づいちゃうかなぁ。ま、お互い様だけど。黒髪も似合うね、アクア」
東ブレの公演が終わって以来、聞いていなかった声。女性にしては少し低くハスキー。だけど、耳に心地よく響く、聴き慣れた声が鼓膜を震わせていた。愕然とするアクア本人の意思に関わらず、その聡明な頭脳は、素早く賢明に回転していた。
───なんでお前が宮崎に?しかも病院?どこか悪いのか?最近連絡取れなかったのはこれが理由か?でもなんで産婦人科病棟にお前がいる?ただの散歩それとも───
『貴方はいずれウチのドアを叩くわ。賢くて、強くて、優しく、弱い、人間臭い貴方なら』
この旅行の前、社長が空港でオレに言った言葉が脳裏に蘇ったのと、注視して見れば分かる、少し膨らんだ腹部が見えたのはほぼ同時だった。
「しょうがないか。やっぱ溢れ出るオーラは隠しきれないし、それに私の
不知火フリルが、妊娠していた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
ようこそ地獄へ。賢明なる読者様達にはほぼバレていたと思いますが。この展開書くかどうかホンットに迷った。流石にクズが過ぎるて。でも面白そうだと思うと止められなかった。因みに以前アンケートをしたアイ救済ルートではこの子の魂にアイが宿ることになってました。
確かに復讐破滅ルートは回避しました。しかし同時にスタートしていた、人間関係ドロドロ泥沼ルート。今回の話も色々伏線張ってるのですが、最後に全部持っていかれたと思います。改めて読み返すとホント人の心ないな筆者。面白いと思ったらたいていの事やっちゃう。因みに話をしてくれた看護婦さんは原作第一話登場の毒舌ナースさんです。フリルの詳しい事情はまた次話で。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
79th take 関係ない
冷徹は貴方を愛しているから
暖かさは子を愛しているから
涙は自分を許してあげられないから
「…………やったわね」
不知火フリルが所属する事務所。その社長室。人を招くこともある場所のため、立派な机と椅子が設えてあるその部屋に、妙齢の美女とマネージャーらしき女性が1人。そして翠がかった黒髪に泣きぼくろの少女が佇んでいた。
「言い訳はしません。私が軽率でした。申し訳ありませんでした」
「だから言ったのよ!星野アクアとは関わりすぎない方がいいって!どうするんですか社長!こんなことになって!」
「喚かないで。ただでさえ頭痛いんだから。大声出しても何も解決しないわ。フリルにも、その子にも良くない。まずは一旦落ち着きましょう。話はそれからよ」
社長に諭され、マネージャーも一旦怒りの矛先を下げるが、社長とて冷静というわけではなかった。やまない頭痛に頭を抱え、珍しく苛立ちを露わにして机に肘をかける。トントンと叩く指は不機嫌さを隠そうともしていなかった。
「取り敢えず星野アクアと連絡取るわ。その事務所とも。事の顛末を共有して打開策を──」
「それはやめてください」
ずっと頭を下げていたフリルが顔を上げる。それをされるくらいなら、自らの破滅も厭わない。そんな覚悟を宿した目でフリルは社長を見据えていた。
「わかってるでしょう?貴方だけで解決できる問題じゃ──」
「私だけで解決できる問題です。シングルマザーなんてこの世にいくらでもいます。父親を知らない子供も。勿論頼るところは頼ると思いますけど、アクアを頼る必要はありません」
「貴方、自分が何を言ってるか、わかってるの?」
今回の顛末を聞いたから知っている。苺プロ事務所はおろか、星野アクアさえもフリルの妊娠については知らない。そしてこれからも知らせるつもりはないと、フリルは言っているのだ。
「才能の妨げになるならなんだって切り捨てるべき。彼にそう言ってきたのは私です。お願いします。この事にアクアを関わらせないでください。彼は何も悪くないんです。私が誘惑して、私が挑発したんです。私の失敗です。私のせいです。だからお願いします。彼を巻き込まないでください」
もう一度深く頭を下げる。だけでなく膝を折り、跪こうとする。その直前に社長がフリルの肩を支え、その行為を止めた。
「フリル。私も子供を持つ身よ。そして旦那とは随分前に別れたわ。確かに父親がいなくても子供を育てる事はできる。けどそれは貴方が頼る相手が父親から事務所や貴方の両親に変わるというだけの話なの」
経験者だからこそわかる実情。1人の人間を一から育てる大変さ。いかに不知火フリルが聡明とはいえ、その理解はまだまだ甘いだろう。だからこそ話はしなければいけない。
「星野アクアに負担をかけない分は私達や貴方の両親へ向かう事になるわ。貴方1人のワガママのせいでね。貴方はそれに耐えられる?」
「…………できるだけ家族にも事務所にも負担はかけません。こういう非常時の為に稼いでるお金です。そういった仕事をしてる人に頼めば──」
「全く知らない大人に面倒を見られるというのは子供にとって大変なストレスよ?お金をもらうプロと言っても信用できるかどうかはまた別の話。児童保育で虐待があったなんてニュース、幾らでもあるでしょう?」
プロに頼るというのも悪いとは言わない。それができるだけの稼ぎはフリルには十分過ぎるほどある。しかしどんな道を選んだとしても、危険はある。頼らなければいけない時は来る。恥に身を小さくしなければいけない時も。
「その時、貴方は子供と星野アクアを、恨まないことができる?」
「……………………」
黙り込む。二十数えるほど沈黙が部屋を支配した後、フリルは社長を見据え、「わかりません」と答えた。
「できます、なんて断言できるほど私は出産も子育てについても知りません。今この場で断言する事はできません」
「ならもう…………おろせば」
「それだけは絶対にしません」
躊躇いがちに口にしたマネージャーの言葉を今度は断言する形で否定する。続いた。
「私の失敗で出来てしまったコトです。私が断罪されるのは構いません。ですがこの子には何の罪もないんです。命を授かった以上、産んであげたい。産まなければいけない。それが私が果たすべき最低限の責任だと思ってます」
「その決断に後悔する事はないわね?」
「はい。それは断言できます」
社長とフリルが真っ直ぐにお互いを見つめ合う。その眼光に折れたのは社長だった。
「わかった。協力するわ。星野アクアにも知らせない」
「社長!!」
「女性タレントを抱える事務所である以上、こういった事態は想定内よ。そのケアに対してのノウハウも持ってるわ。私たちは貴方の味方であり続ける事は約束しましょう」
「ありがとうございます。この恩は必ず返します」
「ただ、病院は東京の所を使うのはやめなさい。人目があるし、どこから噂が漏れるかわからないわ。地方で良い病院探しましょう」
「お世話になります」
「それと、フリル。一つだけ約束しなさい」
「…………内容次第ですが」
「私から星野アクアに直接教える事はないけど、彼が自主的に知ってしまった場合、彼にはウチに移籍してもらうわ。いいわね?」
その約束に、フリルはイエスと答える事はできなかった。
▼
「良かったんですか?」
空港からの帰り道。フリルのマネージャーを務める白河が社長に尋ねる。何のこと?と、とぼけることはしない。流石に今回のはとぼけていい事じゃない。
「運命よね。あの子が一時的に入院してる場所に、今、このタイミングで旅行に行くなんて」
「私はそういう不確かなの、あまり信じてないんですけど。運命を信じるなら呪いも福音も全部信じなきゃいけなくなりますから」
「私は全部信じてるわよ。だから私たちはあの子に出会えたし、あの子は星野アクアに出会えた。そして子を授かった」
運命だろう。祝福だろう。呪縛だろう。あの2人は。
「なら、出会って然るべきよ。あの2人は。この三日間の内のどこかで」
それぐらいでなければ、うちの事務所の誰も納得しないだろう。不知火フリルの妊娠も。星野アクアの移籍も。出会わなければそれまでの男だったという事。今後一切フリルには関わらせないし、近づけもしない。
───けどそれはあの子嫌がるだろうし、結局あの子のためにもならないから
「信じてるわよ、星野アクア」
貴方の運命力を。貴方の天才を。
▼
ベッドとテーブルが備え付けられた個室。そこが不知火フリルに与えられた病室だった。表記には本名でなく偽名が使われている。『星野あかね』と書かれたプレートの部屋の中で一組の男女がいた。
座椅子に座るのは両手を顔の前で組み、膝の上に肘を立てている。黒髪にキャップ。マスクで顔を隠しているが、その奥で光る星の瞳は誤魔化せない。
星野アクア。身内の仕事に便乗し、宮崎に旅行で来ている実力派若手俳優。殺人事件となくした記憶の調査のため、この病院に訪れていた。
もう1人は少女だった。背中まで伸びた黒髪は光に透かすと淡い緑を帯びる美しさ。翠色の目には強い力が宿り、白磁の肌に墨を一滴落としたような目元と口元の泣きぼくろが艶っぽい美少女。
不知火フリル。日本国民なら知らない人はまずいないと言われるほどのマルチタレント。
少し膨らんだお腹を大事そうに抱え、フウと息を吐きながらベッドに座る。それからしばらく無言の時間が2人を支配した。
「…………いつからだ」
沈黙に耐えきれなくなったのか、それとも別の理由か。独り言のような小さな声でアクアが呟く。主語も述語も目的語も何もかも足りていない言葉だったが、この少年をして妖怪と称される少女には全てちゃんと伝わった。
「最初はね、心臓の病気だと思ったの」
軽い口調で言葉を紡ぐ。続いた。
「アクアが舞台稽古で初めてパニック発作を起こして、倒れた時。あれを見た時、私の心臓がまるで潰れちゃったみたいに痛くなって。耐えきれなくて吐いちゃって。あの後アクアは一晩寝たら治ったみたいだったけど、私の方はぜんぜん治らなくてね。仕事の後、病院に行った」
症状をマネージャーに話したら、東京の、心臓外科では名医と呼ばれる人がいる病院に直ぐに運び込まれたらしい。
「そしたらそのおじいちゃん先生がね──」
『恋の病だね』
「───って言い出して」
終始俯いていたアクアの顔が上がる。何言ってんだコイツと表情が語っていた。
「私も何言ってんのこの人、って思ったよ。でもね──」
▼
「そんな名前の心臓病があるのでしょうか?」
病院の診察室。若干眉を顰めつつも、真剣に質問するフリルに対し、田沼というネームプレートをつけた医師もまた真剣に答えを返した。
「普通に好きな人にドキドキする症状のことだね」
「ドキドキではないんです。寧ろ逆で。心臓止まりそうになったっていうか。ギュッと潰れちゃいそうになったっていうか」
「種類が違うだけで発生源は同じだよ。恋から来る心肺の心配だね」
「でしたらなんですか。私は恋のせいで彼が倒れたら心臓が痛くなって吐いてしまうくらい体調を崩してしまったと?」
「はい。ご心配なく。私は貴方のような症状の方、初めてじゃないから。慣れたものだよ。数年ぶりではあるがね。最初の30年の衝撃に比べればいかほどでもないよ」
その後もいくつかやり取りはあったが、最終的に全て恋の病で収束させられた。
「わかりました。状況を整理しましょう。最近何をしていてもその特定の男子が頭によぎる、と」
「はい、そうです」
ご飯を食べていても、この味アクアが好きそう、とか考えるし、面白いことがあったら、アクアと共有したいと思うし、くだらないことでも話がしたいと思う。
「最近彼に仲の良い女の子ができて、形式上ずっと隣にいるみたいな関係になって、それを見てると胸がモヤモヤする、と」
「だからそうですって」
あかねと恋リアでカップルが成立した。あの後の打ち上げでも、別れの夜でも、平気なフリをしていたが、モヤつく感情を消し去る事はできなかった。
「そして彼が急に倒れた姿を見たら、心臓が止まるかと思う程彼が心配になって。今まで他人に見せた事ないくらい動揺して、激昂して、体調を崩してしまった、と」
「だからそうだって言ってるじゃないですか」
「それはね、恋だよ」
「違うって言ってるでしょう。別に彼がやってる事に不平も不満もありませんし。お互い納得した上で今も親友やってるんです。恋なんて浮ついた感情じゃありません。絶対心臓の病気です。先生、気を遣ってくれてるんですよね?良いんですよ、本当のことを仰ってくださって。穴の一つや二つ開いてるって言われても私は驚きませんから」
「だったらもう死んでるかな」
「フリルさん、私外で待ってますので、終わったら呼んでください」
「白河さんまでなに。私が恥をばら撒いてるみたいな顔して」
「私、もうこの病院来れませんよ。せっかく評判のいいところで結構使わせてもらってたのに。もう最悪」
「とにかく、絶対心臓の病気です。CTでもなんでもいいので隅から隅まで検査してください」
「最新機材を使うとなるとお金かかるよ?」
「事務所に投げますんで大丈夫です」
「フリルさん!?」
▼
「って感じで、私が症状を説明すればするほど『恋の病だね』って言うし、こんなこと初めてなんですって言ったら『じゃあ初恋だね』って言われた」
「ホントに名医なのかその人」
「わかんないけど、私はヤブだと思った」
でもせっかくの機会だから、とこの際頭のてっぺんからつま先まで隅々診察してもらうことになったらしい。
そして、発覚する、最悪の真実。
「三ヶ月だって、言われた」
───三ヶ月……て事は今は四ヶ月から五ヶ月の間
オレが稽古で倒れたのが10月下旬。あの嵐の夜から。フリルと関係を持った期間が7月から8月。そして今は12月末。
タイミングは綺麗に合う。合ってしまう。
───そういうことだったのか。
いつからか、フリルに抱いてた謎が解ける。彼女がアクアと距離を取るようになったのも、アクアが倒れた次の稽古からだ。今までのように近くにいたら勘のいいアクアはフリルの変化に気づくかもしれない。精神的な変化も、肉体的な変化も。だから距離をとった。多少不審に思われても、これ以上アクアに情報を与えないことを優先したのだ。
「私たちぐらいの歳だと、安全日なんてあってないようなモノなんだって。ゴムも、絶対じゃないらしいし」
気をつけていたつもりだった。
そういう事故が起こらないよう、女と関係を持つときは気をつけていた。両手の指で数えられるくらいの女を抱いてきたが、今までそんな失敗をした事はなかった。
だからこその油断。慢心。あの夜、何の準備もしてなかったのに、行為に至ってしまった。一回ぐらいとタカを括ってたのかもしれない。それにフリルならちゃんとアフターケアするだろうと思ってたし。
───いや、違う。そうじゃない。
盲目的に思い込んでいただけだ。まさか自分がそんな事になるはずない、と。
───考えてても仕方がない
アクアの思考が後悔から少し前へと進む。これからどうなるか。どうすべきか。フリルはどうしたいのか。真っ暗だが時間は止まってくれないし、こうしている間にも時計の針はどんどん進む。考えなくては。いつも通り。これからのことを論理的に。筋道を立てて。最悪に備えて。
「言っとくけど、これからどうしようとか、アクアが考えなくていいから」
そしてそう思考が回るだろうと読んでいるのが目の前に座る美しい妖怪だった。少し膨らんだ腹部を撫でながらフリルは冷たい目でアクアを見下ろした。
「この事にアクアなんて関係ないから。間違っても責任取ろうとか、あかねと別れようとか、考えたりしないでね。キモいから」
「───関係なくなんて……いや、関係ないのか?」
アクアの中で少し疑問符が立ち上る。時期的に合うというだけで、もしかしたら相手はオレとは限らない、という思考が浮かんだ事に妖怪が気づく。すると冷たい目から一転。怒りの目に切り替わる。冷徹の仮面をつけていられた時間は数秒だけだった。
「貴方以外に指一本触れさせたことなんてない!貴方がこの子の父親!それは間違いない!でもそんなことどうでもいいことなの!」
「だったらどうでもよくなんか──」
「うるさい!私の中にいるの!産むのは私!私の子!アクアなんか関係ないんだよ!何にもできないくせに!」
ベッドから立ち上がり、激昂する。宥めるようにアクアも椅子から立ち、フリルの肩に手を添えた。収まりはしなかったが、振り払ったりもされなかった。
「だってそうでしょ?アクアも私も未成年だから親権は持てない!持つのは母方、つまり私の実家!アクアは責任なんて取りたくても取れない!なら相談するだけ無駄じゃない!」
「フリル……」
「貴方にわかる?!お腹に子供がいるってわかった時の絶望!だけど貴方の子を宿した事の喜び!希望も絶望もごちゃ混ぜになって!世界が崩れ落ちそうになった、心臓が凍りついたかと思った、あの感覚!わからないでしょ!?わからない貴方に、私達のことなんて関係ないのよ!」
「…………わかった。フリル、わかったから。落ち着いてくれ」
「どうしよう!?どうしようアクア…私子供出来ちゃった…こんな事になるなんて思ってなかった。信じて。貴方を騙すつもりなんてカケラもなかった。あの日は本当に大丈夫な日のはずで。すぐに薬とか、飲めば良かったのに。あの嵐の中バイクで出て行った貴方のことが心配で。ずっと携帯握りしめてた。貴方の連絡をずっと待ってた。アクアからあかねが無事だってLINKが来た時には、安心して眠っちゃった」
フリルの口からあの夜の顛末が震える声で語られ始めた。フリルの怒声が勢いをなくしていき、声に涙が混じる。フリルの膝が崩れ落ち、倒れ込みそうになる。咄嗟に抱き抱えるが、オレの態勢も崩れた。2人とも座り込むような形になる。フリルは倒れ込んだ勢いのままに、オレの胸元へ額を押し付け、オレの腕の中に収まった。あまり力は込めずに、けれどしっかりと抱きしめる。
ずっと気丈に振る舞っていたんだろう。事が発覚してからも、社長たちから問い詰められた時も。ずっといつもの、凛として美しい不知火フリルであり続けたのだろう。五ヶ月間貼り付けられていた仮面が星野アクアを前にして、今、剥がれ落ちた。
「一晩経って、あかねもアクアも病院に運び込まれたって聞いて、すぐに駆けつけた。あの時はただでさえ恋リアに無理やり出てたツケで、スケジュールパンクしそうになってて。仕事に戻ったら、身体のことなんか忘れちゃってた」
切り替えの早さはフリルの長所でもあり、短所でもあった。しかし仕方ないことだろう。この世界、切り替えが下手なやつは生きていけない。
「生理不順なんていつものことだった。1日2時間睡眠だってザラだし、昼か夜かわかんない生活してるんだから、当然だって。全然疑問なんて持たなかった。病院で検査してもらうまで。先生は優しかった。こういう事もあるよって。初めてじゃないって。先生もその子供も孫も17で出来ちゃった婚だったんだって。それ聴いて私、初めて笑えた。それ以降は全然笑えなかった。笑えないまま、舞台の稽古やって。本番迎えて。一ヶ月公演した。東ブレの世界観が和装で良かった。十二単も巫女服も身体のラインは出にくいから、誤魔化せた」
気づかなかった。そんな爆弾抱えて公演やってたなんて、思いもしなかった。あの時オレはオレのことで精一杯で。幻想の中のアイと戦う事しか考えてなくて。
「舞台が終わって、お腹も大きくなってきて。一度病院で診てもらった方がいいって話になって。人目の少なくて私のこと知ってる人も少ないだろう宮崎の病院を紹介してもらった。それから少ししたくらいでアクアから連絡が来た。宮崎旅行に一緒に行かないかって。私すごく悩んだんだよ?アクアがこっちに来るなら、会いたいって。会って話がしたいって。でも出来なかった。会うわけにも話すわけにもいかなかった」
なんで、と言葉が喉元まで競り上がる。なんでもっと早く話さなかった、と。なんでもっと早く会いに来なかった、と。喉元まで競り上がった言葉を飲み込む。まだフリルの独白の最中だ。遮ってはいけない。最後まで吐き出させなければならない。
「だって、だって……こんなこと知っちゃったら、アクア困るでしょ?アクアなら責任取ろうとするでしょ?貴方の才能を妨げるものならなんだって切り捨てるべき。そう言ってきたのは私。私が貴方の足枷になるわけにはいかなかった。足枷になんてなりたくなかった。だから我慢して……我慢して我慢して我慢して我慢して。会いたいのも、話したいのも、声を聞きたいのも、貴方に触れたいのも、全部我慢してきたのに……」
胸元に湿り気が集まる。ボロボロと大粒の涙を流し、アクアの胸に顔を埋めた。
「なんで、来ちゃうの。なんで、会っちゃうの。なんで、気づいちゃうの……私達は」
───初めて見た
コイツが子供のように泣いている姿を。涙を止めようとしてるのに、興奮して、逆にもっと止まらなくて。涙が止まらなくて、同時に鼻水も出てきて。涙腺も、相貌も、何もかも崩れ落ちた不知火フリルを、初めて見た。
美しい、と思った。
コイツはずっと綺麗な女だった。涼しげな目。筋の通った鼻。薄い唇。白磁の肌に、一点の墨を落としたかのような泣きぼくろ。綺麗な女だった。顔も。声も。立ち姿も。無表情がデフォだが、無愛想ではない。話をしても面白いし、一緒にいて飽きない。欠点も弱点も見当たらない。綺麗な女だった。こんなに綺麗な女がいるのかと本気で思った。
今は全てが崩れている。
いつも涼しげな目元は歪められ、筋の通った鼻からは水気の多い粘度のある液体が涙と混ざり、流れ落ちている。白磁の肌にはシワがより、いつも余裕綽々の無表情はグチャグチャだ。大衆の理想からはかけ離れている。
しかし、アクアの目には、今のフリルが美しく見えた。仮面も全て取り払って、素の不知火フリルを曝け出している。女優でもアイドルでもない、不知火フリルそのものを美しいと思った。
「ごめん、フリル。ごめん」
「ごめんなさい、アクア。ごめんなさい」
抱きしめる腕の力を強くする。フリルもオレの胸元で握りしめていた手の力が強くなったと、服のシワの度合いで分かった。
「本当に貴方に話すつもりなんてなかった。この事に貴方に責任なんて取らせたくなかった。だって私が悪いんだから。私のせいだから。アクアはあの時ちゃんとやめろって言ったのに。失敗したいなんてバカなこと言った私に、種類が悪いって忠告してくれたのに。挑発して、誘惑した。私のせいだ。貴方が忠告した通りの失敗になっちゃった」
「お前だけのせいじゃない。最終的に行動に移したのはオレだ。あれが挑発なのはわかってた。お前にはお前の理由があって、オレを利用するためにああいう事してきたのもわかってた。なのにカッとなって、後先考えずに行動した、オレが悪い。オレのせいだ」
「話をするのが怖かった。貴方におろせって言われたら私、従っちゃいそうで。けどそれだけは絶対にしたくなかった。だってアクアと私の子だよ?絶対可愛いに決まってる。百億が一、客観的には可愛くなくても、私にとっては世界一可愛い。だってアクアと私の子なんだから。卵子と精子が出会う確率って知ってる?五億分の一だって。着床するまで含めればもっと低い。そんな奇跡みたいな確率の結果、私の下に来てくれた命。貴方と私の子。絶対に堕ろしたくなかった。今日エコーで見てね?先生が多分女の子だろうって。耳ももう聞こえてくる頃なんだって。心音も聞いた。ドッドッドッて。心臓動いてた。頑張って生きてた。私の中で死なせたくなかった」
早い段階で告白されていれば、オレは堕ろした方がいいと言っていたかもしれない。少なくとも提案はしただろう。オレの将来、フリルの将来。諸々考えれば、なかった事にするのが最も安全とも言える。しかしこんな涙を見てしまえば、もうそんな事言えるはずもなかった。
「産みたい……」
「フリル」
「産みたいっ」
ずっと伏せていた顔が上がる。潤む眼は強い輝きを放ち、真っ直ぐにアクアを見つめていた。
「絶対迷惑かけない。貴方の足枷にはならないから。この子は私が守る。私が1人ででも育てていく。だから……だから──」
フリルの声が止まる。いや、オレが止めたのだ。その薄い唇にオレのそれを重ねる事で。
フリルは驚いた顔をして、一瞬、身体を硬直させる。だがすぐに力が抜けて、そのまま体重を預けてくる。唇を甘く噛み、舌を入れる。舞台の公演初日以来のフリルとのキス。あの時はオレがされるがままだったが、今はフリルがそうなっていた。キスの深度が深くなるほど胸に走る甘い痺れ。このキスが麻酔でしかないことはオレもフリルもわかっている。今の痛みを誤魔化すだけの麻薬。わかった上でオレ達はこの麻酔を求め、麻薬に身を委ねた。
「1人で、なんて言うなよ」
「アクア……」
「そりゃ、お前に比べればオレの負担なんか軽くて、オレにできることなんて何もないのかもしれない。けど、それでも1人で、なんて言うなよ。オレも、オレも一緒に、守らせてくれ」
「…………アクア──アクア──アクア──うぁああああっ!!!」
「ごめんな。ごめんなフリル……ごめん」
お互いの肩に顔を埋め合い、慟哭の音を潰し合う。右肩の温もりだけが、2人の救いだった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
先日マイページを見てびっくり。1話で感想数50件超えてた。予想通りという声もあれば、予想外だったという声もあり、作者としては冥利に尽きるの一言。一つ一つ目を通させていただいております。ありがとうございます。時間がかかっても返信は必ずします。もう少しお待ちください。
さて、話を戻します。今回は弱いフリルと壊れかけのアクアがテーマ。ずっと気丈で、美しく、事務所ですら凛としていたフリルが、アクアと二人になった時だけに見せる弱さと弱さ故の尊さと美しさが題目でした。いかがだったでしょうか。そして弱いフリルを受け入れながらも、謝るしかできないアクア。アクアも弱さを見せれる相手がいればいいのですが。自覚してないだけでもう壊れかけです。次話で自覚します。壊れかけの星をなくした子に追い打ちをかけるのは……
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
80th take 薄氷の道
白兎が導く道はたった一つ
薄い氷で出来たその道を貴方は歩くと決める
天使の祝福と悪魔の呪縛だけを頼りに
「…………もしもし、あかね?ああ、今病院。話はいろいろ聞けた。その関連でもうちょっと調べたいことができたから帰るの遅くなる。先に休んでおいてくれ──そうだな、今夜はルビーたちと一緒に休むといい。オレは大丈夫。ありがと。それじゃあ」
病院の屋上。携帯が使えるエリアに赴いたアクアは帰りが遅くなることをあかねに告げた。今は泣き疲れて眠っているフリルと、病院の面会時間ギリギリまで、アイツと一緒にいてやりたかった。
───ホント、どうなってんだよ。この旅行は
息抜きの慰安旅行のはずだったのに。息抜きの片手間に自分探しをする程度の旅だったはずなのに。
事件に巻き込まれて、衝撃の事実を突きつけられて。肩の荷を下ろすための旅行が、新たな爆弾を二つも背負い込む羽目になってしまった。
───どこで間違えたんだ、オレは……
自分の足跡を振り返る。ありとあらゆる場面で最善を尽くしてきたつもりだった。それがこのザマだ。どこかで間違えたとしか思えない。
───あの嵐の夜にフリルと行為に至ったことか?その後あかねと付き合ったことか?そもそもフリルと出会うべきではなかったのか?アイツがオレに興味を持ったのは『今日あま』ドラマとPVがきっかけらしい。ならアレに出演した事が間違いだったか?それとも───
「オレの存在自体が、間違いなのか」
自分の手のひらを見つめる。そうだ。オレが生まれてしまった事が間違いなんだ。母の記憶をなくし、多分それだけじゃない何かもなくし、僕は僕じゃなくなってしまった。本来の僕なら、星野アクアなら、もっと上手くやれたんじゃないか?こんな才能のない僕じゃなくて、本当の星野アクアなら。
「はは……だとしたら、僕はとんだピエロだな」
星野アクアらしさを求めて、星野アクアを演じてみて、12年。その結果が、この無様。僕が必死に生きた12年は、色んな人を不幸にするだけだった。
「あはは……あはは……」
『あはははは!!』
嘲笑が響き渡る。壊れたレコードのようにその笑い声は何度も何度も繰り返された。
「僕の存在が、間違いだったんだ」
「そんな事はないよ」
笑い声が止まる。振り返るとそこに立っているのは白髪の少女。歳は10歳に辿り着くかどうかと言ったところ。周囲にカラスが飛んでいるせいだろうか。どこか浮世離れした、背筋が寒くなるような雰囲気を纏った少女だった。
「君は常に正しい。最善の道を歩いてるよ。君でなければこんなに上手く立ち回れてはなかっただろうね。君は本当によくやってる。見てて感心するくらい」
「学校でカラスが鳴いたら家に帰れって教わんなかったか?日が暮れる前に失せろガキ。今のオレに話しかけんな」
「こわーい。でもあたし、お兄ちゃんに渡さなきゃいけないものがあるんだ。それを渡したら帰るよ。はい、コレあげる」
少女の手から投げ渡される。反射的にキャッチし、視線を落とす。アクリルキーホルダーだ。何かキャラクターのイラストが描かれている事はわかった。
「コレは………アイの?」
古びたアクリル板にはイラストの他に『アイ無限恒久推し!!』と印字されていた。ライブの物販。もしくはガチャなどで手に入れられるようなキーホルダーだった。
「グッ!?」
世界の修正作用か、感応現象か。
それとも少女の力か。
アクリルキーホルダーの正体が分かった瞬間、頭痛がアクアを襲う。それと同時に脳内に流れ込む───
存在しないはずの記憶
天童寺さりなと書かれた病室。簡素な個室でテレビを眺める2人。1人は医者だ。白衣を纏った黒髪メガネの男。歳は二十代後半と言ったところだろうか。ベッドに横たわる少女とテレビを見ている。
もう1人は入院着にニット帽を被った少女だった。恐らくこの病室に入院している子だろう。10歳は超えているだろうか。痩せ細っていて正確な歳はわからないが、恐らく彼女は結構な難病だ。ニット帽は強い薬の副作用によって必要になったんだろう。ガンだろうか?抗がん剤の副作用で髪が抜けると聞いた事がある。医学に関しては素人のアクアでも、なんとなく分かった。
───この子が、さりな……あの看護婦さんが言ってた……苗字は天童寺っていうのか……って事はこの男が……
アマミヤゴロウ
少女と仲良くしている医者。時に抱きつかれたり、「好き!」とか「結婚して!」とか言われている。男は『社会的に死んじゃうからやめて』と、かわし、『16歳になったら考えてやる』と言っていた。
───どこかで、聞いたな
何度も好きと言ってものらりくらりかわし、思わせぶりな態度をとる。そんなことを言っていた。それを聞いたのは、確か……
───っ。
流れ込んでくる記憶の最後。病室で2人なのは変わらない。だが決定的に空気が違った。少女の痩せ方はさっきまでの比ではなく、衰弱という言葉では表せないほどの状態だった。もう薬に耐えられる体ではない。他人の手を借りなければ食事はおろか排泄すらままならないだろう。どうしようもないほどの末期。今にも事切れそうな少女に寄り添うのは眉間に深い皺を寄せるアマミヤゴロウ。
『せんせぇ……これあげるよ』
最期の力を振り絞って、少女は手を上げる。痩せ細った小さな手が何かを掴んでいた。
『体調良い時……一回だけ、B小町のライブに行った事があって……その時のガチャで出たんだぁ』
アマミヤゴロウの手に渡されたのは、デフォルメしたイラストと共に『アイ無限恒久推し!!』と描かれたアクリルキーホルダー。
『私だと思って大事にしてね』
『───わかった。ずっと大事にする。ずっとだ』
『えへへ…』
役目を果たした左手は男の頬に添えられた。
『せんせ。だぁいすき。もし……生まれ変わっても、きっと……』
「───っはぁ!!はぁっ!!はぁっ!!」
少女の手が力なく滑り落ちたのと、アクアが現実に帰ってきたのは、ほとんど同時だった。
───なんだ今のは……誰かの記憶?誰の?オレの?オレの中に眠っていた何かが、このアクリルキーホルダーをきっかけに目覚めた?でもなんでアマミヤゴロウと天童寺さりなの記憶なんだ?2人とも星野アクアと接点なんてない……天童寺さりななんてオレが生まれる前に死んでるはずだ。100歩譲ってアマミヤゴロウは星野アクアとなんらかの関わりがあったのかもしれないが、天童寺さりなはオレのなくした記憶となんの関係もないはず…
本当にそうか?オレはもしかして、とてつもなく大きな前提を。とんでもない何かをなくしていないか?
オレがなくしたのは、母親の記憶だけではないのか?
「うーん、やっぱ全部は無理かぁ」
思考の海が中断される。白髪の少女の呑気な声が、アクアの集中を醒ました。
「ま、そりゃそうか。魂が宿っていたモノに触れられたならともかく、そんなんに込められた魂じゃそれが限界だよね。むしろキーホルダー程度でよくそこまで視られたね。豊かな感性に優れた頭脳。未知の事象に対する分析も的確。
「どこでコレを手に入れた?」
「カラスが咥えてたのを偶然拾っただけだよ」
「お前……一体何者だ?」
「うん、興味深い質問だね。あたしが何者か?それを決められるのはあたしじゃなく、貴方しかいないと思うよ」
すっと小さな手を持ち上げ、こちらを指差す。年端もいかない子供の穏やかな笑みは微笑ましいもののはずだが、アクアから見れば挑発的に映った。
「貴方が自分が何者か、答えられないようにね」
ゾクリと肌が泡立つ。今の一言はあまりにアクアの核を捉え過ぎていた。
「お前っ、何をどこまで知ってる!知ってる事全部話せ!包み隠さず!」
「それを捜すのが、貴方の役目。貴方の道の半ばの一つ」
周囲にいたカラス達が突然羽ばたき出す。少女に詰め寄ろうとしたアクアの前をカラス達が塞いだ。
「貴方はちゃんと歩いてる。全てを救う、最善の道。だけど半歩踏み間違えれば全てを破滅の奈落に落とす、薄氷の道をね」
カラスの羽が舞う。突風が屋上を襲う。羽と風に目を閉じる。再び目を開いた時、もうその場には誰もいなかった。
「…………全てを救う道。だけど半歩踏み間違えれば全てを奈落に落とす、薄氷の道」
手に持ったアクリルキーホルダーを握りしめる。もうなんの記憶も流れ込んではこなかった。
▼
「…………アクア」
日が傾き始めた病室。窓枠にもたれ掛かり、外を眺めていた背中に声がかかる。夕陽を背負い、蜂蜜色の髪の少年が振り返った。
───綺麗
思わず見惚れた。夕陽に照らされた横顔。憂に満ちた表情。どこか寒気を感じさせる陰。その全てが星野アクアを彩っていた。まるで天使と悪魔の両方が取り憑いているかのようだった。
「起きたか」
その一言で現実に帰ってくる。同時に顔を伏せる。大泣きしたまま眠ってしまった。目が腫れぼったい。彼に比べ、今の自分はお世辞にも綺麗と呼べる顔をしていないだろう。
「何俯いてんだよ。話したいから、こっち見ろ」
「………目が腫れてるから、顔見せたくない」
「弱ったお前も可愛いよ。顔見たいから、こっち見ろって」
───ずるい
そんな言い方をされては従わざるを得ない。イヤイヤながらも、フリルは顔を上げた。
「…………これからどうする?」
不安に瞳を揺らしながら、アクアに尋ねる。目線は逸らさないまま、星の瞳の少年は大きく息を吐いた。
「事を知ってしまった以上、色々無視はできない。この旅行の後、社長と連絡取るよ」
「…………社長、貴方に何か言ったの?」
「このことについては一切何も。ただ、事務所移籍しろ、とは言われた」
空港で呼び出された時に言われた言葉の意味がようやく分かった。確かにコレを無視できるほど、アクアは良識を捨てていない。
「…………社長は多分、アクアを──」
「フリルの長期休養は間違いない。その空いたデカすぎる穴をオレで補填しようってんだろう」
「そこまで分かってるなら……」
止めようとする言葉がでかける。大手事務所の大看板の穴を埋める。それはもう殺人的スケジュールになるだろう。その大変さとキツさはフリルが誰よりも知っている。アクアならこなせるかもしれない。こなしてしまうかもしれない。だからこそ心配だったし、止めたかった。
「それに、いいの?今の事務所の、ミヤコさんへの恩は?」
ほぼ初対面の頃、軽く移籍を誘った時、アクアは苺プロの社長に恩があると言って拒否した。その人に恩を返すまで移る気はない、と。一度口にした言葉を曲げる男ではない事はフリルもよく知っている。彼に不本意な事は少しでもさせたくなかった。
ゆっくり大きく首を横に振る。心配するな、と目線が語った。
「移籍金はしっかり払って貰うつもりだ。プロとしての恩返しはそれで充分だろう。一個人としては恩を返す機会なんてまだまだあるさ。移籍しても親子までやめるわけじゃないんだからな」
口の端に笑みを浮かべるアクアは嘲笑しているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
「オレのことよりお前のことだ。今後どうするんだ?出産までずっと入院するのか?」
「ううん。今回は検査入院なだけ。1箇所に長く留まり続けるのも危険だから。安定期にも入ったし、もう少ししたら退院する。その後は東京に戻って、雑踏に隠れる。社長のコネで、小さいけど腕が良くて口の堅い産婦人科医にアテがあるんだって。この事を知ってる人間は極力少なくするつもり」
この病院では偽名で通したし、顔もできるだけ隠した。宮崎で彼女を不知火フリルと気付けるのはアクアだけだろう。流石に出産時は顔も隠せないし、産婦人科医には正体を明かすことにはなるが、社長の知り合いならまだ安心できる。
「そうか。良かった。東京にいるなら仕事の合間にでも様子は見れるだろう」
「…………アクアは、この後どうする?」
「だからお前のとこの社長に連絡取って──」
「そんな先の話じゃなくて、今の話」
今は夕方の16時。あと一時間で通常の面会時間は終わる。申請すれば病院に泊まることもできるらしいが、流石にそこまではできない。今日中に帰らなければ、あかねに何か勘付かれるかもしれない。
「面会時間ギリギリまでは、いるよ」
「明日には帰るんだよね」
「ああ」
「…………また、しばらく会えないね」
ベッドの上で視線を落とす。こんなに弱っているフリルは初めて見たかもしれない。
「ねえ、アクア。あと一時間、一緒に寝て欲しい」
ベッドの布団を捲り、スペースを空ける。意図を察したアクアは流石に躊躇の顔色を見せた。
「ここに居ると、不安なの」
「不安…」
「1人で静かな場所にいると良くないことばっかり考えて。ちゃんと産めるのか。産めたところで、その後は?考えれば考えるほど、不安になる。四方八方から壁が迫ってきて、押しつぶされそうになる」
言っている事はよくわかる。不安じゃないはずがない。将来を考えないはずがない。この聡明な少女なら尚更だ。
「貴方を病棟の廊下で見つけた時、悲しかったけど、すごく嬉しかった。閉じていた世界が、パァッと開いた気がした。ここ数日で初めてまともに呼吸ができた気がする。隣を横切ったのも、半分わざと。気づいてほしくないと思うのと同じくらい、気づいて欲しかった」
「フリル…」
「貴方は明日帰っちゃう。明日から貴方はあかねの彼氏に戻っちゃう。それを止める権利は私にはないし、止めようとも思わない。今のアクアにあかねは必要だと私も思うから」
母を殺した黒幕。その存在についてはフリルもある程度知っている。あかねほど詳しく話してはいないが、アクアがアクアの家族の身の安全のため、そいつを逮捕しようとしていることも察している。その為に人格をほぼ100%トレースできるあかねの能力や個人の情報を追いかけ、適切に推理できる頭脳は必要だ。アクアも同じことができないとは言わないが、手が欲しい時も必ずある。1人で追いかけるには殺人犯はあまりに危険なターゲットだ。何かあった時のための保険。アクアを殺したところで、次があるとアピールするのは殺人犯への有効な防御であると同時に攻撃でもある。あかねの存在はまだ必要だ。
「あかねと別れて、なんて言わない。この事もあかねには絶対秘密。でも、だからこそ、せめてこの一時間は。この一時間だけは、私だけのアクアになって欲しい」
そう言われては、貸し借りには厳しく、責任おばけのアクアに拒否など不可能だった。フリルが空けたスペースへ身体を滑り込ませる。お互い向かい合って横たわっていた。アクアは自身の腕を枕に。フリルはベッドの枕を使って。
しばらく無言の時間が続いたが、少し変化が起こる。ゴソゴソと動いたと思ったら、フリルが携帯を取り出したのだ。
「ね、アクア。見て」
薄暗い中でスマホのディスプレイを差し出してくる。映っていたのは写真だった。
春から夏にかけて。恋リアでアクアとフリルがカップルとして振る舞っていた頃の写真。どれもアクアとフリルが写っているものだった。
「動画作った時に色々もらったんだ。懐かしいよね。ほら、コレとか初回の放送の時。私とアクアがテーブル越しに向かい合って座った時の」
出演予定だったアイドルの代打として、唐突に降って湧いたメジャーリーガーに立ち向かうことができたのはアクアだけだった。
「コレは男女混合バスケで1on1やった時の。コレはカラオケ対決で勝負した時。コレは───」
次々に写真がスライドされていく。
机を向かい合わせにしての勉強会。
海のロケでやった、波打ち際で追いかけっこ。
避暑地の登山でフリルの手を引くアクア。
アクアがフリルを背中から抱きかかえ、2人で見上げた打ち上げ花火。
アイスを一口ずつ交換し合うワンシーン。
バンでオレが寝ている写真なんてのもあった。
フォルダの中いっぱいに収められたアクアとフリルの足跡。高一の春と夏。写真の中のフリルはいつも笑顔だった。同世代の仲間達と。人生で初めてできた親友と、全力で青春を楽しんでいた。
「コレは…………コレはね……この時は……この時は」
段々とフリルの声に湿り気が篭る。洟を啜る音が間に入るようになる。写真をスライドすればするほど。思い出を思い返すほど。フリルの目に涙が溜まっていった。
「───この時は、こんなことになるなんて、夢にも思ってなかったなぁ…」
洟を啜りながら、目元を拭う。フリルの頬にアクアの手が触れた。
「私、一目惚れだった。アクアの瞳に吸い込まれたあの時から、私は貴方に恋をしていた」
自覚したのはもっと後だったが、振り返ってみて、いつアクアに恋をしたかと問われれば、フリルには初めて出会った、あの瞬間しかなかった。今までずっと、数えきれないほどされる立場で、自分自身少しバカにしていた恋をしてしまった。アクアに、落とされた。
「あの時から、毎日楽しくて。貴方と出会ってから。全部が新鮮で。毎日ドキドキしてた。毎日ときめいてた。何も特別なことしてないのに肌は艶めいて、視力1.0は良くなった。トキメキが体に良いなんてこと、初めて知った」
『今ガチ』の写真が終わり、秋から冬。東ブレの舞台稽古をしている時期の写真へと移る。
初めて本読みをした日。もらった台本を持って、一緒に撮った写真。あかねが入っていたのもあったが、フリルとアクアの2人だけの写真もあった。
「渡された台本、役者の表現力に全振りのキラーパス台本でびっくりしたよね。演じるの難しくて、何度も監督さんに怒られたっけ」
本読みの段階で何度も注意された。その度に役作りに悩み、頭を抱え、七転八倒した。そんなアクアの様子もカメラに収められている。
「この時は秋の観光地に撮影に行って。みんなそれぞれの役の格好して写真撮ったよね」
ダブルキャストの主演組だけで番宣の番組に出演した時の写真。オレは刀鬼。フリルはシース。舞台ではありえないツーショットを撮った。そのデータをフリルはこっそりもらってたのだ。
「雨の中、アクアが残る、とか言い出して。あかねも一緒に付き合って。私も残りたかったけど許してくれなくて。仕方なく写真だけもらった」
あかねがフリルから預かった一眼レフ。雨の中、刀を振るオレが写っていた。データ化した写真と動画をスマホに移していたらしい。濡れぼそったオレのアップがディスプレイに映っていた。
「帰ってきた後の稽古で、アクアめちゃくちゃ上手くなってて。私、人生で初めて戦慄して……それで……それで……」
そのすぐ後、オレが倒れた。その日以降のフォルダの写真は一枚もなかった。
アクアとフリルが2人で写っているモノは。
そこから先のフォルダはオレだけで埋め尽くされていた。稽古するオレ。休憩するオレ。清涼飲料を飲んでるオレ。風に当たっているオレ。グロッキーになってるオレ。いつの間にこんなに撮られていたのか。ありとあらゆるオレがディスプレイに映し出されていた。
その写真から、悲しさと辛さが滲み出ているような気がしたのは、カメラの向こうのフリルが泣いてるような気がしたのは、オレの気のせいだろうか。
最後まで見通した後、フリルはアクアへ、より一層身を寄せる。身を寄せ、抱きつき、キスをする。何度も何度も。一生懸命。まるで覚えたての頃のように。
拙い、けれど懸命に何度も。首筋に。胸板に。腹部に。唇をつけ、舌を這わせる。まるで媚びるようなキスだった。
あの不知火フリルが。クールで、プライドが高くて、強く、美しい不知火フリルが。涙を流し、媚びるキスをしていた。
ベッドの中でフリルと目が合う。キラキラと輝く緑翠の瞳には何かをせがむような色が見えた。
アクア
鼓膜を振るわせない声が聞こえた。唇を合わせる。服を脱がせあったのはほとんど同時だった。が、最後の理性がアクアを止めた。
「いいのか?」
「アクアは私としたくない?」
「オレの欲求じゃなくて、お前の身体の心配を──」
「今の私は、汚い?」
フリルから僅かに震えが伝わってくる。否定の意思を込めてフリルを抱きしめ、キスをした。止まった手が動き出す。白磁の肌が夕闇で艶かしく輝いていた。
「恥ずかしいから、あんまり見ないで」
初めての夜でも、堂々としていた。自身に恥じるところなど何もないと胸を張っていたあの不知火フリルが。今は恥ずかしそうに顔を逸らし、腹部を手で隠していた。あの夏に何度も見た白磁の肌。相変わらずため息が出るほど美しい。唯一の夏との違いはその張った腹部だけだった。
「綺麗だ」
「ウソ」
「綺麗だよ、フリル」
身体を労るように愛撫を続ける。腰をくねらせ、喘ぎ、身体をアクアに押し付けながら、フリルは身体を弓なりにしならせた。
張ったお腹が、よく目立った。
「アクア、そんな顔しないで」
「…………ごめん」
「私、嬉しいの。貴方の子を宿せた事、本当に嬉しいの。言ったでしょ?いつかお母さんになりたいって。お母さんになって、生まれてくる子供をいっぱい愛してあげたいって。夢が叶った。アクアに叶えてもらった。最高だよ。将来とか、これからとか、全部なしにするなら、こんなに最高な事ない」
「フリル……」
「だから、そんな顔しないで。申し訳なさなんかで私を抱かないで。愛して、抱いて。抱いてあげて。お願い」
アクアを強く抱きしめ、唇を押し付ける。キスの深度は次第に深くなり、腿に押し当てられたフリルの下腹部からしっとりとした湿り気を感じた。
「…………大丈夫なのか」
「大丈夫。もう安定期に入ってるから。激しくしなければ」
「優しくする」
最初はスムーズだったが、すぐに圧迫感が立ち塞がる。割って入る事はできそうだったが、苦悶に歪むその眉を見てしまうと、やっぱり少し心配だった。
「いいの」
「でも…」
首を横に振る。そうじゃない、とフリルは涙を目尻に溜めながら小さく呟いた。
「気持ちよくなりたいわけじゃない」
その通りだった。アクアもフリルも、今は快楽など求めてはいなかった。ただ、お互いを確かめ合いたくて。お互いを体に刻み込みたくて。抱き合っているだけなんだ。
アクアが動く。連動してフリルもアクアの背中に爪を立てた。
一時間はあっという間に過ぎ去った。
▼
面会時間が終わり、シーツなどを片付け、アクアは病院を後にする。
「アクア」
シーツで体を隠しながら、薄暗い部屋で呼びかける。翠の瞳は真っ直ぐにこちらを見据えていた。
「わかってると思うけど、この事、誰にも言っちゃダメよ。あかねにはもちろん、ミヤコさんにも。本当なら私はアクアにすら話すつもりはなかったんだから。でもこうなっちゃったら仕方ないから、アクアにも協力はしてもらう。まずは口止め。誰にも言っちゃダメ。アクアの家族にもね」
「…………わかってる」
わかっていた。オレにすら秘密にしていた事。オレにすら言うつもりがなかった事。オレが知ってしまったのは事故だ。偶然が重なって、感性が働いて、気づいてしまっただけのこと。フリルが望んだことではなかった。これ以上状況が悪くなることも望むはずがなかった。
言われなくてもそのつもりだったが、念のため、という事だろう。コイツも基本石橋は叩いて渡るタイプだ。情報なんてどこから漏れるかわからない。知っている口は一つでも少なくしたい。
「言い方悪いけど、スキャンダルを漏らすのは身内のリークがほとんど。そしてその身内の中にも格差はある。格差が高い方から漏らす事はほぼない。漏らす事があるとすれば、身内の中で、格差が低い方」
フリルの事務所と苺プロ。どっちの格差が低いかは言うまでもない。タレコミをしたら苺プロの方はもしかしたら利益が出るくらいかもしれないくらいだ。フリルの立場からすれば、アクアの身内であろうと警戒しないわけにはいかなかった。
「…………気を悪くしないでね」
「してないよ。当然の警戒だ」
「───さっきは酷い事いっぱい言って、ごめんなさい」
「酷いこと?」
「アクアなんてこの子に関係ない、とか」
「……気にすんな」
「…………また、会えるよね?」
「必ず」
別れの言葉はそれだけだった。バイクを転がし、レンタル屋に返すと、その後は夜道を1人で歩いた。ホテルまでは距離がある。かなり時間はかかるだろう。夜道の独り歩きは危険だと分かっていたが、どうでもよかった。女との情事の跡を消すのは汗を流すのが一番良かったし、別に誰かに襲い掛かられて殺されたとしても構わなかった。むしろ心のどこかではソレを望んでいたかもしれない。死んでしまえば、それ以上考えなくて良くなるから。ウィッグも外し、帽子とメガネもとっぱらい、素顔のまま歩いた。
けれど、望んだ事は少しも起きない。僅かに街灯がアスファルトの道路を照らすだけの、静かな田舎の道だった。
何も考えたくない。けれど考えてしまうのが星野アクアの頭脳。今回の死体遺棄は黒幕の手によるものだとするなら、相手は星野アクアについてかなり詳しく知っている事になる。
ならば今回のフリルの一件も知っているだろうか?
