TS銀髪美少女の異世界生活 (赤石透)
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1話
タイトルは仮です。いずれ変える予定です。
「いらっしゃいませ。魔法具店に寄っていきませんか?」
店主に命じられた私が、店の外で客引きを行うこと数分。薄汚れた裏通りに居を構えているせいで閑古鳥が鳴いていた魔法具店の店内は今、珍しく来客で混み合っていた。ゲテモノも含まれているが、まともな商品の品質はかなりに高いこともあって、ただの冷やかしでは終わらずに購入を決める者も多い。
「お買い上げありがとうございます」
少しも笑わず、平淡な声で言っただけなのに、男性客は頬を赤らめて笑った。
「また来るよ」
去り際に片手を上げ、満員御礼な店を出ていく。本当に来そうだな、と思っていると、会計を待っていた次の客が商品を受付用のテーブルに置いた。ちらりと客の顔を一瞥すると、二十代くらいの男性だった。
先ほどの客と同様に、私を見る目に妙な熱が籠っている。
この世界の住人には伝わらないだろうが、まるでアイドルの握手会か何かのようだ。応対中の客の後ろには他の客も並んでいて、長い列ができている。立地は悪いが無駄に広いこの店内でも手狭に感じる程度の密集具合。
早く客を捌いてしまおう。
「1500エルです」
私は店主に作ってもらった魔法具『マジックレジスター』、通称マジレジを操作した。
九割男性、一割女性という比率で、いずれも私の容姿をまじまじと見つめてきた客の対応を終え、どうにか店内は落ち着いてきた。客の数は三人。店の商品を手に取って、矯めつ眇めつ眺めていた。
「なんだよ、これ……! どれもA級の品じゃないか……!」
「なんでこんなに安いの……!?」
「こんな店があったとは……」
女性一人、男性二人。いずれも普通の客とは違う。私に対する興味は確かにあるようだが、それ以上に店の商品に対して興味を示している。「学園で独占……」とか「ギルドと提携を……」とか呟いているから、何かしらの権力を持つ方々なのかもしれない。
このまま待っていると、新人の私に根掘り葉掘り聞いてきそうだったので、引き上げることにした。
「店主」
店の奥、実験室の様相を呈している薄暗い工房を訪れた私は、部屋の中心に立っていた店主に声を掛けた。しかし、聞こえていないみたいだ。床に描いた魔法陣の上に複数の触媒、獣の骨や植物の種、謎の液体が注がれた瓶に黒い手袋を嵌めた両手を翳し、ピクリとも動かない全身黒ローブの怪しい人。ただの不審者にしか見えないが、この人はれっきとしたこの店の主だ。
そして、行き場のない私を拾ってくれた人でもある。
「店主」
『何事だ? ノア』
改めて呼び掛けると、女性なのか男性なのか、老人なのか若者なのか判断に迷う声が返ってきた。自作の魔法具を通じて変声しているらしいその声は、確かに店主から発せられたものだ。だが、顔を上げないところを見ると、まだ忙しいようだ。
端的に述べておこう。
「たくさんの商品が売れました。それと、何やら権力者らしき方々が今、店内に」
『素晴らしい。君を雇って正解だったよ』
ようやく顔を上げた店主は魔法具生成の儀式の手を止め、立ち上がった。背丈は私と同じくらい。私にとって馴染みの深い単位で言えば、約160センチ。しかし、店主は常に地面から数センチ浮いているため、少し目線が高い。
『これは販路拡大のいい機会だ。私が行こう』
「え、行くんですか」
『無論』
スイーッ、といった具合に床と平行移動し、客の下へ出向く全身黒ローブの店主。唯一ローブに隠れていないはずの顔は、どういう仕組みか闇に覆われていて視認できない。中には肉体はあるようだが、普通の人が見ればローブが勝手に浮いて動いているようにも見える。
そんな怪しさ満点の店主が赴けばどうなるか。
「うわぁああ!?」
男女の驚く声と、店の扉につけたベルの騒がしい音が聞こえてきた。
『逃げなくてもよくない? こんなに格好いい姿なのに』
少し気落ちした様子で引き返してきた店主の言葉。
「うーん」
