その剣、純愛の力で全てを断つ ~なおドスケベボディの姫様が同行する~ (本間・O・キニー)
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純愛しないと人類の危機

 式典というものは苦手だ。ましてや、自分がその主役になった時なんて。

 

「これより魔王討伐に赴く勇敢なる騎士殿よ。貴公に、我が国に代々伝わる聖剣、ソード・オブ・ピュアハートを授けよう」

 

 一段高い座席からこちらを見下ろしていた初老の男、この国の王たる男が高らかに宣言する。同時に覆いが取り払われ、一振りの剣が目の前に姿を現した。

 見渡す限りの群衆が、割れんばかりに歓声を上げる。その大音量に包まれながら俺はゆっくりと歩を進め、剣に手をかけ持ち上げる。

 そして――危うく、取り落しそうになった。

 

 この剣、妙に重い。

 

 外見はただの装飾過多な細身の剣。さほど鍛えていない女性ですら、簡単に振り回せそうな華奢な刀身。

 それなのに、腕にずっしりと伝わってくる重みは、明らかにその程度のものではなかった。普段使っている肉厚の直剣と変わらない、見た目と乖離した重量。

 視覚と体感の不一致。奇妙な感覚に困惑する俺へと助け舟を出すように、国王が再び口を開く。

 

「それは邪欲を嫌い、愛を尊ぶ剣。欲望にまみれた者が持てば重たいナマクラと化し、純粋な愛を心に宿す者が持てば羽のように軽くなるという。清廉潔白にして優秀な騎士と名高い貴公であれば、見事その聖剣を使いこなせるであろう」

 

 持ち主を選ぶ剣。確かに、古い伝説にはそういった武具が数多く登場していた。この聖剣もその一つだというのなら、この不思議な性質も理解できる。

 

 だが、一つ大きな問題があった。

 

「お言葉ですが陛下、私は剣を振る以外に能のない男。この歳になるまで、女性とは無縁の暮らしをしてきました。そんな私が愛の聖剣を頂いても、到底扱えるとは思えないのです」

 

 魔王討伐を命じられた騎士が、公衆の面前で主張するにはあまりに場違いで情けない言葉。

 だが、目の前の男は気にした様子もない。

 

「無論、その事も把握しておる。確かに愛する者が居なければ、愛の聖剣は扱えぬだろう。故に、もう一つあるのだ。貴公に受け取ってもらう、品がな」

 

 そう言って国王は、笑った。式典の間ずっと厳格な顔を崩さなかった男が、ニタリ、という音の聞こえてきそうな顔で、口を歪めて。

 そして、その手が挙げられるのを合図に、一人の少女が壇上へと登ってくる。

 

 まだ年若い、美しい少女だ。夜空に輝く星を集めて織り込んだかのような銀色の髪。極上の宝石をはめ込んだようにきらびやかな瞳。整った顔に浮かぶのは、慈愛に満ちた笑顔。

 愛の女神がここに降臨したと言われても信じられる程に、その容貌は優美であった。

 

「我が娘だ。預け先の神殿では聖女などと呼ばれておるらしい。この娘を、貴公に与えよう」

「それは、どういう」

「わからんのか? この娘を愛せと命じておるのだ。それも、純粋に。そして共に旅をして、その愛で聖剣の力を解き放ち、魔王を討伐せよ」

 

 とんでもない命令を、平然と言ってのける国王。

 魔王を討伐するために、この少女に愛を捧げる。

 目眩がしてくる。

 

「愛するなどとそんな簡単に……そもそも、彼女の意思はどうなるのですか!」

「前々から貴公の事は伝えておった。この娘も貴公を憎からず思っている様子。貴公が聖剣を託される理由は、武勇や人柄だけではないという事だ」

 

 いつの間に、と言う他ない。退路は周到に潰されていた。おそらく、首を横に振らせてくれる気は無いのだろう。

 もちろん、彼女ほどの美少女に好かれていると言われて、悪く思うわけはない。

 危険な旅に同行させるという点には疑問が残るが、聖女というからには治癒魔法の心得くらいあると考えていいだろう。

 王命を拒否するほどの理由などない。しかし。

 

「後は貴公の意思だけだが……もしや、この娘に何か不満でもあるのかね?」

「い、いえ。不満などありません。私にはもったいない程の女性です」

「ならば、よろしい。早速旅支度をして、出立せよ」

 

 こうして、全ては決定事項となった。

 魔王討伐パーティー二名様の壮行式は粛々と終了し、知らぬうちに準備されていた二人分の荷物と聖剣を背負うと、同じく準備されていた馬車に一緒に乗り込み、流れるように王都から送り出されたのだった。

 

「騎士様! これからよろしくお願いします!」

「よ、よろしくお願いします。姫様」

 

 溌剌とした声で、ようやくの最初の挨拶をする少女に、つっかえながらもなんとか返事をする。

 第一印象の超然とした態度が嘘のように、少女は実に屈託のない笑顔で話しかけてきた。

 くるくると表情を変えながら言葉を紡ぎ、ぎこちない俺の返事にもいちいち喜び、はしゃぎ、微笑んでくる。たまに思い出したかのようにうつむいて、頬を染めながらこちらを見つめてくる、その仕草がこの上なく愛らしい。

 可愛らしさを人の形にしたような、そんな少女だった。

 

 そして、その胸は異様なほどに大きかった。

 尻もデカくて、ふとももはムチムチだった。

 聖職者の身分を示す純白の衣装は、その豊満さを隠すにはあまりに貧弱だった。

 女神の顔をしたお姫様のその身体は、どう見ても淫魔のそれであった。

 

 この少女を愛する。

 この少女に欲望を持たず、純粋に愛する。

 いや、無理じゃねえの。

 

 背中の聖剣、邪欲を嫌い純愛を尊ぶ聖剣ソード・オブ・ピュアハートはそんな俺の思考を咎めるかのように、ずっしりと重くのしかかってきていた。

 

 

 

 丸一日かけて街道を馬車で走り抜け、国境沿いに位置する城塞都市にて一泊。巨大な城門脇の通用口から外に出れば、そこから先は人の支配の及ばぬ広大な世界だ。

 このずっと向こうに、魔王の居城がある。

 

 奴らが伝える歴史書を信じるならば、百年以上にわたる魔物界の戦乱を制した覇者、第十七代魔王。人間にとって確かな事は、魔王と呼ばれる存在が、今まさに人間界への侵攻を企んでいるという事だけ。

 だから、その前に聖剣で魔王を滅ぼす。それが、俺の使命だ。

 

 魔物界に入って最初のお出迎えは、早速現れた。

 歩き続けて、城塞都市の姿が丘の向こうに隠れていった頃のこと。少し前の地面が突如として盛り上がり、人間並みに大きい、流線型の頭をした毛むくじゃらの獣が飛び出してくる。見覚えのある低級の魔物だ。稀にトンネルを伸ばして、国内にまで侵入して来たりする。

 

「騎士様! 頑張ってください!」

 

 こちらが指示するより早く、飛び退いて魔物から距離を取る少女。事前の打ち合わせ通りの動きだった。このお姫様、思っていた以上に飲み込みが早い。

 後は俺が手早く魔物を倒すだけ。それだけなのだが、一つだけ、本当に一つだけ、シンプルでありながら、重大な問題があった。

 魔物にまっすぐ対峙した俺は、ずっと背負っていた聖剣を抜き放つ。しっかり力を込めて、ゆっくりと、万が一にも落とさないように。

 

 この聖剣、昨日よりずっと重い。

 

 この一日ちょっとの旅路の思い出が、走馬灯のように蘇ってくる。

 馬車の中。ガタガタ揺れる座席の上で、ぷるんたぷんと豪快に揺れる肉。

 頬を赤らめて「名前で呼び合うなんて、恥ずかしいです」などとのたまいながら、無自覚にくねくね蠢く肢体。

 街に着いて、当然のように用意されていたダブルベッドの上で、無邪気に押し付けられる温かさ。

 目覚めて真っ先に視界を埋め尽くした、無防備な肌。

 

 気がつけば俺の欲望の重みは、片手で構えれば手が震えそうなほどに増大していたのだった。

 そして、心の中は涙で溢れていた。あまりにも無慈悲な聖剣と、あまりにも薄弱な自分の理性に。

 

 しかし、いつまでも嘆いているわけにもいかず、改めて目の前の獣に意識を向ける。

 俺が一人で悶々としている間にも、大型獣はジリジリと距離を詰めようとしてきていた。剣をまともに振れない今の俺には、非常に危険な状況。

 と、いうわけでもなかった。

 実のところこの魔物、非常に弱い。かつて遭遇した同僚は、素手でも平然と殴り倒していたくらいである。

 ただただ聖剣を満足に扱えない自らの問題が、この戦闘をややこしくしていた。

 

