そこまで長期でやろうとは思っていません。
感想やご指摘があればよろしくお願いします。
「はぁ……」
学校から帰る道の途中、私は思わずため息を1つついてしまいました。
最近頭の中に思い浮かぶのは、家に届いた縁が縞々の滅多に見ないお手紙。そこに書かれていた内容は私への留学のお誘い……。
嬉しくない訳ではありませんでした。私の将来の夢は服のデザイナー。留学はそれを確実に後押ししてくれると思います……でも今の私には音の木坂学院、「μ's」……やりたいことが沢山有る。
「はぁ……どうしよう」
私はお空で煌々と輝くお月様に思わず愚痴を零してしまいました。
「ニャー」
私がとぼとぼと歩いている途中で何処からか猫の鳴き声が聞こえてきました。その声に反応して私は思わず周りを見渡してしまいます。そして古い家の塀の所に堂々と座る黒い猫さんを見つけることができました。
「あー、可愛い!」
私は思わず声を上げてしまいました。しかし、猫さんはそんな事聞こえなかったとばかりにまったく動かず、私をジーッと見つめています。野良猫なのかな?それにしては私が近寄って逃げるどころか警戒する素振を全く見せません。
「もしかしたら飼い猫かな?家から逃げてきちゃったの?」
猫さんに話しかけてみたけど、反応はありません。
「そろそろ行かなきゃ。じゃあね、黒猫さん」
私は手を振りながら猫さんから離れて歩き出す。時々、振り向いて確認した猫さんは鳴き声を上げず、私の事をジッと見送っていました。
私の通う音の木坂学院は、廃校の危機に瀕しています。それをどうにかするために結成されたスクールアイドルグループが「μ's」。「μ's」の目的はスクールアイドルにとって夢の舞台である「ラブライブ!」への出場。それによって音の木坂学院の知名度を上げ、入学希望者数を増やし、それによって廃校を止める……なんというかとっても凄い目的。
私はその「μ's」のメンバーで南ことりって言います。チャームポイントは少し垂れ気味の目に母親譲りちょっと特徴的なくせ毛。運動は余り得意では無いけど、みんなの衣装を作っています。
今の「μ's」は順風満帆。絶好調といった感じ。人気を徐々に伸ばし、スクールアイドルの人気ランキングの上位にも名前が上がるほどになってきた。
でもそんな私のもとにやってきたのは1枚の手紙。そこには海外で衣服の勉強をしてみないかというお誘い。
先にも書いたように私は将来デザイナーになりたい。でも音の木坂を廃校にはしたくない。今の私はそんな思いに板挟みにされて困っていました。
「ただいま~」
私の声に返ってくる声はありません。お母さん、今日遅くなるって言ってたっけ……。
そんなことを思いながら、私は「μ's」の練習の汗を流すためにお風呂に入って、その後、簡単な夕食を食べて、自分の部屋に入ります。そしてそのままベッドにダイブ。学校の課題はあったけど手を付ける気にはなれません。
「はぁ……」
本当にどうしたらいいんだろう……。
そんなことを思っているうちに私の瞼がどんどん重くなっていき、いつの間にか眠ってしまいました。
「ニャー」
その時、どこかで猫の鳴き声が聞こえた気がしました。
「あれ?」
気づいた時には私の周りの景色は大きく変わっていました。
アルパカやねこさんの可愛いぬいぐるみやふかふかのベッドが消え、私はいつの間にか暗い道にポツンと立っていました。
前後左右を見渡して見るけど、目に見える限り私の知っている場所ではなさそう……というか秋葉原、いや日本ですら無いかも……。
「え、えぇー!」
今起きていることを把握したために驚きが後からやってきました。つまり私はいつの間にか自分の部屋から外国にまで来てしまったのです。一体何をすればこんなことが起きるのでしょうか?
「す、スピリチュアルだね……」
思わず「μ's」の仲間である希ちゃんの口癖を思わず使ってしまいました。希ちゃんのタロット占いも凄いけどこれはその何倍もびっくり。
「ど、どうしたらいいんだろう……」
こういう時ってどうしたらいいんだろ?私は外なのを気にせず地面に座り込み頭の中で考えを巡らせます。
音の木坂に時々警察の人が「もし犯罪に巻き込まれたら」みたいな感じで講義をしてくれたりしたけど、今の状況で役に立ちそうな事は言ってなかった。そういえば1年の時、警察の話を聞いていたら幼馴染の穂乃果ちゃんがうとうとして私の膝に倒れこんじゃって、海未ちゃんが「何してるんですか!」って怒ってたっけ。懐かしいなぁ……。
「っ!いけないいけない」
意識が現実逃避しようとしてしまったので思わず首をぶるんぶるんと横に振る。集中集中……今は家に戻る方法を考えないと。
「……とりあえずどの辺りか調べてみようかな」
考えた末に出た結論がこれでした。ここが本当に外国なのか、もしかしたら日本で、秋葉原で、私が働いているメイド喫茶の近くだったりするかもしれない。なんて頭の中で無理やり自分を励まし歩き出す。
暗い道だと思っていた場所はどうやら家と家の間。路地裏みたいな場所だったようです。そしてレンガで出来たヨーロッパのような道を抜けたとき、私はここがやはり日本ではないと痛感せざる負えませんでした。
私が通路を抜けた先にあったのは大きな川、そして私の道の近くには木の棒のようなものが何本を川から立っていて、ロープで木でできた船を固定しています。そして川は細い枝のように街のあちこちに張り巡らされているのが、夜の暗い中でも確認できました。
そしてこういう風景に私は少し見覚えが有りました。
前に服のアイディアを探しているときに真姫ちゃん、花陽ちゃんと一緒に見た、ヨーロッパの風景写真。そこで水の都と紹介されていた不思議な街……そうここは。
「ヴェネツィア……」
私が地名を口にした時、まるで肯定するかの如く風が一吹き、私の頬を撫でました。
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第2話
「本当にヨーロッパに……」
私は夜の街の風を受けながら呆然と呟いてしまいました。
予想していたとはいえ非現実的な出来事が起こった……という衝撃をリアルに感じてしまい、身体全身が思わず身震いする。
「どうしよう……」
本当にこれからどうしたらいいんだろう……。ここは外国。日本語は通じないし、イタリア語なんて分からない。それにもし言葉が通じてもなんて説明したら良いのか……それに説明出来てもパスポートとか持ってないし……。
「うっ」
頭の中の考え事をしている途中。急に吹いた強い風に私は思わず、体を縮こまらせてしまいました。
そういえば私は部屋で寝ようとしていた所だから来ているのは緑色のパジャマで裸足。どう考えても外にいるような恰好じゃない……。
こんな格好で外にいたら、風邪を引いちゃったり、変な人に襲われたりして……。
「うぅ、穂乃果ちゃぁん……」
私の嗚咽交じりの声は、私の大事な友達に届くことは無く、夜のヴェネツィアに溶けていきました。
「アリア社長?」
「どうしたの灯里ちゃん」
ARIAカンパニーのシャッターを閉め、アリシアさんがアパートに帰るくらいの時間になった頃、私はアリア社長の姿が見えないことに気が付きました。
「あ、アリシアさん。アリア社長の姿が見えないんですよ」
「あら、本当ね。アリア社長、夜出かけるときは書置きを残すのだけれど……何か急ぎの用が有ったのかしら?」
「ちょっと辺りを探してきましょうか?」
「そうね。でも、灯里ちゃん気をつけてね。外は暗いから、水路に落ちたりするかもしれないわ」
「はい、気を付けます」
私はアリシアさんから許しをもらって、ARIAカンパニーから街のほうへ足を向けます。アリア社長の小舟は残っていたので、アリア社長は歩いてお出かけのようです。
「アリア社長~、どこですか~」
街の中を時々声を出しながら探してみますが、返事は有りません。アリスちゃんや、藍華ちゃんにも聞いてみようかな……なんて思い始めた頃
「ニャー」
私の耳に猫の声が入ってきました。
「アリア社長!?……じゃ、ないか」
声のした方に向くとそこに居たのはすらっとした黒い猫さんでした。アリア社長は白くてもちもちぽんぽんな猫なので全然違います。
その黒猫さんは私のほうをじっと動かずに見つめています。睨む……というよりは観察しているという表現が似合う感じです。前にアリア社長の後を付けたときもこんな視線を感じた気がします。
「そのー、猫さん?」
「……」
私の言葉には黒猫さんは反応せず、じっと私を見続けています。でも、もしかしたらこの猫ならアリア社長の行き先を知っているかもしれない。という期待が少しだけ私の心に有りました。直感ですけどね。
「アリア社長を探しているんですけど、ご存知ですか?その、白い帽子を被っていてもちもちぽんぽんな感じの猫なんです。あ、瞳が青いのも特徴です」
「……」
「何か、知ってたらなー……なんて」
私の言葉をじっと黒猫さんは聞いています。やはり知らないみたいです。
「すみません、お邪魔しました」
「ニャー」
私が黒猫さんから視線を外しアリア社長を再び探そうとしたとき、黒猫さんが小さな声を上げました。
そして黒猫さんはゆっくりと歩を進めていきます。そしてしばらく歩いてから私のほうをジッと見つめてきます。……誘っているんでしょうか?
なんて思っていると黒猫さんはすぐに視線を外し、ずんずん進んでいきます。
「あ、待ってください!」
アリア社長の行方はよく分からないし、ひとまず黒猫さんに付いていくことにしました。音を立てずに歩く黒猫さんとぱたぱたと靴音を立てながら駆け足で進む私。それはまるで不思議な事に誘われている童話の少女のようです。
「ぷいにゅ」
「あ、アリア社長!」
黒猫さんを追いかけ、街の中を走り回っていると。横から白い猫さんが出てきました。頭に付けたARIAカンパニーの帽子。猫にしては横にちょっと大きいあったかそうな体。どっからどうみてもアリア社長です。
「何処に行っていたんですか。アリシアさんも心配していたんですよ」
「ぷいにゅ?」
「ん、どうして見つけられたのかですか?」
「ぷい」
「それは……あれ?」
よく見たらアリア社長と合流してから黒猫さんの姿が見えません。「もう私の役目は終わった」みたいな感じで去ってしまったんでしょうか。
「あの猫さん恥ずかしがりやさんなのかな」
「……ぷい?」
「あ、アリア社長。ここまで誘ってくれた黒猫さんが居たんです。知合いですか?」
「ぷいぷい」
首を横に振るアリア社長。どうやらアリア社長の友達ではないみたいです。ではあの猫さんは何者(何猫?)だったんでしょうか。私がアリア社長と首を傾げると手首に有る腕時計が目に入ります。腕時計の針はARIAカンパニーから出た時から結構進んでいました。
「アリア社長、もう帰りましょうか」
「ぷい!……ぷいぷい!」
「え?何か有るんですか?社長」
「ぷいにゅ!」
帰ろうと来た道を戻ろうとする私の服の裾をアリア社長が手で引っ張って引き止めます。そしてすぐ私の前に躍り出て、走り始めました。
「あ、待ってください社長~」
今度の追いかけっこは黒猫さんの時とは違い、すぐに追いつきました。社長は少し細い路地を通り抜け、水路にかかっている橋を通って反対側の道で立ち止まっていました。
「社長~、どうしたん……え!?」
私はアリア社長を目で追っていた時に緑色の何かが有ることに気が付きました。社長をその何かの前にお座りをして様子を伺っているみたいです。
とりあえず私は少し慌てて社長と同じ道筋で後を追います。遠い時はよく分かりませんでしたが、近づいて見ると、それが緑色の服を着た人だということが分かりました。体育座りのような恰好をして、頭を項垂れさせていました。見るからに普通の状態ではありません。
「社長!そちらの方はどうしたんですか!?」
「……日本語?」
私の声に気付いたのでしょうか。緑色の服の人が鈴のような微かな声を出しながら顔を上げました。
その人は私よりも少し年上……高校生くらいの女の子でした。頭の上の方に有るくせ毛がぴょこんと立っていて少し可愛い。ですが、そんな上向きの髪とは違い、彼女の顔は今にも泣きそうな顔をしています。
「え、えーっと……どうしたの?」
「……」
私が聞いても少女の顔は晴れません。むしろ徐々に瞳を潤ませていきます。
よく見たら、少女の緑色の服はパジャマでした。足も靴下を履いておらず、冷たい地面によって足が赤くなっていました。もしかしたら家で母親と喧嘩したりして家出してきたのかもしれません。
「ARIAカンパニーに来ない?」
「え?」
「ここにずっといると風邪を引いちゃうよ」
私は出来るだけ優しい声で目の前の少女に話しかけます。少女は黄色い目を大きく見開いて驚いていました。
「さ、アリア社長も帰りますよ」
「ぷい」
「さ、お手をどうぞ」
私が少女に手を伸ばす、それを目の前の少女は少し戸惑いながら手を掴んできてくれました。少女の手は冷たくなっていたけれど、私は力強く彼女の手を握る。
「私の名前は水無灯里。あなたは?」
「ことり……南ことり」
これが私とことりとの出会い。それはまるで物語の1ページのような不思議な出会いでした。
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第3話
「ことりちゃん。大丈夫?寒くない?」
「うn……はい。大丈夫、です」
座り込んで泣いていた。まるで子供のような私に声を掛けてくれたのは妖精のような女の人でした。
前の髪が長くて後ろの髪は短めのちょっと不思議な髪型をした女性。水無灯里……というみたい。
水無さん……名前からして日本人みたいだけどどうしてヴェネツィアに居るんだろう。白と青のセーラー服とワンピースを合体させたような不思議な服は日本では馴染みないし、多分何処かのお店の制服?結構かわいいなぁ。
「あ、あそこがARIAカンパニーだよ」
「へ?」
不意に水無さんが立ち止まり、ある一点を指さしました。
その先に有ったのは、ヴェネツィアのレンガ造りの街から少しはみ出ている二階建ての建物。二階には丸い天窓が二つあってまるでお人形さんのお家のよう。
そんな建物とヴェネツィアを繋ぐ、桟橋の所で長い金髪の女性が立っているのが見えました。水無さんと同じ服を着ているから同じ会社の人かな?
「アリシアさん!」
女の人の姿を見て、水無さんとそばを歩いていた少し大きめな猫さんが駆け出しました。私もそれにつられて慌てて付いていきます。
「灯里ちゃん。アリア社長はちゃんと見つかったみたいね……あら、そちらの女の子は?」
水無さんがアリシアさんと呼んだ人は水無さんと猫さんを見て安心したような微笑み、私の姿を見て目を丸くしていました。
「あ、えっと。ことりちゃんって言うんですけど。なんか訳あって家に帰れないみたいなんです。ARIAカンパニーに暫く泊めても良いですか?」
「まあ、そうなの?」
水無さんの言葉を聞き、私に目を向けてくるアリシアさん。水無さんにまだ事情を話していないけど、何か有ったのは察してくれたみたいです。
アリシアさんは私の姿を上から下に一通り見た後
「とりあえず入って。紅茶を入れるわね」
と言って人を落ち着かせる優しい微笑みを見せてくれました。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
アリシアさんから渡されたカップに紅茶が入り、白い湯気と共に良い匂いが私の鼻に入っていきます。本当に良い匂い……家で飲んでいるのよりも良い香りがします。
ARIAカンパニーの中は何というかキャンプ場のバンガローの中みたいな穏やかな雰囲気がします。暖炉や日本では見たことの無い形の電話?があったりして、やっぱり日本とは違う場所に来たんだな~っと実感してしまいました。
私がそんな風に室内を見渡していると椅子に座っている私の前にアリシアさんが座って私のことを見つめながら口を開きました。
「それで、どうしてそんな恰好で外にいたのかしら。風邪を引いちゃうし、危ないわ」
「え、えっと……」
アリシアさんの質問はもっともなものでした。流石に理由も聞かずに泊める人は居ないよね……穂乃果ちゃんや海未ちゃんみたいな幼馴染ならともかく。それに私の状況を話してそれを信じてもらえるかどうか……。
「……大丈夫よ。言いたくないなら言わなくて」
悩んでいる私をみかねてアリシアさんが気を遣ったのかと思いました。けれども彼女の目はそんなものでは有りませんでした。何というかお母さんのような目をしていました。転んだ子供を無理やり立たせるのではなく、1人で起き上がるまで横で待っている。そんな応援している目をしていました。
「言いたくなった時にゆっくり話してくれれば良いわ」
「いえ、言います」
そして私はそんな優しい人に全て話そうと決めました。彼女は名も知らない自分を悪い人ではないと信用してくれているのだ。なら、私もそんな期待に応えたい。そう思った。
私はアリシアさん達に「元々日本に居たのにいつの間にかヴェネツィアに来てしまった」という内容を簡潔に伝えました。
するとアリシアさんと隣に座っていた水無さんも
「まあ」
「えっ!?」
なんて言って驚いていました。まあ、いきなり瞬間移動したなんて言われたら流石に驚くよね。なんて思っていると水無さんが恐る恐る質問をしてきました。
「ことりちゃん……それってアクアの日本だよね?」
アクア?その単語に私は思わず首をかしげてしまった。アクアって確かどこかの言葉で「水」を意味する単語。それくらいは知ってるけどどうして急に……。
「ねえ、ことりちゃん。じゃあ、マンホームって言葉は知ってる?」
「え、ごめんなさい……どこかの地名ですか?」
次にアリシアさんから来た質問はさっぱり分からず、反射的に答えると。私の前に居る二人は更に驚いていました。
「じゃ、じゃあ、ヴェネツィアは何処にあるか分かる」
「はい、それくらいなら。確か、イタリアですよね」
「「……」」
私の解答に二人は思わず固まってしまった。あ、あれ?確かヨーロッパで長靴の形をした国ってイタリアだよね!?地理の授業の時に穂乃果ちゃんにそう教えたけど……もしかして間違ってる!?
「じゃあ、最後に聞くわね。今何世紀?」
私が混乱しているうちに落ち着いたアリシアさんが私に聞いてきました。世紀?それはもちろん
「21世紀?ですよね」
私が答えた瞬間、アリシアさんは自分の紅茶を一杯優雅な手つきで飲みました。でもそれは自分を落ち着かせるかのような動きに私は見えてしまいました。そして私の目を見てこう言いました。
「いいえ、今は24世紀。そしてここはアクア……火星に居るのよ」
「え……」
私はアリシアさんの言葉によってカップを持とうとしていた手が止まり、アリシアさんをジッと見つめてしまいます。でも、彼女の目が本気だと告げていました。
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第4話
灯里ちゃん、ことりちゃんより年下だった
この後、アリシアさんと灯里さんから色々なことを聞きました。
ここは24世紀の人が住めるように開拓された火星(アクア)。その中でもここは地球(マンホーム)のヴェネツィアに模して作られた街で「ネオ・ヴェネツィア」と呼ばれていること。
……はっきり言ってもう頭の中がパンクしそうです。そんな私の事を察してか、アリシアさんがもう休むよう勧めてくれました。
「じゃあ、ひとまず私は帰るけど……灯里ちゃん。ことりちゃんをよろしくね」
「はひ、アリシアさん。お休みなさーい」
「お休みなさい」
そう言うと普段着に着替えたアリシアさんはARIAカンパニーから出て行きました。
そしてその後水無さんに勧められ、一度シャワーを浴びました。足とか汚れていたので正直助かりました。
「ことりちゃん、二階にベッドが有るからそれを使ってね」
「はい、ありがとうございます」
どうやら灯里さんはここに住んでいるようです。アリシアさんはアパートを借りて居るみたいですが、灯里さんは借りないのかな?そういうルール?
ARIAカンパニーの二階はベッドとか箪笥とかが置かれていて、いかにも女の子な雰囲気の部屋です。特に急いで片づけたような感じもなく、いつも清潔に保たれているのが分かります。そしてその部屋の床には枕と布団が敷かれていました。私がシャワーを浴びているときに敷いてみたい。
「ぷいにゅ」
私が部屋を見渡していると、ベッドの上から鳴き声が一つ聞こえました。そっちの方向を向くとそこには白いおっきい生き物……確かアリア社長だっけ?
彼(彼女?)はベッドの上で前足を上げ、招き猫みたいに手をクイクイっと動かしています……こっちに来いって意味かな?
「ぷいぷい」
私が近づくとアリア社長はベッドから飛び降りてしまいました。……ベッド使っても良いってことかな?よく分からないけど好意に甘えることにしました。ベッドはふわふわしていて何かシャンプーの香りがします……う~ん気持ちいい。ついつい頬ずりしたくなる感触。
「ことりちゃん。入るよ~」
私がベッドを触っていると扉がコンコンと小気味よくノックされました。声からして水無さんみたいです。私が扉を開けるとピンク色のパジャマに猫みたいな帽子を被った水無さんが立っていました。その姿はお人形みたいでちょっと可愛らしくい
「あ、ことりちゃん。大丈夫?ベッドで良い?布団の方が良いかな?」
「あ、それは水無さんの好きなように……」
「そういえばことりちゃん。灯里で良いよ。ことりちゃんの方が年上なんだし」
「え、そ、そうなの?」
「ことりちゃんは何歳なの?」
「え、えーっと……ぎりぎり16歳」
「じゃあ、やっぱり私の方が年下だよぉ」
「え、えぇー!」
私はその事実に少し驚いてしまいました。だ、だってあの私に手を差し伸べてくれた時の表情とか、私を色々気遣ってくれる感じから絶対年上だと思っていたのに!まさかの水無s……灯里ちゃんの告白に口をパクパクとさせていると灯里ちゃんはその様子を見て、思わずといった感じで笑っていました。
「じゃあ、少し暗くするね」
「はい、分かりました」
私の言葉にことりちゃんは可愛らしい声で返事をしてくれました。電気を小さな豆電球が付く位の明るさにして私は床に敷いた布団に入ります。私は真っ暗にして寝ると怖くて寝れないんだけど、ことりちゃんもそういうのなのかな?特に気にすることもなくベッドで目を閉じています。
にしても21世紀の日本かぁ……。私が生まれてくるよりも200年くらい前のマンホームどうなってたんだろう。あ、花火とかもアクアと同じように本物だろうし。いろいろ聞いてみたいなぁ……。
「う、うぅ~ん……」
なんて私が思ってると、ベッドの方からうめき声が一つ。声の主はもちろんことりちゃんでした。
「ことりちゃん。どうしたの?」
「あ、みずな、灯里ちゃん。その何というか寝付けなくて」
そういうとことりちゃんは困った感じで苦笑いをしていました。それもそうだよね。急に自分の全く知らない世界に放り出されたらどんな所でも不安で寝れなくなっちゃう。私だってそうなっちゃうかも……なるよね?
「そ、その、枕が変わっちゃったから……」
私が心の中でことりちゃんの状況を想像していると恥ずかしそうに小さな声でことりちゃんが話してくれました……って枕?
「ああ!旅行とか行った先の枕だと中々寝られないときって有りますよね」
「う、うん。私、いつも使ってる枕じゃないと寝れなくて……」
そういうと頬を赤くしながら小さく笑いました。ちょっと無理をしている感じだけど、気は楽になったみたい。
「じゃあ、眠くなるまでお話でもしましょうか?」
「話?」
「そう。ねえ、ことりちゃんのお話聞きたいな」
「わ、私の?」
私の申し出にことりちゃんは目を丸くして驚いていました。でも、暫くすると「うーん……」と悩む声が私の耳には聞こえてきました。
「でも、そんなに面白い話有るかな……」
「じゃあ、ことりちゃんって何か得意な事ってある?」
「得意な事……あ、お菓子なら少し作れるよ」
「そうなの!?凄いなぁ」
ことりちゃん、お菓子作れるんだぁ。アリシアさんは時々作ってくれるけど、私は作ったことが無いんだよねぇ。
「ううん、そんなに凄くは無いよ……まだまだ上手じゃないし。穂乃果ちゃん達に上げるのはまだまだ先……」
「穂乃果ちゃん?」
「あ、穂乃果ちゃんっていうのは私の友達」
その時、ことりちゃんの声が少し高くなったような気がしました。
「小さい頃からずっと一緒なの。それでいつも私の事を引っ張ってくれるの」
「へぇ~、幼馴染なんだぁ」
「うん!」
ことりちゃんの弾んだ声。ことりちゃんにとって穂乃果ちゃんは本当に大事な人みたい。
良いなぁ幼馴染。私にとって藍華ちゃんやアリスちゃんは大切な友達だけど。子供の頃からの友達は居ないんだよなぁ。
「……また会えるかな」
私の耳に唐突に聞こえた小声。その響きには暗い思いが宿っていました。
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第5話
「ことりちゃーん!」
「ことり」
「あれ?」
不意に聞こえた声。何時の間にか私の前に穂乃果ちゃんと海未ちゃんが立っていました。
場所も音の木坂の通学路。……あ、そっかいつも通り三人で学校行くところだっけ。
「?どうしたのことりちゃん。早く行こうよ!」
「ことり、大丈夫ですか?」
私がぼうっとしていると二人がゆっくりと戻ってきました。穂乃果ちゃんに海未ちゃん。私の大切な友達。いつも一緒にいてくれる大切な人。
「ううん、何でもない」
私はそんな二人に首を横に振ります。今日はいつも通りみんなで練習。ラブライブ!ももう少し頑張らないと。そう、いつも通り、いつも通り。何も変わらないふわふわで楽しい毎日……
なんて思っていると視界が急に真っ白に。目の前の二人の姿もしっかりと見えなくなっていきます。
「穂乃果、今日の宿題はちゃんとやりましたか?」
「あ……」
「穂乃果!」
頭の中は耳鳴りだらけ、二人の声は徐々に遠くなっていく。ああ、行っちゃう……置いていかれちゃう。
待って、待って、まって、マッテ、mat……。
「待って!」
私は声を張り上げながら布団を飛ばす勢いで起き上がりました。そして周りを見渡した時
「そっか、私……」
自分が瞬間移動?をしたことを思い出しました。ここはネオ・ヴェネツィア。私の居た場所とはとっても遠い、未知の場所。そこで私は夜を過ごしました。
なんとなくベッドの近くの半球状のガラスが嵌めてある丸窓から外を覗いてみる。
「うわぁ……」
外の景色は一面青でした。家に来るチラシとかで見た地中海みたいな嘘みたいな青。そしてその上を飛ぶ真っ白なカモメ達。私が迷い込んだ時は夜だったから見れなかった光景が広がっていました。
その景色はとっても綺麗で……でも、私がますます遠いところに来てしまったことをいやでも自覚させられてしまいました。そういえば音の木の方も朝なのかな。お母さん、どうしてるんだろう……。
私が外の景色をぼうっと眺めていると、耳の中に何かを焼いているときの「ぱちぱち」といった感じの油の音が聞こえてきました。
「ことりちゃん、起きてる~?」
「あ、灯里ちゃん」
私が音の正体を探っていると扉がそんな声とともに開かれました。入ってきたのは灯里ちゃんです。既にパジャマから例の見慣れない制服に着替えていました。どうやら私はお寝坊さんのようです。
「ううん、そうでもないよ。まだ日が昇ったばっかり。あ、ちょっと着替えの事なんだけど……」
そう言うと、灯里ちゃんは部屋のクローゼットから一着の服を出しました。それは白と青が基調のロングのワンピースみたいな感じの服で……。
「その、ことりちゃんの服、パジャマしか無いよね。でも、用意できたのARIAカンパニーの制服位しか無くて……」
つまり灯里ちゃんやアリシアさんの制服と同じのでした。そっか私パジャマしか持ってきてないんだ。寝る場所だけじゃなくて服の事とかも考えてくれてたんだ……。
「でも、良いの?その、会社の制服なんて着ちゃって……」
「大丈夫です。アリシアさんも良いって言ってたから」
「じゃあ……」
私はありがたく灯里ちゃんから制服を受け取ることにしました。一応とはいえ他所の制服。貰った時思わず体が硬くなっちゃいました。
「わあ、似合ってるよ!ことりちゃん!」
「ええ、本当に似合ってるわ」
「あ、ありがとうございます」
制服を着た私を褒める二人。ARIAカンパニーの制服はゆったりとした感じの服なんだけど、腰のあたりはラインがはっきりと出ちゃう服でした。露出が少なくて可愛い服なんだけど、なんかライブの衣装とは違う意味で少し恥ずかしいなぁ……。そう思った時、初めてのライブで海未ちゃんがスカートの短さで恥ずかしがっていたのを思い出しました。スカートの長さは全然違うけど、思っていることは真逆……それがちょっとおかしくて、思わずクスリと笑ってしまいました。
「ことりちゃん、後これも付けてね」
「これは……帽子?」
そんなことを考えているとアリシアさんから更に制服と同じ色合いの帽子を渡されました。縁の所に青いリボンが結んであって、とっても可愛いなあ。
私がこの帽子を被る。こうして見ると「wonderful rush!」の衣装みたい。
「うん、サイズもちゃんとあってるし大丈夫そうね」
「あ、はい。すみません何から何まで……」
「良いのよ。困ったときは遠慮しないでね」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあ、朝ごはんを食べましょうか。灯里ちゃん、準備手伝ってくれるかしら」
「はひ!分かりました」
「そういえば灯里ちゃん」
「ん、何?ことりちゃん」
朝食を終えてアリシアさんは食器の片づけをしている頃。私はテーブルを拭いている灯里ちゃんに声を掛けました。
「ARIAカンパニーって何の会社なの?」
「はひ?」
私の質問が余りにも意外だったのでしょうか。灯里ちゃんの動きがピクリと止まり、布巾を動かしていたグローブをしている右手も止まってしまいました。そして目を丸くして私の方を見てきます。
「ことりちゃん、ウンディーネを知らないの?」
「う、うんでぃーね?」
聞きなれない単語に思わず灯里ちゃんにそのまま返してしまいました。どうやらアクアではその職業は常識のようです。
「そ、そっかぁマンホームにウンディーネは居なかったし、そうなれば21世紀の頃も無かったんだね……」
「それはどんな仕事なの?」
灯里ちゃんが何かに気付いたようで独り言をぶつぶつと言っている所に質問をしてみました。
多分灯里ちゃんの様子からしてマンホーム……つまり地球ではその仕事は珍しいみたいです。アクア独自の仕事っていうことかな?私はついつい興味を持ってしまいました。
「そういえば灯里ちゃん。今日はみんなで練習の日よね」
「え、はひ。今日は藍華ちゃんとアリスちゃんのいつもの三人で練習ですよ。それがどうかしたんですか?」
不意にアリシアさんがキッチンから灯里ちゃんに声を掛けました。灯里ちゃんはその急な言葉に不思議そうに言葉を返しました。するとアリシアさんは優しげな笑みを浮かべて
「じゃあ、灯里ちゃん達の練習をことりちゃんに見せてあげたらどう?ことりちゃんにネオ・ヴェネツィアのことを教えてあげられるし、ウンディーネのことも分かってもらえると思うわ」
そう言いました。すると灯里ちゃんの表情は一変。たちまち笑顔に早変わりして
「あ、そうだ!ことりちゃん!私と一緒に練習に行きませんか?」
私の手を掴み、元気いっぱいに言いました。れ、練習?ってなんの?ダンス?
「灯里ちゃん。しっかり教えてあげないと。ことりちゃんも戸惑っているわ」
私が灯里ちゃんの急な言葉に戸惑っているとアリシアさんが助け舟を一つ。それを聞いて我に返った灯里ちゃんが頭を下げてきました。
「あ、ごめんなさいことりちゃん……」
「ううん気にしてないよ。で、練習って?」
その後、灯里ちゃんから練習について聞きました。まずこの会社で働いているのはアリシアさん一人。灯里ちゃんはまだまだ見習いだそうです。それでいつもほかの会社の子達と一緒に練習しているから付き合ってほしいとのこと。でもウンディーネの事はアリシアさんが「あとあと知ったほうが楽しいわよ」と言って秘密にされてしまいました。
「それでどうでしょう。引き受けてくれますか?」
「うん、良いよ」
「本当ですか!」
灯里ちゃんが私の返答に声を上げていました。私としてはどんな内容の頼み事でも聞くつもりだったけど、灯里ちゃんの喜び様に思わず私も笑顔になってしまいました。昨日まで落ち込んでいた気持ちが嘘のよう。
まるで穂乃果ちゃんみたい……心の中でそう呟きました。みんなを引っ張って進む穂乃果ちゃんとは少し違うけど、灯里ちゃんも周りのみんなを笑顔にする。名前通りの優しい光のような女の子。
「あ、そろそろ行かなきゃ!ことりちゃん行こ!」
そう言ってARIAカンパニーの扉を開く灯里ちゃんの背中が穂乃果ちゃんそっくりに見えてしまいました。
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第6話
滑るように前へ進んでいく黒い船が水路に波を立てていく。その船の中で座っているとゆらゆらとした振動で思わず眠くなっちゃいそう……。
今の私は船の後ろに立って漕いでいる灯里ちゃんと練習する友達との集合場所へ移動しています。ここネオ・ヴェネツィアは未来とはいえ移動方法は本来のヴェネツィアと同様で船と徒歩位のようです。周りを見渡してみると野菜の入った箱を船に乗せて運ぶおじいさんとすれ違ったりしました。
「お~い」
「あ、藍華ちゃん!アリスちゃんも!」
私がヴェネツィアの風景を見渡していると近くにあった桟橋から髪の短い女の子が灯里ちゃんに手を振っているのが見えました。彼女は私たちの制服の青を赤くしたすればそっくりになる服を着ていていました。多分、彼女もウンディーネという職業なのでしょう。
その隣には緑色の長い髪をした女の子が立っています。彼女の場合は白と黄色の制服。灯里ちゃんよりも年下のような雰囲気がするけど彼女も友達なのかな?
「ごめん。ちょっと色々あって……」
「もう、今日は一体何処で道草を……」
そんなことを考えているうちに灯里ちゃんの船は彼女たちのいる桟橋に近づいていきます。その時に船に乗っている私の姿に気づいたのか、短い髪の女の子は途中で言葉を切り、私の方をジッと見てきます。
「どうしたの藍華ちゃん?」
髪の短い女の子(藍華ちゃんって名前みたい)が言葉を詰まらせたことに灯里ちゃんが首をかしげていると藍華ちゃんと呼ばれていた女の子が灯里ちゃんの方を向きます。
「どうして灯里のゴンドラに私が知らない人が座って……それはまあいいや灯里の事だし。でもなんでその人がARIAカンパニーの制服を着てるのよ」
藍華ちゃんとしては私がこの制服を着ているのが不満?というよりは純粋に驚いているみたいです。そういえばARIAカンパニーって灯里ちゃんとアリシアさん、後アリア社長しか居なかったけど、まさか二人と一匹しか社員は居ないのかな?本当にどんな会社何だろう……。
「あ、藍華ちゃんそれは事情が有って……」
そう言って灯里ちゃんがチラッと私の方を見ました。どうやら私の不思議な事情を伝えて良いか迷っているみたい。
「うん、良いよ」
私は灯里ちゃんに微笑みながら思いを伝えました。私程度のことで変ないざこざは起こって欲しくないし、それにこの子達なら信じてくれる。私は心の中で何時の間にか信じていました。
「21世紀の日本から来た……」
「でっかい驚きです」
灯里ちゃんは私が21世紀の日本から来た。そして服が無くてしょうがなく制服を着ているという説明をしてくれました。それに対しての二人の反応はとにかくびっくりといった感じ。まあ、想像通りの反応。
そしてアリスちゃんと呼ばれていた女の子が私の方に向きました。そして少し口ごもった後小さな声で私に聞いてきました。
「それは本当なんですか?えっと名前は……」
「ことりだよ。あなたはアリスちゃんだよね?」
「あ、はい。アリス・キャロルです。よろしくお願いします」
「うわぁ……かわいい名前だね」
「ありがとうございます」
「って何馴染んでんのよ後輩ちゃん!」
私がアリスちゃんと挨拶をしていると藍華ちゃんが横から私たちの間に入ってきます。それに対してアリスちゃんは不思議そうに首を傾げる。
「どうしたんですか藍華先輩?」
「いや、後輩ちゃん。何でちゃっかり仲良くなってるのよ」
「でも藍華先輩。灯里先輩のことですそれくらいの不思議なことはあっても可笑しくは有りません」
「いやいや……まあいいか」
アリスちゃんの言葉に藍華ちゃんは反論しようとしたけれども何やら諦めた様子。どうやら灯里ちゃんの周りは不思議なことが多いみたいです。
「で、灯里。その……」
「ことりさんです。藍華先輩」
「ことりさんが」
「ことりで良いよ。アリスちゃん、藍華ちゃん」
「そう?じゃあことりって呼ぶわ。よろしく」
「うん、よろしくね」
そう言うと藍華ちゃんとも握手をします。何か藍華ちゃんって雰囲気が年上みたいだからさん付けはちょっと違和感が有りました。でもこの二人を引っ張ってる感じがするし、ちょっと海未ちゃんに似てるかも。
「で、藍華ちゃん。私がどうしたの?」
「灯里、ことりがARIAカンパニーの制服を着ている理由は分かった」
「うん」
「それでどうして一緒に来たの?」
「アリシアさんが提案したの。ことりちゃんはネオ・ヴェネツィアの事全然知らないし、ウンディーネの事を知ってもらうついでに案内したらって」
「成る程……」
灯里ちゃんの言葉を聞き、手を顎に付けふむふむと頷く藍華ちゃん。次の瞬間、彼女は手をパンと叩きながら合わせました。何かに気づいた感じです。そして私たちに目を輝けながら顔を向けます。
「それはつまり、アリシアさんからの試験よ!」
「……はい?」
「はひ?」
「へ?」
藍華ちゃんの言葉に私たち三人は驚きの声を上げてしまいました。
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第7話
「……どういうことですか?藍華先輩」
藍華ちゃんの言葉を聞いた後、呆れた顔でアリスちゃんが聞きました。それに対して「ふふん」といった感じの……確かどや顔って言うんだっけ?をしながら藍華ちゃんはビシッと私を指差します。
「分かる?後輩ちゃん。ことりはね、ここが何処かも分からない一匹の迷い鳥」
「うんうん」
藍華ちゃんの言葉を聞き、ふむふむと真剣に頷く灯里ちゃん。その様子を半目で見ているアリスちゃん。うーん、何だろこの感じ、何処か慣れ親しんだ雰囲気がするけど、何だったかなあ……。
「そこにアリシアさんは私達に案内するように頼んだのよ!それはつまり何も知らない人に如何にネオ・ヴェネツィアの魅力を伝えられるかのテストに違いないわ!」
「……そうですか?」
藍華ちゃんの言葉にアリスちゃんはますます半目になります。どうやらそれはないと確信しているご様子……けど藍華ちゃんの言葉でウンディーネの事が少し分かってきたかも。
「つまり、ネオ・ヴェネツィアを案内してくれるって事?」
「そうだよ。ここネオ・ヴェネツィアの素敵な所を紹介するのが、私達ウンディーネなの」
「まだヒヨッコでお客様を案内はしちゃいけないんだけどね」
「ああ、練習ってそういうことなんだ」
つまり、灯里ちゃん達の会社は観光案内をしているみたい。藍華ちゃんとアリスちゃんの制服からして別の会社みたいだけど……意外と激戦区?
「そう、だから私たちは早く一人前のウンディーネにならければいけないのだ!」
「わぁ~」
藍華ちゃんの言葉を聞き、パチパチと拍手する灯里ちゃん。私とアリスちゃんはそれを困ったように見つめているのでした。
「じゃあ、最初は灯里ね」
「はひ!」
というわけで私は灯里ちゃん達の練習のお手伝いをすることになりました……でも
「ねえ、灯里ちゃん」
「ん?」
「その、なんで私たちは船に乗っているの?」
何故か灯里ちゃんと一緒に乗ってきた船の後ろのところに立っている灯里ちゃん。そして座席のある所に私と藍華ちゃんとアリスちゃんの三人の合計四人が乗り込んでいました。これから街を案内してくれるんだよね?修学旅行とかで見た旗を持ってみんなを誘導するようなことをするんじゃないのかな?
「……本当に何も知らないのね」
「な、なに?藍華ちゃん」
私の言葉を聞いた後、藍華ちゃんから何か呟きました。けれど聞き返すと「ううん、何でもない」と言われちゃいました。
「よーし、灯里行きなさい!ARIAカンパニーの代表として恥じない活躍をして、ことりにネオ・ヴェネツィアのことをしっかり教え込むのよ!」
「はひ!水無灯里、行きます!」
「え、灯里ちゃん、もうちょっと教え……キャッ!」
私が灯里ちゃんにウンディーネの仕事を聞こうとしますが、集中している灯里ちゃんに無視され、ボートは動きだします。相変わらずボートはススーッと気持ちよく滑っていくけれどこの後どうするんだろう……なんて思っていると私たちの前を巨大な岩、ジャガイモ?みたいなものがまるで神殿みたいな建物からにょきっと現れ、空へと飛んでいきました。
「わぁ、何アレ?」
「へ?ああ、あれは宇宙船だよ。マンホームとアクアの間をいつも行ったり来たりしてるの。私もあれに乗ってネオ・ヴェネツィアに来たんだよ」
「へ~」
「灯里、口調!」
「あ、はわわ……」
「?」
一体何を慌てているんだろう。オールを持って、あたふたしている灯里ちゃんに思わず首を傾げてしまいましたが、その後、灯里ちゃん達の会話を思い出しました。どうやら灯里ちゃん達の仕事は船に乗って運転しながら、街を案内するお仕事のようです。練習はもう始まっているみたい。
「そっか……」
水の都なんて言われている位だもの。ただ街を案内をするだけじゃなくて、こうやって街の特性を利用した方がなんというか
「素敵だね」
そう思った時、私は意識せずに言葉が漏れてしまいました。でもそう思ったんだからしょうがない。そして、灯里ちゃん達がこういう仕事をしたいと思ったこの街をもっと知りたい。
「ねえ、灯里ちゃん」
「はひ」
私が話しかけたとき、あたふたしていた灯里ちゃんがキョトンとしながら見てきました。そんな彼女に笑顔を向けて言いました。
「この街の素敵なところ、私にしっかり教えて下さいね」
「……はい、かしこまりました!」
灯里ちゃんが私の言葉を聞き、しっかりと頷きました。先ほどまでの慌てっぷりは何処へやら。オールをしっかりと握り、ボートをしっかりと漕いで行きます。私ボートのことはよく分からないけど、灯里ちゃんはしっかり一生懸命練習している……そのことが伝わってきます。
「お客様、右手をご覧下さい」
灯里ちゃんの言葉を聞き、私は右の方を向きます。そこには先ほどのジャガイモ宇宙船が飛び出てきたとっても古そうなおっきな建物。
「あそこはマルコ・ポーロ国際宇宙港と言います。ヴェネツィアに実在したドゥカーレ宮殿を元にして作られた建物で……」
灯里ちゃんの口から建物の説明がスラスラと出てきます。多分一杯練習したんだろうな……なんて思っちゃって建物の方よりも灯里ちゃんの事が少し気になってしまいました。
彼女だったらどうするのかな?もし二つの大好きなものを選べって言われたら。どっちを選ぶのかな……なんて思ってしまうのでした。
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第8話
「こちらの建物はマンホーム時代の……」
灯里ちゃんの説明を聞きながら、私は街の景色を改めて見渡します。
朝よりも人が増えたネオ・ヴェネツィアは私たちの船が通ろうとしている水路に掛かった橋を見ているだけで色々な人が居ることが分かります。
果物が入った木箱を抱える大きな男の人、スーツを着たシルクハットの老紳士、地図を持って歩いているカップル……本当に多種多様な人がそれぞれの歩幅で歩いていく。
「あ、お姉さん!」
と私が見ていると、視界の中に赤い服を着た小さい女の子が私たちの方に手を振ってきました。そしてそれを見た灯里ちゃんが説明を途中で止め、彼女に対して手を振り返しました。
「お姉さんこの前はありがと~」
「うん、どういたしまして!」
「灯里ちゃん、知り合い?」
その後女の子は手を振りながら街の中へと行ったので、灯里ちゃんに尋ねてみました。すると灯里ちゃんは首を縦に振りました。
「うん、この前居なくなったワンちゃんを探してあげたの」
「へ~」
この時は感心しただけだったけれど、灯里ちゃんが船を漕いでいると
「あら、ウンディーネちゃん!」
「おう、ウンディーネの嬢ちゃん!」
「あら、この前はありがとね」
「あ、お姉さん」
……やけに灯里ちゃんは話しかけられます。どうやらみんな灯里ちゃんの知り合いみたいです。
「灯里ちゃんってすっごい人気者なんだね」
「そうね、ネオ・ヴェネツィアで生まれた私と後輩ちゃんよりも知り合いの数は多いと思うわ」
「はい、私もそう思います」
「え~、そうかなぁ」
私の言葉に藍華ちゃんとアリスちゃんはその通りだと首を縦に振ります。灯里ちゃんとしては変だとは思っていないご様子。これはネオ・ヴェネツィアの風土とかではなく灯里ちゃんの才能?みたいなものみたい。
「ていうか灯里!あなたは今練習中よ!もっと集中しなさい!」
「は、はひ!……あ、ウッディーさん!」
「コラー!」
「藍華先輩、落ち着いて……」
集中しようとしたけれど思わず空を飛んでいる箱みたいなもの(何だろ、あれ?)に乗る男の人に手を振る灯里ちゃん。それに怒り出す藍華ちゃんに、なだめるアリスちゃん。その様子に思わず頬が緩んでしまいました。
怒る藍華ちゃんに「えへへ~」と笑う灯里ちゃん……何というかまるで穂乃果ちゃんと海未ちゃんみたい。
「……ことりさん?」
私が気付いた時、アリスちゃんが心配そうに私を見ていました。
「大丈夫ですか?」
「あはは、ごめん。ちょっとぼーっとしちゃった」
「その、体調が悪くなったらすぐに言ってください。いきなり見知らぬ場所に来てしまったことは私が思っている以上に辛いと思います……だから」
「うん、ありがとね。アリスちゃん」
アリスちゃんに心配を掛けさせちゃいました。そんなにぼーっとしちゃったかな……。
「何か灯里ちゃんと藍華ちゃんが友達に似てるなって思っちゃって」
「友達?」
「うん。穂乃果ちゃんと海未ちゃんって人が居てね、良く穂乃果ちゃんが海未ちゃんに怒られてて、その光景とそっくりだなってちょっと思っちゃったの」
「そうなんですか……」
私の言葉にアリスちゃんは複雑な表情をしました……けれど私の顔を見ながら呟きながら喋りました。
「その、私は少し前まで一人で練習していたんです」
「そうなの?」
「はい、私の会社……オレンジぷらねっとって言うんですけど、そこに最年少で入社したんです……だから会社の中の他の人達とはなんといいますか」
「余りお話が出来なかったの?」
「そうですね、何というか孤立してました。私としてはそれでも良いって思っていたんですけど……」
そう言った後、まだ話している二人に目を向けました。大きな声を上げる藍華ちゃんに「え~」って言う灯里ちゃん。なんというか猫のじゃれあいを見ているみたいでなんだか微笑ましい。
「灯里先輩達と一緒に練習するようになって、色々と話すようになって凄く毎日が明るくなったんです」
「一緒に……」
「はい、だから、その、上手く言えないんですけど……分からないことは私や灯里先輩に遠慮なく言ってください。解決できなくても一緒にいるだけで不安とかは安らぐと思いますから」
「アリスちゃん……うん、そうだね」
アリスちゃん、年下なのに私の事を気遣わせちゃった。でも私はまだまだネオ・ヴェネツィアについては知らないことばっかりだし、彼女の好意は素直に嬉しいな。そう思っているとアリスちゃんは灯里ちゃん達に呆れた感じで声を掛けます。
「先輩方、ことりさんが呆れてますよ」
「いや、別に呆れてる訳じゃ……」
「あ、しまった……!灯里!早く次行くわよ!次!」
「は、はひ!」
アリスちゃんの言葉に船の上がどたばたと少し慌ただしくなりました。
「……本当に良い先輩たちだね」
「そうですね」
私の言葉にアリスちゃんは少し顔を赤くしながら微笑みました。
「うーん、これでネオ・ヴェネツィアは一通り説明したわよね?」
「そうですね。いつも練習しているスポットは一通りやりました」
私たちは船から降り、藍華ちゃん、アリスちゃんと出会った桟橋に居ました。街の紹介は灯里ちゃん→藍華ちゃん→アリスちゃんの順番でそれぞれ紹介してくれて、終わったころには近くに有った時計が昼前を示していました。
紹介してくれたのは劇場などの観光名所から、ちょっとした噂のある橋とか、灯里ちゃんの時には更に練習しているときに気が付いたちょっとした素敵な場所なんていうのも教えてくれました。
場所によっては細い道なんかも通って、普通の観光案内とは少し違う、もし穂乃果ちゃん達に案内するとしたらちょっと通ぶれちゃいそうな案内をしてくれました。
「ことりちゃん、どうだった?」
「うん、とっても素敵な場所がいっぱいあってとっても楽しかったよ!」
私が感想を求めた灯里ちゃんに素直な感想を言うと灯里ちゃんの顔に笑顔が溢れました。余りに嬉しそうな顔に私のほうも思わず笑顔になっちゃいます。
「良かった!ことりちゃんにもネオ・ヴェネツィアの素敵な思いがたくさん伝わったんだね!」
「恥ずかしいセリフ禁止!」
灯里ちゃんの言葉に藍華ちゃんがツッコミを入れます。灯里ちゃんはそれを聞いて「え~」と不満なそうな声を漏らしていました。
「藍華先輩、練習はこれで終わりですか?これから少し行かなければいけない場所が有るのですが」
「そうね。私も昼から用事があるし終わりで良いわよね。灯里もそれで良い?」
「うん、良いよ~」
灯里ちゃんがのんびりした感じの声で許可をすると藍華ちゃんとアリスちゃんは別々の近くの船に乗って海のほうに漕ぎだしていきました。私たちはそれを手を振って見送ります。
そして二人が水路に入って見えなくなるまで見送ると、互いに海をみたまま少し沈黙が起きました。
「灯里ちゃん、これからどうするの?」
「う~ん、アリシアさんからは別に何か買ってくるようには言われてないし……あ、そうだ!」
灯里ちゃんは私の言葉にしばらく悩ませた後、手のひらをポンと叩き、私のほうに向きなおって来ました。
「ことりちゃん、とっておきの素敵な場所を教えてあげる!」
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第9話
「灯里ちゃん……どこまで行くの?」
私はネオ・ヴェネツィアの街中より少し細い水路を進む灯里ちゃんに思わず聞いてしまいました。
「素敵な場所に案内してあげる」と言われ船に乗ったら、灯里ちゃんはどんどん船を漕いで行き、周りがネオ・ヴェネツィアの伝統的な街並みから風力発電の風車が立ち並ぶ原っぱになってしまったら不安になるというものです。
でも灯里ちゃんはそんな私を余所にニコニコと明るい笑顔を私に向けて
「大丈夫。もう少しで着きますよー」
なんて言ってきます。灯里ちゃんがこういう言うんだから心配は無いんだよ……ね?
