Xenoblade2 君とともに歩む未来 (のりたろう)
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第一話 約束
1-1 約束


 ―――神暦4061年。リベラリタス島嶼郡-イヤサキ村。

 

 自宅のソファに腰掛けながら、珍しい人物からの書簡を見て青年は息を漏らした。内容に眉を寄せていると、

 

「お手紙ですか?」

 

と少女の声がした。夕食の片づけを終えて、エプロンを外している少女だ。

 赤いボブカットの髪の毛に、髪の毛と同じ色の赤い瞳を持つ美しい少女。胸に光る翠玉色のコアクリスタルの存在が、彼女が人間ではないことを教えてくれる。

 亜種生命体ーーブレイド。他の生命体と同調することで、コアクリスタルと呼ばれる特別な結晶から彼女達は生まれる。ブレイドと同調したものはドライバーと呼ばれ、ブレイドの持つ固有の武器を手に戦う。ドライバーが死ぬか、コアクリスタルに傷を負うと彼女達はコアクリスタルに戻ってしまう。再び同調すると、それ以前の記憶は失われてしまう。コアクリスタルがある限りブレイドは存在し続ける。それゆえ、不死と言い換えることもできよう。

 そんなブレイドである赤髪の少女――ホムラの声に青年――レックスは顰めていた顔を弛緩させた。

 

「ああ、うん。メレフから依頼状……かな?」

「メレフさんですか? お茶、入れますね」

 

 彼女は久しぶりに聞く名前にキョトンとして、すぐに手を合わせて微笑んで台所へ戻った。慣れた手つきで支度を始める彼女の後ろ姿に、レックスは微笑む。そうして、再び書簡に目を通す。

 

 雲海を周回していた巨神獣が全て大陸に接岸し、所謂新大陸が誕生した。世界樹にいた神――クラウスによって、生み出された新たな世界。レックスが楽園から帰還すると、雲海はなくなり、巨大な大陸とどこまで行っても果てない海が広がっていた。巨神獣の老衰による大地の消失は、これにより心配いらなくなったと言える。

 そうして、アルストが新たな大地を得て三年の月日が経とうとしていた。

 睨み合っていたインヴィディア烈王国とスペルビア帝国、鎖国を敷いていたルクスリア王国は互いに手を取り合い和平を結ばざるを得なかった。新大陸の発見、法王庁からの難民、天の聖杯――メツによる被害。それらの問題を解決するために、各国が各地を走り回った。それは、インヴィディアに拠点を置くレックスが率いる傭兵団も同じだった。

 

 二年経ってようやく落ち着いてきたと思ったら、この事件だ。

 今、各地で起こっているコアクリスタル狩り。肉体を得ているブレイドの胸からコアクリスタルがなくなって、ブレイドはそのまま死体となって発見される。そして、ブレイドの死体のそばには必ず心臓を奪われたドライバーの死体が横たわっていたという。その調査および犯人特定を手伝って欲しい、という依頼だった。

 

「どういった依頼なんです?」

 

 顔を上げるとティーカップを持ったホムラがいた。

 カップを受け取って口をつけると、仄かに甘い香りがした。ホッと息を吐いた。

 

「コアクリスタル狩りだってさ」

 

 レックスはホムラに書状を手渡すと、それを読んだ彼女が顔を顰めた。

 

「そういえば、傭兵団でもありましたよね。それと同じ……?」

「かもしれないね。結局、あれも俺たちで調べたけど何にも分からなかった」

 

 数ヶ月前、依頼に出ていたブレイド二体が何者かに殺されていたのだ。発見したのは、偶々そこを通りがかった商隊の人たちだった。親切な人たちだったから、傭兵団まで教えてくれたけど、そうでなければその事件が発覚するのはもっと遅かったかもしれない。早期にわかったとは言え、発見された遺体は死後一日は経っていたという。

 

 コアクリスタル狩りというのは、さして珍しくない。寧ろ、度々起こってきた事件だった。だから、コアクリスタルを狙う輩がいること自体は、驚くことではない。

 しかしコアクリスタルが奪われて尚、身体が残っているのには違和感があった。通常、ブレイドはコアクリスタルに何らかの損傷を受ければ、肉体を失い色を失ったクリスタルに戻る。

 レックス達を襲った奇怪な事件と、メレフから来た書状の内容とで同一犯であると考えられる。

 レックスたちの調べでは、コアクリスタルが綺麗さっぱり無くなっている以外に痕跡がなかった。そう、遺体となったブレイドの身体には傷一つとして付いていなかった。犯人捜索は、早期に頓挫してしまったと言わざるを得ない。

 

 だから、この申し出は彼にとっては願ったり叶ったりだ。メレフはスペルビア帝国特別執権官だ。彼女がいれば、軍を動かして大きく動くことも、より多くの情報を得ることができる。一傭兵団では得られない情報もあるかも知れない。

 

「いつ出られるのですか?」

「集合は四日後に皇宮ハーダシャルで、ってあるし……万が一に備えて明日フレースヴェルグに行くつもり」

「何か準備するのもでも?」

「準備っていうか、ニア達と合流しようと思ってね。ニアが居れば、何かがあっても安心だろう? 丁度、インビディアに居るはずだし」

「そうですね……」

 

 そう頷くホムラだが、その表情はどこか不安げだ。レックスの言う何か、が何を指すのかすぐに理解できてしまうからだ。

 

「危険なお仕事って、ことですよね」

「まあ、多分ね」

「ヒカリちゃんも行くんですよね?」

「まあね、後で話すつもりだよ」

 

 ホムラの片割れであり、天の聖杯――ヒカリは今現在入浴中でいない。リビングにはレックスとホムラだけだ。

 不安げな彼女は俯いて、膝の上で手をもじもじとさせて「えっと、その……」と小さくつぶやいていた。

 

「あの、私も一緒に行っちゃ駄目ですか?」

 

 眉尻を下げて、レックスのことを見上げた。

 その顔に彼は、

「うーん、どうだろう」

 苦笑するしかなかった。

 彼女がこうも言い淀む理由が、分からないわけじゃなかった。

 

「ヒカリは反対するんじゃないかな」

「はい、それは……分かってます」

 

 ヒカリはホムラがこういった危険な仕事に関わることをよしとしないのだ。いやそれ以上に、彼女が傭兵団の仕事をする事自体否定的なのだ。それはヒカリ曰く、家の事をホムラが実質ひとりでやってるのに、傭兵団の仕事もやらせるわけにはいかない、といった所だった。悲しいことに、レックスもヒカリも、ホムラのように家事を要領よく上手にこなせるとは言い難い。この事についてはレックスも賛成している。

 

 寧ろ、家のこともやってもらって、傭兵団の仕事もやってもらうのは申し訳ない。ホムラにも休んで欲しい。それは本心からだ。

 ただ、レックスはホムラが仕事をする事に関してヒカリ程否定的ではない。彼女がやりたい、と言うのならその意思を汲んでやりたかったから。

 

「レックスも、同じ気持ちですか?」

 

 彼女からの問いに、レックスは天井を仰いだ。

 

「そうだなあ……強いて言えば、反対かな」

「……え」

「勘違いしないで欲しいんだけど、ホムラの実力は俺も知ってるし、頼りにしてる。それはヒカリもそうだと思う」

 

 その点に関しては、誰よりもヒカリの方が分かっているだろう。

 

「でも、ホムラにはホムラにしかできない仕事だってある」

「私にしか、できないこと」

「そう。家のこともそうだし、明日からインヴィディアで仕事入ってるんだろう? だったら、そっちに行かなきゃ」

「はい……」

 

 いっそう、寂しそうな悲しそうな顔をして俯いてしまった彼女に、レックスは言った。

 

「それにさ、君が怪我したらヒカリにまた怒られるよ」

「ありましたね。半年くらい前でしたっけ……?」

「うん、あの時俺もびっくりしたけどさ。それ以上にヒカリの怒り方にびっくりしたな」

「ふふ、そうですね。私もあの時はびっくりして泣いちゃいましたね」

「そうそう」

 

 その時を思い出して、二人で笑った。

 ヒカリがこの場にいたら笑い事じゃないでしょ! と怒鳴っているかもしれない。

 あるとき、傭兵団の仕事から帰ってきたホムラを見て、二人してギョッとした。彼女が傷だらけで、所々血が出ていた。それなのに、「ヘマしちゃいました」なんて戯けて言って帰ってきたのだ。レックスは大慌てで、救急セットと近所に住むコルレルおばさんを呼んで、彼女の手当をしてもらったのだ。

 他の人の心配をよそに、ホムラは大丈夫と言って微笑んでいた。それに、ヒカリが言ったのだ。

 

「もう、傭兵の仕事なんかしないで」

 

 それにホムラが尚も大丈夫だと言い募り、とうとうヒカリの怒号が轟いた。その烈火の如き怒りの咆哮は、延べ十分程度続いた。彼女の言いたいことが終わり、

 

「―――いい!?」

 

という最後の言葉が終わった頃にはあたりは静まりかえっていた。終始黙って見ていたレックスが、流石に見兼ねてホムラに声をかけようとしたところで、ホムラが泣き出してしまったのだ。

 急に泣き出した片割れに、ヒカリは動揺して、しかし今の今まで怒っていたこともあってか慰めるわけにもいかず、その場から立ち去ってしまった。

 

 泣いているホムラと不機嫌になってしまったヒカリ。

 

 二人を宥めるのに、苦労したのを思い出す。

 だが、嫌な思い出というわけではなかった。

 ヒカリがあんな風に激しく怒るところも、ホムラが怒られびっくりして泣き出してしまうところも、初めてだったから。

 

 彼女達と出会って三年。

 

 出会った時は二人よりも低かった身長は、今では追い抜いている。見上げていた顔も、今では見下ろしている。

 ふと握ったその手は、思いのほか小さくて。

 まだまだ彼女たちの新しい顔に出会うこともあって。

 退屈しない毎日だ。

 忙しくて目が回ることもあるけど、まだ至らぬことばかりだけど、それでも二人がそばにいて支えてくれる。

 

 レックスは隣に座る彼女の手を取って言った。

 

「大丈夫、今回は話聞いて、場合によっては現場を見に行くだけにするからさ。そこまで危険なことをするつもりはないよ。ニアを連れて行くのは、本当に念の為なんだ」

 

 真っ直ぐ彼女の赤い目を見て言った。

 

「……はい、分かりました」

 

 ホムラは微笑んで、手を軽く握り返した。

 細くて柔らかい、温かな手だった。

 

「でも、無茶だけはしないでくださいね。レックスやヒカリちゃんが怪我して帰ってきたら、今度は私が怒っちゃうかも」

「あはは、そうならないように努力するよ」

「むう……約束、してください」

 

 少し拗ねたように頬を膨らます少女に、彼は微笑んで頷く。

 

「うん、約束する。絶対に怪我して帰ってこないって」

「はい、約束です」

「ん? その手は?」

 

 ホムラはレックスと繋いでいた右手を外すと、手の平をレックスに向けた。

 

「以前、ハナちゃんに教えてもらったんです。ノポン流の約束の仕方だって」

 

 モルスの地で人工ブレイド――ハナと交わした約束。ハナの願いを叶える代わりに、私達のお願いを聞いてもらう。そう言って、ハイタッチをして約束をした。結果的に、ハナに聞いてもらった彼女達のお願いは、あまりにも残酷なものだったけれど。

 

 レックスはホムラと同じように手の平を彼女に向け、パンと軽く合わせた。彼女を見ると、そこには嬉しそうに微笑む愛らしい少女がいて。

 

「……っ」

 

 思わずレックスは見惚れてしまう。

 見慣れたはずだと思っていても、こうも至近距離でしかも不意にそんな顔をされると、照れてしまう。青年レックスは顔を僅かに赤らめながら視線を逸らした。

 すると、

 

「ふう……ホムラ~、次いいわよ」

 

ともう一人の声がした。

 

 声質は目の前の赤髪の少女と同じだが、若干低くフランクな感じだった。

 腰まで届く金色の長髪を、タオルで拭きながらヒカリはリビングへと入ってきた。

 長い金色髪に金色の瞳、胸元のコアクリスタルはホムラと同じ翠玉色である。天の聖杯ーーヒカリだった。

 

 彼女はホムラのどこか嬉しそうな顔と、レックスの赤らんだ顔を見て何かを悟ったのだろう。不機嫌さをあらわにして、ソファに近づき彼らを見下ろした。

 

「何かあったの?」

 

 棘のある声音なのは気のせいではないだろう。

 

 ドキリとするレックスをよそにホムラは、柔和に笑みを浮かべて、

 

「ふふ、なんでもないよ。ヒカリちゃん」

「なんでもないって顔じゃないじゃない。絶対、何かあったでしょ!?」

「んー、秘密です。ね、レックス」

「ええ!? ……ひ、秘密って」

「ちょっと、レックス。どういうことよ!」

 

 ヒカリがレックスに噛み付いた。レックスはホムラに視線を送るが、

 

「じゃあ、私はお風呂に入ってきますね」

 

 なんて言って、リビングから出て行ってしまった。

 

 不機嫌なヒカリと二人きりにされて、レックスは目の前の金色に気圧されていた。

 

「べ、別にこれといってヒカリに話すようなことでもないんだよ。本当に」

「ふーん、ホムラとの秘密ってわけ?」

 

 ツーンとした態度で、彼女はホムラが今まで座っていた場所に乱暴に腰を下ろした。

 参ったなあ……。

 レックスは困ったように頬を掻くと、息を一つ吐いて言った。

 

「ホムラとは次の仕事の話をしていたんだよ」

 

 手に持っていた書状を彼女に手渡した。

 内容に目を通したヒカリは、

 

「まさかホムラを連れて行くつもり?」

「いいや、これには俺とヒカリ、それからインヴィディアでニア達と合流してから行くつもり」

「そう……」

「だからさ、ホムラとは別に特別何かがあったわけじゃないよ。危険な仕事かもしれないから、無茶するなって……そう言われた」

 

 秘密だと、ホムラは言っていたけど。

 ヒカリにはその内容を話てもいいだろう。

 ホムラはヒカリを一番よく知っているし、ヒカリもホムラを一番よく知っている。二人は、元々は一つだったのだから。

 

 世界樹から帰ってきたとき、彼女達は二人に分かれたのだ。それがどういった原理でそうなったのかは分からない。神の計らいかもしれないし、アルストが変わったことで天の聖杯も変わったのかもしれない。分からないけれど。

 今こうして二人がそばに居てくれる。

 レックスにはそれで十分だった。

 幾分かヒカリの機嫌が治ったようにレックスは感じて肩の力を抜いた。

 

「ヒカリってさ、ホムラが任務に行くの凄く拒絶するよね」

 

 ホムラだって弱いわけじゃない。

 自分の身は自分で守れる。能力こそヒカリや、同じ火属性のカグツチに劣るだろうが、剣戟は目を見張るものがある。かつては古代船でメツと戦ったりもした。

 女の子と言えども、彼女だって立派なブレイドだ。一般の男を相手にしてもそうそう負けるような子ではない。

 それはヒカリが一番よく知っているはずだ。

 

「家のことでホムラに頭が上がらないのは分かってるんだけどさ。ヒカリが任務に行ってほしくない理由って、それだけじゃないんだろう?」

「………」

 

 黙って目を逸らすヒカリに、レックスは苦笑する。

 

「ホムラとちゃんと話した方がいい、と思うな」

「どういう意味よ」

「そのまんまさ。君達はさ、ずっと一緒にいすぎたんだよ。ずっと一緒だったから、こうして二人になった後も、何も言わなくても分かってくれるって、そう思っちゃうんだよ。きっと」

「私は少なくとも、ちゃんと言ってるつもりよ。何も言わないのはあの子の方でしょ」

「俺からすれば、どっちも……なんだけどな」

 

 レックスがそう言うと、ヒカリは彼を睨んだ。

 

「とりあえずさ、話し合ってみなよ。喧嘩してもいいからさ」

 

 話し合った結果、喧嘩したとしても仲裁くらいは出来るだろう。

 

「……話し合うって何をよ?」

 

 ヒカリの問いにレックスは即答した。

 

「本心。ヒカリから打ち明けてくれたら、ホムラだって話してくれるさ。というか、この場合……君から話さないとホムラは何も話さないと思うよ」

「そうかしら」

「そうだよ」

「………、……考えとく」

 

 ヒカリは小さくそう呟くと、立ち上がって台所で水を一気に飲み干した。

 その子供っぱい態度に、彼はやれやれと肩をすくませた。

 世間から天の聖杯だと持ち上げられることが多い彼女達だけど、実際は普通の女の子だ。たまに手のかかる、そんな普通のどこにでもいるような女の子でしかないのだ。

 

 

   ◆

 

 翌日、インヴィディア行きの船にレックスとヒカリ、そして―――

 

「なんでホムラが居るのよ?」

 

 一緒に乗船してきたホムラを見て、ヒカリはトゲのある声音で言った。

 

「あれ? 言ってませんでしたっけ?」

 

 とホムラはキョトンとした顔でヒカリを見た。

 

「ホムラはフォンスマイムで仕事があるんだよ」

 

 ホムラをフォローするレックスの言葉に、彼女は頷いた。

 

「はい、ヒカリちゃん達とは別件のお仕事です」

「あんたねえ、あれほど―――」

「あ、もう着いたよ。二人とも降りないと!」

 

 ヒカリが怒鳴り出そうとしたところで、レックスはすかさずそう言った。ここで喧嘩されても困る。

 とりあえず、ホムラと不機嫌なままのヒカリを連れて、フレースヴェルグに向かった。

 

 こんこんと湧き出る水の音と青い光の差す風景は、何年経っても変わっていなかった。以前に比べて、人が増えたくらいだろうか。団員も結構増えたし、ブレイドも増えた。

 

 レックスが顔を出すと、「団長」と言って色んな人たちが彼の周りに集まってくる。三年前は子供だったからか、頼りなかったからか、慕ってくれる人はそう多くなかった。前団長のヴァンダムの人望のお陰でレックスについてきてくれていた、と言ってもいいのかもしれない。この三年、誰よりも働き、困っている団員がいたらなんでも相談に乗ってきた成果なのだろう。

 

 レックスの成長は嬉しい。

 身体もずっと逞しくなったし、大人っぽく落ち着きも出てきた。

 団員からも慕われるようになって、リーダーとして自信を持って立っている。

 それはホムラにとって、喜ばしいことだった。

 嬉しいはずなのに、どこか寂しさも感じる。

 

 人に囲まれて笑っているレックスを、遠巻きにホムラは眺めていた。その目は寂しそうで、だからヒカリは、

 

「ホム……」

 

 名前を呼ぼうとして、快活な声に遮られた。

 

「ああ! ホムラ、久しぶり」

 

 黄色い装いの少女がホムラに抱きついた。それを受け止めて、ホムラはにっこり笑う。

 

「お久しぶりです、ニア。ビャッコさんも」

「お久しぶりです。ホムラ様、ヒカリ様」

「ヒカリも久しぶり! この前の仕事以来だっけ?」

「そうね」

 

 黄色い装い、頭頂部にはグーラ人特有の獣のような耳、レックスと同じ金色の瞳の少女が陽気に笑う。

 そのそばには、彼女に付き従うように白い立派な虎が座っていた。彼の物言いは、落ち着きがあり、さながら少女の執事のようだ。

 グーラ人の少女――ニアとそのブレイド――ビャッコだ。

 

「あーあ、またホムラの料理食べたいね」

 

 ニアはそう溢すと、ホムラは嬉しそうに笑う。

 

「ふふ、またいつでもいらしてください」

「すみません、先日も急に押しかけて。あまつさえ、食事をたかるような真似を……」

 

 ビャッコが仰々しく頭を下げて謝った。

 

「いいんですよ。私も一人で食べるのも、なんだか味気ないですし。ニア達がきてくれて、嬉しかったですし」

 

 三日ほど前のことである。レックス達が住まうイヤサキ村近辺で任務を終えたニアが、ついでとばかりにホムラを訪ねた。そのまま夕食を頂き、一晩泊まって翌朝に帰った。その日はレックスもヒカリも仕事でいなかったため、ホムラ一人で留守番をしていたのだった。彼女が一人で留守番をするのは珍しいことではない。だから、突然の来訪者にホムラは喜んだ。

 

 レックスが一足遅れて彼女達に合流すると、ニアが彼の脇腹を肘で突いた。

 

「レックス、あんまりホムラを一人にしてたら、アタシが貰ってちゃうよ~」

「へ!? 急に何? 何の話?」

 

 レックスはいまいち着いていけていないのか、キョロキョロとホムラ達を見た。そんな彼の様子に、ホムラは苦笑し、ヒカリは半眼で彼を見て、ニアとビャッコは肩をすくませた。

 

「レックス達は仕事?」

 

 ニアが聞いた。

 それにレックスは頷いて、メレフから届いた手紙を彼女に渡した。

 

「うん、ニア達にも手伝ってもらおうと思ってね。メレフから来たんだ」

「へえ、メレフがねえ。珍しいじゃん」

「ということは、彼女達の手でも追えない事件ということでしょうか」

 

 ビャッコは鋭くもそう推察した。

 

「ああ、多分ね。でも、これは俺達でも手に負えなかった事件でもある」

「うん、そうだね」

 

 読み終えたニアの顔から、先ほどまでのフランクさが抜けた。

 

「でもあんまり被害が出てるって聞かないよね。結局、こっちで被害を受けたのって結構前だよね?」

「確かに、それ以降何もありませんね。しかし、メレフ様が我々を頼るということは、私達が把握しているよりも被害が出ているのかもしれません」

「うん、俺達が把握しているのは、ここの被害含めて三件だけ。実際はもっと多いのかも。まあ、こっちとしては願ったり叶ったりだし、メレフが助けって言ってるならそれに応じるさ」

 

 かつては共に世界樹を登り、秘密結社イーラとの死闘をくぐり抜けてきた仲間だ。仲間が困っているなら、助ける。

 レックスの言葉に、全員が頷いた。

 

「というか、ホムラも行くの? 珍しいじゃん」

「いえ、私は別件なんです」

 

 残念です。

 彼女は寂しそうに微笑む。

 

「そっか、じゃあまた今度だね」

「はい。また一緒にご飯食べましょうね」

「よく一緒に食べてるの?」

 

 レックスが何気なく聞いた。

 

「うん。三日前も、レックスの家で一緒に食べたよね」

「はい」

「み、三日前⁉︎ 思ってたよりも最近だ……」

「だから言ったろ~、ホムラを放っておいたらいつかいなくなってるかもよ~」

「う……反省します」

 

 言われてみれば、家を開けることは多い。しかも、ホムラにはあまり任務に行かせないようにしているから尚更、彼女が一人でいる時間は多くなっている。寂しい思いをさせているのは確かだ。久しぶりに我が家に帰れば、嬉しそうに彼女が「おかえりなさい」と出迎えてくれる。その顔を思い出すと尚、申し訳なくなってくる。

 

 項垂れるレックスにホムラは慌てた様子で、

 

「だ、大丈夫ですよ。村の子ども達と遊んだり、コルレルさんとお話ししたりしますし……そんなに寂しくなんてありませんから。レックスやヒカリちゃんだって、お仕事で疲れているでしょうし……だ、だからっ」

 

「ホムラ!」

「は、はい!」

 

 レックスは勢いよく顔を上げて、彼女の手を取った。

 

「今度、みんなで出かけよう」

「お出かけ、ですか?」

「ヒカリも!」

「私も?」

「そう! みんなで、えーと……その、グーラとか、スペルビアとか……」

 

 勢いに任せてそう言ったはいいものの、行き先や何をするのか頭になかったレックスは段々と声の調子が悪くなっていった。

 

「なんだか、急に歯切れ悪くなったわね……」

 

 ヒカリはそんな様子の青年に呆れていた。

 ホムラはその隣で困ったように笑っている。

 

「レックス、ありがとう。なら、休みの日にみんなでピクニックに行きましょう。 ニアやビャッコさんも一緒にどうですか?」

「もちろん、行く行く!」

「お供します」

 

 ホムラの提案に、ニアは即答し、ビャッコも頷いた。

 結局、彼女に助けられたあたり、情けさを感じる。

 陽気なニアに連れられて、ヒカリは村奥にある食堂でお茶をし始めた。そんな彼女達をレックスとホムラは眺めていた。

 

「レックス」

「どうしたの?」

「あの、ごめんなさい。ピクニックの事、私勝手に……」

「いや、いいよ。寧ろ、助かった。俺言い出しっぺなのに何も考えてなくてさ」

 

 彼女は首を振った。

 

「いいえ、レックスだってお仕事で疲れてるはずです。それなのに……」

 

 私なんかのために……。

 

 その言葉が聞こえてくるようだった。

 泣き出しそうな、弱々しい声音。眉尻を下げて、俯いている。

 そんな顔をしてほしくないのに。

 笑って欲しい。

 

「ホムラだって、家のことやったり任務に行ったり、大変じゃないか。そういうのはお互い様だと思うけどな」

「レックス……」

 

 彼女は尚も何かを言おうとして、しかし言わなかった。そして、手をモジモジさせて、

 

「あの、その……次はどのくらいで帰ってきます?」

「長くて一週間くらいかな。メレフから話聞いて、場合によっては現場を見てさ。そんで、傭兵団を動かす準備をしたいからね」

「そうですか……」

 

 どこかホッとしたような顔をして、そうして彼を見上げた。

 

「……話したいことがあるんです」

 

「話したいこと? 何? 何でも言って」

「いえ、今は……。もう行かなきゃですし」

 

 彼女はチラリと北門の方を見た。そこには、彼女と共に出るスザクとヂカラヲの姿があった。

 

「帰ってきてからでいいんです。お時間は、取らせません」

「うん、分かった」

 

 どこか緊張している彼女に向かって、レックスは優しく頷いた。

 

「お仕事頑張ってください。あと、無茶もしないでほしい……」

「うん、ホムラもね。いってらっしゃい」

「はい、行ってきます……!」

 

 ホムラは微笑むと、小走りで彼女を待つスザク達のところへ行った。そうして、謝っているのだろう、彼らに頭を下げていた。二、三言葉を交わした後に、彼らと共に村を出て行った。

 

 レックスは彼女達を見送って、踵を返した。食堂でのテラスでは、彼を待つ少女達がお茶をしながら何やら楽しげに話している。

 待たせるのは良くないだろう。

 彼は少し歩を早め、彼女達の元へ向かった。

 店員にセリオスティーを頼むと、ニアの目の前に座った。

 レックスがやってきたカップに口をつけて、一息つくと、ニアが言った。

 

「珍しいこともあるんだね」

「何が?」

「だって、スザクたちの任務ってモンスターの討伐だろう? それにホムラも行くなんてね。レックス達なら行かせないと思ってたからさ」

「ちょっと、レックス! どういうことよ!」

 

 ニアの話を聞いてヒカリが目を剥いて、テーブルを思い切り叩いた。

 ヒカリの形相に、彼は狼狽えながら首を振った。

 

「ご、誤解だって! 確かにスザクたちの任務はそうだけど、ホムラは全然違うやつだよ。フォンスマイムの食堂で手伝いをするっていう……。だから、危険な任務じゃないし、そういうのだったら俺も行かせないよ」

「食堂の手伝い、ということは給仕でもなさるのですか?」

 

 冷静なビャッコがレックスの話に乗る。

 

「給仕、じゃなくて料理人の方かな。団体の宴会があるのにコックが一人骨折して、手を貸して欲しいって。給仕だったら、大変だよ」

「あー、何となく想像つくかも。ホムラがそんなことしてたら、男は黙ってないでしょ」

「あはは……。というか、前に一度あったんだよね」

 

 グーラのトリゴの街でのことだった。給仕スタッフのピンチヒッターとしてホムラが出向いた時、彼女目当ての男客が押し寄せてきたとか。店側は大盛況だったと喜んでいたらしいが、ホムラ自身は他の人に迷惑をかけてしまったと落ち込んでいたのだ。

 

 レックス自身もホムラに男どもの邪な目が向けられるのは、好ましくない。

 それに元来根は強いとは言っても、押しに弱い彼女だ。相手が客ならば尚更、強気に出られてしまえば断りにくいだろう。だからこそ、心配なのだ。

 ヒカリなら強気に言い返したり、場合によっては平手打ちが飛び出すだろうが。

 

 和気藹々とニアとレックスが話をしている脇で、ヒカリは未だに不機嫌の中にあった。

 

「えーと、もしかしてヒカリも行きたかった?」

「別に……そんなんじゃないわよ」

「……あー、じゃあ、ホムラに仕事を任せたことを怒ってるのかい?」

「………」

 

 図星、かな……。

 何も言わなくなったヒカリにレックスは肩を竦ませて、お茶を口にする。

 

「というかさ、ヒカリもレックスもホムラに過保護すぎない? 仕事くらい好きにさせたら良いのにさ」

「ええ、ホムラ様だって十分お強い方だと思います。並のモンスター相手なら、彼女一人でも問題ないのでは?」

 

 ニアとビャッコ、二人の疑問にレックスは、

 

「うん、それは分かってるよ。ホムラだって、弱いわけじゃない」

 

 頼りにしている。

 彼女も天の聖杯。ヒカリの片割れ。他のブレイドと違って、ドライバーが近くに居なくたって十分力を行使できる。それ故に、ヒカリとレックスが分かれて仕事をすることも少なくない。実力も、力量も並のブレイドのそれより遙かに大きい。それは分かっている。

 でも、それ以上に―――

 

「心配なんだよ。俺も、ヒカリもね」

「わ、私は別に―――」

 

 ヒカリは図星を突かれたのか、顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。

 ヒカリがホムラを心配するのは分からなくない。誰よりも傍に居て、誰よりも長い時間を共有した二人だから。何よりも大切なのだ、お互いに。

 だから、ホムラはヒカリの力になりたくて、傭兵団の仕事も家事もやりたい。

 ヒカリはホムラに無理して欲しくなくて、傭兵団の危険な仕事をして欲しくない。

 傭兵団にやってくる仕事のほとんどは、危険なものばかりだ。今回のような安全な仕事の方が稀だったりする。

 ヒカリはそれを分かっているから、させたくないのだろう。

 

 頑なな彼女の姿勢に、レックスは困ったように眉を下げて、ニア達を見た。それにニア達は肩を竦ませて何も言わなかった。

 

「それにさ、ホムラたまに怪我して帰ってくるんだよね。無茶することもあるし……」

「ホントよ。そのくせ、『大丈夫です』なんて言っちゃってさ。全く、なんなのよ」

「まあ、そりゃあ……ヒカリも心配するよね。アタシも口うるさく言っちゃうかも」

「……まあ、ヒカリがホムラに任務に行って欲しくない理由は、それだけじゃないけどね」

「……はあ? その理由って何のことよ?」

 

 ヒカリがレックスに噛みついた。

 

「それは、俺が言うことじゃないと思うけどな。それとも、今ここで俺が言っちゃって良いの?」

「……、………いい。言わなくて、いいわよ」

 

 その理由は彼が言うべきではないし、それを聞くのもこの場に居る彼女たちではない。

 ヒカリは、カップの中身を飲み干すと腕を組んで、彼を睨付ける。

 

「君って、なんだか性格悪くなったんじゃない?」

「そうかな」

「そうよ、絶対そう! ホムラだってたまに意地悪してくるし」

「ホムラだって君に手を焼かされてると思うけどな。この前だって、うちの傭兵団の誰かが、モンスターの始末ついでに草原の一部を消し炭にしたって。それで、ホムラが方々に頭下げに行ったりしたっけ」

 

 その誰か、とは言わずもがなであろう。

 レックスがヒカリを半眼でで見つめると、彼女は分かりやすく狼狽え始めた。

 

「うっ、あれは……あいつらが悪いのよ。変に意地張ってやられてくれないし。そもそもあんな攻撃で炭になる草の方がいけないのよ!」

「えぇ……草が悪いの⁉︎」

「そうよ! 根性のない草が悪いのよ!」

 

 変な屁理屈で、ヒカリは自分が悪くないと言い張る。詮無いことで言い争う二人に、ニアは思った。

 根性のある草って、なんだろう?