───いや、ないな
恐らく知らないだろう。こっちを知っているならもっとシンプルに安全に脅す方法が幾らでもある。わざわざ死体遺棄現場を移すなどという危険を冒してまで回りくどい警告をするはずがない。フリルの件は知られてないと思って間違いない。
───山道1人で歩いて何もしてこないところを見ると、恐らく尾行を撒くことにも成功している。あれだけ細心の注意を払ったのだから当然といえば当然だが。
ならこれからオレがすべき事は、一刻も早く黒幕を暴き出し、真実を明らかにし、黒幕の身柄を抑える───事ではない。
───オレは警告を受けて引くという決断をしたように見せかけた。だがソレは文字通り見せかけ。そして黒幕も恐らくその可能性は考慮にあるだろう
ならばしばらくは泳がせるはず。その時に余計な行動をして刺激しても厄介だ。しばらくは通常業務を続けよう。
───それが恐らく一番安全。オレにとっても、あかねにとっても、フリルにとっても。動くとすれば相手が緩み始める時期………半年から、一年ってところか。
そして、全てが終わって、ほとぼりが冷めたら、あかねとは───
「アクアくん!」
名前を呼ばれ、思考の海から戻ってくる。ホテルの入り口の前で部屋着姿のあかねが駆け寄ってきた。
「あかね……なんで……」
「だって、アクアくん今夜帰ってくるって言ってたでしょ。病院から歩いて帰ってきたの?大変だったでしょう。汗いっぱいかいてるね。今日はもう早くお風呂入って休んで──」
「そうじゃない。こんなところで1人で待ってるなんて危ない事…」
「大丈夫だよ。ホテルの前なら人目もあるし、監視カメラだってついてるんだから。滅多な事はできないって」
「それでもっ…」
それでも、もうとっくに日は暮れて、辺りは真っ暗だ。今日は先に休んでていいって言ったのに。それなのにあかねは、こんな危険な場所で、ずっとオレを待ってて。
「アクアくんが好きだからだよ。アクアくんが思ってるより、私自身が思ってるより、ずっとずっと、私はアクアくんが好きなんだよ」
あかねが待っている時のことを想像する。ルビー達は撮影で出かけていた。同行もできず、あかねはホテルで待機を命じられた。アクアを見送ってから、ずっとここで待ってた。暗闇の中から殺人鬼が現れるかもしれない。背後から急に襲われ、背中にナイフが突き立てられるかもしれない。そんな幻想の恐怖に晒されながら、あかねはオレが帰ってくるのを、ずっと待ってた。
あかねがそうしている間、オレはフリルと共にいた。あいつの肌に触れ、肌を重ね、あいつのことばかり考えていた。黒幕を捕まえて、全てが終わったら、とさえ……それなのに。
───オレは……オレは……
「ごめん」
あかねを抱きしめる。あかねも背中に手を回し、優しく撫でた。
「謝る必要なんてないよ。謝らなくていいんだよ。だって、だってアクアくんは、ちゃんと……ちゃんとぉ……」
あかねの声に涙が混ざる。鼻を啜る音と共に、嗚咽が響いた。
「帰ってこないかと思った……アクアくんがあのままどこかに行ってしまいそうな気がした……1人で行かせちゃったこと、すごく後悔した。だから、怖くて。怖くて。それで、それだけで……それ以外のことなんて、どうでもよくて……」
堪えきれない涙と声がこぼれ落ちてくる。抱きしめる力を一層強くした。
「帰ってきた。帰ってきたから。オレはもう、どこにも行かないから」
「アクアくん……アクアくんっ」
「好きだよ、あかね。オレは恋愛感情まだよくわかってないけど、それでも心から言える。オレはあかねが好きだ」
「私も。私だって。私の方がずっと、アクアくんのことが好きです」
「けっこう前から、とっくにそのつもりだったけど、改めて言葉にする。聞いてくれるか?」
「はい。聞きたいです。聞かせてほしい。アクアくんの口から」
手を握り、跪く。2人の視線が同じ高さで交わった。
「改めてお願いします。ビジネスじゃなく、オレと正式に付き合ってください」
「私で、よければ」
キスをする。誓いのキス。決意のキス。覚悟のキス。
あかねは守る。フリルも、その子のこともなんとかする。オレの大事なもの全て救ってみせる。オレが今歩いている、全てを救う道。半歩の踏み間違いで全員を破滅の奈落へ落とす薄氷の道。歩き切ってみせる。最後にどうなるかはまだわからないが、誰1人泣かせない。誰もが笑って終われる最期に辿り着く。
そのためならなんだってしよう。恩ある人に背を向けて事務所の移籍もしよう。大手の力を借りてフリルとその子を守れる環境を手に入れよう。仕事とプライベートを両立させ、あかねの彼氏を務めよう。どんな手を使ってでも黒幕に辿り着き、皆を危険から遠ざけてみせよう。
完璧で究極の星野アクアを、演じ切って見せよう。
「君はホントに、お母さんそっくりだね」
綺麗で、強くて、独りよがりで、欲張り。全てを救うか、全てを破滅させるか、薄氷の道を選んで歩く。
「一番星は歩き切れなかった。運ばれた魂は向いてなかった。全てを受け継いだ生まれ変わりはどうなるかな?」
カラスの羽が闇夜に舞った。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
今回めっちゃ長くなった。分けようかとも思ったんですが、どうしてもここまで書き切りたかったので。多分次話はいつもよりちょっと短いです。
フリルの真実を知り、あかねの献身を知り、疫病神になくした記憶の断片を見せられて、星野アクアはその血の宿命が深くなりました。全てを救うというのは母親の血。そのためならなんでもしようとするのは父親の血。半身は天使で半身は悪魔。その白と黒の侵食が深くなり、均衡を保ったまま、飛べない翼が生えてきたって感じです。薄氷の道を歩き切れるのか、踏み外し奈落は落ちるか、筆者すらまだわかってません。最後までお付き合いしていただけたら嬉しいです。
以下本誌ネタバレ
まさかの疫病神ちゃん、ネタキャラ化。
ずっとミステリアスで超然としてたのに、まさかアクアと漫才するキャラになるとは思ってませんでした。今話で疫病神ちゃん出すのは確定事項で、その行動指針とかは解釈一致で安心しましたけどね。まさかこんなに煽りに弱い神様だったとは……いや、神話で見ても神様って結構煽りに弱くて、あんま寛大じゃないな。それにしてもここまでガッツリ関わってくるとは思わなかった。神視点で見守ってるだけかと思ってたのに。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
81rst take 夜明け前
真実を教えられた紅い星は神の社で祈りを捧げる
光と闇の狭間に堕ちた紅い星の願い
最も暗い刻、聞き届けるのはきっと神ではなく
「撮影しゅーりょー!!」
「みんな、お疲れ様」
まだアクアが病院にいる頃、B小町のメンバー達は重圧からの解放に身体を伸ばしていた。と言っても解放されたのはアイドル達だけで、アネモネはこれからが本番だが。それでもほぼ丸2日ぶっ続けで仕事をしていた有馬達を労った。
「残り時間はまあゆっくり観光でもしてってよ」
「明日の昼にはもう飛行機だけどね…」
「今から観光はする気になんないし、ホテルに戻る頃にはもう夜だし。ゆっくりする時間はほとんどないわね……とりあえず今日は温泉で心身ともに疲弊し切った身体を休めますかぁ」
「だねぇ」
有馬達の宿は掛け流しの温泉が目玉の一つ。一晩を休養に充てて、半日で観光が最も効率的な残り時間の過ごし方だろう。
「MVっていつ頃上がりそう?」
「そりゃもちろんなるはやで上げるつもり」
映像は撮り終えたし素材は充分ある。しかしそれらをつなぎ合わせ、一本の動画にしなければMVは成り立たない。オフライン編集で素材を切り貼り。1本の仮映像にしてから、一度依頼側がチェックを入れる。オンライン編集はそれからだ。カラコレ色味編集やCG、VFXなどで飾り立て、ようやく納品。
「まぁ来月には上がると思うけど」
「けど?」
「…………2本目は、ちょっと時間貰っていい?」
「いいけどなんで?」
「いやー…まぁねぇ」
二、三度髪をすくと、アネモネは含みのある笑顔で振り返った。
「商業クリエイターだって、ただのアーティストに戻りたい時はあるものよ」
期待や心地よい疲れにそれぞれが身を委ねる中、ルビーだけがずっと無表情だった。
▼
あかねの首筋。普段は服で見えないところに、まだアザがあった。ソレは虫刺されのように赤く滲んでいる。あの夜、クリスマスイブからまだ1週間経っていない。アザが完全に消えるまではもう少し時間が必要だった。
「平気だよ。嬉しかったから」
アザを労っているのに気付いたのか。柔らかく微笑んで、オレの首に手を回す。抱きあって、キスをして、肌を重ね合わせた。
「…………来て」
手を広げる。閉じられていた両足に手を掛かるとほとんど抵抗なく開いてくれた。
あかねの中に沈んでいく。やっぱりまだ慣れてなくて、狭いし、圧迫感がある。あかねの表情は痛いというより、苦しいという感じだった。
「わかる……イブの時は、色々ぐちゃぐちゃだったけど、今は全部わかる……感じる…」
あの時、アクアは痛みを誤魔化すために快感を促した。痛み以上の感覚であかねを塗りつぶした。しかし今はそこまで前戯に時間をかけてはいなかった。だから今は苦痛も快感も両方正しく感じとっているのだろう。
時間をかけるのはこれからだった。
アクアはずっと動かなかった。繋がったままキスをし、感度の高い場所を愛撫し、舌を這わせた。触れるか触れないか、ギリギリのタッチで。快感に慣れさせた。
「アクアくん……アクアくんっ!」
苦しそうな表情から、吐息に甘いものが混ざり始めたところで、アクアはゆっくりと動き始めた。
水音が立つ。
あかねが溶け始め、自分から動き始める。その動きと合わせ、少しずつピッチを早くし、強くする。
慣れてきたあかねの身体は何度も跳ね上がり、間隔も短くなって、強く締めつけられる。
あかねから、一層甲高い声が上がった。
腹部に生温かい何かが広がる。ビクビクと震え、オレの下で悶えるあかねを組み伏せ、耳元で囁く。
「あかね、オレのこと好き?」
身体を震わせながら、オレの肩を甘噛みし、コクコクと何度も首を縦に振る。貴方が好きだと言う。貴方だけが、私の神様だと。
「ずっとオレの彼女でいてくれる?」
喘ぎ声を噛み殺しながら、また何度も首を縦に振る。何があってもアクアくんの彼女でいる、という。
競り上がる快感を、2人とも解き放った。
▼
しばらく抱き合ったまま、横たわっていたが、そろりとあかねが起き上がる。裸体を毛布で隠すと同時にアクアが寝返りを打った。目が合うとあかねはちょっと怒ったような顔をして、ぽすんとアクアを叩いた。
「アクアくん、ベッドの上だと意地悪だね。私、何度も待ってって言ったのに」
「ごめんごめん」
「許してって何度も言ったのに。全然許してくれなかった。もう無理って何度も言ったのに、ぜんぜん」
「ごめんって」
「そんなことしなくても、私どこにもいかないのに。私はアクアくんの女の子なのに」
オレの上に覆い被さり、オレにくっつく。優しく口元にキスをされた。
「私、もう離れられないよ。とっくにアクアくんに狂っちゃったから。だからそんな事で繋ぎ止めようとなんてしなくていいの。何があっても。あなたがどれだけ罪を犯しても、私はアクアくんの女の子だから」
アクアがまだ何か、隠しているのはわかってる。自分を利用しようとしているのも知っている。それでもいいとあかねは思ってる。利用し、利用されるのは世の常だ。彼氏彼女だって例外じゃない。世間体、ルックス、ステータス。そういったものが交際関係にまるでないなどというカップルなど存在しないだろう。それでもいい。
私だけが、星野アクアの女を堂々と名乗れるのなら。
彼の隣で、彼の女として立てるなら。世間に認められ、たくさんの人に祝福され、人目を憚らず堂々と彼に侍ることができるなら。それ以外のおこぼれは構わない。
いずれアクアは日本中が知る俳優となるだろう。天才の名を欲しいままにするだろう。そして眩いスポットライトの下、隣に立てるのは自分だけ。他の女はせいぜい日陰で彼の慈愛を受ける程度ならば、構わない。太陽を独占することなど本来不可能。だが、自分は今限りなくその場所に近い位置にいる。
───あ…
どこか遠くから、鐘の音が聞こえてくる。年の終わりを、そして年の始まりを知らせる鐘。108回の振動で煩悩を祓うとされる日本の伝統行事。全国で執り行われるソレは宮崎でも変わらなかった。
「明けましておめでとう」
「今年もよろしくお願いします」
ベッドの上でギュッと両手を握り合う。本当に色々あった一年だった。一年前にはこんな事になるなんて想像すらしてなかった。
生まれて初めて演技以外の仕事をして。炎上して。自殺しかけて。でも神様みたいなこの人に救われて。恋に落ちて。ビジネス彼女としての生活が始まって。どんどんアクアくんのことが好きになって。クリスマスイブで初体験をして。年末の家族旅行を蹴ってアクアくんに着いてきて。事件に巻き込まれはしたけど、結果的に私とアクアくんの絆は深くなって。正式に彼氏彼女になって。一年の終わり。最後の夜に、再び肌を重ねた。そして今、一緒に年を越した。
「不思議な感じ」
「何が?」
「去年最後に会ったのがアクアくんで、今年最初に会ったのもアクアくんなんだなって思ったら」
心の奥がくすぐったくて笑ってしまう。別にドラマチックでもなく、特異なことでもない。平凡な、当たり前のこと。でもその当たり前があかねにとっては特別で、いつかこの特別を当たり前にしたいことだった。
「これから先も、ずっとそうだといいね」
「…………そうだな」
「ずっと、一緒にいようね」
「…………ああ」
アクアの声はいつも通りだったけど、少し躊躇の色があった事をあかねは感じ取った。
───ちょっと、重かったかも
嬉しくて、浮かれて口にした言葉に少し後悔する。アクアが自身を縛るタイプの女が苦手なことは知ってるつもりだったのに。反省したあかねは握った手を放し、軽い口調と共に毛布を身体に纏い、ベッドから起き上がった。
「私、もう一度温泉入ってくる。色々綺麗にしなきゃいけないし」
「ああ」
「その後はルビーちゃんたちの部屋で寝るね。今日は一緒に泊まるって約束だったし」
「言えよ。もっと早く済ませたのに」
「えへへ、お休みなさい」
「お休み、あかね」
最後にもう一度キスをする。長時間の歩きによる気怠い疲れ。情事の後の開放感。そして多大な罪悪感の中、アクアは目を閉じた。
▼
旅館の女湯。露天風呂であかねは夜空を見上げながら放心していた。
───この旅行は、色々ありすぎたなぁ
宮崎でのアクアとのデートまでは計画通りだった。そして平和だったのはそこまでだった。それ以降はもうめちゃくちゃ。死体遺棄の発見に加え、アクアから語られた推理。身の危険を顧みず進むことを選んでしまったアクアを見送ることしかできなかった後悔。帰ってきた時の心からの安堵。
そして先ほどまでのセックス。
初めてした時のイブの夜とは全然違った。最初は苦しかったけど、アクアくんのキスや愛撫でだんだんと蕩けてきて、苦しさはいつのまにかなくなり、快感へと変わった。声が抑えられず、震えが止まらず、快楽の奔流に流された。
『オレと、付き合ってくれ』
思い出すたびに心臓と下腹部がキュッとなる。今日、改めて告白してくれた。あの夜、アクアくんが稽古で倒れたあの時から、私はもうとっくに恋リアではなくなってたけど。アクアくんもきっとそうだと、うすうす分かってたけど。それでもやっぱり実際に言葉にしてくれると嬉しいものだ。思い出すだけで顔がニヤける。頬が熱くなる。ブクブクと温泉の中に顔をつけて息を吐いた。
───男と女。ビジネスでもセフレでもなく、正式に彼氏と彼女。
嬉しい。ニヤける。コレからもっと考えなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに、もう何もかもどうでも良くなってしまう。
下腹部の辺りを撫でる。ついさっきまで、ここに彼がいた。私の中に入って私を埋め尽くしていた。まだ中に何か入っているかのような異物感がある。避妊具はあったけど、限りなく彼と一つになれた。
「顔赤いわよ。のぼせる前に上がりなさいよね」
思わず身体が跳ね上がる。後ろめたいことをしていたからか。それとも声の主が自分にとって特別な人だからか。わからないが、温泉で温まっていたはずの身体が一気に冷えた気がした。
「何ビビってんのよ。オバケが出たとでも思った?」
「うん、ちょっと……ぼーっとしてたから」
ザブンと水音が跳ねる。頭にタオルを置いた有馬かなが、あかねの隣に座り込んだ。
「ま、今くらいは気を抜いててもいいんじゃない?映画の撮影始まったら、それこそボーッとしてる暇なんてないでしょうし」
さっきとは違う意味で少し心臓が跳ねる。映画の主演のオファーが届いた事はつい最近だったのだが、業界には思ったより広まっているらしい。
「売れたわねぇ。アンタもアイツも」
「そんな事ない……上映館数多くない映画だし。アクアくんのオファーの数に比べれば私なんて…」
「他人や配給で比べる必要なんてないでしょ。主演よ主演。充分すごい事じゃない」
映画という90分の長丁場の作品。キャストだけでもエキストラを含めたら一体どれだけの人間が関わっているかわからない。その中の主演。確かにすごい事だ。一生をかけてもそこまで辿り着けない役者なんてゴマンといる。謙虚が嫌味に聞こえておかしくない立場だ。
「羨ましいわ。アンタも、アイツも」
赤い髪の少女は頭に置いていたタオルで顔を隠す。悔しさも羨望も、目の前の女には見せたくなかった。
「これからがアンタにとってもアイツにとっても大事な時期よ。この波に乗れるかどうかで役者としての今後が決まる。なのにアクアは山程のオファー片っ端から断ってるらしいし、アンタもこんな旅行に着いてきて。一体何考えてるか私にはわからないわ」
「アクアくんだって大変だったんだよ。かなちゃんも知ってるでしょ?あの舞台はアクアくんが倒れちゃったの。あの深度でのトリップを一ヶ月ぶっ通しで続けた。休みを入れないと壊れちゃうよ」
「だからって全部断る必要ないじゃない。仕事選り好みしてたら人はあっという間に離れるって事、教えてやらなきゃね。まったく。あいつはホント、私がいないとダメなんだから」
あかねの頭の中でカチンと音がする。今かなちゃんは私に明らかにマウントをとりに来てる。同じ事務所で、出会ったのは十三年前で。付き合いの長さからくる自負をぶつけられてる。
「前に話したかしら。クリスマスの夜、六本木のバーで一緒に食事した時も、アクアが私に迎えに来いって言ってきてね。まったくめんどくさいったらないんだから。お礼にピアノ弾いてくれて、家までバイクで送ってくれたから、チャラにしてあげたけど」
「…………前から気になってたけどさ。なんで、かなちゃんはアクアくんのこと呼び捨てにするの?」
「あら、気に障った?付き合い長いからね。私もアイツも。どうしても砕けた感じになっちゃうのよ。でもいいでしょ?アンタは恋リアのビジネス彼女なんだから」
「もう恋リアじゃないもん。私も、アクアくんも」
湯船から立ち上がる。カチンときて、湯だった頭のまま、言ってしまう。
「私、アクアくんとしたよ」
「…………なにをよ」
「多分、かなちゃんがまだしたことないこと。十三年の付き合いがあっても、かなちゃんがアクアくんと一度もしたことないことを私達はした。私は他の男の子には絶対させないことをアクアくんにさせてあげた」
湯船の中にいながら、有馬の顔が青ざめる。一瞥すると、あかねは湯船を出た。
「じゃあね」
毅然とした態度で露天風呂から出る。誰もついてきてないことを確認してから、あかねは扉を背にしゃがみ込んだ。
「最低かな、私」
こぼれ落ちた雫は温泉の水滴ではなかった。
▼
それぞれの思惑が交錯する中、夜が明ける。朝食など、一通りの事を済ませた後、B小町メンバー達の宮崎観光が始まった。と言っても昼には飛行機に乗るため、回れる場所は限られている。バラバラに観光されても困るため、すでに観光済みのアクアとあかねも同行していた。
「ここが荒立神社かー」
「そう、芸能の」
「やっぱり役者志望のお参りも多いわねー」
飾られた絵馬を眺めながら、有馬が感想を述べる。役者になれますように、という願いが込められた絵馬がいくつも飾られていた。
「木の板を槌で叩くと一拝の効果があるんだって。せっかくだからお参りしていこー!」
木の板をたたき、メンバー三人とミヤコが釣鐘の前に立つ。しかし六人のうち、一列に並ぶ4人から2人だけ離れていた。
「アクたんは?」
「言わなかったか?オレ神様信じてねーの。何事も神頼みはしない主義」
「うわー、相変わらずスーパードライ」
「この世界、目に見えない力はあるのよ。バチ当たっても知らないから」
「あかねちゃんは?」
「私は一昨日お参りしたから」
遠慮するように手を振る。特にそれ以上追求はなく、4人は手を合わせ、熱心に神に祈りを捧げていた。
「アクアくん」
社務所で何かを買っていたアクアの隣に来たあかねが耳打ちする。袋に入ったソレをさりげなくバッグに入れながらアクアは感覚を耳に集中させた。
「ルビーちゃんから、アクアくんが役者をやってる理由について、昨晩聞かれた」
僅かに眉が動く。アクアが演技が好きじゃないことも、役者に執着がないことも、ルビーは知っている。特級の才能を持っていながら、モチベーションは低い。それでも12年以上、アクアは芸能界にとどまり続けている。疑問に思ってもおかしくはない。
───が、それをオレに直接聞くのではなく、あかねに聞いてくるとは。
ルビーにしては随分小賢しい事をしてくる。いつでもまっすぐ当たって砕けろがアイツのモットーなのに。
「なんて答えた?」
「…………会いたい人が、いるんじゃないかって」
出てきた言葉は当たらずとも遠からずな答え。ぼかしてはいるが、咄嗟に嘘が思い浮かばず、つい言ってしまったらしい。
「好きな女優さんとかだよって、言い訳はしておいたけど…」
「わかった。合わせとく」
お参りが終わる。それぞれの願いが誰に通じたのかは、わからなかった。
後日、フリルの下に荒立神社のお守りが贈られた。赤い布の袋には金の刺繍で安産祈願と書かれている。
「…………無神論者のくせに」
淡い翠色を帯びる黒髪の少女はその日から守り袋を毎晩抱きしめて眠った。
▼
旅行が終わり、あかね達を自宅へと送り届け、アクア達も帰宅する。それぞれが各々の時間を過ごしている中、事務所のとある一室の前に少年が立つ。風呂上がりなのだろうか。身体からは僅かに蒸気が立っている。蜂蜜色の髪は普段より一層艶やかな輝きを放ち、桜色に火照った頬はどこか艶っぽい。
しかし熱くなっている身体に対し、青の瞳は暗く沈み、星の光は闇の中で輝いている。
青年の名前は星野アクアと言った。
「入って」
ドアを拳で鳴らすと鍵が開く音がする。部屋着でラフなスタイルをした妙齢の美女が出迎えた。あちこち無防備な姿で人によっては生唾を飲み込むほど扇状的だったが、少年の欲求は義母に向かうほど溜まってはいなかった。
「…………あまり休めなかったみたいね」
「旅疲れだ。気にするな」
義息子から疲労の色が抜けていない事を察した義母は痛ましさに眉を顰める。白骨化した死体などという人によっては一生のトラウマになっておかしくないものを見てしまった。1日2日程度で払拭できないのも無理はない、と目の下にクマを作ったアクアを憐れんだ。
「それで?話って?」
努めていつも通りに振る舞うアクアを見て、ミヤコも必要以上に気を使うのをやめる。そういうのを嫌う少年であることはよく知っていたから。
「アネモネさんから昨日までで撮った映像を送ってもらったの。観てくれる?」
「ああ」
パソコンを立ち上げ、映像が流れる。1日目は概ねアクアが見た通り。日常風景のメンバー達の何気ない可愛さを切り取った動画が流れ、ダンスパートへ移る。映像で見ても評価は昨日と変わらなかった。このままでは、厳しい。
映像はそのまま2日目へと移る。MVの外ロケ。大自然の中、真冬の小川で戯れる少女達。映像の中で寒そうな顔一つ見せないのは流石だと感心した。やはりこの中で誰よりも目立っていて、可愛さに『説得力』があるのは、有馬かな。
───頑張ってる。頑張ってるけど……頑張っちゃってるなぁ
自分が目立つために頑張ってる。言い換えれば頑張らなければ目立てていない。有馬は元々アイドルに対し、そこまで乗り気ではない。故にこの手の活動をするため、自分に鞭を打っているように見える部分がある。多かれ少なかれ、仕事に対してそういうメンタルの奮起は誰もがやってることだが、このMVを観る限り、有馬はずっと頑張りすぎだ。努力に対し、結果が伴わなければ有馬はきっとこの鞭を緩めることはないだろう。しかしそうなるといずれ張り詰めた糸が切れる日が必ず来る。
───頑張らなくても視線が集まってしまうのが、本物。
本来そこまでを求めるのは高望みしすぎだ。芸能界全体を見てもそんな本物など数人しかいないだろう。
しかし、数人は、いる。
十年に一度の才能と呼ばれたアイ。恋リアでそのアイをトレースした黒川あかね。今日病院で会った不知火フリル。
そして、星野アクア。
これらの数名が放つ、強烈な光。
火に群がる蛾のように。近づけば燃やし尽くされるとわかっているのに、吸い寄せられて、目が焼かれる。
人を騙す眼の持ち主。嘘を真実に見せる力を持つ者たち。
───そこまでになれ、とは言わないが……理想と現実のギャップに有馬が潰される日は思ったより早いかもしれない
そうなってしまったら、メンバーの支えなどが必要になってくるわけだが、メムはともかく、ルビーにその手のサポートは……
───え…
途中から、有馬やメムが全くカメラに入らなくなる。明らかに、露骨に比重が偏る。オレの視線も吸い寄せられてしまう。まるでブラックホールを覗き込んでいるかのように。
無表情のまま、真冬の冷たい小川に素足で踏み入り、波紋を作る。そのまま膝から崩れ落ち、下半身全て水に浸かる。それでもまるで何も感じないかのように、凍りついた無表情は崩さず、紅い瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
今まで『顔がいい』だけだった星野ルビーに、オーラが纏われる。暗く、恐ろしく、冷たい。けれど見てしまう。かつて、『今日あま』でアクアが見せたような、強烈なオーラが、周囲全てを食い荒らした。
「…………どう思う?」
ミヤコから尋ねられる。見せたかったのはコレなんだ。纏う雰囲気が明らかに違う。昨日と比べて、というレベルではない。アイやフリルのような眩い光ではないが、魂ごと引き摺り込まれるかのような引力。ハマるヤツは中毒になるくらいハマるのではないだろうか。そんなオーラ。
「少し前の貴方とよく似てる。怖いけど、つい見ちゃう。そんな雰囲気」
「オレってこんなだったのか?」
「こういう変化は過去が現在に与えた影響が大きく関係している」
身をもって知っている。トリップのきっかけはいつだって過去のトラウマだった。
「…………ルビー、まだ起きてるか?」
「ええ、多分」
「ちょっと話してくる」
「お願い」
事務所を出て、居住スペースとなっている自宅へ上がる。その中の『ルビーの部屋』と書かれたドアの前で3回ノックした。
「ルビー、オレだ。入っていいか?」
「…………」
無言で扉が開く。許可が出たと認識し、ルビーの部屋へ足を踏み入れた。
暗い部屋の中で佇む少女は、先程映像で見た時よりもさらに強い引力を放っているように見える。
星野アクアと星野ルビー。
同じ母の胎から生まれた双子。
1人は星をなくした子、1人は星を追いかける子。
あり様は真逆。けれど彼らが立つ場所は同じ。
運命の旅を終え、光と闇の狭間で揺れる兄妹が、向かい合った。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
宮崎旅行編クライマックス。次話で星をなくした子の序章が完結予定。(なげーよ)。光と闇の狭間に立つ兄妹の会話は2人をどちらに堕とすのか。そして堕ちた後こそがこの物語の本番です。どうかお付き合いください。
以下本誌ネタバレ
遺伝子の残酷さよ。
ルビーもうほぼ同一人物じゃん。残酷すぎる。でもあれだけ瓜二つなら親子関係公表しておいたのは好手だったのでは?気づく人絶対いるでしょ。あと拙作のアクアが扮するレンもそっくりだっただろうから解釈一致で安心しました。筆者もですが、やっぱり赤坂先生も人の心が……
そしてなにより『15年の嘘』でフリル様の演じる役がなんと姫川愛莉!マジか……マジかぁ!解釈一致で済まない合致!筆者の考察力も捨てたもんじゃないね!…………調子乗りました。絶対偶然です。本誌で見た時震えたのは筆者だけだろうなぁ。拙作で『15年の嘘』演じる時アクアとフリルは何を思うのか(地獄)。二人に取材を重ねて描いていきたいと思います。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
82nd take 虚構の城
有り余るその才で全てを守る準備を始めるだろう
崩れるとしたらそれはきっと敵の侵略ではなく
知っていた。
オーディションに落ちた時とか。
気の進まないことをやってしまった時や嘘をついてしまった時とかに。
アイツが他人の家の前にずっと立ち尽くしているのを、オレは随分前から知っていた。
一度だけ、アイツが他人の家の前から立ち去ってから、その家の表札を見たことがある。けれどすぐに忘れてしまった。
その家の持ち主の苗字は、オレが知らない人間のものだったから。
▼
「…………大丈夫か?」
何から話すべきか、迷った末にアクアはまず心配の言葉をかけた。心からの配慮だったが、ルビーにはあまり届かなかったらしい。兄の心配に対し、ぶっきらぼうな声で応えた。
「なにが?」
「MVの素材、見せてもらった」
「どうだった?」
「いい画が撮れてたよ。新曲も聴いたけど良かったし、編集次第でバズるんじゃないか?」
コレはお世辞ではなかった。元々ビジュアルの良さは折り紙付きの三人。カメラ映りは文句なく良かったし、撮影している方も技術の高さが伺えた。何よりも特筆すべきは表情。演者の作り物でない生の感情を引っ張り出し、カメラに映える形へ昇華していた。この辺りは有馬達というより撮る側の腕だろう。モチベーターであることも映像監督の務めの一つだ。
「ただ、1人だけ監督の意志に沿っていない演者がいた。監督の影響を受けず、場の雰囲気に合わせることもせず、自身の感情を溢れさせている奴がいた」
強い視線がルビーへと向く。両目から眩い輝きを放つ青い瞳が、暗い輝きを吸い寄せる赤の瞳と、向かい合った。
「凄かった。思わず目が吸い寄せられた。お前からオーラってやつを初めて感じた。ちょっと前はオレもあんな感じだったらしい。やっぱり血は争えねーな」
「…………お兄ちゃんの真似をしたつもりはないよ。するとすれば、多分これから」
「…………?」
頭の上に疑問符を浮かべる兄ににっこりと笑いかける。誰が見ても完璧な、美少女の微笑み。けれどアクアだけは背筋が寒くなるような恐ろしい何かを感じずにはいられなかった。
「すでに名前が売れてる何かに乗っかって、才能ある人たちを取り込んで、自分を売り込んだ手法」
ドクンっとアクアの心臓が一つ大きく鳴りひびく。天使の笑顔のまま、妹の言葉は続いた。
「私、お兄ちゃんのこと、ずっと凄いなって思ってた。私なんかと違って、ママの全部を受け継いでて、その才能をフル活用して。必要なもの全部手に入れてた。凄いなって思ってた。ちょっとズルいってさえ。私はこんなにママみたいになることを望んでるのに、全然望んでないお兄ちゃんはどんどんママみたいになってくんだもん。凄いって憧れると同時にちょっとやっかんでた」
でも、そんな才能溢れるアクアでさえ、ここまで辿り着くのに12年の時を要した。
「お兄ちゃんほどの才能があっても、それだけじゃ売れなかった。飛躍するには自分以外の力を必要とした」
ルビーが何のことを言っているのかはよくわかった。星野アクアの名前がこの一年で急速に売れたのは、すでにビッグネームになっている勝ち馬に乗っかったから。ティーンの話題を席巻した炎上騒動を、まるっと乗っ取ったから。
不知火フリルと黒川あかねを取り込んだからだ。
下地はあった。才能もあり、努力もしていた。しかしそれだけでは売れないのが芸能界。どんな才能も人目に触れられなければ無価値。不知火フリルが突如今ガチに現れ、番組の注目度が跳ね上がったところに便乗した事で星野アクアの名前は良くも悪くも世間に知られた。
あかねによる炎上が巻き起こった時、多数派閥だったサイレントマジョリティをアクアの陣営に取り込み、アンチにも擁護にも動画という形で星野アクアの才能を見せつけた。
新星の登場を世間に知らせた。彼の天才を、世間が知った。
無論それが全てではない。アクアが積み上げてきた11年がなければできない事だったし、本人に才能と実力がなければそんなメッキはすぐに剥がれる。本物だったからこその舞台『東京ブレイド』の成功だ。
しかしあの2人を利用しなかったかと問われれば、答えはNOだった。
「私も、もう足踏みはしてられない。私もすぐにお兄ちゃんみたいに……ううん。それ以上にビッグにならなきゃいけないの」
「……………お前、そんな生き急ぐタイプだったっけ?」
「いつも急いでるよ。アイドルでいられる時間は短いのなんて、お兄ちゃんなら知ってるでしょ?もうただアイドル活動してるだけじゃ足りない。それがこの一年でよく分かった」
アクアに教えられた、と言外に含んだ言葉が聞こえた気がした。
「分かったとして、お前は今後どうするつもりなんだ?」
「そうだな……まずはリーク癖ある人を見つけるよ。暴露だ晒しだやってる人は今時ゴロゴロいるし。そういう人見つけて、燃やしてくれそうな人とコネ作って、話題を作ってもらう」
「危険なやり方だ。一歩間違えればお前が燃え上がるぞ」
「だから私はきっかけ作りに徹するよ。不満と私怨、そしてマウント取りたがってる人に火種を置いておくだけ。そうすればあとは勝手に燃え上がってくれる。火炙りにされてる人に安全圏から石を投げてくれる人に紛れて、最後は聖女を演じてみせる。正当な手段で、話し合いのテーブルに着くところまで、穏便に持っていく。とまあこれが理想だけど、そうそう上手くいくとは限らないから、私はあくまできっかけ作りに専念する」
手段としては間違ってない。炎上とは火種を提供した人間はフォーカスされない。実際に燃え上がった人間だけが石を投げられる。ナイフを使った殺人で、ナイフを売った人間は罪に問われない。問われるのは実行犯のみだ。
「アクアは、何か気に入らない?あなたのやり方を真似てるだけなのに」
「オレのやり方って決めつけてんのはともかく、別に何も不満はねーよ。お前がそれでいいならオレに文句言う資格も権利もねーしな。だが同時に未練もなくなった」
「未練?」
「お前は、オレの希望だった」
終始俯いていたルビーが顔を上げる。16年間兄妹をやっていて初めて聞いた言葉だった。ルビーにとってはアクアこそが希望で、信じて頼る背中だった。自分の希望はいつだって兄で、兄にとって自分は手のかかる妹くらいにしか思われていないと思っていた。
「他人にも、自分にも嘘をつかず、嘘は嫌だといつも胸を張って言ってて、その言葉の通り綺麗にまっすぐアイドルを目指している姿は、オレにとって希望だった。それは、オレにも母さんにもできなかった事だから」
闇に染まりきっていない少女の心臓がギュッと締め付けられる。誰よりも天才を認め、誰よりも尊敬していた兄に、希望だと認められていたことの嬉しさと、全て過去形で表現される事の悲しさが、ルビーの心臓を締め付けた。
「お前なら、できるかもしれないと思ってた。オレにも、母さんにもできなかった、この世界で綺麗にまっすぐ売れる。お前なら、できるかもって」
「…………買い被りすぎだよ。お兄ちゃんやママみたいな天才に出来なかったことが私なんかにできるわけないじゃん。勝手に買い被られても迷惑」
嬉しさと悲しさと後悔が、ルビーの口から心にもない言葉を溢れさせる。
「無理なんだよ。この世界で綺麗にまっすぐ売れるなんて」
アクアだって人を利用して成り上がった。アイだって男がいることを隠し、子供を産んだことを隠していた。煌びやかに見えるこの世界で、綺麗でい続けることなんて、不可能だ。
「…………オレな、実はフリルの事務所から移籍を誘われてる」
「…………え?」
「前々から何度か打診はされてたんだが、舞台が終わってから、結構本格的に」
「…………ふーん」
不知火フリルの事務所といえば業界でも最大手。苺プロとは比べ物にならない。この勧誘を断る芸能人なんて普通いない。ルビーの胸中には賞賛と嫉妬と後悔が渦巻いた。
「受けようか、実はまだ迷ってた」
「…………なんで?」
「オレが推してるアイドルが、オレが活動してる事務所にいたから」
眩い星の輝きを放つ瞳が、真っ直ぐにルビーを捉える。赤い瞳の少女は思わず目線を逸らした。
「オレにできなかったことを、本気でやろうとしている子がいたから。その子の行く末をずっと近くで見守りたかったから。迷ってた」
「……………」
「でも、その未練もなくなった。今回の勧誘、受けることにする」
「そうだね。それがいいよ。私がお兄ちゃんの立場でもそうすると思う。別に苺プロに拘る必要なんてないし。私も昔は苺プロ以外のオーディション受けまくってたしね」
心にもない言葉が出てしまう。自分の本音を。やりたいこと、やりたくないことを仮面で隠す術を知ってしまった少女は、ペラペラと嘘をつくことができる様になってしまっていた。
「でも、その前に。最後に一つだけ、お前に聞きたい」
「…………なに?」
「アマミヤゴロウって、お前にとってなんなんだ?」
ドクンと心臓が大きく鳴る。表面に出さない様に必死に堪えたが、そんなものがこの妖怪の兄に通用しないことは、誰よりもよく知っていた。
「お前の態度が変わったのは。お前にオーラが纏われる様になったのは、あの事件の直後からだ。そういう変化のきっかけは大概精神面に原因がある。わかるよ。オレもそうだったから」
自分以外の何かが心に干渉したからこその変化。そのことを兄はよく知っていた。
「アマミヤゴロウって、お前にとって何者なんだ?」
しばらく黙り込む。いくら兄でもこの話をするかどうかは流石に躊躇いがあった。信じてもらえるか不安だった。この場面で嘘をつくとは思わないはずだけど、今の私はかつての私とは違う。今の私は兄に対して嘘をつく様になってしまっている。信じてもらえないかもしれない。この期に及んで嘘をついて誤魔化そうとしてると思われて、軽蔑されるかもしれない。
───いいか、別に
自分で言うのもなんだけど、私は結構ブラコンの部類だと思う。
兄の事を尊敬してるし、信頼してるし、大好きだ。だってこの人には私が大好きだった2人の面影を感じるから。
綺麗で可愛くて強くて無敵で天才のママ。
モラリストで偽悪ぶってるけど、ホントのところはバカ優しいせんせー。
星野アクアからは
───だから…
「…………お兄ちゃんになら、話してもいいか」
小さな声で呟かれる。ほとんど変わらない声量で続いた。
「アクアと同じ様に、私が前世の記憶を持ってる事までは、知ってるよね」
「…………」
「私ね、前の人生で、結構大変な病気で入院してて。結局そのまま死んじゃったんだけど。でもその時すっごくお世話になったせんせーがいたんだぁ。優しくて、ずっとそばにいてくれて、いつも励ましてくれて…」
アイドルになるきっかけをくれて。頑張って生きようって思わせてくれて。
「生きる意味をくれた人」
アマミヤゴロウ。私のせんせー。私の希望。私の星。私の神様。
「なんで、死んじゃったのかなぁ。殺されちゃったのかなぁ。なんで私が好きになる人は、みんな死んじゃうのかなぁ」
ママも殺され、せんせーも殺された。ママはナイフで刺されて。せんせーはあんなに暗くて寂しい場所に置き去りにされて。
「教えてよお兄ちゃん。なんでも知っててなんでもできる貴方ならわかるでしょ?神様は、なんで私なんかを生まれ変わらせたの?不幸しか運ばない、私なんかを」
ボロボロと涙がこぼれ落ちる。嘘ではない。演技でも仮面でもない。本当の悲しさから溢れる涙だった。
「絶対に探し出してやる」
紅い瞳の中の暗い星が一層暗く輝く。悲しみしかなかった表情から怒りと憎しみとそれ以外の黒い感情が色濃く現れた。
「ママとせんせを殺したやつを見つけ出して!仇をとる!そのためならなんだってやる!誰だって利用する!嘘だってつく!もっともっと上り詰めて!生まれてきたことを後悔させてやるんだ!」
激昂する妹に対し、兄は終始穏やかだった。眩く輝く星の瞳で、泣き崩れる妹を優しく抱きしめた。
「オレも、考えたことがなかったかと言われれば、嘘になる」
耳元で優しく、甘く囁かれる。荒れだった紅い瞳の少女の心がほんの少し和らいだ。
「母さんの無念を晴らす。母さんの仇を取る。八つ裂きにして、生まれてきたことを後悔させてやる。そういうことを考えたこともあった」
───お兄ちゃんは知ってたんだね。随分前から
自分はあの子供に教えられたこと。自殺した実行犯以外にもう1人黒幕がいたこと。兄は知っていたんだ。随分前から。
「でも、考えるたびに頭をよぎった。そんな事をしたオレを、母さんは喜んでくれるかって」
ギュッと唇を食いしばる。妹がずっと目を逸らしていた事。ずっと見ない様にしていた最も脆い部分を、聡明で優秀で強い兄は正面から向かい合っていた。
「どれだけシミュレーションを重ねても。幾つルートを辿っても。母さんは喜んではくれなかったよ。悲しそうに笑って、ごめんねって謝るばかりだった」
実際に言葉にされて、そのイメージがルビーにも鮮明に浮かぶ。人を騙して、嘘をついて、利用して、黒幕に辿り着いて、そいつを八つ裂きにしたところで、ママは喜ぶだろうか?きっと喜ばない。褒めてはくれない。アクアほど分析に長けてなくても、それくらいは分かった。分かるくらいには母を愛していた。
「そんなのアクアの想像でしょ!喜んでくれるかもしれないじゃん!褒めてくれるかもしれないじゃん!愛してくれるかもしれないじゃん!」
わかっているのに、嘘が出てしまう。兄を否定してしまう。自分なんかよりよっぽどママに近いところにいるこの人を、否定してしまう。ムキになるのは私だけで、ずっと冷静で正しく美しいこの兄が、初めて嫌いになりそうだった。
「そうだな。想像だ。ルビーが言った通りになる可能性だってある」
憎しみのこもった目を向ける妹に対して、兄は穏やかな態度を崩さなかった。
「けど、少なくとも、オレは君がそんな事をしても喜ばないよ。さりなちゃん」
一瞬、頭が真っ白になる。
苛立ちも憎しみも全て吹き飛んだ。涙も止まってしまった。衝撃が少女の心を揺らす。自分の名前を呼ばれた事が、少女にとっては愛も憎悪も何もかも吹き飛んでしまうほどの衝撃だった。
「やっと病室から抜け出して、やっと自由に生きられる様になったのに。また心を殺して、世の中を憎んで。君にそんな事をされても、オレはちっとも嬉しくないよ。さりなちゃん」
───なんで……
全ての感情が吹き飛ぶ。なんで?としか言えなかった。
「…………なんで私を、さりなって呼ぶの?なんで病院の話、知ってるの?」
俯いていた顔が上がる。信じられない。でも信じたい。希望と絶望がないまぜになった表情で、兄だった人を妹だった少女は見つめた。
ポケットに手を突っ込み、何かを取り出した後、ルビーの手を取る。その手に握られているのは、アクリルキーホルダー。
「…………なんで、アクアがこのキーホルダーを持ってるの?」
忘れもしない。忘れられない。最期のあの時、貴方に渡したキーホルダー。それが今、アクアから少女の手に渡された。
「なんでって。知ってるだろう?君がくれたんだから」
「…………え?」
「ずっと大事にするって、約束したじゃないか」
そう、約束だった。約束してくれた。憶えている。忘れるはずがない。
「ずっと、君だと思って、大事にしてたんだよ。さりなちゃん」
声にならない声と共に兄だった人の胸へと飛び込む。細身に絞った身体に縋りつき、妹だった少女は肩に顔を埋め、泣き叫び続けた。
▼
は?と言いたくなるのを必死で抑えていた。
「アクアと同じ様に、私が前世の記憶を持ってる事までは、知ってるよね」
「…………」
ルビーの独白が始まってから、オレはずっと困惑していた。
───前世の記憶?何を言ってるんだコイツは。オレと同じ様に?オレは前世の記憶を持っていた?そのことをルビーと共有していた?
聞きたいことは山ほどあった。けれど、全てを飲み込む。ここでルビーが想定していないリアクションを取るわけにはいかない。黙って話の続きを待った。
そして語られる、昔の自分の話。大病を患い、病院で過ごし、そして死んでしまった。ずっと病室で1人だった時間を、一緒に過ごしてくれた人がいた。その人がアマミヤゴロウだと、告白した。
話を聞きながら、アクアの頭脳は回転する。あの不気味な少女の話。渡されたキーホルダー。流れ込んできた記憶。アマミヤゴロウと仲良くしていた天童寺さりな。
そして一つ、思い出す。たまにルビーが落ち込んだりした時、誰かの家の前に立ち尽くしていた事。呼び鈴を鳴らす事もなく、家人に会うわけでもない。ただ立つしかしていなかった事。
そしてその家の表札が、天童寺であった事。
バラバラに散っていた点と点が、線になって、繋がった。繋がってしまった。
───綺麗に筋は通る。けどあまりに荒唐無稽な前提。今時のネット小説サイトに溢れかえってる様な筋書き…
事実と認めるのは抵抗があった。合理的でリアリストでスーパードライ。神様や神話を信じていない無神論者のアクアは余計に。けれど少なくともルビーはこの話を真剣に話している。自分が前世を憶えていると本気で思っている。
「ママとせんせを殺したやつを見つけ出して!仇をとる!そのためならなんだってやる!誰だって利用する!嘘だってつく!もっともっと上り詰めて!生まれてきたことを後悔させてやるんだ!」
───これはもう、オレが何を言ってもダメだな
涙を流し、声を荒げるルビーを見て、母さんが望んでいないとか、復讐なんて自己満足に過ぎないとか、そういった正論を言っても決してルビーには届かないだろうと気づく。オレだけじゃなく、ミヤコや有馬が言ってもダメだ。ルビーにとってアイやアマミヤゴロウは神に等しい。神の言葉でなければ今のルビーは止められない。
───可能性は、ある。分の悪い賭けだが、やってみる価値はある。
ルビーの話を聞き、そしてあのキーホルダーから流れ込んできた記憶から。ルビーが他人の家の前で立ち尽くしていた理由もなんとなくわかった。アクアはルビーの前世が誰かについて、大枠予想がついていた。
けれどコレは大きな賭けだった。
だってアクアはアマミヤゴロウについて、ほとんど何も知らない。彼について知っていることといえばあの看護婦さんから聞いた話と、アクキーから流れ込んできた、さりなとのやりとりの記憶のみ。正直星野アクアを演じるより難易度は高い。性格も何もかもまるで掴めていない。
───でも、やるしかない
人の言葉では兄だろうと親だろうと今のルビーには届かない。なら神の言葉を聞かせるしかない。前世の記憶が自分にあり、そしてオレにもあると思っているのなら、通じるはず。なりすます事は出来る。
全てを救う薄氷の道。全てには当然ルビーも含まれているはず。
オレなら、出来る。
「…………少なくとも、オレは君がそんな事をしても喜ばないよ。さりなちゃん」
ルビーの激昂が止まる。そこからオレは努めて穏やかに。そしてさりなとアマミヤゴロウしか知らないはずの事を。2人の大事な思い出を語る。つい昨日知ったばかりのことを、まるで最初から憶えていたかのように口にした。
ポケットからアクリルキーホルダーを取り出す。そのままルビーの手にそっと握らせた。
「ずっと、君だと思って、大事にしてたんだよ。さりなちゃん」
泣き叫びながらルビーがオレの胸に飛び込む。賭けに勝った事に、オレは内心で胸を撫で下ろした。
▼
「せんせぇ!せんせぇーーーー!!」
会いたかった会いたかった会いたかった会いたかった会いたかった。
その想いだけを込めて叫び続ける。せんせーは何も言わず、けれど優しく私を抱きしめ、頭を撫で続けてくれた。
「ずっと見守っててくれてたんだね………こんなに近くで」
嬉しさが込み上げる。少し遅れて怒りも。
「どうして!?どうして今まで言わないでいたの!?」
アクアと兄妹をやって、16年。アクアはずっと黙っていた。自分のことは何も話さなかった。
「だって確証持てなかったし……流石にファンタジーが過ぎるっていうか、実際口にするにも勇気が必要だったっていうか。もし勘違いなら精神病院叩き込まれても文句言えないし──」
「ばかぁ!!」
胸元を叩く。けれど力は全く込められなかった。
「私頑張ったんだよ?B小町のアイドルって名乗れば、せんせーなら見つけてくれるって思ってさ。イベントでもライブでもせんせーが居ないか、いつも探してたんだから!」
「ああ、観てたよ。ずっと」
「せんせーが見てるかもって思って、いつも全力で頑張ってた」
「知ってる。よく頑張ったな」
「病院に連絡しても行方不明で、結局私の方から宮崎まで行って。そしたら何?あんなところで死んじゃって…」
「ごめん。辛い思いをさせた」
手を握る。見慣れたアクアの手。指先が硬い。ピアノやギター、ドラムをやってるアクアの指は幾度も剥けて、皮が張って、硬くなっていた。アクアも頑張っていた。努力していた。知っていた。私なんかよりずっと努力してきた人なことくらい。せんせーに謝ってほしくなくて、首を横に振った。
「痛かったよね?辛かったよね?寒かったよね?私の方こそごめんなさい。ずっと見つけてあげられなくて…」
「さりなちゃんは悪くないよ。殺した奴が悪いに決まってる。さりなちゃんが責任感じる必要なんてない」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。そうに決まってる」
───ああ、せんせーだ。この人は間違いなくせんせーだ。
リアリストで、モラリストで、根っこのところがすごく優しい。変わってない。せんせーの匂いがする。大好きだったあの匂いに、また会えた。
「だけど、私はあの頃とすっごく変わっちゃった」
ひどいことをしようとした。とんでもない嘘を吐こうとしてた。
「ママみたいにならなきゃって、辛かった。ママみたいに上手に嘘をついて。お兄ちゃんみたいに早く売れなきゃって」
「バカだな。オレや母さんと比較する必要なんてないのに」
「アイドルって全然楽しいことばかりじゃなくて。やな事いっぱい経験して。私もやな事考えちゃう時もあって。昨日からずっと汚いことばっか考えて」
「頑張りすぎだよ。そんなに頑張らなくていいんだよ……でも、頑張らせちゃったのはオレだな。ごめんな」
「ママのこと忘れられたら楽なのにとか何度も考えた。お兄ちゃんがいなきゃよかったのにとかも、ずっと」
「オレだってそうだよ。何度も考えた。母さんがいなかったら、もっと楽しくやれたのにって」
「ファンを見ると時々ママを殺した人の顔がよぎって、怖かった。せんせーの死体を見た時からずっと眠れなかった」
「オレのせいだな。ごめん、さりなちゃん。ごめん」
私の汚い部分の告白を、せんせーは全部受け止めてくれた。受け止めて、優しく私の背中を撫で続けてくれた。
「アイを追うことなんて、もうしなくていい。オレももう苺プロからはいなくなるんだ。オレにコンプレックスを抱く必要なんてない。やっと病室から出て、自由に生きられるようになったんじゃないか。これから君は、君の人生を生きていいんだ。嘘なんてつかず、真っ直ぐに。君だけの人生を」
「…………でも、ママのことは?」
「そっちはオレがちゃんとやる。ケジメはつける。黒幕には然るべき報いを受けてもらう」
「でも私も!私だって!せんせー1人に手を汚してほしくなんてないよ!」
「そんなつもりはない。言っただろ?そんなことしても母さんは喜ばない。ケジメはつける。報いは受けさせる。けどそれはオレの手によるものではあってはならない。ヤツを裁くのは法だ。法に裁かせる。そうでないと、オレもそいつと同じ場所に堕ちてしまう」
言ってることはわかる。モラリストのせんせーらしい結論だとも思う。だけど……
「法律とか裁判とか、あまり信用していいのかって…」
勝てるとは限らないし、時々変な裁判のニュースが流れることもある。自分たちが信じる正義が、法廷でも正義であるとは限らない。驚くほど理不尽な結果になることだってある。
「言い逃れできない証拠を揃えるつもりだ。でもオレもまだそいつを追っている最中でな。だからもう少し待ってくれ。なんなら期限をつけてもいい。3年以内にはケリをつける」
刑事事件の時効は15年。それまでには決着をつけるとせんせーは言う。3年。長いようで短い時間だ。
「長いと思うのはわかる。オレを信用できないのも。けど一度でも手を汚せば、君は帰って来れなくなる。目をキラキラさせながら、真っ直ぐに夢を見ていた君に。オレが推していた君に」
ドクンと胸が高鳴る。初めてだ。前世から数えても。せんせーが私を推していると、ハッキリ言ってくれたのは。推してくれると約束はしてくれたが、あれはあくまで約束。推していると言ってくれたわけではない。
その一言だけを求めて、ずっとアイドルを続けてきた。やっと聞けた。胸の高鳴りを抑えることはできなかった。
「あの時のままで。アイよりも輝いていたあの時の君のままで、いてほしい。誰のためでもない。アイのためでもない。オレのために」
ああ、せんせー。それ以上言わないで。そんな嬉しくなることを言わないで。嬉しくて、幸せで、どうにかなってしまいそうになるから。
「これからも、オレの推しの子でいてくれ」
壊れた。
この時、私の中の何かが壊れた。
そして壊れた残骸の中に、ただ一つ壊れないままキラキラと輝いている思い出が光を取り戻した。
───せんせ。私、忘れてないよ
あの時の言葉を。あの時のもう一つの約束を。
───16歳になったら、結婚してくれるって言ったよね?
正確には真面目に考えると言ったのだが、何かが壊れた乙女の
───せんせ?私もう16歳になったよ?
