キツネノヨメイリ (白田まろん)
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プロローグ
田舎の集落
よろしくお願いします。
「おや、これは狐の嫁入りですかねえ」
役場の担当者は、晴れているのに窓に当たる雨の音を聞いてそう微笑んだ。
瞬間、口元を四角い布のような物で隠し、傘を差して田舎道を練り歩く行列の姿が目の前に広がった。脳裏に浮かんだというのではない。まるで自分がその場で眺めているように鮮明な光景だったのである。
だがそれも
あれはなんだったのだろう。担当者の『狐の嫁入り』という言葉に、以前ネットかテレビで見た映像を思い出しただけだったのだろうか。
それにしてはハッキリしすぎていたような気がするが……
俺は
その俺がなぜ平日の日中に役場を訪れているのかというと、田舎にテレワーク先を求めたからである。実は勤めている会社が本社の事務所を縮小し、社員は一部を除いて完全テレワーク化することになったのだ。
つまり、高い家賃を払って都内に住み続ける必要がなくなったというわけである。
ここはネットで調べ、有給休暇を使って旅行がてらに訪れたとある田舎の役場。俺のような移住希望者に空き家を紹介してくれる制度があったのだ。
二年前に両親が飛行機事故で他界し兄弟もいなかった俺には、保険金にたかってくる名ばかりの親戚を除くと身寄りがなかった。加えて恋人もいなかったので、現在の住まいに未練なんて微塵もない。
友達?
そんなもの、とっくに疎遠になってるよ。元々社交的じゃなかったから、友達と呼べる存在がいたのかどうかさえ微妙だし。
「特に広さは求めませんが電気、ガス、上下水道が完備されていて……」
「はい」
「
「ええ」
「車がなくても生活に困らないような……」
「ふむ」
「そんな都合のいい物件なんて、さすがにないですよね?」
「いえいえ、ちょうどいい物件がありますよ」
「ですよねぇ……あ、あるんですか!?」
「ええ。住民は五十人ほどしかいない集落ですが、ライフラインは問題ありません。お一人で住まれるには少々広いとは思いますが……」
建物は合掌造りで真冬には雪おろしも必要だが、集落の人たちは助け合って乗り切っているという。
そういうの、いいね。
実際には大変な作業なんだろうけど、殺伐とした都会でしか生活したことがない俺にとっては憧れである。
「そうそう、携帯やネットはどうです?」
これは大事だ。使えなければ仕事が出来ない。
「主要三社の電波は問題ありません。ただ、インターネット回線に関しては……」
「ま、携帯の電波がちゃんと来てるなら、モバイルルーターでなんとかなるでしょう」
「そうですか。私はその辺りに疎くてすみません」
「いえ。あ、あと暖炉とか薪ストーブなんかは?」
ロマンだよ、ロマン。
「一応薪ストーブはあります。しかしエアコンも完備されてますよ」
「そうですか。なら安心ですね」
「ところで夕凪さんは温泉はお好きですか?」
「ええ、普通に日本人ですから……ま、まさか!?」
「そのまさかです。天然温泉が引かれてましてね。まあ、もちろん毎月温泉組合に加入と固定費の支払いが必要ですけど」
「固定費?」
「ポンプが壊れた時などのための費用なんかを積み立てておくんですよ。もちろん運営費も含まれてます」
修理にはけっこうな額がかかり、個人では直せないケースが多いとのこと。
「高いんですか?」
「今はプール金がそこそこ貯まっているそうなので一万円ほどですね」
「ちなみに家賃は……?」
「ああ、家賃はいりません」
「は?」
「住む人がいないと荒れますので、地主さんが家賃は取らないことにしたようです」
温泉付きの合掌造り家屋が家賃ゼロで固定費のみとは。
いや、温泉組合への加入費とかもあるが、それらは一度支払ってしまえば済む話だ。元から温泉が引かれた建物なので温泉権を買う必要もない。
独り者には広いといっても、狭いよりはずっといいよ。
しかし、確認すべきことは他にもある。
「皆さん買い物はどうされているんです?」