目に見えていた結末を止められず、私は唸ることしかできなかった。
『これから先、客の応対はノアに任せよう』
「いいんですか? 私、雇われてまだ初日ですけど。この世界歴二日目ですけど」
『君に教えることは全て教えた』
「教えること少な……」
『あとは自ら体験し、辛酸を嘗めて学んでいくことだ』
「人はそれを行き当たりばったりと言う」
マニュアル欲しいな。元の世界でもマニュアルのない仕事場とか多かったけど、ここほどではないよ? まあ、接客のアルバイトの経験も少しあるし、何とかなると思うけど。最悪の場合は、工房にいる店主に聞きに戻ればいいか。
『作業に戻る』
「私はまた呼び込みに行ってきます」
『うむ』
頷き、店主は自分の世界に引き籠るように魔法具作成に戻ってしまった。それを尻目に、私も売り場へと戻ることにした。
その途中、扉近くの壁に掛けられた縦長の楕円形の姿見が目に入り、鏡に映る少女の姿を眺めた。
肩まで届く毛先に軽いウェーブの掛かった、銀色の髪。薄暗い工房では無理だが、陽光を浴びれば眩しく輝く。肌も白く、眦がツンと吊り上がった形のいい目の内側で、紫色の瞳が見る者を吸い込むような魅力を宿していた。
それと、店の制服だと言われて店主に渡されたミニスカートのメイド服を身につける体はスタイルが良く、メリハリがしっかりとしている。豊かな胸の谷間が覗けるように胸元が開いた構造で、顔の次に男性客の視線を感じた場所だ。
控え目に言えば美少女。大袈裟に言えば女神。
外見年齢十五、六歳の少女は、私の挙動に合わせて頬に手を当てた。
「美しい……」
『自分で言うか……』
「ん?」
声が聞こえたほうを振り向くと、店主は作業に没頭していた。気のせいか。
気を取り直して、私は鏡を見詰め、ため息を吐く。
「美少女になってしまったな」
改めて、自分の身に起こったこととは思えず、私は思い返す。
二日前の『俺』は、どこにでもいる平凡な会社勤めの男だった。勤めている会社はブラック企業で、しかし、業界全体で見れば、まあマシなほうと呼べる職場。アラサーを迎えてそろそろ転職をしようか、でも、転職をした先が今より酷い会社だったらどうしようという狭間に揺れつつ、決心もつかずに流されるまま働き続けた日々。
仕事のストレスで昔のような明るさを失い、笑顔を失い、乾ききった日々。
恋人、いや、せめて愚痴を言える家族や友人がいれば少しは違ったのかもしれない。
だが、ないものを求めても無駄だ。俺には何もなかった。
ないなりに頑張ってきたのだが、そんな俺でも、失うものは当然あった。
簡単に言うと、交通事故に遭いました。
何でそうなったのかはわからないが、帰宅途中、俺しかいない歩道に向かって自動車が突っ込んできた。たまには流行の曲でも聞きながら帰るかと、慣れないことをしていたせいもあって、俺は直前になるまで車の接近に気がつかなかった。
「宝くじ――」
買ったままどこかにしまっていた宝くじのことを何故か思い出し、俺の意識は跳ね飛ばされた。
俺の人生なんてそんなものだった。死の間際ですら、ろくに思い返すこともない。
もう少し、何とかならなかっただろうか。せめて、両親に愛情を注がれて生きることができていれば。夢中になれる趣味でもあれば。笑い合える友人がいれば。思い切って自分を取り巻く環境を変えようという勇気さえあれば。
何かが変わったかもしれない。
そんな後悔を、俺は見るはずのない夢の中で抱き、『私』として目覚めた。
銀髪の美少女ノア。それが、私に強制的に与えられた新しい環境だった。年齢も、性別も、容姿も、世界も違う。店主曰く、魔法具作成で徹夜明けの店主の頭に、天よりメテオストライクの如く全裸で降り注いで脳天直撃したという私は、文字通り生まれたばかりなのだろう。
衣服もなく、ノアとしての記憶もなく、全ての生き物が有するはずの『魔力』を持たずに現れたらしい私。
記憶にあるのは自分に与えられたノアという名前と、この世界におけるわずか知識。
何故、私がノアになったのか。いったい誰の仕業なのか。