兄に抱きつき、兄に抱きしめられ、興奮と恍惚で火照る少女。
血のつながった兄に向けてはいけない顔をした──
女の顔をした、妹だった女の子の壮絶に美しい表情は、兄には見えなかった。
▼
「流石だなぁ」
冬の寒空の下、どこかの屋外でカラスと戯れる少女は感心と呆れの両方の意図を込め、賞賛する。
「全てを救うために、君の魂に全く刻まれていない人間を演じる。ダメ元で渡したあのキーホルダーに残った僅かな魂の残骸を頼りに。君にしか思いつかないだろうし、君にしかできないだろうね。本当に凄いと思うよ。最善だ。君が復讐を選ばないなら。全てを救うつもりなのなら。間違いなく最善の好手を打った」
しかし、ただ一つ。穴があるとするなら…
「君はもっと自分のことを振り返るべきだよ。いつまでも自分に才能がないなんて、思ってたらダメだ」
アクアは自分が才能がないと思っている。あかねや有馬。ルビー、フリル、そしてアイが持っている何かが無い。ただスペックで誤魔化しているだけだと本気で思っている。
「そんな事はないんだよ。君は全てを受け継いでる。足りないんじゃなくて、あり過ぎて欠落してるのさ」
かつて、一番星がそうだったように。彼女も沢山の人に愛されすぎて。
君の何気ない一言が人を堕とす
君の笑顔が
君の
誰も彼もを虜にしていくことを。
気づけなければ、きっといつか薄氷の道は耐えられなくなる。
「愛されれば愛されるほど、君が背負うべき業が増えていくんだから」
▼
程なくして、B小町のMVが完成し、ネットやユーチューブなどにアップされる。
キャストや裏方たちの尽力のおかげか。はたまた人ならざる何かの力か。新曲のMVは大きな注目を集め、新生B小町の知名度を大きく高める契機となった。
そしてもう一つのビッグニュース。
世間には特に関心を集めなかったが、芸能界では衝撃を与える事となった。
星野アクアの電撃移籍。
苺プロから最大手へと移った期待の新星は芸能界の注目を一層集める事となり、結果的にアクアの業界内における名声と期待値をさらに高める事となった。
そして、半年の時が過ぎる。
アクアとルビー、そしてフリルが2年生。有馬やあかねが3年生に進級。
それぞれの活動が、大きく動き始める一年となり───
「よく頑張ったな。お前も、この子も」
「あなた、抱いてあげて。あなたの子よ」
新たな星が生まれる一年が、始まろうとしていた。
星をなくした子、第一幕。完
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
第一幕完結しました。いかがだったでしょうか。次回からは第二幕。真犯人追求編がスタートします。半年後の世界。諸々の爆弾を全部背負ったまま薄氷の道を歩むアクア。芸能界で知名度を得たアクアが半年で得たコネと情報網を駆使し、真犯人に迫る。果たして辿り着けるのか、それとも……
とまあこんな感じで大筋は考えてるのですが、詳細はまだ全然詰められてません。多分第一幕が一番長いと思います。でも第二幕からはオリジナル要素が増えると思います。そのため第二幕はスタートまで少し時間がかかるでしょう。それまでどうかお待ちください。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
83rd take 躍進の差
けれどその時間の使い方は平等ではないだろう
躍進の差を考えてはいけない
それは抱えた業と覚悟の差なのだから
B小町のMV撮影から、半年が過ぎた。
「ええ。うちのルビーをですか?もちろん構いません。では企画書の方、お待ちしてます」
B小町は今や、ブレイク寸前の特有の空気を持つグループになりつつある。
きっかけはやはりあのMV。ヒムラさんとアネモネはこちらの期待以上の仕事をしてくれた。
アネモネの仕事は正直良い仕事かと言われれば微妙だった。アレはMVというよりプライベートアート作品と言っていい代物。通常の万人受けするMVとはかなり毛色が違った。しかし──
「刺さるやつにはめちゃくちゃ刺さるだろうな。巷に溢れかえってるありふれたMVより良いと思うぜ。新規でもコアなファンがつきそうなVだ」
元々芸術家肌のアクアには高評価だったようで、それはネットの反応でも同じだった。
洗練されたヒムラさんの楽曲。そこに乗ったアネモネのアート。
通常のアイドルMVと比較しても明らかに頭一つ抜けた完成度となり、再生回数はナント2000万回を突破。これは大手のアイドルグループと比較しても遜色ない数字。勿論火種となる基盤は作っていたし、打てるだけの広告戦略はMVがアップするまでの期間でできるだけ打った。
けれどこれはデビュー1年未満の新人アイドルが叩き出せる数字じゃない。
そして、その数字の中心に座したのは、間違いなく星野ルビー。
ルビーはどちらかというと天真爛漫さを売りにしていたが、今回のMVでは今までにないミステリアスでダークな雰囲気を纏い、何かを強く訴える視線は、観る者の心になんらかの爪痕を残した。
私達はあの瞳に見覚えがあった。
ストーカー撲滅PVで全てを食い荒らし、『今日あま』の最終回を私物化した男と同じ瞳。
最初期に星野アクアが纏っていた。周囲の視線を自らに引き摺り込む、魔性のオーラだった。
「血は争えないって事なのかしら」
「やっぱりアクたんとルビーには、何か特別なものがあるんだろうな………」
この機を逃すわけにはいかないB小町はSNS界を東奔西走。バズが新鮮なうちに大手ユーチューバーとのコラボをいくつか実現させたり、他チャンネルに定期的に呼ばれるくらいの関係性を築いた。
ネット戦略で最も活躍したのはメムちょだった。
自身の活動内容を削ってまでB小町の活動に専念。企画動画やshort動画の増加。長時間生放送も実施。それだけでなく動画編集者や切り抜き屋との交渉。及びキッズ向けやグッズ販売向けの動画などにもオファーを出し、横の繋がりを強化した。
全ては、一時的なバズではなく、コンスタントな導線の確保のため。
一回限りの視聴ではなくリピーターを増やす。継続的に客が入ってくるシステムの構築のため、メムちょは八面六臂の活躍を見せた。
そのおかげもあり、今やB小町の登録者数は36万人。ユーチューブから銀盾が届き、いずれ金盾も夢ではないレベルにまで来ている。
そしてルビーには個人的なオファーも増えていた。きっかけはコラボ動画におけるこの一言だっただろう。
『好きな男性のタイプは?』
『結婚するならどんな人がいいですか?』
アイドルをやっていれば必ずされる、アイドルの恋愛は許されないが、ファン達のガチ恋は許される。観ている人たちに夢を与えるためのこの質問。優しい人とか仕事をわかってくれる人とか、無難な答えを返す有馬やメムちょと違い、1人だけ具体的に、そして胸を張って断言してみせた。
『どっちもお兄ちゃんです!』
実現不可能、かつ可愛らしいこの答えはルビーの天真爛漫なキャラクターを強く後押しするもので、ファン層にめちゃくちゃウケた。ファンが安心して推せるブラコンアイドルとして人気を博し始める。
【ルビちゃんかわいい!】
【ブラコンカワイイヤッター!】
【あの星野アクアだから、仕方ないね!】
などのコメントがSNSで溢れ返った。
アクアの飛躍も相まって、ルビーの知名度はこの半年で急速に上がる。B小町のセンターを務めてるのは有馬かなだが、中心人物はもはやルビーであり、寧ろメムや有馬がバーターと化しつつあった。
「あかねも頑張ってるなぁ」
ネットニュースに時折あかねの名前が上がるたび、メムちょは少し嬉しくなる。あかねは初の主演映画の公開を控えていて、ドラマも何本か撮影が始まるらしい。
実力派女優としての地位を着実に築き始めている。もはやB小町も黒川あかねも芸能界で軌道に乗ったと言っても過言ではないだろう。
「この人は、そんなレベルじゃないけどね」
ウィンドウの中でカッコつけて大写しになっている金髪アシメの美少年の顔を指で弾く。今やこの男は渋谷の街中に溢れかえっており、若手マルチタレントの代名詞と呼べるほどの地位を確立させていた。
メムにとって、というか苺プロにとって、この半年で最大の衝撃。なんとアクアが大手事務所への移籍を発表したのだ。
前々から今ガチにおけるフリルとの関係から、誘われてはいたらしい。そしてあの東京ブレイドの活躍を経て、本気で勧誘をかけたそうだ。アクアも結構悩んだみたいだけど、最終的に移籍を決めた。
一度だけ、軽い送別会のようなものが執り行われた。もっと荒れるかと思ったが、ミヤコさんも有馬ちゃんもルビーも穏やかだった。表面的には。
「向こうに行っても頑張りなさいよ」
「済まないな、ミヤコ。これからって時に」
「いいのよ。打診があったのは知ってたし、移っていいって言ってたのも私だしね。それに正直コレから貴方とB小町二つの面倒を見るのは私だけじゃキツいと思い始めてたから。貴方はウチみたいな小さな事務所に収まる器じゃなかったのよ」
花束を受け取りながら、頭を下げる義息子の頬に義母が手を添える。顔を上げて、と言われてようやくアクアも頭を下げるのをやめた。
「それに移籍金はがっぽり貰ったしね。はるか先の益より目先のお金の方がウチみたいな中堅は大事よ」
「ははは…世知辛いな」
「それに、今までは身内故の躊躇いがあったけど、コレからは堂々とできるから」
「?」
疑問符を浮かべるアクアの唇をミヤコさんが奪う。親子がやってはいけない深度のキスを私たちは見せつけられた。
「身内の贔屓目って思われたくなかったから今まではコソコソしてたけど、これからは一ファンとして堂々と貴方のことを推させてもらうわ。それと恩を感じてるならこちらからのオファー断らないでよ。知ってるでしょ?私、イケメンと仕事するためにこの世界に入ったんだから」
「…………前向きに検討させていただきます、ミヤコ社長」
「ミヤコさんずるい!私もするー!お兄ちゃん、いってらっしゃいのチュー!」
「やめろルビー。気持ち悪い」
「ひどい!」
そんなドタバタが繰り広げられはしたが、比較的穏便にアクたんは苺プロから移籍していった。
次の日、二日酔いでグデングデンになってるミヤコさんを見て、やっぱり本音は移籍させたくなかったんだなぁとよくわかった。
「良かったのぉ?有馬ちゃん。アクたん止めないで」
「止められないわよ。私がアイツでも同じ選択するもの。中堅どころで才能を磨いて実力を伸ばして、力をつけたところで大手へ移籍。才能ある芸能人のスタンダードなステップアップよ。蹴る方が愚かだわ」
理解しているようなことを言ってはいたが、アクアが移籍した前と後で、有馬かなは確実に雰囲気が変わった。僅かな変化だが、MV撮影の頃にはあった、太陽感がなくなり、そしてその代わり……
『みんなー!!今日は来てくれてありがとー!!』
直視することも難しい眩さをルビーが放つようになり始めた。
動画で見せたミステリアスでダークなオーラ。けれど舞台では煌めくスポットライトの光に変わる。意図してやっているとは思えなかったが、このオーラのギャップは確実にルビーをB小町の中心へと立たせる力になっていた。
───そしてそのオーラを自在に使いこなす方は…
ユーチューブのお気に入り登録された動画。その中にはアクアが1人で歌っているサムネイルが映っている。
そう、アクアは今、歌手としての活動も積極的に行っていた。
きっかけはとあるドラマ。噛ませでもなんでもなく、紛れもなく主演を務めた作品が、星野アクアの名前を決定づけた。
『リバーシ・アイドル』
通称『リバドル』。人気コミックが原作のドラマ。
主人公は男子高校生、川原ルイ。幼馴染でアイドルを目指す女の子、茅野雫から、緊張を緩和するため、一緒にオーディションを受けてくれと頼まれてしまう。
『お願い!一緒にオーディション受けてくれるだけでいいから!』
最初は当然拒否するが、子供の頃からの夢を知っている彼は、まあ一緒に受けるだけなら、仕方なく承諾する。
『な、なんだコレはぁああああ!!?』
『わぁ、凄い。ルイのこと昔から中性的とは思ってたけど、実際に形にすると凄いクオリティ』
雫の手によって変装させられた姿はどう見ても女の子の姿だった。
『あれ?言ってなかった?女性アイドルグループだって』
そして、それから一悶着あったが、一度受けると言ってしまった以上、約束を破るのも気が引ける。仕方なく受けたそのオーディションになんと2人とも合格。ルイは合格を辞退しようとしたが、雫に一緒に入ってくれと懇願される。
『一緒にやろうルイ!周り知らない女の子ばっかりで私不安!いじめられそう!』
泣き落としで懇願された後、女装した写真を脅しのネタに使われ、雫がグループに慣れるまでの短期間なら、と受諾。
しかし才能を持って生まれてしまったルイはなんとグループのセンターに抜擢。なんやかんやと引くに引けない状況になってしまう。
『ふーん、カッコいいじゃん』
『私を差し置いてセンターに選ばれたからって調子乗らないでよ』
『アンタって男みたいね』
『なんでアンタなんかにドキドキするのよ!』
『アイツじゃなくて!私を頼ってよルイ!幼馴染でしょ!』
何人ものアイドルに囲まれ、身バレの危険を伴いながら、愛憎渦巻くアイドル界で戦うラブコメ作品。
学校では男子高校生。外ではアイドルという役。
本来なら不知火フリルが男装して務める予定だったこの主演。体調不良と学業への専念を理由にフリルは芸能活動の自粛を発表。日本で最も売れてるタレントだし、忙しすぎるのは大衆すら知っていた事だったから、この発表にはSNSでも同情的なコメントがほとんどで、批判などは全くと言っていいほどされなかった。
そしてガクッと仕事を減らした彼女の代わりに、白羽の矢が立ったのが星野アクア。唐突に割り振られた主演を、星の瞳の少年は完璧に演じ切ってみせた。
アイドルもののドラマなのだから当たり前だが、劇中で歌うシーンもダンスを踊るシーンもある。ギター演奏しながら歌うシーンさえあった。そして一度やるとなったら手加減はできないのが星野アクア。持って生まれた美声と運動神経。そして鍛え上げられた歌唱力とダンススキル、元バンドマンの腕が世間の目に晒され、認知されるところとなる。
『
という広告の下、撮影されたこのドラマ。公式アカウントには証拠として、アクアが女装するまでのメイク動画や実際に歌っている動画。OKテイクののち、ウィッグを外したり、メイクを落としたりしているメイキング動画などがアップされる。
『星野アクア!?美少女すぎ!』
『歌こんなに上手いの!?』
『ダンスキレキレ!絶対なんかやってた!』
『ギター演奏シンセとかひき振りじゃなくてコレマジで弾いてるやつじゃん!』
などなど。動画がアップされる度にSNS界隈は大騒ぎとなり、万バズが毎週ドッカンドッカン発生した。
演技力は言わずもがな。トークスキルもすでに周知されている。その上で見せた歌とダンスの高いスキル。演技だけではない。バラエティの司会や楽曲など、多岐にわたるアクアへのオファーが殺到するのは必然だった。
「できるのは知ってたけど、あの子が嫌がるから。そういう仕事はさせなかったのよ」
ミヤコさんが言っていた。アクアは中学時代、バンドマンとして活動してたことがあり、ステージで歌っている姿も見たことがあったと。けれど本職の世界を見てきたアクアにとって、自身の歌唱力は大したものではないと本気で思っており、中途半端な実力をひけらかすようなマネはしたがらなかった。故にミヤコは敢えてそういう仕事をさせなかった。義息子に意外と甘いミヤコらしい配慮だった。
しかし、大手にそんな甘えは許されない。
バズが新鮮なうちにオリジナル曲を作り出し、アクアに歌わせ、MVの制作に取り掛かる。この半年で発表されたMVは【
一曲目は聞いてるだけで力が湧き出るようなハードロック。二曲目は穏やかで物悲しいバラード。
ギター&ボーカルを務めたのは星野アクア。
劇中で歌われた曲も含め、これらのMVはあっという間に再生数1億回を突破。
そして先月、星野アクア作詞作曲の新曲【ロスト・チャイルド】がリリース。
夢を求めて、理想を演じるうちに本当の自分がわからなくなるアイドルの心情を幻想とリアルを絶妙のブレンドで交え、生々しく、けれど美しく綴られた歌詞。明るい曲調の中でも、時折と闇を感じさせるメロディはティーンだけでなく歌詞の意味がイマイチわかっていない幼い子供たちの心にも爪痕を残した。
数々のランキングで一位を総ナメ。ストリーミングも一ヶ月間トップを独占。今年の紅白の出場もほぼ確実視されている。
半年前までSNSの活動なんてまるでしていなかった星野アクアの公式アカウントの登録者数は70万オーバー。ユーチューブはやっていないが、もしやってたら軽く100万人以上の登録者をマークしていただろう。
ずば抜けたルックス。第一線で戦い続けているベテラン達と混ざっても光り輝く演技力。特に感情演技の評判が高い。
『まるで画面を突き抜けて伝わってくるかのような表現力』
『喜怒哀楽全ての感情が真に迫る』
『敵役にも味方役にも愛を感じる。キャラというか、共演者を大事にしてる』
薄っぺらではない本物の真心がこもった感情演技。その眩さは星野アクアを照らすだけでなく、共演者も輝かせ、結果的に自分がさらに輝く。共演者達から芸能界へ、評価はあっという間に広がった。
星を愛する星はどの現場でも重宝され、高いコミュ力は評判を呼び、監督が求める理想的演技を120点のクオリティでやってのける新星。映像関係者はこぞって彼を使いたがった。
バラエティなどでは基本皮肉屋で毒舌クールな正論マシーン。しかし根っこは熱いキャラクター。高いトーク力にMC能力。音楽においても才能を魅せた。
【不知火フリルに肩を並べる才能】
【令和の福○雅治】
などなど。多種多様な異名で呼ばれ、俳優、ミュージシャン、バラエティ司会者。三つの軸を持ち、どの分野においても高いスキルを魅せた星野アクアは現在、天才の名を欲しいままにしている。
街中の至る所で流れるbgm。広告の動画。マルキューの看板。雑誌の表紙。今や日本中に星野アクアが溢れていた。
ここまでの格差を見せつけられるともはや対抗心はおろか、嫉妬すら湧いてこない。
端的に言い表すと───
「やってらんねー」
である。
この芸能界という伏魔殿で、B小町も順調と言って差し支えない。これ以上を望むのは贅沢と言える。
しかしこちらのボーナス貰っても足りないような努力と労働をあっさりと超えている姿を見せつけられれば。同じ半年という時間でこれほどの伸びの違いを見せつけられれば、この感想になるのも致し方ない事だろう。
「大手の力、か」
活動自粛したことによってできてしまった不知火フリルという大きすぎる穴。その穴を埋めるべく彼らは星野アクアをプッシュした。そしてアクアはその期待に十二分に答えた。与えられたチャンスを掴み、波に乗り、今やマルチタレントとして、不知火フリルと肩を並べる存在にまでのし上がった。
「けど、なんか違和感あるんだよなぁ」
アクアのこの半年の活動にメムちょは違和感を感じていた。
大手に移籍したからには今までのような甘えが許されなくなるのはわかる。けれどフリルの事務所は結構タレントに気を遣ってくれる方の大手だ。そうでなければ『東京ブレイド』はともかく、ネットバラエティにおいて最底辺と言っても過言でない恋愛リアリティショーの参加が事務所の意向のはずはない。
アレはアクアに会いたかったがためだけの、不知火フリルのワガママだった。そんなワガママを許す程度の緩さはあるはずだ。
それなのにアクアはこの半年、事務所の言いなりだ。身を粉にして尽くしている。演技、歌、ダンス、ギター、バラエティ。生まれ持った才能、培ってきた技術、惜しみなく放出し、殺人的スケジュールをこなしている。その忙しさは恐らく不知火フリルの全盛期に迫るほどだろう。
───アクたん、芸能界にそんなにやる気あったっけ?
才能はある。努力もしている。けれど何がなんでもトップに上がってやるというガツガツした熱さはなかったハズだ。求められる仕事はこなすし、やるとなったら全力でやる。けれど自分が気の進まない事はやらない。それで批判する人がいたり、地位を落とすというなら構わない。オレはオレのために芸能をやる。応援も批判もご自由に。
そんなクソ生意気な、けれどそれくらいの生意気は許される能力を持っている。それが星野アクアのスタンスだったはず。
「何かモチベーションを自分以外のところで見つけたのかな……それとも事務所になんか弱みでも…」
目を閉じる。電気をつけたままいつのまにかメムちょの意識は闇に落ちた。
▼
「まあ、音はこだわり強い人が多いからなぁ。オレも人のこと言えないけど」
『完璧主義だもんね、アクアくん。この間のMVも相当拘ったんでしょ?』
「時間的な限界があったからそこまでじゃない。詰めはほとんどオレは関わってないし。けど完成ってのは諦めに限りなく近いよなぁ」
スマホで会話しながら廊下を歩く。すっかり日も暮れてほとんどの人が眠る準備に入る時間帯。蜂蜜色の髪の青年は照明で照らされた道で通話していた。通話の相手は黒川あかね。星野アクアの公式彼女。そしてプライベートでも交際中だ。
『音響の人って怒鳴ったりするからさ。監督より怖かったよ』
「わかるわかる。隣で怒鳴られると自分が怒られてるより怖く感じることあるよな。あかねなんか感受性高いから尚更」
『そうなんだよー。映画の撮影って時間取る分ホント細かくて……愚痴りたいこといっぱい』
ハハと笑いを返す。音声の向こうで何やらモゾモゾ動いているのがわかる。多分寝巻き姿でベッドの上から会話してるんだろう。あかねはこの頃、オレの声を聞きながら眠るのがマイブームになっている。
『ホントは今日会いたかったなぁ。夜ならギリギリ空いてたから会うだけでも出来たのに』
「悪いな、オレの方が都合つかなくて」
『ううん、アクアくんは今が勝負の時だもん。半年前はずっとアクアくんが理解ある彼氏だった。今度は私の番だよね』
「ありがとう」
『それに明日の夜は会えるんでしょ?』
「まあなんとかワンチャンってとこだな。そっちは?」
『私もワンチャン。埋まる可能性も普通にあっちゃう』
「お互い忙しいな」
『アクアくんに比べれば私はまだまだなんだろうけど、それでもドラマがあるとどうしても』
ドラマの拘束時間は長い。ワンシーン撮るのにも時間がかかるし、自分の出番が来るまで一時間二時間ザラに待つ。忙しい事はありがたい事だが、それ故に普通の高校生のカップルのような時間が取れなくなった。半年前は週一でデートしてたのに、今や月一あれば御の字レベル。
「あかね、眠い?」
『…………眠りたくない』
出さないようにしていたが、バレる。この半年でアクアは声を聞くだけでなんとなくあかねの状態がわかるようになっていた。
「朝から仕事なんだろ?疲れてるだろうし、ちゃんと休め。回復させるのも仕事の内だぞ」
『…………わかってるもん』
「うまくいけば明日会えるんだから」
『…………ばか』
そういう問題じゃないと頬を膨らませている顔が目に浮かぶ。可愛くて、笑ってしまった。
「もう切るぜ。あかね、おやすみ」
『…………アクアくん』
黙り込む。エレベーターのスイッチを押した後、アクアも立ち止まった。
『早く会いたい』
「…………オレもだよ」
通話が切れる。ふう、と一度息を吐くと、エレベーターが目標の階へと到着し、扉を開く。
またしばらく廊下を歩く。清掃された真っ白で美しい廊下は暖かさと同時に少し寒気も感じさせる。
目的の部屋へと到着し、インターホンを鳴らす。十数えるほど立つと、ドアが開く。その瞬間、防音されていた部屋から一気に音が漏れる。やっぱりというか、だよなというか。期待通りの音。
「………今日も元気だな」
思わず笑みが漏れる。扉の先に広がっていたのは期待通りの光景。
「あなた、おかえり」
「ああ、ただいま。フリル」
泣いている赤ん坊を抱きかかえた不知火フリルが、星野アクアを出迎えた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
苺プロ周りの半年間、というかほとんどメムちょの半年間ダイジェストでした。B小町の躍進はほぼ原作通り。ちょっとルビーが原作よりも人気かな?くらいで重曹ちゃんのモチベが若干低いって感じです。そして大手の恩恵とスパルタを受けたアクアは大躍進。もうほぼフリルと変わらないくらいの知名度になりつつあります。次話はアクア視点の半年間。新天地での事情。新居の状況。不知火家への挨拶。子供の名前付け。諸々やる予定です。多分時間かかりますが、ご容赦ください。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
84th take 2人の183日間・アクア編
星をなくした子は敷かれたエスカレーターを駆け上がる
煌びやかな世界を映す星の瞳
その輝きは光を増すほど色褪せて
柔らかい暖かさと重さが布越しでも伝わってくる。まっしろなおくるみに包まれて、オレの腕の中で寝息を立てる小さな生命体に、なぜか笑みが誘われてしまう。
よく泣き、よく笑い、よく眠る。今の1秒を懸命に生きる命に、敬意と慈愛が溢れ出した。
「もう、やってられないなぁ」
バスルームの扉が開く。簡単な寝巻きに身を包み、綺麗なタオルで丁寧に髪を拭くのは艶やかな黒髪に、ほてった白磁の肌。一点の墨を落とした様な泣きぼくろが艶っぽい。最近は少女らしさだけでなく、どこか妖艶さも纏われている。美人は3日で飽きるというが、日を追うごとに美しさを増しているのではと感じさせるこの女から、飽きというものはまるで湧いてこない。
不知火フリル。若手の中では間違いなくNo. 1の知名度をもつ天才。半年前に活動自粛を発表したが、その名声にはいささかの翳りもない。そして先日から少しずつ芸能活動を復帰させつつあるマルチタレントだ。子供の世話をアクアに任せている間に入浴を済ませていた。
「やってられないって何が?」
腕の中の赤ん坊をそっと寝床へと移す。背中スイッチを押して目が覚めないように入念に神経を張り巡らせながら。その甲斐あってか、赤ん坊は父親の腕から離れても目を覚すことなく眠り続けた。
「だって私といる時、この子そこそこ泣くんだよ?抱っこしてても中々泣き止んでくれないしさ。でもあなたが抱くと結構あっさり泣き止むんだもん」
飲み物を口にしながら、アクアが作り置きしていた料理を軽くつまんでいる。
2人きりの時、フリルはアクアのことを『あなた』と呼ぶようになっていた。最初は変な感じになるからやめろ、と言ったのだが。
『だって父親のこと名前で呼んでる母親って子供から見たらアレじゃない?』
『アレってなんだよ。言わんとする事はわかるが。別にそういう家庭も普通にあるだろ。知らんけど』
『しかもアクアは名前がアクアだし』
『……確かにちょっとアレだな』
というやり取りがあり、フリルの『あなた』呼びをアクアは受け入れる。
理由がそれだけじゃないことにもなんとなく気づいていたから。
『オレ達、多分結婚はできねーぞ』
『いいよ、法的にできなくても』
いつもの涼しい顔でサラッと言っていたが、少しざらついた感情が混ざったことはわかっていた。お互い結婚はできないし、籍にも入れない。だからせめて2人の時は気分だけでも夫婦でありたいというフリルの乙女心。指摘はせずに受け入れるのがせめてもの責任だろう。
一度受け入れれば結構違和感はなく、いつのまにか慣れてしまった。
「私の方が圧倒的に面倒見てるはずなのに、あなたの方に圧倒的に懐いてる。なんか悔しい。やってられない」
少し空転していた思考が現実に帰ってくる。そっと肘に手を添えてきたフリルの行動で、多分心ここに在らずだったことぐらいは気づかれただろうなとはわかる。慰労も兼ねて身を寄せてくれるフリルへ感謝を込めて、彼女の華奢な肩を抱いた。
「偶然だろ。オレが抱いてても泣く時はちゃんとある」
「私と比べたら頻度は絶対低い。毎日見てる私が言うんだから間違いない。やっぱり女の子はお母さんよりお父さんの方が良いのかなぁ。それとも私の血?私があなたの虜だから娘も虜?絆が男の子だったら違ったのかなー。あーあ、私を癒してくれるのは愛娘の寝顔と、メムちょの動画だけだよ」
「好きだな、お前」
起こさない様にフリルの華奢な手がぷくぷくの赤子の頬に触れる。『不知火絆』と名付けられた女の子に不快そうな様子は一切なく、すやすやと眠り続けた。
「おかえり、あなた。お疲れ様」
「ただいま、フリル。いつも任せきりにして済まないな」
「気にしないで。私もそうだったから。こうして会いに来てくれるだけで、充分」
一児を産んでもまるで美しさが衰えない肢体を抱き寄せ、フリルもまた、この半年で一段と艶を増した蜂蜜色の髪の青年の首に腕を回す。絆が起きないように、静かに唇を合わせながら、アクアはこの生活に慣れてきたことに少し怖さを感じていた。
「ご飯は?」
「食べてないよ」
「良かった。今日は一緒に食べられるね」
ウキウキとキッチンへと向かい、作っておいた夕食を温め直し始める。この半年でフリルはめちゃくちゃ料理が上手くなった。妊娠中はオレが作ることも多かったのだが、その間も家事について勉強したり、男が好きな料理や手作りできる赤ちゃんの離乳の研究もしていた。
正直最初は食えたものではなかったが、やり始めたら結局なんでもできてしまうのが不知火フリル。
あっという間にメキメキと腕は上がり、今ではどこに出しても恥ずかしくない家事スキルとなっている。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
2人でテーブルの前で手を合わせ、食事が始まる。栄養バランスやカロリー計算など、よく考えられたメニューだ。もちろん味も良い。まさかフリルに食事を作ってもらえる日が来るとは、半年前は夢にも思わなかった。
「仕事の方はどう?」
「忙しいうちが花だと思ってるよ。絆は?最近ようやく『あーうー』くらい言えるようになったとは聞いたけど」
「そうそう。この間はね──」
たわいない雑談が穏やかに繰り広げられる。アクアとフリルの食卓に難しい話や打算はなくなった。以前はもっとクリエイティブというか、お互いためになる情報交換の場がアクアとフリルのデートの定番だったが、この半年でそんな小難しさは吹き飛んでしまっている。ここ最近は大抵が会えなかった時間の出来事をダラダラと語り合うだけ。
穏やかで、嘘がなくて、居心地がいい。
そんな時間が、今のアクアとフリルの蜜月だった。
「…………っ」
「疲れてるね」
食事が終わり、人心地ついた後、眠気が強烈に猛襲をかけてきた。噛み殺した欠伸に気づかれる。少しバツの悪そうな顔をしたアクアとは裏腹に、泣きぼくろの少女は満面の笑みで膝を崩し、自分の腿をポンポンと叩いた。
「おいで」
「いいのか?横になったら多分ソッコー寝るぞ?」
「いいよ。一緒にいられるだけで幸せだから」
そっと肩に手を添えられる。このままだと力尽くで寝かせられると判断したアクアは言葉に甘え、フリルの膝に頭を預ける。柔らかさの中に弾力とじんわりとした暖かさを感じる。もう微睡の中に落ちそうなアクアを愛おしそうに眺めながら、フリルは膝に乗せられた蜂蜜色の髪に指を通す。
移籍後の初任給でアクアが購入し、フリルに贈った、左手の薬指に鈍く輝く指輪が、僅かに引っかかった。
▼
時間は少し戻って半年前。あの時もらい、捨てられなかった名刺に書かれた番号を、躊躇いながらもタップする。少し待つとコール音が止まった。
『はい、どちら様?』
「…………アクアです」
『ああ。知らない番号だったから誰かと思えば。待ってたわよ』
罵倒されるの覚悟でかけた電話だったが、社長の声音は穏やかで、寧ろ喜んでいるような気配さえ感じられた。
『フリルとは会えた?』
「…………はい」
『そう。良かった。安心したわよ』
「なんで空港でアイツのこと黙ってたんですか?」
『なんのタネも仕掛けもなく、貴方自身の力でたどり着いてくれなきゃ認められなかったからよ。貴方も、フリルもね』
言っている意味はわかるような、わからないような。少し難解だが、少なくともオレは試されて、その試験に合格したという事はなんとなく伝わった。
『移籍について、色良い返事が聞かせてもらえると思って良いのかしら?』
「…………二つ、約束してください」
『二つと言わず、何なりと』
「オレへの移籍金は要りません。その代わり苺プロにオレの分まで移籍金を上乗せしてください。それとフリルのその子の情報を、総力を上げて守る事をお願いします。そのためならオレはなんだって惜しみません」
▼
「というわけで、今日からウチに移籍する事になりました。みなさんご存知、星野アクアくんです。期待の新星なのでみんな仲良くしてあげてください」
「星野アクアです。至らない所もあるかとは思いますが、できる事はなんでもやる所存です。どうかよろしくお願いします」
約半年前、社長の紹介のもと、星の瞳の少年が頭を下げる。まばらな拍手が巻き起こったが、どう観ても歓迎はされていない。
星野アクアの新天地でのスタートは針の筵から始まった。
事務所を移籍してまず驚いた事。それはフリルの妊娠について、社長とフリル専属マネージャーを除き、知っている人はいなかったという事だった。
「知っている口は一つでも少なくするって言ったでしょ?それはウチの身内だろうと例外じゃないわよ」
一通りの挨拶回りが終わった後、社長から現状について説明を受ける。そして事務所内でもフリルのことは口外しないように、と釘を刺されていた。
しかし突然のフリルの活動自粛。そしてほぼ同時期のアクアの移籍。この二つの爆弾が無関係と思っているものは事務所内で1人もおらず、何かしらのやらかしの埋め合わせのため、アクアが引っ張ってこられたのだろうなと誰もが薄々勘付いていた。
「貴方のマネージャーはこの子に任せるわ。知ってるでしょうけど紹介するわね。白河渚ちゃんよ。挨拶して」
「白河です。よろしくお願いします。星野さん」
握手を求めてくるのはフリルの専属マネージャーを務めている女性の1人。アクアも今ガチの時から顔と名前知ってたし、敏腕な事も知っている。しかしまさかこの人がオレのマネージャーになるとは思っていなかった。
「辻倉はフリルのケアで手一杯ですし、私以外の誰にフリルさんと貴方の間を取り持てるというのですか?」
「…………オレに対して、不満はないのですか?」
「仕事に私情は挟みません」
差し出された手を取った時、冷たい拒絶の感情が伝わってきた気がする。私情ではオレのことを殺したいくらい憎んでいるのがよくわかった。
「アクア、引っ越しの方は順調?」
「はい。明日には新居に移ります」
移籍にあたって、アクアは苺プロの上にある実家から出ることになっている。新居は社長が用意してくれたし、アクアとしても否はなかったのだが、このことを家族に伝えた時、ルビーはめちゃくちゃゴネまくった。
『なんで!?移籍しても家まで移る必要ないじゃん!』
『しょうがないだろう。ウチって事務所とほぼ一体になってる家だし。部外者になるオレが苺プロで寝泊まりするわけにはいかねーって』
『大丈夫だよ!家族だからで充分言い訳できるって!』
『世間体だけじゃない。事務所同士のコンプラの問題もある。というかもうアッチの事務所が新居用意してくれてるし。今更引っ越しませんは通じねー』
『ルビー、ワガママ言うんじゃありません』
『でもぉ!!』
しばらくゴネていたルビーを見かねて、仕方なくアクアは奥の手を使うことにする。
『新居に来たら気兼ねなく2人きりになれるぞ』
耳打ちしたこの一言で赤い瞳の少女はあっさりと手のひら返し。むしろサッサと引っ越せと言い出した。
「妹さんに住所教えたの?」
「あのマンションなら大丈夫でしょう。こっちの許可がなければエントランスすら入れませんし。入居者の出入り口はエントランスとは別にありますし。こちらが許可した階以外にはエレベーターも使えませんから」
社長が家族であろうと住居教えたことに関して警戒する理由。それは至極単純。
フリルもアクアと同じマンション、アクアの数階上に新居を構えたからである。
これにはいくつか理由がある。
アクアとフリルの新居はトリプルオートロックのタワーマンション。アクア達以外の芸能人も何人か住んでるし、不審者を見かければすぐ通報されるほど住民のセキュリティ意識も高いことで有名。だから、記者達も長時間の住居の張り込みは諦める場合も多い。
そして親密な関係のある男女の芸能人が同じマンションに住んでいるというのはツーショットを撮られた時の言い訳も成り立ちやすい。
記者は基本的にマンションの敷地内には入れない(入ってくる場合も稀にある)。
そのため万が一写真に撮られても『同じマンションに住んでるだけですけど?』という主張も通るし、道端を2人で歩いてても『帰り道が同じだけですけど?』という言い訳も通る。
まあ今のお腹が目立ち始めたフリルは迂闊に外出できないけれど。
アレから少しして退院したフリルは一足早く引っ越しを済ませ、新生活を始めている。様々な医療器具も持ち込まれ、フリルの新居はほとんど病院の個室と大差ないクオリティに仕上がっている。出産も病院ではなく自宅で行う予定だ。
芸能活動も完全な休業はせず、自粛で留め、学校も休学はしていない。授業はリモート。しかもマイクがオンならカメラはオフでもOK。試験はウェブで対応してくれるのはさすが芸能科の学校という所だろう。
生活のサポートはマネージャーが務め、SNSでの活動や顔だけが映るような芸能活動をし、勉強はリモートで済ませる。異常があれば事務所が提携している医師にすぐ連絡ができる。コレが大学病院を退院した後の不知火フリルの新生活だった。
───けど父親にしかできないサポートもある。だから貴方達の生活区域をできるだけ近くにした配慮だったわけだけど。意外と家族には甘いわね、アクア
彼なりに警戒はしているし、万が一にもフリルと鉢合わせにならない様にはしている。家族相手ならこちらも文句は言いにくい。けれどできれば秘密にしておいて欲しかった。スキャンダルの発覚は大抵が身内のリーク。アクアの身内が情報源にならないとはとても言い切れなかった。
「まあいいわ。とにかく、貴方はプライベートではフリルのことを第一に考えて行動すること。少なくともこの半年はね」
「そのつもりです」
「あと、あの子がこの半年でやる予定だった仕事及び新星『星野アクア』個人的に向けられてるオファー、全部こなしてもらうから。致死量ギリギリのスケジュールを覚悟しておきなさい」
「望む所です」
そして始まった大手での芸能活動。去年の年末から断り続けていたインタビューオファーを片っ端から引き受け、全くやってなかったSNSでのマーケティングも着手し、俳優業はもちろん、モデル業やネットバラエティの司会まで、ありとあらゆる仕事をこなした。
そして星野アクアの名前を決定的にバズらせた『リバドル』の主演オファーが来る。
「もちろん知ってるわよね」
「まあタイトルとあらすじくらいは」
創作の世界に関わっている限り、ヒット作品の情報収集は欠かせない。作品の理解度は演技に直結するからだ。その辺りは当然アクアも怠ってはいなかった。
「表は高校生、裏ではアイドル。男子と女子が裏返る。リバーシ・アイドル。通称リバドル」
「その主演オファーが来たわ。貴方に」
世間に名が知れ渡ったスポ根ラブコメ原作のドラマ。その主演。間違いなく良い話だ。良い話なのだが。
「…………アイドルものって事は女装しますよね」
「当然」
「歌ったり踊ったりもしますよね」
「ギター弾いて歌うシーンもあるわよー」
「…………断ってもらう──」
「権利が貴方にあると思う?」
その一言でオレは何も言えなくなる。話を詳しく聞くと、オファー自体は少し前から来ていて、本来ならフリルが男装して出演するはずだったらしい。
「でもフリルは今アレだしー。誰かが責任取ってくれなきゃいけないわよねー?」
「…………わかりましたよ。やりますよ」
『スタントNG一切なし。全て本人が演じています』という広告が前提だったこのドラマ。オレにも勿論スタントやNGが許されるはずもなく、女装も、歌も、ダンスも、ギターも、全部オレ本人にやらされた。
女装はメイクさんがやってくれるし、歌もダンスも叩き込まれてるし、本職はドラムだけどギターとベースも一通りナナさんから教わった。(作詞作曲するにあたって、弾けた方がやりやすかったから)
しかし歌とダンスはともかく、ギターは基本のバレーコードが弾ける程度。ハッキリ言って素人に毛が生えたレベルと言っても過言ではない。こんな中途半端な腕を公共の電波に乗せて見せたくはなかったのだが…
「拒否とかできる立場だと思ってる?」
コレを言われてしまうとどうしようもない。仕方ないので事務所でコーチをつけてもらい、合間の時間でみっちり練習して、人前に出ても恥ずかしくない腕に間に合わせる事となった。
▼
「で、家でも練習してるんだ」
マンションの中でも防音に優れた部屋でギターを鳴らしていると部屋の扉が開く。青みがかった黒髪美少女の両手には湯気を上げる鍋が可愛らしい鍋つかみに握られている。
引っ越しをしてから少し経ったぐらいのころから、あかねは予定が空いていれば、アクアの元へ訪れるようにしていた。
「綺麗なギターだよね。なんていうの?」
「ホワイトファルコン。最も美しいギターって呼ばれてる」
グレッチギターの中でも最も高価な最上位グレードのギター。白一色・ホワイトカラーのボディとゴールドパーツという豪華絢爛なビジュアルだけでなく、その独特のサウンドに世界中のギタリストが魅せられている。ゴージャスなゴールドパーツ、アメリカの高級車キャデラックを連想させるようなホワイト・フィニッシュ、Vシェイプのファルコン・ヘッドなど、細部にまで芸術的なこだわりを持って作られたパーツには神々しさすら感じられる。まさに世界で最も美しいギターの名に相応しい。
リバドルを引き受けるにあたり、ギターの練習が必要だったため、事務所が用意してくれたものだ。社長に『好きなの言っていいよ』と言われて、冗談半分で『ホワイトファルコン』と答えたらその日のうちにマジで用意してくれた。大手の凄さと恐ろしさを感じた瞬間だった。ここでは迂闊に冗談も言えない。せっかくなので貰っといたけど。最初は慣れるまで時間がかかったが、今はもう手に吸い付くように感じるほど馴染んでいた。
「練習もいいけど、ご飯にしよう。冷めちゃうよ」
「ああ」
オフの日にはあかねがウチに訪れて、部屋の掃除とご飯を作りに来てくれる。移籍して一ヶ月が経った頃くらいから、こんな日常が当たり前になっていた。
いつだったか。いつも通り近況を報告しあって、お互いのオフの日を確認していた時───
『今度のオフ、アクアくんの家に行っていい?』
NOとは言えなかった。言えるだけの理由が見つからなかった。
以来あかねはお互いのオフが合う日にはウチに来るようになった。お互い忙しくなり、以前の様に時間を取って出かけるなどができなくなった。だからせめてもの、おうちデート。求められるのはわかるし、理解も示してあげたかった。
繰り返しているうちに、一緒にいる時間が長くなり、泊まりになることも増える。ドラマの撮影が始まる頃にはもうほぼ半同棲と言っても過言でない状況にまでなっていた。
「食べないのか?」
「アクアくんが食べてるのを見るの、楽しいから」
テーブルであかねの手料理に舌鼓を打つ様子を、目を細めてニコニコと頬杖をつきながらじっとみられるのは可愛らしいと同時に子供でも見ている様な目線で、ちょっと嫌だった。
そして食事の後に肌を合わせるのもいつのまにか習慣になってしまった。
「んっ、あ………アクアくんっ」
針の筵ではあるが仕事には困っておらず、休みの日には手料理を作りにきてくれる彼女がいて、夜にはこうして身体を重ねる。
側から見れば順風満帆な芸能人生を送っている様に見えるだろう。義母との関係は良好で、妹との関係も今のところなんとか丸く収めており、こうしてプライベートには美しい彼女を抱いている。不満などあるとすればそれは贅沢というものだ。
これから先の未来で潜り抜けなければいけない修羅場を除けば。
「アクアくん」
不意に名前を呼ばれ、オレの髪の毛をクシャクシャとかき混ぜられる。組み敷いている青みがかった黒髪の美少女は頬を赤く上気させ、潤んだ瞳でオレを見上げた。
「今、別のこと考えてたでしょう?」
首の後ろに腕を回され、グッと抱き寄せられる。オレの鼻先が柔肌に埋まり、石鹸と他の何かが混ざった甘酸っぱい香りが鼻腔を埋め尽くした。
「今は、今だけは、私のことだけを考えてくれなきゃ、やだよ?」
「…………あかねのこと、考えてた」
切なげな吐息が漏れる。あかねは喘ぐように呼気を求めたが、オレの唇がそれを許さない。苦悶の声を上げながら、あかねの身体が弓形にしなり、痙攣した。
「アクアくん」
「ん?」
「好き」
「オレも好き」
あかねの声に応えながら、アクアは少し未来に想いを馳せる。近い将来、ちょっとした面倒ごとが待っていた。
『私は付き合わせたくないんだけど、父がどうしてもって』
あかねが来る少し前、上の階に住む、だいぶお腹が大きくなった泣きぼくろの少女から連絡がきていた。
『一度家に顔を出せって……アクアも一緒に』
不知火フリルの実家に、呼び出されていた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
アクア視点の半年間でした。いかがだったでしょうか。と言ってもまだ途中ですが。一応理由があります。不知火絆の名前の由来は次回以降で。人の心がありません。次回はフリル視点の半年間です。不知火家の挨拶はその後で。修羅場です。お楽しみに。
以下ちょっと本誌ネタバレ
才能は良くも悪くも人生を左右する。本人も、周りの人も。本誌はアイの才能に振り回される物語ですね。そして拙作はアクアだけはアイに振り回されてると思ってます。が、真実は星野アクアの才能に振り回されて人生左右された人たちの物語です。アクア本人含めて。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
85th take 2人の183日間・フリル編
それは母となるための覚悟の時間
傷を受け入れ、傷つけることを覚悟するための時間
傷を絆にするための時間
アクアとあの旅行で再会して、別れてから、私は一週間後に退院した。
一度事務所に顔を出すと、社長は私の活動自粛の宣言と、アクアの移籍について語った。
「完全に活動休止って公表すると勘繰るやつも出てくるかもしれない。だから休止じゃなくて自粛にするわ。貴方も顔出ししないSNSの活動くらいならできるでしょう」
───話したんだ、アクア。社長に。
今後の方針を聞きながらも、私の頭の中はアクアの事でいっぱいだった。
アクアがウチに移籍すると言う事は、私達があの病院で出会ったことをアクアは社長に言ったということ。実質的な自首に近い行為。そのことをフリルは嬉しく思うと同時にとても悲しかった。
───どうして秘密にしてくれって頼んでくれなかったの?どうして責任なんて取ろうとするの?私関係ないって言ったのに。私の失敗だって言ったのに。貴方が黙っててって言うなら、私は口が裂けても貴方と出会ったことを社長には話さなかったのに!
そんなことができる男じゃないのはわかってた。貸し借りに厳しく、責任オバケな事も知っている。けれどそれでも、黙っていてくれと言って欲しかった。私に縋って欲しかった。特別扱いをされたかった。
「移籍に伴って、アクアには引っ越しをしてもらうわ。フリル、貴方も同じマンションに居を構えなさい。病院の個室並みの設備を整えるって、アクアと約束したからね」
出産の際、病院に行くのではなく、自宅出産をする事を私は決めていた。病院で産んだら誰の目に触れるかわからないし、知っている口がどうしても増えてしまう。この件に関しては社長とマネージャー。アクアと事務所と繋がりのある産婦人科医。必要最低限の少数だけにしか関与させたくなかった。
「関わる産婦人科医はこういった事態のためにウチとコネがある医者だし、念の為身元も洗ってあるわ。外に漏れる事はないし、漏れたとしても下手人はすぐ割れる」
「アクアと同じマンションにする必要は……」
「子供を産むにしても育てるにしても父親の助けってやつはどうしても必要なの。その辺りの協力は惜しまないって彼も言ってたわ。安全面と心情面の両方を考慮しても、これがベストよ」
このことにできるだけアクアは巻き込みたくなかったのだが、事務所も移籍し、同じマンションに住むとなると、もう巻き込まないは不可能だろう。これ以上は尽くしてくれる社長とアクアに申し訳ない。頼る時は全力で頼ろうとフリルも諦めた。
新しいマンションはすでに事務所が契約を結んでいた物件の一つなため、引っ越しにそこまで労力はかからなかった。医療設備に関しては素人が触れることさえ許されなかったし。
「…………すげぇな」
そしてアクアの引っ越しが終わってから、一度ウチに顔を出してきたことがあった。そして備えられた設備の凄さに感嘆していた。
「自宅出産するなら、これくらいは整えないとって」
「ほとんど病院と変わんねーんじゃねーのか?引っ越し業者の人変だと思っただろーな」
「医療設備に関しては技術者さんしか触ってないよ。素人がセットできるものでもないから」
「……まさか引っ越し立ち会ったのか?」
「ううん。白河さんがやってくれた。この部屋の名義も白河さんだし。私は身一つでここに来ただけ」
「そうか、良かった」
安心したように柔らかく微笑む。この件が発覚してから、アクアは私に妙に優しい。優しさは嬉しかったが、同時にちょっと寂しかった。私が相手であろうと物怖じせずに喧嘩を売ったり買ったり、煽ったり煽られたりする関係が好きだったから。
私を不知火フリルじゃなく、親友で、悪友で、ただの女の子として関わってくれるアクアが、大好きだったから。
「アクア」
「なに?」
「私のこと、そんな壊れ物みたいに扱わなくていいよ。そんなに優しくしなくていい。私は別に病人じゃないんだから」
真っ直ぐに見つめられた星の瞳は驚いたように目を見開き、そしてまた柔らかく笑った。
「大きくなってきたな」
「うん、もう六ヶ月だし。時々動いてるのも感じる」
ソファに座り、腹部を撫でる。アクアも隣に座って私の手を取った。
「ごめん、フリル。やっぱりオレは今のお前と昔みたいに接することはできねーよ。あの時とは違う。オレ達の関係は変わった。オレだってあの時間は好きだった。あの関係が好きだった。けどもうあの頃のようにはできない。ただ親友でいる事は、もうできない」
そうだ。わかってた。あの頃と今では私たちの関係は変わり過ぎた。私たちの想いも変わり過ぎた。あの頃、一緒にいるだけで楽しかった能天気な時間は過ぎ去った。子供でいられる時間はとっくに終わった。
今は焦がれるほどこの人に恋をしている。この人に愛して欲しいと願っている。そのために努力し、美しくあり続け、そして子を宿してしまった。想いが変われば関係が変わるのも当然だ。まして見てわかる最大の変化がここにある。
「オレはお前を大切に扱うし、お前を慈しむ。お前が辛い時には傍にいたい。必ずできるとは言えないけど、それでも想いは寄り添っていたい。それだけが、今オレがお前にできる
「アクア……」
「好きだよ、フリル」
「私も、大好き」
泣きぼくろが艶っぽい目尻から雫が零れ落ちる。唇が重なるのと、お腹で何かが動いたのを感じるのは、ほとんど同時だった。
▼
アクアがウチに移籍してから、私はその活動を追っかけ続けた。最初はラジオとかバラエティのゲストとか、少しずつ顔出しをしていくという感じの内容で、そこまで無理なスケジュールは組まれていないことにホッとしていた。
しかし、とあるきっかけで、アクアの仕事内容は劇的に変わってしまった。
『リバーシ・アイドル』
こんなことにならなければ、私が主演を務めるはずだった作品。代役で白羽の矢が立ったのはアクアだった。
事務所のことを考えれば無理もない選択だったとは思う。ゴールデンタイム放送枠の主演。キャンセルするには惜しすぎる仕事。そして私の代わりができるとすればウチの事務所どころか、芸能界全て見渡してもアクアくらいしかいないだろうというのもわかる。
けれど、できれば起きて欲しくない事態だった。これほど大きな仕事を受けてしまい、アクアがその才能を手加減せずに発揮してしまえば、どうなるかは私にはわかりすぎるほどわかっていたから。
代役NG一切なしという題目の下、ドラマの撮影と放送が始まり、放送のたびにアカウントにはアクアが全て演じている証拠動画やメイキング画像がアップされ、毎週万バズが発生した。
歌唱力、ダンススキル、そして演技力。共演者を輝かせ、そして自分はさらに輝くオーラ。星を愛する星が、白日の下に晒される。そして大手の力で広告は日本全国に轟いた。
生まれ持った爪と牙。研ぎ澄まし続けた12年。そして翼を与えられた天才が、世界に認知されるのはあっという間だった。
そこからはもうノンストップだった。あらゆるドラマやバラエティには引っ張りだこ。音楽関係の仕事も増え、バズが新鮮なうちに新曲やMVも発表される。春が訪れる頃には、もうアクアは日本中が顔と名前を知る芸能人となっていた。
「星野アクアマジかっこいいよね!」
「イケメンで歌も上手でギターも弾けて演技は天才!この人一体何を持ちえないの!?」
「羨ましいなー、黒川あかね」
こんな会話が街中で巻き起こっている。そう、アクアは今もあかねと交際関係を続けている。そしてそのことに関して、私に不満は一切ない。寧ろあかねとは別れるな、と忠告したくらいだった。アクアはもはや芸能界で成功し、これからも長く活躍する事をほぼ約束されたマルチタレントだ。フリーだったら絶対変な女も寄ってくる。公式が認めるカップルがいると言うのは少なからず虫除けにはなるはず(それでも構わずくる女もいるだろうが)。
それに彼女がいる男というのは女の目線で見れば意外とわかりやすい。清潔感とか、肌の艶とかでなんとなくわかる。あかねと別れたとしても私との関係がある以上、女の匂いを消す事はできないだろう。そしてその香りにマスコミは異常なほど敏感だ。嗅ぎつけたら全てを暴露するまで彼らはあらゆる手を使う。そうなった時、この子の事が露見する可能性はゼロとは言えない。
───それに私が身動き取れないこの状況では、今のアクアの目的に寄り添えるのはあかねしかいないと私も思うから
『いいのか?』
一度だけ、アクアが尋ねてきた事がある。このままあかねと交際関係を続けていいのか。恐らく公私共にあかねを優先することになり、フリルのことは二の次になってしまう。出産という大事業を抱えていながら、自分は真っ先に駆けつける事ができないかもしれない。あかねを優先する事があるかもしれない。それら全ての意図がこもった一言。いつもの綺麗な、澄まし顔の彼とはまるで違う。眉間に皺を寄せ、身体の一部が裂かれているかのような苦悶の表情を見せ、絞り出すような声で紡がれた一言。
アクアは基本的に嘘八百。口八丁手八丁の八方美人だけど、真性のクズではない。人並み程度には良識を備え、良心を持ち、人を裏切ることや人が傷つく事を嫌う。だからこそあかねを炎上から助け、有馬かなを舞台で救い、そして私にこうして気を遣ってくれる。
いいのか、と。
私はアクアの笑顔が好きだ。
自信に溢れ、追い詰められても余裕を崩さない、ニヒルな笑みが好き。
目的のためなら使える物なんでも使うスタンスが好き。
それなのに意外と人間臭いところもあって、いざという時は楽な道より困難な道に挑む背中が好き。
チャンスもトラブルも、どんな時も楽しそうにこなしてしまうこの人が好きだ。
だから、こんな顔は見たくない。
こんな辛そうな顔は、こんな苦しそうな顔は見たくない。
見たくない、はずなのに…
あかねのためじゃない。家族のためでもない。私のために、こんな辛く、苦しく、美しい顔をしてくれる事実に、今までの人生で経験した事がないほど、私の中の『女』が昂ってしまった。
身体が熱くなり、喉が渇き、飢える。目の前で火花が散る。世間に嘘をつき、彼女に嘘をつき、完璧で究極な星野アクアを演じ続けてくれる事が、そのいじらしさが、その愛が、愛おしくてたまらない。
「いいよ、アクア。私のために、この子のために、こんなに苦しんでくれてありがとう」
これだけで彼には全部伝わるだろう。私が彼の一言で全て伝わったように。
私はアクアの隣にあかねが侍っていても、構わない。
彼女とか、結婚とか、そう言った肩書は全部いらない。
そんなものが本物の絆にならないことを、私は誰よりもよく知っている。
あかねは何も知らず、恋人を続ければいい。
結婚だってすればいい。
子供だって作ればいい。
スポットライトの下で彼の隣にいる事で満足するなら、そうすればいい。
そんなものは、全部貴女にあげる。
その代わり、この人の一番大きな傷は、私のものだ。
───この子の名前………勿論アクアにも相談するけど。
この子の名前は、絆にしたい。
男の子でも女の子でも、絆にしたい。私とアクアの関係を本物にする子。私たちの一番大きな傷。私とアクアの傷で成る子。
故にキズナ。私とアクアの子供。傷で成る絆。
この
アクアはきっと、これからも傷を増やすだろう。一度嘘をついて仕舞えば、その嘘を隠すためにまた嘘が必要になる。嘘をつくたびに傷はきっと増える。生々しく、痛ましく、甘美なその傷は私が癒す。私が愛する。
「あなた、愛してる」
真一文字に結ばれたその唇に向かって、私は少し背伸びをした。
▼
リバドルがクランクインを迎えて少しすると、アクアの仕事が一瞬落ち着く。ドラマの撮影期間など諸々を事務所が配慮した結果の落ち着き。と言ってもこれはまさしく嵐の前の静けさというやつ。タレントなら必ず経験する唐突にぽっかり空く時間帯。
この束の間の空白期間が終われば、またアクアにオファーが殺到するだろう。その前の一瞬の骨休めの時間。アクアはあかねとの付き合いを継続しつつも、私のケアを怠らなかった。どんな時間になっても1日に一度はLINKで私の様子を聞いてくれたし、時間を作って会いにきてくれた。
私の方ももう完全に安定期に入り、お腹の中に命を抱える生活にも慣れ、後は予定日を待つばかりと言えるくらいに落ち着いた時間になっていた。
だからだろうか。私のLINKに、こんなメッセージが送られてきたのは。
【一度実家に顔を見せなさい。星野アクア君と一緒に】
