しまなみ女子工業学園戦車道履修記 (柿之川)
しおりを挟む

第一章
第一話


ここは愛媛県今治市、造船とタオルで有名なこの街の港に巨大な艦影が横たわっている。

この旧日本海軍の航空母艦に似た巨大な鉄の塊、しまなみ女子工業学園学園艦は、長い航海を終え、物資の補給と各設備の保守点検・整備のため母港で羽根を休めていた。

 

季節は四月、桜も見ごろを迎え、新入生を迎えた校内は活気に溢れている。

 

 

「あ、会長、おはようございます!」

 

「おはようございます」

 

「かいちょー、お早うっす」

 

「はい、お早うっす」

 

 

下級生や同級生から、朝の挨拶を受けながら、この学園艦の生徒会長 大垣零の一日が始まった。

 

 

まずはタイムカードを押して、全校生徒が校庭に集合しラジオ体操を行い、校内清掃を行う。

全校生徒1500人の眼前で、第二まできっちり体操の見本をするのは結構恥ずかしいが、もはや慣れたものである。

 

このしまなみ女子工業学園の学園艦は、造船・機械工学・建築・繊維・情報通信といった分野で、次世代に羽ばたく人材を育成する為に、大垣重工という企業が設立した学園艦である。

その時代の最先端技術をいち早く生かせる人材を、卒業までに育成するというのが設立の目的であり、海外からの留学生も多く、校内は他の学園艦と同じかそれ以上に国際色豊かだ。

 

 

学食も巨大で、全校生徒・教職員が座れるだけの席が準備されており、今日も日々の勉強と実習で腹ペコになった生徒達の胃袋を満たしている。

ちなみに今日は金曜日なので、日替わりランチはカツ野菜カレーである。

 

零も午前中の授業を終えて、二人のクラスメイト達と昼食を楽しんでいた。

 

「昼からは3Dプリンターの実習と、旋盤・溶接実習か。早めに着替えて準備しておかないと」

 

「零、そう焦らなくてもいいわよ。いつも一番乗りなんだからたまにはゆっくりしたら?」

 

 

昼食を終え、実習室へ急ごうとする零を、生徒会副会長の陸奥原龍子が止める。零と同じ機械科2年生の学年首席であり、実習でも常に完璧な成績を収める才女である。

 

 

「ううん。みんなの足引っ張りたくないし、授業の時間を長く取ってほしいから・・・」

 

 

いつもそう言って零は誰よりも早く、実習の為の資材搬出や、機器の始動準備を行っている。

 

 

「零ちゃん、零ちゃん。龍ちゃんの言う通りだよ、急激な運動は体に悪いよ」

 

 

デザートのガトーショコラを食べながら話すのは、生徒会書記・広報を務める紅城烈華である。機械科の二年生次席であり、生徒会では動画作成・メディア広報などを一手に引き受けている。

 

「烈華はもう少し運動なさい、また少し太ったんじゃないの?」

 

陸奥原はそう言うが、零から見た烈華は、あまり太ったとも思えない。むしろ出るところが出ていて魅力的なスタイルに思える。

 

「え~ん零ちゃん、龍ちゃんがいじめるよ~」

 

しなだれかかって来る紅城の頭を、零はしょうがないなぁとぽんぽんと撫でる。

 

「あぁ、もぅ・・・烈華ったらすぐ零に甘えるんだから・・・」

 

何かと愛嬌があり、いつも明るい烈華は生徒会のムードメーカーであり、その甘え上手な性格も相まって零や龍子だけでなく、多くの人から愛されている。最近は学園艦広報の動画チャンネルにも出演しており結構な視聴数を稼ぎ出している彼女は、もはや学園艦のアイドル言っても過言ではない。

 

 

いつもと変わらない平穏なランチタイムだったが、そこに校内放送が響く。

 

 

「「機械科二年五組、大垣零さん。至急学園長室まで」」

 

 

「二人とも御免ね、呼び出し入っちゃった・・・」

 

 

「気にしないで、先に行って準備しておくから」

 

「う~ん何だろうね?また学園長の無茶振りかな?」

 

 

昼食を終え、二人と別れた零は学園備え付けの自転車で3ブロック先の学園長室に急ぐ。

学園長室は学園艦の艦橋最上階にあり、徒歩で行くにはかなり遠い。広大な学園内には、移動用自転車が備え付けられており、生徒の校内移動の重要な足になっている。

 

 

「機械科二年五組、大垣零です」

 

 

そう言って扉をノックすると、入室を促す声が聞こえて零は扉を開ける。

 

 

「まぁまぁ零ちゃん、お昼に呼び出して御免なさいね。どうぞそこに掛けて、お茶菓子準備するわね」

 

 

そう言いながらいそいそと紅茶と菓子を準備するのは、零の祖母である。

大垣重工の前最高経営責任者であり、現在はその職を零の叔母に譲り、自身はこの学園艦の学園長に収まっている。

 

 

ふわりと紅茶のいい香りがしてくる。祖母は紅茶を淹れるのが本当に上手であり、小さな時から零は祖母が淹れる紅茶が大好きだった。

 

 

しかし同時に零はすごく嫌な予感がしていた。何故なら祖母がこうして自分を呼び出して、美味しい紅茶を振る舞う時は、大概無茶な用件を頼まれる事が多いからである。そして今回もその予想は外れなかった。

 

ウエッジウッドの茶器に注がれた紅茶と、スコーンが零に差し出される。

そうしていつになく、神妙な面持ちで学園長が話し出した。

 

 

「実はお願いがあるの、我が校での戦車道の必修選択科目立ち上げを貴女に任せたいの」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

「「戦車道?」」

 

 

放課後、零は、生徒会室で陸奥原と紅城に昼の顛末を打ち明けた。

 

 

「そう、今年度から必修選択科目に戦車道を新たに取り入れるらしいの。その立ち上げと運営を、生徒会主導で進めて欲しいみたい」

 

 

そう言いながら零は、昼の事を思い出していた。

 

 

「戦車道・・・ですか?」

 

 

茶道・華道と並ぶ、日本の芸事。古来より乙女の嗜みとして、良妻賢母を育む事を目指した武芸だったかなと?祖母の淹れた紅茶を味わいながら零は思い出す。

 

「そう、慈愛と敬愛・礼節と慎み・強く美しい心を育む戦車道。

今年度から他の学園艦でも、必修科目として復活させる動きがある事は知ってる?

文部科学省も力を入れていて、更に社会人プロリーグの発足も間近。

この機会に、是非わが校でも戦車道を必修選択科目に取り入れたいの。

そこでね、戦車道に関する準備・運営を零ちゃん達、生徒会の皆にお願いしたいの」

 

急に無理を言って御免なさいね と、祖母が零に話す。

 

戦車道・・・たまにニュースの録画で実業団とか、海外の大会の試合結果が流れるぐらいでしか見た事ないけど大丈夫かな・・・ と、零は考える。

 

若干心配だが、学園長でもある祖母からの頼みとあらば断る事は出来ない。戦車道の事も、戦車の事もよく知らないが、大袈裟に考えず、戦車も一つの機械と考えればなんとかなるかなと思い、零は、紅茶をごくりと飲み干し、学園長に向き直り話す。

 

 

「分かりました。他の生徒会役員にも話しておきます。微力ですが、精一杯取り組まさせて頂きます」

 

 

そう言うと、祖母は本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、零を強く抱き締めた。

 

 

「ありがとう零ちゃん!そう言ってくれると思っていたわ!」

 

「わわっ、おばあちゃんやめてよ・・ちょっとくるしい・・」

 

 

零がそう言っても祖母はなかなか抱きしめるのを止めない、祖母のハグが終わったのはたっぷり3分後だった。

 

 

 

「しかし・・・戦車道とは参ったわね。うちの学園艦は戦車道の活動は今まで無かったしノウハウなんて無きに等しいわよ」

 

 

困ったように陸奥原が呟く。しまなみにも、他校と同じく選択必修科目はある。たがそれは華道や茶道といった科目のみであり、戦車道は今まで科目に無かったのである。

 

 

「そういえば、戦車道って戦車が必要なんだよね。この学園艦にそんなものあったっけ?

まさか機械科で戦車も一から作らなきゃダメって事?」

 

 

これが華道であれば、花器と花があれば何とか形だけでも成立するかもしれない。しかし、戦車道は戦車が無ければ成り立たない。普段考えた事もないものを一体どう準備すれば良いのか検討もつかないといった様子で、紅城も不安気だ。

 

当の零も頭を抱えていたが、やがて決心したように、二人に話し出す。

 

 

「ひとまず一ヶ月後に、必修科目が成り立つような状態を作り上げよう」

 

 

「先ずは戦車だけど、これは学院長が手配をつけてくれているみたいだから心配いらないよ。明後日の出航までに港の駅に鉄路で届くから、烈ちゃんは運送業者の人と積み込みの段取りをしておいて。車両は上部甲板Dブロックの第三倉庫に搬入をお願い」

 

「了解、零ちゃん。早速段取りをするから後から業者さんの連絡先を教えてね」

 

零が指示を出すと、紅城がてきぱきと戦車受け入れの段取りを始める。

 

「使用する戦車だけど、かなりの年代物みたいだから、安全に授業を行う為にも、一度徹底的にオーバーホールして、使用出来ない部品を洗い出さなきゃ・・・むっちゃんは学校の設備の使用に関して、先生達と打ち合わせをしておいて。学園艦の工場も戦車道に関する部品の製造は優先的に回してくれるみたいだし、もし部品が学園艦で内製出来れば、部品不足で授業に穴を空けたりせずに済むし、何より学園艦の工場の精度は折り紙付きだから」

 

 

「分かったわ零、早速先生達に話を付けておく」

 

 

「明後日の朝礼で、全校生徒に対して履修の募集をかけてみよう。戦車道連盟から配布されたDVDがあるからそれを放映して、履修を募るの。本物の戦車も出せたらよかったけど、操縦方法も分からないし、今あるもので何が出来るか考えていこうか」

 

 

「「了解!!」」

 

 

そうと決まれば話が早いといった感じに、陸奥原と紅城は元気に零に返事を返す。

 

こうして、しまなみ女子工業学園の戦車道が生徒会室で静かにスタートしたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

案ずるより生むが易しという言葉がある。あれこれ悩むより、やってみれば意外となんとかなるという意味であるが、それは、しまなみ女子工業学園の戦車道にもその言葉が当てはまるかもしれない。

 

 

「それでは、本日の練習を終了します。皆さんお疲れ様でした」

 

「お疲れ様でした、隊長!」

 

 

隊長を務める零の終礼の挨拶で、今日の戦車道の練習が締めくくられる。戦車道履修開始から二週間、戦車も人員も揃い、未だよちよち歩きではあるが、なんとかしまなみ女子工業学園の戦車道はスタートしていた。

 

 

「零隊長、本日もお疲れ様でした!」

 

 

溌剌とした声が聞こえ、振り返ると、一年生の朝河潮美が立っていた。3人の機械科所属の一年生からなる4号車、ユズリハチーム・ソミュアS35中戦車の車長を務めている。ピシりと背筋を立てて立つ様は、まるで女性自衛官であり、高校生一年生とは思えない凛とした佇まいだ。

 

 

「お疲れ様、朝河さん。今日の模擬戦、ガーベラチームとの連携射撃素晴らしかったよ!」

 

 

すごく上達してるね、と零は可愛い後輩の頭を優しく撫でる。

 

 

「きょ、恐縮です!ですが、隊長のお背中を守るにはまだまだ力不足です!これからも粉骨砕身精進いたします!」

 

 

顔を真っ赤にしながら、朝河はもじもじと零に応える。

 

 

「あー潮美ちゃんだけずるい~ 先輩私も~」

 

 

少し間延びした声で、もう一台のソミュアS35に乗る、機械科所属の1年生3人のガーベラチーム 5号車車長の、荒川四葉が零に抱きついてきた。零は荒川も一緒に、頑張ってるねと褒めて頭を撫でる。

 

 

「隊長さんはすごいネ~、一年ちゃんを二人もテダマにとっちゃうなんてテ」

 

 

陽気に話すのは、ブラジル留学生4人から成る、オニユリチーム車長のエレナ・カルネイロだ。建築科2年生で、その持ち前の明るい性格で周りを盛り上げるしまなみのムードメーカーである。地形に関する卓越した読みの鋭さを持っており、2号車M15/42中戦車を駆って常に先陣を切る、しまなみ戦車道チームのポイントマンの役割を担っている。

 

 

「そうそう、たまには私たちの事も可愛がって欲しいものね」

 

 

本当は私が可愛がってあげたいんだけど、と話すのは、繊維科二年生のイタリア人留学生4人から成る、アマリリスチーム・M15/42中戦車・3号車車長の、マルティーナ・ビアンケッティだ。日本の歴史と着物文化に魅せられて、イタリアより留学してきた日本大好き娘である。

 

 

「四人ともいい加減にしろ、隊長がお困りだぞ」

 

 

そういって四人の間に入ってくるのが、零と同じ機械科の二年生5人から成る、6号車・五式中戦車ウメチームの車長、長原門野だ。

 

 

「かどちゃん、隊長は慕われ体質ですもの。それは仕方がないわ」

 

 

明るく長原に話すのは、同じく機械科二年生5人から成る、7号車・五式中戦車ツバキチームの車長、室町椿だ。

 

 

大垣重工の資料館に収蔵されていたという戦車を、戦車道で使用する為に、零達機械科の生徒達はクラス・学年を問わず総出で、戦車を整備し、ものの三日間で10両全てを使用できる状態に仕上げた。

生徒全員が、超高校級の機械整備のプロフェッショナルなのがしまなみ女子工業学院の機械科でありその中でも、選りすぐりの人材達が揃うのが6号車・7号車の乗員の10人である。なお、試作車両しか残されていないと思われていた五式中戦車の実物が二両も発見された事で、戦車・歴史研究の界隈は今大騒ぎになっている。

 

 

「あらあら、零さんは今日も大変そうですね」

 

 

後ろから声を掛けられ零が振り向くと、ドイツ人留学生4人から成る、8号車・Ⅳ号突撃砲クローバーチームの車長ベアトリーセ・メルダースが立っていた。船舶工学科の二年生であり、零と同じ選択科目が履修したいと、友人と共に加入してきた。戦車道経験者であり、ドイツの草チームではヘッツァーの車長をこなしていたとの事で、その冷静な判断力を武器に、重要なしまなみのスナイパーの一角を担っている。

 

 

「隊長はやはり凄い、男に生まれれば高級ジゴロになったはず。稀代の女たらし」

 

 

さらりと言ってのけるのは電子情報工学科の生徒4人から成る、9号車・Ⅳ号突撃砲ドクダミチームの車長、音森響である。成績は電子情報工学科の学年首席であるが、一時期ネットゲームにドはまりして、遅刻・欠席の常連となってしまい、成績下降から退学の危機に瀕していた所を、零の徹底的な生活指導で救ってもらった経験があり、恩義に報いたいと、友人とともに参加してきた。ネットゲームのポジションではスナイパーが得意との事で、戦車道でもしまなみのスナイパーの片翼を担っている。

 

 

「もう、零ったら私を差し置いて何を楽しそうにしてるの?私もまぜなさい」

 

 

10号車・ARL44重戦車カトレアチームのフランス人留学生5人の車長を務める、

ルイーズ・ベルナールが来た。電子情報工学科に所属している。成績は音森に次ぐ次席ではあるが、機械言語の天才と言われており、戦車の主砲発射音に魅せられて友人を誘って加入してきた。フランスの重戦車、ARL44を駆り、フラッグ車の役割を零に任され、しまなみのゴールキーパーの役目を担っている。

 

 

「はいはいみんな、賑やかなのは良いけど、早く大浴場に行くわよ」

 

 

そう言って皆を纏めるのは 零が乗る1号車・strv m/40L軽戦車 キキョウチームの操縦手、陸奥原龍子である。戦車道の授業後は、どうしても油と硝煙の匂いまみれになってしまう為、授業が終わり次第、学園の大浴場にいって汗を流すのが、履修生全員の共通の楽しみになっている。

 

「それでは皆さん、車庫の施錠をするので帰る準備をして下さい」

 

零がそう皆に言うと、全員てきぱきと準備を開始する。零自身も、早く大浴場で一っ風呂浴びたいので、手早く運動着から制服に着替える。

 

「ねえねえ、みんな。ショッピングモールに新しいアイス屋が出来たの知ってる?帰りに寄ってみない?」

 

同じくキキョウチームの装填手兼通信手の紅城がそう言うと、全員がさんせーと手を挙げる。工業高校とは言っても、皆おしゃべりと買い物と甘いものが大好きな普通の女子高生達である。

 

 

こうして、始動間もないしまなみ女子工業学園の戦車道履修生達のとある一日が終わった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話

しまなみ女子工業学園の戦車道がスタートしてから、早3週間が経った。

 

今日は日曜日。零は休日を利用して図書館で戦車の図鑑や、過去の大戦を題材にした本、戦術書を読み漁っていた。

学園長でもある祖母に、今度は夏の戦車道全国大会に出場するように言われてしまい、隊長の零は、戦車道の戦術等の勉強で大忙しだった。

 

と、席で本を読みながら要点をノートに纏めていたが、マナーモードにしていた携帯が震えだしたので、図書館から出で零は慌てて電話を取る。

 

 

「お待たせしました、大垣です」

 

「あー大垣ちゃん?大洗の角谷です。おひさしぶりでーす」

 

 

電話の相手は大洗女子学園の生徒会長、角谷杏からだった。

 

 

「こちらこそお久しぶりです角谷さん。いつも大変お世話になっております」

 

 

以前から二人は生徒会役員同士親交があり、電話やメールで互いの近況を話したり、互いの地域の特産品を送りあったりする仲になっていた。そうして、とりとめのない話や、互いの学校や私生活の話を色々話している時に、ふと杏が提案を切り出した。

 

 

「そういえば、大垣ちゃんの学校も戦車道を始めたって聞いたんだけどさ~3日後大洗に入港するんだよね?うちでも戦車道再開させたんだけど、良かったらメンバー同士の親交と、スキルアップを兼ねて合同練習とかやってみない?」

 

 

杏から提案を受けて、零の返事は即答だった

 

 

「こちらこそ宜しくお願いします。ぜひ大洗の皆さんの胸を貸してください」

 

「ホントに!?ありがとね!こちらも大歓迎させてもらうよ~」

 

 

受話器からは本当に嬉しそうな声が聞こえる。そうして零と杏はでは3日後にと約束をし、電話を切った。

 

 

ふ~良かった、大垣ちゃんからアポを取れたよ。

6月の戦車道全国大会の一回戦までに、絶対に会っておきたかったから嬉しいね。

あの辻って役人さんが、実績に乏しい「大洗女子学園」と比べて、「しまなみ女子工業学園」の事を滅茶苦茶褒めてたから、正直言って悔しいって気持ちはあるけど、年代物の10両の戦車を三日で完璧な状態に仕上げる整備の秘密とか、色々知りたかったし、この機会を逃す手はないね。

それに大垣ちゃんにも会いたいんだよね~、一生懸命で健気で本当にかわいいんだよ。廃校を言い渡されてから、最近毒気が溜まってたし、オオガキニウムを補充して、癒されたいね。

そういえば、ほうぼうの組合さんから、ぜひまたイベントをやってほしいって連絡来てたし、大会の抽選会に向けて景気付けにいっちょ派手に盛り上げちゃおうか!それじゃー早速、小山と河嶋に電話だね。

 

 

零は杏との電話を切ってから考えていた。

自分達は戦車道を始めて、日々練習を頑張っているが、それはあくまで練習に過ぎない。

大洗は負けはしたけど、以前に連取試合で高校戦車道の四強の一角、聖グロリアーナを、市街地フラッグ戦で敗北寸前まで追い込んでいた。その勝負強さを、ぜひ戦車道のメンバーにも吸収させたいと考えていた。

 

 

「3日後か・・・ 早速準備にかかろうか」

 

 

借りる本を見繕い、零は足早に図書館を後にした。

 

 

 

それから3日後、大洗に到着した零と杏は合同練習やイベントについて話し合っていた。

 

 

「今回の練習試合なんだけど、大洗町内で、5対5のフラッグ戦でどうかな?」

 

 

今週末の日曜日に、大洗の市街地で戦車道練習試合を行う事を、杏は既に準備していた。

役場や、警察にも、町興しのイベントとして許可を依頼したところ、二つ返事で許可が下りた。戦車道に力を入れている文科省の方針もあり、戦車道に関する活動には、行政や警察も優先的に協力を行うようになっている。

更に、対聖グロリアーナ戦での、Ⅳ号戦車の最後の追い上げや、Ⅲ突・97式戦車の戦いぶりが大洗の人たちの心に火を付けたのか、町全体が大洗女子学園の戦車道に非常に協力的なのだ。

多くの地元の商業組合も、ぜひまた練習試合をと申し出ており、今回も数多くの屋台が出店し、沢山の観客が県外から来訪する為、地元の宿泊施設も予約で一杯である。

 

「いいですね、その方向でぜひお願いします」

 

「よっしじゃあこれでいこうか。警察さんや、商店街や旅館の組合さんとも話してるから、観客の整理とか誘導はあっちがやってくれるし、心配いらないかんね。でも、大会前だし、ウチはあんまりお金無いから、戦車の修理がちょっと心配かな~」

 

あははと、杏は苦笑いを浮かべる。突貫工事でプランを練って、立ち上げた大洗の戦車道は、なんとか形はできたが、何より予算が無いので、各部にもカンパをお願いしたりと、金策に走っていてはいるが、厳しい台所事情が続いている。なにしろ燃料に弾薬、県外への遠征ともなれば、輸送費も掛かるし、旅費も掛かる。戦車道とは、なんともお金が掛かるものなのである。更に、練習試合ともなれば、戦車の損傷が伴う為、その修理費用も馬鹿にならない。

 

「その件なのですが、今回お誘い頂いたお礼に、練習試合での戦車の修理は私たちが受け持たせてもらっていいですか?もちろんお代なんて構いませんので」

 

「えぇー!気持ちは嬉しいけど、それじゃ大垣ちゃん達が大変だよ」

 

「気にしないでください、私達は今回初めて戦車道を履修し始めたもので、中々練習試合を受けてくれる学校が見つからず、困っていたんです。今回こうして、角谷さんや大洗の皆さんからお誘いを頂いて本当に嬉しいんです。だから、せめてものお礼をさせてください。自動車部の皆さんにも、共同整備という事で力添えを頂ければ、ノウハウの共有も出来ますので、是非参加をお願い出来ませんか?」

 

「ありがとう大垣ちゃん、それじゃ今回だけ甘えさせてもらうよ。自動車部にも声を掛けておくよ。御免ね本当に・・・」

 

本来であれば、敵に塩を送るような行為は、勝敗のある競技ではしない事が最善だろう。

しかし、目の前の少女は、友人からの恩義に報いる為に、自分達のストロングポイントを

曝け出そうとしている。杏は申し訳ないという気持ちと、しまなみの整備の秘密を知りたいと思っていた希望が叶いそうな事を内心喜んでいる自分と、大垣ならばこう言ってくれるはずと、わざと弱音を吐いた自分に、心底嫌気が刺した。

だからせめて、今回の練習試合、目の前に少女の気持ちに応えらえるよう、全力で戦おうと心に誓うのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話

日曜日、今は朝五時半 天気は雲一つ無い快晴で、風も微風。正に絶好の戦車道日和である。大洗の町の人たちは、今日の戦車道の試合に備えて、朝から忙しく動いている。

 

 

「う~眠い、あと3時間寝たかった・・・」

「冷泉さん、頑張って。あと少しで広場だから」

「はいはい麻子、早くサンドイッチ食べちゃって。も~なんで試合の日に夜更かしするのよ」

「仕方がない、夜は更かすためにあるものだ」

「驚愕の冷泉さん理論ですね・・・・ どうぞ、ミルクと砂糖多めのコーヒーです」

「ありがとう秋山さん、う~ん美味い」

「今日の練習試合楽しみですね、しまなみ女子工業学園の人たちとお友達になれるでしょうか」

 

Ⅳ号戦車の面々も、集合場所の多目的広場に向かって戦車を走らせていた。

 

「わっ相手校のチームもう到着してるよ、準備早っ」

 

「立派な主砲の戦車が多いですね、見ていてうずうずします」

 

「しかもよく整備されているな、ここから見ていても分かる」

 

「幻の五式中戦車が二両も・・・滅茶苦茶はしゃぎたいですが我慢します・・・ しかも全車両、等間隔にきれいに整列しています。とても三週間程前に結成されたとは思えませんね」

 

「うん、戦車の状態も良いし、練度も高そう」

 

他チームの戦車も続々と到着し、皆思い思いに話をしている。

 

 

「ブラジルの留学生の人たちのチームがあるんだって!バレー好きだといいな」

 

「なにやら紺糸裾素懸威胴丸のようなパンツァージャケットだな、実に今治の高校らしい」

 

「ねえねえ、一年生だけのチームが二つもあるんだって、お友達になれるかな?」

 

 

そうこうしていると、杏が一人の少女を連れてやってきた。

 

 

「西住ちゃん、ちょっといいかな。しまなみの隊長さんに西住ちゃんを紹介したいから」

 

 

「は、はい!」

 

 

「大垣ちゃん、うちのチームの隊長の西住みほだよ。西住ちゃん、こちらしまなみ女子工業学園生徒会長で、戦車道チーム隊長の大垣零さんだよ」

 

 

「は、初めまして西住みほです!」

 

 

「こちらこそ初めまして西住さん、大垣零と申します。今回は練習試合にお招き頂きありがとうございます。何分私共は練習試合を行ったことがないもので、不慣れな事もあるかもしれませんが、どうか胸を貸してください」

 

 

宜しくお願いしますと差し出される零の手を、みほは握り返す。握った手はとても暖かく、皮の厚くなった手は戦車整備士の父の手にとても似ている、働き者の手だった。

 

 

そうして隊長同士の挨拶も終わり、大洗はテントで事前の作戦会議を行っていた。

 

「今回、相手チームは、隊長兼フラッグ車のstrv m40/L軽戦車と、M15/42中戦車が二両、ソミュアS35中戦車二両の合計5両のオーダーで来ます。私たちは、同じく5両ですが、相手の練度は侮りがたいですし、戦車の装甲厚も向こうが上です」

 

「そこで、バレー部さんと、会長さんのチームは偵察と敵の誘い出しをお願いします。誘い出された敵から、商店街道路に潜伏したⅢ突で狙撃。Ⅳ号とM3リーでⅢ突の護衛と、市街地での撃破を狙います」

 

話しながら、みほは安堵していた。もし、10両で来られていたら、どうなるか全くわからなかったが、同じ5両であれば、勝ち筋が見えるかもしれない。それに、皆一度試合を経験したからか、落ち着いている。なにより会長が川嶋先輩に代わって砲手を務めるとポジションを変えてきている。M3に乗る一年生の子たちも気合が入っているし、熱心に説明を聞いてくれている。今回は、面白い戦いになるかもしれないとみほはいい予感がしていた。

 

 

その頃、零達しまなみチームも、テントで作戦会議を行っていた。

 

「今回大洗チームは、フラッグ及び隊長車のⅣ号戦車と、Ⅲ号突撃砲、八九式中戦車、M3リー中戦車、38t軽戦車の5両編成のオーダーできます」

 

「まず直線的な道路を警戒しながら、最優先でⅢ突を撃破します。Ⅲ突の主砲は私たちの戦車を一発で走行不能に出来るので、広けた見晴らしの良い場所にはうかつに出ないように警戒してください。道中、軽戦車を利用した攪乱・陽動が予測されるので冷静に対処しつつ、2両一組のチームで互いの背に気を配り、深追いせず、連携して戦いましょう」

 

「今回はM15/42のオニユリ・アマリリスチームのペアと、ソミュアS35のユズリハ・ガーベラチームのペアを編成します。更に、私達キキョウチームで偵察と、両チームの支援を行います」

 

「質問が無ければ、これより車両の最終チェックをお願いします。9時より開会式がありますので、8時半にここに集合をお願いします。それでは解散」

 

事前の作戦会議を終えて零は、皆の口数が少ない事を気にしていた。やはり、いくら練習していても、本番ともなれば皆緊張するのかなと思う。そんな中でも、オニユリチーム車長のエレナは、明るく皆を励ましてくれている。

そんなエレナを後ろで冷静にサポートするアマリリスチーム車長のマルティーナはいいコンビだなと思うし、緊張気味のユズリハチーム車長の朝河を、からかいつつ緊張をほぐしているガーベラチーム車長の荒川も同じくだ。

 

「隊長!お背中は私が守ります!大洗には絶対に指一本に触れさせません!」

 

「も~潮美ちゃんには潮美ちゃんの役割があるんだから、わがままいって隊長を困らせないの」

 

「ヘイ隊長さん!ジャイアントキリング期待しててよネ!」

 

「エレナは私が操縦しておくから、隊長は心配しないでね」

 

これから一緒に戦う仲間たちの声を聴いて零は嬉しくなる。そして今回参加出来ない皆に声を掛ける。

 

「ごめんねみんな、今回はお留守番をお願いする事になって・・・」

 

零は申し訳なさそうに、頭を下げる。

 

「いえいえ隊長、気にしないでください!」

 

「そうよ隊長、私達はオジサマ方の相手をしてるから、気にしないで」

 

五式中戦車に乗る、ウメチーム車長の長原と、ツバキチーム車長の室町が笑顔で答える。今回、 本物の五式中戦車がお披露目されるとあって、それ目当てのお客さんが多数来ており、その対応をウメ・ツバキチームにお願いしているのだ。ミリタリー好きの紳士達は、総じて話好きなものだから、寄港地の町工場での短期研修などで、年上の男性の相手が慣れている機械科の女子達は、この手のお客さんの相手が物凄く上手いのである。

 

「子供たちの相手はとても楽しい。初手柄は全国大会までとっておく」

 

「私達の事は気にしないで隊長。でも元気な子が多いからちょっと大変かな?」

 

ドクダミチームの音森達と、クローバーチームのベアトリーセ達には、チームで地元小学生の戦車体験ツアーの相手をお願いしており、2両のⅣ号突撃砲を使った体験乗車や、戦車射的コーナー・手作り戦車模型コーナー・戦車バルーンドームなどで子供たちの相手をしてもらっている。子供たちも、ゲームの話についてきてくれるドクダミチームの音森達と、優しい保母さんのような雰囲気のクローバーチームのベアトリーセ達に懐きまくっている様子で、お願いしてよかったと零は思っていた。

 

「まったく零ったら、私にこんな役目をさせるなんて。報酬は倍返しじゃないと許さないわよ」

 

ARL44を駆る、カトレアチームのルイーズ達には、戦車撮影コーナーのモデルをお願いしていた。巨大な戦車を背景に、映画女優も目じゃないようなフランス人美少女5人と一緒に写真が撮れるとあって、長蛇の列である。しかも、ルイーズ達も満更ではないようで、しっかりと笑顔で写ってくれている。

 

零は、このチームの隊長であることを誇りに思った。チーム全員が、各々の個性を生かして、それぞれの持ち場で最善を尽くそうと努力してくれている。この人たちの幸せの為に、失望させないために自分も全身全霊で役目を果たそうと誓った

 

 

「隊長、そろそろ時間です」

 

「隊長、いっちょかましにいきますか!」

 

 

strv m40/Lに一緒に乗る、操縦手の陸奥原と、通信・装填手兼任の紅城がやってきた。

 

 

「うん!いっちょやりますか!」

 

 

零が元気よく応える。大洗のとある日曜日、天気は快晴、風は微風。最高の戦車道日和に、零達の初めての戦いが始まるのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話

西住みほは、自分に絶望して大洗に転校してきた。去年の全国大会から、何もかもを失って。

そうして、戦車道から逃げてきた先で、初めて友達が出来た。初めて人間らしい学校生活が送れると思った矢先、戦車道の世界にまた引きずり込まれた。引きずり込まれた先での初めての試合、グロリアーナの隊長は、戦いぶりを評価し紅茶のセットをくれた。だけど、何を評価されたのかまだ分からない。姉のように適格な指示を下す事も出来ず、仲間を撃破され、最後に追い上げも出来たが、それは類まれな乗員の能力に頼っての事。

 

 

西住みほは自分の戦車道を見失っていた。

 

 

 

試合開始から、2時間が経過していた。街には硝煙の匂いが立ち込め、普段静かな町は履帯が軋む音と、砲撃音に包まれている。

西住みほは、興奮していた。2時間が経過したと秋山さんが教えてくれたが、体感では30分も経っていないように感じる。硝煙を纏った空気が、敵の接近の音を伝える。また、strv m40/Lが猛烈な突撃をしてきた。みほは全身にぞくぞくとした喜びを感じながら、操縦手の冷泉さんに、足で命令を伝える。麻子は何も喋らず、ミリ単位で敵の射線を躱しつつ、優位な位置に車両を遷移させる。砲手の五十鈴さんの肩を触る。華は小さく頷き、最高のタイミングで引き金を引く。だが、strv m40/Lは車両を急激に回転させ、その弾を軽くいなす。秋山さんが最速で砲弾を装填し、 通信を行う相手がもはやいない武部さんは、装填時の隙を減らす為、機銃で牽制射撃を行う。

Ⅳ号の全員の心が、一つの生き物になったかのように溶け合っていた。そうして strv m40/Lと、今日何度交わしたか分からない一騎打ちをしていた。

 

 

最初にバレー部チームが、オニユリのパーソナルマークのM15/42とダンスを踊るような接近戦を繰り広げ、ターレットリングを打ち抜いたバレー部チームが一両撃破し、その直後、アマリリスのパーソナルマークの僚車に打ち取られた。

その後、その僚車はⅢ突と猛烈な接近戦を交わし、Ⅲ突を撃破。直後に、M3リー中戦車が突撃し、M15/42を撃破、そのM3リーを2両のソミュアS35が圧倒的な連携を見せ、被弾ゼロで撃破。そこにⅣ号戦車と38tが出現し、コンビネーションで一両のソミュアS35を撃破。一両だけとなったソミュアを追い詰めているところにstrv m40/Lが合流し、見事な防御戦を行う。膠着を打破する為に、38tが捨て身の突撃を敢行し、壮絶な撃ち合いの末、38tが撃破される。隙が出来たstrv m40/Lの後方に回り込み、絶好の射撃位置に入ったⅣ号からの射撃を、ソミュアS35が庇う形で被弾し、撃破された。

 

 

観客は誰も声を上げていない。自分たちの眼前で起きている戦車が繰り広げている戦いにただただ声も出せず、見入っていた。この試合から新たに導入された、複数の高機動型ドローンが迫力ある映像を観客席の大型ビジョンに映し出す。可憐な少女達が乗る戦車が繰り広げる、泥臭く、人間くさい戦いに魅了されていた。

 

 

大洗磯前神社の一の鳥居前の磯浜さくら坂通りで、二両の戦車が対峙していた、坂の上にはⅣ号戦車が、海側にはキキョウのパーソナルマークの strv m40/L が車両を小さくフェイント運動させながら、Ⅳ号の突撃を待ち構える。西住みほは、これが最後の勝負になる事を覚悟した。

 

「武部さん、五十鈴さん、秋山さん、冷泉さん この突撃に私の人生の全てを込めます。どうか

一緒についてきてくれますか?」

 

 

「もちろんだよ、みぽりん!」

 

「任せろ西住さん、何処へでも連れて行ってやる」

 

「装填はお任せ下さい!最速タイムをマークしてみせます!」

 

「ほんの少しで良いので、静止射撃の時間を下さい。必ずあの華を摘み取って見せます」

 

 

みほは万感の思いで声を発する

 

 

「みんなありがとう・・・ 目標に対して蛇行しつつ、坂を活かして最大速度で接近します。機銃と榴弾で牽制射撃を行い、高速で左サイドから後方に回り込み、徹甲弾による静止射撃で機関部を狙ってください」

 

「「「「了解!!!!」」」」

 

 

「では、いっちょかますぜ作戦いきます!パンツァー・フォー!!」

 

 

そうして、突撃を始めたⅣ号に対し、strv m40/Lからの猛烈な砲撃の連射が襲い掛かる。それを絶妙な操縦で躱しつつ、榴弾で相手の前の道路に砲撃し、煙で煙幕を作る。機銃からの牽制射撃で、相手の射撃をブラせつつ、最大速度からのスライドで、サイドから後方に回り込み、最速で装填された徹甲弾が、最高の砲手の射撃で撃ち出され、strv m40/Lを貫いた。

 

 

「strv m40/L走行不能、しまなみ女子工業学園残存車両なし。よって大洗女子学園の勝利!」

 

 

戦車道公式試合審判長・蝶野亜美のアナウンスが、どこまでも透き通った大洗の青い空に響いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話

それからは大騒ぎだった。多目的広場に帰って来た私達を、まるで日本の半分の人口が集まっていると錯覚してしますような、沢山の人たちが拍手と声援で迎えてくれた。先に撃破された仲間達が、駆け寄り抱き着いてくる。その後は、お立ち台に上がってのヒーローインタビューや、大洗のえらい人達からなにか表彰されたりと目まぐるしく行事が進み、閉会式と機材の片付けまであっという間だった。

 

そのあとは、大洗チームとしまなみチームの皆と一緒に屋台巡りをしたり、アイスとクレープを食べたり、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

 

 

サンビーチを夕陽が赤く染めていた。

 

みほは、友人達から離れ、一人砂浜で佇んでいた。今もあの戦いの興奮が冷めやまない。

 

 

「お疲れ様でした、西住さん」

 

「あ、大垣さん・・・」

 

 

みほの元に零が歩み寄ってきた。黒と白地のコントラストが美しかったパンツァージャケットも、少し煤けて、あの戦いの事を思い出させた。

 

 

「勝利おめでとうございます、本当に素晴らしい経験をさせて頂きました」

 

「い、いえ、、こちらこそ!ありがとうございました!」

 

 

みほは精一杯の気持ちで零に礼を言う。

 

 

「おやおや、えらい方々がお揃いで。おねーさんも混ぜてよ」

 

 

二人の元に杏がやってきた。零とみほの間に杏が挟まり、三人で並んで赤い夕陽を眺める。

 

少しの静寂が、三人の間に流れた。

 

 

「西住ちゃん、本当にありがとうね。無理やり初めてもらった戦車道で、私らにこんな楽しい時間を過ごさせてくれて。今更だけど、あの時は本当にごめんね」

 

 

杏が頭を下げると、みほはわてわてと話す。

 

 

「い、いえ気にしていませんから、頭を上げてください会長!」

 

 

そうしてみほは、ぽつぽつと話し始める。

 

「私は・・・ 私は今まで戦車道しかない生活をしてきました。その戦車道が私から無くなって、逃げた先が大洗でした。からっぽの自分に初めて友達が出来て、普通の学校生活が送れると思っていた時に、また戦車道の世界に戻れと言われた時は、本当につらかったです・・・ だけど、今こうして、大洗の皆と、会長さんと一緒に戦って、戦車道が楽しいって思えるようになったんです。だから、会長さん、頭を上げてください」

 

 

「ごめん・・西住ちゃん、ちょっと顔を上げらんない」

 

 

杏は泣いていた、いつも気丈で、飄々としている強い少女がぽろぽろと涙を流していた。そうして、しばらくして顔を上げる。そこには、涙は無く、気丈で飄々とした、いつもの大洗女子学園生徒会長の姿があった。

 

 

「大垣ちゃん。本当に、本当にありがとう」

 

 

杏は零の手を強く握り、感謝の言葉を伝える。その手を零は、ぎゅっと両手で握り返す。

 

 

「こちらこそ、ありがとうございました。次は全国大会で会える日を楽しみにしています」

 

 

燃えるように赤い夕陽と、寄せては返す静かな波の音が、より強い絆で結ばれた三人を優しく包んでいた。

 

 

 

 

 

 

「でも、今日はまだまだ二人を離さないよ!この後潮騒の湯で皆で一っ風呂浴びたら、ホテルで

両チーム全員と自動車部と蝶野さんとスタッフの皆さん招いて打ち上げだかんね~♪」

 

「ふぇえ!?」

 

「そんなことでもあろうかと、地元の酒造会社に頼んで、特製柑橘系ノンアルコールチューハイを準備しておきました。ホテルにも連絡して、持ち込みの許可は頂いております」

 

「お~流石大垣ちゃん。根回しが早いね~」

 

「大洗さんの戦車は、連盟に頼んで私達の学園艦に直接搬入してもらいました。修理完了は出航と同じ、3日後の予定ですので完了次第ご連絡させて頂きます」

 

「も~大垣ちゃんには感謝してもしきれないよまったく。もうウチのお嫁さんにならない?」

 

冗談を言いながら、てきぱきと段取りを行う二人に、みほは学園艦の生徒会長の逞しさを感じた。同時に、この二人と歩んでいくこれからの戦車道は、一体どんな素晴らしいことが待っているのか、期待で胸がいっぱいになった。

 

「ほらほら行くよ西住ちゃん」

「行きましょう西住さん」

 

もう迷いは無かった。

二人から差し出される手を握り、みほは応える。

 

「はい!!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 全国大会編
第八話


「大垣さん、遅いですね・・・・」

 

西住みほが呟く。ここは戦車道全国大会の抽選会場、全国の数多ある戦車道を履修している学校の生徒が集い、会場は静かな熱気に包まれている。みほは、先月の練習試合で戦った友人の事を心配していた。

 

「う~ん、意外と新宿駅あたりで迷ってたりしてね」

 

会場内の喫茶店で、みほの向かいに座ってソーダを飲みながら角谷杏が呟く。先月の練習試合での、みほとの和解以来、この二人は気の置けない仲となっていた。今日も二人で、抽選会に参加をしている。

 

「あはは。でも会長、大垣さんに限ってそれは無いですよ」

普段複雑な図面や機械の回路を相手にしている、仮にも工業高校の生徒が、都会の駅の路線図程度で迷うとは考えにくいとみほは思っていた。

 

が、カンが鋭い杏の予想は見事当たっていた。

 

 

「どうしよう・・・ どの路線の切符を買えばいいのか全然わからない・・・」

 

 

零は迷っていた。現在地は新宿駅、おびただしい数の路線と乗り場がある新宿駅は、JRの路線が一本通るのみの今治とは比べ物にならない複雑さなのだ。機械の設計図や回路図は分かるのに、駅内の案内図は見てもさっぱり分からない。連休の人の海の中で零は途方に暮れていた。すると両肩を誰かに掴まれて、零はびっくりして振り向く。

 

「ねえねえ、誰かと待ち合わせ中?あそこの茶店でゆっくりしない?」

 

呆然と立っていた零を待ち合わせと思ったのか、いかにもなナンパ男に話しかけられてしまった。

 

「い、いえ あ、あの友達がすぐきますので!」

 

あせった零はそう言って右に逃げようとする。

 

「そんな連れないこといわないでさ~ボクらとお話ししようよ~」

 

が、すかさず右を別のナンパ男の仲間にブロックされて、左に逃げようとする。

 

「あんま見ない制服だけど、キミもしかして東京初めて?案内してあげっから俺らの車でドライブしようぜ」

 

さらに左からも別の男にブロックされて、手まで掴まれて、もうパニックで泣きそうな零の前に銀髪が美しい、眼光鋭い少女が立ちはだかる。

 

「ちょっと・・あんたら、私の友達になにやってんのよ!?あんまりしつこいと警察呼ぶわよ!」

 

警察という言葉を聞いて、たじろぐナンパ男たちから、零の手を引いて、ずんずんと歩き出す少女。多分自分と同い年くらいだと思うが、握力が強く、零はなすがままに連れて行かれていってしまう。

 

「あ~ぁ行っちゃった。お前が強引すぎるんだよ」

「うるせぇ、上玉だったからついリキんだんだよ!」

「連れの子も美人だったなー 逃した魚はでかいぜ」

 

ナンパ男達はそう残念そうに語るのだった。

 

 

「あ、あの もう大丈夫ですから」

 

駅から出て、なおも手を引っ張り続ける少女に零がそう話すと、やっと掴んだ手を離した。

 

「あなた、東京は初めて?ぼーっとしてたらさっきみたいなのが寄ってくるんだから気を付けなさいよ」

 

「は、はい 気を付けます・・・」

 

なんだか東京に来てから、いいことがない。零が少ししゅんとしていると

 

「あぁ、ごめん。別に責めてるわけじゃないのよ。それよりあなた、どこか行きたい所があるんじゃないの?さっきからずっと路線図の前に立ってたけど」

 

そう言われて、零が事情を説明し目的地を告げると、

 

「そこなら私の行きたい所と同じだから、一緒に行く?」

 

「本当ですか?ありがとうございます!」

 

ちょっと待っててと言われ駅前で待っていると、少女が駐車場に停めていたサイドカーを出して、零の目の前に乗り付ける。

 

「どうしたの?サイドカーがそんなに珍しい?」

 

「い、いえ・・・ なんだかご迷惑お掛けしているような気がして・・・」

 

 少女が投げてよこすヘルメットを受け取った零が申し訳なさそうに話すと

 

「言ったでしょ?目的地が一緒なんだから二人で行ったほうが効率的よ。だから早く乗って」

 

そう促されて、零はサイドカーに乗った。

 

 

「そういえばあなた名前は?」

「あ、申し遅れました  大垣、大垣零です。はじめまして」

「そう、私は逸見エリカ。こちらこそよろしく」

 

首都の街並みを一台のサイドカーが疾走する。

 

「いいバイクですね、クラシックですか?」

「そう、ドイツの軍用サイドカーのレストア品なの」

 

 

「逸見さんも戦車道をやってるんですか?」

「黒森峰女学園で副隊長を務めているわ、貴女は?」

「しまなみ女子工業学園という学校で隊長を務めています」

 

 

「逸見さんは、隊長の西住さんとは別行動なんですね」

「昨日から前泊して、お世話になってる東京の業者や学校の支援者に挨拶周りに行ってたのよ。西住隊長は戦車道連盟との会議や、他校の隊長との話し合いもあるから、こういう時に裏方が足で動き回ってサポートしないとね」

「すごいなぁ・・・ 流石は黒森峰の副隊長ですね」

「これが私の役目だから・・・でも褒められて悪い気分はしないわね」

 

 

「今日は貴女だけなの?他校は大人数で来ている所も多いわよ」

「みんな学校で練習しています。少し前に練習試合で負けてしまったのがすごく悔しかったみたいで・・・」

「ガッツがあるいい隊員じゃないの、そういうの私は好きよ。大した理由もなく、雁首揃えて来てる連中とは雲泥の差だわ」

「あ、ありがとうございます・・・」

「隊長と隊員はいつも合わせ鏡よ。頑張り屋の隊員は貴女のそのままの姿なんだからだから、貴女も胸を張りなさいな」

 

 

「貴女達の学校はチーム名が植物の名前なのね、コチョウランチームは無いの?」

「すみません、まだ・・・でも逸見さんがティーガーⅡに乗って転校して来てくれたら作ります」

「あはは なにそれ、ばっかじゃないの?」

 

 

抽選会会場に行くまでの間、話は途切れる事無く進んでいく。エリカも自分がいつになく饒舌になっている事に驚いていた。そうこうしている内に、会場に到着した。

 

 

「はいっ到着、お疲れ様」

「逸見さんすみません、お話楽しかったです。本当に、ありがとうございました」

「エリカでいいわ、私も貴女を零って呼ぶから。零の方が役職は上だけど、同い年だし戦車道は私の方が先輩だから敬語は使わないわよ。それでいい?」

「は、はい! エリカさん」

 

 

「エリカ、待っていたぞ」

 

「はっ!西住隊長」

 

 

エリカが背筋を伸ばし応えるのは、黒森峰女学園戦車道で隊長を務める 西住まほ である。

 

 

「すまないな、前泊してもらった上に雑用までやってもらって。エリカがいると助かる」

 

「い、いえ これが役目ですので。詳細は本日中に報告書を提出致します」

 

「分かった。しかし珍しいな、エリカがサイドカーに人を乗せるとは・・・ 貴女は?」

 

「しまなみ女子工業学園戦車道隊長の大垣零と申します。お会いできて光栄です西住まほ隊長。新宿駅からエリカさんのご厚意で乗せて頂いてたんです」

 

 

「こちらこそ宜しく、私は黒森峰女学園戦車道隊長の西住まほです」

 

そうして、エリカも交えて少し雑談をしている内に、まほは目の前の無名校の新人隊長に興味が沸いてきた。

 

「大垣さん、よかったら抽選会後に一緒に昼食でも取らないか?エリカも良いだろう?」

 

「もちろんです隊長!零はどう?」

 

「私も大丈夫です、ぜひご一緒させて下さい」

 

 

そうして、別行動の黒森峰の二人と別れた零は、抽選会場に入り自分の座席を探す。

 

 

「おーい大垣ちゃん、こっちこっち」

 

 

自分を呼ぶ声が聞こえて振り向くと、そこには大洗女子学園の角谷杏と西住みほが座っていた。

 

 

「こんにちは角谷さん、西住さん。先日はお世話になりました」

「いえいえこちらこそ。この前の練習試合以来だねぇ、大垣ちゃんの席私の隣みたいだから座んなよ」

 

 

杏に促されて、席に着く。

 

 

「この前はありがとね。戦車も大垣ちゃんとこで直してもらったお陰ですこぶる快調でさ。皆喜んでるよ」

 

「あんこうチーム、Ⅳ号戦車の操縦手の麻子さんも、大垣さんに感謝してました。すごく操縦し易くなったって。今日も皆学園艦で練習してるんです、また全国大会でしまなみの皆さんと戦いたいって」

 

二人にそう言われて、零は少し照れ臭くなる。

 

「お二人にそう言って頂けて嬉しいですし、整備も皆で頑張った甲斐が有りました。チームの皆も大洗の皆さんと練習試合をしてから、毎日練習頑張ってるんですよ」

 

お互いのチームの近況を話している内に、式典が始まり、いよいよ抽選会となった。壇上に上がったみほが引いた札には8番の文字があり、一回戦はサンダース大学付属高校との戦いが決まった。

 

 

そしていよいよ零の順番になり、壇上に上がり札を引く。

 

 

しまなみ女子工業学園の初戦の相手は、知波単学園に決まった。

 

 

抽選会も終わり、みほと杏は、大洗卒業生主催の昼食会があるとの事で、ここでお別れになる。

零は、その足で会場に併設されている戦車レストランに足を進めた。

 

「あ、零こっちよこっち」

 

少しハスキーな声で呼ばれ、エリカだと気づく。そうして席に向かうと、まほとエリカが待っていた。

 

「お待たせしてすみません」

 

「いいんだ、私達も今来たところだ。エリカ注文を頼む」

「西住隊長はカツカレーセットと、私はビッグハンバーグセット、零は何を頼む?」

「それでは和風おろしハンバーグセットで・・・」

 

零は何となく居心地が悪く感じる。それもそのはず、自分の真向かいに座るのは日本最強の戦車道学校、黒森峰女学園の現隊長と副隊長だ。こちらは無名校の新人隊長である。なんだか他の席の戦車女子達がざわついている気がするのである。

 

「よし。飲み物も届いた事だし、乾杯といこう。エリカ頼む」

 

「では今日の良き出会いに 「「「プロージット!!!」」」

 

そうして食卓を囲んでの、おしゃべりが始まった。

 

「大垣さんの学校は、五式中戦車が二両もあるのか・・・ あれは試作車しか残っていない筈だったが」

「詳しい事は私も知らないんですが、大垣重工の資料館に眠っていたらしいです」

「なんとも物持ちのいい企業ね・・・」

 

「エリカさんは凄くバイクの運転が上手かったです」

「そうだろう?何せエリカは大型ヘリや飛行船の操縦も出来るからな」

「はー・・・ 流石エリカさん、抜群の操縦センスなんですね・・」

「ちょっとやめて零、なんか恥ずかしい・・・」

 

 

まほは、雑談をしながら零を分析していた。自分で言うのもなんだが、黒森峰は日本最強の戦車道の学校だ。その学校の戦車道現隊長・副隊長と物怖じせず、場の雰囲気にも流されず話をしている。いい意味での図太さや、落ち着きを感じる。隊長を務める者として重要な事だ。副隊長のエリカとも相性が良いようだ。もし、みほにこの能力があれば・・・と思うがそれは思っても仕方のない事だと頭を切り替える。

そんなこんなで、話をしていると、あっという間にお別れの時間になった。

 

「今日は色々とありがとうございました、世話になった上に、お昼までご馳走になって・・・」

「いや構わない、有意義な時間を過ごせて良かったよ」

「戦車道の事で分からない事があれば、メールか電話しなさい。これ私と隊長の連絡先ね」

 

そう言ってエリカが、まほと自分の連絡先が書いた紙を零に渡す。

 

「零、私達は上手くいけば三回戦でお互いが戦う組み合わせだ。絶対に勝ち進めよ」

「知波単に一回戦負けでもしたら承知しないからね!」

 

そう言われて、頭を下げて二人と別れる。

 

「行きましたね・・・ 三回戦か・・ 楽しみですね隊長」

「そうだな、早速帰艦してしまなみ女子工業の研究だ。今からなら18時には学園艦に帰れるか」

「調布飛行場にヘリを準備していますので、今から行けば間に合います」

 

 

 

一方その頃、大洗女子学園生徒会長の角谷杏は、東京の日本戦車道連盟の門を叩いていた。先日のしまなみ女子工業学園との練習試合のダイジェストDVDと、経済波及効果を記載した資料を持参して大洗の活躍をプレゼンする為である。更に、この資料を、文科省の学園艦教育局と対立している部署に持ち込む予定だ。学園艦の統廃合を強引に急ぐ学園艦教育局と、敵対している勢力は少なからず存在する。杏はそんな部署に大洗の活躍・取り組みをアピールして敵の中に、大洗の味方を作ろうと動いていた。ちなみに、DVDはあんこうチームの秋山ちゃんが、資料は生徒会の河嶋が作成した。不思議と大洗の戦車道チームには一芸に秀でた者が多い。最も、河嶋はその一芸が帳消しになるくらい砲撃が下手なのだが。