 それはそれで見てみたいけれど。

 三人と一匹で昼までフレースヴェルグに滞在し、昼食後彼らは依頼人であり友人の待つスペルビアへと旅立った。 

 

 



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1-2 コアクリスタル狩り

 ―――スペルビア帝国 帝都-アルバ・マーゲン。

 

 インヴィディアから巨神獣船で二日かけて、レックス達はスペルビア帝国に来ていた。

 

 埃っぽく、乾燥した地域なのは新大陸を得る前とは変わりない。ただ、巨神獣の寿命による地熱温度の上昇はなくなり、むしろその温度が若干下がったと言ってもいい。下がったとは言っても、他の地域に比べて暑いことには変わりない。

 

 帝都の復興は早急に終えており、メツの放った(デバイス)―――セイレーンやガーゴイルの被害はほとんど修復し終えている。ただ、街の隅には依然として処理し終えていない(デバイス)が放置されている。

 

 傷を負い、沢山の命が失われたけれど、こうして人々は前を向いて生きている。

 

 街の活気は、三年前と比べて増しているようにも思える。これも、死にゆく大地の呪縛から解き放たれ、国家間の諍いも解消できたが故であろう。以前では珍しかったインヴィディア人の姿も、今では普通の光景となりつつある。

 

 船を降りたニアは背伸びをして、

 

「んん〜、疲れたあ。久しぶりに温泉にでも入りたいねえ」

 

「そうね、いろんなところに新しい温泉宿ができたからね。私も入りたいわ」

 

 ニアの言葉にヒカリも頷く。

 

 実際、地熱を利用した温泉施設がここ三年で急激に増えている。当初は、戦争をする理由も無くなって、復興作業や新大陸の開拓などで疲れた労働者を癒すために開かれた。その後、スペルビアでは温泉を目玉とした観光業に力を入れている。

 

 帝都に側には軍事施設や、古びた廃工場が立ち並んでいたが、今では撤去され観光地と変わっていた。どうやら、若い女の子達の間では結構人気のある温泉施設もあるとかないとか。

 

「観光は、また今度。今はメレフに会いに行かなきゃ」

 

 レックスがそういうと、少女二人は口を尖らせて、

 

「レックスのケチー」

「少しくらいいいじゃない、ケチ」

「ケチって……」

 

 可愛くそう言われても、聞けないものは聞けない。

 二人に半眼で迫られて困っているレックスを、ビャッコがフォローする。

 

「お二人とも、今回は遊びに来たんじゃありませんよ」

「分かってるけどお」

 

 ビャッコの言葉に、ニアが渋々折れ、ヒカリは、

 

「……仕方ないわね。じゃあ、あれで我慢してあげる」

 

 と露天商を指さした。そこには、彼女の大好物である雲海改め大海蟹クリームコロッケがあった。指は店に、ただし金色の目はレックスを見つめている。それも輝かんばかりの瞳で。

 

 それにレックスは、

 

「……ああ、うん。いいよ、買ってあげるよ……」

 

 折れるしかなかった。

 結局、コロッケを十個買わされることに。しかもそのうちの一つはすでに隣で頬張っているではないか。

 彼は、彼女の幸せそうな笑みに、まあいいかと頬を緩めた。

 

「ヒカリ、皇宮の中では食べないでよ?」

「ん、そのくらい分かってるわよ」

 

 流石に、彼女が天の聖杯とは言え、皇帝陛下のいる場所でそんなことさせられない。もし、そんな事しようものなら特別執権官に焼かれることになるだろう。恐らく、ドライバーのレックスが。

 

 レックスは幾分か軽くなった財布の中身に肩を落とす。まさか、こんなところでこんなに出費するなんて思ってもみなかった。もう少し多めに持ってきた方が良かったかな……と考えて、首を振った。ホムラに、「ヒカリちゃんを甘やかすなんて」と怒られるだろう。

 

 先行きを案じて彼はため息を吐いた。

 

「ホント、ヒカリに甘いよね。レックスは」

「ははは……自分でもそう思うよ」

 

 ニアの指摘に、乾いた笑い声しか出ない。

 これが世に言う、惚れた弱みといったものなのだろう。

 まあ、彼女が幸せそうなら何よりだ。

 

「たまに、ホムラにも怒られるしね」

「へえ、ホムラって怒ることあるんだ」

「うん。あんまり強く怒鳴ったりはしないけど」

「意外だなあ。ホムラが怒ってるところなんて見たことないや」

 

 怒鳴り声を上げるようなことはないし、理不尽に怒り出したり、ましてやヒカリのように我が儘を言うことはない。怒ると言うよりかは、子供に「めっ」と叱りつけるように怒ることが多いかも。

 

「でもさ、普段穏やかな人ほど本気で怒ったときが怖いって言うよね。ホムラもいつか爆発して、大変な事にならなきゃ良いけど……」

「それは―――」

 

 ない、とは言えない。

 普段あまり、ホムラは自分のことを言わない。

 今日何があったか、誰と何をしたのか。それを話すことはある。仕事の斡旋をしてくれとは言っても、家のことで不満を言うことはない。まあ、ヒカリが部屋を汚したりしたら叱ることはあるけど。それだけだ。それに……。

 

「最近、ホムラは何か隠してるような気がするんだよね」

「隠し事くらい、誰だってあるだろ?」

「んー、まあそうなんだけどさ……一人で抱え込んで欲しくないっていうか、ね。ヒカリがピリピリしてるのもその所為だと思う」

「なるほどねえ……」

 

 ニアは、二つ目のコロッケを頬張り始めたヒカリを見やる。

 

 ホムラが自分を押し殺すのは、最早十八番である。楽園を目指して旅をしていたあの時も、彼女は本心を隠していた。楽園に行って、神に会って、自分を消してもらう。そんな気持ちをレックスが知ったのは、モルスの断崖で彼女が目を深く閉ざした後だった。その願いは、彼女の……彼女たちの本意だった。

 

 先日、ホムラに言われた。

 

『話したいことがあるんです』

 

 その話が、何なのかは分からない。それでも、内容がどうであれ、彼女の全てを受け入れると、宣誓した。それは今でも変わらない。

 

 ホムラが胸中を話してくれるなら、俺も話そう。

 彼女をどう思っているのか、彼女にどうなってほしいのか。

 彼女と出会って、三年。

 会話が必要なのだ。俺も、ヒカリも、そしてホムラも。

 恐らく、彼女はヒカリと俺の会話を聞いていたのかもしれない。ヒカリに話す前に、レックスに話しておくことで保険をかけるつもりなのだろう。

 保険でも何でもいい。

 ホムラが頼ってくれるなら……。

 レックスは快晴の空を見上げて、今頃は自宅に帰って居るであろう少女のことを想った。

 

 早く帰って、彼女と話がしたい。

 

 そうして、視線を元に戻すと、ヒカリは三つ目のコロッケに手を出そうとしていたところだった。それに、彼はため息を吐いた。

 

「ヒカリ、それくらいにしておきなよ。そろそろ、メレフの所に行くんだからさ」

「むう、冷めちゃうじゃない。それに、まだ二個しか食べてないわ」

「二個しかって、さっきお昼ご飯食べたばかりだろう?」

 

 レックスが呆れた様子で、そう言う。

 おやつにしては早い時間だ。それに小腹が空いたにしては、コロッケを二つ三つ食べるのは、食べ過ぎな気もする。

 

 ここ三年、ヒカリの食事量が増えた気がする。家でもホムラの手料理を結構な量平らげていた。ゲートの消失によって空腹になりやすくなったのか、単純に食欲に身を任せているのか……。きっと後者だろう。

 まあ、ホムラの作る料理がおいしくて、思いのほか食べ過ぎてしまうのは分からなくもない。

 レックスの指摘に、ニアも賛同してヒカリを揶揄うように言った。

 

「あんまり食べ過ぎてると、太っちゃうんじゃない?」

「……―――私はブレイドよ! ぶっくぶくに太るわけないじゃない!!」

「―――って、うわあ!! アタシ、そこまで言ってない!」

 

 ニアの言葉に、ヒカリが彼女に襲いかかった。

 

 襲いかかるヒカリと、彼女から逃げ回るニア。二人の少女の攻防に、レックスとビャッコがため息を吐いた。目の前には皇宮ハーダシャルがある。今から会うのは、友人とは言えスペルビア帝国で二番目に偉い人なのだ。なんとも緊張感のない彼女らに、レックス達は互いに顔を見合わせ苦笑するしかなかった。

 

 

 

  ◆

 

 

 

 皇宮ハーダシャルに入り、警備兵に伝えると程なくして黒の軍衣に身を包んだメレフとそのブレイドカグツチがやってきた。彼女達はレックスを見るなり、

 

「久しぶりだな。前に会った時より随分と大きくなったな」

「久しぶり。メレフ、カグツチ。そっちは変わりないようで、嬉しいよ」

 

 レックスが笑顔で答えた。かつて見上げていた目線は、いつしか同じくらいになっていた。身長は彼の方が僅かに高い。同じになった目線に、彼女は感慨深いものを感じつつ、

 

「それで……そこの二人はなぜ泥だらけなのだ?」

 

 メレフがレックスの後方にいる少女二人を見て言った。それに彼も後ろを向いて、

 

「あー、取っ組み合ってたから……」

「ふっ―――、なるほどな」

 

 ヒカリもニアも、髪の毛はボサボサ、身体中に埃がついて、互いにそっぽを向いている。そう、ここを訪れる前に彼女達は追いかけっこをし、次第に取っ組み合いの喧嘩を始めたのだ。そんな彼女達を半ば無理やり押さえ込んで、ここまで連れてきたのだ。レックスもビャッコもどこか疲れた様子だ。

 

 そんな青年に、メレフはだいたい察したのだろう。それ以上は聞かなかった。

 

「二人も相変わらず元気そうで、何よりだ」

「ええ、とても元気みたいね」

 

 メレフの言葉に、カグツチが続いた。カグツチにヒカリが反応した。

 

「そりゃどーも。アンタは全く変わってないみたいね、カグツチ」

「ええ、見ての通りよ。あなたの方がずっと変わってないようね。少しは落ち着いたと思っていたけど、そうでもなかったみたい」

「余計なお世話よ!」

 

 噛み付くヒカリに、カグツチは『ほら、そういうところよ』とさらりと返した。言い返す言葉が見つからなかったのか、ヒカリは顔を赤くして彼女を睨みつけた。

 和気藹々とした雰囲気に、凛としたメレフの表情が穏やかになる。

 

 しかし。

 

「積もる話もあるけどさ、困ってるんだろ。手を貸すよ」

 

 レックスは仕事の話を切り出した。

 

 それにメレフの顔も引き締まる。

 彼女から手渡されたいくつもの調書には、手紙にあったような被害が載っていた。そのどれもが、コアクリスタルを失ったブレイドの死体、その傍に心臓を失ったドライバーと思しき死体がある、というものだった。今手元にあるだけで、十件近くある。古いものでは二年くらい前のものもあるが、最近になって顕著になってきているのがすぐに分かった。

 

「二年前から、始まってたんだね」

 

 ニアの言葉に、メレフはどこか悔しそうに答えた。

 

「ああ、みたいだな。我々も過去の事件を精査していたら見つけたのだ。コアクリスタル狩り自体はそう珍しくないのでな」

 

 彼女の言葉通り、コアクリスタル狩り自体は珍しくない。だから、彼女自身そう重く受け止めていなかっただろうし、何より、

 

「言い訳になるかもしれんが、対処すべき問題は山積していた。最近ようやく落ち着いてきたところだし、それに奇妙な事件だろう。調べる必要があると感じた」

 

 アルストが新たな大地を得て、スペルビア帝国の目下の課題であった巨神獣の寿命による領地の消失は無くなった。けれど、(デバイス)による被害、アーケディアからの難民、新大陸の開拓など彼女の言う通り問題は山積していた。失業者の支援もしなければならなかったし、新大陸に関して各国間で急ぎ取り決めをしたりと大忙しだった筈だ。

 

 確かに、普通のコアクリスタル狩りならば兵士で十分だろう。まして、特別執権官が対処すべき事件ではない。

 それに彼女が言うには、どんなに調べても手がかりが何一つ得られなかったと言う。

 

「俺たちも調べたけど、何も分からなかったよ」

「そっちでも、被害が?」

 

 カグツチが聞いた。

 

「うん、調べたのは三つだけ。他は、噂程度かな。コアクリスタル狩りの情報なんて探せばいくらでも出てくるからね」

 

 傭兵団でも、インヴィディアや他の地域でも被害報告は受けていた。だから、最近ではブレイドは三人以上で行動させるようにしているし、ホムラのように単独で仕事をするときは他のブレイドが送り迎えするようにしている。他の傭兵団でも、そうだろう。

 

「ふむ、そうか。一昨日、また事件があったようでな。来るか?」

「もちろん」

 

 メレフの申し出に、レックスは即答した。

 現場が見られるならば好都合だ。むしろそのために来たと言ってもいい。

 

 レックス達は、アルバ・マーゲンから下層へ下り、忘却の封地までやってきた。周りにはモンスターの他は何もない場所である。そんな場所の岩場の陰に血痕があった。

 メレフはその前に立つと、

 

「ここだ」

 

と言った。

 出血量からして即死だったのだろう。調書にも心臓がなくなっていたと記載されている。

 基本的に、この場所に人が訪れることはあまりない。

 ヒカリが周りを見渡して言った。

 

「ここって、人気のない場所よね」

「そうだな。聞くところによると、被害者は何らかの密売を行うために、ここに来たらしい」

 

 メレフがそう答えると、ニアが肩を竦ませていった。

 

「悪いことをしようとして、殺されちゃったのか……」

 

 因果応報ではあるが、被害者は何もそういった犯罪者ばかりではない。中には帝国の兵士や、傭兵だったりと内訳はバラバラだ。

 

「目撃者はいなかったのか?」

 

 レックスが聞いた。

 人気がない場所とは言え、忘却の封地にやってくる手段はそう多くない。もっと言えば、帰る手段も限られてくる。

 彼の問に、メレフは目を伏せて首を振った。

 

「被害者の目撃証言はあるんだがな、犯人とおぼしき証言は全くだ。まるで霧を相手にしているようでな。全く足取りが分からない」

 

 彼女の言うとおり、足跡も含め、血痕以外の痕跡はない。

 でも、これまでの犯行の共通点はある。

 

「どれも、人気のない場所や時間でやられてる。これも、こっちだってそう……」

 

 ヒカリが調書を見ながら、そう言った。

 自然と目撃者の居ない状況を選んで、犯行が行われている。どの被害者も、犯行から一日経ってから発見されていることが殆どだ。しかも、ドライバーの遺体ならともかく、ブレイドの遺体は三日程度で消滅してしまう。場合によっては、コアクリスタルを狙った犯行ではなく、ただの殺人事件としか映らない。

 

「でも、ブレイドの身体が残ってるって変だよ……」

 

 ニアが言う。

 それにはその場にいた誰もが感じていたことだった。

 世界は確かに三年前のあの日ガラリと変わった。大型の巨神獣は大陸に接岸し、人類は住む場所の心配がなくなった。ブレイドは長い時間をかけて、たくさんの人と同調を繰り返し、その果てに巨神獣に生まれ変わる。そのサイクルが壊されたことで、先の懸念が生まれたのだ。その懸念がなくなった今―――

 

「ブレイドが変わった、とか?」

 

 レックスが言った。

 新たな大地が、他ならぬブレイドと巨神獣の循環を生み出した神によって与えられた。その結果、ブレイドが巨神獣になる必要がなくなったとも言い換えることができる。

 彼の疑問に、ヒカリが首を振った。

 

「いいえ、多分そうじゃない。実際、変わったとするなら、私達にも何らかの影響があるはず……。現に、私達に変化はないでしょ?」

 

 確かに、ゲートを失ってヒカリ達の力は弱まり、普通のブレイドと同様エネルギー源は大気中のエーテルに切り替わった。さらに、セイレーンを肇とする(デバイス)を失い、因果律予測も以前に比べて制限されている。しかし、だからといって彼女自身、自らの身体にそれ以外の変化があったとは感じていない。

 それに、ヒカリはゲートからの力の供給がなくなったとはいえ、本来の役割は変わっていない。マスターブレイドとしての役割―――全てのブレイドの情報の管理は依然として続いている。それを踏まえてでの、彼女の発言はあながち間違いではないのだろう。

 それを分かっているから、メレフはヒカリに賛同して、

 

「ああ、二年ほど前にブレイドが小型の巨神獣に生まれ変わったらしいしな。そういうブレイドの命の循環は変わっていないだろう。それに、他のコアクリスタル狩りでは、ブレイドはきちんとコアクリスタルに戻っている。この事件だけなのだよ、こうしてブレイドの肉体が残っているのは」

 

 奇妙な事件。

 コアクリスタルを失って尚、存在し続ける肉体。

 それは以前、アーケディアの女神―――ファン・レ・ノルンことカスミもそうだった。あの時は、彼女のコアクリスタルがマルベーニによって半分奪われていたからであるが。

 今回はそれともちょっと違う。

 胸のコアは全て奪われているし、ドライバーも殺されている。

 

「何らかの技術が使われてるってことなのかな?」

「可能性は……否定できないがな」

 

 レックスの呟きに、メレフが答える。

 マルべー二達アーケディア法王庁も、人間にブレイドのコアクリスタルを移植するブレイドイーターの技術を生み出していたし、それよりももっと以前、亡国ユーディキウムだってブレイドに人間の肉体を融合させるマンイーターの技術を生み出している。

 

 アーケディアは、世界樹での戦いで雲海の底に沈み、それ以降は行方知れずとなっている。そこからの難民や、生き残ったアーケディア兵による暴動も度々起こる。アーケディアの生き残りが、その技術を持っていたとしてもおかしい話ではない。前の世界では、学問ならアーケディアと当たり前のように言われていたから。

 

「なら、アーケディアの残党がやってるとか?」

 

ニアが言った。それにメレフが答える。

 

「どうだろうな。憶測だけで、調べていくのは危険だ。それに、ブレイドに関連した技術は、子細は分からなくとも、噂程度なら誰の耳にだって入るだろう。そこから研究していく人も少なくない」

 

 実際、レックス達もマンイーターの技術がどうであれ、どうすればマンイーターが生まれるのかは知っている。ブレイドイーターがどうやって生まれるのか知らないが、その存在は知っている。その情報は、ドライバーになれば嫌でも耳に入ってくる。そこから端を発して、研究する人は確かに居るだろう。スペルビアやルクスリアでは、ブレイドに関する研究が始まっている。

 

 今や、ブレイドに関する知識を持っているのはアーケディアだけとは限らない。

 

 メレフが言いたいことはそれだった。

 

 憶測で、元アーケディア市民を犯人扱いするのは危険だ。ただでさえ、先の混乱の一端がアーケディアにあると各国で露見したのだ。アーケディア人にたいする風当たりは三年前に比べて落ち着いたとはいえ、まだ燻り続けている。ここで、スペルビア帝国の特別執権官がそんなことを言えば間違いなく、彼らの居場所はなくなってしまう。そんなことは絶対に起こしてはいけない。

 

 火のない所に煙は立たないと言うが、火のないところに大量の水を掛けるのもよくない。

 

 彼らは、その場での捜索を止め、メレフの進言でグーラに向かうことになった。何でも、グーラでも同様の被害が多発しているらしい。

 

 レックス達がグーラに着くまで一日、事件は密かに動き続けていた―――。



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1-3 前に……

 スペルビア帝国――グーラ領。

 

 テンペランティアでの一件で、一度はスペルビア帝国とインヴィディア烈王国の分割統治案が持ち出されていたが、新大陸の発見でその話は有耶無耶になったと言ってもいい。元の鞘に収まるとは言わないが、自然豊かなグーラはスペルビア帝国の一領地に落ち着いた。

 グーラで一番の大きな街―――トリゴの街にホムラはやって来ていた。

 インヴィディアでの仕事を終えた彼女は、同じく任務を終えたスザク達と合流しフレースヴェルグの村に帰った。任務の報告を傭兵団本部のズオにしたとき、グーラから依頼が来ているからやらないか、と誘われた。本来なら、レックスに打診しておかなければいけないが、依頼主の名前を見て、彼女は二つ返事で依頼を受けることにしたのだった。

 レックス達が帰ってくるのは一週間後だと聞いていたし、そう長引くような仕事ではない。

 内容は、孤児院を運営する老人から、子守をして欲しいというもの。今までに何度も請け負ってきた仕事で、依頼主の老人からは気に入られて謂わばお得意様のようになっている。

 

 早朝の少しばかりひんやりとした空気を、彼女は大きく吸った。朝方で人通りは疎らだが、既に出店の準備は始まっていた。昨晩にトリゴに着いた彼女は、噴水近くの宿屋に一泊し朝早くから街に出ていた。

 仕事は九時から。まだ時間がある。

 喫茶店が開くまで、周辺を散歩するのも良いかもしれない。

 ホムラはそうは思いつつも、広場のベンチから腰を下ろしたっきり動こうとはしなかった。ゆっくりと空を見上げる。まだ日が昇ったばかりで、朝焼けの白い空だが、幾ばくもしないうちに青空になるだろう。

 深呼吸をする。

 そして、胸の前で手を組んで、目を閉じる。

 

 今頃、レックス達はスペルビアでメレフとカグツチと共に事件を調べているのだろう。危険なことがないと良いけれど。

 レックスもヒカリも、何かと仕事で居ないことが多い。

 彼らが誰かのために戦い、誰かが喜んでくれているのであれば、それはホムラにとって誇らしく、嬉しくもある。けれど、それと同時に寂しさもある。

 楽園から帰る前までは、いつもヒカリが彼女の傍にいた。眠っていたとしても、ずっと彼女の内側にいた。その存在を感じていた。

 今では、何も感じない。

 心の内で話しかけても、何も返ってこない。

 それが普通だと言われれば、そうなのだろう。

 けれども、ホムラにとって一人になるというのは、初めてのことでどうしたらいいのか分からないのが本音である。その本音をレックスやヒカリに話したことはない。彼らも忙しい身、話すほどのことでもない。それに、これは一人で解決すべき問題だから。

 

 目を開ければ、人々が忙しなく動いているのが見えた。

 皆、前に進んでいる。未来に向かって、歩いている。

 私だけが、前に進みきれていない。手を拱いて、立ちすくんでばかり。

 きっと、レックスもヒカリちゃんも、皆ずっとずっと前に進んでいる。

 ただ、その背中を見つめているだけに過ぎない。彼女はそう感じていた。

 

 前に進むのが、未来が怖いわけではない。

 どこに向かって歩めば良いのか、分からないだけで。

 いつもは、ヒカリがその方向を決めてくれていたから。

 彼女はそれに同意するだけ。迷っているようなら、相談に乗るだけ。

 

 でも。

 今はもうその必要はないのだろう。

 ヒカリは、もう一人で歩ける。一人で、この世界に立っていられる。

 ()()()が居なくとも……。

 それもこれもレックスのお陰だ。

 彼がいるなら、もう本当に、大丈夫。

 ホムラは空を見上げて、目を細めた。

 

 すると、

 

「あ、ホムラ! 久しぶりですも!」

 

 元気な声が聞こえた。

 見上げていた顔を戻すと、手を振りながら近づいてくる少女―――否、機械人形の姿があった。青い髪に白い帽子、赤いマントを靡かせて、機械人形―――人工ブレイドのハナがやって来た。

 上機嫌に、軽快な足運びでホムラの前までやって来る。それに、ホムラは笑みを返した。

 

「久しぶり、ハナちゃん。こんな朝早くにどうしたの?」

「お使いですも。ご主人達の食料が尽きかけてるんですも。きちんと管理しておかなかった、ご主人が悪いんですも」

 

 従順に見えて、彼女を作った主人であるノポン族のトラを詰るあたり、変わらないなあ……とホムラは聞いていた。聞けば、朝ご飯の買い出しも兼ねているらしい。

 

「なら、私がトラくん達の朝ご飯作りましょうか?」

「いいんですも? ホムラ、仕事があるんじゃないのかも?」

「確かに、仕事はあります。でも……まだ時間がありますから。大丈夫。それに、トラくんやハナちゃんと、久しぶりにお話ししたいですし」

「そうですも!? やったですもー!」

 

 ぱあっと花が咲くように顔を輝かせて、ホムラに抱きついた。ハナを笑顔で受け止めた彼女は、ベンチから立ち上がって、開店したばかりの商店へと歩いて行った。

 一週間分の食料を買い終えて、ホムラ達はトラの家へと向かう。

 

 二、三年前までは、トラは自らの父親タテゾーと祖父センゾーと共に暮らしていた。だが、彼らの持つ人工ブレイドとしての知識や技術をかったスペルビアは、彼らに専用のラボを与え、半ば自由に人工ブレイドの開発をさせている。タテゾーとセンゾーはスペルビア本国で、トラ曰く自由気ままに研究しているらしい。どうやら、拘りが強い親子にスペルビアの官僚も頭を悩ませているのだとか。

 トラはそのままグーラに残って、新しい人工ブレイドを開発しようとしているらしい。そんな彼の助手として、かつては敵対関係にあったサタヒコが共に暮らしている。時折り、彼らはタテゾー達の手伝いでスペルビアに行くこともあるらしい。

 なぜ、サタヒコがトラと共に研究しているのか、主に彼の持つ科学技術は勿論、彼らの趣味が合ったからだといえよう。馬があったというか何というか。

 まあ、その辺の個人の趣味に関しては、周りに迷惑をかけないのであれば、ホムラとしては受け入れている。カグツチからは反感を買いそうだけれど。

 それはさておき。

 彼らの作った人工ブレイドは、各国の復興に大活躍した。無論、ホムラ達ブレイドも大いに活躍した。人工ブレイドは重いものの運搬や、設定次第では農作業や炊き出しなんかもできるから汎用性が高かった。それに普通ブレイドと違って特別ドライバーを必要としない点も、評価が高かった。ただ、開発者の趣味丸出しなビジュアルであったことは言うまでもない。

 

 勝って知ったるトラの家にあるキッチンで、買ってきたばかりの食材を使って、ホムラは料理を始めた。

 トラとサタヒコはまだ起きていない。

 静かな部屋の中でホムラの調理音だけがしていた。

 すると、しばらくして、

 

「もも~、いい匂いがするも~」

 

 トラが寝ぼけ眼を擦りながらやってきた。彼は、キッチンに立つ赤髪の少女を見ると飛び上がって、

 

「もも! 何でホムラちゃんがいるも!? 何でも? 何でも?」

「おはようございます、トラくん。さっき、そこでハナちゃんと会ったんですよ」

「そうですも!」

 

 彼女の言葉に、ハナは手をあげて首肯した。

 

「そうだったのかも」

「はい。もうすぐ出来上がるので、顔洗ってきてください」

「やったも~! ホムラちゃんの料理、久しぶりに食べられるも~!」

 

 トラはホムラの笑みに、小躍りしながら顔を洗いに行った。そんな彼の様子に、ホムラとハナは顔を見合わせて笑った。

 そんなトラの大きな声で起きたのか、ゆっくりと金髪の酷い寝癖の男が起きてきた。

 

「なんなんだ? 朝っぱらから……って、ホムラ⁉︎ 何で?」

「あ、おはようございます、サタヒコさん。そろそろ、朝食が出来るので、顔洗ってきてください」

「あ、ああ。了解した」

 

 戸惑いながら、サタヒコも顔を洗いに行った。

 出来上がった朝食を、ハナに手伝ってもらいながら食卓へ運ぶ。程なくして戻ってきた彼ら。トラは上機嫌で、サタヒコは寝癖だらけだった頭を綺麗にセットして出てきた。

 

「すんごい、ハヤワザだったも! 何でそこまで、髪の毛綺麗にしたんだも?」

「当たり前だろう。レディーを前に寝癖だらけじゃ、格好がつかない。だからといって、待たせるわけにも行かないからね」

 

 そんな会話をしながら、彼らは食卓につく。彼らが座ったのを見て、ホムラとハナも座った。そうして、「いただきます」の合掌をした。

 トラは料理を口に運んだ途端、

 

「最高だも~!」

 

と、次々と口に運んでいく。

 サタヒコも、口にするや否や、目を瞬かせる。

 

「う、美味い! 最高だぜ、ホムラ」

「ふふふ、良かった。おかわりが必要でしたら言ってください。少し多めに作ったので」

「こんな料理を毎日食えるなんて、アニキ達は幸せだも」

「全くだ」

 

 トラの発言に、サタヒコは大きく頷いた。

 大喜びで食事をする二人に、ホムラは嬉しそうに微笑む。

 もし、あそこでハナに会っていなければ、今頃はトリゴの街を散策したのち、お茶を一杯飲んで仕事に行っていただろう。

 家では、レックスやヒカリがいない場合、食事を取ることはあまりない。ブレイドだから食事を取る必要がないと言えばそれまでだが、正直一人で作って一人で食べるのは美味しくないから。それを見兼ねた、レックスの育ての親であるコルレルに誘われて一緒に食べることもあるくらいだ。

 だから。

 こうやって、自分が作った料理を喜んでくれるのは、彼女に取って幸せなことだった。

 

 ふと、サタヒコが言った。

 

「ヒカリの料理はアレなのに、ホント、美味すぎるぜ」

「もも? サタはヒカリちゃんの料理を食べたことがあるのかも?」

「ああ、アレは……この世のものとは思えないものだ」

 

 思い出したのだろう、サタヒコの顔が引き攣り、青ざめる。

 

「それはそれで気になるも……」

「やめておいた方がいい。というか、今は作ってないのか? 昔は嬉々として作っていたと思うけど」

 

 嬉々として作ったものを、自信満々に人に振る舞っては卒倒させていた。

 首を傾げるサタヒコに、ホムラは苦笑する。

 

「ヒカリちゃんのお料理は封印してるんですよ。サタヒコさん達に食べさせて、反省したんだと思います」

 

 だからこそ、ホムラは料理上手なのだ。ヒカリがそう望んだから。

 ホムラの言葉に、サタヒコは「へえ」と頷いて食事を再開する。

 食事を終えて片付けをハナとともに行ったホムラは、

 

「じゃあ、私はそろそろお暇させていただきますね」

「そうも? また、いつでも来て欲しいも。ホムラちゃんなら大歓迎も!」

「はい。じゃあ、またお邪魔しますね」

 

 トラの誘いに、ホムラは笑みを浮かべて頷いた。

 そして、彼らに会釈しながらトラの家を出て行った。

 すると、彼女の後をサタヒコが着いてきた。

 

「送ってくぜ」

「いいえ、大丈夫ですよ。そんなに遠くなりませんし」

「そういうわけにはいかないさ。それに、トリゴの女神様を一人にするわけにはいかないさ」

「私は……そんなじゃありませんよ」

 

 先の混乱で、アーケディアに対する信仰心は瓦解した。混乱と不安定な情勢に、人々は心のよりどころとして天の聖杯を据えた。元々、翠玉色のコアクリスタルを持つブレイドが天の聖杯だという伝説は、各地に流布していたこともあって、トリゴの街ではホムラがその対象となっている。

 同じく天の聖杯であるヒカリと比べて、どうやらホムラの方が知名度が高いらしい。

 ツンケンして風当たりの強いヒカリではなく、物腰穏やかなホムラが好まれたという側面があるが。

 ホムラ自身、信仰の対象とされるのは好ましく思っていない。変に担ぎ上げられるのは嫌だが、そのお陰で立ち上がる力が出るのなら……と容認している。

 彼女のそんな心中を察したのか、街の人々は信仰心を持ちながらも、暖かく彼女を見守っている―――そんな状況だった。だから、街で彼女を知らない人は居ないし、なんなら彼女を傷つけようとする人は居ないだろう。だが、有名だからこそ、付け狙っている連中がいることも確かだ。

 

 苦笑するホムラに、サタヒコは肩を竦ませた。

 

「なら、女の子を一人で街を歩かせるのは、男としてさせられないってことで」

 

 彼は、遠慮するホムラにウィンクをして笑いかけた。

 

「それにさ……君と話がしたかった」

「私は……もう、ヒカリちゃんではありませんよ」

「そんなことは、分かってるさ。なら、言い直す。俺は、ホムラ……君と少し話がしてみたいんだ。ダメかい?」

「……分かりました」

 

 サタヒコの念押しに、ホムラは困ったように笑みを浮かべて頷いた。

 そうして、二人並んで歩き始める。

 

「……それで、話って?」

 

 ホムラが聞くと、彼はわざとらしく肩を竦ませて、微笑む。

 

「何、特に話したいことなんてなんだけどさ。なんか、悩みがありそうだったから……俺でよければ話して欲しいなって。君のこともよく知りたいしね」

 

 なんて、キザっぽく格好つけて彼は言う。

 それに、ホムラはクスリと笑う。

 

「よく分かりましたね。私が、悩んでるって」

「そりゃあね。伊達に長生きしていないさ。これでも、人を見る目はあるつもりさ」

 

 マルベーニによって、ブレイドイーターにされたサタヒコは二十代半ばの見た目に反して、その実五百年以上生きている。五百年前の聖杯大戦で、一人になっていたところをシンとラウラに拾われた。その後、アデルやヒカリの旅路に同行している。ヒカリとの付き合いは、その頃からだと言ってもいい。

 

「それで、話してみない? こういうのって、あんまり親しい人じゃない方が話しやすいっていうだろう?」

「……そう、ですね」

 

 ホムラは、ゆっくり頷くと、空を見上げた。

 

「―――……私は、前に進めているんでしょうか?」

「前に?」

「ええ。皆、前に進んでいます。色々なことを乗り越えて……でも、私は―――」

「進めていないって?」

「はい。私だけ、なんだか取り残されているような……そんな気がするんです。変ですよね」

 

 言い終えて、彼女は申し訳なさそうに微笑む。

 それにサタヒコは、

 

「良いんじゃねえか」

「えっ」

「別に、無理して進まなくたって」

 

と言った。

 前に進めない人、変化を受け入れられない人―――それはどこにだっている。何も、彼女が特別というわけではない。周りが変わっていくから、それに慌てる気持ちも分かる。

 彼の言葉に、ホムラは驚いたような顔で彼を見上げる。

 

「……そういうわけにはいかないでしょう」

「そうかな。それに、そういう話なら、俺だって前に進んでねえよ」

「そんなことありません。サタヒコさんも、ちゃんと前を見ているでしょう」

 

 彼は、イーラの元メンバーであり、今では彼女らの仲間で、トラと共に研究をしている。そういった変化を前進というのなら、そうなのだろう。

 

「確かに、俺は未来に向かっているさ。でもな、それは俺自身の足で進んだわけじゃない。レックスやトラ、ヒカリや君に背中を押して貰ってここにいる。君たちがいなきゃ、俺はここまで来られなかったさ」

「私達が……?」

「そうさ。俺に未来を指し示してくれたのは、皆だ。もちろん、君も含めてね」

 

 彼は明るく彼女に笑いかける。

 彼女が戸惑うのも無理はない。

 ホムラは生まれたばかりなのだ。確かに、ヒカリの中で五百年存在し続けたといっても、それは一人ではなかった。ヒカリから生み出された人格―――それがホムラだ。だから、彼女個人として存在し始めたのは、三年前の新大陸創造時である。初めての個人、初めての孤独に、彼女はどうしたらいいのか分からないのだろう。それに胸中を話すことに、ホムラは慣れていない。今までは、ヒカリが聞いてくれていただろうが、今はそうはいかない。自分から誰かに話さないとダメなのだ。

 

 三年間、そう思い続けてきたのか。

 それとも、今になって大きくなったのか。

 

 サタヒコにはそれは分からない。

 サタヒコとホムラの付き合いも、三年とはいえ、殆ど交流はなかったのだから。

 彼の言葉に、ホムラは幾分か胸のつかえが取れたのか、どこか表情は明るくなった。

 

「他にも、悩みがあるなら聞くぜ?」

「いえ、もう大丈夫です。ありがとうございます」

「そうかい?」

「はい」

 

 自分が前に進まなくても、誰かを前に進ませることができるなら、それでもいいのかもしれない。

 ホムラはそう思った。

 それに、これ以上の話はサタヒコにするものではない。

 この先はレックスやヒカリに話さなければならないことだ。

 その切っ掛けは作った。

 後は、話す勇気だけ……。

 

「まあ、あんまり抱え込むのはよくない。また、悩みでもできたら相談に乗るぜ」

「……はい、ありがとうございます。サタヒコさん、そうやって女性一人一人に親身になってあげていれば、好感を持たれると思いますよ」

「―――うぐっ……そ、そうかな」

「はい、そうだと思います」

 

 にっこりとそう言うホムラに、サタヒコは胸に刺さるものを感じる。無論、彼女に悪意はないのだろう。顔を見れば分かる。

 頭を抱えつつ、隣の少女を見やった。

 笑っている少女を見て、彼は小さく微笑む。

 

 ―――これでいいんだよな、シン。

 

 憎み合ったって、もうどうにもならない。そもそも、彼は彼女たちを憎んだことなんてない。目の前に困っている女の子がいるんだ、助けるのは当たり前だ。例え、かつて敵同士であったとしても。

 少しずつでいい。

 自分なりの在り方で、前に……―――。

 

 二人は噴水広場までやってくると、ホムラが立ち止まってサタヒコの方に向き直った。

 

「ここでいいですよ。ありがとうございます」

「そうかい? じゃあ、またね」

 

 サタヒコは踵を返すと、トラの家の方に歩き出す。そんな彼の背中に、

 

「あの―――!」

 

 ホムラの声が掛かる。

 それに、彼は振り向いて、

 

「―――ヒカリちゃんと話したいことがあるんですよね?」

 

 五百年前のこと。

 ミルトのこと。

 

「ヒカリちゃんも、あなたと話したいと思っています。会ったら、話しかけてあげてください。ヒカリちゃんからは、話しかけづらいと思いますし……」

「………、ああ、分かった。今度、会ったらな」

 

 サタヒコは、彼女に手を振って、微笑みながらそう言った。そして再び、帰路につく。

 ふと見上げた空は、清々しいほどに真っ青で。

 子供達の笑い声が耳に入ってくる。

 サタヒコは思い出す。

 

 ―――酷い世界だろ、この世界は―――

 

 メツ、確かにこの世界は酷いことばかりだ。人と人との奪い合いは、今でも絶えない。略奪によって弱い者が淘汰され、力のある者が笑う。それは世界が変わった現在でも、変わってない。

 

 ―――でも、悪いことばかりじゃあないだろう?

 

 少なくとも、俺はシンやラウラに出会えたこの世界は、嫌いじゃない。

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 

 

 

 ホムラは孤児院の子供達と遊んだり、食事をしたりしていた。ここにいるのは戦争や、盗賊による略奪によって村を追われた者、アーケディアからの難民、そういった子供達ばかりだ。そんな彼らは、優しく接してくれるホムラに大変懐いていた。子供によっては、大人を警戒して部屋から出てこない子も、彼女にだけは心を開いている。ホムラの見た目がまだあどけない少女だからだろう。それもあって、この孤児院を運営する老人は彼女に子守の依頼をする。

 老人は普段、商店を切り盛りしている関係上、昼間はどうしても子供達から目を離さないといけないときがある。

 だから、彼にとってホムラがやって来てくれるのは大変助かっている。おまけに、子供達も彼女に懐いている。ホムラの子供達に接する顔は、とても慈愛に満ちていて、それでいて楽しそうに見える。

 

 子供達と遊んでいると、困った顔をしている女の子がやってきた。

 

「ホムラお姉ちゃん、カイル達が帰ってこないの」

 

 カイルというのはこの孤児院の年長者で、彼らは今日職業訓練という名目でノルキア伐採場へ行っていた。女の子の言うとおり、もうすぐ日が暮れる。確かに、帰りが遅い。暗い中、モンスターの多い平原を子供達だけで歩いて帰ってくるのは危険だ。

 ホムラは涙を浮かべている少女の頭を優しく撫でながら、言った。

 

「大丈夫、私が様子を見てくるから。他の子達をお願いできます?」

「うん、分かった」

 

 ホムラはトリゴのアーチを抜け平原に出た。段々と雲行きが怪しくなってきた。空は厚く、灰色の雲が垂れ込み、幾ばくもしないうちに雨天に変わる気配を見せる。

 

 急がないと……!