少し不安になっていると私たちの前に上に開いた大きな門?みたいなものが見えてきました。その門の横の陸地には新聞を読んでいる髭の生えたおじさんが座っています。
「おう、嬢ちゃん!上に行くかい?」
「はい、お願いします!」
そのおじさんが私達の船に気が付いたようで立ちあがった後、門の近くの小さな小屋みたいな所に入っていきます。灯里ちゃんはその前をすーっと通っていき門の中に入ります。
「ってあれ?滝?」
その時、門の内側には水路は続いておらず、上から水が流れて滝になっていることに気が付きました。
当たり前ですが、灯里ちゃんの船は木製の至って普通の船。
灯里ちゃん、もしかして道を間違えたのかな?なんて思っていると、私たちが入ってきた大きな門が閉まり、水の流れを止めてしまいました。
「え!閉じ込められちゃったよ!?」
「ことりさん、大丈夫。ちょっと待ってたら分かりますから」
そう言われても……私が不安に思っている間も滝から水が一杯流れ込んできます。幾ら船に乗っていても狭い部屋に水が入ってくるのは昔見た船が海に沈む映画みたいでちょっと……。
そうやって水がどんどん入ってくるのを心配しながら待っていると滝から流れてくる水によって徐々に船が上に上に登っていきます。私はその時になってここがどんな場所なのか理解しました。
「そっか!ここって船を滝の上に運ぶためのものなんだ!」
「はい、ここは水の力だけを使ったエレベーターなんです」
つまりここは滝の下の方の門を閉じることによって門の内側に水を溜める。そこに船が有れば水の上に浮き、溜まった水によって船を押し上げる……といった原理みたい。昔ながらのものが沢山ある、ネオ・ヴェネツィアらしい仕組み。
そんな水のエレベーターは私たちを頑張って最上階まで運んでくれました。そこは先ほどと同じように椅子に座ったおじいさんが居て、私たちの姿を見た時軽く頭を下げてくれました。
私たちもそれに続いて一礼した後、灯里ちゃんが船を漕ぎ始めました。どうやら目的地はまだまだみたい。
自然の力のエレベーターを出た時、船の左側は原っぱから青々としたアクアの海に変わっていました。
水平線の果てまで続く大きな海、そこを飛ぶ白い海鳥。ちょっと遠くから見るこの海はこっちにやってきて落ち込んでいた時、朝見た時とは少し違う不思議な感じがして思わず口を開けてじっと見つめてしまいました。
「もう少しで着きますよ」
オールで漕ぎながら灯里ちゃんは笑顔を崩さずに話しかけてきます。その言葉が終わるか終わらないか位の時に一陣の風が私たちの船を吹き抜けていきました。
「きゃっ!」
風に吹かれて、顔に掛かる髪に思わず声を出してしまいました。そしてそれを振り払った瞬間
「うわぁー……」
私たちの前に水に浮かぶ都が姿を現しました。
赤い色の屋根が並ぶ建物達。その間を通るように張り巡らされている水路達。その中で少し飛び出している大きなのっぽの時計塔。
それは先ほどまで私たちが居たネオ・ヴェネツィアでした。
「とうちゃーく!」
灯里ちゃんの元気な一声と共に船が動き止めました。
「良い景色だよね。ここ」
「うん、ネオ・ヴェネツィアがあんなに小さく見えるなんて……」
私の驚嘆の声に灯里ちゃんは嬉しそうに首を縦に振ります。
「うん、私も初めて来たときに驚いちゃった……まあ、それ以外にも驚いたことがあったんだけどね」
「……?何か有ったの?」
「私がARIAカンパニーに入ってから暫くして、アリシアさんが一緒にハイキングに行こうって提案したことがあったんです」
「アリシアさんってやっぱり優しい人なんだぁ」
私は頭の中で夜に出会ったアリシアさんのことを思い出しました。優しく微笑んで心配してくれた素敵な女性。私もあんな風になりたいなぁ……。
「それでアリシアさんと一緒に来た場所がここなんです。そこでアリシアさんから左手の手袋を外してもらえたんです」
「左手?」
私は灯里ちゃんの言葉を聞いた後に灯里ちゃんの手を見て、彼女の言っていることが分かりました。
灯里ちゃんの右手には肘の辺りまで覆う白と青の手袋を付けているのに、彼女の左手にはそういうものは無く素肌を晒していました。
「はひ、まだお客様を運べないウンディーネは手袋をはめていなければいけないルールが有るんです。両手の時はペア、ペアで成長すると片方の手袋を外してシングルって呼ばれるようになるんです。そして手袋が無くなると、一人前としてプリマって呼ばれるようになるんです」
「へぇ……じゃあここで灯里ちゃんの手袋外したってことは」
「はひ、アリシアさんの昇級試験をクリアしてシングルにしてくれた場所なんです」
つまり、アリシアさんがハイキングに誘ったのは灯里ちゃんがどれくらい力が付いたか調べる試験で、灯里ちゃんはそれを乗り越え、ここでシングルになったそうです。
つまりここは灯里ちゃんからしてみれば自分の夢に一歩進んだ思い出の場所なんだ。
そんな場所に出会ったばかりの私を連れてきてくれた。
「……灯里ちゃん」
「なに?ことりちゃん」
灯里ちゃんは本当に優しくて素敵な人なんだと私はここで実感した。独りぼっちで暗い気持ちに手を差し伸べてくれた、大事な場所へ連れてきてくれた。そんな優しさに
「ありがとう」
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第10話
「……」
不思議な感じがする。私が今見ているのは間違いなくアイドル研究部の部室。けれどいつもとは違う。私の視点はまるで監視カメラのように上から眺めている。
「一番だにゃ~」
「ま、待ってよ凛ちゃ~ん……」
私が部室をぼんやりと眺めていると、元気よく中に入ってきた女の子が一人。そしてその子を追いかけて息を切らして入ってくる子がもう一人。
私の後輩で一緒にスクールアイドルをやっている元気いっぱいで可愛い女の子の星空凛ちゃん。そしていつも優しくて可愛い小泉花陽ちゃん。彼女たちは部室に入ると元気に部活の準備を始めました。
「……あら、まだ二人だけ?」
「そうみたいやね」
「あ!絵里ちゃん!希ちゃん!」
そこにやってきたのは三年生で生徒会長の絢瀬絵里ちゃんに、副会長の東篠希ちゃん。そして後から作曲担当の西木野真姫ちゃんに、部長の矢澤にこちゃん……「μ's」のみんながどんどんやってきます。私が最初見ていた時よりも明るく、騒がしくなった部室。みんな楽しそうに色々な話をしていて……
「ごめーん!遅くなっちゃった!」
「私達が最後みたいですね……」
最後にやってきたのは私の大切な友達。海未ちゃんに穂乃果ちゃん。私の大好きがみんな部室にやってきて楽しそうに笑いあっています……けれどもそこに私はいない。
「よし、八人みんな揃ったね!ラブライブへ向けて練習しよ!」
穂乃果ちゃんがそう言ったのを筆頭にみんなが次々に部屋から出ていきます。
「ごめーん!遅れちゃった!」
なんて言って入ってくる私の姿は無く、最後に出た真姫ちゃんが扉を閉めました。
「……また夢」
目を覚ました時の感情はなんとも言えないものでした。さっきまで見ていたのが夢だったのを安心する気持ちと、自分がネオ・ヴェネツィアにいてみんなと離れ離れになっているという軽い失望感。そんな複雑な気持ちのまま、私はベッドから出ました。
「あれ?」
その時、私の視界がボヤけていることに気が付きました。何気なく目の周りを擦ってみると手に小さな水滴が付いてきました。
「あ、ことりさん。起きまし……はひ!?」
それが涙だと私が気づいた時、たまたま入ってきた灯里ちゃんが私の姿を驚きの声を上げました。
「ど、どうしたんですか!?」
「あ……なんでもないよ。なんでも」
「で、でも……」
「ほんと、なんでもないから」
灯里ちゃんは私を心配そうに見ながら口を噤みました。
「その、みんなどうしてるかな……って思ったら、自然にね」
「穂乃果ちゃんって人ですか?」
「うん、それに色んな友達の事とかね……そうだ、灯里ちゃん。私を呼びに来たみたいだけど何かな?」
私の言葉を聞いて、灯里ちゃんは「あ、そうだ!」といつもよりわざとらしく明るい声を返してきました。
「アリシアさんが朝食が出来たから呼んでって」
「あ、うん分かった。直ぐに着替えて行くね」
私の返答を聞いた後、灯里ちゃんはいつも通りの笑顔で外へ出ていきました。……気を使わせちゃったなぁ。ネオ・ヴェネツィアに来てからずっと世話になりっぱなし。こっちに来てから二日も経つし泊まっている分二人に迷惑を掛けないように何かしないと……
「……でも私にできることってあるかな」
「ことりちゃんに手伝えること?」
「はい」
朝食を食べている途中、アリシアさんに私が先ほど考えたことを話してみました。アリシアさんは私の言葉を聞いた後「う~ん……」と顎に手を置き、考える仕草をしだします。
「そ、そんな、ことりちゃん無理しちゃ駄目ですよ」
灯里ちゃんは若干あたふたしながら私に言葉を掛けてきます。さっきの涙を見られたせいかな?私が無理をしているように思われたみたい。
アリシアさんはそんな私と灯里ちゃんをチラッと見た後、いつものほんわかした笑顔に変わります。
「そうねぇ……じゃあ今日はARIAカンパニーのお手伝いをしてもらおうかしら?」
「え、アリシアさん!?」
私の体調を心配しているからか、アリシアさんの言葉に灯里ちゃんが驚きの声を上げます。
「別にそこまで大変なお仕事を頼むわけじゃないわ。お客様に飲み物を運んだりするのを手伝ってくれたりするだけ」
「あ、それなら出来ます。ちょっと喫茶店……みたいな所でバイトしていたので」
私は「μ's」……というよりは穂乃果ちゃんがスクールアイドルを始めようという時に喫茶店(とは言ってもメイド喫茶だけど)でバイトを始めて、何故か「伝説のメイド」なんて二つ名を貰ったりしてました。
「そうなの?それなら大丈夫ね」
私の言葉を聞いてアリシアさんはまた優しい笑みを向けてきます。
「……ほえ~」
アリシアさんって本当に綺麗で笑顔が似合う人だな……。後ろで編まれている長いブロンドの髪、青い瞳に白い肌一つ一つの綺麗なパーツが見事に調和しててなんていうか……ポーズを決めて立っていたら芸術品と見間違っちゃうかも。
「ことりちゃん?大丈夫ですか!?」
「は!?う、うん大丈夫だよ!?大丈夫!」
アリシアさんの笑顔に思わず固まってしまった私を、灯里ちゃんが心配そうに揺らします。
「その、本当に大丈夫ですか?あんまり無理はしないほうが……」
「う、うん大丈夫大丈夫」
灯里ちゃんには朝の時のでとっても心配させちゃっているみたい。でも流石にアリシアさんに見惚れてたとは言えないよね……。
「じゃあ、ことりちゃん。お留守番まかせるわね」
「はい、お客様、アリシアさん。いってらっしゃいませ」
ARIAカンパニーにある小さな船着き場。そこにある船の後ろに立つアリシアさんと。座るカップルのお客様に私は頭を下げた後、右手を小さく振ります。
今回のアリシアさんの客は無口で頑固そうな男性とニコニコ笑顔を絶やさない明るい女性。女性の話によると子供がみんな独り立ちしたのでその記念にアクアへ来たみたい。
アリシアさんの船を予約してきたお客様は大体予約の時間より早くやってきます。私のお仕事はそのお客様の為に紅茶を淹れて、話し相手になること。ウンディーネやネオ・ヴェネツィアの事はあまり詳しくは無い私ですが、基本は話しかけてくる人はネオ・ヴェネツィアにどうして来たのか?といった話が多いので聞く側に徹して、観光名所などを聞いてきた時はアリシアさんに応援を求めたりして、お仕事をなんとか頑張っています。
そして先ほどのお客様は出発したので、私は海が見えるカウンターに座り、暫く休憩することにします。
灯里ちゃんは藍華ちゃんとの練習に行ったのでここには私一人です。
「……」
そういえばこっちに来てから一人になるのは灯里ちゃんが見つけてくれた時以来かな?私はふと思いました。
あの時灯里ちゃんが来てくれなければ、私はどうなっていたのかな?ずっと暗闇の中で地面に座って泣いていたかもしれない。もしかしたら、何かに連れ去られていたかも……人かもしれないし、もしかしたらもっと怖いものに
「……それは無いかな。うん、ないない」
私は自分が想像したことを笑って打ち消します。流石に非現実的。そういったものは小学生の頃に卒業しちゃいました。サンタクロースとかと一緒。もう高校生だし、そんなことを信じている子なんて音乃木坂にもいないよ。
そう思った時、私の後ろで床がきしむ音が聞こえました。それに反応して私の体がビクンと跳ね上がるかと思っちゃいました。
灯里ちゃんが帰ってきた?……それだったら私に挨拶はするよね?
そんなことを考えているうちに足音はどんどん私に近づいてきます。何が何だか良く分からないけどとりあえず足音の正体は見ないと……!私はゆっくりと後ろに振り向きました、そこにいたのは
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第11話
「……誰?」
私は恐る恐る後ろへ振り向きます。そこに居たのは……。
「……猫?」
スラリとした体躯の一匹の黒猫さんが床に座っていました。この黒猫さんを見た途端、私は気が抜けたような、ほっとしたような感覚が体に広がります。良かったぁ。怪しい人とかではなかったみたい。
「でもどこから入ってきたんだろ?」
私は思わず疑問を口に出します。私の記憶ではARIAカンパニーにこんな猫さんを飼っている記憶はありません。アリア社長?という猫さん(猫……だよね)だけしか飼われていないはずです。それにARIAカンパニーの室内からやってきました。どこかの部屋の窓が開けっぱなしで、そこから入って来ちゃったのかなぁ……。
私がそんな風に考えていると、その黒猫さんは私の方へ警戒するそぶりを見せずにのそのそと歩いてきます。そして私の前のテーブルにぴょんと飛び乗っちゃいました。人懐っこい子なのかな?
「……」
「……」
私と黒猫さん。その間で無言が暫く広がります。その黒猫さんは私たちの前に広がる青い海をじーっと眺め続けています。私はその黒猫さんを見つめていましたが、不意にあることを感じました。
「ねえ、私とどこかで会った?」
この黒猫さんとどこかで会ったような。既視感? そんな感覚が私にありました。黒猫なんて珍しくない。なのにこの黒猫さんを見てると何とも言えない不思議な感覚が心の中に広がっていきます。この感覚を一言で言うなら……。
「懐かしい……」
「にゃー」
私が呟いた瞬間、黒猫さんは立ち上がって、カウンターから外へと飛び出します。そして外のデッキをしなやかな体を伸ばして、ネオ・ヴェネツィアへと駆け出していきます。
「あ、待って!」
外へと出ていった黒猫さんに私は思わず声を掛けてしまいました。しかし黒猫さんは無視して、ARIAカンパニーとネオ・ヴェネツィアを繋ぐ桟橋を走っていきます。
私の体はその黒猫さんに引っ張られるかのように椅子から立ち上がって、追いかけ始めます。ゴンドラで案内しているアリシアさんを待たなくちゃ……なんて一瞬思ったけれども、何故か黒猫さんの事が気になってしまい、足が勝手に動いていきます。
ARIAカンパニーの扉を開け、私は黒猫さんの小さな背中を追っていく。
それはまるで何処かへ誘われているかのように……。
黒猫さんは何処までも走っていきます。ネオ・ヴェネツィアの小道を走り、橋を渡る。私はそれを精一杯走って追いかけます。黒猫さんは、私の事を意識してるのかしてないのか、とても速く走っているのに、小さな背中だけは私は追うことが出来ています。
少し横を見ると、アクアの青い海が建物の間から時々顔を覗かせては消えていきます。その浮かび上がっては消えていく風景は昔見た、古い映画のフィルムみたい……なんて感想を抱いてしまう。現実と非現実の緩やかな境界線、その線の上を歩いているような曖昧模糊。連続する風景に心奪われて、何処か夢のような浮遊感。何時の間にか自分の足音以外の音が聞こえなくなっていました。
黒猫が狭い路地へ曲がったのを見て、私も釣られて入っていきます。路地の中は昼なのに光が届かず、真っ暗です。幅は人一人が横になってギリギリ入れるか入れないか……といった所。私は少し躊躇して、この路地に入りました。
体を横にして、必死に歩いていきます。暫く歩くと、さっき入った場所がもう見えません。そのことに少し恐怖を感じながらも、進んでいきます。なんだか、ここから先は……行ってはいけない。そんな事を心の何処かで感じてしまう。
暫く進んだ後、私の視界が突然明るく開け、突然の光の明るさに私の視界が真っ白になってしまいます。
それでも進んでいると、狭い路地から突然抜け出せました。しかし、視界がまだ白く周りを確認できません。
「……ここは」
徐々に目が光に慣れ、周りを見れるようになった時、私の視界には噴水が見えました。ここは建物が立ち並び、その足元に空いた小さなスペース。そこに簡素な噴水が置かれ、水の綺麗な音を奏でていました。
私は暫くその噴水を眺めていましたが、本来の目的を思い出して辺りを見渡します……どうやら黒猫さんは私がぼーっとしている内に何処かへ逃げてしまったみたいです。
「……逃げられちゃったかな?」
「何を追いかけてたの?」
私は突然声を聞き、振り向きます。すると噴水の所に黒いワンピースを着た女の子が何時の間にか座っていました。彼女は私の方を向くと、不思議そうに首を傾げます。
「お姉ちゃん不思議な匂いがする……何処から来たの?」
「え、何処から……それは、ARIAカン」
そこまで答えて、私の口が止まりました。私は「何処の」人間なのだろうか。私は火星の……アクアの人間じゃない。ARIAカンパニーの制服を今着ているけれど、私はARIAカンパニーの人間ではまだ無くて……。音ノ木坂に帰りたいけれど、私は穂乃果ちゃん……皆が頑張ってる「μ's」から抜けようか悩んでて……。
私は何処に居るの?
私の心の中に一つの言葉が降ってきてしまいました……私は何処に居るのだろうか?
「……」
「……そっか、お姉ちゃん」
私が固まった所に女の子は何かを察したみたいに優しく声を掛けてくる。その表情は明らかに年下なのに、何処か大人びて見えた。彼女は私の前まで歩いて来ると、指で横を指した。そこには、私が入ってきた路地とは別の路地がある。
「お姉ちゃんは、まだここには来ちゃいけない……もしかしたら、今のお姉ちゃんでも、最悪の結果は回避できるかもしれない。でも……まだ駄目」
「……あなたは?」
女の子の不思議な言葉には何も言えず、私は一つ質問をした。女の子はそれに答えず。私の背中をぐいぐい押してくる。
「え、えぇ!?」
何故か女の子のその腕に抵抗できず、路地にほっぽり出される。女の子の方を向くが、そこには路地の暗闇のみで何も見えない。逆に路地の先の方には細い光が見えた。
足が光の方へ向かっていく……まるで自分の足ではないかのように、夢の中で歩くように力なく。
でも光が近づいて来ると、足に徐々に力が入って来て、光に触れた途端――。
「……」
私は大きな道に出ていました。周りには沢山の人の波。ざわざわと聞こえる喧騒。その様子を黙って……驚きのせいで口を開けながら見ていました。後ろを振り向いて路地を見ますが、そこは至って普通の路地。あの噴水の所に繋がっている気配は有りません。
何気なく、人の波に入っていきます。隣の女性二人が、パンフレットを持ちながらネオ・ヴェネツィアの観光名所について語っています。前の男の人は大きな袋を何処かへ運んでいます。彼らは皆、ちゃんと居る。観光、仕事……理由は様々なだけど、ちゃんと知っている。
私は何処に居るの?
先ほどの疑問が頭をよぎります。……私は、何処に居るだろうか。
「……あれ、ここ何処?」
そして、いま私は何処に居るのでしょうか? 思わず辺りを見渡しますが、灯里ちゃんと来た覚えは無い場所です。
……ど、どうしよう。
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第12話
「……うーん」
ネオ・ヴェネツィアの水路に沿って歩いていく。辺りの水路を見てみるけれど……全然見覚えが無い。何処を歩いても、水路と煉瓦で出来た建物の風景に、自分が何処に居るのか分からなくなっちゃいそう……。
「そういえば、アリシアさんには無断で出ちゃったままだ……」
アリシアさんのお仕事の方は一人でも大丈夫だと思うけど、変な不安はさせたくないなぁ。
「うん、一人でも頑張らないと!」
アリシアさんと灯里ちゃんに心配させちゃいけない……とりあえず自分の現在地をしっかり確認しないといけないね。そう考えて辺りを注意深く見渡す……うーん、周りは何処も似たような感じ、所々に標識はあるけど……。
「……よ、読めない」
どの標識もイタリア語ばかり……こ、これは前途多難。
なんて考えていると、何処からか大きな鐘の音が聞こえてきます。
「……そういえば」
昨日、灯里ちゃん達が説明してくれたのを思い出します。鐘の音を鳴らしてくれるのは……確か
「サン・マルコ広場だっけ?」
サン・マルコ広場。ネオ・ヴェネツィアの中でも中心といっても良い大きな広場。灯里ちゃんがそこの鐘楼が時間を告げてくれると教えてくれた。
「……なら」
私はそれを思い出し、上を見上げます。ARIAカンパニーは分からないけれど。建物の間から、ぴょっこりと大きな塔が見えました。
うん、あそこを目指せばとりあえずは大丈夫。あそこまで行けばARIAカンパニーまでの道筋は分かる……と思う……多分。
とりあえず私は鐘楼を目指して、歩いてみることにした。
「……うーん」
鐘楼を目指して歩くこと数分。目指しているんだけれども……。中々鐘楼にたどり着けません。多分、水路――ゴンドラとかを使えば、結構簡単にたどり着けそうなんだけど、水路には歩けない所も多いし、更に道に詳しくない私からしたらとっても大変。
ゆっくりとは近づいているみたいだけど……こんな調子じゃどれくらいかかっちゃうかな。
「えぇ、ここは有名な――」
道に迷って橋を渡っている途中。私はウンディーネの姿を見かけました。アリシアさんではない。服装は藍華ちゃんの所の……姫屋?だっけ。でも顔は知らない人。その人は笑顔でお客さんに接しながら橋をくぐっていきます。
……その笑顔を見て、何故か遠いものを感じてしまいました。
私は何処に居るの?
ネオ・ヴェネツィア、いや、それだけじゃない。一緒に「ラブライブ」に挑戦するか、留学を決めるか。
ずっとずっと、私は迷っている。さっきのウンディーネさんにはその迷いがなかった。だから遠かったんだ。
穂乃果ちゃんと一緒に最初のライブをした時、大変だったし拙かった。でもあの時は、本気で笑っていた。その時に比べて、私は迷っている。
「~♪」
何処からか、歌が聞こえてきた。綺麗な声。歌詞は分からないけれど……とっても透き通った、まるで清流の流れのような声……。ゆっくりとそちらに振り向く。
そこには女性が居ました。白いゴンドラの上に乗り、ゴンドラを漕ぎながら短い銀髪を揺らして歌っている。その声に私は先ほどからの悩みが全て飛び去って、完全に聞きほれてしまいました。
その女性は私の方は向かず、船で漕いで私の近くを通り過ぎて行っちゃいます。私は思わず呼び止めようとしてしまいますが、その人のゴンドラに人が乗っていることに気付いて、声を掛けるのを止めました。彼女の服装をよく見ると、それはアリスちゃんと同じ黄色の線が入ったウンディーネの制服……確か、オレンジぷらねっとだっけ?
「……綺麗な歌だったなぁ」
漕いで行く彼女の背中を見て、私は思わずそう呟きました。スクールアイドルである私とは違うタイプの歌。けれどもあの歌はとても上手いと私でも直ぐに理解できました。
そんなあの人ともう一度会ってみたい。一回だけでも喋れないかな。なんて、考えてしまうのでした。
「……あ」
その綺麗な人との再会は意外と早いものでした。暫くサン・マルコ広場を探して歩いている途中。人も増え、ウンディーネの方々も多く見るようになって。そろそろ人の多い所に来たかな……なんて所で特徴的な銀髪を揺らす、オレンジぷらねっとの女性の後ろ姿を見つけました。
その人は何やら紙袋を両手で持っていているのが分かります。何処かで買い物をした帰りかな。
私はそんな女性に一度は喋ってみたい……なんて考えてしまいます。あの綺麗な歌……あれはスクールアイドルとして少なからず音楽に関わる身としてはとても興味を抱いてしまいます。
とはいってもどうやって話しかけよう。アルバイトとかでチラシを配ったりするのとは違う。突然「お話を聞かせてください!」なんて言っても相手を困らせるだけだし、お茶に誘う? いやいや、それもまたとてもハードルが……。
なんて悩んでいると、目の前の女性の姿勢が突然崩れます。女性の持っていた紙袋が宙を舞い、細い体が前へと勢いよく倒れていく。
そのまま、女性は石畳の地面に前のめりに倒れてしまいました。
「え、えぇ!?」
私は突然の事態に戸惑いながらも空を飛んだ紙袋をキャッチ。慌てて、女性の元へ駆け寄ります。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あいてててて……」
女性は地面に打ち付けた頭を擦りながら起き上がります。そして、辺りをキョロキョロと見渡し始めます。
「あれ、私の買った紅茶は……」
「紙袋ですか? 私がキャッチしました」
私が声を掛けると女性はウロウロしながら私の方を向きます。そして、私の服を確認すると「あ」なんて声を上げます。
「灯里ちゃん、ごめんなさい。私ちょっと転んじゃっ……あれ?」
「ん?」
女性が顔を上げて私の事を確認すると、動きが少し固まりゆっくと首を傾げます。
「え、えぇっと」
「んん?」
女性と私の間で何とも言えない空気が広がります。
「その制服、ARIAカンパニー? なのにアリシアちゃんでも、灯里ちゃんでもない……」
「……え?」
女性の口から意外な言葉が聞こえました。アリシアさんと灯里ちゃんの名前。どうして、この女性は知っているのだろうか。
「……ARIAカンパニーの、新人さん?」
そう女性は首を傾げながら尋ねました。……な、なんて答えたら良いんだろ。私は彼女の質問にたじろいでしまうのでした。
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第13話
「何でも頼んでいいよ」
「あ、はい……えぇっと……」
オレンジぷらねっとの制服を着た短い銀髪が特徴の女性。彼女の紙袋を私がキャッチした縁か、彼女に誘われ近くの喫茶店にやってきていました。席はオープンテラス。外を行き交うウンディーネさんや、観光客の人達がこちらを眺める視線を何だか感じるような……私の意識過剰かなぁ。そんな感じで緊張しながらメニューを眺める。
「……」
「……」
無言の間が私たちの間に満ちる。前の女性は私の言葉を待っているようで、私の事を「ジトー」なんて音が聞こえそうな目で見つめている。……な、何か疑われてる? いや、ただ興味があるだけかも。アリシアさんとか灯里ちゃんの知り合いみたいだし。
「えぇっと、じゃあオレンジジュース……」
「うん。わかった」
私の注文を聞き、女性は呼び鈴を鳴らす。直ぐ店の中から店員さんがやってくる。
「オレンジジュースを二つ」
「かしこまりました」
彼女は私と同じものを注文する。店員さんはうやうやしく頭を下げると、直ぐに店の中に入ってしまった。
「……」
「……」
そうなるとまた私たちの間に静寂が訪れる。……い、居心地が悪い。で、でも色々聞きたいなぁ。あの歌とか。と、とりあえずまずは話しかけないと……。
「あ、あの」
「は、はい!」
私が色々と悩んでいるうちに女性の方から声を掛けられて驚いてしまいます。
「あ、ごめんなさい。驚かせちゃった?」
「あ、えぇっと……大丈夫です」
私の驚きっぷりに女性の方も少し驚いている様子……うう、恥ずかしい。
「……そうだ、まだ挨拶してなかったね。私はアテナ・グローリィ。オレンジぷらねっとで水先案内人をしているの」
「あ、はい。えっと南ことりです」
女性……アテナさんに自己紹介され、頭を下げる。
「うん、よろしくね。ことりちゃん」
落ち着きのない私にアテナさんは優しく微笑む。それになんかミステリアス……とでもいえば良いのかな? なんかアリシアさんとは違った独特な綺麗さがあります。
「お待たせしました。オレンジジュースになります」
アテナさんにちょっと緊張しながら自己紹介を終えた時、店員さんが私たちの前にやってきて、注文したオレンジジュースが入ったグラスが置かれる。アテナさんはグラスに刺さったストローを摘まもうとして……
「あ」
指がグラスにぶつかり、テーブルに勢いよく倒れます。勿論、中の橙色の液体はグラスから飛び出し、テーブルの上を一気に侵食していき……。
「って、あ、あぁ……」
何か体に冷たい感触が広がっていきます。情けない声を上げながら見下ろすと、テーブルを越えて進んできたオレンジジュースが私の来ている制服にじんわりと染み込んでいました。
「あ、ご、ごめんなさい。ことりちゃん。す、すぐに拭くから」
アテナさんは慌てて、椅子から立ち上がり、ハンカチを持って、私に近寄ろうとしてくる。瞬間、煉瓦の地面の微妙な凹凸にでも引っ掛かったのか、勢いよく姿勢を崩します。
「あ、アテナさん!?」
私は席から咄嗟に立ち上がり、アテナさんを支えようとする。けれど、そんなことを中々しない私の体は言う事を聞かず、アテナさんと一緒に転んでしまいます。
この後、カフェから大きな倒れる音が辺りに響いてしまいました。
「ご、ごめんなさい。ことりちゃん」
「だ、大丈夫です。大丈夫。それよりもアテナさんも大丈夫ですか」
「うん、私はいつもの事だからね」
私達が転んだ後、アテナさんが慌てて起き上がろうとして、更に頭をぶつけたり……なんか色々あった後、落ち着きを取り戻しました。
その時に気付いたのだけれども……アテナさんって凄いうっかりさんです。とってもしっかりしているように見えたのだけれど、意外というか何というか……最初見た時の歌っている時の印象とは大違い。
そんなことを私は思っていると、アテナさんはオレンジジュースをストローで一口飲んだ後、私の服を「ジーッ」って感じで見つめてきます。
「……聞きたいんだけど、ちょっと良いかな?」
「あ、はい」
「ことりちゃんってARIAカンパニーの新人さん?」
アテナさんはそう確認するように尋ねてきました。それを聞いた私はちょっと驚いてしまいます。この質問はアテナさんの紙袋をキャッチした時にも聞かれましたが、なんて答えたら良いのかまだ悩んでいて、言葉に詰まってしまいます。
ちゃんと自分の今の状況を説明するべきか……でも、アテナさんは灯里ちゃんや、アリシアさんとどんな関係なんだろうか? もしかしたらちょっとした知り合い程度の可能性もある。そんな人に私の今の状況を説明しても信じてもらえるかどうか……。
「う、ううん……なんて言ったら良いか……」
「あ」
私が言葉に詰まっていると、アテナさんがポロっと言葉を零しました。アテナさんを見ると、アテナさんは私の背後を見つめているみたい……なんというか私の後ろに誰かが居るみたいに。
「……何してるんですか。アテナ先輩、ことりさん」
驚きに満ちた声が後ろから聞こえてきました。後ろを向くと、昨日とは違う学校の制服みたいな恰好のアリスちゃんが立っていました。
「成程、つまり、アテナ先輩のいつものうっかりをした所にことりさんが鉢合わせたんですね」
「う、うん」
「あはは……」
私達の出会った経緯を聞き、アリスちゃんが呆れたようにアテナさんを見る。アテナさんはその視線に気まずそうにしながらオレンジジュースを飲んでいます。
「でも、凄い偶然だね。アテナさんとアリスちゃん、お知り合いだったんだ」
「はい、アテナ先輩は私と同室です。むしろアテナ先輩とことりさんがカフェしてることの方がすっごい偶然で、驚きです」
確かに、昨日会ったばかりの知り合いが自分と同室の先輩と喋ってたらアリスちゃんにとっては結構びっくりする出来事だろう。でもアリスちゃんが通りかかってくれて色々助かりました。彼女は私の事情も知ってるし、アテナさんとも仲が良いおかげで、ちょっと不思議な緊張感のあった空間がほぐされていくのが分かります。
「アリスちゃん。ことりちゃんとは……」
「あぁ、ことりさんは……」
アリスちゃんはアテナさんに質問され、一回私の方に目配せしてきます。私が首を縦に振ると、アリスちゃんも軽く首を縦に振って返してきてくれました。
「昨日、私と先輩方との練習に付き合ってくれたんです。ことりさんはちょっと……色々あってARIAカンパニーに泊まっているんです」
「……そうなんだ」
アリスちゃんの説明を聞いたアテナさんは少し動きを止めた後、首を縦に振る。……色々聞きたいのが顔に出ているけれど、私に事情があると察して質問を止めたみたいです。
私がオレンジジュースを飲んでいると、アテナさんが「あ」と声を出した。
「ということは灯里ちゃんと泊まってるの?」
「え? あぁ、はい」
アテナさんの質問に答えます。こういう質問が出るってことはアテナさんはやっぱり灯里ちゃんとは知り合いみたいです。でもどんな関係なのか知らないので尋ねてみる事にしました。
「アテナさん、ARIAカンパニーについて詳しいですね……気になってたんですけど灯里ちゃん達の知り合いなんですか?」
「うん、アリスちゃんが寮に泊めにきたりしてるから。それにアリシアちゃんは昔からの仲なの」
「へぇ……」
アテナさんの言葉を聞き、アリシアさんの姿を頭に浮かべる。荒唐無稽な私の言葉を信じてくれた優しい人。それにアリスちゃんの先輩のアテナさん。二人共、今の私には遠い遠いお星様の輝きの様に見えました。
「ことりちゃん? どうしたの?」
気が付くと、前に座るアテナさんが心配そうに眺めていました。
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第14話
「私、分からないんです」
オレンジジュースの無くなったグラスを見ながら、私は呟くように声を出しました。
「……あ、ちょっと言葉にしづらいんですけど、ちょっと相談良いですか?」
言葉を続けそうになるが、よくよく考えたら、突然相談するのもおかしいと思い、確認を取ります。アテナさんは私の言葉に真剣な表情で首を縦に振ります。アリスちゃんは私に何処か不安そうな視線を向けています。
「えっと……ことりさん? その、言いづらいことは別に……」
「あ、その、そんな事じゃないよ! そんな事じゃ」
アリスちゃんの不安そうな表情を払拭するために手を振りながら弁明する。けど、「そんな事」って勢いよく言ったけど、「そんな事」ってどの事? なんて自分のおかしな発言に首を傾げちゃいます。
「えぇっと、その……何ていうんだろう……何か、分からなくなっちゃんです」
「分からなくなっちゃった?」
私の言葉をアテナさんは反復する。……そうずっと悩んでいた。黒猫さんをARIAカンパニーから追って、女の子に会ってからずっと。
「私が何処に居るのか……」
「何処に居るのか?」
アテナさんが首を傾げます。うん、こんな言い方じゃ相手を困らせちゃうだけだよね。何とか自分の心の中のモヤモヤを形にして相手に分かり易くしようと考えます。
「その、今の私がどうしようとしているのか分からないんです。何がしたいのか分からないというか……」
「??」
「な、何かごめんなさい!」
私の言葉を聞いたアテナさんが更に首を傾げているのを見て、思わず頭を下げてしまいます。私もこんな質問されたら困っちゃう……。
アテナさんは私の言葉を聞いた後、一度オレンジジュースを口に含みます。そして暫く無言の後
「うん、ことりちゃんの悩んでいる事大体分かったかな?」
「え、本当ですか?」
「うん、私にも少し覚えがあるの」
そうアテナさんが言って、私は少し驚きました。
「アテナさんがですか!?」
「もしかしたら、ちょっと違うかもしれないけどね。私ね、まだ水先案内人見習いだった時、二人のお友達と練習していたの」
そう言ってアテナさんは語ってくれました。アテナさんには昔、アリシアさんともう一人のお友達と一緒に練習をしていたみたい。もちろん水先案内人というお仕事の為の練習。とても大変で苦労していたみたい。
「でも、三人で集まって練習するのとても楽しかったの。毎日アリシアちゃんと晃ちゃんに会って、ゴンドラを漕いだ後に、みんなでランチを食べたり」
その時のことを思い出したのかアテナさんは楽しそうに微笑みます。
「昨日のアリスちゃんみたいな感じなの?」
「……多分そんな感じです」
私がアリスちゃんに尋ねると何処か恥ずかしそうに視線を逸らしました。
「でも、それはあくまで見習い。何時かは一人前にならなくちゃいけないの」
そういうとアテナさんは右手を懐かしむように撫でます。まるで昔そこにあったものを懐かしむように。
「そう思った時ね、何気なく過ぎてた日々がとっても懐かしく見えたの」
それを聞いて、私も思い出します。凄い昔でもないのに、穂乃果ちゃんと海未ちゃんと私の三人で結成したこと、ファーストライブ……。μ'sの皆との思い出が遠く、キラキラと輝いている。それはネオ・ヴェネツィアに来る前から……。留学しようか悩み始めた時からずっと。
「でも、そこで立ち止まったら多分、駄目だと思う」
アテナさんは私の目を見て、そう言いました。
「その時、練習していた三人は皆、一人前の水先案内人になった。練習していた時みたいに何時でも会えるわけじゃなくなっちゃった。でもその分、色々な楽しみが出来てくるの。お客様一人一人との出会い、そして……」
アテナさんは一度言葉を止め、横を向きます。その視線の先には、アリスちゃん。
「な、なんですか」
「ううん、何でもない」
戸惑うアリスちゃんにアテナさんは微笑む。私にはその笑顔がとても眩しくて、とても大事なもののように思えました。
「え、えっとごめんね? アリスちゃん。ゴンドラ乗せてもらっちゃって」
私はあの後、アテナさん。アリスちゃんと共にカフェで寛いでいましたが。日が沈みかけた所でARIAカンパニーに戻らないといけないことを思い出し焦っていると。アリスちゃんが文字通り助け舟を出してくれました。
「でっかい気にしないでください。アテナ先輩もちゃんと指導してください」
「うん、分かった」
なんでもあのカフェはオレンジぷらねっとの近くだったらしく。アリスちゃんがゴンドラを持ってきてくれました。アテナさんもついでにアリシアさんに会おうと一緒に乗ってしまいました。
「ことりちゃん。あれで良かったかな?」
「あれ?」
「相談の答え」
暫く無言で夕焼けに染まるネオ・ヴェネツィアの街を眺めている時、アテナさんが尋ねてきました。
「その、私あんまり相談とかされたことなくて、ちゃんと答えられたか不安で」
「アテナ先輩、でっかいドジっ子ですから。相談するのに不安しかありません」
「う」
アテナさんにアリスちゃんの鋭い言葉が突き刺さっちゃってます。でも、これはこれで上手く噛み合ってるのがとっても伝わって来ちゃいます。
「大丈夫です。アテナさん。アテナさんの言う事は間違ってなかったと思います」
多分、今の私の悩みはアテナさんの言っていたものなんだと思います。状況が変わる瀬戸際。皆と一緒にμ'sを続けラブライブを目指すか、私一人、留学するか。どちらにしても変化が怖くて、悩んでいた。
でも、きっと……変わっても、皆との絆は残り続ける。新しい幸せは生まれる。
ただ、立ち止まってしまうと、下手したら何もかも失ってしまう。
「どうなるかは分からないけど……」
悩んで立ち止まるのはもう、ここで終わりにしよう。だって悩んでいたら、μ'sの皆の思い出。それだけじゃない、灯里ちゃん、アリシアさん、アリスちゃん、藍華ちゃん、アテナさん。ネオ・ヴェネツィアの皆とのこれからの思い出も台無しになっちゃう。
「そう……うん、ことりちゃん。そっちの顔の方がとっても素敵」
私の顔を見ていたアテナさんがそう言うと突然立ち上がります。何事かと思っていると。
「~♪」
アテナさんの口から零れた歌声に思わず動きが止まってしまいました。それはただただ美しい旋律。私が歌う音楽とは全然違う。けれどもとても凄い事は直ぐに分かる。その歌声は夕焼けのネオ・ヴェネツィア中に響いて満ちる。周りが何も見えない……ただアテナさんの歌う姿が美しくて、それ以外の何も見えなくなる。
「でも、そこで立ち止まったら多分、駄目だと思う」
アテナさんの先程の言葉を思い出した。きっとこの歌はアテナさんにとって沢山の思い出が詰まっているのだ。練習をしていた頃の思い出、一人前になってからのお客様との思い出……その全てがこの歌に。
「……ありがとうございます」
私の口から思わず言葉が漏れてしまいました。
「ことりちゃん!?」
アリスちゃんの漕ぐゴンドラがARIAカンパニーに着いた時。私を呼ぶ大きな声が聞こえました。近くを見渡すと、灯里ちゃんが慌てながらお店の外に出ていました。
灯里ちゃんは慌てた様子でゴンドラに近づいてきます。
「ど、どこ行っていたんですか!?」
「ちょ、ちょっと道に迷ったというか……」
「み、道に迷ったって……、アリシアさんからお昼のお仕事の後に居なくなったって聞いて、探してたんですよ! アリシアさんもお仕事の後、ゴンドラで探して……」
「ごめんなさい灯里ちゃん。私がドジした所助けてもらっちゃって、暫く付き合って貰ってたの」
私が返答に困っていると、アテナさんが助け舟を出してくれました。まぁ、確かにその通りなのだけれども、黒猫さんとの追いかけっことかを話しても怒られそうなので黙っておきます。
灯里ちゃんはアテナさんからの言葉を聞いて、「はひ」と声を上げます。
「あ、アテナさん! す、すみません気付きませんでした」
「いいの、ことりちゃんのことで心配させちゃったみたいでごめんなさいね」
「い、いえいえ。ことりちゃんが変な事に巻き込まれてなくてよかったです」
灯里ちゃんは謝るアテナさんを見てて、思わずおどおどしています。そして、私は灯里ちゃんの目元に涙が溜まっているのに気づき、胸がチクリと痛みます。
「……アリスちゃん。私達も帰りましょうか」
「アテナ先輩。アリシアさんと会う為に来たんじゃないんですか?」
「ううん、今日は良いの。ことりちゃん。またカフェでおしゃべりしましょ」
「あ、はい。また……」
アテナさんは何かを察したかのように突然別れの言葉を告げました。そしてゴンドラはゆっくりと漕ぎ出し、ARIAカンパニーから離れていきます。
そしてゴンドラが見えなくなった途端。灯里ちゃんに思いっきり抱き着かれてしまいます。
「ひゃっ」
「ことりちゃん! 本当に心配したんですよ」
「う、うん。ごめんなさい」
考えてみれば灯里ちゃんには朝から心配かけさせていました。そんな時に、突然姿を消したらどれくらい心配させるのか……そんなことは想像に難くありません。
……本当に心配させちゃいました。
「ごめんね。本当に……」
抱き着いている灯里ちゃんを抱き着き返す。彼女の細い体が小さく震えているのが、直ぐ分かります。
私の胸の中で灯里ちゃんが涙をぽろぽろと零しだす。それを見て、私はもっと力強く灯里ちゃんの体を抱きしめました。
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第15話
「……あ」
夜、ARIAカンパニーの外から音が聞こえてきます。優しい波音の中に混じるゴンドラを漕ぐ音。ネオ・ヴェネツィアに来てから聞き慣れたこの音を聞き私はソファから立ち上がろうとしますが……。
「わっととと」
隣で私にもたれかかりながら眠る灯里ちゃんが倒れそうになり、彼女を慌てて受け止めます。灯里ちゃん、暫く泣き続けた後眠ってしまいました。緊張の糸が解けちゃったみたいです。
そんな灯里ちゃんに申し訳なさと、少し可愛いなぁ……なんて思いながら、起こさないように横にします。そしてカウンターの方に向かうと、暗い海の中に白いゴンドラと金髪の女性……アリシアさんの姿が見えました。
「アリシアさん!」
私は慌てて、外に出ます。するとアリシアさんはもうARIAカンパニーの桟橋に船を着けていました。
「ことりちゃん……?」
アリシアさんが慌てて私の方にやってきます。顔を見ていると普段のアリシアさんとは少し違い、汗で髪が顔に付いちゃったりしています。それだけで凄い心配させちゃったんだとすぐ分かります。
「ご、ごめんなさい私のせ」
「ことりちゃん。大丈夫!?」
私が頭を下げて謝ろうとしたしましたが、それより先に手を握られます。彼女の表情は驚きと……何処か泣きそうになっていました。
「え、だ、大丈夫です」
「そう……良かったわ」
アリシアさんは私の声を聞くと安心しきった笑顔を浮かべてくれました。
その後、私達はARIAカンパニーの室内に移動します。アリシアさんはソファで寝息をたてている灯里ちゃんに気付いて笑顔を浮かべます。
「あらあら、灯里ちゃんも帰ってたのね」
「灯里ちゃん、私の為に探してくれたみたいで」
「そうね。灯里ちゃん。ことりちゃんが悩んでいるみたいって心配してたわ」
そう言うと、アリシアさんは灯里ちゃんの頭を撫でます。まるでお母さんみたい。
「ことりちゃん。ちょっと待ってて、紅茶を淹れるわ」
そう言うと、彼女は私にも同じように優しい笑みを向けました。
「……あの」
「ん? 何かしら?」
アリシアさんが入れてくれた紅茶を飲んでいると静寂が私たちの間に満ちます。アリシアさんは紅茶を静かに飲んでいます。見た限りだといつも通りな感じ。ですが、私の方が落ち着かず彼女に話しかけます。
……私は二人が居ない間に勝手にARIAカンパニーから出て行った。そのせいで灯里ちゃんを不安にさせてしまいました。
「その、ごめんなさい」
「ううん、良いのよ」
「で、でもアリシアさん忙しいのに」
「寧ろ謝るのは私の方ね」
「え……」
私がアリシアさんの言葉に驚いていると、アリシアさんはカップを置きます。
「ことりちゃんの事をちゃんと見れていなかった」
「え、えぇ、ぜ、全然そんなことないですよ」
私は少し落ち込むアリシアさんに慌ててフォローする。アリシアさんはネオ・ヴェネツィアに迷い込んでしまった私に居場所をくれた大事な人です。何者かも分からない私をいつも気にかけてくれて……彼女には落ち度なんて何もありません。
「そうでもないわ。朝、ことりちゃんにお仕事のお手伝い頼んだでしょ? ことりちゃん、色々悩んでてそれが少しでも紛れればって思ったけど……」
「いえ、それは」
アリシアさんの気遣いは間違ってなかったと思います。実際、お仕事をしてる間は考えずに済みました。
「でも、それじゃことりちゃんの悩み自体は解決出来なかった。私じゃ」
「そ、そんな事ないです」
アリシアさんが何処か寂しそうに天井を見上げます。
「私もまだまだね。グランマみたいに人の悩みにキチンとした答えを出せなかった……だから、ことりちゃんにも不安を貯めこませてしまった」
「あ、アリシアさんは悪くありません!」
私は思わず少し声を大きくあげます。その思ったよりも大きな声にアリシアさん、そして私自身も思わずびっくりしてしまいます。それでも言葉は……私の純粋な想いは自然に口から湧き上がってきます。
「時間を超えてきちゃったなんて、普通みんな変だって言います。でもアリシアさんも灯里ちゃんも、真剣に聞いて、少しでも落ち着かせてあげようと頑張ってくれました」
アリシアさんは少しでも慣れるように、灯里ちゃんだって思い出の場所に連れて行ってくれた。
私なんて突然の部外者の為に皆頑張ってくれていたんです。
「そんな二人に心配かけた今回は私のせいです。本当に、ごめんなさい」
そう告げ、私が頭を下げる。暫く、アリシアさんは黙っていましたが
「……本当に謝る必要はないわ。ことりちゃん……でも、何だが良くなったわね」
そう言いました。頭を上げると、アリシアさんは嬉しそうに微笑んでいました。
「え、そうですか?」
「顔に出てるわ。不安がないって感じじゃないけど、少し吹っ切れたような感じ。誰かに良いアドバイスを貰えたのかしら」
「え、アドバイス、ですか?」
アリシアさんの言葉で思い浮かべたのは、アテナさんの顔。そういえばアテナさんってアリシアさんと知り合いだと言っていたのを思い出します。
「はい、アテナさんが言ってました。悩んでいて、そこで立ち止まったら駄目だって」
「アテナちゃんが?」
「アテナさんが道端に転んじゃったのをたまたま見かけて……そこから色々と」
「アテナちゃんらしいわね」
そういうとフフフと静かに笑います。アリスちゃんやアリシアさんの反応からするとアテナさんのドジはどうやら皆知っているみたいです。
「そうね、立ち止まったら駄目……か」
そう呟くとアリシアさんは紅茶をカップに再び淹れます。そして私の方に青い瞳を真っ直ぐ見据えます。
「ことりちゃん、それはとっても素晴らしい答えね。でも、忘れないでね。あなた一人じゃないの。私も灯里ちゃんも、アテナちゃんも皆居るわ。あなたがちゃんと元居た場所に戻れるように応援してる。それを忘れないでね」
「……はい!」
「じゃあ、ライト消すわね」
「灯里ちゃんもおやすみなさい」
すっかり夜になってしまったので、今夜はアリシアさんもARIAカンパニーに残るみたいです。二人で協力してソファに眠っていた灯里ちゃんをベッドに寝かし、私とアリシアさんの二人は床に布団を敷きます。
アリシアさんは布団を敷いている時「何だか昔に戻ったみたい」なんて言いながら準備していました。その時は、普段の大人っぽいアリシアさんとは別の何処か子供の様な一面が見えました。
「ことりちゃん」
「はい」
暗い部屋で隣に寝ているアリシアさんからの言葉に返答します。顔は見えませんが、優しい声音でした。
「立ち止まったら駄目って言ってたけど、焦りすぎも駄目よ。ことりちゃん、貴方は何でも心に溜め込んで我慢しちゃう癖があるみたいだから」
「……あはは、そうかもしれません」
アリシアさんとは数日の付き合いなのに彼女は私の性格も完璧把握していました。それだけ私が分かり易かったのかな。
「でも、大丈夫です。明日からは色々相談します!」
「あらあら、ええ、どんなことでも良いわよ」
私の宣言にクスクスと笑いながら応えるアリシアさん……本当、アリシアさんに助けられっぱなしです。
その後、アリシアさんも寝息を立て始めた頃、私は一人で考えます。
明日からどうしよう。
これまでは不安の気持ちでいっぱいだったこの言葉。けれど今は違う。精一杯前を向いて、しっかりと歩いていこうと覚悟を決めました。
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第16話
もうしばらくこれ位の不定期気味になりそうです……
「……」
私が目覚めるともうアリシアさんは起きていました。下から聞こえる料理の音を聞きながら起き上がります。ベッドを見ると灯里ちゃんはまだすやすやと寝息をたてています。灯里ちゃんより先に起きるのってもしかして初めてかな?
