機動戦士ガンダムダレト (オンドゥル大使)
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序幕 「邂逅落日〈ビフォアダウン・デスティニー〉」
プロローグ「戦域の輪舞」


 視界が歪む。

 

 世界が霞む。

 

 一秒後には死滅しているであろう、身体中の細胞が訴えかけている。

 

 ――この死地から逃げろ、と。

 

 しかし、と顔を上げていた。

 

 仰ぎ見た空は紅蓮の色に染まり、赤熱の彼方に佇む大虚ろの穴が蜃気楼に漂っている。

 

 戦場の黄昏に昇る、絶望の暗黒太陽。

 

 この世の理を覆し、全宇宙の法則を携えて降り注ぐのは刃の如き熱視線――死神の眼差しが四方八方から身を押し包む。

 

 胃の腑を押し上げる酸っぱい胃液を堪えて、操縦桿を握り締めていた。

 

 腕の両側に浮かんだ楕円の紋様から血が滴る。

 

 この世界に生きている限り、縛られ続ける聖痕が今も激しく疼く。

 

 だが、その感情を掃いて捨てるほど、今の自分には後がなかった。

 

 虚ろな蜃気楼の向こう側からやってくるのは、彎曲した景色の向こう側に降り立つ鋼鉄の兵士達。

 

 絶望に沈んだ心臓の脈動が、再び沸き立ち始める。

 

 どくん、と血管の脈打つ音を感じて、フットペダルを踏み込んでいた。

 

 雄叫び一つで恐れを掻き消し、黒き死神の機体が鋼鉄の兵士達へと対峙する。

 

 敵機の群れから弾丸の波が押し寄せて来ていた。

 

 どこへ避けても、どこへ逃れようとも決して無事では済まない軌道の銃撃の嵐に、「彼」は応じる。

 

「――上、等……ッ」

 

 機体を翻し、攻撃を受ける面積を減らして極力ダメージを軽減しながら、まずは前衛の機体へと噛み付いていた。

 

 抜刀したヒートサーベルが炎熱を帯びて銃身を焼き切る。

 

 そのまま足掛かりにした速度で組みつき、刃を返してコックピットへと切っ先を突き立てる。

 

 しかし、これ以上は呼吸が持たない。

 

 心臓も、爆発しそうなほどに早鐘を打っている。

 

 両腕から溢れた血は泥のようにコックピットの足元へと溜まって来ていた。

 

 意識はとうの昔に消え去り、この身を動かしているのは獣の如き本能。

 

 せめて、死ぬ間際には喰いかかってやろうと言うけだものの本能が、こうして機械人形を手繰っている。

 

 一呼吸を整える前に、牙を突き立てろ。

 

 脈拍に慈愛をくれてやるくらいなら、自ら噛み千切れ。

 

 そうして得られるのがたとえ偽りでも、それでも構わないと「彼」はそう思っていたのだ。

 

 炎の向こう側に、絶対者の如くこちらを見下ろす黒い太陽。

 

 ――否、違う。

 

 あれは、太陽なんかではない。

 

「――ダレト」

 

 反逆の赤い瞳を宿して、「彼」はブリキの兵士達が今も踏みしだく大地に怨嗟を発する。

 

 この場所もまた、間違いであった。

 

 この時間もまた、間違いだったに違いない。

 

「それでも俺は……出会えないと言うのか。また……」

 

『――通達する。黒い《エクエス》に搭乗するライドマトリクサー。ここで投降するのならば、命までは奪わない』

 

「……よく言う。他の全ては奪って来たくせに」

 

 だからもう、命なんて要らない。

 

 一つの出会いと別れに集約されなかっただけの、虚しい自分に命の価値なんて問いただすまでもない。

 

 操縦桿を強く握る。

 

 愛機――黒い《エクエス》は応じるように緑色の眼窩を輝かせ、背面に装備されたブースターユニットの稼働臨界点を超えていた。

 

 一斉に殺到した銃弾の雨嵐を掻い潜り、道化のように跳躍して機体をひねる。

 

 コックピットでパイロットがミンチになろうとも知った事か、とでも言うような過負荷がかかるが、それも大して自分には意味などない。

 

 むしろ罰のように、こうして己を縫い止めるのだ。

 

 敵陣のど真ん中に降り立つなり、ヒートサーベルを逆手に握り締めた《エクエス》が敵へと刃を軋らせる。

 

 敵機はどれもこれも同じ機体ばかり。

 

 能面のような読めない頭部構成を持った、顔のない機体達。

 

 それらが直後には散開し、こちらの刃をかわしていく。

 

「……分かっているさ。今回の俺はここで打ち止めだって言いたいんだろ? お前に出会えなかったのだけは……心残りだけれど。でも仕方ない。ダレトの向こう側が呼んでいる。共鳴の時だ」

 

 瞬間、高周波の音叉が戦場を掻き乱していた。

 

 敵機が一斉に広域通信を飛ばす。

 

『いかん! ダレトからの干渉波だ! 総員、対ショック姿勢! オリジナルレヴォルからの指示を待ってダレトの干渉波を相殺させる』

 

 ――オリジナルレヴォル。

 

 そう、そいつだ。

 

「彼」は血溜まりの中で顔を上げる。

 

 テーブルモニターに映った自分の顔は酷くやつれていて、今にも気を失いそうなほど。

 

 死相が浮き出ている面持ちで、「彼」は滑稽な事実に嗤っていた。

 

「……この世界では、俺に叛逆の意志は囁かなかった……。だが、運命はこれで終わらせない。ダレトの向こう側で待っていろ。扉を叩くのは、俺じゃなかっただけの……」

 

 ホルスターから拳銃を取り出し、顎に突きつける。

 

 頭蓋を射抜いて一撃、それで終わりが訪れるはずであった。

 

 しかし、その瞬間、暗黒太陽より発生した干渉波が全ての電子部品を嬲る。

 

 それには「彼」の機械仕掛けの両腕も同じであった。

 

 醜い呻き声を上げてコックピットの中で激痛に苛まれる。

 

 楕円を無数に重ねた形の紋様が内側から緑色に輝き、血潮が干渉波に沸き立ってぶくぶくと沸騰する。

 

「……俺に、安息な死にざまさえも与えてくれないのか……」

 

 自嘲した次の瞬間、顔のない機体達へと拡散した光条が突き刺さっていた。

 

 一つ、二つと大穴がコックピットを貫き、顔のない機体はうつ伏せになっていく。

 

「彼」は戦きながら、空を穿った暗礁の扉を仰ぐ。

 

 ――扉の向こうから、じりじりと引き出されていくのは白亜の装甲を持つ人型兵器であった。

 

 全身これ武器とでも言うように鋭角的なフォルムを誇るその機械人形はゆっくりと戦場へと降り、紅蓮に燃え盛る戦域を掻っ切っていた。

 

 剣風だ。

 

 それも並大抵ではない。

 

 喉をやられる灼熱を吹き荒ぶ刃で掻き消してみせた。

 

 ここに降り立つのは、何も酔狂でも、ましてや偶然でもないとでも言うように。

 

 必然に塗り固められた邂逅の中で、白亜の機動兵器が問いかけるように鋭角的な眼差しを投げる。

 

 ――それは世界との契約。

 

 ほとんど死に体の《エクエス》から降りて、「彼」は導かれるようにその機体と相対していた。

 

 戦うためだけに生み出された、世界を切り裂く刃の兵装。

 

 この崖っぷちの戦場を断罪し、断裁し、そして造り返るための兵器。

 

「……俺に、まだ戦えと?」

 

 頷く暇さえも与えず、人型兵器はその胎を開いていた。

 

 ぷしゅう、と空気圧の抜けるこの邂逅に似つかわしくないような間抜けな音。

 

 しかしそれは、この場所で、運命に選ばれた証左。

 

「彼」は今一度、空を見上げる。

 

 終焉の黄昏を支配する闇の扉に、静かに手を伸ばしていた。

 

 



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第一章「叛逆前夜〈ナイトビフォア・レヴォル〉」
第1話「旋風圏域」


 支配するのは掌握するイメージ。

 

 相手へと握り潰す、と判定した感覚が奔り、機体へとフィードバックされる。

 

 その行動原理に応じるように、オレンジ色のテストカラーに塗られた《エクエス》の銃撃を瞬く間にかわし、機体は滑走していた。

 

 すれ違いざまに一閃。引き抜いたビーム刃が発振し、ビームサーベルがまずは一機、《エクエス》を撃墜する。

 

 斬撃を浴びせる瞬間に敵機のメインカメラに焼き付いていたのは漆黒の《エクエス》であった。

 

 自機の姿を僅かに残像させ、すぐに次の標的へと腰にマウントしたアサルトライフルをマニピュレーターで握り、速射モードに切り替えて照準する。

 

 こちらへとプラズマライフルの銃口を向けていたテスト機の《エクエス》の頭部が破損し、メインカメラを失った形の相手へとバーニアを焚いて肉薄。

 

 そのままアサルトライフルを胴体に叩き込んで銃身を焼いてから捨て去る。

 

 すぐに死に体の敵《エクエス》を盾にして二機の連携を見せる《エクエス》が迫っていたが、それを黒い《エクエス》は両腕に握り締めたビームサーベルで先んじて行動を読んで手首を焼き払っていた。

 

 片腕の袖口を失った形の二機が愚かにも標的を見失っている間に、黒い《エクエス》は格闘兵装の出力を絞って振り払う瞬間だけ発振させる。

 

 最低限度の動きで二機の《エクエス》のコックピットに穴が開き、総数四機編成のテスト機の《エクエス》部隊は沈黙していた。

 

 ほう、と感嘆の声を上げたのは今の今までその体験映像に身を浸していた軍高官である。

 

「素晴らしいな、このパイロット。伊達に仕上げている風ではない。ろくなカスタムも施していない《エクエス》一機で四機編成をやる」

 

 短髪を刈り上げた軍高官はゴーグルを上げてもなお興奮気味であった。

 

 それも当然。

 

 疑似体験とは言え、エース級パイロットの視点を追体験したのだ。

 

 如何に会議室の似合う身分であったとしても、元は下士官。昂ぶるものがないと言えば嘘になる。

 

「――では、皆さん我が社のパッケージをご覧になった上で、お決めになっていただきたい」

 

 パンパン、と手を叩いてこの場を取り仕切っていたのは営業スマイルのよく似合う眼鏡の男であった。

 

 痩せた中年男性で清潔感がある。

 

 そんな男を囲うように、自分を含む軍高官達は机に座り込んでいた。

 

「……今次の品評会に出すにしてはかなりの逸品ではないか。エンデュランス・フラクタルの――」

 

「タジマです。どうぞごひいきに」

 

 タジマと名乗った男は人のいい笑みを浮かべる。

 

 それに対して一人の高官が渋面を浮かべていた。

 

「しかし、《エクエス》は最早型落ちですぞ? 我ら軍警察はもう新型機開発と、その拡充に乗り出している。どれほど《エクエス》使いと言えど……」

 

「《エクエス》使いと言うのは語弊があります。彼は、どんなモビルスーツでも、同じように乗りこなせる。いいえ、もっと言えば《エクエス》でこれほどやってのけるのです。パフォーマンスのいい機体さえあてがえば、あとはどうとでも」

 

「口では吼えられるものだ。そんな一級のエージェントなら我々にこうして買い叩く場を与えるかね?」

 

「商売ですので」

 

 タジマはそう涼しげに返す。

 

 軍高官はテーブルモニターに映し出された相手先の情報を読み取っていた。

 

「エンデュランス・フラクタル社は一機でもMSが欲しいと見えるが、それは何故かね? 君らのプラント設備はそれなりに譲歩されているはずだが」

 

「それももしもの時を考えての行動と思ってくだされば。我が社はエージェントに関してはそれなりですが、人を育てるのと環境を育てるのは微妙に違います。今は、環境が欲しい」

 

「それは本音ではないだろう。腹の内ではこう思っているはずだ。《エクエス》なんかでは何も出来ないとでも」

 

「それはあなた方も同じなのでは? 地球での枯渇しかけている資源ではこれ以上の兵器開発は難しい。殊に、新型MSの開発を急いでいるのは目に見えておりますゆえ。ゆえにこそ、欲しいのですよ。《エクエス》であろうとも」

 

「死の商人め。貴様らが欲しがっているのは目先の《エクエス》数機ではなかろう?」

 

「恫喝するのはご勝手に。我々はあくまで、ビジネスとして、でございます」

 

 食えない男だ、と軍高官は静かに隣の高官と目配せする。

 

 この場では自分はまだ年若いが発言力だけならば一番の立ち位置に居る。それを理解しているのかいないのか、タジマは先ほどから全員を相手にしているようでずっとこちらを向いていた。

 

 まるで自分以外は意味がないのだと最初から理解しているかのように。

 

「……一つ、気になる事がある。《エクエス》を揃え戦力の拡充、そして特一級のエージェントの戦い振り、文字通り体感させていただいた。だが呑み込めぬものもある。こんなにやれるエージェント、放し飼いをしているはずもあるまい」

 

「ええ。今も彼がミッションの只中に居ます。なので、皆さんに実際の軍事演習を見せるのは難しいので、疑似体験をしていただいた次第でございまして」

 

「如何に無人機とは言え、《エクエス》四機編成相手に一人で立ち回る。伊達ではない技量だ。そんなパイロットはどこに居る?」

 

 タジマは少し考えた仕草をした後に、天井を指差していた。

 

 全員が困惑したように辟易する中で、彼は微笑む。

 

「――宇宙(そら)に」

 

 



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第2話「宵闇を駆ける蒼」

『現在、統合機構軍からの監査が入っております。コロニー、デザイアの市民の皆様に置かれましては、夜八時以降の外出は自粛していただいています。繰り返します。統合機構軍よりお知らせします。監査が入っており、夜八時以降の市民の安全は確保しかねますので――』

 

「うるせぇぞ! 寝られねぇだろうが!」

 

 市民が複雑怪奇に折れ曲がった回廊よりゴミ袋を投げ捨てる。

 

 灰色の液体を撒き散らして巡回用MSのセンサーに衝突していた。

 

 それらの喧騒でさえも、この場所では日常。

 

 街頭演説の巡回用のMSの声を聞きながら、アルベルトは紫煙をたゆたわせていた。

 

 天井で回転する旧世代の換気システムのプロペラが視界に入り、煙草の味を一層噛み締める。

 

 窓際の空いたテーブルで随分と昔に流行ったと言うジャズ音楽に耳を傾けながら、年代物のヘッドフォンを弄っていた。

 

 その音量設定を不意に隣に座った誰かが捻る。

 

 不意打ち気味にボリュームを上げられ、電撃を浴びせかけられたように跳ね上がっていた。

 

「うっせっ……! うっせぇなぁ、まったく……!」

 

「この音楽はビートルズ? それともクイーン? 相変わらずのレトロフューチャーさには呆れ返りもするね」

 

 目を向けると金髪の少年が白衣に手を突っ込み、微笑みを湛えて顎をしゃくっていた。

 

「……何だよ、クラードか。ったく、ボリューム上げるんじゃねぇよ、耳がキンキンしやがる。……にしたって、随分と待たせたじゃねぇの」

 

「仕事だ、我らがヘッド殿。それとも、まだこの喫茶店でレトロな気分に浸る?」

 

 肩を竦めた少年に、はぁと嘆息交じりで応じていた。

 

「仕事ぉ? おいおい、まだお気に入りのミックスを聴いている途中なんだよ」

 

「隣の区画の連中が仕掛けてきている。ヤバいとの事で応援要請」

 

「……報酬は?」

 

 クラードと呼ばれた少年は指を三つ立てる。

 

「三倍か。乗った!」

 

 アルベルトは自慢の青髪リーゼントを傾け、テーブルに乗せていた足を退ける。

 

「……煙草。俺は嫌いだな。煙草は健康を害する恐れが……」

 

「パッケージみたいな事言うなっての。いいじゃねぇか、クラード。ちょっとは嗜みってもんを覚えろって」

 

「酒も煙草もやんないから分かんないや。その辺の嗜みはもう少し大人になってから覚えるよ」

 

「いつものこったな。マスター! ここに勘定置いとくぜ! コーヒー、ごっそさん」

 

 硬貨をトレーに投げると、クラードが呟く。

 

「今どき、コインなんてアナクロだよ。電子通貨のほうが早いし合理的だ」

 

「ま、趣味みてぇなもんだよ、アナクロなのは」

 

 半分地下施設になっている喫茶店から出ると、膝をついている愛機とアルベルトは顔を合わせる。

 

 それは紫色に塗られた細身のMSであった。

 

 全体としては頼りなさそうな印象を受けるが、これが自分の自慢の機体である。

 

 直線で構成された無駄のないフォルムは単純な強さ以上の頼もしさだ。

 

 コックピットまでの昇降機に導かれて背中をシートに預け、アルベルトは網膜認証を行う。

 

 操縦桿を握り締め、腹腔から叫んでいた。

 

「アルベルト! 《マギアハーモニクス》! 出るぞ!」

 

 その声に愛機――《マギアハーモニクス》は浮遊する。

 

 その佇まいは重力をまるで無視したかのような挙動であった。

 

 そうでなくとも、このコロニー、デザイアでは重力に気を引かれると撃墜の憂き目に遭ってしまう。

 

 アルベルトは全天候モニターを頼りにして浮かび上がった無数のMSを検知する。

 

 それらの機体の肩口からスパーク光が迸り、翻ったのはビームで構築された旗であった。

 

 友軍機を示す識別旗だ。

 

 照準器に入れるなり「識別:凱空龍(ガイクーリュー)」の名称が紡ぎ出される。

 

「おっしゃぁ! 凱空龍! 総員、揃ってるな?」

 

『今さらだろ、ヘッド。お前が遅いんだよ。コーヒーなんかにかけずらってるから』

 

 そう文句を漏らすのは宇宙暴走族凱空龍の中でも自分に次いで発言力のあるトキサダの声であった。

 

 ポップアップディスプレイにトキサダの不服そうな顔が表示され、アルベルトはにやりと口角を吊り上げる。

 

「そう言うなって。いいもんだぜ? 茶店でミックスリストを聴くのも」

 

『ヘッドはハイソなんだよ。おれ達はならず者の凱空龍だろ? 依頼内容は単純だ。敵も融通が利かないから潰してくれと』

 

 何ともまぁシンプルな仕事の依頼だ。

 

 だがだからこそ、やる価値がある。

 

「オレ達のデザイアの中の地位にも繋がるからな。言っておくが、マジにやらせてもらうぜ」

 

『アルベルト。敵の先遣隊ともうすぐかち合う。切り込みは任せて欲しい』

 

「ああ、クラード。お前なら百人力だろ?」

 

『パンを八枚に切るよりかは容易いかな』

 

 応じたクラードの駆るのは自分の操る《マギアハーモニクス》の原型機たる、《マギア》であった。

 

 基本フォルムとスペックはほぼ変わらないが、クラードは無駄を嫌うのか、ほとんど外装パーツはつけられていない。

 

 クラードの《マギア》が推進剤を焚いて一気に敵陣へと乗り込んでいく。

 

 どう考えでも無謀に近い挙動であったが、こちらに敵機が気づいたその時にはクラードの機体は加速し、すれ違いざまに一閃を浴びせかけていた。

 

 当然、つんのめるかに思われたクラード機だが、すぐさま制動用の推進剤を使って旋回し、敵の宇宙暴走族の出端を挫く。

 

 唐突に自分達の戦隊に乗り込んできたクラードにうろたえている相手へと、彼は容赦しない。

 

 腰に提げたアサルトライフルを速射し、目つぶしを行ってから即座に最接近、出力を絞った一撃を敵の操る悪趣味な色彩の《マギア》の首筋に見舞う。

 

 ケーブルが爆ぜ、メインカメラが完全に断線したのが遠くからでも伝わった。

 

 そんな暗礁の中に居る敵機を盾にして、クラードは敵陣営の中心地を目指す。

 

 四方八方から銃弾の雨が浴びせかけられるが、そのことごとくをクラードは機体各所に備え付けられたバーニアで回避していく。

 

『……あんな無茶苦茶なのを避けるかよ……。ライドマトリクサー、クラード……』

 

 トキサダの完全に呆然とした声に、アルベルトは自陣を整えるべく声を張っていた。

 

「あっちの前は総崩れだ。こっちで頭目をやるぞ。クラード、かく乱はある程度まで残しておいてくれ。いつも通り一本道を作ってくれりゃあいい」

 

『了解。道を作れって言うのは子供が大人に言うもんだけれど』

 

「何だそれ、誰の言葉だ?」

 

『引用不明、かな』

 

 迎撃した敵を盾にしてクラードの機体が横ロールし、相手の機体を投げ捨てる。

 

 それに巻き込まれたMSをトキサダ含む凱空龍の面子が次々と速射型のビームライフルで撃墜していった。

 

 とは言っても、コロニーに出回っているのは軍部の使うビームライフルとは比べ物にならないほどに脆弱な出力だ。

 

 逆に泥仕合になってしまう事も珍しくない。

 

 敵機のビームライフルが機体表面を掠めるも、アルベルトは一気にフットペダルを踏み込んで加速し、下降して斜にビームサーベルで一撃をくわえる。

 

 トキサダも負けてはいない。

 

 速射型のビームライフルで相手を目くらましをさせ、その隙を突いて敵陣へと突っ切っていく。

 

 その背中に他の凱空龍の面々が続く形だ。

 

 アルベルトは《マギアハーモニクス》の細身のマニピュレーターでビルの屋上を掴み、次の瞬間には直上に逃れていた。

 

 果たして、その勘は的中し、先ほどまで愛機の居た空間を極太の光軸が貫いている。

 

「……こんな野良試合にMAたぁ、相手も豪勢な」

 

 恐らくは敵の頭目だろう。

 

 無数の《マギア》にワイヤーで引っ張られる形で、こちらへと両腕を備えただけの扁平な機体が接近してくる。

 

 敵MSが威嚇のつもりなのか、ビームサーベルを小刻みに発振させてスパーク光を散らせていた。

 

 無論、そのようなこけおどし、今さら互いに通用するはずもない。

 

 モノアイの眼窩の下には高出力を約束する粒子加速砲身が備え付けられており、俗に言う「ミコシ」なのだと察知出来た。

 

「気ぃ張れ! ミコシ相手に墜とされたんじゃ、凱空龍のメンツが立たねぇぞ!」

 

 通信網に返事が連鎖する中で、一人だけ「ミコシ」のMAへと果敢に攻め立てるのはクラードの《マギア》である。

 

『……おいおい、クラードあいつ……MA相手でも気後れなしってか……。ヘッド! 指示出さないと墜とされるんじゃ……?』

 

「心配要らねぇさ。クラードなら……」

 

 その言葉通り、MAの放ったビームの光軸をクラードの《マギア》は地面すれすれを滑空して敵の直下に至る。

 

 備えたアサルトライフルに速射式のビームスプレーガンへと弾頭を可変させて引き金を絞る。MAの足元から爆発の光が迸っていた。

 

『威力の低いビームスプレーガンでやりやがる……』

 

 感嘆した他のメンバーへと、アルベルトは気圧されないように声を放っていた。

 

「クラードに遅れるな! あいつが道を作ってくれている! なら、それに報いなけりゃ何のための凱空龍だ!」

 

 応! と心強い返答と共にそれぞれの操る《マギア》の改修機が敵MAを包囲し、一斉にビームライフルの光芒を見舞っていた。

 

 爆ぜた「ミコシ」を担ぐほど相手も馬鹿ではない。

 

 MAを捨てた敵陣はそれぞれ散開機動に入り、やがて一機のMSが他の機体を引き剥がして、先陣に躍り出ていた。

 

 その編成を、自分達はよく知っている。

 

「これは……全員、警戒を怠るな! ミラーヘッドが来るぞ! 各々のアイリウムの持つ迎撃学習機能を最優先!」

 

 アルベルトの言葉が弾けた瞬間、敵の《マギア》が無数に分裂――否、「分身」を形成していた。

 

 残像のようにも映るがそうではない。

 

 MSに内蔵された状況を一変させるだけの保有能力――ミラーヘッドシステムの行使である。

 

 三秒も経った頃には蒼い分身体はさらに増大し、視界いっぱいを固めている。

 

 しかし、このような戦局、今に始まった話でもない。

 

『ヘッド! ミラーヘッドにはミラーヘッドをぶつけなくっちゃ……戦況は……ッ!』

 

 トキサダの言葉にアルベルトは首裏に滲んだ汗を感じつつ、いいやと頭を振る。

 

「もう手は打っているはずだ。クラードはな」

 

 その言葉が明瞭な意味を結ぶ前に、ミラーヘッドで分身した敵《マギア》が襲いかかろうとして、不意につんのめっていた。

 

 何が起こったのかを解する前に、ミラーヘッドの蒼い分身が次々と連鎖的に弾け、攻撃性能を有する前に消失していく。

 

 無論、敵の自滅などではない。

 

 クラードの功績だろう。

 

 視線を投じれば、クラードの操る《マギア》は的確に、分身体にうろたえる事もなく、たった一機のマギア――即ち敵本体を射抜いていた。

 

『……馬鹿な。何故、ミラーヘッドの分身に紛らわされずに……』

 

『全部遅いんだ。ミラーヘッドを使う前に本体を紛れさせるのも、それに対するミラーヘッドの分身体とのタイムラグも。だから本体からやったほうが手っ取り早いし、それに見え見えだからな。パンの切れ目を縫うより容易い』

 

 敵の《マギア》が炎に包まれ、そのまま撃墜される。

 

 アルベルトはクラードへと直通通信を繋いでいた。

 

「よくやってくれたぜ、クラード。総員、敵のヘッドを押さえろ! これからの交渉に使えるからな!」

 

 撃墜した《マギア》から敵の宇宙暴走族達を降り立った仲間がその存在感で抑え込み、拘束していく。

 

 それを見据えるアルベルトは、《マギア》の手狭なコックピットから這い出て俯瞰しているクラードを発見していた。

 

「クラード。今回もお手柄だ。お前の手腕なしじゃ、ミコシも墜とせなかった」

 

「俺? いや、別にどっちでもじゃないかな。ミラーヘッドの使い方が下手くそ過ぎなんだよ、連中」

 

 アルベルトは《マギアハーモニクス》を膝立ちさせ、クラードの《マギア》にマニピュレーターを接触させる。

 

 その腕を伝ってアルベルトはクラードへと歩み寄る。

 

 アルベルトが腕を掲げると、ダボダボの白衣の腕を捲って、クラードが腕をこちらと合わせてくれていた。

 

 お互いの腕にはモールド状の紋様がある。

 

「やっぱり最強だぜ! ……お前はよ」

 

「どうって事ないってば。俺の運がよかっただけさ。いいや、俺達の、かな」

 

 笑い合うと、心の距離が縮まった感覚がする。これだけが寄る辺の縁だ。

 

「いや、運も実力のうちって言うだろ? クラード。お前が居りゃ百人力だ。この最悪の場所でも……それだけはマジに思ってるぜ」

 

 その時、不意に酸性雨が降り出す。

 

 いつもの事なので、アルベルトは服装と同化しているレインコートを装着していた。

 

 レインコートの鍔を上げて、アルベルトは自慢の青髪のリーゼントを整える。

 

「こう酸性雨が多くっちゃ、髪の毛が湿気ていけねぇ」

 

「アルベルトの髪型、無駄が多いよ。もしもの時に邪魔になるから切れば?」

 

「これはオレの誇りだからよ。切るわけにゃいかねぇな」

 

「まぁいいけれど、さ。無駄を愛せよ、か」

 

「そいつも誰の言葉だ?」

 

「さぁ? 引用不明」

 

 本心から興味がないのか。それとも興味関心が常に移り変わるのか、クラードの赤い瞳は何を捉えているのか、相変わらずアルベルトには不明なままであった。

 

 時折ジョークは入り混じるが、それのほとんどが「引用不明」なので、そのジョークが彼の真意なのかも分からない。

 

 しかし心根だけは同じ志のはずであった。

 

 その腕に刻まれた紋様と同じように彫った自分の腕をさすり、アルベルトは尋ねる。

 

「……なぁ、クラード。ここは最悪の場所さ。コロニー、デザイア。その名の通り、法も秩序もねぇ。最悪のFランクコロニー。欲望と力だけが意味を成す、そういう場所だが……お前は何を望んでここに来た? 凱空龍に入りたいって言ってから、もう半年。そろそろ教えてくれてもいいんじゃねぇのか?」

 

「俺の目的はシンプルだよ。あの日に言った通りだ。ここで待ってる」

 

「待ってるってのは、あれか? これかい?」

 

 小指を立ててやると、クラードは酸性雨の中でレインコートも着ずにその場で寝転がる。

 

「……みたいなものかな」

 

「羨ましいねぇ、そいつぁ」

 

 凱空龍の仲間達が敵を並べさせて一人一人尋問するために地下施設へと誘導する。

 

 血なまぐさい荒事は苦手なために、アルベルトは本来ならば背負うべき責務を仲間に一任していた。

 

 一機の《マギア》が降りてきて、静かに推進剤を放射し、不時着する。

 

「ヘッド! 尋問の権限はおれに任せてもらう! 何にしたって、ミコシレベルのMAを接収したんだ。相手方だって何かあるはずさ」

 

 コックピットから出て来るなり声を荒らげたトキサダに、アルベルトは手を払う。

 

「ああ、それは任せるぜ。あいつら、どこから資源を得たのかも気になる。金の流れに関しちゃ、オレは門外漢だ」

 

 トキサダの眼差しはクラードを見やるなり、僅かな嫌悪に染まる。

 

「……撃墜王は偉そうだな」

 

「そう言ってくれるなよ、トキサダ。クラードはオレ達の重要な切り込み隊長だ。こいつが居なくっちゃ、今回だって危なかった。ミラーヘッドを使ってきたんだぜ? 相手はよ」

 

「ログに残るのを恐れちゃいない戦い方だ。それも込みで、おれは言っているんだ。……もう手段も何もかも、他の対抗組織は選ばなくなっている……。要は覇権が近い証拠だろ? おれ達、凱空龍がよ」

 

 覇権が近い、と言われれば、それはどうだろうか、とアルベルトは後頭部を掻くが、トキサダの声に迷いはない。

 

「……その時には、仲間内とは言え、族の中での優先順位は考えてもらうぜ、ヘッド」

 

 トキサダはそう言うなり、《マギア》を起動させ、他のメンバーと共に尋問部屋へと向かっていく。

 

 アルベルトは煙草のパッケージをジャケットから探り当てて、箱の底を叩いてくわえる。

 

「……湿気てやがる」

 

「はい。火」

 

 クラードがライターを差し出したので、アルベルトは煙草に火を点けて一服を挟んでいた。

 

「……ああいうの、オレには合わないらしい。族の中で誰が頭で、腹心が誰だとかな。トキサダはハッキリさせたいらしいが、オレにはどうも……。クラード。この際、言っておくが、オレはお前が副リーダーでもいいと思っている」

 

「よせよ。俺は切り込み隊長だろ。荒れくれ者を纏めるのには、少しばかりハイソでレトロなほうがいい」

 

「そういう、一番にリスクの高い戦場に赴いてもらっているってのに、不義理はよくねぇって話だ。お前は興味ないのか? 凱空龍はここ半年でデカくなった。倍近くなったか? メンツも……。それもこれも、お前のお陰だと思っている。ほとんど無改造の《マギア》でよくやってんよ、お前は」

 

「アルベルトが装飾つけ過ぎなんだ。《マギア》は元々、単騎戦力のミラーヘッドのフラッグシップ機。余計なものはないに限る」

 

「そういうわけにもいかねぇんだ。一応はヘッドだからな。ヘッドらしく振る舞わなきゃいけねぇ。だが……それが時々、死ぬほど窮屈な時もあるんだ。……オレはお前が羨ましいのかもな、クラード。ひょっこり現れては、スターダムにのし上がるみたいに、オレを……いや、オレだけじゃない。オレらを引っ張り上げてくれた。そういう存在への憧れさ」

 

「アルベルトが窮屈なら、俺は居ないほうがいいだろ」

 

 クラードが寝返りを打つ。

 

 別段、機嫌が悪いというわけでもない。

 

 彼の性格のようなものなのだろう。

 

 卑屈と言うわけでもないが、自分の存在価値に対し、とても希薄な部分がある。

 

「……そう言ってくれるな。お前は間違いなく、オレ達を上げてくれてるんだ。なら、応えるのが凱空龍の役目さ」

 

「誰かを上げたなんて、そんなつもりは……。――待て。あれは何だ?」

 

「あれ? 何を言ってるんだ、クラード。おい、酸性雨の中で立ち上がって……!」

 

 クラードは起き上がるなり、何かを中空に見出したかのようであった。

 

 平時は眠たげなその眼が大きく開かれ、酸性雨の降りしきるコロニー、デザイアの曇った空を見据えている。

 

「……クラード。何が見えているんだ? オレには何も……」

 

 言い終わる前にクラードは《マギア》のコックピットに舞い戻り、起動をかけさせる。

 

《マギア》の眼窩に生命の光が宿り、挙動するのをアルベルトは愛機へと戻ってうろたえていた。

 

「おい! クラード! 何が見えてるって?」

 

『説明している暇はなさそうなんだ……。真っ逆さまに落ちてくる……』

 

「だから、何が……!」

 

 本当に、心の底から説明する間も惜しいとでも言うように、クラードの駆る《マギア》は飛び立っていた。

 

「何だってんだ、クラード! 最大望遠!」

 

《マギアハーモニクス》の望遠機能を用いて、アルベルトはクラードの飛んで行った方向を凝視する。

 

 酸性雨に塗れた曇天を引き裂き、一直線に光の光芒を棚引かせながら、何かが舞い降りてくるのが視界に入っていた。

 

 それは強風に煽られ、今にも脆く崩れ落ちそうであったが、クラードは真っ直ぐに《マギア》を奔らせる。

 

「……あんな小さな光を、クラードは見たってのか……。だが、何の光だ?」

 

 疑問を氷解する術もなく、アルベルトはクラードの後ろ姿を見つめるしかなかった。

 

 



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第3話「遭遇少女」

 ――予感があった。

 

 衝き動かされたのは誰に言われたからでも、誰に命じられたからでもない。

 

 ただ、その光を取りこぼしてはいけない気がして、クラードは操縦桿を握り締める。

 

 フットペダルを思いっ切り踏み締めて加速度をかけ、操る《マギア》のマニピュレーターを伸ばしていた。

 

 果たして、伸ばした手が掴もうとしていたのは少女であった。

 

 銀色の長髪を強風になびかせて、一直線に落下軌道を取る少女を、クラードは繊細なマニピュレーターさばきで、柔らかくキャッチする。

 

 だが《マギア》の加速度はそう簡単に止まるようには出来ていない。

 

 慣性機動を止めるためには、制動用の推進剤を焚くしかないのだが、それを焚けば少女は消し炭だ。

 

 クラードは機体を反転させ、ビル群へと背中から突っ込ませていた。

 

 衝撃波が押し寄せ、《マギア》の機体表面を嬲る。

 

 コックピットの中で、クラードは今にも吹き飛びそうな操縦桿を必死に押し留め、ビルや家屋を砂利と共に弾き飛ばしながら、ようやく静止していた。

 

 荒い呼気を整えて、クラードは《マギア》の掌の中でこくりと横たわる少女を眺める。

 

 少し癖のある白銀の長髪は全身を押し包む卵の殻のように少女を包んでおり、服装は白い拘束服であった。

 

 光を発していたのは、どうやら頭部に位置する弓状のヘッドセットのようで、淡く蒼と銀色の輝きが、薄ぼんやりと浮かび上がっていた。

 

「……蒼い光……ミラーヘッドと同じ光だ……」

 

 だが、そんな光を何故、と疑問が浮き立つ前に、クラードの肌を粟立たせたのは殺意の波であった。

 

 咄嗟に《マギア》を飛翔させると、先ほどまで機体のあった空間でバズーカの一撃が爆ぜる。

 

 視線を投じた瞬間、照準警告が迸って、クラードはその赤い瞳に敵意を浮かべていた。

 

 直上を取った形の敵編隊は三機。

 

 どうやら独立愚連隊に近いチームらしい。

 

《マギア》の違法改造機を操る編成にクラードは静かなる敵意を返す。

 

「……何者なんだ」

 

『譲ってもらおうか! そのシグナルを!』

 

 高圧的に発せられた声音に、クラードは敵愾心を噛み締める。

 

「シグナル……? 何を言っている。君達は何だ」

 

 精一杯、「取り繕い」で応じようとするが、相手はどうやらこのデザイアで育った害虫よりも始末に負えないらしい。

 

『偉いお方から頼まれていてなァ! そいつの移送を無事にこなせば結構な金がたんまり入るんだよ。だから譲ってもらえないかねェ、そのパッケージ』

 

「……さっきからシグナルだのパッケージだの……」

 

『おんやァ? その旗は凱空龍のものじゃねェか! ここいら一帯を預かる族だろ? 族なら族らしく、長いものに巻かれるんだな。どうせてめぇらは知る由もねェんだ。そいつを渡すだけで、見たものも聞いたものも忘れりゃいい。何なら、ギャラの分け前を与えたっていいぜェ! そいつを運ぶだけの簡単な仕事の割には、だいぶいい報酬だからなァ!』

 

 その言葉を聞いた瞬間、自分でも前に出していた「取り繕い」が――「裏返って」いた。

 

「……つまらないんだな、お前ら」

 

『……何だと?』

 

「つまらないんだなって、そう言ったんだ。つまらない仕事に、つまらない事にかけずらって……パッケージやらシグナルやら、本当につまらないな、お前ら」

 

 敵の《マギア》がビームサーベルを引き抜く。

 

『急に口調変えやがって……強気になったつもりか? 口の利き方に気を付けろよ、凱空龍のエース。お前は手の中にパッケージを持ったまま。こっちは三機編成。勝てると思ってんのか?』

 

「……やってみろよ。すぐに答えは出る」

 

『舐めやがって……。挟撃するぞ、お前ら、パッケージを傷つけるな。八つ裂きにするのは、このエース身分が先だ』

 

 二機の《マギア》が挟み撃ちを仕掛けようとしてくるのを、クラードは予見して《マギア》の推進剤を開き、加速度をかけさせていた。

 

 真正面に構えていたリーダー機はまさか猪突するとは思っていなかったのか、僅かにうろたえる。

 

『まさか……! 突進だと!』

 

「お前らのつまらない戦い方をわざわざ見てやる時間はない」

 

 肩口からリーダー機にぶつかり、そのまま速度と勢いを活かして背後へと回り込む。

 

 ハッと相手がこちらの動きに勘付いた時には、浴びせ蹴りが敵機の腹腔を打ち据えていた。

 

 恐らくこれでまともに動く事は出来ないだろう。

 

《マギア》の装甲は薄いため、格闘戦術における衝撃波にはめっぽう弱い設計だ。

 

 それも鋼鉄同士がぶつかり合う戦場では、武器を用いずに《マギア》を稼働させるなどまさに戦術として数えられもしないだろう。

 

 よろめいた敵機へと、クラードは少女を両手で抱えたまま、直上に躍り出てメインカメラを膝蹴りで砕く。

 

 挟み撃ちのために加速していた僚機の援護を得られないリーダー機は格好の的であった。

 

 無論、二機が戻ってくる前に、ケリをつける。

 

 クラードの殺意が伝わったのか、リーダー機は制動用の推進剤を焚いて眩惑させて距離を取る。

 

 それは即ち、これ以上の戦闘継続を諦める、と言う意思であった。

 

「……終わりだな」

 

 僚機がようやく追いついてきた頃にはもう相手の安いプライドはへし折れている。

 

『凱空龍のエース……。そのパッケージを後生大事に持っているがいいさ。言っておくが、そいつは不幸の象徴(ファム・ファタール)だぜ! 死ぬまで大事にしておくんだな!』

 

 捨て台詞を吐いて、三機編成が雲間の向こう側へと消えていく。

 

 それを深追いするほどの戦力もない。

 

 クラードが嘆息をついていると、掌の中の少女がゆっくりと起き上がっていた。

 

 紫色の瞳が、ゆっくりと開き、大きく見開かれる。

 

 それはMSを目にして驚いているのか、煌めくヘッドセットと拘束服の眩い光を照り受け、星々のトワイライトのようでさえもある。

 

 少女は今しがたまで深い眠りに落ちていたかのように眠たげに瞼を上げて、呟く。

 

『……ミュイ……だれぇ……?』

 

「名乗るほどのものじゃない」

 

『……なのるほどのものじゃない、さん?』

 

 まともに答えなければこの少女の問いには応じられないな、とクラードは答える。

 

「……クラード。それが俺の名前。あんた……いいや、君、は?」

 

 少女は小首を傾げてから、うーんと悩むように長い癖っ毛を手繰り寄せ、それからハッとして答える。

 

『……ファム。ファム・ファタール……』

 

「それは奴らの言っていたものだろう? 名前がないのか?」

 

『……ミュイ……クラード』

 

「それは俺の名前だ」

 

 返してやると、少女は柔らかく、天使の慈愛さえも含んだように微笑んで、それから口にする。

 

 その名前を、愛おしいかのように――。

 

『ミュイ……ファム・ファタールが、なまえ……』

 

 



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第4話「未到達な私」

 パシャパシャと写真を撮られるのには慣れていなくって、だからと言って笑顔を取り繕うのも難しく、緊張の面持ちを返していると、上司は困惑した笑みを浮かべていた。

 

「……もうちょっと素直に笑えない?」

 

「いや、あのその……っ! 笑おうとはしてるんですけれど……内定式って緊張しちゃって……」

 

「そんなんじゃ、仕事なんて出来ないわよ? えーっと……シンジョウさん?」

 

「カトリナですっ。カトリナ・シンジョウ……」

 

 名乗ると、上司は困惑の笑みを深くして、それから営業スマイルに戻る。

 

「じゃあカトリナさん。社員証のIDを作るための格式だけの写真なんだから、もうちょっと普通の顔が出来ない?」

 

「うぅ……そう言われちゃうと、そうなんですけれど……。その! この会社で頑張っていこうと思いますんで!」

 

「それは最終面接で言ったのと同じね。偶然にも、私が面接官でよかったわね、あなた。元気なだけが取り柄の子なんて、今どきの企業は欲しがらないんだから。エンデュランス・フラクタルは」

 

 その言葉に、カトリナは上司の胸元に刻まれている会社のロゴへと視線を振り向ける。

 

 一瞬の隙を突いて、シャッターが切られ、写真が撮られていた。

 

「はい、社員証ID。番号はもう振ってあるから、振り分けのほうに行ってもらえる?」

 

「あ、はい……っ。あのそのぉー……私、元気なだけが取り柄ですかね……?」

 

「なに、気にしているの? 大丈夫よ。今どき珍しいんだからね。この会社で元気な子ってのも。だから通してあげたんだけれど」

 

「あの……っ! ありがとうございますっ!」

 

 頭を下げると、上司はそれを諌める。

 

「容易く頭を下げない。安くなるわよ?」

 

「あっ……! すいません……」

 

「しゅんとするのも禁止。これから先は厳しいんだから。振り分け番号を見るに……あなた、結構大変な部署に配属みたいね」

 

「へっ……? そう、なんですかね……?」

 

 上司は肩を叩いてしっかりと鼓舞してくれる。

 

「頑張って。あなたの活躍を応援しているわ」

 

 歩いて行ったキャリアウーマンとしてはバリバリの様子の上司に、カトリナは短く切り揃えた栗色の髪を指先で巻く。

 

「大学時代はセミロングまでしていたのを思い切ってショートにしたの、失敗だったかなぁ……」

 

 ぼやきつつ、カトリナはメインエントランスに飾られている輝かしい社章を眺めていた。

 

 中央の球体に、両翼へと天使の羽根が施されたエンブレムが自分の居場所を物語っている。

 

「……エンデュランス・フラクタル……。新卒で入れたんだ。頑張らないとっ!」

 

 手渡された書類を片手に、カトリナはふんふんふーんと鼻歌交じりに廊下を歩いていると、不意に怒声が遮っていた。

 

「だから! そのプランじゃ下りないんですよ! どうしたって!」

 

「しょうがないだろう! 納期間際なんだ、頼むよ、サルトル技術顧問」

 

「……難しい事を言いますね。妥協すれば全て駄目になるんですよ?」

 

 濃紺色のツナギを着た眼鏡の猿のような顔をした男と、エリートコースまっしぐらとでも言うような精悍な顔つきの男が言い争っている。

 

 思わず足を止めていると、猿顔のほうがこっちに気がついたらしい。

 

 びくりと肩を震わせた自分に、エリートのほうが視線を振り向ける。

 

「君は……」

 

「はっ……初めましてっ! 私、この度、御社に……じゃなかった! 自分の会社なんだから弊社だよね……? 弊社に入社いたしました、その……カトリナ・シンジョウですっ!」

 

「あー、新入社員の方か。確かレクリエーションがもう始まっているはずだが……」

 

「レクリエーション? ……えーっと……うわっ! もう時間過ぎちゃってる!」

 

 こちらの慌て様にエリート上司は柔らかく微笑む。

 

「急いだほうがいい。レクリエーションを受けなくってはこの会社がどんな会社なのだかも分からないだろうからね」

 

「い、いえっ! しっかり勉強しましたから! 御社……じゃなかった、弊社は確か、技術面で月のダレトに関する優先権を持っているその……っ、優良企業で! それで、民間企業としては初めてダレトへの観測器を用いたと言う輝かしい偉業を誇っていて……素直に尊敬ですっ!」

 

 猿顔の技術者も、エリート上司も呆然としている。まさか、間違ってしまっただろうか、とカトリナが慌ててパンフレットに目を通していると、ぷっとエリート上司が吹き出した。

 

「いや、すまない。なかなか貴重な人材だと思ってね。純粋なのはいい。こういう仕事をしていると、忘れがちなものもある」

 

「あ、あの……っ、失礼をしてしまったようならそのっ……!」

 

「いやいや、失礼なものか。よく勉強されている。いい社員だ」

 

 それは褒められたのだろうか、とぼんやりと顔が熱くなっていく感覚を味わっていると、猿顔の技術者がエリートに言いつける。

 

「とにかく、上へ下へとこっちはてんてこ舞いなんですから、人を寄越してくださいよ。それと納品書に関しては、守っていただかなければ……!」

 

「ああ、分かっている、サルトル。ベアトリーチェ号に関しては君らに一任しているんだ。我々に口を挟む権利はないよ」

 

「……ベアトリーチェ号……?」

 

 小首を傾げる自分へと、猿顔の技術者はふぅむ、と観察していた。

 

「なっ……何ですか……?」

 

「いや、新人さんならレクリエーションに行かんでいいのかな、と」

 

「あっ! そうだ、行かなくっちゃ……! って……どこに行けば……」

 

 困惑する自分に相手は破顔一笑する。

 

「分かるよ。この会社広いもんねぇ。天下のエンデュランス・フラクタル。多分、上の階だと思うけれど、この時間だと多分、もうお開きだ。親睦会みたいなのはあるだろうけれど、それにだけでも参加していくかい?」

 

「……いえ、何だかそれは悪い気がしますし……」

 

 レクリエーションをすっぽかして親睦会だけ参加なんて厚顔無恥にもほどがある。

 

 今日は遅刻したとでも言い訳が立つだろうか、と思案していると、猿顔の技術者に壮大に背中を叩かれていた。

 

「なに暗い顔してんだ! せっかく一流上場企業に入ったってのにその面じゃ、もうリストラされたみたいじゃないか」

 

 咳き込みつつ、カトリナは頬をむくれさせる。

 

「……でも、クビもあり得るかも……」

 

「ないよ。我らがこの会社をどこと心得る。ちょっと遅刻したくらいじゃ、そもそも! まだ顔すら覚えてもらってないんだ! レクリエーションなんて形だけさ。格式ばった会社だから、そういうところでは人は見ない。見るのは、ここだ」

 

 そう言って彼は自らの瞳を指差す。

 

 カトリナは自分の眼を同じように指差していた。

 

「ここ、ですか……?」

 

「そう、ここ。デキル新人はもうそこから違う。残念ながら……あんたはそうじゃなさそうだけれどね」

 

「うぅ……やっぱダメ新人だと思われてる……」

 

「そう悲観しない。いい物を見せてあげよう。さっきの上司もこれは秘密にしとけっていわれているが、なに、バレなきゃいいんだよ」

 

 技術者に手招かれてカトリナはエレベーターに乗り込み、最下層へと下っていく。

 

 重力が変動して僅かに血流が脳に巡ってきてめまいを覚えていた。

 

「ああ、急にブラックアウトになるかもしれないから気を付けて。ここから先は、機密ブロックだ。重力は少しだけ軽減されている」

 

 その証拠のようにカトリナの身体は浮かび上がっていた。

 

「うわ……っ、うわ……」

 

「驚くなって。無重力訓練は受けただろ?」

 

「う、受けた時はその……いきなりこうなるとは思ってないもので……」

 

「そいつは違いない。まぁ、来なよ。建造中だがね、とっておきだ」

 

 猿顔の技術者は唇の前で指を立てて悪戯めいた笑みを浮かべた後に、開いた扉からカトリナの手を引く。

 

 カトリナは突然に拓けた視界の中で、上へ下へと行き交う物資の波を目に留めていた。

 

「すごい……ここだけ別空間みたい……」

 

「ある意味合っているかな。この機密ブロックは上とは遮断されている。通信規格も違うから傍受されないし、盗聴なんてもってのほか。本物のシークレットベースだよ」

 

 どこか誇らしげに漂ってみせる技術者に、カトリナは当惑しつつもその手に強く引かれて、上下逆さまになった扉を潜っていた。

 

 果たして、そこに佇んでいたのはオレンジ色の色彩を持つ船舶であった。

 

 カトリナは会社に入る前に勉強した船舶の種別をそらんじる。

 

「すごい……! 行政連邦のヘカテ級だ……」

 

「おっ、詳しいね。そうとも、これが史上初の、民間主導で建造されたヘカテ級機動戦艦。その名をベアトリーチェ。呪いの魔女の名前を冠している」

 

「呪いの魔女……」

 

『エンデュランス・フラクタル六番支社から定期連絡。警戒宙域への監視を厳とし、ベアトリーチェ収容港からの入港者はBブロック経由でメカニカルルームへとアクセスしてください。繰り返します、メカニカルルームは現在、無重力区画に指定。遠心重力区画はAブロックまでに駐留し、MSハンガーへと向かう社員はノーマルスーツの着用を義務付けています』

 

「……軍用施設のアナウンス……」

 

 ぼんやりと言葉にしていると、不意に上方から声が投げられていた。

 

「サルトル技術顧問! 上の人間をここに入れると色々とうるさいぞ! そうでなくってもリクルートスーツの新人なんて……」

 

「ああ、分かっているさ。だがね、とんだ迷子の子猫のようなんだ。ちょっとばかし遊び心を発揮したまでさ」

 

「後でばれたら大目玉なんだからな!」

 

 指差して去っていく他の構成員に、カトリナはサルトルと呼ばれた技術者へとじっと恨めし気な視線を寄せる。

 

「誤解しないでくれよ。あんたの処分だとかそういうののために連れて来たわけじゃない。あのままレクリエーションに行ったって退屈だろ? だったら、このエンデュランス・フラクタルの神髄に迫ってみるのも悪くないはずだ」

 

「……それは……そうかもですけれどぉ……。私が怒られちゃう」

 

「うん? いや、そうでもないんじゃないか? 今気づいたが、あんたはここに配属らしい」

 

 社員証IDを指差した相手に、カトリナは慌ててIDの上に記された所属部署を読み上げる。

 

「……兵器開発部門。私が……兵器の開発?」

 

「あんた、結構デキル新人だと目されていたみたいだな。こっちにいきなり配属になるなんて、運がいいんだか悪いんだか」

 

 だが花形のエンデュランス・フラクタル社で急に兵器開発と言われても頭がついて来ずに、うろたえるばかりである。

 

 そんな自分へとすっと手が差し出される。

 

「だとすれば、おれ達は仲間だ。おれの名前はサルトル。ここで技術開発主任をやらせてもらっている。まぁ直属の上司ではないだろうが、同じ部署だ。よろしく頼むよ、えーっと……」

 

「あっ、シンジョウです。カトリナ・シンジョウ……」

 

 気後れ気味に手を差し出すと、サルトルは笑顔でその手を掴んでいた。

 

「よろしくお願いしようかな。カトリナ女史」

 

「じょ、女史……?」

 

「おや、シンジョウのほうがよかったかな?」

 

「いや、そうではなく……。あのー、私、本当にここの配属で間違いないんでしょうか? 何か手違いだとかじゃ……」

 

「いや、IDに書いてあるんだからその通りだろう。なら手間が省けたってもんだ。どうせ戦艦ベアトリーチェに関して言えば、この部署じゃ公然の秘密みたいなもんだし、初日に言えてよかった。それよりも、カトリナ女史。あんたはまずはうちのボスに会わないといけない。今は……おーい! 艦長はどこに居る?」

 

 呼びかけたサルトルに数名のスタッフが反応する。

 

「ああ。部屋でコーヒーでも飲んでいるでしょ」

 

「じゃあ部屋までか。女史。そこまでのルートはBブロック沿いに行けばすぐに辿り着ける。なに、難しい話じゃない。直属の上司に挨拶する。これは社会人の常識だからね」

 

 はぁ、と生返事を返していると、すぐにサルトルに背中を叩かれる。

 

「さぁ、行った行った! まだベアトリーチェに関しちゃ言える事は少ないんだ。次のニュースを楽しみにしておいてくれ」

 

 サルトルは他のスタッフと共に巨大な機動戦艦へと流れていく。

 

 カトリナはBブロックへと続く区画を見つけ出し、低重力の中で漂いながら、パンフレットへと時折目線を配る。

 

「えっと……ここの事、書いてない、よね……? じゃあ本当に秘密って事? そんなの、あるのかなぁ……」

 

 疑わしいが、見せられた現実だけは本物。

 

 カトリナは一度、戦艦ベアトリーチェに向き直ってから、B区画へと歩み出していた。

 

 ハンドグリップを引き出し、流れるままに任せていると、すれ違うスタッフや社員が物珍しそうな視線を投げてくる。

 

「……やっぱり場違い。帰りたい……」

 

 呟いているうちに、カトリナは区画の中でも少しだけ落ち着いた色調の廊下へと行き着いていた。

 

 重力がゆっくりと調整されていく。

 

 どうやらこの周辺は1Gに設定されているらしい。

 

 物々しい木製の門扉があり、その向こう側に上司が居るのは容易に想像出来た。

 

 ノックしかけて、カトリナは躊躇う。

 

「……何て言おう……。レクリエーションサボってこっちに先に来ちゃいました……何て言えないし」

 

 そういう事を全く教えられなかったので、カトリナは一度、来た道を恨めし気に振り返ってから、何度かノックを戸惑っているうちに声が響いていた。

 

『入るなら入って。時間は有限よ』

 

 どこから見られていたのか、恐らく中からの声にカトリナは羞恥の念に顔を真っ赤にして、静かにノックする。

 

「し、失礼します……」

 

 応接室が大きく取られており、数々の調度品が壁一面に並んでいるが、それらはどこか均整が取れておらず、南国のものもあれば、極寒の地方のものもある。

 

 執務机の向こうで腰かけているのは亜麻色の髪の女性であった。

 

 憂いを帯びた泣きボクロが、物悲しげながらも整った鼻筋を強調する。

 

 しかし眼差しそのものは鋭く、射るようですらあった。

 

「……あなたが、今日配属された?」

 

「あ、はい……。カトリナ・シンジョウと申します……」

 

「おかしいわね。今日はまだ配属予定ではないはずだけれど」

 

「あっ……サルトル……さんに連れて来られて……」

 

「あの技術顧問も困ったものね。女の子には甘いんだから」

 

 髪の毛をかき上げた女性はそのままため息を漏らし、自分を見据える。

 

「それで? レクリエーションをサボってここまで来て、何の御用?」

 

「あっ……その、ここに配属みたいなのでその……ご挨拶を……」

 

 まごついてしまう。よくよく考えれば顔合わせはまだ先のはずなのに自分から乗り込んでくるのは無礼を通り越して最早滑稽ですらある。

 

「私に? ……確かにここの責任者ではあるけれど。困ったわね。あなたには専属の上司を付けるつもりだったのに、いきなりこの部屋に来てしまうなんて」

 

「あのー……やっぱりご迷惑……?」

 

「当たり前でしょう? ねぇ、こういうことわざを知っている? 芋の煮えたもご存じないってね。普通、ボスが居るからって真っ先に会いに来る人は居ないでしょう? 物事には順序と言うものがあるのよ。迷惑かそうでないかはさておきね」

 

 そう口にしてから、女性は額を押さえてタブレットを取り出し、口の中に放り込む。

 

 それを呆然と見つめていると、彼女は手を払っていた。

 

「気にしないで。持病の片頭痛だから」

 

 何だか婉曲気味に自分の存在そのものを嗤われているようで、カトリナは気色ばみかけたが、ここで怒って何になる、と自身を落ち着かせていた。

 

「その……失礼に当たったのなら、私……」

 

「カトリナさんだったかしら? 学業も優秀、名門大学を首席で卒業……すごい経歴じゃない。そりゃエンデュランス・フラクタルも欲しい人材よね」

 

 いつの間にか投射画面上に自分の経歴をスクロールさせていた相手にカトリナは慌ててしまう。

 

「あ、あの……っ! そんなに見せられる経歴じゃ……」

 

「いえ、充分過ぎるほどよ。なのに、レクリエーションをバックれてこっちに来るなんて……相当肝が据わっているのか、はたまた……」

 

 くすくすと女性は笑う。

 

 何だか羞恥の念でいっぱいで、カトリナは耳まで真っ赤になっていた。

 

「その……」

 

「フロイト」

 

 不意に発せられた言葉に目を丸くしていると、女性は柔らかく微笑む。

 

「レミア・フロイト。一応はこの部署のボスをやっているわ。名乗っていなかったでしょ? カトリナさん」

 

「あ、はい……。よろしくお願いします……」

 

「はい、よろしく。でー……あなたの配属はここになっているわね。これはサルトル技術顧問の間違いじゃなかったわけか。でも、配属も、ましてや仕事が振られるのもまだ先なのよ。あなたは新入社員なんだから親睦会……は、もう終わっているわね」

 

 壁掛けの時計を一瞥するレミアに、カトリナは困ったように後頭部を掻く。

 

「いやその……親睦会だけ行くと嫌な感じじゃないですか」

 

「そうね。それはその通り。ただまぁ、やる事がないのも実情なのよ。何なら、一足先に職場見学でもしていく? 給料は出すわよ?」

 

 思わぬ提案であったが、一日でも職場に慣れたほうがいいに決まっている。

 

「は、はいっ……! せっかくここに来たんですから!」

 

「レクリエーションをサボってねぇ」

 

 その言葉にカトリナはしゅんと肩を落とす。どこか、レミアは棘があると言うよりもこうして自分の反応を見て楽しんでいるようであった。

 

「いい心がけではあるわね。マップを渡しておくわ。その順路に従って、整備班と顔合わせでもしておいてちょうだい。あなたの仕事のうちの一つだから」

 

 差し出された地図の複雑怪奇さに参っていると、レミアは気づいたように、あっ、と声を上げる。

 

「そう言えば新人の教育係が居たんだったわ。今、呼びつけるから」

 

「あ、いいですよぉ……。まだ予定にはないんですし……」

 

「迷われたらこっちが困るのよ。もしもし? バーミット、出勤しているわよね? すぐにこっちに呼んでちょうだい」

 

 てきぱきと仕事をこなすのはさすがはボスと言った風体か。

 

 圧倒されていると、不意に扉が開かれていた。

 

 その先に居たのは茶髪をセミロングにした女性社員である。どこか気だるげで、カトリナがうろたえていると、レミアは早速指示を飛ばす。

 

「バーミット。また寝ていたでしょ」

 

「だってぇ~、あたしの仕事デスクですし、暇なんですもん。ベアトリーチェが進水式に入るまでデスクワークはほとんどやる事ないですし」

 

 欠伸を噛み殺したバーミットと呼ばれた女性社員は、今さらカトリナを視界の隅に発見する。

 

「誰ですか、この子。ここ、艦長の部屋ですよね?」

 

「新人さん。今日入社式だったでしょ」

 

「入社式なら余計にここに居るのは変なのでは?」

 

「まぁ色々あってね。サルトル技術顧問の気紛れ」

 

 二人のやり取りを他所にカトリナはおずおずと挙手する。

 

「あのー……私、どうすれば」

 

「バーミット、あなた新人の教育係でしょ? このセクションを案内してあげて」

 

「えーっ! 困りますよ! これから先、もう退勤だと思っていたのに!」

 

「じゃあ余計に都合がいいじゃない。残業代は出すから、その子の教育指導、お願いね」

 

 バーミットはこちらを見やるなり、上へ下へと観察してから、ふぅんと訳知り顔になる。

 

「温室育ちの甘ったれって感じね」

 

「あなたよりいい大学に出ているみたいよ?」

 

「それってぇ! 学歴差別ですよ!」

 

 バーミットは苛立たしげに髪をかき上げた後に、すっと手を差し出す。

 

「あたし、バーミット・サワシロ。よろしくね。えっと……」

 

「あっ、カトリナです。カトリナ・シンジョウ……サワシロさん……」

 

「バーミット、でいいわ。あんまりファミリーネーム好きじゃないの。あ、でも先輩は付けてよね」

 

「あ、はいっ! バーミット先輩!」

 

「うんうん! 素直なのが一番ね。じゃあ艦長、この子連れ回しますけれど、極秘ブロックとか」

 

「遠からず知るでしょうけれど、まぁ掃除でもやってもらえば? 手は足りているようで足りてないのが現状でしょうし」

 

「ですね。失礼します」

 

 その動作だけは気だるさを消して挨拶するものだから、カトリナもそれに倣う。

 

「でもさー、カトリナ……さん? エンデュランス・フラクタルのこの部署にいきなり配属なんて、面接で会社の悪評でも言ってのけたんじゃないの?」

 

「あ、悪評? そんな! 面接ではとても気を遣って――」

 

「で、勝ち取ったのがこの地位? なぁーんか、裏でもありそうだけれど。ま、いっか。上役のご機嫌損ねたらこの仕事、すぐこれだから」

 

 くいっと首を掻っ切る真似をするバーミットにカトリナは恐る恐る尋ねていた。

 

「あの……バーミット先輩。やっぱりここって厳しいんですかね……?」

 

「厳しいも何も、知っているでしょ? エンデュランス・フラクタル社。その円滑も。月のダレトへの優先権を持っている数少ない優良企業で、なおかつその技術をほとんど独占状態にする、現時点での勝ち馬ってところ」

 

「か、勝ち馬……? そんなつもりで入ったんじゃ……」

 

 何だか計算高くこの企業を選んだようで癪である。バーミットは、違うの? とでも言いたげに小首を傾げる。

 

「分かんないなー。カトリナさんは――」

 

「あ、呼び捨てでいいですので……」

 

「じゃあカトリナちゃんは、別にここじゃなくってもよかったんじゃ? だって、ダレトのおこぼれに預かる会社なんていくらでもあるでしょ。倍率高いし、その上何だかんだで仕事はめんどくさいよ? やってける? って……あたしも面接官みたいな事聞いちゃってるなぁ。反省反省」

 

 フッと笑みを浮かべる大人の余裕をなびかせたバーミットに、カトリナは自分に足りないものを自覚していた。

 

「いえっ、その……。私、こんな事言うといっつも笑われていたんですけれど、言っていいですか?」

 

「うん、何でも言って。あたし、これでも教育係だから」

 

「じゃあ、その……私、幸せになりたいんです」

 

 その言葉にバーミットが立ち止まって眉根に皺を寄せる。

 

「……カトリナちゃん。どこでどういう宗教にはまろうが自由だし、他人の人生で何を信じるべきかを問うつもりはないけれど、いきなり幸福論とかは――」

 

「あっ、違って! ……誤解されやすいんですけれど、私、幸せになるってその、欲求が強くって! それでエンデュランス・フラクタルを選んだんです。ここなら、私が理想とする幸せに近づけるのかな、って」

 

「それは結婚願望とか、昇進とかそういうのを考えての話?」

 

「いえ、そういう……何て言うのかな。分かりやすいんじゃなくって、もっと漠然としているんですけれどでも、幸せになりたい……いいえ、幸せになるんだって! どこかで、目指しているところもあって」

 

 バーミットは再び歩き出し、思案するように顎に手を添える。

 

「幸せになりたい、ねぇ……。ま、カトリナちゃんの幸せ論がどこにあるのかはあたしはまだ分かんないわ。さっき顔合せたばっかだし。ただまぁ、幸せになるのの第一歩、知りたい?」

 

 振り向かれてカトリナは食いつく。

 

「あ、はい! 是非……っ!」

 

 バーミットはロッカーから掃除用具を取り出し、自分へと手渡していた。

 

「えっ……。あの、バーミットさん? これは……」

 

「幸せになる第一歩。まずは掃除くらいは出来ないとね。整備班に色々聞いて、上りの時間帯まで掃除。やっておいてね」

 

「えーっと、デスクワークとかは……」

 

「一日目から甘えない。そういうのはもっと分かってから言うものだし、まずは身体で覚える」

 

 デッキブラシやバケツを抱え、カトリナはリクルートスーツ姿で整備班の場所へと降り立つ。

 

 彼らはちょうどコーヒーブレイクの途中であり、自分の闖入に目を見開いていた。

 

「そ、その……お手伝いさせてください!」

 

「デスクワークなんじゃ?」

 

「甘えないで! って言われちゃったので……。まずは肉体労働をやらせていただきます! 頑張りますんで!」

 

 頭を下げると、整備班はめいめいに視線を交わし合い、じゃあ、と格納デッキを示す。

 

「そこんところを洗ってもらえると助かるかな」

 

「はいっ! ピッカピカにしますね!」

 

 カトリナは掃除用具を整えようとバケツに水を入れようとして、制止の声がかかる前に蛇口をひねってしまう。

 

 すると、水流が弾け盛大に水を頭から被ってしまっていた。

 

「悪い、言うの忘れてた。そこ壊れてるんだった」

 

「さ、先に行ってくださいよぉ……」

 

 思わず涙ぐんだ自分に整備班は慌てふためく。

 

「あー、泣かないで。じゃあ一部だけでいいから、後は俺達がやっておくからさ」

 

 そう言われてこくりと頷き、一区画のみをブラシで擦って汗水を流す。

 

 そんな作業をしていると、ふと考えてしまう。

 

「……これって一流企業の仕事?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――お、終わったぁー!」

 

 家に帰るなり、スーツのままベッドに寝転がる。全身の節々が痛み、明日は筋肉痛確定であった。

 

「……にしても、エンデュランス・フラクタルってもっと高潔な会社かと思っていたのに。……やっぱり一流上場企業ってブラックなのかな……」

 

 ごろ寝しながら端末を弄っていると、新着メッセージに反応して起き上がる。

 

「お母さんから? 何だったんだろ……?」

 

 数回コールすると、通話口で母親の声がする。

 

『ああ、カトリナ? こんな遅くの時間までだったの?』

 

「あ、うん……。色々あっちゃって……」

 

 初日からレクリエーションをブッチして掃除をしていたとは言えず、カトリナは曖昧に微笑む。

 

『あんた体力だけは馬鹿みたいにあるからって無理しちゃ駄目よ? 身体壊してからじゃ遅いんだから』

 

「馬鹿って……諫言痛み入ります、母上様……これでいい?」

 

『もう……相変わらずなんだから。そういえば、さっき、ポートホームで届け物があったけれど、それってあんたの?』

 

「ああ、うん。この間キッチンセットが壊れたって言ってたから、帰りの電車でポチっておいた」

 

『一人暮らしなんだからそっちのほうに気を遣えばいいのに。それにしても便利な時代になったわよね。昔はシャトルや輸送トラックが数日をかけて届けていたのよ?』

 

「それ……お母さんだって生まれる前じゃない。トラックなんて一部の区域外を除けばもう走ってないでしょ。いくら地球圏だって」

 

『昔はこうして待つ時間も楽しみだったのにねぇ。画期的な転送技術で物品程度ならタイムラグは一時間以内なんて。そういえば、宅配便と言えば、あんたのほうに送っておいたものは届いた頃のはずだけれど開けた?』

 

「届け物? 何、疲れてるんだけれど……」

 

 気だるげにカトリナは円筒状のポートホームポストに収まっている衝撃吸収材に梱包された物品を開く。

 

『おじいちゃんの遺品整理していたら、あんたが大人になったら渡したいものがあるとか言っていたから送っておいたけれど。届いてる?』

 

「これ、何? おじいちゃんの?」

 

『うん。あんたが就職したら渡したいって言っていたらしくって。私もちょっと前に知ったんだけれど』

 

 衝撃緩和剤で包み込まれていたのは、鍵であった。どこかアンティーク趣味な鍵にチェーンが付いている。

 

「何これ? ネックレス?」

 

『分かんない。おじいちゃんが大事にしていた事だけは分かってるんだけれど』

 

「……そんなの押し付けないでよ」

 

『あんた、ずっと目標にしていた一流企業入れたんでしょ? 一番楽しみにしていたのはおじいちゃんなんだから。こういう時くらいは受け取っておく!』

 

「……とは言っても……何の鍵? 実家の?」

 

『それも分かんないのよ。鍵には間違いないんだけれど……』

 

 何に使うのかまるで分からない鍵にカトリナは訝しげに眉根を寄せる。

 

『ただまぁ、おじいちゃんの目標でもあったからね。あんたがエンデュランス・フラクタルに入るって言うのは』

 

 そう言えば、とカトリナは思い返す。

 

 祖父の勧めで、自分はこの企業を目指すと決めたのだ。

 

 ほとんど自分の言う事には口出しをしなかった厳格な人間であったのは覚えているのだが、どうしてなのだか、折に触れてはエンデュランス・フラクタルの話題を出してきたのを思い返す。

 

「……おじいちゃん、私に一流企業の人間になれって言いたかったのかな?」

 

『分かんないわよ。当のおじいちゃんはもうお墓の下なんだから』

 

 どうにも薄情な母親の口振りに辟易しつつも、カトリナはその鍵を首から下げる。

 

「……ねぇ、お母さん。私、一応はでも、幸せかも。自分の目指すところに行けて、それで仕事も始まって……。波乱もあるけれどでも……それ以上に希望があると思ってる。……ありがと。応援してくれて」

 

『学業に関しちゃあんたの努力でしょ。私は何もしてないわよ』

 

 そう言ってくれるのがある意味ではありがたい。

 

 自分の力で勝ち取った地位なのだと、自負出来る。

 

「でも……もし何かあったら言ってね? いつでも地球には帰るから」

 

『何言ってんの。そうじゃなくっても忙しい会社なんでしょ? ……心配しなくっても、お父さんもまだ働けるし、私もパートタイムで入れてるわよ。今のところは親の事なんて後回しでいいんだから。自分の道を行きなさい』

 

 思わぬ激励に目頭が熱くなったのを感じつつ、カトリナは時計を一瞥して通話の別れに添える。

 

「……じゃあ、明日も仕事だし」

 

『はいはい。せいぜい頑張りなさい。あんたが目標とした場所でしょ?』

 

「うん……おやすみ」

 

 通話を切ってから言い知れぬ物悲しさが胸に去来したが、カトリナは一つ大きな伸びをして、よし! と気合いを入れ直していた。

 

「絶対! 幸せになるんだ!」

 

 



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第5話「それぞれの夜に」

 材料はそこいらで拾ってきた劣悪な油で、ドラム缶へと次々に放り込んで火をおこす。

 

 燃え盛る炎を囲んで今日の祝宴が始まっていた。

 

 その中心に居るのは、つい数時間前に保護した少女であった。

 

「ファムお嬢ちゃん! こっちにも笑顔くれー! 俺達の天使!」

 

 その言葉にファムと名乗った少女は物怖じせずに凱空龍の荒れくれ者達へと純度百パーセントの笑顔を振り撒く。

 

 銀髪が火の粉と夜風になびき、きらきらと星屑のように輝いていた。

 

「ミュイ……ファム、みんなすきー!」

 

 勝手に盛り上がる面子を他所に、少し離れた場所からクラードは遠巻きに眺める。

 

 ファムは意味が分かっているのかいないのか、よろよろと危うい人形のように踊り、凱空龍の者達へと手を振る。

 

 その視線が不意に自分とかち合い、手を振られたので振り返していた。

 

「……クラード。あの子、何者なんだ?」

 

 問いかけて来たアルベルトに、クラードは寝そべって頭を振る。

 

「さぁ。見当もつかないな」

 

「だが、運び屋連中の仕業なんだろ? パッケージだとかシグナルだとか……穏やかじゃねぇはずだ」

 

「俺は知らないよ。相手が突っかかって来たから追い返した。それだけだ。この世の中は衝突と湾曲で出来ている」

 

「……それも誰の言葉だ?」

 

「引用不明」

 

「……そういうところなのかもな。あの子の付けていたヘッドセット、どうやら収納式の最新型らしい。耳んところにピアスがあってな。そこへと仕舞える。量子化機能まで備え付けってのは、ダレトの技術だな。どこかの国のお嬢様か……」

 

「あるいは、奴隷なのかもしれない」

 

「奴隷ぃ? ……だとすれば余計にオレらの手に余るぞ」

 

「服からもミラーヘッドの蒼に近い残滓があったんだよ。つまり、特別製みたいだ」

 

「……それを見つけて、飛び出した誰かさんの見立てだって言うんなら、間違いはないんだろうぜ」

 

 アルベルトは青髪のリーゼントを整えながら火の粉の舞い散る祝宴を自分の隣で見やる。

 

「……ど真ん中に行けばいいのに」

 

「知ってんだろ? オレは下戸なんだよ」

 

 応じて来たアルベルトに、そうだった、とクラードは返す。

 

「俺も飲めないから分かんないや。酒も大人になったらの嗜みかなぁ」

 

「……クラード。今回の敵はだいぶデカかった。支給品もジャンクもかなり使える部分が多い。凱空龍はこの半年で力を付けたが、マジにテッペンを狙えるかもしれない」

 

「狙わないとか嘘でしょ」

 

「……まぁそうでもあるんだが、オレはお前が功労者だと思っている。お前が居なきゃ、オレらは燻ぶるばっかだっただろうさ。だから、少しの身勝手くらいは許すって言ってんだ。あの子……何者なのかは分からないが、ちょっとの間ならうちで面倒を看れる」

 

「そうかな。戦場に女子供なんて邪魔だよ」

 

「お前はクールだよな、クラード。……だが、間違いじゃねぇのもまた事実。このデザイアはFランクコロニーだ。いつ、軍警察の統制が入ってもおかしくはない。その時、足手纏いは少ないほうがいい」

 

「アルベルトはどう考えてるのさ。……昼間の連中、尋問したんだろ」

 

「資金源だとかは喋らねぇ。それが不気味なくらいの沈黙さ。ともすれば、トライアウトと繋がってるのかもな」

 

「行政連邦の走狗か。穏やかじゃないよ」

 

「ああ、穏やかじゃねぇ。だからこそ、クラード。お前には引き続き、前衛を頼みたい。辛い目にばっかり遭わせるが……」

 

「いいよ、辛い目には慣れてるから、さ……」

 

 そう返して、クラードは首から下げたドッグタグをいじくっていた。

 

 弾丸がめり込み、名前の部分はすり切れている。

 

「……そのドッグタグ、ずっと持ってんだな」

 

「これは俺を示す指標みたいなものだから。だからずっと持ってる」

 

「……名前が読み取れなくってもか?」

 

「だからいいんじゃないか」

 

 その返答の意味まではアルベルトには分からなかったのか、言葉はなかった。

 

 祝祭の中心で、ファムが笑顔を咲かせて踊る。

 

「……オレらに残された時間は、あるようで全然ないのかもしれねぇ。クラード、オレは――」

 

 そこでアルベルトの端末が不意に着信する。

 

 クラードは顎でしゃくっていた。

 

 アルベルトは人目を憚って歩み出していく。

 

 その背中を眺めつつ、クラードは呟いていた。

 

「……どこに行ったって、何をしていたって……幸せなんてどこにもない。幸福を甘受する人間は、決まって割を食う人間とは不釣り合いなんだ。だから世の中が成り立っている。なら、俺は幸せなんて要らない……」

 

「取り繕い」を外した仮面の下の言葉――またしても不意に「裏返りそう」になってしまう。

 

 それを抑えるように、腕に刻まれたモールドに視線を落とす。

 

 この呪縛のような紋様もその一つ。

 

 凱空龍のメンバーがファムの拙い踊りを褒め称える。

 

「ファムは俺達の下にやってきた天使だよ!」

 

 その言葉には、クラードは苦笑していた。

 

「……どうかな。そいつは不幸の象徴だって、言われたけれどさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人目がない事を確認してから、アルベルトは秘匿通信を繋いでいた。

 

『アルベルト……まだ暴走族の真似事なんてやっているのか?』

 

 第一声がその相手なのは決まっている。

 

「……兄貴。もうオレの事は諦めてくれよ。仲間が居るんだ。家には帰れない」

 

『そうはいかないだろ。お前は家を継ぐ身分なんだ。リヴェンシュタイン家を絶やしちゃいけないのは分かるだろ』

 

「……オレはもう、リヴェンシュタインの人間だとは思われていないと、そう考えていたけれど」

 

『アルベルト。よく考えろ。リヴェンシュタイン家は連邦国家において中核を成す立派な家系だ。その次男に生まれたんだから品性はあるはずだろう? だって言うのに、生まれも何も分からないアウトロー共に囲まれて、お前の品格が落ちないかわたしは心配しているんだ。お前の素質を一番に知っているつもりだよ。父さんだって分かってくれてる』

 

「……兄貴も……親父も変わんないな。オレにそんな資格はないんだよ。凱空龍の面子を裏切る事なんて出来ない。いくらデザイアが最低の場所だって、みんな生きてるんだ。なら……!」

 

『その事なんだがな。行政連邦の施策でFランクコロニーへの統制が明日にも入る予定だ。軍警察――トライアウトだよ』

 

 思わぬ言葉にアルベルトは語気を荒らげる。

 

「何言って……! そんなの聞いてないぞ!」

 

『言うわけないだろう。事前に知られちゃまずいって言うんで、極秘作戦だ。虐殺だよ。悪い事は言わない。今夜中にでもデザイアを去れ。わたしの口利きがあれば、お前に手出しはさせない。デザイアは終わりだ。陥落させるつもりで連中はやってくるぞ。トライアウトのやり方はよく知っている。生存者は限りなくゼロだ』

 

 アルベルトはめまいを覚えつつ、後ずさっていた。

 

「……でも、裏切れない……」

 

『アルベルト。お前は不良を気取ってはいるが、中身は昔と変わっちゃいない。冷静に、合理的に判断すれば分かるはずだ。その掃き溜めみたいな場所に居る連中と自分の命。天秤にかけるまでもないだろう?』

 

 悔しいが、アルベルトは言い返せなかった。

 

 どこかで自分も分けているのかもしれない。死んでいい命と死んではいけない命を。だから、真っ当にも言い返せず、ただ拳を固く握り締める。

 

「……オレは逃げない。逃げられない」

 

『トライアウトに分別はない。あいつらは行政連邦の走狗だ。やれと言われたらやる。作戦実行までの残り概算時間は、もう二十四時間もない。だから言ってるんだ。お前は生きろ。他は死ぬ。それで縁は切れるじゃないか』

 

 冷徹な兄の言い分にアルベルトは奥歯を噛み締めて、抗弁を発しようとして出来なかった。

 

 何も間違っていないのだと、どこかで達観していたせいだろう。

 

「……それでも人死にを見過ごせない」

 

『その話なんだがな。どうやらトライアウトが急いているのは、Fランクコロニーの統制目的だけではないらしい。何でも落し物の回収を慌てているのだと聞く。それがどれほどの落し物なのかは、詳細が得られなかったが』

 

 落し物、と聞いて真っ先にファムが思い浮かぶ。

 

 クラードはならず者達を退けたと言っていたが、もしそれが行政連邦の息のかかった敵であったのなら、既に戦端は開かれているのだ。

 

 喧嘩を売ったのがこちらなら、流儀も何もない。

 

 相手は仕返しをしてくるだけ。

 

「……何とかならないのか。兄貴……」

 

『どうにもならないから連絡している。明朝九時付けで仕掛けられる。お前は逃げろ。それだけだ。断っておくが、トライアウトの連中と戦おうなんて思うなよ。リヴェンシュタイン家に泥を塗る事になる。何よりも、だ。正式にミラーヘッドオーダーを通した相手の第四種殲滅戦はゴロツキの使うミラーヘッドとは格が違うぞ。一瞬で連中は殺し尽くす。連れごと逃げ場を模索しようなんて思うな。お前を逃がすので精一杯だ』

 

 分かっている。兄は便宜を図ってくれているのだと。

 

 自分だけでも生き残る道――だがそれは、クラード達を、仲間達を見捨てる道。

 

「……答えなんて簡単に出せない」

 

『お前は賢い。答えなんてとっくに分かっているだろう? 父さんも今までの事は不問に付すって言ってくれている。連邦軍人としてでもいい。何ならポストは空けてある。いつでも帰って来い』

 

 通話が切られかけて、アルベルトは声を張っていた。

 

「兄貴……! 本当に、それ以外にないのか? もう、オレに出来る事は、何一つ……」

 

『ない。死んで欲しくないんだ。賢明な弟の判断を期待している』

 

 その言葉を潮にして、通信は拭えない断絶のように切られていた。

 

 アルベルトは端末をぎゅっと握り締める。

 

「……オレに、仲間の生き死にまで決めろって言うのか……。そんな傲慢な事、出来るわけが……」

 

 だがやらなければ人が死ぬ。

 

 当然の事だが、今の自分にはそれが決められそうにはなかった。

 

 



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第6話「レヴォルの胎動」

「やばっ! 寝坊しちゃった! もう、何でいっつも遅れちゃうんだろ……」

 

 グリニッジ標準時に設定したはずの腕輪型端末に視線を落とし、カトリナはホームへと駆け込んでいく。

 

『ただいま、惑星間交通ポートライナー七番線に電車が参ります。駆け込み乗車はご遠慮ください』

 

「間に合わないぃー! 駆け込み乗車上等っ!」

 

 飛び込んできた武骨な灰色の車両は無数の円筒型の扉を有している。

 

 自分のように駆け込み乗車を行うような時間に余裕のない人間はほぼ居ない。

 

 カトリナは開いた扉へと入り、ちょうど一人分の個室の中で息を切らしていた。

 

「ま、間に合ったぁー……」

 

『行き先を設定してください』

 

「はいはい……。座標はえーっと……定期券を出さないと……」

 

 ごそごそとカバンの中を探っていると、急かすようにアナウンスが響き渡る。

 

『行き先を設定してください』

 

「待ってってば……。はい! これで……!」

 

 定期券を翳し、エンデュランス・フラクタルの企業キーを入力する。

 

『設定されました。これより、ポートライン規約第七条に基づき、お客様を量子転送いたします。しばらくの間、動かないでください』

 

 そのアナウンスが響いた三秒後には勤め先のポートラインへと転送されている。

 

 当然、転送時に違和感や不快感を催す事はない。

 

 これは確立されたシステムだ。

 

 ダレトの存在によって人々は量子転送技術を既にその手にしている。

 

 もっとも、それは限られた場所から場所のみ、に限られていたが。

 

「遅れちゃうぅー……!」

 

 ポートラインの階段を駆け下り、屹立するエンデュランス・フラクタルの支社への直通通路を必死に走っていく。

 

 天窓からは今も遠心重力を生み出す特別区画がゆっくりと回転しているのが窺えた。

 

 ようやく会社のエントランスに辿り着いた頃には、他の社員達からの好機の視線が飛んでいた。

 

「重役出勤ご苦労様です、期待の新人殿!」

 

 囃し立てる声と、初出勤翌日からつけられた珍妙な渾名で呼ばれ、カトリナは羞恥の念で顔を真っ赤にさせる。

 

「……もうっ。すぐ出社しないと……」

 

 カトリナは部署までエレベーターで降りるなり、朝の挨拶をする間もなく、デスクについている人々からの視線を一気に浴びる。

 

「……そのぅ……おはようございま……」

 

「あら、カトリナちゃんじゃない。もう出社時間三十分も過ぎてるわよ?」

 

 早速バーミットに注意され、カトリナは平謝りする。

 

「すいませんっ! 遅れちゃって……」

 

「まぁまだ大した仕事ないからいいけれどね」

 

 そのまま書類の束をどんと差し出される。

 

 意味も分からず受け取ると、バーミットは手を振ってそれを任せていた。

 

「バーミット先輩! あの……この書類なんですけれど……」

 

「うん? あー、これ。下の格納庫に居る整備班に渡しておいて。大丈夫、顔合わせはしたんでしょ?」

 

 バーミットの言い分にカトリナは困惑してしまう。

 

「その……顔合わせとかじゃなくって……。それに私、こういう書類仕事ってもっと大事にしないといけないと思うんですけれど」

 

「なーに言ってんの。入ったばっかなんだから他の部署には出来るだけ顔出しとく。これ、常識よ?」

 

「どこの世界の常識なんだか……。バーミット先輩は来てくれないんですか?」

 

「あー、あたし? だってあそこ汗臭いじゃない。パスよ、パス」

 

「……そんな基準でいいのかなぁ……」

 

 疑問を挟みつつも、カトリナは書類を手に下層へと続くエスカレーターに歩み出そうとして、乗り合わせた男に後ずさる。

 

「あ、あなたは……入社式の。サルトル技術顧問と一緒に居た……」

 

「むっ……ああ、あの時の。レクリエーションを初日からブッチギッた期待の新人」

 

 うっ、とカトリナは言葉を詰まらせる。

 

 他の部署にはもうその件が広まっているらしく、どうやら自分のこの会社での渾名は「期待の新人」で決まったらしい。

 

 直属の上司だけならまだしも、他部署の自分と同等の新入社員にすらそう揶揄されているのを聞いてしまっているのであまりいい気分はしない。

 

「その……それやめてもらっても……」

 

「ああ、それは悪いね。いやはや、反省しておこう」

 

 エレベーター内が気まずくなるのは防げたが、カトリナはどこか恨めし気に同乗する相手を窺う。

 

「その……こっちに用があるんですか?」

 

「ああ、ベアトリーチェ号に関して書類仕事を進めていてね。フロイト艦長と打ち合わせだ。彼女はあれでもやり手でね。民間軍事企業……いや、語弊があるな。統合機構軍の中では生え抜きのエースなんだ。そっちじゃ死神のフロイト艦長で名が通っている」

 

「し、死神……?」

 

 目を見開いて戦々恐々としていると、爽やかな風貌の上司は笑う。

 

「気にするなって。彼女もあれで色々あったんだ。期待の新人が気にかけるもんじゃない」

 

「そ、そうは言っても……。って言うか、その渾名やめてくださいよぉ……」

 

「分かりやすくっていいと思うがね。わたしはベアトリーチェ号には乗船許可が未だに下りないが、いずれは乗船の許可証をもらうつもりではあるんだ。……そう言えば挨拶が遅れていたね。わたしはヴィルヘルム。有機伝導施術士としてベアトリーチェ号での配備を願っているんだが……現部署とのいざこざがあって、なかなかね」

 

「有機伝導施術士……って事は、私の勉強している資格の?」

 

「おっ、期待の新人も有機伝導施術資格を?」

 

「まだ二級ですけれど……一応は勉強していて。あの、やっぱり難しいんですか? 一級って……」

 

「いや、わたしの持っているのは特級だ。一級よりさらに上。だから難しいなんて次元じゃなかったね」

 

 何でもないように言ってのけるヴィルヘルムに、カトリナは完全に面食らっていたが、彼は何でもない事のように尋ね返す。

 

「有機伝導施術資格は戦闘艦には必ず要る資格だ。期待の新人が取ろうと思っているのは、どうしてだい?」

 

「それは……。って言うか渾名……もうっ。……有機伝導施術、思考拡張の部類の資格はあれば格段に職種の適応範囲が変わってきます。エンデュランス・フラクタルに居るのなら、それは必要だと思いまして」

 

「戦闘艦に乗りたいのかな?」

 

「それは……! そうじゃないですけれど、持っておきたいんです。過去に……ちょっとしたトラウマがありまして……」

 

 濁したこちらにヴィルヘルムは深追いをせず、なるほど、と首肯する。

 

「エンデュランス・フラクタルに長く居たいのなら、確かに持っておいたほうがいい。しかし、二級では話にならないぞ? せめて準一級を取ろうとは思わないのかい?」

 

「言っちゃうとそうなんですけれど……。三級の資格も何回か落ちちゃってて……。ようやく取ったと思ったら、二級前提で話が進んでいるので、早く取らないとって」

 

「それで寝不足というわけかな?」

 

 目元を指差したヴィルヘルムに、カトリナは顔を羞恥に染めて伏せる。

 

「うわっ……やっぱりクマになってます? お化粧で消したのになぁ……」

 

「誤魔化し切れるほど自分が器用だとは思わない事だ、期待の新人。それと、もう一つ。サルトル技術顧問も今日はあまり機嫌がよくない。会わないほうが身のためだと思うが」

 

「そ、そうは言いましても、仕事ですし……」

 

「お茶汲みだろう? まだ仕事とは言っても」

 

 完全に小ばかにしたような論調にカトリナは憮然と言い放つ。

 

「そ、そう言うの……! 今だと問題ですよっ!」

 

「ああ、これはすまないね。あまりに期待の新人が期待通り過ぎてね。ついうっかりしてしまう」

 

 エレベーターは重力ブロックを超えてシースルーの空間区画へと入っていく。

 

 一瞬だけ宇宙の暗がりになるのは未だに慣れない。

 

「……明かりがあるとはいえ、宇宙は怖いかな?」

 

「そ、そりゃあ……! そうですけれど……。でも、戦闘艦、ベアトリーチェ、でしたっけ? 乗り合わせる方ともまだ顔合わせはしていませんし」

 

「わたしとはしたが?」

 

「……ヴィルヘルムさんは乗るかまだ分からないんでしょう? じゃあまだですよ」

 

「手厳しいね」

 

「サルトル技術顧問の機嫌が悪いって言うのは?」

 

「手を焼いているんだ。新しい機体が入って来てね。その初期設定にてんやわんやらしい」

 

「……じゃあ、私が行っても邪魔……?」

 

「いや、見ておいたほうがいいだろう。興味を持てば、絶対に話したがる。サルトルとはそういう男だ。よく知っていてね。これでも同期なんだ」

 

「あっ、だから……」

 

「だから?」

 

「い、いえ……っ、そのー、だからちょっと親しげだったのかなぁ、って……失礼ですよね?」

 

「わたしにとっては失礼でも何でもないが、人は選んだほうがいい」

 

「うぅー……また失敗しそう……」

 

「なに、失敗は明日の糧だ。何事も失敗なくして成功体験に至れた人間のほうが少ないさ。今は散々でも失敗し尽くせばいい。そのうち成功するとも」

 

「……それ、褒めてませんよね?」

 

「分かっているじゃないか」

 

 エレベーターの扉が開き、無重力区画をヴィルヘルムは漂う。

 

「わたしは艦長に用があってね。おっと、さっきの死神とやらは言ってくれるなよ。わたしが言ったとなればとばっちりが怖い」

 

「……じゃあ最初っから言わなければいいじゃないですかぁ」

 

「口さがが過ぎるとは言われている。控えるとも」

 

 微笑んでヴィルヘルムは艦長室への区画を潜っていく。

 

 カトリナは無重力区画をしばし漂っていると下方から声が咲いていた。

 

「そこの! 期待の新人!」

 

 囃し立てる声に、もうっ、とむくれる。

 

「そんな名前の人は知りませんっ!」

 

「怒るなよ、カトリナ嬢。……見えてるぞ?」

 

 ひゃっ、と慌ててスカートを押さえる。

 

「いやー、眼福眼福」

 

「気ぃつけたほうがいいっすよー。ここ、オジサンだらけの職場なんでー。スカート履いてると狙ってくれって言っているようなもんっす」

 

 整備班の中に垣間見えた女性メカニックはこちらに興味もないのか、一瞥だけで応じる。

 

「トーマは女っ気がねぇからつまんねーなぁ」

 

「あーしに女子力とか、マジに無理っしょ」

 

 そう言って整備班が散り散りになっていく。カトリナはまたしても顔が熱を帯びるのを感じてから、サルトルの待つ区画へと足をかけたところで、ふと呼び止められる。

 

「おっ、期待の新人とやらか」

 

「……だから、その名前――」

 

 言い返す前に、無重力区画の上方で整備デッキに備え付けられたMSからこちらに向かってくるのはパイロットスーツを身に纏った男であった。

 

「……パイロットの人……?」

 

「お初にお目にかかる。いや、もしかしたらどこかで見たかな?」

 

「……あのー、ナンパとかは……」

 

「いやはや、失礼。これでも、ベアトリーチェのMS乗りで通っている。ハイデガーと言う。よろしく、期待の新人」

 

 差し出された手に、カトリナはじっと観察の眼を注ぐ。

 

 白い歯に、灰色に近い色彩の髪の毛を後ろで一本にくくっている。少し軽い調子の印象を受けるが、胸元に抱いた階級証に思わず声を詰まらせる。

 

「……少尉相当官……?」

 

「ああ、これかい? 統合機構軍は民間とは言え、一応は軍隊の階級も持たされている。僕はフリーのMS乗りだが、一応は少尉相当官としてのね。これはそういうものだ」

 

「その……っ、失礼を……」

 

「いいさ。何でもない事だ。サルトルさんに会いに?」

 

「あっ、分かっちゃうんだ……」

 

 思わず口にすると、ハイデガーは手招いて廊下のグリップを握り締める。

 

「こっちに来る人間は今日は少なくってね。だから、自ずと絞れてくる。サルトルさんはちょっと神経質になっている。だから会わないほうがいいと思うけれど」

 

「で、でもそういうわけには……上からの指示ですし……」

 

 書類を小脇に抱えると、ハイデガーは肩を竦める。

 

「事務仕事は大変だな。そういう点で言えば、僕は楽な身分だよ。MSに乗って作戦通りに戦えばいい。まぁ、特に今日の案件はサルトルさんが元々抱えていた中でも特別に面倒くさいらしくってね。僕も全くの門外漢じゃないんだ。だから、こうして君を先導しているってわけ」

 

 その論調にカトリナは頬を掻く。

 

「そのー……サルトル技術顧問の困り事って言うのは……」

 

「このエアロックの向こうにあるさ」

 

 ハイデガーはカードキーを通してから、数種類のパスワードを入れてエアロックを解除する。

 

「サルトルさん。お客だよ」

 

「こ、こんにちはー……」

 

 周囲を見渡すがサルトルの姿は見受けられない。それどころか、一面が真っ暗だ。

 

「あの……何もないんですか?」

 

「まぁ、こっちへ。手はしっかり繋いで。離れないように」

 

 何だか馬鹿にされているような気もするが、カトリナはハイデガーの手を取って上方へと続くタラップを上っていく。

 

 サルトルはタラップを上り切った先の廊下で作業をしていた。

 

「サルトルさん。お客。聞こえてたろ?」

 

「ああ、ハイデガー少尉か。こっちも入力作業がようやくひと段落したところ……って何だ。期待の新人じゃないか」

 

「わ、私にはカトリナ・シンジョウって言う名前が……!」

 

「分かってるって。カトリナ女史」

 

 たしなめたサルトルの口調にも気安いものが読み取れて、カトリナはむっとしてしまう。

 

「……で、何のお仕事を?」

 

「ああ、こいつ――さっ!」

 

 重々しい投光器の音と共に光を浴びたのは、鋼鉄の人型兵器であった。

 

 白を基調としたトリコロールカラーのMSである。

 

 複雑に折れ曲がったアンテナ部位を有し、その眼光は鋭い。

 

 歴戦の鎧武者を想起させる眼窩はしかし今は沈黙の只中であった。

 

「……これって……」

 

「ここ三日くらい、こっちの頭を悩ませている案件だよ。史上初の、民間企業の建造したモビルスーツとなる。コードネームは《レヴォル》。《レヴォル》だ」

 

「《レヴォル》……」

 

 魅せられたように口にしていると、ハイデガーが頷く。

 

「僕の乗機になる予定なんだ。東洋に言い伝わるサムライみたいで強そうだろ、こいつ」

 

「は、はぁ……」

 

「何だよ。意外にMSには興味ナシか?」

 

「い、いえっ……! 一応は一通りの勉強はしてきましたけれど……現状のMS運用って基本的には二種類ですよね? 《エクエス》と《マギア》って言う……」

 

「ああ、それなりに勉強はしているじゃないか。その通り。月のダレトが開いてからと言うもの、戦争の技術は大きく移り変わった。その中で、生き残るために人類は大きな選択肢を何回か迫られる事になった。転換期にあったMSは第四種殲滅戦において二種類にまで絞られ、そして運用されている。元々、旧連邦陣営の量産着手に入っていた軍用機、《エクエス》。それともう一つ、新たな時代の幕開けとなる来英歴287年建造の新型機、《マギア》」

 

「だがこいつは《マギア》とも、ましてや《エクエス》とも違う。《レヴォル》はカタログスペックだけでも別格なんだ。こいつの積んでるAIブレイン――通称アイリウムシステムはまるで他のと違うんだぞ」

 

 カトリナはこちらを睥睨する《レヴォル》と目線を合わせる。

 

「アイリウム……って、あれですよね。育成型のAIシステムの愛称で、正式名称はAIブレインって……」

 

「AIを育てるっていう点ではな、観葉植物やアクアリウムと似たようなもんだからそう名付けられたんだ。乗り込むパイロットごとに特色が出る。だが、《レヴォル》のアイリウムは――」

 

「サルトルさん、喋り過ぎだよ。カトリナさんが困ってる」

 

「おっと、こいつは悪い。ついついメカニックの事になると熱が入っちまってな。期待の新人も引いちまったか?」

 

「あ、いえ……でもこのMS、異質で……」

 

「射竦められたかい? 無理もない、《レヴォル》の性能を見ればもっとだ」

 

 どこか自慢げなハイデガーに対し、カトリナは何だか、その眼光に気圧されたように自ずと後ずさりしていた。

 

「……でも民間機って……」

 

「造っちゃ駄目だとは言われていないが、誰も造ろうとはしなかった。何せ、コストが段違いなんだ。それに、運用元となれば、色々と面倒な処理が競合してしまってね。それもあって、《レヴォル》のお披露目はまだ先になりそうなんだが……せっかくだ。カトリナ女史、見学でもしていくか?」

 

「いいんですか?」

 

「その書類、こっちのだろ? それを観ながらでも仕事は出来る」

 

 見抜かれて、カトリナは愛想笑いで書類を手渡す。

 

 サルトルに導かれて二人は《レヴォル》を後ろから眺める形となる管理ブロックに入っていた。

 

「こちら、サルトル技術顧問。コードネーム、《レヴォル》の試験運用第一号を行う。アステロイドジェネレーター、電荷」

 

 無数のインジケーターをサルトルが一人でさばいて処理し、《レヴォル》は整備用のブリッジを排され、次々と整備ボルトから自由になっていく。

 

 四肢を射抜く形の整備ボルトは《レヴォル》と言う力の安全なる運用のための代物に映っていた。

 

「……まるで拘束するみたいに……」

 

「間違っちゃいないな。先にもあった通り《レヴォル》には特殊なシステムを積んであるんだ。それがどうにかなっちゃうと困るから、こいつは特別警備が固い。今の今まで、サルトルさん以外、誰も触れなかった特別なMSなんだ」

 

「アステロイドジェネレーター、起動臨界点に到達。続いて四肢伝導液への処置に入る。ミラーヘッドジェル、注入開始」

 

 注射型の機器がそれぞれ、四肢から注入され、《レヴォル》の透過素材の中を蒼く埋めていく。

 

「……ミラーヘッド。この機体も、ミラーヘッド標準装備なんだ……」

 

「おっ、カトリナ女史もミラーヘッドシステムくらいは知ってるか?」

 

 サルトルの言い回しに、カトリナは心底不愉快だと言うように頬をむくれさせる。

 

「……怒りますよ?」

 

「いやはや、悪い悪い! からかいたくなって仕方ないな、君は」

 

「……第四種殲滅戦を知っているのにミラーヘッドの知識がないわけないじゃないですか」

 

「それもそうだ。だが《レヴォル》はミラーヘッドも他とは違っていてな。こいつは――」

 

 そこまでサルトルが言いやったところで、不意に管理ブロックにけたたましいブザー音と共に周囲が警戒色に塗り固められる。

 

 これも演出か、とカトリナはサルトルに視線をやる。

 

「もうっ、サルトル技術顧問、これって私を脅かすためでしょう? 大げさすぎ――」

 

「……いや、待て。どうしてだ? こっちのシグナルを受け付けない。《レヴォル》の管理OSが……こっちの伝令を無視して……」

 

 サルトルの焦りようも演技ならば相当に演技派である。

 

「だからぁー、そんな風にして私の反応を見ようとしたって……」

 

「そんなはずが……。ハイデガー少尉! 急いで《レヴォル》に搭乗、出来るか?」

 

 焦燥感に駆られたサルトルの凄味がかった表情にハイデガーは無言で頷いてヘルメットを被っていた。

 

 バイザーが下ろされてから、彼は備え付けのノーマルスーツを自分とサルトルに寄越す。

 

「これを着て。早く」

 

「あのー……私を脅かしたって、何も出ませんよ? そんなまさか、試験機の運用実験中に事故なんて、起こるはずが――」

 

「こちらサルトル技術顧問! 第七格納デッキの権限を全て、管理ブロックに一任してくれ!」

 

 平時には想像もつかないほどの怒声に、同じくらいの怒声が返ってくる。

 

『駄目です! 接続断線! 管理権限が全て、《レヴォル》に奪われていきます! アイリウム、観測不可領域!』

 

「……冗談、ですよね?」

 

「……これが冗談に見えるか?」

 

 サルトルがノーマルスーツを着込んで気密を確かめたその段になって、これがショウでも何でもない事を今さらに理解させられたカトリナは慌ててノーマルスーツを手繰り寄せようとして、衝撃波を感じ取る。

 

『緊急カタパルトデッキに《レヴォル》、移行! 上位権限で出撃シークエンスが練られていきます……。《レヴォル》、完全に出撃体勢に入って……!』

 

 絶句した様子の整備班の声に、サルトルは虚を突かれたように呟いていた。

 

「まさか……これが内蔵型アイリウム、レヴォルインターセプト――レヴォルの意志が目覚めたのか。あいつを探すために……」

 

「あいつ……?」

 

 カトリナが疑問符を挟みながら慣れないノーマルスーツを着込もうとして、視界の中の《レヴォル》が拘束具を次々に解除していく。

 

 スリッパ型の固定器具でさえも捨て去って推進剤を焚いていた。

 

『《レヴォル》、可変駆動ロックを自ら解除! 駄目です! 完全に制御不能!』

 

 悲鳴のような声が劈いたその瞬間、脚部を格納し、頭部が扁平な装甲の中に沈んでいく。

 

 ゆっくりと、それでいて確実にしてその四肢が収納され、人型形態から異形への可変を果たした《レヴォル》は最早、別次元の存在であった。

 

「……あの形……何……」

 

「危ない! 目に焼き付くぞ! 直接見ちゃ駄目だ!」

 

 サルトルが自らの身体でカトリナを覆ってその眩惑から守る。

 

 次の瞬間には先ほどの衝撃波を超える音叉と振動が響き渡り、カトリナは慌てて管理ブロックの強化ガラス越しの景色を見やる。

 

 そこには、もう形を変えた《レヴォル》の姿は影も形もなかった。虚ろな宇宙空間に続く扉だけがただ茫漠とした闇を湛えて貫かれていた。

 

「……整備班へ。《レヴォル》は……」

 

『《レヴォル》、位置情報をロスト。長距離移動のために可変形態へと移行したのを最終シグナルで確認。レヴォルインターセプトの次のシグナルが開かない限りは……』

 

「位置も掴めないってわけか。カトリナ女史、目は?」

 

「あ、はい……大丈夫。でも、ハイデガー少尉は……」

 

「ハイデガー少尉。生きてますか?」

 

『……何とかな。コックピットに入る前に出撃しちまった……。まるで暴れ馬だ』

 

「それは分かっていたはず。《レヴォル》を乗りこなすのには半端な覚悟じゃいけない。……にしても想定よりもかなり早いぞ……。受信した脳波パターンを確認! レヴォルの意志を辿って位置情報を割り出す!」

 

 サルトルの号令に整備班より返答が来る。それをカトリナは呆然と見つめていた。

 

「……どうした? 急なトラブルにやられたか?」

 

「いえ……そのぉ……。これって思った以上に」

 

「ああ、想定の何十倍もマズイ」

 

 青ざめていくカトリナにサルトルは通信域を繋がせる。

 

「立てるか? 無理もない。あれは完全にこちらの想像を凌駕した。もう見出したんだろう。この宙域からは遠く離れているはずだが、奴を……」

 

「その、奴とか、あいつって言うのは……?」

 

 カトリナの問いに応じずにサルトルはレミアの通信を繋いでいた。

 

「艦長。少しマズイ事になってしまった。事によってはベアトリーチェの出港を早める形になるかもしれない」

 

『サルトル技術顧問。その責任は無論、理解して?』

 

 一拍の逡巡の後に、サルトルは頷く。

 

「ああ……責任は取る。だが、もし……《レヴォル》がその主を見据えていた場合、我々は然るべき処置に入らなければならない。その時には……」

 

『分かっているわよ。……ねぇ、こんな言葉を知ってる? 過ぎたるは猶及ばざるが如し……《レヴォル》に関して言えば、私達はともすれば禁断の扉を開いてしまったのかもしれない。その責を負うべきはあなただけじゃないわ。ベアトリーチェを管轄する私の責任でもある。そこに居るわね、カトリナさん』

 

「あ、はいっ! ……何か……?」

 

『これからあなたには委任担当官になっていただきます。想定していたのはもっと先だけれど、《レヴォル》がそれを見出したのならば、管轄窓はさっさと開いておくに限る』

 

「委任担当官……、それって何をすれば?」

 

 レミアは通信越しでも艶めいたため息を漏らし、そして言い放っていた。

 

『何て事はない――戦うためだけの職務よ』

 

 



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第7話「叛逆の瞳」

「アルベルト、またここに居たんだ。今日のナンバーはいつものレトロ?」

 

 アルベルトは音楽を聴きつつ、こちらへと目配せする。

 

「おお、クラードか。どうした?」

 

「どうしたはこっちの台詞だよ。昨日、途中から居なくなったろ? 探したんだ」

 

「そいつぁ、悪かったな。……ちょっと一人になりたくってな」

 

 アルベルトの深い紺碧の瞳が伏せられる。クラードはそれとは対照的な赤い瞳で問いかけていた。

 

「……何かあった?」

 

「いんや、何も……」

 

「隠すの下手過ぎるんだよ。何かあったんだろ。言ってくれ」

 

 詰問の声音になったのを察してか、アルベルトは言葉を漏らす。

 

「なぁ、クラード。何でみんな、幸せになる手段ってないんだろうな。ハッピーエンドが流れりゃ、映画なら誰だって満足する。そのはずだ。だってのに……リアルじゃ難し過ぎて、オレにはどうすりゃいいのか、分かんなくなっちまった」

 

「そんなの、簡単な答えでしょ。幸福なんてない。不幸だけが世の中では分配され、そしてみんながその切り分けられた不幸の中で、マシな不幸を取り合っている。そういうもんだと、俺は思うけれど。ハッピーエンドだってそうだ。世の中、みんながハッピーなら、戦争なんてないし、MSも要らないし、銃も必要ない。何なら、人類そのものが、もしかするとハッピーエンドには邪魔な、ボトルネックなのかもしれない」

 

「ヒトと言う存在そのものがハッピーエンドには不向き、か。クラード、お前の論説、いつも何て言うか、達観してるよ。……オレとは違う」

 

「何も違わない、とは思うけれど。ただアルベルトが違うと思うのなら、違うのかもね」

 

「……あの娘は? 確かファムとか名乗っていたか」

 

「今、凱空龍のみんなが歌を教えている。上手いんだ、歌うの」

 

「へぇ……拾い物にも福があるといいな」

 

「どうだろうね。そろそろ……始まるのかもしれないし」

 

 アルベルトが問い返す前に、激震が喫茶店を揺さぶる。まさか、とアルベルトは目を見開き、立ち上がってこちらを信じられない眼差しで見据える。

 

「……知っていたのか?」

 

「アルベルトの言う話とは違うかもしれないけれど、ファムを拾いに来た連中が来るのは何となく。ピリついた殺気が今朝から漂っている。――トライアウトだ」

 

 こちらの返答にアルベルトは奥歯を噛み締めて叫ぶ。

 

「軍警察だと……! させねぇ! クラード! 《マギアハーモニクス》を!」

 

「もう呼んでるよ」

 

 地下の喫茶店から上がった先に、クラードの愛機と自分の乗機が並んでいる。

 

 アルベルトはクラードの肩を叩き、分かっているな、と声に含みを持たせる。

 

「……トライアウトとやり合うのは他のならず者連中とはまるで違う。奴ら、統制されてるんだ。オレらの戦略が何も通用しないと思え」

 

「言われるまでもないけれど、ね。常に試練は前より来る、後ろより来るのは過去だけだ」

 

「それは誰の言葉なんだ、って聞いている暇ぁ、ねぇか!」

 

 クラードは《マギア》に乗り込むなり、操縦桿を握り締め、指先に回路の淡い光の血脈を宿らせる。

 

 すると自分用に最適化された視野が広がり、操縦桿を握っているというローテクな動きから、そのまま神経を直結させられる感覚へと移行する。

 

「俺はマニュアルからライドマトリクサーの使用に入る。いつものごたごたとは違うから、ちょっと繊細なモードになる」

 

『……感謝するぜ。クラード、だが墜とされるなよ。相手は見誤っても軍警察……多分だが、ミラーヘッドの令状持ちだ。こっちのミラーヘッドは令状の前じゃ掻き消されちまう』

 

「そんなの分かり切ってる。アルベルトこそ、ミラーヘッドジェルは入れておいたから、もしもの時には頼むよ」

 

『……そのもしもにならない事を祈るばかりだぜ……。《マギアハーモニクス》! アルベルト、出るぞ!』

 

 飛翔したアルベルトの赤紫の《マギアハーモニクス》に合わせて、クラードは自身の《マギア》を稼働させていた。

 

「……クラード。《マギア》、先行する」

 

 出撃したその時には、既に敵部隊がコロニーの上層から攻めて来ていた。

 

 配備されているのは型落ちと呼ばれている《エクエス》だが、どれもが濃紺のカラーリングを誇っている。

 

 ――濃紺の《エクエス》は軍警察の証。

 

 他の大多数の《エクエス》とはまるで異なった動きをするのが特徴だ。

 

 肩口を背部に格納し、強襲形態を取った《エクエス》が静かに可変し、その眼窩を収縮させていた。

 

 空間戦闘に順応している様子の《エクエス》編隊が凱空龍の拠点へと雪崩のように迫ってくる。

 

 おっとり刀で凱空龍の仲間達が対応するが、MSの稼働前に撃墜され、それぞれが照準器を合わせる前にコックピットを撃ち抜かれてしまう。

 

『散れ、散れーッ! 相手はトライアウトだ! 普通の戦術は通用しない!』

 

 そう言って面子の陣営を整えようとしているのはトキサダだ。彼は《マギア》で立ち回り、《エクエス》編隊に対してビームライフルによる応戦を行っているが、どれもこれもが簡単に回避されてしまう。

 

『……野郎! まるでライドマトリクサーかよ!』

 

 焼き付いたトキサダの悔恨にアルベルトがヘッドとしての声を振り向ける。

 

『今は下がれ! トキサダ! オレとクラードが道を作る! その間に、非戦闘員と、腕に自信がない奴は退去しろ! でなければ喰われるぞ!』

 

『ヘッド……悪い、じゃあ前は任せるが……死ぬなよ』

 

『……ったく、誰に言ってやがる。クラード! やれるな?』

 

「そっちも誰に言ってるのさ。俺達は最高のチームだろう」

 

 クラードは瞬間的に敵影の次手を読んで速射ビームスプレーガンで動きを鈍らせる。

 

 その隙を突いてアルベルトはビームサーベルを抜刀し、敵の《エクエス》を両断していた。

 

『勢いづくと、呑まれるぞ! 相手の波に逆らうな! 上手く敵のやり口に合わせて――』

 

『ヘッド! 俺達の天使が……ファムがまだ拠点から逃げ切れていないんだ!』

 

 そう言って接触回線を試みてきた仲間の《マギア》が直近で爆ぜる。

 

 敵のビーム兵器の直撃を食らった《マギア》が焼け落ちるのをアルベルトは至近で目にしたのだ。

 

 ――動揺、硬直し、動けなくなる。

 

 それは予見出来たために、クラードは相手の軌道に回り込んでヒートナイフを抜き放つ。

 

 敵のビームサーベルを間際で受けてから火花の散る全天候モニターを仰ぎ見て、袖口に仕込んだバルカンを稼働させる。

 

 バルカンの薬きょうが跳ね、《エクエス》のメインカメラを潰していた。

 

『……クラード。昨日の娘が、まだ……』

 

「言わんとしている事は分かる。助けに行くからアルベルトはここで耐久を頼んだ」

 

『お、おう……。クラード……二人とも無事を祈っている』

 

「いつものアルベルトらしくないじゃないか。そんなの、問い質すまでもないだろう、俺達なら」

 

 クラードは《マギア》に加速をかけさせて拠点へと一直線に向かう。

 

 既に拠点に辿り着いていた《エクエス》へと肩口から体当たりして、《マギア》の内部フレームが軋んだのを感じていた。

 

《マギア》は《エクエス》に比べれば装甲はないも同然。

 

 同じ質量でぶつかり合えば《エクエス》に分がある。

 

 即座に銃口を向けて来た《エクエス》に、クラードはナイフを逆手に握らせて敵のビームライフルの銃身を狙い澄ましていた。

 

 読み通り、弾倉に引火したヒートナイフが炸裂し、敵が銃を取り落とすのと、クラードが《マギア》の腕を突き出し、ゼロ距離で袖口のバルカン砲を叩き込んだのは同時であった。

 

 敵のコックピットブロックが焼け焦げ、大穴を穿つ。

 

 よろめいた《エクエス》を押し飛ばしたその視界の中に、クラードはファムを発見していた。

 

『……クラード……ミュイ……こわいよ……』

 

「ああ、心配しなくっていい。敵の陣営はこっちに向かっては来てない。なら、まだ対処の方法は――」

 

 そこまで口にしてから、クラードは不意に首裏の皮膚が粟立ったのを感じていた。

 

 神経を引っぺがされるかのような悪寒に、習い性の機体を滑らせ、ファムをそのマニピュレーターで保護する。

 

 瞬間的に放射されたのは幾重もの火線を描いたビームの光芒であった。

 

 拠点を撃ち抜き、直後には紅蓮の業火に包ませている。

 

 振り仰いだ先に蒼い残像を纏った《エクエス》が居並んでいた。

 

 ――否、居並んでいるのではない。

 

 それらはたった一機の分身体――ミラーヘッドシステムの産物だ。

 

『そこまでだな! ならず者連中め! この軍警察のエリート! ガヴィリア・ローデンシュタインを前にして、型落ち《マギア》で対抗とは片腹も痛いところ! ここで墜ちろ! Fランクコロニーのウジ虫共が!』

 

「……誰が」

 

《マギア》を後退させるが、敵のミラーヘッドの誇る分身体は遥かに素早い。

 

 まるでそれそのものを波のように使う。

 

 分身体が横合いから近接武装で攻め立ててくるのを、クラードは片手に握らせたヒートナイフでさばいていたが、それでも手数には限界があるもの。

 

 ヒートナイフを持つ腕ごと寸断され、それでも、と推進剤を焚いて逃げに徹するが、今度は上方から一気に降下してきた分身体に阻まれ、逃げ場をなくしたクラードは《マギア》に分身体を蹴りつけさせるが、その蹴りを相手は受け流してカウンターの銃撃網を浴びせてくる。

 

 ファムの悲鳴が劈く中で、クラードは次第にレッドゾーンにまで追い込まれていく自身の機体を感じていた。

 

 じりじりと、この戦場がどん底になっていくのを体感する。

 

 他の仲間達も逃れた様子はない。

 

 ほとんどが軍警察に捕縛されたか、あるいは銃殺刑に処される。

 

 殲滅戦の心構えだ。敵にこちらを逃すような余裕はない。

 

 当然、打てる手はすべて打ってあるはずだろう。

 

 濃紺の《エクエス》の中でも、わざわざ頭部に冠のような意匠を施された隊長機が、分身体を手繰ってクラードの《マギア》へと、それそのものが圧倒的な暴力としか言いようのないミラーヘッドの威圧を発揮する。

 

 一機一機が、本体と同等の性能を誇るミラーヘッドの荒波に飲まれ、クラードの《マギア》は半壊していた。

 

 ファムを何とか守り切っているが、それも奇跡的なレベルだ。

 

 被弾箇所は八十パーセントを超え、警戒アラートが鳴り響いている。

 

「……このままじゃ、いずれにせよ撃墜か」

 

『賢い判断を乞う、ならず者なりの、な。生きたければ、そのパッケージを渡せ。そうでなければ――戦争だ。お前達は地を這いつくばって死ぬ。決定事項なのでな。今さら覆せまい』

 

「……戦争、か。狭い世界で生きているんだな」

 

『その狭い世界に集約されるのが、我々なのだよ、ウジ虫め。害虫駆除は面倒だが、同時に楽しい。こうしてミラーヘッドの、我々の手塩にかけて育成したアイリウムの統合能力を存分に振るう事が出来る! 貴様らのような底辺相手にな!』

 

「……それはご高説をどうも」

 

 蒼い分身体が奔り《マギア》の肩部装甲を引き剥がす。

 

 それと同期して、マニピュレーターから力が失せ、ファムが眼を大きく開いて自分の手から離れていく。

 

 ――裏切り、離別、信じていたのに――あらゆる感情がない交ぜになったその眼差しにクラードは手を伸ばしかけて、ぎゅっと拳を握る。

 

「……これじゃ、駄目だ。《マギア》とこいつのアイリウムじゃ、俺はまた……」

 

『引き渡し感謝する! それではさらばだ! ウジ虫連中よ! 我がミラーヘッドの前に塵芥と化せ!』

 

 ファムを随伴機が受け止め、隊長機のミラーヘッドが全力で叩き込まれる。

 

 その瞬間、クラードは割れた地平を目にしていた。

 

 コロニーの大地が引き裂かれ、そこから取りこぼされてただ宇宙の常闇へと堕ちていく。

 

 それはどこまでも続く奈落への墜落。

 

 必死に手を伸ばそうにも、《マギア》の両手はもう存在しない。

 

 ひび割れたコックピットブロックより、「無酸素状態注意」「減圧」などのアラートを聞きながら、クラードは「取り繕い」を排除して呟いていた。

 

「……ああ、そうさ、幸運なんてない。ハッピーエンドは誰にとっても都合のいい幸せなんかじゃない。俺に与えられたのは、それに相応しいバッドエンドだけだ。――だったら、バッドエンドの中で抗ってみせる。生き意地汚くってもいい。俺は、俺自身の運命に――叛逆する……!」

 

 ――瞬間、世界全てが「裏返る」。

 

 その言葉を紡いだ瞬間、高熱源を探知した《マギア》と同期した視界を振り向ける。

 

 宇宙の深淵を貫き、青い推進剤の尾を引いて、白い戦闘機が相対距離を合わせて来ていた。

 

 その全体像は甲殻類の一種にも映る。

 

 鋭角的なシルエットを誇るその機影は、真っ直ぐにこちらへと向かってきていた。

 

「戦闘機(コアファイター)だと? 一体どこの……」

 

 こちらからのシグナルを無視して、白い戦闘機は《マギア》の能力をハッキングし、鏡合わせのように相対して無音の宇宙でコックピットブロックを開く。

 

 その行動に導かれるようにして、クラードは《マギア》のコックピットブロックのハッチを空気圧縮で飛ばしていた。

 

 暫し、無音を漂った後に、白い戦闘機のコックピットへと流れてその背中がリニアシートへと吸い寄せられる。

 

 座り込んだ瞬間に気密は保たれ、クラードは様々なシステムを擁する謎の機体の胎の中で、下部より引き出された特殊な操縦桿を目にしていた。

 

 接続部が剥き出しになっており、まるで何かの接合を当初より想定されているかのようだ。

 

 メインディスプレイに無数の文字列が浮かんだ後に、一つの名称が紡ぎ出されていた。

 

 ――「REVOL」と。

 

「……《レヴォル》。そうか、お前……形はあの時とは違うが、《レヴォル》なんだな? ……俺を迎えに来たのか。なら……俺は応じなければならない。運命に抗う、叛逆の徒として」

 

 クラードはゆっくりと、操縦桿に手を伸ばす。

 

 すると、腕に刻印されたモールドが点滅し、次の瞬間には、腕が肘口まで展開、可変し、操縦桿に代わる腕を接合部に翳す。まるで招かれるようにして、接続が果たされ、クラードは脳内に叩き込まれる膨大な情報にめまいを起こす。

 

 疼痛が未だに収まらない中で、クラードはメインディスプレイを睨み据えていた。

 

 その瞳は、ただの赤色から光を帯びた深紅に変わっている。

 

 ――ああ、そうさ。もう「取り繕い」のクラードは――要らないな。

 

 そう断じた直後には、全ての「取り繕い」は意識の向こう側へと排除し、何もかもを消し去る「己」を剥き出しにする。

 

「――目標をロック。全てのインジケーターをクリア。武装を承認。ミラーヘッドの適合率は七割以上。よってこれより、エージェント、クラードは《レヴォル》による敵兵の殲滅を行う」

 

 引き裂かれた大地を縫ってファムを奪った《エクエス》が追跡してくる。

 

 恐らくは確実に仕留めるためだろう。

 

 その銃口が据えられた、刹那――。

 

 クラードはその紅色の眼光を敵に向ける。

 

 瞬間――戦闘機形態が弾けていた。

 

 現出した腕が《エクエス》の頭部を打ち据える。

 

『戦闘機に……腕……!』

 

 驚愕の声が響き渡ると同時に、《レヴォル》は機体を百八十度展開させていた。

 

 脚部が引き出され、全身の装甲が波打ち、段階的に機体シルエットを形成していく。

 

 変形完了までおよそ三秒――その間、全ての照合結果が、この機体が《レヴォル》である事を指し示す。

 

『専用アイリウム、レヴォル・インターセプト・リーディング正常稼働、光彩認証、静脈認証、生態パターン、意識レベルを含むメンタルバランスオールクリア――反証開始。ヒューマニズムコミュニケートサーキットを始動。発声言語を解読。25セコンド後に出力可能です。概要伝達及び認識における全ての対応を認証ユーザー、ライドマトリクサーに一任します。193日ぶりの帰還、お待ちしておりました。専任ユーザー、クラード』

 

 コックピットで響き渡った声に、クラードは応じる。

 

「ああ、また会うとは……こんな形だとは思っていなかったがな。……《レヴォル》、声紋パスコード認証開始。RGD-003、IFF。飛んでE-54123-560G-XNNF。最終認証サインは、コールサイン “マヌエル”」

 

《レヴォル》のコンソール上で蒼白い輝きがまるで鼓動のように揺れ、こちらのパスコードを反復する。

 

『発声言語を解読、声紋認証完了……最終セキュリティラインをクリア。“マヌエル”を照合、反証完了。言語相関図を受諾。コミュニケートモードへと移行。“久しぶりだな、クラード。調子はどうだ?”」

 

「減らず口、叩いている時間もなさそうなんだ、《レヴォル》。コミュニケート言語パターンを30セコンド後には戦闘形態に移行する。いいや、そんな時間もないかもな」

 

『“それは穏やかではないな”』

 

「コアファイター形態からスタンディングモードに可変、やれるな?」

 

『“誰に言っている? 既に利害関係は一致している。それでは不満か?”』

 

 この土壇場でどこか浮ついたような返答にクラードは静かに笑みを刻む。

 

「……それ、攻撃開始時には消しておいて。余計な事を考えると、久しぶりのお前に振り落とされてしまう」

 

『“承認した。しかし何故――笑っている?”』

 

 そう問われてクラードは己の口元に張り付いた笑みをようやく意識する。

 

「……ああ、不合理でも、人間は笑えて来るもんなんだ。俺も散々“取り繕って”きて、ここで初めて知ったよ」

 

『“そうか、今後の対応に備えて学習しよう”』

 

「いや、学習の必要はない。俺が無自覚だっただけだ。それにもう……“取り繕い”の必要は、ないみたいなんだ。お前の知っている俺でいい。合わせるぞ」

 

『“了解した。最後にメッセージを受諾。優位性とは判断材料であり、新たな確率への架け橋である”』

 

「……何それ。誰の言葉?」

 

『“引用不明。記憶の中にある、言語の連なりだ。そこに意味を見出すのが人間だろう、と”。――レヴォル・インターセプト・リーディング、戦闘形態へと移行。全兵装ロックを解放。権限を専任ユーザーに委譲します』

 

「お喋りの時間は終わりか。……ああ、そうだとも。――俺は、戦う。戦うためだけの、エージェント、クラードだ」

 

『対抗勢力を認識。《エクエス》特殊改修機、軍警察、トライアウト所属です。改めて専任ユーザーへの認証を保留。本機における戦闘行為の是非を問います』

 

 アイドリングモードに入った《レヴォル》の識別シグナルに、クラードは脳髄に突き刺さった電流の感触をそのままに言葉にする。

 

 昂揚する感情。激動する鼓動。

 

 そして――揺れ動く深紅の眼差し。

 

 それは戦火の紅蓮の色彩を得て、撃つべき敵を見据える。

 

「ゲインをぶち上げろ。……一気に仕留めるぞ……!」

 

『武装承認。照準開始。殲滅戦闘へと移行します』

 

 敵機を照準する。

 

 それと同期して、《レヴォル》の蒼いメインカメラが敵MSを睥睨し、直後、空間を突き抜けたとしか思えない速度で《レヴォル》は《エクエス》の眼前に立ち現れていた。

 

『な、何を! このMSの速さは――!』

 

「――墜ちろ」

 

《レヴォル》の掌がそのまま《エクエス》の機体に触れる。

 

 その次の瞬間には、《エクエス》は全身を穿たれ、装甲から黒煙を棚引かせて戦闘不能に陥っていた。

 

『こちらオスカー3! オスカー4が撃墜……いいや、粉砕された! 隊長! あれは一体……!』

 

 オープン回線に滲む不明瞭なものへの畏怖。それらを引き受けて、白煙を切り裂き、現れたのは、まるで――。

 

『まさか……我々の統制に対抗出来る戦力など、奴らには……!』

 

『警告! 所属不明機! それ以上、近づくのならば攻撃し……』

 

 その声を遮ったのは射抜くようなツインアイの眼差し。

純度の高い、《レヴォル》の殺意に敵機が中てられる。

 

 大破した《エクエス》を突き飛ばし、クラードと《レヴォル》は、ファムを奪った敵の隊長機を睨み上げていた。

 

「……座興はここまで。幕切れの時は来た。さぁ、俺達のカーテンコールと行こうか」

 

 ――それは叛逆の始まり。

 

 

 

 

 

第一章「叛逆前夜〈ナイトビフォア・レヴォル〉」 了

 



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第二章「青春の日々にサヨナラを〈グッバイ・ユースフルデイズ〉」
第8話「それは眩き流星」


 閉じていた意識を緩やかに覚醒に導かれ、ぼうとした視界の中でそれを見据える。

 

 黒スーツの男達が周囲に佇んでおり、彼らは拘束椅子に座らされた自分と、そしてその眼前にある蒼いモニュメントを擁するアタッシュケースを交互に観察していた。

 

『脈拍70、意識レベルはノーマル』

 

 ガイド音声が滅菌されたような白い個室に響き渡る。

 

 どうやら自分は自由を奪われた上に、全身をモニターされているらしい。

 

 アタッシュケースより屹立したモニュメントがこちらを見返している。

 

 ――そう、全く確証の外であったが、その物質は自分を確かに見ているのだ。

 

 値踏みするかのような眼差しを、不明なる機械のモニュメントより感じ取る。

 

「PE037」

 

 その呼称は戦闘時の自分の固有名称だ。顔を上げて、モニュメントの脇に立つ男へと視線を配る。

 

「……何だよ」

 

「君は第七管区にて、ミラーヘッドの殲滅戦に巻き込まれた。その際、部隊は全滅。君が搭乗していた《エクエス》も大破。その結果、生き残ったのは君だけだ」

 

「……だから何だって……」

 

「第四種殲滅戦において、生き残りを我々は評価したい。それがたとえ偶然の産物だとしても」

 

 自分の側に立つ男達が後ろ手に拘束されている自分の腕を引っ掴む。

 