「集落の中にコンビニがあります。地主さんが経営されていて、スーパーのように安売りなどはされてませんが、そこらのコンビニと同じ価格で物が買えます」
「つまりは定価販売と」
「そうですね」
それでもコンビニがあるとは驚きだ。もっとも田舎の集落にあることを考えれば、営業時間や品揃えは期待出来ないだろうがないよりはマシである。
あとは……
「病院や診療所なんかは近くにありますか?」
「それも集落の中に診療所があります」
「マジで!?」
「ええ。
周辺の町や村に往診に行ってしまい、不在にするなんてこともないという。それは頼もしいとしか思えないよ。
病院などの有無は最重要事項だ。命に関わろうと関わるまいと、たどり着くまで何時間もかかるようでは安心して生活出来ない。
あと、免許は持っていても車がない俺は通販をよく利用していたが、衣類などのコンビニで手に入らない物についてはそれで解決出来ると思う。
田舎だから余分に送料や日数がかかるとしても、なるべく頻度を減らせば済むだろう。
集落の場所を教えてもらい実際に訪れてみると言うと、公共交通機関は朝夕二本のバスのみしかないとのこと。
そこで担当者が地主さんに連絡を取ってくれたのだが、そしたらなんと送迎してもらえることになったんだよ。
地主さんは気さくな人柄がにじみ出る六十五歳のお婆さんで、コンビニの店長さんでもあるそうだ。決まった店員はいないらしいが、同居している高校生のお孫さんが時々店を手伝ってくれているとか。
貸す予定の家も見せてもらうと、古さは否めないものの掃除が行き届いていて気分がよかった。置いてある家財道具は自由に使っていいという。
至れり尽くせりとはこのことだよな。
また、浴槽には止めることが出来ないので常に温泉の湯が張られている。止めると他の家の湯量に影響が出るからだそうだ。折角だからと入らせてもらったのだが、これが実に気持ちよかった。
携帯の電波もバッチリ。ここならストレスなくテレワークが出来るだろう。
こうして俺は、名も知らなかった集落に移住することを決めるのだった。
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第一章 白箇山集落
第一話 手作り弁当
晴れ渡る青い空。澄んだ空気。
引っ越しを終えて荷ほどきも済ませ、俺はとうとう
一番近くの町まで車で一時間、とても歩ける距離ではない。しかし元来が引きこもりなので、その程度のことは
「どうしても必要なら言ってくんな。車貸すけえ」
「
四条
下見に来た時に送り迎えしてもらったが、切り立った崖の山道もスイスイ進むのである。しかも隣に乗っていて恐怖を感じなかったから不思議だ。
テレビの番組でそんなシーンを目にしたことがあって、あの時は見ているこっちがヒヤヒヤしたんだけどな。
彼女のご主人は昨年七十歳で他界し、息子さん夫婦は東京に住んでいるそうだ。しかしその子供、つまりお孫さんは都会の空気で肺をやられてしまったため、集落に戻ってきたとのことだった。
「接続も問題ないな」
会社から支給されたモバイルルーターの調子は良好。仕事で使うノートパソコンから本社のファイルサーバーへのアクセスも確認が取れた。
業務用端末にも遠隔ログインオーケー。なんの支障もなさそうである。
社内限定利用のビデオチャットで上司にそのことを告げると、俺は引っ越しのために仲間任せになっていた資料の確認を始めた。引き継いだ後の進捗は予定の半分も進んでいない。
「しょうがねえなぁ」
仲間と言えば聞こえはいいが、実際には単なる同じ部署の社員というだけのこと。彼らにも担当している業務があるので、進みが遅いのは仕方がない。
仕方がないのは分かるのだが……
「やれることはやっといてくれよ」
独りごちたところで何かが変わるわけでもないし、小さいオジサンが勝手に資料を作ってくれるわけでもない。
余談だが小さいオジサンが云々というのは、パソコンが勝手に仕事を進めてくれたらいいなぁ、という願望から生まれたスラングのようなものである。言ってみればパソコンの精……精霊がオジサンてのもなんだかなぁ、といったところか。