今回私に起こってしまったこと、社長とマネージャー、アクア以外にもう一つ。私の家族にだけは伝えていた。本当は黙っていたかったが、私もアクアも未成年であることからは逃れられない。法律上親権は持てず、持つのは子供の母方の実家。今回の場合は不知火家になる。親権を持つ家が子供のことを知らずに話を進められるはずがない。他の誰にも言えないが、両親にだけは伝えざるをえなかった。
『…………そうか』
事の顛末を話し、絶対に堕す事はしないと伝えると、父は意外に穏やかだった。コレは不知火家を取り巻く環境が良かったと言えるだろう。
不知火家は芸能で財を成した家系。こういった事態に対する免疫は普通の家よりはるかに高く備えていた。そして娘2人とも芸能界に入っている。そういう事が起こるのも父にとっては想定内だったのかもしれない。
ちなみに姉は喜んでくれた。私と違い、難しい事とか複雑な事はあまり考えない大らかな性格の人だ。あけすけな物言いで不思議なキャラに捉えられることも多いが、単に裏表がないだけ。顔立ちはともかく、性格的にはあまり似通っていない姉妹。
だから私は姉が好きだった。
あと少し前に姉の学校でも似たような事があったらしい。
『富裕層でも芸能界でも、思春期の男女がやっちゃう事なんて大差ないよね。私は祝福するよ。おめでとう』
今後の参考にするために少し詳しい話を聞いて、アクアとも共有したが、子供の名前付けの経緯で2人とも結構しっかり引いたのはまた違う話。
そこから父と母は私に関してノータッチだった。責めもしない代わりに援助もしない。全て私の判断に任せていた。公表するなら受け入れるし、隠すというなら家もそれに従う。そのスタンスを崩さなかった。
私の新生活が始まり、アクアも新天地での仕事をこなし、私も彼も一段落がついた頃、見計らったかのように──いや、見計らったのだろう。父ならアクアのスケジュールを把握することも訳ない。
一度実家に顔を出せ、と。星野アクアも連れてこい、と。
最初は私も抵抗した。用があるなら私だけを、と。アクアに要件があるなら私から伝えるとも。けれど父は譲ってくれなかった。
「そりゃそーだろ。オレが親でもそこは譲らねー。五、六発殴られても文句は言えねー。てかオレなら殴る。下手したら殺す」
LINKを送ったその日にアクアは私の部屋に来てくれた。ごめんなさい、と謝る私に彼は当然だと言い切った。
「親御さんはどこまで知ってるんだ?」
「妊娠した事以外は何も話してない。けど、芸能界では顔が利く人だし、私の活動は全部チェックしてる。この子の父親がアクアだってことくらい、あの人なら見当がついても不思議じゃない」
「………そうか」
少し考え込む様子を見せたが、一度天を仰ぎ、大きく息を吐く。諦めか、決意か、わからないが、私に視線を戻した時はもう迷いのない目になっていた。
「わかった。一度会おう。予定は早い方がいい。スケジュール送るから、フリルの都合のいい日にセッティングしてくれ」
「…………間違いなくアクアはロクな目に遭わないと思うよ?」
「骨折くらいは覚悟しとく」
▼
あっという間に当日。マンションの駐車場に乗り入れた事務所の車に表面上はアクアが乗り、足元にフリルが伏せる。コレでマンションにマスコミが張り付いていたとしても事務所がアクアを迎えにきただけに見えるし、出てきたところを撮られたとしてもアクア以外は映らない。日が暮れてからの時間帯を選んだのも、少しでも視界の悪い状況で行動するためだった。
「大丈夫か?」
「モーマンタイ」
スーツに身を包んだアクアの腿に顎を乗せる泣きぼくろの少女。星の瞳の少年の心配に笑って答える。お腹は重いが負荷はかかっていないし、アクアにもたれ掛かる事のできるこの状態を少女は楽しんでいた。
「…………着いたわ」
電気じかけの門扉が開く。車が通っても余裕でスペースのある広い庭を突っ切り、ガレージへと進む。もう部外者が侵入する事は不可能だ。
「アクア?どうしたの?緊張してる?」
少し表情が固く、顔色も白い少年を、今度はフリルが心配する。座席から身体を起こし、伸びをした後、節くれだった手を取った。
「そりゃ、緊張はするさ。撮影の方が遥かに楽だ」
───あかねの家も大概リッチだったが…
目の前に広がる光景はあかねのソレを遥かに超える。広大な庭。外観からでも広さのわかる邸宅。家というより屋敷。富裕層などという括りでは収められないほどの財力をまざまざと感じさせられる。アクアは高層マンションとかに訪れた経験はあったが、こんな邸宅に来たのは初めてだった。
───考えてみると、オレが関わる女って結構金持ち多いな
ハルさんもナナさんも実家は金持ちだった。アビ子先生は自身の才覚で財を成した。ロックの世界で売れてる人も今や中流以上の家庭出身がほとんど。
そして才能とは遺伝する。
貧困な家庭環境で突然変異的に才能を持って生まれる人もいるかもしれないが、才能を目覚めさせるにはやっぱりある程度金が必要で、そして才能ある人は金のある人と関係を持って、才能を遺伝させていく。才能は金で買えないとはよく言うけれど、長期的に見るなら買えるものなんだなぁとなんとなく思った。やはり、この世は金がある人間が勝つように出来ている。
───オレ1人この世から消すくらい、不知火家なら息を吐くほど簡単だろうな
この邸宅に一歩足を踏み入れた時点で、もう品定めは始まっているだろう。緊張を解く事はできなかった。
「大丈夫。私がいる」
キャスケット帽を目深に被ったまま、けれども眼の光の強さは伝わってくる。握りしめられた手に熱が籠る。凍りついていた背中が少し溶けた気がした。
「行くか」
「うん」
アクアがフリルの腰に手を回し、空いた手でエスコート。フリルもさらに力強く手を握る。お互いがお互いを支え合いながら、邸宅の扉を開いた。
▼
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「元気そうね、遠山」
メイドと思わしき服装の女性が恭しく頭を下げて出迎える。歳は50を過ぎたくらいだろうか。そこそこ古参なのだろう。フリルも当然面識があるらしく、澄ました態度で、けれど品よく挨拶を返した。
「衰える一方でございますよ。お部屋の用意はできてございますが……そちらが?」
訝しげな、敵意さえ篭った目で隣に立つ蜂蜜色の髪の少年を睨む。礼を尽くすのはフリルにだけでアクアは完全に別のようだ。
「私の親友です。無礼のないようにお願いします」
「彼の部屋は用意しておりませんが」
「構わないわ、私と同室で」
「異性と同じ部屋で過ごされるのは……」
「今更よ。知ってるでしょう?」
老婆の相貌が険しくなる。フリルの膨らんだ腹。エスコートする手。親密さを隠そうともしない。確かに今から同じ部屋で過ごすのは、などという配慮は無駄だろう。もう事は起こってしまった後だ。
「…………お通しします。こちらへどうぞ」
「案内はいらない。貴方も関わりたくなければ関わらなくていい。むしろ極力関わらないで」
案内を袖にして邸宅内を迷いなく歩く。フリルに従い、手を取りながらアクアも足を進めた。
「ふうっ」
扉を閉め、鍵をかけると同時にフリルが息を吐く。柔らかそうな長掛けのソファに座ろうとするフリルを支えた。
「あー、やっぱりこの家肩凝るね。アクア、鍵閉めてもらっていい?」
「ああ」
扉の鍵を掛ける。振り返るとこっち来いと手招きされた。
ソファに座ろうとすると首に腕を回され、そのまま身体を預けられる。小刻みに震えていたのがようやくわかった。
「人の目が怖いのなんて、初めて。胎教に悪そう」
屋敷の中に見えるだけでも人はたくさんいた。多分見えないだけでオレ達の様子を見ている人はこっちが思っているよりいるだろう。その視線をフリルは全て受け止めていた。受け止め、陰口を叩かれ、あることないこと好き勝手言われ、日常の一興の肴にされていただろう。
その全てを、この聡明な少女は理解していた。覚悟して、理解して、受け止め、恐怖していた。
───そうだよな。ビビってるのが、オレだけのはずがねーよな
今までの人生で、失敗というものをしたことがなかった女がしでかした、大失敗。未知の経験と未来に恐怖しないはずがない。ビビらないはずがない。
「慰めて」
抱きしめたまま、濡羽色の黒髪を梳く。震える少女は撫でる手に頬を寄せ、甘えた。
「あなたの手、好き」
「指先とか硬くて撫でられ心地悪いだろうに」
「そばにいてくれるだけで、心強い」
「──オレもだよ」
フリルがいなければとっくに逃げ出していただろう。お互いがお互いを支えにしているのは身体的な意味だけではなかった。
「お前、家だと言葉遣い違うんだな。堅いっていうか、厳かっていうか。お嬢様も板についてるとは思うけど」
「身内だからこその堅さはどうしてもね。物心ついた頃から、父にも母にも敬語が当たり前だったし。気さくに接することができたのは姉さんくらい」
自分とは違い、かなり天然が入った姉だけが、フリルが壁を作らなくていい人だった。
「実家のネームバリュー。資金。見た目。そういったキラキラした飾りに目が眩む人。飾りを取ろうとする人ばかりだった」
裕福ではあった。生活に不自由はなく、授かった才能を存分に伸ばすことができる環境だった。だからこそ発生する義務と権利。厳格さが求められることもまた、フリルにとっては当たり前だった。
「気を許すな。家族さえ内通者とも限らない。顔に鉄仮面を。心に鎧を纏え。父の口癖だったわ」
「フリル……」
「だからあなたが好きなの。私は私のままでいいって言ってくれる。他の人たちと違って、あなたの言葉は上辺なんかじゃなかった。私が誰かを知っても、何をやっても、あなたは態度を変えなかった。対等の親友として接してくれた」
「この子を身籠ってからは、ちょっと壊れ物扱いされてるけど」と、膨らんだお腹に手を当てながら意地悪な笑みを浮かべてつけ足される。しかしコレは遠慮や気遣いだけでなく、何より優しさから来ている事はフリルだってわかっていた。
「気持ちと身体を切り離さなくていい相手と巡り会える事は幸せだって教えてくれたのは、あなただけだった」
心を殺すことが当たり前だった。虚勢を張るのが日常だった。アクアもフリルも処世術というものをイヤというほど身につけている。弱いところを見せたらつけ込まれる。だからいつだって強くある。強くあるように見せかける。
───けど、多分この世に強い人なんて、いねーんだと思う
腕力とか、権力とか、そういう強さの一種を持っている人はいるだろう。けれど多分強さというのは、そういうわかりやすいのではない。
誰もが弱さを抱えてて、大なり小なりどこかしら病んでいる。弱さを持たない人間なんていない。強くあることが弱さの排除だというなら、この世に強い人なんて、きっといない。いるとすれば、隠せる人と隠せない人だ。
そしてオレもフリルも隠せる人。しかも人より何倍も上手く。
完璧で、嘘つきで、弱点なんて見当たらないように振る舞って、唯一無二であり続けている。あり続けることができてしまう。
───そうしてるうちに、いつか自分でも、自分自身がわからなくなる
ソレはとても怖いことだとアクアはよく知っている。自分がそうだから。あの雪の夜に目覚めてから、何度も経験している。自分が何者かわからない。記憶を失い、星野アクアを演じ続け、それが当たり前になっても、ふとした時に思う。鏡の中の自分が話しかけてくる。
『お前、一体誰なんだよ』
背筋が震える。身体がすくむ。呼吸が難しくなる。心臓が凍りつくあの感覚。よく知っている。この冷たさを誤魔化す方法はアクアが知る限り、誰かから暖かさを貰うしかなかった。
───今フリルがそうしているように
オレの首に腕を回し、身体を押し付け、肩に顔を埋め、首筋を舐める。
「アクア」
「なに?」
びっくりするほど心細い声だった。極力優しく返したつもりだったが、この妖怪がどこまで読み取ってしまったかはわからなかった。
「これから父も母もきっと貴方に酷いことを言うし酷い態度を取ると思う。私はできるだけあなたを庇うつもりだけど、それでも守りきれないときはあるかもしれない」
明らかにこちらに非があるのは避けようもない真実。芸能界で嘘は武器だし、その扱いにアクアもフリルも長けているが、真実の暴力には勝てない。結局真実に勝る武器はない。
「でも、お願いだから嫌いにならないで」
か細い声のまま、震える身体を隠そうともせず、オレの肩に顔を埋めた。
「私はそれが一番怖い」
震える少女を抱きしめながら、困惑する。なんと言葉を返していいか、わからなかった。この切実な訴えに比べれば、どんな言葉も軽くなってしまう気がした。
だから、伝えたい事をただ一つだけ紡いだ。
「信じろ」
「………うん」
涙を拭い取り、キスをする。震えがようやく止まった。恐らくオレの震えも。心に棲みついた氷が、やっと溶けた気がした。
「早く三人でウチに帰りたいね」
「まだ来たばっかだろ」
とゆーか、ここがお前のウチだろ、というツッコミはやめておいた。こいつにとっての家は、もう此処ではないのかもしれない。
「お嬢様」
ノックの後、老婆の声が部屋に響く。続いた。
「旦那様と奥様がお呼びです。よろしいでしょうか」
「わかった、すぐ行く」
顔を上げた時、もう声に覇気が戻っており、相貌には美しさが張り付けられていた。
「行こう」
「ああ」
身体を支え、エスコートの手を取る。けれどもう2人ともお互いに寄りかかってはいなかった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
フリル視点の半年間でした。いかがだったでしょうか。と言ってもまだ途中ですが。絆ちゃんは当て字でカムフラージュでした。ホントは傷成。星をなくした子の娘は傷で成る子。今後の四行詩で『傷で成る子』と書かれていたら絆ちゃんのことです。
フリルとアクアの時間が合流しました。次回、不知火家で面談。そして遂に出産。果たしてどうなるのか。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
86th take 運命の絆
背負った覚悟は火を知らぬ少女と傷をなくした子の為
薄氷の道を歩むと決めたのは愛したいから
何よりも天才を証明したいから
「父さん、母さん、私、子供ができました」
妊娠が発覚してから少しが経った頃、私は一度実家に帰り、この事を報告した。未成年である私では親権を持てず、戸籍も作ってあげられない為、どうしても親を頼る必要があったからだ。
この話をした時、母は流石に動揺していたが、父は結構穏やかだった。私を心配すると同時に怒る母をしばらく眺めてから、立ち上がり、書斎へと向かった。
「フリル」
何冊かの本を持って父が戻ってくる。本は出産に関する資料だった。
「選択肢は大きく分けて二つ。産むか、産まないか。だが後者はほぼ不可能だ。話を聞く限り、もう妊娠11週は過ぎている。中期中絶は死産と同じ扱いだ。色々な意味で負担が大きすぎる。無論選択肢の一つだが、避けるべき選択だろう」
父は表面上冷静に私に説明をしてくれた。元々芸能で財を成した家系の家長だ。こういう事態の経験も、それに対する対処も心得ているのかもしれない。
「そして、産むとしても、別にお前がどうしても育てなければいけないというものでも無い」
新たに取り出した本の表紙には『特別養子縁組制度』と大きくプリントされていた。
「事情によって育てられない子供を育てられる家庭に託す公的制度。戸籍にも残らない。これなら限りなくなかったことに出来るに近い選択だ。あと他にも里親制度というのもあるが──」
「いやです」
父の言葉を遮り、即答する。この子を自分以外の誰にも託す気はない。顔を名前も知らない他人にこの子を預ける?私とアクアの子を?絶対に嫌だ。考えるだけで嫌だ。それならまだ死産の方がマシだ。
「中絶も、他の誰かに託すことも、絶対にしません。自分で産んで、自分で育てます。それが出来るくらいには私にはお金も責任能力もあります。親権だけは家を頼ると思いますが、それも成人するまでの一年半です。それまではどうか、よろしくお願いします」
「…………そうか、わかった」
しばらく睨み合う父と娘だったが、泣きぼくろの美少女の目の奥で光る星の光に、父親が折れた。
▼
「どうぞ」
ノックの後、声が掛かる。フリルが開けようとした手を遮り、オレがドアに手を掛ける。一度頷くとオレの手で開かれた扉の先に、泣きぼくろの少女は一歩大きく踏み出した。
「ただいま帰りました。父さん」
「久しいな、フリル」
広い書斎と見られる部屋のど真ん中。シックでいながら高級感の伝わる椅子に腰掛ける壮年の男性。隣に侍るのはおそらく妻だろう。さすがフリルの母親なだけあり、整った見た目をしている。ぱっと見30代後半程度だろうか。16歳の娘を持つ二児の母にしては若くみえる女性だった。
「とりあえず席を変えよう。色々と話すことがある。食事も用意させる。星野くんも。遠慮なく座りなさい」
大きなテーブルに真っ白なテーブルクロスが覆われている。椅子の数は四つ。確かに4名で座れるようになっていた。
「………アクア」
「大丈夫」
椅子を引いてフリルが座れるようにする。命を一つ抱えた重い体を沈めたことを確認してから、アクアも席についた。
「遠山」
「かしこまりました」
メイドが下がる。ここから先は当事者と血縁者のみの密談だ。
「体調はどうだ?」
「非常に順調に育っています。父さんの手を煩わせるつもりはありません」
「そう頑なな態度を取るな。そのことに今更どうこう言うつもりはない。今日の話の主題は純粋な親としての心配だ」
「なら彼まで呼ぶ必要はなかったでしょう」
「親としての心配は当然孫の父についても含まれる」
視線がこちらへ向く。睨まれているというわけではないが、敵意というか、拒絶の意志はよく伝わった。
「星野アクアくん」
「お初にお目にかかります。ご挨拶が遅れましたこと、誠に申し訳ございません」
「そういうのはいい。今日は君個人と話をしたくて呼んだんだから」
頭を下げるアクアにやめろと言ってくる。顔を上げた時、フリルが唇を噛み締めているのが僅かに見えた。
「君のことは調べさせてもらう……までもなく、知っていた。非常に才能ある役者であることは間違いない。君はコレから芸能界で大きな財を成すだろう」
「恐れ入ります」
「フリルが誰を相手に選ぼうと、子を作ろうと、私が何かとやかく言う必要はもはやない。この子はもう家からは十二分に独立した、立派な社会人だ。その聡明さは私が誰よりもよく知っている。この子が選んだ相手だというなら、私に何の文句も不満もない」
父から娘への評価は適切だった。客観的で、公平で、深い理解があった。
そしてそれはアクアに対してすら。
「君もフリルに勝るとも劣らない才覚の持ち主。未成年であることは少し問題だが、君たちに年齢など瑣末なことだろう。君の倍以上の年齢でも大人と呼べない人間は数えきれないほどいる。フリルの相手として本来何の文句もない」
そう、本来なら。
「君には交際相手がいるそうだね。女優の黒川あかねさんが」
親として見過ごせないたった一つ。けれど最も大きな障害。それはアクアに彼女がいるということ。
「実のところ、珍しい話ではない。美の集まる芸能界。家庭外に婚外子を持つ者など、私が知るだけでも両手の指では足りない程いる。実際の数は二桁では効かないだろう。そういった者は後先考えられない阿呆か、家庭外に子があったとしても何不自由なく育てられるほどの財力と才覚を持った者の2種類だった」
君はどちらだ、と視線が訴えかけてくる。恐らく前者であり、後者でもある。後者になるための力をアクアは備えつつある。しかし力があるからいいと言う話ではない。
「父さん。今回の事について、彼は───」
「フリル、私は今アクアくんと話している。お前が彼を庇う言葉はこの半年で飽きるほど聞いた。実際お前にも罪はある。事に至った時はまだ黒川あかねと交際関係になかったことも知っている。私も彼を責めるつもりはない。だがこうなった以上、彼の展望は聞いておかなければならない」
黙り込む。ぐうの音も出ない正論。それでもアクアを守ろうと口を開こうとしたが、テーブルの下で手を掴んで止める。これ以上フリルが何かを言ってもマイナスになるだけだ。
「君は、フリルとその子のことをどうするつもりでいる?」
投げかけられる、言葉の矢。もし対処を誤ればオレは殺されるだろう。物理的にか社会的にかはわからないが。ここで聞こえのいいことを言う事も出来るが、ここでおためごかしや追従は逆効果と判断する。今の想いを正直に。それでダメなら煮るなり焼くなり好きにしろ。
「黒川あかねさんと別れるつもりは今のところありません」
握られた手にグッと力が籠る。「そこは嘘でも将来的には別れるつもりとか言っておけ」というフリルの無言の圧が手に響く痛みから伝わってきた。
「黒川さんはこの件を知っているのかね」
「知りません」
「知れば彼女は───」
「自惚れかもしれませんが、あかねさんはきっとこの事を知ったとしても恐らくオレと別れるという選択はしないでしょう」
父の言葉を遮り、否定する。穏やかでありながら確信のこもった声だった。
「今回の事をあかねさんに話し、オレが頭を下げれば彼女は理解してくれるでしょう。理解した上で、それでもオレの彼女であり続ける。フリルさんに協力さえしてくれるかもしれません。けれどそれはオレが楽になるだけです。フリルさんにもあかねさんにも負担をかける。心身ともに。それは避けたい。特に今のフリルさんには。最近は安定してきているとはいえ、予断は許さない状況です。フリルさんのためにも、その子のためにも、今はできるだけ負担をかけたくない。それに事務所の方針で、この件に関しては箝口令がしかれています。オレもオレの家族にすら話していません。公的な面でも私的な面でもあかねにこの話はできない。してもリスクしかない。軽くなるのはオレの心だけです」
父母が黙り込む。アクアが話した未来予想図には説得力があった。恐らく黒川あかねがこの件で彼と別れるとならない事は事実だろう。フリルもアクアが話した推測を何一つ否定しなかった。
「でも、黙っているだけでもフリルには負担が──」
「母さん、その事は私は納得しています。納得して、理解して、その上でこの半年以上を過ごしてきました。それでも母子共に今は順調です。去年まではアクアさんにすら黙っているつもりでした。彼がこの事を知ってしまったのは私にとって不本意でした。けれど彼がこの事を知ってからの数ヶ月、忙しいなりにずっと私のことを気にかけてくれて、支えてくれて、私の心はとても救われました。今のままなら、私の負担は問題ありません。けれど、コレから黒川さんにまで関わられるとどうなるかは私にもわからない。私にも、あかねにも、絶対変な遠慮が生まれます。少なくとも私は今、あかねが関わってくることを望みません。この件について知っているのは必要最低限。私、アクア、父さん、母さん、事務所の社長、専属マネージャーの白河さん。この人達だけにしたいんです。お願いします」
2人の雄弁が終わる。頭を下げたのは殆ど同時だった。
沈黙の時間が支配する。1分以上が経った頃だろうか。大きなため息と共にフリルの父が口を開いた。
「話はわかった。展望も。黒川さんにこの件に関わらせるのは確かにリスクが高そうだ」
「父さん…」
「だが、この質問には答えてくれ」
アクアが顔を上げる。自身に向けられた視線を強く感じた。
「君にとって、フリルは何だ。君との間にできた子をどう思っている?」
緊張が辺りを支配する。張り詰めた空気の中で、アクアは迷いなく口を開いた。
「オレにとってフリルさんは、最初迷惑な存在でした」
空気がピリつく。フリルから握られていた手にも力が籠る。何言ってんのという視線が横から強く刺さった。
「普通科の教室にいきなり現れたかと思ったらオレの席の前に座り込んで。親友になって欲しいとか急に言われて。格が違いすぎる番組に参加して。オレになんか恨みでもあるのかって思ってました」
「…………」
「でも違った。本当にオレに興味を持ってくれていて、知りたいと言ってくれた。オレの仮面に気づきながら、それでもオレを知りたいと言ってくれたのは、フリルさんが初めてでした。オレもフリルさんを知りたくなった。オレと似ている、オレ以上に強く美しい仮面の下を知りたくなった」
握り込まれた手が少し緩くなる。代わりにオレが強くフリルの手を握った。
「最初は親友から始まりました。そこから仕事仲間になって、秘密を共有する関係になりました。いつもは無表情だけど、本当は誰よりも繊細で感情豊かな人。オレにとってフリルさんは親友で、仲間で、師で、大切な人です。できれば一生関わり続けたい。一生近くにいてほしい人です。もちろん、オレたちの子供も」
恋人ではない。妻でもない。けれどフリルはオレにとって親友で、仲間で、師で、そして。
共犯者だ。
お互いがお互いの秘密を暴こうとした。そのため2人とも近づきすぎた。2人とも相手に好意を持ちすぎて、そして2人とも罪を冒してしまった。
お互いがお互いを傷つけすぎてしまった。
他に方法はあったと思う。アクアがフリルを救う方法も。フリルがアクアを救う方法も。
さっきアクアが話した未来予想図には少し嘘もあった。あかねと別れる道もあった。この事を全て話して、オレが頭を下げれば、あかねは多分、別れを受け入れる可能性はあった。納得はしてなくてもオレのことを思って身を引いてくれた可能性もあった。
フリルを切り捨てる道もあった。フリルと宮崎で出会った事を誰にも告げず、フリルにも口止めして、俺との関わりを完全に断って貰う事で、知らないフリを通し続ける道もあった。
けれど、オレにはどちらもできなかった。
『天才俳優・星野アクア』
この数ヶ月でうんざりするほど言われてきた。実際、言われるだけの成果は上げてきたと思う。ずっと才能がないと思っていたオレだけど、最近はそうでもないのかな、なんて自惚れる瞬間もあった。
けれど未だ懐疑的だ。今の星野アクアが、本物なのか。偽物なのか。けどどうやって証明すればいいのか、ずっとわからなかった。
───証明できるかもしれない
十二年以上の時間をかけて、やっと見つけたかもしれない。
十年に一度の才能と言われた女にできなかった事を成し遂げたのなら。
最強で無敵のアイドル。一番星の生まれ変わりにすら成し得なかったことができたのなら。
天才の証明によって得られる、俳優としての幸せ。
フリルも、あかねも、生まれてくる子供も、全て愛する、家族としての幸せ。
その両方を手に入れることができたのなら。
証明できるかもしれない。今の星野アクアが、天才だと言う事を。
ようやく胸を張っていえるかもしれない。オレこそが、星野アクアだと。
『幸せっていうのはな、歩いてこねーんだ。だから歩いて行かなきゃな』
今ガチの時、あかねに言ったセリフ。選ぶことの難しい楽な道。進むことの難しい険しい道。普通は片方しか選べない。選ぶ必要はない。だってそれが正しい、普通の選択だから。
───オレは、どっちも欲しい
天才の証明も、家族の幸せも、どちらも欲しい。どちらも手に入れる。オレが本当に天才なら。
フリルの幸せも保証する。子供も無事に産ませてみせる。フリルの家族は守ります。あかねには生涯嘘をつく事になるかもしれないけれど、嘘をつくからには最後まで秘密を通して見せます。あかねを幸せにする。フリルを幸せにする。子供を幸せにする。全て貫き通す。
「この件に関して、フリルさんに比べればオレのできることなんて皆無に等しい。オレができることは、2人にできるだけ多くの選択肢を用意することだけです。結婚はできない。入籍も恐らくできない。けれどその代わり一緒に悩みます。一生一緒に悩んで、考えて、選択肢を用意して、2人で選んで、背負っていく」
聞こえはいいが、やってる事は最低だ。
「オレの
義父を見つめる瞳は眩いばかりの星の輝きで彩られていた。
▼
その後の会談は穏やかだった。今後の方針。出産までの計画。産後の生活や復帰の流れ。いろいろな事を4人で話し合い、夕食を摂ってアクアとフリルは帰路についた。
「あんな洋物の屋敷で出てきたメシが懐石とはな」
高層マンションまで送り届けてもらった後、アクアはフリルの部屋に居た。一番の理由はフリルのケアのためだ。色々気苦労があっただろうから、少し近くで様子を見守ろうと。そしてアクアもまた、誰かとこの気苦労を共有したかったのだ。
「私に気を遣ってくれたんだと思う。妊婦は食べないほうがいいものも洋食には多いから」
「本格的な懐石を食べたのは初めてだったが、味とかよくわかんなかったな」
「私は松茸の土瓶蒸しが美味しかったなぁ」
「松茸か。オレは焼いたやつが好きだな」
こんなたわいない会話がとても嬉しい。さっきまで一瞬たりとも背筋から緊張が抜けない時間を過ごしていたから、尚更この時が非常に尊く感じた。
「殴られなかったね」
「殴られなかったな」
いつ拳が来てもいいように身構えていたのだが。まああれだけ地位も立場もある人だ。下手に暴行して怪我させたらオレだけの問題では済まない。怪我の度合いによっては事務所が出てくる。そうなっては流石に面倒だと判断したのだろう。
裏を返せば、怪我させないように手加減する余地はあの人にはなかったとも言える。あの場ではゼロか100しかなかったのだろう。そしてオレはどうやら0が引けたらしい。
「…………アクアはさ」
躊躇いがちに口を開く。この穏やかな空気をフリルも壊したくはなかったが、2人きりで時間を取れた今だからこそしなければいけない話もある。
「良かったの?この子、不知火家の子にすること」
話し合いで詰めた内容の一つ。生まれてくる子供は不知火性を名乗らせること。これはアクアやフリルが成人しても変わらない。戸籍上は不知火夫妻の子供ということになる予定だ。籍を入れられないアクアとフリル。存在を隠す子供。諸々の都合を考えればこれが一番安全という形になった。
「元々オレの子供なんて言える立場じゃない。この子の存在を不知火家に認めてもらえるだけでオレには充分ありがたい。異論なんてないよ」
これはアクアの心からの本音だった。異論はない。不満も勿論ない。所詮便宜上の話だ。実際に子育てするのはアクアとフリルだし、子供にも両親はこの2人だということは教える予定になっている。アクアに不満などあるはずがない。
そう、アクアには。
母となる少女には、少しだけ不満があった。このままではこの子に残される父親の痕跡は血筋のみになってしまう。それは少し嫌だった。
「ねぇ、アクア」
「ん?」
「名前、つけてよ」
「は?」
「この子の名前」
眉間に皺がよる。振り返った先で不知火フリルは大きくなったお腹を撫でて笑っていた。
「このままじゃ、この子の痕跡は私だけになってしまう。きっとこの子は不知火として、生を受ける。ならせめて、名前だけでもあなたが着けてあげて欲しい」
「…………いいのか?お前も考えてるって言ってなかったっけ」
「考えてるけどまだ本決まりはしてないから大丈夫」
「けど…」
「それに私が考えたら変な名前着けちゃうかもよ?」
「どんな?」
「そうね……フリルとアクアの子だから……不知火アリエルとか?」
ピクッとアクアの眉が動く。その様子を見たフリルはケラケラと笑った。
「アクア、やっぱりこういう名前嫌い?」
「タレントとしては得をしたことがないとは言わないが、損した事の方が多いだろうな」
「私は結構気に入ってるんだけどね。自分の名前」
父となる少年にも母となる少女にも刻まれている、キラキラネーム。この名前のおかげで助かったこともあるが、不便な事の方がはるかに多かった。
「ね、考えてよ。この子の名前」
「…………」
───名前、か
まだ少し先のことだと思って考えていなかった。考えたとしても、フリルの要望が優先だと思っていた。だがこうなっては、もうオレが付けるしかないだろう。少し考える。
名前というのはその子を形作る象徴の一つ。どんな子であって欲しいか。どんなふうに育ってほしいか。親の夢と希望を詰め込んだ一番最初の贈り物。アイは何を考えてオレたちにこんなキラキラした名前をつけたのかはわからない。わからないが、オレはちゃんと意味を込めて付けてあげたい。
「ちなみに姉さんの学校で出来ちゃった男の子にはお母さんの恋敵で親友の名前をそのまま付けたんだって」
「───それはまた…」
「私もそれ聞いた時結構しっかりヒいたよ。この子をあかねって名前にするみたいなものだから」
身近に例えられたせいで余計ハッキリ認識してしまい、アクアもかなりヒく。もしこれからフリルの子を一生あかねと呼ばなくてはいけないと考えると絶対途中で気が狂うと思う。
───ほんと、歪な関係だな。
打算や計算で繋がって、交流を深めて、結局打算で付き合いの輪が広がっていく。あかねとの交際関係も、フリルとの関係も、最初は打算から始まった。メリットを提示する代わりに見返りを求めた。そんな歪な関係の輪が、どうしようもなくこんがらがり、絡まり合って、今のような状況になってしまった。
───この子には、そんなことにはなってほしくないな
この子も一般的な家庭から見ればかなり複雑な子供だろう。スタートからもう普通とはいえない。けれどまだ修正は効く。この子の未来は幾億の選択に満ち溢れている。その中にはきっと、オレたちのようにならない道もあるはずだ。
そんな道を選んで、こんな歪じゃない人間関係を作っていってほしい。普通に生きて、友達を作って、好きな人を作って、幸せになってほしい。
「…………絆」
オレたちのような複雑な関係じゃない。本物の絆を築いていってほしい。
「その子の名前は、絆」
ありふれていそうで、中々ない。どちらかというとキラキラと言えなくもない名前で、否定されるか、笑われるかと思い、恐る恐るフリルの方へ視線を向ける。
───え?
初めて見る顔だった。驚いている?喜んでいる?悲しんでいる?どれも違う。強いて言うなら、感動している。受け止めきれない現実を、なんとか受け止めようと葛藤している。明らかに感情が表情に追いついていない。そんな顔だった。
「どうした?やっぱり気に入らなかったか?」
アクアの声でようやく現実に戻ってくる。視線が合う。不安そうに自分を見つめる目がフリルには少しおかしく、そしてとてつもなく愛おしかった。
「やっぱり、私たちは運命だなぁって」
「?」
「アクア、隣、座って」
ソファから少しズレる。1人分の空いたスペースに腰掛けた。
「絆。キズナ。あなたの名前は、絆」
「気に入ってくれたか?」
「うん、とても」
慈愛の溢れる顔で大きくなった腹部を泣きぼくろの少女が撫でる。星の瞳の少年も労るように少女の肩を抱いた。
「早く会いたい。私たちの絆」
「あんまり早く出てきてもらっても困るけどな」
「そうね。焦らず、正しい早さで、大きくなってね」
「オレ達みたいな、早熟にはならないでくれよ、絆」
しばらく2人でフリルの腹部を撫で続ける。
七ヶ月検診で、確実に女の子だと分かったのは、それから数日が経ってからだった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
不知火家での挨拶終了。凄いイメージ難しかったです。不知火家の両親の情報皆無ですし、キャラとか全くわからないですし。他人の親への挨拶とかやったことないですし、全然想像できなかった。今もあまり納得いってないですが、これが実力と観念します。どちらも欲する欲張りな天才の行く末はどうなるか。次回、絆ちゃん誕生。ホントはここまで書きたかったですが、長くなったので分割です。
以下ちょっと本誌ネタバレ
重曹ちゃん……作品のために。何よりも友達のために、恋も友情も犠牲にする。ホント不憫。不憫で健気で曇ってて可愛い。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
87th take 15年後の君へ
罪深き貴方は太陽のよう
未来の貴方へ当てて書く手紙
受け取るのは天使か悪魔か
ゴールデンタイムのバラエティ。星野アクアがレギュラーを務める番組。その中の企画の一つにある人気コーナー。
『やれんの課、ワンチャン!』
世界に数多ある達人芸。SNSなどに動画としてもUPされる事が多くなったこのご時世。本当にやっているものもあれば、合成などによるフェイク動画も溢れている。フェイクと見紛う達人芸は本当に可能なのかという証明を行う企画。
達人にやり方を教わり、実際にチャレンジするこのコーナー。主体となって挑戦するのは星野アクア。
歌って踊れて演技もできて。ギターもピアノもドラムも弾ける。この男一体何が出来ないんだと言われている彼が、難易度激高の達人芸に挑むというのがこの企画のコンセプト。
正直番組側の意図としては苦戦する星野アクアを撮りたかったのだろう。失敗して、何度もチャレンジして、苦労の末にようやく達成する姿を期待していたのだろう。
しかし、その期待は初回から見事に裏切られる。
『お、来た』
ダイススタッキング、アーチェリー、テーブルクロス引き、ヨーヨー、コインバランシング、その他諸々etc.。星野アクアはあっという間に達人芸を習得していき、そのチャレンジを成功させてしまう。
こいつは普通じゃない。それはわかっていたことだが、まさかここまで空気を読まずになんでもやってしまうとは思っていなかった。
番組の意図ではないが、そのセンスの良さと実際に繰り広げられる達人芸の凄さに視聴者達は湧き、コーナーの人気は跳ね上がる。
バラエティのお約束を守らない。手加減というものができない事がついに身内以外にもバレてしまう。バラエティの法定速度無視の男。コーナー内で着いたあだ名が『スピードスター・星野アクア』。
番組への配慮も忖度も一切しないリアルガチ。クールでそつなくなんでもこなすキャラクターはアクアの名声をさらに高めることとなった。
「お疲れ様でした」
収録が終わり、未成年のアクアは先に帰らされる。と言っても22時を回ってる時間だが。流石に朝からぶっ通しの三本録りは身体と脳に来る。まして手抜きできない男、星野アクア。疲労度は半端じゃない。
「アクアさん、お疲れ様でした」
「白川さん、ありがとう……様子は?」
「問題ありません。何かあればLINKでお知らせします」
予定日はもう今週末。超過する事もままあるが、逆に早まる事も普通にあるらしい。少し神経質にもなる。
「今日はこのまま──」
「アクアくんっ」
スタジオから出てきた瞬間、駆け寄ってくる影。時折タチの悪いファンが出待ちしている事もあるため、関係者しか知らない裏口から出るようにしている。そのためこの人影は不審者というわけではない。アクアの撮影スケジュールを把握していても不思議のない人物だった。
「あかね……迎えに来てくれたのか」
「うん、今日夜から急に雨降ってきたし。私もついさっきまで近くで撮影してたから」
「こんな夜遅くに1人で出歩くなよ、危ねぇな」
「心配してくれるの?ありがとう、嬉しい」
「今日は一人で帰れ。オレは車で帰る」
「わー!わー!ごめんなさい!ホントについさっきまで撮影で出てきたばっかりだから!もうしません!許して!」
2人のやりとりを見て、白河は心の中で薄ら寒いものを覚える。フリルとの関係を持ちながら、黒川あかねと真っ当な男女交際を続けている。あかねとのやり取りの間に彼女への後ろめたさも、フリルへの申し訳なさも微塵も感じ取れない。冷酷な男というならまだわかる。人としての感情が欠落していて、何にでも責任を持てないクズというなら、こういう事もできるのだろう。
しかし星野アクアは違う。
マネージメント期間はまだ半年にもならない短い時間だが、彼は人として真っ当な感情を持っている。フリルへの申し訳なさも、あかねへの後ろめたさも持っている。移籍してから身を粉にして事務所とフリルに尽くしていることは知っているし、あかねにも不自由は多少あっても不満にまではならない範囲でフォローを入れてるのは見ている。だからフリルは未だアクアを心から愛しているし、あかねもまた、このようにアクアとイチャつく事ができるのだろう。
人として真っ当な感情は持っている。なのにおくびにも出さない。あの天才女優黒川あかねに演技を感じさせず、唯我独尊不知火フリルもアクアとの関係を切ろうとしない。
気味が悪かった。ロボットのような人間と割り切って見れる方がまだ理解の範疇だった。この男は一体どれだけの仮面を使いこなすのか。本当の顔はなんなのか。神なのか、悪魔なのか、わからなかった。
「白河さん」
声をかけられ、ようやく意識が現実に戻ってくる。一度大きく深呼吸し、仕事モードに切り替えた。
「あかねのこと、送っていきます。今日はこのままバラシでお願いします」
「わかりました。傘は──」
「要りません。一本で大丈夫です」
「なんであかねが答えんだよ」
「んふふふ」
「笑って誤魔化すな」
取り出しかけた傘を収める。一歩下がって、頭を下げた。
「わかりました。今日はお疲れ様でした。また何かあれば連絡を入れますので、携帯は注意して見ててください」
「ありがとうございます。白河さんも、お疲れ様でした」
「失礼します」
雨が降りしきる中、夜の街を一組の男女が寄り添いあって歩いていく。その背中が、白河にはまた、薄ら寒いものを感じさせた。
▼
「最近雨多いよな」
「私、雨好きだよ」
「なんで?」
「アクアくんが私と一緒に溺れてくれた日のこと、思い出せるから」
「それはまた……」
「好き」
「…………」
「好きだよ」
雨音に混ざって時折車が水溜りを跳ねる音がきこえてくる。静かな夜の街を歩きながら、たわいない……というには少し重い雑談をする2人は遠目から見れば理想的なカップルにしか見えない。彼女は彼氏の肩に頭を寄せ、腕を絡める。彼氏も彼女の方に傘を傾け、濡れないように配慮しつつ、常に車道側を歩いている。理想的。まさに理想的な彼氏彼女の姿だ。
───あの旅行から……というよりあの大晦日の夜から、あかねはオレにくっつく事が増えた。
それまではお互い一線を引いていたというか。理想的な彼氏彼女をお互いが演じている感があったのだが。あの夜、秘密を共有し、抱き合って、キスをして、繋がりあったあの夜から、何かが壊れた。
膝の上で寝てみたり、同じソファに座っていたら首筋を甘噛みしてみたり、手を握り合っていると、時折、自分の腿あたりに自ら持って行ったり。とにかくスキンシップの量がめちゃくちゃ増えた。
そして──
「好き」
事あるごとにオレに好きだと言うようになった。
───イブの時には感じなかった何か。以前と決定的に違ってしまった何かが、あかねの中で生まれてしまった。
これがいい事なのか、悪い事なのか、アクアには判断がつかなかった。黒幕に迫るという意味ではいい事だろう。今のあかねならオレへの協力を惜しむことは絶対にない。それはヤツにたどり着くためにはとても重要なファクターのはずだ。
けれど、私的に考えればどう見てもいいことではない。
オレ自身が抱えてしまった秘密。秘密で繋がってしまった絆。オレとあかねの距離が近くなればなるほどこの秘密は重さを増す。
全てを救う薄氷の道。重さが増すほど危うくなる。
───その時は黙って死ぬだけさ
それまでオレはただ頑張って歩き続けよう。命をかけて、死ぬまで頑張って。オレの嘘を真実にする。オレの嘘が誰の目から見ても真実にしか見えないようにし続ける。
あかねも、フリルも、ミヤコも、ルビーも、全員騙して、完璧な星野アクアであり続ける。それしかオレに許されるいきかたはない。
「好きだよ、あかね」
「私も、好き」
あかねの家にたどり着くまで、オレ達は好きだと言い続けた。
▼
「アクアくん、明日も仕事?」
「まあな。朝から撮影三本録り。あかねは?」
「9時から府中のスタジオ」
「お互い結構早いな」
黒川家の前まで辿り着くと、それぞれの情報を交換し合う。次にいつ会えるか、照らし合わせ、スケジュールを組むのが2人で会えた時の恒例だ。
「アクアさん、帰るんですか?」
玄関まで見送りに来てくれていたあかねの母親から心配そうに見つめられる。柔らかな笑顔で応えた。
「ウチでご飯くらい食べていきませんか?なんだったら泊まっていっても」
「ありがたいですが事務所の迎えが来る予定になってますので。お心遣いだけで」
「でもアクアくん、ほっとくとすぐコンビニとかのお弁当ばっかになるでしょ?料理できるんだから、ちゃんとしたもの食べなきゃダメだよ?」
「わかってる」
「あ、女の人に頼っちゃダメだからね!そういうことならいつでも私に連絡して!また作りにいくから!」
「はいはい。近いうちに、お願いしますよ」
「ちなみにアクアくん、今度は何食べたい?」
「………ガッツリ系?」
「わかった。楽しみにしててね」
一度手を振り、背を向けると肘を掴まれる。振り返ったら、青みがかった黒髪の少女は目を閉じて頬を指でトントンと叩いていた。
「…………」
頬に唇をつける。満足そうに笑った。
ピコン
電子音が思いの外大きくなる。携帯を取り出すと、マネージャーからのLINKメッセージが画面に浮かんでいた。
「───っ」
一瞬、アクアの顔が険しくなる。気になったのか、あかねが心配そうに覗き込んできた。
「どうしたの?何かあった?」
「いや。ちょっとスケジュールが巻きになったみたいだ。今日はもう帰るわ」
あかねに携帯を見せる。浮かび上がったメッセージは確かに業務連絡の内容だった。
「仕事?大丈夫?」
「ああ。大丈夫だよ。じゃあまた。おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
「アクアさん、またいつでも来てくださいね」
親子の見送りを背に、アクアは足早にタクシー会社に連絡をとり、大通りへと向かった。
「アクアさん、忙しそうね。大活躍してるのは知ってるけど」
「……………………」
「あかね?どうかしたの?」
「ん、ううん。なんでもない。私も明日朝から仕事だし。今日はお風呂入ってすぐ休むね」
「ええ。すぐ用意するわ」
扉越しに漏れ聞こえてくる2人の声を聞きながら、アクアはタクシーが来るのを苛立ちながら待っていた。
『今週末の予定が巻きです。スケジュール調整を』
白河さんからのメッセージ。予定が巻き、という言葉は普通に考えれば仕事に関することだと誰もが思うだろう。
しかし、アクア達の間でのみ、『予定』という文字が入る時、その意味は激変する。
それはフリルの陣痛が始まったという暗号だった。
▼
もどかしくエレベーターが降りてくるのを待つ。到着してもドアが閉じるのが遅くてイライラする。こんなに気が急くのは人生で初めてかもしれない。苛立ちと焦りでどうにかなってしまいそうだった。
「…………来たわね」
部屋の前にやっと辿り着くと社長が扉の前で待ち構えていた。流石にこのやり手の女傑も青ざめた顔をしている。来るとわかっていた時が来ただけだと言うのに、2人ともいつもの冷静さは完全に失われていた。
「フリルは?」
「今は落ち着いてるわ。貴方は?仕事ちゃんと終わらせてきたんでしょうね」
「当然」
扉を開こうとノブに手をかける。開けようとした手に社長の手が重なった。
「男が見るには結構キツイ現場よ」
「オレが逃げるわけにはいかないでしょう」
「見ると決めたなら途中で退出は許さないわよ。見ずに通すか、最後まで見届けるか、どちらかにして」
答えの代わりに扉を開く。駆け足で廊下を歩き、部屋に入ると、あらかじめ聞いていた、事務所とコネのある産婆さんと、大きなベッドとクッションにもたれ掛かるフリルがいた。
「アクア」
「フリル」
すぐそばに駆け寄り、手を取る。眉間に皺がよっていた。不安と焦りと恐怖がないまぜになった表情だった。
「来てくれたんだ」
「当然だ。陣痛来たのはいつ頃だった?」
「多分23時半くらい」
「破水は?」
「大丈夫」
フゥと一度息を吐く。どうやら深刻な状況になる前に間に合ったらしい。
「不安か?」
「…………うん」
「何が不安だ?言ってみてくれ」
「…………全部、かな」
今から来るであろう壮絶な痛み。子供を産むと言うことに対する現実。そしてこれからの生活。全て不安だ。全て怖い。どうしていいかわからなくなる。
「いっ…」
お腹を抱えて背を丸める。痛みで息が荒くなる。すぐに産婆さんが様子を見た。
「…………まだ全然ですね」
出産となると子宮口が10センチは開くのを待たなければいけない。先行きはまだまだ長そうだ。
「ぅっ…!ふぅーーーー!ふっ、はぁっ………ああぁっ!!」
ベッドに備え付けられたバーを握り締め、痛みに耐える。その隣でアクアはずっと座り続けていた。
「…………アクア、寝てていいんだよ?」
「…………寝れるか」
かろうじて笑みを作ってこちらを見つめる少女に笑みを返す。確かにど深夜だが、このフリルを見て、眠れるはずがない。
「オレのことより自分の心配してろ。今は大丈夫なのか?」
「陣痛って波みたいに現れては静まるを繰り返すの。今は大丈夫」
「今の陣痛の感覚は?」
「7分くらいです。フリルさん、今のうちにトイレも済ませておいてください」
「トイレ、行けるか?」
「大丈夫。陣痛が治ってる時はほんとにいつも通りだから。疲れてはいるけどね」
ベッドから立ちあがろうとするフリルの手を掴んだ。
「ありがとう」
「やめてくれ」
こんな事でしか手助けできない自分が、情けなくて仕方がなかった。
トイレを済ませ、ベッドに横たわる。一定間隔で響く、フリルの叫び声はアクアにとって火に炙られるような時間だった。
「…………やっぱ、人に見られても病院で産んだ方が良かったんじゃないのか?」
陣痛の波が引いた時、話しかける。フリルは苦しい時、何か他のことをして誤魔化したいタイプだ。あの嵐の夜、絆を身籠ったであろうあの時もそうだった。喋っている方が気が紛れるから陣痛が治っている時は話しかけてほしいと言われていた。
「今時無痛分娩とか、痛くないやり方も…」
「できるだけ自然に産んであげたい」
クッションにしがみつきながら、けれどハッキリと答える。続いた。
「この子は本来私たちの間にできちゃいけなかった子。不自然な形で作られてしまった絆。だからこそこれ以上何か手を加えたくない。自然な形で産んであげたい。痛みも辛さも怖さも全て受け止めたいの。だから──っ、」
再びクッションに顔を埋める。痛みが襲ってきたのだろう。取ろうとした手を遮られる。産婆さんがアクアの手首に手を添えていた。
「過度な痛みは脳のリミッターを外します。手を握ったりしたらそのまま握りつぶされるかもしれません。お気持ちはわかりますが、ここからは見守るだけで」
そこから先は苦行の時間だった。
フリルにとっても、アクアにとっても。
「痛い」と臆面もなく泣き叫ぶフリル。いつもの凛とした美しい澄まし顔は見る影もない。眉間に皺を寄せ、歯を食いしばり、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。バーを握りしめた手は真っ白だ。相当強い力で握り込んでいるのが一目で分かる。
そしてアクアもずっと顔を歪めていた。フリルが痛いと泣き叫ぶたびに身体が震え、唇を食いしばり、組んだ腕に力が入る。この位置からでもハッキリとわかる下半身からの出血。痛みに耐えながら呼吸をなんとか整えようとする、こんなにもフリルが苦しんでいるのに自分にできることは何もない。頑張れなんて口が裂けても言えない。ただ見守ることしかできない。歯痒さと後悔が常に心を苛み続ける。まるで身を引き裂かれるかのような痛みをアクアも感じていた。
───してはいけないことだった
今まで何人も女を抱いてきた。欲の捌け口にした事もされた事もあった。初めては中1。レン先輩が相手だった。最初は躊躇があったけど、回数を重ねるごとに躊躇はなくなり、いつのまにかコミュニケーションの手段の一つとなっていた。
どの相手がこうなっていても、おかしくなかった。
気をつけていたけれど、避妊に絶対はないし、安全日と言われた時は着けない事もあった。慣れの怖さを侮っていた。
「あ゛ぁあ゛あ゛あ゛っ、う、う、う、ま、っっ、ぁああああ!!」
本気の陣痛が始まった時、その叫び声は今までの比ではなかった。
───オレは、なんてことを……
背筋が震える。最低だ。本当に最低だ。母さんは16歳でオレ達を産んだ。父親は幾つだったか、まだわからないが、犯罪者なことは間違いない。どちらもロクなもんじゃない。最低最悪。父も母もオレも。
───本当に産まれてきていい子なのだろうか、絆は。
最低の母と最悪の父。その両方を引き継いだオレ。そして産まれてくる子も間違いなくその血を継いでいる。
───やっぱり僕は、死んだ方が良かったのかもしれない
あの夜、僕が僕でなくなった頃に、何かをなくしてしまったあの時に、あのまま死んでいた方が良かったのかもしれない。そうすればこんな事にはならなかった。あの時一緒に殺して貰えば良かった。僕も、アイも。
「どうして、こんなことになっちゃったんだろう」
自責と後悔で全身が引き裂かれていた時、小さな一言が響く。閉じていた目を開く。涙と汗でぐちゃぐちゃになったフリルが呟いた一言だった。
───弱気になってる……アイツが
「やっぱり産んじゃいけない子だった……身籠っちゃいけなかった……もう死にたい……殺して……私も、この子も、殺してください…」
全員が愕然となった。現実を受け入れるのに誰もが抵抗し、凍りついていた。あの不知火フリルの弱音を聞いたのは誰もが初めてだったから。
ただ、1人を除いて。
「…………ア……クア?」
グリップを握っていたフリルの手を取る。痛み以外の感覚にフリルが呆気に取られる。涙で潤んだ目が、星の瞳に吸い込まれた。
「ダメ、だよ……手なんか握っちゃ……アクアが、ケガ──」
「いいよ、握り潰して」
常日頃から鍛えている不知火フリルの握力。脳のリミッターが解除された状態ならオレの手を握り潰すくらい容易だろう。それでもいい。構わない。
「ダメ……私は、死んでもいいけど、アクアは……」
「お前もダメに決まってんだろ」
同じことを考えた。誰かオレを殺してくれと思った。コイツも同じことを考えてると、あの一言でわかった。その瞬間、怖気が走った。オレは死んでもいいけど、フリルとこの子はダメだ。それだけは許容できなかった。
「今のオレがお前達に出来ることなんて、何もないけど。今この場でオレは後悔ばっかしてるけど。オレに出来ることは、これからのお前達を守ることだけだ」
だから、今は無事に産むことだけを考えてくれ。
「他のことは何も考えなくていい。オレのことも、これからのことも。全部オレがなんとかするから。オレが守ってみせるから。だから今は、自分のことだけ、考えてくれ」
握った手が震える。何もできない情けなさで。それでも目は真っ直ぐに向け続けた。目を逸らすことも、閉じることもしなかった。侵してしまった罪を。オレがこの人につけてしまった傷を。見届けることだけが、今のオレに出来る唯一のことだったから。
涙と鼻水と汗でぐちゃぐちゃになったフリルがようやく少し笑った。
陣痛開始から約十五時間。アクアが手を握ってから約八時間ほどが経った後に、フリルの出産が終わる。3000グラムほどの女児が、無事に誕生した。
八時間。握りしめた手は一度たりとも強く握り込まれることはなかった。
▼
この人は、本当に太陽みたい。
人生で一度も経験したことのない痛み。さっきまで死を望むほどの激痛が、今はもうそこまで気にならない。そんなものより、この手に感じる力強さと暖かさの方が大事だった。この手に集中したかった。
怪我を覚悟で手を握ってくれて。こんな醜い私から一瞬たりとも目を逸らさなくて。真っ直ぐに見つめられる星の瞳に、私の方が萎縮してしまいそうだった。
───ああ、この瞳だ。
この瞳に私は一目惚れした。夢中になって、恋焦がれて、知りたくなって、手に入れたくなった。太陽のようなこの人に近づきすぎて、こんな事になってしまったけど、後悔は一度もしたことはなかった。
今日、この瞬間までは。
人生で経験したことのない激痛。家はお金持ちで、私もお嬢様で、基本的に甘やかされて生きてきた。苦労は同世代の女子の五億倍してきたと自負してるけど、こと物理的な痛みからは隔離され、守られてきた人生だった。
痛みというものに免疫のない私は、泣き叫んだ。臆面もなく涙を流し、鼻水を流し、冷や汗で服をびしょびしょにした。
この時初めて後悔した。アクアに近づくんじゃなかった。恋なんてしなければよかった。失敗なんて求めなければよかった。太陽に近づきすぎて、地に叩き落とされる痛みがこれほどなんて思ってなかった。
アクアに恋をしていると自覚してからの日々は、決して楽しいだけじゃなかった。結構辛いと思うことも多かった。
あかねとだって、本当の親友になりたかった。
子供なんて、できなければよかった。
家族に、子供ができたことを報告するのも嫌だった。
アクアのこと、好きにならなきゃよかった。
───そもそも私、本当にアクアのこと、好きだったのかなぁ
役に入る時、恋人役の俳優のことを好きになりかけてしまうというのはよくあることだった。軽率にプライベートでも付き合ってほしい、とか思っちゃうこともあった。
もしかしたら、アクアもその1人だったのかもしれない。普通の女子高生みたいなことをやりたくて恋愛リアリティショーに参加した。恋にも興味があった。アクアのことを好きになろうと努力しなかったかと言われれば嘘になる。
何かを演じる時は結構自己暗示にかかっていることは多い。アクアはその究極系だろう。作品の質を求められる時。周りからいろいろな指示をされる時。まるで目隠ししながら暗闇の道を走らされるかのような場面で、憑依した役が答えを教えてくれる。ゴールまで導いてくれる。
自分の中で別の人格が作り上げられる人。
それが作品に貢献できる役者。本物の『芝居』ができる役者。
───アクアも、そうだったのかなぁ
蓋をしていた。溜め込んでいた不満と疑念が痛みによって解放される。
どうしてこんな事になってしまったんだろう。
やっぱり産んじゃいけない子だった。
身籠っちゃいけなかった。
アクアなんか、好きじゃなかった。
もう死にたい。殺して。私も、この子も、殺してください。
思っちゃいけない言葉が頭に浮かんでくる。実際声に出してしまったかもしれない。けれどどうでもよかった。今はこの痛みから逃げ出せるならなんでもする。死んで解放されるなら私は躊躇なく死を選んだと思う。一度解放されて仕舞えば、いやでも気づく。
私はアクアとの付き合いに、こんなに不満と疑念を抱えていたんだ。
───誰か、私を殺し……え?