 神経を引っぺがされるかのような激痛に顔をしかめた自分に、吐き捨てるかのような声。

 

「ライドマトリクサーか。しかし、ナノマシン施術――神経伝導に思考拡張……それだけでは足りないはずだ。我が社で君を買い叩こう。その代わり君には我が社の所有物となっていただく」

 

「所有物……? 俺の新しい雇い主だとでも言いたいのか」

 

「雇うと言うのは値しないな。君の生き死にの権限は全て、我が方が持っている。いずれにしたところで、PE037は最早死亡扱いなのだ。君に、帰るべき場所はない」

 

 別段悲しかったわけでも、寂しかったわけでもない。

 

 ただ死に場所くらいは選びたかったという程度だ。

 

「……そうか。俺はもう身勝手に死ぬ事も出来ないと?」

 

「残念ながらね。ミラーヘッドの戦線で生き延びたんだ。その生命力は誇っていい」

 

「生き意地が汚いの間違いだろうに」

 

「それもまた、正しい」

 

 男はアタッシュケースのモニュメントに視線を配る。

 

 モニュメントはちょうど眼底検査のような形状をしていて、真横にはバイタルデータの波形が絶えずモニターされる。

 

「……それは何だ?」

 

「ああ、これかね? 今、君を覚えてもらっているんだよ」

 

「覚えてもらっている……? ただの機械にしか見えない」

 

「今はそうだろう。だが、果たすべき責務が果たされる時に、この物体――《レヴォル》は君の助けになる。そのはずだ」

 

「……《レヴォル》」

 

『脈拍85。意識レベルノーマル』

 

 ガイド音声が鳴り響く中で、自分は《レヴォル》と呼ばれた機器と向かい合う。

 

 それは恐らく、運命の始まりだったのであろう。

 

「PE037、君には我が社の特殊エージェントとして登録してもらう。名前はもう決まっていてね。前任の席が空いたのでその名前を使ってもらう。君は今日から――クラードだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……クラード、クラード……!』

 

 ファムの声がノイズ交じりの通信チャンネルより漏れ聞こえる。

 

 接合された可変腕より伝わる振動。電磁の周波数が脳髄にキンと鋭く突き立って来る。

 

 今の今まで使ってこなかったライドマトリクサーとしての手段――それを用いて四肢を広げた白亜のMSが敵を見据える。

 

『隊長! あのMSは……!』

 

 うろたえ気味の《エクエス》へとクラードはすぐさま接近させ、肉薄と共に一撃を与えていた。

 

《エクエス》は腹腔を穿たれ、そのまま崩れ落ちる。

 

 王冠の形状を持つ隊長機へと同期した視界を振り向けたクラードは、《レヴォル》の鋭い爪を軋らせて、突き刺した装甲板の欠片を払っている。

 

「……幕切れの時は来た。さぁ、俺達のカーテンコールと行こうか」

 

『何だ……お前は……何なのだ!』

 

 隊長機が恐慌に駆られたようにミラーヘッドの分身体が一斉に編隊を構築し、それら分身体の一斉掃射が放たれ、蜂の巣にしていた。

 

《マギア》ならば回避すら困難であろう硝煙の塊――だが《レヴォル》は獄炎に対して鋭い眼差しを投げ、ミシリと指先を軋らせて《エクエス》隊長機へと肉薄をせしめた。

 

 下段より鋭く手刀の一閃。

 

 その腕を引き裂き、抱えられていたファムを助け出す。

 

 落下の途上にあるファムを片手で保護してから、クラードは《エクエス》本体のアサルトライフルの銃撃を装甲に受けていた。

 

 それでも《レヴォル》には傷一つつかない。

 

 思考拡張で繋がった装甲越しではくすぐったくもない。

 

『この機体は……何だって言うのだ!』

 

「――《レヴォル》だ」

 

 その声が相手に聞こえたのかどうかは分からない。

 

 ただ、敵コックピット部位を睨み据え、そのまま《レヴォル》の爪を突き立てようとして、放られたミラーヘッドの分身体を身代りにされる。

 

 前面に楯突いて来た分身体の腹腔を射抜いてから、本体である《エクエス》が遠く離脱挙動に入っているのが窺えた。

 

「……ここは逃げるが勝ちという事か」

 

 クラードは真紅に染まった瞳で崩落したコロニーを眺める。

 

 ビル群は朽ち果て、汚染水のスプリンクラーが舞って穢れた虹を構成していた。

 

 軍警察の《エクエス》は撤退機動に入っていく。

 

 それらを最後まで目にしてから、クラードはこちらへと接近する熱源に意識を割いていた。

 

《マギアハーモニクス》の機体照合がもたらされると共に、少しだけ戦闘の気配を緩める。

 

『……そのモビルスーツは……クラード……なのか?』

 

「ああ、アルベルトか。こいつは……」

 

 そこで不意に眩暈を覚える。

 

 くらりと傾いだその時には、腕の可変が解かれ、元のモールドへと戻っていた。

 

《レヴォル》からの意識レベルが遠のき、クラードは昏倒するかのように、そのまま淵のない眠りへと落ちて行った。

 

 



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第9話「交錯する運命」

 ――駆け抜けるイメージがあった。

 

 だからそのまま走るのが正答だと思ったし、誰も教えてくれなかったので、走るしかなかった。

 

 走り方なんて独学。

 

 自分流を突き詰めていけば、きっと、上手く走れるだろうと思っていた。

 

 ――だがその結末がこれでは笑うに笑えない。

 

 アルベルトは回収した白いMSを愛機に担がせて、コロニー、デザイアの中でもまだマシな場所へと膝を折っていた。

 

 そこには行き着いた流れ者達と、デザイアに棲む辛うじてまだマトモな住民達が身を寄せ合っている。

 

 アウトロー達は派閥を持っているので、凱空龍に従うかどうかは不明のままだ。

 

「ヘッド……! 生きていたのか……」

 

「トキサダか。ああ、オレは何とかな」

 

「……クソッ! トライアウトの連中、やり方がえげつないったらねぇ! ……すまない、ヘッド。おれの部隊はほぼ壊滅だ。濃紺の《エクエス》にやられた」

 

 無理もない。

 

 軍警察の統率された動きと令状持ちのミラーヘッドを前にすれば、所詮は族上がりの自分達なんて赤子の手をひねるよりも容易いはず。

 

「今は……生き残りだけでも集められねぇか? 凱空龍だろうが他の族だろうが関係なしに……」

 

「何言ってるんだ? 今、デザイアで生き残っていて、そんでまだ規模としてあるのはもう凱空龍だけだ。……言い方は悪いが、チャンスじゃないのか? これを機に凱空龍に統率する。そうすれば、デザイアでの支配権はおれ達に回ってくる」

 

「……トキサダ、今はそんな事考えている暇じゃ……」

 

「何言ってんだ。今だからこそだろ。組織デカくするのに、時間と場所をいちいちこだわってるんじゃ話にならない。ヘッド、あんたが決定権を持ってるんだ。おれはあんたになら従うぜ。もちろん、他の連中もな」

 

 ――自分になら従う。

 

 それはトライアウトの介入を分かっていて、この状況を生み出してしまった自分への何よりも罰に思えていた。

 

 彼らの生き死にを決定出来たはずなのに、それを日和見にしたせいで死ななくっていい命まで死なせてしまった。

 

 その責任まで、全部負わなければいけないのだろうか。

 

「……ああ、じゃあこの場所まで来られなかった連中も居るだろう。そういう奴らにガイドを付けてやってくれないか? 恩義を売っておけば凱空龍のやり方に異議を唱える奴も居ないはずだ」

 

「ああ、そのつもりだぜ。生き残った面子とMSを使って誘導、だろ? 分かってる。……しかしさっきから聞かないつもりだったんだが、そのMSは何だ? ヘッド」

 

「ああ、ちょっとした拾い物だ。大丈夫、害にはならねぇ」

 

「本当だろうな? ……まぁいずれにしたって、MSはないよりかはあったほうがいい。《マギア》編隊を率いてここまでのガイドを行う。……ただ、間違えて欲しくないのは、死にそうな奴には手ぇ貸さないからな。死に体はもう放っておく。どっちにしたって、コロニーがこんな状態なんだ。死ぬ奴は下手に希望持たせるより、死なせてやったほうがいい」

 

「……ああ、それはそう……かもな」

 

 酸性雨が降り出す。

 

 レインコートを着込んで、アルベルトは白いMSのマニピュレーターに握られているファムを見出していた。

 

「……ミュイ……、だれ……?」

 

「アルベルトだ。……そっか、まともにツラ、合わせてなかったな。こいつは……」

 

「クラード、のってるよ……」

 

 まさか、とアルベルトは目を戦慄かせる。

 

「……マジにクラードが乗ってんのか。さっきの通信、聞き間違えじゃなかったって事かよ。じゃあ……!」

 

 コックピット付近にある緊急排出のノックを引くと、テーブルモニターに突っ伏している姿勢のクラードを発見する。

 

「クラード! おい、こりゃあ……何があった?」

 

 揺すってもクラードはまるで起きる気配がない。

 

 脈を診ると、心拍が微弱なレベルにまで落ちているのが分かった。

 

「どうなってんだ、こりゃあ……。MSに乗ってこんな風になるのなんて、今まで一回もなかったろうに……」

 

 おい、と軽く揺すってから、それでも反応が皆無なのでアルベルトは語気を強めていた。

 

「何眠りこけてんだ! クラード! お前が死んじまったら……オレは一体、どうしていけばいいんだって……!」

 

 そこで不意にコックピットの中で長距離通信が繋がれる。

 

 まさか、トライアウトの通信か、とアルベルトはコンソールに触れ、固唾を呑んでその通話を見守っていると、場違いな声が弾けていた。

 

『あっ……繋がった……。えーっと、搭乗者の方に告げます。コホン、コホン……』

 

「……女の、声……」

 

 茫然とするアルベルトに通話先の声がこの絶望的状況下ではまるで不釣り合いな声量で響く。

 

『すいません! これ、うちの商品なんです!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……えと、これで何とか伝わった、かな……?」

 

 カトリナはおっかなびっくりに通信を繋ぐ。

 

《レヴォル》の反応はエンデュランス・フラクタルから遠く離れた辺境地コロニーより発信されていた。

 

 そこまではいわゆる長距離通信と言う奴で、声は届くが姿は見えない。

 

 なので、相手がどのような人間で、どのような経緯で《レヴォル》を手に入れたのかはまるで不明だ。

 

 しかし、軍警察の手に渡っていれば、それは最悪の事態だろう。

 

 通信室で背中にサルトルとレミアのプレッシャーを受けながら、カトリナはつい一時間前に覚えたばかりの通信手段を用いる。

 

「えっと、聞こえています……かね? それ、そのぉー……」

 

『……聞こえているが、何だって言うんだ、あんた』

 

 重くドスの利いた声に、それだけでカトリナは泣き出しそうになってしまう。

 

「えっと……も、申し遅れまひた……! じゃなくって、うひゃぁ……噛んじゃった。も、申し遅れました。私、エンデュランス・フラクタル社の兵器開発部門所属のその……何だっけ……」

 

「委任担当官でしょ」

 

 レミアの声に押されてカトリナは慌てて補足する。

 

「そう! そうなんです! 委任担当官でして……」

 

『……あんた、このMSの開発者か』

 

「め、滅相もない……! 開発したのはそのぉ……違うんですけれど」

 

『じゃあ何だ』

 

 どうしてなのだか相手は追い込まれているかのような詰問ばかりで、カトリナは参ってしまう。

 

「れ、《レヴォル》に乗られているのは、あなたですか? ……数分前のログだと、ライドマトリクサーの方みたいなんですけれど……」

 

『いいや、オレじゃねぇ。……そうだ、あんた! このMS……《レヴォル》ってのに詳しいのか?』

 

「えっ……それは……どうかなぁ、なんて……」

 

 頬を掻いて愛想笑いで誤魔化すと、通信先の相手は声を張る。

 

『頼みがある! こいつに乗っていた奴が死にそうなんだ! 何とかする手段はねぇのか!』

 

「し、死にそう……? まさかそんな……ライドマトリクサーなら、そこまでのものだったわけ……」

 

『現に死にそうなんだよ! バイタルも意識も薄らいでいる。このままじゃ、おっ死んじまう!』

 

「そ、そんな……えと……その……」

 

 あたふたする自分に代わり、サルトルが通信を繋いでいた。

 

「おい、そっちに居るのはクラードのはずだな? 何で死にそうになってるんだ?」

 

「クラード……? って誰なんです?」

 

 自分の問いを無視して、サルトルは続ける。

 

「クラードが死にそうなのか?」

 

『……あんた、何でクラードの事を……』

 

 絶句する通話先にサルトルは矢継ぎ早に言葉を継ぐ。

 

「意識レベルが落ちているのはライドマトリクサー施術のせいだろう。《レヴォル》を動かすのには他のMSを動かしていた頃よりも数倍の負荷がかかるはずだ。腕んところにモールドがあるだろ? そいつのRM施術痕が赤く明滅しているのなら、リンクは切れていないはず。今は目に見える心肺機能の低下よりもそっちを見るといい。思考拡張で意識をちょっと《レヴォル》に持っていかれているだけのはずだ」

 

 サルトルの言っている事は一ミリも分からなかったが、通話先の相手はそれを確認した間を置いた後に、驚愕したような声を返す。

 

『……あんたらは……』

 

「エンデュランス・フラクタル。今しがた、こっちの期待の新人の言った通り、おれ達は企業だ。現状、ラグランジュポイントの支社だが権限は備えている」

 

『企業……。小耳に挟んだ事くらいはある。統合機構軍の中でもトップクラスの、エンデュランス・フラクタルって言えば……オレらもその武装を使ってはいるからな。でも企業って言ったって、あんたら何で、コロニーの戦闘に……』

 

「巻き込んだ、か。あるいは巻き込まれたか。いずれにしたって、それは必然のはずなんだ。そっちにクラードが居るって言うんならな」

 

『……分からない事を言う……何でクラードが居ると、オレ達のコロニーがこんなになっちまうんだ!』

 

「そいつが我が社のエージェントだからさ。秘密の潜入任務を帯びて半年。まぁ、聞いていなかったとは思うがな」

 

 寝耳に水とはこの事で、カトリナが息を呑んでいると、通話先の相手も二の句を告げないようであった。

 

『何言って……』

 

「全て事実だ。クラードのバイタルが見たい。テーブルモニターにクラードの手を翳してくれ。簡易モニタリングならそれで出来る」

 

 しばらくしてから、データが送られてくる。

 

 列挙された文字列の意味を解する前に、サルトルは納得したようであった。

 

「……なるほどね。敵は軍警察のトライアウト。しかもミラーヘッドの令状付き。そういうのとやり合えば一発で昏倒コースまで行くか。だが運がいい。簡易モニタリングした限りではクラードは休眠、まぁ有り体に言うと眠ってるだけだ。命に別状はない」

 

『本当なのか? ……だが呼吸も浅いし心拍だって……』

 

「ライドマトリクサーの思考拡張だ。起き掛けの《レヴォル》とリンクしたから、それに近い状態へとライドマトリクサー側も変移する。まぁ、こう言っちまうと何だが、慣れてくるとそうでもなくなる。一時間後くらいには起きるだろう」

 

『そ、そうなのか……?』

 

 戸惑いがちの相手に、カトリナは返答する。

 

「その……私達から言えるのは正直言っちゃうとただの気休めですけれど……今見た限りじゃ、多分大丈夫です。その、そっちに居るって言うクラードさんの命に別状はないかと」

 

『……だからって、この状況がワケ分からねぇんだから聞かせてもらうぜ。このMSは何だ? 《レヴォル》って何なんだ? ……あんたら、エンデュランス・フラクタルって言えば、確かに聞いた事はあるぜ。デカい企業なんだろ? そんなのがどうして、こんな場末のコロニーにMSを飛ばしてきたんだ?』

 

「し、質問が多くって……そのぉ……」

 

「後で答える。彼女は委任担当官のカトリナ・シンジョウだ。君らの助けとなるはずだ」

 

 勝手に決められてしまってカトリナは呆然とする。

 

「さ、サルトルさん? 何言って……」

 

「君らからこっちへの窓口は彼女を通してもらう。機密事項に抵触する可能性もあるからな。ただ一つ言える事は、《レヴォル》を壊そうだとかそういう妙な事はしないほうがいい。我が社の法務部が君らを黙っておかないし、何よりも……軍警察の介入があったんだろう? 余計な事をするとトライアウトが黙っちゃいない」

 

「ちょっ……サルトルさん! そんな言い方……!」

 

「いいんだよ、今は。あっちがどういう集団かも分からないんだ。強硬策を取ったほうが後々問題もなくなってくる」

 

 そうこちらに返答したサルトルは通信の声を振り向けていた。

 

「詳しくはクラードが起きてからでも聞くといい。彼はこっちの秘密をよく知っているはずだ」

 

 通信を一方的に打ち切ったサルトルに、カトリナは突っかかる気さえも失って嘆息をつく。

 

「はぁ……どういう事なんですか、これ……」

 

「カトリナ女史。説明する事は山ほどありそうだが、今は一つ。あっちに居るクラードの指示に従って、《レヴォル》を無事に確保する事だ。あれは我が社の社運を懸けた機体、ワケ分からん連中に弄られたら敵わんからな。……とは言っても今の様子じゃ、クラードは昏倒、そんでもって、《レヴォル》は機能停止、かな。ダメージを負っている風ではないのは簡易検査で確証済み。まぁ、そこだけでもまずは安心か」

 

 安堵の息をつくサルトルの横顔を眺めつつ、カトリナは不服そうにむくれる。

 

「私には何の情報もなしですか……」

 

「あっちからの疑問に対しても分からないで通してくれ。そのほうが都合もいい。ただ、委任担当官としての最初の仕事なんだ。それなりに相手を刺激せず、上手く通してくれよ」

 

 肩を叩かれ、カトリナは薄暗い通信室で振り返る。

 

「わ、分かりません……分かりませんよ! ……一体何が、どうなってるって言うんですか!」

 

「今は分からなくっていい。艦長、ベアトリーチェの出港を早めなければいけなさそうだ。位置情報的にトライアウトに目を付けられるとお終いだろう。《レヴォル》が重要な切り札だと認識される前に、ベアトリーチェでランデブーする」

 

「ええ、そうね、サルトル技術顧問。……また頭痛の種が増えたわね。《レヴォル》を拾うために私達が戦闘宙域にわざわざ赴かないといけないなんて。頭痛薬、足りるかしら」

 

 その言外に責任に所在を問いかける言葉にもサルトルは動じない。

 

「なに、クラードが拾ったんならまだ希望はある。あいつが起きて定時通信を送ってくるのをまずは待つ事だ。こういう時のことわざは果報は寝て待て、だろ? 艦長」

 

「……それよりも、火中の栗を拾う事になる意義を問い質すべきね。要らない荷物まで背負う羽目になるのだから」

 

 立ち去ろうとする二人の背中に、カトリナは思わず駆け寄って声を張り上げていた。

 

「その……どうすればいいんですか! 私に出来る事って……!」

 

「クラードからの返答を待つんだ。そうすればカトリナ女史、そっちの仕事も分かってくるはずさ。ああ、言っておくと、今より四十八時間以内にベアトリーチェ出港の可能性がある。自分のサイズに合うノーマルスーツは取り揃えておけよ」

 

 廊下を行き過ぎる二人を見送りながら、カトリナは呟く。

 

「ノーマルスーツって……宇宙(そら)に、出るって言うの……?」

 

 薄暗がりの通信室のモニターには茫漠とした暗礁宙域が広がっていた。

 

 



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第10話「振り翳した拳」

「はい。こちらタジマ……。ああ、艦長殿。そうですか、そうですか。では、そのように……」

 

 端末を切ったタジマへと、軍高官はなっていないぞと声を振り向ける。

 

「品評会の最中にプライベートなど」

 

「これは失礼。とは言え、プライベートとも言えませんので」

 

「エンデュランス・フラクタルは《エクエス》をやたらと欲しがるが、そこまでしなければいけないのかね? 型落ちのMSでは駄目だと?」

 

「《エクエス》を皆様の寛大なる心で我が方へと売却してくださるのは感謝していますよ。お陰で整いそうなので」

 

「整う? まさか、統合機構軍に戦争でも吹っかける気かね?」

 

 一人の軍高官の冗談めかした声に、しかしタジマは読めぬ笑みを浮かべたままだ。

 

 まさか、と腰を浮かしかけた全員を制するように、自分は言葉を投げていた。

 

「エンデュランス・フラクタルは何を考えて、MS市場を牛耳ろうとしている?」

 

「牛耳るだなんてとんでもない。私共は結局、皆様方に買い揃えていただかなければ立ち行きもしませんもので」

 

「だが、既に充分な戦力の備蓄のあるはずの企業が表では《エクエス》を買い、裏で何を考えているのだか、少し興味も湧く。それに我々とて得心もいかない。売った商品がこちらに銃口を向けてくる可能性が一ミリでもあるのだと分かればな」

 

「まさか……!」

 

 焦燥を浮かべた高官に、まさかでしょう、とタジマは落ち着き払っている。

 

「そのような事は断じて。私はこれでもビジネスとして、いい関係を保てていると感じているのですよ? なにせ、皆さまなかなかに器量が深いお方ばかりだ。エンデュランス・フラクタルが如何に優良企業とは言え、MSと言う実戦における駒をきっちりとした値段で売ってくださる。それは信頼の証だと考えていいのでしょう」

 

「……いい気になるな、タジマ。貴様のやっている事は死の商人となんら変わらん」

 

「ですが死人が出なければ、似たような事をやっていてもそれは死の商人とはならない。これは……少し可笑しな話ですな。手順が同じでも結果さえ違えばいいとなれば」

 

「……からかっているのか、貴様」

 

「いえいえ、聡明な皆様におかれましては、私の浅い考えなど所詮は児戯。ですので、私がどう動いたとしてもそこまで目くじらを立てるご必要もないかと。所詮、童は童なのですから」

 

「だがその童が仕掛けてくるとなれば別だろう? タジマ、我々に話せないのは分かる。それは企業としての機密だ。頷ける部分もあるだろう。だが何を成すつもりなのか、教えてもらってもいいのではないのか? 先の黒い《エクエス》の使い手に関しても気にかかる。何が始まると言うのだ?」

 

 タジマは眼鏡のブリッジを上げた後に、営業スマイルを崩さずに応じる。

 

「そうですねぇ。――とても興味深い事、とだけ申しておきましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄っすらと意識の皮膜が開き、ああ、と吐息をついてクラードは起き上がっていた。

 

 リニアシートに背は預かられ、腕は平時の状態に戻っている。

 

 ミラーディスプレイに映った自分の瞳は元の赤であった。

 

「……《レヴォル》……」

 

 コックピットの中で、《レヴォル》の鼓動を感じ取る。

 

 リニアシートの下から延びたケーブルの先を手繰るように視線を向けると、膝をついた形の《レヴォル》の足元でアルベルトが通信機器に接続していた。

 

「何やってんのさ……」

 

「クラード? 起きたのか?」

 

 慌ててアルベルトが昇降機で《レヴォル》のコックピットへと上がって来るなり、肩を引っ掴まれる。

 

「何とも……ないんだな?」

 

「だから、何が。意味のない事を聞かないでくれ」

 

 アルベルトは何かを問い質そうとして、口を噤んだのを感じ取る。

 

「……いいや、何でもねぇ。起きたんなら、それでよかった」

 

「……そうか。何時間くらい寝ていた、俺……」

 

「一時間ちょいかな。……ったく、それにしたって最新機器ってのは互換性に乏しくっていけねぇな」

 

「……《レヴォル》の事、調べて――」

 

「当然だろ。ワケ分かんねぇもん掴まされて、こっちに害があったんじゃ堪ったもんじゃねぇからな。オレの知識の限りで調べちゃいるんだが……こいつは本当に何なんだ? 《エクエス》とも、《マギア》とも違う。兵器企業のエンデュランス・フラクタルがどうのこうのって……。何だっていきなりこんな新型機が出て来るって言うんだ……」

 

「軍警察……トライアウトは? 退いたのか?」

 

「退いてなけりゃ、ここで喋ってんのはあの世だってんのか? ……何とか撤退してはくれたが、危ないのには違いねぇ。もう一度襲ってくるまでそうそう時間もねぇんだろうな」

 

「……そう、か。《レヴォル》は……俺に任せてくれ。こいつは多分、俺の言う事しか聞かない」

 

 コンソールをなぞりながら言いやると、アルベルトはそうか、と納得したようであった。

 

「お前にしか乗りこなせない、じゃじゃ馬か。さっきから調べても何にも確証めいたものは出てこねぇ。それならある意味じゃ納得だ。アイリウムのキャッシュ内に何かしらの証拠でも残ってないかって思ったんだが、どいつもこいつも弾きやがる。……だが一個だけ、いいか?」

 

「何かあるの」

 

「……こいつはオレらの……その、味方、なんだよな?」

 

 煮え切らないアルベルトの問いかけに、クラードはフットペダルを踏み締め、《レヴォル》を稼働させる。

 

 起き上がった《レヴォル》が歩みを進めるのを、コックピットに縋りついてアルベルトは声を飛ばす。

 

「危ねっ……! 危ねぇだろうがクラード!」

 

「次にまた攻めて来るって言うんなら、ちょっとでも慣れておく。形は違っても《レヴォル》だって言うんなら、俺に応えてくれるはずだ」

 

「……形は違っても……? まぁ、その辺はいいんだ。お前……何か隠していないか?」

 

「隠す? 何で」

 

「いや、それっつーのも、この《レヴォル》を通して通信してきた連中が……エンデュランス・フラクタルのカトリナとか言っていたか? そいつら、変な事言うんだよ。お前がこのコロニーに、その潜入捜査のために来ていた、エージェントだって。んなわけねぇよな? クラード。オレ達はその……凱空龍をデカくするために……」

 

「そこまで聞いていたのか。事実だよ、アルベルト。こいつが来るのが遅いか速いかは分からなかったけれど、そろそろ任務終了の時期は迫っていたんだ」

 

「……クラード……お前、喋り方……」

 

「ああ、いつもの取り繕いは、もう要らなくなったんだ。これが素の喋り。何? いちいちショック受けてるんなら、もういい? 俺は最初から、このコロニー、デザイアでミラーヘッドの技術結晶が持ち込まれたって聞いてエンデュランス・フラクタルから派遣された特級のエージェントだ。言ったろ? 俺には別に組織が大きくなるだとか、トップに立つだとかはどうだっていいって。それはその通りだからだよ。こんなコロニーの上下関係なんて、どうだっていい。それは別に必要な事じゃないからだ」

 

「じゃあ……じゃあお前は最初っから、オレ達を、置いていくつもりだったのか」

 

「ああ、いずれはそうなった。今回の場合、任務目標だったミラーヘッドの技術の何かを見つけ出す前に軍警察が来てしまって前後したけれど、別にどうだっていい。そういうのは後回しになるから、まずは《レヴォル》に慣れる事が――」

 

「クラード!」

 

 頬を殴り据えられた一撃の重さに、クラードは遅れて認識を取り戻す。

 

「……痛いな」

 

「お前……お前は! 何だってそんな事平然と言えるんだよ! オレ達はたった半年だったとはいえ……気心の知れた仲間だっただろうが!」

 

「アルベルト。勘違いしているんなら言っとくけれど、俺は最初から今まで、アルベルト達を仲間だとか友人だとか思った事なんて一度もないよ。エンデュランス・フラクタルのエージェントはみんなそういう風に教育を受ける。もしもの時にすぐに裏切れるようにしておくように、って。喋り方、人格、そして感情でさえも、俺達は自由に操れる。それでも、俺が仲間意識を持っていたって言う?」

 

 襟首を掴み上げられる。

 

 だぼだぼの白衣が揺れて、クラードは赤い瞳でアルベルトの紺碧の眼差しに応えていた。

 

「……オレは信じたかったんだぞ……」

 

「それを信じたのはアルベルトのほうだ。俺は一度だって信じろなんて言ってない。……それとも、俺のあんなに下手な取り繕いの演技を、アルベルトは信じていたって言うのか」

 

 そのままリニアシートから引っぺがされ、クラードの肉体は宙を舞っていた。

 

 即座に習い性の神経で地面に落下する前に体制を整え直し、不時着した自分へと《レヴォル》のコックピットより跳んだアルベルトが殴りかかる。

 

「クラード!」

 

「……何」

 

 アルベルトの渾身の拳をすっと避け、彼の剥き出しの感情を怜悧な観察眼で見据える。

 

「……オレはこんなでも凱空龍のヘッド! アルベルトだ! ……だから落とし前……そう。ケジメはつけなくっちゃいけねぇ」

 

「俺を殺すとか?」

 

 軽く投げた言葉にアルベルトは息を呑んだ様子であったが、直後には歯噛みしていた。

 

「……んな事は出来ねぇししねぇ。クラード、本当なんだな? 本当にお前は……エンデュランス・フラクタルのエージェントとかで、そんでオレ達のコロニーには、任務で潜入しただけって……」

 

「嘘だと思う? って言うか、俺の演技下手くそなんだよね。何でそれを信じたのさ」

 

 ぐっと奥歯を噛み締めた様子のアルベルトに、クラードは背中を向けていた。

 

 酸性雨がずっと降りしきっている。

 

 片腕をそっと上げる。

 

 アルベルトには背を向けて、クラードはライドマトリクサーの証であるモールドを赤く照り輝かせ、可変腕を開いていた。

 

 片腕がまるで翼の如く拡張して、MSと一体化するためだけの兵装と化す。

 

「クラード……そいつぁ……」

 

「アルベルトは俺の何を知ってるの。デザイアに来てからの俺は一回だって、元の俺だった事なんてない。クラードって言うエージェント以上の何者でもないんだ。そう、あんなのただの仮面、ただの“取り繕い”さ」

 

「でもよ……! お前ジョークだってよく飛ばして――」

 

「言ったろ? 引用不明の受け売り。あれは全部聞きかじっただけの知識だ。だから、俺を撃ちたければそうすればいいし、殴りたいのなら気が済むまで殴ればいい。俺は言い訳をするつもりなんて一個もないし、何よりも、言い訳に値する事なんて一個だってしちゃいない」

 

「……クラード……お前、最初から……」

 

「仲間なんて居ない。俺は最初から、俺一人だ」

 

 そう言い捨てて、クラードは立ち去っていく。

 

 アルベルトの気が済めばいいと思っていたが、彼は言葉もなくとぼとぼと立ち去っていく。

 

 残されたのは自分と《レヴォル》だけであった。

 

「……つまんないな、俺」

 



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第11話「慰めの歌」

 しかし任務はこなさなければいけない。

 

 クラードはコックピットに戻って暗号通信を繋ぐ。

 

「こちらクラード。《レヴォル》を受領した。エンデュランス・フラクタル、応答せよ」

 

『あ……はい! こちらエンデュランス・フラクタルです!』

 

 思わぬ明朗快活な声にクラードは訝しげに尋ねる。

 

「……誰」

 

『その……委任担当官になりました、新人のカトリナ・シンジョウと申します。えっとー……《レヴォル》のパイロットさん?』

 

「ライドマトリクサーだよ。君の名前は……ああ、そうだった。もう“取り繕い”は要らないんだった。……半年でとんだ癖だな、修正する。まぁどっちでもいいけれど。《レヴォル》がこっちに来たって言う事は、レヴォルインターセプトが目覚めたんでしょ? じゃあ、俺もそっちに合流するために出来る限りの事はする。ミラーヘッドジェルも入っているし、推進剤もそれなりにある。こちらから合流をするんなら――」

 

『ああ、その心配は要りません。こちらでの新造艦であるベアトリーチェ号がランデブーポイントを示しますので、《レヴォル》は最小限の推力だけでこちらと相対してくれれば……』

 

「了解。じゃあそのランデブーポイントとかとさっさと示して。時間がないんでしょ」

 

『あっ、ですよね……。ちょっと待ってください。情報の整理が追いつかなくって……』

 

「よく分かんないんだけれど、サルトル居ないの? 話分かる人なら別の人でもいいけれど」

 

『わ、私じゃ駄目だって言いたいんですか……!』

 

「駄目って言うか、機密情報のやり取りするのに何だか不便だ。やり辛い。それだけ」

 

『……それが駄目って言っているって事になるって言う……』

 

「何か言った?」

 

『い、いえっ……何でも……。そ、それでですね、御社……じゃない、弊社の状況としては……』

 

「ねぇ、どうでもいいんだけれどさ。アルベルトに本当の事言ったの、あんた達?」

 

『へ、へっ? ……アルベルトって……ああ、さっきの方ですか? ……本当の事と言いますか、《レヴォル》が一応、最重要機密レベルなので……』

 

「話したんだ」

 

『……うっ、は、はい……。駄目でしたか?』

 

「こじれるだけだ。駄目とか云々じゃなくって。……まぁいいや、関係ない。ここから俺はランデブーポイントまで一直線でいいの?」

 

『あ、はい……そうすれば最短ルートでの合流になるかと思います。《レヴォル》とベアトリーチェ、どっちにしてみても有益で無理のないルートかと』

 

「じゃあそうする。《レヴォル》のステータスはそっちにもモニターされてるんでしょ。じゃあ、俺がどう行動しても必然になるはずだし」

 

『いえ、そのー……それはいいんですけれど、いいんですか?』

 

「何が? 質問の体を成していないよ」

 

『いえ、その……さっきの方、アルベルトさん? と、何か言わないで』

 

「何で何か言う必要があるの」

 

『そ、それはー……、又聞きみたいで嫌なんですけれど、半年間も同じグループに居たって言うし……何かあるのかなって……』

 

「ないよ。何もない」

 

 断定の論調に通話先の相手は戸惑ったようであった。

 

『……そう、なんですね……。何もない、か……。でもそれって、悲しくないですか?』

 

「悲しい? 何で」

 

《レヴォル》のインジケーターを調節しつつ、クラードは尋ね返す。

 

『悲しいって言うか、だってアルベルトさん、クラードさんが気を失っている時に、すごい剣幕で……あ、通信だけなんでどんな顔なのかは分からないんですけれどでも、すごく心配されていたので……。潜入先だけの関係じゃないのかなって……』

 

「……あんた、アルベルトと話したの?」

 

『あ、はい……。ちょっとだけですけれど……』

 

「じゃあ分かるでしょ。別に何でもないって事くらい。アルベルトが俺を心配したからって、俺もアルベルトを心配しろって? そんなの、義理でもないし義務でもない」

 

『そ、そんな言い方ってないんじゃ……!』

 

「《レヴォル》の推進系は問題なし。ミラーヘッドに関してもジェルの消費はない。武装の承認も完了。君……じゃない。あんた、もういいよ。ランデブーするまで話しかけないで」

 

『いえ、その……委任担当官なので……話しかけないわけには……』

 

「話しかけないでって、今一秒前に言ったよね? 委任担当官はエージェントの移行には従うはずなんじゃ?」

 

『それはー、その……。私、新入りなので……』

 

「じゃあ余計な事を言わないでいい。ベアトリーチェの出港時間を合わせてくれれば、自力でデザイアから離脱する」

 

『……その、本当にいいんですか? だってそこ、軍警察に狙われてるんじゃ……』

 

「だからさっさとそっちに合流する。損耗は避けたい」

 

『いえ、そうじゃなくって……! アルベルトさんとか、色んな方が居らっしゃるんですよね? じゃあその、危ないんじゃないんですか』

 

 クラードはその時になってようやく眉を跳ねさせる。

 

「……俺にアルベルト達を守れって?」

 

『そこまでは……いえ、言ってますよね……はい。言ってます……』

 

「さっきも言ったけれど義理も義務もない」

 

『で、でもアルベルトさんはとても……クラードさんの事を心配していて、そこまで思わせる仲だって言うんなら、見殺しみたいな真似……』

 

「見殺し? 俺のミッションはもう完遂した。その場所がどれだけ酷い目に遭おうと、もうそこまでは関知しない。アルベルトもここにこだわっている。あんたもそうだ。何で俺に、助けるだとかそうじゃないとか期待する? 俺と《レヴォル》はそんなためにあるんじゃない」

 

『で、でも……一回くらい助けたって……バチは当たらないと、思うんですけれど』

 

 クラードは嘆息をついて通話先に言い返す。

 

「その一回が面倒ごとになるって言ってるんだ。軍警察の手も迫っている。こんな状況で余分な事をしている暇は全然ない。トライアウトに何回も見せるほど、《レヴォル》も俺も安くないんだ。《レヴォル》が俺の下に来た時点で、既に作戦完了だと言ってもいい。何よりもミラーヘッドオーダーが降りて、もう第四種殲滅戦に入っている。この状態から《エクエス》の統率された部隊に立ち向かうのは面倒だ」

 

『そのMSもミラーヘッドが入っているじゃないですか。なら、立ち向かえるんじゃ……』

 

「……あのさ、さっきから何度もズケズケ言ってくるけれど、いいの? 委任担当官って言ったって、その言動は常にモニターされているはずだけれど? 今までの発言全部、上に通すとあんた多分クビだよ」

 

 さすがにクビをちらつかせれば収まるだろうと思っていたクラードは、直後のカトリナの発言に手を止めていた。

 

『で、でも私……この仕事に誇りを持っているので。その上のクビなら、別にいいです。本当に大事なのって、ここでアルベルトさん達を見捨てて、こっちに合流しちゃう事が正しくないとかそういう事なんじゃないんですか?』

 

「……本当に大事な事? 俺と《レヴォル》がそっちに合流するよりも?」

 

《レヴォル》のOS設定画面で止めていたクラードの問いかけに通話先はうろたえつつも答えを搾り出していた。

 

『そ、その……はい。そうなんじゃ、ないんですか……?』

 

「……俺と《レヴォル》よりも大事な事……」

 

 口中に繰り返していると、足元のセンサーが人間を認識してカメラがそちらへと拡大される。

 

「……ファム」

 

『えっ、誰って……?』

 

 クラードはコックピットハッチを開き、足元で手を振るファムを見つめ返していた。

 

 昇降機で降りた瞬間、ファムが抱き着いて来たので目を白黒させる。

 

「よかった! ファム、クラード、すきー!」

 

「待って、待ってって。何で……」

 

「クラード、たすけてくれたから、すきー!」

 

「助けた? 俺が?」

 

 そう言えば無我夢中でファムだけは死なせるまいと動いたか。その時の事を助けたと評されても、自分の意識ではほとんどなかったのだ。

 

「……俺は誰も助けちゃいない」

 

「でも、たすけてくれた。だからファム、クラード、しんじるよ」

 

「信じる? 信じるって、何を……。俺はエンデュランス・フラクタルのエージェントだ。殺せと言われれば殺すし、そいつを生かせと言われれば、他の何もかもを犠牲にしてでも生かす。それが俺の使命だからだ」

 

 だがファムは、こちらの理念を分かっていないのか、純粋無垢な紫色の瞳で小首を傾げる。

 

「でも、クラード、たすけてくれた。だからしんじたい」

 

「信じ、たい……? 信じても裏切られるかもしれないのに?」

 

「うん。しんじたい」

 

 ファムの言葉に迷いや他の余計な装飾はない。本心からそう思っているのだと知れたが、それでも自分にとって無条件な信用の対象にはならない。

 

「……ファム。こっちに来い」

 

「うん! なに?」

 

「その前に……俺の白衣着ておけ。酸性雨は普通の人間には毒だ」

 

 拘束服の上から白衣を着せて歩んでいくと、酸性雨の中で山積みにされた人間の遺体がうず高く存在していた。

 

 据えた臭いが立ち込める空間で誰しもが涙で頬を濡らしている。

 

「今日死ぬはずじゃなかったんだ……来週他のコロニーに行こうって」

 

「ママぁ……ママぁ……」

 

「何だって……何だって死んじまったんだ! こんな最底辺のコロニーで! 生きていただけなのに……ッ!」

 

 嘆きと怨嗟が渦巻く中で、クラードは瓦礫に腰を下ろして見守る。

 

「これが戦場なんだ。モビルスーツが跳梁跋扈すれば自然と人は死ぬし、ミラーヘッドの許可された第四種殲滅戦に、人間の死は換算されない。数えられるのはMSの撃墜数だけ。人間が何人、何百人死んだってそれは戦果じゃないんだ。だから第四種で人はどこまでも冷酷になれる。どうしたってこういう戦いばっかりを見る事になってしまうのに、俺を信じたっていい事なんて一個もない。……幸せは、手を伸ばせば消えていく蜃気楼みたいなものなんだ。だから、幸福は分配されない。不幸を引き寄せるのは簡単なのに、幸せになるのは無条件に難しい。……《レヴォル》なら、そんな世界の理不尽を変えられるかもしれない。だから俺はエンデュランス・フラクタルのエージェントとして戦い続けている……。いつかの理不尽な自分を、どうこうするために……」

 

 首から下げたドッグタグ。

 

 そこに記された名前は、もう読み取れない。

 

 だが、意味だけが残り続ける。

 

 絞りカスのような人格にも意味は――。

 

 そこでファムがどうしてなのだか、大粒の涙を浮かべているのを、クラードは目にしていた。

 

「……何で泣くんだ」

 

「だって……きのうファムのおうた、きれいっていってくれたひとたちもいるから……」

 

「分かんないな。二十四時間も行動を共にしていない、ただの他人だろう」

 

「でも……ファム、いやー! しんじゃう、とってもいやー!」

 

 まるで赤子のように泣くのだな、とクラードは他人事のように眺めていた。

 

 凱空龍の面子とは自分のほうが長い。

 

 たった半年とは言え、それでも名前を知っていた人間も居た。

 

 なのに、自分は泣けない。

 

 一粒だって涙は出ない。

 

 この状況が悲しいのは分かる。死は苦しいものなのは分かる。

 

 そして、死んでしまう不条理が耐え難いものなのも、分かっているはずなのだ。

 

 なのに、一滴の涙を流す事も出来ない自分は、ファムよりも下等だろう。

 

 きっと、何か大事なものを取りこぼしてしまったに違いない。

 

 だが、泣けば死者が蘇るのか。

 

 嘆けば、理不尽は減るのか。

 

「……そんなわけないだろう。どれだけ泣いてやったって、悲しんでやったって、死んだらそこまでだ。蘇りもしないし、報われる事もない。どれだけ身を尽くしたって、人間は案外、簡単に死んでしまうんだ。そして死んだらこの様さ。ゴミみたいに火で処理されて、生きていた頃の証明は存在しなくなる。だから、こんなもんなんだ。死んだらどうせ、人間だろうが何だろうが、こんなもんで――」

 

 そこまで口にしたところで、麗しい歌声が耳朶を打った。

 

 ファムの歌だ。

 

 たどたどしく、どこか色んな言語が歌詞に入り混じっている。きっと、彼女が昨夜、荒れくれ者達から教わった多言語が混ざり合った、意味のない言の葉なのだろう。

 

 ファムの歌は意味のない言葉の羅列。メロディもちぐはぐで、美しくは聞こえるが、それも意味合い自体は存在しない。

 

 だが、嘆いていた者達は、涙するしかなかった人々は、自ずとその歌を紡いでいた。

 

 意味なんてないはずの歌声を真似て、意味を持たせようとする歌が鳴り響く。

 

 それは魂を慰撫する鎮魂歌。

 

「……馬鹿だな。意味なんてないのに」

 

 ファムは歌う。

 

 覚えたての言葉を、覚えたての知識で。おぼつかない音程で。

 

 しかしそれに何を見たのか、言葉を操るはずの人々はその模倣歌が死者のための歌だと信じて歌い継ぐ。

 

 ――馬鹿らしい。歌なんてメロディの繋がりだ。そこに何を見るのかなんて、人間の身勝手だって言うのに。

 

 ファムの歌声に伸びが出てくる。

 

 彼女は瞳に涙を溜めて、知りもしない誰かのために歌っていた。

 

 名前も、経歴も、人生も。

 

 知らない誰かのために歌っていたのだ。

 

 そんな自己満足で、人の傷は癒える。

 

 何人かの住民がファムに頭を下げる。

 

 ありがとう、ありがとう、と。

 

 ファムは何も知らないんだぞ、と言いたくなってしまう。

 

 このコロニーの連中の事も、もちろん死んだ連中の事なんて。

 

 それでも、ありがとう、ありがとうと、人々はファムの歌に何かを見出して立ち去っていく。

 

 彼らは信じているのだ。

 

 鎮魂歌の意味を。

 

 ファムの歌が意味のない行間の羅列ではなく、きっちりと死した魂のためにあるのだと。

 

「……それでも、俺は涙の一滴も出ないな」

 

 自分は人でなしと言う奴なのだろう。

 

 エージェントとしてこのコロニーに潜入し、別段思い入れのない組織に入り、別段思い入れのない敵を撃ち、別段思い入れのない半年を送ってきた。

 

 それに意味はあるのかと問われればないのだろう。

 

 だって思い入れがないのなら、思い出なんてないのだから。

 

 そこに思い出を見るのだとすれば、それこそ偶像。

 

 それこそ虚飾。

 

 それこそ――虚ろだろう。

 

「俺には死人を弔う言葉は口から一個も出てこないよ」

 

 自身のドッグタグからそのままモールドの腕へと視野を移す。

 

《レヴォル》に乗るためだけの指標。自分という個人を指し示す紋様。

 

「でもアルベルトは、これに何かを見たんだろうな」

 

 死者の山に、あるいは自分の腕に走るただの紋様に。

 

 意味なんてない。だが、信じた。

 

「でも信じたってどうするって言うんだ。それは何かの意味に繋がるのか?」

 

 



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第12話「信じたいもの」

 ――信じたっていいじゃないか、と言葉を発すればよかったのだろうか。

 

 それとも、兄を信じると言えばまだ楽だったのかもしれない。

 

 かかってきた電話は安否を確かめるもので、アルベルトは無気力のまま出ていた。

 

『……アルベルト、生きて、いたんだな……よかった』

 

「……兄貴はオレが死んだほうが楽だったんじゃないのか?」

 

『何を言うんだ……! 家族なんだ、心配して当然だろう。……ミラーヘッドの第四種殲滅戦では戦死者のリストなんて作られないんだ。死んだら墓も建ててやれないんだぞ』

 

「死んだら墓も、か。……兄貴、オレの仲間がたくさん死んだよ」

 

『それは当然だろう。警告はしたし、そういう掃き溜めの連中は死んだって誰も悲しまないさ』

 

 墓も建てられないと言った同じ口から、自分の仲間を侮辱する言葉が出てくる。

 

 家族だから心配したと言った人間から、誰も悲しまないなんて非情な言葉が出てくる。

 

「……兄貴。オレはどうすればいい……」

 

『地球へ降りろ。シャトルの定期便があるはずだ。今日中に近場のコロニーに亡命して、その後手続きを踏め。そうすれば地球圏で安全に暮らせる。お前はリヴェンシュタイン家の次男なんだ。そうしたって誰も文句は言わないし、わたしが言わせない。アルベルト、これが最後の警告になる。戻って来い。父さんも心配している。お前がどれだけ罪を犯していても、関係がない。だって家族なんだぞ』

 

「オレにとっては……凱空龍の仲間だって家族だったんだ……! あいつらと馬鹿騒ぎするのも……嫌いじゃなかったのに……」

 

『何を言っているんだ。悪い遊びはもうやめろ。そいつらとは縁を切れ。何がガイ何とかだ。お前は一から学び直せば充分に素質はある。勉強は嫌いじゃなかっただろう? お前なら一端の教師を付けてやれる。馬鹿げた仲間意識なんて切って、もう一度だけ素直なわたしの弟に戻って欲しい』

 

 家族としての懇願なのは分かる。

 

 兄が裏表なくそう思ってくれているのも。

 

 しかし、そこには一ミリだって――今日死んでいった仲間達への憐憫も、哀悼も、何一つなかった。

 

 自分がここに居る限り、リヴェンシュタイン家に迷惑がかかる。

 

 その一事だけだ。

 

「……兄貴。オレは死んだ奴らに顔向け出来ない生き方は御免なんだ」

 

『おい、何を言っている? 死んだ奴ら? そんなのは運が悪かったか、そういう星の巡り会わせだっただけだ。いいか? 生きるべき人間と、死んでも問題のない人間はこの世にたくさん居る。お前は前者だ、分かるだろう? どうしたって死んでいった人間は死んでいった人間なんだ。お前のせいじゃない』

 

「だが……兄貴! オレはリヴェンシュタイン家の人間である前に……宇宙暴走族、凱空龍のヘッドだ! あいつらの人生背負っていたんだよ……! だってのに、オレだけ都合よく生き残って、都合よく何もかもを忘れるなんて出来ない……!」

 

 心の奥を発露した気分だったが、通話越しの兄の声は冷たい。

 

『……お前がそうしてつまらない事にこだわっている間に、トライアウトがまたやってくるぞ。奴らに失敗の二文字はない。成功するまで追ってくる。前回は何故撤退したのかまるで疑問だったが、お前にリヴェンシュタイン家の気品を見て見逃してくれたのかもしれない。分からないのか? 軍警察に口が利くと言っても限度がある。トライアウトは本気でやってくるぞ。今度こそ、本気で……お前を殺しにやってくる』

 

 脅しているつもりなのかもしれない。

 

 だがその言葉で、ようやく覚悟を持てた。

 

「……兄貴。奴らがもう一回来るって言うんなら、それは望むところだ。弔い合戦をやる。オレ達凱空龍に手を出した事、後悔させてやる……」

 

『違うぞ、アルベルト。よく考えろ。後悔しない考えをしろ。何でお前がそんな奴らのために命を張るんだ。理由なんてないだろう?』

 

「理由なら……! ある……。オレは腐ったって凱空龍のヘッドだ! 絶対に……裏切れねぇ……!」

 

『……家族の言葉を裏切っても、か?』

 

 狡い言い回しだ。それでも、とアルベルトは唇を噛んでいた。

 

「……それでも、オレの決めた事だ」

 

『そう、か。……これは独り言だが、トライアウトが来るのは明朝だ。それまでにデザイアを抜ける術は十通りほどある。それを試せば軍警察とは言え、そこまで執念深く追ってはこないだろう。……逃げられる人間は逃げられる』

 

 通話が切られ、情報だけが送付される。

 

 今の忠告で逃げておけ、という正真正銘最後の警告。

 

 それでも、いや、そのお陰で――覚悟を決められた。

 

 アルベルトは踵を返す。

 

 向かったのは凱空龍の集合場所である格納庫であった。並び立った改造型《マギア》の前には、自分の言葉を待つ凱空龍の者達が居る。

 

 皆、不安げな眼差しを交わしていた。

 

「みんな、よく聞いて欲しい。明朝、トライアウトが仕掛けてくると言う情報を手に入れた。だが、危険な目に二度も三度も遭う事はねぇ。もし、死ぬのが惜しい奴はこれから指示する十通りほどの逃げ道がある。そいつを辿ればさしもの軍警察でも追跡は出来ないはずだ」

 

「ヘッド、あんたはどうするんだ?」

 

 トキサダの問いかけにアルベルトは自身の《マギアハーモニクス》を仰ぎ、拳をぎゅっと握り締める。

 

「オレは……戦う。最後の一人になったってな。それが死んでいった奴らに出来る、オレなりの答えなんだ」

 

「なるほど、弔い合戦って事か。乗るぜ、ヘッド。てめぇら! 凱空龍の意地、見せてやれ!」

 

 応! と声が響くのに、アルベルトは目頭が熱くなるのを感じる。

 

 ここまで培った仲間達との絆、無駄にはしない。

 

 ただ、とアルベルトは傍らの不在を感じていた。

 

 いつもなら、言葉少なながらにも自分の隣に居てくれた存在――それが今は居ない事にここまで不安を覚えるなんて。

 

 いや、と持ち直す。

 

 クラードは己の道を行くのだ。ならば自分はここで朽ち果ててでも、自分の道を貫き通す。

 

 それがクラードの問いへの答えにもなるはずだった。

 

「……クラード。オレは、行くぜ」

 

 たった一人でも。虚栄の頂であっても構わない。

 

 そこに意味を見出すのが人間のはずだからだ。

 

「ヘッド、全員の《マギア》の整備はしかし、数日レベルでかかる。それに関してはどうする?」

 

「ああ、整備不調の《マギア》は後方支援に徹してくれ。幸いにしてオレ達には直近で手に入れたミコシのパーツがある。このコロニー、デザイアでデカくなるためにこれまで踏み締めて来た連中の事だって馬鹿にはしねぇ。踏み締めた分だけ強くなるってのを見せつけてやる」

 

「よし、分かった。おれはメカニックを弄るが……明朝って言ったって、それは本当に朝方なのか、それともなのかは不明なままだ。ギリまで仕事をして万全じゃないまま出すわけにはいかない。今夜の三時までには終わらせて、残る奴らと行く奴らの分配をしておくぜ」

 

「ああ。……トキサダ」

 

「ん? 何だよ、ヘッド」

 

「いや……こんな無茶苦茶な状況でも、オレをヘッドって呼んでくれるんだな」

 

「あんたがヘッドじゃなくっちゃ、誰がヘッドになるって言うんだ。……あのクラードは、どうしたんだ? 白いモビルスーツも戦列に加わってくれるんなら、百人力なんだが」

 

「そうも……いかないらしくってな。あれの戦力は期待しないほうがいい」

 

「そう、か。まぁ、あのモビルスーツはちょっとイレギュラーだもんな。ライドマトリクサーの精鋭とは言え、期待はしないでおくか」

 

「……意外だな、トキサダ。オレはお前が、クラードの事を嫌ってるんだと思っていたよ」

 

「おう、嫌いだぜ? でもあいつ、実力だけは確かだからな。こういう断崖絶壁みたいな戦いじゃ、居てくれたほうが助かるって話なだけだが……」

 

「……そう、か。オレは、何も見えていなかったんだな……」

 

 トキサダの気持ちも、クラードの真意も。

 

 何一つ見えていないまま、これまでリーダーをやってきた。その不実を突きつけられているようであった。

 

「なに、暗い顔してんだ、ヘッド! おれ達凱空龍の最後の戦いだ。せいぜい、派手に行こうぜ!」

 

 トキサダは手を振ってそのままメカニックに加わっていく。

 

 その強さが、今は眩しい。

 

「……クラード。オレは何となく、死ぬ時までお前が隣に居てくれるもんだと思っていたよ」

 

 そんな格好も付かない独白を吐いてから、アルベルトは馴染みの喫茶店に向かう。

 

 半地下の喫茶店は不幸中の幸いにして崩落は免れたらしい。

 

 いつもの席を掃除していたのは、マスターであった。

 

「ああ、いらっしゃい。すまないね、こんな状態で」

 

「いや、マスター。……こんな時まで営業準備か?」

 

「ここを使ってくれるお客が一人も居なくなるまで、儂は仕事を続けるとも」

 

 そう笑いつつも、喫茶店の中の惨状は酷いものだった。

 

 陳列された調度品はそこらかしこで砕け、いつもならば芳しい香りを放つコーヒーメーカーでさえも停止している。

 

 それだけ非常時であるのを窺わせた店内で、アルベルトは気を遣う。

 

「その……客として、今は……」

 

「うん? ああ、構わんとも。いつもの席は綺麗にしてある」

 

「サンキューな、マスター。だが、あんたももう逃げたほうがいい。この逃走ルートなら、トライアウトの目も掻い潜れる。死なずに済むんだ」

 

 端末に映した逃走経路に、マスターは渋面を作った後に、いいや、と頭を振る。

 

「何でだ? ここじゃない、もっとマシなコロニーで店を持てるだろ、あんたは」

 

「それを君が言うのかい? アルベルト君。元々掃き溜め同然だったこの喫茶店の治安を、取り戻してくれた功労者が」

 

 元々、この喫茶店は裏取引に使われていた。

 

 非合法な思考拡張施術、有機伝導技師を使っての薬物の流入。それらの治安が悪化の一途を辿っていた頃、この喫茶店を根城としていた派閥との抗争にもつれ込み見事勝利した自分達が今度は使わせてもらう事になったのだ。

 

 とは言っても、他のメンバーはコーヒーの味も、ジャズも好かないと言うのでほとんど自分の貸し切り状態だったのであるが。

 

「……よしてくれ。あれだって凱空龍がまだちっさかった頃にクラードが……ああ、そうだった。あれはまだクラードが来たばっかの頃だったな」

 

 その頃のクラードはまさに抜き身の刀のような鋭さを持っており、邪魔をする勢力を迷いなく次々と排除していったのだが、その時から今までずっと裏切られていたのだと考えると、自分もある種、人がいいようなものだ。

 

 ――クラードに助けられた。いいや、実際助けてもらってきた。

 

 そのお陰で今の凱空龍の面子があるのもあるし、デザイアでの地位の確立にはクラードなしでは語れない。

 

 だからこそ、今、隣に居てくれるはずのクラードが居ない事実が何よりもじくりと疼く。

 

 自分のせいなのか、とアルベルトはレトロな換気設備を仰いで席に座り込む。

 

 喫茶店の中ではいつものナンバーが流れ始めていた。

 

 使い古されたレトロナンバー、自分のお気に入りの曲。

 

 もしここで、凱空龍を裏切って地球に降りるのならば、とそんな益体のない考えに身を浸してしまう。

 

 地球圏でも上手くやれるだろうか。

 

 ここでの事を全て忘れて、何もかもが遠い幻の、過去だったと割り切って……。

 

「……馬鹿だろ、オレ。無理に決まってる……。忘れる事なんて出来るかよ。オレの魂の場所はここなんだ。なら、デザイアが朽ち果てるまでは、守らなくっちゃいけないはずなんだ」

 

 何よりも自分の信念に。

 

 誰かから与えられたものではなく、自分の信を置くものに。

 

 マスターがコーヒーを提供する。

 

 そっと香りを嗅いでから、口に含んだところでアルベルトは頬を伝う熱を感じていた。

 

「……マスター。今日のコーヒーはちと苦いな」

 

「いつもの味だよ。君が注文してくれる、ね」

 

 



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第13話「戦士の背中に」

 雪辱は功績で晴らせ、と当初から言われてはいたものの、やはりと言うべきか、報告書の体で提出した謎のMSに直属の上司は参っているようであった。

 

「……このMSの所在は?」

 

「不明です。ですが、《エクエス》が二機やられました。私の搭乗する《エクエス》もミラーヘッドを駆使していなければきっと撃墜されていたかと」

 

「思わぬ伏兵とやらか。――ガヴィリア・ローゼンシュタイン少尉」

 

「はい。このガヴィリア、一命を持って謎の白い機体を排除――!」

 

「いや、こいつの排除は後回しだ。デザイアの掃討に向かえ」

 

「し、しかし! 彼奴は我が方のミラーヘッド機に匹敵する戦力です! ここで潰しておかなければ、禍根が……!」

 

「聞こえなかったのか。この白い奴に関しては見なかったことにしろ。いいな? 二度目はないぞ」

 

 まさか、とガヴィリアは身が竦み上がる思いであった。

 

 この白い謎の不明機に関して、上層部が噛んでいるのか、と言う疑念。

 

「……お言葉ですが、これはデザイアのウジ虫連中を味方した機体です。掃討作戦を行うのならば、これと会敵する恐れがあります。そうなった場合、無視せよと?」

 

「そうだ、そう言っている。こいつは相手にするな。スペックが《エクエス》とはまるで違う」

 

 それは承服出来かねる条件だった。

 

 戦ってみなければ勝てる勝てないは議論に上がらないはず。

 

 何よりも――とガヴィリアは胸に刻んだトライアウトの紋章を意識する。

 

 その誇りとするところは、「見敵必殺」の心得だ。

 

 ――敵は最後の一滴になるまで葬れ。立ち向かう者には容赦をするな――。

 

 軍警察に入り、ここまで上り詰めた矜持が胸にはある。

 

 だと言うのに、目の前の敵を払うなと言うのはどだい無理な話であった。

 

「……ではもし、勝てる見込みがあれば、どうなのですか?」

 

「ローゼンシュタイン少尉。君は自殺願望でもあるのかね?」

 

「い、いえ! そういう事ではなく! 今ならば勝てます! 自信がある! 何よりも、令状はまだ生きています。ミラーヘッドオーダーは四十八時間有効。この間に下位のオーダーは絶対に通らない。その仕組みを分かっているからこそです。今ならば敵がどれほどのミラーヘッド機であろうとも、確実に殲滅出来る。その機を逃すわけにはいきません」

 

「……なるほど。ミラーヘッドの、第四種殲滅戦のルールに則るのならば、その通りであろう」

 

「そうです! 勝てる見込みがあるのなら、倒しておくべきではないのですか?」

 

「……了解した。ローゼンシュタイン少尉。トライアウトの《エクエス》は五機編成。今度こそデザイアの連中を根絶やしに出来ると、誓えるか?」

 

「ち、誓えます! この矜持にかけて!」

 

 挙手敬礼の形を取ったガヴィリアに上官は嘆息をついていた。

 

「仕事熱心なのはいいが、忠告はしたぞ」

 

「必ずやあの白い機体の首を獲ってここに戻って参ります! では、失礼しました」

 

 回れ右で退室しようとした瞬間、上官がふと呟く。

 

「……噛み付き癖を如何にかせんといかんな」

 

 扉が閉まってから、ガヴィリアは拳を震わせる。

 

「噛み付き癖……? 私が? この私が噛み付き癖だと……?」

 

 それは自尊心を頭から穢されたのと同義。

 

 ガヴィリアは肩で風を切りつつ、整備デッキに向かっていた。

 

「者共! 聞けぇッ!」

 

 整備班と共に《エクエス》の配備の相談をしている下士官達へと声を振り向ける。

 

 全員がこちらを仰いで傾注する。

 

「我々はあの最底辺コロニー、デザイアとの戦闘において一時撤退をした。それは貴様らにとっての生涯の汚点となるであろう! 汚点はそそがなければ、名誉は挽回しなければ意味がないもの! ここに、あのデザイアで湧くウジ虫連中に勝てぬとする不心得者は居るか? 居るはずがあるまいな!」

 

「然り!」

 

 踵を揃え、全員の視線が自分へと集まる。

 

 ――そうだとも。最底辺の連中には最底辺の死が相応しい。

 

「第四種殲滅戦のオーダーはまだ生きている! ミラーヘッドを展開し、一気呵成にコロニーを撃沈させる! なに、元々無法コロニーだ。何かのはずみで崩壊しても、明日のニュースの三面記事になるだけで誰も気にせんとも。《エクエス》は五機編成! 私の隊長機の整備は?」

 

「万全であります!」

 

 整備班が声にするのを、ガヴィリアは満足げに聞いていた。

 

「結構! では諸君。殲滅の時間と行こうではないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄く瞼を上げた瞬間、切り込んできた光に、アルベルトはハッとして身体を起こす。

 

「クラード……!」

 

「ミュイ……? クラードじゃないよ」

 

「……ファムか。オレ、寝ちまっていたのか……」

 

 時計を見やると、朝まで時間もあまりない。

 

 じぃっとこちらを覗き込んでくるファムは好奇心の塊のようなものだった。

 

「何だ、時計が気になるか?」

 

「ミュイ……おいしいの?」

 

「食べ物じゃねぇって。これでも最新式のガジェットで……ああ、そういやこんな話してると、クラードは興味ないとか言っていたよな……」

 

 我ながら女々しい事だ。いつまで引きずっているのだろう。

 

「アルベルト。クラードは……」

 

「皆まで言うな。分かってる。ファムがここに来たって事は、クラードは行っちまったんだろ? ……なら、オレらの戦いをしに行くだけだ。にしても、自分で助けた女子供を放っておくなんて、あいつもヒデェなぁ。マスター、今日のありがとな。美味かったぜ、コーヒー」

 

「……言い忘れていたんだが、いつもコインが一枚、足りないよ」

 

「そいつぁ悪かった。つけといてくれ。……出世払いでな」

 

 もう会う事もあるまい。

 

 そう考えてアルベルトは格納庫へと向かっていく。

 

 道中、何度かファムが後ろから付いて来て声をかけようとしてきた。

 

「ミュイ……クラードはね……」

 

「だから、言わないでいいって。つーか、ファムも早く逃げるんなら逃げとけ。凱空龍の仲間でも逃げる一派が居るはずだ。そいつらに任せるから逃走ルートは……」

 

 その言葉の穂を継ごうとした瞬間であった。

 

 極太の光条がデザイアの中央シャフト部を射抜き、突然に天候調整システムがダウンする。

 

 降りしきっていた酸性雨が、この時だけは止んでいた。

 

「雨が止んだ……。いや、それよりも……野郎、コロニーシャフトを撃ち抜いただと……! 条約違反だぞ、そいつぁ……!」

 

 駆け足となったアルベルトは格納庫に赴くなり、戦闘員を掻き集めていた。

 

「悪ぃ、遅くなった! ……トライアウトの連中、シャフトを……」

 

「ああ、このままじゃコロニーが崩壊しちまう……! 自動修復システムもシャフトなしじゃ循環しない……! 本気でおれ達を殺し切るつもりみたいだな……」

 

「総員、対MS戦闘用意! 旗を揚げろ! 凱空龍の最後の見せ場だ。旗翳して奴らをビビらせる!」

 

 ビーム粒子が旗を構築し、凱空龍の旗をなびかせる。

 

 次々に飛翔していく《マギア》の改修機を目に留めつつ、アルベルトは足元で所在なさげにしているファムを視野に入れていた。

 

「……ファム。逃走班! ファムを逃がしてやってくれ! 後は頼んだぜ!」

 

 逃走ルートを取るメンバーがファムを逃がそうとしてくれるが、彼女は頭を振って抵抗する。

 

『いや……っ! だってクラードが……!』

 

「……クラードにいつまでも頼ってられねぇ。《マギアハーモニクス》、アルベルト、出るぞ!」

 

 飛翔機動に入った《マギアハーモニクス》はビル街を抜けてそのまま敵MS編隊へと突入していた。

 

「……敵は五機編成……隊長機は前と同じか。野郎、意趣返しってのか……。各員! 連携を怠るな! ミラーヘッド、展開準備……!」

 

 アルベルト自身もミラーヘッドシステムを展開しようとして、不意にシステムダウンとエラーに見舞われていた。

 

「ミラーヘッドエラー……? やっぱり、令状持ちだってのか……! オレら相手にそこまでやろうって……!」

 

『デザイアのウジ虫諸君! 喜べ! 貴様ら相手にこの私、ガヴィリア・ローゼンシュタインがミラーヘッドオーダーを用いて片っ端から殲滅してやろうと言うのだ!』

 

「シャフトぶっ千切った外道が何を――!」

 

 自身の《マギアハーモニクス》が抜刀するのと、敵の《エクエス》が抜刀するのはほぼ同時。

 

 しかし《マギア》は機動力のために装甲を犠牲にしている。

 

 拮抗の状態は真の意味では正しくはない。

 

 ビームサーベル同士の干渉波がスパーク光を散らせている現状は、単純に気圧されの意味を持っていた。

 

「クソが……ッ! 何だってオレらにそんなに構うんだ、てめぇは!」

 

『簡単だよ、ウジ虫君! 目の前で湧かれたら不快で不快で、踏み潰してしまいたいものだろう? 虫けらと言うのはねぇッ!』

 

《エクエス》の蹴りが《マギアハーモニクス》の中枢に入る。

 

 それだけでも致命打となっていた。

 

 元々《マギア》は《エクエス》と真正面から打ち合うようには出来ていない。

 

「……市街地に突っ込む前に姿勢建て直し……出来るか?」

 

 否、出来るかではない。出来なければ死あるのみだ。

 

 制動用の推進剤を焚いて横ロールしつつ速度を減殺。

 

 立体機動に入り、そのまま市街地を真っ直ぐに抜けていくが、そのままでは結局、大型ビーム兵装を持つ随伴器の《エクエス》の射線に入ってしまう。

 

 アルベルトは操縦桿を握り締め、今にも吹き飛びそうな稼働を抑え込んで急上昇に転じようとしていた。

 

 両手で操縦桿を抑え込み、奥歯を軋らせる。

 

「上がれ……ッ!」

 

 コロニーの山間部に突っ込みかけて、《マギアハーモニクス》はようやく急上昇に入るも、その時には大型ビーム兵装が一射されている。

 

 天地を縫い止める禁断の兵装の一撃が山間部の森林を蒸発させ、その光条は街並みを焼き払っていく。

 

「オレ達の街が……! 野ッ郎……!」

 

 平時のようにクラードに切り込み隊長を任せているわけではない。

 

 上昇と同時に機体の四肢を開き、右腕に装填させた速射ビームライフルを引き絞りつつ、アルベルトは叫んでいた。

 

「ここから出て行け――ッ!」

 

 だが《エクエス》の装甲相手には豆鉄砲のようなものだろう。

 

 防御の陣を敷くまでもなく、隊長機の《エクエス》が蒼い軌道を描いて無数に分身する。

 

「ミラーヘッド……!」

 

『悲しいな! 私は勝利する! 君らは死ぬ! 当然の報いだ!』

 

 ビームサーベルを刺突の構えにして、隊長機《エクエス》が分身体をそれぞれの位置に配し、一方は自身の防衛網に。一方は格闘戦に特化させ、雪崩のように用いて自機を圧倒する。

 

 ミラーヘッドを使えず、そして機動力を武器に出来ない時点で、《マギアハーモニクス》は詰んでいると言ってもいいだろう。

 

「……だがよ。このままじゃ……死んでいった連中に示しがつかねぇんでな! てめぇの手足の一本や二本は巻き添えにさせてもらうぜ!」

 

『笑止! 私がアウトロー共との戦いで腕をやられるとでも? 君らの剣術さばきと私の剣術では次元が違うと知れ!』

 

 ビームサーベルを発振させてそのまま猪突にもつれ込んだ《マギアハーモニクス》であるが、無数の分身体の砲火相手に直撃を免れるのがやっとだ。

 

 それでもじりじりと機体の駆動系を粉砕されているのが次々と参照されるエラーと赤色のアラートで分かる。

 

 このままではただの自滅。ただの特攻だろう。

 

「……だがよ。オレを許してくれよな、みんな。こんな……示しのつかないヘッドでも……やれる事の一個や二個はあるんだよ……!」

 

 数ある分身体を潜り抜け、アルベルトは決死の覚悟で隊長機本体へと取り付く。

 

 その瞬間、リニアシートの足元に位置する自爆信管を引き抜こうとして、その躯体は《エクエス》に蹴り上げられていた。

 

 全てがスローに見える世界で、アルベルトは終わったと自覚する。

 

 無様によろめき、直上からの分身体の全霊を受けて恐らく自分は砕け散るだろう。

 

「……まぁでも、似合いの結末だな。……あばよ、みんな。それと、クラード。……これまで世話ぁかけたな……」

 

 蒼い分身体が迫る。

 

 刃が大上段に振るい上げられた、刹那――。

 

『――何勝手に自己完結してんの』

 

 接触回線を震わせた声に、アルベルトは目を開く。

 

 ゆっくりと開いた眼前で、白い鋼鉄の背中が自分へと手を差し伸べていた。

 

《マギアハーモニクス》のマニピュレーターを掴み上げ、白い影はそのまま肉薄したミラーヘッドの幻像を爪で斬り払う。

 

「……クラー、ド……。何で……」

 

『何でも何もないだろ。俺はまだ……あんまり好きな言葉じゃないけれど、“ケジメ”って奴を付けていない。そのままじゃ、戻っても居心地悪いから、だから付けに来た』

 

 本当にそれだけのように、クラードの駆る白亜のMS――《レヴォル》は次々に格闘戦へとなだれ込むミラーヘッドの分身体を膂力で打ち砕いていく。

 

 力任せのようで、実は違う事をアルベルトは見抜いていた。

 

 掌底を浴びせる際、《レヴォル》の掌の中央から何か蒼い粒子が散布され、それが爆発的な威力を誇ってミラーヘッドの分身体に引火――そして炸裂している。

 

 想定外の攻撃網を誇る《レヴォル》はそのまま降下し、打ち捨てられた格納庫へと自分を降ろしていた。

 

「……クラード……でもお前は……一度だってオレ達とは、仲間だったつもりなんてなかったんじゃ……」

 

『ああ、なかった。アルベルトと喋っていた俺は全部、“取り繕い”の偽物さ。俺はエンデュランス・フラクタルのエージェントで、任務のために潜入しただけだ。でもその任務内容がさ。“デザイアの上層部にまで至ってから、目標物を回収しろ”だったんだ。だからまだ、前半をこなしていない。凱空龍はテッペンに立ってないだろ』

 

「……クラード……そいつは……」

 

『だから、間違いだけを正しに行く。俺が《レヴォル》を受け取るまでが任務なら、帰投までも任務のうちだ。それを邪魔する奴らは――俺が排除する。行くぞ、《レヴォル》』

 

《レヴォル》が姿勢を沈め、直後には弾丸のように《エクエス》五機に向けて飛翔している。

 

 アルベルトは思わずコックピットから出て叫んでいた。

 

「クラード……! お前はやっぱり……!」

 

 届かなくともいい。だが今は、戦いへと赴く戦士の背中に……。

 

 



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第14話「さらば青春の光よ」

『一機だけでやってくるか! まともな編隊も組まずに!』

 

「うるさいな……。要らないよ、お前ら相手に」

 

 ぼやいたその言葉と共に前を遮って来た広域射程の砲身を持つ《エクエス》へと、まずは速度で肉薄せしめ、掌底をそのまま砲口へと突きつけていた。

 

 粒子が散布され敵の長距離射程ライフルが内側より爆ぜる。

 

 爆発の光を照り受けながら、《レヴォル》は腕を払い、次なる獲物へと標的を絞ろうとして、直上からの熱源反応に飛び退る。

 

『ミラーヘッドを! 嘗めないでもらおうか!』

 

「……残り四機。うち一機はミラーヘッドの令状持ちか」

 

『左様! ミラーヘッドの悪夢を前にして散れぇッ! ウジ虫共よ!』

 

 隊長機《エクエス》が腕を払い、ミラーヘッドを一気に展開させる。

 

 蒼い幻像の悪夢に、平常なる人間ならばここで絶望しているだろう。

 

 ――だが自分には。ここには己と《レヴォル》が在る。

 

「……なら、戦わないのは嘘でしょ。パンを切るよりも鋭く、早くあれ。……引用不明」

 

 各種インジケーターを承認させ、クラードは最終安全装置を解除させる。

 

「手動承認」の待機モードに入った《レヴォル》へと、クラードは告げていた。

 

「――ミラーヘッド、展開」

 

 瞬間、テーブルモニターへと「承認」の文字が映し出され、各種ステータスの画面へと、現状の《レヴォル》が表示される。

 

「ミラーヘッドジェルの消費率……六割以内……充分だ……!」

 

 輝いた真紅の瞳に戦意を滾らせ、クラードは敵機を睨み据える。

 

 直後には、《レヴォル》は無数の分身体を後方に並べ立てて構築し、腕を手刀の形に変えていた。

 

 同期した分身体が動作を模倣する。

 

『……何、だって……。何故、ミラーヘッドが使える……? ミラーヘッドオーダーは四十八時間有効なはずだ!』

 

「知るか、そんなの。お前ってさ、つまんない事言うんだな、いちいち」

 

『……嘘だ……ウジ虫連中が……嘘だァッ!』

 

 殺到した蒼い幻像同士がぶつかり合い、互いの戦力を喰い合うが、《レヴォル》の操るミラーヘッドは次々と敵のミラーヘッドを押し潰していき、その首を刎ねていく。

 

 対MS戦においての部分欠損は決定的な勝因とならないが、ミラーヘッドは話が別だ。

 

 何せ、幻像のダメージはそのまま本体へとフィードバックされる。

 

 斬られれば斬られるほどに、ミラーヘッド本体が保有するミラーヘッドジェルが大きく消費されていき、コックピットの中のライドマトリクサーは損耗する。

 

『……何を……何をやっている! 撃て、撃たんかぁッ! 奴を近づけさせるなぁ――ッ!』

 

 残り四機の《エクエス》がおっとり刀で攻撃機動にようやく入るが全て――遅い。

 

 ミラーヘッドの幻像が《エクエス》四機を格闘戦術で抑え込み、そのコックピットへと迷いのない殺意と共に掌底が浴びせ込まれる。

 

 穴を穿たれた《エクエス》は糸の切れた人形のようにそのまま落下の一途を辿る。

 

 まるで不格好なサーカスを見ているかのよう。

 

 蒼い幻像に射抜かれた《エクエス》の崩落の舞台の上で、未だに踊り続ける隊長機へと、クラードの操る《レヴォル》自ら、再接近していた。

 

『や、やめ――』

 

「――つくづく、つまんないな、お前。幕切れだよ、自己満足に過ぎない、虚飾の戦場は」

 

《レヴォル》の放つ殺気と共に放出されたミラーヘッドの粒子束の一撃を隊長機の《エクエス》は両腕をパージさせて瞬間的に引火させる。その勢いを借りて白煙を引き、脱出経路を辿っていた。

 

 逃げる敵まで追う趣味はない。

 

《レヴォル》へとミラーヘッドの幻像が収束して消えていく。

 

「……ミラーヘッド展開終了……。やっぱり……半年の隔たりは大きいな……」

 

 脂汗を額に掻いていたが、今はそんな事に頓着している暇さえも惜しい。

 

「シャフト部を粉砕されたコロニーが維持出来るのはほんの数十分。その間に……」

 

 接合された可変腕よりもたらされた情報網が脳内のリンクディスプレイに映し出される。

 

 網膜に直接映し込む技術によって、現在のデザイアの惨状が克明に理解させられていた。

 

「リミットはたったの十分ちょっと。仕方ない、MSに乗っていない人間は見逃すしか……」

 

 そこでクラードは視界の隅にミラーヘッドの蒼の光を確認する。

 

 拡大化させた視野の中で、ファムが小さくなって震えていた。

 

《レヴォル》を降下させ、そのままマニピュレーターを差し出す。

 

「……乗って。死にたくないんなら」

 

『ミュイ……やっぱりクラード、たすけにきてくれたー!』

 

「違う。勝手に助かるんだ。それだけだよ」

 

 ファムをコックピットに招き、クラードはそこらかしこから空気圧と、そして再生能力を失ったコロニーが自壊していくのを目にしていた。

 

「……もうデザイアは持たない。アルベルト達は……」

 

 その時、旗を掲げて上昇軌道に入っていたのは、凱空龍の生き残りの《マギア》部隊であった。

 

 彼らへと、クラードは嘆息をついてから、本当、とぼやく。

 

「……つまんないよな、俺も」

 

 ミラーヘッドの粒子を操り、《レヴォル》に構築させたのは見知った凱空龍の旗であった。

 

 すると凱歌のように、凱空龍の通信がアクティブになっていく。

 

『あれは……あれは凱空龍の旗だ! おれ達の旗だ!』

 

『あのMSは味方なのか……? 識別信号は……!』

 

「……達す。こちらは凱空龍のクラード。この旗印の下に集うのなら、付いて来い。コロニーは今に駄目になる。その前に……逃げ込む場所くらいはあるんだからな」

 

 すると、凱空龍の《マギア》は旗を大きく掲げてそれを誇示するかのように振って見せる。

 

 最後の旗を持つ機体が浮かび上がり、《レヴォル》と相対速度を合わせて来ていた。

 

『……クラード。オレは……』

 

「アルベルトか。……信じられなければ付いて来なくってもいいし、俺は信じろなんて絶対に言わないよ」

 

『……ああ、それで構わねぇ。オレが信じたいんだ』

 

「……どいつもこいつも、勝手に信じていくんだな」

 

 旗を掲げたMS群が崩壊するコロニー、デザイアにまるで別れを告げるかのように粒子の旗を天高く揚げていく。

 

 それは故郷への最後の挨拶のようであった。

 

『……あばよ、デザイア。オレ達の青春』

 

 アルベルトが呟いて、《マギア》の改修機はそれぞれ崩れ落ちていくコロニーを暫し見つめていた。

 

「……これでどうにかなるわけじゃないけれど、でも……軍警察はもう追ってこないとは思う」

 

『クラード。しかし暗礁の宇宙の中で漂うのは現実的じゃねぇ。当てはあるんだろうな?』

 

「もちろん。あれが、新しい拠点だ」

 

《レヴォル》が指し示したのは、こちらへと真っ直ぐに航行する大型戦闘艦であった。

 

 オレンジ色の母艦はこちらへとランデブーポイントを指定し、そのまま誘導灯を灯らせる。

 

 カタパルトを開いたその艦にアルベルトは呆然と声にしていた。

 

『ここは……』

 

「ヘカテ級機動戦艦、ベアトリーチェ。エンデュランス・フラクタルの母艦だ」

 

 カタパルトに接地するなり整備班の声が通信網に響き渡る。

 

『《レヴォル》の帰投だ! 各員、機体整備! ミラーヘッドを使用した痕跡があるのならパッケージ通りじゃないぞ! マニュアルは捨てていけ!』

 

《レヴォル》に取りついた整備班を見やってから、クラードはようやく両腕を元の状態に可変させる。

 

 額に浮いた汗の粒を拭い、接続された通信窓に視線を配る。

 

『クラード。作戦遂行の後、無事帰還、ご苦労だったな。《レヴォル》に関しちゃ任せとけ。おれ達が最上に仕上げておいてやる』

 

「……助かる、サルトル。ミラーヘッドを短時間ながら行使した。多分、損耗率は三割以内」

 

『了解。なに、お前が関わる前からこいつのプロジェクトには立ち会っているのさ。よちよち歩きの頃から見ている仲だ。《レヴォル》を万全にしておく。お前は休んでおけ。そうしとかないと次が辛いぞ』

 

「分かってる。ベアトリーチェの俺の部屋……と、そうだった。荷物がある」

 

「クラード! ちいさいひと!」

 

「違う、小さいんじゃないんだ、通信ウィンドウだよ」

 

『……クラード? 誰だ、その子? 後ろのは潜入していたって言う暴走族の連中ってのは分かるんだが、その子はデータにはないぞ?』

 

「ミュイ! ファムはファム!」

 

「……ファムって言う名前の……どっかの誰かの落し物。俺にもよく分かんないから、女性クルーに任せておく。アルベルト達の《マギア》を頼んだ」

 

『……それは……任されておくがしかし、艦長に直談判するのはお前だからな? いくら戦力が増えたって言っても、それがイコールこっちの強みになるとは限らないんだ。どちらかと言えば弱点になるだろう』

 

「……弱点、か。ないほうがいいはずだな」

 

 気密が保たれたのを確認してからクラードはコックピットハッチを開く。

 

 するとファムがごろんと前に転がって上下逆さまのまま漂流する。

 

「クラード! うかぶ!」

 

「そりゃあ、そうだろう。無重力なんだからな」

 

 半年以上振りのサルトルがコックピット側面のメンテナンスボックスを開いてケーブルを伸長させる。

 

「久しぶりだな、クラード」

 

「サルトルも久しぶり。……ちょっと痩せた?」

 

「三キロプラスだ、コンチクショウ。メシ食っとかないとこの先やっていけんからな」

 

 端末に次々と《レヴォル》のデータを移送していくサルトルから、クラードは流れ行くファムを中空で抱き留めた相手を目にする。

 

 リクルートスーツの茶髪の女性が目をぱちくりさせていた。

 

「うわっ……えっと、どちら様……?」

 

「ファムは、ファムだよ?」

 

「その声……委任担当官って言う……」

 

「あっ、そのー……御挨拶しないとと思いまして。はじめまして、クラードさん。私、委任担当官となったカトリナ・シンジョウです」

 

 名刺を差し出す相手を無視して、クラードは後方で怒鳴り声を散らす整備班とアルベルト達を視野に入れていた。

 

「だから! カスタムモデルの《マギア》なんて整備対象外なんだって! 分からないのか?」

 

「これはオレ達の魂の機体だ! 下手な事するんなら承知しねぇぞ!」

 

「冗談! エンデュランス・フラクタルの整備班が仕事するって言ってるんだ」

 

「……上手く行きそうもないのかもな」

 

 呟いた自分に対し、カトリナは目の前で硬直している。

 

「……何? 邪魔なんだけれど」

 

「いえ、そのぉー……挨拶を」

 

「必要ない。それと、今次作戦の是非を艦長に報告しないといけない。俺の部屋は? サルトル」

 

「Cブロックのほうにある。感謝しろよ? これでも綺麗にしてあるんだからな」

 

「進水式をすっ飛ばして発進したんでしょ? 当然だよ」

 

 クラードは格納デッキを漂おうとして、目の前のカトリナがいつまでも退かないので戸惑いを返す。

 

「……退いて。邪魔だ」

 

「いえ、その……兎みたいな……赤い瞳なんですね」

 

 小動物めいた栗色の瞳を見開いているカトリナに、クラードは返答しようとして不意打気味の衝撃によろめいていた。

 

 ファムが転倒して泣き出してしまう。

 

「……この衝撃……敵襲?」

 

「ま、まさか……。帰還したばっかりですよ?」

 

 だがその言葉とは裏腹に艦内はすぐさま赤色光に塗り固められ、警告音が鳴り響く。

 

『高熱源を感知。十時の方向にシグナル不明のMSを確認しました』

 

 通信ウィンドウがベアトリーチェの管制室に接続される。

 

 通信先に居たのは長い赤髪を流した女性オペレーターであった。

 

「……何があった?」

 

『ビームライフルと思しき熱源攻撃を検知。敵の総数は現状では不明……』

 

「分かった。《レヴォル》で迎撃する」

 

「ま、待ってください! クラードさん! 今の《レヴォル》は手負いのはず。危険過ぎます!」

 

「……じゃあ他に迎撃出来る人は居るの?」

 

「それは……」

 

「アルベルト達のほうが手負いだ。俺が一番マシなはず」

 

 カトリナを押し退けてクラードはコックピットのハッチを閉める。

 

「……ミラーヘッドジェルの消費量は四割。初期値にしては上出来か。敵もミラーヘッド機の可能性は?」

 

『待ってください。……信号を確認。照合シグナルは《エクエス》一機です』

 

「たった一機? ……嘗めているのか。軍警察の送り狼?」

 

『いえ、たった一機の黒い《エクエス》で……』

 

 そこで《レヴォル》のインジケーターを稼働させていた手を止める。

 

「……黒い《エクエス》……? まさか……」

 

 その答えを咀嚼する前に、次なる一手がベアトリーチェを激震させる。

 

『右舷直撃! ベアトリーチェの兵装システムはまだ未調整なんです! このままじゃ……』

 

「遠からず轟沈か。《レヴォル》で出る。他の人は? ついて来られる人の一人くらいは居るでしょ。そいつに艦は任せる」

 

『ハイデガー少尉なら、《エクエスガンナー》で出撃可能との事です』

 

「……なら、艦砲射撃の代わりになってもらう。黒い《エクエス》がたった一機だって言うんなら、俺の《レヴォル》で出たほうが早い。このままスクランブルでカタパルトデッキまで向かう! 水先案内人は不要!」

 

 整備班のガイドを経ずに、《レヴォル》はカタパルトデッキに向かっていた。

 

 シャッターが開き、カタパルトのスリッパへと《レヴォル》が足を乗せる。

 

 ベアトリーチェ側面のカタパルトが引き出され、そこから直進に伸びるリニアボルテージを《レヴォル》は踏み締めていた。

 

「管制室に問う。《レヴォル》、発艦準備完了。タイミングを譲渡」

 

『クラード! 《レヴォル》はまだ……』

 

 いつまでも発艦許可は下りない。

 

 赤く染まったままのシグナルを視野に入れ、クラードは深呼吸を置いて、丹田に力を込める。

 

「強制排除! エージェント、クラード。《レヴォル》、先行する!」

 

 スリッパを排除し、浮遊した《レヴォル》へと三時方向からビームライフルの光条が突き刺さる。

 

 カタパルトに縫い付けられていれば確実に撃墜されていたであろう。

 

 燃え盛るカタパルトが眼下で消火用のガスが散布されるのを視界に入れながら、クラードは《レヴォル》の操縦系統と自らの腕を接合させる。

 

 可変腕よりもたらされたライドマトリクサーとしての情報網を即座に脳裏に叩きつけ、クラードは暗礁宙域でこちらを狙い澄ます敵影を予見していた。

 

「……そこか」

 

 黄色いビームライフルの光芒が下方を突き抜けていくのを視認しつつ、《レヴォル》は推進剤を焚いて敵機へと肉薄する。

 

「前情報通りの黒い《エクエス》……。だが、その機体を操るのは……!」

 

 瞬間、敵機は抜刀し、ビームサーベルの発振光が焼き付く前に、クラードは《レヴォル》の掌底を叩き込んでいた。

 

 直後には、炸裂した衝撃波とビームサーベルの干渉波が激しくスパーク光を散らして互いの機体を照り返させる。

 

 敵機の黄色い眼窩が煌めき、蒼い《レヴォル》の視線と交錯していた。

 

『――光栄、だと思うべきなのかな。エンデュランス・フラクタルの新型と死合えるとは!』

 

「何者だ!」

 

『識者、グラッゼ。グラッゼ・リヨン。喜ばしいな、また敵となるか。エージェント、クラード君!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二章 「青春の日々にサヨナラを〈グッバイ・ユースフルデイズ〉」 了

 



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第三章「抱くそれぞれの想い〈フィーリング・オブビジョン〉」
第15話「識者の眼差し」


「――それは厳命だと、思えばよろしいので?」

 

 尋ね返した自分に上官は僅かに気色ばむ。

 

「不満かね、グラッゼ・リヨン大尉」

 

「不満と言うよりかは不明です。私に、その企業の擁する新造艦を墜とせと仰るのならば、然るべき処置を積んで、然るべき手順をもってしてやるべきでは? これでは闇討ちのようなものだ」

 

 上官の執務机の上に散乱している書類の中に、オレンジ色のヘカテ級戦艦の写真を発見する。

 

 相手は重苦しい嘆息をついてから、しかしだね、と指で机を叩く。

 

「闇討ちをしなければいけないと、わざわざ我が方に言ってくる酔狂なスポンサーも居るものでね。統合機構軍に属するのならば何もスポンサーの意向を通さずしてエンデュランス・フラクタルと事を構えたいなどと、真っ向から言ってくる人間のほうが希少だ。あの企業はほとんど月のダレトに関しては独占状態。このままではいけないと、逸る人間が居てもおかしくはない」

 

「その一手が、新造艦の建造……しかし、別段民間企業の艦を私一人で轟沈させろと言うのは無理な話では? 申請しておいた私所有の新型機も出せないと言うのですか」

 

「まずは手を試す。その上で、君は今次作戦とは別のところで動いてもらう。なに、情報に寄れば、このポイントに向かうヘカテ級機動戦艦ベアトリーチェとやらはほとんど丸腰だ。ここならば禍根の芽を摘める」

 

「分かりませんね……。エンデュランス・フラクタルのやり方が気に食わないと言うのならば、彼の者達にやらせればいいのでは? 私が出る条件としては薄い」

 

「連中は己の手を汚さずして試金石を見たいだけのようでね。何よりも、君も黒い《エクエス》乗りだろう? 何かと因縁は、あるかと思うのだがね」

 

 上官が差し出した写真の中には軍高官へと共有された黒い《エクエス》の模擬戦闘が克明に映し出されている。

 

「……まさか、彼、ですか」

 

「そのようらしい。一石二鳥を狙うとは、このスポンサーは少しばかりは考えている。“黒い旋風”の異名を取る君に比肩してみせた、同じく黒き風の一陣……」

 

 くしくもその奇縁に、グラッゼはサングラスを外してみせる。

 

 酸性雨の降りしきるコロニー内で望遠写真ではあるが、《マギア》のコックピットで膝をついている相手の面影をグラッゼは手繰り寄せる。

 

「……エージェント、クラード君。まさか、彼が関係しているなんて」

 

「一時期軍の研究施設に居た頃の盟友とはな。思わぬところで繋がっているものだ」

 

「同朋です。ライドマトリクサーの臨界試験の被験者でした」

 

「君は一切のRM施術を否定してこの地位に居るのに、彼はモルモットかね?」

 

「いえ、彼自身の希望だったと聞きます。RM施術と有機伝導に関して、彼はほとんどのそれを行使されている」

 

「驚いたな。現代科学の申し子か。それほどの相手、撃てるのかね、大尉」

 

 その問いに逡巡の間は一切挟まず、即答してみせる。

 

「いえ、撃てます。よく知っていますので。同じく……試験運用としてまだ実用化の前だったミラーヘッド搭載の《エクエス》に乗った間柄です」

 

 上官は眼鏡を拭きながら、なるほど、と納得する。

 

「同朋と言うのは何も間違いではないらしい。わたしもその例の彼の戦い振りを観てみたが、凄まじいな。ライフルと格闘武装だけで立ち回ってみせる」

 

「彼はエンデュランス・フラクタルへ、私は独立しただけの話です。何も珍しい事でもありません」

 

「フリーランスの傭兵を気取るようなタマではなかったと?」

 

「……少なくとも私には。何か、彼は待ち望んでいる。そんな気がしました」

 

「それはベアトリーチェとやらの完成か、あるいは別の何かなのかは分からない。そこまでの情報権限は降りて来ていないのでね。だが一つハッキリしているとすれば、彼はエンデュランス・フラクタルのエージェントで、君は我が方のお得意先だ」

 

「私の《エクエス》の準備をお願いします。整備班には無理をかけるので、二日は欲しい」

 

「了解した。そうだ、こういう話があるんだが聞いていかないかね? 君を少佐相当の待遇で採用したい軍部が居ると言う。そちらに少しでもなびくつもりは?」

 

「いえ、私は、私が居るべき場所は私自身で決めます。現状の統合機構軍に属される祖国に報いたいだけなのですので」

 

「……君らしいな。それほどの実力ならば金で囲い込みたい陣営はたくさんあるだろうに。何故我が――白軍(ホワイト)を選んだ?」

 

「故郷が近いのです」

 

 まさか上官もそれだけの理由だとは想定もしていなかったのか、驚愕の面持ちで聞き返す。

 

「……大尉、冗談は……」

 

「いえ、冗談ではなく。私は祖国のために戦います。それ以外は些末事。何かいけませんか?」

 

 上官は口角に喜悦を滲ませ、では、と応じる。

 

「……ある意味では幸運だと思うべきなのかね。君の祖国を抱き込んだ我が方は」

 

「陥落する事はないでしょう。その時は私の命もございません」

 

「働きに期待する、大尉。だが《エクエス》でいいのかね? ミラーヘッドを搭載したとは言え、少し重いぞ?」

 

「構いません。《マギア》は軽過ぎてよくない。あんなものでは、私の識者の理論は振り翳せない」

 

「君の思うところは理解したつもりだ、大尉。顔見知りであっても関係がないな?」

 

「ええ、職務ですから」

 

 挙手敬礼して退室する。

 

 グラッゼはサングラスをかけ直し、それにしても、と運命の過酷さに笑みを刻む。

 

「どこまでも、人界とはまかりならぬものだ。クラード君、私は君とは、争いたくはないが、しかし、死合いたくはあるのでね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――よもやこうした形で再会出来るとは。識者として、自らの運命の女神の悪戯加減には舌を巻くよ。それとも君が、私のほうに逢いに来てくれたのかな?」

 

 眼前でスパーク光を拡散させる《エクエス》と敵の白いMSの相貌に、グラッゼは感嘆の息をつく。

 

「……まるで夜叉の面持ちだ。私を墜とすと言う意気込みが宇宙の冷たさを超えて伝わってくる」

 

『黙っていろ……。お喋りは、舌を噛む!』

 

 振り払われた一動作だけで《エクエス》がパワー負けする。

 

「ビームサーベルを薙ぎ払っただけの動きで圧倒するか。しかし、パワー勝負に持ち込むつもりは……ないのでね!」

 

 敵MSが掴みかかろうと掌を開いて挙動するのを、グラッゼは《エクエス》を後退させて半身になって回避する。

 

『……避けた? 俺の《レヴォル》の……』

 

「《レヴォル》と言うのか? そのモビルスーツ。……残念だよ、クラード君。もしかして君、あの頃よりも弱くなったんじゃないのか? 動きにキレがない。今の一撃で私を殺していたはずだ、かつての君ならば」

 

『うるさい……つまらない事を言うな、お前は!』

 

 距離を稼ごうとした《レヴォル》へと、グラッゼは的確に照準し、その肩口を射抜かんとするが、堅牢な装甲がそれを弾く。

 

「豆鉄砲では撃ち抜けんか! しかし、それは慢心と言う! 堅いばっかりのMSに守られて、貧弱だとは思わないのか、クラード君」

 

 その言葉を投げた直後、敵MS――《レヴォル》の纏っている空気の位相が変わる。

 

「これは……仕掛けて来るな。ミラーヘッドか」

 

『落ち着いてばかりいられると思うな。俺と《レヴォル》なら!』

 

「よろしい。では第四種殲滅戦の形式に則り、勝負をしようではないか。ミラーヘッドオーダーを受諾。グラッゼ・リヨン、ミラーヘッドを行使する」

 

 瞬間、両者がミラーヘッドの蒼い幻像を無数に生み出したのは同時。

 

《レヴォル》は手刀に構えた状態で打ち出すが、こちらは無数の《エクエス》を三カ所に配置する。

 

 まずは陣頭指揮たる前衛にミラーヘッドの分身体の三分の一を配置。

 

 機体性能上、《レヴォル》のミラーヘッドはこの第一陣を突破するのに十秒とかからないはずだ。

 

 だがその間に、第二陣と第三陣は挟み込むようにして敵の攻撃網を潜り抜ける。

 

《レヴォル》がどう戦おうとも、その時にはこちらの配備した幻像を相手取らなくてはいけない。

 

「いずれにしたところで、君は《レヴォル》をどう扱う? ミラーヘッド機同士で戦うのは初めてだが、以前までの君ならば……」

 

 腕を払うと双方のミラーヘッドの幻像が蒼い残光を引きながら衝突する。

 

 想定していた通り、第一陣へと真正面からぶつかって来たミラーヘッドの軍勢を相殺の勢いで殲滅させ、そして残った敵の幻像をグラッゼはビームライフルで的確に射抜いていた。

 

「数さえ減らせば、どうという事はない! そして第二陣と第三陣を君はどう突破するか! そこを攻略出来なければここで沈むぞ、クラード君!」

 

《レヴォル》へと挟み撃ちの形で肉薄せしめたミラーヘッドの分身体。

 

 一斉に牙を剥く瞬間、《レヴォル》はその機体をひねって直後には可変していた。

 

 脚部を背面に仕舞い込み、頭蓋が扁平な装甲に格納される。

 

 甲殻類、あるいは猛禽の嘴を思わせる鋭角的なシルエットが眼前まで迫ったところで、グラッゼは答えを出していた。

 

「――なるほど。挟み撃ちを甘んじて受けるわけでもなければ、私を逃がすつもりもないという事か。変わっていないところもあって安心した。……だがあえて言わせてもらう。以前の君は抜き身の刃、美しき獣であった。だと言うのに、今の君は濁っている。ゆえに! 私は倒せない!」

 

 直撃軌道の《レヴォル》の加速度を上方に逃げて回避し、ミラーヘッドの展開を変移させ、防御に回す。

 

 旋回に入った《レヴォル》はこちらの残存戦力たるミラーヘッドの陣営に阻まれる形となっていた。

 

「機動力に適しているのは結構。だが、君は分かっているはずだ。ミラーヘッドは人型兵器たるモビルスーツにのみ許された称号。可変した時点でミラーヘッド戦を捨てているのだと」

 

 対抗するのにはミラーヘッドの再展開のために人型に戻るしかない。

 

 しかしそうなれば、こちらの戦力相手に《レヴォル》は損耗を強いられるはずだ。

 

 そして読み通り――《レヴォル》には基本的な火器は搭載されていないのだろう。

 

 すれ違いざまに腕を現出させてミラーヘッドの幻像の頭部を引っ掴み、加速して無数の分身体を巻き込んだが、それも一時しのぎ。

 

 大きく円弧を描く機動を取って、《レヴォル》は人型に戻る。

 

 その時こそ、仕上げの時だ。

 

「その距離は、私が打って出る、その時だ!」

 

 ビームサーベルを発振させ、《レヴォル》と相対する。

 

 可変機の弱点は確実に変形シークエンス実行時。

 

 大きな隙が生まれる《レヴォル》に、グラッゼは完璧なタイミングでの抜刀を行ったはずであった。

 

 ――《レヴォル》がその手に自身のミラーヘッドの幻像の頭部を、保持していなければ。

 

 突き出されたミラーヘッドの頭蓋に、グラッゼは硬直する。

 

 ――ミラーヘッド戦においてのダメージフィードバック。幻像を破壊した部位には破壊した分だけの損耗が発生する。

 

 如何に自分がライドマトリクサー施術のそのほとんどを拒んでいても、微細なナノマシンによる思考拡張は行っている以上、自らの手による頭部の粉砕はそれ即ち自分という自我が一時的とは言え、消滅する。

 

 大振りの形で僅かに隙を作ったこちらを、《レヴォル》に搭乗したクラードは見過ごさない。

 

 そのまま掌底を《エクエス》の腹腔に叩き込む。瞬間、グラッゼは後退用の急速推進剤を電荷させ瞬時に後ずさっていたが、ダメージは深刻であった。

 

 次々と浮かび上がる警告ポップアップに、グラッゼは冷静に対処する。

 

「……ミラーヘッド使用不可。ジェルの不足と、そしてアステロイドジェネレーターを狙っての攻撃。なるほど、やはり君はまだ、あの時のままだったというわけか」

 

『……凄んでいる場合じゃないぞ。次はコックピットを射抜く』

 

「強がるんじゃない、クラード君。もう限界のはずだ。かく言う私もそうでね。これ以上戦い続けても互いに益は一つもない。よって撤退する。しかし、これだけは言わせてもらおうか。――君は綺麗だった。あの時のほうが、ね」

 

《エクエス》に炸裂弾頭を放たせつつ、そのまま撤退機動に入る。

 

《レヴォル》もクラードも追ってこない。

 

 それは当然だろう。

 

 あれでも互いに削り合う全力の戦いをしたのだ。

 

「しかし、死合ってみればこの始末……。報告書を書かなければいけないのは憂鬱だよ」

 

 そっと奥歯を噛み締め、悔恨を己の中で仕舞っていた。

 



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第16話「出会い、寄る辺なく」

「漂う《レヴォル》を回収しろって?」

 

 ハイデガーは管制室に問いかける。レミアは頭痛薬を飲みながらそれに応じていた。

 

『ええ、そう。あれは我が社の重要なパッケージよ。ここで一エージェントと、そして切り札を失うわけにはいかないもの。頼めるわね、ハイデガー少尉』

 

「それは……いいんだが」

 

《エクエスガンナー》に周辺警戒をさせてから、甲板をそっと蹴って推進剤で漂流する《レヴォル》に取りつく。

 

「しっかりしろよ。……って言っても無茶あるか。今の奴……相当な使い手だったな」

 

《エクエス》の技術的な不利をことごとく排除したかのような立ち振る舞い。

 

 もし自分が《レヴォル》に乗っていれば、と思うと身震いする。

 

 ――確実に撃墜されていたであろう。だがだからと言ってこのパイロットを認められるか?

 

「……お前は、半年も前から《レヴォル》をずっと、待っていたって?」

 

 返答はない。

 

 ともすればミラーヘッドの行使と《レヴォル》の接続で消耗しているのかもしれない。

 

 ハイデガーは《エクエスガンナー》の牽引用アームを伸長し、《レヴォル》を接続して戦艦ベアトリーチェへと舞い戻っていく。

 

 格納デッキが既に開いており、ワイヤーネットで衝撃を減殺されながら後ろ向きに回収される。

 

『総員! 《レヴォル》のメンテナンスだ! 相手はかなりの使い手だったから、きっとダメージがあるはず。慎重に行けよ。ミラーヘッドの行使後には少なからず幻肢痛があるはずだからな』

 

 サルトルの声が滑り落ちていくのを聞きながら、ハイデガーは無音のコックピットで静かに呟く。

 

「……でも僕だって、パイロットのはずだったんだ。《レヴォル》に乗る資格のある……」

 

 それが一夜のうちに覆ったとなれば胸中穏やかではなかったが、それでもハイデガーは大人の対応として、今もメカニック達の手によって強制排出される白衣の少年の姿を目に留めていた。

 

「……まだ子供じゃないか。だってのに、エージェントだって? ……うちの会社も後ろ暗い事の一個や二個もあるもんだな」

 

 だがここに居る限りはそれを呑み込んでいくしかない。

 

 無力な自分を持て余すのに、《エクエスガンナー》のコックピットは少し手狭だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんた! クラードは無事なんだろうな!」

 

 掴みかかった自分へと、サルトルと名乗ったツナギの男は頭を振る。

 

「分からん」

 

「分からないって……!」

 

「データに乏しいんだ。《レヴォル》はこれまでのMSとはまるで違う。だから搭乗者の意識にどのような影響があるのかは全くの不明なんだ。それでも我らベアトリーチェクルーはこの時のために培ってきたノウハウがある。今は、信じて待って欲しい」

 

「信じてって……! 急に来たあんたらをオレ達は無条件に信じろって言うのかよ!」

 

「難しいかもしれないがそう言うしかないだろう。クラードは我が社の所有物だ。君らにどうこうする権利はない。おれの言っている事が非情に聞こえるんだとすれば、それは君達がまだ、若いと言う証明だよ」

 

 言葉もなくアルベルトは気密ブロックへと押し返され、そのまま壁を殴りつける。

 

「チクショウ……! あいつの隣に居たって言うのに、今は何だ、そのザマは! ……オレは、結局……助けられてばっかじゃねぇか……!」

 

 ふと視線を感じてアルベルトは面を上げる。

 

 視線の先に居たのは茶髪のリクルートスーツの女性であった。

 

「あの……アルベルトさん……ですよね?」

 

「その声……カトリナ、とか言う……」

 

「あっ、はじめまして。カトリナ・シンジョウと申します……。あの、お辛いですよね……。クラードさん、今も昏睡状態って……」

 

「……サルトルとか言う技術屋が言うには、寝てれば回復している証だって聞くけれど、そんな事あるかってその……思うんすよ」

 

「……ですよね。帰還してすぐの戦闘だったし、ほとんど回復なんてしていないと思うんです。ミラーヘッドを一日に何回も使うのだって規格外だし……。私としては、クラードさんには大人しくしてもらいたいんですけれど……」

 

 はぁ、とため息をつくカトリナに、アルベルトは視線を釘づけにされていた。

 

 清潔感のある短く切り揃えられた髪。困り切ったような眉。頼りなさそうな小さな肩。こんな戦闘艦には相応しくないようなスカート姿だが、すらりとした女性然とした体型……。

 

「……って、オレは何を考えて……」

 

「アルベルトさん? どうしました?」

 

「いえ、そのー……オレ、凱空龍……あっ、族の面子と顔合わせしとかないと。何人生き残ったのか分からないっすから……」

 

「……お気持ちはお察しします……とは言っても、通信越しみたいに怒られちゃいそうですけれど……。新卒社員に何が分かるんだって、話ですよね」

 

 弱々しく笑うカトリナにアルベルトは視線を背けていた。

 

「いや、その……心配されるのはその……別に嫌な気分じゃないっす。ただまぁ……今回は事態が事態って言うか……」

 

「そう、なんですよね……。コロニーがあんなになってしまうなんて……私も、故郷は地球圏なんですけれど、あんな風になったら、私……私……」

 

 肩を震わせて、カトリナは涙ぐんでしまう。

 

 その様子をアルベルトはあわあわと困惑して対応していた。

 

「いやあの、その……いいんです、いや、よくはねぇんだけれど。……オレら、あそこはいずれ破たんするんだって分かってましたし。こういう形であれ、クラードのケリが見られて、それだけでオレはよかったって言うか……いや、よくはねぇよな……」

 

 要領の得ない返事をしているとカトリナは真っ赤になった鼻をすすり上げながら、微笑む。

 

「優しいんですね、アルベルトさん。……もっと怖い人かと思っていました……」

 

「いやその……オレもあんたらの事を……もっとヒデェ奴らなんだって、そう思っていましたし、おあいこっすよ」

 

「ですね。おあいこです」

 

 その笑顔だけで、アルベルトは胸の内がどうしてなのだかざわめくのを感じていた。

 

 これまでどのような宇宙暴走族と敵対しても静かだった胸中が、何なのか不明な感情で渦巻いている。

 

「その……シンジョウ、さんは……」

 

「カトリナでいいです。もう、この艦じゃそっちで呼ばれる事のほうが少ないですし」

 

「あ、その……じゃあカトリナさんは、何でこの戦闘艦に? ……見たとこ、堅気っぽいし、オレらとかサルトルとかとも違うって言うか……」

 

「ああ、私。その、新卒なんです。それでこの会社に入ったら、こっちの部署に飛ばされちゃって……あっ、別に不満とかじゃないんですよ? 不満とかじゃないんですけれど……面食らう事ばっかりで。まさか宇宙の果ての暴走族の方々とこうしてお話しするなんて思わなかったので」

 

「……オレもその……思わなかったっす。こんな風な人と、話すなんて……」

 

 どこか呆然とした口調だったせいだろう。カトリナは歩み寄って自分の額に触れてくる。

 

「大丈夫ですか? 相手は軍警察だったと聞いています。トライアウトと真っ向から戦ったのなら、ミラーヘッドの損耗が身体に残っているのかも……」

 

「いや、その……! マジに大丈夫っすから……あんまし近づかないでください……。オレ、行きますんで……」

 

「あのー、本当に大丈夫なんですか? 無理そうなら、医務室までご案内しますけれど……」

 

「いえ、オレら、身体だけは頑丈なんで! じゃあその……ここいらで失礼します……」

 

 カトリナから出来るだけ距離を離し、アルベルトは早鐘を打つ鼓動を抑えていた。

 

「あっぶねぇ……。何であんなに無防備なんだ、あの人……。にしても……」

 

 アルベルトは額をさする。

 

 柔らかい手が触れた感触がまだ残っていた。

 

「あんな手の人、久しぶりに見たな。何つーか……白魚みたいな手って言うのはああいうのを言うのか……」

 

 近づかれた時、ほのかに立ち上った香水の匂いとシャンプーの色香。

 

 それを思い出すと、何だか落ち着かない。

 

「……何考えてんだ、オレ! らしくねぇぞ……」

 

 自身を鼓舞してから、アルベルトは無重力の廊下を抜けて、凱空龍の面子が集まっているはずのブロックへと移動していた。

 

 行き着く前に怒声が響き渡り、アルベルトは壁から手を離すと同時に声の主を認めていた。

 

「……トキサダ。それに、みんなも……」

 

「ああ、ヘッド。こいつら……ハイソぶってんじゃねぇ! おれ達の事がそんなに気に食わないかよ!」

 

 対抗するのはベアトリーチェのスタッフ達であった。

 

 凱空龍の面子と相対するのには確かに少しばかり小奇麗が過ぎる。

 

「言っておくが、お前達のモビルスーツはもう我が社の保有物となった。ゆえに、整備はするが誰を充てるかはこっちの領分となる」

 

「ふざけんな! あの《マギア》をお前ら勝手にいじって、その上パイロットの権利を奪うだって? 身勝手が過ぎんだろ! ヘッドも、何か言ってやってくれよ!」

 

 不意に振られてアルベルトは僅かに後ずさる。

 

「いや、オレは……」

 

「凱空龍は絶対に屈しない! それだけは確かなはずだ!」

 

「なぁーにが、ガイ何とかだ。ガキの遊び場じゃないんだ。扱いが客人なだけでもありがたいと思って欲しいもんだね」

 

「何だと……!」

 

 掴みかかりかけたトキサダを、アルベルトは咄嗟に制していた。

 

「やめろ、トキサダ。今はケンカしてる場合じゃねぇ」

 

「けれどよ! 馬鹿にされて……! いや、そもそも相手にしてないのか。それが気に入らない……!」

 

「生き残っただけで御の字だ。……何人残っている?」

 

 見渡しただけの数はほんの十名にも満たない。

 

「……あんだけデカくしたのに生きていてくれたのは十人程か。いや、ありがたいと思うべきなんだろうな。オレ達はクラードに助けられてきたんだ。だから、あいつの顔に泥を塗るわけにはいかねぇ。ここで騒げばあいつに迷惑がかかる事くらい、分かんだろ?」

 

「だけれどよ……おれ達はただ……生き延びたいだけで……」

 

 トキサダの言い分も飲み込めないわけではない。

 

 だが企業と一個人とでは規模がまるで違う。

 

 比べたところで仕方のない摩耗はあるはずだった。

 

「トキサダ。今は、生きてくれている面子を大事にしたい。こんなところで下手な手を打って、そんで死ぬなんて許さねぇぞ? オレらは、生きなきゃいけない。死んでいった奴らの分までな」

 

 その言葉にトキサダが男泣きする。他のメンバーも苦味を噛み潰していた。

 

「……そっちのほうも、分かってくれとは言わねぇ。だがこの艦は、思いのほか狭いんだ。ギスギスすんのはやめにしたい」

 

 アルベルトに言葉にスタッフ達も少しだけ血気を逸った事を後悔してくれているようであった。

 

「……だが、《マギア》はこっちの管轄にさせてもらう。MSを勝手に乗り回されたんじゃ作戦行動に支障を来すからな。お前らの育てたミラーヘッドのアイリウムシステムも、最適化を行わせてもらうぞ。そうじゃないとベアトリーチェの守りには程遠い」

 

 再び突っかかりかけたトキサダの肩を掴んで、アルベルトは首を横に振る。

 

「……やめとけ。分かった。オレ達は別命あるまで待機。それでいいんだろ? アイリウムに関しても下手な口は挟まねぇ」

 

 スタッフ達は敵意を仕舞おうとしていたが、トキサダは堪え切れないのか、言葉を漏らす。

 

「……おれらの誇りに傷一つでもつけたら、その時は容赦しない……!」

 

 スタッフ達はこちらの出方を窺いながら下がっていく。

 

 彼らの眼が離れてから、トキサダは壁を殴りつけていた。

 

「クソッ! 何だってこんな……! おれらの努力は水の泡かよ……!」

 

「トキサダ。そんな事はねぇ。こうして生き延びたんだ、上々さ。あのまま軍警察にやられちまっていた未来だってあった」

 

「でもよ、ヘッド。おれ達は、テッペン目指していたはずだろ? だってのに、ここは狭苦し過ぎる。心血注いでカスタムした《マギア》も、あいつらの領分だって言うんじゃ……おれ、やり切れなくって……」

 

 肩を震わせるトキサダに、アルベルトは遠い視線を投げる。

 

 ――あの時決断していれば、きっと別の可能性か。

 

 逃げる事だって出来た。誰も死なない道を模索する事だって出来たのに、ここに来てしまったのはひとえに自分の認識の甘さに他ならない。

 

「……部屋に戻っておいてくれ。こんな風にどっかで誰かとぶつかってんの、死んだ連中だって見たかねぇはずだ」

 

 その説得で折れてくれたのか、凱空龍の面々は部屋へとそれぞれ戻っていく。

 

「ヘッド。おれはまだ……あんたを信じている。きっといつかは、凱空龍を復活させてくれるって」

 

 そんな期待、重たいだけだ――そうは返せず、アルベルトは言葉を背中に刻んでいた。

 

「……どこかでいつかは、な。心配すんな。オレ達ゃ無敵の凱空龍。どっかで復活の機会の一つや二つはある。それを待っても遅くはねぇ」

 

「……だよな。ちょっとだけ安心したよ、ヘッド。あんたはそのままで居てくれる。だってのに、クラードは……」

 

 自分だってそのままではない。無知だった頃には、もう決して戻れないのだ。

 

「クラードに関しちゃ、言わないでやってもらえるか。あいつはオレ達を、一度ならず二度も助けてくれたんだ。むしろあいつが起きたら、これまでの礼を言わないとな」

 

「……ヘッド……。だな、おれも大人げなかったよ。クラードの奴、でも礼なんて要らないって言うんじゃないか? あの調子じゃ、おれ達の知っているクラードでもなさそうだったし」

 

 自分達の知っているクラードなど最初から存在しないのだ、とは言えなかった。

 

 トキサダが慮っている分、下手な事を言って掻き乱すわけにもいかない。

 

「ああ、大丈夫だ。礼ならオレが言っておく。それに、クラードだって決して凱空龍を軽んじているわけじゃねぇ。そうなら、この艦まで案内なんてしないはずなんだ。……あいつにだって……思うところは、あるはずなんだと、そう信じたいな」

 

 



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第17話「抵抗意識」

「――気に入らないとは、思わないのか?」

 

 休憩中に問いかけられて、クラードは意識を振り向ける。

 

 特徴的な青いサングラスをかけた男は、自分と同じ、この研究施設で飼われている《エクエス》の実験搭乗員だ。

 

「何が」

 

「いや、私達の処遇だよ。あまりにも理不尽じゃないのか? 《エクエス》、ミラーヘッド次世代実戦型の実験機のそれに乗って、連日訓練とRM適正を見られる日々。これではモルモットだ」

 

「別に。そういうあんただって、そのクチじゃないのか?」

 

「私はRM施術に関して最低限度の思考拡張以外は拒んでいるが、君はカルテの項目に全部、チェックを書いていただろう? あれでは何でもかんでも実験されてしまう。いいのか? このままではよくて実験兵、悪ければ廃人だ。友人の有機伝導技師に腕の立つ人間を知っている。そっちに回してもらったほうがよほど人道的だが」

 

「他人の心配、してる場合? 俺のほうがあんたよりもスコアが上だ。このままじゃ、廃人はあんたのほうだと思うけれど」

 

「手厳しいな……。だが嫌いではない。さっきから、何をやっているんだ?」

 

「水切り。石を飛ばす角度で跳ねる回数が変わる。これも、ある意味じゃ何回やっても毎回同じ結果になるとは限らない。石の微弱な凹凸、湖の波紋で変容していく」

 

 クラードは石を構え、そのまま振り抜いていた。

 

 水面を八回ほど跳ねてから、石は湖底に沈んでいく。

 

「……思うところはあると、感じていいのかな」

 

「何でそうなる」

 

「いや、自らを石に例えるとは、なかなかに詩的だと思ってね。毎回同じになるとは限らない。そして一つまかり間違えれば、一回も跳ねられずに湖底と言う、もう浮かび上がりようのない地獄にまで沈みゆく。君も私も、所詮は誰かに投げられるためだけの石の一つに過ぎない」

 

「そこまでの意味を持たせたつもりはないよ」

 

「どうかな」

 

 相手も石を投げる。

 

 すらりとした体躯から放たれるアンダースロー。

 

 石は五回ほど跳ねてから力をなくして沈んでいった。

 

「私の提案は何も格式ばったものではないよ。君を湖底などと言う場所に沈ませるのはもったいないと感じているだけだ」

 

「それは大きなお世話と言う。俺はRM施術も、他の思考拡張に関したって、一度だって誰かに従ってやっているわけじゃない。自分で判断している」

 

「そうなのか? 君のやり方はまるで退路を全て塞いでから、その上で進路を決めるような偏狭さを想起させる。その赴く先は破滅に違いない」

 

「……あんた、お喋りなんだな。《エクエス》でやり合っている時は静かなのに」

 

「うるさいのは嫌いかね?」

 

「俺と話したって、無駄だよ。つまんないだけだ」

 

「いずれはどこかに配備される。同じ部隊で共に戦うかもしれない」

 

「あり得ないよ。あいつが俺を待っているからな」

 

 首から下げたドッグタグをさすっていると、相手は少しだけ眉を上げたようであった。

 

「思い出の品かね?」

 

「俺を指し示す唯一の指標だ」

 

「読めないようだが」

 

「……別に、そのほうがいい」

 

「君はどう思っている? このまま飼い殺しにされるか、それとも自らの力で未来を切り拓くか。恐らく我々のような手合いに残されているのは、二つに一つだ。どちらかしかない」

 

「俺はとっくの昔から、もうこの身体だって自由じゃない」

 

 腕に施されたモールド痕に視線を落としていると、相手は今度はひねりを加えた投擲で石を放つ。

 

 六回跳ねたところで、石は力なく沈んでいった。

 

「何回やったって同じだと、言われているようでもあるね」

 

「同じじゃないか。湖に投げている時点で、結果は同じだ。沈む以外にない」

 

「いや、分からんよ。あちら側の、対岸にまで石を運べれば湖底に沈まずに済む。そうなればただの消費されていく石の身分から脱却出来るだろう」

 

「あんたはそうしたいんだろ。俺はそうじゃない」

 

 腰を下ろすと、銃器の音が響き渡ってくる。

 

 研究施設の中なので今も何かしらの実験が行われているのだろう。

 

「《エクエス》は、もう三年も持たないだろうな。すぐに新型機が出てくる。あれにミラーヘッドを付けても重過ぎる。実戦には向かんよ」

 

「じゃああんたが開発すればいい。ここの研究者は《エクエス》で取れるデータしか取らない」

 

「生憎だが、私も所詮は戦士でね。戦う以外の事に関しては門外漢だ」

 

「……やっぱりそうなんじゃないか。俺達には戦う以外の価値なんてない」

 

「それは偏狭とも言う。戦っている時の君は美しい。とても綺麗だ」

 

「なに、口説いてるの? そういうのもやめておいたほうがいいと思うけれど」

 

「……戦う者を素直に褒めて何がいけない? 私はね、別段ここで終わる気もなければ、この研究成果が何に使われるのかの興味もさほどない。ただ、思った以上に自分には戦いにおけるセンスがあった。それを再確認して次に活かしていく」

 

「次……次なんてあるのか……次なんて……」

 

 弾丸がめり込んだドッグタグをさすってクラードは思案する。

 

 ――次なんて、どこにある?