まだ有給休暇中なので一通りの確認だけ済ませてから、ここに来るに当たって新しく購入した六十五Vの大型液晶テレビ設置に移る。ニュースはネットで事足りるし、最近の番組コンテンツには魅力を感じるものが少ないので、実際そんなに観るわけではないんだけどな。
ただ、普段居間として使う部屋は二十畳ほどと広い。しかも畳は都会のマンションサイズではなく、田舎によくある大きいタイプなのだ。そんな空間に二十四型のテレビじゃ迫力ないだろ。
それにいくら観ないといっても、食事の時くらいはスイッチ入れるからやっぱり大っきいテレビは必要なんだよ。
ま、正直に言うと物欲だ、物欲。
同時に買ったサラウンドスピーカーも繋げた頃には少し腹が減ってきた。
もう一つ、新たに購入したダブルサイズのベッドも組み立ては終わったし、ひとまず飯にしたいところだが食料がない。
「軽く食える物くらい置いてあるといいな」
ということで、地主さんが経営しているというコンビニへ。なんだかどこかで見たタヌキキャラの店と色使いが似ている気がするが、チェーンの名はどこにも使われていない。いいのかよ。
「こんにちは」
「あ、
元気よく挨拶を返してくれたのは
身長は百五十センチくらいかな。肩くらいまでのこげ茶色の髪に、少し垂れ目気味でどちらかというと丸顔の童顔が可愛らしい。
人懐っこい笑顔は初対面の時から変わらず、とても肺を患ったとは思えないが、肌が白いのはそのせいかも知れない。
胸は服の上から何となく膨らんでいるかな、と分かる程度。しかし背筋が伸びていて腰もキュッと締まり、尻がツンと上を向いているので立ち姿は美しいの一言に尽きた。
俺が同じ高校生だったら、絶対に好きになってたと思う。
休みと言いながら制服にエプロンを着けているのは、まあこの際聞かないことにしよう。もしかしたら校則で、学校が休みの日でも制服を着なければならないのかも知れないし。
「あれ、四条さん……お孫さん、学校は休み?」
「もう! 雅也さん、その呼び方やだ!」
「でも四条さんだと地主さんと被るし」
「だから名前で呼んでって言ってるじゃん」
「いや、それはちょっと……」
学生時代は女子とまともに話したことなんてなかったし、卒業してからも仕事に行く以外はほとんど引きこもりだった俺だ。
それなのに、まだ数回しか顔を合わせたことがない女の子を名前呼びするなんて、ハードルが有頂天てなもんだよ。
「名前で呼んでくれないと食べ物売ってあげないから」
「え? どうして俺が食べ物買いに来たって知ってるの?」
「あ……な、なんとなく……なんとなくそんな気がしただけだよ」
「ふーん……」
今なぜ目を逸らした。
それはそうとこの店、初めて案内された時もそうだったが、外観に似合わずだだっ広く感じるんだよな。その時はどんな物があるかまでは見なかったんだけど……
なんだよ、これ。
俺は目当ての食品コーナーを見つけて驚いた。お弁当やお惣菜、おにぎりからサンドイッチに至るまで、都会のコンビニの品揃えと遜色ないのである。
住民わずか五十人程度の集落だぞ。需給バランスが取れてるのか心配になるレベルだ。
プライベートブランドのような商品はさすがになかったが、その代わりに手作りと思われるお弁当が置いてある。しかもすっげー美味そうなのに、値段は税込みでワンコイン程度。
器もなんだか普通の弁当箱……なになに、食べ終わったら器はお店に返して下さい……ふむ、なるほど。容器の再利用で値段を抑えているわけか。小さな集落ならではの発想だな。お陰で手作り感もマシマシである。
うん、買うならこれしかないだろ。
「あ、そのお弁当買ってくれるんだぁ!」
「うん?」
「それね、私が作ったんだよ」
「へ? へえ……」
「ああ! 信じてないでしょう!」
「い、いやいや……」
俺は別にいいが、食品衛生法とかそんなのに引っかからないのか?
ま、気にしても仕方ないか。
可愛い女の子の手作り弁当なんて、俺にとっては生まれて初めて手にした宝物だ。いくら手作りでも単なる商品だって?