 いっそこの重たいゴミを投げ捨てて、拳で倒す。それでいいんじゃないだろうか。

 そんな、短絡的な方向へと思考が傾きつつあった時――後ろから突き刺さる、熱い視線に気づいた。

 

 お姫様は、キラキラとした眼で、こちらを見ていた。

 その視線は、どう見ても俺の手の中の重たいナマクラ剣に向けられている。

 その様子を見て、頭の中に一つの言葉が蘇ってきた。

 

「騎士様の私への愛が、その剣の力になるんですよね」

 

 この旅の中で、彼女が幾度となく呟いた言葉だった。

 何度でも確かめるように。俺の心に刻み込むように。少女自身に刻み込むように。

 

 その言葉を口にする時だけ、少女は一瞬とても空虚な眼をする。

 それが何を意味するのか、俺には分からない。

 

 だが、もし俺がこの剣を投げ捨ててしまえば、彼女は何を思うだろうか。どんな顔をするだろうか。

 そう思った時、手の震えは自然と止まっていた。

 真っ直ぐに剣を構え、目の前の敵を捉える。

 そして力の限り振り下ろした。

 ただ彼女の期待に応えるために、口先だけの言葉を叫びながら。

 

「これが! 聖剣の力だ!」

 

 袈裟斬りになった獣は、純白の光に包まれて消滅していく。

 それを見届けて振り返ると、そこには桃色に染まった大輪の花が咲いていた。

 

 今もまだ、聖剣は重たいままだ。

 こうして彼女を見ている俺の心は、汚い欲望にまみれている。

 でも、この旅をしているうちに、いつか辿り着けるだろうか。

 純粋な愛、というやつに。

 

「さあ、姫様。先を急ぎましょう」

 

 そう言って、聖剣をしまいながら、手を差し伸べる。

 ちょっと気取った顔をして。まるで愛に生きるおとぎ話の騎士様のような真似をして。

 

 そして姫様はその手をガン無視して、飛び込むように全身で抱きついてきた。

 

「騎士様! 騎士様! 騎士さまぁ!」

 

 間近で戦闘を見た興奮からか、昨晩より上気した肉体が全力で擦り付けられる。背中の重みが急激に増加し、前からは押し込まれ、もつれ合うように大地に転がった。

 なおも蠢く重荷の主は、当分は俺の声を聞いてくれる気が無さそうだ。

 顔にかかる銀の糸の隙間から、どこまでも青い空を眺めてしみじみと思う。

 

 やっぱり、純愛とか無理じゃないだろうか。



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愛が襲いかかってくる

 穏やかな朝の陽の光が、眠る少女の横顔を照らしていた。

 朽ちかけた廃屋というステージの上で、崩れた石壁の隙間から差し込む光をスポットライト代わりにしていても、変わらぬその神々しさ。

 思わず、ため息が漏れた。

 

 そんな少女の寝顔を、俺はそっと確認する。

 この眠り姫が、確かに熟睡していることを、多少の刺激では決して目覚めないだろうということを、念入りに確認する。

 

 そして、素振りを開始した。

 

 同僚の一人がよく言われていた。

 「そんなに欲求不満なら、素振りでもしていろ」と。

 かつての俺には、意味が分からない言葉だった。だが、今はそのありがたみを実感していた。

 

 聖剣をまっすぐ振り上げ、まっすぐ振り下ろす。休む間もなく、それを繰り返す。

 一往復するごとに、自分の中から何かが抜け出ていく。こころなしか、聖剣の重みも僅かに和らいでいる気がする。

 

 そんな反復運動を続けながらも、少女から視線は離さない。

 欲望を発散させるのも大切だが、何より重要なのは、愛。そして愛を育むために必要なのは、相手と接する時間を増やすことだ。

 その愛らしい顔を何の気兼ねもなく眺められる、貴重な時間。一瞬たりとも無駄にはできない。

 

 剣の道と同じだ。

 無駄を削ぎ落とし、鍛錬を積み重ねる。

 邪欲を削ぎ落とし、愛情を積み重ねる。

 純愛道は、長く険しい。

 

 やがて少女は目覚める。

 魔王を倒し、人類を救うために。今日も、愛すべき人との旅が始まる。

 

 

 

「騎士様は、好きな食べ物ってありますか?」

 

 携帯食の白いパンを優雅にちぎっては小さな口へと運んでいた少女が、ふと手を止めて呟く。

 早々に自分の朝食を流し込み、周囲を見回していた俺は、その声に思わず振り向いた。

 振り向いて、しまった。

 

 相変わらず、ありえないほど大きいその胸は、今日も元気に存在を主張していた。

 石畳に乗せられたデカい尻からはムチムチのふとももが伸びて、無造作に投げ出されていた。

 不思議と汚れ一つ付かない純白の衣装は、軽く身動きするたびに乱れてギリギリな部位をさらけ出していた。

 今日も、少女の身体は淫魔だった。

 

 その魔性に目を奪われていると、背中の聖剣がギシリと主張をしてきて、我に返る。

 気がつけば、少女が不思議そうな顔で見つめ返してきていた。

 慌てて取り繕うように返事をする。

 

「ええと、すみません姫様。なんでしたか」

「食べ物の好みの話です。普段、どんなものをよく食べるとか」

「そうですね……あんまり、考えたことはありませんでしたが」

 

 本当に、食事について深く考えたことなんて無かった。騎士団の食堂では、メニューを選ぶ自由など無かったということもある。

 しかし、その返答に少女は納得いかない様子。

 

「でも、体を使うお仕事ですからお肉とか……そう、お魚とか好きなんじゃないですか?」

 

 そう言って、唐突に少女は自らのスカートを捲くり上げた。

 

「ひ、姫様!? いったい何を!?」

 

 ただでさえ深いスリット入りの大胆なそれを、腰で結んで極ミニスカートへと転職させた少女は、続けてブーツを脱ぎ始める。

 不意打ちの露出。その素肌の輝きが、目に焼き付き脳を焦がしていく。

 艶めかしい素足。肉付きの良い真っ白な脚のライン。そして、その奥までも。

 

「近くにあった川で、お魚を獲ってこようと思うんです! 携帯食料だけじゃ物足りないかと思って!」

「いや、ほら怪我とか危ないですって! 食料は十分持ってきてますから!」

「遠慮しないでください! こう見えて魚のつかみ取りは得意なんです!」

 

 会話が噛み合わない。そもそも動機からして理解できない。視界の端では、生足が活き活きと踊っている。

 どうにかして彼女の説得に成功した頃には、俺の貧弱な理性は早くもボロボロになっていたのだった。

 

 

 

「あ、指のところ、怪我してますよ。治してあげますね、騎士様」

 

 二人して平野を歩いていた時、不意に言われて手を見ると、いつの間に擦りむいたのだろうか、指先に軽く血が滲んでいた。

 それを考えている間もなく、横から細い両腕が伸びてきて、捕まえられたその手がぐいっと持っていかれる。

 そして、そのまま少女の胸に押し付けられた。

 

「ああ、手を暴れさせないでください。固定してないと治療がやりづらいんですから」

 

 呑気な声の少女。しかし、こちらはそれどころではない。

 柔らかな拘束具に包まれるように捕獲されたその手から、甘い刺激が絶えず脳まで送りつけられてくる。

 仄かな光を放つ治癒魔法のむず痒い感覚と相まって、意識が混濁する。

 

「このくらい舐めておけば治りますから! 大丈夫ですって!」

「じゃ、じゃあ私が舐めましょうか!」

「何を言ってるんですか!」

 

 抵抗すればするだけ、その手はより深く強く取り込まれていく。それは、食いついた物を決して逃すまいと蠢く淫靡な罠。

 なんとかして腕を引き抜いた頃には、俺の軟弱な理性は溶けたアイスクリームのような有様になっていたのだった。

 

 

 

「騎士様、汗を拭いて差し上げますね!」

 

 もはや前置きも何も無い強引な言葉とともに、ハンカチを取り出しながらしなだれかかってくる少女。

 甘酸っぱい香りが鼻から脳まで突き抜け、温かな感触に覆いかぶさられた体は石のように硬直する。

 

「自分で拭けますから! ちょっと、姫様!」

「ほら、汗がどんどん出てきてるじゃないですか! 大人しくしてください!」

 