手に何かが来た。柔らかく、力強く、熱い。痛み以外の感覚を久しぶりに感じた。驚いて目を開ける。涙で歪んだ視界が晴れた。
「…………ア……クア?」
アクアが私の手を取っていた。
「ダメ、だよ……手なんか握っちゃ……アクアが、ケガ──」
「いいよ、握り潰しても」
良いわけがない。アクアが手をケガしたら仕事ができなくなる。ギターが弾けなくなる。ピアノも弾けなくなる。歌も歌えなくなる。ドラマも出れなくなる。
人前に出れなくなってしまう。それはダメだ。せっかく才能を開花させて、世間に認められて、アクアの十二年が報われようとしているのに。そんな事になってしまってはいけない。私が耐えられない。
「ダメ……私は、死んでもいいけど、アクアは……」
「お前もダメに決まってんだろ」
口調は穏やかだったけど、目つきは鋭かった。怒ってる。アクアが心の底から怒ってる。初めてだ。私がからかって、アクアが怒る、なんてことはあったけど、表面的だった。心からの怒りをぶつけられたのは、多分初めてだった。
「今のオレがお前達に出来ることなんて、何もないけど。今この場でオレは後悔ばっかしてるけど。オレに出来ることは、これからのお前達を守ることだけだ」
アクアも、私と同じことを考えてた。こんな事になってしまい、後悔していた。けれど、それでと、今自分にできることをずっと考えていた。
───手、震えてる
握られた手が震えている。私の震えじゃない。アクアの震えだ。罪の意識、後悔、あらゆる負の感情がアクアを苛み、この強い人を震えさせている。その事が悲しいと同時に少し嬉しい。
震えていても、星の輝きを放つ瞳だけは、真っ直ぐに私を見つめていた。
───やっぱり、違った。
アクアは違った。自己暗示なんかじゃなかった。考えてみればそうだった。自己暗示は役が解ければあっさり解ける。少なくとも今まではそうだった。番組が終われば相手役の俳優への気持ちなんか、一瞬で冷めた。でもアクアへの想いは番組が終わってもまるで冷めなかった。むしろ時間が経てば経つほど、この人に夢中になった。熱中した。のめり込んだ。
───やっぱり私は、この人が好きだなぁ
もし過去をやり直せたとしても、これからの顛末を全て知っていたとしても、多分私はこの人に恋をするだろう。この瞳を目にして、私がこの光を求めないはずがない。
あかねと親友になれなくても。
子供ができてしまっても。
この痛みを体験しなければいけないと知っていても。
私はこの人に、何度でも恋をする。
───ああ、この瞳だ。
この瞳に、私は焼かれ、焦がれ、そして溺れたんだ。
口元が綻ぶ。痛みは相変わらず。むしろどんどんひどくなってる。けれどもう怖くはない。死にたいなんて、もう思わない。死んでしまえば、もうこの光を見る事ができなくなってしまう。それは嫌だ。
握られた手を握り返す。力は込めすぎず、怪我をさせない範囲で。けれど、この人の柔らかさと熱は感じる事ができる力で。
手から伝わる熱と、手に込める力に、集中する。集中し続ける。そこから先はよく覚えていない。産婆さんの指示に従って、大きく息を吸って、何度もいきんだことは覚えている。気がついた時、もう私達の絆が私の腕に抱かれていた。
───凄い
おくるみに包まれた我が子を抱いて、その生命の尊さと美しさに敬意を覚える。
───柔らかくて、小さくて、けど、とても強い子……私達の絆
ありがとう。生きていてくれて。生まれてきてくれて。
決して強くならないように、抱きしめる。ほとんど同時に私の肩が温もりに包まれた。アクアが、私も子供も抱きしめてくれていた。
「よく頑張ったな……お前も、この子も」
「アクア、抱いてあげて。貴方の子よ」
▼
「んー。ねえ、あなた。ちゃんと映ってる?」
「おう、バッチリ。しかし急に記念撮影したいなんて言い出すとはな」
「こういうの残しておくのも良いでしょ?いつかこの子が大きくなった時、これ見ながら一緒にお酒でも飲みたいじゃない?」
「…………悪くないな」
「でしょ?ホントは私が全部撮りたいんだけどね。この後あなたにもインタビューするから。その時は私が撮るね」
「はいはい。んじゃ回すぞ。10秒前ー」
3
2
1
『ハッピーバースデー。ついに産まれましたー。いやホントに頑張りました。私もこの子も』
『大暴れだったな』
『しょうがないでしょ、めちゃくちゃ痛かったんだから。鼻からスイカどころじゃないよ。破瓜した時の五百倍は痛かった』
『もうちょっと他の例えねーのか』
『基本的にお嬢様なので。物理的な痛さからは遠ざけられてきた人生だったのですよ。私の子にしてはあんまり小顔じゃなかったみたい。あなたのせいね』
『ははは』
『あと、言っとくけどどっちの痛みもあなたのせいだからね』
『それを言われると弱いな。申し訳ありませんでした』
『痛みも喜びもあなたからなら全部大切だけどね』
『出産を終えた今の気分は?』
『…………幸せです』
やっと、私が生まれてきた意味を見つけられたような気がしたから
私はアクアのことを心から愛していると気づかせてくれたから
貴方が教えてくれたから
『まだ貴方は目も見えなければ、何を言ってるのか、わからないだろうけど。すぐに目が見えて、声が聞こえて、話もできるようになる。一緒にこのビデオを見れる日もいつかきっと来る』
その時には、きっと全てを話すから。貴方の父と母は、ちょっと愚かだったこと。貴方が普通の子供とは少し違うことを。ちゃんと話して、ちゃんと謝って、ちゃんと感謝を伝えるから。
『大好きだよ。これから末永く見守らせてください。いつか私達の元から巣立つその日まで。たとえ巣立っても、私達は貴方が帰る宿木であり続けるから。だからそれまで元気に、健康に育ってくれることを祈ってます。母として今貴方に願うことは、それだけです』
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
絆、爆誕。色々ありましたが無事に産まれて本当によかった。果たしてこれからどうなるかは筆者すらわかってませんが、どうかよろしくお願いします。今回は本誌ネタバレなしです。とゆーか今回の話がほとんど本誌ネタバレみたいなものですけどね。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
88th take 関係の変化
理想を背負い、押し付けられ、偶像は現実を超えるだろう
理不尽に晒されても神の如く泰然とした星をなくした子
その神秘は人を惹きつけ、疎み、また一人堕ちていく
事務所を移籍して、リバドルでブレイクして、少し経った頃。
プロの世界。過程がどうあれ、結果を出せば黙らざるを得なくなる世界。アクアは不知火フリルに取って代わる結果を出していた。彼女の抜けた巨大すぎる穴を見事に埋めて見せた。針の筵だった事務所に少しだけ居場所ができ始めていた。
『良かったよ、アクア』
『凄いよ、アクアくん!』
認めてくれる人も何人かいた。友達みたいに接してくれる人も。
けれど、気を許す気は全く起きなかった。
「良いよな、天才は」
陰でこういう事を言う人間がいなくならないことは、嫌というほど知っていたから。
仕方のないことだ。人間だって感情の動物。理不尽とわかっていても妬みや嫉妬は避けられないし、それをぶつけないことも出来ない。誰だって仮面をつけてる。上辺を取り繕っている。本音と建前を使い分けている。仕方がないことだ。それが人間だ。
だから、仕方がない。
オレのバッグの中身がズタズタにされていることも。
「…………あーあ、結構気に入ってたのに」
ジッパーを開いた時、真っ先に目に飛び込んできたのは泥。泥を払い除けた下にはオレが色々メモしたノートや資料をまとめたファイルがビリビリに引き裂かれている。
「うん。オレが悪い。ロッカーに鍵かけてなかったのも。バッグにノートやファイルを入れっぱなしにしてたのも、全部オレが悪い」
知ってたはずなのに。警戒してたのに。気を許してはいけないことくらい、わかっていたはずなのに。忙しさを理由に省いた。たとえ中身を見られても問題ないと思って油断した。オレが悪い。
本心からそう思った。だから怒りは沸いてこなかった。恐らくこれをやったであろう連中がオレの前に現れた時も、オレは穏やかに笑うことができたと思う。オレの笑顔を見たそいつらは急にキレて、罵詈雑言を叩きつけてから部屋を出て行った。
仕方ないことだ。新参に全部仕事持って行かれて。オレも事務所が持ってきた仕事全部断らないで、片っ端からこなして。オレが仕事をこなす分、彼らがこなす仕事は無くなっていく。行き場のない怒りをオレにぶつけるのは仕方ないことだ。そう、仕方がない。
「…………ふざけんな」
ズタズタにされたバッグをドアに叩きつけた。
▼
都心から少し離れたとある墓地。その中の目立たない場所にひっそりと立つ墓石。そこに一人の影が立っていた。背は170前半程度。帽子とマスクで顔は見えにくい。けれど僅かに覗く涼しげな目元から美形であることは察せられる。
季節は初夏。盆の墓参りには少し早い時期。墓地に訪れているのもその男ただ一人。花すら持たず立ち尽くす美少年。名前は星野アクアと言った。
───母さん、オレも親になったよ
というよりは『なってしまった』という感じだが。きっと母さんもそうだったんだろう。なってしまって。けど捨てるわけにも逃げ出すわけにもいかなくて。捨てる勇気も逃げる勇気もなかった。だから全てを欲した。全てを手に入れようとした。それを望むくらいの能力はあったから。手に入れられるだけの才能はあったから。
───貴女も、きっと歩いていたんだろうな。薄氷の道を
全てを救う、けれど半歩の踏み間違いで全てをなくす薄氷の道。オレが今歩いている同じ道を母さんも歩いた。そして踏み間違えた。薄氷は粉々に砕け散り、奈落へと落とされた。
───それでもオレとルビーは守った。守りきった。薄氷の道を踏み外しても、なくしたのは自分の命と、オレの記憶だけだった。
凄いことだ。あの血迷って、気が狂ったストーカーから無力なオレとルビーを守った。もしあの時、母さんが対応を間違えていたらオレ達も殺されていた可能性は高い。きっと刺された後、母さんが何かをしたんだ。と言っても腹を刺された状態で物理的に何かができたはずがない。何かしら声にするだけで精一杯だったはず。言葉だけでオレ達を守ったんだ。比喩でなく致命傷を負いながら。
───凄い人だ。
自分が親になって、改めて思う。母さん、貴女は凄い人だ。オレでは多分出来ない。言葉だけで殺人者の狂気を止めることなんて、出来ない。
───貴女は凄い。それは周囲もわかっていた。わかりすぎていた。だから誰も本当の貴女を見ていなかった。凄い貴女しか知らなかった。
世の中に凄い人はいる。才能がある人も、天才と呼ばれる人もいる。
けれど、強い人はこの世にいないと思う。
完璧でなければ生き残れないこの世界。強いフリをしている人は沢山いるだろう。実際それができる人は充分に強い人だとはオレも思う。
けど、弱さを抱えていない人がこの世にいるはずがない。
母さんのことは覚えていない。陰で弱音を吐いたりする人だったのかどうかさえわからない。
けどかつて所属していたB小町で軋轢があったことはオレも知っている。
妬みも嫉みも受けてきただろう。罵詈雑言を浴びせられてきただろう。大衆にも身内にも。友達と思っている人から死ねとか言われたことも、いじめすらあったかもしれない。オレすらあったのだ。ロッカーに置いてあったバッグをズタズタにされた。以来布製のバッグは使わず、移動にはジュラルミンのスーツケースを使うようにしている。アイもきっとあっただろう。罵詈雑言を吐かれ、私物を盗まれたり、何かされたりしたのだろう。
その全てに多分ムキになったりしたことはなかったはずだ。努めて冷静に。穏やかに。笑顔を持って応対してきたはず。ムキになることは完璧を崩すことになってしまうから。
───キツかっただろうな
人前で弱みを見せず、穏やかで美しくあり続ける。キツかっただろう。どれが本当の自分かわからなくなってしまっただろう。周囲との軋轢。グループのエースとしての重圧。そして子供達。これら全ての重荷を背負って、アイは美しくあり続けた。完璧で究極のアイドルであり続けた。
キツかっただろう。苦しかっただろう。オレとルビーを恨んだこともあっただろう。子供なんて捨ててしまいたかっただろう。
けどそうはしなかった。オレは覚えていないけど、ルビーが母親との思い出を語る時は常に笑顔しかない。恨みも後悔も詰め込まれているであろうオレ達に、貴女は無償の愛を注ぎ続けた。
凄い人だ。心から思う。凄い人だ。
そして認めるのは嫌だけど、この人はオレに似ているのだろう。全てを手に入れてしまおうとする感性。完璧主義者にして完全主義者。言葉は嘘をつくけど、行動の結果は嘘をつけない。この人の足跡とオレのこれまでの13年は驚くほどよく似ている。この人と同じ薄氷の道を、オレは歩いている。
ただ一つ。違うことがあるとすれば。
───オレは凡人で、貴女は天才であるということ。
「貴女は間違っていた」
選んだ男も、子供の育て方も、貴女は間違っていた。世間を知らず、世の中を知らず、狭い世界で生きてきた貴女は最悪の男を選んでしまった。その後も全て一人でやろうとしてしまった。それが出来ると思えるくらいには能力も才能もある人だったから。
孤独に耐えられる人になってしまった。
───オレは頼るよ。フリルに頼る。フリルにも頼ってもらう。一人でなんて無謀なことはしない。二人で育てていく
「オレは、母さんのようにはならない」
守ってみせる。理不尽な暴力からも。悪質なファンからも。オレ一人の力ではなく、事務所の力も、使えるもの全て使って。
貴女を殺した人にも、3年以内に必ず辿り着く。
そして全てが終わったら……
「───また来るよ。いつか絆を連れて」
10本の白い薔薇で作られた花束を墓前に備える。風で舞う花弁が蝋燭の炎に燃やされ、消えた。
▼
B小町2ndワンマンライブ。
新生B小町結成一周年記念のライブ。キャパ千人の会場は満員。ステージの盛り上がりも最高潮。チケットも即完売。有料配信も予定されているのは現地に来れないファンの為のサービス。目に見えない多数派を見逃さない配慮。この辺りのアイデアは恐らくMEMちょだろう。伊達に長年ユーチューブ市場で戦っていない。
側から見れば順風満帆。すでに成功している部類のアイドルグループと言っていい。
が、下を見れば山ほどいるように上を見ればまだまだ先行きは遠い。
超一流アイドルグループのステージは幕張メッセやアリーナ。ワンブロックすら7000のキャパがある。ドームはそのさらに上。気の遠くなる数字の先。
最高峰の舞台に立てるアイドルは大手事務所が推しているグループのみ。地下アイドル出身や中堅以下の事務所のグループは武道館がほぼ限界。その証拠にこの十五年で地下出身アイドルでドームに立ったグループは一人もいない。
───だからこそ、有象無象もかなり減った。
現実を知れば知るほど人間妥協する。今や本気でドームなど目指している中堅以下のアイドルなどほとんどいないだろう。
しかし、このSNS全盛の時代。何がバズるかわからないし、どこで人気が爆発するかもわからない。現にネットから話題になったアーティストがドームに立つということもゼロではなくなった。
───ポテンシャルはある。適性という意味なら、ルビーはオレを遥かに超える。
問題はそこまで耐え切れるか。停滞期にモチベーションを維持し続けることができるか。
進歩が感じられなければ人間そうは続けられない。どうしても初期衝動が必要になってくる。
───その衝動が、オレであるアイツは……
舞台袖。関係者のみが入れる控え室。直接目で見ることも映像でも見られる最高の席で、ライブを見つめるアクア。星の瞳の少年は気づいていた。半年前にはあった光。『私を見て』と叫ぶ衝動が、今は無くなっている。愛してもらうためにやっていた、『何かをする』が出来なくなっている。
「ずいぶん久しぶりに感じるわね。貴方と二人きりでいるの」
「ま、実際半年ぶりだしな」
ライブ映像を共に見ているミヤコから今のところ危機感は感じられない。それも仕方ないかもしれない。B小町の活動自体は至極順調だ。もういつバズってもおかしくない土壌を完成させている。ここからは時間をかけるしかないというのもまた正しい認識だ。
それに、有馬の後継も育ってしまっている。アイツに代わって眩いばかりの輝きを放つようになったのは……
「そっか。移籍前日の夜以来なのね。貴方と二人きりで過ごすの」
「思い出させんな」
「今夜時間ある?」
「一回きりの約束だったろうが」
「お兄ちゃん!!」
妹には秘密のちょっと危ない会話をしている中、ライブを終えた新生B小町が戻ってくる。
部屋の中で佇んでいる人間を見て、有馬の代わりに眩い光を放つようになった紅玉の瞳の美少女は、星の瞳の少年に、一直線に抱きついた。
▼
ライブを終えて控え室へと向かう。ステージを終えた時特有の倦怠感と解放感。そして若干の快感が身体を苛む。半年のアイドル活動でこの気だるさにも慣れてきていた。
「ん?話し声するねぇ」
ステージの控え室。扉から漏れる光と音。そして人影から部屋の中に誰かがいることにメムちょが気づく。関係者以外入れないこの楽屋にミヤコさん以外の人がいるのは珍しい。まして話し声など尚更。流石に会話の内容までは聞こえなかったが。一体誰だろうと少し訝しんでいると、ルビーの表情がパッと明るくなる。先に歩いていた有馬かなを追い越し、勢いよく扉を開いた。
「お兄ちゃん!」
控え室でミヤコさんと喋っていたのは今や国民的俳優となりつつある、星の瞳の美少年だった。
「おう、ルビー。お疲れ」
「観に来てくれてたんだ!言ってくれたらチケット用意したのに!」
「アンタ意外と暇なの?ライブなんか来る時間あるとは思わなかったわ」
「撮影で近くにいただけだよ。ミヤコに連絡したらここまで通してくれた」
「あれ?教科書とノート?アクたん勉強してたの?」
楽屋のテーブルに広げられたテキストとノートがメムちょの目に入る。内容は高二の夏より少し先取りした内容だった。
「事務所から課題出されてんだけど、纏まった勉強時間はなかなか確保できねーからな。オレの学業は隙間隙間にやってくしかねーんだよ」
「ああ学業!!あったねぇそんな概念!遠い昔の話過ぎて忘れてた!」
「よくそれでJKキャラやってけるよな、お前」
「アクたん頭いいもんね。大学行くつもりなの?」
「選択肢の一つとは思ってる。まあ特に焦ってはねーけど。大学受験は年齢制限ないし、入りたくなったら大学はいつでも門戸開いてくれてるからな。備えは必要だってだけ」
「うんうん、偉いなぁ。絶対そうするべきだよぉ。私も大学行きたかったなぁ。学力に余裕のある人が羨ましいよぉ」
「別に過去形にする必要ねーだろ。言ったように大学受験は年齢制限ねーんだから。今からでも高認とって勉強すれば──」
「ふふふ、若いなぁアクたんは。そんなマトモな事が出来る人なら最初から芸能界には来ない!と言っても過言ではないからね!」
「過言が過ぎる……って訳でもねーか。基本みんな目の前のことに精一杯だからな」
勉強とか大学受験とか、やった方がいいに決まってるのはわかってる。けれどそんな将来のことを考える余裕のある芸能人が一体何人いるだろうか。明日自分がどうなってるかすらもわからないのにそんな未来のことなんて考えられないのは当たり前と言えば当たり前なのかも知れない。特にこの芸能界という狂気の世界では。
「あんた、私達のライブ片手間で聞いてたわけ」
「作業用BGMとしてはちょうど良かった」
半年前と殆ど変わらない会話。移籍後もアクアはB小町と険悪にはなっておらず、定期的に連絡を取り合い、アクアはたまにこうしてイベントに顔を出していた。
変わったことと言えば……
「お兄ちゃん、私疲れたぁ。ヨシヨシしてぇ」
「おう、よしよし。お疲れ」
「お兄ちゃーん」
「はいはい。パックジュース」
「ん、んんんんー、んんんんん」
「どういたしまして」
「お兄ちゃん、暑いぃ」
「なら離れろ」
「それはいやぁ」
───近い
この兄妹の距離感。元々人前で平気でペアルックやらかすし、時折二人ともにブラコンシスコンと罵った時も平気な顔して認めていたくらいだった。仲のいい双子であることは周知の事実。
けれどそれはあくまで家族としての仲の良さというか、家族故の遠慮のなさというか。垣根はないけど、そういう一線は引いているように見えていた。
けれどここ最近は……
「いや何があった!」
こう叫ばずにはいられない状況になっていた。アクアが移籍して、今までのように頻繁には会えなくなって。けど、こうしてたまにライブとかを見に来てくれる。その度に見せつけられる、明らかにバグった距離感。ゼロ距離の接触は当たり前。今時付き合いたてのバカップルでもしないようなイチャコラに、B小町は正直かなり引いていた。
「先輩急におっきな声だしてこわわ」
「そりゃ声の一つも出るでしょ!いつも会うたびにベタベタベタベタベッタベタ!!距離感バグりすぎよ!ホント何があったのよアンタ達!」
「私とお兄ちゃんって、生まれる前からずっと一緒だったじゃん?」
「…………まあ、双子だからねぇ」
「学校とかも幼稚園から高校までずっと同じで。そりゃお互い仕事とかで会えない日もあったけど、それでも週に一回は絶対会ってて。隣にいるのが当たり前で」
「双子だからねぇ」
「でもお兄ちゃん移籍しちゃって。会える頻度も週一どころか月一あるかないかになっちゃったじゃん?いなくなって初めて気づく当たり前っていうか。私の半分はお兄ちゃんで出来てたんだなって気づいちゃって」
「アクたんも忙しいからねぇ」
「♡今♡反動が♡来てる♡」
「極端すぎるわ!!」
微笑ましく思えるブラコンを通り越している。もはやすでに禁断の関係と言われても納得してしまうほどだ。モラリストのアクアはないと思うが、夢見がちのロマンチストなルビーはもしかしたらもしかすると思わされてしまう。
「兄妹仲が良いことは悪いとは言わないけど!アンタ最近ブラコンアイドルで売れてるのも知ってるけど!兄妹の適切な距離感ってのがあるでしょうが!アンタ達ほとんど同じDNA組み込まれてんのよ!背徳感ヤバすぎ!アクアもなんとか言いなさいよ!」
「まあ、有馬の言うこともわかるし、多少鬱陶しいが月一くらいなら許してやらんでもない。グループ以外で寄りかかる相手もアイドルには必要だろう」
「…………アンタって、ホントに…」
「あ、ルビー。前より髪質サラサラだな」
「えへへー♡わかる?髪質改善トリートメント受けたんだよー♡キレイでしょ?」
「ああ。綺麗だよ、ルビー。推し増ししそうだ」
「………へへっ」
「やっぱりキモい!クソシスコン!!」
「有馬ちゃん、言葉遣い気をつけて。私たちアイドル」
「いいじゃない!今楽屋で誰もいないんだから!メムもなんとか言いなさいよ!」
「あ、じゃあインスタ行きの写真撮らせて。美男美女の双子カプめちゃ絵になる。万バズの予感」
「この数字ジャンキー!」
それからも一悶着あったが、アクアを迎えに来たマネージャーさんに連れて行かれ、楽屋内も一気に静かになり、私達も帰り支度を整える。アクアが来たことでライブ後の疲労も倦怠感もどこかへ飛んでいき、控え室の少しイヤな空気も吹き飛んでいた。
特にルビーは。
「〜〜♪」
喜色満面。頬も紅く紅潮し、口元には笑みが上る。左眼に星の瞳を。右眼にハートマークを浮かべる彼女は今までになかった可愛らしさと色気があふれ、蜂蜜色の髪の少女は可愛さと美しさを兼ね備え始めている。
少女から女へ羽化し始めている。
恋する乙女は美しくなる。それが事実である事を有馬かなは誰よりもよく知っている。
だがしかし。まだもう一つ、知らなかった。
恋は人を醜くもする事を。
「羨ましい」
口の中で囁かれた呟きを聞いた者はいなかった。
▼
夜の街。恵比寿から少し離れた人気のない場所で、私は座り込んでいる。いつも通りバンに乗せてもらって帰路に就いている途中、ミヤコさんに頼んで途中で降ろしてもらった。少し一人で考えたい事があったから。
最近のB小町の空気は、はっきり言って良くなかった。
ライブは定期的にやってるし、チケットのはけも上々。アイドルグループとしては順調な活動内容。私たち三人だって別に仲が悪いわけじゃない。いじめもなければ不和もない。ちゃんと女友達やれてるとは思う。
けれどどうしても流れてしまう、ヒエラルキーの差。
この半年で、ルビーの仕事は圧倒的に増えた。
正直アクアの影響も大きいとは思う。もはや日本国民誰もが知る存在となったマルチタレント。その活動内容はもちろん、プロフィールまで気になるのは必然と言える。
そして少し調べれば分かる。アクアに双子の妹がいるということは。本人も言いふらしてはいないが、隠してもいないから。
興味の発端はアクアだったかも知れない。しかし芸能人にとってそれが売れる要素に繋がるならキッカケなどなんでも良い。
芸能界で屈指の美形であるアクアとソックリな美少女。顔と名前が知られれば活動内容もあっという間に認知される。アイドルであること。MVをアップしたこと。それらに興味を持ってユーチューブを開いてみれば、目に映るのはあの闇に引き摺り込むかのような、独特のオーラを放つルビーが見える。
『星野アクアの妹美少女すぎ!』
『ミステリアスでダークなオーラ!アクアの初期の頃そっくり!やっぱ血は争えない!』
ライブでセンターを務めてるのは私。スキルも三人の中で私が一番高いと自惚れでなく思う。
けれど今のB小町で中心にいるのは間違いなくルビー。今やルビーがいない動画には低評価さえつき始めている。私やメムはもはやバーターと化したと言っても過言ではない。
仲が悪くなったわけじゃない。いじめもなければ不和もない。けれど確実に雰囲気は変わった。
そんな無味無臭の雰囲気を壊してくれるのが、アクアだった。
事務所を移籍してから半年。今までのように頻繁に会うことは出来なくなった。けれど時間があればああやって私たちのライブを見に来てくれるし、楽屋にも顔を出してくれる。
ライブ後の微妙な空気になる控え室の風通しを良くしてくれる。アクアの存在はありがたかった。アクアのおかげでB小町は決定的に壊れるような雰囲気ではなくなっている。そのことに感謝はしている。
けれど、それでも。
スマートフォンを開く。ネットニュースにはアクアとあかねがツーショットで映っている画像があった。ドラマやバラエティのゲストなどで二人が共演することはこの半年で幾度かあった。仲睦まじい美男美女のカップルとして評判を呼び、人気も集めている。アクアの隣に立つあかねは心底幸せそうな笑みを浮かべ、アクアの腕に抱きついていた。
「───付き合ってるんだろうな。もうビジネスじゃなく、正式に」
アクアから直接聞いたわけじゃない。私から問いかけたわけでもない。けれどわかる。恋リア番組が終わって一年以上経っているのに変わらない、むしろ近くなっている関係。黒川あかねの演技でない笑み。紅潮した頬。ハートマークを浮かべる目。幸せが溢れている態度。どうみてもビジネスじゃない。彼氏大好き。全力彼女。
インスタを開く。フォローしているあかねのアカウントには沢山の写真がアップされている。
アクアとツーショットなんて当たり前。時に男物のシャツを羽織っていたり、クレープを一緒に食べていたり、お揃いのピアスをつけていたり、二人で一緒に勉強してたり。
アオハル全開。ブレーキぶっ壊れのアクセルベタ踏み。彼氏バカの極みが所狭しと並べられていた。
『あかねかわいい!』
『女優さんって言っても、やっぱり普通の女の子なんだよね』
『彼氏好きすぎ彼女』
『あの星野アクアだから仕方ないね』
『羨ましいなー、黒川あかね』
大衆の意見は良好。妬みも多少あったが、それ以上に人気がすごい。日を経るごとに美しさを増す黒川あかねに比例して、アクあかのフォロワーも増えている。世間は完全に二人のカップルを認め、応援していた。ここまでになってしまうともはや別れる方がリスキーかも知れない。
───それはわかってる。わかってるけど。
「有馬、ルビーを頼む」
頭にまだ感触が残ってる。固くて、熱くて、けどどこか柔らかくて、温かい。あいつの手のひらの感触。忙しいはずなのに時間を作っては私たちのライブに来てくれて、会いに来てくれる。私に優しい言葉をかけてくれる。拠り所になってくれる。
あかねと付き合ってるのに、私に優しくしてくれる。
彼氏としてはどうかと思わなくもない。私があかねの立場なら不快にまでは思わなくても不安にはなるだろう。誰にでも優しい男でない事を知っているから、尚更だ。
───あかねにはアクアに負けないくらいの才能がある。美人で、可愛くて、優しくて、性格も良い。あの二人を邪魔するつもりなんてもはやない。あの温泉の時から。
『私、アクアくんとしたよ』
もう一線は越えている。アクアは貸し借りにめちゃくちゃ厳しい責任オバケだ。そういう相手を蔑ろにする事などあり得ない。
───だから、私はもうあの二人を邪魔しない。応援さえするつもり。
アクアが自分の口から、あかねと正式に付き合っていると、私に言ってくれれば。
そんな事をわざわざ報告するような関係でないことはわかっている。私達は付き合ってるわけでもなければ、仲間でもない。もはや事務所も異なる他人。少し仲のいい友達程度。そんな相手に誰と付き合うだの誰と別れただの、いちいち報告する義理はないのはわかってる。
けれど、直接言ってもらえなければ、どうしても持ってしまう。
それは未練という感情。
───移籍してもなお私たちのライブに来てくれるのはなんで?グループ内で軋轢が生まれないための風通し役?それともルビーを気にして?でも私に優しくしてくれるのはなんで?いつも移動の時、私のサイリウムカラーのスーツケースを使ってるのは?私の考えすぎ?でも、言ってくれないとわからないじゃない。気にしちゃうじゃない。
誤解なら誤解で構わない。けれど、はっきりした答えが欲しかった。あかねと付き合ってると言ってくれるなら私は決して邪魔はしない。応援する。アクアが嫌がることは絶対しない。
だから、答えを聞きたい。
けれど私の方から聞く勇気はない。
「フるならちゃんとフッてよ……思わせぶりな態度取らないで……バカ」
夜の闇の中で呟かれた一言を聞いていたのは、夜空の一番星と、一番星に惹かれながらも、その眩さを恐れ、距離を取る事を選んだ淑女だけだった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
更新遅れまして申し訳ございません。少し言い訳をば。12月、とくに年末は公私共に忙しすぎました。師走とはよくぞ言ったもの。年始も色々挨拶回りで駆け回り、人付き合いもあり、趣味に費やす時間ゼロが最大の理由でした。
最大じゃない理由は筆者の技量不足。前話があまりに綺麗に締めすぎてしまったため、次の展開のイメージが全然湧かなかった。今もまだ湧いていません。失恋直前の重曹ちゃん。恋する乙女まっしぐらなルビー。彼女を謳歌するあかね。母になったフリル。ひぃっ、パッと思いつくだけで爆弾だらけ。果たしてどうなってしまうのか。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
89th take バーター
未だ拙い笛の音は自らの首も絞めるだろう
紅い宝石の名を冠するポルクスの炎は燃え上がる
一番星を演じる光に吸い寄せられて
「なんか、無職の中年の昼下がりってこんな感じなのかなって思うわ。今夕方だけど」
海が近いところにあるとある釣り堀。ダウンジャケットに身を包んだ中年男性の隣にフードとサングラスで顔を隠した青年が立つ。中年男性は少し不服げに眉を顰めたが、不快な様子はなく、隣に立った青年を受け入れていた。
「久しぶり。元社長。結構元気そうだな」
中年男性の名前は斎藤壱護。そして青年は星野アクアだった。
「よくここがわかったな」
「オレももうそこそこ顔もコネも効く立場なんでね。顔と名前さえ知ってればこの狭い東京で個人を特定するくらい出来る」
「…………で?事務所から蒸発して、12年も経った今更、俺に何の用だ」
夕暮れ近くの海で、喧騒と沈黙が辺りを支配する。周囲を飛び回る数羽のカラスがなぜか特徴的に映った。
「まあ、一応ダメ元で質問しに来たのと、元社長に報告がひとつ」
「…………なんだ?」
「オレ達の父親が誰か知ってる?」
「───知らねぇ」
「ホントに?」
「マジだっての。相手の男に関して、アイは誰にも一切口を開かなかった。もちろん俺にもな」
「ふーん」
その辺りはオレとは、というかフリルとは違うな、と心の中で思う。まあアイツの場合誤魔化しが効かなかったのもあるだろうが。フリルが妊娠した時も相手が誰かなど、本人以外にわかるはずもない。だがあの時、真っ先に疑われる対象はオレだったのは間違いなかった。
実際ちゃんと相手のことを事務所に報告したフリルが正しいと思う。相手がわかっていれば、妊娠に伴って、なにかしらの事件が起こった時の自衛手段を取りやすいし、容疑者も特定しやすい。それに相手が子供に関してどういうスタンスなのかも第三者の目で知ることができる。オレは子供とフリルを守るという方針であることをフリルにも事務所にも示した。そして事務所もそれを信じた。実際本心だったのだから当然だが。
だがアイの相手は子供に対して明らかに保護のスタンスはとってなかった。基本は放置だったのだろう。そうでなければアイに中絶させたはずだし、アマミヤゴロウを殺す前にアイを殺すか、オレとルビーを殺すかをしたはずだ。医者としての立場のある成人男性を殺すより、妊婦や幼児の方がはるかにリスクは低いし、手段も容易だ。
基本は放置。だがオレ達が生まれてから4年も経ってからアイを殺したのは、きっとなにかしらのトリガーがあったからだ。アイか、事務所か、オレ達かはわからない。だがヤツにとってなにかしらの不都合なアクションがあったから、黒幕は殺人教唆に踏み切った。
───このオッサンが嘘ついてる可能性もあるが……
その思考は、この一言で断ち切られることとなる。
「知ってたらとっくにぶっ殺しに行ってるっつの」
紡がれた一言は心胆から寒くなるような薄暗くドス黒い声音で、アクアの鼓膜を震わせた。
「お前こそ知らねぇのか。お前のことだ。12年なにもしてねーワケじゃねぇんだろ?」
「んー、まあ色々わかってきてはいるけど、特定にまでは至ってないかな」
「手がかり掴んでんなら教えろ」
「殺しなんて物騒な復讐考えてる人には教えない」
「お前、母親殺した相手を許せんのか」
「許す許さないじゃねぇ。日本の法律は復讐を認めてねーんだ。やればオレまで犯罪者だ」
「誰もお前に殺せなんて言ってねーだろ。面倒なことは全部俺がやってやる。だから──」
「こっちにどんな理由があろうと犯罪に手を染めれば一族郎党全てに迷惑がかかる。個人だけで引っかぶれる罪じゃねーんだよ。殺人は」
その一言で壱護も黙り込む。そう、殺人とは個人で背負い切れる犯罪ではない。ましてオレたちのように芸能界に関わっている人間なら尚更だ。オレが殺しても、壱護が殺しても、周囲に迷惑は必ずかかる。ミヤコに、ルビーに、有馬に、MEMちょに。スネに傷を作ったタレントは絶対に今後使ってもらえない。だってタレントの代わりなんていくらでもいるのだから。被害者家族で、罪を美談にできるならともかく、家族に加害者がいる人間を、わざわざ起用したりしない。
「報いは受けさせる。罪に見合った罰が降るよう証拠も揃える。万が一裁判で公正な判決が出なかったとしても、もう日本では住めないようにする」
「どうやって」
「それは企業秘密。まだメドもたってない策だ。口にするのは憚られる。だがオレは合法的な手段にしか訴えない。それだけは確実だ」
「…………へっ、お賢い事で。4,5歳のガキの頃からお前は変わんねぇな。賢過ぎて、頭が良過ぎて、心がどこにあるかよくわからねぇ。そういうところはアイに似てるが、アイツはお前ほど賢くなかったぜ。だからこそアイは人を惹きつけた」
「一応褒め言葉として受け取っておく。母さんに似ていると言われてもあまり嬉しくないからな」
完璧主義者の完全主義者。けれどどこか破滅的で自虐的な行動をとることもあったアイ。アクアも完璧主義者だが、もはや自らの破滅は望んでいない。最悪の覚悟はしているが、回避できるよう手を尽くしている。
「だからもうアンタにはなにも教えない。オレももうアンタからはなにも聞かない。個人で動く分には止めないけど、殺しの現場に立ち会ったならオレはストップかける」
「俺の敵に回ろうってのか?」
「敵には回らない。公正に法の裁きに託すってんなら協力もする。けどアンタが犯罪を冒そうとするなら止める。アンタのためじゃなく、ミヤコたちのためにな」
ケッと唾を釣り堀の中に吐き捨てる。このぐらいが星野アクアとして、言えるギリギリだろう。これ以上はボロが出かねない。
「で?報告ってのは?」
「この度、苺プロから移籍することになりました。もちろんミヤコの許可は貰ってます」
この言葉には流石に驚いたらしく、目を見開いてこちらを振り返る。移籍先を告げると、それなら仕方ない、と不満げながらも納得した様子で釣り堀へと身体を向けた。
「活動内容は知ってる。お前の才能が確かなことも……それこそ、アイと並ぶレベルなこともわかってる。あんな悲劇を繰り返さないためにも、大手の力を借りれる環境へ行くのは正しいんだろーよ」
「まあ、それだけが理由じゃねーんだけど」
「…………?」
「頼みたいのはコレからで──」
自分がいなくなった後の苺プロを守るため。そしてルビーに自分に代わる新しいブレーンをつけるために、星の瞳の少年はちょっとした
▼
やれんの課、ワンチャン
それはTikTokやユーチューブなどに溢れる達人芸にチャレンジする企画。ゴールデンタイムのバラエティにおける人気コーナーの一つ。
担当しているのは星野アクア。この半年で国民的タレントとなった彼を主に据えている。歌って踊れて演技は天才。ピアノも弾けてドラムも叩けるマルチな才能はもはや全国に知られている。この人一体何ができないの、とさえ言われているほどだ。
番組の狙いとしては、このなんでもソツなくこなしてしまう彼の四苦八苦する姿を撮りたかったのだろう。あの涼やかな目元を歪ませ、クールで美しい表情に皺を作りたかったのだろう。
しかし令和の福山○治と呼ばれる彼のポテンシャルは番組の予想を遥かに超えていた。
『よし、来た』
数回やればコツを掴み、あっという間に習得していく。アクアのファンはこれでこそ星野アクアと言うものも多い。彼の完璧で無敵なキャラクターを強く後押しする姿に、コーナーの人気とともにアクアの人気もまた跳ね上がる。
しかし、そのあまりの呆気なさに達人芸の難しさが視聴者に伝わりにくく、アクアが事前に練習してるのではないかと言われる事も増えてきた。
そうした視聴者の不満の声に応えるのもまた、プロデューサーの仕事。
【やれんの課、ワンチャン!今日のコーナーは……!】
アクアの前に並べられているのは複数のサイコロと黒塗りのコップ。これだけ見れば経験者ならわかる。
「またダイススタッキングですか」
コップとサイコロを弄びながら道具を用意された金髪碧眼の少年が呟く。そう、今日の企画はダイススタッキング。コップの中で複数のサイコロをコントロールし、一列に積み上げるという達人芸。このコーナーの序盤にアクアがこなした技だ。
【今回は達人に挑む道場破りと刺客とでもいうべきスペシャルゲストを加えて対決する企画!ダイススタッキングの技も前回より高難度のものとなっております!】
と銘打たれてはいたが、道場破りが示した第一の試練。アクアはあっさりと突破してしまう。
「この感じだと今日のロケもめちゃくちゃ巻いちゃいますよ」
などというアクア節全開の傲慢な言葉が飛び出す。そのセリフに誰も反論できない。この男の習熟速度は本当に異常。まさにスピードスター、星野アクア。
しかし、こうなってしまうことは、番組の予想の範疇であった。
【それでは、今回から登場する、この男への刺客にご登場いただこう!】
ゲストが来るとは聞いていたアクアは、このナレーションに驚きはしなかったし、特別感情も動かなかった。恐らく道場破りとは別の達人でも現れるのだと思っていた。
しかし、違った。ゲストはまさにアクアのためだけに差し向けられた刺客という名に相応しい人物だった。
「イェーイ!お兄ちゃん来たよー!!いまどんな気持ちー!?」
星野アクアが、膝から崩れ落ちた。
▼
「あはははは」
マンションの一室。幼い赤子を抱きかかえ、オンエアを見ている女からケラケラと笑い声が響く。赤子にかからないよう、艶やかな黒髪を後ろに纏めている。白磁の肌に一点の墨を落としたような泣きぼくろが艶っぽい美少女。
名前は不知火フリル。数週間前から徐々に芸能界へ復帰しつつある国民的マルチタレント。抱きかかえた赤子の名前は不知火絆。今年17歳となる彼女の実の娘である。
そして、その後ろで不服そうに下唇を突き出しているのは絆の父。星野アクアだった。
父と母。そして娘の三人でバラエティを観る。絵に描いたような団欒の風景だが、この三人の関係は少し違う。父と母は籍を入れておらず、娘もまた父親の姓ではなく母親の姓を名に冠している。有体に言えば内縁関係の妻。そして娘である。
「笑いすぎだろ」
「ごめんごめん。だってこんな風にあなたが崩れ落ちるのもこんなに綺麗にハメられてる姿も初めて見たから。やっぱりあなたって家族には弱いのね」
そう、今までどんな時もクールで余裕で澄ましていた星野アクアの意外な一面。彼と親しい人間はある程度知っていたが、大衆は知らなかった事実。それは基本冷徹。クールで無慈悲な正論マシーン星野アクアが、家族や親しい人間には冷徹を通せない時があるという事。
妹という血縁的に最も近しい少女の登場に星野アクアは膝から崩れ落ち、地面に手を付く。その周囲を星野アクアそっくりの美少女が煽るように回る。滅多に見られないアクアの嵌められた姿に、日本全国から笑いが巻き起こり、そして新たな付加価値が星野アクアへと追加される。
『オレ、この番組には感謝してますし、ゲテモノでもドッキリでもバンジーでも、どんなチャレンジでもやろうとは思ってるんですけど───』
この一言が、星野アクアのみならず、星野ルビーもバズらせた。
『プロデューサー、家族は勘弁してください』
「ぶっふふふっ!」
オンエアを見ていたフリルが噴き出す。テロップには『ここはヤクザの事務所か』というツッコミが添えられ、さらに笑いを呼び込んだ。
『アクアのこんな姿、初めて見たw』
『家族には弱いんだ!』
『意外と人間らしい可愛い一面もあるじゃん』
『ちょっとザマぁと思う私がいる』
などなど。SNSで大バズりしたのは、お腹を抱えて笑いを噛み殺すフリルを見れば火を見るより明らかだろう。今までの完璧で無敵な星野アクアのイメージが崩れるから、バッシングもあるかと覚悟していたのだが、原因が家族な事もあってか、批判的なコメントは少なく、アクアの人間らしさが高評価へと繋がっていた。
「あ。絆起きちゃった」
母の腕の中で眠っていた赤子が母親の小刻みに震える笑いから違和感を感じて目を覚ます。泣くかと思ったが、周囲を見渡し、テレビに視線が合うと、キャッキャッと嬉しそうに笑っていた。
「この子にもわかるのかな?ねー、絆。パパ、面白いねー」
「分かるわけねーだろ。お前が笑ってるから釣られて笑ってんだよ」
ぷっくりと膨れた頬を軽くつつく。紅葉のような小さな手が父の小指を掴んだ。
「ほら、隣座って。続き、見よう」
「ああ」
流石に振り払う訳にもいかず、どうしたものかと思っているとフリルが隣を叩く。引越しするにあたり、二人がけから買い直した少し大きなソファは、子供を抱えて三人が座ってもなお充分な広さがあった。
▼
結論から言って、ルビーをゲストに加えた番組は好評だった。
今まではどんなチャレンジもあっという間にコツを掴んで、達成してしまっていた星野アクア。その姿は彼の完璧で無敵なキャラクターを強く後押しするもので、観ている人達も楽しんでいた。
しかし、毎回同じ展開になるとつまらなくなってしまうのがバラエティ。
そのテコ入れとして番組から招かれたルビーは完璧な役割を果たしたと言って良かっただろう。
「うわっ!なにこれ難しっ!どうしてお兄ちゃんはそんなスルッとできんの!?」
「んー、1を1と認識できるからかな。1さえ掴めば10、100に増やしていくのは難しくないから」
あっさりとこなしていくアクアの傍らで悪戦苦闘するルビー。相変わらずバラエティの法定速度を無視していく兄と、バラエティのお約束を守る妹は実に面白い対比構造となり、番組内に新鮮な風を吹き込んだ。
「お兄ちゃん、わかんなーい」
「なんでわかんないのかがわかんない」
「ひどい!冷たい!厳しい!もっと手取り足取り優しく教えて!甘やかして!」
「ったく、しょうがねえな。目で見てやろうとするからできねーんだよ。指で見ろ指で。感覚を指で掴むんだ」
ベタベタに甘える妹となんやかんや面倒見のいい兄。ルビーがブラコンアイドルで売っているのは一部では有名な話だったが、厄介なファンの質問や男をかわすためのアピールや建前と思っている人間もいた。しかしその疑いは地上波の電波によって晴らされる事となる。
「わっ、来た!できたー!やったー!」
そして兄ほどではないが、なんだかんだセンスは悪くないルビーも兄より時間はかかりつつ、最終的にはチャレンジを成功させる。美少女の悩み、挑む姿。失敗した時の可愛さと、できた時の兄に抱きついて喜ぶ仕草の可愛さが、ルビーの人気に一気に火をつけていく。
スタジオからも観客席からも。もちろんテレビの向こうでも。笑いが巻き起こり、感動を呼ぶ。今まで完璧すぎて近寄りがたかったアクアからは親しみやすさが芽生え、ルビーだけでなく、アクアにも双子キャラが浸透していく。星野アイにも不知火フリルにもなかった、新しい武器がまた一つアクアに備えられていった。
「あー、面白かった。あなた的にも結果悪くないんじゃない?完璧キャラで通し続けるのは何かと大変だし。長期的に見れば良い選択だったと思う」
「長期的に見れば、ねぇ」
アクアにとって、長い目で見るということに関してはあまり価値を見出せなかった。明日どうなるかもわからないこの世界。先のことを見据えて足元が疎かになったら意味がない。真っ当に芸を磨いて評価を受けて、できることを少しずつ増やしてステップアップしていく方がいいに決まってる。
こういう既に売れてる人間に乗っかって知名度を上げるウルトラC的なやり方は確かに手っ取り早いがリスクも高い。アクアも似たようなことをやりはしたが、アレはあくまで12年の積み重ねがあり、地力があったからこそ成立した手法。本格的に芸能活動を始めて一年半程度のルビーがやるにはかなり危うい。メッキが貼り付けられた嘘っぱちタレントが馬脚を表すなんて姿、いやというほど見てきた。
「アクアや私みたいに正攻法だけで売れる人はごくわずかだから。こういう戦略もアリだとは思う。企画と実力が伴っていれば」
それはフリルも同意見だったらしい。
「これ考えたのあなたじゃないでしょ。苺プロの社長さん?」
「ミヤコじゃねーと思う……多分先代だ」
アクアが苺プロから移籍する際、実はちょっとした置き土産をしていった。それは斎藤壱護がとある釣り堀によく出没するのをルビーに教えたこと。そしてアクアとミヤコが行きつけのバーを壱護に教えたこと。
実はアクアは既に蒸発した壱護とは何度か会っていた。星野アイのことを最もよく知っているのは、家族を除けばあの人だと思っていたから。あの人が事件の真相に一番近いと思っていたから。
しかし、結果は空振り。相手の男に関してもなにも知らなかった。アレは嘘ではないだろう。
『知ってたらとっくにぶっ殺しに行ってるっての』
あの殺意が演技とはとても思えなかったから。
しかしそれでも壱護に利用価値がないわけではない。今まで苺プロのブレーンはアクアが務めていたが、移籍するとなると今までのようにアドバイスやコーチはしづらい。なら代わりが必要。それもある程度信用はおける人間の。壱護がミヤコを捨てて蒸発したことに関してアクアは全く許していないが、業界人としての能力は認めていた。アイがあそこまでトントン拍子で売れたのはあの人の力も間違いなくあっただろうから。
───そこそこ信用できて能力もあって、業界内を知ってる人間って事でオレの後釜に復帰させたが……
だから間接的に壱護と接触できるように環境を整えた。その甲斐あってルビーは壱護と接触し、ミヤコも再会出来たらしい。この間、ミヤコにボコボコにされて苺プロのバイトとして再雇用された写真がルビーから送られてきた。
「こういうこざかしい事考えんのはいかにもあのオッサンの思考回路だ」
ルビーは今、天然で天真爛漫。基本おバカなキャラクターで図太いが故に誰にでも距離が近い。いい意味で失礼で、誰とでも仲良くなれて、親しみを持ちやすい。そしてファンが安心してガチ恋できるブラコンアイドルとして売っている。ほとんど素だし、話も多少盛られる事はあっても嘘はない。真っ直ぐに、胸を張って、綺麗にアイドルを目指していると言える。
一度だけ、収録終わりにルビーが聴きに来た事があった。
『これぐらいならせんせー、私のこと嫌いにならないでくれる?』
そう言ってこちらを見上げてきたルビーはこの13年で一度も見たことがなかった目。男に嫌われることを恐れる女の目。
星の光を宿していたはずの紅い瞳から、その輝きが失われてしまった目だった。
『嫌いになんてならないよ、さりなちゃん』
パァッと明るくなり、目に輝きが戻る。腕に抱きついてくる姿は裏方の人間の何人かには見られたっぽいが、今のルビーのキャラクターなら、許された。
アクアに新たな双子キャラが追加され、ルビーの人気も上昇したことで、美男美女の二人が『やれんの課、ワンチャン』以外の他番組で同時に呼び出される仕事も増えていく。特にルビーは爆発的な増加と言っていい程の急激さであった。
「今はあなたのバーター。けどいずれ二人が並ぶ日は来るんだろうね」
フリルの感想はB小町内部でもほぼ同意見だった。
やっぱり、あの二人は特別だと。
私達はオマケで、引き立て役に過ぎないと。
「ま、そうなる日はまだ先だろうがな。オレでも半年かかったんだ。アイツも最速で、同じくらいはかかるだろう」
「それ次の仕事の台本?」
「ああ。まあな」
「どんな仕事?」
一瞬躊躇う。こういうことを外部に漏らすのはたとえ身内でも倫理に反するからだ。けど、同じ事務所で、かつ芸能活動を休止しているフリルなら良いか、と思い直した。
「コスプレ。バリバリメイクした有名人は誰かを当てるヤツ」
▼
【正体を見破れ!ダレやねん?コスプレショー!】
四半世紀近く続く超長寿番組の人気コーナー。プロのメイクが本気で芸能人にメイクを施し、コスプレをさせ、素顔がわからなくなった状態でその有名人が誰かを推測する企画である。
その企画でとある若手俳優が出演する。服装は上下ともに黒。髪色は白髪。目元は黒い布で覆われており、特定は非常に難しい状態で登場した。
コスチュームは『東京ブレイド』に匹敵する大ヒット漫画。その人気キャラクター【五条悟】。作品内でも超美形キャラとして人気を博している。
総メイク時間は30分弱。服装金額は数万円でレイヤーにしては比較的安く、かつ短時間。メイクさんもあまり大袈裟にいじる必要がなかったとコメントしていた。
誰かを当てるヒントのコーナーではピアノ演奏が行われる。目隠ししたままのピアノ演奏は素人目で見ても凄さが伝わりやすく、スタジオは大いに湧く。そして最後にはなんと、セリフまで言っていた。
『大丈夫。僕、最強だから』
明らかに声色を変えて発せられたセリフは、余計に特定を困難にさせた。
スタジオ内で正解を当てられた人間は居らず、一般投票でも正解者ゼロ。
正解発表となり、コスプレイヤーが黒布の目隠しを外す。
「どうも。星野アクアです」
【きゃああああああ!!!】
スタジオだけでなく、日本列島全体から悲鳴が上がった。
▼
アクアがゴールデンタイムのバラエティでコスプレをしたその日から、またも星野アクア関連のSNSは大騒ぎとなる。
『星野アクアぁああああ!!?美しゃああああ!?!!』
『瞳に関してはほぼメイクなし!?リアル六眼!?』
『これは現代最強の
『高専生編での実写版キャスト決まっただろ』
『30分程度の基礎的なメイクと簡素な衣装で、このレベル!』
『星野アクア!逆に貴様は、なにを持ち得ないのだ!!』
『美という名の必殺必中の術式』
『これが五条アクアの領域展開』
『なにが起こった……ワシの
『星野アクアの五条悟コス…!いつまでも情報が完結しない!』
『これが無下限の内側……
『公共の電波に乗せるという縛りで日本全土に効果範囲を拡張した閉じない領域』
『このスレにいる奴ら領域に飲み込まれて全員パーになっとるw』
などなど。星野アクアの新しい切り口はまたしても万バズを生み出す。
そしてアクアにはコスプレ系の仕事が一気に増え、便乗する番組も増える。
『やれんの課、ワンチャン!』もその一つであった。
「またコスプレですか?」
社長から渡された企画書の内容に目を通す。星野アクアのバズはついに他局の番組にも影響を及ぼし始めるようになっていた。
「そう。題して、【レイヤーに星野アクアが混ざってもバレないか、ワンチャン!】」
今までのような達人芸のチャレンジではなくハラハラ系のチャレンジ。もはや国民的タレントの一人と言っても過言でないアクアがこのチャレンジをやるのは企画的には面白い。
が、ここでただのコスプレではなく、一捻りを加えてくるのがゴールデン番組のスタッフだ。
「今度のオレのコスは女性キャラ、か」
「まだ具体的には決まってないけどね。今年流行った女性キャラのコスをやってもらうことになると思うわ」
「女性レイヤーの中にオレが混ざるわけですか。確かにハラハラ感は増しますし面白くはなりそうですね」
着替えは専用の場所を用意してもらっているし、レイヤーたちの中にコスチューム姿で混ざるだけであれば地上波でもギリギリ許される範囲だろう。夏コミまでまだ少し猶予もある。メイクさんも張り切って準備してくれてるらしい。
「星野アクアに目をつけたのはこっちが先だったんだから!ってね。クオリティは期待して良いと思うわ」
「コスやるのはオレだけですか?」
「流石に男一人を女性レイヤー達の中にぶち込んだりはしないわよ。隠れ蓑やフォローとかも必要だろうし。星野ルビーにも同じオファー出してるって聞いたわ。あと他にも何人かレイヤー呼ぶみたいよ」
流石にゴールデンタイムの人気番組。金の掛け方も時間の取り方もキャスティングも練られている。コレなら問題なさそうだ。
「わかりました。受けます」
「オッケー。細かいことは白河ちゃんに任せるから」
アクアが企画書を閉じ、椅子から立ち上がった時、社長も意識は次の仕事へと向かっている。未来の仕事を決めることも大事だが、今決まってる仕事をこなすのが最優先だからだ。
しかし、社長として、所属タレントにこの注意事項だけは伝えねばならなかった。
「夏コミって地上波テレビだけじゃなくて他にもネット局のロケとか取材とかいっぱい来てるから。現場で同業者と鉢合わせることあると思うけど、仲良くやってね」
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
アクアの小細工で壱護元社長復帰。小細工事態は移籍直前にやってますが、身を結んだのはB小町のライブの後。ボコボコにされた後ルビーに色々アドバイスしてます。その結果のゴールデンタイムデビューです。アクアが全国区になったからこそパワーアップした便乗商法でした。けどAD君を落とすのはやってません。せんせーに嫌われたくないので。
コスプレイベントはアクアも参加します。ゴールデンの企画なのでコンプラは遵守してます。けれど、その陰で事態は進行し……
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
90th take 修羅場マトリョシカ
人を騙し、恋人を騙し、家族を騙し、自分を騙す
何よりも孤独を恐れなさい
仮面が隠すのは表情だけではないのだから
忙しい時って、めちゃくちゃ時間が長く感じるのに、過ぎ去ってみればあっという間なのはなんでだろう。
リバドルのクランクアップを迎えて以降、映画だドラマだ歌だダンスだバラエティだで東奔西走し、曜日感覚もあやふやになっているのが当たり前になり始めた頃。季節は夏を迎えていた。
「お兄ちゃん元気ないぞー?今日はお祭りなんだから、もっと胸張って!その偽物のおっぱい張り出して!」
星の瞳の少年が茹だるような暑さに辟易していると、バシンと背中が叩かれる。叩いたのは少年とよく似た、左目に眩い星の光を宿した美少女。
名前は星野ルビー。けれど今彼女を見て星野ルビーと気付ける者はいないだろう。彼女は今いつもと違う服装。いつもと違う髪色。いつもと違う瞳で歩いている。そう、ルビーは今、上から下までプロが本気で施した、変装と呼べるレベルのメイクで彩られていた。
「いやー、もちろん私もリバドルはずっと観てたし、追っかけてたけどぉ。アクたんの生ルイヤバいねぇ。こんな綺麗だなんて思わなかったよぉ」
「だよねだよね!お兄ちゃんめちゃかわ!推し増ししそう!」
「うるせーな、メムこそ今年26のくせに最年少キャラのコスやってんじゃねーぞ。普通に引くわ」
「ちょっ!あんまり大きい声で言わないで!」
いつものプリン頭とツノのカチューシャを外し、赤髪のウィッグを被っているのは同じくB小町メンバーMEMちょ。リバドル最年少の少女に扮している。
そしてこういう時、最もアクアのことを弄りそうでバカにしそうな最後のB小町メンバーは何やら震えていた。
「ゴールデンのバラエティに出演…!一体何年振り……アクアのバーターなのが気に入らないけど…!」
「なんか悲しい喜び方してんな、元天才子役」
有馬かな。かつて全国に名を轟かせた元天才子役にして、現B小町センターは感動で震えていた。
「かなちゃん。衣装乱れてる。襟元ちゃんとして。あとウィッグ。いつもと違うロングだから纏め方ヘタ。貸して」
「…………どう?」
「───まあ、及第点じゃない?」
櫛を取り出して有馬かなの手入れをするのはいつもは女優を勤めている美少女。彼女もメイクをしっかりと施され、普段の姿とは異なる。しかしそれ以上に声に出さない感情の高まりが普段の彼女と異なる人物に仕立て上げている。
黒川あかね。最近メキメキと知名度を上昇させている実力派女優。そしてアクアの公式彼女。有馬かなの反転アンチの隠れ大ファンとしても一部では有名。
星野アクア。B小町。黒川あかね。そしてもう一人は今日、夏コミのビッグサイトへと訪れていた。もちろんプライベートなどではなく仕事。アクアがレギュラーを務めるゴールデンのバラエティ。『やれんの課、ワンチャン!』における企画の一つ。
今飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進を遂げている星野アクアがコスプレして夏コミに紛れたらどうなるのか、というコンセプトの元、撮影が執り行われている。
コレはアクアが別の番組でコスプレをし、万バズが発生したことに端を発する。今までその多才さで人気を博していたアクアだったが、今度はその美貌を全面に押し出していこうという事務所の意向のもと、出発した指針は大成功を収め、今アクアの下にはメイクやコスプレのオファーが殺到していた。
今回の仕事もその一つ。しかしバラエティの企画なだけあって、視聴者を楽しませる一捻りが加えられている。今回アクアが扮するのは女性のコス。それも同じテレビ局で放送され、大ブレイクを果たしたドラマ『リバドル』の主人公。川原ルイがアイドルに変装した時の姿で参加していた。ドラマの主人公を務めているのもアクアのため、ある意味コスチュームプレイではなく、ご本人登場といった形だが、それもまた面白さに一役買っている。
そしてどうせならドラマ内のグループの子を全員コスプレで出そうというプロデューサーのアイデアで、ルビーや有馬、メム、そして黒川あかねも参加していた。
「お兄ちゃん、着替えどこでやったの?」
「バンの中で、なんとか」
リバドルにおける同い年でアイドル姿の主人公に恋してる百合枠のアイドル、『椎名まゆ』に扮しているのは星野ルビー。
「流石に女子更衣室は使えないもんねぇ」
「こんな女子だらけの控え室に男一人いること自体結構ヤバいわよね」
メムちょは元気印の後輩枠、『芹澤ありす』を。センターを務める主人公を敵対視するライバル枠『後藤彩花』は有馬かな。
「大丈夫、私がいつでもフォローするから」
「やる気満々だな、あかね。演技の仕事じゃないからもっと渋るかと思ってたのに」
「やる気も出るよ!久しぶりのアクアくんとの共演だもん!」
唯一主人公の正体を知る幼馴染にして、正ヒロイン候補筆頭『茅野雫』は黒川あかねが務めていた。
「しかし見事にアンタの身内というか、関係者で揃えたわね」
「その辺は社長の手腕だろうな。ルビーを使うなら他のB小町も、ってオファー出したんだろう」
「で、ヒロイン役はあかねに頼んだ、と。やっぱりリアルと創作のリンクをやりたがるのはゴールデンでも変わらないわね」
「それにただポーズとって写真撮られるだけじゃねーからな。ネタバラシの後、ライブもやる。ただレイヤーだけやってる子を呼ぶわけにもいかなかったんだろ」
「黒川あかね、そのあたり、大丈夫なんでしょうね?」
「れ、練習してきたから大丈夫!私は目立たない位置だし!センターはアクアくんだし!その輝きで私を塗りつぶしてね!」
頼りにしてる、と腕を絡められる。流石にやめろ、とあかねを引き剥がした。衣装が乱れるし、まだ出演者用の控え室とはいえ、あまりベタベタしてると周りから変に観られる。もうそろそろプライベートから仕事モードに切り替えなければならない。
「けど私たちもちょっとは出世したよねぇ。昔は衝立の裏で着替えとメイクやってたのに、今やグループごとに専用の控え室用意されてるんだもん」
「その辺は流石にゴールデンの企画よね。ちゃんと無理ないスケジュールが組まれてて、作品からの許可も前もって貰ってる。衣装もメイクも向こうがちゃんと用意してくれてた」
そうしみじみと語るのはここに来るまでにちょっとしたトラブルを見かけたから。どうやら東京ブレイドのコスを企画していた番組で、前日になってやっぱり許可が降りず、衣装の変更を強いられた、と。
「他番組のADぽいっ男の子、さっき電話でめちゃくちゃ謝ってたねぇ」
「前日から新しいの作るなんて絶対無理だし、マイナーチェンジだって一晩だと徹夜確定だろうしな」
「地上波じゃないネット局のバラエティなんてそんなものよ。スネに傷あるD起用して、何かの焼き増しの企画揃えて、地上波じゃできないギリギリ攻めた結果、墜落する。スケジュールもザルで、考え方もコチコチ。『今日あま』の時に思い知ったはずでしょ」
不道徳と面白さは紙一重。だが世はまさに大コンプライアンス時代。配慮のない番組は堕ちるしかない。アクアでさえくだらないと思う慣習でがんじがらめになっているのが今のテレビ業界。ネット局なんてパワハラモラハラセクハラのオンパレード。言ってもいないことを言ったとか言い出すし、報連相もろくに出来ない。そういったワリを現場で食うのが下っ端のAD。炎上の責任を取るのはD。上は尻尾を切り落としておしまい。どの世界でも結局は上は損しないように社会の仕組みは成り立っている。
「でもウチはそんな事言ってられないわ。コンプラも守られてて不道徳さもまあギリギリ。コレが滑ったら全部私たちのせいよ。気合い入れなさい」
「はーい」
「あと黒川あかね。歌は口パクでもいいけど、せめて素人は騙せるくらいのダンスをやりなさいよ」
「わかってるよ!」
控え室の扉を開き、会場へと向かう。アクアを筆頭に残り4人が後に続く。
黒猫のキグルミを着たバックダンサー達が、ステージ裏へと向かった。
▼
イベントが始まり、撮影は順調に進んだ。
今年ブレイクしてリバドルのコスプレをしているレイヤーは結構多く、アクア達もブースのレイヤーに混ざっても違和感はなかった。
そしてレイヤー達の中でぶっちぎりにハイクオリティの彼らにカメラが殺到し、しばらく撮影に集中した。
撮影は進み、レイヤー広場に整えられたステージ。その壇上に6名が上がる。そして訪れる、ネタバラシの時間。ウィッグを取った川原ルイのコスプレイヤーがマイクを取った。
「どうも、皆さん。ようこそお越しくださいました。星野アクアです」
湧き上がるステージ。比較的男性が多い夏コミだが、近年は女性の参加者も増えている。そして参加していた女性レイヤー達からも悲鳴が上がった。
「ご本人登場じゃん!」
「アクア様ぁああ!!私絡んどけばよかった!」
「今からでもカメラオッケーかなぁ!?目線!目線お願いします!」
ステージに殺到したファン達に応え、群衆が落ち着きを取り戻し始めた時、他のメンバーのネタバラシが行われる。まず真っ先にルビー。
「皆さんこんにちはー!『やれんの課、ワンチャン!』です!星野ルビーです!今日は仲間と一緒に夏コミに参加させてもらいましたー!」
「MEMちょでーす!」
「有馬かなです!」
「三人揃って、B小町です!今日はこのままライブもさせてもらいますので、どうか最後までよろしくお願いします!」
今度は男性陣から声が上がる。まだ先代には及ばないが、着々と知名度を高めているB小町。まして、夏コミに直接参加している人間となると、アイドルオタも多い。ほとんどの人間がB小町の事を知っていた。
「ホントこの人男性ホルモンどうなってるんだろうね。美少女過ぎない?」
「ルビー、それグチ?それとも兄自慢?」
「両方!」
会場から笑いが起きる。ここからはしばらくトークショー。台本に従ってロケが進んでいく。テレビクルーのスタッフから幾つかの冊子が回されてきた。
「えー、それでは質問コーナーに移ります。えーっと…」
『理想の男性のタイプも結婚したい相手もお兄ちゃんってホント?』
「本当です!どっちもお兄ちゃんです!」
ステージの液晶に質問内容が映し出される。紅い瞳の美少女が胸を張って答えると同時に、隣のアクアに抱きついた。
「鬱陶しい暑苦しいめんどくさい可愛い」
「いい加減そのビョーキ治しなさいよこの超絶シスコンブラコン兄妹!」
腕に抱きつくルビーと満更でもない様子のアクアに対して向けられた、有馬かなのツッコミにまたも会場が湧く。叩かれた肩を摩りながら赤い瞳の少女が客席へと向かった。
「みんなブラコンっていうけどね。顔が良すぎる兄を持つのも大変なんだよ?」
「例えば?」
「私って初めて出会う異性が兄なわけじゃん?」
「双子だからねぇ」
「人生の大半一緒に過ごしてると異性の基準が兄になるのは必然じゃん?」
「双子だからねぇ」
「この顔面とスペックに勝てる男子が学校とかにいると思う?」
『…………………』
「放送事故になるだろが」
黙り込んでしまうB小町にアクアのツッコミが入り、また笑いが起こる。それからしばらく質問コーナーが続き、受け答えしながらたまにアクアの辛辣なコメントが笑いを呼ぶ。そんなバラエティとしての撮れ高が終わったところで、アクアがもう一度ルビーからマイクを受け取った。
「それでは今日の本番。私たち【sign】のライブ。一曲目、聴いてください。【
ライブが始まる。メイクを直し、それぞれのキャラクターに再び成り切った5名はリバドルの劇中歌を歌い、踊る。盛り上がりは見せたが、少し戸惑いの声も上がった。星野アクアは言わずもがな。ルビー達も流石にステージ慣れしている。だが明らかに一人慣れていない。故に目立ってしまう存在がいた。