いいんだよ。可愛らしいナプキンに包まれて、彼女から両手で手渡しなんて俺には夢のまた夢だ。彼女いない歴イコール年齢なんだよ。悪かったな。
ところがそんなことを考えていると、いつの間にか栞さんが弁当を可愛らしいナプキンで包んでいたのである。
さらにそれを両手で差し出され……
「え?」
「雅也さんはうちで初めてのお買い物だからサービスだよ。これ、私からプレゼント!」
「はい?」
「その代わり、食べたら感想聞かせてね」
「えっと……」
「今回だけ。次はちゃんとお金もらうから」
「つまり……タダ?」
「そ。タダ」
代金はちゃんと払うと言ったが、女の子から手作り弁当をもらうなんて初めてなんでしょう? と押し切られてしまった。
いや待て、どうしてそんなことを知ってるんだよ。
その疑問に気づいたのは、あまりの美味さにすっかり弁当を平らげた後だった。
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第二話 テレビのお返し
「ずっと私の手作り弁当ばっかりなんだって?」
「うわっ! お孫さん?」
「だーかーらー、その呼び方やだって言ってるのにぃ!」
「てか、どこから入ってきたんだよ!?」
「ん? あっち」
そこは居間、基本的に俺が一日を過ごす部屋である。そして
って、納得出来るかっての。
「なんで勝手に……」
「だぁってぇ、呼んでも出てこなかったし鍵開いてたしぃ」
「だからってさあ……」
「いいじゃんいいじゃん。私と
「どんな仲だよ」
「手作りのお弁当を作る方と作られる方」
タダでプレゼントされたのはあれ一度きりだ。美味いからすっかりハマってしまったが、ちゃんと代金は払っている。弁当箱だって洗って返してるぞ。
しかしまあ、開いてるからって家に上がり込んでくるのは田舎ではよくあるって聞くしな。目くじら立てても仕方ないだろうし、なにか悪さをするわけでもなさそうだから気にしないでおこう。
「雅也さん」
「うん?」
「ご飯、作ってあげようか?」
「ん?」
「お弁当じゃ冷めちゃってるでしょ」
「いや、チンすれば別に……」
「出来たての方が絶対美味しいって」
「しかしなぁ……」
と、一応は困った表情を浮かべてみたが……
なにその魅力的な提案!
俺もしかしてからかわれてる?
「ちゃんとお婆ちゃんにも許可もらってくるからさぁ。ダメかな?」
「ま、まあ、
「やった! 私の分の食器ある?」
「え? 一緒に食べるの?」
「当然!」
当然ですかそうですか。
確かに料理を作らせるだけ作らせて、食べるのはダメとか言えないよな。
手作り弁当の次は手料理、しかも一緒に食事なんて、こんな強制イベントどうやって
「余分に食器くらいはあるけど、元々独り暮らしだったから足りるかどうか……」
「分かった。じゃ、お婆ちゃんに報告ついでに自分の食器持ってくるね」
「あ、ああ……」
タタタ……と出ていってから数分後、カチャカチャと音が聞こえたから、彼女が戻ってきたのだろう。
「すまんねぇ、孫が迷惑ばかけよってからに」
地主さんを連れて。
「あ、いえいえ、そんなことは……」
「
「も、もちろんですよ」
その地主さんの後ろで、栞さんが手を合わせて謝っている。どうやら行き違いがあったようだが、俺としては女子高生と二人きりにならずに済んでホッと一息だよ。
本当は残念がってるんだろって?
