人形師の使い魔 (アスラ)
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空の境界
プロローグ


橙子さんが好きなので書きました。


 黒桐幹也がその美術展に足を運んだのは、全くと言っていいほどの偶然によるものだった。

 きっかけは、偶然美術展の看板が目に入ったこと。

 予定も何もなく、入場料も500円と手頃だということで興味本位で入場したのだ。

 入口に掛けられたカーテンを潜り、意図的に照明が絞られた館内に入場する。どうやら作品の一つ一つにスポットライトが当てられているようだ。

 幹也は入り口で配布されていたパンフレットに目を通す。

 どうやらこの美術展の趣旨は『人形』らしく、市松人形、ビスクドール、操り人形、こけし人形、果ては土人形や蝋人形まで。和洋問わず、時代までバラバラな人形が集められているらしい。

 なるほど、確かにこの美術展の趣旨は『人形』だなと、幹也は主催者の大雑把さに感心した。

 パンフレット片手に、順路に沿って人形を鑑賞して回る。

 出品されていた人形はどれも見事な出来栄えだった。市松人形は和の心を確かに感じ取れるし、ビスクドールもとても精巧で今にも動き出しそうだ。こう言っては失礼だが、場末の小さな美術館にしてはとても見る目がある館長なのだなと感心した。

 順路沿いに歩いていると、唐突に作品の展示が途切れる。そして、急遽取り付けられたであろうカーテンが行く手を塞いだ。

 これはどういうことかとパンフレットに目を落とすと、答えは簡単に見つかった。

 どうやら次に目にする展示物がラストであり、この美術展のトリを務める目玉らしい。

 わざわざ他の美術品と分け、単独で展示するとは相当な人形なのだろうなとワクワクしながら、カーテンを潜り抜ける。

 

 

 ──―そこには、一組の男女(ヒト)がいた。

 

 

 ……いや、ヒトではない。人形だ。ヒトと見紛うほどに精巧に創られた、活人形(いきにんぎょう)というやつなのだろう。あまりの完成度に、一瞬人間だと見間違えてしまったのだ。

 先程ビスクドールを今にも動き出しそうと表現したが、この活人形と比べれば児戯に思えてしまう。

 幹也は限界まで近寄り、まじまじと鑑賞する。

 

 男と女、一組の男女が向かい合っている。

 その手は、一刻も早く触れ合いたいと伸ばされている。

 その目は、愛しいヒトを見つめるかのように慈愛に満ちている。

 その躰は、互いを求めあう意思に溢れている。

 

 極限までヒトに似せた人形。人間そのものを創造したかと錯覚するほどの、命を持たない人形。

 あまりの完成度に、幹也は衝撃を受けると同時に納得もした。

 なるほど、確かにこれは単独展示されるだけのことはある。いや、単独展示でなければならないのだろう。

 この作品が今まで見てきた人形と同じ場に展示されていた場合、あまりの存在感に周りを喰ってしまい美術展が成り立たなくなることは明白だ。

 幹也はパンフレットに目を落とし、作品名と製作者を確認する。

 しかし、不思議なことに出展者の名前は記載されていなかった。

 パンフレットにはただ一言、タイトルが載っているのみ。

 

 作品名『逢瀬』

 

 それがこの人形たちの名前だった。

 

 その後、幹也は韋駄天のように自宅に帰るとすぐさま調べものに取り掛かった。

 あれほどの活人形の制作者を知りたくなったからだ。

 寝食を忘れるほどに熱中した結果、ようやく名前が判明する。

 制作者の名前は、蒼崎橙子にアルス。

 業界では曰く付きの人物として知られているようだ。なんでも依頼はほとんど受け付けず、押し入るように設計図などをプレゼンテーションして依頼をもぎ取っていく二人組だとか。

 他にも、人形作りが本職であったり、あの『逢瀬』は二人が滅多にしない合作であるとか。

 知れば知るほど興味が湧き出た幹也は、よせばいいのに住所まで探り当ててしまった。そのうえ、当の二人と話す機会まで手に入れてしまう。

 それが、彼自身の運命を大きく変える出来事になるとも知らず。

 

(さて、二人はいったいどんな人物なのだろうか?)

 

 期待半分、不安半分。幹也は廃ビルへと足を踏み入れたのだった。

 

 




黒桐幹也が橙子さんの人形を見た経緯が原作と違いますが、これは主人公がいた影響でバタフライエフェクトが起こっているからです。

初回はもう一話投稿して、その次からはストックが尽きるまで毎日投稿の予定です。


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1:新しい住処

本日二回目の投稿。
プロローグの後書きに書いたように、次話からは毎日投稿の予定です。


 橙子が日本での隠遁生活に選んだ拠点は、廃ビルだった。

 

「橙子、本気でここを拠点にするつもりなのか?」

「もちろん。ここなら結界を張るのに向いているし、工房を作るスペースも十分。なにより、私好みなの」

「橙子好みか。それは重要だな」

「でしょ?」

 

 微笑む彼女につられ、こちらも笑みがこぼれる。

「行きましょう」と誘導され、彼女に続き廃ビルに足を踏み入れる。

 中は案の定廃墟だった。床や壁は塗装されておらず、剥き出しのコンクリートのみと殺風景だ。

 二階以降も同じような有様で、五階に至っては天井すらなく事実上の屋上となっていた。

 

「うん。図面と外観写真だけ見て即決したけど、中々いいじゃない。少し手を加えれば十分住めるわ」

「それでも何もなさすぎやしないか?これほどとは思わなかったぞ」

「これがいいのよ。自分色に染められるって素敵じゃない」

「……その色染め作業は誰が?」

「もちろん、あ・な・た♪」

「だよなぁ」

 

 橙子とは同じ創造科(バリュエ)に所属していたとはいえ、建築魔術に関しては彼女の方が精通している。

 それなのにリフォームを丸投げするのは、面倒くさいというのもあるだろうが、俺に任せた方が()()()()というのもある。

 

「解った。とはいえリフォーム案は教えてくれよ。それと、さすがに結界は任せる」

「解ったわ。案は今から伝えるからよろしくね」

 

 トン、と橙子の指先がおでこに触れる。

 同時に、彼女のプランがイメージとして流れ込む。

 ふむふむ、四階は事務所にして、二階と三階は仕事場兼工房にするのか。今回二階は結界を張るだけで、三階も含めた工房化はまた後日と……おや?

 

「橙子。一階はどうするんだ?」

「放置するわ。無駄に部屋があっても持て余すだけよ」

 

「それじゃお願いね~」と、ヒラヒラ手を振り橙子は二階へと向かう。

 まったく、相変わらず人使い……いや使()()()使()()の荒いことだ。

 とはいえ、これから住むであろう拠点の内装を全面的に任されているのは使い魔冥利に尽きるというものだ。確実に満足できるものを作ってくれるという全幅の信頼を感じられる。

 さて、橙子が結界を張り終えるまでに作業を終わらせよう。戻ってくるまでに終わらせないと機嫌が悪くなるだろうからな。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 結界を張り終え、事務所に帰還した橙子を待っていたのは、紅茶を淹れているアルス(使い魔)だった。

 

「おかえり橙子。寒かったろ、紅茶淹れたぞ」

「ん、ありがとう」

 

 まだ電気の通っていない廃ビルに暖房なぞあるはずもなく、季節も冬ということで廃ビルは寒さに支配されていた。

 そんな中、見計らったかのように淹れ立ての紅茶を用意してくれた彼の気遣いは、冷えた身体を心ごと温めるにはうってつけだった。

 カップに口をつけ、一口飲む。

 相変わらず、美味い紅茶を入れる。万が一使い魔をクビになってもこれ一本で商売できるだろう。

 ありもしない想像を膨らませながら、橙子は事務所を見渡す。

 アルスがリフォームした事務所は彼女の期待通りのものになっていた。

 日当たりのいい場所に事務机があり、本棚やソファーは計算されつくした位置に設置してある。

 自身の下したオーダーを忠実に遂行した仕事に満足……と思いきや、見覚えのないインテリアもある。おそらく彼によるアレンジなのだろう。悔しいが、その一工夫によってさらに洗練された空間になっている。

 橙子が結界を張っていた()()()()で、廃ビルの四階はモダンな雰囲気溢れる事務所に生まれ変わったのだ。

 

「そういや橙子。いい加減屋号は決めたのか?」

 

 使い魔の仕事ぶりに感心していると、件の人物から疑問が投げかけられる。

 

「建築デザインの事務所を開くのなら、屋号を決めないとなにかとめんどくさいぞ」

「そうねぇ」

 

 天井に目を向ける橙子。

 実のところ、彼女は今の今まですっかり屋号のことを失念していた。

 なにしろ、開業を決意したのもつい先日のことだ。それから事務所を構える建物の捜索、発見した廃ビルを買い取るための手続き、見計らったように(偶然なのだろうが)襲撃をかけてくる代行者の撃退など、息をつく間もない日々だったのだ。屋号なんてどうでもいいもの(橙子談)を考えている暇なんてなかった。

 しかし、いい加減決めた方がよいだろう。なにしろ金がないのだ。爪に火を点すように節約すれば一か月は持つだろうが、そんな生活は彼女にとって御免被るものだ。

 その為にも、事務所の開業は必須だ。幸い日本は極東に位置する為、時計塔の目も届きづらい。

 ふと、視線が事務所全体に行く。テーブルや本棚が絶妙な位置に設置されている。しかし、それらには本来備わっているものがない。

 そう、中身だ。

 長期間にわたる逃亡生活。魔術によって鞄は見た目以上の収納力を備えているが、持ち運べるものには限度がある。

 現に、調度品は必要最低限度。本も少数で隙間が目立つ。

 現時点では、この事務所には何もかもが足りない。まさに──―ガランドウと言ったところだ。

 

「──―そうだ。これがいいな」

 

 天啓が舞い降りる。

 そうだ。これがいい。

 この場が束の間の楽園になろうとも、初めて彼と腰を落ち着けるのだ。

 今までは時計塔の手から逃れるため、頻繁に拠点を変えていた。暇を見つけて創作活動しようにも、執行者や手柄を求める魔術師の襲撃によって無に帰すことも多々あった。これでは、積み重ねも何もあったもんじゃない。

 そんなガランドウな日々に、私達はここでようやく積み重ねていくことができる。

 

 

 ああ、それはなんて夢のような日々だろうか。

 

 

「伽藍の堂。事務所の屋号は、伽藍の堂にする」

 

 眼鏡を外し、橙子は使い魔に宣言する。

 その宣言に込められている意味は、しっかりと彼に伝わっていたようで──―。

 アルスは、喜びに満ちた微笑を橙子に返したのだった。

 

 

 

 

 



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2:新入社員(非魔術師)

早速感想があって狂喜乱舞しています。
やっぱり感想は作者の一番の栄養になるってはっきりわかんだね。


 建築デザイン事務所兼人形工房『伽藍の堂』が開業してから数年。

 俺と橙子は充実した日々を過ごしていた。

 私生活では、ようやく思う存分研究や趣味に没頭できる時間を手に入れたため、お互いタガが外れたように創作活動などに力を入れている。

 つい先日など、仕事関係で世話になった美術館オーナーの依頼で人形を製作することになり、久しぶりに橙子と合作で創った(もちろん、一般向けの神秘ナシの代物だ)。

 あれは我ながら会心の出来だと思っている。

 仕事だって順調だ。

 開業初期は実績皆無で特に宣伝などもしていなかったため閑古鳥が鳴く始末だったが、橙子による発想の転換、『依頼がないならこちらで創ればいいじゃない』という強引すぎる売り込みによって収入を得ることができた。

 当初は困惑と懐疑の目線がほとんどだったが、それも品が完成すると消えていった。おかげで評判は上々だ。

 ちなみに、仕事のほとんどは売り込みとなる。時計塔に封印指定されている以上目立ったことができないため仕方のないことだ。

 しかし、何の偶然か依頼がごくまれに舞い込むこともある。以前も小川マンションという建築物の設計図を橙子が引いていた。

 

 ……しかし、依頼料が入金される端から骨董品などに使い込むのはやめてほしい。おかげで頻繁に家計が火の車になる。当初は主特権で財布を独占していた橙子だったが、一時期本気と書いてガチと読むくらいにやばくなったので、今では俺が財産管理している。それでも目を盗んで骨董品を買ってくるのには頭を痛めるが、中には本当に貴重なものが含まれているため中々止めるに止めれない。

 

「アルス、言い忘れていたが今日は来客がある」

 

 眼鏡を外した橙子が、煙草を吹かしながら予定を告げた。

 

「来客だと?そんなことはここに来てから初めてだな。もしかして魔術師か?」

「いや、魔術師ではない。神秘のしの字もない、完全無欠な一般人だよ」

「一般人だって、何の用でここに?……もしかして依頼者か?珍しいな、橙子がここに招待するなんて」

「いや、招待してないさ。彼は自らの力でここを探り当てた」

「そいつ、本当に一般人なのか?神秘と関わりないやつがここを見つけ出すことなんて考えられん」

「それが、私が調べた限り本当に一般人。使い魔で観察しても特に異常はなかった」

「……未だに信じられないが、橙子がそういうならば真実なんだろうな。で、その一般人くんはいつ来るんだ?」

「この後すぐ」

 

 ピンポーン、と呼び鈴が事務所に響き渡る。

 

「それじゃ、ここに連れてきてね~」

 

 振り返ると、いつの間にか眼鏡をかけた橙子がニッコリと手を振っていた。

 まったく、これはイタズラではなく本当に忘れていたパターンだな。とひとりごちりながら玄関へと向かう。

 ドアを開けると、そこには黒ずくめの青年が立っていた。

 年齢は十八歳くらいだろうか?あどけなさを残した顔立ちは、青年がまだ未成年であることを物語っている。

 

「初めまして、黒桐幹也と申します」

 

 青年──―黒桐幹也は礼儀正しくお辞儀をし、つまらないものですがと手土産を渡してくる。

 おっ、これは最近話題のどら焼きじゃないか。後で橙子と頂こう。

 

「橙子から話は聞いているよ。さ、中に入って」

 

 黒桐くんを橙子の元へと案内する。

 さて、橙子との会話で彼にトラウマが刻まれないと嬉しいが……。神秘なしでここ(伽藍の堂)を探り当てる人間なんて、彼女の格好の暇潰し相手だ。根掘り葉掘り、重箱の隅をつつかれること間違いなしだ。

 まぁ、今の橙子は眼鏡モードだ。あまりに無体なことはしないはずだろう。

 紅茶を淹れながら、二人の会話に耳を傾ける。

 ……おや、意外と話が盛り上がっているな。しかも、黒桐くんの方から積極的に話している。これは予想外。

 さて、紅茶も完成したし配膳に行こう。彼、苦手でなければ嬉しいのだが……。

 

 

 その後の会話は、特筆すべきものはなかった。美術展に出展されていた人形が素晴らしかっただの、それに感銘を受けてここを探し始めただの。

 橙子が1を問いかけると、彼は10も返答する。どうやら、俺たちの合作『逢瀬』は彼にとてつもない影響を与えてしまったらしい。

 ちらり、と橙子に目を向ける。どうやらこの青年との会話は楽しめるもののようだ。会話を止める気配はない。

 よかった。つまらないようなら早々にお帰り頂くつもりだったが、杞憂だったようだ。

 これは長丁場になると判断し、軽食を作りにキッチンへと向かう。

 ちょうどお昼の三時だ。小腹が空く頃だろう。

 冷蔵庫の余り物でサンドイッチを作り、二人の元へと向かう。

 

「そうだ。なら幹也くん。うちで働かない?」

 

 事務所に戻ると、橙子がとんでもない爆弾発言を投下していた。

 なぜそうなる!?

 

 

 

 

 

 

 一週間後、もろもろの手続きを終えた黒桐くんが初出社してきた。

 いやぁ、橙子から聞いたときは耳を疑ったが、本当に入社するのか。

 聞けば大学を中退までしたとか。どうやら俺たちの人形は善良な一般市民に道を踏み外させるほどの魅力を秘めているらしい。これは今後自重せねばならないかもしれない。

 

「仕事の説明をするが、基本的に事務作業をしてもらう。書類整理や帳簿の作成、あとは掃除とかかな」

 

 新しく用意した事務机に案内する。

 

「橙子の仕事は不定期でね。息つく暇もないときもあれば閑古鳥が鳴く日もある。今はその中間というところかな。サポートするから、今日は書類整理をお願いするよ」

 

 俺のサポートの下、黒桐くんは書類整理を始める。

 大学中退というわけで若干不安があったが、それは杞憂だったらしく、目を見張る速度で彼は書類の山を片付けていく。

 やばい。現時点で俺の処理速度と同等だ。仕事に慣れればこの倍以上の速度となって俺はお役御免になるかもしれない。いや、事務作業から解放されて俺は万々歳なわけだが。

 この調子なら、助けは必要ないかもしれない。それならば、自分の用事を済ませるとしよう。

 デスクの引き出しを開け、家計簿を取り出す。

 これは、事務所の帳簿とはまた別の、私的な家計簿だ。橙子は金銭関係はズボラだからな。こうして俺がつけておかないとあっという間に貯蓄が底に着く。

 さて、今月はどうかな……。げ、橙子の衝動買いが多かったせいで若干の赤字だ。おかしい、いくつか大きな仕事をしたから黒字だと思っていたのだが。

 ……あ、そうだ。橙子との合作が久しぶりということで人形の素材を奮発して上等なものにしたんだった。それでギリギリ赤字なのだ。

 これは俺のミスだな。仕方ない、ヘソクリからいくらか補填しよう。

 

 それから二時間後、書類を片付けた黒桐くんに紅茶を振る舞っていた。

 

「初めて飲んだときも思ったんですけど、本当に美味しいですよねこの紅茶」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。淹れた甲斐があるってもんだ」

 

 橙子はもはや慣れてなにも言わなくなってしまったからな。最初は美味しい美味しいと感想を言ってくれていたのに……悲しいものである。

 

「すいません。質問良いですか?」

「ん、なんだい?」

「アルスさんも人形師なんですよね?橙子さんと同じく」

「人形師……ねぇ。正確には別物かな。俺は芸術家(ジェネラリスト)なんだ」

「ジェネラリスト?」

「そう、人形以外にも絵画や家具などあらゆる物を創るんだ。例えば今君が使ってるデスクとチェア。それは俺が君に合わせて作ったものだ」

「え、これが!?」

「その証拠に、調整しなくてもぴったりフィットしただろう?」

「確かに、初めて座った時からみょうに仕事しやすかったですね……。でも、アルスさん僕の体形測っていませんでしたよね?」

「それくらいなら見ただけで測定できる。ま、これくらいの芸当できなきゃ橙子の傍に立てないさ」

「……橙子さんのこと、大切に思ってるんですね」

 

 黒桐くんがポツリと呟く。その声音には、どこか羨望が混じっている気がする。

 

「黒桐くんにはいないのかい?大切な人」

「もちろんいますよ。両親に妹。それに……」

 

 彼はカップに目を落とす。

 

「今は会えませんがひとり、家族以外にいます」

「……まぁ、深くは聞かないさ」

 

 様子から察するに、あまり立ち入らない方がいいのだろう。誰にでもセンシティブな話はあるものだ。

 

「さぁ、休憩は終わりだ。次は掃除について教えよう。君が立ち入れない場所もあるからね」

「はい、よろしくお願いします」

 

 しかし、この時の俺の気遣いもむなしく、彼の『大切な人』は後日橙子によって聞き出されてしまう。

 それが、これから始まる激動のきっかけになるとは、この時は夢にも思わなかった。




原作との相違点があると思う人もいるかもしれませんが、そこは以前説明したようにアルスがいることによるバタフライエフェクトだと思ってください。
お願いします!なんでもしますから!!


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3:誰も空腹には勝てぬ

毎日投稿と言ったな。あれは本当だ。
つまり1日2話投稿してもいいってことだぁ~!


「それで、話ってなんだ、橙子」

 

 時刻は午後七時。黒桐くんも上がり自宅に帰った後に、俺は工房に呼ばれた。なんでも重要な話があるらしい。

 

「アルス。両儀式という少女を知っているな」

「知っているも何も、黒桐くんから言葉巧みに聞き出した子だろ?で、興味持った橙子が担当の言語療法士としてもぐりこんだっていう」

「そうだ。その式についてのことなんだがな」

 

 フーッ、と紫煙を吐く橙子。

 

「一目見てすぐ解ったよ。彼女はこちら側の人間だ。おまけに直死の魔眼持ちときた」

「直死の魔眼だと!?」

 

 魔眼。それは外界から情報を得るための眼球を、逆に外界へと影響を及ぼせるように作り替えたもの。

 有名どころで言えば魅了の魔眼や石化の魔眼があり、これらは全てランク付けされている。

 魅了の魔眼は性能により左右されるが最高位でも『黄金』。石化の魔眼に至ってはその上の『宝石』に位置される。

 しかし、橙子が言った直死の魔眼は『宝石』よりさらに上、『虹』に位置するものだ。もはや実在することすら疑われる代物だ。

 

「幸い、ケルト神話のバロールとは違い見ただけで死ぬということはなさそうだ。彼女は死を線というカタチで認識している。その線を断ち切れば、対象は死ぬというわけだ」

「そうか。それでもキツイのは変わりないだろうな。それほどの魔眼、制御しきれず視界に死が溢れるだろう」

「その通り。現に彼女、目覚めたあとに目を潰そうと手を押し当てたそうだ」

「それは……思い切りが良すぎるな」

「幸い、二年間の昏睡直後ということで未遂に終わったがね。それに、彼女の魔眼は正確に言えば淨眼の類でな。しかも呪詛の類でもあるから潰しても見えてしまう」

「それは難儀なものだな……それで、彼女になにをすればいいんだ?」

「おや、まだなにも言ってないが」

「何年一緒にいると思ってるんだ。それくらい解るさ」

 

 こちらも懐から煙草を取り出し、ジッポで火をつけようとする。

 が、何度点火しても火がつかない。どうやらオイル切れのようだ。

 

「すまん橙子。火をくれないか」

「まったく、仕方ないな。ほれ、こっちこい」

 

 橙子が煙草を咥えたまま手招きする。歩み寄ると、彼女は無言で顔を近づけてくる。

 俺は抵抗せず、口に咥えた煙草をそっと彼女の煙草に接触させた。

 

「おまえには、私がいない間、魔眼の訓練をしてもらいたい。彼女は発現したてのひよっこだ。一日でも早く制御してもらわないと困る」

「解った。それくらいならお安い御用だ」

「よろしく頼むぞ」

 

 話は終わりだ、と言わんばかりに橙子は眼鏡をかけ紫煙をくゆらせる。どうやら冷たいトーコは終わりのようだ。

 

「真面目な話してるとお腹がすいちゃったわね。今日の晩御飯は何?」

「鮭が安かったんでな。鮭ときのこのバターホイル焼きだ」

「それは美味しそうね♪早く事務所に戻りましょう」

 

 

 

 

 

 

 それから数日後、橙子はひとりの少女を伽藍の堂へと連れてきた。

 着物の上に赤の革ジャン、それだけでも奇妙なのに、履物は編み上げブーツ。髪は烏の濡れ羽のように真っ黒で、ざっくばらんと切られたショートヘアはむしろ彼女のナイフのような雰囲気と相まって魅力的に映る。

 そこまで確認して、ようやく彼女が誰なのか、以前二人に訊いた特徴から思い至る。

 そうか、彼女が例の黒桐くんの大切な人か。

 

「紹介するぞ式。彼の名前はアルス。私の使い魔だ」

「よろしく」

 

 スッと手を差し伸べる。

 それに対し、彼女は憮然とこちらを見つめるのみだ。

 奇妙な沈黙が場を支配する。

 しかし、意外にもその沈黙を破ったのは、沈黙を作った張本人だった。

 

「おまえ強いんだな」

「……解るのかい?」

「もちろん。おまえもトウコと同じ魔術師と聞いたけど、むしろこちら側なんじゃないか?」

 

 驚いた。一目で俺の本質を見抜くとは……。

 事前情報の通り、彼女は本質を見抜く目を持っているのだろう。

 

「それで、トウコがいない間はおまえがオレの世話をするのか」

「その通り。基本的には橙子が魔眼の扱い方をレクチャーするが、彼女も本業がある身だ。手が離せないときもある」

「おまえはどうなんだ?トウコと同じ仕事をしていると聞いたが」

 

 おっと、まさか彼女の口からそれが出てくるとは思わなかった。たぶん情報源は黒桐くんだな。

 

「俺は芸術家を自称しているが、むしろそれは副業みたいなものでね。本業は君と同じ荒事なんだ」

「へえ。なら、おまえはオレの先輩になるな」

「そうだよ、後輩ちゃん」

「ちゃん付けはよせ。呼び捨てでいい」

「了解、式」

 

 改めて握手を求める。今度は素直に応じてくれた。

 とその時、グゥ~とお腹が鳴る音が聞こえる。その元は、目の前にいる少女だ。

 お腹が鳴ったことを自覚したのか、式は顔を真っ赤にしプルプル震える。その背後では、これまた同じく橙子が顔を真っ赤にプルプル震えていた。もっとも、前者は羞恥から、後者は笑いをこらえるためと違いがあるだろうが。

 

「ちょうどいい時間だし、お昼でも食べるか?」

「……不味かったら食わないからな」

 

 羞恥心に悶えながらも、式は応答した。

 不味いなら食わない、か。相当舌に自信があるようだが、俺にも料理の腕には自信がある。

 なぜなら、橙子の食べる料理は全部俺が作ってるんだからな。




アルスくんも橙子さんと負けず劣らずヘビースモーカーです。

今回は文字数が2000文字ちょっとと少なめなので2回目の投稿と相成りました。
明日から1日1話投稿に戻します。
そうしなければストックがすぐに尽きてしまうからね、しょうがないね。


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4:アルスに対する、黒桐幹也の所感

シガーキスっていいですよね。


 もしかしたら、アルスさんも変人なのかもしれない。

 黒桐幹也は出勤する道中、ふと失礼な考えが頭に浮かんだ。

 アルスとは、現在自分が勤めている会社の副所長のことだ。ちなみに名字は聞いたことがない。

 蒼い髪と瞳を持つ見た目二十代後半の男性で、顔立ちは東洋のエッセンスを混ぜた西洋系。おそらくハーフというやつなのだろう。

 会社では所長である蒼崎橙子の補佐を務めており、事務全般を統括している。直接的な上司みたいなものだ。

 人柄もよく、社会人一年目の自分にも優しく仕事を教えてくれる。料理も得意で、何度かごちそうになったときには舌鼓を打った。

 これだけならば、世間一般の優しい上司というイメージが当てはまり変人とは全くかすりもしないように思える。

 だが、よく考えてほしい。変人でないのであれば、なぜあんな場所(廃ビル)に会社を構えることを許したのか。普通なら、都心や交通の便が良い郊外を選ぶはずだ。少なくとも、それが可能なくらいの財力はあるはずだし、所長である蒼崎橙子に意見する力もあるはず。

 しかし、現に会社は住宅地とも工業地帯とも言えない住所にある廃ビルにある。

 しかも、彼はここを気に入っているようで頻繁にリフォームという名の改修工事を繰り返している。先日も、屋上と化した五階に本格的な屋上庭園を設置していた。この勢いでは、いずれ五階を完成させ六階を造ってしまうのではないかと思えてしまう。

 

 ……そういや、橙子さんとの関係も謎だな。

 

 たった二人で会社を切り盛りしていたのだ。少なくとも、近しい関係のはずだ。

 単なる上司と部下?それとも同じ志を持った同志?

 違う、と幹也は切り捨てる。あの二人はそんなありきたりな関係ではない。

 なぜそんな確信があるかというと、彼らはあの事務所で同居していることを知っているからだ。出勤初日、部屋の案内で二人の私室を紹介されたときに、何でもないかのように彼の口からその事実を告げられた。

 ならば、男女の関係か?と問われれば、それも違うと幹也は断言できる。

 理由は上手く言えないが、彼らにはそれ以上の絆があるように感じられる。まだ出会って一か月程度しか経っていないが、それでも幹也は二人の関係性が眩しいものだと感じていた。

 

 そんな思案にふけているうちに、事務所がある廃ビルが見えてくる。

 幹也は昇降機に立ち入り、ボタンを押す。

 これもアルスがひとりで設置したものだ。なんでも、エレベーターがないと建築基準法に違反するのだとか。この昇降機も、彼が六階を増設するかもしれないという想像の根拠となっている。

 四階に到着し、事務所の扉を開ける。すると──―

 

「ト~ウ~コ~。衝動買いはやめろとあれほど言っただろ!」

「し、しかしだなぁアルス。あれはビクトリア朝の頃のウィジャ盤なんだ。しかも突然の出物だから一目惚れしてしまったというかなんというか……」

 

 件の人物が、蒼崎橙子に詰め寄っていた。

 

 

 

 

 

 

 部下(アルス)上司(橙子)に詰め寄っている。そんな普段とは逆転した状況に目を白黒させながらも、幹也は事務所にいるはずのない人物を発見する。

 その人物は、魚らしき模様の入った紺の着物を着ている少女──―

 

「式じゃないか。どうしてここに?」

 

 問いかけるが、式はそっぽを向いたまま黙っている。どうやら喋りたくない気分のようだ。

 そんな態度に対し、幹也は少し安堵感を覚えてしまう。なんせ、彼女が昏睡状態から目覚めてまだ一か月しか経っておらず、なんとなく話しづらい関係に落ち着いてしまっていたからだ。

 

「こ、黒桐!黒桐じゃないか!!頼む!アルスを説得してやってくれ!!」

「説得って……橙子さんなにやらかしたんですか?」

「あれ?もしかして、理由も聞かずに私が悪いことを確信してるのか?」

「そりゃ、普段は橙子さんを甘やかしているアルスさんが怒ってるんですもの。相当な理由があるに決まってます」

「これはまた……君は洞察力に欠けているはずなんだがな」

「その言葉は聞かなかったことにします。で、なんで橙子さんが責められているんですか、アルスさん?」

 

 幹也が問いかけると、アルスは深いため息と共に、衝撃の事実を告げた。

 

「すまない黒桐くん。君の今月の給料は無くなってしまった」

「えっ、つい昨日大きな仕事の報酬が振り込まれたばかりですよね。それが一晩で消えたとでも言うんですか!?」

「まことに遺憾ながらそうなんだ」

 

 詳しい話を訊けば、なんと橙子の悪癖が発揮されてしまった結果だそうだ。

 幹也はあずかり知らぬことだったが、実は蒼崎橙子には気に入った骨董品があると値段もろくに確認せず衝動買いし金を浪費してしまうという悪癖があるのだ。

 普段はアルスが目を光らせており、浪費も最小限に抑えられていたが、昨日は創作活動に力を入れて疲労が溜まっており、うっかり早めに就寝してしまう。そのせいで、橙子の目に飛び込んできた骨董品を衝動買いすることを阻止できなかったのだとか。

 

「というわけで、今月伽藍の堂の社員は各自金策に走ってもらうことになる。安心してくれ黒桐くん。金がないのは俺も同じだ」

「いや安心できませんよ!」

「それもごもっともな意見だ。そこでだ」

 

 アルスは本棚から一冊の本を取り出し、パラパラとページを捲る。

 すると、中から一つの封筒が出てくる。どうやら本に挟んで隠していたようだ。

 そこからアルスは、福沢諭吉が描かれている紙幣を取り出した。

 

「ここに一万円ある。これで数日は我慢してくれ」

「あ、ありがとうございます!では所長、僕は金策のため早退します。では」

 

 震える手で一万円札を受け取った幹也は、憮然とした表情で早退する旨を告げ事務所を飛び出した。

 

 

 

「ところでアルス。私はあそこにヘソクリを隠していたことを知らなかったんだが」

「あれは本当の緊急事態のためのヘソクリだ、教えるわけなかろう。……期待しても、もうないからな」

「ちぇ~」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 黒桐くんが事務所から出て行ったことを確認すると、式が口を開いた。

 

「トウコ、話の続き」

「ああすまない、話が途中だったな。この依頼は──―」

 

 橙子がどこからか持ってきた怪しい依頼の内容を式に説明しているのを尻目に、俺は日課となっている紅茶を淹れる。

 しかし、今月はどう乗り切ろうか。幸い買い溜めしておいた食品や非常食があるため食うには困らないだろうが、先立つものがなければやれることも少なくなる。

 橙子が受けた依頼も一日二日で終わるようなものでもなかろうし、即日入金は見込めないだろう。

 仕方ない。ここは未発表の作品を売ろう。工房を漁れば、何個か一般向けのものが出てくるはずだ。それを以前知り合った美術商に売れば、なんとかなるかもしれない。

 

 そうこう今後の計画を思案しているうちに、式が橙子からの説明を聞き終えたのか、革ジャンを羽織って事務所から出る。

 おや、橙子から渡された資料が床に落ちている。どうやら彼女は必要ないと判断したようだ。

 しかし、殺人事件の犯人の保護、しかも抵抗するのならば殺してもいいという保証つき。なんとも物騒な依頼だ。

 興味を惹かれ、床に落ちた資料を拾う。どうやら中身は犯人の顔写真と経歴らしい。そこまで判明しているのならば警察に届け出ればいいのだろうが、そうも出来ない事情があるのだろう。ゆえに橙子に依頼が回ってきたわけだ。

 さて、犯人はどんなやつなんだろうか。四肢を引き千切るような殺し方をするようなやつならさぞかし物騒な──ーんん?

 

「橙子、この写真の少女が本当に犯人なのか?」

 

 依頼人が渡してきた犯人の顔写真。そこには、未成年の少女が写っていた。

 

「ああ、間違いなくその少女が今回の猟奇殺人の真犯人だ」

「この子が?まさか。まだティーンエイジャーだぞ」

「名前をよく見ろ。彼女は浅神家ゆかりの者だ」

「浅神家……そうか、日本の退魔四家の一つか。なら、凶器は超能力か」

「十中八九そうだろう。まったく、私はそんな輩嫌いなのだがね」

 

 橙子は不愉快そうに煙草を灰皿に押し付ける。まぁ、超能力は我々魔術師とは違い理論も歴史も積み重ねもない、選ばれし者の力ってやつだ。それを彼女は心底嫌っている。

 

「犯人がこちら側の人間だというのは解ったが、俺が行かなくてもいいのか?」

「莫迦者、それでは式を雇った意味がなかろう。それに、今回は彼女の方が適任なんだ」

「まぁ、俺も無益な殺生は好まないから、やらないにこしたことはないな。なにより面倒くさい」

「しかし、万が一もありうる。大丈夫だとは思うが、その時には動いてもらうぞ」

「りょーかい。式が勝つことを祈ろう」

 

 資料を仕舞い、橙子へと返す。

 さて、俺は屋上庭園へと行くとするか。天気予報では数日後に台風が来るとの予想だ。今のうちに補強しておかなければ、栽培している薬草が全滅する可能性がある。

 しかし、あんな娘が殺人を犯すとは、被害者となった不良たちはいったいどんな仕打ちを彼女に刻んだのだろうか。よっぽど酷いことなのは確かだろう。

 まぁ、どうでもいいことか。報道によれば彼らは相当な不良らしく薬物にも手を染めていたとか。きっと今回の事件も、自業自得なのだろう。

 しかし、式は大丈夫なんだろうか?直死の魔眼持ちとはいえ、肉体面は未だに人の延長線上にしかない。橙子の言う通り、万が一にも返り討ちの可能性は十分ある。

 でもまぁ、大丈夫だろうな。以前橙子から聞いたが、病院の四階から飛び降りても無傷だったそうだ。その身のこなしはまるで猫のようだったらしい。

 それに、俺が気にしても結果はなにも変わらない。それならば、自分の仕事を遂行することが一番だ。

 浅上藤乃の件を頭の隅に追いやり、トンテンカンと、俺は屋上庭園の補強工事に勤しむのだった。

 




屋上庭園では危険度の低い霊草などを栽培しています。
ちなみに、幹也の仕事にはここの水遣りも含まれているとか。


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5:巫条ビルでの邂逅

スタートダッシュは大切だと思うので嘘つきます。
昨日投稿した第三話でしばらく1日1話投稿するって明言しましたが、今日も2話目の投稿します。
今後もストックが溜まり次第、土日は2話投稿する可能性があります。


 残暑が厳しい九月。アルスは珍しくひとりで行動していた。

 橙子から借りた車を来客者専用の駐車場に止め、道中で購入した花を手に受付へ向かう。

 受付で所定の手続きを済ませ、エレベーターに乗る。

 道中すれ違う看護師に挨拶しながら、アルスは目的の病室に到着。

 コンコンコン、とノックする。

 

「どうぞ」

 

 中から、若い女性の声が聞こえる。

 入室の許可を取ったアルスは、扉を開き足を踏み入れた。

 

「調子はどうかな、()()()()()

「はい、おかげさまで」

 

 出迎えたのは、絹のような黒髪を腰まで伸ばした美女──―巫条霧絵だ。

 その瞳は、しっかりとアルスを映していた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 俺が巫条霧絵と遭遇したのは、今から遡ること三か月前。

 気紛れに夜の街を散歩していた俺は、ふとなにかを感じ取り上空を見上げた。

 通常なら、そこには月が浮かんでいるだけのはずだった。しかし、今夜は明らかな異常が存在していた。

 人だ。人が浮いている。

 いや、正確には人ではない。あれは霊だ。肉体を持たない存在だ。なにより、人間は空を単独では飛べない。

 ゴーストの類か?と推察するが、それにしては『意思』というものを感じられる。通常、霊というものは意思がない。それは複数が寄り集まってヒトガタを取った後でも変わらない。やつらにあるのは本能だけだ。

 だからこそ、興味が惹かれる。意思を持った霊との遭遇なぞ初めての経験だ。

 幸い、すぐ傍にはビルがある。屋上まで登れば意思疎通が可能な距離まで接近できるはずだ。

『巫条ビル』と書かれたビルを上り、屋上へとたどり着く。

 移動中にどこかへ消えてしまうかと危惧していたが、それは杞憂だったようだ。まだ屋上の近くで浮遊している。

 年齢は、二十代後半あたりだろうか?絹のように艶やかな黒髪を腰まで伸ばした美しい女性だ。

 

「こんばんはお嬢さん。いい夜だね」

 

 声をかけると、女性霊は驚いた様子でこちらに振り返る。どうやら、他人に見られていたなんて考えてもいなかったようだ。

 それもしょうがないことではある。霊は一般人には見えない。専用のチャンネル、つまり霊視を用いなければ視認することもできない。

 おそらく、彼女は人目を気にせず浮遊していたのだろう。今まで彼女を視認した人間はいなかったはず。

 だからこそ、いきなり見知らぬ人間、しかも明らかに西洋人である俺に声をかけられて彼女は驚愕したのだろう。

 

「────―ッ!────―!?!?」

 

 口をパクパク開け、オロオロする女性霊。どうやら声を出せないらしい。この様子では念話もできないのだろう。

 というか、本当に確固たる意志を持っているんだなこの女性霊。反応だけ見れば彼女は生きている人間そのものだ。

 

「落ち着いて。俺は君に危害を加えようとは思っていない。……と言っても、初対面の人間の言葉なんて信用できないか」

 

 俺は屋上の縁へと腰を下ろし、鞄を屋上入り口へと放り投げ上着を脱ぐ。うお、寒っ!

 

「ほら、危ないものはなにも持ってない。必要ならシャツも脱ぐぞ」

 

 これも敵意がないことを知ってもらうためにはしょうがない、とシャツのボタンに手をかけると、スッと女性霊の手が俺の手に触れる。いや、正確には触れようとして通り抜けてしまう。

 女性霊に目を向けると、慌てた様子で首を振っていた。どうやら敵意がないことは理解してもらえたらしい。

 

「まずは自己紹介しよう。俺の名はアルス。ただのアルスだ。君の名前は?」

「────―」

 

 パクパクパク、と口を開閉する女性霊。しかし、先ほどと変わらず声は聞こえない。

 そして、女性霊も発生できないことをようやく悟ったらしく、懸命に口を動かすが、ついぞ声が聞こえることはなかった。

 あ、ついに諦めてしょんぼりした。

 ……不覚!思わずキュンとしてしまった。

 

「仕方ない。今回は俺が質問して、君がジェスチャーで答えるQ&A方式にしよう」

 

 コクコク、と女性霊は頷く。

 

「君は確固たる意思があるのか?」

 

 コクン(YES)

 

「いつからここに?」

 

 指を六本立てる。ふむ、六日前か。

 

「ここ以外にも自由に移動できる?」

 

 少し悩んだ後、フルフルと首を振った。

 

「行ける範囲は限られているということか?」

 

 コクコクと首を振る。どうやらその通りのようだ。地縛霊の類なのか?

 

「意思を確立したのはいつか覚えているか?」

 

 前述したとおり、通常霊は意思を持たない。しかし、ここに例外が存在する。魔術師という性質上、質問しないという選択肢は存在しないのだ。

 さて、どのような知見が得られるかとワクワクしていると、女性霊は困ったように首を傾げた。その様子は、まるでどのように答えようか悩んでいるようだ。

 まぁ、仕方なかろう。自分の意思を自覚したタイミングなんて覚えている方がごく少数なのだから。

 回答を諦め、次の質問に移行しようと口を開く。

 が、発声する直前、彼女の指が折りたたまれる。

 しかし、その答えは想像の埒外だった。

 

「に、二十六ぅ!?」

 

 あまりの年数に取り乱してしまう。

 おかしい、ただの霊体がそこまで存在を維持できる思えないし、変質している様子もない。

 しかも、それほど長い年月を地縛霊として過ごしているのならば俺や橙子が見逃すはずがない。

 ──―いやまて、もしかしたら前提が違うのでは?俺が勘違いしているとしたら?

 俺の想像が合っているのであれば、もしかすると彼女は──―

 

「もしかして君、まだ生きているのかい?」

 

 ハッと目を見開く女性霊。その顔は驚愕に満ちている。

 なんてことだ。生霊ならば存在する肉体との縁が見えなかったから思考の外にあった。

 まさか、彼女がまだ此岸の存在だとは思わなかった。

 

「すまないが、明日も同じ時間にここに来ることはできるか?詳しい話を訊きたくてね。君と会話できる道具も持ってくる」

「────(コクコクコク)」

 

 どうやら、俺は嫌われていないようだ。よかった、生者であることを見抜いたことに驚愕はしたようだが、嫌悪感までは行ってないようだ。

 コートを羽織り、放り投げた鞄を拾う。

 屋上から出て、扉を閉める直前、彼女の姿が一瞬目に入った。

 俺の見間違いでなければ彼女は……とても嬉しそうな顔をしていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 巫条霧絵(わたし)の人生は、絶望で満たされていた。

 難病に侵され、自分以外の家族も全員事故死した彼女を待っていたのは、孤独。

 それも、ただの孤独ではない。死という絶対的な恐怖が付きまとう、地獄のような孤独。

 病気が進行し、体中に腫瘍ができるたび、精神はどんどん荒廃していく。

 寝ることが怖い。もしかしたら二度と目覚めないかもしれないから。

 起きることが怖い。病魔にむしばまれているという現実を否応なく自覚させられるから。

 窓から見える景色が憎い。ただ変化してしていくだけの風景はわたしを置き去りにしていくようだから。

 病院にいる全ての人間が憎い。わたしの声に気づいてくれないから。

 ……いや、一つ訂正しよう。たったひとり、憎めない人がいる。毎週決まった時間に誰かのお見舞いにやってくる男の子。彼だけは、どうも憎む気になれない。

 閑話休題。

 ただ日々を絶望で満たされ、無気力に、抜け殻のように生きていく。そんな生き方に神様も見放したのか、ついには視力まで失ってしまう。

 そんな時だった。父の友人らしき男が現れたのは。

 名前はよく覚えていない。どこかお坊さんを連想させるような名前だったような気がする。

 そんな男から、わたしはもう一つの身体を手に入れる。

 それは想像していたものと違ったけど、とても満足するものだった。

 少なくとも、初日だけは。

 外を自由に飛び回れる身体。それは幼い頃に読んだピーターパンになったようでとても興奮したが、少し違和感もあった。

 その違和感の正体は、二日目になって判明した。

 わたしのもう一つの身体は、他人には見えないのだ。

 きっかけはビルの谷間を浮遊していたとき、うっかり警備員の男性と目が合ってしまう。

 人に見られないように、深夜にこっそり飛び回っていたのだが、高揚感から気づくことができなかった。

 そのとき、あまりにびっくりしてわたわた驚くばかり。わたしの秘密の時間を見られてしまい騒動になるかと戦々恐々してしまう。

 しかし、警備員は何事もなかったように通り過ぎるだけだった。

 そこで、ようやく気付くことができた。

 わたしの運命は、ちっとも変わっていないんだということを。

 それから、わたしは自分が見える人を一生懸命捜しはじめた。

 ようやく自由に動く身体を手に入れたのに、未だにひとりぼっちなんて耐えられない!

 幸い、移動できる範囲には人通りが多い道もある。そこでずっと張っておけば、ひとりくらいわたしを見ることができる人がいるかもしれない。

 そんな希望的観測も、六日目になるころにはすっかり崩れ去ってしまった。道の端っこで待てども待てども、反応してくれる人はいない。

 すっかり気落ちしてしまったわたしは、ビルの屋上で悲嘆に暮れていた。

 

 そんな時だ。彼に会ったのは。

 

 海のような蒼い髪と瞳を持つ、アルスという名の男性。

 彼に初めて声をかけられたときには、驚きのあまりおろおろするしかできなかった。

 なんせ、見える人なんていないと悲嘆に暮れ油断しきっていた時に呼びかけられたのだ。みっともない姿を見せてしまったことは許してほしい。

 そんなわたしに、彼は優しく語りかけてくれた。敵意がないことを解りやすい形で示してくれた。

 ……その形が、コートを脱ぐという奇行だったのは予想外だった。シャツにまで手をかける彼を必死に止める。その際、チラリと見えた胸元にドキリとしてしまったのは内緒だ。

 その後、喋れないわたしに配慮した形で質問をしてきた彼は、わたしが生きていることに驚愕した。まぁ、幽霊にしか見えないのだ。驚くのは仕方ないことだ。

 そして、彼はわたしに『明日も同じ場所で会う』という約束をしてくれた。

 しかも、お喋りできる道具も持ってくるという。

 彼が屋上から出ていくとき、正直言うとわたしの顔は喜びで緩み切っていたと思う。人には到底見せられない顔になっていたことだろう。

 それほど、わたしは正の感情に支配されてしまったのだ。

 

 その後のことを語ろう。

 約束通り翌日、彼は一対のペンダントを持ってやってきた。どうやら、このペンダントをお互いに掛ければ意思疎通できるとのこと。

 霊体であるわたしが掛けられるのか心配したが、そこは大丈夫だという。霊体でも触れられるように魔術をかけたとのこと。

 そして、彼と会ってから二日目。

 ようやくお話しできるようになったわたしは、一晩中会話を続けた。

 彼の趣味のこと、最近あった面白い出来事、昔やっていた習い事の思い出……ずっとお話しできなかった鬱憤を晴らすように、元の身体のことを忘れたいかのように。

 そのお話の最中、例のお坊さんみたいな人の話が出てきたとき、彼は食い入るようにわたしを見つめてきた。そして、その人物について根掘り葉掘り質問されてしまう。

 本来なら、入院費を都合したまでか彼と出会う縁を作ってくれた身体を与えてくれた人のことを教えることはよくないことかもしれない。

 しかし、当時のわたしはお喋りできる高揚感からなんでも喋ってしまった。それに関しては後悔していない。

 その人について覚えている限りの情報を教えると、彼は難しい顔で考えこんでしまった。

 そして、最後にわたしが入院している病院と病室を聞いてきた。

 もちろん、わたしは正直に答えた。

 すると、彼は立ち上がり「やることができた。また明日ね霧絵ちゃん」と立ち去ってしまう。

 立ち去る彼に、わたしはニコニコしながら手を振る。

 これほど明日が待ち遠しいのは初めてだなと、わたしは翌日の屋上へと思いを馳せながら病室へと帰りました。

 

 翌日、彼は約束通りまた会ってくれました。

 その場所が、屋上ではなくわたしの病室だったことは予想外だったけど。

 




という訳で巫条霧絵さん生存√です。
式にさえ認められる美貌とCV田中理恵って最強だよね。


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6:新たな同居人

1/24、日間ランキング(加点・透明)で一時的ですが、1位になっていました。
そして、評価バーに赤色が付きました。
これも読者の皆様のお陰です。この場をお借りしてお礼申し上げます。

ありがとうございます<m(__)m>

次の目標は日間総合ランキングにランクインすることと、評価バーを全部真っ赤にすることですね。
これからも応援、よろしくお願いいたします<m(__)m>


1998年6月某日

 

 

「それで、女を誑かした成果はあったのか?」

 

 工房で作業する俺の背中をげしげし、と橙子が蹴る。

 

「橙子、作業しにくいからやめてくれないか?」

「断る。私という主人がいながら他の女にうつつを抜かす莫迦者を調教する良い機会だからな」

「調教って……」

 

 振り返り、橙子の瞳を真っ直ぐ見つめる。いきなり見つめられたせいか、彼女は一瞬たじろいだ。

 

「あのな、俺はとっくの昔に橙子に全てを捧げたんだ。今更調教するなんて悲しい事言わないでくれ」

「……り、理解しているならいいんだ」

 

 あまりに唐突な反撃を喰らった橙子は、眼鏡を外しているのにまるで乙女のような反応を見せる。

 ふっふっふ、俺の渾身のデレなんてレアだからな。存分に悶えるがよい!

 ニヤニヤしてると、それに気づいた橙子からさらに足蹴にされる。くっ、使い魔は辛いぜ。

 

「結論から話すと、収穫はほとんどなかった」

「ほう、おまえともあろうものが珍しいな。それほど、彼女に霊体を与えた魔術師は痕跡を消すのが上手いと」

 

 ここで俺の力不足を疑わないのは、使い魔冥利に尽きるな。

 内心の喜びを見せぬよう取り繕いながら、説明を続ける。

 

「もちろん、この街に根を張っている俺たちに感づかれないよう慎重に立ち回ったことは確かだろうな。だが、それ以前に彼女には干渉された形跡が見られないんだ」

「おいおい、そいつは本当に魔術師なのか?報酬無しに霊体を与えてはいさよならなんて、等価交換の原則をまるで無視しているじゃないか」

「その通りだ。だが、ある情報を追加すれば、その魔術師は霊体を与えること自体が目的だと判明する」

「情報だと?」

「ああ、女性の名前はフジョウと言っただろう?字は巫女に式条と書くんだ」

「巫条……退魔四家に連なる家系か」

「あのまま浮遊を続ければ、遠からず良くない変質が始まっただろうな」

 

 苛立ちを紛らわせるように、煙草を灰皿に押し付ける。

 つまり、魔術師は自らの目的の為に巫条霧絵を利用したのだ。

 あんな出来損ないの身体で、まやかしの幸福を与えた。

 

「唯一の接触した彼女も、当時は意識朦朧としていて死の気配を纏った坊さんみたいな名前だということしか覚えていないらしい」

「ちっ、それでは特定できん。それくらいなら日本にごまんといるだろうからな」

「ああ、だがいくら痕跡を消そうにも、無意識的に癖というものは残る。霊体を詳しく調べた結果、証言と合わせて容疑者は浮かび上がったよ」

「ほう、そいつは誰だ?」

「俺たちもよく知ってるやつだよ。──―荒耶だ」

「ッ!死の蒐集家か。その名を聞く事になるとはな」

「ああ、問題はなぜやつが動き出したかってことだ。ミステリー風に言うならホワイダニットが解らないってやつだ」

 

 この時は預かり知らぬ事だったが、俺が巫条霧絵と出会ったのは、両儀式が目覚めてそれほど経ってない時期だった。

 

「まぁ、やつも俺たちのことはよく知っている。企みが露呈する可能性を恐れてもう彼女には手出ししないだろう。一応病室に守護のルーンを刻んだ」

「そうか。……で、お前は彼女をどうするつもりだ?」

「? 質問の意図が読めないが」

「でははっきり言ってやろう。義手や人工臓器をそいつに移植するつもりなのか?」

 

 ピタリ、と作業する手を止める。

 

「おまえの腕は私が一番よく知っている。それを巫条霧絵に移植し霊薬を活用した治療を行えば、問題なく完治するだろう。だが、なぜそこまでする?彼女は赤の他人だぞ?」

 

 彼女の瞳は、こちらを鋭く射抜いている。まるで、下手な返答をすれば力ずくで止めると言わんばかりだ。

 再度、橙子と向き合う。

 

「これはな橙子、等価交換なんだ。如何に抑止力が後押ししたとしても、やつがこの街で行動を起こしていることを知れたのは彼女のおかげなんだ。なにも知らないうちに巻き込まれるのと、あらかじめ前準備をし備えてから巻き込まれるのとでは天と地ほど差がある」

「ゆえに情報の報酬として、人工物による人体置換を行う、か」

 

 ジジジ、と橙子は煙草を吸い込む。

 そして、俺の顔目掛け紫煙を吹きかけてきた。

 うおう!目に染みるぅ!!

 

「この大莫迦者、私を欺けるとでも思ったか。おまえの考えなどお見通しだ」

「……やっぱり解るか?」

「突発的な不運で天涯孤独の身になったことに共感してしまったのだろう?全く、甘くなったものだな」

「それはお互い様だろう?」

「たわけ、私は巫条霧絵なぞどうでもいいんだ。やるならひとりでやれ。手は貸さんからな」

 

 作業を再開する俺を尻目に、橙子は事務所に戻っていった。

 しかし橙子、君は自身が甘くなったことを否定したが、それが嘘だということはさすがに解るぞ。

 なぜなら、俺が巫条霧絵を助けることを黙認したのだからな。

 

 

 

 ◆

 

 

 

1998年9月某日

 

 

 

 ぺらり、と紙が捲れる音が病室に響く。

 アルスが巫条霧絵のカルテを閲覧している音だ。

 その目は真剣そのもので、一つの異変も見逃さないと言わんばかりだ。

 その様子を、緊張した面持ちで巫条霧絵は見つめる。

 そのまま沈黙が続くこと数分、アルスはカルテを閉じ、霧絵へと目線を向け口を開いた。

 

「うん、腫瘍の転移も見られない。完治したな。リハビリで筋力も戻りつつあるし、この分なら来週には退院できるだろう」

「あぁ……本当ですか……ッ」

 

 霧絵の目から涙が溢れる。

 それも仕方のないことだろう。長年病魔に蝕まれていた彼女の人生は絶望の闇に包まれていた。

 それが、一気に取り払われたまでか健康な肉体まで取り戻されたのだ。その歓びは、常人には想像できないほどのものだろう。

 

「私……私、本当に生きていけるんですね!」

「おいおい、俺を信用していなかったのかい?最初から言ってるじゃないか、霧絵ちゃんは治るって」

「ごめんなさい……でも、アルスさんに完治を伝えられるまで、治った気がしなくて……。もしかしたら、腫瘍が転移したり再発するんじゃないかって不安で……」

 

 えぐえぐと泣く霧絵の背中を、アルスはそっと(さす)る。

 

「大丈夫。君の未来は光で満ち溢れているさ。俺が保証する」

「はいっ……、ありがとうございます……ッ!」

 

 その後、感涙の涙を流し続ける霧絵を落ち着けさせたアルスは、本題を切り出した。

 

「霧絵ちゃん。退院後のことなんだが……」

 

 現在、巫条霧絵はとても不安定な立場にある。

 その原因はとても単純なもので、身寄りがないということだ。

 

「霧絵ちゃんは資産と呼べるものは何も保有していない。家も財産もない。君にあるのはその身一つだけだ。ここまではいいね?」

「はい」

「まぁ、現代日本は社会的弱者に対する保証は世界屈指のレベルだ。日常生活を送るだけならなんとかなるだろう。……しかし、ここまでやってはいさよならというのも無責任な話だ。そこでだ、霧絵ちゃんに俺から一つ選択肢を提示する」

 

 アルスは鞄から一枚の書類を取り出し、霧絵に渡す。

 

「ッ!アルスさんこれって……」

「橙子から許可は取ってある。霧絵ちゃんさえよければ、伽藍の堂は君の入社を歓迎するよ」

 

 

 

 

 

 

「全く。就職斡旋までするとは甘すぎるにも程があるぞ」

 

 時刻は夜。橙子とアルスは、橙子の私室にて晩酌を行っていた。

 

「そう言うなよ橙子。ちゃんと俺たちにも利益があることは説明したじゃないか。等価交換だよ」

 

 アルスたちへの利益。それは、巫条霧絵が荒耶宗蓮の手に落ちるのを防ぐことだ。

 肉体のほとんどを人工物へと置換したとはいえ、彼女が巫条家に連なる者なのは変わらない。つまり、彼女は未だに霊的素材としての価値が高いのだ。

 彼女へ荒耶が接触する可能性はほとんどないと考えられるが、万が一ということもある。彼女を庇護下に置くには十分すぎる理由だ。

 

「だからと言って、おまえの部屋を彼女に明け渡すこともなかろう」

「仕方ないだろう。四階に空き部屋はないし、二階と三階は工房だ。一階に関しては言わずもがな。なら、選択肢は一つだろう」

「だが、そのせいでおまえはソファーで眠ることになったじゃないか」

「うら若き乙女と同衾するわけにはいかないだろう。それとも、橙子のベッドに潜り込ませてくれるのか?」

 

 アルスが橙子に同衾を提案する。もちろん、冗談のつもりだ。普段いじられているゆえの、ちょっとした反撃。

 しかし、橙子の返答は彼にとてつもない衝撃を与えることになる。

 

「おまえが望むのならば、寝てやってもいいが?」

「……うぇ?」

 

 あまりの衝撃に、アルスの動きが止まる。

 

「聞こえなかったのか?同衾してやってもいいと言ってるんだ」

「うぇ……おぉう……いひぃ……」

 

 ニヤニヤしながらワインを回す橙子。

 対して、アルスはただただ意味不明な単語を壊れたスピーカーのように口から漏らすだけである。

 それどころか、どんどん顔が真っ赤になる。どうやら衝撃により身体のコントロールがおぼつかなくなり酔いが回ってきたようだ。

 

「ちょ、ちょっと外の空気吸ってくる!!」

 

 耐え切れなくなったのか、アルスは屋上へと走る。

 その様子を肴にしながら、橙子はワインを呷った。

 

「全く。それ以上のこともしたことあるというのに、変なところで初心な奴なんだな、アルスは」

 

 酔いが回っているのか、赤い顔をニヤニヤと緩ませる橙子。

 

(しかし、私も大胆なことを言ったな……)

 

 訂正。どうやら彼女の顔が赤くなった原因は、酒だけではなかったようだ。

 

「……私も夜風に当たってくるか」

 

 




アルスは肉体の代わりとなるパーツを造れますが、人間そのものを創ることはできません。今回巫条霧絵に用意した義手なども、見る人が見れば人工物だとバレます。
蒼崎橙子に近い技術を持ちながら、彼女に届くことは一生ありません。そこは作者として明言しておきます。
図で表すとこんな感じ。

蒼崎橙子>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>(封印指定の壁)>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>アルス


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7: 巫条霧絵の一日

総合日間ランキングにランクインしててびっくりしました。
つい昨日宣言した目標がすぐに達成できて嬉しいのですが、現実感がなくてふわふわしています。
今は59位(2022/01/24 20:19)ですが、どんどんランクアップして上位にいけるよう精進いたします。

感想もお待ちしております。感想が書かれると、モニター前で小躍りしちゃうくらい喜びながら返信します、私が。

しおりを確認すると第6話が突出して挟まれてて驚きました。
やっぱりヒロインのデレっていいよね。


「という訳で、新たにウチの仲間になる巫条霧絵ちゃんだ。二人とも仲良くするように」

 

 ゆったりとしたワンピースを身に纏った霧絵ちゃんを、先輩社員となる黒桐くんと式に紹介する。

 

「ふ、巫条霧絵と申します。どうか、よろしくお願いします!」

 

 緊張からか、若干上ずった声で自己紹介する霧絵ちゃん。

 そんな彼女に対し、黒桐くんは「よろしくね」と朗らかに挨拶する。

 式は対照的だ。挨拶せず、無言でじっと霧絵ちゃんを睨みつけている。

 

「あ、あの……両儀さん?」

 

 睨みつける式に、オロオロする霧絵ちゃん。

 そんな奇妙な光景が十秒ほど続く。

 これはなんとかしなければとフォローを入れようとするが、その直前、意外なところから救いの手がやってきた。

 

「はいはい、睨まないの式。あなたの後輩になるんだから、優しくしなきゃダメよ」

 

 眼鏡をかけた橙子が、窘めるように式を諫めたのだ。

 諫められた式は、ふん、と興味を無くしたかのように視線を切る。

 そして、革ジャンを羽織って事務所から出ていった。

 

「あの……わたし、なにかやっちゃったんでしょうか?」

「式が不機嫌なのは、勝手に期待して勝手に幻滅した、単なるひとり相撲を行った結果よ。あなたは気にしなくていいわ」

「は、はぁ……」

 

 すかさず橙子からフォローが入るが、霧絵ちゃんはあまり理解できていないようだ。

 

「あと、式は名字呼びとさん付けを嫌ってるから、次からは呼び捨てでいいわよ」

「は、はい。解りました」

「よろしい。それじゃ幹也くん、彼女に仕事を教えてあげてちょうだい。順番は任せるわ」

「解りました。じゃあ、行こうか巫条さん。まずは掃除から教えるよ」

「は、はいっ!」

 

 元気よく返事した霧絵ちゃんが黒桐くんの後ろに着いて外へ向かった。

 

「意外だな。まさか霧絵ちゃんに助け船を出すとは」

 

 二人っきりになったことを確認した俺は、茶化すように橙子に語り掛ける。

 

「彼女も身内となったのだ。ならばこそ、それ相応の対応をしているだけだよ。それより、彼女は仕事できるのか?ずっと入院生活で社会人経験なんて欠片もなかろう?」

「その点については安心しててもいいんじゃないか?彼女は仕事に必要な必要最低限の知識と技術をわずか一日で習得した。なにより教育係は黒桐くんがやってるんだ。彼なら安心して任せられる」

「ま、お手並み拝見と行こうじゃないか」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 目が覚めると、見慣れない天井が目に入る。

 

(ここは……)

 

 眠気により靄がかかった頭を必死に回転させ、今いる場所がどこか思い出そうとする。

 ……そうだ、ここはアルスさんの部屋だ。いや、正確にはわたしの部屋。

 ここに居候する身になったわたしのために、わざわざ引き払って用意してくれたのだ。そのせいで彼は事務所のソファーで眠ることになり申し訳なく思うが、慣れているから気にしなくてもいいと彼は笑っていた。

 ベッドから身を起こし、スリッパを履く。

 病室にいた頃とは違い、しっかりと床を踏みしめ扉を開ける。

 時刻は午前七時。わたしはある期待をしながら、事務所へと歩を進める。

 そこには期待通り、彼がいた。

 

「おはよう霧絵ちゃん」

「おはようございます、アルスさん」

 

 今回は、わたしの一日を紹介しようと思う。

 

 

 

 

 

 

 時は流れ午前八時。この時間帯になると、伽藍の堂の主が目を覚まします。

 

「おはよ~。相変わらず二人は早いわねぇ」

 

 蒼崎橙子さん。わたしを救ってくれたアルスさんの上司で、この会社の所長さんでもあります。

 橙子さんは起床直後にもかかわらず足取りはしっかりしていて目も冴え渡っています。目を覚ましたあとしばらくぽやぽやしている自分とは違って、これがデキル大人の女性なのかなと少し尊敬してしまいます。

 

「今日の朝ご飯は?」

「鮭と白米に味噌汁だ」

 

 今日の朝ご飯担当はアルスさん。というか、朝昼晩三食全て彼が作っています。

 橙子さんも作れるには作れるらしいのですが、彼女曰く「使い魔がやれるのであれば任せるに限る」とのことで、やる気ゼロ。

 アルスさんも「俺がやりたいからやってるんだ」と気にする様子もありません。これが、割れ鍋に綴じ蓋というやつなのでしょうか?