 

 研究施設で受けたライドマトリクサー施術に、有機伝導、思考拡張、どれもこれも、次は戦うためだけのものだ。

 

 ならば、自分に自由意志なんてあるはずがない。

 

 次は戦場、その次も戦場。

 

 戦火のくゆるその場所こそ、自分の居場所に他ならない。

 

 ――だから何故だろうか。

 

 凱空龍に潜入し、戦いの只中であっても、馬鹿騒ぎしていた時の記憶が、どこか遊離している。

 

 どうせ、これも次のため。

 

 戦場は常に用意されている。

 

 自分の戦うべき、生きるべき場所はそこにしかない。

 

 戦って殺して、殺したらそのまま奪って、戦っての繰り返し。

 

 どこに居場所を求めたって、結局はその一事に集約される。

 

「……でもアルベルトもトキサダも……連中は何を、俺に見ているんだ……」

 

 呟いたその時には周囲は暗闇になっていた。

 

 遠くでぱちりと火薬が跳ね、火を囲んでいる凱空龍の面々が視野に入る。

 

 あれは違う。自分と彼らは別種なのだ。

 

 そう仕切りを持っていなければ自分は本当の居場所を忘れてしまいそうであった。

 

 アルベルトの向ける感情も、ファムの好奇心の塊も、他の面子の羨望も――全て意味はない。

 

 自分にとっての意味は、戦場で生き残りその上で勝利したその次に集約されている。

 

 まずは死なない事。

 

 まずは相手を殺す事。

 

 まずは――次の戦場の備えをする事。

 

「……なら、次って何なんだよ」

 

 次とは何なのだ。どこに自分の「次」なんてあるのだ。

 

 どれも似たような戦場ではないか。

 

 どれも地獄のような戦域だったではないか。

 

 紅蓮の炎の中に何を見出すと言うのか。

 

 人間は思ったよりも簡単に死ぬし、自分も恐らくはそのはずなのだろう。

 

 だから深く深く、思い出すとすれば、それは《レヴォル》と初めて出会ったあの時――世界との契約を迫られ、運命に抗う事を決めたあの時だろう。

 

 何のパーツかも分からなかったあの時の《レヴォル》と、しかし現状の《レヴォル》は違う。

 

 こちらへと歩み寄ってくる《レヴォル》のコックピットが開く。

 

 内側から鮮血と泥が溢れて来ていた。

 

 ぶくぶくと泡立つ悪魔の頭蓋の中で横たわっているのは、自分自身。

 

 醜悪な血袋になってしまった自分を抱いたまま、《レヴォル》は膝を折り、そのまま崩落していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緩やかな覚醒へと導かれて、クラードは過去からの回顧を振り払うように頭を振っていた。

 

 まだ僅かに疼痛がある。

 

「目が醒めたか、クラード」

 

 滅菌されたような白さを誇る医務室にて、白衣の男がこちらへと歩み寄る。

 

「……ヴィルヘルム」

 

「覚えていたか。もう忘れたのだと思っていたが?」

 

「忘れるもんか。お前はあの時から……《レヴォル》を俺に見せた時から変わらない」

 

「それは褒められているのかな。年を取っていないように見えるとでも」

 

 網膜検査とライドマトリクサーの適性検査がてきぱきと行われる。

 

 有機伝導技師であるヴィルヘルムの診断に澱みはなく、全ての診察が終わるのに三分もかかっていない。

 

「《レヴォル》に少し意識を持っていかれたかと思っていたが、想定よりも軽症で安心したよ。して、あれはどうだった?」

 

「どうって……負荷が強い。意識レベルを平常に保つのには工夫が要る」

 

「あれでもハイデガー少尉でも動かせるように調整したはずなんだがね。やはり結果としてあるのはレヴォルの意志を感じるかどうか、か」

 

「……レヴォルの意志……」

 

 掌に視線を落としていると、不意に位相がぶれてその手がまるでMSの堅く黒い爪のように思えてしまう。

 

《レヴォル》の腕。敵を払い砕くためだけの、兵装の腕――。

 

「少しだけ薬を処方しておこう。《レヴォル》との思考拡張は慣れればそこまで深刻ではないとサルトル技術顧問からも進言があった。ただ、今回は相手も悪かったようだな。黒い旋風を相手取るなんて」

 

「……黒い旋風……」

 

「お前以外に黒い《エクエス》を使う奴なんてそいつしか居ない。フリーランスの傭兵だ。名をグラッゼ・リヨンと言っていたか」

 

「……興味ないね」

 

「まぁ墜とす敵の名前なんていちいち覚えないほうがいいだろう。だがそれよりも深刻なのは、何でフリーの傭兵が我々の艦の位置情報をそんなに早く掴んで、そして襲撃して来たか、だ」

 

「……内通者の可能性」

 

「ないわけじゃない。フロイト艦長はその可能性相手に今も頭痛薬が手離せないようだからね」

 

「俺に、魔女狩りをやれと?」

 

「いや、長期ミッションを終えたばかりだ。そこまでは言えない。それに一応はこのベアトリーチェの艦内に居るクルーは白だろう。怪しそうな経歴の持ち主は一人も居ない。いや、居なかった、が正しいか」

 

 アルベルト達を招いた事を暗に責められているのだろう。クラードは別段、言い訳のつもりもなかった。

 

「……アルベルト達を調べたければそうするといい」

 

「半年間一緒に居て、情も湧かなかったか」

 

「そんな余分なものを抱くように、設計しなかったのはあんた達だろう」

 

「これは失敬。虎の尾を踏んだかな?」

 

 ヴィルヘルムはのらりくらりとこちらの殺意をかわしながら、立ち上げた端末へと自分のカルテを書いていく。

 

「しかし……想定していたよりもずっと、たくましくなったじゃないか、クラード。昔を思い出すよ」

 

「あの頃と一緒にしないでもらおうか。今の俺は、エンデュランス・フラクタルの特級エージェントだ」

 

「そうだったね。しかし、最初のほうから知っている仲なんだ。お互いにフランクに行かないか?」

 

 その提案は協議に上げるまでもない。

 

「断る。俺はエージェント、あんたはただの有機伝導技師だ。それ以上でも以下でもない。俺に、つまらない事を言わせるな」

 

 ヴィルヘルムは肩を竦め、カルテと向かい合う。

 

「残念。……だが《レヴォル》は想定以上だろう? あのスペックを実現するのにサルトルだけじゃない、我が社の兵器開発部門は相当に苦労した」

 

「壊すと替えが利かないんだろう。それくらいは分かっている。サルトルから口酸っぱく言われているんだろ」

 

「《レヴォル》に関しては、ね。いくつかの部品に分けて本社で構築したというのもあって、サルトル技術顧問は神経質になっている。ただでさえ、《エクエス》を統合機構軍から不自然に買い付けているデータがあるんだ。……っと、これは機密だったか」

 

「いいんじゃないの。俺は誰かに話したりはしないよ」

 

 それに今さら機密も何もない。自分はエンデュランス・フラクタルのスキャンダルそのものなのだから。

 

「ああ、だがくれぐれも口を滑らせたりしないでくれよ。お前の抱き込んだ若者達は血気盛んでね。先ほどもスタッフ達と一触即発にまで行った」

 

「元が荒れくれ者なんだ。それくらいは大目に見てくれよ」

 

「留意しよう。クラード、久しぶりに汚染検査でも受けてみるか? 《レヴォル》との思考拡張をしたんだ。お前の精神の状態を知りたい」

 

「……いいけれど、多分つまんないよ、それ」

 

「いいから。これからテストを行う。正直なところ、ね。《レヴォル》に接触したお前の反応は全く計り知れないんだ。何がどうなっているのか、もしかしたら精神構造そのものが、別の何かに組み変わっているのかもしれない。

 

「……別の何か……」

 

「とにかく、汚染深度の検査を行う。RM施術痕を見せてくれ」

 

 クラードは促されるままにモールドの施された両腕を差し出す。特殊な機械装置が当てられ、直後にはひりつくような痛みと共にデータが端末へと送信されていた。

 

「受信感度は良好……。ライドマトリクサーとしての能力値は……半年前よりも二割減か。仕方ないな。ほとんど《マギア》だったんだろう? しかも違法改修機の」

 

「いや、俺の《マギア》は改造してなかった」

 

「つまり、パッケージのままの《マギア》に乗っていたって言うのも問題さ。お前は特別なんだからな」

 

 ヴィルヘルムの言葉をしかし、そのまま受け止める気には成れず、クラードは赤く点滅するモールドに視線を落とす。

 

「……特別じゃない。替わりの利く駒だろうに」

 

 



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第18話「追撃する者達」

 上官が浮かべたのは、喜色でもましてや悲観でもなく、ただの諦観だった事に、ガヴィリアは苦渋を噛み締める。

 

「……言ったはずだな。あれとは交戦するなと」

 

「し、しかし……! ミラーヘッドオーダーが降りていたはずなのに何故、奴はミラーヘッドを? それは第四種殲滅戦のルール上あり得ないはずなのでは……」

 

「少尉。君の常識であれを語らないでもらおう。生きて帰って来たのは最善であったが、同時に最悪でもある。まさかあの機体と真っ向からミラーヘッド戦を行って、むざむざ生きて帰って来たなど」

 

 恥も外聞も知らないのか、とでも責め立てるかのような論調。

 

 ガヴィリアは骨が浮くほど拳を握り締める。

 

「……ですが、異常のはず! ミラーヘッドオーダーを……令状を通した我々よりも、あちらのミラーヘッドが通ったなんて……!」

 

「何故、そこにこだわる。君は、知り過ぎれば戻れない事情くらいは汲んでいるはずだな?」

 

 ここで頭を突っ込めば自分に次はないと言われているようで、ガヴィリアは必死に喰いかかっていた。

 

「ま、待ってください! 私はまだやれます! やれるはずなんです! 《エクエス》五機編成を失った責任なら負います、いくらでも! ……ですが、負けるのに納得が行きません!」

 

「単純に君が弱いからでは、結論にならないかね?」

 

 まさか、そんな事実を突きつけられたままでは黙っている事など出来ない。

 

「……追撃の任を。私ならば次は勝てます」

 

 上官は嘆息をついた後に、背中を向けて窓辺に位置する端末を撫でていた。

 

 そこには上官の飼っている電脳ペットのオウムが居る。

 

 オウムに餌をやりながら、上官は一顧だにせずに口にしてみせた。

 

「上層部はあれへの追及は避けるように、の一点張りだ。恐らくは統合機構軍との高度に政治的な駆け引きがあるのだろう。そこに一軍人が口を差し挟んでどうなる。邪魔なボトルネックだと思われて排除されるのがオチだ。私は君のためを思って言っている」

 

「私のためを思うのなら、追撃の許可を。汚名をそそいでみせましょう」

 

『噛み付き癖、噛み付き癖』

 

 オウムが何度も声帯を震わせてその言葉を口にするのがガヴィリアには耐え難い苦痛であった。

 

「ローゼンシュタイン少尉。言っておくが、部隊の編成は出来かねる。君はこれまででも部下を六人も死なせておいて、それで階級を下げられるでもなく、ましてや軍に居られなくなるわけでもない。ここで黙っていれば、もっと上の軍人達が勝手にあれへの追及はしてみせる。我々の任は終わったのだよ。下手に突けば藪蛇だ。所詮私達は、辺境コロニーへの統制しか出来ない下位の軍警察。トライアウト上層部の考えを汲むのが正解だと思うがね」

 

「なら……トライアウト上層部に、私自身が直訴します。あれは危険なんです。分からないのですか? ミラーヘッドを令状無視で使えるだけじゃない。あの白いMSに乗っているのはデザイアのウジ虫のうちの一匹ですよ? こんな屈辱があるのですか!」

 

「それを屈辱だと思っている者はもう君だけだ。いつまであんなコロニーにこだわる。見たまえ。君が出撃前に言っていた通り、もう三面記事から消えるよ。あんなコロニーの事なんて。よかったじゃないか。思った通りだよ」

 

『思った通り、思った通り!』

 

 けたけたと嗤うオウムの声に、ガヴィリアは上官の差し出したニュースペーパーの三面記事の隅っこに充てられたデザイア崩壊のニュースを目にする。

 

 本当に、明日にはどの新聞社も忘れているような、そんな記事の扱い方――。

 

「……私だけでも出ます。《エクエス》の出撃許可を」

 

「好きにしたまえ。私との会話は録音され、上層部に提出されている。無論、君の言葉もだ。ここで好き勝手やったところで、未来なんてないぞ」

 

「……構いません。自分は、トライアウトの矜持を信じているだけです」

 

「そうか。では矜持に裏切られんよう、せいぜい頑張りたまえ」

 

『頑張りたまえ、頑張りたまえ!』

 

「……失礼します」

 

 退室してから、ガヴィリアは身を焼く羞恥と屈辱の念に壁を殴りつけていた。

 

「……ここで退けば軍警察の名が泣く! ……だと言うのに何も分かっちゃいないのか、上は……!」

 

 いや、と思い返す。

 

 最初からあの白いMSを追うなと言うお達し。それは暗に軍警察そのものと謎の組織の蜜月を示しているのではないのか。

 

 勘繰られたくないから、上は追撃を禁止する一点張り。

 

 そして下々は理由さえも明示されず、ただ命令に従えばいい。

 

 もう一度、ガヴィリアは壁を殴っていた。

 

「冗談じゃない……! なら我々は何のためにあると言うのだ!」

 

 何よりも、自分の決意とプライドをズタズタにされたまま、このまま逃げ帰っていいはずもない。

 

 ガヴィリアは格納デッキへと向かったが、どの整備士も視線を合わせようとしなかった。

 

「おい、私の《エクエス》は……」

 

 硬直する。

 

《エクエス》の膝頭には「恥知らず(Shamless)」の英文が刻まれており、拭えぬ過去となって愛機を縛り付けていた。

 

 睨み返すと、整備班は目線を背ける。

 

 誰もが敵になった気分であった。

 

「……いいだろう。私は、私の汚名をそそぐために、出撃するのだ。見送りは要らぬ! ガヴィリア・ローゼンシュタイン少尉が《エクエス》で出る!」

 

 誰からも文句は出ない。

 

 出撃して勝手に死んでくれが本心なのだろう。

 

「……冗談ではない。私は死ねぬ、いや、死なぬのだ。ここで、あの白いモビルスーツを墜とすまではァ……ッ!」

 

 操縦桿を握り締め、ガヴィリアは怨嗟と憎しみを抱いて軍警察の基地から出撃を果たしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「帰還おめでとう。まさか黒い旋風がその矜持たる《エクエス》を中破させて帰って来るなんて思いも寄らなかった」

 

 上官の声にグラッゼは挙手敬礼を返す。

 

「自分の不徳の致すところであります」

 

「謙虚だな。いや、それもある意味では性分か。だが、君の持ち帰ったデータは有用であった。我らのスポンサーも大変満足していてね。これが……あの白いMSの……」

 

「《レヴォル》、と言うそうです」

 

「話したのか。例の彼と」

 

「接触回線に、拭えぬ若さが滲んでいました」

 

 腰を浮かしかけた上官は、自分の言葉を聞いて椅子に深く腰掛ける。

 

「……なるほど。君が言っていた通りの人物像だと?」

 

「恐らくは。しかしあの《レヴォル》とやら、想定以上に厄介になるやもしれません。我が方はあれ相手に勝利するとでも?」

 

「軍警察は及び腰になっていてね。デザイアの統制が果たされた以上は任務完了、お役御免……そう納得出来ればよかったのだが」

 

「何か懸念でも?」

 

 モニターに映し出されたのは今しがた出撃した《エクエス》のログであった。

 

「噛み付き癖のある少尉相当官だそうだ。《エクエス》では相手にならんと言うのに」

 

「トライアウトのエリート……」

 

「それは当て擦りだよ。もっとも、彼の胸中を鑑みれば、分からぬ話でもないがね。殲滅戦を行った場所で、二度の敗退とそして生き恥。最早、恥も外聞もないとはまさにこの事。彼のデータはしかし、有用に取るようにとのお達しが出ている。渦中に飛び込んだ餌は上手く使わねばな」

 

「我が事のように痛み入ります」

 

「君は気にする必要はない。スポンサーの意向で仕掛けただけだ。君のこれまでの経歴に傷は一切つかない。そういう風にわたしが弁護する」

 

「助かります。しかし、あの戦闘艦、まだ火器管制すらなっていないようでした。何ならチャンスがあれば墜とせるのでは?」

 

「過信しないほうがいい。いくら戦闘艦としての戦力がゼロに等しいとは言え、あの《レヴォル》だけで百人力だ。それにどれほど民間の新造船とは言え、実戦を積めばそれなりになってくる。次はそうはいかんだろう」

 

「次……継続してあれを追うのですか」

 

「それだけの見込みはあるのだと。わたしは反対意見を出したがね。あの艦には思わぬ戦力がある。むざむざ部下を死なせる事はないと」

 

「それは部下からしてみれば本望でしょう」

 

「まぁ、投げられた爆弾は帰ってくるものじゃない。気の毒な少尉相当官はどうなったところで関知せんが、ここからの君の身の振り方に関して、だ。少しだけ朗報がある」

 

「転属ですか」

 

「聡くなるなよ。わたしが鈍いように思われる。だが、希望通りと言えばその通り。転属届だ。君は明後日付けでトライアウトの特殊部隊へと組み込まれる予定だ」

 

「旅がらすの傭兵身分としては、ありがたいと言えばその通りですが……」

 

 ――トライアウト。

 

 その悪評を知らぬわけではない。

 

 自分の顔色を察知して、上官は言葉を振る。

 

「……嫌そうな顔をするな。わたしだって嫌だよ。有能な部下に転属を命じるなど」

 

「私はどこでも構いませんが、乗機が駄目になりました。あれでは整備班に顔を合わせられない」

 

「《エクエス》はもう型落ちだ。次の機体が充てられる」

 

「……軍警察の新型機ですか」

 

「使い勝手は変わらんようにメカニックチームにも転属を命令させてある。君専任のチームだ。喜べよ。ここまでわたしに便宜を図らせた人間は、君で初めてだ」

 

「感謝いたします。ですが、私は整備班に迷惑をかけるのでは?」

 

「中破なんて事には、なりにくいとは思うがね。例の新型機ならば」

 

 上官の差し出したデータチップをグラッゼは胸ポケットに入れてから、青いサングラスを外す。

 

「ここでは大変世話になったと、せめて、素顔で言葉を贈らせていただきたい」

 

「やめておけ。安くなるぞ。……だがまぁ、嫌な気分でもない。黒い旋風の言の葉を受けられるとなれば」

 

「私はいい部下ではなかったはず。それに対しては言葉にならない反省を」

 

「退屈はしなかったがね。部下よりも友人に近いが」

 

「そしてもう一つは言葉にならない謝辞を。あなたは私の事を分かってくださった」

 

「分からぬ部下は使わんよ。それだけの事だ。怠慢の上官に向けるにしては、よい言葉が過ぎる」

 

 グラッゼはサングラスをかけ直し、挙手敬礼する。

 

「失礼します。……もう一度会えれば、その時には」

 

「酒でも飲み交わそう。君の栄光に」

 

「栄光に」

 

 退室してから、グラッゼはメモリーチップを光に翳す。

 

「……しかして君は美しかった、か。名誉、と思うべきなのだろうな。もう一度私は、君の背を追える。あの時のように」

 

 だが今度こそ、とメモリーチップを仕舞う。

 

「今度は私が撤退するのではない。君が逃げるのだ、クラード君。私は何度も何度も、フラれても立ち直れる性質ではないのでね」

 

 



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第19話「戦域の狭間で」

「何だって? 今は調整中なんだ。話を振って来ないでくれ」

 

 サルトルにそう言われてしまえばそこまでなのであるが、カトリナは勇気を振り絞っていた。

 

「あの……! 私に出来る事ってあるはずですよね……。だって、委任担当官ですし……」

 

「クラードの事か? 今なら医務室だろ。ここに居たってメカニックの邪魔だよ。何だ、期待の新人。もうクラードから手痛い洗礼を受けたのか?」

 

「いえ、特に何も……。だってクラードさん、ここに来たと思ったら出て行っちゃって、それで医務室ですし……」

 

「だろ? まだクラードとはまともに話しちゃいないんだ。なら、最初は最低限度のコミュニケーションからだな」

 

「こ、コミュニケーション……?」

 

「分からんわけでもあるまい。いい大学出てるんだ、グループディスカッションとかで見知らぬ相手と組まされる事だってあっただろう」

 

「そ、それはその……みんな共通の目的がありましたし……」

 

「今もそうじゃないのか? クラードはこのベアトリーチェのメイン戦力だ。いつまでも《レヴォル》に乗ったかと思えば昏睡じゃ話にならん。調整はあいつが次に乗るまでにしておかないとな。だから忙しいんだ。帰った帰った」

 

「帰ったって……。じゃあどうしろって言うんです!」

 

「そういうのはクラードに聞けよ。オジサンは忙しいの!」

 

「……勝手な時だけオジサン……」

 

 ぼやきつつも、言われている事自体は間違っていないのだ。

 

 自分はクラードとしっかりとした関係を築かなければいけない。

 

 しかし、エンデュランス・フラクタルに特殊エージェントが居て、その人物はまだ少年の年かさなんて聞いていないし想像も出来ない。

 

「……私の出来る事、私の出来る事……」

 

 呟きながら廊下を歩いていると、ふと出くわしたのはバーミットであった。

 

「なぁーにやってんの。暗い顔して。幸せ女のカトリナちゃんが台無し!」

 

「いえ、そのぉー……って言うか、変な渾名付けないでくださいよぅ! もう、また言われちゃう……」

 

「それよかあんた、クラードと会わないでいいの? もうあいつの事だし、起きてるんでしょ」

 

「あっ、そうだ、クラードさん……! あれ? バーミット先輩、クラードさんの事、知ってるんですか?」

 

「ああ、まぁねー。あたしの部署では常識だし。鼻持ちならないガキでしょ、あの子」

 

「そりゃあ、まぁ……って言うか、その子は……」

 

「いーやっ! ファム、パンツいやーっ!」

 

 バーミットが抱えているのは確かアルベルト達と一緒に合流したはずの少女であった。

 

「……何やってるんですか?」

 

「何って見ての通り。この子、妙な格好しているから脱がそうとしたらなぁーんにも穿いてないし付けてないの。女の子なんだから、駄目じゃないの。パンツ穿く」

 

「いやーっ! クラードぉー……」

 

「クラードの坊ちゃんは呼んだって来ないわよ。挙句に風呂嫌いでねぇ。せっかく素材はいいのにもったいないから、せめてシャワーを浴びなさい」

 

「ミュイぃ……。ファム、ぜったいおふろはいらない」

 

「馬鹿仰い。戦闘艦でお風呂なんて入れる時に入っておかないと、一生そのまんまよ」

 

「……いい。シャワーこわいもん……」

 

「とにかく、あたしはこのファムをどうにかしてお風呂に入らせるから、クラードのお世話はよろしく」

 

 ひらひらと手を振って脇を抜けていく二人にカトリナは呆然としていた。

 

「……あっちのほうが楽そうじゃないの」

 

「ああ、そうそう。言い忘れてた。クラードの坊ちゃんにヘンな事期待したって駄目だからねー。あの子、まだまだお子ちゃまなくせに堅物だし。男として見ないほうがいいわよ」

 

「な……っ、何言ってるんですか! セクハラ……!」

 

「あたしはこのカワイイのどうにかするわ。ファムー、ブラもパンツも穿かないのはそれってもう女としての価値はないって言っているのよー」

 

「……じゃあおんなやめる」

 

「何言ってんの。素材だけはいいんだから、あんたは」

 

 カトリナはその様子を少しだけ眺めていたが、自分の仕事を思い出して医務室に向かう。

 

「えっとー……Bブロックの先の……。にしてもこの戦闘艦、本当におっきいんだ……。ヘカテ級ってこんなに広いの? 迷子になっちゃう」

 

 そうこう言っているうちに、医務室の前に辿り着いたが、ノックをするのに勇気が要る。

 

「……何やってるの、カトリナ。深呼吸、深呼吸っと……」

 

 深呼吸していると不意に扉が開いたので、カトリナはむせてしまう。

 

「……何やってんの、あんた」

 

「く、クラードさん……」

 

「ヴィルヘルム。データはサルトルに回してくれ。俺のバイタルデータが欲しいはずだから」

 

 部屋の奥でヴィルヘルムが手を振ったのを、クラードは一顧だにせずにそのまま自分とは反対方向の廊下を行ってしまうので、思わず追いかけていた。

 

「く、クラードさん……! 私、カトリナ……」

 

「名前なんてただの指標だ。いちいち覚えるだけのメモリーはもったいない。で、名前は聞いたけれど何?」

 

「あっ、覚えていたんだ……。じゃなくって! 私、委任担当官なんですっ!」

 

「ふーん……そっかぁ」

 

「そっかぁ、じゃなくって! あの、エージェントは委任担当官の言う事は聞くようにって、マニュアルに……!」

 

「マニュアルの仕事しか出来ないの? だったら務まらないよ。やめたほうがいい」

 

 思わぬ攻勢にたじろぎつつも、カトリナは言葉を搾り出していた。

 

「そ、その……クラードさんの身柄は私が責任を持ってどうこうって言う……」

 

「責任? あんたに俺の何が責任取れるって言うの?」

 

 急に立ち止まるものだから、カトリナは思わず抱いた書類をばら撒いてしまう。

 

「あ、あー! 書類が……!」

 

「何やってんの」

 

 クラードは艦内の独特の重力に慣れているのか、ぴょんぴょんと跳ねてすぐに書類を回収してしまっていた。

 

「はい。要るんでしょ」

 

「あ、はい……。どうもありがとうございます……」

 

「じゃあ。もう行くから。付いて来ないで」

 

「え……っ、いや、それは困るんですってば! 私はクラードさんの委任担当官で……!」

 

「それはもう聞いた。二度も三度も同じ事言わないで。無駄だし、つまんないよ、あんた」

 

「つ、つまんないって……そんな言い草……!」

 

「じゃあどう言えばいいの。委任担当官なんだったら教えてよ」

 

「そ、それはぁ……」

 

 クラードは嘆息一つついてから、こちらへと振り返る。

 

 初めて見た時と同じ、赤い瞳が射る光を灯していた。

 

「あのさ、サルトルとかにどう言われているのかは知らないけれど、俺、これから艦長に報告しないと駄目なんだけれど。二度も《レヴォル》を危険に晒したんだ。懲罰かもしれない」

 

「ち、懲罰……? 駄目ですっ、駄目……! だって、クラードさんが出なかったら、私達、死んでいたかも……」

 

「艦のクルーよりも《レヴォル》の私的運用のほうが問題だ。俺の判断で出撃した。だから処罰を受けなければいけない。これくらい、さ。新卒とかでも分かるんじゃないの? 俺は学校行った事ないから、よく分かんないけれど」

 

「そ、それは……」

 

 立つ瀬もないので押し黙るしかないのだが、このままクラードを行かせてはならない事だけはハッキリしていた。

 

「その……私もじゃあ、お叱りを受けます! これなら、委任担当官らしいんじゃ……」

 

「何言ってんのさ。あんた、俺と会ってまだ二十四時間も経っていない。よって責任は生まれない。俺と《レヴォル》の関係に踏み込んだっていい事なんて一個もない」

 

「で、でもそのぉ……私、お仕事しないといけなくって……!」

 

「仕事ならあるんじゃないの、それ」

 

「この書類はそのー……引き継ぎ業務とか色々で!」

 

「じゃあそれをやれば? 俺は後回しでいいじゃない。艦長からの懲罰を受けるのは俺なんだから、あんたは黙って回れ右すればいい」

 

「そ、そうはいきませんよぉ……。私の仕事はクラードさんで……」

 

「――言っておくけれど、取り入ったっていい事なんて本当にないよ。俺の世話は俺がやる。それで満足いかないのなら、他を当たって」

 

 ぴしゃりと言い捨てられてしまえばその足を止める言葉も思い浮かばない。

 

「で、でもその……フロイト艦長は結構気難しい方で……」

 

「知ってる。てかいいの? 艦長の悪口」

 

「わ、悪口じゃなくって……! これはちょっとした分析って言うか……」

 

「あんたより俺のほうがあの人と長い。ベアトリーチェ建造の前から顔見知りだ。それとあの人、フロイトって呼ばないほうがいいよ。不機嫌になるから、ちょっと失礼でもレミア艦長って言ったほうがあんたの身分じゃ円滑に回る」

 

「……えっ、何で……」

 

「教えない。守秘義務だ」

 

 どこまでも取り付く島のないクラードの態度に、カトリナは頬をむくれさせる。

 

「……何やってんの、それ。小動物の顔マネ?」

 

「クラードさんが話を聞いてくれないからですっ!」

 

「……分かんないな。話を聞かないと小動物の顔マネするんだ? ……それって新卒だから?」

 

「し、新卒馬鹿にしないでください!」

 

「馬鹿にしてないよ。コケにしているだけ」

 

「お、同じじゃないですかぁ……って言うか、より酷くない?」

 

「……艦長室の前だけれど、まだ来る? 意味ないよ、あんた」

 

「い、意味なくはないですよ……私もフロイト……じゃない、レミア艦長のお叱りを受けるんですっ!」

 

 意地になってそう言うと、クラードは心底理解出来ないとでも言うように眉をひそめる。

 

「……あんた、さ。自分の有益にならない事をやってどうするの? レミア艦長はあんたなんてどうでもいいと思っているだろうけれど、それでも?」

 

「そ、それでも……!」

 

 クラードは大仰なため息をついて白衣のポケットに腕を突っ込む。

 

「……叱られたいなんて変わってるね。それが委任担当官の仕事? ……わけ分かんないかも」

 

「わ、ワケ分かんなくっても私の仕事がこれなんで!」

 

「ふぅーん……じゃあとっとと懲罰を受けるか。艦長、入るよ」

 

 まるで遠慮もなくワンノックだけで入ったクラードの度胸に面食らいつつ、カトリナも後に続く。

 

 執務机の上で、レミアは書類相手にキーを打っていた。

 

「クラード。帰還御苦労さま。収穫はあった?」

 

「まぁまぁかな。レミアは? 俺とは別の意味で大変だったんじゃないの」

 

「く、クラードさん! 艦長ってつけないと!」

 

 慌てて訂正した自分に、ああ、と何でもないようにクラードは返答する。

 

「今は艦長ってつけないと駄目なんだ。ややこしいな、レミア」

 

「だから! 艦長ってつけてください!」

 

「……怒られるのは俺なのに、何であんたがそんなに慌ててるのさ」

 

「いいわよ、別に。レミアで。そのほうがあなたらしいし」

 

 難なく承諾したレミアに、カトリナはどうにも釈然としないでいると、クラードが口火を切る。

 

「俺に懲罰、するんでしょ? 《レヴォル》の私的運用を二回。これで一週間は懲罰房行きだ」

 

「そうね、平時ならばそうしていたわ。でも、これを観て。ちょっとそうもいかなくなったみたいなの」

 

 レミアが投射画面をこちらへと向ける。そこに描かれていた軌道予想図を読み解けないで首を傾げていると、クラードは確信めいた声になっていた。

 

「……軍警察の……」

 

「そう。何でだか分からないけれど、つい数分前の情報。このままじゃこっちの軌道とかち合う」

 

「えっ、何で……? 私達、軍警察にとやかく言われる事なんて、何も……」

 

「……俺目当てってわけか」

 

「単独で来るみたいだから、ハイデガー少尉でもいいかなと思ったんだけれどね。今のベアトリーチェは火器管制も生きているし、このままでも迎撃は可能。ただ、ミラーヘッドを使われると私達のこれからの航路としては問題が出てくる」

 

「……月軌道に行くのに、一秒も無駄には出来ない。いいよ、レミア。俺が迎撃する。それでいいんだろ?」

 

「相変わらず話だけは早いわね、クラード。ええ、そうしてちょうだい。私はちょっとだけ仮眠を取るわ。ベアトリーチェ出港前から寝てないのよ」

 

「いいよ。レミアは寝ていてくれ。俺が、単純にケリをつければいい」

 

 レミアは何と敵が来ると言っているのに仮眠を取ろうと椅子をリクライニングさせ、アイマスクを付けようとしているのでカトリナは戸惑ってしまう。

 

「えっ、その……艦長! 敵が来るんですよね?」

 

「……うるさいわね。今から一時間だけ寝るから……」

 

「寝ている場合じゃ……、ああ、もうっ!」

 

 既に寝息を立てているレミアを止める気にも成れずに、カトリナはクラードの背中を追う。

 

「……何。まだ何かあるの」

 

「……私っ、委任担当官なんです!」

 

「知ってる。敵が来るんだ、話しかけないで」

 

「そうだからじゃないですか! ……何だって艦長は仮眠を? そんなに容易い敵なんですか?」

 

「いいや、迎撃しないとまずいとレミアが俺に言ったんだ。なら、ヤバい奴だと思ったほうがいい」

 

「……分かんないなぁ。でも艦長自ら管制室にも顔を出さないんですよね?」

 

「レミアは疲れてるんだよ。だから、俺が障害になっちゃいけない」

 

 お互いに気を遣っているのだかいないのだか分からない判断だ。

 

 カトリナは艦内の廊下を蹴りながら素早く移動するクラードに付いていくのがやっとで息切れしてしまう。

 

「ま、待って……クラードさん、速過ぎ……」

 

「あんたが遅い。……っと、気密チェックと」

 

 格納デッキに出るなり、クラードへと差し出されたのは特注のパイロットスーツであった。

 

「ようやく完成したんだ。お前専用のパイロットスーツ。ライドマトリクサー施術痕に対応している。これまで以上に上手く馴染むはずだ」

 

「サルトル、《レヴォル》はどうなっている?」

 

「《レヴォル》の点検も無事完了。いつでも出せるが……本当にいいのか? まだ前の戦いから一日も経っていないぞ?」

 

「充分だ。寝過ぎたくらいさ」

 

「そう言ってくれるんなら助かるよ。白衣を預かっておく。ほい、期待の新人、そっちもノーマルスーツを着込んでおいたほうがいい」

 

 クラードは白衣を脱ぎ払い、黒のインナー姿からパイロットスーツを着込む。

 

 ところどころ赤い装飾のされた白いパイロットスーツを着込み、そのまま整備点検の成された《レヴォル》へと取りついていく。

 

 カトリナはノーマルスーツを着込んでから、《レヴォル》に接近していた。

 

「く、クラードさん! まさか、出るって言うんですか?」

 

「他に何があるの? いいから、退いておかないと危ないよ。すぐに発艦許可が下りる。前みたいに強制排除じゃないし、カタパルトデッキをきっちり通るけれど、気密が保たれるかどうかまでは俺も気が回らない」

 

「そうじゃなくって……えと、ノーマルスーツのバイザーはこれ、っと……」

 

 透明なバイザーを降ろしてから、カトリナはクラードに直通の声を通す。

 

「危ないのはクラードさんのほうじゃないですか! ……軍警察の敵なんて……!」

 

「なに、心配してるの? 大丈夫だよ。相手の手の内は分かっているし、一機とか、多くても三機編成でしょ。《レヴォル》の敵じゃない。そうだろ? 《レヴォル》」

 

『適正ユーザーを確認。適切な状況判断を乞う』

 

 返答した声がどこから来たのか不明でカトリナはきょろきょろしていると、コックピット内の波形パターンが応じる。

 

『カトリナ・シンジョウのバイタルを確認。ユーザー該当なし』

 

「指向性音声……これ、《レヴォル》の声なんですか?」

 

「レヴォル・インターセプト・リーディング。なに、教わってなかったの?」

 

「いえ、そのぉー……まさか、喋るなんて思わなくって」

 

「簡単な会話パターンを網羅している。《レヴォル》の声が聞こえるんなら、邪魔だよ。この位置じゃ認証エラーになる。すぐに退いて」

 

 コックピットより離れる前に、カトリナはバイザーをクラードのヘルメットに擦り合わせてローカル通話を行う。

 

「あの……私に出来る事って……」

 

「一つもない。俺がないって言ってるんだ。《レヴォル》もそう答えるだろうさ」

 

 緑色のバイザーを降ろし、クラードはインジケーターを調節してからコックピットハッチを閉じようとしたのでカトリナは思わず後ずさってしまう。

 

「でも! 私だって委任担当官なんですよ!」

 

 そう吼えるだけしか出来ない。

 

《レヴォル》はそのままカタパルトデッキへと移送され、その背中が離れていくのを、流れてきたサルトルに肩を引っ掴まれていた。

 

「危ないぞ。なに、クラードはやるさ。おれ達の要望以上にな」

 

「そ、そうじゃなくって……。クラードさんばっかりに無茶はさせられません。私の仕事を全うさせてください」

 

「何だ? 仕事なら山ほどあるだろ。クラードが帰ってきたら、期待の新人にもきっちり仕事が割り振られる。今は、クラードの帰還を待つべきだ」

 

「……それってぇ、ないって言ってません? レミア艦長も仮眠取っちゃうし……」

 

「休める時に休んでおくもんだ。目標航路はまだ遠い。おれ達はまずはかかる火の粉を排除しないとな」

 

「かかる火の粉……軍警察に楯突いたら、それこそまずいんじゃ?」

 

 こちらの意見にサルトルは肩を竦める。

 

「逆だよ。軍警察相手に及び腰じゃ、目的なんてこなせないぞ。なに、後からトライアウトがどう因縁をつけてこようが関係がない。我が社は関知せずってね」

 

「企業と軍警察はでも、犬猿の仲のはずじゃないんですか?」

 

「だからだよ。互いに牽制し合っても旨味がないってここで分からせる。そのための《レヴォル》とクラードだ」

 

「……《レヴォル》……でも、あれは……」

 

 カトリナのか細い声はこの時、出撃前の喧騒に掻き消されていた。

 

 



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第20話「忌むべき火薬庫」

『《レヴォル》をリニアカタパルトボルテージへ。発進位置固定。出力80パーセントに設定。射出タイミングを、エージェント、クラードに譲渡します』

 

 赤髪のオペレーターの声を受けて、クラードはこちらへと引き出された接続口に視線を落とす。

 

 パイロットスーツ越しだが、可変腕が接合され、そのまま緑色の適合の色彩を灯らせた。

 

 脳内と網膜に有機伝導の磁場が走り、直後には《レヴォル》の意識へと思考拡張が行き渡っている。

 

「レヴォル・インターセプト・リーディング接続。中継適合率は七十六パーセント。思考拡張のモニターを乞う」

 

『思考拡張確認。有機伝導電荷、アステロイドジェネレーターの推進モードはアクティブに設定されています』

 

「了解。エージェント、クラード。《レヴォル》、先行する」

 

 カタパルトに電磁の光が走るのと、誘導灯が青に染まるのは同時。

 

 装着されたスリッパを介してリニアカタパルトボルテージの出力が上昇し、《レヴォル》の機体は僅かな慣性を引き受けてそのまま射出される。

 

 暗礁の宇宙に乗り出した《レヴォル》は青い推進剤の輝きを灯らせ、ぐんぐんと前に進んでいく。

 

 これまでのような強制的な接合ではなく、メンテナンスが成された上での接合のため、全てのシグナルはオールグリーンに設定されていた。

 

「アステロイドジェネレーター反応を索敵する。《レヴォル》、探してくれ」

 

『了解。アステロイドジェネレーターの索敵を開始。反応あり。エネミーと目される。機体照合結果、軍警察トライアウト所属、《エクエス》改修機』

 

「驚いたな。本当に一機だけで来たのか」

 

 だが驚愕したのはそれだけではない。

 

 敵《エクエス》は肩口よりビームを発振したかと思うと、その粒子束を接続させ、組み合わせたのはトライアウトの軍旗であった。

 

「……何それ。何やってんの」

 

『白いMSに告ぐ! 私は軍警察、トライアウト所属、ガヴィリア・ローデンシュタイン少尉である! 貴様らがあの忌々しいデザイア出身のウジ虫共という事は知っての話だ。よってここに! 私闘を演じさせてもらう!』

 

 抜刀した相手に、クラードは心底重いため息をついていた。

 

「……勝手に盛り上がってるんじゃない。そんなこれ見よがしの旗なんて立てて、俺がどうこうするって思ってるのか?」

 

『貴様ら、ウジ虫連中は旗を立てて自軍を誇示する習性があるのは調査済みだ! だが二度も敗北した以上は、そちらの流儀に則って戦ってくれよう。これは我が方の譲歩である』

 

「譲歩? 何言ってんのさ。俺は潜入調査で入っていただけだ。お前みたいな勘違いとやり合うのが一番に疲れる」

 

『白いMS! 旗を揚げろ! 勝負だ!』

 

 分からず屋か、と口中に呟いたクラードはミラーモニターに映った自分の瞳の虹彩が既に真紅に染まっているのを目にしていた。

 

「……《レヴォル》。面倒だ、一気に決める」

 

『承認。武装のロックを解除。専任ユーザーをエージェント、クラードに設定』

 

『来ないのか! ではこちらから行くぞ!』

 

 ビームサーベルの粒子を払って、《エクエス》が飛び込んでくるのを、《レヴォル》は半身になって回避し様に、その腕を引っ掴む。

 

 そのまま掌底を腹腔に浴びせ込もうとして、敵機は目晦ましの炸薬を弾けさせて後退していた。

 

「……ふぅーん、馬鹿じゃないんだ。距離くらいは分かっているってわけか」

 

『承知しているぞ! 白いMS! 貴様はこの距離まで至らないと必殺の一撃すら撃てない事をな! ならば、中距離戦を取らせてもらう!』

 

《エクエス》がホルスターにセットしていたビームライフルを引き絞り、照準して掃射する。

 

 ロックオンの警告が幾重にも響き渡ったが、どれもこれも、ロックされてから避けてもまるで問題のない弾ばかりであった。

 

「……さっきの《エクエス》が強過ぎたな。これじゃ肩慣らしにもならない」

 

『避けてばかりでは敵を墜とせんぞ!』

 

 回避運動を取るこちらに対し、敵のMSは蒼い残像を引いてミラーヘッドを使用する。

 

 漆黒の空間に浮かび上がった蒼い粒子の輝きが幾重にも分身体を構築して、《エクエス》の中距離攻撃を支援していた。

 

「……ミラーヘッドを飛ばすのではなく、自分の側に引き寄せての攻撃網の激化。それくらいは使えるんだ?」

 

『何度も何度も! 避けていられると思うな! 私が手塩にかけて育てたミラーヘッドのアイリウムは貴様らウジ虫を逃すほど優しくないぞ!』

 

「思っちゃいないよ、こっちだって。でもミラーヘッドは使うと疲れるんだ。だから、今回は――それなしで行く」

 

 そう決断した瞬間、機体をきりもみさせてクラードは《レヴォル》に可変形態を取らせていた。

 

 下方より変形した《レヴォル》が真っ直ぐに敵影へと突っ込んでいく。

 

 敵の銃撃網はどれもこれも戦力だけに割き過ぎていて当てずっぽうに近い。

 

 よって――わざわざ回避運動を取ってやるまでもない。

 

 猛禽の嘴めいた形状に変形した《レヴォル》はそのまま《エクエス》の肩口を狙うべく交錯の瞬間に腕を現出させていた。

 

 だが、相手は辛うじてその動きを予見して一撃を回避してみせる。

 

「……へぇ、避ける。まぁ二度も三度も通用する手じゃないか」

 

『嘗めた真似を……! 私はこれでも、軍警察の、エリートだ……!』

 

「何か似たような事を聞いた覚えがあるけれど、別にいいか。気のせいだろうし」

 

『敵照準、こちらへと多重ロック。ミサイル攻撃を感知』

 

《レヴォル》のその言葉通り、敵は背面に背負っていたミサイルランチャーを肩に装備し、その砲身をこちらに据えていた。

 

『この墜ちろ!』

 

 ミサイルが四つ、多弾頭型のそれが射出される。

 

 大きく円弧を描いて、《レヴォル》は上方から《エクエス》に向けてそのまま突っ切っていた。

 

『馬鹿な! 自殺行為だぞ!』

 

「……《レヴォル》、武装承認。ミラーヘッドの部分適合。右腕を使う」

 

 敵機はビームサーベルを引き抜いて突き進む自分達へと切っ先を向ける。

 

 射抜かれるかに思われた、刹那――。

 

 機体が四肢を開き、《レヴォル》の腕が無数の軌道を描いていた。

 

 放たれたゼロ距離に等しい蒼い粒子束の連鎖攻撃が《エクエス》を叩きのめす。

 

『い、一部分だけの、ミラーヘッド適応……だと……!』

 

 分散した腕より一斉掃射された攻撃網を相手に敵は刃一本では足りなかった。

 

 打ち据えた腕からスパーク光が迸り、ミラーヘッドジェルが蒸発する。

 

「このまま墜とす。コックピット狙いだ。……喧しい奴には退場してもらう」

 

『や、やめろ! 私は軍警察のローゼンシュタインで――!』

 

「……うるさいなぁ。つまんない名乗りはもうやめろよ、あんた。三文役者を続けるつもりか? “取り繕い”でもあるまいし」

 

 手刀で呼気一閃、敵の応戦のビームライフルの銃身を叩き割り、そのまま貫手の状態に構えた腕を、相手の腹腔へと狙いを決める。

 

「もらった――!」

 

 しかしその瞬間、関知した高熱源反応にクラードは習い性の身体を後退させる。

 

 機体が反応して後ずさったその時には、上方よりビームライフルの火線が棚引いていた。

 

《エクエス》二機が中距離より応戦し、牽制のライフルの光条を引いてから、炸薬を放り投げてくる。

 

 クラードは破裂する前の爆弾を掌底で粉砕させたが、その中身はガスであった。

 

「……ミラーヘッドの動きを鎮静化させるガス……。これで時間稼ぎか」

 

《エクエス》二機は無惨にも中破した相手の《エクエス》を回収し、そのまま牽制の銃撃を何度か放ってから撤退機動に入っていく。

 

「……逃げ足だけは一人前だな。恥知らずな動きだ」

 

 クラードはリニアシートにもたれかかりつつ、後退していく《エクエス》編隊を見据え、ベアトリーチェに視線を移す。

 

「……追わないで?」

 

『はい。追撃は大丈夫です。《レヴォル》、及びエージェント、クラードは帰投をお願いします』

 

「了解。……にしてもサルトルが馴染んでくれているって言ったけれどその通りだ。《レヴォル》は俺に、馴染んでくれている」

 

『復誦。《レヴォル》はユーザーに馴染んでいます』

 

「そういうのは返さなくっていいんだよ、まったく。レヴォルの意志って奴は」

 

 クラードは静かに向き直り、《レヴォル》へと帰投ルートを辿らせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「離してくれ! 私は、ここで雪辱を晴らさなければいけないのだ!」

 

『落ち着いてください、ローゼンシュタイン少尉。まだ死なれては困るのです』

 

「お前らは何者だ。私の戦闘に割って入ってきて……」

 

『墜とされていましたよ、あなたは』

 

 その事実に重く口を噤んでいると、通話先の相手のアクティブウィンドウが開く。

 

 パイロットスーツに身を包んでいたのは、偉丈夫の男かと思いきや、身体の芯だけはしっかりした女性であった。

 

「……女……?」

 

『失礼を。軍警察特務部隊、トライアウトジェネシス所属のダビデ・ダリンズ少尉です』

 

 その名乗りにガヴィリアは目を見開く。

 

「……まさか。ジェネシスのDD? あの悪名高い……?」

 

『そう呼ばれる事もあります。現時点で、貴官の死は無用なる損耗として我が方に与える影響があると判じ、ジェネシスより遣いを受けて馳せ参じました』

 

「……余計な真似を……あのままなら墜とせた」

 

『それは見解の相違ですね。あのままなら墜とされたのは貴官に思われましたが』

 

 全く顔色一つ変えずに返答してくるものだから、ガヴィリアは鼻白む。

 

「……貴官には分からんのだ。男の戦場というものが」

 

『理解しかねます。死にに行くようなものでしたので』

 

 売り言葉に買い言葉だ。

 

 このままでは平行線なのでガヴィリアは問い返す。

 

「……何故私を助けた」

 

『それも意見の相違ですね。助けたのではなくジェネシス依頼の仕事です。《エクエス》をわざわざ使ったのも足を付かせないため。エンデュランス・フラクタルが如何に一企業とは言え行政連邦とて突かれれば痛い横腹がないとも限りません』

 

「……いいのか? 今のは問題発言だぞ」

 

『構いません。私は戦いに来ているだけですので』

 

 どこまでもストイック。どこまでも冷徹。

 

 ――だからこそ陰口を叩かれるのだ。男の成り損ないのDDと。

 

「……私を死なせないで何の得がある?」

 

『少なくともあのモビルスーツに対し、一戦闘分の有用性を見出す事が出来ます。部下をむざむざ死なせる事なく、敵の手を晒す事に貢献した、それだけでも戦果かと』

 

 自分が六人も死なせている事を暗に責めているようであったが、言い返すような気力も湧かない。

 

 なにせ、あのMS相手に自分はまるで無力だったのだ。

 

「あれは……あんなミラーヘッドの使い方をするなど。まるで忌まわしき火薬庫(ガンルーム・ダムド)だ」

 

『ローゼンシュタイン少尉。今は喋らないでください。ミラーヘッドで加速します。舌を噛みますよ』

 

 言い切る前に既にアステロイドジェネレーターの臨界音程が装甲越しに伝わり、ミラーヘッドによる超加速に機体が晒される。

 

 こうなってしまえば、もう自分に成すべき事は一つもない。

 

「……まるで敵わなかった。それは私の禍根だとでも言うのか……」

 

 ぎゅっと拳を握り締め、悔恨に耐えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クラード! ……何とも、ないのか……?」

 

「何が」

 

 ノーマルスーツ越しのこちらの問いかけにもクラードは特に頓着する様子もなく、涼しげに応じてみせる。

 

 サルトルから白衣を受け取り、着込んでからクラードは格納デッキを漂っていた。

 

「あの《レヴォル》とか言うの……見た限りじゃヤバいぜ。どう考えたってマトモじゃねぇ」

 

「マトモだったら、俺が戦うのに余計な口を挟まないのか?」

 

「そうじゃねぇって! ……ただ、この艦の守りが手薄なのが気にかかっただけだ」

 

「大丈夫だよ。火器管制はオープンになったみたいだし、それにハイデガーとか言う軍人だって居る。思ったよりも守りは堅牢だろ」

 

「……オレらの《マギア》が要るって言うんならいつでも言ってくれよ。力になる……いいや、力になりてぇんだ」

 

「それはサルトルを通して。俺じゃどうにも言えない」

 

 まるで自分の姿なんて見えていないかのようにクラードは行き過ぎていくのでアルベルトは進路を遮って声を放っていた。

 

「そうじゃねぇ! ……そんな事が言いたいんじゃ、ねぇんだ……」

 

「じゃあ何。肩離して。俺、レミアに報告に行くよ。そこからだ、話ってのは」

 

 こちらの手を振り払い、クラードは行ってしまう。

 

 その背中を呼び止める言葉一つ持たずに、アルベルトは苦渋を噛み締めていた。

 

「……何だって、あいつ……」

 

「一人になろうと、しているんですかね」

 

 うわっ、と思わず驚いて後ずさると、カトリナが書類を抱いてクラードの背中を自分と同じように眺めていた。

 

「……カトリナさん」

 

「あっ、アルベルトさん。クラードさんってば、何なんでしょう。私達にわざわざああいう攻撃的な物言いを選んでいるんでしょうか?」

 

「あ、いや……多分元々の性分なんだと思います。あいつ、凱空龍……族に居た頃から余計な事は喋らないタイプでしたから」

 

「詳しいんですね、クラードさんの事」

 

 どこか踊るように目の前に歩み出てくるものだからアルベルトは絶句してしまう。

 

「……詳しかねぇですよ。あいつの事、なぁーんにも知らなかったんだって、思い知らされています。この艦に来て余計に。心の距離が空いちまったみたいに」

 

「アルベルトさんは、クラードさんの事、やっぱり知りたいんですか?」

 

「そりゃ……! そうでしょう。オレにも出来る事があるんだと思わないと、やり切れねぇっすよ……」

 

 カトリナは壁に背中を預け、はぁとため息をつく。

 

「私も……委任担当官だとか言われちゃってますけれど、クラードさんの事、一ミリも分かんないんですよね。これってやっぱり未熟者だからなのかなぁ……」

 

「そんな! カトリナさんはよくやっていると思いますよ! ……あっ、別にこういうのは違って……その……」

 

 しどろもどろになっていると、カトリナは微笑む。

 

「……似た者同士みたいですね、私達っ」

 

「あっ……みたいっすね、そう……」

 

「じゃあこれで。私は書類仕事に向かいますっ!」

 

 しゅたたーっとわざわざ口で言ってからカトリナは立ち去っていく。

 

 それを呆然と眺めていたアルベルトは、ふと言葉にしていた。

 

「……これが恋、か?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――《レヴォル》で敵を迎撃。他に目立った損傷はなし。これで報告にはなったろ」

 

「ええ、とても有益な……」

 

 そこでレミアが大あくびを挟んだものだからクラードは呆れ返る。

 

「……レミア。艦長らしくすれば? それだから嘗められる」

 

「あなたみたいな古株ばっかりじゃないからね。このままじゃ艦長の席も危ういかも」

 

 頭痛薬の錠剤を数粒水で飲み干したレミアにクラードは言いやる。

 

「じゃあ、報告はしたから。サルトルにもよろしく言っておいて」

 

「ええ、報告書の体で提出するわ。技術部門に関しちゃ彼に一任しているから」

 

「了解。……それと、オーバードース、よくないよ。頭痛薬」

 

「クラード、こういうことわざを知っている? 情けも過ぐれば仇となるってね。あなたは自分の心配をなさい。ライドマトリクサーとは言え、《レヴォル》に結構な負荷をかけた戦い方をしている。このままじゃ危ういのはあなたのほうよ」

 

「……かもな。そうかもしれない」

 

「お仲間の事も考えに入れておきなさい。解決するのはあなたの課題よ」

 

「肝に銘じておくよ」

 

 手を振って艦長室から出てくるのを、鼻息を荒くして待ち構えていたのはカトリナだった。

 

「……何」

 

「見るなりげんなりしないでくださいよぉ!」

 

「……余計なお世話……ってこれはレミアには言えないな。俺も抱え込んでしまっている」

 

 廊下を流れてゆくと後ろからカトリナの声が聞こえてくる。

 

「あの、クラードさん! 私の仕事はこれなんです! だから、お供させてください!」

 

「俺のお供なんて死ににいくようなものだけれど? なに、自殺願望者?」

 

「違って! ……私、幸せになりたいんです。だから、あなたの委任担当官として、一緒に戦いますっ!」

 

 足を止めて一瞥を振り向けると、カトリナはきゅっと両の二の腕を上げて微笑んでみせる。

 

「……幸せな奴だな、あんた」

 

「そ、それって悪口……」

 

「どう捉えたって結構。言っておくけれど、あんたの戦いなんて、俺からしてみればどうだっていい。委任担当官だって言うんなら、邪魔だけはしないで。俺は俺の邪魔をする奴を敵と見なす。それだけだ」

 

「クラードさんは……私には委任担当官なんて務まらないって思っています?」

 

「どうだかね。あんたが俺の邪魔をするような身分にならない事だけは、祈ってやったっていい」

 

「私っ、頑張りますんでっ! 意地と体力だけは人一倍って、高校の時に褒められたんですよ? ラクロス部で!」

 

「それって、褒めてないだろ。……まぁいいや。委任担当官とかどうだっていいけれど、死なない程度に頑張れば?」

 

 死んでしまえばそこまでだけれど、と言外に付け加えたつもりであったが、カトリナは底なしの明るさで応じる。

 

「頑張りますっ!」

 

「そこは……死んじゃえばお終いだって、悲観するところだと思うけれどね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三章「抱くそれぞれの想い〈フィーリング・オブビジョン〉」 了

 



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第四章「その名はガンダム〈アウェイキング・ガンルーム・ダムド〉」
第21話「月の聖獣」


 宇宙の常闇を貫くのは、推進剤の青い光の群れであった。

 

 尾を引きながら全身これ武器とでも言うような連邦の艦隊へと猪突していく命達は、それぞれの言葉を持たない。まさに意志のない命そのもの。

 

 彼らにとっての意義は、戦いにおける意味は、全てこの暗礁の宇宙では消滅して久しい。

 

 火線を散らせ、接近するMSへの対抗策を張る戦艦クルエラの艦艇へと数機の《エクエス》が取り付き、担いだバズーカの砲火を上げていく。

 

 内側より爆ぜた地球連邦艦がデブリと爆発の光を押し広げている間にも、別働隊が無数に宙域展開するクルエラ級に銃撃を向けていた。

 

 光条が迸り、連邦の各艦が対空砲火の火線を切らすまいと応戦する中で、いたずらに誘爆を広げるのみであった。

 

「管制室! 入電! 駄目です! 行政連邦、トライアウト! 《エクエス》、なおも接近!」

 

「……何故、こうなった。どうして、我が方が押されているのだ。あれは議会を通ったばかりの急造部隊ではなかったのか! まだトライアウトは必要議席すら満たしていないはずの、連邦法案だぞ!」

 

 艦長席でひじ掛けを叩いたクルエラ三番艦の艦長はまだ年若い将校であった。

 

 よって、このような本格的な空間戦闘も初めてならば、こうして《エクエス》の部隊が一斉に寝返るような、そのような謀反など知る由もない。

 

 おっとり刀の地球連邦カラーのオレンジ色に染まった《エクエス》では、つい数週間前に、連邦議会を通ったと言う「軍警察特別措置法」によって結成されたと言う体裁のトライアウトに、まるで敵わない。

 

「艦首砲塔、沈黙! トライアウトのMS、まさかここまでだとは……!」

 

 悔恨を噛み締めた砲撃長に、艦長は慣れないながらも声を飛ばす。

 

「艦砲射撃切らすな! 敵を一機たりとも近づけてはならん! そうでなくともこの宙域では……」

 

 艦長は背後に佇む、暗礁宇宙の常闇の中でも、さらなる深淵に繋がる虚ろの穴を、拡大モニターで見据えていた。

 

 こうして数百倍の拡大鏡で見ても、ゾッとしない光景だ。

 

 ――宇宙に穴が開いているなど。

 

 そちらに意識を削がれた一瞬、左舷が業火に包まれる。

 

 すぐに消火ガスが散布され、誘爆は免れたものの致命的な一打には違いなかった。

 

「左舷損傷! 艦長、このままでは……」

 

「分かっている。だが地球連邦軍の名折れとなるわけにはいかん。……ここから先は、誰一人として通すわけには……」

 

「艦首に敵影!」

 

 悲鳴のような声に艦長が視線を真っ直ぐに据えた瞬間、濃紺の《エクエス》がバズーカの砲口をこちらに照準する。

 

 ああ、終わった、と判断するのは簡単で、そして死までの距離は思ったよりも長い。

 

 これが走馬灯か、と感じた艦長は今際の際に生じたのが、故郷への慕情であった事を知る前に眼前の《エクエス》が不意に弾け飛んでいた。

 

 直上からもたらされた光の帯が、《エクエス》を貫き、そのまま爆炎さえも生じさせずに沈黙させる。

 

「て、敵影沈黙……この光は……」

 

「ああ。来たな。――モビルフォートレス……」

 

 その名を紡ぎ上げ、艦長は艦首に備え付けられたカメラが捉えた望遠映像を睨む。

 

 遥か彼方に聳えるのは、まるで異形と言う形容でしか成されないであろう影であった。

 

 この常闇の宇宙で漂っておいて、黄金の威容を誇り、その輝きを周囲に撒き散らして、自身の存在を誇示する忌むべき一等星――。

 

「MF――《ファーストヴィーナス》。……だから言ったのだ。この宙域は危険だと」

 

 艦長はしかし、先ほどまでの濃厚な戦闘の息吹から解放されたのを感じ取り、電子煙草をくわえてみせる。

 

 それにはある種のジンクスがあった。

 

「MF01! 敵対行動を実行する《エクエス》編隊へと、光の攻撃を続行! 徐々に勢いが削がれていきます……」

 

 報告がもたらされている間にも状況は変移する。

 

《ファーストヴィーナス》の放出する光の帯が照射され、トライアウトのMS部隊は塵芥に還る。

 

 それは彼らがこの宙域において「異物」であるからだろう。

 

「……我々が守護しているのだと、あれは分かっておるのだろうな。だから異物をまず排除する。それから我々の行動をじっくりと値踏みしてから、殺すかどうかを決める。常套手段だ、ダレトの向こうより来たりし者の……」

 

 だからこんな土壇場で電子煙草の味を誰よりも味わう事が出来る。しかしトライアウトは違うはずだ。

 

 自分達――地球連邦軍を排除する事しか教え込まれていないにわか仕込みの兵隊達は、この宙域に潜む魔の事をまるで知らない。

 

 よって彼らがこの月面艦隊を陥落させる事は不可能となった。

 

「……不沈の月面艦隊、危うかったですね……」

 

 部下の言葉に艦長は一服を挟んでから、そうだなと忌々しげな眼差しをカメラ越しに送る。

 

「……奴に、感謝でもしろと言うのか。扉の向こうより来たりし異端者に」

 

「《ファーストヴィーナス》より、光源はなおも増幅! 一斉掃射、来ます!」

 

「対ショック姿勢。なに、いつもの癇癪だ」

 

 先ほどまでの混迷は、今の月面艦隊にはない。

 

 むしろ、平常通りの勤務に戻った事を光栄に思うべきだろう。

 

《ファーストヴィーナス》が見渡す限りの宇宙の裾野へと星の輝きを浴びせかける。

 

 それは原初の生命が記録せし黄金の燐光。

 

《ファーストヴィーナス》よりもたらされた輝きを少しでもモニターしたMSは途端に行動不能へと陥っていた。

 

「トライアウトの機体群、アステロイドジェネレーターに異常発生。我が方は……いつもの事なので」

 

「ああ、無事だ。こういった時に備えが機能する。いい事だよ」

 

 艦長はつい先刻の苛立ちから解放され、死の恐怖も薄れた宙域を眺めていた。

 

「それにしたところで、暗がりのはずの宇宙に不意に輝く一等星には、いつだって畏敬の念が先立つ」

 

 MF、《ファーストヴィーナス》の形状は異端の中の異端。

 

 人型などでは決してなく、ブロックを繋ぎ合わせたかのような上半身を持ち、辛うじて頭部と判定出来る立方体の部位に、三つのアイカメラと思しき形状を有している。

 

 下半身はさらに異形。

 

 脚部など存在せず、そのまま羅針盤のように異様に伸びた針の部位がこちらを指し示しており、指された側は射竦められた感覚を伴う。

 

 そして極めつけは背面に背負ったいくつもの左右非対称の武装であろう。

 

 翼、と形容するにはまるで飛翔性能を度外視した凹凸。かと言って武装と呼ぶにしては、その立ち振る舞いに威厳があった。

 

《ファーストヴィーナス》の頭頂部より伸びたアンテナ部に円環の紋様が浮かび上がる。

 

「エイジェルハイロゥだ。《ファーストヴィーナス》の……」

 

 このような非常事態に、MFをありがたがる人間が居るものさもありなん。

 

 管制室では祖国の経典を拝み始める者も居るので、人間、どこに行っても信仰だけは捨てられないな、と自嘲する。

 

 かく言う自分も、祖国の言の葉を借りていた。

 

「天にまします我らが父よ……。略式であるが――光あれ」

 

 光あれ、と続く艦内のクルーの声が響き渡ると同時にトライアウトの不心得共たちは駆逐されていく。

 

 それぞれ黄金の光を帯びた雷撃の槍に貫かれて。

 

《ファーストヴィーナス》がその名を纏うに当たり、欠かせないのは全ての武装が黄金に輝いている点だ。

 

 忌むべきそれは人造の明けの明星。

 

「トライアウトは信仰心が足りないな。我々は何年、ここを任せられていると思っている。最早事象だよ、あれはね」

 

 トライアウトの擁する戦闘艦、ヘカテが後退していくが、果たして「彼ら」はそれを許すかな、と艦長は口角を緩めていた。

 

 想定通り、砲撃が横合いからヘカテ級を射抜く。

 

 極太の光芒を宵闇に描いたのは《ファーストヴィーナス》とは別方向に位置する、こちらも観測衛星からでしか拡大出来ない、極地級の影――。

 

「MF02……《ネクストデネブ》……。あいつら、この宙域の神に障ったんだ」

 

 くわばら、と口にするクルーを横目に艦長はヘカテ級艦艇が次々と、まるで狙い澄まされたかのように轟沈していくのを目の当たりにしていた。

 

 だがこの程度、平常運転だと思わなければ気が狂ってしまう。

 

《ネクストデネブ》と呼称される二番目のMFは、砲身と思しき形状の武装を八門も装備した火力の怪物だ。

 

 それ以外の全てを犠牲にしたかの如く、細身の躯体はまるで動きはしないが、敵影を捉えた場合、最も駆逐率が高いMFでもある。

 

「奴に目を付けられたらそこまでだ。蒸発するまで追い込まれるぞ」

 

 その言葉通り、トライアウトのヘカテはその横っ腹を貫かれて爆炎に身を焦がしていく。

 

 大穴が穿たれたと思ったその時には、もう手遅れだ。

 

《ネクストデネブ》は逃しはしない。

 

 砲門の冷却など不要な技術力に到達しているのか、矢継ぎ早に掃射されるピンク色の光軸は敵艦をことごとく狙い澄ましていく。

 

「……しかし、連中。MFにやられるなんて浮かばれませんよ。……この宙域、また濃くなるんじゃ? 亡霊の感覚が」

 

 ――亡霊の感覚。

 

 それは月面艦隊が常に噂として持ち歩いている代物であった。

 

 月面に空いた大穴――ムーンダレト。別名、月のダレトとも呼称される大虚ろから来たりし、四機の使者。

 

 その四機に撃墜されれば、赴く先は天国でも地獄でもない。

 

 永劫この宙域に魂が焼き付き、二度と解放される事はないのだと、そう言ったまことしやかな噂話が囁かれ、兵の間では半ば常識と化していた。

 

「どうだかな。いずれにしたって、モビルフォートレスは味方でも敵でもない。警戒を厳にしたまま、このまま戦闘態勢を維持。なに、連中には不可能かもしれんが、我々は数年のスパンでの月面勤務だ。歴が違う」

 

 そう――月面のダレトの監視任務。

 

 ある意味では死刑宣告よりもなお重々しい魂の牢獄への葬送だ。

 

 宇宙の無重力に晒されながら、後ろには大穴が空いているなど冗談に等しいが、実際のところそうなのだから性質が悪い。

 

 艦長は静かに、それでいて声には平時の落ち着き以外にも意味を持たせて命令していた。

 

「……《マギア》で追い立てろ。下手に動いた奴から死んでいく。月面探査の任を帯びているクルエラ三番艦はこのまま停滞。《マギア》も分かっているな? パイロットにはMFを刺激するなと言い伝えておけ」

 

「言うまでも、でしょう? 《マギア》第一分隊、出撃」

 

《マギア》はこのクルエラ級において逆さ吊りの形で格納されている。

 

 クルエラの艦艇より次々と引き出された《マギア》がそれぞれ最低限度の動きで《エクエス》部隊を退けていく。

 

 先ほどまでの敗色濃厚はどこへやら、次第にこちらの戦力が押すようになっていた。

 

《マギア》の一機に至っては管制室にマニピュレーターで手を振る始末だ。

 

「あのバカ……! 艦長! 何とか言ってくださいよ」

 

「いいや、ああいう手合いはゲン担ぎだ。少しは自重しなければ墜とされるのはこちらだと、いつもの警句を飛ばしておけ」

 

 そうだとも。

 

 死の宙域で意味を見出すのは、最早狂気の沙汰に陥った兵隊達。

 

 MFのもたらす天災のような砲撃網を潜り抜けつつ、《マギア》は着実に《エクエス》を排除していく。

 

 その手際に相手も舌を巻いている事だろう。

 

 艦長席で、そう言えば、と口にしていた。

 

「そろそろ喉が渇いたな。ブレイクタイムにしようか」

 

「艦長。戦闘待機ですよ」

 

 そう諌める砲撃長の声も先ほどまでとはまるで異なっている。

 

 もう何の心配もない、それどころかこれは勝ち戦だ。

 

「そうだったな。……では総員、ノーマルスーツの解除を許可する。もう戦闘警戒は解いてもいいだろう」

 

「各員、戦闘警戒を解除。MS部隊を収納後、クルエラは平常任務に戻る」

 

 それらの通信が滑り落ちていくのを聞きつつ、艦長は遥か頭上よりまだ制裁の黄金を迸らせる《ファーストヴィーナス》と、そしてまるで別方向から敵艦隊を追い立てる《ネクストデネブ》の脅威を目にしてから、ふぅと嘆息をつく。

 

「……この任務は、正気と狂気の狭間で踊る……地獄絵図だよ」

 

 そう呟きつつも平常任務ならばこなせないわけではないと分かり切っている自分も居る。

 

 艦長は静止衛星のカメラから望める、もう二つのダレトの使者を目にする。

 

「……まるで沈黙するMF03、そして今も解明が急がれているMF04か」

 

 静止衛星の捉えたのは、円環の武装より吊り下げられた操り人形のような機体であった。

 

 微細な糸が太陽光を照り受け、その機体がまさしくマリオネットの存在なのだと誇示している。

 

 その糸はしかし、現行人類では切断も叶わないブラックボックスの一つだ。

 

 単眼の、まだ人型らしい形状を伴っている機体はしかし、その頭部を死体のように俯けている。

 

 実際、この機体から意識のようなものがモニターされたのはダレトより来訪した時だけだ。

 

 それ以降、黄色の機体色を持つこの機体はずっと、眠りこけているようにラグランジュポイントで位置取っている。

 

「……MF03、《サードアルタイル》。そして我々の叡智が唯一届いた、MF04……《フォースベガ》……。もっとも、こちらは解析船団が組まれて久しいがね。今次船団は……」

 

「約七十二日の滞在です。前よりかは長いですね」

 

「……《フォースベガ》からもたらされる恩恵で、我々は生きている。ミラーヘッドも、そしてダレトの……戦争の技術も」

 

《フォースベガ》と呼称された機体は最もこの中ではMSに近い。

 

 全身これ武器とでも言うような近接武装に身を包んではいるが、それは見かけだけで動きは《サードアルタイル》の次に少ない。

 

 つまりはほとんど案山子の状態。

 

《フォースベガ》は緑色の色彩を誇っており、頭部はどこか鎧武者を想起させる形状でその眼光は鋭いものの、今は沈黙の一途にある。

 

「船団の連中の心労は察するに余りある。ダレト付近である事に加え、いつ動き出すのかも分からないMFの査察……。正直、死刑宣告のほうがマシだとさえも思うな」

 

「艦長、MS部隊、全機収容完了。トライアウトの素人連中は……全機撤退を確認」

 

「了解。対宙域防御を全解除。これより、月面監査艦、クルエラは通常の軍務に戻る。皆の者、異端者共に感謝するとしよう」

 

 その言葉だけ軽々しいものだったせいか、デッキクルーからは笑い声が上がっていた。

 

「艦長、それは異端審問にかけられても文句は言えませんよ」

 

「……そいつは確かに」

 

 だが、これで死の恐怖は薄らいだ。

 

 ノーマルスーツの襟元に風を入れつつ、艦長は嘆息を漏らす。

 

 この宙域は死の領域――MFの攻撃網の中心軸だ。

 

 いつ何が起こってMFが動き出し、その結果として自分達が惨たらしい死を迎えるのかは分からない。

 

 この永劫の責め苦のような任務はしかし、超然とした軍人の思考回路にはちょうどよかった。

 

「元々、ダレトが開いてからの月面艦隊なんて、もう家族には二度と会えんと、言われているようなものだからな」

 

 故郷を思う。

 

 先ほど脳裏を掠めた望郷の念を確かめつつ、艦長はそう言えば、と首から下げた十字架を意識する。

 

「……こんなもの、宇宙の常闇で役に立つものか」

 

 だが信仰に意味を見出すのが人類だ。

 

 艦長はそっと畏敬の念を抱き、そのまま祈りを捧げる。

 

「こんな最果てでも……光あれと……願う事だけは自由なようだからな」

 

 光さえも吸い込む絶対の魔たるムーンダレト。

 

 そしてそれを守護する四体の聖獣――MF。

 

 この宙域に至っては、信仰も、ましてや敵意など、すぐに意味をなくす。

 

 霧散する意味消滅に、しかしわざわざ悲観を持ち込むべきではない。

 

 悲観する前に、状況を利用し、そして一日でも長く生きるべき。

 

 それが――この月面監査艦、クルエラ三番艦の艦長がこの月面監査に入ってから、二年目に得た教訓であった。

 

 



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第22話「強者の言葉」

「ダレトのおこぼれに預かりたい連中は大勢居る」

 

 そう口火を切ったヴィルヘルムに、クラードは何度目かの診察を受けてから、唐突な問いに眉を上げる。

 

「……何? 急に」

 

「いや、ライドマトリクサーとしての技術も、そして我が艦が持っているアステロイドジェネレーターの叡智も、全ては月のダレトよりもたらされた恩恵だ。そう思うと、何だかね。全ての生命の決定権をあの大穴が持っているようで」

 

「実際、そうでしょ。ダレトが出てから、俺達の日常は変わった。……いや、それは変わったと、そう認識しなければ生きていけない者達の逃げ口上だ」

 

「手厳しいな、クラード。現代科学の申し子たるお前らしくない」

 

「どうだっていいって話さ。俺は《レヴォル》の下へと向かう。いつも通り、カルテは」

 

「ああ、サルトル技術顧問と共有。しかし、この艦も狭くなったものだ。宇宙暴走族の連中を入れてから、もう一週間」

 

「……何かあるの」

 

「わたしはこれでも有機伝導技師だけではなく、医師としての資格も持っている。メンタルケアもその仕事のうちだ。患者を選んでいてはしかし、医者は立ち行かない」

 

「……凱空龍の連中はタフさだけが取り柄だろ。それでもなのか?」

 

「……神に祈る術を持たない荒れくれ者達は想定以上に心は脆い。殊に、宇宙の常闇へと放り出された境遇となればね。同情しないわけでもない」

 

「薬を処方すればいい。それで連中は満足する」

 

「ああ、しかし精神点滴も必要なクルーが増えてくれば、フロイト艦長の心労にもなってくるだろう。わたしはこれでも艦長派だからね。彼女のストレスは避けたい」

 

「そんな事、あんたの仕事じゃない」

 

「言い切ってしまえばね。だがクラード、覚えておく事だ。この世は何も、断言出来る事だけで回っているわけではないのだと」

 

「……何が言いたい。あんたらしくない言説だ」

 

「分かっているとは思うがね。断言すれば終わってしまう事柄だけならば、今君を悩ませている例の事象は存在しないと思うがね」

 

 クラードは僅かに気色ばんでから、冷淡に返答する。

 

「……そうでもないよ。俺はどっちだっていい。《レヴォル》に乗って、それで戦う。そこにこれまで以上の意味なんてない」

 

「相変わらずの冷淡さで安心さえもする。しかし――エージェント、クラード。ならば何故、彼らを保護した? かつての合理性が少しばかり薄れたんじゃないのか? これは別段、例のグラッゼ・リヨンの言葉を借りるわけでもないのだがね」

 

「……俺が弱くなったって?」

 

「わたしはそうは思わない。かつての……抜き身の刃から少しばかり、人の扱う物になったと言うのは喜ばしい」

 

「……下手打って鈍くなったって、そういう事だろ、それ」

 

「これはこれは。わざわざ言葉を弄するまでもなかったかな」

 

「あんたの性格だ、ヴィルヘルム。俺は、鈍くなったわけでも、ましてや濁ったわけでもない。《レヴォル》に乗ればそれを証明し続けられる。それこそが俺の存在理由だからだ。決して屈する事のない」

 

「そうか。ならこのベアトリーチェに乗っている限りは安泰かな。特級エージェントのクラードは情にほだされる事なんてない、と」

 

「何度も言わせるな。俺は、かつてと変わってなんていない」

 

 医務室の扉を開けたところで待ち構えていたであろう人影に、クラードは苛立たしげに後頭部を掻く。

 

「あの……クラードさん、こっちだって聞いたので……」

 

「あんた、俺に付き纏って楽しいのか」

 

「た、楽しいわけないじゃないですか……! でも、仕事なので……」

 

「ヴィルヘルム、次の定期診断までは時間があるだろ。この人の相手をしてやればいいんじゃないの」

 

 顎でしゃくった相手――カトリナは、自身を指差して不服そうにむくれる。

 

「こ、この人って……」

 

「しかしクラード。わたしも彼女の仕事内容は理解しているのでね。邪魔は出来んとも」

 

「邪魔? それってこういうのを言うんじゃないの」

 

 わざわざ分かりやすく言いやってから、クラードはカトリナの脇を抜けていく。

 

 自分の背へとカトリナが続いたのが振り返らなくっても分かった。

 

「あの……っ! 私、これが仕事なので!」

 

「それは聞いた。何、俺の観察日記? 何かそれで給与とか貰えんの?」

 

「いや……それは……。にしたって、クラードさん、よく壁のグリップ使わずに歩けますね……」

 

 カトリナは書類を抱えながらグリップを片手に移動しているが、自分は常に跳ねるようにして歩行しているため、彼女より前に在る。

 

「体力がなっていないんだよ。あんた達は。それなのに一端の仕事って言うんだから、笑わせる」

 

「わ、笑わないでくださいよぉ……」

 

「笑ってない。なに、そんな事も分かんない?」

 

 カトリナはこちらの対応に対し、憔悴し切ったように息をつく。

 

「……あのー、クラードさん。私にそんなイジワルして、楽しいんですか?」

 

「意地悪なんてしていない。あんたが勝手にそう思い込んでいるだけだろ」

 

「……その言い方がそもそもイジワル……」

 

「第一、委任担当官って俺に付きっ切りでいいの? 書類とか纏めないといけない身分なんじゃなかったっけ?」

 

「そ、その書類を書くために、クラードさんに同行しているんじゃないんですかぁ……。昨日も説明しましたよね? 委任担当官はエージェントに対して五時間以上の同行義務があるって……」

 

「そんな面倒くさいシステムに縋ったって、いい事なんて何一つない。ねぇ、あんた自分で考えるって事しないの? ベアトリーチェ艦内でさ。俺の後ろに馬鹿みたいに付き従うんなら誰だって出来るよ」

 

「で、出来るからって……それがその、仕事になるとは……」

 

 尻すぼみのカトリナの言葉にクラードは振り向く。

 

 カトリナはグリップに掴まりながらも、荒い呼吸をついて項垂れていた。

 

 その姿にクラードはすっと歩み寄り、その額をさすってやる。

 

「く、クラードさん……?」

 

「やっぱし。熱あるじゃん。何でそれなのに仕事してんのさ」

 

「で、でも……こ、このくらい! 何て事はないんです! 元気だけが取り柄ですのでっ!」

 

 そんなカトリナの発言に対し、クラードはデコピンを浴びせる。

 

「痛っ……」

 

「やっぱ、馬鹿なのかな、あんた。自分一人が熱が出ようがどうって事はないけれど、クルー全体の身の安全と天秤にかければ、あんたは寝ていたほうがいいに決まっている。そうじゃなくっても、宇宙の熱病はどう転がるか分からないんだ。ヴィルヘルムのところに行って、薬を貰ってくるといい。ああ、そのついでに物分りの悪い頭に効く薬もね。そっちのほうが大病かも」

 

 こちらの言葉にカトリナは今度は羞恥の念で顔を真っ赤にして、わざわざ鼻息を荒くする。

 

「そ、そんな……! 言い方……っ!」

 

「言い方が気に食わないんなら、もうちょっと使えるようになってから言えば? 今の状態じゃ、ただの足手纏いなんだからな」

 

 うー、とわざわざ声にして唸ってみせるカトリナに、クラードは手を振って角を曲がる。

 

「……いちいち相手にしてやるのも馬鹿らしい……って……」

 

「あっ! クラード!」

 

「……ファム。何そのカッコ」

 

「何ってあんた、これがこの子の艦内の正装。似合うでしょ?」

 

 ファムは拘束服の代わりにもこもことした羊のような服飾を身に纏っている。

 

「……もしもの時、これじゃ危ないだろ。バーミット、俺が嫌がる事、分かってやってる?」

 

「よく分かってるじゃない。鼻持ちならないガキなんだからさ、あんたは。どれだけ特級のエージェントって言ったって、年かさには勝てないでしょ」

 

「……年だけ食っていてよく言う」

 

「あんた……言葉くらいは選びなさいよー。まったく、何だってこんなのがベアトリーチェのエースなんだって話よ、ホント」

 

「……変わらないな、バーミット。あんた、つまんなくはないけれどでも、口うるさい」

 

「そりゃー褒め言葉なのかしらねー? って言っても、あんたそんな事にいちいちかけずらっている場合でもないでしょうに。管制室に居る人間と顔合わせはした? あんたの事だし、《レヴォル》とサルトル技術顧問とヴィルヘルム先生にしか会ってないんでしょ?」

 

 反論したいがその通りであったのでクラードは舌打ちする。

 

「……聡いばっかりのおばさんが」

 

「……勘弁してやってるのよ? これでも。あんた、口さがだけはあるからね。ホントは頭をぐりぐりとしてやりたいところなんだけれど、ファムの目の前だし、カッコつかないでしょ?」

 

「……別にそんな事は――」

 

「クラード! すきー!」

 

 急にファムが抱き着いて来たので言葉を遮られたクラードに、バーミットはわざとらしく、あらま、と声にする。

 

「こりゃー、妬けるわねぇー、このこのー! あたしには全然懐いてくんないの、このカワイイの。素材だけはいいから必死こいてお風呂に入れて綺麗にしてあげたのにねー」

 

「……ミュイ……バーミット、おふろでおにになるからやだ」

 

「誰が鬼よ! ったく……そのカワイイのさー、ホントにどこで拾ってきたのー? 色男さん。ヴィルヘルム先生に診せても専門外なんでしょ?」

 

「……分からない。俺にも、ファムが何者なのかは」

 

「でもあんた、そのカワイイのを追ってトライアウトが来たって話、聞いたわ。ガイ何とかの子達からね」

 

「……お喋りな奴も居たものだ」

 

「案外、いい子達じゃない。見た目コワモテだけれど。その分純粋で、裏表がないわ。エンデュランス・フラクタルのお偉方とは真逆の方向性ね」

 

「……バーミット。あんたの任務は俺とはまた違うはずだ。オペレーターとしての仕事はどうしたんだ」

 

「あー、それ? もうカトリナちゃんに任せちゃおっかなぁって。だってあの子、仕事覚える気だけは満々だし」

 

「……俺は迷惑している。あんなのに四六時中付き纏われたらあんただって嫌になる」

 

「そう? あたしはカトリナちゃん好きだけれど? 色々とまぁ空回っているところも含めてね」

 

「……分からないな。あんただって俺がエージェントになってからの経緯は聞き及んでいるはずだ。それなのに何故、不合理性を持ち込む」

 

「あのねー、クラード。合理性だけで人間生きていたら、電池の入っただけのおもちゃと何も変わらないわ。その辺がまだまだ分かってないところがお子ちゃまなのよ、お子ちゃま」

 

「……あんたに比べればね」

 

「……ホント、カワイくないガキねぇ、あんたってば。そっちのカワイイの見習いなさいよ」

 

「ミュイぃ……クラード、いいにおいするー」

 

 抱き着いて頬ずりしてくるファムは以前までよりも距離が近くなったような気がする。

 

 これも恐らくはバーミットの入れ知恵なのだろう。

 

「……いい匂いなんてしない。血と硝煙の臭いだ」

 

 突き放してから、クラードはブロックを浮遊していく。

 

「どこ行くのよ」

 

「部屋。……って言うか、何であんたにいちいち報告しないといけない。直属の上司はレミアだけのはずだ」

 

「艦長命令だけ聞くってのも、ホント、嫌なガキよ、あんた」

 

「俺は嫌な餓鬼になった覚えなんてない。あんたのよく知るエージェント、クラードから一ミリだって変わっちゃいない」

 

「そう? あたしは、もしかして変わったのかなって思ったけれど? だってあんた、宇宙暴走族の子達を引き入れるなんて艦長含めて誰も想定していなかったわよ?」

 

「……アルベルト達は行き場がなかったから案内しただけだ。ここの居心地が悪いって言うのなら出て行けばいい」

 

「――それは強者の理論ね、クラード」

 

 不意打ち気味の核心を突いた声音に、クラードは立ち止まる。

 

 バーミットはファムを抱きかかえつつ、窓際に佇んで宇宙の常闇を眺めていた。

 

「ミュイ……うちゅうこわいね」

 

「そう? あたしは嫌いじゃないけれど。静かで、ほら、あっちにある資源衛星の光が瞬いているわよ、ファム」

 

「ミュイ! きれい!」

 

「そうそう。綺麗とか綺麗じゃないとか、そういうのも込みで学んでいくといいのよ」

 

「……馬鹿馬鹿しい。俺が、何の意味もなく動いたって言いたいのか、あんたは」

 

「そうじゃないの? だって、合理性の塊みたいなあんたが言う台詞じゃないでしょ、それって」

 

「……俺らしくないとでも?」

 

「その辺までは関知しない。でもクラード。何かを感じたから、あの子達を引き入れたんじゃ? そうあたしは思っているけれどねー」

 

「……何かを感じた……。俺がアルベルト達に、何を……」

 

 自身の掌を眺める。

 

 相変わらず、ライドマトリクサー施術によるモールドが内側で赤く明滅していた。

 

 



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第23話「男の矜持」

「それ、入れ墨……ですよね?」

 

 そう問いかけてきたのは赤髪のオペレーターで、アルベルトは自身の腕に視線を落としていたのを少し恥じ入る。

 

 それほどまでの――眉目秀麗な女性であったからだ。

 

 時間を忘れて見入るとはこの事を言うのだろう。

 

 しかし何でなのだか、自分はそんな美人の言葉を当たり前のように受け止めていた冷静さがあった。

 

「ああ、これ、あいつの……クラードの腕にある入れ墨……ああ、違ったっけ。あいつのは入れ墨じゃ……ないんですよね、そのー……」

 

「ブルームです。ラジアル・ブルーム。専任オペレーターをやっています」

 

 まさに華が如き咲くとはこの事か、と痛感するような笑顔にアルベルトは思わず目線を逸らして早口になる。

 

「……にしたって、珍しいっすよね。女ばっかりなんて」

 

「そうですか? ここは史上初の民間主導の戦闘艦ですので、そういう側面もあるのかもしれませんけれど、連邦艦だって、女性の採用率は上がっているはずですよ?」

 

「そう、なんすかね……。参ったな、マジに……」

 

「何がです?」

 

「あの……本人目の前にして言うのも何ですけれど、……どっかで逢いましたっけ、オレら?」

 

 その言葉に暫時口を開けて放心していたラジアルは、直後にぷっと吹き出す。

 

「わ、笑わないで欲しいんすけれど……」

 

「いえ、ごめんなさい……! 思わず……だってそんな口説き文句、女優だった頃だって言われた事ないんですもん」

 

 女優、と言う言葉にアルベルトは脳内で閃くものを感じていた。

 

「あー! あんた……女優のラジアル・ブルーム? まさか、歌も何曲か出してましたよね?」

 

「あんまり上手くないから、歌うのはよしてくれって、事務所には言っていたんですけれどね」

 

 微笑みさえも雅なのも納得だ。

 

 彼女は――デザイアのようなFランクコロニーではなかなかお目にかかれなかったが、かつて実家に居た頃に映画で観た事がある。

 

「……ウッソでしょ……? 史上初の、ライドマトリクサー施術を受けた……って言う、スタントなしの本番一発撮りの、ラジアル・ブルーム?」

 

「わぁ! そこまで覚えてくださっているですね! もしかしてアルベルトさん、結構いい趣味していらっしゃるんで?」

 

 ここで実家の事を勘繰られるわけにはいかないと、アルベルトは持ち直す。

 

「あ、いや……。Fランクコロニーでも映画くらいの娯楽はあったんで……。まぁトキサダに言わせりゃ、ハイソぶってるんじゃないって感じでしょうけれど……。でも、マジにあのラジアル・ブルーム? 何だって……そのー……戦闘艦に?」

 

「私、エンデュランス・フラクタルの看板女優もしていましたので。そのご縁でこうして呼ばれたんですよ」

 

「いや、それはそうだとしても……。戦闘艦ですよ? どんな危ない目に遭うか分からないってのに……」

 

 まさか芸事の人間がベアトリーチェに乗り込んでいるとは思わず、アルベルトはすっかり参ってしまう。

 

 ラジアルはそんな様子を面白がるように少し踊るようなステップを踏んでこちらを観察していた。

 

 エンデュランス・フラクタルの制服が、いざ大女優だと分かった途端、上出来の舞台衣装に見えてしまうのは我ながら節操がないと恥じてしまう。

 

「……な、なんすか……」

 

「いや、なーんか……アルベルトさんはちょっと違うなーと思いまして。他の方々とも、まぁ皆さんと直接会ったわけじゃないですけれど、アルベルトさん、何だか気品があるって言うんですか? ちょっと違う感じがさっきから漂ってきていまして」

 

「気のせいっすよ。オレなんて、荒れくれ者の凱空龍のヘッドですから」

 

 そうは応じつつも、まさかこんなところでバレる事はないだろうな、と少しだけ戦々恐々としてしまう。

 

 ラジアルはこちらの胸中などまるで感じていないかのように、華麗なステップを踏むのであった。

 

「でも、不思議ですよね! 私みたいな女優業しかしてこなかった人間と、宇宙の最果ての暴走族の方が、同じ艦内で、って!」

 

「いや、ラジアル・ブルームって言えば、一流女優ですよ。そんな人が、その……目の前に居るってのもなかなかに信じがたいって言うか……」

 

 本人かどうかは幼少期に観た映画の記憶が物語っている。

 

 彼女は間違いなく「本物」の側だ。

 

 自分のような紛い物とは違う。

 

「……でも、マジに分かんないっすね。何で、あの大女優、ラジアル・ブルームがこんな民間の船に……」

 

「ああ、これ、秘密なんですけれど……」

 

 不意に接近されて耳元で囁かれたものだからアルベルトは鼓動が早鐘を打つのを感じていた。

 

 静まれ、と念じても、どこか甘い囁きを前にして薄っぺらい男のプライドなんてまるで役に立たない。

 

「……私、リアルが欲しいんです」

 

「り、リアル?」

 

「はい! だって、女優を何年やったって、本物の戦場とか分かんないじゃないですか。でも、皆さんは本物に触れてきた。それって全然違うと思うんです。私はまだまだ……オペレーターとしても学ぶ事ばかりですけれど、それでもいつかは……誰もが私の演技に夢中になってくれるような、そんな世界で生きてみたいんです」

 

「へ、へぇ……変わってますよね、その……ブルームさんは……」

 

「ラジアルでいいですよ? 他の方々ももう、わざわざかしこまってブルームなんて呼びませんから」

 

「いや、そうはいかないでしょ……。だってオレはその……知っちまってるんですから……」

 

「映画ですか? どれを観たんです? アルベルトさんは」

 

 まるで無防備に、年相応の少女の面持ちで言われてしまうものだからアルベルトは困惑してしまう。

 

 ――これでも大女優。自分とは生きる世界がまるで違う天と地ほどの差のある人。

 

 そう何度も自分に言い聞かせないと、ここで女優相手にとんだ失礼をやらかしてしまう気がして、アルベルトは慎重に言の葉を継ぐ。

 

「いや、それは……言えないっすけれど……」

 

「何でですか? 別に私、どの映画のファンでも差別しませんよ?」

 

「いや、差別って言うかそういうんじゃ……。ってか、いいんすか? オレみたいなの相手に喋っているとその……気にならないんすか?

 

「……何がです?」

 

 本当に分かっていないのか、とアルベルトは咳払いして凄んでみせる。

 

「その……オレは宇宙暴走族のヘッドっすよ? 何し出すか分かったもんじゃないでしょうに」

 

 そう口にすると、ラジアルは心底可笑しいように、それでいて体裁は崩さない整った微笑みを返答する。

 

「だって、アルベルトさん……どう見たって悪い人じゃないですもん。私みたいな一般人でも分かりますよ、それくらい」

 

「い、一般人じゃないでしょ、あなたは……」

 

「ほら、そういう。……やっぱり違う気がするなぁ、アルベルトさんは。何て言うんでしょうね? 隠し切れない、正直者さ加減?」

 

 小首を傾げる仕草ですら、一描写を切り取ったようにさえ映るのだからさすがは大女優の風格か。

 

 しかし、とアルベルトは頭を振る。

 

「あの……そういうのオレからしてみても示しつかないんで、やめてくださいよ、からかうの……。にしたって、ここは異常っすよ。いや、オレらの居たFランクコロニーも異常って言えば異常っすけれど。何なんですか、この艦は」

 

「何って……民間主導の新造艦、ベアトリーチェですけれど。ああ、名前ですか? 呪いの魔女の名前らしいですね」

 

「呪いの魔女……いや! そんな事じゃなくって! ……おかしいでしょ。そんな、いくら民間船だからってあなたみたいなのを乗せて……どこを目指しているって言うんです、こいつぁ」

 

「……詳しい話は聞いていませんけれど、目下のところ月軌道みたいですよ?」

 

「月軌道? ……つーって言うと、まさかこいつ、ダレトに向かっているんで?」

 

「あ、ダレトに関してはご存知……ああいえ、これも失礼でしたね。訂正します」

 

「あー、いや。オレらみたいな荒れくれ者じゃ確かにダレトに関したって詳しい知識なんて持っちゃいないって思うのが常識っす。でも、何だってこいつはダレトに? あそこは地球連邦の張っている警戒宙域でしょう? それに……敵は連邦政府だけじゃなくって……」

 

「ええ、ダレトより来たりし彼方の使者……MF四機が見張る絶対の死の宙域でもある」

 

 歌うように告げられた事実はしかし、何よりも重い現実のはずだ。

 

「……あそこで大勢死んだってのだけは、連日報道されていたじゃないですか。ダレトが開いた時分には」

 

「でも、今は安定期に入っているみたいですよ? 観測器の一部権限は我が社にあるので。おっと、これ社外秘でした」

 

 ピンと指を立ててお茶目に笑ってみせるラジアルに、アルベルトはすっかり毒気を抜かれていた。

 

「……からかってるんすか。オレの事」

 

「嫌ですねぇ、からかっているなんて。ちょっと遊んでいるだけじゃないですか? あ、せっかくなのでアルベルトさん、この艦をご案内しましょうか? だってまだ、ほとんど知らないままでしょう?」

 

「ご案内って……オレら、これでも一応、あんたらの社員とかスタッフとかとの、その、軋轢みたいなのもあるんじゃ……」

 

 言いやる自分も何のそので、ラジアルは腕を引いていく。

 

「いいですから! 私、これでもオペレーターなんで、色々と叩き込まれたんです。じゃあ、今度は後輩に教えるのが筋じゃないですか?」

 

 ふん、と胸元を反らして誇らしげにするラジアルに、アルベルトは懐疑的になってしまう。

 

「……女優業は辞めたんすか?」

 

「いいえ? 女優もやりつつ、ベアトリーチェのクルーも、なんです。だってこの先、どれだけ面白い事が起きるか分からないんですから! 期待値は高めにしておかないと!」

 

 確かに舞台女優としての癖が抜けていないようで、どこか観客に向かうように大らかに、ラジアルは芝居めいて言ってのける。

 

「……あのっすね。オレみたいなの連れているとその……ラジアルさんも言われちゃうんじゃ? 面倒っすよ?」

 

「いいじゃないですか! アルベルトさん、何だか素敵ですし、別の世界の人にこの世界を案内するのって、メルヘンですから!」

 

「……メルヘン、ねぇ。ってなると、オレが野獣の側か?」

 

 呟きつつ、ラジアルの思ったよりも強い腕力にそのまま引かれる形で、アルベルトが訪れていたのは食堂であった。

 

「……えっ、食堂?」

 

「何もおかしくないはずでしょう? 食は明日への活力! 戦士達の基本ですよ」

 

「そりゃあ……そうかもしれませんけれど」

 

 食堂でランチにありついている整備班からの視線が刺々しい。

 

 何であいつが、のような攻撃的な眼差しに、アルベルトは遠慮の言葉を返す。

 

「その、ちょっと居づらくないっすか?」

 

「そうですかねぇ……。でもアルベルトさん達もここで食事を取るんじゃ?」

 

「いや、オレらは運んできてもらうんすよ。出来る事やるのが筋なんで、メカニックとかにも顔を出しますし。そっちでの食事ばっかりで――」

 

「えー! もったいないですよ、それ! みんなでご飯食べたほうが美味しいに決まっているじゃないですか!」

 

 断定の口調で言われてしまうと、こちらもどうすればいいのか分からず当惑してしまうのみだ。

 

「……私! ここでいっつも、同じランチ頼むんです! アルベルトさんも今度、いかがですか?」

 

「あー、そうっすね……。いただくかもしれません……」

 

 こうやって話している間にも野郎連中の視線が鋭くなる一方だ。

 

 アルベルトは意図的に話題を逸らしていた。

 

「そういや……艦橋とかどうなってるんですか? オペレーターならメインの仕事場はそっちなんじゃ……」

 

「管制室ですね! じゃあこっちへ!」

 

「えっ、ちょっ……! だから、力、強いんですって!」

 

「ライドマトリクサーですし、鍛えていますから!」

 

 自信満々なラジアルに案内された先は管制室で、今も警戒挙動に入っているはずであったが、存外静かであった。

 

「……あれ、思ったよりも人は少ないんすね……」

 

「ええ、自動操縦が利いていますので。だから私もちょっと仕事がないなぁって思ってこっちに来ちゃったんですよ」

 

「……なるほどね。それにしたって操舵手も居なければ砲撃長も居ないってのは、最早、妙だとしか……」

 

「それくらい、この戦艦は他とは違うんです。何せ、民間主導初の戦闘艦ですからね!」

 

 まるで自分の手柄のように言葉にするラジアルにアルベルトは軽く呆れつつも、艦長席にも人気がない事に気付く。

 

「艦長は……?」

 

「お部屋でコーヒーでも飲んでいらっしゃるのでは?」

 

「……マジかよ。無警戒過ぎだろ、この艦……」

 

 一週間前後過ごしたとは言え、自分達の領分以上は全く関知していなかった戦闘艦だ。

 

 しかもヘカテ級となればそれなりに広く、散策しようと思わなければ中々お目にかかれない。

 

「でも、システムOSが優秀ですので。ご存知ですか? 艦には大型のアステロイドジェネレーターシステムが搭載されているので、その気になればミラーヘッドの加速くらい、訳ないんですよ?」

 

「この艦自体が、ミラーヘッド機って事っすか?」

 

「まぁ、平たく言うとそうですね。厳密に言うともちろん違うんですが、ミラーヘッド機と同じような機能もあると言う話で」

 

 想定外に近い出来事ばかり起こるので、ある意味ではそれも納得か、とアルベルトは胸中に結んでいた。

 

 よくよく考えれば最初の長距離通信からさほど時間も空けずにデザイアまでのランデブーポイントに入れたのだ。

 

 ベアトリーチェの秘密にそれくらいはあってもおかしくはない。

 

「にしても……静か過ぎやしませんか? 一応はトライアウトからの追撃もあるって言う線でしょう?」

 

「ええ。ですが警戒しっ放しでも仕方がないですし、それに私達の航路はあくまで月面を目指しています。トライアウトと諍いを起こす自体は、ある意味じゃ現実的じゃないんです」

 

「……なるほど。つまりあんたらは安全な月面航路に入りたいだけでトライアウトと事を構えたいわけじゃない……」

 

「正解! アルベルトさんってばやっぱり、何か品性がありますね」

 

「……あのですねぇ、オレをどんだけからかったって何も出ないっすよ。それに……今の、ちょっと馬鹿にしてません?」

 

「あっ、バレちゃいました?」

 

 本当に何なのだ、とアルベルトは困惑してしまう。

 

「……っつっても、この戦闘艦、前の時って艦砲射撃も何もなかったじゃないですか。あれで大丈夫なんです?」

 

「大丈夫です。この艦にも成長するOSと言いますか、学習型のシステムが組み込まれているんです。あの時はまだ進水式を飛ばしての航行でしたので後れを取りましたが、今度はそうはいきません!」

 

「……とは言っても、仕掛けてくる敵もないんじゃ、証明のしようもないですけれど」

 

「まぁ、そこはいいように捉えましょうよ。今のところ航行に支障なし。現状宙域より、少し行けば、補給に必要なコロニーに着きます。そのコロニーで三日ほど滞在、後に月面航路を目指していくつかのコロニーを中継しつつ、着実に向かうのが理想ですね」

 

 ラジアルが機器に触れると月面航路までの道のりが大型のモニターに映し出される。

 

「……いいんすか。これも守秘義務じゃ?」

 

「堅い事言わないでくださいよ。もう一蓮托生じゃないんですか?」

 

「……それってそっち側の台詞じゃ、ないっすよね」

 

 そうぼやきつつも、アルベルトはこのベアトリーチェが如何に優れているとは言え、補給なしでは月までは辿り着けないのだと知る。

 

「……もしかしたら、道中であいつらを無事な場所に返せるかもしれないって事か」

 

「えっ、アルベルトさん、どっかで降りちゃうんですか?」

 

「……いや、オレは……。いや、どうかな。あいつらが落ち着ける場所があるって言うんなら、そこで改めて凱空龍興してやるってのも、ヘッドの仕事のうち――」

 

「駄目です! 駄目! ……そんなの駄目なんです!」

 

 ラジアルが自分に顔を近づけて言いやるものだからアルベルトは仰け反って頭を振る。

 

「いや、その……近いって言うか」

 

「あっ、すいません。……でも、まだ宇宙暴走族を? もういいんじゃないですか? ここも悪くないですよ? エンデュランス・フラクタル」

 

「……ラジアルさんの行き着く先はここなのかもしれませんけれど、オレらは所詮、根無し草なんです。だからどこか、辿り着ける場所に落ち着けるんなら、そこでもう一回、凱空龍として活動して……ってのも、ある意味じゃ、さ。あいつらに顔向け出来るヘッドであるための、ケジメみたいなもんで」

 

「……ケジメ、ですか。男の子の理論ですよ、それ」

 

「……かもしれません。オレは……結局まだ、クラードに礼の一つだって、言えてやしないんですから……」

 

 その感慨を噛み締め、アルベルトは顔を伏せるのであった。

 

 



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第24話「戦域を生きるために」

「――トライアウトジェネシス? 話には」

 

「君にはそこの直属になってもらう」

 

 改めて顔合わせをした上官の言葉に、グラッゼは問い返す。

 

「ですが、私は所詮、大尉相当官です。もっと相応しい人材があるのでは?」

 

「専任メカニックを引き連れて来て、よく言う。トライアウトでメカニックグループまで一緒に連れて来るなんて前代未聞だぞ」

 

「失礼。それは前任の上官の厚意でして」

 

「……まぁ、いい。トライアウトジェネシスでの勤務を君に命じる。グラッゼ・リヨン大尉」

 

「受諾しました。しかし……それだと私の当面の仕事はどうなるのでしょうか」

 

「この艦を追撃する」

 

 投射画面に映し出されたのはあの時のオレンジ色の艦艇であった。

 

「……エンデュランス・フラクタルの新造艦」

 

「ベアトリーチェだと。……ヘカテ級の戦艦だ。少し戦いづらいくらいがちょうどいい君の流儀には沿っているんじゃないか?」

 

「識者の理論とは、冷静に事の次第を見守る状況もあるというもの。命令ならば撃ちます」

 

「よく言ってくれた、大尉。……とは言いたいものの、少し特殊でね。君はまず、クロックワークス社に調査で行ってもらう」

 

「調査……? クロックワークス社と言うと、ミラーヘッドログの管理会社ですね」

 

「そうだ。今日における全てのミラーヘッドの権限、令状の管理とそして指揮系統はこの会社を通しているのだが……少し妙な事もあってね。一度調べを尽くしてもらいたい」

 

「妙、と仰るのは、この艦に収容されている白いMSでしょうか?」

 

「そうか、君はあれと会敵していたな。名は確か……」

 

「《レヴォル》、と聞き及んでおります」

 

「《レヴォル》ねぇ……。あれの処理も大変困っている。トライアウトの管轄下ではあれに手を出すなとの厳命が出ていたのに、噛み付き癖のシェイムレス……ローゼンシュタイン少尉のせいで我が方の目論みは丸潰れだ」

 

 そのような名で呼ばれて彼は軍属を退いたのだろうか、と一瞬だけ興味が鎌首をもたげる。

 

「……件の少尉は?」

 

「それがね。トライアウトジェネシス預かりになった。……まったく、とんだ疫病神だ。彼の言葉を拝借するのなら、例の白いMSはまるで忌むべき火薬庫(ガンルーム・ダムド)なのだと」

 

「面白い評をする方だ。一度会ってみたいものです」

 

「やめておけ。恥知らずが感染するぞ。……まぁ、彼は一応前線には出す。その見積りで行っている」

 

「恥知らずは死ななければ治らない、ですか」

 

「部下達にも示しがつかんのでな。いつまでも恥知らずの上官を置いておくわけにはいかんのだ。彼には然るべき手段で、然るべき時に退場してもらう。それには噛み付かれたままでは我々としても体裁が悪い」

 

 そのような体裁のためだけに生かされるのならば、彼の生涯も閉ざされたようなものだ、とグラッゼは戒めを込めて胸中に結ぶ。

 

「しかし、指揮系統を知っておかなければいけません。部下と会っても?」

 

「君ならば喜んで会いたいと言う部下も居るはずだ。許可はするが、クロックワークス社への内偵の件は」

 

「ええ、慎みましょう。ですが、いずれは……」

 

「ああ、作戦実行は現時刻より四十八時間以内に下す。その時のメンバーはこちらで選出しよう」

 

「助かります。では」

 

 挙手敬礼をしてから踵を返しかけて、グラッゼはその背中に声を聞いていた。

 

「……にしても、困っているのは本音だよ。妙な尾ひれやコールサインまで付けられているのでは」

 

 扉が閉じたのを感覚してから、グラッゼは格納デッキへと向かう道中、部下の声を聞いていた。

 

「……ヤバいってよ、あの恥知らず。ガンダムだってさ」

 

「失礼。ガンダムとは何だ?」

 

「あっ、大尉殿! その……ローゼンシュタイン少尉がずっと、うなされたように仰られているので、それがもうここでは通説化しておりまして」

 

「気になるコールサインだな、由来を聞きたい」

 

「忌むべき火薬庫じゃ長いでしょうって。じゃあガンダムだなってなっているんです。当のローゼンシュタイン少尉も、もうあれは……取り憑かれていますね。ガンダム追撃に」

 

「……なるほど。ガンダム……。さしずめあれは《ガンダムレヴォル》とでも、呼ぶに値するか」

 

 中々の忌み名だ、とグラッゼは静かに微笑むのであった。

 

 格納デッキで物々しい様子で指示しているのは、トライアウトには珍しい女性士官である。

 

「私の《エクエスルージュ》に搭載するのはミラーヘッドジェルだ! 忘れるな! ……失礼。大尉、お久しぶりでございます」

 

「ああ、久しいな。トライアウトのDD」

 

 その渾名にDD――ダビデは氷のような整った目鼻立ちの佇まいのまま、怜悧な返答を寄越す。

 

「その名で遺恨なく呼んでくださるのは大尉くらいなものです」

 

「どうだかな。私も存外、変わり者だとは思う。如何様な奇縁か、君が望んだトライアウトに、まさか所属するなんて。それに歴は君のほうが長い。何なら、大尉相当官なだけで、手腕は君のほうが上のはずだ」

 

「いえ、自分はまだ少尉ですので。大尉相手に無礼を働くわけにはいきません」

 

 この辺りもまだ、堅物なのは見知った通りだな、とグラッゼは納得する。

 

「君らしい考えだ。それを否定する気もない。……しかし、あれが件のか」

 

 視線を振り向けると、声を荒らげていたのは金髪の優男であった。

 

 如何にもプライドの塊とでも言うような士官は、何度も何度も整備班に忠言する。

 

「だから! 現状の《エクエス》では勝てんのだ! あのガンダムには!」

 

「そんな事言われましても、准尉の《エクエス》はこのように改修しろと、上から」

 

「私に死ねと言うのか! ミラーヘッドの戦歴を見たら、貴様らが卒倒すると言うのに!」

 

「……彼が、例の」

 

「ええ。噛み付き癖の、です。ガヴィリア・ローゼンシュタイン少尉……いいえ、准尉でしたね」

 

「さすがに降格処分は免れんか」

 

「それでも、軍属を離れるという選択肢もあったのに、しがみつくんですから、大した胆力の持ち主です」

 

「どうだかな。それは単純に生き意地が汚いとも言う。……彼の経歴は?」

 

「特にどうと言うものでもありません。トライアウトの一構成員としての職務には傷一つなく、まして突かれて痛い横腹があるわけでもなし。……ただし、件の白いMSに付けられた雪辱がそれらを上塗りしていますが」

 

「ああいうのは食えんと言うのだ。突っかからなければマシな位置のままでいられたものを」

 

「大尉ほど賢くはないのでしょう。彼は、私が回収しなければ死んでいました」

 

「ガンダムに撃たれてならば、それでも本望であったのだろう。彼のジェネシスへの転属は、上官命令か?」

 

「ええ。持て余していたのが窺えます。……ただ、それだけではないのも確かなのです」

 

「……気にかかる事でも?」

 

 ダビデは短髪に憂いの一つも浮かべない。人形めいた白磁の肌の相貌に翳りを見せる。

 

「彼が死んでしまえば、上役も困らなかったはず。何せ、あの時出ていたのは追撃命令ではなく、手を引けと言う命令だったのですから。だと言うのに、彼は出撃し、そして悪運を引っ提げて帰って来た。……正直、気にかかるのはそこもです」

 

「上のやり方が一定していないな。ガンダムを倒したいのか、それとも放っておきたいのか」

 

「……恐らく命令系統の誤差だとは思うのですが……私も上を疑いたくはありません」

 

「それはその通りだろう。我々はあくまで軍属だ。上官に叛意を持っていれば何もかも立ち行かない」

 

 こちらの言葉にダビデは怜悧な面持ちにそっと微笑みを浮かべていた。

 

「……変わりませんね、大尉は。私は……トライアウトに入って変わりました。色んな事を、知らなくてもよい事まで知ってしまった身。今さら一端には戻れません」

 

「だが統合機構軍は歓迎するだろう」

 

「……いいえ。トライアウトに一度入ってしまえば、隊から降りるのは容易くない。大尉もそれが分かっていての栄転なのでは?」

 

「秘密主義は今に始まった話でもなくってね。統合機構軍も随分と機密に噛まされてきたクチだ」

 

「……月のダレトが開いて以降、何もかもが様変わりしましたからね。地球連邦政府の権威は地に落ち、今やその艦隊のほとんどが月面のダレト相手に居座っているだけの事実。重鎮は統合機構軍に配され、連邦政府にかつてのような発言力はない」

 

「私は政には口を出さぬ主義でね。それが分を弁えている、というものだ」

 

「しかし、政治の世界と無縁であろうと思うのならば、トライアウトにもっと早くに入ったほうがよろしかったのでは? 統合機構軍では狭苦しかった事でしょう」

 

「そうでもないさ。案外、旅がらすの身も気に入っていた。……だが運命の悪戯が、私にもう一度、戦士として舞い戻れと告げたのだよ」

 

「大尉! グラッゼ・リヨン大尉!」

 

 こちらへと呼びかけてきた整備班長に、グラッゼは顔を合わせる。

 

「こちらでは初めましてと言うべきかな?」

 

「嫌だなぁ、もうだいぶの仲でしょう? ……こちらの方は?」

 

「知ってのはずだ。トライアウトのDDと言えば」

 

 そこで相手が硬直したのをグラッゼは見逃さず、ダビデとの会話を打ち切る。

 

「DD。君と同じ戦場に立てる事、光栄と思うべきなのだろう」

 

「いえ。大尉のほうこそ。お変わりのないようで」

 

「達者でな。とは言っても、これから世話になるんだ。簡単には墜とされてくれるなよ」

 

 そんな軽口もある意味では見知った仲だからこそ言えるもの。

 

「大尉も、どうか。……《エクエスルージュ》の整備進捗を教えろ!」

 

 次に声を張り上げた時には、もう彼女は「軍警察のDD」の面持ちになっている。

 

「……分からぬものだ。女と言うのも」

 

「た、大尉! DDにそれ聞かれたら……!」

 

「聞かれて困る事をとやかく言うような人間性ではないつもりだが。しかして、どうした? ティーチ」

 

 そう呼んでやると、そばかす顔の女整備班長は困ったように笑う。

 

「……それ、よくないですよ、大尉。私の事をティーチなんて呼ぶの大尉だけなんですからね」

 

「すまないね。だが呼び慣れた名のほうがいい。私の《レグルス》か?」

 

「ええ。昨夜からずっと、こっちの整備班は働き詰めですけれど、それでも新型って言うんですか? 久しぶりなもので。アイリウムの移植作業も滞りなく済んだはずなのですが、懸念事項がいくつか」

 

「違いない。私は《エクエス》乗りとして名を馳せた人間だからな。性能を持て余しもしているのだろう」

 

 視線の先には格納デッキに収容された、灰色の新型機がこちらを待ち望んでいる。

 

 デュアルアイセンサーを持つその相貌と、全体シルエットは《エクエス》の後継機としての経緯をしっかりと積んでいたが、四肢に格納された鋭角的な武装ユニットと、《エクエス》の三倍近くはあろうパワーゲインを発揮するスラスターユニットは最早別次元のそれだ。

 

「《レグルス》、私の新たな機体か」

 

「整備の不調が続いています。アイリウム調整も含め、やはり大尉自ら乗っていただかないと」

 

「暴れ馬は私の手綱で乗りこなせと言うわけか。いいとも、その役目、引き受けた」

 

 グラッゼはコックピットブロックに入るなり、ベルトを締めて四肢伝導率をチェックする。

 

 様々なインジケーターを調整するうち、視線は上げずにふとティーチに尋ねていた。

 

「これで勝てると思うかね? あのクラード君のガンダムに」

 

「ガンダム? ああ、シェイムレスの付けた渾名ですか。どうですかねぇ、前に《エクエス》に大穴が空いていたのはさすがにびっくりしましたよ。あれほどの手傷、負わせたのはそのガンダムだって言うんでしょう?」

 

 帽子の鍔を上げ、特徴的な三つ編みを揺らしてティーチは聞き返す。

 

 グラッゼはカタログスペックを参照しながら自分専用に《レグルス》の性能試験を行っていた。

 

「そうだ。あれは……まさに鬼神だな。近づかれた時にはよもや、と思ったものだが……。それでも彼は、以前までの抜き身の刃ではない。私の焦がれた黒い風ではないのだ。ならば、少しはがっかりする。かつての君が綺麗であったと、言い置いてはいたがね」

 

「まぁーた口説いて来たんですか。大尉の悪い癖ですよ?」

 

「いや、すまない。強い相手と死合うと、どうしてもね。その者の本質を突きたくなってくる。悪癖だと、罵ってくれても結構」

 

「罵ったって、大尉は痛くも痒くもないでしょうに」

 

 どこか不満げなティーチに、グラッゼはフッと笑みを浮かべる。

 

「なに、君と整備班がいつも私の機体を万全にしてくれているからこそだ。男の賜物だよ。そうでなければ鬼を口説けるかね?」

 

 少しだけ上気した肌を格納デッキの風に晒して、ティーチはぷいっと視線を背けて見せる。

 

「また……大尉ってばお人が悪い……」

 

「真意さ。何も偽るところのない。……《レグルス》は実戦で見たほうがよさそうだな。私の実力不足で済まない。長年付き従っているアイリウムも、さしもの最新鋭機となれば形無しだ。準備には時間がかかるだろう」

 

「そう思っているんでしたら、もう少し丁重にお願いしますよ。この《レグルス》って言うの、これから配備されるんで?」

 

「ああ、《エクエス》の後継機だが、ほとんどエース専用だろうな。この機体のバランスでは、一般兵は浮足立つ。機動力も、ここまで拡張すれば過ぎたるものだ。ミラーヘッド戦において、私くらいなものだろう。機動力に重きを置くなど。アイリウムの調整作業も難航しそうだな」

 

「大尉も物好きですからねぇ。MSもアイリウムもまるでいっぱしの女性のように扱うんですから。困りものです」

 

 ティーチがそうぼやくと、そこいらかしこで笑いが起こる。

 

 これが自分達のチームの積み上げてきた経験とそして含蓄だ。

 

 他の整備班と士官ではこうはいかないはず。

 

「……しかし君はこれを踏み越えるかね? クラード君」

 

 



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第25話「作戦行動へ」

「微熱だな。ちょっとした疲れが出たんだろう。栄養剤と解熱剤を出しておく」

 

 医務室でカトリナはしゅんと首を項垂れていた。

 

「……何だ、期待の新人らしくない。風邪とも呼べない疲れ程度だぞ?」

 

「いえ、そのぉ……私、仕事出来ていますかね?」

 

「出来ていなければ社会人ではないな」

 

「か、からかわないでくださいよぉ……。ヴィルヘルムさんから見て、私、やっぱり空回ってます?」

 

「いいや。そうでもないんじゃないか? あのクラード相手に四六時中よくやるとは思っているとも」

 

「……それって褒めてませんよね?」

 

「分かっているじゃないか。はい、処方箋」

 

 差し出された栄養剤と解熱剤の袋に、カトリナは何度目か分からない陰鬱なため息をつく。

 

「おいおい、ため息をつくと幸せが何とやらだろう? 君が駄目になってどうする?」

 

「いえ、でも……クラードさん、私なんてどうだっていいって思っているみたいで……」

 

「書類仕事に追われ過ぎて持ち前の元気さも失ったか? 打ち止めになる前にもう一度走り出すといい。次第に気力なんてものは後から湧いてくる」

 

「……そういうのも、もう古いですよ」

 

「根性論は君の得意分野だろう? わたしは苦手だがね」

 

 こちらへと振り返ったヴィルヘルムはしかし、聞く姿勢に入っていたのでカトリナはぽつりとこぼす。

 

「あの……クラードさんは一体その、何者なんですか? だってあんなに若くして、エージェントだなんて……」

 

「エンデュランス・フラクタルの社内機密の中にある代物だ。わたしの口からでもクラードに関して多くは語れない」

 

「そ、それでも……っ!」

 

「残念ながら、ね。エージェントに関する機密はわたしでも話せないんだ。これはクラードの身を守るためでもある」

 

「そ、その理屈は分かります……けれどでも……誰もクラードさんの事を、語りたがらないのって、それも変ですよ……!」

 

「彼は特級のエージェントだ。もしもの時に近しい誰かが重石になるのならば、それをまず除去する方向へと考える。それがエンデュランス・フラクタルのエージェントとしては正しいからね。人として正しいかは、ともかくとして」

 

「……ヴィルヘルムさんも、やっぱり人としてはその……クラードさんも正しくないっ……」

 

「一意見だよ。何だ、真に受けたような顔をして。期待の新人の名が泣くぞ?」

 

「そっ……そんな名前の人は知りませんっ! ……でも、委任担当官で命じられたのに、いいのかなぁ、って」

 

「当のクラードの事は君自身が知ればいい。いずれはその時が来る」

 

「ですけれど……本人が語りたがらないのに、私がその……いつまでも馬鹿みたいに付いていったって……それってよくないんじゃ……」

 

「君らしからぬ悩みだな。何だ、ベアトリーチェ出港からまだ一週間だろうに。そんなでは航路に差し支える。サワシロ君や、サルトル技術顧問に話を聞けばどうなんだ?」

 

「……それってズルくないですか? 確かにバーミット先輩やサルトル技術顧問はよく知っているでしょうけれど、委任担当官としてなら、話は本人の口から聞くべきなんじゃ……」

 

「分かっているのなら回れ右だな。わたしと無駄話をくっちゃべっていると、フロイト艦長からお叱りが来るぞ」

 

「うぅ……ですよねぇ……。でも、一個だけ不思議なのって、あの《レヴォル》ってのがそのー……ぅ、喋るんですよね? 何でだか」

 

「ああ、あれはね。ああいう風に出来ている代物でもある」

 

「……あれって変じゃないですか? MSにコミュニケート機能なんて」

 

「いや、変ではないんだ。クラードはこれまで、いくつもの戦場に身を置いてきた。その中には口にするのもおぞましい戦場もあったに違いない。そんな中で、この社内でも信じられる人間と信じられない人間が居たはずだ。クラードはそれこそ、信じられない、人間不信の状態に陥ったっておかしくはなかったはずなんだ」

 

「……それを《レヴォル》が助けた……? ですか」

 

「助けとなるべくして《レヴォル》が居る、が正しいかな。《レヴォル》が実装されたとなれば、これまでの潜入任務や、あるいはこれまでの戦場とは違う、別種の戦いが待っている。そういう風にエージェント、クラードは教育されてきたはずだ」

 

「……まるで観てきたみたいに」

 

「失礼。話し過ぎたな。君は委任担当官なんだろう? だったら、もっと体でぶつかっていけばいい。言葉なんて得意じゃないのは見れば分かる。だったら、馬鹿でもいいんだから全力でクラードにぶつかっていけ。そうすれば結果は自ずと出るだろう」

 

「……そう、でしょうか……。クラードさんにとってそれが正しいのかは……」

 

 その瞬間、衝撃波と電燈の明滅にカトリナは椅子から転げ落ちてしまう。

 

「……この感じ……敵?」

 

「こんな短期間にまたか。仕方ないな。……期待の新人、君は管制室に向かうといい」

 

「ヴィルヘルムさんは……!」

 

「ここよりかは管制室が安全だ。さぁ、とっとと行った! 隔壁が閉鎖になればそれも叶わないぞ」

 

 一つ頷き、カトリナが飛び出したところで、廊下を折れたところでクラードとかち合う。

 

「……あんた」

 

 少しだけうろたえたクラードへと、カトリナは先ほどの言葉を思い返していた。

 

 ――馬鹿でも体からぶつかれ。

 

 その言葉に衝き動かされたかのようにカトリナはクラードの白衣を引っ掴んで声にする。

 

「あの! 私、絶対に諦めませんから! クラードさんに認めてもらうまで、もう絶対に! 馬鹿だとか愚図だとか言われても! もう体から立ち向かうって決めたんですっ!」

 

「……何言ってんのさ。離しなよ」

 

 これまでならここで折れてきただろう。しかしカトリナは頭を振っていた。

 

「離しません! クラードさんも、だから約束してくださいっ! 少しでいいから私と向かい合うようにって! 帰ってきたら、絶対ですよっ!」

 

「……何であんたと向かい合わなくっちゃいけないんだ、いいから離せって……」

 

 力任せに振り払おうとしたクラードの躯体を僅かにずらし、重心をぶれさせてカトリナは自分の側へと引き寄せた後に、大外刈りを見舞っていた。

 

「どうです? これでも柔道部じゃ強かったんですよ……っ!」

 

「……ラクロス部だったんじゃなかったの」

 

「あっ……えーっと、ラクロスは高校の時で、その、柔道は大学の時に誘われて……!」

 

「どうでもいい。気は済んだ?」

 

 こちらの気勢を削ぐように白衣を整えた後にクラードは脇をすり抜けていく。

 

 その背中にカトリナは言葉を投げていた。

 

「約束なんですからねーっ!」

 

 返事はない。

 

 だが少しだけ、前向きになれたような気がして管制室に向かっていた。

 

「遅くなってすいません! カトリナです!」

 

「名乗りはいいから。そこの椅子に座っておきなさい、委任担当官」

 

「あっ、今回は居るんですね……艦長」

 

「居ちゃ悪い?」

 

「い、いいえ……っ! ……そんなに今回の敵はまずいんですか?」

 

 レミアは頭痛薬を飲み干してから、はぁと嘆息をつく。

 

「……こんなことわざを知っている? 狭き門より入れ、ってね。どっちにしたところでいつかは会敵するような相手よ。ここで一度陣取っておいてもそれは別段、しなくてもいい苦労じゃない。聞こえているわね? クラード。敵は軍警察、トライアウトの識別信号が出ているわ」

 

『またトライアウトか。あいつら懲りないんだな』

 

「“この世に存在する上で、最大の充実感と喜びを得る秘訣は、危険に生きることである”ってね。彼らも狭き門を通ろうとしているのかもしれないわ」

 

『何だ、それ。ワケ分かんないな、まったく……』

 

 ぼやきつつも、出撃姿勢に入っていくクラードの《レヴォル》の信号へと、別のシグナルが開かれる。

 

『待ってくれ! また軍警察なら……オレも出させて欲しい』

 

「アルベルト君……だったかしら? 許可出来ないわ。大人しくしていなさい」

 

『でもよ! クラードばっかり出るこたぁねぇはずだ! こっちも一応、《マギアハーモニクス》でミラーヘッド戦ならやれる! ……あいつばっか傷つくのは、観てられねぇ!』

 

「……勘違いがあるようだから言っておくけれど、クラードは別にあなた達を守るために出ているわけじゃないのよ。この艦と、そして自分の生存のために出撃している。それが彼の職務なのだから」

 

『だったら! オレらだって職務はあるはずだ! いつまでもおんぶにだっこじゃ……居られねぇよ!』

 

 通信を切ったアルベルトにレミアは陰鬱なため息をついていた。

 

「……サルトル技術顧問、聞こえているわね?」

 

『ああ。さっきのも聞いたが、艦砲射撃の邪魔にならん範囲なら《マギア》を置いてやってもいい。いくら宇宙の荒れくれ者だって言っても、それくらいは守らないと後ろから撃たれるくらいは分かるだろ』

 

「……分かったわ。後の処理はそっちに一任します。カトリナさん」

 

 不意に言葉を振られてカトリナはかしこまる。

 

「あっ、へっ……? あっ、何でしょうか! レミア艦長!」

 

「……そろそろ座ったら?」

 

 ずっと管制室で佇んでいるのを茶化され、カトリナは羞恥の念で耳まで真っ赤になった挙句に、椅子へと歩を進める。

 

「し、失礼しまーす……」

 

「敵影は三。明らかなミラーヘッドの編成です」

 

「最大望遠、出せる?」

 

 管制室のモニターに大写しになった敵影はデルタ編隊を三機で組んでおり、先頭を行くのは紅色の《エクエス》であった。

 

「……あの《エクエス》、変な色……」

 

「識別信号トライアウトジェネシス……軍警察の上層部……?」

 

「……なるほどね。単純に攻めて来たわけでもなさそうってわけ。クラードにはミラーヘッドの許可を。全力で叩き潰すように」

 

「了解。エージェント、クラードにミラーヘッドの許可を降ろします」

 

「あの……っ、ちょっといいですか?」

 

「なに、カトリナさん。分かっているとは思うけれど戦闘姿勢なんだけれど」

 

「いえ、その……相手が軍警察なら、ミラーヘッドオーダーを、令状を持っているんじゃ? そうなってしまうと、下位のオーダーは掻き消されてしまう。《レヴォル》がどれほど優れたミラーヘッドの機能を持っていても、もうオーダーが出された後じゃ……」

 

 こちらの知識にレミアは一瞥を振り向けた後に呟く。

 

「……単純に元気なだけが取り柄でもないのね」

 

「えっ、どういう……」

 

「カトリナさん。知っておくといいわ。あの《レヴォル》が、何故、何のために我が艦に配備されているのか。それも込みでね」

 

「……は、はぁ……。でもそれって、この世界の常識……」

 

『エージェント、クラード。《レヴォル》、発艦準備に移行』

 

「了解。リニアカタパルトボルテージに《レヴォル》を固定。出撃位置に。艦長」

 

 振り向けられた命令系統にレミアは手を払う。

 

「エージェント、クラードと《レヴォル》に出撃許可を」

 

 



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第26話「命題の戦場で」

「――にしたって、イカれてる。何だってフロイト艦長はあいつらの許可まで降ろしちまったんだ」

 

 整備班のぼやきを聞きながら、クラードは《レヴォル》のコックピットハッチへと導かれていく。

 

 既にパイロットスーツを身に纏い、漂うサルトルにヘルメットをすり寄せる。

 

「……《レヴォル》は?」

 

『ああ、発艦準備は間もなく完了する。なに、一週間あったんだ。仕事に関しちゃ任せろよ』

 

「コアファイター形態で行くのか」

 

『そっちのほうが敵の出端を挫ける。何よりも機動力でまず圧倒してからお前のやり方なら充分に勝利出来る相手だ』

 

「またトライアウトだって? 懲りないんだからな」

 

『あっちも必死なのさ。ホレ、パスコード。《レヴォル》のほうにも送っておいたから照合しろよ』

 

「ありがと。それじゃあ、ちょっと出撃前に《レヴォル》と話させてくれ」

 

『ああ。ただし、三分以内だからな』

 

 サルトルの理解を得つつクラードはコックピットの気密を確かめてから、《レヴォル》のテーブルモニターをさする。

 

 すると、脈動が動き出したかのように表示されたステータスに水色の鼓動が浮かび上がっていた。

 

『コミュニケートモードへと移行。“クラード、調子はどうだ?”』

 

「そうだな……。ちょっと何て言うのか、小骨がつっかえている感じかもしれない。……さっきの、あれ、何だったんだろ」

 

『“要領を得ない返答だ。お前らしくない”』

 

「俺らしくない? ……そうなのかもしれないな。あんなのに心をちょっとばかし掻き乱されるなんて。ただ……柔道部って奴らしい」

 

『“返答の意義を問う。柔道部とは何の事か”』

 

「いい、忘れてくれ。俺も多分忘れる」

 

『“承認した。敵は軍警察らしい。相手も必死なのかもしれないな”』

 

「どうだろうな。同じ敵とも限らないし……何よりもお前となら、百人力だ。誰にだって負ける気は――」

 

 ――約束してください!