「んっ」
心機一転のためにも体を伸ばし、灯里ちゃんを起こさないようにそっと立ち上がって着替えを済ませます。ARIAカンパニーの外では海鳥達が悠々と空を飛ぶ姿が確認できます。灯里ちゃんの近くでは、アリア社長が大きくお腹を出して寝ています。
灯里ちゃんの穏やかな寝顔をちょっと見た後、こっそりと一階に降りていくと、アリシアさんがキッチンに立っていました。
「あら、ことりちゃん。良い朝ね」
「アリシアさん。おはようございます」
私が頭を下げるといつもの様に微笑みを浮かべます。
「アリシアさん、何か手伝います」
「そうね。じゃあ、そっちのスープを運んでくれるかしら?」
「はい」
朝食の良い匂いに満たされながら私はお手伝いをします。静かな波音を聞きながら、私の新しい一日が始まりました。
「すすすすみません、アリシアさん。寝坊しましたー!」
「ぶぶぶぶいにゅー!」
朝食を並べ終えた頃。二階から慌てて灯里ちゃんとアリア社長が降りてきました。髪留めもまだしていないあわてっぷりです。中々見ない灯里ちゃんの姿に思わず笑みが零れてしまいます。
「あ、灯里ちゃん。おはよう」
「は、はひ、ことりちゃん。おはようございます」
慌ててる灯里ちゃんに声をかけると、体を硬直させながら挨拶を返してくれました……なんだか心なしか顔が赤いみたい。
「灯里ちゃん、風邪? 昨日の夜風のせい?」
「だ、大丈夫です! それよりもことりちゃんの方こそ……」
「私?」
灯里ちゃんの質問に首を傾げる。すると灯里ちゃんも「はひ?」と首を傾げる。二人で首を傾け合って、木に止まってる小鳥たちみたいになっちゃってます。
「あらあら。とりあえず朝食を食べましょ。折角のスープが冷めてしまうわ」
そんな私達のことを微笑みながら眺めていたアリシアさんが優しく声を掛けました。
「灯里ちゃん、じゃあゴンドラ協会に行くから、買い物お願いね」
朝食を食べてから暫くするとアリシアさんがそう言って白いゴンドラに乗っていってしまいました。なんでもゴンドラ協会っていう所で会合があるとか、
「行ってらっしゃーい」
私がアリシアさんの姿がヴェネツィアの建物で見えなくなるまで手を振る。その手を降ろした時、隣の灯里ちゃんが「はひ」と声を出す。
「じゃあ、ことりちゃん。私はアリシアさんに頼まれたものを買いに行こうかと」
「あ、それ私も行って良いかな?」
私が何気なく同行を提案してみる。するとそれを聞いた灯里ちゃんは私に少し顔を赤くしてしまいます。
「こ、ことりちゃんはARIAカンパニーで待っていて下さい」
「えぇ、でもちょっと暇だし……」
私が拗ねるように言うと、灯里ちゃんは困ったように慌てる灯里ちゃん。
「じゃ、じゃあ一緒に来ましょうか」
「うん、よろしくね」
私が明るく答えると、灯里ちゃんは少し戸惑ったような笑みを浮かべました。
お買い物の内容は野菜などの食材や日用品。それにアリア社長のご飯等……灯里ちゃんの持っているメモには記されていました。
「……何処で買うの?」
「はひ、まずはアリア社長のご飯からですね。それはいつものお店に買いに行って、あとは市場を見てみます」
「はーい」
灯里ちゃんの後を追って、レンガで出来たネオ・ヴェネツィアの街を歩く。まだ午前ということもあってか、観光客らしき人よりは地元の人らしき姿が多い気がします。
水路に目を向けると、ゴンドラに乗った帽子を被った人が長い棒を使ってポストに袋をいれています。……あれが、郵便配達なのかな?
「ことりちゃん?」
私が郵便配達の人のお仕事を眺めていると、灯里ちゃんが不思議そうに声を掛けてきます。
「あ、ごめんなさい。あそこの人が珍しくて」
「え、ああ郵便配達のお仕事ですね。はい、ゴンドラでああやってポストの中の袋取り出すっていうのはネオ・ヴェネツィアでしか見られない光景ですね」
「うん、私の所じゃ見た事なかったよ」
「……ことりちゃん」
灯里ちゃんに呼ばれ振り向く。すると灯里ちゃんはなんというか「ポカン」という音が似合いそうな驚きの表情を浮かべていました。
「え、な、何? 灯里ちゃん」
「なんか……とっても変わりましたね。明るくなったような……あ、別に今まで暗かったとかじゃ」
「あはは、そうだね。こっちに来てからずっと落ち込みっぱなしだったし」
そう考えるとこっちに来てからは自分の事でずっと精一杯で気を掛けられてばかりだった気がする。
「でもそれじゃ、駄目だってアテナさんに言われてね」
「アテナさんに……あ、だから昨日」
「うん、そう……だから、精一杯今を頑張る事にしました」
そう言って私は微笑みました。灯里ちゃんはそれを見て一瞬止まります。そして
「うん、ことりちゃん! 頑張ろう!」
そういって大きな笑顔を見せてくれました。
「そういえば灯里ちゃん。なんで今日の朝、顔が赤かったの?」
マーケットで野菜を品定めする灯里ちゃんに不意に疑問に思ったことを口にしちゃいました。すると灯里ちゃんのトマトを掴もうとしていた手が止まります。
「……灯里ちゃん?」
返事をしない灯里ちゃんに近寄ると、灯里は「はひ!」と大きく返事をして慌てた様子で私に向き直ります。けど、苦笑いの様な表情を浮かべて「あははぁ」なんてバツの悪そうな顔をしています。
「その、昨日の夜のことをちょっと……」
「昨日の事……?」
昨日の灯里ちゃん……? 何かあったっけ?と思い、振り返ります。印象に残ってるのは夜に待っていた灯里ちゃんと、泣き疲れて途中で寝ちゃった灯里ちゃんの姿。
「そういえば、昨日、アリシアさんを待っている途中で寝ちゃったんだっけ?」
「あ、あははその事を余り思い出さないでほしいなー……」
「別に気にしなくてもいいと思うな。私の事をずっと心配してくれて、緊張が解けちゃったんだよ。それにずっと一緒の部屋で寝てるんだしね。今更だよ」
「それとこれとは話が違います!」
私の指摘に灯里ちゃんは顔を真っ赤にして反論します。
「しょうがないよ。昨日は。うん」
「あぁ! ことりちゃん。笑い事じゃないですよ!」
恥ずかしがる灯里ちゃんの姿に思わず笑みが零れる。何だか懐かしいものに溢れてる感じがして、心の底から笑みが溢れました。
「あれ、灯里、ことりもどうしたの? こんな所で」
「あ、灯里先輩、ことりさんもこんにちは……灯里先輩、どうしたんですか?」
私たちの元にたまたま通った藍華ちゃんとアリスちゃんが見かけて寄ってきます。
「あ、二人共、ねえねえ聞いて」
心の底から溢れる嬉しさに二人へ笑顔で話しかけます。
それは、普通の友達の様に当たり前の事で
でも、ようやく私は友達になれた気がしました
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第17話
「そうそう、ここでオールを……」
「こ、ここで! ……ってうわぁ!」
気合を入れてオールで水を漕いだ瞬間、ゴンドラが大きく揺れて思わず落ちかけてしまいます。
「あわわ」
それに慌てて、両手を振って必死にバランスを取ろうとするけど、それに反してゴンドラはどんどん揺れが大きくなってしまう。
「ことりちゃん、大丈夫?」
しばらく私が右に左に揺れて悪戦苦闘していると、桟橋で立っていたアリシアさんが私の手を掴んでくれました。そのおかげで、なんとか揺れは落ち着きます。
「あはは、何とか水に落ちずに済みましたぁ……」
「今回はオールに力を入れ過ぎてバランスが崩れてしまったわね。とりあえず最初からやっていきましょう。落ち着いて、ゆっくりとね?」
「はい!」
色々と悩んでた日から一週間ほど経ちました。今、私はアリシアさんにゴンドラの漕ぎ方を教わっています。教わり始めたのは大した理由ではなく、灯里ちゃんに何気なく「ゴンドラ漕ぐのって凄いね」って話をしたことがきっかけです。その後、灯里ちゃんとアリシアさんがトントン拍子で話を広げ、ゴンドラの練習をすることになっちゃいました。
とはいってもゴンドラを漕ぐのはとっても大変で、バランス感覚、船を漕ぐ力加減……色々なものが必要で悪戦苦闘。ARIAカンパニーの前から中々進めません……。灯里ちゃんやアリシアさん達は更にお客さんを乗せて漕ぐんだよね。ウンディーネというお仕事の大変さを実感中です。
「アリシアさーん」
「ただいま戻りましたー」
「ぷいにゅ」
暫くアリシアさんと練習をしていると、藍華ちゃんと灯里ちゃん、それとアリア社長の二人と一匹がゴンドラで帰ってきました。彼女達は日課の練習に朝から行っていました。どうやらお昼になったので帰ってきたみたいです。
「おー、本当にゴンドラの練習やってるんだ」
「うん、でも全然前に進めなくて……」
「大丈夫、初めは皆そんなものよ」
藍華ちゃんは私が慎重にオールを動かしている様子を懐かしいものを見るような感じで眺めています。灯里ちゃんは私のおっかなびっくりの挙動を応援半分ドキドキ半分で見守るような表情。
「うわぁ!」
そしてそんな視線が増えたことの気恥ずかしさからか、ゴンドラが大きく揺れました。
「ちょ!? ことり」
「こ、ことりちゃん!?」
藍華ちゃんと灯里ちゃんの驚きの声が耳に入って来ますが、私はそれどころじゃありません。必死に落ちないように踏ん張るけど、今度こそ落ちちゃ――
「ことりちゃん、落ち着いて」
慌てていた私の耳にアリシアさんの声が響きます。
「固くなっちゃ駄目よ。柔らかく、ゆっくりと揺れを落ち着かせて」
「は、はい!」
アリシアさんの声を聞いて、少し冷静になって、体の重心を動かします。するとみるみるうちにゴンドラの揺れが収まりました。
「はぁ~」
何とか海に落ちずに済み思わず安堵のため息が漏れました。
「お疲れ様。ことりちゃん」
「こっちが冷や冷やしたわよ。もう」
「あはは」
その後、暫く中々進まない練習を続けていましたが、アリシアさんのお仕事が入ってしまった為、今日の練習は終わりになりました。その為、灯里ちゃん、藍華ちゃんの三人でARIAカンパニーで休憩中です。
「……でも、本当にアリシアさんのゴンドラって凄いんだね。ちょっと乗ったけど、全然揺れないし、私が漕ぐゴンドラはずっとグラグラしちゃって」
「そりゃあね。アリシアさんは一人前の水先案内人。あのオール捌きはネオ・ヴェネツィア1といっても過言ではないわ」
私の言葉に藍華ちゃんは何処か誇らしげに答えます。……そうだよね当たり前だけど、アリシアさんは一人前のウンディーネ。毎日忙しそうに働いているのに、更に私に時間を分けてもらっちゃって……そんな状態でも笑顔を絶やさないアリシアさんって本当に凄いなぁ。
「けど、ことり、良いなぁ。アリシアさんに1から付きっ切りで教えてもらえるなんて。私もアリシアさんの元で手取り足取り教えてもらいたいわ」
「藍華ちゃんにとってアリシアさんは憧れの人だもんね」
藍華ちゃんがそう言いながら、私に羨ましい気持ち一杯の視線を向けます。そんな様子を灯里はいつもの笑顔で応えます。
「へぇ、憧れの人なんだ」
「そうよ、アリシアさんはその美しい姿とオール捌きから『
「『水の3大妖精』?」
藍華ちゃんからマシンガンの様に放たれたアリシアさんトークを聞いて、不思議に思ったことを尋ねます。
「一人前の水先案内人の中でも特に凄い能力と実績を持ってる三人が『水の3大妖精』って呼ばれてるの。アリシアさん、アテナさん、あと藍華ちゃんのいる会社『姫屋』に所属してる晃さんの三人がそう呼ばれているんですよ」
「へー、アテナさんも?」
「うん、アテナさんは『
つまり、一流の中の一流。一人前の水先案内人の中でもベスト3に選ばれた人たちの事みたいです。以前出会ったアテナさんもその一人。あの透き通った歌声を思い出してみると「成程」なんて納得してしまいます。
アリシアさんもその一人。そんな人から直々に教えてもらってる。考えてみればとっても凄い状態です。
「へぇ~、なんかすごい」
なんて思わず感嘆の声しか出せません。つまり、スクールアイドルで例えれば「A-RISE」の三人直々に教えてもらってる感じなのかな?
「本当に羨ましいなぁ、アリシアさんに教えてもらえるなんて。晃さんと交換して私もアリシアさんに優しく教えてもらいたいわぁ」
「えぇ、晃さんも藍華ちゃんのこと考えてやってると思うけど」
「それは分かってるけど……」
そう言って藍華ちゃんは腕をテーブルに乗せ、猫ちゃんの伸びの様にだらけた姿勢になります。
「晃さん、だっけ? 藍華ちゃんと仲良いの?」
「うん、藍華ちゃんは晃さんから良く指導してもらってて仲が良いんだよ」
「へぇ」
「水の3大妖精」と呼ばれる一流の水先案内人。アリシアさん、アテナさんの姿を思い浮かべます。
「晃さん……どんな人なんだろう」
そして残る最後の一人。その姿を想像して思わず呟いてしまいました。
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第18話
ネオ・ヴェネツィアの橋の上をのんびりと歩いていきます。
今日は灯里ちゃんもアリシアさんも忙しいみたいで、私は今自由に散歩しています。
ネオ・ヴェネツィアの名所は灯里ちゃんに教えてもらったけど、私は自らの目では見て回っていませんでした。なので今日は散歩の日。しっかりとネオ・ヴェネツィアを観光したいと思います。
ネオ・ヴェネツィアの石造りの建物の中を歩いていると、今でも異文化感に浸ってしまいます……なんだけど
「最近はなんかこっちに慣れてきちゃったな……」
水路に目を向けながら思わず言葉が出てしまいます。私が居たのは元々ビルが一杯建っている秋葉原。ここはそこと比べると、人は少なく、車のエンジンなども聞こえない。
そんな静けさに私は浸ってるのがとっても気持ちよくなってきました。
「というより、この風景が当たり前に感じてきちゃった」
なんかビルとか車とかより、石造りの建物とか、空を飛ぶエアバイクの方が普通に感じてきてしまっている。そんな私に気付いて何だか苦笑いが一人で浮かんできちゃいました。人間の慣れとは凄いなぁ……。
「うーん、それにしても何処へ行こうかな」
私は道行く人たちの流れに従いながら思わず呟きます。
暫く人の流れに乗ってサン・マルコ広場まで歩いてきました。サン・マルコ広場はヴェネツィアの中心ともいわれる広場で海の玄関口と言われる場所みたいです。私も灯里ちゃんのゴンドラに乗った時に来たことがありますが、一人で来るのは今回が初めてです。サン・マルコ広場はやはりネオ・ヴェネツィアでも観光名所なのでしょう。沢山の観光客がいて、興味深そうにカメラを持っています。
私もそんな観光客の仲間入りをして、有翼の獅子が勇ましく立つ柱の近くに立っています。
ヴェネツィアの守護聖人聖マルコの象徴である有翼の獅子。それを私は思わず口を開けながら眺めます。
ヴェネツィアは写真でしか見た事はありません。それでも地球の中世……ヴェネツィア共和国の思い出をそのまま火星に残したこの景色に、私でもなんだが感慨深いものを感じてしまいます。今の私はスマホなどは持っていないので、この景色を撮れないのは残念だけどしっかりと目に焼き付けようと思います。
「ママー、あそこにウンディーネさんがいるよ」
「あら、本当ね……あのウンディーネさんとっても可愛いわね」
柱を見上げていると、後ろからそんな親子の声が聞こえてきます。やっぱり灯里ちゃんとやアリシアさんの
「ねー、ウンディーネさん」
「はい?」
そんな事を思っていると私の服のスカートが誰かにクイッと引っ張られます。思わず後ろを振り向くとちっちゃい女の子が可愛い笑顔を私に向けていました。
「コラ、アキ。突然そんなことしたらウンディーネさんびっくりしちゃうでしょ」
その女の子を後ろのお母さんらしき人がメッと窘めます……それはそれとして私が
今私はアリシアさん達から借りた白に青い模様が特徴的なARIAカンパニーの制服を着ています……これじゃ間違えられてもしょうがないかな。
「ね、ウンディーネさん。私と一緒に写真撮ってー」
「コラ、アキ……ごめんなさいウンディーネさん。娘がどうしてもって……」
女の子はそんな私にピョンピョンと跳ねながらそう言います。それをお母さんが叱りながら私に対してぺこぺこと頭を下げます。どうやら記念撮影をしたいみたいです。
「う、うーん……」
それに対して、私は少し戸惑ってしまいます。私は今、
けど
「ウンディーネさん?」
私を上目遣いで見つめる女の子には逆らえませんでした。こんな子の頼みを私には断れません。
「はい、お任せください」
私は女の子にとびっきりの笑顔で応えました。
「本当にありがとうございます」
私が女の子と一緒にサン・マルコ寺院の前で記念撮影をした後、お母さんが感謝の言葉と共に頭を下げてきました。
「いえいえ、大したことはしていないですよ」
「アキったら。昨日ウンディーネのゴンドラに乗って以来すっかりウンディーネのファンになっちゃったみたいなんです」
「そうなんですね」
お母さんと話をしている時もアキちゃんは私の手を握って楽しそうにピョンピョン跳ねています……な、なんか嘘を付いているのが申し訳なくなっちゃいますが、その気持ちはバイト仕込みの笑顔で隠します。
「ウンディーネさん。ウンディーネさん。一緒に行こう! これからヴェネツィアを散歩する予定なの! 素敵な所教えて!」
「こら、アキ。ウンディーネさんは忙しいの」
私が笑顔でアキちゃんといると、アキちゃんがそんな提案をしてきます。しかし、お母さんがアキちゃんを引き離して私に対して頭を下げながら離れていきました。……うん、正直アキちゃんとまだ一緒にいたら、私が
「ばいばーい。ウンディーネさーん」
「ばいばーい」
アキちゃんはお母さんに手を引かれ、私の元から離れていきますが、その間も手を大きくブンブン振っています。
私もそれに対して微笑ましさを感じ、私も笑顔で手を振って応えます。
「ばいばーい!」
最後にアキちゃんが大きな声で別れの挨拶を告げ、彼女たちの姿が見えなくなりました。それに合わせて私も手を降ろします。
「凄いなぁ。
あの女の子はすっかりネオ・ヴェネツィアの事……というよりは
すっかりメロメロな感じ。少しスクールアイドルの事を語る花陽ちゃんを思い出しちゃいます。
あの子にとって昨日の
灯里ちゃんが連れてきてくれた灯里ちゃんのお気に入りの場所。そこで見たネオ・ヴェネツィア。あの景色は私の中でとっても大事な思い出になりました。
あの子もきっとあんな綺麗な思い出を貰ったんだろうな。
「……私はウンディーネじゃないけど。少しはあの子の思い出になれたかな?」
さっきのアキちゃんの笑顔を思い出して私は思わず口元に笑みが浮かんじゃいます。ウンディーネ……それはみんなに笑顔と思い出を作るお仕事。それって言葉だと簡単だけど、きっととっても凄い事。
「私もあんな風に素敵な思い出を与えられたら……」
そう思った瞬間、私はいつのまにか手を強く握っていました。
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第19話
「おぉー」
サン・マルコ広場から移動して、大運河の上にある大きな橋に到着しました。そこから望む建物に挟まれた河。桟橋にあるポールにはゴンドラやボートが停泊しています。
海路の水面に映る青空をゆっくりと移動する船の波がゆらゆらと揺らしています。そんな絵画のような眺め私は思わず感嘆の声をあげてしまいました。
ここはリアルト橋。ネオ・ヴェネツィアの大運河に掛かる石橋です。歴史は長く、ヴェネツィア共和国の頃に木製の橋から、石造りになったとか……これはヴェネツィアの話だから、ネオ・ヴェネツィアのそれも同じか分からないけど、灯里ちゃん曰く幾つかの観光名所や、施設はヴェネツィアからそのまま持ってきたらしいです。じゃあ、この橋もヴェネツィアのものを持ってきたのかな? 未来の技術には感心しかありません。
私は橋の中央から海の様子を見つつゆっくりと橋を下り始めます。観光客の皆さんもとても多くて、四苦八苦しながらお店の並ぶ通りへと私は進みました。
お店は様々な物が売られています。どうやら観光客向けのお土産が殆どみたい。私としてもその品々はとってもキラキラでとても欲しくなっちゃいます。
「でも、私居候中の身だしね」
あそこは私の部屋じゃなくて灯里ちゃんの部屋。むやみやたらに物を増やす訳には行きません。
心残りが凄いありますが、私はショーウインドウを離れようと心に決め足を動かそうとします。
「あれ、ことり。何やってんの?」
そんな気持ちの葛藤をしている時、後ろから声が掛かります。振り向くとそこには藍華ちゃんが不思議そうに立っていました。
「あ、藍華ちゃん。あのね。ここの凄い綺麗なの」
「ん……あぁ、ネオ・ヴェネツィアンガラスね」
「え? ネオ・ヴェネツィアン……?」
「ネオ・ヴェネツィアンガラス。ここネオ・ヴェネツィアの伝統工芸品よ」
「へぇ」
流石藍華ちゃん。ネオ・ヴェネツィアの解説が直ぐに出てきます。その様子に私は思わず感嘆の声が漏れちゃいました。
「特殊なソーダ石灰を使っているのが特徴でね。様々な色のガラスを作る事が出来るの。職人さんのお蔭でね」
「凄い詳しいね。藍華ちゃん」
「まあね。私はずっとネオ・ヴェネツィア生まれ、ネオ・ヴェネツィア育ち。この街の事は隅から隅まで知ってるわ」
そう言うと藍華ちゃんは誇らしげに胸を張ります。まるで自慢の特技を褒められたみたいに嬉しそうににやけています。
「そうなんだ。藍華ちゃん、ネオ・ヴェネツィアが大好きなんだ」
私が思わずそう言うと藍華ちゃんが顔を変え少し恥ずかしそうに口を開こうとしますがそれを噤み、今までと同じようにします。
「そうね、生まれ育った街だもの。それが当り前よ」
「そうなんだ」
「それより、ことり本当にここで何してんの?」
「お散歩。よく考えてみたら。全然ネオ・ヴェネツィアを観て回ってなかったから。ゆっくり見ようと思ったの」
特に目的があった訳では無く、ネオ・ヴェネツィアの街を歩き回っていたことを私は素直に答えました。
それを聞いた藍華ちゃんは「はー」と大きく声を上げると、「ムムム」と目を閉じて悩み始めました。
「ことり、もう結構ここに居るわよね?」
「うん、10日位かな?」
「それで全然観て回ってないか……そうね。それじゃ私も一緒に散歩しようかしらね」
「え!?」
私は藍華ちゃんの提案に思わず声を上げてしまいました。確かに一人で観光をするのにも少し飽きてきた頃でした。でも藍華ちゃんに気を使ってもらうのは申し訳ない。藍華ちゃんにその旨を伝えようとしますが、その前に彼女の手袋をはめた手がスッと私の目の前に飛び出して来ました。
「別に気を使ってるわけじゃないわよ。私も今日は暇だったから一緒にいようって思っただけ」
「え、あ、うん」
「もう私達友達でしょ。一々気を使わないの」
そう言うと彼女は私に向かって笑顔を作ります。けど、直ぐ表情が変わり「なんか恥ずかしいこと言った気がする……」なんて小さく呟いていました。
それを見ていると、私も思わず笑みが漏れてしまいました。
「な、なによう」
「うん。そうだよね。じゃあ、散歩しよう」
私はお店の前からゆっくりと歩を進めます。それに対して藍華ちゃんはゆっくりと歩いて付いてきました。
「で、次は何処に行く予定なの?」
「……実は決まってなかったり」
「じゃ、何で先に歩き出したのよ!」
藍華ちゃんはそう言うと私の前に進み出ます。
「なら、私のおすすめスポットを教えるわ。付いてきなさいことり」
「はーい」
ぐいぐい進む藍華ちゃんに私はどこか懐かしいものを感じ、微笑みながら付いていきました。
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第20話
この後、私達はネオ・ヴェネツィアの様々な所を見て回りました。小さな雑貨屋さん、藍華ちゃんが良く使う抜け道のような小道……。観光名所よりも、藍華ちゃんの生活に即したスポットを見て回った後、私達はカフェで一息つくことにしました。そして私は再びサン・マルコ広場へと歩くことになりました。
藍華ちゃんの案内でやってきたそのカフェはサン・マルコ広場の雰囲気に融け込むように開いています。……なんというか、サン・マルコ広場と一体化している? 歴史を一緒に刻んできた。そんな表現も似合うお店です。
「うわぁ、凄いお店。本当に良いの? 藍華ちゃん」
「遠慮しなくて良いわよ。さ、早く入りましょ」
秋葉原とかのカフェとは全然違う雰囲気に圧倒される私とは裏腹に藍華ちゃんはずんずん進んで店内へと入ってしまいます。それに私も慌てて彼女についていき、中へ入ります。
「うわぁ……」
ウェイターに連れられ席へと案内されます。しかし、室内の様子を見るだけで私は思わずポカンと顔を開けてしまいました。室内は見てみると天井には沢山の花の絵があしらわれていたり、金の額の鏡が置かれていたり……まるで昔のヨーロッパの御屋敷に迷い込んだかのような古めかしくも荘厳な装飾達に目を惹かれてしまいます。
私があちこちに目を泳がせながら席へ着くとウェイターさんからメニューを手渡されます。
「カフェ・フロリアン。ネオ・ヴェネツィアに来たならここには一度寄らないとね」
藍華ちゃんはそう言うとのんびりとメニューを見始めます。ここには何度か来てるようで手慣れた手つき。私はこのお店の古めかしい雰囲気に少し緊張しながらメニューを読み始めます。
「うーん……じゃあ、アイスカフェラテかな」
「そうね、私も同じ物頼むわ。すみません」
藍華ちゃんが手際よく頼むとウェイターさんはうやうやしく頭を下げ、立ち去って行きました。店内には私達以外にも観光客らしき人達が何人か見えます。
「ここ、凄いね。まるでタイムスリップしちゃったみたい」
「そうね。ここカフェ・フロリアンは地球の頃から数えて580年。サン・マルコ広場でずっとカフェをしているお店よ。この店内の内装もその頃から全く変わってないの」
「580年!」
カフェ・フロリアンの長い歴史に思わず声を上げちゃいました。地球の頃から続いているというだけでも驚きですし、同時にこの建物の趣ある内装にも納得です。
「地球から持ってきたんだ」
「そうよ、
「そんな話はアリシアさんからも聞かれたけど話の規模が大きすぎてイメージが浮かばないよ……」
「あはは、そうね」
私の言葉に藍華ちゃんは笑いました。馬鹿にしてるというよりは同意した感じの笑み。
「スケールが大きすぎるわよね。文化を守りたいから街を丸々
藍華ちゃんがそう言っているとウェイターさんがやってきてカフェラテを置いていきました。それに私は口を付けます。コーヒーの苦さと牛乳の甘みが丁度よく混ざったその飲み物はずっと外で散歩していた私の体をすっと冷やしてくれます。
「ま、私達はそのおっきな事業のお蔭で今このカフェラテを飲める。そのことを感謝すればいいのよ」
「あはは、そうだね。もしかしたらこのカフェラテも飲めなかったかもしれないもんね」
藍華ちゃんが明るく言ったその言葉に私は思わず頷きました。
二人でカフェラテを片手に静かな午後の時間を過ごします。最初はさっきまで案内してもらった場所の事。その後は灯里ちゃん、アリスちゃんの話。姫屋にいる厳しい先輩の愚痴……などなど色々な話題で盛り上がりました。
「そういえばことり、
そして話題が移って私の話題になりました。
「何か?」
「そう、良く思ったらことりの事良く知らないなぁなんて思ってね」
「そうだね、余り言う機会も無かったし……うーんスクールアイドル? かな」
藍華ちゃんの言葉にまず思いついた「μ's」の事を伝えました。
「スクールアイドル?」
藍華ちゃんはそれを聞いて不思議そうに首を傾げます。……どうやら今のネオ・ヴェネツィアではあまり馴染みはないみたいです。
「うん、何て言うんだろ? 学校の部活で、友達と集まって歌を練習したり踊ったり……みたいな感じかな?」
「へぇ」
私の説明を聞いて藍華ちゃんがちょっとびっくりした反応。なんだか、意外と感じているみたいです。
「な、何かな?」
「いや、まあ……ことりって正直あまり積極的に運動するイメージが湧かなくてね。なんというかふわふわしてる感じ? なんだけど踊りとかやってたのね」
「あはは、それよく言われるよ」
藍華ちゃんのイメージ通り私はそこまで運動が得意ではありません。大の苦手って程じゃないけど、いつも元気な穂乃果ちゃんや、弓道などもやっている海未ちゃんに比べれば全然です。
「最初は色々大変だったけど、でも一人じゃなかったからすごく楽しかったの」
「一人じゃなかったから……友達とか?」
「うん、皆とずっと一緒に練習してたから。得意じゃない事でも頑張れたの」
「にゃるほどね」
藍華ちゃんはうんうんと頷きながらアイスカフェラテを口に含みます。私の言葉に何やら納得したみたい。
「多分、藍華ちゃんにとっての灯里ちゃんとアリスちゃんみたいな感じかな?」
「な!?」
私が思ったことを何気なく口にすると藍華ちゃんはカップを落としそうになってしまうくらいにビックリしたみたいです。
「な、何を言い出すのよ」
「え? 似てるなぁって思っただけだよ。灯里ちゃんとアリスちゃんの三人で一人前の
「ああ、もう何か恥ずかしくなってくるからストップ!」
藍華ちゃんは顔を赤くしてストップをかけてきました。
「……どうしたの?」
「いや、ことりの言う事はよく分かるわよ。実際あの二人がいて勉強にもなるし、頑張ろうって気も起きる。でもそこまで直球で言われるとなんだが、恥ずかしくなるのよ」
そう言って彼女は赤くなった顔を冷ますようにカフェラテを飲みます。
「藍華ちゃんって褒められたら『どうよ』みたいに自信満々なイメージだったんだけどそんな顔もするんだね」
「普段はゴンドラの漕ぎ方とか、そういうのでしょ。さっきのとは違うのよ」
「さっきのとはって……どう違うの?」
「それは何て言うか仲の良さというか……ああ、もう、この話題禁止! ことりの話に戻るわよ」
藍華ちゃんに無理矢理禁止にされ、話は再び私の方に戻っちゃいました。恥ずかしがってる藍華ちゃんがちょっと可愛いからもっと追求したかったんだけどこの様子じゃこれ以上は駄目って感じです。
「まあ、スクールアイドルをしていたのは分かったわ。他には何か無いの?」
「他には? ……うーん」
私の色々と言われると大体はスクールアイドル関連が殆どの気がします。……でもその中でも。
「服とかかな? 私スクールアイドルのメンバーの中で衣装を任されてたの」
「任されてた……って衣装とか自作するの?」
「うん、衣装全部作ってくれるお店とかもあるんだけどお金が足りないから、最後の手直し以外は全部私がやってたの」
「それって凄い事よね! え、デザインとかも?」
「うん、他の皆ともよく相談したりするけど大体は私一人かな?」
「……」
藍華ちゃんが思わず口をポカンとしています……そこまで、不思議な事かな? 衣装を作れば皆喜んでくれるし、その衣装を着た皆がより綺麗に、可愛くなってくれたらとっても嬉しい。だから衣装つくりにもつい力が入っちゃうそれだけの事です。
「普通の事だよ。藍華ちゃん達にもいつか私の服見せたいな……あ! そうだ! 私が服作ってあげる!」
「……あぁ、そうね。私も気になるから是非お願いするわ」
「うん、ありがとう! じゃあ、色々と準備をしないとね! ミシンとかアリシアさんに頼めばあるかな……それに布。買うお金は無いからアリシアさんのお手伝いをもっと頑張らないとね。あとは……」
「ちょ、ことり、ストップ!」
色々と服の事を考えていた私の思考は藍華ちゃんの声でストップしました。
「え? どうしたの?」
「いや、何でもないわ。ことりの意外な一面が見えて驚いただけよ……そろそろ出ましょうか」
「うん、そうだね……あ、もうこんな時間なんだね」
藍華ちゃんに言われ、私はカフェ・フロリアンの窓から広場を観ます。すると、日が傾き始めていました。
「そうよ、やっぱカフェにいると時間が過ぎるのは早いわね」
「うん、凄くのんびり出来ちゃったありがとう藍華ちゃん」
「どういたしまして。灯里達とは違う話が聞けて私も楽しかったわ」
藍華ちゃんが料金を支払って二人でサン・マルコ広場に出ます。広場では街灯が点き始めていて、徐々に夜が来るのを知らせていました。
藍華ちゃんがARIAカンパニーまで付いて来てくれるそうなので私はそれに甘えて二人で歩きます。
サン・マルコ広場から離れると徐々に人の姿は減り、暗い夜の海に街灯の光がゆらゆらと揺れていました。
「ねぇ、ことり」
「ん?」
「ことりはネオ・ヴェネツィアのことどう思ってる?」
ふと、藍華ちゃんが私に小さく尋ねてきました。
「ネオ・ヴェネツィアの事?」
「そう、ことりが私と最初に会った時見てたネオ・ヴェネツィアグラス覚えてる?」
「うん、あのキラキラしたガラスだよね」
「あれを作る技術はね、一度
「え? じゃあ、あそこに置かれてたのは?」
「
藍華ちゃんの言葉を黙って聞きます。ネオ・ヴェネツィアングラス……藍華ちゃんが自慢げに説明してくれたソレにそんな歴史がある事を私は今初めて知りました。
「へぇ、凄いね」
「私もそう思うわ。アレを作るためにどれ位頑張ったんだろうなって……でも、時々心無い人が言うの『所詮ヴェネツィアングラスの真似事だってね』」
「そうなの?」
「そうよ、それだけじゃないの。ネオ・ヴェネツィアのことも似たように言われている事を何度か聞いたことあるの。それが時々、悔しいの」
そう言うと藍華ちゃんは足を止めてしまいました。私も釣られて足を止めます。黒い海に二人の白い制服がポツンと映っていました。
「……藍華ちゃんは本当にネオ・ヴェネツィアが大好きなんだね」
私は静かに言いました。藍華ちゃんはいつも自分の街を自慢げに語ってくれました。そのことから彼女はネオ・ヴェネツィアが大好きで……だからこそそういった言葉に落ち込んでいるのがよく分かりました。
「私ね。今日はネオ・ヴェネツィアの事を見て回った。サン・マルコ広場にリアルト橋。そしてカフェ・フロリアン。色々な場所を巡った。そのどれもが綺麗で素敵で……とっても楽しかった」
これは間違いない本心からの気持ちだった。私は今日とっても楽しい思い出一杯だった。
「本当にその人の言うようにここが偽物の街だとしてもここで出来た思い出の数々は本物なんだよ。藍華ちゃんと一緒に飲んだカフェ・ラテ……あの素敵な思い出は本物だもの」
ふと、サン・マルコ広場で出会った少女のことを思い出しました。私は水先案内人じゃないけど、彼女にとってあの写真はきっと、素敵な思い出になっている。そう、大事なのはそういった目に見えない物が大切なんだと。
「……恥ずかしいセリフ禁止」
「へ?」
私の言葉に藍華ちゃんは少し間を置いてからそう言いました。
「だから、恥ずかしいセリフ禁止。そもそもさっきの質問もナシナシ! あぁ、何しんみりしちゃったのかしら私」
そう言うと藍華ちゃんは手で顔をビシビシと叩くと前に進みだします。
「そうよね。大事なのは思い出。それを作るのは私達だもの」
「ん? 何?」
藍華ちゃんが何か口にしましたが少し離れていたせいで私には聞こえませんでした。
「何でもないわよ。さ、ARIAカンパニーまでもうすぐよ」
「え、あ、うん」
何て言ったかは聞こえなかったけれども、藍華ちゃんが何時も通りに戻っていました。
海に映る水面は少し駆け足で歩く二人の姿を静かに見守っていました。
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第21話
私がネオ・ヴェネツィアに来てからそろそろ二週間が経とうとしていました。時間の流れはゆっくりながらも刻々と過ぎています。アリシアさん曰くそろそろネオ・ヴェネツィアに本格的な夏が来るそうです。
「ふぅ」
時計の針が真ん中になった頃、アリシアさんのゴンドラがゆっくりと進んでいくのを確認した後、椅子に座ってため息を一つ零しちゃいました。私は普段、ARIAカンパニーでお手伝いをしています。お客様に飲み物を出したり、簡単な雑談をしたり……そういったやりとりでアリシアさんの準備が整うまでお客様を退屈させないようにするのが私のお仕事。
色々迷惑を掛けちゃったあの日もお手伝いをしていたこともあって最初はアリシアさん達も無茶はしないようにと心配していましたが、今の私の様子を見てある程度任せてもらえるようになりました。
とはいえ、まだまだ慣れないことがいっぱい。ネオ・ヴェネツィアについてはある程度答えられるようになったけれど、私自身についての質問には言葉を濁すしか無くて色々苦労しています。
「お疲れ様、ことりちゃん」
「ぷいぷいにゅ~」
椅子に座って冷たいコーヒーを飲んでいると、一隻のゴンドラがやってきます。そのゴンドラには嬉しそうに笑う灯里ちゃんとゴンドラの先端に座るアリア社長の姿が見えました。
「灯里ちゃん。練習は終わりなの?」
「はひ、今日は藍華ちゃんが姫屋で用事があるみたいで。今日はいつもより早く解散したの」
「そうなんだ。灯里ちゃん、アリア社長もお疲れ様」
「ぷいにゅ」
ゴンドラに近づいてきて、降りてきたアリア社長のおっきな体を抱き上げます。アリア社長はアリシアさん曰く「火星猫」という地球の猫とは少し違うみたいです。とっても頭が良いんだとか。そして
最初は色々ビックリして意識が向かなかったけど、今見たらアリア社長のむちむちぽんぽんな体でとっても可愛いです。アリア社長の方も私がよく撫でるからかすっかり懐いてくれました。
「ことりちゃんの方はどうですか?」
「今日のお客様はさっき行きましたよ。あとは帰ってきたら終わり。灯里ちゃんも何か飲む?」
「あ、じゃあ、私はオレンジジュース」
「ぷいぷいにゅ」
「はーい、アリア社長も一緒ですか?」
「ぷいにゅ」
灯里ちゃんとアリア社長の返事を聞いて私は席を立ちます。こうやって灯里ちゃん達とのんびり過ごす時間。そんな大したことないものが何処か楽しくて笑みが零れちゃいました。
「夜光鈴?」
「はひ、さっき帰って来る時に夜光鈴市を見かけたの。これから見に行かない?」
灯里ちゃんとティータイムをしながらアリシアさんの帰りを待っているとふと、そんなことを提案されちゃいました。
夜光鈴……どうやらそれはネオ・ヴェネツィアでは有名なもののようです。ただ、私には余りその言葉に馴染みがありませんでした。
「何それ?」
「夜光鈴は風に揺られて音が綺麗な音が鳴るんだよ。中に
「へぇ」
灯里ちゃんの言葉に興味が湧いてきちゃいます。聞いたこともない物だけど、どんな感じなのかな?
その時、ARIAカンパニーの方に向かって来るゴンドラの姿が見えました。そして編み込まれた綺麗な長い金髪……アリシアさんが帰って来るのが見えました。
「あ、アリシアさん」
「え、ホントだ。お迎えしないと」
私たち二人はその姿を見て、コーヒーのカップを置いて椅子から立ち上がります。そして、涼しい屋内から日差しの下へ出ます。まだ初夏ですが、日差しはすっかり夏本番になっていました。
「夜光鈴? もうそんな時期なのね」
帰ってきたアリシアさんに夜光鈴の話を灯里ちゃんがしました。それを聞いたアリシアさんは冷たいお茶を飲みながら微笑みます。
「はひ、夜光鈴がたくさん並んでてとっても綺麗でした」
「夜光鈴かぁ、どんな物なんだろ」
「そうね。ことりちゃん、風鈴は知ってる?」
「え、風鈴?」
アリシアさんからそう尋ねられました。頭の中に思い浮かんだのはガラスで出来たちょっとお椀みたいなものから短冊を吊るした、ちょっと海月みたいなものでした。
「風鈴って窓とかに吊るすあれですか?」
「えぇ、ことりちゃんの頃はまだその風習残っていたのね」
「……?」
「
「あぁ、成程」
灯里ちゃんからさっき聞いた話と合わせてやっと形が見えてきました。
そんな私の様子を見てアリシアさんも気持ちを察したみたいで朗らかに笑って提案しました。
「ことりちゃん、午後はお客さんの予約も少ないし、夜光鈴市に行ってみる? 夜光鈴市は三日間しかやらないし、可愛いのは早い物勝ちだから急がないといけないわね」
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第22話
チリンチリンとガラスのぶつかる涼しげな音達が私の耳に入って来るようになりました。
灯里ちゃん、アリア社長と一緒にネオ・ヴェネツィアの街を歩いていく。そして角を一つ曲がった時、木で組まれた出店達が広がっていました。そして出店一つ一つに沢山の風鈴が吊るされています。風鈴たちはネオ・ヴェネツィアの風に揺れて涼しげな音を発して透明な協奏曲を奏でていました。
「うわぁ」
「ここが夜光鈴市だよ」
そんな綺麗な音に感動していると、灯里ちゃんが説明してくれます。私達の周りには私達と同じように夜光鈴を見てきたのであろう人達が夜光鈴を選んでいるのが見えました。
「凄い! こんなに沢山の風鈴始めて見た」
「はひ、アリシアさんが言っていた通り夜光鈴は一年で三日間しか売られませんから。その分沢山の夜光鈴がここで売られるんです。さあ、ことりちゃん行きましょう」
「うん!」
灯里ちゃんは今にもスキップしそうな雰囲気で歩いていきます。彼女もとても夜光鈴市が楽しみなのが直ぐ分かっちゃいました。そんな彼女の姿がなんだか嬉しくて、私も足がリズムを刻んで付いてしまうのでした。
「うわぁ、ほぁ」
「ぶいにゅ、ぶい」
アリア社長を抱えながら私は夜光鈴を見て回ります。夜光鈴達は無色透明なものから、模様が入っている物まで千差万別。それだけじゃなくて青、緑……カラフルなものまで色とりどり。多種多様なものが並んでいます。
どれも素敵なものばかり。思わず目移りしちゃって何を買うか悩んじゃいます。
「アリア社長。綺麗な物ばかりですね」
「ぶいぶい」
「あ、猫みたいな形。すごーい」
アリア社長はユラユラと揺れる短冊に目を奪われながら一つの風鈴を指さしました。それは丸い風鈴にぴょっこりと二つの耳が飛び出した形をしていました。
「ことりちゃん、どうしたの? わぁ、凄い可愛い!」
私とアリア社長が可愛い猫型風鈴を見ていると後ろから灯里ちゃんが覗きこんできて黄色い歓声をあげます。
「うん、凄い可愛いよね!」
「はひ! ことりちゃん、これにしますか?」
「うぅん……とってもかわいいけど、他の物を見てから……」
「お嬢ちゃん、それも良いが、これは一点物だぜ」
私がついつい悩んじゃってそう答えると横から声が入って来ました。横を見ると大きながお腹ともじゃもじゃのお髭が特徴的なおじさんが煙草をふかしながら椅子に座っていました。どうやらお店の人みたいです。
「この夜光鈴は全部職人さんが丹精込めて作ったもんよ。だから同じ物はここに二つとねえ。探しに行って帰ってきたら売れちまってるかもよ?」
「一点物……あ、そうだった!」
おじさんの言葉でアリシアさんの言っていたことを思い出しました。可愛いものは早いもの勝ち。そっか一点物だからそういうことを言ってたんだ。
「まぁ、お嬢ちゃんが好きにすればいいさ。ただ、見てない隙に売れてしまうかもなぁ」
そう言うとおじさんは意地悪そうに笑います。
「むむむ……」
私は思わず悩んで声が出てしまいます。この猫ちゃん風鈴がとても気になってしょうがありません……でも他にも見てみたらもっと可愛いのあるかも……。
「おじさん、これください」
私が悩んでいると灯里ちゃんがそう言いました。
「え?」
「はいよ、毎度ありぃ!」
灯里ちゃんは私が迷っている間におじさんにお金を渡しました。おじさんは笑って受け取ると、猫耳付きの風鈴を木の棒に括り付けて灯里ちゃんに手渡します。
「はひ、ありがとうございます。はい、ことりちゃん」
「え、え?」
灯里ちゃんはそれを受け取ると直ぐ私に手渡して来ちゃいました。私は何で灯里ちゃんが買ったのか、そして私に渡してくるのか分からず思わず戸惑いの声をあげちゃいました。
「灯里ちゃん?」
「はひ、ことりちゃん。この風鈴、私も気にいっちゃったので、買っちゃいました」
灯里ちゃんはそう言うと私に楽しそうに微笑みます。うん、この風鈴とってもかわいいからその気持ちもよく分かります。でも、その風鈴を何で私に?