 思考に耽っていると、食卓に朝ご飯が並べられていきます。

 つやつやの白米に、脂の乗った鮭、そして味噌汁。

 これぞ日本の朝ご飯とも言える光景に頬が緩みます。長らく病院食のみ食べていたわたしにとって、この朝食は未だに刺激が強すぎます。さすがに、初めて食べた時のように涙を溢すようなことはもうありませんけど。

 

 朝食に舌鼓を打ち、後片付けを終えると、わたしは掃除用具を持って日課となる表の掃き掃除に赴きます。

 アルスさんたちは、人通りは滅多にないし毎朝やる必要はないとおっしゃってますが、今のわたしはここに居候させてもらっている身。これくらいやらないとバチが当たると言うものです。

 

「巫条さん、おはようございます」

「おはようございます、黒桐さん」

 

 しばらく掃き掃除をしていると、黒桐さんが出勤してきた。

 黒桐幹也さん──―わたしが入院していたとき、唯一憎まなかった男の子。

 伽藍の堂に連れられ、彼と対面したときは驚いたものです。もう会うことはないと諦めていましたから。

 でも、残念ながら彼にとってわたしは初めて会う人という扱いでした。ちょっぴり残念でしたが、彼とは一度も会話したことがないのでしょうがないと納得します。

 

「式さ……式も、おはようございます」

 

 続けて、黒桐さんの隣にいる式さんに挨拶します。

 未だに呼び捨てには慣れていないけど、努力するので心の中ではさん付けするのを許して欲しいです。

 

「……おはよう」

 

 ぼそりと一言挨拶すると、式さんはさっさと伽藍の堂へと入っていきます。

 わたしはもっと仲良くしたいのだけど、彼女にはその気があまりないようで必要最低限の会話しかまだしたことはありません。

 でも、無視されていた最初に比べたら改善されています!わたしの当面の目標は、彼女とおしゃべりすることです!

 

 表の掃き掃除を終えると、始業時間がやってきます。

 私が担当する主な仕事は書類整理や帳簿の作成など、主に黒桐さんのサポートに回ることが多いです。

 年齢では彼の方が年下ですが、仕事はわたし以上にてきぱきこなしています。彼には教育係としてつきっきりで指導してもらっており、式さんにはちょっと悪いけど、独占したようでちょっと気分がいいです。

 ……その内心を見透かされたのか、たまにものすごい目で睨んでくるのは税金だと思って我慢します。

 

 十二時を過ぎると、キッチンの方からカレーのいい匂いが漂ってきます。

 その匂いを合図に、全員作業の手を止め、テーブルの上を片付け始めます。

 全員が片付け終えると、見計ったかのようにお盆に料理を載せアルスさんがキッチンから出てきます。

 はい、実は先ほどのいい匂い、お昼休憩の合図なのです。

 アルスさんに、なぜこのようなシステムにしたか訊いたことがあります。

 すると、彼は懐かしむかのように昔話を聞かせてくれました。

 

『昔はな、橙子は食生活に関して無頓着だったんだ。好きなものしか食べないし、腹が減ったら何時だろうが食べる。身体を壊さないか心配で、食生活改善のためにわざと美味しそうな匂いを朝昼晩決まった時間に橙子がいる部屋に流し込んだんだ。最初はなんとか我慢してたが最終的には匂いを嗅ぐだけで食事の準備をするパブロフの犬になったよ』

 

 聞かせてくれた直後に『犬はおまえの方だろうが』と橙子さんに頭をフルスイングされたのには苦笑いするしかありませんでした。さすがに女性を犬扱いするのは擁護できません。

 

 今日の昼食はカレーリゾットでした。なんでも、複数の香辛料を使い一から作った秘伝のカレー粉を使用したのだとか。その味は高級レストランにも引けを取らず、いつの間にか着席していた式さんが無言で味を堪能するほどです。

 昼食後、食器の後片付けを終えると、わたしは屋上に向かいます。

 扉を開けると、そこには巨大なビニールハウス製の屋上庭園が鎮座しています。

 入口を開き中に入ると、見たこともない花や草がたくさん生えています。

 ここは、アルスさんが自作した霊草栽培所。

 日本では入手できない貴重な薬草などを安定して供給するために設置したそうで、中には一枚千円もする高級な種類もあるそうです。

 そんな貴重なものを任せられる重責をしっかり受け止め、懐からメモを取り出します。

 そのメモには、イラスト付きで各種薬草や花のお世話の仕方が網羅されています。これを見ながらお世話するのもわたしの仕事の一つです。

 幸い、ここにある物は比較的お世話が簡単なものばかりなので、わたしでもなんとかできます。栽培が難しいものや危険度の高いものは工房で栽培してるのだとか。

 丁寧に、愛情込めてお世話をします。アルスさんのお話だと、わたしの治療に使用した薬草もあるそうです。

 

「元気いっぱいに育って、アルスさんの役に立ってね」

 

 お世話を終え、書類作成などを行っているとあっという間に就業時間がやってきます。

 

「お疲れさまでした」

「はいお疲れ~」

「お疲れ~」

「お疲れ様です」

 

 黒桐さんが退社する時間です。名残惜しいですが、手を振ってお見送り。

 彼の背を追うように、式さんも事務所を出ていきます。

 ……毎回思うんですけど、式さんって猫みたいですよね。事務所にいるときはマイペースに過ごして見向きもしないのに、帰ろうとすると追いかけていく。機嫌がいいときなんて、猫耳としっぽが見えちゃうくらいです。

 終業後は、プライベートの時間。皆さん、思い思いの時間を過ごします。

 橙子さんはどこからか仕入れた古い本を読み、アルスさんは晩ご飯の支度に。

 わたしはテレビを観ています。入院生活では見る機会も視力もなかったので、放送されている番組全てが新鮮です。

 チャンネルをコロコロ変えながらテレビを観ていると、あっという間に晩ご飯の時間。

 

「仕事には慣れた?」

 

 ブリの照り焼きに舌鼓を打っていると、アルスさんから気遣うように質問が飛んできます。

 

「はい、黒桐さんも優しく教えてくださいますし、屋上庭園でお花や薬草をお世話するのも楽しいです」

「霧絵ちゃんはよくやってるわよ~」

 

 質問に答えると、眼鏡を掛けた橙子さんが口を開きます。

 

「仕事は正確だし、ミスしてもすぐに修正できて二度としない。掃除は丁寧だし霊草の質も及第点。良い子拾ってきたじゃないアルス」

「良い子だなんて、そんな……」

 

 予想外に褒めちぎられるので、顔を真っ赤にしてしまいます。

 そ、そんなに褒められても~。

 

「それはよかった。ここ最近忙しくてあまり見てあげられなかったから心配してたんだ。あ、それとな、もし橙子になにかされたら迷わず俺に報告するんだぞ。きっちり叱ってやるからな」

「ちょっとアルスぅ~?私が霧絵ちゃんをいじめるわけないじゃない」

「いじめなくてもちょっかいは出すだろ?流行りの遊びと称して競馬教えようとしたこと忘れてないからな」

「あ、あれは冗談のつもりだったのよ……」

 

 眼鏡を外しているときとは逆に、アルスさんが橙子さんを追いつめる。

 その光景は、ぐうたらな母親を叱る父親みたいで。

 本気では怒っておらず、あくまで家族の交流であって。

 性別は逆だったけど、それはかつて過ごした幸せな時間にどこか似ていて……。

 

「って、おいおい。大丈夫か霧絵ちゃん!?」

「急に涙なんて流しちゃって……ほら、このハンカチで拭いて」

 

 急に涙を流したわたしを気遣ってくれる二人。

 その優しさに、またわたしの心は揺さぶられて。

 

「大丈夫です。ちょっと懐かしくなっちゃっただけで……」

「……そうか。まぁ、泣きたいときは泣けばいい。我慢はよくないことだからな」

「そうよ~。アルスは我慢し過ぎちゃって私に泣きついたことがあったもんね~」

「ちょ、おい!その話はやめろって!!」

 

 新しくできた家族は、とても温かいものでした。

 

 

 

 

 

 お風呂をいただき、時刻は午後九時。おやすみを二人に伝えたわたしは、自室の机に向かい日記にペンを走らせる。新しい習慣として就寝前に書くことにしたのだ。

 入院中は絶対にやらなかったし考えもしなった、その日一日を振り返るための儀式。

 これから先の人生を、精いっぱい頑張って生きることをわたしなりに宣言するための儀式。

 その日一日記憶に残った出来事を記入し終え、日記を閉じ、眠るためにベッドへと潜り込む。

 そういえば、明日は土曜日だ。屋上で日向ぼっこしながら読書をするのも楽しそうだけど、アルスさんにお願いして街に連れて行ってもらうのもいいかもしれない。もちろん、橙子さんにも声をかけるつもり。あの人はああ見えて独占欲が強いから、きっと二人きりで出かけたら拗ねちゃうと思う。

 明日が楽しみだなとワクワクしながら、入院中とは百八十度変わった意味を持つ眠りへとわたしは落ちていった。

 




公式で、奈須さんから心が童女と明言されている巫条霧絵。
彼女がアルスと橙子さんに抱いている感情は家族愛みたいなものです。
父:アルス 母:蒼崎橙子 娘:巫条霧絵
こんな感じです。


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8:初めての弟子

お気に入りが前日の倍以上になり、UAが10,000超えていて腰を抜かしました。
やっぱランキングの力ってやべーですね。

次の目標はお気に入り1000越え。
これからも精進していきます。


 突然だが、ここで一つ告白しようと思う。

 なんと、俺にはひとりJKの弟子がいるのだー!!

 ……おふざけはここまでにして、真面目な話をしよう。

 今年の六月、橙子のところに押しかけ弟子入りを迫った猛者が現れたのだ。

 その猛者の名は、黒桐(こくとう)鮮花(あざか)

 名字から察することができるように、わが社の社員第一号黒桐幹也くんの妹だ。

 彼女との縁は、遡ること一年前。

 橙子と久しぶりの旅行の際、逗留先で俺たちはおかしな猟奇的事件に巻き込まれてしまう。

 その事件は問題なく解決した。俺と橙子にかかれば、お茶の子さいさいというやつだ。

 しかし、その道中俺たちはとんでもないうっかりを犯してしまう。

 黒桐鮮花に正体がバレてしまったのだ。

 もちろん、口外しないよう厳重注意して彼女とは別れた。

 そこで、彼女との縁は切れた──―はずだったのだが、何の因果か前述したとおり再び縁が繋がってしまった。

 もちろん、最初は断った。必死に弟子入りを懇願する鮮花に、弟子を取るつもりはないと宣言した。

 それでも食い下がる彼女に、なぜそこまでして弟子入りするかを問いただした。

 すると、彼女は真っすぐな目で、隠すことなく弟子入り志願の理由を明かした。

 今のままでは対抗できない、力がいる、と。

 敵討ちかと聞けば、それは違うと彼女は答える。

 なんじゃそりゃ、と頭にはてなマークが浮かんだものだ。

 これはどう角が立たないように断ろうか……と頭を抱えていると、それまで沈黙を守っていた橙子が口を開いた。

 

『いいぞ。弟子にしてやろう』

 

 黒桐くんを社員に誘ったときのように、あっさりと橙子は鮮花の弟子入りを認めたのだ。

 もちろん反対した。神秘とは一切関係ない一般人を弟子にするなんて前代未聞だ。

 しかし、鮮花のことを気に入ったのか、橙子は意見を翻すことはなかった。

 結局、橙子の鶴の一声で黒桐鮮花の弟子入りは決定事項となってしまったのだ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「アルスさんって、なんで師匠になってくれたんですか?」

 

 講義の休憩中、わたしは以前から気になっていたことを問うてみた。

 

「ん?いきなりどうしたんだ、そんな質問するなんて」

「だって、わたしがここに弟子入り志願しに来たとき、頑なに拒否していたじゃないですか。だから、橙子さんが弟子入りを認めてくれたときも、てっきり師匠はあの人ひとりだけだと思って」

「……そうだなぁ」

 

 カチャリ、と手にしたティーカップを皿に置き、橙子師と並びわたしの師匠ということになっている蒼髪蒼眼の偉丈夫──―アルス師は困ったように眉をひそめた。

 

「理由はいろいろあるけど、一番は鮮花が一生懸命だったことかな」

「一生懸命?」

「そ。今だから言うけど、俺は鮮花が一週間も持たずに逃げ出すと思ってたんだ。だって、君には魔術の才能が欠片もないからね」

 

 さらりと爆弾発言するアルス師。ちょっと、そんな失礼なこと思ってたんですか!?

 魔術の才能がないことはどうでもいいけど、逃げ出すと思われていたことは心外だ。

 

「でも、鮮花はめげずに橙子に食い下がった。それどころか『発火』の才能を開花させたんだ。ここまでされれば、認めざるを得ないだろう?俺は頑張り屋さんには優しいんだ」

 

 そう嘯いて、アルス師はカップに口を付ける。

 ……むぅ、なんだか美辞麗句で誤魔化された気がしてモヤモヤする。

 アルス師の言葉を疑っている訳ではない。わたしを弟子にした理由の一端であることは確かだろう。

 しかし、わたしの勘は、アルス師の回答は一番の理由ではないことを確信している。

 チラリと時計を盗み見る。幸い、講義開始まで時間はまだある。

 わたしの疑問を乗り切ったと油断しているアルス師の化けの皮を剥いでやる!

 

「以前から気になってたんですけど、アルスさんと橙子さんってどんな関係なんですか?」

 

 まずばジャブだ。二人の関係性を問いただして、そこから本命の質問をぶつける!

 

「……今日の鮮花は知りたがりなんだな。そんなこと聞いてどうする?」

「だって、わたしと幹也の関係性を一方的に知ってるのに、当の師匠たちは全くの謎ですから。これって不公平だと思いません?」

「まぁ、そう言われればそうだが、聞いて面白いような関係じゃないぞ。俺と橙子は、主と使い魔。ただそれだけだ」

「はいそこ嘘ですね」

 

 ビシィ!とアルス師の異常性を突き付けるように指さす。

 

「アルス師が人型の幻想種や境界記録帯(ゴーストライナー)ならともかく、魔術師なんですよね?」

「その通りだ」

「魔術師同士で使い魔契約すること自体が異常です」

 

 うぐっ、と呻き声を上げるアルス師。

 

「目的を達成するためのごく短期間の契約ならともかく、アルスさんと橙子さんの契約期間は長すぎます。今まで聞いた話を統合して判断する限り、少なくとも五年以上。実力に絶望的な差があれば無理やり従えることは可能かもしれませんが、アルスさんと橙子さんは同格の魔術師なんでしょう?」

「いや、橙子は俺より一枚上手だよ」

 

 むっ、この考察は間違っていたか。しかし、なんら問題はない!

 

「絶望的な実力差がある訳ではない。かといって、弱みを握られている訳でもない。そんな関係性なら、橙子さんが常に傍に置いているはずがありませんもの」

「あ~、鮮花?そこまでにしておいた方がいいんじゃないか?」

 

 ふふふ、焦ってますねアルス師?真実に近づいているから話を終わらせようとしてもそうは行きませんよ!

 

「では、師匠と弟子という関係性ではどうでしょう?弟子入りする際の契約の一部として使い魔になることを了承したのであれば、ありえなくもない話かもしれません。しかしこれも違う!アルスさんが橙子さんの弟子ならば、わたしの師匠にはなれません」

「鮮花、本当にやめた方がいいぞ。これは君のためを思──―」

「──―ならば!アルスさんと橙子さんの関係性はいかなるものか!わたしが推察するに、お二人の関係性は、ずばり──―」

「──―ほう」

 

 本命と思われる関係性を切り出す直前、聞こえるはずのない声が聞こえた。

 その声は、わたしの脳髄に直接氷柱を差し込んだかのように、強制的に頭を冷やす。

 

「私とアルスがどんな関係性か、ぜひとも聞かせてもらいたいですね。名探偵鮮花さん?」

 

 ギギギ、と壊れたブリキ人形のように振り返ると、そこにはもうひとりのわが師である蒼崎橙子が旅行鞄片手に立っていた。

 

「あの~橙子さん。なぜここにいらっしゃるので?お帰りは夜のはずでは?」

「予想以上に予定が早く終わってしまってね。手持無沙汰になったものだから可愛い弟子のために講義してあげようと早めに帰ってきたって訳なんだけど……」

 

 プルプルと震える手で、橙子師は眼鏡を外す。

 あ、これダメなやつだ。助けてアルス師!!

 振り返って助けを求めるが、アルス師は「だから言ったのに」と言わんばかりの顔で手を合わせていた。

 ちょっと!無事を祈るなんて縁起が悪すぎますよ!!

 

「魔術の研鑽ではなく人のプライベートを暴き立てることに熱中する莫迦弟子には、お灸を据えてやらねばなぁ!」

 

 ズンズンズン!と橙子師が近づいてきて、首根っこをムズと掴まれる。

 

「私の私室に来い!今日という今日は徹底的に鍛えてやる!!感謝するんだな、私の長時間マンツーマン指導なぞ時計塔のロードでも受けられない!!」

 

 そのままズルズルと引きずられながら、橙子師の私室へと連れ去られていく。その様はまるで屠殺場に連れていかれる豚のようだ。

 くそー!いいところで邪魔が入ってしまった!

 でも、わたしは諦めませんよ──!!

 いつか絶対一番の理由を解明してみせるんだからー!!

 

 

 

 ◆

 

 

 

「で、その後はどうしたんだ?」

「山盛りの資料と一問一答形式の試験で頭を茹蛸にしてやったさ。鮮花にはいい薬になっただろう」

 

 時刻は午後九時。またも俺は橙子の私室で晩酌を行っていた。もちろん、相手は橙子だ。

 

「そんな拷問まがいの講義でもちゃんと身に着かせているあたり、橙子の師としての腕は確かなんだな」

 

 ぐったりしている鮮花を実家まで車で送り届けている最中、橙子が今回教えた範囲で簡単な質問をしてみた結果、なんと全問正解しているのだ。

 

「もちろん私の腕のおかげでもある。だが、一番はやはり彼女の才能……いや、執念だろうよ」

「式になんとしても勝ちたい、か」

 

 鮮花が俺たちに魔術を習う理由。それは、恋敵である式を倒すため。

 

「全く、健気なものだ。すでに勝負は決まっているのに、それでも立ち向かうなんて」

「未だに納得しきれていないのだろうな。それほど、鮮花が黒桐に向ける感情は大きい」

 

 酒を片手に、橙子は弟子の奥底を解体する。

 

「実の兄妹なのに、兄に向ける愛が家族愛(ストルゲー)ではなく異性愛(エロース)とはな。自らの起源を『禁忌』と捉えているあたり、根は深いぞ」

「そこは時間が解決するのを祈るしかない。もしくは、他の男性に目移りするのを待つか」

「すると思うか?」

「全くないだろうな」

 

 空になったグラスに新しい酒を注ぐ。

 

「しかし、おまえも意外と格好つけたがりなのだな。素直に理由を教えればいいものを」

「そいつはできない相談だな。鮮花の前では偉大な師匠でありたいんだ」

「偉大な師匠、ね……」

 

 カラン、とグラスの氷が解ける。

 

「まさか、私達が弟子を持つことになるとはな。時計塔にいた頃には考えもしなかったことだ」

「俺もだ。しかも時計塔の才能溢れる魔術師ではない、極東の国にいる一点特化型の一般人だ。当時の俺たちに言っても一笑に付されるだけだろうよ」

「違いない」

 

 お互いに、自然と笑みがこぼれる。

 

「だが、悪くない」

「ああ、鮮花が初めての弟子で本当によかったよ」

 

 互いにグラスを掲げ、鮮花へ献杯する。

 

「「我らの初めての弟子に、乾杯」」

 

 黒桐くんを巡る式との決着が、明るいものになることを願って。

 

 

 

 

 

 

「それはそれとして、お前の一番の理由は次の講義の時にばらすぞ」

「ちょ、それだけは勘弁」

「莫迦者。いちいち探られる方が面倒だろうが」

「しかしなぁ、俺の偉大な師匠像に傷が……」

「そんなもの初めからない。とにかく、これは決定事項だ」

「そ、そんな~」

 

 橙子に逆らえないのが一番の理由なんて、カッコ悪すぎだろ~!

 




という訳で、空の境界ヒロインのひとり、黒桐鮮花の登場です。
今作では、彼女の師匠は二人になりました。
橙子さんが魔術を、アルスはその補助みたいな感じです。
しかし、鮮花のスペックの高さを見て欲が出たのか、アルスは体術を魔術修行の間にちょこちょこ仕込みはじめました。
今では『スーパー鮮花育成計画』なんてものを温めているとか(ネタバレ:橙子に見つかり却下される)


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9:追憶/出逢い

前回に続き新キャラ投入。


 年齢を感じさせないほどの快活さを滲ませる老婆──―イノライ・バリュエレータ・アトロホルムは、提出された論文をつぶさに精査していた。

 たっぷり時間をかけ、目の前に論文の主がいることも気に掛けず、重箱の隅を突くが如く目を通す。

 そんな彼女に対して、眼前に立っている少年──年齢は十四歳くらいだろうか──は緊張した面持ちだ。

 それも無理からぬことであろう。なにせ、目の前にいるのはただの老婆ではない。

 魔術協会の一角を占める時計塔を運営する十三学部の一つ、創造科(バリュエ)の頂点に立つ君主(ロード)、その次期筆頭と目されている人物だ。

 そんな大物相手に緊張するなというのは無理な話……と思いきや、どうやら緊張の原因は彼女と相対していることではないようだ。

 では、緊張の原因は?

 その答えは、すぐにやってきた。

 

「うむ、特に問題なかろう。この出来なら、術式の特許も間違いなく取得できるだろうよ」

「よっしゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 イノライからのお墨付きを貰い、少年はガッツポーズした。

 

「五月蠅い馬鹿弟子」

「あいたぁ!!」

 

 

 

 

 

 

「全く、師匠はすぐ手が出て困るよ」

 

 未だにヒリヒリする頭を撫でながら、少年は愚痴を溢す。

 

「ただ喜びを声と身振りで表現しただけなのになぁ」

「いや、さすがに目の前で叫ばれたら誰だって不快なんじゃねーか?時と場所は選ぼうぜ」

 

 ぼやく少年を、対面に座っている青年が嗜める。

 

「でもさぁ、表現したいものを素直に表現するのが創造科(バリュエ)の魔術師だと思ってるわけですよぼかぁ。そこんとこどう思う獅子劫くん?」

「知るか、降霊科(ユリフィス)の俺に聞くんじゃねーよ」

 

 面倒くさそうに、獅子劫と呼ばれた青年は手を振った。

 

「それより、特許を取る魔術ってどんな術式なんだよ」

「えー、魔術師なのにそれ聞くって分別なさすぎない?」

「どうせ公開されるものなんだ。今聞いたって誤差だよ誤差」

「ま、他ならぬ獅子劫くんの頼みなら教えてやるのもやぶさかではない」

 

 少年は傍らにある鞄から、師匠に提出した論文を取り出す。

 

「でもま、魔術師の原則は今も昔も変わらない」

「はいはい、飯奢れってことだろ?マスター、こいつにいつものを」

 

 数十秒後、お気に入りのサンドイッチを頬張りながら、少年は獅子劫に解説を始めた。

 

「ま、効果としては単純なものだよ。魔法陣の自動速記術式。これさえあれば、面倒な手作業から解放される!」

「……こいつぁ驚いた。単なる術式の省略だけかと思えば、触媒に制限なしとはな」

「おっ、まだ少ししか読んでないのにそこに気がつくとは。さすがは将来降霊科(ユリフィス)を背負って立つ逸材」

「周りが勝手に囃し立ててるだけだよ。……それより、この術式は凄まじいな。魔術と触媒には相性問題がついて回るが、それを無視するとはな」

「そう、そこが目玉なんだよ!死霊術式なら死骸、呪詛ならは呪物と触媒は限られるが、これを使えばその問題からは解放される!」

 

 得意満面の笑みを浮かべ、少年は立ち上がり腕を広げる。その様子は、もっと褒めたまえと催促しているようだ。

 

「でもよぉ」

 

 しかし、獅子劫は少年の望みとは裏腹に、冷や水を浴びせた。

 

「これ、ほとんど使用されないんじゃねーか?」

 

 ピシリ、と少年が固まる。

 

「……やっぱそう思う?」

「その口ぶり、やっぱ理解してたか」

「師匠にも指摘されたことだしね」

 

 どかりと少年は着席する。

 

「いくら術式の省略を行えど、これで出来るのは魔法陣を敷くことだけ。その後は全部自力でやらないといけない。現代の魔術師は研究者ばかりで効率を求めるが、実験する度に特許料を支払うくらいならその分の金を研究費に回すだろうね。だからと言って、戦闘を主にする魔術使いに売り出したとしても……」

「わざわざ魔法陣まで使用する瞬間契約(テンカウント)を行使するよりかは一行程(シングルアクション)で済ませるだろうな。魔術戦で悠長なことはしてられない」

「この術式思いついたときは売れると確信したんだけどねー」

 

 がくりとテーブルに突っ伏す少年。

 

「でもよぉ、需要はあると思うぜ?覚えていて損はないものだし、世の中には触媒に困っている金持ちだっているかもしれない」

「ま、元は自分が楽するために開発した術式だしなぁ。特許料なんて二の次よ」

「そこで金に執着しないのは、さすが七代続くキュノアス家次期当主なだけあるな」

「代で言えば獅子劫家も同じでしょーが」

 

 最後の一口を頬張り、少年は席を立つ。

 

「さて、俺はもう行くよ。これから植物科で講義があるからね」

「相変わらず手広くやってるな。頭パンクしないのか?」

「大丈夫。自分の限界はしっかりと見極めているつもり」

 

 またなー、と少年は軽い足取りで去っていった。

 

 

 

 

 

 

 植物科での講義を終え、全日程を終えた少年は下宿先であるバンガロウの門を潜る。

 

「ただいまー」

 

 少年の挨拶は、むなしくバンガロウに響く。

 実家なら両親や妹が出迎えてくれるのになー、と少し寂しい思いがよぎるが、それを打ち消すように少年は足を進める。

 思う存分研究に打ち込めるよう、これだけ立派な一軒家を用意してくれたのだ。寂寥に耽る暇などない。

 郵便箱に溜まっていた郵便物を仕分け、いらないものはゴミ箱に捨てる。

 そして、部屋着に着替えた少年は晩ご飯の準備を始めた。

 

(そういや明日か……)

 

 パスタを茹でながら、少年は先日師匠から出された指令を思い出す。

 なんでも、日本から時計塔に短期留学してくる少女を空港まで迎えに行ってこいとのことだ。

 もちろん、当初は拒否した。送迎だけなら使用人にでも任せればいいじゃないかと。

 しかし、どうやらその留学生の家柄は高いらしく、使用人程度では失礼にあたるとのこと。

 ならば家柄だけの暇人に行かせればいいじゃないかと反論すれば、これはお前の為でもあると押し切られてしまった。

 全く、俺も暇じゃないんだがな。とひとりごちる少年。

 まぁ、留学生に興味がないと言えば嘘になる。事前に師匠から訊いた情報によれば、同い年の十四歳でありながら既に創造科(バリュエ)への配属が決まっているとのこと。

 つまり、自分と同じ魔術師としての基礎を全て学べる環境と才覚を持ち合わせている天才ということだ。

 いったいどんな人物なのだろうか、と少年は明日出会うことになる少女へと想いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 翌日、ヒースロー空港のターミナルに少年は立っていた。

 ただし、その顔には不満がありありと見て取れる。

 

『イギリスでは珍しい日本人の少女なんだ。チケットはこちらが用意したものを使ってるはずだから到着時刻も解ってる。これも修行だと思って自力で見つけ出すんさね』

 

 出発前、留学生の特徴を訊いた少年に対する師匠の回答だ。

 全く、師匠は変なところでいじわるだ。

 でもまぁ、確かにイギリスでは日本人は目立つ。それがビジネスマンでもない少女なら尚更だ。

 案外簡単に見つかるかもなと楽観視しながら、少年はターミナルに視線を向ける。師匠から伝えられた時間はもうすくだ。

 搭乗出口が俄かに騒がしくなる。どうやら手続きを終えた乗客がやってきたようだ。

 読んでいた小説を懐に仕舞い、目的の人物を探すために目を向ける。

 

 そこで、少年は師匠の底意地の悪さを思い知る。

 

(な、なんだこれは!?)

 

 目線の先には、見渡す限りの人、人、人。しかも全員私服で年齢は同い年くらいの少女ばかりだ。

 これは何事かと驚いていると、ふと先頭に立つ大人が持つ旗が目に入る。そこには『修学旅行』の一文字。

 

(あ、あんのババア!謀ったな!!)

 

 少年は全てを理解する。あの性悪師匠は、日本の学校が修学旅行に来ることを知っていて、わざと留学生に同じ便でやって来させたのだ。

 帰ったら絶対文句言ってやる、と決意しながら少年は諦めの境地に入りながら視線を動かす。ここで本当に諦めないあたり、少年の根の良さが窺える。

 しばらく探してると、ふとひとりの少女が目に留まる。

 いや、留まるという表現は正しくない。

 少年の目は、釘付けとなったのだ。

 その少女は、日本人にしては珍しく赤毛を腰下まで伸ばしており、眼鏡を掛けている。傍らには巨大なスーツケースを携えており、オレンジ色のコートを身に纏っている。

 それだけなら、ただの珍しい日本少女というだけしかない。少年の脳にも少し記憶されるだろうが、一日も経てば忘れ去られてしまうようなもの。

 しかし、少年の直感は、彼女こそが時計塔に留学してきた天才少女だと告げていた。

 しばらく見つめていると、少女もこちらに気が付いたのか、柔らかな微笑を浮かべ少年へと近づいていく。

 

「失礼、あなたが時計塔から派遣された案内人?」

「そういう君は、日本からの留学生か?」

 

 意味のないことだと理解しながら、二人は形式的に質問する。

 

「どうやら、見る目があるようね」

「ああ、お互いにな」

 

 少年が手を差し伸べ、少女は握手で答える。

 

「アルス・キュノアスだ。ようこそ時計塔へ」

「蒼崎橙子よ。これからよろしくね」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「……夢か」

 

 ソファーから身を起こし、眠気を覚ます為に伸びをする。

 しかし、懐かしい顔だったな。

 わが師であるイノライ・バリュエレータ・アトロホルムに、数少ない友人のひとり獅子劫界離。

 時計塔から逃げ出す際のゴタゴタで連絡すら取れず、現在も音信不通だが、元気にやっているだろうか?

 ……うん、自分で心配してなんだが問題ないだろうな。

 師匠に関しては弱ってる姿なぞ欠片も想像できないし、獅子劫もバイタリティの塊だ。彼女たちを心配する方が失礼かもしれない。

 ……あと、やっぱり少女時代の橙子は今とは違うベクトルで可愛かったな。あの頃の橙子は祖父と袂を分つ前で、性格の切り替えなんてやっていなかった時代。常にたおやかで淑女然としており、自信に満ち溢れている。言うなれば、眼鏡モードオンリーの蒼崎橙子。

 幼さを残した面立ちは玲瓏で、その美貌はまるで妖精のようでもあった。

 

 しっかし、なぜ今頃になって過去の記憶を夢として見たのだろうか?こんなこと今まで一度もなかったのだが。

 寝ぼけた頭で周りを見渡すと、橙子の机の上に写真を見つける。

 その写真には、四人の人物が映っている。

 三人の男性に、ひとりの少女。

 橙子に言わせれば、ロンドン時代のただ一つの過ち。

 ……ああ、思い出した。たしか、橙子が顔を思い出すためにアルバムからこれを引っ張り出したんだ。そのとき、アルバムに収められた写真を昨夜ひとりで眺めていたんだっけ。

 たぶん、その行為が原因なのだろう。懐かしい顔を見て刺激を受けた俺の脳が、夢として記憶を呼び覚ましたという訳だ。

 ……過去に浸るのはここまでにしよう。橙子みたいに思い出すのは無駄な行為と断言するほどではないが、過去に囚われるなんてナンセンスなことだ。

 それに、朝食準備を始めないと橙子の起床時間に間に合わなくなる。ああ見えて、ご飯を待たされることをなにより嫌っているからな。

 




という訳でアルスくんの過去をチラ見せ。
続きはまたいずれ……。

あと、今回からアンケートを追加しました。
気軽に答えてくれると嬉しいです。


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10:ふたりの本音

感想、評価、お待ちしております。
一言感想でも作者は喜びます。


 システムキッチンに向かい、土鍋にコトコト火をかける。中身は、和風に味付けしたお粥だ。

 

「アルスさん、氷嚢出来ました」

「ありがとう。それじゃあ取り換えておいて。もう少ししたらお粥持っていくから」

「解りました」

 

 パタパタパタ、と霧絵ちゃんが氷嚢を持ってある部屋へと向かう。

 彼女を見送ると、俺は土鍋の蓋を開ける。……うん、いい匂いだ。

 小皿に取り分け味を確認した後、用意した大きめのお椀によそう。

 そして、お盆に木製のスプーンと共に乗せ、霧絵ちゃんが向かった部屋──―橙子の私室へと足を運ぶ。

 

「橙子、ご飯できたぞ」

「……んん……ごはん……?」

 

 部屋の主である橙子の返事は、ずいぶんとふわふわしたものになっている。

 それも仕方ないだろう。なぜなら、彼女は人生初の重大な危機に直面しているからだ。

 その危機とは──―たちの悪い風邪、というものだ。

 

 

 

 

 

 

 事の起こりは遡ること一週間前。朝食の時間になっても起きてこない橙子を不審に思い彼女の私室に入ると、顔を真っ赤にして魘されている橙子を発見したのだ。

 もしやたちの悪い呪いにでも罹ったかと一瞬慌てるが、すぐさまその考えを捨てる。半人前の三流魔術師ならともかく、橙子は冠位(グランド)だ。そんなへまはしない。

 ではこの高熱の原因はなんなのか……思考の沼に陥ってると、続いて私室に入った霧絵ちゃんが答えをポンと出してくれた。

 

「もしかして橙子さん、風邪なんじゃないでしょうか?」

 

 霧絵ちゃんの言葉に、盲点だったと猛省する。橙子が風邪をひいてるところを見たことも聞いたこともないなんて言い訳にもならない。

 そこから行動は早かった。

 意識朦朧としている橙子に現状認識させ、ベッドに寝かせる。幸い、初めての経験に戸惑っているのか大人しく横になってくれた。

 次に、風邪の治療のため医者にかかる……ということにはならなかった。

 橙子が変なプライドを発揮して医者に診てもらうことを拒否したのだ。

 霧絵ちゃんは医者に診てもらうよう説得し始めたが、橙子は頑なに耳を貸さない。

 自分では説得できないことを悟った霧絵ちゃんにすがるように視線を向けられる。

 が、残念ながらその件に関しては俺は橙子側だ。もちろん、橙子のプライドを尊重した訳ではない。

 霧絵ちゃんはあずかり知らぬことだが、橙子は封印指定の魔術師だ。今も世界中で時計塔の手足が彼女を捜している。

 そんな中、橙子が風邪で弱って医者にかかったなんて情報が万が一漏れたら厄介なんて言葉じゃ表せないくらい面倒なことになる。

 という訳で、ベッドに寝かせた橙子の額に即席の氷嚢を乗せ、治療用の薬を作成……という段階で、またもや橙子の変なプライドが発揮される。

 なんと、薬に頼らず自力で治すと宣言したのだ。

 そいつは無茶な、と脱力してしまうが、頑なに決意した橙子の意見を変えさせるのは並大抵のことではない。その労力を、橙子のサポートに回した方が建設的だろうと判断した。

 以上。橙子のプライドと隠遁生活が合体して始まってしまった闘病生活の発端である。

 

 

 

 

 

 

「ほら、起きれるか?」

「うん……大丈夫よ……」

「橙子さん、無理しないで……」

 

 霧絵ちゃんの補助の下、橙子はなんとか上半身を起こす。

 その様子は、まるで要介護老人のように頼りない。

 

「ほら、お粥持ってきたぞ。自力で食べれるか?」

「…………(フルフルフル)」

 

 無言で首を振られる。どうやら腕を持ち上げるのも億劫なようだ。

 仕方ない。無理させる訳にはいかないしな。

 お粥を掬い、フーフーと冷ましてから橙子の口元へと持っていく。

 口元に持ってこられたスプーンを見つめる橙子。しばらく逡巡していたが、観念したのか口を開く。

 そして、スプーンを口に入れる──―直前、ピタリと動きが止まってしまう。

 何事かと橙子を見ると、目線がスプーンではなく俺に向いていた。

 いや、正確には俺ではない。方向は同じだが、目線の先は俺ではなく背後に向けられている。

 振り向くと、顔を真っ赤にして両手で目を塞いでいる霧絵ちゃんがいた。いや、指が開いて右目だけ出ているな。

 橙子を見ると、僅かだが顔の赤みが増している。

 はは~ん、そういうことか。

 

「霧絵ちゃん、橙子のことは俺に任せて、黒桐くんの手伝いをお願いしてもいいかな?彼ひとりじゃ大変だろうからね」

「は、はい。解りましたぁ……」

 

 あわわわわ、と霧絵ちゃんは逃げるように事務所へと走っていった。

 病人にあーん、なんて少女漫画みたいなシチュエーション、彼女には刺激が強すぎたようだ。

 

「ほら橙子。これで二人っきりだ。遠慮なく食べれるぞ」

「……なんでもお見通しって訳ね……」

「橙子の使い魔だからな」

「……あなた、そう言えばなんでも誤魔化せるって思ってるでしょ……」

「でも事実だろ?」

「……否定はしないわ……」

 

 パクリ、と橙子はお粥を頬張る。ゆっくりと咀嚼し、よく味わってから飲みこむ。

 

「美味しい……でも、なにか違うような……」

 

 おや、橙子はこのお粥になにか違和感を感じ取ったようだ。

 そのことが、俺には何より嬉しく思える。

 

「気づいたか。実はな、このお粥のレシピ製作者は俺じゃないんだ」

「アルス……じゃない……?」

「なんとこのお粥、式から習って作ったものなんだよ」

 

 意外な事実に、橙子の目が見開かれる。

 うん、俺も式から声を掛けられたときにはびっくりしたよ。

 

「驚いた……私を嫌ってるあの子が、私のためにレシピを提供するなんて……」

「橙子が思ってるほど、嫌われている訳じゃないってことさ」

 

 その後、式特性のお粥は食欲増進効果があったらしく、橙子はぺろりとお粥を完食した。

 うん、やっぱり式ってハイスペックだよな。和食に関しては勝てる気がしない。それほどこのお粥のレシピは完成度が高い。これからは二日酔い後の朝食とかで作らせてもらおう。

 

「ねぇ、アルス……」

「ん?」

 

 食器を片付け、氷嚢を新しいものに変えていると、横になった橙子から声をかけられる。

 

「あなた、後悔していないの?」

「どうした急に」

 

 橙子の口から出たのは、およそ彼女らしからぬ疑問だった。

 

「だって、何事もなければ……あなたは今でも時計塔で活躍していて、名声を得ていて……」

「……………」

「でも、私を助けたせいで時計塔を追われて……故郷にもずっと帰れていなくて……」

 

 とうとうと口にされる、悔悟の念。

 普段の彼女では絶対に口にしないであろう、言葉。

 

「だから……今でも罪悪感と後悔に苛まれることがあるの。もっと上手くやれていれば、あなたを巻き込まずに済んだんじゃ──ー」

「橙子」

 

 そっと、橙子の唇を指で抑える。

 

「俺はな、今の人生に悔いなんて一つもありゃしないんだ。そりゃあ、残ろうと思えば時計塔にも残れたさ。でもな、そこには橙子がいない。橙子がいない時計塔なんて、俺には何の価値も見出せない」

「……嬉しいこと、言ってくれるじゃない。珍しいわね、あなたがそこまで喋るなんて」

「それはお互い様だろう?……さ、もう眠るんだ」

「うん……ねぇ、アルス」

「なんだ?」

「手、握って……」

 

 親に甘える子どものように、手が差し出される。

 その手を、俺は優しく握った。

 

「大丈夫。俺はどこにも行かない」

「うん、ありがとう、アルス……」

 

 橙子の瞼が落ち、それほど間をおかず静かな寝息が聞こえてくる。

 満腹感による眠気も作用して、ぐっすり眠れたようだ。

 ……それにしても、まさか橙子がそんなことを考えていたとはな。普段の彼女からは考えられないし、そんな素振りも見せてなかった。

 きっと風邪で弱っていたから、心の奥底に隠していた本音が出やすくなっていたのだろう。

 橙子の安らかな寝顔を眺める。

 彼女が確実に眠っていることを確認する。そして、扉の方に目線を向け、誰も私室に近付いていないことを確認する。

 うん、誰も聞いてないようだな。ちょうどいい機会だし、俺も本音を明かすとしよう。

 俺は、橙子の耳元まで近づき……

 

「──────────」

 

 彼女にだけ、自らの本音を語りかけたのだった。

 




なんで風邪ひいた女性ってあんなに色っぽくなるんでしょうね。

アンケート期限はまだまだ先の予定なので、答えていない人はお気軽にどうぞ。


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11:予兆

今回から本格的に矛盾螺旋が始まります。


 アルスさんと橙子さんの大人な関係を目撃してしまった翌日。

 事務所には、わたしを含め四人が思い思いの行動をとっています。

 社員であるわたしと黒桐さんは、来月から始まる美術展の会場作りの資材発注や価格調べなど。

 二人の弟子である鮮花ちゃんは、師匠たちから渡された課題に取り組み。

 契約社員(?)である式さんは、何をするでもなく来客用のソファーでボーっとしていました。

 ちなみに、この場にいない二人……橙子さんは、微熱まで下がりましたが大事を取って私室で寝ていて、アルスさんは「知り合いに会ってくる」と出かけました。

 

「……ふぅ」

 

 一通り発注を終え、チラリと黒桐さんをみると、彼もどうやらもうすぐ一段落つきそうな感じです。

 それなら、一息つくために紅茶でも淹れてこよう、とキッチンへと向かいます。

 最近、アルスさんに習いはじめましたからね!一応、師匠であるアルスさんに及第点を頂けるくらいには上達しています。

 

「おや、紅茶を淹れる音がするからアルスが帰ってきたと思ったが、霧絵だったのか」

 

 蒸らしの段階に入っていると、背後から女性の声が聞こえてきます。

 振り返ると、眼鏡を外した橙子さんが入口に立っていました。

 

「橙子さん!お身体は大丈夫なんですか?」

「お陰様でね。どうやら最後の悪あがきも終わったようだ」

 

 かつかつかつ、と病み上がりとは思えない足取りで近づいてきます。

 

「霧絵たちはなにをしていたんだ?」

「わたしと黒桐さんは美術展の準備を。鮮花ちゃんは課題に取り組んでいて、式はいつも通りボーっとしています」

「つまり平常運転という訳か」

 

 橙子さんは、わたしが会話を続けながら淹れた紅茶の一つを手に取り、一口飲みます。

 

「うむ、美味いじゃないか」

「ありがとうございます。でも、アルスさんにはまだまだかないません」

「年季が違うんだから仕方ないさ。さ、持って行ってあげなさい」

 

 橙子さんに促されるまま、お盆にカップを乗せ事務所に向かいます。

 すると、なにやら男女の声が聞こえてきます。

 この声は……黒桐さんと鮮花ちゃん?

 事務所に入ると、二人が剣呑な雰囲気で会話していました。

 

「──―このまま魔術師を目指していると、まともな働き口が無くなるぞ」

 

 どうやら、黒桐さんは鮮花ちゃんが魔術を学ぶのを快く思っていないようです。

 そんな彼に対し、鮮花ちゃんが反論しようと口を開く直前──―。

 

「いや、鮮花の実力なら二年後には引く手数多だ。表向きでも一流のキュレーターとして雇用される」

 

 橙子さんが、遠慮なく割り込みました。

 突然の登場に、二人は唖然としています。そんな彼らを気にする様子もなく、橙子さんは自分の机に向かいます。椅子に座り、机に視線を向けると、変化を感じ取ったのか眉をひそめました。

 

「鮮花、道具に頼るのは腕を鈍らせることに繋がるぞ。大方、黒桐に失敗する姿を見せたくないというところだろう?」

「──―はい、申し訳ありません」

 

 どうやら、鮮花ちゃんが勝手に橙子さんの私物を使ったようです。悪いことだと自覚しているのか、鮮花ちゃんは素直に謝ります。

 

「それと黒桐、家族喧嘩なら他所でやってくれ。霧絵が戸惑って事務所に入りづらくなっていた」

「──―はい、ごめんなさい。巫条さんも、ごめんなさい」

 

 橙子さんに窘められ、黒桐さんも頭を下げます。

 わたしは、黒桐さんに気にしていませんよと伝え、三人分の紅茶を配膳しました。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 伽藍の堂へ帰ると、出入り口からプリプリと肩を怒らせながら鮮花が出てきた。

 

「どうした鮮花、そんなに怒って」

「アルスさんには関係ありません!」

 

 声をかけるが、鮮花は立ち止まらず通り過ぎていく。

 ふーむ、なにがあったか気になるが、今は秋巳刑事から得た情報を橙子に伝える方が優先順位が高い。これは、実に橙子好みのものだからな。

 昇降機で四階に上がり、事務所の扉を開く。

 そこには、痛そうに頭に手をやる黒桐と、手当している霧絵ちゃん。笑いを噛み殺している橙子がいた。

 ……なにが起こったんだ?

 

 

 

 

 

 

 話を訊くと、どうやら黒桐が織でも好きと告白したのが鮮花の逆鱗に触れてしまったようだ。

 まぁ、実の兄から男色家だとカミングアウトされたら、思春期の女の子なら動揺するのも仕方なかろう。もちろん、黒桐くんが男色家じゃないことは俺も承知しているが。

 

「遅かったじゃないか。予定では一時間前に帰宅するはずだが」

「予想以上に話が盛り上がってな。その分興味深い話を訊けたぞ」

「それはそれは。楽しみじゃないか」

 

 くい、と橙子が顎を動かす。どうやら私室で話を訊きたいようだ。

 橙子の私室に移動し、紅茶を淹れながら秋巳刑事から得た情報を披露する。

 

「小川マンションを覚えているか?」

「確か……私が東棟ロビーの設計を引き受けたマンションだったか?」

「その通り。そこでな、奇妙な事件が発生したそうだ。昨夜十時頃、あのマンション周辺で女性が通り魔に暴行され刺されてしまったそうだ。犯人は逃げたが、女性はそうもいかない。店も人通りもないゆえにマンションへ駆け込んで助けを求めたそうだが、三階以降にしか住民がおらず、そこまでたどり着いたのはいいが体力の限界。そこで十分以上助けを求め叫んだが、誰も気づかず午後十一時には力尽きてしまったそうだ」

「ふむ、被害者は不運としか言えないな」

「問題はここからだ。被害者の声は隣のマンションにまで聞こえていたそうだ。それほどの大声ゆえ、耳にした住人は、そのマンションの住人が助けると思い無視したそうだ」

「当のマンションの住人はなんと?」

「それが、全員いつも通りの夜で気づかなかったと証言したそうだ。まぁ、ここまでなら無関心な住人ということでおかしな話ではないんだが、以前にも小川マンションでは奇妙な事件が発生していたようでな。そちらについては詳細な情報を訊けなかったが、とにかく異常事態が二つも続けて発生するのはおかしいんだとさ。今回の件は、その相談だったという訳だ」

「ふむ……確かに、それは興味深い話だな」

 

 橙子は、煙草を深く吸い込む。

 

 

「まさかということもありうるからな。──―よし、調べに行くか。黒桐には住人について調べさせよう」

「調べものは彼の得意分野だからな。それについては賛成だ。現地にはひとりで?」

「いや、黒桐も連れていく。二人で行動すれば、やつもそうそう手出しできないだろう。アルスは事務所で霧絵の面倒を見てくれ」

「了解」

 

 

 

 

 

 

 時は流れ、午後五時。終業時間になり、習慣となった帰宅前の紅茶を飲んでいる黒桐くんに橙子が残業を頼む。

 もちろん、内容は小川マンションの件だ。秋巳刑事から聞いた内容を、包み隠さず黒桐くんに情報共有する。

 

「──―という訳だ。金にならない仕事だから、期限は十二月まででいい」

「解りました」

 

 紅茶に口を付ける黒桐くん。

 そんな彼に対し、橙子がとんでもない質問をぶつけた。

 

「黒桐、式が男性でも構わないというのは本当か?」

 

 橙子、お前なんてこと訊くんだ……黒桐くん一瞬吹き出しそうになってたぞ。

 でもまぁ、そこは俺も気になる。今までの行動を見た結果、男色家ではないと判断しているが、もしかしたら両刀という可能性もある。

 

「そんな訳ないでしょう。欲を言えば、女の子の方がいいです」

「なんだつまらん。それでは問題ないじゃないか」

 

 本当につまらなさそうに、橙子は紅茶に口を付ける。

 そんな彼女に対し、黒桐くんは詰め寄った。どうやら、橙子の言葉に違和感を感じ取ったらしい。

 

 その後、黒桐くんは式について解説を受けた。

 両儀という家、陰陽太極図、相克する螺旋、式の代償行為……様々な事実を、橙子は解説する。

 それを受け、黒桐くんはなにか決意を固めたようだ。顔が引き締まっている。

 どんな決意か解らないが、俺はその決意を尊重するぞ。

 頑張れよ、黒桐くん。

 

 




蒼崎橙子とアルスにとって、大きな山場が近づいてきました。


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12:コルネリウス・アルバ

みんなが大好きな、あの人が登場します。


 今日は珍しく、黒桐くんが遅刻した。

 

「すいません、遅刻しました」

 

 剣道の竹刀袋のようなものを壁に立てかけ、大きく深呼吸する黒桐くん。

 ……おいおい、その袋の中身、超やばい気配纏ってるけど大丈夫なのか?

 黒桐くんに駆け寄った式もその存在に気付いたのか、彼に質問をぶつける。

 どうやら、式のお世話係で秋隆という人物からの預かり物らしい。

 黒桐くんから内容物について訊いた式は、今まで見たこともないくらい顔を輝かせて、竹刀袋を手に取り紐をほどく──―っておいおい!ガチのマジでやべーやつじゃないか!

 

「待て式、それは古刀だな。五百年前のものをここで取り出すな。結界がまるごと切られたらどうする」

 

 橙子が式を制止する。

 危ない危ない、歴史を積み重ねた刀、しかも九字まで彫られているとなれば対神秘において効果的な礼装になってしまう。そんな代物迂闊に取り出すと、結界が断ち切られて工房に封じ込めているあれが溢れ出してしまうところだ。

 式に危険性を伝えると、彼女は慌てて袋に戻し始めた。式も、あれと対峙するのはごめんというやつなんだろう。俺だってそうだ。

 

「ところで黒桐、今朝の遅刻の理由はなんだ?」

「すみません。例の小川マンションの件を調べるのに手こずってしまったもので。住人のリストとあらかたの情報は集められました」

 

 驚いた。昨日の今日で調べ物を終わらせたのか。

 十二月まででいいと言ったのだが、こんなに早く持ってくるとはな。

 そこも、彼の美徳なんだろうけど。

 

「……まさかここまで早く調べるとはな。いいよ、聞こう」

 

 橙子が説明を促す。

 黒桐くんは、鞄から資料を取り出し、机に並べながら説明を始めた。

 ……うわぁ、一晩で調べたわりには無茶苦茶情報量多くないか?航空写真どころか設計図、マンション建設の経緯、住人の情報、家族構成、勤め先、果ては前の住所までとか……。

 驚くを通り越して引いてしまう。

 黒桐くん、真面目に今からでも物探し専門の探偵に転職しないか?きっと業界No. 1になれるぞ。

 しかし、彼はこの成果でも満足していないようだ。なんでも半分程度の住人しか調べられなかったとか。いや、半分でも十分凄いぞ。

 

「トウコ、今のリストちょっと」

 

 橙子が住人名簿を見ていると、なにか興味でも惹かれたのか式が覗き込む。

 

「……だよな、こんな珍しい名前、二つとない」

 

 なにか合点がいったのか、式は橙子に足になるものを貸すようお願いした。それならバイクがある、と橙子は答える。

 すると、式は革ジャンを羽織り、古刀を持って地下ガレージへと向かう。

 

「──―式!」

 

 黒桐くんが式を呼び止める。その声は、不安の色を帯びている。

 

「? なんだよ幹也。オレ、なにか悪いモノでも憑いてる?」

「……いや……なんでもない。夜にアパートに行くから、その時にしよう」

「なんだ、ヘンなやつ。解った、夜だな。その時間までには戻るぜ」

 

 颯爽と式は事務所を出て行く。

 彼女を見送る黒桐くんの背中は、言いようのない不安に震えているようだった。

 

 

 

 

 

 

 一時間後、橙子が黒桐くんを連れて小川マンションへと向かった。

 俺と霧絵ちゃんはお留守番だ。四人で行く必要はないし、なにより霧絵ちゃんをひとりにしておく訳にはいかない。

 

「あの……」

 

 仕事が一段落し、手持無沙汰になったので早めのティータイムにいそしんでいると、霧絵ちゃんがおずおずと手を挙げた。

 

「アルスさんは、橙子さんについていかなくてもよかったんですか?」

「使い魔なのに、工房から離れる主を見送ってもいいのか?ということかな」

「はい。小川マンションの件が、わたしに霊体を与えた魔術師と関係している可能性があるなら、アルスさんも橙子さんについていくべきなんじゃないかなって……」

 

 驚いた、彼女は小川マンションの事件概要を聞いただけで察してしまったらしい。以前から頭のいい子だとは思っていたが、そこまで頭が回るとは思わなかった。

 しかし、そうなると霧絵ちゃんはいらぬ罪悪感を抱えていることになる。

 

「心配いらない。こうして分担行動するのが、現状の最適解だからね」

「最適解、ですか」

「ああ。現状最も防がなくてはいけないことは、霧絵ちゃんに危害を加えられることだ。やつが再度君に関わる可能性は低いだろうが、万が一ということもある。目的が解らない以上、唯一接触した霧絵ちゃんをひとりにする訳にはいかない。それに、俺が橙子たちについていかないことも、彼女たちを守ることに繋がるんだ」

「ついていかないことが……ですか?」

「ああ、魔術師というものはな、神秘の露呈を防ぐために一般人には極力関わらないんだ。それが、拠点に立ち入った人間でもな。スルーせざるを得ないんだ」

「そうなんですか?魔術師なら、記憶を消すとか簡単にできるんじゃ……」

「神隠しや狐憑きが通用した昔ならいざ知らず、現代では異常があれば徹底的に調べつくされる。記憶を消された本人ではなく周囲がだ。運よく見逃される可能性もあるが、本人が唐突に思い出す可能性も否定できない」

「……つまり、仮に小川マンションが魔術師の拠点だったとして、一般人である黒桐さんを連れて行けば……」

「おいそれと手出しはできない、という訳だ」

 

 やっぱり、霧絵ちゃんは頭がいい。今の説明だけで黒桐くんを連れて行った理由にたどり着くとはな。

 

「まぁ、この想定が杞憂で何事もないのが一番だけどね」

 

 淡い期待を抱きながら、空のカップを見つめる。

 願わくば、何事もありませんように……。

 

 

 しかし、その願いは無情にも打ち砕かれてしまう。

 その日の夜、俺は橙子からとある事実を告げられた。

 黒桐くんが調べきれなかった住人が捏造された架空のものだったこと。小川マンションに文明社会と魔術協会、二つの目線を欺く究極の結界が張られていたこと。そして、この二つから導き出される結論──―荒耶が小川マンションに関与している事実を。

 

 

 

 

 

 翌日、橙子が黒桐くんに捏造された住人について説明しているとき、そいつはやってきた。

 

「黒桐、霧絵。そいつを持って壁際に立て。指には嵌めるな。すぐに客がやってくるが一切喋るんじゃないぞ。そうすれば客はおまえたちに気づかず立ち去る」

 

 鬼気迫る様子で、橙子は机から姿隠しの指輪を取り出し二人に渡す。クソ、昨日の今日で侵入者とはな。小川マンションを調査したのがきっかけか?

 二人が慌てて壁際に立つ。直後、コンクリート製の床を踏み鳴らす甲高い足音が聞こえる。

 それは迷うことなく事務所前までやってきた。そして、ひとりでに扉が開かれる。

 扉の向こうには、赤いコートを着た金髪の美男子が立っていた。

 そいつを、俺は知っている。

 ああ、まさか荒耶だけでなくお前も敵になるとはな。

 

「やあアオザキ!それにアルスも!久しぶりだね、ご機嫌いかがかな?」

 

 時計塔時代、俺の弟弟子であり橙子の同期でもあった、コルネリウス・アルバが現れた。

 

「コルネリウス・アルバ。シュポンハイム修道院の次期院長の貴様がこんな僻地に何の用だ」

 

 歓迎していない素振りを隠そうともせず、橙子がアルバに問いかける。

 

「ははは、そんなの決まってるだろう。キミたちに会うためさ!ロンドンでは世話になったからね、忠告しに来たんだ」

 

 それとも私の好意は迷惑かい?とアルバは笑顔で嘯く。

 そんなこと欠片も思っていないだろうに、よく口から垂れ流せるな。

 橙子の冷たい目線も気にせず、アルバはマシンガンのように軽い言葉を並べていく。

 日本は僻地ゆえ協会の監視がぞんざいだとか、日本独自の組織は閉鎖的だとか……本題に入らず無駄話ばかり口にする。

 冷めた目でアルバを眺めていると、グルン、と顔がこちらに向けられる。どうやら、矛先がこちらに回ってきたようだ。

 

「キミはいつまで時計塔に戻らない気でいるんだ、アルス?仮にもロード・バリュエレータの一番弟子であるアルス・キュノアスがいつまでもアオザキに付き合って逃亡生活を送るなぞ、魔術世界における大いなる損失だ!積み立ててきた功績があれば逃亡を手助けした罪なぞ帳消しできるだろうに」

「そいつは無理な相談だな。使い魔が主を見捨てる訳にはいかないだろう?」

「使い魔……?なんのこと──―ッ!?」

 

 顔を驚愕で歪ませ、俺と橙子を交互に見るアルバ。

 さすがに、繋がれたパスを見逃すほど耄碌していないようだ。

 

「なんということだ……七代続いたキュノアス家の当主、加えて創造科(バリュエ)の麒麟児とまで謳われたキミが、よもやアオザキの使い魔に成り下がっていたとはな……!!キミには、魔術師としての誇りがないのか!?」

「そんなもの、とっくの昔に捨て去ったよ。今の俺は、蒼崎橙子の使い魔、ただのアルスだ」

 

 俺の宣言に言葉を失うアルバ。

 追撃するように、橙子が口を開く。

 

「無駄話をしに来たのならばお帰り願おう。私たちの工房に無断で侵入したのだ。殺されないだけありがたく思え」

「くっ……。無断で侵入した件ならば、それはお互い様だろう。キミだって、昨日連れと一緒に侵入してきたじゃないか」

「ほう、あのマンションはおまえの工房だったのか。それは認識を改めねばならないな。私はてっきり、荒耶によるものだと思っていたよ」

「ほう、そこまで見抜いていたのか。だが見縊るなよアオザキ。あれは私の技術あっての世界だ。私の力がなければ成立しない異界なのだよ」

 

 自らの実力を誇示するかのように、アルバは声を荒げる。

 

「そうかそうか。で、本題はなんだアルバ。わざわざ自慢しに来たわけでもあるまい?」

「フン、相変わらずだねアオザキ。……よかろう、アルスも焦れているようだから、本題に入ろうじゃないか。キミたちの本拠地にいるのも疲れるからね。つもる話は私の世界にて続けようじゃないか。──―太極は預かったぞ」

 

 告げられた言葉に、俺たちは衝撃を受けた。

 彼は宣言したのだ。太極──―つまり、両儀式を拉致監禁したと。

 

「太極の中に太極を取り込んだのか……。本気で根源へと至るつもりか?やめておけ。その行為は抑止力を招くものだ。世界か霊長か、どちらかは解らないが、アレを退けることを成し遂げた者はひとりとして存在しない。自ら破滅に飛び込むか、アルバ」

「抑止力?ああ、それなら問題ない。アレは道を開く行為には目敏いが、元から開いているモノを辿る行為には関知しない。解決済みの問題なんだよアオザキ。それでも、事は慎重に進めるがね。リョウギというサンプルは丁重にもてなすさ」

 

 視界の端で、黒桐くんの目が見開かれる。

 いかん、式の名を出されれば──―

 

「お前!式になにをしたんだ!!」

 

 予想通り、黒桐くんは叫んでしまった。

 橙子とアルバ、二人同時に黒桐くんに振り向く。

 橙子は、なにやってるんだ莫迦、と言わんばかりに顔を顰め。

 アルバは、呆然と黒桐を見つめる。が、すぐに新しいおもちゃを見つけた子どものように顔を喜悦で歪めた。

 

「なんだ、昨日の少年ではないか。弟子は取っていないと聞いていたが、ちゃんと取っているじゃないか。──―ああ、そうか。フジョウキリエの姿がないと思えば、そんなところにいたのか」

 

 アルバが虚空に文字を刻みはじめる。

 あれは──―エイワズ!退去のルーンか!

