二度目の人生こそは─ (霞草。)
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プロローグ

「ただいまより、被告人を火刑に処する。」

 

 

無機質な声がラナンの心を切り裂くように冷たく鳴り響いた。

 

遺族となった皇室の者は蔑むような目を、観衆は歓声と罵倒の声を被告人─ラナンの両親に向ける。

 

賑やかで騒がしいその光景に、ラナンは疎外感を抱いた。

 

すぐ隣にある樹木からは、枯れた木葉がゆらゆらと揺れて塵の如く、呆気なく落ちる。

 

これからのラナンの両親の、残りせいぜい1時間の僅かな人生を表すように。

 

執行人は有無を言わせずに縄で縛られた両親を処刑場へと歩かせた。

 

ラナンは、そんな様子を呆然と立ち尽くしながら見ていた。

 

まだ幼き少年には、そんな状況を受け入れられなかったのだ。

 

それからしばらくして、だんだんと状況を理解して浅い息を繰り返していた時には、既に着火されていた。

 

 

「…お母様…お父様…」

 

 

ラナンは呟きにも近い声でそう発するが、当然火炙りの最中にある2人には聞こえていない。

 

両親の走馬灯を見ているかのように、数々の温かい家族の思い出が少年の脳内を駆け巡った。

 

眩しい程に輝かしい毎日。

 

ほんの数週間までは、それがこれからも続くと信じて疑わなかった。

 

たとえ貧乏な男爵家でも、たっぷりの愛情のお陰で幸せだった日々。

 

そう、幸せ“だった”。

 

脳内の温かな思い出達は、バラバラと音をたてて崩れ落ちていく。

 

そして、ラナンの心のように粉々に砕かれていった。

 

 

現実に目を向けるとそこには、十字架に掛けられて苦しそうに呻く両親がいた。

 

不意に、少年の目にはある1人の人物が映る。

 

 

─この国の皇太子、カルア。

 

 

自分はラナンの味方だと言い、唯一彼にだけ、ラナンは両親の冤罪を証明するその“証拠”の存在を明かした。

 

これで自分の両親は助かる筈だと、冤罪だと判決される筈だと、安心しきっていたラナンだった。

 

しかし、今ラナンの目には─飛び散る火花と共にほくそ笑むカルア(悪魔)が映っている。

 

少年はようやく、全てを悟った。

 

自分は裏切られたんだと。

 

最初から利用する気で近付いたのだと。

 

実の愛する両親が目の前で火炙りにされているのにも関わらず、ラナンの目に涙は浮かばなかった。

 

観衆の自分を蔑む目も気にならなかった。

 

火がだんだんと収まっていくと、ラナンは精一杯の抵抗も虚しく騎士達に身柄を確保された。

 

両親と同じように縄で縛られ、向かう先は塔。

 

両親が殺された今、自分がそこで幽閉されることは知っていた。

 

そこがどんなに劣悪な環境なのかも。

 

騎士への抵抗を続けながら、ラナンはカルアを睨み付けた。

 

カルアは両親の亡骸を見て嘲笑を浮かべている。

 

 

そして、ラナンは静かに─復讐を誓ったのであった。

 

 




登場人物メモ《前世》
ラナン…貧乏男爵家の一人息子。主人公。
カルア…ラナンを裏切った皇太子。


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第一話

ラナンはぼんやりと目を開けた。

 

真っ先に見えたのは細やかな装飾が施されたクリーム色の天井。

 

見たことのない場所に困惑しながら、ラナンはゆっくりと身体を起こした。

 

 

(…は?)

 

 

はっきりとしていなかった頭が、一瞬で氷水にかかったように冷やされた。

 

自分の身体を見て、頭の中は鐘が木霊したような衝撃に襲われる。

 

ラナンの身体は、明らかに小さくなっていたのだ。

 

重い頭、滑らかな肌、ぷにぷにとした小さな手足。

 

幼子…否、これはもはや赤子だ。

 

 

(これはまさか…転生!?)