 

 そう言いやって自分へと柔道技を見舞ったカトリナが脳裏を掠め、クラードは言葉を濁す。

 

「……いや、そうでもないのか」

 

『“出撃前のメンタルチェックが必要か? クラード。今のお前はどうかしている”』

 

「……そうだな。どうかしていた。俺は俺だ。だからこんな事にいちいち気を揉んでいる場合でもない。……コアファイター形態へと移行しつつ、一気に叩く。敵は三機らしい。ミラーヘッド戦になるだろう」

 

『“自信はあるのだろう”』

 

「当たり前だ」

 

『《レヴォル》、発進位置へ。リニアカタパルトボルテージ上昇。射出タイミングをエージェント、クラードに譲渡します』

 

「了解。《レヴォル》の思考言語をコミュニケートモードから戦闘モードに移行させる」

 

『“ではな。また語ろう”。――システム、オールグリーン。専属ライドマトリクサーの承認を乞う』

 

 最早、戦う以外の人格を消し去った《レヴォル》が待ち望んだコネクターへと、クラードは自身の両腕を可変させ、接合させる。

 

 脳髄に突き立った電流の加速度と共に、思考が明瞭課され、クラードは《レヴォル》と一体化していく。

 

 誘導灯が次々と点灯していく中で、宇宙の常闇をクラードは真紅に染まった眼差しで見据えていた。

 

「――武装承認。エージェント、クラード。《レヴォル》、先行する」

 

 誘導灯が青に染まると共にクラードはリニアボルテージの重加速にシートへと背中を押し当てられる感触を確かめていた。

 

 ベアトリーチェから飛び立った嘴の如き形状の《レヴォル》がそのまま、敵影へと矛先を捉える。

 

「……悪いな。今回はこっちも一応、武器はあるんだ。まずは一発、試させてもらう」

 

 機体側面に備え付けられていたビームライフルが一射されるも、やはりと言うべきか敵影は散開して回避運動に入っていた。

 

「……当たる馬鹿は居ないか」

 

 そう呟いた刹那、そのうち一機が編隊を外れ、急速にこちらとの距離を詰めていく。

 

「……おいおい、ミラーヘッドの戦場じゃなかったのか」

 

 ビームライフルを速射してから、まさかの抜刀をし様に加速した敵影にクラードは《レヴォル》の機首を立てて旋回し、敵の一閃を回避してから下方に位置する相手の動きを窺う。

 

「……何だって急に? 我慢出来なくなったとか?」

 

『広域通信だ……! 聞こえているだろう! ガンダムのパイロット!』

 

「……何を言っている? ガンダム……?」

 

『そのMSの忌み名だ! ガンルーム・ダムド……忌むべき火薬庫よ! この、ガヴィリア・ローゼンシュタインが! 貴様を粛正してくれると言っている!』

 

「……イカレか。たまに居るよな。戦場に居ると」

 

 推進剤を焚いてこちらへと肉薄しようとする相手に、ビームライフルの射線で応戦しつつ、クラードは他の二機の動きを観察する。

 

「……後方の二機は編成を崩すつもりもなし。ミラーヘッド戦に移るつもりか。こいつは囮? ……いや、そうじゃないな。執念深過ぎる」

 

 その言葉の反証のように敵《エクエス》は銃火器を絞って《レヴォル》を撃ち抜こうとしてくる。

 

『逃げるな! 戦え、ガンダム!』

 

「……逃げるな、か。それは意見の相違だ。《レヴォル》、急速制動と同時に後ろの厄介なのをどうにかする。タイミングはこっちに譲渡してくれ」

 

『了解。格闘兵装のロックを解除。武装承認、ヒートマチェット電荷』

 

 クラードは《レヴォル》の前面に急速制動推進剤をかけさせた後に、そのまま翻るようにして追撃する《エクエス》へと機体を開いて交錯し様に斬撃を浴びせていた。

 

『格闘兵装だとぉ……!』

 

 可変を遂げた《レヴォル》がその手に携えたのは切断面が赤く煮え滾る鉈状の格闘武装である。

 

 僅かに刃が反り返っており、今しがた《エクエス》の腕を肩口から斜に斬り裂いていた。

 

「……うん、こういうのも悪くはないな」

 

 ヒートマチェットを握り締め、敵の背面から肉薄する。

 

 相手は舌打ち混じりにビームサーベルを抜刀し、一撃を凌いだが、その防戦の網はこちらの好機だ。

 

 スパーク光が焼け付く間にも、《レヴォル》はその掌底を敵の顔面へと向けている。

 

『……まさか』

 

「――墜ちろ」

 

 拡散した蒼い粒子が束となって《エクエス》のアイカメラをぐずぐずに融かしていく。

 

 撃ち抜いた感触はあったが、相手も行動不能になったわけではないようで、すぐに後退し、残りの二機に挟まれる形で保護されていく。

 

『准尉、迂闊が過ぎます。下がって見ていてください。トライアウトジェネシスの戦い方を』

 

『……く、くそがぁ……っ! 私はガヴィリア・ローゼンシュタインだぞ……!』

 

『存じております。今は、邪魔なので下がって』

 

 紅色の《エクエス》が中距離からビームライフルを引き絞り、瞬時にミラーヘッドの幻像を編み出していく。

 

 もう一機はこちらの観測役なのだろう。

 

 ミラーヘッドで無数の分身体を作り上げ、その分身と同時に照準する事によって、単騎戦力における行動範囲の拡充を行っている。

 

「……正しいミラーヘッドの使い方って言うわけか」

 

 クラードは光条の網を潜り抜けながら敵の狙いを探る。

 

「相手の赴く先はベアトリーチェへの攻撃。俺に構っている時間もないはずだが……本来の作戦意図じゃない事が起きたせいで、敵も焦りがあるのか」

 

 紅色の《エクエス》はミラーヘッドを闇雲に飛ばす事もない。

 

 恐らくはある程度の持久戦に耐えてから、こちらの根負けを画策するつもりだろう。

 

《レヴォル》は短期決戦型だと、ある意味で見抜かれているのだ。

 

「……中距離からちくちくと。《レヴォル》、嘗めさせるな。このまま急接近して幻像を破壊。本体である《エクエス》も殲滅する」

 

『了解。加速開始。ミラーヘッドジェルを消費します』

 

《レヴォル》が蒼いミラーヘッドの残滓を引きながら、急加速に入る。

 

 中距離でやられてしまえばこちらとて戦いづらい上に、耐久戦では分があるのは《エクエス》のほうだ。

 

 ミラーヘッドの幻像をいくつか犠牲にしつつ、《レヴォル》は着実に紅色の《エクエス》へと距離を詰め、そしてビームライフルで至近距離にある敵の幻像を射抜く。

 

「……特に工夫もない。これで終わりだ……!」

 

 ヒートマチェットで幻像の頭蓋を薙ぎ払ってから、本体の頭部を腕で引っ掴む。

 

 そのままゼロ距離での掌底を浴びせ込もうとして、接触回線が弾けていた。

 

『――掴んだな?』

 

 ハッと習い性の勘でクラードは《レヴォル》に距離を取らせようとするが、その時には敵影が爆ぜている。

 

 自爆、かと思ったがそうではない。

 

 今の一瞬、自分が本体だと思って掴んだ《エクエス》は掌の中で淡く溶けていく。

 

「……まさか、一瞬のうちにミラーヘッドを俺に掴ませた?」

 

 完全に意図の外だ。

 

 二機の機影はベアトリーチェへと向かっている。

 

「……突破された。《レヴォル》、コアファイター形態で一気に追いつく」

 

 可変しようとする《レヴォル》へと、こちらに一瞥を振り向けた紅色の《エクエス》が手を払う。

 

 自分はミラーヘッドの中心軸に居るのだ。

 

 四方八方から襲うミラーヘッドの分身体がこちらを引き寄せては自爆していく。

 

「……こいつ。自分のミラーヘッドのフィードバックを無視してでも、俺をベアトリーチェに帰さないつもりか……!」

 

 幻像の破壊、もしくは自爆はそれなりのダメージフィードバックとしてライドマトリクサーを襲うはずだが、それをも恐れないのならば、それは最早、作戦の領域を超えている。

 

 クラードは《レヴォル》に可変させようとして、その度に敵の幻像の接近攻撃に邪魔をされていた。

 

「……俺の邪魔を……するな!」

 

 腰にマウントしていたもう一本のヒートマチェットを振り抜き、双剣を扱って幻像を次々と斬り裂いていくが、その間にも敵のベアトリーチェへの距離は詰まっていく。

 

 舌打ちを滲ませ、クラードは失敗の二文字が眼前に浮かんだのを感じ取っていた。

 

「……まさか俺が……こんなところで……」

 

『専任ライドマトリクサー。ベアトリーチェからの援軍を関知』

 

 思わぬ《レヴォル》の声にクラードは面を上げる。

 

「援軍? そんなの居るはずが……」

 

 そう思った刹那には、ベアトリーチェ甲板から出撃していた無数の《マギア》を目にしていた。

 

《マギア》部隊は肩口からビームで構築された旗を振る。

 

 それは見知った凱空龍の旗――。

 

「……アルベルト達か……?」

 

『怯むな! 敵を絶対に近づけさせちゃいけねぇ!』

 

 通信網越しに耳朶を打ったアルベルトの声と共に凱空龍の操る《マギア》編隊が統率された動きでビームライフルを照射し、《エクエス》の進路を遮る。

 

『クラードが来るまでの時間稼ぎだ! てめぇら、油断すんじゃねぇぞ!』

 

「……俺のため、に、なのか……。まったく、これだから人間と言うのは……」

 

 クラードはリニアシートに腰掛けていた自己を顧みて、一つ深呼吸を行い、そして研ぎ澄まされた殺気の刃を真紅の瞳に宿す。

 

「……《レヴォル》。敵への到達概算時間は?」

 

『およそ40セコンド』

 

「――充分だ」

 

 瞬時にコアファイター形態へと移行し、加速度を上げて宇宙の常闇を引き裂いていく。

 

 こちらの接近に気付いたのは随伴機のほうで、紅色の《エクエス》はアルベルト達の相手に忙しいようであった。

 

『少尉! 目標がこちらへ……!』

 

『時間をかけ過ぎたな。応戦する! 背中は任せたぞ』

 

 二機の《エクエス》が背中合わせになって自分とアルベルト達を同時に相手取る。

 

 クラードは胃の腑を押し上げる強烈なGを味わいながら、《レヴォル》をコアファイター形態からスタンディングモードへと瞬時に可変させ、四肢を広げた《レヴォル》がヒートマチェットを大上段に打ち下ろす。

 

 その攻撃を受け止めた紅色の《エクエス》の照合結果に《エクエスルージュ》と表示される。

 

『ここまで接敵したのは褒めてやる。だがお前にはもう二度目はない!』

 

《エクエスルージュ》から生じるミラーヘッドが《レヴォル》を包囲する。

 

 確かにこのまま打ち合っているだけでは、幻像に射抜かれる未来しかないだろう。

 

「……嘗めるな。俺と《レヴォル》は、その先を行く……!」

 

 ヒートマチェットで斬り返すなり、《レヴォル》は機体を翻してミラーヘッドの幻像を《エクエスルージュ》へと放る。

 

『嘗めるなはこちらの台詞! たった一体のミラーヘッドで!』

 

「いや、今のでいい」

 

 応じた自分の声に敵が懐疑を抱く前に、下方へと流れた《レヴォル》の機影がベアトリーチェへの保護ルートを取っていく。

 

《レヴォル》の幻像が《エクエスルージュ》と打ち合ったのもほんの十秒未満。

 

 互いに幻像を打ち消し合い、《エクエスルージュ》はこちらへと追撃する。

 

『……こけおどしで!』

 

「……やっぱ、通じないか。他の連中みたいにミラーヘッド戦に頼り切りじゃない。ミラーヘッド戦を分かっている奴の戦い方だな」

 

『ならば私に負けろ! 白いMS!』

 

「残念ながらそうはいかない。第一、俺の目的はベアトリーチェの保護だ。他の面子は知らないがな」

 

 アルベルト達の駆る《マギア》編隊の一斉掃射に《エクエスルージュ》は確実に足を潰され、その隙にも《レヴォル》はベアトリーチェの守りに入れる位置につこうとする。

 

 それを相手も許せないのだろう。

 

 随伴機に命じ、《マギア》部隊を相手取る。

 

『……まずは目の前を飛ぶ羽虫から狩る。アイリウム稼働。ミラーヘッド、展開』

 

《エクエスルージュ》と随伴機がミラーヘッドを展開してアルベルト達と対峙する。

 

 それを見届けながら、クラードは、やはり、と熱源反応を確認していた。

 

「……元々、あいつら自体が囮だ。俺に時間をかけさせてベアトリーチェの守りが手薄な間に、本隊が叩く。分かりやすい陽動作戦だったが、最初の奴がイカレなせいで余計に印象が強くなっていた」

 

 立ち向かうのはこちらも《エクエス》三機編隊。

 

 しかし通常の軍警察カラーの《エクエス》ならば、こちらの敵ではない。

 

 クラードは《レヴォル》の腕を払わせ、ミラーヘッドを瞬時に展開する。

 

 無数の幻像を生み出した《レヴォル》はミラーヘッドを雪崩のように操り、敵の三機編成の横っ面を叩く心持ちで打ち込んでいた。

 

『……まさか! 少尉達の作戦が失敗したと?』

 

「残念だがな。やらせるわけにはいかない。ここで墜とす」

 

 パワーゲインを引き上げ、《レヴォル》の分身体が敵《エクエス》の銃撃網を阻む。

 

 そのままミラーヘッドの幻像が相手の手足を掻っ切り、蒼い炎となって敵に纏わりつく。

 

『……ぐ、っ……! ミラーヘッドで金縛りに!』

 

「俺の命令をこなす。それだけだ。行くぞ、《レヴォル》」

 

 ヒートマチェットを振り翳し、敵《エクエス》の頭蓋を薙ぎ払い、直後には挟み撃ちの形になっていたもう二機へと同時に格闘兵装を投擲する。

 

 ヒートマチェットの柄頭は《レヴォル》の袖口に仕込まれたワイヤーに接続されており、そのまま力任せに振り抜いていた。

 

 自身を回転軸として《レヴォル》のワイヤー攻撃が二機の《エクエス》の推進機構を斬り払い、無効化していく。

 

 ワイヤーを引き戻してヒートマチェットを手に、《レヴォル》は眼前の《エクエス》の両腕を叩き斬る。

 

 敵は腰部より白煙を棚引かせて離脱挙動に入っていた。

 

「スモークでの離脱。……全六機ともか。去り際は潔いな」

 

 紅色の《エクエスルージュ》もいつの間にか遠くに離れている。

 

 自分の命令は逃げる相手の追撃ではない、とクラードは《レヴォル》にヒートマチェットを収納させていた。

 

「……ベアトリーチェ。被弾率は?」

 

『ベアトリーチェ、被弾率ゼロパーセント。……アルベルトさん達のお陰ですね』

 

「アルベルト達の、お陰、か……」

 

 もし自分が第二部隊に気付けず、《エクエスルージュ》の目論みに勘付くだけの時間がなければ、ベアトリーチェはここで沈んでいたかもしれない。

 

『クラード。よく戻ってくれたな』

 

 接触回線を図ってきた《マギアハーモニクス》から聞こえる声に、クラードは冷淡に応じる。

 

「……守ってなんていなかったってわけか」

 

『ん? そりゃ違うだろ。お前は凱空龍に居た頃と同じ、切り込み隊長だった。だからあそこまで敵と戦ってくれたんだろ?』

 

「……俺が、凱空龍の時と同じ、だって?」

 

 そんなはずはない、と否定しようとして、否定材料がない事に気付く。

 

「……俺は、拭えていないのか。まだ、甘さを……」

 

 ならば、もっと強く。もっと気高くならなければいけないはずだ。

 

 それがどのような形であったとしても。

 

『……クラード。何を気にしてるんだか知らねぇが、オレらにはこれがある。凱空龍の旗だ。こいつがある限り、お前はまだオレらの味方だよ』

 

 振るった凱空龍の旗印に、クラードは静かに瞑目する。

 

「……いや、俺の甘さが招いた結果だ。後でレミアにも報告する」

 

『クラード? 難しく考える必要は……』

 

「いや、あるはずだ。俺はエンデュランス・フラクタルのエージェント。なら……甘さは不要のはず」

 

 そうでなくとも、敵の誘いに軽々しく乗った。

 

 このままでは月航路までの道のりを踏破するのは難しいだろう。

 

「……俺はまだ、強くならなければいけない。誰よりも……強く……」

 

 そのためにこれまで培ってきた甘さが不必要だと言うのならば躊躇いはしない。

 

 いつだって、切り捨てて来た。これまでもそうだ。

 

「……俺と《レヴォル》のために、余計な感傷は必要ない。だがアルベルト達は何だ? 俺にどういう有用性があって援護してきた……?」

 

 理由が明快ではない事がこれほどまでに居心地が悪いとは思いも寄らない。

 

 ベアトリーチェと帰投信号を出そうとして、《レヴォル》の関知した熱源反応に、クラードは目線を振り向ける。

 

「……これは、救難信号? ベアトリーチェ、察知しているか?」

 

『いえ、こちらでは何も。恐らく、戦闘時のミラーヘッドに干渉するタイプなんでしょうね。どこの陣営であっても拾って欲しいと言う、そういう意思の表れかしら?』

 

「……回収してみるか」

 

『でもクラード、あなたも《レヴォル》も負傷しているんじゃ?』

 

「いい。今は……ちょっとだけ常闇の寒さがありがたいほどだ」

 

 アルベルト達はベアトリーチェの格納デッキへと戻っていくのが窺えた。

 

 自分は彼らと何が違う?

 

 何が、自分にとっての弊害なのだ。

 

「……考えなければいけない。《レヴォル》、お前はどう感じている?」

 

『コミュニケートモードに移行します。“さぁな。クラードの考えている事はこちらには分からんよ。だが敵は排除した。上々ではないのか?”』

 

「……結果論だ。俺はアルベルト達の支援がなければ艦も轟沈されていたかもしれない」

 

『“そこまで深刻になる事はないと思うがね。だが……クラードの感じた事が全てのはずだ。こちらからの助言は所詮、人間という意図を理解していない発言に過ぎない”』

 

「人間と言う名の意図、か。そんなもの、存在するのか? 意図なんて、どこにもないのかもしれない……。それこそ、どこに……? どこに、何の意図があって、俺は助けられたって言うんだ……」

 

『“クラード。僅かながら脳波に乱れを確認している。それは精神面での研ぎ澄ましの問題になるだろう。悪いが、こちらでは専門外だ”』

 

「……メンタルに関して言えば、俺が強くなるしかないってわけか」

 

『“エージェント、クラードのこれまでの戦歴を見ていればそちらに何か分が悪いとも思えない。だと言うのに、今回の一件に関して言えば、気にし過ぎだとも”』

 

「……俺が気にかかっているのは何なのか……出る前に大外刈りを喰らったところで、俺の何かが麻痺してしまっているのかもしれない」

 

『“大外刈り? 意味が分からないが?”』

 

「……いい。忘れてくれ。……救難ポッドか」

 

 デブリ帯に紛れて赤い発振光を灯らせているのは、軍部の救難ポッドであった。

 

『“あのタイプを照合した結果、クルエラ級よりもさらに前の年代の救難ポッドだ。前時代の遺物か”』

 

「中に入っているのは死体かもしれないって事か」

 

『“死体が救難信号を打つかね”』

 

「分からないさ。亡霊だって助けを乞うかもしれない」

 

 そういうのがミラーヘッドの戦線だ。

 

 クラードは《レヴォル》に救難ポッドを掴ませるなり、信号をいくつか打ち込んでいた。

 

「《レヴォル》、内側の誰かにアクセス出来るか?」

 

『“やってみよう。こちらエンデュランス・フラクタルの所属MSである。そのほうの所属を問う”』

 

『……分からない。寒い……』

 

 か細い少女の声にクラードは《レヴォル》に掴ませたまま、問い返す。

 

「女……? 女の声だって? こんな暗礁宙域に……」

 

『“亡霊だろうか?”』

 

「分からないが……どっちにしたって見殺しは禍根になりそうだ。一旦、ベアトリーチェに持ち帰ろう」

 

 救難ポッドからもたされる声はどれも小さく、今にも消え入りそうだった。

 

『……寒い、ここは嫌だ……。もう、何年、いや、何十年……』

 

「待っていろ。もうすぐ艦に着く」

 

 しかし、とクラードは僅かに自嘲していた。

 

「……先ほどまで殺す事しか考えていなかった俺が、どういう因果で人助けなんだか……」

 

 ベアトリーチェのガイドビーコンが視界に入って来る。

 

 クラードは自分の命題だな、と思い直すのであった。

 

 



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第27話「覚醒の途上」

「……准尉。准尉、ローゼンシュタイン准尉……! 応答してください」

 

 呼びかけられてガヴィリアはようやく気付いたようであった。

 

 頭部を失った《エクエス》から声が漏れ聞こえる。

 

『……私は……』

 

「前後不覚になっていましたよ、准尉。我が方の作戦指示に問題が生じていました。敵があなたを狙ってくれたからよかったものの、最初からこちらの目論みが崩れるところだった」

 

『そうだ、敵……! ガンダムは……!』

 

「撃墜出来ず。標的の艦にも傷一つありません。我が方の作戦失敗です」

 

 ダビデの語り口調に、ガヴィリアはコックピットの中で失態を噛み締めているのが伝わった。

 

『くそっ……! もう少しだったのに……!』

 

「いいえ、もう少しはあなたの首が刎ねられるまでの話です。あのまま無策に敵MS…….失礼、あなたの言うガンダムに飛び込んでいたのだとすれば、今頃あなたは両断されてしましたよ?」

 

 まさかそれが分からぬほどの愚かさでもあるまい、と言う意味を込めたつもりであったが、ガヴィリアから返ってくるのは悔恨のみであった。

 

『も、もう少しで墜とせた! それは間違いない……!』

 

「ローゼンシュタイン准尉。勘違いも甚だしい。もう少し冷静に事態を俯瞰出来ないようでは、次からの出撃禁止にも抵触します。いいですか? あのガンダムとやらはそうそう簡単には撃墜させてくれない。データにはありませんでしたが、ビームライフルと格闘兵装を所持しておりました。それだけでも脅威対象としては高くなるのに、あなたは無策のまま突っ込み、あまつさえ隊を危険に晒した。その咎は受けていただきますよ」

 

『ま、待って欲しい、DD……いいや、ダリンズ少尉。私は正しいと思った事をしただけで……』

 

「その正しいが全てにおいて間違っているのです。あなたにとって、選択肢は二つ。トライアウトジェネシスの執行部の厳命に従い、少しは己の無自覚さを痛感していただくか、それかまたガンダムに立ち向かって無駄死にするのかのどちらかです。何よりも……軍警察に居たいのなら少しは身の程を弁えていただきたい。それが如何に噛み付き癖が強くってもね」

 

 あえて強い言い回しで突き放したが、これくらいでちょうどいいはずだ。

 

 そうでなければこの者は軍警察の秩序を乱すだけの存在。

 

 抱えた部下の重荷になるだけならここで手を離してやってもいい。

 

 言外の意図がさすがに理解出来たのか、ガヴィリアは沈黙する。

 

「……分かってくださったのならば結構。それにしても、まさか第二部隊の編成を勘付かれるとは。相手は手練れだとでも言うのか……」

 

 両腕をもがれた形の部下の《エクエス》にダビデは怒りに駆られて操縦桿を殴りつける。

 

「……作戦上ではあのままなら絶対にあのガンダムだけでは追いつけなかった。だが実際にはどうだ。《マギア》の編隊? そんなものがどこから……」

 

『少尉。恐らくは一週間前に陥落したデザイアとか言うFランクコロニーの生き残りかと思われます。准尉の報告書にありましたので』

 

「……統合機構軍、それもエンデュランス・フラクタルのような企業がそんな連中を擁する? ……理解に苦しむな」

 

『相手は新造艦を民間主導で造るくらいです。我々の常識は当てはまらないものかと』

 

「……そういうものか」

 

 独りごちてダビデはバイザーを上げて蒸したパイロットスーツの中に空気を入れる。

 

 汗の粒が無重力を舞う中で、彼女は決意していた。

 

「だが、代償は高くつくぞ、エンデュランス・フラクタルにベアトリーチェとやら。我々をコケにしたのだからな。二度も三度も、偶発的な勝利があるとは思わない事だ。私は今度こそ、貴様らに引導を渡す。……その日を心待ちにしているがいい」

 

 もっとも、自分とてトライアウトジェネシスの兵士。二度も三度もチャンスが巡って来るとも思わないほうがいいのかもしれない。

 

「……因果なものだな。保身は……考えた事はなかったのだが。報告書を書かなければいけない。自分が敗北した証を自分の手で。それはDDの異名を取る私にとっての屈辱だ、ガンダム……!」

 

 ぐっと睨み据えたのはテーブルモニターに映し出されたガンダムの機影であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……っ、クラードさん! ……その、出撃前にそのぉ……やっちゃったの、怒っていますよね?」

 

 パイロットスーツを半分脱いでインナー姿のクラードの背中に呼びかけた自分を、早速責め立てられるのだと思っていたが、クラードはどこか中空を見据えて言いやっていた。

 

「……ジュウドウってさ。強かったの」

 

「ふぇっ……? ああ、柔道ですか……。一応、ちょっとした大会にまでは行ったかな……」

 

「ふぅん、すごいじゃん」

 

「あの……っ、怒ってます……よね?」

 

「大外刈り」

 

「ふへっ……?」

 

 またしても素っ頓狂な声が漏れてしまう。クラードは自分のほうを見ずに、《レヴォル》に視線を注いでいた。

 

「あれって頭が冴えるのかもしれない。だからって毎回やられちゃ困るけれど」

 

「……それってどういう……」

 

「委任担当官なんでしょ、あんた」

 

「あ、はい……っ、そのお仕事を任されていて……」

 

「じゃあ、大外刈りじゃなくって、もうちょっと言語で対話しなよ」

 

「うぅ……言い訳出来ないなぁ……」

 

「ただ、ま……面食らったってのは正直な話。あんた……思ったよりかはつまんなくはないのかもね」

 

「えっ……それってどういう……」

 

「答えをいちいち期待しないでくれないかな。俺だって口は達者なほうじゃないんだ」

 

 そう言ってクラードは携行飲料を飲み干しながら上方へと抜けていく。

 

 その背中を見送りながら、カトリナは書類片手に、よし、と意気込んでいた。

 

「……何だか分かんないけれど、怒られなかったって事は、一歩前進! ……絶対に、幸せになるためには、お仕事頑張らないと……っ!」

 

 いつだってポジティブなほうが自分らしいはずだ。

 

 だから、今はぎゅっと拳を握って、そして言い放つ。

 

「絶対に! 幸せになるんだからっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーでもない、こーでもない。……こいつぁいつ頃のロック処置だ? 今どき多重ロックなんて施された救難ポッドなんてないぞ?」

 

 サルトルはポッドのパスコードをいくつもなぞりつつぼやいているものだから、それを見守るクラードからしてみれば相当難儀しているのだと窺えていた。

 

「……開かないの?」

 

「開くように努力してるんだよ……! にしたって、いつの時代だ、本当に。これ、旧式にも程がある。デブリ帯を流れていたのを偶然発見したんだよな?」

 

「ああ。救難信号を打っていたし、接触回線で中から女の声が聞こえてきた」

 

「女ァ? おいおい、じゃあこいつはあれか? 呪いの救難ポッドってところか? こいつの造られた年代から遡るに、もう十年や二十年のスパンじゃないぞ。中の人間は今頃は婆さんになっているくらいだ」

 

「……拾ってきちゃまずかった?」

 

「まずいも何も、さすがに救難信号を見過ごせとは言わないさ。……だがなぁ、あまりにもアナクロと言うか……。そして最終隔壁は人力だし。おーい! 力自慢を寄越してくれ! こいつのレバーじゃ数人がかりだ!」

 

 整備班がそれぞれかかり、最終隔壁のレバーを回していく。

 

 そこでようやく、救難ポッドから漏れ出ていたのは液体窒素を思わせる冷気と白煙であった。

 

「ヤバい……! 総員、ガスマスク装備! 可燃性かもしれん! スプリンクラーを起動させろ!」

 

 格納デッキの一区画でスプリンクラーが舞い、虹を浮かべる中で扉が重々しく降りていく。そんな物々しい警戒の中、救難ポッドの暗闇でちょこんと三角座りで佇んでいたのは――。

 

「……女?」

 

 無数のケーブルに繋がれ、救難ポッドそのものと一体化しているかのような少女が一人。

 

 金色の瞳に敵意を宿らせ、長い黒髪を横たえさせた少女はこちらと目が合うなり、ぐるると唸る。

 

「……な、何だ? こいつは……」

 

 うろたえた整備班へと少女はほとんどボロの黒い衣服のまま、飛びかかっていた。 

 

 それは最早獣じみた挙動で、誰もが反応出来なかったほどである。

 

 悲鳴が劈く中で、少女は整備班のノーマルスーツに牙を立てつつ、自分と目線が合っていた。

 

 すっと銃口を向ける。

 

 敵意が伝わるか、と眼差しを交錯させたのも束の間、少女は飛び退り、自身に巻き付いていたケーブルを振り払おうとして、不意にぺたんとその場にへたり込む。

 

「お、おい! どうした? まさか、死んじまったんじゃ――」

 

 サルトルの懸念にきゅるると腹の虫が返って来ていた。

 

 少女は腹を押さえ込んで、白磁のような肌に僅かながら羞恥の念を浮かべる。

 

「……お腹空いた。ここは寒くない? 雨が降っているけれど……」

 

「腹ぁ減っただ? 何考えてんだ! そもそも……!」

 

「いや、サルトル。こいつが何者なのかは、追々解き明かそう」

 

 その肩を制してから、クラードは無慈悲に銃口を向けつつ、問い質す。

 

「あんた、名前は?」

 

 少女は金色の瞳に逡巡を浮かべた後に、小さく口にしていた。

 

「……ピアーナ・リクレンツィア。地球連邦の、ライドマトリクサー……」

 

 その言葉はこれから先の動乱を静かに予感させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第四章「その名はガンダム〈アウェイキング・ガンルーム・ダムド〉」 了

 



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第五章「機械少女の物語〈ザ・ダークネスフェアリーテイル〉」
第28話「欺瞞と寓話」


 ――私は眩いばかりの蒼い花の咲く庭園に居た。

 

 周囲にあるのはそればかりで、一呼吸さえも忘れるような麗しさ。

 

 呼吸を途切れさせた身体は錆び、崩れ、そして形状をなくしていく。

 

 この世とは思えぬ幽世の光景に、私はただただ吐息を忘れ、鼓動を忘れ、記憶を損ない、過去を失い――。

 

 そうやって辿り着いたのが、無辺の闇に葬られた最果ての土地であったのだと知った時、私は再び蒼い花に手を伸ばす。

 

 しかしその時には、蒼い花はもう形状を失い、私の手から滑り落ちていく。

 

 ああ、何でだろうか。

 

 私はそれを、散り行くそれを、もう絶対に手に入れられないそれこそが。

 

 とても美しいのだと、そう思ってしまっていたのだ。

 

 蝶が舞う。

 

 蒼い翅を広げた、この世ならざる蝶が。

 

 残像を残し、残滓を掻き消し、残禍を打ち消し、無辜の果てへと誘う。

 

 私は花園を。

 

 このヒトの世とはまるで異なる花園を。

 

 魅せられてしまった愚かさを知る前に。

 

 まるでアリスが白兎を追ってしまうかのような愚かさで。

 

 蝶を追い、そして奈落へと放り込まれるのだ。

 

 そこは決してお伽噺の世界などではない。

 

 真逆の、戦場の炎が舞う血潮の迸る世界で。

 

 私は紅蓮の炎の中を進んでいく、蒼い翅の蝶を追って。

 

 そしてもう一度、愚かにももう一度。

 

 夢の世界に堕ちるために。

 

 それは夢への憧れか、それとも夢への絶望か。

 

 私の手は、蝶を追って伸びる。

 

 蝶の行き着く花を追い求めているのか。

 

 それとも、可憐な蝶の羽根をもいで、その瞬きを永遠にしたいのか。

 

 蝶の翅で着飾るような残酷さを帯びて、私はフェアリーテイルを――物語を殺す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロックワークス社に訪問した際に渡されるID証は、別段他の企業と変わったところはなく、グラッゼは裏表に翳してから、担当の社員の声を聞く。

 

「本物ですよ、疑ったって」

 

 営業スマイルを張りつかせた相手に対し、グラッゼはサングラス越しの視線を振り向けていた。

 

「貴社の有するミラーヘッドのログを参照したい。これは軍警察、トライアウトジェネシスからの用命である。貴社には黙秘する権利が……」

 

「長々と述べたって、それは我が方の不利益になります。応じましょう」

 

 いわゆる型式ばった言葉だったのを見越してか、営業の社員は自分を通す。

 

 グラッゼは後に続く自身の部下へと言葉を振っていた。

 

「クロックワークス社に来た事は?」

 

「いえ……ここはそうでなくとも特別ですから。月のダレトからの供給を受ける、数少ない企業……統合機構軍の中でも」

 

「嬉しいですね。彼の軍警察、トライアウトに認知されているとなれば」

 

 営業の相手の言葉は全く本意ではないのだろう。

 

 それでも笑顔を向けられる辺り、本音と建前をうまく使い分けられる人間なのは間違いない。

 

「今回は我々も特務を帯びている。ミラーヘッドのログ参照は軍警察の当然の権利として存在する」

 

「存じていますとも。……それにしたって、あなたが……黒い旋風がトライアウト所属になったとは思っても見ませんでしたが」

 

 自分の顔も名前も売れ過ぎている。こういう時にある意味では枷になってしまうのはいけない。

 

「……一身上の都合でね」

 

「こちらへどうぞ。ミラーヘッドのログを取りたいっていう方はここ数年でごそっと減った。何でだと思います?」

 

「……いちいちミラーヘッドシステムの令状を参照して、何になると言う話だ。令状が下りれば下位のミラーヘッドは棄却され、その結果としての第四種殲滅戦……即ちミラーヘッドの戦場では敗北した側がわざわざ自分の側のミラーヘッドが如何にして下りなかったのかを知る必要はないし、何よりも死人に口なし、の状態だろう」

 

「よくご存知で。第四種が一般化してからは、軍の方でもなかなかミラーヘッドのログ参照には来なくなりましてね。お陰様で我々にデータばかりは集まってくるのですが、使う機会のない蓄積はただ単に浪費に等しい」

 

「しかし、ミラーヘッドのログを取る陣営は必要とされている。貴社は第三者として、ミラーヘッド戦を記録する事に関しての権限を得ているはずだ」

 

「それは当たり前なのですよ。我々のような第三者機関が居なければ、もしもの時にミラーヘッドが棄却された時、参照する人間も居なくなってしまう。それは対等さにおいて正しくはない」

 

 ミラーヘッドの戦場における対等さか、とグラッゼは胸中に結ぶ。

 

 きっとそれは、殲滅戦を仕掛けられた側からしてみればまるでこの世には存在しない言葉だろう。

 

 無重力ブロックに入り、グラッゼは無数に居並ぶ高速演算コンピュータを視野に入れていた。

 

「……これがミラーヘッドログの中枢を司る量子コンピュータか」

 

「一部ですよ。我が社の中枢にはこれの百倍近い代物が存在します。まぁ、今回のようなケースの場合、それらを見せるような意図はないんですが」

 

 ミラーヘッドログを取っている部屋は思いのほか狭い扉の向こう側であった。

 

 管制室が広がっており、今も数十名のオペレーターがミラーヘッドログを処理している。

 

 それはこの宇宙のどこかで、現状も戦火が絶えない事の証明でもあったが、自分の今日の仕事はそのような今を憂うような状況ではない。

 

「……ミラーヘッドログを参照したい。可能か」

 

「我がクロックワークス社はダレトが開いてから数年間、絶えずミラーヘッドのログを取り続けてきました。第四種殲滅戦に入ってからは、それこそずっと。一日だって途絶えた事はありません。それは戦場の中立性と、そして第四種殲滅戦におけるMSのミラーヘッドの存在意義を確立させるため。我が社で開発しているMSはほんの一機だけですが、現状のミラーヘッドの戦場を闊歩するのには必須のはず。ミラーヘッドの戦歴は我が方に完全に傍受され、その上であなた方は使用するしかない。これは現行、どのようなMS、MAを使っていても絶対の摂理なのです。そこから逃れる事は出来ません。オーダーの種類や時間、レイコンマの世界まで記録しております。どうぞ、ご指定を」

 

「では……この時間のミラーヘッドの使用歴を探りたい。出来るか?」

 

 差し出したメモリーチップを営業はオペレーターに手渡す。

 

 オペレーターが演算し始めるのを大型モニターの一角が映し出していた。

 

「どうです? コーヒーでも。我が社は飲食事業にも精を出しています。このコーヒーは上物ですよ? 何せ、地球圏の代物なのですから」

 

「いや、私は仕事をしに来ただけだ。商談に来たのではないのでね」

 

「それは残念。本当に美味しいのに」

 

 営業はコーヒーに口を付けつつ、導き出されていくミラーヘッドオーダーの履歴へと視線を投げていた。

 

「出ましたね。早いでしょう? これが我が社の持ち得る財産のようなものです」

 

「どう出た?」

 

「この時刻に実行されたミラーヘッドオーダーは一件。軍警察トライアウト所属、ガヴィリア・ローゼンシュタイン少尉のものです。使用機体は《エクエス》。この時刻は四十八時間のミラーヘッドオーダーにおいて有効であり、他の下位権限は全て無効化されています」

 

「紙で欲しい。ログの履歴を印刷してくれ」

 

「今どき、紙ですか。まぁ、いいでしょう。印刷を」

 

 グラッゼは受け取ったミラーヘッドの報告書の中に、存在しているはずのものが存在していない事に気づく。

 

「……これだけか? 例えば……そう。民間の、エンデュランス・フラクタル所属機の、新型機のシグナルは?」

 

「……いえ、これだけです。軍警察の《エクエス》のみ、ミラーヘッドを行使したと」

 

「……そんなはずはないのだがな。あるいは、件のシェイムレスの少尉の妄言か……? いや、今はいい。こっちのデータベースを参照して欲しい。日時は……」

 

 正確に時間を秒単位で言いやると、その時刻に執行されたミラーヘッドの履歴が参照されていく。

 

「黒い旋風と渾名されたあなたが、どうして今さらミラーヘッドのログなんて? そんなものをしたって仕方ないでしょう。相手はもう死んでいるのですから」

 

「……果たしてそうならば、いいのだがな」

 

「出ました。ミラーヘッドログを参照。《エクエス》が使用したミラーヘッドオーダーは四十八時間有効。下位オーダーは全て無効化されています。他の機体によるミラーヘッドの介入は確認出来ません」

 

「……確認出来ない? そんなはずはあるまい。あの時確かに……。いや、今度はこのメモリーチップだ。私の《エクエス》の戦闘記録の一つでもある」

 

「機密事項なのでは?」

 

「構うものか。私は真実だけが知りたいのでね」

 

 メモリーチップを読み込ませる。

 

 これは自分の《エクエス》のこれまでの戦歴そのものだ。ある意味ではこれを知られれば自分の手の内を一企業に晒すようなものであったが、それでも確かめなければいけないものがある。

 

「……出ました。やはり先ほど入力したのと同じ時刻に、ミラーヘッドの行使記録が残っています」

 

「その時に対面していた相手のミラーヘッドのログを遡れないか? そうすれば必ず出るはずなのだが」

 

「……おかしいですね。《エクエス》の……グラッゼ・リヨン大尉の使用記録以外は存在しません。ですがこの時、戦っている相手の機体にもミラーヘッドの使用歴があると……レコード上はそうなっているはずなのですが、我が社の記録には存在しないのです」

 

「……ちょっと待て。それはおかしいのではないのか?」

 

 ここになって営業もさすがにそれは食い違っているのだと悟ったようだ。しかし、オペレーターは頭を振る。

 

「いえ、でも……。これはどう考えたって矛盾なのですが……。ミラーヘッドログには残っていません。オーダーの履歴も、行使の記録も。明らかに《エクエス》は何らかのミラーヘッド機と戦ったはずなのですが、相手の記録がごっそりと抜け落ちていているのです。……まるで、幽霊とでも相対していたかのように」

 

「……失敬、大尉。我が方の伝達ミスかもしれません。ミラーヘッドを使っておいて記録に残らないのはあり得ないのです。その時刻、停電や、量子コンピュータへの接続ミスがあったのではないのか?」

 

「いえ、抜けはありません……。その時刻に我が社のコンピュータがダウンしていたと言う記録も発見出来ず……。《エクエス》は確かにミラーヘッド機と戦ったはずなのですが、ここには一切の記録が……」

 

「まさか、外部班による消去か?」

 

 オペレーターは声を震わせて、キーを叩く。

 

「い、いえ……これは外部班やハッキングなどではなく……。最初から、この参照機体は存在しないのです。我が社のミラーヘッドログの中には」

 

「そんなはずは……そんなはずはないだろう! どのような末端機でも、ミラーヘッドの使用歴に残らないなんて事はないんだぞ! ……我が社の沽券に関わる。何としても見つけ出すんだ。大尉の《エクエス》と戦っている……白いMSは確かにミラーヘッドを使用している。ならばこの時刻の正確な履歴を辿れば……」

 

 モニターの一角に映し出された自分の黒い《エクエス》と《レヴォル》との戦闘を何度も何度も、反芻してモニターするオペレーターだが、探れば探るほどに、彼女の額には汗が浮いていく。

 

「いえ、しかし……。あり得ません。この白いMSが使ったミラーヘッドは拒絶されたわけでも、ましてやログのミスなどでは決してないのです。最初から……この機体そのものが存在しなかったように……抜け落ちている……」

 

「失礼。先ほどの《エクエス》……ローゼンシュタイン少尉の戦闘記録との再照合を頼む。機体の識別番号が分からないわけではないはずだ」

 

「待ってください……。やはり……存在しません。この白いMSの機体照合をかけていますが……我が社には記録されていないのです」

 

「そ、そんなはずがあるか! 第四種殲滅戦において我が社は膨大なデータを持ち合わせている! その中には一ミリのずれだって存在しないのだぞ! ……たとえ、どのような小さな反応でも拾い上げる。それが我がクロックワークス社のシステムのはずだ。だと言うのに……直近の反応がまるで見られないだと? そんな馬鹿げた事が……」

 

「いえ、ですが事実なのです。ミラーヘッドの使用は確かに見られるのに……何故なのだか記録の面では全てを拒んでいる。いいえ、これは拒んでいると言うよりも……元々記録されていない。この白いMSに関してのミラーヘッドログは……空っぽです」

 

 どこか熱に浮かされたように結論を紡ぎ上げたオペレーターに営業は人のよさそうな笑みで取り繕う。

 

「いや、すいません、ご足労願ったのに。何かの間違いでしょう。あるいは、これはミラーヘッドに見えてその実そうではないのかもしれない。我が社に察知されないミラーヘッド機はあり得ないのです。こんな事が、世間に露呈すれば……」

 

「スキャンダルは免れないだろうな。それとも、相対した私の身勝手な幻だと、切り捨てるとでも言うのか?」

 

「いえ、それは……黒い旋風たるグラッゼ・リヨン大尉が見間違いなど行うはずが……」

 

 後ずさった営業に、グラッゼはサングラスの奥の瞳を鋭くさせる。

 

「……何かが起こり、何かが私の目を曇らせた。それは私だけではない、世界を見渡すはずの目さえも曇らせるとは……。相対した価値があったというものだ、クラード君。そして……《ガンダムレヴォル》……」

 

 グラッゼはモニターに表示されているミラーヘッド挙動に入った《レヴォル》を視認する。

 

 まさか自分の敵なだけではない。

 

 ――世界の敵だなど、思いも寄らない。

 



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第29話「空虚な滅殺者よ」

 尋問は数分間だけだ、と言い置かれてクラードは僅かに視線を流す。

 

「……ヴィルヘルム、既に状態は」

 

「どうやらこれまで冷凍睡眠下に近い状態であったらしい。数十年スパンでデブリ帯を漂えたのはそれも大きいのだろう。データ参照は既にされているが、読んでから会うか?」

 

「……いや、いい。あの時……拾ったのは俺だからな」

 

 クラードは自傷防止のためにクッション性能の取られた部屋に軟禁されている少女を見やる。

 

 着ていたボロの黒い服装から、ぶかぶかのエンデュランス・フラクタルの制服に着せ替えられていた。

 

「……お前は、何だ?」

 

「……唐突に聞くのですね、貴方は」

 

「格納デッキに居た時よりかは喋れるようになったみたいだな」

 

「ええ、お陰様で。あの時はさすがに言葉を忘れていましたし、平常時の佇まいも失念しておりましたので」

 

 どこか、自分はお前とは違うのだと線を引きたがる人間の喋り方に思われた。

 

 クラードはちら、と相手の様子を観察する。

 

 後ろ手に拘束され、少しでも脳波や脈拍に異常があれば、サルトルとヴィルヘルムが黙ってはいない。

 

「……何でデブリ帯なんかで漂っていた?」

 

「わたくしにもまるで分からないのです。気が付いたらあのデブリ帯に居て、で、気付いたら救難信号を送れるようになっていたので、それでわたくしは行動に移しただけなのですので」

 

 むすっとした相手はしかし、白磁の肌に金色の瞳を持っている。

 

 人間めいた色彩とはまるで思えない。

 

 まさに人形のような精緻さ。

 

 長い黒髪が今は女性クルーの手によって二つに結われている。

 

「お前を拾ったのは俺だ。だからある意味じゃ、俺が話を聞く責任があると思っている」

 

「話を聞く責任? ……別に話を聞いて欲しいわけじゃない」

 

「じゃあどうなんだ。サルトルやヴィルヘルムが問い質してもまともに話をしなかったそうじゃないか。だったら、少しは話してもいいはずだろう」

 

「……その理屈はどこから来るのですか」

 

「命の恩人だ。あのまま見過ごしてもよかった」

 

「どの口が言う……。貴方、結局わたくしを助けてどうしたかったのです?」

 

「どうもしない。救難信号を無視すれば後々面倒だ。軍警察に傍受されていれば、何か不利益に働くかもしれなかった」

 

「へぇ……迷惑なんですね、わたくしの存在って」

 

「だから尋ねている。お前は何だ? 連邦所属のライドマトリクサーだって言うんなら、俺達の敵という事になる。敵ならば……容赦はしない」

 

「殺すのですか」

 

 問われて沈黙していると、相手は、でしょうね、と落胆の吐息を吐く。

 

「貴方はそういう人に見えますし。わたくしの命なんて塵芥とも思っていないのでしょう」

 

「……意図があるのならば、と思って聞いている。何で救難信号を打った? そういう事をしたと言うのならば、助かりたかったと言う証明だろう」

 

「別に……。偶然にも死にたくなかっただけですけれど」

 

「随分と旧式な救難ポッドだったらしい。本当にお前は……何年も、何十年もあそこを漂っていたって言うのか」

 

「……答える義務、あります?」

 

「……ああ、ないな、確かに」

 

「でしょう? ……貴方って、不躾な上にレディの扱いの一つも分かっていないんですね。そんな人に助けられて……正直、迷惑です」

 

「迷惑、か。それはこっちの台詞……と言い返したいところだけれど。お前が連邦と繋がっているのだとすれば、俺達の航路に支障が生じる。今ならばまだ罪には問わない。何のつもりであそこに居たのか、そしてお前は何なのか。教えればまだ、便宜を図れる」

 

「……嘘ですね、それ」

 

 思わぬ攻勢にクラードは一瞬だけ閉口したが、その隙を見逃さずに相手は言葉の穂を継ぐ。

 

「わたくし、嘘にだけは鼻が利きますので、取り繕ったりしたって無駄ですよ。貴方の言っている事は大部分が本当ですが、今のところだけ明らかな嘘でした。なので貴方には話したくありません」

 

 ぷいっとそっぽを向いてしまった相手に、クラードは嘆息をつく。

 

「黙っていたって心象はよくはならない。それに、ここは俺達の艦だ。お前の処遇をどうこうするだとかはこっちに握られていると思っていい」

 

「ああ、そうですか。ではどうぞご勝手に。……貴方とはもう喋りたくありません。放っておいてください」

 

「そうもいかない。俺だって喋るのなんて面倒だし、どうこう出来るんならそれもそうしている。だがお前を助けてしまったのは俺だ。責任の所在があるとすれば俺の側にある」

 

「……下手な常套句ですね。貴方は本質的には、わたくしの事なんてどうとも思っていない。野垂れ死ねばいいと思っている」

 

「それは本音だろうさ。だが、俺もこの艦で面倒ごとを抱えたくはない。名前は……確か……」

 

「――ピアーナ。ピアーナ・リクレンツィアと言うのがわたくしの名前です」

 

「じゃあ、ピアーナ。お前が何の目的でここまで来たのかは分からないし、俺は正直興味もない。どうせ、面倒ごとなんだからな。だが、俺は面倒ながらに助けてしまった。責を負うべきは俺だ。だから、お前が害意を持っているのなら、俺が始末する」

 

「始末って――」

 

 その額へと銃口を押し当てる。

 

 純度の高い殺意に中てれば、いかに強情であろうとも喋るはずだ。

 

「……わたくしを撃ち殺すとでも?」

 

 金色の瞳に恐れが宿った様子もない。

 

 真正面から挑発してくる眼差しに、クラードは赤い瞳に迷いのない殺意を帯びる。

 

「ああ。それで済むんならその方法が一番早い。……だが俺の一存だけでは決められなくってな」

 

「それは矛盾ですね。自分が助けた命一つ、自由じゃないなんて」

 

「俺も困っているところだ。面倒なら殺せばいいと思っていたんだが、エンデュランス・フラクタルの……上の命令に従わなければいけない。月航路まで時間はまだまだあるんだ。そんななのに問答無用で撃ち殺して後々禍根があるといけないはずだからな。だからこの引き金は、俺の意思では引けない」

 

「随分と生易しい引き金じゃないですか」

 

「……その口さがないのも、撃ち殺せば楽なんだろうがな」

 

 銃口を降ろす。そう簡単に口を割ったり、適当な嘘をついたりして誤魔化すような輩ではない事だけは、今ハッキリしていた。

 

「……殺さないのですか」

 

「今はまだ、な。厄介の種を持ち込んだ事だけは、後悔している」

 

「……そうですか。ならわたくしも一個後悔を。……久しぶりにMSの反応があったからって……救難信号なんて打つんじゃなかったです」

 

「そうか。お互いに後悔に塗れて死んでいくのだけは御免だな」

 

 クラードはその言葉を潮にして部屋を立ち去る。

 

「どうだった、クラード」

 

「どうって……どうせ全部の会話、モニターしてたんでしょ。俺に聞くまでもないんじゃないの」

 

「そうは言ってもな。彼女の……ピアーナとか言うのの処置は保留のままなんだ。これは艦長もまた頭痛薬の量が増えるな」

 

「……拾わなければよかった」

 

「それも正論だが、しかし救難信号だったんだろう? ……あの救難ポッド、調べた限りじゃ、外側に傷はほとんどなかったようだ。つまり戦闘の余波で損壊した艦から逃げ出したとかじゃない。何かの事情で……救難ポッドに押し込まれて、彼女はあの宙域を何十年も漂流していたんだろうな」

 

「暗礁宙域に数十年か。俺なら自死を選ぶ」

 

「それもある意味じゃ正しいんだろうが、彼女の正しさとは別のベクトルにある。クラード。わたし達はピアーナの過去を洗い出す。如何に数十年スパンとは言え、ライドマトリクサーならどこかに記録が落ちているはずだ。その記録を拾い上げて、何とか見れるようにはしておきたい」

 

「頼むよ、ヴィルヘルム。俺にはそういう力はないからさ」

 

 脇をすり抜けようとした自分の背にヴィルヘルムは言葉を投げる。

 

「しかし……同じライドマトリクサーだ。何か伝わるものはあったんじゃないのか?」

 

「ないよ。RMって言ったって、それぞれに何かが伝わるなんてそんな事はない。ただ……」

 

「ただ、何だ?」

 

 クラードはホルスターに納めていた拳銃を意識し、ふと呟く。

 

「……いや、銃口を突きつけられてあんな眼をした奴は、結構久しぶりに見たなって、そう思っただけだよ」

 

 その言葉一つで片づけようとして、ヴィルヘルムに声をかけられる。

 

「クラード。わたしはただの有機伝導技師だし、ただの船医に過ぎない、このベアトリーチェではね。だが、そんな身分でも話を聞くくらいはしてやれる。……心のケアも、少なからずは」

 

「心? 何を言っている、ヴィルヘルム。エージェントたる俺に、心なんて不確かなものは不要だ」

 

 断じた論調にヴィルヘルムは、そうであったな、と結ぶ。

 

「お前は心を完全に殺した、滅殺者。正義でも悪でもない、己の意地を通すためだけに、エンデュランス・フラクタルのエージェントを、実行しているんだったな……」

 

「余計な感傷は無用だ。俺は……撃てといわれれば撃つ。その時に、余計な感情とやらを挟む余地はない。これは俺の意志なのだから」

 

 



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第30話「乙女の気まぐれ」

「それにしたって、まさか救難ポッドに女の子が入っているとはねぇ」

 

 窓辺で足を止めていたカトリナへと、手を振って歩み寄って来たのはバーミットであった。

 

「バーミット先輩……あの、クラードさんの助けた女の子って……」

 

「あたしが着替えさせたり、髪の毛整えたりしてあげたんだけれど……引っ掻かれちゃった」

 

 何でもないように笑うバーミットだが、左腕に痛々しい包帯を巻いている。

 

「……どういう人だったんですか? ヴィルヘルムさんやサルトルさんが言うのには、ライドマトリクサーだって……」

 

「うーん、カトリナちゃんはさ。ライドマトリクサーに関してどこまで知っている?」

 

「どこまでって言われても……。身体改造施術の職務は一応は有機伝導技術の上に成り立っていますから、二級の内容までは」

 

「あ、そっか。そういや勉強していたんだったわね。有機伝導技師の資格」

 

「はい……でも、二級から先は本当に難しくって……。実践的な資格にもなってきますし」

 

「有機伝導体操作技術の資格かぁ。あたしも昔、取っといたほうが有利だって聞いて取ろうとした覚えがあるけれど、ありゃ駄目だわ。だって他人の身体を改造するとか、やっていられないでしょ」

 

「で、でもそれだけじゃないはずなんですよ? ……有機伝導技術は思考拡張の部門にもあって、それによって重度のトラウマからの解放や、患者の意識を少しでも楽にする事が――」

 

「マニュアルみたいな事を言うのね、カトリナちゃんは。でもさー、いざそういうのが必要な艦に来てみて、どう? 自分は役立てそう?」

 

「それは……」

 

 言葉を濁すのが何よりの証明であった。

 

 バーミットは微笑んで、まぁまぁと肩を叩く。

 

「まだまだ月軌道までは先なんだから、そんなお通夜みたいな顔をしない! ……クラードとは上手くやれそう? そっちのほうが大事じゃない」

 

「あの……っ、ちょっとだけ、ですけれど、進歩ありました」

 

「おっ、そいつは朗報。あの堅物クソガキのクラードがちょっとは素直になってくれた?」

 

「素直に……は難しいかもしれませんけれど、でもクラードさん、私の事、つまんないだけの奴じゃないって言ってくださいましたし……」

 

 こちらの返答にバーミットは頬杖を突いて応じる。

 

「それってさ、ようやくスタートラインより三メートル前って感じじゃない? ……あいつの判定って何気に辛いからねぇ。他人の事をつまんないだのつまんなくないだと言うけれど、別にそこまで気にしてやる事もないのよ? つまるつまらないって結局は、あいつの主観だし。つまらない奴認定されたって別にいいのよ。関わんなきゃいいだけの話」

 

「でもその……っ、私、委任担当官ですのでっ! 関わらないと言うわけには……」

 

「あー、そうだっけ? 大変ねぇ、委任担当官ってのも」

 

「お仕事に関しては本当に目が回る日々で……。まさか戦闘艦に乗って月を目指すなんて思いも寄らなかったなぁ……」

 

「エンデュランス・フラクタルのロビーで、ウケのいい笑顔浮かべて、それでニコニコしてこちらへどうぞー、とかやっているほうがよかった?」

 

「……いえっ、その……。どんな仕事になっても、全力で立ち向かうのがその……私流ですので。それは本当に、どんな仕事になったとしてもだと思います」

 

「案外、カトリナちゃんは体育会系ねぇ。……でもこれは先輩からのありがたい一個アドバイス。根詰めたってどうしたって、どうしようもないものはどうしようもないのよ。どんなに頑張ってもね、届かないもんは届かないし、思ったよりも手に届くものだってある。その見極めみたいなのは早めに出来るようになっておいたほうがいいわよ。じゃないと……届きもしないはずの理想に、下手に手を伸ばす癖が付いちゃうとね。何が出来て何が出来ないのかまで取りこぼしちゃう……」

 

「……バーミット先輩?」

 

 その言葉に翳りを感じて彼女の相貌を窺おうとして、頬っぺたにきゅっと摘まれてしまう。

 

「カトリナちゃーん、つーかまーえたっ!」

 

「ふへぇっ? も、もうっ! よしてくださいよ!」

 

「……まぁ、頑張りなさい。出来る範囲でね。この艦も出来る範囲しかやらない主義だろうし、レミア艦長はそういうタイプの女だからね」

 

「……レミア艦長の事、よく知っているんですか?」

 

「ああ、だからって下手にカトリナちゃんに助言したりはしないわよ? あの人はあの人で求めているものが違うし、まぁ見えているものだってね。あの人は何せ、この艦のボスだから。下手打って機嫌損ねると、ボン! よ? いつ破裂するか分からない風船みたいな人なんだから、刺激はほどほどにね」

 

「……あの、艦長職、大変だと思うんですけれど」

 

「けれど? 文句とか愚痴なら聞いてあげるわよ。なにせ先輩だし」

 

「じゃああの……クラードさんとレミア艦長って、過去に何が? だってあの人、死神って呼ばれているって……」

 

「あら、それはどこで聞いたの?」

 

「あ、ヴィルヘルム……む、むぐっ……」

 

 慌てて口を噤んだがもう遅い。バーミットは沈痛なため息をつく。

 

「……なるほど。ヴィルヘルム先生か。あの人もお喋りねぇ。まぁ、さもありなんだけれど」

 

「あの、どういう意味なんです? 死神とか……。それにクラードさんと……言っちゃなんですけれど、とても親しそうで……」

 

「なにー、幸せ女のカトリナちゃんでも嫉妬しちゃう?」

 

「し、嫉妬とかじゃないですよぅ! ……ただそのぉー、一パイロットと艦長の距離じゃないって言うか……」

 

 もじもじとしていると、バーミットはまぁまぁ、と取り成す。

 

「あの二人に関しちゃあねぇ。似た者同士とも言うか……。ああ、まぁクラードと艦長が恋仲だったとかはないわよ? さすがに年齢が離れ過ぎているしね。でもレミア艦長に関して言うのなら、何で死神なんて呼ばれているのかは、追々教えてあげる」

 

「へっ……何でですか?」

 

「後ろ。振り向いてみなさいな」

 

「後ろ……?」

 

 振り返った先に居たレミアにカトリナは息を呑む。

 

 あわあわと困惑する間にも、レミアは怜悧な瞳を投げていた。

 

「……で、私が何で死神とかと呼ばれているって話だったかしら?」

 

「いえ、そのあの……そ、そうだ! バーミット先輩!」

 

 振り返った先では、とんずらーと言い残して通路を折れていくバーミットが手を振っていた。

 

「……もう。逃げちゃった……」

 

「で? 委任担当官、カトリナ・シンジョウさん? あなたはこんなところで油を売っている場合?」

 

「いえその……うぅ……何にも言えないなぁ……」

 

「クラードに四六時中付いていろとは言わないけれど、彼と彼の連れて来た人達に関してはあなたが専属窓なんだから。仕事はしっかりこなしてもらわないと困るのよ。いくら他人のゴシップが気になってもね」

 

 レミアはこういう時にちくちくと相手の弱点を責めるのがうまい。

 

 若干涙目になっていると、レミアの抱えている書類の中に救難ポッドの書類があるのを発見する。

 

「それって……例の女の子の?」

 

「ああ、一応ね。艦長として報告書は見ておく義務はあるから」

 

「……どんな子だったんですか? バーミット先輩も話したがらないから」

 

「まぁ、何て言うか野生児ね。噛み付くわ引っ掻くわ。ライドマトリクサーなんだけれど、今のところ照合記録はなし。これは恐らく……仮説に過ぎないんだけれど旧地球連邦軍の専属RMであったのならば可能性はある」

 

「旧地球連邦の専属ライドマトリクサー……? でもそれって、何十年も前に……」

 

「そう。地球連邦がその権威を失墜させ、そしてほとんどの全ての権限を外に……統合機構軍や軍警察に投げたのが、少なくとも二十年以上前。だとすればこの子は二十年も前から、あのデブリ帯を彷徨っていた事になるんだけれど……」

 

「年齢が合わないんじゃ?」

 

「いいえ、最初期のライドマトリクサーなら、見かけの年齢なんていくらでも誤魔化せるわ。しかもあの子、全身がほぼライドマトリクサー施術の代物だから、オリジナルパーツなんて脳くらいなもんじゃない? それほどの改造施術を受けているのよ。だから、見た目の年齢は当てにならない」

 

「……それって、地球連邦のパイロットだったって事ですか……?」

 

「可能性はあるわね。……あのね、カトリナさん。こういうことわざを知っている? 一寸の光陰、軽んずべからずってね。あなたがこうしている間にも、もしかしたらクラード達は問題を起こしているかもしれない。この子……ピアーナに関して、あなたが解決出来るとも思えないのだけれど」

 

「あっ……でもでも……! そのピアーナって子が、ライドマトリクサーなら! 私にも出来る事の一つくらいは――」

 

「ないわよ。もし、旧地球連邦の遺物だとすれば余計にね。持て余すくらいなんだから、こんなもの。骨董品のRMなんて、新造艦にあっても仕方ないし」

 

 断定口調のレミアに、カトリナはしゅんとしてしまう。

 

「そ、そうですか……。そうですよね……」

 

「この子の処遇は私が決めるわ。あなたはクラード達からあまり目を離し過ぎないように。彼らが下手に暴動でも起こせば、いくらこの艦でも面倒になるわ」

 

「ぼ、暴動なんて、そんなの……」

 

「起きっこないって? 何でも、考え過ぎるくらいがいいのよ。まぁそのせいで頭痛の種は消えないわけなんだけれど。クラードがどれくらいの知恵者でも、もしかすると出し抜かれる事だってあるかもしれない。それくらいは考えておくのね。他人の悪評とかを気にする前に」

 

 刺々しいレミアの言葉にカトリナはすっかり参って道を譲る。

 

「……そんなに言わなくっても……」

 

 僅かに出た文句をぼやいていると、そうそう、と振り向かずに呼び止められてカトリナは心臓が口から出るかと思ってしまった。

 

「な……何ですか……?」

 

「クラードの事、しっかり見てあげて。彼は無茶をするタイプだから。だからこその委任担当官なんだけれど」

 

 レミアはまるでクラードと対等のような物言いを使う。

 

 気にかかったのでカトリナは探りを入れてみた。

 

「……その、クラードさんと艦長って、どういう関係なんですか? だって年齢も違い過ぎますし」

 

「私が行き遅れているように見えるって?」

 

「い、いえっ、とんでもない……」

 

 尻すぼみになる自分の声に、レミアは応じていた。

 

「……そうね。戦友とでも、言えばいいのかしらね。彼との関係は」

 

「……戦友……」

 

 その言葉を解明する前に、レミアは通路を折れて行ってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこでどーんですよ! おれとヘッドがね」

 

 ラジアルにデザイアに居た頃の話をしていると、トキサダもついつい調子づいてしまうのか語尾が明るい。

 

 その言葉に補足したのはアルベルトだった。

 

「まぁ、あいつは切り込み隊長でしたからねぇ。すごいと言えばすごいんすよ。ラジアルさんにはそういうの、無縁かもしれないっすけれど」

 

「いえいえ! 面白い話を聞かせてもらっています! ……でも、そんなコロニーで、嫌になったりしなかったんですか?」

 

「嫌とか、そんな事を考えている暇はなかったですし」

 

「そうそう! おれ達は無敵の凱空龍だって、そればっかりでしたから! なぁ、ヘッド!」

 

「あ、ああ、そうだったな……」

 

 自分の言葉がどこかこの場に似つかわしくない事を悟ったのか、それともノリが悪いところを見せてしまったせいか、トキサダは肩を叩く。

 

「ヘッドってなかなかにカタブツなもんで! 武勇伝とかたくさんあっただろ?」

 

「あ、ああ……。でもほとんどがクラードの手柄だからなぁ」

 

 どれもこれも、大きな組織を潰せたのはクラードの功績が大きい。

 

 その際に凱空龍は手助けをしただけだ。彼におんぶに抱っこであった事実は拭えない。

 

「……んだよ、調子狂うな、ヘッド。もっと教えてやれる事もたくさんあるんですよ? ラジアルさん」

 

「そうですね。色々と知りたいです。演技の勉強にもなるでしょうから」

 

「いやー、ヘッドから元大女優だって聞かされた時にはびっくりしましたけれど、おれらもさすがに女優さん相手には強くは出れませんって!」

 

 トキサダはすっかりラジアルの魅力の虜のようだ。

 

 ラジアルも男の転がし方くらいは心得ているのか、調子のいいトキサダや他の面子の言葉にいちいち大仰に驚いたりしている。

 

「でも、それだけの過酷な状況下で、よく生き残られましたね」

 

「命ミョウガって言うんですか? おれ達にはツイテるんですよ。こんな新造艦に拾ってもらえて、その上、ラジアルさんみたいな美人とお話出来るなんて! なぁ、ヘッド!」

 

「あ、ああ、そうだな。オレ達はツイテいる、か……」

 

 だが先の戦闘で上手く立ち回れたのはクラードが先行したお陰だ。

 

 その上、自分達の援護射撃で助けられたかと言うとそうでもない。

 

 クラードの世話になっているのは相変わらずなのだ。

 

 凱空龍を率いていた頃と何一つ変わるところはない。

 

 その事実が何だか情けなく思われて、アルベルトは沈痛な気分になってしまう。

 

「あの、アルベルトさん? 先の戦闘では、よく前に行ってくださって……」

 

 こちらが沈んでいると思われたのだろう。

 

 慰めの論調にトキサダが悪乗りする。

 

「いやいや! おれ達も役に立てて恐縮です!」

 

「……クラードは、何を思ってあんなに前に……」

 

 深刻そうな自分に対して、トキサダとラジアルが顔を見合わせて、少しだけ困惑した面持ちを返す。

 

「その……よかったじゃないですか。こっちには被害はなかったんですし」

 

「そうだぜ、ヘッド! 気の持ちようだって!」

 

「……いや、どんだけ言い繕ったって、オレらがやったのはクラードの足を引っ張ったみたいなもんだろ。あいつの戦いを……本当の意味で助けてはやれないのか……」

 

「深刻過ぎだって、ヘッドは! 第一、おれらの《マギア》じゃ、前に出過ぎて撃墜されたらそれこそしょうがないだろ?」

 

「そうですよ。アルベルトさんはよくやっています。艦砲射撃も整備済みとはいえ、実戦ではまだまだな部分もあるんですから。《マギア》部隊には助けられっ放しで」

 

「いや、しかし……」

 

 そこで口をついて出ようとした弱音の言葉を吐く前に、トキサダが通信で呼び出されていた。

 

『トキサダ・イマイ! 《マギア》部隊の前回の戦闘で被弾した箇所を応急処置しておいた。大した事はないが、ちょっと見に来てくれ。他の面子も同様にな』

 

「ああ、分かったよ、サルトル技術顧問。じゃあおれはメンテに行くんで。おい! 他のも! おれに続け!」

 

 大それた声量で凱空龍の面々を率いていくトキサダの背中に、アルベルトは自分にはない広さだと感嘆する。

 

 トキサダが調子よくラジアルに手を振って廊下を折れたところで、彼女は言葉にしていた。

 

「……何だってそんなに不安げなんです? アルベルトさんは」

 

「オレ? オレは……やっぱ駄目だなって。クラードの戦い振りに頼り過ぎている。これじゃ、デザイアで世話ぁなっていた頃と何も変わらないんです。これじゃ、いけないはず……それはみんな、分かっているはずなのに……!」

 

 悔恨を噛み締めた自分にラジアルは真正面に向き直ってこちらの相貌を覗き込む。

 

「……あの、近いんですけれど……」

 

「アルベルトさんって顔に似合わずと言うか、繊細なんですね」

 

「……せ、繊細で悪いですか。オレは別に、悪ぶろうとかそういうのもないんですよ」

 

「宇宙の暴走族なのに?」

 

「それとこれとは別っす。第一、オレが宇宙暴走族の基準でもないって言うか、トキサダとかのほうがよっぽどそれっぽいっすよ。オレは……半端者なので……」

 

 クラードに頼り、今もトキサダ達の在り方をどこか承服し切れていない。

 

 それが半端者と呼ばずして何と呼ぶのだろう。

 

 ラジアルは訳知り顔でこちらと踊るように並び立つ。

 

「……ラジアルさん、暇なんですか。オレら何かに構ってないで、艦内作業やったらどうなんですか?」

 

「いーんですよ。現状ベアトリーチェは自動航行モード。もし敵が来ても勝手に迎撃してくれちゃいます。艦長だって、今は書類仕事でしょうし」

 

「……例の、クラードが助けたって言う、子の事ですか?」

 

「女の子なんですって。ピアーナ・リクレンツィアとか言っていたかな……。聞いた事あります?」

 

「……いや、全然。つーか、そんな事オレに話していいんですか? 守秘義務でしょう?」

 

「もう、今さらじゃないですか。アルベルトさんに隠したって、何もいい事ないですし。それに私、隠し事って苦手なんです」

 

「まぁ、それに関しちゃ……何となく分かりますけれど」

 

「あー、今ちょっと失礼な事考えたでしょ? こいつには隠し事なんて出来るはずないって。これでも女優業やっていたんですよ?」

 

「いや、それは知っているつーか……ラジアルさん、ちょっとは自覚したらどうなんですか?」

 

「自覚って……何をです?」

 

 きょとんとした眼差しで返されるので、アルベルトは大仰にため息をつく。

 

「そういうところですよ。トキサダなんかは女への免疫もないから、ついつい言わなくっていい事まで話し過ぎてしまう。そういうの、分かっていて相手から引き出しているところ、あるでしょ」

 

「……分かっちゃいました? さっきのは我ながらわざとらしい、三文芝居でしたらからねぇ」

 

「大女優のやる事ですか、それが。第一、オレら相手に芝居打ってどうするんです? 得られるものなんて何もないでしょうに」

 

「いいえ! あなた達はだって、私とは違うリアルに身を置いているはずなんです。だったら、女優として! 次に舞台に立つ時を夢見て取材するのは当然でしょう?」

 

 やけに芝居がかった声で言うものだから、アルベルトは本気なのか冗談なのか判別しかねる。

 

「……そういうのも、やめておいたほうがいいんじゃ? オレら相手に何を知ろうって言うのかはどうでもいいですけれど、ラジアルさん、オレの知っている限りじゃ、そこそこ名が知れているんですから。安く見られちまいますよ」

 

「いいんです! 安くなろうがどうなろうが。それは結局、次の芝居への糧でしかない。どう転んだってただでは起きないのが、私の強みですから」

 

「……そいつはたくましいこって……。でも、ラジアルさん、本当にベアトリーチェに似つかわしくないって言うか、ただの看板女優なんでしょう? いいんですか? 死ぬかもしれない最前線なんかに来ちまって」

 

「それはアルベルトさんだってそうじゃないですか。前回の戦闘、危なかったんですよ。敵の第二部隊をクラードさんが察知したからよかったものを」

 

「それは……何とも言えねぇと言えばそうなんですけれど……。待っているだけってのは、性に合わねぇだけっすよ」

 

「その辺、私も似ているかもしれません。ただ漫然と待って、それでいい芝居が出来るわけじゃない。それこそ、自分から取材して、体当たりでもいいから向かってみて、それで見えるものもあるはずだって」

 

「……言い方悪いかもしれないっすけれど、向こう見ずっすね。オペレーターなんてやっていたら一個のミスが命取りでしょう」

 

「それは舞台に立っていたってそうですよ? 一個のミスが命取り。私一人がとちるだけで、その映画や舞台そのものが台無しになってしまいます」

 

「……じゃあそんな修羅場潜り抜けて来た大女優が、何だって戦闘艦でオレみたいなアウトロー相手に喋ってるんですか。そんな場合じゃないでしょう」

 

「それは次に活かすためです。大体、私がベアトリーチェに乗船しているのは、次の映画の出資会社がエンデュランス・フラクタルだからなんですよ?」

 

「……次の映画って、もうスケジュール入ってるんですか?」

 

「ええ。三年先くらいまでかな、幸いにしてお仕事をもらえる予定です」

 

 その在り方に羨ましさを感じたわけでも、ましてや眩しさを感じたわけでもない。

 

 ただただ、自分達とは在り方が違うのだと実感しただけ。

 

「……そうっすか。じゃあ余計に、こんな戦闘艦に居る場合じゃないんでは?」

 

「でも、ベアトリーチェでの日々は充実しています。アルベルトさんみたいな人にも会えましたし」

 

「……からかわないでくださいよ。オレなんて茶化したって何にも出やしないんですから」

 

「そんな事はないですよ? そんな面構えなのに、アルベルトさん、案外乙女なんですから。分からないものですね」

 

「……オレが、乙女? まさか」

 

 しかしラジアルはそれ以上を言及しようとはしない。ある意味では、それこそが自分のウィークポイントだとでも言うように。

 

「……あり得ないとは、言い切れないって事っすか」

 

「人間、自分の事となると見えないものですから。それは時に、誰かの視線からじゃないと全然な事もあります」

 

「……それ、大女優の言葉と思うと含蓄がありますね」

 

 とは言えこうして雑談をしている暇もないはずだ。アルベルトはこちらへと好奇の目線を振り向けるラジアルに対して後頭部を掻く。

 

「……そのー、いいんすか。本当なら他の事をやらないといけないんじゃ?」

 

「そんな事はないですよ? 私とエンデュランス・フラクタルとの契約は、あくまでも専属オペレーターとしての業務と、そして女優業への貢献。だったら、こんな時間だって無駄じゃないはずです」

 

「……無駄じゃない、ねぇ……言いますけれど、ラジアルさんは――」

 

 そこでアルベルトは言葉を切る。

 

 廊下を折れてこちらに向き直った相手に喉奥が硬直していた。

 

「あっ、シンジョウさーん!」

 

 快活に手を振るラジアルに対し、アルベルトは視線をぷいっと背けてしまう。

 

「あっ、ラジアルさんに、アルベルトさん。こんにちは。どうなさったんです? こんなところで」

 

「宇宙暴走族に関しての取材を行っていたんです」

 

「取材……。ああ、ラジアルさんは女優でしたもんね。今度やるっていう舞台、楽しみにしているんですよ。チケットも完売間際で取れて」

 

「本当ですか? じゃあ……そのチケット、もしかしてペアチケットだったり?」

 

「ええ、まぁ。でも行く相手も居なくって……」

 

 アルベルトへとラジアルは一瞥を寄越すなり、くすっと微笑んで彼女は提案する。

 

「だったら、アルベルトさんと行けばいいんじゃないですか? 彼、結構映画とか詳しくって、私の出た映画、全部観てくれていたんですよ?」

 

「本当ですか? アルベルトさん、すごいんですねっ!」

 

 純度の高い笑顔を向けられてアルベルトはまるで蛇に睨まれたカエルのように押し黙るしかない。

 

 むすっとしているように見えたのだろう、カトリナはどこか探り探りの声を発する。

 

「あれ? 怒らせちゃった……」

 

「大丈夫ですよ、カトリナさん。彼、これで純なんですから」

 

「……おい、ラジアルさん。あんたでもそれ以上は……」

 

「でも、本当に惜しいなぁ。アルベルトさん、結構喋ってみると喋りやすいし、それに何だかちょっと乙女チックで、面白い方なんですよ? 何なら一度お茶でもすれば如何ですか? シンジョウさんも」

 

「……おい、あんた。何を勝手な事――!」

 

「えっ、いいんですかね? でも私、お仕事まだまだありますし……」

 

「いいんじゃないんですか? だって自動航行モードですし、火器管制も生きていますので、今なら何でもし放題でしょうから」

 

「……あんた、いい加減に……」

 

「アルベルトさんもぉー、そういうの、お得意でしょう? 女子の扱いは」

 

 ラジアルの微笑みは小悪魔めいていて、それだけで魅せられそうになってしまうが、今はそれ以上に――カトリナのほうを直視出来ない。

 

「アルベルトさん、映画にお詳しいんなら、盛り上がっていたんじゃないですか?」

 

「ええ、そう! そうなんです! 本当に色んな芸術にお詳しくって! ……本当に宇宙暴走族なのかなって思うくらい」

 

「……詳しくねぇっす。ちょっとした嗜みくらいで」

 

 カトリナから視線を外してラジアルに小言を漏らすと、彼女は当惑したらしい。

 

「あれ……っと、やっぱり私、何かしちゃいましたかね……。何だか機嫌悪そう……」

 

「いーえっ! これが普通なんですよ。可愛いじゃないですか。アルベルトさん?」

 

「……うっせぇっすよ。第一、オレはクラードを追ってきたんだ。映画だとか、デー……いや、お茶をするためにこんな戦闘艦に居るわけじゃありませんので」

 

 断とした論調で語るものだからカトリナは微笑みながら困惑顔になってしまう。

 

「……やっぱり私が怒らせちゃったみたいですね。ラジアルさん、アルベルトさんも、私はお仕事に戻りますね。お邪魔虫みたいなので……」

 

 手を振るカトリナに、アルベルトはじっと睨み返しただけで手は振らない。

 

 しかしいつまでも背中を目で追っていたせいで、ラジアルに口を挟まれる。

 

「……ヘタレ」

 

「な――っ! う、うっせぇっすよ! 誰がヘタレなんですか!」

 

「……何だか分かりやす過ぎてつまんないくらいですねー。小学生ですか? アルベルトさんは」

 

 こちらの声が震えているのも何もかも見透かしたようなラジアルの言葉繰りにアルベルトは目線を逸らして言いやる。

 

「な、知った風な事、言わないでください。オレは、何でもねぇんですから」

 

「嘘。あーあ! なぁーんだ。アルベルトさん、シンジョウさんみたいな子がタイプなんだー!」

 

「で、デケェ声で何言ってるんですか、あんたは!」

 

 頼むから静かにしてくれ、とこちらがカトリナの行ってしまった廊下を気にしながら言うのを、彼女は面白がる。

 

「ホントーに、なぁーんでなのかなぁー! 目の前に憧れの大女優が居るのに、新卒の女の子ばっかり目で追っちゃうなんてー! ちょーっと失礼じゃないんですかー!」

 

「だから! 聞こえちまうでしょうが! ちぃと黙っていてくださいよ!」

 

「……ふふ、アルベルトさんってば、本当に分かりやすくって面白いです。こんな風に男の子をからかって遊ぶのって、もう十年振りくらいかも」

 

「……あのですね。オレはあんたのからかいの道具じゃないんですから」

 

「でも、この艦の中じゃ、面白味があるとは思いますけれどね? アルベルトさんの秘密、また一個もらっちゃった」

 

 この女性は小悪魔などではないと思い知る。

 

 真性のドS悪魔だ。

 

 その微笑みが何よりも証明している。

 

「……オレなんて、どうせからかったって面白味なんてねぇはずですけれど……」

 

「いいえ? アルベルトさん、本当に純な反応してくれるのでちょっと新鮮です。知ってます? 女子の間で、そういうのが意外と好かれるんですよ?」

 

「……だから、からかうなって言っているでしょうに」

 

「……ホントの事なんだけれどなぁ。ま、いいでしょう。アルベルトさん、意外な好みなんですね。シンジョウさんってでも、クラードさんの委任担当官でしょう? ……取られちゃうかも」

 

「……あいつにも女っ気なんてないですよ」

 

「どうでしょう? クラードさん、堅物だけれどやる時はやるタイプですし。どうします? シンジョウさん、クラードさんのほうになびいちゃうかもしれませんよ?」

 

「……だから、あり得ねぇって言っているじゃないですか」

 

「何でそう言い切れるんです?」

 

「何でって……オレは半年間とは言え、クラードと一緒に居ましたから。あいつがそんな軽率じゃないって事くらいは知っているつもりです」

 

「あら? じゃあ本命はクラードさんのほうだったり?」

 

 思わず吹き出したのを、ラジアルはくすくすと鈴を転がすように笑う。

 

「ち、茶化さないでください! ……ったく、何だってそうなるかなぁ、女ってのは」

 

「でも、一個だけアドバイスすると、女の子は男の子に自分から告白されるほうがいいって言うのはありますかね」

 

「……オレが? カトリナさんに?」

 

「おやぁ? 誰とは言っていませんけれど?」

 

 またしてやられた、とアルベルトは視線を背ける。

 

「……あれ? 怒っちゃいました?」

 

「……知りません。オレはこれ以上、もうラジアルさんとは喋りませんので」

 

「えー、こわーい。怒らないでくださいよぉー」

 

「……猫なで声出したって無駄なんですから。第一、あんたがオレに何を求めているって――」

 

 そこから先を遮ったのは甘く柔らかな口づけであった。

 

 一瞬だけ呼吸が止まる。

 

 全神経が氷でも差し込まれたかのように冷たくなる一方で、温かな唇の感触だけがリアルになっていく。

 

 思わずアルベルトは突き飛ばしたところで、ラジアルが尻餅をついていた。

 

「いたーい……。アルベルトさんってば」

 

「な、何を……!」

 

「あれ? もしかしてキス、はじめてでした?」

 

 ふふっ、と微笑むラジアルにアルベルトはようやく事の次第が呑み込めてくる。

 

「き、き……っ、キスって……!」

 

「なぁーに赤くなってるんですか? 私は初めてじゃないですよ? と言うか、スクリーンで何度か観ていらっしゃるんでしょう? 私のキスシーンくらいは」

 

 その唇に思わず目が行ってしまう。

 

 言葉を紡ぎ出した甘い吐息に、アルベルトは後ずさっていた。

 

「……お、オレをからかったって! 何がどうってのは……!」

 

「えー、そんなつまんない事言わないでくださいよ。だって私、別にアルベルトさんの事、嫌いじゃないんですから」

 

「……き、嫌いじゃないってのは……」

 

「好きとも言っていませんけれどね」

 

 そう結ばれて、アルベルトは完全に彼女の掌の上だという事を認識する。

 

「……ラジアルさん。大女優がやる事じゃないでしょう」

 

「あっ、もう醒めちゃいました? それとも、はじめてのキスの味が思ったよりもそうじゃなかったですか?」

 

「……あの、いい加減怒りますよ?」

 

 こちらが凄んだものの、ラジアルはウインク一つでそれを掻き消してしまう。

 

「あ、ならもうおいとましますね。だって怒られちゃうの、嫌ですし」

 

 どこか軽いステップで立ち去っていくラジアルは、でも、と言い残す。

 

「アルベルトさんとキスするの、別に嫌いじゃないですよ?」

 

「……それは好きでもないって事でしょう」

 

「学習よし! まるっ、ですね!」

 

 微笑んで立ち去っていくラジアルの背中がもう見えなくなってから、アルベルトは自分の唇をさする。

 

 先ほどの柔らかい感触と、甘い女の吐息――。

 

「……何だってんだ、オレは。……戦闘艦で何やってんだ、ったく……」

 

 



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第31話「トリガーとしての行方」

「――何やってるのかしらね、本当に。私とした事が」

 

 艦長室でぼやいたレミアは、こちらへと意識を向けたのを感じていた。

 

「クラード。報告書を受け取りに来たのはいいけれど、あなた、あの子に銃口を向けるなんて、軽率よ?」

 

「悪かったよ」

 

「……悪いなんて一ミリも思ってないくせに」

 

「で、あいつは何なの」

 

「……今のところ分かっているのは、地球連邦軍の旧式ライドマトリクサーって言う線は全くの無根拠じゃないって事かしらね。あの子の乗っていた救難ポッドも、それに彼女自身の施術痕も、記録上全て地球連邦のデータベース上に確認出来る。……とは言ってもほとんど廃棄データよ」

 

「つまり、あいつはもう」

 

「ええ。言わんとしている通り。――彼女は記録上、もう死んでいる」

 

「……やっぱりか」

 

「やっぱり? クラード、あなた何となくでも分かっていたの?」

 

「……死を恐れていない眼をしていた。なら、そいつは馬鹿かもう死んでいるかのどちらかだ」

 

「あなたは後者ね、クラード。死んだように生きてる」

 

 ドッグタグを弄る。

 

 自身の証明――あの日死んだどこかの誰か一人の、生きた証。

 

「他に分かった事はないの」

 

「そうねぇ……。昔のライドマトリクサーって、専用の乗機があるはずなのよ。今みたいに《エクエス》の互換性があったわけじゃないから。だから、彼女はあの状況から察するに、専用機に乗る前に艦が轟沈したか、あるいは……」

 

「その専用機を見失って、宇宙を彷徨っていた……。だが何十年も? あり得るのか?」

 

「ダレトが開いてからこの先、宇宙開拓なんて誰もやりたがらないわよ。最初期の開拓民がみんな居なくなったようなものでね。そういう連中はそれこそ宇宙暴走族に成り下がったか、あるいは海賊ね」

 

「……宇宙海賊か」

 

「この宙域だって馬鹿に出来ないわ。ピアーナが連れられたという事は、それこそ彼らの縄張りかもしれない」

 

「……大丈夫なのか。この航路が最適なはずだろう?」

 

「月航路までの最短ルートとは言え、安全ルートとは誰も言っていない。……海賊の襲撃もあり得るわ。クラード、あなたは戦闘待機を命じます」

 

「……《レヴォル》で待っていれば、来るとでも?」

 

「確証はないけれど、ピアーナがもし、海賊連中にとってのお宝なのだとすれば、可能性はぐんと跳ね上がる」

 

「……俺は軍警察とならいくらでもやり合うし、トライアウトなら何機でも撃墜する。それがどれほどの手練れでも」

 

「でも?」

 

「……素人相手に本気になってもどうしようもない」

 

「それ、あなたが言う? クラード。特一級のエージェントである、あなたが」

 

「命令なんだろ。ならそうするよ」

 

 立ち去りかけた自分をレミアは言葉で制する。

 

「油断は禁物よ、クラード。虎穴に入らずんば虎子を得ず、私達はもうとっくに、虎の寝床に入っているのでしょうからね」

 

「……次の補給地まで戦闘は最小限にだろう。《レヴォル》で駆逐すればいい」

 

「……そう思っているようにはいかないのかもっていう事よ。大体、レヴォルの意志は何を囁いているの?」

 

「……変わらないよ。俺が最初に会った時から、あいつだけは変わらない」

 

「他の全ては変わってしまったような言い種ね」

 

「……その通りだろう。あんただって変わったよ、レミア」

 

「エージェント、クラード。これより二十四時間の戦闘待機を命じます。もしもの時には《レヴォル》で出撃。いいわね?」

 

 有無を言わさぬ上官としての言葉にクラードは首肯する。

 

「ああ、分かっている。俺の役目は月航路までこの船を無事に守り通す事だ。私情なんて挟まない」

 

 扉を開けたところで待ち構えていたのはカトリナだった。

 

「……またあんたか」

 

「またって……! クラードさん! 私はあなたの――!」

 

「委任担当官でしょ。何回もしつこいな。レミアに用があるんじゃ?」

 

「あっ、そうだった……。レミア艦長、そのぉー、サルトルさんから預かったこの宙域の探索図なんですけれど」

 

「じゃあ、俺はもう行く」

 

 脇をすり抜けかけて、白衣を引っ張り込まれる。

 

「駄目ですぅー! クラードさん、また逃げるつもりでしょう!」

 

「……逃げないし白衣離して。破けるだろ」

 

「誓いますかぁー……!」

 

「……分かった。誓う」

 

 落ち着いたのを確認してから、荒い息をついてカトリナはレミアに説明する。

 

「探索図がどうかした?」

 

「いえ……何だか不自然なコロニー痕と言うか、明らかに人為的なデブリがあるらしくって……これってどういう事なんですか、って尋ねたら、艦長に話せばいいって言われて……」

 

 カトリナは全く事態を呑み込んでいないらしい。

 

 だが自分とレミアの間では暗黙の了解になっていた。

 

「……レミア。悪い予感が当たったみたいだな」

 

「……そうね。頭痛薬、足りるかしら?」

 

 額を押さえたレミアにカトリナは小首を傾げたところで、激震が艦内を見舞う。

 

「ひゃぅっ……! な、なに……?」

 

「敵襲だな。レミア、俺は《レヴォル》で出る」

 

「ええ、頼むわ、クラード。本当、悪い予感ばかりが当たるのね」

 

「ど、どういう事……?」

 

「あんたは随分と愚図だって意味だ」

 

 その言葉をカトリナが咀嚼して怒りを返す前に、今一度振動が艦長室を揺さぶり、カトリナだけが無様に転がってしまう。

 

「うぅ……なに……?」

 

「カトリナさん。管制室に向かって。クラード、出る前に一度だけ確認を。……ピアーナが手招いている可能性もある」

 

 その赴き先をクラードは返答していた。

 

「……撃つのは俺の役目だろう? 分かっている」

 

「月航路に入る前に轟沈なんて洒落にならないわよ」

 

 クラードはグリップを握り締め、廊下を行き交う。

 

 その背中にカトリナが追従していた。

 

「その! ……どういう意味……」

 

「敵が来る。あのピアーナとか言うのがマーカーの可能性が高い」

 

 端的に事実のみを口にするとカトリナは目を戦慄かせる。

 

「……嘘でしょう。だって彼女は……!」

 

「旧地球連邦のRMだ。何か仕掛けられていたのか、それとも拾った人間に害意がこうむるようにでもしていたのか。いずれにせよ」

 

「いずれにせよ……?」

 

 クラードは素早く壁を蹴り、ピアーナの待つ軟禁室に向かう。

 

 カトリナはまるで追いつけないようで、自分が軟禁室に辿り着いた時にはへろへろになっていた。

 

「……く、クラードさぁん……早過ぎ……」

 

「別について来いなんて一言も言ってないよ」

 

 クラードは迷いなくパスコードを打ち込んで扉を開ける。

 

 後ろ手に拘束されたままのピアーナの金色の瞳と眼差しを交錯させたのも一瞬、クラードは拳銃を突きつけていた。

 

「な、何を……! 何をやっているんですか! クラードさん!」

 

「言っただろ? それとも何回も言わなくっちゃ分からない? こいつがマーカーだろう。これから先、航路を阻まれたんじゃ話にならない。禍根はここで摘む」

 

 引き金に指をかけたところで、カトリナが射線に入ってピアーナを庇う。

 

「……退け」

 

「退きませんっ! ……何だってそんな……酷い事を……」

 

「酷い? 何を言っているんだ? 俺達の目的は月航路の確保、それ以外は全て排除命令が出ている。そいつが障害物だって言うんなら、迷いなく排除する。当然だろう」

 

「と、当然って……! そんなの駄目ですっ! 正しくありませんっ!」

 

「……正しくって何だよ。あんたは何を知っているんだ? 旧地球連邦のライドマトリクサーがどういう扱いを受けて、どういう処置を施されているのか知りもしないで」

 

「ど、どういう事なのか知らなくってもっ! 駄目なものは駄目だと言い切れますっ! それくらい、私でも……っ!」

 

「じゃあ尚更退きなよ。分かっているんなら庇う理由ないだろ」

 

 こちらの殺気にカトリナは一瞬だけ気圧されたようであったが、それでも銃口を据えられたまま逃げようともしない。

 

「……俺は標的を逃すような生易しい人間じゃない。撃てと言われれば誰だって撃つし、それはあんただって例外じゃない。邪魔をするんならここで死ぬのもいいのか?」

 

「し、死ぬのは嫌です……っ」

 

「じゃあ退け。死ぬんだぞ」

 

「でもでも……っ! ここでクラードさんがピアーナさんを撃つのを見るのは、もっと嫌なんですっ!」

 

「……分かんないな。そいつ、ただの標的だ。それにあんたとは何の関係もない。二十四時間行動を共にしたのか? それとも変な情でも? ……どっちにしたって不要な代物だ。あんたはそんな馬鹿みたいなマーカーを庇って鉛弾を喰らって死にたいのか?」

 

「……だ、駄目なんですっ! クラードさんがそんな事をしちゃ、駄目なはずなんですっ!」

 

「駄目って何だよ。あんたは俺の何なんだ。説明出来ないんなら、ここで殺す。異論はない」

 

 引き金にかけた指に力を込めようとして、カトリナは涙目になった後に、声を弾けさせる。

 

「……私は……私はあなたの……エージェント、クラードさんの……委任担当官なんですから――ッ!」

 

 銃声が爆ぜる。

 

 弾痕は、軟禁室の一角にめり込んでいた。

 

 カトリナが脱力してその場に膝をつくのを、クラードは信じられない心地で自身の拳銃を見やる。

 

「……何で。俺は何で見誤った?」

 

 カトリナがしゃくり上げて泣き出す。

 

 その様子を、何故なのだか自分は、黙って見つめていた。

 

「……俺は、撃てたはずだろう?」

 

 だが実際には。銃弾は何もない空を穿っただけ。

 

 自分は今の一瞬、状況判断に異物を差し挟んだ。

 

 それはエージェントとしての的確な判断力に不必要な代物のはず。

 

「……俺は……」

 

「――クラード、と言いましたね」

 

 ピアーナがこちらと視線を外さず、カトリナを挟んで対峙する。

 

 クラードは再び銃口を向けていた。

 

「……お前は……」

 

「このわたくし、ピアーナ・リクレンツィアとして、嘘偽りなく話します。恐らく襲ってきているのは、《アルキュミア》をわたくしから奪った海賊でしょう」

 

「《アルキュミア》……?」

 

「わたくしの愛機……であったものです。もう、何十年も前の話ですけれどね」

 

「何でそんな事を俺に話す。どういう意図がある?」

 

「……つい先ほどまで、わたくしは貴方に殺されるのだろうと思っていました。貴方の言う通り、わたくしがマーカーなのでしょう。わたくしを擁する限り、この艦は危険に苛まれる」

 

「……分かっていて言っているのか」

 

「ええ。ですからわたくしも、殺されるくらい甘んじて受けようかと、そう思っていたのですが……思いも寄らぬとはまさにこの事。割り込んでくれた彼女の行動に、少しだけ目が醒めました。わたくしは貴方達に協力しましょう」

 

「……協力? 何が出来る。旧世代のライドマトリクサーだろうに」

 

「旧式でも、わたくしはほぼ全身がライドマトリクサー。ならば艦制御はお手の物です。この艦の電子装備は最新のようですが、相手に虚を突かれるという事は、少しばかり粗がある様子。わたくしが、艦制御を行います。その代わり、と言っては何ですか……」

 

「艦制御をお前に託すだと? ……いい加減にしろ。俺達の艦をどこの誰とも知らない奴に託すわけがない」

 

 銃口を向けたままの自分にピアーナは決して視線を逸らさずに応じる。

 

「でしょうね。ですからこれは取引です。わたくしの愛機、《アルキュミア》を無傷でとは言いませんが、確保してください。あの中には月面航路に向かうための切り札が入っています」

 

「……マーカーを生かすだけに留まらず、取引だと? 誰に言っているんだ、お前……」

 

「貴方にですよ、クラード。それとも、こう言ったほうがいいですか? ――PE037、作戦行動を実施せよとでも」

 

 思わぬ名前がここで相手の口から出て来て、クラードは硬直する。

 

「……何で、その名を……」

 

「言ったでしょう。電子戦ではこの艦はまだまだだと。秘匿情報にアクセスするくらい、わけないのですよ。いくらこの部屋が様々な電波を妨害していてもね」

 

「……全身ライドマトリクサーのお前を買えと言うのか」

 

「ええ。わたくしを中枢に据えれば、負けはなくなります」

 

「……この艦の行く末を左右する行動だ。容認出来ない」

 

「では撃ちますか。エージェント、クラード」

 

「……そのほうが楽に転がりそうではある。だが……」

 

 銃口を下げる。

 

 相手からはそれでも敵意が凪ぐ事はない。

 

「本当なんだな? 《アルキュミア》とやらに月面まで行くのに優位な情報があると言うのは」

 

「嘘を言うメリットがありません。どうしますか」

 

 クラードは一度泣きじゃくるカトリナに一瞥を振り向けてから、踵を返す。

 

「……《レヴォル》で出る。対処はその後だ。……あんたはそいつを管制室に。人質くらいにはなるのかもしれない」

 

「ま、待って……クラードさん……」

 

「何……」

 

「足がその……竦んじゃって……。涙も止まらないんです……」

 

 はぁ、とため息一つで憂鬱さを紛らわせてクラードはカトリナの手を取って立ち上がらせていた。

 

「これで立てるでしょ」

 

「あの、足が……震えが止まらなくって……」

 

「じゃあ、右足。前に」

 

「へっ……?」

 

「早く」

 

「あっ……こうですか?」

 

「続いて左足、前に」

 

「あっ、こう……?」

 

「歩けるでしょ。じゃあそのまま。はい」

 

 それで言葉を打ち切ってクラードはグリップを握り締めて格納デッキへと向かう。

 

 その途中、撃てなかった拳銃をホルスターに仕舞いかねていた。

 

「……何で俺は撃てなかった? いや、撃つのを躊躇ったって言うのか。俺が? このエージェント、クラードが?」

 

 そんなはずはないと否定したかったが、しかし現実はそのまま自身の甘さへと直結している。

 

「……俺は撃てただろうに……」

 

 悔恨を噛み締めつつ、サルトル達整備班を抜けてパイロットスーツを着込む。

 

「クラード! 奴さん、まるで問答無用だ! 軍警察よか性質が悪い!」

 

「そりゃ海賊らしいからね。当然でしょ」

 

「……それは本当なのか。じゃああの子は……」

 

「海賊のお宝って言ったところか。《レヴォル》、コミュニケートモードに入る」

 

「スクランブルだからな! お行儀よくリニアボルテージに入ると狙い撃ちにされるぞ!」

 

《レヴォル》はコアファイター形態のまま、ベアトリーチェの中央部分に位置する緊急発艦カタパルトに収容されていく。

 

『コミュニケートモード、開始。“どうした、クラード。脈拍が乱れているぞ。らしくないな”』

 

「らしくない、か。俺もそう思っていたところだ。……《レヴォル》。撃てない理由なんてあるのか?」

 

『“質問の体を成していない。誰をどういった理由でが不足している”』

 

「……敵をだ。それ以外に何がある」

 

『“エージェント、クラードのこれまでの戦歴であえて敵を見逃した事は一度もない”』

 

「ああ、そのはずだ。……そのはずだった。なのに、何で……。あいつか? あのカトリナとか言う……俺の調子を……狂わせて」

 

『“クラード。脈拍、脳波共に乱れている。冷静になれ。いつものお前らしくない”』

 

「……そうだな。冷静に、何よりも正確無比に。俺は俺の敵を射抜かなければいけない。……行くぞ、《レヴォル》。ゲインをぶち上げろ。敵を駆逐する」

 

『“了承した。お前の望むままに、こちらは敵影を殲滅する”。……コミュニケートモード解除。スクランブルに入ります』

 

『エージェント、クラード。スクランブル発艦をお願いします。そのままコアファイター形態で発進位置へ』

 

「エージェント、クラード。《レヴォル》、先行する」

 

 傾斜が取られ、リニアボルテージの青い光が明滅し、ベアトリーチェ中枢甲板が開くなり、クラードは《レヴォル》を緊急出撃させていた。

 

 そのまま砲弾のように打ち出された《レヴォル》の加速度は常時の三倍を超えている。

 

 敵影を見据えるなり、クラードは照準しビームライフルを速射させていた。

 

 トリガーを引き絞ると、敵機はその身にいくつも携えている堅牢な盾で防御する。

 

 弾かれたのを視認する前に次手に移り、《レヴォル》は可変を遂げていた。

 

 ヒートマチェットを抜刀するなり、そのまま薙ぎ払う。

 

 相手も反応し、シールド裏に引き抜いたビームサーベルと干渉波のスパーク光を押し広げていた。

 

「……機体照合……《アルキュミア》。この機体か……!」

 

《アルキュミア》の照合結果がもたらされたのは白銀のMSであった。

 

 人型に近いが、異様なのは六本もの支持アームを持ち、それぞれに武装を保有している点である。

 

 シールドの裏にマウントした速射スプレーガンが火を噴き、至近で弾け飛ぶ。

 

 クラードは《レヴォル》の放ったビームライフルの銃身で防御し、そのまま僅かに後退していた。

 

 爆ぜたビームライフルの黒煙を引き裂き、《アルキュミア》の盾の裏に隠している刃が《レヴォル》の首を刈らんと迫る。

 

 そのまま掻っ切られそうになったのを、クラードは《レヴォル》のバランサーをわざと崩して姿勢を変移させ、直後には上下逆さまの視界の中でヒートマチェットの赤い残光を払っていた。

 

 敵の盾の一つが剥がれ、相手もすぐさまそれをパージする。

 

「……こいつ、手練れか……」

 

『いきなり出てきたにしては、それなりの上物じゃないか! 我々に立ち向かうなど! その新型機と新造艦、貰い受ける!』

 

「……こんなのばっかだな。生憎と俺はお前らのテンションに乗ってやるようなヒマはない。――とっとと墜とす」

 

 ヒートマチェットを両手に携え、敵影に飛び込みかけてクラードは熱源警告と照準警告を同時に受けて相手へと飛びかかけた野性を制する。

 

「……増援。いいや、違うな。デブリ帯の陰に潜んで……」

 

 デブリの陰より狙撃するのは、緑色に塗装された《マギア》である。

 

『悪いが、ここでお縄と行こうかァ! 勝てない勝負はするもんじゃないだろう? エンデュランス・フラクタルのォ!』

 

「……ただの海賊風情が、吼えるものだ」

 

 しかし状況は芳しくない。

 

 射撃武装を捨て去った《レヴォル》は三機編成相手に戦わなければいけなくなってしまっている。

 

《アルキュミア》を深追いし過ぎたのが仇になってか、ベアトリーチェからも距離がある。

 

 凌ぐのには問題ないが、《アルキュミア》の中に切り札があると知っていてはそう容易くコックピットを射抜けない。

 

「……いつもみたいにやらせてくれよ、何にも考えずに……!」

 

『俺の可愛い可愛い配下ちゃんン! ここで邪魔なのは撃ち落とすゥ! なに、フレームさえ残っていれば高く売れるもんさァ!』

 

「……誰が、《レヴォル》をくれてやるものかよ……」

 

『吼えていいのかねぇ! 俺の配下ちゃんは今もあの新造艦に向かっているんだぜェ?』

 

「……デブリに紛れて接近……。こいつらのテリトリーってわけか」

 

 デブリ帯の一部に隠れ潜みながら、鹵獲カラーに塗り固められた《マギア》二機がそれぞれ挟み込むようにしてベアトリーチェへと砲身を向ける。

 

「……こんな雑魚に、使うつもりはなかったんだがな……。ミラーヘッド展開――」

 

 武装承認しかけて、クラードは不意打ち気味の通信に虚を突かれる。

 

『――させねぇよ!』

 

 艦内から響き渡った通信の主は艦砲射撃に隠れて敵影を狙撃してみせる。

 

 それは凱空龍の面々の《マギア》であった。

 

「……《マギア》……。アルベルト達か……?」

 

『クラード! こっちは引き受けた! てめぇはそいつをやってくれ! 銀色のが頭なんだろ? 凱空龍、気合見せろ!』

 

 アルベルトの声を引き受けた面々が応! と返答するのを聞きながら、クラードは《アルキュミア》に向かい合う。

 

 それでも残り二機の《マギア》の連携がある。

 

《アルキュミア》が支持アームを振るい、《マギア》の部下を展開させていた。

 

 既にミラーヘッドの蒼を伴わせている敵機に対し、クラードはヒートマチェットを投擲する。

 

 片方の刃が《マギア》の武器を持つ右腕を落とし、もう片方の刃は空を裂いたものの、ワイヤー駆動で戻ってくる銀閃が大きく円弧を描いて《マギア》の胴体を引き裂いていた。

 

『……友軍が……!』

 

「……嘗めるな。俺はエージェント、クラード。エンデュランス・フラクタルの……切り札だ」

 

 両手でヒートマチェットを握り締めた《レヴォル》と敵《マギア》がビームサーベルで打ち合う。

 

 広がったスパーク光を焼き付ける前に、クラードは浴びせ蹴りで《マギア》の躯体を麻痺させ、そのまま大上段に振るい上げた双剣で相手の頭部を両断する。

 

『め、眼が……ッ!』

 

「言っているヒマ、あるのかよ」

 

 返す刀で《マギア》のコックピットを薙ぎ払い、そのまま宇宙の塵に還す。

 

『やるじゃなーい! それでこそ、貰い受ける価値があるというものよォ!』

 

「……お前ら、ただの海賊じゃないな。何でベアトリーチェを狙う。あのピアーナとか言うのは、何なんだ……」

 

『教える義務、なくなーい? まぁここで死んで行けやァ!』

 

《アルキュミア》が加速して一気に接近するのを、クラードは《レヴォル》を半身にさせて一撃を回避していた。そのまま赤い残光を払うも、その一撃を跳躍した敵機にはシールド裏にマウントされた武装に阻まれる。

 

「教えないのなら、構わない。……ここで打ち倒す!」

 

『出来るって言うのかよ! その機体だけでなァ!』

 

「……俺と《レヴォル》なら確実に勝つ。それ以外の道はない。ここでやられるのは、お前のほうだ」

 

 ヒートマチェットで《アルキュミア》の盾を粉砕させるも、直後には白煙が棚引き、敵機が急速に後退していた。

 

『悪いけれど、負ける勝負はしない主義なんだよねェー。そっちの戦力は分かった。今度は確実に獲るゥ』

 

《アルキュミア》と残存していた《マギア》が撤退していく。

 

 その機動を眺めながら、クラードは悔恨を噛み締めていた。

 

「……仕留め損なったってのか。俺と《レヴォル》が……!」

 

『コミュニケートモードに移行。“クラード、落ち着くといい。敵の戦力は総崩れに近い。こちらの勝機だ”』

 

「……いや、逃がした時点で、俺達の敗退に近い。こんな形で……」

 

『クラード? クラード、何やってんだ! 敵は逃げ帰ったんだろ? とっとと帰ってくれば――』

 

「……助けられてどうする。俺は、誰も必要としていないはずなのに、だって言うのに……」

 

 カトリナに阻まれてピアーナを撃てなかった。

 

 それだけではない。

 

《アルキュミア》と海賊部隊を駆逐出来なかったのも大きな弊害として降り立つ。

 

 クラードはコックピットの中で奥歯を軋らせる。

 

「……俺は、まだ弱い……」

 

 少なくとも、守りたいものを守るのには。

 

 自分の意地を貫き通すのには、まだ足りていないはずであった。

 

 



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第32話「釣り合い」

「……読み通りって言うわけ。その辺も含めて、話を聞かせてもらえると助かるわ。――ピアーナ・リクレンツィアさん」

 

 目線を振り向けたレミアにカトリナが伴ったピアーナは言葉少なに応じる。

 

「……わたくしの愛機は奪われたまま。この状態では何も出来やしない……」

 

「事情、話してもらえるのよね? それとも、話す気もない?」

 

 レミアの言葉振りには若干の棘が含まれていたが、ピアーナは自分の袖をきゅっと握って一つ頷く。

 

「その……ピアーナさんは嘘は言っていないと思うんです。そりゃ、大変な事になっちゃったのは確かだろうですけれどでも……ピアーナさんが全ての元凶ってわけじゃ……」

 

「どうかしらね。あなたは旧地球連邦のライドマトリクサー。そしてあの白銀の機体、《アルキュミア》とか言ったMSには秘密が隠されているとか言う。そうなれば、穏やかではないのは当然でしょう?」

 

 レミアは艦長として判断を下さなければいけないはずだ。

 

 それに比して、自分は責任も何もない。

 

 しかしピアーナ一人の身の安全は保障出来るつもりだ。

 

「その……私が聞いてもいいですか? 彼女、どうやら私には話してくれる気があるみたいなので……」

 

「あら、随分な事ね、委任担当官として。じゃあそちらの聞き取りと報告書はお願いするわね。それにしたところで、……妙な人間に懐かれたものだこと」

 

「……わたくしはカトリナ様に恩義があります。カトリナ様になら、少なくとも現状の《アルキュミア》の状態と、そしてこの新造艦が目指すべき航路を話しても構いません」

 

「そう。じゃあ後はお願いするわ、委任担当官さん。せいぜい、その職務を全うしてね」

 

 レミアは次いで《レヴォル》回収の任に入っていく。

 

 その姿を視野に入れつつ、ピアーナと自分は管制室を立ち去っていた。

 

「その……本当に私になら、話してもいいんですか?」

 

「わたくしはカトリナ様に命を拾われました。そうでなければあの野蛮なライドマトリクサーに撃ち殺されていたでしょう」

 

「それは……。何だってクラードさん、あんな強硬策に……」

 

 言葉を詰まらせていると、ピアーナの手が何の気もないように自分の胸へと触れる。

 

 本当に何でもないように触られたので、カトリナは反応が遅れてしまっていた。

 

「ふへっ……? ふへぇ――っ! な、何やってるんですか! む、胸ぇっ! 何で急に揉んだりするんですか!」

 

「久しぶりに他人の身体に触れたので興味が湧いたのです。案外あるのですね、貴女」

 

「せ、セクハラ……っ!」

 

 距離を取っていると、ピアーナは今にも泣き出しそうな面持ちに顔を曇らせるのでカトリナは歩み寄っていた。

 

「あ、その……大丈夫ですか?」

 

「平気です。揉んでも?」

 

「いや、駄目ですけれど……。女同士でもセクハラですからね……」

 

 何だか気を張り詰めていた自分が馬鹿みたいで、カトリナは大仰なため息をつく。

 

 それに対し、ピアーナはこちらへ、と誘導していた。

 

「この新造艦、アステロイドジェネレーターを数基連結させて動いているようですね。ならばメンテナンスブロックくらいはあるはず。そこでわたくしの手腕をお見せしましょう」

 

「……さっき言っていた、電子戦って……」

 

「ああ、その事ですか。ええ、言った通り。この艦は電子戦闘がまるで想定されていない。そのくせ、電脳戦においての施設があるので少しアンバランスだと感じたまでです」

 

「……でも、そんなの必要ないんじゃ?」

 

「いいえ。つい先ほど、《アルキュミア》が先手を打って攻撃出来たのがその証のようなもの。あれはわたくし自身。よって、あれはどこまでも追ってくるでしょう。その方向性を少しでも鈍らせないと、常に次手を打たれてしまいます」

 

「……何だか、クラードさんを責められそうにないですね……。あなただって、悪い事しているじゃないですか」

 

「いい悪いの判断は後でお願いします。わたくしは、まずは電子戦の礎を築かなければいけないはず」

 

「礎……。今のままじゃ、駄目って事ですか?」

 

「駄目と言うわけではないですが、あの海賊にどこまでも下手に回るのは旨味がありません。それに、どこまでも狙ってくる事でしょう。貴方方の月航路までの安全策を取ると言うのならば、わたくしは力添えをします」

 

「それって……協力してくれるって事でいいんですよね……?」

 

 立ち止まったピアーナは金色の瞳でこちらを見据える。

 

「勘違いをしないでください。貴女には恩義がある。ですが、他の者にはありません。よって、ここでわたくしが助けるのは貴女の身の安全であって、この艦に同乗する他の者達はどうだっていい」

 

「ど、どうだっていいってのは違うじゃないですか……! だって私……この艦の皆さんとはもう、顔見知りで……」

 

「顔見知りなだけでしょう。貴女も甘いのですね。ちょっと事情を知ってしまうと、もう糾弾の対象ですらない」

 

「それは……そうかもですけれど……」

 

 ピアーナ相手に何か一つでも言い返す事さえも出来ない。

 

 しゅんとする自分にピアーナはぴょんぴょん跳ねて手を伸ばす。

 

「……えっと、何をなさっているんですか?」

 

「こういう時に頭を撫でてあげようと思ったのですが、わたくしの背丈では届きません」

 

 ぴょんぴょん跳ねるものだから、カトリナは何だか愛おしくなってしまい、そっと目線を合わせるように屈む。

 

 なでなでと頭を撫でられるのは、何だか悪い気はしなかった。

 

「決めました。カトリナ様、貴女のためにわたくしは動きます。他の事は二の次です」

 

「あの、それは嬉しいんですけれど……。もうあんな事はしないでくださいね?」

 

「あんな事……?」

 

 小首を傾げるピアーナにカトリナは陰鬱なため息をつく。

 

「クラードさんを挑発したりとかですよ。あんな物言いだと、クラードさんだって間違っちゃうところだったじゃないですか」

 

「……クラード。彼には別に、思うところはありません。見たところ彼もライドマトリクサーのようですが、わたくしのほうが歴は長いのです。よって、わたくしが先輩であって彼はまだまだひよっこです」

 

 思わぬ論法にカトリナは軽い頭痛を覚える。

 

「あのですね……この艦に居る限りは、仲良くしてくださいよ……。クラードさんが《レヴォル》に乗って追い払ってくれなかったら、私達、沈んでいたかもしれないんですよ?」

 

「《レヴォル》、ですか。あれの情報もちょっとよく分からないんですよね。まぁそれは電算室に入ってからにしましょう」

 

「……場所は分かるんですか? ヘカテ級戦艦だから、広いですよ?」

 

「分かります。もうマッピングは済ませましたから。いくつか隠し部屋があるみたいですが、その中の一つを使いましょうか。そうですね、例えば、この辺」

 

 ピアーナが何でもない壁を蹴りつける。

 

 想定外の行動にカトリナはあわあわと戸惑っていた。

 

「何やってるんですか! 壊れちゃう……」

 

 と言っている傍から、壁が剥離して向こう側に落下する。

 

「壊れちゃったー? ええっ、どうしよう……私が怒られちゃいますよ!」

 

「いいんですよ。ここは隠し部屋ですから。電算室は全部で三つあるようですが、ひとまずここで落ち着きましょう。その椅子が、メインコンソールのようですね」

 

 ピアーナの言う通り、暗がりの部屋の中に一つだけ立派な物々しい椅子がある。

 

 少しだけ拷問椅子を思わせるようなごつい椅子へとピアーナはその小さな身体で腰かけるなり、不意に電源システムが復旧し、部屋が明るくなっていく。

 

 カトリナは当惑しつつも、ピアーナを中心軸として球体上にシステムが開かれていくのを目にしていた。

 

「網膜映像を承認。全ての火器管制、及び情報管制システムをオンラインに。わたくしの電算力ならば掌握まで三十分程度。しかし……宝の持ち腐れとはこのようなものを言うのですね。何故、充分な電算システムがあるのに、ここまで使用されていないのでしょうか」

 

「あのー、ピアーナさん? これってもしかしなくても、まずいんじゃ……?」

 

「何がまずいんです? 使われていない電算ルームを使用しているだけです。何もまずい事はないでしょう」

 

「いや、だってさっき掌握まで三十分って言ったじゃないですか。それって、このベアトリーチェを完全にピアーナさんの機嫌一つでどうこうしちゃうって意味なんじゃ?」

 

「よく分かりましたね。さすがはカトリナ様。命の恩人なだけはあります」

 

 改めて、まるで想定外の事象にカトリナは戸惑ってしまう。

 

「どどど……どうしましょう……。いや、どうするんですか……! そんな事をしたら、私、クビになっちゃう……」

 

「そうはならないように取り計らいますのでご心配はなさらぬよう。今は……この新造艦、ベアトリーチェのシステム復旧を行っていきます。使われていないシステムと、使用不可だったシステムに電荷。火器管制もまるでぐちゃぐちゃなので一本化しますね。これで《アルキュミア》を擁する海賊が襲ってきても、少しはマシな防衛が出来るはずです」

 

 ピアーナは正面に浮かび上がった投射画面のコンソールを操作し、いくつものウィンドウを処理しながら言葉を振る。

 

「ときに……何でカトリナ様はわたくしを助けてくださったんですか」

 

 あまりに不意に問われるものだからカトリナは返答に窮する。

 

「えっと……別に助けたとかじゃ……」

 

「では何故。あの粗雑なライドマトリクサーの射線に? 殺されるところだったのでしょう?」

 

「粗雑なって……。私、クラードさん専属の委任担当官なので。だからその……嫌だったんでしょうね。目の前でその、クラードさんが人殺しみたいなのをするの」

 

「分かりませんね。クラード……いえ、本名ではないようですが、彼は今まで平然と敵を迎撃しています。今さらなのでは?」

 

「それは……! 私達を守るための戦いなので、それは違うんじゃないんですか。……でもピアーナさんに銃口を向けたのを見た時、心の奥底から、嫌だって思ったんですよ。何でなんだろう……私もよくは分からないんですけれどね……」

 

 愛想笑いを浮かべるもピアーナは一笑もしない。

 

 白磁の肌には愛想なんて言葉は欠片もないようであった。

 

「……それも分かりませんね。カトリナ・シンジョウ。新卒でエンデュランス・フラクタルに入社し、まだ勤務一ヶ月目にも満たない。委任担当官に命じられ、その後はクラードやコロニー、デザイアの面々への窓口に設定されている……。貴女は彼を理解したいのですか? エージェント、クラード。その過去や未来までも」

 

「いや、そこまで大それたものじゃないって言うか……。だってクラードさんだっていい人のはずなんです。だってそうじゃなかったら、アルベルトさん達を助けたり、私達の危機を救ってくれたりなんてするわけがないですし……」

 

「彼は合理的に動きます。それはもう分かり切っているはず。その時々で適切な行動を模索し、その結論と総意で行動する。よって、彼の行動の先にあるのはベアトリーチェと、そしてエンデュランス・フラクタルのこれから先を案じてのものに過ぎない。彼はわたくしなんかよりも機械的に処理し、殺すべきならば殺し、生かすべきならば生かす、そう言ったタイプの人間でしょう。眼を見れば分かります。人殺しなんて何とも思っていない眼でしょう」

 

「そんな……! クラードさんはそんなんじゃないはずですっ! あの人は……そりゃ、ちょっとワケ分かんないところとか、こっちの想定外の事をする人ですけれどでも……そこまで他人の事を、その、軽々しく見る人じゃないって……」

 

「カトリナ様はそう信じているわけなんですね。……はぁ、これに関してはわたくしがどうこう言ったところで仕方なく、カトリナ様自身の見る眼なのでしょうね」

 

「……見る眼ないって言われているみたい……」

 

「――繋がりました。《アルキュミア》の位置情報を把握。ですがこれでは……」

 

「どうしました?」

 

 覗き込んだその刹那、投影されていた球状のモニターが赤色光に染まる。

 

 及び腰になった自分に対し、ピアーナは冷静であった。

 

「……逆探知。でしょうね、そうでしょう。《アルキュミア》はわたくしの事を、まだ許してくれていないみたいですから」

 

「……《アルキュミア》が? 海賊のせいじゃなくって……?」

 

「カトリナ様。今より数時間以内に、海賊部隊が一斉に攻めてきます。標的はベアトリーチェと、そして《レヴォル》」

 

 思わぬ事態にカトリナは声を荒らげてしまう。

 

「まさか……! 情報を与えてしまったんじゃ……!」

 

「そんなヘマはしなかったつもりですが、枝は付けられていたようですね。最悪の事態です。敵はこちらの戦力を分析した上で、作戦を立案する。このままでは貴女方は絶対に勝てない。死を待つだけです」

 

「そんな……! ピアーナさん、あなたは……!」

 

「――やっぱり、そうだっただろう。あんたは」

 

 電算室の前にパイロットスーツ姿のままのクラードが拳銃を構えて佇んでいる。

 

 カトリナは頭を振ったが、クラードはバイザーを上げないまま、読めない輝きを宿して瞳だけを赤く射る光で見据えている。

 

「……いや、そんなはず……」

 

「つくづく、あんたはおめでたい。で? そっちの。ライドマトリクサーだって言うんなら、こっちの情報を相手に与えてしまった。このままじゃ俺達の月航路に差し支えがある」

 

「や、やめて……っ! 殺しちゃ駄目です、駄目なんですっ!」

 

「……何で。馬鹿馬鹿しい。弊害になるんなら殺す。他の要因でもだ。俺達を危険に晒すような人間を、生かしておく理由なんてない」

 

「何で……っ。何でぇ……っ!」

 

「……泣いて事態が好転すると思ってるの。本当に……度し難いな」

 

 ピアーナへと迷いなく照準するクラードに、カトリナは今度こそ、何も出来ずにいた。

 

 彼女が敵側に情報を転送したのを目の当たりにして何もしなかったのだ。

 

 咎は受けるべきだろう。

 

「……わたくしを殺すのですね。エージェント、クラード」

 

「お前一人を殺してこの状況が好転するのなら、俺は迷わない」

 

「でしょうね。貴方はそういう人間です」

 

「……人間じゃない。ライドマトリクサーだ」

 

「ではライドマトリクサー、クラード。わたくしの行動の是非を問うのならば、何も迷いを取る必要はありません」

 

「ああ、そうだな。……何でさっきは撃てなかったんだと思ったけれど、別段何でもない。今度は撃てる。それで帳消しだ」

 

 銃口は真っ直ぐにピアーナを捉えている。

 

 先ほどは動けた自分も、次はないと思っていた。

 

 ピアーナの行動に対し、もうクラードは迷う必要性はない。

 

 なら――自分がどう動いたって、どうしたって、結果なんて……。

 

 ――カトリナ様は命の恩人です。

 

 ピアーナの声が、どうしてなのだか、自分の中でリフレインする。

 

 意味のない反芻。意味のない反響なのだと、そう思えればどれほどに……。

 

「……楽に、転がっちゃ駄目……カトリナ」

 

 立ち上がる。

 

 カトリナはクラードと向かい合っていた。

 

「……退けよ。もう庇う意味なんてないでしょ」

 

「……いいえ。意味ならあります。ピアーナさんは、私を命の恩人だって言ってくださいました。なら、私にとってもそうです」

 

「そいつが命の恩人? 笑わせる、そいつは俺達の敵だ」

 

「信じているのはピアーナさんじゃありません。クラードさんのほうです」

 

「俺に? 俺に何を見ているんだ?」

 

「……あなたは私達の命の恩人。なら、こんなところで人殺しなんて絶対にしない。ううん……させちゃいけない」

 

「……あんた、本当におめでたいな。俺がレミアやサルトル、それにベアトリーチェとエンデュランス・フラクタルの総意で動いている。それに背くって言っているんだぞ、あんた一人で」

 

「構いません。ちょっと背いたって何ですか。あなたは……クラードさんはそんな事で、道を見誤ったりしないはずですっ!」

 

「……俺の何を知っているのさ」

 

「知っていますっ! ……私は、委任担当官だから。あなたから逃げたりはしない……っ」

 

「その仕事、意味ないんだってば。俺の足を止められるのは、この世で俺自身だけだ」

 

「……意味なんてなくっても。下らなくってもいい! 私は私の仕事に、誇りを持ちたい! 諦めなんかでここを退いちゃ……駄目なんですっ!」

 

「……そうかよ」

 

 銃声が木霊する。

 

 カトリナは死の痛みが訪れる予感に目をきつく瞑っていたが、それはいつまで経っても訪れない。

 

 薄っすらと瞼を上げるとクラードの狙っていたのは電算椅子であった。

 

 銃弾がめり込んだ電算椅子から光が消え失せていく。

 

 ピアーナにも、傷一つない。

 

 無論、自分にも……。

 

「……何で……」

 

「サルトルから聞いた。ピアーナとか言うの。お前はあの《アルキュミア》と呼称されるMSと命を共有している。完全な機械化を施した最初期のライドマトリクサーだ。殺せばあっちも収まるかと言うと、じゃあそうでもない。俺は戦場で《アルキュミア》に乗っている海賊の事を知っている。だからあんたを殺したところで何も解決しないし、それはただの無駄弾だ。殺す事に意義はなく、そして無駄弾を撃つ趣味はない。その代わり、だ。今ここでやっていた事、そして《アルキュミア》との事――全部洗いざらい話してもらうぞ。そうじゃなくっちゃ釣り合いが取れないんだからな」

 

 クラードがバイザーを上げたところでようやく、ここで殺される事はないと思い知って、カトリナは膝から崩れ落ちる。

 

 ピアーナは分かっていたのか、それとも試していたのか、一つ深呼吸をついてクラードと対峙する。

 

「……本当に、食えない輩ですね、貴方は」

 

「俺に殺させて、贖罪でもするつもりだったか? ……俺はお前を殺さない。だが、咎は受けてもらう。ベアトリーチェが何で狙われているのか、《アルキュミア》とか言うのは何なのか。そしてあんた自身、何者なのか。もう隠し立てする意味なんてない」

 

 その問いかけの果てに、ピアーナはため息一つで応じていた。

 

「……そうですね。ちょっとだけ、長いお話に、なりそうですけれど」

 

 



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第33話「戦闘意識」

「あり得ないっしょ! 何で? 勝てなかったって?」

 

 捲くし立てた直後に歯噛みし、コックピットから這い出る。

 

「族長! あの新造艦、戦力なんてまるでないってそういう情報だったんじゃ――」

 

 銃声が余計な言葉を遮っていた。

 

 うろたえた部下は邪魔になる。

 

 撃ち殺した遺骸相手に舌打ちを漏らしていた。

 

「……俺に意見のある奴は居るか?」

 

 言葉は帰ってこない。反論なんてあるはずもない。

 

 ここは自分の支配域だ。

 

 それも長い間、数十年規模でこのデブリ帯を仕切っていたと言うのに。

 

「……あの艦がこの宙域の宝を奪いやがった。十三年! 十三年だぞ! それだけ探して一ヒットもしなかった宝を、あの新造艦が! エンデュランス・フラクタルが握っているって言うんなら、それは俺達の物のはずだよなァ!」

 

 肯定の声援が帰ってくるのを気分よく味わいながら、しかし、と紫色の紅を引いた唇で爪を噛んで思案する。

 

「……何だって一発で仕留められなかったァ? ……あの白いMS。手練れだって言いたいのかよォ……気に入らないねぇッ! お前もそう思うだろう――《アルキュミア》!」

 

 仰ぎ見た白銀の騎士の面持ちを持つMSが赤い眼窩でこちらを見返す。

 

「十三年だ! ……こいつは見つかった、お宝に辿り着くための地図。それは見つかったんだァ……なのに肝心要のお宝はデブリ帯に停滞する特殊な磁場の波長のせいで中々見つけられなかったァ……。そこにあるって分かっていても、下手に手出しすれば戦力が分散する。トライアウトに勘繰られるのも始末が悪いィ……ってのに、だ! あの新造艦、デブリ帯を突っ切ってきやがる! それは俺達に、何もかもいただいちまっていいって、そう言っているって事だよなァ!」

 

 然り! と波のように返答が来る中で、ボス、と声がかけられていた。

 

「何だ、気分いいってのに。水差しやがってェ……」

 

「いえ、その……。こいつらどうします? デブリ帯を漂っていた漂流者ですが」

 

 突き出されたのは軍警察の一員であった。

 

 コックピットから飛び降りるなり、うーんと顔を覗き見る。

 

「……旨味はありそうなんだがなァ……。今の俺はあの新造艦が欲しい。何かァ……何かないものかァ……。トライアウトの下士官とは言え、殺してしまうのはちと惜しい。何かァ……?」

 

「あ、あんたら、あの新造艦の情報が欲しいのか?」

 

「おんやァ? こいつはラッキー! 教えてくれるって言うのか? ……しかしいいのかねェ……後から軍警察の報復は怖いからなァ……」

 

「し、心配は要らない! 我々は機密を保証する! その代わり、本隊へのルートを取らせて欲しい! このままじゃ、帰るに……」

 

「ああ、ああ! 確かに。帰り道も分からないってのは憐れで涙が出て来るぜェ……可哀そうだからなァ……俺も憐憫の心が湧いて来ちまうゥ……」

 

 左目の下に刻んだ涙の入れ墨をなぞっていると、軍警察の構成員の一人が舌打ちする。

 

「……海賊風情が。我々は軍警察だぞ! こんな真似をして、ただで済むと思うな! お前らみたいなクズは――」

 

 そこで銃声が木霊する。

 

 撃ち抜かれた構成員の遺骸が転がったので、適当に足蹴にしていた。

 

「すまーんな。聞こえなかったァ? 何て言ったんだ、軍警察の諸君?」

 

 ひぃ、と短い悲鳴を上げて一人がその場で膝を折るのを、もう一人がこちらを見据えたまま、しっかりと声を発していた。

 

「……協力はする。だから、殺さないで欲しい」

 

「おんやァ? 急に賢明ィ! ……だが賢い事はいい事だ。俺も賢い奴を殺すような外道じゃねェ。だから生かしてやってもいいィ……」

 

「ほ、本当か? なら、教える! あの新造艦の情報を! な?」

 

 もう一人と視線を合わせた構成員が何度も頷くのを満足げに眺めていると、不意に《アルキュミア》から伝導してきた情報が網膜に投影される。

 

「おんやァ? ……こいつァ朗報ゥ! あの新造艦からの情報だ。へぇ……こんだけの戦力。やはり違うねェ、大企業の艦ってのは」

 

「お、おい……何を言って……」

 

「俺はライドマトリクサーァ! 《アルキュミア》とは百パーセントのな! だから分かっちまうんだよ、こいつの元主人が何をしていようとどうしていようと。それでも何でだか、十三年間位置情報を掴ませてもくれなかったもんだが……今になってデレてくれたのか、《アルキュミア》は俺に何でも教えてくれるぜェ……」

 

《アルキュミア》のマニピュレーターに導かれてコックピットに上がっていくのを、構成員達は目の前に吊り上げられた希望を取り下げられた絶望の眼差しで乞う。

 

「ま、待ってくれ! 何でも話す! そ、そうだ! トライアウトの巡回情報を知りたくないか……? 何でも話すから! だから……!」

 

「うぅーん、そいつァねェ、お前さん達。機密漏えいって奴だ。そんな危なくって悪い事をする奴にァ、始末を与えないといけないなァ……。昔から言うだろ? 悪い子は取って食われちまうって」

 

「ま、待てって! 俺達の情報は、とても意味がある情報で……! だから――」

 

「――うぜぇ。殺せ」

 

 銃声がいくつも鳴動し、デブリ帯に隠したアジトへと反響するのを、手に取った煙管から紫煙をたゆたわせながら、うぅーんと味わう。

 

「いいねェ……悲鳴と絶叫。俺達の本懐って感じだァ……」

 

「ボス。どうします? どうせトライアウトの木っ端構成員なんて何も知りませんぜ」

 

「だなァ……。だが、そいつらの巡回用の《エクエス》はバラしてパーツを有効活用させてもらえ。ああ、それと、死体から金目のモンは一つ残らず取っておけェ……。にしたって、この十三年間、静かだった宙域にトライアウトと新造艦、それにこいつァ……」

 

 テーブルモニターに映し出したのは白いMSであった。

 

「鎧武者って奴か。いいねェ……そそるゥ……!」

 

「仕掛けますか」

 

「まぁちょっと待てよ。……なるほどなァ……どうしたって《アルキュミア》との接続は切れないわけだァ。あっちがこっちを求めれば応じるように出来ている。だが、もう《アルキュミア》は俺のMS、俺の所有物ゥ……! いい情報をいただいたァ……者共、戦だ。戦を始めるぞ。久しぶりの艦隊戦だ。敵はエンデュランス・フラクタル……上物だぜェ?」

 

「金目の物は?」

 

「奪え。全てだ」

 

「女は?」

 

「奪え、全てだ」

 

「男や他のどうしようもないのはどうします?」

 

「殺せ、全てだ」

 

 久方ぶりの戦闘にライドマトリクサーの身でも血が湧き立って来るのを感じる。

 

 熱を感じていなかった肉体に熱を。

 

 血潮を感じていなかった身体が新鮮な血潮を求めている。

 

「うぅんァ……。久しぶりに殺しが愉しめるゥ……。何よりもあの白いの、まだ、だ。潰し足りねェ……殺し足りねェ……!」

 

《アルキュミア》の眼窩が赤く輝く。

 

 自分の闘争本能と同化した《アルキュミア》が凶暴な光を湛えて、支持アームを展開していた。

 

「饗宴だァ! 殺せ! 求める物は全てだ! 奪い、略奪せよォ……! 俺達が――正義だァ!」

 

 うねりのような声を引き受けて、その快楽に口角を釣り上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「帰投していない部隊? 哨戒機か?」

 

 ダビデの問いかけに部下は澱みなく返答する。

 

「数時間前の事です。あの宙域で張っていた《エクエス》三機のシグナルが不意に途絶えました。解析映像上には、これが……」

 

 差し出された端末に映しだされていたのは、白銀のMSが率いる《マギア》部隊であった。

 

「……海賊か。まさかこんなものが、今の時代にも居るとはな……」

 

「前時代的ですが、《マギア》とこの正体不明の白銀の機体は観測されていなかったものです。上手く隠れていたのでしょう。このデブリ宙域には特殊な磁場がありまして、それで身を隠す術に長けているのだとすれば……」

 

「送り狼は逆効果になりそうだな。かと言って、この宙域、あのエンデュランス・フラクタルの新造艦の航路と重なる……。まさか、交戦するつもりか?」

 

「あり得ませんよ。一企業の新造艦が、何だって海賊との戦いを?」

 

「……あり得ないと思えている事が立て続けに起きている。私の《エクエスルージュ》もまだ改修の目処も立たん。現状では哨戒機を充てるのも不適当だ。誰か出られるのならばいいのだが……」

 

「――その役目、私が果たそう」

 

 タラップを駆け上がって、無重力に身を任せたグラッゼにダビデは瞠目する。

 

「大尉自らですか? ならば私が……」

 

「充てる戦力がないと言ったばかりであろう、DD。なに、私の仕事は先ほど終わったばかりでね。次の命令が出るまでは持て余す。暇ならば出ておけと言うのが人情だろうさ」

 

「……しかし、相手はデブリ宙域を根城とする海賊。どのような卑劣な手に出るのか分かりません」

 

「なに、だからこそだよ。君のようなレディをなおの事、行かせるわけにはいかない」

 

「……ご冗談を」

 

「存じているさ。DD、君にはトライアウトジェネシスの統括義務がある。あの噛み付き癖の准尉殿も生き残ったのだろう? ならば部隊編成を急ぐべきだ。ベアトリーチェを追うのならば、機体編成案は通しておくべきだろう」

 

「言葉もありませんね……」

 

「しかし、何故こうも……いや、これも運命の悪戯なのだと思うべきなのだろうね。私も新型を汚したくはない。一般兵の《エクエス》を回してくれ。まだ彼と会うのには早いからな。一張羅を見てもらいたい人間相手に、下手な勝負は仕掛けられんよ。それが駆け引きというものでもある」