 刻み終えると、霧絵ちゃんを包み込む力が無効化される。

 

「はっはっは!わざわざ礼装で隠れさせるとは、ずいぶんと大切にしてるじゃないか。愉しみが増えてしまったな!」

「二人は弟子でも何でもない……と言ったところで無駄か」

 

 溜息を漏らす橙子。

 

「用件はそれだけか。わざわざ報せを持ってきたのは感謝するが、私たちが協会に報告するとは思わなかったのか?」

「そんなツマラン真似、キミたちがするわけなかろう?それに、やつらが遥々イギリスからやってきてもニホンの魔術組織との折衝も含め一週間以上かかるだろうよ!」

 

 ひとしきり笑うと、アルバは踵を返す。

 

「それでは、また。キミたちも準備があるだろうが、早めの再会を楽しみにしているよ」

 

 足取り軽やかに、赤い弟弟子は伽藍の堂から立ち去って行った。

 

 

 

 

 

 

「橙子さん!今のはどういう事だったんですか!?」

「簡単な話だ。式が小川マンションに拉致監禁されたのさ」

 

 食い入るように詰め寄る黒桐くんを、橙子はさらりと受け流す。

 その際、彼女はチラリとこちらに視線を向けた。

 視線に込められた意図を察し、三階の工房に足を運ぶ。

 扉を開け、新たに増設したクローゼットを開ける。

 そこには、蒼いコートが掛けられていた。俺の戦装束だ。

 それを身に纏うと、今度は橙子の私室に向かう。目的は、これまたクローゼットだ。

 クローゼットを開くと、()()()()が目に入る。人が入れるほどの大きな茶色と蒼色の鞄と、一回り小さいオレンジ色の鞄。

 オレンジ色の鞄を取り出し、事務所へ戻ると、ちょうど彼女も準備を終えたようだ。胸ポケットにしまってある煙龍の箱を黒桐くんに預けていた。

 

「橙子」

「ご苦労。これで準備は整ったな」

 

 黒桐くんたちに背を向け、地下ガレージへと向かう。

 

「アルスさん!橙子さん!」

 

 今まで沈黙を守っていた霧絵ちゃんが、俺たちを呼び止める。

 

「無事に、帰ってきてくれますよね?……わたしたちを残していかないですよね……?」

 

 彼女の瞳は、不安に溢れていた。霧絵ちゃんは理解しているのだろう。これから俺たちが死地に向かうことを。

 彼女の不安を払拭するかのように、努めて明るい声音で宣言する。

 

「大丈夫、夜までには式を連れて帰ってくるさ。霧絵ちゃんと黒桐くんは、美味しい紅茶の準備でもしてのんびり待っていてくれ」

「……約束、ですからね……」

「ああ、約束だ」

 

 今度こそ、俺たちは地下ガレージへと向かう。

 式を取り戻す。その覚悟を胸に、死の蒐集家と赤い魔術師の待つマンションへ突入するために。

 

 




次回、小川マンション。


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13:食前酒

実はアルバってむちゃくちゃ強いんですよね。
実力的にはケイネス先生に匹敵します。ただ相性が悪くて彼には勝てないだけで。

今回のお話は、メインを頂く前の食前酒となっております。


 時刻は日没間近。

 荒邪とアルバの工房であり、両儀式が拉致監禁されている小川マンションに、二つの人影が現れる。

 赤髪のポニーテールに赤橙のロングコートを身に纏った女性と、蒼髪にこれまた蒼いロングコートを身に纏った男性。

 蒼崎橙子と、その使い魔アルスだ。

 二人はマンションを一瞥すると、マンション内部へと歩き出す。

 ガラス張りの西棟ロビーに到達する。夕陽に照らされ、全てが赤く染まっている空間。

 アルスはエレベーターに視線をやる。が、彼の考えを否定するかのように蒼崎橙子はエレベーターに背を向け移動する。

 アルスは特に文句を言うこともなく、彼女に続いた。使い魔は主に従うもの。自らの意思は関係ないと言わんばかりに。

 やがて二人はもう一つの東棟ロビー───このマンションのロビーは、居住区と同じく東西で分たれているのだ──―に到着する。

 そこは、半円形の広い空間だった。

 二階を吹き抜けにして繋げた大広間といったところか。西棟ロビーとは違いマンション内部に位置するこの空間は、夕陽ではなく電灯に大理石の床が照らされている。

 

「驚いた、性急なんだなキミたちは」

 

 男性にしては甲高い声がロビーに響く。

 視線を二階へ向ける。そこには緩やかな勾配を描く階段があり、その途中に赤い魔術師が立っていた。

 

「だが、そこまでして私に会いにきたことは嬉しく思うよ。ようこそ最高位の人形師にその使い魔。私のゲヘナにようこそ」

 

 

 

 

 

 

地獄(ゲヘナ)?」

「そうとも。ここはヒンノムの谷にあった火の祭壇の再現だ。罪人を焼き殺し、業を凝縮し煮詰める溶鉱炉さ。あいにく神殿の主は不在だがね。解るかいアオザキ、アルス?ここは外界と切り離された別世界なんだ。道を辿る準備はとうにできているのさ」

 

 自慢げに語る魔術師を、人形師と使い魔はあくまで感情を押し殺した目で見つめる。

 

「ふん、アグリッパの直系がユダヤかぶれとは皮肉だな。そんなんだから、おまえはここの本質に気づかないんだ。地獄だと?そんなもの世界中に溢れている。人知を超えた殺戮を見たければ戦場に、理不尽な死を見たければ最貧国にでも行けばいい。……ああ、両方兼ね備えた領域もあるな。アインナッシュでも観察すれば、ちっとは見識が広がるんじゃないか?」

 

 かこん、とゆっくり鞄を置く。

 

「ここはな、煉獄なんだよ。小罪を犯したが故天国にも地獄にも行けず永遠の責め苦を与えられる魂の在り処。苦しみを生み出すだけのウロボロスの輪。こんなもの、なんら魔術的な意味を持たない。──―少なくとも、部外者のおまえではな」

 

 弾丸のような言葉に、アルバの顔がピクリと引き攣る。

 

「太極図の具現はおまえのアイディアではないのだろう?いいから荒耶を出せ。何を求めているか知らんがここにはおまえの期待に沿えるものはない。さっさとシュポンハイムに戻れアルバ。先の忠告の礼としてそれだけは言っておいてやる。むろん、使い魔にも手出しはさせん」

 

 さて、と橙子は周囲を見渡した。アルスも同様だ。その行動は、眼前の魔術師をいないものとして扱っている。

 そんな二人を、アルバは今にも泣きそうな、殺意に満ち溢れた目で見つめる。

 

「キミは、いつもそうだ」

 

 心の奥底に積もり積もった感情を絞り出すように。

 

「昔から、そうやって私を過小評価する」

 

 丹念に育まれた感情を、凝縮して吐き出すように。

 アルバは呪詛じみた激昂を撒き散らす。

 

「ルーンだって私が先に専攻していた。人形師としての地位も不動のものだった。しかし、おまえが我が物顔でのさばるせいで低能な連中はみな誑かされた!おまえが上で私が下だと?ふざけるな!私はシュポンハイム次期院長なのだぞ?魔道に人生を四十年以上捧げた私が、なんだって二十かそこらのガキの──―」

「──―節穴だな、アルバ」

 

 ピタリ、とアルバの動きが止まる。

 今まで沈黙を守ってきた使い魔の言葉が、彼の激情を一瞬で冷やしたのだ。

 

「時計塔で橙子の何を見てきたんだ。魔術の腕か?芸術家としての資質か?重ねてきた家の歴史か?いいや、そのどれでもない。お前は、外見(そとみ)ばかり気にしていたんだ。残酷なことを言うようだが、時が全てを解決するならば、才能なんて言葉は生まれないんだ。いいかアルバ、それが理解できていないから、いつまでも中身が追い付かないんだよ」

 

 使い魔の言葉は、この上ない侮辱としてアルバに突き刺さる。

 みるみる顔が憎悪で歪む様子を尻目に、橙子は使い魔の真意を読み解く。

 戦闘時、彼は一切発言することはない。言葉を介さず意思疎通できるという理由もあるが、使い魔という立場を弁えているからだ。

 使い魔とは、主に使われる道具。主の意思を十全に全うするだけのもの。

 独りでに行動するのは道具失格だ。アルスの美意識に反する。

 しかし、彼は美意識を曲げてでも発言した。

 それは──―もしかしたら不甲斐ない弟弟子に対する、兄弟子の優しさだったかもしれない。

 

「──―まだ、私の目的を話していなかったね」

 

 努めて冷静に、アルバは言葉を紡ぐ。

 

「実を言うと、アラヤの実験なぞどうでもいいんだ。私は根源の渦なんて不確かなものには興味はない。だいたい、神の領域に触れるのならばグノーシスを走ればいい」

 

 言葉を発するたびに、アルバは一歩一歩後退する。

 

「アオザキにリョウギシキの情報を伝えたのは私の独断だ。アラヤはリョウギシキとの戦闘によって命を落とした。相打ちになったのだよ。よって、この異界は私のものとなった。しかしね、私はやつの実験を引き継ぐつもりなぞ毛頭ない!何故なら、わたしがこんな僻地にやってきたのは、アオザキ!おまえを殺す為だからな!」

 

 甲高い笑い声を響かせながら、アルバは踵を返して二階へと駆け上がっていく。

 その様子を、二人はただ黙って見送るしかなかった。

 何故なら、一階にはアルバの悪意が満ち溢れていたからだ。

 その悪意を一瞥すると、橙子は今までの全てを上回る侮蔑と嘲笑を込めて言った。

 

「──―スライムか」

 

 どろどろの悪意たちを、彼女は簡潔に表現する。

 しかし、それらはそんなに単純なものではなかった。クリーム色の粘液たちは、急速にカタチを成していく。

 あるモノは騎士に。あるモノは狼に。あるモノはライオンに……。

 主の敵を滅ぼさんと、急速に数を増やしながら二人を囲んでいく。

 

「全く、このような場でその程度のモノしか具現化できないとはな。今日で何度失望させるつもりだアルバ」

 

 心底失望した顔で、蒼崎橙子は吐き捨てる。

 そんな彼女を護るかのように、使い魔が一歩踏み出す。

 手を懐に伸ばし──―

 

「──―待てアルス。元々やつの目的は私の首だ」

 

 戦闘態勢に入ろうとする使い魔を、主が諫めた。

 

「ならば、私自ら相対せねば失礼というものだろう。それが出来損ない相手でもな。──―出ろ」

 

 カツン、と橙子はつま先で鞄を蹴り、威厳に満ちた声で命令を下す。

 すると、パカリと独りでに鞄が開かれる。その中にはなにもなかったが──―同時に、二人の周囲を黒い影が駆け巡る。

 その影の勢いは凄まじく、まるで魔術師の主従を中心とした台風のようだった。

 ……数秒後、台風が収まるとロビーを埋め尽くしていたスライムは台風一過のように跡形もなくなっていた。

 そこには、主と使い魔、閉じられた鞄に巨大な黒猫だけが存在していた。

 

「なんだ……それは……」

 

 想像だにしなかった状況に、アルバは目を白黒させる。

 狼狽を隠せない魔術師へ、黒猫は顔を向ける。

 黒猫は、およそ通常とはかけ離れた姿だった。その身は蒼崎橙子より大きく、姿は影絵のように平面的だ。

 そしてなにより、瞳が異質だった。エジプトの象形文字を崩したかのような、およそ瞳とは言えないカタチをしている。

 

「お、おまえの使い魔は妹に破壊されたというのは偽りか!?」

 

 恐怖心を隠すかのように、アルバは喚きたてる。

 対し、橙子は首を竦めるだけだ。言葉はなく、ただジジジジジという音だけがロビーのどこかで鳴るのみ。

 

「不味いものを喰わせて悪かったな。だが次のは多少美味いだろう。エーテル体ではなく実の肉で、四十年以上神秘に触れている、いわゆる熟成肉だからな。ああ、私の同期だからといって遠慮することはない。いつも躾けてあるだろう?『敵対者は滅ぼせ』と」

 

 さぁ行け、と蒼崎橙子は敵対者を指さす。

 とたん、黒猫は疾走する。

 一階のロビーから、敵対者がいる二階まで。

 スピードは速く、何事もなければ十秒足らずで到達するだろう。

 しかし、それを黙って見ているアルバではない。

 ステッキを構え、呪文を詠唱する。

 

Go away the shadow.(影は消えよ。) It is impossible to touch the thing which are not visible.(己が不視の手段をもって。)Forget the darkness.(闇ならば忘却せよ。)It is impossible to see the thing which are not touched.(己が不触の常識にたちかえれ。)The question is prohibited.(問うことはあたわじ。)The answer is simple.(我が解答は明白なり!)I have the flame in the left hand.(この手には光。)And I have everything in the right hand(この手こそが全てと知れ)────」

 

 限界まで速く、しかし落ち着いた呪文の詠唱がアルバの口から発せられる。

 それを聞き、ほぅ、と主従は感心する。

 ──────魔術とは、世界を変革する手段だ。

 世界のルールたる魔術基盤にアクセスし、術者の望む結果を実現させる(すべ)

 しかし、ただ呪文を唱えるだけでは現実世界に変革は起こらない。

 魔術を行使する条件──―それは、現実世界を改変できる確信と相応の集中力。

 そんなエゴイストになる為には、個人個人に合った呪文が必要になる。

 それは何故か。理由は、呪文とは自己暗示に他ならないからだ。

 思い込みと集中力を、自己暗示によって増幅させる。自己暗示である呪文が長ければ長いほど、その効果は強力なものとなる。しかし、長すぎれば効果は落ちてしまう諸刃の剣でもある。

 そして、アルバの呪文はそうした意味では素晴らしいものだった。冗長ではなく、効果的な韻を踏み、発音に二秒と掛からない。

 主従が知っていた頃より、確実にアルバは成長していた。

 

I am the order.(我を存かすは万物の理。) Therefore,you will be defeated securely(全ての前に、汝。ここに、敗北は必定なり)────―!」

 

 ステッキを黒猫に突き出し、詠唱が完成する。

 瞬間、階段に差し掛かった黒猫の足元から、青い炎が噴出した。

 ゆうに一万度を超える炎が、黒猫を焼き尽くさんとジェット噴射の如く燃え上がる。

 骨どころか鉄さえ蒸発させる炎だ。アルバは、己の魔術が確実に蒼崎橙子の使い魔を消滅させたと確信した。

 

「ば、馬鹿な……」

 

 しかし、彼が見たのは傷一つない黒猫の姿だった。

 

Repeat(命ずる)……!」

 

 目の前の現実を否定する為に、アルバを呪文を唱える。

 しかし、黒猫は慣れたと言わんばかりに悠然と歩を進める。

 

「Repeat!」

 

 黒猫は、進み続ける。

 

「Repeat!」

 

 アルバの懇願にも似た詠唱など気にせず。

 

「Repeat!」

 

 口を、人ひとり丸のみにできるほど大きく開け。

 

「Repe──―」

 

 アルバを、丸ごと呑みこんだ。

 




やったか!?


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14:奥の手

キリがいい所まで執筆したら過去最長になりました。
といっても6000文字くらいですが。
お待たせしました。矛盾螺旋編、最大の山場です。


「──―王顕」

 

 不意に、短い韻が流れた。

 ピタリ、と黒猫の動きが縫い留められる。

 主従は、ようやくかと目線をアルバたちの背後へと向けた。

 そこには男が立っていた。

 この世の苦悩を全て浴びたかのように険しい貌を携えた、黒い怪僧。

 まるで瞬間移動したかのように出現した怪僧は、無造作に黒猫の口へ腕を突っ込み、中からアルバを引っ張り出す。

 そして、無造作に背後へと投げ捨てた。黒猫は、怪僧の周りに展開された三重の結界の一つに触れてしまい動けない。

 

「ようやくお出ましか、荒耶宗蓮」

 

 そう。この怪僧こそ、巫条霧絵に霊体を与え両儀式を拉致監禁した、全ての黒幕──―荒耶宗蓮である。

 

「──―久しいな、蒼崎、アルス」

「同窓会がこの場なのは、お互い不本意だろうがね」

「………………」

 

 再会の挨拶に、橙子は軽口、アルスは構えで答える。

 

「アルバが出過ぎた真似をしたようだな。本来ならば、誰にも知られぬ内に事を進めるつもりだったが……。アルスが巫条霧絵を導いた時点で、結末は決まっていたようだ」

「ああ、抑止力も粋な真似をするものだ。まさか同年代の娘ができるとは思わなかったよ」

 

 荒耶と言葉を交わしながら、ジリジリと橙子は壁際へと移動する。

 今相対している相手は、アルバより数段格上の相手だ。

 それは、アルバが弱いという意味ではない。むしろ、彼は魔術師としては相当上位にいる。

 ならば何故荒耶はアルバより格上なのか……それは、小川マンションの真の主だからだ。

 出来損ないのスライムを大量に具現化することしか場の能力を引き出せないアルバと違い、荒耶は100%引き出せる。

 いくら優秀な使い魔が警戒しているとはいえ、徒に負担を増やすわけにはいかない。彼女は、自らに危険が及ぶ範囲を前方に集中させた。

 

「それで、このマンションは何の為の装置なんだ?東西に生と死を分け、生きているのに死んでいる矛盾を成立させる為のものではあるまい。いくら死を繰り返しても、おまえの望むものが手に入らないことくらい解っているはずだ」

「無論だ。だがおまえたちが知りえない真実もある。確かに、私は死の数ばかり数えていた。しかし、それでは意味がなかった。万を超える死と魂の拡散を経ても辿りつけるのは『起源』のみ。とても根源には近づけない。そして、悟ったのだ。死をいくら我が身に蓄えても意味はない。死を『純化』させることこそが道なのだと」

「ふん、物事を単純化させるのが世界の真理とでも言いたいのか。それは違うぞ荒耶。太極に代表されるように、世界は多様性によって形作られているんだ」

 

 警戒を解かず、橙子は思考を走らせる。

 小川マンションは死と生の螺旋を崩壊する日常生活という加工方法を用いることによって、人間の死の原型を精製し続けている。今まで荒耶が一つ一つ手作業で行っていた事を、この建物はオートメーション化することによって継承したのだ。

 

《つまり、ここは奴の体内という訳だ》

《ああ、警戒を続けるんだ橙子。この場限定だが、荒耶は魔法使いに等しい存在となった》

 

 魔法使い。嫌な響きだ……。どうしても、妹のことを思い出してしまう。

 僅かに顔を顰めながら、橙子は荒耶に問いかける。

 

「根源への道を開くというのか?確かに、太極を体現したこのマンションなら開くことはできるだろう。しかし、門から真っ先に出てくるのは抑止の守護者だ。我らは我らである以上、やつに決して勝つことはできない」

「問題ない。すでに対処法を確立している。根源への道を開けないのであれば、根源に到達する資格を持つ者を利用するまで。生まれた時から「 」に繋がる肉体を持つ、類まれなる資質を有する存在を」

「そうか。だから両儀式を破壊することにしたのか。式という存在を消して、両儀式を現す為に」

「否。二年前の私ならばそうしただろう。しかし、今は違う。──―私は、式の肉体を貰い受ける」

 

 堂々とした発言に、主従は揃って口を開け愕然とした。

 彼女たちは優秀な魔術師だ。故に、荒耶が言い放った方法を一瞬で理解し思考がフリーズしてしまったのだ。

 

「まさか、自分の脳髄を式の肉体に移植するつもりか!?」

 

 なんて悪趣味な、と悪態を吐く橙子だが、荒耶は動じない。

 

「しかし、それならば式はまだ無事という事だな。念のため訊くが、式を返すつもりはあるか?」

「欲すれば、好きにしろ」

「つまり戦うしかないという訳か。ならば、選手交代だな」

 

 ザッ、と。

 今度こそ、蒼崎橙子の使い魔たるアルスが戦闘態勢に入る。

 

「……そうか、残念だ。かつて共に根源を目指しあった者同士、協力する道もあり得るはずだったが──―蒼崎、何故おまえは諦めた。何故魔術師としての本能を否定する。何故──―堕落したのだ」

 

 男の双眸が怒りで燃え上がる。それはまるで、信頼する同志に裏切られた者のようであった。

 

「否定はしない。確かに、私は堕落しただろう。かつて憧れを抱いた仙人の在り方から、遠く離れた場所に位置している。だがね荒耶、時計塔で過ごすうちに私は気づいてしまったんだ。人は独りでは生きていけない。どうしても、繋がりを求めてしまうものだと。繋がりをもって、世界に爪痕を残す存在なのだと。それが、魔術師という人種ならなおさらだ。──―我々は繋がらなければ生きていけない、弱い存在なのだよ」

 

 蒼崎橙子の独白がロビーに重く響く。

 しかし、男は止まらない。彼女を知る者が聞けば間違いなく衝撃を受ける独白すら、彼を止めるに至らない。

 

「……哀しいな蒼崎。よりにもよって、人間であることを自ら望むとは」

 

 ピシリ、と空気が張り詰める。

 魔術師の殺意がロビーに充満し、呼応するかのように使い魔の殺意も膨れ上がる。

 もはや衝突は避けられないと悟った蒼崎橙子は、最後に魔術師として荒耶宗蓮に問いただした。

 

「アラヤ、何を求める」

「真の叡智を」

「アラヤ、何処に求める」

「ただ、己が内にのみ」

 

 男の答えは、一片の曇りもなかった。

 そして、その回答をもって火蓋は切られ──―使い魔が、男に明確な殺意を持って疾走した。

 

 

 

 

 

 荒耶に向かい、アルスは疾走する。

 その両腕は、鈍色の手甲によって覆われている。彼が自分専用に拵えた礼装だ。

 魔力を通すと、呼応するかのように手甲が光り輝く。同時に、腕を囲むようルーンの円環が出現した。

 硬化、強化、加速、相乗……対象を強化する効果を秘めたルーンは、術者の望み通り力を与える。

 アルスは真っすぐ荒耶を睨みつけ、絶命の一撃を与えるべく拳を握りしめ、地を蹴った。このまま何事もなければ、一秒と経たず彼の拳は荒耶の結界を打ち破ることになるだろう。それほどの神秘と威力を秘めている拳だ。

 無論、それを許す荒耶ではない。

 彼は両腕を伸ばすと、掌をアルスと橙子、同時に二人に向ける。

 そして──―アルスの目が見開かれる。

 

「──―粛」

 

 短い呟きと共に荒耶の掌がぐっと握られる/アルスと橙子が大きく横に跳躍する。

 瞬間、目に見えぬ衝撃が彼女たちが元いた場所に襲い掛かった。

 

「……何?」

 

 荒耶が怪訝な顔を覗かせる。

 彼が行った攻撃は単純だ。敵がいる空間を握り潰す。ただそれだけのこと。

 しかし侮ってはいけない。空間の圧縮とは大気の圧縮に等しく、それゆえ目に映ることはない。つまり不可視の攻撃である。威力は絶大であり、一般人が喰らえばプレス機に圧縮されたゴミのように粉砕されることは間違いない。しかも、それほどの大魔術でありながら発動に要する行為は『掌を握る』だけ。

 つまり、敵対者が避けられる要素は皆無……のはずであった。

 しかし、現にアルスたちは荒耶の攻撃を察知し回避行動に移った。

 

「──―粛」

 

 だが、荒耶の行動は変わらない。

 何故攻撃を回避できたか。気になることには変わりないが、考察は彼らを殺した後でゆっくりすればよい。疑問を頭の隅に追いやり、再度掌を握る。

 しかし、結果は変わらない。不可視のはずの攻撃に、アルスと橙子は回避行動を取る。

 

「ならば」

 

 荒耶は両腕に力を込める。

 そして、まるで健康体操のように、繰り返し掌を開閉した。

 

 オンオンオンオンオンオンオン!!!!!

 

 大気が震え、空間が軋み、破壊の嵐が吹き荒れる。空間圧縮の連撃が、アルスと橙子に襲い掛かる。

 それらを、アルスは驚異的な身体能力を持って回避し続ける。魔術師としては異端ながら、『戦闘技術』の研究に全ての心血を注いだがゆえ可能な芸当だった。

 しかし──―ルーン文字と人体構造魔術を専門とした蒼崎橙子には無理な芸当であった。

 

「ぐ……ッ!」

 

 強化の魔術でもって身体能力を底上げしていた蒼崎橙子であったが、ついに空間圧縮に捕まってしまう。

 右足を押しつぶされ、転倒したのを皮切りに不可視の握撃が襲い掛かる。

 

「ぐううぅぅぅぅ……ッ!!」

 

 とっさに守りのルーンを床に刻み、あらゆる魔術系統の回路を遮断するコートと併用して身を護る。が、威力は凄まじく完全に防ぎきる事は不可能だった。コートはボロボロに破れ、耐え切れず膝をつき、口から鮮血が溢れ出す。

 動きが止まった橙子に、荒耶は止めを刺すべく掌を向ける。最大の守りであったコートを失った彼女に、追撃を防ぐ術はない。

 しかし、それを許すほどアルスは甘くなかった。橙子に集中した荒耶の意識の隙を縫うように、地を這う獣の如き低い姿勢で突撃を敢行する。

 

「それを、待っていた」

 

 バン!とアルスの死角にある右腕を左腕に潜らせるように突き出し、握撃を放つ。

 オン、と大気が震え、空間がアルスに襲い掛かる。

 だが、動きは止まらない。全方向からの圧縮が襲い掛かっているはずなのに、それがなんだと言わんばかりに脚の回転を速め、拳を突き出した。

 荒耶に向け、絶命の一撃が放たれる。──―しかし、その拳が届くことはなかった。

 

「通常時なら、その拳はこの身に届いただろう。しかし、内臓まで傷つき減速したおまえでは無理な芸当だ」

 

 不倶、金剛、蛇蝎、戴天、頂経、王顕。

 荒耶宗蓮の身を護る三重結界が光り輝き、あと二メートルというところでアルスの運動エネルギーを零にする。

 

「さらばだ。蒼崎橙子にアルスよ」

 

 動きを止めた敵対者たちの命を握り潰すべく、掌を向ける。

 

 

 

「──―Omit(解放)

 

 

 

 ぼそり、と使い魔の口から詠唱が流れる。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なに」

 

 微かな驚きが口から漏れるが、とっさに右腕を向け握り潰そうとする。

 しかし、それより早く右腕の円環が光り輝き、赤く変色しながら形を変える。

 自身を強化するルーンから、敵を滅ぼす攻撃のルーン──―火の意味を持つソウェルへと。

 

「喰らいな」

 

 ボン!と荒耶の身が炎に包まれる。拳を押し当てた位置には、ソウェルのルーンが刻まれていた。

 

「ぐ……」

 

 アルスを蹴り飛ばす。もろに喰らったアルスはサッカーボールのように吹き飛び、橙子の側の壁へと激突した。

 そして、距離を取ることに成功した荒耶は身を包む炎を消そうと魔術回路に魔力を通す。

 しかし──―

 

「チェックメイトだ」

 

 勝利を確信した橙子の声が響き、縫い留められていたはずの黒猫が大口を開け荒耶の背後から迫り喰らいついた。

 

「が──―」

 

 短い断末魔を上げ、首だけとなった荒耶がロビーの床に転がる。

 その様子を、橙子とアルスは冷静に観察していた。

 

「……終わったようだな」

「ああ、俺たちの勝利だ」

 

 よろよろと壁に手を突きながら立ち上がる橙子の呟きに、喀血しながらアルスが同意する。

 

「全く、今回ばかりは死ぬかとヒヤヒヤしたぞ。こんなこと二度とごめんだな」

 

 さて、監禁されている式を助けるか。と、橙子はエレベーターへと歩を進める。

 

 

 

「──―橙子ッッッ!!!!」

 

 

 

 ドン!と突き飛ばされる橙子。下手人は──―彼女の使い魔たるアルス。

 

「アルス、なにを──―ッ!?」

 

 突然の凶行に、蒼崎橙子は驚愕と共に顔を彼へと向ける。

 そして、あり得ない光景に絶句することとなった。

 

 

 

 ──―背後から抜き手を喰らい心臓を抉り出されたアルスと、凶行の下手人である荒耶宗蓮の姿を。

 

 

 

 

 

 

「アルスッ!!」

「ほう、完璧な不意打ちのはずだが」

 

 蒼崎橙子は叫び、荒耶宗蓮は感嘆の声を上げる。

 

「と、橙子……」

 

 アルスは先ほどとは比べ物にならない量の血を吐きながら、懐に手を伸ばす。

 そして、懐から取り出した石を橙子の足元に投げつけ手を突き付けた。

 

「Omit!Omit!」

 

 詠唱と共に、蒼崎橙子の足元に魔法陣が敷かれる。同時に、懐から古めかしい箒が現れる。

 

「握れぇ!!」

 

 アルスの叫び声に、とっさに橙子は従ってしまう。

 

「──―Omit!!」

 

 最後の力を振り絞るように、アルスは詠唱を唱える。

 そして、箒を握った蒼崎橙子は()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ほう、トーコトラベルとはな。行き先は、伽藍の堂といったところか」

 

 天井から覗く空を見上げながら、荒耶宗蓮は再度感嘆の声を上げた。

 

「……あれは、人形か?」

 

 朦朧とする意識の中、アルスは背後の魔術師へと問いかける。

 

「人形作りでは蒼崎に及ばないが、私にも先達の業がある。人形作りを生業とした妖僧の名、知らぬおまえでもあるまい」

 

 抜き出したアルスの心臓を見つめながら、荒耶宗蓮は発言する。

 

「そして、おまえは間違いなく本物だ。獣の如き脈動を孕む心臓、美しいが仕方あるまい」

 

 ぐちゃり、と泥団子を台無しにするが如く、アルスの心臓は握り潰される。

 

「黒猫の正体も読めた。あれは実態を持たない魔物ではない。鞄から映された映像だな?」

 

 荒耶はじろりと鞄を睨む。すると、異音を立て鞄が砕け散った。

 中から、コナゴナに破壊された映写機が姿を現す。

 

「考えたものだ。投影先のエーテル体を潰されても、本体である映写機が無事なら何度でも蘇る。──―そして、おまえが私の不意打ちに反応できた理由も、こうして直接肉体に触れた今解った」

 

 肉体を解析し、荒耶はアルスの隠し玉を暴き立てる。

 

「おまえには()()()()()()()()()。『未来視の魔眼』といったところか。先ほどの戦闘から察するにごく短い未来しか視認できないようだが、おまえにはそれで十分だったのだろう。今まで隠し通していたのか、はたまた魔眼蒐集列車(レール・ツェッペリン)に乗車したのか……。どちらにせよ、驚嘆すべき事実だ」

 

 僅かだが感情を見せる荒耶。

 

「……まさか、壁から出現するとはな。そんなデカい隠し玉があったとは想像もしなかった……」

「大きさでは、おまえも負けず劣らずだろう。まさか術式の省略だけでなく()()()()()()()すら可能とは……。結界を突破する過程を、それで省略したのだろう?」

「……見せた相手は橙子を除いて抹殺していたからな。俺のとっておき中のとっておきだったんだが……」

 

 震える手で、アルスは胸ポケットに手を伸ばす。そして、煙草を取り出し口に咥え火を点け……ようとするが、肉体の限界が訪れたのか腕が微動だにしない。

 

「……スマンが荒耶、火をくれないか?」

「……よかろう」

 

 一瞬逡巡した荒耶だったが、煙草に術式が付与されていないことを確認し火を点ける。

 

「……あぁ、美味いな……。だが──―」

 

 不味い方がよかったな……。

 最後の言葉は音にならず、ただ空気の振動として口から漏れ出るのみ。

 そして、フゥと吐き出される紫煙はまるで魂のようにも見え……。

 ぽとり、と煙草が床に落下した。

 

 




1.2を争うくらい書きたかったシーンをお見せできて満足。


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15:ある男の絶頂

橙子さんのファンよもっと増えろ!と思いながら執筆しています。
あと、何かの間違いでいいから橙子さんサーヴァントになってFGOに実装されないかな~、とも。


 誰もいない伽藍の堂事務所にて、巫条霧絵はひとり祈っていた。

 共に待機するよう命じられた黒桐幹也はいない。最初は大人しく待っていたが、夜になっても帰ってこないことに痺れを切らしたのか飛び出してしまった。

 

(神様お願いします。どうか、どうか二人を無事に返してください……!)

 

 彼女は、かれこれ数時間は祈り続けていた。それは何故か。

 巫条霧絵は、伽藍の堂から出発する二人を見送る際、言いようのない不安に駆られたからだ。

 それは、彼女にとって二度目の経験であり……一度目は、実の家族を交通事故で失う直前に経験したもの。

 家族を失い天涯孤独の身になる前兆。つまり、アルスと橙子が死ぬということ。

 そんなのは嫌だ、と霧絵は食事も摂らず必死に祈っているのだ。

 

 ──―その祈りが通じたのか、一つの異変が伽藍の堂を襲う。

 

 ドオン!という爆音と共に、伽藍の堂が大きく揺れたのだ。

 

「な、なに!?!?」

 

 地震に襲われたかのような揺れに襲われ、霧絵は尻餅をついてしまう。

 打ち付けたお尻の痛みに耐えながら、彼女は視線を天井──ー正確には、爆音の発生源と見られる屋上へと向ける。

 一体、何が起こったのか……。不安に苛まれながらも、霧絵は階段を登る。

 屋上へと繋がる扉にたどり着き、意を決し開ける。

 そして、屋上に広がる惨状に言葉を失ってしまった。

 

 屋上に設置されていたビニールハウス製の霊草栽培場が、台風の被害を受けたかのように崩壊していたのだ。

 

 ……いや、正確には違う。これは台風などの強風によって齎された破壊ではない。隕石のような、一方向からの衝突によって齎された破壊だ。先程の爆音とビニールハウスの崩れ具合から、霧絵はそう判断する。

 恐る恐る栽培場に足を踏み入れる。予想通り、奥に向かって一直線に破壊の痕跡が続いている。

 視線を奥に向けると、なにかしらの物体が鎮座しているのが見えた。おそらく、これが栽培場に突っ込んだものなのだとあたりをつける。全体像は、影に隠れてよくわからない。

 正体を確かめるべく、霧絵は物体に近づいた。一歩、二歩と近づく度に、その正体が薄皮を剥くように露わになる。

 そして、三歩目を踏み出した瞬間、物体の正体を認識した霧絵は飛び跳ねるように駆け出した。

 

「橙子さん!!」

 

 栽培場に衝突した物体の正体。それは、蒼崎橙子だった。

 

「橙子さん!橙子さん!」

 

 ぐったりと、身動き一つしない橙子を、霧絵は抱き抱え必死に呼びかける。しかし、彼女は目を覚まさない。

 ふと、霧絵は右手に違和感を感じた。なにか粘着質な液体が、自らの右手に触れている。

 液体の正体を確認すると、それは真っ赤な色をしていた。……血液だ。

 蒼崎橙子の血液が、べったりと右手に付着している。

 

「ッ!!」

 

 そこから霧絵の判断は早かった。橙子の右腕を肩に、左腕を腰に回し、血に汚れることも厭わず事務所へと運ぶ。

 絶対に助けるという決意を秘めながら。

 

 

 

 

 

 

 橙子が屋上に着弾してから二時間後。橙子の手当てを終えた霧絵は、彼女をベッドに寝かせ看病を続けていた。

 橙子の顔に浮かぶ汗を拭きとりながら、霧絵は彼女の寝顔を見つめる。

 その顔は、苦しみに満ちていた。眉間には皴が寄り、痛みを堪える為か歯は食いしばられ、大粒の汗が浮き出る。見ているだけで、こちらも苦しくなるほどだ。

 しかし、身体はもっと酷い。服に隠されて初見では解らなかったが、体中いたるところに切り傷があり、右足が骨折していたのだ。

 幸い、緊急時に使用するよう言い含められていた救急箱にあった軟膏のお陰で止血できた。骨折した右脚も、ちょうどいい棒が栽培場に転がっていたので、添え木にして固定済みだ。

 

「橙子さん……」

 

 何故栽培場に突っ込んだのか、何故大怪我しているのか、何故ひとりだけなのか……。

 彼女に訊きたいことは山ほどある。できるならば叩き起こしてでも質問したい。

 しかし、最優先事項は『蒼崎橙子の看病』だ。巫条霧絵は、鋼の意思で誘惑を抑えつける。

 桶を持ち、キッチンへ向かう。新しい濡れタオルを用意する為、使用済みのものは篭に入れ、桶に水を張っていると──―。

 ドン!と重たいものが落ちる音が、橙子の眠る私室から聞こえた。

 何事かと慌てて戻ると、当の蒼崎橙子がベッドから転落していた。それどころか、無理矢理立ち上がろうと両腕を床に突いている。

 

「橙子さん、まだ起きてちゃダメです!酷い怪我なんですよ!」

「ハァ……ハァ……霧絵か。……私は、どれくらい寝ていた?」

「そんなことより、まだ寝ていないと!」

「どれくらい寝ていたッ!!」

 

 突然の怒声に、霧絵はびくりと震える。

 キッ、と橙子が霧絵に視線を向ける。その顔は、霧絵が今まで見た彼女のどんな顔よりも真剣だった。

 

「……二時間くらいです」

「そうか……。ならば、まだ手遅れではないな」

 

 橙子は、霧絵に頭を下げた。

 

「頼む霧絵、()()()()()()()。今すぐ小川マンションに戻らなければ、全てが手遅れになってしまう」

 

 突然助力を頼まれ、霧絵は一瞬フリーズする。

 しかし、すぐさま意識を切り替えた。

 今までは、二人の庇護を受けることしかできなかった。だけど、今度はわたしが二人を助ける番だ!

 

「わたしは何をすればいいんですか?」

「そこのクローゼットにある二つの鞄を出してほしい。片方私が持つ。それから、肩を貸してくれ。無理矢理歩けない訳ではないが、そっちの方が動きやすい。──―ところで、黒桐はどうした?さっきから姿が見えないが」

 

 あ……、と冷や汗を流す霧絵。

 その様子を見て全てを悟ったのか。橙子は深いため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 黒桐幹也が臙条巴と小川マンション突入に向けて作戦会議を行っていた時、彼らの横を車が通過した。

 こんな夜中に珍しいな、と一瞬疑問が浮かぶがすぐに頭の隅に追いやる。今はそんな無駄な事に思考を割いてる場合ではない。

 しかし数秒後、彼らは否応にも車に意識を向けざるをえなくなる。

 急ブレーキの音が響き、先ほど通過した車が急停止したのだ。そしてUターンしたかと思えば、黒桐たちに猛スピードで迫ってきたのだ!

 突然のことに身動き一つ取れなくなる。が、車は二人の前方二メートルほどの位置で急停車し、勢いよくドアが開かれ二人の女性が現れた。

 

「橙子さん!?それに霧絵ちゃんも!」

 

 蒼崎橙子と巫条霧絵だ。

 驚いた様子で二人に駆け寄る黒桐。だが、橙子の怪我を確認し目を見開く。

 

「橙子さん、どうしたんですかその足!?」

「油断の代償というやつだ。それより黒桐、私は事務所で待つよう言ったはずだが?」

 

 う、と罰の悪そうなら顔をする黒桐。どうやら、自分でも悪いことをした自覚はあるようだ。

 

「……まぁ、夜までに式を連れ戻さなかった私たちにも責任はある。これ以上咎めはしない。それより、そこにいる坊やは何者だ?」

「彼は臙条巴。訳あって一緒に行動しています」

 

 鋭い眼光が臙条に向けられる。

 臙条は一瞬たじろいたが、すぐに立ち直る。

 橙子は臙条を観察した。まるで、全身をスキャンするかのように。

 

「……どうやら、全くの無関係という訳ではなさそうだ。よかろう、着いてこい」

 

 霧絵に補助されながら、橙子は車に乗り込む。

 

「着いてこいって、橙子さん、どこに行くんですか!?」

「決まっている──―小川マンションだよ」

 

 

 

 

 

 

 三人の一般人を引き連れ、女魔術師が玄関を潜る。

 向かう先は、夕刻の頃と同じく東棟ロビーだ。

 霧絵に支えられながら、橙子は黒桐と臙条を引き連れ歩く。

 そんな痛々しい姿を見て黒桐は、不安に駆られてしまう。

 魔術師としての、蒼崎橙子とアルスの実力を彼は知らない。知る必要はなかったし、知ろうとも思わなかった。しかし、相当上位に位置するのだろう、ということは普段の彼らの在り方から薄々感じていた。

 そんな二人が、返り討ちに遭ってしまった。その事実が、心胆を寒からしむる。

 黒桐は、ポケットのルーン石をぎゅうと握りしめた。橙子から小川マンションに入る前に手渡されたものだ。

 

『手放すんじゃないぞ。中では私が三人を護るが、万が一という事もある。その石はその為の保険だ』

 

 庭を抜け、ガラス張りの西棟ロビーを抜け、東棟ロビーに入る。

 

「やあ、アオザキにその弟子たちよ!丁度よく来てくれたね!」

 

 瞬間、聞き覚えのある甲高い声が上から聞こえてくる。

 四人が視線を向けると、そこには赤いコートの魔術師──―コルネリウス・アルバがいた。

 

「いやぁ、私は運がいいな!君たちを殺す為に工房に向かおうと思っていたのだが、そちらからやってくるとは、手間が省けたよ!」

 

 高笑いしながら、階段をゆっくり下るアルバ。

 わざと神経を逆撫でするように、高圧的な態度を隠そうともせず四人を見下す。

 そんな彼に対して──―四人は、なにも出来なかった。

 アルバの持つ()()()()を目にしてしまったからだ。

 

 蒼崎橙子は苛立たしげに顔を歪め。

 巫条霧絵は絶望の涙を流し。

 黒桐幹也は吐き気を必死に抑え。

 臙条巴は恐怖で後ずさってしまう。

 

 そんな四人の様子を見たアルバは、愉しげに片手に持っている()()()()を掲げた。

 

「ああ、これが気になってしまうんだね。いい出来だろう?私も気に入っているのさ」

 

 それは、アルスの首だった。

 




アンケートの期限を決めました。
2月3日の夜0時に締め切ります。もしうっかり忘れていたら、4日の朝起床したときに締め切ります。


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16:人形師の使い魔という意味

おそらく今がアルバくんの人生の絶頂でしょうね。
つまり後は下るだけ。


 時は蒼崎橙子がトーコトラベルによって伽藍の堂に着弾した頃にまで遡る。

 地下駐車場に位置する、蒸気と鉄が支配する研究所にて二人の男が言い争っていた。いや、正確には、赤いコートの男が黒衣の男に食って掛かっていた。

 

「約束が違うぞアラヤ!おまえは私にアオザキを殺させてやると約束したではないか!」

「機会は譲った。しかしおまえは失敗した」

「だから代わりに相対したと?だがおまえも失敗したではないか!」

「排除には成功した。使い魔を失った蒼崎は障害になり得ない」

「使い魔を失っただと?嘘はよくないなアラヤ。アルスはまだ生きているではないか!」

 

 アルバが荒耶の横にある物体を指さす。

 それは、鳥籠大ほどの大きさのガラス瓶であった。中身は液体で満たされており、人間の首がフワフワと浮かんでいる。

 アルスの首だ。

 その表情はとても穏やかで、顔だけで判断するならば眠っているように見える。

 

「わざわざ延命処置までするとは、知識が失われるのが惜しくでもなったか?確かに、アルスの脳髄は黄金の鉱脈に等しい。色位(ブランド)の魔術師とはそういうものだ」

 

 アルバの言う通り、アルスはまだ生きている。

 しかし、喋ることも思考することもできない、いわゆる植物人間のような状態だ。これを生きていると見做すのならば、生きていると言えるだろう。

 

「だが忘れた訳ではあるまい。こいつは傷んだ赤色とまで言われた雌狐の使い魔だ。たとえ首だけになろうとも喉笛に喰いついてくるぞ!」

「──―たわけ。口にしてはならぬ名を口にしたな、コルネリウス」

「なに?」

 

 戸惑うアルバに、荒耶はガラス瓶を投げ渡す。

 

「持っていけ。それはおまえのものだ。どうとでもするがいい」

「……確かに受け取った。これをどう扱おうが文句はないな、アラヤ?」

「好きにするがいい。おまえの運命は既に定められた」

 

 意味深な荒耶の言葉も、浮かれているアルバには届かない。

 彼は嫌らしい笑みを浮かべると、小走りで研究所から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 時は戻り現在。得意げにアルスの首を掲げるアルバは、四者四様の反応を見せる橙子たちに向け口を開いた。

 

「いやぁ、アルスの脳髄は素晴らしかったよ。未知の知識が溢れる溢れる!お陰でアオザキの工房に向かうのが遅れてしまったが……。キミたちの方から出向いてくれるとは僥倖だ!」

「アルバ、貴様……」

「おや、怒ったのか?怒ってしまったのかアオザキ?だが魔術師であるならおまえも解るだろう。魔術師の脳髄とはすなわち魔導書だ!それをむざむざと喪失させるのは惜しいというもの。だから私が保存してやったのさ!」

 

 まさに外道の所業と言わざるを得ない行為を嬉々として語るアルバ。

 そんな彼に対し、ついに感情の許容量を超えてしまう者が出てしまった。

 

「お前ぇ!アルスさんになんて事を!!」

「霧絵ちゃん!」

 

 アルバに向けて駆け出そうとする霧絵を、黒桐が必死に抑える。

 それでも霧絵はもがき続ける。恩人を殺した憎き仇を殺す為に。

 アルバの存在を許容できない彼女の瞳は、マグマの如き殺意に満ちていた。

 

「ははははは!敵討ちをするつもりかい?魔術師でもないのに殊勝じゃないか。キミはよほどアルスのことを大切に思っているようだね」

 

 カツン……カツン、とアルバはゆっくり降りていく。

 

「だが安心するといい。先ほども言っただろう、保存してあると。つまりアルスはまだ生きているのさ。周りの音を聞いて、それを判別できるくらいしか機能は残っていないがね。しかも──―」

 

 アルバは両手でアルスの首を掴む。

 そして、その両の目に指を突っ込んだ。

 ぐちゅぐちゅと肉感的な音を奏でながら、眼球がくり抜かれる。

 

「痛覚まで残してあるんだ!アルスは我慢強いようだから声を上げないようだが、激痛が走っているだろうよ!」

 

 アルバは、くり抜かれた目玉を放り投げる。

 べちゃりと橙子たちの眼前に曝される。それを、霧絵は縋りつくように両手に納めた。

 

「あぁ、アルスさん……アルスさんの眼が……」

 

 仇の眼前でありながら、霧絵は蹲って涙をぼろぼろ零し、嗚咽を漏らしてしまう。

 そんな彼女を労わるように、橙子は背中を擦りながらアルバへ問いかけた。

 

「ここまで悪趣味な真似をして何のつもりだ?おまえの目的は私を殺すことだろう」

「その通り。しかし、それも私の目的遂行の手段の一つに過ぎない。──―私はね、おまえを悔しがらせたいんだ。格下と見下した相手に殺されるなぞ屈辱的だろうが、こうやって使い魔を甚振られるのはもっと屈辱的だろう?」

 

 ブチィ!とアルスの耳を引きちぎり、ただの肉片となったものをアルスの口に突っ込む。そして、わざわざ顎を持ち自らの耳を咀嚼させた。

 アルスに対する尊厳凌辱……否、拷問を目撃し、一般人である三人は身動きが取れなかった。親しい人物が凄惨な目に遭っている事実に、心までもが凍り付いてしまう。臙条巴は初対面だが、同様だった。

 しかし、蒼崎橙子だけは動いた。冷静に立ち上がると、手に持った()()()を地面に置く。

 

「おっと、新しい使い魔かい?それともオートマタかな?どちらにせよ私には効かぬよ!先刻の黒猫の絡繰りも判明したし、オートマタでは役者不足だ。それとも、倒せぬまでもアルスを取り戻す気でいるのかい?確かに、おまえほどの腕前を持つのなら延命させるのは容易かろう。もしかしたら新しい身体を作って移植することもできるかもしれない。だがね、それは無意味なんだよ。何故なら──―」

 

 アルバの両手が、万力のようにアルスの首を挟み込む。

 そして、リンゴが砕かれるようにアルスだったものは多数の肉片へと姿を変えてしまった。

 

「これで、もう死んでしまった」

 

 赤い魔術師の甲高い笑い声と、恩人が死んだ現実を認めたくない女性の絶叫。二つの感情がない交ぜとなりロビー中に響き渡る。

 アルバは笑いながら、侵入者たちに視線を向ける。フジョウキリエがあれほどの悲しみを発露しているのだ、他の者たちもさぞやいい表情をしているに違いない、と。

 フジョウキリエは予想通りだ。溢れる涙を拭おうともせず呆然と肉片を見つめている。

 弟子の少年もいい顔をしている。必死に吐き気を抑えながらも、その目は怒りに満ちている。

 エンジョウトモエ……マンションから逃げた人形の目にも怒りが渦巻いている。いや、あれは殺意か?人間を弄ぶ私に殺意を抱いているのか!

 三者三様の反応に、アルバは満足した。自らの足元にも及ばない弱者から向けられる負の感情に、彼の自尊心は大いに満たされる。

 さて、最後はメインディッシュのアオザキだ。どんな顔をしているか……と、橙子に目線を向けた時、アルバは目を疑った。

 蒼崎橙子。首だけでむりやり生かされ、拷問の末に惨たらしい死を与えられた使い魔の主。

 彼女の貌は……笑っていた。口角を上げ、嬉しくて堪らないと言わんばかりに。

 

「なんだ……なんなんだその顔は!?ただの使い魔ではない!おまえが最も心を許しているアルスが死んだというのに、その顔は一体なんなんだ!?」

 

 アルバは恐怖した。最も近しい身内と言えるアルスを失ったというのに、悲しむどころか喜ぶ蒼崎橙子に。

 そんな彼を見て、蒼崎橙子はさらに笑みを深める。

 

「礼を言わせてもらうよ。ありがとうコルネリウス、()()()()()()()()()()

「最悪を、回避だと……?アルスが死んだことの、どこが回避だと言うのだ!?」

「私にとっての最悪が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だったんだよ。おまえの腕はよく知っているからな。首だけ生かして延々と知識を吸い出していただろうさ」

 

 橙子の指摘に、アルバはうぐと言葉に詰まる。

 確かに、その案も考えていた。アオザキトウコへの復讐を、欲張らずにアルスの首を持ち去るだけに留める。若干の不満は残るが、アルスの知識を手に入れられるのならばアリだと思った。

 しかし、アルバは更なる復讐を求めた。

 

「だ、だが、アルスの死が最悪でなければなんなのだ!彼はもはやこの世界には存在していないのだぞ!」

「こういうことだよコルネリウス。起きろ、この大寝坊助」

 

 ガツン、と橙子が蒼い鞄を蹴る。

 すると、影絵の魔物が収められた鞄と同様にぱかりと開く。

 ただ、今回は貝のように縦に開き、中身が視認できるという点で違いがあった。

 中身は、人形のようだった。身長は二メートル弱ほどだろうか?蒼色の髪に、蒼色のコートを着ている。

 そこまで確認して、アルバはゾッと総毛立った。まさか、あれは!いや、そんなことはありえない!!だがしかし……。

 ぐるぐるとありえない結論が脳を駆け巡り、否定と肯定のいたちごっこを繰り返す。

 ぴくり、と人形が動く。アルバの目はさらに人形に釘付けとなった。もはや自力では逸らせない。

 ゆっくりと頭部が動き、髪の毛の間から()()()()が見える。

 そして、人形の顔がこちらに向けられた瞬間、アルバはみっともなく叫びだしそうになってしまった。

 

「お、おまえは……おまえは……ッ!!」

 

 ゆっくりと、人形だと思われたヒトガタが立ち上がる。コキコキと首を鳴らし、ストレッチするかのように両肩を回すと、アルバを蒼い双眸でじっと睨みつける。

 

「久しぶりだなアルバ。具体的には四時間くらいか?」

 

 つい先ほど死んだはずの、アルスが鞄から現れた。

 




という訳で、アルスくん復活です。
といっても、空の境界を読んでいる人にとっては予想できた展開かもしれません。
でも私はこれがやりたかったんだ!!


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17:冠位魔術師に並ぶ意味

種明かし回です。


 死んだはずのアルスを目にして、アルバは怖れから微かに身体を震わせていた。

 

「お前は死んだはずだ、なんてお決まりのセリフはよしてくれよ。師匠が聞いたら嘆くこと間違いなしだ」

 

 そんな情けない弟弟子の姿を見て、兄弟子は肩を竦める。

 

「アルスさん……?アルスさんなんですか……?」

 

 アルスの背後から、唖然とした様子の声が聞こえる。

 振り返ると、信じられないといった様子で霧絵が見つめていた。ついさっき殺されてしまった恩人がひょっこり現れた衝撃により、涙は引っ込んだが顔は涙痕などでぐちゃぐちゃだ。

 

「あーあーあー、酷い顔になっちゃって。泣かせてごめんな、霧絵ちゃん」

 

 アルスは懐からハンカチを取り出し、霧絵の顔を優しく拭う。

 涙を拭う優しい手つきに、霧絵は確信を得る。

 ああ、この人は間違いなくアルスさんだ。

 霧絵はぎゅうとアルスを抱きしめた。

 

「よかった……生きてて本当によかった……ッ!」

 

 アルスの胸に顔をうずめ、再び泣いてしまう。

 そんな彼女の背中をぽんぽん、と軽く叩くと、ゆっくりと橙子へと預けた。

 

「橙子、霧絵ちゃんたちを頼む。俺はあいつに用があるからな」

「解った。式はこちらに任せろ」

 

 橙子が三人を引き連れ、エレベーターへと乗り込む。

 扉が閉まる直前、アルスは霧絵が心配そうにこちらを見つめているのに気が付く。

 心配いらないよ、とアルスは笑顔で手を振った。

 そして、扉が閉まりアルバはと振り向く。彼の顔は、先ほどの笑顔が嘘のように冷たいものとなっていた。

 

「さて……随分と世話になったなアルバ。まさか自分の耳を食べる事になるとは思わなかった」

「おまえは……おまえは死んだはずだ!つい先ほど、私の手で殺されたはずだ!!」

 

 アルスの軽口なぞ耳に入らない、とばかりにアルバは喚き立てる。

 

「おいおい、さっきの話聞いていたのか?そんなに師匠を悲しませたいのか」

 

 やれやれ、とアルスは煙草を取り出し一服する。

 その行為は、時計塔時代の彼の姿を想起させ……。

 死者が現世に舞い戻るという摂理の反逆に、アルバの悪寒はさらに高まる。

 

「おまえは確実に死んだはずなんだ!魂を繋ぎ止める核となる頭部は破壊され、彼岸へと飛ばされた。死者ならば死者らしく、現世に迷う事なくあちら側へ行け!」

「確かに、死者ならば迷う事なく彼岸に行くのが道理だ。だが俺はここに立っている。ゴーストと違い、意思を持ってな」

「ならば……おまえは人形だとでも言うのか!?アオザキが作り出した、アルスの代替品なのか!?」

「おいおい、人形と人間の区別もつかなくなるほど耄碌したのか?悲しいなぁ、まだ還暦も迎えていない弟弟子を老人ホームに入所させるはめになるとは」

 

 心底おかしそうにアルスは笑う。嘘だと解っている事柄を口にする弟弟子の滑稽さに。

 

「ッ、確かに私が殺したアルスは本物だった。完璧な構造を持った人間だった。だが、それではおまえは一体なんなのだ!?以前のおまえと今のおまえ、どちらも本物だというのならば、この矛盾をどうやって──―」

 

 言葉の途中で、ピタリと動きが止まる。アルバの脳が、解答に辿り着いたからだ。

 しかし、それは魔術師である彼にとって、到底ありえないものであり……。

 真実だと認めたくない儚い抵抗が、アルバの口から声となって吐き出される。

 

「まさか、おまえの身体は──―」

「その通り。以前の俺も今の俺も、どちらも作り物なのさ」

 

 種明かしをしたマジシャンのように、アルスは笑う。

 

「そ、それこそありえん!では、おまえは一体何なのだ!?作り物であるならば、アルスを模倣した偽物ということになる。しかし、おまえは確かに自身をアルスと認識し行動している。そんなことはありえん!確固たる自我を持つ人間が、己を偽物と認識して正常に稼働することなぞ不可能だ!」

 

 アルバの言う通り、人間は己が偽物だという事実に耐えることはできない。事実、無意識ながら自身が死亡した臙条巴を模した偽物であると認識していた臙条巴は、自我が不安定になり破壊衝動などを発症していた。

 

「偽物であるがゆえに、自滅以外の道はないとでも言いたいのか。だがなアルバ、それは二流の考えなんだよ。……あまり時間に余裕はないが、一つ昔話をしてやろう」

 

 紫煙をくゆらせ、アルスは口を開く。

 

「十一年前、俺はとある事情で再起不能の怪我を負った。魔術回路も焼き切れ、意識不明のまま東欧の片隅で朽ち果てようとしていた。だが、捨てる神あれば拾う神あり。死を待つだけの存在になった俺を保護する女魔術師が現れたんだ。──―お前の想像通り、蒼崎橙子だよ。だが、彼女の腕をもってしても俺の治療は不可能だった。ただ凍結処理をして延命させるのが精一杯」

「その件は知っている。当時は上に下に大騒ぎだったからな。だが、魔術回路まで焼き切れたというのは初耳だ。そこまでの後遺症があったのならば、数年後にアオザキと共に時計塔を出奔することは不可能な──―ッ!まさか!」

「そう、俺は橙子が封印指定を受ける直前、彼女によって人形の身体を得た。橙子は俺以上の天才でね、ある日の実験で自らと全く同一の自分自身を作り上げたそうだ。その時、彼女は閃いた。『アルスの身体も同じように作ればいいのではないか?』とね。そこから行動は早かった。俺の身体を解析し尽くし、封印指定を受ける前日に完成させた」

「……ゆえに、アオザキに感謝していると?」

「当り前だろう?瀕死の俺を救ってくれたんだ。感謝する以外なにがある」

「嘘だッ!!」

 

 アルスの主張を一刀両断するように、アルバは怒声を上げる。

 

「人間は、人間であるがゆえに己の自己を捨て去ることなぞ出来ない!いくら同一存在であろうとそんなものに己の存在を明け渡すなど、耐えられる訳がない!」

「と言ってもなぁ。記憶の連続性は保たれているから、俺は俺自身だと認めているしなぁ。……ああ、いつか読んだ漫画のあれに似てるな。その漫画では機械の身体を得たキャラクターがいたんだが、俺もそんなイメージだ」

 

 何でもないかのように気軽に喋り続けるアルスに、アルバは眩暈を覚える。

 つまり彼はこう言っているのだ。『記憶に連続性があれば、どんな身体だろうが構わない』と。

 

「お前は耐えられないが、俺は耐えられる。それだけなんだよ。ちなみに、今の俺は以前の俺が死亡した時に目覚めた。つまり生後数分ということになるな。この後伽藍の堂に戻り、橙子にまた人形(身体)を作ってもらい眠るだろう。これから何度も、死ぬ(たび)に同じことを繰り返すだろうさ」

「──―そうか、アラヤはおまえの知識を惜しんだのではない。生きている限り次のおまえにスイッチが入らないから……」

 

 アルバが導き出した答えに、アルスはただ微笑みを返すのみ。出来の悪い弟弟子を見守る兄弟子のような、優しい微笑みだ。

 しかし、アルバにはどうしても嗤っているようにしか見えなかった。

 アルスが現れてから感じ出した悪寒が最高潮に達する。身体の震えを止められず、自らの両手で自身を抱きしめた。

 その時──―ふと、アルバは一つの可能性に行き着いた。

 自身にとっては、アルスが人形の身体であったことより最悪な事。この可能性が現実のものであるならば、今まで抱いていた彼女の人間像が根本から崩れてしまう事。

 

「待て、一つ聞かせろ──―もしや、アオザキもそうなのか?」

 

 縋るように、蜘蛛の糸を求める亡者のように、アルバは問いかける。

 

「お前さ。主の秘密を喋るやつに、使い魔なんて務まると思うか?」

 

 アルスはそれだけ答えると、鈍色の手甲を取り出した。

 

 

 

 

 

 

「今までの話は、荒耶が主体といえど俺を殺したお前へのご褒美なんだ。そろそろ本題に戻るぞ。いい加減橙子の下に戻らなければどやされてしまう」

 

 カチャンカチャン、とアルスは手甲を装着する。

 

「その手甲……まさか予備があったとはな。荒耶の実験を止めに行くつもりか」

「いいや、荒耶のことはどうでもいいさ。俺はあいつに負けた。それでこの件は終わり。敗者はただ消え去るのみだ。どうせ失敗するだろうしな。──―俺はお前に用があるんだよアルバ」

「……私に殺された復讐か?」

「まさか。弟弟子に殺されただけで復讐なんてしないさ。むしろ褒めに行くね。『よくぞ俺を越えたな!』ってな」

「まさか、我が兄弟子がそれほどの人格破綻者とは思わなかった。──―では、何故おまえはここにいる?」

「簡単な話さ。お前はあの名で橙子を呼んだ」

 

 Omit、と呪文が唱えられ、ルーンの円環が現れる。

 

「学院時代からの取り決めでね。橙子を傷んだ赤色と呼んだやつは例外なくブチ殺している」

 

 ルーンは次々と数を増やし、ついには手甲全体を覆うまで円環が増加する。

 アルバはぼうとその様子を眺めた。そして、兄弟子には一生敵わないことを悟ってしまう。

 何故なら、円環を構成するルーンの種類は三十を超えてもなお増加しているからだ。

 つまり、蒼崎橙子が再現した基本(フサルク)ルーン二十四文字以外にも、彼もしくは彼女が開発した独自のルーンが含まれている。

 しかも、それら全てを同時運用して、ルーン魔術の威力を爆発的に高めている。ガラス瓶が壊れないように内部で数十種類の火薬を混ぜ合わせ爆発させているようなものだ。そんな芸当、アルバには一生出来ない。

 

「兄弟子としての慈悲だ。痛みを感じないよう一瞬で消滅させてやる」

 

 そして、円環が一つになり(ルーン)がアルバに向けて放たれる。

 ああ、こんな化け物共に関わるべきではなかった。

 アルバは今更ながら後悔した。アオザキの言うように、修道院に引っ込み恨みなぞ忘れて研究を続ければよかったと。

 しかし、意識が消え去る直前。自身の死である(ルーン)の奔流を見つめながら、彼は場違いな思考をした。

 

 ──―しかし、私の死がこんなにも美しいものだとは予想しなかったな。

 

 光の奔流がロビーを包み込む。小川マンションが倒壊しないよう配慮されたのか、それは壁や床に到達する直前で淡い光となって消え去る。

 そして、数秒後に光が消えた時、ロビーにはアルス以外誰も存在しなかった。

 コルネリウス・アルバがこの世に存在した証拠は、何一つ残ることはなかった。

 




アルバにちょっとした救いを与えてみました。
え?どっちにしろ死んでるだろって?
原作ではもっと無惨な死に方だからね。
気になった人は原作を読もう!


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18:ある男の結末

アンケートの結果を踏まえて、閑話を執筆することが決定しました。
詳しくは活動報告をお読みください。

総合日間ランキング24位。ついにトップ30に入りました。
皆さまの応援のお陰です。この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございます<m(__)m>
次はトップ10入りを狙います。


 アルバの消滅を確認し、俺は構えを解いた。

 ……あ~~~、疲れた!

 冥土の土産だからといって、切り札を見せるんじゃなかった。あれ使うと魔力がごっそり持っていかれるんだよね。それに少しでも気を抜けばとたんに暴発するような術式だから神経を使うこと使うこと。

 以前術式操作に失敗し空に力を逃がした事があるが、その時は雨雲が一瞬で蹴散らされて焦った焦った。慌てて雨雲を再構成して神秘の隠匿は保たれたけど、あの時はまじで執行者が派遣されることを覚悟した。

 

 さて、アルバを殺したし、橙子たちに合流するか。これ以上待たせると本当にどやされそうだし……おっ、空間が破られたな。

 どうやら、橙子たちは上手くやってくれたようだ。小川マンション……荒耶宗蓮の身体が悲鳴を上げている。

 非常識の死神が目覚めたのだ。

 

「選手交代っと。まぁ、俺は大分前に退場した身だけどな」

 

 手頃な瓦礫石を拾い、ベルカナ(探索)のルーンを刻む。

 ……どうやら橙子たちは一階に向けて移動しているようだ。おそらくここを脱出する為だろう。

 ちょうどロビーに到着するタイミングだ。エレベーター前まで迎えに行こう。

 荒耶の事は任せたぞ、式。

 

 

 

 

 

 

「アルスさん!」

「うぉっとぉ!」

 

 エレベーターのドアが開いた瞬間、霧絵ちゃんが飛び込んできた。一瞬焦ったが、衝撃を吸収するように優しく受け止める。

 

「アルスさんだ……本物のアルスさんだ……ッ!」

「おいおい、さっきもこうやって抱きしめてあげたろ?」

「ごめんなさい……でも、別れてから、あのアルスさんが幻なんじゃないかって不安になっちゃって……」

 

 えぐえぐ、とまた泣き出してしまう霧絵ちゃん。

 まぁ、目の前で生首状態の俺が潰される瞬間目撃しちゃったからな。この件に方が付いたら、精一杯甘えさせてやろう。

 霧絵ちゃんを抱きしめていると、後ろから橙子と、赤髪の少年を肩で支えている黒桐くんが現れる。

 ……んん?その少年、ちょっと身体の構成おかしくないか?筋肉や骨の他に歯車などの金属物質が混じってる。しかも、限界がかなり近い。

 

「橙子、その少年は……」

「お察しの通り、人形だよ。アルバが作ったものだろう。限界が近づいていたようだからルーンで保護している」

 

 言って、橙子はチラリと俺の背後に視線を向ける。もちろん、誰もいない。

 

「用事は済ませたようだな」

「抜かりなく、な」

 

 橙子には、別れる前に事情をパス経由で説明しておいた。さすがにあの名をみんなの前で喋る訳にはいかないからな。

 

「よし、それでは急いでここを出るぞ。式が荒耶の相手をしているとはいえ、やつの体内であることには変わりない。アルス、臙条を運んでやれ」

「了解」

 

 黒桐くんから臙条と呼ばれた少年を受け取りさっと左肩に担ぐ。少し苦しいかもしれないが、両手が塞がらないようする為だ。我慢してくれ。

 橙子を先頭に移動開始──―そのタイミングで、大きな振動に襲われる。同時に、天井や床に亀裂が走った。

 くそ、原因は解らないがマンションが崩壊しようとしている。早くここを離れなければ!