 もう訳が分からなかった。この少女が、一体何の意図があってこんな事をしてくるのか。

 そして、既に俺の理性は抵抗を捨て、されるがままになっていたのだった。

 

 

 

 流石に、ちょっとおかしくないだろうか。

 

 純粋な優しさからの親切だというなら、それでいい。

 いちいち人の欲望を煽ってくるのは困りものだが、無自覚ゆえの行動だろうし、俺が心を強く持てば済む話だ。

 だが、気づいてしまったのだ。その優しさの裏に見え隠れする、必死さに。何かに急き立てられているかのような、焦りに。

 

 だから、直接尋ねることにした。

 

「姫様は、どうしてそんなに優しくして下さるのですか?」

 

 その突然の質問に、少女は驚いた様子もなく。

 

「私はただ、騎士様に少しでも何かをしてあげたいだけですよ」

 

 なんでもないことのように、答えを返す。

 

「だって、貴方をこんな旅に巻き込んだのは、私なんですから」

 

 懺悔をするような声色で、微笑みを顔に貼り付けたまま、少女は語り続けた。

 

「十年以上会っていなかった父が、突然やってきて言うんですよ。『この中から、お前の伴侶を決めろ。共に魔王を討伐しに行く伴侶を』だなんて、経歴書の束を積み上げて。私、びっくりしちゃって」

「それで……俺を?」

「はい。でも、特に何が、という理由は無かったんです。ただ、ポートレイトの貴方を見た時に、自然と心の中に、『ああ、この人にしよう』って。ああいうのを、一目惚れって言うんでしょうか」

 

 騎士の中には、俺より剣に優れた者も、俺とは比べ物にならないほどの人格者も、女性と接することに慣れた者も、大勢いたはずだった。

 どうして俺が選ばれたのか、ずっと疑問には思っていた。

 

「私は、聖剣の力を引き出すためだけに育てられた女。そして貴方は、そんな私の気まぐれで、巻き込まれてしまっただけの騎士様。だから、私がただの足手まといで、護衛されるだけのお姫様でいるわけにはいかないでしょう?」

 

 そう言って、くるりと後ろを向く少女。

 そして再びこちらに振り向いた時には、その顔はいつものような明るい笑顔だった。

 でもその瞳は、いつも宝石のように輝いていたその瞳は、今は少し、くすんで見えた。

 

「そんな特別に頑張ろうとしなくても、姫様は、足手まといなんかじゃありませんよ」

「うそ」

「本当ですよ。箱入りのお姫様が、こんな歩き旅について来たり、野外や廃墟で寝泊まりしているだけでも大したものです。それに、そんな中でも変わらない姫様の笑顔が、私に元気をくれているんです」

 

 この気持ちだけは、俺の本心だった。

 長く危険な旅に引っ張り出された少女が、それでもたくましく、明るく微笑んでくれる。その事がどれだけ心に安らぎをくれただろうか。

 だから、少女には無邪気に笑っていて欲しかったから。

 

 つい、慣れない冗談など口にしてしまったのだ。

 

「あのクソマズい携帯食を食べてる時ですら笑顔でいられるなんて、凄いと思いますよ」

 

 少女の瞳に映る色が、少し変わった事に気づけなかった。

 

「味が無いし妙にニチャニチャするし。妙に腹が膨れて保存も効くのが優秀だけど、味だけ見たらゴミですよゴミ。騎士団での評判は『食べる拷問』とか『シェフは舌を悪魔に売った』とかでしたからね。一体誰がどうやって作ってるんでしょうねあれ」

 

 一度喋り始めると、積もりに積もった不満が噴出してくる。

 同じ物を食べた者同士、通じ合える所があるんじゃないかなんて思っていた。

 

「あの、すみません。作ってるの、私です」

 

 背筋が凍った。

 

「といいますか、神殿のみんなで作ってるんですよ。お役目の一つとして」

「……なんで、神殿がそんな事を?」

「うちの神話、そんなに知られてないんでしょうかね?」

 

 少女曰く、かつて人々が飢餓に苦しんでいた時、聖女の切なる祈りに応え、一柱の大神が降臨した。

 その大神が聖女に授けたのが『飢えを克服する法』。すなわち、あの保存性に優れ少量で満腹になる理想的な食糧にして、クソマズいパンのレシピだったという。

 

 もしかして、神様って価値観が捻くれた奴しかいないんだろうか。

 使い手に純愛を強要する愛の聖剣が、背中でガチャリと音を立てた。

 

「その『節制の聖餅』を配ることで多くの人々を救った聖女は、大神様のお眼鏡にかなって死後に昇神されました。その御方こそが、私達の信仰する愛の女神ピュアハート様。だから、あのパンは私達にとって、とても、とても、とても、重要で特別な食べ物なんです」

 

 なるほど、同族か。

 

 なんて、妙な納得を得られたのは良いが、現状は非常にマズかった。

 神様由来の特別な品、その上彼女の手作り料理。それを俺はたった今、ボロクソに貶してしまったのだから。

 

 さっきから、少女は俯いたままだ。それなのに、そこから得体の知れない力が放たれて、俺の頭蓋を揺さぶってくる。全身に冷や汗が湧いてきて、震えが止まらない。少女の方を、直視できない。

 どうやったら、この場を取り繕えるだろうか。

 

「なんて……ごめんなさい、すこしからかっちゃいました」

 

 その言葉とともに、あれほど息苦しかった威圧感が、嘘のように消し飛んでいった。

 

「実はあれ、神殿でもマズいって評判なんですよね。でも、物が物なので、大きな声では言えなくって、おかげで美味しそうなフリをするのが上手くなっちゃいました」

 

 恐る恐る視線を向けると、そこにはいたずらっぽく笑う少女の姿。

 その姿を見ていると、不思議と心が落ち着いてゆく。

 

「影ではみんな、『食べる荒行』だとか『節制の神様は倹約のために舌を売っぱらった』なんて言ったりしてるんですよ。人の事は言えませんよね」

「そうだったんですか……でも、やっぱり手作りを貶してしまったのは、申し訳ないです」

「いいんですよ。だって」

 

 そして、何かを噛みしめるように息をついて。

 

「やっとひとつ教えてもらえましたから。騎士様の食べ物の好み」

 

 姫様は、無邪気な笑顔を浮かべたのだった。



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忍び寄る淫魔の気配

「騎士様。このあたりって、誰も住んでないんですよね?」

 

 姫様が、ぼんやりと呟いた。

 

「そのはずです。少なくとも、ここ二百年ほどは」

 

 俺もぼんやりと返事をする。

 口から出てきたその声は、自分でも驚くほどに自信なさげだった。

 

「じゃあ、あれはなんですか」

 

 呆けた顔の男女二人、揃って目の前の光景を再確認する。

 そこにそびえ立っていたのは、古い城塞だった。

 

 城塞が存在する事、それ自体は何も問題はない。

 この地域一帯は、かつて先代魔王の軍勢と人類との死闘が繰り広げられた古戦場だ。人類圏の後退とともに打ち捨てられた無人の街や砦を、これまで何度も通り過ぎてきた。

 

 だが、今回見つけた城塞には、それらの廃墟とは明らかに違う点があった。

 城塞から視線を上に移した先、夕暮れの赤く染まった空に、いくつもの白い煙が立ち上っているのだ。

 

「あれって、炊事の煙ですよね?」

 

 それは、明らかにここで生活している者達の存在を示していた。

 人類圏から遠く離れたこの地に、誰かが住んでいる。何者なのか。どういう理由で。

 その疑問は、見張り塔の上からひょっこり出てきた男の姿を見て、氷解した。

 背が低く、横幅が広く、岩のように頑健な独特の体。

 

「……ドワーフ」

 

 幽霊でも見たかのような顔をしてこちらを見下ろすドワーフの男と、はっきりと目が合った。

 

 

 

 それから、いくつかのやり取りの後に、俺たちは壁の中に招き入れられた。

 そこで俺たちが目にしたのは、城塞内に築き上げられた、一つの町だった。

 大通りに立ち並ぶ店の数々。行き交う人々。客引きの声。

 それは、祖国の繁華街と何ら変わりのない光景だった。人間の姿が見えず、ドワーフしか居ない事を除けば。

 

 そんな不思議な空間を通り過ぎ、俺たちは城塞の中央に建てられた、大きな屋敷の一室へと案内される。

 中央に巨大なテーブルが鎮座する、広い石造りの大広間。そこかしこに散りばめられた繊細な彫刻の数々が、冷たい石の色調に彩りを与えている。

 本来は会議室か何からしく、たくさんの椅子が並んでいたが、今はほとんどの席は空のまま。

 そして、テーブルの向こうには、見るからに仕立ての良い服を着た老ドワーフが座っていた。

 