 

「さ~て、ちょっくら行きますかね・・・」

 

そう言って、連盟の門をくぐる。廃艦は絶対に阻止しなければならない。毎日、人知れず杏の戦いは続いていた。

 

 

 

「西住さん!」

 

「あ、大垣さん・・・」

 

新幹線の待合場で、零がみほに声を掛ける。

 

「角谷さんは一緒じゃないんです?」

「会長は用事があるみたいで、お昼からは別行動なんです」

 

お互い出発まで時間があるので、待合場で二人、雑談をしながら新幹線を待つ。

なんだかみほの元気がないが、零はとっておきのプレゼントを準備していた。

 

「そうだ西住さん、今日はお土産が有るんですよ これをどうぞ」

 

「わっ!すっごいこのボコ、大洗のパンツァージャケットモデル!!?ど、どうしたんですかこれ!?」

 

先ほどの様子からは想像出来ない興奮ぶりに、周りからの視線に気づき、顔を赤くしてみほが縮こまる。

 

「手芸が趣味なので、作ってみたんです。前に西住さんがボコの事を楽しそうに話してくれたので」

 

どうぞと、手のひらサイズのボコのぬいぐるみを、みほの手のひらにそっと置く。

 

「あ、ありがとうございます  あの、大垣さん!」

「どうしました西住さん」

 

零の手を強く握り、みほが語り掛ける。

 

「私、もっと大垣さんと仲良くなりたいんです。だから、わたしの事を名前で呼んで下さい。私も大垣さんの事を名前で呼んでもいいですか?」

 

「もちろんです、みほさん。なんだか、こそばゆいですね」

「そうだね、零さん えへへ、とっても嬉しいです」

 

 

そうして零はみほと別方向の新幹線に乗り、一路学園艦を目指していた。ちなみに座席はグランクラス。祖母が偶には贅沢してきなさいと自費でシートを予約していたのだ。連休にも関わらず空いており、座席がいいのかあまり揺れないので、零は手のひらサイズのボコぐるみを縫い始める。手慰みとよく言うが、手芸は集中できるので、零の数少ない趣味である。ちくちくとぬいぐるみを縫っているとふと視線を感じて目線を上げる。

 

「うん?」

 

「あ・・・・」

 

そこには多分年の頃は小学六年生くらいだろうか、髪をワンサイドアップにした可愛らしい女の子が立っていた。

 

「えっと、どうかしたのかな?」

 

「あ・・ その、あの・・・ それボコ・・・」

 

女の子がたどたどしく小さな声で喋る、零はそんな様子を可愛く思い、

 

「あぁ、ボコのぬいぐるみ?もう少しで完成なんだけど、一緒に作る?」

 

そう言って、一緒に作ろうと誘うと

 

「いいのお姉さん!?ありがとう!!」

 

そう言って座席に飛び乗ってきたので、慌てて針を除ける。その様子を見て、ごめんなさいとしゅんとする女の子を膝の上に乗せてあげる。

 

「いいのいいの、じゃあ、この子を縫ってくれる?そういえばお名前は・・・」

「島田愛里寿です、優しいお姉さん」

そう言って抱き着いてくる女の子の頭を撫でる零。内気な子だと思ってたけど、意外と積極的なんなだと感じつつ縫い方を教えてあげる。女の子は最初は慣れない手つきだったが、すぐに慣れて零もその上達振りに驚く。ボコられぐまのテーマを小さな声で歌いながら、二人揃ってちくちくと縫う。そうして完成した瞬間に、二人とも眠りに落ちてしまった。そんな時でも零は針の管理を徹底していた。

 

「そろそろ駅ね、隊長を迎えにいくわよ」

 

「了解アズミ、ちょい待ってね。このビール空けるから」

 

「もールミったら出張先でハメ外さないの」

 

戦車道大学選抜チーム副隊長のアズミ・ルミ・メグミの三人は、敬愛する隊長を迎えに行くため、新幹線内を歩いていた。島田流家元の方針で、隊長は新幹線はグランクラス、飛行機はファーストクラスと決まっていた。雲の上の人なので、それが当たり前だし、3人は疑問に感じていなかった。

 

そうしてアテンダントに許可をもらい、客室内に立ち入ると、3人は隊長が席にいない事に気づき、一瞬パニックになるが、すぐに落ち着いた。

 

一つの席で、隊長が見知らぬ美少女と、座席で眠っている。アテンダントが気をまわしたのか、ブランケットを掛けて眠りにつく二人の様子は平穏に溢れていて、3人はそれぞれが携帯している、隊長撮影用高画質カメラで眠る二人を連写しまくる。その音に気付き、愛里寿は目を覚ます。

 

「三人ともご苦労、すまないが化粧直しをする。少し席を外してくれ」

 

実際は化粧などはしていないが、一瞬で武人の顔に戻ると、三人にそう伝える。人気が無くなった車両で、愛里寿が零に話しかける。

 

「お姉さん、起きて」

 

「う、う~ん 愛里寿ちゃんおはよう」

 

眠たげに目をこする様子が可愛い。駅に着くまでの、今の時間はこの人を独り占めしていたいと愛里寿は考えていた。

 

「すごいね愛里寿ちゃん、こんなに上手く出来るだなんて」

「えへへ、ありがとう」

 

零はすごいすごいと褒める。実際愛里寿にしたら、この程度の事は予備知識が無くとも、零の作業工程を、記憶し最適化して、そのまま作業できるので全く問題がない。

 

「じゃあ、この子達は愛里寿ちゃんにあげるね。可愛がってあげてね」

 

「いいの!?お姉さん ありがとう!!」

 

愛里寿は嬉しくなって零に抱き着く。そうして名前を聞き出すと驚いた。

 

「私の名前は大垣零だよ、愛里寿ちゃん」

 

今年度から、戦車道を必修選択科目で復活させた学園艦の戦車道の隊長だったかと愛里寿は思い出す。

そうして近い内の再会を約束して、連絡先を交換し合い、愛里寿は新幹線を降り、足早に歩き出す。

 

「アズミ、しまなみ女子工業学園についてありったけの資料を集めろ。大至急だ」

「かしこまりました隊長」

 

「ルミは、先日の大洗女子学園としまなみ女子工業学園の練習試合の映像記録を全て集めろ」

「了解しました隊長!」

 

「メグミは家元に連絡して、今からお家に帰るのでパンケーキを焼いておいてと伝えてくれ」

「分かりました隊長」

 

愛里寿は胸ポケットに優しく二つのボコぐるみを入れる。胸ポケットから顔を覗かせるボコは、同じ色でまるで双子のようだった。

 

 

 

電車の中で、みほは考えていた。戦車道レストランで偶然見かけた、姉と、逸見さんと、零さんが楽しそうに話していた所を。その事を思い出すと、焦燥感に駆られる。一体零が、姉達と何を話していたのかを知りたい。零の声が聴きたいという気持ちがあふれてくる。

 

「零さん・・・ 早くまた戦いたいな・・・」

 

そう言いながら、零にもらったボコを少しぎゅっと握る。ボコからはきゅぅと苦しそうな音がした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話

ここはしまなみ女子工業学園学園艦、5月の連休中であるが、広大な戦車道練習場には戦車道履修生達の姿があった。前回の練習試合以来、トレーニングの強度を上げて練習に取り組んでいた。

 

「エレナさん、もっと機動を鋭く!右正面目標に対して車両1時30分の角度を意識して!」

 

「了解っ ベアトリーセ、アドバイスどうモ!」

 

今日はⅣ号突撃砲と5式中戦車、ARL44が守る陣地をいかにして突破するかという想定で訓練を行っている。陣地側面を狙い、運動戦を仕掛けるM15/42中戦車に対し、Ⅳ号突撃砲に乗るベアトリーセがお見通しと言わんがばかりに練習弾で即応射撃を加える。しかしエレナは、車両角度を調節し、装甲厚が2倍になるように車両を斜めに向けて、フェイント機動も行う。M15/42は車両を斜めにした状態であれば、Ⅳ号突撃砲の砲撃に、かなり持ち堪える事が出来る。そうして自身も撃破されながらも、接近戦でベアトリーセのⅣ号を討ち取る。

 

「エレナさんが、道を開いてくれたよっ 潮美ちゃん!」

 

「よしっ 四葉、フォロー頼む!」

 

二両のソミュアS35が、もう一両のⅣ号突撃砲に迫る。が、Ⅳ号はするすると低い窪地に下がり自身をハルダウンさせて、ソミュアに対して砲撃を行う。元々車体の前方投影面積が小さく、狙いにくい突撃砲が更に狙いにくい状態になった為、2両のソミュアS35は早々に出鼻をくじかれる。

 

「コンビネーションだけではこの陣地は突破できない。さぁどうする?」

 

Ⅳ号突撃砲に乗る音森が呟くと、それを合図にして、Ⅳ号突撃砲より砲撃が始まる。ソミュアも車両を斜めにして、砲弾をはじき返す。砲撃を受け流し、じわじわと距離を詰める。しかし、Ⅳ号突撃砲の装甲は中々抜けない。その上ネチネチと嫌な角度で撃ってくる。まごついている内に二両の五式中戦車がソミュアS35二両を衝角攻撃で目を回させ、怯んだ隙に75ミリ砲が叩き込まれソミュア2両が撃破される。

 

「まだまだ後輩に負けるわけにはいかないな」「御免ねみんな」

 

車両の性能の差があるとはいえ、戦場ではその装甲を活かして、縦横無尽に駆ける将来有望な後輩が乗る二両を、長原と室町が乗る五式中戦車が瞬く間に屠る。

 

「あらあら、これじゃ私の出番は今日は無しかしら?零がいない試合は退屈ね」

 

フラッグ車のARL44に乗るルイーズが呟くが、後方からの支援砲撃や、突撃の牽制射撃等で、今日一番陣地側チームでダメージを稼いでいる。

 

しかし、戦車右側の森より履帯の軋む音が微かに聞こえ、ルイーズは総毛立つ

 

「右側方より、敵車両接近!車両45度回転!」

 

操縦手に伝えて、向かって来る敵に対し車両正面を向ける。ARL44は砲塔側面の装甲が弱く、接近され零距離射撃でもされたら一巻の終わりである。

 

「さすがルイーズ!だがもう遅い! 右サイド回り込みからの砲塔へ零距離射撃!」

 

ずっと潜伏攻撃をしていたM15/42に乗るマルティーナが楽しそうに顔を歪める。

すかさず行われる、ARL44の砲撃を間一髪で避けて、大洗のⅣ号が見せたようなスライドで、ARL44の側方に回り込み必殺の射撃を行う。

 

「Bチームフラッグ車走行不能、Aチームの勝利!」

 

そう紅城が無線でアナウンスを行う。紅城は撮影用高機動ドローンの操作と、各車両に備え付けたGPSから得られる情報の管理を行っている。陸奥原はデータ集積用のパソコンで、リアルタイムでチームの状況を把握する。

 

 

主が不在で寂しそうなstrv m/40Lはフラッグ車の旗を靡かせながら、鎮座していた。

 

 

本日最後の練習メニュー紅白戦が終わって、後は自由時間だが、履修生全員が、自主的に走り込みや、筋肉トレーニングをしたり、今日の紅白戦の見直しを話し合っている。

 

あの大洗との練習試合以来、全員の意識が変わった。

 

あの試合の前までは、優しい隊長の元、訓練をして、いつか試合で勝てたらいいし、きっとそうなると、頭の中で考えていた。実際、操縦は普通科の子に比べたら重機や車の運転も慣れているし、練習で操縦も射撃も連携も全部そこそこやれていると思っていた。しかし、現実は厳しかった。装填手は長時間の試合で、動揺する車内で肢体保持もままならず、砲弾の重さで両腕の筋肉が音を上げた。砲撃手は、刻一刻と変化する路面に照準が取られ、無線手は周波数の切り替えもロクに出来ず、車長は衝動的な行動を抑えらえず、それでも結果的に大洗のフラッグ車以外はすべて撃破出来たが。試合内容は当初の作戦とはかけ離れたものになった。そして、自分達が、映画やアニメの主人公ではない事を知ったのである。

 

そして、最後の一両になっても、諦めず孤軍奮闘する隊長のstrv m/40Lの戦いを見ながら、チーム全員が悔しさと情けなさで一杯になった。そして誓った、もう絶対に隊長を独りにしたりしないと。そして大洗の友人達に恥じない戦いをすると。

 

第一回戦の相手が知波単学園に決まり、一か月後の戦いに向けて猛練習が始まった。まず長時間の戦闘にも耐えられるよう体力・筋力をアップさせるトレーニングを行い、中戦車を知波単のチハに見立てて、砲撃回避や、偏差射撃の訓練、突撃に備えての近接戦闘訓練、長距離からの狙撃訓練を日夜行った。車長と無線手は知恵熱が出る程に頭を使い、装填手は体中が悲鳴を上げる程、トレーニングを行い、操縦手は、手がマメで硬くなるほど走りこんだ。隊長の零も、ありとあらゆる戦術書・歴史書・戦車のマニュアルを読み、大戦で生き残った戦車兵に直接話を聞きに行ったりまでしていた。履修生全員が、寝食を忘れて戦車道に没頭した。

 

更に、戦車道の車両置き場に使っている倉庫だが、元は住み込み労働者の宿舎も兼ねていたようで、二階に広めの宿泊用広間があり、設備は古いが食堂もあるので、履修生全員で大掃除をして合宿所にしている。

平日の金曜夜から、日曜日の晩まで、しまなみの履修生は泊まり込みで戦車道に取り組んでいるのだ。

 

 

 

そうして一か月後、いよいよ知波単学園との試合の日となった。

 

 

 

戦車の搬入も終わり、一時間後の試合開始である。会場は大勢の観客で溢れ、空には航空自衛隊のアクロバットチームが見事な編隊飛行を披露し会場を盛り上げていた。

 

 

「おい、しまなみが車両点検始めるってよ」

「マジで!?見にいこうぜ!」

 

 

脚立を持ち、巨大なレンズを付けたカメラを持つ男性達や、小学生、中学生が場内アナウンスを聞いて足早に走り出す。「自衛隊や、空母のカタパルトオフィサーの、点検・発進シークエンスのカッコよさは凄いので、ウチも取り入れてはどうか?」との零の発案を受けて、初めての練習試合から始めたイベントである。試合開始一時間前に、全車両を並べ、一斉に車両のチェックを行うというものである。しまなみ戦車道チーム内の総勢19人の機械科生徒が、各車両の周りに立ち、手信号とインカムで乗員と意思疎通しながら車両に異常が無いか点検していく。只の客寄せでは無く、安全性に問題が無い事と、きっちり点検している事を観客に知ってもらう意味合いもある。整然と並べられた戦車を、手信号を振りながらカッコよくチェックしていく様子は大人気で、この時しまなみチームの周りは大勢の観客たちでごったがえすのである。

 

そうして、ユズリハチームのソミュアS35の車両チェックを終えた零に、声がかかる。

 

「大垣ちゃん!!」

 

この声は聞き逃すはずがない、大洗女子学園の生徒会長、角谷杏だ。

 

「角谷さん、来てくれたんですか?嬉しいです」

 

そう言って杏に零が応える。

 

「私たちの試合は一週間後なんですが、学園艦が近くに停泊してるので、応援に来たんです」

 

あんこうチームの五十鈴華が零に話す。前回の練習試合の後の打ち上げで、花や華道の話で盛り上がり友達になった。

 

「こんにちは零さん、えへへ来ちゃいました」

 

西住みほも来ていた、胸にキキョウのブローチを付けていてとても可愛らしい。

 

他のしまなみのメンバー達も、大洗の友人達と再会を喜び合っている。ブラジルでバレーをやっていたエレナ達オニユリチームは、バレーを愛するアヒルさんチームの面々と、日本の歴史が大好きなマルティーナ達アマリリスチームは歴女4人のカバさんチームの面々と、同じ一年生という事で意気投合した朝河達ユズリハチームと、荒川達ガーベラチームは、ウサギさんチームと和気あいあいとお喋りしている。秋山優花里は5式中戦車を操る長原・室町の機械科コンビと、冷泉麻子はゲーム好き同士、音森率いるドクダミチームの面々と今度のランクマッチの打ち合わせを、武部沙織は女子力溢れるベアトリーセ率いるクローバーチーム&ルイーズ率いるカトレアチームの面々と、春の新色コスメについて話し合っていた。生徒会の二人は今日は残念ながら、学園艦に居残りである。

 

そうして、いよいよ試合開始15分前になった。

 

 

「いよいよなんだね、一回戦・・・」

 

零に、杏が語り掛ける

 

「大丈夫、零さん達なら絶対に勝てます!」

 

「そうです!私達、精一杯応援していますから!」

 

友人達からの激励を受けて、零も気持ちが昂ってくる。

 

「ありがとうございます。私達は必ず勝ちます、見ていて下さい」

 

そう言って愛車のstrv m/40Lに向かう零の背中を三人が見送る。

その背中に迷いや怖れは微塵も無い。

 

「車長、お待ちしておりました」

「零ちゃん、ガンガン指示飛ばしてね!」

 

車内では相棒二人が既に待っていた。

 

「さぁ、行こうか。必ず勝とう」

 

そう話す零に二人が頷く。

 

そうして間もなく、第63回戦車道戦車道一回戦第一試合開始の号砲が鳴り響く。

 

しまなみ女子工業学園と、知波単学園の戦いが始まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話

土煙を上げて、一台の戦車が疾走する。

 

「蛇行を繰り返して、敵に的をしぼらせるナ!逃げ惑っているように見せテ!」

 

M15/42の車長、エレナが乗員に叫ぶ。15分近く、敵の追撃から逃げ続けていた。エレナは、狩猟が趣味の父に付き合って、アマゾンに野生動物のハンティングに行った時の事を思い出していた。効果的に人を配置して、獲物を囲い込み、必殺の銃撃を加える。知波単学園の戦車から撃ち込まれてくる砲弾は確かによく狙っている、少しでも気を抜いたら一発で抜かれる。ギリギリのこの逃避行の中でも、エレナは冷静に弾筋を見切っていた、飛んでくるあの弾も、この弾も、5月の猛練習の時に、チームの皆が打ち込んできた弾と同じだ。まるで満点のテストを復習しているような不思議な感覚になる。そして、この後地獄が待っているとも知らず、自分を追って突進してくる知波単の車両を見て、向こう見ずだったあの大洗との練習試合での自分を見ているようで、彼女らの無邪気さに思わず口角が上がる。その顔は狡猾な狩猟者の顔だった。エレナは、3日前の作戦会議の事を思い出してした。

 

 

戦車道全国大会の三日前、しまなみの戦車道履修生は一同車両倉庫に集い、パイプ椅子に腰かけ作戦会議を行っていた。

 

 

「今回、第一回戦で当たる知波単学園は、九七式中戦車・通称チハによる突撃戦法を得意としている学校です」

 

 

「知波単側は、47ミリ対戦車砲を装備した、新型砲塔車両が6両、旧砲塔を装備した3両、95式軽戦車一両の編成で来ます。相手は戦車白兵戦の専門家です。近接戦闘でしまなみに勝算はほぼ無いと考えたほうがよいでしょう」

 

 

「皆さん。今回の作戦の主眼は、知波単側に、やりたい戦い方をさせない事にあります」

 

 

「まずこのマップの中間点、戦車が二両並んで通れるほどの道が合わさる十字路があります。東側から知波単を誘い出し、知波単の車両が橋を通り終えた所で、藪の中に擬装配置したソミュアS352両と、五式中戦車2両合同のコマクサチームの砲撃で橋を落とし、彼女らの退路を断ちます。その後、十字路付近に配置した、Ⅳ号突撃砲2両、ARL44合同のクロユリチームで先頭車両に集中攻撃を行い、進軍を阻み、残存車両に砲撃を加え圧殺します。道沿いの小高い丘には、strv m/40Lと、M15/42合同のエーデルワイスチームを配置し、観測点を設置。場合によっては上方より砲撃を加えて知波単を攪乱し、逃走する車両を仕留めます」

 

「まず一両の戦車でこのキルゾーンに陽動を行います。知波単の生徒は、激高しやすく、目標と定めた敵を撃破するまで追いかける傾向にあります。陽動車は、無名校の素人らしい機銃掃射・砲撃を行って、逃げ惑うような動きで、知波単の生徒を焚きつけながら誘い込んで下さい」

 

 

「この、知波単の陽動はM15/42のオニユリチームにお願いします。エレナさん、貴女の地形の読みの鋭さと、オニユリチームの走行技術の高さを買いました。どうか宜しくお願いします」

 

エレナは驚いた、前回の練習試合で、突出し、ポイントマンの役目を果たさず撃破された自分に、隊長はチャンスを与えると言っている。嬉しさが爆発しそうになりながら、エレナは力強く答える。

 

「かしこまりましタ!必ずお役目を果たして見せまス!」

 

 

その頃、エレナのM15/42を追い立てている先頭車両に乗っている知波単の生徒はウサギ狩りを楽しんでいた。

 

「あっはっは!よく逃げるウサギだこと!ほらほら危ないぞ!」

 

戦車の前の道に砲撃を加え体勢を崩させる、一瞬車両が回転し、こちらに機銃で撃ってくると同時に砲撃してくるが、砲手の腕が悪いのか虚空に弾が飛んでいく。この期に及んで、機銃で攻撃してくるとは・・・ 機銃で攻撃するなど、戦場では下の下、礼を失する最低の行いに彼女らは憤慨し、激高した。

 

「無名校は戦場の習いも知らないと見えます!私達で教育してあげましょう!」

「応!」

 

無論彼女たちが全て悪いわけではない。人間の脳は、他者への罰に快感を覚える仕組みがある。今の彼女達の脳内は、後輩への思いやりより、作法も知らない無名校の抜け作斥候を罰する快感に酔いしれていた。

 

が、しばらく走って行くと、突然前方を走る斥候が45度角度を変えて、畑の畝沿いに走り出す。今までの逃げ惑うような機動とは違う、明らかに意思を持った鋭い動きに、知波単の先頭の6両は呆気にとられる。と、自分達が、小高い丘に囲まれた窪地の遮蔽物のない道路の真ん中で停止していることに気づく、更に丘の上、林の中で何かが少し光る。先頭の車両に乗っていた生徒は総毛立ち、マイクを持つ。その様子を、ARL44に乗るルイーズは双眼鏡で見ていた。

 

「タ・イ・チョ・ウ・コ・レ・ハ・ワ・ナ もう遅い、クロユリチーム砲撃開始」

 

読唇術を駆使して、誘い込まれた哀れな子羊の言葉をルイーズが読む。そして、小隊に命令を伝えた。

 

「コマクサよりエーデルワイス。橋は落ちた。繰り返す橋は落ちた」

 

相棒のコマクサチームの長原から成功の報が来る。知波単の地獄が始まった。

 

 

時は少し巻き戻る。一回戦試合前、戦車の最終チェックをしながら、知波単学園戦車道の二年生、玉田環は、同じく二年の細見静子に話掛ける。

 

「なぁ、細見・・・ なんで今回の試合、西さんがフラッグ車なんだ?」

 

細見はため息をつきながら玉田に答えた。

 

「さぁな、多分栗林さんの件の報復なんじゃないかな?」

 

現在の知波単学園の戦車道は、隊長の辻つつじの取り巻きが牛耳っている。新しく配備された新型砲塔のチハも、戦績や適性ではなく、家柄や、隊長とつながりのある連中に優先的に配備されており、玉田はそれが大いに不満だった。今までは3年生の栗林という上級生がいて、取り巻きの暴走を食い止めていたのだが、知波単学園の持ち味である突撃戦法に異をとなえ、戦術的転身も辞さない持久戦と、夜戦主体の一撃離脱・奇襲攻撃を主張したりと奇行が目立ち、遂には強襲戦車競技研究班に左遷になり、戦車から降ろされてしまった。タガが外れた取り巻きは益々増長して、現在知波単では、旧栗林派と目されてしまっている人間は冷遇の対象になってしまっているのだ。西は車長としての技量も、突撃の強さも知波単に西ありという実力がある。しかし、一本筋の通った性格で政治的な融通が利かず、栗林にことのほか可愛がられていた西は辻の取り巻きから睨まれている。その実力から、本来は一番槍を任されてもいい筈なのに、結局先鋒最後尾の7号車にされてしまった。本人は気にしていないといつもの快活さを崩さないが、その内実を知っている二人には西が不憫に見えてしょうがない。

 

「起こってしまった事はしょうがないさ。この試合で、我らが活躍できれば風向きも変わるだろ」

 

細見はそう語る。幸い一回戦は、今年度から戦車道を履修し始めた素人集団の無名校との話だし、知波単の敵ではない。さっさと片付けて、三回戦の黒森峰女学園との試合に備えよというのが、隊長の取り巻きの主張だった。

 

「そうだな。と言っても、我らは西さんの更に後ろだから最早戦果の上げようもないがな」

 

玉田は半ば諦め気味に、相棒に語る。細見は少し声を荒げる。

 

「玉田よそう愚痴るな、相手は素人集団の無名校だ。さっさと片付けて、突撃の露と消えてもらおう」

 

細見はそう話しながら自分が車長を務める旧砲塔のチハに乗車する。その後、細見は自分の見識が甘かったことを嫌というほどに思い知れされる事になった。

 

 

玉田は、目の前の光景が信じられなかった。哀れな敵の斥候を追い立てはやしていた先鋒の3年生の車両が二両撃破されたと思ったら、目の前の橋が落ち、あっという間に辻隊長を含む先鋒の6両が鉄塊に変えられてしまった。あまりの光景に息も出来ない、足が震えてしまって思考ができない。

 

「しっかりしろ玉田!これより我らは左後方の小屋まで戦術的転身を行い体制を立て直す!細見、福田も我に続け!」

 

西の声でようやく我に還り、玉田は操縦手に命令を伝える。

 

「左後方の小屋まで戦術的転身だ!砲撃による窪地に注意しろ!」

 

 

 

「隊長、新砲塔のチハは全て叩き潰した。だが旧砲塔3両と軽戦車が残っている」

 

Ⅳ号突撃砲に乗る音森が零に伝える。

 

「砲撃の直前、7番目の車両が急ブレーキで回避しました。手練れかもしれないので注意が必要です」

 

もう一両のⅣ号突撃砲に乗るベアトリーセが冷静にそう分析する。零も、先鋒の6両を伏撃で撃破した後、あの7号車が残った車両を率いて、後方の小屋の陰に退避して行く様子を見ていた。

 

「こちらでも確認しました。敵は小屋の後方に隠れています。これより全車両で小屋に砲撃を加え、残敵を炙り出します」

 

「了解!」

 

零からの指令を受け、全車両小屋に照準を合わせる。今日の隊長の命令は、敵に対して情け容赦ない。あの人は絶対に勝つつもりだと全員が認識し、残敵が隠れる小屋に向かい砲撃を始めた。

 

 

「もう持ちません!あと数回砲撃を受けたら小屋が崩壊します!」

細見が西にそう伝える。小屋に隠れて以後、猛烈な砲火が小屋に加えられている。転身を行おうとしても、少し身を乗り出すと、すぐに射撃を受け、全く身動きが取れない。玉田は、西に縋るような思いで、指令を待つ。福田は震えていて、大丈夫だと細見が励ましている。西は、大きく息を吸い込んだ後、静かに話始める。

 

「これより、敵陣地に対し、突撃を敢行する・・・」

 

「すまない皆、私には突撃でしかこの状況を打破する策が思い浮かばない。皆に勝利を与える事は出来ないが、生き様を見せてやることは出来る。無能なこの私と、一緒に死んでくれないか?」

 

西が3人に語り掛ける、もう失うものは何もない。絶体絶命の状況から、戦場の華の突撃が出来る事に3人は歓喜する。

 

「私は西さんにどこまでも付いていきます!しまなみの奴らに一泡吹かせてやりましょう!」

 

「細見!西さんに従います。この命、西さんに預けます!」

 

「福田!西先輩を必ずお守りします!」

 

三人からの声を受けて、西がほほ笑む。そして力強い声で指令を伝える。

 

「次の砲撃を合図に小屋から脱出し、7号車先頭の楔型陣形を組む!8号車・9号車は私の両隣に、10号車は私の直後に着いて絶対離れるな!我らの知波単魂を見せ付けてやれ!」

 

間もなく小屋に敵の砲撃が届き、粉塵を巻き上げて小屋が崩壊する。その粉塵に紛れ、突撃を開始した。

まず8号車が、砲撃を受け炎を上げて擱座し、次に9号車が斉射を受けてブリキがひしゃげるような音を立てて撃破された。7号車への砲撃を後方から回り込んだ10号車が庇い、10号車は回転しながら転がっていき白旗を上げた。

自身の車両に、敵の砲火を食らいながら、西は思い出していた。修身の授業の時に習った、釈迦は前世で虎にその身を食べさせて虎の親子を救った事を。装甲という名の皮膚を爪で切り裂かれ、車両という名の骨をかみ砕かれ、原動機という名の心臓を食い破られる。疑似的な死への恐怖から、過剰に分泌される脳内物質が見せる幻影なのかもしれないが、圧倒的な暴力によって、自身が嬲られる事に、西絹代は心酔していた。そうして西の車両に、しまなみ全車両の一斉射撃が加えられ、西の車両は空中高く舞い上がり、落下した後に部品をまき散らし大回転しながら、ようやく停止炎上し白旗を上げ、その後世まで語り継がれる突撃のあり様を見せつけ、知波単の在り方を証明したのだった。

 

そうして、しばらくした後に、審判員と蝶野亜美のアナウンスが響き渡る

 

「し、しまなみ女子工業学園欠損車両なし、知波単学園残存車両なし」

 

「しまなみ女子工業学園の勝利!」

 

零達の勝利が確定した瞬間だった。圧勝であった。

 

 

「大垣隊長!」

 

溌剌とした声に呼び止められて、零は振り返る。そこには、黒髪長身の、端正な顔立ちの知波単の生徒が立っていた。頬には煤が乗り、少し頬が切れてしまっている。

 

「この度はお見事な戦い振りでありました!私も生涯一の突撃を敢行する事が出来ました!後世まで誉にさせて頂きます!」

 

元気な声で伝えられ、零も安心する。最後の全車両一斉射撃で凄まじい撃破されっぷりだったので、ケガをしていないか心配だったからだ。

 

「いえ、そんな・・・最初の砲撃回避や、部隊の再編制の迅速さは特筆すべきもので私も大変勉強させて頂きました。あと、ごめんなさい・・綺麗なお顔に傷が・・・」

 

そういって零は、持っていた消毒液とティッシュで西の傷を拭う。

 

「あたた・・ いえ、この程度、、練習でもしょっちゅうですから気にしないで下さい。優しいのですね大垣さんは・・」

 

そう言ってしばらく零の治療を受ける。終わった後、帽体を脱ぎ、姿勢を正して零に向かい直す。

 

「私の名は西絹代です、我が君。貴女の戦い振りと、優しき心に惚れました。いつの日か、また相まみえる事を楽しみにしております」

 

そう言って帽体を被り、一礼して、帰っていく西を零は見送る。

 

そこに、友人の声が聞こえた。

 

「終わった?も~見せつけてくれちゃって」

「凄いね、零ちゃんもってもて」

 

そういって囃してくる友人にちがわいと言おうとしたら、零がその場に崩れ落ちる。

 

「どうしたの零!!」

「零ちゃん大丈夫!?」

そういって陸奥原と紅城が駆け寄る。

 

「ご、ごめん・・・ 腰が抜けた・・・」

 

緊張から解放された為なのか不明だが、腰から下に力が入らなくなりへたりこんでしまった。

 

「も~情けない隊長さんだこと」

「ほら零ちゃん、肩を貸すから腕上げて」

 

二人に引っ張り上げられて、よたよた歩いていく。その先にはチームメイト達と、応援に来ていた大洗女子学園の面々が待っていた。

 

夕焼けが戦場を赤く染めた、その空には一朶の白い雲が浮かんでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話

「皆さん、今日までありがとうございました。また、お会いしましょう」

「アリーセ先生、ありがとうございました!」

 

しまなみ女子工業学園戦車道チームの生徒全員が揃い、一人の女性に別れの挨拶をする。

彼女の名はアリーセ・ガーランド。ドイツの戦車道・国家代表チームの副コーチである。

 

前回の全国大会一回戦で、しまなみ女子工業学園は、知波単学園相手に華々しいデビューウィンを飾った。しかし、こうした場合危惧すべきは中だるみである。まだ決勝含め3回も強豪校達と戦わねばならないのに、一回戦で大勝してしまったが故に、練習の強度が落ちたり、集中力が下がる事を隊長の大垣零は危惧していた。そこで、ドイツで戦車道の草チームに所属していたという、Ⅳ号突撃砲クローバーチーム車長のベアトリーセに頼んで、戦車道の強国ドイツから、一週間の短期集中訓練の教官を招いたのだった。しかし零も、まさかこんな大物が来るとは思っておらず、その練習も、聞きしに勝るスパルタっぷりで、履修生全員が、中だるみなど許されず、更なるスキルアップの道を歩むことになったのだった。ちなみに隊長の零も、毎日アリーセ先生の講義に次ぐ講義で、みっちり扱かれたのだった。

 

「それではアリーセ先生、ヘリポートまで送ります」

 

本当は履修生全員で見送る予定だったが、アリーセより、「見送る暇があるなら演習か勉強をしなさい」と言われ、代表でベアトリーセが最後のお見送りをる事になったのだった。二人は学園艦のヘリポートまで並んで歩きながら話し始めた。

 

「望外に素晴らしい一週間だったわ。こんな事になるなら、半年くらいのスパンで予定を組んでおけば良かったわね」

 

前を見ながら、アリーセが話す。最初は苦手に感じた瀬戸内海の潮風も、今は慣れた。新設校の指導は本国でも同じくやっているが、いつも履修生達との別れがある。巣立ちを見送ったり、見送られたり、名残惜しいのはいつも同じだ。

 

「先生ならいつでも大歓迎です! 次に日本にお越しの時は是非しまなみにも寄って下さい!」

 

「ふふ、ありがとう。それにしても、今の貴女良い顔してる。昔とは大違いだわ」

 

かつての教え子の嬉しい変化をアリーセは喜ぶ。

 

「それはやっぱり、大好きな隊長さんのお陰なのかしら?」

 

ベアトリーセからのメールには、一緒に日本に渡った友人達の話題と同じくらい、隊長の零の話題が多い。一緒に桜を見に行った写真や、先の第一試合の後に、愛車のⅣ号突撃砲の前で撮った写真など、沢山の写真に本国では見なかった咲くような笑顔で写っていた。

 

「そ、そんな事ないです・・・・先生冗談が過ぎます・・・」

 

そう言ってベアトリーセは頬を赤らめる。こんな所は昔から変わっていない。

 

そうしてヘリに乗り、アリーセは若者達との別れを惜しみつつ、しまなみ女子工業学園を後にしたのだった。

 

 

 

新参の戦車道無名校が、歴史ある学校に完全勝利を飾った今大会の一回戦は、衝撃を持って迎えられた。それも乱戦から辛うじての勝利では無く、徹頭徹尾、作戦によってもたらされた勝利だからだ。戦車道に運やまぐれは無い、だからこそ、これまで運やまぐれに恵まれなかったしまなみの第二回戦の相手、ボンプル高校の隊長ヤイカの心境は複雑だった。

 

「忌々しい、新参校の分際で・・・」

 

もちろんそれが本心ではないし、言っても惨めな事は自分でも分かっている。ボンプル高校は、保有戦車が豆戦車と軽戦車が中心で、毎年全国大会ではプラウダや黒森峰、サンダースといった強豪校相手に辛酸を嘗め続けて来た。特に去年の大会では、積年の恨みがあるプラウダ相手に降伏の屈辱を味あわされた。自分達の姿が、心の故郷ポーランドと重なる、大国に幾度と無く蹂躙され、奪い取られてきた魂の祖国と。だからこそヤイカは、負けを簡単に認める事が許せなかった。負けたくないという気持ちが怒りとなって溢れて、いつも脳が焼け切れそうになる。

だが、そんな自分達も強襲戦車競技・タンカスロンでは、常勝無敗を誇っている。強豪校は使う道具が良いだけ、同じ条件下なら自分達が最強の戦車乗りだと信じている。が、強襲戦車競技は、戦車道と違って、ルール無用の過激な試合内容を魅力としており、戦車道で輝けなかった者が辿り着く所謂「邪道」と世間では目されていた。ヤイカは、最早何度見たか分からない、しまなみ女子工業学園と、大洗女子学園の練習試合を収めた映像を見る。残り一両となっても、果敢に攻撃を仕掛け、最後は大洗のⅣ号戦車の鮮やかなスライドからの砲撃で撃ち取られてしまうstrv m/40L。このタンカスロンの世界でもポピュラーな軽戦車の性能をここまで引き出し、西住流宗家の娘が乗る戦車と此処まで戦うとは・・

 

「大垣、零・・・」

 

特に脳裏に焼き付いて離れない動きをしていた、軽戦車の車長の名前をヤイカは呟いていた。

 

 

 

ここはボンプル高校学園艦、戦車道履修生達が集い、食卓を囲みながら、3日後に迫った、しまなみ女子工業学園との二回戦の作戦会議を行っていた。

 

「皆も知っての通り、しまなみ女子工業学園は、走・攻・守とバランスの取れた車両編成と、高い練度を持つ乗員達で構成される侮りがたい相手よ」

 

ヤイカは皆に向かって話す。

 

「彼女達は知波単学園を策略によって、欠損車両無しで完封勝ちし、練習試合ではあの西住まほの妹を相手に大立回りも演じているわ。無名校の素人集団と侮っては知波単学園の二の舞になる事をしっかり銘記なさい」

 

「今回、試合会場となるマップは平野と、廃園になった欧州の街並みを模した遊園地が舞台となるわ。拓けた平野では、我々の戦車では近づく前に突撃砲と、重戦車の長距離射撃の的になる。よって遊園地園内に誘い込み、徹底して運動戦を仕掛け、翻弄し、雨粒が石に穴を穿つように辛抱強く戦えばきっとチャンスが巡って来るわ。私の10TPと、皆が乗る7TPでヘッツァーの前に誘い出し、各個撃破に持ち込みましょう」

 

ヤイカは冷静で有能な指揮官である。新規投入の10TP軽戦車が一両、7TP軽戦車が七両、駆逐戦車ヘッツァーが二両という編成である。Strv m/40Lや、M15/42中戦車が相手ならば互角かもしれないが、重戦車が相手となると全く勝算は無い。だからこそ、市街地に誘い込み、機動力のある軽戦車が主体となって敵を翻弄し、駆逐戦車で撃破していけば、必ずチャンスは訪れると信じていた。

 

 

更に今回は、秘蔵のポーランドの試作戦車10TPを初めて実戦投入する。継続高校のBT-42と同型のクリスティー式サスペンションを持つこの戦車は、機動力が履帯よりも高く、整地された路面や、市街地での戦闘に無類の強さを発揮する。ヤイカも、しまなみとの闘いの為に、猛練習を重ね、いよいよ実戦投入まで漕ぎつけた。

 

 

「ただし、隊長車のstrv m/40Lは私の獲物よ、徹底的にマークして必ず倒すわ。皆は他の車両に攻撃を集中して」

 

 

しまなみの攻守の要は、隊長車のstrv m/40Lにあるとヤイカは考えていた。大洗との練習試合では、とにかく動き回り、偵察を行い、攻撃では各車両と抜群のコンビネーションで奇襲の火消しを行ったり、白兵戦では強襲戦車競技でも見ないような、猛烈な突撃を単騎で行ったりと大立ち回りを演じ、知波単戦では、観測点からの前線偵察と支援砲撃で無名校チームを勝利に導いた。あの西住まほの妹が乗る戦車と、貧弱な軽戦車であそこまで戦える者がいるという事実は、強襲戦車競技を始めた自分に暗い影を落とす、だからこそ、今回は一対一でしまなみの隊長車に勝利し、ボンプルの、そして自らが同条件であれば最強である事を証明したいと考えていた。

 

「・・・見ていなさい、必ず勝って見せるわ・・・」

 

ヤイカは呟く。壁にはポーランド有翼重騎兵のフレスコ画が蝋燭の赤い炎で照らされていた。

 

 

 

時は変わり、ここはしまなみ女子工業学園。アマリリスチーム・M15/42中戦車の車長、マルティーナ・ビアンケッティは練習試合を終えて、戦車の整備を行っていた。同型の戦車に乗るオニユリチームの相棒エレナや、機械科の一年生6人で構成されるソミュアS35に乗るユズリハ・ガーベラチームはしまなみ戦車道チームのフォワードであり、攻守の要である。

 

「エレナ、トルクレンチを取ってくれる?」

 

今日は相棒のエレナのチームと合同で、車両整備を行っていた。履修し始めた当初は戦車なんて自分が整備出来るのか心配だったが、零達機械科の履修生の協力もあり、なんとか自分達でも整備が出来るようになってきた。

 

「あいヨ、今日中にオイルリーク直さないトね~」

 

自分が乗るM15/42は、戦車としては珍しく、V型8気筒液冷ガソリンエンジンが使用されている。トルクが強く、優れたエンジンではあるのだが、如何せんオイル漏れなどの症状が頻繁に出る為、日々の念入りな整備が欠かせない。ツナギを着て、オイルに塗れて戦車のエンジンを整備するなんて、ほんの2か月ほど前の自分では考えられなかったなと思う。

 

「どうしたのマルティーナ?手が止まってるわよ」

 

カトレアチーム・ARL44の車長であり、友人のルイーズから注意されてしまう。先日ARL44の地獄の履帯交換を手伝ってもらったお礼として、今日はチーム全員でツナギを着て作業を手伝ってくれている。映画の主演女優か、有名ブランドのモデルかと思うようなフランス女性達が、ツナギを着て戦車の整備をしているなんて、なんだか不思議な光景である。

 

「あぁ、ごめんごめん。よし・・・シリンダーガスケットも交換出来たし、後は部品組んで調整するだけね」

 

作業も佳境になり、一安心である。これで次戦のボンプル高校との闘いに万全の状態で備える事が出来る。

 

「お疲れマルティーナ、作業はどんな感じだ?」「手伝いに来たわよ~」

 

五式中戦車の整備を終えたウメ・ツバキチームの車長の長原と室町が様子を見に来た。しまなみでも最大級の五式中戦車を最高の稼働状態で維持し、しまなみ全体の車両の整備管理も行っている。しまなみチームの車両整備の要である。

 

「皆さん、お茶が入りましたよ。一息入れませんか?」

 

Ⅳ号突撃砲に乗るクローバーチームのベアトリーセ達が、熱いコーヒーの入ったポットと、お茶菓子を持ってくる。しまなみの戦車道チームは、誰かが困っていると、それとなくわらわらと人が集まっていき、集団で問題を解決していく。誰一人、自分の事以外の事を他人事だとは思っていない。2か月近く、皆で鍛錬を重ね、週末の安息日も合宿所で共同生活を重ねる中で、人種や国籍を超えた家族のような連帯感が生まれていた。それがしまなみの強さの要因の一つだとマルティーナは感じていた。

 

「今度の試合も面白くなりそうね・・・・」

 

マルティーナが呟く。梅雨の雨が上がり、空には澄み切った青空が広がっていた。

 

 

 

西住みほが率いる大洗女子学園は、初戦のサンダース大付属高校との激闘に勝利をおさめ、二回戦のアンツィオ高校との戦いも完勝で勝利を収めた。そして今、試合を終えて、ドゥーチェ・アンチョビ率いるアンツィオ高校の生徒による歓待を受けていた。

 

「どうだみほ!やっているか!?おかわりもあるから沢山食べろよ~」

 

上機嫌なアンチョビに肩を組まれながら、食を勧められる。実際、出される料理はどれも温かくて美味しく、立食パーティー形式で大会スタッフも交じってなので、大変賑やかなものになっていた。

 

そうして盛大な宴も終わり、後片付けで洗い物をしているアンチョビをみほは手伝っていた。

 

みほは皿を洗いながら、アンチョビに礼を言う。

 

 

「アンチョビさん、今日は素敵なおもてなしありがとうございました」

 

「なんだなんだ改まって、好きでやっている事なんだから礼なんて無用だぞ!」

 

そう言いながらアンチョビはみほにほほ笑む。

 

「自分がこんな事をしているなんて、3年前までは考えてなかったな・・・」

 

 

ふと、食器を洗う手を止めてアンチョビが呟く。みほは彼女の3年前の姿を知っていた。

愛知の戦車道強豪校の隊長で、現在四強校の隊長として名高い、姉の西住まほ、聖グロリアーナのダージリン、プラウダのカチューシャ、サンダースのケイと並んで評される、無類の統率力を誇る名隊長だった。面倒見が良く、みほも何度か戦技指導でお世話になった事があった。どの学校も高校進学先に引き込もうと必死で、母も菊代さんと直々に安斎千代美の元に黒森峰へのスカウトに行った事もある。だが、彼女は数多の名門のスカウトを断り、戦車道弱小校だったアンツィオ高校に進学した。

 

みほはアンチョビに尋ねる。

 

 

「アンチョビさんは、どうしてこの学校に進学したんですか・・・?」

 

「んン?そうだな~ 一番の理由は、ここでなら自分の戦車道が見つけられそうだったからかな」

 

 

皿洗いが再開され、かちゃかちゃと食器が触れ合う音がする。

 

 

「昔の私は勝ち続ける事が自分の戦車道だと思っていたんだ、とにかく勝てば皆褒めてくれるし、学校の先生も家族も喜ぶ、だからそれが一番正しいと思っていた」

 

「だけど、初めてみほの姉さんに負けた時に思ったんだ。自分から勝つことを取ったら、一体何が残るんだろうって」

 

「そんな時に、アンツィオの戦車道を見たんだ。それはもうボロ負けの試合だったんだけど、皆すごく楽しそうでさ、勝ち負けにこだわらない、楽しい戦車道っていうのに凄く惹かれたんだ」

 

「学園長からも是非にって言われて入学したものの、なんとメンバーは全員卒業しちゃって私だけ。その後カルパッチョとペパロニが入って、戦車も屋台やなんかで資金を集めて、ようやく今の形になったんだよ」

 

アンチョビは食い潰れて幸せそうに眠るアンツィオの生徒達の顔を見る。

 

「私は3年間で、ようやくこいつらが活躍する為の器を作ってやれた。後はこいつらがどんな料理を、器に盛ってくれるか楽しみで仕方がないんだよ」

 

 

皿洗いはいつの間にか終わっていた。人を育てて、活躍させる。統率の才だけで無く、育成の才にも長けた安斎千代美が見つけた戦車道が、今のアンツィオ高校の戦車道そのものだった。

 

 

「次はプラウダか、頑張れよみほ。応援に行くからな!」

 

 

アンチョビと握手をして、アンツィオ高校の学園艦を見送る。

 

みほは大会の中で、様々な生き方に出会ってきた。フェアプレーを何より重んじるサンダースの隊長ケイや、勝敗だけでは無く、融和や相互理解を大切にするアンツィオの隊長ドゥーチェ・アンチョビ。自分が信じる事を曲げずに大切に出来る事が、どれだけ難しい事か身をもって知っているみほは、二人の生き方が尊く思う。

 

「プラウダ・・・」

 

自分にとっては、因縁の相手となる次戦の相手を呟き、戦車道が楽しいという気持ちを蘇らせてくれた友からプレゼントされたボコのぬいぐるみを握りしめる。みほ達大洗戦車道履修生を、最大の困難が待ち受けていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話

「まさか、ここまでやるとはね・・・」

 

ヤイカは肩で息をしながら、休んでいた。

しまなみ女子工業学園との闘いは一方的であった。まず廃園となった遊園地まで、敵を引き込めたのまでは良かった。しかし、敵はこちらが見つける前に四方八方から砲撃をしてくるので身動きが全く取れない。砲撃されて、突撃しても、既にその場に敵の姿は無く、また別の場所から砲撃を受ける連続で、ボンプルの生徒は疲弊しきっていた。頼みの綱のヘッツァー二両も、原理は分からないが直上より降ってくる砲弾で、薄い上部装甲を抜かれて白旗を上げた。今ボンプルに残った戦力は、ヤイカが駆る10TPと、副官のマイコ、ウシュカ、そしてピエロギが乗る7TPが3両のみである。

 

「どうなってんだあいつら!偵察ドローンでも持ってるのか?」

 

ピエロギが車両を叩く。しまなみの連中は、まるでこちらの位置など丸わかりだと言わんがばかりにこちらを翻弄してくる。その小賢しさは、される側にはたまったものではなく、苛立ちが募る。

 

「ドローンなんて使ったら即失格よ、しまなみは各車両がこちらの動きを完璧に把握してるのね」

 

ウシュカが言っている通り、しまなみチームは各車両の偵察・戦闘で得られた情報を、カトレアチームのルイーズの元に集めている。ルイーズは盤面の要らない目隠しチェスが得意なので、敵車両の位置・進行速度等を一元管理して、チェスの駒を動かすように、しまなみの各車両に指令を出せる。遊園地という急な遭遇戦が起りやすい戦場でも、敵の情報を先回りして各車両に伝えられるので、ボンプルにとってはステルス戦闘機に一方的に攻撃されているような状況になっていた。

 

「とは言え、こうまで一方的にやられると腹が立ちます。なんとか一矢報いる事が出来れば・・・」

 

マイコが呟く。彼女の負けん気はボンプルでも随一で、ヤイカも目を掛けている次代のエースであり、将来的には彼女に隊長を任せたいと考えていた。

 

「おそらく敵は、私たちを分散させて各個撃破に持ち込むつもりよ。だから、なんとか4両でこの先にある礼拝堂に辿り着いて、籠城戦に持ち込みましょう。持久力なら私達も負けていないし、絶対に諦めなければ、ボンプルの炎は消えたりしないわ」

 

ヤイカはそう言って、3人を励ます。小雨が降り、冷え切っていた体に再び熱が入る。そうして意識をこの先にある礼拝堂に集中させる。集団での突撃であれば、しまなみを圧倒出来る事を彼女達は確信していた。

 

「隊長、命令をお願いします。あなたを、必ず私たちの力で礼拝堂まで辿り着かせます!」

 

思えば、戦車道も強襲戦車競技も、ずっとこの3人と一緒だった。戦いの中で、仲間とと再び一つになれる事に、ヤイカは喜びを感じていた。

 

「一列横陣で敵の包囲を突破する!只ひたすらに前を見据えて、最大戦速で当たり、必ず生き残りなさい!」

 

ヤイカの声で一斉に飛び出し、礼拝堂を目指す。突撃を阻止する為に並走してきたソミュアS35二両の砲撃を受けてピエロギの車両が撃破され、後方からのヤイカを狙ったARL44の砲撃を庇い、ウシュカの車両が白旗を上げる。礼拝堂の入り口までたどり着いたのはヤイカとマイコの二両のみだった。

 

 

「隊長!どうか先に行ってください!ここは私が食い止めます!」

 

入り口で立ち塞がるように、車両を迫りくる敵に向けてマイコが叫ぶ。

 

「此処は通さぬ、来るなら来い! 我らフサリアの末裔は一歩も引かぬ!」

 

 

 

長い回廊を抜けて、巨大な円形の礼拝堂に入る。天井は全面がステンドグラスになっており、礼拝堂の周りを手入れがされなくなった薔薇の花が覆いつくしている。奥にはしまなみの隊長車、strv m/40Lが自分がここに来るのを知っていたかのように待ち受けていた。ヤイカは車両の砲塔の前に立ち、眼前の敵に向かって叫ぶ

 

 

「我こそは、有翼重騎兵が末裔・ボンプル高校戦車道隊長 ヤイカ! 戦士よ、其方との一騎打ちを所望する!」

 

礼拝堂に声が響き渡る。strv m/40Lの砲塔から上半身を出していた少女が、ヤイカに返答する。

 

「私はしまなみ女子工業学園戦車道隊長・大垣零です。ヤイカ隊長、貴女の一騎討ち 受けて立ちます」

 

 

strv m40/Lが円形の礼拝堂に沿って、ゆっくりと動き出す。ヤイカの10TPも、対角線上になるようにゆっくりと動き出す。もはや牽制射撃も必要ない、そうして二両は一気に加速した。

 

 

 

零が決闘の申し出を受けた時に、僚車として連れ添っていたのはアマリリスチームだった。今回は零の護衛としてキキョウチーム・アマリリスチーム合同のパンジーチームとして共にこの戦いを走ってきた。

 

「隊長、私はここで見ているわ。決闘には介添人が必要ですもの。けれど貴女が倒されそうになったらあの女を即撃ち殺すから」

 

アマリリスチームの隊長、マルティーナが零に話す。万が一にも零がピンチになったら、即10TPを撃破するつもりで、照準を合わせるように砲撃手に伝える。

 

「ありがとうマルティーナ、背中は任せる。でも手出しは無用だからね」

 

そう言って、零が乗るstrv m/40Lが動き出す。マルティーナはその背中に零の勝利を確信した。

 

「隊長の決闘の介添人か・・・チームの皆に死ぬほど羨ましがられそうなシチュエーションよね」

 

特にルイーズとベアトリーセとかに、と言って砲撃手と目が合い苦笑いを浮かべる。そうして2両の戦車による決闘が始まった。

 

 

 

 