 

「橙子、霧絵ちゃんを頼む!俺は黒桐くんを!」

「解った!」

 

 空いている右肩に黒桐くんを担ぎ、橙子は霧絵ちゃんを横抱き……いわゆるお姫様抱っこで抱える。

 そのまま、強化を施した足で東棟ロビーを駆け抜ける。目指すは中庭だ。ここから一番近い外はそこしかない。

 道中、瓦礫が降ってくるがルーンで防御する。ここまで来たのだ。瓦礫による圧死など御免被る。

 

「ッ!アルス!」

 

 一足先に中庭への出入り口を視認した橙子が叫ぶ。見ると、崩落した天井によって出入口が塞がれている。

 

「任せろッ!!」

 

 全身を強化し、橙子を追い抜く。そして、瓦礫に向けてキックをお見舞いした。

 轟音と共に、瓦礫を吹き飛ばしながら中庭へ着地。もちろん、両肩の二人には怪我一つないよう調整済みだ。

 一息つき、安全を確認してから黒桐くんを下ろす。どうやら、崩壊は途中で止まったようだ。

 

「ッ!式!!」

 

 遅れてやってきた橙子と霧絵ちゃんを迎えていると、弾かれた様に黒桐くんが飛び出した。行き先に目を向けると、式が眠るように横たわっていた。

 そして、式から少し離れた位置に──―両腕を失った荒耶宗蓮が同じく横たわっていた。

 

「……死の蒐集家も、今度ばかりは終わりだろう」

「……霧絵ちゃん、臙条くんを頼む」

 

 少年を下ろし、霧絵ちゃんに任せる。

 そして、右足を強化で動かした代償に自力で歩けなくなった橙子を支えながら、かつての友へと歩を進めた。

 

「今回も失敗に終わったな、荒耶」

 

 じろり、と目線が向けられる。

 

「蒼崎に……アルスか。アルバが蒼崎ではない何者かに処刑された事は察知していたが、まさかもうひとりいたとはな。私が殺したアルスは確かに本物だった……。ならば、おまえは作り物か」

「アルバといい、どうでもいい事に執着するんだな。まぁ、いいじゃないかそんな事。今更無意味な問答だ」

「確かに。ただ消滅を待つだけのこの身。いらぬ問答は無駄というもの」

 

 すっ、と橙子が煙草を取り出す。俺は懐からジッポを取り出し火を点けた。

 

「酷い有様だな。わざわざマンションを建て、数々の死と苦しみを蒐集して体験する。意図的に地獄を作り上げ、遂には疑似的な固有結界まで構築した。……何故そこまでする。何がおまえをそこまで突き動かす」

「……理由など、とうに忘れた」

「呆れた。望みは無であり、発端ですら零。おまえは一体何者なんだろうね荒耶」

 

 橙子は煙草に口を付けず、荒耶との対話に集中する。

 それは東棟ロビーにて中断された、数年の隔たりを清算する問答の続きだった。人形師と死の蒐集家。二人の問答が粛々と続けられる。

 その様子を、俺は黙って見守る。

 兄弟子だった俺とは違い、彼女は荒耶の同期だ。ここで俺が口を挟むのは無粋というものだろう。

 ──―ふと、荒耶について考えをめぐらす。

 思えば、やつは師匠の弟子の中でも一番の異端だった。

 魔術師としてはお世辞にも及第点とは言えない腕前。しかし結界に関しては他の追随を許さない一点特化型。そんな歪なカタチをした魔術師が目指すのが根源。しかも次世代に託さず己の力のみで辿りつこうとしているのだ。

 そんな荒耶を面白がって、師匠は弟子に迎い入れたんだっけな。

 弟子になった後も、荒耶は落ち着くことはなかった。むしろ、その異端さに一層拍車がかかった。

 ある時など、望みは何かという師匠の質問に荒耶はこう答えた。

『私は何も望まない』

 その返答を聞いた時、身震いしたものだ。字面通りの意味ではないことはすぐに理解できた。言葉に込められた激情が全身を貫いていったからだ。

 しかし、その激情の根源が何かはついぞ理解できなかった。後日橙子から真意を聞くまで、一切思いつくことはなかった。

 結局、俺は弟弟子の理解者にはなれなかった。おそらく、荒耶の理解者になる事ができるのは橙子ただひとりだけなんだろう。だからこそ、やつは敵対者であるにも関わらず橙子を勧誘した。

 

 ふと、荒耶の異変に気付く。吐血したかと思えば、左半身から灰となって消えてゆくのだ。

 おそらく限界が来たのだろう。身体の三分の一を失ったまでか直死の魔眼による死を与えられたのだ。ここまで持ったのが奇跡なのだ。

 橙子は一度も口にしなかった煙草を投げ捨てる。問答は終わり、ということだろう。

 そして、最後に魔術師として荒耶宗蓮に問いかけた。

 

「アラヤ、何を求める」

「──―真の叡智を」

「アラヤ、何処に求める」

「──―ただ、己が内にのみ」

「アラヤ、何処を目指す」

 

 一度目は問いかける事ができなかった質問に、荒耶は口を動かし答えようとする。

 しかし、身体の崩壊が喉元にまで迫ってきた彼には発声することができなかった。

 ──―それでも、俺たちには答えが返ってきたような気がした。

 

 

 ──―知れた事。この矛盾した螺旋(セカイ)の果てを──―

 

 

 荒耶の全身が灰と化し、風に乗って世界へと舞い散ってゆく。

 その様子を観察しながら、橙子はもう一度煙草に火を点けた。

 紫煙は、まるで弔いの線香のようだった。

 

 

 

 

 

 

 その後の顛末を語ろう。

 小川マンションから生還を果たした俺たちを待っていたのは後始末という名の隠蔽工作だった。

 マンション一つを崩落させかけた魔術実験を時計塔が見逃すはずがなく、二週間もしないうちに工作部隊がやってきて証拠隠滅を図るだろう。

 その時、俺たちの痕跡を発見されでもしたらとても面倒だ。大怪我を負った式を病院に運び、橙子たちを伽藍の堂に送り届けてからとんぼ返りで小川マンションへと向かった。

 魔術の痕跡を消し、ベルカナ(探索)のルーンで殺された俺の礼装を探し当てる。

 隠蔽工作が終わった後も大変だ。前述したとおり式は病院へと運べたが、橙子はそうもいかない。

 強化を施して走った際に粉砕骨折してしまったらしく、筋肉に散らばった骨を緊急手術で取り除いた後、霊薬などによる治療を施したら日が昇っていた。

 俺の見立てでは、式は全治一週間。橙子は全治一ヶ月と言った所だろう。

 そして、橙子の治療を終えた俺は最後の難関に直面した。

 そう、臙条巴の身体だ。

 こればかりは、俺にはどうすることもできなかった。霧絵ちゃんみたいに身体を人工品に置き換えようにも、元の人形の肉体が限界を迎えているせいで手術に耐えることができない。病魔に侵されていた霧絵ちゃん以上に衰弱しているのだ。

 どうしようか悩んでいると、意外な所から救いの手が差し伸べられた。

 なんと、橙子特性の素体人形を使ってもよいとお許しが出たのだ。

 これに魂を移せば、魂に含まれた情報を元に肉体を再構築するという魔術師が聞けば卒倒するような代物だ。現代でこれを作れる人形師は橙子ひとりだけだろう。

 という訳で、臙条巴は新たな肉体を得て伽藍の堂三人目の社員となった。

 

 ………………何故そうなる!?

 




次回、矛盾螺旋エピローグです。



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19:未来に向けて

矛盾螺旋エピローグです。


「本当によかったのか?」

「何の事だ?」

 

 俺の質問に、橙子がとぼけた様子で質問返しする。

 

「臙条巴の事だよ。わざわざうちで雇うこともないだろうに」

「ああ、その事か」

 

 橙子は煙草を吹かしながら、椅子をくるりと半回転させ背を向ける。

 

「臙条巴を雇ったのは、合理的な理由がある。そう言ったら信じるか?」

「橙子が言うならば信じるさ。だが内容は教えてくれ」

「等価交換だよ。私はあの少年に素体を与えた。だが無償という訳にはいかない。私は慈善家ではないからな」

「……つまりあれか。橙子は臙条巴を借金で縛り付け、タダ働きさせるつもりか?」

「さすがの私もそこまで鬼じゃない。家賃と食費くらいは支給してやるさ」

「最低賃金下回らないかそれ?」

「命を助けた対価としては安いものだろう?」

 

 くっくっく、といじらしく笑う我が主様。

 だがなぁ……。

 

「本当は別の目的があるだろ」

「……さすがに隠し通せないか」

 

 観念したように、橙子は瞳を閉じ天を仰いだ。

 いい加減隠し事はできないと学習してもいいだろうに。まぁ、それはお互い様なんだけど。

 

「実はな、そろそろここを離れようかと考えている」

 

 橙子の口から、衝撃的な言葉が出てくる。

 だが、俺はすんなりと受け入れる事ができた。

 

「荒耶の件があったからなぁ。それを除いても、ここには長く居過ぎた」

「これ以上残れば未練で身動きが取れなくなる可能性が出てくる。それは、私たちにとっても霧絵たちにとっても悪い結末を招くだろう」

 

 いくら時計塔の目が届きにくい極東の日本といえど、見つかる可能性は零ではない。一か所に留まり続けるほど、可能性は高まっていく。

 

「私たちが消えても霧絵には生きてもらわねばならん。その為には一人でも多く事情を知っている味方が必要だ」

「連れて行くわけにはいかないからな。さすがに、危険が大きすぎる」

 

 カチリ、とこちらも煙草に火を点ける。

 

「ただ、式と黒桐の関係性に決着が付くまではいるつもりだ。ま、私の勘ではあと二、三か月と言ったところか」

「なら、それまで趣味は封印だな」

 

 うっ、と橙子の顔が歪む。

 

「当たり前だろう。今まで通り散財して、霧絵ちゃんに一銭も残さず消えるつもりか?」

「……解った。骨董品に手を出すのはやめる」

 

 観念したのか、苦い顔で橙子は決断を下した。

 第一、今更買っても旅には持っていけないのだ。ここは我慢してもらうしかない。

 それに、橙子にだけ苦しい思いはさせないさ。

 さしあたっては、工房に眠ってる未発表作品を全て売却しよう。むろん、価値が落ちないよう小出しにな。

 

 

 

 

 

 

「という訳で、新たにウチの仲間になる臙条巴くんだ。三人とも仲良くするように」

 

 いつぞやかの霧絵ちゃんの時と同じように、臙条くんを紹介する。

 

「臙条巴です!よろしくお願いします!」

 

 元運動部らしく、大声で挨拶をする臙条くん。

 対する三人の反応は様々だ。

 黒桐くんは「よろしくね」と先輩らしく挨拶。

 式はうるさそうに耳を抑え。

 霧絵ちゃんは目を輝かせていた。

 ……後日理由を聞くと、弟ができたみたいで嬉しかったとのこと。もしや年下好きなのか?

 

「臙条くんには、雑用をやってもらいながら建築関係の勉強をしてもらう。黒桐くん、霧絵ちゃん。先輩としていろいろ教えてやってくれ」

 

 解りました、と二人から返事が返される。

 

「そういう訳で、臙条くんの席はあそこだ。教育係は……今回は霧絵ちゃんにお願いしよう」

「わ、解りました。任せてください!」

 

 ふんすっ、と霧絵ちゃんは気合を入れ、臙条くんを連れて外に出て行った。「まずは掃除からです!」とやけに元気な声が聞こえてくる。

 

「霧絵ちゃん、大丈夫なの?」

 

 橙子が心配そうな顔をする。

 まぁ、大丈夫じゃないか?仕事だってキッチリしてるし、ここ一つ後輩を教育する経験を積ませることも必要だろう。

 それに、もし問題が起こっても俺がフォローする。

 

「その時はお願いするわよ。私はこの有様なんだから」

 

 橙子はワイドパンツの右裾を上げる。現れたのは、膝から下をギプスで固定された右足。小川マンションの戦闘で負った骨折だ。

 ここで、蒼崎橙子という魔術師を知る人間から疑問が入る事だろう。『何故魔術でさっさと治療しないのか?』や『義足にさっさと交換しないのか?』と。

 その疑問に解説を入れようと思う。まずは前者から。

 確かに、魔術には身体の治療に用いられる『治癒魔術』というものがある。といってもゲームに出てくるような、唱えれば即回復!という便利な代物ではない。

 人間の自己治癒能力を高める正当なもの、失われた部分を養殖して臓器移植のように治すもの、霊体を繕うことで肉体も癒す外法。このように千差万別ある。

 そして、俺と橙子が修めている治癒魔術は自己治癒能力を高めるタイプだ。骨折してから即完治!という訳にはいかない。

 ゆえに、橙子の骨折に対する治療方針は『治癒魔術と霊薬を用いて自然治癒に任せる』と相成った。この方法で、通常三か月はかかる骨折を一か月に短縮させた。

 後者に関しては橙子からお言葉を預かっているのでここで伝えよう。

『怪我したからって義手義足にすぐ置換する訳ないじゃない。プラモデルじゃあるまいし』

 

「全治一か月って話なんだから、その間は扱き使うわよ~」

 

 ニヤニヤと酷使宣言する橙子。

 まぁ、俺の力不足で負った怪我だからな。甘んじて酷使されよう。

 ……よく考えたら普段から酷使されてるわ。橙子は使い魔使いが荒いからな。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 緊張しっぱなしの出社一日目を終え、臙条巴は終業後のルーティーンとなっている紅茶をご馳走になっていた。

 

「お疲れ様。仕事はどうだった?」

 

 見事な手つきで紅茶を淹れながら、副所長であるアルスが質問する。

 

「はい、なんとかやっていけそうです」

「そいつぁよかった。合わない職場なんて苦痛以外の何物でもないからな」

 

 言って、アルスは紅茶に口をつける。その際、ちらりと臙条の顔に目を向ける。

 彼の顔は、言葉とは対照的に不安の色があった。

 

「どうした、浮かない顔して。やっぱり不安なとこあるんじゃないか?」

「あ、いや。仕事は問題ないんです。先輩たちは優しく教えてくれますし、所長やアルスさんにもよくしてもらいましたし。……でも、俺がこんなに恵まれてていいのかって……」

 

 俯く視線はカップの紅茶に映る自分自身に向けられる。その顔は、お世辞にも具合がいいとは言えない。

 ふむ、とアルスは思考を巡らせる。

 おそらく、一種のサバイバーズギルトみたいなものなのだろう。今までも同様の思考に陥った事はあるが、今日は初出社の緊張などで頭に浮かぶ暇もなかった。そして、仕事終わりに紅茶を飲んで落ち着いたところで浮上してしまった。

 臙条巴として生きていく事に迷いは無くなっても、人間としての善性が彼を苦しめているのだ。

 

「俺は橙子みたいにカウンセラーの資格はないし、専門の知識がある訳でもない。それでも、人生の先輩としていくつかアドバイスすることはできる。聞きたいか?」

 

 アルスの提案に、コクリと臙条は頷く。

 

「人間はな、いつだって理性で判断できる生き物なんだ。動物のように本能のまま選択する事はない」

「人間は、理性で選択する……」

「そう。本能の赴くままに行動するのではなく、様々な要因を鑑み判断することによって人間は霊長として繁栄する事に成功した。……まぁ、霊長云々については横に置いておくとして、人間が理性で判断する事には一つのメリットがある。それは、後悔できるという事」

「後悔……ですか?」

「そう、後悔だ。例えば、初めて行くスーパーで買い物してレジで精算していると、背後からタイムセールの掛け声が聞こえてくる。目を向けると、そこには買ったばかりの卵が半額で叩き売りされている光景が目に入った。そこで君は後悔するだろう。『もう少し待っておけばよかった』と。……だがな、この後悔はこう言い換えることもできる。『タイムセールの時間を把握できたから、次からは得することができる』。──―つまり、後悔を次に繋げる事ができるんだ」

「次に繋げる……」

「そう。そこが人間の特権だ。単純な事柄なら動物にも学習できる。だが、これをあらゆる選択に応用できるのは人間だけだ。一見関係なさそうな二つの事象を繋げ、より良い未来を創造できる。──―だからこそ、多くの後悔を抱えている臙条くんには素晴らしい未来が待っているんだ」

 

 ハッと顔を上げる臙条。

 

「荒耶の計画に巻き込まれ、数多くの後悔を重ねてきた君は数多くの判断材料を手にした。判断材料とは即ち武器だ。そして、人生という戦いには武器はあればあるほどいい。心配しなくても、臙条くんは大丈夫さ。それでも不安な事があったら、遠慮なく人生の先輩である俺や橙子に相談するといい」

「……ありがとうございます。少し楽になりました」

「それは重畳。なら、今日はもう上がるといい。それとな……」

 

 アルスがポケットから財布を取り出し、中から一万円札を取り出し臙条に握らせた。

 

「入社祝いだ。今日はこれで美味いもんでも食べるといい」

「えっ、いやこんな大金──―」

「いいから、受け取るんだ。これから散々扱き使われることになるんだ。今日くらいは贅沢してもバチは当たらん」

「……解りました。ありがたく貰います」

 

 臙条は一万円札をポケットに突っ込むと、帰り支度を始めた。

 

「お先に失礼します」

 

 そして、ペコリと丁寧にお辞儀し事務所から退出した。

 

「珍しいわね、アルスがお金をあげるなんて。どういう風の吹き回し?」

 

 臙条を見送るアルスの背後から、女性の声が投げかけられる。振り向くと、蒼崎橙子がニヤニヤと笑っていた。

 

「これから薄給で働かされるんだ。これくらいの飴は必要経費さ」

「でもポケットマネーから出しているようだけど?」

「……必要経費だ!」

「そういう事にしておいてあげるわ」

 

 

 

 

 

 

 駅前のステーキ店で食事を終えた臙条は、ひとり帰宅の途についていた。

 思わぬ臨時収入によって得られた満腹感に浸りながら、これからの人生を考える。

 臙条巴には借金がある。それも莫大な金額で、一生かかっても払いきれるか解らないほどだ。

 しかし、彼は悲観していなかった。貸主(蒼崎橙子)の好意で無利子にしてもらったお陰もあるが、未来に希望を持てたことが一番の要因だ。

 ──―自分の原点が臙条巴の偽物であった事は変わらない。その事実は心に暗い穴をぽっかりと開けている。

 しかし、それがどうした。と臙条巴は胸を張る。俺が抱いている想いは本物だ。過去への郷愁も、確かに現在の俺が感じている本物なのだ。誰がなんと言おうと、この真実は誰にも否定させない。

 それに、新しい人間関係を構築することができた。命の恩人であり上司である蒼崎橙子、頼れる兄貴分みたいなアルス、自らを認めるきっかけを与えてくれた黒桐幹也、お姉さんぶりたがる綺麗な先輩の巫条霧絵、そして──―初恋の相手、両儀式。

 人形だった臙条巴が零から築きあげた、臙条巴だけの人間関係。ほぼ零である人生を彩っていく佳き人たち。

 きっと、これからの人生は素晴らしいものになる。今はまだ無根拠な自信しかないが、この予感は確かなものだと確信できる。

 思考に耽っていると、見覚えのあるアパートが目に入る。臙条巴が一か月ほど居候していたアパート──―つまり、式が住んでいるアパートだ。

 といっても、当り前の話ではあるが彼の帰る部屋は式の部屋ではない。黒桐幹也がオーナーである式(臙条は初耳だった)に話を通して借りることになった空き部屋だ。ちなみに、家賃はかなり勉強したとの談。臙条は一生黒桐と式に頭が上がらないだろうと確信した。

 ポケットから鍵を取り出す。自分と……できるかどうかは解らないけど将来の家族を守る為の鍵。

 

 ──―父さん、母さん。安心してくれ。俺、これから頑張って生きるから。

 

 新しい(故郷)に入る為、決意を新たに鍵を差し込んだ。

 




次回は閑話となります。


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20:黒桐鮮花育成計画

この世界では刃○じゃなくてケンガン○シュラが先に連載された世界線ということでお願いします。
スマヌ、貧弱な発想力の作者を許しておくれ……。


「アルスさん!わたしに本格的に体術を教えてください!!」

 

 現在、俺は物凄い勢いで鮮花に迫られている。彼女の背後には橙子がいるが、笑うだけで役に立ちそうもない。

 一体、何故こんな事態に陥ってしまったのか。

 その原因は二時間前に遡る。

 

 

 

 

 

 

 俺が紅茶を淹れていると、鮮花の声が聞こえてきた。それも、言い争うかのような大声だ。

 何事かと気になったが、淹れている途中で投げ出す訳にはいかない。ぐっと野次馬根性を堪えて作業を続けた。

 そして人数分の紅茶を淹れ終わって事務所に入った俺の目に飛び込んできたのは、床に散乱した文房具類と勝ち誇った顔をしている式、対照的に顔を曇らせ蹲る鮮花だった。

 

「おっ、ちょうどいいとこに来たじゃないか。一つ頂くぜ」

 

 何事かと口を開く前に、颯爽と式がおぼんから紅茶を掻っ攫い屋上へと向かった。その様子を、鮮花が凄い形相で睨んでいる。

 

「なぁ、何があったんだ?」

 

 全員に紅茶を配り終え、ニヤニヤ笑っていた橙子に質問する。

 すると、彼女の口から面白い──―鮮花にとっては遺憾だろうが──―出来事を聞かされた。

 なんと、鮮花と式が喧嘩したそうだ。

 その原因は三日前のクリスマスイブに鮮花の想い人であり実の兄である黒桐くんを式に掻っ攫われたこと。距離を一気に縮めようと気合を入れている最中、ふらっと現れた式に連れ出されてしまったらしい。

 結果、魔術の講義を受けに伽藍の堂にやって来た鮮花がばったり式と遭遇してしまい、口論になり喧嘩に発展したという。

 まぁ、口論や喧嘩といっても鮮花が式に突っかかって式が受け流す、という形だったようだ。

 喧嘩も可愛らしいもので、鮮花が手元にあった物を手当たり次第に投げつけるが、式が華麗な身捌きで避けるだけ。最終的には分厚い魔導書まで投げつけるが見事なキャッチ&リリースでカウンターを喰らったらしい。

 ああ、だから鮮花の顔に何かが当たった跡があるんだな。

 

「さ、気持ちを切り替えるんだ鮮花。講義を始めるぞ」

「…………はい、橙子さん」

 

 よろよろと席に向かう鮮花。

 うん、ショックなのは解るが、式と鮮花の関係について俺たちにできるのは彼女を鍛えてあげることだけだ。

 席に着き、真面目な様子……いや明らかに式への嫉妬の炎を燃やしながら講義を受ける鮮花を眺めながら、今日はどんな体術を仕込んでやろうか悪だくみした。

 ……しかし、こちらから声をかける前に頼み込んできたのは想定外だった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 運動しやすいジャージに着替え、わたしはアルス師と共に屋上に来た。

 ……いや、ここはもう屋上ではない。何故なら()()ができているからだ。なんでもわたしが礼園にいる間に増改築を繰り返した結果、ついに六階ができてしまったらしい。霊草栽培場も新たな屋上になった六階に移設してある。

 一体この人はどこまで行くのだろうか……。このまま放っておけば七階八階と際限なく拡張されそうでちょっと怖い。

 

「基本的な身体作りや室内トレーニングの方法は教えてきたが……鮮花はもう一歩先に進みたい。それでいいんだな?」

「はい、式との喧嘩で察しました。このまま魔術の鍛錬を続けても敵わないということが」

 

 そう、いくら攻撃力を上げても当たらなければ意味がない。いくら球速が速くてもノーコンピッチャーだったら試合に出してもらえないのと同じだ。

 自分で言うのもなんだが、わたしは運動神経がいい方だ。そんじょそこらの人間と喧嘩をしようものなら華麗に打ち倒せる自信がある。

 しかし、わたしの敵は両儀式なのだ。身体能力頼りの生半可な戦闘技術では倒すどころか勝負の土俵にすら立ち入れない。

 

「解った。橙子からお許しも出たし、俺の持つ戦闘技術を余すとこなく伝授しよう。……といっても、鮮花は強化を使えないから伝えられる技術は限られる。だが、それでも有用なものはある。手始めに……」

 

 アルス師はチョークを手に、床に十五センチ幅の円を描いていく。

 

「俺が身に着けた戦闘技術は実戦経験に寄るところが多い。だからといって鮮花を実戦の場に連れていくってのはナシだ。効率が悪いし、ここ日本でそんな都合のいい場所は滅多にない」

 

 五階の中央に大量の円が生まれる。円の直系も数も異なっているが、まるでケンケンパのようだ。

 

「この前漫画で読んだ方法なんだけどな、現実でも活用できるんじゃないかと思って真似してみた」

 

 トン、とアルス師は片足で円に立つ。

 

「円の中に入るんだ。一つの円に置けるのは片足だけで、移動できるのも円の中だけ。まずはお手本を見せよう」

 

 そして、アルス師がスッと腰を落とすと──―

 

 タタタタタタタタタッ──―

 

 まるで忍者のように、円が描かれた床の端から端までを高速移動した。

 

「こんなもんだな。じゃあ鮮花もやってみて」

「はい!」

 

 片足を円に置く。

 ふっ、舐めないでくださいよアルス師!これくらいならちょちょいのちょいです!

 先ほどのアルス師に倣い、円を踏み渡る!

 

「はいアウト」

「えっ!?」

「足が何度も円から出てる。それに無駄が多い」

 

 指さされた円を見ると、チョークが消えている箇所があった。わたしが移動する前にはなかった跡だ。

 

「両足を同時に着いて移動していたがそれもアウト。常に片足を浮かせるんだ」

 

 見てな、と再度お手本をやるアルス師。

 ……確かに、わたしと違って全く出ていないし、何もなかったかのように円は綺麗な状態を保っている。

 しかし、常に片足を浮かせろとはどういうことだろうか?両足の方が安定するし速度も出る。

 ……いや、疑問は師に対して失礼だ。理由を求め思考は働かせるが、今は言われた通り円から出ないよう気を付けながら移動するのみ!

 

 

 

 

 

 

 それから一時間後、アルス師ほどではないが高速で移動することができるようになる。

 

「おーおー、いいじゃないか。途中から片足を浮かせる理由にも気づいたようだし、やっぱ鮮花は筋が良いな」

 

 パチパチパチと拍手しながら、アルス師がスポーツドリンクを手渡してくれる。

 

「鮮花が気づいた通り、これは小刻みで素早い左右半身の重心移動訓練だ。重心が安定すれば、足に伝わる力のロスも極力減らせる。──―うん、これなら次の段階に行けるな」

 

 今まで見守っていただけのアルス師が、円の中へと足を踏み入れた。

 

「次はおにごっこだ。俺が逃げる役で、鮮花が鬼。俺に指先だけでも触れられたらクリアだ。ああ、安心するといい、強化は使わない」

 

 アルス師の発言に、ぴきりと怒りが込み上げる。もしかして、わたしのこと舐めているのでは?

 いくら戦闘に特化した魔術師であるアルス師でも、この狭い室内空間で逃げ続けるのは至難のはず!

 

「吐いた唾は呑めませんよ」

「大丈夫。今の鮮花なら何時間やっても逃げられる自信がある」

 

 アルス師が懐からコインを出す。あれを弾き床に落ちたら開始ということだろう。

 フッ、今のうちに余裕ぶってておいてください!すぐに吠え面かかせてやりますからね!

 キィン、とコインが弾かれた。意識を獲物(アルス師)に集中させる。

 そして──―コインが床に落ちる!

 ズアッ!とアルス師に向け疾走する。未だに彼は自然体のままだ。

 その余裕、崩してあげます!!

 片足立ちしているアルス師に向け、右手を伸ばす。アルス師はようやく反応し腰を少し落とすがもう遅い!

 取った!と勝利を確信する。

 

 ──―そして、わたしは師匠との差を痛感させられた。

 

 気が付くと、わたしの目の前には誰もいなかった。アルス師に触れるはずの右手は空を切っている。

 一体どこに!?

 混乱していると、()()()()()()()()()()声が聞こえる。

 

「ほーら、鬼さんこちら♪手の鳴る方へ♪」

 

 反射的に後方に左手を突き出しながら振り向く。そこには紙一重で左手を避け、笑顔でパンパンと手を叩くアルス師がいた。

 

「アルス師、魔術使いました?」

「失礼な、純粋な体術だよ」

「ですよね……」

 

 ダメ元の質問もばっさり否定される。

 ……くそう、舐めていたのはわたしの方だったか。まさかこれほど差があるとは思わなかった。

 悔しがっていると、アルス師がポンと何かを思いついたように手を叩いた。

 

「そうだ。ご褒美があれば鮮花ももっとやる気になるな。よーし、今から一時間以内に俺に触れられたらご褒美をあげよう」

「ご褒美……ですか?」

「ああ、()()()()()()()()()()()()()()()()()を作ってやる」

 

 ……イマナンテイッタ?

 ハチブンノイチスケールコクトウミキヤフィギュア?

 

「もちろん、俺の全力をかけて製作することを約束する」

 

 ……メラメラメラ、と身体の奥底から炎が燃え上がる。

 報酬への渇望が、わたしに力を与える!

 

「おっ、やる気が出たようだな。それじゃあ、タイマースタートだ」

 

 いつでも休憩してもいいからなー、という言葉と共に、いつの間にか用意されたタイマーをスタートさせるアルス師。

 フフフフフ、わたしの幹也に対する執念を甘く見ない方がいいですよアルス師。

 今のわたしは、わたし史上最強のわたしだ!!

 

 

 

 ◆

 

 

 

「アルス、鮮花に体術を教えるのは楽しいだろうがもう少し自重しろ」

 

 時刻は夜八時。工房にて作業中の俺に、橙子がクレームを付けてきた。

 

「帰り際の鮮花を覚えているだろう?疲労困憊なんて言葉がかわいいほど疲れ切っていた。今回はおまえが家まで送ったからいいものの、今後も続くようでは帰宅途中で倒れるかもしれんぞ。……全く、一体どんな鍛錬を課したんだ?」

 

 呆れた様子で橙子は煙草を吹かす。

 

「ゲーム形式の至って普通の鍛錬……だったはずなんだがなぁ」

「その言い様だと、何かあったようだな」

「普段頑張っているご褒美に、勝ったら黒桐くんのフィギュアを作ってやるって約束しちまったんだ」

「……おまえは莫迦か?鮮花が黒桐に向ける感情の大きさ、知らぬ訳ではあるまい」

「ああ、軽い気持ちでポロっと言ったんだが、身をもって思い知らされたよ」

 

 まさか休憩も取らず一時間ノンストップで迫ってくるとは思わなかった。

 あの時の鮮花は鬼気迫るというか……俺の人生史上五本の指に入るくらい恐怖を感じたというか……。

 とにかく、ヤバかった。

 

「でも、やっぱり鮮花は才能あるよ。なんせ最後の五分間は一番動きがよくなったからな」

 

 おそらく疲労によって余分な力が抜け、必要最小限の力で身体を動かすコントロール力を身に着けたからだろう。

 

「ああ、だから珍しくフィギュアなんてものを作っているのか」

 

 クククと笑う橙子。

 そう、俺が行っている作業というのは黒桐くんフィギュアの製作なのだ。

 

「鮮花に不覚を取るとはな。油断でもしたか?」

「していないと言えば嘘になる。しかし、負ける気なんて毛頭なかったことも事実だ」

「渡すなら早めにするんだな。鮮花には来年の正月が終わったら礼園に行かせる用事ができた。うっかりすると二週間以上待たせることになるやもしれんぞ」

「え、それって一体どんな用事?」

「出身校の恥部を晒すことになるからな。守秘義務ということにしておいてくれ」

 

 気になることを匂わせるだけ匂わせ、橙子は事務所へと戻っていった。

 まぁ大丈夫だろう。一分の一スケールを作る訳じゃないし、フィギュアも人形の一種だ。この分なら三日後にでも完成することだろう。大晦日に渡すとするか。

 

 

 

 余談だが、プレゼントされたフィギュアは実家の鮮花の私室に設置された金庫に保管されたらしい。

 いや、そこはショーケースに入れて机や棚とかに飾ってほしかった……。

 




バゼットが2022バレンタインイベで実装されることが決定しましたね。
この勢いで橙子さんも実装されないかなぁ。


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21:本音というものは劇薬でもある

忘却録音編です。
といってもアルスが介入する余地はほとんどないのでこの1話で終わりです。


 年は巡り一月一日。

 新年の挨拶もそこそこに、橙子と俺は思い思いの行動をしていた。

 橙子は資料を読んでいる。内容は俺も知らない。彼女曰く、出身校の恥部だから使い魔といえどむやみに見せるものではないとのこと。

 俺は今度作る作品のデザイン画を描いている。去年の仕事は全て年末までに片付けておいたので、こうして私事に没頭できるのだ。

 

「新年、あけましておめでとうございます」

 

 ふと、今日は講義を欠席すると連絡していたはずの少女の声が聞こえる。顔をあげると、事務所のドア前に黒桐鮮花が立っていた。

 

「はい、おめでとう」

 

 橙子は気だるげに相槌を打つと、こちらに視線を向ける。

 視線に込められた意図をくみ取り、席を立つ。

 

「あけましておめでとう」

 

 もちろん、鮮花ちゃんへの挨拶は忘れない。

 そしてキッチンへと歩を進め、二人分の紅茶を用意するのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 アルス師から紅茶を受け取り橙子師の軽口を受け流していると、またも橙子師がアルス師に視線を向けた。

 すると、アルス師はそそくさと彼の自室へと引っ込んでいった。

 

「さて、部外者もいなくなったことだし本題に入ろう。鮮花は私立礼園女学園の一年生だったな。一年四組の事件について、何か聞いてないか?」

 

 一年四組……確か、橘佳織という生徒がいたクラスだったろうか?

 そのことを伝えると、橙子師は露骨に顔をしかめた。橙子師曰く、そんな生徒リストにはいないとか。

 

「あの……何の話なんですか?」

 

 認識の齟齬が大きかったようなので、詳しい話を求める。

 すると、橙子師から衝撃的な事件を伝えられた。

 なんと、一年四組の教室で傷害事件が発生したというのだ。しかもその事件の原因となった、本人すら忘れていた秘密が記された手紙の送り主が『妖精』だという。

 

「礼園ならば妖精がいてもおかしくなかろう。あそこは森とも言える深さの林によって俗世とは隔離され、厳かな校則と物静かなシスターたちが支配する一種の異界みたいなものだからな」

「よくご存じで。まるで礼園そのものを見てきたかのようですね」

「そりゃあ見てきたさ。私はあそこのOGだもの」

 

 本日二度目の衝撃に、うっかりティーカップを落としそうになる。

 

「なんだその反応は。そもそもマザー・リーズバイフェが学園の恥部を部外者に相談すると思うのか?私たちの事務所は探偵興信所ではないのだが、他ならぬマザーの頼みだ。無碍にすることも出来ず、引き受けてしまったという訳だ」

 

 ……確かに、あの礼園の長であるマザー・リーズバイフェがわざわざ外部の人間に問題を持ち込むことなど考えられない。なにせ、外部からの干渉を防ぐ為に寮の火事という大事件を揉み消すほどだ。

 

「本来なら私が行くべき案件なんだろうが目立ちすぎる。かといってアルスを新任教師として派遣しようにも、マザーから待ったがかかってしまった」

 

 ……スーツ姿で教鞭を執るアルス師を思い浮かべる。あれ、意外といいかも。生徒からの人気も出そうだ。

 それに、彼ならばささっと真相究明してしまうだろう。何なら日帰りかもしれない。

 しかし、それが不可能だということも理解できる。あそこは深層の令嬢を量産する為だけにあるような学園だ。そこに身長二メートル弱の偉丈夫、しかも蒼髪蒼眼のイケメンなんて劇薬を投入したらどんな悪影響が及ぼされてしまうか想像もできない。

 

「だが、手がない訳ではない。私やアルスと違って、何の違和感もなく礼園に潜入できる人材がいるからな」

 

 向けられる視線に、嫌な予感が止まらなくなる。

 

「察している通り鮮花、おまえだよ」

 

 やっぱり。橙子師は私を行かせるつもりなのだ。

 

「安心しろ、妖精といっても黒幕が使役しているのはそれに似せた妖精もどきとでも言うべき紛い物だ。つまり魔術師としては未熟、鮮花でも十分対処できるはずだ。そういう訳で、師として命じる。礼園で起きている事件の真相を究明してこい。できるのならば原因の排除もだ。期限は冬休みが終わるまで」

「──―解りました。でも、私には橙子さんのように魔眼を持っていないので妖精を視認できません」

「ああ、それについては考えがある。安心するといい」

 

 クスクスクス、と。

 橙子師は忍び笑いをするのみで、その考えは教えてくれなかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 一月三日、午後三時。心地よい日差しが事務所に差し込む中、俺はソファーに。橙子は所長席に座り会話をしていた。

 ちなみに、伽藍の堂社員である三人はいない。黒桐くんと臙条くんは正月休み。霧絵ちゃんは近場(といっても結構離れているが)の商店街まで買い物に行っている。

 

「それで式を行かせたのか。橙子ってたまにとんでもないことやらかすな」

「とんでもないとはなんだ。式の眼は万物の死を見通す魔眼、つまり妖精を視認することなぞ朝飯前。しかも転入生という言い訳が通用する高校生でもある。これほどの適任者は他にいるまい」

「かといって鮮花と一緒に行かせるのはなぁ」

 

 式は鮮花を好ましく思っているようだが、鮮花にとって式は敵だ。恋敵と同じ空間にいるのはストレスが溜まるだろう。

 

「大丈夫、鮮花はまだ子どもだが愚か者ではない。意識の切り替えはしっかりやるだろう」

「その点については同感だけどな……」

 

 しかし、まさか橙子への依頼を鮮花に丸投げするとは思わなかった。

 場所が場所だけに、鮮花以上の適任が存在しない以上彼女にお鉢が回るのは合理的なのだが……。

 やっぱり心配だ。式が付いているとはいえ、魔術師が相手なのは不安要素しかない。

 今からでも礼園に向かってしまおうか。本気の隠形ならば見つかる可能性も──―。

 

「待て待て。弟子が可愛いのは解るが過保護なのはよくないぞ。そろそろ独り立ちさせるべきだ」

 

 俺の考えを見通すかのように釘を刺される。

 

「説明したろう?妖精もどきを使役してる魔術師は記憶を奪うしか能がない未熟者だ。それに私とアルス、二人で手塩にかけて育てたんだ。そうそう後れを取ることもあるまい」

「それはそうだが……」

「なら信じて待て。それが師匠というものだろう」

「…………」

 

 浮かせた腰を落とす。

 確かに、初めての弟子可愛さに過保護になっていたかもしれない。

 ここは弟子を信じて待つのが良き師匠としての務めかもしれない。

 煙草を吸い、気分を落ち着かせる。

 ──―そして、自身が抱えるもう一つの不安が表出してしまう。

 

「そういえば橙子……秋巳刑事からのお誘いはどうするつもりなんだ……?」

 

 そう、実は橙子宛に、俺たちの情報源の一つである秋巳刑事からデートのお誘いが来てるのだ。

 きっかけはうちの社員である黒桐くん。彼がお正月にぽろっと叔父である(初耳だ)秋巳刑事に会社の所長について話したところ、『そりゃあ蒼崎橙子じゃねえか!』と叫び、黒桐くんをダシにデートのお誘いなんてしやがったのだ。

 ちなみに俺とも面識がある秋巳刑事だが、俺のことは橙子の秘書かなんかだと思ってる。

 

「そうだなぁ。可愛い社員の叔父ならば、断るのは失礼かもしれないな」

 

 ぐ、ぐぐぅ。なんか前向きに考えてるぞ橙子のやつ。

 

「なんだ?もしかしてヤキモチでも焼いてるのか?」

 

 ニヤニヤと笑いながら橙子は煙草を吹かす。

 そ、そんな訳あるめぇ!俺は橙子の使い魔なんだ。主がやりたいことを尊重し、サポートするのが使い魔なんだ!

 

「ほほう、そうかそうか。使い魔がそう言うのならば、当日は陰ながら護衛してもらうことにするか」

 

 か、陰ながらに護衛だとぉ!?俺が、橙子と秋巳刑事のデートを見守りながら護衛に徹するのか……ッ!

 想像すると、こう、なんか胸がムカムカしてくるというかなんというか……。

 

「よし決めた、秋巳刑事とのデートを受けようじゃないか。そうと決まれば当日着ていく服も気合を入れねばな。さて、クローゼッ──―」

 

 ガシィ!と私室に向かう橙子の腕をガッチリと掴む。

 急に腕を掴まれた橙子は目を白黒させきょとんとするが、すぐににやけ面になる。

 

「どうしたアルス?もしかして服選びを手伝ってくれるのか?」

「────―くれ」

「ん?どうした。もう少し大きな声で喋らなければ聞こえないぞ」

「──―いでくれ」

「まだ聞こえないな~」

 

 ぐ、ぐぐぐぐぐぐぅぅぅぅぅ!!!!

 

「行かないでくれ!」

 

 大声で、恥も外聞もなく本心を叫んだ。

 

「頼む、行かないでくれ。橙子が秋巳刑事とデートしてる姿を想像しただけで吐きそうだ」

 

 自分に正直になろう。本当は橙子をデートに行かせたくない。

 いくら知ってる仲である秋巳刑事だろうと許せない。仮にデートをしたとして、俺は冷静に護衛を勤めあげる自信はまったくない。むしろ途中で乱入してしまう確信がある。

 そんな俺の本心を聞いた橙子は、よりいっそう笑みを深め……。

 

「そうか。それなら誘いは断ろう」

 

 あっさりと前言を翻した。

 ……………………えっ?

 呆然としていると、橙子は所長机に備え付けられた電話を手に取りダイヤルを回す。そして、何の躊躇いもなくデートのお誘いを断った件を秋巳刑事宛に言伝した。

 

「いやぁ、悪かったな。元々気が乗らない誘いで断ろうと思っていたのだが、アルスを弄るいい機会だと思っていじわるしてしまった」

 

 ククククク、と意地悪く笑う橙子。

 ──―そうかそうか。橙子は俺の反応が見たくてわざとデートにOKを出すフリをしたのか。

 そっちがその気なら、俺にも考えがあるぞ。

 掴んだ腕を放さないまま、俺は橙子の私室へと引っ張っていく。

 

「お、おいアルス。一体なにするつもりだ?」

 

 橙子は困惑しているようだが、一切無視して私室へと入室した。

 鍵をかけ、時間を確認する。

 ……よし、霧絵ちゃんが帰ってくるまで一時間くらいある。時間は十分だ。

 

「鍵を閉めてどうするつもりだ?……っておい、そんなに近づくんじゃない」

 

 橙子に迫り、彼女の両肩に手を置く。

 そして、橙子の耳元に顔を近づけ──―。

 

「──―綺麗だ」

 

 あらん限りの感情を込め、褒めた。

 

「なっ……なにを」

「その瞳も、髪も、カラダも、全てが綺麗だ」

「なっ……なな……」

 

 いきなり至近距離で囁くように褒められた橙子は、顔を真っ赤にして離れようと抵抗する。

 しかし、逃がさない。

 

「橙子が作る人形も素晴らしい。俺は世界一だと確信している。いやむしろ人類史上最高位だと思ってる。ピグマリオン王にすら勝っているだろう」

 

 落ち着く暇も与えず、褒め続ける。

 俺を散々弄って楽しんだ挙句、あんな告白までさせたのだ。

 

「霧絵ちゃんが帰ってくるまで、褒め殺してやるからな」

「ま、待って。そんなことされたら……」

「待たない」

 

 そして有言実行。

 霧絵ちゃんが帰ってくるまで橙子を褒め続けた。最後は腰砕けになっていたが、それでも褒め続けてやった。

 ふっ……絶大なダメージと引き換えに勝ってやったぜ。

 ……いかん、マジでこっちのダメージもヤバイ。冷静になったらむちゃくちゃ恥ずかしくなってきた。

 

 

 

 その後、夕食の時間になってもまともに顔を合わせない俺たちを霧絵ちゃんは不思議そうに眺めていた。

 

 




おかしい。私は最初、鮮花と橙子さんの会話の後はゴドーワードさんへの反応を書こうと思っていたが、いつのまにか惚気話になっていた。
なんか筆が乗っちゃったんです……。

次回は忘却録音編のエピローグも兼ねた閑話の予定です。
ストックが尽きてしまったので、もしかしたら毎日投稿が途絶えるかもしれません。
もし明日の更新がなかった場合はそういうことです。
ただエタるつもりはないのでご安心を。空の境界編ラストまでの道筋は頭にありますので。


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22:ミザリーランド

なんとか間に合いました。
エピローグも兼ねた閑話となります。


「おめでとうございます!大当たりです!!」

 

 カランカラーン、とベルの音が商店街に鳴り響く。

 その音に釣られ、道行く人は新井式回転抽選器……いわゆるガラガラを回した女性に祝福の目を向けた。係員も笑顔で景品を用意している。

 

「では!こちらが一等賞『ミザリーランド入場チケット引換券』となります!!」

 

 そして、一等賞を引き当てた女性──―巫条霧絵へと景品を手渡したのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 夕食後。どうにか顔を合わせられるようになった俺と橙子は、霧絵ちゃんからある物を見せてもらった。

 ちなみに橙子は眼鏡を掛けている。気持ちを切り替える為だろう。

 

「ミザリーランド入場チケット引換券?」

「はい!商店街の福引で当たったんです!」

 

 詳しい話を訊てみると、お正月イベントということで商店街が福引を開催していたらしく、買い物の特典で福引券を貰ったそうだ。

 そして、これ幸いと福引をした結果、なんと一等賞を引き当てたという。

 

「へぇ~あの商店街にしては太っ腹ね。いつもはもっとケチくさい景品だってのに。見てよここ」

 

 橙子は引換券のある部分を指す。

 そこにはこういった文言が書かれていた。『この券一枚で三名様まで引き換えることができます』

 

「いつもはペアチケットだったのに、一人分増えているわ」

「本当だ。……だが何故一人分しか増えていないんだ?三人って中途半端な数だぞ」

「大方、両親に子どもひとりって考えなんでしょうよ」

 

 やっぱりケチくさいわ、と橙子はぼやく。

 

「でも凄いじゃない霧絵ちゃん。福引で一等賞なんて滅多に出るもんじゃないわよ」

「はい!……それで、なんですけどね……」

 

 霧絵ちゃんが急にもじもじし始める。

 顔を真っ赤にし、つんつんと指先を合わせ……意を決したように口を開いた。

 

「お二人がよければ、一緒に行きませんか!!」

 

 ……………なんだって?

 

 

 

 

 

 

 霧絵ちゃんから思わぬお誘いを受けてから一週間後の一月十日。

 俺と橙子、霧絵ちゃんの三人はミザリーランドの入場ゲート前にいた。

 

 ミザリーランド……東京郊外に建設されたテーマパークであり、総面積はなんと510,000㎡。東京ドーム約10.9個分という巨大さを誇っている。

 アトラクションも140kmを超える速度のジェットコースターや、日本一怖いと評判のお化け屋敷、園全体を見渡せる巨大観覧車など豊富な品揃えだ。

 ちなみに何故誘われてから一週間も経ってから行くことになったかというと、仕事が忙しかったからだ。

 仕事と言っても正月に橙子が依頼された礼園絡みのもので、それの後始末に奔走していたのだ。

 まさか鮮花が黒幕と旧校舎で大立ち回りを演じるとは思わなかった。黒幕は大型の妖精を自らに憑かせることによって小型の妖精を使役していたようで、それらを弾丸のように射出して攻撃してきたらしい。

 それに対し、鮮花はただのステップで必要最小限の動きで躱して大型妖精に拳を一撃、次いで魔術で焼き殺したそうだ。

 お陰で旧校舎に刻まれた魔術戦の痕跡を全て消すハメになってしまったが……うん、さすが俺たちの弟子だ。有無を言わさず特大火力で一撃必殺。年末に仕込んだ歩方も役立ったようでとても嬉しい。

 ──―しかし、封印指定の偽神の書(ゴドーワード)が一介の高校教師を勤めているなんて想像もしなかった。もし知っていたなら無理を言ってでも礼園には俺が向かっていただろう。……それでも、記憶を奪われるのがオチかもしれないが。

 

「さあ、さっそく入りましょう!」

 

 満面の笑みで俺と橙子の手を引っ張り入場ゲートへと突撃する霧絵ちゃん。

 俺たちは苦笑しながら、引っ張られるがまま霧絵ちゃんに着いていく。

 係員に入場券を渡し、ゲートを潜る。

 そして一歩園内に足を踏み入れると、目の前には夢の世界が広がっていた。

 

「うわぁ~~~」

 

 眼前に広がるのは、メルヘンと現代を上手く融合させたアーケード街だ。現代的な機能美を備えた建物に、妖精や小人たちファンタジーの住人が思い思いの装飾を施している。それに加え、アーチ状に広がったアーケード街の先には、まるで額縁に納まったかのように美しい白亜の城が顔を覗かせている。

 あまりの絶景に霧絵ちゃんの目がキラキラ煌めく。

 それも仕方ないことだろう。彼女にとっては十数年ぶりの遊園地だ。入院している間に技術は進み、彼女の思い出にある遊園地より何倍も魅力的になっていることだろう。

 実をいうと、俺と橙子も目を奪われていた。決して舐めていた訳ではないが、本職の本気というのをまざまざと見せつけられた気分だ。

 気を取り直し、ぱらりと入口で貰ったパンフレットを開く。

 ふむふむ、どうやらあの城はアーサー王伝説に出てくるキャメロット城をモチーフに建設されたらしい。しかし、それならば何故異常なほど真っ白なのだろうか?いや、絶妙に調和が取れていて違和感などは感じないのだが。

 この城をデザインした設計士はさぞ腕がいいのだろう。

 

「まずはお土産屋さんに!お土産屋さんに行きましょう!」

「おいおい、最初にお土産買ったら荷物になって邪魔になるだろ?」

「違います」

 

 霧絵ちゃんがこちらに振り向く。

 うおっ、なんか目がキラリと光ったような気がするぞ。

 

「ミザリーランドに来たらまずやることは一つ!大丈夫です。二人にぴったりなもの、選んであげますから!」

 

 ふっふっふ、と何かを企みながら彼女は土産屋に突撃する。

 ……なんだか嫌な予感がするぞぉ。橙子も同じ予感を感じ取ったのか、顔を僅かばかり歪めている。

 そして数分後、その予感は現実のものとなった。

 

 

 

 

 

 

 パンフレット片手に満面の笑みで目的のアトラクションに向かう霧絵ちゃんのすぐ後ろを、羞恥に染まった顔で俺と橙子が歩いている。

 

「ほら、アルスさん、橙子さん。そんな顔してたら楽しめませんよ♪」

 

 そんな俺たちを窘めるように霧絵ちゃんが声をかけてくる。

 だがなぁ……。

 

「この年になって()()を付けるのはなぁ」

「ええ、さすがの私も羞恥心を抑えきれないわ……」

 

 俺は頭に装着している犬耳カチューシャを指さす。

 そう、実は俺たちの頭には、それぞれ動物をモチーフとしたマスコットキャラのカチューシャが装着されているのだ。

 俺はこのミザリーランドのメインキャラクターであるドッキー(犬耳)。

 橙子はドッキーの恋人のニャニー(猫耳)。

 霧絵ちゃんはドッキーの親友のウーサー(ウサギ耳)。

 ……ひとりだけアーサー王の実父と同じ名前なのはツッコミ待ちなのだろうか?どうやら発音は違うらしいが。

 

「何言ってるんですか!遊園地に来たならマスコットキャラのマカチューシャを付けるのは法律で決まってることなんですよ!」

「決まってたか?」

「そんな訳ないでしょ!」

「さあ、行きますよぉー!」

 

 霧絵ちゃんはひそひそ話する俺たちを気にすることもなく、ズンズンズンズン確かな足取りで歩いていく。

 その様子を眺めていると、俺は感慨に耽ってしまう。

 

「しかし、霧絵ちゃんも大分パワフルになったよな。初めて会ったときからは想像もできないくらいだ」

「ええ。でも、彼女が元気になったのはアルスのお陰なのよ」

「俺の?」

「だってそうでしょう?荒耶に霊体を与えられた彼女を見つけ、死病に侵された彼女を救ったのはアルスなんだから。しかも退院後は身元引受人になってウチに同居させて面倒を見ている。これが功績じゃないのなら、何だっていうのよ」

「……俺のお陰か。でも、それを言うなら橙子だって関係しているぞ」

「私も?」

「ああ。メイクのやり方を教えてあげたり、一緒に手芸人形を作ったり、いろいろ構ってたりしたじゃないか。そういえば、裸の付き合いとかいって一緒に風呂に入ってたりもしてたな」

「し、仕方ないでしょ。霧絵ちゃんってば髪の手入れもろくに知らなかったのよ」

「まぁ、そういうことだ。俺たちは何かと理由を付けて霧絵ちゃんに構っている。……きっと、彼女は俺たちの人生の中でも重要な位置に存在する人間になったんだろうな」

「……全く、これでは先が思いやられるわね。二人揃って未練が残ってしまいそうよ」

「そうならない為に、今回の誘いを受けたんだろう?」

「ええ、だからこのカチューシャも大人しく付けている」

 

 ピッ、と装着しているカチューシャに指を刺す橙子。

 

「でも誘いに乗った甲斐はあったわ。こんなアルスの姿、滅多に見れるものじゃないもの」

「それはお互い様だな。似合ってて可愛いぞ」

「ば、莫迦……ッ!当分褒めないでと言ったでしょう!」

 

 橙子は顔を真っ赤にする。どうやら一週間前に腰砕きにされるまで褒められ続けたことがフラッシュバックしたようだ。大分マシになったが、この様子じゃあと一週間は待たないと褒めることができないな。

 

「何やってるんですかー!早く来ないと置いてっちゃいますよー!!」

 

 前を向くと、霧絵ちゃんが手を大きく振って俺たちを呼んでいた。

 

「さて、今日の主役が俺たちを呼んでいるようだ」

「なら、早く追いつかないとね」

 

 俺たちは、足早に主役(霧絵ちゃん)の下に馳せ参じたのであった。

 




長くなるので前後編に分けました。
今回出てきたミザリーランドはいろんな遊園地を悪魔合体させて作り出したものです。
といっても、元ネタはバレバレだと思いますが(;^_^A


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23:家族のカタチ

遅くなって申し訳ありませんでした、
急いで書き上げたので、後日修正する箇所が出てくる可能性がありますが、その際は前書きや活動報告でお知らせいたします。

では、後編をどうぞ!


「最初はここです!」

 

 ビシィ!と霧絵ちゃんが最初に乗るアトラクションを指さす。

 そこには『REAL THUNDER』と書かれた看板がある。

 ええと、こいつは……。

 

「最初にジェットコースターって飛ばし過ぎじゃないか?」

「いいえ、最初だからこそ乗るんです!元気いっぱいなうちに乗って、100%の反応をもって楽しむ!疲れてから乗ったんじゃ楽しさ半減だと思うんです!」

 

 霧絵ちゃんの力説に、確かにと納得する。

 ジェットコースターに乗ったことはないが、思いっきり叫ぶことが正しい楽しみ方だと聞いたことがある。ならば、元気なうちに乗った方がいいのだろう。

 ウキウキと列に向かう霧絵ちゃんに着いていきながら、隣の橙子に質問する。

 

「俺は初めて乗るんだが、橙子は?」

「私もよ。というか、遊園地自体初めてね」

「おっ、お揃いだな。それじゃあ、今日は遊園地の先輩に遊び方をご教授願おうか」

「そうね。まずはジェットコースターの乗り方からね」

 

 それからとりとめもない会話をして待つこと三十分。正月明けということもあり客が少ない為、意外と早く乗ることができた。

 係員に従い手荷物を預け、コースターに乗り込む。幸運なことに霧絵ちゃんと橙子が先頭で、俺はそのすぐ後ろだ。

 乗車時の注意アナウンスが流れ、係員がしっかり安全バーがロックされていることを確認する。

 そして、係員の合図と共にゆっくりとコースターが出発した。

 ……おお、ジェットコースターは初めてだが、こうしてレールのてっぺんに移動する時間はワクワクとドキドキが同時にやってきてイイ感じだな。前の二人も同様なのか、楽し気に会話している。

 そして、コースターがレールのてっぺんに到達する。

 すると、霧絵ちゃんの口からとんでもない発言が飛び出した。

 

「実はわたしも初めてなんですよジェットコースター!子どもの頃は身長制限に引っ掛かっちゃって!」

 

 あ、隣に座ってる橙子の顔が引きつったな。そんな気配がするっておいおいおいおいおい!ツッコミ入れる暇もなく急降下始めうおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ジェットコースターから降りたわたしたちは、早速次のアトラクションへと移動を開始します。

 

「霧絵ちゃん初めてのジェットコースターだったのに、何であんな自信満々に楽しみ方をレクチャーしてくれたんだ?」

「おそらく雑誌で勉強したんでしょうね。昨日事務所で付箋塗れのガイドブックを見たわ」

 

 後ろでアルスさんたちが何かひそひそ話しているようですが、きっとジェットコースターが楽しすぎて感想を言い合ってるに違いありません。

 さて、次のアトラクションも元気があるうちに遊ばなければ損なもの。

 なんてったって……。

 

「次はここ、『絶叫迷宮』です!」

 

 日本一怖いと評されているお化け屋敷だからです!

 

「なんでもここは人形の出来が良くて、物凄く怖いそうですよ」

「ほう、人形か」

「人形ねぇ……」

 

 きらり、と二人の目が光ります(もちろん比喩ですけど)。

 人形師としての血が疼いたんだと思います。だってお化け屋敷に向かう人の顔じゃありませんもん。あれは人形を品定めしてやろうという芸術家としての顔です。

 でも、それこそがわたしの目的!

 芸術家モードなら二人はお化けにも怖がらないはず。

 屈強なボディーガードに護衛されている人は、安心感から恐怖を感じにくいと聞いたことがあります。その理論でいけば、二人が傍にいてくれたらわたしの恐怖心もやわらぐはずです。

 さあ、いざ行かん絶叫迷宮!二人がいればわたしは無敵です!!

 

 

 

 

 

 

「いやああああああああ!!!!」

 

 前言撤回します。怖いものはやっぱり怖いです!

 何ですか朽ちた子ども人形で気を惹いてから死角から本命のゾンビ人形で驚かせるとか反則ですよ反則!!

 

「おお、子ども人形もよかったがこいつもハイクオリティだぞ」

「ケロイド状になった皮膚とかリアルでいいわね。材質は何かしら?」

 

 しかも頼りの二人はわたしを守ってくれるどころか人形に興味津々で全く相手してくれません!何度袖を引いても「はいはい」といった感じでおざなりな対応です……。

 

「しっかし、城を見たときも思ったが最近の職人は凄いな」

「そうね。舐めていたわけではないけど、ここの人形も素晴らしい出来だと感心しちゃうわ」

「まだまだ序盤だし、先にはもっと凄い人形があるかもな。行ってみよう」

 

 ああ!人形見たさにスタスタ先へ進んでいます!待って待って、わたしをひとりにしないでぇぇぇぇ!!

 

 その後は散々でした。二人は所々立ち止まってくれたので置いていかれることはありませんでしたが、追いつく度に人形やゾンビに扮したスタッフさんが驚かしにやってくるので心臓がバクバクしっぱなしです。

 もはやわたしはボロボロです。半泣きになりながらアルスさんと橙子さんの腕をがっしり組んで離しません。

 そんな情けないわたしを気遣ってか、間に挟まっているわたしを守るように移動してくれます。人形やゾンビが視界に入らないよう立ち回り、怯えることも驚くこともなく突き進む二人はさすがとしか言いようがありません。お化け屋敷なのに安心感を覚えちゃいます。

 そして、絶叫迷宮入場から三十分後。二人がじっくり見て回ったせいで平均の二倍近い時間をかけてお化け屋敷を出ました。

 

「予想以上に楽しめたな」

「ええ。インスピレーションがたくさん湧いたわ」

 

 絶対に間違っている楽しみ方をした二人を尻目に、わたしは決意を固めます。

 絶対に!二度と!!お化け屋敷には入らない!!!

 

「さて、次はどこ行くんだ?……と聞こうと思ったが、霧絵ちゃん予想以上に消耗してるな」

「なら、次はゆっくりできるアトラクションはどう?パンフレットによれば近くにメリーゴーランドがあるようよ」

「そうだな……霧絵ちゃん、よければメリーゴーランドに行かないか?」

 

 その提案にコクンと頷きます。さすがに、この状態で絶叫系には乗れません……。

 

 

 

 そして、その後メリーゴーランドに乗って気力を回復したわたしは、二人を引っ張っていろんなアトラクションを乗り回しました。

 フリーフォールにコーヒーカップ、空中ブランコ、ゴーカート、バイキング、ウォータースライダー…………途中お昼休憩を挟みながら、悔いが残らぬよう思いっきり楽しみます。

 そうしていると、時間はあっという間に過ぎ去り日没間近。

 夜になる前に遊園地の全体像を見ておこうとわたしが提案し、観覧車の列に並ぶことになりました。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 係員に促され、アルス、橙子、霧絵の三人は観覧車のゴンドラに乗り込む。最初に霧絵、次に橙子、最後にアルスという順番で、席も奥詰で座り霧絵と橙子がアルスに対面する形となった。

 ゆっくりと時間をかけてゴンドラが上昇していく中、徐々に露わとなる遊園地の全貌に霧絵は興奮──―しなかった。

 ただただ、夕日で紅く染まる遊園地を、愁いを帯びた瞳で見つめていた。

 遊園地で遊んでいる時とは打って変わった様子の霧絵を、アルスと橙子は黙って見守るのみ。

 二人は悟っていた。意図的に霧絵が観覧車を後回しにしていたことを。三人きりになれるタイミングを伺っていたことを。

 ゴンドラという小さな世界に静寂が訪れる。ただゴンドラが揺れ動くギィという音だけが、この世界を侵食している。

 

「……二人は」

 

 行程の四分の一が過ぎ去った頃。ようやく、霧絵の口が開かれた。

 

「二人は、もうすぐ伽藍の堂を出ていっちゃうんですよね」

 

 ピクリ、とアルスの指が動く。橙子はおもむろに眼鏡を外した。

 

「気づいたきっかけは、些細な物事の積み重ねでした。橙子さんが本格的に建築設計を教えてくれたこと、趣味の骨董品が増えないこと、二人が夜な夜な工房で作業していること……。普段は疑問にも思わないこと。穏やかな日常の一つとして流されるような出来事。──―でも、ある時ふと気づいたんです。『ああ、この人たちはもうすぐいなくなっちゃう』って」

「「…………」」

「最初は気のせいだって無視していました。でも、その思いは日に日に大きくなっていって……お正月を迎える頃には、確信に変わりました」

 

 霧絵は二人に一切顔を向けず、淡々と語る。

 

「橙子さんは時計塔から追われている封印指定者で、アルスさんはその使い魔。いくら極東の日本で結界を張っていても、長く一か所に留まり続けるのはリスクでしかない。もう何年も伽藍の堂に腰を落ち着けている以上、旅生活に戻るのは当然のこと。わたしたちを巻き込まない為にも、それが一番良い選択肢であることは理解しているつもりです。──―でも」

 

 霧絵の視線が下がり、僅かだが肩が震える。

 

「でも、それが一番だと頭で理解しているのに、心が全力で叫んでいるんです。『嫌だ』『もっと二人と一緒にいたい』『家族をもう一度失うなんて嫌だ』って。……その叫びに、身を委ねたくなっちゃう……」

 

 両手で自身を抱きしめ、今にも溢れそうな感情を必死に止めながら、なおも言葉を続ける。

 

「そんな時、遊園地のチケットが当たって、これは神様の思し召しなんだと思いました。これで二人と思い出を作って、それを糧に生きていきなさいっていう。……でも、ダメなんです。二人と遊んでいくうちに、心の叫びはもっともっと大きくなっちゃって、今でも必死に縋りついて泣き喚きたくなるのを必死に我慢しているんです」

 

 しかし、霧絵の努力もむなしくついに感情が溢れ出る。両目から涙がぽろぽろ流れ落ち、小さな嗚咽が漏れ出てしまう。

 

「ごめんなさい……こんな告白してから泣くなんて卑怯ですよね。……ごめんなさい……やっぱり、わたしは悪い子なんです。……ごめんなさい……すぐに泣き止みますから……」

 

 壊れたレコードのように、ひたすら謝罪を続け涙を収めようと霧絵は顔を押さえる。

 そんな彼女を見て、アルスと橙子は目を合わせた。

 そして──―橙子が霧絵を引き寄せ、空いたスペースにアルスが入りこみ、ぎゅっと左右から抱きしめる。

 

「えっ……?」

 

 急に抱きしめられたという事実に、霧絵は押さえていた手を放し呆然としてしまう。

 そんな彼女を愛おしそうに見つめながら、橙子が口を開いた。

 

「ありがとう霧絵。それほど私たちを愛してくれているとは、冥利に尽きるというものだ。──―だがな、それほど私たちを見ているというのに、霧絵は気が付かないのか?」

「気が付く……?」

 

 きょとんとしている霧絵に、橙子から引き継ぐようにアルスの口が開かれる。

 

「俺たちも、霧絵ちゃんと同じくらい君を愛しているってことさ」

「アルスさんたちも……?」

「ああ。霧絵ちゃんが親のように愛してくれているように、俺たちも霧絵ちゃんを娘のように愛しているんだ」

「そうだ。四か月と短い時間だが、私にとっては無為に何年も続けていた逃亡生活より価値ある時間だった。そんな輝かしい生活を送れたのも、霧絵がいてこそなんだ」

「わたしが、いてこそ……」

「だからこそ、俺たちは伽藍の堂を去るんだ。……だけど、それは決して哀しいことなんかじゃない。ただ、霧絵ちゃんに留守を預けるだけなんだ」

「大丈夫、約束する。私たちは、いつか必ず伽藍の堂に帰ってくる」

「……約束、ですよ」

「ああ、約束だ」

 

 霧絵の両手が二人の腰に周り、ぎゅっと抱きしめる。

 彼女の想いに答えるように、アルスと橙子は抱きしめる力を強くする。

 その姿は、まるで血の繋がった本物の家族のようで──―

 

 

 

 ──―頂上に到達した三人を、夕日が温かく照らしていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「霧絵ちゃんは?」

「ぐっすりだよ。よほど疲れていたようで、ベッドに潜るとすぐ寝息が聞こえてきた」

 

 時刻は夜十時。霧絵ちゃんの私室前で、俺と橙子はドアの隙間から霧絵を覗いていた。

 ベッドで就寝している彼女の寝顔は、驚くほど穏やかだ。

 

「まさか、彼女があんなに思い詰めていたとはな。俺たちが去ることを匂わせないよう、隠し通してきたつもりだったんだが……」

「私たちが予想していた以上に、霧絵が聡かった。そういうことだろう。子は親の変化に敏感だと言うしな」

 

 橙子は煙草を咥え、ライターを取り出し……懐に仕舞った。ここでは吸えないと判断したのだろう。以前の橙子からは考えられない変化だ。

 

「俺たちも、霧絵ちゃんの想いに報いてやらないとな」

「ああ。そちらはどうなっている?」

「術式自体は完成した。あとは人格の剪定といったところだな。一週間もすれば、最適なものが出来上がるだろう」

「それならば上出来だ。私の方は少し難航していてな……」

「やっぱり、動力が問題か?」

「ああ。以前製作したタイプなら問題ないが、それだと霧絵に深刻な被害が及ぶ。対抗策はあるが、四六時中それを強要する訳にもいくまい」

「解った。ならこっちの作業が終わり次第、そちらに合流する」

「なるべく早く頼むぞ。案はあるが、頭脳は多いに越したことはないからな」

 

 俺たちは作業を再開する為に、工房へと足を運ぶ。

 近いうちに訪れる別離を前に、娘へ残す物を完成させるために。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 時は少し遡り、霧絵が就寝する十分前。

 霧絵は、鞄からある物を取り出した。

 

「うふふ……。アルスさんも橙子さんも、やっぱり似合ってる」

 

 それは写真だった。観覧車から降車した霧絵が二人にせがみ、係員に撮影してもらった代物だ。

 中央にいる霧絵を挟むように、アルスと橙子が立っている。三人とも笑顔で、頭に装着されたカチューシャが存在感を放っている。

 霧絵はその写真をひとしきり眺めた後、パーク内で購入したフォトフレームにそれを収めた。

 そして、慈しむように抱きしめた。何故なら、この記念写真は霧絵にとって初めて三人で撮られた写真だからだ。

 今まで写真をろくに撮る機会がなかった彼女にとって、唯一無二の宝物だ。

 その宝物を、霧絵はデスクの上へと……座った自分の目に映りやすい位置へと飾った。

 いつどんな時でも、自分が愛する母と父を思い出せるように。

 




リアルが忙しくなり、不定期投稿になるのが決定的になりました。下手すると週1の可能性も出てきました。
ですが、必ず第一章である空の境界編は完結させるのでご安心を。
それに、ロード・エルメロイⅡ世の事件簿編や、だいぶ先になるであろうFGO編も書きたいですからね!