「遠路はるばるよく来たのう。今晩はゆっくりと養生して行くといい」

 

 そう言って、老ドワーフは岩から彫り出されたようなゴツい顔を笑みの形に歪める。

 異種族の旅人が、こんなにもすんなりと迎え入れてもらえたのも意外だったが、頑固で排他的と評判のドワーフに、このような好々爺然とした男がいることも意外だった。

 その上、彼はこの町の長だというのだ。

 

 そんな俺の考えが、どうやら顔に出ていたらしい。

 ドワーフの町長は、陽気な声で語りかけてきた。

 

「いやなに、かつての戦友たちの子孫が、百九十三年ぶりに訪ねてきてくれたのが嬉しくてのう。しかも、何やら懐かしい剣を背負っておるし」

 

 戦友。約二百年。そして何より、この聖剣を知っているような口ぶり。

 

「あなたは、前回の魔王との戦争に?」

「ああ。あれは、ワシがまだ四十を過ぎたばかりの若造だった頃じゃな。魔王という存在は、ワシらにとっても脅威じゃったからのう」

 

 遠い過去に想いを馳せるように、懐かしそうな眼で語る老ドワーフ。

 知識として、彼らの寿命について知ってはいたものの、こうして実際に長い年月を生きた者と会話していると、そのスケールに圧倒されそうになる。

 魔王討伐の旅の途中で、先代魔王討伐に関わった生き証人に出会えたことにも、運命的なものを感じずにはいられなかった。

 

「あの、聖剣をご存知ということは、ご先祖様……私たちの建国王様とも、面識がおありなのですか?」

 

 姫様も横から話に入ってくる。

 町長は、目を細めるようにして姫様の顔を眺めると、何かを納得したように頷いた。

 

「遠目に見た程度じゃがな。かつて聖剣を振るい、魔王を討った男。後に国を建てたとは聞いておった。ああ、君には少し面影が残っておるのう。まさか王族の娘さんが、こんな所まではるばるやってくるとは」

 

 姫様と老ドワーフ、揃って感慨深げな顔をした二人は、ぼんやりと物思いにふけっているようだ。

 かつての戦士と、かつての英雄の子孫。何か感じる所があるのだろう。

 特に何の因縁も無い俺は、微妙な疎外感を味わっていた。

 

 その時、広間に一人の女が入ってくる。

 

「宴席の準備が整ったわ。お父さん」

 

 老ドワーフを「お父さん」と呼んだその女性は、しかし全くドワーフには見えなかった。

 長身で、均整の取れた体つき。緩く纏めた金色の長髪。陶磁器のように滑らかに整った顔。その容姿は明らかに、人間のそれだ。

 

「彼女は……そう、数年前に拾った子なんじゃ。どうやら記憶喪失らしく、町の外を彷徨い歩いておってな。今はワシの養子として、ここに住んでおるのじゃ」

 

 人類圏から遠く離れたこの地で、記憶喪失の放浪者。

 何か、複雑な事情でもあるのだろうか。

 

「まあ、そんな事より、宴じゃ! 新たな魔王の討伐という重大な使命を果たすためにも、今宵は存分に楽しんで英気を養ってくだされ」

 

 どうやらいつの間にか、宴会が開かれる事になっていたらしい。

 あまりにも熱烈な歓迎。トントン拍子で進んでいく話に困惑はするものの、このおもてなしは素直に嬉しかった。

 

 以前、姫様の魚捕りの提案を拒否したりもしたが、やはりパンしか口にできないというのは地味にストレスだ。

 ドワーフの宴会料理。ずっと食べていなかった肉、魚、野菜。想像するだけで、胃袋がはしゃぎ始める。

 

「騎士様、宴ですって! どんな料理が出るんでしょうね!」

「楽しみですね! 姫様!」

 

 姫様が興奮を隠せていない。きっと、姫様から見たら、俺もそんな様子なんだろう。

 二人、視線を合わせて頷き合う。

 やはり、同じ物を一緒に食べる事は、絆を深めてくれるのだと実感できた。

 

 ドワーフの町長も、優しい目をしながら頷いている。

 

「ワシらには特別な宴会の時だけ食べる、特別な料理があってな。もしかすると、そちらの国ではもう、伝わっていないかもしれんが」

 

 そのとき、期待と興奮で埋まっていた脳内に、一抹の不安がよぎった。

 そして、それはあまりにも遅すぎた。

 

 各々ジョッキを手にしたドワーフの男の群れが、一斉に広間へと入ってくる。

 彼らに続くのは、数人がかりで運ばれる巨大なお盆。そして、その上に溢れんばかりに積み上げられた、うんざりするほどに見覚えのある、小ぶりのパン。

 

「これがかつて神様から授かったという神聖なる食物。その名も『節制神の聖餅』じゃ!」

 

 町長は、自信満々の声で叫んだ。

 

 

 

 ドワーフ式宴会コースメニュー。

 食前酒、ジョッキいっぱいの酒。

 前菜、例のパン。

 メインディッシュその1、酒。

 メインディッシュその2、酒。

 デザート、酒。

 

 要はさっさと腹を満たして、後は浴びるように酒を飲む。

 そんなものに最後まで付き合ってられないので、俺と姫様は、早々に抜け出して宿へと落ち着いていた。

 どうせ、全員酔っ払っていて気づかないだろう。

 

 今回は二人、別室だった。姫様は少し不満そうだったが、こちらとしてはありがたい。

 もう随分と久しぶりな気がする、独りの時間。以前はこちらの方が日常だったはずなのに、最近はいつも傍らに賑やかな声があった。

 

 床に投げ出していた聖剣を拾い上げ、鞘からゆっくりと引き抜く。

 灯りを消した室内の薄暗闇の中、仄かに光る刀身が、ぼうっと浮かび上がっていた。

 

 道中いくつも見てきた廃墟。町長の言葉。

 旅立つ前は別世界のもののように思えていた魔王という存在が、具体的な痕跡や証人によって、だんだんとその強大さを実感できるようになってきている。

 そして、魔王を打ち倒すためには、この聖剣の力を十二分に引き出すしかない。

 

「けっこう、仲は深まったと思うんだけどな」

 

 つい、独り言が溢れる。

 旅立つ前よりは着実に愛が深まっているはずなのに、聖剣は依然として重たいまま。

 それはつまり、俺の中の欲望が邪魔をしているのだろう。

 

 大きくため息を一つ。聖剣をしまい、そろそろベッドに入ろうかと思った時だった。

 コンコン、と軽いノックの音がした。

 苦笑しながら立ち上がり、ドアへと向かう。また、聖剣が少し重たくなりそうだと予感をしながら。

 

 しかし、ドアの向こうにいたのは、予想とは違う人物だった。

 金髪を靡かせ、質素なドレスに身を包んだ女。先程見かけたあの、町長の娘という女だった。

 

「こんばんは、旅の騎士様。よければ、旅のお話を聞かせてもらえないかしら?」

 

 

 

「つまり姫様は無自覚にドスケベな動きをしすぎなんですよ! なんなんですかあれ! なんでお湯を沸かすだけで俺の理性が削られる事態になるんですか!」

「そ、そう……大変ね」

 

 最初は、無難に道中見たものや魔物との戦いの話をしていたはずだった。

 だが、話が聖剣のことに移ると、後は止まらなかった。

 満月の綺麗な夜。寝静まった静かな街並みを一望できる、城壁の上の特等席。そこに、俺の怒声がこだまする。

 なんだか目の前の女性の顔にも疲れが浮かんできているが、俺にそんな事を気にする余裕はない。

 

「このふざけた聖剣のせいで、毎日毎日ジレンマに襲われて。いっそ捨ててやりたいくらいなのに、これが無いと魔王は倒せないなんて言われて」

「ええっと……そういうことも、あるわよね……?」

「こんな悩み、姫様に言ってドン引きされたらと思うと、もうどうしたらいいか。あなただけですよ、こんな事話せたのは」

「まあ、役に立てたなら、嬉しいけど……」

 

 実際、普段ならこんな悩みを誰にも打ち明ける事はなかっただろう。

 先程の宴会で少々酔っていたとしても、旅先で出会った後腐れのない人が相手でも。

 それを話せたのは、この人の持つ不思議な包容力のおかげだ。人の心の後ろ暗い部分を全て包み込み、受け入れてくれるような、そんな雰囲気。

 