一体何度切り結んだだろう、ヤイカは幾度となく繰り返される突撃の連続に身震いする程興奮していた。路面との摩擦で転輪は熱く熱を持ち、割れた礼拝堂の天井から滴った水溜まりを走ると、水蒸気が転輪から勢いよく噴き出て、まるで獲物を狙う狼か、猛牛の口から吐かれる息のように、白い蒸気がヤイカの10TPを覆う。strv m/40Lも同じく履帯から出る水蒸気を纏い、次の突撃の機会を伺う。クリスティー式の10TPであれば、礼拝堂の石造りの床であれば一気に勝負を決めれると思っていた。だが、相手のstrv m/40Lは機動力で勝る10TPの突撃をひらりと躱し、一撃を入れてくる。容赦のない戦い方と、人間離れしたその動きに、戦車道を始めて二か月ほどの素人がここまでの技量に達するまで、どんな血反吐を吐くような修練をこなしたのか、ヤイカは背筋がぞっとする。これ程の敵に出会い、槍を付けられる事に、ヤイカの中の有翼重騎兵の血が騒ぎ立てる「侵略せよ」「眼前の敵からサーベルで何もかもを奪い尽くせ」と。この戦いが永遠に続いて欲しいと願う、あともう少し、もう少し大垣零と戦っていたい。強襲戦車競技でも、戦車道でも、こんなに心の底から楽しいと思える戦いは生涯一回も無かった。

 

「楽しい・・楽しいわ!大垣零!!神に感謝するわ! 貴女程の戦士に出会えた事を!」

 

そう叫び、再び突撃する。車両が火花を上げながら触れ合い、車両をスライドさせて、装甲の薄い側面を狙うが、strv m/40Lは間一髪でそれを躱し、こちらに砲撃を撃ち込んでくる。幾度目かの突撃を交わし、再び距離を取り礼拝堂の外延沿いにゆっくり走りながら機会を伺う。最早、転輪も酷使し過ぎたせいで限界である。相手も同じようで、水溜まりの上を器用に走り、履帯の温度を下げようとしているのが分かる。この一撃が最後の一撃、先に散った仲間たちの思いを乗せて、ヤイカは敵に向かい猛烈な加速を始める。strv m/40Lもそれに応じ、加速し、砲口をこちらに向ける。そうして、最大戦速からのスライドでお互い向かい合う形で砲撃を行う。赤熱した履帯が水溜まりに触れて二両を覆うほどの水蒸気が上がる。それが晴れると、ボンプル高校の隊長車に白い旗が上がっていた。

 

 

戦いを終えたヤイカが、ゆっくりと天を仰ぐ。ステンドグラスから差す美しい光がヤイカの車両を照らし出し、零とヤイカの砲撃で散った薔薇の花がその周りを赤く染めた。

 

 

試合後、この試合のMVPには私が選ばれた。試合の興奮でまだ風呂上りのような頭を落ち着けながら受賞者へのインタビューの壇上に上がる。私の憧れの場所。黒森峰の西住まほや、プラウダのいけ好かない隊長と砲手、聖グロリアーナのダージリン様達にしか許されなかった、持っている者しか立てなかった場所に私が立つ。壇上の周りには、ボンプルの仲間達、しまなみの生徒達、そして沢山の観客が拍手で迎えてくれた。そして、今日のベストバトルには、礼拝堂の前でしまなみを食い止めたマイコが選ばれた。あわあわとインタビューに答える後輩に、いつも強気な後輩の意外な一面を見て可愛く思う。

 

 

試合後の取材対応用の控室で、零とヤイカは談笑をしていた。

 

 

「悪いわね。勝ったのは貴女なのに、こんな賞をもらっちゃって・・・」

 

「そんな事は無いです。10TPの能力を引き出して、あそこまで戦える人はヤイカさんだけです。私も、履帯が限界だったので、あそこで仕留めれなければ負けていました」

 

本当に見事な戦い振りでした と、ヤイカに零がほほ笑む。

 

「全く・・完敗ね。零、有難う。貴女と戦えて本当に楽しかったわ」

 

そう言ってヤイカは、棘の無い黒い薔薇を一凛差し出す。

 

「あ、ありがとうございます・・」

 

薔薇を零が受け取る。やはり零には黒の薔薇が似合うと、ヤイカは自分の選択に満足する。

 

 

「ねえ・・・零。この大会が終わったら、貴女もタンカスロンに参加しない?」

 

ヤイカが零を誘う。自分たちの主戦場、裏切りと泥沼に塗れた、闘争の見世物、野蛮人の暇つぶしに。零はヤイカさんに教えて頂けるのであれば是非と、嬉しそうに応える。

 

ヤイカは内心、北叟笑む。この目の前の可愛らしい戦士と共に駆ける戦場はきっと最高の物になるに違いない。

零、聡い貴女ならその薔薇の意味が分かるわよね?私をここまで高めてくれる貴女を絶対に逃す気はないわ。絶対に私の世界に引きずり込み、虜にして逃れられなくしてやるから覚悟しなさい。

心に広がる仄暗い感情を抑え込み、ヤイカは零を抱きしめる。

 

 

「次は黒森峰ね、必ず勝ちなさい。大丈夫、貴方達ならきっと出来るわ」

 

 

そう言って零と握手をし、ヤイカは控室を後にする。すると、赤毛の少女が入室して来た、ボンプル高校副官のマイコである。

 

「今回は有難うございました。しまなみの皆さんとの試合、本当に楽しかったです。ですが、次回は必ず私達が勝ちます!」

 

そういって差し出された手を、零はこちらこそと強く握る。ボンプル高校の生徒の上昇志向の強さに零は感服していた。そうしてマイコを見送った零の肩を強く誰かが掴む。恐る恐る振り向くと、カトレアチーム車長のルイーズが怖い笑顔で立っていた。

 

「ふふふ、零ったら私を差し置いて何をお楽しみなのかしら?」

 

もう一方の肩も、笑顔のクローバーチーム車長のベアトリーセにがっちり掴まれる

 

「隊長ったら、私たちに無茶するなって言っておいて一番無茶するんだから・・・」

 

零は知っている、この笑顔はベアトリーセが最上級に怒っている時の顔である事を

 

「敵の隊長車との一騎打ちは素晴らしかった、でも私たちの到着を待って盤石の戦いでも良かったはず」

 

ドクダミチーム車長の音森が、少し恨めし気に話す。

 

「ごめんなさい隊長、事情は話したんだけど・・・」

 

マルティーナが申し訳無さそうに話す。ユズリハチーム車長の朝河と、ガーベラチーム車長の荒川に両腕をがっちりホールドされている。

 

「全く隊長は・・・これから戦勝会と反省会だな」「たまには羽目を外してもいいかもね」

 

ウメ・ツバキチーム車長の長原と室町が楽しそうにこれからの予定を立てる。二戦続けての完全勝利に、少し気分も浮ついているが、今日だけは仕方が無い。

 

「それじゃ隊長さン、今夜は寝かせないからネ~」

 

楽しそうなオニユリチーム車長のエレナの声が響く。そうしてチーム全員で、戦場を後にする。

 

 

黒森峰女学園との戦いは一か月後。戦車道の権化とも言うべき西住まほが統べる、日本最強の戦車道高校。

 

零達、しまなみ女子工業学園戦車道履修生にとって、初めての夏が来ようとしていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話

ここは黒森峰学園艦。今日は日曜日。黒森峰女学園戦車道隊長の西住まほと、副隊長逸見エリカは午前中の戦車道の練習を終え、まほの部屋でチェスを楽しんでいた。

 

「やった!チェックメイトです隊長!」

 

エリカが満面の笑顔で喜ぶ。

 

「やれやれ、エリカに負けたのは初めてだな。私の勘も鈍ったかな?」

 

まほがコーヒーを飲みながら楽しそうに話す。これまでエリカ相手で無敗だったが、今回初めて負けてしまった。

 

「まさか、今回の勝ちは私の苦し紛れが生んだまぐれですから・・・」

 

エリカは幾度と無いまほとのチェスの中で、まほの癖を掴み、対策を試み、実践を繰り返してきた。しかしまほもチェスの達人だけあって、そんなことはお見通しと言わんがばかりに迎え撃ってきた。エリカは正攻法では勝てないと悟り、思いついた奇策を講じてみた所、それが見事に嵌まり、今回の勝利を掴んだ。

 

「それは違うぞエリカ。敵への対策を自ら考え実践し、勝利出来たとすればそれは最高の成長だ」

 

まほは、駒の一つを手に取り話し始める。

 

「戦車道は、まるでチェスだ。命令によって駒を適所に配置し、攻撃を仕掛けて勝利を得る」

 

「だが、戦車道はチェスのように盤面の上で全てが進む訳ではない。天候や時間、地形といった不確定要素が作戦を阻害し、盤面の駒が持っていない、隊員が持つ個性が時として思わぬ敗北を生む要因にもなり得る」

 

「確かに、仰る通りだと思います。ですが、我々は黒森峰です。全てを見通し、盤石にする西住隊長の策と、それを実行する我々がいれば敗北などはあり得ません」

 

エリカが少し声を大きくして反論する。

 

「だがなエリカ、もし、命令されるだけの駒達が、自ら考えて動けるようになればどうだ?隊員が、自ら考え、勝つための道を探すようになれば、黒森峰は隊長だけの頭脳でなく、各隊員の頭脳が合わさる事になる。更に各隊員の個性が発揮出来れば、組織としてより強固なものになるんだ」

 

黒森峰の持ち味は、重戦車が主体の、整然とした隊列を組んでの電撃戦である。しかし、指揮命令系統が厳格すぎる組織は、総じて硬直化を招き易い。黒森峰も、隊長の命令を重んじすぎるあまり、搦め手に弱く、作戦に無い想定外の事に弱いという弱点を抱えていた。

 

「成程・・それが今大会での一年生の抜擢と、指揮系統変更の理由ですか」

 

今大会から、一年生だけで構成されたⅢ号戦車四両が追加されている。通常であれば上級生が乗る重戦車・中戦車で構成されるべき所だが、まほは大幅に編成を変えてきた。この四両に乗る一年生は選抜メンバーであり黒森峰の次代を担う人材である。3年生も、多少思うところが無かったわけでは無いようだが、西住隊長の言うことならばと納得し、一年生の指導に当たってくれている。

更に、指揮系統も、全体の指揮はまほが行い、小隊の指揮はエリカ達二年生が行うようになった。主に二年生が中戦車のパンターに乗り、一年生が乗るⅢ号戦車をサポートする体制が整いつつある。黒森峰の体制を風通しの良い物にし、隊員の自主性を育てる為である。

 

 

「戦車道を取り巻く環境も戦術も日々変化している。もし今回の試みが万が一失敗したとしても、新しい知見を得て、進化への階段を一歩を進めるのであればそれは失敗では無い。エリカが黒森峰の隊長を務めるようになった時に、この大会で得た事が大きな助けになるはずだ」

 

「あ、ありがとうございます隊長 では、明日からの指揮訓練についてもう少し踏み込んだ内容で進めてみます。二年生のパンター隊と一年のⅢ号隊との連携をより深めねばなりません」

 

 

それを聞いて頼むぞとまほが微笑む。

 

「ではもう一局いくとしようか。そうだ、零がくれた羊羹があったな。あれも開けるとしよう」

 

そう言っていつの間にか空になっていたエリカと自分のグラスを持って台所に行くまほを見送る。零が7月1日のまほの誕生日に、このチェス盤と駒のセットと、お菓子をプレゼントしたのだった。まほはこの贈り物が気に入ったらしく、それ以来、エリカとの対局の時は必ずこの台で遊んでいる。盤面が美しい木目で、駒も精巧な彫刻が施されていて既製品だとは思えない。もしかすると大垣重工の職人が作った特注品なのかなとエリカは考える。

 

 

「隊長。このチェス盤、凄く気に入ってますね」

 

「あぁ、可愛い後輩の贈り物だからな。気に入らない筈無いさ」

 

 

コーヒーと羊羹を持って来たまほが話す。戦車道全国大会抽選会での出会い以来、頻繁にメールや電話で三人は連絡を取り合っており、先日も学園艦の寄港地が近かったので休日に会ったりと、隊長・副隊長同士のお付き合いは続いていた。

 

「エリカもそうだろう?みほの話と同じくらい、零の話をする時のエリカは楽しそうだからな」

 

まほは、頷きながら分かっているぞと言うように、羊羹を食べながら話す。

 

「楽しくなんか無いです!副隊長は私のライバルであり、越えねばならない壁です!まだ副隊長に試合で勝ってなかったのに、勝負を付ける前に転校してしまって。あの大会から色んな事があって、本当に副隊長の事が心配で自分の至らなさを後悔してたんです・・・ なのに、副隊長ったら便りも寄こさないで大洗であんなに楽しそうに隊長をやってるんですから、嬉しいですけど本当に心配して損しました!」

 

そう言って怒りを顕わにするが、エリカがみほを本当に心配していたのを知っているまほは苦笑いを浮かべる。なんとも本心と表情が違う子だとまほは思う。

 

「成程、では零は?」

 

「れ、零は新宿駅でナンパ男に絡まれていたのを助けた時からずっと目が離せなくて・・・不思議とあの子とは気が合うんです。それに知波単戦での指揮や、ボンプル戦の一騎打ちも胸が熱くなる戦い振りで・・ 自分が隊長になるとしたら、西住隊長と、零が私の目標なんです」

 

頂きますと、零の誕生日プレゼントの愛媛銘菓の羊羹を食べながら、濃い目に抽出されたブラックコーヒーを飲む。羊羹の甘さと、コーヒーの苦さと香りが合わさり、すっきりとした味わいになる。午前中の練習で体を酷使し、午後からのチェス勝負で頭を使って、少し疲れていた二人には、最高にマッチした組合せになった。

友人の誕生日に羊羹を贈る女子高生に若干引いてしまっていたエリカも、自分もまだまだ考えが足りないと反省する。もしかすると、黒森峰の生徒が、ノンアルコールビールの次にコーヒーの消費量が多い事を見越してか?妙に気が回る零の事を思い出す。

 

「ふふ、そうか。そういえばしまなみには目隠しチェスが出来る隊員がいると零が言っていたな。いつか手合わせ願いたいものだ・・・」

 

「この大会が終わったら、両艦の交流会を是非やりたいですね。それはそうと隊長、今日こそ服を買いに行きますよ!」

 

まほの私服は、普段お洒落に気を使っているエリカにはあんまりなものが多く、校外で隊員に会うこともあるんですからとエリカはまほに言っているが、本人はあまり気にしていない。

 

「エリカはそう言うが・・・この前買いに行ったばっかりじゃないか・・」

 

「この前って3月じゃないですか!いいから買いに行きますからね!」

 

こういう時のエリカは言っても聞かない。やたら面倒見が良い後輩に世話を焼かれてまほは頬をかいてしまう。コーヒーの氷がカランと音を立てる。やがて最後の一局が始まり、黒森峰の隊長と副隊長の昼下がりが過ぎていった。

 

 

 

 

日曜が明けて月曜日、しまなみ女子工業学園では戦車道で使用されている戦車達が零達の手で近代化改修が行われていた。

 

「長原、2両の五式中戦車の改修進捗状況はどう?」

 

作業着にヘルメット姿の陸奥原が、しまなみ戦車道チームの整備チーフの長原に尋ねる。

 

「あぁ、88ミリ砲への換装が終わって、現在自動装填装置の調整中だ」

 

長原が改修の進捗表を見ながら話す。しまなみの五式中戦車は、黒森峰のティーガーやパンターといった戦車との戦闘に備え、75ミリ砲から搭載が検討されていた88ミリ砲への換装が行われている。カトレアチームのARL44も、主砲が76ミリ砲のACL1砲塔から長砲身の90ミリ砲塔に換装され、室町達の班が最終調整に当たっている。黒森峰女学園は、全国の戦車道の猛者が集う日本最強の戦車道学校である。更に戦車は最高の整備状態のドイツ戦車であり、海外の戦車道ワークスチームのような体制が敷かれている。しまなみ戦車道チームも、大垣重工の技術支援を受けながら、全戦車の近代化改修を進めていた。

 

「それにしてもでかい砲だな・・・ 私たちに扱えるのかこんなお化け砲が・・」

 

長原が珍しく弱音を零す。五式中戦車とARL44に搭載する砲は、どちらも戦車道で使用される砲としては最大級で、その視覚的な威圧感と迫力がすごい。これまでは、戦車そのものの性能を活かして戦って来たが、この砲を見ていると、なんだか自分たちが後戻り出来なくなってきたように思えて怖くなってくる。

 

「何言ってるの、扱える様になってもらわないと困るわ。頼んだわよ」

 

五式中戦車は黒森峰戦での攻撃の要になるんだからと言って、長原の肩を軽く叩く。

 

「あぁ、任せておけ。明日には試射できるように仕上げておく」

 

そう言って作業に戻っていく長原を見送る。彼女なりにプレッシャーを感じているのかもしれない。が、もう後戻りは出来ない。

 

 

「あと一ケ月・・・やる事は沢山ね。やってやろうじゃないの」

 

陸奥原はそう呟きながら、自身の所属する班が担当しているM15/42中戦車の改修作業に向かう。隊長車のstrv m/40Lは機械科の皆が手伝ってくれており、全車両の改修も今日中に終わりそうである。全員が打倒黒森峰を胸に作業していた。相手が巨大であればある程燃えるのは戦車女子の性なのかもしれない。煌々と明かりが点いたしまなみの戦車整備場の一日はまだまだ終わりそうにない。

 

 

 

 

更に数日後の土曜日午後、しまなみ戦車道チームは練習試合を行っていた。傘型隊形を組んで進撃を行う部隊を迎撃する、という想定で行われており、対黒森峰戦を想定した練習となっている。

 

「五式中戦車を射程内に捕捉、砲撃開始」

 

小高い丘の防御陣地の、Ⅳ号突撃砲ドクダミチームの車長 音森響の合図で一斉に砲撃が開始される。

 

林の中に隠れた駆逐戦車は、その前方投影面積の少なさから、巧妙にカモフラージュされれば見つけるのは至難の業だ。しかし、音森とベアトリーセのチームは一か所で留まらず、砲撃後すぐに陣地転換を行う。

 

「88ミリ砲と90ミリ砲が相手では、一か所に留まっていてはやはり危険ね・・・」

 

Ⅳ号突撃砲クローバーチーム車長のベアトリーセが、先程まで自車がいた場所に空いた大穴を見て呟く。訓練弾でこの威力である、黒森峰女学園との試合を控え、しまなみ女子工業学園の戦車は大規模な近代化改修が実施されている。2両の五式中戦車は、主砲を75mm主砲から、半自動装填装置付きの88mm砲に換装され、ARL44は主砲を76mm砲から長砲身の90mm砲に換装されている。今回はARL44が黒森峰のティーガーⅡに、五式中戦車がティーガーに見立てられている。

 

「よし、側面からの攻撃に警戒しつつ、敵のマズルフラッシュを目印に、制圧射撃を継続」

「了解!」「了解したわ」

 

五式中戦車ウメチーム車長の長原の指示で、同じく五式中戦車を駆るツバキチーム車長の室町とARL44のカトレアチーム車長のルイーズが砲撃を行う。地形や遮蔽物に身を隠し、砲撃を行ってくる駆逐戦車程厄介な物は無い。そこで、敵の砲火炎を目印に、的を広く取った面制圧射撃を行う。こうすれば、カモフラージュごと、突撃砲を吹き飛ばす事が出来る。しかし、側面から砲撃を受け、五式中戦車二両は側面警戒態勢を取る。

 

strv m/40Lキキョウチームの車長の零と、ソミュアS35のユズリハチームの車長の朝河とガーベラチーム車長の荒川は攻め手の側面を突くべく、隠密に戦車を進め、攻撃を開始した。

 

 

「ドクダミチームとクローバーチームが攻撃を引き付けている内に行くよ!」

 

「了解しました紅城先輩!続け四葉!」

 

「潮美ちゃんったら張り切っちゃって~でもエレナさんとマルティーナさんが黙っているかしら?」

 

 

ガーベラチームの荒川が言う通り、M15/42中戦車に乗るオニユリチームとアマリリスチームの即応射撃が飛んでくる。

 

 

「マルティーナ、行くヨ!」

 

「これ以上は近づけさせない・・」

 

車長のエレナとマルティーナが車両を全速で移動させつつ、行進間射撃で零達を翻弄する。ソミュアS35は車両を斜めにして砲弾を弾き、strv m/40Lは車両をフェイント機動をしつつ、二両のM15/42に砲撃を加える。strv m/40Lは主砲の口径は小さいが、連射速度と弾速の速さから行進間射撃に向いている。そうしてエレナとマルティーナをなんとか撃破し、五式中戦車とARL44に迫る。丘の防御陣地からの長距離砲撃と、零達による側面強襲を受けて防戦一方になる。なんとかソミュアS35一両と、strv m/40Lは打ち取ったが、五式中戦車と1両と、ARL44フラッグ車が打ち取られ防御陣地側の勝利となった。

 

「さすが零ね。こちらが側面を晒せない事を知ってて、えげつない攻撃をしてくれるわ」

 

ARL44のカトレアチーム車長のルイーズが悔し気に呟く。ARL44は新砲塔になり攻撃力はアップしたが、砲塔側面の装甲の薄さという弱点は残っており、側面を攻められて少し晒してしまった砲塔側面をⅣ号突撃砲に撃ち抜かれてしまった。

 

「ルイーズ済まない、側面に気を取られてしまった」

「私達、まだまだ88ミリ砲を使いこなせてないわね」

 

2両の五式中戦車のウメ・ツバキチーム車長の長原と室町がルイーズに謝る。

 

「いや~ゴメンネ、フツーにやられちゃっテ」

 

「strv m/40LとソミュアS35の連携が凄すぎた・・・みんな御免、あんなのやられたら無理」

 

側面を守るM15/42に乗っていたオニユリ・アマリリスチームのエレナとマルティーナも同じく謝る。実際行進間射撃の命中率は素晴らしかった。だが、ソミュアS35は巧みに砲弾を弾き飛ばし、再装填の隙を上手く隊長が乗るキキョウチームのstrv m/40Lに突かれてしまった。

 

「謝る事無いわ。練習の内に弱点を全部洗い出して、対策して、黒森峰との戦いに備えましょう」

 

ルイーズの言葉で、練習終了後のミーティングが始まる。更に防御陣地側のメンバーも加わり、賑やかなものなっていく。そんなしまなみチームの様子を、艦橋側の学園長室から見ている二つの影があった、島田流家元の島田千代と、娘の島田愛里寿である。

 

 

 

「いいチームですね。チーム全員が互いを思いやり、話し合い、高めあっている。技量も、とても発足から3か月程のチームとは思えません」

 

千代が率直な感想を漏らす。今回は大垣重工の将来発足される戦車道プロリーグへのスポンサー及び技術協力への謝意を伝える為、しまなみの学園艦に来ていた。

 

「あの子たちは、皆誰よりも努力家でして。休日もチーム全員で下宿生活をしながら練習をしているんですよ」

 

学園長が話す。現在は大垣重工の最高経営責任者を退き、しまなみ女子工業学園の学園長に収まってはいるが、実際は裏で実権を握っているのは彼女だと言われている。

 

「鍛えらえた刀は、それだけ切れ味が増します。知波単学園と、ボンプル高校との勝利もその努力の結果でしょう」

 

無名校のしまなみ戦車道チームの勝利は、同じく無名校の大洗女子学園の快進撃と共に、高校戦車道の界隈を賑わせている。各流派やチームのスカウトが動き出しているという情報もあり、島田も動き始めていた。

 

「島田先生にそう言って頂ければ、履修生達も喜びますね・・・ では後程大垣が参りますので、来賓室でお待ちください」

 

学園長がそう言うと、扉が開き、案内の秘書が出て来た。千代と愛里寿は学園長に挨拶をし学園長室を後にした。

 

 

 

「零!」

 

「ごめんね愛里寿ちゃん、千代さん。お待たせしました」

 

来賓室に入って来た零を見て、ソファーから勢い良く立ち上がると、愛里寿は零の元に駆け寄り抱き着く。

 

「零ってば遅い、すごく待った」

 

「ごめんね、着替えてたら時間がかかっちゃって・・」

 

多分風呂で汗を流してから来たのだろう、硝煙や機械油の匂いは無く、ボディーソープの香りと、火照った肌が何だか色っぽく見える。

 

「お久しぶりね零さん。先ほどの練習試合、素晴らしかったわ」

 

「うん!ソミュアS35との連携射撃が凄かった!」

 

千代が零に話す。先日の新幹線での出会い以来、零と愛里寿の交流は続いており、先日は島田家に招かれ夕飯をご馳走になった。今日はしまなみ学園艦の来賓棟にて、3人でお泊り会の予定であり、愛里寿のテンションは上がりっぱなしである。

 

「あ、ありがとうございます。島田流の家元と、大学戦車道の隊長に褒められるだなんて光栄の極みです それでは来賓用の宿泊施設にご案内しますので、どうぞこちらへ。愛里寿ちゃんは晩御飯は何を食べたい?」

 

「お母さまと零と一緒に作ったハンバーグが食べたい」

 

「了解、そう来ると思って材料も買っておいたから準備万端だよ。千代さんもいいですか?」

 

「ええ、零さん よろしく頼むわ」

 

愛里寿の右手を零が、左手を千代が握って歩き出す。大好きな母と、友人と一緒に過ごせる今日に愛里寿は胸を躍らせた。

 

そうして来賓用の宿泊施設に到着し、晩御飯の支度を行う。三人で分担して材料を切り、こねてハンバーグを作る。ハンバーグを焼いてる間に、付け合わせにニンジンのグラッセ、じゃが芋といんげんの炒め物と、ポテトサラダを作って食卓に並べる。そうして、ささやかな晩餐会が始まった。

 

 

「このハンバーグすごく美味しい、お肉がとろけるみたい・・・」

 

「本当に美味しいわ、どんなお肉を使ったの零さん」

 

「地元の業者の方に頼んで、伊予牛の美味しい所を特別に準備してもらったんです。喜んで頂けたようで嬉しいです」

 

 

 

「零、ご飯を食べ終わったら、一緒にボコのぬいぐるみを作って欲しい」

 

「いいよ、愛里寿ちゃん。千代さんも一緒に作りませんか?」

 

「あら、いいの零さん。それじゃあ作り方教えて頂ける?」

 

「勿論です!」「お母さまも一緒に作ってくれるの?嬉しい!!」

 

 

 

「お風呂が沸きましたので、どうぞお二人から先に入って下さい」

 

「零と一緒に入りたい。いいよね?」

 

「えぇ!?でも問題が有るんじゃ・・ あれ、千代さん?」

 

「零さんもそんな水臭い事言わないで、みんなで裸のお付き合いといきましょう♪」

 

「わっ、大きなお風呂  そういう事だから零、みんなで入ろう?」

 

 

食卓から、寝る時間までは楽しい時間はあっという間だった。今は、キングサイズのベッドで三人が川の字になっている。愛里寿は先に寝てしまい、千代が愛里寿の頭を優しく撫でている。

 

「零さん、今日は本当にありがとう。こんなに楽しそうな娘の顔を見たのは久しぶりだったわ」

 

千代は零にそう言って頭を下げる。

目に入れても文字通り痛くない愛娘だが、その大きすぎる器ゆえに、13歳の齢で大学に飛び級で入学し、大学戦車道の隊長という重責を、小さな背中に背負わせてしまっている。その運命からひと時でも開放してくれた娘の友人への、心底からの感謝だった。

 

「そんな、感謝したいのは私の方です。少し練習で疲れがあったんですが、愛里寿ちゃんと千代さんと過ごせて吹き飛びましたから」

 

そういって健気に笑顔を見せる零に、千代は「欲しい」という気持ちが沸き起こる。もし、大垣零が愛里寿の傍にいれば、娘はいつでも最高のパフォーマンスを発揮出来るだろう。この目の前の可愛らしい少女は、西住の娘達や、自分の愛娘のような、誰もが裸足で逃げ出すような戦場で、水を得た魚のように戦える者を惹きつける何かがある。千代は無意識の内に零の頬に手を伸ばしていた。

 

 

「あ、あの千代さん?」

 

「あら、御免なさい零さん 何だかボーとしちゃって・・」

 

そういって千代は手団扇で顔を仰いで場を誤魔化す。

 

「さぁ、そろそろ私達も寝ましょうか」

 

「そうですね、明日の朝ごはんは私が作りますので、お二人はゆっくりなさってください」

 

「本当に色々とありがとう、それじゃあお休みなさい」

 

「はい、お休みなさい」

 

そう言って明かりを消す。部屋は暗闇に包まれて、しばらくすると三人の寝息が聞こえるのみになった。

 

 

夜も三時を回ったが、ふと愛里寿は目を覚ます。そうしてむくりと向き直し、自分の隣で寝ている零の胸に顔を埋めて心臓の鼓動を聞く。新幹線での出会い以来、愛里寿はこうしているのが好きだった。パジャマの薄い生地を通して伝わる心地の良い柔らかな感触と、力強い心臓の鼓動が聞こえる。おもむろに愛里寿は零の唇に指を当てて囁く。

 

 

「ふふ、可愛い寝顔・・」

 

 

「零、今はまだこっちで我慢してあげる。だけどいつかはこっちをもらうからね・・・」

 

そう言って眠る零の頬に唇を当てる。

 

「おやすみ、零・・・・」

 

そう言って愛里寿は再び眠りにつくのだった。

 

 

 

そうして翌朝、零は自分を抱き枕のようにして寝ていた愛里寿を起こさないようにそっと引きはがし、朝食の準備を進める。するとぱたぱたとスリッパの音が聞こえて顔を上げると、愛里寿が立っていた。

 

「おはよう・・・零」

 

寝惚け眼で歩いて来た愛里寿を受け止めて洗面所まで連れていくと、同じような風貌で千代が起きてくる

 

「おはよう・・・零さん」

 

なんだか愛里寿がもう一人いるような感じだが、千代を洗面所に連れて行き、朝の準備をさせる。

 

愛里寿と千代が食卓についた時には、オムレツ、フルーツ、ベーカリー、ハムがテーブルに並び朝食の準備が完了していた。

 

「すっごく美味しそう、零が全部作ってくれたの?」

 

愛里寿が目を丸くして零に聞く。

 

「料理が得意な履修生の子に教えてもらって、作ってみたんです。作ったのが私なので味は保証出来ませんが・・」

 

「そんな事ないわ零さん、もう愛里寿のお嫁さんに欲しいくらいよ」

 

千代の言葉に、なんだか以前にも誰かに言われた気がする・・と思いながら、三人で頂きますをして朝食を進める。愛里寿は日曜日だし、横浜の街をお母さまと零と一緒に散策したいと言ったが、千代が「零さんは試合前の大事な時期なんだから、我儘言ったらいけませんよ」と愛里寿に言い、零が「大会が終わったら、また皆で行こうね」と言って、渋々了解したのだった。そうして迎えのリムジンが来賓棟の前に停まり、愛里寿と千代と別れの時が来た。

 

「零、私は零達がどれだけ強いかを知ってる。だから零が黒森峰に勝つことを確信している。だから自信を持って戦って」

 

そういって愛里寿が零を励ます。

 

「零さん、貴女達なら出来るわ。遠慮はせず、徹底的にやりなさい。西住の名が地に堕ちるくらいに」

 

千代が零を励ます。が、なんだか千代から黒いオーラが出ているような気がして零は若干気おくれしながら「が、頑張ります」と応える。そうして二人はリムジンに乗り込み、上陸用船舶が待つ甲板へ向かった。

 

励ましの言葉を貰い、零は二人に恥じない戦いをしようと心に誓っていた。そうして朝の練習に備え、片付けをして宿泊施設を後にする。改修した戦車の慣熟訓練や、皆との作戦会議などやる事は沢山ある。踵を返して足早に、皆が待つ車両格納庫に急ぐのだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話

七月末の凪いだ洋上を、巨大な航空母艦のような艦影が進んでいる。

 

ここはしまなみ女子工業学園学園艦。土曜日であるが、戦車道履修生達は基礎体力のトレーニングと、走行・射撃訓練、練習試合と猛練習を続けている。蝉もけたたましく鳴き、練習場は暑さで陽炎が揺らいでいる。午前の訓練を終え、手洗い場で履修生達がぐったりと話し合っていた。

 

「あ~暑いぃ・・毎年の事だけど日本のこの暑さって何なの・・・」

 

アマリリスチーム車長のマルティーナが汗だくでげんなりと呟く。出身のイタリアは、夏は日差しは強いが、湿度が低い為、比較的過ごしやすい。しかし日本の夏は湿度が高い為、慣れていない留学生達にはとんでもない地獄になる。

 

「ちゃんと水分補給をしないと、冗談抜きで死ぬわね・・・エレナ、オランジーナを頂戴・・・」

 

ぐったりと、カトレアチーム車長のルイーズが話す。戦車の車内はエアコンも無いので、サウナの中で戦っているようなものであり、乗っているだけで体力と水分が奪われていく。

 

「も~皆情けなイ!このぐらいの暑さでネを上げちゃ先が思いやられるヨ!」

 

そんな中、オニユリチーム車長のエレナが皆にてきぱきと炭酸飲料やスポーツドリンクを配っていく。ブラジル出身で、高温多湿の気候に慣れている彼女にはこの程度の暑さはどうってことなく生き生きとしている。

 

「この暑さと湿度は洒落になりません・・・冬将軍ならぬ夏将軍ですね」

 

スポーツドリンクで喉を潤しながら、クローバーチーム車長のベアトリーセが呟く。ドイツの夏も、イタリア同様日差しは強いがカラっとしており、留学二年目で大分慣れたとはいえ日本の夏は、汗と一緒に体力と気力も流れていくような感覚を覚える。

 

「上手い事言うなベアトリーセ。夏将軍と言えば松山商業・・・高校野球もそろそろ開幕だな」

 

濡らしたタオルで汗を拭いながら、ウメチーム車長の長原がにこやかに話す。彼女達、機械科の生徒は普段でも実習で1500度以上の溶けた鉄を相手に、溶解実習や鍛造、溶接の実習をこなしているのでこの程度の暑さはどうって事はない。

 

「この猛暑の中を野球やったり戦車に乗ったりする日本の高校生はどう考えてもおかしい。クーラーのきいた部屋でゲームやりたい・・・」

 

ぐったりとした様子でドクダミチーム車長の音森が怨嗟の声を発する。生粋のインドア派である彼女には夏の酷暑を、サウナのような戦車の室内で過ごせというのは拷問以外の何物でもない。

 

「まぁまぁみんな、昼ごはんでも食べて一休みしましょう。隊長が言ってたけど、今日のお昼はカツカレーですって」

 

ツバキチーム車長の室町が楽しそうに話す。彼女も機械科の生徒であり、暑さには慣れている。遠くから食欲をそそるカレーの香りもしてきて、練習でからっぽになった胃袋がぐーと悲鳴を上げる。

 

「隊長も、食事当番のユズリハとガーベラの一年生ちゃん達の手伝いに行ってるし、皆も早く行こう?」

 

室町の言葉に、先ほどまでの様子が嘘のようにてきぱきと出発の準備を行う。隊長の零や、一年生達にカッコ悪い所は見せたくないというのが皆の共通認識だった。

 

「まったく、くたくたな私を放って行くだなんて、零も相当偉くなったものね!」

 

「ルイーズさん・・偉くなったも何も、私達の隊長・・・」

 

「暑さに負けてたら駄目ですね、気を引き締めないと」

 

「そうだな、ベアトリーセ。後から避弾経始について教えて欲しい事があるんだが、少し時間を貰えるか?」

 

「お、かどちゃん気合入ってるわね。ベアトリーセ先生、私めにもぜひご教授お願いします!」

 

「エレナ、昼から連携機動の練習に付き合ってよね」

 

「あいヨ、相棒♪」

 

そんな感じでしまなみの昼下がりは過ぎていく。黒森峰との準決勝戦は日々近づいていた。

 

 

翌日の日曜日。戦車格納庫には、戦車道履修生全員が集合し、戦車道全国大会準決勝・黒森峰戦の作戦会議を行っていた。

 

「今回、準決勝で戦う黒森峰女学園は重戦車の重装甲・重火力を活かした戦術を得意としている学校です」

 

「重戦車で編成された楔型隊形で敵陣を深く突破し、戦線を寸断。混乱する敵戦車を撫で斬りにしていくという、正に戦車道最強校の名に相応しい戦法を得意としています。更に今大会から、Ⅲ号戦車四両が編成に加わっており、機動力に優れたパンター中戦車との連携で、敵を側面から攪乱し、重戦車と駆逐戦車で中央突破をするという、付け入る隙が無い戦術で準決勝まで勝ち上がっています。私達も戦車の近代化改修を行い、皆さんの努力と技量の高さは日々の訓練で私が一番良く知っています。それでもこれまでにない、大変な苦戦が予想されます」

 

 

「戦車道の権化とも言える隊長の西住まほと、副隊長の逸見エリカを筆頭に全国の猛者揃いの黒森峰は私達に勝って当たり前です。ですが、私達にも勝機はあるはずです」

 

 

「この戦場となるカルデラ状地形の中心にある高地はあえて黒森峰に取らせます。私達が取ったとしても、相手は15両、私達は10両。維持は困難です。この戦場を一望できる高地を黒森峰が取らない事は考えられません。ですので敢えて取らせて、陣地を組んだ所を偵察を行い敵車両の正確な座標を観測。そこにARL44のカトレアチームと、Ⅳ号突撃砲のドクダミチーム・クローバーチーム合同のツユクサチームを編成し、アウトレンジから狙撃します」

 

「ツユクサチームの右側面には、五式中戦車のウメチームとソミュアS35中戦車のユズリハ・ガーベラチームを配置、左側面には五式中戦車のツバキチームとM15/42中戦車のオニユリ・アマリリスチームを配置し、パンターとⅢ号による側面攻撃に備えます」

 

「黒森峰への偵察は私達キキョウチームが行います。今回のフラッグ車はルイーズさんのカトレアチームにお願いし」「ちょっと待って零」

 

カトレアチーム・ARL44車長のルイーズが零の言葉を遮る。

 

「悪いけど、今回は砲撃と全体の管制に集中させて頂戴。フラッグ車もとなると流石に荷が重いわ。黒森峰が相手なら、ドイツ戦車を熟知しているベアトリーセが適任だと思うけど」

 

そう言ってルイーズがⅣ号突撃砲・クローバーチーム車長のベアトリーセ・メルダースを見る。確かに彼女ならば、母国ドイツの草チームで戦車道をやっていた経験者だけあって、ドイツ戦車のクセや弱点を熟知している。それに戦場での冷静な判断力はフラッグを任せるに値するものだ。履修生の皆が納得している空気を感じ取り、零は安心する。

 

「そうですね、確かにベアトリーセさんなら、安心してフラッグ車を任せられます。ベアトリーセさん、貴女にこの試合のフラッグ車をお任せしたいです。受けて頂けますか?」

 

零の言葉を聞き、ベアトリーセは

 

「は、はい・・・隊長 お任せ下さい」

 

そう言って引き受ける。その手は抑えていたが震えていた。

 

 

 

時刻は午前零時。練習で疲れ果てた戦車道履修生達は、格納庫二階の宿舎で深い眠りについている。

 

 

戦車格納庫もひっそりと静まり返っていたが、二つの人影があった。

 

 

一つは黒森峰戦でのフラッグ車を任された、クローバーチーム車長のベアトリーセである。

 

「遅かったじゃない、待ちくたびれたわ」

 

ベアトリーセが振り返ると、愛車のARL44に凭れながら腕を組んでいるルイーズがいた。

 

「お喋りはなし、単刀直入に聞くわ。一体どういうつもり!?」

 

そう言ってベアトリーセは声を荒げ、ルイーズを睨み付ける。普段から穏やかな雰囲気を纏い、どんな戦場でも冷静な彼女からは想像出来ない。だが、そんなベアトリーセの様子に気圧される事無く、ルイーズは言い放つ。

 

「あら?私はいるべき者を居るべき場所に居させたいだけよ。それに、これは貴女も望んでいる事じゃないの?」

 

その言葉に、ベアトリーセはルイーズに掴みかかる。

 

「ふざけないで! 私にこんな大役が務まる筈ないじゃないっ・・・ 黒森峰に負けたら私が生きていける場所はもうこの世に無いわ・・! やっと見つけたこの場所さえも・・・全てを私から失わせたいの!?」

 

 

 

ベアトリーセの声は震え、目には涙が溢れていた。

 

 

 

彼女がドイツの草チームで戦車道をやっていたというのは嘘である。ベアトリーセは3年前、ドイツの国家代表戦車道ジュニアユースチームの隊長を務めていた。しかしドイツ統一節目の記念すべき年の大会決勝戦で、彼女は西住まほ率いる日本代表チームに敗れ去った。隊長の地位を追われ、敗北の責任を問われ、祖国で居場所を失った彼女が逃れた先が、両親の説得で留学したしまなみ女子工業学園だった。ベアトリーセは怖かった、逃れた先でやっと見つけた自分の居場所を失う事が、また自分の敗北で友情も何もかもを失ってしまう事が。

 

 

 

「貴女の過去は知っているわ・・・フランスでもニュースになっていたから。さぞかしつらかったでしょうね・・・ だけど、いつまでも過去に囚われて、居るべき場所を避けているのは逃げているのと同じよ。それに、フラッグ車を任せたいと言った零のお願いを貴女は断らなかった。それは体が敗北の恐怖を覚えていても、心はそうじゃない証拠だわ」

 

「そ、そんなはず・・・」

 

ルイーズは自分の襟を掴むベアトリーセの手を優しく解き、そっと両手で握る。

 

「私は親友を、過去という呪縛から解き放ちたいだけ。悪意なんて何も無いわ。故郷を追われ、辿り着いた日本で、こんな機会に恵まれたのも貴女の天運よ。だから、零と私達の為に、何より貴女自身の為に、この役目を成し遂げて欲しいの。大丈夫、もし負けても零は貴女に失望したりしないわ。それに、私達が全力で貴女をサポートする。大船に乗ったつもりで、どっしりと構えていなさい。貴女の力で、私達を助けて頂戴。そして勝ちましょう、黒森峰と・・・西住まほに」

 

そう言ってルイーズはベアトリーセに頭を下げる。

 

「ルイーズ・・・御免なさい。貴女にそんなに気を使わせてしまって・・・ 私、やって見せる。どこまで行けるか分からないけど、持てる力の全てを注ぎ込んで、この場所と、皆を守ると約束する」

 

ベアトリーセは静かに、だが力強く話す。覚悟を決め、親友に勝利を誓った。

 

「ありがとう、そう言ってくれると信じてたわ」

 

ルイーズも笑顔でベアトリーセの手を強く握る。この子なら、必ず私達を勝利に導いてくれると、確信していた。

 

「ルイーズ、遅くに呼び出してごめんなさい・・・」

 

「いいのよ。ここは世話焼き屋の子が多いから、こんな時間でもないとこんな話出来ないしね さぁ、私達もそろそろ寝ましょうか。ハーブティーを淹れておいたから・・飲むでしょ?」

 

「ありがとう、それじゃお言葉に甘えさせてもらうね」

 

そう言って二人は格納庫を後にする。ベアトリーセが乗る、Ⅳ号突撃砲に書かれたクローバーのパーソナルマークを見て、ルイーズは思う。

 

 

(クローバーの花言葉は「約束」「幸運」そして「復讐」 なんとも皮肉なものね・・・)

 

 

言葉には出さず、静かに格納庫の扉を閉める。窓から差し込む月の光に、戦車が照らし出され、戦場で鍛えられた刀のように鈍く光っていた。

 

 

 

夏の日差しが眩しい8月上旬。戦車道全国高校生大会・準決勝第一回戦の会場は、日本最強の戦車道学校・黒森峰女学園と、無名校ながら善戦を続けるしまなみ女子工業学園との注目の一戦で、会場は多数の観客で賑わっていた。

 

 

試合の開会式、両校の隊長と副隊長が向き合い、試合前の挨拶を行う。黒森峰女学園は隊長の西住まほ、副隊長の逸見エリカが。しまなみ女子工業学園は隊長の大垣零と、副隊長の陸奥原龍子がそれぞれ向かい合っていた。

 

「零、よくここまで来た。初めて会ったあの日から、今日という日が来ることを私は信じていたぞ」

 

「お互い正々堂々と戦いましょう。言っておくけど手加減はしないから」

 

黒森峰の隊長と副隊長から、肌がひりつくような迫力を感じる。自分とは違う、本物の一流選手を前にして萎縮しそうになる。だが自分達も負けに来たわけではない。

 

「望むところです、受けて立ちます」

 

そう言って、下手ではあるが精一杯胸を張り、二人に向き合う。

 

「「「「宜しくお願いします!」」」」

 

四人の挨拶が響き渡る。少しずつ空に雲が広がり、夏場には珍しい冷たい風が吹く。急激に変わりつつある天候がこの試合の波乱を見る者にも予感させていた。

 

 

そうして、黒森峰女学園との試合前の挨拶も終え、あと僅かで試合開始の時間になっていた。零は、試合前に履修生の皆に何かを話そうかと思っていたが、皆の落ち着いた顔を見て無用だと察した。

 

 

エンジンのアイドリング音だけが響く車内で零は静かに目を閉じた。

 

 

いよいよここまで来た、やり残したことは何一つない。後は地獄の練習を思い出し、死力を尽くすのみだと自分に言い聞かせる。

 

 

「隊長」

 

「零ちゃん」

 

二人の相棒とも、もう言葉はいらない。目線を合わせて、頷きあう。

 

 

 

試合開始の号砲が鳴り、隊長車のstrv m/40Lが動き出し、全車がそれに続いた。

 

戦車道全国高校大会準決勝・第一回戦 しまなみ女子工業学園と黒森峰女学園の試合が始まった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話

試合開始から約一時間が経過した。急激に広がった雨雲は高山地帯の戦場に大雨と、濃い霧をもたらし、有視界射撃が困難な状況を作り上げていた。カルデラ状の地形に囲まれたこの平原は、一面見事なヒマワリ畑で、欧州と見間違うような景色が広がっている。そのヒマワリを履帯でなぎ倒しながら、きゅらきゅらと一両の戦車が突き進んでいた。地形に身を隠し、踏みつけたヒマワリの跡で黒森峰に察知されないように、慎重に進む。そうして中央の高地の身を隠せる地形で、車両に擬装網を掛けて停止した。

 

「こちらキキョウチーム、これより高地の黒森峰陣地に対し偵察を開始します」

 

無線手の紅城が、全車両に伝える。

 

「よっしそれじゃ、行って来るね」

 

パンツァージャケットの上にギリースーツを羽織り、零が雨中の戦場を歩き出す。当初の予想通り、高地を先取した黒森峰が構築した防御陣地に単身偵察に行く為である。エンジン出力を限界まで絞り、車両を擬装網でカモフラージュをした上でここまで来たが、黒森峰隊員の戦場の勘を恐れて、この後は人力のみでの偵察になる。操縦手の陸奥原と、無線手の紅城は車両に待機し、隊長の帰還を待つ。

 

 

「零、撤退の時のピックアップ地点は覚えてるわね?必ず迎えに行くから」

 

「黒森峰の陣地まではエレナさんが誘導するから、何かあったら無線機に叫んでね」

 

「了解、任せておいて」

 

無線機のスロートマイクのチェックを行い、零が黒森峰の陣地に向かって歩き出す。

 

その背中は徐々に霧のかかった森に溶け込み、見えなくなっていった。

 

 

「エレナさん、聞こえる?誘導よろしく」

 

「了解隊長さン!声だけですがお供しますゼ!」

 

黒森峰陣地までの誘導は、地形の読みの鋭さはチームで随一のオニユリチームのエレナが引き受けている。彼女であれば、突発的な事態に遭遇しても、最適なルートを零に伝える能力がある。

 

「全く・・・ ウチの隊長さんはなんでこう体を張るのかしらね」

 

雨音が響く車内で、陸奥原がふと相棒の紅城にため息混じりに話す。

 

「しょうがないよ、龍ちゃん。普段から零ちゃんは自分以外の誰かの為に一生懸命だから・・・」

 

紅城は、零の事を思い、スロートマイクを触って零からの連絡を待つ。

 

 

 

キキョウチームが偵察任務に従事している頃、高地の黒森峰戦車群への狙撃を担う、ARL44とⅣ号戦車二両合同のツユクサチームは高地から3キロ離れた地点で射撃準備を行っていた。

 

 

「雨の上にこの霧・・・ 駆逐戦車乗りには最悪の天候・・・」

 

Ⅳ号突撃砲に乗る音森が憂鬱そうに呟く。試合開始から降り出した雨は次第に強くなり、戦場一帯を霧が覆って有視界砲撃が困難な状況を作り上げていた。

 

「音森さん、きっと敵も同じことを考えてますよ。だからこそ、隊長が私達の目になってくれるはずです」

 

同じくⅣ号突撃砲に乗るベアトリーセが音森を励ます。

 

「そうよ、響。零なら必ず私達に最高の舞台を準備してくれるわ。だから信じて待ちましょう」

 

ARL44の車長ルイーズも響きにそう言って励ます。音森は、二人とも隊長の事を本当に信頼しているんだな・・・と感じていた。

 

「わかってる・・・言っておくけど私だって隊長の事を信じている。勘違いしないで・・・」

 

そう言って黙り込む音森に、ベアトリーセとルイーズがごめんごめんと謝る。

 

 

彼女達ツユクサチームの任務は、濃霧による無視界下での敵戦車への精密射撃である。

 

 

アウトレンジからの黒森峰戦車隊への精密射撃を考案したのは零だったが、濃霧の発生による無視界下戦闘までは想定出来ておらず、それを補強したのがベアトリーセだった。船舶工学科所属であり、先の大戦での海戦だけでなく、古代の海戦の戦史を知り尽くしている彼女は、旧日本海軍の艦船が、アメリカ海軍の夜間レーダー射撃で一方的に攻撃・撃沈された海戦のような戦術が、戦車道でも出来ないかと考えていた。高地に布陣した戦車群を、濃霧による無視界下でのアウトレンジ砲撃で一方的に撃破するというものだ。成功すれば、こちらは反撃を受けない状態で、相手を一方的に砲撃出来る。しかし、座標のみを目当てに、砲撃を行うというのは、高度な射撃計算と、リアルタイムで正確な敵の座標を得るが必要である。そこで、情報技術科首席のⅣ号突撃砲車長の音森響と、高度な戦場管制術と計算能力を持つARL44重戦車車長のルイーズ・ベルナールが共同で計算を行い、軽戦車の機動性と隠密性を活かし、キキョウチームが偵察で敵戦車の正確な座標を得るという事になった。

 

 

「零隊長・・・」

 

「も~潮美ちゃん、捨てられた子犬みたいな顔で隊長のいる方角を見ないの」

 

ソミュアS35のユズリハ・ガーベラチームは、零達キキョウチームの帰還援護で、車両に擬装を施し待機していた。誰もが零からの一報を待ち、無線機に集中していた。

 

 

 

数十分経ち、零は高地をなんとか登り終え、黒森峰の陣地に到達していた。

 

「はぁ、はぁ・・・なんとか到着。なんだかランボーになった気分・・・」

 

道中、黒森峰側に察知されずにここまで来られた事に、エレナに感謝していた。そうして座標を細かく記載した地図を取り出し、スロートマイクをそっと触る。

 

「ツユクサチームへ、こちら大垣。観測点に到達しました。これより敵戦車の座標を送ります。」

 

零の声で、チーム全員に緊張と張り詰めた空気が漂う。いよいよ私達はあの黒森峰相手に戦う。その事に全員が武者震いのような感覚を覚えていた。

 

 

 

その頃、高地に展開した黒森峰の駆逐戦車隊は、訓練通り迅速に陣地構築を終え、各戦車の隊員は車内で周囲を警戒していた。

 

「しまなみはどうやって攻めてくるかな、もしかして機動防御を仕掛けてくるとか?」

 

エレファント駆逐戦車にの車長がもう一両の車両に乗る相棒に無線で話しかける。

 

「まさか。素人なら陣地防御を徹底して、私らの進撃を迎え撃とうとするさ」

 

もっとも、機動防御を仕掛けた所で、側面を警戒しているパンターと三号、私達の砲の餌食になるだけだがねと笑いながら返す。

 

「しっかし、この雨と霧は最悪ね。駆逐戦車が視界ゼロでどう戦えってのよ・・・」

 

ヤークトパンターの車長が憎々しげに話す。長距離射撃が本分の駆逐戦車が、クリアな視界を得られないというのは大きなストレスが溜まるのだ。

 

「ぼやぼや言ってないで警戒を怠るな!連中は何をして来るか分からないぞ!」

 

外跳ねの髪が特徴的な駆逐戦車隊の隊長が、隊員達に檄を飛ばす。彼女は黒森峰でも図抜けた撃破数を誇るエクスペルテンであり、その功績から、今試合より新配備のマウス重戦車の車長を任される予定だった。が、天候に降雨が予想され、地面にマウスが埋まる懸念から今試合での運用が難しいと判断され、乗り慣れたヤークトティーガーでこの試合に臨んでいる。

 

「とは言ってもこの雨と霧だぞ。あちらさんも腕のいい砲手はいるみたいだがお天道様には勝てないさ」

 

エレファントの車長がペリスコープから周囲を見回す。高地は低い雲と霧に覆われ視界はほぼ無いに等しい。

こんな状況では素人では行進間どころか静止射撃もままなるまいと思っていた。遠くで雷も鳴っているようだと彼女は思っていたが、それは違っていた。

 

 

 

「ルイーズさん、音森さん。これから高地に布陣する駆逐戦車の高度と座標、それと風速を言います。準備はいいですか?」

 

「分かったわ零」「隊長、よろしく」

 