気長に待っていただけると幸いです<m(__)m>


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24:『普通の人』の決意

お待たせしました。殺人考察(後)編です。


 二月一日。今日は珍しく式が用事もないのに事務所までやってきた。

 どうやら黒桐くんを護衛するつもりらしい。言葉には出していないが、彼にぴったりとついていく式の雰囲気は敵を警戒する肉食獣のようだった。

 だが、それも仕方ないことだろう。なにせ、彼らが住んでいる街にはとある異変が発生しているからだ。

 その異変とは、連続通り魔の再来。

 三年前、六人もの人間を殺し、警察の手からするりと抜け出し姿を晦ませた殺人犯が再び街に現れたのだ。今朝からニュースの話題はこれ一色となっている。

 

「殺人鬼ねぇ。まさか神秘と関係ない場所で鬼が現れるとはなぁ」

 

 もちろん、本気で幻想種である鬼が出現したとは思っていない。仮に本物の鬼が犯人ならば、犠牲者は一日で二桁になっていただろう。下手すると三桁かもしれない。

 

「巴くん、ひとりで帰りましたけど大丈夫でしょうか……?」

 

 書類整理を終えた霧絵ちゃんの口から心配事が漏れる。

 大丈夫じゃないか?ニュースでは、事件現場は繁華街の裏路地に限定されていると言ってるし、臙条くんには寄り道せず真っすぐ帰るよう言い含めている。

 そのことを説明すると、霧絵ちゃんは目に見えてほっとしていた。

 ……さて、晩ご飯の準備でもするか。最近めっきり寒くなってきたから、おでんにしようと考えている。下拵えも済ませてあり、晩ご飯の時間には美味しいおでんが完成しているだろう。

 

 

 

 

 

 

 二月八日。

 ニュースが大々的に連続通り魔事件を扱うようになってから一週間。

 殺人鬼と銘打たれた犯人は精力的に活動するようになり、一日一殺を心掛けるようになっていた。

 もはや三年前に起こった連続通り魔とは比べ物にならない。本物の『殺人鬼』になってしまった。

 このまま殺人──―いや、橙子が言うには殺戮か──―が続けば、いずれ伽藍の堂にも被害が及ぶ可能性が出てくるかもしれない。

 そこで我らが伽藍の堂の長である橙子が取った行動とは!

 

 何もしない。

 

 拍子抜けだろうが、ただこれだけである。

 理由は単純。かの殺人鬼が伽藍の堂に被害を与える可能性が零だからだ。

 殺人鬼が犯行に及ぶのは、決まって夜の繁華街の路地裏。被害者もヤクザ紛いのチンピラやヤク中など、路地裏を拠点とする者ばかり。

 つまり、夜間の路地裏にさえ行かなければ殺人鬼と遭遇する可能性は皆無!そして、そんな命知らずな行動をする人間はウチにはいない。

 という訳で、俺たちはこの事件に関しては静観する立場を取った。試しに夜間の路地裏をうろついてみたが、見つけたのはまるで大型の肉食獣の食い残しみたく食いちぎられていた腕だけ。

 明らかに異常な死体だったが、魔術の痕跡は欠片も残っていなかった。つまり、俺たちが出る幕ではないのだ。下手に行動して時計塔の目に晒されるのはごめんだしな。

 ……だが、ウチの社員第一号である黒桐くんはそうでもないらしい。

 この一週間、彼は仕事中ですらずっとそわそわしていた。おそらく例の連続通り魔事件が気になっていたのだろう。その上、式が一週間も家に帰っていないという。

 何事もなければいいが……と朝食後の紅茶を飲みながら、今日の予定を頭の中で組み立てる。すると、ジリリリリと電話が鳴った。ちょうど側にいた橙子が電話を取る。

 

「はい、こちら伽藍の堂……なんだ、黒桐か」

 

 どうやら、件の黒桐くんからの電話らしい。橙子は二、三言葉を交わた後、「ほどほどにしておけよ」と言って電話を切った。

 

「黒桐くん、何だって?」

「今日は休むとさ。おそらく殺人鬼を追っているのだろう」

「……まぁ、式が関わっているかもしれないならば黙ってる訳にはいかないだろうしな」

 

 彼の調査能力なら、あっさり殺人鬼の居場所とか見つけ出しそうだ。

 逆に式は見つけられなさそうだ。おそらく彼女は痕跡を残さないように行動しているだろう。黒桐幹也の調査能力は情報(痕跡)がなければ成り立たない類のものだ。未来予知のように一足飛びには真実に辿り着けない。

 霧絵ちゃんが心配しているが、こればっかりは俺には手を出せない。

 橙子からのお達しもあるが『自分のあり方としての山場』を迎えている二人に下手に干渉するとろくなことにならない。自らで答えを見つけ出さなければ誰もが不幸になるだけだ。

 ……これは俺の勘だが、両儀式と黒桐幹也の関係性はこの事件をきっかけに大きく変化するかもしれない。つまり、『自分のあり方』を見つけ出すということだ。

 ──―そうなれば、俺たちもここを出ることになるな。

 霧絵ちゃんへ残すモノについては、八割方完成している。後は細かい調整とデバッグだけだ。

 幸い仕事も定時には終わる量だ。今日の夜も工房で作業を続けよう。

 

 

 

 

 

 黒桐くんの連続欠勤記録も四日目に突入するかと思われた二月十一日。

 珍しく出勤してきた黒桐くんは、起源覚醒者の白純里緒について橙子に質問していた。

 しかし、起源覚醒者ね……。荒耶も面倒な置き土産を残したもんだ。

 魔術師ならともかく素人にアレをやると決まって人格崩壊する。全ての始まりである根源で形作られた方向性の積み重ね(歴史)に、たかだか数十年しか人生を積み重ねられない人間がろくな処置もなく太刀打ちできるはずがない。それが十七年しかなかった白純里緒ならなおさらだ。とっくに魂は『食べる』という起源に塗りつぶされて、黒桐くんの知っている『白純里緒』の人格は八割方消え去っているだろう。

 だが、それが哀れだとは思わない。起源覚醒は両者の合意無くして成立しえない術式だ。望んだからこそ、選び取ったからこその末路。身も蓋もない言い方をすれば、自業自得というやつだ。

 そのことを、橙子は黒桐くんに懇切丁寧に説明した。しかし、それでも彼の意思は揺らがないようだ。白純里緒を助けようとしている。

 全く、お人好しにもほどがある。

 だが、嫌いではない。

 

「──―お邪魔しました」

 

 橙子との問答で何かを掴んだのか。決意を秘めた表情で黒桐くんが立ち上がる。

 不満そうに橙子が引き留めるが、彼は既に自身が成すべき行動を決めたようだ。迷いない足取りで事務所の扉を開け退室した。

 

「──―橙子」

「全てが終わった後なら、許可しよう」

 

 以心伝心。橙子は条件付きだが許可をくれた。

 大丈夫。介入しようなんて欠片も思っちゃいない。

 だが……迎えの馬車を出すくらいは許されるはずさ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 月日は流れ、三月。

 劇的な幕切れを迎えた殺人鬼の話題も沈静化の一途を辿っている最中、アルスは伽藍の堂屋上にいた。

 眼前に広がる夜景を眺め、ひとり煙草を吹かしている。

 

「ここにいたんですか、アルスさん」

 

 アルスの背後から、ひとりの男が現れる。

 黒桐幹也だ。

 彼はアルスの隣に並び立つ。

 

「黒桐くんか。こんな夜中に何の用なんだ?」

「お礼を言いたくて」

「お礼?」

 

 黒桐はアルスへと向き直ると、深々とお辞儀した。

 

「僕と式を助けてくれて、ありがとうございました」

「……なんのことかな」

「隠さなくったっていいんです。廃倉庫に警察と救急車を呼んでくれたのはアルスさんなんでしょう?」

 

 黒桐の指摘に、アルスはただ黙って紫煙をくゆらせるのみ。それこそが答えだと言わんばかりに。

 沈黙が屋上に訪れる。かたや西洋人の偉丈夫、かたや黒尽くめの東洋人。この二人が沈黙したまま揃って夜景を眺めている様は、第三者から見ればとても奇妙に思えただろう。

 それがどのくらい続いたのだろうか。十分かもしれないし一分にも満たなかったかもしれない。

 照明もなく、夜の闇に支配され時間の感覚が曖昧になった屋上の沈黙を、西洋人が破った。

 

「黒桐くん。ひとりの男として……いや、ひとりの先輩として、君に質問することがある」

「はい」

「君は、両儀式という女性を愛し抜くと決めた。それはとてもいいことだ、祝福しよう。……だが、それは両儀式の宿命を共に背負うということだ。荒耶宗蓮という魔術師を打ち破り、やつの置き土産を消したことにより君たちは平穏を取り戻した。しかし、これから先もそれが続くとは限らない。彼女は一種の惑星なんだ。自ら引力を発生させ、厄介事を隕石の如く引き寄せる元凶。隣に並び立つ限り、世間一般的な平凡な生活は送れない。──―それでも、両儀式を支えられるか?」

「愚問ですよ、アルスさん」

 

 間髪入れず答える黒桐に、アルスはほぅと呟く。

 

「僕はもう何年も前から式の世話を焼くって勝手に決めたんです。この先どんなことがあろうとも、その決意が揺らぐことはありません」

「言葉だけではなんとも言えるな。だが、君だって俺が殺される瞬間を見ただろう?」

 

 黒桐の脳裏に、去年の十一月に起こった惨劇が思い起こされる。アルスが首だけになった挙句、握り潰された一件だ。

 黒桐が知らぬ方法で復活を遂げたとはいえ、一度死んだことには変わりない。

 

「両儀の家が退魔の役目を放棄したとはいえ、家の繋がりまで死んだ訳ではない。この先魔術と関わる機会はいくらでもあるだろう。矢面に立たずとも、非業の死を遂げる可能性は零ではない。──―もう一度質問するよ黒桐くん。それでも、両儀式を支えられるか?」

「もちろんです」

 

 しかし、きっぱりと。

 脅しともいえるアルスの忠告を、黒桐幹也は撥ね退ける。

 

「僕も理解しているつもりです。きっとこの先何度も危険な目に遭うでしょう。今度こそ、この左目の比じゃない代償を支払うかもしれません」

 

 すっ、と前髪で隠れた左目を黒桐はなぞる。

 

「──―それでも、式を愛すると決めました。この気持ちに嘘はありません」

 

 そして、残った右目に消えぬ決意の光を宿してアルスへと宣言した。

 

「………………」

 

 アルスの双眸と、黒桐の単眼。両者の視線がぶつかり、再度沈黙が屋上を支配した。

 そして──―沈黙を破ったのはまたしても西洋人だった。

 

「この質問は野暮だったようだな。すまない、忘れてくれ」

 

 アルスは苦笑すると手すりに煙草を押し当て、新しい煙草に火を点けた。深く吸い込み、黒桐にかからないよう紫煙を吐き出す。

 直後、何か思いついたようにアルスは黒桐へと向き直った。

 

「話は変わるが、その左目は治さなくてもいいのか?橙子ほどではないが、俺にもメンテナンスフリーの義眼くらいは作れるぞ。もちろん、本物と等しく見えるようになる」

「大変ありがたい提案なんですけど、お断りします。この傷は約束の証でもありますら」

「約束?」

「はい。式と約束したんです──―代わりに、僕が式を殺すって」

「……………………は?」

 

 思わず煙草をぽとりと落とすほど、アルスはあっけに取られる。

 

「さ、早く事務所に戻りましょう。いくらアルスさんが頑丈だからといって真冬の夜にそんな軽装でいたら風邪引きますよ」

 

 そんな彼を放って、黒桐は足速に屋上を去る。

 彼が去った後も、アルスは呆然と突っ立っており……。

 

「ち、ちょっと待て黒桐くん!それは一体どういう意味なんだ!?」

 

 フリーズすること約三分、カップヌードルが完成する頃にようやくアルスは復帰することができた。

 




次回、ついに空の境界編エピローグ。
アルスと橙子が刻んた軌跡に、ひとつの決着がつきます。


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エピローグ

お気に入りがついに1000件突破しました!
この場を借りてお礼申し上げます。
本当にありがとうございます!!


 深夜二時。草木も眠る丑三つ時に、巫条霧絵は目を覚ました。

 何故こんな時間に目を覚ましたのか。霧絵には心当たりはない。いつもなら『変な時間に起きちゃったな』と自己完結して再び眠りにつくだろう。

 しかし、彼女は起床することを選んだ。胸騒ぎがしたのだ。

 スリッパを履き、私室の扉を開ける。その先は、いつもと変わらない伽藍の堂(我が家)。事務所へと続く廊下があり、道中にはキッチンや蒼崎橙子の私室に繋がる扉がある。

 暗闇が支配する静謐の世界を霧絵は歩み始めた。向かう先は事務所だ。十秒ほどで辿り着くだろう。

 その十秒で、彼女の胸騒ぎは目まぐるしく変化を遂げた。

 三秒経つ頃に胸騒ぎは形を変えていき。

 七秒経つと予感に変化し。

 十秒経って扉前に着くと、予感は確信へと変わった。

 そして、ドアノブに手をかけゆっくりと開けると──―確信は、真実となった。

 巫条霧絵がドアを開けた先。伽藍の堂事務所には、旅支度を終えようとする蒼崎橙子とその使い魔アルスが立っていた。

 

 

 

 

 

 

「もう、行っちゃうんですね……」

 

 事実を噛みしめるように、霧絵は言葉を投げかけた。

 扉前に立った時から解っていた。こんな夜中に目が覚めたのは、二人に別れを告げる為だと。

 

「ええ。残念だけど、今日でお別れね」

 

 パタン、と旅行鞄を橙子は閉めた。持ってゆくべきものは全て中に詰めたということだろう。

 ふと霧絵は辺りを見渡す。月明かりに照らされた事務所は就寝前となんら変わりないように思えたが、よく見ると明らかな相違点が見受けられた。

 

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 ああ、この人たちは本当に去っていくんだ。立つ鳥跡を濁さずということわざ通り、二人がいたという痕跡を綺麗さっぱり消去して旅立っていく。

 まるで泡沫の夢のようだ。朝になれば、蒼崎橙子とアルスは記憶の中だけの存在となる。

 覚悟していたはずの結末を前に、霧絵の心が締め付けられる。

 

「急なんですね……。まさか、黙って消えるつもりだったなんて……」

「まぁ、湿っぽいのは私のキャラじゃないしね。こういうのは唐突な方がかえっていいものよ。……それに、私たちは元々風来坊。気紛れに現れては、気紛れに去っていく。今回はいつもより長く居ただけよ」

 

 普段と変わらぬ様子で答える橙子に、霧絵はなんだか誇らしくなった。

 ああ、お母さんの覚悟は揺らがないんだ。と……。

 

「本当は置手紙で伝えるつもりだったんだけど、こうしてお別れするならいらないわね。──―霧絵。私たちの、可愛い可愛い娘。あなたに伝えることがあるわ」

 

 橙子は霧絵の机に置いてあるA4サイズの封筒を手に取ると、霧絵に手渡した。

 

「これには伽藍の堂に関する権利書が入っているわ。名義は全部霧絵ちゃんに変更済みだから、名実ともにここは霧絵ちゃんのモノとなる」

 

 伽藍の堂とは、この建物と会社両方を指す言葉だ。

 つまり、橙子の持っていた地位と権利が全て霧絵に移譲されたのだ。

 

「えっ、そんな大事なもの……」

「私たちにはもう必要ないものなのよ。それなら、有効活用してくれる人に渡すのは当然じゃないかしら?」

 

 イタズラ成功、といわんばかりに橙子はウインクする。

 

「……解りました。二人が帰る場所を、わたしがしっかり守ります」

「お願いするわ。帰ってきて家がないなんて悲しすぎるからね」

 

「よろしくね」と橙子はポンと霧絵の肩を叩く。

 

「通帳や紹介状、その他これから先生きていく上で必要なものは、全部所長机に備え付けられた金庫に保管してあるわ。鍵と暗証番号の書かれた紙はその封筒に入れてある。それとね……」

 

 パチン、と指が鳴らされる。音に呼応するかのように、いつの間にかアルスが巨大な箱を持って現れた。

 いや、箱というのは正確ではない。それはまるで棺のようだった。二メートル弱はある長方形の立方体で、真っ二つに割るかのような縦線が入ってる。

 

「そして、これが私とアルスが娘に贈る最大のプレゼント。さ、手を出して」

 

 おずおずと、霧絵は素直に手を出す。

 その手を橙子はガシリと掴み、人差し指の指先を針でちくりと刺した。

 鋭い痛みが走り顔を顰める霧絵。傷口から血がぷくりと膨れ上がるが、それをアルスが素早く採取し、橙子がさっと傷口を撫でた。すると血はぴたりと収まり傷は跡形もなくなる。

 霧絵が指を揉んでいると、アルスが採取した血を一滴棺に垂らした。

 すると、棺が観音開きのように開き──―

 

 ──―中には、美しいヒトがいた。

 

 フリルがあしらわれたクラシカルスタイルのメイド服に身を包み、肩口で切り揃えられた黒髪は純白のホワイトブリムと引き合うように魅力を高めあっている。

 180センチはあろうかという長身だが、決して威圧感を与えることはない。むしろ柔らかな印象を与える雰囲気が醸し出されている。

 それは計算されたメイド服のデザインや肢体のお陰でもあるだろうが、一番の要因は()だろう。

 瞳は閉じられ口も堅く閉ざされているが、その眠り顔はまるで童話の白雪姫を思わせるように穏やかだ。純日本人の顔立ちながらも長い睫毛と高い鼻は、高飛車なイメージなどまるで想像させない。

 

「彼女は俺と橙子が技術の粋を集めて製作した自動人形(オートマタ)だ。身体や武装などのハード面は橙子が。人格付与や人工知性の育成などのソフト面は俺が担当した。そんじょそこらの魔術師なら一蹴できるし、生活面でも完璧なサポートをこなしてみせる。文字通りの万能メイドってやつだ」

「霧絵ちゃんは一般人とはいえ、元は退魔四家に連なる巫条家の人間。またいつぞや荒耶のように利用しようと近づく魔術師が現れないとも限らない。そんな外敵から身を守る為の護衛役よ」

「霧絵ちゃんの血を媒体として主人(マスター)登録をしたが、まだ完全には終わっていない。彼女には名前がないからな」

「名付けというのは重要な儀式よ。名前は個体名を明確にするだけでなく、自身の在り方を決める大事な要素でもある。だからこそ戦国大名は配下に偏諱を与えることによって権威付けを行い、同時に自分側へと縛り付けた」

「ゆえに、霧絵ちゃんが名付けることに意味がある。名付け親(マスター)になることによって、専属メイド(サーヴァント)という在り方を確定させるんだ」

「そうすれば、この子は目醒めて霧絵ちゃんの忠実な僕になる。さぁ、早速名前を与えてあげて」

 

 二人に促され、霧絵は少し困りながらも頭を回転させる。

 蒼崎橙子という最高位の魔術師が持てる技術の全てを結集させて製作した人形(にくたい)だ。百人に見せれば百人が美しいと答えるほどの完成度を誇っている。

 これは下手な名前は付けられないわと霧絵が悩んでいると、アルスと橙子の姿が目に入った。

 メイドが納められていた棺から一歩引いた位置にいる二人は、寄り添い微笑みながら自分を見守っていた。月明かりに照らされ、暗闇の中でも二人を象徴する蒼と赤の髪が艶やかに際立っており、まるで一つの絵画のようだ。題名はさしずめ『赤蒼の主従』といったところか。

 そこまで思考がふらついたところで、霧絵の頭に天啓が舞い降りる。

 赤と蒼の魔術師によって作り出されたのならば、彼女にはその二色によって生まれる色こそ相応しいのではないかと。

 つまり『紫色』だ。

 しかし、蒼崎橙子の色は赤というより橙が混ざった緋色だ。ゆえに生まれる紫は通常より暗い色彩を持つことになる。

 そこまで思考が辿り着いたところで、霧絵は以前読んだ色彩図鑑の内容を思い出す。自らのメイドとなる自動人形(オートマタ)に相応しい色を探し出す為に。

 そして──―ついに彼女は見つけた。

 

「あなたの名前は……菖蒲(しょうぶ)。花菖蒲の菖蒲よ」

 

 想いを込め、専属メイドの名を付ける。

 瞬間、ピリッと電流が流れたような感触が霧絵の体内を走った。同時に、目の前の存在(メイド)と何か繋がりのようなものが出来たと感じられる。

 おそらく、これがパスというものなのかもしれない。と霧絵は考える。魔術回路を開いていない身でありながらどうやって繋いだかは解らないけど、きっと普通の魔術師じゃ理解できない方法なんだろうなと当たりを付けた。

 そして、眼前のメイドの目がゆっくりと開かれ、翡翠色の瞳が顔を覗かせる。

 パスが繋がっているお陰か。はたまた予め調整されていたのか。瞳を動かさずとも視線は真っすぐ霧絵に向いていた。

 霧絵は、その視線をしっかりと受け止める。ここで目を逸らしては、主人失格だと思っているからだ。

 両者の視線が結び付き、沈黙が訪れる。しかし、それも長くは続かなかった。

 菖蒲と名付けられたメイドはにこりと破顔すると、棺から出てゆっくりとカーテシーをした。

 

「お初にお目にかかります。創造主様たちから霧絵お嬢様の専属メイドの任を仰せつかりました、万能型自動人形(オートマタ)『菖蒲』と申します。以後お見知りおきを」

 

 彼女の挨拶は、まるで長年主に仕えてきた老メイドのようだった。起動してから一分しか経過していないとは到底思えないほど堂に入っている。

 

「これからよろしくね、菖蒲さん」

「呼び捨てで結構でございます。私はお嬢様に仕えるメイドの身。対等な関係ではございません」

「いや、でも──―」

「結構でございます」

 

 頑なに呼び捨てを求める菖蒲に、霧絵は困惑してしまう。

 彼女としては、これからお世話になる人を呼び捨てにするのは躊躇われることなのだが……。

 どうしようかと悩んでいると、アルスが助け舟を出してきた。

 

「霧絵ちゃん。主は配下を必要以上に気遣う必要はないんだ。それに、呼び捨てだからといって仲良くなれないという訳ではない。彼女の意を汲んであげられないかな」

「……解りました。これからよろしくね、菖蒲」

「はい。私の全ては、お嬢様の為に」

 

 菖蒲は恭しく一礼した。

 

「さて、主人(マスター)登録も終わったことだし、これで思い残すことはないわね」

 

 パン、と橙子が手を叩き、カツカツと霧絵に歩み寄るとぎゅっと彼女を抱きしめる。

 

「私たちはいつでもあなたを見守っているわ。身体に気を付けてね」

「はい。橙子さんもお元気で」

 

 最後に背中をぽんぽんと撫でると橙子はすっと離れ、入れ替わるようにアルスが現れる。

 彼は霧絵の頭を撫でると、慈愛に満ちた声で霧絵にお願いをした。

 

「霧絵ちゃん。俺たちの家を頼むよ」

「はい。菖蒲と二人で守ります」

「そいつは頼もしいってもんだ」

 

 アルスはニカッと笑うと霧絵から離れ、旅行鞄を持ち上げ橙子の傍へと侍る。

 

「それじゃあ行ってくるわ。風邪には気を付けるのよ」

「定期的に手紙を出すから、楽しみにしておいてくれ」

 

 じゃあねと橙子が手を振ると、突然二人の背後の窓ががらりと開き突風が吹きつけた。

 霧絵はあまりの強風に腕で顔を庇い目を瞑ってしまう。

 そして、風が治まり目を開けると、赤蒼の主従は消え去っていた。まるで最初からいなかったかのように。

 

「……全く。最後まで遊び心たっぷりなんだから」

 

 普通に出入口から出ればいいのに、と霧絵は苦笑する。

 でも、それは彼女たちらしくない。こうやってマジシャンみたいに退場するのが相応しいと彼女は思う。

 霧絵は全開となった窓を閉めると、菖蒲を引き連れ私室へと歩を進めた。

 その姿は、新たな伽藍の堂の主人に相応しいものだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 臙条巴が伽藍の堂に出社すると、明らかにいつもと違う点に目を白黒させた。

 蒼崎橙子が座っているはずの所長席に巫条霧絵が座っているのだ。それだけでなく、彼女の背後には見知らぬメイドが侍っている。

 

「おはようございます、巴くん」

「お、おはようございます……」

 

 これが普通だと言わんばかりに挨拶する霧絵に、巴は呆然としながらも挨拶を返す。

 

「って暢気に挨拶してる場合じゃないですよ!なんで霧絵さんが所長席に!?それにそのメイドは一体誰なんですか!?」

「そう捲し立てるものじゃないですよ巴くん。落ち着く為に紅茶でもどうかしら?」

「いや紅茶はいいですから、説明してください!」

 

 混乱している頭を整理する為に言葉を捲し立てる巴を、しょうがない子ねといわんばかりに霧絵は苦笑しながら見つめる。

 そして、伽藍の堂オーナーとしての告知事項を告げた。

 

「今日からわたしが伽藍の堂所長になったからですよ。それと、この人はわたしの専属メイドの菖蒲よ」

「菖蒲と申します。以後お見知りおきを」

「え……霧絵さんが所長?それに専属メイドって……」

 

 混乱している巴を尻目に、霧絵はくるりと椅子を回転させ窓越しに空を見上げる。

 

(アルスさん、橙子さん。わたし、頑張りますから!)

 

 同じ空を見ているはずの二人を想いながら、霧絵は宣言する。

 それこそが、自分を救ってくれた恩人たちへの恩返しになるのだと信じて。

 




これにて空の境界編完結でございます。
後日登場人物紹介を投下した上で、書き貯めに入らさせていただきます。
次章『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』編でお会いしましょう。


あと、感想もお待ちしております!
感想は大変励みになるのでたくさんあればあるほど嬉しいです!


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登場人物紹介

現時点で開示できる情報です。

あと、エピローグで大変な誤字をしてしまったことをこの場を借りて謝罪いたします。
橙子さんのセリフで、霧絵を退魔四家の『浅神家』と書いてしまいました。正しくは『巫条家』となります。
現在は修正済みとなります。修正前のものを読んだ読者様方、混乱させて申し訳ありませんでした。
そして、誤字報告にてこのミスを伝えてくれた方に多大な感謝を。
ありがとうございました<m(__)m>


■蒼崎橙子

 言わずと知れた冠位の人形師。魔法使いである蒼崎青子の姉にして、型月作品皆勤賞の女魔術師。

 この世界では時計塔留学時にアルスと出会い、高校進学に伴って帰国するまでにむちゃくちゃ仲良くなった。具体的にはアルスの下宿先に入り浸るほど。帰国後は文通していた。

 祖父と袂を分かち、時計塔に再び留学してアルスと再会。その後紆余曲折あって主と使い魔の関係に落ち着く。

 原作より甘い部分がある。これはアルスが外付けの良心回路になっているから。

 コーヒー派だったが、アルスに紅茶をご馳走になって以来紅茶が好物に。そして現在では彼の紅茶なしには生きていられないほど調教されてしまう。

 

 

■アルス

 蒼崎橙子の使い魔。本名『アルス・キュノアス』

 名前の由来はスペイン語と古代ギリシャ語の『青』のアナグラム。

 イギリスで七代続く魔術師の家系。領地持ちの貴族であり、実家には両親と妹、住み込みの使用人がいる。しかし、とある事件によって天涯孤独の身に。その後紆余曲折あって蒼崎橙子の使い魔になる(その時自らの家名を捨てた)。

 家伝の魔術は『省略魔術』。あらゆる『過程』を『省略』することができる。カップラーメンに使えば一秒で完成し、魔術に使用すれば詠唱を簡略化できる。

 しかし、なんでも省略できる訳でもない。省略した過程を経験し、尚且つしっかりイメージできないと成功しない為、自前の腕も必要となる。

 家伝魔術の関係で術式の省略に関する特許を複数取得しており、年間の特許収入は億を超える(その煽りを受けてどこぞの御三家の一つの収入が減少している。許せトッキー)。

 実は日英ハーフ。父がイギリス人で母が日本人。

 

 

■巫条霧絵

 アルスに救われ、伽藍の堂に居候する身となった女性。

 心が童女で純粋である為、橙子と初対面した時もするすると彼女の心に入り込み一瞬で仲良くなった。

 病気が完治した為、鳴りを潜めていた快活さが表出し生きることを全力で楽しむようになる。

 スペックは意外と高く、事務仕事をあっという間に覚えたうえにデザイナーの才覚を現し、橙子とアルスの助手を務めることも。

 伽藍の堂所長に就任してからは、橙子とアルスが作ったコネを活かして仕事をこなしている。

 

 

■菖蒲

 蒼崎橙子とアルスが技術の全てを結集させて作った自動人形(オートマタ)

 通常のオートマタとは違い、皮膚や眼球は人間と遜色ない質感で直接触ったとしても一般人では見分けがつかない。人体模造魔術に造詣が深ければ見破ることも可能だが、隠蔽魔術が付与された礼装を身に付けているのでよっぽどのことがない限り人間と思われる。

 アルスからテーブルマナーなどメイドに必要とされる技能をこれでもかとインストールされている為、どこに出しても恥ずかしくない所作を身に着けている。

 二足歩行から多足・六足歩行への変形が可能。戦闘時は身体中から刃を出現させる他、両目からガンドを発射するなど、青子人形の後継機ともいえなくはない機能を有している。

 通常時は大気中のマナを吸収したり電力や熱エネルギーを魔力に変換して動力源に回しているが、緊急時には自動詠唱永久機関(オルゴールエンジン)に切り替えることができる。

 

 

■黒桐鮮花

 橙子とアルスの一番弟子にしてスーパー鮮花育成計画の被験者。

 橙子からは魔術を。アルスからは体術を習い、原作よりも強化されている。

 実家に帰る度にアルスから貰った八分の一スケール黒桐幹也フィギュアを金庫から取り出し、ニヤニヤしながら眺めている。

 幹也が式とくっついてしまったので魔術を習う必要性が消失してしまったが、エピローグ後もアルスから手紙で体術に関する指南書を送られてくる為、体術修業は継続している。

 作者の気紛れで本編に再登場する可能性もあるが、現時点ではかなり低い。

 

 

■両儀式

 空の境界における主人公。

 アルスの料理を気に入っており、特に食べたいものがなければ伽藍の堂に入り浸り昼食をたかっている。

 今作は橙子とアルスに重点を置いているのであまり出番がなかった。スマヌ。

 

 

■黒桐幹也

 橙子とアルスの合作人形によって人生のレールを踏み外してしまった青年。

 原作とは違い、橙子が伽藍の堂を霧絵に引き継がせたので無職になることは避けられた。

 アルスに対する評価は『頼りになる上司』。彼のお陰で橙子の散財が抑えられ給料が保証されているので尊敬している。

 エピローグ後は新米所長の霧絵をサポートしているが、いずれ両儀家の会計係になることが確定している。

 

 

 

■臙条巴

 荒耶宗蓮による生と死の螺旋から外れた人形。

 当初の予定では原作と同じく荒耶に挑んで死亡するはずだったが、矛盾螺旋編をこねくり回しているうちに生き残ることが確定してしまった。

 エピローグ後は黒桐と共に霧絵を支えることになる。黒桐と違って彼は伽藍の堂を離れる予定はない。

 

 

■荒耶宗蓮

 死の蒐集家。蒼崎橙子の同期にしてアルスの弟弟子。

 実は橙子とアルスが式と関わっていることを知ってむちゃくちゃビビっていた。さらに手駒の一つである巫条霧絵を救済されて怖れがさらにドン!アルバが二人に挑んでいく際に『億が一の可能性でもいいから勝ってほしい』とか願っていた。

 

 

■コルネリウス・アルバ

 赤ザコ。蒼崎橙子の同期にしてアルスの弟弟子。

 時計塔時代はアルスに反抗心を示していたが、当の本人はそんな弟弟子が可愛かったらしく何かと世話を焼いていた。なので、アルスが止めを刺す際もなるべく痛みがないよう一瞬で消滅させられた。

 好物は橙子が気紛れに作ったピザ煎餅と、アルス特製ビーフシチュー。

 

 

■イノライ・バリュエレータ・アトロホルム

 橙子とアルスの師匠。

 この世界ではアルスが一番弟子。創造科所属でありながら全学科に顔を出してるアルスに興味を持ち接触。芸術家としての才能を見抜き、面白がって弟子にする。

 

 

■獅子劫界離

 時計塔時代、アルスの数少ない友人のひとり。

 魔術談義を頻繁にするくらいには仲がいい。よく食堂で一緒に飯を食っていた。

 

 

■秋巳大輔

 橙子がアルスをいじる為の口実にされた可哀そうな人。

 当て馬のような扱いしてほんとゴメン。

 CV東地宏樹なんだからきっとモテるよ。出世はできないけど。

 




エピローグの後書きで書いた通り、シナリオの練りこみと書き貯めに入ります。

感想もお待ちしております!
一行でもいいのでどしどし送ってください!!


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ロード・エルメロイⅡ世の事件簿
双貌塔イゼルマ:プロローグ


お待たせしました。
今回から第二部、『ロードエルメロイⅡ世の事件簿』編、始まります。
空の境界編より難産してるので毎日更新は無理ですが、なるべく間隔を開けないよう更新していく所存です。
よろしくお願いします<m(__)m>


東欧某所

 

 

 男はがむしゃらに走っていた。行手を遮る木も動物も一顧だにせず、見るからに上等な服が汚れようとも気にせず、ただただ生存を求めて走っていた。

 何故こんなことになっているのか……男の脳裏に、事の発端が思い起こされる。

 

 それはダイニングルームにて昼食後のティータイムを配下と共に楽しんでいる時に起きた。男の住居である屋敷に、突如として恐るべき破壊が齎されたのだ。

 手段は判明していない。気がつけば屋敷は半壊し、衛兵は皆殺しの憂き目にあっていた。

 そして、いつの間にか下手人と思われる男女二人組が男たちの前に立っていた。

 もちろん男たちは襲撃者を排除しようと各々武器を持った。ある者はフレイルを、ある者は杖を、ある者は籠手を……。

 男が持ったのは騎士剣だ。長年愛用してきたものだけあって、性能は折り紙付きだ。

 じりじりと、白昼堂々襲撃した狼藉者を決して逃さぬよう包囲網を敷く。

 こやつらをどう料理してやろうか。囲んで嬲り殺しにするのもいいし、足の腱を切って犬のように這いつくばらせるのもいい。

 様々な案が浮かんでは消え浮かんでは消え……ついに結論に達する。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「行けぇ!我が(しもべ)たちよ!」

 

 号令と共に配下たちが突撃する。その動きは大型肉食獣を連想させるほど俊敏(はや)強靭(つよ)く、数秒と経たず襲撃者たちに凶刃が振るわれることは明白だった。

 

「殺すなよ!そいつらは生かしてジューサーにするのだ!」

 

 衛兵は手も足も出なかったようだが、所詮グールとアンデッドの寄せ集め。それらと違いこの場にいるのは最低でも夜属、少数だが夜魔も混じっている。

 教会の代行者を幾度となく返り討ちにした実績もある男は、勝利を確信していた。

 

 しかし、その予想図はいとも簡単に打ち崩された。

 

 襲撃者の片割れの男の姿が一瞬ブレたかと思うと、配下たちが一斉に吹き飛んだのだ。

 

「…………は?」

 

 突然の異常事態に男の口から間抜けな声が漏れ出る。

 配下たちは死屍累々と様子だ。夜属だった者たちの大半は頭を潰され、夜魔も致命傷を辛うじて避けられた程度だ。だが、仮にも人間を軽々と屠ってきたプライドがあるのか、生き残った配下たちは体勢を立て直そうと力を込め始める。

 しかし、それを許さぬものがいた。片割れの女だ。

 彼女は指で空中にルーン文字を描く。するとダイニングルームの床全体に何百ものルーン文字が展開された。

 いつの間に……と男が驚く暇もなく、ルーンが一斉に起爆した。それらは初撃の比ではない威力を放ち、易々と配下を屠っていく。中には復元呪詛にて再生を試みる者もいたが、復元する側から破壊されていき、ついには塵となって消えていった。

 

 ここまでが男──―死徒であるジェイムスンが屋敷を飛び出す直前の記憶だ。彼はルーンの爆撃に晒される中、配下が全滅したことをいち早く察知し襲撃者から逃亡を図ったのだ。

 

(クソッ!クソクソクソッ!何故こんなことに……ッ!?)

 

 男には、他者とは一線を画する()()()があった。

 わずかな違和感や気候変動を察知し、その中から将来の危機を察知する能力。臆病さとも取られかねないほどの敏感さにより、ジェイムスンは幾度もの窮地を脱してきた。

 まだアンデッドだった時代に代行者の手から逃れられたのも、親が敵対した死徒勢力との戦争を生き延びられたのも、一瞬の隙を突き親に下克上を果たした時も。

 全ては彼の敏感さがあったからこその結果だった。

 その敏感さが、ジェイムスンに最大級の警告を鳴らす。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ゆえに彼は恥も外聞も、それこそ今まで積み上げてきた全てをかなぐり捨ててでも逃走に全力を傾けた。

 死ななければいくらでもチャンスはある。生きてさえいれば、いつかは処女の踊り食いも人間狩り(マンハント)も再開できる。その為なら、いくらでも泥に塗れることを許容しようとも。

 意地汚いという言葉すら霞むほどの執念。これもまた、敏感さと並ぶジェイムスンが成功を収めることができた要因でもあった。

 

 しかし。

 その執念と敏感さがあっても。

 襲撃者たちの魔の手から逃れることはできなかった。

 

 ジェイムスンが森を抜け巨大な湖に差し掛かると、進行方向に二色の影が見えた。

 赤橙と蒼色だ。

 それを認識した瞬間、彼は強く歯軋りした。

 何故なら、それら二色は襲撃者たちが身に纏っていたコートの色だったからだ。

 今すぐ森に引き返せ!と生存本能が叫び声をあげる。だが、ジェイムスンは意図的に無視した。

 今更引き返そうとも、すぐに追いつかれることが明白だったからだ。それは、明らかに後追いしたであろう襲撃者たちが先回りしたという結果が証明している。

 ジェイムスンは覚悟を決め、騎士剣を構えた。彼が考察するにやつらはコンビを組むことによって戦闘力を大幅に上昇させている。ならば、どちらか片方を殺すことに全力を注ぎ込めば活路が開けるかもしれない。

 一縷の望みに掛けながら、ジェイムスンは女に向け疾駆する。明らかに戦闘特化と思われる男に比べれば、女の方がまだ殺せる可能性は高いと判断したからだ。仮に邪魔されようとも、復元呪詛によるゴリ押しで剣を振るえばよい。

 雄叫びをあげ、剣を上段に構える。その様子は極東に伝わる示現流に通ずるものがあり、並の人間であれば恐れから金縛りにあうことは必須だ。

 しかし、襲撃者たちには通じなかった。女を庇うように男が立ちふさがる。その目には一切恐れが宿っていない。

 そして、男は手甲を装着した両腕をジェイムスンへと突き出し──―。

 

Omit(解放)

 

 光が湖畔を包み込んだ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 男が塵となって完全に消滅したのを確認し、俺は構えを解いた。

 

「全く。往生際が悪いったりゃありゃしない」

 

 イラついた様子で、橙子が煙草に火を点ける。

 

「百回以上殺してもまだ再生するとはな。下僕と同じくさっさと塵に還ればよいものを」

「下級とはいえ死徒だからな。成ってから十年とはいえ溜め込んだエネルギーも相当だったんだろう」

 

 こちらも一服しようと煙草を取り出すと、橙子が顔を近づけてきた。好意に甘え、煙草の先端を接触させる。

 

「だが、そのお陰で錆落としの総仕上げには丁度良かったな」

 

 紫煙をくゆらせながら、下級死徒を討伐するに至った経緯を回想する。

 

 きっかけは1999年末にまで遡る。

 秘儀裁示局・天文台カリオンにて発生した大事変の当事者になった俺たちは、事変後ある悩みに苛まれた。

 あれ……俺たち弱くなってね?と。

 同じことを橙子も思っていたらしく、これは不味いと二人で頭を悩ませた。

 理由は解っている。隠遁生活が長すぎたからだ。

 時計塔の目から逃れ、数年間戦闘から離れたブランクは予想以上に魔術のキレを鈍らせていた。全盛期を知る者たちからすれば、堕落したなと嘆息されるのは免れないほどに。

 橙子の封印指定が解除され、大手を振って時計塔に戻れることになったとはいえ、この状態で陰謀渦巻く伏魔殿に行くのは避けたい。

 そういう訳で、俺たちは一計を案じ錆び付いた腕を磨き直すことにした。

 具体的には魔術の研鑽と戦闘行為だ。秘密裏に設立した工房にて一から魔術を練り直し、時計塔のツテを利用し堕ちた魔術師や魔獣に戦闘を挑む。

 その過程で幾つもの借りを時計塔の各派閥に作ってしまったが……討伐した魔術師の研究成果や魔獣の素材を渡すことで帳消しにしてきたので問題なかろう。

 

「おや?」

 

 煙草を吸っていると、橙子の元に一羽の白鳩が舞い降りた。その足には手紙が括り付けられている。

 今回討伐した死徒に関する情報提供元であるバイロン・バリュエレータ・イゼルマの使い魔だ。おそらく死徒の討伐と共に橙子の元に行くよう条件付けし、上空に待機させていたのだろう。

 

「バイロン卿からの手紙か。さしずめ借りを返せというところか?」

「そのようだ……なに?」

 

 手紙を読み進める橙子の眉がぴくりと動く。

 

「どうした?よほど法外な報酬でも要求されたのか?」

 

 死徒が溜め込んでいた財産を全て寄越せとか、蒼崎橙子の魔術の一端を開示せよとか。

 まぁ、仮に後者だったらぶっ殺すまでだが。

 

「いや、魔術の開示も金銭の要求もない。むしろ死徒の財産は全てこちらが頂いても構わないらしい」

「は?それホントか?」

 

 事前に受け取った情報によれば、屋敷地下には二代に渡って溜め込まれた財宝が隠されているらしい。

 俺たちは確認していないが、その価値は金銭的にも魔術的にも莫大なものと推定されるそうだ。

 魔術師にとって垂涎モノであるはずなのだが、それら一切の所有権を放棄するとは……。

 確実に何か裏があるな。

 

「その通り。どうやらバイロン卿は私たちにどうしても引き受けさせたい依頼があるようだ」

 

 手紙を手渡される。

 そこには、報酬としてイゼルマからの依頼を引き受けるよう要求する旨が書かれていた。

 




という訳で、双貌塔イゼルマ編開始です。

感想、評価、推薦、お待ちしております<m(__)m>

あと、今後の展開に関わるアンケートにご協力お願いいたします。

※文字数制限があったので、本来選択肢にしたかった文言を公開します。

・アルスが膨大な借金を背負って乗車する魔眼蒐集列車
・フェイカーとドクターハートレスが原作以上に苦労する冠位決議


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双貌塔イゼルマ:1

『錆(さび)』落としを『鯖(さば)』落としと誤字やらかした作者です(´;ω;`)ウゥゥ
誤字報告してくれた方、ありがとうございました<m(__)m>

アンケートですが文字数制限があったので本来書きたかった選択肢をここで公開します(前話のプロローグの後書きにも追加いたします)。

・アルスが膨大な借金を背負って乗車する魔眼蒐集列車
・フェイカーとドクターハートレスが原作以上に苦労する冠位決議


 ウィンダミア。

 イングランド有数のリゾート地・保養地としても知られる湖水地方の玄関口であり、蒼崎橙子とアルスの依頼主であるイゼルマ家が治める領地がある都市である。

 そこに向け、赤蒼の主従は電車で移動していた。

 

「名前だけは聞いたことあるわ。確か『最も美しいヒト』を作り出すことによって根源を目指す一族のことよね?」

「そうだ。民主主義派の中でもかなり有力な貴族で、創造科(バリュエ)の正当な分家でもある。基本的に領地に引きこもっているが、学生時代に何度か師匠に会いに来ていたぞ」

「えっ、なにそれ知らない」

「狙ったかのように橙子が留守のタイミングだったからな。ま、やってきたのは当主とそのお付きだけ。黄金姫も白銀姫もいないから、橙子にとっては会う価値なんてほぼ零だったろうな」

 

 四人掛けのコンパートメント席にておやつのチョコレートを摘まみながら、使い魔は主に情報を差し出す。

 

「黄金姫と白銀姫ねぇ……。面識はあるの?」

「十五歳の時に一度だけ。あれは師匠に連れられイゼルマの領地に行った時だった……」

 

『社会勉強の一環だ』と無理矢理馬車で拉致され連行されたのが、双貌塔イゼルマだった。

 当主であるバイロン・バリュエレータ・イゼルマに挨拶し、そこそこ会話を交わしたところで師匠に追い出されてしまう。ここから先の話は、一番弟子とはいえ聞かせられるものではないということだったのだろう。

 仕方がないので探検がてら月の塔の調度品を鑑賞していると、背後から声をかけられた。

 

『あら、見慣れないお客さまね。どなたかしら?』

 

 振り向くと、そこにはとても美しい童女とお付きらしき幼きメイドが立っていた。年齢はどちらも十歳未満というところか。

 着ているドレスからして貴族であることを見抜いたアルスが、失礼のないよう挨拶する。

 すると、童女は微笑みながら自らをエステラ・バリュエレータ・イゼルマと名乗った。白銀姫候補とも。

 お付きのメイドはレジーナというらしい。

 何をしているのか問われたので、手持ち無沙汰になったことを伝える。すると『ではお茶でもどうでしょう?』と誘われた。

 

「それでのこのこ着いて行ったという訳?」

「暇だったし、なにより年下の誘いを無碍に断れば男が廃るってもんだ」

 

 主の茶化しを受け流し、使い魔は話を続ける。

 

 お茶会はとても充実したものだった。

 まだ十歳にも満たない年齢でありながら指先に至るまで洗練された所作と豊富な知識は妙齢の貴婦人を思わせる。そのアンバランスさは魅力の一つに成りうるが、同時に違和感による嫌悪感も引き起こす。

 しかし、時折顔を覗かせる年相応の無邪気さによってソレは未然に防がれる。むしろ掛け算のように彼女の魅力を引き立たせていた。

 相手が年下であるにもかかわらず、アルスは時間を忘れるほど会話を楽しんだ。仮に師匠であるイノライが見れば落第点を与えたことだろう。

 しかし、何事にも終わりというものがある。

 談話室の扉がノックされ、妙齢のメイドが現れる。何事かと視線を向けると、どうやらイノライからアルス宛に言伝を預かったらしい。

『すぐに陽の塔談話室に来ること』

 エステラとレジーナにお茶会を途中で抜けることを謝罪し、アルスはメイドに先導され陽の塔談話室へと向かう。

 そして、談話室にはエステラと瓜二つな童女……黄金姫候補、ディアドラ・バリュエレータ・イゼルマがいた。

 

「当時はまだ本格的に調()()されていなかったが、それでも一線を画す美しさを誇っていた。あれから十数年経った今では面影すら残っていないだろうが、相当なモノになっているのは確かだ」

 

『最も美しいヒト』を目指すことは、ただ単に元ある素材を磨け上げるということではない。

 万人にとっての美を体現させる為には、千差万別ある個人の嗜好を超越しなければならないからだ。

 その為には、貌なぞ真っ先に調整という名の改造が施されているだろう。

 

「へぇ、あなたがそこまで言うなんて珍しいじゃない。これは期待してもいいのかしら?」

「眼福なのは保証する」

 

 これは楽しみね♪と橙子はチョコレートに舌鼓を打つ。

 しかし、対照的にアルスは嫌な予感を感じ取っていた。

 出発前、噂程度に耳に挟んだのだが、近々イゼルマにて社交界が開かれるらしい。お題目は『今代の黄金姫・白銀姫のお披露目』。

 彼女たちの年齢を鑑みれば、イゼルマの成果として発表するのはおかしくないことだ。

 しかし問題なのは、何故そんな大切な時期に領地へ招待してまで()()()()に依頼をしたのかだ。

 噂通りなら、お披露目の為に総仕上げを行っているだろう。そんな大事な時期に部外者を招き入れる余裕はないはずだ。しかも封印指定を受けた『冠位人形師』という曰く付きを。

 何事もなければいいが……。アルスは不安を噛み砕く意味も込め、チョコレートを口へと運んだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ウィンダミア駅へと到着し改札を出ると、すぐ近くに馬車が停まっていた。おそらくあれがバイロン卿が寄越した迎えなのだろう。その証拠に御者が二人の姿を認めると、シルクハットを取り深々と一礼した。

 

「お待ちしておりました、蒼崎橙子様でございますね。バイロンより申しつかっております。どうぞお乗りください」

 

 促されるまま橙子が馬車に乗り込み、アルスが二つの大型トランクケースを持って続く。

 二人が乗り込んだことを確認すると、ピシャリと鞭の音が響きゆっくりと馬車が発進する。

 馬車といえば揺れるものと相場が決まっている。例えサスペンションがあろうとも避けられないものだ。

 しかし、この馬車には揺れというものがほぼ発生しなかった。それは舗装されていない道や険しい山道でも同様だった。おそらく魔術を併用しているのだろう。

 そんな快適な旅に満足していると、遠くに異様な建造物が見えてきた。

 十三メートルほどの三角形の塔が二つ、先端を交らわせるように現代建築ではありえない角度で並び立っていたのだ。

 

「見るのは十数年ぶりだが、相変わらずの傾き具合だな」

「あなたがそう言うということは……」

「ああ、あれが依頼主であるバイロン・バリュエレータ・イゼルマが拠点にしている双貌塔イゼルマだ」

 

 やがて馬車は双貌塔の麓に辿り着く。

 

「では、私はこれにて」

 

 御者が一礼すると、馬車と共にどろりと溶けた。後に残ったのは、小さな玩具の御者と馬車だけ。

 人形師として琴線に触れたのか、「ほう」と橙子が感心していると、コツコツという杖の音と共に初老の男性が塔から現れた。

 

「遠路はるばるようこそいらっしゃいました、蒼崎橙子殿。バイロン・バリュエレータ・イゼルマと申します」

 

 初老の男性……依頼主であるバイロン卿は、優雅に一礼する。

 そして、蒼崎橙子の従者と思われる男性に視線が向き……僅かだが、動揺の色が瞳に現れた。

 

「ご当主自らお出迎えとは。これは挨拶が遅れました。蒼崎橙子と申します」

 

 そんなバイロン卿の様子を知ってか知るまいか、橙子は気にせず挨拶する。

 そしてアルスに振り向くと、存在を知らしめるよう大仰に腕を広げ使い魔の紹介をした。

 

「彼は私の使い魔、アルスです」

「アルスと申します。以後お見知りおきを」

 

 アルスは()()()初対面かのように自己紹介する。

 バイロン卿はその行為に隠された意味を察したようで、気持ちをリセットするかのようにかぶりを振ると背後のメイドへと指示を出す。

 

「レジーナ、お二人を客室に案内しなさい」

「かしこまりました」

 

 レジーナと呼ばれた褐色肌のメイドは一礼すると、「こちらでございます」と二人を先導する。

 その様子を、バイロン卿は黙って見つめていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 バイロン卿が用意した客室にて、アルスはひとり作業をしていた。

 金属製の歯車や、映写機に使用するリール、フィルム、紅玉(ルビー)、真鍮製の鳥……統一感のない雑多な物品が机の上に並べられている。

 ちなみに彼の主たる蒼崎橙子はここにいない。到着早々バイロン卿の要請により依頼内容について協議に行ってしまった。

 本来なら使い魔たるアルスも護衛として着いていくべきなのだろうが、バイロン卿直々に断られてしまった。使い魔といえど、依頼の当事者以外に情報は明かせないそうだ。

 

 布を手に取り、歯車を磨く。ルーペを用いルビーに傷があるか確認する。

 他にも様々な単純作業を繰り返していると、窓から夕陽が差し込まれた。どうやら熱中し過ぎて時間を忘れていたようだ。

 一休みするかと卓上にある物品を片付けていると、ガチャリと無遠慮に扉が開かれた。

 振り返らずとも解る。我らが主のご帰還だ。

 

「おかえり橙子。話は順調に進んだか?」

「滞りなく、ね」

 

 彼女の顔は喜びに満ちていた。どうやらお眼鏡にかなう依頼だったようだ。

 

「それより、バイロン卿があなたをお呼びよ」

「俺をか?」

 

 アルスは訝しみながらも、主の背後に控えていたレジーナの先導のもと、談話室へと向かう。

 入室すると、中にはバイロン卿がひとりパイプを吹かしていた。お付きのメイドも護衛もいない。

 

「かけたまえ」

 

 自らの対面に座るよう、バイロン卿が促す。

 

「では失礼をば」

 

 アルスが座ると、レジーナが紅茶の準備を始めた。

 

「あの場では君の意図を汲んだが、こちらとしては正式に挨拶をしておきたくてね。こうして場を設けさせてもらった」

 

 粛々と紅茶が淹れられる中、バイロン卿が呼び出した訳を説明する。

 アルスは彼の本家筋であるイノライ・バリュエレータ・アトロホルム──ー現在のロード・バリュエレータの一番弟子だ。

 過去幾度となく顔を合わせたこともあり、通常ならば塔の麓で相対した時に再会を喜ぶはずだったのだが……。

 

「一介の使い魔には身に余る光栄です、バイロン卿」

 

 あくまで、アルスは蒼崎橙子の使い魔という立場を強調する。

 

「そういう訳にもいかないのだよ。君がどのような立場に甘んじていようと、我々にとってはロード・バリュエレータの一番弟子であることには変わりない。それにここだけの話だが、バリュエレータ派には回状が回っていてね。『アルス・キュノアスと接触した者はなるべくその場に引き留めること』」

「師匠……」

 

 まだ諦めていなかったのか。とアルスは頭を押さえた。

 

「安心したまえ、我々にその気はない。しなくても意味がないとも言えるが」

「それはどのような意味で?」

「一ヶ月後。ここ双貌塔イゼルマにて黄金姫・白銀姫のお披露目が行われる運びとなった。もちろん、イノライ様への招待状は送付済みだ」

「……つまり橙子が受けた依頼もそれほど長期のものと」

「その通り」

 

 はぁ、とアルスが溜息をつく。

 彼はとある理由で師匠であるイノライに負い目を感じている。だから時計塔に戻った後も意図的に出会わないよう立ち回っていたのだが……。

 これは年貢の納め時かと諦めの境地に入る。

 その時、かちゃりとティーカップが二人の前に置かれた。中には紅茶が満ちており、とても良い香りを漂わせていた。

 アルスは気持ちを入れ替える為にも、それに口をつける。

 

「ッ!これは……」

「うち一番のマイスターが淹れた紅茶だ。お気に召して頂けたかな?」

 

 目を見開くアルスに対し、イタズラ成功と言わんばかりにバイロン卿がウインクする。

 

「レジーナの紅茶はイゼルマ家の名物のひとつとなっていてね。イノライ様の称賛も頂いている」

「確かにこれは衝撃的です。俺が飲んだ紅茶の中でも五指には入ります」

 

 手放しで褒めるアルスに「恐縮です」とレジーナは一礼する。

 

「……さて」

 

 アルスが無言で紅茶を楽しんでいると、バイロン卿がレジーナに視線を向ける。すると、彼女は一礼して談話室から退室した。

 どうやら彼はアルスと二人きりで話がしたいようであった。

 彼の雰囲気が張り詰めたことを察知したアルスは、ティーカップを置き向き直る。

 

「……これはバリュエレータ派の総意と捉えてもらってもよいのだが」

 

 バリトンの効いた低音が、言葉に込められた意思同様談話室に重く響く。

 

「君はいつイノライ様の元に帰ってくるのだ?アルス・キュノアス」

「……その名はよしてください。今の俺は、ただのアルスです」

「何故かね?君がどう言い繕うが、七代続いた名門貴族キュノアス家当主であることには変わるまい」

「領地を時計塔に接収された者が当主を名乗ることなどできませんよ」

 

 アルスの言う通り、キュノアス家が治めていた領地は彼の出奔後時計塔によって管理されることが決定している。

 出奔してから十年以上経っている為、今頃は他の貴族が運営しているだろうとアルスは嘯いた。

 

「その点については安心したまえ。現在彼の地はイノライ様が運営しておられる。屋敷も手付かずのままだそうだ」

「師匠……」

 

 先程とは明確に違う呟きが、アルスの口から漏れる。

 師匠であるイノライの心遣いが、彼の身に沁みていく。

 

「……それでも、俺はただのアルスです」

 

 しかし。

 それでもアルスの答えは変わらなかった。

 

「噂が真実だったとは……嘆かわしいことだ。『創造科(バリュエ)の麒麟児』『バリュエレータの後継』とまで謳われた天才が、冠位とはいえ魔術師の使い魔に成り下がろうとは」

「全てを橙子に捧げています。彼女に使い潰されることこそ、俺の存在意義です」

 

 アルスは紅茶を飲み干し、失礼しますと席を立つ。

 談話室を去っていく使い魔の後ろ姿を見送り、バイロン卿はひとつ溜息をついた。

 

「本当に、嘆かわしいことだ……」

 

 彼にしては珍しく。

 その言葉は本心からのものだった。

 




活動報告にて、閑話に使用するネタ募集したいと思います。
作者の貧弱な脳ではレパートリーに限界がある為です(´;ω;`)ウゥゥ
簡単に登場キャラとシチュエーションを書いていただければ、その中から書けるものを選んで執筆いたします。
読者様たちの見たいシチュエーションでもOKです!
特に期限は設けないので、気が向きましたらご記入ください<m(__)m>

感想、評価、推薦、お待ちしております<m(__)m>


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双貌塔イゼルマ:2

筆が乗ったので投稿します。
想定以上にアンケートが拮抗しててびっくりしました。でも読者様にはそんなこと気にせず欲望のまま答えてほしいです。
閑話のシチュエーション募集も活動報告にてまだまだ受け付けていますのでよかったらどうぞ。


 橙子とアルスが双貌塔イゼルマに滞在し始め四日が経った。

 

 蒼崎橙子はバイロン卿に与えられた研究室に籠り、作業を続けていた。どうやらバイロン卿からの依頼はとても興味をそそられるものらしく、睡眠時と食事以外ではほとんどアルスと行動を共にすることはなかった。

 ただ突破口が見つかったらしく、研究室に籠り切りの日々は終わるようだ。今後は二人で過ごす時間をもっと取れるとのこと。

 対してアルスは手持無沙汰……という訳でもなく、複数の作業をこなしていた。

 そして、そのうちの一つが完了したので、現物を持って目的の人物と接見していた。

 

「ほう、これはこれは……」

 

 目的の人物──―バイロン卿が感嘆の声をあげる。

 彼の視線の先には等身大の人形が棺に納められていた。顔は精巧で、肌の質感と球体関節さえなければ本物の人間と見紛う出来栄えだ。

 しかし、ある一点だけ通常の人形とは異なる点があった。人形の手にあたる部分には、代わりに鋭利な刃が備え付けられているのだ。

 勘のいい者なら一目で正体を看破することだろう。

 そう、この人形は戦闘用の自動人形(オートマタ)なのだ。

 

「操作方法は事前に説明したとおりですが、このように書面で整えさせていただきました。メンテナンス方法も記載済みです」

 

 アルスは懐から紙束を取り出し、デスクへと置く。

 

「今から試運転しても構わないかね?」

 

 年甲斐もなくワクワクする様子でバイロン卿が質問する。

 

「調整済みですので問題ありませんが、談話室(ここ)では狭すぎでしょう。中庭で試されることをオススメします」

「ではその通りに」

 

 召使いに自動人形(オートマタ)を運ぶよう指示を出し、二人は中庭に移動する。

 

「では、お手並み拝見といこう」

 

 タン、とバイロン卿が杖を地面に突き、自動人形(オートマタ)に魔力を通す。

 すると閉じられた瞳が開き、ゆっくりと足を地面に降ろす。

 そして一歩、二歩と歩み始め……周囲に人気(ひとけ)がなくなったタイミングで、両手の刃を振り回し縦横無尽に駆け巡った。

 球体関節ならではの可動域を持って、跳ねる、薙ぐ、屈む、奔る……その様は剣舞を想起させた。

 スッ……と自動人形(オートマタ)を操縦するバイロン卿の横にアルスが並び立つ。その左手には複数の小石が握られており、バイロン卿に見せつける。

 それだけで操縦者は意図を理解したのか、ニヤリと笑いかけた。

 

 アルスの右手に小石が握られ、指弾の要領で弾き飛ばされる。向かう先は自動人形(オートマタ)だ。

 高速で飛翔する小石は後頭部へと一直線に向かう。このままでは直撃しダメージは免れない……が、当たる直前に自動人形(オートマタ)の刃によって弾かれる。

 その結果を見て、アルスは指弾を連射する。複数の小石がまたも襲い掛かるが、操縦者たるバイロン卿は落ち着いて全てはたき落とした。

 

「お見事」

 

 初めて操作する初心者とは思えない芸当に、アルスは感嘆の声をあげる。バリュエレータ派の中でも有力な一族の長、人形扱いに関してはお手のものという訳だ。

 

「いや、謙遜する訳ではないが、自動人形(オートマタ)の出来が良いのだ。私のイメージ通りに動作する。戦闘に耐えうる自動人形(オートマタ)はミス・アオザキ以外には作成できないと思っていたが……まさか君も作れるとはな」

 

 手放しの称賛に、アルスは「光栄です」と一礼する。

 そう。アルスがこなしていた作業の一つとは、自動人形(オートマタ)の作成だ。バイロン卿が橙子に依頼した内容の一つらしいが、彼女は現在本命作業の真っ最中で手が離せない。

 なので、比較的暇なアルスに橙子が作業を命じたという訳だ。

 

「ですが、一つ訂正を。橙子から薫陶を受けているとはいえ、俺ひとりで全てをこなせる訳ではありません。彼女が予め用意した型と術式を用いて初めて作成できるのです」

「それでも大半の魔術師は一端すら理解できないだろう。素直に称賛を受け取りたまえ」

 

 重ねての称賛に、アルスは再び一礼する。

 

「では俺はこれにて。約束の時間が迫っておりますので」

「よろしい。ミス・アオザキには満足したと伝えてくれ」

 

 自動人形(オートマタ)の操縦訓練するバイロン卿を尻目に、アルスは月の塔へと向かう。

 目指す場所は、織り手であるイスロー・セブナンの(もと)だ。

 

 

 ◇

 

 

 

 社交界が開かれる運びとなり、何が橙子とアルスを困らせたかと言うと、正装を準備していなかったことだ。

 事前に知らされなかったとはいえ、コート姿で出席する訳にもいかない。今更工房に取りに帰ることなど出来ず、二人はしょうがなく既製品で済ませようとしたところ、意外なところから待ったが掛かった。

 バイロン・バリュエレータ・イゼルマである。

 彼は二人を呼び止めると、ある人物を紹介した。

 その人物こそが、バイロン卿の共同研究者であり黄金姫・白銀姫のドレスを担当しているイスロー・セブナンだった。

 

「お披露目が近いというのに、余計な仕事を増やしてスマナイな」

「……いえ……これも仕事ですから」

 

 謝罪を気にすることもなく、イスローはアルスの身体の採寸を進める。

 

「だが、俺と橙子の正装を一か月で用意するのは骨が折れるだろう?」

「……問題ありません。……ディアドラ様とエステラ様のドレスは……仕立て終りました故……後は簡単な調整で済みます。……それに……服飾に用いる礼装を数多く取り揃えているので……作業時間は大幅に短縮することが可能です」

 

 なんてことはないとイスローは断言するが、フルオーダーがどれほどの負担を強いるかアルスは知っている。最低でも三か月はかかるものを一か月、加えて二着も製作するなど狂気の沙汰だ。

 

「……それに……マイオの薬もあります。……服用すれば……一時間の睡眠で事足りるようになります」

 

 事実、薬師であるマイオ・ブリシサン・クライネルスの手を借りてまで仕事を遂行しようとしている。訊けば彼とは幼馴染で、信頼を置いているからこその発言なのだろうが、アルスはより一層申し訳ない気持ちになる。

 

「そこまでやってくれるのならば、相応の謝礼は弾まないといけないな」

「……そんな……結構です。……バイロン卿から……無償でよいとお達しがありましたから……」

「服に魔術的要素を付与する必要ないからか?だが素材代も技術料も加味していないだろう」

「……しかし……」

「よし決めた、今決めた。これは決定事項だ」

 

 固辞するイスローを意図的に無視し、アルスは宣言する。

 

「近々君への謝礼として礼装を贈ろう。ああ、心配することはない。お守り程度の簡易的な物だ。バイロン卿に咎められることはないだろう。……そうだ、マイオくんも協力しているのならば、彼にも贈らなければ」

 

 ポンと手を叩き、アルスはぶつぶつと案を言葉にして頭を整理する。

 そんな自分の世界に閉じこもってしまったアルスに、イスローは困った様子で声をかける。

 

「……あの……ミスター」

「形状はどうしようか……。簡易的な物であればコンパクトサイズに収めた方が……」

「……ミスター!」

「おっと、スマナイなイスローくん。少し時間がかかりそうだ。安心してくれ、社交界までには渡せるはずだ」

「……それは問題ないですが……採寸がまだ終わっていません」

 

 シーン、と沈黙が場を支配する。

 

「……本当にスマナイ。続きをお願いできるかな」

「……気にしていませんから……」

 

 アルスは顔を羞恥に染め、イスローは粛々と採寸を再開した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 時は流れ、時刻は夜九時。

 太陽も隠れ月が支配する時間に、橙子とアルスは自室のベッドに乗っていた。

 

「あぁ……ああ……ッ!」

 

 橙子はアルスに跨られ、彼の下で喘ぎ声をあげる。

 

「ほら、ここがいいんだろう?」

「あっ……そこ突かれると……」

 

 使い魔に弱い部分を重点的に攻められ、主の顔はどんどん紅潮していき……。

 

「だいぶ溜まっているようだからな。今日は強めにいくぞ」

「あぁ……イイ!そこ凄くイイ!」

 

 ついには涙を流すまで快楽で蕩けさせられ……。

 

「筋肉バッキバキだぞ。よくここまで酷使したな」

「あぁ~~効くぅ~~」

 

 橙子は全身の筋肉をほぐされた。

 

 

 

「やっぱりマッサージを受けるならアルスが一番ね」

「そりゃ橙子の身体は俺が一番よく知ってるからな」

 

 橙子は背伸びしながら、アルスにねぎらいの言葉をかける。

 

「しっかし、よほど難しい依頼だったようだな。菖蒲を作った時以来の硬さだったぞ」

「そうなの?私の所感としてはそれほどのものではなかったんだけど……」

「マッサージした俺が言うんだから間違いない。……まぁ、守秘義務もあるだろうから聞かないが、ともかくお疲れ様」

「ありがとう。明日には完了するし、後は社交界に出席して終わりね」

 

 むしろそっちが本命かも、と橙子は言う。

 黄金姫・白銀姫という美の集大成は彼女の琴線に大きく触れるものなのは間違いないだろう。イゼルマに対する借りがなくとも依頼を受けただろうと確信を得る程度には。

 

「だけど、このままというのも悩みものね……」

 

 しかし、人形師は頭を抱えてしまう。

 なまじ今までずっと行動し続けたせいだろうか、何もしないということに違和感を感じているのかもしれない。

 

「気にすることはないんじゃないか?こんな機会滅多にないだろうし、バカンスだと思ってのんびりするのもいい息抜きになると思うぞ」

「……それもそうね。せっかく正装を仕立ててもらえるんだし、バイロン卿の好意に甘えましょうか」

 

 橙子はパサリと服を脱ぐと、クローゼットにしまった寝間着を取り出す。むろん、ベッドとクローゼットは離れた位置にあるので道中はアルスに裸体を晒すことになる。

 だがアルスは動じなかった。彼女の裸体を見慣れているうえ、()()()()()()()をしたこともあるからだ。お互い、今更裸を見られて恥ずかしがるような初心(うぶ)ではない。

 

「そういえば、あなたレジーナに熱い視線向けられていたようだけど何かやったの?」

 

 アルス用の寝間着を渡しながら、橙子は質問した。

 

「いや、特になにもやっていないが……。そんな視線を向けられていたのか俺は」

「熱いと言っても、何か質問したいことがあるような雰囲気だったけどね。遠慮しているようだから、休憩中にでも話しかけてあげなさい。問題解決は早めの方がいいわ」

 

 橙子は着替え終わると、()()()()()()()へと潜り込む。

 

「ほら、早くこっちに来なさい。ここは旧き良き(時代遅れな)魔術師の屋敷だからテレビなんて上等なものはないわ。夜更かししてまでやることはないし、早めに寝ちゃいましょう」

「……そうだな。さっさと寝るか」

 

 アルスも寝間着に着替えると、橙子と隣り合うようベッドに潜り込む。

 

「おやすみアルス」

「おやすみ橙子」

 

 そして、部屋の灯りが消えたのだった。

 




初めてわざと勘違いさせるような描写をしてみましたけど上手くできていただろうか?
執筆して初めて解ったけど想像以上に難しかったです。

感想、評価、推薦、お待ちしております<m(__)m>


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双貌塔イゼルマ:3

お気に入りが順調に増えていってて嬉しい……嬉しい……。
この勢いのまま高評価貰えるよう頑張ります!