 

 

ラナンは慌てて自分が寝ていたベッドらしきものから出ようとするが、形状を見るにこれは恐らく揺り籠。

 

赤子が揺り籠から落ちて、無傷でいられる気はしない。

 

ラナンは諦めたように嘆息し、ぼんやりと思考した。

 

金の刺繍が施されたいかにも高そうなソファーに広いテーブル、沢山の玩具に角を丸めてあるお洒落な棚。

 

上を見渡せば壮大なシャンデリアがラナンの目に映った。

 

 

(ここは何処なんだ?赤子すらこの広さと豪華さを持つ部屋に居れるということから、かなりの地位を持つ家…伯爵、侯爵、もしかしたら公爵…くらいか。

平民ではないことは確実だな。というより、そもそも今の西暦は?“あの後”すぐ転生したのか、もしくはそれから数年経ってか…。)

 

 

しかし、いくら考えても導き出せるのは所詮仮説に過ぎない。

 

 

─それにしても。

 

 

ラナンは揺り籠の中からおぼつかない足で立ち、周りを覗いた。

 

金縁の大きい窓からは、眩しい光が差す。

 

 

(…久しぶりだな。)

 

 

鮮やかな庭園には、ミモザ、スミレ、サンザシ、キンポウゲ、クロッカス。

 

どの花も春を告げる花だ。

 

 

(もう、春を迎えたんだな。)

 

 

“今”が前世からどのくらい経っているのかは定かではないが、少なくとも冷淡な程に極寒だったあの冬は終わっているようだ。

 

緑が生い茂る木々は和やかそうな春風に吹かれ、心地良さそうにしている。

 

麗らかな春。

 

ラナンにとって、陽の光を浴びながら春の温かさを感じたのは本当に久しぶりのことだった。

 

閉じ込められていた塔の中は薄暗く、扉は固く閉ざされて、窓は付いてすらいなかった。

 

穏やかな感情を覚えたラナンだったが、赤子はすぐに眠くなる体質のようで。

 

数十分前に目が覚めたばかりにも関わらず、ラナンには眠気が襲ってきた。

 

 

(慣れない身体に慣れない状況だが…塔の中よりかはずっと良い。)

 

 

そんなことを思い安穏を抱いて、ラナンは温かな日差しの中ゆっくりと睡魔に侵されていった。

 

◇◇◇

 

 

「─っちゃま。お坊っちゃま。」

 

 

まともに思考していないラナンの脳内に、遠くから声が届いた。

 

 

(温かいトーンだな…)

 

 

そっと目を開けると、顔を覗かせていたのは二十代前半だと窺える、ぱっちりとした澄んだ茶色の瞳を持った可愛らしい女性。

 

白いフリルの頭飾りを付け、黒のワンピースに白いエプロン。

 

どう見てもメイドだ。

 

ラナンは、ひょっとしたら俺の侍女なのかもしれない、なんて思いながらじっくりと見た。

 

見られていることに気が付いたのか、ラナンが寝ていたシーツの交換を行っていたそのメイドは微笑んで「どうかなさいましたか?」と言った。

 

その優しそうな笑顔を見受けるに、中々良い待遇を受けられそうだ。

 

その時、小さなノック音が聞こえた。

 

 

「アーシャ、いるかしら?」

 

 

女性と思われる上品な声色だった。

 

 

メイドは「はい!奥様。」と元気良く返事をして後ろ向きだった身体をくるりと回転させ、扉の近くへと歩いた。

 

このメイドの名前は“アーシャ”らしい。

 

静かに扉が開き、距離があるためよく見えないが、二十代後半とおぼしき美しい女性が現れた。

 

この人が奥様。すなわち─

 

 

(俺の“お母様”か。)

 

 

新しい母親は前世と同じく大層穏やかな雰囲気を醸し出していた。

 

緩く巻かれた日の光のような茶髪に、サファイアのような澄んだ青い瞳。

 

彼女はラナンを見て、ほっとしたように形の良い唇を弧の形にした。

 

段々と俺のいる揺り籠に近付き、

 

 

「ラナン、元気にしていたかしら?」

 

 

幼い息子をただ純粋に愛していると分かるその声色と表情でそう言った。

 

 

─(え…?)

 

 

(似ている…?似てるっ!!そっくりだっ!)