まあ、残念半分、安心半分ってところかな。
その後三人で夕食を囲んだのだが、彼女の言った通り、出来たての料理は最高だった。素直に感想が言えたのは、地主さんがいたからだと思う。
はいはい、どうせ俺はヘタレですよ、悪いか。
ところで二人が驚いていたのが大画面の液晶テレビだ。栞さんも実際に映像と音声を体験したのは今回が初めてだった。
「そんなに珍しいですか?」
「こんなでっけえのは見たことねえだよ」
「音もすっごいよね!」
「分かってくれるか」
「お婆ちゃん、うちもテレビ買おうよ」
「え? まさかテレビないの?」
「あるけどちっちゃいの。映らなくなっちゃってるし」
「壊れてるってこと?」
「うーん、よく分かんない」
「
「は?」
待て待て、まさか四条家にあるのってアナログテレビじゃないだろうな。何年前の骨董品だよ。チューナーつければ観られないこともないだろうけど。
「えっと、四条さん……」
「んだ?」
「これくらいの小さいヤツですけど、使ってないんで差し上げましょうか?」
「なんっと!?」
「雅也さん、テレビくれるの?」
「地主さんには色々お世話になったし、お孫さんにも手料理とか作ってもらったからさ」
「むー、またその呼び方……でも、いいのかなあ。そんなに高そうなの……」
「大して高くなかったよ。イチキュッパだったし」
「イチキュッパって、じゅうきゅうまんはっせ……」
「一万九千八百円ね」
二十四インチのテレビが十九万もしてたまるか。どんな金銭感覚してるんだよ。
「それでも高いよ」
「女子高生ならそうかもね。でも中古だし、気にする必要はないよ」
「お婆ちゃん……」
「ホンに、頂いてもいいんだか?」
「ええ。後で運びますよ」
「なんかすまねえなぁ」
「ねえ、雅也さん」
「うん?」
「お礼にこれから毎日、夕飯作りにきてあげるね! お婆ちゃん、いいよね?」
「ちょ、ちょっと……」
それは俺が貰いすぎだってば。
「んだなぁ。それくれえはさしてもらわねばなんねえべ」
「雅也さん、もしかして迷惑?」
「迷惑なんかじゃありません」
この後俺は四条家にテレビと付属品一式を運び、設置してちゃんと映るところまで確認を終えた。二人の喜びようったらこっちが恥ずかしくなるくらいだったよ。ただ地主さんも栞さんも、一度の説明で完璧と言えるほどに使い方を覚えたのには驚かされた。
一応ハードディスク内蔵で録画機能もついてるんだぜ。そこまでバッチリだったんだから驚くだろうよ。
それはいいとして、これから毎日栞さんが夕食を作りに来てくれるだと!?
思わず迷惑じゃないなんて言ってしまったが、なにか魂胆があるんじゃないだろうな。単なる謝意だけならいいんだが……
しかしその翌日、俺はとんでもない事態に巻き込まれるのだった。
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第三話 女子高生にアダルト動画!?
「ありません!」
「嘘です。皆さんもそう思いますよね?」
「「「「「思いまーす!」」」」」
まずはなにが起こっているのか説明せねばなるまい。
約束通り、
聞けば俺のことを話したら興味を持たれたとか。一体なにを話したらこうなるんだよ。
最初はよかったんだ。女の子たちがきゃっきゃウフフしながら台所で料理を作っている様は、俺本当は死んで異世界に転生したんじゃないかと思えるほど幸せな光景だった。
テーブルには色とりどりの料理が並べられ、六人の女子高生に囲まれての食事は、まともに味なんか分かるわけがなかった。
いや、美味かったよ。今時の女子高生ってこんなに料理が上手いんだと思ったら、作ったのはほとんど栞さんで、友達五人は盛りつけを手伝っただけだったらしい。
で、食事も終わり手際よく食器が片付けられた後、居間に戻ってきた彼女たちに迫られているというわけだ。なにをって?