わからないけど、ここから全てを始めてみるのもいいかもしれない。
この異世界『ノワール』で、私は新たな第一歩を踏み出すことにした。
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2話
外で客を集め、店に招く。それを繰り返したが、立地の悪さのせいで客足は途絶えてしまう。単純に大通りから外れているだけならまだしも、細い路地を幾つも通った先の突き当たりにあるから非常にわかりづらい。外から見た店の趣も古めかしいし、たまたま立ち寄っても廃墟か何かだと思われてしまいそうだ。
「宣伝をしないといけないと思うのですが」
店内に客がいなくなった時を見計らい、私は工房に引き返して店主に相談した。
『ほう……』
「そもそも、店の立地が悪いと思います。せめて看板の設置などを検討したほうがいいかと」
『それも前々から理解はしていた。何となく』
はっきりと理解してほしかったが。まだ短い付き合いだけど、店主は少し抜けている人だということがわかった。作っている魔法具の品質は高いようだが、多くの人の目に触れなければ買い手がつかないのは当然だ。
「今までは食べていけていたのでしょうか?」
『ああ。少ないが、固定客はいるからな。だいぶ怪しげだが』
この店主に怪しまれる人が今後来るかと思うと恐ろしい。接客するのは私なんだけど。
「とにかく、売上を伸ばすには店を移動するか、宣伝するか、どちらかだと思います」
『う、む。まあ、別の場所に店を移転させるのは考えていないかな。結構愛着湧いてきたし。曰く付きとかいう理由で、広いのに馬鹿安い点に惹かれて購入してしまったし、ここを今更手放すというのもなあ』
「曰く付き? それって、死んだ人の幽霊とかが出る、とか?」
『詳しくは聞いていないが、その可能性もあるかもしれない』
使われていない部屋とか普通に掃除しようと思っていたけど、慎重に行わなくてはならないようだ。変なお札とかが貼ってあっても、剥がさないようにしよう。幽霊とか出てこられても困るからな。
って、あれ? 死んだ人の幽霊って、今の私と大差なくない? 私も一回死んでいるわけだし。私は肉体を持っているけど、幽霊は肉体を失ったままさ迷っているだけで、器の有無以外に明確な違いは存在するのだろうか。
何も問題ないか。普通に掃除しよう。
「とりあえず、店の場所を移すことは考えていないと、と。それじゃあ、宣伝ですね」
『そうだな。で、私もいろいろと考えてみたのだが、大々的な宣伝は不要かなと思ってね』
「え、宣伝しないんですか?」
それではこれまでと何も変わらないと思うのだが。店主がそれでいいというのならば、別に水を差すようなことはこれ以上言わないが。屋われている身としては、店の中で退屈に待つよりも汗水垂らして働きたい。
今の私は、住み込みで働かせてもらっている身だ。怠けるなどあってはならない。
『大々的に、と言っただろう? 宣伝はしてもらうよ』
私の疑問に対し、店主は少し楽しげな声色で言った。
『君が我が店の看板娘となるのだ』
黒い手袋に包まれた店主の右手が、私を指し示した。
「うわぁ」
嫌な予感がする。露出度がそれなりに多いメイド服を着せられ、私は客引きと接客を既にさせられている。そんな私が寒気を覚えた。自分のことを勘がいいほうだと思ったことはないが、何となくこの予感は当たっているように思えた。
『宣伝のついでに、材料も集めてきてくれ。はい、これ』
げんなりしつつもあまり表情の変わらない私に向けて、店主はそれを差し出した。
丸められて紐で結ばれた羊皮紙と、身の丈ほどある木の杖、それと地図だった。
地図には、この街のとある建物への案内が書かれていた。そこに店主の言葉が添えられていて、どうやらこの建物に入って受付に行き、この羊皮紙を渡してくれればよいとのことだった。
それを受け取った私の前で、店主は親指を立てた。
『頑張ってきてくれ』
告げられた一言は、あまりにも説明不足だった。