 

 

近付いてきたその女性は、前世の母親とそっくりだった。

 

そして、“ラナン”は前世の名前。今世では別の名前が付けられていると思っていたラナンだったが。

 

 

(前世と今世で同じ名前…)

 

 

そこで、ラナンはふと思った。

 

何故自分“だけ”なのかと。

 

ラナンが“転生”という事実を簡単に受け入れられたのは、復讐を希っていたからだ。

 

その復讐のチャンスを、神様が与えてくださったのかと思っていた。

 

しかし、冤罪で殺された両親も憎む対象はいる。勿論それは皇太子。

 

仮説に過ぎない。全てはラナンの仮説。

 

 

でも─

 

 

(ひょっとしたら、この家の家族は…俺の前世の両親、だったり?)

 

 

新しい母親を見て、ラナンは前世の母親と重ねた。

 

そのそっくりな容姿と雰囲気に、安堵感を抱いた。

 

しかし、それはあくまで“そっくり”。

 

正確には、頬にあった筈のほくろが消えていたり、前世ではストレートだった髪は緩く巻かれていた。

 

そう、“瓜二つ”ではないのだ。そして、その大層穏やかな顔。

 

 

(もし本当に転生したという自覚があるのなら、ラナンにも前世の記憶があるかもしれないと考えるのではないか?もしくは、前世の俺にしか分からないことを言ってみる、とか。)

 

 

ただ、ラナンはまだ赤子だ。

 

いくら前世の記憶を持っていたとしてもそれを脳で思考し、言語化することは出来ないだろうと思っている可能性もある。

 

だから、断定は出来ないが─

 

 

(もしかすると、前世の記憶を持っているのは俺だけ?)

 

 

ラナンは安穏な母親を見た。

 

彼女は愛しそうに我が子を抱いていて、目線が合うと微笑んだ。

 

 

─前世でラナンを抱いた時のように。

 

 

最後に抱擁をされたのは五年前。

 

“あの”結果が出た裁判の直前だった。

 

 

『大丈夫。私は何にもしていないもの。何事もなく終わってくれる筈。

…でも、もし万が一ね。本当に万が一…悪い判決が下ってしまったら。

貴方は、貴方だけは、生きなさい。出来る限り生きて、それでももし死んでしまったら…ふふっ、もう転生でも何でもして、もう一度生きなさい。ね?何でも良いから…どうか、生きて。』

 

 

涙声で、微笑みながら。

 

ラナンの母親はそれを最後にラナンと口を利けなくなった。

 

火に包まれる中、彼女は何を感じ、思ったのだろうか。

 

 

(もしかしたら…俺の転生を祈ってくれてたのかもしれないな。)

 

 

温かい“母親”の温もりに包まれながら、そんな想像に過ぎない話を考えたラナンだった。

 

◇◇◇

 

 

「ラナン・ド・アルデンヌ、入れ。」

 

 

氷の如く冷たく言い放った騎士は、ラナンを乱暴に塔の中へと足を踏み入れさせた。

 

その塔は二階立てだったが、一階から二階に続く階段は壊され、外へと繋がるテラスがある二階には立ち入り出来ないようになっていた。

 

10歳の幼き少年にはその意味は“逃亡防止”くらいしか思い付かなかったが、死ぬ寸前のラナンには分かっていた。

 

 

─自殺防止の為。

 

 

そう、罪人が飛び降りないように。

 

まあ、それを悟った時のラナンは既に“復讐”以外のことは全く考えられない屍のような状態だったが。

 

そこで過ごした五年間は、自死をしたいと思う程苦痛そのものだった。

 

雨漏りもするような古びた塔で、一日一食のみずほらしい食事。

 

大雨の際には水が部屋の中に溜まり、後日風邪を引いたこともあった。

 

一切れのカビが付いたパンで、お腹を壊したこともあった。

 

でも、生きていた。

 

母親との約束を果たすべく、必死に生きた。

 

そのうちラナンは、薄汚れた灰色のボロボロの服を着て、ただただ息をしながら皇太子について考え始めた。

 

自分を裏切り、両親を殺した皇太子。

 