 

 彼女は、モンスターの群れの中を走り抜ける。

 すると、平原中央―――ザインの標木の周りにゴゴール達が群がっているのが見えた。その真ん中でカイルと共に出かけていった子供が二人、泣き叫んでいた。

 

 ホムラは剣を取り出すと、大気中のエーテルを吸収し、剣に込める。

 

「プロミネンスリボルト!!」

 

 炎を纏った剣を地面に突き刺すと、ゴゴール達の足下から炎柱が立つ。炎につつめれたゴゴールは、体勢を崩し、炎を消そうとジタバタし、ホムラを見た。彼らの標的は、彼女に切り替わる。

 

 ホムラは襲いかかってくるモンスターを見据え、剣を構える。

 その場に居るゴゴールは三体。

 まず一体が彼女に向かって、拳を下ろした。それを難なく躱し、地面に打ち付けられた大きな拳に向かって彼女は剣を振る。怯んだ隙を突いて、頭部に攻撃を入れた。

 すると、残りの二体が彼女に向かって突進をしてくる。ホムラは地面を蹴って、一匹目を躱し、二匹目の攻撃を剣の腹で受け止めて後方へ飛んだ。地面を滑りつつ、体勢を整え直すと、更なる追撃が襲いかかってくる。迫ってくる張り手に、ホムラは姿勢を低くして回避し、そのまま相手の足を切りつけ姿勢を崩した。そして、その場に転んだゴゴールの頭に斬撃を入れ、すぐさま残る一体に向かって、得物を投げつける。

 

「ブレイズエンド!!」

 

 放たれた赤い剣は、高速で回転し残るゴゴールを切り刻む。

 断末魔の叫びを上げたモンスターは、倒れ動かなくなった。

 周囲に襲ってきそうなモンスターがいないことを確認して、彼女は息を吐いた。そして、怯えきった子供達の元へ駆け寄る。

 

「大丈夫ですか?」

「うん……ありがとう。急に襲ってきて……」

「もう大丈夫です。……あれ、カイルくんは? 一緒じゃないんですか?」

「―――そうだ! カイルと逃げてる途中で、はぐれたんだ!」

「どこに行ったか分かります?」

「た、多分……ターキンの巣がある方、だと思う。そっちに行ったんだ」

 

 ターキンの巣……恐らくターキンの占領地だろう。あそこには人語を解するターキンがいる。だが、あまり人とは友好的ではない。子供一人そこに向かったとなれば……。

 カイルを急いで助けに行かなければならない。けれど、この子達だけでトリゴの街まで帰すわけにはいかない。

 悩むホムラの目の前に、アルマをつれた商隊が歩いていた。彼女は、彼らに近づいて事情を話すと、子供達を商人達に預けて、ターキンの占領地へ向かった。

 

 段々と暗くなっていく平原を進んでいき、湖近くの巨大な木の根っこを伝って登っていく。ターキンの占領地に着くが、いつもなら居るはずのターキンの姿が一匹も見られなかった。

 不気味なほどの静けさ。

 ホムラは不安になりながらも、剣を持つ手に力を込める。

 辺りを見渡しながら、探している少年の名前を大きな声で呼んだ。果たして、返答があった。ターキン達が掛けたのであろう吊り橋の上に少年はいた。

 

「ここだよ!」

「そこで待っていてください! 今行きます!」

 

 ホムラは少年を見つけられたことに、安堵して大急ぎでツタを登り、吊り橋へ向かう。一つ目の吊り橋を渡り、踊り場を抜けて二つ目の吊り橋へ向かった。吊り橋の上にいる少年―――カイルには怪我一つ見当たらない。多少の土汚れがある程度だ。

 

「よかった、無事で」

「ごめんなさい。こんな所まで……」

「いいえ、モンスターに襲われたんでしょう? なら、謝る必要はありません。ただ、皆から離れるのは感心しませんね」

「うっ―――はい」

 

 落ち込んで頭を垂れる少年に、彼女は微笑みかけながらその頭を撫でた。

 

「帰りましょう、皆心配しています」

「うん」

 

 彼の手を引いて、彼女は踵を返した。

 すると、吊り橋と吊り橋の間にある踊り場に来たときは居なかった人影があった。黒いローブにフードを目深に被っていて、顔は見えない。体格からして男のようだ。

 

「―――誰です?」

 

 ホムラは警戒しながら、そう問うた。

 すると、

 

「今日は悪いことばかり起きると思ったら、良いこともあったみたいだ」

 

 男はゆっくりとホムラを見た。カイルは怯えて、彼女の後ろに隠れる。

 意味の分からない男の返答に、ホムラは顔を顰める。

 

「あの……あなたは一体―――」

 

 ホムラが言いかけたその時だった。背後に居たはずのカイルが、いつの間にか男の手中に収まっていた。首を掴まれて少年はジタバタと暴れる。

 

「止めて!」

 

 ホムラは男へと迫り、剣を振った。男はそれを難なく回避して、笑って言う。

 

「いいよ。その代わり―――」

「―――ぐっ」

 

 一瞬にして、男はカイルを解放し、代わりにホムラの首を掴んでいた。解放されて咳き込む少年は、すぐに息を整えて、

 

「ホムラ姉ちゃん!!」

 

と叫んだ。

 近づいた男の顔が見えた。暗がりでも怪しく光る金色の瞳……だが、それは左目だけで、右目はどうやら怪我をしているらしい。右目は閉じられ、そこから血が出ていた。

 男はホムラを嘲笑うように笑みを浮かべて、彼女を大木へと叩き付けた。何度も、何度も、何度も。男はホムラを離すと腰からナイフを取り出した。

 叩き付けられた彼女の頭からは血が迸る。途切れそうな意識をなんとかとどめ、泣いているカイルに言った。

 

「に、げて……早く………!」

 

 ホムラの言葉に少年は、立てずにいた。

 そんな彼を見て、男は笑って彼女の頭から髪飾りを取った。それを少年の方へ投げて、「手土産だ」と言った。血に汚れてしまった、真鍮の髪飾り。それを震える手でカイルは拾いながら、

 

「すぐ、助けを呼んでくるから!」

 

と走って行った。

 少年の後ろ姿を見ながら、男は言う。

 

「健気だね。君も、彼も……」

「……っ………」

「まあ、いいや。取られたものを、取り返さないと」

 

 男は手に持ったナイフを、彼女に突き立てる。腕を切られて、うめき声を上げる彼女は男を睨付けて蹴り上げた。男は何でもないといったように避ける。ホムラはフラフラと立ち上がりながら、落ちている自らの剣を取りに走り出した。

 

「おっと、それはいけないなあ」

「―――がはっ」

 

 男はホムラの目の前に出ると、その腹を蹴る。急所に食らった彼女はその場に蹲る。そして、地面に頭を押さえつけられる。

 

「うう……」

 

 うめき声を上げながら、ホムラは男を睨んだ。男はどうやらそれすらも楽しんでいるようで。

 嬉々としながら、彼女の右目に刃物を近づけていく。迫り来るそれに、ホムラは抵抗するも虚しく―――

 

「ああああああああああああああ!!」

 

 右目を持ってかれた。

 余りの激痛に、息を切らす。なんとか、意識を男に向けると、男はホムラから抉り取った眼球を眺め、ポケットに仕舞った。そうして、さらに彼女の首を掴むと、

 

「悪いね。でも……前に進むには必要なことなんだ」

 

と悪びれもせずにそう言って、彼女のコアクリスタルに手をかざす。

 嫌な予感がした。

 

「やめ――――」

 

 翠玉色のコアクリスタルは、光を放つ。

 

 何もかもを奪われるような感覚。以前、メツにコアクリスタルをいじられたときよりも酷い。

 胸が痛い。

 体中が痛い。

 目の前が真っ暗になる。

 

 ―――レックス。

 ―――ヒカリちゃん……。

 

 様々な感覚が一斉にホムラを襲い、彼女の意識は闇へと落ちていった。



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1-4 血の痕

 スペルビア本国から巨神獣船でグーラに向かうこと一日―――レックス達は軍港に着くなり、兵士がグーラ周辺で集めた情報に目を通していた。

 基地内の会議室で、古いものでは二年ほど前から数日前までの調書。そのどれもが、スペルビアで読んだものとほぼ同一の内容だった。コアクリスタルを失ったブレイド、その傍に胸を損傷した即死のドライバーの遺体。そして、人気のない場所や時間帯。発見まで数日は掛かっている。中には、人間一人だけの遺体の情報も含まれているが、関連性があるかどうか分からない。とりあえず、入れていると言った状況なのだろう。

 やはり、ここでも犯人についての足取りや、情報は全くない。

 スペルビア本国と比べて人口が少なく、自然豊かな広大な大地が広がっている。自ずと死角になる場所は増える。

 調書と地図を見比べていたレックス達に、兵士が部屋の外からやって来て、メレフに耳打ちしていた。

 

「そうか……」

「どうしたの?」

 

 深刻な面持ちで頷いたメレフに、レックスが首を傾げる。

 

「今朝、遺体が発見されたそうだ」

 

 その言葉に、その場にいた全員が彼女を見た。静まりかえる会議室に、レックスの声が響く。

 

「行こう。どこなんだ?」

「……スキートの巣らしい。現場は保存されている」

「なら、急ごう」

 

 青年の言葉にヒカリもニアも頷いた。それに、メレフも頷く。

 彼らはグーラ基地を出て、トリゴのアーチを抜けてスキートの巣を目指す。途中旅人の止まり木を通過し、襲いかかってくるモンスターをいなしていく。

 スキートの巣にたどり着くと、巣の入口にはスペルビア兵が数人見張りをしていた。彼らにメレフが姿を現すと、兵士達は彼女らを奥へと通した。

 そこを根城にしていたスキートはおらず、あるのは暗い穴の中に何本かの木々と、洞窟の壁を背にぐったりとした遺体があるだけだった。遺体の胸からは大量の血が流れ出たのだろう、地面までも真っ赤になっていた。その傍らには、胸のコアクリスタルを失ったブレイドがいた。こちらもピクリとも動かない。数日すれば、このブレイドの肉体は消失するだろう。

 レックス達は遺体に近づき、その周辺を目を皿にして見渡す。

 ニアは顔を顰めながら言った。

 

「何で、こんな風にコアクリスタルを奪うのかな? 見たところ、このドライバー、かなり腕が立つ人だよ。そんな人を、一撃で……」

「確かに、お嬢様の言う通りかもしれません。犯人はかなりの手練れでしょう」

 

 腕の立つドライバーを、一撃で亡き者にしている。犯人の実力は火を見るより明らかだ。

 ただ―――そんな実力者がこんな非効率な方法をとるのだろうか。

 こんな人気のない場所にいるドライバーとブレイドをわざわざ見つけて、目的のものを奪う。かなり非効率だ。組織だってやっているのか、個人がやっているのか、それはまだ分からないけれど。場所もかなり分散している。スペルビア、グーラ、インヴィディア、メレフの話ではルクスリアでも被害が出ている。各地を転々と回りながら、人気のない場所にいるドライバーを狙う。

 ニアはそこに引っかかりを感じていた。

 

「コアクリスタルなら、軍の倉庫を狙った方が大量に手に入るだろう」

 

 ニアは言った。

 彼女の言うとおり、軍のコアクリスタル貯蔵庫を狙った方が一度に得られるコアクリスタルは多い。それに、そこを守っている兵士はドライバーでないことが多いから、戦いにおけるリスクは低い。

 ニアの主張に、ヒカリが否定する。

 

「いいえ、そっちの方がこの犯人にとってリスクが高いのよ」

「どういうこと?」

「犯人は、かなり巧妙に自分の痕跡を残さないようにしている」

 

 足跡も、被害者の外傷にも何も残さない。

 だから、彼らは手詰まりなのだ。

 ヒカリに、メレフが頷く。

 

「ああ、ヒカリの言う通りかもしれないな。軍の倉庫を襲えば、確かにニアが言うとおり一度に大量のコアクリスタルが得られる。残念なことに、軍の貯蔵庫を見張っている兵士は、並のドライバーに比べたら実力不足だ。だが、見張っているのは一人や二人ではない」

「ええ、一度に襲う人数が増えれば、その場に残す痕跡も増えるわ」

「それに、軍を襲えばその場にいる兵士を始末したところで、何らかの方法で足がつく」

 

 そこまでの侵入経路、逃走経路。軍内部の通信で、犯行がすぐ外部に漏れ出る。

 

「犯人は徹底的に、自分の証拠を残したくないのよ。それに―――」

 

 ヒカリは言いながら、遺体の傍に膝を突いてその腰の辺りを指さした。遺体の男の腰にあるポーチだった。半開きのそのポーチには、

 

「ここ見て。コアクリスタルが入ってる」

 

 しかも未同調の、青いコアクリスタル。今すぐにでも同調ができる状態だった。

 

「相手は、無闇にコアクリスタルを奪ってるわけじゃないみたいね」

 

 もし、コアクリスタルそのものを狙っているのであれば、これに気が付かないはずがない。

 何を目的にコアクリスタルを集めているのか、どんなコアクリスタルを狙っているのか。まだ分からないことだらけだ。

 以前、マルベーニもコアクリスタルの洗礼と言って、自らに有用なものを選んでいた。

 それに近いのかもしれない。

 だが、その法則性が分からない。見た目や能力が特殊な個体を選んでいるわけでもなさそうだった。現に、ここに横たわっているブレイドは一般的によく見るブレイドだ。

 

 レックスは、目の前の遺体を見つめる。目を見開き、恐怖に満ちた顔で死んでいる。

 彼はそっと、男の目を閉じた。

 そして自らの胸に握りこぶしを持ってくると、目を閉じ黙祷を捧げる。

 レックスは立ち上がると、メレフを見た。

 

「近くをちょっと、見て回らないか? 何かあるかも」

「……そうだな」

 

 彼の提案で、大背骨の境界の方へ向かった。かつてはウモンの造船所への道だったが、海ができたことで廃業したらしい。他の場所で、造船技師として働いているとか。

 足を踏み入れて暫くして、彼らは異変に気が付く。

 おかしい。

 モンスターの数が少なすぎる。

 そして、奇妙なほどに静かだった。

 一同は、警戒しながら歩を進める。

 すると、奥から悲鳴が聞こえた。男の悲鳴だ。

 彼らは顔を見合わせて、悲鳴のした方へ走り出す。グーラ上層左半身―――その中程にあるメルナス左肩区にさしかかったところで、それは見えた。

 胸から血を出した人、倒れているブレイドが二体……そして、

 

「やめてくれ……!」

 

 震える声で、目の前の人に懇願するドライバーと思しき男の姿だった。

 そのドライバーは尻餅を尽きながら、後ずさる。ドライバーに迫るように、ローブを身に纏った人物がいた。ドライバーは、駆けつけたレックス達を見ると、

 

「た、助けてくれ!」

 

と叫んだ。

 そして、なんとか立ち上がって彼らの方へ走り出す。

 だが―――

 

「え―――?」

 

 男は背中を突かれたような感じがして、立ち止まる。そうして、目の前に見える腕を見た。黒い手袋に覆われ、ローブの袖が赤黒く染まっている。その出所は、自分の胸からで。

 レックス達はその光景に、息をするのも忘れた。

 男の背後から、謎の人物の腕が彼の胸を貫き、その手には、

 

「――――っ!!」

 

身体を離れても尚鼓動する肉の塊が乗っていた。

 それを見たドライバーは絶望を顔に映し、そして……

 

「やめろおおおおおおおおおおおお!!」

 

 レックスの叫び声が響く。

 果たして心臓は握りつぶされ、男の目から光が消えた。ぐったりとする男の身体から腕を引き抜くと、着いた血を払い落とすように腕を振った。

 そいつは、レックス達には見向きもせず立ち去ろうとしていた。

 そんなローブの男に、メレフが剣の切っ先を向けて言った。

 

「待て!! そんなことをして、逃がすと思っているのか!?」

 

 だが、男は彼女の言葉を意に介さないかのように、踵を返した。そのまま歩き出した彼の周りを、一瞬にして青い炎は行手を阻む。男はゆっくりと彼女らの方を向いて、懐から黒塗りのダガーナイフを取り出した。炎がフードの中を照らすが、黒い仮面をつけていて顔を見ることは叶わなかった。

 男の様子に、いっそう警戒心を強めた一同は武器を構える。

 そして一直線に蒼炎が男に迫る。それを横に躱すが、先を見ていたレックスが斬りかかる。隙をついたはずの一撃は、しかしナイフによって受け止められ、弾かれた。

 

「うっ」

 

 体制を崩してしまったレックスを援護するように、ニアがツインリングを両手に飛びかかり、その下にビャッコが衝撃波を放つ。男はレックスから離れるように後方に飛び、衝撃波を回避し、踊るようなニアの攻撃をいなし、身を翻して回避する。そして、彼女の腕を掴んで投げ飛ばした。

 投げ飛ばされた彼女をビャッコが拾いに行く。

 更に男への攻撃は続く。

 メレフは二本のサーベルを鞭状に変形させ、足りない間合いを埋めつつ攻撃を仕掛けた。仕掛けた攻撃はたやすく弾かれるが、彼女は気にせず男へと迫り間合いを詰めた。鞭からサーベルへ、高速で変形させ切りつける。

 目を見張るような剣戟。常人ならば、目で追うのもやっとなやり取りを、彼女たちは息を切らすことなく繰り広げていく。剣とナイフがぶつかり合う音と、舞い散る火の粉。

 相手はダガーナイフ一本―――対してメレフは二刀流のサーベル。彼女の方が手が多い分有利に思えるが、男はたった一つの武器で彼女の攻撃を全て受け止め、いなしていた。僅かな隙に、レックスが加勢するもそれすら決定打にはならない。

 男は斬りかかったレックスの聖杯の剣を、一瞬でナイフを逆手に持ち替えて受け止めると、剣の腹を滑らせるように彼の懐に飛び込んできた。そのままレックスを切りつけ、

 

「――――くっ」

 

 彼はギリギリ回避できた。頬を切られ血が出ているが、回避が間に合わなかったらそれだけでは済まなかっただろう。因果律予測で、少し先の男の動きが見えていたからこそ間に合ったに過ぎない。

 

「レックス!」

「大丈夫、ちょっと顔を切られただけだ!」

 

 背後のヒカリの声に、彼は応える。

 レックスは唇を噛んだ。

 いくらヒカリの能力で未来が見えていたとしても、男の動きに身体がついていけていない。

 先を読んだとしても、相手の動きについて行くので精一杯。

 速いんだ。

 動きもそうだけど、相手の行動に対する対応と、その判断がとてつもなく速い。

 

 レックス達は男から距離を取って、息を整える。

 帝国最強のドライバーと、天の聖杯のドライバー二人がかりでも押し負けている。対して、相手はブレイドすら連れていない。ブレイドの加護がある彼らと、全くない男とで、明らかな身体能力の差を感じざるを得ない。

 相手は強敵だ。このままでは、彼らが消耗するのは目に見えている。

 だからといって、このまま逃がすわけにもいかない。

 レックスは、剣を握る手に力を込めた。

 動きの速い相手。

 ただ単純に、斬りかかっただけではまた弾かれ、反撃される。その反撃をまた回避できるとは限らない。

 どうする?

 どうする、どうする?

 考えるんだ。

 ……動きが速い。

 速すぎて、攻撃が当たらない。

 相手以上の速さで動けなければ……。

 そうか―――!

 

「ヒカリ、全力出したらどのくらい速く動ける?」

「……! そんなの、光にだって負けないわ!」

「なら―――! 俺たちでなんとか引きつける。メレフ!」

「ああ、委細承知した! 行くぞ、カグツチ!」

「ええ、わかりました!」

「アタシも、行けるよ!」

「同じく!」

 

 レックスは剣を構え、メレフ達に目配せする。それに銘々にうなずき合って、動き始めた。

 多くを語らずとも通じ合える。それは、彼らがともに信頼し合い、そして幾多の死線をくぐり抜けてきたからだ。例え、強敵相手でも、仲間がいれば勝機は見える。諦める、という言葉は彼らにはなかった。

 レックスがまず一直線に男への駆け出した。

 

「ダブルスピンエッジ!!」

 

 身体の捻りを利用して放たれる二連撃。

 男はそれを華麗に回避するも、その着地点を狙ってメレフからの攻撃が迫る。

 

「蒼炎剣・弐の型・明王!!」

 

 鞭状に変形させたサーベルを地面に叩きつけ、男に向かって蒼炎が走り出す。地面を這う炎に、男は跳ぶ。空中に跳び出して行った男の身体目掛けて、

 

「ワイルドロア!!」

 

 ビャッコの口から衝撃波が飛ぶ。

 空中で回避不可能だと判断したのか、男はその衝撃波を回避せずに受け止めた。受け身を取って、受けた攻撃はほとんど相殺されたのであろう、無傷だった。だが、吹き飛ぶその身体に追撃の手が伸ばされる。

 

「燐火!」

 

 メレフから受け取ったサーベルを振り、カグツチは得物から炎を飛ばす。彼女から放たれた炎は男目掛けて進んでいく。

 男はダガーナイフで、一つ炎をを撃ち落とし、着地する。だが、彼へ向かう炎はまだある。向かってくる炎を、彼は左に動いて回避しようとするも、それは追尾してくる。性質をすぐ理解し、躱すのを諦め向かってくる炎を全て撃ち落とした。炎幕が男を取り囲む。

 一瞬だけ視界が塞がれた男に、

 

「フォトンエッジ!!」

 

 ヒカリの超高速の連撃が降りかかる。

 最初こそ彼女の攻撃を避けたり、弾いたりしていた男だったが、徐々に彼女の動きについていけなくなってくる。

 エーテル全開の彼女の動きは最早光速に近い。いくら早く動けるからと言って、光りの速さには敵わない。

 数多の斬撃にとうとう、

 

「ぐっ―――――」

 

ヒカリの剣が男の顔に入った。

 だが、ギリギリで躱したのか、男の仮面が地面に落ちる。右半分が割れた黒い仮面。

 顔を抑え、後ずさる。

 顔から血が滴り、地面に落ちる。

 手で顔を抑えているためその容貌は確認できないが、決定打はもう入った。男の後ろは崖だそう逃げ場はない。

 そんな男に、レックス達は武器を向けながら近寄る。

 

「もう、逃げ場はないぞ」

 

 レックスが言った。

 蹌踉めく男は、そのまま足を滑らせるように、

 

「お、おい! その先は――――」

 

 レックスの制止も虚しく、背中から崖下へ、落ちて行った。

 慌てて駆け寄る彼らだったが、彼らが下を覗いたときにはすでに男の姿はなかった。崖下は霧がかっていて見通しが悪い。

 しかし。

 

「この下は海だ。いくらあやつが強いからと言って、ここから落ちて無事では済まないだろう」

 

 メレフは帽子の鍔を下げながら言った。

 それに怪我もしている。

 

「でも、追わなくていいの? だって、人を殺したんだよ」

 

 ニアが不安気に顔を顰める。

 

「ああ、放っておくつもりはない。しかし、我々とて無事ではないんだ。後のことは兵士にやらせる」

 

 彼女の言う通り、彼らも無傷というわけではない。

 男との戦いで消耗しているし、怪我だってしている。それに何よりも、海に潜る用意だってしていない。

 雲海がなくなり、代わりに塩っぱい大量の水が現れた。雲海に潜った際の圧力と今の海で掛かる圧力は代わりないが、含まれる大量の塩分が従来のサルベージスーツを侵してしまうため改良が必要となった。サルベージャーには死活問題ではあるが、海から採れる古代の遺物は依然として需要がある。雲海からの海に変わっただけで、彼らの生活は変わっていないと言ってもいい。

 しかし、国としては新大陸の開拓が最優先だったこともあり、急に広がった海原にはあまり手が回っていないのが現状である。彼らにとって、海はまだまだ未知な世界である。何の準備も無しに飛び込み、犯人を追うのは自殺行為に等しい。

 それが分かっているから、レックスもニアも渋々メレフの言葉に従った。

 レックスは男が落ちて行った崖を見ながら、

 

「サルベージスーツ持ってくれば良かったかな」

 

 と小さく呟いた。

 そんな彼の呟きを隣で聞いていたヒカリが、眉を寄せた。

 

「何、君飛び込むつもりなの?」

「スーツがあれば、出来ただろう?」

「そんな怪我してるくせに、よく言うわね。呆れた」

「ヒカリだって、アイツのこと気になるだろ。それに、これで終わりって気がしなくてさ……」

「……それは」

 

 彼の言う通りだ。

 あんな男が一撃貰って、海に落ちたからって終わるわけがない。相手は殺人犯だ。場合によっては、ブレイドだって殺してる。人の命をどうとも思ってない。許せるはずがない。

 それはヒカリも同じだ。

 相手に顔に剣が刺さった瞬間、彼女は怯んでしまい攻撃の手をやめてしまった。躊躇わずに、もう一撃、それこそ足にでも入れて動けないようにしておけば良かった。

 彼女は自分の掌を見つめて、唇を噛んだ。

 そんなヒカリの手に、レックスの手が重なる。

 

「そんな顔しないでくれよ。君の所為じゃない」

「レックス」

「さあ、行こう。急がないと、街に着く頃には夕方になっちゃう」

 

 彼は彼女の手を引いて、先を行くメレフ達へ駆け寄った。

 トリゴの街への道中、彼らはニアの力で傷を治していた。レックスの頬の傷も綺麗に塞がる。

 

「ありがとう、ニア」

「どーいたしまして」

 

 ニッと笑うレックスに、ニアは照れくさそうにはにかむ。

 その間、メレフはスキートの巣にいた兵士に、先程のことを報告していた。周辺の警備は一層強化されることだろう。

 そう言えば、とニアが言った。

 

「ホムラもこの前、怪我してたなあ」

「それっていつ?」

 

 レックスが聞いた。

 

「一週間くらい前、かなあ。モンスターに囲まれててさ、結構酷い怪我だったんだよね。まあ、モンスターはアタシとビャッコでなんとかなったけどさ。聞いてないの?」

「あ、ああ……」

「あの子……!」

 

 レックスはおずおずと頷き、ヒカリは今はいない片割れに対して拳を振るわせていた。

 そんな彼らに、ニアは肩を竦ませた。

 

「レックス達に言ったら、滅茶苦茶怒られそうだから言わなかったのかもね」

 

 などと戯けて言う。

 だが、すぐに彼女は真剣な表情になって、

 

「でもさ、あのくらいのモンスターで、ホムラが苦戦するなんて、ね。なんかあったの?」

「さあ……そういうこと、ホムラは全く言わないから。でも、前からそういうことは結構あったんだ」

 

 半年前の大怪我もそうだし、それよりも前にもちょくちょく怪我して帰ってくることはあった。だが、その当時は、ヒカリもレックスも同じようなものだった。ゲートからの力の供給がなくなって、思うように力が使えなかったから。三年前はそれに彼らは困惑し、慣れるまでにそれなりに時間が掛かった。だから、大して気にしていなかったけど。

 ニアに言われてみれば、ここ一年くらいのホムラはなんだか調子が悪い気がする。

 だから、ヒカリは彼女を戦わせたくないのかもしれない。

 

 レックスにニアは「へえ」と頷き、腕を組んでいるヒカリを見た。

 

「ヒカリは何か、聞いてないの?」

「何も」

 

 棘のある、どこか不機嫌な声音だった。

 

「私が聞いても『大丈夫、なんともない』って返ってくるだけよ。そのくせ、任務に行っては怪我してるし、私の言うことなんて全く聞かないんだから! あの子は!」

 

 段々と語気が強くなっているのは、気のせいではないだろう。

 彼女は怒りを露わにしながら、傍らの青年を睨付ける。それに気が付いたレックスは、たじろぐ。

 

「え、えーと……俺にも怒ってる?」

「当たり前でしょ!」

「ええ……何で」

「そんなの、あの子に任務に行かせるからよ。それで怪我して帰ってくるんだから!」

「確かにそうだけどさあ。でも家にずっと押し込めておくのも可哀想じゃないか。それに、モンスターならリベラリタスにも沢山いるだろう?」

 

 何も彼女が怪我して帰ってくるのは、任務が原因だけではない。たまに、イヤサキ村の子供がモンスターに連れ去られたりすることがあり、それをホムラが助けに行くこともある。それで怪我をすることもある、とコルレルに聞いている。

 ヒカリは顔を赤くして、捲し立てるように言う。

 

「それでも、よ! 次、ホムラが怪我して帰ってきたら、絶対に任務をやらせないでよ!!」

「任務は俺が言ってどうこうなるものでもないんじゃ……」

「団長でしょ、君!」

 

 団長だからと言って、皆が皆彼の言うことに従うわけではない。寧ろ、レックスが何を言ったって聞かないのはヒカリ方だ。ホムラだってたまに意地を張って、聞いてくれないこともあるし。

 言い合う彼らに、ニアがビャッコの背に乗ってゆったりとしながら言った。

 

「というかさ、家にいて可哀想だって言うなら、ヒカリもレックスも仕事の回数減らして家にいればいいんじゃない?」

 

 彼女の発言に、彼らはピタリと動きを止めてニアを見た。

 そう言えば、この仕事を受けたときも彼女は寂しそうな顔をしていた。それに、家に一人でいて寂しいと口では言わない彼女だが、顔には書いてあった。

 そして気まずそうにしたのはレックスだった。

 

「い、いや……だって、やらなきゃいけないこともまだまだあるしさ」

 

 世界を股に掛ける傭兵団―――フレースヴェルグ、そこには毎日山のような依頼が世界中から殺到している。それを各々毎日のようにこなしている。その傭兵団の団長たるレックスは、団員の誰よりも忙しく世界中を飛び回っていると言っても過言ではない。仕事中毒のメレフに似たり寄ったりだろう。

 ここ一年、忙しさが落ち着いたとはいえそれでもやらなければならないことは、山積している。団全体の管理や、団員のケア、たまに団員の起こした問題に対処したり、と団長としての仕事は山のようにある。その一部をズオやユウ、たまにホムラなどに頼んだりしている。

 彼の言うことも一理あった。

 それでも。

 

「じゃあ、仕事とホムラどっちが大切なの?」

 

 ニアが、どこか彼を揶揄うように言った。

 まるで、どこぞの恋愛小説に出てくるような、そんな台詞にヒカリがドギマギする。

 そんな彼女らの心中を察することなく、彼は真面目な顔して宣う。

 

「そんなの、ホムラに決まってるじゃないか」

 

 何を言っているんだ、と言わんばかりの青年の顔に少女達は半眼になる。

 普段はそんなこと言わないくせに……。

 もしも、この場にホムラがいたら顔を赤くして、恥ずかしそうにしながら喜んでいただろう。

 何も言わなくなった少女達に、レックスは首を傾げた。

 そんな彼らのもとに、メレフ達が帰ってきた。彼女はクスクスと笑っている。

 

「なら、彼女との時間も大切にすべきじゃないか?」

「メレフ様の言う通りよ。仕事ばかりじゃ、ホムラも寂しいわよ」

「メレフにカグツチまで……。そういう、メレフはどうなんだよ?」

 

 レックスは大人にまで責められて、若干拗ねたような態度になる。

 彼の質問に、彼女は首を傾げる。

 

「どう、というと?」

「仕事とカグツチどっちが大切かって話」

「仕事……と言いたいところだがな。こればかりは、場合によるな。内容が陛下の命や国の存亡に関わることなら、無論仕事だ。だが、今回みたいな仕事でカグツチの命が危ういなら、私はカグツチを選ぶ」

「メレフ様……」

 

 メレフの回答に、隣のカグツチは感銘を受けている様子だった。

 

「だが、レックス……君はそうではないんだろう? 仕事よりも、彼女が大切ならそちらを優先すべきだ。休暇でも取って、ホムラと一緒にいてあげればいい」

「……それは、考えてはいるけど」

 

 レックスは罰が悪そうに、目を反らした。

 成長したとはいえ、まだまだ少年らしい姿のレックスにメレフは微笑む。

 

「もちろん、ヒカリもな」

「私?」

「そうだ。聞くところによると、君も仕事ばかりしているらしいな。たまに、草原を灰にしているらしいが」

「ひ、一言余計よ。……分かったわよ! 今度、ホムラと買い物にでも行くわ」

 

 不器用な二人に、メレフとカグツチはそろって、やれやれと顔を見合った。

 

「さて、そろそろ街に戻りましょう? まだ、日が高いとは言え、街に着く頃には日が沈んでいるでしょうし」

 

 カグツチが進言した。

 今は四時くらいだろうか。彼女の言うとおり、まだ日は高いがここから街まで距離がある。のんびりしていたら、街に着く頃には夜になっているだろう。早く基地に戻って、準備をして犯人捜索の手伝いをしたい。街や基地に行けば、サルベージスーツくらいあるだろう。

 レックス達は頷いて、歩き始めた。

 

 彼はサルベージャー業を謂わば、引退したに近い状況だった。傭兵団の仕事の方が大変で、そっちに手を回す余裕がないといえばそれまでだが。それでも、休日には彼の育ての親であり巨神獣のセイリュウを連れて、海にサルベージしに行っている。だから、現状サルベージは彼にとって趣味のような感じになっている。依頼でたまにサルベージしなければ手に入らないような品物を要求されることだあるくらいで、以前のように本腰を入れてやっているわけではない。

 未だに海から引き上げられる未知なるもの、古代の遺物……それに心躍らされる感覚や、それを改良して人々の役に立てられていくのは彼にとって生き甲斐を与えてくれる。だから、やめられないのだ。

 雲海から、海に切り替わったことでサルベージによる死亡事故は格段に増えた。それ故に、ヒカリやホムラに心配され止められるが、それでも彼はサルベージを辞めることはしなかった。

 今、ここにいる自分の出発点でもあるから。

 サルベージャーでなければ、ホムラやヒカリ、ニア達に会うことも、楽園にたどり着くこともできなかった。

 彼は遠くを見た。

 広大な草原と、その先の海、そして―――世界の中心にそびえ立つ世界樹。

 かつて、世界樹の上には楽園があると言われていた。でも、実際の楽園は想像していたような綺麗な場所ではなくて。そこにたどり着くまでに、沢山の仲間と幾つもの戦いを越えて、そうしてたどり着いたのは枯れ木と砂に埋もれる廃墟だった。それに絶望したのかと言われれば、そうではなかった。皆がいたから。そして、楽園は世界樹の上なんかじゃなくて、今いるこの大地とそれに続く新しい大地だと気づけたから。

 世界に絶望し、人に絶望した神がいた。

 最後にはその神に希望を託されたけど……。

 

 ―――クラウスさん、俺たちちゃんとやれてるかな。

 

 貴方が望んだように。

 草原を走る少し湿った風に吹かれながら、彼は今は亡き神を思う。



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1-5 喪くしたもの

 スキートの巣での捜査、犯人との対峙を経て、彼らはトリゴの街へ向かっていた。街入り口のトリゴのアーチに近づいてきたときにはすでに日は沈み、雨雲が低く垂れ込めいた。

 アーチにつながる道を、トーチの明かりが煌々と照らしていた。その先には、夜になっても活気のある商店街が見えてくる。そこを抜け更に進めば、トリゴ基地がある。まずはそこに帰ってから、今の状況を確認しなければ。調査報告書に目を通しながらの夕食になるのだろう。

 レックスは取り敢えず、雨が降り出す前に基地に辿り着かなければ、と歩を進める。が――――

 

「ま、待って!」

「うおっ」

 

 後ろから服を引っ張られて、彼は一瞬よろめく。

 そして、背後を見ると、十歳前後の少年が彼の服を掴んでいた。その顔は泥と汗で汚れている。しかし、それ以上に、何かを必死に訴える目、今にも泣きそうな目をその少年はしていた。

 

「君は確か孤児院の……」

「レックス兄ちゃん! 助けて!」

「助けてって、何、を――――!」

 

 少年の目線に合わせてしゃがむと、彼が必死に握っていたものが目に入った。

 それは真鍮の髪飾りだった。真ん中に翠玉色の石が嵌められた髪飾り。でも今は、それが血に汚れていて。

 

「それ……ホムラの………」

 

 咄嗟のことに、声が震えた。

 彼の声に、ヒカリ達も事態の異様さに気がついたようだった。

 

「それどこで!?」

 

 レックスは少年の肩を掴むと、そう迫った。

 少年は泣きながら、

 

「た、ターキンの……! そ、そこでホムラ姉ちゃんが!」

「……―――分かった、俺たちで何とかする!」

 

 嗚咽混じりに少年の言葉は要領を得なかったが、それでも僅かな情報の中から彼らは理解して頷く。しかし、このまま少年を一人にしておくこともできない。悩む彼らの前に、

 

「レックスですも!」

 

ハナの声が届いた。

 声のした方を向くと、ハナと一緒にトラとサタヒコが居た。レックスは咄嗟に、少年をトラ達の所へ連れて行った。

 

「トラ! この子を頼む!!」

「え? どうしても?」

「理由は後で話すから、取り敢えず頼んだ!」

 

 彼はそう言い残して、街を出て行った。

 折りしも雨が降り始め、雷鳴が轟いていた。濡れる暗い草原を、彼らはひたすら走っていた。途中襲いかかる獣をあしらいながら、巨木の根を伝い、双樹の丘を登っていく。

 蔦を登らなければならない岩壁を、レックスは左腕のアンカーを使って一気に登った。周囲を見渡すが、何も誰もいない。彼は焦りながら、奥へと進む。

 木でできた踊り場から伸びる吊り橋、その奥に光るものがあった。

 闇の中でぼうっと光る緑色のエーテル光。

 それを見た瞬間彼は走り出した。

 

「ホムラ!!」

 

 一気に駆け寄り、横たわる彼女を抱き上げる。

 ぐったりとした四肢。身体中切り傷だらけで、全身血だらけだった。でも、その中でも腹部からの出血が酷い。

 彼は腹から流れ出る血を少しでも抑えようと、腹の傷を手で押さえる。が、それでも止めどなく流れ出ていく。

 

「ホムラ! ホムラ!」

 

 必死に彼女を呼ぶが、応答がない。

 どんどんと熱が流れていくのを感じる。無慈悲にも、彼女の体温は降り頻る雨によって奪われていく。

 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 ホムラが死ぬなんて、絶対に嫌だ。

 

「――――――っ!!」

 

 レックスは歯を噛み締め、無意識に彼女の腹を押さえる手に力が入る。強く抑えたからだろう。彼女は口から大量の血を吐き出し、小さな呻き声をあげた。

 

「―――ぅあ………っ」

「ホムラ!」

 

 まだ生きてる!