「えっちなビデオ、持ってるんでしょ? 観せてよ」
大画面テレビにはブルーレイレコーダーとブルーレイプレイヤーが接続されている。別にレコーダーがあるならプレイヤーいらないじゃん、と思われてるかも知れないが……
違うのだよ。レコーダーは録画物をブルーレイに焼くのが専門。プレイヤーは当然再生が専門。別々の役割があるということだ。
ちなみに栞さんが言うえっちなビデオ、つまりアダルトな内容のディスクは持っていない。あれはパソコンのハードディスクの中……げふんげふん。
エロ本もないぞ。そういう画像も……以下同文。
「絶対あるはずだよ。ないわけないもん!」
「いや、本当に持ってないって」
「むぅぅぅ、家探ししちゃうよ」
「家探しって……皆十六か十七だよね?」
「そうだけど?」
「仮に持ってたとして、あれは成人指定だから十八歳未満は視聴出来ないよ」
「そんなの分かってるけど……観たいじゃん!」
「ダメです」
「ほら、やっぱり持ってるんじゃん! 皆、家探しするよ!」
「「「「「おおーっ!!」」」」」
そして数分後……
「あったぁ!」
「え?」
そんなわけない。本当に持ってないんだから。
「どれどれ……『柔らかい身体』……うん、絶対えっちなヤツだこれ!」
「それは……」
「むっふふー、見ぃつけちゃった!」
「いや、だからそれは……」
女の子は俺を押しのけてブルーレイレコーダーへ。
「あ、再生するなら下のプレイヤーの方で……」
「分かった」
そしてブルーレイの再生が始まる。
「んっ! んっ!」
「「「「「「…………」」」」」」
「うぅっ! あっ!」
「「「「「「…………」」」」」」
「ふあっ! かはっ!」
「「「「「「…………」」」」」」
「あのぉ……面白い?」
「「「「「「面白くなぁい!!」」」」」」
期待に頬を染めた彼女たちの表情が絶望に変わっていくのは実に見応えがあった。
なぜって、見つかったディスクのタイトルは『柔らかい身体』。内容はフィットネスクラブの教材だ。喘ぎ声に聞こえるのは気のせいでしかない。
これをアダルト動画と思い込むとは……なんとまあ想像力が豊かだこと。
「本当にないんだけど、まだ探す?」
「あぅぅぅ……男の人って絶対持ってるはずなのに……」
「なにその固定観念」
「えっと、うちのお兄ちゃんのことなんだけど……」
「え?」
その時、大人しそうなめがねっ娘がおずおずと手を挙げた。待て、嫌な予感がする。このシチュでの"お兄ちゃん"という単語は危険極まりない。
あと、君には間違いなく似合うぞ、
「お兄ちゃんもそういうのは持ってなくて」
「お兄ちゃん……も?」
「うん。そういうのは全部パソコンの中にあるって言ってた」
当然、めがねっ娘以外の五人が一斉に俺に目を向ける。まさか乗り切ったと思った先に、こんな罠が仕掛けられていようとは。
「あ、いや……」
「
「だからその……」
「雅也さんのパソコンは仕事用だもんね。あるわけないか」
「……?」
これは助かったと思っていいんだろうか。仕事に使うノートパソコンとは別に、プライベート用のデスクトップもある。ただ、あまり使わないので開梱していないだけだ。
「でも、どうしていきなりそんな動画を観たいってなったの?」
「実はあの子なんだけど……」
六人の中ではとりわけ胸の大きな少女が、上目づかいに俺を見ながら小さく手を挙げた。
「彼氏に、勉強になるから一緒に観ようって誘われたらしくて……」
「彼氏っていくつ?」
「十八歳、うちの学校の先輩なんです」
R指定は守らなきゃダメじゃないか、先輩。
「で、それがなんでこんなことに?」
「その時の先輩がなんだか怖くて……栞ちゃんに相談したら、ちょうどいい人がいるから相談してみようってことになって……」
「お孫さん!?」
「雅也さん、呼び方!」
「そんなことはどうでもいいでしょう!」
「いくない!」
「ま、それはさておき、俺は一緒に観るのはオススメしないかなぁ」
「どうしてですか?」
「うーん、多分襲われるよ。あ、本人が望んでるなら別にいいんだけど」
「お、襲われる!?」
なにその意外だ、みたいなリアクション。今時の高校生なら、その辺は進んでると思ってたんだけど。
ところで、アダルトな動画は性欲を誘発させる効果が絶大だ。それを猿年代の男子が観たらどうなるか想像に難くない。というか一目瞭然でしかないだろう。