「大丈夫。元気だして。あなたの悩みも、きっとすぐにどうでもよくなっちゃうから」

「本当に、そうなりますかね?」

「ええ、本当よ。だってね」

 

 そして女は、その笑顔のままで。

 

「あなたの旅は、魔王様に辿り着くことなく、ここで終わるんだもの」

 

 気づけば、女の姿が変貌していた。

 印象的だった髪の金色は、魔性を示す紫へと。質素で地味な衣服から、胸と腰だけを覆う大胆な衣装へと。

 そして、背中には大きなコウモリのような翼。腰の後ろからは特徴的な尻尾。

 数々の伝説にその名を残す、英雄を誑かし精気を啜る高位の魔物。その姿はまさしく、淫魔。

 

「先代の魔王を滅ぼした聖剣の新しい使い手。どんな男かと思ったら、まさかこんなウブな坊やだったなんてね」

「淫魔、だと。こんな所で、何をしていた!」

「もうちょっとあなた達が来るのが遅かったら、この町のオトコみんな操っちゃって、あなたを捕まえさせようと思ってたんだけどね。まあ、必要無かったみたいだけど?」

 

 淫靡に微笑む淫魔。その二つの瞳が、爛々と怪しい魔力の輝きを放っている。

 

「淫魔の持つ魅了能力。あなたみたいな欲求不満の男の子には良く効くわ。魔王様は聖剣との直接対決を望んでいらしたようだけど、どうやら叶いそうにないわね」

 

 余裕綽々で語りながら、淫魔は飛び上がり、俺の正面に降り立つ。

 そして、そのほとんど裸同然となった身体を、さらけ出し、見せつけてくる。

 

「さあ、この身体を見て、欲望に素直になりなさい。アタシと一緒に来て。そうしたら、ご褒美をあげるわ……」

 

 その隙だらけの身体を、正面からたたっ斬った。

 ギャアアアアアアアアアアと、さっきまでの妖艶さが嘘のような悲鳴を上げる淫魔。

 

「なんで! アタシの魅了を受けてオチなかったオトコなんていないのに!」

「すまんな、魅了とかぜんぜん効かなかった」

「そん、な……」

 

 淫魔は、聖剣の光に包まれて消え去った。

 

 正直、危なかった。

 勢いで余裕ぶった台詞を吐いてみたものの、魅了能力を抵抗できていなかったら一発で全てが終わっていた所だったのだ。

 毎朝欠かさず行っている素振りの成果か、それとも毎晩の瞑想のおかげか。知らず識らずのうちに、俺の精神の抵抗力はだいぶ上がっていたようだ。

 

 この調子で鍛錬を続けていけば、いずれ聖剣も使いこなせるかもしれない。

 姫様の前でも、平静でいられる時が来るかもしれない。

 それは、この何もかもが奇妙な旅の中で、初めて感じた確かな手応えであった。

 

「そうだ、姫様っ!」

 

 今ここにはいない少女。その様子が、やけに気になってくる。

 淫魔は滅ぼしたが、奴に魅了された手駒がどれだけいたかは分からない。その魅了が、いつ解けるかも分からない。

 もし、俺を呼び出す一方で、姫様の方にも何かを仕掛けていたら。

 そう思うと、目の前が真っ白になりそうだった。

 

 思った次の瞬間には、走り出していた。夜の街並みを通り抜け、まっすぐに、宿へと駆ける。

 その時、手の中の聖剣から、奇妙な感覚が伝わってくる。まるで、どこかへ引っ張って導くような。

 

「この方向に、姫様がいるのか……?」

 

 確証は無い。理由も分からない。

 でも、確かに、姫様はそこにいる。そう心が確信していた。

 宿屋に飛び込み、部屋のある二階ではなく、一階の奥へと。廊下の突き当たり、ドアの向こうへ。

 

 そこに、全裸の姫様がいた。

 

 その呆れるほどに大きい胸と、デカい尻と、ムチムチのふとももと、とにかく全てが、隠されることなく目の前にあった。

 

「騎士様、ここ女湯ですよ?」

 

 裸体を見られているというのに、いつもと全く変わらぬ様子で声をかけてくる姫様。

 その声で、止まっていた時が、俺の意識が動き出す。

 

 握りしめたままだった聖剣が、急激に重量を増す。その手に引っ張られるように横へぶっ倒れ、そのまま床と口づけを交わした。

 おい、今回はお前のせいもあるんじゃないか。クソ聖剣。

 そんな俺の不平を聞くつもりは無いと言うように、聖剣は光を無くして転がっていた。

 

 今日、一つ分かったことがある。

 姫様の身体は、淫魔なんかよりずっと凄かった。



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壊れる時

 きっかけが何だったのかは、よく分からない。

 それはきっと、ほんの些細なことだったんだろう。

 姫様の肌の艶がいつもより綺麗だったとか、髪に少し寝癖が残っていたとか、その程度のこと。

 

 俺は、姫様を押し倒していた。

 

 もうどうなってもいい。

 あの下らない聖剣には、うんざりだ。

 純愛なんて、くそくらえだ。

 頭の中を、数々の言葉が駆け巡った。

 

 散々お預けされてきた身体が、その全てが、俺の両腕の間にある。

 耳に響く荒い吐息は俺のものか、それとも姫様のものか。

 毎日のように抱きつかれて嗅ぎ慣れたはずの匂いも、今は一際甘く脳髄に染み込んでくる。

 乱れた服の端から覗く、新雪のように真っ白な肌。そこに俺の痕跡を刻み込むには、あとほんの少し、距離を縮めるだけ。

 

 最後の一歩を踏み出そうとした、その時。

 何かが、肩を押し返すのを感じた。

 

 弱々しい力。ほんの少しの、形ばかりの抵抗。

 獣欲に身を任せた男を前にして、あまりにも儚い力。

 それなのに、その手を押しのけることが、どうしてもできない。

 それは、この少女が初めて見せた、確かな拒絶の意思だった。

 

 そして俺は逃げ出した。

 姫様も、使命も、聖剣も、何もかも投げ出して。

 

 

 

 空が、綺麗だった。

 雲ひとつ無い晴天から燦々と太陽の光が降り注ぐ。異形の鳥たちが編隊を組み、高い空を滑っている。

 憎々しいくらいに、良い日和だった。

 

 大の字になって寝そべりながら、空を見上げる。

 近頃は寝ても覚めても心休まる時が無かった。少しくらい、のんびりしていても良い気がしていた。

 己の手で傷つけた少女を、置き去りにしたままでも。

 仕方ないじゃないか。だって、あんな事をしてしまった後で、どんな顔で向き合えばいいか分からないんだから。

 

 しかし、会ったこともないがきっと偏屈に決まっている運命の神様は、そんな俺の逃避を許してはくれないようだった。

 

「随分と元気そうですね、暴行魔が。わたしに、あんなことをしておいて」

 

 声が聞こえる。俺を糾弾する声が。

 のろのろと起き上がり、声の方へと顔を向けると、嫌悪を露わにした女が立っている。

 こちらをまっすぐ睨みつけてくる、冷たく輝きの無い瞳。それを見て、俺は。

 

「造形が甘い。姫様はそんな顔してない。声も全く似てない。出来損ないだ」

「これは、手厳しいですねえ。急造にしては、そこそこ自信作だったのですが」

 

 姫様に似せた形をした、何か。

 それが演技を止め、邪悪に唇を歪める。

 

 キラリと、それの周囲で何かが光った。

 目を凝らして見れば、それの四肢のあちこちには細い糸が付けられていて、どれもが上へと伸びている。

 その先に浮かんでいたのは、巨大な手。紫色のそれが指を蠢かせるのに合わせ、姫様の醜悪な似姿がカクカクと四肢を動かし、仮面を変えるように表情を切り替えていた。

 見たことも、聞いたこともない異形。

 だが、それが魔物であることに疑いは無かった。

 

「すみませんねえ。遠い国からはるばるいらっしゃった聖剣の使い手を、出迎えようと来てみれば、まさかあんな面白いシーンが見られるとは思わなかったもので。つい少々遊んでしまいました」

「悪趣味な奴だ。そのまま襲ってくれば手っ取り早かっただろうに」

「残念ながら、我らが神は無駄な殺生が嫌いなお方なのですよ。特に美しい女性などは大切にせよとの教えで」

 

 どうせ、その神とやらもロクな奴じゃないんだろうな。

 なにせ神なんだから。

 

「聖剣を持たぬ貴方を無力化した後で、お姫様と二人一組の生き人形にして差し上げましょう。仲睦まじい恋人同士、ずっと一緒にいられるなんて、素晴らしいとは思いませんか?」