 彼らの元に遅れて、ニア達が到着する。

 誰もがホムラの状況を見て、息を飲むが、

 

「ニア! ホムラの傷を治してくれ!」

「……! わ、分かった!」

 

 レックスの声にみんな我に戻る。

 メレフはヒカリやカグツチに周囲の警戒を呼びかけた。

 ニアはいつもの黄色い装束から、一瞬で白い装束へと姿を変える。髪は腰よりも長くなり、頭頂部の耳は、いっそう大きくなった。ブレイドとしての彼女の姿。ニアはその姿になると、ホムラの傍に膝をついて両手をかざした。両手の周囲に淡い光が出る。

 これで傷が塞がる……はずだった。

 

「なんで?」

 

 戸惑いの声がニアから発せられる。それにビャッコが反応する。

 

「お嬢様、どうされたのですか?」

「傷が治らないの! 普通なら、もう治ってるのに!」

 

 慌てふためくニアの様子に、一同は困惑する。

 応急処置をしても、腹の出血量から街にたどり着くまで保たない。それに出血してるのは腹だけではない。腕も、足も、頭も、右目からも出血している。

 ニアは他の傷にも試すが、効果は一向に現れなかった。焦る少女達に、メレフが声を上げた。

 

「カグツチ! お前の炎で傷口を焼くことはできるか⁉︎」

 

 それを意味するところを、カグツチは一瞬で理解し頷く。

 

「ええ、可能です!」

 

 カグツチは力強く頷くと、ニアの隣に膝をつく、そして腹を押さえているレックスに聞いた。

 

「いいかしら?」

「ああ、頼む!」

 

 彼は頷くとホムラの華奢な腹から手を上げた。その場所にカグツチの青い手が置かれる。

 雨のせいで彼女の炎の威力が低減されているが、傷口を焼くくらいの熱量はわけない。カグツチは手にエーテルを集中させ、熱を出す。彼女の周囲には、その熱によって発せられた蒸気が漂っていた。

 雨が地面を打ちつける音、雨が蒸発する音、そして肉が焼ける音がした。

 すると、ホムラは腹を焼く熱に反応したのか、少し痙攣したのち、呻き声とともに血を吐き出す。

 

「あ……うぅ………かはっ」

 

 そんな少女の姿に、レックスは顔を歪ませて彼女を抱きしめる。

 

「ホムラ、ごめん。本当に、ごめん」

 

 守ってあげられなくて。

 何も、出来なくて。

 そんな状態の彼に、ビャッコが冷静に言った。

 

「お嬢様、レックス様。他の傷も手当てしましょう」

「―――ああ。 分かった」

「そうだね」

 

 彼らは頷いた。レックスは彼女をゆっくりと地面に横たえると、腰の小物入れから包帯やガーゼを取り出した。ニアも包帯とハンカチを取り出すと、カグツチが処置した腹部にハンカチを当てその上から包帯を巻いた。

 レックスから包帯を受け取ったカグツチも、ホムラの腕の傷に巻き始めた。彼は小物入れから白いを取り出すと、出血の酷い彼女の右目を覆うように巻いて縛る。だが包帯もハンカチも、巻いた側から赤く染まっていく。

 彼らはそれに顔を顰める。

 ある程度の応急処置を終えて、レックスはホムラを背負った。

 

「急いで街に戻ろう」

「ああ、そうだな。トリゴ基地のそばに、新しく病院ができている。そこに向かおう」

「分かった」

 

 メレフの言葉にレックスは頷き、走り出す。

 途中の崖はビャッコの背中にホムラを乗せて降ろしてもらい、それ以降はレックスが彼女を背負って草原を駆け抜けた。

 背中から伝わる彼女の体温、耳元からは弱々しい吐息が聞こえる。ぐったりとした彼女の身体は、ずっと軽くて。レックスは唇を噛みながら、走り続けた。

 

 ――――絶対に、助けるから。

 

 走る彼の背後で、ホムラの背中を支えながらヒカリが走る。時折り襲いかかってくるモンスターはメレフとニアが対処した。レックスは周りを見向きもせず、ひたすら街を目指して走る。

 雷鳴と土砂降りを浴びながら、ようやく街に辿り着いた彼らをトリゴの街の人々は息を飲みざわめく。

 それすらも彼らの耳のは入らない。

 商店街を抜け、橋を渡り、基地手前の新しい建物に押し入る。

 もちろん、中にいた病院のスタッフだろう人達は驚き、慌てる。が、メレフの姿を見ると一変する。

 

「メレフ様! 如何されましたか?」

 

 初老の男がやって来て、メレフが言った。

 

「怪我人だ。大至急頼む!」

「は、はい! 奥に!」

 

 彼女の言葉と、青年の背にいる少女を見て男は奥の部屋へと走った。レックスはそれに続き、部屋の中にあるベッドの上に彼女を横たえた。すると、何人ものスタッフが彼女を囲み処置し始めた。

 レックスはふらふらと、後ずさる。

 そして、部屋の外にいるよう言われてしまった。

 締め出された彼らは、廊下で待つより他はなかった。廊下の床には、レックス達が持ち込んだ雨水で濡れていく。ずぶ濡れの彼らに、病院のスタッフの一人がタオルを持って駆け寄って来た。メレフがお礼を言って受け取ると、彼らに配り始めた。

 そしてメレフが言った。

 

「私は一度軍に戻る」

 

 それに彼らはうんともすんとも言わなかったが、彼女はカグツチを連れてそのまま病院を後にした。残されたレックスとヒカリは、廊下にあった木製のベンチに腰掛ける。項垂れるレックスに、膝を抱えるヒカリ、地べたに座って天井を仰ぐニア、その隣にビャッコが座っていた。

 果たしてどのくらいの時間が経ったのか、彼らには分からない。

 数分か、数時間か、それとも数秒だったのか。

 静寂だけがそこにあるだけで。

 奥の部屋からは、時折り医者達の戸惑いの声が小さく聞こえてくる。

 それにレックスは握りしめる手に力を込めるしかなかった。

 ホムラの無事を祈ることしか出来なかった。

 すると、入り口の方から声がした。

 

「アニキ……」

 

 トラの声だった。

 彼の隣には、人工ブレイドのハナと彼の助手をしているというサタヒコもいる。トラはおずおずとレックスに近寄ると、物憂げな表情で首を傾げた。

 

「ホムラちゃんは、大丈夫も?」

「……分からない」

 

 辛うじて出た声は掠れ、震えていた。

 うまく答えられないレックスに変わって、ビャッコが状況を説明した。

 

「かなり酷い状態でした。お嬢様の力も効きませんでしたし……」

「ニアの力が効かなかったって!?」

 

 サタヒコが驚いて声を上げた。

 マンイーターとして、ニアが得た特異な力―――生命の再生、どんなものも生きている限り再生し治癒する。かつて、天の聖杯メツとの戦いでも、彼の全てを消し去る力にも抗していた力である。死にかけていたスペルビア帝国の皇帝ネフェルを助けたことだってある。傷を治すなんて、彼女の力の前では簡単なことこはずであった。

 それが全く効かなかった。

 何も出来なかった。

 それがニアにとって悔しかった。

 ホムラは大切な仲間で、友達で。

 ニアは唇を噛んで、俯いた。

 そんな彼女をビャッコは静かに見て、

 

「今は……ホムラ様を信じるしかありません」

 

 力強くそう言った。

 それはニアだけに言った言葉ではない。この場にいる全員に向けた言葉だった。レックスやヒカリ、ニアやトラ達……そして自分自身に向けた言葉だった。

 

「そう、だな……」

 

 サタヒコが頷いた。

 その声に、レックスとニアが顔を上げる。

 そしてレックスはトラを見た。

 

「トラ、あの子は?」

「あの子どもなら、家に帰したも」

「酷く動揺してましたも。それからこれ……ホムラのですも」

 

 とハナがホムラの髪飾りをヒカリに渡した。

 少年は持っていた時は血がベッタリと付いていたが、拭いてくれたのだろう綺麗になっていた。それを震える手で受け取ると、胸に抱き寄せた。

 彼女の様子に、レックスは顔を顰める。

 

「それで、その子何か言ってなかったか?」

 

 レックスは再度尋ねた。

 今度はサタヒコが答える。

 

「聞いたんだがな、気が動転してあんまりな。ただ、急に変な男が現れて、ホムラを傷つけ始めたって言ってた」

「男? 顔は?」

「それがフード被ってたし、暗かったからよく見えなかったってよ。まあ、いきなりそんな光景見せられれば、冷静に観察なんてしてられないだろうし。仕方がないさ」

「そっか……」

 

 レックスはゆっくりとホムラのいる部屋の扉を見た。

 

「ホムラなら、何か見たのかな?」

「どうだろうな」

 

 見た目以上に肝っ玉の据わった少女だ。例え、急に襲われて、怪我を負ったとしても周りを冷静に見る大胆さを彼女は持っている。もしかしたら、襲って来た相手の顔なり特徴を細かく見ているかもしれない。

 ニアはふとした疑問を口にした。

 

「でもどうして、ホムラがグーラに?」

「お仕事ですも。孤児院の子どものお世話をしてたんですも」

「孤児院の? ならなんで、あんなところに?」

 

 自分がついているからといって、ホムラが子どもを連れてあんなモンスターの巣窟に行くはずがない。ニアはそう言いたかった。

 

「トラ他の子に聞いたも。なんでもショクギョー体験とかで、ノルキス伐採場に行ってた子がいたんだも。その子達が、帰りにモンスターに襲われたって言ってたも」

 

 それでホムラは平原に出て、子ども達を助けに行った。道中のモンスターや、子どもを襲っていたというモンスターは彼女一人でなんとかなったのだろう。問題はその後だった。

 予期しない男の登場で、彼女はあんな目に遭った。

 フードを被った男―――それは奇しくもレックス達が昼間に対峙していた人物に重なる。

 

「もしかして、俺たちの所為……なのかな?」

 

 レックスがそう呟いた。

 トラが首を傾げる。

 

「どういうことも?」

「昼間、俺たちある事件を追っててさ、それで犯人みたいな男と戦って……」

 

 そして取り逃がした。

 もしそうなのだとしたら、ホムラが狙われた理由もなんとなく分かる気がする。ヒカリにやられた傷を、ホムラで仕返しをした。それもずっと残酷に。

 手に力を込めすぎて、レックスの手は震えていた。

 

「レックス……まだ、アイツの仕業だって決まってないじゃないか。偶々、アタシ達が会った奴と、ホムラをやった奴がグーラに居ただけかもしれないだろ」

 

 ニアがレックスを励ますように言った。

 もし彼のいう通りなら、それは彼だけのせいじゃない。一緒にいたニアやヒカリだってそうだ。

 

「そうだぜ、レックス。自分を責めるなよ。そんな顔してたら、ホムラだって気を落とすぜ」

 

 サタヒコもニアに合わせてそう言った。

 そんな彼らの激励に、レックスは元気なく微笑む。

 

「ありがとう、二人とも」

 

 そして、パンっと自分の両頬を叩くと、

 

「よし! ホムラのことは心配だけど、落ち込んでもいられないな!」

 

 彼は声を上げると、勢いよく立ち上がった。

 

「取り敢えず、俺はホムラが倒れてた所をも一回見てみるよ。まだ、何かあるかも」

「トラも行くも! ホムラちゃんの仇を取るも!」

「ご主人、ホムラを勝手に殺しちゃダメですも。もちろん、ハナも行きますも!」

「なら、私も―――」

 

 ヒカリの声を遮って、レックスが言った。

 

「いや、ヒカリはここにいてくれ」

「な、なんでよ? 武器もなしにどうするのよ?」

「そっか、丸腰じゃあ確かに心許ないな……ニア来てくれる?」

「えっ……ああ、うん。それはいいけど……」

 

 ニアは予想外の申し出に、一瞬たじろぐも頷き、隣のヒカリを伺った。

 レックスのそんな態度に、ヒカリは声を上げる。

 

「ちょっと、何で私じゃないわけ?」

「君はホムラの傍にいてあげるんだ。ホムラだって、ヒカリが傍にいてくれた方が、いいに決まってる」

「………」

 

 真っ直ぐに彼はヒカリを見て言った。

 誰よりも近くにいて、誰よりも大切な存在だからこそ。

 ヒカリはホムラの傍にいるべきなんだ。

 彼の想いと、言いたい事を胸に彼女は渋々といった様子で頷く。そうして唇を尖らせながら、

 

「分かった。そこまで言うなら、そうするわよ」

 

ヒカリの素直じゃないその態度に、レックスは苦笑する。

 

「素直じゃないね、君」

 

 本当は、ホムラの傍を離れたくないって顔に書いてあったのに。

 レックスの一言に、ヒカリが顔を赤くして噛み付く。

 

「う、うるさいわね。こう言う性格なんだから仕方ないでしょ。それから、無茶しないでよ。もし、アイツにあったら……」

「ああ、分かってる。戦わないで、逃げるさ」

 

 彼は強く頷いて、彼女を見る。

 それにヒカリも、真顔で受け止める。

 レックス達は、ヒカリを残して病院を出て行った。

 ヒカリは出口に向かっていく彼らの背中を見ながら、ベンチに腰を下ろした。ふと壁にかけられた時計を見て、ここに来てからもう三時間も経ったことを知る。

 廊下奥の部屋はまだ閉じられたままだ。

 ホムラはまだ出てこない。

 

 

   ◆

 

 

 再びターキンの占領地を訪れた一行は、ホムラが倒れていた付近を見ていた。ここからの見通しは悪くないが、下からここを見るのは難しい。それに時間も時間だ。目撃者はいないに等しいだろう。

 それにターキンの姿もない。

 彼らから何か聞ければよかったけど、いないものは仕様がない。

 雨は上がり、周囲からは虫の鳴き声がさざめく。

 ホムラが倒れていた所には、雨でだいぶ洗い流されているとはいえまだ大量の血痕が残っていた。近くの大樹の幹にも僅かに血痕がある。

 それを見て、サタヒコが顔を顰める。

 

「こりゃあ、酷いもんだ。相当な怪我だったんだろ?」

「ええ、相当な恨みでもあったかのような、感じでした」

 

 ビャッコが静かに言った。

 身体中の切り傷、穿たれたような腹の傷、血塗れの頭部、右目からの酷い出血、どれを見ても咄嗟に付けたような傷ではない。時間にして、数分から数十分は難くない。

 それだけ長い時間、ホムラは一人で戦っていた。

 痛みや恐怖と戦っていたはずだ。

 

 レックスは木製の踊り場や、それを繋ぐ吊り橋を観察するが、雨に流されたのか痕跡と言えるものは何もなかった。

 

「トラ、そっちはなんかあった?」

 

 大樹に作られた踊り場からは、梯子が上に伸びていてさらに上に行ける。上の階からトラが顔を出す。

 

「ダメも。こっち何もないも」

「そっか」

 

 降りて来たトラと合流して、彼らはとぼとぼと歩き始めた。

 黙って歩く彼らの後ろで、サタヒコは周囲を見渡して言った。

 

「なあ、ホムラを見つけた時も、ターキンはいなかったのか?」

「え? ああ、そうだけど……」

「ソイツらはどこに行ったんだ?」

 

 確かに、そうだ。

 その名の通り、いつもならターキンが沢山いるはずだ。それが一匹もいないなんて、おかしい。ホムラが一人で全滅させるなんてことはしないだろうし、襲った男もホムラ一人を襲うために全滅させたとは考えにくい。仮に、ターキンが全て殺されたとするなら、その死体はどこにある? 隠そうとして、すぐに隠せるものでもない。

 謎が増えるばかりだ。

 レックスが戦った男。

 ホムラを襲った男。

 消えたターキンと、コアクリスタルを奪う犯人。

 一体何が起きてる?

 関連があるのか、ないのか。

 それすら分からない。

 嫌な予感がして、レックスは身震いをした。

 これ以上、嫌なことが続かなければいいけど……。

 真っ暗な草原を彼らは歩きながら、帰路についた。

 

 

   ◆

 

 

 翌朝、カラッと晴れたトリゴの街とは対照的にレックス達の気は落ち込んでいた。ホムラの治療はレックス達が帰って来たときは終えており、今は真っさらな病室で寝ていた。

 まだ開院前の軍事医院だからだろう。ホムラの他に患者はいない。数名のスタッフが開院準備に向けて、廊下を走り回っている。

 彼女の部屋は個室で、一つのベッドしかない。

 ベッドで寝ているホムラの顔は、ほとんどが包帯とガーゼで覆われている。額にも、布団から出ている左腕も包帯の白が目立つ。左腕からはチューブが上に伸びていて、そこに繋がる袋があった。袋にはエーテル輸液と呼ばれる液体が満たされている。それがチューブを経由してホムラに供給されている。

 彼女を治療した医者が、ホムラがブレイドだと聞いてそういう処置をしたらしい。

 静かな病室。

 聞こえるのは彼女の吐息くらいだろう。

 窓から差す燦々と輝く陽光が、彼女の身体を柔らかく照らすも目を覚ます気配すらない。

 それをじっとヒカリは見つめていた。

 たった一人で、ベッド脇の椅子に座ってホムラを見ていた。

 怪我を負った自らの半身。

 そっと布団の中のホムラの手を取る。その手はやはり包帯で白くて、痛々しくて。優しくそれを握りしめる。ホムラの常人よりも高い体温が、ヒカリの心に染み渡る。

 

 

『もしかしたら、ホムラは目を覚まさないかもしれない』

 

 

 数時間前に、ヒカリが彼らに告げた言葉だった。

 もちろんそれを聞いた彼らはひどく動揺していた。

 

「ど、どういうことだよ?」

 

 震える声でニアが聞いた。

 言いたくはなかった。

 答えたくはなかった。

 でも、言わなければならないことだから。

 ヒカリが意を決して、しかし彼らの目を見ることなく答える。

 

「ホムラの胸に、コアクリスタルがなかったの」

 

 レックスが追っている事件との繋がりを感じた。

 彼女を発見したときは暗くて、それどころじゃなかった。治療を終えた彼女が病室に運ばれたとき、こっそりホムラの胸元を見て確信した。

 

 コアクリスタルはブレイドにとって、命や心そのもの。それを失ったり、壊されればブレイドは死んでしまう。コアクリスタルの一部が欠損してしまえば、自我が壊れて自分が何者かわからなくなる。

 アーケディアの女神―――ファンがそうだったように。

 しかし、ホムラは特別だ。コアクリスタルが欠けても、なくなっても存在できる。それが天の聖杯の特殊性故だろう。

 だが、無理やり奪われた場合はそうはいかない。かつて、モルスの断崖でメツにコアクリスタルを滅茶苦茶にされたとき、正直二度と目が覚めることはなかった可能性もあった。あの時、レックスの手を取ったから、レックスと命の共有をしていたからなんとかなっただけで。

 だから、コアクリスタルを奪われているホムラが目を覚ますかどうか、分からない。

 レックスと戦った男との関連は分からないけど、彼らが追っている事件とは同じかもしれない。ただ、いつもと違うのはホムラが生きていること。

 

 気まずくて俯く彼女に、レックスが言った。

 

「分かった。俺はメレフに所に行ってくる。ヒカリ達はホムラの所にいてくれ」

「レックス……」

「ホムラをやったヤツをすぐ見つける。そしてコアクリスタルを取り返すんだ」

 

 ヒカリの手を取って彼は言った。

 真っ直ぐな目で。

 それにヒカリの心が揺れる。

 本当は君だって、ホムラ傍にいたいはずなのに。

 どうして、そうやってすぐに前を向ける?

 いや……そういう彼だからこそ、惹かれたのだ。

 私も、ホムラも……。

 

 レックスは「ホムラを頼んだ」と言い残して、基地にいるメレフの所へ向かった。

 残されたヒカリとニア、トラ、サタヒコ達は交代でホムラを看ることにして、今はヒカリが彼女を看ていた。だからといって、何ができるわけもなくただ見ているにすぎないけれど。

 

 コアクリスタルがなくとも存在できるが、その状態で長い間保てるかと言われれば、答は否だ。ホムラに残された時間はそう多くない。

 レックスが打ちのめされながらも、前を向くのは仕方のないことだった。落ち込んで、立ち止まっている余裕はないのだ。彼女を助けるためには、自分の感情を抑えるべきなのはヒカリにも分かっている。

 しかし、今自分にできることはホムラの傍にいることなのだろう。

 ホムラがそれを望むのなら、そうすべきなのだ。

 ホムラが寂しがり屋なのも、それを口にしないで我慢していることも知っていた。知っていて、私は……。

 

 ―――ねえ、ホムラ。言いたいことがあるなら、言ってよ。言わなきゃ、分からないわよ。

 

 もう、二人で一つではないのだ。

 あの頃とは違う。

 頭の中で会話をすることはもう出来ないし、常に一緒にいるわけじゃない。記憶の共有だって出来ない。ホムラが何を見て、何を感じたのか想像することしか出来ない。

 彼女はじっとホムラを見る。

 傷だらけで眠る片割れを見ていた。

 

 それから、三日が経った。

 ホムラは依然として目を覚まさないし、ヒカリはそんな彼女の傍を一時も離れようとしなかった。

 三日三晩、食事も取らずただ黙ってホムラの傍らに座っている。ニア達がヒカリに交代を申し出ても、拒否される始末。流石に、彼女たちも心配になってくる。

 躊躇いながらも、ニアはそっとホムラの病室に入り動かないヒカリを見て顔を顰める。

 

「……ヒカリ」

「………何」

 

 呼べば辛うじて返事が返ってくるが、ニアの方は全く向こうとしない。

 それに嘆息しつつ、ニアは近づいていった。

 

「……そろそろ、交代しようよ。このままじゃ、ヒカリも倒れ―――」

「私は、ブレイドよ。このくらいで倒れるわけないじゃない」

「でも……」

 

 食事だって取らなくたって死んだりしない。ただ座っているだけで、倒れる身体はしていない。

 ヒカリの言いたいことは分かっている。分かっていても、心配なのだ。

 淡々と返ってくるヒカリの声に、ニアは何も言えなくなってしまう。何か言わなきゃいけないのに。ヒカリを説得して、ここから連れ出して、休ませなきゃいけないのに。その言葉が出てこない。

 不甲斐なさに、ニアは唇を噛むだけ。

 すると、サタヒコが病室に入ってくる。

 立ち尽くすニアと、三日間同じ姿勢のヒカリを見て彼はわざとらしくため息を吐いた。

 

「ったく、いつまでそうしてるつもりだ。ヒカリ」

「……別に、私の勝手でしょ」

「酷い顔してるぜ? その顔を見たホムラはどう思うだろうな」

「―――あんたに、何が分かるのよ!?」

 

 サタヒコの言葉に触発されて、ヒカリが弾くように立ち上がって彼を睨付けた。

 しかし、彼はそれを凪いだ目で見下ろして、

 

「そういうヒカリは、分かってんのかよ?」

「………っ!!」

「その顔は、分かってんだろ? なら、嫌でも飯食って、寝て、その顔どうにかしろよ。ホムラがお前にその顔して欲しくないって一番分かってんのは、ヒカリ……お前だろう」

「………」

 

 サタヒコに言われて、ヒカリは俯いて手を握りしめる。

 そうだ。

 ホムラがそんなこと望んでいないって、知ってるはずなのに。

 彼女が誰よりも優しくて、心配性なのは知っているはずなのに。

 私、何やってんだろう。

 

「ごめん……ニア、後よろしく」

「あ、ああ……分かったよ」

 

 ふらふらと出て行くヒカリの後ろ姿を、物憂げな顔でニアは見送る。

 そんなニアの顔を見て、サタヒコは苦笑した。

 

「ヒカリは、俺に任せろ」

「うん。よろしく」

 

 頷いた彼女は、ヒカリが座っていた椅子に腰を掛ける。

 三日前と何も変わらないホムラの姿を見て、何かを言おうとしてやめた。

 

 病室を出て行ったヒカリの後を追って、サタヒコは歩いた。隣を彼が歩こうが、彼女は気にしていない様子だった。それに肩を竦ませながら、気が付けばトリゴ商店街まで来ていた。そのまま宿屋に入ろうとした彼女を引き留めて、噴水広場のベンチに座らせた。

 

「ほらよ」

 

 近くで買ったサンドイッチを彼女に手渡すと、彼はその隣に腰を掛けて自身もサンドイッチを頬張り始めた。そんな彼の行動に、彼女は半眼で見ていた。

 

「何よ、あんた」

「ん? こうでもしないと、食べないだろう」

「今は、食欲ないわ」

「なくても食べろよ。食い意地が張ってるヒカリらしくない」

「何が言いたいわけ?」

「……別に」

 

 サタヒコは食事を進め、その隣でヒカリはサンドイッチを手に持ったまま彼を見ていた。

 食事を終えた彼は空を見上げて、息を吸い込む。

 そして、

 

「……あんたと話がしたかった」

 

と切り出した。

 三年間、先延ばしにしていたわだかまりを彼はやっと口に出す。

 

「五百年前のこと、覚えてるか?」

「急に、何?」

 

 怪訝な表情を見せる少女を無視して、彼は進める。

 

「―――ミルトのこと」

 

 彼がその名前を出したとき、隣で息を飲む音が聞こえた。

 それでもサタヒコは空を見たまま続ける。

 

「俺は、ヒカリに言わなきゃいけないことがあってよ」

「……何、私の所為だって言いたいんでしょ」

「違う、そうじゃない。俺は、ヒカリを恨んだことなんてない。ミルトが死んだことも、イーラが沈んだことも」

「そんなはずないじゃない! 私が、イーラも! ミルトも! 何も守れなかったから!」

「何言ってんだよ。守れなかったのは、ヒカリだけじゃない」

 

 あの場にいたアデルやラウラ、シンやカスミも同じだ。

 

「それによ、あんたは本気が出せなかったって聞いた。その所為で、メツに押し負けたことも」

 

 誰に聞いたのかは定かではないが。シンだったか、ラウラだったか、カスミだったか。とにかく、その場にいた人に聞いたのは確かだ。そして、自分の力の所為だと、罪悪感に押しつぶされて閉じこもって、ホムラを生み出してしまった。

 

「俺はさ、謝りたかったんだ。―――ごめん、あの時あんたの手振り払ってしまって」

 

 ミルトの亡骸を抱くサタヒコに近づいて、ヒカリはミルトに触れた。その手を、振り払ってしまった。

 それを後悔し始めたのはいつだったか。百年二百年経ってからだったかもしれない。

 

「それからさ、ありがとう」

「え?」

「ヒカリは、五百年前に果たせなかったことをやってくれた」

 

 アデルやラウラ達がなし得なかった、メツの討伐。そして、世界に絶望して破壊しようとしたシンを止めてくれた。

 五百年前の使命を、果たしたのだ。

 ヒカリは、震える声で言う。

 

「あんたは、私のこと……恨んでないの?」

「……さっき言っただろう。恨んでないさ。恨むとするなら、あの時何もできなくて、守られることしか出来なかった俺自身に、だ」

 

 そう、ミルトに守られて、その結果彼が死んだ。その後も、守られてばかりだった。ラウラに守られて、カスミに守られて。守ってくれた皆は死んで、自分は五百年も生きている。

 惨めで、不甲斐ない。

 そのくせ、シンにくっついて世界を壊して、人間を皆殺しにしようなどと……軽蔑せざるを得ない。

 

 サタヒコの言葉に、ヒカリの瞳が揺れる。

 暫くの沈黙の末、ヒカリはいきなりサンドイッチにがっつき始めた。

 急な彼女の行動に、一瞬きょとんとするも彼は苦笑してそれを眺めた。そして、物を喉に詰まらせたのか、ヒカリが苦しみ出す。慌てて水を差し出すと、それも勢いよく飲み始めた。

 落ち着いていれば可憐な少女そのものなのに、どうしてこの娘は落ち着きがないのだろう。おっちょこちょいで、自信過剰で、でもそれがヒカリだ。

 少しいつもの調子に戻ったヒカリに、サタヒコは安堵する。

 食べ終わって一息つく彼女を横目に見て、

 

「今回は、ホムラに感謝しないとな」

「……何のこと?」

「ホムラなんだよ。俺にヒカリに話しかけてやってくれって。話したいことがあるなら、そうするべきだってな」

「……また、お節介な」

「でも、そのお陰でお互い気が晴れただろ」

「ま、まあね」

 

 腕を組んで不遜な態度をとる少女。不器用な彼女らしい。

 サタヒコはそんなヒカリを見て言う。

 

「ホムラも、ホムラで何か悩んでるみたいだったぜ」

「悩んでるって、何を?」

「『自分は前に進めているのか』ってな」

「何よ、それ……」

 

 一緒に進んできたつもりだ。

 楽園に辿り着き、全てを終えて、レックスと三人で同じ家に暮らしている。それぞれが出来ることをやって、未来に進んでいるではないか。

 ヒカリの考えを読んだのか、サタヒコは顔を顰めた。

 

「ヒカリ……ホムラはまだ自分というものが分かってないんじゃないか」

「え?」

「ホムラは生まれたばかりだ。三年前に生まれたばかりなんだよ。今まではお前に着いていくだけで、お前の考えに従うだけで良かったんだ。でも、分離してそうじゃなくなった。ヒカリはヒカリの道を進んでいるだろうけどな……ホムラにはまだないんだよ」

「………」

 

 ホムラには自分というものがなかった。ヒカリの第二人格として、彼女の傷も罪も使命も背負って、ヒカリの代わりをしていたに過ぎない。ホムラは、ヒカリが思っているよりもまだまだ幼い。

 サタヒコの言葉が胸に刺さる。

 三年間、それを抱えて生きてきたのか。

 自分の在り方を探して、いや……探し方すら分からないまま………。

 私は、私のことしか見ていなかった。

 最初からそうだったかもしれない。ホムラは私だったから。

 ヒカリはヒカリ自身を見ていて、ホムラはヒカリしか見ていなかった。

 

「ホムラは自分がどこに進めば良いのか分からないんだ。だったらさ、君が導いてやるべきだろ。ヒカリの道を一緒に進ませる必要はない。一緒に考えて、背中を押してやるだけでいい」

 

 サタヒコのアドバイスを聞いて、彼女は彼を見た。

 不安げな琥珀色の瞳に、彼は優しく語りかける。

 

「ヒカリにとって、ホムラは何なんだ?」

 

 その問いかけに、しかしヒカリは迷わなかった。

 そんなもの決まっている。

 

「家族よ。私のかけがえのない―――妹、みたいなものかしら」

 

 ヒカリの答えに、サタヒコは一瞬きょとんとし、そして大きく笑い始めた。

 

「あははははは、妹……ねえ。随分と頼りない姉貴だな」

「なによ!」

 

 顔を真っ赤にして、頬を膨らませるヒカリにサタヒコの笑い声は絶えなかった。

 しっかり者の妹とおっちょこちょいな姉貴、か。

 まあ、それはそれで悪くはないが。

 一頻り話し終えて、彼女は宿屋へ向かった。

 

 

   ◆

 

 

 一眠りを終えたヒカリは、幾分スッキリした顔で病室に戻った。元気を取り戻したヒカリを見て、ニアは驚いていた。

 

「ニア……サタが昼食作ってるってさ。行ってきなよ」

「うん、ヒカリは……大丈夫?」

「ええ、問題ないわ。ぐっすり寝たし。ホムラは私が見てるから」

「分かった」

 

 ニアは頷くと立ち上がって部屋を出て行った。

 再び一人になったヒカリは、ゆっくりと椅子に腰掛けてホムラを見る。

 

「ホムラ……起きたら話たいことがあるの」

 

 彼女の呟きは静かに、部屋の中に消えていった。

 そうして、三日間そうしてきたように、ホムラを手を取って優しく握りしめる。手から伝わる温もりが、ホムラが生きていることを教えてくれる。

 祈るように握っていると、

 

「……?」

 

 僅かに握り返されたような気がした。

 そして再び、微かにホムラの手が動いた。

 

「ホムラ?」

 

 立ち上がって彼女の顔を覗き込む。

 瞼が痙攣して、やがてゆっくりと目が開く。赤い瞳が見えた。

 緩慢な動きで周囲を見渡した後、赤い瞳がヒカリの顔を捉える。

 

「ホムラ!」

 

 ヒカリの呼びかけには答えず、ぼんやりと彼女を見ていた。そうして、赤髪の少女は小さな声で、けれどもはっきりと言った。その声は、静かな病室に小さくも響き渡る。

 

 

 

 

 

「―――だれ?」




 次回―――『第二話 その目に映るもの』

 キズナトークみたいな形で、ちょっとした小話を入れていけたらなと考えています。
 如何せん、話が長いので失踪しないように頑張ります。


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キズナトーク:どっち?

 スペルビア本国からグーラへの船内で―――

 捜査資料を読んでいたレックスに、隣に座るメレフが言った。

 

「そう言えば、彼女たちとはどこまでいったんだ?」

 

 唐突な質問に、レックスは目を丸くして一瞬固まる。

 

「え? 急にどうしたの?」

 

 戸惑う青年に、彼女は、

 

「いやなに、君もそろそろ身を固める時期ではないか、とね」

「身を固めるって、俺まだ十八だよ?」

「もう十八だと思うがな。世間的には君はもう大人だ」

「……うーん、まあそうだけど。っていうか、メレフからそういった話されるなんてね」

 

 意外だった。

 この手の話はカグツチ辺りから切り出されるものだとばかり思っていた。

 メレフはそれを聞くと、「むう」と眉を寄せた。

 そんな彼女にクスクスとカグツチが笑う。

 

「最近はネフェル皇帝陛下に、世継ぎをって様々な女性とお見合いをしているからね。それで年の近いレックスのことも気になるのよ」

 

とカグツチが言う。

 なるほど。

 陛下第一の彼女らしい。

 ネフェルとメレフは謂わば姉弟関係にある。弟がそういった状況なら、気にもなるか。

 

「どこまでって、別にこれといって進展はないよ」

 

 期待しているようで、残念だが。

 彼の返答に、彼女たちは驚いた表情をする。

 

「一緒に暮らしているのだろう?」

「まあ、色々忙しかったし、俺もヒカリも依頼で家にいないことも多いからね」

 

 新大陸を得て三年。

 天の聖杯のドライバーであるレックスの名が知れ渡り、フレースヴェルグ傭兵団には毎日山のような依頼が世界各地から舞い込む。嬉しい限りではあるが、ほとんど仕事に出突っ張りである。

 

「だが、聞くところによると方々の女性と逢い引きをしているとか。その辺はどうなのだ?」

「へ!?」

 

 メレフがいきなりそんなことを言い、レックスは身を固くする。そして、慌てて斜め前に座るヒカリを見た。彼女は隣に座るニアとともにうたた寝をしている。それに安堵する。

 

「どうって、別に……依頼が来たからやってるってだけで……」

「まあ、君も有名だからな。その名に乗っかりたいと思う者も多いだろう。その様子だと、特に気になる女性はいなかったようだな」

 

 彼女は慌てるレックスを見て、クスリと笑う。

 それにレックスは唇を尖らせる。

 三年前から各国の有力者の娘との所謂お見合いみたいな形で、デートに行くという依頼をやっていた。インヴィディアの女王には英雄として身を固めろと言われてしまうし。天の聖杯のドライバー、世界を揺るがす秘密結社イーラやマルベーニの悪事を挫いたとして、彼に近づこうとする女性は多い。

 普通に話しかけられて、「付き合って欲しい」と言われたときは断るようにしているが、依頼ならばそうはいかない。傭兵団の名を落とすようなことはしたくない。だから、ヒカリやホムラには内緒で依頼を受けていた。

 まさか、メレフに知られているとは……。

 

「そろそろいいんじゃないか?」

「何が?」

「この三年、君たちの働きはよく知っている。そろそろ君自身のことを考えてもいいと私は思うがな」

「………」

「それに、彼女たちの気持ちも分かっているんだろう」

 

 彼女の優しい諭しに、レックスは苦笑する。

 知っている。

 彼女たちが彼をどう思っているのか。

 彼自身、彼女たちをどう思っているのか。

 三年前なら、彼女たちは二人で一人だった。だから、どっちがどっちということもなかったけど。

 本命がどちらか、と問われれば答は既に持っている。

 でも―――

 

「どちらかを選べば、どちらかがいなくなってしまう、って思っているのかしら?」

 

 カグツチが言った。

 それに彼は困ったように笑って、頬をかいた。

 

「あはは、参ったな。なんだか、見透かされてるみたいだ。それって、女の勘ってやつ?」

「ふっ―――君は分かりやすいからな」

「ええ、メレフ様の言うとおりです」

 

 彼女たちはクスクスと笑う。

 

「あなたがどちらを選んだにしても、彼女たちがあなたから離れるとは私には思えないわ。あなたが思っているほど弱い子たちじゃないでしょう、あの子たちは」

「それは―――そうかもしれないけどさ……」

 

 いつも彼女たちに守られて、支えられて。

 守られるだけのか弱いだけの女の子じゃない。それは知っている。

 だが、彼が懸念しているのは―――

 

「確かに、どっちを選んでもヒカリはいなくなったりしないと俺も思う。でも―――」

「ホムラ、か?」

「うん」

「それこそ、あり得ないと私は思うがな」

 

 メレフの言葉に、レックスは首を横に振る。

 

「ここ最近、ホムラの様子がおかしいんだよね。どこか遠くを見ているっていうか、寂しそうな顔をしているっていうか……」

「それは、あなたたちが家を空けているからじゃないの?」

「うーん、それだけならいいんだけどさ……それだけじゃないような気がするんだ」

 

 例えば、夕食を三人で取った時、ヒカリに洗濯の仕方を教えているとき、村の子どもたちと遊んでいるとき―――ふとした瞬間に彼女は寂しそうな顔で微笑んでその光景を見ているのだ。それが見間違いならいいけど。

 

「何か、悩んでいるなら聞いてあげればいい」

 

 メレフが言った。

 レックスは素直に頷く。

 それに、とメレフが続けた。

 

「君の口ぶりでは既に本命が決まっているみたいだ。手を拱いているなんて、レックス、君らしくない」

「あはは、俺だって初めてのことなんだ。ビビりもするさ」

「なら、なおのこと当たって砕けるくらいの勢いがあっても良いと思うが?」

「砕けるのは、ちょっと……」

 

 恐らく、しばらくは立ち直れないだろう。

 ホムラをメツ達に連れ去られたとき以上に、落ち込むに違いない。

 

 帰ったら、三人で話し合おう。

 これから先のこと、これから二人とどうなりたいのか。二人はどうしたいのか。

 彼女の言うとおり、足踏みしているなんてらしくない。

 そろそろ前に進むべきだ。

 俺たち、三人で――――

 

「でも、意外だったわ」

 

 カグツチが言った。

 