「あの雫のコスやってる子……」
「ワンテンポ遅いっていうか…雫らしいって言えばらしいけど」
一曲目、【star mine】が終わる。歌が終わるとより一層ヒソヒソ声が目立つ。どうすべきか、本人含めて戸惑っていると、センターで歌っていた美少女の格好をした少年が遮った。
「みんな、最後の一人を紹介するね。今日、茅野雫を演じてくれているのは───」
ウィッグを取り、軽く変装を解く。青みがかったロングヘアが宙に踊った。
「黒川あかねちゃんです!」
変装を解き、黒川あかねが現れた事で、ダンスのヘタさも吹き飛び、会場は一気に盛り上がる。それもそのはず。リバドルの正ヒロイン最有力の茅野雫。主人公とは幼馴染で、彼の正体をメンバーの中で知っている唯一の人物。観客達は当然ルイと雫の関係を知っているし、またアクアとあかねの関係も知っている。
恋人に最も近いキャラクター達が、本物の恋人であった事に、歓声が大きく上がった。
「あはは……ダンス下手でごめんなさい!」
頭を下げるあかねに対して、観客達は『いいよー』とか『気にしないでー』とか口々に庇う声が上がる。アクアがステージでフォローしたことも燃料となり、二人を囃し立てる。いつのまにかステージのセンターにアクアとあかねが二人で立っていた。
会場から巻き起こるキスコール。若干の躊躇いを見せながらも、あかねはフラフラとアクアへ近づき、興奮と疲労で赤くなった頬。汗によって張り付いたしっとりと濡れた髪があかねに妖艶な美しさを纏わせていた。
「…………マジで?」
「マジ。見せつけてあげようよ。私たちが、最高の恋人だってこと」
場の雰囲気とライブ感に酔ったあかねにもはや理性は残っていない。
首に手を回し、飛びつくようにキスをした。
黄色い声と祝福と怒りが混ざったような悲鳴が怒号のように押し寄せる。歓声がある程度収まるまで、あかねはキスを続けた。
「…………最後の曲、行きます。【アムネジ・アイドル】」
目の前で向けられる数千の瞳より、背中からの視線が、何故か気になった。
▼
イベントが終わり、とりあえずの収録も終わる。他のメンバー達はコスプレ広場でしばらくイベントを回っている。夏コミを楽しんでいるのもあるが、売り込みもあるのだろう。新しい層の認知を開拓するチャンスだし、『やれんの課、ワンチャン!』以外にも業界関係者はたくさん来ている。上手くいけばオファーも貰えるかもしれない。有馬やメムにはまだイベントに参加する価値はある。
そしてその必要がない者と、他に仕事がある者はそれぞれで個人行動を取っていた。あかねは既にマネージャーが迎えに来て、次の現場へと向かっている。
そしてアクアとルビーはステージ裏で休息を取っていた。
「……お兄ちゃんさぁ」
隣に座り、兄の肩に頭を預けていた少女が呟く。その声音には怒りと悲しみ、そして妬心が色濃く浮き出ていた。
「あかねちゃんとはいつまで付き合うつもりなの?」
返事をしない兄の……兄だった人の胸の内を察するように妹だった少女は口を開いた。
「お兄ちゃんがあかねちゃんと付き合ってる理由はわかるよ。あれだけママに憑依できる才能だもん。思考パターンとか、行動理由とか、あかねちゃんから探り出して、私たちの父親探す手掛かりにしようとしてるんでしょ?」
「…………ああ」
「そのこと、あかねちゃんは知ってるの?」
「あかねには結構話してるよ。オレが芸能界で人を探してること。あかねにも協力してもらいたいってことも」
「ママのことは話してないよね?」
「ああ。それを話す時は必ずおまえに断り入れる。安心しろ」
頭に手を添え、優しく撫でる。紅い瞳の少女は兄だった人に預けた体を一層傾け、胸元を握った。
「あかねちゃんとの交際は、今のお兄ちゃんに必要なものだと私も思う。ママのことを追いかけるためだけじゃなく。公式彼女がいる方が周りもうるさくないし、変な女が寄ってくるのも防げる。だから理解はしてる。納得も、してる」
「…………………」
「でも、だからって感情が動かないわけじゃない。やきもち妬かないわけじゃない」
「ルビー……」
「めちゃくちゃむかついた」
「ごめん」
「謝ってほしいわけじゃない。謝らせたいなんて、思ってない」
兄の胸に顔を埋める。震える声でルビーはアクアを見上げた。
「信じてる」
何をかはわからない。母のことだけは秘密にすることだろうか。それとも、もっと別の何かか。もしかしたらルビーすらわかっていないかもしれない。それでも人生を救ってもらった病室の少女は、神に等しい存在に絶対の信頼を置いていた。
「好きだよ、せんせー」
性別差以外、ほとんど変わりがない二人の美しい少女と少年の唇が重なった。
▼
───ヤバい。
ルビーがいなくなった後、アクアはステージ裏から動けなかった。
───ルビーのタガが外れてきてる。ルビーではなく、さりなになってしまってる
人前ではちゃんとルビーとして振る舞ってるし、行動もブラコンの範囲内で収めている。けれど、二人きりになるとその枷が簡単に外れる。アマミヤゴロウに恋をする天童寺さりなと化してしまう。
───ついにキスまでやってきた。ここから先に踏み込もうとするのも、もう時間の問題なのかもしれない。
それは禁断の領域。世間一般からは悪とされ、気味悪がられ、非難される行為。物語の中でなら幾らでも見られるが、それは物語の中だからこそ許され、そして魅力的に映ることだ。現実では許されない。
───その時が来てしまったら、オレはどうする……
アマミヤゴロウを演じるなら拒否はできる。兄としてもやめろと拒絶はできる。だがそんな常識的な言葉で今のアイツが止まってくれるとは思えない。
かといって、あまりに強い言葉で拒絶すると壊れ───
「もういいかな?」
誰もいない薄暗いステージ裏。そのさらに暗い場所から、声が聞こえてくる。音源を振り返ると、そこにいたのは黒猫のキグルミ。さっきまでバックダンサーをやってくれていたマスコットの一人。この暑い中であんなのを着て踊っている姿に密かに感心していた。
そんなキグルミの一人から、よく知った声が聞こえた。あまりの衝撃に愕然としながらも、アクアはパイプ椅子から立ち上がり、近づき、そっとかぶりものを外す。中から現れたのはもちろん───
「…………あっつ」
不知火フリルだった。
▼
「コスプレイベントに出るぅ!?」
マンションの一室。絆が寝静まった頃に赤ん坊を起こしかねない声がマネージャーの白河から出る。泣きぼくろの少女はしーっと人差し指を立てた。
「大丈夫。絆が生まれてもう3ヶ月以上。首も座ってきたし、私やアクアと他の人の区別もつくようになってきてる。1日くらい辻倉さんに預けても問題ない」
「絆も心配だけど、一番はあなたの心配してるのよ。ゴールデンのバラエティ。しかもバックダンサーなんて。その身体で…」
「センターで踊るわけじゃないし、体もある程度回復してきた。振り付けもあかねでもできるよう簡単なのにしてるんでしょ?なら私が出来ないわけない。リハビリにはちょうどいい」
「でも不知火フリルが出演するなんてバレたら──」
「そのためのコスプレイベントじゃない。バックダンサーの人たちキグルミ着るんでしょ?なら私だなんてバレっこない」
「…………」
一応彼女なりに考えてはいる。顔を出さず、適度に身体を動かし、カメラに撮られる感覚を取り戻す。確かに復帰一発目としては悪くないようにも思えるが…
「人前に出る復帰一発目は、アクアと一緒に仕事したいの。お願い」
まだ眉間に皺を寄せ、渋い顔を見せる白河を、まっすぐ見つめる。目にはアクアと仕事したいという以外の意思も感じられた。
───嫉妬、羨望、対抗心
この仕事、ルビー達と一緒にやることはフリルも知ってるはず。その中にあかねがいることも。彼女がヒロイン役を務めることも。黙って見ていたくはないのだろう。色々我慢させていることを自覚している白河は、これ以上文句を言える立場ではなかった。
「調子乗って『不知火フリルです!』なんてステージで言わないでよ?」
「言わない言わない。ちゃんとキグルミのまま、最後まで通すから」
少なくとも人前では、という呟きは白河の耳には届かなかった。
▼
ステージ裏。その壁際。暗幕のカーテンが揺れている。その中にいるのは二人。一人は少女。男の手を引き、壁に身体を預け、カーテンを引いた。誰もいない場所だが、人目に触れないよう念には念を入れた徹底ぶりは彼女の処世術が伺える。
不知火フリル。星野アクアの内縁の妻。先ほどまでキグルミを着て踊っていたため、汗をびっしょりかいて、しっとりと濡れた黒髪が白い頬に張り付いている。眩暈がするほど艶めかしく美しい。この一年で、美しく可愛らしかった少女は今までにない色香を纏い始め、少女から女へと羽化し始めている。
壁際まで連れていかれ、身体を預けられ、壁に叩きつけられた内縁の夫は緊張した面持ちで女の肩に優しく触れる。少し抑えていると言っても良かった。
「ステージ、楽しかった?」
「まあ、それなり」
「あかねとキスしてた」
「流れでな」
「アクアってやっぱり歳上の方が好き?過去に関わり合った女もみんな歳上ばっかりなんでしょ」
「別に年齢にこだわりあるわけじゃ──」
「そうだよね。ルビーともキスしてたもんね」
「…………いつから見てた?」
「いつからって言われても難しいかな?距離があったから会話までは聞こえなかったし。行動でいうならルビーがあなたの胸に顔を埋めた辺りから」
「…………………」
「やっぱり子供産んだ女はもう女として見れない?」
「お前な。そういうこと冗談でも───」
「ま、どうでもいいけどね。気にしてないし」
無機質な口調とは裏腹にフリルの瞳は妖しく揺れる。理性が溶けているというか、とろんとしているというか。端的に言えば、できあがった眼をしていた。
パサリと何かが落ちる。ぬいぐるみの胴体を脱ぎ、チューブトップのみの姿で抱きしめられた。同時に白く、美しく、華奢な手がアクアの服の下に滑り込む。胸元に触れるその手は完全に愛撫のそれだった。
「ね、アクアもさわって」
取った手をそのまま自身の胸へと押し付ける。鼓動の音が柔らかい感触の向こうから伝わってきた。
「あなたの音も、する」
いつの間にか押し当てられていたフリルの耳。ドクンドクンと。生きている鼓動が振動になってフリルへと伝わった。
「…………楽しい?」
「わりと」
「どの辺が?」
「人の温かさと冷たさの、両方伝わってくるところ」
伝わる温もり。全く同じリズムで機械的にも聞こえる鼓動。暖かくもあり、どこか冷たい。それが心臓。それが人間。
泣きぼくろの少女が内縁の夫の首筋に唇を押し当て、軽く吸う。跡が残らない程度に。
「強く吸ってもいい?」
「ダメ」
「隠せばいいじゃない」
「それでも」
「まあ、隠さないでって言うけど」
「お前な……」
「困った顔、素敵。もっと困らせたくなる」
水音が響く。何度も何度も。首筋から胸にかけて、何度も唇をつけられ、吸われる。跡が残らない程度の強さで。アクアを困らせたいフリルだったけど、彼が本当に困ることはしない。そんな嘘と本音が混ざった言葉と行動が、アクアには愛しかった。
「別に、私はね。あなたがあかねと何しようが、ルビーとどんな関係だろうが、どうでもいい」
あかねは何も知らず、恋人を続ければいいし、ルビーがアクアと禁断の関係になっても構わない。
「全部叶えてあげる。あかねにはいい彼氏をして、妹からは好かれるお兄ちゃんをやって。誰からも愛されて。誰が見ても完璧で、無敵な星野アクアで居続けさせてあげる」
その代わり───
首の後ろに腕が回る。まだルビーの唾液が残っているであろう口内を、フリルの舌が吸い取り、舐めまわし、蹂躙した。
「全部、上書きするから」
カーテンの向こうの影が、一つになった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
…………いや、ちゃうんすよ。確かに拙作、本誌の最新話反映させたり、最新話で判明したキャラの心情とかを、ストーリーに無理の出ない範囲で盛り込んだりしてましたよ。
でも今回はちゃうんすよ。コンプライアンス編では炎上とかのゴタゴタあんまりやらない代わりに人間関係、というか女性関係のドロドロやろうって最初から決めてたんすよ。まさかここまでシンクロするとは思ってへんかったんすよ。確かにフリルは姫川愛莉ポジでイメージして描いてましたよ?カミキヒカルもアイの時はともかく、姫川愛莉と関係持った時はどっちかって言うと襲われた側だったんだろうなって思ってましたよ。だって当時最年長でも11歳だったんですから。でもここまで襲われ方がシンクロするとはおもてへんかったんすよ。まさかフリル様が本誌で子供抱っこしてお母さん演じるなんておもてへんかったんすよ。ホンマに偶然なんすよ。信じられへんかも知れへんけど、一応弁解はさせて欲しかったんすよ…
おほん、長い言い訳、失礼しました。アクア達のイベントは無事終わりました。しかし水面下では事態は進行し、その炎が影響をもたらします。すでに高みにいる星をなくした子にはその炎は届かず。けれど炎に炙られた薄氷の道には亀裂が入り…
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
91st take 貴方もその鎖に連なる
伏魔殿で繰り返される悪しき連なる鎖から逃れることはできないだろう
鎖が生み出す傷に麻痺してはいけない
傷で成る絆が悪しき鎖の一部である限り
───また見てる……
ここ数年見たことがないほどの笑顔でテレビの前に座り込む義娘に呆れと愛しさ、両方の意味で息が漏れる。黄金を溶かしたかのような美しい蜂蜜色の髪を背中から見下ろしながら、自分もテレビの前へと向かう。
映し出されているのは先日放送された『やれんの課、ワンチャン!』。アクア達が夏コミにコスプレして潜入したチャレンジ。そのライブシーンを斎藤ミヤコの義娘、星野ルビーは何度も繰り返し視聴していた。
「もう何回目よ、それ見るの」
「何回見ても嬉しいものは嬉しいんだもん」
悦びのダダ漏れが収まらない。呆れつつもミヤコも気持ちはよくわかった。
「ずっと夢だったんだ。おにいちゃんと一緒にステージに立つの」
マリンを見た時から……いや、多分そのずっと前から、夢だった。アクアと肩を並べ、同じステージに立つこと。そしてそれはミヤコにとっても夢だった。アクアとルビー。心から愛する息子と娘。心から推しているマルチタレントとアイドル。
アクアの歌唱力、ダンススキル。カリスマ。そのポテンシャルは彼が中学生の頃から知っている。
ルビーのアイドルへの情熱。懸命さ。憧れへの想い。その強さも熱さも何年もずっとそばで見てきた。
あの小さかった二人が。母親を失い、家族を失い、唯一の肉親であり、支えはお互いしかいなかった。豊かな才能を駆使して上り詰めた兄と、12年以上、兄の背中を追いかけ続けた妹。
この二人が成長し、大きくなり、同じステージに立つことをミヤコも何度も夢に見た。そしてついにその夢は叶った。しかもゴールデンタイムのバラエティ。芸能界でも最高峰の一つのステージに。
内緒だがオンエアをリアタイで一人で見ていた時は涙が溢れるのを抑えられなかった。
「ここ!ここでおにいちゃん私に目線くれてるでしょ?全力でパフォーマンスしながら私のこと見守ってくれてる!おにいちゃんって、私のこと好きすぎて困っちゃうよね!きゃー!この二人でハートマーク作るフリ!もう最高!おにいちゃーん!こっち向いてー!!」
「あなた、ほんとアクアの強火オタクね」
元々仲のいい兄妹だった。人前でペアルックも平気でやらかすし、手を繋いで外を歩くこともザラにあった。お互いシスコンブラコンと呼ばれることもあり、二人とも平気な顔で認めていた。
ミヤコはそのことに何の違和感も疑問も持っていなかった。お互いたった一人残された血の繋がった家族。慈しむのも尊ぶのも当たり前だ。支え合っている、というにはアクアの負担が多かった気もするが、ルビーを守ることが、アクアの精神的安定をもたらしていた部分があるのも事実。アクアとルビーの仲が良いことはミヤコにとって自慢でもあった。
しかしこの半年。そう、アクアが移籍してから、ルビーのアクアへの熱が急上昇した。熱の種類も変わったような気がする。
一ファンとして推しているのは自分も同じ。だけどミヤコはアクアへ。推しへの愛と息子への愛。そして異性としての愛が3:6:1程度のブレンドで注がれている。
しかしルビーのアクアへの愛は客観的に見て【推し:兄:異性】が【3:1:6】くらいに見える。これはもう家族愛のレベルは超えているように思えた。
───異性のタイプも結婚したい相手もアクアみたいな人って言ってたのはアイドルとしての便利な言い訳じゃなくて、本音なのかもしれない
けど、ココをあまり深く追求しすぎると自分にも飛び火しそうなのでやめておく。あの夜、世間的に見て良くは思われない関係を、自分も持ってしまったことは事実だから。
そして一度天上の甘露を味わってしまっては、もう他の男と何かをする気にはなれなかった。壱護が事務所に帰ってきて、よりを戻すのではという噂が流れているのは知っていたが、もうあの人をそんな対象として見ることは不可能だ。いや、これはアクアと関係持たなくてもなかったとは思うけど。事務所放り出して逃げた無責任男。
「有馬さんじゃないけど、そろそろ兄離れしなさいよ。今まではアクアのバーターだったけど、これからはあなた個人宛のオファーも増えるんだから」
「私個人宛のオファー?何か来たの?」
「ええ。奇しくも夏コミに関する事件についてよ。参加者の一人として、スタジオゲストに呼ばれてる。ま、今度は地上波じゃなくてネット局のバラエティだけどね」
系列は同じ局だが。アクアがレギュラーを務める『やれんの課、ワンチャン!』のオマージュ的バラエティから、とある炎上事件に関しての繋がりでB小町にオファーが来ていた。
「おにいちゃんは出ないの?夏コミに参加してたのはおにいちゃんも一緒なのに」
「あの子はもうこんな小さな番組に出ていい器のタレントじゃないのよ。でもこの局、業界視聴率は高いからうまく立ち回ればオファーは増えると思うわ。頑張りなさいよ」
▼
人に頼み事というものをする事は人生において当たり前のことだ。特に子供であれば尚更。大抵の人はすぐにいいよ、と言ってくれる。渋る人がいたとしても、オレがあざとく困った顔でお願いすればしょうがないな、と言って許してくれた(特に女性は)。
小学生の頃、壱護社長に連れてこられたバー。マスターももう数年間の付き合いがある馴染みで、ここでウェイターまがいのことをすればバイト代としてお小遣いをくれた。
ウチの家はちょっと特殊で。親代わりをやってくれてる人とオレの間に血の繋がりはなくて。ミヤコさんはオレが頼めば多分大抵のことは許してくれる。お金が欲しいと言えば、用途をちゃんと説明できるなら、きっとお小遣いはくれる。
けれど、あの人がオレ達に必要以上に優しくしてくれていることをオレはなんとなく気付いてて。オレも子供なりにあの人への遠慮があって。だからなんとなくミヤコさんにお願いというものはしにくかった。あの人にねだらなくても、対価さえ払えば他にくれる人がいたから、頼まなかった。
立ち回りは謙虚に。仕事は器用に。整った見た目でいること。人に気に入られる三つの要素。この三つを守っていれば他人とはうまく付き合えた。上手に生きることができた。
あの時も、そのうちの一つだと思っていた。
「オレにロックを教えてください」
中学に入ってすぐくらいの頃。レン先輩がロックをやってる人だと聞いて。いろんな世界でいろんな人を観察したいと思っていたオレは頼んだ。無理なお願いとは思わなかった。バイト先では前から仲良くしていたし、ピアノに関してはこっちから頼んでないのに教えてもらったりもしていたから。すぐに良いよ、と言ってもらえると思っていた。
「いいけど、条件一つ、つけて良い?」
「オレにできることでしたら」
「それは大丈夫」
バイトが終わり、手を引かれる。連れ込まれた先はレン先輩のアパートだった。
「今日からジュニアは、私の
当時、中学生になりたてのオレはそういうことに興味はあったし、同年代のませた女子から誘われた事はあったが、実際にやった事はなかった。どこか立ち入ってはいけないような、神聖な行為だと思っていた。何より、母のことがあったから、怖がってもいた。
そんな幻想はこの夜で粉々に砕け散った。
まるで食い殺されるかのようなキス。のしかかられ、顔を両手で押さえられ、唇を丸ごと覆い尽くされ、口内を蹂躙された。
あっという間に衣服を剥がされた。鍛えてはいるが、成長途上の未発達な肢体を撫で回され、舐めまわされ、抱き潰された。
捕食者の笑みを浮かべたレン先輩が、オレの上で扇状的に踊っていた。
「ギターもベースもドラムも、一通りのことは教えてあげる。楽器は私のお下がりあげるし、必要ならお金も出してあげる。その代わりジュニアは私が求めたらいつでも私のモノになってね」
美しい曲線美を描くその肢体でオレを抱きしめながら囁かれたその言葉はオレにはよく聞こえていなかった。
思えばこの頃からだと思う。自分の身体を使うことに抵抗がなくなったのは。
才能のある人を求めてきた。そういう人に出会うたびに教えを乞うた。その代償は人によって様々だった。労働力だったり、時間だったり、技術だったり、身体だったりした。
レン先輩に酷いことをされたとは思わなかった。愛玩動物にすると言っても暴力はされなかったし、元々はオレの方から頼み事をした立場だ。自分の意思でレン先輩の元へ行き、頼み、対価を何にするかはあの人に任せた。文句は言えない。
美を売り物にする芸能界。そういう形の対価の支払い方もあるのだと学ばせてもらったと思っている。芸能界に長くいるとこういう話はしょっちゅう聞く。やられるだけやられて切り捨てられたなんて話もザラに。それを思えば、オレはまだマシな方だ。レン先輩は優しかったし、約束は全部守ってもらえたし、あの人なりにオレを愛してくれたから。オレもあの人が嫌いになることはなかったし、恨んでもいない。今でも感謝しかしてない。
『抱かれる』ということは一種の正しい
だからだろうか。貸し借りについてオレが厳しくなったのも、性に対してハードルが緩くなったのも。
自分に関することなら、躊躇いなくそれらの代償を差し出した。労働し、時間を犠牲にし、培ってきた技術を惜しみなく発揮し、身体を捧げた。
すべては完璧な星野アクアになるために。
そのためなら、どんな代償も惜しくはなかった。
それは多分、今も変わっていない。
「あ……アクアくんっ……だめっ、待って……!イっ……──!!」
オレに組み伏せられ、腰を逸らし、オレの背中に爪を立てる青みがかった黒髪の美少女、黒川あかね。彼女にも見返りを求め、交際し、彼氏彼女になった。ビジネスで始まった関係だが、今はお互いビジネスとは思ってはいない。
けれど彼氏彼女の交際といっても、人間関係である以上、打算は存在する。
「アクアくん……もっと」
あかねの呟きを受け、白磁の双丘に触れながらキスをする。あかねもオレの首に腕を回し、全身でオレを受け入れた。
▼
「なんか申し訳ないね。いつも用意してもらっちゃって」
夏の夜。バスルームから出てきた青みがかった黒髪の美少女が、髪を手入れしながら闇の中で佇む。年相応の発育は見せつつも、少女らしく華奢だった身体はこの半年で随分と優美な曲線を描くようになり始めた。その艶かしい肢体にはバスタオル一枚のみが纏われている。少し前なら恥ずかしがっていた場面だが、この半年で彼氏の前で肌を晒すことにあかねはすっかり慣れてしまった。
テーブルに置いていた錠剤を水と共に飲む。事故が起きないように徹底している対策。体温も毎日計ってもらい、周期も確認している。避妊に100%はないが、限りなく100%に近づけるため、アクアは自分にできる全ての手を尽くしており、あかねも従っていた。
「本当なら、私の方が気をつけないといけないのに」
「こういうのに男も女もない。お互い立場がある。気を遣わなきゃいけないことだ。特に女子の方が負担は比べ物にならないくらいデカいんだから」
「……私は、別にそうなっても──」
「あかね」
「ご、ごめんなさい。調子に乗りました」
小声で呟かれた言葉だったが、いまやミュージシャンと呼べるアクアの聴覚は人並み以上に優れている。星の瞳の少年に難聴系は通用しない。
「ホント発言気をつけろよ。最近あかねもメディア露出増えてきてるんだろ?一度炎上経験ある奴は燃え広がり方は一度目より遥かに早いぞ」
「わかってる。普段は気をつけてる。あんな恥ずかしいこと言うの、アクアくんにだけだから」
「ならいいけど。日本映画賞授賞女優様が炎上なんてカッコつかねーからな」
「…………知ってたの?」
「まあな」
「アクアくんも選出されてるでしょ?主演俳優賞とギャラクシー賞」
「まあな」
先日告知された、劇場版『リバーシ・アイドル』。eye-MAX同時配信の映画。その主演を務めた星野アクアに映画公開前だと言うのに日本映画賞から主演俳優賞およびギャラクシー賞の二つに選出されたと事務所から知らされていた。
その時、主だった受賞予定者のリストを見せてもらった。若手俳優の数人が選ばれる新人俳優賞の名前の中に黒川あかねがあった。
「すごいなぁ。私みたいな、他に何人も授賞者がいる新人賞じゃなくて、その作品で最も活躍した俳優に贈られる主演俳優賞と今年最も活躍した俳優に贈られるギャラクシー賞。リバドルの劇場版なんてまだ制作決定が告知されただけなのに。まあアクアくんの実績と才能なら当然だけど」
「まだ話が来ただけで本決まりじゃねーよ」
「本決まりだよ。今年の俳優の顔は誰だって聞いたら日本国民ほとんどの人が星野アクアを挙げると思う。もし、アクアくんに授賞させないなんてことになったら、忖度だとか出来レースとか、それこそ番組が炎上すると思う」
この手の賞レースが忖度だの、出来レースだのと叩かれることはここ最近急増している。実際疑問視されるような結果も多い。権威ある賞であるほど大人の事情や金が絡み、あるべき姿から離れてしまう。忖度、裏金、キックバック、買収疑惑。これらは芸能界に根強く蔓延っているハラスメントに並ぶ闇の一つだ。
「そういったイメージを払拭するためにも、今年は絶対公正な審査になるはず。それならアクアくんが選ばれないはずがない」
「…………………」
「だからこそ今はデリケートな時期だもんね。炎上はもちろん。スキャンダルなんてもってのほかだよ」
まっすぐにこちらを見つめてくる。夜の闇の中でもその光はよく見える。
かなちゃんやメムちょと、仲良くしちゃダメ。
たとえ妹でも、誤解されるような言動をしちゃダメ。
私以外の女の子と、関係を持っちゃダメ。
そんな言葉が聞こえてくるかのような、警告の光がアクアを貫いた。
「あかねだけが、オレの彼女だよ」
肩を抱き寄せ、キスをする。あかねの水で湿った口が、アクアの舌を包み込んだ。
「…………ごめんね」
「何が?」
「めんどくさい彼女で、ごめんなさい」
「不安にさせる彼氏でごめんな」
「私、すごく不安なの。このままじゃダメだって。私なんかじゃダメだって思っちゃう。だって私、アクアくんと違いすぎる。みんな言ってる。不釣り合いだって」
みんな、というわけではないだろう。だが否定的な言葉は大きく聞こえるし、よく届く。公式カップルであるアクアとあかねを比較する層は一定数いた。
そして事あるごとにアクアと並び称される不知火フリルと比較する者たちも。
『あかね、釣り合ってなくない?』
『やっぱり不知火フリルの方がお似合いだった』
そんな声があかねに届いていないはずはなかった。
「バカだな。まだ外野の声なんか気にしてんのか」
「私はアクアくんみたいに強くないんだもん」
「あかねのめんどくさいところ、好きだよ。オレのことを好きでいてくれるって思える。彼女に好かれて悪い気なんてするはずない」
「アクアくん……」
「好きだよ、あかね」
纏っていたタオルケットが落ちる。ベッドで座っていたオレの前に膝を折り、腕を回す。
─── 本当に色っぽくなった。
容姿やスタイルの良さだけではない。容姿やスタイルの良さだけでは得られない艶を纏うようになった。優美な曲線。触れた時の柔らかさ。肉付き。半年前とはまるで違う。
「もう一回。できる?」
「もちろん」
至近距離にある蕩けた目を見つめながら、上気した頬に手を添える。目の中に写るオレは一体どんな顔をしているのだろう。少なくともあかねほど蕩けた顔はしていまい。瞳の中の光はあかねにではなく、自分に捧げられている。
あかねと身体を重ねるのは、関係を保ち続けるため。そしていつか対価を支払ってもらうため。この行為はレン先輩達と交わしてきたモノと変わらない。オレだけが、変わっていない。
その事実が少し虚しかった。
▼
「私も距離取るようにはしてるんだよ?」
もう一回が終わった後、二人はSNSに対する反応についての議論になっていた。一度炎上経験があるからか、あかねなりに対策は取っているみたいだが、それでもやっぱり気にしてる部分が多いことがわかったため、現状の確認を行なっている。ベッドの中で身体を寄せ合いながら、あかねはアクアの説教に対し、反論していた。
「批判なんて見て得することなんてないってのも痛いほどわかったし。けどやっぱり評価とかコメントとか、取り入れた方が反省はしやすいし、次の仕事にも活かせるから」
「反省なんて監督とか共演者からの意見で充分だろう」
「だから深刻になりすぎないよう、距離は取るようにしてるってば。夏コミのオファーだって、断ったし」
「夏コミのオファー?もうとっくに終わっただろ。今更何を」
疑問符を浮かべるアクアに対し、あかねもキョトンとした表情を返す。数秒二人とも固まったが、納得したように手を合わせたのはあかねだった。
「SNS見てないなら知らないよね。アクアくんレベルのタレントがネット局のバラエティなんかに呼ばれるはずもないし」
「何の話だ?」
「今年の夏コミのコスプレイベント、炎上してるんだ。他のネット局のバラエティが火元で」
枕元のスマホをベッドに持ってくる。開いたページには一つのツイート。
『露出系だからって完全に下に見られてる。東ブレコスって聞いてたのに前日になってオリジナルで〜とか。準備どんだけ大変かわかってんの?質問とかもコスでHしたことある?とか、セクハラじみたのばっかり。当分活動控えようと思ってます』
「これは……」
覚えがある。関係者控え室の廊下でADっぽい青年が平謝りしていた内容の一部が含まれていた。
「レイヤーのメイヤさんって人のツイートなんだけどね。『深掘れ、ワンチャン』って知ってる?」
「名前は聞いたことあるな。業界視聴率は高い番組だったと」
「そうそう。アクアくんがレギュラーやってる番組の系列っていうかオマージュっていうか。凄技より今回やった潜入とかがメインだけど。地上波ではできないエグい企画をやっちゃうヤツ」
「それはそれは。今時の流れに反した番組で」
不道徳さと面白さは紙一重。しかし世はまさに大コンプライアンス時代。表現の規制等でどんどんテレビがつまらなくなり始めている昨今。ネット局のバラエティは崖っぷちに立たされており、そういった火中の栗に手を伸ばさなければやっていけない時代になっている。
けれどリスペクトがなければこういった事態に転がり落ちてしまうのもまた事実。
「今時ドラマやアニメでも殺人にはうるさいからな。薬物は製薬会社が。ナイフはキッチンメーカーのスポンサーが怒る。事故死とか超能力とかが一番丸い」
「コ○ンなんて、一番最初首チョンパだったもんね」
「今の時代じゃぜってえ出来ねー死因だよな、アレ」
他にも麻薬舐めさせたり、生首持ち歩いたり、一昔前はなかなかにエグいことを少年誌でやっていたものだと変に感心してしまう。そのギャップが面白いと思うと同時に、少し怖かった。
「私も詳しいことは知らないけど、直前までコス許可の許諾降りなかったの伝えなかったり、セクハラじみた質問されたことは事実みたい」
「アビ子先生、
「何でアクアくんそんなこと知ってるのかな?」
「一部では有名な話だよ」
怖い笑顔を向けてくるあかねから視線を逸らす。「もうっ」と鼻を鳴らしつつ、プクーっと頬を膨らませる。空気を変えるため、一度大きく咳払いした。
「で?その炎上とあかねに何の関係が?」
「夏コミにコスプレして参加してた芸能人の一人としてゲストで呼ばれたの。その番組に」
「?」
「炎上した子やその関係者を番組に呼んで、意見を聞いたりセクハラパワハラしたDに謝罪とかさせるみたい」
「……また燃えやすそうな」
たとえ被害者だったとしても、謝罪の形を間違えれば今度は被害者側が燃えかねない。やりすぎだとか、そこまでさせる権利はないとか。今や公共の電波では土下座すらも安易に流せない。
「あかねは出ないのか」
「出ないよ!もう炎上案件に関わるのは懲り懲り!」
「それが一番無難だな」
そんなことをせずとも今のあかねなら実力だけで充分名を上げられる。わざわざ火中の栗に手を突っ込む真似をする必要はない。
───アイツら、どうするんだろう
あかねに話が来たということは恐らくルビー達にもいってるだろう。公共の電波に乗ることができるのならチャンスと言えばチャンスだ。ルビー達は番組と直接関わりないから呼ばれるとしてもゲスト。Dに謝罪させたとしても飛び火する可能性は低い。
───けれども低いだけだ。飛び火する可能性はある。
それに思い出した。このメイヤってレイヤー。リーク癖があるって事務所で危険人物リストにあがっていた名前だ。最大手のウチは共演者に対しても最新の注意を払う。使いやすいタレントとそうでないタレントの仕分けはしており、そのリストはオレ達にも回っていた。
───だが、上手くいけばこの炎上晒したDに恩は売れる、か。
それにネットで検索かけてわかった。この番組のP鏑木さんだ。あの人、こういうトラブル解決できる人材好きだし。ましてルビーの顔面の良さはオレと同等。めちゃくちゃ好みだろう。危険はあるがメリットも確かにある。
───どうするかな、ミヤコと壱護は。
乗るか反るか。ミヤコは性格上反対しそう。だが壱護は乗るだろう。立ち回りについても緻密に対策してくれるとは思うが、さあどうするか。
「───っ」
スマホが鳴る。アクアのではない。あかねのだ。まだ日付は変わる前だが、もう深夜。非常識と言える時間帯。けれどアクアに驚きはない。この業界、深夜だろうがてっぺん超えてる時間だろうが、若手に呼び出しがかかるなんてザラにあることだ。
───そして、こういう時間に呼び出される時は、大抵……
「───アクアくん、ごめんなさい」
電話が鳴った瞬間から、一気に暗い表情にはなっていた。電話をとる許可をオレに視線で求めてきた時も、めちゃくちゃ申し訳なさそうな顔をしていた。そして内容を聞いた後、身を小さくしてアクアに謝罪してきた。謝るあかねに対し、アクアは鷹揚に微笑み、肩をすくめてみせる。怒っていないことと、内容も予想がついていることを所作で示した。
「Pから連絡か?」
「うん……ドラマで会議やるから送った店に来いって……マネージャーが迎えに来るって。10分後には服着てお化粧して用意しなきゃ……ごめんなさい」
「気にするな。よくあることだ」
そう、よくあること。会議と言いつつ、飲み会になることも。偉いさん相手に若手が酌をしなければいけないことも。途中からキャバクラごっこになってしまうことも。よくあることだ。今や大手に所属しているアクアにすらあった。昔は自分たちも同じことをやっていた、という言い訳のもと、男娼じみた……いや、実際男娼をやっていた。
「よくない彼女でごめんなさい。アクアくんにはいい彼氏であることを求めて、実際にいい彼氏をやってもらってるのに」
「マジで気にするなって。オレだってそんなにいい彼氏じゃないしな。あかねが誰と食事しても、ホステスしても、それが目的あってのことなら、オレだって何も言わねーさ」
「それでも、やっぱり怖い。アクアくんには嫌われたら。見捨てられたらって思うと、怖いよ」
覚悟してたはずだった。世間一般の彼氏持ちとしては良くないこともきっとする。それはあかねもあの宮崎の旅行の時から覚悟していた。
けれど覚悟はあくまで心持ち。実際にその時が来るのとはまるで違う。
「アクアくん以外の男の人なんて、みんな死んじゃえばいいのに」
縋り付くようにアクアに抱きつきながら、小さな声で呟く。冷めた目で、暗い瞳で、心からそう思っているとわかるよう、言う。
「アクアくんだけだよ。私にとって男の人は、アクアくんだけ。信じて」
「信じてるさ」
「必ずすぐ帰ってくるから。指一本触れさせないし、変なことされそうになったら、未成年だってこと盾にしてすぐに逃げ出すから」
「その時は連絡くれ。迎えに行く」
「ありがとう、アクアくん。好き。大好き。愛してる」
時間が来るまでの10分間。あかねは媚びるようなキスを続けた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
今回はしっかり本誌を反映した話となっております。けどレン先輩とアクアの関係は結構前から決まっていて、変更もほとんどありませんでした。愛玩動物になる代わりにロックやダンスを教えてもらっていました。アクアの初体験の相手はレン先輩です。
次回でコンプライアンス編は終了予定。ルビーも売れる下地はほぼ完成。アクアも順調に活動を続け、授賞式へと向かいます。そして伸びる死神の手。その手を掴むか、掴まれるか。
スキャンダル編も考えてます。人の心がありません。あまり多くは言えませんが重曹ちゃんが曇ります。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
92nd take 麻薬の魔力
夕焼けの少女と火を知らぬ少女は星をなくした子の愛を求める
それは悪しき慣習が蔓延る伏魔殿で生きるための甘露
甘露は昇天への妙薬か堕落への麻薬か
「…………」
LINKの画面を開く。30分ほど前に送ったメッセに既読はまだついていない。珍しいことじゃない。私だって仕事中でアクアくんからのメッセージを見逃してしまったり、疲れて寝ちゃってて、気づいたのは次の日の朝だった、なんてことはよくある事だ。
だから、私は気にしない。
今、アクアくんがどんな事情で携帯を見ることができていないんだとしても。
アクアくんの既読がつきにくいのは、深夜な場合が多いことも。
私は知ってる。
アクアくんがフリルちゃんに惹かれていたこと
ずっと前から。アクアくんのことを研究して、トレースしようとした時から、気づいていた。
アクアくんは多才で、器用で、賢くて、なんでもできて。見上げられてきた。
あいつは特別だと陰口叩かれるのが日常で。見上げられ、妬まれ、恨まれ、期待されるのが当たり前の日々だった。
そんな日常の中では、いつのまにか自分とその他とは明確に線を区切ってしまうようになってしまうのは必然だったのだろう。その他を同じ人間として見ていなかった。見ることができたのは何かしら自分に負けない才能を持つ人だけだった。
そんな時、自分を遥かに見下ろす存在に出会った。
少なくとも同世代では、人生初だった。
不知火フリル。自分と同じマルチな才能を持ち、たくさんの軸を持ち、その全てで自分を軽く凌駕する存在。
美人で、才能あって、自信がある。目に強い光を持ってて、めんどくさい女が好みのアクアくんにはきっとど真ん中ストライクだったんだろう。
男と女の友情はあるところにはあると思うけど、少なくとも今ガチにおけるフリルちゃんは、典型的な『お友達から始めましょう』戦略で。異性としてのアプローチがありありで。親友以上の関係を求めていた。そんな二人に友情のみが成立するはずはなかった。
フリルちゃんはアクアくんに恋をしていた。きっと一目惚れだった。アクアくんの才能と星の瞳を見て、あっという間に溺れていった。わかる。私もそうだったから。
アクアくんはフリルちゃんに惹かれていた。人生で初めて出会った対等な立場で接してくれる同い年の異性に少しずつ魅了されていた。
それでも、アクアくんはあの時フリルちゃんじゃなくて私を選んだ。多分フリルちゃんにはない才能を持ってる私を。人生で二回目。自分より優れているかもしれないと思った同世代の異性を。
アクアくんが好きでもない芸能界にいる目的を果たすために。
それが悪いことだとは私は微塵も思っていない。人付き合いで打算が発生しないことなんてあり得ない。私だってアクアくんに打算を求めている。
アクアくんは、すごく優しい。
殺人的スケジュールの中で私と会う時間をなんとか作ってくれるし、構ってくれる。LINKも既読放置なんてしない。時間がかかっても、絶対に返事はくれる。
私のよくない事情にだって理解を示してくれる。あの夜、ホステスまがいのことをした私に醜い感情をぶつけるなんてことも一切しなかった。深夜2時を越えての帰宅になっても、嫌な顔ひとつせず迎えに来てくれた。アクアくんのマンションまで一緒に帰った。夜が明けるまでの数時間、ずっと抱きしめてくれた。キスしてくれた。抱いてくれた。おじさん達に触れられそうになって、なんとか避けたけど、それでも鳥肌がたった。私の冷え切った心と身体を暖めてくれた。
良い彼氏をやってくれてる。幸せだ。アクアくんの彼女になれて、私は今、人生で一番幸せだ。生まれて初めての本気の恋。アクアくんのことが好きで好きで仕方がない。私は確信してる。コレが多分最初で最後の恋だって。こんなに誰かを虜にする魅了の魔力を持つ人なんて、金輪際現れないだろうから。
だから、私は構わない。
フリルちゃんと同じ事務所にアクアくんが入っても。
フリルちゃんの活動自粛がそのタイミングと重なることも。
私は構わない。気にしない。深く詮索しない。
───だから、お願い
隠すなら最後まで隠し通して。嘘をつくなら絶対に私にバレないようにして。知ってしまったら、私は行動せずにはいられない。アクアくんを責めることも傷つけることもできないけど、多分他の何かをしてしまう。その何かは私にもわからないけど、それはきっとアクアくんから離れないようにするための何かだとは思う。アクアくんが私と別れられなくなる何か。その優しさと責任感につけ込む何かを、私はしてしまう。
私はもう、アクアくんと別れられない。
だって知ってしまった。星野アクアが彼氏でいることの幸せ。
感じてしまった。彼の優しさ。思いやり。その感情を向けられることの嬉しさ。
味わってしまった。あの人に抱かれた快楽。痛み。苦しさ。悦び。味わってしまった。繋がってしまった。壊されてしまった。
どれか一つでも知らなければ、感じなければ、味わうことがなければ、訣別することはできたかもしれない。どれか一つでも欠けていれば、身を引くこともできたかもしれない。
けれどもう無理だ。全て知ってしまった。感じてしまった。味わってしまった。麻薬使用者の再犯率はほぼ100%。私ももう甘い
もう私に、星野アクア以外の人を愛することはできない。
明日も、明後日も、今年の冬も、次の春も、あなたの彼女でいたい。あなたと一緒に年を越したい。
その年で一番最後に会う人も次の年で一番最初に会う人もあなたであってほしい。これから先、一生。
───だから、お願い
隠し通して。嘘をつき続けて。嘘も貫き通せば真実だ。あなたの嘘を少しずつ真実に変えていって。私はそういうの、嫌いじゃない。優しいあなたの嘘が好きだから。あなたの嘘を受け入れたいから。
「お願い、アクアくん」
返信が来てもいないのに、握りしめた携帯は震え続けていた。
▼
『深掘れ、ワンチャン!』
それは 地上波ではできない倫理的にギリギリを攻めるチャレンジ的番組。元々は『やれんの課、ワンチャン!』という凄技への挑戦や一般人が関わりのある業界やイベントへの潜入を行うゴールデンの人気企画を元にしたオマージュ的番組。
その元となった『やれんの課、ワンチャン!』のエースを務めているのは星野アクア。この半年で日本全国に存在を認知された天才俳優。彼の最大の特徴は万人を惹きつけるオーラと持って生まれた美貌。そして多才さである。
歌って踊れて演技もできて、ピアノ、ドラム、ギターなどの楽器もできる。元々弱点など見当たらないキャラクターではあった。そこに加え、ネットやsnsで溢れる達人芸をあっという間に習得していくその姿は完璧で無敵な星野アクアのイメージを強く後押しし、フォロワーを爆増させた。
しかし、星野アクアにも弱点があることが衆目に晒される。それは家族であり、双子の妹でもある星野ルビーの存在だった。
なんでもソツなくこなすアクアの姿に視聴者が見慣れ始めた頃、テコ入れとして投入されたのが星野ルビー。
クールで毒舌。冷静で聡明な正論マシーンである碧玉の少年。
快活で天真爛漫。情熱的で少しおバカな紅玉の少女。
対照的な二人の美男美女双子カップルは非常に絵になり、アクアのみならず、ルビーもついに万バズを会得するに至り、二人は共演の機会も増えていった。
そして今年の夏。8月に行われた夏コミで、アクアとルビーは遂に肩を並べ、同じステージに立った。
去年再結成された、新生B小町と新進気鋭の実力派女優、黒川あかねをバーターに添えて。
星野アクアは今年大ブレイクを果たしたドラマ『リバーシ・アイドル』の主人公のコス。そしてルビー達は他のメンバーのコスで参加し、ステージ上で三曲、歌い踊った。一曲目は正体を隠し、二曲目に入る前にアクアとルビーのネタをバラし、三曲目の前に黒川あかねが正体を明かした。
星野アクアの歌唱力とダンススキルはもはや言わずもがな。一般大衆の多くは知らなかったであろうルビー以外のB小町も培ってきた全てを出した。
そしてにわか仕込みのアイドルだった黒川あかねはアクアのフォローと大衆の面前で行われたキスで数多の歓声と悲鳴を呼んだ。
この行為が少し批判を呼びもしたが、二人は一年以上交際を続ける公式カップル。ビジネスだけではできない仲の良さは概ね好印象を大衆に与える。
ゴールデンタイムに放送された夏コミにコスプレで潜入するという企画は大成功を収めたと言えるだろう。
しかし、光があれば、影があるのが世界の摂理。
夏コミに参加していた『深掘れ、ワンチャン!』。奇しくもコスプレイベントをテーマに企画を組んでいた彼らは一人のレイヤーの呟きによって炎上してしまう。
内容は主に本番前日になってのコスチュームの変更。そしてセクハラじみたインタビューについて。
ネット局のDは殆どが昭和を経験している人物。しかも倫理観もハラスメントも地上波とは比べ物にならないくらい劣悪。その価値観を持ったまま、令和の番組を作ってしまうとこういう事になってしまうのは必然だった。
もう誰もがこの番組は終わりだ、と思われたところに一つの企画が持ち込まれる。
それは炎上の元になったDに禊をさせるというもの。
謝罪を企画にするというのは非常に危険な綱渡りだ。もし相手に非があったとしても謝罪の形を間違えて仕舞えば今度は被害者が燃え上がる。
夏コミに参加していた芸能人として、星野アクアにもゲストとしてオファーが来ていた。しかし、事務所はこれを拒否。今更ネット局のバラエティなんかに星野アクアを出すメリットは殆どない。しかもこんな飛び火をもらいかねない番組への参加が許されるはずもない。後にアクアもこの説明を聞いたが、反対意見はまるでなかった。
しかし、未だ発展途上のタレントはそうはいかない。
ルビーをはじめとするB小町はゲストとして参加を決定。被害者女性と共にインタビューやコメントを受けることとなり、本人達の意見を伝えることとなる。
『私は謝罪を求めているわけではありません。もうこのようなことが起こらないように、原因の究明と体制の改革を求める次第です』
───ビビッてんな
PCで眺めていたアクアはレイヤーの態度を見て嘆息する。軽く調べただけだが、SNS上ではメイヤはかなり強気で攻撃的だった。イベントがあるごとに暴露や晒し行為を行い、SNSでアップし、ファンに攻撃させていた。その時の大衆を煽る言葉は非常に強いものが多かった。それも当然と言えば当然。強い言葉でなければ人は反応してくれないし、燃料たる火力を得られない。
はっきり言ってメイヤという人にアクアは好意的感情は持てなかった。リークとは大抵、不満と私怨をぶつけるストレス発散と「オレはこんなことまで知ってる」「業界の裏にも詳しい。一般人とは違うんだ」などという
中世の昔、魔女裁判やギロチン処刑とはイベント。大衆の娯楽の一つだったらしい。この令和の世になっても人の本質はまるで変わっていない。
───だが、今このメイヤはあくまで個人としての悪感情ではなく、コスプレ界を良くするためのツイートだったというスタンスでいる。
全部嘘とは思わないが、実際に顔と名前を公共の電波に晒す段になって、日和って方針転換したのは間違いなさそうだ。
けれど、テレビにはセクハラじみた行為はあり、レイヤーが下に見られるということもあるのは事実だった。実際『コスでHしたことある?』とか『露出趣味なの?』とかの質問をされたことは真実らしい。
そのインタビューを聞いたルビーはメイヤの隣でうんうんと大袈裟に頷き、腕を組んでいた。
『わかるなぁ。セクハラかどうかは置いておいて、私も答えにくい質問されることはしょっちゅうだもんね』
『たとえば?』
『初恋の人は?とか、ファーストキスの相手は誰?とか』
『あー、確かにアイドルには答えにくい質問ですねー』
『私はどっちもおにいちゃんなので問題ないんですけど』
『それはそれで別の問題が発生せーへんか!?』
『普通にアイドルやってる仲間や友達は答えるの辛そうだなって思うことは多いです』
『事前確認やオファーの際のやりとりで信頼関係を築くことができて、お互いリスペクトがあるって分かれば私も許容できます。けれど下ネタを振ってくる人の大半はそんなリスペクトはありません。その方が面白そうだから。下品な答えを答えさせたいから。そんな意図を持っているとしか聞こえませんでした』
出演者側の都合は完全に無視した直前のコス変更。コスプレイヤーを明らかに軽視した企画内容と質問。メイヤが言っていることもあながち的外れというわけでもなかった。
その後はDの謝罪と番組側の内情の説明。そして版権問題のインタビューが行われ、番組が進行していく。
ちなみに版権問題でアビ子先生にインタビューしていたのは有馬だった。
『…………そちらにも事情があることはわかりました。今は最初ほど憤りがあるわけでもありません。再発防止の姿勢さえ見せていただければ、ツイ消しをしても構わないと思っています』
───大人しく収めたか
ここで下手にゴネたら今度は自分が燃える可能性がある。ここで大人の対応を見せれば下手な火傷は負わず、安全圏のまま番組を終了できる。流石に何度も晒しをやってるだけあって、引き際は理解しているようだ。
『それでは最後にDさんからとある深掘り謝罪をもらって禊といたしましょう!果たして許してもらえるのか!?深掘れ、ワンチャン!!』
スモークが焚かれる。スーツ姿のDでも現れるかと思い、眺めていると、出てきたのはなんと鞘姫のコスをしたDだった。
「うわ、絵面汚っ」
イヤホンを共有し、隣で番組を見ていたフリルから声が上がる。腕の中では絆が眠っていた。
「馬鹿馬鹿しいけど上手いな。謝罪をコミカルな形にすることで『やりすぎ』とか『資格がない』とか騒ぎそうな人たちを封殺した」
「Dが自作したコスだって。レイヤーの苦労も知ることができたってアピールできるし、レイヤーへのリスペクトを持てるようになったって説得力もでる。丸く収めるには確かに上手い」
しかし隣で絆を起こさないようにクスクスと小さな笑いが零れるのを抑えることはできなかった。
「けど絵面が酷いなぁ。あなたのクオリティ鬼高のコスに見慣れちゃったせいかもしれないけど」
「コスって言うな。メイクと言え」
「普通男のおじさんが女装したらこんなもんか」
「衣装もメイクもヘタなんだよ。和装なのに、ボタン見えるところにつけてるし、付け方も雑。この分じゃ縫製もガタガタだろ」
「あなたはミシン使ったことあるの?」
「衣装作りはやったことないな。バンドマン時代も、そういうの仲間に任せてたし」
どこのツテかは知らないが、ステージ衣装はいつもハルさんが持ってきてくれていた。オレがあのバンドでやっていたのは作詞と演奏(たまに作曲)だけだった。
「この企画、考えたの誰だと思う?ルビー、だけじゃないよね?」
「だけじゃないだろうな」
「もしかして、あなた一枚噛んでる?」
「まさか。この放送があること自体知ったのは最近だ。多分苺プロの先代社長がプロット組んだんだろう。詳細詰めたのは鏑木さんかな」
あの二人が考えそうな回路と落とし所だ。一見ふざけてるが芯をくってるし、ルビーの立ち回りも悪くなかった。Dに恩を売るには十分過ぎるだろう。
───少し前なら、ルビーが企んだかとも思ったが……
『せんせー、これくらいなら、私のこと嫌いにならない?』
目を閉じる。『やれんの課』の方でオレと初めて共演した時のあいつの態度。オレを利用して番組に出演した時、心底怯えた目をしていた。あの目をしていたやつが、他人やDを取り込むような、オレ以外の人間を利用するような手段を取るとは思えなかった。
「売れるかな、ルビー」
「売れるだろうな。きっと」
元々下地は出来つつあった。オレとの共演のおかげで名前も知られ始めた。そして業界視聴率が高いこの番組で炎上を収めた。使いたがるDは増えるだろう。
だが、それはあくまで個人。星野ルビーに限った話。
───オレは三年と言ったが……
思ったより早いかもしれない。B小町の崩壊は。ルビーに悪意がない分、尚更。
───っ、
アクアの意識を思考の海から引き上げたのは小さな声。今を懸命に生きる小さな命の涙だった。
「起きちゃった。キズナー?お腹すいた?」
泣きぼくろの少女が、パジャマのボタンを外す。胸の前に切り込みがあり、授乳がしやすい仕様になっていた。
「人間って不思議だよな。ちょっと前まで出なかったもんが普通に出るようになるんだから」
「あなたも飲みたい?」
「遠慮しとく」
「良かった。飲むって言ってたら怒ってたかも。絆の大事なご飯だもんね」
懸命に母に縋り付く娘の姿を見て、思わず笑みが漏れる。
───オレも他人の心配してる場合じゃない、か
劇場版リバドルの撮影はもう始まっている。半年後には公開予定だ。撮影をしながら、バラエティのレギュラーもこなして、音楽活動も続けなければならない。年末まで予定はびっしりと埋まっていた。
───次にこんな穏やかな時間が過ごせるのは、一体いつになるやら
お腹いっぱいになった絆の背中を優しく摩り、ゲップをさせるフリルの肩を抱き寄せる。一瞬驚いた顔をしたが、すぐに少女は微笑を浮かべ、絆を寝かせると、内縁の夫へと身体を寄せた。
「明日からリバドルの撮影だっけ?」
「またしばらく苦労をかける。絆のこと、一緒にできなくてごめん」
「全部理解して、納得した上であなたを愛したし、絆を産んだ。あなたが隣にいてくれるだけで、私にとっては奇跡。たまにこうして抱きしめてくれれば、充分」
絆を身籠った時から、フリルは覚悟していた。最初はアクアにすら伝えず、自分一人で産み、育てるつもりだった。運命と才能の導きで知られてしまったけれど、その覚悟は変わらなかった。
それでも今日に至るまでどれほどアクアに救われてきたか。妊娠中も、出産の時も、子育てをしている時も、アクアの存在がどれだけ支えになってくれたことか。今こうして優しく抱きしめてくれていること自体、フリルにとっては得難い奇跡。多忙を極める中、なんとか時間を作って会いに来てくれていることは自分が誰よりもわかっている。
───あなたの才能の妨げになるなら、なんだって切り捨てるべき。そう言ったのは私なのに、私は結局あなたの優しさに甘えてしまってる。あなたの罪悪感につけ込んでしまっている
アクアははっきり言って善人ではない。自分の目的のためなら使えるものはなんでも使う。その手段の中には結構非難されるようなモノもある。女好きとまでは言わないけど、タラシだし、女の敵と呼べる部分もある。
けれどまるっきりの悪人でもクズでもない。そうであったなら、きっとアクアもフリルももっと楽だっただろう。こんなにアクアのことを好きになることもなかった。子供ができることもきっとなかった。できたとしても、もっと楽な道を選べた。
けれど選ばなかった。二人とも。一番大変な、けれど全てを手に入れられる道を選んだ。
普段は合理主義の現実主義者。冷徹にすら見える思考回路と行動原理。けれど、その冷たく眩い仮面の奥には、愛という熱い血が流れている。
───絆を産むことを許してくれるなら、それだけでいいと思っていた。だけど……
知ってしまった。時間を作って会いに来てくれるあなたに、「おかえりなさい」と言える幸せ。
帰ってきた時に、優しく抱きしめてもらえる喜び。
感じてしまった。絆が夜泣きをした時、一緒に起きてくれて、眠ってていいと言ってもずっと私に付き合ってくれる優しさ。
眠りから覚めた時、あなたの顔が近くにあって、その日の一番最初に「おはよう」と言える幸せ。
全て知ってしまった。身体で感じてしまった。いつかの幼い日に夢見た女の子の幸せ。とっくの昔に諦めたはずの、人並みの幸せ。
知らなければ耐えられたかもしれない。感じなければわからなかったかもしれない。
けれどもう、幸せの味を知ってしまった不知火フリルに、アクアから離れるという選択はできなかった。
───ごめんなさい、アクア。ごめんなさい
あの病院で出会った時から、何度めかもわからなくなるような謝罪を心の中で言う。実際に言うとアクアは多分怒る、というか自分が悪いと逆に謝られるから、口には出さない。けれど心からの謝罪と労わりの気持ちを込めて、アクアの体に寄り添った。
あなたの傷が、こんなに深いとは思わなかったの。私の傷が、こんなに手遅れだとは思わなかった。あなたの傷がこんなに甘いとは思わなかった。あなたが傷を舐めてくれるのが、こんなに嬉しいとは思わなかった。
こんなにあなたに溺れてしまうなんて、思わなかった。
ヴン
振動音がする。二人とも視線が音源へと向く。二人ともいつ連絡が来てもいいように仕事用の携帯は見える位置に置いている。そして今、連絡が来たのはアクアの私用の携帯。
画面には黒川あかねと表記されていた。
アクアが動き出すよりも早く。泣きぼくろの少女の手が閃く。アクアの手の届くはるか先に電子の板は転がっていった。
ごめんなさい、あなた。ごめんなさい。
心から謝罪の気持ちが溢れた。こんな乱暴な。一歩間違えれば携帯が壊れ、あかねとの関係も破綻してしまうかもしれない暴挙をされたにも関わらず、アクアは怒りも動揺も見せず、内縁の妻の頬に優しく手を添えた。
───離れるべきだってわかってる。この人のことを本当に思いやるなら、私から解き放ってあげなければいけないとわかってる。それがアクアのためであり、私のためであり、絆のためでもある。わかっているけど。わかっているのに。
私は、あなたの
首に腕を回し、夫に全体重を預ける。二人がけのソファだが、男女が寝るとなると狭い。身を寄せ合い、絡み合い、二つの身体が一つに重なって、なんとか収まりを見せた。
───あたたかい
あの冬の病院。私の仮面が決定的に壊れて。私が一番弱くなったあの日から。あなたの暖かさに抱きしめられたあの日から。熱が心の奥底に沁み込んで、いつも小さな火種になって、私を守ってくれている。
あの時からお互い心に大きな傷を負って。心身共に弱ってて。傷を舐め合ってここまで来た。根本的な治療はせず、麻酔だけで誤魔化し続けて。結果致命傷に至るまで深くなった
「好きよ、あなた」
絆が再び夜泣きで目を覚ますまで、二人はお互いを貪り合った。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
半年間でアクアはスターになり、ルビーはスターへの下地が完成し、泥沼の女性陣たちはジャブの打ち合いが終わりました。次回からは第二幕も佳境。舞台は映画賞授賞式。ついに星をなくした子と死神が触れ合う距離まで近づきます。すぐ近くに来ていたことを知ったアクアの行動は。その行動により動く事態は。そして傷で成る絆の存在にいち早く辿り着くのは……
とまあこんな感じで大筋は考えてるのですが、詳細はまだ全然詰められてません。キャラ達に取材を重ねて詰めていきたいと思っています。ただ、ここから15年の嘘までの展開は結構早いかな、と予感してます。最終幕まで、どうかもう少しお付き合いください。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
93rd take 鎌と翼がすれ違う
輝きを求める死神の欲があなたの首筋を撫でるだろう
愛を騙る花束を受け取ってはいけない
白が赤く染まってしまうから
『深掘れ、ワンチャン』の放送から約半年、星野ルビーは、というか新生B小町は、飛躍的に上昇を始めた。
元々ルビーはゴールデン番組の出演で知名度を上げてきていた。この一年で業界的に言うと『一周目』を終え、国民的スターとなった星野アクアの実妹ということもあり、話題性は充分だった。
兄妹共にずば抜けたルックス。クールで聡明なアクアとは対照的な明るくおバカなキャラクター。そして兄と同様に小気味のいいトーク力とアドリブ能力を持ち合わせており、美男美女の双子による対比構造の化学反応は素晴らしい相乗効果を齎した。
しかし『女性アイドルアワード』で新星賞を獲るほどの注目株になったきっかけは、今年の夏コミだろう。
星野アクアがレギュラーを務める『やれんの課、ワンチャン』にコスプレで正体を隠し潜入。ネタバラシののち、ステージで見せたライブパフォーマンスは星野ルビー及びB小町のフォロワーを爆増させた。
星野アクアのダンススキルと歌唱力の高さはすでに世に周知されている。あの時センターを務めたのも星野アクアだ。
しかしアクアのハイレベルなパフォーマンスにB小町達はなんとかくらいついてみせた。この番組でB小町を知ったという人も多いだろう。
B小町。十数年前に解散した伝説的グループ。道半ばで命を落とした天才アイドル『アイ』を記憶している人も少なくはないはずだ。
そのリブートユニットの存在はかつての熱狂的ファン達の熱を再燃させるには充分だった。
その新生B小町が参加した夏コミはSNSでちょっとした炎上事件を起こしてしまうのだが、それもまた星野ルビーの知名度を上昇させることに一役買っていた。
事件後、星野ルビーは番組のコーナーを一つ任されるようになり、メディアへの露出も増えていくこととなる。同時にユーチューバーグループとしての顔も持つB小町の知名度とフォロワーも上昇。半年前は30万人ほどだった数字も今や100万が見えてくる位置につけている。
ユーチューバーとアイドル、テレビタレントとしての三軸を持つ彼女は令和を代表するアイドル像になりつつある。
『B小町は必ずドームに立ちます!』
地下アイドルが見るには今時荒唐無稽とさえ言えるこの彼女の夢を笑うことができる人間はもういないだろう。
そして、いつこの夢を叶えてしまってもおかしくないのが、この男だ。
星野アクア。俳優。ミュージシャン。テレビタレント。彼もまた三つの軸を持ち、その三つとももはや若手芸能人の頂点に立つ、三刀流マルチタレント。
俳優としては『リバーシ・アイドル』のブレイクをきっかけに、月9、大河、ドラマの頂点と呼べるジャンル全てに出演を果たしている。先日劇場版リバドルの公開も始まり、すでに興行収入20億を超えるヒットを叩き出していた。
ミュージシャンとしては、この一年で四つの新曲をリリースし、どれもがストリーミング再生一位を獲得。特に自らが作詞作曲を手がけた『ロスト・チャイルド』は日本のみならず海外でも評価され、米国グローバルチャートで一位を獲得。これは日本語の曲では初の快挙。公式mvはついに3億再生を超えた。
そしてついに先日、星野アクアはスーパーアリーナでライブを行った。チケットは即日完売。当日は大盛況。東京ドームで、という噂もあったが、いつのまにか立ち消えになっていた。
バラエティのレギュラーも数本抱えている。世代別で対抗する音楽番組では令和代表として圧倒的な歌唱力を披露し、男性アイドルグループとのダンスバトルでは見事な完コピでトップに勝るとも劣らない実力を見せた。
バラエティ、音楽、ダンス、ドラマ、映画etc.。今もオファーはひっきりなしに来ている。
賞レースでも主だった新人賞は総なめ。特に今年最も活躍した俳優に贈られるギャラクシー賞の受賞は世間の記憶にも新しいだろう。今後には日本映画賞の授賞も控えている。
今年最も注目を集めたタレントが星野ルビーなら、今年最も結果を残したタレントが星野アクア。
不知火フリルの本格的な活動再開も近日中に行われると発表され、芸能界は巨星と新星の激突で大いに荒波を立てている。
星野ルビー、そして星野アクア。この天才兄妹の今後の活躍に注目していきたい。
▼
「凄いことになっちゃったねぇ。アクアはともかく、ルビーまで」
苺プロ事務所の一室。B小町のメンバーである有馬かなとMEMちょはネットの記事を見ながら嘆息していた。
「元々があのルックス。そしてアイドルとしての能力はアクアが鍛え上げた。美貌と実力兼ね備えて、チャンスを与えられたならそりゃ売れるわよ。大手でデビューしてたら今のアクアと同じくらいの位置にいたんじゃない?」
深掘れ、ワンチャンの事件から約半年。ルビーの躍進は凄まじいものがあった。すでにスターとなった星野アクアというコネクションをきっかけに、世間の目に彼女が触れてからの伸びは半年前のアクアに迫るのではと思わされる程だった。
それでもアクアの飛躍はまだわかる。大手事務所のパイプやコネをフル活用し、各所に営業をかけ、あの実力と才能と美しさを知らしめたのなら、そりゃ売れるだろう。
けれどルビーの所属は苺プロのまま。もちろん大手ほどのパイプもなければ、営業もかけられない。なのにこの指数関数的伸び。この半年の成果はほとんどルビー1人の活躍によるものと言っていい。1割くらいは星野アクアだろうか。少なくともMEMちょと有馬かなはこの伸びに5%も関われてはいまい。
「スター、かぁ」
何の気なしに財布の中に手を伸ばす。手元にあるのは先日公開されたリバーシ・アイドル劇場版の半券とパンフレット。
「面白かったねぇ、コレ」
「悔しいけどね」
▼
劇場版『リバドル』。舞台はなんと海外、ハリウッド。冒頭、すでに日本でのアイドルとしての地位を確立させていた【sign】。グループとしての活動ももちろんあったが、メンバー個々の仕事も増えてきており、誰もがアイドルを卒業し、これからは一人一人がタレントとして活躍する時期に差し掛かりつつあった。
『オレもやっとお役御免かな』
【sign】の不動のセンターであり、中心人物。表では男子高校生。裏ではアイドルを2年に渡り務めてきた天才にして物語の主人公川原ルイ。幼馴染の茅野雫に巻き込まれてオーディションを女装して受け、合格してしまい、センターに抜擢され、なんやかんや引くに引けない状態になってしまった。
幸か不幸か。才能を持って生まれてしまったルイは事務所の無茶振りやライバル達との対立。業界の闇。様々な壁に立ち向かい、勝利を獲得し、アイドル界を駆け上がっていった。
『オレがいなくても、雫はもう大丈夫。他のメンバーも時期signを卒業する。みんなそれぞれの夢を追って、それぞれの道を歩き出す』
やっとここまできた。誰にも迷惑かけず、波風立てず、大衆から見ても不自然ないように、アイドル【ルイ】がステージから姿を消せる日が。
───雫がアイドルで無くなるのはいつかな……10年後?20年後?