零が指定した座標と高度の目標に対して、ARL44と、Ⅳ号突撃砲で主砲を何度の角度で砲撃すればいいかを即時に計算を行う。情報工学科の学年首席の音森と、車両管制と計算能力に天才的な能力を発揮するルイーズの頭脳共同戦線である。

 

「響、一番右のエレファントへの射撃諸元はこれでいいか検算してもらえる?」「了解」

 

ルイーズが自分が計算した結果を音森に伝えて、即時に検算した結果を音森がルイーズに伝える。

 

「OK」「よし、仰角このまま。この湿度が炸薬にどう影響するかは出たとこ勝負ね・・」

 

ルイーズが砲手に伝える。2両のⅣ号突撃砲も射撃準備を終え、小隊長のベアトリーセの砲撃開始の命を待つのみとなった。

 

「ツユクサチーム、全車一斉射撃開始!」

 

ベアトリーセの声で三両の駆逐戦車か高地に布陣する黒森峰の戦車に向かって砲撃が開始される。その音は平原一体に響き、まるで雷鳴のようであった。

 

 

 

「畜生!一体何がどうなってるんだ!?さっぱりわからない!」

 

高地に陣取っていたエレファント駆逐戦車の車長が叫ぶ。突然、自分の左側にいた相棒が乗るエレファントが砲撃されたと思ったら、あっという間に直撃弾をもらい撃破されてしまった。この濃霧、遠距離からの射撃、こんな状況下で直撃弾を出すなど不可能な筈である。闇雲にペリスコープから回りを見回しても見えるのは霧のみ、彼女は自身の最後が忍び寄っていることに恐怖し、操縦手に陣地移動の命を下そうとした瞬間、車両に着弾の衝撃を食らって、自身の車両の射撃装置がロックされたとの砲手の言葉を聞き、がくりと項垂れるのだった。

 

「全車回避運動を行いながら後方の斜面まで後退!」

 

ヤークトティーガーの車長は、僚車に命令を下しながら、感心していた。敵は完全な無視界射撃にも関わらず徐々に射撃精度を向上させている。一体この状況下で、実業団を含めて、これだけの芸当を出来る人間が日本にどれだけいるのか・・・予想もしなかった敵の攻撃に駆逐戦車乗りの血が騒いでくる。

 

 

「くそっ!せめてギミックだけでも見敗れれば!」

 

履帯を破壊されて、後退不能になったヤークトパンターの車長は、自身の車両が砲撃に晒される中、ハッチから身を乗り出し周囲を必死に見張った。この天候でこれだけの精密射撃が出来るのは偵察で正確な座標を観測している観測者が居るに違いないと考えていた。そうして森の中に、人影を見つけて、スロートマイクで隊長に通信を行う。彼女の車両から高い白旗が上がる音が鳴るのと同時だった。

 

 

「・・了解、高地に鼠が潜り込んだ。追撃せよ」

 

「了解しました隊長!」

 

15号車のⅡ号戦車L型ルクスの車長に敵観測員の追跡をまほは命じる。

 

「敵隊長車を確認、反跳偏差射撃開始」

 

僅かにではあるが霧が晴れ、居場所がバレたしまなみの隊長車に対して、エリカの命令で各車両が砲撃を始める、キキョウチーム3人の必死の逃避行が始まった。

 

 

 

「はっ、はっ、はっ ・・・もう、しつこいな・・・」

 

零はルクスの追撃を受け、ギリースーツを脱ぎ捨て必死に逃げていた。普段はそうでもないのに、こんな時に俊足ぶりを発揮する自分の足に感謝していた。エレナが最適な逃げるための経路を誘導してくれるお陰で、もう少しでピックアップ地点まで辿り着けそうだった。そうしてルクスの追撃を振り切るべく、再度全力で走り始める。その人影を見つけて、ルクスも全速で動きだす。

 

「ちょこまかと!!絶対に逃がすな!あいつは敵隊長の大垣零だ、隊長車を撃破すればしまなみはの屋台骨は崩れる!」

 

ルクスの車長は、敵の偵察を任務としており、しまなみの全履修生の顔を覚えていた。中でも最重要目標として隊長・副隊長から指定されていたのが隊長の大垣零とそのキキョウのパーソナルマークのstrv m/40Lだった。

 

 

そんな中、平原を一両の戦車が蛇行しながら、猛烈な速度で突っ走っている。

 

 

「零!聞こえる?心臓が破裂しようが、とにかくピックアップ地点を目指して全力で走って!」

 

「やばいよ龍ちゃん!また撃ってきた!」

 

陸奥原と紅城も黒森峰の砲撃から必死で逃げていた。逃走するstrv m/40Lの未来位置に、地面にワンバウンドさせた榴弾を直上で炸裂させる射撃法に曝されており、さながら近接信管付の砲弾に叩かれる零戦のような状態になっていた。strv m/40Lは一個のドラムのように、炸裂する砲弾に叩かれまくる。拳ほどの大きさの破片が四方八方から降り注ぎ、装甲の薄い軽戦車ではひとたまりもない。

 

「なるほど、地面で跳ねさせた榴弾をこちらの頭上で炸裂させてるのか。これじゃ遮蔽物に隠れても全くの無意味ってわけね・・・」

 

「ひぃぃ!!怖いぃ!!おかあさーん!!」

 

繰り返し襲って来る榴散弾のような礫の嵐に、紅城はパニックになっている。今大会で修羅場を潜り抜けてきたが、中身は普通の女子高生である。

 

「しっかりしなさい烈華!!怖がる暇があったら向こうさんに砲弾を撃ち込みなさい!!」

 

絶体絶命の緊急事態に陥りながらも、陸奥原が相棒を励ます。

 

「りょ、了解!!ちくしょーかかってこいやー!!ていうか零ちゃん!早く帰ってきてー!!」

 

涙目でやけくそ気味に紅城が黒森峰の車両に向かって砲撃を始める。必死にスロートマイクに叫んでも、討手から必死に逃げる零から返事は無かった。

 

 

 

零の追撃を行っていたルクスの車長は、逃げる先の樹木や、岩石を破壊して逃げ場を失わせようとするが、すぐ対応して別の逃げ道を走っていく敵の隊長にいら立っていた。戦車道では敵の拿捕に関しては例がなく、とにかく敵隊長と車両の合流を阻止するしかない。戦車道の砲弾は対人センサーが付いており、完全に殺傷能力は無い。戦車ではなく、撃つことができない対象を追うといういら立ちと、こちらを手玉に取るように、追撃を躱して逃げる敵の隊長の小賢しさにとにかくいら立っていた。

 

そんな時、逃げる零の足元にルクスの砲弾が着弾した。すると長雨でゆるくなっていた土手が崩れ始める。

 

「えぇ!?きゃあぁ」

 

バランスを崩した零の体が宙を舞い、土手を転がり泥まみれになって横たわる。

 

「うぅ・・・いったぁ・・・」

 

転がり落ち、体をしたたかに打ち、痛さで零が悶える。

 

 

「そこを動くな!」

 

主砲の照準を向け、ルクスの車長は土手下に横たわった零を見下ろしながら叫ぶ。呆然と涙目でこちらを見上げる敵隊長の哀れな姿に自らの勝利を確信し、そして静かに話し始めた。

 

「全く、大した奴だよ・・・お前のお陰で虎の子の駆逐戦車が三両も撃破された。だが、もうここまでだ。悪いが布陣など洗いざらい吐いてもらうぞ。黒森峰の尋問術をその身でとくと味わってもらおうか」

 

そうして敵隊長を収容・尋問しようとした瞬間に、ルクスが突如出現した二両の戦車に弾き飛ばされた。

 

「隊長にこんな真似を・・・絶対に許さない!」「この野郎・・・ 代償は払ってもらうわよ・・」

 

キキョウチームの撤退援護に全速力で向かっていたユズリハ・ガーベラチームのソミュアS35であった。雨中に泥まみれで倒れたままの零の姿を見て、朝河と荒川の二人は、命辛々黒森峰の追撃を振り切ったキキョウチームの二人に零の収容を願った。

 

「隊長車は私達が援護します!だから早く隊長を!」

 

「分かってる!ありがとう朝河、荒川!」

 

キキョウチームのstrv m/40Lが零の元に到着し、陸奥原と紅城の二人がかりで零を収容し、全速で離脱を開始する。

 

「おのれぇぇ!!逃がすかぁ!!」

 

「「させるか!!」」

 

ルクスはなおも追撃しようとするが、ソミュア2両に砲撃で履帯を切断され、走行不能になる。

 

「二人とも、射線を空けて こいつは一斉射撃でお仕置きしてやりましょう」

 

無線機から聞こえるベアトリーセの普段聞かない殺気に満ちた声に朝河と荒川は射線を空ける。そうしてすぐにARL44と、Ⅳ号突撃砲2両、ソミュアS35二両の一斉射がルクスを吹き飛ばし白旗を上げさせたのだった。

 

 

 

「零ちゃん大丈夫!?痛い所はない?」

「う、うん。すごくお尻打っちゃったけど、このぐらい平気」

「よかったぁ、よかったよぉ・・・」

 

紅城が零を抱きしめる。黒森峰の砲撃の射程外に逃れた安堵と、自分達の隊長が戻ってきた喜びが溢れる。

 

「とりあえず皆と合流しましょう。それから零、早く体を拭いて着替えなさい」

 

そう言って陸奥原がタオルを投げて寄こす。

 

「ありがとう、状況はどうかな?」

 

「悪くはないわ。敵は4両を失って、こちらは損耗なし」

 

「でもでも!左右側面にパンターとⅢ号の敵部隊が接近しているから早く援護に行こう!」

 

陸奥原と紅城が少し高揚した雰囲気で応える。

 

「私達も続きます!」「黒森峰の先輩方相手に腕が鳴るわ~」

 

strv m/40Lの両隣に続く、ユズリハ・ガーベラチームの朝河と荒川も応える。

 

僅か数分の間に、エレファント駆逐戦車二両、ヤークトパンター一両、ルクス軽戦車の計四両を黒森峰は失った。

 

15両対10両の黒森峰側の数的優位から始まった戦いの天秤が揺らぎ始めていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話

「敵陣地まで残り1キロメートル、シルト隊全車会敵に備えよ!」

 

パンター中戦車二両と、Ⅲ号中戦車二両から成る赤星小梅が率いる小隊が、しまなみ防御陣地の左側面へ全速力で向かっていた。

 

「こちらアクスト隊、交戦開始!敵は五式中戦車一両とソミュアS35が二両!」

 

右側面で挟撃作戦を行っているパンター中戦車二両、Ⅲ号中戦車二両から成るアクスト隊の小隊長、小島エミから交戦開始の無線が入る。赤星も眼前に敵の五式中戦車と、M15/42二両を確認し、スロートマイクに触れる。敵駆逐戦車の猛烈な阻止砲火を紙一重で避け敵陣になだれ込んだ。

 

(負けられない・・・みほさんと戦うまでは!生まれ変わった私達の姿を見てもらうまでは!)

 

「こちらシルト隊、敵五式中戦車一両とM15/42中戦車二両を確認!これより交戦開始します!」

 

 

 

「流石は黒森峰!車両の動きも射撃の正確さも化け物じみてる!」

 

五式中戦車車長の長原が、小島エミ率いるアクスト隊と交戦しながら叫ぶ。互いに岩石に隠れながらフェイント機動と砲撃を繰り返す。必殺の間合いで両校の七両の戦車が戦っていた。

 

「五式はバウアーさんと私でなんとかするから、貴女達はソミュアを!援護するから次の砲撃で一気に飛び込んで!」

「了解致しました!」

 

小島とバウアーの車両が五式に向かって連続砲撃を行うと同時に、Ⅲ号戦車が一気に敵陣地に向かって切り込みを開始する、快速のⅢ号と粘りの防御戦闘を続けるソミュアS35との戦闘が始まった。敵の五式中戦車は主砲を88ミリ砲に換装しており、破壊力はまほが乗るティーガーⅠ並みである。しかも半自動装填装置を活かしたとんでもない砲撃速度でこちらに撃ち込んでくるので下手に頭を出すことさえ出来ない。

 

「成程、中距離では近づく事さえ出来ないね・・でも接近戦ではどうかな!?」

 

エミの車両が身を隠していた岩石から飛び出し、一気に間合いを詰める。が、五式中戦車の副砲の37ミリ砲が猛烈な牽制射撃を撃ち込んでくる。それを躱し、車両同士が接触し火花が散る距離まで接近する。互いの砲弾が車両を掠り合って車内にぞっとするような金属音が響く。

 

「エミっそいつを引き付けておいて!砲塔側面を撃ち抜いてやる!」

 

バウアーが車長を務めるパンターが五式中戦車に砲身を向ける。五式中戦車は砲塔側面の装甲が薄く、一発の被弾でも致命傷になる。だがバウアーの必殺の一撃は砲身への一撃で照準が逸れ、砲弾が虚空を舞う。砲身を半分もぎ取られたバウアーの車両から白旗が上がった。

 

「嘘だろう!?砲身へ直撃させるなんてそんな芸当できる奴がいるのか?」

 

バウアーが驚きの声を上げる。

 

「間に合った!!」

 

五式中戦車への援護射撃を放ったⅣ号突撃砲車長のベアトリーセが声を上げる。だがその脆弱な側面を晒した一瞬の隙を、ヤークトティーガーの車長は見逃さなかった。

 

「もらった・・・皆の仇、取らせてもらうぞ!砲撃開始!」

 

ヤークトティーガーから放たれた砲弾がⅣ号突撃砲を貫く寸前に、一両の車両が間に割って入り、側面に砲弾を受けて白旗が上がる。

 

「ドクダミチーム撃破されました・・・隊長ごめんなさい、もうここまでみたい」

 

「響さん!どうして貴女が・・・」

 

「ベアトリーセさん、貴女がいないと私達は黒森峰に勝てない・・・だから必ず生き延びて」

 

「ベアトリーセ!フラッグ車の貴女が何迂闊な事やってるの、早く戻って!私達の運命は貴女に掛かっているのよ!」

 

機関部に直撃弾を食らい、炎を上げて炎上する響の車両に向かって頭を下げ、ベアトリーセは陣地に戻る。

 

 

 

Ⅲ号戦車の零距離射撃を受けてガーベラチームとユズリハチームのソミュアS35から白旗が揚がる。しかし同時に発射されていた砲弾がⅢ号を貫き同時に白旗が揚がった。

 

「あらあら、御免なさい隊長・・でも二両道連れに出来てよかった」

 

「零隊長申し訳ありません・・・最後まで・・・最後までお供したかったです・・・」

 

朝河がスカートの裾を握り、声を振り絞って被撃破の報告をする。きつく瞑った目から涙が滲んだ。

 

「勝ちたいだろうな黒森峰の!だがそれは私達も同じ!」

 

「次の砲撃で決めるよ!フェイントを掛けつつ、五式の砲塔側面を狙って!」

 

砲撃と車両同士の接触でボロボロになった戦車を引きずり、長原率いるウメチームの五式中戦車と、小島エミのパンターが向かい合い突進する。五式中戦車が放った88ミリ砲の砲弾がパンターの履帯をごっそりえぐり取る。が、白旗は上がらず、パンターが放った砲弾が五式中戦車の砲塔側面を貫き白旗が揚がる。再起不能な損傷を負ったパンターより白旗が揚がる。しまなみと黒森峰、互いの意地と勝利への執念がぶつかり合っていた。

 

 

 

「エレナさん、マルティーナさん 後は私達に任せて。二人はヤークトティーガーの撃破に向かって」

 

「了解したわ」「椿、撃破されるんじゃないヨ!」

 

パンター一両と対峙しているツバキチーム車長の室町椿は僚車にヤークトティーガーの撃破に向かうよう促す。

 

「さてさてパンターの車長さん、決着をつけましょうか」

 

五式中戦車の車長がにこりと赤星に凄絶な笑みを向ける。敵車長の、獣が牙を見せるような笑みを見て、赤星は笑顔は本来攻撃的な表情であるという言葉を思い出す。周りには白旗を上げ擱座したパンター一両と、Ⅲ号戦車が二両横たわり、赤星率いるシルト隊は壊滅的な打撃を受けていた。

 

「なぜですか、なぜ私達の前に立ちはだかるのですか・・・挫折も、後悔も知らない、戦う理由も無い、失う事の悲しみも知らない貴女達が・・・私達は去年の大会から大切なものを失い、生まれ変わろうと努力をしました。なぜ私達の邪魔をするのですか・・・なぜ私達に勝とうとするのですか・・・」

 

感情が沸き上がり、赤星の目からいつの間にか涙が浮かぶ。去年の大会で、自分が乗った車両が原因の事故で、黒森峰は十連覇の夢を断たれ、副隊長の西住みほは黒森峰を追われ、転校していった。赤星は努力をした、他校との練習試合では誰よりも敵戦車を屠り、戦車道にひたすらに没頭した。自分を助けようとした副隊長の戦車道が、間違っていなかった事を証明したかった。黒森峰も変わろうと踠いた。重戦車偏重の戦術から、中戦車の機動力を重視した小隊を編成し、隊員達は命令を待つだけの駒から生まれ変わろうと必死に踠いた。そんな自分達が、新規履修校に負けるかもしれないという現実が、赤星は信じられなかった。

 

「あらあら、随分と私達を安く見てくれたものですね・・・栄えある黒森峰の小隊長がこんな甘ったれでは、西住みほさんも浮かばれませんね」

 

口角を上げて、話す五式中戦車の車長に対して、赤星は激情が走る。

 

「知った風な事を言わないでください!何も知らないくせに・・・私達の事を何も知らないくせに!」

 

「ええそうですよ!貴女達の事なんて何も知りませんよ!だから拳で存分に語り合いましょう!」

 

互いの車長の足を合図に、操縦手が鋼鉄の獣に意志を与える。勝利を渇望する二匹の獣は、お互いの喉笛を食いちぎらんとするように縺れ合い、泥まみれになりながら砲弾という拳で殴り合う。オーバーヒート寸前まで酷使された内燃機関が生み出す熱が熱病のように、砲弾を受けた部品から漏れた機械油が傷から溢れた血液のように、金属同士が擦れ合う音は骨の軋みの如くに感じられる。幾度も砲弾を交え、車体を激突させ、語り合う。最終ラウンドまで戦い合ったボクサーのように、死闘を繰り広げながら、互いに止めの一撃を食らわせることを模索していた。

 

「次の砲撃で決める!あの五式を正面から抜いて見せる!みんなお願い、私に力を頂戴!」

 

「防盾のショットトラップを狙う!みんな頼むわよ!」

 

二両の戦車が正面から向き合い、出走前の競走馬か、柵から放たれる前の闘牛の息吹の如く原動機を嘶かせる。操縦手が車両を一気に加速させる。赤星のパンターの砲弾が五式中戦車の前面装甲を、室町の五式中戦車から3秒間隔で打ち出された三発の砲弾が、杭打ちのようにパンターの防盾下の装甲を貫く。同時に両車両から白旗が上がった。

 

「ツバキチーム撃破されました・・・隊長、どうか後は宜しくお願いします・・交信終わる」

 

 

 

ツバキチームと別れたオニユリ・アマリリスチームは、ヤークトティーガー撃破の為、地形に身を隠しながら二両で探索を続けていた。

 

「エレナ、どうする?ここから遠距離射撃で狙う?」

「ダメ!この距離だと、ヤツの装甲にはカスリキズしかつけられなイ!」

 

そうしてようやく伏撃ポイントに身をひそめるヤークトティーガーを発見したもの、距離が遠い。

しばらく考え込んでいたが、もはや時間がない。まごついていると、この絶好の機会を失ってしまう。

 

「じゃあさ・・・前に練習したアレやってみる?」

 

マルティーナがいたずらっぽい笑みを浮かべて、エレナに提案する。

 

「エぇー!練習でも一度も成功してないヨ!」

「いいじゃない、今こそ成功させようよ。私達なら絶対出来る」

 

妙に自信たっぷりに話す相棒を見て、肩をすくめてエレナも笑顔を見せる。

 

「分かった、それじゃ派手に行こうカ!弾種徹甲装填!目標ヤークトティーガー!」

「イタリア人とイタリア戦車だってやるときゃやる所を見せてやるわ、エレナいくよ!」

 

エレナが駆るM15/42中戦車が行進間射撃をしつつ、二両が一糸乱れぬ動きでヤークトティーガーに向かって最大戦速で突進する。

 

「うおぉ・・駆逐艦並みの砲に狙われるとか怖すぎ・・やっぱり止めようか・・・」

「マルティーナ今更ヘタれてないで、絶対にここで仕留めるヨ!」

 

「一両で挑んで来るとはいい度胸だ!だが射線に入っているぞ馬鹿め!砲撃開始!」

 

現代の主力戦車をも凌ぐ、128ミリ砲の砲弾がオニユリチームのM15/42の機関部に吸い込まれるように着弾し、白旗が揚がる。

 

「かかったネ・・・お前が撃ったのは残像ダ!今だマルティーナ!」

 

撃破されたM15/42の影からもう一両の戦車が飛び出す。敵から見える角度を計算し、完全に動きをシンクロさせて二両の戦車を一両に見せていたのだった。アメリカ海軍アクロバットチームの飛行をヒントに、エレナとマルティーナが編み出した。

 

「そ、そんな馬鹿な!?左回り急速旋回!」

 

「もう遅い!ヤークト後方の土手からスリットを狙って3連射!いくよっ!!」

 

アマリリスチームのM15/42が全速で後方にある土手に回り込む。ヤークトティーガーの旋回速度は遅く、長雨の泥濘が鼠捕りのように履帯に纏わりつき中戦車の軌道を追従する事は出来ない。必殺のアングルから放たれた三連射の砲弾はヤークトティーガーの機関部を貫き、白旗を上げさせた。

 

「やった!ヤークトティーガー撃破!!・・・って、まずい!急速後退!!」

 

M15/42中戦車を着弾の閃光が包む。ターレットリング付近に直撃を受け、戦闘不能になった車両より白旗が上がる。

 

「遅かったか・・・」

 

エリカが悔し気に呟き、天を仰ぐ。

 

マルティーナの目の前を、黒森峰のティーガーⅡが悠々と突き進んでいく。砲塔から身を乗り出した銀髪が美しい車長と目が合うが、お互いに何も言葉はない。そうしてティーガーⅡの車長が二両の健闘を称え、略帽を取り、一礼し去っていく。

 

「この乱戦でも礼節を失わないか・・・これが黒森峰の戦車道・・・」

 

マルティーナは走りゆくティーガーⅡを見届けながら、残った零達の健闘を祈るのだった。

 

 

 

「零!ティーガーⅠの砲口が黒点になったら右肩を蹴って!」

「了解!」

 

数刻が経った。両校とも多くの戦車が撃破され、しまなみはキキョウチームのstrv m/40L・クローバーチームのⅣ号突撃砲・カトレアチームのARL44の三両が、黒森峰は西住まほのティーガーⅠ・逸見エリカのティーガーⅡの二両が生き残っていた。平原ではstrv m/40LとティーガーⅠ、ティーガーⅡがドッグファイトを繰り広げていた。互いが互いの後ろを取ろうと履帯が外れる限界まで高速・低速機動を駆使して旋回し砲撃を繰り返す。

 

「エリカ!」「畏まりました隊長!」

 

まほのティーガーⅠと、エリカのティーガーⅡが零のstrv m/40Lを両側から挟み込み、並走するような形になる。擦れ合う履帯からは火花が散り、50トンを超える重戦車に挟まれ、strv m/40Lの小さな車体は軋み音に包まれる。

 

「零、大したものだ。私がここまで追い詰められたのは嘗てのみほとの紅白戦以来だ」

「よくここまで頑張ったわね零!だけどここで終わらせてあげる!安心なさい、苦しいのは一瞬よ!」

 

ティーガーⅠと、ティーガーⅡがしまなみの隊長車を圧し潰そうと、両側から猛烈なチャージを加える。strv m40/Lの車内は特殊カーボンの猛烈な軋み音と履帯が擦れ合う金属音が響き、操縦手の陸奥原が咆哮し操縦桿を動かし続ける。しかし包囲を解くことは出来ない。

 

「させるかぁぁぁ!!」

「何!?」

 

後方から最大戦速で突進してきた重戦車ARL44の体当たりを受けて、まほが乗るティーガーⅠが吹き飛ぶ。

 

「西住隊長!」

 

すかさずエリカのティーガーⅡからARL44へ速応射撃が加えられる。が、ARL44の重装甲はそれを弾き返し、ほぼ零距離に近い状態でティーガーⅡにARL44の90ミリ主砲から射撃が加えられる。

 

「ぐううぅう!」

 

砲塔に直撃弾を受け、猛烈な衝撃が伝わり、身を乗り出していたエリカは半分気絶しそうになる。カトレアチームの決死の突撃で、strv m/40Lが黒森峰の隊長・副隊長車からの猛攻から解放された。

 

「ルイーズさん、ありがとう!」

「馬鹿ね零、騎士より先に死ぬ姫がどこにいるの?」

 

「隊長、ルイーズ!早くこっちへ!敵はもう回復しつつあります!」

 

後方からベアトリーセが二人を呼ぶ。しかし、ルイーズのARL44は動かない。

 

「私達は残るわ。ここで奴らを食い止めるから、貴女達は最後の攻撃の準備をして」

「そんな事は出来ない!私も残ります!」

「零!貴女の役目はこの試合に勝つ事よ。ベアトリーセを宜しく零、早く行きなさい!」

 

操縦士の陸奥原が無言で戦車を動かし始める、真横に着いたⅣ号突撃砲のエスコートを受けて、二両が走り出す。

 

愛する仲間達の勝利を祈り、迫りくるティーガーⅠとティーガーⅡを眼前に見据える。まさか、異国の地で母国フランスの戦車を駆り、ドイツのティーガーⅠ・ティーガーⅡと戦えるとは、しかも日本最強と言われる黒森峰女学園の隊長・副隊長に単騎で立ち向かえる事にカトレアチーム全員の心は燃え上がる。ルイーズは以前本で読んだ、トーマス・バビントン・マコーリーの橋の上のホラティウスの詩を呟いていた。

 

「そして門の守り手、勇敢なホラティウスは言った。地上のあらゆる人間に、死は遅かれ早かれ訪れる。ならば、強敵に立ち向かう以上に尊い死があるだろうか。先祖の遺灰のため、神々の殿堂のため・・・みんな、奴らに私達の戦車道を見せてやりましょう」

 

ARL44から白旗が上がったのはそれから数十分後。黒森峰の二両に甚大なダメージを与え、零とベアトリーセが最後の攻撃の準備を終えてすぐの事。ルイーズ達カトレアチームは、しまなみのゴールキーパーとしての役目を存分に果たしたのだった。

 

 

 

キキョウチームとクローバーチームは、ルイーズの食い止めによってまほとエリカの追撃から逃れ、木々が生い茂る昼なお暗い林の中で、敵の出現をじっと待ち伏せていた。車両には擬装網を掛け、その時を待つ。キキョウチームのstrv m/40Lは、黒森峰の榴弾の雨を潜り抜け、更にティーガーⅠ・ティーガーⅡの両サイドからのチャージを受けて、満身創痍といった状態で、もはや僅かな余力しかない。反対にクローバーチームのⅣ号突撃砲は、一発の被弾も無く、試合開始と状態はほぼ変わりがない。チーム全員で徹底して行った、クローバーチームを最高の状態で最後までサポートし、守り抜くという作戦が実を結んでいた。

 

やがて眼前に巨大な鋼鉄の虎が姿を現す。黒森峰の二両の戦車は、砲塔と足回りに深刻なダメージを負っていたが、操縦手と砲手、二人の天才的な車長の手によって、その戦闘力を衰えさせる事無く、維持していた。主砲の照準スコープで二両を見ていた零は、まるで巨大な虎と、銀色の狼が獲物を見据えにじり寄ってくるように見え、怖気づきそうになる。しかし、もう後には引けない。先に撃破された仲間たちの事を想いながら、無線でチームメイト皆に語り掛ける。

 

「皆さん・・・どんな結果になっても、私は皆さんと一緒にここまで来られた事を誇りに思います。あともう少しです。各員の奮迅の働きを期待します」

 

strv m/40Lと、Ⅳ号突撃砲が一気に前進を開始する。strv m/40Lが煙幕を噴き上げながらティーガーⅠの左前方に回り込みながら、主砲で左側の転輪を狙い撃つ。転輪が歪み、足回りが悲鳴を上げるがまほは冷静だった。後はⅣ号突撃砲が、自車の左前方から後方に回り込み、零距離射撃で機関部を狙い撃ち、雌雄を決そうとするだろう。操縦手は足回りにストレスを与えないようにミリ単位の繊細な操作でⅣ号突撃砲に対し昼飯の角度を取り、砲手は偏差射撃で捉えるべく主砲を照準する。後はⅣ号突撃砲の横っ腹を88ミリ砲弾が貫くだけである。しかし、88ミリ砲から完璧なタイミングで撃ちだされた砲弾は、Ⅳ号突撃砲の鼻先をわずかに掠め、後方の地面に大穴を空ける。Ⅳ号突撃砲の後部牽引フックに車両牽引用の鋼鉄のワイヤーが括られ、林の中の大木に繋がれていた。どんな戦車でも、急ブレーキをかけても慣性によってすぐには静止出来ない、しかし戦車と大木をワイヤーで結べば、一気に速度を殺して急制動を掛ける事が出来る。大木を軸に、ワイヤーによって繋がれたⅣ号突撃砲は、まるでコンパスのように正確な弧を描きながら、まほのティーガーⅠに吸い込まれるように突進していく。

 

「隊長! 零いぃ、貴女の相手はこの私よ!」

 

エリカのティーガーⅡが、眼前を走る零のstrv m/40Lを死に物狂いで撃ち抜こうとするが、60トンの車重を長時間に渡って支えてきた足回りが限界を迎え、車両が動揺し照準もままならない。零は、ティーガーⅡの後方の高台に回り込み、高低差を利用してティーガーⅡの後部排気口から機関部を狙う。

 

「ベアトリーセさん!」「零さん!」

 

Ⅳ号突撃砲がティーガーⅠの斜め正面に食らいつき、砲塔のターレットリングに対して零距離射撃の態勢を組む。ティーガーⅠも砲塔を旋回させ、Ⅳ号突撃砲の機関部を狙うが突撃砲の低い車高に対し俯角が取れない。最高のタイミングと角度でⅣ号突撃砲の75ミリ砲が火を噴く。射撃後、辺り一帯を息が詰まる程の静寂が包んだ。黒森峰フラッグ車のティーガーⅠとティーガーⅡ、そしてエリカと相撃ちになった零のstrv m/40Lから白旗が上がる。

 

「黒森峰女学園フラッグ車走行不能、及び残存車両なし。しまなみ女子工業学園残存車両1」

 

「しまなみ女子工業学園の勝利!!」

 

審判員と審判長の蝶野亜美の声が会場に響き渡り、会場は歓声に包まれる。長く降り続いた雨も止み、雲の切れ間から降り注ぐ太陽の光が、両校の選手達の健闘を称えるように、戦場と戦車を優しく照らしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話

 

「両校、礼!」

 

「ありがとうございました!」

 

 

しまなみ女子工業学園と、黒森峰女学園の戦車道履修生が準決勝試合後の終礼を行っていた。他の武道やスポーツと同じく、礼に始まり、礼に終わるのは戦車道も同じである。西住まほのティーガーⅠを相手に勝利を収めたベアトリーセは、その微熱のような現実感が湧かないふわふわした感じに戸惑っていた。

 

 

「メルダースさん、お久しぶり。挨拶が遅れてすまなかった」

 

「お、お久しぶりです西住さん」

 

 

と、すぐにまほが話しかけてきた。過去の事もあり、西住まほに苦手意識を持っていたベアトリーセは若干たじろいでしまう。

 

「まさかワイヤーを使ってⅣ号突撃砲に急制動を掛けるとはな・・・高地陣地に対しての射撃といい、勉強をさせてもらったよ。ありがとう、いい試合だった」

 

そう言って右手をまほが差し出す。

 

「あ ありがとうございます!」

 

その手をベアトリーセは固く握る。それをルイーズや零、しまなみの履修生みんなが笑顔で見ていた。

 

「3年前の私の一勝と、今回の貴女の一勝。これで互いにイーブンだ。どうやら私は思っていた以上に負けず嫌いらしい。いつかまた、貴女と戦える日を楽しみにしている」

 

握手の手がぎりりと強くなる。しかし、ベアトリーセも負けていない。笑顔で強く握り返して反撃する。

 

「望むところです。私も楽しみにしています、西住さん」

 

「貴女が戦車道をまた選んでくれていて良かった・・・また会おう」

 

微笑みながら踵を返し、去っていく西住まほをベアトリーセは見送る。

 

 

「お疲れ様、ベアトリーセ。西住まほ・・・凄い相手だったわね。試合が終わったのにまだ手が震えてる・・・」

 

いつの間にか隣にルイーズとマルティーナ、音森とエレナが立っていた。

 

「でも勝ったのはベアトリーセさん。なんか、優勝出来そうな気がしてきた」

 

音森が珍しく、少し興奮した面持ちで話す。

 

「やったネ!ベアトリーセ!」「おめでとう、ベアトリーセ!」

 

エレナとマルティーナが抱き着いてきてベアトリーセはその場に倒れこんでしまう。

 

「お、お二人ともありがとうございます」

 

大型犬に飛びつかれたようになっているベアトリーセを見て、ルイーズは思わず微笑む。

 

「さて、今晩はささやかな祝勝会といきましょうか。零には許可を貰ってるから、久々に私が腕を振るうわね。マルティーナもよろしく」

 

「了解ルイーズ、任せといて」

 

「あの、隊長はどこに?」

 

 

その頃零は、連盟による試合終了後の車検にエリカと共に立ち会っていた。試合の前後に行われる違反物の積載や、車輌の不正改造を行っていないかを確認する検査である。勿論両校の戦車に不正などあるはずも無く、検査はスムーズに進み短時間で終了した。

 

 

「ぷっ・・・あっはっはっは! もうダメ限界! ぷっ! あっはっは!」

 

「エ、エリカさん。そんなに笑わないでください・・・」

 

零は砲塔にティーガーⅡの零距離射撃を受けた際、集中のあまり照準スコープに顔を密着させたままだった為、射撃の衝撃をもろに受けてしまい、目の周りにはくっきりと丸い跡が出来ていた。それがまるでみほが好きなクマのぬいぐるみに似ていて、試合後でハイの頂点を極めている事も手伝ってか、エリカは笑いが止まらない。

 

「ごめんごめん。しかし本当に・・・よくも勝ってくれたわね!ケーニッヒスティーガーが軽戦車に撃破されるなんて前代未聞よ。はぁ・・・全く、どの顔下げて西住師範の所に報告に行けばいいのよ」

 

「すみませんエリカさん・・・」

 

「もう、何で零が謝るのよ。むしろ感謝してる。最後まで全力を尽くして、日頃の鍛錬の成果を発揮して黒森峰の戦車道を体現することが出来たから・・・去年出来なかった事を思いっきり出来たんだもの。悔いはないわ。無論反省・改善点は山の如し、負けたのは悔しいけれど、完璧に勝てた試合より、なんだかすっきりしているの。不思議なものね」

 

そう言ってエリカが零に手を差し出す

 

「ありがとう零、いい試合だったわ」

 

零もしっかりと、その手を握り返す。

 

「今はまだ西住隊長の副官でしかない私だけれど、いつか黒森峰の隊長になって貴女と肩を並べて見せる。零は私の生涯の獲物よ。次は負けないから、私達との次の試合、首を洗って待ってなさい」

 

そう言って握っている零の手を更に強くエリカが握る。その強さは新宿駅でエリカと初めて握り合った時と同じ強さと温かさだった。黒森峰の副隊長であれば、それだけで終生自慢出来る名誉な事である、だがエリカは黒森峰の隊長という更なる高みを目指そうとしている。その上昇志向の強さに零は心底頭が下がる思いだった。しかし、なんだかエリカの目がギラついていて少し怖い。

 

「こちらこそ ど、どうかお手柔らかにお願いします・・・」

 

「もう、こんな時くらいしっかり胸を張りなさいな!」

 

「はぅ!」

 

エリカに思いっきりお尻を叩かれて、試合中にお尻を強かに打っていたいた零はおもわずその場でへたり込んでしまう。

 

「ど、どうしたの零! え?何?試合中お尻をめちゃくちゃ打った?なんでこの場面でそんな事になるのよ・・・」

 

「うぅ・・・エリカさんのセクハラおやじ・・・」

 

 

「二人とも楽しそうだな」

 

「に、西住隊長!」

 

「いいんだエリカ、そのまま」

 

姿勢を正そうとしたエリカをまほが制する。

 

「零、尻の具合はどうだ?」

 

ものすごく単刀直入に聞かれて、零も「い、いえ!大丈夫です、おかげ様で・・・」と何がおかげ様なのか分からない返答をするのが精一杯である。

 

「ふむ、臀部を強打すると尾てい骨を骨折する危険性があるからな。なんだか心配だ、医務室まで連れていってやろう」

 

「いえ、だいじょう・・・って、西住隊長!?」

 

いきなりの事に零は声を上げる。まほはへたり込んでいた零を横向きに抱え上げた。俗にいうお姫様だっこである。

 

「エリカ、零を医務室まで連れて行く。すまないが後を頼むぞ」

 

「かしこまりました!」

 

「あ、あの西住隊長、本当に大丈夫ですから!」

 

「いいから、年上の気遣いは素直に受けるものだぞ」

 

そういってまほは医務室まで歩き始めた。

 

今自分をお姫様だっこで運んでいるのは、全戦車道女子の憧れ、高校戦車道のスーパースター選手の西住まほである。零は、周りの視線が恥ずかしいが、戦車道やっててよかったぁ・・・などと呑気に思っていた。

 

「今日はルクスで追い掛け回して済まなかったな、怖かっただろう?」

 

歩きながらまほが話し始める。

 

「少々手荒だったとは思うが、我々は眼前の敵をみすみす取り逃がすわけにはいかない。これも戦車道の習い、許してくれよ」

 

耳元近くで零に話しかけるその声は、とても優しく、威徳がある。エリカをはじめ、実力者揃いの黒森峰を纏め上げて来たまほの片鱗を思わせた。

 

「はい。確かに少し怖かったですが、いい勉強をさせて頂きました」

 

零がそう答えると、なかなかタフな奴だとまほも笑みをこぼす。

 

「今日の試合は久しぶりに腹の底から楽しめた。ありがとう零、礼を言うぞ」

 

「いえ、そんな勿体ない!今日は悪天候もあって、黒森峰の皆さんには本領を発揮出来ない不利な状況下でしたし・・・」

 

「零、自分達の勝利を誇りに思え。勝ちを偶然や運の産物だと評価していると、いずれ自分達が何故勝てたのか分からなくなる。謙譲の美徳は時に悪徳でもある、勝敗は運では無く必然がもたらすものだ」

 

「まぁ、黒森峰を二度、優勝に導けなかった隊長の言うことだ、あまり学びにならないかもしれないがな」

 

「そんな、西住隊長は!」

 

「いいんだ、零。事実そうだから逃れようがないさ。ただ、お前には何故か話したくなったんだ」

 

「黒森峰はエリカ達の手でこれから一気に生まれ変わり、更に強くなるだろう。私もドイツで更に研鑽を積む。いつかまた、零やしまなみの皆と戦える日を楽しみにしているぞ」

 

「ありがとうございます、西住隊長。私も頑張ります。いつかまた・・・」

 

「あぁ」

 

二人目を合わせ笑い合う。そうして医務室に到着し、診察を受けた所、打ち身との診断だった。冷湿布を貰い、化粧室で湿布を貼ろうとする零に、「遠慮するな、貼りにくい場所なのだから貼ってやろう」と言い寄ってくるまほを丁重にお断りし、帰りは二人で並んで歩いてチームメイト達のもとに帰ったのだった。

 

 

 

「いや~長原さん達の五式には参ったよ。3秒間隔で88ミリ砲連続射撃なんて反則だって・・・しかもあの操縦、本当に戦車道初めて3か月なの?私らの立つ瀬が無いよ・・・」

 

「ほんとほんと。しっかしエミはまだ見せ場あったからいいよ。ちっくしょー、突撃砲に砲身半分吹っ飛ばされるなんて戦車道やってて初めてだよ・・・」

 

「いやいや、エミさんとバウアーさんのパンターの砲撃精度と車両機動の俊敏さと精確さときたら・・・大垣隊長が言っていた日本最強の黒森峰戦車道の妙技、聞きしに勝るものだったよ」

 

何処か馬が合うのか、アクスト隊小隊長の小島エミとバウアー、ウメチーム・五式中戦車車長の長原門野の三人はスポーツドリンクを飲みながらお喋りを楽しみ、ソミュアS35のユズリハ・ガーベラチーム車長の朝河と荒川は、同じく一年生のアクスト隊・シルト隊のⅢ号戦車の乗員達と、今日の戦いの話と、互いの隊長自慢に花を咲かせていた。

 

 

「室町さん、今日はすみませんでした。貴女達にひどいことを言っちゃいました・・・」

 

激闘を繰り広げた赤星小梅と、ツバキチーム・五式中戦車車長の室町椿が話し合っていた。

 

「そんな、赤星さん。私こそすみませんでした、赤星さん達の事も知らずに色々言ってしまって・・・」

 

そう言って、室町は赤星に深々と頭を下げる。

 

「い、いえ!そんな頭を上げて下さい室町さん!」

 

そうして互いにぺこぺこ頭を下げ合う、そうしている内になんだか笑いが込み上げてくる。

 

「今日の試合、負けたのは悔しいけど本当に楽しかったです。室町さん達と全力で戦えて本当に良かった・・・」

 

「こちらこそ、小梅さん達もすごいガッツでした。小梅さん達の戦い振りを見て、きっとみほさんも喜んでいますよ。ふむ、梅と椿・・・もしかしたら私達、すごく相性がいいのかもしれませんね」

 

にこりと微笑み、室町が差し出す手を、赤星もぎゅっと握り返す。互いを讃え合い、認め合うという、ありふれた、だが現実には難しい事を自然とすることができ、赤星は嬉しさが込み上げる。疑似的な命のやり取りを通し、人と人を強い絆で結ぶ、戦車道とはそうしたものなのかもしれないと室町は考えていた。

 

「さぁ、そろそろ閉会式ですね。赤星さん、行きましょうか」

 

「はい!」

 

二人でチームメイト達の待つ会場へと歩みを進める。

 

閉会式では各表彰が行われた。今試合のMVPには、しまなみを勝利に導いたベアトリーセが、ベストバトルには不撓不屈の闘志を戦車道で表現した赤星小梅と室町椿の戦いが選ばれた。表彰された三人に、会場の観客・スタッフ、そして両校の生徒達から万雷の拍手と歓声が沸き起こる。こうして、様々な人間の、様々な後悔や過去を昇華させて、しまなみ女子工業学園と、黒森峰女学園の準決勝は幕を閉じた。

 

 

閉会式も終え、連盟・大会スタッフへの挨拶や、戦車を学園艦まで運ぶ積載車への積み込みも無事見届け、学園長に報告を終えた零はやっと終わったと肩を撫でおろす。と、そこに携帯電話に着信が入った。

 

「お待たせしました。大垣です」

 

「やぁやぁ大垣ちゃん!角谷です、お疲れ様でーす」

 

声の主は大洗女学園の生徒会長角谷杏だった。

 

「忙しい所を悪いね、もう話出来るかな?」

 

「はい、丁度全部片付いた所だったので大丈夫ですよ」

 

零は近くのベンチに腰掛ける。ひんやりしたベンチの冷たさに、やっと試合が終わったという実感が沸いて来た。

 

「大勝利おめでとう!いや~大垣ちゃん達なら出来ると思ってたよ、まさか黒森峰相手に勝っちゃうなんてさ。中継みんなで見てたけど、もうみんな熱くなっちゃって大騒ぎだったんだよ。新規履修校が黒森峰相手に勝っちゃうなんて、凄い事成し遂げちゃったね!大洗の皆を代表して、私がお祝いの電話したってわけさ~」

 

杏が興奮した様子で話す。

 

「わざわざありがとうございます角谷さん。今日の試合も、チームの皆が死力を尽くして頑張ってくれて勝つことが出来ました。きっと大洗の皆さんの応援のおかげですね」

 

「またまた~謙遜しちゃってさ~敵わないね~大垣ちゃんには」

 

そうして、今日の試合の事や、明日のプラウダ高校との試合の事など、色々と話し合う。試合前日に電話で話したばかりなのに、話は尽きる事無く進んでいく。

 

「おっと、もうこんな時間か・・・それじゃね、大垣ちゃん。明日の試合、絶対みんなで中継見ててよね!大垣ちゃん達に応援して貰えれば、私達も勝てる気がするんだ」

 

「勿論ですよ、角谷さん。現地に行けないのが本当に残念ですが、チームの皆で、応援させて頂きます。大洗の皆さんなら、絶対にプラウダ高校に勝てます!」

 

「そうかな・・・ ありがとね」

 

そうして、別れの挨拶を行い、零が電話を切ろうとすると

 

「あのさ! 大垣ちゃん!」

 

杏が大きな声で、零に呼びかける。

 

「ど、どうしました角谷さん?」

 

普段の余裕のある声とは違う、どこか切羽詰まったような声色に零は戸惑う

 

「い、いや あはは、なんでもないよ~ じゃ、明日の試合見ててよね!じゃあね!」

 

そう言って電話を切られてしまった。零は何か嫌な胸騒ぎを覚えつつ、チームの皆が待つ学園艦に戻るため、戦車道連盟が準備した車両に乗りこむ。黄昏時、異様に赤い夕焼けが零をどこか心細い、不安な気持ちにさせた。

 

 

「いいんですか、会長」

 

大洗学園艦の艦橋にある生徒会室、会長の椅子に腰かけて外を見ている杏に小山は話す。

 

「あぁ、いいんだ。これで・・・」

 

そう言って、杏は携帯電話を折り畳む。

 

「ですが会長!大垣重工は戦車道プロリーグの大口のスポンサーになる予定です!大垣会長を通して、しまなみ女子工業学園の学園長に文科省へ圧力をかけて頂き、大洗の廃艦阻止に動いてもらうのでは無かったのですか!?溺愛するお孫さんの大垣会長の願いであれば、大垣重工を支配している前最高経営責任者の学園長を動かす事が出来るとおっしゃっていたではないですか!その為に、これまで大垣会長に接近してきたのではなかったのですか!?我々にはもう後が」

 

「桃ちゃん!!」

 

小山が怒りの籠った声で河嶋を抑える。それにはっとした表情で河嶋が我に還る。

 

「で、出過ぎた口を・・・会長申し訳ありません!」

 

「いいんだ河嶋。その通りだよ。廃艦阻止の為に、大垣零に接近したのは事実だからね」

 

そう言って、杏は席から立ち、窓から学園を見下ろす。試合の関係で、かなり高緯度に近い地域に停泊している事もあり、雪が降っており人影はあまり無い。しかし、多くの家々にはあかりが灯り、そこで生活している人々の息吹が窺えた。

 

「明日のプラウダとの試合中に、大洗女子学園廃艦が速報で報道される手筈になっている。勿論廃艦撤回の条件も一緒にね。学園艦教育局の非情な決定に抗おうと立ち上がった、か弱い大洗の女子高生達。判官びいきな日本人がこれに飛び付かない筈はないよ」

 

「明日の試合、大垣零には私達の試合の中継をチーム全員で見るように頼んでおいた。お人好し揃いのしまなみの皆が、明日の報道を見れば、私達との決勝戦で本来の実力を発揮できなくなるのは必定だからね。しまなみには、決勝戦で勝つことが出来ない試合を戦ってもらう。私は自分の手を汚さず、大垣ちゃんと、しまなみの皆を苦悩と失墜のどん底に叩き落すってわけさ。これで私の策は完成。ははっ、我ながら最高に最低だね」

 

そうどこか投げやりに話す杏の背中は、どこか小さく、そのままどこかに消えてしまいそうに見える。

 

「みんなの帰る場所を守らないといけないんだ、その為なら・・・」

 

「もういい、もういいよ杏。もうわかったから」

 

小山が杏を後ろから抱きしめる。廃艦を言い渡されてから、杏はその類稀な才能故に孤独な戦いを続けていた。そんな中でも、気丈さを失わず、飄々としながら皆を支えてきた。それを知っている小山は杏を抱きしめる事しか出来なかった。

 

「明日の試合は絶対に勝つ。私が砲手と車長を務める。河嶋も死ぬ気で装填手を務めろ。小山は手の皮が破れようが操縦桿から手を離すな。私も全身全霊を注いで役割を果たす。だから・・・二人とも頼んだよ」

 

杏がそういうと、河嶋も杏と小山を抱きしめる。いつも三人で一緒だった。小山と河嶋は、杏とならどんな地獄へも共に行く覚悟だった。

 

 

「明日はいよいよ準決勝か~なんか緊張しちゃうな~」

 

大浴場で、練習の汗を流したあんこうチームの面々は、寮や自宅に向かって歩いていた。

 

「寒い・・・なんで夏場にこんな寒い所で試合しなきゃならないんだ・・・」

 

分厚いコートを着て、寒いのが苦手な冷泉麻子が恨めし気に呟く。夏場でも降雪のある地域での試合となるため、学園艦にも雪が降っている。

 

「降雪地帯はプラウダのホームグラウンドです、明日の試合はプラウダ有利な構図ですね西住殿」

 

秋山優花里がむむむと唸りながらみほに話す。

 

「そうだね優花里さん、だけど皆でいっぱい練習してきたんだもん。きっといい試合になるよ」

 

みほはそう言って優花里にほほ笑む。優花里もそうでありますねと微笑みながら話す。

 

「明日の試合の事を思うと私、胸が熱くなるんです!絶対に勝って、しまなみの皆さんと決勝の大舞台で戦いたいです!」

 

「華ったら、昨日のしまなみと黒森峰の試合見てから気合入ってるね~」

 

「当然です!みなさん、明日の試合は頑張りましょうね!」

 

そう言って四人で華の音頭でまだ勝ってはいないが勝鬨を上げる。みほも、明日の試合は何だか面白い事が起こりそうな予感がしていた。

 

「じゃあね、みぽりん。湯冷めしないように、早く寝なよ。おやすみ~」

 

「お休みなさい西住殿!」「おやすみなさい、みほさん」「おやすみ西住さん」

 

「うん、みんなお休み」

 

そう言ってみほは寮の前で四人と別れる。不思議と階段を上る足取りも軽やかだった。自室に入り、部屋着に着替え、帰り道のコンビニで買ったアイスの封を開ける。テレビをつけ、のんびりとベッドに寝そべりながら、みほは枕の隣にいつも置いている零が贈った、手作りのボコのぬいぐるみを手に取った。

 

「えへへ、零さん。もう少しでまた戦えるね・・・今度はどんな試合になるかなぁ、楽しみだなぁ・・・」

 

一番の宝物のぬいぐるみを高く上げ、みほは微笑む。ぬいぐるみ以外、何も映っていないその目は、獲物を狙う猛禽類の目にどこか似ていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話

 

雪が降り積もる、凍てつくような寒さの平原に二つの砲声が響き渡る。一つは、大洗女子学園のフラッグ車を射抜くべく放たれたIS-2重戦車の、もう一つはプラウダ高校のフラッグ車を射抜くべく放たれたⅢ号突撃砲の砲声だった。そしてしばらくの静寂の後に、プラウダ高校のフラッグ車のT-34/76から射出音と共に白旗が揚がった。

 

「プラウダ高校フラッグ車、走行不能」

 

「試合終了、大洗女子学園の勝利!」

 

極寒の会場に、大洗の勝利を告げる声が会場に響き渡った。

 

「すごい・・・みぽりん!勝っちゃった!私達勝っちゃったよ!」

 

「やった!すごいです西住殿!」「やりましたね、みほさん!」

 

「やったな西住さん、最高のチームワークだった」

 

Ⅳ号戦車の仲間、そしてチームの全員がみほに駆け寄り、皆で手を握り、肩を抱き、喜びを爆発させる。みほは胸ポケットから顔を覗かせる零が贈ったボコの縫いぐるみに手を当て、笑顔で天を仰いだ。雪はまだ止む気配はない。更に降る気配すらある。しかし、勝利の高揚に包まれた彼女達には、最早寒さや雪は気にならなかった。

 

 

 

時は進む。しまなみ女子工業学園の学園艦は、戦車道全国大会決勝戦の会場へ向け、夜の太平洋を航行していた。未だ夜は明けていないが、微かに水平線が明るくなり始めている。戦車道履修生達は決勝戦に向けて、朝から晩まで練習と、体力トレーニングを続けており、今は戦車格納庫二階の合宿所で眠りについていた。大部屋で皆で布団を引き、まるで修学旅行の朝の如く、それぞれが普通に寝たり、寝相の悪い生徒にのしかかられたり、抱き着かれたりしながら寝静まっている。

 

「う~ く、くるしい・・・」

 

そんな中、M15/42中戦車を駆るアマリリスチーム車長のマルティーナ・ビアンケッティは妙な寝苦しさに目を覚まし、むくりと起き上がる。すると、相棒のオニユリチーム車長のエレナが、自分の上に乗っかかって猫のように腹丸出しで幸せそうに眠っていた。いつもの事ながら、相棒のあまりの寝相の悪さに驚きつつ、エレナを元の寝床に戻して、布団を掛け直してあげる。そうして、朝のランニングでもしようかと、軽く身支度をする。シューズを履き、廊下を歩いていると、隊長室に灯りがついている事に気が付いた。

 

「隊長、お疲れ様」

 

「んぅ・・・ あ、マルティーナ! 早いね、どうしたの?」

 