どうにか復讐したいと希うが、この塔にいる限り無理、そしてこの塔を出られる時はきっと一生来ない。

 

何度も何度も両親を思い出し、何度も何度も恋しくなって、何度も何度も皇太子を憎み、何度も何度も復讐を考えるが、行き着く先はいつも同じ。

 

“不可能”

 

ラナンが最期に過ごした冬は未曾有の大雪が続いた。

 

厳しい寒さと飢餓が重なって、ラナンはついに意識を失い─僅か15歳でひっそりと息絶えた。

 

 

『神様。どうか、俺に復讐をさせて下さい。』

 

 

そう(こいねが)いながら。

 

 

この“終わり”が、二度目の人生の“始まり”だったのだ。




登場人物メモ《今世》
アーシャ…二十代前半ので茶髪で茶色の瞳の、愛嬌があるメイド。ラナンの侍女だと思われる。

ラナンの母親…二十代後半の緩く巻いた茶髪と青い瞳を持つ美しい女性。前世のラナンの母親と似ている。


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第二話

ラナンが今世を知るべく最初に行いたいことは、情報収集だ。

 

とは言っても、この部屋は新聞もなければ訪問者もいない。

 

ラナンは本当に生まれたてのようで、外部の人間からの刺激は与えないようにしているのだろう。

 

なるべくストレスを軽減させようとしているのは分かるが、今のラナンには外部の人間が必要だった。

 

今が何時(いつ)なのか、ここが何処(どこ)なのか。

 

前世とどのくらい違うかで随分話が変わってくるが、少なくとも言語は通じることは分かっている。

 

 

(前世と同じ国なのか…?ただこの言語は他国の公用語にもなっていから何とも…そもそも、頭でいくら考えても確証はどこにもない…)

 

 

「はぁ…」

 

 

駄目だ、分からない。

 

せめて西暦だけでも分かれば、状況を知る手掛かりにはなるのだが。

 

その時。

 

 

「お坊っちゃま。」

 

 

ふと横を見ると、アーシャがにこやかに笑いながら絵本を取り「読み聞かせは如何ですか?」と言っていた。

 

拒否しようと思えば出来るのだが、赤子の意思表示と言ったら泣くか暴れるか。

 

そんなことをする気力も無ければ、別にそこまで嫌という訳でもないが…まさかこの歳で読み聞かせを聞くとは。

 

 

─(ん?)

 

 

刹那、ラナンは閃いた。

 

 

(本の発行日に、西暦は載っている!これだ!)

 

 

ラナンは読み聞かせに乗り気だと言うように強く頷き、短い腕を動かして催促をした。

 

それに応えるようにアーシャは笑い、本を差し出した。

 

今話題の人気作家の最新作ですよという、正確な西暦が分かる保証が付け足されてから読み進める。

 

内容はよくある転生ファンタジー。

 

家族も居場所も失った美しき少女が別世界に転生し、“王子様”と出会う。

 

最初はあまり心を開かない少女だったが、王子様の優しさに触れ心が溶け出していく。

 

一方で王子様は無垢な少女に惹かれていき、だんだんと互いの気持ちを理解し始め、最後には幸せに暮らす物語。

 

その少女は純粋かつ麗しかったから“王子様”とやらに愛された。

 

幸せになれた。

 

胸焼けがするほど希望や夢に溢れた話だ。

 

 

(俺は…純粋無垢じゃない。でも、だから何だ。この際どんなに汚い手段を使っても、必ず─)

 

 

─復讐をしよう。

 

 

ラナンがそう再度誓ったところで、アーシャは丁度本を閉ざそうとした。

 

 

(閉じるな…!そのまま最後まで読め…!おい…!)