建物の中に入って数歩、室内をキョロキョロと見渡していると、大勢に見られた。剣や弓などの武器、鎧や盾などの防具を当然の如く身に着けている人々から向けられる視線は、店にやってくる客とは明らかに違う色が含まれていた。
半分が興味本位、半分が品定めするかのように。
やっぱり、この建物って。
何となく察しながらも、私は入口右手にある受付と思われる場所へと移動した。
「次の方、どうぞ」
先に並んでいた少年、私と同世代くらいに見えるまだ幼い容貌の少年が受付から離れると、ガラス窓越しに呼び掛けられた。迷っていた私はその声に引っ張られるようにして足を前に踏み出し、受付の前に立った。
「あら、また若い子ね。さっきの子と同じくらい? 学生さんかしら?」
受付担当は、おっとりとした雰囲気の女性だった。たぶん三十代くらいだと思われる。夫や子供がいてもおかしくなさそうな、人妻な色気を感じる。仕切りとなっているガラスの向こう側に見える人たちと同じく、黒と青を主体にした制服に身を包んでいる。
「いえ、学生ではないのですが。えっと、これを見ていただけますか?」
私は受付嬢に、店主から預かっていた羊皮紙を渡した。
「はい」
微笑みを絶やさぬまま、それを受け取り、丸められた羊皮紙を開いた受付嬢。
書かれた内容に目を走らせた瞬間、その目が大きく見開かれた。
「こ、れはっ……!」
「え……?」
おっとり系女性の突然の豹変に、私は戸惑った。
「少々お待ちくださいね?」
「え……」
突然席を立って部屋の一番奥の席に座っていた人の下へ駆け寄り、何かを話している。
「いったい何が……」
羊皮紙には何が書かれていたのか。確認していない私にはわからない。羊皮紙の封を解いていれば、書かれている内容を事前に確認することもできたが、大事なもののようだから、下手に弄らないようにしていた。
見ておけば良かったと、今は思う。
この世界の言語は地球とは全く違うのだが、私はそれを理解できている。知らない言葉を前にすると、まるで知っていたかのように読み取れる。きっと、私にこの体を与えてこの世界に送りこんでくれた者の仕業だ。生きる上で役に立つありがたい知識だ。
「まだか……」
まだ話し込んでいるようで、時間が掛かりそうだ。
暇だし、いろいろと確認しておこう。私は改めて、部屋の中を見回した。
建物の中は広く、百人ほどは同時に収容できそうだ。中には右側に受付、左側に酒場のような趣の区画がある。料理を注文し、用意されたテーブルに座ってその場で食事ができるようだ。飲み物を手にし、地図を広げたテーブルを囲む一団の姿があった。
彼らは他の者たちと同様に、武具や防具を装備している。
私はゲームなどに詳しくなかったのだが、それでもここがどういう建物なのかわかった。
これから何らかの狩りを行う集団の寄合所、建物に入る前に確認した看板には『冒険者ギルド』という意味の文字が書かれていた。ギルド、つまりは同じ職業の者たちで結成された組合ということだ。
おそらくは、部屋の中央奥にある掲示板らしき大きな看板、そこでギルドが多方面から引き受けた依頼を冒険者たちが遂行するのだろう。今も多くの冒険者たちが集い、掲示板に張り出された複数の紙を前に頭を悩ませている。
そんな場所に、一応武器には見える木の杖を持った私が訪れた。
答えは自ずと出てきた。
「戦うの……? これで……? 私に冒険者とやらをやれと……?」
杖を両手で持ち上げた私は、冷や汗を掻いた。
珍しいと思われるが、私はゲームなどに本当に詳しくなかった。有名なロールプレイングゲームの名前などはさすがに知っていたが、それくらいだ。親のいない私は同じ境遇の大勢の子供たちが集められた養護施設の出身で、贅沢を言わずに日々を慎ましく生きてきた。独り立ちできるようになってからすぐに働き出て、それ以来ずっと仕事漬けの人生だった。
金銭的に余裕ができても、若い頃にやってこなかったゲームを今更やろうという考えは生まれず、ゲームや漫画などのサブカルチャーに触れる機会は殆どなかった。そのせいで、ファンタジーな世界の知識は元の世界の子供以下だろう。
怪物、冒険者、技、魔法。なんとなく思い浮かぶ単語を並べるので精いっぱい。