そんなことを考えながら、フッと笑う。この2年、うんざりするほど隣にいた。オレの正体を唯一知るアイツに、色々やってもらった。庇ってもらった。守ってもらった。
【雫なんて、ルイにいつもおんぶに抱っこじゃない!私ならしない!貴方にばっかり負担をかけるようなこと。そんな秘密を押し付けるようなこと、私はしない!】
事務所の先輩。久遠カナタ。後にオレの正体を知ることになったもう一人。オレに好意を持ってくれた。オレの正体を秘密にしてくれた。大恩人。あの人からの告白を断った時に言われた言葉。確かに雫はデビューからずっとオレの隣にいた。どんな時も壁をぶち破るのはオレで、雫はついてきているだけ。側から見れば確かにそう見えたかもしれない。
でも違う。守られてたのも助けられてたのもオレだった。アイツがいたから、オレは私であれた。
いつからだろう?アイツがオレにとってただの幼馴染じゃなくなったのは。
笑ってしまう。アイドルを始めるまではただの幼馴染だった。きっとアイドルをやっていなければ、アイツは一生ただの幼馴染だっただろう。
アイドルをやっていたから、オレはアイツの凄さに気づけた。アイツの可愛さに気づけた。アイツを守ってるつもりで、守られていたのはいつもオレだったと気づかせてもらった。
───待つよ、雫
10年でも、20年でも、待つ。2年間、ずっと隣にいた。お前の声も想いも夢もこの2年で一生分聞いた。一生分見た。だから10年でも20年でも待てる。あいつがいつかアイドルじゃなくなって、誰かと恋愛しても誰にも文句言われない立場になって。その時、アイツがオレのことを忘れないでいてくれたら。
『ルイが好き。子供の頃から、ずっと』
オレが迎えにいった時、あの言葉を忘れないでいてくれたなら、その時は……
『やっと、辞められ───っ!?』
視界が急に暗転する。何がどうなってるのか。世界の上下左右が逆転する中、川原ルイが屈強な黒服達に拉致される。車に乗せられ、連れて来られた先はなんと超高級ホテル。
『い、いったい何がどうなって…!?』
目隠しを外され、目の前に現れたのは。
『【アフロディーテ】!?』
ハリウッドを拠点に活動する、業界に疎いルイすら知っている世界的エンターテイナー。誘拐の黒幕は彼女だった。
『ルイ・カワハラ』
『なんで、オレの名前知って……てゆーかオレ今変装してないのに』
『あなたは、私のプロデュースで世界デビューをしてもらう』
『は!?なんて!?英語わからん!通訳!エクスチェンジプリーズ!』
『あなたには今度の映画で、ヒロインを演じてもらうわ』
『はあ!?』
世界のマドンナにその才能を見初められ、弱みを握られたルイは彼女の元で1年間海外で活動することになってしまう。
1年後、ルイはすでに日本の枠を超えたスターになってしまっていた。
『この映画で絶対卒業しますからね!』
『ええ、構わないわ。そのための一年だったんですもの』
アフロディーテも出演するハリウッド大作の映画。そのヒロイン役のオーディションに参加する資格を得るため、ルイは1年間彼女の下で活動させられた。そしてその資格はなんとか得た。
『リムジン……何度乗っても慣れねぇ』
空港の出迎えに来た車の凄さに息が漏れる。流石はハリウッドの超大作。まだオーディションの時点のキャストへの対応がこれ。相当金と気合が入っている。
『オーディション会場は……もうメンバー大体集まってるか』
控え室に到着したルイはそのメンツを見て息を呑む。世界中の若手歌手から舞台女優まで錚々たる顔ぶれが揃っている。
───空気わりー…
無理もないが、ピリついてる。全員親の仇でも見るような目でこっちを見てくる。参加メンバーは全員がどこかで一度は見たような顔ぶれ。その真剣ともなれば殺気の圧は尋常じゃないだろう。
───でも、絶対勝つ
選ばれたヒロインは映画の主題歌も歌うことになっている。だからこの場にいる全員が歌もダンスも演技もできるメンツで揃っている。そしてオレが勝った場合、主題歌をオレだけでなく、signが担当できるようになっていた。
───これがオレの最後の仕事。そして今までの色んな人への恩返し
だから勝つ。誰が相手でも。
その決意を新たにしたところで、控え室の扉が開く。オーディションに参加する最後の一人が、現れた。
───え…
この時、ルイは日本での1年間の芸能界の動きをまるで把握していなかった。する余裕がなかったとも言える。この一年。国民的とまで呼べるようになっていた日本人のアイドルの存在など全く知らなかった。
扉の向こうから現れたのは、茅野雫。
『貴方に勝ちに来たよ、ルイ』
▼
「まさかあんな結末になるとはねー」
「絶対続編あるわね、あの終わり方なら」
公開して1ヶ月も経っていないのに興行収入20億を超えたのだ。続編をやらない手はない。二匹目のドジョウがいる可能性が高い時、大人の動きとはめちゃくちゃ早いものだ。
「日本映画賞、主演男優賞も納得だよねぇ」
「…………」
そう、アクアは日本映画賞にノミネートされていた。そして授賞はほぼ間違いないだろう。
近日、アクアはレッドカーペットに上がることになる。新人俳優賞の受賞者に名を連ねる黒川あかねと共に。
「ま、上を見たらキリがないよね。私たちは私たちでできることを頑張んなきゃ!今日の撮影どうする?ルビーは遅くなるって言ってたけど」
「待つしかないでしょ。あの子がでない企画、コメ欄荒れるんだから」
なんでもないような顔をしながら、握りしめた拳から力が抜けることはなかった。
▼
『日本映画賞主演男優賞は──【リバーシ・アイドル『re・birth』】星野アクアさん』
候補者席に座っていた男にスポットライトが充てられる。10代後半の少年が纏うにはあまりに不釣り合いな高級スーツ。けれど彼が纏ったのならまるでフォトグラフィックから抜け出してきたかのような美しさと着こなしを見せる。この男は俳優だけでなくモデルとしても活躍できるだろう。実際ファッション誌等で表紙を飾ったこともこの一年で一度や二度ではなかった。
───また獲ったか
拍手と共に壇上へと導かれながら、アクアは心の中で嘆息する。正直ここまでの賞を採るほどの意欲もやる気もなかった。目立てば目立つほど、地位が高くなればなるほど降りることが難しくなる。アクアは芸能界にそこまでやる気のある俳優ではない。この一年で金はもう充分稼いだ。今はやりたいことも夢も芸能界の外にある。出来ればすぐにでも辞めたいくらいだ。
それでもまだ辞めないのは。基本的に自分がやりたいことしかやらない男がこの狂気の世界にい続ける理由は、たった二つ。
罪を犯した何某かに罰を与えるため。そして自分が犯してしまった罪の罰をまっとうするため。
「ほら、アクアくん。笑顔笑顔」
いつのまにか賞の進行が進み、レッドカーペットに立っていた。拍手や歓声に答えながら、記者たちが集まり、各種インタビューに取りかかろうとしている。機械的に足を動かしていたアクアの隣に立っていたのは青みがかった黒髪の美少女。
星野アクアの公式彼女にして、映画賞で新人俳優賞を受賞した才能溢れる女優、黒川あかねだった。
「疲れてる?大丈夫?」
「大丈夫。ドレス似合うな、あかね」
「ありがとう。アクアくんも、スーツ素敵だよ」
柔和な笑みを浮かべながら、カメラに応えるアクアの姿は誰が見ても美しかったが、隣に立つあかねだけは、まるで霞がかった蜃気楼のように儚く、頼りなく、だからこそ美しく映った。
───アクアくんは、最近少し辛そうだ
今や飛ぶ鳥を落とす勢いのマルチタレントで。やることなすこと全て上手くいく最高の時間のはずなのに。よくできた作り物の笑顔の奥の辛さがあかねにはわかる。その程度は感じられるほどの才覚と彼への愛があった。
『昔はお兄ちゃん、もっと感情的っていうか。怒ったり動揺したりすることも多かったんだよ』
ルビーちゃんが言っていた。それはきっと、アイさんが亡くなる前。ただの子供でいられた星野アクアだった頃のこと。
お母さんの記憶がなくなって、幼少期に深く刻まれた傷に無理やり蓋をした。記憶とは人を形成する魂そのもの。それをなくして、自分が何者かもわからなくなって、空っぽの器に与えられたのが、『星野アクア』であれということ。
誰もが振り向く美貌、豊かな才能を生まれ持ち、才能を活かすための努力を重ね、人との交流を重ね、経験を重ねた。
周囲の人たちが理想とする。そうであると決めつけている。完璧で無敵な星野アクアを演じ続けた。弱さを他者に見せることなどもってのほか。怒りも、悲しみも、全て弱味になる。動揺を見せることなどあってはならない。全ての弱さを仮面で隠した。
作り上げられた仮面は立ち位置が高くなればなるほど、強固さを求められる。上に上がれば上がるほど期待値は高まる。完璧主義の完全主義者。手加減ができないアクアくんはどのステージでも求められれば全力で。培ってきた全てを使い、結果を掴み取った。取り続けてしまった。
───もう、限界が来てるのかもしれない
完璧で無敵な星野アクアでいることに。疲れてしまったのかもしれない。限界が来てるのかもしれない。背負った責任の重さに潰れそうになってるのかもしれない。
「星野さん、黒川さん、両名とも映画賞受賞おめでとうございます」
あかねとアクアにインタビューマイクが突きつけられる。投げかけられる質問に全て優等生な答えを返すアクアから、インタビューの対象があかねへ移った。
「世間を賑わす大人気カップルのお二人揃っての受賞となりました。今のあかねさんのお気持ちはいかがですか?」
「もちろんとても嬉しいです。彼と一緒にレッドカーペットに立てるなんて、本当に夢みたいで。実際何度も夢見たことでした。実現したことが信じられないです」
───でも、それでも
「でも、彼は唯一の主演男優賞。私は他にも何人も受賞者がいる新人賞。私達の立ち位置にはまだまだ差があります。私達が釣り合いの取れてないカップルだって言われてることも知ってます」
その言葉に取材記者も星野アクアも息を呑む。少し咎めの色が混ざった青い星の瞳と目が合う。パチンとウィンクを返し、軽く手で制した。
「だから、いつか必ず彼と同じ場所まで行きます。2年以内に彼の隣に、今度は表彰のステージ上で立って見せます」
誰にも私が彼に不釣り合いなんて言わせない。私だけが、アクアくんの隣に立てる。
アクアくんが背負っているものを、私が全部背負う。
そうすれば、アクアくんは芸能界を辞められる。芸能界を辞めれば、アクアくんが私に隠していることが露見する可能性もグッと低くなる。一般人に戻った人をいつまでも追いかけてられるほど芸能界は暇ではない。
こんな偽物の笑顔を貼り付けなくて良くなる。強くなんてなくてよくなる。些細なことに怒り、悲しみ、動揺する。そんなただの星野アクアになれる。
───私は、好きだから
どんなアクアくんだって好きだから。この人が弱さを抱えていることくらいとっくに知ってる。記憶に蓋をした、目の前で殺されたお母さんのことを思い出しそうになるたびに震えて、倒れて、涙してしまう。そんな当たり前の弱さを持ってる人だって知っている。
弱さも、醜さも、それを隠そうとする行為すら、全て愛しい。
これが愛でなくて、恋でなくて、他に何というのか。
「私だけが、星野アクアの彼女です」
カメラ、取材陣、星野アクア。全ての方向に向けられた真っ直ぐな星の輝きに、声を上げられるものは誰一人いなかった。
▼
インタビューを終えて、パーティ会場へと向かったあかねと違い、アクアはまだ取材陣に囲まれていた。大手所属の俳優は事務所とのコネを大事にしなければいけないし、新しくコネを作ろうとしてくる人を無碍にもできない。押し寄せる人波を、全て処理してからでなければ、自由に行動はできないのだ。
「あとでね、アクアくん」
ひと足先に、あかねはヒラっと手を振って、この場を後にする。大きく背中の空いたドレス姿を見送りながら、アクアはインタビューという名の事後処理を続けていた。
「申し訳ありませんが、そろそろ時間なので。主賓がいなければ始められませんし」
終わりの見えない作業にキレかけていたアクアを察したのか。辻倉さんが取材陣の間に割って入ってくれる。時間はまだパーティの後に取る、と約束し、ようやくアクアは解放された。
「ありがとうございます」
「いいから。貴方は早く会場に。この後会食もあるんだから、お腹いっぱいにはしないでよ」
「しませんよ」
表彰場のホールを抜け、パーティ会場へとつながる廊下を歩く。至る所に祝いの花束が添えられていた。
───ウチの事務所のは、やっぱデカいな
真っ先に視界に入った色とりどりの大花輪。デカデカと星野アクア様と書かれている看板は有難いと同時に少し恥ずかしい。まあこういうところで地味なマネはできないだろう。事務所の威信と見栄が掛かっている。
ついで、あかねのも目に入った。流石にウチよりは小さいが、それでも立派な花束だ。こういうのを見ると、あかねも出世したなと実感する。
───実際、強くなったし、綺麗になった。
元々実力はあった。けど実力だけでは売れないのがこの世界。キャスティングの人間に覚えをよくしてもらって、メイン級の仕事が取れて初めて売れたと言える。
今ガチが終わってから、あかねは変わった。
元々壇上に立てば、別人に変貌できる才能を持っていた。しかし舞台女優の弊害か。カメラを向けられた時の切り替えが下手だった。
けれど、あの時から。アイをトレースし、切り替えのやり方をオレから盗んでから、全てが変わった。
嘘を本当に見せることができて、初めて役者は一人前。
嘘を真実だと本気で大衆に思わせることができて。人を本気で騙すことができて、一流。
───どこまで上がっていくのか……ん?
劇団ララライの隣。オレへとあかねへ宛てられた祝いの花束。周りと比べて、より一層小さな花輪になぜか視線が吸い寄せられる。みんな明るく豪奢な色の花をたくさん集めているのに対し、その花輪は一色のみで染まっていた。
白い薔薇。オレへの花束の本数は10。そしてあかねへの本数は11。白薔薇の花言葉は束になると本数で変わる。1本では『一目惚れ』。8本で『感謝と尊敬』。
そして10本では───
『貴方は完璧』
11本では───
『大切にしたい宝物』
───……いったい誰が…
「あれ?アクアくん?」
声が届く。視線を上げると、予想通りあかねの姿があった。しかし、表情は予想通りではなかった。オレがここにいることが不思議そうな。頭にクエスチョンマークを浮かべているかのような顔だった。
「どうした?迎えに来てくれたのか?」
「うん、そうなんだけど……さっきパーティ会場で見かけたような気がしたから」
しかし、現実はまだアクアは廊下におり、ホールには一切踏み入れていなかった。
「人波に隠れてわかんなくなっちゃったけど、ホールから出ていく流れに乗ってたから、追いかけてきたんだけど……」
なんでアクアくん、廊下にいるの?
そんな声が聞こえた気がした。
同時に星野アクアの頭脳は素早く回転する。
───オレをホールで見かけた?だがオレはホールに一切踏み入れていない。つまりあかねが見たのは別人。けれどあの観察力の高いあかねが、一瞬とはいえ、オレと見間違えた……
そこまで考えた瞬間、アクアはホールの出口へ走り始めた。
「えっ、ちょっ、アクアくん!?待って!」
あかねの声を置き去りに出口へと走る。人混みの間をなんとか掻き分けて、外へと繋がる廊下へ出た。
───いない!
オレと似たような背格好の人物は見当たらなかった。そのまま外へと出る。授賞式が終わり、帰路へとつこうとするスーツの集団がタクシー待ちの列を作っている。
「あ、きみ!待ちたまえ。ちゃんと順番を……って、星野アクア!?」
静止を振り切って列へと走る。並んでいる人間を一気に視線で舐めた。
───金髪……
今まさにタクシーへと乗り込もうとする髪は、自分と妹とよく似た金色だった。
「クソッ」
追いかけようとした瞬間、タクシーが出てしまう。もう今から追跡するのは不可能だ。地団駄を踏んだ革靴が思いのほか大きな音を鳴らした。
「どうしたの、アクアくん。誰か知り合いでも──」
追いついてきたあかねが言葉を詰まらせる。この一年半、アクアと密に付き合ってきて、いろんな表情を見てきた。追い詰められてる顔だって知っている。
けれど、初めて見た。
あの時の、不知火フリルのような顔。
ずっと追い求め、探し求めていた何かを見つけたかのような。
何かに恋焦がれているかのような、歓喜と興奮と緊張が混ざった顔は。
───もしかして、今の人が…
背筋が震える。もしかしたら、自分は紙一重の死線に立っていたのかもしれない。
「───けど、なんで……」
独り言か。眉間に皺を寄せたアクアは疑問符を上らせていた。
「今日の授賞式に参加した人間の名簿、手に入れられるか…………それと……」
思考の海から上がってくる。ようやく追いかけてきたあかねと目があった。
「あかね。オレとお前に宛てられた、あの白薔薇の花束あっただろ」
「う、うん……印象的だったから覚えてるよ」
「あの花の贈り主、誰かわかるか?」
「多分……金田一さんが知ってるっぽかったから。ララライのOBだって」
「特定してくれ。頼む」
「──わかった」
背筋にまだ寒いものを感じながら、あかねは彼氏の頼みに頷きを返す。その時、なんとなくわかってしまった。
───清算の時が来た
アクアに命を助けてもらった借り。自分との付き合いで持っていた打算。私がアクアくんに何を頼まれたとしても断れない状況を保ち続けた理由。今まで一度も返済を求められず、ただ彼氏をやっていてくれた時間の終わり。いずれ必ずくるとわかっていた時が、ついに来た。
覚悟していた瞬間が訪れた時、あかねに去来した言葉はたった一つ。
───間に合わなかった
地雷原の野原にレールが敷かれた、薄氷の道の上のトロッコが、動き出した。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
ついに袖すり合いました。死神と星をなくした子。最もショボい爆弾の処理が始まります。ここからは原作とめちゃくちゃ変わると思います。矛盾も多分出ると思いますが、どうかお許しください。
以下本誌ネタバレ
良かった。キスはやっぱりさりなちゃんから迫った感じだった。解釈一致で一安心。拙作とのシンクロ率もまあ60%くらいはあったんじゃないでしょうか。さりなちゃんの可愛さは本誌の方が100万倍上でしたが。キスシーン先に描いていたので齟齬が小さくてよかったです。本誌最新話見るたびにドキドキします。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
miss take 13年間、その言葉を
かつては天使、今は死神
抑えられない欲は差し違いを招くだろう
天使にとっても死神にとっても
殺人における完全犯罪の方法は?
そう問われたなら、大きく分けて2通りだと答えるだろう。
一つは自らの手を汚さずに行うこと。
自分以外の誰かに、対象へ殺意を持たせ、方法を指導し、実行へ誘導する。心理学などで取り上げられるように、人間の行動パターンや思考パターンは定型化することができる。どう反応すれば相手がどのように返すか。どの感情を刺激すれば人は動くのか。もちろん当てはまらない人間だっているが、少数派だ。コツを知っていれば人を操ることは不可能ではない。
自分以外の、殺意持つ誰かに、対象を殺させる。この時、実行犯が自らの意思で行い、罪の意識も持っていることが重要になる。そして立件され、訴訟が始まり、罪人が罪を認めれば、その事件は解決となってしまう。
そうなった場合、殺人教唆をした人間に捜査の手が及ぶことはまずない。ナイフを使った殺人で、ナイフを売った人間は罪に問われない。問われるのは実行犯のみだ。
これがまず、殺人における第一の完全犯罪。
そしてもう一つの方法は、完璧な死体遺棄をすること。
いくら殺人を犯しても、死体が見つからなければ立件のしようがない。死体を完璧に遺棄することができれば、それは完全犯罪だ。
と、言葉にするのは簡単だが、完璧な死体遺棄など困難極まる。人一人を処分することの難しさは、毎日のニュースを見ていれば明らかだろう。
しかし、この困難な方法を、ほぼ完璧に行える場所が二つある。
一つは海だ。沖合まで船を出し、大海原のど真ん中に錘でもつけて捨てれば、死体が上がることはまずない。海の生物たちに食い荒らされ、残った破片は海の浄化作用によって消え失せる。よっぽど運が悪くない限り、目撃者だっていない。ほぼ完璧な死体遺棄の方法と言っていいだろう。
しかし、この方法は沖合まで出ることができる大型の船舶が必要だし、共犯者がいては意味がないため、大型船舶を動かす
ならばもう一つが死体遺棄におけるスタンダードになる。海に比べれば見つかる可能性は高いが、工夫次第で事故にも見せかけられる場所。
それは山だ。
地中深くに死体を埋める作業は重労働だが、特別な技術は必要なく、力と体力さえあれば誰にでもできる。そして万が一死体が見つかっても、山の動物たちが食い荒らし、死体が誰のものなのか、わからなくなる事だってある。
それに、もし死体が誰かが分かったとしても、殺人としての立件は困難でもある。
登山ではどのような事故が起こっても不思議ではないからだ。滑落。悪天候。遭難。死に繋がりうる事故は幾らでも可能性がある。
死因が刺殺だとなれば話は変わってくるが、打撲や骨折であれば事故か事件か、時間が経つほど判断は困難になる。
登山やワンダーフォーゲルは素晴らしい趣味ではあるが、同時に非常に危険を孕んだ趣味。故に集団で行うことや、山の麓で記帳などが勧められる。
しかし、諸事情から、それらができない人種も一定数存在する。
今日、登山に臨んでいる片寄ゆらもその一人である。
片寄ゆら。
長年第一線で活躍する人気女優。その才能は世間に大きく浸透しており、芸能界で成功を収めたと断言できる数少ない一握りの女性。
ドラマや映画はもちろん、雑誌の表紙。看板の広告。ありとあらゆる場面で起用されている。知名度だけなら星野ルビーはもちろん、あの星野アクアも及ばないかもしれない。
「私はね、もっと演技が上手くなって、もっと売れて、大人のジジョーに巻き込まれない役者になりたい!いい作品に出まくって、100年後も残るような名作の主演を張りたいの!」
この言葉を大言壮語に思わせない女優。現実になりうる才能を秘めた女優が、片寄ゆらだった。
それほどの超一流。登山における記帳で偽名を使うことも、同伴者を伴えないことも仕方がないことだろう。名前がバレれば騒ぎになるし、同伴者が男性で写真でも撮られたら致命傷になりかねない。
だからこそ、狙われた。才能があり、美しく、結果を出してきた価値ある女優。これからも大きな価値を生み出すであろう才能こそが、死神のターゲットだった。
「生きてますか?」
天気は快晴。山歩きには絶好の日和。小鳥が鳴き、小川のせせらぎが耳に心地良いその場所で、帽子を被った女性が地に臥す。その傍に立っているのは、太陽の光を眩しく反射する黄金の髪をバックに纏めた壮年の男。
「ああ、僕のせいだ」
少しずつ、男が近づく。頭を殴られ、うつ伏せになって倒れている女性の元へ、一歩ずつ近づいていく。
「こんなにも才能にあふれ、誰からも愛され、価値のある女優が、僕のせいでまた、命を失う」
それは彼にとってのハンティングトロフィー。得られた充足。それらを口に出す事で得られる快感。それこそが彼にとっての生きる意味。生きる価値。
「価値ある君の命を奪ってしまった僕の命に、重みを感じる」
それこそが、彼にとっての自身の命の価値。
「その一言が聞きたかった……13年間、ずっと」
倒れ伏した女性から、声が上がる。死の間際に発したかのようなか細い声ではない。ハッキリとした意識を伴った声。オールバックを崩し、女に手をかけようとした男の目が見開く。うつ伏せになった女であるはずの何かを確認しようとした、その時だった。
気がついたら、男の腕には鉄製の輪がかけられていた。腕を捻り上げ、膝を崩され、石の地面に叩きつけられる。オールバックを解いた男はパーテールポジションに無理矢理つかされ、あっという間に身動きが取れなくなる。
「カミキヒカル。殺人未遂の現行犯で逮捕する」
その一言を皮切りに、蜂の巣を突いたように屈強な男性たちが木陰から現れ、男の周囲を埋め尽くす。全員が警官であることを纏った制服が告げていた。
───いったい、何が…!?
現状を受け止めきれない男にさらに衝撃の事実が突きつけられる。確かに急所を殴りつけたはずの女が、なんでもないかのように立ち上がったのだ。フウというため息と同時に帽子を取り、ウィッグが外れる。防弾ヘルメットと一体になっているもので、ウィッグを外した青年は「痛たた」と殴りつけられた部位を抑えていた。
「防弾カツラっつっても衝撃は結構ちゃんと伝わるな。殺意のこもった一撃はやっぱり効くわ」
「…………君は」
「アンタにしては迂闊だったな。映画賞のパーティに出てきたのは」
背を向けていた女だった人が振り返る。組み伏せられた男と瓜二つの美貌を持つ若者が、己を殺そうとした男の前にしゃがみ込んだ。
「ま、理由はだいたい察しがつくけど。人間、欲は制御できないよな。わかるわかる」
「星野アクアか」
「初めまして。そしてさようなら、父さん」
最後まで読んで頂きありがとうございます。
今回めっちゃ短くてすみません。けど筆者のイメージではどうしてもここでメフィストが流れてしまった。まあ拙作のアクアは復讐とか望んでないし、あっさり解決したがってたから。あと筆者はグロいのとかエグいのとか苦手なので(少なくとも血とか臓物系は)。詳しい解決編は次話以降で。
以下本誌ネタバレ
相変わらず煽りに弱いな疫病神ちゃん。拙作でもめっちゃ煽りたくてワクワクです。出番まではあともう少しお待ちください。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
94th take 終わりが始まる
死神は星をなくした子の傍らから離れるだろう
偽りの真実に目を眩まされた蛇達は野に放たれる
たとえ笛吹男がいなくなろうとも
カミキヒカルの逮捕。この経緯に至るまでを説明するためには、少し時間を遡らなければならない。
「アクアくんっ」
授賞式の2日後。なんとか時間を作ったアクアとあかねはマンションで落ち合っていた。事務所が用意しているモノの一つ。フリルも持っていた緊急避難所。この一年でアクアも用意してもらえるだけの立場になっていた。
「手に入れられたか?」
「うん。ララライOBのリストだけ、なんとか」
USBが手渡される。保存してあるファイルには100名以上の名前が書かれているとあかねが説明した。
「ごめんね。これ以上の詳しいリストは流石に外に持ち出せなくて」
「東京人口1200万人から百数名程度まで絞れたんだ。充分だよ。ありがとう」
あの白薔薇の贈り主がララライのOBであることは間違いないらしい。ならこの中に必ずいるはずだ。
「──でも、あの花の贈り主がアクアくんの探し人だって決めつけるのはよくないんじゃ…」
「もちろんあるぞ。その可能性も。むしろそっちの方が高いくらいだ。このリストの中に母さんを殺したやつがいる可能性を数値にするなら、客観的に見てまあ10%いかないだろうな」
ノートパソコンを立ち上げながら、蜂蜜色の髪の青年はなんでもないことのように口にする。
「だったら──」
「けど1%でも可能性があるなら調べ尽くす。完璧なゼロになるまで、このリスト上の人間を徹底的に洗う」
客観的に見て、この中に黒幕がいる確率は10%以下。白薔薇の贈り主と黒幕が同一人物である可能性を加味するならもっと低い。けれどそれは手持ちの情報が少ないというだけのこと。今までは1%の手がかりすらなかった。しかしようやくとっかかりを掴めた。獲物が爪の先にかかったなら、残り90%を埋めるのはそう難しくない。
「…………アクアくん」
挿そうとしていたUSBをあかねが抜き取る。そのまま胸にギュッと抱きかかえた。意図を図りかね、アクアが疑問符を上らせる。答えはすぐにわかった。
「隠し事が悪いなんて言わない。私のことを思って黙ってくれてるのも知ってる。けど、これは答えてほしい。このデータを渡すのは、アクアくんの答え次第」
「なに?」
「アクアくんのお母さんは、アイさんなんだね?」
確信のある質問。一瞬みじろぎしたが、星の瞳の少年に動揺は少なかった。10秒ほど無言の時間が続いた後、認めるように目を閉じる。嘘をつかれなかったことの安堵に、恋人は大きく息を吐いた。
「父親について、アクアくんが今のところ掴んでる情報は?」
「姫川さんがオレと異母兄弟ってことぐらい」
「…………姫川さんのお父さんって、確か──」
「母親と無理心中したらしいけど、別にそれはなんの証拠にもならない。抜け道はいくらでもある」
黙り込む。あかねも言ってる途中で気づいたことだった。
「なら優先的に探すのは、まあ40歳以上のおじさんだよね。17歳の父親っていうならさ」
胸元に抱えていたUSBをPCに挿し、ファイルを開く。年齢順で整理されており、見る者に優しいファイルだった。
「まあ。そうかもな」
「絶対そうだよ!若い役者さんを囲うならお金と権力がある程度ないとできないし!ほら、この人なんて絶対あり得ないよ!姫川さんの父親って考えるなら当時11歳だもん」
「はは。確かにそれはすげぇ話だな。てことは初体験最年長で11歳か。オレでも中学超えてからだったぞ」
「───アクアくん?」
「…………なんでもないです」
怖い笑顔が彼女から向けられ、両手を上げる。確かに余計な一言だった。
「50歩100歩って言葉知ってる?」
「聞いたことはある」
「もう。まあ、私も強く言えないかもだけど。高校生は充分早い部類だもんね」
「そうか?今時三人に一人はしてるって聞くけど」
「少なくとも私の倫理の中では早いよ」
「そういえばあかねもお嬢様だったな」
「家族に嘘ついて男の人と外泊もしたことあるし、ピアスも開けちゃった。私もすっかり不良少女になっちゃった。アクアくんのせいだね」
「あかねは今の自分、嫌い?」
「嫌いじゃないから、ムカつく」
あかねからUSBを受け取る。少し話し合いや推理の検証は行われた後、あかねのためにタクシーを呼んだ。
「また何か分かったら連絡するね」
「ああ、ありがとう。それとあかね、コレ」
握った手を差し出される。疑問符を浮かべながら手を広げると、一枚の硬貨が落ちてきた。
「ちょっと早いけど、クリスマスプレゼント」
「…………なにこれ?500円玉?」
「──に見せかけたGPS」
思わず取り落としそうになる。動揺するあかねを支えるように抱きしめ、手を握った。
「事務所のコネで作らせた。オレも持ってる。というかウチは所属タレント全員持ってるんだけど」
「ど、どうしたのコレ」
「まあ誘拐とかされた時の護身用だな。あかねもこれからは小型スタンガンくらい持っといた方がいいぞ」
握った手が開く。硬貨らしきものを再びアクアが手に取った。
「位置情報がこのアプリに送られるようになってる。あとでURL送るからあかねもダウンロードしておいてくれ。ヤバい時はここを3回叩けばアプリのアラームが鳴る」
「なんで、こんなモノ……」
「ここからは良くも悪くも黒幕に近づくことになる。用心するに越したことはない。できるだけサイフに入れておいてくれ。オレも別に積極的には見ないけど、位置知られたくない時は、自宅にでも置いておいてくれればいいから」
「…………分かった」
スマホを取り出し、すぐにアプリをダウンロードする。諸々の登録を済ませると、アクアの携帯にも、あかねの携帯にも、お互いの位置情報が表示されるようになっていた。
「アクアくん、最後に一つ、聞いていい?」
「答える保証はしないが、どうぞ」
「そんなに急ぐ理由は何?」
「………………」
あのパーティ以来、アクアは明らかに焦っていた。今までも悠長にしていたとまでは言わないが、特別焦ってもいなかった。正直アクアが本気で調べようと思えば半年前の時点で容疑者を絞るくらいはできたはずだ。
それなのに。今まで急いでいなかったのに、あのパーティから急に急ぎ始めた。焦りは視野を狭め、危機に鈍感になる。アクアの身を危険に晒しかねない。あかねは心から愛しく思う彼氏を心配していた。
それは、星の瞳の少年も同じだった。
「あかねが危険だからだ。オレの推理が正しければ、ヤツが映画賞に来たのは、恐らく品定めだ」
「品定め?」
「あくまでも推理だけどな」
この13年で重ねたアクアなりのプロファイル。自身との共通点。それは彼も才能ある女性を好むという事。具体的なデータは姫川愛莉と星野アイの二人だけだが、趣味嗜好など、二人もいれば充分わかる。
「映画賞に出てたのも、あかねに花束を送ってたのも、おそらく青田買いだろう。映画賞をとれるほどの有望なララライ俳優と繋がりを作り、実際に目にしたかった」
11本の白薔薇の花言葉。『大切にしたい宝物』。一見良い意味にしか取れないが、【大切にする】という言葉の意味は人によって大きく変わる。慈しむことだけが【大切にする】という事ではない。
自分以外の誰の手にも渡らないよう、手を血に染める事だって、人によっては【大切にする】という意味になってしまう。
あかねは黒幕の標的になりうる。それだけの美しさと才能を持っていた。
「あかね、くれぐれも無茶はするなよ。移動する時はできるだけタクシー使ったり、マネージャーに迎えにきてもらえ。単独行動はできるだけするな。どうしても必要な時はオレを呼べ。いつでも必ず駆けつける」
「アクアくんも。無茶はしないでね。死ぬ時は私たち二人一緒にだよ。私を一人残したりしたら、許さないから」
最後に一度、強く抱きしめ合い、キスをする。タクシーはすでにマンションの前に来ていた。
───あかね
───アクアくん
一人になった時、二人の中で同じ言葉が湧き上がる。
ごめん、嘘ついた
そう。アクアも、あかねも、お互いに嘘をついていた。
アクアの嘘はパーティの名簿が手に入れられなかったということ。
あかねの嘘はOBのリストしか手に入れられなかったということ。
アクアは大手事務所の権力とコネ。そして主演男優賞受賞者の立場を使い、硬軟織り交ぜた交渉で、出席者名簿を手に入れていた。
あかねはララライ身内にしか見ることができない稽古確認の非公開リストの中に白薔薇の贈り主がいることを金田一から聞いていた。
あかねからもらったOBリストと手に入れた名簿を照らし合わせ、共通する名前を見つけ出すのは、文明の利器を使えば一瞬だった。
あかねの嘘は非公開の稽古映像を見たこと。その時、気づいてしまった。今まで確認した状況証拠と演技法。白薔薇の共通点。そして、才能。あかねが再現したアイの感情を以てすれば。
そして、最愛の彼氏と瓜二つの顔を見てしまえば、特定に至るまでそう時間はかからなかった。
【カミキヒカル】
二人がこの名前に辿り着いたのは若干あかねが先だったが、1日程度なら誤差の範囲。ほぼ同時と言ってしまっていいだろう。
つまり、捜査の段階。スタートラインはほぼ同じだった。
そして、自分たちが持っている情報をすべて明かして仕舞えば、特定にはすぐ至るだろうことも二人ともわかっていた。
だから嘘をついた。黒幕に辿り着くまで時間がかかるようするために。お互いが持っている情報を完全に共有はしなかった。
全ては、恋人よりも早く黒幕に辿り着くために。
───これ以上、あかねを危険に晒す訳にはいかない。相手は自分の身を守るためなら手を血で染めるのも厭わない人物だ。対策はさせたが、絶対じゃない
───アクアくんは、今のところ復讐なんてする気はなさそうだけど、実際に対面した時、どうなるかなんて誰にもわからない。感情が理性を追い越して、直接的な行動に出てしまうかもしれない
そんな事はさせない
この件は、自分だけでどうにかする
この結論に至ってしまったのは、二人の能力があまりに高すぎた故の傲慢だったのかもしれない。
しかし、現時点で二人ともまだ推理の段階。外れている可能性も大いにある。客観的に見て、確率は10%以下。これはアクアの本音だった。
だが、名前の特定が出来てしまえば、残りの90%を埋めるのはさして難しくなかった。
二人ともそれぞれの手法で行う情報収集。どちらが先にゴールへ辿り着くか。水面下での勝負が始まる。
スタートラインは同じ。お互いの能力も、推理力も、洞察力もほぼ同等。しかし、カミキヒカルの逮捕までこぎつけたのは、アクアの方が先だった。
理由はいくつかある。一つは最悪の想定の差。
あかねはアクアが自分に嘘をついているとは思っていなかった。最大の隠し事は母親がアイであるということ。それ以上の隠し事などないと思っていた。故にアクアが名簿を手に入れていない、と思っているあかねは、アクアがカミキヒカルに辿り着くのはまだ先だと判断した。
しかし、アクアはあかねが嘘をつくことを読んでいた。というか気づいていた。リストを開いて、「対象は40歳以上だ」と言い出した時から、嘘をついていると気づいていた。あいつは芝居じゃなく嘘をつく時、いつも饒舌になる。その舌の根に蹲ってる秘め事を隠すために。
最悪の場合、あかねが【カミキヒカル】側に付いている可能性まで考えていた。これはあかねを信じていなかったというわけではない。むしろ逆。信じているからこそ疑いの対象から真っ先に排除したかった。信じるという言葉は疑いが前提にある。疑い、その嫌疑を晴らすことができてこそ、信じると言える。
だから自分の捜査を進めるのと同時に、あかねの足跡も調べていた。あかねがカミキについて調べ始めたのはここ最近の短期間。あかねは自分と違い、12年以上演技にのみ打ち込んできた芸能活動だ。捜索範囲も情報収集の対象もかなり限定されている。金とコネをフルに使えば、調べるのはそんなに難しくはなかった。
その段階であかねがガチで捜査していることもわかり、カミキ側に付いている可能性は消える。そしてあかねが得た情報と自身が得た情報を照らし合わせる事で、捜査の速度と精度も上がる。
そして最大の理由。それは培ってきた時間の差。
先も述べたが、あかねがカミキについて調べ始めたのはここ最近の短期間。捜索範囲も情報収集の対象もアクアに比べればかなり限定されている。
それに比べ、アクアは曲がりなりにも13年、父親探しをやっていた。最初の動機は自分のことや、なくしてしまったアイの記憶を補填するためだった。今ほど必死ではなかったが、それでも何年にもわたって探していた。人と接し、コミュニケーションの輪を広げ、夜の街や歓楽街にも根を張り、いつでも情報を吸い出せる下地を13年かけて作り上げていた。
そう、一応行方不明だった、斎藤壱護にたどり着いた時のように。顔と名前がわかって仕舞えば、この狭い東京で誰がどこにいるか、すぐにわかる程度には、アクアの巣は広がっていた。
「ジュニア。来たわよ、例の男。女の人と一緒に」
芸能関係者がよく使う店にアクアが配った多くの手配書。その中から複数のヒットが届くのに時間はかからなかった。芸能界に一歩でも足を踏み入れれば、東京という街は極端に狭くなる。
───目撃証言が一番多いのは鏑木Pから教わったヤサか……やっぱりこういうのは変わらないし、変えられないモノだな
一緒にいる女も名前は偽名くさかったが、顔は分かった。女優やアイドルなら顔さえ分かれば名前もすぐに分かる。特にカミキが関係を持っているのは既に売れてる芸能関係者。平たく言ってしまえば才能ある女だったから、わかりやすかった。どうやら複数同時に進めてるらしい。
複数の女性と関係を持っているのも、才能ある女性が好みなのも共通してるが、こうと決めたら一人に決め打ちして落としにかかるアクアとは少し女の口説き方は違うようだ。
───中でも、一番ヤバそうなのは、彼女か。
リストアップされた中で、最も命の危険がありそうな女性にマークが入る。片寄ゆら。今や日本を代表する女優の一人。そして最近では山歩きがブームらしく、SNSには多くの写真や動画がアップされている。
───死体を遺棄するならどこにする?尋ねられたとしたら、オレなら海か山と答えるだろう。
そして黒幕も同じ答えに至るはず。時間がないと判断したアクアは事務所のコネをフル活用した。
「こんばんは、ゆらさん」
「あ。シノくん!ちょっとぶり。今日もかっこ可愛いね」
「ゆらさんも相変わらずお綺麗で。お忍びルック見るのも久々ですね。帽子もメガネも超似合ってます」
既にドラマで共演経験があった片寄ゆらとコンタクトを取ることは容易で、二人はプライベートで飲む機会を増やす。
「やっぱりゆらさん、お酒強いですね」
「ふふん。日本酒には美白効果があるんだよ」
「なるほど。道理で今でも高校生役ができるはずだ」
「もー、やめてよシノくん。アレ結構恥ずかしかったんだから」
「照れてるゆらさん可愛い。いつも凛として綺麗だから見落としそうになるけど、本当はお茶目で、すごく可愛い人」
「もうっ!そんなことばっかり言ってるとおばさん本気にするよ!」
「本気にしてくれないと困ります」
「───っ!!」
「あ、でもやっぱり本気になられても困るかも。ゆらさんに本気で好かれたら、オレなんてすぐ骨抜きにされるでしょうし」
「もーっ!!今晩時間ある?バ○アン行くよ!」
13年かけて培ってきた女たらしスキルを短期間で遺憾なく発揮。カミキヒカルより後からスタートした片寄ゆらの攻略だったが、複数同時に接するカミキの進捗はどうしても遅い。こうと決めたら決め打ちして落としにかかるアクアと速度の差が出るのは当然。追い抜くのはそんなに難しい事ではなかった。
そしてアクアは、欲しかった情報に辿り着く。
「この予定、誰かに教えたりしましたか?」
「えっと、確かミキさんに…」
「ゆらさん。一つお願いがあります」
罠を仕掛ける当日。アクアは今ガチの際に繋がりを持った警察に連絡し、自分を見張ってもらうように頼む。芸能プロダクション社長の不祥事の可能性があるとタレコむと、警察は5、6名を連れて見張りをしてくれた。
ゆらに頼み、借りた山歩きの衣装を纏う。頭には防弾用のカツラ。服の下には防刃ベストを着けて。片寄ゆらに扮したアクアはわざと人気の少ない登山コースを選んだ。
そして来る、運命の時。
衝撃が世界を揺らす。岩の上に倒れたのは演技ではなかった。死にはしていないが、頭部の衝撃はアクアに多大なダメージを与えた。グラグラと揺れる世界は油断すれば意識を失いそうにさせる。なんとか唇を食いしばり、痛みで意識を繋ぎ止めた。
「価値ある君の命を奪ってしまった僕の命に、重みを感じる」
勝利を確信した男の油断。歪んだ愛情と快感が鼓膜を揺らした時、アクアは拳を握り込んだ。
「その一言が聞きたかった……13年間、ずっと」
これが初めての犯行ではないという言動。余罪も追求することができる下地。自白という形で取れた。たくさんの警官を証人にして。この一言が聞きたかった。ただの殺人未遂だけで捕まえたくはなかった。だからわざわざ殴られ、死んだ演技までやったのだ。
立ち上がった時、カミキヒカルは既に組み伏せられ、手錠をかけられていた。これ以上危険はないと知ったアクアはウィッグを取り、男の前にしゃがみ込んだ。
「星野アクアか」
「初めまして。そしてさようなら、父さん」
▼
「なるほど、僕はまんまと嵌められた訳だ」
後ろでに手錠をはめられた状態でカミキヒカルが立ち上がる。見下ろすように立ち尽くすのは星野アクア。瓜二つの容姿の二人が対峙する姿は、他者の目には少し気味が悪かった。
「宮崎で僕の警告は受け取っていたと思ったんだけどね」
「アレも余計だったな。アレがなければオレもここまで急ぎはしなかったかもしれないのに」
生殺与奪の権を握っているのは自分だと告げるような警告。アレはアクアに恐れよりも焦りを生み出させた。
「君は僕への復讐なんて、考えていないと思っていたんだけど」
「考えてないよ、今でも。アンタと関わり持たなくていいなら、それが一番だと思ってた」
これは嘘ではない。アクアの本音だ。関わらずに生きられるのなら、それが一番だと思っていた。
「関わってきたのはアンタだ」
関わってきた。脅してきた。おびやかしにきた。いつ実行犯に回ってもおかしくなかった。だから動いた。自衛のため。何より大切な人たちを守るために。動かざるを得なかった。関わらざるを得なかった。その結果が今日だ。
「なるほど。思ったより君は臆病で攻撃的だったか。でも、迂闊だったね」
両手を拘束されながら、自らを嵌めた息子を見上げる。その目には怒りも憎しみもなかったが、故に気味が悪かった。
「僕なら殺人未遂じゃなく、既遂の現行犯で逮捕したよ。未遂と既遂じゃ罪の重さはまるで違う。確かに余罪があるようなことを言ってしまったのは事実だけど、疑わしきは罰しないのがこの国の法律だ。最悪君は僕をこの殺人未遂でしか立件できない。そうなったら、君たちの安全が保証されたとはとても言えないと思うけど?」
そう。2010年に刑事訴訟法が改正され、殺人罪に時効はなくなった。が、流石に時間が経ち過ぎた。アマミヤゴロウの殺しも実行犯でないのなら、もはや証拠はほぼ残っていないだろう。立件は難しい。他の殺人罪についても、100%立件できるかと言われれば、それは不明だ。となると最悪今回の殺人未遂しか罪状は問えないかもしれない。殺人未遂の量刑はおおよそ5年から15年。殺意がある事は言質が証拠として取れているため、確実に罪には問えるだろうが、それでも最悪懲役5年で終わってしまうかもしれない。
「よかった」
怒るか、焦るか。少なくとも動揺するかと思っていたカミキだったが、自分の指摘を受けても星の瞳の少年は何一つ動揺せず、穏やかに笑みを浮かべた。
「何がおかしい」
「アンタとオレは違うってことがわかったから」
この殺人未遂しか立件できないかもしれない可能性についても、常に最悪を想定するアクアは当然読んでいた。読んだ上で、今回の手段をとった。
「アンタにはわからないかもしれないけど、誰かに傷つけられるのも、傷つける側に回るのもゴメンなんだよ。オレは」
基本アクアは関係が薄い人に関しては冷酷だ。大切な人を守りたい。そのためならそうでない人はいくらでも利用はできる。
だが、それでも。直接的に誰かを傷つけたことは一度もなかった。自分以外の誰かが怪我をすることさえ嫌だった。見たくなかった。
確かに今回カミキを殺人未遂ではなく、既遂で逮捕する事はできた。片寄ゆらを犠牲にすれば、可能だった。殺人罪は一人殺せば懲役10〜15年。悪質なら一発で無期懲役や死刑もあり得る。確かに未遂とは量刑のレベルが違う。
だが、そのために片寄ゆらを見殺しにする事は、アクアにとっては共犯も同然の行為だった。
───オレに、それはできない
カミキとアクアの、趣味嗜好は似ている。2人とも才能ある人が好きで、その光を自分のものにしたがる性癖を持っている。
けれど、決定的に違う。自分のものにするというベクトル。大切にしたいという花言葉の意味。アクアとカミキには、決定的な違いがあった。それが分かったことが、星をなくした子は嬉しかった。
「ありがとう。アンタのおかげで、オレはアンタと違うと思うことができた」
その一言が聞けたことに、心から感謝はする。しかしだからと言ってこの男が許せるかはまた別の話。この男の罪を殺人未遂一つだけで終わらせるわけにはいかない。
「だから、映画を撮るよ」
「映画?」
「そう、映画。アンタの半生を綴った映画。事実をもとにした、アンタとアイを主軸に据えた映画。アンタの被害も加害も、全てを記した映画を撮る」
調べられる限り全てを調べ、証拠を揃え、過去を明らかにする。創作も当然入るだろうが、8〜9割は事実となる映画を撮る。
「誰もが知ることになる映画。興行収入は年間を超えて通算クラスでトップを叩き出し、動員数も過去最高にしてみせる。トップニュースで話題になり、社会現象を巻き起こし、ブルーレイも出して、地上波でも放送される。日本全国民。最高のキャスト。最高の脚本。最高の音楽を揃えて。若い世代だけじゃない。数世代に渡って観られる。主題歌も数多の音楽シーンでグランプリを授賞する。そんな映画を撮ってみせる」
主演は当然オレが務める。他のキャストも、オレが考えうる最高の布陣を用意する。
主題歌もオレが歌う。今のオレならグローバルチャートで一位を長期間に渡って独占することだってできる。作詞作曲も基本はオレがするが、ハルさんとナナさんの才能も頼ろう。
脚本家はアビ子先生や吉祥寺先生にも協力してもらおう。オレがプロットを立てて、演出や魅せ方はアビ子先生たちの才能を借りる。
オレがこの13年で培ってきたもの。自身の努力。技術。スペック。築き上げてきた人脈。コネクション。移籍した大手事務所の力。全て使う。全てを駆使する。妥協は一切許さない。100年後にも残るような傑作を作ってみせる。
「アンタを、この国で生きていけなくする」
そんな映画を、撮ってみせる。
「実名でやれたらそれがベストだが、流石にそこまではできないかもしれない。だけどこの国の暇を持て余したSNSの住人たち。特に特定班は優秀だ。状況証拠を揃えれば少年Aが誰かくらい、突き止めるだろう。アンタの過去の罪も、警察ではなく、一億二千万の国民が明らかにしてくれる。そうなった時、たとえ公的に罪として裁かれなくても、もうアンタに居場所はなくなる。少なくとも日本には」
その方が死刑より辛いかもしれない。世間に爪弾きにされ、働く場所も、住む家にさえ難儀する生活。常に後ろ指を指され、人の目を気にして、肩身を狭くして生きる。そんな生活の方が、死刑より辛いかもしれない。
「そして、その作品を最後に、オレは芸能界から姿を消すよ」
青ざめていた男の目が、剥き出しになる。それほど今アクアが口にした事は衝撃的だった。その映画を撮ることができれば、アクアは芸能界を引退すると言ったのだ。
「そんなに驚くことじゃないだろう。オレが芸能界に興味ないことも、演技が好きじゃないことも、知ってるだろう?」
そう。それはアクアと親しい人間ならば、誰もが知っていること。しかしだからと言ってそう簡単に手放せるかは別の話。
13年もの間、血の滲むような努力をしてきた。13年間、この美しくも醜い場所で戦い続けた。男娼じみたことだって、何度もしている。13年。13年もかけてようやく辿り着いた芸能界の頂点。金も地位も権力も女も、もはやアクアが望めば大抵のものは手に入る。常人なら手放せない。たとえ好きじゃなくても、目の前の利益に釣られ、切り捨てることなどできない。
だが、この男は残念ながら、それができる。できてしまう。
星野アクアが芸能界にいる理由は二つ。
一つはこの男の罪を裁くため。それはおそらく今言った映画が撮れれば達成されるだろう。
もう一つは自身が犯した罪の罰を果たすため。
この2年でもう成人男性の生涯賃金程度は稼いだ。今のオレなら、あと一年でもう一人分くらいの生涯賃金は稼げるだろう。その全てをフリルに渡す。絆を育てるため、そしてフリルが不自由なく生きていくために全額を費やす。それがオレのできるフリルと絆への償い。
事務所への義理も果たした。オレはフリルがいなくなったデカい穴を埋めるための人柱。この一年でその穴埋めは充分に勤め切った。不知火フリルも遠くないうちに芸能界へ復帰する。オレがあの事務所に属する意味も意義もない。
あかねに関しては、どうなるだろうか。オレが俳優でなくなったら、あかねはオレから離れるだろうか。それでもいい。そこからはただの星野アクアの話だ。マルチタレント星野アクアには関係ない。
そう。オレはやっとなれるのだ。ただの星野アクアに。誰からも愛される必要なんてない。少なくとも名前も顔も知らない人達の前で、仮面をつける必要はなくなる。
ずっと望んでいたものに、オレはようやくなれるのだ。
「アンタの裁判が終わり、実刑が下されるまで5年?10年?よく知らねーが、それまでには全てに決着が着いている。アンタがシャバに出てくる時、オレはもう舞台から降りている。それでもオレを狙うなら好きにしろ」
半回転して背を向ける。もうこれ以上コイツと話す事はない。カミキヒカルも、警察官に連れられ、パトカーの中へと押し込められた。
───とりあえず、終わったか
カミキがいなくなり、ようやく背筋から力を抜くことができる。いつ襲い掛かられても良いように身構えていた身体から緊張が解けた。
───いや、まあ大変なのはこれからなんだが
映画を撮る。口にするのは簡単だが、実際動くとなると途方もない時間と金を必要とする。企画作って、Pに渡して、監督に話つけて、と。幸いコネはあるし、メドは立っているが、それでもこれからやらなければいけないことを考えるだけで気が遠くなる。
───それに、今日一日オフにするために結構無茶したからなぁ。あと、防弾メット越しとはいえ、頭殴られたから一応病院にも行っときたいし。今回のこと、事務所に報告しないわけにもいかないし。ああ、マジで気が遠く……あれ?