「だから、もしもことりちゃんが他にお気に入りの風鈴見つけたら私が貰います」
「つまり、私が他に可愛いの見つけたら灯里ちゃんそのままその子を貰うって事?」
「はひ、それならことりちゃんも焦って見て回らなくても済みますよね!」
灯里ちゃん、私がゆっくり見て回れるようにすぐこんな気遣いをしてくれた優しさと行動力に何だか温かい気持ちが湧いてきちゃいます。
灯里ちゃん、凄いなぁ。なんて思わず感嘆してしまいます。彼女は困っている時に直ぐ行動して助けくれました。そういう人を助けるために行動できる所、まるで穂乃果ちゃんみたい……穂乃果ちゃんは灯里ちゃんに比べると凄い元気だけどね。
「うん、じゃあ、遠慮なく貰っちゃうね。ありがとう。灯里ちゃん」
「はひ! どうぞ」
灯里ちゃんが差し出した風鈴を私は受け取ります。
灯里ちゃんから受け取った風鈴は日の光をキラキラと反射しながら私たち二人の顔を映しているのでした。
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第23話
そんな夕焼けに照らされながら私と灯里ちゃんの二つの風鈴はゆらゆらと揺れていました。
ふと、
「……綺麗だねぇ」
「そうだねぇ」
私達はその音色を聞いてポケっと見上げていました。
夜光鈴市から帰ってきた私達は、早速ARIAカンパニーに夜光鈴を置いてその音色を聞いていました。風鈴の音色を聞く機会は別に珍しくない筈なんだけど、こうやって火星の海を眺めながら見ていると思わず時間を忘れてしまいます。
どうやら、灯里ちゃんもアリア社長も同じ気持ちみたいで何をする訳でもなくずっと夜光鈴の音に耳を傾けてしまいました。
「……あらあら」
そんな風に皆で聞いていると、何時の間にかアリシアさんが帰ってきました。彼女は椅子に座って夜光鈴を見る私達を見て、嬉しそうに微笑みます。
「あ、アリシアさん、おかえりなさい」
「ぷいぷいにゅ」
「おかえりなさい」
「えぇ、皆ただいま……可愛い夜光鈴ね」
アリシアさんは私達の夜光鈴を見た後「紅茶はどう?」と私達に声を掛けます。
「はひ、頂きます」
「私もお願いします」
「えぇ、ちょっと待っててね」
私達の返事を聞いた後、アリシアさんはキッチンへと歩いていきます。そしてしばらくしたら紅茶を持って来て私達の横の椅子に腰を掛けました。そしてアリシアさんも目を閉じて風鈴の音に耳を傾け始めました。
静かな波の音と風鈴の音色だけが私たちの間に満ちています。なんだか、すっごく時間がゆっくり過ぎているような感覚です。
何だか、慌ただしさの無い静かな感覚に身を浸していると思わず眠たくなってきちゃいます。
「ことりちゃん、眠いのかしら?」
「あはは、なんだかこうやってゆっくりしてるとつい……」
「はひ、私もなんだか眠くなってきちゃいます」
こんな感じで私達は何もない穏やかな時間が流れていきました。
「……ふぇ?」
何時の間にか私は眠っていたみたいです。私が目を覚ますと隣で灯里ちゃんとアリシアさんもすやすやと寝息を立てています。私達の前に見える水平線に太陽はすっかり落ちてしまったみたいで夜の海が静かな波音を立てています。いつのまにか私達は夜まで寝ちゃっていたみたいです。
「……あ」
そんな暗闇の中で灯りに気がついて、ふと見上げます。
そこには私達が買った夜光鈴。その舌に当たる部分に付けられている小さな石が光を放っていました。
青白くて仄かな灯り……それはまるでネオ・ヴェネツィアの海の様に透き通っていて思わず見惚れてしまいます。
「灯里ちゃん、アリシアさ……」
その光を皆で見たいと思って二人に触れようとしますが、彼女たちの寝ている姿に思わず手が止まっちゃいます。
二人の寝ている姿が余りにも可愛くて……何だかもう少し眺めてても良いかな……なんて意地悪心がちょっと芽生えちゃいます。
「もう少し、もう少しだけ……」
小声でそう言うと私は寝ている皆を暫く眺めた後、私は再び夜光鈴を見上げ始めます。一人でこうやって夜に海を眺めている……何だか、私が初めてネオ・ヴェネツィアに迷い込んだ時の事をふと思い出します。
あの時も一人で海を見ていた。一人寂しく、頼れる人も居なくて……。何も分からずに、膝に顔をうずめていた私。
でも、今は……。
「ぷいにゅ?」
私の動いた音に反応したのか隣のアリア社長が目を覚ましてしまいました。
「あ、おはようございます。シーッですよ。社長」
「ぷいぷい」
私が親指でシーッのポーズをとると社長もそれに合わせて口元を前足で押さえてくれます。可愛い。
「アリア社長。見て下さい。夜光鈴綺麗です!」
「ぷいにゅ。ぷいぷい」
私の言葉を聞いて、アリア社長はちっちゃな尻尾をフリフリしながら夜光鈴を見上げます。
そんなアリア社長を私は抱き上げ、膝の上に置きます。アリア社長は私の膝の上で大人しく座って一緒に夜光鈴を眺めます。
「そういえばアリア社長が最初に見つけてくれたんですよね」
こっちに来た最初の夜を思い出していたら、前に灯里ちゃんが言っていたことを思い出しました。
アリア社長を探していたら、うずくまっている私を見つけたって。
「ありがとうございます。アリア社長が見つけてくれなかったら。こんな素敵な物には出会えなかった」
「……」
アリア社長は何の返事もしませんでした。ただずっと大人しく座って私に熱を伝えてくれます。
なんだか、その温かみが嬉しくてアリア社長をほんちょっと強く抱きしめちゃうのでした。
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第24話
「よっ……ととと」
白い雲たちがのんびりと散歩する真っ青な空。そんな空の海を泳いでいくお芋さんみたいな宇宙船。それを見上げながら私はオールを漕ぎます。
今日の私は一人でゴンドラの練習中です……以前からアリシアさんが空いた時間に手ほどきをしてくれていたのですが、アリシアさんは「水の三大妖精」なんて呼ばれる大人気の水先案内人。まとまった時間は中々取れません。時々灯里ちゃん達にも練習を見てもらっているけれども、今の私は真っ直ぐ前に行くのも苦労するレベルなので私にかかりっきりになってしまいます。
灯里ちゃん達は一刻も早く一人前になるのを目指しています。流石にそんな子たちのお世話になるわけにはいかないので一人でコツコツと練習中です。
「……ん?」
私がゴンドラの上で必死に立っていると、ARIAカンパニーの桟橋に人が居る事に気が付きました。
その人は白と赤の水先案内人の制服……藍華ちゃんの所と同じ制服。そして長い茶色の髪が風に揺れているのが見えます。ただ、私がいる所からはそれ以上は見えません。
……アリシアさんへのお客さんかな?
思わずお客さんの方へ視線を向けて考えます。何か用があるのかな? ならあっちに行って用件だけでも聞かなくちゃいけないかなぁ?
「すわっ!」
お客さんの方から突然大きな声が聞こえました。思わず身をすくめてお客さんの方へ振り向きます。
彼女は眉を少し上げ、私に対して声を上げていました。
「意識を前に向け! よそ見厳禁!」
「は、はい!」
突然の女性の指摘にビックリしてゴンドラから落ちそうになりながらもなんとか姿勢を戻します。
ちょっぴりへっぴり腰になりつつも女性にもう一度目を向けます。彼女は手を前に組みながら私に手招いていました。
その「姫屋」の制服を着た人はキリっとした目とすらりとした体格……一言で言うと「格好いい人」でした。なんだか、チャイナドレス着てアクション映画に出演してたらすっごく映えそう。
「姿勢をもっと真っ直ぐだ。体のブレはゴンドラに直に伝わる。そういった所から動き全体がよろよろと動くことになるぞ」
「は、はい!」
そしてそんな女性から私はアドバイスを貰っています。……というか近づいたら私の姿勢や、オールの持ち方といった駄目な所を次々言われ、何時の間にか私は彼女から指導を受ける形になっちゃっていました。
「すわっ! オールの持ち方がまた悪くなってる。それだと、左にズレるぞ」
「は、はい!」
「今度は右!」
「はいぃ!」
こんな感じで次々と私の駄目な部分を指摘されてしまいます。
でも、ただ駄目だししているという訳でもなく、指摘が中々適切であることが直ぐに分かります。
「……まあ、さっきよりは大分良くなったな」
暫く謎のお客さんからの指導を受けていると、彼女は満足そうに首を縦に振りました。
私は緊張と使わない筋肉を使ったことで少し汗をかきながら、彼女のいるARIAカンパニーの所まで近づきます。
「ご、ご指導ありがとうございます……」
「おう」
彼女はすっと細い手を挙げ私に笑顔を浮かべます。その時、彼女の手には手袋が無い事に気が付きました……彼女は一人前の
「え、えっとアリシアさんに用ですか?」
「……ん? ああ、まあ、用があったといえばそうだが……君はもしかして南ことりだったか?」
「え、私の名前知ってるんですか?」
女性から聞こえた私の名前に思わず驚いちゃいました。
「ああ、アリシアと藍華から少し聞いてる。今日は時間が空いたからアリシアに会いに来てみたんだが……まあ、留守か」
「あ、はい。
「まあ、しょうがない。アリシアは人気者だからな」
そう呟くと彼女は少し寂しそうにした後、私に手を差し出します。
「私は晃。晃・E・フェラーリ。これからよろしくな」
「あ、はい。南ことりです」
私は差し出された手を掴み握手します。彼女は私の手をがっしりと掴みました。
「へぇ、アリシアさんと幼馴染なんですね」
「ああ、ずっとな。小さいころからの付き合いだ」
晃さんは、その後暫く練習を見てくれるとのことで、私のゴンドラに乗っています。
「小さい頃のアリシアさんか……どんな感じだったんですか?」
「そうだなぁ、今とあまり変わらない気もする。いつもニコニコして、あらあらって言ってる奴だ」
「あはは、昔からそうなんですね」
「そうだな」
演習の途中、私達の話題はアリシアさんの話に時々移っていきます。アリシアさんとの昔話……二人で一緒に水先案内人になろうって言ったこと。「歌が上手い新人」の噂を聞こうとしてアテナさんと知り合った話……そんな話を指導の合間に挟んできてくれます。
そして話をするたびに彼女は楽しそうに、それでいて懐かしそうに話してくれます。
「皆でカンツォーネの練習をしようと言い出したら普段ドジっ子なあいつが……ん? どうしたことり。ゴンドラの動きが遅いぞ」
「あ、はい。すみません」
思わず晃さんの話と楽しそうに話す姿に少し手を止めてしまいました。
「少し雑談をし過ぎたな。ことり、ちょっとサン・マルコ広場まで行ってみよう」
「え、サン・マルコ広場ですか?」
晃さんの言葉に思わず驚きの声を上げてしまいます。サン・マルコ広場……そこまで距離は遠くないけど、あそこまでゴンドラで行った経験は無いので思わずしり込みしてしまいます。
それを見て晃さんは不敵とでもいう意地悪な笑みを浮かべました。
「ああ、上達するには実践あるのみだ」
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第25話
「十字路とかの前ではゴンドラが通る事を伝えるんだ……そうしなければ船同士がぶつかる可能性もあるからな」
「はい! ゴンドラ通りまーす!」
水路の前で私が出来る限り声を上げます。少し突然声を上げるのに気恥ずかしさを感じなくもないですが、これは水路でのマナーの様です。ちゃんとやらないと大変な事故につながってしまいかねないのでしっかりやります。
十字路からは誰も来ないので、私はそのままオールを漕いで前進します。
この辺りは水路の中でもまだ広いので普段の練習の時と大して変わらずに、行けます。……ただ、この先はちょっと狭い道もあるので少し不安にもなります。
「……? 晃さん、何ですか」
私はずっとゴンドラに集中していますが、ふと、前の席に座っている晃さんが、私を見上げている事に気づきました。
「いや、初めてにしては悪くない」
「……そう、ですか?」
「ああ、最初の頃の藍華なんてひどかったからな」
「藍華ちゃん? 詳しいんですか?」
「ああ、ずっと知ってる。こんなちっちゃい頃からな」
そう言うと晃さんは手をゆるゆると水平に揺らして藍華ちゃんのちっちゃい頃をアピールしています。
「へぇ、藍華ちゃんの小さい頃かあ。可愛かったんだろうなぁ」
「ま、今の藍華に比べれば愛想があったな。今のあいつはすぐ『アリシアさんの方が良かったー』だの直ぐ言って来る」
そう言いながらも晃さんは楽しそうに笑顔を浮かべます。
「あはは……ずっと知り合いなんですね」
「ああ、私がまだ、半人前の頃からな……ことり、そこで横に曲がれ。ゴンドラを壁にぶつけるなよ」
「あ! はい!」
私は晃さんとのお話を止め、オールを大きく動かします。
ゴンドラは少し大回りしながらもなんとか壁にぶつからずに曲がりきります。
私達の舟は狭い路を抜け、広い海へと出ます。そして直ぐの所に私にも見慣れ始めた広場が姿を現しました。
「サン・マルコ広場に到着しましたぁ」
「ああ、初めて水路を通ったにしては悪くない……そこの桟橋が空いてるな。ことり、そこに止めてくれ」
「はい!」
私は晃さんの言葉に従い、広場の桟橋にゴンドラを止めます。サン・マルコ広場の方は今日も観光客で賑わっています。
「……」
晃さんはゴンドラを降りると暫く辺りを見渡していました。近くのゴンドラを探しているみたいです。
「晃さん? どうかしたんですか?」
「いや、何でもない。そろそろ三時か……ことり、時間はあるか?」
「……? はい、あります」
「そうか、じゃあ付いて来い。頑張ったご褒美だ」
そう言うと晃さんは堂々とした足取りで広場へ向かいます。威風堂々といった感じで歩く彼女の姿に私は思わず見惚れちゃいそうになっちゃいます。彼女のゴンドラに乗った人には実際そういうファンも多そうです。
「どうした! 早く来ないとご褒美は無しだぞー!」
「あっ、はい! ちょっと待って下さい!」
少し遠くから晃さんが声を上げてきます。その声に言葉を返すと、彼女の元へ向かいます。
それにしても、晃さん何か探していたみたいだけど、何を探していたんだろう?
「わぁー」
目の前に置かれたチーズケーキに思わず感嘆の声を上げてしまいます。ここはサン・マルコ広場から少し離れた所の喫茶店。そこのオープンテラスで私と晃さんは座っていました。
「ふふ、ここのケーキは絶品でな。気にせずに食べて良いぞ」
「はい!」
私は晃さんの了承を得た後、ゆっくりとフォークを滑らせチーズケーキを掬い取り、口に入れます。その瞬間クリームリーズのうま味が口の中に広がります。
「うーん、美味しい!」
「だろ?」
私の反応を見て満足そうに笑うと、彼女の自分の前に置かれたショートケーキを口に入れます。
「晃さん。でも、本当にありがとうございます」
「ん? 何がだ?」
「いえ、晃さんも忙しいですよね。なのにわざわざ私に時間を割いてくれて」
「気にすることは無い。そもそも時間が無ければあそこにいない」
私の言葉に晃さんはショートケーキを口に入れながら返答します。……成程。よく思ったら晃さんは、ARIAカンパニーから私を見ていたんだっけ。
じゃあ、なんで元々ARIAカンパニーに来ていたんだろ。そう思って不思議そうに晃さんを眺めると彼女は少々バツが悪そうに眼を閉じました。
「……う~ん」
余り言いたく無さそう……何か負い目があるというよりは恥ずかしい感じ? でも、少ししたら晃さんは口を開きます。
「まぁ、暇だったからな。少しアリシアと話がしたくなって来たんだ」
「……あぁ、アリシアさんと幼馴染」
「そういうことだ」
そういうと晃さんは少し寂しそうな表情に変わり、フォークをお皿に置きます。
……ふと、私は大切な二人の姿を思い出しました。
いつだって私の手を引いて歩いてくれた穂乃果ちゃん。私達二人に呆れながらもいつだって見守ってくれた海未ちゃん。
私程、距離が遠い訳では無いけど……晃さんもアリシアさんも仕事などで、なかなか会えないことは容易に想像がつきました。
「ことり、そんなに気に病むことは無い。たしかに以前に比べれば会う機会は減ったが、会えない訳では無いんだ。それに」
お前にも会えたしな。
と晃さんは楽しそうに呟きました。
「へ……?」
「アリシアとは会えなかったが、お前の練習を見ているのも楽しかった。それにアリシアの所に居る女の子ってのも一度見て見たかったからな」
「あはは……でも私の練習なんて見てても」
「殆ど初心者にしては筋が良い。アリシア曰く
「げぇ、晃さん何故ここに!」
不意に晃さんの後ろから声が響きました。晃さんの背後には先ほどまで練習をしていたと思わしき藍華ちゃんが晃さんを指さしていて、その後ろに灯里ちゃん、アリスちゃんが立っていました。
「げぇ、とは随分な言い草だな藍華」
そう言うと晃さんは藍華ちゃんに凶悪な笑みを浮かべて立ち上がります。
「いや、だってまさかここで晃さんに会うとは……」
「ほほう、何か私に合うと不都合なことでもあるのか?」
「あ、ことりちゃん! ことりちゃんもここに居たんだ」
「ことりさん、こんにちは」
こうしてゆるりと私達は三人と合流します。晃さんと藍華ちゃんは出会うなり、まるで威嚇中の犬みたいな笑みを浮かべています。
そして灯里ちゃんとアリスちゃんも後ろから付いてきて私に笑みを浮かべてきます。
「あれ、ことりちゃん晃さんと会ってたっけ?」
「えーっとさっき会ったの。さっきまで練習に付き合ってくれてたんだよ」
「成程」
「晃さん。ことりちゃんに鬼のような練習を⁉」
「なんだ、藍華もこれから練習と受けたいのか?」
こうやって集まって騒ぎ始めると晃さんの寂しげな表情も消え失せ、楽しそうに藍華ちゃんの頭を突き始めます。
「あらあら、楽しそうね」
そして最後に鈴のような綺麗な声が響いて歩いてきて。
「……アリシア」
……その声の主を見て嬉しそうに晃さんは笑いました。
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第26話
晃さんと出会った日から数日後、ARIAカンパニーの窓から涼しい風が入って来るようになってきました。アリシアさん曰くもう夏も終わり、ネオ・ヴェネツィアに秋の季節がやってきているみたいです。
私の方はあまり生活に変化はありません。アリシアさんのお手伝いをしつつ、ゴンドラの練習。そしてネオ・ヴェネツィア観光を少々。いまでは観光客に道を教える事が出来る位には詳しくなりました。
とはいってもいまだ過去に戻る方法は見つからず……。まだまだ分からないことだらけです。
布団の擦れる音。それと床が軋む音で私は静かに目が覚めました。音はベッドの隣。眠気覚ましで隣を見ます。隣では灯里ちゃんが眠そうに目を少し擦りながら、起き上がっていました。
「……」
私は無言で窓を見ます。窓の外はまだまだ空が暗く。お日様の姿は見えません。
いつもの灯里ちゃんより、早い起床です。
「灯里ちゃん?」
「あ、起こしちゃいましたか?」
そう言うと灯里ちゃんは困ったように笑います。
「どうしたの?」
「いえ、大したことはないんですけど、何か早く目が覚めちゃいました……衣替えだからかな?」
なんて言いながら灯里ちゃん今までとは違う服に袖を通していました。
その服は白を基調としたゆったりとした感じの長袖のドレス。そこに青い模様が入っていて、なんだか雪を思わせる感じです。始めて見る服。でもその模様には覚えがありました。
灯里ちゃんや、アリシアさん、それに今は私も着ているARIAカンパニーの制服。それにそっくり。ただ今までのはセーラー服みたいなさわやかな感じだったけど、こっちはなんだかお嬢様みたい。
「冬服?」
「はい。今日からなんです」
そういうと嬉しそうに着た服で見せて来る灯里ちゃん。その姿に私も思わず気分がウキウキしだしちゃいます。
「じゃあ、私も今から起きちゃいます」
「え、ことりちゃんはまだ寝てても良いよ?」
「気遣いありがとう。でも私も目が覚めちゃった。何か新しい始まりってワクワクよね」
「はひ、ワクワクドキドキです……そうだ! そんな特別な日に一緒に舟でお散歩しませんか?」
そう言って灯里ちゃんは楽しそうに笑顔を浮かべます。その余りにも嬉しそうな表情にこっちも笑顔を浮かべてしまうのでした。
まだまだ暗い空と海。静かなネオ・ヴェネツィアの街を灯里ちゃんが漕ぐゴンドラがゆらゆらと進んでいきます。
ゴンドラの上には私とアリア社長。二人と一匹のネオ・ヴェネツィア散歩です。
「夜の散歩に付き合って貰っちゃってすみません」
「いいよいいよ。ね、アリア社長」
「ぷいにゅ……」
アリア社長は私の膝の上で眠たそうに座っています。でも一緒に私達が部屋から降りるのに付いてきたから私達の内緒の散歩を一緒にしたかったみたいです。
「……」
私は無言で辺りを眺めます。夜の海は全然波が立っておらず、静かにゆらゆら揺れているだけ。そこに街灯の灯りが仄かに反射しています。
「本当、夜は涼しくなったね」
夜の風を感じながら私は思わず呟きます。もう衣替えの季節。まだまだ日中は暖かいけど、夜は少し肌寒さを感じます。
「はひ、もう秋です……ことりちゃんがARIAカンパニーに来てからもうそんなに経ったんですね……」
「そうだねぇ」
もうそんなに経っていることに少し驚きです。……でも、全然そんな風には思えなかった。
「時間が経つのって早いね」
思わず呟いちゃいます。音ノ木坂の皆はどうしてるかな? もし、こっちと時間の流れが一緒ならラブライブは終わっちゃってる……でも、そもそも未来に来た時点で時間の流れとか気にしてもしょうがないのかなぁ。
ゴンドラは静かに進み、大きな通りの横を通過していきます。普段は観光客で賑わっているこの辺りも人気は一切ありません。
灯里ちゃんはそんな静かな水路の交差点を通って、海に飛び出します。
そこは沢山の杭が海から飛び出しています。これはパリーナといって舟を繋ぐための杭だそうです。
この辺りはパリーナが沢山あるから昼は舟の通りが沢山あるのが分かります。それでも今は幾つかのパリーナに舟が繋がれているだけで静寂に満ちています。
「行きますよ。ことりちゃん。アリア社長」
「にゅ」
「せーの」
灯里ちゃんは手近のパリーナの一つに手を付けるとそれを勢いよく押します。
「りゃー!」
灯里ちゃんに押され、ゴンドラはパリーナの間をスーッと流れていきます。手を広げ、楽しそうに微笑む灯里ちゃんの姿に私も思わず笑みが零れちゃいます。
そんな時、私の背後から光が差し込み始めます。思わず前を向いてみると思わず声が漏れちゃいました。
「あ、灯里ちゃん、アリア社長!」
「うわぁ」
「にゅー!」
海面から徐々に日が差し始めています。さっきまで暗かった周囲が照らされ、
「ことりちゃん、アリア社長! 私達今、ネオ・ヴェネツィアを独り占めしてますね!」
「……そうだね。なんだかすっごい得した気分!」
灯里ちゃんの言葉に私は素直に同意します。新しい季節の始まり。その日の新しい朝。
「新しいことだらけだね」
「はひ、まだ一日は始まったばかりなのに素敵な事ばかりです!」
「ぶいにゅ!」
ゴンドラの上、私達は皆で楽しく笑いあいます。なんだかそれは秋の空みたいにさっぱりとした、爽やか気持ちでした。
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第27話
「……あ」
朝のお散歩の帰り。ゴンドラをパリーナに固定している灯里ちゃんが小さく声を漏らしました。
「どうしたの?」
「うん、ことりちゃん、これ見て」
灯里ちゃんはかがみながらパリーナの下の方をちょいちょいと指さしていました。それに釣られて私も屈んで手袋で覆われた灯里ちゃんの指の先を追います。
「あぁ」
その先を見て、私も思わず声を出してしまいました。
灯里ちゃんが縄でゴンドラを固定しようとしていたそのパリーナは白と青の二色の縞模様が色鮮やかなものです。色合い的にもARIAカンパニーのパリーナなのでしょう。
そのパリーナの下の方……海面に接している部分が腐食してしまっています。
「おはよう灯里ちゃん、ことりちゃん。どうしたの?」
二人でパリーナを見下ろしていると、何時の間にか来ていたアリシアさんから声を掛けられました。
「あ、アリシアさん。見てください」
「え? ……あらあら、大分朽ちてきてるわね。ここは動植物の住みかにもなるから」
灯里ちゃんに促され、アリシアさんもパリーナの状態に気付いたみたいです。困ったような、それでいて考えるように口に手を当てています。
私がそんなアリシアさんを見守っていると彼女は何か思いついたようで嬉しそうに笑顔を浮かべました。
「そうね……ねぇ、灯里ちゃん、ことりちゃん。古い彩色パリーナを補修がてら新しいのも作ってみない?」
「……ん?」
「……?」
アリシアさんの提案をよく理解できず、私と灯里ちゃんで思わず顔を見合わせてしまいます。
「彩色パリーナを?」
「私達で?」
「えぇ」
……私達の疑問の声にアリシアさんはいつものようなニコニコ笑顔で首を縦に振りました。
「わ、私がそんな大役を⁉」
アリシアさんの肯定に一拍間を置いて灯里ちゃんが大きな驚きの声を上げました。……まぁ、それも無理はありません。私も顔はとってもびっくりしてしまっています。
「あの、灯里ちゃんが作るのは良いんですけど、私も一緒に作って大丈夫ですか? 私、ARIAカンパニーの正式な社員って訳じゃないし……変な感じになっちゃいませんか?」
ふと懸念したことを伝えます。私はパリーナなんて作ったことないし……そこもすっごく不安ですが、ARIAカンパニーに来てからまだ1年もいない私が、そんな大事な事に関わって良いのか。思わず聞いてしまいました。
それに対してアリシアさんは穏やかに笑顔を浮かべます。
「あらあら、大丈夫よ。ことりちゃんだって、今は立派なARIAカンパニーの一員として頑張ってるじゃない……二人が感じるままに、自由にARIAカンパニー表現すればとっても素敵なものが出来上がるわ」
という訳で、私と灯里ちゃんでパリーナ造りをすることとなりました。
「うーん……」
「ARIAカンパニーらしさかぁ」
私と灯里ちゃん、二人で一緒に悩み始めます。そんな私達の前には一枚の紙が置かれています。パリーナのデザインを考える為に用意したのですが、一向に真っ白の状態から進みません。
パリーナというものを知ったのは私がネオ・ヴェネツィアに来てから。それにこれは言ってしまえばARIAカンパニーにとっての看板にも等しいものみたい。どうしてもどういうデザインにしようか悩んじゃいます。
それにμ’sの衣装は私が担当してるから、デザインを描くのはまだ何とかなるかもしれないけど、パリーナに上手く色を塗ることが出来るかどうか……色々考えちゃって中々進められません。
「悩んでいても何も解決しないよ! まずは、一歩踏み出さなくちゃ!」
ふと、私の友達の言葉が浮かんできました。いつだって挑戦をしてきた私の大親友。いつでもとんでもない事を凄い事を提案してきて、成し遂げてきた。
そんな事に比べれば小さな一歩。でも、頑張らないとね。
「灯里ちゃん。とりあえず、色々書きだしてみようか」
「書き出す?」
「うん、パリーナのデザインってだけじゃなくて、文字だけでも絵でも……とりあえずARIAカンパニーらしいものを一杯考えてみよう? そうすればきっと良いものが出てくるはずだよ」
「はひ! そうだね。ことりちゃん、色々考えてみよう」
私の言葉に灯里ちゃんは嬉しそうに頷くと、ペンを握ります。
「じゃあ、まずは……コレとか?」
「……うーん、コレとか?」
「あぁ! 成程。じゃあ……」
「……、何してんの? 二人で」
「あれ、藍華ちゃん、どうしたの?」
そして数分後、私達がひたすらアイディアを出していると、いつの間にか藍華ちゃんが来ていました。藍華ちゃんは私達が何をしているのかよく分かっていないらしく、紙に色々書きながら、楽しそうに騒いでいる私達を見て怪訝そうな顔を浮かべていました。
「あ、藍華ちゃん。今ね、新しいパリーナのこと考えているの」
「パリーナ? ……どういうこと? 私には二人がテーブルいっぱいに紙を敷いて絵や文字を描いているようにしか見えないんだけど」
「あはは、えっとね。今……」
私達を不思議そうに眺めている藍華ちゃんに私達は経緯を説明します。すると、「はへー」と納得したような感心したような声を藍華ちゃんは上げていました。
「ことりと灯里がパリーナ造りねぇ……それで、今アイディアだし……と」
そう言って藍華ちゃんが紙の上を眺めます。
「この白いのは?」
「はひ、アリア社長です。やっぱりARIAカンパニーには欠かせませんから」
「これは、制服ね……ことりが描いたのよね?」
「うん、よく分かったね」
「そりゃあ、灯里の絵が特別下手な訳じゃないけど、明らかに制服の絵だけ凄い本気で描かれてるからね……そういえば、服とか作ってたんだっけ?」
「うん、スクールアイドルの頃にね。その時にデザインを考える時によく絵は描いてるから」
「にゃるほどねぇ」
そんな感じで、藍華ちゃんは私達の描いたものを暫く眺めてきます。そして笑みを零しました。
「確かに、これ見てるとARIAカンパニーらしいわね。もうそのままこれパリーナに書いても良いんじゃない?」
「流石にそれだと雑多すぎるようなぁ。そうだ、藍華ちゃんもどう?」
「私も? うーん、そうねぇ。ARIAカンパニーといえばやっぱまずはこれよね」
私が藍華ちゃんにペンを渡すと、少し考えた後にさらさらと文字を書いていきます。そしてその文字を見ます。
「……スノーホワイト?」
「そ、やっぱりARIAカンパニーといえば「
「あはは、そうだね。確かに」
「じゃあ、灯里ちゃんも必要だね」
そう言うと私は紙に「灯里ちゃん」の文字を書き加えます。
「じゃあ、ことりちゃんも」
そう言って灯里ちゃんはさらさらっと「ことりちゃん」の文字を書きます。
「にゃにおう、なんか羨ましいから私の名前も入れなさい」
なんて言って藍華ちゃんが自分で「藍華」の文字を書いてきます。
「じゃあ、アリスちゃんも入れよっか」
「アテナさんに晃さんも!」
紙の上には灯里ちゃんと一緒に書いたアリア社長や、海、制服の絵達の中に皆の名前が書き加わっていきます。
「いや、なんか自分で書き加えておいてなんだけど、良いの? ARIAカンパニーじゃない人の名前書いちゃったけど」
「はひ、だって藍華ちゃんや、皆だってARIAカンパニーにとっては欠かせない存在です。ね、ことりちゃん」
「うん、私もそう思う。私達だけじゃなくて皆がいたらARIAカンパニーらしいと思うな」
私達だけじゃなくて、皆がいてこそARIAカンパニー。そんな灯里ちゃんの表現に思わず納得してしまいます。上手く言葉で表現できないけれど、皆がいたほうがなんかすっごくそれっぽい!
けれどもそんな私達の言葉に藍華ちゃんは少し顔を赤くして大きな声を上げました。
「……二人共、恥ずかしいセリフ禁止!」
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第28話
「あら、藍華ちゃん。来てたのね」
三人でパリーナのアイディア出しの為に絵を描きながら談笑しているとお仕事で外出していたアリシアさんが帰ってきました。
「あ、アリシアさん! お邪魔してます!」
アリシアさんの笑顔を見て、藍華ちゃんが嬉しそうに挨拶をします。まるでご主人様が帰ってきたワンちゃんみたい。アリシアさんは藍華ちゃんに微笑みながら挨拶を返すと、私達の描いていた紙へと楽しそうに目を向けます。
「どう? パリーナの進捗の方は……あらあら」
「あ、これはですね。ARIAカンパニーのパリーナを作るんだから、まずはARIAカンパニーらしさを考えてみようと思って皆で描いてみたんです。どうですか?」
「……へぇ、そうなの。これは、アリア社長かしら?」
「はひ、アリア社長です」
「それに……『スノーホワイト』?」
「はい! やっぱりARIAカンパニーといえばアリシアさんですから。アリシアさんは欠かせません」
「あらあら」
灯里ちゃんや藍華ちゃんの言葉を聞きながら嬉しそうに微笑むアリシアさん。それはなんだが誇らしくもあり、恥ずかしそうな不思議な笑みで、アリシアさんって大人っぽい感じするのにこの表情はなんだか新鮮に感じちゃいます。
「ふふ、なんだかとっても素晴らしいパリーナが出来そうね。でもそろそろ日が暮れちゃうわ。灯里ちゃん、ことりちゃん。夕飯の準備するから、テーブルの上片付けてくれるかしら?」
「はい、分かりました」
「藍華ちゃんも今日は食べていく?」
「え、良いんですか⁉ 勿論食べていきます!」
アリシアさんに言われ、私達はテーブルの上に置かれた紙やペンを片し始めます。気がつくと空はすっかり橙色に染まっていました。……どうやら私達は結構な時間パリーナのアイディア出しに熱中してたみたい。
「……ふふ、藍華ちゃんもいて今日はとっても賑やかね」
「はひ、何でもない日なのにとってもワクワクします」
「……なんか、恥ずかしいセリフ、禁止!」
夕飯の準備を始めながら笑う二人に、藍華ちゃんは思わずツッコミを入れちゃうのでした。
「会社のパリーナ造り、ですか」
「うん、なんだかすごい責任重大」
藍華ちゃんを巻き込み、巻き込まれのアイディア出しの翌日。私はゴンドラを漕いでネオ・ヴェネツィアの水路をゆっくりと進んでいました。
「会社の前のパリーナはやはり人目を惹きますし、ある意味では看板みたいなもの。それはでっかいイベントです」
「そうだよねぇ。オレンジぷらねっととかはどうなの? パリーナって作ったりする?」
「……あまり、そう言った話は聞いたことが無いです。基本パリーナはデザイナーに外注だと思います」
私のゴンドラに座るアリスちゃんの言葉に、私は「そうだよねぇ」とちょっと抜けた返事をしちゃいます。
「あ、ことりさん。この先の十字路左に進んでください」
私が少しパリーナのことを考えながら漕いでいるとアリスちゃんから指示が飛んできます。
「うん、分かった。けど、ごめんねアリスちゃん。アリシアさんから地図貰ったんだけど迷っちゃって……」
「ネオ・ヴェネツィアの道はでっかい複雑ですから。それに水路に不慣れなことりさんでは迷ってもしょうがありません」
アリスちゃんは地図を持ちつつ何時もみたいに無表情に見える……でもちょっとだけ口元を緩めて返事します。
今日、私は一人でゴンドラを漕ぐ予定でした。理由は昨日からのパリーナ造り関連です。
アリシアさんがパリーナの塗装に使うペンキを注文したらしいので、お店まで私が執りに行くことになりました。アリシアさんはいつもの様に水先案内人としてのお仕事。灯里ちゃんは今日ARIAカンパニーに届くパリーナの元になる杭が運搬されてくるのを待たなくちゃいけない。
という訳で、一人手が余った私がペンキ運び係に任命されたのでした。しかし、水路と地図に慣れていない私は中々たどり着けず、フラフラと水路をさまよっていました。そんな時、たまたま学校帰りで徒歩のアリスちゃんとばったり遭遇。私が今の状況を説明した結果、ゴンドラに乗ってお店までの道案内をしてくれているのでした。
「けど、灯里先輩、藍華先輩とアイディア出しですか、聞いてると凄く楽しそうですね」
「うん、凄く楽しかったよ。熱中しすぎてパリーナ造りから離れてたような気もするけどね……」
「なんだかすごく安易に想像がつきますね」
私の言葉にアリスちゃん少し頬を膨らませつつ答えます。……いつもいる二人が知らない所で盛り上がってる。そう言われちゃったら寂しい思いを感じてむくれちゃう気持ちは私にも分かります。
「ごめんね。何というか藍華ちゃん来たのは偶々だったから……」
「いえ、別に三人で楽しくやっていたことなんてでっかい気にしてはいません。偶然なんですからしょうがありません」
なんて口では言っているけど、可愛らしい不満げな顔が隠しきれていませんでした。
「アリスちゃん。この後も暇?」
ふと、そんな言葉が口に出てしまいました。
「はい? まぁ、特に予定はありませんけど」
「アリスちゃんも手伝ってくれない?」
「お手伝い、ですか?」
私の言葉にアリスちゃんは不思議そうに顔を向けます。
「やっぱり、私と灯里ちゃんだけじゃ、パリーナ造りって不安だから。アリスちゃんにも一回色々話聞きたいなぁって思って……どう?」
私がそう提案すると、アリスちゃんは一瞬喜んだ表情をした後、直ぐ恥ずかしそうに表情を戻しちゃいます……なんというか凄く可愛いなぁ。
「……えぇ、大丈夫です」
「良いの⁉ ありがとう!」
「今日は暇ですから問題ありません。あ、ことりさん。その先左です」
「あ、危ない危ない」
アリスちゃんに指摘され、私はゴンドラを必死に動かして方向転換します。
「……あはは、だから、道案内もよろしくお願いします」
「……分かりました。ことりさんはまだまだネオ・ヴェネツィアに詳しくありませんからね。ついでにゴンドラの練習しながら目指しましょう」
そう言うとアリスちゃんはネオ・ヴェネツィアの地図を見だします。
その表情は灯里ちゃんや、藍華ちゃんみたいにハッキリと表情には出さないけれどとっても楽しそうに微笑んでいました。
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第29話
「うわぁ……こうして見ると」
「すっごく大きいです」
ペンキを運んだ私達はARIAカンパニーに到着した途端、思わずそんな言葉が漏れてしまいました。
私達の視線の先……ARIAカンパニーのベランダには木の杭が置かれています。
幅は私達がすっぽりと入りそうな太さで私達よりもずっと大きい。そしてその前には灯里ちゃんが興味深そうにその杭を見ていました。
「あ、ことりちゃん、おかえりなさい。ペンキの方は無事貰って来ましたか? ……ってアリスちゃん?」
「ただいまぁ。ちょっと道に迷っちゃって……その時にアリスちゃんに助けてもらっちゃった」
「灯里先輩。こんにちは。それはパリーナですか?」
「はひ、その通りです。丁度さっきウッディさんが届けてくれました」
「へえ、じゃあこれでパリーナ造りが出来るね!」
そう言って私がゴンドラに置かれたペンキをババーンと手を広げて見せます。
「はひ! これで完璧です!」
ペンキと杭……これでひとまず、パリーナ造りの為の道具は全部揃いました。後は……。
「パリーナのデザインだけですね。灯里先輩、ことりさん」
「うん、それが一番大変なんだよね……」
「これが昨日、三人で頑張って考えてたアイディア紙だよ」
「……うわぁ、ほんとにぎっしり書いてありますね」
テーブルの上に置かれた一枚の紙。そこには私、灯里ちゃん、藍華ちゃんの三人でたくさん書いたARIAカンパニーらしさがありました。
「うん、いっぱい考えてアイディア出したんだ。アリスちゃんも何か書く?」
「うーん、とはいってもこれ以上のものは流石に出てこないです。あっ、私の名前も入ってる」
興味深そうに私達が書いた紙を眺めていたアリスちゃんの視線が一点に留まりました。そこには私が書いたアリスちゃんの名前。
「うん、それ私が書いたの。やっぱり皆あってこそだよね」
「ことりさん、別にわたしはARIAカンパニーの一員という訳ではないので」
「でも大切な人だよ」
「……そ、それはとても嬉しいですけど。流石にパリーナには関係ないと思います」
そうアリスちゃんは顔を赤らめながら言われちゃいます。照れちゃってなんだかリンゴみたいって表現がぴったり。
「ただ、灯里先輩、ことりさん。流石にこんなに沢山の要素を一つのパリーナに書くのは流石に厳しいと思います」
「だよねぇ。この中から一つとか、二つ選ばないといけないかなぁ」
アリスちゃんのアドバイスを聞いて私は紙をもう一度眺めます。うーん、全部素敵だから入れたいのに……。
「灯里ちゃん、どうしよう?」
「うーん、あ、ならこれかな」
灯里ちゃんが私の言葉を聞いて、悩みながら指さしたのは私が描いたARIAカンパニーの制服。
「ああ、確かに、ARIAカンパニーらしさって言ったらこれだよね」
「はひ、私もこの制服着たらARIAカンパニーの一員になったって感じがありましたし、これは欠かせません」
そう言うと灯里ちゃんは可愛らしくはにかみました。
その瞬間の彼女の顔を見ていると、なんだか心の中が温かいものに満ちてきちゃいます。まだまだパリーナ造りはこれから。全然進んでないのに、何か全部うまくいきそう。そんな安心感みたいな感覚。灯里ちゃんは私より年下なのにそんな頼もしさを何だか感じちゃいます。
「うん、じゃあ、制服を基に考えちゃおう!」
「はひ! じゃあ、どうしよっかデザインも皆で考える?」
「うーん、そうだね。皆で一人一人デザイン考えて暫くしてから発表しあうってのはどうかな」
「そうですね。それが良いかもしれません」
灯里ちゃんと意見が一致した後、私は直ぐ室内に入って紙を三枚持ってきます。そして、紙を灯里ちゃんとアリスちゃんに一枚づつ手渡します。
「あの、ことりさん。私もですか?」
「うん、やっぱりこういう時はデザインの数が多い方が良いものが生まれるからね」
「そ、そうですか。私もでっかい頑張りたいと思います」
私の言葉に少し戸惑いつつ首を縦に振るアリスちゃん。少々恥ずかしそうです。まあ、自分の描いたものを他の人に見せるのって少し恥ずかしいよね。
「よし、じゃあ、皆でレッツお絵かき!」
「はひ!」
「その言い方は少し子供っぽいです」
「うーん、こんな感じかな?」
「はひ、私も完成です」
「はい、私も出来ました」
デザインを考え始めてから約1時間。三人で雑談をしながら書いていた時、とうとう三人の絵が完成しました。
「どんなのかなぁ」
二人の考えたパリーナ……それを想像して思わずニヤニヤしちゃいます。二人と色々話しながら描いていたから大雑把な方向性は分かっているけど、あえて絵は見ないようにしていました。完成したのを見てビックリしたいからね。
二人とも他の人の絵は見ていないので考える事は一緒みたいです。
「じゃあ、私から良いですか?」
まず、アリスちゃんがおずおずと手を挙げました。そして、絵を私たちに見せてきます。
「おぉ」
「はひ、すっごい可愛いです」
そこに描かれていたのは円柱部分は青と白の縞々模様。それだけなら今までのパリーナと一緒ですが、一つ違うのは柱の天辺……柱頭の部分が白くてARIAカンパニーのマークが入っている事。
「な、何か普通過ぎましたかね?」
「ううん、全然! すっごい可愛い!」
「はひ、柱の天辺の所とかすっごく可愛いです。まるで帽子みたい」
「はい、ARIAカンパニーらしさを頑張って考えて、帽子をイメージしました」
「うん、うん。すっごく分かる! じゃあ、次私の発表するね」
そう言って私は自分の紙を皆に見せます。すると、二人は大きく目を見開きました。
「うわぁ」
「すごい……」
白を基調に青い線を制服と同じように加え更にヒラヒラした柄とかを加え、海の波とかイメージしてみました。柱頭には制服の胸元の青いリボンのような柄を付けてみます。個人的なイメージとしてはゴンドラを漕いでいるアリシアさんや、灯里ちゃん。ついつい気合を入れて書いちゃいました。
「なんというかすっごくARIAカンパニーみたい」
「制服と海のイメージが上手くマッチしていてでっかい綺麗です」
「うん、だよね。私もその辺りすっごく頑張って考えたんだ」
「でも、これ、パリーナに上手く書けるかな……?」
ギクッとその言葉を聞いた瞬間、私の笑顔が凍り付きました。そのおかしな挙動に二人が私の方を振り向きます。
「ことりさん?」
「あー、うん。私、服のデザインしか考えたことなかったからパリーナで再現できるか考えないで描いちゃった……」
最初はパリーナのデザイン考えてたんだけど、デザインが大まかに形になってきた所で「あー、こんな服可愛い服どうかな?」って気持ちが湧いてついついパリーナに書き込んでいっちゃいました。その結果。
「やっぱこのヒラヒラは難しいかぁ」
「うーん、ちょっと私達じゃ、厳しいんじゃないかな?」
「そこまで細かく塗るのはでっかい厳しいと思います」
「そっかぁ」
パリーナに塗るという事を完全無視したものになっちゃいました……。
「で、でも私はすっごく綺麗で可愛いです。こんな服が有ったらまるで水の妖精みたいで素敵です」
「私もそう思います」
「う、うん。二人ともありがとう……」
二人のフォローが心に染みちゃいます。やっぱり私はまだまだデザイナーとしては半人前です。もっとデザイン以外の色々を考慮しないといけないね……。
「じゃ、じゃあ。次は私の奴を見せますね」
そんな私の落ち込みを感じたのか、灯里ちゃんが慌てて紙を見せます。
そこには私と同じように白を基調として青い線が制服と同じように入っていて、柱頭には青い線と白でARIAカンパニーの帽子をデザインしたものでした。
一見してARIAカンパニーの制服を基にデザインしたのが分かるし、なによりすっごく可愛い!