今更ながら注意をば。
この小説は原作のネタバレを含む場合がございます。未読の方はご注意を。


 お披露目が行われる社交界まであと五日というところで、イスローくんから俺たちに正装が届けられた。

 彼はギリギリになって申し訳ないと恐縮していたが、むしろこちらが謝りたいところだ。バイロン卿からの無茶振りとはいえ一か月足らずで二着も仕立ててくれたのだ。負担は相当なものだったろう。

 

 失礼しましたと功労者が退室したのを見計らい、俺と橙子は顔を見合わせた。お互い通じ合っているようで、どちらともなく正装を手に取り着替え始める。

 社交界当日に一度も袖を通していない服を着ていくほど俺たちも馬鹿ではない。

 それに、お互いドレスアップした姿を見てみたいという欲もある。綺麗に着飾ったパートナーはさぞ美しく見えることだろう。

 思えば、橙子のドレス姿を見るのも久しぶりだ。

 昔はそれなりにパーティーというものに縁があった。時計塔時代は貴族であり次期当主でもある為、パートナー必須である場合は付き合ってもらったし、伽藍の堂では逆に従者の役割としてパーティーに出席した。

 最後に橙子のドレス姿を見たのは……数年前のビル完成披露祝賀会だったか。

 あの時は爆弾魔という横槍のせいで早々にパーティーが切り上げられてしまったが、今回はその心配もないだろう。

 

 それぞれ互いが見えない位置で正装に袖を通す。どうせ見るなら、途中経過より完成した状態を見たいしな。

 手触りの良さ、加えて着心地の良さに驚く。素材もさることながら、イスローくんの腕の良さも素晴らしい。二回ほどしか仮縫いしていないのにジャストフィットする。

 そして数十秒後。お互い着終わったことを確認し、ファッションショーの如く部屋中央に集まった。

 

 ──―そして、完成された芸術品を見ることになる。

 

 黒と白のツートンカラーで構成されたドレスは橙子が持つ赤を引き立たせるだけでなく、相乗効果によって女性らしいプロポーションをより魅力的に魅せていた。広げられた胸元は豊かな乳房をこれでもかと強調するが下品さは一切なく、髪留めや真珠のネックレスといったアクセサリーも見事に蒼崎橙子という美と一体化している。

 対して俺のタキシードは全身青系統の色で統一されていた。さすがにワンポイントで黒色が配色されているが、俺の髪と瞳の色に合わせているようだ。

 

 ……なに?橙子と比べて俺の説明が短すぎるだって?

 野郎の詳細なんて聞いてもしょーがねーだろ、うん。

 

 とにかく、俺が言いたいのは橙子のドレス姿は素晴らしいということだ。社交界は黄金姫・白銀姫が主役だが、彼女たちが現れるまでは橙子が会場中の視線を一身に浴びることになるだろう。

 楽しみになってきた。俺は添え物だからそんなに注目を浴びないだろうが、主菜である橙子が目立てばそれでいいのだ。

 そんなことを彼女に言うと、なんともいえない顔をした。理由を訊いても苦笑を漏らすだけである。

 ……謎だ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 疑似的なファッションショーを終え、春もうららな昼下がり。

 アルスは白銀姫付きの侍女レジーナとお茶を楽しんでいた。

 きっかけは、橙子に忠告されレジーナに話しかけた頃にまで遡る。

 一仕事を終え、休憩中のレジーナを捕まえたアルスは何故視線を向けるか問いかけた。

 すると、彼女の口から意外な事実を聞かされる。

 なんと彼女の紅茶の腕はアルスに影響されて磨かれたものだという。

 詳しい話を聞くと、十数年前アルスが双貌塔を訪れた時に(アルスが橙子に語ったエピソードだ)ご馳走になった紅茶に感銘を受け、その味を目指して努力を重ねたらしい。

 つまり、アルスは彼女の間接的な師であるのだ。

 

 熱く紅茶への想い、そして感謝を述べるレジーナ。

 そんな予想外な感情をぶつけられたアルスはと言うと……機嫌をよくしていた。なんなら気に入っていると言ってもいい。

 褒められて気を悪くする人間などいないということもあるが、紅茶好きという同好の士というのが大きい。加えて自らに匹敵する腕の持主であるならば、アルスには交流を深める選択肢しか残らなかった。

 今ではお茶会という名の研鑽会が開催されており、今回で三回目ということになる。

 

「……ふう。大変美味でございます」

 」

 

 アルスの紅茶を称賛しながら、ティーカップを置く。その動作は洗練されており、メイドという身でありながら優雅さを醸し出している。人間の美を追求してきたイゼルマ家の面目躍如といったところか。家門の人間だけでなく召使いにまで教育が行き届いている。

 

(だが、それを加味しても彼女(レジーナ)の美しさは群を抜いている……)

 

 僅かな違和感を抱くも、それを根拠に根掘り葉掘り質問するような無粋な真似はしない。

 今は優雅なお茶会の時間だ。個人的興味で場の雰囲気をぶち壊すような趣味をアルスは持ち合わせていない。

 

「そう言ってもらえるとは嬉しいな。前回前々回と紅茶をご馳走になったから、今回は俺が淹れてみた。……気に入っていただけたようで何より」

「初めてお会いした時と変わらず、素晴らしい腕前でございます。……ですが、疑問が一つ」

「なんだい?」

「アルス様がご使用なされた茶葉は一体どこで産出された物なのでしょうか?爽やかな口当たりはダージリンを想起させますが、それにしてはアッサムのような甘みもある……。全ての茶葉を知り尽くしているとは口が裂けても言えませんが、イギリスで入手できる物は全て頭に入っております。しかし、これには全く心当たりがございません」

「おお、一口飲んだだけでそこまで解るとは素晴らしいな。君の言う通り、この茶葉は一般では入手できない代物だ。──―なんせ、うちで自家栽培している品種だからね」

「えっ、嘘!」

 

 口に手を当て目を見開くレジーナ。思わず素が出たようだが、すぐに取り繕い「失礼いたしました」と頭を下げた。

 アルスは気にすることはないよと手を振ると、茶葉の解説を始めた。

 

「君が知っている通り、俺は紅茶に関して並々ならぬ情熱を注いでいてね。市販されている物では飽き足らず茶葉栽培にまで手を出したんだ。だが、資料を集め環境を整えるも初期は失敗続き。長年試行錯誤を続けてきたが、七年前ようやく完成にこぎつけることができた」

「それは……素晴らしいことでございます。紅茶好きならば、誰もが一度は夢見るオリジナル品種の開発。成し遂げてしまうとは、さすがでございます」

「ありがとう。その言葉だけで苦労が報われるよ」

「……困難を乗り越え、夢を実現させる。本当に、素晴らしいことでございます」

 

 レジーナの視線が下に向いてしまう。その瞳は物憂げな様相であり、なにか問題を抱えているように見える。

 

「何か悩み事でもあるのか?紅茶仲間なんだ。遠慮なく相談してくれても構わないんだぞ」

 

 むろん、レジーナが馬鹿正直に悩み事を打ち明けるとは思っていない。いくら同好の士であろうとも、そこまで仲が深まっている訳ではないからだ。

 

「……これは、例えばの話なのですが」

 

 案の定、レジーナは例え話というクッションを挟んだ。

 しかし、それでも構わないとアルスは耳を傾ける。彼女が楽になるならば例え話であろうと聞く価値はあると判断した。

 

「大切な人が危機に瀕している時、全てを敵に回しても救いの手を差し伸べますか?」

「差し伸べるな。間違いなく」

 

 きっぱりと。

 アルスは躊躇いなく回答した。

 

「え……」

 

 あまりの早さに、レジーナは言葉を失い戸惑うのみ。

 そんな彼女に構わず、アルスは言葉を続ける。

 

「見捨てる道が先の人生を華やかに彩る選択肢だったとしても、俺は茨の道を突き進むと断言できる」

「しかし……全てを敵に回すことになります。これまで得た名声も実績も、全て捨て去ることに……」

「それでも、だ。身内を守る為ならば、己の損得なぞ計算外さ」

 

 さも当たり前だと断言するアルスに、レジーナは言葉を失い驚愕する。同時に、この人ならば当然の答えなのかもしれないと納得した。

 詳しい経緯は知らないが、目の前で紅茶を飲んでいる男は封印指定を受けた冠位魔術師蒼崎橙子の逃亡を手助けするどころか同行し出奔までしたという。

 イゼルマ家の本家当主であるロード・バリュエレータの一番弟子という立場、時計塔史上数えるほどしか存在しない十代での色位(ブランド)到達という名誉、本家筋の人間ではないにも関わらず『バリュエレータの後継』の二つ名を許されるほどの実績。そして、それらに付随する輝かしいばかりの栄光。

 常人では一生かけても手に入れることのできないモノを、たったひとりの女の為に全て捨て去ったのだ。

 その在り方は、尽くすべき主であり大切な幼馴染を持つレジーナには尊く見え……。

 ある一つの決断を、彼女に下させた。

 

「こんな答えだが、満足してもらえたかな」

「──―はい、大満足でございます」

 

 すっきりした顔でレジーナは礼を述べる。

 

「つきましてはアルス様、もう一つお話ししたいことがございまして……」

 

 そして、たった今決断した内容をアルスに話した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 時刻は早朝。

 太陽が未だ登りきらない時間帯に、ひとりの人間が月の塔へと歩みを進めていた。

 人間は確かな足取りで、確たる目的を持って月の塔正面入り口へと辿り着き──―通り過ぎる。

 出入口たる正面玄関を避けてどこへ向かうのか……その答えはすぐに解った。

 ぐるりと月の塔を回りこむこと百八十度。ちょうど正面限界の真反対側に裏口が存在していた。

 人間は迷うことなくドアノブに手をかけ、()()()()()()()()()扉を潜る。

 コツコツコツ……と静まり返った廊下を歩き、螺旋階段を上る。

 そして、目的の部屋へと到着し軽くノックをすると……

 

「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 

 褐色肌の使用人──―白銀姫付きの侍女レジーナが人間を迎えた。

 人間は入室し、促されるままテーブルの席──―()()()()()()姫のいるテーブルの席につく。

 

「それでは、ただいまより会議を始めさせていただきます」

 

 この場に集まるべき人間が揃ったことを確認したレジーナが、会議の音頭を取る。

 

「議題は、どのようにしてイゼルマから逃亡するか」

 

 イゼルマに忠誠を誓っているはずのメイドから、驚くべき議題が告げられた。

 緊張からか、黄金姫と白銀姫が口を真一文字に固く結ばれる。

 そして人間は──―心底愉しそうに口角を吊り上げた。

 




次話からようやくライネスたちを出せます。
ついに一般魔術師から見た蒼崎橙子とアルスを描写できるぞ!

感想、評価、推薦、お待ちしております<m(__)m>


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双貌塔イゼルマ:4

ようやくライネスたちを出せました。


 社交界が開催されているホールは、幻想によって構成されていた。

 照明器具が存在しないにも関わらずホールは厳かな光が満ち溢れており、客の耳を慰撫する華やかな音楽は絡繰り人形の劇団によって演奏されている。その様子はまるで絵本の御伽噺のようだ。

 そして、この場にいる人間も御伽噺に相応しい人種──―すなわち魔術師である。

 根源を目指し全力で過去へと逆行する反逆者。科学の進歩によって日々貶められていく神秘を継承する伝承者。

 そんな異端児の群れに、遅れて二人の少女が加わる。

 月霊髄液によって形どられたメイドを引き連れるエルメロイ次期当主こと私、ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。

 古より継承される宝具を所有する騎士王の形代、グレイ。

 トランベリオ率いる民主主義派閥主催の社交界において、敵対派閥とも言える貴族主義派閥に属している魔術師だ。

 

「ふうむ。これは四面楚歌にもほどがある」

 

 ぼそりと嘆息する。

 先述した通り、この社交界は民主主義派閥が主催するもの。従って招待客も民主主義派閥が多くなり、会場にいる数十人のうち、半数以上が民主主義派閥だった。時点で中立派閥が三割ほど。そして残りの一割弱が貴族主義派閥だった。

 これは下手な動きはできないぞと気を引き締める。ただでさえ全方位から恨まれる立場であるのだ。正式に招待された客とはいえアウェーの場で下手な行動を起こせば、それに付け込まれてエルメロイ派の立場は一気に悪くなる。

 厄介事が起こりませんように……と願うばかりだが、それも無駄な行為になると確信していた。

 事実、先程から険悪な会話が耳に入ってきているのだ。会話内容から察するに貴族主義と民主主義の意見の相違なのだが、当事者である二人はどうも直情的すぎるらしい。迂遠な会話などを用いず一直線に主張をぶつけている。老獪な魔術師が行う牽制合戦をキャッチボールと形容するなら、この二人はさしずめドッジボールだ。

 徐々に熱くなり、言葉遣いも乱暴になっていく。周囲の客も諍いに注目せざるを得なくなり、険悪な雰囲気が会場全体に広がろうとしたところで──―

 

「しゅ、しゅしゅ、しゅみませぇ〜〜〜ん!」

 

 毛穴という毛穴から酒精を発散しながら、若者が千鳥足で二人の間を横切った。

 突然の事態に周囲の客が呆気に取られる。そして、千鳥足の青年はうわぁと情けない声をあげワイングラスを宙に放り投げながら床へと大の字に倒れ込んだ。

 

「しゅ、しゅ、しゅみませぇん。このお詫びはぁ──―」

 

 若者のあまりの醜態に興醒めしたのか、口論していた魔術師を含め、周囲の人間は蜘蛛の子を散らすようにその場を離れていく。後に残るのは、無様を晒している若者ひとり。

 

「あ、あの……」

 

 振り返ると、グレイがワイングラスを持っていた。どうやら若者が放り投げたグラスをキャッチしたようだ。

 ちょうどいい、とそのワイングラスを受け取ると、ふらふらと立ち上がる若者へと差し出した。

 青い顔色の若者は、どうもと震える手でワイングラスを受け取る。

 ちらり、と周囲に目を向ける。どうやら魔術師たちは若者への興味を失ったらしく、個々に談笑を楽しんでいる。

 これならば大丈夫だろうと判断した私は、若者の耳元にそっと囁く。

 

「面白いものを見せてもらったお礼さ。諍いを止める手段としては上々だ」

 

 ぎくり、と若者の動きが止まる。

 

「……わざとらしかったですか?」

「いや、わざと醜態を見せるような真似は、プライド高い魔術師がする訳ないという常識を逆手に取った見事なお手前だよ。大根役者ではあったが、それを許される場でもあるから問題ないさ。……しかし、本当に酔っているのだろう?一体どのような手を使ったのか、差し支えなければ教えてくれまいか?」

 

 若者は苦笑すると、スーツの懐からひとつの丸薬を取り出す。

 

「これ、一瞬で酔える薬でして……」

 

 くるりと手を裏返すと、中指と薬指に挟まれた丸薬が顔を出す。

 

「これが酔い止めの薬です」

 

 ワインと共にその丸薬を呷ると、途端に若者から発散される酒精が一瞬で治る。顔色も健康的になり、足元もしっかり地をつけたものになった。

 

「……大したものだ」

「こう見えて、薬師をやっておりまして」

「ほう、では植物科(ユミナ)の?」

「いえ、伝承科(ブリシサン)です。マイオ・ブリシサン・クライネルスと言います」

 

 彼のミドルネームに、ほうと驚く。

 ブリシサンとは典型的な中立派閥ではあるが、歴史と研究実績であれば時計塔一の権勢を誇るバルトメロイに匹敵する家門だ。

 さすがに本家の人間とは考えにくいが、ミドルネームにブリシサンの名が入っている以上分家もしくは庇護下にある人間なのだろう。それでも、十二学科の名を冠する名門が参加しているという事実が双貌塔のお披露目の注目度が窺い知れる。

 思考に耽っていると、ふとマイオが背後を凝視していることに気づく。

 振り返らずとも解る。彼は今、私の従者であるトリムマウを見ているのだ。

 

「その魔術礼装──―ひょっとしてエルメロイの?」

「おや、ご存じで」

「は、はい!その名も高きロード・エルメロイが完成させた月霊髄液!『流体操作』の為す機能美!ああ、まさかこんなところで出会えるなんて……!すす、すいません。もっと近くで見ても構わないですか!?」

「あ、ああ……構わないが……」

 

 あまりに興奮する為、彼の吃音が移ってしまうほど圧倒された私は許可を出してしまう。

 その途端、マイオはトリムマウの身体に手を滑らせ歓喜の声をあげながらぶつぶつと考察し始めた。

 

(こ、こいつ、許可を出したからと言って遠慮がなさすぎではないか?)

 

 まるでずっと欲しがっていたピカピカのトランペットを手に入れた子どもの如くはしゃぐマイオに、さすがの私も少し苛つく。

 もういいだろう、いい加減離れてはくれまいか。そう忠告しようと口を開いた瞬間──ー先程の口論とは別の意味で、会場の雰囲気が一気に様変わりしたのを感じた。

 はしゃぐマイオを尻目に、周囲に目を向ける。どうやらグレイも異変を感じ取ったようで、同じくキョロキョロ視線を動かしていた。

 異変はすぐに判明した。会場にいる客の大半が同じ方向を向いていたのだ。しかも、客の表情は多種多様だが一様に何かに見惚れているように見える。

 グレイと共に、視線の先へと目を向ける。そこは私たちが入場したところとは別の出入り口で、一組の男女がいた。

 

 ──―そして、目を奪われてしまった。

 

 眼鏡をかけた女性は黒白のツートンカラーで構成されたドレスを見事に着こなし、完成されたひとつの芸術品を思わせた。顔立ちからして東洋人だろうか?それにしては珍しく髪が赤いが、不思議と違和感はなく染めた訳ではないことも直感的に解った。おそらく彼女の本質に合った色だからだろう。

 対して、彼女をエスコートする男性は反対に青……いや蒼で統一された様相だった。髪も瞳も、身を包んでいるタキシードすら蒼い。通常ならば単一色による強すぎる主張に眉を顰めそうなものだが、女性と同じく彼の本質に合った色である為、がっしりとした男性的な体格と相まって不思議と目を惹きつけるような魅力を醸し出している。

 そして、どちらも滅多にお目にかかれないほどの美形だった。

 

 どちらか片方だけなら、これほどまでに目を奪われることはなかったろう。しかし、相補性の美とでも言うのだろうか。女性はエスコートされる喜びが柔和な雰囲気というカタチで還元され美しさに磨きがかかり、男性はそれに呼応するかのように精悍な顔立ちをより引き立たせている。

 

 会場中の視線を一身に集める男女は、それを気にすることもなく歩を進めた。迷いなく会場を閑歩し、行く手にいる魔術師たちが自ら道を譲る光景は旧約聖書のモーセを思わせる。

 楽しそうに談笑しているようだが、女性の顔がくるりとこちらに向けられる。そして、面白いものを見つけたと言わんばかりに口角を上げると、こちらを指さし男性に何やら囁きかけた。

 ……っておい!何故こっちに来るんだ!?

 

「マイオ。研究熱心なのはいいけど、他家の魔術礼装に触れるときはもう少し慎みを持ちなさい。殺されても文句は言えないわよ」

 

 彼女は手のかかる生徒を諭すように窘めた。どうやら彼とは顔見知りらしい。

 

「す、すいません、()()()()()()

 

 そして、彼の発した名前に雷に打たれたかのような衝撃を覚える。

 

「よろしい。これからはもっと気を付けるようにね」

 

 教師のようにピンと指を立てた女性は、こちらへと振り返る。

 

「はじめまして、可愛いお嬢さんたち。私の名は蒼崎橙子と言います」

 

 フルネームを聞き、確信へと至る。

 この女魔術師こそ、噂で聞いた冠位魔術師なのだと。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「はじめまして、可愛いお嬢さんたち。私の名は蒼崎橙子と言います」

 

 蒼い男性にエスコートされる女性が自己紹介した途端、眼前に立っているライネスが戦慄するのが解った。

 一体どうしたのだろうか?蒼崎橙子と名乗る、柔和な笑みを浮かべた優しそうな女性に何を怯える必要があるのか?

 心配になったので声を掛けようとすると、その前に橙子が傍らの男性を紹介した。

 

「彼は私の使い魔、アルスよ」

「よろしく」

 

 男性──―アルスが手を振る。

 すると、ライネスの動きがピタリと止まり、だらだらと冷や汗を流し始めた。

 しかし、彼女も魑魅魍魎蔓延り権謀術数渦巻く時計塔を生き抜く女傑。掠れた声ながらも、気を取り直す第一歩として声を出す。

 

「あなたは……封印指定の……それに、使い魔ということはあの噂は……」

 

 封印指定。その言葉には聞き覚えがある。いつぞやか師匠が解説してくれた。

 それは魔術師にとって最高の栄誉であり最大の厄介事。時計塔最古の教室である秘儀裁示局・天文台カリオンが『一代限りの再現不可能な魔術』と認定した魔術師を()()()()()()()()()()しようとする令状。

 多くの魔術師は保存されれば研究を続けることが不可能となり、領地に籠るか野に下るらしい。

 だが、師匠が言うには1999年。世紀末に相応しい大事変が起こったようで……

 

「封印指定でしたら、数年前に解除されていますので」

「……そうか、あなたがそのひとりだったか」

 

 柔らかな微笑みと共に橙子が述べた事実を、大きく深呼吸し気を取り直したライネスが追認する。

 そう。詳しい内容は知らないが、大事変の影響で何人かの封印指定が取り消されたそうなのだ。

 

「それに、噂に関しましては事実とだけ申し上げますわ」

 

 にっこり、と彼女はさらに笑みを深めた。だが、それは『これ以上の追及はやめろ』という警告のようにも思えた。

 

「……グレイ、この方が話していた冠位(グランド)だ」

 

 ライネスから囁くように伝えられた事実に、びくりと肩が震える。

 つまり、この人が噂されていた最高位の魔術師。

 

「はじめまして。ライネス・エルメロイ・アーチゾルテと申します」

「存じてますわ。エルメロイの先代とはちょっとした縁がありましたので」

「先代……?ケイネス・エルメロイ・アーチボルトに?」

「ええ」

 

 細かいことはいずれ、と言わんばかりに唇に手を当てる橙子。この場ではこれ以上話すつもりはないのだろう。

 

「おや」

 

 彼女の隣から声が発せられる。目線を動かすと、挨拶以来沈黙を保っていたアルスという男性が自分を見つめていた。

 

「君、面白い貌してるな」

 

 彼はこちらに手を伸ばすと拙の顔に触れようとして──―

 

「こら!勝手に女の子の顔に触ろうとしないの」

 

 バシ!と橙子によって手を叩き落された。

 

「……スマナイ。あまりに気になったものでね」

 

 叩き落された本人は腕を擦りながら自分に謝罪する。

 ……いえ、拙は大丈夫です。

 気にしていないことを伝えようと口を開くが──―

 わっ、と会場中から歓声が上がった。

 

「どうやら、黄金姫の登場ね」

 

 赤蒼の主従が振り向き、釣られて自分も二階バルコニーに視線を向ける。

 そこには褐色肌の麗しき双子が佇んでいた。もしや黄金姫・白銀姫かと思うが、彼女たちの服装を見て考え直す。さすがにお披露目という場でメイド服など着ないだろう。

 双子のメイドは優雅にお辞儀(カーテシー)し左右に分かれる。

 

「どうぞ、ディアドラ様」

「どうぞ、エステラ様」

「「お入りください」」

 

 呼びかけと共に、バルコニー奥からゆっくりと紫のドレスが二つ現れる。

 そして。

 拙たちの意識は無惨にも引き裂かれた。

 




黄金姫と白銀姫を実際に見て見たくもありますが、一般人である私が見たらほんとに目を潰しそうで怖いですね。

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双貌塔イゼルマ:5

いつか番外編でもいいから、公式が出す橙子さんの時計塔時代を見てみたい。


 圧倒的な情報量を前に、魔術師と言えど人間が抵抗できるはずもなく意識が断絶する。

 脳髄が処理しきれる範囲を大幅に超え、ただただ■という概念を叩きこまれる。

 会場中の客が呆然とバルコニーを眺める中、■の概念と化した二人が口を開く。

 

「黄金姫を襲名いたしました、ディアドラ・バリュエレータ・イゼルマと申します」

「白銀姫を襲名いたしました、エステラ・バリュエレータ・イゼルマと申します」

 

 言葉さえも、凶器となって耳から脳髄を犯す。ああ、これは不味い。こんなもの、もはや兵器でしかない。なにをどう極限まで磨けば、こうも■しくなるというのだ。

 

「……あれが今代の黄金姫か。話には聞いていたが十数年でここまで調整するとは……イゼルマの歴史を称賛せざるを得ないな」

 

 橙子の女性らしからぬ物言いに、ようやく意識が現実に回帰する。視線を向けると、彼女は眼鏡を外し先程の柔和な表情から一転、鋭い目つきでバルコニーを見上げていた。もしや■が彼女に変化を齎したのか。

 ちらり、と彼女の視線がこちらを向く。どうやらこちらの疑念を読み取ったらしく、眼鏡をかけ柔和な雰囲気を取り戻す。

 

「驚かせてごめんなさい。何分ショックでしたから、少し切り替えをね」

「切り替え?」

「性格を、ね」

 

 彼女がにこりと微笑むと、傍の男が肩を叩いた。

 

「解ってるわ。すいません、少し離席しますね。マイオ、いいかしら?」

「あ……あ、はい」

 

 赤い女魔術師は踵を返すと、二人の魔術師を引き連れこの場を去っていった。

 しかし、性格の切り替えか。世の中には意図的な二重人格を作り出し用途別に使い分ける魔術師も存在するが、彼女もその類なのだろうか?

 ……っとと、イカンイカン。考察している場合ではない。周囲の客と同じく呆然としているであろうグレイを再起動させなくては。

 振り返り、案の定機能停止しているグレイを揺さぶろうとしたその時。

 

「お見事。バイロン卿」

 

 静まり返った会場に、喝采が響き渡る。

 拍手を送っているのは、ゆうに七十は越えようかという老女だった。

 歴戦の勇士を思わせる深い皺と銀髪を携えた彼女の喝采は、会場の魔術師たちを再起動させる鍵となる。

 あの人には見覚えがある……この社交界を主催したイゼルマの本家筋であり時計塔十二学科『創造科(バリュエ)』のロード(頂点)。イノライ・バリュエレータ・アトロホルムだ。

 彼女は拍手を終えると、踵を返しこちらに歩いてきた。

 

「さっきまで、ここにオレの馬鹿弟子たちがいたような気がしたんだが」

 

 彼女はウィスキーのグラスを回し、意味ありげな微笑を浮かべている。

 馬鹿弟子たち、か。おそらく直前に立ち去ったあの二人のことだろう。蒼崎橙子とアルス・キュノアスの師がロード・バリュエレータだというのはその筋では有名な話だ。

 ……イカンイカン、思考が横道に逸れている。このお方を相手するには全神経を集中させねば。うっかり余計なことでも喋ろうものならそこから一気に流れを持っていかれてしまうだろう。

 私は背筋を伸ばすと、百戦錬磨のロードとの勝負(会話)に挑むのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 社交界も終わり、多くの客が帰路に着いた頃。

 湖水地方特有の寒暖差により発生した濃霧が双貌塔を囲む中、陽の塔に向けて歩みを進める二つの影があった。

 蒼崎橙子とアルスだ。

 二人はイゼルマ当主であるバイロン卿との話を終え、用意された客室へと戻る途中であった。

 

「…………?」

 

 地面の違和感に気づき、ぴたりと歩みを止める。

 違和感の元を見やると、場に似つかない砂がさらさらと蠢いていた。まるで何かを探すかのように、意思をもって行動する生物のようだ。

 

「オレの馬鹿弟子たちがこんなところにいたか」

 

 そして、ひとりの老女が夜霧を割って登場する。

 ロード・バリュエレータだ。

 

「……師匠」

「……イノライ先生」

 

 急な恩師の登場に、二人は同時に会釈する。

 それから、一番弟子が師匠の耳に付いている物に気づく。

 

「師匠、もしやそれは……」

「おお、さすが一番弟子。そうさ、iPodだ」

「変わらずロックで?」

「おうともさ」

 

 陽気にリズムを刻む姿に、別れた頃と変わらず壮健であることを確信する。

 

「先生、もしかして待ち構えていました?」

「ああ、社交界では逃げられたからな」

「偶然でしょう」

 

 追及をさらりと躱す橙子に、イノライは小さく笑みを作るのみ。

 お互い真意を把握しているが、わざわざ暴き出す野暮はしなかった。

 

「──―しかし、噂が本当だったとはな」

「噂とは?」

「とぼけるんじゃないよ。パスを繋げているだろう?しかも契約まで上乗せしていると来た」

「さすが、先生」

 

 凡百の魔術師では見抜けない繋がりを、老女は一瞬で見抜いた。

 自分たちが時計塔を離れている間に創造科(バリュエ)君主(ロード)にまで出世したと聞いたが、権力闘争にかまけて魔術の鍛錬を怠っていた訳ではないことに、赤蒼の主従は内心嬉しく思う。

 もちろん、それを表にはおくびにも出さないが。

 

「内容まではさすがに見通せないが、噂と統合すれば結論はひとつさね。……まさか、可愛い可愛い一番弟子を掻っ攫われるとは思わなんだ」

「返しませんよ?」

 

 ぎゅっとアルスの腕を抱き寄せる橙子を見て、イノライは目を丸くする。

 

「おやおやおや。わざわざ理由付けしないと何もできなかった小娘が、しばらく見ないうちに随分と甘え上手になったじゃないか」

「そりゃもう、年季が違いますから」

 

 抜かせ、とイノライはケラケラ笑う。

 

「それより、お前に渡す物があるんだ」

 

 老女は懐からある物を取り出す。

 手に納まるほどの直方体で、太極図と共に『煙龍』という名が描かれている。

 二人が見間違うはずもない。今はもう手に入らないはずの、蒼崎橙子愛用の煙草だ。

 

「よくこんな物お持ちでしたね、先生」

「お前が研究室に忘れた物をわざわざ湿気除けの魔術で保存しておいたんだ。師の親心を理解しておくんだな」

「努力します」

 

 手を伸ばし受け取ろうとするが、サッと直前で引っ込められてしまう。

 

「返してやってもいいが、一本よこせ」

「……まぁ、先生ならいいでしょう」

 

 箱を受け取り、三本取り出し先生と使い魔に渡す。

 イノライは受け取った煙草を咥えた。教え子が味を頑なに教えなかったのだ、さぞや美味いのだろうなと期待していると、スッと点火されたジッポと風除けの手が差し出される。

 アルスだ。彼は主の煙草に点火した後、師匠の煙草にも火を授けようとしている。

 気が利くじゃないか、とありがたく頂く。そして煙草を深く吸い込むと──―あまりの不味さに、フレーメン反応を起こした猫の如く顔を引き攣らせた。

 

「おいおいクソ不味いじゃないか。拷問か何かか?」

「以前からそう言ってたでしょう?」

「ハッ、謙遜か好物隠しかと思うだろ普通」

 

 文句を言いながらも、老女は再度煙草を咥える。チラリと一番弟子に目を向けると、彼はごく普通に吸っていた。

 彼が喫煙者であった記憶はないが、出奔後に吸うようになったのだろうか?そうだとすれば馬鹿弟子の影響だろうが、嗜好まで似なくてよかろうに。

 一番弟子の意外な変化に驚きながら、イノライは弟子たちとしばし煙を堪能した。

 

「──―少し、気になることがあってな」

 

 沈黙を破り、イノライが話を切り出す。

 

「何故お前たちがここにいるんだ?」

「まぁ、いろいろありまして」

「隠すなよ。こそこそ動き回ってることは知ってるんだぞ」

「お耳が良いようで」

「そりゃ君主(ロード)なんてものをやってりゃな」

 

 意図的に隠蔽していた訳ではなかったが、厄介事に巻き込まれる危険性を低くするため、依頼主とは隠蔽術式を施した使い魔のみでやり取りしていた。

 それでも赤蒼の主従の動きを察知していたあたり、さすがはロードと言ったところか。

 

「それにあの仕上がりはちょっと異常だ。この辺り(湖水地方)は一種の穴場でもあるからな。ひょっとすればひょっとするぞ?」

「……ええ、まかり間違えば至るかもしれませんね」

 

 何に、とは誰も言わなかった。口にせずとも、魔術師という視点を持つ彼女たちには解っていたからだ。

 そこは全ての現象の原点。全魔術師が目指す到達点。

 かつて蒼崎橙子も目指していた場所であり、それはイノライも承知していたが──―彼女の言葉に含まれるニュアンスに引っ掛かりを覚えた。

 

「なんだ、まるで興味なさげとでも言わんばかりじゃないか」

「ええ。実際どうでもいいですし」

「……ほう」

「私の興味は、既に対象を変えましたから」

 

 言って、橙子はアルスに視線を向ける。彼は、それを受け微笑むのみだ。

 

「……驚いた。方針の相違で当主と袂を分かったやつのセリフとは思えないな」

「人は変わるということですよ」

 

 そうかい、とイノライは苦笑するとアルスから差し出された携帯灰皿に煙草を押し当て踵を返す。今日はここまでというところだろう。

 

「あぁ、最後にもうひとつだけ」

 

 老女は振り向くと、笑みを浮かべながら橙子にお願いした。

 

「やっぱり、オレの一番弟子を返してくれないか?」

創造科(バリュエ)の首がすげ変わってもよいのでしたら、ご自由に」

 

 にっこりと。

 意味を知る者が見れば戦慄する笑顔と共に橙子は吐き捨てた。

 イノライはちぇ、ちぇ。と口を尖らせると、夜霧に消えていった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「──―なにしろ、三大貴族のひとつにあたるくらいだ」

 

 一通りグレイに美と三大貴族について講義し終えると、彼女は頭を押さえていた。

 無理もない。彼女は時計塔に入ってまだ日が浅いし、魔術師として幼い頃から教育を受けていた訳ではないのだ。

 これは詰め込み過ぎたかなと微笑んでいると、彼女の懐から喧しい声が聞こえてきた。

 

「つうか、ずっと籠ってたせいで、黄金姫とやらを見損ねたぜ!」

 

 グレイの懐から出現した鳥籠の匣──―アッドが喚いた。どうやら私たちが黄金姫・白銀姫について語っていたせいで話に割り込みたくなったようだ。

 

「あの姉ちゃんたち怖いしさ!ちゃんと引っ込んでたのに見つけられそうになったのは初めてだぜ!」

「……蒼崎橙子にアルス・キュノアスのことか」

 

「そうそうそいつら!」とアッドが慄く。

 おそらく魔術的ではなく純粋に技術で隠蔽していたからこそ見つからなかったのだろうが……それでもあの『コレクター殺し』から隠れおおせたのは僥倖だ。

 

「『コレクター殺し』……さっきも言ってましたけど、それってあのアルスって人のことなんですよね?」

「ああ、彼のことで間違いないよ。……そうか、グレイは知らないんだな」

 

 コテンと可愛らしく首を傾げるグレイへと向き直る。

 そして、私は時計塔の歴史に名を刻む魔術師について解説を始めた。

 

「彼の名はアルス・キュノアス。ロード・バリュエレータの一番弟子にして()()()()『コレクター』の()()()()を成し遂げた色位(ブランド)さ」

 




次回、アルスの過去の一端が明かされます。

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双貌塔イゼルマ:6

寝る前に日間総合ランキングを確認したら9位にランクインしていたので急遽予定変更してストックを放出することにしました。
これも応援してくださる皆様のおかげです。本当にありがとうございます!!
目指せ1位!!!


 『創造科(バリュエ)の麒麟児』『バリュエレータの後継』『十三学科を旅する者(オールラウンダー)

 アルス・キュノアスの二つ名は数あれど、一番有名なものはやはり『コレクター殺し』であろう。

 時計塔から畏怖と尊敬を持って呼ばれるこの名の由来を説明するには、前提としてキュノアス家について語らなければならない。

 

「彼の生家は時計塔じゃ名の知れた名家でね。三大貴族のような権勢はないものの、ある一点だけでそれらに次ぐ影響力を持っていた」

「一点……ですか?」

「ああ、()()だ」

 

 魔術世界における特許は、表社会とそう変わらない。

 術式を公表する代わりに使用料を徴収する。

 むしろ世界規模で特許使用を監視する専用礼装がある分だけ容赦ないかもしれない。

 

「まぁ、自ら弱体化するような真似だから出願する魔術師はそういないがね。出したとしてもせいぜい一つか二つ。内容も出願者の秘奥と併用して本領発揮するものが大半だ。──―だが、キュノアス家は違った。()の家が出願した特許数は()()()()にも上る」

「さ、三十以上ですか!?」

 

 何度聞いても狂った数だと耳を疑う。しかもそれらのほとんどが有能な術式と来た。

 

「その大半は一貫したテーマがあってね。内容は『術式の省略』。名称通り組み込めば詠唱や術式を短縮するこができる。これだけならば他の魔術師が申請しているものと似たようなものだが、それらと一線を画しているのはその多様性だ」

 

 なんせ、汎用ではなく種類別に特化した術式なのだ。キュノアス家が得意とする建築魔術や錬金術のみならず、時計塔ではマイナーな陰陽術や呪術までカバーしてある。

 特許数同様、聞いた己の正気を疑う事柄だ。

 今やキュノアス家の特許を使用していない魔術師なぞよっぽどの経済弱者しか存在しないと言われるほどだった。

 ()()()()()()()

 

「……十六年前に、何があったんですか?」

「簡単なことさ。当時当主を務めていたアルス・キュノアスが権利を全て時計塔に売り払ったのさ」

 

 私はまだ生まれていなかったので当時の様子は知らないが、聞くところによると時計塔を上下にひっくり返したような騒ぎになったらしい。

 それも無理はない。長年どの派閥にも属さず中立の立場を守ってこれた権勢の源を自ら手放したのだ。自殺行為も甚だしい。

 

「それもその後に彼が取った行動の下準備だということが判明するのだが……その前にアルス・キュノアスについて話そう」

 

 ええ!と、大好きなお話を「つづく……」で焦らされた子どものような顔になるグレイに後ろ髪を引かれながらも、説明を続ける。

 

 アルス・キュノアス。六代目キュノアス家当主であるローガン・キュノアスとその妻シズカ・キュノアスの息子。

 長男として生を受けた彼は幼少期から才能の片鱗を見せつけ、齢十を迎える頃には開位(コーズ)レベルの魔術は完璧だったらしい。

 イギリスの初等教育を終えると同時に時計塔に進学。そしてキュノアス家の権勢をフルに使い十三学科全てを受講するという狂気じみた所業を敢行。それに目を付けた後のロード・バリュエレータであるイノライ・バリュエレータ・アトロホルムの一番弟子となり、研鑽を積むことになる。

 

 風の噂によれば、魔術師としては珍しく単なるスペアの意味合いしか持たない妹との関係もよいらしく、家族の万全のサポート体制と優秀な師匠によってより一層才能に磨きをかけた彼はいつしか『バリュエレータの後継』とまで謳われるほどになり、順当に行けばいずれロードの地位に納まるかもしれないと噂されるほどだったという。

 そんな凡庸な魔術師からすれば輝きで目が潰れんばかりの順風満帆な魔術師人生をこれからも送り続ける……と思われた矢先、彼を突然の悲劇が降りかかる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 死徒……それは後天的に吸血種となった人間を指す『人類史を■■するモノ。人間世界のルールを汚すために存在してきたモノ』。

 数少ない例外を除けば人類に仇なす存在であり、聖堂教会の最大の敵。

 大別して下級・上級の二種類がおり、下級の時点で並の魔術師や代行者では歯牙にもかけられない。上級ともなれば最早アンタッチャブル扱いだ。

 そんな天災に、キュノアス家は襲われた。

 幸いにもローガン・キュノアスに刻まれていたキュノアス家の魔術刻印は無事だったそうだが、屋敷は見るも無残な有様だったらしい。詳しい状況は部外者である私たちでは窺い知れないが、相当酷いことになっていたのは確かだ。

 

「皆殺し、ですか……」

 

 愁いを帯びた表情でグレイが俯く。我々生粋の魔術師とは違い、性根が良い彼女は彼の痛みがありありと想像でき、悲しむことができるようだ。

 そんな彼女を好ましく思いながら、私は説明を続ける。

 

「その悲劇の下手人こそが『コレクター』こと『ヴィレム・バークアソート』。時計塔の悩みのタネであり聖堂教会における埋葬機関の番外席次さ」

 

 全く、聖堂教会にも呆れたものだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()からといって討伐対象から外すとは。

 毒を持って毒を制すという故事成語があるとはいえ、番外席次というのも見逃す為の方便だろう。 

 

 そんな異端ともいえる死徒によって家族を失ったアルス・キュノアスの様子はというと、家族の死を悼みながらも気丈に振る舞っていたそうだ。それどころか研究により一層励むようになり、周囲はそれでこそ魔術師だと持て囃したらしい。

 彼の内に潜むマグマよりも煮えたぎる激情に気づくことがないままに。

 そして彼は数々の偉業を成し遂げる。

 

「霊墓アルビオンにしか自生できなかった霊草の栽培方法確立や魔獣の家畜化、失伝した伝承術式の再発見、魂への直接干渉術式……挙げればキリがないが、そのどれもが革命を齎した」

 

 兄でありわが師でもあるロード・エルメロイⅡ世が言うには、これらの功績により時計塔の魔術は数十年単位で飛躍を遂げたそうだ。普通なら研究室や派閥が長い時間をかけて達成することをたったひとりで成し得たのだから、まさしく『偉業』と言える。

 ちなみに先述した偉業は全て特許取得済みだ。例に漏れずアルス・キュノアスによって売り払われているが。

 

 閑話休題。

 

 これらの偉業は時計塔により正当に評価され、アルス・キュノアスはわずか十八という年齢で色位(ブランド)の階位を得ることになる。

 だが、彼にとっては至極どうでもいいことだったらしい。ある日彼は特許を全て売り払い身辺整理を済ませるとふらりとどこかへ消えてしまった。

 

「もしかして……」

「察しがいいな。そう、彼は仇を討ちに行ったんだよ」

 

 特許を売ったのも、費用を捻出する為なのだろう。彼のコレクター討伐に向ける激情は、己の全てを投げ打ってでも完遂させたいものだと推し量れる。

 

「結果は二つ名が示す通り。だが、代償は重いものになった。アインナッシュに代表されるように、上級死徒というものは強大すぎる力を持つ故に放置せざるをえないほどの化物だ。蒼崎橙子によって時計塔に運び込まれた時には既に意識はなく、怪我も相応に酷くまるで死人のようだったらしい。聞くところによれば、凍結処理が為されていなければ遠からず死んでいたという」

「だけど、無事に治ったんですよね?でなければ今日の社交界にも来れないでしょうし」

「ああ、おそらく蒼崎橙子により義手などに置換するなりして傷を癒したのだろう。でなければ同じ師を持つ身とはいえ使い魔に──―どうした、トリム?」

 

 扉を注視する従者に違和感を覚える。待機命令を出しているとはいえ、従者であるトリムマウが主から視線を逸らすことはまずないからだ。

 答えはすぐに判明した。

 

「不確定対象二名の接近を確認しました」

 

 私とグレイの全身に緊張が漲る。夜分遅くにアポなし訪問なぞ厄介事の匂いしかしない。

 じっと扉の向こうに神経を集中させる。

 十秒ほど経過しただろうか。コンコンコンというノックと共に女性の声で入室許可を求められる。

 警戒を解かぬまま、どうぞと許可を出す。

 扉がゆっくりと開かれる。現れたのは、カンテラを携えた褐色のメイドだった。

 彼女には見覚えがある。確か黄金姫・白銀姫に付き従っていたメイドだ。

 

「カリーナと申します」

 

 彼女はお辞儀(カーテシー)と共に自己紹介する。

 

「これはご丁寧に。ライネス・エルメロイ・アーチゾルテだ。何の御用かな?」

 

 こちらが目的を質問すると、彼女は脇にずれ、「どうぞこちらへ」と背後の人物を手招きする。

 もしやイゼルマ側の人間が訪ねてきたのか?それならば明日でもよかろうに……と辟易しながら件の人物に目を向ける。

 瞬間、意識が引き裂かれた。

 そこには、黄金姫が佇んでいたのだ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 同時刻。

 ライネスが黄金姫に意識を引き裂かれていた頃、ひとつの人影が月の塔内部を闊歩していた。

 誰もが寝静まるか部屋に戻っている時刻に人影は勝手知ったる我が家とばかりに足音を鳴らし廊下を歩いているが、不思議と誰も反応を返さない。

 しばらく人影が歩いていると、行き止まりに突き当たってしまう。

 しかし人影はにやりと笑うとスッスッと指を振るう。するとみるみる壁に模様が浮き出て、最終的には扉が出現した。

 ドアノブに手をかけ開く。室内は窓一つなく大きな石製の棺が置かれているのみの殺風景な様相だったが、その棺こそが人影の目的。

 人影は棺の蓋を開け、中を確認する。

 そこには、提供された情報通りのモノ──―黄金姫の死体が安置されていた。

 




●ヴィレム・バークアソート
 別名「コレクター」
 魔術師の財産である魔術刻印、礼装、術式に異様な執着を見せる上級死徒。
 彼に狙われて喪失したものは数知れず、その大半は彼の居城に博物館の如く展示されているという。
 時計塔からすれば大きな悩みのタネであり幾度か討伐隊が組まれたことがあるが事あるごとに邪魔が入り、アルスによって討伐されるまで野放しになっていた。



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双貌塔イゼルマ:7

寒暖差激しいと身体がびっくりしちゃいますよね。


 社交界の翌日。

 早朝にも関わらず月の塔・黄金姫の部屋に双貌塔に滞在していた魔術師が全員集められていた。

 通常ならイゼルマの結晶とも言える黄金姫の部屋に部外者を立ち入れるなぞ言語道断だが、その道理を蹴飛ばすほどの事件が発生したからだ。

 その内容は──―黄金姫が惨殺され、ベッドにバラバラ死体として撒き散らされたというものだ。

 

「なんて……ことだ……」

 

 入室したバイロン卿の一言がその場の者の気持ちを代弁していた。

 部屋に集まった全員が、程度の差はあれ言葉を失っていた。

 

「いやはや、凄まじいことになってるな」

 

 そんな中、場の雰囲気にそぐわない声色に全員が気を取られた。

 声が聞こえた方向に振り向くと、そこには眼鏡を外した蒼崎橙子と彼女に付き従うアルスの姿があった。

 

「容疑者という立場で殺人事件に遭遇するとは予想外だ。どちらかといえば私は被害者向きだろうに」

 

 社交界で見せていた穏やかな雰囲気から一転、冷酷な魔術師としての顔を覗かせている人形師はツカツカと事件現場に歩み寄る。

 

「どちらかといえば狂言回しじゃないか?」

「……まぁ、自覚はあるさ」

 

 使い魔の軽口に答えながら、人形師はバラバラ死体を観察し、次いで周囲を見やる。

 そしてクツクツと愉快そうに笑うと、使い魔の指摘通りの役をこなし始めた。

 

「さすがにやり過ぎで笑ってしまうな。証拠隠滅が目的と仮定しても、これほどまでに魔術師が揃った環境でやる意味はないだろう」

「……何をですか?」

 

 疑問を呈するフードの少女に、人形師は口を回す。

 

「いいかい?道中あらかじめ聞いてきたけど、君らがここに押し入った時には鍵がかかっていたのだろう?私たちもここに少しの間厄介になっていたから知ってるがね、黄金姫と白銀姫の部屋には魔術錠(ミスティックロック)がかかっている。個々人の魔力の波長を対象にした指紋認証のようなもので、宝物庫など重要な場所に設置される代物だ。つまるところ、黄金姫の部屋の扉は黄金姫にしか開けられない」

 

 朗々と澱みなく発せられる言葉はまさに狂言回しに相応しく、この場全員が耳を傾けていた。

 そんな聴衆に事実を叩きつけるが如く、蒼崎橙子は魔術師ならではの盲点を暴き出した。

 

「それならば……この惨劇は『密室殺人』ということにならないか?」

 

 誰もが思考の外側にあった事実に息を呑む。

 

「まぁ、私たち魔術師にそんな設定をわざわざ用意する必要性はあまりないがね。少なくともこの場にいる魔術師なら誰もがそれぞれに見合った方法で実行して見せるだろう」

 

 そう、彼女の言う通り魔術師にとって密室とはさほど問題になるようなシチュエーションではない。呪術にしろ錬金術にしろ、方法は無数にあるが故に意味をなさないのだ。

 

「例えば……君の魔術礼装『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』ならドアの隙間を通って殺害してのけるだろう。しかも黄金姫と最後に会ったのは君たちじゃないかな?」

 

 だからこそ。

 殺人事件において第一発見者が一番疑わしいという定番(テンプレート)にのっとって、ひとりの少女に疑いの目が向けられる。

 

「……どうしてですか?」

「バイロン卿」

 

 ライネスの質問に答えるべく、橙子はバイロン卿の名を呼ぶ。

 イゼルマの当主は用件を察したようで、パンパンと手を叩き二人のメイドを呼び出した。

 褐色の双子メイド──―カリーナとレジーナだ。

 

「カリーナさん……だったね。黄金姫が昨夜エルメロイの姫と交わした会話内容を教えてくれるかな」

「わ、私は、ディアドラ様が用件を話していた時には席を外しておりましたから……」

「それは知っている。だが君には彼女がどんな用件でエルメロイの姫と接触したか、ある程度は予想がついてるんじゃないか?」

「…………」

 

 黄金姫の名誉の為か、はたまた冷酷に自身を追いつめる人形師に恐れをなしたのか。

 カリーナは俯き口を閉ざした。

 だがそんなことが到底許されるはずもなく、当主であるバイロン卿に促され、彼女は重い口を開いた。

 

「ディアドラ様は……エルメロイ派への亡命を希望してらっしゃいました」

「なっ……!」

 

 ライネスの呻き声を皮切りに、ざわめきが部屋を満たす。

 それも無理からぬことだ。民主主義派閥(トランベリオ派)であるイゼルマ家の秘奥でもある黄金姫が亡命、しかもよりにもよって敵対派閥である貴族主義派閥(バルトメロイ派)のエルメロイになど正気の沙汰ではない。

 

「ふむ……これはさすがに見過ごしがたいな。どういうことか説明してもらおうかエルメロイの姫」

 

 そして、場は整ったと言わんばかりにバイロン卿がライネスを追いつめる。

 彼も蒼崎橙子同様、あらかじめ情報を入手していたのだろう。芝居がかった様子できっちり詰ませようとする姿がそれを証明している。

 

「確かに……ディアドラ様からそういった相談を受けておりました。しかし、誓ってディアドラ様を手にかけておりません」

 

 冷や汗をかきながらライネスは弁明するが、色黒の筋肉質な男──―ミックが疑いの言葉をかける。

 

「だが、亡命の条件が折り合わなくなって争いになった、ということもあるだろう」

 

 ギリィ、とライネスの奥歯が噛みしめられる。そもそもこの場にバルトメロイ派は自分たちしかいない。数少ない同類も今頃自宅で朝を迎えていることだろう。

 まさに四面楚歌。下手な行動を起こせばたちまち殺されエルメロイ派に残った数少ないうま味を死ぬまで搾り取られてしまう。

 ライネスは実力行使を提案するグレイを制止しながら、覚悟を決める。

 この事件、エルメロイの名誉にかけて私たちが解決してみせる!と。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 結論から言うと、ライネスが犯人として取り押さえられる事態は回避された。追いつめられた彼女が犯人捜しを名乗り出たからだ。

 しかし、現場状況からも政治的な判断からも、彼女が最有力候補であることには変わらない。

 捜査する彼女たちの監視役が必要となり、それに名乗り上げたのは遅れてやってきたロード・バリュエレータことイノライ・バリュエレータ・アトロホルムだった。権威的にも彼女が最も相応しく、現場にはライネス、グレイ、イノライの三人が残された。

 ちなみにイノライが名乗り上げる前に蒼崎橙子が手を上げたが、バイロン卿から容疑者のひとりだという理由で却下された。

 橙子も冠位(グランド)としての権威をゴリ押しする気がなかったのか、すんなり引き下がった。

 

「エステラ、この自動人形(オートマタ)を貸し与える。いざとなったらこれで身を守るんだ」

 

 そして、ここは白銀姫の部屋。

 エステラとレジーナに、バイロン卿が以前蒼崎橙子に依頼しアルスが製作した自動人形(オートマタ)を護衛役として貸し与えていた。

 犯人が黄金姫を害した以上、白銀姫であるエステラも狙われるかもしれない。

 幸い、操作方法は社交界前に学び身に着けてある。有事には自ら操作し撃退もしくは時間稼ぎしろということだろう。

 用件は済ませたとバイロン卿が部屋から出ていく。

 パタンと扉が閉められ数秒。確実にバイロン卿が離れたことを確認したエステラとレジーナは目を見合わせ、行動を開始する。

 用意したトランクケースに必要最低限の着替えや価値がありそれほど嵩張らない物など、事前に相談し決めておいた物を詰め込む。

 端的に言えば、それは夜逃げの準備だった。

 

 作業を続けていると、コンコンコンコン、と扉がノックされた。

 二人はピタリと動きを止め、覚悟を決めた表情で扉前に立つ。

 そして、レジーナが扉の向こう側の人間に向け合言葉を投げかけた。

 

「『帰るべき場所は?』」

「『伽藍の堂』」

 

 レジーナはホッとした顔でエステラを見やる。

 彼女はコクリと頷くと、魔術錠(ミスティックロック)を解錠する。

 開かれた扉の先──―そこには蒼髪の偉丈夫、蒼崎橙子の使い魔であるアルスが立っていた。

 彼は白銀姫の部屋に入室すると、夜逃げ準備をほぼほぼ完了させた様子を確認し、満足げに頷いた。

 

「どうやら、準備は出来ているようだな」

「はい。後はカリーナと合流し機を見て逃亡するだけです」

 

 さらっとレジーナが部外者であるアルスに極秘情報を漏らす。

 いや、漏らすという表現は正しくない。

 何故ならば……。

 

「改めてお礼申し上げます。アルス様のご協力なければ、私たちは無謀な賭けに出ざるを得ませんでした」

 

 レジーナが協力を求めた相手こそ、アルスだったからだ。

 深夜の密会に参加したのも、隠し部屋に安置された黄金姫の遺体を運び出したのも、全て彼だったのだ。

 

「気にすることはない。依頼に見合った報酬は既に受け取ったしな」

「それでもです。安全が保障された拠点があるだけでどれほど救われたか」

「私からもお礼申し上げます。ありがとうございます」

 

 エステラとレジーナが頭を下げる。

 それも無理からぬことだ。アルスが逃亡計画に加入する前は、宛もなく時計塔とイゼルマ家から逃げのびる為に放浪することを真剣に検討していたくらいだ。無謀と断じてもいい。

 

「お礼は無事逃げおおせた時に言ってくれればいい。それより、以前に説明した礼装が完成したから今のうちに渡しておく」

 

 アルスが懐から三人分のペンダントを取り出し、レジーナに手渡す。

 

「それを首にかければ周囲から認識されなくなる。俺はギリギリまで橙子の傍にいる予定だから合流地点まではそれを活用してくれ。ああ、注意しておくが実体と気配を誤魔化すだけだからあんまり音を立てたりするとバレてしまうから気を付けてくれ」

「かしこまりました。後でカリーナ姉さんにも渡し──―うぅッ!?」

「レジーナ!」

 

 頭を押さえがくりと崩れ落ちるようにレジーナが膝をつき、慌てた様子でエステラが駆け寄る。

 

「ハァ……ハァ……嘘……そんな……ッ!」

「落ち着くんだレジーナ。一体何があった」

 

 アルスが労わるようにレジーナの肩を抱き背中を擦る。

 だがレジーナの様子はいっこうに回復せず、むしろ顔色はどんどん悪くなる。

 

「あぁ……そんな、マイオが……」

「マイオ?薬師の彼のことか。彼が何だ?」

 

 震える唇から紡がれる言葉を聞き取り、アルスが質問するがレジーナは震えるのみ。

 だが、深呼吸を繰り返すことによって幾分か落ち着きを取り戻したのか。レジーナは未だ震えが治まらない身体をなんとか律しながら、二人に衝撃の事実を伝える。

 

「あ……あぁ……エステラ様……アルス様……。姉さんが……カリーナ姉さんが、()()()()()()()()()()……ッ!」

 

 ガラガラと。

 逃亡計画が崩れ落ちる音が三人の耳にハッキリと聞こえた。

 




(ネタバレ全開で)笑っちゃうんすよね。
もし双貌塔イゼルマを未読の方がいらっしゃるのであれば、今すぐ読もう!
小説が苦手でもコミカライズ版があるから安心だ!
作者は事件簿コミカライズ版の橙子さんも大好きだ!武内さんverの次に好きだ!!


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双貌塔イゼルマ:8

花粉はすべからく滅ぶべきだと思う。
アレルギー検査でスギ花粉の値が天元突破しているせいで、毎年この時期は辛すぎます。


 私とグレイは双貌塔の周囲に生い茂る森を走っていた。

 事件の手掛かりを求め、昨日の黄金姫の足取りをトリムマウと共に追いかけているのだ。

 鬱蒼と生い茂る木々、名も知れぬ獣の糞尿が混じった腐葉土、原始を思い起こさせるむせ返るような自然の匂い。

 人の手が入らず神秘を色濃く残した森に対し、普段通りの装いであるグレイはともかく、ドレス姿の自分は裾を折れ枝などにしょっちゅう引っ掛けてしまう。

 だが、足を止めるわけにもいかない。八方塞がりな現状を打開する為にはなんとしても情報が必要だ。

 元の月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)の姿に戻りするすると先を行く従者を見失わないよう、必死に脚を動かす。

 しかし。

 健気な努力を嘲笑うが如く、深い霧が立ち込め、同時に展開された大規模な結界がトリムマウとの繋がりを断ち切った。

 

「ッ!これは……」

 

 明らかな異変にグレイ共々立ち止まる。

 湖水地方は元々霧が立ち込める特色を持った土地だ。ゆえに濃霧が発生するのはそれほどおかしくないが、結界まで展開されるとなると話は違ってくる。

 これは人為的なものだ。

 それも私たちに対する明確な敵意を持った──―。

 

「ライネスさんッ!」

 

 ガキィ!と固い物がぶつかり合う音が響く。

 振り向けば、死神の鎌(グリム・リーパー)を振りかぶったグレイが人影と相対していた。

 そして理解した。私はこの人影に襲われ、グレイによって庇われたのだ。

 もしや真犯人が差し向けた刺客か?少なくとも本人ではないだろう……。襲撃者の正体を暴こうと目を凝らす。

 幸い、霧が薄くなってきた。これならば全容もすぐに明らかになろうというもの……ッ!?