うとうとと舟を漕いでいた零が声がした方を振り返る。気を利かせたマルティーナがコーヒーと、手作りのイタリアのお菓子ビスコッティを携えて部屋に入ってきた。

 

「ちょっと目が覚めちゃって。ランニングに行こうと思ったら明かりが点いてたから、お邪魔させてもらったってわけ」

 

はいこれと、マルティーナは零の為に準備したコーヒーとビスコッティを渡す。

 

「ありがと ふぅ、マルティーナが淹れてくれたコーヒーは本当に美味しいね。お菓子と一緒に飲むと、五臓六腑に染み渡るよ」

 

上機嫌な零にそう言われて、マルティーナはなんだか誇らしさと気恥ずかしさで、少し頬をかく。

 

「当然よ、イタリアのおばあちゃんにみっちり仕込まれたんだから。それにしてもどうしたの? こんな時間まで起きてただなんて」

 

部屋の応接椅子に腰かけたマルティーナが零に話す。

 

「うん・・・ 大洗女子学園と、どう戦うか考えてたんだけど、なかなかアイディアが浮かばなくて・・・」

 

机の上には戦車の資料や、地形図、過去の戦車道全国大会の記録等が広がっていた。大洗女子学園とプラウダ高校との試合中に報道された、大洗学園艦の廃艦決定と、その撤回の条件は、大洗にも、そして、しまなみにとっても過酷なものだった。もしもしまなみが勝ったら、大洗の友人達やその家族を路頭に迷わせる引き金を自分達が引く事になる。かといってわざと負けてあげられるような腐った根性も持ち合わせていない彼女達は、それぞれが苦悩し、苦しんでいた。零は、みほがⅣ号戦車の上に立つ、いわゆる軍神立ちをしている写真が載った、プラウダ戦のネットニュースを見て、天井を見上げる。

 

零も大洗の友人達を思う気持ちと、初めての練習試合で敗北した時から、自身と皆が待ちに待った再戦の機会を得られた気持ちの間で迷い、悩んでいた。これまで戦ってきた他校の皆の為にも、無様な戦いは絶対に出来ないし、するつもりもない。だが、プラウダ戦の勝利後、軍神と称えられる西住みほ相手に勝てるなどと己惚れる気も無い。しかし、万が一の事があれば、大洗廃艦の引き金を引くことになる。

 

「Non si può avere la botte piena e la moglie ubriaca」

 

「え?」

 

ふと、マルティーナがイタリア語を話し、零は振り向く。

 

「今のは、満杯の酒樽と酒好きの女房を同時に持つ事はできないっていうイタリアのことわざ。相反する事を同時に求める事は出来ないって事」

 

マルティーナは零の目を見る。目には少しクマが出来ていて、疲労の色が見える。

 

「隊長、じゃなくて零。勝負は時の運って言うでしょ。もしこの決勝戦で、大洗が勝利をもぎ取れなければ、それは仕方が無いし、私達が勝てなくてもそれは仕方が無いわ。とにかく全力で、相手と向き合って戦えば、お互いにとって最上の結果が得られる筈よ。戦争をしてるんじゃないんだし、変に考え込むんじゃなくて、もっと気楽にいきましょうよ」

 

マルティーナの言葉を聞いて、零は天井を再度見上げる。

 

「そうだね・・・ うん、ありがとうマルティーナ」

 

零の顔が少し明るくなり、マルティーナもほっとする。ここ最近、考え込んでいるような様子と表情ばかりで皆心配していたからだ。久しぶりに零の笑顔が見れて、マルティーナも顔を綻ばせる。

 

「ならよかった。それじゃ、私はひとっ走りしてくるから」

 

「あ、ちょっと待って、私も一緒に行く」

 

一緒にランニングに行こうとする零を、マルティーナは制止する。

 

「ダメ。コーヒー持ってきた私が言うのも悪いけど、今日は午前中練習試合なんだから隊長は仮眠でもいいから寝ておくこと。徹夜はいい仕事の敵、それに美容にもよくない」

 

同郷の、空飛ぶ紅い豚の言葉を口にして、執務室を後にする。そうして学園艦の甲板を一周し、ランニングを終えて帰って来ると、大部屋で皆と一緒に眠る零の寝姿を見て、マルティーナは安堵し微笑む。零はその気になれば隊長室のベッドで寝られるが、いつも大部屋で皆と一緒に寝ている。いつも皆を気遣って、隊長という地位に胡坐をかいたり、特別扱いを求めたりはしない。マルティーナはそんな彼女の事が大好きだった。

 

「Chi trova un amico trova un tesoro. お休み、私の隊長さん」

 

マルティーナはまたイタリアのことわざを口にし、少し乱れた零の布団を、そっと掛けなおすのだった。

 

 

 

第六十三回戦車道全国高校生大会の決勝戦は、東富士で開催される。霊峰富士の裾野にあるこの会場は、これまで幾多の戦車道の試合が行われ、歴史に残る名勝負の舞台となってきた。故に戦車道の聖地と言われている。しまなみ女子工業学園の戦車道チームも、朝早くから会場入りし、各車両に用意されたピットガレージで戦車の整備を行っていた。

 

 

「お久しぶりです、我が君!」

 

溌剌とした声で零を呼ぶのは知波単学園の西絹代だった。

 

「西さん、こんにちは!お久しぶりです」

 

自身が車長を務める、strv m/40Lの点検を行っていた零は戦車を降り、西に駆け寄る。西の両隣には玉田、細見、福田の三名が並び、まるで凛々しい若君様とその従者のように見える。

 

「この西絹代、大垣さんの戦いをこの目に収めるべく参りました!心ままならない事もあるかと存じます。ですが、どうか御存分の戦働きを」

 

「西さん、ありがとうございます。今日は皆さんと一緒に戦います、どうか見ていて下さい」

 

西と零、二人が固く握手を交わす。

 

「では、試合後またお会いしましょう!」

 

別れの挨拶を行い、西が踵を返して選手用の観覧席に戻ろうとすると、玉田・細見・福田の三人が零に頭を下げてきた。

 

「「「大垣隊長、先日の試合、誠にありがとうございました!!!」」」

 

「お、おい!お前たち!」

 

三人の話では、しまなみと知波単学園の試合後から、知波単の戦車道に改革の嵐が吹き荒れたらしい。隊長の辻つつじと、その取り巻きは今大会をもって更迭される予定であり、西がしまなみ戦で見せた統率力と、勇猛果敢な突撃が高く評価され、知波単学園戦車道の次期隊長に就く事が内定しているとの事で、三人は西を本来居るべき場所に零が押し上げてくれたと礼を言ってきたのだった。そんな三人を引き連れて、選手用の観覧席に戻っていく西たちを零は見送っていた。

 

 

「零、そろそろいいかしら」

 

するといつの間にか自分の隣に、ボンプル高校の隊長、ヤイカが立っていた。

 

「応援に来てあげたわよ。黒森峰を吹っ飛ばした貴女達が、大洗相手にどんな戦いをするのか、しかと見させてもらうわ。手を抜いたりしたら絶対許さないわよ」

 

ヤイカが、そう言って棘の無い、一凛の青い薔薇を差し出す。

 

「あ、ありがとうございます・・・」

 

零はおずおずと薔薇を受け取る。ヤイカにはいつも挑戦的な雰囲気が漂っている。それは、強襲戦車道・タンカスロンで常勝不敗を誇る彼女達だからこそ纏えるものであり、黒森峰の隊長・副隊長が纏うものにも似ていた。

 

「それじゃ、精々頑張りなさい」

 

そう言ってマントを翻し、傍で待っていた仲間達の元へ歩むヤイカの背中を見送る。零は、自分もいつかあんなオーラを持つことが出来るのだろうか・・・と考えていた。

 

 

「も~隊長ったら、こんな時くらいもっと励ましたり色々言ってあげればいいのに・・・」

 

観覧席に戻りながら、ウシュカがヤイカに話す。

 

「う、うるさいわね!真の戦士同士言葉なんて使わなくても伝わる物なのよ!」

 

「そんな事言って、あの薔薇も今朝選りすぐりの一凛を選んでたし、随分とご執心だよな~」

 

「う、うぅ・・・」

 

ピエロギにも囃され、ヤイカは言葉が出ない。

 

「隊長。あの西住みほ相手に、大垣隊長はいかにして戦うのでしょうか・・・」

 

黒森峰を破ったしまなみと、プラウダを破った大洗。どちらも戦車道では全くの無名校だった。しかし、四強の中でも最上級の強さを誇る両校を破り、決勝まで進んだ両校がどのような戦をするのか、誰も予想出来なかった。

 

「今日それを確かめに来たのよ、零達が勝利を掴むのか、それとも惨めな敗北者になるのか・・・」

 

ヤイカ達ボンプル高校の生徒達は、戦車道でいつも黒森峰やプラウダといった四強校の影に隠れ、辛酸を舐め続けて来た。故に、勝者のみが報われる戦車道の過酷な現実を誰よりもよく知っていた。

 

「彼女達に、フサリアの魂が共にあらんことを・・・」

 

ヤイカが太陽を見上げ呟く。空には、戦車道連盟所属の研三五機のアクロバットチームが鮮やかなスモークを引き、見事なデモフライトを見せていた。天気は快晴、風も微風。絶好の戦車道日和であった。

 

 

 

「零、試合見に来てあげたわよ!」

 

「コンディションはどうだ、零」

 

颯爽と、黒森峰女学園のキューベルワーゲンに乗って、しまなみのピットガレージにやって来たのは、エリカとまほだった。

 

「まほさん、エリカさん!」

 

零は笑顔で二人を迎える。準決勝の試合を経た今、三人は以前より親しく、打ち解けた仲になっていた。共に死力を尽くして戦い合った者には、強い絆が生まれるものである。

 

「試合前で緊張してないかと心配したが・・・その様子なら杞憂だったようだな。安心した」

 

「確かに緊張はしていますが、すごく楽しみです。待ちに待った大洗の皆さんとの再戦ですから」

 

まほは零の落ち着いた様子に、本当にタフな奴だと笑みを浮かべる。

 

「そういえば今日もお二人なんですね。赤星さんや小島さん達は・・・」

 

「他の皆は大会後のエキシビジョンマッチに向けて学園艦で特訓中よ。黒森峰は負けに甘んじない・・・言ったでしょう・・・次の試合、首を洗って待ってなさいって・・・あいたっ」

 

「こらエリカ、ほどほどにな」

 

久々の再会に浮かれてか、わざと零を脅すように話すエリカをまほは頭に軽く手刀を入れて諫める。そうして前回の試合や、今日の試合の事、チームの近況などを話す。気の合う友人との語らいは時間を忘れてしまう。このままおしゃべりを続けたいが、戦車道は試合前の準備や整備が重要である。その事を誰よりも知っている黒森峰の隊長と副隊長は、話を少し早めに切り上げ、再びキューベルワーゲンに乗る。

 

「じゃあね、零。試合後に又会いましょう」「零、いい試合を期待しているぞ」

 

「はい!」

 

零は笑顔で手を振って二人を見送る。

 

 

そして試合開始一時間前、しまなみ女子工業学園では恒例の全車両一斉点検を行っていた。戦車をしっかり点検している事を、観客の人達にも知ってもらう目的で始めたが、零達機械科所属の戦車道履修生達が、手信号とインカムを駆使し、乗員と意思疎通しながらカッコよく点検していく様は大人気で、しまなみの周りは大勢の観客でごった返している。

 

今回は地元の小中学生との交流も兼ねており、地元児童戦車道チームの、山梨グルントシューレパンツァーレーアと、静岡キッズタンカースに所属している子供達と一緒に点検を行っている。戦車道のキャリアは子供達がはるかに上である為、勉強になる事もとても多い。子供達は普段はⅠ号戦車や、M3スチュアートといった軽戦車に乗っているので、巨大な砲を持つARL44や、幻の五式中戦車に興味津々といった様子で、点検を行っている機械科の生徒達の説明を熱心に聞いたり、点検を手伝ってくれていた。

 

雑誌やテレビ等の取材も来ており、strv m40/Lを駆るキキョウチームの無線・装填手であり、しまなみ女子工業学園生徒会広報の紅城がインタビューを受けていた。愛嬌に溢れ、こういった取材に慣れている紅城は本人の適正もあって大活躍している。更に、零は学園長である祖母から「子供達に将来有望な選手がいたら、ぜひ唾を付けておきなさい」と言われていた。人材マニアといっても良い程、祖母は人を集めるのに熱心だ。零自身も、自分を含め、二年生が卒業すると、後を継ぐのは一年生で構成されるユズリハチームとガーベラチームのみになってしまう事を危惧しており、将来に備えた人材確保は急務だと感じていた。とは言え、あまり大っぴらにスカウトするわけにもいかず、ひとまず点検の間に子供達の個性を観察する事にしていた。

 

 

「零!」

 

全車両の点検を完了を見届け、麦茶で一息入れていた零は、自分を呼ぶ声に振り替える。すると、大勢の観客の中に混じって、島田愛里寿、島田千代親子が立っていた。

 

「こんにちは零さん。お友達が沢山いるのね、なかなか話しかけられなくて困っちゃったわ」

 

黒い日傘を差した千代が零に話す。今日の二人は何故か髪型や、服装も普段と全く違う印象の物でコーディネートしていて、声を掛けられなければ二人だと分からないレベルだった。普段通りの格好ならば、多分この場は大騒ぎになっていた筈である。流石は変幻自在の島田流であると零は一人感嘆する。

 

「零さん達の車両点検、是非生で見たかったから嬉しいわ。評判通り、鮮やかな手並みね」

 

「うん、零達すごく格好良かった!」

 

そういって愛里寿が抱き着いてくる。零は、愛里寿の頭を撫でるが、ふと自分が先程まで炎天下で車両点検を行って、作業着越しとはいえ、物凄い汗だくである事に気づく。

 

「あ、愛里寿ちゃん・・・私、汗びっちゃりだからちょっと恥ずかしいかも・・・」

 

「え?・・ううん、ぜんぜん平気」

 

「うわちょっ・・・だ、だめだってば」

 

愛里寿は全然お構いなしで、抱き着くのを止めてくれない。三人の親し気な様子に、チームメイト達も、隊長の親戚の人達なのかなと温かく見ていた。そんな二人をあらあらと微笑みながら見ていた千代が、不意に真剣な表情になり、零の目を見て話し出す。

 

「零さん、友と刃を交えなければならない時はいつか来るものよ」

 

「貴女は自分が為すべきことをしなさい。自分の力を信じて。貴女なら、必ずこの試練を乗り越えられるわ」

 

優しく、しかし力強い声で千代は零を諭す。

 

「千代さんにも、そんな事ってあったんですか・・・?」

 

零は恐る恐る、千代に聞く。すると千代は少し寂しそうな表情になる。

 

「そうね・・・学校に縛られ、流派に縛られ、親しき友と袖を分かち戦う事も幾多もあった。でもね、戦車道はそんな事では切っても切れない絆を結んでくれる。私はそう信じているわ」

 

「お母様・・・」

 

愛里寿も、こんな真剣な表情の母を見るのは久しぶりだった。そこに、試合開始予定時刻を告げる場内アナウンスが響き渡る。

 

「あら、もうこんな時間?楽しい時間はあっという間ね、大事な時間を御免なさいね、零さん」

 

「いえ、とんでもない!こちらこそお二人に元気を頂きました。試合、頑張ります。見ていてください!」

 

零は力強い声で二人に話す。迷いや憂いのない声に二人は安心する。すると愛里寿が零の作業着の裾をちょいちょいと引っ張り、もじもじと話す。

 

「零、試合頑張って。あと大会が終わったら・・・」

 

「大丈夫忘れてないよ。横浜の街、いっぱい見て回ろうね」

 

「うん!」

 

愛里寿がぱぁっと笑顔になる。黒森峰戦の前のお泊り会の時に交わしていた、大会が終わったら三人で横浜の街を散策する約束を零は覚えていた。

 

 

いよいよ試合開始間近、両校の生徒が、整列し、互いに向き合う。いよいよここまで来た、零は試合を前にして鼓動が早くなっているのに気が付くが、妙に気持ちは落ち着いている。チームの皆も同じようで、落ち着いた態度と表情をしており零は安心する。

 

「両校隊長、副隊長は前へ!」

 

大会審判長の蝶野亜美の声で、大洗女子学園隊長の西住みほ、副隊長の角谷杏が、しまなみ女子工業学園隊長の大垣零と、副隊長のベアトリーセ・メルダースが一歩前に出る。

 

「お久しぶりです、みほさん、角谷さん。本日は宜しくお願いします」

 

「零さん・・・よろしくお願いします!」

 

「や~や~今日はよろしくね、大垣ちゃん!」

 

杏は努めてにこやかに、零と握手を交わす。が、その手が以前よりずっと皮が厚く、主砲の引き金を引いたり、グリップを握る辺りが固くマメになっている事に気が付く。こんな手になるまで、どれ程の修練を積んだのか・・・一瞬、ぞくりとしたものが体を走る。そして、しまなみの履修生達を観察する。皆、落ち着いていて浮足立った様子は無い。以前、練習試合で戦った時よりも、貫禄がついたような印象すらある。士気の高さが表情と態度から伺えて、杏は少し嫌な予感がしていた。

 

「一同、礼!」

 

「よろしくお願いします!」

 

両校の戦車道履修生が一堂に会し、礼を行う。乙女の嗜みというオブラートに包まれた、鉄と油と硝煙に塗れた究極のノンコンタクトスポーツが今、始まろうとしていた。

 

観客たちの声が織りなす、試合開始までのカウントダウンが会場に響き渡っている。両校の戦車の内燃機関に火が入り、轟音を立てて試合開始を待つ様は、まるで猛獣が獲物を求めて唸りを上げているように見える。そうして間も無く、試合開始の号砲が鳴り響く。天気は快晴、風は微風。絶好の戦車道日和の戦車道の聖地で、第63回戦車道全国高校生大会・決勝戦が始まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話

決勝戦が始まって間も無く、大洗は大きな混乱に見舞われた。交互躍進の為に後方で待機していたフラッグ車のあんこうチーム・Ⅳ号戦車に、森の中から突如現れたstrv m/40Lが猛烈な突撃を敢行したのである。

 

「くそっ油断した・・・あんこうを援護するよ!前衛は急速後退!」

 

「了解!」

 

副隊長の杏からの指令を受けて、前線に進出していた車両が全速力であんこうチームの救援に向かう。その間にも、しまなみのフラッグ車のstrv m/40Lは、あんこうチームのⅣ号戦車に対して、37ミリ砲から高速徹甲弾のシャワーを浴びせてくる。

 

「駄目だ!木の葉みたいにひらひら照準から逃げて捕捉できない!」

 

「フラッグ車って後方で待機してるんじゃないの!?こんなの校則違反よ!」

 

Ⅳ号の直衛に就いていたカバさんチームの砲撃手の左衛門佐と、カモさんチームの園みどり子が突然の事態に悲鳴を上げる。相手は軽戦車、自分達の戦車より身軽な動きが得意なのは分かるが、まるで弾筋を見切っているかのように砲撃を躱されてしまう。戦車道初心者のカモさんチームのB1bisは動きがぎこちなく、隙が多い。そんな生まれたての小鹿のような獲物を、血に飢えた獰猛な肉食獣が見逃す訳はない。Ⅳ号戦車を執拗に攻撃していたstrv m/40Lが37ミリ砲の砲口から獣の吐息のような硝煙を煙らせながら、砲口をB1bisに向ける。

 

「ひっ・・・」

 

砲塔からそれを見ていた園は、狼に睨まれた兎の如くに恐怖で体が硬直してしまう。先のプラウダ戦を戦い、それなりに度胸も技量も付いたつもりだった。しかし、目前の敵から明確な殺意を自分に向けられるのは初めてであった。ペリスコープ越しの視界が恐怖で滲む。その数秒後、装甲厚の薄い砲塔に直撃弾を撃ち込まれた。

 

「きゃあ!!」

 

まるで大きな壁に弾き飛ばされたような衝撃を受け、園は砲塔に背中から叩きつけられる。

 

「お待たせ、西住隊長!」

 

「火消し屋参上にゃー!」

 

レオポンチームのポルシェティーガーと、アリクイチームの三式中戦車が援護に到着し、さすがに分が悪いと踏んだのか、strv m/40Lが足早に、手際よく退却を開始し、あっという間に森の中に姿を消していった。

 

「待て、逃がすか!」

 

「待ってください磯部さん!深追いは相手の思う壺です」

 

敵のstrv m40/Lを追撃しようとするアヒルチームをみほは制止する。辺りには硝煙の匂いと煙が立ち込めており、地面には砲撃を受けて剥がれたⅣ号戦車のシュルツェンが無残に横たわっている。

 

「大丈夫か、西住!園!」

 

カメさんチームの河嶋がみほに問いかける。

 

「はい、シュルツェンを何枚かやられましたがなんとか・・・園さん、大丈夫ですか!?」

 

「だ、大丈夫よ・・・西住隊長・・・・ゴモヨもパゾ美も無事ね」

 

無線から園の通信が聞こえる。B1bisの砲塔からは未だに着弾の煙が燻っており、撃破の白旗が揚がっていないのが奇跡に思える惨状を晒していた。

 

「西住さん、Ⅳ号の操舵機構に異常はない。そど子達が心配だから見て来る」

 

「すみません麻子さん、お願いします」

 

麻子がハッチから出てカモさんチームのB1bisの救援に向かう。杏が周辺警戒にアヒルチームとウサギさんチームを当たらせており、操縦手を欠いたあんこうをフォローするべく残りの車両でⅣ号を輪形陣で囲み警戒に当たる。

 

「みほさん。砲撃、及び照準装置にも影響はありません」

 

「西住殿。装填機構も同じくであります!」

 

「アンテナも無事、みぽりん無線も問題無いよ!」

 

あんこうの仲間達がみほに伝える。その声にみほは安堵のため息をついた。

 

「会長、どうやら大垣さんは私達を楽に勝たせてくれるつもりは無いようですね・・・」

 

小山が杏に話す。もしも以前杏が言っていた通りのお人好しが率いるチームであれば、きっと楽に勝利出来たであろう。だが、しまなみの隊長自らが行ったこの突撃は、そんな予想を吹き飛ばすのに十分な、相手の強烈な意思表示と感じられた。

 

「へぇ、面白いじゃないか・・・西住ちゃん!この後はどうする?」

 

「はい、予定通り高地に向かい砲撃陣地を構築します。周辺を最大限警戒しつつ先を急ぎましょう」

 

みほの言葉で皆平静を取り戻し、高地へ戦車を向かわせる準備を始める。みほは先程の戦いを思い出し、興奮で背筋が戦慄くのを感じる。初めてのしまなみとの練習試合、零のStrv m/40Lとの一騎打ちで味わったあの感覚が蘇ってきた。

 

「西住さん。大垣さん達、腕を上げたな」

 

戦いの興奮冷めやらぬⅣ号戦車の車内で、B1bisへの救援を終えて操縦席に着いた麻子がみほに話しかける。

 

「うん、少し翻弄されちゃったね。でもカモさんチームが無事でよかった・・・」

 

「それにしても単騎で出入だなんて、大垣さんったらとってもオフェンシブで痺れますね・・・」

 

「まるで知波単学園のような突撃でしたね、本当に寿命が縮むかと思いました・・・しかし、西住殿、なんだか楽しそうでありますね」

 

「ふぇ!?そ、そうかな」

 

「も~最初からスリルありすぎ・・・私の心臓持つのかな~」

 

「心配ない、沙織の心臓には剛毛が生えているから大丈夫だ」

 

「ひっどーい!ちょっと何それどういう意味よ麻子!?」

 

およそ戦車には合わない、賑やかな少女達の声を乗せてⅣ号戦車が高地を目指し動き始める。

 

きゅらきゅらと流れるキャタピラ音も淀み無く、まるで好敵手との再会をⅣ号戦車も喜んでいるようであった。

 

 

 

「ふぅ、隊長車自らの突撃だなんて・・・まるで知波単のような攻撃でしたね」

 

みほ達大洗チームの危機と、キキョウチームの単騎突撃を目の当たりにし、観覧席で手に汗握っていたエリカが呟く。

 

「あぁ、しまなみには危険極まりない戦法だが、これでみほ達も思い出しただろう。自分達が相手にしているのは生半可な相手ではない事を」

 

まほがエリカに応える。この試合で負ければ、大洗女子学園は廃艦となる。それを阻止するには今大会で優勝する以外に道は無い。

 

「大洗女子学園が戦っているのはしまなみ女子工業学園だけでは無い。戦車道全国大会の優勝と、廃艦を天秤にかけるような役人連中だ。もし、しまなみが大洗に情けを掛けたような試合をすれば、連中がそれを見逃す筈はない。どんな言いがかりをつけてでも、大洗の勝利を無きものにしようとするのは目に見えている。だからこそ、零はこの突撃で、大洗に対し、自分達はそんな試合をする気はない、本気で戦えと訴えているんだ」

 

「そんな・・・」

 

大洗の最終的な目標は今大会の優勝である。しかし、しまなみは勝てば大洗廃艦の引き金を引くことになり、情けを掛けてわざと勝たせるような試合をしても、結局大洗の廃艦を招いてしまう。だからこそ、万人が納得するような試合を遂げなくてはならない。しまなみが背負うその重圧を想い、エリカは思わずごくりと唾を飲みこむ。

 

 

その頃、大洗への奇襲を終えた零達は、森の中を進むしまなみの本隊に合流していた。

 

 

「隊長、おかえりなさい」「カチコミおつかれ様でス、隊長!」

 

隊列から離れ、キキョウチームを近くまで迎えに来ていたアマリリスチームとオニユリチームのM15/42中戦車と合流する。零は迎えに来てくれた二両に礼を言い、砲塔から身を乗り出し、外の空気を胸一杯に吸い込む。硝煙の香りのない、富士の澄んだ空気が頬を撫でる。

 

「零ちゃん私も~装填超頑張ったから腕パンパンだよ~」

 

「了解、烈ちゃんありがとう。大活躍だったよ」

 

「えへへ、ありがと ん~外の空気は最高!」

 

先程の戦いで、神速の装填を見せていた紅城と場所を交代する。

 

「むっちゃんもお疲れ、最高のドライブだったよ」

 

「任せときなさい、この子の操縦なら世界中の誰にも負けはしないわ」

 

操縦手の陸奥原も高揚しているのか、零と片手でハイファイブしながら珍しく軽口で返す。

 

「全く零ったら無茶ばっかりして・・・心配するこっちに身にもなって欲しいものね」

 

「ごめんなさい、ルイーズさん・・・」

 

「いえ隊長、これで大洗に先手を打つ事が出来ました。ルイーズは一緒に連れて行ってくれなくて拗ねているだけですから、気にしないでいいですよ」

 

「もうっ、ベアトリーセったら 茶・化・さ・な・い・で!」

 

カトレアチーム車長のルイーズと、クローバーチーム車長のベアトリーセとの無線が姦しい。決勝戦の最中であるが、以前よりもリラックスして皆試合に臨めている。ここまで三試合を経験して、肝が据わってきているのかなと零はチームの皆を頼もしく思う。

 

「零隊長!大洗は高地へ向かい、現在砲撃陣地を構築中です」

 

「戦車の配置図はこちらに記載しておきました~大洗の皆さん、戦車をハルダウンさせてて攻め込むの超厄介そうですよ~」

 

零が乗るstrv m/40Lと並走しながら、前線偵察から帰還したユズリハチーム車長の朝河が報告を行い、ガーベラチーム車長の荒川がぴょんと一っ飛びでstrv m/40Lに乗り移り、大洗の布陣を記載した図を示して報告を行う。

 

「ありがとう二人とも。みほさん達に高地を取られるのは阻止したかったけど、仕方がないか・・・」

 

零は、みほ達が待ち構える高地を見上げる。大した標高の山では無い。しかし、これからの戦いを予感し、零はごくりと唾を飲み込んだ。

 

 

真夏の太陽が地面を熱く熱し、陽炎がゆらゆらと視界を揺らす。その陽炎の向こうに、蜃気楼のような、戦車の影がゆっくりと、しかし確実に近付いていた。大洗の戦車道履修生達はしまなみとの会敵の時を固唾を飲んで待ち構える。

 

 

「全車隊形を崩さず前進!」

 

「了解!」

 

高地攻略に際し、全車両の管制を任されているARL44重戦車・カトレアチーム車長のルイーズの声がしまなみの無線に響く。ARL44を先頭に、しまなみの全車両が楔型隊形で大洗が待ち構える高地に向かい突き進む。大洗からの砲撃がそこら中に着弾し、戦車の中は振動と騒音に溢れている。

 

「くっ・・・荒川の言う通り、ハルダウンした戦車は最高に狙いにくいわね・・・」

 

ルイーズが憎々し気に呟く。山の頂上付近に布陣した大洗は、車両をハルダウンさせて前方投影面積を極少にしている。しかもしまなみ側は高度を取られているので、動きを止めれば狙い撃ちされてしまう。

 

「側面のヘッツァーは隊長が食い止めてくれています。私達は一両でも多く大洗を屠りましょう」

 

Ⅳ号突撃砲・クローバーチーム車長のベアトリーセが冷静に無線で話す。前回の黒森峰との試合以来、冷静さと分析力、判断力にも更に磨きがかかり、戦車乗りとしてもう一皮むけたようであった。

 

「となれば、狙うは前方投影面積がでかいやつ・・・ルイーズさん、ベアトリーセさん。あの三式中戦車とB1bis、斉射で一気に片付けよう」

 

Ⅳ号突撃砲・ドクダミチーム車長の響が提案する。三式中戦車とB1bisは他の車両と比べて腰高で、前方に曝している面積が大きい割に装甲厚が薄い箇所がある。響はそこを突くつもりだった。

 

「了解、一気行くわよ!」

 

「B1bisは三式中戦車より装甲厚があります、三式はドクダミが、B1bisはカトレアとクローバーで叩きましょう」

 

「了解、こちらカトレアチーム!全車両へ、15秒後にドクダミ・カトレア・クローバーで一斉射を行う!側面強襲隊は榴弾で弾幕を展開の上、突撃準備を!」

 

「了解!」

 

ルイーズの無線に、全車両が了解の返事を行う。側面強襲を担う中戦車隊の面々は、戦争映画で見た着剣突撃の時はこんな緊張感なんだろうなと感じていた。そして十秒後にしまなみの中戦車全車より、榴弾の一斉射撃が行われる。大洗の陣地に着弾し、土煙が高く巻き上がり、大洗の視界を塞ぐ。その一瞬の隙に、ARL44と二両のⅣ号突撃砲が車両を制止、停止射撃で主砲から砲弾が撃ち出される。しまなみ側も視界はほぼ無いが、ルイーズと響の弾道計算によって砲弾は完璧な軌跡を描き、三式中戦車と、B1bisに吸い込まれるように着弾、二両の戦車より白旗が揚がった。

 

「ま、ざっとこんなもんかな」「隊長、三式中戦車とB1bis撃破です!」

 

「門野、椿。私達はここで敵の砲撃を引き付けつつ、支援を行う。後は頼むわよ」

 

楔型隊形先頭のARL44車長のルイーズが無線で五式中戦車車長の長原と室町に話す。

 

「了解!」「ルイーズさん了解、任せておいて。行くよみんな!」

 

ルイーズの言葉を合図に、長原率いるウメチームの五式中戦車と、ユズリハ・ガーベラチームのソミュアS35二両。室町率いるツバキチームの五式中戦車とオニユリ・アマリリスチームのM15/42中戦車が花火のように左右に一気に散開、防御陣地を構える大洗に対し全速力で進行し挟撃を開始した。

 

 

 

「ふむ・・・重戦車と中戦車先頭の楔型隊形での進軍からの、中戦車での左右側面の強襲・・・まるで今大会の黒森峰女学園のような戦術だな」

 

選手専用の観覧席で、知波単学園の西が話す。

 

「はい、高地に布陣した大洗は圧倒的に有利でありましたが、中戦車隊が側面を強襲に向かっており、その優位性は崩れつつあります!」

 

福田が、大きな瞳を一杯に開き、興奮した様子で、試合を一瞬でも見逃すまいと大型ビジョンに見入りながら西に答える。日露戦争で、二〇三高地を獲った第三軍が、旅順港のロシア艦隊を砲撃した如く、戦場で相手より高さを取るというのは戦闘を優位な状況で進めるのには必須であり、取ったならば、正に二階から石を落とすが如く容易に敵を攻撃出来る。

 

「ポルシェティーガーを全車で牽引する大洗も凄いですが、しまなみの戦術の柔軟性も目を見張るものがあります。両校共、どれだけ引き出しがあるのでしょうか」

 

どんな学校にも、戦闘教義つまりドクトリンが存在する。隊員がそれぞれ好き勝手に行動しては、纏まるものも纏まらない。故に、聖グロリアーナ女学院の浸透強襲戦術や、知波単学園の突撃戦法のように、全員が、統一された考え方の元に行動する必要がある。その点から考えると、両校の戦法は、自由度に富んだものに細見には見えていた。

 

「いや、大垣さんは言っていた。今日は私達と一緒に戦うと・・・その答えがこの自在な戦術の変化なのかもしれない」

 

細見の言葉に、西は思う。

 

「もしかすると大垣さんは、あえて、黒森峰の戦術を行う事で、黒森峰相手でも大洗が戦い、どんな結果が得られたかを示そうとしているのか・・・大洗が、四強でもない新規履修校相手になら、勝てて当たり前だという誹りを受けない為に」

 

西の眼前の大型ビジョンには、高地へ向かい全速力で突き進む、しまなみの中戦車隊の姿があった。

 

 

 

「あのⅣ号突撃砲は響の・・・通りでエイムがずば抜けてるわけだ」

 

「流石まこはん、悉くこっちの砲撃を躱してくれる・・・」

 

Ⅳ号戦車の麻子と、ドクダミチームのⅣ号突撃砲車長の音森は大洗との練習試合以来ゲーム仲間として親交があり、毎夜チームメイトとしてネットゲームで戦っている仲である。二人はこの大会での真剣勝負を約束していた。

 

「五十鈴さん、みほさん あのドクダミのパーソナルマークのⅣ号突撃砲はここで撃破しておこう。先に残していたらものすごく厄介な相手だ。それに響と約束したんだ、今日は真剣勝負で戦おうって」

 

麻子はみほと華に提案する。

 

「あっちもそのつもりの筈だ。五十鈴さん、正面からなんとかして渾身の一発で抜いて見せてくれ」

 

「分かりました、冷泉さん。お任せ下さい」

 

「華さん、宜しくお願いします!」

 

みほの言葉に華はにこりと微笑む、そして すぅ・・と息を吸い、照準器を覗く。花を生ける時のように、落ち着いて優しく照準器を操る。そしてほぼ同時にⅣ号戦車とⅣ号突撃砲から砲弾が撃ち出された。二つの砲弾は空中で数ミリの間隙を縫って交差し、Ⅳ号突撃砲の砲弾はⅣ号戦車の砲塔右側のシュルツェンを抉り取り、Ⅳ号戦車の弾は、Ⅳ号突撃砲の正面を正確に捉え、白旗を上げさせた。

 

「あいたた・・・寸手で芯をずらしたか。隊長ごめんなさい、ドクダミ撃破されました」

 

「了解です!響さん、車両の皆に怪我が無ければその場で回収を待ってください」

 

「了解、全員無事です。このまま回収を待ちます。どうか御武運を」

 

零が乗る隊長車は大洗のヘッツァーと組んずほぐれつのドッグファイトを繰り広げている最中なのに、無線の声はいたって冷静だった。

 

「お見事五十鈴さん、流石だ」

 

「華さん凄い・・・この距離を初弾で当てるなんて・・・」

 

麻子とみほが驚嘆の声を上げる、しまなみとの最初の練習試合や、サンダースのフラッグ車を屠った時から、彼女の射撃センスの高さには驚かされてきたが、ここぞという時に、最高の集中力を発揮する華の素質と成長に驚かされていた。

 

「い、いえ!そんな・・・さぁ!次の目標です!みほさん、ご指示を!」

 

称賛の声を受けて一瞬赤くなり、縮こまりそうになるが、華は一瞬で切り替えてみほの支持を待つ。ハートの強さも華のストロングポイントであった。

 

 

「くそっ・・・ごめんねみんな・・・」

 

杏が乗るカメさんチームのヘッツァーは、しまなみのstrv m/40Lに徹底的にマークされており、しまなみの楔型隊形に対し側面砲撃を行うという役割が全く果たせない状態に陥っていた。ヘッツァーは避弾経始も優秀で装甲厚もある。が、こうも纏わりつかれたら手も足も出ない。正しく亀のような状態を強いられていた。

 

 

「まさか高低差のある敵に攻め入るのがこんなにきついとは・・・」

 

ドクダミチームが撃破された報を聞き、五式中戦車・ウメチーム車長の長原が呟く。大洗は高低差を上手く使い、装甲の薄い個所を狙ったような嫌な角度で砲弾を浴びせてくる。しかも各戦車の機動が妙にトリッキーで読みづらい。なんともやりにくい相手だと感じていた。

 

「カバさん、レオポンさん。ぴょこぴょこ作戦、準備はいいですか?」

 

「OKだよ西住隊長、どーんと行こう!」

 

「こちらも準備完了だ、隊長の命令を待つ!」

 

側面より斜面を上がって来るツバキのパーソナルマークの五式中戦車に対し、大洗でも最大級の火力を持つ三両が照準を定める。三両の砲撃手は、大きく息を吸い込み、息を止め、全神経を集中し照準を合わせて、みほの声を待つ。

 

「撃て!」

 

大洗の三両より、砲弾が撃ち出される。砲弾は五式中戦車の斜め手前の地面で跳弾し、一発が装甲厚の薄い底面を貫き、二発が履帯と転輪を吹き飛ばす。

 

「申し訳ありません隊長、ツバキチーム撃破されました。かどちゃん、みんなごめんなさい。後はお願い!」

 

「任せろ椿!仇は取る!」

 

側面と正面からの猛烈な砲撃に曝されつつも、大洗は懸命に陣地を防御し、しまなみの猛攻に耐えていた。

高低差を活かして、大洗はしまなみに対し、優位な形で戦況を進めていたが、しまなみの戦車隊はしぶとく追いすがり、もはや高地の優位性を保てないまでになっていた。

 

「西住隊長!左側面はもう持ちません!」

 

「西住ちゃん、正面の重戦車隊にこっちでなんとかおちょくり掛けるから、その隙に撤退して!」

 

ウサギさんチームの澤と、カメさんチームの杏がみほに訴える。

 

「了解しました!カメさんチームお願いします!全車煙幕を準備してください!」

 

「了解!」

 

残存車両の車長がみほに力強く返答する。二両撃破され、苦戦を強いられているが、大洗の士気は落ちていない。苦境に追い込まれる程に、更に強くなるのが大洗である。

 

「西住隊長、申し訳ないですにゃ~・・・」「西住さん、ごめんなさい!」

 

「いえ、皆さんに怪我が無くて良かったです。そこで慌てず回収車を待っていてくださいね」

 

撃破されたアリクイさんチームの猫田と、カモさんチームの園にみほは指示を出す。両チームともに敵戦車に有効射を与えていたし、戦車道で初めて戦う人間がここまで戦えただけでも上出来だとみほは考えていた。

 

「皆さん、合図で榴弾を斉射し、煙幕を形成してください。一気に包囲を突破します!」

 

「了解!」

 

大洗の六両の戦車より、榴弾が撃ち出され、頂上付近は土煙に覆われる。

 

しまなみの生徒達は度肝を抜かれていた、大洗の戦車達が猛烈な速度で、斜面を下りこちらに向かって突進してくるのである。

 

「カトレアより、キキョウへ!大洗は陣地を放棄して逃走を開始!どうする、零!?」

 

零は、杏のヘッツァーとの戦いを諦め、カトレアチームやクローバーチームがいる高地の裾野に全車両が集まるように瞬時に指示を出す。

 

「全車両、一列縦陣で大洗を追撃します!距離三百でUターンを行い、同航戦に持ち込みます。合図で私達に続いて下さい!」

 

零が各車両に指示を出し、隊長車のStrv m/40Lを先頭に、ARL44とⅣ号突撃砲が一列で続く、そして回頭点に到達すると、一気に左旋回を開始し、側面を攻めていた五式中戦車、二両のM15/42中戦車、二両のソミュアS35が合流し、総勢8両の単縦陣を組む。大洗としまなみの総勢14両の戦車が距離200メートルを挟んで、行進間射撃で砲撃戦を行うという、まるで日本海海戦のような戦いが始まった。

 

 

 

その頃、島田流家元・島田千代は観客席に座り、試合の様子を大型モニターで眺めていた。この席はあまり人気が無く観客も疎らで、黒い日傘を差していても、他の観客の迷惑にならない。しかし猛暑の観客席は物凄く暑い、持参したお茶が少なくなってきたので買いに行こうかと席を立とうとする。と、すっと冷えた紅茶が入ったボトルが差し出された。

 

「隣、いいかしら?」

 

「もちろん。来てくれると思ってたわ。久しぶりね、しほちゃん」

 

千代は目線を上げず前を向いたまま、笑顔で返答する。声の主は、西住流師範、西住しほその人であった。

 

「今日は愛里寿さんは一緒じゃないの?」

 

「愛里寿はお小遣いで自分で席を取って見に行ってるわ、いい席でどうしても見たいって聞かなくって」

 

街を歩けば誰もが振り向くような美女二人が座ってお喋りをする様子はとても華があるが、戦車道に詳しい人間が事情を知れば大騒ぎになるような事態が進行していた。

 

「今日は頑張って変装してきたのに・・・やっぱり見破られちゃったわね」

 

「何年来の付き合いだと思ってるの。千代、島田の人間が高校戦車道に顔を出すなと言ってきた筈よ」

 

日本戦車道の二大流派の西住流と島田流は、お互いの余りに強すぎる影響力故に、高校戦車道は西住流が管轄し、大学戦車道は島田流の管轄にするという無言の取り決めがある。過去に二大流派が高校・大学の戦車道で争い、壮絶な消耗戦となって、互いの流派が壊滅寸前まで疲弊した末に決められた掟であった。

 

「ふふ、心配しなくても何にも企んでないわ。今日は娘の晴れ舞台を見に来ただけだから安心して」

 

「娘?」

 

しほが不思議そうに首を傾ける。千代の娘は大学に飛び級し、大学選抜を隊長として率いていた筈である。

 

「しまなみの隊長の大垣零さんよ、愛里寿がお姉さんみたいに慕っててね。健気で本当にいい子だわ」

 

心底楽しそうに千代が話す。視線の先には、両校の戦車が砲撃を繰り返しながら、二列で草原を全速で突き進む映像が映っている。

 

「こうして見ていると昔を思い出すわね・・・しほちゃんこそ、可愛い娘の晴れ舞台に居ても立っても居られなくなったんでしょ?」

 

試合を中継している大型ビジョンには、勇ましく砲塔から身を乗り出し、各車両に指令を出すみほと零の姿が映し出されていた。炎天下の長時間の体力・気力に厳しい試合になるが、両者共にまだ目は死んでいない。観客たちは大洗・しまなみ両校に声援を送り、誰もが真夏の酷暑を忘れて観戦していた。

 

「千代、私はあの恥さらしに勘当を言い渡すためにここに来たのよ。いつも勝手な事ばかりして・・・親子の情など、武の道には不要よ」

 

無論それが全て本音で無い事など誰でも分かる。プラウダとの試合を雪中の会場で最後まで見守り、昨年のみほが黒森峰を追われるまで、誰よりもみほを守る為に動いていたのが母であるしほである事など、千代はとっくに知っていた。

 

「しほちゃん、親子の絆は大事にしなくちゃ駄目よ。家や流派の事なんて、それの前には何の意味もないわ」

 

千代は目線を合わせず、しかし声だけはしほを向いて話す。

 

「意外ね、貴女からそんな言葉が聞けるだなんて」

 

「そうでしょ、自分でも意外だわ。でも、娘が生まれてから考えが変わったの。不思議なものね」

 

ここで千代はしほの方を始めて向き、優しく話し始める。

 

「でもね、しほちゃん。ここからは親友としての忠告。親子の絆に罅が入ったら、どうやっても直せない事もあるわ。勘当なんてもっての外。家や流派の事は抜きにして、みほちゃんにちゃんと向き合って、認めてあげないと駄目よ。戦車道が未経験だった仲間をここまで懸命に引っ張ってきて、こうして決勝戦まで生き残るだなんて、本当に大したものだわ」

 

しほは千代の口から、娘のみほを褒められ少し面食らってしまう。

 

「全く、千代の分際で知ったような事を・・・こほん 有難う、友の忠言痛み入るわ。そうですね、この決勝でみほが勝利したならば、検討しましょう」

 

どこまでも素直じゃない親友に、千代はなんともいえない顔になってしまう。どこまでも情に厚く、深い愛情に溢れている親友は、それを人に伝えるのが不器用というか、特に身内に対してはそれが本当に下手なのだ。

 

「まぁ、どうしてもっていうなら、みほちゃんをぜひ島田に入門させてあげたいん「絶対駄目」

 

即答で断られてしまった。とは言え千代も安心する。

 

「あら残念、本当に勘当するなら零さんと一緒にぜひ島田で育てたいと思っていたのだけれど」

 

「冗談、誰が愛娘を島田に・・・とにかく、お気遣い無用よ」

 

試合を映す大型ビジョンには、斉射に次ぐ斉射で、硝煙をまるで雲のように横に引きながら並走し続けている戦車の姿があった。両チームともに、起伏のある地面での行進間射撃という難易度の高い状況に手こずっており、なかなか有効射が与えられずにいた。その様子を見て、しほと千代は戦車乗りの血が滾る。この計り知れないポテンシャルを持つ選手達を、今すぐにでも戦車で並走しながら徹底的に指導したい!と二人とも思うが、いかんせん今は不可能な為、席でむずむずしてしまう。

 

「もしみほちゃんが決勝で勝利を収めれば、西住の人間による高校戦車道全国制覇になるわね。これでしほちゃんの西住流次期家元の座は約束されたようなもの。島田としても、西住の家元にしほちゃんが就任する為なら、政財界への働きかけや軍資金の工面など協力は惜しみません」

 

どこから聞きつけたのやら・・・と、しほは思うが、表立って島田の支援を受けたとなれば、何もかも台無しになる可能性がある。しかしながら、万が一の時に、千代の言う支援があればかなり優位な事に違いない。しほは一先ず具体的な返事はしない。

 

「家元になるかはまだ何も分からないわ。今は少しデリケートな時期だから表立って動かないで頂戴。どうしても貴女の力が必要な時はこちらから連絡する。それまでは静観の立場を崩さないで」

 

しほの言葉に、千代は親友が自分を頼ってくれるという予想が外れて、少しだけ不満げに「分かりました・・・」と呟く。

 

「さて、そろそろ行くわ。あまり留守が長いと怪しまれるしね。千代、愛里寿さんによろしく」

 

「ええ。しほちゃん、また近い内に。今度は私がお邪魔しに行くわ、大会以外で会ってはいけない縛りはないものね」

 

全く懲りないわねとしほは、奔放な親友に対し少しため息をつく。だが、こうして親友であり、尊敬すべきライバルでもある千代との繋がりを維持出来るのは嬉しく、有難かった。しかし、しほはここでその親友に対し、少しちょっかいを掛けてみる。

 

「あともう一つ、大垣学園長の孫娘は、西住でも目を付けているの。独り占めは許さないわよ」

 

その言葉に、千代から肌がひりつくような気配が発せられたのをしほは感じる。同時にまほやエリカが一目を置き、千代にこれだけの独占欲を抱かせる大垣零という少女に俄然興味が沸いて来た。

 

「御免ねしほちゃん、いくらしほちゃんでもそれだけは聞けな―――」

 

突然会場全体が観客のどよめきに包まれ、千代の言葉が途中で遮られる。しまなみのフラッグ車が、煙を上げて擱座している映像が大型スクリーンに映し出されていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話

 

「はぁっ・・・はぁっ・・・ごめんね、みんな。手伝ってもらって・・・」

 

大洗追撃の最中、砲弾を転輪付近に食らってしまい、零達キキョウチームのstrv m/40Lは修復作業に追われていた。履帯を元通りにする為、プレス機に押さえつけられるような日差しと、息が詰まるような湿度に耐えて作業に没頭する。修理中に大洗が攻め込んでくるとは思いたくないが、何が起こるか分からないのが戦車道だ。他の車両は輪形陣で重防御態勢を組み警戒に当たっている。警戒を密にする為、整備技術の向上が目覚ましいアマリリスチームが単独でキキョウチームの救援に当たっていた。

 

「いいのよ、隊長  よし、これで組み付け完了・・・履帯のテンションも問題なし。後は動作点検だけね。龍子、エンジンを始動させて!」

 

「了解!」

 

操縦手の陸奥原に始動を促すと、直列6気筒液冷ガソリンエンジンに火が入り、轟音が鳴り響く。試走を行い、履帯に問題が無い事を確認すると、零とアマリリスチームの乗員達はハイファイブで喜びを分かち合う。

 

「ありがとう、マルティーナ・・・こんな私の事、いつも助けてくれて」

 

零はふと感謝の言葉を口にする。知波単戦の時も、ボンプル戦の時も、マルティーナはいつも隣に居てサポートしてくれていた。こうして大事な決勝戦でも、彼女は自分を助けてくれている。彼女への感謝の気持ちと、肝心な所で大洗から一発もらってしまった自分が情けない気持ちが溢れてきてしまう。

 

「今更何言ってるの?でも・・・ふふ、なんだか照れ臭い。隊長に謝られたり、感謝されたり・・・不思議な一日ね」

 

マルティーナは自分が平凡な学生だと思っている。ルイーズのような圧倒的な頭脳も、ベアトリーセのような戦術眼も、エレナのような明るさも、神憑り的な地形把握能力もない。だからマルティーナは整備の技術を必死に磨き、機械科の履修生にも負けない能力を手にした。零に自分達を認めてもたいたい、只の友人から、本当に頼りにしてもらいたいという気持ちだった。他の留学生を零は〝さん付け“で呼ぶが、自分だけはファーストネームだけで呼んでくれる。それが他の留学組の仲間より、一つだけ零の特別になれているようで嬉しかった。マルティーナは零の手を握り、優しく語り掛ける。

 

「零、今日は貴女を必ず最後の戦いの場まで連れて行く。履帯が外れても、エンジンが壊れても、私達が直して必ず貴女を辿り着かせて見せる。だから、自分の役目に集中して、諦めずに頑張って。自分の力を信じれば貴女は何だって出来る筈よ」

 

「マルティーナ・・・ありがとう」

 

「ヘイヘ~イお二人さン、お熱い所を悪いんダケド、そろそろ出発しな~イ?」

 

オニユリチーム車長であり、マルティーナの相棒のエレナがこちらを見ながら囃してくる。マルティーナははっとして顔を真っ赤にしながら、足早に戦車の方へ駆け出す。

 

「全く、常識人顔して情熱的なんだから、マルティーナも隅に置けないわね」

 

「でも、これで零さんも腹を括れたはず。流石です」

 

砲塔から身を乗り出したルイーズと、ベアトリーセが囃してくる。マルティーナ自身も、なんで自分があんならしくない事を言ったのか、夜中に思い出しては身悶えしそうで、頬をかく。

 

「ふんだ、なんとでも言いなさい。イタリア女は情熱的に尽くすのが信条なの」

 

そうして、キキョウチームのstrv m/40Lが戦線に復帰し、全車が前進を始める。先を行く大洗の追撃戦が始まった。

 

 

追撃が始まって間も無く、あと少しで大きな川に差し掛かる地点まで来た。渡河を控えて、零は各車の車長に警戒と準備を促す。各車の乗員に緊張が走る。しまなみはこれまでの試合で、試合中の渡河を経験していないからだ。戦場で最も警戒すべきは渡河の最中の無防備な状態であり、攻撃されたら最後、ワニに襲われるヌーの群れの如く、恰好の餌食になってしまう。

 

「隊長、大洗は渡河の最中に立ち往生しています。M3リー中戦車の排気煙が見えませんので、エンジントラブルかもしれません」

 

偵察を行っていたユズリハチームの朝河が零に伝える。丘の上から見ると、川の真ん中で大洗の全車が立ち往生していた。確かにM3リーから排気煙が見えず、何らかのトラブルに見舞われている事は明らかだった。

 

「隊長、ここならフラッグのⅣ号は十分射程圏内です」

 

副隊長のベアトリーセが話す。確かにここで全車両一斉射撃を行えば、大洗の全車両を難なく屠る事が出来る。幾度も映像で見た去年の全国大会決勝のように、大洗に躊躇なく攻撃を行えば勝利を手にする事が出来るだろう。

 

「私は手負いの獣を狩る趣味は無いの・・・撃てないわ」

 

「ウメチームも同じくだ」

 

「ユズリハチーム、ルイーズさんと長原先輩に同意見です!」

 

「ガーベラチーム、同じくで~す」

 

カトレアチームのルイーズがものぐさ気に話し、ウメチーム車長の長原と、ユズリハチーム車長の朝河・ガーベラチーム車長の荒川がそれぞれ同意を示す。

 

「アマリリスチームもルイーズ達に賛成です」「オニユリチーム!同じくデス!」

 

「クローバーチームよりキキョウチーム。隊長、貴女の判断に我々は従います。ご決断をお願いします」

 

零は迷っていた。ここで射撃を行えば、試合を一気に決める事が出来るだろう。しかし、そんな事は自分は望んでいない。しかし、ここで決断し、行動しなければならない。そんな時、大洗のフラッグ車・Ⅳ号戦車の上部ハッチが開き、茶色の髪の生徒が出て来た。