 

 

必死にばたばたと手足を動かした。

 

どうして自分がこんなことをしなければいけないのかとも思ったけれど、考えてる暇はない。

 

 

「あら、どうかなさいました?お坊っちゃま。」

 

 

やっと気が付いたようだ。

 

急いで短い腕を伸ばして本の裏表紙を叩く。

 

 

「…ああ、本を最後まで読みたいのですね。お坊っちゃまは変わってらっしゃいますねぇ。あっ、勿論良い意味ですよ?ふふっ。」

 

 

このアーシャというメイドはどうも、おどけてからかうのが上手いようだ。

 

 

「はい、どうぞ。何も面白くないと思いますけど…まあ人それぞれですよね。」

 

 

まだアーシャは何か言っていたが、ラナンの耳にはもうなにも入っていない。

 

何故なら─

 

 

(俺が死んでから…10年、か…)

 

 

世界は今、どうなっているのだろうか。

 

10年─否、幽閉されていた5年も含め15年間、ラナンは全く外気に触れなかった。

 

文明や技術、各家門や国の情勢、経済や自然環境、そして─魔法。

 

そう、“皇太子に裏切りが証拠付けられた”魔法も。

 

昔と変わっているだろうことが次々と思い浮かぶ。

 

何より、皇太子カルアのことが。

 

 

(皇太子は今生きていたら28歳…か。どうなっているのだろう。)

 

 

「お坊っちゃま、ミルクの時間でございますよ。」

 

 

アーシャが持ってきたミルク瓶を咥えながら、ラナンはじっくりと思考を巡らした。

 

 

(幼いうちから情報収集をして、ある程度力を付けたらカルアに会いに行こう。偵察しておかなければ。復讐とは言っても、俺がこの先殺人犯として生きるのは違う。あいつと同じレベルになってはいけない。法で裁かねば。…ただ、その前に─)

 

 

「お坊っちゃま?ちゃんとミルクを召し上がらないと、成長なさいませんよ。」

 

 

(この味の薄いミルクを飲むことに慣れなければ…ま、不味い…)

 

 

◇◇◇

 

この世界に来て、1ヶ月は経っただろうか。

 

正確な日数は分からないが、何となくここでの暮らしも慣れてきた。

 

朝起きて、眩しい朝日を浴びて、幼児用の離乳食であるため美味しいとは言えない─でも温かいご飯を食べて。

 

母親はよく訪ねてきてその穏やかな笑みを見せ、アーシャもよく沢山の話(と言っても愚痴も含まれる)を聞かせてくれる。

 

愛に満ちた、幸せな日々。

 

5年前から始まった地獄のような日々とは、見事なまでに対照的だ。

 

 

「お坊っちゃま。聞いて下さいよ~」

 

 

何かと思ったら、一通り雑務が終わったのであろうアーシャがふて腐れたように頬をぷくっと膨らませ、いつもの如くラナンに話し掛けていた。

 

 

(何だ…?男爵家のイケメンの騎士にフラれたって話をまたするのか…?)

 

 

可愛らしい外見のアーシャだが、話を聞いている限り中々に自由奔放な性格らしい。

 

一目惚れしたそのイケメン騎士とやらには何とかデートの約束をこじつけたものの、その最中に気に入ったお店をあれこれ見つけてしまったらしく、結局は買い物に付き合って貰う形になったらしい。

 

自由人と言うか、マイペースと言うか。

 

それでも仕事でミスをしたことは無さそうだから凄い。

 

ラナンは子供部屋の広さから見ても“かなり良いところの子息”でありそうなのに、恐らく侍女としてお世話をしている。

 

仕事時間内には時折、普段とは比べ物にもならないほどの真剣な表情も垣間見れる。

 

 

(それに…何だかんだ愛嬌がある。“どこか憎めない性格”ってやつか。)

 

 

「実は、皇室がまた税金を引き上げたんです。もう信じられないほど物価が値上がりしてますよ~。私は子爵家の身ですし、そこまで豊かでもないんです。平民なんかはもっと酷い生活を送っているようですし…」

 

 

意外にも、アーシャが話し始めたのは本当に困っていることのようだ。

 

アーシャが子爵家の者だったのかと思う一方で、“税金の引き上げ”がラナンの胸に引っ掛かった。

 

 

(税金の引き上げは前世では全く起こらなかったし、そんな気配もしなかった。あの時の─カルアの父親である皇帝は、貿易に力を注いで何とか国の経済を回そうとしていたな…)

 

 

まともな生活を送っていた10歳までの記憶には、当時の皇帝の行動なんか気に留めもしなかったが、貧乏な男爵家でも幸せに暮らせていたことから、今思えばかなり平民に優しい政策だったのかもしれない。

 

 

─しかし、今は?