 

 その言葉を合図に、戦いが始まった。

 

 

 

 まず先手を打ってきたのは人形だった。人形らしく小細工も無く、真っ直ぐに飛びかかってくる。

 その顔面に鉄拳を叩き込み、さらに胴を蹴り飛ばす。

 久しぶりに聖剣の重量から解放された体は、実に軽快に動いてくれていた。

 

 そこに、上空から手の本体が強襲してくる。

 見た目からは想像もできない猛スピードの、叩きつけるような突進。あまりの勢いに操り糸が外れ、人形が力無く地面に崩れ落ちる。

 それを軽く横ステップで躱してから、隙だらけの手の甲の部分を踏み抜き、打撃を叩き込む。

 

 瞬間、膨れ上がった嫌な予感から逃げるように、その場を飛び退いた。

 見れば倒れていたはずの人形が、先程まで俺の居た空間を、両腕を広げて通り過ぎていく。

 

「おや、これも避けられてしまいましたか。単純なようで、案外引っかかる人が多いんですけどねえ」

「あいにく、俺は死角から抱きついてくる女に対する護身術の熟練者なんでな」

 

 本物相手には、一度も成功したことが無かったけれど。

 

「剣もまともに振るえない、聖剣頼りの未熟な騎士だとばかり思っていたのですがね。少々認識を改める必要がありますかねえ」

 

 倒れ込んでいた人形が、また起き上がった。

 本体も人形も、こちらの打撃に堪えた様子はまるでない。

 上空から牽制してくる手へと意識を割かされている間に、人形がじりじり距離を詰めてくる。

 

 姫様の雑な模造品。それでも、その姿が傷つき、倒れ、土まみれになってなお動かされ続ける光景に、耐え難い嫌悪感がこみ上げてくる。

 その姿はきっと、姫様自身の未来だ。

 俺が捨ててしまった、姫様の辿る姿だ。

 

 どうして俺は、こんな所にいるんだろう。姫様の傍にいないんだろう。

 気まずさだとか、罪悪感だとか、ケチな自尊心だとか、聖剣への不安だとか。

 そんなもの、姫様の無事に比べたら、取るに足らないものだというのに。

 

 だからこそ、俺は戻らなければならない。愛する人がいて、その人を守るための力が残された場所へ。

 聖剣に拒絶されるかもしれない。本物の姫様にも糾弾されるかもしれない。もう、姫様はどこかへ行ってしまったかもしれない。

 

 それでも、姫様を守るために。自らの手で傷つけ、置き去りにしてしまった愛する人を。今度こそ。

 たとえ、許されなくとも。

 

 そうして俺は敵に背を向け、脇目も振らず走り出した。

 

 

 

 そこには、焚き火の跡と、一人分の荷物と、聖剣だけが残されていた。

 黙って歩み寄り、聖剣に手を伸ばす。

 しかし、触れる寸前で、その手が止まった。

 

「いやあ私、足が遅いもので。ちょっと焦りましたよお。どうしたんですかあ? 聖剣、拾わないんですかあ?」

 

 追いついてきた魔物が、何かを察してか、嘲笑の声を上げる。

 口も顔も無いバケモノだけれど、どんな表情をしているかは、人形が教えてくれていた。

 

 既に選択肢は一つしか残されていない。

 今の俺がまだ、聖剣を振るえること。その可能性に、賭けるしかない。

 硬直したまま動かない手に、力を込めようとする。

 

「ああ、よかった! 騎士様、帰ってきてくれたんですね」

 

 そこに、緊迫した空気をぶち壊すような、底抜けに明るい声が響き渡った。

 

「騎士様、聖剣も持たずに行っちゃって、何かあったらどうしようって心配だったんですよ?」

 

 まるで、何も起きなかったというかのように。

 ちょっと散歩に行った人間を出迎えるかのように。

 人を責めるという感情を持たないかのように。

 

「姫様、俺は姫様を襲ったんですよ。抵抗する力の無い女性を相手に、己の欲望を満たそうとした最低の人間なんですよ。どうしてそんな風に平然としていられるんですか」

「え、だって、嫌じゃありませんでしたし」

 

 一刀両断。

 俺の葛藤を、苦悩を、ビリビリに切り裂いて丸めてゴミ箱に放り込む。

 

「本当は抵抗するつもり無かったんですけど、ほら、聖剣たぶん使えなくなっちゃいますし。まあ別にそれは良いんですけど、騎士様はきっとすごく後悔するんだろうなって思ったら、つい」

 

 挙句の果てに、あれほど拘っていた、生きる意味のように言っていた聖剣を「それは良いんですけど」で済まされた。

 その、怖いほどの優しさが、疲れてささくれた心に染み入ってくる。

 

「さあ、騎士様。敵を前にして申し訳ないんですけど、ちょっとこちらを見てもらえませんか?」

「また、襲うかもしれませんよ」

「嫌じゃないって言ってるじゃないですか。それに、大丈夫ですよ。あなたはちゃんと、聖剣にも認められる、立派な騎士様ですよ」

 

 ずっと振り向けずにいた俺の顔に、見えない暖かな両の手が添えられたような気がして、首がゆっくりと回っていく。姫様の声のする方へと。

 そこに、立っていたのは。

 

 美少女 in ズタ袋。

 

 他に、その姿を形容する言葉が見つからなかった。

 その顔は確かに愛する姫様の美しい顔。だが身に纏ったその服は、いつもの妙にサイズの合っていない白装束ではなく、謎の布の塊としか言いようがない物体だった。

 

 地味を通り越して貧乏臭さの漂う雑な色合いの分厚い布。それが姫様の全身を覆い尽くしている。

 ずっと俺を悩ませ続けてきた胸、尻、ふともも、どれも布の洪水に埋もれて、気配すら感じ取れない。

 ああ、ようやく彼女の言葉の意味が分かった気がする。

 

「これはですね、愛の女神様が考案されたという、清貧と純愛を貫くための神聖なる衣装なんです。凄いんですよこれ、こんな見た目なのに夏でも涼しくて、動きやすくて」

 

 また、神製品か。

 

「そして最大の効能は、着るだけでどんな女性でも性的魅力を無くしてしまい、貞淑さを守ることができる画期的なデザイン! まあ神殿ではダサすぎて女性陣から蛇蝎のごとく嫌われてましたし、あだ名は『着る荒行』とか『神器避妊具』とかだったんですけど」

 

 姫様のセールストークを聞いていると、俺の小さな悩みなど全部どうでもよくなってくる。

 おまけに、すっかり緊張の取れた手が、いつの間にか聖剣に触れていて。

 そこからは目がくらむほどの激しい光が放たれていた。

 

「あの、こんなので認められるって、納得いかないんですけど」

「まあまあ。それに騎士様なら、私のこんな小細工が無かったとしても、きっと聖剣に認められていただろうって信じてますよ?」

「そうだったら良いんですけどね……」

 

 すっかり気の抜けた空気の中、ふと視線を戻すと、光に阻まれ近づくことすらできずにいる、手と人形がいた。

 無造作に手を上げると、これまでの苦労が嘘のような軽さで持ち上がる聖剣。

 すっと降ろすと、傀儡師と傀儡は揃って両断され、光になって消えていった。

 あまりにもあっけない、終わりだった。

 

「姫様。魔王を倒して、二人いっしょに国に帰って、聖剣がもう必要無くなったら、その時に、伝えたい言葉があります」

「……はい。その時が来たら」

 

 旅の終わりは、近い。



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純粋なる愛の剣

「魔王を倒したら、女神様と結婚できるらしいですよ」

 

 朝食後の緩やかなひとときを堪能する暇もなく、またいつものように唐突な話題が始まった。

 

「女神様って、あの愛の女神様ですか?」

「そうですそうです。ご先祖様が魔王を倒した後、愛の女神様を娶ったという言い伝えがあるんです」

「それは……なんというか」

 

 神様が直々に何やってるんだとか、褒美は美女ですなんて神様のくせに俗物的すぎるとか、色々と思うところはあるけども。

 

「じゃあ、姫様って女神様の血を引いてるんですか」

「一応、そういう事になりますけど。そこなんですか、気になるところ」

 

 そりゃ気になる。

 女神のような顔だとは常々思っていたが、まさか本当に女神から受け継がれたものだったとは。

 

 しかし、そう言われてみれば、思い当たる事もある。

 美貌だけではない。微妙にズレた思考や感性。それに、ともすれば人間味がないようにすら感じてしまう、底の見えない慈愛。

 姫様のそういった部分が神の血に由来するものだというのなら、少し納得できる気がした。

 