と説明すると……
「先輩が……そんな……!」
「まあ、多くのオトコなんてそんなもんだし」
「もしかして雅也さんも?」
「否定はしないよ。ただし一応これでも三十近いからね。分別はあるつもり」
経験はないけどな。あと数年で魔法使いの称号も得られるはずだ。
「雅也さん、そいうい時って男の人はちゃんと将来のこととか考えてるの?」
「うーん、その彼氏の気持ちまでは分からないけど、多分そこまでは考えてないんじゃないかな」
「じゃ、万が一妊娠したら……」
「逃げようとするかもね」
彼氏の悪口は言いたくなかったので濁したが、そもそもアダルト動画を観ようと誘うなんて、自分の欲望しか考えていない証拠だ。しかもおっぱいが大きくてそそるカラダ、とくれば十中八九ヤリモクでしかないと思う。
最悪は別に本命の彼女がいるとか……
「あの先輩、女ったらしで有名だもん」
「そうだよ小百合、別れた方がいいよ」
「おいおい、なにもそこまでは……」
「決めた! 私、先輩と別れる!」
「「「「「おおぉっ!」」」」」
「それで雅也さん、でしたよね?」
「あ? ああ」
「私、雅也さんを好きになります!」
「はっ!?」
「ちょぉっと待ったぁぁぁっ!」
小百合さんのとんでも発言の後、勢いよく手を挙げたのは栞さんだった。
「雅也さんはだめぇっ!」
「え!? まさか雅也さんって栞の彼氏なんですか?」
「いや、そんなわけないよ。お孫さんは……」
「なら問題ないですよね? 雅也さん、時々遊びに来てもいいですか?」
小百合さん、その表情は反則だよ。そんな目で見られたら断れるわけないじゃん。
だが、ふと栞さんの方を見てみると、なにやら半泣きになっているご様子。これはさすがに女性経験がない俺でも、軽はずみな言動が生死を左右することくらい容易に想像出来た。
だから答えはこれだ。
「ダメ、だね」
「「「「「「えっ!?」」」」」」
「この家には普段俺しかいないわけだし、そこに未成年の女の子が一人で遊びに来るのはさすがにNGかな。俺だって捕まりたくはないし」
「でも……」
「諦めて。しかし俺みたいな男のどこにそんな価値が……?」
なんとなく栞さんがホッとしたように見えたのは気のせいだと思う。いや、君も本当は勝手に上がり込んできたりしたらダメなんだからね。
夕食とか夕食とか夕食とかのことがあるから言えないけど……
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第四話 風邪と添い寝?
マズい。風邪をひいてしまったようだ。
熱っぽいし寒気はするし、喉はカラカラに渇いているが、水を飲みに起きるのが
独り暮らしでは、この病気になった時が最も困るのではないだろうか。家族がいれば看病も期待できるが、今の俺にはその家族すらいない。
幸い天然温泉が引かれている風呂には常に湯が張られているので、入浴で温まることは出来る。しかし体を動かすこと自体が辛いので、その気力さえも湧かないのだ。
それでもトイレだけはどうしようもない。我慢にも限界があるので仕方なくよろよろと起き出して用を足し、ついでに水だけ飲んでまたベッドに戻るというのを繰り返していた。
その何度目かの折である。
「あ、
すでに日課となった夕飯作りで、勝手に上がり込んでいたのは
情けないが、ちょっとホッとした気分だ。どれだけ心細かったんだよ。
「風邪ひいたみたいなんだ。あんまり近寄ると
「そんなの気にしないでいいよ」
トイレを済ませてからベッドに戻ると、彼女はタオルを絞って額に乗せてくれた。
「食欲ある?」
「ないんだけど、朝から何も食べてないから腹は減ってる」
「お粥だったら食べられそう?」
「ああ、お粥かぁ。食べたいかも……梅干しも冷蔵庫にあったと思う」
「分かった。作ってくるからちょっと待っててね」
「すまない……」
「いいよ」
彼女が部屋を出てからしばらく
「大丈夫?」
「なんとか……」
「体、起こすね」
「い、いや、それは……」
言うより早く肩に腕を回され、頬が触れそうになりながら半身を起こしてもらった。
いや、まあ、なんというか……柔らけえ。鼻が詰まっているわけではないから甘い香りもしたし。