 

「しかし、大尉レベルの方に回せる《エクエス》は現状……!」

 

「いい。ペダルを重くしてくれ。その上で自分で調整する。心配無用。私は行って帰ってくるくらいは出来るさ。子供扱いはやめてもらおう」

 

「……失礼を」

 

 そう言って下がった部下だが、自分は《エクエス》に飛び乗ったグラッゼに食い下がっていた。

 

「……相手も分かりません。やはり、自分も一緒に……」

 

「少尉。君は、向けられるべき刃が向かう先をまかり間違えればどうなるのかを知っている人間だ。そういう人材は貴重、すり減らすわけにはいかない。戦場も選ぶべきだ」

 

「それは大尉だって同じでしょう」

 

「私はフリーの傭兵期間が長かった。ちょっとした汚れ戦には慣れている」

 

「……トライアウトの統率でも難しいとされている磁場のようです」

 

「構わんさ。暴れ馬を乗りこなす前の試運転だ。私と一緒に来るのは乗り遅れない程度の一般兵を二名でいい」

 

「……ですが大尉の《エクエス》を守る人間が居なくなりますよ」

 

「DD。私はこの数年間、ほとんどを一人でやってきた。信頼くらいはしてもらいたいものだな」

 

 笑みを刻んだグラッゼにこれ以上の言及は無駄か、と感じつつもダビデは言い置いていた。

 

「……もし、ガンダムが来たらどうするんです」

 

「そうだな、その時は……一つ格好悪いが、撤退と行こう。まだ彼と死合うのには早い。クラード君もつまらない戦に首を突っ込む性質ではないからな。私と踊りたければ彼もドレスを着るべきだ。いや、この場合はタキシードかな?」

 

「……ご武運を」

 

「君もだ、少尉。あまりつまらん事にかけずらうと価値を損なう。しかし……海賊か。面白いじゃないか。私はこれでも空想少年でね。海賊狩りは夢だったんだ」

 

 そう呟いたグラッゼに挙手敬礼を寄越してから、ダビデは声を振り向ける。

 

「出撃位置! 大尉が出られるぞ!」

 

 



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第34話「甘さと若さで」

「――つまるところ、お前は三十年余りあの宙域を彷徨っていたのは偶然でも何でもなく、愛機である《アルキュミア》を探しての事だったって言いたいのか?」

 

 サルトルが詰問するが、ピアーナはこくりと頷く。

 

「《アルキュミア》はわたくしそのもの、……いいえわたくしの半身のようなものです。あれを失うくらいならば、死んだほうがマシだった。……ですが死ねないのです」

 

「ライドマトリクサーってのは厄介なもんだな。最初期ロットなもんで、命の共有化か。そこまで旧地球連邦はやらかしていたって言いたいのか。だが、時期が合わないぞ? ダレト出現後だろう? ライドマトリクサー、有機伝導体操作技術ってのは」

 

「ダレト出現前の、人体実験だったってわけか」

 

 赴くところを理解したヴィルヘルムの質問にピアーナはまたも首肯する。

 

「人体実験? 旧地球連邦主導で? ……おいおい、穏やかじゃないな、そりゃ。という事はあれかい? とんでもない拾い物をしたって言いたいのか?」

 

「……元々、この宙域には特殊な磁場があって、接触物を捉えづらい。先ほど海賊の奇襲が成功したのもそれがあるのでしょう。ですが相手のほうが手数もその戦歴も上手……わたくしの持つ《アルキュミア》との繋がりを、搭乗しているライドマトリクサーは直に感じているはずです」

 

「……つまり、お姫様を乗せたままでは、わたし達は遠からず沈む」

 

「なんてお荷物だ、こいつは……」

 

 驚嘆するサルトルにヴィルヘルムは声を振り向けていた。

 

「レコードは?」

 

 親指をこちらに向けたサルトルに対し、先ほどから記録作業に入っているカトリナは重々しく頷いていた。

 

「……貴重な記録だ、逃さないようにしたい。しかし、旧地球連邦のライドマトリクサーが三十年もよく持ったものだ」

 

「物持ちがよかった、だけじゃ証明にならん。……何がある?」

 

 サルトルの切り込んだ声音にピアーナはこちらを窺う。

 

 カトリナはこんな状況でも力強く頷いていた。

 

「……わたくしは特別なライドマトリクサー……《アルキュミア》の死が決定的な死にならない限り、わたくしは死なないのです」

 

「不老不死って言うんじゃ……」

 

「それとは少し事情が違うのでしょう。わたくしのこの躯体が滅びれば、自動的に《アルキュミア》の側にログが残り、魂……いいえ、伝導したシステムの遺骸だけが居残る……」

 

「システム上の死の話だな。ライドマトリクサーで何度か問題になってきた部分だ。ライドマトリクサーは機体と極度の同調を行う分、肉体としての死と魂としての死が結びつきづらい。加えてお前さんは、八割以上の身体改造を施したライドマトリクサー……。ここで死んでも《アルキュミア》に膨大な情報として残存する……。厄介だな。これじゃお前さんを殺してもこっちは損なだけじゃないか」

 

「ええ、一度でも接続されてしまった場所のログは残ります。貴方方がわたくしをどれほど惨たらしく殺しても、結果としてこの新造艦のログは《アルキュミア》に渡る。そしてそれを操っているライドマトリクサーにも」

 

「死んでも死にきれんとはまさにこの事だな。クラードの判断が一ミリでも間違っていれば、我々は海賊に追われていたわけか」

 

「だが状況は好転していない。周囲は特殊磁場のデブリ帯。その上、こちらの戦力はもう相手に読まれている。……下手を打てないシチュエーションだ」

 

「カトリナ嬢に妙案でもありゃしないのかねぇ? この子と話したんだろう?」

 

「それは……その……ないと言うしかないと言うか……」

 

「煮え切らない言葉で誤魔化すなぁ、まったく」

 

「いい、質問は終わりだ。これらのログは残しておく。後々、旧地球連邦との渡りにでもなるかもしれない」

 

 ヴィルヘルムの指示でファイルを保存し、レミアへと共有化する。

 

「で、ピアーナ・リクレンツィア。お前さんの言っていた、《アルキュミア》の中にある切り札と言うのは、本物なんだろうな?」

 

「ええ、それはもちろん。状況打開の切り札になるのは間違いないでしょうね。どの陣営においても……」

 

「中々に引っかかる物言いだが、ある程度は信じるしかないだろう。……して、期待の新人。後で話があるようだ。艦長から、ね」

 

「……艦長から?」

 

「そりゃそうだろう。彼女を電算室に招いておいて、勝手な事をさせたんだ。懲罰くらいは考えておいたほうがいいのかもしれない」

 

「ち、懲罰……? やっぱりその……まずかった……ですよね……?」

 

「今回ばっかりは同情もあるが、さすがにね。艦長室に呼ばれている。後で行くといい」

 

 ヴィルヘルムに肩を叩かれて、カトリナは情報を取り纏めつつ、陰鬱なため息をつく。

 

「……私、またやらかしちゃったって事ですよね……」

 

「なに、新人ってのは叩かれて大きくなるもんさ。ま、フロイト艦長のこういう時の怖さは折り紙つきだ。出来れば出会いたくない性質だね」

 

 涙目になっている自分へと、強化ガラス越しのピアーナは静かに微笑む。

 

「でも……カトリナ様はわたくしを信じてくださいました。それがとても……嬉しかったのは事実です。もう何十年も……人と話していませんでしたから」

 

「ピアーナさん……」

 

 こちら側の扉が開く。

 

 待ち構えていたのはクラードであった。

 

 白衣のポケットに手を突っ込んで、顎をしゃくる。

 

「……えっと、来い、ですか?」

 

 きっとこっぴどく怒られるのだろう。そう感じていたカトリナは前を進むクラードが思いのほか言葉少なである事にびくびくとする。

 

「……あんた、何であいつを庇えた?」

 

「……えっと、何を言って……」

 

「無抵抗の奴を撃つのがそんなに嫌だったのか」

 

「あ、当たり前じゃないですかっ! クラードさんにはその……そういう事、して欲しくないんですっ!」

 

「だが俺はこれまでたくさん殺してきたぞ。……あんたの思っているよりもずっと……たくさんな」

 

「それは……その、仕方ないのもあったんじゃないんですか? なら……」

 

「それらが仕方なくって、じゃあ何で今回は黙殺出来ない? どういう違いがある?」

 

 明瞭化出来ない差に、カトリナは小さくこぼす。

 

「……嫌だったんです。クラードさんが迷いなく、彼女に銃口を向けた時……すっごく……嫌だった。だから、ついつい……」

 

「身体が先に出たと」

 

「……私ってば昔からそうで。何かあったら、まずは身体からぶつかる。そうすれば後から結果はきっと、きちんと付いて来るはずだって。おじいちゃんが、祖父がよく言っていたんです。そういう風にして行動して後悔するよりも、行動しないで後悔する人生のほうが辛いって」

 

「その老人は随分とあんたをわんぱくに育てたみたいだな」

 

「で、ですかね……」

 

 クラードは振り向かない。一瞥すらもくれてくれない。

 

「……でもその、私、ちょっとしか働いていないけれど、この艦が好きですよ? みんな明るいし、ちょっとブラックなところもあるけれどでも……私が元気でいられる場所ならきっと、家族も喜んでくれるはずですし」

 

「なに、その台詞。クビになるの?」

 

「……分かりません。でも、今回のやらかしはこれまでと違うって言うか……。懲罰って言われちゃっていますし……」

 

「委任担当官も辞めるのか?」

 

「……そうなっちゃうかもしれませんね」

 

 もし辞める事になった場合、誰がクラードの担当官になるのだろうと言う益のない考えに身を浸していると、彼は応じる。

 

「……ふぅん。やっと名前を覚えてきたのに、それは面倒くさいな」

 

「く、クラードさん……それって……」

 

「着いた。で、レミアに話を付けてくるんでしょ? とっとと行けば?」

 

「……は、はいっ……。あのー、でも何でクラードさんはここまで一緒に?」

 

「ピアーナの調書の確認と、それに《レヴォル》の武装承認、両方レミアに取り付けないといけない。だったら早いほうがいいでしょ」

 

 クラードに手心など期待した自分が馬鹿であった。

 

 カトリナはノックの後に艦長室に入る。

 

 レミアは相変わらず書類作成に余念がない。

 

「その……艦長、私……」

 

「何? 時間がないの。手短にお願い」

 

「あっ、そのぉー……懲罰、ですよね?」

 

「そうね。電算室をピアーナ・リクレンツィアに一時的とは言え引き渡したのも、その彼女を手引きしておいて何も対抗策を練っていないのも、まして、この期に及んで何か自分で責を負うつもりがないのにここまで来たのも、処罰対象よ」

 

 レミアはコーヒーをすすりながら目線さえも合わせない。

 

 カトリナは重い処罰が待っているのだと思って構えていたが、その前にクラードが歩み出る。

 

「レミア。《レヴォル》の武装承認、サインをくれ。そうじゃないと使えない」

 

「ああ、そうだったわね。ここまで来てもらって申し訳ないわ」

 

 クラードにはしっかりと目線を合わせるものだからカトリナは視界の隅でむくれてしまう。

 

「……何で小動物のモノマネしてんの、あんた」

 

「さぁね。分からないわ」

 

 分かっていて言っているのに決まっている二人なので、カトリナは懲罰覚悟でぷいっと視線を背ける。

 

「知りませんっ! 二人して……」

 

「なぁ、レミア。何だか機嫌が悪いみたいだ。どうするの? このまま処罰を受けさせる?」

 

「そうね。あなたはどう思うの、クラード」

 

 思わぬ方向に飛び火してカトリナが瞠目する間にもクラードは思案する。

 

「そうだなぁ……。俺は懲罰は一旦待っても、いいんじゃないかと思う」

 

「……ふへぇっ? クラード、さん……?」

 

「それは何で? 普通に懲罰房行きでしょう、どう考えても」

 

 今回ばかりはレミアの意見が正しいが、クラードは言ってのける。

 

「この人の名前、ようやく覚えて来たんだ。知っているだろ? 俺は他人の名前を覚えるのが」

 

「大の苦手だったわね。……いいわ、クラード。あなたの意見を尊重し、カトリナ・シンジョウ委任担当官の処罰は不問とします」

 

「えっ……えっ? そんな簡単でいいんですか……?」

 

 うろたえるこちらに比してクラードは冷静そのものである。

 

「……問題なのはこいつだ。敵が来る。ピアーナの情報が正しいんなら、俺達の戦力は全て割れていると思っていい」

 

「そうなると、こっちも最大戦力で立ち向かう必要がありそうね。《アルキュミア》だったかしら? 勝てそうなの?」

 

「俺と《レヴォル》は負けるような勝負はしない」

 

 断言の論調にレミアは首肯する。

 

「それもそうだったわね。では、エージェント、クラードに命じます。海賊組織の迎撃及び、《アルキュミア》と呼称されるMSの回収任務を」

 

「了承した。俺は格納庫で待機しておくよ。レミア、この人……カトリナとか言う人、仕事を与えてやるといい。元気なだけが取り柄みたいだからな」

 

「そうね。あなたの言う通りにしておくわ、クラード」

 

 思わぬところで自分の処遇が決まり、カトリナは自分を指差す。

 

「あの、今ので私、無罪放免に……?」

 

「感謝する事ね、カトリナさん。クラードが誰かに便宜を図るなんて滅多にないんだから」

 

 大慌てでカトリナは艦長室を立ち去っていくクラードの背中に声をかけていた。

 

「クラードさん!」

 

「……うるさいよ、何」

 

「その……ありがとうございますっ! 何から何まで……!」

 

「その台詞、絶対今は早いでしょ。これからだから。あんたが何も決められず、半端者のまま死んでいくのか、それとも意味を残して死んでいくのかは。その立ち位置に、ようやく立たせてやったんだ。せめて意義を持って死んで行ってくれよ」

 

「そ、そこは生き残ってくれじゃないんですかぁ……?」

 

「甘えるなって。生き残る価値は生き残る努力をした人間にだけ輝く。あんたはまだまだだ。これから先で決めていけ」

 

 クラードは振り向きもせずに角を折れていく。

 

「カトリナさん。あなたは本来、下船してもおかしくないヘマをやらかした」

 

 レミアに呼び止められカトリナはハッとする。

 

「……あの、それはそのぉ……」

 

「でも、それ以上に。あなたが居なければピアーナは心を開いたかどうかも分からない。いいえ、まだ心を開くまでには至っていないのかもしれないけれどでも、少しは仕事になってきたんじゃない? あなたにしか出来ない事なんて一個もないけれど、あなたでも出来る事はある、そう考える事は何も間違いじゃない」

 

「私でも……出来る事……」

 

「持ち場に戻りなさい。ちょこまかされるとまた厄介なんだから。委任担当官としての職務を全うしてちょうだい」

 

 艦長としての命令の声音に、カトリナは、遅れ気味に返答していた。

 

「は、はいっ! カトリナ・シンジョウ! その……っ、戻りますっ!」

 

「返事だけは一人前で結構。……クラードの読みが正しければすぐにでも戦闘になる。その時、あなたは何が出来るのかしらね……?」

 

 レミアの問いに今は応じる術を持たない。

 

 だがそれでも、やれる事の一つや二つはあってもいいはずだ。

 

 カトリナはぐっと喉元に力を込める。

 

「が、頑張りまひゅ……っ! うへぇっ……噛んじゃったぁ……っ」

 

 その様子にレミアが微笑むのを、カトリナは文句を垂れていた。

 

「わ、笑わないでくださいよぉ……。わざとじゃないんですから……」

 

「いいえ。そういうのも……あなたらしくって。ちょっとずつでも頑張りなさい。これは上司としてではなく、女としての忠告よ」

 

 その言葉の意味を解する前に、レミアは作業に戻ってしまったので、カトリナは頭を下げて退室する。

 

「……私だけに、いいえ、私でも出来る事……」

 

 今はまだ、自分にしか出来ない仕事などないのかもしれない。

 

 だがそれでも、自分の道を信じるのならば――。

 

「それだって、幸せになる道があるはずなんだからっ!」

 



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第35話「マヌエルの脈動」

『――コミュニケートモードへと移行。“どうした。クラード。これから海賊が攻めて来るって言うのに、ご機嫌じゃないか”』

 

「ご機嫌……そうかな。そう見えるのか」

 

『“張り詰めていたのに比べればいい傾向だ。海賊のうち一機、《アルキュミア》と呼称されるMSは強大だった。下手に肩肘を張っていると敗北するだろう”』

 

「……やはり、《レヴォル》。お前から見てもそうだったか」

 

『“事象の客観視だ。相手はライドマトリクサーだと言うのならば、それなりの戦力と仮定すべきだろう”』

 

「だから、俺はレミアにサインを貰って来たんだがな。……《レヴォル》、リミッターの解除の命令が下った。本気でやっていいそうだ。俺達の幕を開ける」

 

『“ほぉ、それは楽しみだ、とでも返せばいいのかね”』

 

「……お前を操るのは俺だ。期待してくれていい。本気のお前と、俺が居るのならば、勝利出来る、その可能性が高くなった」

 

『“ではクラード。最終認識コードを戦闘中にコールを願う。そのタイミングはそちらに譲渡する”』

 

「ああ。俺は二度も三度も、負けていられない。そして――来たな」

 

 パイロットスーツ越しに感じる殺気の気配が鋭くなり、ベアトリーチェ艦内が揺れ動く。

 

 しかし敵の襲来を予測出来ていたのだ。

 

 まだ平時の落ち着きを保ったままの艦内で声が響き渡る。

 

『モビルスーツ各機、発進準備に!』

 

 サルトルがコックピットハッチを叩く。クラードは回線を開いていた。

 

「何?」

 

『……ピアーナから聞いている。最悪壊してくれてもいいとの事だ』

 

「自分の生命線なんだろう」

 

『それでも、おれ達を危険に晒すよりかはマシだと思ってくれたらしい。ありがたいんだか、そうじゃないんだか』

 

 ぼやくサルトルにクラードはコックピットの中で告げる。

 

「安心しろと、言ってくれ。俺は《アルキュミア》を無事に回収し、そして海賊連中を一掃する。それで手打ちだ」

 

『簡単そうに言うがなぁ、クラード。……相手だって手練れなんだろう?』

 

「ああ、それは間違いない。ライドマトリクサーだって言うんなら、そのはずだ」

 

『……だって言うのにいつも以上に落ち着いてくれちゃって……。お前は本当に変わらないよ、クラード』

 

「だろうな。俺は変わらない。……そのはずだ」

 

 ピアーナを撃てなかった自分も、カトリナに対し温情を抱いた自分も、今は必要ない。

 

 ここに至るのには――敵を撃つ事のみに長けた戦闘機械。

 

 カタパルトデッキへと移送されていく《レヴォル》へと可変腕を接続させ、鋭い電流が脳髄を打ち据える。

 

 真紅に染まった眼差しを投げ、クラードは発進位置についていた。

 

『《レヴォル》、カタパルトボルテージ上昇。射出タイミングをエージェント、クラードに譲渡します』

 

「了解。エージェント、クラード。《レヴォル》――迎撃宙域へと先行する!」

 

 青い電磁がのたうち、コアファイター形態のまま射出された《レヴォル》がベアトリーチェから離れ、敵影の佇む宙域へと嘴の如き鋭い機首を向ける。

 

「……まずは《マギア》による第一波。それはいちいち気にしない」

 

《マギア》の第一陣が蒼い残像を纏い、ミラーヘッドの準備に入ったのを艦砲射撃と凱空龍の《マギア》部隊が応戦する。

 

『狙撃切らすな! クラードの道を作れ!』

 

 アルベルトの声に、応! と返事する面々の声を引き受け、クラードは《マギア》の滞留する第一陣を突き抜けていた。

 

 続いて第二陣はデブリの裏側に潜み奇襲を講じている。

 

 それにも対応している間はない。

 

「《レヴォル》、照準を俺に任せてくれ。マニュアルモードで敵を狙い撃つ」

 

 オートマチック照準からマニュアル照準へと移行し、《マギア》が潜んでいるであろうデブリを一つずつ潰していく。

 

 デブリを粉砕された《マギア》にまでは手が回らない。

 

 なので、第二陣も予定通りの秒数で通過する。

 

 カウントが刻々と移り変わる中で、クラードは《レヴォル》を加速させていた。

 

 急速度のGがかかるコックピットの中でクラードは最奥に佇む白銀の騎士の機体を睨み据える。

 

「……《アルキュミア》。そいつさえ倒せば総崩れだって言うんなら……!」

 

 照準器の中に狙い澄ました瞬間、《アルキュミア》を保護するように軍警察カラーの《エクエス》が射線に入る。

 

「邪魔だ……!」

 

 機体をロールさせて敵のビームライフルを潜り抜け、そのまま先鋭化した思考回路を上昇の中にある《レヴォル》の内側で展開させる。

 

 四肢を開き、《レヴォル》はビームライフルを携え、《エクエス》三機へと掃射する。

 

 散開した《エクエス》を狙う前に、《レヴォル》は急加速を得たまま下降し、《アルキュミア》へと肉薄する。

 

「一気に決めるぞ、《レヴォル》! ゲインを叩き上げろ……!」

 

『ヒューッ! イカすねェ! 白いMS! 俺との一騎討ちを望もうってのかいィ!』

 

「一騎討ち? そんな余裕をかましている時間はない。すぐにでも終わらせてやる」

 

 ビームライフルを速射させ様に《レヴォル》は敵の懐へと飛び込み、蒼い輝きを伴わせて掌底を浴びせかける。

 

 しかし相手は距離を稼いでから支持アームをそれぞれ伸長させ、盾の裏側に隠した銃火器を稼働させていた。

 

『格好の的だァ! ぶちのめされろ!』

 

 照準警告が鳴り響く中で、クラードは頭蓋に突き立った電流を感知しつつ、機体を横滑りさせる。

 

 敵機の火線は明後日の方向を射抜き、クラードは静かに言葉を紡ぎ上げていた。

 

「……《レヴォル》。武装承認コード、“マヌエル”。リミッター、解除……」

 

 途端、《レヴォル》の眼窩に蒼い炎が点火し、その機影が残像を居残して翻っていた。

 

《エクエス》と《アルキュミア》が狙い澄まして十字の形で火器を奔らせたその時には、既に《レヴォル》の姿はそこにはない。

 

『……何だァ? 掻き消えやがったァ?』

 

「――ここだ」

 

《エクエス》の背後へと立ち現れた《レヴォル》がゼロ距離でビームライフルを速射させ敵を射抜く。

 

 もう二機の《エクエス》は爆散した味方機へと迷わずに銃撃を絞るが、その時には全て――遅い。

 

 ビームライフルを捨て、クラードは《レヴォル》の両腕で《エクエス》二機の間に割って入り、その頭蓋を掴んでいた。

 

『な、何ていう、速さ――!』

 

「――墜ちろ」

 

 蒼い粒子束が至近で爆ぜ、《エクエス》二機を葬り去る。

 

《アルキュミア》を操っているライドマトリクサーもこの速度にはさすがに応戦出来ないのか、僅かに気圧されているようであった。

 

『……何なんだ、お前ェ……ッ! その、機体ィ! 何なんだァ!』

 

「《レヴォル》だ」

 

 ビームライフルが三基分、それぞれ盾の内側にマウントされた状態で速射されるも、それらは自分達を捉える事はない。

 

 既にその時には、《レヴォル》は蒼い眼光に叩き据えるべき敵を目にしている。

 

 敵機は即座に反応してビームサーベルを抜刀していた。

 

 クラードは奥歯を噛み締めて加速度に耐えながら回転軸の回し蹴りを敵機の間接へと叩き込む。

 

 脚部に格納されていた近接火器が現出し、至近距離での銃撃が《アルキュミア》の躯体を打ち据えている。

 

『ぐがぁ……ッ! 何で……何でだァッ! 何で……そんなに速い! ミラーヘッドにしたって、度を過ぎた速さだって言うのが……!』

 

「俺と《レヴォル》は一時的にミラーヘッドにかかっているリミッターを解除出来る。もっとも、これを使えば面倒ごとが増えてしまうが……お前らを即座に掃討しなければ俺達の航路に差し支える。ちょっとした面倒なら背負うさ」

 

 その瞳を細め、純度の高い殺意を携えたクラードと《レヴォル》が宙域を跳ね上がる。

 

《アルキュミア》は防御の陣形に入り、そのまま一撃をいなそうとしてきたが、その時には赤い残光が薙ぎ払われていた。

 

 点火したヒートマチェットを横薙ぎに一閃、そのままの勢いを借りてさらに上段から打ち下ろし。

 

 十字に斬り裂かれた盾が粉砕され、さらに突き上げた形のヒートマチェットの一打が《アルキュミア》の装甲に入っていた。

 

『……刃の面だったら、やられていたって言いたいのかァッ!』

 

「それが分からないほど愚かなのだったら、もう終いだな」

 

《アルキュミア》を蹴飛ばし、《レヴォル》はさらに敵の背面へと回り込んで支持アームを斬り伏せる。

 

 次第に防御力と武装を奪われていく相手は、最早手段を選んではいられなくなっているようであった。

 

 ヒートマチェットの赤い残滓が何もない空を引き裂く。

 

 クラードは落ち着き払って敵の発動したシステムを紡ぎ上げていた。

 

「……ミラーヘッド。ようやく、か」

 

『嘗めるなよォ! 俺だってミラーヘッドが使える!』

 

「じゃあやろうじゃないか。第四種殲滅戦、ミラーヘッドの戦いを」

 

『……落ち着き払いやがってェッ! 喰らえ!』

 

《アルキュミア》が無数に分身体を生み出し、それぞれから火線を叩き込んでいく。

 

 クラードは《レヴォル》を駆動させ、敵の銃撃網を難なく切り抜け、そのまま両腕を払っていた。

 

 ワイヤーで接続されたヒートマチェットが空間を飛び越えて敵影に突き刺さる。

 

 分身体のうち二体の頭蓋を叩き割ったヒートマチェットを呼び戻し、クラードは手元に引き寄せる直前にもう一度、機体を回転軸にさせて一閃を払っていた。

 

 こちらへと接近を講じていた《アルキュミア》の分身体が分断され、そのまま霧散していく。

 

『……何でだァ……。何で届かないィ!』

 

「簡単な事だ。言うまでもないが教えてやる。お前より俺のほうが――強い」

 

 敵機の拡散した銃撃を潜り抜け、《レヴォル》が蒼い残滓を棚引かせながら《アルキュミア》に接近する。

 

 敵影は機体軸をずらして分身体を盾にして防衛するが、それはライドマトリクサーからしてみれば諸刃の剣だ。

 

 分身体が惨く破壊されればその分だけ少なからずダメージフィードバックがある。

 

 今の相手にはほとんど余裕も、ましてや自分を迎撃するだけの余力も残されていない。

 

『お前ェ……ッ! この《アルキュミア》を破壊すれば……あの艦に居るお宝だって……!』

 

「うん、それ、さ。考えたんだけれど一番有効な手を見つけた。要は一番要らないのは、コックピットに収まっているお前だ。なら、ミラーヘッドの分身体を全部破壊した上で、叩き込めばいい。俺達の全霊を」

 

『……お、お前ェ……ッ! 人でなしがァ……ッ!』

 

「悪いな。人であろうと、思った事は一度もない」

 

 ヒートマチェットで最後の分身体を叩き斬り、そのまま速度を借りて《アルキュミア》へと取り付く。

 

『殺すのか! ……いいんだな? お前ェッ! 他の連中が黙っちゃいないぞ!』

 

「他って誰」

 

『俺を殺せば……もっと面倒な、トライアウトからも目を付けられる! 逃げ場なんてないんだよォ……ッ!』

 

「逃げ場、か。悪いけれど、逃げるのはもう随分と前に、やめたんだよ」

 

《アルキュミア》の頭部に向けてヒートマチェットの太刀を打ち下ろす。

 

 騎士の相貌を持つ《アルキュミア》が打ち砕かれ、そして掌底をコックピットに据えていた。

 

『や、やめろやめろやめろ……やめ――ッ!』

 

「――だからさ。うるさいしつまんないよ、あんた。幕切れだ」

 

 粒子束がコックピットを射抜く際、断末魔が聞こえてきた気がしたがきっと気のせいだろう。

 

 コックピットを的確にくり抜いた一撃は中のパイロットを輻射熱で即死させたであろうが、システムそのものはこの手の中だ。

 

「……心臓だけ残して殺せって、無理な注文だ」

 

《アルキュミア》は騎士の頭部をひしゃげ、コックピットを引き抜かれているがまだ機体自体は死んでいる様子ではない。

 

 そのままクラードはベアトリーチェへと伝令していた。

 

「《レヴォル》、敵頭目を殲滅。これより、ベアトリーチェに帰投する。それにしても……張り合いもないな。俺達のカーテンコールには……少し物足りなかったか」

 

 



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第36話「終わらぬ因果に」

 その伝令がもたらされた瞬間、カトリナは駆け出していた。

 

「艦内は警戒中よ」

 

 そう声がかかったが構いはしない。

 

 今だけは、と息を切らして向かった先はピアーナが軟禁されているはずの区域であった。

 

 扉のパスコードを打ち込む間も惜しく、先走った気持ちが開け切る前の扉の向こうから呼びかける。

 

「ピアーナさん!」

 

 返答はない。

 

 まさか、と鼓動が早鐘を打つ。

 

「ピアーナさん! ピアーナさんっ!」

 

 ピアーナは項垂れた姿勢のまま、硬直していた。

 

 まさか、クラードは《アルキュミア》を破壊し、ピアーナの命まで奪ったのか――最悪の想定が浮かんだその時には、カトリナは強化ガラスを叩いて呼びかける。

 

 その声音は熱を帯びており、急かすように強化ガラスを打ち叩く。

 

「ピアーナさん! ピアーナさんっ……そんな……死なないで……」

 

「あの……勝手に殺さないでもらえますか、カトリナ様」

 

 ばつが悪そうに瞼を上げたピアーナに、カトリナは思わず涙を流す。

 

「ピアーナ……さん……生きて……」

 

「どうやら、そのようですね……。あのクラードとか言うの、《アルキュミア》を殺し切らずに、乗っていたライドマトリクサーだけを無効化するなんて、危険な真似を」

 

「き、危険なのはピアーナさんもそうじゃないですかぁ……。よかったぁ……」

 

 へたり込んだ自分に対し、ピアーナは目を白黒させる。

 

「……失礼ですが、何でカトリナ様がそこまで? わたくしにそうまでする縁がないでしょう」

 

「何言ってるんですか。もう充分に縁ですよ。……だってピアーナさんは、私のやる事を、間違っているとは言わなかったですから。なら、私は私の仕事をします。それが正しいんだと……信じて」

 

「……申し訳ありませんが、変わっていると、言わざるを得ないですね。もう十年以上は他者とは交わってはいない身ですが」

 

「それ、ピアーナさんが言っちゃったら駄目じゃないですか。私は普通ですよぅ」

 

 唇を尖らせて抗議すると、レミアの声が艦内に響き渡る。

 

『クラードが撃墜してくれたお蔭で敵の陣形は総崩れよ。今なら迎撃出来る。このまま応戦しつつ、デブリ帯を突破。ベアトリーチェは月航路に向けての針路を取ります。それと……カトリナ・シンジョウさん? オープン回線のまま喚かないでもらえる? 一連の取り乱しようは艦内周知の事実だけれど、大丈夫そう?』

 

「えっ……うわっ……しまったぁ……。付けていたヘッドセットがオープンだったんだ……」

 

 思わず顔を見合わせると、ピアーナはぷっと吹き出す。

 

「わ、笑わないでくださいよぉ!」

 

「いえ、その……本当に……! でも、何だかこうして笑ったのは……すごく久しぶり……」

 

 清々しい面持ちのピアーナに、カトリナは声をかけようとして繋がった回線に応じていた。

 

「もうっ、艦長。私をこれ以上、晒し者にするつもり――」

 

『何言ってるんだ? あんた、相変わらず駄目だな』

 

「く、クラードさん? えっ、何で? 交戦中なんじゃ……」

 

『あらかたの敵はアルベルト達が掃討してくれたよ。俺はもう艦内に戻っている。それで? ピアーナは生きてる?』

 

「あっ……生きてます。そのっ……ありがとうございます。ピアーナさんの事、きっちり考えてくださって……」

 

『生きてるんならいいんだ。《アルキュミア》も回収した。敵の残存戦力はアルベルト達が迎撃しつつ、ベアトリーチェはデブリ帯を抜ける。そうすれば、俺達は月航路まで、だ』

 

「一ついいですか、クラード」

 

 呼びかけたピアーナに、カトリナはマイクを彼女へと向ける。

 

『……何だ? どこを壊せばさすがにまずいのかはライドマトリクサーなら分かる。それを狙っただけだよ』

 

「そうではなく。貴方はわたくしを殺したって特に不利益はなかったはずです。何故……生かす事に決めたのですか?」

 

 返答には僅かな間があったが、クラードは応じる。

 

『……殺しても益がないんなら、一思いにやれと言う奴以外には、別の選択肢だってあっていいはずだろう。俺はそうした、それだけの話だ』

 

 本当にそれだけのように断じてみせたクラードの論調に、カトリナはそっと微笑む。

 

「その……ありがとうございます。ピアーナさんを、助けてくださって」

 

『あんたに感謝されたくってやったわけじゃないよ。えっと……カトリーナだっけ?』

 

「いえ、その……カトリナ・シンジョウです」

 

『カートリナ・シンジュウ? ……まぁどうでもいいか。後々覚えりゃいいだけだ』

 

「後々って! ……もうっ、覚えてくださいよ、さすがに……」

 

 文句を漏らしつつ、カトリナは少しだけ満たされているのを感じていた。

 

 自然と顔が綻ぶ。

 

 今はただ、クラードの生還とそしてピアーナの命一つを拾ってくれた事を、感謝するだけだろう。

 

「……でもクラードさん、さっきの質問じゃないですけれど本当に何でなんです? ピアーナさんの事、何とも思ってないんだったら出来ない事だったんじゃ?」

 

『そいつがどうなろうと知った事じゃないけれど、艦内で人死にが出るのが嫌なんだろ、あんたは。だから俺はそれに従っただけだ、委任担当官の意向にね』

 

 ここに来て初めて委任担当官としての仕事を認めてくれた――そんな気がして、カトリナは胸が熱くなったのを感じる。

 

「クラードさんっ! 私、頑張りますんでっ!」

 

『急に何、うるさいよ。俺はそっちの頑張りなんて関係ないけれどでも、まぁそこそこにやれば? 邪魔をしないんなら、殺す理由はないし』

 

「もうっ、何だってそんな物騒なんですかぁ……」

 

 その返答には当惑しながらも、カトリナはここからがようやく、スタートかと実感していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クラードを回収後、戦線離脱。ベアトリーチェはこのまま補給路のコロニーに向けて針路を取ります。休憩するのなら今のうちね。お疲れ様、みんな」

 

 管制室でそう声を振ると、オペレーターのラジアルが大きく伸びをする。

 

「疲れたー! ……まさか海賊と戦うなんて思いも寄りませんよ」

 

「まぁ、願い下げの戦いだったけれど、クラードのお陰で世は事もなし。よかったんじゃない? あたし達の負担も少なかったわけだから」

 

 ラジアルの言葉に応じるバーミットはもうメイクの直しに入っている。

 

「……バーミット先輩冷たくないですか? 鹵獲した機体はどうなっているんでしょう? サルトル技術顧問に繋ぎますねー、艦長」

 

「ええ、お願い。サルトル、どう?」

 

『まぁぼちぼちだ。型落ち機には違いないんだが状態に関しちゃまぁまぁいいほうだからな。相手がやり手の海賊で最新設備も整っている。このまま出しても何の不具合もない』

 

「それは僥倖ね。……でも、要らないものまで、背負い込んだって言うわけね、私達は」

 

『そいつは仕方ないだろう。今回ばっかりはかかる火の粉を払ったって感じだ。まぁ、これまでだってそうだったんだが、こういう事が重なればしんどくなる。フロイト艦長、あんただってそれは分かっているクチだろう。なら、休める時に休んでおくといい』

 

「そうさせてもらうわ。……にしたって、あのクラードが誰かのために戦ったなんて。本人には自覚はないかもだけれど。でも確かに、変わったのかもしれないわね、彼は」

 

『本人は変わった覚えなんてないって言うんだろうがな』

 

 サルトルの返してきた常套句に微笑みを浮かべつつ、レミアは面を上げた。

 

 ――その瞬間、遠くの瞬きが網膜に焼き付く。

 

 ベアトリーチェ艦内を揺さぶったのは超長距離砲の狙撃であった。

 

 緑色のビームの光芒が管制室に焼き付く前に減殺シャッターが作動し、辛うじて全員の目を保護する。

 

「何! 敵襲?」

 

「まさか! 今さっき海賊を倒したばっかりですよ!」

 

「ああ、もう! お化粧台無し! 艦内警戒配置! 敵が来ます!」

 

 敵、と口中に結んだレミアはデブリ帯の外側で位置する輝きを睨み据える。

 

「どうやらまだ……安全な航路には早いようね……」

 

 忌々しげにそう言い放ち、敵機へと目を細めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第五章 「機械少女の物語〈ザ・ダークネスフェアリーテイル〉」了

 



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第六章「交錯する因果の戦場で〈ファクター・オブ・インターセクション〉」
第37話「勝負にもならない戦場で」


「あいつ……こんな距離で超長距離狙撃だと……!」

 

 ハイデガーは《エクエスガンナー》の中で照準器に捉えた敵影を睨み据える。

 

 デブリ帯を抜けた先にある破棄された衛星に陣取り、こちらを狙うのは《エクエス》の試作機であった。

 

 バイザー状の形式を取る以前の、単眼の機体はところどころが修繕されたようでありながら、今しがたベアトリーチェの左舷を撃ち据えた一撃から熱暴走を起こしているらしく、細かい箇所に排熱機構を有している。

 

 無数の放熱板を開いた状態の敵影を見据え、ハイデガーは甲板上から《エクエスガンナー》の有する長距離狙撃砲を用いるが、まるで敵機には届かない。

 

「くそっ……! この距離じゃ、《エクエスガンナー》はまるで役立たずだ! 加えて何回も砲撃なんてしているとこの場所が大事なんだって丸分かりだし……。ベアトリーチェ! 敵の分析は!」

 

『現状、三十パーセント未満。敵の機体照合を開始。《プロトエクエス》です!』

 

「《プロトエクエス》……。まさか、そんな急造品で僕達のベアトリーチェを墜とせるなんて思っているのか。この、嘗めやがって!」

 

 しかし衛星に陣取っている《プロトエクエス》へと銃撃を撃ち込むのには《エクエスガンナー》ではまるで足りない。

 

「せめて、こいつに艦砲射撃と同期するだけの性能があれば違ってくるんだが……。標準機である《エクエスガンナー》にはそれ以上の能力がない……。ミラーヘッドですら不可能なんだ、歯痒いよ……!」

 

 甲板上に取り付き、せめてもの抵抗として砲撃を見舞うしかないのだが、敵機は動かずしてこちらを圧倒する。

 

 それも当然だ。

 

 狙い澄ました一撃は確かに、ベアトリーチェの一部を攻め落としている。

 

 またしても手練れか、という感触にハイデガーは呻く。

 

「僕より上手くやれる奴ってのが、何でこうも立て続けに出てくる……!」

 

《エクエスガンナー》の性能ではとてもではないが到達出来ない。敵の位置関係でさえも今も自分ではまともに把握出来ない悔恨を噛み締めていると、《マギア》が次々とカタパルトから射出されていく。

 

「何を……何をやっているんだ! 戻れ! 宇宙暴走族風情が迎撃出来る相手じゃないぞ!」

 

『それでも! おれ達がやらないとこのままじゃジリ貧だろうが! 安心しろ。おれらにはミラーヘッドがある。それで撹乱している間に、あんたが迎撃方法を編み出してくれるんだろ?』

 

《マギア》編隊がミラーヘッドの軌道を描く。

 

 暗礁の宇宙に蒼い瞬きを纏わせて、敵の狙撃網をやり過ごそうとしているのだ。

 

 ハイデガーからしてみれば、これもある種の屈辱。

 

「……動けない僕よりも、あいつらのほうが上手くやれるって言うのか……」

 

『アルベルト! 《マギアハーモニクス》、行くぜ!』

 

 出撃した紫色の《マギア》の改修機を殿として、彼らはビーム粒子で固めた旗を立てていく。

 

「馬鹿な……狙い撃ちにしてくれと言っているのか……」

 

 旗なんて無用の長物を揚げたところで現状は打開されない。

 

 このままでは一機ずつ丁寧に墜とされていくだけだ。

 

 ハイデガーは焦燥を浮かべながら、《エクエスガンナー》の照準器を補正させる。

 

 奥歯を噛み締め、異様に渇いた喉に唾を呑み込ませ、敵の次手の動きを注視する。

 

「……頼む、動いてくれ。少しでも動いてくれたのなら、勝機も見えてくるはずなんだ……」

 

 だが《プロトエクエス》が挙動する様子は見られない。

 

 このままでは《マギア》編隊は撃墜されるだけではない。

 

 自分達は真綿で絞め殺されるかのようにじわじわと敗色濃厚な戦地へと飛び込まされていく。

 

「……頼む、頼む、少しでいいんだ。動いてくれ……!」

 

 そうすれば、衛星から少しでも挙動したのなら《エクエスガンナー》でも狙いを付けられる。

 

 照準器がぶれていく中で、無策にもミラーヘッドに入る者達を見据え、ハイデガーは額に汗を滲ませる。

 

 玉になって浮かんだ汗が、パイロットスーツ越しの掌に掻いた汗が、照準を固定させない。

 

 握り締めた操縦桿の感触でさえも自由ではなくなっていく。

 

「……僕が、ベアトリーチェを守らなくって、誰が守るって言うんだよ……!」

 

《マギア》編隊がビームライフルを掃射していく。

 

 その間にも敵影に狙いを付けられているのはプロのパイロットである自分には手に取るように分かるのに、何も出来ない。

 

 何かを、事態を好転させるような意味合いの動きに移れない。

 

 焦燥とじくりと浮かんだ痛みが、その瞳を曇らせる前に、《プロトエクエス》を狙っていくつかの光芒が咲いていた。

 

「……何だ?」

 

《プロトエクエス》は長距離狙撃砲を捨てて、そのまま身一つで逃げ去っていく。

 

 追い立てるのは濃紺の《エクエス》であった。

 

「……軍警察の? じゃあこの宙域は張られていた……?」

 

 しかしその感慨を確かにする余裕はなく、《プロトエクエス》はこちらへと視線を一瞬だけ振り向けた後に、射程から急速に逃れて行っていた。

 

『あいつが逃げたぞ! 凱空龍の動きに恐れを成したんだ!』

 

 うねりのように、《マギア》から歓声が上がるが、ハイデガーだけは、そうではない、と実感していた。

 

 ようやく照準器から視線を外し、汗の滲んだ操縦桿から手を離して呼吸を一つつく。

 

「……軍警察に助けられた? いや、あれは利害の一致と言うわけなのか?」

 

『凱空龍万歳! 凱空龍万歳!』

 

 全く見当外れのコールが響く中で、ハイデガーだけは操縦桿を殴りつけて己の無力感に身体を折り曲げる。

 

「……何で。結果論でも奴らに助けられるなんて……」

 

 凱空龍の荒れくれ者達は自分達の無知蒙昧な行いで敵が退いたのだと思い込んでいる。

 

 それさえも、今は怒りの材料であった。

 

 実際には軍警察が既に航路に陣取っており、《プロトエクエス》の超長距離狙撃はただのきっかけに過ぎなかった。

 

「……僕が強ければ、こんな雪辱を味わわないで済むのか……だとすれば、もう……」

 

 もう自分はベアトリーチェを守る盾として、相応しい戦い振りを発揮するしかない。

 

 それこそ、想定通り、《レヴォル》を自身の物とするしかないであろう。

 

「……冗談じゃない。勝手に帰ってきて、《レヴォル》は自分の物だって? そんなののほうがよっぽど勝手じゃないか」

 

 クラードへの怒りや嫉妬はまるで見当違いなのだと分かっている。

 

 だが分かっているからと言って、今はそれらの負の感情を仕舞えるかと言えば否であった。

 

「……大人じゃないな。僕はあのクラードに、何を感じている……」

 

 だが現実としてクラードと《レヴォル》が主力であり、自分のような人間は勇猛果敢でもなく、甲板上でただ堅実に銃身を固めているのみ。

 

 それが正しい正しくないではない。

 

 単純に――評価されない。

 

 そんな小さな思惑に左右される身ではないつもりであったが、それでもハイデガーはこの時、全くのライドマトリクサーではない己を悔やんでいた。

 

「……もし、ライドマトリクサーなら、あの敵も狙い撃てたのか……。そうなら、僕は……変わらなければいけない」

 

 それが自分自身への禊となるのならば、甘んじて受けよう。

 

 ミラーヘッドを解いて帰投ルートに入っていく《マギア》達は、まさに無邪気な子供の価値観で勝利したと勇んで喜んでいる。

 

 だが実際には勝利どころかそのレートにすら上がっていない。

 

 こんなもの、勝利では、否、勝負ではない。

 

「……相手にもされていないって言うのがどれだけ苦痛なのか、分かってすらいないくせに」

 

 ハイデガーはそう言葉を吐いてから一度深呼吸し、コンソールを拳で殴りつけていた。

 

 



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第38話「行き過ぎる事」

 目の前に提出された束のような報告書に、レミアはようやく解放されたと思ったのに、とぼやく。

 

「……書類仕事とはね」

 

「《アルキュミア》とやらがどういう仕様なのかを解きほぐさない事にはどうしようもないだろ。……俺は、どっちだっていいけれど、俺の帰還後に仕掛けて来たと言う機体も気にかかる」

 

「それは単純に心配しての、そういう発言だと思っていいのかしら? クラード」

 

 その問いかけにクラードは赤い瞳に以前までと変わらぬ光を湛えて応じる。

 

「別に……。ただ、超長距離狙撃砲なんて元からベアトリーチェの航路を分かっていないと出来ない」

 

「完全に待ち伏せされていた。それも海賊との戦いで損耗した隙を突かれて……。我が社の目指すところを初めから読んでいる勢力、という結論になるけれど」

 

「レミアがそう感じるのなら、そうなんじゃない? とは言え、俺も帰投した後だったし、完全に分かっているわけじゃないけれどね」

 

「理解出来ているのは、敵は軍警察ばかりではないと言うわけ、か……。まだまだ頼む事になりそうね、クラード。あなたには負担をかけたくはないのだけれど」

 

「負担なんて思っちゃいない。前を塞ぐ敵は全部排除する、それだけの事だ」

 

「でもあなた、今回ばっかりはピアーナを殺さない方向に舵を切ったじゃない? どういう風の吹き回し? あの冷徹のエージェント、クラードが」

 

「そのほうが有益だと判断したまでだ。情だとかそんなものは一切関係がない」

 

「ふぅん、そう。まぁいいわ。どっちにしたって月航路まではまだまだ道のりは長いんだから。休める時に休んでおきなさい。それくらいは許可するから」

 

「ああ、そうさせてもらう。……レミア。あんたもそうだ。休める時に休んだほうがいい。もしもの時に艦長不在なんて困るだろ」

 

「そうかしら。ベアトリーチェは自動航行モードに入っているし、何よりもスタッフが優秀だから、今さらそんな事に気を揉まなくってもいいとは思うけれどね」

 

「石橋を叩いて渡る、だったか。あんたお得意のことわざ。慎重過ぎるくらいでちょうどいいんじゃないの?」

 

「あなたに言われてしまうとはね、クラード。大丈夫よ。ヴィルヘルム先生に言って頭痛薬の回数だけは減らしているから。量は減るどころか増えているけれど」

 

 はぁ、と嘆息を漏らし、レミアが頭痛薬を飲み干すのを見守ってから、クラードは艦長室を後にしようとする。

 

「でも、本当に意外だったわね、クラード。あなたの事だもの。《アルキュミア》を完全に破壊して、ピアーナも抹殺。それが一番スマートな方法だと、そう言い出すかと思っていたわ」

 

「……生憎と、さ。この艦内で人死にが出るのがどうしても嫌だとか言うのに付き纏われてるんだ。レミア、あんたの差し金だろ?」

 

「私はそこまでしろとは言っていないわ。あなたのよき相談相手くらいになるかと思っての委任担当官の窓口よ」

 

「……よき相談相手、ね。その言葉、とことん嘘くさいよ」

 

 そう言い置いてクラードが艦長室の扉を潜ったその時、声がかかる。

 

「クラードさん! あの……言いたい事が……っ!」

 

「……またか。何。手短にしてくれよ」

 

「あのぉー……ピアーナさんの事で。そのっ、ありがとうございましたっ!」

 

 頭を下げたカトリナにクラードは少しだけげんなりとする。

 

「……何で。俺は何もしていない」

 

「い、いえいえっ! だってピアーナさんを守るために、わざわざ敵のライドマトリクサーだけを倒して、それで《アルキュミア》を回収してくださって……」

 

「それは必要十分条件だからだ。《アルキュミア》を俺が回収しないと、後々面倒になるのは目に見えていたし、それに命の共有化を行えるレベルでのライドマトリクサーなら、電子光学技師として動かすのには足りるはずだ」

 

「で、電子光学技師……って言うと、オペレーターの任を彼女に?」

 

「レミアはそう言っていたけれど。……なに、あんた何も知らずに艦長室まで来たって言うの」

 

「いえ、そのぉー……サルトルさん達からクラードさんがこっちに来たって聞いたので……」

 

「戦闘待機だっただろう。何でわざわざこっちに来た。超長距離狙撃を行った相手だってまだ割れていないんだ。そんな状況下で俺を追ってくるもんじゃないだろうに」

 

「い、いえっ! まずはお礼を言わないと、と思いましたのでっ!」

 

「お礼、ね……。そんなの要らないし、欲しいとも思っていない。第一、あんたが頭を下げたってあのピアーナとか言うのが同じ気持ちだとは限らないだろう」

 

「いえ、ピアーナさんとはきっちり話し合った上での決定ですので。多分、私の行動には満足してくださっていると思います」

 

「……どうだっていいな、そんなの。それにしたって、カトリーナだっけ? あんたもヒマなんだな。俺相手にわざわざ頭を下げに来るだけなんて」

 

「か、カトリナですっ! 伸ばし棒は要りませんよぉー!」

 

「……どっちでもいいだろ。名前なんてただの指標だ」

 

「どっちでもよくないですぅ! 私の名前なんですからっ!」

 

「……あんたさぁ、相変わらず俺に付き纏うけれど、何一つとして学習していないんだな」

 

「……学習、って?」

 

「俺はいつでもこの艦内で銃を撃っても咎められない。それくらいは分かったと思ったけれど?」

 

「そ、それはぁ……急だったもので仕方ないものだとしか……」

 

「仕方なくはない。俺は、もし離反者だとか謀反を起こそうとする奴が居れば、そいつを粛正出来る。それくらいの権限はレミアからもらっている」

 

「……それってその、疑わしきは罰するみたいな話ですか?」

 

「みたいなもんだ。俺は、あんただってもしもの時は撃つ。それくらいは分かっていると、さすがに思っていたんだけれどな……」

 

 グリップを握って自分に追従するカトリナが僅かに強張ったのをようやく認識したが、それでも彼女の意地は変わらない。

 

「い、いえ、それでも……でもっ、クラードさんは約束を守ってくださいましたよね? 私の言う事を少しは聞いてくれるって言う約束もですし、ピアーナさんを殺さないって言うのも」

 

「俺は誰かと約束した覚えなんてない。従ったとすれば俺自身の経験則と、レヴォルの意志にだけだ」

 

「レヴォルの意志……」

 

 絶句した様子のカトリナはこれ以上自分に下手な質問はしてこないかに思われたが、角を曲がったところでバーミットとファムにかち合う。

 

「バーミット、それにファム」

 

「クラード! すきー!」

 

 急に抱き着かれてクラードは面食らいつつもバーミットの抱える書類に視線を投じていた。

 

「……何かあったのか」

 

「ちょっとね。調査報告書って奴。嫌だわ、こんなの。あたしだって秘密工作員みたいな真似したくないんだけれど」

 

「……ベアトリーチェに居る限りは必要な職務だろう」

 

「ホント、あんたって鼻持ちならないヤなガキねぇ。……でも海賊を掃討したのは偉かったんじゃない? ピアーナとか言うのも殺さないでおいたんでしょ?」

 

「そ、そうなんですっ! バーミット先輩! クラードさんはピアーナさんを生かしてくれた……命の恩人のはずなんですっ!」

 

「どうでもいいけれどさ……前から後ろから近いしうるさいよ」

 

 前をファムに塞がれた形のクラードは後ろから乗っかって来たカトリナの体重を受け止めていた。

 

 ハッとして離れたカトリナに比してファムはすりすりと頬ずりしてきて離れようとはしない。

 

「で、調べられる限りを調べたんでしょ。俺にも開示要求はあるから」

 

「そりゃ、艦長に持っていってからね。それにしたって、あの人も仕事の鬼なんだから。不明機の信号をロストしない間にトレースしろなんて無理な話。一応、ハイデガー少尉の《エクエスガンナー》にシグナルが残っていたからそれを基にして機体照合、現場検証……あたしゃ刑事かって言うの」

 

「ミュイ……バーミット、けいじっ!」

 

「あたしはしがないただのOLよ。それ以上でも以下でもないはずなんだけれどね」

 

 指差したファムが今度はバーミットに抱き着いていく。どうやら彼女にもそこそこ懐いては来たらしい。

 

「はいはい、カワイイのがようやくお風呂を拒絶しなくなったから助かって来たものの、さっきから一応は戦闘待機でしょ? はぁー……しばらくはシャワーだけね……」

 

「それには仕方ないだろう。次の停泊予定のコロニーまでは戦闘待機だ。そのほうが下手を打たずにも済む」

 

「……あんたって本当に可愛げもないわねぇ。こっちのカワイイのと幸せ女のカトリナちゃんでも見習ったら?」

 

「バーミット先輩! 私、幸せ女とかじゃありませんってばっ!」

 

「あー、はいはい。あんたら本当に……いいコンビになれるといいわね」

 

「俺はこんな奴とコンビになんて死んでも成らない」

 

「……そんな言い草……」

 

「ほらほら、すぐしゅんとしない。カトリナちゃんは絶対に幸せになるんでしょ? なら、ちょっとばかしこのクソガキがやかましくっても我慢する」

 

「俺はクソ餓鬼じゃない。バーミット、《レヴォル》で俺は待機する」

 

「いいけれど、部屋に戻らないんだったらサルトル技術顧問に一応は言っておきなさいよ。あの人、整備班の一員を使ってあんたの部屋だけは綺麗にしてあげてるんだからね」

 

 振り向かずに手を振ってバーミットの声に応じ、クラードはさすがにもう追ってこないか、と一瞥を振り向けた自身を発見し、改めて回顧する。

 

「……何考えてるんだ、俺。あんなのどうだっていいはずだろう。……そう、そうだっていいはずだ。俺は《レヴォル》に乗って戦えばいい。その際に通り過ぎる些末事は、全部駆除する。それでいい」

 

 



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第39話「宝石の日々」

「――私と顔を合わせない。そのほうがいいって本当に思っていますよね? アルベルトさん」

 

 うわっ、と不意打ち気味に声をかけられ、格納デッキの陰に隠れて食事を取っていたアルベルトは驚愕する。

 

「戦闘待機だ! ノーマルスーツの着用義務は解かれたが、それでもいつでも出せるようにしておけ! トキサダ! お前らの《マギア》、調整が要るな。ちぃとばかしピーキーなほうが敵もミラーヘッド時の隙を突きづらい。メカニックに任せて休憩しろ」

 

 視界の中でサルトルとトキサダが《マギア》のコックピットに取り付いて言い争う。

 

「お断りだね。おれ達の整備くらい、おれ達でやるってんだ」

 

「アホか、お前は! 今までの仕様じゃ、先の戦闘時の隙が大き過ぎる。言われんと分からんのか? こっちが言い値でサービスしているって言ってるんだ。忘れるな! お前らはあくまでパイロットで、こっちのほうは専門職なんだからな!」

 

「……サルトルさんとトキサダさん達、もう一端のパイロットと整備班の関係ですね、あれ」

 

 顎をしゃくってラジアルが言いやるものだから、アルベルトは彼らの視界から逃げるようにちょうど格納デッキの機体の陰に隠れる。

 

「……で、何でアルベルトさんはこんなところで食事を? 言ったじゃないですか、今度はランチをご一緒にって」

 

「……そんなの、約束しましたっけ。……まぁどっちにしたって、オレだって戦闘待機です。こっちのほうが都合もいいでしょう」

 

「駄目ですよ! こっちじゃ滅多に会えないじゃないですか!」

 

 ラジアルが本気の形相で怒るものだから、アルベルトはただひたすらに当惑する。

 

「……あのっすね、オレ、あんたと別段親しいわけでもないじゃないですか。なのに、約束を守る義理だとか――」

 

「キスしておいて? そんな言い方するんだー、ふぅーん」

 

 思わず飲んでいた携行飲料をむせてしまう。

 

 何度か咳き込んでから、アルベルトは涙目でラジアルを睨んでいた。

 

 相も変わらずくすくすとこちらを転がすように彼女は笑っている。

 

「……シュミ悪ぃ」

 

「何がですか? 男の子とのコミュニケーション、間違っていないでしょう?」

 

「いや、それも込みっすけれど、って言うか戦闘待機でしょう? 一人も管制室にオペレーターが居なけりゃさすがに問題なんじゃ」

 

「いいんですよ、どうせ海賊とかとの戦闘を抜ければ自動航行ですし。まぁ、それに? とても優秀な電子光学技師さんが入ってくださいましたのでその辺りの心配はしばらくしなくってよさそうです」

 

「……あのピアーナとか言うの、信じたんですか」

 

「艦長命令ですので、私が信じたわけではないですけれど」

 

「……分かんねぇな。あんたらも艦長も。何を考えて敵だった奴まで抱き込んでいるんですか」

 

「それはさすがに艦長の頭痛の種なので言い出せませんよ。第一、それ言い出しちゃったら、何でアルベルトさん達だって居座っているんだって話になりますし」

 

「……オレらは、一応は筋は通したつもりですけれど」

 

「ああやって出撃するのがですか? ……正直、危なくって見ていられませんでしたよ。長距離狙撃砲を前にしてカタパルトから出撃するなんて、死ににいくようなものじゃないですか」

 

 アルベルトは唇を尖らせて恨めしそうなラジアルの視線相手に、わざと視線を逸らして応じる。

 

「……オレらはそうなんですよ。いつだって、死に物狂いの凱空龍。いつ死ぬのかなんて、誰だって分からねぇ。でもお互いに信じているから、背中だけは預けられる……。そんな吹き溜まり連中です。あんたが関わるような人間じゃない」

 

「でもアルベルトさんは違うんでしょう? 話していれば分かります。いい人なんだって」

 

「いい人って……それもまた定義が曖昧な……。あのっすね、オレらは仲良しこよししている他の集団とは違うんですよ。自分達の命を投げている……そういう人間の集まりなんです」

 

「でも、ベアトリーチェを必死に守ろうとしての出撃だったんでしょう? そこに私達が含まれていないのは、それこそ嘘ですよ」

 

 ――嘘、か、とアルベルトは胸中に結ぶ。

 

 いくら虚飾を並べ立て、どれほどもっともらしい理屈を立てたところで、それでも拭い去れないものはある。人はそれを、きっと真実だとか本音だとか名前を付けるんだろうが。

 

「……なら、あの時オレにあったのはクラードの戦いに報いなくっちゃいけないって言う、意地っすよ。女には分からないかもしれないっすけれどね」

 

 こちらの物言いにさしもの大女優とは言えむっとしたのが気配で伝わる。

 

「女でも分かりますよ」

 

「さいですか。にしたって、慣れってのは怖いもんで。オレら相手にもうこの艦の人間は物怖じしなくなっているでしょ。それってのも、まだまだ先の月航路のためだってのは、知っているのは一握りっぽいですけれど」

 

「……アルベルトさんって、勘はいいほうなんですね、それでも」

 

「あのっすね。それでもとは何ですか、それでもとは」

 

「さっきのお返しですよーっだ。どうです? 言い負かされるのは」

 

 まさかこんなに早くカウンターを喰らうとは想定しておらず思わず舌打ちが漏れてしまう。

 

「……これだから、女は始末に負えねぇ」

 

「アルベルトさん、こんな隅っこでご飯食べてるんじゃなくって、ランチに行きましょうよ。今なら戦闘待機ですし、食堂も空いていますから」

 

「それ、オペレーターの言葉っすか。まぁ、でも、野郎連中の目がないってんなら、別にいいっすけれど」

 

 そう言うや否や、彼女はその腕力で自分を引き寄せる。

 

 ラジアルの小ぶりでありながら形のいい柔らかなものに腕が触れていた。

 

 思わず腕を引っ張り上げ、しどろもどろになるのを、ラジアルは微笑む。

 

「あっれー? アルベルトさん、小さいのも好きなんだ?」

 

「……何がっすか。セクハラじゃないっすか」

 

「いいんですかー? 私がアルベルトさんに胸触られたって言ったら、男の人達黙っていないかも?」

 

「……うっ、それはっすね……。いや、勘弁してください。野郎連中に吊るし上げ喰らうなんてそんな死に様は御免っす」

 

「なぁーんて! 冗談ですよ? 何なら触ってみます?」

 

「い、いや! あんた何言って……!」

 

 こちらのうろたえ具合にラジアルはあっけらかんと笑う。

 

「赤くなっちゃって、かっわいいー! アルベルトさん、乙女な上に実はお子ちゃま? そんなナリで?」

 

「……う、うるせぇっすよ。第一、あんた一応女優でしょう? だったらその、気ぃつけるべきはオレじゃなくってそっちじゃ……」

 

「別に、私はいいんですけれどねー。触られた事も一度や二度じゃないですしー」

 

 へっ、と意想外の言葉に返答しかけて、そうだった、と額を押さえる。

 

「……そういやあんた、何でもOKな女優だった……」

 

「でしょー? そういうところ、純で可愛いんですから」

 

「だから、からかうなって言ってるでしょ……。大体、女優業とそういう……その男っ気があるかないかは別の話なんじゃ……」

 

「華やかだからと言って、別に言い寄ってくる人の一人や二人、居ないわけじゃなかったんですけれどねー」

 

 ごくりと生唾を飲み込むと、ラジアルはふふっ、とミステリアスな笑みを浮かべていた。

 

「……まぁ、アルベルトさんが気にかかるんなら気を付けます。だって、あなたが私刑に遭うのなんて見たくないですし」

 

「……本当、勘弁してくださいよ、まったく。下手な噂が立つと嫌なんですから」

 

「嫌……ですか? 私と噂立つの……」

 

 一転して不安げな眼差しで瞳を潤ませるものなのだから、女とは魔性だと思い知る。

 

 いや、この大女優だからこそ出来る芸当なのだろうか。

 

 それは、と言葉を詰まらせていると、ラジアルはくすっと笑い出す。

 

「やっぱりアルベルトさん、悪い人じゃないと思うんですけれどねー」

 

「……ランチはなしっすよ、そんなんじゃ」

 

「あれ? 怒っちゃいました? 変だなー、こんなところで怒っちゃうような沸点低い方じゃないでしょう?」

 

「オレは沸点低いっすよ。所詮は宇宙の暴走族のヘッドなんで」

 

「凄んだって無駄なんですってば。さぁ、行きましょう!」

 

「待ってって! あんた力強いんだから……」

 

「ライドマトリクサーですもんねー」

 

 生身の自分では敵いようのない力で引っ張られ、アルベルトは食堂に向かう廊下をいくつか折れ曲がっていく。

 

 幸いにして、誰かとかち合う事はなかったが、それでも食堂で待ち構えていた相手に硬直していた。

 

「あ、アルベルトさんに、ラジアルさん! お疲れ様ですっ!」

 

「あ、うん……お疲れっす……」

 

 カトリナがランチを取っており、ラジアルはふぅんと訳知り顔になったかと思うと、こちらの肩をつついてきた。

 

「アルベルトさんもA定食でいいですよね? ここ初めてですし」

 

「あ、ええ、まぁ」

 

「じゃあ食券取って持って来るんで。席を取っておいてくださいよ。そうですねぇ……ちょうどシンジョウさんの向かいが空いてますので、そこで」

 

「えっ、ちょっ……あんた……」

 

 嵌められた、と分かった時にはもう遅く、カトリナはニコニコしながら前の席を示す。

 

「どうそっ! 私はお気になさらず」

 

「いや、気になさらずって言われても……」

 

 とは言え、こうしてカトリナと面と向かって話すのは久しぶりで、何だか最初に会った時よりもなお色濃い緊張に晒されてしまう。

 

「アルベルトさん、ラジアルさんの映画、全部観ていたんですよね?」

 

「え、ええまぁ……。いくらFランクコロニーって言っても映画くれぇはありましたから」

 

「すごいなぁ……。私は何個か観た事はあるんですけれど、ラジアルさん本人とまさか同じ職場になるなんて思いも寄らなくって。ビックリする事だらけなんですよね、この艦に入ってから」

 

「そ、それはオレもそうっす……ビビる事だらけで……」

 

 こうして目の前にカトリナが居るだけで、心臓が跳ね上がっている。心拍が相手に伝わってしまうのでは、と言う危惧さえも浮かべたアルベルトへと、何のてらいもない純度の高い笑顔が向けられる。

 

「これ、美味しいんですよー。私の血統の中にある、東洋の文化の食事で。うどんって言うらしいんですけれど」

 

「はぁ……うどんっすか……」

 

「うーん……っ! さっぱりしていて美味しいーっ!」

 

 にこやかに頬張るカトリナの笑顔を直視出来ず、アルベルトは直上の電灯に意識を割いていた。

 

「そういや……クラードはどうしてますか……。オレ、全然話出来なくって……」

 

「そんな暇もないですもんねぇ。クラードさん、いつもお忙しそうなので私のほうが困っちゃってるんですよ。もう少しアルベルトさんとお話ししたほうがいいって言うべきなんでしょうか?」

 

「い、いえっ! 委任担当官って仕事、楽じゃないんでしょう? なら、オレの事は別にいいんです。クラードとオレの問題っすから。カトリナさんに手をかけさせるわけにはいきませんし」

 

「そうですか? ……でも、意外かなぁ……」

 

「何がです?」

 

「いや、アルベルトさん話しやすい上に、ラジアルさんと仲良くなっていらっしゃるなんて。何だか最初の印象と真逆で……あっ、失礼なら謝ります。こんな物言い、駄目ですよね……?」

 

 困ったような表情で上目遣いに尋ねてくるものだから、アルベルトは紅潮しかけた頬を誤魔化すために口元を手で覆っていた。

 

「アルベルトさん? どうなさいました? 気分でも……」

 

「いや! マジに大丈夫ですんで! ……その、オレの事はお気になさらず」

 

「い、いえっ、気にしますよ……っ! 何か、ご気分を害されるような事を言いましたかね……」

 

「い、いえっ、カトリナさんはその……そういう事は言っていません。オレの問題ですんで……」

 

「――お話に花が咲いているところ悪いですけれど、A定食を頼んでおきましたね」

 

 ラジアルが如何にも自分が邪魔者と言うオーラを出しつつ自分の隣に座る。

 

 それもわざとらしく、席を近づけて。

 

「ラジアルさん、オペレーター業務ご苦労様です。すごいなぁ……咄嗟の判断ですもんね」

 

「ええ、まぁ。でも、シンジョウさんだって大変そうじゃないですか。エージェントの方の専用窓なんて」

 

「で、ですかね……。でもレミア艦長からはお叱りを受けるばかりで……」

 

「艦長も分かってくださいますよ。あれでも部下の苦労はしっかりと汲んでくれる艦長ですし」

 

 ラジアルは言葉の表面では穏やかでカトリナに刺々しいところはないが、どこかでアルベルトは目が笑っていないのを感じ取っていた。

 

「それにしたって、シンジョウさん。いつまでリクルートスーツなんですか? ベアトリーチェの制服に袖を通せばいいのでは?」

 

 素朴な疑問にカトリナはうぅーんと呻る。

 

「そうなんですけれど……どうにもまだ慣れなくって。だから期待の新人だとかまだ言われちゃうんでしょうけれど……」

 

「そうなんですね。私はでも、もうさすがに期待の新人は言い過ぎだと思いますけれどねー」

 

 同調する様子を持っているが、ラジアルの言い草に相手を慮ってのものはない。

 

 しかし当のカトリナは気にしていない様子で、自分の境遇を分かってくれている相手だと認識している。

 

「そう……ですかね。じゃあそろそろ制服に袖を通したほうが……いいのかな? アルベルトさんはどう思います?」

 

「オレ? オレっすか……? 何で?」

 

「何でって……私がリクルートスーツのままだとやっぱり、クラードさん、まともに取り合ってくれないんでしょうか? アルベルトさんならクラードさんの事、分かるんじゃないんですか? 半年も一緒に居たんですから」

 

「いや、オレは……。あいつの事、まだ何一つ分かっていなかったみたいなもんですし……。それに、相手の服装がどうだとか、あいつは気にするような性質じゃありませんよ。どんな格好でも、相手に対しては同じスタンスのはずです」

 

「じゃあ、シンジョウさん! 思い切って水着でも選んでみません?」

 

 急に飛躍したラジアルの言動にアルベルトは当惑の目線を振り向けてしまう。彼女はウインクして笑っていた。

 

「アルベルトさんも、むさくるしい男ばっかりなんで、水着の女性くらい見たいですよね?」

 

「いや、あんた何言って……!」

 

「……そう、ですかね? リクルートスーツ姿のままなくらいなら、水着でもいいのかも……」

 

 何故なのだか、当のカトリナは真面目に悩んでいる。

 

「いや、悩むのおかしいでしょ! あんた、普通にしていりゃ別におかしなところなんて……」

 

 思わずツッコんだ自分相手に、カトリナはぷっと吹き出していた。

 

 ラジアルも口元を押さえて控えめに笑う。

 

「アルベルトさん、おっかしー! 水着なんて選ぶわけないじゃないですか」

 

「いや、そのぉー……私もラジアルさんのノリに悪乗りしちゃいました。何だかアルベルトさん、思ったよりも乙女な反応してくれるので……」

 

 二人分の笑い声を引き受けながら、アルベルトは憮然とする。

 

「……お、怒りますよ、オレだって」

 

「あっ、ごめんなさい……。でも、男の子をからかうのって、何だか面白いですね」

 

「でしょー? 言ったじゃないですか。アルベルトさんは意外に乙女で繊細なんだって」

 

 示し合せての言動だったのが余計に性質の悪い。

 

 アルベルトは運ばれてきたA定食のチキンを頬張りながら、舌打ちを漏らす。

 

「これだから……女ってのは……」

 

「ああ、怒らないでくださいよ。私達、こうしてアルベルトさんと対等に話せるの、何気にすごいと思ってるんですから」

 

「ええ、それは私も思います。……だって最初に通信繋いだ時、すごい剣幕で怒鳴られちゃいましたから」

 

「あっ、その時はその……オレも余裕なくって……」

 

 そう言えば謝る機会を見逃してばかりだ。

 

 ここで一旦、それまでの無礼を謝っておこうと佇まいを正しかけて、ラジアルが制する。

 

「いいんですよ。ああなったら誰だって余裕なんてないんですし。それにアルベルトさんが謝ったって、あの状況はどうしようもなかった。違いますか?」

 

「いや、違わないですけれど……それでも失礼な物言いだったなって……スンマセン……カトリナさん」

 

 頭を下げた自分にカトリナは戸惑って返答する。

 

「い、いいんですってば、アルベルトさん! ……私も最初の仕事でワケ分かんなかったですし……ラジアルさんの言う通りに、あの状況で落ち着けって言うほうが無理な話ですから」

 

「いや、それでも礼節を欠いていました。オレ、頭に血が回っちゃうと、周りが見えなくなっちゃうんで……」

 

「それだけ、クラードさんの事、大事に思ってくださっていたんですね。委任担当官として、何だか誇らしいです。こんな理解者が近くに居たから、クラードさん、デザイアを大事にしていられたんだと思うんですよ。だってそうじゃなくっちゃ、エージェントの身でそこまで真剣になれないはずですし」

 

「ある意味じゃ、アルベルトさん、クラードさんを引き留めたんじゃないですか? そっちに行っちゃわないでくれって」

 

「オレが、クラードを引き留めた……?」

 

 明確な感覚の伴わない言葉に戸惑っていると、カトリナの端末が鳴り響く。

 

「あ、はい。えっ、サルトルさんのところにピアーナさんが? ……すいません、ゆっくりランチの時間を取りたかったんですけれど、急用みたいで。行ってきますねっ!」

 

 微笑んでうどんをすすり上げてふんふんと鼻歌交じりに去っていくカトリナの背中を眺めていると、ラジアルがぽつりとこぼす。

 

「……そんなに好きならとっとと告っちゃえばいいのに」

 

「こ、告……ッ……!」

 

「いーんですよ、別に。私の口から本人に言ったって」

 

「いや、それはズルいでしょ、ラジアルさん!」

 

「何にもズルくないと思うんですけれどねー。アルベルトさん、このままじゃシンジョウさんを一生遠くで眺めていて終わりそうですけれど」

 

「お、オレは、そんなつもりなんて……」

 

「じゃあどういうつもりなんです? シンジョウさん、クラードさんに取られちゃいますよ?」

 

「と、取るだとか取られるだとか、そんなのあいつには関係ないでしょうに」

 

「そう思っているんだとすれば相当おめでたいですけれど。ま、他人の恋路なんで私は別にどっちでもいいんですけれどねー」

 

 ラジアルの言動には振り回されっ放しだ。

 

 ある意味ではラジアルの思惑通りに進んでいるのだろう。それはそれで癪で、アルベルトはささやかな抗弁を発する。

 

「お、オレは別に、カトリナさんのどうこうだとか思っているわけじゃないっすよ……」

 

「本当に? じゃあどうだって言うんです? あんなに誰が見ても分かりやすく見惚れちゃって、説得力なんて欠片もないんですけれど」

 

「……見惚れちゃっていますか」

 

「ええ、存分に。何なら傍から見るとちょっと異常なほどに」

 

 ラジアルの評は嘘ではないのだろう。アルベルトは静かに肩を落とし、首回りを撫でる。

 

「参ったな……。オレ、自分でも分かりやすい性質だとは思わなかったのに」

 

「あら? もうカトリナさんの事、何とも思っていないとか言うのは否定しないんですね」

 

「……言ったってあんたを楽しませるだけでしょう」

 

「分かっているじゃないですか」

 

 付いて来た野菜ジュースを飲み干しつつ、ラジアルはそれでいて雅な動きを絶やさない。見ていても気持ちのいい動きとはこの事を言うのだろう。

 

 一つ一つがまるで何かのコマーシャルのように美麗で芝居がかっている。

 

「……ラジアルさんってずっとそうなんですか。どの仕草もその……女っぽいって言うか……」

 

「ずーっとCM女優もしていますし、自然とこうなっちゃったんですよ。何せ幼少期から女優業ですからね」

 

「ああ、そういや見た事あるな、ラジアルさんのCM……」

 

「アルベルトさん、そんな事言っている間に、シンジョウさん、本当に手の届かないところに行っちゃいますよ? 後悔のないように動くのが一番だと思うんですけれどねー」

 

「……後悔がない、か。何だかオレには、とんと縁遠いものに思えてきちまって……」

 

「何なら次の補給コロニーの入港時にシンジョウさんとデートでも行けばいいんじゃないんですか?」

 

「で、デートって……ガラじゃないし示しも付かないっすよ……」

 

「今さら宇宙暴走族のガラってのも通用しないような気はするんですけれどね。まぁでも、次の補給地には三日間くらいは居る予定ですので、何ならお茶の約束でも取り付ければいいんじゃないですか? シンジョウさんも働き詰めで疲れているから、多分オーケーしますよ?」

 

「……そんなもん、浮ついた事はシュミじゃねぇっすよ」

 

「うわっ、出た……アルベルトさんの言う、趣味じゃないって言うの。よくないと思いますけれどねー。趣味だとか趣味じゃないとかでタイミングを見失うの」

 

「……本当に、シュミじゃねぇんですが……それでも、後悔のないように、か」

 

 



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第40話「一時の安らぎを」

「このお嬢ちゃん、《アルキュミア》を修復しろってうるさいってんで!」

 

 サルトルに突き出されたピアーナは頬をむくれさせて《アルキュミア》を指差す。

 

「解体したら許さないんですから!」

 

「したって、あんたは電子光学技師だろう? オペレーター勤務になる予定だって言うんじゃ、《アルキュミア》をバラしたって別に問題ないんじゃないのか?」

 

「大ありです! わたくしをバラバラにするつもりですか!」

 

 諍いの只中に飛び込むのは少し気が引けたが、カトリナはデッキのパイプを蹴って二人の間に割って入る。

 

「まぁまぁ。……サルトルさん、《アルキュミア》、分解しちゃうんです?」

 

「ああ。こいつはガワだけは最新鋭だが、他は数十年前のMSだ。今の規格に通さないと装備もやり辛い。一回、分解してからの再構築だな、動かすにしても」

 

「でも、《アルキュミア》はピアーナさんの命と直結しているんじゃ?」

 

「直結しているのはコックピットブロック周辺だけだ。他のガワまで繋がっているわけじゃないだろ。まぁ、それなりに嫌な気分はするだろうが、それでも我慢してくれとしか言えんな」

 

「我慢? 自分の分身がバラバラにされるのを、我慢ですって?」

 

 怒り心頭に達しようとしているピアーナへと、カトリナは取り成す。

 

「ま、まぁそんなに怒らなくっても。幸いにしてコックピット含めメインブロックは無事なんですよね?」

 

「ああ、クラードに感謝しろよ、お嬢ちゃん。あいつがマジになったら、コックピットなんて貫くのなんざ簡単なんだ。それをわざわざ、高熱でコックピット内部だけ感電させてパイロットを殺し、そのままメインブロックは生かすなんて高等な真似をしたんだからな。いわば命の恩人って奴だな」

 

「……命の……。ピアーナさん、クラードさんにお礼は言いましたか?」

 

「言うわけがないでしょう。如何にカトリナ様とは言え、常識を疑います」

 

 ぷんすかとまるで反省する余地もないピアーナに、カトリナは肩を落としつつ、サルトルへと声を潜める。

 

「……そもそも、クラードさん、ピアーナさんと会おうともしていませんよね?」

 

「まぁ、会わんほうがいいのかもしれん。結果的にクラードはああやって助けたが、本人はそんなつもりはないんだろうからな」

 

「自覚ないって事ですか?」

 

「……ふぅーむ……あいつの事をそれなりに長くは見ているつもりだが、こう言っちゃあれだが、あいつのやり方らしくないんだよなぁ、この直近。宇宙暴走族を招いたのだってそうだし、あいつのやり口とはまるで違っているんだよ。本来なら、語るような人間を遺さないってのがエンデュランス・フラクタルのエージェントってもんだからなぁ」

 

「……語るような人間を残さない……。それって例えば、アルベルトさんとかも……?」

 

「ああ。これまでの任務経歴を見るに、ああいう気紛れを起こしたのは本当に稀だ。奴も何かあったんだと思うべきなんだろうが」

 

「……クラードさん、あれでも冷たくはないんだ……」

 

 自分に対してのみの辛い対応ならそれはそれでへこんでしまうが、アルベルト達を生かした事自体がクラードにとってのイレギュラーなのかもしれない。

 

「どっちにしたってお嬢ちゃんの《アルキュミア》はいっぺん、共通規格に通さんとどうしようもない。このままじゃMS運用としては下策も下策だ。ちょうど入港手続きが進めばコロニーからの補給物資も手に入る。《レヴォル》の武装だって拡充出来るんだ、それに越した事はないさ」

 

「……まだ、《レヴォル》は強くなるんですか?」

 

「うん? 何か不安でも?」

 

「不安って言うか……もう充分に強いような……」

 

「あいつはそうだと思っちゃいないさ。まだまだ、自分と《レヴォル》はやれる、そう思っているはずだ。《レヴォル》の改修案は実はまだ五割も通っちゃいないし、それに主戦力を太くしておくのは何も間違いじゃないだろう?」

 

「……主戦力。やっぱり、《レヴォル》って特別なMSなんですか?」

 

 格納デッキの片隅に位置する《レヴォル》へとピアーナが浮遊し、そのままコックピットへと取り付く。

 

 整備班を振り払って手を付いたピアーナは直後に解析不能な言語を発していた。

 

「な、何を……!」

 

『「秘匿コード、“マヌエル”」』

 

 紡ぎ出されたコードに対して、《レヴォル》の内側から水色の光が生じ、彼女へと独自回線を開く。

 

『コード認証を確認。コミュニケートモードに移行します。“……クラードではないな。誰だ、この回線を使うのは”』

 

「初めまして、《レヴォル》。わたくしはピアーナ。ピアーナ・リクレンツィア」

 

「信じられん……。ライドマトリクサーの独自権限でクラードにしか反応しないはずのレヴォルの意志と交信しているのか……」

 

 サルトルも呆気に取られている。他の整備班も同様で、浮遊しながら持て余すばかりだ。

 

「《レヴォル》、礼を言いに来ました」

 

『“謝礼だと? それはクラードに言うといい。こちらは彼の操縦技術に頼っている”』

 

「そうでもないのでは? 貴方には貴方の意識……意志とでも呼ぶべきものがある。それを観測したから、わたくしはこうして話しているのです」

 

『“……こちらの意識を解読したところで、では判読対象かと言うとそうとはならない。専任ライドマトリクサーたるクラード以外との交信は固く禁じられている”』

 

「では貴方は禁を破っているんですね。こうしてわたくしと話している」

 

『“話すと言うほどでもない。第一、そちらがこちらのシステムに介入してきた。ハッキング行為のようなものだ”』

 

「言い方次第ですね。《レヴォル》、貴方には礼を言っておきます。《アルキュミア》を、壊さないでくれて、ありがとう」

 

『“先にも述べた通り、礼ならばクラードに言うべきだろう。それが正しいはずだ”』

 

「そうですね。機械でも分かる単純な理屈ですがしかし、そういう気にならない、それは機械には分からぬ感情のはず」

 

『“……理解に遠い。こちらからの交信を途絶する”』

 

「いいでしょう。こっちの用件は済みましたから」

 

『コミュニケートモードを終了』

 

「ちょっ……! 何やってるんですか! 勝手な事しちゃ駄目ですよぅ!」

 

「……義を通せと言ったのはカトリナ様でしょう? わたくしはあのクラードに礼を言うなんて天地がひっくり返っても御免ですが、彼には言える」

 

「レヴォルの意志に、か。しっかし驚いたよ。全身RMってのはそんな事も出来るのか?」

 

「わたくしが特殊なだけでしょうね。《レヴォル》の波長を少しばかり学習したからためしに出来ただけですが、もう彼は次のパスコードを入力している。二度目はないでしょう」

 

「そりゃそうだ。そう何回もレヴォルの意志に入れる奴が現れて堪るかってんだ。……ったく、期待の新人! こっちの仕事を増やすなよ!」

 

 ピアーナが整備班によって《レヴォル》から引き剥がされ自分へと放り投げられる。

 

 慌ててピアーナを受け止めると、思っていたよりもずっと重たくってカトリナは尻餅をついてしまう。

 

「……お、重っ……」

 

「すいません、カトリナ様。わたくしは全身RMなので重量があるのです」

 

「それはいいんですけれど……。って言うか、もう期待の新人って呼ばないでくださいよっ!」

 

「そいつぁ悪いね。ただ、委任担当官としての仕事だけはしっかりやってくれよ。そいつの首に縄でもかけてな」

 

「もうっ……。ピアーナさん、行きましょう。自由な身分になれたんですから、艦内を案内して……」

 

「要りません。わたくしはもう、この艦の隠し部屋に至るまで把握していますので」

 

「……そういえばそうだった。隠し部屋とか……そんなのあるんですねぇ。ただでさえ大きいヘカテ級なのに、迷っちゃう……」

 

「通常は認識されない部屋が十四個。そのうちロックが厳重なのが九個。わたくしの能力でも鍵開けに時間がかかるのが五つ」

 

「あのー……出来ればそういう、胡乱な事は言わないでもらえるとぉー……。サルトルさん達から睨まれちゃう……」

 

「承知しました。ですが、カトリナ様。自身の職場です。現状認識をしっかりと持っておくのは何も悪い事ではないはず」

 

「そうですけれど……うぅー……正論だなぁ……。どっちにしたってピアーナさんはこれから電子光学技師でしたっけ? オペレーター勤務になるんですよね?」

 

「ええ。この艦の電子戦闘技術が未発達なのは先にも述べた通り。ですので、わたくしを配すれば少しでもマシになる事でしょう」

 

 カトリナにはイマイチピンと来ないが、彼女の能力が買われているのならばそれに越した事はないはずだ。

 

「……でも、そんなのどこで習ったんです? 連邦艦に居た頃からそうだったんですか?」

 

「いいえ。わたくしは全身ライドマトリクサー。ならば最大限にここで戦力として発揮出来る場所が電子戦であったと言うだけ。MS戦闘でもいいのですが、わたくしは《アルキュミア》以外のMSへの搭乗経験はありません。当然、ここ数年で出回った《エクエス》や《マギア》に関しての知識はゼロ。ならば、少しでもマシな位置に陣取ろうと言うのは当たり前の心理じゃありませんか」

 

「……当たり前の心理……。何だかそう言われちゃうと弱いんだけれど……。ピアーナさんもこの艦で役立つようになりたいって事ですよね?」

 

「噛み砕いて言えば。カトリナ様もそうでしょう? 委任担当官と言う業務がどれほどのものなのかは存じ上げませんが、それ相応の職務のはずです」

 

「そ、そんなっ……私なんてまだまだで……。ああっ、でもどうでもいい職務とかじゃなくって……そりゃ、本気で立ち向かっていますよ? もちろんっ!」

 

 覇気を上げて声にするとピアーナはその冷たい白磁の肌へと僅かに喜色を浮かべる。

 

「……元気があっていい事だと思います。自身の職務に誇りが持てるのならば、それは何も間違いではないはずですから」

 

 ピアーナはそう言って立ち去っていく。

 

 その背中を眺めつつ、カトリナは口中に繰り返していた。

 

「……自身の職務に誇り、かぁ……。何だかそれって、ちょっと遠いかも……だなぁ……」

 

「何やってんの」

 

 頭上から降ってきた声に、カトリナはかしこまって応じる。

 

「く、クラードさん? いや、その……」

 

「クラード。留守にしておいたうちにピアーナの嬢ちゃんがレヴォルの意志に介入した。ちょっとでいいから手伝ってくれ。パスコードの再設定を行う」

 

「……ピアーナが? ……厄介な事をしてくれる」

 

 浮かび上がりかけたクラードの足を、ギリギリでカトリナは引っ張っていた。

 

「ま、待って……! 待ってください!」

 

「待たない、離して。邪魔だ」

 

「邪魔って……ちょっとでいいからお話をっ!」

 

「……めんどいな。何?」

 

 自分と改めて面と向かって話してくれるクラードへと、カトリナはえっと、とまごつく。

 

「……そのぉー、さっきの戦闘で……」

 

「話す事決めてないんなら後にして。あんたはそうでなくっても愚図だし、のろまだ。話の内容が定まっていないなら俺と話そうなんて思わない事だ」

 

「待って! じゃあその……何で、ピアーナさんを生かしてくれる気になったんですか?」

 

「……俺がピアーナを生かした? いつ?」

 

「いや、いつって……だって海賊との戦いだって大変だったはずなのに、わざわざそんな……」

 

「俺がピアーナと《アルキュミア》をわざわざ慮って生かしたとでも? 殺すほうが面倒だった、それじゃ駄目なのか?」

 

「いえその……何度も言わせるようですけれど、ピアーナさんもクラードさんもその……素直じゃないと言うか何と言うか……」

 

 二人とも、素直に助けた助けられたで礼を言い合えばいいものをこの二人はまるで決して交わらない点同士のように絶対に二人で会おうとはしない。

 

「……お陰様で私の仕事が増えるばっかり……」

 

「いい事だろう。あんた、仕事があればまだ重宝されるんだから」

 

「それって……私が普段、役立たずだって言っているようなものですよね……」

 

「いちいち言わないと分からないところからはマシになったんだから、いいだろう」

 

 大仰にため息をつく。

 

 どうやらクラードを少しばかり素直にするのに時間がかかりそうだ。

 

「それよりも、俺はサルトルと《レヴォル》に用があるんだ。サルトル、コロニー到着まで半日を切った。入港準備にベアトリーチェが入るから、俺の《レヴォル》は隠しておいてくれ」

 

「隠して……何で?」

 

 目を白黒とさせる自分へとクラードはとことん呆れ切ったような声を返す。

 

「……あんた、本当に馬鹿なのか? 俺と《レヴォル》は軍警察にマークされている。下手打って戦闘になんてもつれ込んだら厄介だ。ただでさえコロニー内での戦闘は御法度。軍警察、トライアウトの連中が体裁なんて気にするかどうかはさておき、エンデュランス・フラクタルとしては先制攻撃なんて事は避けたい」

 

「わ、分かっていますよ、それくらい……っ! ……でも、じゃあベアトリーチェはどうなるんです? この艦だって相手に割れていますよね?」

 

「入港する場所は裏の企業専用の港を使う。統合機構軍の港だ。そう簡単にはトライアウトでも検閲は不可能のはず。ただそうじゃない陣営からは丸見えだからな。それも気を付けないと」

 

「そうじゃない陣営……? それって統合機構軍の中でも、敵味方があるっていう事ですか?」

 

「……可能性の話。だが用心するに越した事はない。サルトル、俺と《レヴォル》は待機でいいな?」

 

「その事なんだがな、クラード。艦長からの伝令が今下った。どうにもお前、そこの期待の新人とちょっと行動を共にして欲しいみたいだ」

 

「ふへぇっ? ……何で?」

 

「意味が分からない。メリットも何もない」

 

「まぁ、あれだ。休める時に休めって言う表れなのかもな。フロイト艦長なりの」

 

「……俺は《レヴォル》のコックピットが一番落ち着くんだが」

 

「そう言うなって。どっちにしたって武装を積んだり調整している間はお前は《レヴォル》から降りないといけない。その時に手持無沙汰だろ? ……艦長はお前を心配している。だからこそ出る命令だ」

 

「……分かった。レミアがそう言うって言うんなら、俺は従うよ」

 

 案外、あっさりと命令には従ったクラードだが、こちらとすれ違う際、ぽつりと言い置かれる。

 

「……それにしたって、こんなのと俺が何をしろって?」

 

「こ、こんなのって何ですか! こんなのってー!」

 

 背中に怒りをぶつけたが、何でもない事のようにクラードは振り向かずに手を振るだけだった。

 



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第41話「軋轢」

「悪いが許諾出来ない。その申請は通らないだろう」

 

 ヴィルヘルムに志願書を出すなり言い放たれたものだから、ハイデガーは当惑する。

 

「で、でもあなたは、有機伝導技師のはずだ!」

 

「だからって、この項目の施術は違法改造に近い。こんなライドマトリクサー施術を実行すれば、もう人には戻れないぞ? ハイデガー少尉」

 

 ライドマトリクサー化が可能な項目全てにチェックを入れたのがいけなかったのか、とハイデガーは拳を骨が浮くまで握り締める。

 

「……僕は、何度も……何度だって、この艦を助けられた! だって言うのに、今のままじゃ怠慢じゃないか!」

 

「そう感じる必要はない。《エクエスガンナー》は毎回、有用な戦闘データを取ってくれている。このままなら、下手に斥候を出すよりも安定性が高い」

 

「それは僕の仕事じゃない!」

 

「ハイデガー少尉、落ち着くんだ。君が取り乱してどうする。……それに君は、この艦でもまだマトモなほうだ。下手に身体拡張なんて手を出さないほうがいい。そのほうが性にも合っているはずだ」

 

「あなたは僕の何を知って……!」

 

「――ミハエル・ハイデガー少尉相当官。これまで最低限度の思考拡張のみであったにもかかわらず、ミラーヘッド戦歴、それに武勲の数々は聞き及んでいる。わたしはこれでも、艦内の人々のプロフィールには目を通していてね。君もその一人だ。ゆえに、ライドマトリクサー施術も、これ以上の思考拡張も要らないと、判定した」

 

「……僕の意思じゃないでしょうに」

 

「いいや、これは艦の総意だ。ライドマトリクサーはクラードだけでいい。その彼だって、可変するのはせいぜい腕だけだ。だと言うのに君の要望は、ピアーナ相当のRM施術にまで匹敵する。そこまで行けば確実に戻れなくなる。これは警告の意味も含んでいる」

 

「警告……? あなたはそうするのが怖いだけでしょうに……!」

 

「否定はしないがね。意味のない身体改造は害があっても有益には繋がりにくい。君は現状の《エクエスガンナー》の地位が気に入らないのなら、他の機体だってあてがう事が出来る。入港したコロニーでの補給準備も整っているんだ。その時に高性能機を君に与えてもいいという話にはなっている」

 

「話だけでしょう。……僕が本当にそれに乗れるかの実感はない」

 

 責め立てると、ヴィルヘルムは嘆息をついて自身の仕事へと戻っていた。

 

「……一体何がどうして、そこまで思い詰める? 適材適所と言う言葉がある。君は、《エクエスガンナー》のパイロットが嫌になったのか?」

 

「……嫌と言うよりも不服です。僕は元々、《レヴォル》のパイロットだった!」

 

「それはクラードが任期を満了した場合の想定だ。クラードの反応にレヴォルの意志が作用し、その結果としてデザイアでの悲劇がもたらされた。あれは想定外だった、そこに疑う余地はない」

 

「……その言い草、僕は元々、捨て石だったって言っているようなものですよ……!」

 

「そんな事はないよ。君は充分に、《レヴォル》搭乗の試験を受けていたし、パイロット適正も高かった。テストパイロットとしては出来過ぎたくらいだ」

 

「なら……! 余計に僕がパイロットであっても……!」

 

「だがね、《レヴォル》はクラードを選んだ。それを無視して《レヴォル》に搭乗したって、何もいい事はない。あのMSは特別なんだ。下手に勘繰って乗れば手痛いしっぺ返しに遭う。わたしは、《エクエスガンナー》での君の戦歴を評価していたんだがね。デザイアで引き上げた連中みたいに、生き死にの場所が分かっていない戦い方じゃない。君には君にしか出来ない戦場がある」

 

「……詭弁ですよ、それは」

 

「詭弁でも、正直なところで言えば、君の事を思って言っている発言だ。これが詭弁に聞こえるのだとすれば、ハイデガー少尉。君には休暇申請を出すしかなくなる」

 

「休暇……? 下手を打っていないのに休暇なんて出されるなんて……そんな事……!」

 

「ちょうどコロニーに入港する。三日くらいは滞在するつもりだ。その間に身の振り方を考え直すといい。《レヴォル》だけが君の可能性じゃない。それが分かるはずだ」

 

「……僕は《レヴォル》の……テストパイロットだったんですよ……!」

 

「適正はクラードのほうに傾いている。むしろ、あの機体に乗らないでよかった幸運を噛み締めるべきだ。彼の戦い振りは見ているだろう。黒い旋風、グラッゼ・リヨンとの戦闘に、トライアウトとの度重なる激戦、海賊組織との戦闘。どれもこれも、あまりに苛烈が過ぎる。あんなものを経験しないでいいのならばそれでいいはずだ。君は経歴も輝かしいパイロット、我らエンデュランス・フラクタルが実力を買った構成員だ。それは分かってもらいたいものだがね」

 

「……理解していただけないのなら、こちらもそれなりの対応があります」

 

「……だからってその項目のライドマトリクサー施術は死に急ぎと言うんだ。ダメージフィードバックだって、思考拡張とRMではまるで違う」

 

「……あなたは僕の理解者じゃない。それが今、明瞭に分かっただけです」

 

「……そう、か。それは残念だよ」

 

「ええ、残念です。ヴィルヘルム先生」

 

 ハイデガーは医務室を立ち去る。

 

 ここに居場所なんてないと言うのならば、それは――。

 

 端末を起動させ、ハイデガーは通信を繋いでいた。

 

「……もしもし。そちらにライドマトリクサー施術を予約していたハイデガーですが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大型コロニーの持つ威容に、アルベルトは思わずと言った様子で気圧されていた。

 

「……デケェ。これが大型補給コロニー……」

 

「まぁ、ミラー付きのコロニーなんてデザイアにはなかったでしょうからねぇ。目新しいのも頷けるかも」

 

「ミュイ……! おおきいね、あれ!」

 

 窓辺でファムが指差した先にあったのは、三つの天蓋となるミラーであった。

 

 デザイアには天候を司る機関は全て中枢シャフトに集中していたのでミラーが三枚もある大型コロニーは新鮮である。

 

「こんなもんが、補給地だって言うのか」

 

「エンデュランス・フラクタルの一応はお膝元。まぁこれでも何だかんだで大型企業だし。それなりよね」

 

 ファムを抱えるバーミットとやらのオペレーターの冷静さにアルベルトは舌を巻く。

 

「……慣れてるん……ですね」

 

「そりゃ、あなた、月航路を取るって言って、こうして入港してるんだもの。さぁ、ファム。あんたの服も見繕わなくっちゃねぇー。いつまでも同じ服ってわけにはいかないし」

 

「ミュイぃぃ……このモフモフ、おきにいり……」

 

「あんた、何日それを着てるのよ。ここいらで着せ替えないとこの世の終わりまでそれ着てるでしょ。もっといいのを着せてあげるから、さぁこっちに来る」

 

「ミュイ……クラードぉ……」

 

「クラードの坊ちゃんは来ないってば。あいつはあいつで仕事でしょ」

 

「仕事? ……クラードにも仕事があるんですか?」

 

「そりゃあね。あいつ、あれでうちの一流エージェントだし。それなりの職務ってもんがあるはずよ。なに、気になるの?」

 

「いや、別に……」

 

 視線を逸らしてコロニーのミラーを仰いでいると、バーミットはぽかぽかと殴りつけてくるファムを抱えて、はいはいと取り成す。

 

「あのクラードのカタブツも相当オモテになるようで。幸せ女のカトリナちゃんとファム両方に好かれるなんて、なかなかに果報者ねぇ」

 

「ミュイ! クラード、かほうもの! すきー!」

 

「……サワシロさんは……」

 

「バーミットでいいわよ。別にあなたとはどうなったって知ったこっちゃない間柄だけれど、ファミリーネームは嫌いだし」

 

「あっ……じゃあその、バーミットさんはクラードとは長いんですか。何だかその……色々知っているみたいなので……」

 

「なにー、気になっちゃう? ……まぁ、ね。あいつとは色々あったのよ。ただまぁ、ちょっとやそっとで語れる仲じゃないって言うか。そっちだってそうでしょ? 半年間、何があったのかなんてちょっとやそっとじゃ語れないはずよ?」

 

 正鵠を射られてアルベルトは言葉をなくす。

 

 バーミットは大きく伸びをしてから、軽く手を振る。

 

「まぁ、その辺はクラードが話したがるとも思えないけれど、いつかは話せるようになるのかもね。あたしは話さないけれど」

 

「……それってズルいっすよ」

 

「ズルくないわよ。色々あったんだって、分かっていればなおさらね」

 

「……色々、か。オレは、クラードに何をしてやれるんだろうな……」

 

『ベアトリーチェ、入港準備完了。五分後にはドッキングベイへと移行します』

 

 ラジアルの声が響き渡って、ベアトリーチェが港へと停泊するのが振動で伝わる。

 

「さぁーて、ファム。あんたはあたしと同行。経費で服を買い漁るわよー」

 

「ミュイぃぃ……バーミット、なんだかうれしそう……」

 

「そりゃ嬉しいでしょうに。経費で落ちるのよ? どんな高級品だって。あんたこれ以上に嬉しい事なんてないでしょ? 大企業エンデュランス・フラクタル様様よ」

 

「……バーミット、がめつい」

 

「どこで覚えたのよ、そんな言葉。さぁ、イヤーな事は忘れて、ぱぁーっと発散しちゃいましょ! ……あ、そうそう、アルベルト君、だっけ?」

 

「あ、はい……。なんすか……」

 

「クラードを心配するのはいいけれど、飲まれない事ね。あいつ、うちの企業の暗部みたいなものだから。あいつに踏み込み過ぎれば何かと後ろ暗い事情とは絶対に関わらなくっちゃいけないし、何よりもそういうの、いい傾向とは言えないわよ? だから、適度に距離を取るのがあたしなりの処世術だとは思うけれどね」

 

「……処世術、っすか。でもオレは……あいつに……クラードに何回も救われてきた。もう運命共同体なんです。だってなら、オレはあいつの事を……もっと知らなくっちゃいけない」

 

「それが暗黒に繋がる道でも、か。……あなた何気にいい根性しているわ。さすがは天下の宇宙暴走族、って感じかしらね。ただね、これは長い事生きる上での忠告。どれだけいい人間でも死ぬ時は呆気ない。だから踏み込むなってのはそれも言ってるのよ。足を取られるのは一瞬、それもいつだって、ね……」

 

 バーミットの声音には暗いものが窺えていた。

 

 本心で忠告してくれているのは分かるのだが、彼女は一体、クラードの何を知っていると言うのだろう。

 

 問い質す前に、バーミットはファムを引き連れて艦から降りていく。

 

 アルベルトは持て余した身を窓辺に投げていた。

 

 企業だけの秘密の停泊港には他の巡洋艦クラスは見られない。

 

 ベアトリーチェだけが停泊している状態ならば敵襲の警戒も必要ないのだろう。

 

『これより、ベアトリーチェは戦闘警戒を解除。以下、四十八時間の自由時間とします』

 

 ラジアルの声に、アルベルトは端末を取り出す。

 

 そこに積み重なるようにしてかけられてきていた履歴の番号に、静かに嘆息をつく。

 

「……兄貴。まだオレの事、諦めていないって言うのか……」

 

 だが返答出来るだけのものが自分にはあるだろうか。

 

 デザイアで大勢を死なせ、自分もまたクラードに救われる形でベアトリーチェに同行している。

 

 そんな事を話したところで、有益ではないだろう。

 

「……生きているだけでも、か。でもそれって、オレにとっては何て言うのか……少し重石だよ」

 

 そう呟いて端末の電源を切っていた。

 

 



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第42話「バーンアウトの悪名」

『――受信。アルベルト様の端末の最終履歴は、コロニー、シュルツ。統合機構軍の平定する大型コロニーです』

 

 そう伝令を受けたのは数分前で、目の前の上官相手に結果のみを報告する。

 

「どうやら弟はデザイア崩壊の後に、統合機構軍に捕らえられた様子です」

 

 ふむ、とこちらの言葉を受け止めたのは顔に傷痕のある強面の上官であった。

 

「なるほどな。存分に心配な事だろう、君としてみれば」

 

「ええ。あれでもよく出来た弟なんです。出来れば悪い遊びからは卒業させたい」

 

「それで我が方に――ディリアン・L・リヴェンシュタイン中佐。まさか行政連邦でもトップクラスの親衛隊勤務のあなたが、我々トライアウトネメシスに進言していただけるとは。光栄と、思ったほうがよろしいのでしょうかな」

 

「トライアウトジェネシスでは弟を殺してしまいかねない。その点、あなた方ネメシスはまだ分別がある。必要のない人間だけを始末出来る技量があると聞き及んでいます」

 

「我々トライアウトネメシスでは要人警護から、拠点防衛まで幅広く扱っております。必ずや弟君を悪しき統合機構軍から奪還し、あなたに勝利を約束しましょう」

 

「頼みます。弟は……アルベルトは歪んだ思想に染まりつつあるのです。それにはきっと、デザイアを襲撃した統合機構軍の一部組織が関与しているはず」

 

「それに関しては聞き及んでおります。報告の中に、デザイア崩壊に際して、出現したヘカテ級大型新造艦の存在を」

 

 書類上に映し出されているオレンジ色の艦艇に対して、ディリアンは奥歯を噛み締めていた。

 

「……アルベルトをたぶらかした大罪人共め……。その命で償わせてください」

 

「構いませんが、よろしいので? 我々トライアウトネメシスの流儀でやります。そうなると、コロニーシュルツは戦場となる。親衛隊勤務のあなたからしてみれば、痛くもない経歴に僅かながら傷がつきますが」

 

「構いません。少しばかり強引なほうが弟も懲りる事でしょう。悪い遊びから足を洗うのに、痛みは必要不可欠です。ただし、弟には」

 

「ええ、弟君には掠り傷一つ付けずに保護し、そして抵抗する者達は……」

 

「殺していただいて構いません。どうせ、悪い遊びを教えた愚か者達だ。死んで償うのが理想でしょう」

 

 ディリアンの言葉振りをトライアウトネメシスの上官は気に入ったのか、微笑んで応じる。

 

「お任せください。我々はパッケージの保護に関して言えば一流。それ以外の禍根の芽は摘んでおくに限りましょう」

 

「頼みますよ。巨額の投資をしているんだ、あなた方には」

 

「まさかリヴェンシュタイン家としてだけではなく、親衛隊からの支援金も得られるとは思っても見ますまい」

 

「ただし、条件として一つ。わたしも同行させていただきたい」

 

「しかし親衛隊勤務の機体が入れば、要らぬ噂も立ちましょうぞ」

 

「《エクエス》で構いません。なに、これでも親衛隊として腕は立つほうです。自分の身は自分で守ります」

 

「よろしい。では《エクエス》を一機、準備いたしましょう」

 

 上官は執務椅子から立ち上がり、格納デッキへと向かっていく。

 

 ディリアンは親衛隊仕様の式典服に身を包み、純潔を約束された矜持の紋様を胸に前に進む。

 

「ときに、リヴェンシュタイン様。知っておいでですか? デザイア崩壊時に観測された、忌み名の機体を」

 

「忌み名の機体?」

 

「これです。白いMS。所属は不明、恐らくは統合機構軍のどこかで建造された、違法MSでしょう。しかしこの機体と会敵したトライアウトの下部組織に居るあれは……誰だったかな。まぁそこの士官がですね、この機体の事をこう呼んだのですよ。忌むべき火薬庫――ガンダムとね」

 

「ガンダム……。この機体と弟の間に、まさか何か関係が?」

 

「いえ、それは不明なままですが、我々トライアウトの中で通説として出回った情報だけは共有しておこうかと。一連の事件はこのガンダムが噛んでいる可能性が高い」

 

「……ガンダム。忌むべきMSか」

 

 ディリアンはトライアウトネメシスの格納デッキの充実さに僅かながら息を呑んでいた。

 

「……これは……新型機《レグルス》ですか。もう配備が……」

 

「ええ。我らトライアウトネメシスはジェネシスよりも権限は落ちるとはいえ、それでも同じく軍警察です。統制に関しては同じか、それ以上のレベルだと思っていただいて構いません。《レグルス》の試験運転にもちょうどいい。これで統合機構軍の出端を挫く」

 

「上手く行きますか? まだ《レグルス》は試験運用中だとも聞いています」

 

「なに、我が方にもエースは居ます。ダイキ! ダイキ・クラビア中尉は居るか!」

 

「ここに!」

 

 格納デッキの中の《レグルス》コックピットより這い出てきた士官はニッと人のよさそうな笑みを浮かべて挙手敬礼する。

 

「彼が、エースですか」

 

「違法改造の《マギア》のミラーヘッドを三回迎撃しております。ミラーヘッド戦になれば、なかなかに頼れますよ。クラビア中尉! 君を先陣として編成を組む。準備は?」

 

「出来ております、中佐殿! 観てくださいよ、俺の《レグルス》!」

 

 彼のパーソナルカラーなのか、紫色に塗られた《レグルス》は次の戦場を心待ちにしているようであった。

 

「先走るなよ。君の悪い癖だ」

 

「了解であります! ですが、《レグルス》はやれますよ、自信がある」

 

「……リヴェンシュタイン様。彼だけではございません。トライアウトネメシスは役割こそ、ジェネシスのような強硬派とは少し違いますが、実力は伯仲しております」

 

「ええ、信じていますよ。前と後ろを任せるんですからね」

 

「それは喜ばしい。リヴェンシュタイン中佐の《エクエス》も万全にしておけ! 敵は統合機構軍だ」

 

「統合機構軍? PMCですか」

 

 浮かび上がってきたダイキと呼ばれた青年士官はこちらを一瞥するなり、鼻で笑う。

 

「偉い人、ってわけですか」

 

「口を慎め。親衛隊勤務の方だぞ」

 

「マジっすか。親衛隊ねぇ。行政連邦においてその実力を認められた一握りの集団、時の為政者の警護と、そして重要任務を司るって言う……」

 

「何か意見でも」

 

 ディリアンの問いかけにダイキと呼ばれた青年は反骨精神を丸出しにする。

 

「気に入らないって言っているんだ。俺達は使いっパシリじゃない。本物のトライアウトだぞ」

 

「クラビア中尉! やめておけ! 君とて親衛隊にとってしてみればただの一兵卒だ。上に噛み付いてどうする!」

 

「しかし中佐殿。このお方、《エクエス》に乗るって? ピーキーに仕上げておけよ、メカニック! なにせ親衛隊のお方が乗るんだ、出力が足りないとか難癖付けられちゃ、俺達、トライアウトネメシスの沽券にかかわるからな!」

 

「中尉!」

 

 その怒声でようやく、ダイキは退いていたが、上官の声がなければまだ噛み付いていたであろう事は容易に想像出来る。

 

「……失礼を。教育の成っていない部下でして」

 

「いや、いい眼をしている。エースと言うのは本物でしょう」

 

「あれで上役に下手に噛み付きさえしなければ、いいパイロットなんですがね……。身分の上の人間を見ると、手当たり次第で。うちではイノシシのダイキで通っています」

 

「イノシシ、か。目の前がまるで見えていない……」

 

「ですが、あれで実力は確か。下手にモチベーションを下げるわけにもいきません。それは作戦指揮に関わる。あんなですが、同僚達からの信頼も厚い。メカニックは彼の言う事ばかり聞く」

 

「それは実力がある表れでしょう。なに、少しばかり失礼なほうが、いいパイロットの証でもある」

 

「自信家なのです。いやはや、申し訳ない」

 

「いいえ、結果だけが全てです。これから先の結果云々で、わたしは身の振り方を決めなければいけない。弟さえ助け出せればいいんです。他は二の次でも」

 

「ではご用心ください。恐らくは先にも言いましたガンダム。まったくの無関係でもありますまい」

 

「……ガンダム、か……」

 

 その忌み名がどうしてなのだか、この時ばかりは焦燥感として胸を掻き毟っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ネメシスに令状? このタイミングでか?」

 

 帰投するなりメカニックに問いかけていたダビデへと、グラッゼは《エクエス》から手を離して近づいていく。

 

「失礼。ネメシスとは、トライアウトネメシスの事か」

 

「あっ、大尉。お疲れ様です! ……ええそうなんです。我が方で令状を取ろうとした矢先に、ミラーヘッドオーダーが通ってしまっていて……」

 

「ネメシスとジェネシスはご存知でしょうが同じトライアウトの中でも命令系統が違います。先手を打たれれば厄介な相手です」

 

 ダビデの説明にグラッゼは思案する。

 

「共闘は? 無理なのか?」

 

「駄目ですよ。連中、あれで我々よりもだいぶ人でなしです。大尉も聞いた事があるのでは? 焼き尽くし(バーンアウト)のネメシスと言えば」

 

「バーンアウト……確か、彼の者達の作戦行動を揶揄した物言いだったな。連中に分別はなく、敵味方関係なく焼き尽くすと言う噂か」

 

「それが噂だけじゃないから、困っているんですけれどね。連中のやり方がトライアウトジェネシスとはまるで異なる。殲滅戦と言っても、スマートじゃないんですよ、結局は。そこにある種の快楽に近いものを持って来るから始末に負えない」

 

「快楽殺戮者……。しかし軍警察はそのレッテルを貼られている」

 

「ほとんど彼らによるものです。それと下部組織のトライアウトの尾ひれやら何やらがついて、軍警察には分別なんてないって言われるようになったって言う。そもそものやり口に無駄が多いんですよ、連中は」

 

「DD、君は御立腹かな? そのスタンスには」

 

「そりゃ……言い逃れ出来ない事もあります。ですが、そういう云々を引き抜いたって、相手のやり方には意見もあるというもの。一家言を挟むのはいけませんか?」

 

「いいや、軍属ならば正しい判断だろう。私は所詮、根無し草のようなものだ。その根性が抜けている」

 

「……大尉は、トライアウトネメシスの殲滅領域を知らないのでそう言えるのです。ジェネシスのやり方とまるで違う。正直、迷惑の極みですよ」

 

「しかして、私達が出来る事も限られている。それもその通りなのではないかね?」

 

 グラッゼの言説にダビデは嘆息をつく。

 

「敵いませんね、大尉には」

 

「面白いものを観てきた。これを」

 

 端末に同期した映像をダビデに見せると、彼女は声を潜める。

 

「……《プロトエクエス》? どこの陣営です? そんな骨董品を使うのなんて」

 

「まだ分からんが、この機体は我らが回収した超長距離狙撃砲であの新造艦を狙い撃ちにしようとしていた。明らかに海賊組織によって疲弊した艦の足取りを分かっていての行動だ」

 

 クレーンで運び込まれる超長距離狙撃砲の威容に、ダビデは息を呑む。

 

「……嘘でしょう。これ、最新鋭の……」

 

「そうだ。君ならば見覚えもあるかと思ったのだがね」

 

「……トライアウトの標準ではありませんね。これはしかし、行政連邦の代物です。どこからこんなものを持ちこんだんだか……」

 

「やはり、不明か」

 

「不明と言うよりも、まるで読めません。この狙撃砲を使える身分があるとすれば、それは……行政連邦親衛隊身分相当でしょう」

 

「親衛隊……話にのみ聞いていたが、実在するのか? 行政連邦を守護する騎士団達。彼らは一様にして、その動きを悟られるのを嫌う、とも」

 

「実在しているのだとすれば、《プロトエクエス》なんてものを使う理由も分かってきます」

 

「……なるほど、気取られたくないのはお互い様か」

 

 もっとも、《プロトエクエス》程度の戦力ならば自分達でも圧倒出来た。それなのに、戦闘に持ち込まなかったのはひとえに、敵の戦力が割れないからだ。

 

 そんな状態で戦うのは識者の理論に正しくない。

 

「……戦闘とは理性的であるもの。ハイエナの論理ではない」

 

「識者の理論ですか。大尉の。……《プロトエクエス》を押さえていれば、何かしら見えていたかもしれませんが、そこに親衛隊の影があるとなると……穏やかではありません」

 

「トライアウトを統括する人々なのか?」

 

「統括……と言うのもある種では正しくないでしょう。彼らは影に徹し、そして陰ながらにして護る者達。彼らの基本理念はそもそも悟られぬ事。だとすれば、あの新造艦を強襲したのは……」

 

「――その一撃で決めるつもりだった。なるほど、その論法ならば頷ける。疲弊し切った戦場で漁夫の利を狙うと言うわけか。なかなかに賢しい」

 

「賢しくても勝てればいい理論です。大尉の翳す識者の理論とは真逆……」

 

「真逆でも強ければそれは正答だ。間違いあるまい。問題があるとすれば、連中はあのガンダムとやり合おうとは思っていなかった事だろうな」

 

「大尉は、ガンダム……、あれと戦いたいと?」

 

「ああ、是非もう一度死合ってみたいね。だがそのためには私が《レグルス》の手綱を握る必要性がある」

 

「……暴れ馬ですか、あれは」

 

「まだ、な。アイリウムの移植作業はティーチ達に一任してあるが、なに、馴染むのには時間がかかる。それは今まで私の扱ってきたMSならばどれも同じくだ。しかし求める戦場があれば赴こう。私はそのつもりでいる」

 

「敵いませんね、やはり大尉には。識者の理論を振り翳しつつも、戦うべき時には戦うと言っている」

 

「だってそうだろう? 私はクラード君を……まだ彼の本気と死合っていない。その時点で底が知れているというものだ。ならば彼を本気にさせる。まずはそこからだろう」

 

 ダビデはこちらの言葉にフッと笑みを浮かべる。

 

「まだ本気じゃない、ですか。末恐ろしいですね、ガンダムは」

 

「ゆえにこそ、墜ちて欲しくないのだよ。トライアウトネメシス程度の戦力ではね」

 

 ダビデはこちらに向き直り、挙手敬礼する。

 

「これより、ダビデ・ダリンズ少尉は戦闘待機に入ります。あの新造艦迎撃の任を帯びていますので」

 

「もう出るのか? 威勢がいいな」

 

「それくらいが私の価値ですので。《エクエスルージュ》も本気を出したいと言っています」

 

「《レグルス》でもいいのではないか? 君ほどの実力者ならば暴れ馬も手懐けられる」

 

 こちらの感想にダビデはゆっくりと頭を振る。

 

「いえ、まだ資格がありませんので。その時には、是非ご指導ご鞭撻のほどを、よろしくお願いします」

 

「……先達として、か。引き受けよう、少尉」

 

「失礼します」

 

 てきぱきとした動きで踵を返していくダビデの背中を眺めながら、グラッゼはサングラスのブリッジを上げる。

 

「あれも若さだな。見習っておこう」

 

 その視界の隅で、怒声をがなり立てる影を見出す。

 

「だから、私は《エクエス》で行くと言っているんだ!」

 

「無茶言わないでください、准尉。ただでさえ、《エクエス》は足りていないんです。あなたに補充するのはやめろと、上から言われているんですよ」

 

 整備班と火花を散らすのはガヴィリアであった。

 

 彼は今にも飛び出しかけない形相で《エクエス》を指差す。

 

「あのDDの《エクエス》はあるではないか! あの部隊を回せ!」

 

「少尉は特別です。トライアウトジェネシスの要の戦力なんです。だって言うのに、下手な整備は回せません」

 

「私には下手でもいいと言っているのか!」

 

 怒髪天に来ているガヴィリアへと、グラッゼは静かに歩み寄り、その拳を押し留めていた。

 

「やめたほうがよろしいかと、ローゼンシュタイン准尉。ここでは私は後輩ですが、それでも通すべき義というものがあるとは思っている」

 

 振り下ろしかけた拳を止められたものだから、ガヴィリアは羞恥と戸惑いの眼差しをこちらへと注ぐ。

 

「……グラッゼ・リヨン……」

 

「大尉が抜けております。私は気にしませんが、うるさい人間も居ますので」

 

「……大尉。だが、私はトライアウトの古株だぞ! このエリートの! ローゼンシュタイン家の紋所に、これ以上の屈辱の上塗りをさせるわけにはいかんのだ!」

 

 胸元に抱いたその文様へと、グラッゼは変わらぬ論調で応じる。

 

「では余計に出撃はよされたほうがいい。今日はあまり日取りもよろしくありません」

 

「日取り? ……そんなものを気にしてガンダムが墜とせると言うのか!」

 

「少なくとも今ではないのは、お分かりかと思いますが」

 

 ぐっと、相手が奥歯を噛んだのが伝わる。

 

 牽制し合うのも旨味がないと判じたのだろう、ガヴィリアは踵を返す。

 

「私の機体は常に準備しておけ! アイリウムのメンテもだぞ!」

 

 そんな捨て台詞を吐いて行ったものだから整備班がその背中に冷笑を浴びせる。

 

「ざまぁないぜ。恥知らずの噛み付き癖なんて」

 

「聞こえればまた面倒になる。余計な損耗は押さえたほうがいい」

 

 こちらの忠言に整備班全員が笑いを振り向ける。

 

「大尉もなかなかに人が悪い。あのシェイムレスに日取りが悪いなど」

 

「そうかな? 本当に日取りが悪いのだと、思ってはいたのだがね」

 

「心根からの心配じゃないでしょう、それは。大尉の《レグルス》は万全にしてあります。いつでも出せるようには」

 

「逸るなよ。まだ私とてその域ではない。ならば静観もまた、一つの選択肢の上にはある」

 

「ですが、ガンダムだって言うんでしょう? 向こうの主戦力は」

 

「……まぁな。だが私は別段あれに恨みを抱いているわけではない。シェイムレスのローゼンシュタイン准尉には悪いが、私は私の戦い方をさせてもらう」

 

「それが一番に効くんじゃないですか? 噛みつき癖でしょ」

 

「お人が悪いとは、言ってくれるなよ」

 

 格納デッキを流れ、上官の下へと向かう途中でグラッゼは着信を感知していた。

 

「……件の新造艦の停泊。コロニー、シュルツか。あのコロニーはほとんど統合機構軍のお膝元だ。何かしらは仕掛けてくるだろうが、我々では下手に動けんな」

 

 それもこれも、自分のネットワークの一つでもある。

 

 情報屋を抱き込んでおけば、ある程度までならば筒抜けであるベアトリーチェの航路だが、それでも解せないのは――とそこで扉を潜る。

 

「早かったではないか、大尉」

 

「はっ。偵察任務だけのつもりでしたので」

 

「だが大きな土産物じゃないか。超長距離狙撃砲など」

 

「身元は割れましたか?」

 

「それがまるで、だな。《プロトエクエス》のデータは参照したよ。すぐに離脱挙動に入ったせいで、どこの差し金かは不明だが、君達の推測からはさほど遠くないだろう」

 

「……親衛隊……」

 

「あまりその言葉を言ってくれるな。どこに耳があるか分からんのでね」

 

「ですがそうなると特務扱いとなる。トライアウトから命令権が離れる可能性も、ないわけではないのでは?」

 

「そうならないために君達を適時投入するのがわたしの仕事だ。何だ、信じられないのか?」

 

「いえ、DDは既に戦闘待機と聞いています。采配は間違っていないかと」

 

「問題は噛み付き癖のシェイムレスだな。もうあれには《エクエス》一機だってあてがってやりたくはないのだが、どうにもね。聞かん坊と言うのは困るのだよ」

 

「ローゼンシュタイン家がどうのこうのと言っていましたが」

 

「間違いではなくってね。元々は名家だ。行政連邦で言えばローゼンシュタイン家と、有名なところで言えば、リヴェンシュタイン家かな?」

 

「リヴェンシュタイン……確か連邦の中枢に関わっているはずの家系ですね」

 

「旅がらすの君でも聞いた事があるのだから、相当だろう。シェイムレスはどうしたって自分を出せと言ってくる。なのでこれは、二個目の命題だ。彼を出しつつ、ローゼンシュタイン家からの出資を得るのにはどうすればいいか?」

 

「……有能な指揮官の下で戦わせるのがよろしいかと」

 

「その有能な指揮官は君では駄目なのかね?」

 

 上官は自分をはかっている。それが分かっていて、グラッゼは芝居めいた格式の言葉を返す。

 

「自分は所詮、下士官です。それ以上でも以下でもございません」

 

「卑下するんじゃない。君には力がある。彼にはない。それだけだ」

 

「しかしそうなってくると、恥知らずは本当に恥を知らなくなる」

 

「そこも問題でね。恥を知らずにローゼンシュタイン家からの命令だとでも言えば、トライアウトジェネシスでは通らないわけじゃない。言ってしまえば、彼はお里の力だけで成り上がってきたようなものだ。かつての古巣でも、ここでも同じように」

 

「ではローゼンシュタイン家の面子を通すのならば、彼に《エクエス》を充てつつ、死なせないようにするのが無難かと」

 

「難しい事を言うじゃないか。しかしそれは妙案だな。死なせないようにしつつ、出資だけを募ると言うのは。悪巧みもその面の割には得意じゃないか、大尉」

 

 この言葉を自分から言わせるために、誘導したようなものだろうに。

 

 呆れつつも、グラッゼはその心情をまるで出さない。

 

「痛み入ります」

 

「しかし……シェイムレス一人を死なせないと言っても、その上には多数の有能な部下の死がある。わたしとしては、それは看過出来ない」

 

「命題でしょう。それこそ、ね。彼の者一人生き残れば、トライアウトが安泰と言うわけでもない」

 

「死んでもらっては困るのはDDや君のほうだよ、大尉。あまり主戦場に引っ張られ過ぎるな。ガンダムとやらと真っ向から向かい合おうなどと考えれば、死の影が差すぞ」

 

「生憎ですがその死の影を払うのが私の仕事です」

 

 こちらの返答があまりにも格式ばっていたせいか、上官はフッとほくそ笑む。

 

「君のそのストイックなところはいい。仕事以上の事はやるべきではないと考えているのも」

 

「私は軍属です。現状は、ですが。ならばその身の上に相応しいだけの働きはしましょう」

 

「なるほど、期待出来る。君は口だけの男ではないのだからね。どこかの恥知らずに爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだ」

 

 上官はこれ以上の問答は不要だと判じたのだろう。

 

 書類を差し出し、声を潜める。

 

「……しかして、墜とせるのならば墜とせ、が心情でもある。あの新造艦、ベアトリーチェ追撃にネメシスの連中が充てられるのは時間の問題でもあった」

 

「我が方よりも上位権限の持ち主なのですか」

 

「いや、等価のはず。だが口うるさいのが居てね、あちらにも。オブザーバーを気取っているようだが、内政干渉だと、そう言ってもおかしくないレベルで」

 

「どこの部署にも苦労はある、と言ったところでしょうか」

 

「大尉。君はガンダムと一度立ち会った。どうかね? 感触としては」

 

「彼は強い。そしてその力は海賊と戦ってより極まった、と断言して間違いないかと」

 

「どことも知れぬ海賊連中がガンダムの性能を引き出してくれるのは助かる。だがね、墜とすのは最終的に我が方でなければいけない」

 

「存じております」

 

「モニター結果は自ずと出る。今は少しばかりの休息だ。大尉、戦闘待機と共に《レグルス》の試験運転を命じる。黒い旋風の渾名は伊達ではないはず。やれるな?」

 

「やらなければ喰われるのみ。……私個人としてももう一度死合いたいのですよ。あのガンダムとはね」

 

 挙手敬礼し、グラッゼは退室する。

 

「しかして……君はまだ強くなる。それが楽しみで仕方ないとも。クラード君」

 

 



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第43話「暗礁の因果」

「――あのですねぇ、技術顧問。我々、まさかの荷物持ちですか?」

 

 部下達の声を聞いたサルトルは、仕方あるまい、と帽子を被り直す。

 

「我らがボス直々のお達しだ」

 

 サルトルの視線の先には、コロニーでの買い物を楽しむオペレーター達とレミアの姿があった。

 

「やるせないですよ。我々に休暇はなしですか?」

 

「そう言うなって。随分とベアトリーチェ出港まで待ったクチだろう? 今さら一日や二日の休暇だ。文句を垂れるもんでもない」

 

 レミア達は私服に着替えており、どこからどう見てもOLのようにしか映らないであろう。

 

 彼女らをしかし、警護するのは自分達の役目だ。

 

 もしもの時に強襲でもされれば危うい立場の者達である。

 

「……身辺警護くらい、エンデュランス・フラクタルが渡りをつけてくれるかと思ったんですがね」

 

「我が社はあれで忙しい。それに、そろそろ来訪者が来る頃合いだろう」

 

「地球で商売していたって言う、営業部門の……」

 

「彼が来て補給物資を預けてくれれば、少しはやりやすくなる。今は、単純に休暇を楽しもうじゃないか」

 

「……です、ね。それにしたって、ここは平和で……何だか見劣りしちゃうほどで」

 

「コロニー、シュルツは統合機構軍のお膝元だ。ここで仕掛ける奴が居るとすれば、それは自分達の保身も何もかもを投げ打った馬鹿くらいなもんさ」

 

「その馬鹿との戦闘を思案に上げて、ですか。クラードは」

 

 今も《レヴォル》と共に在るのであろう、クラードの身の上を慮った整備班にサルトルはなに、と眼鏡のブリッジを上げる。

 

「あれで何かと聡い奴だ。このコロニーで平和に受け渡しだけが済むとは思っていないんだろうな。ポートホームを介したくないのは、下手に相手に出方を見られたくないのもある。キャッシュが残れば厄介だ」

 

「何か起こるとでも?」

 

「……起こらないのがもちろん、第一だが、あいつの直感は当たる。さすがは特級のエージェント。勘だけは外した事がない」

 

「……来るとすれば、トライアウト……軍警察でしょうか」

 

「分からん。もしかすると、前回仕掛けてきた超長距離狙撃砲の奴かもしれんからな」

 

「……第三勢力なんて、旨味がないでしょうに」

 

「旨味云々で動いてくれるんなら、まだ読みやすい。問題なのはそういうのは度外視にして、こっちへと仕掛けて来るような連中だ。そういう奴らは一時の感情で殴りつけてくる。ある意味、暴力の矛先がしっかりしていないような奴らこそ、おれ達は警戒すべきなんだろうよ」

 