「店主、人選ミスだよ……。これなら普通に客引きしたほうがいいんじゃないの……?」
メイド服で街中を練り歩き、店に連れていく。単純に人を集めるのならば、それでいいはずだ。だというのに、こんな回りくどいことをして。この宣伝ははたして、費用対効果が大きいのだろうか。
「すみません、大変、お待たせいたしました!」
帰ろうかなと思って踵を返した私は、ちょうどよく戻ってきた受付嬢に呼び止められてしまった。
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3話
「頂いた紹介状を拝啓いたしました。ノア様、ですね。問題はありませんでしたので、冒険者登録をこれから行いたいと思います。まずは、こちらに手を
受付嬢が差し出したのは、四角い土台の窪みに設置された水晶玉のような物体だった。向こう側が透けて見える。占いとかに使われそうなそれを前にして、今更帰るのも失礼かと思い、私は手を伸ばした。
手を近づけると、水晶玉がぼんやりと光を放った。
「うわ……」
直後、何かが体を這い回るような、少し不愉快な感覚を覚えた。
「はい、大丈夫です」
受付嬢が言うのと、私が咄嗟に手を引いたのは同時だった。
「登録は無事に完了しました。これで、ノア様は正式に冒険者となられました」
一瞬で済むとは随分と簡単だ。これでもう、私は冒険者として扱われるらしい。
「手を近づけたとき、変な感じがしたのですが。私は何をされたんですか?」
「この水晶に手を
「そうですか」
検査が通って良かったという思いと、弾いてくれないかな、という思いがあった。
とはいえ、弾かれたら弾かれたで面倒がありそうだ。冒険者ギルドに相応しくない人間というのがどのような者を指すのかはわからないが、ギルドにとってあまり好ましい相手ではないはずだろうから。
なってしまった。冒険者に。これからどうなる。
「紹介状によりますと、登録後に依頼の受注を進めてほしいとのことでした。書かれていた依頼のうち、受領可能な依頼がございましたので、このまま手続きを進めてもよろしいでしょうか?」
「はい」
何かもう、なるようになればいいと思った。店主は抜けている性格だが、悪い人ではない。私を陥れるようなことはしないはずだ。たぶん。私ではろくな判断もできないから、全てを委ねてしまおう。
「かしこまりました。では、
「はい」
私は何も考えずに、首を縦に振り続けた。
受付嬢によって手続きは進められ、冒険者としての基本的な規則や心得などについて教わった。長かったが、特に難しいことではなかったため、問題はなかった。後は実際にその場面になってから考えて対応すればいいだろう。
「では、行ってらっしゃいませ」
流されるままに、私は受付嬢の声に背を押されて冒険者ギルドの建物を後にした。
「まあ、何とかなるか」
店主が選んだ依頼の中で、受付嬢が見繕ってくれたのは、岩亀という名前の魔物の討伐。冒険者として登録したばかりの人間が受けられるのだから、岩亀というのは相当弱い魔物なのだろう。
ちなみに魔物とは、魔に傾倒し、人間を襲う害ある生物の略称のようだ。
それを討伐するのは冒険者としての基本的な仕事。
だが、問題がある。
「亀を殴って倒せるのか……?」
店主に渡された杖はどう見てもただの木製で、鈍器としての威力もなさそうだ。それに、亀を殴って倒すという行為が私にできるか心配だ。撲殺とか血生臭すぎる。
「おい!」
「ん……?」
声が聞こえ、私は足を動かしながら背後へ顔を向けた。
そこには見知らぬ少年。いや、さっき私の前に受付嬢と話をしていた少年だと記憶はしているが、私の知人ではない。そもそも、この街に来て店主以外に知り合いと呼べる間柄の人間はいない。
正面に顔を戻して、私は街の外を目指した。
岩亀というのは、街の近くにある森の湖周辺にいるらしい。遅くなると日が傾いてしまうから、少し急ごうと足を速めたときだった。
「む、無視するなよ!」
背後にいた少年が私の前に回り込み、両手を広げて進行を阻んだ。
「え、私ですか?」