「何が?」

「あなたたちのことだから、一緒の家に住んで毎日イチャイチャしているのかと……」

「イチャイチャって……」

「私たちとの旅でも、結構イチャイチャしてたから」

「ええ!? そ、そんなことしてないと、思うけど……」

 

 レックスが慌てて頭を振ると、彼女はメレフを見る。

 

「だ、そうです。メレフ様はどう思ういます?」

「……困ったものだな。あれで、違うと言われるとはな」

 

 メレフは呆れたように首を振った――――



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第二話 その目に映るもの
2-1 覚えているもの


「―――だれ?」

 

 

 ホムラの放った小さな言葉は、ヒカリの胸に鋭く刺さった。

 ホムラの目は嘘を言っている目ではなかった。長い付き合いだ。ぼんやりとしているが、見れば分かる。

 ヒカリはふらふらと覚束ない足取りで、一歩下がると、無理やり微笑んで言った。

 

「今、医者を呼んでくるわ」

 

 早く部屋を出たかった。

 ヒカリは部屋を出ると息を吐き出す。乱れる呼吸、肩を上下させながら深呼吸してなんとか自分を落ち着ける。

 まだ混乱した頭で、彼女は担当の医師を呼びに行った。

 大慌てでやってきた初老の医者と、彼についてきた看護師が一人、そしてヒカリは病室に入る。医者が柔和な笑みで問診を始める。

 それを黙って、部屋の隅でヒカリは聞いていた。

 問診を終え、ヒカリは部屋を出た。すると、外にメレフとカグツチがいた。

 

「目を覚ましたと聞いた。ホムラは、その……どうなんだ?」

「それは……」

 

 言い淀むヒカリに、メレフ達は顔を見合った。言いにくそうに目を逸らして、そして言った。

 

「ホムラ、何も覚えてないの。自分の名前も、ブレイドだってことも」

 

 ヒカリのことも、覚えてはいなかった。

 メレフは驚いたように息を呑んで、カグツチは顔を顰めた。

 

「……それは」

「それってどう言うこと?」

「多分、コアクリスタルを失ったせいだと思う」

 

 コアクリスタルは謂わば情報を記録する装置のようなものだ。ブレイドがコアクリスタルに戻って、再度同調しても時代についていけるのはその機能があるからだ。記憶は失うが、この世界を生きる上での基礎情報は更新されていく。だから、時代齟齬は生じない。

 それを失ったホムラは、空っぽなのだ。

 恐らく、このアルストのことも覚えていないだろう。

 

 落ち込むヒカリとカグツチに、メレフは帽子の鍔を下げて静かに頷いた。

 

「そうか。今は?」

「今は、傷の具合を診てもらってる所。それから―――」

「まだ何かあるの?」

「どうやらあの子、怯えてるみたい」

「怯えてる?」

 

 メレフの問いに、ヒカリが頷く。

 

「ええ、さっき医者が入ったときも怯えてた。私のときはそんなことなかったのに

「襲われたショック、か?」

「それは分からない」

 

 ヒカリが頭を振った。

 眉を寄せ俯く少女に、メレフは落ち着いた、しかし優しい声音で言った。

 

「とにかく、本人に話を聞いてみないとな」

 

 彼女の顔は、ヒカリの後方―――病室の扉に向いていた。ヒカリも釣られるようにそちらを向けば、丁度手当を終えた医者と看護師が出てきた所だった。

 おずおずとヒカリが病室に入れば、ベッドの上で上半身を起こしてるホムラの姿があった。

 まず、ヒカリだけ部屋に入る。

 

「えっと……」

 

 困ったような声がホムラから聞こえてきて、ヒカリは努めて微笑みながら言った。

 

「私はヒカリ」

 

 ホムラに近づきながら自己紹介をして、手を差し出す。

 一方で、ホムラは困ったような、戸惑うような素振りでキョトンとしている。

 

「えっと、私は………わた、しは……」

 

 考え込んで、しかし分からないホムラは泣きそうな顔で眉尻を下げた。そんな様子の少女に、ヒカリはゆっくり近づいて彼女の手を取った。そして優しく言う。

 

「あなたはホムラ」

「ほ、むら……?」

「そう、ホムラ。それがあなたの名前」

「ホムラ……」

 

 小さく己の名前を口ずさむその顔は、どこか嬉しそうで。

 それにヒカリは安堵する。

 ホムラを安心させたくて、ヒカリは思わず彼女の頭を撫でた。普段なら絶対にこんなことはしない。寧ろ、ヒカリがホムラにされる側だろう。

 キョトンとしたホムラを見てやめようとしたが、ホムラは「えへへ」と嬉しそうな顔で笑っていてやめられなくなった。目の前の少女の顔は、見た目よりもずっと幼く見えた。まるで、十歳にも満たないような、そんな子どもを撫でているような感覚。

 それに違和感を抱きつつ、ヒカリはホムラを見た。

 

「そうだ、ホムラに会いたいって人がいるんだけど」

「?」

 

 ヒカリの言葉がうまく理解できていないのか、彼女の顔を見てキョトンとする。

 ヒカリが扉の外に声をかけると、ゆっくりと扉が開いた。それにビックリしたのか、ホムラはヒカリに抱きつく。怯えたように抱き着いて、ヒカリの後ろに隠れた。

 ヒカリは一瞬驚いたが、それを受け止めて入ってきたメレフを見る。

 その様子を見て、メレフは理解したのだろう。

 彼女は帽子を脱ぐと頭を下げた。

 

「驚かせてすまない。私は、メレフという者だ。こちらはカグツチ」

「よろしく」

 

 メレフに続いて、カグツチも頭を下げる。

 しかし、ホムラは依然として怯えているのかヒカリの後ろに隠れたままだった。彼女の白い服をぎゅっと握って、震えながらメレフ達を伺っている。

 ヒカリの時とは大違いだった。

 それにヒカリもメレフも顔を顰めるしかなかった。

 怯えるホムラの頭をぽんぽんと撫でながら、ヒカリは言った。

 

「大丈夫よ、ホムラ。この人たちは悪い人じゃないわ。あなたを傷つけたりしない」

「………」

 

 その言葉に、ホムラはヒカリを見上げて、それからメレフ達を見た。

 

「よ、よろしく、おねがいします」

 

 小さな震えた声でホムラは、メレフ達に言った。ヒカリの後ろに隠れたままだが、顔だけは彼女達を見ていた。

 あまりの変わりように、メレフ達は戸惑うが、順応性の高い彼女はすぐ気を取り直して、問いかける。

 

「それで、アルストのことは分かるかな?」

 

 メレフの質問に、ホムラは首を振る。

 

「ならば、グーラという名前も聞き覚えがない、ということかな?」

 

 こくりと頷いた。

 

「ブレイドとドライバーについては?」

「?」

「分からないか……」

「……ごめんなさい」

「いや、謝らなくていい。私はドライバーで、カグツチはブレイドだ」

 

 メレフは優しくドライバーとブレイドのことを、ホムラに説明した。

 ドライバーは人間などの生物で、ブレイドはその人間と特別な絆を結ぶことで特別な力を発揮するものであること。そして、

 

「ヒカリもブレイドだ」

 

 メレフがそう言うと、ホムラはヒカリを見上げた。ヒカリは「そうよ」と頷く。

 

「そして、君もブレイドなんだよ。ホムラ」

「わたしも……?」

「そうだ」

 

 ホムラはキョトンとメレフを見て、自分の胸に手を当てた。しかし、あまり合点が入っていないのか、

 

「メレフさんは、ちがうんですよね?」

「ああ、私は人間だ」

 

 彼女の言葉を受けても、まだよく分かっていないらしい。メレフとカグツチを見比べては、首を傾げている。

 それに気がついたカグツチが、メレフに言った。

 

「どうやら、私とメレフ様の違いが分からないようです」

「む、そうか……」

 

 困った顔で腕を組み始めたメレフを見て、ヒカリがホムラに言う。

 

「ブレイドは胸にこんな風にコアクリスタルと呼ばれる石があるの」

 

 と自分のコアクリスタルを指差しながら彼女は微笑む。

 ホムラはヒカリの翠玉色のコアクリスタルを見て、それからカグツチを見た。視線に気がついた彼女は自分の青いコアクリスタルを指差して教える。それから、再びヒカリに視線を戻すと自分の胸を触って、眉を寄せた。

 そんなホムラの顔に、メレフは申し訳なさそうに、

 

「君のコアクリスタルは何者かに、奪われてしまったのだ。何か、覚えていることはないだろうか?」

 

 問いかけた。

 すると、ホムラは一瞬考え込む素振りをして、

 

「――――――っ」

 

 次第にわなわなと震え出す。泣き出しそうな顔になって、ヒカリに抱き着いた。

 

「ホムラ!?」

 

 ホムラの様子にヒカリが声を上げる。

 メレフ達が病室に入ってきた時以上に、激しく震えて、強くヒカリの服を握りしめた。ガクガク震える彼女に、一同はただならぬものを感じて、しかしそれ以上問いただすことは酷だと判断した。

 とうとう泣き出してしまったホムラを、ヒカリは抱き寄せた。大丈夫だと頭を撫でる。そして、メレフの方を振り向いて、首を振った。

 

「すまない。嫌なことを思い出させてしまったな」

 

 頭を上げたメレフは、

 

「私はニア達にホムラが目覚めたことを知らせてこよう。ヒカリはホムラの傍にいてやってくれ」

「ええ、任せて」

 

 ホムラをヒカリに任せると、一礼して部屋を出て行った。

 抱きしめたホムラは震えていて、ヒカリの胸に顔をうずめてすすり泣いている。時折聞こえてくる嗚咽に、ヒカリは優しい声で語りかける。

 

「大丈夫、大丈夫だから。一人にしない。傍にいる」

 

 絶対に。

 もう一人にはしない。寂しい思いもさせない。

 彼女は見たこともない片割れの姿に内心戸惑いながらも、赤髪の少女を抱きしめて頭を撫でる。

 そうして、どのくらい経ったか。暫くしてホムラは落ち着きを取り戻したようだった。ゆっくりと、ヒカリの胸から顔を上げて彼女を見上げる。目元は赤く腫れているが、ヒカリと目が合うと、

 

「うぅ〜」

 

安心したような顔で笑みを浮かべ、ヒカリの胸に頬擦りをし始める。

 そんな子どもっぽいホムラの様子に苦笑しながら、その赤い頭を撫でる。

 ヒカリが構ってくれるのが嬉しいのかもしれない。

 段々とホムラの動きが緩慢になっていく。うとうとし始めた彼女は、力が抜けそうになるのを、必死に抑えるようにぎゅっぎゅっとヒカリの服を握りしめる。

 

「大丈夫よ。ずっと傍にいるから」

 

 ヒカリの穏やかなその声に、安心したのかホムラの体から力が抜けていく。次第に腕の中から穏やかな吐息が聞こえてくるようになった。

 こっそりと腕の中を覗くと、あどけない顔で寝ているホムラがいる。

 それに彼女は肩の力を抜いて、一息つく。

 

 まるで子守をしているみたいだ。

 子どもは嫌いではないが、慣れていないからどうしたらいいのかよく分からない。こういのは、ホムラの得意分野なんだけどなあ……。

 ヒカリは小さく溜息をつく。

 

 彼女がこうなってしまった以上、ヒカリがどうにかしなければいけない。今のところ、ホムラが気を許しているのはヒカリくらいのものだった。

 この状態のホムラを、彼らに会わせて良いものか。彼らは戸惑いはするがすぐに受け入れてくれるだろう。だが、ホムラが受け入れてくれるかどうかは別問題だ。その場合の緩衝材はヒカリになる。

 先行きを案じて彼女は肩を落とす。そして、腕の中で気持ちよさそうに眠る愛妹を見下ろして苦笑した。

 いつも迷惑をかけているから、これくらいはいいか……。

 

 柔らかな日差しと、カーテンを揺らす風を受けながら、ヒカリはホムラを抱きしめたままベッドのふちに腰をかける。

 そして、これからのことを考えた。

 

 メレフやレックス達の進捗はあまり良くないらしい。結局、先日戦った男は海から見つかることはなく、残ったのはヒカリが壊した黒い仮面だけだった。その仮面も手作りなのか、どこを当たっても入手ルートは分からなかった。

 更に、ホムラを傷つけたという男も目撃情報は何もなかった。彼女と共にいた少年も、暗がりでよく見えなかったと言ってるらしい。

 その後、コアクリスタルを奪われたブレイドの死体は発見されていない。

 スペルビアでの犯行の三日後にグーラにいた。スペルビアからグーラまでは天候にもよるが、最短で一日から二日はかかる。軍港を利用するしかないこのご時世だ。運行記録に載っていれば良かったが、生憎乗客の数が多すぎて辿れなかったらしい。

 

 それに、今は巨神獣の大地だけでなく、新大陸の大地にも町は着々と発展していっている。

 グーラのトリゴ基地から先は広大な平原と丘陵が続いている。その近くには大きな河川があり、その河岸沿いには小さな村が点々と出来ている。

 それだけじゃない。

 砂漠の中にあるオアシスにできた町や、樹々が鬱蒼と茂り気温も湿度も高い樹林地帯にはノポンの村がある。大きな湖の中央にある島にはアヴァリティア商会が根を下ろした。その湖には各地から大きな川が伸びており、これを利用して世界各地からの交易船を受け入れて、ますます商会は発展している。

 

 こういった新しい街にも捜査の手を伸ばさなければならない。そのためには人手も時間も掛かる。メレフやレックスは兵士や傭兵を用いて、情報収集にあたらせている。

 

 まだ世界は出来たばかりだ。

 海路の開拓や、それぞれの巨神獣同士の行き来、新大陸にできた街への街道の整備など、まだ確立していない。未だに、元々あった港を利用し、巨神獣船を使って空路で移動している。大陸に接岸した巨神獣と巨神獣同士の間には高い山脈が連なっていたりと障害も多い。

 三年で幾分落ち着いたとはいえ、まだ課題は残されている。

 

 ホムラを救うにはあまりにも部が悪すぎる。

 犯人にたどり着くのが先か、ホムラが消えるのが先か。

 ホムラ自身もこの状態だ。犯人の顔を見たと言っても、あの反応をするのでは到底話を聞くことはできない。

 何でもいい。

 手掛かりがあれば……。

 

 物思いに耽っていたヒカリは、唇を噛んだ。

 その時だった。

 病室の扉が勢いよく開き、

 

「ホムラが目覚めたって!?」

 

とニアが飛び込んできた。

 それにヒカリはギョッとしつつ、人差し指を唇の前に立てて、

 

「しー、ホムラが起きちゃうでしょ」

 

と小声でしかしニアを叱責するように言った。

 ベッドの淵に腰をかけ、ホムラを抱き締めているヒカリを見てニアが戸惑う。

 

「な、何してんの? ていうか、寝てるの?」

「見れば分かるでしょ」

 

半眼になって低い声音で言うヒカリに、ニアは手を振った。

 

「分からないって。起きたって聞いてたけど……?」

「起きたけど……今は泣き疲れて寝てる」

「泣き疲れてって、ヒカリまた泣かしたの?」

「またって何? またって」

「前にヒカリがホムラを泣かしたって、レックスが……」

 

 レックスの顔を思い浮かべて、ヒカリは『何言ってんのよ、あの男は!』と震えた。しかし、大声を上げるわけにいかなくて、迫力にはかけるが。

 

「私が泣かしたわけじゃないわよ。ただ……メレフが事件のこと聞こうとしたら、泣き出しちゃって」

「そっか……」

 

 それくらい怖い思いをした、ということだろう。

 ニアは眉尻を下げて頷いた。

 

「ホムラのことは、どのくらい聞いたの?」

 

 ヒカリが聞いた。

 

「記憶喪失だってことは聞いた。名前もヒカリのことも覚えてないって」

「そう……他には?」

「話の途中で、メレフはどっか行っちゃってさ。とりあえず、ここまで飛んできた」

 

 メレフも忙しい身だ。仕方のないことだろう。

 

「―――ホムラは、多分ニアやレックスのことを見たら怯えると思う」

「え?」

 

 ニアの戸惑いの声に、ヒカリは「ニア達に限ったことじゃないわ」と頭を振って、

 

「誰に対しても、警戒してるのよ。だから、その……覚悟しておいたほうがいいかも」

「ヒカリにはそんなにべったりなのに?」

「知らないわよ。私には何故か懐いてるのよね」

 

 どうしてかしら。

 ヒカリは怪訝な顔で宙を見た。

 答えは出てこないが、別にホムラが懐いてくれていることに悪い気はしない。

 

「ふーん、良かったじゃん」

「……まあ」

 

 ニアのカラッとした声に、ヒカリは恥ずかしそうに肯定した。

 ニアは踵を返すと、

 

「じゃあ、アタシはトラ達にも伝えてくるよ。レックスにはメレフが伝えるってさ。多分、全力で飛んでくるんじゃない?」

 

 ニヤニヤと揶揄うように言うニアに、ヒカリはクスクスと笑って返す。

 

「そうかも」

「じゃ、行ってくるね」

 

 ヒラヒラと後ろ手に手を振って、彼女は出ていった。

 それを見送って、ヒカリは腕の中の少女を見下ろす。そして、微笑みながらその頭を撫でた。

 

 

   ◆

 

 

 

 ホムラが目覚めたという一報を聞いたトラとハナ、ビャッコはニアと共に病院を訪れていた。入院している患者がホムラだけのこと、メレフの知り合いだということでほとんど手続きもなく、ホムラの病室前までやってきた。

 ヒカリの誰に対しても怯えている、という言葉を受けてニア達はヒカリの合図が来るまで廊下で待つことにした。

 ニアが扉をノックしようとした時だった。

 部屋の奥から、

 

「ちょっと、ホムラ! そうじゃな―――きゃっ! これはこう……!」

 

とヒカリの叫び声とドタバタしている音が聞こえてきた。

 それにノックをしようとした手を下ろして、後ろにいるビャッコを見た。

 

「今は、やめておいたほうがいいかもしれませんね」

「うん、そうだね……」

 

 彼の言葉にニアは頷く。

 なんだか、ヒカリ大変そうだ。

 もう少し待っていよう。

 彼女は仲間を見捨てるような気持ちになりながら、ヒカリの無事を祈った。

 

 暫くして、ふらふらと見るからに疲れた様子のヒカリが部屋から出てきた。

 

「だ、大丈夫?」

 

 ニアがおずおずと聞くとヒカリは項垂れながら、

 

「大丈夫に見える?」

 

と半眼で返した。

 

「あー、大丈夫に見えないね。何があったの?」

「まさか、食事の仕方まで忘れてるなんて、思わないでしょう⁉︎」

 

 ヒカリはとうとう声を荒げた。

 彼女曰く、運ばれてきたお粥をホムラは最初不思議そうに眺めていたらしい。食べなよ、と彼女が促すとホムラは首を傾げながら、お粥に入った皿に手を突っ込んだ。そうじゃない! とホムラの手を取り、スプーンを握らせてた。

 しかし使い方すらも忘れたのかお粥にそれを突っ込んで、お粥を弾いたらしい。それがヒカリに飛んできたり、と。その後は、本人に食べさせるのを諦めて、ヒカリがホムラの口まで運んで食べさせた。

 ことの顛末を涙目になりながら、ヒカリは話した。

 お粥で服が汚れてしまったホムラは今、看護師の手で着替えている。

 

「け、結構重症な様ですね」

 

 ビャッコが努めて冷静にそう言った。

 

「色々忘れてるとは聞いてたけどね。思ってたよりもずっと酷いんだね」

「ホント、そうみたい。全く、世話をする身にもなってほしいわ」

「いいんじゃない。いつもはホムラがヒカリの世話してる様なものなんだしさ」

「私はあんなに酷くないわ!」

 

 抗議するヒカリをニアは笑う。

 その一方で、トラが扉をじっと見つめていた。

 

「どうしたんだよ、トラ」

 

 ニアが聞いた。

 するとトラは、

 

「ホムラちゃんが、トラのことまで忘れたなんて信じられないも」

「トラ……ヒカリのことも覚えてないんだ。トラのことなんて覚えてないって」

「そんなことないも! ヒカリちゃんのことは忘れても、トラのことは忘れられるわけないも!」

「それどういうことよ⁉︎」

 

 トラの意見に、ヒカリが噛みついた。

 言い合うヒカリとトラに、ハナが言う。

 

「ホムラの怪我は大丈夫なんですも?」

 

 それに、トラのトサカを掴んだヒカリが答えた。

 

「怪我の方は、一応大丈夫みたい。まだ痛むらしいけど」

「まだ治ってないのか?」

 

 ニアが訝しがる。

 いくら重傷だったからと言って、三日も経ってるのに治っていないなんて、ブレイドにしてはおかしい。普通治っていてもおかしくない。

 

「コアクリスタルを失った事が原因でしょうか?」

「かもしれない。それに、ニアの力が効かなかったでしょう。何かホムラに細工がされた可能性もある。まだなんとも言えないわ」

 

 ビャッコの憶測に、ヒカリも自分の考えを話した。

 怪我の再生速度は、一般的なブレイドに比べて格段に遅い。人間の再生速度と同じか、少し早いくらいだ。この分だとまだ治りそうもない。

 

「ねえ、ニア」

「何?」

「あなたの力で、失った部位を修復することって可能なのかしら?」

「ああ、うん。多分出来るよ。あんまり大きいと難しいけど、それがどうかしたの?」

 

 唐突なヒカリの問いに、ニアは首を傾げる。もちろん、それを聞いていたトラ達も同じだった。

 ヒカリはどこか言いにくそうに、俯いて、

 

「ほら、ホムラの目怪我してたでしょう?」

「うん、すごい出血だったけど……?」

「………ホムラの右目、なかったの」

「なかったって?」

「そのままの意味よ。……眼球が盗られてたのよ」

 

 ヒカリの言葉に、皆息を呑んだ。

 ニアとビャッコ、トラは言葉をなくした。ハナは泣きそうな声音で、

 

「酷いですも」

 

と呟いた。

 彼らの反応に、ヒカリは申し訳なさそうな顔をして、その場にいる皆の顔を見渡して言った。

 

「レックスには、黙っておいてくれる?」

「何で?」

 

 震える声でニアが聞いた。

 

「彼が知ったら、きっと……」

「―――冷静ではいられなくなる」

 

 ヒカリは言葉の途中で押し黙ってしまった。その彼女の言いたいことを、ビャッコが代弁した。

 今のレックスは、ホムラを傷つけられた事、ホムラのコアクリスタルが奪われた事、その二つを知ってそれでも自分を誤魔化して奮い立たせているにすぎない。そんな彼が右目のことまで知ったら、絶対に我が身を顧みず無茶をするに決まっている。

 それがレックスという男だ。

 自分ではない誰かにために怒ることのできる優しい人だ。

 自分の大切な人がそんな目に遭ったと知ったら、きっと周りが見えなくなる。そういう危うさもある。

 それを危惧してのヒカリのお願いだった。

 彼女の気持ちを汲んで、彼らは、

 

「分かったよ」

「分かったも」

「はいですも」

 

と承諾してくれた。

 それに彼女の心は幾分軽やかになるのを感じた。

 彼らが話をしている間に、ホムラの着替えを手伝っていた看護師が出てきた。それに彼らの顔つきが一瞬変わる。

 ヒカリはニア達を少し不安げに見る。それに気がついたニアが言う。

 

「少人数で行こっか。アタシとビャッコ、トラとハナで。いきなり四人も来たらホムラもビックリするだろうし」

「そうね。じゃあ、トラくん達から」

 

 ニアの提案にヒカリは納得して、トラを呼んだ。彼のようなユーモアさがあれば、初対面でもとっつきやすいかもしれない。そう思っての、人選だった。

 ヒカリに呼ばれたトラは、目を輝かせて喜んでいた。

 そんな彼に、呆れつつも気が軽くなるのを感じる。

 ヒカリは部屋に入ってホムラに、メレフのときと同様「紹介したい人がいる」と言ってトラを呼んだ。

 扉が開く音に、ホムラはビックリしてヒカリの背に隠れる。だが、入ってきたトラを見て、彼を窺うように見つめていた。

 トラはホムラに目線を合わせるように、ベッドの上に飛び乗って羽のような耳のような部分をパタパタさせながら言った。

 

「トラだも」

「……とら?」

「そうも! トラくんって呼んでほしいも」

「トラくん」

「そうだも!」

 

 嬉しそうにトラが手の代わりになる羽をパタパタさせると、ホムラは警戒心が解けたのかヒカリの服を掴んでいた手を離した。そして、徐にトラの体毛を触り始める。

 

「もも? ど、どうしたも?」

 

 ホムラの予想外の行動に、トラは動揺する。これにはヒカリもビックリしていた。そんな彼らのことなど気にしていないのか、ホムラは目を輝かせながら、

 

「……もふもふ」

 

と小さく呟く。

 それに気がついたヒカリが苦笑しながら、トラに言った。

 

「どうやら、ぬいぐるみか何かだと思われてんじゃない?」

「も⁉︎ トラはぬいぐるみじゃないも!」

 

 ヒカリ言い草にトラが反論する。

 そして、ヒカリの傍に立つハナに気がついたホムラがキョトンと彼女を見ていた。

 

「ハナですも。ハナちゃん、と呼んでほしいですも!」

「……ハナちゃん」

「はいですも!」

「……もっ」

 

 元気よく返事をしたハナに、ホムラはそう返した。

 それからトラを触っていた手を、今度はハナに伸ばした。そして触れる感触に、ホムラは首を傾げる。

 

「かたい……?」

「ハナは人工ブレイド。わがままメタルボディですも!」

「?」

 

 ハナが何を言っているのか理解できていないようだが、気にせずにハナをペタペタと触っている。それから再度トラを触り始める。

 どうやらトラの触り心地が気に入ったらしい。

 彼らを先にして正解だったようだ。

 それにヒカリは満足していた。

 楽しげに触れ合う彼らに、ヒカリが言う。

 

「そろそろ次いい?」

 

 その言葉に、彼らはヒカリを見て、

 

「もも、そうだったも。もう終わりも?」

「そりゃあね。次待ってるから。また会いにくればいいじゃない」

「分かったも」

 

 そんな会話をする彼らに、ホムラが小首を傾げる。

 

「つぎ?」

「そうよ。もう二人居るけど、大丈夫?」

 

 ヒカリが彼女の目線に合わせるように屈んで聞くと、ホムラはこくりと頷いた。それに安心したヒカリはトラ達を部屋から出すと、ニア達を呼んだ。

 扉が開くといつも通りヒカリの後ろに隠れる。入ってくる彼女達を最初は見ず、おずおずと足元を見ていた。だから、最初に目があったのはビャッコの青い瞳だった。

 じっと見つめる少女の目線に、ビャッコが気付いて恭しく頭を下げた。

 

「はじめまして。ビャッコと申します」

 

 と挨拶をした。

 それにホムラも頭を下げて、

 

「ほ、ホムラ……です。よろしく、おねがいします」

 

と小さな声で返事をした。

 ホムラはヒカリに服を掴み、彼女の腰から半分顔を出しながらビャッコを見つめていた。それに彼が戸惑う。

 

「あ、あの……私の顔に、何か?」

 

 そんな彼の戸惑いに、ヒカリはホムラの顔を見て言った。

 

「多分、珍しいんだと思う」

「なるほど……」

 

 ヒカリの回答に、ビャッコは困り顔で頷いた。

 ホムラはこれまで人間を沢山見てきただろうが、ビャッコのような生物は見たことがない。まだ目覚めて数時間しか経っていないし、ずっと病室にいるから仕方がいないことだった。

 暫時、沈黙が続き、その間ホムラはじっとビャッコを見つめていた。

 そんな沈黙に、

 

「あの……アタシは?」

 

とニアが声を出した。

 その声にビックリしたホムラは、ヒカリに飛びついて腰に顔をうずめた。それにはヒカリも驚くが、怯えはじめたホムラの背中を優しく撫でる。

 

「ホムラ、怖がらなくたって大丈夫よ」

「ごめん、急に声出して。アタシは、ニア。よろしく」

 

 ニアは謝って、それから微笑みながら手を差し出した。

 ゆっくりと、ヒカリの影からホムラが顔を出す。差し出された手を見て、それからーーーー

 

「ーーーーうぁ」

 

ニアの顔を見たホムラの表情が変わる。

 目を見開き、息が乱れ始める。わなわなと震えはじめ、ニアから逃げようとベッドの上で後退り、震える両手で顔を覆い、蹲る。

 これまでに見ないくらい過剰な反応に、ヒカリもニアも動けなくなる。

 過呼吸の中で、ホムラは、

 

「いやあ……っ………ごめ……なさっ」

 

と悲鳴を上げて泣き喚いていた。

 そんな彼女の状態にヒカリはハッとして、ホムラに駆け寄る。

 

「ホムラ!」

 

 そして震えが止まるように、ぎゅっと力強く抱きしめた。

 腕の中でガクガク震えている少女をにヒカリは、落ち着かせるように頭を撫でて耳元で、

 

「大丈夫、大丈夫」

 

と囁く。

 普段の彼女からは想像できないような穏やかな声で、そう囁いていた。

 一方、明らかな拒絶反応を見せられたニアはショックからフラッと後退る。ニアの様子に、ビャッコが言った。

 

「お嬢様、今は出たほうがよさそうです」

「……うん。そう、だね」

 

 彼の進言通り、ニアはふらふらと病室を出て行った。

 少女二人だけになった病室には、嗚咽とヒカリの穏やかな声だけが木魂していた。

 

 

   ◆

 

 

 夜になってようやくレックスがやってきた。どうやら、連絡を受けて先日の事件現場であるスキートの巣から走ってきたらしい。肩で息をして、額からは汗が滲んでいる。

 廊下で彼と会ったヒカリが、

 

「遅い」

 

 と彼を睨みつけながら言った。

 それに彼は手を合わせて頭を下げる。

 

「ごめん! 色々調べてたし、これでもかなり急いだんだよ」

 

 レックスの言い分も分からなくもない。

 ホムラが目覚めたと言う一報を彼が知ったときにはすでに昼を過ぎていただろう。もう夕方に差し掛かっていてもおかしくない。ここからかなり距離がある。仕方ないと言えば、それまでだが。

 

「今何時だと思ってるの?」

「夜の十時過ぎです……」

「ホムラはもう寝てるわ」

「ですよね……明日出直すよ」

 

 がっくりと肩を落とす彼と共に、ヒカリは病院を出た。外は満点の星空が広がっていた。澄んだ空気を吸いながら、

 

「で、ホムラの様子はどう?」

 

 とレックスが聞いた。

 それにヒカリは少し言いにくそうに、眉を寄せる。

 

「まあ、怪我は何ともないみたい。明後日には病院から出てもいいって」

「そっか。そりゃあ良かった」

「……でも、何も覚えてないの。私のことも、レックスのことも」

「………」

 

 それを聞いた彼が黙ってしまった。ヒカリもそれ以上なんて言えばいいか分からなくて閉口するしかなかった。

 二人の歩く音、羽虫の鈴の音が聞こえる。

 二人の間に重い沈黙が落ちている。

 

「……そっか。それって、コアクリスタルが原因?」

「かもしれない」

「そっかあ、ならもっと頑張らなきゃ」

 

 そう言って空を見上げる彼と、俯く彼女。

 ヒカリは意を決して言った。

 

「それから、ホムラは初めて会う人に怯えてる」

「え? 怯えてる?」

「うん。メレフやニアのことも怯えてた。だから、多分レックスのことも……」

「ーーーそっか」

 

 あっけからんと頷く彼に、ヒカリは顔を上げた。

 

「それからもう一つ」

「何?」

「あの子の前で、怪我を負わせた犯人のことは絶対に聞いちゃダメ」

「え?」

「すごく取り乱しちゃって、話せる状態じゃないのよ」

「ということは、犯人の顔とか見たってこと?」

「多分ね」

 

 あの様子だと、記憶を失った後も意識はあったということだろう。自分が何者で、状況が分からないまま、知らない男に切り刻まれたり、目を取られたり、腹を刺されたりすれば誰だってトラウマになる。だが、少なくともホムラは自分を襲った相手を見ている。

 でなければ、メレフが聞いたとき、ニアを見たとき、あんな反応はしない。

 ニアを見たときにあの反応をした、ということは犯人の特徴と一致するものが彼女にあったということだ。それが何なのか、まだ材料が足りない。

 

 未だに何も掴めていないことに、ヒカリは焦り始める。

 そんなヒカリの表情に、レックスが言う。

 

「俺が絶対にホムラを助ける」

「……何言ってるのよ。私達で、よ」

「うん、そうだね。ホムラに残された時間、後どのくらい?」

 

 レックスの質問にヒカリは胸の前で腕を組んで、計算した。

 

「何もしなければ、一、二週間くらいかしら。でも、私とニアの力でできる限り伸ばすわ」

「それってどのくらい伸ばせる?」

「……できて、一週間から十日。それが限界かも」

「なら、それまでに奴を見つけて、コアクリスタルを取り戻そう」

 

 彼は前を向いてそう言った。

 まだ何も掴めていない。

 ホムラがコアクリスタルを奪われて三日、何も前進していない。

 それでも彼は前を向く。

 自分にできることを精一杯やって、何が何でも前に進もうとする。

 そんなレックスの姿勢に、ヒカリは目が眩みそうになる。

 眩しくて、でもそれが嫌だとは感じない。

 不安なことは沢山ある。

 それでも彼が一緒なら、どんな道でも歩くことができる。

 ヒカリは彼の隣で歩きながら、夜空を見上げた。




ゼノブレイド3が発表されましたね。
1と2の未来を描いているとのことなので、こういった話は全て絶対にあり得ない話になってしまいますが、まあ妄想の産物なので気にしません。

メリアやニアっぽい人がいたり、フィールドも1と2が混在していました。
トリニティプロセッサは出るんでしょうか。出たとして、人類の味方なのか敵なのか。
気になります。

発売日が待ち遠しいですね。


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2-2 特徴

 ホムラが目覚めた翌日、メレフに呼ばれてヒカリとニア、レックス達ホムラの病室前に集まっていた。廊下の壁に項垂れるようにレックスが、廊下の床に座って放心状態のニアがいた。そして、彼らはうめき声を上げている。それを見たメレフが、困り顔で言う。

 

「どうしたんだ? この二人は」

 

 そんな彼女の問いに、ヒカリは彼らを半眼で見やる。

 

「あー、ホムラに拒絶されたのが堪えたみたい」

「拒絶された?」

「ええ、ほらあの子に襲った男のこと聞いたことあったじゃない? その時よりも取り乱してね」

 

 昨日、ホムラにメレフが襲った相手のことを聞いたとき、ホムラは明らかに震え慄いていた。終いには泣き出す始末。ヒカリが抱きしめて、安心させられたから良かったが。

 

「そうか……それは、災難だったな。ヒカリも大変だったろう」

「まあ、もう慣れたから大丈夫よ。今はトラくん達が相手してくれてるし」

 

 部屋の中からはトラとハナの声、時折りそれに混じってホムラの「もっ」という声が聞こえてくる。次第にそれは「も」しか聞こえなくなり、「も」の合唱が始まった。

 その合唱にカグツチとヒカリは病室の扉を、奇妙なものを見る目で見た後、互いに見合って苦笑いした。

 そんな彼らをよそに、メレフが言った。

 

「だが、ニアとレックスに対して拒絶反応を見せるとはな。犯人と合致する何かがあった、ということだろうな」

「そうね……」

 

 ヒカリが頷いた。

 腕を組んで眉間に皺を寄せて、ヒカリは考える。

 

「最初、グーラ人に怯えてるのかなって思ったんだけど……レックスにも怯えちゃったからね」

「ん? グーラ人に? 何故だ?」

 

 ヒカリの考えに、メレフが首を傾げる。

 

「実は昨日の夕方くらいかしら、グーラ人の看護師が来たときも取り乱したのよ。だから、それかなって」

 

 でも、違った。

 グーラ人特有の格好に反応したわけではない。メレフやカグツチには普通の反応だった。トラやハナ、ビャッコは恐らく別物と考えた方が良い。ホムラが恐れているのは人間の背格好をしたものなのだろう。

 レックスやニアにあって、メレフたちにないもの……。

 ヒカリはメレフとカグツチを見て、それから未だに項垂れているレックスたちを見る。

 それから、昨夕やってきた看護師の容姿を思い出す。

 しばらく、唸った後、ヒカリは「あっ」と顔を上げた。

 

「分かったかも……」

「何?」

 

 メレフが反応した。

 

「目よ、目。ホムラはレックスたちの目に反応したんだわ」

「目?」

「正確には金色の目に。看護師の目も同じ色だった」

 

 ヒカリの推論に、項垂れていたニアが、

 

「でも、それだったらヒカリはどうなのさ? ヒカリだって似たような色だろ?」

 

そう反論するも、ビャッコが頭を振る。

 

「いえ、ヒカリ様は特別なのでしょう。本能みたいなもので分かったのでは?」

 

 ホムラは、元はと言えばヒカリの一部だ。

 記憶を失った彼女が、ヒカリに何かを感じ取っていてもおかしくない。

 初対面での反応も、皆とも違った。最初から、彼女にだけは懐いていた。

 ヒカリの考えを受けて、メレフは、

 

「ならば、犯人は金色の目を持つ者ということになるな」

「ですが、それだけでは余りにも……」

 

 カグツチが苦言を呈する。

 カグツチの言う通り、世界は広い。金色の目を持つ人間は探せばいくらでも出てくる。犯人を絞り込めたとはいえない。

 だが、メレフは頭を振った。

 