「暴力の矛先ですか……。ですが、技術顧問。あれはたった一機でしたよ?」

 

「たった一機で喧嘩を売って来たのなんてこれまでだっていくらでも居ただろう。……呼び寄せちまうのかもしれないな。クラードと《レヴォル》は」

 

 ――と、そこで視界の隅に入ったのはトキサダを始めとする凱空龍の面々である。

 

「お前ら! ここじゃさすがに凄むんじゃねぇぞ! ここはコロニー、シュルツ! おれ達の庭だったデザイアとはわけが違うんだからな!」

 

「……トキサダもなかなかに兄貴面が似合ってきましたね」

 

「まぁなぁ……。あいつ、結構メカニックとか合っているんじゃないのか? 《マギア》の整備の手腕、買ってないわけじゃないからな」

 

「他のスタッフはあまりいい顔をしていませんが、現場に出てくれる分だけマシですからね」

 

「前線にも張ってくれている。そういう点じゃ、評価したっていい。ただ問題があるとすれば……おい、お前ら。アルベルトはどこに行った?」

 

「ヘッド? いやぁ、見てないな。こっちに着いてからは自由行動だって言うんで、わざわざ連絡も取り合ったりはしないし……」

 

「そういや、ラジアルさんも居ませんね。期待の新人も」

 

 レミアと女性スタッフ達がウィンドウショッピングに明け暮れている中で、別の動きをする三人にサルトルは僅かながら気色ばむ。

 

「……嫌な予感がする」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……クラードさん。もういい加減に外に行きましょうよ。今のところ、ベアトリーチェは警戒網が張り巡らされているんですから。いつまでも《レヴォル》と話していないで」

 

 カトリナの声を聞きつつ、クラードは《レヴォル》に感想を求める。

 

『“前回観測した超長距離狙撃砲の主は不明のまま。データにも乏しい”』

 

「……やはり、こっちの持ち得るデータだけで追うのは不可能に近いか」

 

『“追加データがあれば違うのだがな。今のところ何か特徴めいたものも発見出来ない”』

 

「クセ……みたいなのってトレース出来ないか? これまでの戦闘結果から」

 

『“請け負うが、うまくいくとも思えないぞ”』

 

「頼む。俺には見た感じのデータしか見えないが、お前ならばその先が視えるはずだ」

 

『“機械を過信し過ぎないほうがいい。所詮は過去の膨大なメタデータとの照合だ。時間もかかる上に、空振りに終わる事も考えられる”』

 

「……それでも実行してくれ。敵の正体を知りたい」

 

「もうっ……クラードさんっ! みんな出て行っちゃったんですよ?」

 

 タラップを駆け上がってわざわざこちらへと視線を据えるカトリナに、クラードは《レヴォル》の神経系統を弄りながら応じる。

 

「まだ居たの? もう行けば。みんな行ったんだろ?」

 

「ええ! ここに居たメカニックの方々も! ……残ってこんな酔狂な事をやっているのは、クラードさんくらいなものですよ」

 

「じゃああんたも行けばいい。俺は一言もあんたに居て欲しいなんて言っていない」

 

「それってぇ……私の職務としては辛いんですよぅ……」

 

「あんたの職務がどうなったって知ったこっちゃない。俺は《レヴォル》に照合を急がせないと、次の戦闘の時に遅れが生じる」

 

「……そんなに切り詰めないんでいいんじゃ? 艦長だって降りたんですよ?」

 

「だからだろうに。レミアが降りたって事は、ベアトリーチェの守りは俺達に委ねられている。レミアが帰ってくるまではここを死守するのが俺の役割だ」

 

 視線を上げずに応じていると、カトリナはむすっとして頬をむくれさせて呻いている。

 

「……また小動物のモノマネ? やって楽しい? それ」

 

「クラードさんには嗜みってのがないんですか?」

 

「そんなものは端から捨てている。第一、あんたここに居たっていい事なんてないって分かっているんなら降りればいいんだろうに。今は誰も文句は言わない。休暇だろ?」

 

「……それはクラードさんもですっ! 私が休みなら、クラードさんも休みっ!」

 

「……暴論だな、それ。あんたはモビルスーツには乗らないから分からないだろうけれど、ここに来たって敵がないとも言い切れないんだ」

 

「か……海賊は倒したじゃないですかぁ……」

 

「海賊はね。だがその後に出てきたって言う、狙撃機が不穏過ぎる。俺はちょうど帰投していたから会敵しなかったけれど、あの状況で仕掛けて来たんだ。奴には確証があった。俺と《レヴォル》が出ないと言う確証が……」

 

「そんなのって、分かるものなんですか?」

 

「分からなくっちゃライドマトリクサーなんてやってらんないよ。……それに、何よりもタイミングがよ過ぎる。あんな好機を窺っておいて、それで急速撤退……勘繰られちゃ、まずいものでもあったとしか思えない」

 

「勘繰られちゃまずいもの……それって《レヴォル》の?」

 

「だから、分かんないんだってば。直に会えばまだ何かが伝わった可能性もあるけれど、相手は仕掛けるだけ仕掛けて、それで事情が悪くなったから撤退したんだろ。そこにどんなものがあったのか……まるで分からないままだ」

 

「……それって、クラードさんがどれだけ考えたって仕方ないって意味なんじゃ……」

 

「そうだ。仕方ないと言えばそう。だが《レヴォル》と俺には過去の膨大なデータベースへのアクセス権限がある。そいつで調べてみれば、もしかしたら昔に出会っていたかもしれない。そうなってくると、こっちの手が割れている可能性もある。もしもに備えるのが俺の仕事だ」

 

「……でも、せっかくの休暇なのにぃ……」

 

 遂にはカトリナはコックピットの脇に座り込んでしまった。

 

「……あのさ、邪魔してるって分かんないのかな」

 

「邪魔じゃないですよ。業務外なら、これも仕事の外ですし」

 

「……嫌な詭弁だよ、それ。さっきまで俺の面倒を見るのが仕事だとか言っていたくせに」

 

「それは……! ……クラードさんがあまりにも横暴だからで……」

 

「で? あんたはせっかくの休暇を棒に振るのか? レミアだってそうだし、バーミットとかファムだって外を楽しんでいる。あんたも行くべきだろう」

 

「……嫌です。クラードさんが動かないんなら私も動きません」

 

「下手なところ強情だな、あんた。俺に付き合ったって、死の臭いが濃くなるだけだ。やめておくのなら今のうちだと思うけれど」

 

「……それって、エージェントとしての言葉ですか?」

 

「俺の事を知ったっていい事なんて一個もない。……みんなそうだ。このベアトリーチェの連中は、俺の事まで抱き込んで不幸になっている。幸福は分配されないのに、不幸だけは等価なままで分配され、そしてネズミ算式に不幸は伝染する。それがこの世の真理だ」

 

「違いますっ! ――痛っぅ……」

 

 急に立ち上がったせいだろう、カトリナはものの見事にコックピットハッチに額をぶつけていた。

 

「……何やってんの」

 

「ち、違うったら違うんです! その理論は……!」

 

 よろめきながらも反論してくるので、クラードは視線を合わせずに淡々と応じていた。

 

「違わない。不幸だけがこの世の中で絶対だ。みんなが手を取り合える都合のいいハッピーエンドなんてない」

 

「それはっ……! そのままの理論じゃ……クラードさんがあまりにも、報われないじゃないですか……っ!」

 

「そうだよ。俺は報われようなんて思っちゃいない。元々、幸福の数は決まっていて、その定数に達すると自動で不幸のほうがばら撒かれる。そういう理なんだ、この世界ってのは」

 

「だからっ! それが違うって言っているんですっ! 誰だって、幸福になる権利はある! 私は絶対に、幸せになるんですからっ!」

 

「……バーミットの言っていた幸せ女がどうのこうのってこの事か。あんたの幸せ論がどうだろうが知ったこっちゃないが、俺に押し付けるな。俺とあんたの幸福の形は違う」

 

「違いませんっ! どこかに誰だって報われる、そういうハッピーエンドがあるって思えるから! 私はこの会社に入ったんですから!」

 

「ならなおの事だな。エンデュランス・フラクタルに居る以上、あんたはこれよりも先の幸せなんて見られない。大体、幸福に成れる定数はもうとっくの昔に埋まっている。そんな誰かの席があるところに無理やり席を作ろうとして、それで何になるのさ。そこに何があるって言うんだ」

 

「あ、あるのにはあるんですっ! クラードさんにはまだ見えていないだけで、それはきっと……っ!」

 

「じゃあ、教えてくれよ。この不幸でクソッタレな世界のどこを見渡せば、そんな幸せとかは落ちているんだ? そいつが誰かの手にあったのなら、デザイアで人は死なずに済んだんじゃないか。いや、デザイアだけじゃない。俺がこれまで戦ってきた戦場で死んだ奴らは、じゃあその幸せの定理からは外れた、それこそ除け者だって言いたいんだろ?」

 

「……そんな事……!」

 

 カトリナの目を見返す。

 

 大きく見開かれた瞳から、涙の粒が伝い落ちていた。

 

「違わないはずだ。あんたの定理ならな。俺だけじゃない、死んだ奴らには最初からその資格なんてなかったって、あんたは言っている。俺の論理よりよっぽど残酷だ。不幸の中で幸運を拾うんならまだいい。だがあんたの言っている事は、幸福の中で不幸を拾っちまうって言う、この世の悪の側面を強調しているだけじゃないか。あんたの言っているの、正しいように、耳馴染みだけはいいように聞こえるけれど、でもその理論じゃ……人は救えないよ」

 

 立ち上がったクラードは硬直したままのカトリナの脇を通り抜けていく。

 

 ――そうだとも。人を救うのはいつだって、理論めいた代物じゃない。

 

 人を殺すのもまた、理論では割り切れない損耗だ。

 

 そこにいちいち心だの、幸せだのを割り振っていれば人間は駄目になっていく。

 

 摩耗した人間一人一人に、いちいち気を配っていれば、今度は自分の番だ。

 

 そうやって人は死んで行くし、殺される側になった時に相手の幸福まで考えていれば刃が鈍るだけ。

 

 それが分かっているからこそ、摩耗を減らし、損耗を最小限度にして戦う。

 

 いつだってそれが正しかった。それこそが、エンデュランス・フラクタルのエージェントとしての――。

 

「でも……っ、でもクラードさん! そうじゃない時も……きっとあったんじゃないんですか!」

 

「……そうじゃない時? 何の事を言っている」

 

「だって、アルベルトさん達を助けたのだって、それは確率論だとか、経験則だとかじゃないはずですっ! あなたの心が! 彼らの不幸を望まない気持ちが! そう言っていたんじゃないんですか! 叫んでいたんじゃないんですか……っ!」

 

 カトリナは涙目になりながらも、それだけは言わなければいけないとでも言うように主張する。

 

 視線を振り向け、僅かに睨んだが相手の臆した様子はない。

 

「……あんたさ、死にたいのか」

 

「……私、クラードさんを、あなたを恐れませんっ! それはあなたにとっての侮辱になるから!」

 

「……これでも、かよ」

 

 白衣の懐より拳銃を向ける。

 

 じっと見据えた銃口の先で、カトリナは奥歯を噛み締めて堪えていた。

 

 きっと逃げ出したいのだろう、ここから消えたいに違いない。

 

 それなのに、カトリナは逃げない。

 

 ピアーナを庇った時と同じだ。

 

 彼女に、逃げると言う選択肢はない。

 

「……気に入らないな、そういうの。つまんない以前に、何でそこまでしてやれる。だって、他人だぞ」

 

「他人だから何だって言うんですかっ! クラードさんはアルベルトさん達を他人だと思えないから、デザイアで救ったんじゃないんですか! そうじゃなかったら、見捨てていたはず……!」

 

「俺にエンデュランス・フラクタルのエージェント以上の価値を見出そうとするな。俺は頼まれれば誰でも殺すし、何でも葬る。それがエージェントとしての掟だ」

 

「そ、それでもきっと……っ、クラードさんは……! 私の知っているクラードさんなら……っ!」

 

「何を知ってるの、俺の。……あんたもアルベルトも、皆、勝手だよ。俺の何を知っている? 俺の事を何だと思っている? ……これでも、か?」

 

 片腕を翳し、その形状をばらけさせる。

 

 赤く明滅する生態コネクターはそれだけで嫌悪感を催させるのには充分であったはずだが、カトリナはぐっと耐えていた。

 

「……に、逃げません! 私はあなたから、絶対に逃げない……っ!」

 

「馬鹿だな、逃げたほうがいい戦局だってあるんだ。世の中にはたくさん……だってのに、逃げないを選ぶ? それは端から馬鹿だって言っているんだよ」

 

 暫し睨み合いが続いたが、これ以上の有益性がないと感じて、拳銃を降ろそうとしたその瞬間だった。

 

『コミュニケートモード解除。レヴォル・インターセプト・リーディング解放。全制御系統を《レヴォル》に委譲していきます』

 

「……《レヴォル》?」

 

 顔を上げたクラードは《レヴォル》が四肢拘束具を引き千切り、そのままカタパルトデッキへと歩んでいくのを目の当たりにしていた。

 

「……何をやっている……」

 

「クラードさん? 私を脅かそうとして、こんな事したって……」

 

「違う。これは……どうなっている、レヴォルの意志が、暴走しているのか……?」

 

『四肢制御系統へと伝達。コアファイターモードへの移行を行います』

 

「何を言っている……。戻れ! 《レヴォル》!」

 

 しかしこちらの命令系統を受け入れず、《レヴォル》はコアファイター形態へと可変し、そのままカタパルトデッキから強制射出を行おうとする。

 

「クラードさん! 何が起こって……!」

 

「分からない……。だが、あり得ないんだ。俺以外の人間にレヴォルインターセプトが反応するのは……。だからこれは暴走のはず。サルトルは……くそっ! こんな時に居ないのか……!」

 

 悔恨を噛み締めつつ、クラードは赤く明滅するモールド痕を突き上げて《レヴォル》に命じる。

 

「《レヴォル》! 俺に従え!」

 

『専任ユーザーの命令を確認。――認証不可。これよりレヴォルインターセプトは新規ユーザーのガイドに従います』

 

「新規ユーザーだと……」

 

 全くの寝耳に水の事実に戸惑っている間にも、《レヴォル》の加速シークエンスが入っていく。

 

「……まずい! 急加速してベアトリーチェの発艦デッキをぶち破る気だ。あんた! 伏せろ!」

 

 その言葉が消えるか消えないかの刹那、クラードは咄嗟にカトリナへと覆い被さり、彼女の視界を保護していた。

 

 白衣を被せて衝撃波を減殺させてから、クラードはスモークとオゾン臭気に塗れた格納デッキでスプリンクラーが回り始めるのを感知する。

 

 そこいらで虹を作り出す水流を見やり、舌打ちを滲ませる。

 

「……なんて事だ……こんなの、あっちゃいけないってのに……!」

 

「く、クラードさん……重いし見えないし……何が起こってるんですか……?」

 

「レヴォルの意志――レヴォル・インターセプト・リーディングの暴走。その赴く先は、何者かの外部ハッキング」

 

「は、ハッキングって……げほげほ……煙い……」

 

 咳き込むカトリナを無視して、クラードはビームライフルで打ち破られたカタパルトの残骸を目にする。

 

「……だが《レヴォル》ほどの機密にそう易々とハッキング出来ると思えない……。まさか、あのピアーナとか言うの、また余計な事を――!」

 

「残念ながら、わたくしのせいではないわよ」

 

 ひょっこりと格納デッキに顔を出したピアーナにクラードは殺意を向けていた。

 

「俺の《レヴォル》に何かをしたな?」

 

「いいえ。何も。わたくしの仕事は次の補給が来るまでにベアトリーチェの電子装備を整える事だけ。ただその過程で……外部の入力を受け入れやすくはなったのかもしれない」

 

 クラードは銃口をピアーナに向ける。迷いのない殺気で射竦めようとすると、彼女は肩を竦めていた。

 

「……ちょっとパニックになったからって毎回銃を向けられるのは、穏やかじゃないですね」

 

「答えろ……! 《レヴォル》に何をした!」

 

「だから、何もって……。第一、貴方が一番に分かっているのでは? 《レヴォル》に、あのMSに介入する手段はほとんどない事を。だとすれば、帰結する先は一つ。レヴォルの意志と呼ばれる仮想インターフェイスに何者かがハッキング、その上権限を奪った」

 

「それこそあり得ない。俺以外の入力を受け付けないはずだ」

 

「だとすれば、その前提条件が間違っているのか、あるいは貴方と同等の権限持ちが現れたか」

 

「俺と同等の権限……」

 

 そこまで考えを及ばせてから、いずれにしたところで、と待機準備中であった《エクエスガンナー》へと乗り込む。

 

「……俺は《レヴォル》を追う。そっちは俺に介入するな。迷惑だ」

 

《エクエスガンナー》のスターターをかけさせてから、ユーザー認証に入る。

 

 クラードはライドマトリクサーの権限でそれらを上書きし、操縦桿を握り締めた瞬間には、モールド痕に赤い光が明滅して自身へと権限を委譲する。

 

「このまま、《レヴォル》を追跡する。何者かが《レヴォル》を奪おうとするのなら、どっちにしたってかち合うはずだ。なら、俺はそいつを始末して《レヴォル》を奪還する」

 

「ま……待ってください! 私も連れて行ってくださいっ!」

 

「……迷惑かけるなって言ったよね? 何でそれが聞けないの」

 

「な、なら余計にですっ! 私は委任担当官ですし……クラードさんの身勝手な行動を許さない権利がありますっ!」

 

「悔しいでしょうけれどその通りよ、貴方。委任担当官の意向には沿わなければいけない」

 

 どうしてなのだかカトリナ側の味方についたピアーナに、クラードは舌打ちしてマニピュレーターを伸ばす。

 

「……乗れ。ただし、安全運転じゃないぞ。《エクエスガンナー》のリミッターを外して飛ばす。……こいつは制御系統に無駄が多いな。シークエンス七からシークエンス十五までをクリア! 《エクエスガンナー》、ベアトリーチェ甲板より発進する!」

 

「ちょっ、クラードさん! そんな乱暴な……」

 

「乱暴でもやるしかない。……俺から《レヴォル》を、奪わせない……!」

 

 カトリナがようやくコックピットに入ってから甲板部へと上昇し、クラードは《レヴォル》のシグナルを追跡させる。

 

「……コロニー、シュルツの郊外に向かっている? ……何があるって言うんだ……」

 

「あの……これってハイデガー少尉の《エクエス》ですから、勝手に乗ったら怒られちゃうんじゃ……?」

 

「そんなの、後からどれだけでも恨み言は聞く。今は、《レヴォル》の身柄を最優先。追跡任務に入る。エージェント、クラード。《エクエスガンナー》、先行する」

 

《エクエス》系統独特の重さを味わいつつ、クラードは《レヴォル》のシグナルだけを追って、そのまま推進剤を焚かせていた。

 

 



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第44話「断絶」

「アルベルトさん、私、映画が観に行きたいんです」

 

 そんな事を唐突に言われてしまったものだから、アルベルトも断り切れずにラジアルに手を引かれて中心街へと出ていた。

 

 こんなのガラではないと思いつつも、ラジアルの華やかさを前にすればどうにも言い返せずにいて、アルベルトは後頭部を掻く。

 

「あの……オレなんかと歩いていたら、あんたは三流ゴシップ誌にすっぱ抜かれるんじゃ?」

 

「何でです? 変装もしているじゃないですか」

 

 特徴的な赤髪を麦わら帽子で隠し、サングラスもしていたが、彼女から溢れ出るカリスマ性は健在で、時折こちらへとカップルや男達が視線を振り向けてくるのを感じる。

 

「……参ったな。何でオレがラジアルさんのエスコートなんざ?」

 

「何でって、アルベルトさんも断らなかったでしょう? だから、OKなのかなって思って」

 

「……んなわけないでしょう。ただ……あんた特有の泣きの演技って言うんですか? あれにしてやられただけですよ」

 

「じゃあ私の女優としての力もまだ健在って事ですね。アルベルトさんに魔法をかけちゃったみたい!」

 

 どうにもウキウキとして、こちらの言葉をのらりくらりとかわす様は、見ていて緊張感がない。

 

 ――本当にただの町娘にも見えるのだ。

 

 それが余計に嘘くさくってアルベルトは失笑してしまう。

 

「……まさか、お姫様のエスコートが、宇宙暴走族の活動の一環だとはねぇ」

 

「お姫さまって言いました? 嬉しいです!」

 

「……言葉の通りに受け取らないのが大女優でしょうが。オレもそうっすからね。あんたの言葉をいちいち真に受けていたんじゃ、身が持たねぇ」

 

「あれ? でもアルベルトさん、私に魔法をかけられちゃったんですよ? じゃあ、もう真に受けているのか、それとも真に受けている“演技”でもしているのか……」

 

 真剣に考え込むラジアルに、アルベルトは完全に困ってしまう。

 

 これでは彼女のペースに乗せられっ放しだ。

 

「……あんたの口から演技なんて、それこそ釈迦に説法とかそういうレベルでしょ。大体、大女優がお忍びで観たい映画なんてあるんですか?」

 

「……いいえ? ないですよ?」

 

 あまりにも簡単に言うものだからアルベルトはあんぐりと口を開けていると、ラジアルはふふっ、と笑う。

 

「だって、こういう共通の話題がないと、アルベルトさん、こっちに来てくれなかったでしょ?」

 

「……あんたは本当に、とことんどこまでもやるんだな……」

 

 呆れ返っていると、ラジアルは夢見るように告げる。

 

「ええ! だって私はラジアル・ブルーム! これまで欲しいものは自分の力で、全部手に入れて来たんですから!」

 

「……芝居くさいのはやめましょうよ。見ていて恥ずかしくなる」

 

「でも、お芝居の中みたいでしょう? これ」

 

 そう言われてみれば確かに。

 

 大女優と、宇宙暴走族のヘッド。

 

 まるで釣り合わない二人を、こんなところで対面させるなど、しかしそれは――。

 

「なんてこたぁない。下手な三文芝居だ」

 

「そうですかね? 私、ラブロマンスは嫌いじゃないですよ?」

 

「あんたのそれは好きでもないって意味でしょうに」

 

「あれ? 分かっちゃうようになりました?」

 

 笑顔で告げられると何とも言えない。

 

 きっとその眩しい笑顔で何人もの男を手玉にしてきたクチだろう。

 

「……あんたさ、オレなんかを転がして、今さら楽しいってザマでもないでしょうに。何で、オレなんかに構うんです。オレは根無し草の宇宙暴走族っすよ」

 

「うーん、それなんですけれど、アルベルトさん、嘘ついていますよね?」

 

 思わぬところでの反撃にアルベルトは絶句する。その対応が余計に拍車をかけたのだろう。

 

「あ、やっぱり。嘘つきって分かるんです、私。だって嘘の世界に生きていますから。その人間がどういうバックボーンなのかって言うのは何となく、ですけれど」

 

「……オレの何が嘘だって?」

 

「例えば……品性があるのにない振る舞いを演じていたり、後は絶対にそうは思っていないのに逆の事を言ったり……。まぁ男の子によくある話ではあるんですけれど、アルベルトさん、分かりやすいから」

 

 その表現にがっくり来てしまう。

 

 これまで凱空龍の中で必死に取り繕ってきたものは、大女優から見れば下手な演技よりも酷かったと言うわけか。

 

「……でもあんた、オレを迫害するわけでもないんですよね」

 

「だってそうじゃないですか。ここでアルベルトさんを迫害して、何の価値があるんです? 私はアルベルトさんと一緒に居たいのは本心ですし、あなたをベアトリーチェから降ろす気もないですよ?」

 

 つまり、糾弾の対象にはなり得ない、という意味だ。

 

 アルベルトは安心半分、その胸中には不安が渦巻いていた。

 

「……それでオレの手綱握ったつもりっすか」

 

「そんな言い草ってないんじゃないですか? 私は、今は映画を観に行きたいだけの女なんですし。それをどうエスコートするのかは、男の子にかかっているんじゃないですかねぇ」

 

 敵わないと言うのはまさにこの事で、ああ言えばこういう、という状態だったりもする。

 

 アルベルトは手で顔を覆って、嘆息をついていた。

 

「……じゃああんた、オレをどうこうするって気はないけれどもしもの時は……って言いたいんでしょう」

 

「ええ! アルベルトさん、簡単に逃がしたりはしませんから!」

 

 歌うように告げてから、ラジアルはライドマトリクサーの腕力で自分の腕を引いていく。

 

 周りからしてみれば、可憐な女性に手を引かれる偉丈夫の男だろうが、実際には真逆であるのは皮肉めいていた。

 

「ねぇ、アルベルトさん! あの映画観ましょう!」

 

 指差した先の三次元広告には安物の恋愛ドラマの映画が映し出されている。

 

「……やめましょうよ。あれ、甘ったるい砂糖みたいな映画でしょう? どう見たってつまんないでしょうし」

 

「えー! アルベルトさんは何でもいいんじゃなかったんですか?」

 

「……映画のジャンルに文句をつける気はないっすけれど、観るんならこっちでしょ。ド迫力なモンスター映画」

 

 隣の三次元モニターを指差すと、ラジアルは腕を組んでこちらの顔を覗き込んでくる。

 

「……男の子なんだから」

 

「うっせぇっすよ。あー、じゃあ意見が割れましたね。ここいらでじゃあ解散しますか?」

 

「ふーん……そう来るんだ? まぁ、別に? 私はモンスター映画でもいいですけれど?」

 

「……含んだような物言いしますね。あー、分かりましたよ。恋愛映画、行きましょう」

 

「やった! アルベルトさん、物分りが良くって助かります!」

 

 ぴょんと跳ねてまで喜んで見せたラジアルに、アルベルトはげんなりする。

 

「……そっちと同じ反応したのに何でこっちが損してるんですかね……」

 

「それはー……場数違いなのでは?」

 

 ぐうの音も出ない。

 

 諦めて恋愛映画を観ようと足を運びかけたその時、上空を舞う機影にアルベルトは意識を振り向ける。

 

「……おい、待てよ……ありゃ、クラードの《レヴォル》なんじゃ……!」

 

「……何で? 戦闘待機は解かれているのに……」 

 

「あんたでも分からないんですか?」

 

「だ、だって、今は休暇ですよ? おかしいなぁ、ベアトリーチェからの信号もないし」

 

「って……のんびり言っている場合っすか! あの軌道……来る!」

 

 予感したアルベルトは咄嗟にラジアルを庇って《レヴォル》の機動を読んで突き飛ばす。

 

《レヴォル》はコアファイター形態のまま、脚部だけを現出させて映画館の前で周囲を見渡していた。

 

「おい! 何をやってるんだ、クラード! 今は戦闘待機じゃないはずじゃ――!」

 

『レヴォルインターセプトに再接続。これより周囲の探索に入る。……入力を確認。コアファイター形態を持続させ、新規ユーザーの下へと向かいます』

 

「……クラード……じゃねぇのか……?」

 

 こちらの疑念を他所にラジアルが立ち上がりかけて、苦痛に顔を歪ませる。

 

 どうやら突き飛ばした拍子に足を挫いたらしい。

 

 アルベルトは飛び立とうとする《レヴォル》を前に、ラジアルの目を保護しようと着ていたジャケットを被せる。

 

「危ねぇ!」

 

《レヴォル》が不安定な挙動を行い、ゆらゆらと何かを探すように北東の方向へと飛翔していく。

 

 その姿を最後まで見据えつつ、アルベルトは呟いていた。

 

「……何が起こったって言うんだ。クラードが乗ってないだと……」

 

「あの、アルベルトさん……。足、挫いちゃって……」

 

「ああ、もうっ! 何やってるんすか! 初のRM施術を受けた一般人でしょう!」

 

「そ、それとこれとは別……! 痛っ……」

 

 アルベルトは自分のインナーを引き千切ってラジアルの足首に巻いてやる。これで少しは応急処置にはなるだろう。

 

「それにしたって、《レヴォル》ってのは勝手に動くんすか? オレらのデザイアに来た時みたいに」

 

「いいえ……本来、あれは想定されていなかったんです。ですが、目覚めてしまったレヴォルの意志をどうにかする事は私達では出来ず……。結果として、クラードさんを見つけたからよかったものの、あれも偶発的な代物だったはずなんです」

 

「じゃあ、あの《レヴォル》ってのは、あんな風な挙動はしないって事っすか……」

 

「少なくとも私のオペレートする範囲では……。あんな風になるとすれば、新しい《レヴォル》のユーザーが機体を呼んでいる場合でしかあり得ないでしょう」

 

「新しいって……そんな事あるんすか……」

 

「……あり得ないわけではないですけれど、限りなくゼロパーセントのはずなんです。でも、起きてしまった。現に《レヴォル》は機動している……」

 

「どーなってんだか分かんない状況って事っすよね? ……映画は切り上げます。またの機会って事で。ベアトリーチェに戻りますよ? 肩貸しますから、しっかり掴まっていてください」

 

「ええ、でも……こんな形でもこうして心臓の音が聞こえるくらいに近づけて……私ってばラッキーだったなとか思っちゃってるんですよね」

 

「……女優モード切ってください。こっち、集中出来ないんで」

 

 今は戻るしかないはずだ。

 

 そう信じてラジアルの体重を受け止めた瞬間、見知った音程が空中を割る。

 

 ――遠距離砲撃の音?

 

 判じた習い性の神経はすぐさま、ラジアルを抱えていた。

 

 凱空龍での日々はどこに着弾するのか、何が接近しているのかを明瞭に聞き分ける耳を培っていたのだ。

 

 映画館に突き刺さるであろう爆発の余波を既に感じ取っていたアルベルトは駆け出すなり物陰へとラジアルと共に隠れ潜む。

 

 直後にはミサイル弾頭が弾け飛び、映画館を爆ぜさせていた。

 

 瞬間的な光と音の瀑布に耐えられたのはひとえに《マギアハーモニクス》で鍛えた神経だろう。

 

 咄嗟にラジアルの耳と目を塞ぎ、自分も衝撃に備えて身を低くする。

 

 膨れ上がった炸裂の爆光が弾け飛び、映画館が一瞬にして爆炎と悲鳴の嵐に叩き込まれる。

 

「……何てぇこった。一般人だって居たってのに……」

 

 息を呑んだアルベルトは空中機動を取る《マギア》編隊を見据えていた。

 

『こちらは軍警察、トライアウトである! このコロニーに反乱分子が隠れ潜んでいるとの情報が入っているため、先行して彼らの自爆テロを防いだ。この映画館は標的になっていた!』

 

「……ふざけているのか。反乱分子? 自爆テロ? そんなもん、一個だってなかっただろうが……!」

 

 先ほどまでの平穏にそのような異端は見られなかった。

 

 それにトライアウトの《マギア》使いが言う事など信じられるものか。

 

 だが民衆の多くはパニックのるつぼにある。

 

 彼らからしてみれば声の大きいほうが正義であり、そしてつい先ほど、《レヴォル》が襲来したのは事実――。

 

《レヴォル》の存在を言い訳に出来ない自分達は、トライアウトの格好の標的だろう。

 

「アルベルトさ――!」

 

「しっ。喋らないほうがいいっすよ。相手、軍警察だって言うんなら、武装もしていないオレらじゃ、狩られるだけっす」

 

「で、でも……! このままじゃ、ベアトリーチェは……!」

 

 その赴く先をアルベルトも感じ取る。

 

「……まさか、それが狙いかよ……!」

 

 歯噛みして映画館跡地に降り立った《マギア》三機を睨む。

 

 爆心地でありながら、先ほどの《レヴォル》の痕跡を辿られれば確実に裏港に入っているベアトリーチェを感知される。

 

 そうなれば自分達はテロリストだ。

 

「……一刻も早く、艦に帰らないとまずいっすね。……艦長達には?」

 

「今繋げていますけれど、みんな別々の場所に居ますので、合流には時間が……」

 

 端末を手にしているラジアルの指は震えている。

 

 無理もないのかもしれない。

 

 これまでの戦場を潜り抜けてきたとは言え、彼女は一介のオペレーターだ。

 

 自分達とはある意味では“場数が違う”。

 

 その手を握り返して、アルベルトは頭を振る。

 

「……下手打って傍受なんてされたら全滅です。今は、オレらだけでもベアトリーチェに辿り着きましょう」

 

「そ、それは、ですが……」

 

「あっちにはサルトル達も居る。もしもの時には何とかなる備えのはずです。オレらみたいな単独行動のほうがヤバい」

 

 その正論には何も言い返せないようでラジアルはこくりと頷く。

 

「よし……まずはここを抜けます。その後に、安全ルートを辿ってベアトリーチェクルーとの合流地点を……音声じゃ気取られる。メッセージで伝えてください」

 

 走り出そうとして、ラジアルが足を挫いている事を思い出し、アルベルトはどうにもならない現実に歯噛みする。

 

「ああっ、もう! オレが背負います。いいっすね? 今さら大女優だとか言わないでくださいよ。それってズルいっすから」

 

「……すいません」

 

 ラジアルの体重はライドマトリクサーな分、一般女性よりも重いが自分が背負わずして何とすると言っただけの重さだ。

 

 駆け出したこちらの挙動をまるで読んでいたかのように、一機の《マギア》がカメラアイを向ける。

 

「……やべぇ……ッ! 撃たれるのか……!」

 

 覚悟した次の瞬間、咲いた声の主にアルベルトは目を見開く。

 

『……アルベルト……なのか?』

 

 思わず足を止める。背負ったラジアルの声が至近で響いていた。

 

「アルベルトさん? 何を……!」

 

「……嘘、だろ。兄貴……?」

 

 今は業火のぱちぱちと燃える音や、ラジアルの悲鳴もまるで遠い。

 

 一機の《マギア》のコックピットが開かれ、こちらと相対したのは間違いなく、自身の兄――ディリアン・L・リヴェンシュタインの顔であった。

 

 このような平時とは異なる場所に居るのに、パイロットスーツも纏わず、ディリアンはその誉れたる絢爛豪華な衣装を誇っている。

 

 比して自分は、煤けた煙と炎に巻かれたジャケット姿。

 

「……驚いたな。まさかこんなに早く再会出来るなんて」

 

「……何で……。何で兄貴が、爆撃なんて行うんだよ……。だって兄貴は今、地球圏に……」

 

「迎えに来たんだ、アルベルト。お前は、こっちに居なければいけない。来なさい。背負っている女性は助けよう。無事は保証する」

 

「……何を言って……だってあんたは今……映画館に居た無関係な人達を……巻き込んで……」

 

「彼らは死んでも仕方なかった。いずれにしたところでつい先ほど、不明機……ガンダムと渾名される機体のシグナルがここに降り立ったんだ。攻撃するのは当然だろう」

 

 いつだってそうだ。

 

 いつだって、兄は正しい。

 

 そして正しいがゆえに――自分とは意見が対立する。

 

「……何言って……! 兄貴、無関係だったんだぞ……! そこの人達は……!」

 

「そんな事は忘れるんだ。わたしと一緒に来い。もうすぐ始まるぞ……トライアウトネメシスによる統制が」

 

 その言葉にアルベルトは息を呑む。

 

「嘘、何を言って……統制? おかしいだろ……! だってここはオレ達の居たデザイアじゃない、普通の大型コロニーだ! 無関係で、無実の人だって、たくさん……いいや、みんな、何の関係もない……」

 

「だがガンダムが降りたと言うのならば、追跡の任を帯びている新造艦が隠れ潜んでいるだろう。わたし達が炙り出す。その間に死んではいけない。お前は、死んではいけない、リヴェンシュタイン家の次男だ。だから来るんだ、アルベルト」

 

「……何を言ってるんだ、兄貴。あんたはその、無実の人達を……今! 踏みつけにしているじゃないか!」

 

「そんな些末事はいいんだ。アルベルト、お前の行方だけがわたしは気がかりだったが、やはり、あの新造艦に乗り込んでいたのだな? なら、余計な事はするな。全部わたしに……兄さんに任せるんだ。わたしは何だってしてやれる。お前を無実にしてやれる」

 

 ああ、それはとても正しい。

 

 それはとても、真っ当だ。

 

 そしてとても――今は聞いていられない。

 

「……兄貴が踏みつけている人達は、どうだっていいってのかよ……! 今日死ぬはずの命じゃ、なかっただろうが……!」

 

 デザイアでの惨状を思い返す。

 

 あの時もそうだった。

 

 今日死ぬなんて誰も思っちゃいない。

 

 ただ一人、自分を除いて――。

 

「アルベルト、お前は賢い人間だ。その女に惑わされたのか? それとも、他の悪い人間に? ……いいさ、全部許そう。わたしはお前を自由にしてやれる。要らないしがらみに雁字搦めになっていないで、今はすぐに逃げ出すんだ。お前はそれが出来るいい子のはずだろう?」

 

「……ざけんな……」

 

「アルベルト?」

 

「アルベルトさん?」

 

 二人分の疑念を跳ね除けるように、アルベルトは兄を――ディリアンを睨みつける。

 

「ふざけんな! 何だってオレが、兄貴の……それも軍警察の側につかなくっちゃいけねぇ! オレは凱空龍のヘッド、アルベルトだ! あんたが踏みつけた今日も明日も知らない人達のために、戦わなくっちゃいけない身分だ!」

 

「何を言っているんだ、アルベルト。それは軍警察の仕事だ。お前の仕事じゃない。お前は、地球圏に帰って、父さんを安心させてやって欲しいんだ。分かるだろう? お前は賢く、物事を合理的に捉える事が出来る。だから、来なさい。今なら無罪放免にしれやれる」

 

 伸ばされた《マギア》のマニピュレーターに、アルベルトは唾を吐く。

 

「……アルベルト、お前……」

 

「生憎だが――クソッタレだ。ディリアン・L・リヴェンシュタイン……!」

 

 ディリアンは暫し硬直していたが、やがてその眼はゴミを見るような目つきへと変移していく。

 

「……そう、か。その女か。アルベルト、お前の目を覚ますのに、炸裂弾で数十名では足りないようだ。その女を引き渡しなさい。大丈夫、兄さんが目を覚まさせてあげるとも」

 

 アルベルトは背負ったラジアルを庇うように後ろに後ずさるが、退路を塞ぐかの如く、降り立った《マギア》からの風圧が棚引く。

 

『リヴェンシュタイン様。この者達を処刑しても?』

 

「いや、男のほうは残せ。女は殺してくれ。どうやら悪い虫らしい」

 

『了解しました』

 

《マギア》のマニピュレーターが自分達を捕えようとして伸びるのを、アルベルトは必死に駆け出してその合間を縫うようにコロニーの街並みを踏む。

 

「くそっ、くそっ、くそっ、くそっ……! 何だってオレは! こんな時に何の力もねぇんだ!」

 

 足がもつれる。

 

 身体がひねる。

 

 投げ出されたラジアルの身が、道路の横合いで呼吸するのを、アルベルトは目にしながら、《マギア》の砲門が彼女を焼き尽くさんと照準したのを視認していた。

 

 何も出来ない。

 

 何一つ救えないまま、また命が散っていく。

 

 だが、そんなのでいいのか。

 

 自分は無力だから、何一つ成せないからと言って、大切なもの一つ、救えないで――。

 

 ――また、無知を気取るのか。

 

「……んな事、出来るわけねぇだろうが……でもオレには力がねぇ……どうしたって……! だから……だから、来てくれ。カッコ悪いけれどよ……来てくれぇ――ッ! クラード――ォ!」

 

 瞬間、《マギア》の躯体を貫いたのはピンク色の光条であった。

 

 ぐずぐずにコックピット部位を溶かした《マギア》がそのまま仰向けに倒れ込む。

 

 アルベルトは振り仰いでいた。

 

 その先に佇んでいた《エクエスガンナー》の構えを見ただけで瞬時に分かる。

 

「……クラード……。何で……」

 

『呼んでおいて、その言い草ってないんじゃないの?』

 

 広域通信でクラードの声が聞こえて、今この現実が幻ではない事を思い知る。

 

『あの……っ! ラジアルさん! 今、皆がベアトリーチェに向けて集合しています! ここは私達に任せて、艦へと戻ってください! ピアーナさんが電子戦で防衛を……!』

 

『馬鹿、何言ってるんだ。艦が居る事を喋ってどうする』

 

『あっ……しまった……』

 

「何でカトリナさんまで乗ってるんだ……」

 

 だが今はそんな事はどうだっていい。

 

 拾った命、ここで生かさなければ嘘になる。

 

「……こっちへ」

 

 ラジアルを背負い、アルベルトは駆け出す。

 

 その背中にディリアンの声が響き渡っていた。

 

『……アルベルト! それは決別だと……思っていいのだな?』

 

「……オレは兄貴や親父みたいに、あった事をないものみたいにして、蓋をする器用な生き方なんて出来ない……」

 

『……残念だ』

 

 残り二機の《マギア》が挙動し、クラードの駆る《エクエスガンナー》へと挟み撃ちを仕掛ける。

 

 その模様を今はただ逃走するしかないのがもどかしいが、耐える事で救える命もある。

 

「……アルベルトさん、私……」

 

「何も。……今は何も、言わないでください。そのほうがきっと……お互いを傷つけずに済むはずですから、だから今は……」

 

 何も、言わないで欲しかった。

 

 



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第45話「戦場の邂逅」

「散開挙動! 《マギア》だからミラーヘッド戦なんじゃないんですか?」

 

 自分の傍で喚くカトリナを相手にしている暇はなく、クラードは二機がそれぞれ機動したのを視認してから、《エクエスガンナー》を飛翔させる。

 

「……挟み撃ちだ。二機で俺達を墜とすつもりでいる」

 

「それってー……まずいですよね?」

 

「ああ。大マジにまずい!」

 

 叫んでから、クラードは後退挙動を取らせつつ、片側の《マギア》へと照準を合わせようとして普段との規格の差に呻く。

 

「……駄目だ。《エクエス》じゃ全てが遅い」

 

 分が悪いと判断してさらに上方へと逃れたが、そこは先に張っていたもう一機の《マギア》の射程だ。

 

 引き抜かれたビームサーベルの残光に、クラードは咄嗟の格闘兵装であるトンファーを稼働させる。

 

《エクエスガンナー》の有するヒートトンファーが熱を帯び、《マギア》のビームサーベルと干渉波を押し広げていた。

 

 悲鳴を上げて蹲るカトリナを他所に、クラードは敵を直視する。

 

『邪魔立ては! ……ためにはならんぞ、賊め』

 

「……その声さ、あんた。アルベルトによく似ているけれどまるで反対だね。あいつはこんなところで闇雲に被害を出すような馬鹿じゃなかった」

 

『分かった風な口を!』

 

 そのまま大上段から打ち下ろす一撃にクラードの《エクエスガンナー》が大きく後退する。

 

「何で! あのまま切り結べば……!」

 

「出来ない事を言うな。《エクエス》の……こいつのパワーじゃ軍警察の《マギア》には負ける……」

 

「でも、ミラーヘッドをして来ないんなら……」

 

「あいつは大局を見ている。今は避難民と、それに伴って発生したパニックが大きい。今、ミラーヘッドなんてしたら市民に顔向けは出来ないはずだ。あんただって知っているだろう。ミラーヘッドの第四種殲滅戦じゃ、死者は数えられないんだよ」

 

「じゃ、じゃああの機体は……! ミラーヘッドが出来るのに様子見しているって事ですか?」

 

「……大きく穿てばそうなるな。余裕とかじゃない。情勢を見ているんだ。あいつ、下手なやり手のパイロットよりも面倒くさい。……俺達が下策を打つのを待っている。だから、今は戦火を広げないように、上を目指して戦うしかない」

 

「で、でもそれって……ジリ貧って事じゃ……」

 

「言い方次第かな。今は、とにかく《レヴォル》を追いたい。だってのに立ち塞がるんじゃ……俺はこいつらを薙ぎ倒すしかなくなってくる。単純に選択肢の問題だ。《マギア》二機を倒すのは何も難しくはない。だが、それは俺達の……ベアトリーチェの航路に差し支える。無用な人死にの上にベアトリーチェは月航路を目指すわけにはいかない。だからここでは相手の攻勢に耐える」

 

「もし……耐えられなかったら……?」

 

「――死ぬだけだ」

 

 ヒートトンファーを片手に翳したまま、《エクエスガンナー》は肩より担いだ長距離砲を相手へと照準している。

 

 無論、牽制だ。

 

 本当に当てようとは思っていない。

 

 先ほどのように隙だらけならばいざ知らず、今の二機はこちらの脅威を思い知っている。ならば奇襲は通用しないだろう。

 

「……ある意味じゃ、我慢比べだな。そっちとこっち……どっちが痺れを切らすか……」

 

 コロニー内での戦闘は基本御法度。

 

 だが、《レヴォル》のシグナルは一度この映画館跡地で留まっていた形跡がある。

 

 ならば相手には攻撃に移る大義名分は存在する。

 

「……撃って来るのなら、とっとと撃てよ。ならやりやすい」

 

 だが、理解しているのだ。

 

 いや、頭が醒めて来たと言うべきか。

 

 相手は下手に撃ってこない。

 

 それは自分達にとっての不利益になる事を既に学習済みだ。

 

「耐久戦になると、面倒だ。こっちとしてはこいつらに背を向けて《レヴォル》を追いたい」

 

「追えばいいんじゃ……」

 

「馬鹿なのか? そんな機動性は《エクエスガンナー》にはない。相性が最悪なんだ。《マギア》二機相手に、ミラーヘッド機じゃないこいつじゃ。ミラーヘッドが使えるとしても、一旦は飛ばないと話にならない。そして《エクエス》は重過ぎる上に被害を広げる可能性が高い。こんな状態でまともに戦えるわけがない」

 

「えと……つまり?」

 

「……物分りが悪い脳に教えてやる。最悪のシチュエーションだって事だ」

 

 しかし、ここで撤退機動を取れば、敵にベアトリーチェの位置情報を教える事になってしまうだろう。

 

 隠れ潜めるような背の高い建築物も皆無。

 

 その上、今しがた敵が粉砕した映画館跡地からは、今も悲鳴と怨嗟が漏れ聞こえてくる。

 

「……い、いやっ……こんな悲鳴……」

 

「嫌でも聞くしかないだろうさ。ここで居続ける限りはな」

 

 操縦桿を握り締めたまま、クラードは明滅する施術痕を忌々しげに睨む。

 

「……《レヴォル》と同じ規格なら、今頃は圧倒出来ているのに。武装だって少ない上に、決定打になるものは一個もない。こんなのじゃ勝てない」

 

「そ、それって……相当にヤバいって事なんじゃ……」

 

「今さらだろうに。何言ってるのさ」

 

『そこの《エクエス》のパイロットに告ぐ。投降するのならば、今ならば許そう』

 

「このタイミングでよく言うよ……。断る、と言ったら?」

 

『……死んでもらう。テロリスト風情が……!』

 

 真正面から照準した《マギア》の光芒を《エクエスガンナー》は機体に備えたローラーを駆使して半身になって回避する。

 

「ようやく……こっちの好機か……!」

 

「えっ、どういう……」

 

「我慢比べって言っただろう? それはこの一撃を待っていた……!」

 

 痺れを切らしたのは向こうのほうだ。

 

 ――今ならば獲れる、そう確信した神経が敵機に向けて長距離砲を一射し様に、ローラーダッシュで砂礫を巻き上がらせながら相手へと肉薄する。

 

《マギア》ならば、この後の行動は一つだけのはず。

 

 その目論み通り、相手は飛翔して数発の牽制弾をこちらへと掃射する。しかし、どれもこれも当てずっぽうなのは既に予見通りだ。

 

 相手は命中させる事を念頭に置いたわけではない。

 

 ただここでの足止めと、そして自分達への殺意を募らせ、結果論として攻勢に移っただけ――それ即ち、ただの機銃掃射なだけだ。

 

 落ち着いて対処すれば命中するわけではない。

 

 クラードはそのまま機体を旋回させて砂塵を巻き上がらせ、《マギア》の精密機器の塊であるスラスターシステムを阻害する。

 

「……あれだけ長い間《マギア》を使ってきたんだ、機体特性は分かっている。《マギア》のスラスターノズルはほとんど精密機械のそれ。なら、こんな火災現場の砂礫なんて一番に吸い込むとヤバい」

 

 その思索通り、直上を取ったはずの《マギア》は急速に硬直する。

 

《マギア》の推進システム上の欠陥だ。

 

 吸引型の《マギア》のスラスターは、大出力とそれに伴っての高速のミラーヘッドを可能にするが、同時に市街地での戦闘には向いていない。

 

 思わぬ阻害を引き起こしかねないシチュエーションに身を置いた時点で、相手の失策だ。

 

 クラードの《エクエスガンナー》は長距離砲を一射する。

 

 敵《マギア》の脚部が折れ曲がり、溶断してそのままパージされる。

 

「やった! これでこのまま押し切れば――!」

 

「よし、逃げるぞ」

 

「ふへっ……? 何でですか、クラードさん! このままなら勝てるんじゃ……!」

 

「本当に愚図なんだな、あんた。相手もプロだ。これで正気になる。目が醒めた相手に対してこれ以上の追撃は旨味がない。だからここは出来るだけ距離を……!」

 

 だが想定していたよりも醒めるのが早い。敵の《マギア》はこちらへと狙い澄ました光芒を放ち、機動力で落ちる《エクエスガンナー》は一手遅れた形となる。

 

 ビームライフルの光条が《エクエスガンナー》の肩口に担いだ武装に引火して、クラードはそれを分離させる。

 

 銃身の折れ曲がった長距離砲は、最早無用の長物だ。

 

 しかし長距離砲を外したからと言って軽くなるわけでもない。

 

 元々、ミラーヘッドを想定していない《エクエスガンナー》の装備ではどうあっても勝てないだろう。

 

《マギア》二機に挟まれた状態には変わらない。

 

 その上、戦局は先ほどまでよりも悪くなっている。

 

「……熱源関知。まだ援軍が居たのか……!」

 

「どどど……どうするんですかっ! このままじゃ、負けちゃう……」

 

「喚くな、騒ぐな、静かにしてくれ。これ以上の失態を重ねないように、今策を巡らせているところだ。……だが、ちょっとキツイな。砲撃装備を失った《エクエスガンナー》じゃ、持っているのはせいぜいヒートトンファーくらいなものだ。こんなもの、何の役にも立たない」

 

 せいぜい、敵の眼前で弾けさせての目晦まし程度。

 

 ビームサーベルを有する敵に対しては、トンファー装備では不利に働くのみ。

 

「……上から来るのは……あれは、《エクエス》じゃ、ない……?」

 

「新型機か。まさかここで実戦投入してくるなんてな」

 

「お、落ち着いている場合ですか……っ! このままじゃ、私達……っ!」

 

「ああ、死ぬな」

 

 絶句したカトリナへと視線を流し、クラードは言葉にする。

 

「そんなに驚く? 今の状況を整理したら、自然と予測はつくでしょ」

 

「いや、でも……」

 

「ベアトリーチェまで帰投するだけの推進剤の容量もない。武装もないんじゃ、《マギア》相手だって勝てない。俺のライドマトリクサーとしての機能を最大限まで使えたんなら、まだ勝ちの目があったんだが、不可能だ。《エクエス》じゃ、その最新鋭の機体には遠く及ばない」

 

「……冷静に言っている場合じゃないですよ、クラードさん。あの機体、こちらに照準を……」

 

「ああ。上に行ってもどこに行っても、これじゃあ負け筋だ」

 

 しかし、とクラードは思案する。

 

 ――本当にここまでなのか?

 

 レヴォルの意志が何者かに触れ、そして反応したと言うのならば、死地の中にも何かを見出せるはずだ。

 

 そしてその死地とは――まだここではない、どこかのはず。

 

「……俺は知っている。まだここでは死なない、いや、死ねない。だから応えろ……! 俺の中の叛逆の心よ。《レヴォル》は俺をまだ、見限っていないはずなんだ……」

 

 敵機の反応が直上より注がれる。

 

 機体照合、《レグルス》と出た《エクエス》の発展機はそのまま、口径の発達したビームライフルの銃口を、自分に据えていた。

 

 カトリナが直後に訪れる死を予感して、瞼をきつく瞑る。

 

 しかしクラードは決して目を逸らさなかった。

 

 眼を背けるな。現実から、逃げるな。ここで覆い被さってくる死なんてものは、跳ね除けろ。

 

 それこそが、自分の――。

 

「俺の生きる目的だからだ……! 応えろ、《レヴォル》!」

 

『――なるほどね。この子がキミを選んだ理由、分かった気がするよ』

 

 不意に聞こえてきた暗号回線と共に、《レグルス》の横合いに加速して入って来たのは、コアファイター状態の《レヴォル》であった。

 

 そのまま《レグルス》を押し返し、四肢を押し広げてスタンディングモードへの可変を実行する。

 

 円弧を描いて敵機へと接近し様にビームライフルを速射させて銃撃。

 

 黒煙を上げた《レグルス》へと浴びせ蹴りを叩き込み、踏み台にして他の《レグルス》や《エクエス》の援護を防ぐ。

 

「……《レヴォル》……。違うな、何だ……。誰が乗っているんだ……」

 

「く、クラードさん……いき、てる……? 私達……生きて……」

 

 感慨にふけっている場合でもない。

 

 クラードは《エクエスガンナー》を急速後退させ、背後に付いていた《マギア》を突き飛ばす。

 

 虚を突いた形ならば、《マギア》のフレーム構造では《エクエス》の体当たりを無効化出来ない。

 

 そのまま《エクエスガンナー》で走り込みつつ、クラードは《レヴォル》へと暗号通信を繋いでいた。

 

「こちら、エージェント、クラード。《レヴォル》、《レヴォル》……! 何があった? 応答しろ!」

 

『無駄だって。この子、今はボクに懐いているみたいだし。まぁ見ておきなよ。レヴォルの意志が選んだ戦い方って言うのを』

 

「……何を言っている。レヴォルの意志が、選んだだと……」

 

「女の子の声……ですよ、クラードさん……」

 

 互いに震撼する場所が違ったが、それでもこの戦局自体はまずいのだと認識出来る。

 

《レヴォル》は自分が操る時とは違い、格闘兵装よりも射撃武器をメインにして戦っていた。

 

 まずは銃撃で敵の動きを牽制したところで、急速接近し、そのまま軽業師めいた動きで蹴りを奔らせて相手を撃退していく。

 

 脚部格納武装である火器を出現させて接近してくる敵を引き剥がし、またしてもヒット&アウェイに近い挙動で後退。

 

 そのまま無理な機動は踏まず、《エクエス》と《レグルス》を同時に相手取ってもまだ余裕がある。

 

 敵機をビームライフルの掃射で叩き飛ばしてから、そのままターンをして後方より抜刀する相手を撃ち抜き、的確に数を減らしていく。

 

「……俺の戦い方とは真逆か……」

 

「すごい……。何であんなに鮮やかに《レヴォル》の機動を? だって、《レヴォル》はクラードさんの専用機だったんじゃ……?」

 

「俺もそうだと、思っていたんだがな。何かが違う……。あいつ……もしかして遊んでいるのか……?」

 

「遊んでいるって……まさかそんな! だって敵は軍警察ですよ?」

 

「……そんな相手でも、遊んでいるような挙動でどうにか出来るって事だ。相当な手練れか、あるいは無根拠な馬鹿かのどちらかだろうさ」

 

 クラードは追跡してくる《マギア》を見据える。

 

 執念深く追い立ててくるのは片足が外れたほうの《マギア》であった。

 

『貴様だけは……アルベルトを惑わした……! 墜とす!』

 

「何を言っているんだ。惑ったのは勝手な話だろうに。お前が――墜ちろ」

 

 だが直後には、《マギア》は無数の分身体を生み出し、中距離からの射撃に入っている。

 

 クラードは舌打ちを滲ませてビルの陰に入っていた。

 

 分身体の一斉掃射がビルを焼き尽くし、そのまま火力で薙ぎ倒そうとしてくる。

 

 ローラーで市街地を抜けて草原地帯へと遁走してから、ヒートトンファーを稼働させ、敵の精密な狙撃をトンファーを一回転させて防御する。

 

 しかしそれも一回きりだ。

 

 二発目以降を防御するのにはマニュアルでは足りない。

 

 弾き返したつもりのビームライフルの銃弾が頭部へとめり込み、カメラアイに支障を来す。

 

 頭蓋の半分を融かされた衝撃波で《エクエスガンナー》は容易く横倒しになっていた。

 

 そのまま地面を滑り、カトリナが蹲って悲鳴を上げる。

 

「……くそっ! ……動け! って言っても無駄な話か。スターターもかからない。このままじゃ撃墜される」

 

「何で! 何でそんなに落ち着いて……っ!」

 

「落ち着いているのは、《レヴォル》の動きだ」

 

 半分の全天候モニターが消失している中でも中空で《レグルス》と《エクエス》を同時に相手取って、攻勢に移っている《レヴォル》が視界に入る。

 

『助けて欲しい? 助けて欲しいのなら援護するけれど?』

 

「要らない。戦場で助けを乞うのは死にかけの傷病兵か、イカレた士官だけだ。俺は誰かに助けを乞う事はない。自分で道を切り拓く」

 

『……へぇ。キミ、面白いね。興が乗った。助けてあげるよ、《レヴォル》のパイロットさん!』

 

 急加速のまま下降に入った《レヴォル》が分身体を生み出す《マギア》へと強襲をかけるも、相手とて馬鹿ではない。

 

 即座に多段銃撃で弾幕を張る。

 

 しかし《レヴォル》を操る何者かはその射線を潜り抜け、真正面から《マギア》の本体へと飛び蹴りを浴びせていた。

 

 よろめいた《マギア》と同期して、分身体もよろめく。

 

 それを好機と見たかのように、《レヴォル》は的確に分身体を射抜き、一つまた一つと掻き消していく。

 

 最後には残った本体の《マギア》のコックピットへと、ビームライフルの銃口を据えていた。

 

『……ガンダムめ……』

 

『それ、何の名前? この子の? ガンダムか……いいね。じゃあ《ガンダムレヴォル》ってワケだ』

 

《マギア》がその隙を突いて手首を一回転させ、《レヴォル》を一瞬だけ引き剥がす。

 

 その機を逃さず、コックピットを射出させ、随伴機の《マギア》に回収させていた。

 

《レヴォル》がいくらか牽制の銃撃を放つも、《マギア》は深入りせず、そのまま撤退挙動に入っていく。

 

『これで……ちょっとは落ち着いて話しが出来る? 《レヴォル》のパイロットさん』

 

「……お前は、何だ……」

 

『横倒しになったままじゃ難しいでしょ。出てきなよ』

 

 コックピットハッチを開こうとするクラードをカトリナは押し留める。

 

「駄目……っ! 敵が本気なら狙い撃ちにされます」

 

「もう本気なら撃たれているよ。そうじゃないんだろう、相手は」

 

《エクエスガンナー》のコックピットハッチを空気圧縮で吹き飛ばし、クラードは煤けた大気へと己を晒していた。

 

《レヴォル》のコックピットがゆっくりと開き、そこに収まっているパイロットの姿が露わとなる。

 

 それは果たして少女であった。

 

 年のころはまだ自分とさして変わらない。

 

 茶髪に赤毛のワンポイントを入れた、どこかパンクファッションを思わせる格好に身を包んでいる。

 

「……お前は何者だ……」

 

「ボク? ボクはメイア。――メイア・メイリス。人によっちゃ、エムエムって呼ぶかな。反政府団体ギルティジェニュエンの、まぁボーカルをやっている。このコロニー、シュルツには慰問コンサートに来たんだ」

 

「……ボーカル……コンサート……? 何でそんな奴がレヴォルの意志に選ばれた? ハッキングでもしたのか」

 

「冗談! これでも真っ当だよ。まぁ、突然にこの子が来た時には大騒ぎだったけれど、その後の動乱に比べればまだまだ序の口だったね」

 

「……お前も俺と同じ……この世界そのものへの憎悪があるとでも言うのか」

 

「……さぁね。その辺はボクには分からないや」

 

 そう言いやってメイアと名乗った少女は昇降機を用いずに降り立ち、自分と対峙する。

 

 クラードは迷いなく拳銃を取り出したが、相手は丸腰だ。

 

 唯一の所持品は、後生大事そうに抱えている――ギターだけだろう。

 

「……お前を殺して《レヴォル》を奪還する。他に選択肢はない」

 

「そう? ボクには他にもあるように感じるけれどなぁ。はい、《レヴォル》、行きなよ」

 

 その言葉に応じ、《レヴォル》が歩を進ませる。

 

 まさか、とクラードは目を戦慄かせていた。

 

「俺以外の命令を聞いた、だと……」

 

「レヴォルの意志だっけ? この子の意志は闘争なんて望んでいないようだけれど? まぁ、今は、の話でもあるか」

 

「……どうして《レヴォル》に乗れた? お前もライドマトリクサーか?」

 

「軽度のだけれどね。まぁその辺はいいじゃん。ホラ、キミの《レヴォル》が帰って来た! これでお終い! もうボクを追跡なんてしないでよね」

 

 笑顔を振り撒いて口にするメイアの足元へと、クラードは銃撃する。

 

「……へぇ……逃がす気もないみたい」

 

「答えなければ殺す」

 

「答えてもその後で殺すんでしょ? 分かりやすいったら」

 

「……お前は……」

 

 メイアはその腕に刻まれたモールド痕を見せつける。

 

 それ一つとってしてみてもファッションのように、RM施術痕は鳳凰の羽根を象っていた。

 

 翳した腕が青に明滅する。

 

「じゃあね。お迎えが来たみたいだ」

 

 その意味を判ずる前に近場の樹林へと銃撃が見舞われる。

 

 クラードが咄嗟にカトリナを伏せさせたその時には、黄色のカラーリングを持つMSがメイアへとマニピュレーターを伸ばしていた。

 

「待て!」

 

 銃口を据えた先に居るメイアは、何でもない事のようにパッと手を振る。

 

「バイバイ。《レヴォル》のパイロットさん。今度はもっといい出会い方をしよう」

 

 黄色の機体はそのまま可変し、円盤のような形状へと脚部と腕を格納させ、飛び去ってしまう。

 

 それを追う術は悔しいが、今の自分達にはない。

 

「……クラードさん。彼女は……」

 

「今は無視する。《レヴォル》、俺を乗せろ」

 

《レヴォル》が膝を折ってマニピュレーターで自分を導く。

 

「お……置いて行かないでくださいよー……」

 

「……癪だが置いていくわけにはいかない。《レヴォル》、コミュニケートモードを30セコンドだけ解放。何であいつを選んだ?」

 

『コミュニケートモードに移行。“あいつ、とは誰の事だ? クラード”』

 

「機械にとぼける機能なんてないはずだ。あいつとは、さっきのメイアとか言う女の事だ」

 

『“……すまないが、こちらの記憶領域にはメイア、という名前の認証が存在しない。それは誰の事を言っているんだ?”』

 

「誰って……! お前をさっきまで操っていた……! ……まさか《レヴォル》、奴に乗り込まれていた時のレコードがないのか……?」

 

「く、クラードさん……。《レヴォル》は何て?」

 

「……後でいい。戦闘モードに移行する。今は……残存戦力を圧倒するだけだ」

 

 コックピットハッチを閉ざし、全天候モニターへと移行した《レヴォル》のコックピットの中で、僅かに香る他者の匂い――。

 

「……女の匂いなんて、《レヴォル》には似合わないって言うのに……」

 

「来ます! 直上!」

 

「見えているに決まっているだろう」

 

 機体を沈ませ、そのまま跳躍した《レヴォル》が直上で抜刀した《レグルス》との鍔迫り合いに入る。

 

 ヒートマチェットを振り翳し、そのまま打ち下ろした攻勢に対し、敵機は距離を取りながら銃撃していた。

 

 こちらも距離を稼いで敵の火線を掻い潜る。

 

「……他の機体との連携はほぼ総崩れだ。あいつを突破してベアトリーチェへと急ぐ。悪いが、乗っている人間の安全までは考えられない。全力で行く!」

 

 腕を可変させ、《レヴォル》の接続口に繋ぐ。

 

 その瞬間、電磁の衝撃が頭蓋を揺さぶり、慣れ親しんだ《レヴォル》の視界へと同期していた。

 

 その瞳は真紅に輝き、撃つべき敵を睨み据える。

 

「ゲインを目一杯に上げろ、《レヴォル》! 敵陣に突っ込む!」

 

 ヒートマチェットを薙ぎ払う形で敵影へと振るった《レヴォル》へと、《レグルス》は上方へと逃げ様にビームサーベルを振るい落とす。

 

 その一閃を半身になって回避し、もう片方の腕で掌底を形作って《レグルス》の腹腔を狙う。

 

「邪魔だ――!」

 

 粒子束が加速し、そのまま《レグルス》のコックピットを焼き尽くすかに思われたが、相手は危険予測が立ったのか、ビームサーベルを払って一撃を回避して後退する。

 

『……その声、ついさっきも聞こえていた……』

 

「オープン回線? こんな時に何なんだ……!」

 

 即座に破壊に移ろうとしたクラードへと、まさかの人物が声をかける。

 

「……もしかして……ダイキ?」

 

「……何だ? 何を言って――」

 

『あ、ああ、そうだ。俺だよ、ダイキ・クラビアだ……! 何でそのMSに乗っている……。カトリナ!』

 

「……知り合いか」

 

「……えと、昔にちょっと……」

 

「後で報告書には書いてもらうぞ」

 

「えっ……それはそのー……プライバシーでも……?」

 

「それは当たり前だろう。現に今の一瞬で……相手はやる気を削がれたようだ」

 

 ビームサーベルを仕舞い、《レグルス》は離脱挙動に入っていた。

 

 逃げる相手まで追う趣味はない。

 

 クラードはヒートマチェットの熱伝導を抑え、敵が逃げ帰っていくコロニーの空を仰いでいた。

 

「……こちらの戦力は総崩れな上に、軍警察のコロニーへの私的介入……。何のつもりなんだ。ベアトリーチェを追って来たにしては敵の追い方があまりにも粗雑過ぎる」

 

「……クラードさん。ベアトリーチェからの信号、来ています。……よかった! アルベルトさんもラジアルさんも無事! ……との事ですっ!」

 

 嬉しいニュースを発表するかのようなカトリナの声音に比して、自分の声は陰鬱であった。

 

「……一時とは言え、《レヴォル》が俺の命令範囲から逃れた。何かがあったんだ……何かが……」

 

「く、クラードさん! 今はそんなの考えないようにしましょうよ! みんな無事が一番なんですから!」

 

「……だが、連中はどうしてこんな雑な介入を? あまりにも軽率が過ぎる。それとも……俺達の道筋をどこかで誰かが……予見しているとでも言うのか……」

 

「い、今はいいじゃないですか! 生き残ったんですよ!」

 

「……悪いが素直に喜ぶ気にはなれない。何かが……異常だった。そう思うしかない」

 

 そうでなければ――異常なのは自分のほうに、容易く傾いてしまうからであった。

 

 



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第46話「交錯する思惑」

「《ガンダムレヴォル》ねぇ……いい子だったよ、とても素直な機動だった」

 

「言っている場合? メイア。私達の動き、悟られてないよね?」

 

 ギターを弾き鳴らす。その音色は自分を研ぎ澄ますのに似ている。

 

「……安心しなって。あそこでの慰問コンサート、コロニーデザイアの崩落への、って言うのが一応の建前だったけれど、もしかして、ボクらも予見されているのかな? 何者かに」

 

「何者かって誰よ」

 

「……さぁ。てんで見当もつかないや」

 

 補助シートに腰を下ろしてメイアは同乗するバンドのメンバーに声を振り向ける。

 

「《カンパニュラ》は良好? イリス」

 

「ええ、まぁね。あそこで拾えなかったらどうするつもりだったの? あんたは」

 

「その時はその時だったかもね。でも《カンパニュラ》を少しでも軍警察に見られたのは痛手だった。これからの捜査への弊害になるかもしれない」

 

「そうならないための隠れ蓑でしょう? ギルティジェニュエンは。……分かっているはずよ。私達の組織は絶対に悟られてはいけない」

 

「ああ、ボクらはあくまでもただの一企業の有するお抱えアーティストだ。だから裏で動くのはお手の物なんだけれど……今回ばっかりは参ったね、ホント。って言うかさ、あの《レヴォル》って言うの、本当に何者なんだろう? 戦いながらでもログは辿れなかったし……」

 

「分からずに乗って軍警察とやり合ったの? ……本当、先が思いやられるわ」

 

「まぁそう言わずに。ボクらは案外、真実に肉薄しつつあるのかもしれない。《レヴォル》はその証かな?」

 

「勝手な事言わないで。私達にまで迷惑がかかってしまう。……そろそろランデブーポイントに入るわ。MS《カンパニュラ》、偽装迷彩を使用。こちらと艦との接近速度、想定内」

 

 宇宙の常闇で唐突に開いたのは、MSの格納カタパルトだ。

 

 しかし肝心の戦艦自体は、目視では確認出来ない。

 

 目視戦闘を完全に排除した、透明なる戦闘艦――その名は。

 

「名をラムダ。ボクらのための魔女」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 操縦桿を思い切り殴りつけて、ディリアンは悔恨を噛み締めていた。

 

「……わたしが……わたしの言う事を何故聞かない……! アルベルト、お前のためを思って言っているのだぞ……!」

 

『親衛隊の方々の介入にはほとほと参ったものです。あそこまでする事はありますか?』

 

「黙れッ! 凡俗に何が分かる……!」

 

『はいはい、黙りますが、俺達、トライアウトネメシスだって痛み分けです。やるんなら全滅まででしょう? 中途半端に残すと禍根が残りますよ。あのコロニーにはまだ生き残りが居た……いや、何でだ? ……カトリナが偶然、あの場に……?』

 

「……ダイキ中尉。わたしも礼節を欠いていたのかもしれないがね、それでも何が異常かと言えば……アルベルトがわたしに逆らった……! わたしの《マギア》に唾を吐いたんだぞ……! あの素直だった弟が! アルベルトが!」

 

 逆上したまま全天候モニターを殴りつける。

 

 分かっている。冷静でない事くらいは。

 

 だがこんな局面で冷静になどなれるだろうか。

 

 アルベルトは――弟はいつからおかしくなってしまったのだろう。

 

 その原因を辿ったディリアンは、ふとデザイア崩壊と謎のMSの出現を脳裏で結びつけていた。

 

「……あいつだ。あいつらだ。あいつらがアルベルトをおかしくした……。ならば睨むべきは……敵。ガンダム……!」

 

 撃つべき敵は見えた。ならば後はトリガーを引くだけだ。

 

 それさえ間違えなければきっと、アルベルトは帰ってくる。

 

 何故ならばそれは――。

 

「わたしはこの世で最も正しい血族、リヴェンシュタイン家の長男だ。正しくあらなければどうする? 弟を導かなければいけない。アルベルトの目を覚ますためならば、わたしは鬼にも悪魔にも成ろう……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《プロトエクエス》を乗り捨てたのは失態だった、と告げた後に、彼の者は暗礁の宇宙空間を映し出す常闇の中に放り込まれていた。

 

 パイロットスーツを脱ぐなり、彼は視点を中天に向ける。

 

 その姿は産毛の一本もない、胎児がそのまま成人男性のサイズへと成長させられた姿であった。

 

 骨格も、ましてや必要な筋肉量もまるで足りていない。

 

 それらは全て、特殊なパイロットスーツで保たれてきたのだ。

 

 白銀のバイザーを上げる。

 

 唯一と言っていい毛髪は刈り上げた銀髪だけだ。

 

 それでも、彼の者は足を擦ってそのまま倒れ伏す。

 

 瞬間、景色が満たされていた。

 

 オレンジ色の培養液の中に浸された胎児が円弧の形を描いて居並び、倒れ伏した同族へと憐れみと言う名の「感情」を投げかける。

 

『……御し損なった時点で、役割は終わった』

 

『その通り。我々の血族を危険に晒した罪は重い』

 

『よって死でもって償え。第3024番目の個体よ』

 

 その判決が下された瞬間、彼の者が蒼い炎に包み込まれる。

 

 骨身を焼き、肉を焦がし、そして頭蓋を――知性を焼き払う。

 

 悲鳴が劈くが、それは赤子の声と同じであった。

 

 泣き喚く声だけが断罪の空間に響き渡った後に、彼の者は静かに息絶えていた。

 

 最早その存在の証明は一ミリもない。あるとすれば先ほどまで纏っていた人工筋肉のパイロットスーツだけだろう。

 

『しかし、旧人類が造り上げた方舟か。戦艦ベアトリーチェ。よくもまだ持つものだ。悪運が強いのだろう』

 

『それだけではあるまい。あれには忌まわしいあの機体が付いている。――《レヴォル》』

 

 世界そのものを震わせる声は重々しい声音とは裏腹に、どれもこれも子供の声帯であった。

 

『いずれにせよ、第一段階の計画は終了の時を迎えつつある。その時になるまでは泳がせるつもりであったが……因果が集約されるのか。コロニー、シュルツまで失うところだったとは』

 

『揺籃の時は終わりつつある。その時に帰るべき場所を見失ってからでは遅い。トライアウトネメシスの介入行動は少しばかり迂闊でもあった』

 

『しかし彼の者達に任せるしかないのも実情。我々はまだ、動くには足らない』

 

 子供達の無邪気な笑い声が響き渡る。

 

 それはまさに、漆黒の天地に残響する悪意。

 

『そうだとも。我々はこの世界を正常に導かなければいけないのだ。――我らダーレットチルドレンがな』

 

『そのためには、あれは邪魔だ。エンデュランス・フラクタルの新造艦、ベアトリーチェと、そして白いMS――開発コード、《レヴォル》を操る者も』

 

『睨むべきはこの世に不要な存在のみ。切り捨てる時は非情でいい。我々の動きを悟らせるわけにはいかない。親衛隊を動かすのは時期尚早だが、潜り込ませよう。やれるな? 2067番』

 

 培養液のうち一つから液体が抜かれ、その内側に存在していた胎児が排出される。

 

 最低限度の呼吸器と、そして半透明の肉体へと装着されたのは特殊なパイロットスーツであった。

 

 潜り込んだ瞬間、パイロットスーツの内部浸透圧が正常に保たれ、彼の者はすくっと立ち上がる。

 

 まるで通常の人間のように、くるっと一回転して胎児達の集う禁断の間へと冗談じみた挙手敬礼を送る。

 

『全ては我々の生存のため。この世界の人々には犠牲になってもらわなければいけない。そして、《レヴォル》。あれはこの世にあってはならない存在だ。一対一で対峙するのにはしかし、その強さは計り知れない。よって、親衛隊を使っての作戦行動に入る』

 

『左様。奴は侵略者だ。この時空を我らが物とするために、障害は破壊する。《レヴォル》……いいや、《フィフスエレメント》。ダレトより来たりし五番目の来訪者よ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第六章 「交錯する因果の戦場で〈ファクター・オブ・インターセクション〉」了

 



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第七章「策謀の宇宙で〈ガーデン・オブ・ステイン〉」
第47話「鏡像殺し」


 火線が舞う。

 

 世界が反転する。

 

 そんな場末、この世の最果ての戦場で、業火が爆ぜ、直後には《エクエス》は粉砕されていた。

 

『散れ、散れーっ! 敵は《マギア》編隊、……その内訳は十五機以上! 《エクエス》のミラーヘッドでは格好の的だぞ!』

 

 通信網に焼き付いた声を聞き流しつつ、ああ、と嘆息をつく。

 

「……つまんねぇなぁ、この戦場も。敵とやり合うにしちゃ、ちょっと下策だぜ?」

 

『後退、後退しろ! 命あるものは撤退機動に入れ! 《マギア》とミラーヘッド戦でまともに戦えば分が悪いのはこちらだ!』

 

「それはどうかな……っと。本当にこの世の終わりみてぇな光景だな」

 

 黄昏の天空より全ての審判を行うべく、《マギア》編隊が襲来する。

 

 蒼い分身体を引き写し、その総数は一気に八倍へと増幅する。

 

『ミラーヘッドだ! 《エクエス》では押し負ける……!』

 

 撤退に入る《エクエス》は地を這うしかない獲物だ。

 

 中天よりビームライフルを掃射する《マギア》編隊からの天罰の気勢に、《エクエス》が次々と貫かれていく。

 

 中には半狂乱になってビームスプレーガンを速射する者も居たが、まるで射程が違う。

 

《マギア》の加速度が《エクエス》の懐へと潜り込み、そのままビームサーベルで両断していく。

 

 同じ動きをトレースした《マギア》の分身体が《エクエス》の胴体を割り、そのまま悪鬼の群れの如く襲いかかってくる。

 

 まさにこの世の終わり。

 

 終末の光景に等しい。

 

「だがなぁ、ミラーヘッドに頼っている時点で失策なんだよ。他のは下がってろ。俺の邪魔になる」

 

『お前……確か外人部隊の……』

 

「――クランチ、だ。クランチ・ディズル」

 

 そう名乗ったクランチはパイロットスーツすら纏っていない。鍛え上げた裸体の上半身にジャケットを羽織っているのみだ。

 

『ディズル……逃げたほうがいい。我々はもうこの戦場を捨てる。それしかあるまい』

 

「おんやァ? それは意見の相違だな。俺にはまだ勝ちの目が見えているがねぇ」

 

『何を……何を言っているんだ! 相手はミラーヘッドの令状持ち、オーダーが降りた以上は、下位オーダーは無効化される! 我々は負けたのだよ、ディズル!』

 

「だから、それが意見の相違だぜ? まだ負けるには早ぇってのよ。行くぜ、《エクエス》。綺麗に踊ってくれよ」

 

《エクエス》へと加速をかけさせ、そのままミラーヘッドの敵軍へと突っ込んでいく。

 

『馬鹿な……! 死にに行くのか!』

 

 先ほどの《エクエス》のパイロットの声に、クランチは煙草を噛み締めてその香りを肺一杯に取り込んでから、分身体を操る《マギア》のビームサーベルの一閃をギリギリで回避する。

 

 その度に、肉体に駆け巡る快感。

 

 戦場を駆け抜ける人でなしの感覚を奔らせ、死と背中合わせの焦燥感を味わいながら、《マギア》の分身体へとその腕を固めて掌底を浴びせ込む。

 

 途端、《マギア》のミラーヘッドが消失する。

 

 その事象に敵も予見出来なかったのだろう、隙だらけの本体へと逆手に握り締めたビームライフルを一射してコックピットを撃ち抜く。

 

「さて、次だ」

 

 ミラーヘッドの敵影にまだうろたえは見えない。

 

 ならば、とこちらへと肉薄する格闘武装のミラーヘッド機を一つ、また一つと格闘戦で打ち据えていく。

 

 そのほとんどが徒手空拳であったせいであろう、後続の《エクエス》が絶句していたのが伝わる。

 

『ただの拳や格闘戦術で、ミラーヘッドを討つだと……』

 

 明らかに異様な戦場で、じわじわとミラーヘッドの蒼い分身体を叩き据え、砕き、そのまま引き裂いていく。

 

 それがただの《エクエス》の機体であったのだから、後続隊からしてみれば悪夢か、それとも信じられない奇跡か。

 

 いずれにしたところで、敵影へと全く衰えを見せず、組み付いて膝頭で《マギア》の頭部を打ち砕く。

 

 破砕された《マギア》の武装を奪い、ビームライフルで分身体の中枢を的確に狙って中距離から掃討に入ろうとしている敵機を貫いていく。

 

『馬鹿な……! ミラーヘッドで我が方は相手の八倍以上の戦力のはずだぞ……! なのに何故……たった一機の《エクエス》にしてやられている……!』

 

「悪ぃな、坊ちゃん連中達! ミラーヘッドに頼っているところ申し訳ねぇが、俺には通用せんのよ。お得意のミラーヘッド戦って言うのはな」

 

『そんなはずが……第四種殲滅戦に対して、ミラーヘッドも使わずに敵対だと!』

 

「そんなに信じられなくっちゃ本気で来な。戦場ってのはナマで味わわないともったいないぜ?」

 

『ふざけるな……ミラーヘッドは無敵の技術のはずだ!』

 

 中距離戦で一斉掃射を見舞う敵影を見据えつつ、クランチはそのまま煙草を吸い切って笑みを刻む。

 

《エクエス》の機動力では本来、ミラーヘッド戦においての優位性は見出せないはずだ。

 

 ――だがそんな常識がどうした。

 

「悪いが常識なんてもんは捨てたほうがいいぜ? これは俺なりの忠告だ。戦いにおいて常識ってもんに纏わりつかれたら湿っぽい女以上に重たいんだからよ」

 

 ぷっと煙草を捨て、クランチは《エクエス》にジグザグの機動を取らせて直下から《マギア》の分身体を射抜く。

 

 不思議な事に一体潰されただけでそれと同期するミラーヘッドが霧散する。

 

『何を……何をやっている! まさか貴様、上位のミラーヘッドオーダーでも――!』

 

「上位のミラーヘッドぉ? ……んなもん要らねぇんだよ。俺の目に映るのはどいつを潰せばそいつのミラーヘッドの中枢かどうかだけだ。その心臓部さえ潰しちまえば、ミラーヘッドの技術ってのは案外脆いもんだぜ? 何てったって、一発で膨れ上がった風船みたいにパン! なんだからな」

 

『そんなはずはない! ミラーヘッドは……第四種殲滅戦において物量戦が通用しないなど!』

 

「あー、悪ぃけれどその辺は無理だと思ってくれ。俺には通用しねぇんだ。だからいい加減に墜ちろよ。それか退け。そうじゃねぇと喰らい尽くすぜ。てめぇら全員の鏡像をよ」

 

 無駄弾を使う必要性はない。

 

 一発、ほんの一発でそれぞれのミラーヘッドの分身体は掻き消えていく。

 

 トリガーを引くのは少しばかり浮ついているくらいでちょうどいい。

 

 敵影を睨むのには少しばかり早い。

 

 逸らず、かといって臆せず、遅れず。

 

 的確にミラーヘッドを粉砕し、そうして居残った本体を迷いのない殺意で銃殺する。

 

『馬鹿、な……貴様は……』

 

 息を呑んだ様子の敵機の声も仕方あるまい。

 

 総数八十機近かった軍勢は総崩れ。

 

 残ったのはたった一機の《マギア》隊長機と、そして彼の展開するミラーヘッドの分身体のみ。

 

 クランチは首から提げていたストップウォッチを止めていた。

 

「ジャスト十分ってところか。今回は呆気なかったぜ? 行政連邦のエリートさんよぉ」

 

『……嘘だ……そんなはずが……ないッ!』

 

 ミラーヘッドに蒼い残火が宿り、そのままビームサーベルを抜刀して肉薄する。

 

 だが近接戦こそ、自分の本懐だ。

 

 振り下ろされた数本の刃を掻い潜り、ミラーヘッドの中枢部を見据え、その心臓部を腕で握り締め、そのまま引き抜く。

 

 直後、ミラーヘッドの残像は掻き消え、残ったのは本体である《マギア》だけ。

 

「エリートさんよ。ここで退けば見逃してやる、って言ったらどうする?」

 

 クランチは二本目の煙草に火を点けていた。

 

 その余裕が気に食わなかったのか、《マギア》に搭乗するトライアウトの士官は声を張り上げる。

 

「ふざけるな……ふざけるなァ――!」

 

「そうかよ。じゃあさよならだ」

 

 薙ぎ払われた一閃を跳躍して跨ぎ、交錯の一瞬で頭部を引っ掴んでそのまま打ち下ろす。

 

《マギア》の細い躯体が震え、フレーム構造に異常が生じている相手へと、クランチは手刀を形作り、《エクエス》の腕をコックピットへと潜り込ませていた。

 

『ば、化け物……お前は、何なんだ……』

 

《マギア》のパイロットの今際の際の言葉にクランチはコックピットから這い出て煙草を吹かす。

 

「別に、ただの人でなしだが、人は俺をこう呼ぶな。――鏡像殺し。ミラーハントのクランチだとか何とかな」

 

『ミラーハント……』

 

「おっ、事切れたか? まぁ死ぬ間際にしちゃ上出来だったんじゃねぇか? それにしたって……やっぱ場末の戦場で吸う煙草は美味ぇなぁ……。この一服のためにわざわざこんな戦場に赴いた甲斐があったってもんだぜ」

 

 紫煙をたゆたわせていると、友軍機の《エクエス》がおっかなびっくりに接近し、通信回線を開く。

 

『その……そちらの所属を聞かせてもらいたい』

 

「所属ぅ? ……んなもんねぇって。言ったろ? 外人部隊だって」

 

『だ、だが得心がいかない! ミラーヘッドの……第四種殲滅戦であんな戦い方……!』

 

「古い考え方に固執してんなよ。《エクエス》じゃ勝てねぇなんて誰も言ってねぇだろ? ……さて、と。今回もこいつらの部品抜いていくぞ。俺の隊はまだ生きているな?」

 

 そう声をかけると、隊列のどこに隠れていたのか、型落ちの《エクエス》部隊が次々とクランチの下へと集っていく。

 

『隊長。今回もお見事でした。やはりミラーヘッド戦では隊長に敵う人間は居ませんね』

 

「褒めてんのか、貶してんのかどっちなんだよ。アイリウムも抜いておけよ。こいつらの育成したのは後々価値が出るからな。分かってんなら手ぇ動かせ」

 

『無論、前者ですとも。総員! 破砕された《マギア》からありったけの部品を掻き集めろ! 行政連邦の《マギア》は金がかかっている代物だ! どれだけでも奪えるぞ!』

 

 その言葉に応! と津波のように声が拡散していく。

 

 クランチは焦土に塗れた戦場に降り立ち、今しがた粉砕した《マギア》の通信機器を確かめる。

 

「……っと、あったあった。こいつだ。さすがに隊長機、コックピットだけは頑丈に出来てやがる」

 

 如何に押し潰したと言っても、それでも内蔵機器はまだ動く。

 

 クランチは通信回線を開き、秘匿通信に切り替えていた。

 

『……何だ? わざわざ秘匿通信でかけて来るなんて、契約内容にはない――』

 

「ハロー、ミスター。行政連邦の雇い主かい?」

 

 こちらの軽口に通話口の相手は息を呑んだのが伝わる。

 

『……誰だ、貴様は……』

 

「名乗るほどのもんじゃねぇが、一応名乗っておくと、ジョンスミス、ってところかねぇ」

 

『……ふざけているのか。我が方の《マギア》はどうした? あれは一個大隊だぞ……!』

 

「ほぉ? そいつはまたしても意見の相違。俺には中隊以下に見えたがね。まぁ、あんたの意見はどうだっていい。《マギア》は全滅だ。俺が隊長機の《マギア》の通信を使っている時点で察しがいいんなら分かるはずだが、こいつら、こんな場末の殲滅戦で蟻んこ一匹どころじゃねぇ、蟻塚を壊しもせずに死に絶えやがった。この意味、分かるよな?」

 

『……君らを買い叩けと?』

 

「話が早くって助かるぜ。俺達は流れ者だが、それでも収まるべき所ってもんくらいはある。今度の雇い主はトライアウトでもいい。俺達は金さえ流れればこんな世の中、いくらでも戦争はしてやんよ」

 

『……ほざけ、戦争狂が……!』

 

「いいのかねぇ、そんな口利いて。あんたの居場所、もう逆探知でバレてるんだぜ? こっちの人間爆弾一個土産に持っていって、それでドカンと行くか?」

 

 相手もこちらの交渉口に慎重にならざるを得ないだろう。

 

『……用件は雇うだけでいいのかね』

 

「まずは料金交渉だ。俺達の部隊をいくらから買う? 出来るだけ高い額を提示してくれよ。そうすりゃ、少しは爆弾も遠のくぜ?」

 

『……トライアウト部隊に流した料金の七倍を約束しよう』

 

「お、そいつは朗報。しかし、俺達は先にも言った通り根無し草でね。トライアウトに完全に雇われんのは旨味がねぇ。だから外人部隊扱いでいい」

 

『……先ほどから高く買えと言っているのか、安くでいいと言っているのか分からないが……』

 

「そこはあんたの頭で考えな、ミスター。俺からのアドバイスはここまでだ。これより指定した口座に振り込まれた額に応じて、あんたのオフィスに行くのが爆弾になるか、それとも忠実な部下になるかは変わる。貧しい親へと仕送りをするように、よく考えて振り込むんだな」

 

 秘匿回線を切ってやると、部隊員から笑い声が漏れ聞こえる。

 

『隊長、お人が悪いですよ。相手も戸惑っていらっしゃった』

 

「そいつぁ悪ぃ。だが、真面目なヤツほどからかい甲斐があるのはいつの世も同じだな。たとえ、空に大穴が空いちまった後でも」

 

 クランチは煙草を根元まで吸い切ってから、その吸い殻を中天に向ける。

 

 世界の終わりを想起させる黄昏の空には、漆黒の大穴が虚ろを空けている。

 

『しかし、ダレトが生まれて我々のような人間が食いっぱぐれないのは奇跡に近いですね』

 

「馬ァー鹿。逆だよ。ダレトの恩恵は俺らみたいなののほうに輝く。戦争の技術だ。ミラーヘッドも、アステロイドジェネレーターも、そしてモビルスーツも。分かるか? 俺達の栄光の星だよ、あの真っ黒な大虚ろはな」

 

『栄光の星ですか。それにしては、少しばかり不穏が過ぎますが』

 

「言ってやるな。あれも気にしている」

 

 笑い話にしていると、撤退しかけていた《エクエス》のパイロットが声に恐れを宿らせて問いかける。

 

『……お前達は……何なんだ? 何でこんな死体のほうが多い戦場で……嗤っていられる……』

 

「あン? そいつも逆だよ、小童が。こんな狂ったみたいな戦場の末だからこそ、笑えるんだろうが。そいつも分からねぇんなら、ここで脳しょうぶちまけて死んどいたほうが得か?」

 

《エクエス》が後ずさるのを、クランチは手を叩いて冷笑する。

 

「冗談だよ、冗談。……ったく、ダレトが開いてから先、こういう冗談が通じない輩が増えるのだけはいただけねぇ」

 

『しかし隊長。今回も大量ですよ。《マギア》の正規部品は高く売れる。それに我々の資産として再利用できます』

 

「おお、そいつぁ上出来。しかしまぁ、よくも《マギア》の大部隊なんてこんな戦場に投入したもんだ。敵は俺達だったわけでもあるめぇ。《エクエス》の残存部隊を殲滅するのがそんなに楽しいかねぇ、トライアウトのお偉いさん方は」

 

『殲滅戦を気取っているのです。相手は弱いほうがいいと思っているはず』

 

「馬ッ鹿でぇ、そいつぁ! 弱い的なんて撃って何が面白ぇんだ? 撃つんなら、もっと強ぇ的だろうが。それをどいつもこいつも蒼いミラーヘッド頼みの考えなしの戦い方! それだけは気に食わねぇ!」

 

『隊長は上を見ていらっしゃる』

 

「当たり前だろうが。下なんて見たら真っ先におっ死んじまう。向くんならいつでも上だろうが。……しかしまぁ、どいつもこいつも量産型の戦い方ばっかりしやがってつまんねぇな。もっと面白い的はねぇもんか……っと、秘匿通信? さっきのミスターか?」

 

 通信を繋ぐと、相手はまるで得体の知れない声で応じていた。

 

『……君が噂に聞く鏡像殺しか』

 

「……ん? 俺の聴き間違いか? 子供の声だが、妙な変声機使ってんだな」

 

『我々の守りにつく気はないか? 先ほどのトライアウトの重鎮の五倍は出そう』

 

「おいおい、いつの間に傍受されてんだ。ったく、トライアウトの通信はザルかよ」

 

『彼らとて無能ではないよ。我々は特殊な通信領域を使って君達にアクセスしているのだ』

 

『……隊長。逆探知出来ません。こいつ、マジにヤバいんじゃ……』

 

 クランチは耳元を指差しで、逆探知の継続を命令する。

 

「だがそいつも得心がいかねぇな。俺らは戦争狂だぜ? そんなもん、何かを守るでもねぇ、壊すほうがお得意だ。そんな人間達に何を求めるってんだ?」

 

『破壊と殺戮。強い者が勝つ。それがこの世の道理のはず』

 

「ほぉ、道理を説くかい。この俺に」

 

『クランチ・ディズル。その眼に映るのはとてつもなくつまらない、矮小な戦場に違いないだろう。君の眼は特別なのだからね』

 

『……隊長の事をこいつら知っている……?』

 

 待て、とハンドサインを送ってこれ以上の傍受を防ぐべくして動く。

 

「……何言ってんだか分からねぇなぁ。俺はただの戦争屋だが」

 

『嘘はいけないな、クランチ。君の眼にはミラーヘッドの分身体の核とも言えるものが視えているはずだ。それは常人にはまるで検出出来ない、君だけの特徴だよ。ギフトと呼んでもいい』

 

「ギフトねぇ……。俺はこの眼で上手く世の中を切り抜けてきたつもりだっただがな。特にこの第四種殲滅戦……ミラーヘッドの戦場では」

 

『君のギフトはしかし身に余る。《エクエス》では辛かろう。もっといい機体を譲ってもいい』

 

「へぇ、交渉上手だな、あんた。って言うか、俺の機体までご存知とは。まるで神様だな」

 

『神を信じているのかね?』

 

「生憎と無神論者だよ」

 

 吸い殻を足で踏み潰し、クランチはぺっと唾を吐き捨てる。

 

『ではなおさらだな。我々はきっと手を取り合える。こちらへ来ないか? 最上の戦場を提供しよう』

 

「……おいおい、せっかくのお誘いだが、俺が今どこに居るのか知っているのか?」

 

『地球圏の辺境地だろう。そんな場所で襲ってくる《マギア》部隊を相手にわざわざ型落ち機での劣勢を演出。その上で敵がミラーヘッドを使えば即時にその戦場を圧倒する。君の常套手段だ。そうやってどれだけの鏡像を壊してきたのかね?』

 

「……数えた事もねぇよ。こちとら根無し草の戦争屋なもんでな。いちいち獲物の数を誇るのは三流の仕出かす事だ。百から先は覚えてねぇし、何なら教わってもいねぇ」

 

 部下達がめいめいに笑い合う声を通信に聞きながら、クランチは通話先の相手の正体を探る。

 

 ――この局面での秘匿通信、恐らくはトライアウトの上級士官か。

 

 だがそれにしてはあまりにも趣味が悪過ぎる。

 

 ここまでの戦いを仕出かした自分達を糾弾するでもなく、先のトライアウトの上官よりもなお高額の取引を行おうとするなど。

 

「……あんた、何なんだ? 俺のまるで賢くねぇ頭じゃ、思い浮かばねぇよ」

 

『それも嘘だろう、クランチ・ディズル。君は今、我々の正体を看破すべくしてあらゆる策を巡らせている。それくらいは出来なければミラーヘッドの戦場で生き抜くなんて事は出来んだろうに』

 

『左様、我らに見初められたのだ。誇ってもいい』

 

 別の声が割り込んできたが、そちらもまるで子供の声だ。

 

 しかも囁き声のように細かい子供達の笑い声が幾重にも木霊する。

 

「……何なんだ、てめぇら。俺みたいなのを脅かしたって何にも出ねぇぞ」

 

『脅かすつもりはないよ。これは交渉条件だ』

 

『我々に与するのならば君には見せてあげよう。真実の世界を』

 

「真実? ……おいおい、そういう宗教みてぇなのは他所でやれ。俺に当たったってろくなもんじゃねぇぞ」

 

『だが君は我々の話を聞こうとしてくれている。違うかね?』

 

『興味の対象に挙がっているのなら、何も誤魔化す事はない。君の本能に従うといい』

 

「本能だと……。何があるってんだ、てめぇらの側につけば」

 

『勝利者の目線だよ、クランチ・ディズル。君達にはこの世界における最終勝利者へと導いてあげよう。その時に我々の意味と、そしてダレトが何故、この世界に開いたのかを知るのだ。なにもあれは、月に空いているだけの大穴ではないのだからね』

 

「……ただの大虚ろじゃねぇって? じゃあ何だってんだ、ダレトってのは」

 

『それを知るのには、君でなければいけない。生き残った君達は尊重される。光栄に思っていい』

 

 秘匿通信が一方的に切られる。

 

 部下へと目線を流すが、《エクエス》に収まっていた部下は頭を振っていた。

 

『駄目です。逆探知不可……。と言うか、今のだけでも随分にヤバそうな案件ですね』

 

「ああ、正気の沙汰とは思えねぇ……。いや、違うか。こんな場末の戦場にラブコールしてくるんだ、元々正気じゃねぇか」

 

『どうします? 位置情報マップが送信されていますが……』

 

「共有しろ。ああ、そうだ。あんた、俺達と来るかい?」

 

 生き残った《エクエス》乗りに提案すると、彼は少しの逡巡の後に応じていた。

 

『……赴こう。どうせもう……行く当てなんてない』

 

「それもそうだ。俺達は皆、帰る場所を永劫なくしたはぐれ者さ。さぁて……そんな漂流者を拾って何を仕出かそうってのかねぇ。このクライアントは」

 

 クランチは共有されたマップを見据えて、口角を釣り上げていた。

 

 



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第48話「過去の因果に」

「――揃いも揃って散々な結果になったわね、クラード」

 

 執務机で書類整理に追われるレミアに、クラードは苦々しげに応じていた。

 

「……俺以外にレヴォルの意志が囁くなんてあり得ない。調べは尽くしてくれ」

 

「それ、艦長である私に言う? ……まぁ、いいわ。あなたとの仲ですもの。ある程度までは追跡するけれど……それは本当にギルティジェニュエンのメイア・メイリスと名乗ったのよね?」

 

「……知っているのか?」

 

「知っているも何も、有名よ。罪付きのメイア、とも呼ばれているわ」

 

 レミアが投射画面をこちらへと向ける。

 

 映し出されていた映像はミュージックビデオであった。そのクリップの中で、メイアと名乗った少女と同じ顔の少女が声高に歌を奏でている。

 

「……歌……まさか本当にボーカルだとか言うのは……」

 

「あなたの言っているのがこのメイア・メイリスだとすれば、彼女は実力派アーティスト、ギルティジェニュエンのリーダー兼ボーカル。……でも、何でMSを? それもまるで解せないんだけれど」

 

「俺が知った事じゃない。だがあれは新型機に見えた」

 

「新型機……このグループ、一応バックに大型企業が居るみたいだけれど、探りを入れてみる?」

 

「頼む。レヴォルの意志に選ばれたとか言っていたのも気にかかる。それに、俺の命令を《レヴォル》が無視したのも初めてだ」

 

「なるほどね。いつも従順なはずの《レヴォル》があなたにまで叛逆してしまったら、それこそ事だわ」

 

「手綱は握っているつもりだったんだがな。甘かったかもしれない」

 

「そんな事はないんじゃない? あなたはこれまで何度もベアトリーチェの危機を救ってきた」

 

「……結果論だ。俺はこの艦を守らなければいけない」

 

「そこにウェットな理論を差し挟む余地はなく、ね。……クラード、一つ聞かせて。あなた、現状に満足していないんじゃないの?」

 

「……何だって?」

 

 レミアは報告書作成のキーを打つのをやめて、こちらと向かい合う。

 

「宇宙暴走族の子達を匿ったのだってそう。あなたは少しずつ、私の知っているエージェント、クラードでなくなっている気さえもする。それは錯覚かしら?」

 

「……俺は変わっていない。エンデュランス・フラクタルのエージェントとして、真っ当なはずだ」

 

「でもそこを相手に突かれた。戦闘待機じゃなかったからいいものの、もしもの時に《レヴォル》を奪われる恐れは避けなければいけないわ。今、サルトル技術顧問が必死になってデータを洗い出してくれているようだけれど、彼と整備班だけじゃ手が足りない。ピアーナも協力するように要請しておくわね」

 

「……あいつに《レヴォル》を触らせたくない」

 

「今は。わがままを言わないで。あなたと《レヴォル》はこの艦の生命線。切っても切れない、そういう存在なのよ」

 

「……分かった。それが艦長としての命令なら、俺は従うよ」

 

「……ごめんなさいね、クラード。まさかコロニーシュルツがあんな風になっちゃうなんて思いも寄らなくって……」

 

「いい。誰だって思わぬ時だった。想定外は起こるものだ」

 

「ええ、本当に……」

 

 レミアはタブレットに入れておいた頭痛薬の錠剤を水で飲み干す。

 

「……錠剤、増えたな」

 

「頭痛の種だけは尽きなくってね。月面に到着する前に使い物にならなくなったらごめんなさい」

 

「レミアが使い物にならなくなったら俺も似たようなものになると思う。だから別に背負い過ぎるな。あんただけのせいじゃない」

 

「……そう言ってもらえて助かるけれど、責任と言うのは上へと流れるものなのよ。《レヴォル》の暴走と、そして艦を一時的とは言え空けて危険に晒したのは然るべき処置を受けるべきでしょうね」

 

「あれは休暇だった。それで上も納得するはずだ」

 

「それで納得する組織なら、とうに収まっているわよ。問題なのは、月面航路までのこの数日間……エンデュランス・フラクタルの上層部がだんまりを決め込むわけでもないって事」

 

「……敵が来るのか」

 

「構えないで、クラード。エンデュランス・フラクタルの査察が入るかもしれない。その場合、《レヴォル》は検められるわ」

 

「……俺から《レヴォル》を取り上げるとでも?」

 

「そうならないために目下報告書を作成中。……でも《レヴォル》のレコードにはメイアの搭乗した形跡もなかった。彼女もRMであるのは既に公の文章で証明済み。でも、《レヴォル》のライドマトリクサーはあなた一人のはず」

 

「……どこかでスペアを作っていた可能性は? エンデュランス・フラクタルの別派閥が、俺達への対抗策に」

 

「それはないと思いたいけれどね。だって、ベアトリーチェの最終目的にそれは沿わない。内部での軋轢なんて。ただ……警戒は怠らないで。敵は何もトライアウトだけではないかもしれない」

 

「……撃てと言われれば、俺は撃つ。心配しないでくれ、レミア。俺は今も昔も、あんたの握ったトリガーのままだ」

 

「……引き絞るのを保留した引き金のままだなんて、皮肉ね」

 

 レミアはこれ以上の心労をかけるべきではないだろう。問題なのはたった一つ。

 

「……何故、《レヴォル》は俺以外を見出したのか……。それは不明なままだ。レミア、俺はあんたを信用しているしあんたも俺に対しちゃ、それなりの信用があるとは思っているけれど」

 

「勘繰らないで、クラード。あなたを私は信じているし、その関係性に歪なんて存在しないはずよ。だから、ここでは純粋に……」

 

「ああ、レミア、俺はあんたの敵を撃つ」

 

 盟友とも、ましてや対等とも言わない。

 

 ただただ、自分は武装として在り続けるだけだ。

 

 そう断じて扉を潜ろうとして、書類の束を抱えたカトリナと鉢合わせしていた。

 

「……あのぉ……報告書、出来ました……」

 

「カトリナさん、レコードに書かれていた通りの事実を列挙してくれたのよね?」

 

「あ、はい……。プライベートなので、ちょっと書くのには憚られましたけれども――」

 

「見せてくれ。俺も閲覧する義務がある」

 

 引っ手繰った瞬間、カトリナが、あ、と間抜けな声を出していたが、クラードは構わず内容を精査する。

 

「……これって、あんた、本気?」

 

「ほ、本気も何もぉ……返してくださいよぉ……。それって人のプライバシー……」

 

「気になるわね、カトリナさん。クラード。何が書かれているの?」

 

「ああ、こいつは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――幼馴染ぃ? 仕掛けてきたトライアウトと、あの幸せ女のカトリナちゃんが?」

 

「声デケェっすよ、パイセン」

 

 そう応じて奢った餃子を頬張っているのは、ツナギを着込んだトーマであった。

 

「……その情報ってどこから? あの場所に居たってわけでもないでしょうに」

 

「カトリナ嬢直々に聞いたんす。一番の情報の根拠っしょ」

 

 餃子を口に運びながら、トーマはそれとは正反対の甘ったるいスイーツジュースのストローを吸う。

 

「……へぇ、あの子もねぇ。何て言うか隅に置けないって言うか」

 

「生きてりゃ幼馴染の一人や二人は当然居ますっしょ。パイセンは居ないんすか」

 

「あたしは出来るだけ人間関係はその時その時で清算しつつ、次に行くようにしているからね。そっかぁ、じゃああのカトリナちゃんの昔とかを知っている間柄ってわけだ」

 

「まぁ、そうっすねぇ。カトリナさん、何でそういうのが居るって一言も言わなかったんすかね。謎っす」

 

「そりゃあんた、それこそあれよ」

 

 あれ、と名指ししてもよく分かっていないのか、トーマは首を傾げる。

 

「あーし、パイセンほど歴戦じゃないんで、よく分かんねぇっすよ。あれって何すか?」

 

「そりゃー、あんた、あれに決まっているじゃない。……彼氏とか」

 

 声を潜めた自分に比して、トーマはいやいや、と大声で返すものだから食堂に筒抜けである。

 

「あーのカトリナさんの元彼って事っすか? あり得ねぇっしょ!」

 

「しーっ! 声が大きいってば! ……ま、勘繰りたくなる気持ちは分かるんだけれどねー。何せ、幸せ女のカトリナちゃんよ? 男っ気なんて一ミクロンもなさそうなのに、まさか幼馴染キャラに男かー。何だかちょっと意外」

 

「意外っつーても、カトリナさん、今の今まで存在忘れていたみたいっすけれどね。そっちのほうがウケる」

 

「それはそうかも。ただまぁ、あたしほどじゃないにせよ、あの子も色々と清算して、今の立場に居るんじゃないの? 委任担当官って言うね」

 

「大丈夫っすか、パイセン。これバラしたって分かったら、カトリナさんに刺されねぇっすか」

 

「大丈夫だってば。あの子、ホントに人畜無害だし。第一、その程度で刺されるような秘密抱える人間に見える? あたしが」

 

「パイセン、歴戦の猛者っす。さすがっすね」

 

 餃子定食を平らげたトーマを前にして、バーミットは腕を組んで考え込む。

 

「でもなー、そういうの持ち込まれると困るってのも確かなのよねー。ほら、戦闘艦ってドライって言うか、下手に人情とか持ち込むべきじゃないって言うか」

 

「まー、そうっすよね。あーしも別に勘繰られて困る人間関係とかないっすけれど、みんながみんなそこまでドライってわけでもないっしょ」

 

「そうそう。……聞いた? ラジアルの話」

 

「ああ、ヴィルヘルム先生んところで一応は検査でしょ。聞きましたよ」

 

「……あの子、あれで脆いからね。艦を降りるとか言い出さないとも限らないのよ」

 

「それは他人の勝手じゃないっすか? だって第四種殲滅戦に生身だったって聞きましたよ。そりゃー誰だってビビり上がります。そこまでは関知出来ないっすよ」

 

「……トーマちゃんさぁ……あたしとしてはもうちょっと、こう……楽しく月航路のつもりだったのよ」

 

「いつでも言ってますもんね。パイセンとしちゃ、ただのOL上がりくらいのつもりだったって」

 

「それが蓋を開けてみりゃどうよ。ずーっと、この先もトライアウトとかとやり合って、その上で戦闘待機よ? これってブラック企業そのものじゃないの」

 

「うーん、その感覚は分かんないっすねぇ。メカいじりは好きなんで」

 

「……そうだったそうだった。トーマちゃんは、そういう子だったっけ」

 

「パイセン、定食残すんすか? 食っていいなら食いますよ?」

 

 こちらの頼んだA定食へと箸を伸ばすトーマに、バーミットは頬杖を突いていた。

 

「でもなぁ、下手突っついてPTSDなんてなられたらちょっとした罪悪感くらいは覚えちゃうかな」

 

「それも他人の勝手じゃないっすか。心配したってどうなるかなんてその人次第っすよ」

 

 トーマは今度は特製の野菜ジュースを抽出し、水筒に押し込んでいる。

 

「……ミュイぃ……」

 

 隣でブロッコリー相手に睨み合いを続けているのはファムであった。バーミットは次の言葉を予見して言いやる。

 

「バーミット、たべる?」

 

「馬鹿仰いな。あんた、野菜は全部食べる」

 

「ミュイーっ……バーミット、おに、あくま」

 

「どこでそんな言葉覚えて来るんだか……。ったく、あんたカワイイんだから、野菜は食べなさいよ。乙女の大敵は栄養不足なんだからね」

 

「……トーマ、ブロッコリー、たべて」

 

「いや、いただくわけにはいかないっすよ。パイセンの目が届いている間は」

 

「じゃあ、バーミットのめ、つぶすからたべて」

 

「怖い事言わないの。ブロッコリー一個に何をそこまで追い詰められているんだか。ファムはいいわねぇ、あらゆる面倒くさい事から自由になっていて」

 

「ミュイぃ……ファム、じゆう?」

 

「あたしが観てきた中じゃ相当に自由な子の部類だけれど? 大体、未だにあんた正体不明なのよねぇ。デザイアの市民リストにも載っていなかったみたいだし」

 

「へぇー、マジに正体不明なんすか、ファム嬢」

 

「ミュイぃ……ほめられてる?」

 

「褒めてないわよ。何だかどんどん図太くなっていくわね、あんた。ただまぁ、カワイイから許すけれど」

 

「許すんすか。どこまでカワイイは正義を貫き通すんすか、ファム嬢は」

 

「……ミュイ、わかんない」

 

「ほら、ソースほっぺについてる。はぁー……何であたしが疑似子育てみたいな事をしなくっちゃいけないんだか」

 

「ミュイぃ……バーミット、ちからつよい……」

 

「黙らっしゃい。ほら、これで綺麗になった。それにしてもこの艦だってよく分かんない身分の子達を管理してんのよ。それ相応に大変なのは身に染みているはずだけれど?」

 

「わーかんないっすねぇ。凱空龍だとかの暴走族の方々、皆さん男なもんで。女なあーしとは気が合わないっす」

 

「そう言いつつ、トキサダ君とは何だか上手く行っているって聞いたわよ?」

 

 ぶっと野菜ジュースを吹き出したトーマはからかわれているのを感じたのか、頬を紅潮させる。

 

「あ、あれは上手く行っているとかじゃないっす。単純に話が合うだけで……」

 

「照れてるトーマちゃん、カワイイー。あたしも言い寄ってくる男の一人や二人居ないかなぁ?」

 

「……恋愛しに来てるんじゃないんで、自分」

 

「馬鹿ねー、トーマちゃん。相手にその気が少しでもあるんだったらもう持ち込まないと! 若いって言ったって一時みたいなもんなんだからねー」

 

「……パイセンほどの歴戦潜ってないんで。自信ないんすよ」

 

「そう? トーマちゃん、あたしから見りゃそこそこに見えるけれどねー。ツナギでスタイル隠しているけれど、それなりのものをお持ちのようだし? あたしよりあるってのは若干納得いかないんだけれどねー」

 

「……あーし、カトリナさんみたいにセクハラしたって面白味ないっすよ」

 

「そう? やっぱカトリナちゃんは別格だわ。あの子の天然さ加減ってのはずば抜けているわね」

 

「そもそもっすよ。別に誰かといい感じになったからって、それで艦を降ろしてもらえるわけでもないっしょ」

 

「……まぁ、ね。ラジアルに関しちゃ、あの子が踏み込み過ぎた部分もあるから、同情ってのはちょっと違うわ。それに、思考拡張や有機伝導のスペシャリストの乗っている艦なのよ? 降りる際には記憶をちょちょいのちょーいってな具合で弄られるのは目に見えているし」

 

「……怖いっすね、そう考えると。有機伝導技師ってのは、頭を弄るのの専門家っしょ。このベアトリーチェで一番に怒らせたらヤバいのって、ヴィルヘルム先生っすよね」

 

「あの人もまた、いい加減なところもあるけれど、一応は船医だし? 最終的な判断はあの人なんだと思うとやり切れないところもあるわ。でもま、あたしは降りる気なんてさらさらない上に、あの人のさじ加減で頭の中弄られんのも嫌だけれど」

 

「……そこんとこ、リアリストっすよね、パイセンは」

 

「リアリストじゃなくっちゃやっていけないってのよ。……ファム、睨んでも念じても、ブロッコリーはなくならないのよ。とっととカワイイお口に入れちゃいなさい」

 

「……いい。ブロッコリーたべない」

 

「好き嫌いするんじゃないわよ。クラードだってそう言うに決まっているわ」

 

「……クラード、ブロッコリーたべないファム、きらいになる?」

 

「……かもね」

 

 そう言ってやると、ファムはひょいとブロッコリーを何とか飲み込んでみせる。

 

 うへぇ、と舌を出して涙目になったところを水で流し込んでやる。

 

「はいはい、偉いわよーファム」

 

「……パイセン、似合ってきたっすね、ファム嬢の扱い」

 

「あたしとしちゃ、歴戦潜ってきて最終的に行き着いたのがカワイイののお守りだなんて思わないわよ。……いいー? ファム。次は基本的なメイクをするわよー。そろそろあんたも化粧っ気ってのを覚えないとね」

 

「……ミュイぃ……あれ、やだ。かおがおもたくなる」

 

「重たいのをみんな付けてるのよ、女ってのは。トーマちゃんだってナチュラルメイクでしょ」

 

「まぁ、どうせ機械油とかで取れちゃうんすけれどね」

 

「……ふふーん? いいじゃない。トキサダ君、そういうのに弱いかも」

 

「だーから、からかわないでくださいってば……。あーし、そういうところのパイセン、苦手っす」

 

 ぷいっと視線を背けたトーマの頬を摘んで、このこのー、と取っ組み合いになる。

 

「トーマちゃんだって存分に乙女よねー。……でも、だからこそ余計に心配。ラジアルに関しちゃ、マジな話」

 

 食後のコーヒーへと視線を落とす。

 

 黒々とした液体はこれから先の未来そのもののように閉ざされている。

 

「……トラウマをどうこうする手段ってのが確立されて久しいからこそ、嫌なもんもあるっすよね。ラジアルさん、あれで大女優なわけですし」

 

「そうそう。あの子が最初に出たドラマ観た事ある? すっごい視聴率取って大衆受けした、感動の親子の奴」

 

「あー……子供の頃観たっすけれど、あの当時のラジアルさんってマジに子役だったんですよね。あっから年取っているのが信じられないくらいっす」

 

「だから彼女だって心得ているはずなのよ。自分の心の傷を癒す術の一つや二つくらいは。あたし達外野がどんだけ喚いたって騒いだってしょうがないの。彼女の問題」

 

「……冷たいっすね、パイセン」

 

「そうよ? あたしは冷たい女なの。本来ならね」

 

「……分かんなくなっちゃうっすよ、時折。バーミットパイセンの考えている事とか、何であーしなんかとよくご飯を食べてくれんのかとか」

 

「そりゃー、あんた。女子同士のよしみじゃないの。広いヘカテ級って言ったって、会う人間は限られてるんだから、ギスギスした閉塞感はなしにしたいでしょ?」

 

「……オトナっすね、パイセンは相変わらず」

 

「ま、そこんところが自分でも嫌にもなるんだけれどね。割り切っちゃえるのが、ある意味じゃ。……カトリナちゃんもどうするのかしらね。幼馴染って言ってそんで元彼かもしれない相手を……あの子は委任担当官だから、すぐ傍に居るのが導火線に火が点いた爆弾みたいなクラードよ? ……それで駄目になっちゃわないかが心配」

 

「……パイセン、カトリナ嬢にも甘いっすよね。何だかんだで」

 

「そりゃー、一応は教育係だし? あの子の進退も含めて、こっちで受け持っている部分もあるんだから。与えられた仕事はこなさないのは嘘でしょ?」

 

「はぇー、仕事の鬼っすね、パイセンは」

 

「ミュイ、バーミット、おに」

 

「同調しない。……ったく、あたしはどっちでもいいとは思うんだけれどね? ……ラジアルもカトリナちゃんも、自分の進むべき道を行けばいいとは思うのよ。ただまぁ、それが平坦な道じゃないのは、ある意味で分かり切っているようなものだし」

 

 立ち上がったこっちを見て、トーマは会釈する。

 

「ごっそさんっす。餃子定食、マジウマでした」

 

「いつでも奢るわよ。女子同士の話、していきたいし」

 

「ミュイ、またね、トーマ」

 

「はい、またっす、ファム嬢」

 

 バーミットはファムを引き連れつつ、それにしても、と声にする。

 

「……あんだけ思い詰めていたんじゃ、いつかは破裂するわね、二人とも」

 

 



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第49話「唯一つ」

「ヘッド! ……聞いて来たんだが、ラジアルさんが……!」

 

 グリップを握り締めてこちらへと歩み寄ってきたトキサダに、アルベルトは医務室の前で応じていた。

 

「あ、ああ……ちょっと酷いものを見ちまってな。今、ヴィルヘルム先生に看てもらってる」

 

「……大丈夫、なのか? だってミラーヘッドの戦地なんて、マジメな話、一般人にはキツ過ぎるだろ……」

 

「ああ、それはオレも進言しておいた。ヤバい戦場だったってのはな」

 

 それよりも、とアルベルトは胸中に煮え切らないものを感じる。

 

 どうして《レヴォル》があの場に降り立ったのか。そしてそれを追うように、何故兄は――ディリアンは自分と遭遇してしまったのか。

 

 ここで会わなければ、あるいはここでどちらかが下がっていれば、あのような決別にならずには済んだだろうに。

 

 あの時、自分は兄に対してどうしても許せなかった。

 

 デザイアを崩壊させた時だってそうだ。

 

 どうしても、自分の中で退けない線があったから、こうして今、ベアトリーチェに居る。

 

「にしたって、トライアウトの連中、許せねぇよ……。何も知らない連中を殺したって言うんだろ……!」

 

 人並みの正義感を持ち合わせているトキサダは相当に「マトモ」だ。

 

「……マトモに生きて、マトモに死ぬ、か……」

 

「ヘッド?」

 

「いんや、何でもない。ちょっと脳裏を掠めただけの、話にもならねぇ考えってだけだ」

 

「……何か相談事があるんなら言ってくれよ。おれらは凱空龍だろうが」

 

「……ああ、何かあったら話す。今はそっとしておいてくれ。あの人だって辛いはずだ」

 

「……だよな。何も出来ないの、歯がゆいよ……」

 

 トキサダは自分の余計な一言がラジアルを傷つけかねないのだと悟ってか、素直に格納デッキへと戻っていく。

 

 道を折れたところでこちらを窺う他のメンバーも見られたが、トキサダに諭されて帰っていく。

 

 自分の居場所へと。

 

 彼らはそこが居場所なのだ、ならば……。

 

「……オレの居場所ってどこだ? ここなのか、本当に? ……オレが今居るべきなのは、マジにどこなんだ……?」

 

 そう独白しても女々しいだけ。

 

 クラードの隣に居ると宣言した時のような強さも、ましてラジアルを一生かけて守り抜くとでも言えるような男気もない。

 

 自分は中途半端だと思い知るのみ。

 

 誰かを中途半端に傷つけて、誰かに中途半端に傷つけられて。

 

「……そんなのでいつまで気取れるってんだ。傍観者をよ……」

 

 医務室の扉が開き、憔悴し切った様子のラジアルが出てきたのを、アルベルトは思わず身を乗り出して尋ねていた。

 

「ラジアル……さん。何ともなかった……んですか」

 

 こちらと視線を合わせたのは後ろに続くヴィルヘルムのほうで、彼はラジアルへと気づかせる。

 

「ラジアル、アルベルト君だ。彼が君を守り抜いてくれた」

 

「……アルベルト……さん?」

 

 眼に生気がない。まさか、もう既に有機伝導の処置を――と思いかけたこちらに対して、ラジアルはにっと微笑んでみせる。

 

「アルベルトさん! よかったぁ、無事で!」

 

「へっ……ラジアルさん? オレの事、覚えてるんで?」

 

「忘れるわけないじゃないですか! ……守ってくれた背中、カッコよかったですよ?」

 

 いつものように自分をからかうラジアルの声音そのものだ、と一瞬だけ安堵したが、それでも心配の種が消えたわけではない。

 

「でもその……酷ぇ物を見たはずです。あんなの、マトモじゃ――」

 

「嫌ですねぇ、アルベルトさん! 私は大女優ですよ? これでも。だから、あの程度の逆境、乗り越えられなくってオペレーターなんて務まりません! 私は大丈夫! です!」

 

 二の腕を捲り上げて自身の元気さを誇示してみせるラジアルに、アルベルトは少しの光明が差したのを感じたが、ヴィルヘルムの声にその希望は中断される。

 

「アルベルト君、君の検査もしたい。いいね?」

 

「……いいっすけれど、オレなんて看たって……」

 

「いいから。君だってデザイア崩壊から先、酷いものを見続けている。エージェントであるクラードならいざ知らず、君はそれでも一般人だ。一応は検査したい」

 

「は、はぁ……まぁそういう事なら」

 

「じゃあアルベルトさん! 私、ちょっと管制室まで行ってきます! また映画の話、しましょうね!」

 

 何だか想定外に覇気のあるラジアルに気圧された形で、アルベルトは医務室に入れ替わりで入っていた。

 

 消毒液の臭いと、滅菌された白が四方を囲む空間はどこか落ち着かない。

 

「……で、何すか、検査ってのは」

 

「……それが建前な事くらいは、察してくれていると思っていたがね」

 

「まさか……ラジアルさんに何か……!」

 

「……勘違いしないで欲しいのは、有機伝導技師とは何も万能の人間ではないという事だ。患者が望まないのにトラウマを消したり、フラッシュバックを最小限にする事は不可能だよ」

 

「……ラジアルさんからしてみりゃ、忘れたほうがいい記憶に決まってる」

 

「戦闘艦のクルーならば、その協定には既にサインが書かれている。もしもの時には艦を降りる許可も下りるが、その時には契約時の規約に従い、全ての記憶を抹消してもらう」

 

 思いも寄らぬ事実に気圧されていると、ヴィルヘルムは落ち着いた所作を崩さずに、当然だろう、と続ける。

 

「彼女が扱っているのは特一級の機密ばかりだ。忘れたからと言って彼女がトライアウトや軍警察から追われないとも限らない。この艦に留まっているのが、彼女にとって最も安全だと……そう進言したのだがね」

 

「……何かあったんすか。いや、そもそも……! あの人は戦いに出る人じゃない、女優業を続けたほうが幾分か幸せだ」

 

「君はそのナリで意外と優しいんだな。他人を慮る心を持っている」

 

「……どうなんすか。やっぱり、降りたいとか……」

 

「いや、その逆だよ。もうすぐ補給が着く。その補給時には新たな戦力として我が社の開発したMSも実戦配備予定だ。……彼女はそのうちの一機、《オムニブス》への搭乗許可を申請してきた」

 

 一瞬、何を言われたのか分からず、面食らった自分へと、ヴィルヘルムは今一度告ぐ。

 

「……ラジアルはモビルスーツに乗るつもりだ」

 

「何言って……何言ってるんだ、あんた……! そんなの、許されるはずが……!」

 

「わたしは有機伝導技師とは言え、ただの船医だ。一個人の意見に口を挟める領域には限度がある。彼女が望めば、戦力として数えられる事だろう。RM施術痕もある上に、パイロットの適性も決して低くはない。あのまま、彼女はベアトリーチェの守りに――」

 

 その襟首を掴み上げて、アルベルトは睨み据えていた。

 

 マグカップを取ろうとしていた手が滑り、床に黒々とした液体が広がっていく。

 

「……わたしが憎いかね」

 

「……ここで殺してやってもいい」

 

「急くなよ。わたしは反対したんだ。重度のトラウマを負った上に、MSへのパイロットなんて危険過ぎるとも」

 

「……分かっていて、あんたは……!」

 

「ただね、これも間違って欲しくないのだが、彼女はエンデュランス・フラクタルの社員であり、ベアトリーチェへの乗船も彼女の意思と能力の尊重だ。誰も無理やりで乗せているわけではない」

 

「だからって……第四種殲滅戦で人が死んでいくのを見た人間には、パイロットなんて荷が重いだろうに……!」

 

「そうも進言したよ。だが、最終的判断は艦長と彼女自身に委ねられる。有機伝導技術で少しだけトラウマを消してあげようかとも言ったんだが、要らないとも」

 

「……何で。あんな記憶、消したほうがいいに決まってる……!」

 

「他人が思いやるのと、彼女自身が自分を思いやるのとはまた違うと言うわけだろうね。君は他者から戦うのをやめろと言われたらやめるのかね?」

 

「それは……」

 

 言い澱んだ自分へとヴィルヘルムは白衣の襟元を正しながら丸椅子に座り込む。

 

 床に落ちたマグカップを拾い上げて、嘆息をついていた。

 

「……それと同じだよ。誰かを思いやるという事は誰かの気持ちを無視する事でもある。その人間のため、だと思ってやった事がそうではないなどよくある話だ。私は彼女に何も強制出来ないし、彼女もそのつもりはない。そのくらい、分かっていて、ラジアルと街に繰り出したんだと思っていたのだが」

 

 自身の至らなさを言外に責められたようで、アルベルトは目線を逸らす。

 

「……君がクラードにとってなくてはならない人材なのも知っている。彼は以前までの自分と同じだと言っているが、わたしから言わせればまるで違っている。クラード本人も気づいていないのかもしれない歪だ。それを君は抱えている。忘れるなと言うのはその事もある。君はもう、二人分……いや、凱空龍の人間も含めればもっとか。思った以上にその双肩にかかっている命は重いぞ」

 

「……そんくらい、分かっている……! 分かっているつもりなんだ! ……でもよ、儘ならない事ばっか起きちまって……自分でも自分にイラついてくる……! こんなの、オレじゃねぇよ……」

 

「それでもらしくある事だ。分かるだろう? 男はいつだって、らしくなければいけない。君が真に男としての責務を全うするのであれば、だけれどね」

 

「男としての、責務……」

 

「女にばかり、言わせるなと言う話でもある。まぁ、これはわたしに言えた義理ではないのだが」

 

「……ラジアルさんに、オレが止めにかかれって言ってるんすか」

 

「それも君の判断だ。尊重しよう。だが、ラジアルが止まれと言って止まる人間ではないのは、もう君もよく知っているはずだが?」

 

 踏み込んでくるヴィルヘルムの分析を振り払おうと、アルベルトは目線を逸らしていた。

 

「……オレは……結局何でもない。何でもないんだ。クラードにとっても、ラジアルさんにとっても。……その時に都合のいいだけの男なんだって、思うんすよ。オレはクラードの理解者のつもりだった。あいつの腕のモールド痕、あるでしょう。オレ、彫ってるけれど、これはただの自前なんです。ただの……あいつの傷を、分かった風になっているだけの真似事だ……」

 

 情けなさに自分でも嫌になってくる。

 

 凱空龍ではクラードに、ここではラジアルに依存先が変わっただけに過ぎない。

 

 彼女を疎ましく思う時もあったが、今はそれ以上に彼女のこれから先を守っていきたい。

 

 それこそが男の責任だと言うのならばその通りのはずだ。

 

「……アルベルト君。わたしは君達のように若い命が、ただ闇雲に戦場に散っていくのをよしとしない。ハイデガー少尉だって居る。ベアトリーチェのクルーは皆、既に契約書にサインをした、明日を覚悟出来ている者達だ。だが君らは違う。突発的にここへと招かれた。そんな人々にまで、明日を覚悟しろなんてのは酷だとも思う。わたしは何一つ、君に強制しない。いや、出来ない」

 

「……だったらラジアルさんの事言うのはルール違反でしょ、あんたは……」

 

「ルール違反でもね、医者として見過ごせないから言っているんだ。それに、これを言わなければ、君は一生後悔して、わたしを許さないだろう。それは避けたかった。君らだって覚悟出来ている人間の側のはずだ。わたしは君達、凱空龍の若者達も尊重したい」

 

「……それって言っているだけじゃねぇか。オレらを尊重するなんて、言葉の上だけだ」

 

「そうだとしても、今のわたしの言葉でさえも、信じられないかい?」

 

 その質問の仕方はズルい。

 

 自分がここで突っぱねれば、ラジアルの運命に口出しする権利は永劫に失われる。

 

「……オレは、もう嫌なんすよ。知らない振りするのも、知った風な口を利くのも、何もかも……」

 

「ならば君も話すべきだろう。心の澱を」

 

 まさか、とアルベルトは顔を上げる。

 

「……ラジアルさんが話したんですか……」

 

「いいや、彼女は何も話さなかった。君があの現場で何を言ったのか、何が起こったのかはね。それこそルール違反となるからだろう。だが君の口から言うのならば、話は違ってくる」

 

「……汚い大人のやり口じゃないっすか……そんなの」

 

「汚かろうが、わたしは事実のみを知る。そういう風に自身を規定していてね。クラードにもよく言われる。後方でずっと怖がっているだけだとも」

 

「……クラードが……」

 

「アルベルト君。君の口から話してくれるのはありがたいが、それでもわたしは尊重するとも。君の抱えたい秘密だと言うのならば、それまでは根掘り葉掘り聞かない。それがルールだ」

 

「……だから、それが汚いって……」

 

 顔を背けたアルベルトに、ヴィルヘルムは言葉を継ぐ。

 