 

 

10年経った今、皇帝の気が変わったのか?

 

否─

 

 

「全く、カルア皇帝はそこまでして何をしたいんでしょうねぇ…」

 

 

(なったのか…あいつが…皇帝に…!)

 

 

全身から溢れ出る怒気を、これほどまでに感じたことはあっただろうか。

 

 

「おっと、不敬罪に値してしまいますね…今言ったことはどうかご内密に。」

 

 

そんなアーシャの声など、もはやラナンには届いていなかった。

 

 

(人を騙して、裏切って、殺して…そんな奴が何でこの国の頂点なんだよ…!くそ…)

 

 

何が皇帝だ。何がトップだ。

 

ラナンはふと両親が処刑された時のカルアの笑みを思い浮かべた。

 

人間性が皆無の、まるでサイコパスのようなほくそ笑み。

 

 

(何なんだよ…!!もう俺の手で殺した方が─)

 

 

心地の良い陽の光も、鳥のさえずりも、アーシャの声も、何もかも届いていなかったラナンの脳内にドアのノック音が響いた。

 

 

「入って良いか?ラナンは寝てるか?」

 

 

今世ではまだ聞いたことがなかった、男性の声。

 

その知らない男性の声は─否。

 

 

(聞き覚えが、ある…)

 

 

「あら、お帰りなさいませ。ラナン様は起きていらっしゃいますよ。」

 

 

アーシャに“ラナン様”と呼ばれることに何だかむず痒さを感じながら、ドアの方へと視線を向ける。

 

艶のある美しい黒髪に、透き通った紫の瞳。まるで人工物のように整い過ぎた顔に、抜群のスタイル。

 

赤子は視力が良いとは言えない。

 

だから見えるのはその特徴を見るのがやっとで、容姿の細部までは分からない。

 

─が、直感的にラナンは理解した。

 

 

(お父様だ…)

 

 

あまりにもそっくりだった。

 

相違点は多少あるにせよ、母親よりももっと前世と似ている。

 

威厳溢れる雰囲気も、冷淡で無機質な性格に見えるが実は─

 

 

「ラナン!元気にしてたか?!父さん出張だったんだ…会いに来れなくてごめんなっ!」

 

 

と言うような犬っぽいところも、そっくりだ。




登場人物メモ《今世》
・アーシャ…自由奔放だが切り替えは出来る、子爵家の娘。

・ラナンの父親…黒髪と紫の瞳を持ち、冷淡な雰囲気を漂わす麗しい男性。外見からは想像できない犬っぽさを持つ。


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第三話

「ラナン、寂しかったよなぁ…ごめんな。まさか第一子が生まれる直前だっていうのに、出張を言い渡されるなんて…」

 

 

「そう嘆かないで下さい。ラナン様は何のことやらと仰るかのように、きょとんとされてますよ。」

 

 

「ううっ…ラナンは可愛いなぁ。」

 

 

そんなやり取りを何度聞いただろうか。

 

ラナンの父親はこの部屋に来てからというもの、ずっとこの調子だ。

 

特にラナンに有益な情報を流すでもなく、ただただ出産後すぐにラナンも会えなかったことを嘆く。

 

アーシャが

 

 

「そろそろ、ラナン様のミルクの時間でございます。」

 

 

と、遠回しに“出ていけ”を伝えているのだが、ラナンの父はその真意に気付かず

 

 

「ああ、いつもラナンの世話をありがとうな。」

 

 

といったような返事で終わってしまう。

 

別に、父親がここにいるのは構わない。

 

ただ問題は─

 

 

「あり得なくないか?どうして愛する我が子の生後すぐに会えなくなるような出張期間になってるんだよ…ラナンもそう思うよな!?」

 

 

(うるさい…)

 

 

アーシャは時々愚痴や近状を話すだけだからまだ良い。

 

問題なのはこうやって嘆きながら騒がしく話し掛け続ける面倒な父親だ。

 

ラナンの父親は昔からずっとこんな性格だった訳ではないらしい。

 