「いや、元より何も情報がないんだ。これだけでも、かなりの進歩だろう」

 

 彼女の言う通り。

 これまで四日が経った現在、ほとんど情報がない。

 ここグーラでも、スペルビアでも。

 一応、傭兵団を使ってレックスがインヴィディアを、ジークたちがルクスリアをそれぞれ調べているが、まだその情報は届いていない。

 その場にいた皆が、顔を顰める。

 閉口し、沈黙が流れる。

 そんな中、レックスが言った。

 

「俺はちょっと、アヴァリティアに行ってくるよ。あそこなら、色々な情報が集まるだろうし、スザクたちがそこにいるだろうしね」

「分かった。私たちは引き続き、グーラとスペルビア……それから新大陸-カスリタス地方を調べよう」

「期限は四日後―――それまでに何とかしよう。ホムラに残された時間はそう多くない」

 

 レックスの提案に、メレフは深く頷いた。

 情報が得られないからと言って悲観している暇はない。何でもいいから、動いて掴まなければならない。

 彼らの思いは同じである。

 レックスは何かを思い出したように言った。

 

「そう言えば、ジークは?」

 

 かつて共に世界樹を目指して戦った仲間であり、ルクスリア王国第一王子である。雷轟のジークという名で知られるルクスリア随一のドライバーである。

 レックスは彼がメレフを通じて、ルクスリアの被害情報を持ってやってくると聞いていた。が、それを聞いて早三日、ジークが姿を現していない。

 彼の名前を出すと、彼女は心底呆れたようにため息を吐いた。

 

「あの男なら、例によって行く先々でトラブルがあったらしくてな……今やっとスペルビアに着いたそうだ」

「あー……なるほどね。何となく、想像ついたかも。ということは早くても明日か明後日になるなあ」

 

 ジークの悪運体質を思い出して、レックスは遠い目をした。

 ジークという男は事あるごとに不運な目に遭っている。レックスと会ったばかりの頃は、攻撃を仕掛けたところに足元の崖が崩れたり、大岩が転がってきたり、たまたま寄り掛かった手すりが折れて雲海へ落ちていったり。目的地に向かうだけでも、乗った船が途中で故障したり、動き出したと思ったら違う場所へ向かっていたり、と枚挙にいとまがない。

 彼自身はそんな自身の悪運体質は気にしていないのか、基本的にあっけからんとしている。

 まあ、そんな彼だが実力は確かだ。

 言動が少々個性的ではあるが。

 

 彼らはその場で解散すると、銘々に行動を始めた。レックスはアヴァリティアに、メレフはグーラ軍の指揮を執る。ヒカリ、ニア、トラたちはホムラと共に行動した。といってもニアは彼女に避けられているため、あまり接触はできていなかった。

 昼食を終えて、ホムラとトラとハナは麗かな陽気の差す病室で昼寝をしていた。そんな彼女らを部屋に残して、ヒカリとニアは商店街へ向かった。

 一時的にとはいえ、子守りをしていたヒカリはグッと背伸びをする。慣れないことに、肩が凝る。

 そんな彼女にニアが尋ねる。

 

「で、買い物って何買うんだ?」

「んー、本、とか?」

「本? ヒカリ、本なんて読むのか?」

「私じゃないわよ。ホムラによ、ホムラに! だってこの世界のこと何も知らないんじゃ、まともに会話だってできないじゃない」

 

 ヒカリの言うことももっともだった。

 今のホムラは何も知らない。アルストのこと、巨神獣のこと、ブレイドとドライバーのこと、そのほかにも沢山。それを全て彼女たちが口頭で説明するのはかなり難しい。今現在、新しい世界になったとはいえ、大前提となる知識がなければ語れない。

 それに彼女たちが全て説明し切れるかというと、それも難しいだろう。説明したところで理解できないのでは意味がない。

 

 ヒカリはレックスから貰った小遣いで、一冊の本を買った。アルスト大全と表紙に書かれた分厚い本は、図を多用していたり、噛み砕いて説明していたりと子ども向けに作られている。今のホムラにはこれで十分だろう。

 だが、これでヒカリの所持金はほとんどなくなってしまった。ほぼ空になった彼女の財布を見て、ニアが感心したように声を出す。

 

「へえ、ヒカリってなんだかんだ言って、ホムラのこと大好きなんだね」

 

 急にそんなことを言われて、ヒカリは一瞬目を見開くが、すぐに頬を染めて目を逸らす。

 

「何よ、急に。本一冊買ったくらいで」

「いや〜、別に。いつもなら、貰った小遣い全部おやつに使うのにってさ」

「いつもって、言うほどいつもじゃないでしょう」

「ホムラが前に言ってたよ。コロッケやパフェに所持金全て注ぎ込むって」

「――――っ!」

 

 ホムラの告発に、ヒカリは声も出なかった。

 事実、その通りだった。

 それでしばしばホムラに叱られていた。

 ニヤニヤするニアに、ヒカリは何も言えなくて顔を赤くして彼女を睨むことしかできなかった。

 ホムラが嘘をつくことはないから。特に、大切な仲間に対しては。ホムラという少女は、そういう素直な子だ。他ならぬヒカリがそう作った。だから、反論の余地がなかった。

 居た堪れなさを感じつつも、ヒカリはニアとホムラたちのところへ戻っていった。

 

 

   ◆

 

 

 翌日、ホムラの傷は一応改善が見られた。全身にあった無数の切り傷は、全て跡形もなく治っていた。未だに損傷の激しかった腹と右目の傷はまだ治っていないが、それでも動き回るのに支障が出るほどではなくなっていた。

 退院をしても大丈夫だ、と医師からそう言われて彼女は病院を出ることになった。もっといえば、病院側としてはブレイドである彼女にできることは何もないと判断したからだ。本来、この施設は人間のために作られている。ブレイドが来ること自体想定外なのだ。メレフがいたから匿ってくれていただけで。

 

 ホムラに用意した服をヒカリたちは彼女に着替えさせた。着替え自体は、これまでの入院生活で一人でできるようになったから、ほとんどヒカリが手を出すこともなかった。

 本来、ブレイドは固有の衣装を出したり消したりできるのだが、そのやり方さえもホムラは忘れてしまっている。ブレイドとしての能力の使い方も、分からない。現状ではそれは好都合だった。

 

 今のホムラは、外からエーテルエネルギーをうまく摂取できない状態だった。だが、彼女が生きている限り体内のエーテルエネルギーは常に消費している。通常であれば、消費量よりも吸収量の方が圧倒的に大きいため問題にはならない。しかし、コアクリスタルを失った彼女は吸収量よりも消費量の方が僅かに多い状態だ。そのままではいつか体内のエーテルエネルギーは枯渇し、彼女の体は消えてしまうだろう。

 だから、ホムラに残された時間は僅かなのだ。

 体外からエネルギーを摂取できないということは、エーテルを消費するアーツと呼ばれる特殊技を一度でも使えば、彼女の時間は大きく削られることになる。しかし、当の本人がアーツの使い方を忘れているなら、それでいい。

 もし、戦いに巻き込まれたら、ヒカリやニアたちが彼女を守ればいいだけだ。ホムラを戦わせたりなんて、絶対にさせない。

 

 着替えを終えて、外に初めて出たホムラだったが、人の多さに怯えたのかピッタリとヒカリの背中についたっきり離れようとしなかった。それに、ヒカリは顔を顰める。

 外に出られるようになったはいいけど、人に怯えるんじゃあ外出もままならない。

 ホムラの様子に、ヒカリはニアと顔を見合って苦笑した。

 

「とりあえず、メレフのところに行こっか」

 

 ニアが言った。

 ヒカリは頷いて、ホムラの手を取って歩き出す。

 病院とメレフがいるグーラ軍基地は目と鼻の先、すぐについた。入ってすぐに、兵士たちが訓練をしているのが見えた。

 それにもホムラはビクビクして、ヒカリ手を握る。そこから伝わってくる震えと、ホムラの体温にヒカリは黙ってその手を握り返した。

 幸いにも、スペルビア兵は皆顔の見えない兜を着けているため、ホムラがそれ以上取り乱すこともなかった。

 兵士の一人に、メレフのことを告げると中まで案内してくれた。

 広い部屋の中央に大きなテーブルが置いてあるだけの、謂わば会議室に通された。中にはメレフとカグツチがいるだけだった。テーブルには書類が所狭しと置かれていて、壁に架けられた未完成の世界地図にメモ紙が所々に貼られている。

 それを前に、メレフは顎に手をやって見つめていた。

 いつもの軍帽はテーブルの上に、重々しい肩当てなどの装備は外していて、さながらラフな格好になっていた。紺色の軍服は身に纏い、背筋は伸びていたが、それらの装備がないだけでだいぶ印象が違う。

 部屋に入ってきた彼女たちに気がついたのは、メレフの隣にいるカグツチだった。

 

「いらっしゃい。ごめんなさいね、少し散らかってるけど……空いてるところに座ってていいから」

 

 彼女はそういうと、テーブルや壁際に置かれたベンチの上の書類をまとめ始めた。ヒカリは、ホムラを空いているベンチに座らせると、メレフに近づいた。

 

「それで、何か進展はあったの?」

「……微妙なところだな」

 

 煮え切らない返答に、ヒカリは片眉を上げてメレフが見ていた世界地図を見る。

 新大陸を得る前の、それぞれの巨神獣の地図を貼り合わせただけの簡易的な地図である。まだ、この世界の地図は出来上がっていないからだ。ただ、巨神獣部分の土地に関しては、三年前と今ではあまり変化はない。だから、張り合わせの地図でも、別に問題はない。

 

 グーラ、スペルビア、インヴィディア、ルクスリア、テンペランティア、それぞれの地図には細かく今回追っている事件があった日付や、場所が記載されていた。

 各地を転々と、ほとんど無作為と言ってもいいくらいに、法則性がない。

 しかも、数日後に別の場所で反抗があったりと短期間で数件起きている時もあれば、数ヶ月単位で起きていたりと、時間的法則もない。ただ、言えるのは最近かなり増えているということだろう。

 ホムラが被害を受けてから五日経つ。

 それまで、どこからも報告がない。

 

「もう、グーラにはいないって、考えていいのかしら」

 

 ヒカリの呟きに、メレフが答える。

 

「さあ、どうだろうな。少なくとも、長い間同じ場所に留まっているようなヤツではないだろう」

「……そうね」

「ヒカリならどうする?」

 

 メレフのそんな突拍子もない質問に、ヒカリは目を丸くして彼女を見上げた。そして、暫しの黙考の末、壁に貼られた地図を見て答える。

 

「……私なら、さっさと移動できるならそうする。けど、軍港は今は制限かけてるんでしょう?」

「ああ、一応検問は厳しくやっている。どれだけ効果があるかは分からんがな」

「その状況なら、まだ出ないかも」

「ほう」

 

 ヒカリの考えに、メレフは感嘆の声を上げる。

 

「だってそうでしょう? ホムラを傷つけた刃物をその辺に捨てるわけにいかないじゃない」

 

 それこそ動かぬ証拠となってしまう。

 そんな危険を冒すような犯人ではない。少なくとも、これまでの行動は慎重すぎるくらいに自分の痕跡を消している。被害者の遺体を除けば、目立った証拠は出ていない。ホムラが生きていることも相手にとっては、予想外かもしれない。だが、彼女が何も話せないのは好都合である。

 

「それに、ホムラ以外相手の顔を見ていないのよ。その辺でふらふらしてても、私たちには分からない。グーラで普通に生活している可能性もある」

「確かにな」

 

 メレフはヒカリの推理に、頷くも「だが―――」と続けた。

 

「ヤツは、グーラに留まっていられない、と私は思う」

 

 彼女の発言にヒカリは訝しげに眉を寄せる。

 

「なんでよ?」

「私たちが戦った男がいただろう。恐らく、ソイツがホムラを傷つけた男だと考えている」

「……それはどうして?」

 

 その可能性を、ヒカリが考えなかったわけがない。あり得る話ではあるが、そう決めつけるのはあまりにも危険だと判断した。憶測で、視野を狭めるのは危険だから。それで失敗すれば取り返しがつかない。

 偏見でものを見るのは危険だと言ったのは、他ならぬメレフだ。

 

「ホムラの右目、何故ヤツは奪っただろうなって考えたんだ」

「……痛めつけるため、じゃないの?」

「もちろん、それもあるだろう」

 

 相手を痛めつけるために、全身を切り刻み、目を抉り、腹を刺した。それでも十分過ぎるほど、やり過ぎだ。

 だが、メレフはこう考えた。

 なら、両目を奪えばいい。

 仮に彼女が生き延びたとして、両目を、光を奪われたとあったらかなりの苦痛だろう。

 ホムラの全身の傷から、相手はかなりの恨みを持っていると考えられる。でなければ、今まで慎重だった男があんなに傷を残すようなやり方はしない。殺すつもりなら、確実に心臓を狙うはずだ。図らずも、ホムラの腹の傷は、確かに放っておけば死に至るが、即死するような傷ではなかった。

 徹底的に、ホムラに苦痛を与えるのが目的だった。

 

「恐らくだがな……君は彼奴に一撃入れただろう、その一撃で右目を失ったのではないか。君もホムラも、あまりにも有名だ。君にやられた傷を、ホムラで返した―――そう思ったんだ」

 

 ホムラがあそこを訪れたには偶然かもしれない。

 男がホムラを待ち伏せていたとは考えにくい。たまたま二人は遭遇し、そして男はホムラに刃を向けた。

 レックスたちを相手にしても、ギリギリ一撃入れられたような相手にホムラ一人で敵うはずもない。抵抗はしただろうが、ほとんど無意味だったのだろう。結果、ホムラはやられた。徹底的に。

 右目に傷を負い、それを隠して街を彷徨くのはかなり目立つ。

 

 メレフの考察に、ヒカリは唇を噛む。

 あの場で逃してしまったから、ホムラが傷ついた。

 あの場で怯んでしまったから、ホムラが記憶を失った。

 ヒカリの表情を見て、メレフは彼女の肩に手を置く。

 

「君だけの所為じゃない。逃してしまった我々にも責任はある」

 

 何も成果を上げられなかった。

 尤も、レックスたちを巻き込まなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。

 全ては、過ぎたことだ。今更、振り返ったところで、ホムラのコアクリスタルが戻ってくるわけではない。

 ヒカリもメレフもそれを理解している。

 ヒカリは顔を上げると、

 

「誰のせいだ、とか言ってる場合じゃないわね」

 

 どこか吹っ切れたような少女の物言いに、メレフは相好を崩した。

 そうだ、とヒカリが続けた。

 

「しばらく、どこでもいいから部屋貸してくれない? 街の宿屋にホムラを泊まらせるわけにいかないでしょう?」

「ああ、それは構わんよ。後で手配しておこう」

 

 まだまだ人に慣れていないホムラに、人の最も多い場所で寝泊まりは出来ない。ヒカリに引っ付き虫になるのは、考えるに難くない。

 その様を想像して、メレフは苦笑した。そして、壁際に座っているホムラを見た。

 ホムラはカグツチから飲み物を受け取って、ちびちび飲んでいる。その視線はヒカリから動かないし、なんなら同じベンチに座るニアとの距離が遠い。恐らくまだ、ニアに慣れていないのだろう。不安げにそわそわしているが、ヒカリに大人しくするように言われて素直に従っている。

 なんだか、家族に引っ付いていたい幼子に見える。

 そんなホムラの様子に、メレフは「ふっ―――」と笑みをこぼした。

 

「なんだか、記憶喪失というよりかは、幼児退行に近いな」

 

 彼女の呟きに、ヒカリは彼女と同じようにホムラを見た。

 肩を竦ませて、頷いた。

 

「ええ、そうね。私の傍から離れないのよ」

「良いじゃないか、好かれている証拠だ。拒絶されて落ち込んだニアやレックスを思えば、羨ましいだろうな」

「……まあ、あんなに落ち込まれちゃあ、ね」

 

 レックスとニアの落ち込み様はかなりのものだった。同情せざるを得ないというか、だからといってフォローも出来ない。彼らに落ち度があるわけでも、ホムラも悪気があって拒絶したわけではないから。

 彼らの様子を思い出して、彼女は苦笑いした。

 ヒカリと目が合うと、ホムラの目が僅かに輝きを持つ。それにヒカリは微笑みながら、ホムラの元に戻っていった。ヒカリはホムラが飲んでいるものを見て、カグツチに言った。

 

「いい匂いね、私も同じものが欲しいわ。お願いできる?」

「ええ、いいわよ」

 

 カグツチは機嫌良くそう答えると、お茶を淹れに行った。

 その後ろ姿を見送って、ヒカリはホムラとニアの間に腰を掛けた。そして、隣でビャッコの背に突っ伏しているニアを見下ろした。

 

「落ち込んでんの?」

「当たり前だろー、ホムラに避けられてんだからさあ」

 

 嘆くようなニアの口調に、ヒカリは肩を竦ませる。

 

「一緒にいれば、慣れるわよ。いつか……」

「いつかっていつだよ?」

「さあ?」

 

 大袈裟に首を傾げるヒカリをニアは半眼で見た。

 いつの間にか帰ってきたカグツチから、ヒカリはカップを受け取る。

 

「ホムラのコアクリスタルが戻れば、そんなこともなくなるんじゃないかしら」

 

 カグツチが言った。

 コアクリスタルが戻ってきたところで、ホムラの記憶が戻る保証はないけど、その可能性は高かった。ホムラの命を守るため、ホムラの記憶を取り戻すため、彼らは日夜調査に励んでいる。

 ホムラの記憶が戻れば、いつも通りの彼女になる。

 そうなれば、こうして子守のようなこともしなくて済む。

 けれども。

 それはそれで―――

 

「寂しい?」

 

 カグツチがヒカリの心中を悟ったように聞いてきた。

 ヒカリはぶっきらぼうに言い放つ。

 

「何がよ?」

「今のこの状況がなくなるのが。今じゃ、頼られてるものね。それがなくなるのが寂しいじゃなくて?」

「……別に、そんなんじゃないわよ」

 

 図星ではあった。

 けど、ずっとこのままがいいかと言われれば、答えは否である。

 いつものホムラに帰ってきてほしい、それは本心である。

 彼女の作る料理が食べたいし、いつものように「ヒカリちゃん」と呼んでほしい。今の彼女は、ヒカリのことをそう呼ばないから。常に傍にいるから、黙って手を引いてきたり、裾を引っ張ったりして呼ばれることが多い。

 というよりかは、今のホムラは口数が少ない。

 質問をすれば答えるが、あくまで最低限の言葉しか使わない。

 それはそれで寂しいものを感じるのだ。

 

 ヒカリの寂しそうな表情に、カグツチは微笑を漏らす。

 隣にいるホムラは、空になったカップを両手で包み込んで、ぼうっと中を見ていた。

 ヒカリはカップを傾けると一気に飲み干し、カグツチにカップを渡した。受け取った彼女は、ホムラのカップも受け取ると片付けに行ってしまった。

 

 

   ◆

 

 

 メレフに好きに使っていいと言われて通された部屋は、豪華絢爛をそのまま形にしたような部屋だった。どうやら客室らしい。貴族だったり、各国の要人を宿泊させるための部屋らしいが、中に入るだけでニアは目が眩みそうだった。

 床には高級そうなカーペット、皮張りのソファ、壁にはいかにもな絵画や壺が飾られている。

 ニアは居心地悪そうに、カーペットの上を慎重に歩いていた。

 そんな彼女に対して、ヒカリは怪訝な顔つきで壺を見ている。

 

「なんだか、趣味の悪そうな壺ね」

 

 なんて言いながら、触ろうと手を伸ばす。

 

「ちょっと!? 絶対触るなよ!?」

 

 ニアは慌ててヒカリに近づきながら、叫ぶ。

 そんな彼女にヒカリは肩を竦ませる。

 

「大袈裟ね、たかが壺一つで……」

「いやいや、それ割ったら大変なことになるからな⁉︎」

「そんなに高いの? これ」

 

 壺の価値が分からないヒカリは首を傾げる。

 それにビャッコが答えた。

 

「ええ、恐らくこれ一つでかなり立派な家が建つことでしょう」

「そうそう! この壺一つで、ヒカリの好きなコロッケ死ぬほど買えるからな」

「嘘⁉︎ こんなのが?」

 

 ヒカリは驚き飛び退いた。

 信じられないのか、じっとそれを見つめて、

 

「分からないわ……」

 

小さく呟いた。



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2-3 もう一人の私

 日が落ちてから、アヴァリティアから戻ってきたレックスは、ヒカリたちが泊まっているという部屋にやってきた。部屋の内装を見て彼は、

 

「凄いな……」

 

と感嘆の声を出した。

 それに一人掛けのソファに座っていたニアが、

 

「やっぱり、そう思うだろ」

 

と賛同の声を上げる。

 ヒカリは三人掛けのソファの端に座り、膝の上にあるホムラの頭を撫でていた。ホムラはヒカリの膝の上に頭を乗っけて、丸まって寝ていた。分厚い本を大事そうに抱きしめている。

 その愛らしい寝顔に、レックスは近づいて覗きこむ。

 

「寝てるの?」

 

と彼は赤髪に触れようと手を伸ばした。

 それにヒカリが言う。

 

「今起こしたら、君を見て泣くんじゃない?」

 

 その言葉に、レックスの手がギクリと固まる。

 記憶を失った彼女に初めて会った時、レックスを見た少女は泣き喚いてしまったのだ。それを思い出して、彼は手を引っ込めた。

 ある種、トラウマに近い。

 あそこまで拒絶されるなんて。

 しかも、好きな人に。

 

 苦笑いしながら、レックスはその場にしゃがみ、少女の寝顔を眺めるだけにした。

 いいなあ、とレックスは呟いた。

 

「何が?」

 

 ヒカリが反応した。それに彼は、ホムラから視線を外すことなく答える。

 

「ホムラに懐かれてて」

「す、素直だな……」

 

 ニアが驚いたように言った。そんな彼女を一瞥して彼は言う。

 

「ニアだって、ホムラに避けられてたら嫌だろう?」

「そりゃあまあ、そうだけどさ」

 

 彼女の肯定に、レックスはホムラを見た。

 いつもの赤いブレイドとしての正装ではなく、白いブラウスに紺色のショートパンツを身につけていた。いつもよりもずっと露出が少なく、身体のラインも幾分ぼかされている。この服を用意したのは、どうやらカグツチらしい。目のやり場に困らないのは、いいことではある。

 腕や足の包帯はすでになくなっていたが、右目を覆う包帯はまだ残っていた。

 それに彼は首を傾げる。

 

「右目はまだ治ってないの?」

「ええ、まあ……お腹の方もまだよ」

「ニアの力で治さないのか?」

「ニアのことまだ避けてるのよ。近づこうとすると、逃げるし」

 

 そっか、と彼はホムラを見た。

 ヒカリに撫でられると、どこか嬉しそうに顔を綻ばせる。

 それは記憶を失っても変わっていない。ホムラはヒカリに褒められたり、優しくされるとこの顔をするから。

 彼は微笑むと、

 

「外には?」

「まだ、無理かも」

 

 ヒカリが頭を振った。

 それにレックスは、ヒカリを見上げて、

 

「全く、全然?」

 

と首を傾げる。

 

「人目を気にしてるのかも。相手が顔を隠してたら、少しは大丈夫みたいだけど」

 

 現に顔を兜で隠しているスペルビア兵士には、そこまで怯えていなかった。

 それを聞いて、レックスは顎に手をやって思案する。

 人目が気になるのかあ……。

 だからといって、このまま全く外に出ないというのも良くないだろう。

 うーん、と唸る。

 そしてレックスは何かを思い付いたのか「あっ」と小さく声を上げた。立ち上がって、手に持っていた分厚い封筒をニアに渡した。

 

「ニア、これをメレフに届けてくれる?」

「いいけど……どこか行くのか?」

「うん、まあね。トラがどこにいるか知ってる?」

「トラなら、ハナのメンテと改造とかで家にいるはずだよ」

 

 トラは、もしも戦闘になってもいいようにハナのメンテナンスや、得意の改造をするためにここ数日家に引きこもっている。

 ニアにそのことを聞くと、レックスは頷いた。

 

「そっか、トラの家に行ってくる。すぐ帰ってくるからさ」

 

 彼はそう言い残してさっさと部屋を飛び出していった。

 そんなレックスに、ヒカリが呟く。

 

「一体なんなのかしら?」

「さあ」

 

 ニアは首を傾げた。

 程なくして、レックスは包みを持って帰ってきた。

 どこか得意気に包みから何かを取り出すと、それをヒカリの前に掲げる。

 

「これなら人目も気にならないんじゃないか?」

 

 そう言って彼が持ってきたのは、いつだったかグーラでホムラが一度だけ着た耳付きポンチョだった。褐色の布地に、グーラ人のような猫耳がついたフードが特徴のポンチョである。

 ヒカリはそれを見て懐かしむように言った。

 

「前に一度、着たわよね。それ」

「そうなのか?」

 

 ニアが不思議そうに聞いた。

 そしてニヤニヤしながらレックスを見て、

 

「なんだ、レックスの趣味とか?」

「違うって、ていうかこれトラのものだし……ほら前に、ニアがグーラ軍に捕まったことあっただろ? その時に街で情報取集するのに借りたんだよ」

 

 レックスは慌てて否定して、経緯を話した。

 ホムラがこれを着たと知っているのは、ホムラと記憶を共有していたヒカリとトラ、そして彼の育て親であるセイリュウ、レックスだけだ。

 そもそも、これを着るのを提案したのはトラである。街中ではホムラの翠玉色のエーテルラインは目立つから、とそれを隠すものが必要だった。奇しくも、トラの趣味が有効活用された一例である。

 

「とにかく、これ着れば少しくらいは、人目気にならなくなると思うんだけど……」

 

 どう? と、ヒカリに聞いた。

 彼女は片眉を上げて、それを受け取った。

 

「まあ、悪くないんじゃない。そろそろ、人に慣れてもらわないと私も困るし」

 

 人が来るたびにヒカリの背中に隠れては、彼女も動きにくい。しかも、一人になるのが嫌なのか、ヒカリから離れようとしないのだ。これではホムラのコアクリスタルを奪った犯人の所在が分かったところで、ヒカリが動くことができない。

 彼女を戦いの場に連れて行くのは、あまりにも危険だ。

 ホムラは自分の身を守る術がない。

 戦いの場に連れて行くにしても、少し離れてもらわなければ戦えない。

 それには人に慣れること、一人に慣れることは急務であった。

 

 ヒカリは受け取ったポンチョを暫し眺めてから、それを広げて未だに眠っているホムラの身体に掛けた。風邪は引かないだろうが、一応念の為に。

 

「でも、ホムラに甘えてもらって、正直嬉しいいんだろ?」

 

 とニアが言った。

 それにヒカリは顔を真っ赤にして、

 

「そ、そんなわけないじゃない」

 

慌てて否定する。

 その様子は説得力が皆無で、ニアはそんなヒカリを見て笑う。

 

「レックスもそう思うだろ?」

 

 と同意を求められた彼は、ヒカリに真っ赤な顔で睨みつけられながら言った。

 

「ん? いつもホムラはヒカリには甘えてると思うけど?」

「え?」

「えっ?」

「ん? 何でヒカリまで驚くんだ?」

 

 ヒカリの反応にレックスは首を傾げた。

 彼に言葉に、ヒカリは困惑する。

 

「そうだったっけ?」

「うん、気づいてなかった?」

「ええ……?」

 

 レックスに言われて、この三年間のことを振り返ってみる。

 確かに彼の言う通り、分離したての頃はお互い嬉しくて常に一緒にいた。食事だったり、買い物だったり……。

 イヤサキ村にレックスと共に居を構えたばかりの頃、三人それぞれの部屋を決めて家具を運んだりした。台所に近い方からホムラ、レックス、ヒカリの順になるように。その家に住み始めて一週間くらいは、ホムラが寂しいと言うからヒカリの部屋で一緒に寝たりもした。

 

 けれど、それ以降は何もない。当初、家事は当番制にしていた。ホムラは家事を卒なくこなし、ヒカリがやると上手くいかなくて結局ホムラがやった。家の事を何一つ上手くこなせないことに落ち込んでいると、ホムラが言った。

 

「人には得て不得手があります。家の事は私に任せて。ヒカリちゃんは、ヒカリちゃんに出来ることをやればいいよ。せっかく、いいところがいっぱいあるんだから」

 

 それを言う彼女はとても柔らかく微笑んでいた。

 だから、ヒカリは傭兵団の仕事に注力した。自分にできること、誰かの助けになることをと思って。

 それからは、家に帰ればホムラが暖かい夕食を作って待ってくれていた。

 手を洗わずに食べようとすると叱られ、摘み食いをしようとして叱られ、部屋を汚しては叱られ、髪をろくに拭かずにリビングに戻れば叱られ……。

 

 あれ? 私叱られてばかりじゃない?

 

 けれども、思い返してみても最初の頃以外、ホムラが甘えてきた記憶がない。果たして、レックスはどの事を言っているのだろう。

 怪訝な顔をして、彼を見上げた。

 

「全然、思い出せないんだけど……本当にそんなことあった?」

「うん、あったよ」

 

 しかし、彼は微笑みながらそれだけ言うと、それ以上何も言わなかった。

 

 

   ◆

 

 

 次の日、ホムラは記憶を失って初めてトリゴの街に出た。

 物珍しさ半分、人の多さに怯える半分でヒカリの背後に隠れながら周囲をキョロキョロと見ていた。そんな彼女の背後にビャッコとニアが着いていく。

 一応、ヒカリが買い与えた本によって、この世界の基礎知識を叩き込んである。とは言っても、文字の読み方すら分からなかったから、ヒカリが全て読み聞かせるという事態になったけれど。それでも、ホムラの物覚えが言いお陰で、あまり苦労はしなかった。全てを読み終えた訳ではないが、普通に会話する程度なら問題はない。

 

 農場を抜け、橋を渡り、商店街へ向かう。

 一層増えた人通りに、ホムラはヒカリの手を握る力を強めた。

 耳付きポンチョを身につけている所為か、街の人たちはホムラに気が付かない。ヒカリには気が付く。

 怯えた様子の少女に、前の印象と違うからかもしれない。

 まあ、ヒカリにとっては好都合だった。

 一々、説明するのも面倒だし、記憶喪失だなんて言われたら大騒ぎになる。

 

「てか、ここでは私よりもホムラの方が人気あるなんて、納得いかないわ」

 

 例え同じ存在だとしても、人目を引くのはなんだか許せない。

 せめて同じくらい人気があるならまだしも、圧倒的にホムラの方が好まれているのは納得がいかなかった。

 ヒカリの物言いに、ニアが肩を竦ませる。

 

「仕方ないんじゃない? ホムラの方が仕事でこっち来ること多いしね」

 

 しかも、仕事の内容から老人や子どもにかなり人気がある。露出が多く男の目を惹く格好に対して、ホムラの物腰は非常に柔らかく丁寧だ。仕事柄、家政婦然としたことが多いため、彼女の家庭的な部分は周知の事実となっている。母親や嫁にするならホムラのような女性がいいと、専らの評判だった。

 ニアの言い分が分からないわけじゃない。

 けれど腑に落ちない。

 

「仕事なら私だって……」

「草原を灰にしたのに?」

「うっ……あ、あれは偶々よ」

 

 ニアの指摘にぐうの音も出ない。

 ヒカリは唇を尖らせてそっぽを向いた。

 すると、

 

「ホ、ホムラ様!」

 

急にビャッコが声を上げた。

 その方をヒカリたちが見ると、ホムラがヒカリを離れてしゃがみ込み目の前のノポンを触っていた。

 

「もも!? なんだも!?」

 

 当然のことながら、触られたノポンは戸惑っている。

 ヒカリは慌てて彼女の手を止めると、ノポンに謝った。ニアとビャッコも合わせて謝ると、ヒカリはホムラの両手を取って向き直る。

 

「ホムラ、突然知らない人を触っちゃダメよ。分かった?」

 

 ヒカリに言われて、ホムラは目を瞬かせ頷いた。分かってるのか分かってないのか、分からない顔をしている。それにヒカリは不安になる。

 人には怯えるくせに、ノポンやビャッコのような毛深い生物は興味津々に触ろうとする。

 困ったものだ。

 ヒカリは頭を抱える。

 そんな彼女にニアが、

 

「大変だな、ヒカリは」

「他人事だと思って……」

「だってアタシが近づこうとしても避けられるし……」

 

 彼女がホムラに近寄ろうとすると、途端に怯えたようにヒカリの背後に隠れる。そして伺うような視線を向けるだけ。

 ほらな、とニアはヒカリを見る。

 ヒカリは肩を竦ませ、盛大にため息をついた。

 

 暫く彼女たちは街を散策した。商店街に行って、色々な商品を見て回った。ホムラはどんな物にも目を輝かせて見ていた。気になるものがあればヒカリの方をちょんちょんと突いて聞いてくる。彼女でも答えられないものはビャッコが答えた途中からビャッコしか答えられなくなって、ヒカリたちは彼にホムラを任せて昼食を買いに行った。

 ホムラを連れて噴水広場で昼食をとった。広場のベンチに腰をかけて、サンドイッチを齧る。中の鶏肉とレタス、甘酸っぱいソースが口の中に広がる。ヒカリはその美味しさに、気分が上がった。隣で黙々と食べ進めるホムラを見ると、口の周りにソースをつけながら嬉しそうに食べていた。

 そんな彼女に微笑みながら、

 

「ホムラ、口……」

「ん……」

 

ヒカリはハンカチを取り出して口を拭いてやる。

 

「美味しい?」

 

とヒカリが聞くと、彼女は目一杯笑みを浮かべて頷く。

 それにヒカリの口角も上がる。そして、サンドイッチを食べる。

 仲睦まじい聖杯少女二人に、ニアが感心したように言った。

 

「ほんと、仲良し姉妹って感じ? いつもと逆だからなんだか新鮮だな」

「いつもと逆って……どう言う意味よ」

 

 半眼でニアを見た。

 ヒカリが頬に食べカスをつけてはホムラがそれを取ったりしていた。でもそれはたまにあるくらいで、いつもではない。

 ヒカリの言葉に、ニアは「別に〜」とサンドイッチを食べ始めて答えなかった。

 彼女は腑に落ちない反応に、眉を寄せた。

 

 いつもと逆、という彼女の言葉にヒカリは喉に何かが引っかかるのを感じた。

 いつもはホムラがしっかりしていて、私が何かをやらかしては叱ったり、方々に謝ったりしている。けど、先日サタヒコに言われたとおり、ホムラは生まれたばかりだ。それは確かにそうなのだろう。なまじ五百年も一緒にいたから分からなかったけど、彼女が一人で歩き始めたのはつい三年前のことだ。

 そんなホムラに何かしてやれていたのだろうか。

 いつも迷惑ばかり掛けて、面倒ごとを押しつけて。

 それでも、彼女は文句の一つも言わない。

 しっかり者で、几帳面で、優しく、ヒカリの傷も涙も受け止めてくれる―――そういう風にヒカリが作った。いつも一緒にいて、自分の一部だからなんでも分かって、なんでも共有できて、でも今はそうじゃない。

 レックスは言っていた。

 

 ―――いつもホムラはヒカリには甘えてると思うけど?