「灯里ちゃん、凄い!」
「えぇ、そうかな? ことりちゃんの方が凄いです」
「ううん、でもすっごくARIAカンパニーらしいよね。ね、アリスちゃん」
「はい、これならペンキで描けると思いますし、それに可愛いと思います」
アリスちゃんもそのデザインを見て感心交じりの声を上げています。
それに流石の灯里ちゃんも恥ずかしそうに笑いながら手をパタパタ振ります。
「二人して褒め過ぎですよ。皆とっても可愛いし素敵なデザインです」
「いえ、私ではちょっと思いつかなかったです」
「私はちょっとパリーナって所から暴走しすぎちゃっただけだから、それにARIAカンパニーらしさは凄く感じます」
「そ、そう?」
「うん!」
灯里ちゃんの恥ずかしそうな質問の声に私は自信満々に返答します。
「パリーナ完成の目途が経ってきたね!」
私がそう声を掛けると灯里ちゃんも恥ずかし気な表情から気色一面にすぐ切り替わります。
「うん!」
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第30話
パリーナのデザインが決まってから数日間。直ぐにデザインをパリーナに……とはいかず、パリーナに下書きを書いたり、灯里ちゃんのパソコンでペンキの塗り方を調べたり……そういった下準備時間を過ごしました。
そして今……。
「さあ、塗り始めましょう!」
「うん」
「ええ、頑張りましょう」
「ぷいにゅ!」
灯里ちゃんの掛け声に私とアリシアさん、そしてアリア社長は手を挙げて応えます。それを聞いて私はハケを手に持ちました。
私達三人の前には既に設置された下書きがされただけのパリーナ。そしてペンキの缶が置かれています。
そう、今日はとうとうパリーナに本格的に色付けする日。本来は灯里ちゃんと2人で作業する予定でした。けど、アリシアさんの予定が急なキャンセルで空いたのでアリシアさんも成り行きで参加する事になりました。
「えぇっとまずは白い部分からだよね」
「うん、まずテープで塗る箇所の周りを貼って……」
パソコンで調べた内容や、本に書かれた内容を復唱しながら私が作業をゆっくり始めます。色を間違えないように慎重に確認しながら、丁寧に塗り始めます。
「ことりちゃん、塗るの上手いね。以前経験あるの?」
「え? ううん、ちょっと、文化祭の時とかにやった位かな」
塗り始めていると、近くで見ていた灯里ちゃんに質問されたので、少し考えて答えます。私のペンキ経験は1年生の頃の出し物の時、教室の壁とかに貼る段ボールに穂乃果ちゃん、海未ちゃんと一緒に色を塗った程度。これを経験とは……余り呼べないかなぁ。
「文化祭?」
けど、灯里ちゃんは別の所に引っかかったみたいで不思議そうに首を傾げます。
「え、うん。灯里ちゃんの学校には無かった? あ、でも今の時代に段ボールとかあまり使わないのかな……」
「……段ボール?」
灯里ちゃんは再び不思議そうに首を傾げます……この様子だと灯里ちゃんは段ボールと絵が余り繋がってないみたいです。灯里ちゃんの学校には文化祭とかは無さそうです。
「アリシアさん。文化祭って知ってますか?」
「……うーん、私も聞いたこと無いわね。どんな感じなのかしら?」
アリシアさんも不思議そうに首を横に振ってしまいます。そして私の方に話を振られちゃいました。
私はハケで白のペンキを塗りながら1年生の頃の思い出しながら考えます。
「うーん、そうだね。文化祭……文化祭といえば。学校のクラス毎に出し物をするお祭りみたいな感じかな?」
「お祭り?」
「うん、飲み物や食べ物のお店出したり、お化け屋敷やったり」
「へぇ、結構本格的」
「そうそう、それに部活ごとに出し物をやったりね……」
そう言って、私は思わずハケの動きを止めます。
そういえば、私がこっちに来る前の音ノ木坂はそろそろ文化祭だったっけ。皆、どうしてるかな?
「……ことりちゃん?」
「え? ううん、何でもないよ、灯里ちゃん。何でもない」
言葉を詰まらせた私に灯里ちゃんは心配そうに声を掛けてきます。それに対して私は慌てながら笑顔を取り繕いました。
「ちょっと文化祭の事、思い出してただけ」
「そうなの?」
「うん、去年友達と見て回ったりしてたからね」
そう言いながら私が作業を再び始めると、灯里ちゃんとアリシアさんは1回顔を見合わせると、2人もハケを持ち始めます。
「じゃあ、ことりちゃん。私達も塗るの手伝うわ」
「はひ、とりあえず私は下の方から塗って行けばいいですか?」
「え? うん、じゃあ、灯里ちゃんはあっちの方から、アリシアさんは上の方からお願いします」
「ええ」
「はひ」
2人は元気に返事をするとハケを持って作業を始めてくれます。なんだかこうやってARIAカンパニーの皆と一緒に作業するのって初めてかも。
アリシアさんも中々お仕事でここまで一緒に何かするってのは中々ないし、なんだか新鮮かも。
「よし、じゃあ、直ぐ完成させちゃおう!」
「はひ!」
「ええ、頑張りましょうね」
その後、塗装の作業は順調に進みましたが、流石に1日では終わりませんでした。1日目はアリシアさんがずっと手伝ってくれましたが、それ以降はお仕事が入って作業には入れない日も多かったので、基本灯里ちゃんと二人でコツコツと作業を進めます。
そして数日の夕方。秋の晴れた赤い空に橙の光が差し始める頃。私と灯里ちゃん、そしてアリア社長の二人と一匹は桟橋に座って見上げていました。
そしてその先には青と白の一本のパリーナ。ARIAカンパニーの制服を模した模様が印象的なパリーナがそこに立っていました。
数日間皆で頑張って作ったパリーナがとうとう完成しました。
「すっごく大変だったけど、なんとか完成したね」
「うん……」
「ぷいにゅ」
思わず感慨深げに呟くと、灯里ちゃんもアリア社長も心ここにあらずみたいな返答をしてくれます。
「なんだか、全然実感ないですね」
「うん、何だか私ももう終わったんだって感じ」
そう呟いて思わず目を閉じて、パリーナ造りを振り返ります。最初アリシアさんに言われて驚いたけれど、そんな大仕事を頼まれて少しうれしかった。そして灯里ちゃん、藍華ちゃんと一緒にやったアイディア出し。アリスちゃんも混ざって、パリーナのデザインを考えたり……そして、皆でパリーナ造り。これだけでも沢山の思い出が溢れていて何だか自然に笑顔になれちゃいます。
「……なんだかお祭りみたいだったなぁ」
「あらあら、完成したのね」
なんて思わず浸っているとお仕事から戻ってきたアリシアさんが保温瓶を持ちながら歩いてきました。
「はい、なんとか」
「あらあら、二人共お疲れ様。紅茶をどうぞ。アリア社長にもおやつ持ってきましたよ」
「あ、ありがとうございます!」
「はひ、いただきます」
「ぷいにゅ」
アリシアさんが持ってきたカップを頂きます。涼しい風に紅茶の良い匂いが乗ってきて心がほっこりしだしていると、灯里ちゃんがぽつりと呟きました。
「こっちの古い彩色パリーナは何時からここにあったんでしょう?」
視線の先には白と青の縞々のパリーナ。灯里ちゃんに言われて気付きました。これも昔ARIAカンパニーの誰かが作ったのかな?
灯里ちゃんは隣にいるアリシアさんに視線を向け、少し考えます。
「私が入社した時にはもうありましたよね」
「ええ、私が入社した時にももうあったわ」
そう言うとアリシアさんは語りだします。
以前、アリシアさんが聞いた話によると、ARIAカンパニーの開業当初のメンバーが作ったみたいです。
「じゃあ、ARIAカンパニーが出来た当初からずっとここで立ってたんだ……」
思わず呟いちゃいました。私はあまりARIAカンパニーの歴史を知らないけれど、アリシアさんも知らないメンバーが作ったパリーナ。これはずっとARIAカンパニーの前で立って皆を見守っていた。そう思うと何だか、少し切なくなってきます。
「このパリーナを作った人はもう
灯里ちゃんも同じようなことを思ったのか少し寂しそうに呟きます。
「……ええ、時の流れと共に会社も変わっていくわ。私も何時か引退するし、灯里ちゃんが一人前になって私の知らない後輩を持つ日が来るわ」
「……こうして皆といる時間も何時か変わっちゃうんですね。その時、私がどう変わっているのかな。なんて考えるとちょっぴり怖いです」
灯里ちゃんがその言葉を発した時、私は少し驚きました。私のイメージだと灯里ちゃんってあまりそういう不安を考えず真っ直ぐ進む人だと思っていたから……。
でもアリシアさんの私の驚きとは違って私達が作ったパリーナに目を向けて静かに語りだします。
「大丈夫、このパリーナはこれからARIAカンパニーと共にこの場所に在り続けていくんですもの。このパリーナが、灯里ちゃん、それにことりちゃんがARIAカンパニーに確かにいた日々の証。それがずっと残ってくれるわ」
「……そうですね」
アリシアさんの言葉に灯里ちゃんは顔を上げて輝いた眼をパリーナに向けます。
「このパリーナはここで私達の思い出を守ってくれるんですね。たとえどんなに変わっても今の私達をここに残してくれる……ここに来れば今の私達にまた会える」
「……なんだか、それってすっごく素敵かも」
「そうね。凄く素敵だと思うわ」
灯里ちゃんの言葉に私とアリシアさんは思わず同意しました。パリーナを作る時のワクワクとドキドキで何だか文化祭みたいだった素敵な時間。ここに来ればその瞬間に戻って来れる。そう考えたら何処か祭りの後みたいな寂しさを感じていた心があったかくなっちゃいます。
それに……もしも私が過去に戻ったりしたとしても灯里ちゃん、アリシアさんがこのパリーナを見たら思い出してくれる。皆の思い出の中に残ってる。
そう思えたらどんな未来でも歩んでいける。そう、私は思えました。
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第31話
ネオ・ヴェネツィアの水路をゆっくりとゴンドラで漕いで進みます。ゴンドラの上には沢山の紙袋。そして嬉しそうにその中の一つの袋を眺めるアリア社長の姿がありました。
「アリア社長。すっかり秋が深くなって来たね」
「ぷいにゅ」
「アリア社長ご機嫌ですね。そんなにそのご飯美味しいんですか?
「ぷいぷいにゅ~」
私の言葉にキャットフードの抱えながら嬉しそうに返答するアリア社長。そんな姿に思わず微笑ましくなっちゃいます。
今日、アリシアさんはお仕事、灯里ちゃんも練習中。なので私は夕飯や日用品の買い物をしていました。
「残ったお金は使って良いって言われたけど……結構残ってる」
私はゴンドラを漕ぎつつ、アリシアさんから頼まれていた物を全部買ったか確認します……うん、間違ってない。
でも、今アリシアさんから渡されたお金はほとんど残っています。
『ことりちゃんには色々お手伝いしてもらってるからね。お小遣いだと思ってね』
と言われて渡されたけど……。
「流石に使うのはちょっと気が引けるよね……」
「ことり、しっかり前を向く!」
私がお金の事で悩んでいると横から声が響きます。その声に従って前を見るとそこは十字路でした。
「あ、ゴンドラ通りまーす!」
慌てて声を出して十字路を前進します。幸運にも他のゴンドラは通っていませんでした。
「すわっ! ゴンドラを漕ぐときは周りの注意を怠らない!」
「あ……晃さん!」
声の方を見ると近くの桟橋に晃さんが立っていました。私は慌てて方向転換しつつ晃さんの桟橋にゴンドラを近づけます。桟橋に当たらないようにゴンドラを止めると。
「ことり、前よりも漕ぐのはうまくなっているが、まだまだ注意力が足らないな……今日は練習というよりは買い物か」
「はい、晃さんは休憩中ですか?」
「ああ、時間が空いてな」
そう言うと晃さんは桟橋からスッとジャンプして私のゴンドラに飛び乗ります。晃さんは華麗に着地しますが、ゴンドラは大きく左右に揺れます。
「あわわ、あ、晃さん!」
「ははは、すまない。ARIAカンパニーに帰るついでに姫屋にも寄ってくれ」
慌ててバランスを取る私に笑う晃さん。その姿はなんだか少しだけ子供っぽく見えました。
「そうだな……」
私がゆっくりとゴンドラを進める中、晃さんはゴンドラに座りながら何やら考え事をしていました。
「なあ、前にも言ったことだが、
「え?」
突然の言葉に私は思わず声を上げてしまいました。ゴンドラの上で行儀よく座っているアリア社長も私の方に向きます。
「それにあまり人見知りしない。かなり
「え……そ、それは」
私は思わず口を濁します。その様子を見て、晃さんも直ぐに口を開きました。
「……いや、ことりにも事情はあるし、将来も色々あるか。ただ、ゴンドラの練習をしているんだ。それなら目標とかあった方が捲るだろ」
そう言うと晃さんは顎に手を当て考えます。……確かに練習は目標があった方がやる気がでます。そういった目標があった方が良いかもしれません。
ゴンドラから晃さんは暫く周りを眺めていました。そして彼女は壁に貼られている一枚の紙を見ました。
「そうだ、もう少ししたら、あれがあったな」
「あれ?」
私は晃さんの言葉に釣られ壁を見ます。そこには……。
「ヴォガ・ロンガ?」
「ああ、ネオ・ヴェネツィアをゴンドラで漕ぐ市民マラソン。それがヴォガ・ロンガ。秋最大のお祭りだから凄いぞ」
「へぇ、そんなのがあるんですか?」
「ああ、藍華達も参加するぞ。ことりも参加するだろ?」
ネオ・ヴェネツィアのお祭り……なんかそう聞くとすっごくワクワクします。
「ああ、噂によると
「いや、私は
「あはは、そうだったな」
私の言葉に晃さんは楽しそうに笑いました。
……ただ、晃さんの言う通り「これから」の事を考えるべきなのかもしれない。元の時代に戻る手掛かりはまだ見つかっていない。アリシアさん、灯里ちゃんにずっと世話になっている訳にもいかないよね。
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第32話
「ヴォガ・ロンガ……そっか、もうそんな時期なんだねぇ」
晃さんと会話をしたその日の夜、夕飯の準備をする二人に晃さんからされたお話をしました。
「そうね。良いんじゃないかしら。晃ちゃんの言う通り凄い大きなお祭りだから、ことりちゃんも楽しめると思うわ」
「でも、私なんかが出て良いんですか? その、ARIAカンパニーの制服を着て出ると、なんというか会社の箔みたいなのとか」
あっさり了承するアリシアさんに私は思わず聞いてしまいます。晃さんは「水先案内人の昇格試験も兼ねてる」みたいなこと言っていたけど……。
「あらあら、ことりちゃん、特に順位とか付ける訳じゃないからそう言う事を気にする必要ないわ。去年の灯里ちゃんはゴールするのに一日がかりでゆっくりゴールしたのよ。お祭りだから大切なのは速さとかじゃなくて、楽しく参加できるかどうか」
そう言うとアリシアさんはニコニコと灯里ちゃんに微笑みます。
「あはは、途中で会う人たちと喋ったりしてたら、ついついゆっくりになっちゃって……」
そう言いながら苦笑する灯里ちゃん……なんだか、灯里ちゃんらしいエピソードです。
でも、そっか……楽しく参加できるか。ある意味ゴンドラでそういう視点で考えたこと無かったかもしれません。
「そうそう、ことりちゃん、肩ひじ張らずに参加して良いのよ」
そう言いながら、アリシアさんは、にこやかに微笑みました。
「ってアリシアさんは言ってたけど……」
その次の日、私はゴンドラを水路で漕いでいました。
楽しく漕ぐ……実際とても大事。でも、やっぱり少しは練習しなくちゃ。
流石に下手くそな漕ぎ方でARIAカンパニーの泥を塗るような……なんて堅苦しく考えている訳では無いけど、やっぱり人前で漕ぐんだからね。
「ここで曲がる時はっと……」
オールに負けないように足に力を入れて漕ぐ……うん、我ながら上手くいった気がする。
大きい水路からちょっと狭い水路に入る。ここ最近よく通る練習コースの一つ。辺りは民家に囲まれていて、ネオ・ヴェネツィアの観光名所からは少々遠いから人通りが少ない。更に、水路としては細くて、高いオール捌きが要求されるから個人的にすっごく難易度が高いコースなので、私は最近この辺りで練習をしています。
「お姉ちゃん」
ゆっくりと漕いでいく途中で民家の前を通る。その時、女の子の声が聞こえてきました。ふり向くと黒いワンピースを着た女の子が近くの桟橋に立ってました。
……結構近くに居たのに気付かなかった。
「お姉ちゃん」
「え、あ、うん。何?」
「最近よく来るね」
「あ、うんゴンドラの練習でね」
どうやらこの辺りに住んでる子みたいです。彼女は私の事をニコニコと微笑んで見ています……なんだかとっても不思議な雰囲気の子。
彼女は私がちょっとぼうっとしていると勝手に私のゴンドラに移って来ちゃいます。
「あ」
「お姉ちゃん。ちょっとあっちに行って」
なんて言いながらニコニコと笑う女の子、彼女は指をスッと伸ばして脇道を示します。
思わず突然のことに何が何だか瞳をぱちくりしていると女の子はニコニコと笑い続けています。
「お姉ちゃん行こ行こ」
「ええ、なんで? そっち言ったことないよ私。それに……私はまだお客様を乗せちゃいけないんだよ」
一応格好は
「大丈夫、私が詳しいから。それに、お姉ちゃん
思わずオールを持つ手が固まりました……格好だけでそれを判断できるとは思えません。女の子はそんな私を知ってか知らずか、彼女は私に笑顔を向けます。
「だから大丈夫だよ。お姉ちゃんの練習に付き合ってあげる。それにお姉ちゃんに大切なお話があるの」
その後、女の子を乗せたまま私はゴンドラを漕ぎだしました。黒いワンピースの女の子はゴンドラの座席に座り、ゴンドラが進む度に生み出す波を楽しそうに眺めています。
……本当に何で、私が
彼女の様子を眺めつつも心の中はその気持ちで一杯です。格好だけで言えば寧ろ
そこまで、考えて私はふと気が付きました。目の前の女の子に私は一度会っている。あの子は……確か
「お姉ちゃん、ここここ」
女の子に声かけられて私はふと意識が女の子の方に戻ります。いつのまにかゴンドラは女の子が指さしていた脇道の前にいました。脇道の先を覗いてみます。幅はそこそこあってゴンドラが通るのは問題なさそうです。ただ道は暗くて先が見えません。まだお昼なのにここから先はまるで夜みたいです。
「ここ? ねえ、この先に何の用があるの?」
「ん? ただの道だよ。大丈夫」
女の子はニコニコな表情を崩さずに言いました。……あまり悪意は無さそうだけど、本当に大丈夫なのだろうか。
「はやくはやくー」
「んー、分かったよぉ……」
女の子に強く推されて最終的に私は折れました。オールを動かして脇道へとゴンドラの向きを変えます。
そして暗い暗い水路へと黒いワンピースの女の子を乗せたゴンドラはゆっくりと入っていくのでした。
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第33話
ゴンドラはゆっくりと暗い水路の中……の筈なんだけど、もはや廃屋の中を進んでいるかのようです。水路の中の所々に崩れて沈んだ木材が見え、水の上にいくつか看板みたいなものが見えます。ついさっきまでの時間はお昼の筈でしたが、上はボロボロの木の屋根に遮られ、隙間から僅かに光が漏れるのみ……暫くまっすぐ進んでいましたが、途中から右へ左へと道が入り組んでいてどの辺りを漕いでいるのか直ぐ分からなくなっちゃいます。
そんな水路で唯一の頼りは、ゴンドラに乗っているワンピースの女の子。時々、私に簡単な指示を出してくれますが、ずっと暗い水路が続くばかりでこの先に本当に出口があるのか全然分かりません……。
「ねぇ、本当に何処まで行くの?」
「いーから、いーから」
私不安の声に対して、女の子の言葉はまた変わらずの気ままな返事……本当に大丈夫なのかな……。
「あ、次は右ね」
不安な私を余所に女の子は声を上げます。それに従って私もゴンドラを右に向けます。
その時、水路の奥に何か見えました。薄暗い水路の為、奥の方は何も見えない。ただ一瞬、そこで何かが二つくらい……点のようなものが光った気がしました。
「……?」
思わず目を凝らしてみますが、その箇所は真っ暗で何も見えません。……なんだか、ここずっと暗いし、入った当初からなんだか誰かに見られるような感覚がします。
も、もしかして幽霊とか⁉
「って流石にそんなことは無いかな」
思わず頭の中で考えていたことを否定します。幽霊だなんだって……もう、ここは
「ねえ、お姉ちゃん」
「ひゃ、な、何?」
女の子に突然聞かれて私は思わずビクッとしながら答えちゃいます。ちょっと水路が怖くなってきているのは年下のこの子には内緒です。
女の子は私の様子を大して気にして無さそうで言葉を続けます。
「……お姉ちゃん、
「え、な、なに?」
「楽しい?」
そう言って女の子は私に顔を向けます。
なんでそんな事を聞くんだろうか? まるで私が
ポチャンと、何処かで水音が聞こえました。……どこかで水漏れでもしているみたい。こんなボロボロじゃ、何処かで水が漏れていても可笑しくないんだけど……。
「た、楽しいよ? 皆いい人ばかりだし」
「そう? 良かったぁ」
そう言うと嬉しそうに女の子は笑います。
「お姉ちゃん、ずっと落ち込んでたから心配だったんだ」
「え、そ、そう?」
ずっと? 少し疑問に思っていたけれど、女の子は私の事を前から知っている……そして、私もどこかで会ったような。
そしてふと頭の中に噴水のあった広場の事を思い出しました。そういえば、あの時あった女の子にこの子は似ているような……。
「うん、お姉ちゃんこっち来る前何かずっと悩み事してたでしょ?」
「……え?」
そう言うと少し悲しそうな表情になる。
「だから、とっても楽しい場所に連れてきてあげたら良いんじゃないかなぁって、思ったの」
そう言うと少女は立ち上がり、私の方に近寄って来る。少女の瞳は気付いたら縦に細長くなっていました……さっきまではこういう目じゃなかったはずです。
「前に会った時はまだまだ不安だったけど。もうとっても元気だね! 安心しちゃった」
「ねぇ、何か、私の事知ってるの?」
「うん、知ってる。ずっと」
「ずっと」……多分、その言葉に嘘じゃない。彼女の声音からはそう感じました。
でも、それと同時に「ずっと」の範囲が分からない。ネオ・ヴェネツィアに来た当初? いや、もっと前から私を知っているかのような口ぶりです……。
なんだか、ゴンドラを漕ぐ手が急に力を冷たくなったように感覚が無くなります……。
「だから、お姉ちゃん、前にもした質問、もう一度するね。お姉ちゃん、何処から来たの?」
「何処から来たの」……憶えてる。その質問は噴水で出会った少女にされたものでした。
「何処から来た……」
「ううん、今は違うね。お姉ちゃんにしなくちゃいけない質問はこっち、『お姉ちゃん、何処に帰りたい?』」
「何処に帰りたい……」
「そう、そろそろね。お姉ちゃん。決めなきゃいけないの。今日はそれを伝えに来たの」
質問が大きく変わっている事に気付いて私は呟きます。それに対して女の子は無邪気な声音を一切変えずに答えました。
ピチャンと水滴が落ちる音……また、何処からか見られているような感覚。
私は視線を感じた方向に向きます。
「今のお姉ちゃんは選べるの。ここに残るか、帰るか」
……そこには沢山の目がありました。縦に割れた眼それがあちこちに……光っていました。水路の端、何対もそれが浮かび上がっています。屋根の柱。家屋の窓の奥。
その眼すべてが私を見つめていました。
「選ぶのはあなた次第……ただ、何時までも待てないの」
女の子はそう言っています。けれども私の意識は周りの目に向いてしまいます。視線はゆっくりと増えていき、私を取り囲んでいるかのようです。そのことに思わず鳥肌が立ってしまいます。
「お姉ちゃん、だから気を付けてね。私達は過去と未来を繋げることが出来る……でも何時か決断しなくちゃいけないの」
その女の子の声はハッキリと耳に聞こえていました。けれどもまともに返事は出来ませんでした。私を見る周囲の視線が何なのかに気付いたからです。
それは、猫でした。何十匹……いや、それどころか百を超えちゃうんじゃないかという数の猫さん。猫さん達があらゆる所から私を見つめていたのですから。
「お姉ちゃんが今ハッキリと答えられたなら、今すぐにでも帰してあげられるんだよ? でもまだ、
そう言うと女の子は「よかった、よかった」と一人で何やら納得したみたいに呟いた後、彼女は笑いながら言いました。
「次にこの姿で会った時、それが最後だよ。その時、質問の答えよろしくね?」
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第34話
「あ、ことりちゃん、こんにちは。良い天気だね……ことりちゃん?」
「……あれ? アテナさん?」
空は雲たちがゆっくりと泳ぐ青い空。涼しい風が吹いているサン・マルコ広場の桟橋。
ふと気が付いたら私はその桟橋で立っていました。そしてアテナさんがゴンドラに乗って「おーい」なんて朗らかな笑顔を浮かべながら私に近づいてきています。
「ことりちゃん、ぼうっとしてたね。誰か待ってたの?」
「あ、いや、そんな訳じゃないんですけど……アテナさんは今日のお仕事終わりですか?」
「うん。ことりちゃんは練習?」
「はい」
アテナさんに尋ねられた私は首を縦に振ります。それ以外にもなにかあったような気がしたけれど、その事を思い出そうとすると靄ががったような……ずいぶん昔の事を思い出そうとするような歯がゆい感覚に陥ってしまいます。
そもそも、どうやってサン・マルコ広場に? 確かに練習でここまで漕いでみようとしていたのは覚えているけど、その練習を途中から思い出せません。途中にとっても大事な話があったような気がするんだけど……。
ふと、広場を黒い影がよぎった気配を感じて私はそっちに振り向きます。けれどもそこには何もいません。
「……? どうしたの?」
「いや、何でもないです。ちょっと疲れちゃったのかな」
「練習してたもんね。じゃあ、ちょっと休憩する?」
そういうとアテナさんは微笑んで、ゴンドラから降りました。
アテナさんと歩いて数分。私達はカフェにやってきました。以前、アテナさんといったカフェです。
「ここね、私のおすすめがあるの。すみませんホットチョコレートを二つお願いします」
そういって微笑むと店員さんにメニューを頼みます。
「沢山練習してたみたいだけど、何かあったの?」
「ヴォガ・ロンガがあるのでそれの練習してました」
「ヴォガ・ロンガ……あぁ、そっかそんな季節なんだね。ことりちゃんは頑張り屋さんだね」
私の返答を聞くと感心したようにアテナさんは頷きます。……私としてはそれ以外にすることが無いからやっているみたいな面もあるので
「いや、私は別にそんなわけでも……ヴォガ・ロンガの練習も私が勝手にやってるだけだし」
「そうなの? でも、最近すっごく練習してるって晃ちゃんも言ってたよ」
「……それは、正直あまりすることがないからしてるっていうか……」
「そういえば、色々あってARIAカンパニーに居るって以前聞いたけど。いつまで居るの?」
アテナさんからの何気ない質問に私の動きが止まります。
いつまで……私はいつまでARIAカンパニー、いや火星にいるのだろうか。
「ううん、いつまでか決まってない……かな?」
曖昧に答えるとアテナさんもそれを聞いて察したのか思わず申し訳なさそうな表情に変わります。
「ごめんなさい、言いづらい事だった?」
「い、いや。全然、大丈夫です。……ただ、帰ろうにも帰れないというか」
思わず頬を掻きながらアハハと笑ってしまいます。
「そうなの? 地球に帰るお金が無いとか?」
アテナさんは私の言葉に不安そうに呟きます。
「え、えっとそう言う訳じゃないんですけど……」
「そ、そう? でも何か大変なことあったら私にも相談してね」
そう言うもののアテナさんは不安な表情を隠してはいませんでした。……まぁ、しょうがないよね。でも、「実は過去の
「あはは、その気持ちだけ頂きます……それにアテナさんにはもうすっごく助けられましたから」
「え?」
「アテナさんに初めて会った時の言葉です『そこで立ち止まったら多分、駄目』。私も決めなくちゃいけないんです。きっと」
今日、私の中で靄がかった欠けた記憶。でも何か覚悟を決めなければいけない。それだけは私の心の中ではっきりと刻まれていました。
「……」
「アテナさん? 何か悩み事ですか?」
私が覚悟を決めて言うと、アテナさんはちょっと視線を下に向けます。なんだか、アテナさんにも気がかりなことある点……なんだかそんな風に見えました。
「うん……ちょっとね。色々」
「アリスちゃんに関する事ですか?」
「ん」
私の言葉にアテナさんはびくりと肩が動きます……ズバリ図星かな?
「う、うん……そうなの。すごいねことりちゃん。よく分かったね」
「何となく……かな。アテナさん、アリスちゃんのことよく考えてるの私でもよく分かっちゃいましたし」
そういってちょっと悪戯っぽく笑うと、アテナさんはなんだか恥ずかしそうに、でもとっても嬉しそうに笑います。
「なんだかそう言われるとすっごく恥ずかしいね」
「全然恥ずかしい事じゃないですよ。すっごく仲が良くてなんだか羨ましいです」
「ううん、そうなのかな。なんだか色々と悩むことがあってね……」
「お待たせしました」
アテナさんが悩みを切り出そうとした瞬間、私達の前に飲み物が届きます。グラスになみなみと入ったホットチョコレートの上に山盛りの白いクリーム……なんだかすっごく甘そうな飲み物が運ばれてきました。
「おお……」
「ふふ、まずはこれを飲もうか」
素直に驚いた声を上げてしまった私を見てアテナさんは嬉しそうに微笑みます。オススメというだけあってアテナさんはこのホットチョコレートがとても好きみたいです。実際私も凄くおいしそうで関心がこっちに思わずむいちゃいました。
相談事は一つ置いといて私達は運ばれてきた飲み物に手を付け始めます。……なにがともあれ、まずはおいしいもの、だよね。
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第35話
「それで、何かお悩みなんですか?」
ホットチョコレートを二人でゆっくりと楽しんだ後、私はほっと暖かい息を出してまったりしているアテナさん。そこに私は先程までの話を切り出します。
その言葉を聞いてアテナさんは「うーん」と軽くと悩ましそうに腕を組みます。
……なんだか私に言って良いのか悩んでいるご様子です。
「すっごく言いづらい事なんですか?」
「ううん、そうなの。いや、ことりちゃんに相談したくない訳じゃなくてね……」
そう言って言葉を濁すアテナさん。その表情からすっごく悩んでいるのは伝わって来ちゃいました。ただ、何か色々言えない事情がありそうな予感。……となったら
「アリスちゃんって普段はあまり顔には出さないけど、意外とお節介焼きすよね。以前、ちょっとゴンドラの紐の結び方に困っていたらアリスちゃんにすっごく丁寧に教えてもらっちゃいました。」
「え? うん、そうだね。私もいつも助けられてるよ。夕食のときとか、私がソース探してるとすぐ持って来てくれるからね」
「それにアリスちゃんって、素っ気なく思えるけど、とっても感情豊かな子なんですよね。ちょっと前に私がパリーナ造ってるときにですね――」
「……うん、私もそう思う。アリスちゃんはね――」
私がアリスちゃんの良い所を褒めていくとアテナさんもそれに釣られてアリスちゃんの可愛い所を次々と上げていきます。その表情はまるで自分の子供を自慢するお母さんみたいにも見えてきちゃいます。
「アリスちゃんが成長するのが怖いんですか?」
そして、私はアテナさんが何について悩んでいるのかついて気付いてしまいました。アテナさんはその言葉を聞いてピクッと動きが止まりました。
「え……なんで」
アテナさんは私の言葉を聞いて、驚いた様な表情をして……どうやら図星みたいです。
「アテナさんのアリスちゃんに対する反応で分かっちゃいました。アリスちゃんをすっごく大事にしてるの」
「なんだかそう口にされると恥ずかしいかも……でも、そうね。アリスちゃんはとっても大切」
アリスちゃんの話している表情から、本当にその通りなのがよく分かります。そしてそれと同時に
「でも、アリスちゃんのゴンドラの操縦技術はもう」
「うん、そう……」
それは私でもよく分かりました。アリスちゃんのゴンドラに何回か乗って、自分でゴンドラを運転すれば私でも察することが出来ます。
アリスちゃんのゴンドラ技術はすっごく上手。まだ両手袋だけれども、あの三人の中でも一番かもしれません。
「でも、アリスちゃんにはもっとゆっくりと成長して欲しいの」
そう言うアテナさんの表情は何とも複雑なものでした。アリスちゃんの成長を良く知るからこその嬉しさ。でも……早すぎるという気持ち。
「成程……」
「そうなのよ、う~ん」
私が真剣に頷くと、アテナさんから可愛い唸り声が返ってきました。
「そういうのってアリシアさんとか、晃さんに相談しないんですか?」
「二人にも相談したいんだけどね」
そう言うと寂しそうに呟きます……何やら訳あり?
「もしかして、私余り聞いちゃダメな感じですか?」
「……でも、これはことりちゃんに言い当てられちゃったからね」
そう言うとアテナさんは可愛らしく舌を出して来ます。それで良いのかなぁ? でも、いろいろとお世話になりっぱなしのアテナさんのお悩み。何とか私も役に立ちたいけれど……。
思わず私は唸りながら手を前で組みます。ゆっくり成長してほしい……なんだか、大人なお悩みです。
私は、そんな事考えたことも無かった。ミューズで活動していた時は廃校をなんとかするために皆で練習と、衣装つくり……他にも色々、ラブライブのために沢山頑張ってた。練習して、成長すればするほど嬉しい。
でも、それは大人達から見たらどこか危なっかしく見えるのだろう。私達も目的の為に無茶を少ししているのはよく分かっているから大切な「何か」を見落としてしまうかもしれない。アテナさんはそれを不安がっていました。
でも
「アリスちゃんは大丈夫だと思いますよ」
私は思わずそう言い切っちゃいました……正直、自分でもびっくりするくらいのハッキリした声。その言葉にアテナさんも思わず目を見開いていました。
「そう?」
「はい、だってアリスちゃん。練習してるときもすっごく楽しそうですから」
アリスちゃんとは時々会って会話することも、時々一緒に練習することも多い。その時、いつもアリスちゃんは楽しそうですから。
「……うん、それは私も知ってる。あの三人は凄く仲が良いよね」
「だから、例えちょっと駆け足で成長しても、大切な物を見落としたりはしませんよ。例え落としそうになっても灯里ちゃんが拾ってくれます」
そう確信をもって呟きました。アテナさんはそんな私を見て黙った後、軽く微笑みました。
「……ことりちゃん、ごめんね?」
カフェを出た後、私達はゴンドラが置かれているサンマルコ広場に向かって歩きます。その途中、アテナさんがぽつりと呟きます。
「いや、全然大丈夫ですよ。私の経験には無い相談だったから戸惑っちゃいましたけど……」
「うん、そうだよね。変な相談しちゃったよね」
そう言ってちょっと肩を落とすアテナさん。私より大人なのにその仕草は子供っぽくてちょっと可愛らしいです。
「いやいや……でも、アテナさんがアリスちゃんの事よく考えているのが分かって、なんだか私も勉強になった気分です」
「そうなの? 勉強?」
「はい」
実際アテナさんの話は今までの私とは違う視点の話でなんだか新発見って感じでした。
穂乃果ちゃんの事をよく心配することがあった私ではあるけれど、アテナさん程考えてはいない気がします。
「でも、私も昔はこんな悩みなんて考えたこと無かったよ。皆とずっと三人で練習して、一人前を目指してた」
「そうですよね。私もそんな感じだし」
「? ことりちゃんも、何か目指してるの?」
「あ、いや、何でもないです」
私の事情を余り知らないアテナさんは不思議そうに首を傾げます。
その様子を見て私は何気なく空を見上げました。サン・マルコ広場の鐘楼が夕暮れの赤光に染まってとても良く映えています。
それを見ていると思わずアテナさんの相談を思い返してしまいます。
駆け足で成長していくことの不安……実際今まで私はそんなこと考えたこと無かった。
私は? 駆け足で大切なものを見失っていない?
ふと、そんな声が私の頭に響きます。海外留学か、μ'sのことか……それにずっと悩んでいた自分はどうだったんだろうか。大切な物を見落としていたのだろうか……。なんてついつい考えてしまうのだった。
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第36話
「うわぁ」
「うふふ、凄いわよね」
ゴンドラを漕ぎながら、私は思わず声を上げてしまいました。ネオ・ヴェネツィア全体が様々な装飾が彩られ、何時も華やかに見える街並みは普段以上の活気に満ちています。
水路にはいつも以上に沢山のゴンドラが浮かんでいて、橋の上などを見ていても観光客の数は目に見えて多いです。
ネオ・ヴェネツィアにそこまで長くいた訳ではないけれど、いつもと違う光景に私も浮かれた気持ちが湧き上がってきます。その気持ちが顔に出ているのか、私の隣にいるアリシアさんも嬉しそうに微笑んでいます。
「ヴォガ・ロンガは秋の一大イベント。これ目当てに来るお客様も多いのよ」
「確かに! ゴンドラが沢山あってなんだかワクワクしてきちゃいます!」
「うふふ、そうね」
私が思わず顔をほころばせて辺りを見ていると水路に浮かぶゴンドラの間から手を振る姿がありました。見覚えのある
「あ、ことりちゃん。こっちこっちー!」
「お、ことり……っとアリシアさん!」
「こんにちは」
近づいてみるとそこには灯里ちゃん、藍華ちゃん、アリスちゃん。いつもの三人です。
「あらあら、皆で揃ってるのね」
「はい、今年はアリシアさんも参加するんですか?」
アリシアさんは藍華ちゃんの言葉に微笑みます。
「いえ、今年は見学。皆、頑張ってね」
「はい! さあ、頑張るわよ二人共!」
藍華ちゃんはアリシアさんの返答に嬉しそうにした後、灯里ちゃん達に向き直ります。灯里ちゃんはそれに苦笑いで応えています。
「藍華ちゃん、今年もやる気いっぱいだね」
「そりゃそうよ、アリシアさんが見てくれてるんだもの。しっかり気を引き締めないとね」
私の言葉に藍華ちゃんは腰に手を置いてちょっと胸を張って答えてくれます。すっごくやる気満々です。
それに対して灯里ちゃんは「おぉー」なんて間延びした声を上げています。いつも見てる灯里ちゃんな感じ。お祭りであってもそんなに緊張した様子はありません。
「灯里、『おぉー』じゃないの。前回はほんとにギリギリのゴールだったんだから今回は……まあ、制限時間ギリギリよりは早くゴールするのよ」
「はひ、頑張ります」
藍華ちゃんからビシッと指をさされ、灯里ちゃんはまるで右手を持ち上げて敬礼のポーズをしていました。
そんなコントみたいなやりとりをアリスちゃんはいつものように眺めています。
私はふとアリスちゃんの方に近づいて話しかけます。
「ねえ、アリスちゃん」
「はい、何でしょうか、ことりさん」
「アリスちゃんはヴォガ・ロンガに参加したことある?」
「はい、オレンジぷらねっとに入る前ですけど」
「そうなんだ。じゃあ、私だけが初めてかぁ」
アリスちゃんにヴォガ・ロンガについて聞いてみましたが、アリスちゃんも参加したことがあるみたい。
「ことりさん。そんなに緊張しなくても問題はないですよ」
「そうなんだけどねぇ」
アリシアさんも灯里ちゃん皆そう言ってくれるけどなんだかんだと不安はぬぐえません。
そしてそんなお話をしているとその間に藍華ちゃんが割り込んできます。
「後輩ちゃんもよ! しっかりやりなさいよ!
「本当にでっかい気合入ってますね……あと、それはあくまで噂ですよね。藍華先輩」
アリスちゃんはそんな藍華ちゃんの様子を見てジト目気味に答えているのでした。
『さあ、今年もやってまいりました。ネオ・ヴェネツィアの晩秋を飾る一大イベント――』
空から響いているアナウンス。空を飛ぶエアバイクから降って来る色とりどりの紙吹雪。街道では、沢山の人が旗を振っています。そして海の上には見渡す限り一杯の舟が並んでいます。
ヴォガ・ロンガ開始まで後数分。私は灯里ちゃん、藍華ちゃん、アリスちゃんと一緒に舟を並べています。
「よし、灯里。私に付いてきなさいよ!」
「……は、はーい。頑張ります」
藍華ちゃんはすっごく気合が入ってて、それに灯里ちゃんは苦笑いしながら返します。アリスちゃん一見するといつも通り、ただアリスちゃんも少し緊張していそうです。
アリシアさんはヴォガ・ロンガには参加しないので、街道の群衆に混じってアリア社長を抱えながらニコニコと笑っています。
そんな中私はオールの持ち方の確認、あと、ヴォガ・ロンガのコースを頭に思い浮かべ、確認などをしていました。
「ことりさん、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫大丈夫。ただ、迷わないか心配で……」
アリスちゃんに心配されて正直に話します。
「まあ、私達に付いてくれば迷うことは無いと思います。そこはでっかい問題ありません」
「う、ううん。そうなんだけど、皆に付いていけるかな……まだまだそんなに速くないし、もし遅れ始めたら」
「ことりさん。大丈夫です」
私が思わず不安を呟くと。アリスちゃんは何時も通りに呟きました。
「安心して下さい」
『では皆さん、いよいよスタートです――!』
アリスちゃんの言葉はスタートの合図で遮られてしまいました。私もその合図で顔を引き締めてオールを握りなおします。
周りの舟たちはその合図と同時に舟を漕ぎだしました。姫屋、オレンジプラネット、知らない制服……沢山の
「さ、行くわよ。灯里! 後輩ちゃん! ことり!」
それに負けじと藍華ちゃんは一度私達を見た後、意気揚々と漕ぎだしました。
「はひ! ようし頑張るぞー! ことりちゃんも頑張ろうね!」
灯里ちゃんも楽しそうに笑顔を浮かべて、藍華ちゃんの後に続きます。
「……灯里先輩も藍華先輩も、ことりさんのことよく見ていますから」
そして最後にアリスちゃんはゴンドラを漕ぎ始めます。
「さ、行きましょうことりさん。藍華先輩たちが先に言っちゃいますよ」
「……うん! よし、南ことり行きます!」
私はアリスちゃん達を追ってオールを動かし始めます。
私達の前には、三人の
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第37話
水路を滑る沢山のゴンドラ。その中に見える少女たちの姿を追いかけます。まだまだ未熟な私は灯里ちゃん達の列の最後尾。
皆、私より年下なのに重たいオールを巧みに操ってぐいぐい進んでいきます……皆の無駄のない綺麗なオール捌き。それに付いていくために私はオールを動かして進みます。
一回漕ぐ度に静かに進んでいくゴンドラ。それに対して橋や、道。お家の中から沢山の人が私達を見て、応援の声を上げています。
……なんだか、それを聞いているだけでとっても楽しくなって口元に笑顔が浮かんできちゃいます。
「あ、ことりさん、次の十字路。右です」
「あ、うん」
一つ前にいるアリスちゃんが声を掛けてきます。私はその声を聞いて慌ててオールを動かします。
「アリスちゃん、ありがとう」
「いえ、大したことは言ってないので」
そう言って彼女は少し恥ずかしそうに顔を逸らしました。
物静かで、皆よりも年下。けれどもゴンドラ捌きはとっても上手。いつも落ち着いて大人みたいだけど、まだまだ子供みたいに可愛い所がたくさんある子。
「ありがとうね。アリスちゃん」
「……な、なんですか。別にそんなたくさん感謝されるようなことは言っていないです」
「ふふ、なんだかアリスちゃんにずっとお世話になっちゃってるから。つい沢山言いたくなっちゃった」
「いえ、別に当たり前の事です。ことりさんの方がずっと大変なんですから」
「えぇ、でも、アリスちゃんも
「コラー! なんか恥ずかしい事とよそ見禁止!」
私とアリスちゃんが話していると前を漕いでいた藍華ちゃんが後ろを向いてツッコミを入れてきます。
「藍華先輩もでっかいよそ見しています」
「もう、あんたたちのせいでしょうが。ヴォガ・ロンガよ、集中集中。それととっても気になる会話をしないの!」
そう言って頬を膨らませつつ藍華ちゃんが私達に並走し始めます。
藍華ちゃんは「姫屋」の跡取り娘。いつも真面目で、責任感のある女の子。とってもネオ・ヴェネツィアの事を大切に思ってて、私にもネオ・ヴェネツィアの良い所を沢山紹介してくれる子。
「そんなこと言って、藍華先輩もでっかい会話に入りたくなったんじゃないですか?」
「な、なによう。悪い」
「うふふ、藍華ちゃんもありがとう。いろいろ気を使ってくれてたよね。初めて会った時もカフェ・フロリアンの時も私を楽しませようとしていたよね」
「べ、別にそんなのは当然よ。友達だしね」
「うん、でも友達だからこそ、そう言う事を考えてできるってすごい素敵だと思うの。ずっと相手の事をしっかり見てる証拠だもの」
「……は、恥ずかしいセリフ禁止! ヴォガ・ロンガに集中よ!」
そう言うと藍華ちゃんはあわあわと慌てながらオールを漕ぎだします。私とアリスちゃんはその様子を二人でゆっくりと追随しながら見ます。
「……でっかい恥ずかしがっていましたね」
「そうだね。事実を言っただけなんだけど……」
私達は軽く見合った後、思わず二人で微笑みました。
「うーん……」
皆の後をなんとか付いていけていたが、数カ月しか練習していない私と
最初は皆私に合わせてくれようとしましたが、私の方が遠慮して今は一人で漕いでいます。
沢山の歓声を身に受けつつ、私はゆっくりと水路を漕いでいきます。流石に普段よりも長い距離を漕いでいる為、腕が少し苦しくなってきました。
でも、私も頑張らなくちゃ……そう決心してオールに力を込めようとした途端
「もう、本当に良いよ。早く大会に戻りないと」
「いえいえ、お気になさらず」
私のゴンドラの前に見覚えのある白と青の衣装が一人。彼女は、水路にゆらゆらと浮かんでいる枝で編まれた籠に向けてオールをくいくいと動かしていました。
「な、何してるの? 灯里ちゃん」
「あ、ことりちゃん。えーっと、あそこにいる女性があの籠を落としてしまったみたいで」
灯里ちゃんに言われた方向に顔を見上げるとそこには妙齢の女性が困ったように見下ろしていました。
……どうやら彼女が籠を落としてしまったのを見過ごせなくて灯里ちゃんが籠を取ろうと四苦八苦しているみたいです。
「あ、そこのお姉さんはそこの
「でも、こっちも一大事ですから。見ててください。ちゃちゃっと済ませちゃいますから」
そう言うと灯里ちゃんはゆっくりとゴンドラで籠に近づきます。けれども今日はゴンドラが沢山行き来していて波が立っている為か籠はどんぶらこどんぶらこと揺れて動いて中々上手く掴めないみたいです。
「あ、ことりちゃんは気にしないで。こ、これを掴んだらすぐに向かうから」
……灯里ちゃん、私にとってネオ・ヴェネツィアについて私が初めて出会った女の子。そして私を助けてくれた女の子。困っている私に手を差し伸べてくれた女の子。彼女は大切な物を沢山くれました。いつも気を遣ってくれて笑顔を絶やさず、私と寄り添ってくれた。
私はゴンドラを籠の方に近づけます。そしてゴンドラのバランスをとりながら、オールを籠の方に近づけます。その様子を見て灯里ちゃんは目を丸くしていました。
「え、ことりちゃん⁉」
「二人の方が速いと思うから私も手伝うよ」
「でも」
「いいからいいから……灯里ちゃん、私がオールで頑張って抑えるから籠をそっちから持ってみて」
「はひ、分かりました」
私がなんとかバランスを取りながらオールを籠に近づけます。そしてそれをゆっくりと灯里ちゃんのゴンドラに必死に寄せます。
そして灯里ちゃんがその籠を手で取る事に成功しました。
「やった!」
「はひ、ことりちゃん!ありがとう!」
灯里ちゃんは籠を手に取ると弾けるような笑みを浮かべると籠を街路で待っている女性の元へ持っていきます。
「はい、お待たせしました」
「本当にありがとうね、助かったわ……
そう女性に感謝され、灯里ちゃんも笑顔を浮かべて手を振りながら大会に戻ります。私もそれを追ってレースに戻ります。
「ことりちゃん、ありがとうね。私の寄り道に付き合っちゃって」
「ううん、全然。灯里ちゃんが困ってたんだもの。私も手伝わなくちゃ。じゃ、ゴールまでレッツゴー!」
「はひ! レッツゴー!」
「……で、またゴールはギリギリになったのね。灯里」
「はひ……」
その後、私達は意気揚々と二人でレースを再開したのですが、灯里ちゃんは道行く知り合いに手を振ったり、声かけられたり。その度にちょっとスピードダウンしてお話したり……。そんな感じで大会とは思えないゆったりペースで私達はゴールしました。
私達がゴールした頃にはゴンドラも閑散としていて
「まあ、前回もこんな感じだったから、姿が見えなくなった時点でそうなるだろうと思ってたけどね」
「まあ、灯里先輩らしいです」
先にゴールしていた二人はゴールして微笑んでいる私達を見て、そう呟いていました。まあ、二人からしてみれば予想通りみたいです。
「あはは、ごめんね。ことりちゃん。すっごくゆっくりで」
「ううん、私もゴンドラすっごく遅くって。足引っ張ってたかも」
「ことりは良いのよ。まだ初めて数カ月なんだし。寧ろヴォガ・ロンガのコース完走できただけで充分よ。距離が長いから」
「皆、お疲れ様」
そうやって私達が集まっているとアリシアさんがにこやかな笑みを浮かべてやってきました。
私達の視線は一斉にそちらを向きます。
「どう? 楽しかった?」
「はひ、とっても楽しかったです。ことりちゃんと一緒にゆっくりでしたけど。色んな人と会話して、すっごく!」
アリシアさんの言葉に灯里ちゃんはすかさず答えました。それを聞いてアリシアさんは微笑み返します。
「そう? それなら良かったわ。他の皆はどう?」
「はい、楽しかったです! アリシアさん」
「はい、私もでっかい楽しかったです」
「うふふ、それなら良かったわ。ことりちゃんは?」
アリシアさんから話を振られます。それに私は躊躇なく笑みで応えました。
「はい、すっごく楽しかったです」
「うふふ、ならとっても良かったわ」
そして、アリシアさん。身元もはっきりしない私の事を受け入れてくれてちゃんと私の事を信用してくれた人。彼女も私がここで安心して暮らせるよう気を遣ってくれていました。
「本当ありがとうございます。アリシアさん」
私の口からは感謝の言葉が漏れました。今日の楽しい出来事だけじゃない。ずっと助けてくれたことに思わずです。
アリシアさんはその言葉を聞くと。
「あらあら、どういたしまして」
微笑んで笑みを返してくれるのでした。
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第38話
「ことりちゃん」
学校の廊下で名前を呼ばれて私は後ろを振り向く。そこには二人の女の子――穂乃果ちゃんと海未ちゃん、いつも私と一緒に居てくれた二人。
「早く部室行こー、ことりちゃん」
「ことり、何か忘れ物ですか?」
手をパタパタを振る穂乃果ちゃん、不思議そうに小首を傾げる海未ちゃん。なんだか、いつも顔を合わせる二人の筈なのに……なんだか、今日は随分と久しぶりに感じちゃう。
「あ、ううん。何でもないよ」
私も手を振って返すと穂乃果ちゃんは嬉しそうに弾ける笑顔を浮かべます。いつもの暖かな穂乃果ちゃんの笑み。それにどこか安心感を覚えながら私は二人の方へ足を向けます。
「ラブライブまであと少しです。気を引き締めていきますよ。穂乃果」
「うん、もちろん! あ、ことりちゃん。衣装とか大丈夫? なにかあったら私も手伝うよ!」
「うん、ありがとう……でも、今の所穂乃果ちゃんに手伝ってもらう予定はないかな。他の皆の所を手伝って」
私は顎に指を当てて考えます。確か衣装づくりには花陽ちゃんが手伝ってくれるって言っていたし、生徒会の予定が終わったら希ちゃんも手伝ってくれるって言っていた気がします。それなら予定には十分間に合うはず。
「えぇ、そうなのぉ!」
「うん、気持ちは嬉しいけど、今やってる所色々細かい作業が多いから」
「穂乃果には向いていませんね」
「うぐっ……ごもっともです」
そう言って穂乃果ちゃんはがっくりと肩を落とす。その可愛い様子にくすっと笑みが漏れちゃいます。
ラブライブを目指して日々邁進する私たち。とっても大変だし、音ノ木坂の廃校も掛かってる。まだまだどうなるか分からないけど、このイベントの連続にいつもドキドキ。
あれ、でもこの景色毎日見てる筈なのに……なんだか、すっごく懐かしい気分。
「「ことりちゃん」」
声が聞こえて後ろを振り向きます。いつのまにか私の後ろには二人の姿がありました。灯里ちゃんにアリシアさん……ARIAカンパニーの二人。
「え? 灯里ちゃん、アリシアさん?」
「ことりちゃん、今日一緒に練習しよう! 今日はアリシアさんも付き合ってくれるって!」
ひまわりの様に輝いた笑みの灯里ちゃんとその横に佇むアリシアさん。
「うん! 私もゴンドラを頑張らないとね!」
ずっと練習してるけど、私のゴンドラ捌きはまだまだ未熟。灯里ちゃん達のようにゴンドラを操れる訳じゃないし、頑張って追いつかないと。
私は何も考えず、灯里ちゃんの元へ進もうとしたところで、直ぐ私の足は止まりました。
音ノ木坂になんで二人が……?