ラナンの母親曰く、母と出会って変わっていった、とのこと。

 

外見通りの冷淡な性格だったラナンの父は、彼女と出会って初めて人の優しさを知り、その本性をさらけ出していったそう。

 

 

(“初めて”人の優しさを知り…。決して平坦な道を歩んできた訳ではなさそうだが、それにしても騒がしいな。)

 

 

ラナンは少しの同情と嫌気が差しつつも父親を見ると、その端麗な顔はすっかり幼稚なものへと変わってしまっていた。

 

 

「もう…ラナン様が困惑してらっしゃいますよ。声のボリュームを抑えて頂けますか。」

 

 

(アーシャ、よく言った!)

 

 

「いや、ラナンはそんなこと思ってないよな?な?」

 

 

(…)

 

 

この父親には前世から手を焼かされていた。

 

母親と会ってから変わったのかは知らないが、普段の性格は幼稚で能天気で。

 

 

─でも、いざという時には本当に頼りになった。

 

 

政治面での駆け引きは段違いに強く、小さい頃に父親とチェスをやって惨敗になった記憶も朧気ながらある。

 

ラナンが彼の書斎を覗くと、いつもとは比べ物にならない程真剣な面持ちで仕事をする姿がよく見られた。

 

そんな父親の横顔が格好良くて、好きだった。

 

 

「ほら、高いたか―い!」

 

 

そんな感動的な良い話をぶち壊すかのように、彼は思い切りラナンの身体を持ち上げる。

 

 

(ちょ…死ぬ!死ぬ!こんな(赤子の)身体じゃもたない!)

 

 

何度も身体を上下に往復させて満面の笑みを浮かべる彼には、僅かながら殺意が湧いた。

 

 

(前言撤回だ、こんなの。悪意がないのが余計にたちが悪い。)

 

 

「きゃああ!何をなさっているのですか旦那様!」

 

 

アーシャが悲鳴を上げ、ラナンも丁度、本格的に嫌気が差してきた頃。

 

 

─「もう!何をしているの!」

 

 

室内に響き渡る、甲高く怒気が混ざった声。

 

 

「フォン、そんなに乱暴に扱ったら駄目じゃない!」

 

 

「あっ、ヴェリア…」

 

 

声の主はラナンの母だった。

 

出張から帰ってきたラナンの父を出迎えたためか、いつもより少し明るく、けれど、それでも控えめなローズ色のドレス。

 

中心部分にある光輝くルビーが、青い瞳と対比していて美しい。

 

その艶のある茶髪を靡かせながら、彼を長々と叱咤する。

 

ラナンの父は子犬のようにしょぼんとして落ち着いたが、ラナンにとってはもはやどうでも良くなっていた。

 

 

(どういうことだ…?お母様の名前は前世と変わっていて、お父様の名前は前世と同じ…?)

 

 

前世のラナンの母親の名前はヴィカリア。

 

共通する文字はあるが、全く同じではない。

 

前世から転生したものの意識はない、という母の状態から考えても、別に違和感は抱かない。

 

ただ、問題は父の方だ。

 

前世と今世で名前が変わらない。

 

間違いなく、ラナンの母親は彼を“フォン”と呼んだ。

 

 

(ひょっとして、前世の記憶があるのか…?)

 

 

しかし今まででそんな素振りは見せていない。

 

前世と同じような容姿、性格、そして何も知らないような穏やかな顔。

 

前世の記憶が残っているのだろうか。

 

そしてそれを隠しているのだろうか。

 

それとも、まだ幼いラナンにはそれを理解出来る程の思考力はないと思っているのだろうか。

 

いくら考えても所詮は仮説のため、正確な答えを導き出せる保証はないものの、ずっと考え込んでしまった。

 

その時に丁度、父─フォンに名を呼ばれたようで、思わずびくっとして振り返る。

 

 

「ラナン、ごめんよ。まさか赤子の身体にそんなに振動が届くなんて思いもしなかったんだ…」

 

 

「ラナン、許してあげて。」

 

 

揺り籠に寄って項垂れながら謝るフォンと、その背を撫でる母─ヴェリア。

 