 

「みほさん・・・」

 

零達しまなみチームが居る丘を一瞥すると、みほは自身と戦車をロープで繋ぎ戦車と戦車の間を懸命にジャンプし、仲間達の救援に向かっていた。その光景を見て零は心が震えた。西住みほは去年の全国大会の決勝戦、仲間を懸命に救おうと努力した結果、彼女は全てを失い、黒森峰を追われた。そして今、大洗女子学園を廃校から救うという重荷を背負ってなお、仲間を見捨てないという自身の戦車道を貫こうとしている。零はそんなみほの姿に感動していた。もう我慢できなかった。砲塔から出て、あらん限りの大きな声で叫ぶ。

 

 

「頑張って!みほさん!がんばれぇー!!!」

 

 

きっとここでフラッグ車のⅣ号戦車に情け容赦無い砲撃を行えるのが、去年のプラウダ高校のような純然たる強さを体現した戦車道であり、相手に対する真の礼儀なのだろうと零は思う。みすみす勝てるチャンスを棒に振って、敵に声援を送っている自分はなんて甘ちゃんでちっぽけな存在なのだろうと思う。だが、そんな事は知った事かと、零はみほに対して声援を送り続ける。そうすると、Ⅳ号突撃砲の、ARL44の、五式中戦車の、M15/42の、ソミュアS35のチームメイト達が、零と同じようにみほに大声で声援を送り始めた。その声はこだまのように響き渡り、みほにも届いていた。

 

 

仲間を救う為、みほは戦車の間をジャンプし、飛び越え、ウサギさんチームの元に向かっていた。しかし、流れの強い川の中の固定されていない戦車の上である。安定しないⅢ号突撃砲の上で足を滑らせ、落ちそうになりつつ、必死にしがみついていた。

 

「はぁっ・・・はぁっ・・・」

 

猛暑の日差しに焼けた戦車の上である、焼けた鉄板の上で炙られているようで頭がクラクラしてくる。いつも肝心な所で詰めが甘く、自分勝手な行動をしては沢山の人に迷惑をかけている。みほの心に、自責の念や罪悪感が、まるで水に垂らした墨のように広がり、気力を蝕み始める。そこに、自分を応援する沢山の声が聞こえて来た。

 

 

「頑張って!みほさん、がんばれぇー!!!」

 

 

「頑張って西住さん!あと少しだよー!」「頑張りなさい西住みほ!負けちゃだめよ!」「もう少しです、頑張って!」

 

敵である筈の、しまなみの履修生達の声援がみほを包みこむ。去年の大会で、仲間を助けるために川に飛び込んだ時に飛んできたのはフラッグ車を射抜く砲弾だった。だが今は、沢山のしまなみの履修生達が、喉が枯れる勢いで丘の上から自分に励ましの声を送ってくれている。

 

「西住隊長!」「救援が遅くなりました!」

 

カバさんチームのエルヴィンと、カエサルがハッチを開けて飛び出してくる。カエサルの装填手として鍛えられた力強い手が、みほを支える。自分一人では、この川を越える事はきっと出来なかった。沢山の仲間達に支えられ、今この場にいる。おりょうと左衛門佐は車内で必死に車両を制御しているとの事で、ようやく車両の動揺も少なくなってきた。戦車道の選手として、成長した仲間達がみほを支えてくれていた。

 

二人に礼を言い、再びみほは戦車を飛び越える。もう足を踏み外す事も、動揺する戦車に足を取られる事は無く、しっかりと、踏みしめるように跳び続ける。その姿に、選手も、観客も誰もが感動していた。

 

そうして大洗が渡河を終え、戦車からすぐにワイヤーを外し、前進を開始する。川を渡り切った以上、もうこの場は戦場なのだ。しかし、車両から降りたウサギさんチームの面々が、しまなみチームがいる丘に向かって「ありがとうございました!」と声を上げ、頭を下げる。みほも、Ⅳ号戦車の砲塔から丘を見上げる。しまなみの戦車の中でも、一際小柄に見えるstrv m/40Lの砲塔から身を乗り出している零と目が合った気がして、みほは微笑む。そうして踵を返し、しまなみを迎え撃つ次なる猟場へと足を速めた。

 

 

団地・市街地に入ってからのしまなみ・大洗の戦いは、各車両が分断された一対一の戦いになった。互いに分断し合う中で、全車がまるで戦車の運動会のように、一対一の状態で戦場を動き回っている。

 

 

「エレナ!練習試合のリターンマッチといこうか!」

 

「ノリコ、望むところダヨ!」

 

バレーで意気投合した、アヒルさんチームと、オニユリチームの二両が、ダンスを舞うような見る者を魅了するような一対一の攻防を続けている。

 

 

「あのポルシェティーガーを短期間でここまで仕上げたものだな・・・素晴らしいぞナカジマ!」

 

「へへっ、ありがとかどやん!ドラテクだって凄いよ、行くよみんな!」

 

初めての練習試合後の、戦車の共同整備からずっと親交があるレオポンチームとウメチームの二両が、重戦車と中戦車が織りなす重厚な戦いを続けていた。

 

 

「かかってきて潮美ちゃん!四葉ちゃん!大洗の皆の為に、私達は負けない!」

 

「抜かせ梓!今日こそお前を超えて見せる!」「も~潮美ちゃん、すぐ熱くなるんだから~」

 

同じ一年生同士、練習試合での出会いから互いに切磋琢磨してきた、ウサギさんチームと、ユズリハチームが一年生とは思えないような、市街地戦を続けていた。

 

 

「マルティーナ!やはり我らは互いに戦わねばならない運命のようだな!」

 

「生きる事は戦う事よ、エルヴィン!さぁ存分に戦おうか!」

 

日本の歴史好き同士で結ばれたカバさんチームと、アマリリスチームが、ローマの剣闘士か武士の野試合を彷彿とさせる、超接近戦で観客を魅了していた。

 

皆、思い思いに戦っている。そこには廃校という現実にのたうつ哀れみも、悲壮感も無い。日頃の鍛錬の成果を、最高のライバルを相手に精一杯発揮するという直向きさのみだった。

 

 

「零!角谷さん達とここで決着を付けるわよ!」

 

「了解!」

 

零達のキキョウチームと、杏のカメさんチームの長い戦いにも終止符が打たれようとしていた。軽戦車の機動性と、高速徹甲弾による偏差射撃を活かした戦いを仕掛けるstrv m/40Lに対し、常に被弾経始に優れた車両前面を向ける事を杏は小山に徹底させていた。傾斜した前面装甲を活かせば、例え高速徹甲弾と言えども、弾き飛ばす事が出来る。更に、装填手として成長した河嶋が最高の速度で装填を行い、杏のベテラン砲手のような精確な射撃をサポートする。

 

「大垣ちゃん・・・流石だよ。大垣ちゃん達の戦意を挫こうとして、色々策を講じてみたけど、全部無駄だったね・・・でもね、今日だけは・・・今日だけは絶対に負けるわけにはいかないんだ!やっぱり私達の決着は戦いでしかつかないみたいだね!!」

 

杏は小山に命じ、ヘッツァーの性能を限界まで引き出す機動を繰り出させる。ヘッツァーの主砲は、strv m/40Lを一発で走行不能に出来る。徐々に圧されて、strv m/40Lが長い直線道路に追い込まれる。この長い直線道路は、駆逐戦車のヘッツァーには、長い直線の射線が通った最高のロケーションである。杏は、勝利を確信する。だが、残念ながらそれは外れた。

 

「今です!ルイーズさん、ベアトリーセさん!」

 

零達を追走していたヘッツァーを、ビルの間の路地から飛び出してきたカトレアチームのARL44と、クローバーチームのⅣ号突撃砲が弾き飛ばす。車重60トンの重戦車と、23トンの駆逐戦車に両側面から弾き飛ばされ、カメさんチームのヘッツァーが履帯と転輪を巻き上げながら宙を舞う、くるくると宙を舞うヘッツァーをARL44の90ミリ主砲とⅣ号突撃砲の75ミリ砲が貫く。ヘッツァーは空中で大回転しながらマンションに叩き付けられ、白旗を上げた。

 

「御免なさい、貴女だけはこの手で倒さないと気が済まなかった」

 

「零、ヘッツァー38t撃破。クローバーチームとの共同戦果よ」

 

ルイーズとベアトリーセは、大破しビルの瓦礫と共に、煙を上げて擱座するヘッツァーを見て憐憫の感情が湧きだす。だが、そんな一時の隙を見逃す程、西住みほは甘くは無かった。

 

「ルイーズ!Ⅳ号が四時方向から急速接近!」

 

「了解!いつの間に!?」

 

杏が戦っている間に、密かに忍び寄っていたⅣ号戦車が、一気にARL44とⅣ号突撃砲に猛チャージを掛ける。カトレアチームとクローバーチームの二両も、しまなみ屈指の猛者である。だが、一瞬の甘さで、心に隙が生まれた者は、西住みほの前には一たまりも無かった。二両の戦車を瞬く間に翻弄し、一瞬で必殺の砲弾を撃ち込み、白旗を上げさせる。

 

「くっ・・・零、御免なさい。油断したわ・・・」

 

「隊長申し訳ありません・・・申し訳ありません!!」

 

撃破されたカトレアチームとクローバーチームの二両からの通信を受け取る。一瞬の出来事に、二人とも言葉が出ない様子であったので、二人に回収車を待つように伝え、零はⅣ号戦車の追撃に掛かる。

 

 

「隊長・・・お待たせ」

 

しなまみの車両で一両だけ残った、アマリリスチームのM15/42中戦車が満身創痍の状態で零の元に合流する。各部にカバさんチームの三号突撃砲との戦いで出来た生々しい傷跡が残り、可動部からはギチギチと金属同士が擦れ合う不協和音が漏れている。すると被弾で甚大なダメージを追っていた機関部が停止し、すぐに車両上部から白旗が揚がった。

 

「残念、ここまでか・・・零、もう貴女と一緒に居られるのはここまでみたい。でも、皆の力で、貴女をここまで連れて来る事が出来て良かった」

 

マルティーナが、少し寂しそうに笑う。

 

「行って。そしてまた私達の元に帰って来て、貴女の帰りを皆で待ってるわ」

 

零は静かに頷き、操縦手の長原に前進を伝える。strv m/40Lがゆっくりと動き出し、みほが待つ廃校跡へと車両を進める。マルティーナは笑顔でサムズアップをして零達を見送り、零も又、サムズアップを返す。

 

廃校の中をstrv m/40Lは進む。随分前に廃校になった学校の跡地のようだが、それほど荒れ果ててはおらず、路面に瓦礫等もあまり落ちていない。そうしてきゅらきゅらとキャタピラ音を立てながら進む。西住みほはこの先で待っていると妙な確信めいたものを感じながら更に進む。高くそびえる校舎は凄艶な、朽ち行く運命にある物の美しさに満ちていて、まるで神殿のように零は感じていた。そうして、いよいよ校舎の中央まで辿り着いた。

 

「待ってたよ、零さん」

 

Ⅳ号戦車のキューポラから身を乗り出したみほが、満面に笑みを浮かべてこちらを向いていた。零は、その瞬間に、ぶわっとした風と共に殺気ともつかないものを感じて全身が震える。四強の一角サンダースと、ドゥーチェアンチョビ率いるアンツィオを破り、前年優勝校のプラウダにも雪辱を果たした、戦車の神様に愛された人間を前にした、零自身の武者震いだった。

 

「この時をずっと待ってた、初めての練習試合から、全国大会の試合中もずっと」

 

ゆっくりと、獲物を見定めるように、Ⅳ号戦車が動き出す。もう駆け引きが始まっていた。互いに冷静に、距離を取りつつ、じっくりと間合いを探る。相撲の仕切りのような緊張感が辺りに漂う。零はトリガーを握る手に汗が滲んで来ているのを感じる、緊張しているのだ。だが、恐怖は無い。これほどの相手に、全国大会の決勝という大舞台で槍を付ける事が出来る事に、ここまで自分を引っ張って来てくれた仲間達に感謝していた。

 

「チームの皆がここまで連れて来てくれた、だから今、皆の思いと一緒に零さんと戦えるのが嬉しいの」

 

Ⅳ号の75ミリ砲がstrv m/40Lに、strv m/40Lの37ミリ砲がⅣ号戦車に照準を合わせる。極限の緊張状態で、張り裂けそうな空気の中で、両戦車の乗員達は、静かに役割を果たしながら、その時を待つ。

 

みほの目が、どこまでも優しく、仲間思いの少女の眼から、獰猛な捕食者の眼に変わる。

 

「さぁ、お姫様。私と踊ってくれますか?」

 

瞬間、緊張が破られた。Ⅳ号戦車と、strv m/40Lが互いに向かって一気に加速する。互いの戦車が正面から、すれ違う間に、Ⅳ号戦車の75ミリ砲と、strv m/40Lの37ミリ砲が火を噴く。照準のタイミングを計り、一瞬で被弾経始に最適な角度へ両車の操縦手が車両を一瞬で遷移させた。strv m/40Lが、全速で走行しながら、Ⅳ号戦車に対して行進間射撃を試みる。シャワーのように浴びせられる高速徹甲弾の嵐がⅣ号戦車を襲い、シュルツェンが宙を舞う。Ⅳ号戦車も敵の動きを見定めの射撃を行う。しかし、敵は車両の角度を上手く合わせ、砲弾を弾き飛ばす。

 

「なんてヌメっとした動きをするんだ・・・」

 

操縦手の麻子は感嘆の声を漏らす。敵の戦車はまるで生きているような動きをしている。動作に連続性があり、まるで猫科の猛獣のようにしなやかな動きでこちらを翻弄してくる。これまでの戦いで、こんな動きをする戦車に出会ったのは初めてだった。

 

「わぁーなんか蘇ってきたこの感覚・・・」

 

沙織が興奮した声で呟く。自身が戦車の歯車のようになって、戦車と仲間と一心同体に、溶け合ったように錯覚するような一体感。零のstrv m/40Lと初めて戦った、練習試合で最後の戦いで知った感覚だった。戦車の部品の一つ一つが加速せよと語り掛けて来る。そうして、幾度も切り結ぶ。砲手の華が全身全霊を掛けた集中力で必殺の砲弾を撃ち出し、優花里が装填手としての本領を発揮し、最速の装填を行う。麻子がⅣ号戦車に、機械と人間を結び付けた、一個の生命体のような振る舞いを与える。幾度も幾度も車体を接触し、砲弾で互いの装甲を削り、戦車でワルツを舞う。互いに最後のラウンドまで殴り合ったボクサーのよう様相の二両は、もう車両が耐久の限界に到達しつつあった。だが、二両の戦車は、その限界を遥かに超えて駆動していた。高速徹甲弾の初速を活かすため、接近戦に持ち込もうとするstrv m/40Lをスライドで弾き飛ばし、砲弾を撃ち込む。が、strv m/40Lはそれを軽く往なして、一気に距離を取る。

 

「あの動きと射撃・・・大垣さん達は一体何者なのですか・・・」

 

華が心底驚いたような様子で呟く。自身が撃ち出す射撃を、零が乗る戦車はいとも容易く避け、弾き、往なす。更に行進間でもお構いなしに砲弾をこちらに命中させてくる。弾が当たるのに撃破出来ない、もどかしさが募る。

 

「信じられません・・・軽戦車のポテンシャルをここまで発揮させる事が出来るなんて」

 

優花里も同じく言葉が無いといった様子で砲弾を装填する。敵のstrv m/40LはⅣ号戦車の対角線上で、次の攻撃の時を待ち構えている。両戦車の乗員達は、砲弾の残量と、車両の状態から、これが最後の戦いになる事を悟っていた。

 

「だけど西住さん、勝つんだろ?」

 

ふと麻子が、みほに話しかける。

 

「私にはおばぁ以外に家族がいなかった。だけど今は、西住さん、沙織、五十鈴さん、秋山さん、そしてチームの皆が私にとって家族であり、帰る家なんだ。だから、それを失いたく無い。私をもっと酷使しろ。西住さんの最高の軍馬にこいつを仕立ててやる」

 

Ⅳ号戦車の左右の操縦桿に巻いたテープには、べったりと血の跡が残っている。あまりに激しく、繊細な軌道を繰り返していた為、麻子の手の皮とマメは破れていた。それを知っていたみほが、麻子の負担を軽減する為に、車両の機動をセーブさせている事を麻子は知っていた。

 

「みぽりん!みんな!絶対に勝とう!こんなに凄い敵とここまで戦ったんだもん、後は勝って胸張ってみんなの所に帰ろう!」

 

沙織が麻子のテーピングを直しながら、皆を鼓舞する。

 

「冷泉さん、みほさん。行進間ではあの化け物の芯を捉える事は今の私には出来ません。お願いです、ほんの少しだけ静止時間を下さい。五十鈴の名に懸けて、誰よりもあの桔梗を美しく生けてご覧に入れます」

 

華が決意を込めて、みほと麻子に話す。

 

「装填はお任せ下さい!両腕が壊れようとも、最高のタイムを叩き出して見せます!」

 

想い戦車砲弾を何十発と装填し続け、腕も限界に近い、しかし、優花里は最後の装填に向けて体勢を立て直す。Ⅳ号戦車の乗員全員が、勝利を渇望し、それを手に入れる為にそれぞれの限界を超えようとしていた。

 

「ありがとうみんな・・・あと少し、あと少しだけ、私の我儘に付き合ってください」

 

そうして両戦車が一気に加速し、互いに向かって突撃を開始する。待ったなしの最後の真剣勝負が始まった。

 

Ⅳ号から放たれた75ミリ砲がstrv m/40Lの右履帯に直撃射を与える間に、strv m/40Lから放たれた37ミリ砲の高速徹甲弾が、砲塔右側のターレットリングに突き刺さる、更にもう一発、同じ場所に撃ち込まれる。黒森峰の重戦車の装甲を貫く為に磨かれた、零の釘打ちのようなスポットバーストショットがⅣ号を襲う。しかし、まだ致命傷にはならない。Ⅳ号戦車は一気にスライドを開始した。麻子は操縦桿を握る手の激痛に耐えながら、Ⅳ号戦車の限界を更に超えたドリフトを始める、動揺する車体の中で、優花里が体幹トレーニングと筋トレで鍛え抜いた足腰と、腕で最速の装填を行う。照準器を覗く華が冷静に、最高の集中力で射撃の時を待つ。Ⅳ号がスライドのエイペックスに到達すると、strv m/40Lの車両後方に完璧なタイミングで回り込み、麻子が車両を停止させた。

 

「発射!」

 

華の指がトリガーを引き、砲弾が撃ち出されるのと同時に、砲塔を旋回させていたstrv m/40Lからも砲弾がⅣ号戦車へ向けて撃ち出される。辺りを着弾の砲煙と爆炎が包み込み、すぐに静寂の時が来る。辺りに漂う砲煙が晴れると、機関部を撃ち抜かれたstrv m/40Lの車両から、白旗が高々と揚がっていた。

 

「しまなみ女子工業学園フラッグ車、走行不能!よって大洗女子学園の勝利!!」

 

審判長の蝶野亜美の声が、富士の聖地に響き渡り、会場は観客の歓声に沸き立つ。安堵とも歓喜ともつかいない様々な感情が胸に去来し、みほは空を見上げる、廃校から見上げた先にはどこまでも透き通った、抜けるような青空が広がっていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話

戦車道全国大会決勝戦、しまなみ女子工業学園の隊長車strv m/40Lと、大洗女子学園の隊長車Ⅳ号戦車は廃校跡を舞台に最後の戦いを繰り広げていた。

 

最早、お互いに持っている手札は切り切っていた。

 

闘志を剥き出しにして、自分達の全てを相手にぶつけ合う。

 

「はぁっ・・はぁっ・・強い・・・!」

 

何度目かの激しい接近戦を終え、額の汗を拭いながら零は呟く。自らの対角線上で猛獣の咆哮のようにエンジンを嘶かせるⅣ号戦車を見て、自然と口角が上がってしまう。兎に角言葉が無い程に強い。どんなに追い込んでも、絶妙な車両コントロールで躱され、精密狙撃のような砲撃を撃ち込んで来る。装填速度も凄まじい。何一つ隙が無く、どんなピンチも弾き返してくる。

 

聞き分け上手で、諦め上手なもう一人の自分がしつこく囁き掛ける。

 

”もう十分やったよ、皆笑顔で迎えてくれるんだからもう諦めようよ”

 

”負けたっていいんだよ、大洗の皆を助けられるんだよ?”

 

操縦手の陸奥原がstrv m40/Lの性能を限界まで絞り出し、装填手の紅城が己の限界を超えた最速の装填を持ってしても、目の前のⅣ号戦車には致命傷を与えられない。もし、自らが放った砲弾が、Ⅳ号戦車から白旗を揚げさせたなら、大洗女子学園は廃校になる。零は死神のように頭をよぎる雑念を振り払い己を奮い立たせ、主砲のトリガーを引く。自分達が西住みほと真っ向勝負しなければ、今まで戦ってきた知波単の、ボンプルの、黒森峰の皆の汗と努力と涙を何処に葬ればいい? わざと負けるつもりなど毛頭無い。

 

しかし、追い付けない。どうやっても。

 

背中を獲っても、するりと躱される。

 

砲撃しても、何物にも貫けない盾のように貫けない。

 

己の努力や、勝利の渇望も軍神の前では塵に等しいのかもしれない。

 

 

しかし、どうしようも無く楽しい。

 

 

只々ひたむきに、目の前の好敵手に自分達の全力をぶつける。

 

ダンスのステップをパートナーと合わせるように、車両を疾駆させる。

 

共に歌うように、砲声を響かせる。

 

拳で語り合うように、車両をぶつけ合う。

 

 

幾度と無い戦いを経て、Ⅳ号戦車が距離を取り、互いに向かい合う。Ⅳ号も満身創痍といった状態で、きっとこの一刺しが最後の戦いになる事を零は悟る。

 

「零。西住さん達、次で勝負を決めるつもりよ・・・いよいよフィナーレね」

 

冷静な声で、操縦手の陸奥原が零に伝える。限界を超えた機動を幾度となく繰り返し、strv m/40Lの足回りは限界を超えていた。

 

「零ちゃん、最後にアレやってみようよ。西住さん達に熱いキスをプレゼントしてあげようよ♪」

 

装填手の紅城が零にいたずらっぽい笑顔を向けながら話す。三人共が、この一撃が最後の戦いになる事が分かっていた。

 

零は、初めての練習試合で大洗の磯前神社の一の鳥居の前で、Ⅳ号戦車の突撃を、strv m/40Lで受け止めた時の事を思い出す。きっとこの戦い方が、みほの必勝パターンなのだろう。ならば、こちらは全力でそれを受け止めるまでだ。まるで野球のバッテリーみたいだなと少し自嘲気味な気分になる。

 

「いや、むしろピッチャーとバッターの関係なのかな・・・?」

 

「え?零ちゃん、どうしたの?」

 

零の呟きに、紅城がきょとんとしながら話しかける。

 

「ううん、何でも無いよ」

 

零は微笑みながら紅城に返す。そして、目を瞑り、空気を胸いっぱいに吸い込む。硝煙のたまらない香りに闘争本能と生存本能を掻き立てられる。最高の仲間達と、戦車の神様に愛された人間が操る戦車に最後の挑戦を行う。それだけで、もう十分だった。

 

 

「さぁ、行こう二人とも!」

 

「「応!!」」

 

Ⅳ号戦車がこちらに向かって猛牛の如く突進してくる。操縦手の陸奥原は、その動きを正確に読み取り、避弾経始と砲撃に最適な角度に車両を遷移させる。

 

「零ちゃん!装填完了!」

 

紅城の声に零がトリガーを引き、Ⅳ号のターレットリングに高速徹甲弾を撃ち込む。放たれた砲弾はリングに突き刺さるが致命傷になら無い。しかし、瞬時に装填手の紅城が、最高のタイミングで装填を行い、零が更に一発Ⅳ号に撃ち込む。砲弾は一発目を更に深く押し込む形で着弾する。黒森峰の重戦車を撃破する為、磨きに磨いたスポットバーストショットが炸裂する。

しかし、Ⅳ号戦車から放たれた砲弾が、strv m/40Lの転輪に着弾し、砕かれた転輪と履帯が飛び散る。

 

「やられた!履帯はもう駄目!零、烈華!後はお願い!」

 

「あいよっ龍ちゃん!任された!」

 

着弾の衝撃で動揺する戦車の中で、烈華が砲弾装填を行う。零は最後の一撃を放つべく、照準器を覗き、指先に全神経を集中させる。

 

全てがスローモーションのようにゆっくりと流れるように感じる中で、零は一人呟く

 

「ありがとう 二人とも みんな そしてみほさん 貴女達と一緒に戦えて本当に幸せだった」

 

strv m/40Lの37ミリ砲から高速徹甲弾が放たれる。しかし、Ⅳ号の化け物の如きスライド機動を捉えきれない。その間に、Ⅳ号は高速でスライドしながらstrv m/40Lの後方に回り込む。砲撃の爆音と、衝撃がstrv m40/L車内に響き渡った。

 

 

 

零は試合後、連盟による戦車の車検にみほと一緒に立ち会っていた。先程まで死闘を繰り広げていた両校の戦車達が一堂に並び、一台ずつ連盟の検査員によって不正改造や違反物の積載が無いかチェックを受けていた。無論両校の戦車に不正などはある筈も無く、検査は短時間で完了した。両校の戦車達は満身創痍といった状態ではあるが、一様に誇らしげに、鈍く輝いている。

 

零とみほは、検査が終わった後も二人でおしゃべりを楽しんでいた。試合後のテンションもあってか話が弾み、二人で話していると時間を忘れてしまいそうになる。試合の事、仲間達の事、家族の事、話題は尽きず、放課後に教室で談笑している気分だった。

 

「あら、みほさん そのボコは・・・」

 

零は、みほの左の胸ポケットからちらりと可愛らしく顔を覗かせているボコの縫いぐるみに気が付く。それは大会の抽選会の時に、零がみほにプレゼントした手作りのボコだ。

 

「えへへ、一緒に連れてきちゃいました」

 

ポケットからボコを取り出して、愛おしそうにみほはボコを両手で優しく握りしめる。

 

「ねぇ・・・零さん」

 

ふと、みほが零に問いかける。

 

「どうして、零さんは私達に全力で向かって来てくれたの・・・?」

 

みほにも大洗としまなみを取り巻く状況は分かっていたし、しまなみが勝った場合、昨年優勝したプラウダのように謂れのない批判を受ける可能性がある事は分かっていた。しかし、零達は自分達に手を抜かず、全力で向かって来た。それが何故なのか、みほは知りたかった。

 

「それは当然、全力で向かう事がみほさん達とこれまで戦って来た皆さんへの礼儀だからです。廃校の件で手心なんて加える気は無かったですし、そんな事したら頑張っているみほさん達を馬鹿にする事になりますから」

 

少しはにかみながら話す零に、敗北した者の悲壮感は無い。

 

「それに・・・みほさん達との待ちに待った再戦だったんです。勝てないのは嫌だけど、みっともなく負けるのはもっと嫌でしたから。私だけで無く、皆同じ気持ちだったと思いますよ」

 

零の視線の先には、先程まで戦っていたのが嘘のように、和気あいあいとおしゃべりを楽しむ両校のチームメンバーたちの姿がった。そうして零は、少し身なりを整えてみほに向き合う。手を差し出す。

 

「みほさん、優勝おめでとう。試合、本当に楽しかったです。それに・・・渡河の際の仲間を見捨てない姿、震える位に感動しました」

 

零は少し高揚した声色で、みほに賛辞を贈る。

 

「そ、そんな 零さん達の声援もすごく嬉しかったです・・・あ、ありがとうございます!」

 

みほは差し出された手を、ボコのぬいぐるみと一緒に握り返す。その手は零と最初に会った時と同じ、父の手に似た手の皮が厚い働き者の手だった。

 

 

「二人とも、いい雰囲気の所悪いね。大垣ちゃん、少しいいかな」

 

 

零が振り向くと、そこには杏が立っていた。

 

「角谷さん・・・」

 

二人の間にしばし沈黙の時間が流れる。

 

「あ、のさ・・・ごめんなさいって言いたかったんだ・・・」

 

杏は、零達が大洗を応援する為プラウダとの試合を中継で見ていてくれている事、その配信の中継中に大洗廃校が速報で流れる事、しまなみが自分達への情けで本領を発揮出来なくなり、ぐちゃぐちゃになって試合に負けるようになれと、心ならずとも画策していた。そして、そんな地中の蟲の如く蠢いていた自分の姿を、零は知らない筈は無いと今日の試合で直感していた。

 

「い、いえ あの、良くわかりませんが気になさらないで下さい」

 

しかし当の零はそう言って、頭を下げる杏の姿に動揺し、わたわたしている。それを見て、杏はやるせない気持ちになる。実際こちらが一方的に謝っている状態で、零の本心までは読めない。こちらに気を使ってわざと知らない振りをしているのか、それとも本当に知らないのか。だが杏も頑固な一面がある、零との関係を元通りにする為なら何でもするつもりだった。

 

「大垣ちゃん!私を殴ってよ!」

 

「えぇっ!?」

 

突然の杏の提案に、零は思わず面食らってしまう。なんだか話が噛み合わない状態のまま、杏は自分を殴れと言って来る。

 

「お願いだよ、こうでもしないと自分の気が済まないんだ。だからさ、頼むよ。これが私なりのケジメなんだ」

 

杏の頑なな様子に零も戸惑っていたが、その決意を剥き出しにした様子についに折れた。

 

「分かりました・・・では、角谷さん 目を瞑って歯を食いしばって下さい」

 

少し低い声色になった零の言葉に、杏は目を閉じ、奥歯を食いしばる。

 

あぁ、こんな声色の大垣ちゃん初めてだよ、やっぱり怒ってるよね・・・そりゃそうだよね。廃校撤回の為とは言え大垣ちゃん達を罠に嵌めようとしたんだから・・・グーかな、やっぱ・・・

 

杏の脳内に、後悔や自責の念が広がり、静かに制裁の時を待つ。

 

「えいっ!」

 

「へぅ!?」

 

零の声と同時に突然おでこにデコピンを食らい、杏は思わず素っ頓狂な声が出てしまう。眼前にはいたずらっぽく微笑む零がいた。

 

「はい、角谷さん。よく頑張りました」

 

そうして零は杏の体を抱きしめる。廃校撤回という、高校生の背中には巨大すぎる物を背負って戦っている事を、零は杏と同じ生徒会長という立場に立つ者として、それがどれだけ困難で重圧に満ちた物なのかよく分かっていた。そんな彼女が勝利の為に、選択した事を今更どうこう言う気はさらさらないし、杏の事を責める気にはどうしてもなれなかった。

 

「まいったなぁ、やっぱり大垣ちゃんには敵わないね・・・」

 

杏は、観念したように零の肩に手を回す。今は只、零と仲直りが出来た事と、廃校撤回を得られた事、そして零の優しさと温かさに浸っていたかった。

 

「あ、あの 角谷さん。そろそろ離れてもらっても・・・」

 

自分から思わず抱きしめてしまったが、あんまり長く杏が離してくれないので、零は杏に耳元で話しかける。

 

「ふふ~ん、だめだめ~オオガキニウムをたっぷり補充させてもらうよん」

 

「わわっ!」

 

杏はそう言って更に零の体を抱きしめる。そうしてたっぷり堪能した後にやっと零を解放した。

 

「あ、そろそろ表彰式が始まりますね。みほさん、そろそろ行きま・・・みほさん!?」

 

零はみほが形容し難い表情でこちらを見ていたので、思わず変な声が出てしまった。

 

「ふぇっ!?零さん」

 

みほが何だか心ここにあらずな様子だったので、零はみほの手を取り、表彰式会場まで歩き出す。

 

「それでは角谷さん、また後程」

 

「うん。大垣ちゃん、また後で。二人の晴れ舞台、見させてもらうよ」

 

そう言って杏は手を振りながら二人を見送る。その表情は飄々としていて、いつもの杏そのものであった。

 

「会長、良かったですね。大垣さんと仲直り出来て」

 

小山が杏の隣に連れ添い、話しかける。

 

「あぁ、本当に良かった。廃校も撤回になるし、良かった良かった」

 

杏は上機嫌に小山に応える。

 

「しかし会長、廃校撤回を再度撤回されるという可能性は無いのでしょうか・・・」

 

河嶋が不安そうな表情を浮かべて杏に話しかける。

 

「河嶋、天下の西住流宗家の次女と、戦車道プロリーグの大口スポンサー大垣重工の御令嬢の死闘に泥を塗るような命知らずは天下広しと言えども何処にもいないさ」

 

「そうか・・・そうですね!!流石は会長です!」

 

杏の自信に満ちた言葉に河嶋は安堵の表情を浮かべる。

 

が、不幸にも河嶋のこの不安は見事的中する。だがそれはまだしばらく先の話である。

 

 

閉会式では各表彰が行われた。今試合のMVPにはみほが選ばれ、表彰台に上がる。みほは、姉だけに許された特別な場所だと思っていたこの場に、自分が立っているなんて、ましてやまだ戦車道をやっているだなんて少し前まで想像もしていなかったなと思う。

 

そして、今試合のベストバトルには、西住みほと大垣零の最後の一騎打ちが選ばれた。名前を呼ばれ、表彰台に上がる零にみほは手を差し出す。

 

「さぁ、この手を取ってください。私のお姫様」

 

排気煙による煤けと、機械油でパンツァージャケットの白地が黒く汚れた「灰かぶり姫」に、みほは手を差し出す。零は慣れない登壇に少し戸惑いながら、笑顔を浮かべてみほの手を取る。そうして、みほはその手を一気に引き寄せて零を思いっきり抱きしめた。

 

「零さん、ありがとう。貴女に出会えて本当に良かった」

 

「それはこちらこそです。私も同じです、みほさん」

 

一年前、全てを失った少女が、新たな場所で新たな仲間を得て、ためらいの泥沼から抜け出し、蝶が羽化するように才能を開花させ、勝利を手にした。その姿に、会場の観客や、両校の生徒、大会のスタッフ達から万雷の拍手と声援が贈られる。

 

みほは壇上の下で拍手を贈る姉のまほと、エリカの姿を見つけた。それに気づいたまほが微笑みを浮かべて頷き、エリカが笑顔でガッツポーズをみほに贈る。三人は、少しの擦れ違いと、しばしの別離を経て、又新たなスタートラインに立つことが出来た。零もその様子を見て笑顔を浮かべる。

 

そして、大洗の生徒が集合し、深紅の優勝旗の授与式が行われた。夕焼けに染まる会場は再度拍手と歓声に包まれる。こうして、無名校二校が優勝・準優勝するという、前代未聞の結果を残し、第63回戦車道全国高校生大会は幕を閉じた。

 

 

 

閉会式を終え、島田千代・愛里寿親子と応援に来てくれた他校の皆に礼を言い、みほとまほ・エリカの三人の和解を見届け、連盟やスタッフへの挨拶・戦車の積載車への積み込みを見届け、零は今一人、会場で霊峰富士を眺めていた。

 

「お疲れ、零」

 

声に気づいて振り向くとそこにはカトレアチーム車長のルイーズと、チームの皆が立っていた。

 

「ルイーズさん、みんな・・・」

 

試合中、大嫌いなもう一人の自分が耳元で囁いた通り、皆一様に笑顔を浮かべて、こちらを見ている。チームの皆は優しい、だが今は皆のその優しさが辛かった。

 

「ごめんね、みんな あんなにこれまで頑張って来たのに・・・」

 

零はチームの皆にそう言って頭を下げる。夏の猛暑の地獄も、休みの日も、皆寝食を忘れて戦車道に没頭してきた。そんな彼女達を優勝に導けなかった。

 

「こら、零 私達がそんな事で怒るとでも思ってたの?」

 

ため息を付きながら、呆れた様子でルイーズが零の肩を持って背中を叩き、姿勢を直させる。

 

「そうですよ隊長!私達、みんな隊長の元で戦車道がやれて、本当に楽しかったんです。むしろ西住さんに瞬殺されちゃった私とルイーズが隊長に謝らないといけない所です」

 

「もう、ベアトリーセ!それはまぁ、確かにそうだけど・・・」

 

クローバーチーム車長のベアトリーセの言葉に、ルイーズがバツが悪そうに頬を掻く。

 

「すぐに謝るのは日本人の悪い所。誠実なのはいいけど、隊長ならどっしりと構えて、自分と私達が得た結果を誇りに思って。そして・・・出来れば私達をいっぱい、うんと褒めて」

 

アマリリスチーム車長のマルティーナが、凛として零を正す。

 

「私達がこれまで、戦車道を続けてこられたのは隊長、貴女のお陰だ。だから、これからもよろしく頼む」

 

「私達をこんな楽しい世界に連れて来てくれた責任、取ってもらいますからね」

 

ウメチーム車長の長原と、ツバキチーム車長の室町が、零の両側に立ち、その乙女離れした腕力で、零の肩をがっちりとホールドする。

 

「とりあえず今夜は隊長と、皆と盛大に語って飲み明かしたい・・・いいよね、隊長?」

 

ドクダミチーム車長の音森からの提案を、零はこくこくと頭を縦に振って了承する。

 

「やっタ!それじゃ準備してきまース!隊長サン、今夜は寝かさないヨ!」

 

オニユリチーム車長のエレナが大喜びで宴会の準備の段取りを行い、皆に指示を出す。皆本当に楽しそうで、試合に負けた悲壮感は微塵も感じられない。

 

「それでは零隊長、行きましょうか」

 

「地獄の果てまでお供しますよ~」

 

ユズリハチーム車長の朝河と、ガーベラチーム車長の荒川に腕を両側から掴まれ、零は歩き出す。

 

「ふふ、隊長 おかえりなさい」

 

マルティーナの言葉に、零はやっと試合が終わった事を実感する。緊張と、重圧から解放され、零は知波単学園と戦った後のように腰が抜けそうになるが、二度もは倒れなかった。そして、笑顔を浮かべる

 

「うん みんな、ただいま」

 

紅い夕陽が戦場となった東富士の聖地を赤く染め上げ、少し冷たい風が頬を撫でる。遠くで鳴いているひぐらしの声が夏の終わりを予感させた。

 

 

 

時は少し流れて、しまなみ女子工業学園学園艦は、母港・今治への帰港の為、途中の横浜港での寄港を経て太平洋を航行していた。学園も今は夏休みの最中、部活動や、課外活動に精を出す生徒達の声が聞こえるが、普段の喧噪が嘘のように静まり、静かな時が流れていた。

 

零は一人、戦車格納庫にいた。決勝戦の後、履修生達の手で徹底的に整備された戦車達は、全てが完璧な状態で、静かに次の活躍の時を待っていた。零はその鉄の仲間達に、礼を言うように、愛おしそうに触れていく。

 

「零、探したわよ」

 

「やっぱりここだったね、零ちゃん」

 

同じ車両の相棒達、陸奥原と紅城の登場に零は笑みを浮かべて迎える。戦車道履修生も、留学生の多くが母国に里帰りしており、他の履修生達も戦車道での活躍を手土産に実家に帰ったり思い思いの夏休みを過ごしている。生まれも育ちも零の出身地と同じ二人は、そのまま学園艦に居残っていた。

 

「何を考えていたの、零?」

 

「え? ううん、何も」

 

零は少し寂しそうに呟く、新学期からあまりにも目まぐるしく日々が過ぎ、戦車道中心の毎日を送っていた為、こうして戦車道をしていない日はどこか物足りなく、アンニュイな気持ちになってしまう。

 

「この跡は黒森峰戦の時の・・・本当に良く働いてくれたわね」

 

陸奥原は愛馬のボディーを優しく撫でる。歴戦の傷を撫でられ、strv m/40Lもどこか誇らし気に見える。色々な事があったが、沢山の友人達に支えられてここまで来れた、零はふと二人に向き直し、礼を告げる。

 

「ありがとう二人とも。こんな私の事、いつも助けてくれて」

 

「なんのなんのだよ、零ちゃん!」

 

「零ったらなに全部終わったみたいな感じになってるの?月末には大洗でエキシビジョンマッチなんだから気を引き締めていくわよ!」

 

そうして三人は、思いついた新しい戦術や、月末のエキシビジョンマッチについて賑やかに話し合う。三人とも、最早戦車道の虜になっていた。

 

「さぁ、書類仕事が溜まってるし、そろそろ生徒会室に戻りましょうか」

 

「零ちゃん龍ちゃん、ちょっとアイス屋さん寄ってこうよ。新しいフレーバー入ったんだって~」

 

「あぁ、鍵を掛けるからちょっと待って」

 

賑やかな三人の声を後に、格納庫の扉は再び閉じられる。天井のガラス窓から夏の日差しが差し込み、戦車達を照らし出していた。

 

しまなみ女子工業学園学園艦は今日も輝ける海原を勇壮に進む、零達には沢山の波乱の戦車道がこれからも待ち受けているが、まだそれは少し先の話である。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 大学選抜戦編
第二十二話


 

「それでは今日の練習を終了します、皆さんお疲れ様でした」

 

「お疲れ様でした、隊長!」

 

戦車道履修生達の溌剌とした声が晩夏の夕暮れの空に響き渡る。しまなみ女子工業学園の学園艦は母港である今治港を出港し、瀬戸内海を航海している。故郷に里帰りしたりと思い思いの夏を過ごした履修生達も学園艦に戻り、今月末に大洗で開催される戦車道のエキシビジョンマッチに向けて練習を再開させていた。

 

「零隊長、お疲れ様でした!」

 

「おつかれ朝河さん。荒川さんもお疲れ様、明日も頑張ろうね」

 

「はい!ありがとうございます」「それではお先に失礼します隊長~」

 

ユズリハチーム車長の朝河と、ガーベラチーム車長の荒川が同じ一年生の仲間達と一緒に賑やかに帰宅していく。戦車道は戦車や砲弾を扱う以上、細心の注意を払ってそれを取り扱わなければいけない。下手に扱えば、事故や大怪我を負う可能性もある。故に、一日の練習を無事に終えた履修生達が無事に帰るのを見届けるのが、隊長の零にとっては心底安堵するひと時だった。

 

「零、お疲れ様 いい夢を」

 

「おつかれ零ちゃん!また明日ね~」

 

「うん、二人共お疲れ様 また明日」

 

そうして零も、strv m/40Lに共に乗る陸奥原、紅城と寮の中で挨拶をして別れる。明日も朝練がある為、足早に自室に向かっていた。と、自分の部屋のドアの前で折り重なるように倒れている人影を見つけて零は大急ぎで駆け寄る。

 

「だだだ大丈夫ですか!? あ、あれ?貴女は・・・」

 

「やぁ・・・大垣さん・・・初めまして・・・」「お腹減った・・・」「お風呂入りたい・・・」

 

自室の前でぐったりと倒れこんでいた三人組、それは継続高校の隊長ミカと、操縦手のミッコ、装填手のアキだった。

 

どうやら空腹による行き倒れのような状態だったので、ひとまず零は事情を聞くのを後回しに、三人に肩を貸して自室に運び込み介抱する。簡単なものだが、味噌汁と白飯、それに愛媛の郷土料理の伊予さつまを即席で準備して三人に振る舞う事にした。

 

「お、美味しい!アキ、このさつまってのご飯に合いすぎ!」

 

「も~ミッコ、そんなにがっつくとお腹壊すよ」

 

勢い良く放り込む白飯とさつまで頬を一杯にしながら話すミッコを優しくたしなめてはいるが、アキ自身もぱくぱくとご飯と味噌汁をさつまを掻っ込む勢いで胃袋に流し込んでいる。伊予さつまは、焼いた鯛や太刀魚の身をほぐし、それに麦味噌と鯛の出汁を加え、更に細切りにしたこんにゃく・ネギ・椎茸などを混ぜて食べる素朴な家庭料理であるが、温かいご飯と味噌汁にそれはもう絶妙によく合うのである。

 

「色々とすまないね、大垣さん。悪いけど・・・おかわりいいかな?」

 

一人黙々と食べていたミカが米粒一つ無い、綺麗になった茶碗とお椀を差し出す。

 

「あ、ミカずるい!レイ、私の分も!」

 

「大垣さん、すみません私の分も・・・」

 

零ははいはいと三人の茶碗にご飯を大盛によそい、お椀にさつまを注ぐ。友人を招いて夕食を自室で取る事は多くあるが、この食いしん坊の来客は、遠慮なく自分が作った夕飯を美味しい美味しいと食べてくれるので作る側としてはなんだか嬉しい。そうして三人は、食事を終えたが、服もかなり汚れてしまっているようだったので、洗濯しておくのでと話し、風呂を勧める事にした。

 

「やった!一番風呂も~らい アキ、早く早く!」

 

「すみません大垣さん よ、四日ぶりの、ドラム缶じゃ無いちゃんとしたお風呂・・・!」

 

風呂を前に、興奮気味な二人を案内して、零は脱衣所の扉を閉め、ふうと息を吐く。突然の出会いから、ものすごい勢いで時間が流れていった気がしていた。

 

「ありがとう大垣さん、突然押し掛けて済まなかったね 怪しい三人組に温かいおもてなし、本当に痛み入るよ」

 

ミカは、リビングで零が淹れた食後の麦茶とお茶請けの羊羹をゆっくり味わいつつ、カンテレを爪弾いていた。

 

「い、いえ びっくりはしましたが、ミカさん達が無事で何よりでした」

 

零も向かいの席に座って麦茶を一口啜る。少し落ち着いた所で、ミカに経緯を聞いてみたところ、3人で夏休みを利用して全国各地の強襲戦車道・タンカスロンのチームや、戦車道の草チーム相手に武者修行の旅をしていたらしい。しかしながら愛媛に入ったところで路銀が底をつき、こっそりとしまなみ女子工業学園学園艦に便乗させてもらったとの事だった。

 

「そうだったんですか・・・ですが、折角お越し頂けるのなら、正式にお招きしたかったです」

 

零は少し不満そうにミカに話す。もし学園艦のセキュリティーに引っかかってミカ達の不法侵入スレスレの便乗がバレたら三人が捕まる可能性もあったし、事が公になれば彼女達の戦車道の経歴に重大な汚点を残す事になりかねない。

 

「風を頼りに生きていると、浮世の事に疎くなってしまってね・・・ちょっとしたサプライズといった所かな?」

 

そう言ってミカはいたずらっぽく笑い、滑らかにカンテレを爪弾きながら零にウインクする。

 

「それに・・・この機会に大垣さん達に、お願いしたい事があってね」

 

「お願いですか?」

 

うん、と言いミカは零に向かい直し、少し上目遣いに話し出す。

 

「うん・・・実は私達が乗っているBT-42なんだけど、全国大会での試合や今回の旅で随分と傷んでしまってね。このままでは学園艦に帰るのもままならないんだ。大洗の角谷さんから聞いたんだけど、君達は大洗の全車両をたったの三日で修理したそうだね?しかも完璧な状態に・・・そこで、ぜひ私達の戦車も診てやってもらえないかな?」

 

零達機械科の生徒達が、大垣重工の資料館に眠っていた戦車達を短期間で完璧な状態に修復した事や、大洗との練習試合の後に、大洗の戦車を三日で完璧な状態に仕上げた件は戦車道界隈でも知れ渡っており、しまなみには戦車整備の凄腕の生徒達がいると話題になっていた。

 

「もちろんタダでとは言わないよ。大垣さん、何が望みだい?」

 

零は考える、ミカが杏から自分達の事を聞いているという事は、自分達が練習試合の後に、練習試合を受けてもらったお礼にと大洗の戦車を無償で修理したことを知っているとする。ならばここで、ミカに金銭を要求すれば今後のミカとの繋がりに支障を生む可能性もある。そこで零は、金銭では無く、ミカ達からしか得られないものをお願いする事にした。

 

「分かりましたミカさん、今回はフィンランド戦車の整備ノウハウを学べる貴重な機会を頂くわけですし、お金はかまいません」

 

「やぁ、本当かい?」

 

ミカは嬉しそうに、少し高揚した声で零に返す。

 

「ただ・・・お願いがあります。ぜひ私達に、戦車道の稽古をつけて頂けませんか?」

 

零の提案に、ミカのカンテレの音色が止まる。

 

「それは構わないけど・・・私は我流で好き勝手やっているだけだし、参考になるのかな?」

 

継続高校といえば、あの黒森峰を苦戦に追い込む程の雪中・沼地戦の強さと、迂回戦術で有名である。しかし、継続の一番の魅力といえば、やはり高校戦車道随一と言われる隊長車の単騎の圧倒的な強さと突破力である。零はこの機会に、ぜひ履修生と自分自身の為にもミカの強さの極意を少しでも学びたいと考えていた。ミカ自身も少し逡巡している雰囲気だったものの、零の真剣な様子に遂に折れた。そうして片手を差し出す。

 

「分かったよ大垣さん、一宿一飯の恩がこれで返せるとは思わないけど、しっかり務めさせてもらうよ」

 

「本当ですか!ありがとうございます!」

 

零は顔を綻ばせ、ミカの手をがっちりと両手で握り返す。その手にミカは少しぎょっとする、しまなみの隊長の大垣零は車長兼砲手を務めていると杏から聞いていたが、その手はトリガーを握る部位が固く、厚くなっており、戦車道を始めて数か月でこれ程のベテランのような手になるとは・・・と思う。

 

「ほう・・・これはなかなか 楽しめそうだね・・・」

 

零に聞こえない程の小さな呟き。戦車乗りの血が滾り、ミカはぺろりと上唇を舐める。

 

「ミカ~レイ~ お~いふたりとも~お風呂上がったよ~」

 

「すみません大垣さん・・・一番風呂最高でした・・・」

 

そうこうしている間に風呂を終えたミッコとアキがご機嫌で戻ってきた。

 

「ではミカさんどうぞお先に「ねえ、大垣さん。一緒に入ろうよ」

 

するとミカは零の手を握ったまま、席を立ちバスルームに向かって歩き出した。

 

「い、いえいえ! ここはお客様に先に入って頂かないと・・・」

 

「いいじゃないか、スキンシップはお互いを理解する為に大切な事だよ。それに、お風呂は誰かと一緒に入る方が楽しいものさ」

 

零はミカの握力の強さに驚く。弦楽器を嗜むからなのか、指のピンチ力が強くどうにも手を解く事が出来ない。

 

「それにね・・・実は私は一人では怖くてお風呂に入れないんだ」

 

「えぇ!? あ、いえ失礼しました・・・」

 

「ふふ、冗談だよ。さぁ、まごまごしていると折角のお風呂が冷めてしまうよ しばらくご厄介になるから、せめてお近づきに背中くらい流させてくれないかな?」

 

「あ、あの、ミカさん!ちょまっ・・・」

 

そうしてずるずるとミカは零を引きずっていき、バスルームの扉がバタンと閉められた。

 

「あ~ぁ レイってば、ミカに気に入られちゃったみたいだね」

 

零が風呂を出た二人に用意していた羊羹を頬張りながら、ミッコが愉快そうに話す。

 

「大垣さん、これから苦労するだろうなぁ・・・でもミカ、すごく楽しそうだったね」

 

アキも苦笑いしながら、麦茶と羊羹を味わう。卓上に残されたグラスから、カランと音が鳴った。

 

こうして零達、しまなみ女子工業学園戦車道履修生と、ミカ達の一夏の交流が始まったのだった。

 

 

「皆さんにご紹介します。今回戦車道、及びフィンランド戦車整備の特別講師としてお招きしました、継続高校戦車道隊長のミカさん、装填手のアキさん、操縦手のミッコさんです」

 

翌朝、朝練に臨む為に集合した履修生達に、零はミカ達を戦車道の特別講師として紹介していた。

 

朝一で祖母でもある学園長に3人を連れて事情を説明した所、稽古と戦車整備について二つ返事でOKが出た。しかし、ほっとしたのもつかの間、人材マニアの祖母がミカ達に転校の交渉を腕まくりして持ち掛けそうになってきたので、大事なお客人に勘弁してくださいと早々に退散して来た次第である。

 

「初めまして、今回大垣隊長のお招きで参りました。短い間ですが、どうぞ宜しくお願いします」

 

「皆さん、宜しくお願いします!」「します」

 

ミカの自己紹介に続いてアキとミッコも続く。自己紹介の後に、ミカのカンテレから綺麗な響きが奏でられる。そうして、零の案内で各車両の車長とメンバー達の自己紹介が行われ、早速ミカ達の愛馬BT-42の診断が行われた。

 

「成程・・・足回りがかなり使い込まれている、トランスミッションも要調整だな。椿、そっちはどうだ?」

 

五式中戦車を駆るウメチーム車長であり、しまなみ戦車道チームの整備チーフでもある長原が、地下ピットに潜り込み、てきぱきと駆動系と足回りを検査していく。

 

「主砲の砲身命数がとっくに尽きているようだし、他にも交換しないといけない部品があるわね。それにしても、なかなか立派な主砲・・・ふふふ、腕が鳴るわ。隊長、マルティーナ、そちらはどうですか?」

 

長原の相棒の五式中戦車・ツバキチーム車長の室町が丁寧に主砲と砲塔回りを検査していく。

 

「エンジンはオイル漏れがあるから、一度降ろしてオーバーホールした方が良さそう。修理するより新造した方が早い部品もあるから、零、早速学園艦の工場で製作依頼を掛けておいてもらえる?」

 

マルティーナの指示に了解と零は素早く端末に制作依頼の部品をインプットしていく。しまなみの学園艦には各種部品製作の最新設備が整っており、学園長の意向で戦車道に関する物品は最優先で製作が進められるようになっている。他校が消耗品や部品の調達を外注に出したり、高価な輸入品に頼って時間と金が掛かる所を、しまなみでは自己完結出来るので時間と費用が大幅に削減出来る。