「ことりちゃーん、早く早く」
「ことり、部活に遅れてしまいますよ」
「ことりちゃん! 行こ!」
「ことりちゃん、行きましょう」
四人の声が廊下に……いや、頭の中に響きます。胸の中がぽかぽかと暖かくなる優しい言葉。なのに私の心はざわざわと騒いでいます。
「お姉ちゃん、そろそろ選ばないとね。お姉ちゃんは、何処に行きたい?」
そして最後に、小さな女の子の声が一つ。声の方を振り向くと黒い服を着た女の子が机の上に座って私に微笑んでいました。
「つめた」
ふと、私は頬に感じた冷気によって目を覚ましました。ベッドから体を起こして辺りを見渡します。
ベッドの上にはまだ、すやすやと寝ている灯里ちゃん。その穏やかな表情に思わず微笑ましくなって彼女の寝顔を思わずじっくり眺めます。
スーと小さな寝息をたてている灯里……なんだか可愛くてずっと見たくなっちゃいます。
「っ! 冷たー」
けど、そうやって灯里ちゃんを見ていると体が思わず震えてきて、声が出ちゃいました。
……秋最後の大イベントヴォガ・ロンガ終わり、ネオ・ヴェネツィアはゆっくりと冬へと向かっています……特にここ数日は一気に気温が下がっていました。布団から出ると部屋の中もほんのりと冷えています。
そんな風に季節の変わり目を実感したからでしょうか……私がネオ・ヴェネツィアに来て長い期間が経ったことをどうしても意識しちゃいます。
「もう冬なんだね」
思わず窓の外を眺めて呟きます。外の空は小さい雲がゆったりと流れていました。
「おはようことりちゃん。今日はちょっと早いのね」
「おはようございます。アリシアさん。はい、ちょっと早く目が覚めちゃって」
寝間着から、制服に着替えるとアリシアさんがキッチンで朝食を作っていました。
アリシアさんは私を見かけると穏やかな笑顔を浮かべます。
「もうだいぶ寒くなってきましたね」
「そうね。そろそろ冬支度をしないといけないかしら。暖炉の為の枝をそろそろ集めないとね」
「暖炉ですか?」
アリシアさんの言葉を聞いて私は視線を移します。そこにはレンガ造りの暖炉が一つ。
「あれ、使っているんですか?」
「ええ、そうよ。灯里ちゃんも最初聞いた時は似た反応してたわ。多分、どんどん寒くなるから早めに準備しないとね」
そう言うとアリシアさんは「あ」と小さく呟きました。
「ことりちゃんにも色々買ってあげないとね」
「色々?」
「ええ、冬服とか。流石に制服だけじゃ不便よね」
「え、冬服……」
確かに私服とかあった方が良いけれど、流石にお値段とかが凄く張ってアリシアさんに迷惑をかけてしまいます。
「流石に、そんな高価なものを買っていただくのは」
「あらあら、ことりちゃん、遠慮しなくて良いわよ。ネオ・ヴェネツィアの冬は結構寒いから、制服だけじゃ風邪になっちゃうわ」
「そ、そうなんですか」
そう言われると流石に色々防寒具とかが欲しくなってきちゃいます。
私もそこまで寒さに強い訳じゃなくて……寧ろ寒がりな方なのでそう言わると色々と欲しくなっちゃいます。
「ええ、だから買っておかないとね。お金のことは心配しなくていいわよ」
「……すみません、ありがとうございます」
思わず私は頭を下げてしまいます。
「あらあら、気にしなくて良いのよ……じゃあ今日、ことりちゃん。予定空いているかしら?」
「え、今日?」
アリシアさんの言葉を聞いて今度はスケジュール表に目を向けます。アリシアさんの今日の予定には何も書いてありません。
「ええ、ことりちゃん。服屋さんとか余り分からないわよね。色々教えてあげる」
そう言うとアリシアさんは茶目っ気たっぷりに目をウインクするのでした。
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第39話
アリシアさんと一緒にネオ・ヴェネツィアの街の中を歩いていく。いつものように綺麗な足取りのアリシアさんとそれについていく私。場所としてはサン・マルコ広場から徐々に離れていきます。
「今日はこれに行くの」
何処まで行くのか不思議に思いながら付いて行くと、アリシアさんが前を指さします。そこには大きな桟橋が一つ。そして近くに柱みたいな機械が置かれています。
「……チケット売り場?」
見た時の率直な感想を呟く。それを聞いてアリシアさんは頷きます。
「そう、ヴォパレットよ」
そう言いながらアリシアさんは機械に近づいてお金を入れて、チケットを手に取ります。
「ヴォパレット?」
「そう、ネオ・ヴェネツィアの水上バスのこと。今日は普段よりちょっと遠出するからゴンドラじゃなくてこっち使うわ」
水上バス……私が今まで聞き慣れない言葉に思わず言葉をそのまま返してしまいます。アリシアさんはそれを聞いて「ええ」と肯定しました。
「ことりちゃんも練習中とかに見かけたんじゃないかしら。ほら、あれよ」
アリシアさんが指さすと近づいて来る船の姿が一つ。……確かに、この船は私がゴンドラで練習している時に何度か見かけました……まさかそれがバスだとは思っていなかったのだけれども。
その船はゆっくりと進みながら私達のいる桟橋に停まりました。
アリシアさんは慣れたように先に進んで私にチケットを一枚手渡します。
「乗る時にこれを見せれば良いからね。さ、行きましょ。ことりちゃん」
「あ、はい」
アリシアさんに促され私はヴォパレットの方に進みます。受付でチケットを見せるとアリシアさんは悠々と船に乗り込みます。私もそれに倣ってチケットを見せた後船に乗ります。
ヴォパレットが私達が乗り込むとゆっくりと桟橋から離れていきました。
ゆらゆらと水に揺れながら進むヴォパレット。船の中には私以外にもお客さんらしき人が何人か座っています。私はアリシアさんの横に大人しく座ります。
「ことりちゃん、これから行くお店。私の馴染みのお店なの。ことりちゃんが気に入る服も見つかると思うわ」
アリシアさんはそう言って微笑みます。けれど、私はその話を聞いて思わずまた悩んだ表情をしてしまった。
「……どうしたの? 何か不安な事でも?」
アリシアさんも私の表情の変化を察して尋ねます。
「え、ううん……そんなに悩みって訳じゃなくて……」
「でも不安なことは相談とかしてくれて構わないわ」
アリシアさんは優しい声でそう言ってくれます。……アリシアさんにそういうこと言われちゃうとついつい相談したくなって口を開いてしまいます。
「服とかを買ってもらうのが嫌な訳じゃないんです。ただ季節が変わる位ARIAカンパニーにいるとなると色々考えちゃって」
「色々?」
アリシアさんの言葉を聞きながら、前に会った黒い女の子の事を考えてしまいます。『お姉ちゃん、何処に帰りたい?』
あの無邪気なようでどこか不思議な響きが含まれた一言を。
「はい、今まで居候で、お手伝いって立場だったけど……そろそろちゃんと考えないとなって」
「……」
アリシアさんは私の言葉を静かに聞いてくれます。私は今まで凄く曖昧な立場でARIAカンパニーに居ました。でもそろそろ……。
「それで、アリシアさん」
「うん、良いわよ」
私が提案しようとした言葉を遮ってアリシアさんはあっさりと了承しちゃいました。
「えぇ!?」
「だって、ことりちゃん。そのことを色々考えていたんでしょ?」
「え、でもまだ聞いてないじゃないですか」
「うふふ……でも、ずっと一緒に暮らしていたからことりちゃんが何を言いたいのかは分かるもの。私としてはそれでもいいと思うわ。だから私としては了承したわ」
思わず驚いて口をポカンと開けていると、アリシアさんはそれを見てクスクスと笑っています。
「で、でも、ほら。色々と」
「ことりちゃん、ヴォガ・ロンガどうだった?」
唐突にアリシアさんは話題を変えました。私はそれに困惑しつつも思い出します。頑張ってゴンドラを練習して、灯里ちゃん達と一緒に参加したヴォガ・ロンガ。それは――
「すごく、楽しかったです」
「うん……ことりちゃん。本当に心から楽しそうだったもの。練習の時も、ヴォガ・ロンガの時も、ことりちゃんは真剣に楽しんでた。それだったらネオ・ヴェネツィアでもことりちゃんは幸せにやっていけるわ」
アリシアさんがそう言った途端、ガクンと船内が揺れる。どうやら何処かに着いたみたいです。
「着いたわ。ことりちゃん、ここよ」
アリシアさんはそう言うと立ち上がったので、私もそれについて行きます。
私達が降りた場所はARIAカンパニーの近くと違って余り観光客の姿はありません。どうやらどちらかといえばネオ・ヴェネツィアに住んでいる人が多い地区みたいです。
「うふふ、ことりちゃんがどんな服を選ぶのか楽しみね」
アリシアさんはいつもよりも上機嫌に微笑んでいるアリシアさん。服か……奢ってもらうのはちょっと気が引けるけど、服自体には私も少しは興味があります。
「あはは、アリシアさんのお店だと私に似合うのあるかな」
「大丈夫よ、ことりちゃんに似合うのも絶対あるわ」
アリシアさんと共にネオ・ヴェネツィアの街を歩く。サン・マルコ広場と違って少し静かな場所で、海の穏やかな波の音が静かに私達の耳に響きます。
「そうだ! アリシアさんも今日新しい服とか買いませんか? 私が似合う服選びたいです」
思わずそう提案しました。アリシアみたいな大人な女性はミューズにはいませんでした。絵里ちゃんも大人っぽくてきれいだけど、アリシアさんは絵里ちゃんともちょっと違う感じ。だから、色々な服を見てみたくなっちゃいます。
そんな私の提案にアリシアさんは顎に手を置きます。
「あらあら……そうね、私も新しい服欲しいし、ことりちゃんに頼もうかしら」
アリシアさんはこうやっていつも私を優しく受け入れてくれます。多分私から聞かなかった提案もアリシアさんは真面目に考えて了承してくれた。そんな確信が私にあります。
……だから、後は私が決めないといけない。黒い女の子が言っていたように私が何処へ帰るのか。
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第40話
「アリシアさんとショッピング!?」
サン・マルコ広場のカフェ。その静かな室内に大声が一つ響きます。それで周りの視線が私達に集まります。
「藍華ちゃん驚きすぎ」
「あ、やば」
藍華ちゃんは慌てて口を閉じて周りの視線に頭を下げます。そして一回カップからカフェラテを飲んだ後私に羨望まじりの視線を向けてきます。
「別に大したことしてないよ? ただ、アリシアさんに誘われて冬服を買いに行っただけ」
「それが羨ましいのぉ」
そう言うと藍華ちゃんはパタパタと足を上下に揺らします。なんだかわがままを言う子供みたいな仕草で可愛い。
アリシアさんと買い物行った次の日。一人で散歩をしていると偶然藍華ちゃんと出会いました。そして二人で話をしていたら話が弾みついいつのまにか二人でお茶をすることになっちゃいました。そして色々最近買った物の話になったのです。
「アリシアさんの私服かあ、私も買いに行きたい~」
藍華ちゃんの足のパタパタの揺れ幅がどんどん大きくなっていく。藍華ちゃんはアリシアさんのことをとても尊敬しているみたいで、事あるごとにアリシアさんについて沢山語ってくれるのでよく分かります。
「アリシアさんだし、言ったら誘ってくれるんじゃないかな?」
「そうだと思うけどね」
そう言うとカフェラテをまた一口。
「でも、アリシアさんは人気者だから、あまり暇は無いでしょ。それに貴重な休みを私に使って貰うのもねぇ」
そう言うと「むむむ」と唸って目を細める藍華ちゃん。……確かに、アリシアさんのゴンドラの予約は大体いつも埋まっています。私が買い物に行ったのも偶然空いていたからだし……いつも働いているアリシアさんを誘うのは確かに私も気が引けてしまいます。
「そういえば、藍華ちゃん、アリシアさんと買い物とか言ったこと無いの?」
ふと、気になって尋ねました。私よりも遥かに付き合いの長いであろう藍華がそんなに羨ましがるなんて、もしかしてアリシアさんってあまりそういったプライベートな所は見せない感じの人なのかな?
「いんや、日用品の買い物とかに付き合ったことはあるよ。灯里と一緒の時もあるし、アリシアさんと二人っりきりでもね……」
そう言って一度言葉を溜めます。そしてカップを置くと、天井に顔を向けて心の底から絞り出すように一言。
「でも、そんなにじっくりと服選びなんてしたことないのよ。ことり、すっごく羨ましい!」
「あ、あはは」
その時の藍華ちゃんの心底そう思ってるであろう顔に苦笑いが零れてしまいました。
「あー、良い休憩したぁ」
カフェで一服した後私達は再びサン・マルコの広場を散歩していると藍華ちゃんはそう言って腕を伸びっとします。
「……ふふ、藍華ちゃんありがとうね。誘ってくれて」
「いいのいいの、私もリフレッシュになったしね」
そう言うと腕を伸ばしたまま、体を左右に揺らしてストレッチをしています。
「よし、午後も頑張っていくわよ」
「午後何かあるの?」
不意に私が聞くと藍華ちゃんは「そうなのよー」とため息をつきつつ答えます。
「姫屋の方でちょっとね。新しいイベントの準備しないといけないのよ」
「あはは。大変だね」
「本当本当」
藍華ちゃんはそう言っていますが、余り嫌って様子はありません。なんだか姫屋でのお仕事にやりがいを感じているみたいです。
「でも、頑張らないとね、まだまだ片手袋とはいえ一応跡取り娘ですから」
そう言うとえへんと胸を張る藍華ちゃん。その様子に私は思わず笑みを浮かべてしまいます。
藍華ちゃんは姫屋の跡取り娘だと以前聞きました。ネオ・ヴェネツィアの
けれども彼女はしっかりと前を見て進んでいる。
「すごいね、藍華ちゃん」
「な、なによお、いきなり。こんなのは当たり前よ」
私の言葉に照れくさそうに頭を掻く。
「でも、凄いよ。私には想像も尽かないし」
「別に、そんな言う程凄くも無いわよ……私は」
そう言って藍華ちゃんは短い髪を軽く触れます。
「私は平凡だからね。後輩ちゃんみたいに優れた操舵技術もないし、灯里みたいにみんなと直ぐ打ち解けられるようなコミュニケーション能力もない。たまたま姫屋の跡取りになるチャンスが降ってきて、私が深く考えずにそれに首を縦に振っただけ」
そう言うと藍華ちゃんはゆっくり私の前を歩みだします。足取りはゆっくりと……けれどもまっすぐ力強い。
「でも、だから頑張らないとね」
藍華ちゃんは私に振り向きました。
「晃さんにも言われたもの。才能が無いなら、頑張るしかない。私に無いならその分頑張らなくちゃ」
そういって藍華ちゃんは笑顔を作ります。
「……うん」
私は思わずそう呟いた藍華ちゃんがとても綺麗に見えました。「自分には何もない」そう言いながらも諦めないで頑張る彼女の言葉はなんだか私の心にも深く響きます。
「う、なんか恥ずかしい話しちゃった。じゃあ、私はもう行くね」
そう言うと藍華ちゃんは顔を紅潮させつつサン・マルコ広場を離れます。
それに対して私は思わず手を振って返しながら声を出しました。
「うん、じゃあね……それと藍華ちゃんはいつも皆を見てくれるのはすっごい才能だと思うよ!」
「は、恥ずかしいセリフ禁止!」
私の言葉に藍華ちゃんは振り返ってビシッとをツッコミをするのでした。
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第41話
「へえ、ネオ・ヴェネツィアではサンタさんは来ないんだ」
「はい、プレゼントを持ってくるのはベファーナという魔女です。良い子には素敵なプレゼントを、悪い子には炭を持ってきます」
「す、炭? なんで?」
口から白い息を漏らしながら私はアリスちゃんに尋ねます。アリスちゃんはそれを聞くと顎に親指を付けて少し考えた後、彼女も首を傾げて呟きます。
「……確かに、悪い子を反省させるという意味は分かりますが炭はでっかい不思議ですね」
「あはは」
アリスちゃんのその言葉に私も思わず笑顔で返していました。
「……ことりさんすみません。私の練習に付き合って貰ってしまって」
「ううん、いいよいいよ。私もゴンドラもっと上手になりたいし」
今の私はアリスちゃんと二人でゴンドラの練習をしています。ただ、灯里ちゃんも藍華ちゃんも今日はいません。
二人はお客様を乗せた実習に出ています。水先案内人は
「そうやって聞くと二人も頑張ってるんだなって感じちゃうね」
私はゆっくりとオールを使って漕ぎながら前の椅子に座るアリスちゃんに話しかけます。
「そうですね、私はまだ
そういうとアリスちゃんは自分の両手を見ます。
「アリスちゃんもとっても上手だし、直ぐに
私は気軽にそう言いました。とはいってもアリスちゃんの運転技術の高さは私でも直ぐに分かります。灯里ちゃん、藍華ちゃんに負けない所か、上回ってるかもって位。
「……」
けど、私の言葉にアリスちゃんは顔をうつむいてしまいました。
「アリスちゃん?」
「あ、いえ、何でもありません。それより、ことりさん、舟の重心が少し右に重心が傾いてます」
「え、あ! おっとと」
アリスちゃんの指摘を聞いて私は慌てて立ち位置をずらします。舟が傾くとそれだけで真っ直ぐに進まなくなるし、乗っているお客様も乗り辛くなるから大変なんだとアリシアさん始め教えてくれた皆に教わりました。
少し舟をグラグラと揺らして何とか船の重心を直すとアリスちゃんはそんな舟の上でも動じずに私を見つめています。
「ふぅ、なんとかなったぁ」
「ことりさん、少し休憩しましょう。集中力とかが落ちているのかもしれません。そんな状態で練習しても身にならないと思います」
「うーん、そうだね。そうしよっか。じゃあ」
アリスちゃんのアドバイスに従い、私は辺りを見渡します。今の私達は街の中心をちょぴっと離れて人気の少ない水路を漕いでいました。
「サン・マルコ広場には遠いよね。あ、そういえば」
私が悩んでいると自分の持ち物を思い出して、ベンチに置いてあるバッグを見つめます。
「ことりさん、何か入っているんですか?」
「うん、ちょっとね……こういうことあろうかと」
私の言葉にアリスちゃんは不思議そうに首を傾げます。
「?」
「うん、えっとね……」
私はバッグをガサゴソと漁って中から一本の筒を取り出します。
「魔法瓶?」
「うん、アリスちゃん、舟の上でお茶会とかってしたことある?」
「お茶会?……ああ、なるほど」
私の言葉を聞いてアリスちゃんは合点がいったようで声を上げました。
「冬になると灯里先輩がよくお茶を持って来ていましたので、何度か」
「あ、そうなんだ。じゃあ、ちょっと休憩しよっか」
そう言って私は船尾から舟のベンチに移動します。「よっ」と小さく声を上げて席に座ると私はバッグから更にプラスチックのコップを二つ取り出します。
「じゃーん」
「用意周到ですね」
「ふふ、今日はちょっと寒そうだし持ってきた方が良いかなって」
魔法瓶の蓋を開けてコップに注ぎます。中から紅茶が出てきて、白い湯気がカップの中から上がります。
「はい、アリスちゃんどうぞ。ずっと座ってて冷えちゃったでしょ」
「いえ、そこまででは……でも、ありがたく頂きます」
アリスちゃんは私のコップを両手で掴んで受け取ってくれます。そして小さな口でふうふうと冷ますと、紅茶をゆっくりと飲みます。
「……でっかいあったかいです」
「良かったあ」
アリスちゃんの声に私は思わず嬉しくなって微笑みます。アリスちゃんはそれを見て顔を赤くしながら紅茶を更に飲んでいました。
アリスちゃんと二人で舟の上のお茶会。舟の上には灰色の空……冬らしい曇り空。けれども私達の間にはどこかまったりとした空気が広がります。
「ふぅ」
紅茶を一口飲んで、思わずため息をつきます。
「なんだか、のんびりしちゃうね」
「そうでうすね。ただ少し休憩したら練習に戻りましょう」
「うん、そうだね」
とはいっても思わず紅茶の温さに気が緩んでしまいます。アリスちゃんも口ではそう言っていますが、余り強くは言わないで、紅茶を口に運んでいます。
二人で静かに飲む穏やかな時間。思わず私は顔をほころばせ、のんびりと紅茶を飲むのでした。
海の上からネオ・ヴェネツィアの街並みを眺めながら私達は暫くお茶会を楽しみました。お話はたわいのない物ばかり。ARIAカンパニーのお話や、アテナさんのうっかり話……何時も通りのお話です。
「ことりさん、そろそろ練習再開……というよりはネオ・ヴェネツィアに戻りましょう。ここでもっとゆったりしてしまうと日が落ちてしまいます」
「え? あ、本当だ」
アリスちゃんの言葉を聞いて私は思わず辺りを見ます。空に浮かぶ日はゆっくりと水平線に沈みかけていて、空の半分は暗くなってしまっています。
冬なこともあってか、日が沈むのが早くなっています……確かに、今から漕がないとARIAカンパニーに着く前に日が沈んじゃいます。
「ごめんね、ゆっくりしすぎじゃって、練習の途中だったのに」
「いえ、私も思わずここででっかいまったりしたのでおあいこです」
「そうだね……思わずアリスちゃんとのお話が楽しくてついついうっかり」
そういって「あはは」とごまかすように私は笑います。けど、アリスちゃんは私の言葉にビックリと言った感じで目を大きくします。
「ど、どうしたの?」
「い、いえ。そんなこと言われたの初めてだったので……」
「?」
慌てるアリスちゃんに思わず首を傾げる。そこまで変な事を言ったか思い返すもアリスちゃんが驚く理由が私には分からない。
「お話が楽しくてなんて……」
「え、だって楽しかったよ」
アリスちゃんが恥ずかしそうな声を上げるのを見て、私は思わず食い気味に返してしまった。
アリスちゃんはそれを聞いて面食らった表情になっちゃいますが、私の目を逸らしながら言葉を続けます。
「……いえ、私は他人と話すのが苦手で、いつもことりさんが上手くお話を続けてくれるからです。私自身は全然」
「そんなことないよ。少なくとも私はアリスちゃんとお話しするのいつも楽しいもの」
私はそう言うとゴンドラの船尾に移動してオールを持ちます。オールでゆっくりと漕ぎだしてゴンドラを動かす。進む方向はARIAカンパニー。ゴンドラはちょっと波に流されちゃったみたいだけど、ここからならそう時間はかからない筈。
「アリスちゃん、灯里ちゃん達やアテナさんの話をしてる時、とっても楽しそうな表情してるもの、全然飽きないよ」
「……」
私がそんな事を言うと、アリスちゃんは顔を赤くして少しにらむような表情をします。でも、その表情がなんだか可愛くてますます私は微笑ましい気持ちになってしまいます。
「だって楽しいでしょ。アリスちゃん」
「……はい」
私の言葉にアリスちゃんは否定せずに小さく呟きます。それを見てますます私は楽しそうに微笑んでしまいました。
「でも、私が人と話すのが苦手なのは本当です」
日が落ちる前にARIAカンパニーに着いた後、流石に夜道をアリスちゃん一人は危ないので私はオレンジぷらねっとまでアリスちゃんを送る事にしました。
その夜道の途中、アリスちゃんがふとそう呟きました。
「ことりさん、今日の練習の途中、私の操舵技術を褒めてくれましたよね」
「うん、アリスちゃんすっごく上手だもの」
「でも、それだけなんです」
アリスちゃんは夜道……黄色い光を放つ街灯の途中で立ち止る。
「初対面の人には何て言えば良いのか戸惑ってしまうし、慌てて言葉が出てこないことも有ります。舟謳もあまり上手ではありません……」
「そうなんだね」
アリスちゃんの言葉に相槌を打つ。
「はい、私はちょっと歪なんです」
「歪?」
「ゴンドラの運転が上手いだけで歪なんです」
そう呟くアリスちゃん。そう言うと顔を少し下に向けます。顔は街灯の光によって影になって表情は良く見えない。けれど、それはアリスちゃんの心の中でとてもわだかまっているものだとよく分かりました。
「……そんなことないよ」
私はそんなアリスちゃんに近づいて思わず肩に触れます。そしてアリスちゃんの顔を覗き込む。
「大丈夫、アリスちゃんは思ってる程歪んでないよ」
「でも」
「皆。意外と色々ばらばらなの」
そう言うと思わず私はμ'sの皆を思い出します。皆最初はバラバラで得意なことも苦手なこともみんな違う。でも頑張って各々一生懸命練習をして、μ'sの皆で説明会でのお披露目を成功させた。
「でも、アリスちゃんは目標のために苦手なことを精一杯頑張ってる。だから、いつか実るよ」
「本当に、そう思いますか?」
「うん!」
アリスちゃんの言葉に私は力強く頷きます。
「だってアリスちゃんにもみんなが一緒にいるもの!」
そうはっきりと断言しました。アリスちゃんの頑張り、アリスちゃんは私を見上げ、少々呆れたように、けれどとても嬉しそうに微笑みました。
「根拠は無いのに、ことりさんがそう言うと本当になりそうですね」
「でも、本当にそう思えるでしょ」
「はい、でっかいそう思います」
そう言うと私達は白い息を吐いて二人で笑いあいながら、再び暗い道を二人で歩きます。空は曇っているけれど、雲の合間から白い月が微かに見えていました。
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第42話
『さあ、今日の運勢は――』
朝のARIAカンパニーで朝食を食べながら私と灯里ちゃんはテレビをジッと眺めます。テレビに並ぶのは星座の名前。そして今日の運勢。
つまり、星座占いをやっています。
灯里ちゃんは牛乳を飲みながらジッとテレビを見つめています。灯里ちゃんは占いに凄い関心があるみたいで、朝の占いを欠かさず見ています。私も関心がないわけじゃない……寧ろある方なので私もトーストを齧りつつ、ついつい自分の星座を探しちゃいます。
「あー、4位かぁ」
私は4位の所に自分の星座である「おとめ座」の名前を見つけて思わず呟きます。悪くはないけど、ちょっとパッとしない感じ。
『ラッキーアイテムは、猫!』
「ぶい?」
私は目を席に座ってご飯を食べるアリア社長に向けます。私に見られているのに気が付いたアリア社長はご飯から顔を離して私に大きくて真ん丸な目を向けます。
「アリア社長がいるからラッキーアイテムは問題ないね」
「ぷいぷい、にゅーい」
「あらあら」
私の言葉を聞いたアリア社長が任せてと言わんばかりに胸を腕で叩く仕草をしています。まるで任せてと言わんばかりの仕草。
それを見てアリシアさんは穏やかに笑います。
「アリア社長も任せて欲しいって言ってるわね。私の星座はどうかしら?」
「アリシアさんの? えーっとさそり座は……あ、3位ですよアリシアさん!」
「あらあら」
テレビに映る『小さな幸運が色々と起きるかも』なんて文字と一緒にさそり座の文字が出ます。それを見て楽しそうに喜ぶ灯里ちゃん、まるで自分の事みたい。
「でも、灯里ちゃんの水瓶座はまだ出てないね」
「うん、今日は1位かな?」
灯里ちゃんはわくわくとしながらテレビを見つめます。2位は「しし座」それを見て二人で私と灯里ちゃんは思わず「おぉ」と口を漏らします。テレビでは水瓶座といて座をデフォルメされたキャラクター達がゴンドラを漕いで競争をしている様子が映し出されています。
それを三人でじっと見つめます。
そして水瓶を持った女の人がゴンドラを漕いでゴールしました。
「やったぁ、1位ですよ!」
嬉しそうに目を輝かせる灯里ちゃん。その様子を私とアリシアさんは楽しそうに眺めます。
「ええっと、何々……『何事もとても楽しい一日になります。万事うまくいく』へぇ、今日は絶好調の予感だね」
「はひ」
凄く嬉しそうに笑う灯里ちゃん。それを見ながらアリシアさんも微笑んでいます。
「灯里ちゃん、今日は皆で練習だったかしら」
「あ、今日はことりちゃんと二人で練習します。藍華ちゃんもアリスちゃんも会社の方で用があるみたいで」
「うふふ、そうなのね。もしかしたら、練習中に素敵な事があるかもね」
それを聞いて灯里ちゃんはより一層楽しそうに目を輝かせるのでした。
「ふふーん、ふふーん」
「ぷぷーい、ぷぷーい」
楽しそうに鼻歌を歌いながらゴンドラを漕ぐ灯里ちゃん。それを私はベンチに座って眺めます。そんな私の前でアリア社長はそれに合わせて楽しそうに歌っています。
「灯里ちゃん、楽しそうだね」
「はひ」
そう言ってニコニコ笑う灯里ちゃん。占い1位だったことがすっごく嬉しいみたい。ただ、私もその気持ちはよく分かります。1位だと特になにかあるわけでもない一日もなんだかワクワクした気分になって来ちゃいます。
「こんな日はきっと素敵なことが起こるに違いありません。ね、アリア社長!」
「ぷいにゅっ!」
灯里ちゃんの言葉に大きな声を返すアリア社長。
私も笑顔を浮かべて相槌を打ちます。
「よーし、今日も頑張ろー!」
そう言うと大きく右手を上げる灯里ちゃん。見るからに楽しそうな灯里ちゃんに私も嬉しくなります。
「じゃあ、なんか特別な練習とかするの?」
何気なく私が尋ねると、それを聞いて灯里は「んー」と首を傾げます。
「特別?」
「いや、なんとなく。特別な日なんだし、なんかいつもと違う練習とかするのかなー、なんて」
私の言葉を聞いて灯里ちゃんは益々「んー」と声を漏らします。
「特別な練習、特別な練習」
「なんかすっごく楽しい練習とか」
「私、練習はいつも楽しいから」
「そ、そうだね」
灯里ちゃんが苦しそうに練習しているとこ、そこそこ一緒にいたけど見たことないかも。
「でも、そうだよね! 今日は素敵な日だもの」
そう言うと灯里ちゃんは腕をグッとして意気込みます。
「そんな考えていったわけじゃないんだけど……」
そんな灯里ちゃんに私は思わず苦笑いしながら独り言を呟いてしまうのでした。
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第43話
「うーん、特別、特別……」
「ま、まあまあ。灯里ちゃん」
ネオ・ヴェネツィアから少々離れた小島の一つ。そこで灯里ちゃんはうんうんと唸っています。この小島はいつもの練習スペースの一つ。藍華ちゃんが「スタミナを鍛える練習」と称してここまでゴンドラで行くことが何度かあありました……ひとまず練習中なのでここまで漕いでみたけれど、灯里ちゃんの称する「特別な練習」にはちょっと違うみたいで、どこか不満顔です。
「今日は色々やっていこう。灯里ちゃん」
「はひ、そうだね。まだまだ今日は始まったばかりだしね。頑張りましょう!」
私の言葉に嬉しそうに顔を綻ばせる灯里ちゃん。それを見て私も彼女に笑顔を向けます。
「じゃあ、次は私が練習するね」
「あ、はひ」
私がオールを灯里ちゃんから受け取り、ゴンドラの船尾へと移動します。
「特別かぁ」
私も灯里ちゃんから聞いた言葉を繰り返します。占いの結果に一喜一憂するのはよく分かります。私も占いとか大好きだし、希ちゃん程じゃないけど占いの本とか図書室から借りる事もあります。だから、ランキング一位で嬉しい気持ちも分かるけど……。
(今日は特別気合が入っているというか……)
なんだか、いつもより変? 緊張しているというか色々ガチガチというか……。
「まあいいや、灯里ちゃん。じゃあ、私も今日気合入れてやるから見ててね」
「はひ、ことりちゃんをしっかり見てるね」
「うん、お願い!」
灯里ちゃんの意気揚々とした返事に私はオールを握りながら返事します。
私達のそんな特別探しなど知らない
小島を一周した後、穏やかな海を渡る私。灯里ちゃんはまだ「うーん」なんて可愛く唸っています。
「そうだ、灯里ちゃん。この前行ったパフェのお店、最近期間限定メニュー出てたの知ってた?」
「へ、ああ、あのお店。そうなんですか?」
ふと、私は何気なく思い出したことを呟きました。そのお店は以前アリシアさんと灯里ちゃん、アリア社長の皆で食べに行ったお店です。偶然、一人で散歩している時に通りがかって、そのことを覚えていました。
「うん、メニューの写真が凄くおいしそうで覚えてたの」
「そうなんだ、あ、ちょっと行ってみる?」
私の言葉を聞いていた灯里ちゃんがそう提案します。
「うーん、アリシアさんとも一緒に行きたいけど……」
そう言って私はアリシアさんの予定を思い出します。うーん、そこまで一緒に行く余裕は無いかもしれない。
「じゃあ、私達で一回食べに行ってみましょうか。アリア社長もそれでいいですよね」
「ぷいにゅ!」
私の言葉にアリア社長は嬉しそうに尻尾を振りながら返事します。
「アリア社長も行ってみたいそうです」
「ふふ、甘い物好きだもんね。アリア社長」
「ぷい」
私達の言葉にアリア社長は前足を挙げて元気に返事をします。
「じゃあ、社長の了承も頂いたし、行きましょう!」
私はそう言うとオールに力を込めてゴンドラを加速させて、ネオ・ヴェネツィアの方に舵を向けました。
ここはネオ・ヴェネツィアの一角。サン・マルコ広場からちょっと離れた所に立っているパフェのお店。そこのオープンテラスに私達はいました。
「うわぁ」
「ぷいにゅ!」
「凄いですねー、アリア社長」
私の前に置かれた大きなパフェ、期間限定でイチゴをいつもより大幅に載せたピンクの特大パフェ。それを私達は思わず感嘆の声を漏らしながら眺めます。
まるまる一個乗っかっているイチゴと生クリームを一緒にほおばる。ほのかな酸味溢れるイチゴと生クリームの甘さが程よく混ざって……。
「ん、おいしい!」
「はひ! すっごく甘くて……思わず頬が落ちちゃいそう」
皆で顔を緩めながらパフェを食べていると思わずついつい夢中になっちゃいます。
「うーん、幸せ」
私は嬉しい声をあげながらスプーンでパフェをすくっていると、灯里ちゃんは私に目を向けている事に気が付きました。
「……? な、なに、灯里ちゃん」
「ううん。ことりちゃん、楽しそうで良かったって思ってただけ」
「? そ、そう?」
なんだか年下の灯里ちゃんにそう言われちゃうと気恥ずかしさみたいなのを感じちゃいます。
「うん、ことりちゃんこっちに来たの夏くらいだったのに、もう冬だもんね」
「そうだね、もう冬だね」
灯里ちゃんにそう言われ、素直に同意します。夏に
「だから、ちょっと不安だったの。ことりちゃん落ち込んでないかな、とか」
そう言うと「たはは」と灯里ちゃんは笑います。
「だから、ことりちゃんもちょっと落ち込んでないかなぁと思って。色々励まそうと思ったんだけどね」
「だから、今日『特別な練習』探してたの?」
灯里ちゃんが今日占いの結果を見てから色々探していたのになんか合点がいっちゃいました。どうやら私を励ましたくて二人で楽しくなるような練習を探していたみたい。
「はひ、占いの結果もあったし良い事あるかなって思ってね。ただ、今日もことりちゃんに励まされちゃった」
そう言うと灯里ちゃんは「たはは」なんて笑います。
それを見てパフェを食べるスプーンを止めます。灯里ちゃんの明るさにいつも助けられているのは私なのに。
「よし」
そう思ったら思わず声が出ていました。
「……ことりちゃん?」
私の声に灯里ちゃんは不思議そうに首を傾げます。
「灯里ちゃん、今からちょっと行きたい場所あるの」
「え?」
私の言葉に灯里ちゃんが目を開いてびっくりします。
「だから、ちょっと来て欲しいの」
「え? う、うん」
私の言葉に灯里ちゃんは戸惑いつつ首を縦に振ります。そして灯里ちゃんはアリア社長に目を向けます。
「ぷい?」
そんな私達をパフェを食べながら静観していたアリア社長は灯里ちゃんに不思議そうに首を横に傾げました。
パフェを食べきった後、私はゴンドラを漕いでネオ・ヴェネツィアの水路を進んでいきます。私が漕ぐゴンドラは徐々にネオ・ヴェネツィアの中心から徐々に離れていき、街外れにまで行きます。
「……ここは」
私が進む方向を見て、灯里ちゃんは何処へ向かっているのか気が付いたみたいで、小さく声を漏らしています。
「よっと」
私は前から来るゴンドラを避けます。昔はそんなに細かい操作出来なかったけど今ではこれくらいならお茶の子さいさいです。
「おぉー」
それを見て灯里ちゃんは思わず拍手をします。
「ことりちゃん、ゴンドラ本当に上手くなったね」
「うふふ、どう?」
「うん、ほんと。ここを上手く漕げるなら、もしかしたら、もう私と同じくらい上手いかも!」
灯里ちゃんのそんな言葉を聞いてなんだか嬉しくなります。いつもの練習だけじゃ中々実感が湧かないけどゆっくり成長出来てる。
「でも、私はまだまだだよ。あ」
そう言っていると、ゴンドラの前に壁に囲まれた滝……水上エレベーターが見えてきます。
「お、お客さんかい」
水路の横に椅子を置いて寛いでいるおじいさんが私に気付いて話しかけてきます。
「はい、上に行きたいんです」
「はいよ、ちょっと中で待ってな」
おじいさんがそう言うと水上エレベーターの後ろの壁が閉じられます。滝から流れる水は止まらず、壁にせき止められた水は行き場を失ってエレベーターの中に溜まっていきます。
「昔、ここに来た時とってもびっくりしちゃったな」
「そうだね、私もアリシアさんと初めて来た時同じようにびっくりしちゃった」
そう言うと私達は思わず笑いあっちゃいます。
水上エレベーターの水位はどんどん上がり、ゴンドラもそれに合わせて上へ上へと登っていきます。
そして、水上エレベーターが上がり切ると、下にいたおじいさんが先に上がっていて迎えてくれます。
「ありがとうございます」
「おう、帰る時は呼んでくれ」
おじいさんにお礼を言うと私はゴンドラを漕ぎ始めます。
水上エレベーターの先は冬だからか、前回来た時よりも茶色がかった野原が広がっていて、野原には沢山の風力発電の風車が立ち並んでいます。
空を見ると
そんな水路を私はゴンドラで漕いで進みます。
「灯里ちゃん、前ここに連れてきてくれたよね」
その途中、私は灯里ちゃんに声を掛けます。それを聞いた彼女は私に振り向くと笑って頷いくれます。
街灯の灯りが点灯しはじめ、灯里ちゃんの顔を黄色く照らします。
「あの時、色々悩んでいる私にここを教えてくれたの本当に嬉しかった」
私の言葉はゆっくりと星が見える空に融けて消えます。
「だから、私にとってもここは素敵な思い出の場所なの……ここが今日の特別じゃ、駄目かな?」
そう言って私が微笑むと灯里ちゃんも弾けるような笑みを返してくれました。
「はひ、もちろん! 今日はとっても本当に素敵な日です!」
そう言うと嬉しそうに目を輝かせる灯里ちゃん。その姿を見ると私も頑張ってここまで漕いできた甲斐があって、嬉しくなります。
「ぷいぷい!」
ふと、アリア社長がゴンドラの船尾に跳んできて、立ち上がります。そして、私の後ろの方を指さし始めました。
「どうしたんですか、アリア社長……わぁ!」
アリア社長の指の先を見た灯里ちゃんが声を上げます。それを聞いて私も振り返ると
「わぁ」
視界の先、箱庭みたいに小さく見えるネオ・ヴェネツィアの街は暗いアドリア海の中で輝いていました。
「はひ、本当に今日は特別で素敵な日でした! アリシアさんと来た時もすごかったのに、今日はもっと綺麗で、素敵な景色を見れたんです!」
灯里ちゃんのその歓喜混じりの明るい声。それを聞いて私も笑みを浮かべます。
――本当にここに来てよかった。
なんて思わずそう感じました。
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第44話
「……」
ARIAカンパニーのカウンターに座りながら、私は空を眺めます。ネオ・ヴェネツィアの冬の空は青く透き通っていて、そこに浮かぶ浮島もなんだか何時もよりも気持ちよさそう。
今日は灯里ちゃんもアリシアさんもいません。灯里ちゃん、アリア社長は日用品のお買い物。アリシアさんはゴンドラ協会に呼ばれています。
その為今日の私は一人でお留守番。とはいえ、お客様からの電話が来なければ私の仕事は無いので、こうやってのんびりとカウンターに座っています。
海へと視線を落とせば風力発電機が何台も一列に並んでゆっくりと大きな羽を回転させている。すっかり慣れ切ったネオ・ヴェネツィアの穏やかな一幕。それに釣られて私も静かに目を閉じて波の音を聞き続ける。
「……」
ふと、静かに音を聞いていると「ぎしっ」と音が聞こえてきました。位置は私の前……ARIAカンパニーの桟橋から。
一瞬誰か来たのかと思ったけれども、音の大きさからすると人というよりは、何か動物みたいな感じ? 海鳥か、それとも……
何気なくそう思って目を開く。すると
「……あ」
私の座るカウンターに1匹の黒猫が座っていました。艶のある、綺麗な黒い毛をした可愛らしい猫です。そして、その猫はジッと青い目で私を見つめてきます。
「……」
その綺麗で澄んだ、まるで海のような青い瞳……その目に私は見覚えがありました。
「あなた、前にもここに、私に会いに来た?」
私が黒猫にそう聞くと黒猫は黙ってカウンターから外へ飛び下ります。そして、少し桟橋からネオ・ヴェネツィアへ向けて歩くと、黒猫は私へ振り向きました。
私はカウンターから自然に立ち上がり、その猫を追っていました。黒猫は私の姿を見て桟橋を軽やかな足取りで走っていきます。
その姿は、まるでどこかへ連れて行きたいかのようで……。
ネオ・ヴェネツィアの道を走り、黒猫を追っていく。猫ちゃんは付かず離れずの所を走っている……何だかとっても見覚えがある。以前もこうやって黒猫を追ってネオ・ヴェネツィアを走っていた気がします。その記憶を思い出そうとすると少し朧げになる……なのに既視感だけはずっと私の頭の中に霧の様に満ちていて、何だか不思議な気分。
黒猫は突然、横道へと入っていった。私も躊躇なく黒猫を追うために入る。
横道は狭い路地で2つの建物の間の狭い道を走る。薄暗い路地では、黒猫の背中は時々漏れる日の光でしか見えない。けれども不安なく私は足で駆ける。
路地裏はどんどんと薄暗くなっていく。まだ昼間だというのに窓から漏れる光は何時の間にか人工の灯りへと置き換わり、建物の中から猫のシルエットが浮かび上がる。
シルエットは1つだけじゃない、2つ、3つと徐々に影は増えていく……そしてシルエットの中に1つ。とっても大きな猫の影が浮かび上がった。非常識な程大きなシルエットは大の大人よりも大きい……そのシルエットの相応大きな2つの眼と眼があった。そこに恐怖はありませんでした。だってなんだかそれは
私の行く先を見守るようで/見送るようで。
そう思った瞬間、視界が開けました。
私は何時の間にか小さな広場に立っていました。建物に囲まれ狭い2つの路地からしか繋がっていない、人気のない……皆に忘れられたかのようにポツンと空いた空間。水のない枯れた噴水だけが置かれたもの寂しい広場。
そして――。
「お姉ちゃん」
この広場の端に一人の女の子が立っていました。
「お姉ちゃん。久しぶり」
女の子は私をじっと見て声を掛けて来る。
この子には、以前も会ったことがありました。ヴォガ・ロンガの練習の時に出会った女の子。彼女はあの時と同じ黒いワンピースを着ていました。
『でも何時か決断しなくちゃいけないの』
そして彼女があの時言った言葉を思い出します。そう、あの時、彼女の言葉を全部理解できたわけではないけれど……彼女を見て私は何となく理解しました。
ここが彼女が言った決断の時だって。
「うん、久しぶり」
私がそう声を掛けると、女の子は目を細め嬉しそうに笑います。
「お姉ちゃん。うん、良かった……とっても素敵な顔してる」
そう言うと彼女は枯れた噴水の周りをクルクルと駆け出します。なんだか自分に楽しい出来事が起きたかのよう。
「……そんなに嬉しいの?」
「うん、だって今のお姉ちゃんならどっちに行っても素敵な道を歩めるって分かるもの!」
そう言うと女の子は噴水の縁を足場に勢いよく飛び、私の前に綺麗に着地します。黒いワンピースと相まってその姿軽やかな動きはしなやかな黒猫を思わせました。
……そう、黒猫。さっきまで追っていた、綺麗な青い目をしたあの猫の様。
彼女は私に当たってしまいそうな程顔を近づけたと思ったら、私の手を引きます。
「こっちこっち!」
「うわわ!」
そう言うと女の子は私を引っ張ると、枯れた噴水の傍まで誘導してきます。
私はあまり抵抗せず、彼女に従うとその縁に座り、私をじっと見てきます。
「……それで、私は何を決断したらいいのかな?」
私は女の子に尋ねました。私の頭の中ではもう何を言われるのか、大体分かっているというのに。
「うん、それはね。お姉ちゃんがここに残るか……それとも過去に、音ノ木坂に戻るか。その決断をしなくちゃいけないの」
……うん、やっぱりその通りだ。女の子は私が想像した通りの言葉を発した。
見当もつかない音ノ木坂への帰り道。それを彼女は知っている……一見信じられないような言葉。けれども、私の心はそれにストンと納得してしまった。
「そうなんだ……もう、時間は無いの?」
私はそう質問しました。それと一緒に私の頭の中に浮かぶのは皆の顔。灯里ちゃん、アリシアさん、アリア社長のARIAカンパニーの皆。アテナさんにアリスちゃん……オレンジぷらねっとの2人。晃さんに藍華ちゃん……姫屋の2人。
挨拶もせずに突然消えちゃうのは少し寂しい。けれども
「うん、ここが最後。ここから一度戻っちゃうともう、ここには来れない」
女の子はそんな私の考えを見透かしたように、言い切りました。
「急でごめんね? でも、ここが時間ギリギリなの。ここを過ぎるとお姉ちゃんは戻ることが出来なくなる。だから、お姉ちゃんに答えを聞きに来たの」
そう言うと女の子は笑みを消してジッと私を見つめてきます。彼女の青い大きな丸い目は私の答えを待つように静かに見つめてきます。
その真剣な眼差しで、どうやら彼女の言葉に全部嘘は無さそうです。
そしてそれと一緒に以前、女の子が言った「ずっと落ち込んでたから心配だったんだ」の一言を思い出しました。多分、ここに私が来た理由はそんなお節介。純粋な心配だけだということがよく分かりました。
「そうなんだ……うん、ありがとうね」
思わずそう呟くと同時に私の手は女の子の頭に触れちゃいました。
「うわっ!」
女の子は驚いた声を上げる、けれども抵抗はせず、不思議そうに私の手を見上げます。
「あなたに心配させちゃったんだね。私」
そう言って女の子の頭を撫でます。彼女はそれを気持ちよさそうに目を細めながら甘受してくれます。
「うん、あなたのおかげで私のやりたいことが見えたよ」
「うん、それは何?」
私の言葉に女の子は嬉しそうな声を上げて、私の顔を見つめてきます。二つの眼はキラキラなんて言葉が似合うくらい輝いて、私の返答を待っていました。
私はその二つの眼をまっすぐに見つめ返して、口を開きました。
「私はね――」
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第45話
「私はね、音ノ木坂に戻りたいの。帰り道を教えてくれるかな?」
私は女の子にそう告げました。
「帰るの?」
「うん」
女の子は不思議そうに首を傾げます。私はそれに躊躇なく首を縦に振りました。
「そうなんだ、分かった」
女の子は私に大したことない様に返事して私の手から離れます。そして私がやってきたのとは別の小道の方へと歩き出し、入口のところで立ち止まりました。
「こっちだよ。お姉ちゃん」
女の子は黒い長髪をなびかせながら私へと向き直ると、小さな手で手招きをしてきます。
その仕草はなんだか可愛らしくて微笑ましくなりながら、私は女の子へ近づき、小道の前で並びました。
「この道?」
女の子の横に立ちながら私は尋ねます。その道は一見するとネオ・ヴェネツィアではよく見かける横道にしか見えませんでした。建物と建物の間に挟まれた薄暗い道。それだけなら通ってきた道を大差はありません。本当にここが音ノ木坂に通じているのかな?