 

「こ、これは……ッ!?」

自動人形(オートマタ)だと!」

 

 グレイはその姿に。私は意外な正体に。

 慄く私たちに、手を刃に換装した襲撃者(オートマタ)はカタカタと身体を震わせた。

 くそっ!何ということだ!グレイという心強い味方がいるとはいえ、トリムマウを失ったこの身は戦力外の足手纏いだ。

 しかも相手は自動人形(オートマタ)と来た。現代では戦闘可能な物は十七世紀以前の骨董品のみというのが定説だが、戦闘のプロであるグレイと打ち合えるということはまさしくソレであるのだろう。

 しかし、それにしては真新しい印象を受けるが……。

 敵に対する考察を重ねながら、グレイの邪魔にならぬよう後ろへ下がる。

 同時に、グレイが鎌を振り上げ敵へと吶喊を仕掛けた。

 一合、二合と鎌と刃がぶつかり合う。敵を切り殺さんと、弧を描く鎌と直線を記す刃が火花を散らす。

 グレイは培った戦闘技術と強化の魔術にて。自動人形(オートマタ)は逆関節などによる人形ならではの人間離れした駆動にて。

 それぞれの全力をもって、己の目的を遂行せんと武器を振るう。

 

「ぐぅッ!」

「グレイ!」

 

 しかし、疲労かはたまた実力差か。

 均衡を保っていた戦況も、徐々に自動人形(オートマタ)側へと傾いてしまう。

 目に見えて自動人形(オートマタ)の刃が鋭くなっていき、グレイは防戦一方となってしまったのだ。

 不味い、と打開策を思案し始める。元々グレイは対霊に特化した墓守だ。いかに高い戦闘技術を有していても、真の実力を十全に発揮できている訳ではない。

 今は辛うじて薄皮一枚の差で攻撃をいなせているが、このままではそう遠くないうちに目に見えるダメージを負うことになる。

 ならば、今私にできることは……彼女に新たな一手を打たせることだ!

 

 

 

 ◆

 

 

 

 狭霧からの襲撃者による鋭い刃をいなし、躱し、受け止める。

 己の命を刈り取らんと迫る攻撃を必死に迎撃する。

 それが今の自分に許された行動であった。

 

(このままでは、不味い……ッ!)

 

 今まで培った己の戦闘哲学が、一刻も早い状況打破を求める。

 一旦距離を取ろうか……いやそれはダメだ。下手に間合いを開ければライネスさんに向かうかもしれない。

 では周囲に漂う魔力を吸収して強化の度合いを上げる……それもダメだ。凶刃を振るってくる自動人形(オートマタ)がその隙を許してくれない。

 一体どうすれば……打開策を求め、必死に頭を回転させる。

 と、その隙を狙われたのか、自動人形(オートマタ)の攻撃速度が増し死神の鎌(グリム・リーパー)が大きく弾かれる。それによって齎される結果は、鎌に釣られて万歳してしまう自分。

 

「オイオイオイオイオイ!まじーぞこれはぁ!!」

 

 けたたましく叫ぶアッドの声がどこか他人事のように聞こえる。

 振り降ろされる凶刃が眼前に迫ってくる。もう数瞬すれば、間違いなく自分を切り裂くことだろう。

 しかし、天は自分を見放さなかった。

 横合いから魔力の塊が自動人形(オートマタ)を襲い吹き飛ばしたのだ。

 

「グレイ、今だ!」

 

 次いで、ライネスの声が聞こえる。魔力の塊は、おそらく彼女の横やりなのだろう。

 いや、今は考えている暇はない!

 

「アッド!」

「おうともさ!」

 

 アッドに搭載された魔力蒐集機構が作動し、周囲を漂う魔力を己がものに変換する。

 相手が霊ならばこれだけで勝負がつくのだが、魔力が定着している自動人形(オートマタ)ではそうもいかない。

 だが、無力化できずともこれで十分。

 身体強化をより増幅させ、倒すべき敵へと鎌を振るう!

 ガキィ!という音と共に自動人形(オートマタ)がのけぞる。

 反撃させる暇を与えず、お返しとばかりに鎌を振るう。

 先ほどとは立場が逆転し、今度は自動人形(オートマタ)が防戦一方となった。

 いける!と確信し力を込める。このままいけば遠からず致命的な一打を与えられるだろう。

 しかし、事態は急変する

 防戦一方だった自動人形(オートマタ)の顔が急に眼前に迫り、ガコンと大きく口が開かれたのだ。

 それは一手たりともミスが許されない戦闘では大きなミスであり致命的な隙であったが……。

 

(不味いッ!!)

 

 己の直感が最大級の警報を鳴り響かせる。素直に従い、のけぞるようにバク転で距離を取る。

 瞬間。

 自動人形(オートマタ)の口から、槍のようなモノが高速で飛び出してきたのだ。

 それはあたかも以前見た映画に出てきたエイリアンのインナーマウス*1のようで、当たればただではすまないことは容易に想像できた。

 まさかそんな隠し玉があったとは……。自動人形(オートマタ)という性質上、他にも隠された機能があるかもしれない。

 異変にすぐ対応できるよう、一挙手一投足を見逃さないよう細心の注意を払う。死神の鎌(グリム・リーパー)を握る手に力が入る。

 対して、自動人形(オートマタ)はというと、口のエモノを収納し身を低くして構えていた。

 そしてピキピキと身を震わせ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()となる。その様はまるで阿修羅像のようだ。

 あまりの変化具合に呆気にとられるが、地を這うように突撃してくる自動人形(オートマタ)に意識を引き戻される。

 下方から、アッパーカットのように刃が突き上げられる。

 寸でのところで躱すが、間髪入れず六本の刃がそれぞれ別方向から殺到する。

 統率された動きでもって襲い掛かってくる。

 三面六臂ならではの独自の戦闘法が、自分を徐々に追いつめていく。ただでさえ二本の刃で手こずったのに、六本に増えたなんて現実逃避したくなる。

 なんとか弾き、躱し、いなしていくが、防御行動だけでこちらの手番が消費されてしまう。

 ……でも、手がない訳でもない。打ち合って解ったが、自動人形(オートマタ)の材質は特別堅い物ではない。

 それならば、やりようがある!

 

「ハァッ!」

 

 渾身の力を込め、死神の鎌(グリム・リーパー)でもって刃を弾く。

 自動人形(オートマタ)の態勢が崩れるが、敵もさるもの。弾かれた際の運動エネルギーを利用して回転鋸の如く重ねられた六本の刃を振りかぶってくる。

 でも、それが狙い。

 攻撃の速度が増せば増すほど、刃にかかる衝撃は大きくなる。

 ならば合わせて渾身の一撃でカウンターすれば、武器破壊を狙えるはず!

 

(取った!)

 

 強化によって増幅した動体視力が、しっかりと鎌と刃の軌跡が重なることを確認する。

 狙い通り行けば、死神の鎌(グリム・リーパー)が刃を砕くことになるだろう。

 しかし。

 ぶつかる直前となって、刃は予想外の動きを見せた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして、食虫植物の如く鎌に絡みつく。

 その結果どうなるか。

 死神の鎌(グリム・リーパー)は空振るどころか、自動人形(オートマタ)の力を加えられ投げ飛ばされてしまうのだ。

 

「ぐぅぅ!」

 

 手に力を込め、手放すことだけはなんとか阻止するも、鎌に込められた運動エネルギーは完全に殺せない。

 大型犬に引っ張られる子どものように、鎌につられて木に激突してしまう。

 とっさに受け身を取ったが、ダメージは免れない。運悪く頭を打ったようで、視界がぐにゃぐにゃ歪んでしまう。

 ……ああ、自動人形(オートマタ)が近づいてくるのが解る。拙の命を刈り取ろうと刃を振り上げるのが見える。ライネスさんが阻止しようと魔弾を撃っているが、余った刃で全て弾き飛ばしている。

 ……早く、早く体勢を立て直さないと。幸い死神の鎌(グリム・リーパー)を握る感触ははっきりと感じられる。

 ここで私が倒れたら、誰がライネスさんを守るというのだ!

 カッと目を見開き、舌を噛むことで朦朧とした意識に活を入れる。

 そして握った死神の鎌(グリム・リーパー)を持ち上げ、眼前の敵に振るおうとして──―。

 

 明後日の方向に顔を向ける自動人形(オートマタ)が目に入る。

 

「え……?」

 

 先ほどまで自動人形(オートマタ)に満ち満ちていた殺気が霧散している。もはや敵意はないと、六本の刃を下ろしている。

 これは一体どういうことか……。この敵は、真犯人が差し向けた刺客ではないのか?

 疑問が脳内を支配する。もし相手が喋られるなら、迷わず自分は質問していたことだろう。

 あまりの急展開に思わずライネスさん共々呆けていると、自動人形(オートマタ)はぐっと膝を折り曲げ、一気に木の枝にまで跳び上がる。

 そして枝から枝へと飛び移り、霧の中へと消えていった。

 

「グレイ!」

 

 ライネスさんが駆け寄ってくる。

 

「大丈夫か?」

「はい、拙は大丈夫です。それより、早く追わないと……!」

「ッ!そうだったな」

 

 ライネスさんは立ち上がると、懐からアメジスト付きの鎖を取り出し詠唱を一言。

 

「──―調えよ(adjust)

 

 すると、ピクリと鎖がある一方向に反応を示した。どうやらそれはダウジングのような働きをするようだ。

 そしてライネスさんは手応えを感じたのか、さらに詠唱を重ねる。

 

さあ、(Thou,)汝の先触れを曝せ(betray your sign)!」

 

 すると前方の霧が大きく揺れ、一気に視界が開けた。

 魔術に鈍い自分でも解る。拙たちを閉じ込めていた結界の効力が大幅に弱まり、突破可能になったのだ。

 

「急ぐぞグレイ!」

 

 駆け出すライネスさんに続き、自分も走り出す。

 一体トリムマウさんはどこまで行ってしまったのか……。それほど遠くに行ってなければいいけど。

 先行き見えない不安に駆られるが、強化された視覚が泉のほとりに佇む銀色の人型を捉える。

 間違いない、あれはトリムマウさんだ!

 不幸中の幸いだろうか。見失ったにも関わらず、彼女とそれほど距離は離れていなかったようだ。

 安心から息を吐き、ライネスさんに朗報を伝えようと口を開いて……ある違和感に気づく。

 違和感の元は彼女の右手の色だ。

 銀色のはずのその手は、アカイロに染まっていた。

 アカイロ……赤色。つまり血の色。

 先ほどの戦闘の熱が治まっていないのか、嫌な予感に苛まれる。

 いいや、そんなはずはない。きっと移動中に果実か何かで着色されてしまったのだろう。

 脳内で必死に言い訳を繰り返すうちに、ついに全容を掴める位置まで辿り着く。

 辿り着いてしまう。

 

「……そん……な……」

 

 そして、現実という名の真実に打ちのめされる。

 右手を血に染めたトリムマウさんの足元には、黄金姫と白銀姫お付きのメイドの片割れが死体となって浮かんでいた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「……どうやら間に合ったようだな」

 

 白銀姫の部屋にて、瞳を閉じたままアルスはエステラへと声をかける。

 

「では、マイオは……」

「無事逃走成功だ。ちゃちな偽装工作を始めたことには驚いたが、どうやら上手く嵌まったようだ」

「よかった……」

 

 エステラはホッと一息吐く。

 しかし、安心するのはまだ早いと言わんばかりにアルスが疑問を投げかける。

 

「だが、これからどうするつもりだ?共に逃げるはずだったカリーナは死んだ。そして君たちは殺人犯であるマイオを()()と決めた。これでは逃亡なぞできるはずもない」

「……解っています。でも、カリーナは今際の際に確かにレジーナへと伝えたんです。『マイオを助けて』と」

「……そうか。まあ、止めはしないさ。だが、俺にできるのは見て見ぬフリをするだけだ。庇い立ては契約に含まれていないからな」

「構いません。()()()だけでも望外の僥倖ですから」

 

 エステラの声に呼応するかのように、ガタンと天窓に何かが飛び付く。

 それは自動人形(オートマタ)だった。

 戦闘によって幾分か汚れた身体を関節外しなどで変形させ、狭い天窓から入室し二人の傍へと着地する。

 

「カリーナさんには何度か世話になったからな。そのお礼だよこれは」

 

 アルスは目を開けると自動人形(オートマタ)に向けさっと手を振り、汚れを綺麗さっぱり消し去る。その際床に付着した汚れも見逃さない。

 

「──―おっと、橙子からお呼びがかかった。すまないな、俺はもう行く」

 

 では。とアルスが退室する。

 部屋に残るのは、エステラと自動人形(オートマタ)。ひとりと一体。

 

「私も、覚悟を決めなくてはいけませんね……」

 

 自動人形(オートマタ)に触れながら、白銀姫は呟く。

 

「その時は、お願いいたしますね」

 

 誓いにも似たお願いに、自動人形(オートマタ)は無言を貫くのみだった。

 

*1
エイリアンの口から飛び出してくる小さなもう一つの口。これで捕食したりプレデターの頭吹っ飛ばしたりする。




次回、ようやくⅡ世を出せます。

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双貌塔イゼルマ:9

投稿が遅れて申し訳ありません!
この時期いろいろと忙しく、執筆にあまり時間が取れませんでいた。
許してください、何でもしますから!


 鬱蒼と茂った森の中を、赤い女魔術師が闊歩する。

 

「すまない、遅れた」

 

 そこへ、蒼い魔術師が颯爽と現れる。

 いわずもがな、蒼崎橙子とその使い魔アルスだ。

 

「遅い。今までどこをほっつき歩いていた」

「ちょいと野暮用でな」

「済ませてきたのか?」

「進行中だ」

「なら手早く終わらせることだ」

 

 軽口を叩きながら、赤蒼の主従は歩を進める。

 すると、前方から三つの人影がやってくる。

 幸い、正体はすぐに判明した。バイロン卿にメイドのレジーナ、加えてイラノイだ。

 

「おやバイロン卿に先生まで。お二人も魔力を感じて?」

「その通りだ」

「で、背後のソレは?」

 

 橙子の視線の先、そこにはイノライによって拘束されたトリムマウ──―月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)が宙に浮かんでいる。

 

「新たな殺人事件が発生したんだ、ミス・アオザキ。これは──―」

 

 そして、二人はバイロン卿から月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)を拘束されるに至る経緯を説明される。

 おかしな魔力の気配を感じレジーナをお供に泉へと向かったこと、道中同じ気配を捉えたイノライと偶然合流したこと、現場に到着すると文字通り血で手を汚した月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)がいたこと、その足元には殺害されたカリーナがいたこと、イノライが砂絵で拘束したこと、そして……エルメロイ派の援軍として合流したロード・エルメロイⅡ世が事件を預かったこと。

 一通り聞き終え、月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)の預かり契約を証文で交わしたことに橙子が笑っていると、イノライが口を挟んだ。

 

「取り決めもついさっき決まったことだ。まだ現場にいるだろうから、興味があるなら行ってみな」

「そうします。噂のロードも気になりますし」

 

 行くぞ、と使い魔を引き連れ人形師は泉へと向かう。

 現場はバイロン卿たちと出会った地点からそれほど遠くはなかった。僅かな湿気の高まりを感じると共に、三つの人影が霧に映る。大ひとつに小ふたつ。

 身長から察するに、小は昨日パーティーで出会った二人組で、大は件のロードなのだろう。

 確信ともいえる予想を立てながら、赤蒼の主従は歩を進める。そして森を抜け泉の畔に辿り着くと、そこには予想通りライネスとグレイ、そしてコートを羽織った長身痩躯の魔術師──―ロード・エルメロイⅡ世がいた。

 

「おやおや、おっとり刀で来てみれば面白いやつが舞台に上がってるじゃないか」

 

 予期せぬ特別出演(スペシャルサンクス)に口角を上げる橙子。

 対し、赤蒼の主従を目にしたⅡ世はというと、ありえないモノを見たと言わんばかりに目を見開きボソリと呟く。

 

「あなたたちは……固定しているのか」

「おいおい、第一声がそれか……やめろアルス、手を下ろすんだ」

 

 一目で秘密を見抜くⅡ世に向け威嚇する使い魔を窘め、人形師は胸元に引っ掛けてある眼鏡を装着する。

 

「初めましてロード・エルメロイⅡ世。お会いできて光栄です。蒼崎と言えば解るかしら」

「……トウコ・アオザキ……ではあなたがアルス・キュノアスか」

「ただのアルスで結構だ。今の俺は橙子の使い魔でしかないからな」

「ではそのように」

 

 色位(ブランド)の魔術師が冠位(グランド)魔術師の使い魔をしている。

 Ⅱ世は内心頭を抱えると同時に封印指定執行者たちに同情してしまう。RPGの最終戦、裏ボスがラスボスを従えて出てきたようなものだ。

 

「さっきバイロン卿とすれ違った際に訊いたのだけど、この事件あなたが預かるんですって?」

「そのつもりです。非才の身ではありますが解決に微力を尽くすつもりです」

「……へぇ、意外と挑戦者気質なのはエルメロイの伝統なのかしら」

 

 ピクリ、と橙子の言葉にグレイの眉が顰められる。

 

「……初対面では?」

「面識があったのは先代の方よ。縁あって彼の義手を用立てたことがありまして」

「それは……第四次聖杯戦争の……」

「あら、ご存じなのね」

「では、あなたもあの戦争に……」

「いえ、直接参加していた訳ではないわ。Ⅱ世ときちんと顔を合わせるのもこれが初めて。代金の支払いだけはⅡ世にしてもらいましたけどね」

「……そうでしたな」

 

 Ⅱ世が小さく咳払いする。どうやら苦い思い出のようだ。

 

「封印指定を執行停止されたと聞きましたが」

「それもいつまで持つのやら。こちらとしましては、いい加減諦めてほしいんですけどね。おちおち故郷(いえ)にも帰れやしない」

 

 言って、苦笑する橙子にグレイは目を見開く。

 蒼崎橙子。ライネスから訊いた話によれば彼女は決して()()()魔術師ではない。敵に慈悲など見せず、徹底的な破壊をもって応える冠位魔術師。

 そんな彼女が、()()のような微笑を浮かべるとは露ほど思いもしなかった。

 

「ともあれお会いできて嬉しいわ、ロード・エルメロイⅡ世。あなたがこの事件をどう解決するか、特等席で観覧させてもらうわ」

 

 橙子は踵を返すと、アルスを引き連れ森の中へと消えていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 白銀姫お付きのメイドであるレジーナは、ひとり廊下を歩いていた。その顔は普段通りの無表情に見えるが、彼女と親しい者ならば若干の焦りを感じ取れることだろう。

 その焦りの元……ロード・エルメロイⅡ世の顔が彼女の脳裏にちらつく。

 ほぼ詰みの盤面に待ったをかけた現代魔術科(ノーリッジ)君主(ロード)

 イゼルマの術式をいとも簡単に解体する緻密な頭脳に、バイロン卿に要求を通す交渉術。

 彼ならば、盤面をひっくり返すことが可能かもしれない……いや、やってのけるだろう。世界一の名探偵シャーロック・ホームズのように、僅かな手がかりから真相まで辿り着く能力を持っていると確信できる。

 ならば、私たちが取る行動はひとつ。

 危険な要素は排除するに限るのだ。

 目的の人物がいる部屋に辿り着く。ひとつ大きく深呼吸し、覚悟を決めてノックする。

 コンコンコン。

 室内の人間に来訪者を告げる音が響く。レジーナはじっと反応を待つ。急かすような真似はしない。

 そして、五秒か十秒か。レジーナにとっては一日千秋な数秒間の末、ガチャリと扉が開かれる。

 

「おや、レジーナさん。どのような用件で?」

 

 扉の向こうには、蒼髪の偉丈夫──―アルスが立っていた。

 そう、彼女が目指していた部屋とは、一か月前からイゼルマ家に滞在している蒼崎橙子とアルスの部屋だ。

 

「ミス・アオザキはいらっしゃいますか?」

「ああ、いるぞ」

 

 アルスは視線を背後に向ける。そこには、イゼルマ家にて保管されていた映写機でもってナニカを鑑賞している蒼崎橙子が煙草を吹かしていた。

 

「では、お取次ぎをお願いしてもよろしいでしょうか?」

「依頼か何かか?……解った。橙子、お客様だぞ」

 

 コクリと頷くメイドを連れ、使い魔は主に客を取り次ぐ。

 

「……ああ、君か。今更私たちに何の用だね?」

 

 橙子は眼鏡を外すと、予期せぬ来訪者に質問する。その瞳は冷たく鋭く、下手な質問は許さないと言わんばかりだ。

 

「……私は、犯人ではありません」

 

 まずは、自らの立場を明確にする。決してあなたたちを害する為にやってきた訳ではないと言外に宣言する。

 

「そんなことはどうでもいいさ。犯人捜しなぞどうでもいいし、政争だって興味はない。……それで、今更何を依頼するつもりだ?」

「エルメロイ一派の排除を。報酬は黄金姫の美の正体について」

 

 ほう、と橙子は感嘆する。イゼルマの秘奥を、お付きとはいえ一介のメイドが明かす。明らかに当主のバイロン卿への背信行為であり、この件が露呈すればレジーナに待っている結末は『死』しかないことは明白だ。

 それを理解しながらも、彼女は蒼崎橙子に依頼を持ち掛けた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 チラリ、とレジーナはアルスに視線を向ける。

 白銀姫エステラの逃亡計画に加担している彼には、事前にバイロン卿が蒼崎橙子への依頼内容を説明してある。本物の黄金姫が死亡しているという事実を外部に漏らさない為に、マイオ特性の記憶阻害薬を施術中に服用するという条件もだ。

 ゆえに、バイロン卿がディアドラに施した術式の全容を把握していないレジーナでも、この取引を成立させることができる。

 ただひとつ問題点がある。明らかに詐欺一歩手前の取引に、アルスが待ったをかけるかどうかだ。先述したとおり、彼は黄金姫の秘密を知っている。彼が一言でも口を挟めば、この計画はおじゃんとなってしまう。

 ドクン、ドクン、と心臓が鳴り響く。レジーナの心拍は緊張からか速くなり、喉はカラカラに乾く。

 お願いします、どうか見逃して……。

 ポーカーフェイスを必死に維持しつつ、レジーナは心の底から神に祈った。

 

「ほう、ずいぶん張り込むじゃないか」

 

 祈りが通じたのか、アルスが横やりを入れる前に橙子が口を開いた。どうやら彼はエステラに宣言したとおり、見て見ぬフリをしてくれるようだ。

 

「その報酬なら、事情の説明はいらないな。──―よかろう、私たちはロード・エルメロイⅡ世の敵となろう」

 

 夕飯のおつかいを了承するが如く、蒼崎橙子はひどく軽い調子で依頼を請け負った。

 

「だが、タイミングはこちらの好きにさせてもらうよ。なーに、安心したまえ。準備が済めばすぐに出陣してやるとも」

 

 ヒラヒラと手を振る橙子にレジーナはお辞儀する。内心軽い罪悪感を覚えながらも、ホッと一息つきたい気持ちを抑え込む。

 

「では、失礼いたします」

 

 もう一度お辞儀し、レジーナは部屋から退室する。扉を閉める直前、こちらを見つめるアルスと目が合い……ぶるりと背筋に氷柱が差し込まれた感覚を覚える。

 何故なら、彼の視線はひどく冷たいものだったからだ。金縛りにあったかのように身動きが取れなくなるレジーナに、アルスはゆっくりと口を動かす。

 

『二度目はないぞ』

 

 唇の動きだけでもって釘を刺す。どうやら見て見ぬフリはするものの、主に対する詐称は彼の許容範囲ギリギリだったようだ。

 レジーナは震える手を必死で抑えながら、メイドの矜持でもって音もなく扉を閉める。同時に、身体に押し込めていた汗がどっと噴き出してしまう。

 逃げるように部屋から離れながら、レジーナは酸素を求めて呼吸する。一世一代の大博打を成功させた彼女の身体に、鉛のような疲労感がどっとのしかかる。

 レジーナはこの一か月間、彼とは良好な関係を築いてきたと思っていた。紅茶を愛する同好の士として、友人になったと言ってもいい。

 だが、それすらも一顧だにしないほどの、蒼崎橙子への忠誠心。

 もし彼女が殺せと一言命じれば、彼は躊躇なく私の命を奪うだろう。

 レジーナは確信ともいえる奇妙な共有感(シンパシー)を感じながら、主であるエステラの下へと急ぐのであった。

 

 




ようやくⅡ世を出せました。
FGOではお世話になってます!!

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双貌塔イゼルマ:10

ついに!ついに評価バーが全部真っ赤になりました!
これも応援してくださる読者様たちのお陰です!!本当にありがとうございます!!


 空に暗雲が立ち込め、ズガンと大きく雷鳴が鳴り響く。

 天候魔術による雷撃。標的はエルメロイ一派だったが、明確なイゼルマに対する侵略行為だ。

 

「おーおーおーおー。湖水地方とはいえ人様の領地でこれほどの天候魔術を行使するとは、師匠も面白いやつを使ったもんだ」

 

 その様子を、俺は使い魔の視点でもって上空から俯瞰する。真鍮製の身体に紅玉(ルビー)の瞳を持つ鳥型の使い魔だ。

 以前橙子が針金のみで製作した使い魔を使役する魔術師がいると聞き興が乗って製作したものだが、凝り性な彼女は単一機能(シンプル)な使い魔は作っていて『楽しくない』とのこと。

 結局一機作った時点で熱が冷めてしまった代物だ。

 

「で、いつ出発するつもりだ?襲撃者はすぐに領地に侵入するだろうし、バイロン卿も防衛機構を発動させ迎撃に向かった。遅かれ早かれ戦闘が起こるぞ」

「そうだな……。決着が着いた後でも遅くないが、混乱に乗じる方が楽だろう。幸い、エルメロイ教室の援軍はⅡ世から離れたようだしな」

 

 橙子の発言通り、使い魔を通して送られてくる映像からは森へと疾走するお調子者な少年と、それを追いかける狼のような少年が映っていた。どうやらバイロン卿と襲撃者による戦闘に介入するつもりらしい。

 

「よし、決めた。まずは各個撃破と行こう。まずはあの少年二人からだ」

「りょーかい」

 

 クローゼットから赤橙と蒼色、二つのコートを取り出し片方を橙子に渡す。

 そして無造作に床に置かれた茶色の大きな鞄を持ち、戦場に向かうべく部屋から退室した。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 イゼルマへと侵攻した褐色肌に原始電池を持つ中東出身の魔術師、アトラム・ガリアスタに向け、エルメロイ教室の双璧のひとり、スヴィン・グラシュエートは疾走する。獣性魔術で持って魔力を人狼のカタチへと変質させ、通常の強化魔術とは一線を画する効能でもってアトラムに向け爪を振りかぶる。

 無防備に喰らえばひとたまりもない、一撃でもって命を刈り取らんとする凶爪。アトラムは怯むこともなく、その手に持つ原始電池を向けた。

 

猛れ(ガッシュアウト)

 

 魔術回路を起動する合言葉と共に、落雷にも匹敵するであろう電撃がスヴェンへと放たれる。ツンと鼻につくオゾン臭を撒き散らしながら、敵対者を屠らんと黄色の閃光が空気を引き裂く。

 いくら人狼と変わりない肉体を身に纏おうとも、これまた無防備に喰らえば昏倒は免れない一撃。

 魔力の籠った電撃に対し、スヴィンは大きく息を吸い込み、指向性を持たせた咆哮を放った。

 ただの声と侮るなかれ。ガリアスタの放った電撃同様、魔力の籠った咆哮は耳だけでなく身体まで犯す呪いと成りうる。威力は段違いだが、ライネスが自動人形(オートマタ)にぶつけた魔力弾のようなものだ。

 アトラムとスヴィン。全力とは程遠いが、本気の一撃がぶつかる。電撃と咆哮が拮抗し、余波が周囲の環境を蹂躙する。

 

 その様子を、場外から眺める(まなこ)が四つ。

 

「おいおい、ちと大袈裟過ぎやしないか?」

「確かにな。現代の魔術師にしては規模が大きい」

 

 蒼崎橙子とアルスだ。彼女たちは今から戦場に踏み込まんとする魔術師だが、その足取りは軽やかであり、まるで散歩にでも行くかのようだ。

 

「しかし、ガリアスタの当主は面白い術式を使うな。部下を自らの魔術回路に見立てるとは……日本にしろ中東にしろ、時計塔と距離を置いてる魔術師は似たような進化を遂げるのか?」

「考察は後にしなさい。あの褐色くんも良い線いってるけど、事戦闘においては狼坊やが一枚上手。じき均衡は崩れるわ」

「楽はできないか……。じゃあ牽制入れるから、前口上頼んだぞ」

 

 今まさにアトラムが張った電撃網を打ち破ろうとするスヴェンに向け、アルスは虚空へと指を走らせルーンを刻む。

 瞬間、力持った言葉は現実世界を改変し、目に見えぬ衝撃でもって電撃網ごと幻狼を吹き飛ばした。

 

「横やり失礼、ガリアスタの当主。ちょいとあの狼坊やたちに用があってね」

 

 戦闘を無理やり中断させ、颯爽と両者の間に割り込む蒼崎橙子とアルスを視認したスヴィンとアトラムは目を剥いた。

 直接会ったことはない。しかし、知識として頭に入れていた。

 何故、この場に蒼崎橙子とアルス・キュノアスがいる……ッ!?

 

「悪いねエルメロイ教室。依頼によって、私たちは君たちの敵に回ることにした」

 

 アトラム側に立ち、スヴィンへと相対する赤蒼の主従。

 厄介な敵が現れたと歯噛みするスヴィンに対し、少し離れた場所にいたフラットが、アルスが足で何らかの魔術を行使しようとしているのに気がついた。

 

「ル・シアンくん!」

 

 友の危機に、両手を突き出し術式への介入を始めるフラット。先ほどガリアスタの私兵にやったように術式効果を反転させダメージを与えようとする……が、彼が感じたのは手応えではなく自身を吹き飛ばす衝撃だった。

 

「な、なにが……?」

 

 フラットは雨によってぬかるんだ地面に尻餅をつきながら呆然とする。

 

「さっきガリアスタの私兵にやってた介入術式だろ?あれだけ連発していれば術式の『おこり』くらい簡単に判別できる。加えて俺は術式の『早さ』には自信があってね。君が術式を弄る前に発動できるのさ」

 

 ニヤリと笑うアルスの足元へ視線を向ける。そこには魔力光を発する力ある言葉──―ルーン文字が刻まれていた。

 なるほど、ルーンなら自身が介入する前に術式を発動させることも可能だろう。

 アルスが付き従っている蒼崎橙子により再生されたルーンの魔術基盤は権利ごと時計塔に売り払われ、時計塔所属の魔術師に広く周知されるようなった為、自身も基礎的な部分なら理解も行使もできる。ゆえに一工程(シングルアクション)で発動できるルーンは、一番労力のかかる『刻む』という工程をクリアできれば介入する間もなく発動できるだろう。

 そして、アルスの異常性も理解できた。魔力を込め、正しいカタチで刻むことによって成立させるルーンを()()()()()()()()()()で刻む。

 エルメロイ教室の友人にルーンを専攻している男がいるが、彼でも真似できない芸当だろう。アルス・キュノアスの家伝魔術『省略』が成せる業と推測できる。

 そこまで思考したフラットは、反射的に次に起こす行動(アクション)を実行した。

 

「うん、これは無理だ!逃げようル・シアンくん!」

「はぁ!?」

 

 敵前逃亡する同期にスヴィンは驚愕し、諫めようと振り向く。

 しかし、目線の先にいたのは脇目も振らず逃げ出すフラットではなく、彼をそっくりコピーした影人形であった。

 

「逃げようル・シアンくん!」「逃げようル・シアンくん!」「逃げようル・シアンくん!」「逃げようル・シアンくん!」「逃げようル・シアンくん!」「逃げようル・シアンくん!」「逃げようル・シアンくん!」「逃げようル・シアンくん!」「逃げようル・シアンくん!」

 

 壊れたレコード機のように延々と同じ台詞を繰り返す影人形は、創造主の思惑通り敵(ついでに味方であるスヴィン)を釘付けにした。アトラム・ガリアスタは唖然とし、蒼崎橙子は苦笑し、アルスは興味深そうに影人形を観察する。

 

「ふむ、自らの影を転写して身代わりに仕立て上げたのか。元ネタはドイツの田舎辺りか?……しかし、面白いやり方だな。魔術を行使するたび即興で基盤を組み上げるとは……、一からCPUを設計するようなものだぞ。普通は不発するものだが……全く、エルメロイは面白い生徒を育てているな」

 

 今度食事にでも誘ってみるか、と暢気に呟く。

 

「で、どうする橙子。金髪坊主が逃げちまったが、追いかけるか?」

「無論だ。ひとりたりとも逃がすつもりはない。金髪坊やには使い魔で追跡をかけさせているから、アルスはあの狼坊やを頼んだぞ。……ああ、あんたは好きにバイロン卿と交渉するといい」

 

 アトラムに一言告げると、橙子は強化した脚力でもって森へと飛び込む。

 

「ッ!待てッ!!」

 

 慌てた様子でスヴィンが阻止する為飛び掛かる。しかし、横合いから先ほどとは全く別種の衝撃に襲われ弾き飛ばされてしまう。魔力で編んだ人狼体が剥がされ、地面を二度三度バウンドし、ようやく体勢を立て直したスヴィンは、下手人であるアルスの姿を視認し自らを襲った衝撃の正体を知る。

 彼は鈍色の手甲を装着し、ルーンの円環に覆われた右腕を突き出していた。つまり、単純な右ストレートである。

 その事実にスヴィンは戦慄する。いくら強化された身体能力があるとはいえ、獣性魔術によって人狼の力を模した己を吹き飛ばせるとは到底思えない。

 一体どんな絡繰りが……と思案していると、強化された視力が右腕を覆うルーンの円環の詳細をつまびらかにする。

 硬化(アルギズ)強化(テイワズ)加速(ライゾー)相乗(イングス)……他にも見たことのない複数のルーンによって、円環は構成されていた。

 なるほど、単なる強化だけでなくルーンも併用したのであればあの馬鹿げた威力に納得がいく。

 

「友人の忠告に従うべきではないかね?」

「はっ、あいつに従うくらいなら死んだ方がマシだ」

「言うねぇ」

 

 再度人狼の身体を身に纏いながら吐き棄てるスヴィンに、アルスはヒュウと口笛を吹く。

 

「でも、無理はよくないな。今の一撃で実力差は把握できたはずだ」

 

 ある種侮辱とも取れる気遣いにスヴィンは歯噛みする。確かに、たった一撃で獣性魔術を剥がした相手に太刀打ちできると自惚れるほど自分は馬鹿ではない。自身の生存を第一に考えるのであれば、逃走一択だ。

 しかし、その選択肢だけは受け入れられない。フラットに従うのがしゃくだというのもあるが、今自分を突き動かしている一番の理由は『先生(II世)を助ける』こと。即ち、II世とグレイを喜ばせること。

 その為ならば、『コレクター殺し』なぞ何するものぞ!

 

「……仕方ない。軽く撫でてやるから、来なさい」

 

 くいくい、と手招きするアルスに対し、スヴィンは獣性魔術を発動し身を低く構える。

 そして強化された脚力でもって地面を爆発させながら、『コレクター殺し』への突撃を敢行した。

 




次回、アルスvsスヴィン。

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双貌塔イゼルマ:11

皆さんは現在アニメイトがTYPE-MOONフェアを開催していることはご存じですか?
「TYPE-MOON」関連の書籍・キャラクターグッズ・CD・Blu-ray・DVD・ゲームをご購入1点毎、またはご予約(内金1,000円〈税込〉以上必須)1点毎に、「A.B-T.C【アニメイトブックトレーディングカード】(全21種)」がランダムで1枚プレゼントされます。
私はもちろん参加しました。漫画など合計11冊購入しました。
だって橙子さんのカードがありましたからね!!(ついでに式のカードも手に入れました)


 脇目も振らず、敵へと特攻する。

 獣性魔術によって大幅に身体能力を上げたスヴィンにとって、この戦法はとても理に適ったものだった。事実、ガリアスタの私兵との戦闘では反撃も許さず制圧することができた。

 しかし、今回の敵はアルス。かの冠位(グランド)の使い魔にして色位(ブランド)の魔術師、世界が違えば二十七祖にも数えられるであろう上級死徒を単独討伐した『コレクター殺し』。

 魔術のみならず近接格闘術にも秀でた彼に対しては、自殺行為も甚だしい行為だ。

 故に、スヴィンはアルスへとあと五メートルに差し掛かった時点である選択をする。

 

 直角に曲がり、アトラスへと飛び掛かったのだ。

 

 アルスの言う通り、スヴィンは実力差というものを正確に把握していた。自身に感づかれることなく接近するスピードにルーンによって増幅された圧倒的なパワー。現時点では逆立ちしたって敵う相手ではない。

 だから、標的を変更する。

 バイロン卿を狙うアトラム・ガリアスタを倒せば、月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)を返してもらえるはず。

 第一目標を達成するために、アルスを倒す必要はない!

 

「おっと、君の相手は俺だ」

 

 しかし。

 その目論見は足元の地面に出現したルーンが爆ぜることにより阻止されてしまう。

 虚を突かれた形で爆発を喰らい、面喰うスヴィン。

 自分が攻撃対象を変更してからルーンを刻んだのか!?それともあらかじめ己の行動を予測し罠として仕掛けていたのか!?

 どちらにせよルーンを刻んだ瞬間を捉えられなかった自分には不可避の攻撃であった。

 だが幸いなことに、威力はそれほどでもなく幻狼体にススを付ける程度だった。

 ……が、スヴィンは続けて自身を締め付ける感触を覚えることにより、アルスの攻撃が終わっていないことに気が付く。

『束縛』を意味するルーンにより円環が自身を腕ごと拘束し、地面に縫い付けてあったのだ。おそらくルーン爆破で目晦ましした瞬間に刻んだのだろう。

 

「さて、まだやるかね狼坊主?」

「……当り前だ」

 

 暢気に煙草を吹かしながら質問するアルスに、スヴィンはねめつけながら返答する。

 これくらいで勝ったつもりなのか。

 俺はまだまだやれるぞ。

 全身の毛を逆立て、敵を食い千切らんと戦意高揚させる。

 

「確かにあんたは強い。今の俺じゃあ逆立ちしたって勝てない。けどなぁ……」

 

 ミシミシミシと円環が異音を発する。

 自らを侮る使い魔に一矢報わんと、屈辱感を力に変換し束縛を引き千切らんとする。

 

 さて、ここでひとつ疑問を呈したい。

 いくら獣性魔術によって人狼の力を身に纏っているとはいえ、戦闘特化の色位(ブランド)魔術師の拘束魔術をスヴィンは破ることができるのか?

 解答を一足飛びに提示することは簡単だが、その前にスヴィン独特の体質について説明しよう。

 スヴィン・グラシュエート。エルメロイ教室最古参にして最右翼。

 獣性魔術を扱う彼の身体は、術式に引っ張られる形で変質している。嗅覚は体臭どころか魔術の匂いまで嗅ぎ分けることができ、怒鳴り声は魔力がこもった咆哮になり、殺意を込めた指を指すだけでガンドのような呪いを発射する。もはや人間のカテゴリに収まりきらず、魔獣に片足を突っ込んでいると言えよう。

 そんな彼が獣性魔術を発揮するとどうなるかは明白だ。

 嗅覚はさらに研ぎ澄まされ、咆哮すればその音圧だけで魔術式は霧散し、攻撃には必然的に呪いが付与されることになる。

 そんな神秘の塊が、全力で魔術に抗うとどうなるか。

 その結果が解答であり、スヴィンが指した新たな一手である。

 

「意地があるんだよ男の子にはなぁ!」

 

 ルーン魔術による束縛を引き千切り、全身全霊でもって突進する!

 今度こそアルスに向けたものであり、後先考えていない全力の一撃。

 倒せるなんて思っちゃいない。だが今の俺が持つ質量と膂力ならば、はるか遠くへ吹き飛ばせるはず。

 敵との距離、わずか五メートル。いくら一工程(シングルアクション)で展開速度に秀でたルーン魔術とはいえ、この距離ならば俺の方が速い。

 確信と共に、両腕を振り上げる!

 

「……悪くない。スピードは余すことなく威力へと変換されている。倒すことに固執せず、強制的に距離を取らせアトラムを狙う判断も良い」

 

 しかし、それでも。

 

「俺を吹き飛ばすには、まだまだ足りなかったな」

 

 渾身のアッパーは、アルスの両腕によって受け止められてしまった。

 あまりの異常事態に、スヴィンは混乱してしまう。

 何故だ。いくら身体能力を強化したとはいえ、物理法則を鑑みれば質量の小さい方が動くのは確実なはず。

 アルスの全身を見ても彼をその場に固定するような支えは見当たらず、両足はしっかり踏ん張られているのか地面に沈み──―待て、沈んでいるだと?踏みしめられているのではなく?

 僅かな違和感をを見逃さなかった灰色の脳細胞が、アルスの礼装を視認するよう指令を出す。

 そこには以前と変わらずルーンによる円環が展開されている……が、構成が僅かに変化していることにスヴィンは気が付いた。

 新たなルーンが追加されていたのだ。

 そのルーンとは『スリサズ』。巨人を意味するルーンであり、先ほどの違和感と統合して察するに彼の体重は劇的に増加していることだろう。

 なるほど、これは吹き飛ばせないはずだ。小人がガリバーを拘束できないように、大きすぎるモノに干渉できないのは道理だ。

 

「さて、わざわざ俺の領域(エリア)に入ってくれたんだ。覚悟はできているだろうな?」

 

 ニヤリと笑うと、彼の右手がスヴィンの胸へと押し付けられる。すると、先ほど拘束された時とは比べ物にならない重圧が全身に襲い掛かってきた。胸に視線を向けると、そこには束縛のルーンが刻まれていた。

 即座に抵抗を試みるが、金縛りに遭ったようにピクリとも動けない。全力で抵抗するが、解除するまで数十秒はかかるだろう。虚空に刻まれたものとは違い、直接刻まれたものはこうも強力なものなのか。

 ……いや、それも理由のひとつだろうが、一番は術者が桁外れなのが理由だろう。

 諦めの境地と共に、スヴィンは己の鼻が察知したアルスの新たな一手に視線を向ける。

 そこには『ナウシズ』『イェーラ』『ウルズ』。作成を意味するルーン文字が刻まれており、それらを起点として新たなルーン文字が次々と己を囲うように生まれていく。

 つまり、アルスのルーン魔術はルーン文字にルーン文字を創らせる自動化(オートメーション)に成功したのだ。

 

「すまんな狼坊主。余裕があればもう少し付き合えたんだが、これで終わりだ」

 

 いつの間にか咥えられた煙草に、アルスはジッポで火を点ける。

 同時にルーン文字が一斉に起爆し、スヴィンの意識は闇の彼方へと吹き飛ばされてしまった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

(うあああああああ!ヤバイよヤバイよ!)

 

 以前テレビでチラッと見かけた東洋人のコメディアンの口癖を内心吐き出しながら、フラット・エスカルドスは森林を必死に走る。

 遠隔操作していた影人形は既に消えている。現場にいたスヴィンは気が付かなかったが、目晦ましのルーン爆破と同時に太陽のルーンを刻まれ消されてしまったのだ。

 ゆえに、フラットは知らない。

 

「あぁ、ル・シアンくん大丈夫かなぁ」

 

 彼にしては珍しく、至極真面目な弱音交じりの心配が現実のものとなっていることに。

 

『いやいや、そこは仲間の心配をするところじゃないだろう?』

 

 そして、どこからか聞き覚えのある声が響いたことにより──―

 

『何しろ君も逃げ切った訳じゃないからな』

 

 自分が冠位魔術師の魔の手に絡めとられたことを察した。

 

「うわっ!?何これぇ!?!?」

 

 木々の隙間から、自身を大きく上回るサイズの黒猫が出現する。まるでイラストをそのまま三次元に持ってきたかのような、のっぺりとした二次元的な黒猫だ。

 今まで幾度と使い魔を見る機会があったフラットだったが、こんなカタチのものは初見であった。

 

「こっ、このっ!」

 

 強化を増幅させ速度を上げながら、呪文を唱え黒猫へと術式を投げつける。

 炎、雷、氷、嵐……バラエティ豊かな攻撃が黒猫へと殺到する。

 しかし、結果はフラットが期待するものではなかった。それどころか真反対だ。

 黒猫には傷一つ付かず、スピードも一向に落ちる気配がなかった。

 

「ああもう!じゃあこれでどうだ!」

 

 じっくりと術式を編み、今度こそはと投げた魔術が大爆発を引き起こす。

 黒猫もろとも衝撃波が自身を襲う。だが、とっさに軽量化の礼装を起動し、爆風に上手く乗ったフラットは大きく黒猫から距離を取ることに成功した。

 数十メートルも吹き飛ばされながらも、受け身を取り地面を転がり、泥まみれになりながら無傷で着地する。

 そして、僅かな期待感と共に爆心地へと目を向けると……。

 

「あっちゃあ……これでもダメかぁ」

 

 そこには、顔を洗っている無傷の黒猫が鎮座していた。

 こいつは参ったと頭を抱える。ここまでやって傷一つ追わせられないとは……。

 重い疲労感が身体にのしかかる。

 しかし、フラットの目は輝きを失っていない。僅かながらも、光明が──―無敵の黒猫の絡繰りが見えてきたからだ。

 おそらく目に見える身体が本体ではない。どこかに本体を隠し、仮初の身体を空間に投影している。

 言うなれば、実体を持つ幻で身体が構成されているのだ。

 こちらの攻撃は一切効かず、一方的に干渉できるのは反則としか言いようがないが、その反則を実現できるからこその冠位(グランド)なのだろう。

 とにかく、一刻も早く本体を破壊する必要がある。

 問題は、本体を見つけ出すまで粘れるかどうかだが……現状では狩られる未来しか想像できない。

 だけど、やるしかないとフラットは気合を入れる。

 いつぞやか読んだコミックに出てきた指導者は、絶望感に打ちひしがれているバスケ選手にこうアドバイスした。

『諦めたらそこで試合終了だよ』と……ッ!

 

「……大丈夫、ですか?」

 

 しかし、どうやら天はフラットを見捨てていなかったようだ。

 背後の木の陰から、自身がよく知るフードを目深に被った少女が現れたのだ。

 

「グレイちゃん!?」

 

 自身が所属するエルメロイ教室の長、ロード・エルメロイⅡ世唯一の内弟子が、フラットの窮地に駆け付けた。

 




前話まで開催していたアンケートを締め切ります。
結果は83票差で冠位決議となりました。
途中までは拮抗していましたが、徐々に差が開く結果となりました。

そして、新しくアンケートを開催したいと思います。
こちらも、ぜひ投票をお願いいたします<m(__)m>

感想、評価、推薦、お待ちしております<m(__)m>
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双貌塔イゼルマ:12

ついにUAが100,000を突破しました!
これも応援してくださる読者様たちのお陰です。
本当にありがとうございます!!


 使い魔の視界を覗き、蒼崎橙子は黒猫に相対する少女を観察する。

 

「社交界でエルメロイの姫の従者を務めていた()だな。只者ではないと感じていたが、想像以上だ」

 

 トリムマウが抑えられた現場でも会ったが、その場でも橙子の印象は社交界時と変わらなかった。

 しかし、今使戦っている彼女はまるで別人かのような変貌を遂げている。

 周囲を伺うような卑屈な雰囲気は鳴りを潜め、凛とした顔で手に持つ鎌で黒猫の攻撃を弾き、隙を見て攻撃を加える。

 橙子の目から見ても、彼女は一流の戦闘者であることは明確であった。

 加えて、武器として振るっている鎌も興味深い。使い魔越しでは詳細は解らないが、相当な礼装だと判別できる。

 

「おっと」

 

 ブチン、と使い魔との共有が強制的に切断される。直前に見えたのは、木々を足場に跳躍し鎌を振るう少女。

 どうやらステルス化させて飛ばしていた使い魔が発見され排除されたようだ。

 

「前座がやられたのならば、真打の出番だな」

 

 橙子は鞄を持ち、歩を進める。向かう先は、木々を挟んだ()()()()にいるグレイとフラット。

 グレイが黒猫と戦闘している間に、橙子は二人のすぐそばまで迫っていたのだ。

 

「……ああ、その匣の中身は厄介だな」

 

 背後から現れた橙子に、二人は驚愕する。フラットはびくりと全身を震わせ、グレイはぎこちなく振り向く。

 だが、驚愕しているのは橙子も同様だった。

 何故ならば、直接視認したことによりグレイの持つ鎌──―否、匣が内包しているモノの性質を見抜いてしまったからだ。

 見た目こそ武器型の礼装であるが、その本質は莫大な神秘の塊を封印する匣。

 中身の正体は解らないが、自身が持つ鞄同様厄介なモノだと確信できた。

 

「……どうして、ですか?何故あなたがガリアスタの味方を……」

「お前のところの君主(ロード)から訊いているはずだろう?あの男は盤面を理解できないほど無能ではないはずだ」

 

 疑問を呈する少女に、人形師は毅然とした態度で答える。

 解っていることを訊くのは時間の無駄だとばっさり切り捨てるように。

 

「……師匠は、あなたが自分たちの妨害をするかもしれないと言ってました」

「なるほどね。敵ではなく妨害と……」

 

 君主(ロード)の名を冠するだけはある、と橙子は得心する。

 

「依頼されてね。お前らの敵に回ってほしいと」

「……スヴィンはどうしたんですか?」

「ん?……ああ、あの狼坊やのことか。あいつなら私の使い魔が相手している。ああ見えて敵対者には容赦ないから、運が良ければ生きてるだろうさ」

 

 淡々と答える橙子。

 対してグレイは震えていた。スヴィンの行く末を思ってか、はたまた超然とした冠位魔術師に恐れを抱いてか。

 その両方かもしれないが、グレイはひとつ深呼吸する。そして、死神の鎌(グリムリーパー)をしっかりと握りしめる。

 

「ああ、そいつは面白いな。直接見てはっきり解ったが、千年以上の神秘に属する物だな。もしかすると人の手になるものでさえないな?現代の魔術師では鎧袖一触だろうよ」

 

 神秘はより強大な神秘に屈する。

 もちろん、相性や術者の力量差などに左右されるものだが、基本的にこの原則は絶対だ。

 そして、神秘の強大さは古さに直結することが多い。

 橙子の言う通り、死神の鎌(グリムリーパー)──―アッドの核となる宝具が千年以上の歴史を持つ以上、魔術戦ではグレイに傷一つ付けることすら叶わないだろう。

 

「……だったら、引いてくれませんか?」

「すまないが、依頼されている身だからな。はいそうですかとは行かないんだ」

 

 交渉決裂。

 橙子の指が動き、グレイは戦闘態勢に入る。

 

「まずは小手調べだ」

 

 先手は蒼崎橙子。虚空に刻んだルーンが、氷の茨となり敵対者を拘束せんと疾走する。

 対してグレイは、後方に跳躍すると共に鎌を振るい魔術を叩き潰した。

 先述した通り、神秘はより強い神秘に屈する。通常ならよけるなり防御術式なりで防ぐ場面でも、彼女たちならば単純な魔力放出だけで事足りる。

 自らが放った魔術を、鎌の一振りで消滅させられる。

 そんな非常識に遭遇しても、橙子の指は止まらない。

 炎、突風、衝撃波……多種多様な攻撃が次々と放たれ、氷の茨と同様に叩き潰される。

 

「ふむ、大したものじゃないか。単純なゴリ押しながら最善の手でもある。しかも空気中に霧散した魔力を吸収して己の物として変換するとは……これでは千日手にもなりはしない」

 

 戦闘中でありながら、橙子は興味深そうにグレイを観察する。その様は攻略法を思案する戦闘者というよりも、実験対象を観察する研究者のようだ。

 

「──―おっと、邪魔はしないでくれたまえよ」

 

 不意に橙子の左手からゴルフボールほどの大きさの石が文字通り射出される。いつの間にか握られていた石を、彼女は器用に後方へ指弾として発射したのだ。

 行き先は、橙子の後方でこそこそ動いていたフラット。

 彼の額へと吸い込まれるように石は飛翔し──―フラットは無防備に喰らってしまい、目を回し気絶してしまった。

 

「おいおい、アルスならともかく私の指弾を避けられないのか。軽い牽制のつもりだったのだが……おい、こいつはどれだけ偏った能力をしてるんだ?」

 

 思わずルーンを刻む指を止め、橙子は唖然と気絶したフラットを眺める。

 ──―その隙を逃すほど、グレイは愚かではなかった。

 アッドが吸収し、全身に漲らせた魔力でもって強化をブーストしながら、グレイは橙子へと突撃する。

 正直、彼女に同意して頷きたくはあった。毎回護身術の授業で赤点を連発しているフラットはⅡ世の悩みのタネのひとつであるし、これを機に改善してほしいと願っている。

 だが、フラットという手札を失った現状、自身が取れる選択肢は大幅に狭まった。橙子の手札が底知れない上に、こちらの奥の手はひとつかふたつきり。それも現状ではろくに出せない代物だ。

 これ以上の時間稼ぎを望めない以上、彼女に勝っていると断言できる身体能力で早期決着を望むしかない!

 

「ハァッ!」

 

 掛け声と共に、死神の鎌(グリムリーパー)を振り下ろす。未だに余所見している蒼崎橙子の首へ、手加減無しの一撃が吸い込まれるように肉薄する。順当に行けば、そのまま彼女の首は胴体と泣き別れすることになるだろう。

 

 しかし。

 グレイに齎された結果は、物体を切り裂く感触ではなく、腹部への強い衝撃であった。

 

(な、なんてこと……ッ!?)

 

 吹き飛ばされ、宙を舞うグレイの脳内が驚愕で埋め尽くされる。着地動作すら出来ず、地面に身体を叩きつけられる。

 それほどまでに、蒼崎橙子が行った迎撃は驚嘆するものだった。

 なんと彼女は──―鎌を僅かなスウェーで回避し、右足でカウンターの蹴りを放ったのだ。

 

「人形師が格闘できないとでも思ったのか?私の使い魔はアルスなんだぞ。格闘術のひとつやふたつ、嗜みとして習得しているに決まっておろう」

 

 嗜みにしては強烈な蹴りだったな、とグレイは腹部を押さえながら立ち上がる。

 幸いにも全身に循環させておいた魔力のお陰でダメージはそれほどでもなかった。

 しかし、グレイの心にはそれ以上の精神的負担が圧し掛かる。

 橙子が実現させた一連の動きは、決して素人のものではなかった。明らかに鍛錬し身に染み込ませたもの。

 これでは身体能力によるゴリ押しは不可能だ。身体能力は遥かに凌駕しているとはいえ、早期決着は望めない。

 ……それでも、グレイは諦めなかった。

 奥の手がなんだ格闘術がなんだ!拙のやることは変わらない!

 蒼崎橙子を、ここで倒すんだ!!

 

「未だ闘志は衰えず、か。素晴らしいな、抱きしめてやりたいよ。……だが、付き合ってやるほど私も暇じゃないんだ」

 

 しかし。

 グレイの闘志は一瞬で鎮火してしまう。

 

「アルスから連絡があってね。こちらに向かって来ているようだ。主として、小娘に手間取っている姿は見せたくないものでな」

 

 原因は、いつの間にか橙子の前に置かれていた鞄だ。

 鞄というにはいささか大きすぎる代物で、僅かながら開いている。その隙間から見えるのは……闇。

 強化された目ですら見通せない漆黒の闇が、鞄の中を埋め尽くしている。

 そして、闇の中には──―グレイの心胆を底の底から寒からしめる、光る二つの目。

 ああ、今ようやく解った。彼女の持つ鞄が不自然なほど大きい理由を。

 あれは自身が持つアッドと同じく、強大なナニカを封じるモノ。

 人の手には負えぬマモノを封じ込める匣。

 

「蒼崎橙子、あなたは……」

 

 掠れるように喉元から出た疑問は、冠位魔術師に届くことなく宙に消える。

 そして、鞄の隙間から黒い触手が殺到し、抵抗する間もなくグレイは呑みこまれていった。

 

 

 

 ◇

 

 

「橙子」

 

 鞄を手に取る冠位魔術師の背後から、男の声で呼びかけられる。

 振り向けば、そこには蒼い偉丈夫──―蒼崎橙子の使い魔、アルスが立っていた。

 

「そっちも終わっているようだな。……鞄を使ったのか」

 

 言って、アルスは鞄と棒立ちになっているグレイを交互に見やる。

 そう、実を言うとグレイは鞄の魔物に捕食された訳ではない。

 橙子がやったことはとてもシンプルだ。

 グレイの高すぎる霊的感受性に付け込み、鞄の魔物を少し()()()()だけだ。

 

「ああ、この()の霊感をジャックした。世の中見えない方が幸せな場合もあるということさ。ところで、アトラムたちはどうした?」

 

 橙子が質問すると、答えるかのように木々の間から男が吹き飛ばされてくる。

 ゴロゴロと転がり、ブリティッシュスタイルのスーツを泥で汚しているのはバイロン卿だった。続いて、アトラム・ガリアスタがやってくる。

 どうやら勝負は決まったようだ。如何に優秀な魔術師であろうとも、時計塔で権謀術数に明け暮れたバイロン卿では百戦錬磨のアトラムに敵う道理はなかった。

 

「おやおや、ミス・アオザキにミスター・キュノアス」

「アトラムか。そちらも終わったようだな」

「ふふん、まあ決着は着いたと言っていいかと」

 

 髪を掻きあげ、バイロン卿を見下ろす。彼の背後からは部下も現れ、逆転の芽は摘まされたと言っても過言ではないだろう。

 ちなみにスヴィンはというと、気絶したままアトラムの部下の一人に首根っこを掴まれて引きずられている。

 アルスが彼を倒したのち、止めを刺さずにさっさと主の下に向かった為宙ぶらりんになったところを、アトラムの部下によって拘束されてしまったのだ。

 

「いい加減観念したらどうですバイロン卿?」

「……何を、観念しろと」

 

 見下すアトラムに、バイロン卿は鋭い眼光で答える。

 しかし、それも無駄な虚栄だと見抜かれてしまう。

 

「ふぅ、無駄に強情なところは時計塔のお歴々と同じかな。全く、脳に黴でも生えているんじゃないか?……それより、ミス・アオザキ。さすがは冠位(グランド)と言ったところか。麗しい少女にも容赦ないとは。廃人か何かにしたのかい?」

「おいおい、人聞きの悪いことを言うな。少し黙ってもらえるよう()()()しただけさ」

「お願い、ね。僕には別の意味に聞こえるが……やめておこう、藪を突いて蛇を出したくはないからな」

 

 おお怖い、と嘯きながらアトラムはバイロン卿へと歩を進める。どうやら本格的な()()()をするようだ。

 

 ──―その時だった。

 ごっそりと、大気中の大源(マナ)が喰われたのは。

 

Gray(暗くて)……Rave(浮かれて)……Grave(望んで)……Deprave(堕落させて)……」

 

 橙子が、アルスが、バイロン卿が、アトラムが、その部下たちが。

 この場の全員が、原因であるひとりの少女に刮目する。

 

Grave(刻んで)……me(私に)……」

 

 グレイの唇が歌を口ずさみ、歌詞に呼応するかのように魔力を掌のナニカに喰わせる。

 

「そうか、それがお前の隠していた秘密か。……だが、それは上手くない手だ。こいつが興味を示しかねん」

 

 震える鞄を押さえながら、橙子は苦笑する。

 彼女自身ですら制御不可能だと告白するかのように、震えは徐々に大きくなり……今度こそ、鞄の口が少しずつ開かれる。

 

Grave(墓を掘ろう)……for you(あなたに)……」

 

 そして、最期の歌詞が謳われる。

 莫大な魔力が渦を巻き、とある英霊の宝具が形作られる。

 

 アトラムが焦った顔で、原始電池に魔力を流す。部下たちも呼応するかのように術式を構築するが、はっきり言って焼石に水だろう。

 神秘は、より強大な神秘に屈するのだ。

 

「……仕方ない。使いたくはなかったが、奥の手だ」

 

 やれやれと言った顔で、橙子は鞄にルーンを刻む。途端、鞄の口はルーンの縄によって閉じられた。強制的に蓋をしたのだ。

 だが、そう長くは封じれない。一分もしないうちに破られてしまうだろう。

 しかし、その一分こそ蒼崎橙子が求めた値千金の時間。

 

「合わせるんだ。途中退場なぞ御免被るからな」

 

 彼女は懐から()()()()()を取り出し、腕に装着する。

 そして、ルーンの円環を出現させ構えを取る。

 

()()

 

 グレイの唇が、最期の台詞を紡ごうとする。

 それに合わせるよう、橙子とアルスは魔力を循環させ──―。

 

()──―」

 

 互いに奥の手を繰り出そうとした刹那。

 全くの別方向から、力ある言葉が紡がれる。

 

「……その人を見よ(Ecce homo)

 

 その場にいた全員が、()()を見た

 




三回目のワクチン接種してきたので、副反応で投稿が今まで以上に遅れる可能性があります。ご了承ください。

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双貌塔イゼルマ:13

ワクチンの副反応が思ったより出なかったので初投稿です。
ファイファイモデの順番で打ったのに最高でも37度ってどういうこっちゃ……。


「……その人を見よ(Ecce homo)

 

 言葉を合図に、全ての魔術師が制止する。

 いや、魔術師だけではない。

 動物が、昆虫が、微生物が、空気が、植物が、土が……。

 ありとあらゆる存在が、究極の■に打ちのめされる。

 神の前では、ただひれ伏すことしかできないように。偉大な王に、自然と仕えたくなるように。

 言葉がなくとも、圧倒的な存在は、ただそこにいるだけで全てに影響を与える。

 ましてや、進化の到達点と言える■の完成形ともなれば、その影響力は計り知れない。

 昨日の社交界の一場面を焼き直すが如く、全ての意識は引き千切られ……。

 

 死亡したはずの黄金姫が、惨劇を止めるべく顕現した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「……アッド、が……」

「……こちらも引っ込まされたか」

 

 グレイが呆然と匣に戻ったアッドを見つめ、橙子とアルスは落ち着きを取り戻した鞄を眺める。

 直前まで生死を掛けた大技を放とうとしたにも拘らず、三人は毒気が抜かれた様に戦意を喪失していた。

 

「なんだ今のは……」

 

 それはアトラムとその部下たちも同様だった。起動していた術式もイゼルマ領を覆わせていた雷雲も、全てが綺麗さっぱり消失していた。

 絶対なる■の前では、完成度に劣る不完全な魔術は無に等しく。

 魔術によって改変された事象が、文字通り元通りとなったのだ。

 

「……なるほど」

 

 黄金姫……否、()()()へと視線を向け、アルスは納得した様子で呟く。

 

()()か」

 

 投影魔術。

 それは儀式などでどうしても用意できなかった祭具や触媒を、魔力を素に鏡像という形で作り出す術式。

 大量の魔力を消費する上、数分もすれば世界の修正力により魔力に戻ってしまうという欠点を抱えている為、あまりメジャーとは言えない術式だ。

 そんなマイナー術式を、何故アルスは白銀姫を見て呟いたのか。

 その答えを、白銀姫の背後から現れたロード・エルメロイⅡ世が解説した。

 

「ご明察です。白銀姫の(かんばせ)にお披露目での黄金姫を投影しました。私の弟子、ライネスが」

「ふん、術式の構築が君で、儀式のお膳立てをメルアステア派のふたりにやってもらったのでは、威張るに威張れないがね」

 

 腹立たしい、とライネスは酷使した魔眼を押さえながら口をとがらせる。その背後には、憔悴した様子のイスローとマイオがいた。どちらも『黄金姫(イゼルマの集大成)』の顔を投影するという大儀式を成したゆえの疲労だ。

 通常ならば不可能な芸当だった。冠位(グランド)である蒼崎橙子でも、時計塔十三学科を制覇したアルスでも、創造科(バリュエ)君主(ロード)であるイノライ・バリュエレータ・アトロホルムでもなし得ない大儀式。

 しかし、双子であり生まれる前から同じ術式を受けていた白銀姫、魔眼を用いた術式の精密操作に長けたライネス、黄金姫の身体の内外を長い間装飾してきたイスローとマイオ。

 この四人の存在が、不可能を可能なものとして実現させたのだ。

 

「それがどうかしたのかね。束の間あっと驚かせた程度で僕らを止められるとでも?」

 

 Ⅱ世に対し不敵な笑みを浮かべ、アトラムが大仰に腕を広げる。

 

「強がりはやめておけ」

 

 だが、それを諫める声が意外な人物から発せられた。

 先ほどまでエルメロイ派と敵対していたアルスだ。

 

「魔術とは現実改変できるという強固な自己暗示と相応の集中力によって成り立つものだ。瞼を閉じれば黄金姫の顔がちらついてしまう現状では、俺でも開位(コーズ)レベルの魔術しか行使できない」

 

 図星を突かれたのか、アトラムの顔が歪む。

 そんな中、フラフラとグレイが憔悴しきった顔で師匠の下へと向かった。

 

「……師、匠……」

「本当にすまない。時間稼ぎを頼んだが、相当な無理をさせてしまったようだ。私も覚悟してきた、君の行動に答えよう。……ミス蒼崎」

 