 

「わ~、流石しまなみさん。動きが全然違う」

 

零達の整備を見入っていたアキが驚きの声を上げる。しまなみの履修生達は皆が連携してあっという間にBT-42の部品を丁寧に取り外し、整備の段取りを進めていく。あまりの手際の良さに驚いてしまっていた。

 

「うん、しかもなんか皆楽しそう」

 

ミッコが言う通り、皆楽しそうに作業を進めていく。彼女達は機械いじりが何より大好きであり、戦車道を通して、戦車整備の魅力に目覚めてしまっていた。

 

「あぁ・・・私のBTが裸にされていく・・・」

 

ミカはミカで、妙なテンションで作業に見入っている。奏でるカンテレのリズムもましましになり、それを労働歌のように零達がBTをくまなく検査していく。

 

「それではミカさん、アキさん、ミッコさん。整備の方針をご相談させて頂きたいので、どうぞこちらへ」

 

零に促されて、ミカ・アキ・ミッコの三人が応接椅子に腰かけ、しまなみ隊長車の無線・装填手の紅城がどうぞと三人にコーヒーを出す。なんだかまるで車検みたいだなとミカは思うが、しまなみの生徒達が自分の愛馬をどう仕上げてくれるのか、内心楽しみで気が気でない。

 

「まずエンジンですが、各部にオイル漏れが見受けられますし、ベースの良さを活かして最高の状態に仕上げる為にも一度降ろしてオーバーホールさせて下さい。よろしいですか?」

 

零の説明を聞き、ミカが話し出す。

 

「うん、大垣さん達の腕前は角谷さんから聞いているから、ぜひお願いするよ。ミッコの操縦の腕は天下一品だから、その腕を存分に生かせる軍馬の心臓を与えて欲しいんだ」

 

操縦手のミッコを信頼したミカの熱の籠った願いに、ミッコも零達によろしくお願いしますと頭を下げる。

 

「分かりました、今回エンジンは私とマルティーナが整備責任者になっています。お二人のご要望、必ず果たして見せますね」

 

零はそう言ってミカ達の眼を見て微笑む。そうして整備チーフの長原、室町、マルティーナも交えてのミーティングが始まった。

 

「それではミカさん、トランスミッションと足回りのセッティングなんだが──」

 

「うん、それは──」

 

「アキさん、砲の整備は──」

 

「椿さん、ありがとう。このまま進めて──」

 

「ミッコさん、ここは──」

 

「ミッコでいいよマルティーナ ここは──」

 

なかなか熱の籠った話し合いになったが、比較的短時間でまとまり、零もホっとする。そうこうしている内に昼になり三人と履修生皆で昼食を取り、いよいよ三人としまなみとの練習試合が組まれた。今回、ミカ達は三日後の横浜寄港時に下船したいとの事だったので、時間が無く、今日そのままBTのエンジンを降ろす事になり、今回小中学生向けのイベント用にと準備していた、ドイツの軽戦車Ⅰ号戦車C型を代車ならぬ代戦車としてミカ達に貸し出す事になった。

 

「へぇ、Ⅰ号戦車か・・・懐かしいね。小学生の時はこれに乗ってよく試合に出ていたものさ」

 

ミカは古い友人に再会したように懐かし気に話し、車体に優しく触れる。

 

「本来なら二人乗りの車両なので、イベント用に一つ席を増設して三人乗りにしているのですが・・・窮屈ですみません」

 

「そんな事ないさ。どうだい?アキ、ミッコ」

 

「うん だいじょーぶだよ、ミカ」

 

「私達二人は小柄だから本当なんとかなるね・・・いや、それもどうかと思うけど!」

 

先に乗り込んだアキとミッコから概ね悪くない言葉が聞けてベアトリーセは胸を撫でおろす。

 

「それにしても、Ⅰ号戦車C型の転輪はいつ見ても芸術品だね・・・惚れ惚れするよ」

 

「そうですね・・・あの、ミカさんはドイツ戦車にも造詣が深いんですね?」

 

「ふふ、昔取った杵柄といったところかな?」

 

Ⅰ号戦車C型の走行時のオーバーラップ転輪の動きはドイツ戦車の機能美に溢れており、その高速性・小回り性と相まって、M3スチュアート軽戦車と並んで愛好家が多い。操縦手のミッコは初めて乗る戦車に目を輝かせながら、操縦系統を触りながら確認していく。

 

「操縦方法は先ほど説明しましたが、いかがですかミッコさん?」

 

「うん、ありがとうベアトリーセ なんとかなりそうだよ」

 

「メルダースさん、操縦なら心配いらないよ。ミッコはどんな乗り物でもすぐに完璧に乗りこなせる天才なんだ」

 

「もう、よしてよミカ。照れるよ」

 

そうしてミカも軽い身のこなしで、Ⅰ号戦車に乗り込む。

 

エンジンに火が入り、乾いた排気音が周囲に響き渡る。

 

「うん、いい音だね よろしく頼んだよ」

 

砲塔から身を乗り出したミカは、挨拶するように車体をコンコンと中指でノックする。

 

「それではミカさん、予定通り演習場で身を隠しておいてください。まずはアンブッシュ状態での一対一の遭遇戦を想定していますので、戦車を確認次第、演習開始でお願いします。どうかお互いに御武運を」

 

「了解、ありがとうメルダースさん。皆さんにも御武運を。さあ、風を疾るよ アキ、ミッコ」

 

「あいよっミカ!」「う~ん、大丈夫かな・・・」

 

賑やかな三人の声を乗せて、I号戦車が演習場へ向けて走り出す。

 

そしてこの後、しまなみの履修生達は「弘法筆を選ばず」という諺の意味を身をもって味わう事になるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話

黄昏が迫るとある学園艦の一角、煌々と明かりが灯る二階建ての建物の一階。スマートな車体に、巨大な砲塔が乗っかったアンバランスなフォルムの一両の戦車の周りに多くの生徒達が集まり、賑やかに車両整備を行っている。そんな中、トルクレンチを手に、締付時のカチンカチンという音を楽しそうに響かせながら、一人の生徒が転輪の整備を行っていた。

 

「これでよし…… 長原さん、組み付け完了したよ」

 

艶やかな長い髪をくくり、継続高校戦車道隊長のミカは愛馬BT-42の整備を手伝っていた。

 

「あぁ、ありがとう どれ…うん、完璧だ。すまないなミカさん、昼間みっちり稽古をつけてもらってその上整備まで手伝ってもらって」

 

ミカ達継続高校の三人は、戦車道の稽古をつけて貰う代わりに、BT-42の整備をしまなみの生徒が請け負うという云わば交換条件が結ばれている。しかし、お客様扱いはしまなみの皆に悪いし、何より居心地が悪いとミカ達三人は進んで戦車整備を手伝っている。ミカは足回りを、アキは砲塔及び主砲を、ミッコはエンジンと駆動系の整備を手伝っている。履修生の機械科所属の生徒は機械整備の凄腕が揃っているが、未経験の車両の整備には手を焼く事もあり、ミカ達三人の手助けの甲斐もあり予定通りの納期で整備が完了出来そうな見通しになってきた。

 

「いいんだよ。美味しいご飯と暖かい寝床を提供してもらっている身だから、しっかり体で返さないとね」

 

BT-42の足回りと駆動系の整備を受け持つ長原は、しまなみの車両整備のチーフであり、今回のBT-42突撃砲の車両整備全体の責任者でもある。突然継続高校からやってきたこの三人は、昼からぶっ通しでしまなみの履修生達に戦車白兵戦の極意を不慣れなⅠ号戦車で特訓してくれた。更に疲労困憊だろう身を押して、更に戦車整備まで手伝ってくれている。最初は怪しく感じていた長原達しまなみの履修生も、ミカ達に親しみを持って接するようになっていた。

 

「ミカさん、長原さん、お疲れ様です。一休みしませんか?」

 

そこに、Ⅳ号突撃砲車長のベアトリーセが、同じ車両の仲間達とコーヒーを配りにやってきた。挽き立ての豆を使ったコーヒーのいい香りがミカの鼻孔をくすぐる。

 

「ありがとうベアトリーセ。ミカさん、私達もここらで少し休憩しよう」

 

「そうかい? ではお言葉に甘えて……」

 

ミカも作業の手を休めて、ふうと息を吐き、しまなみの履修生達がそうしているように、ツナギの上側を脱いで袖を腰の辺りで結ぶ。そうして足場用のボックスに各自が腰かけて、楽しいお喋りが始まった。街を歩けば思わず視線を持っていかれそうな乙女達がお喋りを楽しむには少々ざっかけないものを感じるが、この雰囲気がミカは気に入っていた。

 

「どうぞ、熱いから気を付けてな」

 

長原がそう言って、ミカにコーヒーカップを差し出す。美味しそうなクッキーまで添えられていて、なんとも気が利いている。

 

「ありがとう…なんだか悪いね、エキシビションマッチも控えていている忙しい時に上がり込んで」

 

しまなみ女子工業学園は、月末に大洗で開催されるエキシビションマッチに出場する予定である。自分達の訓練だけでも大変な時に、関係の無い戦車を丁寧に整備してくれる事にミカは素直に感謝していた。

 

「なに、お礼を言いたいのはこちらの方だよ。何せあの継続高校隊長自らに稽古を付けてもらうなんて機会はそうそうある物じゃないしね。それに……この子はよく手入れされている。大切にしている戦車の整備を任せてもらえるなんて冥利に尽きるよ」

 

長原はそう言ってコーヒーを一口飲み、うまいと微笑む。

 

「それにしても……Ⅰ号戦車の性能をあそこまで引き出すとは、接近戦の時は目が追い付かなった。流石は継続のミカといった所かな?」

 

練習試合のミカ達が乗るⅠ号戦車の動きは尋常では無かった。突然思いもしない所から出現したかと思うと、一気に間合いを詰められ、あっという間に撃破判定を食らってしまった。しまなみの履修生達は、これが大会の試合だったらと背筋が凍る思いをしたと同時に、自分達の練度がまだまだという事を思い知らされたのだった。

 

「昔、Ⅰ号に乗っていた事があってね。それに操縦していたのはミッコで、砲手はアキさ。私は中でのんびり昼寝をさせてもらってたよ」

 

「またまた御謙遜を……人車一体のあの動き、車長が超一流でなければあんな動きは出来ないさ」

 

突然の誉め言葉に、ミカはなんだかこそばゆくなる。ミカだって人の子である。見え透いた煽てであれば一笑に付す所だが、今年の戦車道全国大会で大洗に次ぐ、準優勝を勝ち取ったチームの一員からの称賛は素直に嬉しい。

 

 

「失礼します!」

 

 

とそこに、溌剌とした声が割り込む。長原とミカの眼前に立っていたのは、ユズリハチーム・ソミュアS35の車長、朝河潮美だった。

 

「長原先輩、自車両の整備終わりました!  何かお手伝いする事はありませんでしょうか?」

 

「今のところは無いよ、ありがとう。それよりお前達はミカさんとの稽古の復習と予習をしっかりしておけ」

 

「で、ですが……」

 

「いいから、隊長にもそう言われてたろ? 今は素直に目の前の事に集中するんだ」

 

同じ機械科の先輩の長原から、隊長の零の名前を出されると朝河も大人しく引き下がるしかない。

 

朝河の喉の奥で、ぐっと音が鳴る。

 

「分かりました。では、失礼致します!」

 

そう言って踵を返し、足早に仲間の元に帰っていく朝河をミカも見送る。

 

「あの子は確か、ソミュアS35の車長だったね。大会や稽古の時もいい動きをしていたから印象に残っていたよ」

 

ミカは朝河のユズリハチームとの先程の模擬戦を思い出す。同じソミュアS35のチームと合わせた2対1の編成での試合で、互いの死角を補い合う連携は素晴らしかった。とはいえ、しっかりと二両とも討ち取らせてもらったのだが。

 

「あぁ、可愛い後輩であり、しまなみの将来の隊長さ。本人にも素質があるし、いい同輩にも恵まれている」

 

後輩を誇らし気に話す長原だったが、その表情が少し曇る。

 

「だけど……どうにも生き急いでいる所があってね。今年の最優秀新人賞をライバルの大洗の子が持って行った事もあってか、なんだか焦って空回りしている様子なんだ」

 

「ふうん……」

 

ミカも静かに長原の話を聞き、コーヒーに口を付ける。少し冷めたコーヒーは、苦みが増した気がした。

 

 

 

戦車の整備も終わった、人気のない戦車格納庫の一角に停まった自身が車長を務めるソミュアS35の中で、朝河潮美は一心に今日の稽古の事を思い出していた。相棒のガーベラチームのソミュアS35と一緒に継続高校の隊長と戦ったものの、相手は二対一の戦力差などものともせず、一撃離脱と接近戦の両方を巧みに使い分け、まるでこちらの弱点をわざと攻めているような、こちらを掌で弄んでいるかのような戦いに冷静さを欠き、僚車との連携を崩され、討ち取られてしまった。

 

直ぐに熱くなって、冷静さを欠いてしまう。そんな自分の心の弱さを突き詰められているような試合だった。隊長が一緒であれば、親友の荒川が車長のガーベラチームと合わせれば最高の連携を取れると自負しているが、頼りになる隊長と僚車がいないと何も出来ない現実が朝河の頭に重くのしかかる。

 

自分でも分かっている。ライバル、大洗の澤梓が夏の大会で最優秀新人賞を獲得して以来、焦りと迷いが浮き出てしまう。同輩と自分がどんどん離されていくような感覚、自信が溶けて、足から染み出てしまうような心細さに朝河は苛まれていた。

 

更に、継続高校の車両整備に、朝河達一年生は参加できていない。正確には、隊長の零が少しでも戦車道の稽古を頑張ってもらいたいと、このような形になった。勿論零からはフォローの言葉もあり、期待をされている事は素直に嬉しい。しかし、自分がなんだか仲間外れにされているような、お荷物扱いされているような気持ちになってしまう。

 

「いけない、集中しないと……」

 

そう言って朝河は気持ちを切り替え、稽古の事を頭の中で整理し、改善点を探し出す。そんな時、突然胴体側面のハッチから人が潜り込んで来た。

 

「だっ誰!?」

 

室内灯も点けていない薄暗い車内への突然の侵入者に、朝河は驚き声を上げる。

 

「やぁ、朝河さん お邪魔するよ」

 

入って来たのはミカだった。軽い身のこなしで体を乗り入れ、朝河の隣に座る。

 

「あぁくたびれた、慣れない戦車は乗るのも一苦労だね」

 

「は、はぁ…」

 

突然の予期せぬ訪問者に、朝河は面食らってしまうが慌てて室内灯を点灯させる。

 

「あの、一体何の御用でしょうか?」

 

ミカは朝河に微笑みかけ、静かにカンテレを爪弾き話始める。

 

「今日の練習試合、君達の車両はとてもいい動きをしていたから是非話をしてみたくなってね」

 

「そんなお世辞なんて……現に私達のチームはミカさんに手も足も出ずに撃破されてしまいましたので」

 

ミカの言葉に朝河は少しむっとして返す。そんな朝河に、ミカはいつもと同じに、ゆっくりと語り掛ける。

 

「私は戦車道に関しては嘘はつかないし、お世辞も言わないよ。褒めたいから褒める、それだけの事さ」

 

「それに、夏の大会での隊長車のstrv m/40Lや僚車のソミュアS35との連携戦術は称賛に値するものだよ」

 

ミカの言葉に朝河は少し驚く。それは、自分自身が強みに感じていた隊長車と相棒のガーベラチームとの連携をミカがちゃんと見ていたという点だ。

 

「でも、駄目なんです……このままだと大切な人達を守れないし、ライバルにも置いて行かれるだけ……わっ!ミカさん!?」

 

背中を丸め、力なく話す朝河の頭をミカはよしよしと撫でる。

 

「夏の大会の黒森峰戦、ルクスに追いかけられていた大垣隊長を君と荒川さんの隊が救わなければ大垣隊長は捕虜になり、しまなみが負けたかもしれない。君は自分の力で大切な人を救ったんだ、もっと自信を持っていいんじゃないかな?」

 

「それに、一時の勝敗に一喜一憂していても空しいだけさ。大切なのは自分が戦いの中で何を成し、何を失ったかだよ」

 

ミカが朝河に語り掛ける。その言葉はとても優しい。

 

「誰かに褒められたり、評価される為じゃない。君だけの戦いを見つけてごらん」

 

「私だけの……」

 

朝河はミカの言葉を胸の内で繰り返し反芻する。

 

「……ありがとうございますミカさん、今日こうしてお話出来て良かったです」

 

まだ自分の中に答えは出ていない。ここでミカに頑張ると答えたとしてもそれはその場凌ぎに過ぎないと朝河は感じていた。

 

「どういたしまして さて、そろそろ行くよ。邪魔をして悪かったね」

 

ミカはふわりと笑みを浮かべて、腰を上げる。

 

「頑張るのもいいけど、根を詰めすぎるのも良くないよ。ほら、こうやって心配性な人たちもいるみたいだし」

 

「わわっ!」 「「きゃっ!」」 「おっと」

 

突拍子も無く開いたハッチに驚いたのか、そこには隊長の零や、相棒の荒川、先輩の長原や室町、そしてユズリハ・ガーベラチームの仲間が尻もちをついて倒れこんでいた。

 

「あいたた……あ、あの ごめんなさい!朝河さん、ミカさん。盗み聞きしてたわけじゃ…」

 

強かに打ったお尻をさすりながら、零が申し訳無さそうに朝河とミカに謝る。

 

「潮美ちゃんが戦車にこもっちゃったから、皆心配してたのよ~」

 

相棒の荒川も心配そうに荒川に話す。

 

「申し訳ありません、零隊長、先輩、それにみんな。ご迷惑をお掛けしました」

 

「迷惑だなんて私達は少しも思っていないぞ。朝河、こちらこそ寂しい思いをさせて済まなかったな」

 

「鈍感な先輩ばっかりで御免なさいね」

 

ミカは互いを思いやるしまなみの履修生達を見て微笑みを浮かべる。

 

「さてと……大垣さん、私はアキ達と先に部屋に帰っておくよ。ゆっくり皆で話し合ってごらん」

 

「すみませんミカさん、ありがとうございます」

 

礼を言う零に対して、ミカはひらひらと手を振ってその場を後にする。

 

「ミカってば、なんだかしまなみに来てから変わったね」

 

いつの間にか傍に来ていたアキが嬉しそうに話す。

 

「どうかな、少し潮風に巻かれてしまったかもしれないね」

 

「お、ミカが珍しく照れてる」

 

にひひと笑いながらミッコが笑う。

 

ミカの視線の先には互いに笑顔で話し合う零や朝河の姿があった。ミカはそれを安堵した様子でで見送るのだった。

 

 

夜も10時を回ったが、零は一人、部屋のベランダで夜の太平洋を見つめていた。月の光も雲に遮られ、目の前には漆黒の大海原が広がり、航行を続ける学園艦が生み出す波の音だけが静かに響いている。

 

「どうしたんだい、大垣さん?」

 

そこにミカが引き戸を開けてベランダに出て来た。

 

「ミカさん、今日はありがとうございました。朝河さんから聞きました、ミカさんが色々アドバイスをしてくれたって。すみません、私が隊長としてもっと皆に気を配っていれば……ひゃっ!ミカさん?」

 

ミカがおもむろに零に歩み寄って後ろ抱きするような形になる。零の腰の辺りでミカの腕が組まれ、背中にはミカの柔らかな感触と、耳元に吐息が重なる。ミカは何かとスキンシップが旺盛な為、同性の自分から見ても魅力的な女性に抱き着かれるというシチュエーションに、零は自身の鼓動が早くなっている事に気づく。

 

「しまなみの皆はまるで家族みたいだね。誰もが互いを思いやり、皆の助けに自分がなりたいと思っている」

 

「だけど、互いの思いやりが伝わらなかったり擦れ違ったり…家族への思いは時として複雑なものさ。私はそのことを一番よく知っているからね」

 

「そういえば、ミカさんのご家族は?」

 

零の言葉に、ミカの体がびくりと震え、波と風の音だけがその場に響く。零はミカの様子に、悪い事を聞いてしまったかと慌てるが、そんな零にミカは首を振り、ゆっくりと話し始める。

 

「私の生家は、代々戦車道が盛んな家でね。今は私の伯母が総代を務めているんだ」

 

「母と伯母の仲は良かった。だけど、厄介な取り巻きや分家が巻き起こしたお定まりの下らない跡目争いに必然的に巻き込まれて、結局母と私が破門され家を追われる事になってね……」

 

ミカは、漆黒の太平洋を見つめたまま話し続ける。

 

「大人って馬鹿だね、戦車道には、人生の大切な事が全て詰まっている。だけど、それを一番良く知っている筈の人達が、一番それを良く分かってはいないんだ」

 

零は自分を後ろ抱きしているミカの腕がぎゅっと強くなるのを感じる、辺りには変わらず静かな波の音だけが響いている。

 

「ミカさんは…伯母さん達を恨んでいるんですか…?」

 

腰に回されたミカの手にそっと触れながら、零はミカに聞きづらい事を聞かなければならなかった。もしかすると、ミカの母が総代となり、その後継者の座にはミカが就いていた未来があったかもしれない。それが失われた事を、ミカ自身はどう受け止めているのかが知りたかった。

 

「私の伯母と、その後継者の娘は完璧な存在だからね。私ではどう足掻いても太刀打ち出来ない程に……だからいずれこうなる事は、子供ながらに分かっていた。伯母達を恨みに思う気持ちなんて更々無いよ。跡目争いなんて下らない大人同士で好きにやっていればいい、そうして勝手に自滅すればいいと今でも思っている。だけど、破門され異端の烙印を押されようとも、私には戦車道を諦める事が出来なかった。だから、強くなりたかった。私達を否定した、あの家の大人達を見返してやれる程に…」

 

耳元で囁かれる、普段のミカからは想像出来ないような怒気を孕んだ低い声色に、零はぞくりとした悪寒を覚える。

 

「おかしいだろう?大垣さん。私は自分の存在価値を、戦車道でしか見出せないんだ。戦車道しかない、空虚な人間なんだよ」

 

「それは違います!」

 

零は意を決して、自身を後ろ抱きしているミカに、体を回して正面から向き合う。突然の大声に目を丸くしているミカに、零は語り始める。

 

「わ、私はミカさんの事をまだ何も知りません。ミカさん自身の事も、お家の事も何も……だけど、私はミカさんの戦車道が大好きです!学園長からのお願いで戦車道を始めた時から、ミカさんが継続高校で戦っている試合の映像を何度見返したか数え切れません。とっても格好良くて、まるで鳥が大空を飛んでいるみたいで……戦車でこんな動きが出来るだなんて想像も出来なくて、見ていて胸がすごく熱くなって……」

 

「それに、戦車道だけでもいいじゃないですか!ミカさんみたいに何か一つ、自分だけの誰も持っていない宝物を見つけている人は本当に凄いと思います。私はいつも途中で諦めて、聞き分けばかりが良い人間だったから…… それに、アキさんやミッコさんみたいな、素晴らしい仲間がいる人が、そんなか空っぽな人間な訳が無いです!」

 

しん と静寂が流れる。零は一気に喋ってしまい、口の中がカラカラになっている事に気が付く。その上気持ちがいっぱいいっぱいに昂ってしまって目端にうっすら涙が浮かんでしまっていた。ミカはミカで、目をぱちくりさせながら何も話さず零を見つめている。そんな様子に、零は何だか急に恥ずかしさが込み上げてきた。

 

「す、すみませんミカさん。今のは忘れて下さい……わぶっ!」

 

零は突然、自分の顔が柔らかい何かに包まれて驚く。

 

「零、ありがとう すごく嬉しいよ」

 

ミカは零を思わず強く抱きしめていた。突然曝け出した自分の過去と、隠したかった弱さ。それを目の前の少女は受け止め、嘘偽りの無いあるがままの自分の気持ちを返してくれた。それがミカにとって、何よりも嬉しかった。

 

「赤心を推して人の腹中に置く…か」

 

脳裏を過るのは、かつて伯母から人生に於いて大事な事だと聞かされていた言葉。こんな時に思い出すとは皮肉なものだと思う。しかし、今はその言葉の意味が、とても愛しく感じられていた。

 

「ミカ~レイ~ どうしたんだよ、早くモノポリーやろうよ~ って……」

 

と、そこになかなかベランダに出たまま戻って来ない二人を呼びに、ミッコがベランダに出てきたが、突然の事に離れる事も出来ず、ミッコと目が合ったまましばらく静寂が流れる。

 

「あーミカ!自分だけずるい! 私もー!」

 

「ミ、ミッコさん落ち着いて、これは…へぐっ!」

 

突然ミッコから、大型犬が飛びついてくるような強烈な抱き着きタックルを食らってしまい、零は肺の中の空気が全部出てしまいそうになる。

 

「ミッコ! わ、私も!」

 

「あ、アキさんもちょっと待って…」

 

それを見ていたアキも、熱気に当てられてか一緒に抱き着いてきた。

 

「ふふ 全く、零は人気者だね」

 

ミカはミカで、にこにこ微笑みながら胸元で零をがっちりホールドしたまま離してくれいない。こうして零と三人の賑やかな夜はさらに更けて行く。

 

「ごらんよ零、今夜も月が綺麗だね」

 

薄くかかっていた雲が晴れて、綺麗な三日月が四人と漆黒の海を照らす。月の光がまるで一筋の道のように、水平線の彼方まで照らしていた。

 

 

翌日、しまなみの戦車道演習場を一両の戦車が猛烈なスピードで走り回っていた。徹底的に整備されたV型12気筒液冷ガソリンエンジンがもたらす高速性を活かした戦車離れしたトップスピードからの急旋回、トップヘビーな構造が災いし、旋回Gで車体の片側が持ち上がるが操縦手の驚異的なバランス感覚で片輪走行でコーナーを駆け抜ける。その様子をしまなみの生徒達はドローンから送られて来る映像で固唾を飲んで見守る。

 

「すごい……何なの今のコーナリング」

 

「か、片輪持ち上げながら走ってたね。見ていてぞくぞくするねむっちゃん」

 

映像を見て、隊長車の操縦手を務める陸奥原と、装填・無線担当の紅城は思わず息を呑む。継続高校隊長車の曲乗りのような戦い方はⅠ号戦車での稽古で体感していたが、BT-42突撃砲で見せる走りは常識を遥かに超えたものだった。

 

「アクセルワークも凄い、ミッコは本当にエンジンの使いどころをよく分かってる。正にフライングフィン」

 

エンジンの整備を担当したマルティーナも、エンジン音を聞きながら感服したように呟く。パワーアップしたエンジンが路面を捉え猛烈なダッシュを決め、履帯を外したクリスティー式サスペンションの本領を発揮し、演習場をまるでジムカーナマシンの如く縦横無尽に駆け回り、チェックポイントに用意された標的に次々と砲弾を命中させていく。

 

「初弾で全て命中なんて……アキさん一体何者なの?」

 

「只者では無いのは確かだな」

 

目の前で繰り広げられるBT-42の暴れっぷりに、主砲と砲塔の整備を担当した室町も、そして整備チーフの長原も言葉を失う。

そうして全ての標的に命中させた所で、零達しまなみの履修生達の元にミカ達が帰ってきた。

 

「どうでしたか?ミッコさん?」

 

零は恐る恐るミッコに自分達が整備したBT-42のファーストインプレッションを聞く。戦車は操縦手の分身と言っても過言では無く、整備によっては整備前の状態よりしっくりこなかったり、「前の方が良かった」という印象を持たれるのが整備を行う立場からすると非常にものすごくこたえるからだ。戦車から降りて来たミッコは無言で零の顔を見つめる。

 

「どうかって……? レイ、最高だよ!!」

 

満面に喜色を浮かべて、ミッコが零に抱き着き喜びを表す。見当違いな整備を行っていないか内心物凄く不安だった零はミッコの様子を見て心から安堵していた。そして同じく、履修生達も皆ほっと胸を撫でおろす。

 

「すごいよ零さんこの主砲!砲弾が吸い込まれるみたいに目標へ飛んでいくの!室町さん天才!」

 

アキもアキで、砲身を交換し、可動部の精度を徹底的に調整した主砲と砲塔の仕上がり具合に満足した様子である。整備の成否は嬉しそうなアキとミッコ、二人の表情と言葉から見て取れた。そうしてはしゃぐ二人に整備チーフの長原をはじめ、主砲の整備を担当した室町、エンジンを担当したマルティーナ達が整備の内容を説明し、実際に乗車してのインプレを聞き出す。今晩中に細かな調整を行えば、明日のミカ達の下船までにBT-42の完成が間に合いそうだ。

 

「良かったね、ミカ! しまなみの皆にお願いして! …ミカ?」

 

BT-42の車体の上で、返事も無く一人遠くを見つめているミカをアキは不思議そうに見つめる。

 

「まだだ、まだ足りない……」 

 

「ど、どうしたのミカ? なんだか変だよ?」

 

心ここにあらずな様子で、何かを呟いているミカに心配そうにアキが尋ねる。

 

「零!」

 

ミカが零の名を呼び、くるりと振り返る。ミカの背には晩夏の澄みきった青空が広がり、継続高校の空色のジャージと相まって、まるでミカが空に溶け込んでいるように見える。そして、吸い込まれそうな瞳を零に向け、ミカが告げる。

 

 

「しまなみ女子工業学園戦車道隊長、大垣零。貴女に、決闘を申し込むよ」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三・五話

 とある学園艦の穏やかな昼下がり。幾分か暑さの和らいだ風が吹く戦車道専用の演習場に、二両の戦車が距離を隔てて相対し停まっている。しまなみ女子工業学園と、継続高校の戦車道隊長の一対一の決闘を前に、まるでおとぎ話の靴を作る妖精のように戦車道履修生達が戦車の周りに集い、せっせと整備作業を行っていた。

 

「ふぅ…これでよしっ 龍子、履帯の整備完了よ」

 

「了解、ありがとルイーズ」

 

 しまなみの隊長車・キキョウチームの軽戦車 strv m/40Lでは、ARL44を駆るカトレアチームのメンバーが足回りの整備を行っていた。試合では主にフラッグ車と車両管制の重責を担い、電子情報工学科所属で普段は車両データーの分析等が役割の彼女達であるが、しまなみの戦車の中で、最も足回りの整備に気を使う必要があるフランスが誇る重戦車・ARL44に乗っている事もあり、他のチームより足回りの整備に関して一日の長がある。それに加え車長のルイーズが、目下ライバルであり親友でもある、M15/42中戦車・アマリリスチームの車長マルティーナや、Ⅳ号突撃砲・クローバーチームの車長ベアトリーセに整備技術で水を空けられている事に若干の焦りを感じており、零にいい所を見せたいというルイーズ自身の可愛らしい願いもあって、これまで以上に勉強熱心に整備を手伝うようになっていた。

 

「それにしても、決闘だなんて…… 全く妙な事を引き受けたものね」

 

 自身が整備したstrv m/40Lの履帯を撫でながらルイーズが話す。しまなみ女子工業学園・戦車道隊長の大垣零と、継続高校戦車道隊長のミカの決闘。その開始時刻までに戦車を完璧な状態にする為、彼女達は一丸となって整備を急いでいた。

 

「確かにそうかも。試合中の一騎打ちならまだしも、最初から一対一の決闘なんて私達には経験無いし…… それに、相手はあの継続のミカさん。昔のアニメじゃないけど、なんだかデカい白イタチに立ち向かう小ネズミになった気分だわ」

 

 陸奥原も、少し苦笑いのような表情を浮かべつつルイーズに返す。整備を終えたBT-42のテスト走行から帰って来たミカからの突然の決闘の申し出、操縦手のミッコや砲手のアキは世話になった零との決闘に強く反対したが、その零がミカの申し出を引き受けた事で渋々引き下がったのだった。

 

「ぷふっ、イタチとネズミか。それはいいわね でも……実際の所、勝算はあるの? さっきのテスト走行を見ていたけど、人間が操ってるとはとても思えない走りっぷりだったわ」

 

 曇天と、逆巻く荒波をバックに立ちはだかるイタチの着ぐるみを着たミカ達に、これまたネズミの着ぐるみを着た零・陸奥原・紅城の三人が立ち向かっていく可愛らしい姿を想像し、ルイーズは思わず吹き出す。しかし、笑い事では無くこれから零達が戦うのは掛け値なしの強敵である。稽古の際に乗っていたⅠ号戦車C型を遥かに凌駕する機動を見せていたBT-42の暴れっぷりは、履修生達にこの決闘の勝敗の行方を不安にさせるのに十分なものだった。

 

「普通に考えれば、勝算なんてまず無いわね。だけど、零が買った喧嘩だもの。初めから負ける気で勝負を受ける馬鹿はいないし、零だって無様に負ける気は無い筈よ。それに、自分達の庭であんな走りを見せ付けられたらお返しするのが礼儀ってもんでしょ? 私も、零と烈華が最高の仕事が出来る様に脳味噌振り絞って全力でミカさん達に挑んでやるわ」

 

 そう話す陸奥原から、闘志が漲ってくるのをルイーズは感じる。彼女達キキョウチームの乗員は、初めての大洗での練習試合で今年の全国大会を制した西住みほと一対一の大立ち回りを演じ、更に強襲戦車競技・タンカスロンで最強の名を欲しいままにするボンプル高校・隊長のヤイカと、そして決勝では西住みほと再び一騎打ちを戦った。そんな彼女達があの継続のミカを相手にどんな戦いをするのか、ルイーズは無性に楽しみな気持ちが込み上げて来た。

 

「そう、ならばとびっきりいい勝負を。タフな戦いになるでしょうけど、無理しちゃ駄目よ」

 

 ルイーズは陸奥原にそう言い、右の拳を突き出す。

 

「お気遣いありがと、任せておいて」

 

 陸奥原も右の拳を差し出し、互いに拳を突き合わせる。

 

 

「陸奥原さん、データーロガーの動作チェック完了です」

 

 strv m/40Lに取り付けられた車両観測機器のチェックを終えたⅣ号突撃砲・クローバーチーム車長のベアトリーセが砲塔からひょっこり顔を出して陸奥原に報告する。元ドイツ国家代表戦車道ジュニアユースチーム隊長の彼女はこの手の電子機器の扱いに慣れており、朝飯前の作業である。

 今日の戦車道では、車両に観測機器を取り付けて、車両と動力系、そして乗員のリアルタイムデーターを監視・記録する機械の導入が進んでいる。レーシングカーや競技用バイクでは一般的な用品であるが、職人気質や経験を重んじる若干保守的な雰囲気が漂う戦車道の世界でも導入は進んでおり、しまなみもその例外では無く、校内での訓練や練習試合の際は取り付けて活用している。

 

「龍ちゃ~ん、砲弾も積み込み完了だよ」

 

 その後ろから、またまたひょっこり顔を出して隊長車の装填・無線手を務めている紅城烈華が砲弾積み込み完了の報告をする。戦車道を始めた当初は砲弾の重さと、絶え間無い装填作業のあまりに過酷な重労働にひんひん泣きを入れていた彼女であるが、日々のトレーニングと持ち前の強い体幹が功を奏し、今ではしまなみ随一の装填速度を誇る装填手に育っていた。車長と砲手を担う零が得意としている敵戦車の重装甲を貫くスポットバーストショットは、彼女による高速装填無しでは成り立たないのだ。

 

「ふぅ、実弾使用なんて久々でぞくぞくしちゃうな」

 

 艦上での訓練では主に訓練用の演習弾を使用しており、ほんの数週間程前まで実弾を撃って全国大会を戦った身からすると、一気に実戦の世界に帰って来たという気持ちになり、緊張が湧いてくる。しかし、怖れは無い。同じ戦車に乗る最愛の親友二人と、自身が装填する砲弾で他校の戦車乗り達と戦う高揚感は他の競技では到底味わえないものだった。

 

「戦車道の決闘は実弾でなければ成立しませんから……でも、確かに何処かひゃっとしますね」

 

 ベアトリーセが鈍く光る砲弾を見ながら紅城に話す。

 

「私の分析では、紅城さんの装填速度は他校の装填手のデータと比較しても引けを取らないものです。特に優れた体幹による、車両の動揺にさらされる行進間射撃時が素晴らしい。データがそれを証明しています。これは纏わりつくような超接近戦を得意とする継続高校隊長車との戦いに有利に働く筈です」

 

 戦車が持つ高速性能を活かした一撃離脱と、接近戦を巧みに使い分けるミカの技は、これまでのⅠ号戦車C型での稽古の中で嫌という程味わって来た。更に今回は最高の整備状態にあるBT-42という、最高の軍馬に乗るミカ達と戦う事になる。ベアトリーセは装填手という役割を担う紅城に、自身が分析したデーターに基づく彼女の強みを伝える。自分自身のストロングポイントというものは、本人は中々気が付かない。だからこそこうして面と向かって本人に伝える事が大切だとベアトリーセは考えていた。

 

「へっへっへ~ ベアトリーセ先生から褒められちゃった♪ お任せ下さいませ! 必ず私の力で零ちゃんと龍ちゃんを勝利に導いて見せます!」

 

 誉め言葉にすぐ調子に乗ってベアトリーセの言葉にふんすと胸を張りながら自信満々に応える紅城に、ベアトリーセは少し冷や汗をかく。楽天的なのに努力家な所が彼女の良い点であるが、反面慢心しやすいのが悪い点だと感じていた。

 

「と、とにかく冷静に落ち着いて! 勝利とはそれを確信した瞬間に敗北に変わるものです。くれぐれも油断と怪我をしないように」

 

「おっとっと、そうだった…… ベアトリーセさん、アドバイスありがとう」

 

 ベアトリーセの言葉に、冷静さを取り戻した紅城を見て、表情がコロコロ変わって可愛らしいなとベアトリーセは感じる。この紅城の天真爛漫な所が、自分達履修生だけでなく、学園の生徒達を魅了するのだろう。

 

「困難な戦いが予想されます。ですが、どうかご武運を」

 

「了解! ジャイアントキリング、期待しててね!」

 

 そう言って差し出されたベアトリーセの手を紅城はぎゅっと握り返す。自分達の戦車を、チームの皆が最高の状態に仕上げてくれた。後は自分達が最高の仕事をするだけだと紅城は意気込む。

 

 

 

 その頃、距離を挟んで向かい側に陣取り整備を続けているBT-42も、同じように多くのしまなみの生徒達が整備を急いでいた。先程のテスト走行でのミカ達三人から得られたインプレッションを元に、しまなみの車両整備チーフを務める五式中戦車・ウメチーム車長の長原門野の指示でてきぱきと整備が行われていく。

 

「ミッコさん、テスト走行後の話にあった装輪走行時のコーナリングのキレは改善の為に第一転輪を調整してみた。これでなんとかアジャストさせてみてくれ。それと、クラッチは要望通りに調節したから違和感があるようなら言って欲しい」

 

「ん ありがと、カドノ」

 

 長原の説明を聞いて兎のような軽やかさでミッコがBT-42に飛び乗る。そうして操縦席に座り、クラッチと操縦桿の具合を確かめる。左足でクラッチを踏み込み、シフトレバーを操る。そして操縦桿を握りこむ。滑らかに繋がれるギアと、装輪走行用のハンドルの滑らかなタッチにミッコは長原にウィンクしながら頷きかける。

 

「アキさん、主砲の旋回ハンドルは少し固めに調節しておきました。こんな感じでいかがでしょうか?」

 

「室町さんありがとう、どれどれ~ うん、しっくり来ていい感じ!」

 

 テスト走行の際に主砲の旋回・俯仰ハンドルが悪くはないのだが、滑らかに動き過ぎだった為、アキのリクエストで少し回し応えのある感触にセットされている。いくら以前よりも動作が改善されても、それを操る人間の意に沿わない結果では本末転倒である。それ故、BT-42の整備を行っているしまなみの履修生達は乗り手とのコミュニケーションを取りながら慎重に、レーシングドライバーとメカニックのようにマンツーマンで作業を進めていた。

 

「ミカさん、エンジンに関しては遠慮は要らない。明日の皆さんの下船までに改善と整備の為のデーターを取っておきたいから思いっきりぶん回してもらって大丈夫」

 

「ありがとう、ビアンケッティさん。折角整備してもらったのに、なんだか申し訳ないね。それに、零にも……」

 

 BT-42のエンジン整備を零と共に担当したマルティーナから車両全体とエンジンに関する説明を受けながら、ミカが申し訳無さそうに話す。彼女達はこの二日間、大洗でのエキシビションマッチを控えた身でありながら、急にやって来た異邦人の戦車を、自分達の戦車以上の愛着と誠意を持って整備してくれている。これからそんな彼女達の主と、彼女達が整備したBT-42で戦うのだ。

 

「ミカさん、さっきも言ったけど遠慮しないで。ミカさん達は私達に慣れない戦車で戦車道の稽古を親身になって叩き込んでくれた。私達は尽くすばかりが取り柄の人間じゃないし、受けた恩義に少しでも報いたいだけ。私達はミカさんが思う以上の沢山のものをミカさん達から頂いているの。この決闘で戦車が壊れたとしても、私達が更に良くして直して見せる」

 

 マルティーナがミカの眼を真っ直ぐ見据えながら続ける。

 

「それに…… ミカさんが零に決闘を申し込んでくれたのがとても嬉しいの。私達の隊長に、あの継続のミカが決闘を申し込んだなんて凄く誇りに思う。きっとミカさんも、零との戦いで何かが得られると思ったから決闘を申し込んだ筈。だから、心置きなく思う存分に戦って欲しい」

 

 全てを言い終えマルティーナが静かに右手を差し出す。

 

「まいったね…… ビアンケッティさん、皆の気持ち有難く頂くよ。君たちの主と戦える事を私も誇りに思う。皆の真心に恥じない戦いをする事を誓うよ」

 

 ミカは少し帽子を目深に被りながら、マルティーナの手を握り返す。その手は日々の整備で少し荒れていて、彼女達が自分達の戦車にどれだけの労力を注いでくれたのかを物語っていた。

 

「ミカさん、準備は全て完了した 良い戦いを」

 

「こちらも同じくです、どうかご武運を」

 

 いつの間にか、長原と室町がミカの傍まで来ていた。しまなみの履修生達は、こんな時まで敵の武運を祈る。お人好しとも言える、分け隔て無いしまなみの履修生達の戦いへの心構えがミカは大好きだった。そして、愛器のカンテレを手に取りミカは空を見上げる。澄み切った晩夏の夏空が、最高の舞台に華を添えていた。

 

 

 その頃、strv m/40Lも整備が完了し、零達三人もパンツァージャケットを身に着け、装具に不備が無いか最終チェックを行っていた。

 

「隊長、ボディーアーマーを着けるからこっち向いて」

 

「う、うん よろしくね音森さん」

 

 零のボディーアーマーを、映像記録用の高機動ドローンの起動設定を終えたⅣ号突撃砲・ドクダミチーム車長の音森響が手際よく着せていく。零としては一刻も早く戦車の整備に合流したかったのだが、急な実弾使用申請の手続きでてんてこ舞いだった為、結局決闘の開始間近になっての合流になってしまったのだった。

 

「これでよし…… うん、やっぱり隊長はこのボディアーマーがよく似合ってる」

 

 音森が戦装束に身を包んだ零を見てむふーと少し息荒く、満足そうに話す。その言葉を聞いたルイーズやベアトリーセ、先に着用を終えていた陸奥原や紅城も同意を示すようにうんうんと頷いていた。

 

 しまなみでは、パンツァージャケットの上から、万が一の際に胸部を保護する為の特殊カーボン繊維で編まれたボディーアーマーを身に着けている。ちなみにそれは大祝鶴姫が着用していたと今治の大山祇神社に伝承・奉納されている「紺糸裾素懸威銅丸」をモチーフに現代風にデザインされており、鶴姫伝説の大ファンである、しまなみの学園長たっての願いで繊維科の生徒達が総力を挙げて作り上げた逸品である。

 

「零隊長!」

 

 溌剌とした声で呼ばれ、零が振り向くと、ソミュアS35を駆るユズリハ・ガーベラチーム車長の朝河潮美と、荒川四葉が立っていた。

 

「こちら一年の皆で作ってみました、宜しければどうぞ!」

 

 そう言って朝河が沢山のおにぎりが入ったバスケットを差し出してくる。そういえば今はお昼、実弾仕様の書類手続きに大忙しだったので気が付かなかったが、もうお腹ぺこぺこだった。

 

「ミカさん達と、長原先輩達にもお渡ししてきました~美味しいほうじ茶も淹れておきましたから先輩どうぞ~」

 

「ありがとう 朝河さん、荒川さん。凄く美味しそう……皆さん!この辺りでお昼にしましょう」

 

 決闘の開始時刻までまだ少し時間があるので、strv m/40Lを整備した皆でのランチタイムが始まった。工具や電子機器を置いた大型テントの下で、皆で談笑しながらお昼を食べるのはいつだって楽しい。決闘を前にした緊張からひと時解放され、穏やかな時間が流れていく。

 

 可愛い後輩達が作ったおにぎりで腹もくちた零は、軽く運動をした後に、strv m/40Lの座席に腰掛けて照準器を調整していた。薬室が空な事をしっかり確認してトリガーに指を掛ける。目を瞑り、精神を集中してミカ達との戦い、そのイメージを脳内に浮かべる。

 

 

「零!」

 

「ふわっ!」

 

 イメトレ真っ最中に不意を突かれて零が驚いて顔を上げると、砲塔のハッチからマルティーナが覗き込んでいた。

 

「ま、マルティーナ…… どうしたの? BT-42の整備は……」

 

「とっくに終わった ミカさん達とお昼を食べ終わったから、ちょっと顔だけでも出しておこうと思って」

 

 そうしてマルティーナがはいこれと、砲塔のハッチから出て来た零にコーヒーが入ったマグカップを差し出してくる。

 

「あ、ありがとう」

 

 そう言って零がマグカップを受け取り、口を付ける。少し濃い目に抽出されているそれは、程良い温かさと豊かな香気で零を満ち足りた気持ちにさせてくれる最高の味だった。マルティーナはコーヒーを淹れるのが本当に上手い、そういえば自分が大洗との決勝戦を前にして悩んでいた時も、こんな事があったなと零はふと思い出す。 

 

「零…… あなたもしかして、弾を何処に撃ち込んだらいいかな~ なんてつまらない事で悩んでるんじゃない?」

 

 マルティーナの言葉に零はぎくりとする。ミカ達のBT-42は、機械科所属の履修生が精魂込めて整備を行っており、特に足回りは長原達のチームが、主砲と砲塔回りは室町達のチームが最高の状態に仕上げている。それ故に、あだやおろそかに砲弾を撃ち込めないという妙な悩みに零は直面していた。

 

「い、いやだな マルティーナさん そんな事無いです よ」

 

 どこかぎこちなく返事をする零を見て、なんだ図星かとマルティーナはため息をつき、軽く頭をかく。

 

「だから門野も椿も私も気にしてないのに…… 変な所でミカさんと似たような事考えるんだから」

 

 零に聞こえない程の声でマルティーナが一人ごちる。整備を行った側からすると整備した戦車で思う存分戦って欲しいと思うし、武人の蛮用なんて承知の上なのだが、大一番でもなかなか義理堅さが抜けないのが戦車乗りというものなのかもしれない。

 

「零、私達の事は心配しないで大丈夫 ミカさんは貴女との戦いを心待ちにしてる。だから、今は一人の戦車乗りとして、貴女の使命を果たす事に集中して」

 

 諭すような声で、マルティーナが零の眼を見据えて話す。

 

「マルティーナ、私の使命って何?」

 

 零がふと、どこと無く不安そうな表情でマルティーナに問う。ミカからの決闘の申し出を、零は逃げる事無く潔く受けた。だが、零に逃げ場は無い。ミカとの決闘で、どんなに無様な血祭りにあげられたとしても、決闘を受けた以上はその結果を一身で受け止めなければならないのだ。

 

「そうね…… 勝利だけじゃない、もっと大きなものを掴んで私達の所に帰ってくる事」

 

 マルティーナが優しく微笑みながら零に返す。

 

「なーんてね、格好つけてみたけど様にならないかな」

 

 柄にも無い事言うものじゃないと、マルティーナが頬をかきながら照れ臭そうに笑う。

 

 「私達も貴女と一緒に戦いたかったけど、ミカさんから御指名がかからなかったから我慢する。先輩に胸を借りるつもりで…… 零、思いっきり楽しんできて」

 

「うん…… ありがとう、マルティーナ」

 

 零とマルティーナが互いに握手を交わす。零の表情には、最早憂いや怖れは無い。

 

「それから、BT-42のエンジンに二、三発ぶち込んでも私は文句は言わないからだいじょうぶ…… やっぱり訂正、整備が大変だから一発で仕留めて」

 

「な、なんとか善処します」

 

継続のミカを一発で仕留めろというマルティーナの無茶振りに、零も冷や汗をかきながら答える。

 

「もう、二人とも何をしているの? もうすぐ時間なんだから早く準備なさい!」

 

「はいはい ルイーズったら、零の事になるとすぐヤキモチ焼くんだから」

 

 マルティーナの軽口にルイーズがお黙り!と返す、まるで鶏の喧嘩のような賑やかな様子に零は思わず笑ってしまう。

 

 

 いよいよ決闘の開始時刻が迫る。

 

 

 しまなみの戦車道訓練場に二両の戦車が向かい合う。その前には、零、陸奥原、紅城の三人と、ミカとアキ、そしてミッコが互いに向き合って並んでいた。

 

 その中央には、クローバーチームのⅣ号突撃砲が鎮座し、まるで格闘技のレフェリーのように静かに睨みを利かせている。

 

「車長は前へ!」

 

この決闘の立会人を務めるベアトリーセの声で、ミカと零が前に歩み出す。

 

戦車道を始めてから、膨大な量の過去の戦車道の試合の記録映像を見て来た。

 

 零は継続高校の戦いが大好きだった。所謂四強校の中でも頭一つ抜きん出る黒森峰女学園やプラウダ高校の、西住まほとカチューシャという高校戦車道きっての剛勇の将が統べる猛者達を知恵で翻弄し、技量で圧倒し、連携で魅せる戦いを繰り広げていた。

 

 特に名勝負と名高い継続高校と黒森峰の練習試合では、現在の大学選抜チームの中隊長が車長を務めていた隊長車のBT-42と、凄腕の謎の二年生として既に名を馳せていたミカが車長を務めるT-26、それに女房役の如く連れ添うKV-1の三両の絶妙のコンビネーションで黒森峰を翻弄し、あの西住まほが率いる黒森峰を敗北寸前にまで追い込んだ。

 

 一歩、また一歩と、ミカが澄んだ瞳を向け近づいてくる。ミカの周りを舞う風が、まるで妖精のように零の周りを舞い、纏われ、絡め取られそうになる。フィンランドの叙事詩「カレワラ」に登場する、乙女の精霊であり、大気の女神 「イルマタル」 それが現世に顕現すれば、こんな人型になるのかもしれないとミカを見て零は思う。

 

「すごい…… 向こうは風が逆に吹いている……」

 

 ミカから発せられる殺気とも、覇風ともつかない形容し難いものを感じ取り、零の後ろで控える陸奥原が呟く。Ⅰ号戦車での稽古の際には無かった、澄み切った、冬の大気のような凄烈な冷たさを思わせるような風だった。

 

「これより、継続高校戦車道隊長と、しまなみ女子工業学園戦車道隊長の決闘を執り行います! 立会人は私、ベアトリーセ・メルダースが務めます 双方、互いに礼!」

 

 

「よろしくお願いします!」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 

脱いだチューリップハットを胸に当て、ミカが零にふわりと挨拶を返す。そうして、ベアトリーセから決闘に関する説明や、注意事項の説明を受け、後はミカと零が握手を交わせば決闘の成立となる。

 

「零、決闘の申し出を受けてくれて感謝するよ。こうして貴女と戦える機会を得られた事を嬉しく思う、互いに最高の試合をしよう」

 

「感謝だなんて…… こちらこそ、決闘の申し出を頂き光栄の極みです、ミカさん。敵わずとも、全力で挑ませて頂きます」

 

 零の言葉にミカは、全く零は奥ゆかしいねと微笑み、二人で固く握手を交わす。その様子を見て、日本文化が大好きで、古い邦画にも精通しているマルティーナは、まるで用心棒と座頭市の決闘だと一人ごちる。銃弾も捉えられない俊足と一撃必殺の斬撃で敵を屠る風来の剣豪と、片や相手の一斬りの間に三度斬り付ける居合の達人。BT-42のどんな敵も叩き割る114ミリ榴弾砲と、零と紅城の抜群のコンビネーションが生み出す高速スポットバーストショットを支えて来たstrv m/40Lの37ミリ対戦車砲が業物の日本刀のように夏の陽光を受け鈍く輝いていた。 

 

「それにしても…… パンツァージャケットを身に着けた姿で相まみえるのは初めてだね。私との決闘の為に、一張羅を引っ張り出して来てくれたのかな? 嬉しいよ、零」

 

「わわっ あ、あの ミカさん……?」

 

 ミカがご機嫌な様子で、おもむろに握手で繋いだ手で零を引き寄せ腰に手を回す。ミカのしなやかな指が、まるで捕らえた小鳥を丸呑みする蛇のように零の指を絡め取ろうとする。互いの吐息が肌に感じる程の近さでミカに見つめられ否が応でも鼓動が早くなるのを零は感じていた。

 

「ごほんっ 試合前です、私語は謹んで下さい」

 

 邪な雰囲気に眉間を少しひくつかせながら、怒りの笑みを浮かべるベアトリーセがミカと零を嗜める。ベアトリーセが最上級に怒っている時の様子を見て、零はじんわり額に冷や汗を浮かべる。