急にぐらりと視界が揺れる。比喩でなく気が遠くなり始めた。それも当然と言えば当然。あのパーティからずっと、普段のスケジュールをこなしながらカミキヒカルを追っていた。ただでさえ睡眠時間なんて碌に取れていないのに、ここ数日はほとんど眠っていない。加えて防弾ヘルム越しとはいえ、頭という急所を、文字通り人を殺す勢いで殴られている。心身ともにダメージはもはや限界を超えていた。そしてカミキがパトカーに連れ去られたことで、張り詰めさせていた緊張の糸が切れた。
前のめりに倒れる。薄れゆく意識の中で、万が一の時のためにあらかじめ呼んでいた救急隊員に抱きかかえられた事だけは、なんとなく分かった。
▼
「おめでとう、星野アクア」
救急車に運び込まれる蜂蜜色の髪の美少年を遠くから見守りながら白い少女が息を吐く。
「キミなら成し遂げるだろうと思ってた。本当に流石だよ。こんなに早く、的確にやり遂げるなんて、神様にも想像できなかった」
けれど、これが本当に好手だったかは、まだわからない。
「消えてしまった魂ならこれが最善だったんだと思う。彼は復讐に向いてる人じゃなかったから。一刻も早く決着をつけて、彼は彼の幸せを望むべきだった」
けれど、キミは違う。
「キミなら、復讐の道を選んでもうまくやれた。もっと冷徹に振る舞って、恋人も、家族も、妹も、かつて好きだった人も、血を分けた我が子も。全て突き放して、切り捨てて、みんなに嫌われたとしても、新しい人生の先で、幸せを掴めた」
でも、それはもうできない。恋人も、家族も、妹も、かつて好きだった人も、血を分けた我が子も。全てを諦めず、切り捨てず、みんなに愛されてしまった。愛で雁字搦めになったまま、一つ目の鎖を破壊してしまった。
「残る鎖は今回みたいに簡単に破壊できない。残っている鎖には、全部君への愛が詰まってる。半身に天使の血を宿すキミに、これからの鎖はきっと壊せないだろうね」
故に鎖を壊すのは。壊せるのは、キミ以外の誰かになる。キミのように全てを愛せる人じゃない。自分を愛していて、何よりキミを愛していて。他のことなんてどうでもいいと思っている誰か。全てを救う力も才能も持っていない誰か。
キミ以外の、誰かになる。
「ここから先は、神様にもわからない物語」
どうなるのか。薄氷の道を。母親と同じ道を辿るのか。死神になりうるのは本当にカミキヒカルだけなのか。それとも……
壊した鎖を愛していた人が、死神になってしまうか。
「楽しみにしてるよ。本当に。君は、私の推しだから」
カラスの羽が、救急車の中に舞い落ちた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
推理および捜査編終了です。いかがだったでしょうか。ストーリーに無理のない範囲で上手く纏められたと思ってます。無事映画を撮る理由にも繋げられましたし。ここから一番しょぼい爆弾の後処理が始まると同時に他の爆弾たちの導火線に火がつき始めます。果たして薄氷の道は耐えられるのでしょうか。筆者すらわかってません。キャラたちに取材を重ねながら、イメージをLIVEで描写していきますので、皆様、筆者と一緒に観劇してください。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
95th take あなたなしに生きていけない
先頭を歩く笛吹男は培った全てで蛇達を動かすだろう
けれど忘れてはならない
その蛇達の心は貴方が奪っていることに
神様は優しくて、残酷だ。
彼の魂が天に昇ってしまい、本来あるはずだったかもしれない魂が吹き込まれた時、私は迷いなくそう思った。
真に母親を得られなかった二人の子供に母を与えておいて、一人はそのままにして、一人からは再び奪った。それは両方から奪うより残酷なことだったかもしれない。
新たに現れた魂も哀れだと思った。子供にとって最も大切な母親の記憶。そして心残りを果たすために残されたはずの前世の記憶。それら全てが消し飛んでしまった。彼は星野アクアであって、星野アクアではない。私はそう感じてしまったし、そしてそれはあの聡明な彼も同じだったと思う。
だから、できる限りのことをした。
あの場所に彼を導き、そして魂の残骸に触れることで、彼を星野アクアという呪縛から解き放ってあげたかった。
それが最善だと、ずっと思っていた。13年前は。
───凄い
13年間、彼のことを見守ってきた。だからわかる。彼はいつも懸命に、妥協なく、全力で生きていた。いつ自分が消えてしまうかわからない恐怖を背負いながら、凛として、胸を張って、完璧で究極な星野アクアであり続けてみせた。
消えてしまった魂とは違う。真に生まれたての子供だったからこそ、持ってしまった使命感と責任感。妹の希望であり、妹の目標であり、そして強い兄であるために、彼は13年間。授かった才能と努力を駆使して進み続けた。
───まあ、あまりに進み過ぎて、ちょっと事故も起こしたけど
それも仕方がない。彼は子供だ。失敗も事故もするだろう。その後も父親のようなことはしていない。なら私としては合格だ。
───それでも、宮崎では一応試してみたけど。
その結果がどうなろうと、もう私にはどっちでも良かった。天に昇った魂と新たに生まれた魂は結構よく似てたから。
ホントは弱いくせに、強がって。ホントは人一倍ナイーブなくせにそれでもあえて茨の道を選んで。しっかり傷ついて。傷つけて。それでも最後には前を向いた。この二人はよく似ていた。だからこそあの魂は同じ身体にあれたのかもしれない。
「ホント、生意気でかわいいよ。君たち3人は」
病室で妹と寄り添い合う彼を見ながら、白い少女は慈愛の息を吐いた。
▼
──寝てたのか、オレは
意識が浮上していくのを感じながら、夢を見ていた気がすると自覚する。時折眠りながら夢を見てたと分かる時がある。夢の内容は空想なことも思い出のリプレイなこともある。そして今回は思い出せないタイプの夢だった。
───……あ
目が覚めると自分でわかる。意識が促す覚醒に特に抵抗することもなく目を開けた。真っ白な天井。殺風景な部屋。13年前の記憶がフラッシュバックする。あの幼い日。僕がオレになってしまったあの時も、天井はこんな無機質な白だった。
あの日から毎朝繰り返してきた確認。いつ消えるかわからない恐怖から少しでも逃れるため、頭の中だけで、喉を使わず、鼓膜を震わせず、声を出す。
───あくあ、アクア。そう、オレの名前は……
「アクア!!」
「おにいちゃん!!」
「アクアくん!」
瞼だけを開き、まだ現実に戻っていなかった意識が強制的に戻される。無機質な光の下に家族と恋人が来ていることに、ようやく気づいた。
「アクア!」
いつも施している最低限の化粧すらせず、血相を変えている妙齢の美女
───ミヤコ
「おにいちゃん!」
まるで迷子になった子供のような顔でオレの首へと縋りつく少女。
───ルビー
「アクアくん!」
外套に身を包んだ少女。舞台衣装だろうか。煌びやかな服装が僅かに覗く。まるで舞台の仕事から無理矢理抜け出してきたかのような姿で、大粒の涙をオレの頬へと落とした。
───あかね
家族と恋人が、病院の個室へと集まっていた。
「……なんでここに」
身体を起こしながら、現状の理解に頭を働かせる。そう、あの時。カミキヒカルを捕らえて、パトカーで連行されたところまで見届けて、そこでオレの意識は途切れている。
───そうか、オレは気を失って、倒れて……
病院に運び込まれたんだろう。そして家族と事務所に連絡がいって……
そこまで考えた時、ゾッとアクアの背中に冷たいものが奔った。
「お前ら、ちが───」
「まったく、あなたが仕事で加減できない事は知ってるけど、倒れるまで頑張るんじゃないわよ」
アクアが起き上がり、何かを言いかけた時、ミヤコの声が重なる。動きかけた口を止め、そのままベッドに座り込んだ。
「過労ですって。点滴打って、ついでに諸々検査して、一日だけ入院させるみたい」
「みたいってなんだよ。医者から聞いたんじゃないのか?」
「さっきまでマネージャーさんがいてね。彼女から聞いたのよ。目が覚めて検査が落ち着いたら事務所に連絡しなさいって」
「…………そうか」
どうやら家族に連絡が入ったのは事務所かららしい。それもそのはず。星野アクアが所属している事務所は少し調べればわかるが、家族への連絡先など簡単にわかるはずがない。病院に運び込まれた時、患者の名前が星野アクアであることなど、一目見れば今や日本国民全員がわかる。そして病院から緊急連絡先に登録しているマネージャーへと連絡が入った。
───家族には上手く誤魔化してくれたか。
真実を話してもいいのだが、流石に場所と相手は自分で選びたい。白河さんの気遣いに心の中で感謝した。
「で、ルビー。そろそろ離れてくれねーか」
目を覚ましてからずっと抱きついて離れないルビーの頭を撫でる。無言の静寂がルビーの答えだった。
「しばらくは我慢なさい。あなたが倒れたって聞いてから大変だったのよ」
「私も途中から聞いてた。『おにいちゃんが、おにいちゃんまで死んじゃう』ってずっと泣いてて。ルビーちゃん見て私の涙は引っ込んじゃった」
しかしそれも無理ないことなのかもしれない。アクアが倒れた姿を目にしたのは2回目。一度目は幼少期。血を流す怪我をした子供を見た時にアクアがパニック発作を起こした。あの時も相当取り乱していた。再び家族を失うかもしれない恐怖で身を震わせていた。
そして今日。今回はパニック発作などではなく、実際に死因になりかねない過労からくる昏倒。あの時以上の恐怖がルビーを襲っていたとしても不思議はない。
「少し二人にしてあげましょうか。ルビー、17時までには帰るのよ」
「アクアくん、後でね」
「ああ」
「待ってる」
病室から二人が出ていく。殺風景な一室は再び無音が支配した。
「おい、ルビー」
「怖かった」
抱きつく腕の力が強くなる。か細い声と吐息が兄の耳をくすぐった。
「ずっと目覚めないんじゃないかって。せんせーが死んじゃったらどうしようって。また私の好きな人が死んじゃうって。怖かった」
「ごめん、さりなちゃん。心配かけた」
「せんせー、聞いていい?」
「ん?」
「ホントに過労で倒れたの?」
ルビーは意外と人をよく見てる。気配りもできるし、察しも悪くない。なにより前例のある事態だ。過労以外の事を想像していたとしても不思議はない。
「───さりなちゃんには、話しておこう」
今回の顛末。この数日、何が起こったか。そしてこれから何をするつもりかを。アクアはルビーに話した。父親と思われるカミキヒカルを逮捕した事。最悪殺人未遂しか立件できないかもしれない事。そうなった時のために映画を撮るつもりである事。全てを話した。
「そんなことが……」
「いつもの仕事こなしながらこれだけのことをやったからな。流石にちょっと身体に無茶させすぎた」
マジで殴られたことだけは伏せたが。倒れたのはカミキを調べるためと罠に嵌めるための過労ということにしておいた。余計な心配させる必要もない。
「約束、守ってくれたね。ちゃんと3年以内で決着つけた。さすがせんせー。私との約束はいつも全部守ってくれる」
「まだ約束は途中だよ。今のままじゃ最悪殺人未遂だけで終わってしまう。これから撮る映画を成功させて、初めて達成だ」
そう。まだこれからだ。映画を撮るにあたってやらなければいけないことは山ほどある。今回は企画からオレが進めなければいけないのだ。ただ渡された台本を演じればいいわけではない。悠長に構えていれば時間はあっという間に過ぎる。だが丁寧に作らなければ日本全国民に知らしめる大作にはならない。急ぎながらも焦らず、計画を立てなければならない。やることは山積みだ。
そして、コレはその第一歩。
「ルビー。話がある」
「なに?」
「オレは映画を撮る。アイとカミキヒカルを主軸に据えた映画を。そしてその主演は多分オレが演る。ルビーが何役に振られるかはわからないが、出番は絶対ある」
「うん。覚悟してる」
「そのために、秘密にしたままではいけない……いや、きっと秘密にしたままでは通せない。オレもお前も、あまりに受け継ぎ過ぎているから」
公衆の面前に晒される。アイとオレたちは否応なく比較される。その時、この共通点を隠したままでは、それこそ大炎上が起こりかねない。そうなったら企画そのものがポシャる可能性もある。そうな
る前に、こちらからバラし、美談にしなければならない。
「アイのことを、公表しようと思う。オレたちが、アイの子供である事を」
それはアクアとルビーの、最大のタブー。墓まで隠し通すと誓っていた事。それを明かすと告げた。死人の墓を掘り返し、美談にし、映画のための道具にすると言った。軽蔑されるのも承知してなお、アクアはルビーにタブーを明かすと告げた。
「アイを主軸に据えた映画に出演する以上、比較は絶対される。オレたちとアイが見比べられることになる。その時他人の空似ではまず通せない。上映期間中にそんなスキャンダルばれたらそんなケチのついた映画絶対売れない。上映すら危ういかもしれない。そうなったらヤツの罪もお前たちの安全も保証されなくなる」
「わかった。いいよ」
「公表したくないのはわかる。オレだってルビーの気持ちを何よりも尊重したいけど───へ?」
現実が受け止めきれず、呆気に取られる。いまオレはひどくアホな顔をしていることだろう。人間予想外すぎる事態に出会った時、思考停止してしまう生き物なのだと。知っていたつもりだったが、17年の人生で初めて体験した。
「ごめんルビー。今なんて言った?」
「だから、いいよって。わかった。ママのこと、公表しよう。でもタイミングは選んでね。流石に明日とかはダメだよ。私だって心の準備する時間はいるから。それとミヤコさんにも共有しないとね」
「いいのか、本当に。アレだけ墓場まで持っていくって言ってたことだろう」
「でもそれが一番私たちのためになって、あの人を追い詰められることなんでしょ?ならいいよ。わかった。せんせーに協力する」
優しく手を握られる。ショックな事を言ったはずなのに、ルビーはニコニコしてオレの手を握りしめた。
「せんせー。あの時と同じ顔してる」
「あの時?」
「せんせーがコンサートのチケット手に入れてくれて、私にプレゼントしてくれた時。何日もかけずり回って。私の担当のお医者さんとかといっぱい交渉して、私のおでかけの許可取ってくれた。しれっとなんでもなかったみたいな顔して、私の病室に来てくれた時と同じ顔」
アクアの記憶にはない。あのアクリルキーホルダーから得られた記憶はさりながそのライブから戻ってきてからだった。
───恐らくさりなはそのライブであのアクキーを手に入れたんだろう。手に入れる前の記憶がないのは当然か。
動揺も狼狽もまったく顔には出さない。黙って、真摯な態度でさりなの話に耳を傾け続けた。
「あの時のせんせーはまるでいまのおにいちゃんみたいだった。いっぱい努力して、手を尽くして、苦労して、人のために。私のために頑張ってくれた、あの時と同じ顔してる」
だからわかるよ、とさりなは兄だった人を抱きしめた。
「すごく苦労したんだよね。あの人を逮捕するために、たくさん傷ついたんだよね。ママのこと、公表するって私に言う時、すごく辛かったよね。私が傷つくと思って、すごく気を遣ってくれたんだよね。ホントに変わってないね。あなたは私が大好きだった、初恋の人のまま」
ルビーの言葉の一つ一つが胸に刺さる。罪悪感など、感じる資格すらないと言うのに。
「勝手に全部抱え込んで、ホントは弱いくせに強がって。いつもちゃんと傷ついて。しっかり苦しんで」
ルビーの思いやりを。想いを。愛を感じるたびにまるで胸にナイフが突き刺さるかのような痛みが奔る。
「それでも前に進もうとする貴方の全てが──」
大好き
目を閉じる。そうしなければ痛みに耐えきれず、眉間に皺が寄ってしまいそうだった。
「だから私は、せんせーの全てを肯定する。せんせーの苦しみも、弱さも、優しさも、全てを肯定してあげる」
貴方が傷ついて、苦しんで、それでも前に進もうとするために必要だと言うのなら、アイのことを公表することも、構わない。
「辛い思いを、するかもしれないぞ」
アクアはできるだけ美談にするつもりだ。実際アイも自分達も被害者だ。美談にすることはそんなに難しくはない。けれど全員が自分達を擁護してくれるわけはない。アイはアイドルとしてはやってはいけないことをした。彼ら双子はその結果の結晶だ。騙されたと言う人もいるだろう。穢らわしいと蔑む人もいるだろう。
「母さんを……アイを侮蔑する人も絶対にいる。オレたちを蔑む人も、絶対出てくる。そうなった時、君はまたこの世界を──」
「この世界がクソッタレなことくらい、私だってとっくに知ってるよ」
でもねせんせー、とアクアが目覚めてから初めてアクアから離れる。立ち上がり、大きく手を広げ、くるっと一度踊るようにターンした。
「私はこの世界がどれだけクソッタレでも、絶対笑える。怒ったり悲しんだり憎んだりすることがあっても、最後には絶対笑えるんだ。なんでか知りたい?」
「ああ」
「推しがいるから!」
ウィンクしてポーズを決めるその姿は、まさに偶像と呼ぶに相応しい眩しさを放っていた。
「推しがいると世界が輝く!このクソッタレな世界丸ごと愛せるようになる!推しを推してる間は、私の命にも意義があるって思える!」
それこそが生きる希望。
「せんせーは私の推し!」
その優しすぎる性格も。その優しさが伝わりにくい捻じ曲がった性根も。傷つきやすいハートも。強がる姿も。弱さを隠すかっこよさも。全てが愛しい。
「ね、せんせー。さりなちゃんって呼んで」
「…………さりなちゃん」
「もう一回」
「さりなちゃん」
「もう一回」
「そろそろ17時だよ、さりなちゃん。暗くなる前に帰りなさい。先生の言うこと、聞けるよね?」
「〜〜〜〜〜っ!!」
声にならない声が上がる。目をキラキラさせて、その場で小躍りし、何度も軽くジャンプする。まさに供給過多の限界オタクと言った振る舞いだ。
「せんせ!好き!結婚して!!」
「社会的に死んじゃうからやめて」
「その返し最高!ずっとず〜〜っと聞きたかった!はぁー…幸せマックス」
「振り幅軽いな。こんなんでマックスゲージなのか」
「そうだよ。せんせーがあの病室に来てくれるだけで。私はいつも幸せマックスだったよ」
無音の静寂がやかましく、耳に痛いあの空間で、扉が開くたびに笑顔になれた。足音を聞くだけで期待した。期待が現実になってくれただけで、幸せマックスだった。
「生きててくれてありがとう!せんせーマジ生きてて偉い!生きてるだけで私幸せ!」
「なんつー手軽な…そんなことで限界オタクになってくれるとは。これ以上ありがたいファンもいねーな」
「でしょ!?せんせーの全肯定オタクなので!」
だから。貴方のすることなら、全てを肯定する。たとえ墓まで持っていくと決めていた秘め事を明かすと言われても、肯定する。
「その代わり、これだけは忘れないでね」
再びアクアの元へと身体を寄せる。抱きつくのではなく、肩に手をかけ、腕を回した。
「私はせんせーが生きてるからこの世界で笑えるってこと。せんせーが死んじゃったら、私にはもう生きる意義がなくなっちゃうってこと」
全てが嘘でできているのではないかと錯覚してしまうこの世界。それでもルビーが……いや、さりながこんなにも天真爛漫な笑顔を見せられるのは、推しがいるから。アマミヤゴロウがいるから。星野アイはいなくなってしまったけど、さりなにとっての最初の希望にして最後の希望が自分を見守ってくれていると信じているから。
「だから、絶対死なないでね。せんせー。私はせんせーの全肯定オタクだけど、それだけは絶対許さないから。もしせんせーが死んじゃったら、私も死んじゃうからね」
アクアを見上げるルビーの顔は、壮絶に美しかったが、同時にアクアには何故か恐ろしかった。
「ばーか。自分の意思とは関係ない病気で死ぬのと、意思を持って行う自殺は訳が違うぞ」
「あ、信じてない?私は絶対やり遂げるからね。メンヘラガチ恋オタクなめんな」
両頬を掴まれ、額が重なる。間近にある紅い星が吸い寄せる引力に、アクアはまるで抵抗できなかった。
「せんせー」
生きて
鼓膜を震わせないその言葉は、合わせた唇から伝わってきた。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
爆弾処理ルビー編終了です。カミングアウトも共有。しかしそれを行うタイミングは……
次回はあかねと談合。その後は例のあの人。そして介入するあの子。導火線に火がついていた爆弾が爆発します。第二幕は後2話くらいで終わると思います。そして物語は最終幕へ…
以下本誌ネタバレ
疫病神ちゃん……いや、ツクヨミさん。今までごめんなさい。もっと愉快犯というか。トラブルメーカーというか。そういう感じだと思ってたのに、まさか見守る系の神様だったとは。拙作のアクアをやたら戻そうとしたがってたのはそういうわけだったのか。インタビューの答え合わせができて嬉しかったです。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
96th take スキャンダル
それはシンデレラの魔法が解ける時
かつて彼女を救った天使の祝福が
悪魔の呪縛に変わる時
「もしもし……ええ、私よ。いい?落ち着いて聞きなさい。とりあえず無事よ。生きてるわ。命に別状はないみたい。まずはそのことを認識しなさい」
救急隊員から白河へと、星野アクアの入院の連絡が入った。当然マネージャーはそのことを社長へ連絡した。社長はそのことに関して驚きはあれど、動揺はなかった。事前に彼から聞いていたからだ。
『近日中に、オレが負傷か、最悪殺された、なんて連絡が来るかもしれません。殺された場合、犯人はカミキヒカルです。その前提で動いてください。病院に運び込まれたくらいだったら、多分オレの計画は上手くいってます。この1週間程度はオレがいなくても問題ないようにしておくつもりですが、もし1週間を上回る場合は、対応の程をよろしくお願いします』
危ないことをするつもりなのだということは知っていた。そのために最大限リカバリーを整えていることも。しかし絶対ではなく、自身の死すらこの男が計画に入れているであろうこともわかっていた。本来なら止めるべき立場だ。もはやこの男の命はこの男だけのものではない。日本国民誰もが知る若手ナンバーワンのスターになった今、比喩でなく彼一人の芸能活動に数多の人間の人生が掛かっている。この命が無計画に、突然に失われるようなことになれば、それこそ何人の人間が路頭に迷うことになるか、わからない。
事務所の社長として、この才能を守らなければいけない立場の人間として、彼がやろうとしていることは止めなければならない。
───けど、これを無理矢理止めたりしても、それは星野アクアの死と同義なのでしょうね
アクアの芸能活動は、基本的に全て自分のため。自分が愛する者達のためだけの活動だ。顔も名前も知らないその他大勢がどうなろうが正直どうでもいい。そして今、彼の前に最もやりたいことが…やらなければいけないことが迫っている。そのためだけに彼は13年間芸能界という狂気の世界で戦ってきた。その彼から原動力を無理矢理奪うようなマネをすれば、それは星野アクアが死ぬこととほとんど変わらないだろう。
彼の愛は自分が愛する者達だけのために。正直芸能人としては不純。傲慢。利己的だ。失格と言ってもいいかもしれない。圧倒的多数のためでなく、両手の指で数えられる程度の少数の方が彼にとっては重要なのだから。不純で、傲慢で、利己的。エゴイストだ。
しかし、愛の形としてはこれ以上なく純粋で、謙虚で、滅私に溢れている。
頑張らなければできないことなんて、やらない方がいい。自分にできることだけを。ただし全力で。ベストを尽くして。なんの混じり気もない星野アクアの行動指針。適度に緩め、適度に詰め込み、適度に努力する。
まあ常人から見れば詰め込みすぎだし、努力し過ぎだし、もっと緩めても良いとさえ思うのだが。
それでもアクアは頑張りすぎることはしないように心がけていた。
『やれること全てやっていれば、オレは完璧だから』
彼の努力は自分を疑わないための努力。
彼の最も非凡な才能は、自分を疑わない才能。
だから彼は迷わない。常人なら躊躇ってしまうようなことでも、自分の判断に即座に身を委ねられる。一瞬の迷いが致命傷になることを誰よりもよく知っている。
純粋だから。謙虚だから。滅私に溢れているから。星野アクアは美しかった。純粋だった。透き通っていた。誰であろうと嘘をつかないから、皆星野アクアに魅了された。
愛の源を奪って仕舞えば、なるほど確かに目の前の死からは逃がしてやれるかもしれない。
けれど、アクアから愛がなくなれば、その心が一気に濁ることが、わかっていた。
透き通る美しさが死ぬと知っていた。誰よりもアクア自身が。
だからアクアは自分を曲げない。誰が相手でも。親友でも、恋人でも、家族でも、この世の全てを司るような神様でも。決して譲らないだろう。曲がらなかった結果、自分が死ぬというならその時は死に殉ずる。曲げたところで自分は死ぬと知っているから。
───自分を雇ってる社長なんて、なんの重石にもならないでしょうね
だから、せめて重石になりうる人にチクってやろうと思ったのは、ちょっとした反骨心と悪戯心。そして二人への愛だった。
「アクアが倒れた。運び込まれた病院はLINKで知らせる。絆ちゃんのことは白河ちゃんに任せていいから。行ってあげなさい」
▼
「さあ、話してもらうよアクアくん。嘘ついても無駄だからね。見破るよ」
ルビーが帰った後、あかねにも事情の説明を求められた。お淑やかに座っているが、その目には強い光と熱があり、心の奥底で燃える怒りが感じ取れる。
まあそこまで脅されなくても説明はするつもりだった。利用してしまった分や巻き込んでしまった手前、コレくらいのことは話しておく責任がある。
それにルビーが見破った嘘を、あかねが見破れないとは思えなかったから。
嘘偽り一切なく全てを語った(いくつか隠し事はあったが)。実は名簿を手に入れていたこと。あかねから手に入れたリストと照らし合わせ、その日のうちにカミキヒカルに辿り着いていたこと。あかねが嘘をついてることに気づいていたこと。最悪あかねがカミキ側に付いているかもしれないと疑っていたこと。渡したGPSを利用してあかねの足跡を調べていたこと。ここまでに至る全てを。
説明が終わると、しばらくあかねは口を訊いてくれなかった。責めるでも怒るでもなく、ただ無言で座っていた。露出の多い舞台衣装姿で、外套を一枚包んだだけの、今のあかねは、人間には見えないほど神秘的だった。
この時のあかねの目は、多分一生忘れられないだろう。
ギュッと引き締めた唇。僅かに歪んだ形のいい眉。そして瞳から溢れ出す静かな怒り。流れ落ちる雫は無言の刃となってアクアを責め続けた。
いっそ殴られた方がまだマシだと、本気で思った。
「その、あかねさん……何か喋って欲しいんですが」
「……………………」
「名簿手に入れてないって嘘ついてたことは謝るよ。でもお互い様だろう。あかねだって嘘ついてたんだから。オレを思いやっての嘘だってわかったから今まで何も言わなかったけど、最悪──」
「そんなことを怒ってるんじゃない」
嘘をついていたことはお互い様だ。そしてその嘘はお互いのためだったと理解している。怒っているのは嘘をつかれたことではない。
「今日のアクアくんのGPS」
ピクリと眉が動く。そう、隠していることはもう一つあった。
「適度に動いてた。けど山歩きなんか、まったくしてなかった」
「…………」
「どうしてたの?」
「マネージャーに預けてた。オレから連絡が行くまで、いつものように適当に外回ってくれって」
今日だけではない。カミキヒカルについて調べる時、アクアはいつもGPSをマネージャーに預け、ダミーの動きをしてもらっていた。あかねにオレがまだ辿り着いていないと思わせるための撹乱。その作戦は功を奏していた。いつかバレる日が来ることもわかっていた。今日まで引き延ばせたのなら、アクアの策は成功だったと言える。
しかし、引き伸ばした分、あかねの怒りボルテージが高くなることもまた必然だった。
「私、言ったよね。無茶はしないでって」
「…………無茶せずなんとかできる相手じゃなかった。それくらいわかるだろう」
「死ぬ時は二人一緒だよって言ったのに。約束したのに」
「…………」
それこそ無茶だってことは。ほとんど不可能に近いことだっていうのはあかねだってわかってる。幻想だと。
だが、女の幻想を現実にしてやることこそが、男の甲斐性というものだ。
「ごめん、あかね」
抱き寄せる。一瞬身体を硬くしたが、あかねはなんの抵抗もなくアクアの腕の中に収まった。嗚咽を漏らし、胸に顔を埋め、入院着を涙で濡らした。
「すっごく怖かった」
「ごめん」
「アクアくんが倒れたってミヤコさんから聞いた時。心臓が止まるかと思った。アクアくんじゃない。私のだよ?私の心臓が止まるかと思った」
「ごめん。本当に」
「ううん。私だって同じことしてたんだもん。アクアくんに嘘ついて、隠し事して、カミキヒカルを追ってた。直接的に何かする段になったら、私だってGPS外してたと思う。この間護身用にナイフとスタンガン買っちゃったし」
「あかねも結構攻撃型だよな」
「アクアくんほどじゃないよ。さっきの説明聞いてて、また心臓止まりそうになったもん。自分を囮に使うって。なんて危ない橋渡るの」
「ちゃんと頭を胸も腹も守ってたし、救急隊員も呼んでた。できる限りのリカバリーはしたつもりだ」
「アクアくんってさ、頭も回るし、すごく慎重だし、軽率だなんて思ったこと、一度もないけどさ。いざ攻めるとなったら積極果敢っていうか、電光石火っていうか。『ガンガン行こうぜ』しかしないよね」
今ガチでも、舞台でも、そしてその他芸能活動でもそうだった。リスクリターンを考え、常に最悪を想定し、慎重に行動するが、動くと決めると0か100。ハイリスクハイリターン。目的まで妥協なく突っ走るのがアクアのやり方だった。
「言っとくけど、アクアくんが死んだら、私泣くよ?大泣きして、世の中に絶望して、いつまでも忘れられなくて、最後には自殺しちゃうから」
「…………あかね」
「だから、だからね……」
両目いっぱいに涙を湛える自身の彼女を抱きしめる。労わるように、優しく、その透き通った黒髪を撫でた。
「もう二度としないから。少なくともこんな物理的に危ないことするのは今回で最後だから」
「ホント?」
「ほんと」
「ホントにホント?」
「ほんとにほんと」
「信じられない」
「信じろって」
「じゃあ証明して」
少し困った顔を浮かべてしまう。真実の証明。感情の証明。悪魔の証明。今まで幾度となく女から求められてきたことだったが、未だ正確な答えは返せた記憶はない。基本キスして、抱いて、ごまかしておしまいだ。流石にこの場でそれはできない。どうしたものかと悩んでいると、あかねの方から解決策をくれた。
「好きって言って」
「…………あかね」
「私のこと、好きって言って。誰よりも好きだって。かなちゃんより、ルビーちゃんより、フリルちゃんより、愛してるって、言って」
「あかねが好きだよ。誰より好きだ。フリルより、有馬より、ルビーより。あかねを愛してる」
アクアの胸の中で噛み締めるように言葉を聞く。心音も聴かれていたかもしれない。けれど構わない。今のアクアは、この言葉を限りなく嘘ではなく言うことができる。嘘発見器だって反応させない自信があった。
「あかねこそ、オレのこと好きでいてくれるのか?」
「どういう意味」
「多分、あと3年もしないうちに、オレは芸能界を引退すると思う」
「…………そっか」
動揺も狼狽も見せず、安堵したかのような息と共に、小さな声であかねはアクアの衝撃の引退宣言を受け入れた。
「驚かないのか」
「ホッとしてる。最近のアクアくん、頑張りすぎてるのが丸わかりだったもん。みんなの理想の星野アクアでいることが、すごく辛そうで、このまま芸能界にいたら壊れちゃうかもって思ってた」
映画賞の時から、限界が近いことはわかっていた。長く芸能界にいない方がいいとさえ思っていた。確かにこの才能が表舞台から消えるのは惜しすぎるほど惜しいことだが、それ以上にホッとしていた。
「ただの星野アクアになったとしても、あかねはオレのことを好きでいてくれるか?」
「どんな貴方でも愛してる。二年以内に貴方に追いつく。貴方が背負っているもの、全部私が背負う。だから、アクアくんは安心して」
胸に埋めていた顔を上げる。泣き笑いの表情で、アクアの首に腕を回し、背伸びをした。
「私だけが、星野アクアの彼女なんだから」
最後に一度だけ。互いの肌と肌が触れ合い、体温を感じながら、溶け合うようなキスをした。
▼
キスをして、それ以上のことをしようとしたところで、あかねの理性が働く。今彼女は撮影から抜け出してきたところで、華美な衣装を纏っていた。流石にこれを汚すことは出来ないし、簡単に着脱できるようなものでもないため、それ以上の行為は諦めざるを得なかった。この辺りは二人とも流石のプロ意識と言えるだろう。
「検査が何事もなかったら、二人で休み合わせて、色々しようね」
「約束」
「約束」
小指を絡め合い、最後にもう一度軽くキスをする。呼んでいたタクシーはもう病院に着いていた。
あかねを見送った後、病院に備え付けてある電話から、事務所へ連絡する。
「はい。身体はなんともありません。けど一応頭を打ってるので。検査入院だけすることに……はい。はい。それと、今後のオレの芸能活動についても話をしたいので、お時間を作ってもらえたら……はい。はい。ご迷惑をお掛けします。よろしくお願いします」
電話を終えると、すぐに病室へと戻る。今日は一晩休息で、本格的な検査は明日の朝から始まるらしい。久々にゆっくり眠れると身体を伸ばし、病室の扉を開く。
すると、本来誰もいないはずの部屋の中にいたのは───
「終わった?」
不知火フリルが、ベッドに腰掛けていた。
「───は?」
見渡すと病室のロッカー。掃除道具などが入っている場所の扉が開けっぱなしになっている。
───まさか、いたのか?一体、いつから……
驚愕に包まれながらも、アクアの頭脳は回転する。そう、今回の事件。事務所に連絡が入ったのなら、事務所が真っ先にこのことを報告する相手は誰になるか。無論オレの家族だ。救急車に運ばれ、そのまま入院となれば、家族に連絡が行くのは当たり前のこと。
だが、事務所にとって最優先すべきオレの家族とは一体誰だ。
オレの事情を。オレの家庭環境を。オレの内縁関係を。知っている人間であれば。フリルに甘いあの社長であれば。真っ先に連絡するのは誰なのか。少し考えればわかることだった。
「さてと、色々と言いたいことはあるけど──」
ベッドから飛び降り、立ち上がり、オレの目の前にくる。いつもの無表情だが、それ故に怖かった。この仮面の下で何を考えているのかわからないことに恐怖した。
「まず第一に。もう一回言って」
「は?」
「あかねに言ったこと。もう一度聞きたい。一言一句、そのまま」
具体的な説明はされなかったが、なんのことを言っているのかはわかる。わかってしまう。その程度には洞察力があり、その程度の洞察力はあると泣きぼくろの少女は内縁の夫を信じていた。
「あかねが好きだよ。誰より好きだ。フリルより──」
中断を余儀なくされる。視界に稲妻が走った。数瞬遅れて痛みと熱も。首が左に捩れていると知覚して、ようやくフリルにビンタされたとわかる。とてもいい破裂音が病室に響き、耳の奥でシンバルがわんわん鳴り、口の端が切れて血が出てきた。
───そういえば、フリルに殴られるの、初めてだな
他人に殴られたことは無論初めてではない。何かと勝手な行動をとることも多いオレだ。レン先輩やハルさんにナナさん。ミヤコからも、罰として一発ゲンコツ貰うくらいのことは何度もあった。
けれど、顔を殴られたことは一度もなかった。
───人生で初めての顔面ビンタが、不知火フリルかぁ
焼けるような熱さが頬を襲う最中だというのに『ある意味、贅沢の極みなのかもな』と、少しおかしくて笑ってしまいそうになる。だが笑うわけにはいかない。そんなことをすれば、次はグーが来ても文句は言えない。
あの夜にも。あの病院でも。理由も機会も今まであったはずのフリルから。オレを殴るなんて直接的な感情をぶつけられたことは初めてだった。
まして顔。タレントの商売道具。最も傷つけてはならない場所だとオレなんかより遥かに熟知しているはずのフリルが。オレの顔を血が出るほどの勢いで引っ叩いた。以前のステージ裏暗幕で壁に叩きつけられた時とは訳がちがう。あの時も結構痛かったが。痛みの度合いは関係ない。痛みの場所が問題。問題があるとオレなんかより百も承知の上で、それでもそこを殴ったということが問題。
顔を元の位置に戻した時、案の定、今まで見たこともないほどの。見ただけで目眩を起こすほどの問題が。爆弾が、導火線に火がつき、起爆寸前の状態で横たわっている。
内縁の妻は涙を両目に湛え、夫を睨みつけていた。
「嘘でも、二度と言わないで」
▼
ベッドを起こし、背もたれにして、体を預けながら座る。フリルもベッドの上へ上がり、オレの身体に腕を入れ、体を預け、抱きしめる。その態勢のまま、しばらく口は利いてくれなかった。時折ギュッと抱きしめる力を強くしたり、はだけた入院着の中に顔を入れ、オレの肌を噛んだり舐めたりする。相当怒っているのはわかる。が、見たことないタイプの怒り方だ。どう対処していいか、わからない。
「フリル……その、そろそろ顔離してくれねーか?」
「なんで?」
「…………オレ今日朝から山歩きしてたし。汗かいたし。シャワーも浴びてないし」
「今更なにいってるの。アクアの汗の味も男の匂いももうとっくに知ってる」
胸に埋めていた顔が上がり、首や胸元を舐め始める。ゾクゾクとした快感が背中に走る。震えないよう堪えていると、フリルの湿った吐息が肌に当たる。首筋に顔を埋め、スーーっと静かに。けれど大きく呼吸した。
「臭いだろう」
「癖になる。頭バカになりそう」
ピクリと眉が動く。そういう女はもちろん初めてではないが、まさかフリルからこんなセリフが飛び出すとは思わなかった。
「困った顔、やっぱり素敵」
もう一度、大きく深呼吸される。くすぐったさと快感で下半身に血が血が回る。疲れと死に瀕した身体が、フリルから与えられた情欲と本能で生命活動を活性化させていた。
「………ふふ、あつ」
自分の下腹部に当たる熱く硬い何かが何であるか、フリルはとっくに知っている。何度もコレに泣かされ、慰め、鳴いてきた。他の男性は一切知らないが、彼女にとってはこの一人だけで充分だった。
「しないぞ、言っとくけど。病院に迷惑かけられない」
「私が洗濯しとくよ」
「顔バレしたらどーすんだ。もう面会時間も終わる。お前ももう帰れ」
蕩けていた顔がいつもの無表情に戻る。同時に変わりかけていた情念の炎が怒りの焔に戻った。
「なにがあったかはちゃんと説明する。その上で謝る。何度でも地べたに頭叩きつけてやる。だから今は──」
「私だって、心臓止まるかと思った」
アクアが倒れたと社長から連絡が入った時、心臓が止まるかと思った。アクアのではない。自分のだ。立っていられず、崩れ落ち、フローリングに手をついたまま、動けなかった。
「白河さんに絆を見てもらうように頼んで、真っ先に病院へ向かった。私が一番乗りだった」
「…………」
「病室に着いた時、あなたは眠ってた。微かに胸元が上下してたから、生きてるってわかって、また立てなくなった。なんとか足に力を入れて、立ち上がって、あなたの傍に寄り添った」
「…………フリル」
「確かに寝てるのに。間違いなく生きてるのに。あなたの寝顔は私が今まで見たことないほど穏やかで。静謐で。憑き物が落ちたみたいで。美しいけど、同時に生気も感じられなくて。本当に生きてるのか、何度も不安になった」
「…………」
「そしたら足音が聞こえてきて。誰か来るってわかったから、あのロッカーに隠れた」
その後は、一部始終を間近で見せられた。ルビーと寄り添い合う姿も。あかねとキスする姿も。会話の内容はロッカー越しでイマイチ聞こえたり聞こえなかったりだったが、何をしていたかは全て見ていた。
全て、見せつけられた。
「ごめん」
アクアが謝ると、妻は首を横に振った。まだ血が滲む口元に手が添えられる。
「痛い?」
「多少は」
「でも私はもっと痛かった」
「ごめん」
「ごめんなさい。顔を叩くなんて。私どうかしてた。ごめんなさい」
「これぐらいお前の当然の権利だ」
「何してもいいって言ったのに。あかねとはいい彼氏をやって。妹には好かれるお兄ちゃんでいさせてあげるって。上書きできれば、それでいいって、言ったのに」
「言ったこと全部守るなんて誰にもできねーさ。感情が理屈を上回ることなんて、オレにだってザラにある」
「でも──」
「フリル」
まだ何か言おうとするフリルを止める。手を取り、まっすぐに彼女を見つめ、腰を抱き寄せた。
「好きだよ」
唇を合わせる。泣きぼくろの少女は一瞬驚いたように身体を硬直させたが、すぐに力が抜ける。唇を押しつけあい、甘く噛み、舌を入れる。小さな個室で水音が鳴り響くたびに口づけは繰り返され、キスの深度は増していく。
これが、よくなかった。
お互いがお互いのことしか見えていない。意識できない状況。終わりに差し掛かりつつあった面会時間。お互いへの深い愛。様々な条件が二人から常に備えているはずの警戒を緩めてしまった。
駆け寄ってくる小さな足音に気づけなかった。
「よっしゃあ!面会時間ギリギリ間に合ったぁ!アクア!聞いたわよ!倒れたって!?アンタだいじょうぶ……な、の」
勢いよく扉が開く。開けた先の光景に広がっていたのは、アクアとフリルの、キスシーン。
お互い瞬間的に身体を離したが、それでも抱きしめ合っていた事はわかるシーン。
赤い髪をショートボブに切りそろえた童顔の少女、有馬かなは、あまりの情報量の多さに現実を受け入れられず、思考回路は完全にフリーズしていた。
「…………なにしてんのよ」
それでも、脳を動かさずとも、彼女がこの状況で、口にできる言葉が、一つだけあった。
「アクア、なにしてんのよ!!」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
…………改めて。改めて読み返してみて思う。ホント人の心ないな筆者。重曹ちゃんの事はちゃんと好きなんだけどな。どうしてこう曇っちゃうのかな。
でも何度イメージしてもこうなってしまうのです。
社長がアクアが倒れたと知らせるなら一番は絶対フリルだし。
そんなことフリルが聞かされて駆けつけないわけないし。
重曹ちゃんやMEMちょは知るの身内の中ではどうしても後の方になっちゃうし。
MEMちょは無事だと聞かされたら面会時間間に合うかどうかの時間にわざわざ来ないだろうし。でも重曹ちゃんは行っちゃうし。
どうシミュレーションしてもこうなる未来しかイメージできなかった。
というわけで犯人捜査編が終わり、スキャンダル編です。人の心とか考慮しなければ冒頭としては最高のスタートだったのではないでしょうか。アクアとフリルの関係を真っ先に事実として確認したのは重曹ちゃんでした。果たして絆にまで辿り着く日は来るのだろうか。
以下本誌ネタバレ
罪悪感につけこんでカミキを逃がさないようにする愛莉。
罪悪感を抱え込み、アクアを解放してあげたい、けれど愛ゆえにできないフリル。
拙作でフリルが愛莉を演じる時、一体どんな気持ちになるのか。今からドキドキが止まりません(筆者はSではないはず)。
重曹ちゃんは本誌では幸せそうでよかったです。拙作では地獄の奈落に転落中ですが。
そしてやってくる例のあの人。拙作はできるだけ星野アクアの物語にしたいのでさっくり逮捕しましたが、アイの物語である本誌であの人は一体どうするのか。そしてどうなるのか。ルビーが無事でいてくれることを願うばかりです。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
目次 感想へのリンク しおりを挟む