さすがに足を止め、私は理解する。この少年が呼んでいたのは私のようだ。
しかし、何の用だろう。別に何か呼び止められるようなことはしていないのに。
「お前、冒険者になったばかりなんだろう?」
いきなりお前呼ばわり。まあ、見たところ、私よりも少し年下のようだ。身長は私よりも少しだけ低い。短く切り揃えた赤色の髪と、深い青色の瞳。気の強そうな性格を表したかのような顔立ちで、少しやんちゃな子供という印象が強い。
胸や膝、肘には部分的な鎧をつけている。全身鎧のような重装備ではなく、動きやすさ重視の身軽なスタイル。腰に巻いたベルトには短剣が収められているらしい鞘が備えつけてあって、ゲームの知識が少ない私でも、この少年が前衛向きの戦闘を行うのだということがわかった。
「そうですが。えっと、失礼ですが、お名前は?」
「俺はレンドだ。お前は?」
「ノア、と申します。で、レンドさんは私にいったい何の用でしょうか?」
「お前、今から冒険に行くんだろ? 俺が付いて行ってやる!」
レンドは口元をニッと吊り上げ、言い放った。
血気盛ん。自信過剰。猪突猛進。何となく、そんなイメージが連想される。
何か、変な子に絡まれてしまった。見たところ、下心がありそうな感じではないが。
「レンドさんは、冒険者になってどのくらいになるのでしょうか?」
「今日なったばかり。お前と同じだ!」
ああ、なるほど。同じに日に冒険者になった者同士でパーティーを組みたいとか、そんな感じだろうか。冒険者ギルドにいるのは殆どが年上の大人ばかりで、私やレンドのような子は少ないのだろう。
ここで会ったのも何かの縁。そう思いたいが、どうしようか。
ただでさえ、冒険という未知の体験をするのだ。冒険初心者の私が向かう安全そうな場所とはいえ、命の奪い合いに発展する以上は油断ならない。そこへ冒険者を名乗るほぼ一般人が向かえば、万が一という可能性も。
レンドに何かがあっても、私の手では守り切れない。
「よろしく!」
屈託のない笑顔。そして、私を通してどこか遠い目標を見据えているような、純粋な瞳。
母性をくすぐられるとは、こんな感じだろうか。何となく庇護欲を感じてしまった。
「よろしくお願いいたします……」
相手の勢いに負け、私はレンドが差し出してきた手を握った。
「とりゃ!」
軽快な動きで、レンドが短剣を振る。目の前に飛びかかってきた透明な粘液状の生物は剣によって斬られ、草の生えた地面に飛び散った。体が分裂しても、なおも向かってくるこの生物は、ただの生物ではない。
これが、魔物。
『スライムだ!』
と、この魔物が現れたときにレンドが言っていた。この魔物の名前なのだろう。
スライムというのは私でも覚えのある名前だ。有名なゲームの看板モンスター的な扱いだった気がする。あれには顔があったが、目の前にいるのはただの動く粘液といった違いがあるが、弱い魔物に違いないだろう。
何度斬られても分裂し、襲い掛かってくるスライム。物理攻撃では倒せないのでは、と途中からハラハラとしていたが、分裂する数にも限界があったようだ。細切れになったスライムは地面で力なく沈黙すると、その体が黒い粒子に変わった。
風で吹き飛ぶ塵のように、跡形もなく消え去った後に残されたのは、楕円形の宝石だった。
黒く濁った宝石。触ってもいいものかと思っていると、レンドがそれを拾い上げた。
「あ」
と言う間に、レンドが自身の胸元にそれを押し当て、体内に取り込んだ。
「え、大丈夫なんですか? それ」
「ん? それって?」
「今、体の中に入った宝石のことです」
私の言葉に、ようやくレンドは得心がいったようだ。
「何が駄目なんだ? ただの魔石だろ?」
「魔石? ああ、それが……」
その単語を聞いて、私は受付嬢に聞いた話を思い出した。
『戦闘で倒した魔物は魔石を落としますので、それはなるべく回収してくださいね? ギルドで換金できますので。換金しなくても、個人的に魔法具作成などに使用されるということであれば、持ち帰ってもらっても構いません』
との話だった。
なるほど、今の宝石が魔石か。少し不気味な雰囲気がしたが、体に害はないようだ。