 

 その言葉が全然理解できなかった。

 ホムラが甘えてきたことなんて、覚えてすらいなかった。いや、認識できていないだけかもしれない。

 

 どちらにせよ、私は何も見えていない。

 私は、私のことしか見ていない。

 もう一人の私(ホムラ)のことは、何も見えていなかった。

 分かったつもりでいたけど、何も分かっていない。

 レックスやサタヒコの方がよっぽどホムラを見ている。

 

 ヒカリは隣で黙々と食事を続けるホムラを見る。

 彼女が今何を考えているのか、全く分からないけど。少なくとも、今の彼女は感じていることが行動に出るから、分かりやすい。怯えているのか、興味を持っているのか、傍にいて欲しいのか……とか。言葉は少ないけど、それでも分かりやすいのだ。

 普段のホムラは分かりやすそうでいて、一番何を考えているのか分からない、そう思うときがある。

 最近のホムラは特にそうだった。

 何か言いたげで、でも何も言わずに飲み込んで、微笑んでいる。

 

 肝心なことを何も言わずに黙っている、それはある種ヒカリとホムラの悪癖だった。

 それが災いして、楽園への旅路で皆に迷惑を掛けた。

 だから、その旅が終わった今ヒカリはなるべく誰かに話すようにした。

 人によっては我が儘に聞こえるかもしれないが、それがヒカリなりの変わり方でもあった。それが分かっていたからレックスもホムラも、彼女の物言いを受け入れていた。

 不器用な彼女なりに、前に進もうとしたのだ。

 レックスも変わって、ヒカリも変わって。

 ホムラはどうだっただろうか。

 

 

 

   ◆

 

 

 レックスはメレフと共にグーラ軍基地にある会議室で、各地域で確認された被害状況を確認していた。

 昨日になってインヴィディアで被害があったという報告を受けて、レックスは顔を顰める。

 相手の動きが全く掴めていないどころか、新たな被害者まで出してしまった。敵の顔も手口も、動機が分からない。

 ホムラが顔を見ているかもしれない、と分かっていたところで相手の居場所がわからないのでは意味がない。

 スペルビア、グーラ、そしてインヴィディア。

 三つの地域で被害が連続して起きている。

 レックスはメレフに聞いた。

 

「他に被害は?」

「いいや、他にはないな。悔しいが、我々は相手が動いてくれなければ、判断のしようがない」

 

 下唇を噛む彼女に、レックスも同意見だった。

 壁に貼られた地図を見て、相手の動向を探ってみるが中々どうして見つからない。

 唸る両者の間に、静寂が満ちる。

 その静寂を破ったのは、少女の声だった。

 

「レックス!! ヤバイよ! ホムラがどこにもいないんだ!」

 

 部屋に飛び込んできたのはニアだった。

 彼らは弾かれたように振り向き、彼女を見た。ニアは慌てて走ってきたのか、肩で息をして膝に手をついている。

 

「どういうことだ? ヒカリと二人で見てたんじゃ……?」

 

 遅れてビャッコがやってきた。

 彼の問いに、ニアたちは経緯をかいつまんで説明した。

 昼食後、ヒカリとニアは商店街を散策し、ついでにトラの家に向かうも彼らの部屋はジャンク品で足の踏み場もなかった。ハナの改造に熱中しているトラとサタヒコは手が離せない状況だったため彼女らは街に戻った。

 すると、ニアとヒカリに声が掛かった。

 何でもモンスターに同僚が襲われているから助けてほしい、と。

 しかし、ホムラを連れて行くわけにはいかない。かといって、トラたちに預けられない。果たしてホムラはビャッコと共にお留守番となった。

 人目を気にしているホムラはヒカリから離れようとしなかった。仕方なく、ホムラを農場近くの原っぱに居させた。ヒカリが「ここに居て、絶対に動かないで」という言葉に従って頷いた。

 ビャッコが恭しく頭を上げて言った。

 

「面目仕様がありません。私がついていながら……」

「ビャッコのせいじゃないよ。怪我はもう大丈夫?」

「それは、はい……」

 

 落ち込んだように頷くビャッコに、レックスが聞いた。

 

「何があったんだ?」

「ドライバー数人に襲われました。恐らく、人攫いでしょう。他にも子どもが何人か捕まっていましたし」

 

 ビャッコ曰く、ホムラはヒカリの言いつけ通りその場にいた。地面に膝を抱えて座ってぼうっとしていた。

 そんな時だった、子どもの嫌がる声にホムラが反応した。しかし、ヒカリに動くなと言われた手前彼女はちゃんと動かずにいた。ビャッコもそれを聞いていたが、ホムラを一人にするわけにはいかない。だから動けなかった。

 

 人攫いのうちの一人がホムラに目を付けた。

 その後は嫌がるホムラを無理やりに、彼らに噛み付くビャッコを殴り付けた。流石に、ビャッコがブレイドとはいえドライバーと離れた状況で、ドライバー数人と相手にはできない。

 果たして彼は人攫いに痛めつけられ動けなくなり、ホムラは腹を殴られて気を失った。

 それから暫くして、なんとか動けるようになった彼の元にヒカリたちが帰ってきたのだった。

 話を聞いた彼女たちは、急いで街中を走り回ってホムラを探したが見つからなかった。ニアはとりあえずレックスたちに伝えるべく、慌ててやってきた次第である。

 

「ヒカリは?」

 

 レックスが聞いた。

 それにニアが答える。

 

「まだ、探してる。色んな人に聞いてると思う」

「分かった。俺がなんとかする」

「なんとかって……おい!」

 

 彼はそれだけ言うと、部屋を飛び出していった。

 取り残されたニアとメレフは顔を見合った。

 するとメレフが申し訳なさそうな顔をしてニアに頭を下げた。

 

「すまない、我々がしっかりしていれば、人攫いなどと……」

「いいって、それを言うならアタシたちだってホムラから目を離したんだ」

「ニア、君はヒカリと合流しろ。私も軍を動かして助力する」

「ヒカリとって……レックスはヒカリと合流してるんじゃ……」

 

 ニアの疑問にメレフは彼が去っていった部屋の入り口を見た。

 

「いや、あの少年は真っ直ぐホムラの元へ走って行ったはずだ」

「はあ⁉︎ 武器も持たずに?」

「武器なら持っていたがな」

 

 武器は武器だが、普通の剣だ。彼の手製の剣。

 ドライバー相手では心許ないことこの上ない。

 

「一先ず、ヒカリと合流し、レックスの後を追うんだ」

「ああ、分かった!」

 

 彼女は元気よく頷くとビャッコを連れて走って行った。

 




 ホムラを襲った相手(犯人)についてのキャラ設定ができあがりつつあるので、追々少しずつ書けたらな、と思ってます。
 オリキャラがでると書いておきながら、ここまで目立ったオリキャラが出てきてません。恐らく、三、四話以降になるかと思います。


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2-4 ひとりにしないで

 目を覚ましたらそこは見たこともないところだった。目の前には焚き火の炎が揺らめいて、周囲を照らしている。洞窟のような場所に、木製の檻が二つほどあった。その中には、一つ数人の子どもが入っている。

 泣いている子、膝を抱えている子、疲れてぐったりしている子。

 それをホムラはぼんやりする頭で、見ていた。

 腕は縛られているのか動かせない。

 

 お腹が痛い。

 そういえば誰かに殴られた。

 何でここにいるんだろう。

 勝手に動いたら、怒られてしまう。

 あの人に怒られちゃう。

 

「う………」

 

 少女の小さな呻き声に、その場にいた男が反応した。

 屈強な身体を持つ男が後ろ手に縛られた少女を覗き込む。ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべて彼女を見下ろす。

 

「お、起きたな。お前くらいの女は高く売れるんだよ。悪く思うなよ」

「………っ」

 

 知らない人。

 それに彼女は震える。

 

「おい、起きてんだろ?」

 

 と、男は彼女の胸ぐらを掴んだ。

 その時だった。彼女が被っていたフードが外れる。

 少女の顔を見た男は驚いたように目を見開くも、すぐに笑い始めた。

 

「お前、よく見たらグーラの女神様じゃねえか」

「……?」

「へえ、聞いていたよりよガキじゃねえか。しかもそれがアッサリと手に入るなんてなあ」

 

 下卑た笑い声が薄暗い洞窟内に響く。

 男は一頻り笑ったあと、ホムラを地面に放り出した。その拍子に頬を地面に打ちつけ、彼女は小さく呻いた。

 

 顔が痛い。

 帰りたい。

 怖い。

 あの人はどこにいるんだろう。

 ずっと傍にいてくれた、あの金色の人は……。

 ビャッコさんも殴られてた。

 痛そうだった。

 大丈夫かな。

 

 彼女はなんとかこの場から逃げようと、もがいた。

 それに気がついた男が、

 

「おい、妙な真似すんじゃねえぞ?」

 

 と彼女の土手っ腹を蹴り上げる。

 

「……うぁ………っ」

 

 あまりの痛みにホムラはうずくまる。

 ズキズキと腹の傷が主張している。それにホムラは目に涙を浮かべる。

 丸まって震える少女に、男は可笑しなものを見たように笑う。

 

「あははは、女神様もカタなしだな。噂じゃあ、かなり強いって聞いてたんだけどよ。たいしたことねえじゃねえか」

 

 腹を抱えて笑う男に、別の男が言った。

 

「おい、あまりソイツに傷をつけるな。値が下がる」

「何言ってんだ。コイツはブレイドだろうが。たとえ傷ついてもすぐに治る。その包帯の下だって、どうせもう治ってるに決まってる」

 

 そう言って男は彼女の右目を覆う包帯を乱暴に取り去り、頬を掴んでその顔を見た。

 

「ほらな」

 

 男は得意げに笑うと、もう一人は呆れたように肩を竦ませて入り口へ向かった。

 ホムラの右目は再生出来ていないが、目に見える傷はもうなかった。片目を閉じたまま天井を見ていた。そして再び地面に顔を打ちつける。その痛みに呻きながら、彼女は目を閉じた。

 

 暫くして、子どもの泣き声と男の怒鳴りつけるような声がした。檻の中の子どもは、家に帰して、と泣き喚いていた。そんな子どもに男は、うるせぇ、黙ってろ、と怒鳴りつけていた。

 ホムラはそれを聞いて緩慢な動きで頭を動かして、それを見た。

 男は顔を真っ赤にさせて、檻の中で泣いている子どもをそこから引き摺り出した。嫌がる子ども、泣き叫ぶ子ども。

 そんな子どもに、とうとう男は拳を振り上げた。

 

「………っ」

 

 果たして、殴られたのはホムラだった。

 子どもの前に飛び出した彼女は男の屈強な拳を顔面で受け止め、地面に転がる。泣いていた子どもも、殴った男も驚きで言葉を失った。だが、正気を取り戻した男は、

 

「てめぇ、俺のやることに文句あんのかよ。ああ?」

 

ブレイドの武器を手に取る。槍を逆手に持って、振り下ろす。刃先を彼女に向けていないため、殺すつもりはないのだろう。男はホムラの脇腹を一度殴ると、彼女が庇った子どもに対してニヤリと笑う。

 

「よかったな。お前の代わりに、コイツが殴られてくれるってよ」

 

 そして、殴りつける。

 何度も何度も何度も何度も。

 脇腹や肩、腰、腕……左足を殴られた時、何かが砕ける音がした。

 

「……っああああああああ!!」

 

 ホムラの悲鳴が洞窟内に響き渡る。

 足が痛い。

 痛みで気が遠くなる。

 でも、すぐに別の場所が殴られて引き戻される。

 

 何で子どもを庇ったのか、彼女には分からなかった。

 気が付いたら身体が動いていて、顔を殴られていた。

 後悔しているか、と問われれば、後悔はしていなかった。

 身体中痛いし、目の前が真っ暗になりそうだけど。

 それでも、彼女は子どもを庇ったことを後悔していなかった。

 きっと、あの人も、あの人たちも同じことをするだろうから。

 そして………。

 

「………うぅ……ああっ」

 

 頭を激しく殴打されて少女の頭部から鮮血が迸る。

 頬に生暖かい何かが伝うのを感じて、彼女はぼんやりと焚き火を眺めた。

 

 ―――たぶん、()()()も同じことをしたはずだから。

 

 ホムラは痛みに身体を震わせ、蹲って動かなくなった。

 そんな彼女を見下ろして、男が言った。

 

「―――お前がいなければ!」

 

 先程よりもずっと高く、そして激しく振り下ろされる。

 ホムラはそれをぼんやり眺めて、静かに目を閉じた。

 

 刹那、金属が激しくぶつかる音が洞窟内に劈く。

 彼女は目を見開いた。

 目の前にいたのは――――。

 

 

   ◆

 

 

 ギリギリ激昂する男とホムラの間に身体を滑り込ませ、振り下ろされた武器を手製の剣で受け止めた。

 突然現れた青年に、男は一瞬動きが止まった。

 受け止めた攻撃を青年は押し返し、男の体勢を崩した。よろめく男を睨みつける。

 そして後ろにいる少女をチラリと見た。

 頭部からの出血で額が血に濡れている。左頬は赤く腫れていて、鼻血も出ている。

 そんな彼女の有様に、彼は奥歯を噛み締め顔を顰めた。

 

「遅くなってごめん」

 

 レックスは小さく彼女に言った。

 男を鋭く睨め付けた。

 青年の顔に、男は言った。

 

「お前がソイツのドライバーか?」

「だったらなんなんだ!」

「ハッ、ソイツ全然戦えないじゃねえか。傍にいたトラ型のブレイドの方がよっぽど強かったぞ?」

「だからなんだよ」

「戦えないブレイドに価値なんてねえだろ。それこそ、ソイツにかけられた二つ名さえなければ、な」

「……ブレイドは道具じゃない!」

 

 レックスに叫び声に男はせせら笑う。

 

「道具じゃなきゃ、なんだって言うんだ? 戦うためにお前だってブレイドの力使ってんだろが」

 

 男は武器を構えて彼に切りかかった。

 それをレックスは受け止めて、弾く。地面に着いていた膝を上げて、体勢を整える。

 相手は一人と言えども、ドライバーだ。傍らにはブレイドもいる。

 対してレックスはが持つ武器は何の力も付与されていない、ただの剣である。近くに彼のブレイドであるホムラはいるが、現在戦える状況ではない。

 

 俺が何とかしないと。

 いつも助けられてるんだ。こういう時くらい、俺がホムラを守るんだ。

 

 レックスは自分を鼓舞して、剣を構える。

 周りには子どもだっている。負けるわけにはいかない。

 

 相手の槍の攻撃をなんとかいなしながら、間合いを詰めていく。殺すわけにはいかない。急所に決定打を与えて、気絶させたい。その隙に、子どもたちを解放してホムラを連れて、街に戻る必要がある。今は敵が一人だが、ビャッコの話ではあと何人かいるはずだ。そいつらが戻ってきたら、厄介だ。

 長柄の武器に対して、彼の武器はリーチが短かった。間合いを詰めたいが、ホムラから離れすぎるのもよくない。相手の狙いはホムラだ。彼女を取られてしまえば、彼の負けともとれる。

 

 いや、二度と彼女を奪わせはしない。

 男の横への大振りを、彼は姿勢を低くして躱し、その隙に相手の懐に飛び込んで剣の柄で鳩尾を殴った。

 

「ぐうっ」

 

 男は腹を押さえて蹌踉めく。

 それにレックスは歯がみする。浅かった。

 そうこうしている内に、

 

「おい、何ガキ一人相手に手間取ってるんだ」

 

 二人のドライバーが帰ってきてしまった。

 レックスの頬に汗が伝う。

 流石に、歴戦を潜り抜けてきたレックスでも、ブレイドなしでドライバー三人を相手にするのは勝ち目がない。

 レックスは内心焦りながら、背後のホムラを気遣う。離れていた彼女との距離を少しずつ縮めて、目の前のドライバーを警戒する。

 片膝をついていつでもホムラを抱き抱えて走れるように、準備しておく。

 ゆっくりと左手を腰の小物入れへと伸ばしていく。

 

「ホムラを手に入れて、どうするつもりなんだ?」

 

 レックスは気を逸らすため、適当に問いかけた。

 それに、後からやってきた男が答えた。

 

「そんなものは決まっている。売るんだよ。俺たちはそういう商人なんだから」

「子どもを攫って、売るのがか?」

「前は傭兵だったんだが、職を失ってね。人攫いで得られる報酬はかなり大きいんだよ。それに、その女は引く手数多だ。売れば俺ら全員一生遊んで暮らしても、有り余るくらいの金が手に入る」

「……ホムラが手に入れば、子どもたちは解放するのか?」

 

 レックスの提案に男は片眉を上げた。

 

「お前が大人しくソイツを渡してくれるってんなら、お前も子供も解放してもいい」

 

 男の発言に残りの二人が驚いたように声を上げる。だが、彼らはそれを無視して睨み合う。

 暫しの沈黙の末、レックスが言った。

 

「―――お前らには、これで十分だ!!」

 

 彼は言いながら、左手で何かを投げた。男は驚いてそれを武器で弾いた。

 刹那、周囲が白い煙で覆われて彼らは咽始める。

 

「ックソ、煙幕か⁉︎」

 

 ドライバーたちは腕を振って、煙を払おうとしている。

 レックスは煙が上がった途端、後ろにいるホムラを抱き抱えて、洞窟を走り抜けた。

 

「逃すかよ!」

 

 三人のうち、一番冷静そうな男が叫びながら、煙幕の中弓を構えて矢を放った。

 逃げ走るレックスの左肩に矢が刺さる。

 

「―――ぐっ」

 

 だが彼の足は止まらない。

 煙幕が解けたのか、背後から矢が飛んでくる。矢だけではない。激しい旋風や雷が襲ってくる。レックスは何とかそれらを交わしながら、道を抜けていく。

 しかし、ジリ貧であることには間違いない。

 彼ら相手に少女一人を抱えて、トリゴの街まで走り抜けるのは不可能だ。

 

 彼は一直線に街を目指すのを諦めて、薄暗い大木の影に逃げた。人二人が入れる木の幹の間に身体を滑り込ませ、ホムラを自らの足の間に座らせた。幹に背を預け、追っ手を隠れながら見ると、彼らはレックスたちを見失ったようだった。

 だが、すぐに諦めるような奴らではない。

 冷静そうな男が言った。

 

「まだ、街までは逃げてないだろう。探すんだ」

「置いてきたガキたちはどうすんだ?」

「アイツらは放っていても問題ない。逃げられても、たいした損失ではないからな」

 

 どの道、檻の中にいる子どもたちに逃げる手段はない。

 ホムラを渡せば、子どもは解放するとまで言った男だ。彼女さえ手に入れば、子どもたちは必要ないのだろう。

 レックスたちは息を潜めて、彼らの足音が遠ざかっていくのを聞いていた。足音が遠ざかり、完全に気配が消えたのを感じてレックスは全身の力を抜いた。

 そして、腕の中のホムラを見下ろして、彼女の腕がまだ後ろ手に縛られていることに気がついた。慌てて手首を縛っている縄を解いてやった。

 自由になった手を彼女はさすり始める。

 縛られていたせいで手首に赤い痣が出来ていた。

 レックスはそれを見て顔を顰めた。彼女の両手を優しく取って、彼は言った。

 

「ごめん、痛かっただろう?」

 

 彼女はそんな彼の顔をキョトンと見て、すぐに目を逸らした。彼女の様子に苦笑しながら、レックスは小物入れからハンカチを取り出して、血に濡れてしまっている彼女の額を傷に障らないよう、そっと拭った。

 あらかた、顔中の血を拭い終わると、頭に別のハンカチを巻いて縛った。

 

「キツくない?」

 

 彼が聞くと、彼女は黙って頷く。

 それにレックスは微笑んで、頭を撫でた。

 ホムラはまだ彼と目を合わせようとしなかった。彼女が怯えている理由が、彼の目の色にあるから仕方のないことだった。

 レックスは再度、心の中で「ごめん」と謝って、ホムラの頭にフードを被せた。

 彼女は最近傷ついてばかりだ。一週間くらい前だって、謎の男に身体中切り刻まれて、重傷を負ったばかりだ。それなのに、たまたま今日外に出ただけでこの仕打ちだ。

 

 各地には天の聖杯である彼女たちを邪視する人たちもいる。街のトラブルを解決してきた功績があるからこそ、グーラでは高評価だが一歩他の街に出ればその限りではない。

 三年前にできたばかりの村や町では、天の聖杯を敵視する人たちもいる。傭兵団の任務で彼女らと共に行動していると、よく分かる。人によっては、石飛礫(いしつぶて)を投げてきたり、嫌味言(いやみごと)を言ったりと気分の良いものではない。

 楽園を目指して旅していたときもそうだったが、天の聖杯に関する噂は悪いものばかりだ。

 どうにかならないものか……。

 レックスが思案していると、腕の中の少女が小さく呟いた。

 

「ごめんなさい」

 

 静寂の中、彼女の小さな声はレックスの耳にしっかりと入った。

 耳を疑うような囁き声に、

 

「何で、君が謝るんだい?」

 

 と聞いた。

 すると彼女はレックスの胸から顔を上げて、申し訳なさそうな顔をする。

 

「私は、ブレイド……なんですよね? 私が戦えたら、こんなことにならなかったのかなって……」

「………」

 

 レックスは洞窟での男の言葉を思い出す。

 戦えないブレイドに価値はない。

 ブレイドを求める理由が何かと言われると、それは戦う力が欲しいからだ。それはレックスもある種同じだった。彼らを道具扱いしたことはないけど、彼らがどう受け止めるかは別問題だ。ブレイドは道具じゃない。心がある。でも、彼女たちの力に頼っているのは事実だ。

 

 黙ったまま何も言わないレックスに、ホムラは言った。

 

「……やっぱり、あの……私―――」

 

 ダメだ。

 その先を言わせてはダメだ。

 何も知らず、何も分からない白無垢の彼女に、それだけは言わせてはダメだ。

 

 ホムラがその先を言うよりも先にレックスが言った。

 

「別に君が戦えなくたって、いいんだ。と言うよりも、ホムラにはこれ以上戦ってほしくないんだよ」

 

 だから、ヒカリは頑なに彼女に傭兵団の任務に行かせたくなかったのだ。ブレイドとして傭兵として、彼女が動くとなれば戦いに身を置くのは必至だった。

 

 楽園からの帰還後、ホムラを待ち受けていたのは称賛の声ではなかった。事情を知らない人たちは、天の聖杯の所為で町が滅茶苦茶になったと怒りを露わにしていた。そんな人たちに彼女は自ら前に出て謝っていた。

 その後、各国の首脳がこの大騒動を鎮めたのは彼女たちだと声高に言ったことで鎮静化されたと言ってもいい。

 けれどそれで終わりではなかった。

 レックスを英雄と称える一方で、天の聖杯に対する風当たりは三年経った今でも強い。

 

 ホムラが戦う相手はモンスターばかりではない。今回のような彼女を狙ったような人たちを相手にすることも多い。

 ホムラは人と戦うのが嫌なのだろう。戦い終わった後、気絶して倒れている人たちを見てどこか申し訳なさそうな顔をしていることがある。

 そんな顔をしてほしくない。だから戦ってほしくない。

 ヒカリが言いたかったのはそのことだった。

 

 不安げな顔をしている目の前のホムラに、レックスは微笑みかける。

 

「戦うためにホムラに傍にいて欲しいわけじゃないんだ。俺もヒカリも―――」

 

―――そして皆も。

 

「君のことが大好きだから、傍にいて欲しいし、傍にいたいんだ」

 

 笑っていてほしい。

 泣くなら傍で、どんな辛いことも分かち合って、そうして色んなものを共有したい。

 傷ついてほしくないし、傷つけられたら許せない。

 守って、守られて、この先もずっと一緒に生きていたい。

 何よりも大切な人だから。

 

 レックスの言葉を聞いて、ホムラは彼の顔をじっと見ていた。そして、小さく、

 

「だい、すき……?」

 

 と彼の言葉を反芻する。

 それに彼は深く頷いて、

 

「ああ、大好きだ。ホムラはヒカリのこと嫌い?」

 

 と問うと彼女はすぐに頭を横に振った。

 

「じゃあ、好き?」

「……すき。大好き」

 

 小さな声。でもしっかりとレックスの耳には入った。

 彼は満足げにホムラの頭を撫でると、

 

「大好きなら、それ以上傍にいる理由は必要ないんだよ」

 

 ホムラは安心したのか、表情が和らいだ。そして、彼に対して気を許したのか、レックスに身を委ねる。

 先程よりも幾分か身体に掛かる少女の重みが増したことに、レックスは少し嬉しくなった。洋服越しに感じる、人より高い彼女の体温が彼の心を熱くしていく。

 

 ホムラが少し安心した様子に安堵するも、事態は一向に解決していないことに彼は気付いていた。

 再び静寂が訪れ、聞こえるのは互いの吐息とモンスターの生活音、そして―――

 

「………っ」

 

 人の足音だった。

 それも二人。

 レックスはそれにいち早く気が付いて、ホムラの唇に人差し指を当てて、自分の口元にも人差し指を立てた。シー、息を潜めて彼女に言うと、彼女はコクリと頷いた。

 

 そこに居たのは、ホムラを殴った男とそのブレイドだ。

 男は苛立ったように言った。

 

「ッチ、どこに行きやがった」

「恐らく、どこかに隠れているんでしょう」

「クソ、あそこでやっちまえば良かった。お前がしっかりしないから、やられたんだ」

「すみません」

「いいから、さっさと見つけるぞ」

「はい」

 

 彼らは歩きながらそんな会話をして、遠ざかっていった。

 きっと、周囲を徘徊しているのだろう。こちらに戻ってくる可能性は高かった。それに隠れているとバレているなら、見つかるのも時間の問題だ。

 このまま、黙って待っていても仕方がない。

 それに彼らが見つけられないんだ。ヒカリたちは尚更見つけられないだろう。

 彼らの注意を引きつけつつ、騒ぎを起こす。

 そうすれば、彼女たちもこちらに気がつくだろう。ヒカリやニアと合流してしまえば、ドライバー三人を相手にしていたって負けるはずがない。

 

 ただ、ホムラを連れて行くわけにはいかない。

 奴らの注意を引いて、彼女だけでも逃さなければ。

 否が応にも彼女たちと合流するまで、ドライバー三人を一気にレックス一人で相手にすることになる。その場にホムラがいては危険だ。

 

 レックスは意を決して、ホムラに言った。

 

「ホムラ、街まで走れるかい?」

 

 それに彼女は頭を振った。

 

「足が、痛くて……」

 

 顔を顰めて彼女は言う。

 ホムラの足を見ると、左足の足首よりもやや上ら辺が腫れているのが見えた。逃げられないように足を打たれたのか、感情に任せてなのか。ほとんど動いていないこの状況で痛い、と言うなら歩くなんて無理だろう。

 それにレックスは眉を潜め、苦肉の策を口にする。

 

「なら、俺がアイツらの注意を引いて、ヒカリと合流してくる。きっと、ヒカリたちも俺たちを探してるはずだ。ヒカリに会えばすぐに終わるさ。だから、君はここに隠れているんだ。すぐ戻ってくる」

 

 彼は言い終えると、周囲を確認して飛び出す準備をした。

 辺りに奴らはいない。

 できれば、ここから離れた場所であの人たちに遭遇したい。

 出るなら今かもしれない。

 飛び出そうと身構えた彼の身体に、ホムラが抱きついた。

 

「えっ……ホムラ?」

 

 困惑する彼だが、すぐに腕の中のホムラが震えていることに気がつく。

 そして、レックスの胸に顔をうずめたまま、少女は小さな声で言った。

 

「……いかないで」

「でも、行かなきゃずっとこのままだよ?」

「……ひとりに、しないで………!」

「……!」

 

 レックスは言葉を失った。返す言葉が見つからなかった。

 その言葉は、三年間ホムラが言いたくても言えなかったものだから。

 

 三人で一緒に暮らしたい。

 ある時そう言ったのはホムラだった。家族に憧れる彼女が、目的を達成した後でそう言ったのだ。

 

 だから、レックスの故郷であるイヤサキ村に居を構えて、三人で住み始めた。最初こそ一緒にいたけど、傭兵団に任務で多忙になるとレックスもヒカリもあまり家に帰ってこなくなった。ホムラは家事が得意だから、という理由で家にいたけど、結局は彼女を置き去りにしていた。

 

 三人で住み始めたが、楽園を目指して旅をしていたときよりもバラバラになっていた。

 

 寂しがり屋の彼女だが、自分のことは二の次にして押し殺してしまう。寂しいという言葉も、言わずにいつも笑っていた。

 彼らが帰ってくれば嬉しそうに出迎え、仕事があると告げれば寂しそうな顔で「気をつけてくださいね」と微笑む。翌朝には優しい笑みで見送ってくれる。

 

 そんな彼女の本心を汲んでやることができなかった。

 そんなだからメレフやニアに、ホムラが可哀想だ、なんて言われるのだ。

 

 仕事だから仕方がない? 違うだろ。

 何の為に楽園を目指した?

 世界の為? 違う。

 ホムラとヒカリの為だ。

 なら、今はどうだ。

 世界を良くしようと働いて、それが彼女たちの為になると思っていた。

 彼女たちの幸せの繋がると思っていた。

 でもかえってホムラを傷つけている。

 俺は一体、何をしているんだ。

 

 後悔ばかりが胸を締め付け始める。

 レックスは腕の中で震える少女の背中に腕を回して、優しくけれども力強く抱きしめた。

 

「ごめん」

 

 また、君を一人にしようとした。

 また、置き去りにしようとした。

 

「もう、一人にしないから。ずっと、一緒にいる。約束する」

 

 自分のブレイドが傷ついているのに、俺は自分のことしか見えていなかった。愚かしいにも程がある。

 何も変わっていない。あの頃から何も……。

 

 レックスは華奢な少女の身体を抱きしめながら、考える。手負いの彼女を連れたまま、彼らとどう対峙するべきか。レックス自身も肩に矢を受けている。まともに戦えば勝ち目はない。

 彼は覚悟を決めて、身体に力を入れる。

 そして抱きしめていたホムラに言う。

 

「ホムラ、ここから離れよう。走るから、俺の身体にしっかりと捕まっていてくれるかい?」

 

 ホムラはキョトンと彼を見て、言われた通りに彼の首に腕を回して抱き着く。レックスはそんな彼女の膝裏に左腕を、背中に右腕を回して抱えた。右手には煙玉を幾つか仕込んで、左腕のアンカーを確認する。

 大丈夫、戦う必要はない。

 兎に角奴らを引きつけつつ、逃げ回ればいい。

 

 レックスはタイミングを見計らい、飛び出す。目の前には、ホムラを殴った男がいた。目が合った男は武器を構えてレックスに斬りかかるが、青年は方向を変えて走り出した。

 

「あ、おい! 逃すかよ!!」

 

 急に逃げ出した青年に男は叫ぶ。

 そして、大木の影から抜けて、明るい場所に出る。目の前に広がる広大な草原。彼は一気に駆け抜ける。

 すると、左側から矢が飛んでくる。青い光を放つ、特殊な矢。それが地面に刺さり、レックスは冷や汗をかく。

 

 この場合、一番厄介なのは弓矢を持った男だった。たとえ距離を取って逃げたとしても、矢弾の的になるのは目に見えている。幾つもの矢が空を走りレックスたちに迫る。彼は身体に矢が掠めながらも、なんとか回避する。

 そして、

 

「ホムラ、一瞬手を離すけどしっかり捕まってて!」

「はい」

 

 彼女の返事に彼は、少女の上半身を支えていた右腕を外し、手中の煙玉を一つ弓兵へと投げつけた。一瞬にして辺りは白い煙に覆われる。だが、男は構わずにレックスのいた方向へと矢を飛ばしてくる。

 煙の向こうから飛んでくる矢に怯むことなく、彼は目的地へと駆け出す。

 

 彼が向かっているのは旅人の標木だった。

 そこなら見通しも良いし、何より木とレックスとでホムラを挟めば、彼女の背後を気にする必要もない。街からも近く、目立つ場所でもある。ヒカリやニアが見つけやすいように、そこを選んだ。場所としては、彼らが隠れていた場所から離れていたけれど、街まで走るより断然近い。

 レックスは背後からの矢に焦りを感じつつ、走って行く。

 

 途中追いつかれそうになって、攻撃を受けたがなんとか避けた。左腕のアンカーを旅人の標木の枝に向けて発射し、一気に巻き取って根本まで移動した。

 目的地にたどり着いた彼らだったが、すぐに追っ手は目の前にやってくる。

 

「もう逃げられないぞ。お前をぶっ殺して、その女だけ貰ってく!」

 

 ドライバー三人組のうち一人がそう叫んで、武器を構えた。

 レックスは彼らを睨みつける。

 まともに戦えば勝ち目はない。だからといって、負け腰で挑むつもりはない。

 

「ホムラは絶対に渡さない!」

「てめえ、痛い目見たいみてえだな!」

 

「―――痛い目を見るのは、アンタたちよ!」

 

 レックスとも、目の前の三人とも違う声が聞こえてきた。

 眩い光。

 その方向に、高く跳躍をして武器を振り上げたヒカリの姿があった。

 

「パニッシュメントレイ!!」

 

 彼女の白い獲物から放たれた光弾が男達を襲う。

 ヒカリはレックスと男達の間に着地をし、やや遅れてニアとビャッコもやってきた。それにレックスは、

 

「ナイスタイミング!! さすがだよ!」

「さすが、じゃないでしょ!? この馬鹿!」

 

 彼の称賛の声に、ヒカリが怒りを露わにする。

 そんな彼女をレックスはさらりと交わして、

 

「説教なら、終わった後でいくらでも聞くよ。今はこいつらなんとかしないと」

「ええ、そうね!」

 

 レックスはホムラを下ろすと、ヒカリから武器を受け取る。

 ホムラを背に庇い、武器を構えた。彼の隣にいるニアも武器を構え、相手を睨みつけた。

 

 

   ◆

 

 

 結果から言って、ヒカリとニアを加えたレックスはドライバー三人を圧倒し、十分も掛からずに相手を気絶させた。

 気絶した彼らを旅人の標木に縛り付けた。彼らのブレイドには、ニアがメレフに借りたというエーテル遮断ネットを巻きつけた。

 最後の一人を縛り終えたところで、レックスはニアに聞いた。

 

「メレフは?」

「メレフなら、誘拐された子どもの方に行ってる」

「そっか」

 

 そういえば、洞窟には沢山の子どもがいた。木でできた檻に入れられてたから、身動きができない状況だったけど、今思えばそれが功を奏したのかもしれない。

 

 怪我をしたレックスとホムラの手当てをしながら、時期に来るというメレフを待っていた。空はすでに真っ赤に染まっている。

 レックスはニアに手当てを受けていた。

 

「痛っ、もうちょっと優しくしてよ」

「何言ってんだよ。まともな武器も持たずに突っ走ったんだから、我慢しろよな」

「あれは……身体が勝手に動いたんだ」

「ってことは考えなしだった、というわけ?」

「ぬ……」

 

 図星を突かれてレックスは閉口した。

 だが、後悔はしていないし、反省も然程していない。もう少し遅れていれば、ホムラが重傷を負っていただろうから。

 彼は唇を尖らせるだけで、何も言えなくなった。

 

 一方でホムラは大人しくヒカリの手当てを受けていた。レックスが頭に巻いたハンカチはそのままに、彼女が持っていたハンカチを近くの水辺で濡らしたものを赤く腫れた左頬に当てていた。

 

 一足先に手当てを終えたレックスは立ち上がって、近くの木から太い枝を二本手に取って、彼女たちに近づいて行った。自分の肩に巻いた包帯の残りを持って、岩に腰をかけるホムラの目の前に傅く。

 

「レックス?」

 

 彼の行動にホムラの隣に座っていたヒカリが首を傾げた。

 レックスは彼女の問いかけに何も答えずに、ホムラの左足を取った。そしてそっと靴と靴下を脱がして行く。

 それを黙ってホムラとヒカリは見ていた。

 すると、黒いソックスも下から、ホムラの足首よりもやや上のところが赤黒く変色し、大きく腫れていた。それを見たレックスは顔を顰め、ヒカリとニアは息を飲んだ。

 

「多分、折れてるね。これ」

「どうしたんだよ、それ」

 

 ニアが聞いた。

 彼はそっと彼女の傷に二本の棒をあてがい、包帯で巻いて固定しながら答える。

 

「俺が気が付いた時にはこうなってたから、たぶん俺が来る前に折られたんだ」

「誰にやられたの?」

 

 地を這うような低い声だった。

 声のした方向にレックスが顔を向けると、明らかに怒りを露わにしているヒカリがいた。レックスはその形相に背筋を凍らせる。

 

「えっと、真ん中の人だと思う、よ……」

 

 答えなければこちらがやられる。

 レックスはそう感じて、素直に答えた。

 ヒカリはゆっくりと立ち上がると、気絶している男の前に行ってレックスに言った。

 

「レックス、こいつ殴っていい?」

「ええ……」

 

 散々、戦って痛めつけたと思うんだけど……?

 レックスは彼女の気迫に気圧されながら、助けを求めてニアを見た。しかし、彼女も彼女で手を鳴らすようなポーズをとって男を見ていた。

 

 ダメだ、こりゃ……。

 

 レックスは諦め、

 

「あまりやり過ぎないでくれよ」

 

 と呟くように言った。果たしてそれが彼女たちに届いたかどうかは彼には分からなかった。鬼気迫る様子で、彼女たちは男へと迫る。

 そんな様子にレックスは、隣にいるビャッコに言った。

 

「やり過ぎてたら、止められると思う?」

「少なくとも、私には不可能です」

「だよねえ、俺も無理だよ」

 

 彼らは少女たちを遠目に見て、それからこれから始まるであろう惨劇を予想して彼はホムラの両耳を両手で塞いだ。彼女は何が何だか理解出来ていないのかキョトンと彼を見上げていた。

 少なくともホムラにだけは、知られないようにしよう。

 彼はホムラの両耳を塞ぎつつ、ヒカリたちを見ていた。

 

 殴られて起きた男は縛られ身動きできない状況に驚きつつ、目の前の少女たちに気が付いて顔を青ざめさせた。そして抵抗することもできずに、彼女たちの鉄拳を食らった。

 赤く燃える夕焼けの草原に、虚しくも男の悲鳴が霧散していった。

 レックスとビャッコはそれを遠い顔をして、聞いていたのだった。

 

 程なくして、気が済んだのかヒカリとニアが戻ってきた。

 

「気が済んだかい?」

 

 レックスが聞くと、ヒカリは、

 

「まだだけど、これ以上はメレフやカグツチがうるさそうだから……」

 

と唇を尖らせながら言った。

 レックスは顔を引きつらせながら、殴られて顔が腫れまくり、原形をとどめていない男を見た。

 そんなに殴っていおいて?