「それよりも、女神様ですよ女神様! そんなお方と結婚できるなんて、男の人なら憧れたりしないんですか?」

「そう言われましてもね……」

 

 そこで、ちょっと思いついて。

 

「女神様なら、もう間に合ってますから」

 

 冗談っぽく言ってみると、気づいたらしい姫様が、顔をほんのり赤らめて。

 あっという間に、沈黙が訪れる。温かな沈黙が。

 しばしの間、愛しい人と見つめ合いながら、穏やかに流れる時を味わい続けた。

 

「そろそろ、行きましょうか」

「……はい。行きましょう」

 

 風が、強く吹き始めた。

 巻き上がる砂埃の向こう、暗雲立ち込める空の下に、漆黒の威容がそびえ立つ。

 それこそが魔王の居城。俺たちの目的地だった。

 

 魔王は聖剣との対決を望んでいる、とは誰が言っていたのだったか。

 その言葉が真実であると主張するように、城の内側から尋常でない気配が垂れ流されている。

 

 そもそも、この城の場所も、向こうから教えてきたのだ。

 近頃はちょっと知能の高い魔物に遭遇すると、どいつもこいつも親切に、この城の事ばかり話しやがる。

 まったく、どこまでも舐められたものだ。

 

「必ず、あのふざけた魔王とやらを倒します」

「……騎士様なら、できますよ」

 

 そして、二人歩きだした。

 

 

 

 城の正面に位置する、固く閉ざされた城門。その両脇に仁王立ちする、見上げるほどの体躯の門番達。それらを纏めて、聖剣の一閃で両断した。

 分厚い金属の残骸が崩れ落ち、轟音が撒き散らされる。それが、開戦を告げる太鼓の音となった。

 

 城内に侵入すると、すぐに熱烈な歓迎をされた。

 狭い通路や部屋を埋め尽くすような魔物の大群。それらが一斉に襲いかかってくる。

 だが、問題は無い。

 聖剣を一振りすれば、右陣の集団が消し飛んだ。返すようにもう一振りしたら、左陣の集団も消し飛んだ。

 無人の野を行くように、長い廊下を駆ける。

 頭上を飛び越えた魔物が、後方の姫様を狙おうとする。

 無造作に聖剣を突き出せば、刀身から矢のように光が撃ち出されて魔物を貫いた。

 

 聖剣から激しく光が迸っている。愛の光が。姫様への愛が、燃え上がっている。

 もう、何者にも負ける気はしなかった。

 広い階段を駆け上がった先、一際大きく豪奢な扉を斬り開く。開けた視界のその向こう、荘厳な大広間の最奥、玉座から立ち上がる一つの影。

 最後の戦いが始まる。

 

 

 

 戦いは、あっという間に終わった。

 いや、それは戦いと言うには、あまりにも一方的だった。

 

 問答無用で魔王の懐に飛び込み、無防備な胴体に聖剣を叩き込んだ。

 その一撃が、あっさりと弾かれた。

 負けじとがむしゃらに剣を振るい続けたが、魔王の肌に傷一つ付けられない。

 そして、魔王がただ片手を上げただけで俺の体は弾き飛ばされ、こうして床を舐めている。

 圧倒的な、力の差。

 

「先代の魔王が敗れ去った聖剣。それに打ち勝って初めて、余は魔王として立つことができる。そう思っていたのだがな」

 

 魔王の冷酷な視線が、無様に地面に這いつくばる事しかできない、俺の姿を捉える。

 

「こんなものか」

 

 敵とする価値もない。その眼が告げていた。

 

「姫様……どうか、逃げて……ください……」

 

 魔王から顔を背け、思うように動かない体でなんとか後ろへと振り返り、懇願する。

 この力の差、この状況で、それはあまりに望みの薄い願い。

 それでも、今の俺にできることは、それしか残されていなかった。

 

「逃げてみてもよいぞ。期待外れの聖剣の代わり、余興くらいにはなろう。捕まったら、宣戦布告の書状代わりに加工して、貴様の祖国へ送りつけてやるがな」

 

 守ると誓ったはずなのに、結局俺は姫様を守ることができない。

 かつて魔王を倒したはずの聖剣が敗れた。純粋なる愛の力で、万物を断つと言われた聖剣が、敗れた。

 それはつまり、俺の愛が、姫様への愛が、足りなかったということ。俺が、姫様への欲を捨てきれなかったということ。

 その事が、ただ悔しかった。

 

「……すまない」

 

 最後に漏れたのは、謝罪の言葉。

 

 ぐにゃりと歪んだ視界の中の姫様は、逃げようとする様子もなく、静かに立っている。

 俺の頭に渦巻く自責も後悔も、全て分かっているというような顔をして。

 

「騎士様、そんなに自分を責めないで下さい。人間、本当に純粋な愛なんて、そうそう持てるものじゃありませんよ。愛する人が傍にいれば、必ずどこかで欲が出ちゃいますって」

「でも……かつての聖剣の使い手は……」

「ええ、かつて私のご先祖様は、それを持てたはずなんですよね」

 

 こんな状況でも、姫様は笑っている。

 きっとそれは俺を元気づけるために。自分の身など、どうでもいいというように。

 

「私、言いましたよね。ご先祖様は、女神様をお嫁に迎えたって」

 

 やっぱり、姫様の話は唐突で、何を言おうとしているのか、戸惑ってしまう。

 

「でも、それっておかしくないですか? ご先祖様には、純愛の聖剣を真に扱えるほどに、愛した人が居たはずなのに。その人じゃなくて、女神様と結婚するなんて」

 

 ただ、よく分からない不安が全身を駆け巡った。

 

「きっと、その時も、こういう事だったと思うんです」

 

 真っ赤な華が咲いた。

 姫様の胸元から、そこに突き立てられた短剣の先から、赤い花弁がダラダラと伸びていく。

 花弁が広がるにつれて、姫様の体が熱を失っていく。

 その、最後の一片が落ちた時。

 姫様は、息絶えた。

 

 最後まで、いつものような笑顔で。

 最後まで、俺は姫様の事を理解できていなかった。

 

 後ろで誰かが喚いている。けれどその音が、頭に入ってこない。

 目の前には、姫様だったものが転がっている。

 

 その身体に散々心を乱された。その顔に何度も勇気づけられた。

 その身体を好きにしたいと思わない時は無かった。その顔に、ずっと笑顔でいて欲しいと望んでいた。

 

 でも、姫様はもうどこにもいない。ただの抜け殻しか残っていない。

 ずっと心にあったいくつもの想い。願い。望み。

 拠り所を失ったそれらが、心の中に白く溶けて消えていく。

 

 最後に残ったのは、愛だけ。

 ただ姫様を愛した、その心。それだけは、たとえ姫様がいなくなっても、きっと永遠に残り続ける。

 

 それは、純粋な愛。

 

 いつの間に立ち上がっていたのか、自分でも分からなかった。

 視界の中、ありとあらゆる方向に、眩い光が渦巻き溢れている。その光は、自分の手の中から出ているようだった。

 次第に勢いを増す光の奔流が、視界を埋め尽くしていく。何もかもが白く染め上げられていく。

 真っ白な世界の中で、全てが消滅していく。

 

 やがて、光が収まった時。

 そこには、まっさらな大地だけが残されていた。

 

 こうして、俺たちの旅は、終わった。



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純愛なんてくそくらえ

 何もない平野をずっと眺めていた。

 草も木も無い、鳥や獣や魔物も近寄ってこない、どこまでも続く平らな大地を。

 

 そこに、何の前触れもなく、女の姿をしたものが現れる。

 その顔は、見慣れたあの顔とよく似ていた。

 でも、そこに浮かべた表情は、あの少女のそれとは似ても似つかない。神々しく、人間味がないほどに、慈愛に満ちていた。

 

「誰だあんた」

「わたしは女神。愛の女神ピュアハート。見事、魔王討伐を成し遂げた英雄に、まずは心よりの称賛と感謝を」

 

 ずっと話に聞いていて、ずっとどんな奴だろうと想像していた女神が、そこにいた。

 

「おかげさまでな。終わってからノコノコやってきたあんたはともかく、聖剣様は本当に活躍してくれたよ」

 

 抑えきれないトゲが言葉に混じる。

 それを気にする様子もなく、慈愛の顔を崩さぬ女神。

 