「よし、もっと奥に行くか。入っていいって言われたんだろ?」
「はい、大丈夫だそうです」
「俺は止められた気がしたんだけど、なんでだ? まあ、いっか! 進撃だ!」
私を置いて、一人先行するレンド。何というか、レンドと一緒に来てよかったと思った。子供とは思えないような華麗な動きで、襲い掛かる魔物を次々に倒している。今のところスライムや弱そうな昆虫型の魔物ばかりだけど、それでもすごい。
子供に引っ張ってもらって、私は何もできていない。
ちゃんとしないと。
私は杖を構え、周囲を警戒しながらレンドの後を追いかけた。
森の中心にある湖。そこへ私たちはたどり着き、そいつと出会った。
「で、でかい……。でも、初心者でも倒せるんだよな……?」
レンドが少し声を震わせ、短剣を構える。
短剣の先端が向けられた先には、人が何人も乗れるような大きな亀がいた。岩のようなゴツゴツとした甲羅と、私の知っている亀の顔を凶悪に歪めた顔。太い四つ足を動かして草木を踏みしめ、湖を前にした私たちにゆっくりと近づいてくる。
岩を背負う亀は、牙の生えた大口を開け、赤い目に敵意を滲ませ、大きく咆哮した。
「ひ、ぃ!? や、やるぞ……!」
私を守るような立ち位置で、レンドが強く言い放つ。
その背中で杖を構えた私は、冷や汗を垂らした。
え、岩亀って、これ……? 違うよね……? あれ……?
まずいのでは? そう思ってレンドを連れて引き返す間もなく、岩亀は私たちに襲い掛かってきた。
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4話
迫りくる岩亀。それはまるで、壁のようだった。
「やっぱ無理! た、退避ぃっ!?」
壁を相手に短剣など歯が立つはずもない。やっぱり無理! 言葉もなくとも心を一つにした私とレンドは、後方に向かって全速前進した。逃げなくては。亀だから、さすがに人間の走る速度については来られまい。
そう思った私が馬鹿だった。
岩を背負った亀。その外見に見合わず、その巨体が私たちとの距離を狭めてくる。木の間を縫って逃げても、軽やかな横移動で難なく避けてしまう。逆に森での移動になれない私たちは不利に陥った。
「速っ!? 馬鹿速い! なんで、亀なのに!?」
「何言ってんだよ!? 亀だって別に走る速度は遅くはねぇよ!」
隣を並走するレンドが説明をしてくれた。地球と違って、異世界の亀は速い。予想もしていなかった事態に見舞われ、私は身を以て体験した。地球での知識を異世界に活かそうとすると危険だということがわかった。
「なんで亀なんて名前がついているんですかぁあ!?」
「はぁ!? 亀は亀だからだろ!」
そんなふうに言い合っていた私たちへ、徐々に近づいてきていた岩亀。
その口が大きく開き、鳴き声を上げた。
地を這うような低音。それを聞いた直後のことだった。
「うえっ!? お、俺の足がっ!?」
「お、重いっ!」
突如として、足に負荷がかかる。重りをつけて走っている気分だ。走ることはできているが、さっきよりもだいぶ遅い。これは、もしかして。
背後を見れば、そこには速度の変わらない岩亀。私たちとの距離がどんどん狭くなっていく。あと数秒。それだけであの巨体に跳ねられる。そう思うと、足が竦みそうになる。
怯えを見せた私は、亀にとっていい獲物に映ったのだろう。
岩亀の視線が明確に私に向く。しっかりと私の背後につく。
そして、その巨体が強く地面に沈み込み、跳躍と共に鋭い突進を放った。
一瞬、亀の姿が前世で私の命を奪った自動車と重なる。
質量と速度は車と同じくらいだろう。激突されれば、一溜りもない。
私は、死を覚悟した。
そして、私の脳裏に走馬灯が過ぎった。それは、この世界で目を覚ましてから、今に至るまでの記憶。
本当に短い二度目の人生だったけど、思い返すだけの思い入れはあったらしい。新しい生活をスタートしたばかりだから余計に想いは強く、それをもう手放してしまうことに、私は強い後悔を覚えた。
これで終わり? どうにもならないのか?