「憶測ならば可能だ。これは単なる憶測だがね。君は、ただのデザイアの宇宙暴走族の頭目なんかじゃない。もっと大きな目的を持って、いや、これも穿ち過ぎか。荒れくれ者とかには分類されない、そう言った存在であるのだと、窺っている」

 

「……それこそ穿ち過ぎな目線っすよ。オレはただの……いや、凱空龍のヘッドですらない……」

 

「君が居なければしかし、彼らはデザイアにて葬り去られていただろう。ミラーヘッドの戦線で何度も生き残るんだ。強運は誇っていい」

 

「……やめてくださいよ。オレは悪運なだけで」

 

 そこでヴィルヘルムは不意に微笑む。

 

「……何が可笑しいんすか……」

 

「いや、失敬。似たような事を昔、クラードが言っていてね。生き意地が汚いの間違いだろうに、って具合に。彼は彼で自分に何が出来るのかを見出そうとしている。その結果が、《レヴォル》だ」

 

「……《レヴォル》が、そうだあの時……! あれに乗っていたのは、クラードじゃなかったんでしょう……!」

 

「降り立った時の《レヴォル》の意識解読を施したが、全くの不明。レコードにも残されていない。そういった事になるのは別段、初めてでもないんだが、クラードが乗ってからならば初めてだ。《レヴォル》は完全に、一時的とは言え、クラードの制御下を離れた。それはゆゆしき事態だろう」

 

「……この艦の主戦力は《レヴォル》でしょう。だってのに、あいつ、それに裏切られたって……」

 

「いいや、クラードは乗るさ。また、どれだけ裏切られても、あいつには《レヴォル》しかない。彼の存在理由がエンデュランス・フラクタルであるように、《レヴォル》の存在理由もまた、クラードと言うエージェントに集約される」

 

「……何だそれ。答えになっていませんよ」

 

「無論、分かっているとも。だがね、答えなんて往々にして出ないものさ。それを論じている間はね。だがこうとも言える。論じている限り、答えは先延ばしにされているだけで、きっちりそこにはあるのだ。だから議論をやめてはいけない。そこに諦めを持ち込むのは、もっといけない」

 

「……ラジアルさんをどうこうしろって言いたいんすか」

 

「そこから先は君次第だ。だが、答えがそこにあるのだと知っているのならば、走り出すのも悪くはないはず」

 

 アルベルトは立ち上がる。ヴィルヘルムを見下ろして、静かに声にしていた。

 

「……オレはラジアルさんを、救えなかった……!」

 

「それは諦めの理屈じゃないのか?」

 

「だからって……自分の気持ちに、嘘なんてつきたかねぇんだよ……!」

 

「それも君の自由だ。選ぶといい。ラジアル・ブルーム。彼女の背中を追うか、それとも、誰かに縋るのかは」

 

「……オレはクラードに、あいつの傍に居て何も出来なかった。でも二度も三度も、何も出来ねぇままは嫌なんだ!」

 

「……ならば答えを求めて走れ。それだけが、君に出来る唯一の……」

 

 皆まで聞かず、アルベルトは廊下に出ていた。

 

 その背中に最後にかかった言葉を、反芻する。

 

「……オレに出来る唯一の、叛逆だって言うのかよ……」

 

 



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第50話「ミラーヘッドエラー」

「しかし、随分とやらかしたなぁ、クラード。一度修繕作業に移らなくっちゃ、こいつは直せんぞ」

 

 サルトルは《レヴォル》のメンテナンスブロックに端末を差し込み、今もリアルタイムで送られてくる情報をさばいている。

 

 自分はと言えば、コックピットに乗り込み、レヴォルインターセプトを起動させていた。

 

「……もう一度聞くぞ、《レヴォル》。メイア・メイリス。この女を知っているはずだ」

 

『“レコードの中には残されていない”』

 

「俺相手に嘘や誤魔化しは通用しない」

 

『“機械が誤魔化しなんて言ってどうする? ……本当に見知らぬ少女だ”』

 

 嘘はない、ように映る。だが、ここで認めてしまえば、メイアは特例であった事になり、説明がつかない。

 

「……クラード。本当にレヴォルの意志に準じた人間であった可能性も捨てきれんのだろう」

 

「そう設計しなかったのはあんたらだ。サルトル、あんたはこの《レヴォル》を開発段階から知っているはず。レヴォルの意志はそうほいほいと誰彼構わずなびくものではない。そうだろう?」

 

「……そうだと思うんだがなぁ。おれにも分からん。どうあったって、《レヴォル》のログを漁ったってどこにも見つけられんのだ。そのメイアとか言う少女の痕跡を。証言しているのは、お前さんと、そして期待の新人だけ。この二人だけの証言じゃ、本社の人間の査察を潜り抜けられんぞ……」

 

「……査察はいつ入る?」

 

「このコロニー、シュルツに居る間に、だな。一応は三日間はここに居なければ補給路も絶たれる。そうなれば月航路までなんてジリ貧もいいところだ」

 

「コロニーが焼け落ちても、か。厚顔無恥だな」

 

「そう言ってくれるなよ。おれだって嫌さ。だがな、補給もなけりゃ飢え死にしちまう。ここは少しばかり面の皮が厚いほうが、生き残れるって言うもんだ」

 

「……サルトル。あんたは知っているんだろう。月航路へと向かう意味を。だったら、無駄を排すればいい。俺の存在がイレギュラーだと言うのなら、その障害を排除してでも」

 

「そんな殺生な事言うなよ。お前はうちの切り込み隊長だ。そんな奴に、不確定要素が強いから降りろとでも? おれは死んでも言えないね。第一、お前が一番に危ない橋を渡っているんだ。それはベアトリーチェのクルーならみんな分かっている事だろうに」

 

「……分かっていても、危険ならばやめたほうがいい。《レヴォル》の事が、ここに来て初めて……分からなくなった。俺はこいつの全てを知っていると思っていたのに……」

 

「何だぁ、恨めしい女みたいな事言いやがって。言っておくが、お前の事をどうこうだとか、《レヴォル》をどうこうってのも艦長の考えだ。おれみたいな下々には結局のところ開示されてもいないんだよ。どれだけこいつの事を分かっているつもりでも、な。……よし、データの洗い出し完了。もしもの時のダミーも仕掛けてある」

 

「……危ないよ。そんな事して。本社の連中だってそこまで馬鹿じゃないだろ」

 

「大丈夫だ。おれが何年、こいつの完成まで面倒見たと思ってる。欺くくらいはわけないさ」

 

 自信満々に言ってのけるサルトルに、クラードは水色に揺らめく脈動へと視線を据える。

 

 ――レヴォルの意志。

 

 自分がこの世界で唯一の寄る辺だと思っていたものに、イレギュラーが存在したなど笑えない。

 

 それは居場所の喪失に等しい。

 

「……俺は、何一つとして掴んじゃいないのか……」

 

 モールド痕の腕へと視線を投じる。

 

 この腕は、何かを掴み取るためのこの掌は――また何もかもを掴み損ねて、そして滑り落ちる。

 

 そんな事を容認出来るはずもない。

 

「……補給中に本社の連中が来た時は、俺を通して欲しい」

 

「当たり前だろう。お前は《レヴォル》のライドマトリクサーだ。便宜を図るように努力はさせる」

 

 サムズアップを寄越したサルトルを一瞥し、クラードは再び《レヴォル》への質問に入ろうとして、声を聞いていた。

 

「く、クラードさぁーん……。やっぱり、ここに居たんですね。探しましたよぉ……」

 

「何やってんの。レミアに散々言われてきたんじゃないの?」

 

「……い、言われましたけれどぉ……。どう説明すればいいんですかぁ……」

 

「知んないよ。ありのままに言えば?」

 

「あ、ありのままじゃ信じてもらえないんですよぉ!」

 

 クラードは嘆息をついてカトリナへと言葉を振り向ける。

 

「……あんた、メイアとか言う奴を見たよな?」

 

「ふへっ……? あ、ああ、はい。見ました」

 

「証言出来る?」

 

「証言……? そんな大げさな……」

 

「大げさでも何でもなくなっている。《レヴォル》に不確定要素が強いってなれば、俺の専属ライドマトリクサーとしての任が解かれるかもしれない」

 

「そ、そんな馬鹿なぁ……あり得ません……よね?」

 

 カトリナが目線でサルトルに問いかけて、サルトルは渋い顔を返す。

 

「……あのな、期待の新人。《レヴォル》に関して言えば、下手打てばおれ達全員が処罰の対象なんだ。それくらいの機密さ、こいつは。それが勝手に動いて、それもクラードの下に行くのならばまだしも、勝手に他人に誘導されて、その上操縦系統まで奪われたとなれば穏やかじゃない」

 

「……な……更迭処分とか……ですかね……?」

 

「それならまだいいのかもな。《レヴォル》の機密を持ち逃げされちゃ困る。その時には命があると思わないほうがいい」

 

 カトリナは青い顔になってあわあわと当惑するが、クラードはサルトルの洗い出したログを参照する。

 

「本当に記録にないのか?」

 

「ああ。ログを最も過去にまで参照したが、それでもだ。メイア・メイリスなるパイロットの存在を確認出来ない。まるでゴーストだな、こいつは」

 

「……ゴースト……。俺と同じように、管理権限を持っているのならば、自身の存在末梢くらいは頷けるが……」

 

「自社ならまだしも、他社の、しかも一般人にそんな事が出来るのか、だな。そうなってくると《レヴォル》のセキュリティも甘いって言う話になってくる。……やれやれ。メカニックチームの解散の憂き目なんて遭いたくないんだが」

 

「俺だって同じだ。お前達以外に《レヴォル》を触らせたくはない」

 

「……どうする? 芝居でも打って、何事もなかったって誤魔化すか?」

 

「そんなのすぐにバレる。《レヴォル》の特性を相手も知っているんだからな」

 

「……だよなぁ。一体どうすりゃいいんだか」

 

 サルトルはメンテナンスブロックに差し込んでいた端末を引き抜き、額の上に手をやって中天を仰ぎ見る。

 

 お手上げのサインだろう。

 

「……俺は処罰を受けてもいい。勝手やったからな。だがサルトル達までそれを背負う事はない」

 

「そいつはとんだ温情だと、思っていいのかねぇ。にしたって、おれも凱空龍の面々の《マギア》のメンテをしている以上、完全に門外漢は気取れんだろう」

 

「……ここに来て足枷か」

 

「後悔はしてくれるなよ、クラード。お前が連れて来たんだ、おれだって責任は取るつもりでメンテして、わざわざ出られるように調整もしたんだ。……結局のところは共犯さ」

 

「……そう言ってくれるのはありがたいけれどでも、現状芳しくないのは事実でしょ。どうあったって、本社の連中の眼をどうにもできない」

 

「そこがなぁ……。目下のところ悩みでもあるんだが……。おい、うるさいぞー、期待の新人。さっきから何を喚いているんだ」

 

 どうしよう、どうしよう、と先ほどから自分達の後ろで頭をくしゃくしゃにして悩んでいるカトリナへとクラードも視線を振り向ける。

 

「だ、だって本社からの査察って言うんじゃ私……クビ、ですかね?」

 

「クビならまだマシだな」

 

「ああ。首が飛ぶとすれば物理的な意味だ」

 

「どどど……どうすれば? 私、まだ何もしていませんよ?」

 

「……とっくにやらかしはたくさんやっているけれど、まぁ自覚ないんならいいや。どっちにしたって、本社連中が来るまではこのコロニーに別命あるまで待機。どうしようもない」

 

「く、クラードさん……! らしくないですよぅ! 何だって今回は諦め調子なんですか……!」

 

「エンデュランス・フラクタルの本当の上層部門の怖さを知っているからだけれど、まぁそれはあんたには関係ないからいいか。どっちにしたって、《レヴォル》の解析結果が出ない以上は、ベアトリーチェの強制出港は本社からの命令無視になる。それに、補給だって得られない」

 

「まぁなぁ……。補給路を得てそのまま出港ってわけにはいかんだろうし……。そもそもそんなヘマをやらかすような本社の連中じゃないからなぁ」

 

 サルトルが腕を組んでうーんと呻る横で、クラードは《レヴォル》のコックピットブロックに触れていた。

 

「……《レヴォル》、お前は何を思っている……」

 

「問いかけたって仕方ないだろう。コミュニケートモードでも話さないんだ。分からないんだよ、こいつは」

 

「……だがこれまで俺は《レヴォル》に導かれてきた。これから先もそのはずだ。だから……応えて欲しいのに……」

 

「クラードさん……」

 

 カトリナはキッと《レヴォル》を睨み上げ、そのままコックピットに入っていた。

 

 もちろん、《レヴォル》から返って来たのは認証エラーである。

 

「何やってんの」

 

「私……! 少しでも役に立ちたいんですっ! もしかしたら私の記憶を証拠として出せば、《レヴォル》とクラードさんはどうとでもなるかも……!」

 

「ならないよ。俺が反証させて反応しないんだ。こいつの中には本当に、あのメイアとか言うのの記録はないんだろう」

 

「じ、じゃあ何だって言うんです? 何だったんですか、彼女は。だって《レヴォル》に乗って、あんな戦い方までして……!」

 

 カトリナの言わんとしている事は分かる。

 

《レヴォル》を手足のように扱えるのは自分だけだと、つい数時間前までは思っていたくらいだ。

 

 それなのに、急にその座を奪われたとなれば自分のほうが胸中穏やかではない。

 

「……《レヴォル》は何を見据えているんだ……」

 

 その鋭い眼差しに問いかけても、今は無言しか返ってこない。

 

「……クラード。おれ達が何とかする。もしもの時は強硬策でもいい、《レヴォル》と共に逃げろ。そうすれば処罰は免れる可能性も――」

 

「そうなったらサルトル達が死ぬ。俺は皆が死んでまで、自分だけ生き意地汚く生きるつもりもない。それに……これは俺の生涯をかけてのミッションだ。遂行しなくっちゃ、俺の存在理由はなくなる」

 

 首から提げたドッグタグを弄る。

 

 名前をとうの昔に失った代物。

 

 だが自分の指標として在り続ける証。

 

 自分と言う、ただの名無しを、まだエージェントの名前で縛り付ける、ある意味では呪縛――。

 

「そういや、話は変わるんだが、《アルキュミア》の改修が終わった。次の戦闘からは出せそうだ」

 

「出せそうって……誰が乗るのさ」

 

「まぁ、ピアーナ嬢か、あるいは他のライドマトリクサーか……」

 

「他のって……居ないだろ、この船には」

 

「まぁなぁ……。儘ならん事がこうも重なるとどうしようもない」

 

「……サルトル。らしくないよ、諦めてる?」

 

「そりゃあ、お前、ちょっとばかし人間、弱気にもなるだろ。本社の査察は単純に憂鬱だし、そうじゃなくってもこの艦は色んなところから狙われてるんだ。目下のところ、手がいくつあったって足りないくらいさ」

 

「……現状は手詰まりに近い、か」

 

「もしもの時の身の振り方は決めておいたほうがいい。カトリナ嬢も、だぞ」

 

「わ、私も……?」

 

「……って言うか《レヴォル》に乗ったって無駄だから降りて。鬱陶しいよ」

 

「う、鬱陶しいって何ですか! こうやって一心に念じていれば……もしかしたら届くかも……」

 

「届かない。あんた、ライドマトリクサーでもないくせに何が出来るって言うんだ。それにその席は俺の席だ。勝手に座って欲しくない」

 

「……うぅ……そこまで言う事ないんじゃ……」

 

「だが待て……。そうだ、席だ」

 

 サルトルの閃いた声音にクラードは視線を振り向ける。

 

「どういう意味?」

 

「ピアーナ嬢だよ。彼女は電子光学技師の地位についている。レヴォルの意志が目覚めた時、彼女は電子的にそれを分析出来る立ち位置に居たはずだ」

 

「……ピアーナに聞けば」

 

「突破口が見えるかもしれない」

 

 でも、とクラードは格納デッキの周辺を見渡す。

 

「どこにも見当たらないけれど?」

 

「……首輪でも付けておくんだったか? 電子戦においては彼女のほうが上だからな。逃げようと思えばどこにでも逃げられるったらそうなんだよな……」

 

「待って。首輪ならここに居る」

 

 視線を振り向けた自分に、カトリナはきょとんとする。

 

「ああ、そうか! カトリナ嬢の言う事だけを聞くんだったか!」

 

「へっ……へっ?」

 

「ピアーナを呼んで欲しい。あいつのログならば、《レヴォル》に何が起こったのかが分かるはずだ」

 

「で、でも私……ピアーナさんの居場所なんて分かりませんよ?」

 

「こうすれば嫌でも出てくるはずだ」

 

 迷わず拳銃を向けると、どこからともなくピアーナの声が響き渡る。

 

『お待ちなさい、クラード。……貴方は相変わらず、野蛮ですわね……』

 

「どこだ? どこに居る?」

 

 サルトルが見渡していると通信ウィンドウが開き、《レヴォル》の暗号通信網に接続される。

 

「あっ……ピアーナさん! どこに……?」

 

『艦の電子戦闘用の端末に座ってずっと解析作業を行っていたんです。……貴方達の言いたい事はもう分かっています。レヴォルの意志が目覚めた時、わたくしならばどうにかモニター出来る位置に居たと言うのでしょう?』

 

「そうだ、そのはず。言っておくが、ひた隠しにしようなんて思うなよ」

 

 銃口をカトリナに向けたまま交渉すると、ピアーナは大仰にため息をつく。

 

『……全く、交渉とは名ばかりの野獣の理論ですわね。ですが、追い込まれているのは分かりました。それに、《アルキュミア》を改修してもらった恩義もあります。こちらでモニターしたレヴォルの意志……通称、レヴォル・インターセプト・リーディングの解読結果を表示しましょう』

 

 だが導き出されたのは波形データであった。

 

 サルトルはそれを凝視して問い返す。

 

「おいおい、ピアーナ嬢。これは何だ? ログじゃないようだが……」

 

『それがレヴォルの意志の発動時に見られた波形データです。音階のようにも見えますね』

 

「……音階……? 《レヴォル》が何かの音に反応したとでも?」

 

「いえ、待ってください、クラードさん。……あのメイアって人、確かバンドのボーカルで……音楽って言うのは、ある意味当たらずとも遠からずなんじゃ……?」

 

「……《レヴォル》が特定の音階に反応するように出来ているとでも? それはあり得るのか、サルトル」

 

「何とも言えんな……。だがこの波形データは拝借しておく。これから先、解読するのに役立ちそうだ」

 

『では対価に、《アルキュミア》のデータを貰いますよ。当然、わたくしにはその権利はあるでしょうから』

 

「この……ちゃっかりしやがって。まぁでも、このデータが本社の連中を説得するのに、少しでも役立てれば――」

 

 そこでサルトルの言葉が途切れる。

 

 彼のインカム越しに急に耳朶を打ったのはジャミングの嵐であった。

 

「特定周波数をジャミング……? また敵が来るってのか?」

 

 クラードは戦闘姿勢に移り、《レヴォル》のコックピットへとカトリナを押し退ける。

 

「邪魔だよ」

 

「あの……っ、クラードさん! また……戦うんですか……」

 

「戦っちゃ、悪い?」

 

「いえ、そうではなく……。あんな戦いを経験した後でも、まだ……」

 

「どんな戦いだろうがそれは結果が全てだ。俺にとっての前回は正直勘弁願いたい戦いだったが、次もそんな下手を打つわけにはいかない。……今度は敵を殲滅する」

 

「い、いえっ! そういう事でも……ないんですよ……クラードさん……」

 

 不明瞭な言葉を吐いたまま、カトリナは整備班に押し戻されていく。

 

「レヴォルインターセプト、コミュニケートモードに移行。三分後に戦闘モードに移る」

 

『コミュニケートモード、起動。“随分と機嫌が悪そうじゃないか、クラード”』

 

「これで機嫌よかったらだいぶ楽観的だよ。……敵の数は?」

 

『“管制室に問い合わせている。……敵は、トライアウトの識別信号では、なさそうだ”』

 

「軍警察じゃない? この局面で、何者なんだ……?」

 

『“不明なままだが、こちらを敵視しているのだけは確かだ。かかる火の粉は払わなければいけないだろう”』

 

「了解した。ベアトリーチェ、《レヴォル》とクラードが出る」

 

《レヴォル》の機体がコアファイター形態へと可変し、そのままリニアカタパルトボルテージへと移送されていく。

 

「……何者が来ようと関係がない。俺と《レヴォル》が叩き潰す……」

 

『《レヴォル》、カタパルトゲージ80まで上昇。射出タイミングを、エージェントクラードに譲渡します』

 

「了解……って、ラジアルじゃないんだ。バーミット、似合わない事やってんだな」

 

『あんたが気にする事じゃないのよ。……はい、いつでも発艦準備、出来てるんでしょ?』

 

 軽口は平時のようであってそうではない空気をはらんでいる。

 

「……何かあったのか?」

 

『あんたは《レヴォル》とでも話してらっしゃい。大人の事情に口を突っ込むものでもないし』

 

「……承服した。今は敵を撃つ。エージェント、クラード。《レヴォル》、迎撃宙域に先行する!」

 

 パイロットスーツ越しに腕を接合させ、《レヴォル》は青いシグナルと共に加速度に身を任せる。

 

「……まだ入港中だって言うのに、誰が仕掛けて来るって言うんだ……」

 

 こんな局面でベアトリーチェを襲われればただでは済まないだろう。

 

 今は自分単独だと思わせる必要がある。

 

 クラードは《レヴォル》をコアファイター形態のままコロニーの外側へと周回軌道を取らせていた。

 

「……万が一にもベアトリーチェの位置関係を悟らせるわけには……」

 

 瞬間、火線が放たれ、クラードは《レヴォル》に位置取りをさせつつ、敵の背後を取るべく加速させる。

 

「悪いが、後れを取るわけにはいかない。このまま、一撃で終わらせる……!」

 

 側面に備え付けられたビームライフルを速射させ、敵陣を散開させる。

 

 目論み通り、それぞれの位置へと散開した敵編成へと《レヴォル》は突っ込み様に、腕を現出させ、敵を引っ掴んでそのまま制動をかける。

 

 スピードを殺して敵の隊長機らしき機体と視線を合わせたクラードは、その敵機編成が型落ちにも等しい《エクエス》であるのを感知する。

 

「……嘗めているのか。《エクエス》なんて、今さら!」

 

 四肢を開き、《レヴォル》がスタンディングモードに移行しつつ、敵の銃撃網を防ぐべく、掴み取った《エクエス》を盾にするが、その行動を打ち崩すかのように、一斉射撃が《エクエス》を嬲った。

 

「……馬鹿な。まだパイロットが乗っているはずだろう……?」

 

『隊長……後は任せます……』

 

 そんな声を接触回線に響かせて、《エクエス》が爆散する。

 

 もちろん、《レヴォル》を駆るクラードはまさか敵が乗っている人間を無視して攻撃を強行するなど思っても見ない。

 

 出遅れた自身を持ち直そうと、機体を横ロールさせ、脚部と腕に格納させていた小型火器を出現させつつ、弾幕を張っていた。

 

「少しでもこれで相手が気圧されてくれれば……」

 

 しかし《エクエス》編隊は気圧されるどころか、銃撃網を奔らせ、そのまま猪突してくる。

 

「自殺行為だ……こいつら何なんだ……?」

 

『道を開きます。隊長、アステロイドジェネレーターを射抜いて……』

 

 その言葉を皆まで聞かず、隊長機が突入してきた《エクエス》の動力を正確無比に撃ち抜く。

 

 至近で爆ぜた敵影に一瞬だけ眩惑させられた《レヴォル》へと、敵の隊長機がビームサーベルを発振させて斬り込んでくる。

 

「……こいつら、何だ?」

 

 応戦のヒートマチェットを薙ぎ払い、そのまま敵の胴体を割ろうとするも、その時には相手は基点とした部位をそのまま用いて、曲芸師さながら頭上で回転し、背後を取るのと同時に刃を払う。

 

 習い性の神経がもう一丁のヒートマチェットを即座に逆手で引き抜かせ、応戦のスパーク光が散る中で、相手の声が弾けていた。

 

『よく動くじゃねぇの。コード、《レヴォル》って言うのはよぉ!』

 

「接触回線……! 貴様……何でだ。何で、味方まで撃った。そんな事をしてでも《レヴォル》を撃墜したいのか!」

 

『ああ、したいねぇ、是非とも! それに、俺の部隊はよぉ……みんなとっくの昔に拾っただけの命さ。俺に是非とも利用してもらいたいって言う、奇特な命ばっかなのさ!』

 

「……冗談……!」

 

 そのまま《レヴォル》の膂力で払い除け、クラードはビームライフルを速射させて敵との距離を稼ごうとするが、相手はその射線をまるで予見したように潜り抜けて、そのまま至近距離での格闘戦に持ち込もうとする。

 

「……このままでは……」

 

 時間をかけるわけにはいかない。ベアトリーチェを守るためにも、何よりも《レヴォル》の現状では損耗率のほうが高いはずだ。

 

「ミラーヘッドジェルの消耗は七割。……少し危ない数値だが……いけるか?」

 

 迷っている暇はない。相手の刃が肉薄した次の瞬間には、クラードはミラーヘッドの蒼い光の残滓を引きながら加速し、敵の直上を取っていた。

 

「獲った……!」

 

 そう確信していた。

 

 敵の《エクエス》はミラーヘッドも積んでいない型落ち機。

 

 このまま《レヴォル》の攻撃網を叩き込めば――そう考えていたクラードは敵機が後退でも、ましてや恐れ戦くでもなく、この局面で接近を選んだ事に驚愕する。

 

「……馬鹿な。死ぬぞ」

 

『悪ぃが、俺はミラーヘッドでだけは死なんのよ』

 

 その意味を解する前に、敵《エクエス》の腕が固められ、手刀を払いかけたミラーヘッドの残光のうち一つの胸元を叩く。

 

 そう、何でもない。

 

 ただ純粋に、ミラーヘッドの分身体を拳で叩いただけだ。

 

 だがそれだけで、クラードはエラーに見舞われるコックピットの制御系統に震撼していた。

 

「……何だ? これは……まさか、ミラーヘッドエラーだって? 今の今まで起こらなかったのに、《レヴォル》にエラーなんて……」

 

『――ほう、相当に自信家だったんだな。あるいは敗北を知らなかったのか? いずれにしたって、お前さん、ちぃとばかし迂闊だぜ? この距離は、もう手遅れだ』

 

 その言葉に認識を新たにする前に、赤色光とテーブルモニターに表示されるエラー参照にクラードは目を戦慄かせる。

 

「……お前は……何なんだ……!」

 

 



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第51話「怪物を殺すのは」

「――呼ばれてみりゃ、辺鄙な場所だねぇ、しかし」

 

 クランチはシャトルの第一便で月軌道近くにあるコロニーへと出向いていた。

 

 コロニー、エメトピア――通称、「博物館」と評されるコロニーは大小さまざまな動物や植物が陳列されており、その中には当たり前のように人間の模造体もある。

 

「隊長、これが世界で初の、ミラーヘッドに臨んだ人体のホルマリン漬けですか」

 

 部下の指差した先に居たのは、昏い視線を虚空に投じる禿頭の男性であった。

 

 培養液に浸かった彼は、時が止まってしまったかのように中空へと視線を向けたまま静止している。

 

「……運が悪かったのさ。ミラーヘッドの試験なんざ、俺は死んでも御免だね。こっちにゃ、ライドマトリクサー施術の歩み、か。まったく、人類ってのはいつだって拍子を踏み外す」

 

「我々だけはそれを言えんでしょう」

 

「かもな」

 

 笑い話にする仲間達と共にこの場に似つかわしくないように緊張の視線を周囲に流しているのは、前回の戦闘で生き残った《エクエス》乗りだ。

 

「……お前、名前は? そういや聞いていなかった」

 

「……グローブ・マグマトリィ……。ただのしがない《エクエス》乗りだ」

 

「グローブ、ねぇ。お前、信仰心は?」

 

「信仰心……? 神を信じているとかそういうのか?」

 

「ああ、そうだ。俺の部下になるんなら一度聞いておきたい」

 

「……いや、ないな。ミラーヘッドの……第四種殲滅戦の標的にされた時から、信仰は捨て去っている」

 

「そいつぁ結構。上出来だ。ならお前はまだマシなほうだ。ここで、神だとか何だとか信じ込んでいるヤツってのは始末が悪い。神も仏も、何もかもがこの世を見捨てちまっているのさ。もうこの世界に神も居なければ悪魔も居ねぇよ」

 

「それは通説か? それともそっちなりの死生観とでも?」

 

「どっちだって適当に判断すりゃいいのさ。俺は神も悪魔も信じちゃいねぇ。信じているのは、自分のトリガーを引く時の感覚だけだ」

 

「……なるほど、それは羨ましいな」

 

「羨ましい? 神をも恐れぬ偉業だ。畏れ多いの間違いじゃねぇのか?」

 

「いいや、羨ましいとも。何度もあんな局面の戦闘を?」

 

「ああ、ミラーヘッドの第四種殲滅戦ってのは人間の死は数えられねぇ。あるのは何機墜としたか、何機迎撃したかだけ。めちゃくちゃシンプルで分かりやすい戦場だ。だからこそ、俺は気に入っている」

 

 クランチは人類初のライドマトリクサー施術の歴史を辿りながら、壁の展覧物をなぞっていく。

 

 紐解くのは人間が人間以外になった禁断の歴史であろう。

 

「……私は、まだその域には成れていない。そこまで思い切れないんだ。クランチ・ディズル。もしかすると、お前こそが……このミラーヘッドで変わり果ててしまった戦場を、もう一度人間のものへと回帰させるために何者かが遣わした良心なのかもしれない」

 

「良心、ね。そいつぁ、かなり穿った見方だとは思うが」

 

『――だが君はミラーヘッドの戦場での生還率は百パーセント。そこに作為的なものを感じずにはいられないな』

 

 重々しく響き渡ったのは、地球圏で聞き届けた子供の声と同じであった。

 

「……おい、どっかから見ているんなら降りて来いよ。こっちでサシで話し合おうぜ」

 

『生憎だが我々は君達に姿を晒すわけにはいかない』

 

『左様。よってこのような形であっても最大限の譲歩である事を理解して欲しい』

 

「理解、ね。あんたら、何が目的で俺みたいな戦争中毒者を? もうかなりの人でなしだぜ? こんなのにわざわざ場所まであてがって呼び寄せた意味が分からねぇ」

 

『……クランチ・ディズル。君は戦争が好きかね?』

 

「好きだね、かなり。戦争ってのは人間の剥き出しの本能の発露だ。そこに、取り繕った無駄な虚勢や、あるいはただの人間的な妄言は何も意味をなくす。だから俺は戦争が好きだ。人殺しに飽きもしねぇ、とんだ働き者ってわけさ」

 

『想定内の答えだが、やはり君には素質があるようだ』

 

「誰かを殺せって言うんならしかし、専門家を雇いな。俺が乗るのはせいぜい《エクエス》が関の山だ。もっといい機体で狙撃だとか、あるいは暗殺だとかやりたいんなら俺よか上手いヤツは大勢居る」

 

『クランチ・ディズル。君の手腕を買いたい』

 

『とある巡洋艦を撃沈してもらいたい。その際には、それに伴って強力なMSが出撃するだろう。これまでの戦いで、一度たりとも負け知らずなMSとライドマトリクサーだ。それを相手取ってもらいたい』

 

「殺せってのか?」

 

『いいや。MSは出来れば形を保ったまま鹵獲。パイロットは殺しても構わないが、そこまで精密な事は《エクエス》では難しいだろう。新型機をあてがってもいい』

 

「要らねぇよ、んなもん。俺の用意した《エクエス》以外だと、最近のはどうにも浮ついていけねぇ。あれくらいケツが重いほうが女も乗機もちょうどいいのさ」

 

 ところどころで笑い声が聞こえてくる。部下達には最上のジョークだったであろうが、相手には通じなかったようで真面目な返答が帰ってくる。

 

『……では《エクエス》で出てもらう。我々の思想に賛同した、と思ってもらっていいのかな』

 

「おい、待てよ、あんたら。こっちに提示されたのは報酬額だけだ。その巡洋艦とやらがマジモンにヤバい代物なら悪いが降りさせてもらうぜ。俺達だって命は惜しい」

 

『意外だな、君は、命なんてこの現実と言うゲームを遊び抜くためのツールだとでも思っていそうだったが』

 

「そいつは意見の相違ってヤツだな。どれだけ遊びに長けていたって命あっての物種だ。案外、そこまでクールにゃ成り切れんのよ。それに、そっちだって得体が知れねぇ。少しは手の内を明かしちゃもらえねぇかねぇ」

 

 ここでの最大限の譲歩だと言ってのけた相手だ。

 

 ともすれば正体不明のまま、自分達は踊らされる可能性もある。

 

 そうなった場合、不利益を被るだけではない。

 

 不用意な死は、自分達にとってのただの損害にしかならない。

 

『部下想いなのだな、案外君は』

 

「勘違いをすんな。部下だけじゃねぇ、自分の命が一番さ。それでも儘ならん戦場ってもんに駆り出されるのが自分だとは思っちゃいるが、それにしたって限度ってもんがある。俺は死ぬために投げられる爆弾だとは思っちゃいないんでね」

 

『そうか。それがしかし、鏡像殺しの名を取るクランチ・ディズルの言い草かね?』

 

「鏡像殺しなんて、戦場を渡り歩く中で付いた渾名さ。よくある代物だ」

 

『そうではないのだろう? 君は、ミラーヘッドの中核、その構成物質に至るまで全て視えているはずだ』

 

「……見透かしたような事言いやがるんだな。俺の特権に関しては、俺だって分かんねぇんだよ。何でミラーヘッドの弱点なんざ見えんのか。ミラーヘッドに対して何で俺だけ無敵モードなのかってのはな」

 

『知りたくはないか? その偶発性、思わぬギフトに関して』

 

「答えでも知ってるって言いたいのか?」

 

『ヒトは、環境に適して自らの生態系を大きく変えられる生き物だ。この星がミラーヘッドの幻像に包まれても、それでも君はたった一人でも生き永らえられる』

 

「買い被るなよ。そんな風になったら俺だって生きる気力をなくす」

 

『だが君は適材適所としての戦場だ。そこに生きる事を是としてこれまで生きてきたはず。恐らくはこれからも』

 

「……おいおい、ここは宗教の場か? 俺はあんたら相手に、へいこらして、それで単純に生きていくだけのバカにはなりたかねぇんだよ」

 

『だがシンプルなのは好きだろう、君は。我々は戦場を与える、君はそこで生を謳歌する。充分に利益の取れた関係性だ』

 

「……戦場にのみ生きる事の有用性を説くんなら、それはもう死者と同じだが」

 

『よく喋るものだ。弁も立つとは気に入った』

 

「そいつぁどうも。……なぁ、俺は戦場の血飛沫や、罵詈雑言も、それに怨嗟も嫌いじゃねぇが、こういう場所はどうにも癇に障る。……何が言いたいってんだ? 俺にヒトの歴史の再現でもしろと?」

 

『再現ではなく再演だよ、クランチ・ディズル。君の行うのは、限りなくヒトの暴虐性を突き詰めた先にある再上映(アンコール)だ』

 

「分からないねぇ……。今さらそのたった一隻の巡洋艦とやらを墜とせってのも、よく分からんMSを鹵獲しろってのも。どれもこれも現実からはかけ離れたように映るぜ? 要は俺に死にに行けとでも言っているのか?」

 

『聡いな、だが死ねと言っているのではない。君は生きて、そして有用性を示していただきたい』

 

「その有用性とやらを示すのは誰に、だ? まさか神とやらとは言わないだろうな?」

 

『神ではない。だがこの世界において、それらを知り得る全ての者をそう呼ぶのならば、我々は全能者』

 

「――真理探究者の窟、ってわけか。趣味が悪ぃ……こんなもん、ただの事実の列挙、事実の羅列だ。どれもこれも、並べ立てただけの真実になんざ、意味なんてねぇ」

 

『そうだとも。意味はない。意味は創るものだ』

 

『我々の声を君は知覚として、音の羅列ではなく意味ある声として認識するように、彼の者達は光を光として認知出来るわけではない』

 

『時にそれは闇であり、暗礁であり、そして絶望へのはなむけでもある』

 

「観測次第ってヤツだろ。要は考え方一つだ。意味あるかないかなんて代物はな」

 

『クランチ・ディズル。それにその部下達よ。君達はこの座についた。ならば次に訪れるべきものを既に認知しているはずだ』

 

「言葉にしなくっちゃ分からないものもこの世にはあるぜ? ……あんたら、何がしたい? 何を望んでいる? 巡洋艦の轟沈とMSの鹵獲。それにしたって、もたらされない情報は情報とは呼ばないんだよ」

 

『これは失礼した。では彼の者に送信させよう』

 

「彼の者……?」

 

 クランチが視線を振り向けた先に居たのは、パイロットスーツに身を包んだ人間であった。

 

 男か女かも背格好だけでは分からない。

 

 バイザーの奥にあるはずの瞳の視線が読めず、怪訝そうな目線を振り向けたこちらに対し、相手は一枚の情報端末を差し出していた。

 

 部下を顎でしゃくり、それを手に取らせる。

 

「……端末のようです。それも高度な……。圧縮化を施されており、解読が必要ですが……」

 

「いい、後で繋ぐ。しかし、それでも得心ってヤツがいかねぇのはある。俺達へのリターンが金だけってのも納得がいかねぇ。もうちょっとあんだろ」

 

『そうだな、何が望みだ? 言ってみるといい』

 

「まるで神みたいに気取ってるあんたらを、俺達の前に差し出せ。そうすりゃ、少しでいいから信じてやる」

 

 ここで噛み付いたのはひとえにあまりにも相手の態度が超然としているのが気に食わなかったのもある。

 

 当然、普通の相手ならばここで応じないか、あるいは誤魔化す程度だろうが……。

 

『――よかろう。彼の者を見るといい。それは我々の一員だ』

 

「……このパイロットスーツが、か?」

 

『その服飾を脱げ』

 

 パイロットスーツ姿の者が、ヘルメットの解除スイッチを押し込み、そのまま気密を確かめてから外していく。

 

 ――途端、晒し出された代物に、全員が息を呑む。

 

「……何だ。何だって言うんだ、こいつぁ……」

 

『それが我々だ』

 

 部下の一人が吐き気を堪えて口元を押さえる。

 

 ここまで歴戦の戦場を潜って来た者達が、目の前の存在相手に圧倒されている。

 

 今の今まで、最悪の戦場を闊歩してきた人々の眼でも、それはおぞましき――。

 

『……時間だな』

 

 パイロットスーツの内側から蒼い炎が燻ぶり出す。

 

 瞬く間に蒼い業火に包まれた相手は膝を折り、そのまま断末魔を上げて焼け死んでいった。

 

「……こいつが、証明だと?」

 

『我々が君達にある程度の正体を明かすとすれば、そこまでだ。それ以上は我々とて下策となる』

 

「……あんたらは、何だって言うんだ。今の……人間じゃ、なかった……」

 

『いいや、人間だとも。我々もある意味では、君らと同系統の人類だ』

 

 嘘も休み休み言え。

 

 こんなものが、同じ人類だとも思いたくない。

 

「……人類だと……。じゃあ何か。あんたらは人類代表だとでも?」

 

『そこまで驕り高ぶったつもりはないよ』

 

『だがね、これは単純に要望なのだ。君は鏡像殺し、クランチ・ディズル。例のMSを相手取るのには君のような化け物が相応しい』

 

「……化け物、ね。いいいわれじゃなさそうだが」

 

『何を言っている? これでも評価しているんだ』

 

『左様。怪物殺しは同じく怪物こそが相応だとも。そのMSの名前を教えておこう。その名は――《レヴォル》。世界に叛逆する機体だ』

 

「……《レヴォル》……」

 

 その名が今はどうしてなのだか、どのような感情よりも先に、自分の中へと沈んでいくのを感じていた。

 

 



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第52話「狂戦士」

「《レヴォル》、《レヴォル》ねぇ……。随分と厄介な機体じゃねぇか! 教えられていたよりもよぉ!」

 

 クランチはしかし、その言葉とは裏腹に《レヴォル》のミラーヘッドの心臓部を捉えていた。

 

 ――自分の眼には、鏡像の中核が映る。

 

 その視界の中に浮かび上がった蒼い残光の中で赤く照り輝く球体――それこそがミラーヘッドの核だ。

 

 押し潰しても、殴っても、握り潰しても、あるいは軽く叩きのめすだけでもいい。

 

 どのような方法であれ、ミラーヘッドの残像に触れられるのは世界広しといえども自分だけだ。

 

「鏡の中に触れる特権を持つのはこの! クランチ・ディズル様だけなんだよ!」

 

《レヴォル》は核を叩かれただけで異常を来たしている。ならば、このまま核を握り潰せば、完全にミラーヘッドは消滅するはずだ。

 

 そう確信してマニピュレーターを伸ばした《エクエス》から急速離脱する《レヴォル》は残像を棚引かせ、段階的に急加速する。

 

「……ほぉ、危機関知能力くらいは備わっているようだな。おい! あいつの道を阻め。なに、ちょっと邪魔してやるといい。思った通りにはならないもんだと叩き込んでやる」

 

『了解!』

 

 部下の声が弾け、《レヴォル》の針路を阻む。

 

《レヴォル》の腕が瞬時に分裂し、ミラーヘッドの残光を引きながら《エクエス》の頭部へと叩き込まれた瞬間、クランチはビームライフルを動力に向けて放っていた。

 

『……隊長! ご武運を……』

 

 部下の声と共に《エクエス》が炸裂し、《レヴォル》はその爆発の光輪を前にしてうろたえ調子に後ずさる。

 

 その退路を塞ぐようにクランチは残存した部隊を掻き集め、ミラーヘッドの攻撃網が自分へと集中するように仕向けていた。

 

「撃ちまくれ! 奴さん、どうせミラーヘッド頼みの戦い方しか知らねぇ。なら教えてやろうぜ。俺達の流儀ってのをなぁ!」

 

『……何なんだ、お前らは……。何でそんなに……命を無視した戦い方が出来る!』

 

 急速接近した《レヴォル》が炎熱化した武装を払い上げ、そのまま自分へと相対する。

 

 ミラーヘッドを掴もうとして、敵は半身になって回避し様に一閃を払い上げていた。

 

 ビームサーベルの刀身で受け止めつつ、クランチはほくそ笑む。

 

「……嬉しいぜ、それなりに狩り甲斐のある標的でなぁ! 的ってのはそうでなくっちゃいけねぇ!」

 

『黙ってろ! ……お前らは何故、自分達の同朋でさえも巻き添えにする……!』

 

「俺達全員が戦闘単位だからさ。戦闘単位ってのは消耗されて初めて真価を発揮する。俺も部下達も、命って意味じゃ対価だ。だから使い古せる。この意味……分からないはずがねぇだろ!」

 

『……分からない。いいや、分かって堪るか!』

 

 払い除けたその一閃の勢いに灯った殺意をやり過ごし、クランチは《レヴォル》が自身の火力の補填にのみ、ミラーヘッドを使うのを目にしていた。

 

「……踏み込み過ぎりゃヤられるってのを一発で理解出来る頭ぁ……。それは俺らと同類だ! お前だって戦闘単位としちゃ上出来ってもんさ!」

 

『……何を……! 俺は、貴様らとは違う!』

 

 怒りと共に振るい上げられた武装の一撃をいなしながら、クランチは次手を講じる。

 

「《エクエス》じゃどっちにしろジリ貧……。連中の情報は間違っちゃいなかったわけか。……だが、そろそろだな」

 

 首から提げた懐中時計が時を刻む。

 

 その針が中天を示した瞬間――相手のミラーヘッドが凍り付いていた。

 

 加速に使うミラーヘッドも、ましてや分身に使うミラーヘッドも存在しない。

 

 完全なる無によって、《レヴォル》の機体各所に浮かんでいた蒼い残光が輝きを失っていく。

 

「……こいつがミラーヘッドエラー。ジェルの損耗まで考えながら戦うべきだったな、ルーキー。俺達が何の考えもなしにさっきからお前の至近距離でアステロイドジェネレーターを粉砕させてきたとでも思っていたのか? アステロイドジェネレーターの超至近距離での破壊は相手のミラーヘッドに干渉し、大きくその動力を損耗させる。悪ぃがこればっかりは経験の差だ。まぁ、この世に至って、ミラーヘッドがどうすりゃ減らせるのかなんて戦い方を知ってんは俺くらいなもんだろうがな」

 

『……ミラーヘッドエラー……』

 

「こいつを連行する。鹵獲しろとのお達しだったからな。《レヴォル》とやら……貰い受ける……」

 

 ミラーヘッドの尽きてしまった機体からは抵抗の気力さえも削がれているようであった。

 

 それも当然。

 

 ミラーヘッド頼みの機体ほどジェルの消耗率と機体としての戦闘力は直結している。

 

 ミラーヘッドを使わない戦いでも、少なからずジェルの損耗はあるのだ。

 

 それを相手は沸騰した頭で理解していなかっただけ。

 

『……俺、は……』

 

「随分とガキみてぇな声だが、声で判断するなってのは既に経験済みでね。おい、アステロイドジェネレーターをまずはダウンさせる。至近距離で銃弾撃ち込めば少しは大人しくなるだろ」

 

 動力部に向けて部下が実体弾を装填した銃口を据える。

 

 そのまま叩き据えてやると、さしもの強靭な機体とは言え、アステロイドジェネレーターが露出していた。

 

「……よし、そのまま動力炉を――」

 

 そこまで口にしかけたところで、不意打ち気味の熱源警告にクランチを含む隊列は習い性の神経で散開する。

 

「……増援か。思ったよりも早かったな」

 

 向かってくるのは違法改造らしき紫色の《マギア》に率いられた《マギア》連隊。

 

『クラードを……やらせねぇ!』

 

「また随分と若そうな声じゃねぇの。おい、相手してやれ。ガキにはお守りが必要だ」

 

 隊列からたった二機だけが対峙する《マギア》との交戦に入る。

 

「グローブ、分かってんな? こいつを持ち帰るぞ。艦を轟沈させろとの注文だったが、この機体相手に消耗し過ぎた。一気に目的を達成しろとは言われていねぇ。今は確保出来る分から確保していく。それで釣り銭くらいには――」

 

 なる、と声にしようとして、不意に《レヴォル》が可変して脇を固めていた《エクエス》の腕から逃れる。

 

 まさか、とクランチは絶句していた。

 

「……まだ動けるって? それは生き意地の汚いこって……」

 

『“コード、マヌエルを認証。《レヴォル》、制御リミッターを解除。第三術式を解放し、これよりレヴォル・インターセプト・リーディングによる自動迎撃に入る”』

 

「……何だ、この声は……。どう考えでも単座なのに、複座式だったってのか?」

 

 漏れ聞こえた男の声らしき音声の行方を看破する前に、こちらへと真っ直ぐに直進してくる《レヴォル》の殺気に、クランチは回避運動を取らせる。

 

「……さっきまでと動きが違う! ……マジに複座式なのか? その《レヴォル》ってヤツ、面白い……。面白ぇぞ! 《レヴォル》!」

 

『黙っていろ。俺と《レヴォル》が……お前らを駆逐する……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『クラード! こいつら……しつこくって離れやしねぇ! 大丈夫なのか……』

 

「何が」

 

 短く、それでいて的確に切り込む声音で応じる。

 

 真紅に染まった瞳は討つべき敵を見据えている。

 

『いや……だってお前……』

 

「うるさいよ、アルベルト。俺はこいつを墜とす。その後でいくらでも話は聞いてやる」

 

 制御リミッターを解放した《レヴォル》はミラーヘッドジェルの消耗なしで稼働しているが、この状態もタイムリミットが刻々と近づきつつある。

 

「……全ての制御系が動かなくなるまで三分間。……一機辺り、三十秒か。充分だな」

 

 視界の中に捉えた敵《エクエス》の中でうろたえた機体を発見し、ビームライフルを一射させる。

 

 一撃が食い込んだその機を逃さず、《レヴォル》を急旋回させて腕を現出させ、そのまま頭部を引っ掴んで近場のデブリへと衝突させていた。

 

 敵は爆ぜ、その光を照り受けている間も惜しいクラードは、そのまま急直下の敵影を睨み据え、機体をばらつかせて可変し様にヒートマチェットを抜刀。

 

 熱伝導を与えたヒートマチェットの赤い残光が焼き付く刹那には、《エクエス》を唐竹割りで両断している。

 

 速度を殺す間も惜しい。

 

 次の一手、と順応した視野の中に見出した敵を捉え、クラードは急加速を取らせた《レヴォル》の接続口から鋭く電磁が脳髄に突き立つのを感じつつ、標的が無茶苦茶に銃撃するのをいやに醒めた視界で克明に照準し、落ち着き払った一撃を見舞う。

 

 突き刺さった一撃を嚆矢として《レヴォル》の機首を立てて敵影へと突っ込んでいた。

 

 相手の装甲がじりじりと火花を上げて砕け散っていくのを振動で感じつつ、そのアイカメラにゼロ距離でのビームライフルを一射。そして二射目で動力炉を撃ち抜く。

 

 膨れ上がった爆発の予感に、機体の脚部を展開して相手を蹴り上げて距離を取り、その制動を利用しての交錯。

 

 近場に居た敵影へと腕のみを叩き上げ、ヒートマチェットで相手の頭部を撃ち据える。

 

「……浅い」

 

 ヒートマチェットの熱伝導が間に合わなかったのだろう。

 

 ただの鉄の塊で相手の頭蓋を打っただけでは有効打にならない。

 

「……いい。もうあいつは無理には追わない」

 

『おい……おい、クラード! マジに大丈夫なのか? 何だかさっきから、ヤバそうな気配が伝わって――』

 

「問題ない。エージェント、クラードは任務を遂行する」

 

 断じた論調にアルベルトが息を呑んだのが伝わっていた。

 

『……まさか、キレたのか、クラード……』

 

 その想定を浮かべさせるような時間さえも惜しい。

 

 直角に折れ曲がった機動を描きつつ、《レヴォル》は次の獲物へと飛びかかる。

 

 しかし、標的に据えたはずの《エクエス》はしぶとく、それでいて的確な応戦を行ってこちらの銃撃網を回避し、すれ違いざまの一撃でさえもビームライフルを犠牲にして制する。

 

 舌打ちを滲ませつつ、《レヴォル》の腕がビームライフルをへし折っていた。

 

「目標を捕捉。このまま、エージェント、クラードは敵影の瞬時撃滅を行い――戦闘状況を脱する」

 

『……クソがァッ! てめぇも似たようなもんじゃねぇか! 俺と同じ、殺すと決めりゃ迷う事なんてありゃしねぇ!』

 

「……俺は貴様とは違う」

 

 言い捨てて隊長機へと猪突しようとしたクラードは相手の応戦の気配を悟り、ビームライフルの銃身の陰に隠していたサーベルの一閃を予見して回避運動を取る。

 

 だがそれは思わぬロスであった。

 

「……残り概算時間、四十秒。一機しか墜とせないな。なら……隊長機をいただく」

 

『“コード、マヌエルを実行中。リミッターの順次開放による内部フレームへの亀裂発生。空中分解まで、残り一分”』

 

「二十秒も余る。なら、持ち堪えられるじゃないか」

 

 その喜悦に、クラードは静かに笑みを刻む。

 

 空中分解まで二十秒あれば、その猶予の分だけ敵を殲滅出来る。

 

 旋回をかけさせ、クラードは隊長機を狙い澄ます。

 

 いくつかの光条がこちらを撃ち据えようとしたが、どれもこれも最初のほうのような落ち着きは持っていない。

 

 最早、狩られる側なのはあちらだ。

 

 ぎり、と奥歯を軋ませ、クラードは重加速をかけさせる。

 

「このまま……速度に任せて敵と交錯。瞬間的に首を刈る。それと同時にコックピットに一撃。そうすれば、さすがに生きている道理はないだろう」

 

 頭と心臓を撃ち抜かれて生きている生き物は居ない。居るとすれば、それは亡者だけだ。

 

 墜とすと決めた神経が敵機へと無数に照準器を狙い澄ます。

 

 それぞれがクリアしていく前に、トリガーを引き、牽制のビームライフルを撃ってから、本懐たるヒートマチェットを《レヴォル》に握らせていた。

 

「可変時のモーメントを計測……、承認。敵機へと肉薄後に、可変機構を受諾。コード、マヌエルの制限時間は残り二十八秒以内。まだ……間に合う」

 

 これほどの喜びはない。

 

 敵を撃墜するのにまだ二十八秒もある。

 

 もし、その後に《レヴォル》がどれほどの痛手を負おうとも、自分ならば敵陣を撃退させ、そして撤退まで追い込めると言う確固たる自信。

 

 迫った敵影を睥睨し、クラードは奥歯を噛み締めた直後には、敵前の急旋回で首を刈る腹積もりでいた。

 

 如何に敵が優れたパイロット、ひいてはライドマトリクサーであろうとも、この射程は逃れられない。

 

『チクショウっ! 何なんだ、てめぇは!』

 

「――《レヴォル》だ」

 

 短く応じ、その刹那には敵の頭部を刈り取っている。

 

 浮いた相手が僅かにうろたえた。

 

 それは頭部を失ったがゆえに生じる隙。

 

 そして、サブカメラに持ち直すまでに生まれる好機。

 

《レヴォル》がスタンディングモードに可変する際に手足を稼働させる衝撃波で敵機を好位置へと誘い出す。

 

「ここだ。相手のコックピットが目の前にある」

 

 何と言う僥倖。

 

 これならばレイコンマの世界でも通用する。

 

 抜き放ったヒートマチェットは捨てていた。

 

 わざと武装を捨てる事で生まれる制動の感覚。

 

 それでようやく一秒。

 

 手を掌底の形に込めるまでが二秒。

 

 粒子束が加速し、敵機のコックピットを狙い澄ますまでが――ここでようやく三秒。

 

『ぐぅ……っ! こいつ……!』

 

「終わりだ」

 

 冷酷に終わりだけを告げて、このまま撃墜。

 

 簡単な判断だ。

 

 どこにも無駄を差し挟む余裕はない。

 

 しかし、この時――思わぬ攻勢であったのは、友軍機からもたらされたフレンドリーファイアだった。

 

「な、に……」

 

 思わず呆然とする。

 

 意識が抜ける。

 

《レヴォル》に込められていた全ての感覚が霧散する。

 

 視界の中に大写しになったのは、アルベルトの駆る《マギアハーモニクス》がこちらへと真っ直ぐに銃口を向けている光景であった。

 

「な、にを……」

 

『クラード! 歯ぁ、食いしばれぇ……っ!』

 

 続けざまにもう一撃。

 

 間違いや冗談ではない。

 

 アルベルトが自分相手に――撃ってきた。

 

 それが何であろうと、どのような理由であろうと――時に正当であろうとも。

 

 今の自分の、冷静なはずの自分の、沸騰したような本能では、いやに醒めた視界の中では。

 

 ――それは敵以外の何者でもない。

 

 まるで手負いの獣が最期の力を振り絞るかの如く、あるいは引き絞られた弓には最早止める術がないかのように。

 

 自分と《レヴォル》は流星のように《マギアハーモニクス》へと矛先を向けていた。

 

 もう間に合わない。

 

 どれほど時間を、事態を、策を、猶予を、要しようとも、最早間に合わぬ領域。

 

 粒子束を掌の中心部に据えた掌底が冷徹に、《マギアハーモニクス》へと振るい落とされる。

 

 そこの慈悲や、あるいは余分な考えは一切ない。

 

 削ぎ落とされた全てを。

 

 削り切られた、理性を。

 

 欠け落ちた、冷静さを。

 

 取り戻す余裕なんてものはない。

 

 このまま、力任せに《マギアハーモニクス》を引き裂き、そのコックピットを抉り出して、そして握り潰す――。

 

 そうとしか最早規定出来ない本能が疾走し、アルベルトの機体が大写しになった瞬間――。

 

 それは誰の判断であったのだろうか。

 

 あるいは、誰の声であったのだろうか。

 

 ――ころさないで!

 

 幼い声が弾け、クラードは咄嗟に。本当に擦り切れる間際で、ハッと意識を取り戻す。

 

「お、れ、は……」

 

 その声が脳内でスパークし、そして直後にはアルベルトの操る《マギアハーモニクス》の細腕と、《レヴォル》の腕がもつれ合い、そのまま火花を散らしてお互いの頭部へと突き刺さっていた。

 

 交差した打撃――クロスカウンター。

 

 互いの拳が互いの機体に大きくめり込み、そうしてそのまま突き飛ばされたところで、クラードは《レヴォル》の発する警告とそして機体損耗率限界のアラートを聞いていた。

 

「……俺は、何を……」

 

『クラード……。目ぇ、醒ましたか……』

 

 頭部を粉砕された《マギアハーモニクス》が宙域を漂う。

 

 クラードは今の一瞬、確かに、アルベルトの拳が自分の頬を打ち据えたのを感じ取っていた。

 

「……俺に、拳……」

 

 つぅ、と滴り落ちる熱いものを感じ取る。

 

 鼻血がテーブルモニターに落ちているのは恐らく、極限まで自我を引き絞った結果であろう。

 

《レヴォル》に呑まれるのを覚悟で自分と言う存在を消し去ってでも、敵を葬り去ろうとした覚悟。

 

 それが今、鼻の内側の血管を焼き切って、滴り落ちている。

 

「俺は……何をしていたんだ……」

 

 ――否、そのような問いは断じて否であろう。

 

 全て分かっていた。了承の上で敵を蹂躙し、そして《レヴォル》が空中分解しようとも敵陣を引き裂くつもりであった。

 

 ――アルベルトの一撃さえなければ。

 

「……アルベルト、何で俺を撃った……」

 

『んなの、今さら答えるようなもんか?』

 

 ある意味では軽口も叩ける立場ではないだろうに。

 

 自分は彼を一度払い除けた。

 

 一度として仲間だと思った事はないと、そう断じた。

 

 だが、結果としてはどうだ。

 

 彼の一撃がなければ自分はともすれば、もっと大事なものを取りこぼしていたかもしれない。

 

 敵の《エクエス》部隊が撤退軌道に入っていく。

 

 最早、戦闘継続出来る猶予は残されてないのは間違いなかったが、失ったものも大きい。

 

「……俺は、自分と言う自我をまだ……使いこなせていないのか……」

 

 こんな簡単に怒りに身を任せるような人間だったか、と考えてそれこそ冗談と一蹴出来る。

 

 怒りも、他の感情も何もかも、全て排したエージェントであったはずだろう、自分は。

 

「……なのに何で……何でアルベルトの拳がこんなに……重く効いて来るんだよ……」

 

 ただの改修型《マギア》の拳だ。

 

 自分と《レヴォル》の扱う力に比べれば児戯にも等しい。

 

 だと言うのに、何故か。

 

 今はその黒点のように浮かんだ疑問符が、黒々と渦を巻いて胸中を占めて行った。

 

 



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第53話「答えは彷徨う」

「話に聞いてねぇぞ、あんなの!」

 

 通信網に怒鳴りつけたクランチへと、生き残ったらしいグローブが返答する。

 

『これでも上々だろう……。あんな機体、滅茶苦茶だ』

 

「分かってんよ、んな事は! ……してやられたってわけかい、おセンチにも!」

 

 網を仕掛け、狩りを催した側が逆に駆られる立場になったなど笑えない。

 

 クランチは操縦桿を殴りつけてから、深呼吸一つで元の自分へと返っていた。

 

 こういう時に戦場を渡り歩いてきた感覚が冴える。

 

 少しでも冷静に、それでいて現状を的確に捉える能力。

 

「……何機やられた?」

 

『おおよそ四機……ほぼほぼ全滅です』

 

 言われるまでのない事実だ。

 

 残ったのはグローブと自分と、そしてもう一機の部下だけ。

 

 それも幸運だろう。

 

「……あんなもんと戦えなんて、なかなかに言ってくれるぜ、今回の雇い主はよ」

 

『ミラーヘッドエラーまで追い込んだのに、まさかあんなに執念深く追ってくるなんて……』

 

「ブルってんな、グローブ。今はビビったほうが負けちまう局面だった」

 

 落ち着きを取り戻したクランチは電子タバコを吸い上げてから、一呼吸つく。

 

「……やられた条件は分かる。だが……あいつは複座のMSだったのか? それじゃ情報筋との意見が合わねぇ」

 

『途中までは単座の動きだった。……だが最後の三分間だけ、まるで別物に……』

 

「ああ、俺も読めていたさ。ミラーヘッドをぶっ潰すまではな。そこから先に食い下がってくるなんて、なかなかに……」

 

 そこで言葉を切ったクランチは、恐怖であった戦場から生還した神経が呼び寄せた感情を手繰る。

 

 これは「喜悦」だ。

 

 口角を釣り上げて喉の奥からひっひっと笑う自分に、グローブからの通信が入る。

 

『どうしたんだ……? さすがのクランチ・ディズルでも、あれには恐れを……』

 

「いや、失敬。……まぁそろそろ、フツーのつまんねぇ相手とやり合うのはもううんざりだって思っていたところなんだ。あいつ……《レヴォル》……それに通信越しに聞こえてきたな? ……クラード、か。覚えておくぜ、その名前。次に会う時には、どっちかの命は、ねぇだろうがな」

 

 自分へと雪辱を塗った相手であり、同時に自分へと――これ以上のない戦場の愉悦を感じさせた相手でもある。

 

 こんな気持ちは久しぶりだ。

 

 最初に戦場に出た時に感じた昂揚と、そして不安、絶望、地獄への葬送――全てがない交ぜになりつつも、それでも意識だけが下手に鋭敏化していた、あの頃と同じ感覚である。

 

「……忘れていた感覚だ。久しぶりにマジになれそうな獲物なら、打ってつけだぜ。俺を本気にさせてくれよ、《レヴォル》とやらよぉ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 医務室に運び込まれたのはアルベルトのほうが先で、当たり前と言えば当たり前であった。

 

《レヴォル》と真正面からぶつかり合って、それでメインカメラだけの損耗で済んだのは充分に幸運である。

 

 それをヴィルヘルムから懇々と言い聞かされるのだろうと考えていたアルベルトは、彼の最初に口火を切った言葉に、遅まきながら仰天する。

 

「……生きて帰るとは思わなかったがね」

 

 暫し、呆然とヴィルヘルムと視線を合わせていたが、やがて向こうのほうが耐えられなくなったのかぷっと吹き出す。

 

「……笑わないでくださいよ……」

 

「いいや、すまないね。まさかクラードと真正面から殴り合おうなんて、そんな人間がこの世に居るなんて思わなかった」

 

「それ、暗に馬鹿だって言っています?」

 

「いいや、とても勇敢だったと言っている」

 

「……それは馬鹿って意味でしょうに」

 

「向こう見ずではあっただろう。しかし、いい薬にはなったはずだ。お互いにね」

 

「処方箋にしては、高くつき過ぎっすよ。《マギアハーモニクス》の首から上が吹っ飛んだ」

 

「《レヴォル》の凝縮された砲撃を真正面から受けたんだ。軽症だよ。フロイト艦長風に言えば、不幸中の幸い、と言う奴だな」

 

 ヴィルヘルムはどこか面白そうに自分を眺めている。その好奇の視線に耐えられなくなって、アルベルトは身を起こしていた。

 

「……あの、別にオレは軽症なんで。診察とか要らないっすよ」

 

「いや、そうもいかない。《レヴォル》と組み合って生きているなんて貴重だ。……分かってはいるのだろう? あの状態のクラードだ。君は死んでいた」

 

 そう完全に断言されてしまえばそこまでで、アルベルトは沈痛に顔を伏せていた。

 

「……でも呼び戻したかったんだ。それじゃ駄目なのかよ……」

 

 ぎゅっと拳を握り締める。

 

 この手を滑り落ちていくような代物であろうとも、自分はクラードを――羅刹の域に到達させたくなかった。

 

 それはただのエゴであろうか。

 

「いいや、それは正常な人間のそれだとも」

 

 心の内を読まれた気がして、アルベルトはハッと顔を上げる。

 

 ヴィルヘルムは真面目な顔のまま、淡々と声にする。

 

「君はあの状態のクラードを恐れないのだね」

 

「……恐れないって言うか、単純に、っすよ。オレがビクつくと、もう誰も……その、クラードの理解者って居なくなっちまうと思ってるんです。オレが少しでも腰が引けりゃ、《レヴォル》に喰われていたでしょうし」

 

「分かっているじゃないか。君は君が思っているよりもずっと客観視出来ている。いい傾向だ」

 

「そうです、かね……。結局んところオレ、クラードをどうこうしたいって思いつつも、ほとんど何も出来ちゃいねぇ……」

 

「そうでもないんじゃないか? クラードをこちら側に留めているのはきっと、君や期待の新人のような、そういった普通の人間のそれだろう。クラードはいつだって、スイッチを切り替えるように容易く、これまでの価値観や倫理観を捨て去って行動出来る。そういう風に我々が、育成してしまった。そういう魔なのだよ。だが君達のお陰か、未だにクラードは《レヴォル》と共に彼岸に行かないで済んでいる。それはありがたいはずだ」

 

「……そう、なんでしょうか。オレはクラードの、邪魔をしているんじゃ……」

 

「安心するといい。わたしもあの状態のクラードは見たくない」

 

 思いも寄らぬ、とはまさにこの事で、呆然としているとヴィルヘルムはこちらの瞳孔反射を確かめる。

 

「でもその……クラードはあんたらの……エンデュランス・フラクタルのエージェントで……」

 

「それが全てだとは限らないと言うわけさ。彼にだって、居場所があって然るべきだ。だがクラードはもう自分に居場所は要らないと思っている。そういう節がある事はわたしも理解しているつもりだ。しかし、わたしにクラードの足を止める言葉を吐く資格はなくってね。それはわたしの原罪なんだ」

 

 胸の内を吐露するように口にしたヴィルヘルムに、アルベルトは当惑する。

 

「……オレだって、分かんないっすよ」

 

「君達だけなのかもしれない。クラードをまだ、人間の域に留められるのは。わたしは彼の足を止められない。その背中は押せても、手を引くような人間らしい事はもう出来ない」

 

「……ヴィルヘルムさんは……あんたはクラードの事をずっとよく知っているみたいだ」

 

「まぁね。彼が名前を捨て、エンデュランス・フラクタルのエージェント、クラードになった時からずっと知っている。もう古株さ。フロイト艦長と似たようなものかな」

 

「……そういや、艦長の事、クラードは気安く呼んで……」

 

「まぁそこから先は言えない。機密事項だし、何よりもプライバシーなものでね」

 

「……ズルいっすよ、あんた」

 

 微笑み交じりに言ってやると、ヴィルヘルムは嘆息をつく。

 

「悪いが、ズルい大人の立ち位置に居るのがわたしのような人間なんだ」

 

 ヴィルヘルムは問診を終え、自分の体調を確かめる。

 

「よし、異常はない。頑丈な身体が幸いしたね。……状態が悪ければ、君とてただでは済まなかった。殺されていたぞ」

 

 その言葉の重みに、アルベルトは自分の掌を開いたり閉じたりする。

 

 その手の甲から腕の側まで伸びているのは、クラードと同じ紋様でありながら、彼とはまるで違う、ただの真似事の代物。

 

「……駄目だな、オレは。クラードの、あいつの重荷を肩代わりするような事、出来ねぇ」

 

「そんな事はクラードも望んじゃいない。ただ、君らにはもしもの時、あいつの手を取って、ギリギリのところで踏みとどまってやって欲しい。そうすればきっと、クラードは後悔なく、生きていける」

 

「……だから、その言い分が、ズルいんですってば」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ズルい、か。それは俺も同じだな」

 

 ヴィルヘルムの下を訪れようとして、アルベルトとの会話を盗み聞きしてしまったのは自分でも想定外の出来事であった。

 

 ――もしもの時に自分を踏みとどまらせるもの。

 

 それがアルベルトだとでも言うのか。

 

「……俺は、でも踏み越えないといけない。そうじゃないと弱いままだ」

 

「あっ……クラードさん。先の戦闘、大丈夫なんですか?」

 

 角を折れたところで書類を抱えたカトリナと遭遇し、大仰にため息をつく。

 

「な、何ですかぁ……。そんな分かりやすくため息をつかなくってもぉ……」

 

「いや、あんたが俺を踏みとどまらせるなんて、それこそ妄言だって思ってな」

 

「……どういう……」

 

「いい、忘れてくれ。……って言ったって忘れないんだろうな。《レヴォル》と違って人間は面倒だ」

 

「……あのっ! その事でお話が!」

 

「……何。いちいち声デカいよ、あんた」

 

「クラードさんは……レヴォルの意志……専用アイリウムであるレヴォルインターセプトを信じているんですよね?」

 

「分かり切った事聞かないで。俺が信じているのは《レヴォル》だけだ」

 

「だったら! ……アルベルトさんも、信じられませんか?」

 

「……何でここでアルベルトの名前が出て来るんだよ」

 

「だって! あんなに真正面に出て……! 《レヴォル》と対峙したんですよ! 怖いに決まっています……!」

 

「だから何。アルベルトに《レヴォル》は怖くないとでも言えって?」

 

「い、いえ……そうじゃなくって……。クラードさん、この艦に来てからわざとアルベルトさん達と距離を取っていません? それってその……よくないんじゃ……」

 

「俺の勝手だろ。第一、アルベルト達が生き残ったのは単純に連中の強運だよ。俺のお陰とかじゃない」

 

「で、でも……っ、アルベルトさんはそうは思っていないから、出たんじゃないんですか?」

 

 自分がリミッターを外しても、ほとんど暴走状態で敵に立ち向かっても、か。

 

 クラードはとことん、と嘆息をついていた。

 

「じゃあ馬鹿なんだ。アルベルトもあんたも」

 

「ば……馬鹿とは何ですかっ! ……って、えっ? 私とアルベルトさんも?」

 

「……いい。喋り過ぎた。あんたは委任担当官の仕事をやりなよ。俺は《レヴォル》と話してくる。今の戦闘、かなりの損耗があったはずだ」

 

「そ、それはクラードさんだって! ……大丈夫、なんですよね?」

 

「だから何が。要領を得ない質問はやめてくれ」

 

「……いえ、その……。前回のコロニーの時から、ちょっと焦っているみたいに見えたんで……」

 

「焦っている? 俺が?」

 

「違うんですか? あの……メイア・メイリスさんに《レヴォル》が使われたから、ですよね?」

 

「……そんな事はない」

 

「嘘……。クラードさん、嘘ついています……」

 

「嘘なんて言ったってどうしようもない」

 

「でも……! だったら何で……そんなに辛そうな顔をしているんですか?」

 

 その段になってクラードは己の顔に手を添わせる。

 

「……俺が、辛そうだって?」

 

「……心の奥底じゃ、アルベルトさんの事、何か思うところはあるんじゃないんですか? それに、ピアーナさんや他の方との交流でその……クラードさん自身も変わったところがあるんじゃ?」

 

「俺が、変わった? ……そんな事はない。俺はエージェント、クラードのままだ。エンデュランス・フラクタルの、特級エージェント。他の誰にも、この身分だけは冒されない……」

 

「そうじゃなくって! ……クラードさん、変ですよ。何に耐えているんですか? 不安な事があれば、言ってください。何のための、委任担当官だと思っているんですか……。それは私の仕事なんですっ!」

 

「……あんたに言えば解決するとも思えない」

 

「でも……言ってくれないと分からないじゃないですか」

 

「……言ったってどうしようもない」

 

「それでも……っ! 私は言ってくれたほうがいいんですよぉ!」

 

 カトリナは書類を抱えたまま、踵を返して行ってしまう。

 

 その背中を眺めつつ、クラードは自身の掌に視線を落とす。

 

「……破壊者の手のはずだろう、クラード。お前はずっとそうだった。これからもそうだ。壊す事しか出来ない」

 

 そうだと規定して、これまで生きてきた。

 

 きっとこれからも同じのはず。

 

 その通りだと、今は肯定してくれるような単純存在が欲しいのに、どうしてなのだか、足は艦長室に向いていた。

 

「……馬鹿だな。あの新入社員に言われた事、気にしてるのか?」

 

 ノックの後にレミアの待つ艦長室に入る。

 

 レミアは書類仕事を整えながら、こちらの言葉を待っているようであった。

 

「……何か言いたいんでしょう? 何? カトリナさんを更迭でもする? それとも、アルベルト君を降ろす?」

 

「……俺が言いそうな事はもう分かっているんじゃないか」

 

「何年の仲だと思っているのよ。あなたの言いそうな事くらい、こっちだって予測が立つわ」

 

「……じゃあ一個だけ。レミア、俺は変わったか?」

 

 レミアがキータイピングの手を止める。山積した書類の山からこちらへと視線を移し、レミアは自分を真っ直ぐに見据える。

 

「……今のは予想出来なかったわね」

 

「ヴィルヘルムに聞いたところで、あいつは煙に巻くだけだ。だから教えて欲しい。俺にとっての正しさとは何だ? 何だってこんなに……どうでもいい事で気が削がれる? さっきの戦闘で俺は勝っていた。敵の戦力を奪い、あのままなら隊長機を墜とせていたはずだ。だって言うのに……余計な感傷がそれを邪魔する。あの時の俺が正しくなかったかのように、周りが言い出す」

 

「カトリナさんとアルベルト君に何か言われたの? それともあなた自身が考え込んでの言葉だと思っていいのかしら」

 

「……答えなんて分かっているんだろう。何年の付き合いだと思っている」

 

「そうね。カトリナさんは見ていて危なっかしいわ。彼女が新卒だとか、仕事を覚えたてだとか関係なく。無鉄砲に何でも首を突っ込んで、それでいて全部に全力だから、自分まで傷ついてしまう。本来なら、そこで人間は線を引いて、自分だけは傷つかないようにするのが正解なのに、彼女はそうじゃない。自分が傷ついてでもいい、誰かが不幸になるのを見ていられない。それはアルベルト君だってそう。《レヴォル》に乗ったあなたの前に出るなんて、それは死ぬのと同義よ。それくらい分かっているはずなんだけれどね。……でも彼は出て結果的にあなたは彼を殺さなかった」

 

「……俺が躊躇っているとでも? 弱くなっているとでも言うのか?」

 

「……その答え、私が出せば多分陳腐に落ちる。だから、クラード。これは長年の友人としての忠告よ。そればっかりは、あなたが考えなさい。そうして苦しんで苦しんで、悩み抜いた答え一つがきっと、あなたを土壇場の、最後の最後で救ってくれるはず。昔馴染みに言えるのはその程度ね」

 

「俺自身の、納得の行く答えってわけか」

 

「納得なんて行かなくってもいいのよ。何の変哲もない、それこそどうだっていい答えが、あなたにとっては大事なのかもしれないし」

 

「すまない、レミア。俺はあんたの仕事を邪魔した」

 

「いいのよ、別に。この艦ではあなたとヴィルヘルム先生くらいでしょう。それにバーミットも少しは、かしら。かつての事を話したがらないのは、ね。でも、どうあったって私はあなたを信じている。それはあなたがエージェント、クラードだから。あなたと《レヴォル》がエンデュランス・フラクタルの切り札。それは揺るぎようがない」

 

「戦って勝てとは、言わないんだな」

 

「それは友人として、言えないわよ。今のあなたの事を思ってね」

 

 レミアも自分の中に答えを探せと言う。

 

 だが、それでももし――。

 

「答えなんてなかったら、その時はどうすればいい……?」

 

「その時は、答えがないと言う名の答えを、自分の中に投げるのが正解でしょうね」

 

 



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第54話「囚われの呪い」

 面白い素性だな、と口火を切った上官に、グラッゼは応じる。

 

「外人部隊の鏡像殺し……それなりに聞き及んでおります」

 

「どことも知れぬ戦場に赴き、そして戦果だけをむしり取って去っていく。ハイエナだよ、まさに、ね」

 

「私はですが、そのような生き方もあって然るべきだと思います」

 

「識者の理論の正反対ではないのか?」

 

「何も識者の理論がこの世の正答とも言えますまい。それに、鏡像殺し、クランチ・ディズルと言えば、フリーの傭兵身分であった頃はよく耳にしておりました。その戦果も」

 

「どういう風に聞いていた?」

 

「……絶対に遭遇するな。遭遇すれば逃げろ、とまで」

 

 こちらの言葉に上官は心底可笑しそうに笑い声を上げる。

 

「諌言痛み入るとはまさにこの事だな。黒い旋風に背中を見せろとまで教えた君の上官の人柄の良さが滲む! ……だがそこまで言わせるほどだ。偽物と言うわけでもないのだろう」

 

「恐らくは。ですが、不明瞭な事が多い。何故、クランチ・ディズルはこの戦場に現れ、そして明らかに《レヴォル》とクラード君を狙っていたのか。それは我が方の情報漏えいの心配になり得る」

 

「トライアウトジェネシスが心配かね?」

 

「心配と言うよりもなっていないと言ったほうが正しいでしょう。仮にも軍属、仮にも軍警察。信頼が置けないのならば私としても困る」

 

「困る、か……。だがね、大尉、我々とて万能ではない。全てを見通す万能の眼でもあれば別の話だが、ダレトが開いてからもそのような代物は開発されなかった。ひとえにどの陣営も旨味がないからだ。勘繰られて痛い腹を持っているのはお互い様。そんな状況で千里眼など」

 

「ディズルを雇った陣営に心当たりがないと仰っているように聞こえます」

 

「実際にそうなのだから始末に負えない。外人部隊と言うのは読みづらい上に、これだからどうしようもないのだ。……しかし、同じように不穏な動きをしてみせた陣営ならば一つだけ。存在しているな」

 

「……親衛隊。先のシュルツ襲撃も、そして《プロトエクエス》に関しても親衛隊の息がかかった兵士ならばどことなく頷ける……。ですが、それは藪蛇と言うもの。我々が関知すれば、大きく情勢が異なってくる」

 

「そこだよ、大尉。畢竟、わたし達としても困り事でしかないのだ。シュルツに関してはトライアウトネメシスに大きな借りとなったところがあるが、《プロトエクエス》の先行、そして今回のクランチ・ディズルの雇い主が親衛隊身分の人間から、となれば話は変わってくる」

 

「……よいのですか。地球圏に居を構える一級民族の懐を探る事となり得ます」

 

「わたしの心配はいい。君は君だけの心配をするといい。《プロトエクエス》のパイロットに顔が割れていないとも限らない。一番に自分の保身から逆算すべきだ」

 

「失礼ながら。私は自分の身柄の安全よりも組織としての動きの自浄作用を考える性質でして。トライアウトが親衛隊の私兵と化しているのならば、それは止めなければいけません」

 

「……君は正義感が溢れる。よい兵だが、あまり首を突っ込み過ぎれば仇となる。シェイムレスの二の舞だ。彼は《レヴォル》を追うあまり妄執の徒と化したが、君までそうなる立場ではないと言っている」

 

「……下手に首を突っ込めば、手痛いしっぺ返しが待っていると……」

 

「言葉にすべきではないだろう。君は戦いにおいては長けているが、政の領域に関しては素人だ。ゆえにこそ、わたしは君にこれ以上の進路を勧めない」

 

「感謝します。しかし、どこかの戦場で相対しないとも限りません。クランチ・ディズル氏の詳細なデータを。それと、前回、クロックワークス社で手に入れたミラーヘッドログの参照はどうなっていますか」

 

 上官は執務椅子に深く腰掛け、重々しく頭を振る。

 

「……前代未聞、とでも言えばいいのだろうか。先ほど千里眼はないと言っておきながら、実のところある一定領域では存在する」

 

「ミラーヘッドログ。それはどの陣営にも属さない統合機構軍の中でも秘中の秘たるクロックワークス社の所有物。あの企業はそれだけで成り上がって来たに等しい」

 

「だが君の持ち帰ってきた情報は有用であった。まさかクロックワーク社のログにも残らない……本物の怪物だとはな。《レヴォル》とやらは」

 

「ある程度の試算は付いていたのでは? そうでなければクロックワークス社にこのタイミングでの内偵など命じられないでしょう」

 

「……食えんな、君は。しかし、わたしの立場で言うのならば、あくまでも確認であった、と言うしかない。《レヴォル》とやらは本当に世界を欺くだけの能力を保持しているのか、と言う確認だ」

 

「……世界を欺く……叛逆の機体とは」

 

「あれの真骨頂がミラーヘッドログの改ざん……あるいは無効化にあるのだとすれば、逸るものではないが……。エンデュランス・フラクタルは稀代の発明をした事になる。第四種殲滅戦の常識が塗り替わるぞ」

 

「いわば歴史の目撃者……。第四種殲滅戦において、あれが無敵の性能を誇るに足るのは、単にスペックだけではなく……」

 

 そこから赴く先を、上官はあえて濁していた。

 

「下手を噛まされて陰謀に呑まれるのは単に意義がない。グラッゼ・リヨン大尉。これに関しては秘匿任務とする」

 

 それはその通りであろう。

 

 これ以上踏み込むのならば、覚悟と意地だけではどうしようもない。

 

 世界の裏側を暴くに足る、資質が必要になってくる。

 

「ですが、まさかエンデュランス・フラクタル……そこまでやってのけるとは思いも寄らない……」

 

「あるいは、件のガンダムとは、最初からそのような想定をして設計された可能性もある」

 

「……常態化した世界を欺き、ミラーヘッドの戦場を変えるだけの機体ですか。……なるほど、まさに叛逆(《レヴォル》)だ」

 

「大尉。これより《レヴォル》と戦闘艦、ベアトリーチェへと継続しての調査任務を与える。言っておくが、ここまで潜っておいて今さら拒否権があるとは思わないで欲しい。心苦しいが、君はもう自由な身分ではないのだ」

 

「……存じております。私も彼の背中を追ってここまで来た身、戻るべき場所があるとも思っておりません」

 

「……君が服従するタイプの部下で助かっている。かつての上官達も同じ心持ちだっただろうな」

 

「いい部下ではなかったはずです。勘繰りが過ぎる」

 

「それくらいで部下なんてちょうどいいさ。大尉、下がりたまえ」

 

「失礼します」

 

 挙手敬礼して退室した後、グラッゼはベンチに腰掛けた人影を認める。

 

「……シェイムレスの……。いや……ガヴィリア・ローゼンシュタイン准尉。こんなところで何を?」

 

「……貴様、グラッゼ・リヨン……! 大尉……か」

 

「それはカルテですか。何か嫌な数値でも?」

 

「……貴様……いいや、貴官には関係のない代物だ」

 

「しかし、あなたは直属ではないとは言え、部下に値します。聞く権利くらいはあるはず」

 

「……どこまでも、嘗め腐って……。いい、つまらん代物だ」

 

 差し出されたカルテは、ライドマトリクサー施術への同意書であった。

 

「……RM身体拡張を受けるので?」

 

「ガンダムに追いつくのにはそれしかあるまい。現状、分かっている……分かってはいるのだ! 私では最早……どう手を打ったところでトライアウトジェネシスでは足を引っ張るだけ……! ならば、自分の肉体の所有権くらい、自分で持っておきたい……。人情だ。貴官には無縁だろうが」

 

「いいえ、私も昔、身体改造施術の項目全てにチェックを入れた猛者を知っております」

 

 さすがにその返答は予想していなかったのか、ガヴィリアは呆然とする。

 

「そ、その者は……? どうなったのだ……?」

 

「……今も戦場に」

 

 それが件のガンダムのパイロットだとはさすがに言い出せまい。

 

 ガヴィリアは少しばかり驚嘆の面持ちの後に、そうかと憔悴した声を出す。

 

「准尉には合わないかと思います。やめておかれたほうがよろしい」

 

「……黙れ……! 私はあのガンダムに……! 何度も何度も! 煮え湯を飲まされて来たのだぞ……! このままでは終われん! これはローゼンシュタインの家督を引き継ぐ者の宿命でさえもある」

 

「宿命、ですか。しかし半端な覚悟で追えば喰われるのは分かっているはず。RM施術を受けたところで、待っているのが幸福とは限りません。あなたがよしんば……ライドマトリクサーとなって戦果を挙げたとしましょう。ではその時、隣に立って喜んでくれる人間が、残っているでしょうか?」

 

「それは……! ……手痛いところを突くな、貴官は」

 

「失礼。口さがが過ぎるとも言われておりますので」

 

「それはお節介とも言う。……私も悩んでいた。RM施術を受けてガンダムを討った後の事を……。その果てに、ローゼンシュタイン家としての幸運はあるのか。幸福はあるのか、と」

 

「施術前にはメンタルチェックも行われます。近年では、ですが。その時に抵触しかねません。やめておかれたほうが賢明です」

 

「……貴官は意外だな。私の事なんてどうでもいい……恥知らずなのだと思っているのだと」

 

「ガンダムと数度に渡る戦い、命知らずだとは思っておりますが、心の奥底で恥知らずだとは思っておりません」

 

「……そこが食えんのだよ、貴官は」

 

 しかし、とガヴィリアはカルテに視線を落とす。

 

「どうしろと言うのだ……。最早、ライドマトリクサーになる以外で、私が躍進を続ける術は残されていない……。いいや、残されていないようにしか見えない」

 

「視野が狭くなっておられる証拠。今は休息を取る事も大事です。何もRM施術のみが強くなる証ではありません」

 

「……そうだろうか。私の操縦技術では頭打ちだ。貴官のように《レグルス》があてがわれる頃には、もう戦場は終わっているだろう。その時……たとえトライアウトの一兵卒の身分であったとしても……そこに居座り続けるのは正しいのだろうか」

 

 これは意外、とグラッゼも認識を改める。

 

 恥知らずの噛み付き癖だと上から下から揶揄されればさすがに図太い神経も折れるか。

 

「……ローゼンシュタイン准尉。これはほんの昔話になるのですが、頭打ちに悩んでいたパイロットが一人居ました。彼はその時、《エクエス》で並み居る敵を薙ぎ倒しても何も感じられなくなっていた。実験兵としてミラーヘッドの戦線に駆り出されても同じ事。戦えば称賛される、勝てば激励を受ける。……ですが、彼の者の胸の内は想定外に冷たかった。何も、何もかもが、心に波風さえも引き起こさない。凪いだ心は自然と朽ちていくのみ、そうなのだと、思っていた時期があったのです」

 

「……貴官が……?」

 

「たとえ話です。その者はしかし、戦いの末にある美学に目覚めた。戦うのに何も考えず、ただ漫然と過ごすのは簡単ですが、それは何も生み出さない。ただの虚無であった事を知ったのです。そこから、戦いへの理性、そして己へと課す戒めを覚え始めた。自身を戦場へと駆り立てるのは、己自身の美学によるもの。彼は、もう孤独ではなかった。常に自身の傍にはその美学があった」

 

「……識者の理論、か。羨ましいな……。私は戦果を挙げたいとは思っていたが、何か……誰かと共に戦域を駆けたいとは、ついぞ思わなかった」

 

「だからこそ、忘れないでいただきたい。戦いは孤軍奮闘ではない。何かと共に在るのだという事を。あなたの胸にローゼンシュタイン家の矜持があるのならば、その矜持に従うべきだ。あなた自身がそれを忘れ、修羅に堕ちた時、あなたを救うのはただ一つの誇りでしょう」

 

「……ローゼンシュタイン家の家紋、か……。だが大尉、笑ってくれて構わないが、それは誇りではなく呪いだよ」

 

 力なく笑ったガヴィリアに、グラッゼは言い置く。

 

「……呪いで強くなれる者も居る。あなたは見定めなければいけません。それが呪いなのか、それとも誇りなのかを」

 

 それだけを言い留めて、グラッゼは立ち去っていく。

 

 ライドマトリクサーになると言うのならば下手に止めはしない。

 

 だが向いていないとは思っただけだ。

 

「……クラード君と同じになっても……貴官が勝てるとはまるで思えないのでね。悪いが、彼と死合うのは私の特権だ。……これもエゴだと、笑ってくれて構わんが」

 

 ただ純粋に、とほくそ笑む。

 

「いや、これは呪いだな」

 

 



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第55話「世界を俯瞰する」

 

「……それにしたって、また掃除仕事なんて……馬鹿にされてるのかな? 入りますよぉー……って、ピアーナさん?」

 

 嘆息交じりにモップを片手に入った無人のはずの部屋で、ピアーナは本をうず高く積み上げてページを捲っている。

 

「カトリナ様、こんな場所で何を?」

 

「それはこっちのセリフですよ……。ここって空き倉庫ですよね? 書類資料が山積しているからって、仕事をもらったんですけれど……あれ? 服変えました?」

 

「お気づきになられましたか。さすがはカトリナ様ですね」

 

 くるりと一回転して見せたピアーナの服飾は以前に見ただぼだぼの服装ではなく、きっちりとその身体に見合っていた。

 

 銀色に近い生地に水色のラインが走っており、首には鈴の付いた赤いチョーカーが巻かれている。

 

「ポートホームで頼んだんです? でも、エンデュランス・フラクタルの制服に、だいぶ似ていますけれど……」

 

「特注品です。エンデュランス・フラクタルの既製品の制服に、わたくし独自のカスタムを施しました。首筋にあるチョーカー型のコネクターより、わたくしのイメージを抽出、リアルタイムで服の色調を変えられます。当然、サイズも自由自在」

 

 ピアーナがうなじを見せる。その陶器めいた白い首筋より覗いたチョーカーの機械的な意匠は襟首に接続され、瞬時にその服を変位させていた。

 

「うわっ……ラジアルさんの服とおんなじデザイン……」

 

「他にも出来ますよ? エンデュランス・フラクタルの広報情報は全て入っていますので、何でも着こなせます」

 

 胸を反らせてどうだとばかりに言ってのけたピアーナのファッションセンスは、何十年も宙域を漂っていたとは思えない先鋭さだ。

 

 次々に移り変わらせて、さながらファッションリーダーの佇まいでポーズさえも取って見せるが、如何せん、彼女本人は少女の姿かたちなので、脳裏を過ったのは「ちんちくりん」と言う感想であったのは我ながら少し手酷いか。

 

「……ピアーナさん、もしかして服飾のお仕事に適性があったんじゃ?」

 

 なんて、と半分冗談めかして言おうとして、彼女はまぁ、と紅潮した頬を掻く。

 

「……旧地球連邦に全身RMとして徴用される前には、そんな夢を見た事もありましたね」

 

 そうだ、彼女は望まずして全身RM施術を受け、そして実験動物相当の扱いを受けた。

 

 思わぬところで傷を抉ってしまったのではないか、と懸念を浮かべかけてピアーナはこちらの持つ掃除用具へと視線を向けていた。

 

「お掃除の仕事ですか。カトリナ様ほどのお方ならば、そんなものを跳ね飛ばしてしまえばよろしいのに」

 

「……そうはいかないんですよ。前回の戦闘でダイキが……知り合いがトライアウトに居るって言うんで、色々と込み入っちゃって……懲罰は免れたんですけれど、その代わりメカニックの手足には少しくらいはなってもらうって……レミア艦長はおかんむりで」

 

「ああ、ダイキ・クラビア。貴女の幼馴染との事でしたね」

 

「……何でそれを……」

 

 尋ねる愚を犯したがそれもある意味では当然。

 

 ピアーナはこのベアトリーチェの電子光学技師として情報を手繰っているというのならば、自分の「やらかし」の一つや二つは耳に入っているはずだ。

 

「カトリナ様。わたくしはレミア・フロイト艦長の方針に反対意見を述べるわけではございませんが、それは意外というもの」

 

「……私だって意外ですよ。高校時代から会っていないですから。幼馴染って言ったって、家がちょっと近かっただけで」

 

「家、ですか。カトリナ様のご家庭はさぞ高貴なご身分なのでしょう?」

 

「いえ、普通の一般家庭で。あ、でもただ、おじいちゃんだけは何だか、そんな中でも特別っぽかったなぁってのは覚えていますけれど」

 

「カトリナ様の祖父、ですか。お嫌いでしたのでしょうか?」

 

「とんでもない! 私ってばおじいちゃんっ子で、よく抱っこだとか色々ねだったなぁって……思い出しちゃいますね。ピアーナさんは、ご家族は?」

 

「……わたくしの家庭も言ってしまえば普通ですよ。ただ……父親はデザイナーでした。こうして、服なんかを見繕ったりするのに長けていて」

 

「じゃあ、生粋のデザイナー気質ってわけじゃないですか! どうりですごいわけで……」

 

「いえ、わたくしにはそのような素養、なかったも同然でございます。それに、わたくしは親不孝なのですよ。何十年も暗礁宙域を漂っていましたし、親より長く生きた子供なんて、ロクな事が……」

 

「ピアーナさん……?」

 

 顔を伏せたピアーナの気持ちを慮る前に、彼女はモップやらを指差して声の調子を戻していた。

 

「いえ、何でも。それよりも、ここをお掃除されるのですか? 使われていない部屋ですので、掃除なんて意味がないと思いますが」

 

「あ、いえでも……これも仕事っ! ですのでっ!」

 

 カトリナはモップと掃除機を携えて居並んでいる資料を眺めていた。

 

 どの本の装丁も並大抵ではない重圧を誇っている。

 

「……それにしても、今の時代に紙資料なんて、意味あるんですかね?」

 

「わたくしとしては助かります。電脳情報では十年前や二十年前のログは廃棄されている事も多々ありますが、紙資料はともすれば百年残る、遺産となり得るのです。ここ三十年間余りで起こった出来事を仔細に知るのには、本のほうが手っ取り早い事もありますので」

 

「……ピアーナさんは、本がお好きなんですか?」

 

「ええ、本は知見を豊かにしてくれます。加えてわたくしは全身ライドマトリクサー。情報としては有利に見えるかもしれませんが、同時に電脳化された決まったルートしか辿れないとお思いください。たとえるのなら、試験管のラットのようなもの。自由なようで世界の道筋は全て構築され、その全を完璧だと植え込まれている。わたくしは、そうでなくとも旧連邦の陣営に属していましたので、実験体のようなものです」

 

 何だかそれ以上は下手に立ち入れないような気がして、カトリナはモップを片手に一つの本を手に取っていた。

 

「著書『ムーンオブダレト』、ここにある蔵書ってダレトに関係する本ばっかり……」

 

「お陰で助かっていますよ。わたくしがアクセスし得る情報源には限りがありますが、こうして本のページを撫でる事で、当時の情勢がよく分かってくる。MFなる驚異的な存在は今日までのある意味ではパワーバランスを月軌道に構築して見せた。地球連邦と行政連邦……現在のトライアウトへの沿革と、そして統合機構軍。どれもこれも、現時点では閲覧制限がついているものばかりです。こうして本として綴じる事で、半永久的に残そうとしたのは先人の知恵でしょうね」

 

 ピアーナが読みふけっているのはここ三十年間に出回った資料であった。

 

 彼女からしてみれば空白の期間――自分を押し包む殻の向こう側の世界を知ろうとしているのだ。

 

「でも、私はちょっと本って苦手ですね。そりゃ、試験前の一夜漬けとか得意でしたけれど、基本的にデスクワークは苦手なので……」

 

「ではどうしてエンデュランス・フラクタルに? デスクワークの仕事は大いにあり得たはずでしょう?」

 

 本から顔を上げたピアーナの金色の瞳に、あまり嘘は付けないな、とカトリナはこぼしていた。

 

「……その、幸せになりたいんです、私」

 

「それは一般的な幸福論ですか?」

 

「……変ですよね。クラードさんにも変だって言われました。それどころか、不幸だけが過不足なく分配されるものだって」

 

 思い返すと、クラードは自分の幸福理論に対して、対立する理論を突きつけたかったのか、とも思ってしまう。

 

 ピアーナは読書を続けながら応じていた。

 

「よいのではありませんか。だってカトリナ様の幸福論は貴女だけのもの。そこに懐疑心や、疑念を浮かべる事はあろうとも、その生き方を矯正する事は貴女自身以外には出来ないのですから」

 

「……ですかね。でも、クラードさんやバーミット先輩にはちょっと……みたいに言われちゃって……」

 

 頬を掻いて笑い話にしようとすると、ピアーナは本を閉じ、こちらへと歩み寄ってくる。

 

「生き方相手にどうこう、というのは誰であったとしても……たとえ偉人であっても介入不可能な部類。わたくしはこうして……全身RMとして生きる事を決めましたが、そこに他者の意思の介在や何者かの作為がなかったと言えば嘘です。では人間が唯一自由になれる場所とは何か。それはきっと、どう生きたいか、という展望だけでしょう。カトリナ様にはそれがある」

 

「……人生の展望、かぁ……」

 

 そこまで小難しく考えた事はなかったな、とピアーナがぴょんぴょん跳ねて本を戻そうとするのを手助けする。

 

 次の本を差し出そうとして、手に取った著書を目にしていた。

 

「『月のダレトの基礎設計理論』、著者はエーリッヒ・シュヴァインシュタイガー……聞いた事もない本もあるんですね」

 

「これは偽書ですね」

 

「偽書? 嘘の本って事ですか?」

 

「このエーリッヒなる人物の名前も嘘の著者の可能性が高いでしょう。ここにある本のうち、半数ほど偽文書が含まれていました。何故だか分かりますか?」

 

「……いいえ、見当も……」

 

「この来英暦には明かされていない情報、開示命令の出ていない情報がこの三十年だけでもとても多い。それもこれも、ダレトの出現時期と重なります。この著作なんて分かりやすい。奥付をご覧ください。この本の出版時期は百年以上前です。だと言うのに、ここ数十年間のダレトの草案を記されている」

 

 ピアーナの言葉に従って本の奥付を見やると、確かに百年近く前の書籍であるのが分かる。

 

「……でも、何で嘘の歴史書なんて?」

 

「為政者の眼を掻い潜るため、あるいは、この世界を見通す“何者か”から本来の意図を隠すため、など考えられます」

 

「……“何者か”……?」

 

「わたくしの電子ライブラリの中には百年近くのアクセス許可権限があり、このベアトリーチェからもたらされる情報との擦り合わせも可能ですが、それでもどこかで齟齬が生じている。この来英暦は、ともすれば何者かの作為によって歪められた……何かがある。そんな可能性すらあるのです」

 

「……でも、それって憶測ですよね?」

 

「どうでしょうかね。世界を欺く謎のアイリウムであるレヴォル・インターセプト・リーディングなるシステムに、先の戦闘で観測された《レヴォル》の制御リミッターである“マヌエル”。ともすればどれもこれも、知り得ない情報です。この来英暦そのものの秘密は、こうした現象の積み重ねで秘匿されてきたかもしれません」

 

 ピアーナは本を手に自分の読書スペースへとツインテールの黒髪を揺らしながら戻っていく。

 

 その背中を眺めながら、カトリナは開いた扉の向こう側から声を掛けられていた。

 

「……何やってんの。扉開けっ放しで」

 

「うわっ……! クラードさん?」

 

「どうでもいいけれどさ。廊下から水漏れているけれど、いいの?」

 

「えっ……あわわっ! モップの水置きっ放し……!」

 

「クラード。貴方も少しは読書を嗜むくらいは成されては? 《レヴォル》と話してばかりではなく」

 

「余計なお世話だな、お前は……その本」

 

「何か?」

 

「……いいや。気のせいか。見た事があったような気がしたんだ」

 

「気のせいでしょう。貴方の人生に本の叡智が差し込むとは思えません」

 

「……そうか。だろうな」

 

「クラードさん! モップの水集めるの手伝って……!」

 

「あんたの仕事だろ。じゃあ片付けまでやっておくといい」

 

「く、クラードさぁん……!」

 

 困惑しながら浮かび上がった水の球を押し止めようとする自分を他所に、クラードは何事もなかったかのように道を折れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「積み荷は《エクエス》十二機。それに新型機、《オムニブス》を三機。それと新型機の追加装備が諸々……。かなりの手土産でしょう、タジマさん」

 

 本社組にそう言われても、タジマは営業スマイルを崩さずに応じる。

 

「これは仕事ですので」

 

「それにしたって、エンデュランス・フラクタル戦闘艦、ベアトリーチェへの補給にしてはやり過ぎなくらいでしょう。要りますか? こんなに《エクエス》ばかり」

 

「新型機の規格上、《エクエス》が合うのです。それに、軍上層部ではやはり《レグルス》は渡したくない様子でしたので」

 

「《マギア》もでしょう? ミラーヘッドのお膝元の機体は我々に流すわけにはいかないとでも言われているようですね」

 

 本社組の混じったシャトルの中でタジマは柔らかい椅子に深く腰掛けて隣で皮肉を飛ばす社員を見やる。

 

「ですがこれで……少しは月航路までの時間が絞れるでしょう。過積載だとラグランジュポイントで検閲を受けなかったのが今は安心材料です」

 

「相手方は統合機構軍に借りがありますから。そこで止めていれば外交問題に発展しかねません」

 

「……しかし、解せませんね。月のダレト……開いてからと言うもの、ここまで大規模な戦闘もなかったはず。デブリの暗礁帯に入るなんて」

 

 シャトルは静かに、それでいてデブリを機敏に避けて航路を取っている。

 

「少し前に、MFの襲撃があった区画ですね。まぁ、そっちに関して言えば月艦隊がどうにか抑えてくれる領域でしょう。旧地球連邦政府もそれだけは躍起になりたい。どうしたって、最早利権はないのですから」

 

「……それにしても、死の臭気が濃い場所ですね……」

 

 一呼吸つくと隣の社員が気を利かせる。

 

「飲み物を持ってきますよ。そうすれば地球圏の陰鬱な空気ともサヨナラです。なに、如何にお偉方連中でも、ここまでは追ってこられませんよ。もう月の重力圏も超えましたし、後はコロニー、シュルツへの合流ルートですね」

 

 飲み物を取りにシャトル後部へと流れて行った社員の背中を見送ってから、タジマは窓の外へと視線を移す。

 

「……我々を拒みますか。MF……月のダレトを護る聖獣達は」

 

 だが、現在地は既にMFの攻撃射程から安全圏に逃れている。

 

 ノーマルスーツの着用義務もなく、シートベルトに度々感じる振動も、今は心地よい。

 

 ふと、そう言えば護衛の《マギア》が離れていったな、とタジマは感じていた。

 

「……デブリ帯では思わぬ事態に遭遇しかねない。地球連邦の《マギア》はないほうがいい、か」

 

 それも急造のコストカット品だ。《マギア》の正規品との違いは機動力にある。

 

 機動力とミラーヘッドを殺した《マギア》など、ただの木偶の坊だ。

 

 タジマは背もたれへと深呼吸と共にリクライニング機能を使おうとして、不意打ちの衝撃によろめいていた。

 

「何が……!」

 

『わ、我が方へと取り付いた機体を確認!』

 

『敵方認証不明! アンノウン機です!』

 

「……アンノウン? この時代に……?」

 

 衝撃波がシャトルを激震する。

 

『上に取り付かれたぁ!』

 

『護衛機は何をやっているか!』

 

「……先ほど連邦の《マギア》が下がっていったのはこれか……!」

 

 苦々しいものを感じつつもタジマはノーマルスーツに袖を通し、ヘルメットを被る段になって後部座席に乗り合わせていた本社組が次々と悲鳴と共に射殺されていったのを目にしていた。

 

 それなりに護身術の一通りは叩き込まれた本社組がほとんど無抵抗にしてやられていく様は現実のそれとは思えなかった。

 

 男の社員が最低限度の動きで肉薄し、拘束術を叩き込もうとしたのを掻い潜ったのは、たった一人の小さな矮躯を先頭とした集団であった。

 

 背格好は小さいながら先鋭化した動きで本社組の社員を一蹴し、直後には迷いなく引き金が引かれている。

 

 トリガーにかかった指先は細いのに、殺意だけがいやに明瞭だ。

 

 その人物は今しがた自分の隣に座っていた社員を撃ち殺し、次いで自分へと視線を振り向けていた。

 

「……撃つな。いや、撃たないでくれ」

 

 両手を上げて無抵抗の意思を示す。

 

 椅子の傍には抵抗用兼自決用の拳銃が仕舞われていたが、今は使わないほうが賢明であろう。

 

 すぐに集団に囲い込まれ、歩み寄ってくる相手にタジマは沈黙を返す。

 

 小さな影は顎でしゃくって手段を指揮し、シャトルのコックピットへと誘導していた。

 

『……シャトルの行き先はコロニー、シュルツのままだ。いいか。ギリギリまで生かしておけ。そこから事の次第を思い知らせる』

 

 真正面の人影から放たれた声はどこからどう聞いても少年か、あるいは少女のそれで、まるで戦闘の吐息を感じさせない。

 

 だが自分は知っている。

 

 エンデュランス・フラクタルの暗部たる、エージェントの存在を。

 

 だから、年かさだけで判断は出来ない。

 

 鈴を転がすような声の主はてきぱきと指示を出した末に、自分のヘルメットへとこつんと銃口を据えていた。

 

『エンデュランス・フラクタルのタジマだな?』

 

「……目的は、積み荷ですか」

 

『正解、と言っておこうか。あんなものを積まれたまま、ガンダムと合流されるのは困るのでね』

 

「……ガンダム……?」

 

 聞いた事のない機体名称に当惑していると取り巻き達が戻ってきて自分へと拘束を施す。

 

「……我が社に何か恨みでも?」

 

『恨み節をあなたにぶつけたってしょうがない。そうだと言っているかのようだ』

 

「……その通りのはずだが」

 

『安心するといい。他は殺してもあなたは殺さない。それくらいの矜持はある』

 

「……矜持だと……」

 

『失礼した。名乗っていなかったな』

 

 目の前の人物はヘルメットを外し、気密を確かめてからそれを脱ぎ払う。

 

 麗しい金髪を流した少年とも少女とも取れる気品高い目鼻立ちを持つ相手は、碧眼で自分を見据える。

 

「……王族親衛隊勤務、ヴィヴィー・スゥ少佐である。あなた方を始末すべく、ここに馳せ参じた。これは特務である」

 

「……王族親衛隊……。まさか、件の親衛隊が動いたとでも言うのか」

 

「事態は一刻を争う。エンデュランス・フラクタル。その手荷物を検めさせてもらう」

 

「……殺す事はなかった」

 

「あなた以外は全員殺せとのお達しだ。相当に恨みを買っているらしい」

 

 怜悧な眼差しを注ぐ相手に射竦められるのを感じつつ、ヴィヴィーへと取り巻き達が報告する。

 

『少佐。やはり積み荷は《エクエス》十二機ではありません。あれはダミーです』

 

「やはりか。では睨んだ通り……」

 

『ええ。あれはMF、《フィフスエレメント》。その外装骨格でしょう』

 

「五番目の聖獣を飼っていたとはな。エンデュランス・フラクタル」

 

「……そこまで秘密に精通している人間を私は知らない……。本当に親衛隊なのですか……」

 

「言ったであろう? 王族特務だと。私達は絶対に、あれを完全体にしてはならないのだ。コード、《レヴォル》。……この次元の、ガンダム」

 

 後半部はまるで忌々しいものを睨むかのように、ヴィヴィーは言ってのけるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第七章 「策謀の宇宙で〈ガーデン・オブ・ステイン〉」了

 



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第八章「月航路を目指して〈ムーンライト・オンザウェイ〉」
第56話「宇宙の外海」


 ――戦いにおいて勝利する事は至上の目的ではない。

 

 そうなのだと規定した男が居る事を、自分は知っている――。

 

「……しかし、随分と遠いところまで来たものだ。木星船団の出迎えとは言え、ここまでとは……」

 

 各コロニーの支配宙域からも逃れた宇宙の辺境地。

 

 暗礁の常闇にデブリ帯が広がっている。

 

「無理もないですよ。ここまで来たのなんてなかなか居ないでしょう」

 

 管制室で声を返す部下に、頬杖を突いて艦長は視線の先を見据えていた。

 

「間もなく進路クリア。ミラーヘッドによる加速段階に入ります。アルチーナ、アステロイドジェネレーター電荷」

 

 宇宙の絶海を行くのは戦艦、アルチーナ――地球連邦政府の最新の戦闘艦だ。

 

「……皮肉なものだ。あの戦い……月のダレトを巡っての戦闘で最も損耗した我が方が、それでもダレトの恩恵に与らなければ木星船団の出迎えさえも出来ないとは……」

 

 アルチーナはダレトより来たりし来訪者――MF四機の聖獣に試作艦のほとんどを轟沈させられた。

 

 その時に地球連邦は、戦闘艦艇のノウハウの大半を失ったとされている。

 

 今も、このデブリ帯を横切る緑色の艦艇の装甲は見た目こそ新造艦のそれに近いが、型式自体はダレト侵攻時から何も進歩していない。

 

「アステロイドジェネレーターの伝導率、六十パーセントを超え。これよりミラーヘッドの第二次加速に入ります」

 

「第二次加速、用意。収納している《マギア》には即時出撃も可能なように声を振り向けておけ」

 

「格納デッキへ。《マギア》編隊、出撃姿勢を整え。各員、戦闘待機のまま、艦は加速に入る。振り落されるな」

 

 伝達が行き届いているのを確認しつつ、艦長はどこか神経質に眼鏡のブリッジを上げていた。

 

「……しかし、戦場が様変わりしても、我々のやり方は変わらない。いいや、変わらないものもあるのだと、安心してもいいのだろうか」

 

「艦長。出迎えに関して言えば、やはり妙ですよ。わざわざミラーヘッドの段階加速で合流軌道に入れなんて。何かが起こっているとしか思えません」

 

「そう言うな。勘繰りは軍隊では嫌われるぞ。……だが妙なのは事実だな。果たして連中、何と示し合せているんだか……」

 

「そもそもアルチーナを指定してくる辺りがおかしいって言う……。これでもヘカテ級を超える新造艦ですよ? わざわざこの艦を指定しなくってもそんじゃそこいらのヘカテ級じゃ駄目だったのかって言う話です」

 

「それは向こうのオーダーに従うとのお達しだ。アルチーナを見たかっただけかもしれない。おのぼりさんの機嫌を損ねるな」

 

 そう皮肉ってやると少しくらいは溜飲も下がったのか、管制室で笑い声が聞こえてくる。

 

「ですが、木星帰りとやらの顔を拝むのも悪くはなさそうですね。駐在期間は既に半年を超えていると言いますが」

 

「なに、田舎者なのはお互い様だ。地球圏の派閥を争っている連中と年がら年中顔を合わせている憂鬱さに比べれば全然だよ」

 

 もっとも、地球圏に全ての政権が統一されている――とは表向き。

 

 現状、統合機構軍に配されたそれぞれの色を表す国家群に編成され、今や地球の資源に這いつくばっている地球連邦には見る影もなし。

 

 企業が跳梁跋扈し、時の政権はもう居場所を完全になくしている。

 

 あるとすれば、それは各々の胸の中、信じる者は救われる程度の些末なもの。

 

 本当に信を置きたければこの時代、属する場所には気を遣わなければいけない。

 

 そうでなくとも、統合機構軍の維持する新機軸国家編成案が通ろうとしている矢先、下手を打てば永遠に出世の道など閉ざされるであろう。

 

「ミラーヘッドの段階加速に入りました。念のために艦内要員にはバイザーの着用を求めます」

 

 バイザーを降ろしつつ、艦長は、これも、と独りごちる。

 

「ダレトより与えられし戦争の技術……。なかなかに世の中はどうともならんな」

 

「しかし、ダレトの安寧を貪るのが民です」

 

「……我々は軍属だ。民ではないよ」

 

「ミラーヘッド段階加速、初速を超え、第二段階へと移行。間もなく第一減速に入ります」

 

「減速で足を取られるな。完全に減速したのと同時に《マギア》を射出。木星船団の出迎えと行く」

 

「了解。減速開始。ミラーヘッドジェルの減少率は四十パーセント未満。想定内です」

 

 艦長は嘆息をつきながら真正面に広がる茫漠とした宇宙空間を睨む。

 

「……せめて理由くらいは聞かせてもらわなければ釣り銭にも成らんな。アルチーナをわざわざ出したのだ。木星帰りがどれほどの実力者であろうとも……」

 

 そこまで口にしたところで不意に衝撃波が艦を揺さぶる。

 

「何事!」

 

「右舷より砲撃! ……まさか、ミラーヘッドの段階加速を経ているのだぞ……!」

 

「敵影! モニターに出ます!」

 

 映し出されたのは濃紺の軍警察カラーの《エクエス》であった。

 

 ミラーヘッドの段階加速を経て、距離を稼いだアルチーナに追いついた、と言う冗談はあるまい。

 

「……最初から張られていた? だがここは最早、誰の領空圏でもない。宙域侵犯だ! 抗議の電報を――!」

 

 艦長がそこまで言い切ろうとした矢先には、《エクエス》はそれぞれ散開機動に入り、ミラーヘッドの銃撃戦に移っている。

 

「第四種か……! 忌々しいッ!」

 

「ミラーヘッドオーダーを受諾……。敵影は正規軍です!」

 

「正規も何もあるものか! 我々の作戦は極秘裏だぞ!」

 

「しかし……敵影なおも接近! アルチーナに取りつかれます!」

 

「……大き過ぎる艦艇が災いしたか。《マギア》は?」

 

「出撃姿勢に入っていますが……カタパルトから!」

 

 カタパルトに真正直に射出稼働に入った《マギア》は《エクエス》に狙い撃ちにされていく。

 

「艦艇コンテナよりスクランブルに設定しろ! 死にたくなければ両舷のカタパルトは使うな! 狙われているぞ!」

 

 手を払いながら艦長はこの事態の異様さを噛み締める。

 

「……どこから情報が漏れた? 我々は地球連邦の作戦を直々に受諾して……それでアルチーナまで引っ張り出して出たのだぞ……。軍警察如きが察知出来る作戦領域ではないはず……」

 

「《エクエス》! ミラーヘッドの弾幕を張りながらじわじわと接近! 《マギア》による応戦、間に合いません!」

 

「弱音を吐くな! 《マギア》とてミラーヘッド搭載機だ! こちら側のオーダーは? 第四種殲滅戦に則っているのならば同時オーダーならば下位は無効化されるはず!」

 

「オーダー反応、来ました……! 軍警察のオーダーと我々のオーダーの受諾時間は同時……相手のオーダーの無効化、出来ません!」

 

「……等価だと? 一番に厄介な泥仕合となるぞ……。《マギア》にはミラーヘッドを使用させつつ、敵の接近を防げ。艦砲射撃で弾幕! 《エクエス》を取りつかせるな!」

 

「既に背後へと回った《エクエス》が二機! 後ろを取られて……!」

 

「ミサイル照準! ミラーヘッドを鎮静化させるガスを照射! 敵の取り付きをどうあっても防げ!」

 

 ミラーヘッド鎮静化のガスの噴射はしかし、広義のミラーヘッド機であるアルチーナそのものの足を殺す事にも成りかねない。

 

 それに今も戦闘展開する《マギア》のミラーヘッドでさえも鎮静化させてしまう。

 

 現状では下策を打っているようなもの。

 

 その上、敵の数だけは減らないのだ。

 

《マギア》がビームライフルを速射するも、敵の《エクエス》のほうが明らかなる手練れ。

 

 火線を掻い潜ってそのまま抜刀した敵影は《マギア》の痩躯を打ち砕き、ミラーヘッドを叩き割っていく。

 

「……《エクエス》部隊、このまま接近を許せば……!」

 

「そうさせないためのMS隊だ! 《マギア》で応戦を! ……だが、何故だ。軍警察に追われるいわれはないぞ」

 

 そもそもこの戦闘の目的は何なのか。

 

 それさえも不明瞭のまま襲われる戦闘艦はただただ不遇なだけだ。

 

 艦長は今しがたブリッジ付近で弾け飛んだ《マギア》の爆発の光輪に目を細める。

 

「《マギア》第一部隊、大破! このままでは……!」

 

「怯むな! 我々の目的は勘付かれていないはず!」

 

「ブリッジ前方に熱源!」

 

 急加速した《エクエス》が割って入り、バズーカの砲門を照準する。

 

 幾重にも照準警告が鳴り響く中で、艦長は肘掛けを握り締めていた。

 

「万事休すか……」

 

 そう口にした刹那、直上より放たれたビームの光芒が《エクエス》の躯体を貫いた。

 

 まさか、と思っている間にも次々と掃射されるビームの火線が《エクエス》を無力化していく。

 

 中には撤退機動に入っている《エクエス》でさえも正確無比に狙い澄ました攻撃網の持ち主に、誰もが絶句していた。

 

「……何、だ……」

 

「これは……シグナルを確認! 機体照合……驚いたな。機体は王族親衛隊所属! 《ラクリモサ》! 万華鏡、ジオ・クランスコールです!」

 

「……まさか。万華鏡だと?」

 

 その通り名を口にした直後には敵影が次々と撃ち落とされていく。

 

 迎撃するのはたった一機の赤い機体であった。

 

 脚部が存在せず、大型のスカートバーニアに、襟型に広がったアームポイントを持ち、全体としてはYの字に近い。

 

 宇宙の常闇を引き裂く青い推進剤を棚引かせながら、《ラクリモサ》の機体照合がもたらされたMSはバインダーから無数の自律兵装を引き出していく。

 

 それらはMSの頭部ほどの大きさでしかないが、機敏に稼働し、敵影を無数の光条で射抜いていた。

 

《エクエス》が途端に及び腰になっていったが、《ラクリモサ》は逃しはしない。

 

 一機、また一機と着実に、それでいて落ち着き払った照準で相手を潰していく。

 

 その動きのキレには舌を巻くほどだ。

 

 自律兵装はこの時、ビットの名称を与えられ敵影を後方から包囲したかと思えば、次の瞬間には直上と下方から挟み込むように狙い撃っている。

 

「……まさに万華鏡……。あんな高機動、あり得ませんよ」

 

「ああ、それよりも驚くべきはミラーヘッドを使わずしてミラーヘッド機の排除、か。怪物だな」

 

《ラクリモサ》の戦場は長引かない。

 

 せいぜい三分もしないうちに軍警察の《エクエス》は総崩れに陥り、撤退軌道に入っていた。

 

 だが《ラクリモサ》は敵影の帰還さえも阻む。

 

 ビットが逃げる敵の真正面に潜り込み、そのままビームの火線を棚引かせもせず、質量兵装として突き刺さり、アステロイドジェネレーターを撃ち抜く。

 

「本当に一機も逃がさないのか……」

 

 管制室の者達も圧倒されている。

 

 自分達を助けてくれているからまだいいものの、その矛先がいつ、こちらに向くとも限らないほどの実力。恐れないほうがどうかしていた。

 

「……今ので残存戦力は……」

 

「ほぼほぼ全滅ですよ。帰投した《エクエス》……ゼロ」

 

 このまま母艦でさえも狙うかと思われたが、《ラクリモサ》は放ったビットをバインダーの中に収納し、緑色の単眼をこちらに投げて光通信を行う。

 

「解読します……。“我、木星船団の護衛を命じられてここに居る……”。あれが護衛ですか……百人力ですね」

 

 実際その通りなのだろう。

 

《ラクリモサ》は加速をかけて先ほどまで《エクエス》の支配する宙域だった場所を抜け、こちらへと信号弾を発する。

 

 信号弾を受けて返答の通信を返してきたのは戦艦アルチーナとほぼほぼ同規模の調査船団であった。

 

「木星調査船! ……軍警察の《エクエス》に阻まれていたのか……」

 

「いや、あるいは元々軍警察の雇い主は……」

 

 分かっていて、仕込みもありでこの出迎えを計画したのではないのか。

 

 そのような疑念が鎌首をもたげたが、今は下手に口を滑らせると厄介だ。

 

「木星船団と合流します。アルチーナの損耗率は三割程度。何とか、と言った具合ですね……」

 

「ああ……生き残ったMS部隊は木星船団の保護に入れ。さしもの軍警察も襲ってはこないだろうが、事が事だ。《マギア》の護衛が頼りなくっても要らないわけではあるまい」

 

《マギア》が次々と射出され、木星船団へと護衛ルートを辿っていく。

 

 元々アルチーナ級の戦艦は大規模な護衛任務に当たる事が多い。今回の任務もその一環。

 

《マギア》が包囲した木星船団は正式採用ではないもののヘカテ級の艦艇に近い構造を持つ。

 

「……あれで半年、か」

 

「結構な任務じゃないんですか、連中」

 

「……どうだかな」

 

 しかし、と艦長は思索を巡らせる。

 

 何故、敵はこの期に攻めて来たのか。何故、軍警察はミラーヘッドの加速を込みでこの宙域で張っていたのか。

 

 そして――何故、木星船団を護っているのが他の誰でもない、万華鏡の通り名を持つミラーヘッド使いなのか。

 

「……《ラクリモサ》、我が艦の補給を乞う、と。……どうします?」

 

「断るわけにもいかんだろう。恩義があるからな。地球連邦は恩知らずだと吹聴されても困る。丁重にお迎えしろ」

 

「ですが、我々の回収任務は木星帰りですよ」

 

 それもその通り。

 

 アルチーナは木星船団とドッキングを果たし、そちらから送られてくる物資と人員を確認していた。

 

「……大仰な荷物だ。長旅だったのだろう」

 

 艦長はノーマルスーツのまま、以下に部下を従えて踵を返していた。

 

 大所帯に加え、今回の任務ではまるで教えられていない軍警察の跳梁跋扈、何もないはずがない。

 

 艦長が鉢合わせしたのは、格納デッキへと移送されていく《ラクリモサ》であった。

 

「……赤い機体……」

 

 異様なシルエットを誇る《ラクリモサ》は通常のMSの収容施設ではまるで事足りない。

 

「MA用を出せ! すぐにだ!」

 

 声を張り上げる整備班達を横目に、艦長は《ラクリモサ》より降り立った赤いパイロットスーツの人影を目にしていた。

 

 顔を見ようとして、思わず息を呑む。

 

 顔面全てを覆うかのように長大な鋼鉄のマスクを被っており、口元だけを露出させたその感覚は鉄壁の理性と同時に肉食獣のような怜悧さを併せ持つ。

 

「……あれが、万華鏡……ジオ・クランスコール……ですか。最強のミラーヘッド使い……」

 

 思わず口に出した部下に、ジオが目線を振り向ける。

 

 機械のマスクが稼働し、目線と思しき場所に配されたアイカメラセンサーがこちらを捉える。

 

 唾を飲み下した艦長は無重力の階段を蹴ってこちらへと浮遊してきたジオにたじろいでいた。

 

「……な、何を……」

 

「失礼。自分はアルチーナ級を護れとのお達しを受けております。艦長含め、艦内の人間は無事ですか」

 

 抑揚のない、感情なんてものは全て排したとでも言うような冷たい声音である。

 

「ぶ、無事……ではない者も居る。貴官が来る前に戦死した者も」

 

「残念です」

 

 本当に、言葉の表層でもそうは思っていないような論調である。

 

 ジオはよくよく観察すれば仮面の下から銀髪を伸ばしている。

 

 人間らしい部位が垣間見えるのは口元とその程度で、赤いパイロットスーツと無骨なマスクはどこまでも非情に映っていた。

 

「して、艦長殿。護衛対象とすぐにでも合流を頼みます。自分はこのまま別命あるまで戦闘待機、有事の際には出撃いたします。この艦の方々には迷惑をかけません。《ラクリモサ》もメンテナンスは結構。複雑な機体ですので、出来れば触らないように」

 

「あ、ああ、承服したとも……」

 

 取り付く島もないとはまさにこの事で、ジオはそのまま待機室まで行ってしまう。

 

「……何か、嫌な人って言うほどでもないような……まるで雑味のない人間ですね……」

 

 部下の評もさもありなん。

 

「……ああ。思った以上という事か。万華鏡、ジオ・クランスコール。伝説の男は、尾ひれでも何でもなく……」

 

「真実なんですかね。あれで先のダレトでの戦い……“夏への扉事変”で撃墜数が四十を超えたって言うのは」

 

「いや、それよりも聖獣たるMF相手に激戦をかましたって言うのも……」

 

 どれもこれも、噂話の域を出ない話のはずであったが、実際に本人と会ってみると、噂とも言えないのだろうか、と思えてくる。

 

「……いずれにしたところで我々の仕事は木星帰りと会う事だ」

 

 部下の興味を打ち切って艦長は木星探査船へと乗り込む。

 

 交互に行き交う人々を横目で見やりつつ、船の中は案外に静かで先ほどまでの戦闘の喧騒とは無縁のようであった。

 

 その静寂の只中で――果たして一人の男は座り込んで本のページを捲っていた。

 

 今どき珍しい、紙製の本である。

 

 古典文学の一つであり、艦長には覚えのあるタイトルであった。

 

「失礼。貴君が、我々の護衛対象か」

 

 尋ねたこちらに対し、相手は顔を上げ、それから全員を認めた後に、ようやく立ち上がる。

 

「……感謝します。先の戦闘で道を塞がれてしまってどうしようもなかった」

 

「木星探査船には武装も施されていたはずだが……」

 

「最低限度です。ミラーヘッドの軍隊とやれるほどじゃない」

 

 ちら、とその手にある本のタイトルを読み取る。

 

「……随分と年季の入った本だな」

 

「本はいい。心を癒してくれる。宇宙の絶対の常闇の中に、光さえも見出してくれるのです」

 

 相手は本のページを捲りながら、そう感想を結ぶ。

 

「……木星帰りの……」

 

「別の渾名もあります。宇宙飛行士、とも。名乗り遅れました。木星船団、師団長、ザライアン・リーブス。今次木星探査においてその任を帯びています」

 

 ザライアンと名乗った男性は蓬髪を後ろで結っており、瞳は赤い。

 

「リーブス殿。我々はあなたの護衛と、そして身の安全を保障します」

 

「それは感嘆の極み。……ですが先のように思わぬ伏兵が混じっている場合もあります。慎重に行きたい。せめて、地球圏までは」

 

「アルチーナはミラーヘッド搭載艦です。地球圏まではミラーヘッドの加速ですぐですよ」

 

「……そうか。そこまでもう、ミラーヘッドは浸透したのか……」

 

 どこか感じ入るかのように呟いたザライアンはこちらへと挙手敬礼する。

 

「こちらとしても助かります。なにせ、木星帰りとおだてられていても、対抗手段は持ち合わせていないのですから」

 

「今次期間の収穫は? 何かありましたか?」

 

「そうですね……。ミラーヘッドに有用な物質であるミラーヘッドジェル。それと同質か、あるいはそれ以上の資源探査を目的としていたのですが……空振りでした。半年間で得たのは木星はまだ人知の及ばぬ範囲であるという事だけ」

 

「しかしそれは、幾度となく木星探査に打って出た人間としては弱音ではないですか?」

 

「……それも手厳しい。ですが事実なのです。木星はまだ、人類が届いていい範囲じゃない」

 

「本艦であなたの身柄は保証しましょう。アルチーナ級は簡単には沈みません」

 

「それは先ほどのMSも影響しているので? 赤い……あれは」

 

「ジオ・クランスコール。最強と謳われるミラーヘッド使いです」

 

「最強の。それは心強い。何せ、僕は弱いですから。一個でも確定事項があれば、安心材料になり得ます」

 

 ザライアンは別段、特に卑下したわけでもなく自身の事を弱いと定義した。

 

 それは間違いだと指摘する人間も居ない。

 

 彼の容貌を改めて見やる。

 

 決して偉丈夫とは言えない肉体、こけた頬に、どこか憔悴したような眼差し。

 

 どれもこれも、一流の戦士とは言い難い。

 

「失礼を。少し休みたいので」

 

 ヘルメットの気密を確かめてから、ザライアンは自室へと戻っていく。

 

「……ですがあれでも本物の宇宙の戦士だって言うんですから、人間分かりませんよね」

 

 充分にその背中が離れてから部下がぼやく。

 

「ああ……案外本物の強者とは、強者だという事を悟らせないことなのかもしれないな」

 

 だが、と艦長は意味ありげに呟いていた。

 

「……ザライアン・リーブスを出迎えるはずが、軍警察の邪魔立てだと? ……何か作用しているとしか思えない。こちらでも出来るだけ内偵は進めておく」

 

「しかし、ここはもう木星圏。正直、地球に戻った時にログが残っているかどうかも怪しいですよ」

 

「木星探査船をアルチーナで牽引。このまま二十四時間以内にミラーヘッドで加速。地球圏へと帰投ルートに入ります。しかし、リーブス殿はまだしも、ジオ・クランスコールは……」

 

「彼には彼の好きにさせろ。命を拾われた身だ。余計な勘繰りはきっと、嫌われるだけだろうからな」

 

 艦長は遥か先に望む木星を凝視する。

 

「……広いな、宇宙の外海は」

 

 



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第57話「呼吸を携えて」

 情報はいつだって一拍遅れてやってくる。

 

 クラードはそう感じつつも《レヴォル》のコックピットでコミュニケートモードのままその伝令を聞いていた。

 

『クラード。本社からの査察用のシャトルに、何者かが取り付いたとの報告があった。その後、シグナルを探ったが応答はなし』

 

「テロ組織か?」

 

 問いかけにサルトルは頭を振る。

 

『まだ分からん……。だが用心しておけ』

 