「うん、この道を通るの……でも、本当に良いの?」
女の子はそう呟きました。
「なにが?」
「だって、もう戻れなくなるんだよ? ここに」
「うん、でもね」
私は女の子の目線に合わせ、笑みを向けます。
「私はあっちでやらなくちゃいけない事が沢山あるの」
「やりたいこと?」
「うん」
女の子の疑問の声に私は間髪入れずに答えます。
「私ね、夢があるの」
「夢?」
「そう、夢」
女の子の言葉を聞きながら私は目を閉じます。瞼に浮かぶのは3人の姿。ずっと夢に向かっている皆の姿。
瞼の中の彼女たちが私へ振り替える。いつも私を支えて、見守ってくれた皆。その姿、顔を思い出し、なんだか泣きたくなりながら私は瞼を開ける。
「ネオ・ヴェネツィアで頑張る皆の姿を見たの。水先案内人って仕事は憶えることもたくさんあるし、
夢に向かって真っすぐに進んで、けれども時には悩んで迷って、立ち止まっちゃったりして、自分にはふさわしく無いんじゃないかってうずくまりそうになる姿も見た。
けれども3人共夢に向き合って、頑張ってた。
「だから、私も頑張って自分の夢と向き合おうと決めたの」
「ふうん、そうなんだ……なんだか素敵だね」
女の子は私の言葉を聞くと嬉しそうに笑った後、道の方を小さな手を上げて指さしました。
「じゃあ、お姉ちゃん。ここで私とはお別れ。この道を真っ直ぐに進んでね」
女の子の言葉を聞きながら私は道を見ます。まだ昼間だというのにこの小さな道は薄暗く、奥の方は真っ暗で何も見えません。
「なんか、不気味だね」
「ん? そう?」
女の子は道の暗さなど、大して気にしないみたいで私の言葉に首を傾げていました。
「お姉ちゃん怖いの? 大丈夫、特に迷うところもないし、危険なところもないよ。でも」
「でも?」
「一度行ったら、途中で戻ってきちゃ駄目だよ」
女の子のその言葉は閑静な広場にはよく響いた。
「道は一方通行なの」
女の子はそう付け足す……つまり。
「ここに足を踏み入れたら、もう戻れないんだね」
私が道を見ながら呟くと女の子は小さく首を縦に振った。
私はゆっくりと一度目を閉じます。そして深呼吸を一つ。冬の冷たい空気が肺に入ってきます。
真っ暗な視界、その中にふと見えたのは八人……私の大切な人たちの背中。
……うん、行かなくちゃ。
その背中を夢見た瞬間、私は覚悟を決めました。私も皆みたいに、夢を追うと決めたのだから。
「ありがとうね」
私は目を開いてそう呟いた。女の子は一瞬驚いた後、笑みを浮かべます。
「行ってらっしゃい。お姉ちゃん!」
女の子からかけられた暖かい挨拶の言葉。それを受けながら足を前へ……小道へと進めます。
私が真っ直ぐに道を歩み始めた時、背後から小さな鈴の音が1つ。私の耳に聞こえてきました。
建物に挟まれた小道をゆっくりと歩む。道に吹く風はとっても寒くて私の吐く空気は白く、空へとすぐ融けていく……元々、今日は冬のこともあってとっても寒い。更にずっと日陰の小道を歩いているせいで体はどんどん冷えてしまっていた。
けれども私は歩くスピードを下げない。女の子に言われたとおりにまっすぐ前を向いて歩く。小道はやっぱりとても暗い。太陽も当たらなくて、ほんの少し先も目を凝らさないとよく見えない位に闇が広がっている。
それでも私は足を止めない……後ろ髪を引かれる思いはずっとしている。
……以前、広場に迷い込んだ時の事を思い出す。私がいなくなったことで、夜まで灯里ちゃんを不安がらせてしまった。そのことを思い出して私は白い息をまた吐きだす。
また皆を困らせちゃうな。けれど、私は夢を追う為に進まなくちゃいけない。
「でも、皆に伝えたいな」
思わずそう一人心地る。……あの女の子に手紙でも何でも渡せばよかったのかもしれない。けれどももう遅いか。後ろは見ていないけれど、もうさっきまでいた広場は影も形も見えないのだろう。戻ったら駄目だって女の子も言っていたし……彼女に会う手段はもうない。
「……でも」
灯里ちゃん達に会うってのも充分奇跡だったもの。灯里ちゃん達に私が帰ったことを伝える方法位、いくらでもある筈。
「……うん、帰ったら頑張ることは幾らでもあるね」
私がそう呟く。いつの間にか小道は行き止まりに来ていた。私の前には1つの扉。どこにでもあるような普通の扉。けれど、私にはずっと見覚えがあって……懐かしい扉。ありきたりな扉だけど、私にはすぐ見分けがついた。
「……私の部屋のだ」
私の自室の扉。物心付いてからずっと、毎日のように見てきた扉。それがネオ・ヴェネツィアの建物の裏口に付いている。
なんだか……とってもアンバランス。夢みたいにふわふわな景色で見るような奇妙な感覚。けれど、それでもここが私の帰るべき場所だという確信がありました。
「ふぅー……」
扉の前で深呼吸を一つ。そして目を開いてドアノブを掴みました。そしてドアノブを捻る。どこか手に馴染む感覚に懐かしさを覚えながら私は扉を開けました。
「……ただいま!」
……ふと、目を覚ました。カチカチと時計の音が聞こえる。ゆっくりと顔を上げる。
そこには今まで通りの/どこか懐かしい自分のお部屋。何気なく時計を眺める。時刻は午後9時頃。カーテンが中途半端に開いていて、隙間から真っ暗な空が広がっている。
そうだ、今日は部活とかあってすぐに寝ちゃったんだっけ……いや、もっと色々あって随分遠くに行っていた気もする。
なんだか、2つの思い出が混ざっているような不思議な感覚。
「……カーテン閉めないと」
私はぼんやりと考えながら立ち上がる。カーテンを閉めるついでに外を眺める。至って普通の音ノ木坂の夜景。
外に点々と光る明かりたちを眺める。毎日見慣れている景色の筈なのに……どこか懐かしい感じ。
「……ん?」
ふと、違和感を覚えた。何だか、着ている服が違う気がする。何がどう違うのかはよく分からないけれど、寝る前にこんな服を着ていた筈は無いような……。そう思っていたらガラスに映った私の格好が目に入った。
青い線の入った白いロングスカートを着ている。うん、いつも着ているARIAカンパニーの制服……間違って制服のまま寝入っちゃったのかな?
「……あれ、灯里ちゃん?」
思わずそう呟いた。それに対する返答は勿論ない。私の部屋にいるのは私1人だけ。それを良く知っているはずなのに、ここ最近ずっと一緒にいた彼女の姿を一瞬探してしまった。
「そうだ……私は帰ってきたんだ」
口からぽつりと声が漏れた。その瞬間、思い出すのは灯里ちゃんの笑顔。それがもう見られないことの寂しさがいっぺんにやって来る。
その実感が湧いてくると何だか不思議な感情に満たされる。嬉しさと寂しさみたいなのが混じっているような気持ち。それを感じて私は思わず部屋でぼうっと立ち尽くす。
ヴーヴーっと振動する音が聞こえた。
私が音の方へ向くと、机の上に置かれた私のスマホが振動して何かを伝えていた。
私はゆっくりと近づいてスマホを見ると、画面には電話を伝えるメッセージが出ていて、電話の画面には『穂乃果ちゃん』の文字。
それを見て直ぐに電話を取った。
『あ、もしもしことりちゃん。ちょっと遅いけど、今時間大丈夫?』
私のスマホから流れる声。それに私の動きは止まってしまう。
『あれ? 声聞こえてることりちゃん? もしもし? もしもーし』
スマホから聞こえる明るい声は立ち尽くしてしまっている私に対して声を掛け続けている。
その声はとても懐かしく感じられた。とてもとっても大切な、明るくていつもまっすぐな……大好きな友達の声。
「穂乃果ちゃん……?」
その声を聞いて私の思わず声を上ずらせながら、返してしまう。
『え!? こ、ことりちゃん? ど、どうしたの!?』
電話の声は私の声で異変を感じて、分かり易くうろたえ始める。その彼女の明るく懐かしい様子に私の目から涙が漏れる。
「ご、ごめんね。穂乃果ちゃんの声聞いたらなんだか、涙が出てきちゃって……」
『え、えぇ!? どうしたの? ことりちゃん、な、なんか嫌なことあったの!?』
「ううん、全然。穂乃果ちゃんの声が聞けてとっても嬉しかったの」
『え、えぇ、そんなに嬉しかったの? 別に今日も会ったし、大げさだよ。ことりちゃん』
「うん、そうだよね……うん」
『もー、変なの。ことりちゃん、それでね――』
スマホから聞こえる穂乃果ちゃんの明るく楽しそうな声。その声を聞いているととても嬉しいのに、涙は溢れてしまいます。
本当に、戻ってこれたんだって私の心にその暖かな実感が染み渡る。
「ねぇ、穂乃果ちゃん」
『うん、どうしたの?』
「穂乃果ちゃん、声を聞かせてくれてありがとう」
『え? もうだから大げさだよ……じゃあ、ことりちゃん。また明日ね』
「うん、穂乃果ちゃん。また明日」
私がそう呟くと電話を切られました。
「また明日……」
穂乃果ちゃんの言葉を噛みしめるように呟きます。……また明日、明日になったら穂乃果ちゃんに会える。
そう思うと部屋で1人なのに嬉しくなって微笑んじゃいます。
「にゃあ」
「……?」
ふと、どこかで猫の声が聞こえた気がしました。部屋を見渡してみるけれど、もちろん部屋には私だけ。
だけれどもその鳴き声はしっかりと私の耳に残りました。
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第46話
「穂乃果ちゃん、海未ちゃん。おはよう」
「あ、ことりちゃん! おはよう」
「ことり、おはようございます」
ネオ・ヴェネツィアから帰ってきた次の日の朝、私が待ち合わせ場所に行くといつものように2人が待っていました。
穂乃果ちゃんと海未ちゃん……いつも一緒にいた2人。とっても懐かしい2人。
「夜はごめんねー突然電話しちゃって」
「ううん、大丈夫だよ」
「穂乃果? 何の話ですか?」
「え、いや、ちょっとことりちゃんに相談したいことがあって夜に電話したの」
「あまり夜中に電話するのは感心しませんね。穂乃果」
「えぇ、ま、まぁそうなんだけど。ちょっとすぐに相談したかったんだよぉ」
海未ちゃんの言葉を聞いて分かり易くうろたえる穂乃果ちゃん。そんな2人を見て私は微笑みます。
「でも、そんなに遅くまで電話してたわけじゃないから。ね、海未ちゃん」
「そうなのですか? まあ、それなら良いのですが」
「うんうん、そうだよ。それにとっても一大事だったんだから……よおし、学園祭に向けて、今日も練習だよ!」
「そうですね。学園祭が上手くいけばラブライブ!への出場も夢じゃありません……ですが、ちゃんと勉強もしなくちゃいけませんよ。穂乃果。今日の日本史の宿題はやってきましたか?」
「う……あ!」
「穂乃果?」
私は2人の会話を聞きながら、今の状況を色々思い出します。
音ノ木坂学院はそろそろ学園祭。「μ’s」の私達もライブをするために猛練習をしている。
でも、私は少し悩んでいることがあって……。
「……? ことり?」
「ん、なに? 海未ちゃん」
「いえ、少し考え事をしていたみたいなので」
「ううん、ちょっと少しね……」
私がネオ・ヴェネツィアにいて忘れていた今の近況を思い出していたら海未ちゃんに不安そうな顔をされます。けれども流石に「未来のネオ・ヴェネツィアという街で数か月過ごしていた」っていきなり説明されても信じてもらえなさそう……というか流石に色々心配されそうなので黙っています。
「あ、お、おはようございます!」
「おはようにゃあ!」
そんな風に3人で話していると、後ろから2人の声が聞こえてきます。振り向くとそこには1年生の花陽ちゃんと凛ちゃんが歩いていました。
「おはよう、花陽ちゃん、凛ちゃん」
「何の話してたにゃ?」
凛ちゃんが不思議そうに首を傾げながら私達に目を向けます。
「学園祭の話。皆で頑張らなくちゃね」
「もっちろん、頑張るにゃ!」
「は、はい!」
元気に言葉を返す、凛ちゃんと花陽ちゃん。元気いっぱいで運動神経抜群の凛ちゃんと優しくてスクールアイドルに詳しい花陽ちゃん。彼女たちを見ていると私は何だか胸の中にジーンとするような感覚が湧いてきます。
「ぴゃ!? ことりちゃん?」
「にゃ!? ど、どうしたの?」
思わず私は2人に抱き着いちゃいました。ビックリして大きな声をあげちゃう花陽ちゃんと困惑した声を上げる凛ちゃん。私の突然の行動に驚かせちゃったけど気にせずギュッと抱きしめます。
「ど、どうしたのことりちゃん?」
「ふふ、なんだか2人に会えて嬉しいの。しばらくこうしてていい?」
「は、恥ずかしいにゃあ」
「こ、ことり。ここはその、人目もあるので程ほどに……」
海未ちゃんに窘められたので私は少し名残惜しくも2人から離れます。顔を真っ赤にしてる花陽ちゃんと凛ちゃん。ふふ、なんだか可愛い。
「……?」
そんな私の様子を海未ちゃんは不思議そうな顔をして見ていました。
「お昼だー!」
午前の授業が終わり、お昼の時間がやってきた。チャイムが鳴って、先生が去った途端、穂乃果ちゃんが元気な声を上げます。
「海未ちゃん、ことりちゃん。部室行こ、部室」
「はい、ことりも一緒に……ことり?」
「え? ああ、うん」
海未ちゃんに声を掛けられ、私はぼうっとしていた意識を戻します……本来は何時も通りの学校の授業なんだけど、私の感覚としては数か月ぶり。ARIAカンパニーにいた頃はアリシアさんのお仕事のお手伝いや、灯里ちゃんと
「ことりちゃん、お疲れ?」
「あ、うん。ちょっとね」
「ことり、何か大変な作業があるなら、言ってくださいね。私も出来る限り手伝いますから」
「ううん、大丈夫、大丈夫。先部室行ってて! 色々片付けてから私も行くから」
「え、うん。分かった。じゃ、海未ちゃん行こー!」
「……はい」
穂乃果ちゃんと海未ちゃんは私をチラッと見た後、教室を出ていきました。私は2人を手を振って見送った後、ちょっと教室の天井を見上げます。
ネオ・ヴェネツィアの生活に慣れたせいか、なんだか酔ったみたいに頭がふわふわする。
……昔の生活に戻っただけなのに、なんだか忙しない感じ。
「こんにちは、あれ、1人だけ?」
「あれ、珍しいやん」
「絵里ちゃん、希ちゃん」
懐かしい声がまた聞こえた。横を見ると教室の入り口に2人の姿があった。音ノ木坂の生徒会長と副会長。それに「μ’s」のメンバーの2人。絵里ちゃんと希ちゃんの姿がありました。
「穂乃果ちゃんと海未ちゃんは部室に行きましたよ」
「そうなん? じゃあ、ことりちゃんは何をしてるん?」
私が1人でいるのを不思議がった希ちゃんが尋ねてきます。
「うーん、ちょっと休憩?」
「休憩? 体調でも悪いの?」
「ううん、そう言う訳じゃないんだけど」
絵里ちゃんの不安げな声に首を横に振る。ちょっとくらくらするだけで体調はとりたてて悪い訳では無い。
ただくらくらの原因をちょっと説明しづらいから困っちゃうんだけど……。
「絵里ちゃん達は穂乃果ちゃんに何か用?」
「ええ、学園祭の事で言っておきたいことがあったから穂乃果に先に言っておこうと思ったのだけど……そうね、部室に行くわ」
「2人も今日のお昼は部室?」
「そうしたいんやけど、ちょっと生徒会に用があってな」
2人は「μ’s」のメンバーでもありますが、生徒会のお仕事があります。学園祭ともなればそのお仕事は沢山。2人共とても忙しそうにしていたのを覚えています。
「……やっぱり、ことりちょっと体調悪そうね」
絵里ちゃんはそう言うと私に近づいてきて右手を私の額にくっつけます。
「ひゃ!」
「……熱は無いみたいね。食欲とかはある?」
「だ、大丈夫。元気だよ」
「本当に? あまり無茶はしないでね」
不安そうに色々尋ねる絵里ちゃんに世話焼きっぷりに私は思わず微笑みながら言葉を返す。
「な、なに? ことり」
「絵里ちゃん、なんだかお姉ちゃんみたい」
「な……もう、変な事言わないの」
「確かにな、えりちのお節介は皆のお姉ちゃんみたいやね」
「希も変な事言わないの!」
希ちゃんにからかわれ、絵里ちゃんは私から手を離すと腰に手を当ててちょっと怒ったような仕草をする。絵里ちゃんには亜里沙ちゃんって妹がいるけれど、本当「μ’s」の皆を心配するお姉ちゃんって感じ。
「でも、ことりちゃん。実際何か悩みとかあるん? 昨日もちょっと悩んでたみたいやし」
「え?」
絵里ちゃんをからかって笑う希ちゃんとそれにちょっと呆れたようなに笑う2人の姿をなんだか微笑ましく見ていると希ちゃんからそう告げられます。
昨日……体感的には数か月前だけど、私にはネオ・ヴェネツィアに行く前に悩んでいることがありました。それはちょっと前に届いた服飾の勉強の為の留学のお誘い。
「μ’s」で皆と一緒に頑張るか、それとも自分の夢を目指すか……どちらも決めかねて悩んでいました。
でも……。
「うん、悩み事はちょっとあったけど、大丈夫」
「ほんま? えりちじゃないけど、相談に乗るで?」
「うん、希ちゃん。本当に大丈夫だよ」
「そうなの?」
「うん、絵里ちゃん。心配してくれてありがとう」
私がそう言うと、絵里ちゃんと希ちゃんは一瞬2人で目を合わせると。少し不安げながら頷く。
「でもことり、無理だけはしないでね」
最後に絵里ちゃんはそう呟くと、教室を出ていきました。
「A-RISEはもちろんのことだけど、他のチームもすごいわね」
「当然でしょ。スクールアイドルの頂点を目指そうとしているんだもの。皆歌も踊りもじょずだし、動画の撮り方も凝ってる。昨日見たこのチームはなんて見て! このパフォーマンス!」
「流石ね。自分たちが競う相手じゃなければファンになりたいくらい」
「真姫、怖じ気いちゃった?」
「そ、そんなわけないでしょ」
「でも本当にすごいにゃあ」
スクールアイドル研究会の部室の扉に近づくと中から沢山の賑やかな声が聞こえてきました。
「ごめんね。ちょっと遅くなって」
私が扉を開けて入ると部室には穂乃果ちゃんに海未ちゃん、花陽ちゃんに凛ちゃんの朝に会った4人。それとツインテールの女の子と赤みがかった髪と吊り目が特徴的な女の子が椅子に座っていました。皆テーブルに各々の昼食を開いてお昼をしています。
「あ、ことり。ちょうど良かった。ちょっと曲の方1回確認してもらえない? 前聞いてもらった時と大して曲調は変えてないけど、衣装のイメージと合ってるか一応ね」
「え? うん。分かった。真姫ちゃん」
吊り目の女の子……真姫ちゃんに言われ私は半ば無意識に頷く。μ’sのライブ使う曲、衣装は全て私達で自作している。その中でもライブで使う楽曲の作曲を担当しているのが真姫ちゃん。
「うん、じゃあ1回聞かせてもらって良いかな?」
「ええ、お願い」
真姫ちゃんから音楽プレーヤーを受け取り、音楽を聴きはじめる。耳に入っている曲に耳を凝らす。今までの曲よりもアップテンポで明るい感じの曲……たしか「ラブライブ!の予選でも使うから凄く盛り上がれるような曲に」って穂乃果ちゃんの意見が取り入れられたんだっけ。
「……ことり、何か不満あった?」
「え? なんで、すっごくいい曲だよ?」
私が曲を聞いていると真姫ちゃんがそう聞いてきた。心なしかいつもよりも眉がちょっと下に下がっている。
「本当にそう思ってる? 何か難しい顔をしてるから」
「え、あ、ごめん。ちょっと色々思い出しながら聞いてたから」
「思い出してた?」
「え、あー、うん。色々と」
真姫ちゃんは首を傾げたのを見て私は慌てて訂正をします。……正直ネオ・ヴェネツィアでのブランクがあるから若干曲とかの記憶がおぼろげだったなんて皆に言えない。
「もう、真姫もことりも不安がりすぎなのよ。私くらいどーんとしてなさいよ!」
私がちょっと何て言おうか困っているとツインテールの女の子……にこちゃんが口元に笑みを浮かべて私と真姫ちゃんの会話に入って来ました。
「にこちゃんは何にも考えてないだけでしょ」
「なによお!」
そこにすかさず真姫ちゃんが言葉を返して、にこちゃんが怒ったような声をあげる。一見すると喧嘩みたいだけど、「μ’s」の中では日常茶飯事。猫のじゃれ合いみたいな見慣れた光景です。
「真姫ちゃん。私としては良いと思う。衣装は確か、まだだよね」
「……? たしかそうでしょ。というか衣装担当はことりなんだから私が分かるわけないじゃない」
「そ、そうだよね。ごめん」
「……疲れてるの?」
「ん、んん……そうかも」
実のところ数か月の間隔が空いてるから色々思い出すのに苦労してるだけなんだけど、真姫ちゃんは私の様子を不安げに見つめてきます。
「最近の練習大変だものね」
「あはは……私は大丈夫だよ。真姫ちゃん、心配してくれてありがとう」
「べ、別に感謝されるほどのことはしてないわよ」
そう言うと手を組んでそっぽ向く真姫ちゃん。でもそんな言葉とは裏腹に顔は赤くて、なんだか可愛くて微笑ましく感じちゃいます。
「ま、学園祭がラブライブ!出場できるかできないかを決める大一番だもの。皆気合入れていくわよ!」
「……」
「ってなんで誰も返事しないのよ!」
「突然にこちゃんが仕切るからにゃあ」
「一応にこが部長なんだけど!」
「威厳が無いのよ」
「うるさい!」
にこちゃんが凛ちゃんと真姫ちゃんにいじられて大きな声を上げます。とはいえこんなやり取りも日常茶飯事。にこちゃんは3年生で普段はちょっとふざけているように見えるけれどスクールアイドルに対する情熱は本物で締める時はしっかりと締めてくれる頼れる先輩です。
「でも、にこちゃんの言う通り頑張らないとね。皆、ファイトだよ!」
「穂乃果、パンを食べながら喋らないでください」
「は、はーい……」
最後に穂乃果ちゃんが意気揚々と宣言……したけど、海未ちゃんに注意されていそいそと座っていました。
「はぁ、疲れたぁ」
夜、部活動を終えた帰路。私は夜空を見上げながら思わず一人心地る。
久しぶりの学校、今までは当たり前だったのに、久しぶりにずっと学校に通うとなんだか気疲れしてしまいました。
でも、ただ疲れてるだけじゃない……、久しぶりに皆の顔を見れてまるで遊園地に行った後みたいな夢見心地な気持ちになってます。
「……ほんと、前まではこれが当たり前だったのにね」
そんな当たり前が今は少し愛おしい。
「やっぱり、私は……」
一瞬口にしようとして口を噤む。そして少し目を閉じる。思い浮かぶのは青い海が広がる
「やっぱり、私は頑張るよ。「μ’s」の皆と見た目標へ……ラブライブ!へ向けて」
夜空を見上げながら呟く。音ノ木坂の夜空は明るい街の灯りに阻まれてよく見えないけれど、その先にある
「だから、ありがとう」
私はお別れの挨拶を1つ呟いた。
多分もう会えない。遠い遠い……水の星にいる皆に向けて。
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第47話
「……」
すっかりネオ・ヴェネツィアは冬真っ盛り。そんな寒空の中私はマフラーなどをせずにただ座っている。
……ただ、私の大切な友達を待つために。
私の友達。ことりちゃんは突然私達の前からいなくなった。誰にもお別れを言わず、まるで吹き抜ける風の様に、最初からいなかったかのように……。
ことりちゃんの姿がいなくなった日。私とアリシアさん。それに皆と一緒にネオ・ヴェネツィア中を探し回った。
けれどもことりちゃんは何処にもいなかった。
「灯里―!」
ふと、誰かに呼ばれ、テラスから下を見る。そこには藍華ちゃんとアリスちゃんの2人の姿がありました。
「何やってるのよ!」
「藍華先輩。あまり強く言うのは……」
藍華ちゃんは窘めているアリスちゃんの言葉を無視して藍華ちゃんは上を向いて不機嫌そうに口をへの字にしています。
「分かってるわよ。ことりがいなくなって落ち込む気持ちもよく分かる……けど、流石にずっと落ち込みすぎ!」
藍華ちゃんが不満を露わにそう声を出した。
藍華ちゃんの態度の理由は分かっている。ことりちゃんがいなくなってからもう2週間。私はその間ことりちゃんの事であまり練習に身が入らなかったから、ことりちゃんを探す事にずっと注力していた。
……藍華ちゃんもアリスちゃんもそんな私に暫くは付き添ってくれたが、流石にずっと練習してないことに藍華ちゃんは不満が溜まっているみたいだ。
「藍華ちゃん、ごめんね。ちょっと、あまりやる気が出なくて」
「それは分かってるって……ただ、いつまでも落ち込んでいたってしょうがないでしょう。元々どうやって来たのか分からなかったんだし、いきなり帰るってこともあるわよ……ことりだって帰れる時間が自分で分かっていたなら挨拶してくれたでしょうしね」
そう藍華ちゃんは悲しそうに呟く。彼女も私と同じようにことりちゃんがいなくなったことを気に病んでいる。でも、彼女はその気分を私よりも早く持ち直した……いや、私も藍華ちゃんの言っている事はよく分かっているのに、向き直れないだけ。
「それは……分かってるんだけど」
「……ごめん、灯里。ちょっと言い過ぎたかも。でもちゃんと練習には出てきなさいよ」
そう言うと藍華ちゃんはくるりと身をひるがえします。アリスちゃんは藍華ちゃんと私を交互に見た後、私に困ったような眉をしながら向きます。
「灯里先輩、藍華先輩も別に怒っている訳ではないんです」
「うん、アリスちゃん大丈夫。藍華ちゃんが私を心配して言っているのは分かってるから」
藍華ちゃんはことりちゃんを探すとき、とても真剣に探していたのはよく知っている。藍華ちゃんもことりちゃんがいなくなってとても傷ついていた。
それでも彼女は頑張って前を向いた。
私は小さく白い息を漏らしながら机に置いたノートパソコンに触れる。
けれども、私はまだ向き直れずにいる。
「ことりちゃん、どこいっちゃったんだろう……」
ノートパソコンを触りながら呟く。
本当に、どこへ行ってしまったのだろう。
私はそんなことを考えながらパソコンを触る。
「……そういえば」
ふと、昔ことりちゃんから聞いた言葉を思い出した。ことりちゃんと世間話をしている時に聞いた単語に過ぎない。けれどもふとその単語をパソコンの検索エンジンに入力する。
「『スクールアイドル』」
その言葉を調べるとぶわっと情報が溢れる。それを見て驚いた……確か、前にことりちゃんの言っている事を調べた時はそんなにヒットしなかったはず。
「スクールアイドルとは、2000年代前半に日本を中心として流行した女子高校生によるアイドル……」
サイトを眺めて概要を見る。大体ことりちゃんから聞かされたとおりの内容が書かれていてたくさんの写真が一緒に貼られています。女の子たちが色とりどりの衣装を着て笑顔で踊る女の子。その楽し気な様子に私も思わず笑みを浮かべちゃいます。
そしてサイトを眺めているとある一か所に目が留まりました。
「μ’s」
それはスクールアイドルの1つ。9人の女の子で構成されているグループ。その1人に私は見覚えがありました。
「ことりちゃん……」
9人の中で笑顔を浮かべて踊る女の子。ついこの前まで一緒にいた……間違えるはずがない女の子……ことりちゃんが写真の中にいました。
「……『μ’sはラブライブ!に優勝後、アメリカニューヨークでライブを行いスクールアイドルの知名度向上に貢献』」
私はずっとスクールアイドルに……μ’sについて調べ続けていた。タイムズスクエアで和風な感じの衣装を着て踊ることりちゃん。日本の大きな街の中で踊ることりちゃん。
調べれば調べる程、たくさんの知らないことりちゃんが出てきた。
そして最後に
「『その後、μ’sのメンバーの1人南ことりはヨーロッパへと留学。その後イタリアを拠点にデザイナーとして活躍。デザイナー以外の活躍としてはヴェネツィアなどの文化財保全活動に参加』」
その1文と共に私に会った頃よりも大人になったことりちゃんが笑っていた。
「ことりちゃん」
その姿を見た途端、私は思わず涙ぐんでしまった。
……ことりちゃんは過去に戻っていた。そして彼女は笑って過ごしていた。
「……よかった」
目から涙が溢れる。本当に良かった。そう心から思えた。
「藍華ちゃん! アリスちゃん!」
「うわっ! びっくりした!」
サン・マルコ広場の桟橋で休憩している2人の元に私は声を掛けながら近づく。
「どうしたんですか、灯里先輩」
「その、午後から練習、付き合ってくれないかな?」
ちょっと急いで来たせいで息絶え絶えで呟くと、2人はお互いに顔を向けます。
「いきなり、どうしたのよ。灯里」
「そうですよ別に急がなくても……」
「でも……私練習したいの」
そう呟くと2人はもう1度顔を合わせる。そして笑顔を浮かべた。
「よし、後輩ちゃん、今日時間あるよね」
「はい、今日は特に予定は入っていません」
「じゃあ、午後練やりましょうか! 灯里、久々だからって手は抜かないでビシバシいくから。覚悟しときなさいよ!」
「はひ、もちろん!」
そう言うと3人でゴンドラに乗り込む。私はオールを手に取ると後ろに立つ。
「水無灯里、行きます!」
そう言うとオールを動かしゴンドラで漕ぎ始める。白い息を吐きながらも真っ直ぐに前を見て青い
「灯里先輩、元気になったみたいですね」
「本当ね、さっきはあんなに落ち込んでいたのに」
「はひ……だってちゃんと私達にメッセージを残していたんです。ことりちゃんはそれがここまで届いてくれるって信じて、昔の
「……灯里、言っている意味がよく分からないんだけど」
「だから、私達も頑張って夢をかなえて、ことりちゃんに伝えるんです。『私達も夢をかなえたんだよ』って」
「いや、だから色々詳しく……まあいいや、最後の言葉には同意するわ。灯里、夢をかなえる為に頑張るわよ!」
「はひ!」
「でっかい同意です」
私は一際強くオールを握り、力を込めてゴンドラを漕ぎ進める。
多分もう会えない。とっても大切な友達に感謝をしながら。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
『水の都とことり』はこれでいったん完結とさせていただきます。
この後は番外編として数話程「もしも」のお話を投稿する予定です。
完結までお付き合いいただきありがとうございました。
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番外編 その もしもの未来のお話は…
番外編第1話
お話としては「第44話」の後、「第45話IF」になります。
「私は……私は」
「私は?」
私の言葉に黒い女の子は首を傾げながら尋ねます。その女の子に私は言葉を続けようとして、それがつっかえてしまいました。
……言わなくちゃ「音ノ木坂に帰る」って。それが正しくて私も皆と頑張りたい……そう思っている筈なのに、私の口はまるで凍ってしまったかのように言葉を紡がない。
「……?」
女の子は黙って私を見つめ続ける。口元に微かな微笑みを残して、じっと私の言葉を待っている。
私は……帰りたい。帰りたいはず。そう思っているのに私の心はそれを嘘だと伝えるように動けない。
『ことりちゃん!』
そんな私の心の中に響いた言葉はいつも前を向く少女の声。大切な友達の呼ぶ声に思わず振り向く。
私が来た暗い道の中に灯里ちゃんの姿……そして皆を空目した。
そう空目……ただの幻か、見間違い。だけれどもその姿を見た時私の心はストンと落ちた……落ちてしまった。
「私は、ここに残りたい」
私の口から零れた言葉は先ほど言おうとしていたものとは真逆のもの。音ノ木坂に帰りたいと思っていた心は何時の間にかひっそりと氷のように沈み、消えていく。
おそらくこれが本音だったのだ。私は望郷の念よりもネオ・ヴェネツィアと灯里ちゃん達との生活を手に取ってしまった。
その事にちょっと驚きこそすれ自身の行動に納得してしまった。
私はここでの生活をとても気に入っていて……。
この夢から覚めたくなくなってしまったのだ。
「……お姉ちゃん。本当に?」
女の子は私のその言葉をしっかりと聞いてどこか嬉しそうに尋ねる。
「うん、私はネオ・ヴェネツィアに、ARIAカンパニーに残りたいの」
「うん!」
女の子は笑いかける。その返答が嬉しいかのように踊るようなステップを刻む。彼女はフラフラとスカートが花弁の様に舞い上がらせながら一方の道――私がやってきた道の前に移動する。
「じゃあ、お姉ちゃんはこっちね。来た道をそのまま戻ったら今まで通りの所に帰れるわ……けれど、一度行ったら、途中で戻ってきちゃ駄目だよ」
女の子はそう言うとまるで招待でもするみたいに手を挙げて帰り道を指し示した。
「途中で戻ってきたら駄目?」
「うん、何処にも行けなくなっちゃうから」
女の子にサラリと怖い事言われた気がしたけど、気にしないでおく。
だってもう、私は道を決めたのだから。
女の子の方へとついて行き。私は道の前に立つ。一度頭の中に思い浮かぶ皆の顔。それに少し心の中に棘となってチクチクと痛む。大切な皆。それに背を向けようとしている。それは、留学に悩んでいた頃と何も変わらないのかもしれない。だからこれはあの選択をここでするだけ。
「……だから、私は決断しなくちゃ」
少し頭を振って永遠の別れを覚悟する。それでも穂乃果ちゃん、海未ちゃん……皆の姿を思い出し瞳から涙が溢れるけれど、私の足は止まらない。
「うん、お姉ちゃん、いってらっしゃい!」
「……行ってきます」
黒い女の子の言葉に私は言葉を返して暗い暗い道へと戻る。
冬の曇り空が映る薄暗い道。ほんの先も見えない真っ暗な回廊。前後不覚に陥りそうになりながらも、手を息で温めながら歩き続ける。行きでは灯っていた窓の明かりはついておらず。真っ暗で中の様子は良く見えない。
行きも少し不気味だと思っていたけれど、帰りはより暗くなっている。まだお昼位のはずだけれどもこの道は日の光も入って来ない。
でも足は止まらない。女の子に言われたのもある。けれどもそれ以上に私は、私の心は……。
「ARIAカンパニーに帰りたがっている」
思わずそう呟いた。そう、早く帰って皆に……灯里ちゃんに会いたかった。
その言葉を呟いた途端、私の前にパッと突然明かりが灯る……思わず目を閉じて光を手で遮る。
「――」
真っ白になった視界の中、耳に入って来るのは賑やかな喧騒。沢山の人の話し声と道路を叩く靴の足音。目が光に慣れ始めぼんやりと視界が戻るとそこには海の見えるネオ・ヴェネツィアの道路と横道を見ずに通り過ぎていく人々の姿。
そこにはいつもの、私にとっては見慣れたネオ・ヴェネツィアの景色が待っていた。
「ただいまー、ことりちゃん」
「ぷいぷい、ぷいにゅ!」
ARIAカンパニーのラウンジに座っていると聞き慣れた声が耳に入って来ます。声の方を向くと大きな紙袋を両手で抱えた灯里ちゃんとその後ろを歩いているアリア社長。
1人と1匹が買い物から帰ってきました。その姿を見ると何故だか、懐かしい気持ちに襲われてしまいます。
「? ことりちゃん、どうかした? 何かあった?」
「あ、ううん。おかえりなさい。灯里ちゃんの方も何かあった?」
「はひ、買い物に行く途中にですね――」
私の言葉を聞くと灯里ちゃんは明るい表情に変わり、紙袋の中身をしまいながら楽しそうに買い物に行った思い出を語り始めます。……買い物といういうなればありきたりの日常にも1つ1つの小さな幸せを探す。
「……ふふ」
多分、そんなあなたに出会って、私はあなたに憧れた。どんなものにも明るく太陽みたいに暖かく温めるあなたに。
「ねえ、灯里ちゃん」
「はひ? ことりちゃん、どうしたの?」
私の言葉に振り向く灯里ちゃん。
「私、
「へ?」
「ぷい!?」
私の言葉にびくりと固まる灯里ちゃんとアリア社長。その2人の表情がなんだかおかしくて私は思わず吹き出してしまいます。
「驚きすぎだよぉ」
「す、すみません! でも急だったから」
「そ、それはごめんね。急で」
私の言葉を聞いてわたわたする灯里ちゃんとそれに釣られて一緒に慌ててるアリア社長。その動きは可愛らしいけどいつまで慌てさせてるわけにはいかないので話を続ける。
「でも気持ちは本当だよ……急だし、実際目指すとなるととっても大変なのは分かってるけど、なりたくなったの」
「……わ、私はことりちゃんが目指してくれるのは大歓迎だよ。私も
『それでいいの?』
と言わないながら彼女の眼が伝えて来る。恐らくそれは元の時代に帰ること。灯里ちゃんとは時々元の時代に帰る手掛かりのようなものを時折探していた。でも水先案内人を目指すとなると流石にそういった時間は否応なしに減るだろう。つまり、元から手掛かりの無い帰る手段を見つけるのはもっと厳しくなる。灯里ちゃんそのことを気にしていた。
「うん、大丈夫」
……流石に先程の出来事は灯里ちゃんに伝えられないけれど私はそう言い切った。その時の私の顔を見て灯里ちゃん少し目を見張った後
「はひ! それならこれから一緒に頑張ろうね!」
そう彼女は明るく言い切った。
「……」
そんな私をアリア社長はジッと見つめた後。
「ぷいにゅ!」
なんて一鳴きしていました。
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番外編第2話
「ここで……こう!」
「おぉ、流石ことりね」
水路の曲がり角をオール捌きでゆっくりと進んでいく、曲がる瞬間に壁に当てないようゆっくりと、けれども速度が下がりすぎないように気を付ける。そんな繊細な動きを要求される曲がり角を通り抜け、私は安堵のため息をつく。
「ふぅ」
「ふぅ、じゃない。まだまだあるのよ!」
「は、はい!」
藍華ちゃんに言われ私は再び気を引き締める。まだまだ練習の途中。オールに再び力を籠めます。
「やっぱりことりちゃん、筋が良いよね」
「そうねぇ、灯里なんて最初すっごく遅かったんだから」
「あ、藍華ちゃーん……」
藍華ちゃんの言葉に灯里ちゃんの恥ずかしそうに腕をおたおたと動かしています。
その様子を皆で笑いながらゆっくりとゴンドラを漕ぐ。
私が決断をした日から数日後、
そう4人。灯里ちゃん、藍華ちゃん、アリスちゃんの3人の練習に私も良く加わるようになりました。練習自体は前からよくお邪魔していたのだけれども、それはあくまで
「よし、じゃあ休憩!」
その後も藍華ちゃんから色々指摘されつつARIAカンパニーへと帰ってきました。
藍華ちゃんは腕をぐいっと伸ばしながら
「ふふ、藍華ちゃん楽しそうだね」
「はい、でっかい楽しそうです」
その様子を灯里ちゃんとアリスちゃんは2人で楽しそうに見つめています。
「ことりちゃんが入ったからかな」
「そうなの?」
「はい、いつもよりでっかい気合入ってます」
「そこ、うるさい!」
一足早く舟を降りた藍華ちゃんが私達に向いて顔を赤くして声を上げます。
それを見て私達は顔を見合わせて笑い合いました。
「おかえりなさい、皆」
「アリシアさん!」
私達が戻るとアリシアさんは微笑みながら迎えてくれます。
「皆、外は寒かったでしょう? ココアはいかが?」
「はひ、頂きます」
「あ、ありがとうございます」
アリシアさんが柔らかい笑みと共にトレイにカップを乗せてやってきます。私達はトレイからココアを受け取り、口に含む。
砂糖の入った甘さに皆で頬を綻ばせる。流石に冬の寒さも厳しくなってきて手袋越しでも手が悴んでしまっていました。片手袋の灯里ちゃん、藍華ちゃんは尚更。暖かいカップを大事そうに両手で抱えながらココアを飲んでいます。
「でも、本当に寒くなってきたね。今にも雪が降って来ちゃいそう」
「そうですね。例年ならそろそろ初雪も降って来そうです。ことりさんの地元では雪はよく降るんですか?」
「うーん……年に一度降るか降らないかって感じかな、だから雪が降ると楽しいんだけど、結構大変なの。電車とか遅れちゃって」
「なるほど、そう言うのはあまりネオ・ヴェネツィアでは無い苦労です。
「そういえばあまりネオ・ヴェネツィア以外には行ったことないや」
アリスちゃんと一緒に外の空を見ながら会話をする。以前アリシアさんから
「そうね。もうちょっと暖かくなったら皆でお花見とか行きましょうか。ネオ・ヴェネツィアからちょっと離れてるけど桜の木とか植えられている所もあるのよ」
「アリシアさんとお花見! はい、絶対行きます!」
「へぇ、なんだか楽しみ」
なんて皆でほのぼのと雑談を楽しみます。外の冬の寒さがとても辛かった分、暖炉がたかれている室内はとても暖かくてなんだか落ち着いてしまいます。
「……ふふ」
「……? な、なんですかアリシアさん?」
そんな私を見てアリシアさんは嬉しそうに微笑んでいました。でも……なんだかただ嬉しいだけじゃないみたいな、不思議な笑み。
「いえ、ちょっと安心しただけ」
アリシアさんはそう言ってカップに口を付けていました。
「アリシアさん」
「ん、なあに?」
「ああ、ちょっとお昼のことが気になってしまって」
夕食の後、私はアリシアさんの食器洗いを手伝いながら尋ねました。お話はお昼の時の表情について。
「……ふふ、ことりちゃんが来てくれて毎日がもっと楽しくなったからつい、ね」
「本当にそれだけですか?」
私の言葉を聞いた後、アリシアさんの洗い物を拭く指が止まります。
「あ、いや、別に怒ってるとかそう言う訳じゃなくて……」
「分かってるわ。ただ毎日楽しくなったのは本当よ、でも色々考えちゃうことがあってね」
そう言うアリシアさんは何時もの様に穏やかな表情は崩さず……けれどもどことなく憂いを帯びた表情に変わります。いつも優しく、明るいアリシアさんにはあまり似合わないその表情に、私は少し驚いてしまいます。
「……とっても楽しいとね、いつか来る終わりのことを少し考えてしまうの」
そうアリシアさんはぽつりと呟きます。
「終わり?」
「ええ……ほんの少しね。皆と居るのは凄く楽しい事なんだけど……だからこそかしら」
「それは……」
「そうだ」
私が尋ねようとした時です。アリシアさんは先程とは打って変わった明るい声を上げます。
「ことりちゃん、明日少し空きそうだから私も練習を見ましょうか?」
「え、あぁ、ぜひお願いします! 藍華ちゃんやアリスちゃんも喜びますよ」
アリシアさんからちょっとあからさまに話を逸らされました。流石にアリシアさんにそれ以上の話をするのは憚れたので深く追及するのを止めます。
「ふふ、ことりちゃんがどれだけ上手くなったか楽しみね」
「えぇ、そう言われると少し緊張しちゃいます」
「あらあら」
アリシアさんいつものようにそう呟くと洗い物を持つ手を動かし始めます。私は暫くその横顔を思わず眺めてしまいました。
「ことりちゃん、ごめんなさいね。まだあまり言う気にはなれなくて」
「いえ、大丈夫です! ただ、何かあったら言って下さいね私も一緒に頑張って考えますから!」
私の言葉を聞くとアリシアさんは微笑みながら返してくれます。
「……ありがとう。ことりちゃんがいると本当に頼もしいわ」
「え、いやいや全然、私なんて
「そんなことないわ。練習も頑張ってるし皆の事よく見てくれてる……あ、ことりちゃんそこの食器片してくれるかしら」
「あ、はい。分かりました」
アリシアさんに言われ、私は拭き終わった食器を食器棚へと運びます。それにしてもアリシアさんの悩み……それはいったい何なのか、私はついつい考えてしまいます。
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番外編第3話
「ただいま戻りましたー……ん?」
大晦日だったりと色々なことがあり、冬がゆっくりと終わりに近づいて、春が近づいている頃……私が練習から戻るとアリシアさんがテーブルに座っていました。テーブルの上に紅茶が置かれているけれど湯気がたっていないので暫く飲んでないみたいです。
アリシアさんはテーブルの上に紙を置いています。そこに何か書かれているみたい。
「……
「あらあら? ことりちゃん、戻っていたのね」
私が思わず紙に書かれている言葉を読み上げるとアリシアさんが驚きながら私に向き直ります。
「これは……何ですか?」
その紙よく見ていくとさっきみたいな単語が色々書かれています。
「うふふ、これはね。二つ名よ」
「二つ名?」
「ええ、灯里ちゃんのね」
そう言うとアリシアさんは微笑みます。
灯里ちゃんの二つ名。そういえば以前一人前の水先案内人にはそう言うのを付けられるって聞いた気がする。アリシアさんにも「
……ん? 「一人前の水先案内人」に?