 と思いながらも、彼は何も言わずに苦笑するだけに留めた。

 

 ヒカリは申し訳なさそうに、ホムラの目の前に立つと彼女の頭を撫でながら言った。

 

「ごめんね、痛かったでしょう?」

「……っ」

 

 ヒカリの微笑に、ホムラの赤い目から大粒の涙が溢れ始める。そして、ヒカリに抱きついてわんわんと鳴き始めてしまった。

 そんなホムラの様子に、ニアが戸惑ったようにレックスを見た。

 

「ど、どうしたんだ?」

「たぶん、怖いのを我慢してたんだと思う」

 

 知らない男に殴られ攫われて、気が付いたら知らないところにいて。レックスが来たときには、子どもを庇うように男にたこ殴りにされていた。体中殴られて、足も折られて、それでも彼女は泣いていなかった。レックスやニアを見ただけであんなに取り乱して、泣き出したあの少女が、泣くことも悲鳴を上げることもしなかった。

 無意識のうちに我慢していた。恐怖を感じながらも、泣かずにそれを我慢していた。

 ヒカリが目の前に来て、安心したのだろう。一気にその恐怖が襲ってきたのかもしれない。

 

 ヒカリから一時も離れようとしなかった彼女が、今日は一日のほとんどを一人で過ごした。怖がっていたレックスが目の前にいても、嫌がって離れようともしなかった。

 そんな少女を成長を感じて、レックスはヒカリに泣きつくホムラを優しい目で見ていた。

 

 一頻り泣いて、色々あって疲れたのかホムラはヒカリの腕の中で寝ていた。

 

「ホムラだけでも、街に連れ帰ろうか」

 

 レックスが言った。それにヒカリは頷いた。

 

「そうね。でも、こいつらも放っておけないでしょ?」

「いいよ、アタシがここに残るからさ。レックスとヒカリは先に帰っててよ」

 

 ニアがそう提案すると、彼らは頷き合って「任せるよ」と言った。

 寝ているホムラをレックスが背負う。

 

 一週間前にも彼女を背負って、この草原を走ったのを思い出す。あの時は雨が降っていて辺りも暗かった。何より背中の少女は大怪我を負っていて、弱々しい吐息が耳元に聞こえていた。

 今はそれとは違う。彼女は穏やかに寝ているし、雨も降っていないから背中から彼女の体温が伝わってくる。

 夕焼け色の草原を赤髪の少女を背負いながら、青年は金髪の少女と歩く。

 

「ホムラ、大丈夫かしら?」

「何が?」

「今日初めて、外に出てこんな目に遭って……もう外に出たくないんじゃないかなって」

 

 不安げに彼女は言う。

 それにレックスは前を見て言う。

 

「大丈夫だよ。ホムラは大丈夫。俺を見ても怖がらなかったし、たぶんもうニアのことも大丈夫なんじゃないかな」

 

 初対面であんなに怖がった手前、どう接していけば良いか決めあぐねているだけで。

 

「ちゃんと、ホムラも成長してるんだ」

「成長?」

「うん。君といて、皆と触れあって……まだ数日だけどさ。それでも色んなことを吸収して、どんどん成長している」

 

 最初、赤ん坊のような感じだった彼女が、あまり言葉を発さなかった彼女が、今日は一人で行動した。子どもを守る、とか。離れようとしたレックスに、自分の意思を伝える、とか。

 ヒカリに追従するだけだった彼女が、ちゃんと自立し始めている。

 少女の成長はレックスにとって喜ばしいことだが、しかしそれがいつまでも続くわけではないことを彼は理解している。

 ホムラの命はそう長くない。

 早くコアクリスタルを取り返して、彼女に戻さなければいけない。

 そうすれば、恐らく()()()()()が戻ってくる。でも、今のホムラは消えていなくなってしまうだろう。それに寂しさすら感じる。

 今のホムラには、何の落ち度もないのに元のホムラを取り戻すために消えてくれ、と言うのはあまりにも酷なことだ。いつかは、彼女に話さなければならない。今はまだ、その時ではないけれど。

 

 そうして、戻ってきたホムラに、話してあげよう。

 ヒカリがどれだけ献身的にホムラに付き添っていたのか、とか。ヒカリは恥ずかしがって否定するだろう。ホムラは嬉しそうにするだろう。

 それから、彼女には伝えたいことも、聞きたいことも山ほどある。

 

 メレフに言われた通り、ホムラとヒカリとこれから先どうなりたいのか、きちんと自分の思いを伝えて。ホムラが「話したいことがあるんです」と言っていた内容も、彼女が抱えていた悩みとかも、全て聞きたい。

 

 ホムラの思いも、ヒカリの思いも、全て受け止めて。

 また、三人で手を取り合って一緒に前に進もう。

 バラバラになってしまった、この三年間の溝を埋めるように。

 そして、これから先も彼女らと共に生きていけるように。

 

 レックスは遠くにトリゴのアーチを見ながら、未来に展望を抱きゆったりと歩みを進めていく。



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2-5 その目に映るもの

 やっと、あの男の登場です。
 わたし自身、関西弁が苦手なので、不自然な箇所があるかもしれません。


 言葉は呪いだ。

 

 未来に希望を託す言葉、未来を生きる者に願う言葉。

 託された者はそれに縛られて生きる。

 自らの意志で、死ぬこともなく―――

 自らの意思で、生きることもなく―――

 

 彼は空を見上げた。

 真っ青な青空、そこに煙が上っていく。

 地面に視線を合わせれば、そこには焼き払われた家々の残骸。

 倒壊した家の下敷きになっている、黒焦げの人の塊。

 

 野盗の集団が、村を襲ったのだ。そして、金品や食料を奪って、人の命も奪って、火をつけた。

 人は変わらない。

 世界が変わっても、五百年以上前から何も変わっていない。

 

 変わっていないのは、人だけじゃない。

 ブレイドも……。

 

 そして―――

 彼の後ろには、野盗の死体が転がっている。

 胸を穿たれ死んでいる。

 その傍にはコアを失ったブレイドの姿。

 

 彼は何も言わず、その場から立ち去った。

 

 

   ◇

   ◆

 

 

 連日、グーラ軍基地の会議室にレックスとメレフは通い詰めていた。日に日に増えていく、書類の山と地図への書き込み。それを前にして、彼らは唸ることしかできていない。

 ホムラが謎の男に襲撃されて早二週間が経とうとしていた。

 ホムラの身体はというと、今のところ問題はないらしい。ニアとヒカリ、そしてスペルビアの医者ダンの助力もあって、今でも元気そのものだ。睡眠時間が長いことを除けば、特にこれといって変化はない。

 ホムラは夜と昼の二回睡眠をとっている。

 ヒカリ曰く、身体のエーテルエネルギーの消費を抑えるために、身体が本能的に取っている行動らしい。

 

 しかし、ヒカリが提示した元々の期限は刻一刻と迫っている。

 現状では、何も掴めていない。

 スペルビアから始まり、グーラ、インヴィディアと被害が出ており、そして昨日、新大陸のカスリタス地方で被害が出たらしい。

 これでこの短期間で、四件―――ホムラのを含めれば五件の被害が出ている。今までの調書で読んだよりも、ペースが早い。

 相手が本格的に動き始めたということなのか、それとも何か事情があってのことなのか。

 

 次に一手を決めあぐねている彼らのところに、ある人物がやってきた。

 

「なんや、随分と辛気臭い顔しとるな」

 

 部屋の入り口から、訛りを感じる男の声がした。レックスはそっちの方を向き、メレフは見向きもしなかった。

 

「久しぶりだね。ジーク」

 

 レックスはどこか気の抜けたような、肩の力が抜けたような様子で男に話しかけた。

 ジークこと、ルクスリア王国第一王子―――ジーフリト・ブリューネ・ルクスリアであった。灰色の髪に左目には亀柄の眼帯、屈強な身体を包む黒いコートが揺れる。

 レックスを見たジークは、

 

「おお! ボン、随分大きなったなあ。見間違えたで」

「まあ、三年経ったし、そりゃあ成長もするさ。ジークは変わりないようだね」

「ハッハッハ、ワイの覇王っぷりは三年経ったくらいで、衰えたりせえへんで!」

「ああ……そっちも相変わらずなんだ」

 

 レックスはどこか呆れたように呟く。そんな彼の隣にひっそりと、ジークのブレイド―――サイカがやってきて耳打ちした。

 

「すまんなぁ、ウチの王子全く成長してへんねん」

「まあ、急に変わってるのを見るよりかは、安心かな」

 

 青年は苦笑いして返した。

 それにサイカも苦笑する。そして、彼女はすぐに笑みを浮かべて、レックスの背に合わせるように手を動かす。

 

「ホンマ、大きなったなあ。これだと、ホムラとヒカリが放っておかへんやないか?」

「どうかなあ。特にそういったことはないと思うけど……」

「一つ屋根の下で暮らしとるのに?」

「うん。まあ……。俺もヒカリも仕事で家にいないことも多いからね」

 

 しかも、ヒカリとは別行動になることも珍しくない。

 本当に、三人はバラバラだ。

 レックスは困ったように、サイカに言った。

 

 そう言えば、ボン……とジークが言った。

 

「ホムラが大怪我したって聞いたけど、どうなんや?」

「怪我の方はもう治ってるよ」

 

 完治している。

 人攫いにやられた傷も、謎の男にやられていた目や腹の傷も、ニアの力で完治している。彼女の右目を見るのは久しぶりに感じた。彼女にとって初めて、両目で周りを見ることができて、最初は周りをキョロキョロしていた。

 怪我は治った。

 けど、肝心のコアクリスタルは戻っていない。

 

「でも、コアクリスタルを失ったせいか、記憶は失くしたままだよ」

 

 レックスの言葉に、ジークもサイカ言葉を失って、彼を見ていた。

 重苦しい空気が流れる中、口を開いたのはジークだった。

 

「それで、今はどうしとるんや?」

「今日は、外で遊んでるんじゃないかな。ほら、ここから近くの花畑に行くって言ってたから」

「あ、遊んどるんか?」

「うん。天気がいいからって」

 

 提案したのはヒカリだった。

 外出初日は、ホムラにとって散々だったから。今日は基地から比較的近い場所で、常に誰かが彼女の傍にいるように、とトラとハナまで呼んで、遊びに行った。

 ヒカリとしては、ホムラに外の世界は案外怖くない、と教えたいらしい。しかし、当のホムラは気にしている様子もなかった。ヒカリが傍にいてくれるなら特に気にしていないらしい。それくらい、ホムラの中でヒカリはかなり大きな存在となっている。

 

 ヒカリの懸念も分からなくはなかった。

 レックスは窓の外を見下ろした。そこからは、グーラの花畑で談笑しているのか、何かしらで遊んでいるホムラたちが遠くに見える。

 彼はそれを見て呟く。

 

「ホムラには、この世界どう映ってるのかな?」

「……どういうことや?」

「今のホムラはさ、この世界のこと何も知らないんだよ」

 

 真っ白で、無垢で、それでいて純粋だ。

 なんでもかんでも吸収して、何にでも興味を示す。

 人間にはある一定の警戒心を持ってはいるが、それ以外となると無警戒だった。人懐っこい獣にも、危険なモンスターにも、警戒することなく近づいていく。場合によっては、触りに行こうとする。それをヒカリやビャッコが制止するのだという。

 気が気でない、と彼らは言っていた。

 

 でも、何も知らないからこそ、第一印象でこの世界を嫌ってほしくない。

 一番最初に彼女が目覚めたとき、彼女の目の前にはきっと恐ろしいものがいたのだろう。目の前に自分を傷つける人がいて、身体中痛くて怖くてどうしようもなかったはずだ。だからこそ、最初あれだけ閉じこもって、ヒカリの後ろに隠れていた。レックスやニアの目を見て、取り乱していた。

 そんな経験から、人間を嫌ってほしくなかった。

 世の中にはたくさんの人がいる。

 良い人もいれば、悪い人もいる。それはどうしようもないことだ。

 嫌いになってほしくない、というのは彼のエゴかもしれないけど。

 今のホムラの目は曇りがない。それだけに、なんでも映し、通してしまう。悪いものも、良いものも全て目に入れてしまう。

 

 それがどのような結果になるかは、まだ分からない。

 レックスは先の見えない不安に、顔を顰めた。

 そんな青年に、ジークは彼と同じように窓の外に彼女たちを見つける。

 

「あれこれ心配しても仕方ないやろ。自分の思うような方向に、向かわせる方が酷やと思うけどな」

「それは……そうだけどさ」

 

 世界を嫌ってほしくない、なら、彼らにとって気分の良いものだけを彼女に与えれば良い。それは謂わば、刷り込みに近い。

 しかし、そんなことがあってはならない。

 自分の思い通りに彼女を育てるのは、酷い自己満足だ。

 ホムラのことを全く考えられていない。

 彼女を大切にする、第一に考える、そう先日宣言したばかりだ。

 

「それに、それは杞憂に終わるかもしれへんで」

 

 ジークの言葉に、レックスは彼を見上げた。

 

「どういうこと?」

「簡単な話や。ヒカリやボン、それから皆が傍におる。皆が傍にいてホムラが悪い子になるわけがあらへんやろ。もし、ホムラが間違いを犯しそうになったら、その時は皆で優しく教えてやったらええんや」

「……上手くできるかな」

「安心しい、ワイやメレフもおる。三人寄れば文殊の知恵って言うやろ」

 

 ジークは、自信のなさそうなレックスの背中をドンと叩いた。

 それに彼は、胸の内が少し軽くなったような気がした。

 ジークという男は、普段は掴み所のない人だが、いざというときは頼りになる人だ、とレックスは思い出す。

 

「ありがと。なんだか気が楽になったよ」

「ボンはなんでもかんでも、考え過ぎなんや。もっと気楽にいこうや」

 

 ニッと笑うジークに、レックスも笑みで返した。

 

 そんな彼らの会話を会議室で資料に目を通しながら聞いていたメレフが、ふっと口角を上げた。

 

「どうやら解決したみたいだな」

 

 彼女の呟きに、遅れて入ってきたカグツチが聞いた。

 

「レックスの悩みに気付いてたんですか?」

「ああ、だいたいはな。だが、こういうのは男同士の方が上手くいきやすい」

 

 だから、気付いておいて、あえて口にしなかった。

 ジークが来れば、彼が聞くだろうから。そして彼なら、的確にレックスを導いてくれるだろうから。

 もしジークの言葉が、的外れの頓珍漢なものだったら、その時は口を挟めばよい。そう決めていた。

 

 出会ったばかりのあの頃に比べて、身体も大きくなって成長したとは言え、彼女たちにとって、レックスはまだ子どもだ。あの戦いで目紛しく成長したが、やはりまだ少年らしさは残っている。だからこそ、悩むこともあるだろう。特に、天の聖杯二人が絡んでくることについては。

 

 メレフは次第に他愛ない話で盛り上がり始めた男どもに、ため息をつきつつ壁にかけられた時計を見た。そして、徐ろに立ち上がると、彼らに告げた。

 

「そろそろ、昼食の時間だ。皆を連れ戻しは方がいい」

 

 すると、レックスは頭を振った。

 

「いや、今日は皆で外で食べようよ」

「外で、か?」

「うん。天気いいからね。準備なら……」

 

 レックスがカグツチを見ると、彼女は彼の言葉を継いだ。

 

「ええ、出来てるわ」

「なんだ、そんな相談していたのか?」

 

 メレフが驚いたように言うと、カグツチは言う。

 

「ずっと、ここに詰めているから、たまには息抜きにってレックスが」

「なるほどな。まあ、ホムラとの親睦を深めるのも悪くないな」

「なんや、遅れてきたのはその準備をしてたっちゅうことか」

 

 彼らの提案に、メレフとジークが納得した。

 五人は会議室を出て、廊下を歩く。先を歩いていたレックスが、ジークとサイカを見て言った。

 

「二人はホムラに自己紹介しないとね」

「フッフッフー、任せときい。ワイがとっておきの、口上を見せたる!」

「いや……普通でいいんだけど」

「王子にそれを求めたらあかんで」

「じゃあ、出来るだけ怖がらせないでよ……」

 

 人に慣れたとはいえ、まだ人への警戒心は顕在だ。

 もっとも、一番怯えていたレックスやニアに対する警戒心は、解けた。それに加えて、メレフやカグツチに対しても、普通に接することができるようになった。ここ数日で、彼女はメキメキと成長している。

 身近な人に対する警戒心は、特に感じられない。

 

 たまに、レックスは抱きしめられそうになるから、困ってしまう。いや、抱きしめられることに対しては、嬉しい限りだ。

 しかし、彼女の精神年齢が幼児そのものだと言っても、身体つきは年頃の少女そのものだ。

 

 不意に、ホムラが抱きついてきて、身体に女性特有の柔らかさを押し付けられてしまうと、青年レックスはドキマギしてしまう。彼も年頃の男だから。好きな女の子にそんなことをされて、平静でいられない。

 

 こっちばかり、ドキドキさせられて、邪な気持ちを抱くことに罪悪感を感じてしまう。ホムラにそんな気はないのだ。あくまで、気の許した相手に、自分なりの方法で愛情表現をしているに過ぎない。

 拙い表現方法だが、された方としては嬉しいし、何より可愛い。

 だから、拒絶できない。

 

 今まで、ホムラの周りにはほとんどが女性だった。男といえばレックスとトラだけ。トラにしても、レックスにしても、身近で慣れた人間に対して、ホムラは抱き着くあるいは過剰なスキンシップをする。女同士なら別にいい。見ていてほっこりする。トラ相手でも、特に気にはしていない。

 

 ただ、ここでジークが出てきて、ホムラが彼に対してどう対応するかが気になる。

 もし、ジークに対してもレックスたちと同じように、抱き着くなどしたら、それはそれで嫌だった。

 ホムラにそんな気はないにしても、彼を男として認識していないにしても、好きな女の子が目の前でそんなことをするのは見たくない。

 

 レックスは廊下を歩き、食堂に寄り道をして、カグツチが前もって注文していたものを受け取った。バスケットには様々なサンドウィッチや唐揚げ、アデル焼きなどの料理が入っていた。大きな水筒と、簡易的な食器類も入っていてずっしりくる。

 彼はそれを片手に、彼女たちがいる花畑に向かう。

 

 

   ◆

 

 

 所変わって、トリゴの花畑にて―――

 

 ヒカリとホムラはニア、ビャッコ、トラ、ハナとともに花畑へとやってきた。今現在、ここグーラでは春真っ盛り、いろいろな場所に様々な花が咲き誇っている。この花畑には、白くて綺麗な花しか咲いていないけれど、すぐ近くの湖畔には黄色や桃色の花が咲いている。

 彼女たちは、白い花畑に腰を落ち着けて、花冠を作るのに夢中になっていた。

 言い出しっぺは、ニアだった。

 昔、ここで花冠を作ったけ、などと言い出した彼女にトラが「作れるも」と言って、作り出した。そんな彼を見て、ハナも作りたいと言って彼に教えを乞うた。それにつられるように、ホムラも彼らの所作を見よう見真似で作り始めた。

 

「ホムラちゃん、上手も! でも、ここをもうちょっとこうするといいも」

「……こう?」

「そうも! いい感じも」

 

 トラに褒められて、ホムラは「えへへ」と嬉しそうに笑いながら、手を動かしていく。次第に綺麗な輪っかが出来ていく。

 

「出来ましたも!」

「トラも出来たも! これはハナにあげるも」

「なら、ハナのはご主人にあげますも」

 

 と彼らは互いの頭に、出来上がったばかりの花冠を載せていた。

 遅れて完成したホムラは、彼らの行動を見て、それから―――

 

「………」

 

 ヒカリを見て、両手で花冠を差し出した。

 ヒカリは驚いて、ホムラに聞いた。

 

「私に?」

「……ん」

 

 彼女は頷いて、ヒカリの頭に乗せて満足そうに顔をほんのり赤た。

 ヒカリはヒカリで、満更でもなさそうにニヤけていた。

 

「顔、ニヤけてるぞ?」

 

 ニアが隣からそう言った。

 

「うるさいわね。いいでしょう、別に」

「ま、いいけどさ。ヒカリは返してあげないのか?」

「………」

「ああ、もしかして作れない、とか? ヒカリって不器用だもんなあ」

「つ、作れるわよ! これくらい! 見てなさい、今から凄いの作るから‼︎ そう言うニアこそ、作れないんじゃないの?」

「な⁉︎ 作れるに決まってんだろ⁉︎ ヒカリよりは上手に作れるね」

「言うじゃない」

「そっちこそ」

 

 と、ヒカリとニアは言い合って、互いに花冠を作り始めた。

 そんな彼女たちを見て、ビャッコは深いため息をついて、空気の読めないトラは、

 

「トラ、もう一個作るも」

「誰にあげるんですも?」

「んー、メレフにあげるも」

「じゃあ、ハナも作って、カグツチにプレゼントするですも」

 

 などと言って、再び作り始めた。

 きょとんと彼らを見ていたホムラに、トラが言った。

 

「ホムラちゃんも、アニキに作ってあげるのはどうも? きっと、喜ぶも」

「……あにき?」

 

 ホムラは首を傾げた。彼女の疑問に、ハナがすかさず答える。

 

「レックスのことですも」

 

 ハナに言われて、彼女はレックスを思い浮かべる。

 彼は悪い人ではない。むしろ、良い人だ。

 一緒にいて、ヒカリの次に安心できる。

 優しい顔で、頭を撫でてくれる。

 それが一番嬉しかった。

 

「……喜んで、くれる?」

 

 彼女の小さな呟きに、トラが反応する。

 

「もちろんも。ホムラちゃんにプレゼントされて、アニキが喜ばないはずがないも!」

 

 胸を張って、彼は言った。

 それにホムラは、レックスが喜ぶ姿を想像する。喜んでくれたら、いいなぁ。そしたら、きっとまた頭を撫でてくれる。

 

 彼女はそれを胸に、再び作り始めた。

 かくして、銘々に黙々と作業をしていた。レックスたちが、やってきた時には、彼女たちは黙って、それぞれ手を動かしているという異様な光景がそこにはあった。

 

「えっと、何やってるの?」

 

 レックスは戸惑い気味に尋ねる。

 それに、ヒカリがぶっきらぼうに言った。

 

「今、集中してるから、黙ってて」

「ご、ごめん」

 

 彼は、黙ってホムラとヒカリの間にしゃがみ、彼女の手元を見て理解した。

 花冠か……。

 懐かしいな。昔、村の女の子に教えられて作ったけ。

 ホムラの手元でも同じようなものを作っている。元来、手が器用なホムラの花冠は綺麗にできていた。対してヒカリは力の加減ができていないのか、所々茎が萎れてしまっていて、形が思うようにできていかない。

 

「ヒカリ、もう少しここをこうするといいよ」

 

 と思わず、口出ししてしまった。彼は、先刻の彼女の発言を無視してしまったことに気がついて、身体を強ばらせるが、

 

「こう……?」

「うん、そうそう」

 

 思いの外、レックスの助言を素直にヒカリが受け止めてくれた。

 それに彼はほっとする。

 

「出来たも!」

 

 トラの声が上がった。

 トラは出来上がるや否や、立ち上がって、彼らを見守っていたメレフに近づく。

 

「メレフにあげるも」

「む、私にか?」

「そうも。それとも、いらないも?」

 

 どこか悲しげに首を傾げるトラに、メレフは慌てて手を振る。

 

「い、いや……そういうわけじゃない。ただ、驚いただけだ。ありがたく、頂戴しよう」

 

 彼女は頭にかぶっていた軍帽を外し、花冠を受け取った。

 そして、ハナもできあがった花冠を手に、メレフの隣にいるカグツチに渡していた。

 

「ありがとう、ハナ。とても嬉しいわ」

「どういたしましてですも」

 

 そんな彼女たちのやりとりに、レックスはほっこりする。すると、弱く服を引っ張られるのを感じて、彼はその方を向いた。

 そこには、花冠を手に持って彼を伺うホムラがいた。

 

「どうしたの?」

 

 と彼が聞いても、彼女はもじもじしてすぐには答えなかった。

 言いたいことがあっても、それをどう切り出せばいいか分からないとき、ホムラはこうなる。それは、記憶を失う前もそうだった。

 じっと彼女を待っていると、ホムラは手に持っていたものをレックスに差し出した。

 

「これ……」

 

 蚊の鳴くような、小さな声だった。

 けれど、レックスの耳はきちんとそれを拾う。

 

「くれるの?」

 

 コクリと頷く。

 

「そっか、ありがとう」

 

 彼は頭を少し下げた。すると、ホムラはその頭にそっと花冠を載せる。

 載ったのを感じ取って、彼は頭を上げて彼女を見た。どこか不安げな表情に、レックスは微笑んで言った。

 

「嬉しいよ、ホムラ」

 

 そして、彼女の頭を撫でてやる。

 柔らかい赤髪が、彼の手に伝わってくる。

 ホムラは彼が喜んでくれたこと、頭を撫でてもらえたことに破顔する。

 

 それに彼は、

 

「………」

 

 愛おしささえ感じる。しかし、目の前にいる彼女は、彼の知っているホムラではない。記憶を失った目の前の少女と、初恋の相手を混同してはいけない。それは分かっている。

 ホムラであって、ホムラではない。

 彼が好きになったあの少女とは、違う存在。

 ホムラとヒカリ―――その関係とも違う。

 この子がいる限り彼女は帰ってこないし、彼女が帰ってきたらこの子は消えてしまう。

 そのことに関して、この子は関係ない。なんの落ち度もないのに、消えてしまうなんて可哀想だ。そう思ってしまうが、どうしてもこの子が笑う度に、彼女のことを思い出してしまう。

 

 なあ、ホムラ―――

 君は一体、何を抱えていた? 何を話したがっていた?

 

 そのことばかり、腹の中でぐるぐる回っている。ここ数日、ずっとだ。

 それを目の前の少女に話すわけにもいかない。だから、結局彼はその言葉を、疑問を飲み込んで、消化できずに抱えるしかなかった。

 

 彼の表情に、ホムラは気になったのか、彼女はレックスを心配そうな顔をして見ていた。

 

「あの……だいじょうぶ、ですか?」

「……ああ、ごめん。なんでもないよ」

 

 小首を傾げて彼を見ていたホムラに、レックスは微笑んで首を振った。

 すると、隣から声が上がった。

 

「で、できた!」

 

 ヒカリができあがった花冠を掲げて、満足げな表情をしている。そんな彼女の隣で、同じように花冠を作っていたニアが言った。

 

「なんか……大きくないか?」

「そ、そんなことないわよ」

 

 確かに、ニアの言う通りヒカリの作った花冠は、ニアやホムラが作ったそれと比べると一回りほど大きい。茎は所々萎れていて、どことなく全体的に歪んでいるようにも見える。

 ニアに指摘されて、唇を尖らせた彼女は、そのままゆっくりと花冠を持ち上げてホムラの真っ赤な頭に乗せた。

 すると、花冠はそのまま少女の目元までずり落ちていった。

 

 それを見ていたニアは笑い始め、ヒカリは顔を真っ赤にして彼女を睨んだ。一方、ホムラは一瞬きょとんとして、それから花冠を乗せ直して額で引っ掛ける。そして、花冠に触りながら、心底嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 

 そんなホムラの様子に、ニアと掴み合っていたヒカリは動きを止めて、むず痒そうな顔をして笑みを浮かべた。

 彼女たちを見守っていたレックスは、

 

「よし、じゃあ、そろそろお昼ごはん食べようか。準備してきたんだ」

「へえ、レックスにしては準備がいいね」

「天気良いし、ちょうどいいかなって。っと、その前にジークとサイカが来たんだ。ホムラに紹介しておきたいかな」

 

 と彼が、後ろを振り向いて彼らを見たが、そこにはジークの姿がなかった。いるのはメレフとカグツチ、それからサイカだけだった。

 

「あれ? ジークは?」

 

 途中まで一緒にいたはずなんだけど……。

 首を傾げて周囲を見回すレックスに、サイカがどこか呆れたように言った。

 

「ここにはおらへんで」

「どこに行ったの?」

「さあ……ぼちぼち来ると思うで」

 

 一体、なんなのだろう。

 困惑するレックスに、サイカは慣れているのか気にした様子もなく、ホムラに近づいていった。

 

「ウチはサイカ。よろしゅうな」

 

 ホムラは、近づいてきたサイカに一瞬怯えて、隣にいるヒカリの服を掴んだ。しかし、ホムラは差し出された手に、おずおずと自らの手をちょんと乗せた。

 少女のその反応にサイカは一瞬驚きを見せるも、彼女が自分を受け入れてくれたことに顔を緩めた。

 サイカはヒカリを見た。

 

「なんや、随分と懐かれてるんやな」

「まあね。これでもマシになった方よ」

 

 ヒカリは肩を竦ませながら、答えた。

 だが、満更でもないヒカリはこれ以上何も言わなかった。彼女の様子に、サイカもなんとなく察したのか、微笑むだけで彼女も何も言わなかった。

 ヒカリは、サイカに、

 

「随分遅かったのね。レックスの話では、もっと早く来るって聞いてたんだけど」

「あー、それね。いつものことやねん。ウチの王子の運のなさは、健在やからね」

 

 サイカ曰く、メレフに連絡を貰ってすぐにルクスリアを出たらしい。だが、急な強風に煽られて、巨神獣船が難破し、何とかスペルビアに着いたのはルクスリアを出て四日後のことだった。

 その時はちょうど、ホムラが目覚めた日だったらしい。

 その後、スペルビア兵にメレフたちがすでにグーラにいることを知って、急いでグーラ行きの巨神獣船に飛び乗ったつもりだった。しかし、辿り着いたのはまさかのインヴィディアだった。インヴィディアの港に着くや否や、巷で横行している犯罪組織の一員と勘違いされて、インヴィディア兵に捕まり、数日勾留されていた。何とか、訳を話し、インヴィディア列王国のラゲルト女王のお陰でことなきを得た。

 そして、ついさっきグーラに着いた。

 

 サイカからことの顛末を聞いたニアは、

 

「毎度のことだけど、大変だな」

 

と呆れたように言った。それに対して、サイカは「気にしたらキリないで」と肩を竦ませた。

 すると、その時だった。

 どこからか、男の高笑いが聞こえてきた。

 

「ハッハッハ! ワイを呼んだか?」

「いや、ずっと前に呼んだんだけど……」

 

 レックスが引き気味に言うと、隣のメレフが呆れたように、

 

「ああなっては、あの男に何を言っても無駄だろう」

 

 と言い、カグツチの呆れたように頷いた。

 レックスは困ったように、ジークを見上げた。

 いつのまに、そんなところにいるのか。ジークは、花畑と農園を繋ぐ階段の踊り場で、彼らを見下ろしていた。

 そこから彼は、「とう!」と声を上げて飛び降りてきた。わざとらしく蹌踉めく男に、彼女たちはただただ何も言わずに眺めていた。

 それから彼は何事もなかったかのように、謎のポーズを取って彼女たちを真っ直ぐ見ていた。

 呆れて物も言えない少女たちを、気にもせずに男の口上が始まった。

 

「ワイは、覇王の心眼を以て、かの英雄アデルを超える男―――ジーク・B・ある―――ってホムラは?」

 

 口上の途中で、彼は目の前の少女たちの中に目的の子がいないことに気が付く。キョロキョロと見渡すも、彼女がいない。

 困惑する男に、ニアが呆れたように言った。

 

「ホムラなら、ヒカリの後ろにいるよ」

 

 ニアの言うとおり、ホムラは怯えた様子でヒカリの後ろにぴったりとくっついて、隠れている。

 ジークからは、ヒカリの肩から赤い頭が微かに見える。

 

「なあ……!?」

「だから言ったじゃないか。怖がらせるようなことをしないでくれって」

 

 明らかに落ち込んだジークに、レックスは彼の肩をポンと叩いた。

 

「そんなに、怖がるなんて思わんやろ……」

「まあ、初めて見たらそうなるけどね……」

 

 ジークの呟きに、レックスは小さく頷く。

 レックス自身も、初めて彼女に会ったときかなり怯えられて、驚いたし、狼狽えた。あまりにも、普段のホムラからは想像できない姿だったから。ホムラがあんな風に、怖がるところも、泣き出すところも初めてだった。

 

 がっくりと肩を落としたジークはとぼとぼと、ホムラへと近づいていく。ホムラは近づいてきたジークに対してビクッと肩を揺らして、ヒカリにしがみついた。

 それにジークはあからさまに傷ついたような顔をする。そんな男と、怯える少女にレックスは苦笑して、ホムラに近寄った。そして、彼女の頭を撫でなから言った。

 

「ホムラ、大丈夫だよ。この人は……まあ、ちょっとよく分からないことを言うけど、悪い人じゃない。だから、そんなに怖がらなくていいよ」

「……ボン、随分な言われようやな」

「変なことされたら、俺やヒカリに言って。すぐ、助けるからさ」

 

 ジークの言葉を無視して、レックスはホムラに微笑みかける。ヒカリの肩に顔をうずめていた少女は、彼の言葉に顔を上げてレックスを見た。

 

「ぼ、ボン……ワイ、悲しくなってきた」

 

 涙声で、ジークは呟く。

 そんな男に、メレフが呆れたように言った。

 

「普段の行いのせいだな。これを機に、態度を改めたらどうだ?」

 

 メレフの物言いに、ジークは「それ、フォローになってへんで」と呟く。彼の呟くに、彼女は肩を竦ませて、微笑む。

 レックスとヒカリの慰めによって、ホムラはおずおずとジークを見た。依然として、ヒカリの背後に隠れたままだが。ホムラの様子が軟化したことに、レックスは肩の力を抜いた。そして、落ち込んでいるジークに言った。

 

「だぶん、もう大丈夫だよ」

「おお、そうか!」

 

 ぱっと顔を上げて、彼女に近づいていく男にレックスは苦笑いする。

 

 さっきまで落ち込んでいたのに、もう立ち直ってる。

 それが、ジークという男の良いところでもある。

 

 ジークは喜び勇んで、ホムラに近づくと、高らかに言った。

 

「ワイは、ジーク・B・極・玄武や!」

「???」

 

 ホムラは何を言われたのか理解できていないのか、首を傾げる。そして、ヒカリはあきれ返っていた。

 

「貴方、まだそれを名乗っていたの?」

「まだも何もないわ。これがワイの真名や。名乗るも何もあらへん」

「あっそ」

 

 ヒカリは、背後のホムラに振り返る。

 

「ホムラ?」

「……えっと」

 

 困ったようにキョロキョロしだしたホムラに、ヒカリは彼女が言いたいことを理解した。

 

「ジーク、もう一回お願いできる? ホムラ、貴方の名前を……上手く聞き取れなかったみたい」

 

 本当は理解できていないのだが、ヒカリなりの気遣いだった。

 すると、ジークはもう一度名乗る。

 

「ジーク・B・極・玄武、や! よろしゅうな」

「……よ、よろしく、おねがいします。えっと……」

 

 ホムラは頭の中で、ジークの名前を反芻して、口にした。

 

「……玄武、さん?」

 

 彼女の最後の言葉に、その場にいたジーク以外の人物が皆笑い出した。ジークはあんぐりと口を開けて、彼女を見ていて、ニアは腹を抱えて笑い出す。メレフはクスリと笑って、カグツチとヒカリは顔を見合わせて笑う。レックスも吹き出して笑う。

 

「ホムラ、ジークでいいんだよ」

 

 レックスは笑いながら、ホムラに言った。

 ホムラはキョトンとレックスを見て、それからジークを見て言った。

 

「ジーク、さん……」

 

 小さく呟いた彼女に、レックスは「そう、それでいいんだ」と彼女の頭を撫でた。

 

 それから、彼らは草原にシートを敷いて、昼食を取り始めた。香辛料のきいたアデル焼きはジークが頬張っている。甘酸っぱいソースがついたサンドウィッチをホムラは美味しそうに、食べ始める。口の周りにはソースが着いて、ヒカリは微笑みながらそれを拭き取る。

 そんな、穏やかな時間が流れる。

 レックスはアデル焼きにかじりつきながら、眺める。

 

 思えば、あの日―――記憶を失う前のホムラと最後に言葉を交わしたあの日、彼女とピクニックに行こうと約束した。こんな日を、あの彼女と向かえる前に、こうしてやってきてしまった。自分自身で招いたことではあるが、それでもなんだか寂しさを感じた。

 レックスは暖かな風を受けながら、揺れる草花を見る。それから、楽しそうに談笑しながら、食事をする彼らを見て、ゆっくりと目を閉じた。

 

「レックス? どうしたんだよ?」

 

 ニアが彼に声を掛けた。

 それに青年は目を開けて、彼女を見た。

 

「いや……何でもないよ」

「何でもないのに、そんな顔しないだろ」

「……そう言えば、ホムラとピクニックに行く約束してたなって。思い出したんだ」

「そう言えば、そうだったな」

 

 レックスに言われて、ニアも思い出してヒカリやトラと仲良く食事をする彼女を見た。

 

「なあ」レックスが言った。

 

「また―――」

 

 ホムラが記憶を取り戻したら、

 

「皆でさ、こうやってピクニックに行こうよ」

 

 レックスや、ヒカリ、ニア、ビャッコだけでなく、トラとハナ、メレフやカグツチ、ジーク、サイカを呼んで。彼らは仕事で忙しいけど、それでも呼べばなんとかしれくれるかもしれない。この三年、彼らと会うことなんて全くと言っていいほどなかった。トラとハナだって、ほとんど会わなかった。

 会うとすれば、傭兵団にいる人たちか、依頼人くらいだった。

 

 ホムラは寂しがっていた。

 きっと、皆に会いたかったに違いない。

 だから皆に会って、こうしてゆっくりとした時間を共有できれば、彼女も嬉しいだろう。

 誰よりも、誰かとの絆や、繋がりを重んじていた彼女だから。

 

「そうだな」

 

 レックスの言葉に、ニアも肯く。

 再び、こんな日が訪れることを願って―――




次回―――『第三話 慟哭』


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