 Ⅱ世は優しく抱き止めると、視線を橙子に向ける。

 

「ふむ、確かに毒気を抜かれたが、どうするつもりかね」

「毒気を抜かれたのであれば交渉の余地があるでしょう。……それに、今ので解ったのでは?」

「ふむ……」

 

 橙子は顎に指をあて、思考に耽る。

 

「……もしかして、()()()()()()なのか?先ほどのパフォーマンスは、私に対する回答を兼ねていた訳か」

「あなたの想像通りかと。同時にこれは私の憶測ですが、あなたが依頼主に提示された報酬は……」

「ああ、君の言う通りならば意味を喪失するな。……いや、この場合私が早合点しただけか。何しろ嘘をついている訳ではないからな」

 

 やれやれ騙された。と彼女は苦笑するが、表情は爽やかであり怒りは感じられない。

 

「アトラム・ガリアスタで間違いないかな」

 

 Ⅱ世が、褐色の襲撃者に視線を向ける。

 

「なにかな?」

「私の弟子を返していただけないだろうか」

「は?何様のつもりだい?こいつらは僕を殺そうとしたのだよ。いくら時計塔の君主(ロード)とはいえ、そんな横紙破りを押し通せるとでも?」

 

 殺気交りの苛立ちを見せ、アトラムが吐き捨てる。

 だがⅡ世は動じることなく言葉を続けた。

 

「あなたが求めている物の在り処を、私は知っている」

「……べつに隠している訳ではないからね。ましてや君なら知っているだろう?」

「先月、あなたがイゼルマとオークションにて争いあったのは、とある英霊の聖遺物だ」

 

 聖遺物。歴史に名を残し、人々の進行でもって英霊の座に押し上げられた英雄にゆかりのあるなにか。

 聖杯戦争においてサーヴァントを呼び出す儀式、英霊召喚に用いられる触媒。

 数か月後に行われる第五次聖杯戦争の参加者に内定しているアトラム・ガリアスタが喉から手が出るほど欲している物。

 

「だから……どうしたというのかね?」

「私の推測通りならバイロン卿を脅しても無駄だよ。彼も現在の聖遺物の在り処は知らないはずだ」

「ッ!? 何だと!」

 

 アトラムがバッとバイロン卿に振り向く。

 しかし、木にもたれかかっていたバイロン卿は胸先で両掌を天に向け、無言を貫くのみ。

 否定も肯定もしなかった。

 

「私ならその在り処を教えられる」

「ははあ、だから弟子には手を出さず君の推理を有難く拝聴せよとでも?だが今の僕の戦力なら一方的に君たちを殺せる。身体に無理矢理聞き出してもいいんだぞ?」

「それだけの価値は約束しよう。それに、私の推測が外れていたのならば、相応の品を君に渡すことを確約する」

「は?何を言ってるんだい君主(ロード)。エルメロイ派の懐事情は察しているつもりだが、私が求めるレベルを君たちが用意できるとは到底──―いや、待て。まさか……」

「師匠!」

 

 アトラムが唖然とする。グレイが悲痛な叫びを上げる。

 

「……ライネス、いいな?」

「好きにしたまえ。あれはエルメロイではなく君個人の物だからね」

 

 そして、ライネスが溜息を吐き……。

 

「エルメロイの君主(ロード)として誓う」

 

 Ⅱ世は宣言した。

 

「私の持つ聖遺物を、今の約束に賭けよう」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「私の持つ聖遺物を、今の約束に賭けよう」

 

 私の眼前で、ロード・エルメロイⅡ世が魔法を行使する。

 もちろん、魔術世界における意味ではない。魔術などという現実改変手段ではなく、不可能を可能にするという意味でだ。

 全く、中々楽しませてくれるじゃないか。

 彼との繋がりは以前からあった。と言っても先代のロード・エルメロイであるケイネス・エルメロイ・アーチボルトに製作した義手の代金を支払ってもらったという、とてもか細い繋がりだ。

 当時彼にはあまり興味がそそられず、さっさと代金を振り込んでもらいはいさよならと記憶の彼方に吹き飛ばしたが……今思えば、少し軽率だったな。

 まさかこんなにも『面白い』男だとは思ってもみなかった。

 魔術師としては三流もいいところ。魔術の研鑽に一生を捧げても、才能ある若者がぴょんと軽く飛び越えてしまえるような凡才。

 しかし、研究者としては一流だ。加えて、他人の魔術を見極める才に関しては超一流と言っても過言ではない。

 それに、その才を活かし教職に就いている点も興味深い。

 エルメロイ教室の話は数年前から耳にしていた。なんでも失墜したアーチボルト家が所有していた教室を借金してまで買い取り存続させたばかりか、とても革新的で面白い授業をしているとか。

 聞けば教室に所属していなくとも聴講生として潜り込めるらしい。ならば一度聴講するのも一興かと思ったが、当時は腕の磨き直しに忙しく、後に後にと後回しし、結局一度も行かずイゼルマへと向かうことになった。

 狼坊主や天才くん、加えて伝承保菌者(ゴッズホルダー)であるグレイという少女が在籍しているのであれば、研鑽や依頼を後回しにしてでも向かうべきだったと反省してしまう。

 よし決めた。この件が片付いたら、アルスと共にエルメロイ教室に潜り込んでやろう。

 普段通り授業を終え、一息ついているⅡ世に聴講生として声を掛けたらどんな反応を見せてくれるか、今から楽しみで仕方ない。

 

 ……おっと、思考に耽っている間に交渉が終わったらしい。

 どうやらロード・エルメロイⅡ世は自身が所有する聖遺物を対価にアトラム・ガリアスタの蛮行を食い止めることに成功したようだ。

 Ⅱ世はアトラムから視線を切りバイロン卿に近づくと、二、三言葉を交わす。そして、私たちに向け連絡事項を伝えた。なんでも諸々の準備が必要らしく、二時間後に月の塔ロビーに集合してほしいと。

 妥当な時間だろう、と納得する。

 投影とはいえ黄金姫の(かんばせ)を間近で目撃した我々には魔術を行使する集中力は残っていない。私とアルスならともかく、アトラムとその私兵では万一襲われた際迎撃するのは不可能だろう。

 二時間という時間は、アトラムにとっても必要なものなのだ。証拠に、ろくな反対もせず彼はⅡ世の提案を了承した。

 私たちも部屋に戻るとしよう。靴に付着した泥を落としたいし、雨に濡れたコートも乾かさねばならない。日々のメンテナンスが、長持ちの秘訣だ。

 ……さて、小説や漫画、映画、ドラマではさんざん目にしたシチュエーションだが、探偵による推理ショーに私が立ち会うことになるとはな。人生長く生きてみるものだ。

 推理ショーの展開によっては糾弾される立場になるかもしれないが、それもまた一興。

 楽しみにしているぞ、ロード・エルメロイⅡ世。

 君がどのような結末を齎すのか、特等席で観劇させてもらうよ。

 




次回から起承転結の『結』に入ります。

感想、評価、推薦、お待ちしております<m(__)m>
執筆への燃料となり作者が喜びます。


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双貌塔イゼルマ:14

物語の性質上、どうしても原作と同じような言い回しが出てきてしまいます。
ですので進行に問題ないようセリフの大幅カットをしています。


 ロード・エルメロイⅡ世の宣言から二時間後。

 月の塔ロビーには、今回の事件に関わった人物が勢揃いしていた。

 

 ロード・エルメロイⅡ世。

 ライネスとグレイ。

 イノライ。

 橙子とアルス。

 ミック・グラジリエ。

 白銀姫とレジーナ。

 バイロン卿。

 アトラム・ガリアスタ。

 イスローとマイオ。

 

 他にもアトラムの部下やイゼルマの使用人が壁際に侍っている。ちなみにフラットとスヴィンはⅡ世からの命により席を外している。

 

「で、ロード・エルメロイⅡ世。全員集まればご自慢の推理を聞かせてくれると豪語していたね?」

「推理ではなく推測だ。なにしろ理がない。……それより、バイロン卿。先にお願いしていたことを」

「……ああ」

 

 Ⅱ世の要望に、バイロン卿は指を鳴らすことで返答する。

 それを合図に、従者が運んできた箱に刻まれた魔法円の一部をナイフで削った。

 途端、箱の隙間から水銀がうねるように出現し、メイドの形に変形していく。

 

「トリム」

 

 顔を輝かせ、ライネスが駆け寄る。

 数年間一時も離れなかった自身の従者の帰還を、少女は誰よりも喜んでいた。

 

「だが、妙な動きをすれば即座に拘束させてもらうぞ」

「ああ、精々見張っているがいい。集中力も戻った頃合いだろうしね」

 

 いつもの調子を取り戻し、ライネスはフフンと笑みを浮かべる。

 

「……準備は整ったのかな?」

「いえ、もうふたり」

 

 Ⅱ世はアトラムの問いに答えると、出入り口へと視線を向ける。

 

「到着っ!」

「すいません、失礼します」

 

 そこから現れたのは、フラットとスヴィンだ。彼らは毛布に包まれた人間──―メイドのカリーナを抱えていた。

 彼らはロビー中央に歩み寄ると、ゆっくり丁寧に床へと降ろした。

 

「カリーナ姉さん……」

 

 白銀姫の傍らに立つレジーナの口から、姉の名前が切なく響く。

 フラットが遺体に掛けられていた毛布を取り、カリーナの遺体が露わになる。

 Ⅱ世は懐からルーペとペンライトやら道具をいくつか取り出し、遺体の側にしゃがみ込んだ。

 そして、まるで警察の鑑識のように彼女の身体を検分し始めた。

 その姿に、周囲の魔術師たちはざわつく。

 魔術世界においても、検視というものはある。凶器の特定、死亡時刻の算出、犯人の足取り捜索……作業自体は一般社会とそう大差ない。

 しかし、たった一点だけ大きな違いがある。それは『魔術』を使用すること。魔術師である以上、魔術を使用しないという選択肢ははなから存在しない。

 ゆえに、Ⅱ世の所業には衝撃しかなかった。現代魔術科(ノーリッジ)君主(ロード)でありながら魔術に頼らない彼の姿勢は、異端中の異端であった。

 

「……やはり」

 

 しばらくして、カリーナの左耳をペンライトで覗きながらⅡ世が小さく呟く。手がかりを見つけ、得心したといった様子だ。

 

()()()()()()()()()。まあ、徹底的にやるとするならば当然だな。本人が言った通り、魔術による補助があれば日常生活は問題なく送れるだろう」

「……それは……どういう意味……なんだい……?」

 

 イスローが疑問を呈する。彼……いや、彼以外の魔術師も、Ⅱ世の述懐の意味を正確に理解できていないのだ。

 

「ああ。では結論から言おう」

 

 胃の辺りを擦りながら、Ⅱ世は立ち上がる。

 そして、衝撃の事実を口にした。

 

彼女(カリーナ)が黄金姫だよ」

 

 シン、とロビーに静寂が舞い降りた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 黄金姫の侍従カリーナ。彼女こそが、お披露目に出席した黄金姫。

 突拍子、飛躍的。そんな言葉が陳腐にすら思える超ワープした結論に、ロード・エルメロイⅡ世を除いた全員が絶句していた。

 静寂が場を支配する。Ⅱ世の正気を問う言葉すらなかった。

 しかし、結論に対する疑問を投げかける気力は残っている者がいたようだ。

 ミック・グラジリエと、アトラム・ガリアスタだ。

 彼らは口々に質問した。その言葉の意味は?カリーナが黄金姫に化けていたとして、その方法は?

 Ⅱ世は彼らの質問に回答すべく、月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)を用いて天体図──―ホロスコープを空中に投影し解説を始めた。

 

 …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

 

 おいおい、解説の為にイゼルマの術式を()()までするのか。バイロン卿の顔色が真っ赤を通り越して青黒くなってきたぞ。反応からして合っているようだが、他家の魔術師がいる以上下手に抗弁できまい。

 沈黙だけが、イゼルマの秘奥を守る唯一の手なのだ。

 しかし、彼でも抗弁しなければならない内容が出てきた。寝台にバラバラ死体として撒き散らかされていた人物の正体だ。

 Ⅱ世によればアレは()()()()()()らしい。しかも、お披露目が行われるずっと前に死亡していたとのこと。

 さすがのバイロン卿もこれには声を荒げた。無理もないことだ。Ⅱ世の言が真実であると判断されれば、イゼルマ家は招待した魔術師に詐欺を働いたことになる。付け入る隙を与えるどころか、トカゲの尻尾切りとして見捨てられる可能性さえ出てくる。

 ……しかし、魔術の研究の為身内をバラバラにするとはな。魔術師らしいと言えばそれまでだが、俺には理解できない行為だ。

 家族とは唯一無二の存在だろうに。想像するだけで気分が悪くなる。

 舌打ちしたい気持ちをぐっと抑え、ポーカーフェイスを貫いていると……Ⅱ世が証人として意外な人物の名を挙げた。

 

「でしたら証言をお願いしましょうか、ミス蒼崎」

 

 ……むむむ?

 

 

 

 ◆

 

 

 

「でしたら証言をお願いしましょうか、ミス蒼崎」

「……おやおや、私に?一体どういうことかな?」

 

 Ⅱ世に名指しされ、橙子が歩み出る。

 

「彼女を見ていただきたい」

「ふむ、君の話が真実なら、彼女がお披露目に出てきた黄金姫ということかな?」

「ええ、彼女がお披露目に出席した黄金姫です」

 

 足元の遺体(カリーナ)を指し、Ⅱ世ははっきりと断言する。

 

 

()()()()()()()()()()()()メイドのカリーナですよ。蒼崎橙子」

 

 

 シン、と再び静寂が場を支配する。

 整形手術。大小差はあれど、魔術師たちはこの言葉を飲み込むのに苦労してしまう。

 意識を引き裂かれ、未遂とはいえ自らの眼球を潰そうとする者まで現れるような完全な■が、連綿と積み重ねられてきた歴史(魔術)ではなく、一介の魔術師の整形術によって完成されたと?

 いや、冠位(グランド)であり衰退した人体模造の魔術概念を復元させた彼女ならばあるいは……。

 

「ほう、私がね……」

 

 面白いじゃないか、と口角をニィと上げる。

 

「光栄且つ残念だが全く記憶にないな。本当に私が施術したのか?」

「まずは見ていただければ」

 

 こめかみに人差し指を当てる橙子に、Ⅱ世はスッと場を開ける。

 

「では遠慮なく」

 

 カリーナの傍らにしゃがみ込むと、橙子はツツ……と顔に手を這わせる。

 

「……ああ、確かに施術した跡があるな。魔術による整形なら術式によるが手術跡も最低限で済むし、治療用の魔術を併用すれば縫合の必要もない。それにこの感触……」

 

 うなじ辺りを押した彼女は眉をひそめると、申し訳なさそうに断言した。

 

「あー、いろいろごめん。間違いなく私の仕事だなこれは」

 

 ざわっ、と周囲がにわかに騒がしくなる。

 無理もないことだ。Ⅱ世の突拍子もない推論が、冠位魔術師によって証明されたのだ。蒼崎橙子がエルメロイ派の味方をする理由が見当たらない以上、真実とするのが自然だ。

 

「しかし、何故私はこれほどの大仕事を忘れていたんだ?」

「忘れた訳ではないでしょう。ただ覚えていなかっただけです」

「……ほう?」

 

 何かしらの結論に至ったのか、橙子は顎に手を当てる。

 Ⅱ世は彼女から視線を外し、白銀姫の背後にいたマイオへと質問する。

 

「マイオさん」

「は、は、はい。何でしょうか?」

「最初にライネスたちと会った時、あなたは酔い薬を服用していたそうですね」

「……え、ええ」

「では、薬師であるあなたならば『記憶させない』薬を調薬できるのでは?」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 記憶を『忘れさせる』ではなく、『させない』薬か。名付けるなら『記憶阻害薬』と言ったところか。

 原理は簡単に推測できる。

 人間が物事の記憶を脳に定着させるには『感覚記憶』→『短期記憶』→『長期記憶』というプロセスを経る必要がある。情報を五感で感じ取り、記憶に加工処理し、繰り返し想起することで脳に刻み込む。

 三つのうち、一つ目を除いた『短期記憶』から『長期記憶』に移行するプロセスを何らかの薬効で遮断させてやれば、投薬された人間は物事を記憶することができなくなる。魔術師であれば、その範囲を指定することも可能だろう。

 しっかし、蒼崎橙子ともあろう者が記憶阻害薬を服用させられるとはな。だが、服用するに至った状況は容易に推察できる。

 橙子がバイロン卿たちに騙されて服用させられるような間抜けではない以上、依頼の条件に含まれていたと考えるのが自然だ。黄金姫に整形で変身させるなんて面白い依頼を受ける為ならば、躊躇いなく服用するだろう。

 

 うんうんと納得していると、Ⅱ世は懐から新しい葉巻を取り出し火を点け、灰と化していく先端を指さし……おい待て。それが整形に使われた術式だって?

 ……はは、はっははははははははは!!おいおい!灰かぶりだって!?そんな単純な方法だったのか!!

 童話のシンデレラになぞらえられた、灰を利用した変身術式。一介の使用人が黄金『姫』に変身するにはおあつらえ向きの術式じゃないか!

 ……しかし、シチュエーションがぴったりでも、ただの灰ではイゼルマの秘奥には届かないだろう。相応の物を燃やし尽くさねばならないだろうが、バイロン卿は何を用意したのだろうか?

 クエスチョンマークを浮かべていると、Ⅱ世が先月行われたというオークションの話を持ち出してきた。次いで、当事者であるアトラムとバイロン卿にオークションにて争われた呪体の詳細を明かす許可を求めた。

 二人は各々許可を出す。

 『好きにしろ』『必要ならば』。

 そして、Ⅱ世の口から呪体の正体が語られる。

 それは、とある英霊にまつわる竜の血を受けた菩提樹の葉だという。

 『英霊』『竜の血』『菩提樹の葉』。

 これほどまでに解りやすいキーワードで、正体を看破できない魔術師はいないだろう。

 『ニーベルンゲンの歌』に登場する北欧の大英雄。悪竜ファヴニールを討ち取り、その血を浴びて不死の英雄として生まれ変わった宝剣バルムンクの担い手。

 ジークフリート。ゲルマン神話に登場する世界一有名な竜殺し(ドラゴンスレイヤー)だ。

 ……ん?待て。もしかすると、そういうことなのか?

 カリーナに灰かぶりの術式を掛けるにあたり、わざわざ特別な方法で菩提樹の葉を灰にしたのか?

 ……ありえる。というか長年橙子の使い魔を務めてきた俺には確信がある。凝り性である彼女は、自分の仕事に満足する為には採算や価値なぞ度外視してしまうだろう。

 アトラムは目的の呪体が失われたことを知り呆然とし、バイロン卿は顔を真っ青にして問い詰める。あなたが報酬として要求した品を、何故私の依頼に使用してしまったのだ!と。

 その時の様子を知らない身ではあるが、当時の思考は容易に想像できる。きっとバイロン卿が用意した資金と材料では仕上げのランクが落ちると確信し、報酬を使ってまで満足いく仕事をこなそうと考えたのだろう。蒼崎橙子らしい、非常に『合理的』な思考だ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 とうとうと語られる。

 お披露目に出席したカリーナの正体。灰かぶり(シンデレラ)の特性上、術式の効果が長持ちしないこと。カリーナが本物の黄金姫のバラバラ死体を撒き散らしたこと。偽の黄金姫が本物以上の■を獲得していた理由……。

 Ⅱ世の口から、イゼルマの秘奥ごと謎が解体されていく。

 その様はまるで名探偵といったものだ。仮に今回の事件を本にして出版するならば、間違いなく読者にはミステリー小説の主人公として認識されるだろう。

 

「待ってください先生。その原理でカリーナが究極の美に至ったのならば、白銀姫も同様に至るのでは?」

 

 エルメロイ教室の生徒らしく、スヴィンが手を上げ質問する。

 美しいものを見て自らも美しくなるのならば、生活を共にする白銀姫も同様に美しくなっていなければおかしいと。

 

「それは簡単だ。……エステラさんは目が見えないんじゃないですか?」

「……どうしてです?」

「黄金姫は耳が聞こえなかったそうです。五感のひとつを閉じることによって魔術に磨きをかける、あるいはイゼルマの術式が遺伝子形質に影響を及ぼして障害を引き起こしたのか……。とにかく、重要なのは黄金姫と白銀姫は生活レベルからして対にされていること。全盲の白銀姫に必要ない鏡をわざわざ置くよりも、撤去した方が合理的とバイロン卿は判断したのでしょう」

 

 だから、白銀姫は美の循環に加わることができなかった。

 

「しかし、この展開を施術したミス蒼崎が予想していなかったとは思えません」

「ふむ。記憶はないが、まあ想像はしていたんじゃないかな」

 

 橙子はⅡ世の疑問に答えると、顎に当てていた手をレジーナに向け指さした。

 

「ちなみに、私にエルメロイ教室の排除を依頼したのはそこのレジーナだよ。黄金姫の美の秘密を報酬にな」

 

 くつくつくつ、と橙子は笑う。

 

「なるほど、確かに君は嘘をついていない。それが私の手によるものだと事前に言わなかっただけであり、契約はしっかり遵守される。しかし、それなら私が守秘義務を履行する義理はないな」

 

 悪く思わないでくれよ、と橙子はヒラヒラ手を振る。

 対して、褐色のメイドは押し黙ったままだ。詐欺同然の行いをした橙子に謝るでもなく、ロビーに集まった魔術師全員の視線を受け止め動揺することもなく。

 毅然とした態度で、口を真一文字に結んでいた。

 そんなメイドに対し、彼女の第一の被害者とも言えるライネスが口を開く。

 

「じゃあ君が……私に黄金姫殺害の濡れ衣を着せた犯人なのか?」

 

 告発同然の質問にも、レジーナは眉ひとつ動かさなかった。

 




アンケートの結果に驚いております。
投票する際はじっくり考えるもよし、欲望のまま投票するもよし。
双貌塔イゼルマ編が終わるまで続けるつもりですので、焦らず投票をよろしくお願いいたします。

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双貌塔イゼルマ:15

お待たせして申し訳ありません。
実生活が激変して忙しくなり、更新が遅れに遅れてしましました。次話以降も遅れる可能性大です。
しかし!その代わり今回は過去最長の分量です。
お楽しみください。


 ライネスの鋭い視線がレジーナに突き刺さる。

 いや、ライネスだけではない。グレイ、フラット、スヴィン。程度の差はあれど、三人はエルメロイの姫(ライネス)を陥れた犯人を睨みつけていた。

 

「どうした?黄金姫と共に部屋にやって来たカリーナは君の成りすましだったんだろう?反論するなり開き直るにせよ、せめて一言でも発してみてはいかがかな。ああ、なんなら主人の方でも構わない」

 

 なぶるように責め立てるが、それでもレジーナの鉄面皮は変わらない。ライネスも、これ以上は収穫無しと判断し口を噤む。

 その様子を見て、アトラムがため息交じりにⅡ世に提案した。

 

「ご聡明なロード・エルメロイⅡ世ならば推測できているのでは?」

「何もかも私が解説しろと?」

「当り前だろう?君は探偵なのだから、根掘り葉掘り、血管から内臓まで全て撒き散らすよう真実を暴露する義務があるのだよ」

「……本物の黄金姫が死んだのは研究による副作用でしょう」

 

 嫌味ったらしい提案であったが、Ⅱ世は大人しく解説を再開した。

 事件を預かると大言壮語した手前、アトラムの言も一理あると判断したのだろう。

 

「行き詰ったイゼルマの研究は、被験者の蝕まれた遺伝的形質を解決する段階には至っていなかった。そこで無理を重ねれば結末は破綻しかない。だが、それでもバイロン卿は止まらなかった……いや、止まれなかったのでしょう。少なくともあのお披露目が終わるまでは」

 

 イゼルマの総決算とも言えるお披露目会に主役不在というのは、なんとしても避けたい事態だったのだろう。

 だからこそ、バイロン卿は禁断の果実(冠位人形師)に手を出した。

 

「黄金姫であったディアドラが死亡し、バイロン卿は代替案として蒼崎橙子を呼び込みカリーナを黄金姫に仕立て上げた。結果、予想以上の成功を収めてしまい、白銀姫と侍従のレジーナはとある決意を固めたのしょう」

「……つまり……白銀姫も……死ぬと……?」

「いいや、それよりもっと深刻な問題です」

 

 イスローの質問に、Ⅱ世は首を横に振る。

 

「お披露目で黄金姫(カリーナ)を見た魔術師は一様にこう思ったはずです。『あれならば根源に届きうるのではないか』と。それが時計塔の耳に入ったなら?」

「……封印指定か」

 

 呟くように橙子が答えを導き出す。

 封印指定。それは後にも先にも現れない、一代限りの希少な魔術を保有していると認定された魔術師に下される最大級の栄誉。対象者は生きながら保存され『橋の底』へと永久に保存される。

 蒼崎橙子がかつて受けたものであり、アルスと共に時計塔を出奔した原因である。

 

「厳密に言えば黄金姫と白銀姫は魔術師ではないので封印指定にかからないかもしれません。そもそもイゼルマの研究だから一代限りという訳でもない。だけど、根源への手掛かりを放置するほど時計塔は愚鈍ではないでしょう」

「だから逃げ出す前に黄金姫が死亡している事実を暴露する必要があった訳か。ふむ、それなら白銀姫とメイドは死体発見の騒ぎに乗じて逃亡するつもりだったかな」

「ええ、()()()()()ではそうだったのでしょう。とはいえ、女三人での逃避行は厳しいものとなる。そこで、彼女たちはある人物に協力を要請した」

 

 Ⅱ世は顔を橙子の背後へと向ける。

 視線の先にいるのは──―蒼崎橙子の使い魔、アルスだ。

 

「あなたのことですよ、ミスターアルス」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「あなたのことですよ、ミスターアルス」

 

 師匠の口から出た名前は意外なものだった。

 アルス。その名は冠位魔術師である蒼崎橙子の使い魔。

『コレクター殺し』など複数の異名を持つ色位の魔術師だ。

 彼は師匠に共犯者として名指しされても動じることはなく、むしろ微笑んでいた。

 君の推測を聞かせてくれたまえ、と言わんばかりに。

 

「私が違和感を覚えたのは、グレイが自動人形(オートマタ)に圧倒されたという話を聞いた時からでした。自慢ではありませんが私の内弟子であるグレイは戦闘に一家言あります。単なる自動人形(オートマタ)程度なら手古摺ることはあれどまず負けることはないと断言できるほどに」

「内弟子自慢も良いが、単純に不覚を取っただけではないのか?例えば、慣れない環境で十全に実力を発揮できなかったとか」

 

 ディスカッションを楽しむように反論するアルスに、師匠は首を横に振る。

 

「それはありえません。彼女の故郷はイゼルマ領(ここ)と同じく自然に囲まれていました。環境整備されていない森は彼女にとって庭同然です」

 

 確かに、ブラックモアは周囲を山林に囲まれた田舎だ。

 子どもの頃は山に立ち入って遊んだこともあり、師匠の言う通り行動に支障が出ることはなかった。

 

「そんな彼女が不覚を取った理由は一つしかありません。それは自動人形(オートマタ)の操縦者が熟練の人形遣いであることです」

「それだけでは根拠が薄いな。ここには人形に精通するバイロン卿とその一門。加えて師匠もいる」

「ええ、熟練者という括りならバイロン卿にロード・バリュエレータ。加えて白銀姫や幾人かの使用人たちも該当するでしょう。ですが、ある一つの要素を加えると途端に絞られます。──―それは、近接格闘の熟練者でもあること」

 

 なるほど、と内心手を叩く。

 いくら人形の操縦が上手かろうと、全ての分野をこなせる訳ではないのは道理だ。

 フレンチを専門としているシェフが日本の寿司を握れないように、御者や音楽演奏に人形を用いているイゼルマ一門や、砂絵の魔術を主な武器としているロード・バリュエレータでは、その腕を十全に戦闘に活かすことができないのだ。

 

「二つの要素により、候補者はミス蒼崎とミスターアルス、この二名に絞られました。そして、ミス蒼崎がレジーナに詐欺同然の依頼を仕掛けられたと判明した時点で共犯者はミスターアルスだと確定しました」

 

 師匠は葉巻を深く吸い、紫煙を吐く。

 

「あなたはロード・バリュエレータの一番弟子だ。有力な分家であるイゼルマと顔合わせしていてもおかしくはない。おそらくその時にレジーナたちと面識を持ったのでしょう。そして、その縁でもって彼女たちはあなたに亡命を希望した。長年時計塔の目から隠れてきた実績を持つミスターアルスは、貴族主義派閥(バルトメロイ派)ではあるが立場が弱いエルメロイ派よりよっぽど信頼できる相手だ」

「まぁ、初対面の魔術師よりかは納得できる選択だな。同じ立場なら私でもそうする」

 

 ライネスが皮肉げに笑う。

 彼女の言う通り、初対面の相手に自らの命を預けることは分の悪い博打のようなものだ。それが魔術師という生物相手ならなおさらのこと。

 故に、白銀姫たちはより勝率が上の選択肢へと命をベットした。

 

 パチパチパチ……。

 

 ロビーに拍手の音が響き渡る。

 その元となっているのは……アルスだ。

 彼は微笑をたたえたまま、ゆっくりと両の手を叩いていた。

 

「いやはや、まさかたった一手の行動で見抜かれるとは思いもしなかった。さすがは音に聞こえたロード・エルメロイⅡ世」

「その言い方ですと、認めたと受け取って構いませんね?」

「ああ、その通りだ。俺はレジーナから依頼を受け彼女たちの亡命を手助けすることに決めた」

 

 いやにあっさりと、アルスは共犯者であることを認めた。

 それは、客人として迎え入れたバイロン卿と、彼の師匠であるロード・バリュエレータを裏切るに等しい行為であるというのに。

 

「おいおい、私はそんな話一言も聞いていないぞ」

「すまんな橙子。俺個人の問題でもあるし、何より()()()()だったからな」

「……全く。次からはちゃんと言うんだぞ」

 

 すまんすまん。とアルスは橙子に謝る。

 その姿を見て、自分は少し違和感を覚えた。

 いや、正確には姿じゃない。言葉にだ。

 『面白そう』。アルスが依頼を受けた理由のひとつ。

 彼と直接会ったのはお披露目の時しかない。自分が持っているアルスという魔術師の印象は、その時とライネスから聞いた情報で構成されている。

 そして、自分の中にある彼の印象は違和感を覚えていた。

 上手く言語化できないけど、決定的に違うナニカがある気がして……。

 何気なく、顔を師匠へと向ける。理由はない。思考の渦に陥りそうになって無意識に助けを求めた結果だろう。

 そして、顎に手を添えている師匠の姿を見ることになる。眉を顰め何か考え事をしているようで、自身の推測を述べていた時とは違う表情だ。

 もしかして、師匠も自分と同じく違和感を覚えて……?

 口を開き、師匠へと疑問を投げかけようとする。

 しかし、それよりも速くライネスが疑問を投げかけた。

 

「しかし兄上。ミスターアルスが白銀姫たちの亡命に手を貸しているならば、何故自動人形(オートマタ)を私たちに差し向けたのかね?全く無駄な行動じゃないか」

「……それは簡単な事だ。レジーナさんと白銀姫が真犯人を庇っているからだ」

「真犯人……?」

「ああ、黄金姫の死を暴露する為の狂言であった一度目の事件とは違い、カリーナが殺された二度目の事件には明確な殺人犯が存在する。それは──―」

 

 スッ、と師匠の右手がひとりの魔術師を指さす。

 

「──―君だ、マイオ・ブリシサン・クライネルス」

 

 イゼルマお抱えの薬師であり、被害者(カリーナ)の身内とも言える魔術師を。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「そ、んな……ぼ、僕が……」

 

 エルメロイⅡ世に告発され、マイオが膝から崩れ落ちる。

 その様子を、私は冷めた目で見ていた。

 身内の人間を殺すことは、魔術師の間ではそう珍しいことではない。兄弟間での骨肉の争いや、単純に使用人を罰する為。極端な例ではあるが子の才能を恐れ殺すこともある。

 しかし、今の私には理解できない行動だ。

 アルスと共に時計塔から隠れ、世界を渡り歩き、伽藍の堂で新しい家族と友人たちと共に隠遁生活を送る。

 長年魔術師としての価値観から離れていたせいか、周りから浮いている感覚を覚えることがたまにある。

 だが、悪いことだとは思っていない。

 一般的な魔術師の価値観から逸脱している?大いに結構。

 冠位(グランド)という魔術師の中の魔術師でありながら、目的の為に身内を切り捨てることができない甘い魔術師。

 これが今の蒼崎橙子なのだ。これが家族に胸を張れる母の姿だ。

 

「──―それに君はわざわざトリムマウの手に血を付けてしまった。カリーナを殺したと誤認させるには効果的でしたが、手口の違いから黄金姫の事件とは別の犯人ではないかと思考させる余地が生まれてしまった」

 

 おっと、いつの間にやらⅡ世がマイオを追いつめていた。物証と高い推理力によって導き出された推測は、ロビーに集まった魔術師に確かな納得を与えたようだ。現にマイオの隣にいるイスローは恐ろしい化け物を見るかのような目でへたり込んだ幼馴染を見つめている。

 さてさて、真犯人だと暴露されたマイオは一体どのような反応を返すのだろうか?古き良きミステリー小説なら言い訳を重ねるか開き直るかの二択だが……。

 

「……だって……だって……()()()()()()()()()()?」

 

 おっと、開き直る方だったか。

 しかし、彼の言葉はヤケクソの末に出されたものではない。

 何か確信めいた、太い芯がある思想の持主を想起させる声音だ。

 

「ぼ、僕は彼女をだ、誰よりも知っていた!ず、ずっと前から、誰よりも深くり、理解していた。で、でも、あんな彼女は知らなかった!……だ、だから、痕跡があるうちに少しでも彼女をひ、拾い集める必要があ、あった!」

 

 黄金姫を調整してきた者だからこそ覚えられた違和感。故に彼は未だ残されていた黄金姫の痕跡を辿り……カリーナを見つけた。

 

「そ、それでカリーナに会って、と、問い詰めた時は驚いたよ!だ、だって彼女がお、黄金姫だって言うから。……で、でも、そ、その時の僕の気持ちがわ、解るかい?だ、だって……ディアドラは死んでいて、も、黄金姫は、し、死んでいなかったん、だ。あ、あの美しさは欠片も損なわれて、い、いなかった!」

 

 きっとマイオは、黄金姫の■に目を焼かれてしまったのだろう。

 幼い頃から黄金姫(ディアドラ)に関り続け、調整に携わってきた彼には常人より耐性があったのだろうが、それでも究極の美に至ってしまった黄金姫(カリーナ)の衝撃に耐えきることができなかった。

 

「な、なのにさ、逃げるって言うん、だよ!バイロン卿の手から、逃れて、白銀姫もレジーナも連れて双貌塔から逃げる。ミ、ミスターアルスも協力してくれるからって。だ、だから、マイオも手伝って、って……!」

 

 自分を追ってきたマイオを見て、カリーナはどう感じたのだろうか。

 頼もしい味方がやってきた?説得すべき敵が現れてしまった?

 結局のところ、本人でない私に彼女の胸中は解らない。

 しかし、想像することはできる。

 きっとカリーナの目に映る幼馴染は頼りがいがあって──―

 

「そんなの……そ、そんなの許されるはずが、ないだろう!彼女は死んだって、あの美は、取り戻すべきだ!こ、殺してでも引き留めなければいけない!白銀姫のけ、研究も続けるべ、き、だ!だ、だって、僕たち、は、果てを見てしまっている!禁断のか、果実を口にしてしまった、んだ!な、ならば魔術師とし、しては、さらに先を目指すべきなんだ!!」

 

 ロビーの魔術師たちに向け、マイオは吃音を気にも留めず必死に訴えかける。

 これが正解なのだと。根源を目指す魔術師にとって正道の道なのだと。

 ……ああ、確かに言っていることは正しい。魔術師なら正常な判断だろうよ。

 しかし、おまえの言葉には欺瞞が満ち溢れている。

 それをⅡ世も察したのか、口を開きマイオを糾弾し始めた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 自らのエゴを突き通すために死んでくれと説得しなかったのかと。もう一度究極の美を拝む為に切り刻ませてくれと懇願しなかったのかと。

 魔術師としての正道を語るのならば、カリーナを止める為に殺したと胸を張って宣言するべきだったと。

 

「お前のそれは、単に卑しいだけだ」

 

 事件と同じく、Ⅱ世はマイオという人間を解体しきって見せた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「どうして彼を庇ったんですか?」

 

 蹲るマイオから視線を外し、Ⅱ世は白銀姫へと質問する。

 それを受け白銀姫は、ようやく重い口を開いた。

 

「……本当はあの夜カリーナと合流し、ミスターアルスの手引きによって国外に脱出する予定でした。マイオがカリーナを殺さなければ」

「なのにどうして?」

「あなたは全て理解しているのでしょう?……レジーナ」

「はい」

 

 白銀姫に促され、レジーナがマイオを庇った訳を話す。

 

「双子の私とカリーナはある程度ですが意思と感情を伝達しあうことができました。そして、カリーナは死ぬ直前私にこう懇願しました。『マイオを助けて』と」

「…………」

「幼い頃からマイオはディアドラ姉様しか見ていませんでした。そして、カリーナはマイオしか見ていなかった。……だから私たちはマイオを庇うと決めました。それだけです」

 

 当たり前のことだと白銀姫は言う。

 だが、その言葉を紡ぐ為にどれほどの葛藤があっただろうか。

 実の父親のバイロン卿よりも親しい関係であると言える侍従の姉を殺されたというのに……。

 

「やっぱり、頼めば死んでくれただろうね」

 

 とんだ茶番ね、と橙子が溜息を洩らした。

 

「……ロード・バリュエレータにも伺っておきたい」

 

 Ⅱ世が再び質問する。

 今度の相手は、今までの推理劇をウィスキーの入ったグラス片手に見物していたもうひとりの君主(ロード)だ。

 

「整形はともかく、あなたはイゼルマの異変を知っていたはずだ。少なくともお披露目の黄金姫が偽物だという確信はあったはずでしょう」

「さて……」

 

 カラン、と弄んでいたグラスの氷の音を響かせながら、イノライは肩を竦めた。

 誤魔化しきれないと悟ったのだろう。観念したかのように小さいため息を零すと、老女は淡々と語り始めた。

 

「まぁ、こんなところだろうとは思ったさ。イゼルマはよくやっているが、成果を示すには代も才も足りなさすぎる。それが突然変異したかのように開花したと噂され、うちの馬鹿弟子たちが顔を出していると知ればな」

「だから、アトラム・ガリアスタに好き放題させて尻尾を捕まえようとした」

「そんなとこさね」

 

 悪びれもせず老女は認めた。

 目的の為なら非道すら躊躇しない、魔術師らしい手段だ。

 

「──―師匠、ひとついいだろうか」

 

 ふと、ひとりの男が手を挙げた。

 ロード・バリュエレータの一番弟子であるアルスだ。

 

「何だね」

「以前から訊いてみたかったのですが、橙子が封印指定された時、どう思いましたか?」

「正しいと思ったよ」

 

 即答だった。

 コンマ一秒の躊躇いもない、見事な即答である。

 

「トウコは現代において最も封印指定を受けるに相応しい魔術師だ。周囲から反応を伺われた時には大いに推挙させてもらったさ。『トウコ・アオザキとその魔術回路は永久(とこしえ)に管理、保存するべきだ』とね」

「ま、そんなとこだろうと思いました」

 

 誇らしげに笑いながら、アルスは瞼を下ろす。

 それでこそ師匠だ、と言わんばかりに。

 

「──―おや」

 

 ふと、女の声がロビーに響く。

 橙子の声だ。

 彼女は何かに気づいたように自らの胸元に視線を落としていた。

 そこには──―緑色の芽が皮膚を突き破り顔を覗かせていた。

 奇怪な植物が、蒼崎橙子の肉体を苗床に成長していたのだ。

 

「や、や、や、やった!!」

 

 Ⅱ世に解体され憔悴しきっていたマイオが歓喜の叫びを上げる。その手には何かしらの香薬が握られており、先端から気体が放出されていた。

 

「……ああ、薬か」

 

 おそらくマイオが飲ませた記憶阻害薬に別の作用を持たせていたのだろう。

 効能から察するに、特定の薬品をキーとして成長する種子を紛れ込ませていた。

 

「ははははははは!冠位(グランド)がなんだ!そんなもの何の意味も持たない!意味があるのは彼女だけだ!僕とイゼルマが夢見る果てしなき到達点だ!そうでしょうバイロン卿!!」

「マ、マイオ……」

 

 共同研究者のあまりの変貌ぶりにバイロン卿がたじろぐ。

 

「もも、もう一度、つ、作ればいい!レジーナでも白銀姫でも、き、切り刻んで新たな黄金姫を誕生させればいい!」

 

 狂乱したまま、マイオは橙子に命令する。

 この場において、あなたの生殺与奪は僕が握っているのだから、と。

 

「でなければ私は死ぬって?」

「そ、そうだ!その根は、し、心臓や他の重要な内臓に結びついている。無理矢理にでもじょ、除去しようとすれば、内臓全ても、持っていくぞ!そ、そうすれ、ば、如何に優秀な魔術刻印があろうとも、ひ、ひとたまりもない!」

「ああ、その手の脅しは無駄だよ。そもそもそんな面白みのない依頼受けるはずなかろうに」

 

 橙子は根にルーン文字を刻む。

 途端に根は枯れ塵と消えるが、ただそれだけだ。

 傷は塞がらず、胸元に拳大の穴がぽっかりと開く。

 それだけではない。

 目には見えないが、浸食されていた体内はぐちゃぐちゃに荒らされていることだろう。

 魔術を用いて根を除去するとは、そういうことなのだ。

 

「記憶にない私の行動がどうも手緩いと思ったら、()()()()()()()。特に行動を移さずとも、私の最大目標が達成されることに変わりないからこそマイオの蛮行を無視していた訳だ。……しかし、最後まで見届けられないのは少し残念だな。こうなってしまえば私たちでも止められない」

 

 橙子は懐をまさぐり、煙草を一本取り出し火を点ける。

 

「しかし、まさかこんな場面で仕掛けを披露する羽目になるとはね。封切はもっと盛大なシーンで行いたかったのだが……世の中ままならんものだな」

 

 煙草を咥える彼女の身体は、ビキビキと異音を立てて罅割れていく。

 その様は、まるでビスクドールが壊れていくようで……。

 彼女は紫煙をくゆらせると、煙草の箱をアルスへと投げ渡す。

 

「トウコ……いや、まさか……」

 

 罅割れていく弟子を見て、イノライが驚愕する。

 

「はは、さすがは先生。お見通しですか」

 

 橙子はにっこり微笑み、人差し指を口に当てる。

 

「後でご挨拶に伺いますので、お話はその時に」

「……全く、しょうがない弟子だね」

 

 それだけ言うと、イノライはグラスの酒を呷った。

 ビキビキビキ……。

 そんなやり取りをしている間にも、罅割れはどんどん橙子の身体を侵食していく。

 ついには、その美しい顔面にも到達してしまう。

 そして、バキン!と一際大きな音を立てて、身体の一部が割れた陶器のように剥がれ落ち……。

 胸元から広がり続けた穴から、異様な魔力が漏れ出てくる。

 

「昔不意打ちされたことがあってね。今は内側(ここ)に棲まわせているんだ。……ああ、心配しなくてもいい。余計な手出しさえしなければ加害者(マイオ)しか襲わないから」

 

 内部のナニカに耐え切れなくなったのか、またしても大きな異音を立てて身体という殻が剥がれ落ちる。

 

「ああ、最期にアルス。()()()()()だからな」

 

 注文と共に紫煙が口から吐き出され……。

 ぽとり、と煙草が地面に落下した。

 

 そして。

 名前のない怪物(ネームレスモンスター)が、大きな二つの目を輝かせた。

 




この世界線ではアルスがいるため、封印指定執行部隊を自爆で巻き込む事態には陥っていません。
なので今でも時計塔周辺の魔術師は橙子をぶっ殺そうとしています!

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双貌塔イゼルマ:16

お待たせして申し訳ありません<m(__)m>
どうにか一か月未満で行けました。
ようやく完成したので投稿します。


 蒼崎橙子という檻を突き破り、怪物の魔の手が出現する。

 茨のような刺々しい触手と鉤爪が、主を害した敵対者を喰らわんとマイオへと殺到する。その速度は圧倒的で、他人の干渉を容認させないほどだ。

 いや、正確には速度だけではない。

 名前、全容、正体。全てが不明な怪物の異様に、大小差はあれど魂から打ちのめされているからだ。事実、権謀術数渦巻く時計塔を生き抜いてきたバイロン卿が恥も外聞もなく声にならない悲鳴を上げている。

 そして、声にならない悲鳴を上げているのはマイオも同様だった。

 

「ぁ……あぁ……!」

 

 腰を抜かし、情けなく床にへたり込む。眼前に迫る死に、彼はなにもできなかった。

 ヘビに睨まれる蛙のように。

 捕食者を前にした被食者のように。

 そして、怪物の触手がついにマイオへと辿り着く。

 

 しかし。

 ロビーに響いた音は、触手が肉を締め付けるものではなく、甲高い衝突音だった。

 

「あれは……」

 

 グレイの口から驚愕が漏れ出る。

 仕方のないことだろう。それほどまでに、彼女の目に飛び込んできた光景は予想だにしないものだった。

 ()()()()()()がマイオを怪物の魔の手から守っていたのだ。怪物の触手は防壁を破ろうと攻撃するが、びくともしない。

 よく見ると、彼の右ポケットから強い光が発せられていた。そして、ポケットが膨らんだかと思うと、中から発光したルーン石が浮遊しながら出現した。

 魔術に明るくないグレイでも、その石の正体は察せられた。おそらく、所有者の危機に反応して防壁を張る一種の魔術礼装なのだろう。

 だが、解せないことがある。蒼崎橙子の中から現れた怪物は恐るべき力を持っていると容易に察せられる。ソレの攻撃を防ぐほどの礼装を、薬師であるマイオが製作できるはずがないのだが……。

 グレイが疑問視していると、答えは意外な人物から齎された。

 イスローだ。

 

「あれは……ミスターアルスが作った……」

 

 言って、彼は懐から何かを取り出す。

 それは、今マイオを守っている礼装と全く同一の物だった。

 なるほど。経緯は解らないが、あれはアルスが製作し二人に与えた物らしい。

 ならば、これほど皮肉なものはない。主を殺した下手人が、自身が作った礼装によって守られているのだから。

 

「ひぃッ!ひぃぃ……!」

 

 だが、アルス謹製の礼装も完璧なものではない。

 魔術師が全力を尽くして張った防壁ならともかく、石に刻まれたルーンだけでは怪物の猛攻に耐えきれるはずもない。証拠に、身を丸め怯え切っているマイオを守る防壁にみるみる罅が走り、礼装の光も徐々に弱くなっている。じきに防壁は破られ、マイオは怪物の胃袋へとご招待されるだろう。

 カリーナを殺した犯人は死亡し、ライネスに掛けられた濡れ衣も晴れ無罪放免。

 グレイにとって最上の結果を伴って、Ⅱ世たちと共にロンドンに帰還できるだろう。

 ……それでいいのか、本当に?このまま喰われるありえた自身の可能性(マイオ)を傍観してていいのか?

 ぐるぐるとグレイの思考が渦巻く。右手に持つアッドが声をかけてくれるが、それでも踏ん切りがつかない。

 と、その時だった。

 今もなお身体を砕けさせながら怪物を収める『匣』となりつつある蒼崎橙子と目が合ったのは。

 彼女の瞳には僅かながら光が灯っていた。しかし、それもあと数秒のうちに消え去ってしまうだろう。

 そんな状況でありながら、彼女はグレイに微笑んだ。そして、口を動かす。

 音は発せられなかった。肺を含めた内臓がほぼ全損している状態では、微かな息が漏れ出るのみだった。

 しかし、それでも。

 グレイには、蒼崎橙子の遺言をしっかり聞き取ることができた。

 

『悔いなき道を』

 

「ッ! あああああああああッッッ!!」

 

 グレイが奔る。最期まで何にも縛られずに己が道を突き進んだ女性を見習うように、内から湧き起こる衝動に身を任せ怪物の触手を叩き斬る。

 

「マイオ!」

 

 白銀姫とレジーナがマイオに駆け寄る。自身の夢の為に死んでくれと宣われてもなお、彼に対する想いは捨てきれなかったようだ。

 

「グレイ!」

「……すいません師匠。このまま見過ごすことが、賢い選択だったかもしれません。でもっ!」

 

 怪物の興味が自身に向けられ始めていることを感じ取りながら、グレイは触手を迎撃する。

 

「この人は……拙のあり得た未来です。一歩を踏み出すことの出来た拙です。だから……ッ!」

 

 己の内に渦巻く感情を吐き出しながら。

 故郷の人達が望む英雄と成り果てた自身を想像しながら。

 グレイは思いの丈をⅡ世に伝えた。

 

「……やれやれ」

 

 そんな言葉足らずな弟子の想いを、師匠はしっかりと汲み取る。

 彼は眼鏡を外し、匣と成り果てた蒼崎橙子を観察する。

 見れば見るほど恐るべき空間だ。現実世界に干渉できる時間と範囲を限定する代わりに、奥にいる本体には手出しできないようになっている。冠位魔術師が施した、怪物の無敵性と恐怖感を両立させる術式によるものだ。

 しかし、やりようはある。

 一見無敵に見えようとも、私たちならば攻略できる。

 予感ではなく確信を持って、Ⅱ世は生徒達に号令を下す。

 

「スヴィン、やれるか」

「七割なら」

「ではグレイと共に触手の迎撃を」

 

 人狼の身体を纏い、スヴィンがグレイの傍らに立つ。

 

「フラット、あの空間を固定している術式に介入しろ」

「わっかりました教授!」

 

 満面の笑みで敬礼したフラットが、床に座り込みペキペキと指を鳴らす。

 

「ライネス、全員の援護を頼む」

「そう言われると思ったとも。用意は既に完了しているぞ我が兄」

 

 トリムマウを流体に戻し、臨戦態勢に移行するライネス。

 

 全員の準備が整ったことを確認し、Ⅱ世はイノライとミックに顔を向けた。

 

「ロード・バリュエレータ。ミック・グラジリエ。あれを押し戻します。バイロン卿たちを保護してもらえないだろうか?」

「まあ、自分の派閥の人間だからね」

雇い主(ロード・バリュエレータ)の意向に従うさ」

 

 イノライが色砂を撒いて結界を張り、補助する形でミックが術式を展開する。

 その様子を確認し、Ⅱ世は未だに逃走する素振りを見せないアトラムに話しかけた。

 

「てっきり逃げるかと思っていたが」

「無論そうするつもりだったとも。だけど、せっかくなら君達のお手並みを拝見したいじゃないか」

「見物料は頂くぞ」

「いかようにも」

 

 気障ったらしく微笑むアトラムに辟易しながらも、Ⅱ世は最大の懸念に向き直った。

 主を失ったばかりの使い魔(アルス)だ。

 

「ミスターアルス、今から私がする事を見逃してくれないだろうか」

 

 主から手出し無用と言い含められている為、無視して怪物の対処に当たっても問題ないかもしれない。

 それでも、Ⅱ世は念押しするように確認した。

 何故なら、彼が独自にやろうとしていることはアルスの逆鱗に触れる可能性があるからだ。

 Ⅱ世の頬にじっとりと嫌な汗が浮く。緊張から、アルスの返答を待つ時間が無限にも思えてくる。

 

「安心しな。俺からどうこうするつもりはないさ」

 

 意外にも、アルスの返答はあっさりとしたものだった。

 

「……よろしいので?」

「主に従うのが良い使い魔ってものさ。それに、手出ししない方が面白そうだからな」

 

 だから思う存分抵抗してみな、とアルスは手を振りながらイノライ達の元へと歩いた。

 その様子を確認し、Ⅱ世は最後に再度グレイへと話しかける。

 

「グレイ、よくやった。あんな怪物に犯人をくれてやるなぞエルメロイの沽券に関わるからな。私たちの手でケリを着けてしまおう」

 

 無論、額面通り言っている訳ではない。本音ではさっさとマイオを喰って棲家へとお帰り願って頂いて欲しかったのだろう。

 しかし、弟子が自分の身体を張ってまでやるのだ。それを手助けするのが師匠というものだ。

 自らの信念の下、怪物を弟子たちに任せⅡ世は目的の物を捜索するのであった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 匣から出現する無数の触手が、敵対者を屠らんとグレイとスヴィンに殺到する。物量と威力を兼ね備えた恐るべき攻撃が、四方八方から襲い掛かる。

 対して二人は、それぞれが己の実力を十全に発揮して対処する。

 グレイはライネスによる援護により強化された身体能力と死神の鎌(グリムリーパー)でもって触手を叩き斬り。

 スヴィンは魔力で編んだ分身体で翻弄しながら、力任せの一撃で触手を引き千切る。

 

「本当に見てるだけでいいのか?」

「それが橙子の願いですからね」

 

 その様子を、イノライとアルスは並び立って眺めていた。

 

「それに、俺が手を下さずともマイオは終わりますからね。ブリシサンからは切り捨てられるでしょうし、当の本人もあの様子では……」

 

 アルスの視線の先には、白銀姫とレジーナに労われながらも未だに震えが治まらないマイオの姿があった。彼の顔は血の気が引き真っ青を通り越し土気色で、絶対的な死という恐怖を間近で浴び続けたせいか一気に十年以上老け込んでしまっている。髪も老人のような白髪に脱色しており、傍目からはやつれた中年にしか見えなくなっていた。

 

「そんな事は百も承知さ。オレが言いたいのは、あっちの君主(ロード)の事だ」

 

 イノライが指差した先には、橙子の鞄を解析するⅡ世がいた。

 主の礼装を勝手に弄られていいのか?と言いたいのだろう。

 

「研究室に籠って本格的に精査するならともかく、急ぎの解析では深奥まで辿り着くのは不可能ですよ。いくら術式を見抜くことに長けているとしても、そこまで甘い構築をしている訳ではないので。仮にアレの座標を特定できたとしても、接続するような愚行は侵さないでしょうし」

「当たり前だ。あんなものが時計塔に溢れてみろ。確実に時計塔は半壊するぞ」

 

 全壊ではなく半壊。

 もちろん、怪物の実力を甘く見ている訳ではない。むしろこの場ではアルスを除き誰よりも理解しているだろう。

 その上で、彼女は『半壊』と表現したのだ。

 この一言だけで、時計塔の底力を垣間見ることができる。

 

「それより師匠、今はエルメロイ教室が奏でる五重奏(クインテット)を鑑賞しませんか?」

「それもいいが、オレの事情を優先することにするさ」

「事情?」

「なに、馬鹿弟子に対する簡単な質問さ。……後悔させてないだろうね?」

 

 誤魔化しは許さない、と右手に砂を纏いイノライは問いかける。

 下手な答えを示せば、トリムマウを拘束した砂絵の魔術が即座に発動するだろう。

 

「もちろん、させていませんよ」

 

 そして、アルスは即答でもって師の問いかけに答えた。

 問いかけられてから、一秒にも満たない速度だった。

 

「……本当に?」

「ええ、家族に誓って」

 

 君主(ロード)ではなく師匠の一面でもってねめつけるイノライに、アルスは微笑でもって応える。互いに言葉はなく、静かな威圧感が周囲を圧迫する。

 しかし、ソレも長くは続かなかった。イノライがフッと肩の力を抜き、右手に纏わせていた砂を腰にくくらせた小袋に戻したのだ。

 

「ま、今はそれで勘弁してやるさ」

「お眼鏡にかなったという訳で?」

「馬鹿言うんじゃない。棚上げしてやったのさ。ちょうど良いところだからな」

 

 クイ、と指差す先には、橙子の鞄を持ち高説を垂れ流しているⅡ世がいた。どうやら、攻略法を見つけたようだ。

 

「それに約束したからな。今度二人でうちに来た時こってり絞ってやるつもりさ」

「ははは……お手柔らかにお願いしますよ」

 

 フフンと笑うイノライに、アルスはポリポリと頬を掻く。その様子は学院時代の二人を彷彿とさせるようで……。

 そんな二人を他所に、グレイが大槌でもって怪物に鞄を叩きこむのであった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「それで、その後はどうしましたの?」

 

 イゼルマの事件から一週間後。所変わって、時計塔に用意されたロード・エルメロイⅡ世の私室。

 Ⅱ世が万年筆を動かし、グレイが掃除をしている最中、思いがけない来客が続きを催促した。

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。

 剥離城アドラ*1にてⅡ世と縁を結び、指導役(チューター)として彼を指名したフィンランドの名門エーデルフェルト家の現当主だ。

 

「どうもこうもない。怪物が喰いあった影響で私とグレイは仲良く揃って気絶したが、運良く死ななかった。めでたしめでたしという訳だ」

「あら、私がそれだけで満足するような女に見えまして?語り部になるのであれば、最期の一滴まで絞り出すのが義務でしてよ?」

 

 優雅に紅茶を嗜むルヴィアに、Ⅱ世は小さくため息をつく。

 

「マイオは魔術師としては再起不能。バイロン卿に至っては我に返って早々何故殺してくれなかったと詰め寄られたよ」

「マイオは、ミスターアルスの礼装によって五体満足で生還したと聞きましたが?」

「身体ではなく、精神を喰われてしまったのだよ」

 

 如何に魔術師と言えど非戦闘員であるマイオにとって、怪物の脅威に晒された十数秒間は己の精神を崩壊させるに足る時間だった。聞くところによると戦闘終了直後に昏迷状態に陥り、時計塔に連行された現在でも回復していないらしい。

 

「お披露目での詐欺や殺人などの不祥事でイゼルマ領地は凍結。白銀姫やレジーナ、イスローに尋問の手が回っているが大した追加情報は出まい。マイオの暴挙もブリシサンとは関わりない一個人の暴走という形で決着しているからな」

 

 そもそもイゼルマにて発生した二つの事件は、どちらも単独犯なのだ。犯人であるバイロン卿とマイオ以外から訊き出せる情報なぞたかが知れている。

 

「エーデルフェルトも一応民主主義派に属してますので、結構噂になってましたのよ?近頃では一番物騒な事件でしたもの」

「バリュエレータで最も有力な分家が失墜したとなれば仕方なかろうな」

 

 Ⅱ世のこめかみに皴が寄る。

 結果的とはいえ、今回の事件は第三者から見ればエルメロイ派が敵対派閥の力を大きく削ぎ落した形になったのだ。貴族主義派閥の魔術師からは賞賛と融資の話が山のように届けられた。

 そんなこと、誰も望んではいないというのに。

 

「しかし、崩壊したミス橙子の身体から怪物ですか……。これはまた、一騒動ありそうですわね」

「一騒動、ですか……?」

 

 ルヴィアの発言にグレイが反応する。

 確かに、蒼崎橙子の身体から怪物が食い破ってきたのは恐ろしい出来事だ。

 しかし、その事実が騒動を巻き起こすほどのものかと問われれば疑問符が付く。と彼女は考えたのだ。

 その疑問をぶつけると、ルヴィアはソーサーにカップを置き解説を始めた。

 

「いいですか。現在解除されているとはいえミス橙子が封印指定を受けていた事実に変わりありません。彼女の研究成果を目当てに襲撃をかける下郎が発生するのは必然でしょう。ミスターキュノアスが幾度となく返り討ちにしているとはいえ絶対はありません。事実、分断された事もあると聞きました」

 

 それでも返り討ちしたそうですけど、とルヴィアは付け加えた。

 グレイがその話を聞いて思い出すのは、己とフラットを襲った黒猫だ。

 あれほどの使い魔を使役しているのであれば、よほどの相手でない限り負けることはないだろう。

 

「でも、一番の障害であるミスターキュノアスを取り除けた事には変わりありません。脳髄を確保できれば知識の吸出しはできるので、攻撃の手も苛烈になるでしょう。……しかし、今回の件で下手に殺せば怪物の尾を踏む事が知れ渡りました」

 

 下手に殺せば怪物が脳髄ごと蒼崎橙子を食い破り襲い掛かってくる。かと言って手加減できるはずもなく、運よく半死半生状態に持っていけても自殺されれば元の木阿弥だ。

 

「ミス橙子を狙っていた魔術師達は今頃大慌てでしょうね。根本から想定が覆ってしまったのですから」

 

 そう言って、ルヴィアは優雅にカップに口を付けた。

 

「身体が人形だという事は聞き及んでいましたが、いつ入れ替わったのでしょうか?先生はご存じで?」

「まあ、お披露目の直前だろう。いくら卓越した人形師とはいえ一か月もイゼルマの目を欺けるとは思えないし、記憶阻害の薬も意味がないだろう。……あと、先生と言うな」

「あら、指導役(チューター)の方がお望みかしら?それともトレーナー?老師(ラオシー)プロデューサー教官。案はいろいろありましてよ?」

「……先生でいい」

 

 苦い顔をしながらⅡ世は万年筆を置く。

 ルヴィアの減らず口に参ったのだろうが、それ以外にも理由がある事をグレイは知っていた。

 ルヴィアには話していない、あの場にいたエロメロイ派の人間しか知らない事実。

 事は、ロード・バリュエレータが白銀姫達と共に時計塔へ帰還し、アトラム・ガリアスタがⅡ世の忠告を受け立ち去った後に起きた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 アトラム・ガリアスタが部下達と共に去り、月の塔ロビーには自分たちエルメロイ教室の面々と、アルスだけが残った。

 

「俺もお暇させてもらうよ。後始末も終わったことだしな」

 

 言って、彼は優し気に鞄を撫でた。きっとあの中には蒼崎橙子の残骸が入っているのだろう。大半は怪物に喰われたとはいえ、風圧で飛ばされたものもあり、それらを回収・悪用されない為に今の今まで捜索していたのだ。

 そして、その様子を見て途方もなく胸を締め付けられた。当時まだ橙子の身体が人形製だという事を知らなかった自分には、敬愛する主を失い悲嘆に暮れているようにしか見えなかったのだ。

 故に、声を掛けられずにはいられなかった。

 

「ま、待ってください!」

 

 立ち去ろうと背を向けるアルスを呼び止める。

 彼はピタリと足を止めると、振り向かずにこちらへと質問した。

 

「何かなお嬢さん?」

「あの……その……」

 

 この感情は同情かもしれない。もしかしたらアルスを侮辱する事になるかもしれない。

 それでも、声を掛けずにはいられなかった。

 この人も、あり得た未来の自分なのだから。

 

「げ、元気出してください。蒼崎さんも、暗い顔したアルスさんなんて見たくないと思います……!」

 

 思いの丈を叫んだ。

 ……ああ、やってしまった。後悔はないけど、アルスはどんな顔をしているんだろうか?

 怒ってるだろうか?それとも呆れてるだろうか?

 沈黙が場を支配する。万が一を想定してか、フラットとスヴィンがじりじりと自分をフォローできる位置に移動しているのが解る。

 しかし、その行動も無駄に終わった。

 

「……ふふふ」

 

 こちらに背を向けるアルスの肩が僅かに震える。

 そして。

 

「はっはっはっはっはっは!」

 

 面白くてたまらない。と言わんばかりに笑うと、笑顔でこちらに歩み寄ってきたのだ。

 

「いやあ、面白い娘だな!励まされるとは露ほども思わなかった。君ほど魔術師らしからぬ魔術師……いや、魔術使いか?まぁどっちでもいい!初めてのタイプだよ君は!」

 

 あー面白い、とアルスは目じりにたまった涙を拭く。

 

「えっと……アルスさん?」

「ああ、驚かせてしまったかな?すまない、魔術世界で今日日珍しいほどの善人を見て嬉しくなっちゃってね。とにかく、気遣ってくれてありがとう。でも、それは無用だ。何故なら、()()()()()()()()()()()()()()

「え?それはどういう……?」

 

 困惑する自分を他所に、アルスは師匠へと声を掛ける。

 

「ロード・エルメロイⅡ世!()を気遣って黙っていたようだが、もう我慢しなくてもいいぞ!思う存分、謎を解体したまえ!」

「……我慢していた訳ではないが、あなたがそう言うのであれば」

 

 師匠は葉巻に火を点け、覚悟を決めたかのようにゆっくりと煙を吐き出した。

 蒼崎橙子の使い魔であるアルスが示した謎を解体する為に。

 

「グレイ、君が同情を示す必要はない。何故なら、蒼崎橙子は今ここで生きている」

「それは……あの鞄の中でという事ですか?」

「違う」

 

 師匠はかぶりを振り、ゆっくりとアルスを指さした。

 

(アルス)こそが、蒼崎橙子なのだから」

 

*1
『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』の始まり。記念すべき第一巻の舞台となった城。作者はルヴィアが出演すると聞いた時にはひっくり返ったものである。




次回、イゼルマ編第1話から張り続けていた伏線を回収していきます。

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