そして彼女はそのまま俺の隣に座り、お粥を土鍋から茶碗によそってくれた。さすがに食べさせようとしたから拒否はしたけど、むくれた表情も可愛かったなあ。
お粥? 美味かったよ。食欲ないなんて言ってたクセに、おかわりまでしてしまったくらいだ。お腹が落ち着いたお陰で気持ちもかなり楽になった。
やっぱり誰かが傍にいてくれるって安心するよな……
「分かった。今夜は付き添ってあげるね。一応お婆ちゃんには言ってくるから」
「へ?」
「傍にいたら安心するんでしょ?」
「もしかして声に……!?」
「しっかりと聞かせてもらいました!」
おかしいな。いくら何でも口に出した覚えはないぞ。まあしかし彼女がそう言うなら……いや待て、めっちゃ恥ずかしくないか、これ。
「片付けたら一度帰ってまた来るね。寝ててくれていいから」
「いや、しかし……」
「明日は学校もお休みだから思いっきり甘えてくれていいよ」
「甘えるって……」
「じゃ、行ってくる」
「ああ……お孫さ……栞さん……」
「ん? ちゃんと名前で呼んでくれたぁ!」
「あははは……ありがとう」
「どういたしまして!」
照明を常夜灯に切り替え、彼女は部屋を出ていった。この部屋だけはシーリングライトに取り替えてあって、手元で操作出来るリモコンもある。それを俺の手の届く範囲に置いてくれたのは、気が利くというかなんというか。
彼女が来てくれたことで本当に安心したようだ。部屋が暗くなったことも手伝ってか、俺はそのまま眠りに落ちる。やはり多少気持ちが軽くなったとはいえ、体調不良は相変わらずだった。
◆◇◆◇
ふと目が覚めた。常夜灯が点灯していて窓からの光はないのでまだ夜中なのだろう。
それにしても枕……何だか柔らかくてふさふさでいい匂いがする。この匂いは……さっき栞さんから香ってきたのと同じものだ。
ゆっくりと眼を開くとやはり栞さんがいた。まさか膝枕でもされてるのかなどと思ったりしたが、顔の位置が違うのでそうではないようだ。
それに膝枕がふさふさしてるってのも変だしな。
だが、さらに彼女を見つめていた俺は、次の瞬間に言葉を失ってしまった。
彼女の頭には大きな三角の耳。そして俺が枕にしていたのは、白と黄色のこんもりとした尻尾だったのである。
ま、まさか……!
しかしそれも束の間。彼女が俺の視線に気づいて優しい微笑みを浮かべると、俺の記憶はそこで途切れた。
そして翌朝、目が覚めるとベッドの脇で突っ伏して寝息を立てている彼女の髪が、俺の額に軽くかかっているのに気づく。
わずかに頭をずらせば額がくっついてしまうほどの距離。
あれは夢……夢か……
そうだよな。そんなことあるわけないじゃん。あんな夢を見たのはきっと、額にかかったこの髪のせいだろう。
それはそうと栞さん、夜通し看病してくれたんだ。
思わず彼女の髪を撫でてしまったが、その手触りの心地よさにあのふさふさ感が甦ってくる。
「ふぁぁぁ……」
おっとぉ!
「はれ? ましゃやしゃん?」
「起こしちゃったか。悪い悪い……」
ふにゃってる彼女、可愛さハンパねえ。
「わらし……寝ちゃってたんら……んーっ!」
両腕を挙げて体を伸ばし、眠そうな目を擦ってから向けてくる、トロンとした瞳が
「具合どお?」
「ああ、だいぶよくなった感じかな」
「そう。よかったぁ。あふっ……眠ーい」
「あはは、もう大丈夫だから帰ってくれていい……」
「んしょ、んしょ」
「な、なにをしてるのかな?」
突然ベッドに両手をついた彼女は、そのまま俺の隣に潜り込んできたのである。
「えへっ。あったかーい!」
いや、いやいやいや、なんだよこれ。
俺の腕を枕にして胸に顔を埋めると、すぐに小さな寝息を立て始めた。
柔らかい、温かい、気持ちいい、いい匂い……
違う! だからマズいって。こんなところ地主さんに見られでもしたら、通報された上に追い出されてしまうじゃないか。
「お、お孫さん!」
「すぅすぅ……」
「お孫さんてば!」
「すぅすぅ……」
仕方ない。ここは体を
そこへ何やら新たな人影が……
「おんやぁ、まんだここにいただか」
「よ、
「気持ちよさそに寝とりますけん、ちぃとばっかそのまんまぁにしてやって下さぁ」
「えっ……? あの……?」
地主さんはそう言って笑うと、消えるように部屋を出ていくのだった。
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