でも、どうしようもない。横に逃げても木を壁にしても、この素早く巨大な亀相手では。
「え……」
亀の丸い額が私に接触しようかというところで、私は別の衝撃を横から受けた。
咄嗟に横を見れば、そこにはタックルを仕掛けてきたレンド。
必死な形相で、だけど、私を亀の進路から逸らすことができて、浮かびかけた笑顔。
そのレンドを、横から弾き飛ばそうとする岩亀。
守ってもらったのだと、理解した。
守ってくれたレンドが、このままでは死んでしまうのだと、理解した。
迂闊な私のために、まだ出会ったばかりの少年が。
嫌だ。
強い想いが溢れる。緩やかに流れる時間の中で、心に熱が灯る。
嫌だ!
突き抜ける私の想いは、状況に変化をもたらした。
私の手に握っていた杖の先に、眩い光が出現する。小さな球状になったそれは、目にも留まらぬ速さで亀に射出された。
光の球が亀にぶつかる。
弱弱しい球が当たったところで、あの亀は止まらない。
そんな予想をした私の前で、光の球は大きく膨張し、光の本流となって亀を呑みこんだ。
柱だ。いや、塔だ。青い天にも届くほどの大質量の光。
私とレンドはそれぞれ地面を転がり、地に塗れながらも難を逃れ、その光景をただ眺めた。
光があった場所に、岩亀はいなかった。
光が徐々に弱まって、何事もなかったかのように収まっても、誰の姿もない。
代わりにそこにあったのは、光とは対照的な黒い魔石だった。
「す、げぇ魔法……」
いつの間にそうなったのか、私を突き飛ばしてくれたレンドは、でんぐり返しの途中のような格好で地面に転がっていた。天と地がひっくり返った体勢で向けられたその驚愕の眼差しの先には、レンドと同じく地面で横になる私。
いや、今のは私じゃないけど。
そう言おうとして、驚きすぎて言葉も出ない私は、地面に転がる木の杖を視界に入れた。
この杖だ。店主から渡された、見た目はただの木製の杖。
魔法具の作成に長けた店主から渡されたものが、普通の武器なわけがなかった。
もしかして、もっと早く気がついていれば、あの亀も普通に倒すことができた?
試しに杖を握って、私は誰もいない場所目掛けて、攻撃の意思を抱いて軽く振った。
「え、ちょ、うわぁああああ!?」
「れ、レンドぉお!?」
光の塔、再臨。発生させた場所が少し悪かったようで、出現に伴った衝撃がレンドを襲い、遠くへと吹き飛ばしていった。タンブルウィードのようにころころと転がって遠ざかっていくレンドを追いかけながら、私は手の中にある杖をできるだけ慎重に扱った。
途轍もない魔法具を、何の説明も受けず、渡されてしまった。
帰ったら絶対に、あのうっかり属性でコミュニケーションに難のある不審者店主に文句を言ってやる。さすがにブチ切れつつ、とりあえずは無事に帰ることを目標にしようと思い、私は恩人であるレンドの救出に向かった。
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