 

「ふふ、少し悪戯が過ぎたかな? じゃあね、零 貴女達に雷神ウッコの加護が有らんことを」

 

 ミカがそう言って、いたずらっ子のように笑いながら零を解放する。そうして身を翻し、颯爽とアキとミッコ達の元へ戻っていくミカを零は息をつきながら見送る。ミカの自由奔放な振る舞いに、初めて会った時から翻弄されっぱなしである。だからこそ、試合では一方的に主導権を握られないようにしないと……と零はミカの手の感触が残る手を握り再度気を引き締める。

 

「あらあら、うちの隊長さんは相変わらずモテるわねぇ」

 

「いいなぁ、ミカさん。私も零ちゃんとあんな感じに……」

 

「もうっ 隊長はガードが甘すぎます」

 

 それを見守っていた陸奥原は困ったように頭を抱え、紅城はうっとりと夢想し、ベアトリーセは密やかにミカにヤキモチを焼くのだった。

 

 

 BT-42への乗車を終えたミカ達は車内で静かに決闘の開始を待つ。エンジンのアイドリング音だけが響く沈黙の中、ミカが静かにカンテレを爪弾く。道場破り同然に、タンカスロンや戦車道の草チーム相手に戦うのとは違う、自分達の愛馬を最高の状態に仕上げてくれた恩人達の主と戦うという事に、強く反対していたミッコとアキ。いくらミカの申し込んだ決闘を零が承諾したとはいえ、納得出来ない気持ちが沈黙をより深いものにしていた。

 

「二人とも──「いいよ、ミカ」

 

 ミカが口を開くと同時に、ミッコが声を上げ沈黙を破る。

 

「ミカ以外なら頼まれたって絶対に乗らない勝負だけど、今回だけ付き合う。アキは?」

 

 草切れを咥えて、操縦席でぶっきらぼうに頭の後ろで手を組んでいたミッコが、仰け反るようにして車長席のミカに笑顔を向ける。

 

「恩人の零さんと戦うのは正直すごく嫌……」

 

 少し憂いを帯びた表情だったアキが、言葉を探すように口を開く。

 

「でもね…… もっと、もっと正直に言うと、零さんや、しまなみの皆が一生懸命整備してくれたこの子で、二人と一緒にレイと思いっきり戦ってみたいの! きっとミッコも同じ気持ちだよね」

 

 アキの言葉に、ミッコもバレちゃってたかと、舌をぺろりとだしておどけて見せる。

 

「でもさでもさ!こんなに良くしてくれた大切なお友達と戦いたいだなんて、やっぱり変だよね」

 

 自分の中に渦巻く矛盾した感情に戸惑うアキに、ミカは静かに語り始める。

 

「アキ、それでいいんだよ 人間は矛盾を抱えて、それに折り合いを付けて生きていくものなのさ それに、零と戦いたいという気持ちがあるのは、それはアキに戦車乗りの心があるからなんだよ」

 

「戦車乗りの、心…」

 

 ミカの言葉に、そういうものなの?とアキが返す。

 

「そういうものだよ。戦車で語り合い、強い絆を結ぶのが戦車乗り。人と人は戦車道で、もっと素敵な友達同士になれるんだよ」

 

 珍しくミカが、アキに熱っぽく語り掛ける。

 

「ミカってば、本当に戦車道が大好きなんだね」

 

 アキの言葉に、一瞬ミカはきょとんとして、ちょっと熱くなってしまったかなと照れ臭そうに笑いチューリップハットを少し目深にして、紅が差した顔を隠す。

 

「そうかもしれないね。だけど、戦車道は一人ではできない。アキとミッコが一緒だから好きになれるし、楽しいんだよ」

 

 ミカからの、煽てや偽りの無い正直な気持ちを聞かされて、今度はアキがミカったらもうっと頬を赤く染め手足をばたつかせ、ミッコも同じく照れくさそうに笑って頬を掻く。

 

「へへ、ミカってば嬉しい事いってくれちゃって さーてミカ、レイとどうやって戦う?」

 

ミッコの言葉を合図にしたように、ミカが微笑み、静かにカンテレを爪弾き始める。オーケストラの調音のようなその音色に、車内の空気が一気に戦を前にしたものに変化する。

 

「まずは近接戦闘を意識してがっぷり組んでいこう。零の十八番の高速徹甲弾を駆使した偏差射撃は、中距離以上でとんでもない脅威になるからね。あれをまともにもらったら、こちらも只では済まないよ」

 

「りょーかい 弓使いに近接戦闘で挑むってわけね、面白そう!」

 

 ミッコが承知の意を示すように、上唇をぺろりと舐める。暖気の為にアクセルを踏み込むと、鋭いレスポンスでBT-42のV型12気筒液冷ガソリンエンジンが主の命を待ち侘びる獣のように吠え猛る。

 

「弓の名手はうちにもいるからね アキ、頼りにしているよ」

 

「えへへ ミカ、任せておいて!」

 

 アキも嬉しそうにミカに応える。二人の高い士気を目の当たりにし、ミカは嬉しそうに微笑み、風を感じる為に砲塔から身を乗り出す。太平洋の大海原から吹く潮風が、ミカの頬を優しく撫でる。全ての準備は整った、ミカは静かに開戦の時を待つ。

 

 

 今回の決闘は立会人のベアトリーセの母国、騎士道の国であるドイツの形式で執り行われる。双方が概ね200メートルの距離で相対し、立会人の戦車の号砲を合図に全速力で加速し、ヘッドオンの状態で擦れ違ってから試合開始となる。

 

 ちなみに戦車道の決闘は各国ごとに特色があり、米国では西部劇のような衣装に身を包んで行われるウェスタン風決闘や、どでかいスタジアムで超満員の観客がビールとホットドッグやチーズステーキを片手に観戦するアメリカンスポーツ風決闘などもあったりする。

 

 そして戦車道の決闘の立会人は、格闘技のレフェリーのような役目も担っている。ヒートアップした戦士が相手を傷つけるような行為を行った場合に、試合をストップさせる権利を有しており、最悪の場合は立会人が戦車で実力行使して止めなければならない。常に冷静な目で戦況を見渡し、分析する能力に長けているベアトリーセには正にうってつけの役目だった。

 

 ベアトリーセが懐中時計を片手に試合開始の時刻を待つ。

 

血の気の多い戦車乗り同士の決闘ならば、どう試合をコントロールするかに腐心する所だが、零もミカも相手を傷つけるような事は絶対しないだろうし、その点は心配は無いだろうとベアトリーセは考えていた。それより、継続のミカと、自分の大切な親友であり、愛すべき隊長の零がどんな試合を遂げるのか。大好きなオペラの開演を待つときのように、只々試合開始が待ち遠しく、そわそわしてしまう。

 

試合開始の時刻が迫る。距離を挟んで相対した2両の戦車から、戦を前にした軍馬の嘶きのようなエンジン音が聞こえる。砲塔から身を乗り出した零とミカから、「問題なし」のシグナルランプがベアトリーセに送られる。時計の秒針が、その時を告げようと針を進めていく。

 

「vier…… drei…… zwei…… eins…… Feuer!」

 

 ベアトリーセの合図で、Ⅳ号突撃砲から試合開始の号砲が放たれ、砲声が雷鳴のように演習場に鳴り響く。

 

それを合図に、二両の戦車がゲートから放たれたサラブレッドのように加速を開始した。 

 

 

風を感じながらミカが優しく微笑み、カンテレの調べが戦車の轟音と重なり協奏曲を奏でる。

 

 

「さぁ、白ウサギについておいで 不思議の国のお姫様」

 

 

継続高校戦車道隊長と、しまなみ女子工業学園戦車道隊長の決闘の幕が遂に切って落とされた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話

 雲一つない快晴の、晩夏の太陽が照り付けるしまなみ女子工業学園の戦車道訓練場。陽炎が揺れる地面を猛烈な振動が揺らす。臓腑に響くような内燃機関の咆哮と砲声を響かせながら二両の戦車が、互いに体を絡みつかせる蛇のように車両をくねらせ組み合っていた。BT-42から放たれた砲弾が、strv m/40Lの至近を掠めて着弾し、地表を抉る衝撃と轟音が車内を揺さぶる。

 

「し、至近弾でこれ!? アキさんと椿ちゃん本領発揮し過ぎでしょ!」

 

 放たれた榴弾の威力にstrv m/40Lの装填手と無線手を兼務している紅城が悲鳴を上げる。五式中戦車車長を務める室町椿が整備を担当したBT-42の主砲は砲身命数が尽きていた事もあり、砲身が新造品に換装されている。そして各部品の精度を徹底的に突き詰めて室町が整備した主砲は最高の砲手の元で最高の性能を発揮していた。 

 

「くっ そうはさせない!」

 

 装甲厚の薄い側面を狙って纏わりつくような機動を見せる継続高校隊長車のBT-42に対して、しまなみ女子工業学園隊長車の操縦手の陸奥原が相手の砲手が自車を捉えないよう車両を遷移させる。しかし、尚もBT-42がstrv m/40Lに接近し食い下がる。二両はクリンチを組むように激しく接触し火花が舞い散る。

 

「烈ちゃん、三連射で一気に畳みかけよう!」

 

「あいよ零ちゃん!いくよ!」

 

 操縦手の陸奥原が切り開いた一瞬の隙を見逃さず、車長と砲手を兼務する零がBT-42に照準を合わせる。息を殺し、全神経をこの一瞬に注ぎ込み照準を合わせる。3発の高速徹甲弾によるスポットバーストショットは、射撃時に抜群の集中力を発揮する零と、高速装填を得意とする装填手の紅城との絶妙のコンビネーションが織りなす離れ業である。しかし、BT-42はお見通しだとばかりに車両を避弾経始に優れた角度へ遷移させ危機を脱す。

 

「そんな…二人の連携射撃が見切られるなんて……」

 

 3発の砲弾を受けて、少し車両の速度が緩んだBT-42から距離を取る為、背中に走る殺気を感じながら車両を之字運動させながら陸奥原が呟く。炎天の空の下、二両の死闘が続いていた。

 

 

 車両の高速性能を活かした飛燕の如き一撃離脱と、死神が首を刎ねようと纏わりついてくるような接近戦を交互に使い分け、BT-42は零達を翻弄し続ける。しかも主砲の114ミリ榴弾砲は、まともに食らったら一発で走行不能に陥らされてしまう。高校戦車道きっての、千軍万馬の戦上手を相手に、零達のギリギリの戦いが続く。

 

 テレビゲームであればリセットして、セーブポイントから戦術を組み直して何度も挑戦も出来る。しかし、これは現実の待った無しの決闘。戦いの中で己の戦いを組み上げ、即座に決断し、実行しなければならない。迅速な決断は優れた経験から生まれる。零も短期間とはいえ、練習試合や夏の大会で多くの経験を積んできた。しかし、幼少より戦車道に染まった生き方をして来たミカとは経験と判断力に於いて歴然とした差がある。

 

「でも、だからこそ勝機があるはず」

 

 一騎打ちで勝てる相手ではない事を承知の上で買った喧嘩だが、だからと言って簡単に負ける気は無い。零の眼に再び闘志が宿る。頭の中で揺らめく、負ける理由を否定する為、そして自分達に決闘を挑んでくれた先達に追いつく為、零は全神経を戦いに没頭させる。頼りになる他の車両の仲間達のいない、破格の強敵との自分達だけの一騎打ち。零は自分の経験の無さを逆手に活路を見出そうとしていた。

 

 

 BT-42突撃砲で、零達を翻弄し続けているように見えるミカ達だが、本人達も決して零達を相手に、舐めた戦いをしているつもりは毛頭無い。相手のstrv m/40Lは、決闘の開始から、凄まじい速度でこちらのクセや弱点を分析し、戦いの中で自分達の戦いを進化させている。それはⅠ号戦車C型での稽古での立ち回りとも又違っており、ミカは額に一筋の汗が流れるのを感じる。

 

 

「ミッコ、アキ リズムを上げるよ。付いて来てくれるかい?」

 

 

 ミカの言葉に、操縦手のミッコと装填・砲手のアキは驚く。これまでどんな戦車乗りと戦った時も、ミカがカンテレのリズム上げる事は一度も無かったからだ。静かな湖のように、どんな時でも冷静なミカ。その湖面に波紋を生じさせる存在がこの世にいる事に、ミッコは不思議な高揚を覚え、上唇をぺろりと舐める。

 

 そして、零との決闘を最初は強く拒んでいたミッコだが、今はこの強敵と戦う機会を与えてくれたミカに心から感謝していた。

 

「任せなミカっ! 一気に飛ばすよ!」

 

 ミッコの言葉に口角を上げたミカが、カンテレのリズムを上げる。ミカがつま弾く幾筋もの弦が奏でる調べ、ミッコにはまるでそれがマリオネットの糸のように感じられる。大好きな車長が、自分に何を求めているのか、この愛馬をどう走らせたいのか、言葉は無くとも伝わってくる。

 

「了解ミカ! ミッコも振動もうちょっと少な目でお願い!」

 

相棒のアキもきっと同じだろう。長丁場になるであろう戦いを予感しながら、ミッコは少しでもアキが楽に装填と砲撃に専念出来るよう、車両を猛獣使いのように大胆に、かつ猫を撫でるように丁寧に操る。二両の戦いはまだ始まったばかりだ。

 

 

 

「開幕から凄い戦いね……」

 

 二両のドッグファイトを目の当たりにして、ARL44・カトレアチーム車長のルイーズがほうっと恍惚の溜息をつきながら呟く。

 零のstrv m/40Lと、ミカのBT-42の戦いを、しまなみの履修生達は訓練場から離れたテントで、ドローンから送られてくる映像を通して見守っていた。

 

「実際、継続高校隊長車の戦技は高校戦車道の中でもトップクラスにあります。履帯をパージした装輪走行状態のBT-42の能力をあそこまで引き出せる人間は、私の知る限りあの三人以外には居ません」

 

 映像をモニターで確認しながら、Ⅳ号突撃砲・クローバーチーム車長のベアトリーセが冷静な声で話す。いつも冷静で、分析力と知識量でしまなみを支える彼女の言葉に、履修生達も固唾を飲む。

 

「一撃離脱と、巴戦を交互に使い分けて隊長車を削り取っている……だけど隊長も冷静に車両後部を守って懸命に立ち回っている」

 

 ラップトップパソコンで、二両の戦車に装備された観測機器から送られてくるデーターを分析しながら、Ⅳ号突撃砲・ドクダミチーム車長の音森が静かに話す。

 電子情報工学科の音森やルイーズ、そして船舶工学科所属のベアトリーセ達は今回のBT-42の車両整備では、データ分析といったどちらかと言うと裏方の仕事に回っていた。実際の車両を整備する機械科の履修生達と比べると派手さは無いが、データ分析は今日の車両整備では必須であり、上手く活用すれば熟練の職人芸を超える結果を生み出す事が出来る。BT-42の整備を短期間で完結出来たのも彼女達の功績が非常に大きい。

 

「訓練場も目一杯活用してくれてるネー コース設定頑張って考えた甲斐があったヨ!」

 

 しまなみの戦車道訓練場の全体の設計を任されているM15/42中戦車・オニユリチーム車長のエレナが嬉しそうに話す。建築科所属の彼女達オニユリチームの面々は土木・建築に関して多くの経験があり、特にエレナは母国ブラジルで狩猟が趣味の父親に付き合って、よくハンティングに出掛けていた為、その経験を生かした射線の設定や、障害物・高低差の設定が変化に富んでおり大変に面白く、これはミカ達にも大好評だった。

 

「先輩達、勝てるかしら……」

 

 心配そうに、ソミュアS35・ガーベラチーム車長の荒川が決闘の様子を画面越しに見守る。隊長には今年の全国大会を制覇した西住みほ、そしてタンカスロン最強の名を欲しいままにするボンプル高校隊長のヤイカとの一騎討ちの経験がある。しかし、その隊長をもってしても、苦戦しているのが見て取れた。

 

「大丈夫だ四葉、零隊長達ならきっとやり遂げる だけど、ミカさん達の車両のテンポが更に上がった。このままでは……」

 

 朝河が荒川を励ましながら、二両の戦闘を見守る。先程の超接近戦から、BT-42の速度と機動の鋭さが上がった事を見逃さない。ミカ達も零達の戦いの中で、立ち回りや戦術を最適化し、自らの戦いを進化させている。

 

「零隊長…ミカさん…」

 

 朝河が胸の前で手を握り、両者の健闘を祈る。自分が戦っている時より、手に汗を握っているような状態だが気にしない。両者共に一歩も引かない戦いに心臓の鼓動が高まる。

 

 

 澄んだ晩夏の空の下、二両の死闘が続いていた。

 

 

 ミカは戦いの中で思惟する。生命の本質が生存への闘争であるとすれば、戦車道はそれを体現するものに他ならない。問題解決の連続がその個体を強くし、生き残る為の進化を与える。仲間との一体感、硝煙と砲声に掻き立てられる本能、研ぎ澄まされていく感覚は、他のどんな競技や武道でも己に戦車道を超える充実を与えてはくれなかった。

 

どんなに思想書や哲学書を読み漁っても、どんなに弦楽器に耽溺しても、どんなに旅を続けても。

 

 そんな自分も、勝利に関しては何故か執着が薄い。どんな強敵と戦っても、それは人生の一瞬であり、余韻に浸る事も無かった。積み上げた屍の山を登り、いつかあの戦車の神に愛された存在に辿り着く為の道程に過ぎず、それはどこか諦観にも似た心境だった。

 

 しかし、今日何度も切り結んだ目の前の敵だけは別だった。こちらの手の内を凄まじい速度で学習し、懸命に戦おうと必死に立ち向かってくる。まるで息の合うパートナーと一緒にダンスを舞っているような敵との一体感、その不思議な感覚にミカは恍惚とする。あの小柄な軽戦車の中で、自分が曝け出した弱さも何もかもを受け止めてくれた少女が、あの瞳で自分を見つめている。こんな敵に溺れるような感覚を覚えるのは、ミカにも憶えが無かった。

 

「素晴らしい、素晴らしいよ零 西住姉妹や愛里寿が惚れ込むわけだ…!」

 

 ミカのカンテレの音色が更に鋭さを増す。しかし、アキもミッコもその変化に遅れない。

 

「やばいよ零ちゃん! BTの動きがまた変わった!」

 

 装填手の紅城がBT-42の様子をペリスコープ越しに確認する。スポットバーストショットでは最早ミカを捉えきれないと判断し、眼の良い紅城が索敵を行い、必殺の一撃を狙うべく動いていた。

 

「砲弾も残り三発……もうこれが最後の一撃」

 

 零がポツリと呟く。長時間トリガーを握り続けていた手は、所々皮膚が裂けて血が滲んでいる。長時間スコープを覗いていてもはや疲労の限界といった状態だが、眼はまだ死んでいない。この痛みは一生の名誉だと零は自らを奮い立たせる。

 

「零、正直な所を教えて? 私達がミカさんに勝てる可能性はある?」

「それは……」

 

 操縦手の陸奥原が目線を真っ直ぐ前に向けたまま零に問う。彼女も長時間の戦いで、腕の疲労が蓄積していた。零自身も負ける気は毛頭無いが、単騎のミカの圧倒的な強さに正直翻弄されており、思わず言い淀んでしまう。

 

「零、烈華……最後の一撃、私に任せてくれない?」

 

 陸奥原が零に申し出る。いつも冷静にstrv m/40Lを操り、零をサポートしている彼女だが、今戦っている相手が生半可な相手ではない事と、これまで通りの戦い方では突破口を開けないと感じていた。

 

「龍ちゃん、何かいい策があるの!?」

 

 縋るような眼をして話す紅城に、陸奥原は優しく、だが不敵に微笑む。零は黙って陸奥原の策を聞き、目を通わせながら頷く。この一撃は面白くなる。そう確信して零は陸奥原の策を承諾した。

 

 

 しまなみの戦車道訓練場にある、小高い丘。その上に零達はミカの追撃を受けながら辿り着いていた。地面は砂漠のような砂地で、路面がうねり、まともに戦っては行進間射撃は不可能なような地形である。

 

「上を取ったか……零、君ならどう動くかな?」

 

 これまでの激しい機動とは打って変わって、BT-42が獲物を追い詰めるようにひたひたと間合いを詰めて来る。ここから長距離射撃で装甲の薄い車両上部を狙い撃ちたくなるが、そんな事をすればミカの思う壺である。無駄弾を撃たされて終わるに違いない。トリガーを引きたくなる衝動を堪えて、零は再度深呼吸し、神経を集中させる。零は陸奥原と、そして紅城と頷き合う。

 

「さぁ、行くわよ! 総員肢体保持!」

 

「「了解!!」」

 

 陸奥原の声に、零と紅城が応える。アクセルを限界まで踏み込み、車両を加速させる。Gで車両が軋み、履帯がギチギチと音を立てる。砂地は滑りやすいのが難点だが、strv m/40Lの履帯は吸い付くように砂塵を捉える。ミカ達を捉える為のパーフェクトラインをトレースしながら、陸奥原は操縦桿とアクセルをコントロールさせて車両を疾駆させる。

 

「目標地点まであと50メートル! 零、烈華!射撃準備!」

「りょ、了解!」

「今更だけど、龍ちゃん考える事無茶苦茶だよぉ……」

 

 陸奥原の号令に、零と、そして半泣き状態の紅城か応える。

 

 その頃、ジェットコースターのように坂を駆け下り、猛烈なスピードで突進してくるstrv m/40Lをミカは冷静に分析していた。恐らく摩擦係数の少ない砂地を利用した、高速走行からのドリフトでBT-42の後ろに回り込み、装甲の薄い車両後部を射抜く算段だろう。零達は最後の勝負を掛けてきた、ならばこちらはそれを正面から受け止め、討ち取るまでだ。ミッコがミカの意向を察して、アキの砲撃に最適な角度に車両を遷移させ加速する。ミカは勝利を確信し、また若干の物足りなさを感じていた。

 

「少し残念だよ、零 君の翼はこんなものではないのに……」

 

 高速走行からのドリフトによる側面の回り込みは、このロケーションであれば最高の作戦だろう。しかし、自分はそれ以上の事を、彼女ならきっと成し遂げると期待していたのかもしれない。

 

 その時、ミカは気が付く。

 

 何故零は、決戦の場に得意の行進間射撃を封じるような場所に選んだのか。

 何故こんなにも、路面が隆起した場所を選んだのか。

 何故strv m/40Lはあそこまでの速度で突進してくるのか。

 

「しまっ──」

 

 ミカは総毛立つ、急いでカンテレを操るが最早間に合わない。直後、隆起した路面をカタパルト代わりに、猛烈な速度のstrv m/40Lが空を舞った。舞い起る砂塵の嵐をヴェイパートレイルのように後ろに引きながら、ミカ達が乗るBT-42の回りを、まるで透明な円筒形に沿うように空中で回転する。

 

「まさか、バレルロール!?」

 

 ミッコが驚愕の声を上げる。戦闘機では当たり前の機動だが、今回のそれはフリースタイルのジェットスキー競技の物が近い。海面のうねりを利用して、円筒形を回るようにジェットスキーを一回転させる大技であるが、戦車道でそれをやる人間を見たのは初めてだった。

 砲塔から身を乗り出したミカの頭上を、strv m/40Lが飛び越えていく。その一瞬が、ミカにはスローモーションのように、ゆっくりと時間が流れるように感じる。舞い起る砂塵の一粒一粒が、手を伸ばせば取れてしまうのではと感じる程に。

 

「後ろを……獲ったぁ!」

 

 陸奥原が咆哮し、strv m/40Lが車両後部から綺麗に着地し、BT-42の側面に回り込み背後を急襲する。

 

「むっちゃんが道を開けてくれたよ、零ちゃん!」

「了解!」

 

 眼前の化け物の如き戦車を倒すには、自分達にはこれしかない。零と紅城がスポットバーストショットの体勢を組む。

 

「させるかよ!」

 

 しかしミッコも負けずに、その場でBT-42をスピンターンさせる。スピンターンと、バレルロールという戦車離れした機動を駆使して二両が対峙し、strv m/40Lから放たれる三発の高速徹甲弾の鉄杭と、BT-42から放たれる巨大な榴弾が互いの車両を同時に蹂躙する。

 機関部を撃ち抜かれたBT-42と、砲塔正面に砲弾を食らって派手に一回転し、車両底面を上に向け煙を上げてひっくり返ったstrv m/40Lから同時に白旗が揚がる。

 

 「相討ち……!」

 

 二両の戦いを見守っていたベアトリーセが声を上げ、履修生達があまりの戦いに息を呑む。澄んだ青い空をバックに二両が掲げた白旗が揺らめく。

 

 

 「あ~ぁ、相討ちか~ やられちったな~」

 

 戦を終えたミッコが頭の後ろで腕を組み、操縦席に身を預けて少し悔しそうに、しかし心底満足そうに笑う。

 

 「そうだねミッコ……でも、楽しかったぁ!!」

 

 アキも天使のような笑顔で手足をぱたぱたとバタつかせる。これまでもミカに連れ添って沢山の戦車乗りと戦ってきたが、こんな戦い方をする相手は初めてだった。

 

 「ふふ、まさかこんな策に出るなんてね。本当に君は、大した奴だよ…… 二人とも、怪我は無いかい?」

 「無いよ、ミカ!」「私も!」

 

 半ば強引に自分の我儘な戦に付き合わせてしまった為に、ミカはミッコとアキに怪我が無い事に安堵する。そして二人も、何処か憑き物が取れたような表情をしているミカを見て安心していた。

 

 「あ、ミカ その指……」

 

 「うん?」

 

 ミカはアキの声に、自分の指を見る。最後の一撃を受けた際に力が入り過ぎたのか、カンテレの弦が切れて、指から血がぽたぽたと流れていた。

 

 「おっと、これはいけないね」

 

 ミカは自らの指を唇に当てて、しばし滴る血液を舌で舐めとる。まるで、神話の戦女神が自らの傷を癒しているような妖艶な光景に、ミッコとアキはしばし見とれてしまう。

 

 「ぷはっ……試合中にカンテレの弦を切ってしまったのは初めてだ……」

 

 血が止まり、薄く傷の入った滑らかな自らの指を見つめながら、ミカが呟く。

 

 「ふふ ますます気に入ったよ、零」

 

 微笑むミカの透き通った瞳に、ゆらゆらとした光が灯る。

 

 その眼は、極上の獲物か、はたまた連れ添う番いを見つけた狼の眼に似ていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話

 

 洋上を征く航空母艦のような巨大な艦影を、夕焼けが赤く染め上げる。

 

 艦上の街並みを、赤提灯が賑やかに照らし出し、通りには多くの屋台が軒を連ねている。道行く人々も浴衣を着こみ、夕暮れ時のメインストリートを楽しそうに練り歩いている。

 

 そして、荒々しい戦車の轟音や砲声が止み、風情ある虫の声と、笛や太鼓、スチールドラムが織り成す祭囃子が流れ、穏やかな時が流れていた。

 

 今日はしまなみ女子工業学園学園艦の年に一度の夏祭り。

 

 戦車道も、ラグビーと同じく試合が終わったらノーサイドだ。ミカと零の決闘を終えた後、総出で一先ずの戦車の整備を完了させ、風呂で汗と煤を流し、しまなみの戦車道履修生とミカ達は足取りも軽やかに祭りに繰り出していた。

 

「ミカ! こっちこっち! はやくはやく!」

「わぁ…… なんだかとってもいい雰囲気 ミカ!早くいこう!」

 

 朱色に矢絣柄の浴衣に着替えたミッコと、白い花模様の浴衣に身を包んだアキも、夕闇に浮かぶ風情溢れる祭りの様子に興奮し、ぐいぐいと手を引いてミカを急かす。浴衣も繊維科所属のマルティーナのコーディネートと着付けで大変可愛らしいものになっていた。

 

「おっと ふふ、そんなに急がなくてもお祭りは逃げないよ」

 

 ミカも空色の浴衣に身を包み、からころと下駄の音を響かせながら風流な夏祭りの雰囲気を楽しんでいた。

 

 

 

「アキさん、射的でどちらが多く落とせるか勝負しませんか?」

 

「朝河さん、その挑戦受けて立ちます! ミカ、行ってきていい?」

 

 

「ミッコさん、とっても美味しいジェラート屋さんと、焼きそばの屋台があるんですよ~ 私達と一緒に回ってみません?」

 

「ホント!? ミカ、ヨツバ達と一緒に行って来ていい?」

 

 

「あぁ 私はここで待ってるから、二人とも皆と行っておいで」

 

 

 少し歩き疲れた身を甘味処の軒先の長椅子に預けて、かき氷を食べながら、ミカはしまなみの一年生チームの子達と一緒に、祭りの喧噪の中に消えていくミッコとアキを見送る。どうやら日中の零との決闘で思った以上に消耗したらしく、かき氷の甘さがじんと体に染み渡る。

 

 激しい戦いの後はいつもこうだ。心地よい疲労が身を包み、世界が只々ゆっくり流れていくように感じる。

 

「お疲れ様 ミカさん。隣いいかな?」

 

 聴き慣れた声に顔を上げると、五式中戦車・ウメチーム車長の長原門野が立っていた。彼女もまた、紺色に花模様の浴衣に身を包み、艶やかな髪を整えたその姿は、普段の作業着姿とはまた違う嫋やかさに溢れている。

 

「もちろんだよ 門野さん」

 

 ミカがにこりと微笑みながらそう言うと、丁度ミカの隣に長原が腰掛ける。男性のみならず、誰もが思わず視線を持っていかれそうな美姫が二人揃って並ぶ姿はなんとも華がある。そして、注文したかき氷が届き、長原は嬉しそうに満面に喜色を浮かべる。

 

「来た来た、ここのかき氷が美味いんだ。どうやらミカさんもお気に召したようだね」

 

「それはもう、美味しいものには目が無くてね。朝河さん達と食べた焼き鳥も絶品だったよ」

 

「だろう? しまなみは母港が今治だからね、焼き鳥も最高の味なんだ。ん~美味い」

 

 年頃の女の子らしい表情で、わしわしと美味しそうにかき氷を食べる長原を見て、ミカも思わず微笑む。普段はしまなみの戦車道整備チーフとして、技術と規律を持って皆を指揮する頼れる存在の彼女だが、夏祭りの雰囲気に当てられてか屈託のないその姿は、普段とはまた違う魅力がある。

 

 そうして、しばし二人でとりとめのないお喋りを楽しむ。お互いに口数が多い方では無いが、気心が知れるというか妙に気が合う。ミカ達がしまなみに来てから、BT-42の整備チーフを務めた長原と、互いに密度の濃い時間を過ごしてきたミカとの間には、互いを信頼しあえる絆が生まれていた。

 

「ミカさん達のBT-42の整備だが、明日の下船までには完成が間に合いそうだよ。とは言っても、今日の隊長との決闘でのダメージの修復と、転輪のソリッドゴムの交換もあるから夕方頃まで預からせてもらえるかな?」

 

「もちろん大丈夫さ。それにしても…… 零も、ビアンケッティさんも、室町さんも気にしないでいいって言ってくれたけど、私の我儘のせいで要らない仕事を増やしてしまって申し訳ないね」

 

 ミカの言葉に、長原は一瞬きょとんとして、すぐにいやいやと首を横に振りながら答える。

 

「なんのなんの。個性的で面白い戦車だから、私も含めて皆、ついつい整備に熱が入ってしまってね。それに、ミカさんと隊長の決闘を見て、更にヒートアップしてしまったというか、興が乗ったというか…… とにかく、必ず満足してもらえるよう仕上げるから、私達の満足するまで任せてやってくれないか?」

 

 ミカとしても、長原をはじめ、しまなみの履修生達の整備技術の高さはその身をもって知っているので、断る理由などある筈もない。こうなったら彼女達の厚意にとことん甘えるつもりでいた。

 

「それじゃあ戦車の妖精さん達に甘えさせてもらおうかな 門野さんにはお礼に白玉をあげよう」

 

 戯れにミカが、かき氷に乗った白玉団子をスプーンに掬って長原に差し出す。

 

「あぁ、ありがとう。 お、こっちは餡入りなんだ なかなか気が利いてるな」

 

 ミカの戯れに快く応じ、もきゅもきゅと美味しそうに白玉を頬張りながら、長原が嬉しそうに話す。少しマニッシュな印象のある長原は、男性的な言葉遣いや、堂々として気っ風のいい振る舞いも手伝って、なんだか一緒にいると素敵な殿方とデートをしているような気持ちになってしまい、ミカも不覚ながら鼓動が早まる。毛色は違うが、彼女の親玉の零といい、しまなみは自分好みの人間が多くて参ってしまう。

 

「ミカただいま~ 朝河さんと大勝ちして景品いっぱいもらっちゃったよ♪」

 

「ミカさん、アキさんってば凄いんですよ! 射的屋のおじさんが「お嬢ちゃんはシモ・ヘイヘみたいやな!おっちゃん今日は商売上がったりやわ!」って言ってました」

 

「あ、カドノの食べてるかき氷美味しそう!」

 

「ミッコさん、私達も頼んじゃいましょうか~ すみません、注文お願いしま~す」

 

 屋台巡りに出ていたミッコとアキ、それに朝河・荒川達が帰って来て、辺りは一気に賑わいを増していく。

 

「おやおや、皆さんオソロイで~」「門野、カラオケ屋さんの予約済ませといたわよ」

 

 そうこうしている間に、M15/42中戦車・オニユリチーム車長のエレナと、ARL44重戦車・カトレアチーム車長のルイーズも同じ車両のチームメイトを引き連れて合流した。ブラジル出身のエレナは黄色を基調としたヒマワリ柄の浴衣を、フランス出身のルイーズは、深紅の浴衣をまるで舞踏会のドレスのように見事に着こなしていた。

 

「みんなお待たせ~」「やれやれ、みんなの着付けを世話するの骨が折れた……」

 

 江戸紫に菖蒲柄の浴衣を華麗に着こなす五式中戦車・ツバキチーム車長の室町椿と、皆の浴衣をコーディネートしたM15/42中戦車・アマリリスチーム車長のマルティーナも紺藍にアマリリス模様の浴衣を着こなし颯爽と登場した。

 

「うぅ…… 浴衣恥ずかしい、ジャージが恋しい……」「ふふ 響さん、とっても可愛いですよ」

 

 恥ずかしそうに、黒地が引き立つ三日月模様の浴衣を着たⅣ号突撃砲・ドクダミチーム車長の音森響と、同じくⅣ号突撃砲を操るクローバーチームの車長ベアトリーセも、グレー地にヤグルマギク模様の浴衣を纏い、彼女のしとやかさを引き立たせている。

 

「零ちゃん、龍ちゃん こっちこっち!」「ふぅ…… よかった、なんとか間に合ったわね」

 

 しまなみの隊長車、strv m/40L・キキョウチームの無線・装填手の紅城烈華も、紅梅色に撫子模様の浴衣を、操縦手の陸奥原龍子は、藤紫色に牡丹模様の浴衣で、紅城の快活な可愛さと、陸奥原の知的な雰囲気をより魅力的なものに見せている。

 

「遅れてごめんね、みんな。生徒会の書類を片付けるのに時間がかかっちゃって……」

 

 そして、白地に薄くアクセントの藍色の波千鳥模様が描かれた浴衣を身にまとい、零がミカ達の前に姿を現した。本人の希望もあって、華美さをなるべく抑えた色合いとデザインのものであるが、浴衣の着付けを手伝った室町とマルティーナのコーディネート技術と、無自覚ながら本人の素材の良さもあり、はんなりと麗しい仕上がりになっていた。

 

「どうだい、ミカさん? なかなかのものだろう、うちの隊長は……」

 

「うん…… うん、そうだね 門野さん」

 

 長原の問い掛けに、零を見たまま、ぽーっと譫言のようにミカは返事を返し、アキとミッコも大はしゃぎで零の浴衣姿を褒めまくる。コーディネートの成否は皆の反応を見れば明らかだったので、室町とマルティーナもハイファイブで成功の喜びを分かち合う。

 

「お疲れ様です、ミカさん わぁ……浴衣姿、とっても綺麗でよく似合ってますね」

 

 零がミカに駆け寄って嬉しそうに、上気した表情でミカに話しかける。先刻までの決闘で、自らが全身全霊を掛けて戦った戦車乗りは、目の前に立つ、心優しく可憐な少女だった。あの激しい戦いを思い出すと今でも背筋がぞくぞくと戦慄く。なんだか現実感が伴わず頭が朦朧としてしまう。

 

「あ、あの どうかしましたか? ミカさん?」

 

「うん? あぁ、ごめんよレイ お褒めの言葉ありがとう。零も似合ってるよ」

 

 いつもは零をペースを乱すような言動で翻弄してくるミカも、今回ばかりは先手を取られてしまい上手く掛け合いが出来ない。

 

 

 その時、まるで照明弾を上げたように空が猛烈に明るくなり、ミカは空を見上げた。

 

 

 空に、大輪の打ち上げ花火が上がっていた。周りの観客達は待ってましたと手を叩き、歓声を上げる。

 

 

「しまなみは夏祭りの花火に力を入れてるんです 絶対にミカさん達やチームの皆と一緒に観たいと思っていたので、間に合って良かった……」

 

 雲一つない満天の星空に、間隙なく色とりどりの大輪の花が咲き、刹那の光を放ち消えていく。花火は色や種類は様々でも、それぞれが懸命に高みを目指し、放つ光と音で人の心を打つ。花火は自分が燃え散るときの色を知らない。だが、自分だけの渾身の色で咲き、潔き良く散る。そして、もっと高くと遥かな高みを目指す。アキとミッコ、そして苦楽を共にした、新たな友人達と一緒に花火を眺めるミカの心に、様々な思いが去来する。

 

 

「ありがとう 零、そしてみんな 君達と出会えたこの夏を、きっと私は一生忘れないよ」

 

 

 ミカの言葉に、零も少しはにかみながら微笑みを返す。夜空を彩る花火の輝きが零達を照らしだし、新たな思い出を彩っていく。

 

 ミカ達と、しまなみの履修生の一夏の交流に、あと少しで終止符が打たれようとしていた。

 

 

 

「う、ん……」

 

 時間は少し進んで現在時刻は午前三時、心地よいまどろみの中でミカはふと目を覚ました。零との決闘で生じた精神の昂りが、あの「家」での習慣を思い出させたのか。早朝稽古に備えて二時間早く目覚めていた頃を思い出す。

 

 あれから打ち上げ花火が終了した後に、しまなみの履修生達がミカ達の為に準備した送別パーティーに招かれたのだった。パーティー自体は大変楽しいものだったのだが、結局、零・アキ・ミッコと一緒に部屋に戻ったのは真夜中。いかにタフな四人といえども疲労には勝てず、すぐに泥のように眠ってしまったのだった。

 

 とりあえず起きようと、重い瞼をうっすらと開けて、ゆっくり手を動かす。すると、自分が随分と心地の良い抱き枕を抱いている事に気が付いた。

 

「う~ん むにゃ……」

 

 可愛らしい声を漏らす、カーテンから零れる月明かりに照らし出された抱き枕。それは居候先の主 大垣零 だった。

 

 どうやら随分と寝惚けていたのか、零の部屋のベッドに間違えて潜り込んでしまったらしい。

 

「おっと、これはいけないな いや…… うん、とてもいいね」

 

 ベッドから出ようかと思ったが、零と自らの体温で、丁度いい温もりの布団と、薄開きの窓からそよぐ、ひんやりとした夜風が心地よく、どうにも錨を上げる気になれない。折角気持ちよさそうに眠っている部屋の主を起こすのも悪いだろうと、ミカはそのままぽふっと零の胸に顔を埋める。パジャマの生地を通して柔らかな感触と、零の鼓動が伝わってくる。

 

「ふふ、可愛い寝顔だ いいのかな、零 私の前でこんなにも無防備にその身を晒して……」

 

 余程疲れていたのだろう。ミカが零の前髪を優しく、とかすように撫でてやっても、眉根一つ動かさず眠っている。

 

 ほんの半日程前に死闘を戦った相手、自分が獲り逃がした極上の獲物が目の前にいる。

 

 敗北の名誉も、勝利の栄光も、彼女との戦いで得られなかった。無論そんな刹那的な事象に一喜一憂する自分では無い。しかし、それが自分に一太刀浴びせた相手となれば話は別だ。

 

 ミカは零との決闘中に、カンテレの弦で切った自分の指を見る。

 

 カンテレのリズムを久しぶりに上げた。しかも、試合中に弦で指を切ったのも初めてだ。

 

 自分をそれ程までに滾らせた相手が、決闘の大舞台で討ち取れなかった自分を嘲笑うかの如く、純白の浴衣――まるで「死装束」を着て自分の前に現れるなど――獲物を仕留め損ねた自分を愚弄する気持ちなど、零には毛頭無い事は端から承知だ。しかし頭では理解していても、心が掻き乱され追いつかない。

 

 寝起きで理性が暴走気味の頭に、幼い時に読んだ北欧の寓話の、飢えた狼の言葉が過る。

 

 ――なぁ鹿さん、君の豊かな肉は私の飢えをきっと満たしてくれるだろう。なぁ鹿さん、君の清き血は私の渇きをきっと癒してくれるだろう――私の絶えぬ飢えと渇きは、君の命で満たされる。

 

「ねぇ、零…… 君は知っているかい? 狼は自分を傷つけた獲物は絶対に逃がさない…… そして、地の果てまで追いかけて、その喉笛を喰いちぎるんだ……」

 

 ミカがおもむろに零の首筋を見つめ、顔を近づけていく。

 

「逃してしまった獲物には、マーキングが必要だね……」

 

 自分がこんなにも大胆な事をするとは夢にも思わない。只一つ明確なのは、その衝動に駆られて行動に移すのは思ったよりも簡単だったという事だ。

 

 

「ぷはっ…… ふふっ、零 ――鹿がどうなったかは、またいつか教えてあげるよ」

 

 

 ミカが零の頬を優しく撫でつつ、起こさないように静かに布団から出て、ドアを開けて来客用の寝室に戻っていく。

 

 青い月明かりに照らされた零の白い首筋に、一つの小さな内出血の跡が残っていた。

 

 

 

「おっきろー! ミカ!」 「ぐえっ」

 

 ミッコの得意技「ジャンピングダイブミカ起こし」を強かに食らって、ミカは目を覚ました。時刻はとっくに朝を迎えており、カーテンから燦々と太陽の光が差し込み、外からは長閑にも雀の声まで聞こえる。この学園艦に来てから、相変わらずの平穏な朝を迎えた。

 

「おはようございます! ミカさん!」

 

「なにやってんのよ~ 遅いよミカ」

 

 美味しそうな匂いに誘われ、寝ぼけ眼でミッコに引かれてキッチンに行くと、エプロンを着けて甲斐甲斐しく朝食の準備を行う零とアキが笑顔で迎えてくれた。

 

「お~ すっごく美味しそう! ねえ、レイ! 少し食べてもいい?」

 

 お皿に盛られたご馳走を目にして、ミッコが零に抱き着きながら話しかける。この学園艦に来て以来、ミッコは驚くほど零にべったりになっていた。

 

「ダメだよ、ミッコ レイが困ってるからもう少し我慢しなさい」

 

 それをアキが優しく窘めて、零に助け船を出す。

 

 ミカはアキの零の呼び名が変わっている事に気が付いた。ああ見えて、アキは警戒心が強い。自分とミッコ、そして学園艦の仲間達以外に、名前を呼び捨てにしている人間を見るのは零が初めてだった。

 

「ぶー つまんないの。 ん? レイ、首になんか赤い跡が付いてる……」

 

 ほらここと、ミッコが指で赤い跡を辿ると、零がくすぐったそうに笑いながら身を捩る。蚊にでも刺されたのかなと話すミッコと零を眺めて、ミカの悪戯心が目を覚ます。

 

「ひゃっ ミカさん!?」

 

「ふむ…… 零の血は甘いのかな?」

 

 素知らぬ顔でミカが、赤い跡が残る零の首筋を指で撫で上げる。そうして、かしましくはしゃぐ三人を見ながらアキが「三人ともしょうがないな~」と困ったような、呆れた様子で声を上げる。

 

 ミカは、まるでトリオから「カルテット」だねと声無く一人ごちていた。

 

「んん?――ねぇ、ミカ…… なんか、今日凄くツヤツヤしてない?」

 

 普段よりも妙に肌艶がいいミカを見て、怪しく感じたアキがジト目でじろじろと見てくる。

 

「そ、そうかな? きっとアキのエプロン姿が可愛いせいだね……」

 

 咄嗟に出た煽てにも、怪訝そうな表情を崩さない目聡い相棒をなんとか躱したミカは、「恐るべし、オオガキニウム……」と、杏の言葉を思い出すのだった。

 

 

 そうしていよいよ、しまなみ女子工業学園学園艦が横浜港に入港する時が来た。とは言っても、様々な船で混み合う浦賀水道や東京湾に、巨大な学園艦が何隻も入港する訳にはいかない為、外来の学園艦は相模湾や駿河湾、及びその周辺の洋上で投錨し、物資の補給や整備・乗員の乗り降りは近隣港からの大小の連絡船を介してやりとりされるようになっている。

 

 普段であれば台風が心配な季節であるが、幸い天候は穏やかなもので、しまなみの学園艦入港も無事完了した。先客もあったようで、その中には甲板上ににょっきりと生えた巨大な木が特徴的な、ミカ達の母校、継続高校の学園艦も入港していた。巨大な学園艦が何隻も軒を連ねて停泊している様は正に圧巻である。

 

「お~い! ヨウコ! こっちこっち!」

 

 しまなみ女子工業学園学園艦の小型連絡船用ドックに、一隻の小型船が近づいてきた。上陸用舟艇の特徴的なフォルム、継続高校が使用している年代物の特大発動艇である。ミカ達を見送る為、全員でドックに来ていた戦車道履修生達も、面白い船に出会えてしげしげと珍しそうに眺めており、船舶工学科所属のベアトリーセに至っては興奮を隠せない様子だ。

 

「ヨウコ、出迎えありがとう」

 

 揚陸艇用ドックに驚くほどスムーズに入港し、特大発を操縦していた野球帽を被った継続高校の生徒がこちらへ降りて来た。ミカが礼を言うと、その生徒はミカにハイファイブで応える。

 

「零、紹介するよ。この子は私達のチームメイトのヨウコ。ヨウコ、こちらはしまなみ女子工業学園の生徒会長で、戦車道チーム隊長の大垣零さんだよ」

 

 零が初めましてと握手の手を差し出すと、ヨウコはもじもじと恥ずかしそうに、零の手を握り、よろしく……と小さな声で言ったっきり、ミカの後ろに隠れてしまった。

 

「すまないね、零 ヨウコは凄く恥ずかしがり屋なんだ。さて、早速戦車を載せようか。ヨウコも手伝っておくれ  皆さん、よろしく頼むよ」

 

 ミカの呼びかけを合図に、ミッコがBT-42を操り、道板を降ろした特大発にゆっくりとBT-42を乗せていく。零達も、戦車の重さで特大発のトリムが崩れないように、慎重に誘導する。皆の息はピッタリだった。そうして船倉にラッシングワイヤーで戦車を固定し、荷物を積み込み、これで一先ず安心と零も息を付く。

 

 そういえば、横浜は愛里寿のホームタウンだ。夏の全国大会の後、愛里寿とその母、島田流家元の島田千代に、横浜の街を案内してもらった時の事を思い出し、零は顔を綻ばせる。その二人も、今は大学選抜チームの夏季海外遠征で米国にいる。毎日メールをもらっているが、今頃どうしてるかなと零は思いを巡らす。

 

 

「門野さん、ありがとう 短い間だったけど、本当にお世話になったね」

 

「世話になったのはこちらも同じさ、ミカさん こちらこそありがとう。継続高校との交流試合、楽しみにしているよ」

 

 ドックで許可された滞在時間も一杯になり、ミカと長原が互いに別れの挨拶と、握手を交わす。

 

「零もありがとう エキシビションマッチ、必ず応援に行くよ」

 

「ミカさん、ありがとうございます!  ミッコさんも…… エキシビションマッチ、ぜひ応援に来て下さいね。美味しいご飯を作って待ってますから」

 

「ぐすっ んっ…… ぐすっ ありがとう、レイ…… マルティーナも、みんなもありがとう」

 

 皆でお別れの挨拶をしていた所、突然ミッコがぽろぽろと大粒の涙をこぼして泣き始めてしまった為、零がミッコを抱き締め、頭と背中を撫でて慰める。短い間とは言え、苦楽を共にし、密度の濃い時間を共に過ごしたら情も移る。別れの時はいつもつらいものだ。

 

「アキさん、今度は是非私達も御手合せお願いします。BT-42に乗った、継続のアキの弓の味。楽しみにしています」

 

「こちらこそ、室町さん! 室町さん、そして皆さん 沢山のおもてなし、本当にありがとうございました!」

 

 室町とアキも、新しき友との再会の日を楽しみに、互いの腕を称え、別れの挨拶を行う。最高の鉄砲鍛冶と、最高の砲手の出会いを祝福するように、陽光を浴びたBT-42も光り輝いている。

 

 

「朝河さん…… 交流試合で君と戦える日を楽しみにしているよ」

 

 零の隣に立っていた朝河が、ぐっと喉の奥で息を呑む。ミカのその言葉は、後輩への激励であると同時に、きっと静かな叱咤であると感じる。「お前は成長出来るのか?」と同時に問われているような感覚。だが、零とミカの決闘を目の当りにした朝河に、最早迷いは無い。

 

 朝河は姿勢を正し、顔を上げ、ミカに向き合う。――顔を上げろ、下手でもいいから胸を張れ!零隊長はあの継続のミカとの決闘から逃げなかったんだ!私ももう逃げない! 朝河はそう自分に言い聞かせる。

 

「はい! 私も楽しみにしています、ミカさん この度はご指導ありがとうございました!」

 

 溌剌とした声で、朝河がミカに感謝を込めて最敬礼を行う。良く通る声がドックに響き、彼女を心配していた長原や荒川、そして零も自分を取り戻した朝河に胸を撫で下ろす。

 

「こちらこそ。心配しなくても君はもっと強くなれる、そして素晴らしい仲間達がいるんだ。朝河さん、頑張るんだよ」

 

 ミカの言葉に朝河も「はいっ!」と、張りのある声で応える。いい声だ、この雛鳥はもう大丈夫だろう。きっと自分の翼で風を捉えるようになると、ミカも安堵していた。

 

 

 

「お~い ミカ! 出発するよ!」

 

 いよいよ特大発のエンジンに再び火が入り、ドックにエンジン音が響き渡る。

 

「うん、今行くよミッコ  そうだ、零――」

 

 突然ミカが、一気に間合いを詰めて、零に顔を近づけて来る。まるで忍者のようなミカの鋭い身のこなし、一瞬で眼前にミカの吸い込まれそうな瞳があり、零も意表を突かれ、体が動かず言葉が出ない。

 

「ありがとう 私の「家族」がいつもお世話になっているね……」

 

 零の耳元で、優しく、包まれるような声でミカが囁く。

 それはまるで、優しい姉が、妹と遊んでくれている友達に話すような声色だった。

 

「じゃあね、零 みんな! また会おう!」

 

「あの、待って!ミカさん 「家族」って一体――」

 

 零の問い掛けに答える間も無く、颯爽と駆け出したミカが、アキ達が待つ特大発へと八艘飛びのような大ジャンプで飛び乗る。サーカス顔負けのミカの軽業を目の当りにして、履修生は思わず手を叩く。そして、皆で手を振り、ミカ達を万感の思いで見送るのだった。

 

 

「も~ミカ せっかく学園艦がすぐそこに来てるんだから、しまなみの皆を招待すればいいのに……」

 

 継続高校学園艦への道中、遠くに見えるしまなみの学園艦を眺めながら、アキが不満げに言葉を漏らす。

 

「長い時間が互いの理解を深めるとは限らない、何事もタイミングさ。それに、交流試合の約束も取り付けられたからね。楽しみは後に取っておけばおくほど大きくなるものだよ」

 

 ミカはミカで、ご機嫌な様子で船倉に積まれた米俵に腰掛けてカンテレをつま弾く。しまなみの学園長が「生徒達を稽古でみっちり鍛えて頂いたお礼」にとミカ達へ贈ったもので、他にも愛媛の海の幸・山の幸がどっさり積み込まれている。

 

「新しい友人達が、我が家を訪ねてやって来る…… 皆で盛大におもてなしをしないとね」

 

 にっこり微笑みながら話すミカを見て、アキもそういう事ならと、ため息混じりに同意を示す。

 

「ねえねえ、ヨウコがBT見てびっくりしてたよ。レイ達に自分のも整備してもらいたいってさ」

 

 ミッコが草切れを口元でくゆらせながら、にひひと悪戯が成功した時のような顔で話す。狙撃手は総じて仕事道具に強いプライドとこだわりを持っている。もちろんヨウコもその例外ではない。そんな彼女が、赤の他人達に自車の整備を任せたいと言わせる程の腕前。零達の整備の技が、同じチームの仲間にも認められて、ミカ達はなんだか自分達まで誇らしい気分になってくる。

 

「不思議で面白い風が吹き始めた…… 零、そして皆 再び相まみえる日を楽しみにしているよ」

 

 夕陽を浴び、輝く海原にそびえるしまなみの学園艦を、ミカは微笑みながら見送る。彼女達の思い出も、きっとこの夏の海原のように、心の中で輝き続けるだろう。こうして、風変わりな旅人達と、戦車の妖精達の一夏の交流は、ここに一つの結末を迎えたのだった。

 

 そして、エキシビションマッチ。大洗で総勢六校が激突する一大決戦が始まろうとしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。