「神とて、地上で自ら振るえる力は、人間とそう変わりないのです。それに、わたしは全ての者を愛する愛の女神。たとえ愛無き魔物であろうと、心ある者を自らの手で傷つける事ができぬ身。だからこそ、その聖剣を作ったのです。真に愛深き者であれば、その力を正しく使うであろうと信じて」

 

 人形のように変わらぬ表情のまま、淡々と言葉が並べられていく。

 

「ですが、此度の戦いもまた、悲しき結末となってしまいました。意図していなかった形で、悲劇は繰り返されました。わたしはその責任の、埋め合わせをしなくてはなりません」

 

 そこで初めて、女神は表情を動かす。

 それは、やはり人間味のない、笑顔。

 嫌な予感しかしない、笑顔だった。

 

「ですから、結婚しましょう」

 

 かつての英雄も、きっと同じことを言われたのだろう。

 彼は一体、どんな思いでそれに頷いたのか。

 

「愛する人を失ったあなたに、わたしが代わりに愛を与えます。もちろん、あなたは英雄なのですから、わたしも口うるさい事は言いません。わたしの身体を欲望の捌け口にするも、他に愛する人がいるなら重婚するも、全てあなたの自由です。それに」

 

 なおも何かを言い続けようとする女神の足元に、黙って聖剣を放り投げた。

 それはカランカランといい音を立てて転がりながら、徐々に光を失ってゆき、やがて沈黙する。

 

 ようやく口を止めた女神の顔に、初めて人間味のある感情らしきものが浮かぶ。

 それは、無垢な戸惑い。疑問。

 

「よく分かった。間違いなくあんたは、その下らない剣の製作者だよ」

 

 その顔に背を向け、歩きだす。

 

「こんなのが、愛だなんてな」

 

 背中に、ずっと纏わり付く視線を感じながら。

 二度と振り返ることは無かった。

 

 

 

 からっぽな心で、からっぽな旅路を歩き続けて、ようやく王都に帰り着くと、街を挙げての熱烈な歓迎が待ち構えていた。

 大通りの両脇に並ぶ人々。誰も彼も泣いたり笑ったり、大げさなほどに感情を露わにして、みな一様にこちらを見ている。

 群衆によって作り出された長大な凱旋道は、王都正門からまっすぐ街を貫いて、王城にまで続いていた。

 それに導かれるように、俺は王城に辿り着く。全ての始まりを宣言した男、国王の元へと。

 

 彼は、どうしてか本来の謁見の間ではなく、人気のない離れの部屋に俺を迎え入れた。

 

「あんたは知っていたのか? 前回の魔王との戦いの、その結末を」

 

 もはや、畏まった態度を取る気にもなれなかった。

 

「知っていたとも。おそらくは、今の貴公よりもな。若き日の建国王が、最愛の人の亡骸から聖剣を取り、魔王を消滅させた、その苦悩の記録。預言により知らされた、遠からぬ先の魔王の再来。そしてかつての私は考えた。きっと、次も同じ事が起きねば、魔王を倒すことはできぬであろう、と」

 

 飾り気のない、閑静な部屋で、羽虫の飛び回る音が、やけに大きく耳に響いていた。

 

「だからお膳立てをした。結局の所、聖剣の真の力を解放出来るか否かだけが、全てなのだ。男女二人、旅の苦難を乗り越える事で、愛を育ませる。そして、そのうちにどちらかが死ねば、残った方が聖剣によって魔王を滅ぼす。到底計画とは呼べぬ、恥ずべき、杜撰な話だ。だが効率がよく、まだ勝算が高い方だった」

 

 一匹の羽虫がランプに飛び込み、音を立てて焼けた。

 

「その事を、姫様は?」

「教えた事は無い。そもそも、会った事すら数えるほどだ。だが、察していたとしても不思議ではない。あの娘の母親も、聡い女であった」

「どうして、姫様が」

「犠牲が避けられないのであれば、せめて可能な限り身内から。それが王族として、英雄と女神の血を引く者としての使命である」

 

 疲れ切った顔。憔悴した声。そして、一抹の安堵。

 

「だが、道連れの選択をあの娘に押し付けてしまったのは、私の心の弱さゆえだ。いや、そもそもあの娘を自らの手で育てなかった事も、真実を話せなかった事も、全ては情を捨てきれぬ、私の弱さだったのだろうな」

 

 そこにいたのは、ただの苦悩する父親だった。

 

 聞きたいことは聞いた。

 黙って席を立とうとすると、顔を上げた男に呼び止められる。

 

「実はな、昨日王位を息子に譲ったのだ。少々勇気には欠けるが、優秀な子だ。きっと繁栄させてくれるであろう。この、女神に守られし国を」

「はあ」

「それと、この部屋に近寄る人間は滅多におらぬ。護衛も外させておる」

 

 本当にこの一族は、回りくどい言い方が好きらしい。

 

「つまりだ。今、この場でこの老いぼれ一人の身に何かが起きようと、何の問題にもならぬであろう、という事だ」

 

 そして、すぐに平然と自らを投げ捨てようとする。

 

「お戯れを。先王陛下」

 

 もう、用は無かった。

 

 

 

 救国の英雄という肩書きのおかげで、俺の暮らしはだいぶ変わった。

 まず住む所からして違う。国中から選りすぐられた職人たちの手によって、俺一人のためだけの豪邸が建てられてしまった。

 

 でも、あまりに急ピッチで建てられたので、流石の職人たちも満足に仕事が出来なかったのだろう。

 あるいは、実はあまり腕が良くなかったのかもしれない。

 なにせこの家、いつもぐにゃぐにゃなのだ。

 

 本当なら直線であるべき柱が、ぐにゃぐにゃに曲がっている。壁もぐにゃぐにゃと蠢いている。

 ベッドも本棚も、ありとあらゆるものがぐにゃぐにゃしていた。

 だんだん部屋が斜めに傾いてゆく。遂にはぐるりと反転して、床が遥か頭上に見えていた。逆さで天井に貼り付いている俺の傍らに、空き瓶の山が仲良く貼り付いている。

 

 挙句の果てには部屋にゾウが乱入してきた。

 ひらひらと宙を舞い踊るドワーフのおっさんたちを掴み取りするライオン。モグラがパンの操り人形で腹話術を披露している。

 もう、わけの分からない光景が広がっている。とんだ欠陥住宅だ。どう文句をつけてやればいいんだろう。

 

 終いには、きっと夢でしか出会えないような、美しい少女まで現れた。

 

 その胸は、この世のものとは思えないほどにデカかった。

 尻もデカくて、ふとももはムチムチだった。

 少し懐かしい純白の衣装は、その豊満さを隠すにはあまりに貧弱だった。

 女神なんかよりずっと可愛らしく、淫魔なんかよりずっと魅力的な、少女がそこにいた。

 

「いろいろ、お話ししたい事はあるんですけど……」

 

 少女が口を開く。

 いつの間にか、部屋は静かになっていた。

 

「ただいま帰りました。騎士様」

 

 思わず、抱きしめたその身体は、夢ではあり得ない、確かな温もりを伝えてきていた。

 

「おかえり」

 

 

 

「気がついたら、女神様が目の前にいらっしゃったんです」

 

 少女の体温を、息遣いを、匂いを、柔らかさを感じながら、ぽつりぽつりと、耳元で囁かれる言葉を聞いていた。

 

「それで私、なんだか神様になっちゃったみたいで」

 

 初めて、自分から抱きしめたその身体。

 それは、以前と変わらぬ蠱惑的な感触を与えてくれていた。

 

「理由は教えて頂けなかったんですけど、騎士様にまた会えるなら、どうでもいいかなって」

「はい。どうでもいいですよあんなの」

 

 微妙にトゲの残っていた俺の言葉に、訝しがる姫様。

 それを無視して、より強く、抱きしめる手に力を込める。

 ずっと、こうしていられたら。温もりを感じていられたら。後のことなんてどうでもいい。

 

 だが、突然俺はその温もりから引き剥がされ、突き飛ばされる。

 他ならぬ、姫様の手によって。

 

「騎士様、魔王を倒したんですよね」

 

 呟きながら、ゆっくりと歩み寄ってくる姫様。

 俺はというと、何が起きたかも分からず、仰向けに倒れていた。

 

「私たち、こうして帰ってこれました」

 

 酒浸りの酔いを急に思い出したように、脱力する体。

 ただ、姫様を眺めることしかできない。

 

「あの下らない聖剣も、もう必要ありません」

 

 その顔が、急接近する。愛する人の顔が、視界を埋め尽くす。

 いつになく真っ赤な頬で、蕩けるような声色で、姫様は囁いた。

 

「だからもう、純愛なんてくそくらえ、ですよ」



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