 

「ちゃんと考えて行動しないと駄目よ?フォン。」

 

 

フォンはしゅんと落ち込み、その姿は子犬の耳が垂れ下がっているのが見えるような錯覚すら感じさせる。

 

しかし、ヴェリアの瞳にはしっかりと愛が映っていた。

 

しっかり者の母親と、少し幼稚な父親。

 

 

─前世を彷彿とさせる、ありふれていた光景。

 

 

(この感覚は、懐かしいな。)

 

 

この居場所は本当に心地よくて、ずっといたい。

 

胸に温かい“何か”が染み渡っていく感覚だ。

 

そう、それはきっと─愛。

 

この空間で、ずっと生きていたい。

 

ラナンは安穏を抱き、(まぶた)を擦った。

 

 

(─それにしても。)

 

 

本当にフォンには、前世の記憶があるのだろうか。

 

 

「そうだヴェリア。せっかく帰ってきたんだから、二人で何処(どこ)かに出掛けないか?」

 

 

「何処かって?大体、ラナンが可哀想じゃない。」

 

 

「うーん…久しぶりに劇でも見に行くか?ラナンには少しだけ我慢して貰って…なんせ、久々の“デート”だし!」

 

 

フォンは満面の笑みで、愛おしそうにヴェリアを見る。

 

ラナンからしたら別にデートとやらに行っても構わないのに、ヴェリアはかなり心配…というより、ラナンに寂しい思いをさせたくないようだ。

 

フォンの出張期間中も、手が空くとすぐに子供部屋に来ていた。

 

その度にラナンを抱いて、中身は15歳のラナンは少しだけ羞恥を覚えて。

 

それでも結局、嬉しそうに

 

 

「デートって…ふふっ。まあ良いわよ。でも、すぐ帰ってきましょうね。」

 

 

と笑った。

 

 

「よしっ!」

 

 

嬉しそうにガッツポーズをして、その後少し我に返ったのか照れ隠しで頬を掻く。

 

前世と変わらない笑顔と仕草。

 

 

(あ…はは、お父様だ。いつものお父様だ。)

 

 

少し苦笑も混じったが、ラナンは確信した。

 

この家族の中で前世の記憶があるのは、ラナンだけだと。

 

◇◇◇

 

フォンは自室のドアを開け、使用人にここを出るよう伝えた。

 

一人きりになり、ドアを閉めた時のギィーという音がやけに室内に響いていた。

 

ヴェリアとは一度別れたが、午後に劇を見に行くことになり、身支度をするという建前で、頭を冷やすためにも自室に籠った。

 

 

(ラナン()、前世の記憶があるのか?)

 

 

あの赤子とは思えない落ち着きよう。

 

そして今世でも、フォンと同様に名前が変わらない。

 

 

(だとしたらこの(前世の)話を持ち掛けるべきか?でもどちらにしろ、言葉は話せないか…)

 

 

あの時─ヴェリアと共に火炙りにされて死んだ時。

 

自分が皇太子に裏切られる予測も出来た筈だ。

 

あの皇太子カルアの過去を調べれば、すぐに。

 

今世に来てやっと、僅かに残っていた古びた文献や記録から、カルアの母親についてとカルアとヴェリアの関係についてを調べられた。

 

それだけを調べるのに十数年は掛かったが、前世だとものの数年で調べられて警戒・阻止出来たのかもしれないと思うと悔やまれる。

 

知らぬ間にコントロールされていたのだろうか。

 

どちらにせよ、危機意識に欠けていたとしか言いようがない。

 

 

(今度こそは…ヴェリアを、そしてラナンを、守り抜かなければ。)

 

 

自分の愚かな判断で命が消えていく。

 

まるで戦場のよう。

 

フォンは無意識に自身の親指の爪を噛んでいた。

 

そこから滴る赤い涙にも、気付かずに。

 

◇◇◇

 

そして、5年の月日が経った。




登場人物メモ《今世》
・ヴェリア…ラナンの母。しっかり者。

・フォン…ラナンの父。前世と変わらずお茶目だが、その笑顔の裏では前世の記憶を持っていて─


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