「じゃあ、灯里ちゃんそろそろ
「ことりちゃん、ちょっと静かに」
私が思わずあげた大声にアリシアさんが珍しくちょっと慌てて、親指を唇に付けて「しーっ」とジェスチャーを行います。
「ん」
「まだ少し先だけどね」
「それで二つ名を決めてたんですか?」
「ええ、灯里ちゃんにどんなのが似合うのか……考えてると決まらなくてね」
アリシアさんはそう言うと困ったように微笑みます。これもまた普段のアリシアさんには見られない珍しい表情。
「アリシアさんも悩むことあるんですね」
「あらあら、もちろんあるわよ。私も初めての事ばかりだもの……そうだ、ことりちゃんも考えるの手伝ってくれるかしら?」
そう言うとアリシアさんは紙を1枚、テーブルに置きます。
「え!? 良いんですか? 私なんかが」
「あらあら、もちろんいいわよ、ことりちゃんはもうARIAカンパニーの一員だもの」
「ARIAカンパニーの一員……」
「ええ」
アリシアさんの言葉を聞き、私は思わずその言葉を反芻します。
アリシアさんの何気ない言葉、でもそれを聞いて胸が少し熱くなる。私がちゃんとここの居場所に居て良いと言ってくれた様で……それがとても嬉しかった。
「じゃ、じゃあ、私も考えようかなぁ」
「ふふ、一緒に素敵なのを考えましょうね……そうだ、紅茶を淹れなおすわね」
私の言葉を聞くとアリシアさんは嬉しそうに立ち上がって鼻歌を混じりにキッチンへ向かいます。
……けどそっか灯里ちゃんももうそろそろ一人前になるんだ。別に離れ離れになるわけじゃないんだけど、そう言葉として聞くとなんだか寂しくもなります。
アリシアさんももしかしたら今そんな気持ちなのかな?
「うーん、二つ名かぁ」
私はアリシアさんと顔を合わせてペンを持って考えます。とはいえすぐにアイディアは思いつかずアリシアさんが用意したお茶菓子を口に含みつつ思案し続けます。
アリシアさんもあまり顔に出してはないけれども手はあまり進んでいないみたいです。
「ニコニコ太陽……これはちょっと違うか、
「ふふ」
私が頭を悩ませつつ紙に書いていると不意にアリシアさんから笑みが零れました。
「な、なんですか」
「ことりちゃんの書いている言葉を見てるとことりちゃんから見た灯里ちゃんが分かって、それがなんだかおかしくてね」
「う」
そう言われると私はなんだか気恥ずかしくなって紙を隠します。……確かに、灯里ちゃんを見て思い浮かべる単語が色々書いているのだから、それを見れば私からの印象は丸わかりです。
「ことりちゃんからすれば灯里ちゃんは太陽みたいなものなのね」
「……えへへ」
恥ずかしそうに頭を掻くとアリシアさんも嬉しそうに笑います。
「でも分かるわ。彼女がいるだけで皆が明るくなる……本当、まるで太陽みたいね」
「うんうん……あれ? でもアリシアさんの書いている文字は……」
何気なくアリシアさんの方を見てみると彼女の書いている文字は私とは違います。どっちかというと「青」とかそんな感じの文字が多めです。私はいつも落ち着いている海未ちゃんとかのイメージがするけれど、アリシアさんにとっての灯里ちゃんのイメージはそっちの色合いが強いみたいです。
「ふふ、1人の人間の事なのにこうやって見てみると案外思っている印象は違うものね」
そう言うアリシアさんは楽しそうです。いつもは大人っぽいのにその表情はどこか子供みたいです。
「本当、灯里ちゃんは不思議な子ね」
「ふふ、私もそう思います」
そう言うと私達は顔を見合わせて2人で笑い合います。灯里ちゃんの明るい表情、楽しそうに歩く姿……それを思い出すとなんだかこっちまで楽しくなってきちゃいます。
「ただいま戻りましたー、あれ?」
丁度、灯里ちゃん外から戻ってきました。そして2人して笑っているのを見て不思議そうに私達を見ます。
「な、何かいいことあったんですか?」
「ふふ」
不思議そうに尋ねる灯里ちゃんにアリシアさんは人差し指を唇に当てて片目を瞑ります。そして私にウインクを1つ。どうやら灯里ちゃんにはまだ秘密にするみたいです。
「はい」
私もそれに笑みを浮かべながら同意します。
「えぇ、2人共、何の話してたんですか」
「ふふ」
「それは後のお楽しみよ」
「えぇ~」
不思議そうに首を傾げる灯里ちゃんに私達はまた笑い合うのでした。
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番外編第4話
「んん~」
屋根裏部屋の丸い窓を開け、ネオ・ヴェネツィアの海を眺める。ネオ・ヴェネツィアの朝焼けとどこかから流れる生暖かい空気に私は思わず顔を綻ばせる。
「もう春だねぇ」
「はひ、春です」
朝日を浴びて私は灯里ちゃんとどこかのんびりと呟く。
そう、長い冬もすっかり終わりもう春。ネオ・ヴェネツィアも徐々に暖かくなっている。
「……今日、アリスちゃんも
灯里ちゃんは感慨深そうに呟きました。
昨日、アリスちゃんのミドルスクールでは卒業式がありました。そして今日は
「アリスちゃんの昇格試験かぁ」
「アリスちゃんはミドルスクールと
「その瞬間に立ち会えるなんて、なんかドキドキしちゃいます」
「はひ、私も楽しみです」
本来の昇格試験は教えている先輩の
制服に着替えながら私は昨日見たアリスちゃんの姿を思い出します。
「とうとうアリスちゃんも
「そうだね、アリスちゃんとっても
お昼、私達は藍華ちゃんと合流して
「ま、私が来るんだから、受かってくれなきゃ困るってもんよ」
そう言って心配なさげに言っているけれど、さっきからずっとアリスちゃんの話ばっかりしています。
「でも本当に楽しみだねー」
「とうとう後輩ちゃんも私達と同じになるのね。でも灯里分かってるよね。私達もすぐに
「はひ、アリスちゃんも頑張ってるからね! 私達も頑張らないと」
そう言って気合を入れる声を上げる灯里ちゃん。その様子を見て私は思わず以前……アリシアさんと2人で二つ名を決めていた時のことを思い出します。
アリシアさんのあの時の反応的に灯里ちゃんもそろそろ
となると2人が
「……ふふ」
「ことり、あんたもよ! 後輩ちゃんが
「そうだね。頑張らないと」
藍華ちゃん達には
「……そっかぁ、皆進むんだね」
私は思わずそう呟いた。
そう、今は春の季節。新しい事が始まるそんな季節なのだから。
「……?」
風力発電の風車が並ぶ野原……以前、私と灯里ちゃんで何度か来た水路。そこに3人で来たんだけど……。
「あれは……
藍華ちゃんが野原に立っている人たちを見て呟きました。野原にはスーツを着た人たちが数人立っています。
「……? なんであそこに?」
「あれ、灯里ちゃん達の時はいなかったの?」
私は何気なく質問する。藍華ちゃんも灯里ちゃんも
「はひ、私の時はアリシアさんと2人きりでした。協会の人は居なかったと思います……」
「『思います』というか、いなかったわよ。
「そ、そうだよね」
不思議そうに顔を見合わせる灯里ちゃんと藍華ちゃん。2人が戸惑っているとこちらに気付いて会釈や手を振ってきます。
「あら、あなた方がアリス・キャロルさんのお友達ですか? うちのアテナからお話は聞いておりますよ」
「あ、はい。どうも」
女性に話しかけられ藍華ちゃんが緊張しながら言葉を返します。灯里ちゃんと私は目をぱちくりしながらこのちょっと不思議な状況を見守ります。
「えぇっと、本日は一体どんなご用事で?」
「ふふ、もちろんあなた方と同じ、昇格試験を見守りに来たのですよ」
にこやかに笑う女性。その後ろにいるふくよかでひげを蓄えた2人の協会の人もそれに釣られて笑みを浮かべます。
「
「ええ、ささ、皆さんもここで待ちしましょう。食事などはこちらで用意いたしましたよ」
そう言うと女性はちょっと野原の一点を指さします。そこにはバーベキューコンロやちょっとした机が置かれておりお肉や野菜が置かれています。
「わぁ」
「い、良いんですか!?」
「ええ、もちろん」
コンロの近くに近寄る2人、それを見守る3人の意外な待ち人さん。私はその3人を不思議そうに眺めます。
藍華ちゃんの反応的に
うーん、アリスちゃんは最年少の
「ことりちゃーん、ことりちゃんもこっちで食べよー」
「早く来ないと全部食べちゃうわよー!」
「あ、うん。私もそっち行くー!」
2人に呼ばれ私はいったん考える事を止めて、2人の元へと向かいます。
でもアリスちゃんの晴れ舞台だもの。きっと悪いことは起きないよね。
「あ、アリスちゃん達だ!」
その指先に皆目を向ける。そこには一隻の
「もう、全く心配させて……」
アリスちゃんの姿を見かけた途端、藍華ちゃんの顔が綻びます。口ではそう言っているもののずっと心配していたのがバレバレで私と灯里ちゃんは顔を見合ってクスクスと笑い合います。
「な、なによぉ」
そんな私達を藍華ちゃんはちょっと頬を膨らませます。
黄昏時の赤い光を浴びながらゆっくりと向かって来る。そして顔が分かる程に近づいて来るとアリスちゃんが私達の姿を見て驚いているのがよく分かりました。
「今日は一日ありがとうございました。
そして私達の前に
その表情は、何か深く考えているように……どこかまだ悩んでいるような憂いを一瞬帯びていました。
「最後に1曲お願いしてもいいですか?」
そうアテナさんは提案します。その言葉を聞いた私達は思わず喉をごくりと鳴らします。
「
多分、これが昇格試験の最後のお題。皆それが分かって黙ってしまいます。
「……」
「
アリスちゃんはそんな沈黙の中、口を閉ざします。赤々とした陽光を浴びて、長い髪を揺らすアリスちゃんはこの緊迫感の中で、微笑みました。
「お客様はこの火星にその名を馳せる…水の3大妖精をご存知ですか? 実は私――こう見えてもその1人弟子…
そう呟いた瞬間、アリスちゃんは歌い始めます。……軽やかに、透き通る綺麗な声で紡がれる
いつもどこか人見知りなアリスちゃんだけど、そのイメージを覆すような堂々とした歌。
……それをアテナさんは嬉しそうに、どこか驚きを持って愛おしそうに見つめていました。
謳が終わった瞬間、思わず拍手をし始めてしまいました。灯里ちゃんも顔を赤くして目を潤ませながら拍手を始めてしまいます。藍華ちゃんもその様子を見て笑いながら拍手をし始めます。皆の拍手……それはアリスちゃんの成長の確かな証でした。
「お客様……私、昔から謳は上手くなかったですけれど、子供の頃は歌うのが大好きだったんです。お客様の言葉がその頃の気持ちを私に思い出させてくれました」
アリスちゃんそう言うとアテナさんに微笑み頭を下げます。
「ありがとうございました!」
頭を上げたアリスちゃんは飛び切りの笑顔をしていました。
その後に起きたことは驚きの連続でした。
「アリスちゃん、手を」
アテナさんがアリスちゃんの手を取り片方の手袋を脱がせる。
――そして
「おめでとうアリスちゃん……いいえ、
満面の笑みを浮かべて、アテナさんは残っていたもう一方の手袋を抜き取りました。
それは前代未聞、史上初の飛び級昇格、アリスちゃん含め4人は思わず驚きの声を思わず上げてしまいます。
「あ、アテナ先輩っ……!」
感極まったアリスちゃんはアテナ先輩に抱き着きます。
「アリスちゃん!」
灯里ちゃん達がアリスちゃんに駆け寄って2人に抱き着いて来る。
3人で泣きながらも嬉しそうに抱き着いているのを私とアテナさんは少し離れて眺めます。
「アテナさん」
「……なに、ことりちゃん?」
「アテナさんが前悩んでいた事ってこれの事ですか?」
『アリスちゃんが成長するのが怖いんですか?』、ふと少し前にアテナさんに私が言った言葉を思い出します。多分、あの時のアテナさんの悩みはこの事だったんだと私は分かりました。
「……そうね、そう。アリスちゃんはいつもすっごく駆け足で進んでいっちゃうの」
そう言うアテナさんの言葉はどこか寂し気で……けれどもとてもさっぱりした笑顔を浮かべていました。
「でも、アリスちゃんらしい」
「……そうですね。とってもアリスちゃんらしい」
そう言うと私とアテナさんはアリスちゃん達を眺めます。
視界の先では野原に転がりながら笑い合う3人の姿がありました。
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番外編第5話
またネオ・ヴェネツィアに夏がやってきた。私にとって2度目の夏。制服も冬服から夏服へと変わりました。
そんな装いを新たにした私達は今日も今日とて練習しています。とはいえ去年とは違うことが1つ……アリスちゃんが練習にはいないことです。
アリスちゃんが
そのため、練習してるのは私と灯里ちゃんと藍華ちゃんだけ。……アリスちゃんは
「よし、次はことり! 今日はいつもの水路から少し離れた所に行くわよ」
「うん、了解!」
私は藍華ちゃんに言われオールを握ります。席に座る2人に見守られつつ
アリスちゃんが
最初はアリスちゃんが先に
「なに? ことり」
「ううん、何でもない」
少し藍華ちゃんを見つめると不思議そうに藍華ちゃんに見られ返されてしまう。その彼女の姿にはあまり焦りとかそう言うのは見られない。どちらかといえば……イキイキしてる?
「ことり、ちゃんと前見る! 注意散漫禁止!」
「う、うん!」
藍華ちゃんに言われ私は操縦に集中する。ネオ・ヴェネツィアの夏の空には大きな入道雲が立ち上っていました。
「……あれ、晃さん?」
皆との練習の後、ネオ・ヴェネツィアの街を歩いていると見慣れた赤い制服姿を見かけました。道端のベンチに座っているのだけれども凛としてるって表現が似合う真っ直ぐな背筋。プライベートなのだけれどもシャキッとした姿……藍華ちゃんの先輩である晃さんです。
晃さんは私には気付かず一冊の雑誌を読みつつ少し気難しい顔をしています。
「晃さん?」
「……ん? ああことりか」
晃さんが私に気付くと雑誌を閉じます。その表紙には私達にとってなじみ深い女の子が映っていました。
「あ、アリスちゃん!」
「ん、ああそうだな」
雑誌の表紙を晃さんが見てまた複雑そうな表情を1つ。私はそんな晃さんの普段とは少し違う表情に首を傾げつつも隣に座ります。
「……どうかしたんですか?」
「いや、気にするな大したことは無い……ことり、藍華の様子はどうだ?」
「藍華ちゃん?」
「そうだ、練習の時とか、それ以外にも……一緒に昼飯を食べている時とか」
「ううん……そうですね」
晃さんに言われ私は上を見上げ藍華ちゃんの様子を思い出します。今日も朝、一緒に練習していたけれどもいつも通り、むしろ調子が良い位に元気だった気がします。
それ以外の時も一緒にお昼を食べたり、カフェに寄ったり、色々遊んでいたけどとりたてて言うような気になる事は……。
「ずっと元気で真面目ないつもの藍華ちゃんだったと思いますよ」
「なんか気になる点とかは無かったか?」
「うーん……」
晃さんに再度言われ私は困ったように声を上げてしまいます。藍華ちゃんよりはどっちかというと晃さんの方が普段とはちょっと違う感じがします。
……なんというか、何かに迷っている? いつものすっごくビシッとして真っ直ぐな晃さんとは違って悩み事が顔に出ています。
「特には無いと思いますよ……その晃さんどうしたんですか? 藍華ちゃんと実は喧嘩でもしたとか?」
「ああ、いやそういう訳じゃないんだ……そうだな、少し昔の話をしようか」
晃さんはそう言って少し視線を逸らす。そして一度思い出すように目を閉じると、ぽつりと呟き始めました。
「藍華と本格的に知り合ったのは私が
「傅役?」
「お守みたいなものさ……最初の頃の藍華はそりゃあ不安定でね、周りに対して拒絶の気配を漂わせて常に孤独になろうとする。そんな奴だった」
「藍華ちゃんが……?」
晃さんの語る藍華ちゃんの姿が全然想像できず思わず声を上げます。それにつられて晃さんも「そうだったんだよ」と懐かしむように頬を緩める。
「あの時は随分大変だった。離れようとする藍華のお守の為にずっと後ろをついて行ったり、時には家出に付き合って一晩中に
「一晩中ですか!?」
「ああ、一晩中さ」
私の驚きの声にサラリと返す晃さん。藍華ちゃんの家出という話にも驚きだけれども、一晩中ゴンドラを漕ぎ続けるということに私は凄く衝撃を受けちゃいました。本格的に練習している今でも半日も漕ぎ続ければすっごく疲れてしまいます。それを一晩中だなんて……。
「ああ、ことりもそれ位出来るように体力を付けなくちゃな」
「あ、あはは……精進します……」
「……話を戻すか。普段は私に見せる態度は中々ふざけたもんだが、藍華はああ見えて真面目な奴だ」
「はい、知ってます」
「だからな、あの時は色々と重荷が彼女にのしかかっていたんだ」
「……」
「その頃を知っているからかな……少し心配になってしまったのさ」
そう言うと晃さんは目線を下ろします。その先には先ほど呼んでいた雑誌……そしてそこに写るアリスちゃんの姿。
それを見て私は合点がいきました。藍華ちゃんよりもずっと若くて異例の飛び級で
「……大丈夫だと思いますよ」
「ことり?」
「私が見ている限り、藍華ちゃんはすっごく精力的に練習してます。心配になんてなってません。むしろ追いつきたくてすっごく頑張ってます」
「……そうなのか?」
私の言葉を聞いて晃さんは少し目を見開く。いつもの晃さんのイメージとはちょっと違う表情に私は思わずおかしく感じながら言葉を続けます。
「はい、今日だって藍華ちゃんは凄かったですよ。なんなら藍華ちゃん本人に聞いてみてください。多分ビシッと返してきてくれます」
私が自信満々にそう伝える。実際今の藍華ちゃんは堂々としています……もう何時
「そうか」
私のその表情を見て、晃さんはそう呟きました。小さくけれど私の耳にははっきり聞こえたその声には納得の響きが混じっていました。
「あのわがままなお姫様も、いつの間にか立派な女王様に成長していたんだな」
そう言うと晃さんはベンチからゆっくりと立ち上がりました。彼女の長い黒髪が風に揺れるカーテンのように美しく靡きます。
「ことり、ありがとう。少し色々と自分の気持ちの整理が出来た。あいつが本当に成長したのか確認してみる事にしたよ」
「確認?」
「ああ、
晃さんはそうサラリと言いました。あまりの突然のその言葉に私は思わず目を見開きます。
「え、ホントですか!?」
「ああ、何時にしようか少し悩んでいたが、ことりの言葉でもう充分
そう言うと晃さんは私に笑みを浮かべます。その表情は何処か晴れやかでまるで
「しかし、随分懐かしい話をしたな、あいつの家出に付き合った時、顔には出さなかったがさすがに一晩中は凄く疲れたもんだ……そうだ、あいつの
「え!?、流石にそれは過酷じゃないですか?」
「冗談だよ、冗談……まあ、あいつが『晃さん試験簡単すぎます! もっと本気で凄い試験をー』とか言い出してきたら話は別だけどな」
「あはは、流石に冗談ですよね……びっくりしたぁ」
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番外編第6話
暑い暑い夏本番のネオ・ヴェネツィア。空に浮かぶ大きな大きな入道雲。清々しく青くて綺麗な広い空。
そんな下ですっかり慣れた3人の練習風景。
「今日も暑くなりそうだねー」
「んー」
灯里ちゃんは笑顔を浮かべ広い広い青空を見上げながらオールを握っていつもの様に楽しく笑う。逆に藍華ちゃんはどこか呆けたような表情で水面を見ていた。
……なんというか心ここにあらずといった感じ。
「今日も皆で練習頑張りましょう!」
「うん、今日も頑張ろうね」
「……」
私達の声を聞いて藍華ちゃんは少し体をびくっと震わせて黙ってしまいます。その並々ならぬ反応に私と灯里ちゃんは目を見合わせます。
「あ、あの……」
「どうしたの? 藍華ちゃん」
「私、明日から練習には出られないの……」
藍華ちゃんのその言葉に私と灯里ちゃんは目を合わせます。思い至ったのは晃さんから聞いた話でした。
晃さんは藍華ちゃんに昇格試験を受けさせようとしていた。ということは。
「……ごめん」
私達が黙っていると藍華ちゃんは膝を掴んで席に座り、そう呟きました。……瞳には涙を溜め、今にも泣きだしそうな表情で。
「なんで謝るの? 藍華ちゃんはこの日を夢見てに頑張ってきたんじゃないっ!」
そう言うと藍華ちゃんの腕を灯里ちゃんは掴み、心の底から嬉しそうに笑みを浮かべます。
「
「……ありがとう、灯里ならそう言うと思っていたわ」
藍華ちゃんはそうやって喜ぶ灯里ちゃんを見て微笑み返しました。
「それともう一つ言っておかないといけない事があるの」
「……ん?」
「あら、そうなの。藍華ちゃんが
「はいっ!」
その日の夜、夕食の席でアリシアさんと今日の藍華ちゃんの話題になりました。アリシアさんはその言葉を聞いて少し驚いた様に目を丸くした後、嬉しそうに笑います。
「あらあら、それはとっても嬉しい大ニュースね」
「はいっ」
「じゃあなんて通り名になったのかしら」
「
「へー、それに決めたのね、晃ちゃん」
うふふと穏やかに笑いながら灯里ちゃんの話を楽しそうに聞くアリシアさん。ずっと新人の頃から見てきた藍華ちゃんの成長がとても嬉しいことが見て分かります。
「晃ちゃん、ずっとどんな通り名にするか悩んでたから」
「へぇ、そうだったんですね」
アリシアさんの言葉に嬉しそうに相槌を打つ。
……そう言えば少し前にアリシアさんも灯里ちゃんの通り名について悩んでいたことを思い出します。
「――今度、姫屋の支店が――」
灯里ちゃんが藍華ちゃんの話をしているの笑顔で聞きながら一瞬私に目を向けました。そして灯里ちゃんの言葉は
「すごいですよね、あの若さでお店を任されちゃうなんて、流石藍華ちゃん……でも何でだろう、すごくうれしい事なのに――」
そう言うと灯里ちゃんは嬉しそうにしながらも顔を伏せます。
今まで切磋琢磨していた2人が
……けれどその結果皆と一緒にいられる時間は大きく減ってしまう。皆と練習をしていた輝かしい楽しい時間をずっと夢見ていたくなる。
「灯里ちゃん」
そんな灯里ちゃんの心を知るかのようにアリシアさんは一度目を閉じます。短いけれど、深い憂慮の時間。そして目を開けるとアリシアさんは呟くように、けれどもハッキリと聞こえる声で呟きました。
「明日、
「……はいっ」
それに対して灯里ちゃんは力強く返事をしました。
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番外編第7話
「じゃあ、行って来るわね。ことりちゃん」
「はい、アリシアさん、灯里ちゃん、アリア社長。いってらっしゃい」
次の日、アリシアさんと灯里ちゃん。そしてアリア社長の2人と1匹は
今日は灯里ちゃんの
「ごめんなさいね。ことりちゃん」
「いえいえ、灯里ちゃん、頑張ってね!」
「はひ!」
申し訳なさそうにするアリシアさんと船尾に立って少し緊張した面持ちの灯里ちゃん。彼女たちに応援の言葉を送ります。
灯里ちゃんにとっての一番の目標……
灯里ちゃんの
ネオ・ヴェネツィアの暑い夏の日……窓から見える海は果てしない位広い綺麗な青。
「皆進んでいくなぁ」
その海を眺めながら私は呟いた。ここ最近、私の周りにも色々と変化があった。
アリスちゃん、藍華ちゃんが
「灯里ちゃん頑張ってね」
私は
「……」
ちょっと複雑な気持ちになってしまう自分を自覚し、ちょっと反省。
「ちょっと来週の予定とか整理しとこ」
私は気持ちを切り替えて皆を待ちながら仕事をするのでした。
「お姉ちゃん、何してるの?」
「……ん? うわぁ!?」
書類仕事を暫くしていると、私の座っている椅子の横に1人の少女が座っている事に気付きました。何処かで見覚えのある黒いワンピースを着た女の子。彼女はいつのまにか私の横の席に座り、書類と私の顔を交互にきょろきょろと見渡しています。
「あれ、あなたは?」
「久しぶり、お姉ちゃん。ご機嫌いかが?」
女の子はそう呟くとニコニコと笑みを浮かべます。けれども私はその子の笑顔に反して彼女の事を思い出そうとして顔を顰めてしまいます。
彼女を知らない訳では無い、何度か会ったことがある。うん、私はこの子に会ったことがある。見覚えはある……けれどもなんだか思い出そうとするとどこか靄がかかったような感覚に陥ってしまう。
彼女は凄く重大な選択の場にいた気がするのだけれども……。
「お姉ちゃん、なんか少し寂しそうだね」
「ん、うーん……まあ、そうかな」
女の子は私が思い出そうとしているのを気にせずに話をし始めます。
「お友達が遠くに行くのが寂しい?」
「……そうかも」
女の子の言葉に私は肯定します。やっぱり練習が1人とかになっちゃうのは寂しい。灯里ちゃんと2人で練習する機会が増えた時も寂しかったのにずっと1人になったらって思うと……。
「こっちに来てからずっと皆といたからね」
「お姉ちゃん、後悔してない?」
「後悔?」
「こっちに残ったこと」
女の子はそう言うと私をじっと見てきます。彼女の大きな青い瞳……その視線にはまるですべてを飲み込めそうな不思議な気配を感じます。
「こっち……ううん、それは絶対にないかな」
女の子の言葉に反射的に答えました。彼女の正体はよく分からないけどそれだけは絶対に違うという確信が私の頭の中にありました。
「でも、皆に出会えて私は良かったもの。そして皆が成長して皆の夢がかなう瞬間が見れた。だから後悔することなんて何もないよ」
「そうなんだ」
「……まあ、少し寂しいのは本当だけどね」
「ふーん」
私の言葉を聞くと女の子は黒い髪を揺らして首を傾げます。
「後悔してないのに寂しいんだ……よく分からない」
「あはは、そうだね、私も変な気持ち。嬉しいんだけどいつまでも続いてほしいような不思議な気持ちなの……あ、そうだ! ジュースでも入れようか? 外暑かったでしょ」
「いいの!?」
私は席を立って突然の来客の女の子の為に冷蔵庫からジュースを用意します。女の子は年相応にはしゃいでいて、その姿に思わず頬が緩みました。
「……今日はいい天気だね」
「うん」
私達は2人で席に座って空を眺めます。
青々としたネオ・ヴェネツィアの海は今日も変わらず穏やかに波が揺れていました。
「あ」
女の子と2人でのんびりとカフェをしていると空が徐々に赤く染まり始め、皆を乗せた
「灯里ちゃん達だ! 試験はどうだったんだ……あれ?」
ふと気が付くと私の横にいた女の子の姿はなくなって空になったグラスだけが残っていました。先程まで一緒に楽しくお話していたのにいつの間にいなくなって……。
「ただいま、ことりちゃん」
「あ、アリシアさん。おかえりなさい」
少し女の子のことを考えてたけれども、あの子ならまあまたひょっこりと現れるだろうと深く気にせず、帰ってきた皆をお出迎えします。
「で、試験の結果は……?」
私が尋ねながら皆を眺めると思わず首を傾げてしまいました。アリシアさんは一見するといつもと変わらない感じ。けれどそれに対して灯里ちゃんはなんだか複雑そうな表情……。落ち込んでいる訳ではなさそうだけど、なんだか無理をしているような……。
「詳しい事は後で教えるわね。ことりちゃんにも重要な事だから」
「あ、はい。分かりました」
アリシアさんの言葉に頷いて私は彼女に手を伸ばします。アリシアさんは私の手を掴むと静かに微笑みました。
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番外編第8話
「灯里! ことり! どういう事!?」
灯里ちゃんの
「ど、どう言うことって?」
「アリシアさんの件よ!
「お、落ち着いて藍華ちゃん……それにそれは私も初耳だったの」
食ってかかるような勢いの藍華ちゃんにタジタジ気味の灯里ちゃん。アリスちゃんは何も言わずに2人を見つめているが彼女も興味津々という感じです。
アリシアさんの
「なんでも以前から
「それで灯里先輩が昇格試験に合格したのを機に……という事なのですね。でっかい納得です」
「うん、そういうことみたい」
アリスちゃんが納得の声を上げると灯里ちゃんは首を縦に振ります。そしてちょっとしてから「あ」と灯里ちゃんが一言呟きました。
「そうだ、私
「あぁ、そうよねおめでとう……ってそれどころじゃないでしょ!」
「はひっ!」
灯里ちゃんの報告は藍華ちゃんに一蹴されてしまいます。
「大丈夫なの、色々と」
「え、ARIAカンパニーのこと? それなら大丈夫です。アリシアさんが正式に引退するのはまだ先だから色々引継ぎをしてるの。今は忙しいけど……」
「そうじゃなくて……」
藍華ちゃんはそう言うと心配そうに灯里ちゃんを見つめます。不思議そうにポカンとする灯里ちゃんに藍華ちゃんは呟きます。
「あなたのことよ」
アリスちゃんもその言葉に同意するように心配そうに灯里ちゃんを見つめていました。
アリシアさんがやっていた書類仕事などの引継ぎ、それだけじゃなくて引退する前にアリシアさんの
なので私もアリシアさんのお手伝い、灯里ちゃんと一緒に書類を見たり……とにかく大変で、手が幾つあっても足りません。
「ぷいにゅ」
「あ、アリア社長。ありがとうございます……アリア社長も大忙しだね」
「ぷいぷい」
アリア社長も右へ左へと走り回って私達のお仕事をお手伝いしてくれています。その様子は微笑ましい様子を見て微笑みつつも私は灯里ちゃんの方へと向きます。
「えーっと、この書類はここで……」
書類とにらめっこしている灯里ちゃん。以前からアリシアさんのお仕事を手伝っている事はあったけれど今まで以上のお仕事に苦戦しているみたいです。
「あなたのこと……か」
ふと藍華ちゃんの会話を思い出しました。そしてチラッともう一度灯里ちゃんを眺めます。灯里ちゃんは新しい引継ぎの仕事に四苦八苦しているものの、そこまでいつもと違う感じはありません。
けれども、藍華ちゃんが不安がっていたようにアリシアさんの引退に動揺していない訳が無いはずです。
「あれ? 明日のパン無いや。灯里ちゃん、ちょっとパン買いに行ってくるね」
「あ、うんごめんね。私今忙しくて……」
「分かってる。私に任せて」
灯里ちゃんはまだ忙しそうに書類を見ているので、雑用は私が率先して行います。少しでも灯里ちゃんの負担を減らさないとね。
私がARIAカンパニーの扉を出る時、ふと灯里ちゃんの方を眺めます。むーんと顔を顰める灯里ちゃん。それに一抹の不安を覚えながら、私は出ました。
「アリシアさん、この思い出は一生忘れません!」
「ええ、今日はありがとうね」
私が買い物から戻るとアリシアさんが桟橋でお客さんと会話していました。泣きながらアリシアさんと話すお客さんとそれを嬉しそうにけれども寂しそうに笑うアリシアさん。
確か時間帯的にあの2人が今日最後のお客さんだった筈です。
アリシアさんが彼女たちとお話して別れた後、私はアリシアさんの元に歩きます。
「あら、ことりちゃん。お買い物?」
「はい、アリシアさんは今日のお仕事これで終わりですよね」
「ええ、今日は終わりね。ことりちゃんもごめんなさいね。最近忙しいでしょ?」
「いえいえ、アリシアさん、今まであの作業も一緒にやってたんですね……」
「あらあら、大丈夫よ。慣れればそう大したものじゃないわ」
「あはは……慣れれるように頑張ります」
アリシアさんと雑談をしながらARIAカンパニーへと戻ります。
「灯里ちゃん、ただいま」
そして扉を開けた瞬間、私達の動きは止まります。そこには灯里ちゃんが立っていました。けれども普段とは違って……。
「あ、2人共おかえりなさい」
彼女は涙を溜めて待っていました。その予想外の様子に私もアリシアさんも立ち止まってしまいます。
「アリシアさん、あれ、ごめんなさい、なんだか」
「灯里ちゃん……」
「なんだか、涙が止まらなくて」
彼女の涙交じりの言葉。呂律が回らなくて、必死にこらえていた言葉が溢れる様にどんどんと紡がれていきます。
「アリシアさんに、引退してほしくないんです……アリシアさんは私にとって、憧れの人なんです」
そう絞り出すような灯里ちゃんの言葉を聞いてアリシアさんは思わずといった感じで近づいて抱きしめました。
「ごめんなさいね。灯里ちゃん。あなたはずっと
「……はい、私も怖かったんです。アリシアさんも藍華ちゃんもアリスちゃんも……最近ずっと色々と大きな変化があって。それはとっても嬉しい事の筈なのに。二度と会えない訳じゃないのにこのまま変わっていくことが不安だった。だからそれが変わってしまうことが怖くて立ち止ろうとしていました」
そう灯里ちゃんは言うと少し赤くなった目を擦ります。
「でも、皆同じ道を歩いているようで少し違ったんです。皆違う行き先、目標があった。でも皆歩いてきたから私達はここで重なり合って皆に出会えたんです。だから、私歩きたいです」
そう言うと彼女は顔を上げました。
「皆の歩いた先の素敵な未来を見届けたいんです」
「ごめんなさい、ことりちゃん、その、変になっちゃって」
「ううん、大丈夫」
夜、ベッドで寝ていると灯里ちゃんが話しかけてきました。
「私も少しは気持ちわかるもの。何か変えようとするときの気持ち」
「そうなの? ことりちゃんも昔あったの?」
「うーん、まあ色々とね」
そう言って思い出すのは留学の話……あれの決断をする前に私はこっちに来ちゃった……でも私だけじゃ決断なんてできなかった。
「アリシアさんも灯里ちゃんも自分で進む事を選べたんだから偉いよ」
そう呟くとベッドから灯里ちゃんの静かな声が聞こえてきます。
「ううん、私1人だけじゃもっとうじうじしていたよ。私だけじゃARIAカンパニーを仕切るなんてとても……でもあなたと一緒だから」
「ん?」
「ん、ううん何でもない……ありがとね、ことりちゃん」
「え、うん。どういたしまして?」
突然の感謝の言葉に私はうろたえつつ返します。まだ
「まあ、明日も頑張ろうね。灯里ちゃん」
「はひ! 一緒に頑張りましょう!」
そう言うと灯里ちゃんはベッドから顔を出して布団に寝ている私を見ます。そして2人で目を合わせると微笑み合いました。
……うん、私達なら大丈夫。きっとどんな危機があっても乗り越えられる。そう思えたのでした。
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番外編第9話
「灯里ちゃん、お客様が来たよー」
「はーい、じゃあことりちゃん、お留守番お願いします」
私が声を掛けると灯里ちゃんから明るい声が帰ってきて、いつものように笑顔でお客さん達を迎えます。
ゴンドラへ向かうお客さんと灯里ちゃんをしばらく見送り、私は海を眺めます。
もうすっかり見慣れた海……私が来てからもう数年。灯里ちゃんもすっかり
「……また夏だねぇ」
空を見ながら呟き、ふと目についた手袋の無い手を眺める。
私も
藍華ちゃんもアリスちゃんも凄く頑張っていてその評判は私の耳に入って来る。私達ARIAカンパニーも2人で……うん、どこかのんびりと頑張っています。
「ぷいぷい」
「あ、アリア社長! どうかしまし……あー」
アリア社長に声を掛けられ振り向くとそこにはご飯の入っている袋を抱えるアリア社長の姿。いつもご飯で膨らんでいるそれはぺったんごになっていました。
「ご飯無くなってたんですね。じゃあ一緒に買い物に行きましょうか」
「ぷいにゅ」
私の言葉に元気に返事をするアリア社長。その姿に微笑ましくなりつつ私は外出の準備を始める。
確実に変わったのに、私がとっても大事に抱えているその時間を甘受しながら。
「アテナさんのオペラ! すっごく楽しみ! ずっと予約が一杯でやっと取れたんだもの!」
「本当ね! もう楽しみ」
アリア社長のご飯を買いに行く道の途中。すれ違った観光客の声が耳に入って来ます。「うきうき」なんて音が聞こえてそうな位嬉しそうな声2つ。その声を聞くと我が事のように嬉しくなってしまいます。
「アテナさん相変わらず大人気ですね」
「ぷいにゅ」
私の言葉に同意するアリア社長。アリア社長も太鼓判を押す姿に私も頷き返す。
アテナさんは水先案内人としては引退をし、現在オペラ歌手として活躍しています。私達もアテナさんの公演に招待されて観た事はあるけれどそれは「圧巻」の一言。オペラ自体は私は直接見た事なんて全然なかったけれども素晴らしい演出演奏の数々とアテナさんの謳声が合わさってそれはもう凄いものでした。
そういうこともありアテナさんのオペラは連日大盛況だとか……私もそれに納得してしまいます。
アリシアさんは今
晃さんは今でも現役で
「アリア社長、もう買ってないものは無いですよね?」
「ぷい」
「じゃあ、戻りますよー」
私の声に元気よく返事するアリア社長。それに笑顔を返し、私達は会社への帰路につきます。
サンマルコ広場を通ればいつもの様に沢山の観光客が写真を撮っています。そんなもうすっかり見慣れた景色を見ながら私とアリア社長は帰っていると見覚えのある姿を見かけました。
「あれ、ことりさん」
「あ、アリスちゃん、おーい」
白と黄が基調のオレンジぷらねっとの衣装をまとったアリスちゃんが立っていました。彼女は私を見ると笑みを浮かべて近づいてきます。
アリスちゃん昔は少し幼さがある感じでしたが、今ではすっかり立派になってます。
「休憩中?」
「はい、ことりさんはお買い物ですか?」
「うん、アリスちゃんお疲れ様」
「ことりさんもお疲れ様です」
そう言うと私達の足は自然にカフェに立ち寄り、2人でカフェラテを頼みます。
「アリスちゃん最近どう? 大変」
「はい、でっかい忙しいです」
カフェラテを飲みながら質問するとアリスちゃんはそう答えます。けれども言葉に反して顔に疲れは見られず楽しそう。
「ことりさんはどうですか」
「私? 私は、まだまだかな。一人前になったけど憶える事が沢山でね」
「そうですね。私もなりたてはそんな感じでした。ところでことりさん」
「ん?」
「ことりさんって昔後輩とかいたことありますか?」
「後輩?」
「はい、後輩です」
アリスちゃんから突然の話題変換。私は少しうーんと考えます。
「うん、昔部活やってたからいたよ……どうしていきなり?」
「はい、最近私の下に新しい子を付けようって話が会社で出ているんです」
「へー、じゃあ今度はアリスちゃんが先輩なんだ」
「……まあそうなります」
そう言うとアリスちゃんはカフェラテを一口。その表情はあまり嬉しそうではありませんでした。
「不安なの?」
「まあ正直に言ってしまうと」
そう言うと顔を伏せるアリスちゃん。
「私はアテナ先輩程色々出来る人では無いので、きちんと教えられるかどうか……いや、アテナ先輩は抜けている人でもありましたけど」
「あはは……」
アリスちゃんの相変わらずの言葉に私は苦笑いしつつも考えます。
後輩……私が音ノ木坂にいた時は特に3人の後輩と一緒にいた。花陽ちゃんに凛ちゃんに真姫ちゃん。μ'sの大切な後輩たち。彼女たちは今どうしてるのか少し考えます。私がここに来たのは数年前。あっちでも同じくらい時間が経ってたら皆はもう卒業したのかな、でもそもそもここは未来の話だし……。
「ことりさん?」
「あ、ううん。なんでもないよ……でもそっか。アリスちゃんも後輩が付くんだねぇ」
「ことりさん、なんですかその表情」
「ううん、少し昔のアリスちゃんを思い出してただけだよ」
「……それ、アテナ先輩にも同じこと言われましたよ」
ジトッと私を睨むアリスちゃんを見ながら私は微笑みます。
「もう皆で練習してた頃がすっごく前みたいだね」
「はい、私もそう思います」
そして2人で笑い合うとカフェから外を眺めます。いつもと変わらないサン・マルコ広場の景色……けれども時間は少しずつ変化している。後輩とかが出来ちゃう頃にはもう時間が経っていたんだ。
「でも大丈夫だよ。アリスちゃん。だってアテナ先輩も皆も、もちろん私もいるもの。色々相談していいよ」
「ことりさん、流石に
「うっ、だよね……」
「でっかい冗談です」
アリスちゃんが悪戯っぽく笑います。アリスちゃんにしてはとっても珍しい冗談に私は少し驚きつつもわざとらしく頬を膨らませます。
「もう」
「でも、ありがとうございます。ことりさんは本当に昔から変わりませんね」
「え、変わってないってこと?」
「いい意味でです。いつも相談して寄り添ってくれるでっかい優しい人です」
「そこまで凄いことはしてないよ。それに恥ずかしいセリフ、禁止」
私が藍華ちゃんのセリフを真似てそう言うと、ちょっと黙った後2人で笑い始めます。
「……やっぱり、ことりさんは変わりませんね」
「あ、ことりちゃん、アリア社長もおかえりー」
「ただいま、灯里ちゃん。今日は終わり?」
「うん、ことりちゃんもお疲れ様」
ARIAカンパニーに戻ると灯里ちゃんは帰ってきていました。灯里ちゃんはテーブルに座って何処か楽し気にパソコンを見ています。
「どうしたの?」
「うん、アイちゃんから」
「あー、
アイちゃん、灯里ちゃんのお友達とのこと。以前、
なんでも灯里ちゃんの舟に勝手に乗り込んでいたんだとか。まだ会ったことないんだけど話だけ聞いてるとなんだか
とってもわんぱくそう?
「そのアイちゃんが今度ウチに来たいんだって」
「ウチ?」
「うん、ARIAカンパニーに入りたいって」
「へー……え、じゃあ、もしかして!」
「うん、私達に初めての後輩が出来るんだよ!」
そう言って嬉しそうに笑う灯里ちゃん。そんな灯里ちゃんとは反して私が思わずビックリしちゃいました。
「ど、どうしたの? ことりちゃん」
「ううん、後輩が付きそうってアリスちゃんも話してたから、凄いタイミングだなってビックリしちゃった」
「え、そうなの!? 本当に凄いタイミングだね」
そうやって2人して驚き合う。そして灯里ちゃんが感慨深そうに窓を眺めてます。
「そっかぁ……もうアリスちゃんも後輩が出来る頃なんだ」
「そうだね、もうそんなに経っちゃった」
なんだかんだと忙しなく毎日は流れていて……ゆったりしつつも新しい風は吹いている。そんな事を考えると少し昔を懐かしむような気持になってしまいます。
……でもその変化が私は少し楽しみになってきていたりもする。
「もしかしたら、アリスちゃんの後輩と今度来る子も一緒に練習するようになるのかな?」
「へ?」
私の何気ない言葉に灯里ちゃんは目を丸くします。そして直ぐにその顔を綻ばせます。
「そっかぁ、そうなるかもしれないんだね。アイちゃんとアリスちゃんの後輩が一緒に……もしかたらこれから藍華ちゃんが教えることになる子も友達になるかも! それってなんだか素敵な事だね」
そう言うと楽しそうにパソコンのキーを叩き始める灯里ちゃん。さっそくメールの返信をしているみたいです。
灯里ちゃんはこうやって「素敵なこと」を見つけて進んでいく。どんどんと前へ前へ……いつだって未来へ向けて進んでいく。その姿を見てると私も前に進む勇気が貰えます。
「ことりちゃん」
「ん?」
「ことりちゃんが水先案内人になってくれて本当に良かった。ことりちゃんはいつも『素敵なこと』を見つけてくれるんだもの」
「え?」
灯里ちゃんにそう言われ私は驚いてしまいました。だって私からすればいつも楽しそうな灯里ちゃんが「素敵なこと」を見つけてくれるのに……。
「もしかしたら、ことりちゃんは『幸せの青い鳥』だったのかも」
「え、えぇ! そ、そんなことないよ。幸せを運んでくるのは灯里ちゃんの方だよ」
そうやって言いあった後互いに見合って笑い合います。
……アリスちゃんの言う通りかもしれない。時間が経っても私達はいつだって笑い合って進んでいける。
きっといつまでだって。
これにて番外編も最終回となります。
本編では音ノ木坂へ戻ったことりちゃんが「もしも残って水先案内人を目指したら……」そんなIFのお話となります。
個人的には2人は別れて元の流れてに戻るのが正しいと思いますが、皆が一人前になる過程も描きたいと思ったのでこういったお話になりました。
ここまで長い間読んでいただきありがとうございました。
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