「シャトルに乗り合わせたのは本社組だけか?」

 

『……ベアトリーチェへの補給のために営業職のタジマが乗っていた。補給路を断つために軍警察が仕掛けた可能性もあるが……そうだとすれば相手の動きはこれまでとまるで違う』

 

「トライアウトの線は捨てたほうがいいか」

 

『だからって、これまでとやる事自体は変わらないんだ。明日でコロニー、シュルツへの入港も解かれる。出港すれば、次はまた別のコロニーに行くまでは補給もなし。……まったく、厄介な旅路だよ』

 

 嘆息をついたサルトルにクラードは応じる。

 

「件のシャトルはどうなった? ルートくらいは辿れたんだろ」

 

『……どうにも、な。不明瞭なのはそれも、だ。何者かが取り付き、指揮系統を奪ったのは間違いないんだが……そこからの足跡は不明。どこか別のコロニーに入港した可能性もある』

 

「……《レヴォル》の改修案は先延ばしか」

 

『そう言うなよ。元々シュルツに居たエンデュランス・フラクタルの社員から《オムニブス》を一機と補修用のパーツをいくつか貰っている』

 

「何だ。本社だってその一個のルートを当てにしていないんじゃないか」

 

『敵を欺くにはまず味方からってな。シュルツに入港すれば確実に補給路を受けられる余裕があった。まぁそこに査察だの何だのを持ち込みたい本社組の思惑もあったようだが、この感じじゃ時間もありそうにない。次のコロニーまで持ち越しだな』

 

「それ、時間のない事の言い訳だよ。まぁ、下手に勘繰られるよりかはマシだけれどね」

 

『そうは言うが、タジマの乗っていたシャトルが行方不明ってのは結構デカいんだぞ? ……何者かの犯行声明も出ていない。エンデュランス・フラクタルへの計画的なテロと言う線も薄れてはいる』

 

「結局、さ。俺達の当面の敵は軍警察ってわけだ。分かりやすくっていい」

 

『……クラード。お前、《レヴォル》がログの残らない相手に取られた事、根に持ってるだろ』

 

「そんなちっぽけなつもりはないけれど」

 

 各種インジケータを確認しつつ、クラードは流れてくる情報をさばいていく。

 

『いーや! 根に持っているね、お前は。……そういう時に頼りになるのが委任担当官なんじゃないのか? あれでカトリナ女史だって仕事なんだ。与えてやらなければそれは意味ないぞ』

 

「うるさいな……別にいいだろう。俺だけでも持て余しているんだ。二人分持て余したって似たようなもんさ」

 

『それもそうなんだがなぁ。……正直、カトリナ女史とお前との関係は見ていてちと危うい。もうちょっと相手に心を開いてだなぁ』

 

「何で。エージェントに心を開くだの何だのは要らないだろ」

 

『……まぁそれも正論か。お前さん、この数日間で色々あっただろ? だがなぁ、お前。アルベルトの奴の事もちぃとは考えてやれよ』

 

「何で俺がアルベルトの事まで抱え込まなくっちゃいけない。他人は所詮、他人だ」

 

『そうかい。おれには、そうは思えないんだがなぁ。……あの期待の新人だってそうだ。何でもかんでも背負い込むのは仕事が出来るって意味じゃないって言うのに。オジサンは心配になっちまうよ。お前やあの子を見ているとな』

 

「それが分かるようになるまでは時間がかかるって事でしょ」

 

『……それはお前もだよ、クラード。……フロイト艦長は休暇くらいなら一日でもいい、出すって言ってるはずだが』

 

「要らないよ。レミアは俺を気にし過ぎだ」

 

『旧知の仲としての忠告だろ? そういうのはしっかりと受け取っておけよ。お前だって、別に鋼鉄のエージェントってわけでもないんだ。休みはしっかり取ってもらわないと、艦長の頭痛薬の量が増えるだけだぞ』

 

 そこでクラードは作業の手を止める。

 

「……それは困るな」

 

『だろう? 観ていても気持ちのいいもんでもない。カトリナ女史とお前がちょっとばかし休暇を取るくらい、なんて事はないはずだ』

 

「……俺に休んでいるような時間があるとは思えない。さっきのシャトルの話を聞けば余計にそうだ」

 

『だからだよ、クラード。次の入港地まで時間がかかる。月航路まですぐに到達ってわけにもいかないんだ。お前はこの艦の主戦力、休んでもらわないと俺達だって気が気じゃない』

 

「……サルトルがそう言うんなら、命令として受け取っておくよ」

 

『……ぶきっちょだなぁ、お前も』

 

「言われたかないね、そっちにだけは。……《レヴォル》、コミュニケートモードを二十秒後に終了。ヒアリングはそれなりになっただろう?」

 

『“ああ、有意義であったと感じる。しかし、ログだけはどれだけ探っても存在しないのに、乗られたという記録は残っているのは居心地が悪いものだ”』

 

「俺も気味が悪い。だが、それでも俺は確かに見た。お前に乗るメイア・メイリスとか言うのを。……正直、据わりは悪いままだが、それでも事実は事実。後の処理は任せる、サルトル」

 

 コックピットハッチを開けて浮き上がると、サルトルはメンテナンスブロックへと端末を繋いだままで応じる。

 

「期待の新人とちょっとばかし休暇を楽しんでおけよ。お前はそうでなくっとも働き詰めなんだ。少しくらいは休む事も戦士の義務だ」

 

 上からかけられる言葉を受けつつ、クラードは潜った先の扉で出くわしたファムに抱き着かれる。

 

「……クラード! ……こわいのがきたの?」

 

「いいや、何も。って言うか、何だその恰好」

 

「あのモコモコをずっと着ておくわけにもいかないからね。あたしが選んだ特注。シュルツは資源だけはあるから、経費で買い放題ってね」

 

 ファムが着込んでいるのは白地のボーダー服だ。バーミットはファムの首根っこを掴んでそのまま持ち上げる。

 

「バーミット、ちからがつよいから、さからえない」

 

「誰が剛腕よ!」

 

「そこまではいってない」

 

「はぁー……この子、色々と言葉を覚えるのはいいんだけれど余計な事まで覚えちゃって。まぁカワイイから許せるんだけれどね」

 

「許すのか。あんたもファムを着せ替え人形にしている暇があれば仕事をすればいいんだろうに」

 

「どこかの誰かさんと違ってあたしはワーカーホリックじゃないのよ。それに、あたしは今日は非番だし。ベアトリーチェも出港まで英気を養っておけってさ。艦長命令よ」

 

「そうか。……レミアも気を遣う」

 

「聞こえているわよ、クラード。……ただまぁ、艦長の気苦労が絶えないのは事実でしょうけれど。あんた、アルベルト君の《マギア》ぶっ壊したんだって?」

 

「情報がねじ曲がって伝わっているな。俺が倒したのは敵の《エクエス》だ」

 

「でも、その過程でアルベルト君の《マギアハーモニクス》の頭を壊したんでしょ? 謝っておきなさい」

 

「……その必要性を感じない」

 

 返答すると、バーミットはこれだからと額を押さえる。

 

「何だ、バーミット。あんたが俺にどうこう言う権利はないはずだ」

 

「なくってもあるのよ」

 

「意味が分からないな」

 

「馬鹿、心配しているんだって悟りなさいな。第一、《レヴォル》での継続戦闘も多過ぎ。ハイデガー少尉や、ガイ何とかの他の子達をもっと頼ればいいのに」

 

「……サルトルと似たような事を言う」

 

「あら、それは意外。でもみんな思い始めているって事よ、それくらいね。あんたは動き過ぎ。時間は確かに有限だけれど、有限の中で休む事を覚えるのも人間なのよ。そうじゃないと効率も悪くなるからね」

 

「俺は休みなんて必要ないと思っているが。《レヴォル》と交信していたほうが有益だ」

 

 その額へとバーミットがデコピンを放つ。

 

 クラードはじとっと睨み返していた。

 

「……何だ、バーミット」

 

「あんたねぇ……凄めばみんな退いてくれるかと思ったら大間違いなんだかんね。あたしには通用しないし、あんたはそうじゃなくっても力ばっかで危なっかしいったらないんだから。人間、バランスが重要なのよ」

 

「……あんたに言われる筋合いはないはずだ」

 

「あんたの事を少しは知っているから言っているのよ。知らない誰かの言葉じゃないだけマシに思いなさい」

 

 クラードはファムへと視線を移す。彼女は相好を崩していた。

 

「ミュイぃー、クラード、やすむ! ファム、バーミットからはなれたい!」

 

「駄ぁー目。あんたにはまだ試してない服がたくさんあるんだから。あたしの部屋で撮影会よ」

 

「ミュイぃぃ……ファム、やすみたい」

 

「馬鹿仰い。年中お休みのくせに」

 

「バーミット、おに。あくま。ひとでなし」

 

「……どぉーこで覚えちゃうのかしらね。まぁいいわ。あんたも人並みになっているって言う証拠だろうし。……クラード。あんたよりもファムのほうがよっぽど人並みかもね」

 

「それでいいだろう。俺は、人並みになんてならなくっていい」

 

「……カワイくないわね、相変わらず。鼻持ちならないクソガキのままってワケ。あんたらしいっちゃらしいけれどね」

 

「ミュイぃ……クラードぉー……」

 

「はいはい、ファムはこっち。もう明日には出港しちゃうんだから、出来る事はやっておかないとね」

 

 部屋へと戻っていくバーミットとファムを見送ってから、クラードはヴィルヘルムの許可を得ようとして、医務室から出てきたアルベルトと遭遇していた。

 

「……クラード……」

 

「アルベルトか。ああ、ヴィルヘルムの診察か」

 

 納得してその脇を通り抜けようとして、アルベルトは自分の肩を掴んでじっとこちらを見据える。

 

 拳の一つでも来るか、と力を抜いていたクラードは直後にアルベルトが頭を下げた事で当惑していた。

 

「すまなかった! オレ、自分の事ばっかで、お前の事……! 何も考えられていなかった! ここに謝らせてくれ!」

 

 毒気を抜かれるとはまさにこの事で、クラードはアルベルトの事だからまたしても有意義ではない問答が始まるのだと想定していた。

 

 ある意味ではその想定を崩された形だ。

 

「……何言ってんの。アルベルトが悪いわけじゃないでしょ」

 

「いいや! オレも頭に血が回っていた! 《レヴォル》に乗った状態のお前に……歯ぁ食いしばれなんて勝手な事……! お前はもう、とっくにこの艦とオレ達のために何度も歯を食いしばるなんてもんじゃねぇ苦痛を背負っているはずなのに……」

 

「……憐みなら要らないよ。俺は俺の職務を全うするだけだ。そのために、アルベルトが……邪魔者は潰していくだけの話。俺は俺の敵を撃つ」

 

「……それは、たとえオレでも、か……?」

 

 ――ああ。俺は俺が定義した敵を排除するだけだ。

 

 即答する。迷いなどない。

 

 そのはずであった。

 

「……どうだろうな」

 

 だが口から出たのは想定外の言葉で、自分自身で今の言葉の是非を問う。

 

「……何だ今の……。俺が言ったのか?」

 

「クラード? ……やっぱお前、疲れてんだよ。休んだほうがいいぜ。《レヴォル》に何時間も乗っている。常人の精神力じゃねぇ」

 

「……何で皆が皆、似たような事を言うんだよ……」

 

「クラード? お前何を……」

 

「何でもない。ヴィルヘルムのカルテが欲しくって来たんだ。アルベルトは下がっていろ」

 

 そこから先は平常時のエージェントとしての言葉を振り向ける。

 

 アルベルトは立ち去り間際、一言だけ言い置いていた。

 

「……でもよ。オレらが感謝してるのは本当なんだ。お前に何度も……助けられてきたんだからな」

 

 アルベルトが医務室から離れたのを見送ってから、クラードはヴィルヘルムと向かい合う。

 

「……随分と話し込んでいるから、タイミングを逃してしまった」

 

「俺が問答するのがそんなに可笑しいか? ヴィルヘルム」

 

 舌鋒鋭く返したつもりであったが、彼は微笑みを湛えている。

 

「ああ、少し……意外だったかもしれない。前までなら、お前には関係がない、の一言だったはずだ。わたしの知っているエージェント、クラードはね」

 

「……そう言おうと思った。だが実際に出たのは違う言葉だった。サルトルの言う通り、働き過ぎで想定とは違うようになってしまっているのかもしれない。エージェントとしてのバグだ。すぐに是正しなければいけない」

 

「それはお前の言うような小難しい理屈では、わたしはないとは思うがね」

 

「だが実際にそうだ。俺は俺の思っている以上に、疲弊しているのかもしれない。……本来なら休暇なんてものは必要ないと、お前の診断を取りに来たつもりだったが、逆効果になりそうだな」

 

「ああ。船医として休暇を進言する。期待の新人と一緒にコロニー、シュルツでの一日休暇だ」

 

「……俺だけでいい」

 

「いいや、これは艦長命令でね。フロイト艦長なりの意趣返しのつもりかもしれない」

 

「レミアはそんなつまらない事をしないよ」

 

「果たしてそうかな。まぁどっちにしたところで、わたしの診断ではお前は休むべきだ。前回の戦闘でのダメージフィードバックと、リミッター解除状態の《レヴォル》での戦闘データには目を通しておいた。目に見えて異常がなくっても、体内には疲労が蓄積する。そういう風に人間は出来ているんだ」

 

「俺はライドマトリクサーだ。人間とは違う」

 

「その理論で通されるとわたしも困る。今は素直に休んで欲しい」

 

「それは飲んでもいいが、あいつと一緒って言うのが意味が分からない」

 

「気遣い、かな。お前にはそういったものを学んでもらおう」

 

「だったら余計に不要だろう。あいつは俺の神経を逆撫でするだけだ」

 

「……それも含めて、かな。恐らくは」

 

 ヴィルヘルムは背中を向け、それ以上は語る口を持たないとでも言うように応じる。

 

「一日休めの命令も聞けなければ《レヴォル》の専属から外さざるを得なくなる」

 

「……悔しいが、あんたとサルトルが結託すれば出来てしまう。なら、俺は休むべきなのだろうな」

 

 踵を返しかけてヴィルヘルムに呼び止められる。

 

「そうそう。男女がこうやって一緒に休暇の日取りを過ごす事を、世間ではデートと言うらしい。興味は?」

 

「ないね」

 

 断言して医務室を後にしていた。

 

 



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第58話「戦場の幕間」

「く、クラードさんとの休暇、ですか?」

 

 艦長室に呼び出されるなり厳命されてカトリナは面食らってしまう。

 

 てっきりこれまでのピアーナに対しての行動が咎められての事だと思っていただけに、休めと言う命令は意想外であった。

 

「そうよ。あなたもクラードも働き過ぎている。なら、ちょっとは休みなさい」

 

「で、でも私っ、これが仕事ですのでっ!」

 

「そういう感情論はいいから」

 

「あっ……はい……」

 

 しゅんとしてしまった自分を慮ったように、ため息一つでレミアは書類仕事から一旦、距離を取る。

 

「……正直ね、これもまた仕事の一部ではあるの。あなたは委任担当官でしょう?」

 

「えっ……あ、はい……」

 

「なら、クラードのメンタルチェックもあなたの仕事のうち。彼は……ちょっと参っているみたいね。前回の敵との思わぬ苦戦とアルベルト君との決裂に近い行動に。……それでも、彼なりに思うところはあるみたいだから、あなたにはそれを解きほぐして欲しいのよ」

 

「解きほぐしてって……でも私、クラードさんからしょっちゅう邪魔者扱いを受けていますし……」

 

「邪魔って言われればあなたは仕事を放棄するの?」

 

「それは――! そんなわけないんですけれど……」

 

「だったら、今はクラードと一緒に休暇。その後、ベアトリーチェは月軌道を目指して出港します。その時に、クラードが疲労困ぱいでどうしようもないでは遅いのよ」

 

「……あの、思っていたんですけれど皆さん、クラードさんの事、信頼しているんですね……」

 

「当たり前でしょう? 彼と《レヴォル》は切り札よ。我がエンデュランス・フラクタルにとってはね」

 

「……でも、クラードさん。ピアーナさんの時もそうでしたけれど、前回の敵と戦った時、らしくなかったって言うか……私の眼にも無理してるって言うか……」

 

「分かっているのなら、休ませなさい。ただし、これから二十四時間の同行義務が生じます」

 

「同行義務って……それって四六時中一緒に居ろって事ですよね……?」

 

「難しくはないはずよ。戦えと言っているんじゃないんだから。……ああ、でも。あなたからしてみれば戦い以外のクラードと会話しろってのは戦闘行為よりも難しいかしら?」

 

「い、いえっ……! お仕事担当させていただきます……!」

 

「なら下がって。これでも書類仕事にてんてこ舞いなの。……頭痛薬、また必要そうね。後で医務室行こっと……」

 

 レミアは明らかに疲弊した様子で書類仕事をさばいていく。それもこれも、全部自分とクラードのせいだと言わんばかりに。

 

「……あのぉー、レミア艦長。でもその、クラードさんとの休暇って何をすれば? そうだっ、艦長はクラードさんの好みを知っているんじゃ――」

 

「駄目よ、楽しようとしちゃ。私からの助言は一切なし。楽しんできなさい、カトリナ・シンジョウさん」

 

 何だかそれそのものが意趣返しのようで、カトリナは閉口してしまう。

 

「……い、行ってきます……」

 

 よろよろと力ない足取りで回れ右をした自分にレミアは一言だけ付け足す。

 

「ああ、そうそう。あなたは委任担当官なのだから、少しでも有意義な時間にするように。無意味に休暇を潰すのだけはやめてちょうだいね」

 

 艦長室を去ってから、カトリナは呟く。

 

「……なら、教えてくれたって罰は当たりそうにもないのに……。レミア艦長ってケチだなぁ……」

 

 唇を尖らせていると、ふと目に留まった影に立ち止まる。

 

「あ、ラジアルさん……」

 

「シンジョウさん? どうしたんですか?」

 

「ああ、いやその……。艦長に無理難題を吹っ掛けられちゃって。それをどうしよっかなぁ、って考えている途中です……」

 

「そうですか……。私はちょっと、乗機の確認に」

 

「乗機……って、ラジアルさん、戦闘用MSに乗るんですか?」

 

 仰天したこちらに比してラジアルは落ち着き払っている。

 

「ええ、これももうヴィルヘルム先生や艦長には通しておいたんですけれど。シンジョウさんくらいだと思いますよ? 知らなかったの」

 

「……ええ……私ってばハブられちゃってます……?」

 

「そんな事はないと思いますけれど。……ああ、ちょっと見てきますか? どうせだし」

 

「あ、いいんですか? ……じゃなくって……でも何で? オペレーター勤務だけの契約だったんじゃ……」

 

「まぁそのつもりだったんですけれど、私も出来る事をやっていきたいってのはありますし。……それに前回、重石になっちゃったのは事実ですから」

 

 コロニー、シュルツに仕掛けてきた連中との会敵時に確かにラジアルは障害ではあった。

 

 だが、それももう終わった事なのだ。

 

 ならば別段責め立てられる事でもないはずなのに。

 

 それでも彼女の眼差しは、先へ先へ、次へ次へと望んでいるようであった。

 

「……何でそんなに、前を目指せるんですか?」

 

「シンジョウさん?」

 

「……私だって、元気なだけが取り柄じゃないです。前の戦闘で、クラードさん、ちょっと参っちゃってるのは分かりますし。それにアルベルトさんだって。何だか重たいものを背負っているのは嫌でも分かっちゃいますよ。それでも……前に進むのをみんなやめない……。何だかそんな風な人達と一緒に居ると、自分のちっぽけさを自覚しちゃいそうで……」

 

「……意外でしたね」

 

「えっ……やっぱり私なんかが――」

 

「いえ、シンジョウさん、マイナスな事も言うんですね。私、あなたがプラス方面の事ばっかり言う、ちょっとアレな女の子だと思っていました」

 

 ラジアルからの意外な人物評に顔を上げたカトリナは、雅なラジアルの相貌を見やる。

 

「……私、これでも嫌な女なんですよ? あなたの事はずっと……いい思いしかした事のない箱入り娘だと思っていましたし、レミア艦長だって死神の渾名を持っている嫌な女だと思っていました。他の人だってそう。私は大女優、ラジアル・ブルームなんだって、だからみんなと違うんだってどこかで線を引いて。だから、でしょうかね。オペレーター兼MSパイロットをやろうとしているのって、結局はそういう事なんです。私は私に出来る責任を取りたい。でもオペレーターのままじゃ安全圏からあれこれ言っているだけ。なら、私も背負いたいって。アルベルトさんだけじゃない、みんなの分の痛みだって。これって、別に変な話でもないんですよ? ……私は女優として、リアルに身を置きたい。その延長線上の代物なんです」

 

「……でもリアルって言ったって、生き死にの関わってくる戦場ですよ」

 

「この戦闘艦に居る以上は同じのはずです。誰だってみんな、死に物狂いで戦っている。なら、私だけ戦わないのは嘘のはずですから。それに私、アルベルトさんの隣に居たい。もっともっと、あの人の特別に……そうなりたいなぁって思えるようになったんです」

 

「……それって……」

 

 濁した自分の語尾をラジアルは微笑んで頷く。

 

「ご想像にお任せしますけれどね! ……まぁ、これもズルなんですが」

 

 大女優の言葉にはいつだって度肝を抜かれるばかりだ。

 

 彼女にはきっと自分には見えていないものが見えているのだろう。

 

 その視座だからこその戦い方。それがMSパイロットとしての経験を踏みたいのなら、自分に止める言葉はない。

 

「……でも、MS《オムニブス》……あれって結構特別ですよね? 戦域偵察型MSって言う触れ込みで……」

 

「スペックには目を通してくださったんですね。ええ、まぁ。威力偵察って言う任務を帯びています。《レヴォル》がこれまで出たとこ勝負だったんですけれど、《オムニブス》が先行して敵の戦力やこちらとの概算値をマッピングして、その後に《レヴォル》や《マギア》による攻勢、と言う形へと変移していきますね」

 

「……それって一番危ないところに行くって事ですよね? 何でそこまで……」

 

「何でって……さっきも言った通り……。ああ、これもズルですね。まぁ、嫌な女だってカミングアウトしちゃったんで言いますけれど、一番のリアルは前線に出る事なんです。私は幸いにしてRM施術を受けた存在。なら、パイロットとしての適性自体は低くっても、それなりに応戦くらいは出来ます。何ならミラーヘッド戦だって」

 

「……でもそれは……ラジアルさんが赴かなければいけないんですか?」

 

 どうしてもその疑問が突き立ってしまう。

 

 ラジアルは笑って誤魔化そうとしたようであったが、敵わないな、と呟いていた。

 

「……何だかシンジョウさん、真正直な眼で私を見て来るんですもの。嘘や偽りは、あまりためにはなりそうにないですね。……シンジョウさん。自分の守りたいもの一個、胸に抱くとすれば何です?」

 

「守りたいもの、一個、ですか……?」

 

 呻っているとラジアルは晴れやかな表情で口にする。

 

「私にとってのそれはこのベアトリーチェであり、そして明日のために戦い抜くことなんです。だって私、ほんの一週間ちょっとだけれど、このベアトリーチェが好きに成れました。なら、報いる事をしたいんです。ほとんどワガママですけれどね」

 

「報いる事……ですか。でもそれが、戦う理由……」

 

「いけませんか? ……戦う理由なんて千差万別ですし、私の戦う理由と、あなたの戦う理由は違います。それも当然の理。……でも私、気付いちゃったんです。好きな場所で、好きな人を守るために戦えれば、それに勝る喜びってないんだって!」

 

「好きな場所で、好きな人のために……」

 

「小難しく考えたってきっとうまくいきません。なら、私は動物的本能でもいい。自分のために、剣を取れる人間になりたいだけなんです」

 

 それは大女優の言葉と言うよりかは等身大の女性の言葉に思えていた。

 

 ラジアルと自分はさして年の差はないはずであったが、彼女はずっと先を見据えている。

 

 直近の前しか見えない自分とは大違い――。

 

「……何だか私、駄目ですね。真正面しか見えていないみたいで……」

 

「駄目じゃないですよ。それがシンジョウさんのいいところでしょう?」

 

 二人で話している間に格納デッキへと浮かび上がり、彼女の搭乗機となるであろう、《オムニブス》の整備班へと向かっていた。

 

 全体像としては灰色の重装甲機――角ばった機体シルエットに、バイザー型のメインカメラを有する。

 

「あっ、ラジアルさん、ちーっす」

 

「トーマちゃん。どう? 調子は」

 

「ぼちぼちっすねぇ。この《オムニブス》の整備はあーしが担当する事になったんで、野郎連中には触らせません。哨戒用の機体ですんで、下手なMSよりも固く設定しておきますね。装甲ももらいましたし、何なら重武装も出来ますけれど、ラジアルさんの好みに設定しとくのが一番いーっしょ」

 

「頼むね。……あ、この辺はライドマトリクサーだから重ためでもいいよ。私、これでも力強いから」

 

「了解ーっす。あれ? カトリナさん、ここ来ていいんすか? 表でクラードさん待たせてるんでしょ?」

 

「ええっ? 何でそれを……」

 

「もうこっちじゃ常識ですし、クラードさん、待たせると怖いっすから。メカニックとしての知恵です」

 

「大変、急がないと……っ!」

 

「ああ、それともう一個。これ、女としての知恵っすけれど、格納デッキにリクルートスーツで来ないほうがいいっすよ。丸見えなんで」

 

 ひゃっ、と短く悲鳴を上げてスカートを押さえると、先ほどまで視線を向けていた整備班達の視線が逃げていく。

 

「せ、セクハラ……!」

 

「忠告っすよ。所詮は知恵だけなんで対策は自分でしてくださいよー」

 

 手を振るトーマに手を振り返して、カトリナは格納デッキの向こうに見える港へと駆け出していた。

 

「あっ……クラードさん……」

 

「遅いよ」

 

「お、お待たせしました……」

 

「……レミアもお節介だな。俺に休暇なんて要らないって言ったのに。それも余計なコブ付きで」

 

「こ、コブ……?」

 

 思わず尋ね返した自分にクラードは一瞥も振り向けずに歩み出していく。

 

 何だか平時の艦内と同じような感覚で、クラードの背をカトリナは追っていく。

 

「……ちょ、待って……。足速いですってば……」

 

「あんたさぁ、ただでさえ無重力は足腰をやりやすいんだ。少しは歩く事も覚えておいたほうがいい」

 

「と、とは言いましてもぉ……。体力落ちてるのかな……」

 

「どうだっていいけれど。あんたに一日中付き纏われるんだ。どこかに迷子になられたら困る」

 

「……ま、迷子? もうっ……」

 

「また小動物のマネ……。何、それって流行ってるの?」

 

 頬をむくれさせるとクラードは心底呆れ返ったとでも言うような声を返し、大仰なため息さえもついてみせる。

 

「……知りませんっ」

 

「ああ、そう。俺も知らないから、適当に歩くよ」

 

 クラードはその言葉通り、コロニー、シュルツの街並みに大して感情を揺り動かされるでもなく、ぽつぽつと歩いていく。

 

 カトリナはしかし、その光景がつい二日前とはまるで違っているのを思い知っていた。

 

 そこいらで未だに燻ぶる戦火の残光に、思わず口にしてしまう。

 

「……ここも、戦場になったんですね」

 

「どこだって戦場にはなる。運がいいか悪いかだけだ」

 

「でも私達さえ来なければ、死なない人だって居たんですよね……」

 

「責任とか感じているんならやめたほうがいい。そんな調子じゃ月面航路まで持たないし、それにただ単に不幸だったで割り切ったほうがよっぽど賢い生き方だ」

 

「で、でもそれって……っ! そんなのってないじゃないですかっ!」

 

「そんなのって何。見なよ、あれ」

 

 クラードが顎をしゃくった先にあったのは、打ち捨てられた店内で必死に営業準備に移ろうとしているアパレル店の店員達であった。

 

「あれって……」

 

「あんたはああいうほうに居るほうがお似合いだ。戦闘艦に居るのなんて異常なほどだ」

 

 カトリナはガラス越しの店内を眺める。

 

 奔走する自分とさして年かさの変わらない新卒社員達が、営業準備に入ろうと汗を流している。

 

 その中には割り切れないであろう現実も込みのはずだ。

 

「……戦いがあったんですよね」

 

「分かり切った事を言うんだな」

 

「でも……でもそれって……私、当事者ですよ」

 

「俺と乗り合わせたのは不幸だ。別にあんたの背負う咎じゃない」

 

「それでも……っ! 私の役職はここですっ! ここなんですっ! 戦闘艦ベアトリーチェの、委任担当官! 私の居場所は……あなたの……あなた達の……っ!」

 

 そこまで口にして、じゃあ何なのだと答えは出ないままであった。

 

 なかなか喉から出ない言葉にクラードは痺れを切らしたのか、それとも単純に興味なんて最初からないのか、目線を焼け落ちた映画館へと振っていた。

 

「……あの時、《レヴォル》の降り立った場所。一回来るべきだとは思っていた」

 

 しかし、トライアウトに蹂躙されたはずの映画館の片隅では、暗幕を使っての即席の映画鑑賞が行われていた。

 

「……何で、こんな目に遭ってまで……」

 

「こんな目に遭ったからだろうな」

 

 特に何も言わず、クラードは暗幕の中に入っていく。

 

 思わず自分もそれを追って暗幕に入っていた。

 

 上映されていたのは安物のラブロマンスで、それも酷く画像劣化が激しい。

 

 恐らく、こうして映画の興行をする事でさえも困難なはずだ。

 

 客は皆、立ち見で誰もがしかし、安物のアイドル映画を釘付けになって観ている。

 

「……何で……」

 

「人は痛み以外で泣けるらしい、唯一の生き物なんだそうだ」

 

 視線を振り向けるとクラードは映画を鑑賞しながら口にしていた。

 

「……昔、そう教えてくれた人が居た。その一つが映画であったり、他人の悲しみに寄り添う事だったりするらしい。……俺には縁がないと、その時は切り捨てたんだがな。だって言うのに巡り巡ってと言うべきか、俺が目にするのは、こんな行き当たりばったりの戦場ばかりだ」

 

 一昔前のアイドル映画なので完成度は二の次。

 

 脚本だってお世辞にも褒められたわけではないのに――カトリナは静かに頬を伝う熱を止められなかった。

 

「……これ、は……」

 

「こんな土壇場の最果てだって、物語はある。どれほど戦場が酷く移り変わっても、どれほど炎と硝煙と血に塗れたって、人間は立ち上がろうとする気概がある。……俺は人間にとことん嫌気は差しているが、それだけは評価出来るよ。どんなどん底の場所だって、嫌な目に遭っても、辛い目に遭っても、苦しくっても……前を向こうとする気力だけは萎えないって言う人間が出てくる。俺はそれこそが戦場の価値なんだとは思う」

 

「戦場の……価値……」

 

「戦って殺し合って、憎み合って、奪い合ったって……。それでもなお、折れない人間の意志……。俺は絶望しているけれどさ。そういうのに光を見る奴だって居るわけだ。今のあんたみたいに」

 

「……私みたいに……」

 

「俺は誰かのためには泣けないよ」

 

 そう短く、それでいて悲しみと諦観を湛えたクラードの言葉にカトリナは目線を振る。

 

「……そうだ。泣けないんだ。誰かのために。何かのために……。この手は壊してしまうばっかりで……」

 

 視線を落とした先にあったのは、機械化された腕であった。

 

 ライドマトリクサー施術、現在科学の忌み子であるクラードをこの地獄に縛り付け続ける証。

 

 答えなんて見えないとでも言うように、クラードは自分の掌に視線を落とす。

 

 カトリナは思わず――その手をぎゅっと握っていた。

 

 つい先ほどまで泣いていた人間が自分の手を握ったものだから驚いたのだろう。

 

 クラードの、その赤い瞳に翳りが宿る。

 

「……何なんだ」

 

「今は……映画が上映中ですのでその……静かにしておきましょう」

 

「……それもそうか」

 

 冷たい手だ。

 

 本当に、人の温かみなんてこれまで一ミリだって感じた事がないとでも言うような手。伝わる体温は拒絶の意味を持っている。

 

「……それでもそう伝えた人はきっと……あなたに生きていて欲しいから……」

 

「どうだろうね。俺にはもう、そいつの言いたかった答えなんて分からず仕舞いだ」

 

 それでもこうして、繋いだ手に感じるものだけは、本物のはずであった。

 

 



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第59話「喪失者の叛逆」

 歩いた。

 

 どこまでも遠く。

 

 どこまでも果てのない、旅路を。

 

 灼熱の太陽。

 

 肌を焼くじりじりとした熱気。

 

 だがそれらが今は、どうしてなのだか冷め切った代物に思えてくる。

 

 それは生まれ変わった証であろうか。

 

「……どうだろうな……」

 

 天を仰いだハイデガーは自分の掌を見やる。

 

 睨んだ瞬間には積層構造のライドマトリクサー施術痕が浮かび上がっていた。

 

 一瞬だけ開いた自分の手はまるで他者の手のように現実味がない。

 

「……それもこれも……」

 

 思い返す。

 

 違法なRM施術を請け負っている業者に頼り、ライドマトリクサーとして可能な施術を全て施した異端の肉体。

 

 脳幹以外は全て、そのほとんどの権利を委譲していた。

 

 最早、自分の肉体のどこが生身で、どこが機械化されているのかは判然としない。

 

「……その上……」

 

 業者から足が割れては敵わない。

 

 よって、ハイデガーは施術後に目を覚ました直後には、有機伝導技師を撃ち殺していた。

 

 自分の経歴を知られるのは旨味がない上に、このままでは異端者の烙印を押されるだけだ。

 

「……だが、今の僕ならば乗れる。あの《レヴォル》に……! 焦がれ続けた、エースの座に……!」

 

 ぎゅっと拳を握り締めたところで、ハイデガーは暗幕の中から数名の人々が出ていくのを目にしていた。

 

 その中にあり得ないはずの人間を発見する。

 

「……何で、だ……」

 

 どうしてなのかまるで分からない。分からないと言うのに、改造された視力は明瞭に、その二人を捉える。

 

「……カトリナ・シンジョウ。それに、クラード……」

 

 震撼する視界の中で二人は手を握っていた。

 

 どういう経緯なのかは分からない。

 

 分からないが――これまで冷めていた血管が急速に沸騰していくのを感じていた。

 

「……何でだ。何でだ、何でだ……何でなんだ! 僕はここまで自分を売り払ったと言うのに、何であいつが……僕の欲しいものを手に入れている……!」

 

 忌むべき手。

 

 RM施術痕の浮かんだ腕。

 

 だと言うのに何故なのだ。

 

 自分は喪失した。

 

 一生分の価値を売り払ったのに、それでも隣に居てくれる人はいない。

 

 なのにあれには――クラードには隣に居てくれる人が居る。認めてくれる人が居る。

 

 それが何よりも――今は断絶として許せない。

 

 ハイデガーはその場に蹲り、二人の背中が遠ざかっていくまで見つめていた。

 

 二人が手を繋いだだとか、クラードがこうして普通の生き方を謳歌しているだとか……そんな事はもう、どうだっていい。

 

 どうだっていいのに、脳髄を焼き焦がすかのような怨嗟だけが止まらない。

 

「……何でだ。僕は……あの場所に……あいつが居るあの位置に居たはずだ……。だって言うのに何で……何であいつは……! 僕の居場所をことごとく奪っていく……!」

 

 ――足りないのか、とどこかで自問する。

 

 その問いかけの主は妙に明瞭化した声で脳内に囁きかける。

 

「違う……。足りているはずだ。満たされているはずだ! 僕は……RM施術に……あいつよりも強い施術に打ち勝った! そう、勝ったはずなんだ!」

 

 ――ならば何故、そうも満たされない?

 

「それは……」

 

 眼球に埋め込まれた拡張機能がこちらを見て声を潜める者達を発見し、ハイデガーは羞恥と屈辱に拳を握り締める。

 

「何を見ている!」

 

 周りの人間達が散っていく。

 

 それらを目にしつつ、ハイデガーは足りないものを感じていた。

 

「足りない、足りない、足りない……もっと欲しい! もっとだ! 僕は満たされなければいけない。だって言うのに、何でこうも飢えが……渇きが襲ってくるんだ! ……RM施術の失敗か?」

 

 不意に浮かんだ疑念であったが、当の技師を殺しているので確かめようがない。

 

 ならばヴィルヘルムに、と考えた自分の浅はかさに嫌気が差す。

 

「あの人は僕を見てくれない……」

 

 だから自分だけで強くなるためにこうして努力した。

 

 努力して、培って、そして自分を、他の誰でもない自分を。

 

 皆が評価してくれるはずだった。

 

 だと言うのに、残ったのは何だ。

 

 虚無だけだ。

 

 虚無感だけに衝き動かされ、ハイデガーは朽ちた街並みを彷徨っていた。

 

 そこいらで燻ぶる硝煙。

 

 それでも人々はかつての営みを取り戻そうとしている。

 

 何よりも腹立たしいのはそれもだ。

 

「……壊れた物は、壊れたままだろうに……!」

 

 何で一端に取り戻そうとしている。

 

 何で取り戻せると思い込んでいる。

 

 何で――自分はこんなに酷い顔色で、街を徘徊しているのだ。

 

 ガラスに反射した自分の面持ちに笑えてくる。

 

「……何て顔だ。RM施術を表情筋まで至らせたはずなのに、何でこんな時、顔色一つでさえも制御出来ないんだ……」

 

 くしゃくしゃの泣き顔に浮かんだ、身を焼き尽くさんばかりの怒り。

 

 それは己の思考を焼き焦がし、全てを葬り去らんとする。

 

 これまで積み上げて来たものは偽りであった。

 

 これまでの経歴は意味なんてなかった。

 

 これからの生にもきっと、意味なんてないだろう。

 

 ようやく辿り着いた緑地帯で、自分の愛機であった《エクエスガンナー》が乗り捨てられていた。

 

 頭部を損壊し、その象徴たる武装さえも破壊され、無様に横たわっている。

 

「……お前は役目を終えたのか」

 

 答えはない。

 

《エクエスガンナー》の眼窩に意識もない。

 

 ハイデガーはコックピットに乗ろうとして、不意に漂ったにおいに顔をしかめていた。

 

「……あいつのにおいだ。エージェント、クラード……!」

 

 それを打ち消そうとして全天候モニターを殴りつける。

 

 強化された自分の膂力がモニターを打ち砕いていた。

 

「……何で……何で僕には何も残されていない……。お前もか、《エクエスガンナー》! お前も僕を裏切るのか! 僕を見限るのか!」

 

 答えなんてない。

 

 分かり切っている。

 

 この世に、もう自分の期待する答えは残されていない。

 

 幽鬼のようにゆらりと立ち上がり、ハイデガーは顔を覆っていた。

 

 叫びが、慟哭がコロニーの空を突き抜けていく。

 

 取り返しのつかない事をしてしまった。

 

 何も取り戻せない。

 

 日常も、情景も、愛情も、友愛も、何もかもを捨ててしまった。

 

 この手にあるのは人を殺すためだけの術だけ。

 

 それも、あのクラードに遠く及ばないのは理解出来てしまう。

 

「全身ライドマトリクサーでも……敵わない事だけが明瞭なんて……そんな事ってあるのかよ……」

 

 答えは遠ざかる。

 

 正しさは背を向ける。

 

 自分の手の中に残ったのは、滑り落ちるだけの掌に残存したのは――人でなしの証拠だけ。

 

 もう、戻れない。

 

 なら――。

 

「簡単な話じゃないか。――戻れないのなら、全部壊してしまえ」

 

 それが自分の、世界への叛逆だ。

 

 



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第60話「他愛ない約束を」

「……クラードさん。案外普通に物を見たりするんですね」

 

 クラードが買い付けた袋を見やり、カトリナは茶化す。

 

「……何だよ。俺が何か買うのがそんなに可笑しいか?」

 

「い、いえ……っ。いや、嘘ですね。はい! 可笑しいです!」

 

「……いい笑顔で言いやがるよ、まったく。あんただってそうじゃないか。随分と買って、休暇を満喫したみたいで何よりだよ」

 

「えっ……そうです……かね?」

 

「新品の服を五着も買って、それで無欲だとか言える?」

 

「それはー……違うかもですね……」

 

「だろう。まぁ、こういうのもたまにはあるって話だ。……レミアに感謝するといい。ここから先の旅路には、余計な装飾品を買うような暇なんてないかもしれない」

 

「……艦長、分かって言っていたんでしょうか?」

 

「どうだろうね。レミアの事だ。俺達じゃ窺い知れないものを背負っている。それが艦長としての責務だとか、責任者としての義務だとか、毎回煙に巻かれるけれど、それでもレミアは頑張り屋だ。あれで人一倍、努力だけはしている」

 

「……意外。クラードさんって他人を褒めるんですね」

 

「……ホント、さっきから馬鹿にしてるだろ。俺が何も知らないと思っているとすれば、それは大間違いだ」

 

「でもクラードさん、これまで何て言うかその……戦う事ばっかりでしたので、ちょっと意外でした。艦長や他の人の事、しっかり見ているんだなって」

 

「……俺はエージェントとして必要な事ならばそれに従う。そうじゃなければ何もしない、それだけだ。必要に駆られたから、俺はそう従っただけ。それの何が悪い」

 

「……悪いとか何だとか、思っているわけじゃないですけれど……。クラードさん、戦い以外だと本当に切り詰めているみたいに見えましたから」

 

 その言葉にクラードは嘆息をつく。

 

「艦長命令だ。ならば従う義務がある。俺の身体は……肉体はエンデュランス・フラクタルに帰属する代物だ。《レヴォル》と共に在る事だけを求められてきたのだから、それも当然だろう。俺は、自分自身を飼い馴らす。それも当たり前」

 

「でもその買ったものは、当たり前っぽくは見えませんでしたよ?」

 

 クラードは赤い買い物袋を手に提げ、心底不自然そうに尋ねていた。

 

「……俺にも分からない。何がどうなっているのかなんてな。だが、休暇と言うのが必要だったと言うのだけは、それはその通りなのだろう。レミアの判断に、やはり間違いはない」

 

「……艦長の事、信頼しているんですね」

 

「そうじゃなければベアトリーチェの月航路なんて任せられない。レミアは特別だ。ただ……その特別さを自覚しづらいだけの……」

 

「だけの……何なんです?」

 

 そこでクラードは言葉を切り、いいや、と買い物袋を下ろす。

 

「俺も勘繰り過ぎだ。他者の事は所詮は他者。そうだと規定し続けたはず。だって言うのに……あんたは俺の何になりたい?」

 

「な、何にって……」

 

 詰問の論調を伴わせていたからだろう。カトリナは戸惑った後に、うーんと思案する。

 

「……その、私……っ、幸せになりたいんです」

 

「それは前も聞いた。あんたの幸せ論は」

 

「そうじゃなくってその……幸せになるための道標に、私の仕事の、委任担当官って言う仕事があるんだとすれば……。私は、クラードさん。――あなたもきっと、幸せにしないといけないんだと思います。それが私のその……仕事をする上での目標って言うか……」

 

「……ふぅん、変わってるね、やっぱり」

 

「く、クラードさんはないんですか? その、目標……みたいな……」

 

 問われてすぐには出なかったが、自身の掌に視線を落とし、モールド痕を見やる。

 

「……RM施術者ってのはさ、他人よりも感覚は鈍くなっていくんだ」

 

「それはその……一応、習いました。有機伝導技師の資格の時に……」

 

「ああ、そうか。ならまだ話は早いかもな。……俺は言ってそこまで有機伝導技術を受けているわけでもないけれど、この両腕は完全なライドマトリクサー。だから、時たまに、何だけれど、俺がここに居るのが、正しいのか正しくないのか……分からなくなってくる」

 

「それはその……戦う上での、ですか?」

 

「……それもあるけれど、何よりも俺の存在意義みたいな奴かな。この手は作り物の手だ」

 

「……クラードさん……」

 

「生身のあんたじゃ分からないだろ。これはきっと、あのピアーナとかも分からない。手と脳髄が直結されていて、時折、気分が悪くなる。作り物の腕と、生身の脳が電子的なリンクを持っているなんて」

 

「で、でもそれは……普通の人間でもあり得る事で……」

 

「人造的な四肢を持つライドマトリクサーは自分の脳なんて見た事もないはずのものを頼りにして生きていく。そこに精神があるのか、生きていくだけの価値は残っているのか。残存する生命力の性分を、そこに突っ込んだところで意味なんて見出せるのかって」

 

「クラードさんは……人間ですよ」

 

「ライドマトリクサーだ。どれほど言い繕ったってな。だが、俺はこれで生きていく。これで生きていくしかないと、自分の指標にした。あんたの言う目標ってのがあるとすれば、俺は壊すだけしか出来ない破壊者。なら、壊した先に何があるのかを、見つけ出したい」

 

「……そんな事……」

 

「戦いにおいて俺は相手を倒し尽くす。その上で答えが待っているのなら、答えに縋りつくんじゃない、答えが来るのを待つ。俺は答えの先に行く。それがエージェント、クラードの……生きていく指針だ」

 

 それさえ出来れば、もう他には要らない。

 

 他は邪魔な要素だ。今は、こんなものだけでも通用する。

 

 そう考えていたクラードは、不意にカトリナの手が自分の手に触れたのを感じ取っていた。

 

「……何だ」

 

「……クラードさんの手は冷たくないです。人間の手です」

 

「嘘を言うんじゃない。RMの手は冷たい。人間なんて簡単に裏切れる」

 

「でも……っ、裏切らないのがクラードさんじゃないんですか?」

 

「……知った風な事を言う」

 

 これ以上話していても有益とは思えない。

 

 一日分の休暇はエージェント、クラードに余計な事を考えさせる。

 

「……戻らなければ。《レヴォル》が待っている」

 

「……でも待ってっ! ……《レヴォル》だけじゃありませんよ」

 

 白衣の袖を握ったカトリナが頭を振る。クラードは目を伏せていた。

 

「……《レヴォル》だけだ。俺を待っているのは、いつだって」

 

「そんな事はありません。私も……じゃあ待ちます! 待ち続けます! これ、約束しましょう!」

 

 小指を差し出したカトリナにクラードは怪訝そうにする。

 

「……何なのそれ」

 

「指切りです! 指切りで約束したら、だって約束破ると針千本ですからねっ!」

 

「……非合理な約束方法だな」

 

「いいからっ! これで約束しましょう!」

 

 小指を絡めたカトリナにクラードは首を傾げる。

 

「あのさ、俺はこれでも手はライドマトリクサーなんだ。小指だけでも簡単に折ってしまえるけれど?」

 

「こ、怖い事言わないでくださいよぅ……。いいから……指切りげんまん、嘘ついたら針千本、のーますっ! 指切った、っと!」

 

 小指が離れ、クラードは不明瞭な感覚に当惑する。

 

「……あんた、分かんない事ばっかり言うんだな。大外刈りだの、幸せ論だの、指切りだの……。俺にはあんたのほうが、よく分かんない存在だよ。エンデュランス・フラクタルや……これまでの戦場であんたみたいなのは生き残ってこなかった」

 

「うぅ……っ、やっぱり変……ですか?」

 

 涙目になったカトリナにクラードは手を払う。

 

「変とか変じゃないとかと言うよりも、あんたも異常者だ。俺とはベクトルが違うけれど」

 

「い、異常者って……」

 

「そうじゃないのか? ベアトリーチェはこれからも何度も戦闘に巻き込まれる。その度に思い知るはずなのに、何で俺に付き纏うんだ? 俺と一緒に居ても嫌な戦場で不愉快な思いをするだけだ」

 

「それは、その……っ」

 

「委任担当官だから、って言う理由は、もう聞き飽きたんだけれど」

 

 先回りして言ったせいか、カトリナは言葉を彷徨わせる。

 

「あの……っ、えっと……」

 

「ないなら早く帰る。もう夕暮れ時だ。さすがに一日の休みとは言え、この時間帯に帰らないとまずい」

 

 踵を返しかけて、カトリナが声を張っていた。

 

「わ、私……っ! 私だからじゃ……駄目ですか……?」

 

「……どういう意味」

 

「私が……その、委任担当官の仕事としてだけじゃなく……カトリナ・シンジョウだから……じゃ、駄目でしょうか? 私は私の職務のために、確かにクラードさんに付き纏って……います。でも、それだけじゃない。私は私の事を誰よりも裏切りたくないんです。私がこの場所に居る理由として、カトリナ・シンジョウだから……ここに居るんです……っ」

 

「何だそれ。なかなかに無茶苦茶な理論だな」

 

「……暴論なのは分かっています。自分でも何言ってんだろって……。でも、今の私に出せる答えは、その程度で……」

 

「そうか。なら別にいいんだろ。カトリナ・シンジョウだから、ここに居るってのは……これまでの幸せ論や、委任担当官の仕事だからって言うのよりかは、うん。飲み込めた」

 

「ほ、本当ですか……っ?」

 

「ただ、俺はそれでも前に行く。戦いの先へと。あんたの言葉で足を取られるわけにはいかない。俺の行く先に何があるのかは、俺と《レヴォル》だけが知っているはずだ」

 

 ようやく、ベアトリーチェに向けて歩み出す。

 

 後ろからカトリナが追従してくるが、今はどうしてなのだか、嫌な気分ではなかった。

 

 



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第61話「半端者の意地」

《エクエスルージュ》が旋回軌道に入り、四肢を稼働させて最小限度の機動力で弾道を回避していた。

 

 直後にはデブリへと突き刺さった弾丸が爆ぜている。

 

 ダビデは下方へと逃れつつ、応戦の銃撃網を張る。

 

 だが、相手は既に射程を心得ている様子で、機体をロールさせながら半身になってビームサーベルを抜刀してみせた。

 

 その勢いに対して、ダビデも剣を抜き、干渉波のスパーク光が散る中で相手を睨む。

 

 漆黒の塗装を施された機体はデュアルアイセンサーを持ち、黄色に輝くゲインを引き上げている。

 

 その機体形状そのものは《エクエス》と大差ないシルエットであったが、各所に備え付けられた加速を補助するバーニアが稼働し、想定よりも膂力が大幅に設定されている。

 

 振り落される――その感覚で振り払った相手へと速射ライフルで照準。

 

 すぐさま敵影は上方へと逃れ、応戦の銃撃を見舞うが、狙い撃たれるほどの腕ではない。

 

 跳ね上がった機体が刃を握り、加速度を上げて相手へと肉薄し、唐竹割りの一閃。

 

 しかし機動力で勝る相手は、打ち下ろされた一撃を華麗に避け様に片腕の陰に隠した銃口を《エクエスルージュ》へと向けていた。

 

 完全に振り下ろした形の《エクエスルージュ》は隙だらけだが、簡単にはやらせない。

 

 制動用の推進剤を直近で焚き、相手の眼を幻惑させる。

 

 その隙に距離を稼ぎ、デブリ帯へと潜り込む。

 

 容易くは撃てないはずだ、と判じたダビデに反して、相手はデブリの陰に隠れるでもなく、何とデブリを踏み台にして跳躍してみせていた。

 

 その速度、伸びやかさは《エクエス》の比ではない。

 

 瞬間的に距離を詰められ、刃を見舞うも、それは場当たり的な対処であった。

 

 相手の居合いの速度のほうが遥かに速い。

 

 そのまま機体を薙ぎ払われたところで、ブザーが鳴り響いていた。

 

『戦闘シミュレーション終了。リンクを解きます』

 

 デブリの暗礁宙域の背景が溶け、全てはこの格納庫で起こった出来事なのだとダビデは関知する。

 

「……いい試合でした。グラッゼ・リヨン大尉」

 

 返答しつつ、シミュレーター用のパイロットスーツの密閉感からようやく逃れたダビデはインナーに風を通す。

 

『なに、私もまだまだであった。いいや、それよりも君の腕が鋭くなったと、評するべきかな』

 

「お世辞はいいですよ。私は強くなっていません。大尉こそ、《レグルス》をもう物になさっている」

 

 対面に佇む漆黒のMS――《エクエス》の発展形たる《レグルス》は操り手であるグラッゼの意識を受けてデュアルアイセンサーを輝かせる。

 

 その腹腔のコックピットハッチを開き、グラッゼは格納デッキを浮遊する。

 

『ティーチ。少し反応が軽いな。もう少しペダルを重めにしてくれると浮足立たなくって助かる』

 

『了解です。……にしても大尉ってば、これ、《エクエス》の時よりもだいぶ重くしてあるんですよ? 筋トレでもなさるつもりですか、MSのコックピット内で』

 

『君らが望むのならばそれもいいな』

 

 軽口を叩きつつ、メカニックチームに囲まれたグラッゼは笑いも織り交ぜながら自分のほうへと接近する。

 

 コックピットハッチを開け、挙手敬礼しようとしたところで手で制される。

 

「私との模擬戦を買って出てくれるのは君くらいなものだ、DD。その有り難さ、痛感する」

 

「いえ、私にとっても有益ですので。出来れば《エクエスルージュ》の機動性をもう少しあげたいのですが」

 

「《レグルス》に乗ればいい。君ならばエース級だ」

 

「……そう容易くは行きません。まだトライアウトジェネシスでは配備数も少ない機体です。そう易々と私が乗っては部下にも示しがつかない」

 

「堅いとは、思うがね。だが《エクエスルージュ》、死合ってみればなかなかに手強かった。いいリハビリになりそうだ」

 

「リハビリ、ですか。大尉はやはり、あのガンダムと死合うつもりなので?」

 

「それが目下のところの目標だな。クラード君と死合えなければ私としても仕上げたものも錆びると言うもの。次の戦闘の機会に向けて全力で自分を鍛え上げていく」

 

「……敵いませんね、大尉には。その向上心、部下に爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいです」

 

「誰もが皆、私になれるわけでもない。適材適所がある。それを忘れてはいけない」

 

「心得ております。……ですが、ガンダムとやり合おうと言うのは……何も大尉だけの特権ではなさそうで」

 

 ダビデが振り仰いだ先に居たのはガヴィリアであった。

 

 彼は先ほどからじっと、こちらへと視線を注いでいる。

 

「……准尉か。彼も次の攻撃隊に?」

 

「ええ、参加したいと。《エクエス》でいいのか、と言えばいいとの事でしたので」

 

「驚いたな。謙虚になったのか」

 

「大尉のお陰でしょう? ……RM施術を受けたいと癇癪を起していたそうではないですか」

 

「言ってやるな。男の矜持がある」

 

「それはプライドですか。それともエゴですか。……いずれにしたところで、一人でも戦力が欲しいのは実情。前回の長距離狙撃砲の件も片付いていません。我々以外にも、あの戦闘艦を狙っている存在が居る」

 

「その事なのだが、進展があったらしい。私はこの後、上官の下へと行くが」

 

「遠慮しておきます。大尉が今次作戦の要なのですから。私はただの士官です」

 

「私もここではただの士官だよ。君よりかは後輩だ」

 

「お人の悪い……。そういうところですよ、大尉」

 

「失礼。気を付けておこう。ではDD、勝利の栄光を期待する」

 

 ダビデは今度こそ挙手敬礼してグラッゼを見送っていた。

 

「……それにしたって、エンデュランス・フラクタル……。まだコロニー、シュルツに居るとの噂、本当のなのだとすれば随分と太い……いや、補給の目処が立っているのか」

 

「少尉! 《エクエスルージュ》の調整行います。メンテナンス状態にしておきますんで!」

 

「了解した。機敏性を少し上げてくれれば助かる」

 

「ミラーヘッドだって言うんでしょう? やりますよ」

 

 整備班の声を受けてダビデは元の「トライアウトのDD」としての冷徹さを振り向けていた。

 

「十分で頼みたい」

 

「承知しました。皆の者! 五分で仕上げるぞ!」

 

 その言葉に満足しつつ、ダビデは先ほどからずっとこちらを見つめていたガヴィリアへと降り立つ。

 

「な、何かね……少尉……」

 

「口の利き方は相変わらずなっていませんね、ローゼンシュタイン准尉。あなたはもう、私の部下として、ここでは扱うと言いました」

 

「だ、だが……まだガンダムとの戦いは決していない! 私も同行させて欲しい! 今度は下手を打たない!」

 

「……下手を打たれれば困るのはグラッゼ・リヨン大尉です。私に言う前に大尉に誓えばよろしいでしょう」

 

「……大尉殿は苦手なのだ、私は……」

 

 男同士特有のものなのだろうか。ばつが悪そうに視線を背けたガヴィリアに、ダビデは言いやっていた。

 

「一つ聞いておくと、今回の敵がガンダムだとは限りません。相手も戦力を渋ってくる可能性だってあります」

 

「……私相手に、手を抜くと……」

 

「誰相手でもでしょう。あの戦闘艦は着実に戦力を整えつつある。そんな時に、以前のような無鉄砲さで飛び出されれば敵わないのです」

 

「……言ってくれるな」

 

「ローゼンシュタイン准尉。私はあなたが部下として特別劣っているとは思っていません。しかしトライアウトジェネシスの一員としての自覚は持っていただきたい。我々はスタンドプレーで成り立つ集団ではないのです。大尉の《レグルス》を中心として、我々の《エクエス》編隊によるミラーヘッドの同時展開。これであの戦闘艦を足止めする。相手の主力がガンダムだと言うのなら、飛び出してきたところを撃つのはあなたではありません」

 

「……あの黒い旋風か……」

 

「大尉は実力者です。あなたとは物が違う」

 

「……持たざる者だと笑いたいのか、少尉……」

 

「いいえ。先にも述べた通り、我々は連携でガンダムの足を取ります。その際に邪魔にならなければ結構。別段、あなたに特別な期待をしているわけでもなければ、有力な戦術を実行してもらわなくてもよろしい。トライアウトの一翼として、邪魔さえしなければいいのです」

 

「……簡単そうに言うがな。私はあのガンダムに三度も敗走したのだぞ……! 因縁だって感じてもいいはずだ」

 

「ならば余計に下手を打つ事だけはやめていただきたい。三度の敗走が四度の失態になれば話は変わってくるでしょう」

 

「……私を更迭するかね、少尉……」

 

 拳を骨が浮くほど握り締め、震わせるガヴィリアにダビデは冷徹に返答する。

 

「いいえ。それは私の仕事ではありませんので」

 

 それだけ言い置いてダビデは踵を返していく。

 

 その背中に忌々しげな言葉だけがかかっていた。

 

「……女に何が分かる……半端者のDD」

 

 ――半端者。そう渾名される事も、もう珍しい事ではなくなった。

 

「……見てくれだけの女なんて、どうせ戦場では役に立たない。私は、ならばDDでいい。冷徹者、男でも女でもない、DDで」

 

 



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第62話「彼の理由」

「バーミット、いやー! おふろいやー!」

 

「馬鹿仰い! こんの! 素っ裸で外出歩かないの!」

 

 バーミットが軽いシャツをつっかけた形で飛び出したファムの首根っこを引っ掴んでいる。

 

 その様子に偶然行き会ったアルベルトは当惑そのもので硬直していた。

 

 ――が、何よりもファムが何も着ていない状態であったので思わず視線を回れ右してしまう。

 

「み、見てませんよ。何も見てません」

 

「あら? アルベルト君。なに、結構紳士じゃない。ファムー、アルベルト君がジェントルでよかったわねぇ。あんた、その様子じゃ誰に襲われたって仕方ないんだからね」

 

「ミュイぃぃ……バーミット、おに、あくま。えんがちょ」

 

「……まったく、見てくれだけはカワイイのにどこで変な言葉を……。ああ、アルベルト君、別にいいわよ、こっちに振り向いても」

 

「い、いえっ……そういうわけにはいきませんので」

 

「なにー、案外純って聞いていたのは嘘じゃなかったんだ? ……別にあたしも今さら男に見られて困る格好ってわけでもないし、ファムはこの調子だし、いいのよー、見ても」

 

 いけない。それは悪魔の囁きだ、とアルベルトはきつく瞼を閉じて自分を律する。

 

「そうはいきませんので……その……」

 

 その時、頬へと指が指される。

 

 バーミットはとっくにコートを羽織っており、ラフなシャツ姿は隠していた。

 

 ファムにもバスタオルが巻かれている。

 

「うっそー。あなた、ラジアルの話通りだったのね。男の子って奴? カワイイわねー」

 

「……か、からかわないで欲しいんすけれど……」

 

「ま、男なんてみんな似たようなものよ。どいつもこいつも、堅物か色バカかのどっちか。アルベルト君はそういう対応だったけれど、クラードなんかは顔色一つ変えないんでしょうね」

 

「……クラード。そういやそうだ。オレはクラードを探して……」

 

「なにー? アルベルト君とクラードっていい関係だったわけ? あいつも隅に置けないわねー」

 

「いや、いい関係ってワケじゃ……つーか、ファムがずっと睨んでくるんすけれど……」

 

「あ、こーら、ファム。せっかくの真っ当な男の子なんだからガン飛ばしちゃ駄目でしょー?」

 

 ファムの様子を垣間見る。

 

 銀髪から滴る水に、石鹸の匂いが鼻孔をくすぐる。

 

「……アルベルト、えっち」

 

「な――っ! オレはそんなんじゃ……!」

 

「あー、この子艦内の色んな人間と話してようやく言葉を覚え始めたばっかりだから。気にしないでいいわよ? それに別段、おかしな事じゃないでしょう? 男の子なんだから」

 

「……いや、オレはそう言うんじゃ……!」

 

「いいからいいから! 男の言い訳は見苦しいわよ?」

 

 バーミットが豪快にファムの頭をわしゃわしゃとタオルで擦るものだから、ファムは悲鳴を上げる。

 

「ミュイぃ……! バーミット、いたい! ほらふき! ひんにゅう!」

 

「……ほう? これはもっと痛くする必要がありそうねぇ!」

 

 バーミットがファムを押さえつけるのを目にしながら、アルベルトは当惑の視線を振り向ける。

 

「あのー……ところでクラードってどこ行きました? オレ、いつもの《レヴォル》かなって思ったんですけれど、見当たらないんですよ」

 

「ああ、クラードなら幸せ女のカトリナちゃんと一緒に出て行ったわよ? 休暇と称した……あれはデートね」

 

 思わぬ言葉とはこの事で、アルベルトは戸惑ってしまう。

 

「で、デート……?」

 

「あ、なにー? やっぱカトリナちゃん狙いなの? アルベルト君ってば。分かりやすいとはラジアルから聞いていたけれど、本当に純粋ねぇ。……うん、いや、クラード狙いでカトリナちゃんが邪魔って線もあるか……」

 

 一人で勝手に納得するバーミットへとアルベルトは思わず言い返す。

 

「いや、何言ってるんすか! ……つーか、オレは別に、カトリナさんにもクラードにもそんなんじゃ……」

 

「すぐ否定するところがますます怪しい。……そういうところよ。女子にからかわれやすいところ」

 

 指摘されてぐうの音も出ないとはまさにこの事で、アルベルトは参ってしまう。

 

「……この艦の女はみんなそうなんすか……」

 

「浮いた話の一個くらいは欲しいもんよ。ただまぁ、クラードとカトリナちゃんがどうこうなっちゃうってのは考えづらいけれどねー。でも一日中一緒に居たら、どうこうにもなっちゃうか」

 

「いや、なっちゃわないでしょう! そっちの常識、どうなってんですか!」

 

 思わずツッコんでしまったアルベルトに、バーミットは訳知り顔になる。

 

「ふぅーん、そうはならないと言う確証でも? アルベルト君」

 

「……知りませんよ、オレには」

 

「……まぁいいや。男子からかうのももうだいぶ昔なもんでちょっと楽しんじゃうところもあるけれど。大丈夫じゃない? だってクラードよ? あの高慢ちきなカタブツクソガキが、カトリナちゃんとロマンスになると思う?」

 

「……思いませんけれど」

 

「でしょー? ……カトリナちゃんも嫌なら嫌って言えばいいのに、仕事ですからっ! で押し切っちゃうのがなぁ。あの子らしいと言えばらしいんだけれどねー」

 

「あの、本当にオレはカトリナさんには何もないんですから。変な噂とか立てないでくださいよ?」

 

「……さいですか。でも噂が立つくらいのほうが男も立つってもんじゃないの? ああ、だけど宇宙暴走族だからそういう浮いた話とか嫌いなほう?」

 

「いや、それは……野郎連中の中には気合の入った女も居ますし、そういうのは評価しますけれど……」

 

「ああ、そう言えば居たわねぇ、あんな連中の中に女の子。名前ぇー……聞いてなかったなぁ。あたしとした事が迂闊ー……。男集団の中に長年居る女の子を逃しちゃうなんて」

 

「いや、だから浮いた話とかないんですってば! ……つーか、オレはクラードを探してるんす。他のどうでもいい話なら、打ち切りますからね」

 

「ああ、待ってってば、アルベルト君。……君、思ったよか面白そうだわ。どう? あたしと結託してみない?」

 

「け、結託って……?」

 

 ずいとこちらに身を寄せたバーミットにアルベルトはまごつく。

 

 香水のにおいと女の柔肌――。

 

 今はナチュラルメイクだが、それもほとんど素顔に近い。

 

 こんな至近距離で女性と接した事のないアルベルトは、いやでも心臓が早鐘を打つのを感じていた。

 

「あたしと賭けでもしない、って話。カトリナちゃんが誰とくっつくかの賭け。どう? 興味あるでしょー?」

 

 にこにこと笑っているが、そう言った話に乗って上手く行ったためしはこれまでの人生上ない。

 

「……シュミ悪いっすよ、それ」

 

「出た。趣味がどうとか言うの。あのねー、男と女が居るんだからそりゃー、あんた、そう言う事もあり得るでしょーが! その辺分かってないお子ちゃまってワケじゃないでしょ?」

 

「……そりゃあ、オレだって言いたい事の一個や二個はありますが……どっちにしたってそれって下種の勘繰りってもんじゃ……」

 

「ふーん、難しい言葉も知ってるんだ。アルベルト君、ラジアルが話していた通りみたいねー。何だか知的な感じがするっての。あながち見当外れの評価でもなかったわけか」

 

「……ラジアルさん、オレの事言っていたんですか」

 

「なに? 興味ある? ……何ならー、今ならお安くしておくわよ?」

 

「……ゼニちらつかせないでくださいよ、行儀悪ぃ……。大体、オレはそんなもん、別に知りたくも何ともないんで……」

 

「それも嘘ね。まぁ、他所様の評判をどうこうだとかは合わないでしょ。宇宙暴走族なんだからさ」

 

「それもそうっすけれど……つかオレの事はどうだっていいんすよ。クラードの事で――」

 

「――俺がどうかしたのか?」

 

 心臓が飛び出しそうになるとはこの事で、アルベルトは急な声に身を強張らせる。

 

「クラード……? どこ行って……」

 

「あれ? アルベルトさん。それにバーミット先輩も……。えっと、それにファムちゃんも……?」

 

 どうしてなのだか、クラードと共に帰って来たのはカトリナで、アルベルトは一歩後ずさる。

 

「お、おいおい、あんたら、何をして……」

 

「レミアの頼みだよ。休暇を一日だけ取れって。だから俺は休みたくもないのに休んだってわけだ」

 

「……でもよ、カトリナさんと一緒に……」

 

「わ、私! 委任担当官ですのでっ! それにクラードさん、いざ休むとなればきっちり休むんですね、意外です」

 

「何が意外だよ。俺はレミアの命令なら聞くって言っているだろ」

 

 何やら親密そうな空気にアルベルトはバーミットの声を聞いていた。

 

「あら。一緒だったのね、カトリナちゃん」

 

「カトリナ、クラード、でーと!」

 

 純粋そのもののファムの言葉にアルベルトは凍りついたが、カトリナもクラードも何とも思っていないようであった。

 

「……いや、違う」

 

「そうですね、違います。単に普通に、休暇を満喫しただけで」

 

「……あら、幸せ女のカトリナちゃんにしては大人びた対応で」

 

 何だかそこで慌てて欲しかったと言うのはある。

 

「……って、ファムちゃん、ほとんど裸じゃないですか! 何やらせているんですか、先輩!」

 

「ファムが勝手に出てきちゃったのよ。あたしはそれを追って廊下まで出てきたら」

 

「ミュイ! クラード! アルベルトがじっとみてくるー」

 

「馬鹿! 誤解を生むだろうが!」

 

 ファムに悪気は一ミリもないのだろうがそれが始末に負えない。

 

 クラードは特に気に留めたようでもないが、カトリナのほうが問題だ、と思っていると、カトリナも薄い反応であった。

 

「えっと……アルベルトさんは……ファムちゃんみたいなのがお好きなんですかね……」

 

「そうじゃないの。俺は知らないよ」

 

「ち、違う! ……いや、違うってのも変だが……」

 

 しどろもどろになるアルベルトに、バーミットは肩に手を置く。

 

「諦めなさい、アルベルト君。ロリコンは特別な罪には問われないから」

 

「いや! あんた何言って……!」

 

 カトリナはその言葉で僅かに引いたようであった。

 

「えっ……ロリコンなんですか……アルベルトさん」

 

「それは知らなかったな」

 

「いや! クラードまで何言ってんだ! オレはロリコンじゃねぇっての!」

 

「あら? じゃあこのカワイイのに全く魅力がないって言うの?」

 

「ミュイぃ……! ……ファム、みりょくない……?」

 

 こういう時の潤んだ上目遣いはどこで覚えて来るんだ、と思いつつアルベルトが頭を抱えていると、バーミットがあっけらかんと笑っていた。

 

「ジョーダンよ、ジョーダン! アルベルト君ってば、何でもかんでも真面目だから可笑し過ぎー!」

 

「……いや、冗談でも性質悪いでしょ……。つか、クラードも乗ってるんじゃねぇよ!」

 

「そいつは悪い。……アルベルトが楽しそうだったからな」

 

 クラードの口から出た言葉とは思えず、アルベルトはきょとんとしてしまう。それは他の二名に関しても同じだったようで、面食らったようにバーミットはクラードを指差す。

 

「……クラード、変なものでも食べた?」

 

「何でそうなる。俺は普通だ」

 

「いえ、でも何だか……これまで冗談なんて一回も言った事、なかったですから」

 

「そうよ、そうよ。あんたって冗談言えたんだ? ……ちょっと意外かも」

 

「何だ、寄ってたかって。俺は別に可笑しな事を言ったつもりはない」

 

「……でもよ、クラード。お前凱空龍に居た頃だって冗談なんて口が裂けても言わなかったじゃねぇか」

 

「……余計な事を言った。後悔している」

 

 クラードが踵を返す前に、その背中へとカトリナが呼び止めていた。

 

「あっ、でもたまには! クラードさんも冗談言ったほうがその……いいと思いますよ!」

 

「そうよ! あんたってばただでさえお堅いクソガキなんだからさ。ちょっとくらいはジョークも飛ばしなさいよ」

 

「……俺は冗談なんて言わないし、助長な言葉も吐かない。そういう人間だ」

 

「……もう。調子には乗らないのよねー、こいつ」

 

「……って言うかバーミット先輩もまともなの着たほうがいいですよ。ほとんど突っかけただけじゃないですか」

 

「あっ、確かにこのままじゃ風邪引いちゃうわ。ファムー、もう一っ風呂浴びて来るわよー。もう半日もないんだからねー」

 

「ミュイぃぃ……バーミット、あきらめわるい」

 

 ファムの首根っこを引っ掴んで部屋へと戻っていくバーミットを見送っていると、不意にカトリナと目が合っていた。

 

「……何だか毒気を抜かれた気分ですよね。クラードさん、冗談とか言えるんだ」

 

 当のクラードはもう遠くへと折れており、よほど関心がなかったと見える。

 

「……です、ね。オレらと一緒に居た頃も、冗談なんて言わなかったのって、やっぱしその……エージェントの仕事だったからなんですかね」

 

「今は少しでも……、だって一日休暇ですから。ちょっと肩の力を抜いてくれているんだと思いますね」

 

「そうだとすりゃいいんですが……。カトリナさん、何か買い物でも行っていたんですか?」

 

「ああ、これ……。何だかちょっと不思議で。休むって命令されなければ私も休んでいなかったかもしれません。それもこれも、何だかクラードさんに引っ張られてばっかりで」

 

「あいつの事です。勘弁してやってください」

 

「……何でアルベルトさんが謝るんです? そこまでクラードさんの事、責任負わなくったっていいのに」

 

「ああ、いや……それもそうなんすけれど……。何でかな、半年一緒に居た未練みたいなの、オレはまだ引きずっているのかもしれません」

 

 どれもこれも女々しいものだ、と後悔するアルベルトに、カトリナはふふっ、と微笑む。

 

「……何ですか」

 

「いえっ、何ていうのかな。アルベルトさんがそういう感じだから、クラードさん、今の一瞬でも冗談が言えたのかなって、ちょっと思ったんです」

 

「オレがこんなだから……?」

 

「あっ、悪い意味じゃないんですよ? ……ただ、クラードさん、今日も一日、ずっと張り詰めた調子からそうじゃない時まで見せてくれて……。私の知っているクラードさんは結局、お仕事している時の、オンの状態のクラードさんで。オフなんて今まで一回だって見せてくれてなかったんだなぁって思っちゃって」

 

「……あのクラードが、オフ、ですか」

 

 想像も出来ない、と言った論調でいるとカトリナは元気よく応じる。

 

「はいっ! クラードさん、あれで自分の物を買ったりするのは結構こだわりあるんですね。今日クラードさんが掘り出し物市で買った一個だけのものが――」

 

 そこで激震が見舞う。

 

 ベアトリーチェの廊下が揺れ、カトリナが転がり込んでくる。

 

「痛った……。大丈夫ですか? アルベルトさん」

 

「……あんたのほうが大丈夫っすか。上に乗ってるんですけれど……」

 

「ああっ! すいません、すいません! バランス崩しちゃって……」

 

『警告。これより艦内は戦闘待機に入ります。電子戦闘用意。わたくしの指示に従ってください』

 

「……ピアーナさん? どうして……」

 

『どうしても何も、戦闘待機です。敵が来たと言うわけです、カトリナ様』

 

「……って、ええっ! 何で普通に喋っているんですか? 広域通信なんじゃ……」

 

『わたくしほどにもなれば、個別回線にも割って入れます。カトリナ様は管制室に来るか、安全な場所まで退避を』

 

「あの……退いてくれません?」

 

 まだカトリナが自分の身体の上に居たので注意すると、カトリナは大慌てで身繕いをして飛び退く。

 

「ああっ! すいません! アルベルトさん!」

 

『よいですから、安全な場所へ。MSはこのまま戦闘シークエンスへと。アルベルト様、補給を受けた《アルキュミア》が既に待機に入っております。戦うのならばお急ぎを』

 

「……《アルキュミア》……オレに使えってのか……」

 

「ど、どうぞ! 私は管制室に向かいますね。って、その前に買ったものを部屋に押し込まなくっちゃ……!」

 

 道を譲り、部屋へと直行したカトリナを見送ってから、アルベルトはようやく起き出そうとすると、飛び込んできたバーミットに腹腔を踏まれる。

 

「やばっ! 戦闘待機? 遅れる遅れる……!」

 

「痛って! あんたわざとやってんでしょ!」

 

「んなわけないでしょー。何で廊下で寝てるの?」

 

「あ、いやそれは……」

 

 視線を背けると、バーミットはすぐさま面白いものを見つけた顔になる。

 

「おやおやー? アルベルト君ってば、カトリナちゃんと何かあったー?」

 

「……何もねぇっす。いいから、戦闘待機でしょう」

 

「はいはーい。あたしゃ普通のOL業のつもりなんだけれどねー。……ま、進展あったら教えなさいな。お姉さんが少しは恋のレクチャーしてあげる」

 

「……嫌な予感がするんでゼッテーしません」

 

「あら? これでも恋は百戦錬磨よ?」

 

「……つか弱味握られている状態気持ち悪いんで、やめてもらえます?」

 

「ふーん……ま、そっちがそう言うのならそうしとくわ。出撃、頑張りなさいよー」

 

 グリップを握り締めて直行してしまうバーミットが消えてから、アルベルトは嘆息をつく。

 

「……本当、我ながら女運ってねぇよなぁ……」

 

 



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第63話「退路なき戦場」

「《レヴォル》、コミュニケートモードへと移行。30セコンド後に自動的に戦闘モードに。敵の位置関係と数は」

 

『コミュニケートモード開始。“ベアトリーチェが出港する前を狙っての攻撃だ。既に前回の戦闘でこの裏港は割れている。仕掛けてくるのは時間の問題ではあったが、ここは統合機構軍のお膝元。攻撃と言っても遠距離からの誘因だ。こちらが踏み込まなければ遠からず撤退があるはず。数は五機”』

 

「……かと言ってここで排除しなければベアトリーチェは出港出来ない……。歯がゆいな。仕掛けなければ相手も仕掛けてこないのに、こっちのタイミングとかち合うなんて」

 

『“どうする? MSを出さずに様子見をする手もあるが”』

 

「レミア、そっちの作戦通りに行く。俺が必要ならそう言ってくれ」

 

『クラード。休暇のつもりだったけれど、少し早めに切り上げてもらうわ。このままベアトリーチェは戦闘を強行。出港時に艦砲射撃で弾幕を張りつつ、敵戦力を削ぎにかかるわ』

 

「……やっぱり、そうなるか。いずれにしてもかかる火の粉だ。ここで払っておいても何の禍根もない」

 

『“それには同意だ。敵編成の中に新型機を確認。機体照合、《レグルス》。隊長機相当と推定する”』

 

「……隊長機……。そいつを墜とせば……って言う簡単な布陣じゃないみたいだな」

 

『“《エクエス》四機がそれぞれ両翼を担っている。この編隊は完全にミラーヘッドの布陣だ”』

 

「……やる気は満々ってわけか。《レヴォル》、敵がミラーヘッドの流儀で来るんならこっちもミラーヘッド戦をやってやるつもりでいい。……全力で行く」

 

『“承知した”。コミュニケートモード終了』

 

『クラード! ミラーヘッドジェルの注入はしておいた。心配要らん、ぶちかましてやれ!』

 

 サルトルの言葉を受けつつ、コアファイター形態に移行した《レヴォル》がカタパルトデッキへと移送されていく。

 

「……だがタイミングが……。敵がこうも立て続けで来るなんてな。ベアトリーチェをしつこく狙う根拠でもあるのか。……それとも、俺達の本当の狙いを知って……?」

 

『MS《オムニブス》! ラジアル・ブルーム! 哨戒機動に入ります!』

 

 左舷のカタパルトデッキより射出されたのは楕円の形状のアンテナを持つMSであった。

 

 こちらのレーダー班となる《オムニブス》の役割は敵の索敵と解析である。

 

 よって最も先端へと赴かなければいけない役割を持つ《オムニブス》の背中を目にしてから、クラードはバーミットの誘導を受けていた。

 

『クラード。カタパルトボルテージを80パーセントに上昇。……あんた、ラジアルを墜とさせたら許さないわよ』

 

「それくらいは分かっている。いちいち俺に命令するな」

 

『はいはい、それくらいは心得ているってば。……射出タイミングをエージェント、クラード及び《レヴォル》へと委譲します』

 

 仕事時の声に切り替えたバーミットのウィンドウを切りつつ、クラードは腕を接続口へと繋げる。

 

 脳髄に突き立つ電磁の刺激を感じながら、クラードは丹田に力を込めていた。

 

「エージェント、クラード。《レヴォル》、迎撃宙域に先行する!」

 

 そのまま射出された《レヴォル》が敵影を睨んでいた。

 

 事前報告通り、《レグルス》を先頭とした五機編成。

 

「……ミラーヘッドを使われると厄介だな。《オムニブス》! 敵の解析結果をリアルタイムで頼む」

 

『了解。《オムニブス》より《レヴォル》へ。敵の戦闘データを転送』

 

 流し込まれてくる情報の津波をライドマトリクサーの脳内で処理しつつ、クラードは先陣を切る漆黒の《レグルス》を見据えていた。

 

「……あの機体……妙なプレッシャーがある。まさかとは思うが……」

 

 後方四機の《エクエス》が全機、ミラーヘッドの密集陣形となり、それぞれに分身体を生成して攻撃網を押し広げていく。

 

 直後には、分身体の隊列だけで相応の火力となって《レヴォル》へと銃撃網が襲いかかっていた。

 

 クラードは《レヴォル》を疾走させつつ、ラジアルの《オムニブス》を下がらせる。

 

《オムニブス》の前方には迎撃用の盾が付いており、全身の装甲も堅牢だが、前に出過ぎれば禍根の種となる。

 

「……下がっていい。後は……俺がやる」

 

 分身体を構築した《エクエス》の包囲陣形はほとんどプロのそれだ。

 

 前回のような奇妙な感覚こそ覚えないものの、単純戦力としてのミラーヘッドの軍隊はここに来るまででは初めてとなる。

 

「……ミラーヘッドを使いこなす。軍警察か……」

 

 包囲射撃にはほとんど隙はない。よってクラードはその陣形の中に生じる僅かなエラーを探る。

 

「……どうあったってあるはずだ。一人でミラーヘッドを使っているわけじゃないだからな。ほつれみたいなものが……」

 

 その時、一機の《エクエス》だけ妙に先走って攻撃をこちらへと叩き込もうとしているのを発見していた。

 

「一機だけ殺気がダンチって事は、連携が取れていないって事だ。――そこ」

 

《レヴォル》が肉薄するとその機体は読み通り抜刀し、連携戦闘を捨てて斬りかかっていた。

 

 それこそが好機――《レヴォル》が可変を果たすと共に手刀を払い、ビームサーベルの発振部を引き裂く。

 

 粒子束は叩き込まれる前に霧散していた。

 

『……ガンダム……!』

 

「またお前か。相変わらずだな」

 

 そのままアステロイドジェネレーターを狙おうとして、首裏の粟立つ殺気にクラードは飛び退る。

 

 ビーム粒子が棚引き、《レグルス》が自分を追い立てて射撃する。

 

「……部下くらい見捨てるんだと思っていたが」

 

『そうも人でなしになるわけにいかんのでね。しかし、また相見えるとは。この機体……! 《レグルス》の肩慣らしといかせてもらおう!』

 

 聞き馴染んだ声は黒い旋風――グラッゼ・リヨンとやらの声だ。

 

「……貴様か。面倒だな、何でトライアウトと同行している?」

 

『プライベートまで干渉するか。それでは女ウケは悪いな、クラード君!』

 

「……一緒に、するな!」

 

 応戦の刃としてヒートマチェットを引き抜き、クラードは逆手の状態で相手の横薙ぎの一閃を反射させる。

 

 しかし敵機は発振部を基点にしてそのまま回転し、何と《レヴォル》の頭部に向けて足蹴を見舞っていた。

 

 衝撃波が激震し、クラードは奥歯を噛み締める。

 

「……曲芸師みたいな真似をする」

 

『それは褒めてもらっていると、思っていいのかな。だが私は手加減出来るほど器用ではなくってね。……引導を渡す』

 

 そのまま返答の刃を斬り返そうとした相手に、クラードはヒートマチェットで弾いて防御し、距離を稼ぎつつ脚部に格納していた火器を一射させる。

 

 格納武装は大きくミラーヘッドジェルを消費するも、敵との距離を瞬間的に取るのには有効な武装だ。

 

 相手はその異様に驚嘆したのか、一瞬息を呑んだのが伝わったものの、《レグルス》の機動性能を手繰って純粋な推力だけでミラーヘッドの意識を宿らせた光条を追い払っていく。

 

「……機動力だけで、ミラーヘッドの武装を振り切る……!」

 

『振り切ったのではない。……君が私に振り向くのだ! クラード君! そして《ガンダムレヴォル》よ!』

 

 背後を取られた感触にクラードは瞬時にミラーヘッドの分身体を構築して加速し、振り返り様の掌底を見舞おうとする。

 

「誰が!」

 

 だが掌底の射程距離に至る前に、敵機を保護すべくミラーヘッド機である《エクエス》編隊による援護射撃が入る。

 

 どちらも距離を取るしか出来ずに後退したのを、クラードは直下に位置する敵部隊を見据えていた。

 

「……先行し過ぎないようにきっちり後方隊がミラーヘッドを切らさない戦い方をする。……第四種における正しい戦闘行為か」

 

 だがいずれにせよ、相手との物量戦に移るつもりもない。

 

 クラードはベアトリーチェへと声を飛ばしていた。

 

「ベアトリーチェ! 出港までの時間を稼ぐ! ……何分あればいい?」

 

『現状、五分は必要そうね。援護を寄越したわ。受け取りなさい、クラード』

 

「……援護?」

 

 その問いかけを咀嚼する前に、肉薄してきた《レグルス》が大上段にビームサーベルを構える。

 

「……撃って来るってわけか」

 

『引導を渡すと言った! それは何も伊達や酔狂ではない!』

 

 ヒートマチェットを翳して相手の斬撃を受け止めると、敵は刃を滑らせてグリップ部を腰に格納していたもう一本のビームサーベルに連結させていた。

 

 両刃を得たビームサーベルを振り翳し、《レグルス》が圧倒の構えを見せる。

 

 舌打ちを滲ませつつ、クラードは掌底を搾り出そうとして、不意打ち気味に咲いた火線を視野に入れていた。

 

『何と!』

 

「何だ……?」

 

 応戦の重火力装備に身を包んでいたのは《アルキュミア》であった。

 

 頭部が王冠のような意匠を施され、独特のシルエットの武装に身を包んだ《アルキュミア》は最早、旧式機の改造の域を超えている。

 

 ミサイルを照射し、相手の後続隊を退けてから、こちらとの相対位置に入った《アルキュミア》は長物の武装を展開する。

 

『クラード! 一旦下がれ! こいつらはオレらが抑える!』

 

『凱空龍、行くぞ、お前ら!』

 

 応! の相乗する声を聞きつつ凱空龍の旗をはためかせ、一同は後衛部隊の《エクエス》へと応戦していた。

 

 アルベルト機だけが自分の《レヴォル》と背中合わせになって武装を引き出す。

 

 長物の武器の両端部に緑色のエネルギーフィールドが構築されていた。

 

『……こいつがビームジャベリンだ!』

 

 両刃を振り払ってアルベルトは一拍だけ《レグルス》と打ち合ったが、敵との出力差は一度の交錯で分かったのだろう。

 

 圧倒したのも一瞬、すぐに中距離武装であるガトリングガンを装填し、敵影へと照準する。

 

『悪いが、考える間を与えねぇ! こいつでトドメだ!』

 

 ガトリングの重火力が敵影を押し戻していき、《レグルス》も僅かながら気圧されたように後退する。

 

『……よもや隠し玉とは……』

 

『クラード! いつもの奴やるぞ! 相対距離合わせ、背中を預けろ!』

 

「……誰に言っているのさ」

 

《アルキュミア》に背中は任せ、クラードは《レヴォル》へとミラーヘッドを展開させていた。

 

 そのまま回転軸を保ちつつ、《レグルス》へと射程に潜り込ませない。

 

 凱空龍の面々は後続隊の《エクエス》との交戦に入っていた。

 

《レヴォル》一機対軍警察の《エクエス》ならばそれだけ圧倒出来たであろう相手は、割り込んできた《マギア》に戸惑っている様子でもある。

 

『……《マギア》で戦域を圧倒する……』

 

『悪いな! オレ達は目ぇ瞑っていたって連携が取れるんだ! それくらいにゃ、マジにデザイアのトップ狙っていたってわけだよ!』

 

 押し戻されていく感覚を敵陣営が感じたのを予見し、クラードは背中合わせのアルベルトへと声を放る。

 

「……今なら、《レグルス》の腕一本くらいは取れる」

 

『無茶やるな。今はベアトリーチェの安全航路が先のはず。……それにあの《レグルス》一旦打ち合っただけだが手練れだ。下手に誘い込まれると泥仕合になる』

 

《アルキュミア》よりミサイルの第二射が照準され、敵陣が少しずつ撤退機動に移りつつあるのが窺えた。

 

『……連携に仲間意識……。あの頃を知っていると……妬かせるな、クラード君!』

 

《レグルス》が陣営の補助を受けずに加速し、そのまま自分へと飛び込んでくる。

 

 これは受けなければ失礼に値する、とクラードはアルベルトを背にしたまま、ミラーヘッドの分身体を蹴って加速し、ヒートマチェットを電荷させる。

 

「……こいつ、向かってくるのなら……」

 

『墜とすかね? そのほうが君らしい!』

 

 ヒートマチェットを振りかぶり、《レグルス》を両断しようとして、相手はわざと機動性を絞り、タイミングをずらして、打ち下ろしたヒートマチェットを踏み台にする。

 

 そのまま肉薄しての刃が躍るが、クラードは落ち着いていた。

 

「……悪いが、その刃に応戦するのは俺じゃない」

 

 こちらの加速に追従してきた《アルキュミア》が白銀の鎧より紫色の伝導液を散らしながら、その眼窩に鼓動を宿らせる。

 

『もらったァ……ッ!』

 

『……南無三!』

 

 打ち下ろされたビームジャベリンの一撃を《レグルス》は受け止めきれずに後退し、その直下より掌底を込めた《レヴォル》が迫る。

 

『……君にやられるのならば本望だが、まだ終わる時ではないな』

 

《レグルス》はミラーヘッドの加速域に達し、そのまま離脱挙動に入る。

 

『戦いは持ち越しだ。……しかし、以前までの美しき獣とは異なる、別の戦い振りを会得したか』

 

 後続隊の《エクエス》も牽制の銃撃を放ちながら撤退に入っていく。

 

 それを見据えつつ、クラードは凱空龍の《マギア》部隊の歓声を通信越しに聞いていた。

 

『……聞こえっか? クラード。……オレららしくなってきたじゃねぇか』

 

「……聞こえてるよ。俺はらしいとか嫌いだね」

 

『だが連携はばっちりだったぜ。それこそ凱空龍の時みたいに、な』

 

「いいの? それってピアーナの機体でしょ」

 

『オレに乗れとの事なら乗るのが男ってもんだ。……にしても、サルトル達に聞かされてはいたが、こいつ、凄まじいな』

 

《アルキュミア》は騎士の相貌に特徴的な二本角を有している。

 

 恐らくは《レヴォル》と合わせる意味合いもあったのだろう。

 

「……また一緒に戦うってわけか」

 

『ああ。勝てる戦いをしようぜ、クラード』

 

「冗談でしょ。俺は負けない」

 

 ベアトリーチェが航行軌道へと移っていく。

 

 その甲板へと凱空龍の《マギア》、それに《アルキュミア》、最後に《レヴォル》が降り立っていた。

 

『全員集合ってわけだ。これでようやく、らしくなってきたんじゃねぇか』

 

「どうだろうね。……いずれにしても、さっきの《レグルス》……まだ諦めているとは思えない」

 

《アルキュミア》の存在がある意味では出端を挫いた形となったのだろう。

 

 とは言え、次も勝利出来る保証はない。

 

 以前までなら――ここでアルベルト達を下がらせる言葉を吐くところだったが、彼らのMSの面持ちは以前とは異なっていた。

 

《マギア》はバイザーを想起させるフェイスに紫色の塗装を施し、それは一つ目から滴る涙を想起させる。

 

「……聞いていなかったけれど、何そのデザイン」

 

『……デザイアでの日々を、散って行った魂を忘れないって言う、オレらなりのケジメの付け方だ。クラード。オレ達凱空龍はここに……ようやく正式にだが、エンデュランス・フラクタルの友軍機になるぜ。お前だけを前には行かせられねぇよ』

 

《アルキュミア》の騎士の容貌にも紫色の隈取がある。

 

「……散って行った魂に、か。それは足をすくわれかねないけれど」

 

『それでも、さ。オレらは絶対に――忘れねぇ』

 

 アルベルト達なりの決意の表れなのだろう。

 

 ならば自分が下手に穢すわけにもいかない。

 

「……なら行くよ。俺達はもう、後ろに帰る道なんて、ないんだからな」

 

 そう、もう帰る道なんてない。

 

 撤退の二文字は存在せず、自分達は常に前へと歩み続けるしかないだろう。

 

『ベアトリーチェ、これより月航路を目指し、赴きます』

 

 その言葉を聞きながら、クラードは《レヴォル》の視座の先を睨む。

 

 ――もう、後には退けなかった。

 

 



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第64話「赤いレヴォル」

「奴さん方、コロニー、シュルツを抜けたかよ。随分とまぁ、ご機嫌な航路ってワケだ」

 

 モニターの一角に示されるベアトリーチェの航行にクランチはソファに身体を預けて声にする。

 

「……だがあれに我々は相当に煮え湯を飲まされたクチだ。このまま月航路まで何もないって事はあるまい」

 

 グローブの言葉にクランチはしかし、今だけは特段、何か仕掛けようと言う気にもなれない。

 

「……正直、スポンサー連中の沈黙が今は面倒だ。あいつら、いつでも俺達を見ているって気で居やがる。こっちも見られている事は意識しねぇとな」

 

「……我々が監視されているとでも?」

 

「そうじゃなくっちゃわざわざ放った爆弾をこんな部屋に保護……いいや、隔離するかねぇ」

 

 クランチは純度の高い酒を呷りつつ、全面が滅菌されたような白の部屋を見渡す。

 

 外部との繋がりは、ベアトリーチェを後ろから見据えるカメラのみ。

 

 どこでどういう繋がりで監視しているのかはまるで不明のままなのだ。

 

「……隔離、か。いや、笑えないな。我々は地球圏からあのミラーヘッドの戦場を戦い抜いた事を評価されてここに居る。だと言うのに、生かすでもなく殺すでもない」

 

「スポンサーの移行一つで首が飛ぶってのは純粋に気分がよくねぇな。しかし、連中はそれなりに俺達を買っているはず。今、あの新造艦に飛び込んで死なれるのは居心地が悪いって事か」

 

『それもある』

 

 不意に室内に鳴り響いた声にクランチだけが落ち着き払っている。

 

『しかし、あれだけの精鋭がたったの三名になったか』

 

「生きていただけでも儲け者だと思って欲しいねぇ。あそこまで戦力だとは思わなかった。こっちだって部下が結構死んだんだ。そのツケくらいは払ってもらえるんだろうな?」

 

『君達が有用だと証明する事が出来れば、我々からの支援は惜しまない』

 

『左様。君らは我らに価値を示し続けなければいけない。でなければ終わるだけだ』

 

「……そうかよ。だが乗機である《エクエス》がボロボロだ。少しは修繕処置でも施してくれるんだろうな?」

 

『《エクエス》はそのほうの機体に相応しくない。よって、こちらで新たな機体を充てる事になる。その部屋から出るといい。新型機を披露しよう』

 

 部屋の片隅でエアロックが解除され、不意に扉が開いていた。

 

「……新型機、か。道理であんたら、余裕綽々ってワケだ。俺達は駒かよ」

 

『駒以上の価値を見出ししている。クランチ・ディズル。それにもう二人も。よく生き残ってくれた』

 

「あの《レヴォル》っての、あれじゃ割に合わねぇ。このままならご破算だ。俺は死ににいくために戦場に駆り出されているわけじゃねぇんだが」

 

『来るといい。案内しよう』

 

 エアロックの向こう側に居たのは以前も見かけたノーマルスーツの痩躯であった。

 

 バイザーの内側がまるで知れない、沈黙の相貌を返している。

 

「……あんたも使われる側ってワケか」

 

 相手は応じない。

 

 その代わりのように狭い廊下が続き、点在する明かりがこの場所がどこかの格納庫である事を示している。

 

「……クランチ・ディズル。何か嫌な予感がする」

 

「ああ、その辺は俺もビンビンにだが、ここでビビっていたって何も始まりやしねぇ。とかく、新型機ってのがお眼鏡に敵うのかどうかだけでも確かめさせてもらおうじゃねぇの」

 

『ほう、不安がないのか。あるいは恐れでも』

 

「恐れや不安を宿らせたヤツから死んでいく。世の中の常識だぜ?」

 

 こちらの余裕に相手は満足げに応じていた。

 

『ならばこそだ、クランチ・ディズル。君達三名には、特別な機体を贈ろう。これは生き延びた君達へのささやかな餞別品だ』

 

 大きく取られたMS格納デッキに出る。

 

 そこで今も自動修復機械によってメンテナンスされているMSへと、視線を向けるなり、クランチは絶句していた。

 

「……おいおい、こりゃあ……」

 

「……赤い……《レヴォル》、か?」

 

《レヴォル》と同系統に映る新型機が格納デッキに収容され、その時を待って佇んでいた。

 

 ちょうど三機分の不明機に対し、声が降りかかってくる。

 

『《オルディヌス》だ。秩序を意味する機体でね。《レヴォル》のフレーム構造を参照して我々が開発に漕ぎ着けた』

 

「……どこでエンデュランス・フラクタルの機密にまで触れやがった。この機体……タダモノじゃねぇのだけはハッキリしてんだろ」

 

『勘違いしないで欲しいのは、これは元々、我々の側の機体であったという事だ』

 

『エンデュランス・フラクタルは禁を破った。その果てがあの《レヴォル》でもある』

 

「……じゃあ先に開発されていたのはこの《オルディヌス》とやらだってのか……?」

 

『その通り。《オルディヌス》はミラーヘッドの次世代機として運用されるはずであった。……だが、君らも知っての通り、《レヴォル》が現れた』

 

『《レヴォル》は本来、あってはならぬ存在。君達三名にはその駆逐を頼みたい』

 

「簡単そうに言うがな、あれはそんじゃそこいらの武装で敵うヤツじゃねぇ。ミラーヘッド抜きにしてもトンでも兵器だ。この《オルディヌス》に勝算があるんなら別だがな」

 

『勝算はある。《オルディヌス》の搭載するミラーヘッドは他のそれとは群を抜いている。まぁしかし、君は鏡像殺し、クランチ・ディズルだ。ミラーヘッド搭載機は嫌いかね?』

 

「……好きになった覚えはねぇが、強い機体なら何でもアリだ。何よりも、この《オルディヌス》ってヤツ、秩序の名前にしては随分とした面構えしてやがる。羅刹か何かの間違いじゃねぇのか?」

 

 マスク部に牙の意匠を持ち、角まで有する《オルディヌス》は《レヴォル》をより凶悪にさせた面持ちであった。

 

『我らはあれに勝利出来る人間を探していた』

 

『そう、そして君を見つけ出した』

 

『《レヴォル》を一時的でもいい、破壊し、そのコアモジュールを我々へと献上したまえ。そうすれば任務完了だ』

 

「……待って欲しい。どうしてあなた方はそこまで《レヴォル》に……エンデュランス・フラクタルの新型機にこだわるのか。それくらいは教えてもらったっていいはずだ」

 

「バカ、グローブ、そいつを教えたくねぇハラがあんのは分かるだろ?」

 

「得心がいかない! こちらだけ危険領域に踏み込むんだ。相手の腹が分からなければ納得した上での戦地に赴けない」

 

「……まぁ、バカ正直な理論だが当たり前っちゃ当たり前だ。あんたら、俺らの事を投げりゃどこへなりと飛んでいく爆弾だと勘違いしてねぇか? 少しは教えてもらえねぇもんかねぇ、その《レヴォル》とやら、何なのかってくらいは」

 

 しばし沈黙が降り立つ。

 

 やはり教えられないか、と覚悟したその時、声が振りかけられる。

 

『……よかろう。《レヴォル》とは何なのか。エンデュランス・フラクタルは何故タブー破りを行ってまであれと月航路へと至ろうとしているのか。全部ではないが、一部を教えよう』

 

 不意に降り立ったのは投射映像だ。

 

 そこには《レヴォル》建造の様子が克明に映し出されている。

 

「……エンデュランス・フラクタルの機密情報か?」

 

『奴らは我々の切り札を奪った。先のダレトでの大戦――“夏への扉事変”において、MF対人類の血で血を洗う壮絶なる闘争があった』

 

 映像の中にはこれまで地球圏ではなかなか拝めなかったMFの映像も混ぜられている。

 

「……MF……月のダレトを守る四聖獣達……」

 

『聖獣を、我々はしかし殺さなければいけない。あれはこの次元の全人類への毒だ。よって、我らは待った。待ち望んだ。五番目の聖獣を。扉の向こうより来たりし、第五元素――通称《フィフスエレメント》』

 

『それこそが、聖獣を一掃し、そして我々の生存圏を確約する守護神である……はずであった』

 

「……そうはいかなかったみたいだな」

 

『《フィフスエレメント》はあの大戦でとある企業に奪われてしまったのだ。そのまま行方を晦ませたかと思った矢先、何者かが我々の開発していた《オルディヌス》試作二号機を強奪。二号機はそのまま破棄されたかに思われた』

 

『我々は《フィフスエレメント》を使っての四聖獣無効化を画策し、四機の《オルディヌス》を開発していたところ、まさかの裏目に出たと言うわけだ。《オルディヌス》試作二号機は行方をようとして知れず、そのまま《フィフスエレメント》を欠いた状態で《オルディヌス》の完成まで至ったその時であった。エンデュランス・フラクタル、彼の企業が妙な動きを始めたのは』

 

「妙な動きだと?」

 

『とある新型機がロールアウト間近になっていたが、その新型機に関する全ての情報は秘匿され、誰にも明かされていなかった。我らの尖兵がようやく回収したのが今君達に見せている映像だ』

 

『《オルディヌス》は一度解体され、エンデュランス・フラクタルの手によって新たなる名前を冠して新型機としてロールアウトしていた。名を《レヴォル》。君らが会敵した、あの《レヴォル》だ』

 

「……なるほどね。要は仕組み自体は逆だったってワケか。《オルディヌス》であんたらは四聖獣の突破をしたかったのだが、そのうち一機が強奪。そして生み出されたのが、あの《レヴォル》ってワケかい」

 

「だ、だがそれなら! ……あなた方は何者なんだ? MFと真正面からかち合おうとするなど正気の沙汰とは思えない」

 

「あるいは既に正気だとか言う領域は捨て去っているのかねぇ。いずれにせよ、《レヴォル》の破壊は急務だが、あんたらとしちゃ、二度も奪われたってワケか! そいつぁ笑えるぜ! マヌケが過ぎねぇか?」

 

 クランチの発した笑いに同調するものは居らず、格納デッキに自分だけの笑い声が残響して、グローブへと振り返る。

 

「おい、何やってんだ、笑えよ。こんなマヌケは居ねぇ! 特段のバカだ!」

 

「お、おい! そんな事を言って刺激してしまえば――」

 

『確かに我々は後手を踏み過ぎた。しかし次からはそうもいかない』

 

『左様。《オルディヌス》は前回の《レヴォル》の戦闘データを得て、完璧なMSへと進化を遂げた。そして君は鏡像殺し、クランチ・ディズル。ミラーヘッド戦において百パーセントの生存率を誇る異能態だ。その手腕は買っているとも』

 

「そうかい。単に生き意地が汚いとも言われているようで、あまり納得は出来ねぇがな」

 

『《オルディヌス》を使えば、君達はあの《レヴォル》と対等に戦える』

 

『それだけではない。あれのコアモジュールさえあれば、最早MFに怯える時代は過去のものとなる。何としても手に入れるのだ、《フィフスエレメント》――奴らはレヴォル・インターセプト・リーディングと、呼んでいるようだがな』

 

「要は《レヴォル》を捕らえて解体したいから俺達に《オルディヌス》なんて奥の手見せたってワケか。いいぜぇ、潰してやんよ! あの《レヴォル》……煮え湯を飲まされたままってのは性に合わねぇんだ。次はぶち殺す」

 

「だ、だが……《レヴォル》のそのシステムとやら、一筋縄ではいかないんじゃないか? そう簡単に倒せてしまうのならば今まで苦戦していたのが筋に合わない」

 

『《レヴォル》は累積したシステム情報を基に、恐らくは使役するのはライドマトリクサーのはずだ』

 

『乗り込んでいるライドマトリクサーのみを殺し、《レヴォル》は無傷で手に入れたい』

 

「そいつぁムリゲーってヤツだな。俺の部下だって何も頭数を適当に揃えたわけじゃねぇ。俺に追従してきたそれなりの猛者だ。無傷でってのは不可能に近いと思ってくれ」

 

『……ではクランチ・ディズル。君の眼にあの《レヴォル》のミラーヘッドはどう映った?』

 

「どうって……似たようなモンだ。これまで壊してきた連中と同じさ。コアさえぶっ壊せば、何も恐れるモンじゃねぇ」

 

『その通りだよ。《レヴォル》はまだ真の力を封じられている。その最中に仕掛けられるのは好機としか言いようがない。《レヴォル》を討つのだ。そしてMFとのこう着状態の時代を終わらせる。分かるだろう? 時代は変わりつつある』

 

『第四種殲滅戦がもたらされて以降、我々は揺籃の時を超え、飛び立つべきなのだ。そして眼前にまで、その扉は開かれている』

 

『《レヴォル》に死を。そして我らに栄光を』

 

 子供の笑い声そのものな相手の声を聞きながら、クランチは煙草のパッケージの底を叩き、火を点ける。

 

 くゆる紫煙をたゆたわせ、一服ついてからクランチは言葉にしていた。

 

「……ああ、了解だ。《レヴォル》とやらも年貢の納め時かねぇ。これで借りは返せそうだ」

 

「クランチ・ディズル? しかし、まだ《オルディヌス》とやらがそれに値するかどうかは不明で――!」

 

「そういう事言ってんじゃねぇよ、たわけが。要するに俺らに命令するお歴々ってのは、これまでの書類仕事のデスク野郎のミスターじゃねぇ。本気で! この世界にケンカ吹っかけようとしている、マジモンだってのが証明されたワケだ! これは戦争屋の血が騒ぐってモンだぜ! 俺はこれまで、多くの戦地を踏んできた。だが、どれもこれも! そう! どれもこれもだ。一級品の戦場にはちと足りねぇ。どっかで不完全燃焼だった。だが《レヴォル》にエンデュランス・フラクタル、聞いた限りの話じゃ、とんでもねぇモンを持ってきたワケじゃねぇか! あっちも俺達も同じだ。世界に対して宣戦布告! 上等じゃねぇの。じゃあ試してやろうぜ。どっちが世界をひっくり返すかってのをなァ!」

 

《オルディヌス》三機は赤い眼窩を虚空に据えたまま、その時を待ち望んでいるように映っていた。

 

 



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第65話「世界の理」

 劈いた警告の音叉に、クロックワークス社の常務は休暇明けの自分を叩き起こされて、不機嫌そうに拳を握り締める。

 

「何が起こった!」

 

 オペレーター達が悲鳴のような声を上げ、現状報告の声を張っていた。

 

「何者かが我が社へと潜入した模様! まさか……侵入者迎撃用のトラップ、全て作動せず!」

 

「そんなはずがなかろう! 現にこうして、アラートは鳴っているのだぞ!」

 

「いえ、これは相手が意図的に鳴らしたものと推測します!」

 

「意図的に……? 嘗めているのか。敵の総数は?」

 

「不明ですが、潜り込まれたのは我が社のミラーヘッドログです! 相手はログを記録する量子コンピュータの一つを強奪! このまま距離を離されていきます!」

 

「送り狼を出せ! 敵を何としても逃がすな! ……しかし、何故ミラーヘッドログの量子コンピュータを? もっと重要なものが我が社にはたくさんあると言うのに……」

 

 不明瞭な敵の動機を探っている暇も惜しい。

 

 すぐさま出撃した警備用の《マギア》が展開し、ミラーヘッドの迎撃網を奔らせていく。

 

 それに対し、宇宙の常闇からビームが掃射されていた。

 

「どこからだ! 視えなかったぞ!」

 

「光学迷彩仕様機です! ……そんなまさか……あの距離での目視すら不可能なんて……」

 

「熱源探知に切り替えろ! ミラーヘッドの緊急時オーダーは許されている! 敵を何としても潰せ! 我が社の威信にかかわる!」

 

《マギア》を示すマーカーが敵へと包囲陣のミラーヘッドを組んだのが窺えたが、相手は《マギア》のミラーヘッドによる重火力を掻い潜り、そのまま散開した後に《マギア》へと応戦してみせたのがモニター越しに伝わる。

 

「……我が社の《マギア》部隊は軍警察相当だぞ……」

 

 だと言うのに、次々と撃墜されていく現状をまるで信じられないかのように常務は震撼する視界の中に捉えていた。

 

 一つ、二つとバツ印が刻まれ、《マギア》の陣形が瞬時に崩れていく。

 

 何か嫌な夢を見させられているかのようであった。

 

「敵、一体がこちらの熱源に関知! 《マギア》のミラーヘッドの格闘戦術で抑え込みます!」

 

 モニターに拡大されたのは仕掛けようとする《マギア》の視界と同期したライドマトリクサーの視野だ。

 

 熱源関知へと切り替えたお陰か、敵の動きを仔細に観察したエースはようやく敵へと一閃を浴びせ込めるかに思われたが、不意に敵の位相が変位する。

 

「敵機可変!」

 

「可変機……? 実在しているのか?」

 

 円盤状の可変形態よりMS形態に移行したのは眩しい黄色のMSであった。

 

 面構成で構築された敵機のモノアイが蠢動し、《マギア》へと熊手のような武装が叩き込まれる。

 

 エース機の《マギア》はその一撃を回避してから大きく旋回してビーム網を叩き込もうとするも、敵影の加速度は尋常ではない。

 

「……あんな加速……RM相当でなければ……」

 

 その時不意に、管制室に響き渡ったのは音楽であった。

 

「これは……歌?」

 

 誰かの歌声が響き渡る中で、敵MSが機敏に駆動し、《マギア》の追撃を振り切ったかと思うと、そのまま直上に抜けて逃げ去ろうとする。

 

 逃がすまいと《マギア》が追い立てるも、敵機は退き時を心得ているかのようにまたしても有視界戦闘から切り抜け、光学迷彩に己を浸していく。

 

「また消えるぞ! 対光学迷彩用ガス弾を装填! そのまま掃射!」

 

 掃射されたガス弾によって敵の総数がここに来てようやく明らかになっていた。

 

「……数は……四! しかし、そのほとんどが既に撤退機動!」

 

「射線に入っている奴を逃すな! 一発でもいいから当てろ!」

 

 エース機の《マギア》がミラーヘッドの加速へと入り、分身体を棚引かせつつ敵MSへと肉薄する。

 

 そのままの勢いを殺さずに抜刀した《マギア》の太刀筋を、敵は熊手型の武装を拡張させ、一瞬だけ鍔迫り合いに持ち込んだ後にその腹腔よりミサイル弾頭を放つ。

 

《マギア》が急速後退に映った時には、既に遅い。

 

 撹乱弾頭が爆ぜ、白いスモークに隠し出されていた。

 

「……敵影、離脱領域へと移行。逃げ切られました……」

 

 常務は脱力し切ってそのまま膝を折る。

 

「……我が社の資産が。いいや、我が社だけではない……全人類の希望と明日だぞ……」

 

「盗まれた量子コンピュータを特定。……これは……第十七号量子コンピュータです」

 

「十七号? ……あれはほとんど機能していないはずの予備の量子コンピュータだぞ……。賊め、逸ってミスでも犯したか?」

 

 しかし相手の撤退は計算づくに見えていた。

 

 ならば、ミスを犯したのではなく――。

 

「……何もかも計算の上での、量子コンピュータの強奪……。何が残されていたと言うのだ、第十七号量子コンピュータの内部には……」

 

 震撼する常務へと部下が端末を持って来る。

 

「常務! ……これを」

 

「何だ……。これは、犯行声明?」

 

「“我々は世界を救うために行動している。これは世界を救う一助に過ぎない。よって、過剰な心配をする必要もなければ、疑問を浮かべる必要もない。貴君らは世界を守るために我々にこれを提供した”……だと……! 何を言っている! テロリスト風情が!」

 

「ですが、この文言だとまずいのでは? 我が社がテロリストにわざと量子コンピュータを渡したようにも捉えられます」

 

「……確かに。報道管制を敷け、今ならばまだ間に合うはずだ。クロックワークス社が襲撃された事自体は隠す必要がないが、ある程度の情報は出し渋ったほうがいい。……どうせ、耳聡い連中は既に知っているはずだ。下手に隠し立てを行えばこちらの不利益に繋がる。我々はあくまでも被害者、その体を崩すなよ」

 

「はい……。ですが、テロリストの奪っていった第十七号量子コンピュータは……」

 

「……何かあるのか?」

 

 顔を翳らせた部下はその懸念を口にする。

 

「……ついこの間の話です。耳にされた事もあるでしょうが、黒い旋風、グラッゼ・リヨンが査察を行いました。その時に観測されたミラーヘッドの……あれはミスとでも言えばよろしいのでしょうか……。その記録が残っていたのが第十七号なのです」

 

「……黒い旋風、識者のグラッゼが、わざわざ調べに来ていただと……? それと今しがたの強奪を結び付けようと言うのか……」

 

「まさかこんな事になるとは思っておらず……そのミラーヘッドの齟齬も何かの観測ミスなのだと思い、上に報告していなかったのです……」

 

 その部下の重大なミスだろう、と感じたが、問題なのはそのミラーヘッドの齟齬の内容だ。

 

「……どう言った内容であった?」

 

「……あれはあまりにもおかしいのですが……グラッゼと戦ったMSのミラーヘッドログが全く参照されませんでした。ミラーヘッドを使ったのは明確であるにも関わらず、です」

 

「……まさか。それはあり得ない。ミラーヘッドを使用すればどのような賊身分であったとしても、確実に我が社の記録に残るはずだ」

 

「そのはずなのですが……。あれはまるで、世界を欺いたかのような感覚でした。ミラーヘッド――第四種殲滅戦が実装されてから、一度としてログから逃れた存在は居なかった。だと言うのに、あれは完全なまでに隠匿されている……。正直、末恐ろしくなって報告しなかったのもあるのです。何せそれは……この時代の終わりを予感させる代物なのですから」

 

「……ミラーヘッドは我が社が責任を持って統括している……。その中に現れたひずみ……そんなものを容認すれば現状のミラーヘッドの抑止力としての価値は薄れる。それだけではない、ミラーヘッド同士の対決でログが参照されないという事は、一方にだけ都合のいい世界が確立されてしまう……」

 

 それを恐れて報告しなかったのだとすれば、確かに分からないでもない。

 

 現状のパワーバランスの崩壊――その先に赴くのは破壊と殺戮が跳梁跋扈する、戦場とも呼べない戦域が今も蠢動しているという事実。

 

「……ミラーヘッドは誰かが統括し、管理しなければいけない戦場のはず。その段階を超えたMSが居たのだとすれば……」

 

「我が社の管轄問題だけではありません。ダレトよりもたらされた技術への懐疑に繋がります」

 

 それはダレトの技術恩恵を受けている全ての企業の痛手となる。

 

 そのような事がまかり通れば、ミラーヘッド戦においての絶対優位性が傾き、結果として、何もかもが意味を霧散するであろう。

 

「……この問題、知っているのは?」

 

「自分と、そして一部のオペレーターのみです。彼女らには戒厳令は与えましたが……」

 

「人の口に戸は立てられん。どこまで問題視する声がないかも不明瞭のままだ。……これでは我らの陣営に不利に働く」

 

「如何にします? 追撃を出そうにも、相手は既に離脱挙動です」

 

 常務は思案する。

 

 この状況で、ただ単に傍観者と被害者を決め込めるわけではない事象が浮かび上がってきた。

 

「……連中は第十七号にそのミラーヘッドを解き明かすログがある事を知っていた……。これはつまり、逆算すればその時のMSを追えば、連中に突き当たるという事なのではないか? グラッゼ・リヨンが情報開示を求めたのならば、その所属部隊は知っていると思っていいのだろう。開示要求を向けて来た組織は?」

 

「それが……開示要求を突き付けたのはトライアウトジェネシス……。グラッゼはあくまでその遣いとして来ただけだと……」

 

 思わぬ名前に常務は総毛立つのを感じていた。

 

「……トライアウト。軍警察が、知っての行動だったのか……」

 

「そう思って然るべきでしょう。最早この事実は隠ぺいしようにもトライアウトのレベルにまで下っていると……」

 

「……いや、待て。何故、トライアウトはその機体とやらがミラーヘッドに残らないのだと、ある種確証して調べを進められた? それは先んじて予感していなければ第十七号を強奪した今回の相手も同じ……知っているはずだ。何かを。そのピースこそが……」

 

 赴く先を感じ取った部下は慌ててその日のログを漁り、そしてメインモニターへと件のMSを映し出す。

 

「これです。これをグラッゼも調べていた……」

 

「第十七号量子コンピュータが解析出来なかった、ミラーヘッドの……世界のバグ。この白いMSこそが……世界を破壊する存在だとでも言うのか……」

 

 拡大画像で《エクエス》へと仕掛けていている白いMSは蒼い残像を引いて、宇宙の常闇を切り裂いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『回収完了、っと! 思ったよりも楽な仕事だったわね、クロックワークス社の内部に入り込むのは』

 

「まぁね。ボクらが思っていたよりも杜撰だったし、ひょっとして本当に気づいていなかったのかな? この量子コンピュータに残された意味を」

 

『……メイア。あんた、戦闘中に歌っていたでしょ。駄目だって、相手に気取られるわけにはいかないんだから』

 

 仲間の忠言にメイアは、だってと唇を尖らせる。

 

「歌のない世界なんて退屈でしょ?」

 

『それは確かに。メイアの歌が世界を変える。それは私達、ギルティジェニュエンの……いいえ、世界の意志よ』

 

 面装甲を持つ機体が偽装迷彩の布を取り払っていた。

 

 一定温度以下になれば自動で燃焼するように設定されている偽装迷彩はすぐに冷たい宇宙へと溶けていく。

 

 その下に隠れていたのはセンサー類を凝縮させた昆虫のような頭部を持つMS、《カンパニュラ》。

 

 特徴的な三つのアイセンサーが目標物を視認し、そのまま相対距離を測る。

 

『《カンパニュラ》一号機、こっちで確認。ラムダに着艦する』

 

「こちらも確認。二号機、着艦準備に入る。ラムダへと入電。目標の量子コンピュータは手に入ったけれど……ちょっと重いや」

 

 抱え込んだ量子コンピュータはMSの体躯ほどもある。

 

 一時的に背部格納エリアに収納しなければ戦闘の後に離脱も難しかっただろう。

 

 隠密行動に長けたMSである《カンパニュラ》にしか出来ない芸当だ。

 

『《カンパニュラ》三機を確認。回収後、現宙域を離脱する。その際、敵から付けられたマーカーは消しておけ。特にメイア・メイリス。……敵にその姿を見られた可能性がある。マーカーに留意せよ』

 

「……って言われてもなぁ。あの状況じゃ全く姿を見せずに完遂するのは無理だったし」

 

『元気だしなって、メイア。今はこの状況を優位に進められているのは私達なんだからさ』

 

『そうそう。まさか相手も想定外でしょ。たった一機のMSのミラーヘッドログのために、一陣営が動くなんてね』

 

「それも――統合機構軍と言う大きな括りの中じゃ、一応はお仲間だってのにね」

 

《カンパニュラ》三機がそれぞれ甲板へと降り立ち、黄色の映える機体色を翻して、暗礁の宇宙を見据える。

 

「……さぁ、どう動くかな、世界は」

 

 一瞬だけ、ぼうと宇宙空間を切り裂いた戦闘艦はすぐさま艦橋を空間に溶け込ませる。

 

 ――魔女は誰の眼にも映らない。

 

 世界の理が崩れない限り、それだけは絶対であった。

 

 



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第66話「時空の来訪者」

「もう三日経った。そろそろ諦めの境地に至る頃だと、想定していたのだがな」

 

 血の臭気の濃いシャトルの中でヴィヴィーと名乗った相手が声を投げて来たので、タジマは毅然と振る舞う。

 

「……あれは我が社の社運を懸けた物。そう易々と誰かに渡すわけにはいかないんですよ」

 

「とは言ってもだな、タジマ。あなた以外、皆死んだのだが」

 

「リーダー。駄目です、やはりコンテナは開きません」

 

 取り巻きがヴィヴィーに報告するのを、相手は静かな面持ちで応じていた。

 

「……鍵はどこにある?」

 

「ベアトリーチェの信号だけ、それこそがあのコンテナを開く鍵……。見極められませんでしたね、私以外ならば、あれを開けると言ってのけた社員も居たのに。あなたは本社組を皆殺しにした。その結果として、私と共に、宇宙を放浪してもらいます」

 

「悪いが、時間は無駄にかけられない。リミットだ、タジマ」

 

 ヴィヴィーが銃口を向け、そのまま肩口を貫く。

 

 痛みに呻く間にもう一発、銃弾が跳ねていた。

 

「……今度は頭蓋を貫く。殺されたくなければ言え。パスコードでもあるはずだ。コンテナの積み荷が積み荷なんだ。まったくのマンインターフェイスなしに開くわけがない。ベアトリーチェの信号の他にも開く術があるはず。それを聞いている」

 

「……ありませんとも。あれは特別なんです」

 

「だろうな。……《フィフスエレメント》の感覚が居残っている。このシャトルの中にも……。ならば、鍵はベアトリーチェと《フィフスエレメント》本体か。だがその二つだけではただの機械的な動作に過ぎないはず。……何者かの作為がなければ、コンテナは開かない」

 

 ヴィヴィーは銃弾を装填し、タジマの額へと照準する。

 

「言え。言えば殺さないでおいてやる」

 

「……言っても殺すのでしょう」

 

「温情を与えてやると言っているのだ。少なくともお仲間のような醜い死に様だけは辿らせてやらん」

 

「……本社組の方々は皆、いい人間でしたよ。醜いだなんてそんな……」

 

「嘘を言うな。お前は虚飾だらけの人間だ、タジマ。今も生き延びるだけの術をどうにか講じているはず。そうなのだと、データが証明している。このまま死に絶えるか、それとも辛うじて生き延び、我々に降るか。二つに一つだ、選べ、タジマ」

 

「……どちらもお断りだと言えば?」

 

「死んでもらうしかなくなるな。だがこれだけの策を弄してそれでも開かなかった箱だ。まったく開く術がないのならば既に自死しているはず。なのに貴様の眼にはまだ諦めの色が窺えない。……何を隠している?」

 

「隠してなどいませんよ。本当に《エクエス》と補助パーツだけなのですから」

 

「ならこのまま、地球圏に戻って中身を物色したっていい。ベアトリーチェとのランデブーポイントまで行かせるわけにはいかない。そのほうがまだ分かりやすい選択肢だ」

 

「……あなた方は何なのです。何故、我らの航路を邪魔しようと?」

 

「知る必要性はない。この世界の人間には余計にな」

 

 タジマは額に当てられた銃口の冷たさを思い知る。

 

 ヴィヴィーに迷いはない。このまま自分を始末するつもりだろう。

 

 その時に、コンテナの中身を解析しようにも出来ないと言う事実に相手は苛立つのに違いないのだが、自分一人を生かしてこのままベアトリーチェとの合流に入るはずもなし。

 

「……なら、選択肢は一つですねぇ……」

 

「そうか。遂に死を受け入れるか」

 

 ヴィヴィーのトリガーに添えられた指に力が籠る。

 

 その一瞬を――タジマは狙っていた。

 

 瞬間的にヴィヴィーの腕を引き込み、相手に無駄弾を撃たせてから、肘打ちでヴィヴィーの麗しいかんばせを叩きのめす。

 

 相手がうろたえた一瞬の隙を突き、タジマは耳の裏にあるボタンを押し込んでいた。

 

 その直後、シャトル内の重力が変動し、敵は無様に地面を這いつくばる。

 

「……まさか貴様……ライドマトリクサーか……!」

 

 忌々しげに口にするヴィヴィーの横を通り抜け、この状況を理解していない敵へと、無慈悲に銃弾を撃ち込んでいた。

 

「……眼鏡が汚れてしまった」

 

 眼鏡拭きで血の汚れを拭き取ってから、タジマは落ち着き払った様子でシャトルの操縦席へと向かう。

 

 想定通り、相手の仲間が操縦席で突っ伏している。

 

「何を……したァ……!」

 

「我が社の技術です。素晴らしいでしょう? 私のような無害そうな人間でも状況を一変するだけの力がある」

 

「……現代科学の化け物め……」

 

 吐き捨てた相手へとタジマは眉一つ動かさず、トリガーを引く。

 

 シャトルの管制系統へと指を翳すと、手首から先が分解され、二十本余りになった指先が特殊なパスコードを入力していた。

 

 瞬間、気密が変容し、シャトルの客室が分離する。

 

「では。チャオ、皆様」

 

 タジマはシャトル先端部をコンテナと接合させ、客室を宇宙の常闇へと投げ込む。

 

 ヴィヴィーの悲鳴と怒号が聞こえたような気がしたが、気のせいだろう。

 

「宇宙では音は聞こえませんからね。さて、仕事の続きと行かなければ」

 

 乱れた毛髪を整え、スペアの眼鏡と入れ替えて、タジマはベアトリーチェを一路目指す。

 

 その後ろで、不意に熱源警告が迸っていた。

 

「……まさか、追撃の部隊ですか」

 

 それ以外に考えられない。否、それならばまだ想定出来た。

 

 しかし、彼の瞳に映ったのは――。

 

 その時、音を伝導しないはずの宇宙で確かに、何者かの叫びが雷鳴のように切り裂いたのをタジマの有機伝導化した聴覚は聞いていた。

 

 ――来い! 《ネクストデネブ》!

 

 開いたのは大虚ろ。

 

 それもただの穴ではない。

 

 宇宙の深淵から覗きし、別世界への通路。

 

 それは世界を切り裂きし、人類の活路の指針。

 

「……こんな場所に……ダレトが開く……?」

 

 極小化されたダレトより飛来するのは、細い体躯を持つ機体であった。

 

 ――だが、知っている。

 

 この世界に住んでいるのならば、誰もが知っている姿であり、そしてそれは、この宙域には存在しないはずだ。

 

「……まさか、と言う奴ですね。――来たか、MF、《ネクストデネブ》。第二の聖獣……」

 

 眼鏡のブリッジを上げて言い放ったタジマの進路を阻むかのように、Iフィールドの雷撃を伴わせた砲撃特化の聖獣が世界の理を貫いて屹立する。

 

 それはあってはならない宇宙の夜明け。

 

 怒りの雷鳴を轟かせて、《ネクストデネブ》は自分を睨む。

 

 聖獣に睨まれれば、自分のような矮小な自己など赤子以下。

 

 押し潰されかねないプレッシャーを感じつつ、それでもタジマはシャトルの操縦系統から手を離さなかった。

 

 いや、正確には今にも逃げ出しそうな自己でも離せなかったのだ。

 

 ライドマトリクサーとしての技術は今も正常に働いている。

 

 如何に聖獣の一睨みが恐ろしかろうと、人である事を捨てた禁忌の術だけが稼働し続けていた。

 

 シャトルが《ネクストデネブ》の雷撃の射程を切り抜け、その脇を何事もなかったかのように通り過ぎたのはただの僥倖であろう。

 

《ネクストデネブ》は憤怒に駆られ、全てを焼き尽くさん限りの雷廟を放ち、宙域を赤く染めていた。

 

 その破壊力の前では全てが塵芥であろうに、自分は運よく逃れたのだ。

 

「……まさか、ヴィヴィー・スゥ。あれはダレトよりの来訪者……」

 

 射程から逃れた途端に、糸が切れたかのようにタジマはシャトルのテーブルモニターに突っ伏していた。

 

 息が上がっている。

 

 呼吸も鼓動も何もかもが絶え絶えになっているが、ライドマトリクサーの術が自分の生存だけを考えて休眠モードに入ろうとしているのだ。

 

「……任せ、ましたよ。私の中の、禁術に……」

 

 タジマは泥のような眠りの淵へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おい、これはどうなっている……」

 

 アルチーナの艦長が思わずそう告げたのは、月面艦隊の宙域まで戻った瞬間に巻き起こった出来事にであった。

 

 ラグランジュポイントに陣取る四聖獣のうち、一体――《ネクストデネブ》周辺の空間に変位が生じていた。

 

 月面艦隊へと艦長は伝令を繋ぐ。

 

「何が起こった! 《ネクストデネブ》周辺に、ワームホールが集約しているようにしか見えない……! ダレトが開くのか……」

 

『こちら月面第六艦隊、クルエラ級! ……観測所より伝令が下った。……これは、あり得ない……あり得ないものを我々は目にしている』

 

《ネクストデネブ》がずぶずぶと宇宙空間へと埋没――否、これは跳躍しているのだ。そうだと悟った瞬間、アルチーナの艦長は声を響かせていた。

 

「どこかに出て来るぞ! ダレトよりの干渉波に留意! 一時的に全ての電源がシャットダウンされるはずだ……!」

 

 その読み通り、直後にはアルチーナの全てが沈黙していた。

 

 それは月面艦隊も同じで、急速に全ての艦から生命の灯火が凪いでいく。

 

「……こちらアルチーナ! 繰り返す! こちら……駄目です。接続されません」

 

「……この宇宙の常闇に放り投げられたと言うわけか。電源復旧までの見込みは?」

 

「不明です。ですが、何かが巻き起こったのだけは……確か……」

 

 艦長席へと深く腰掛けて状況を把握しようとした矢先、エアロックが手動で解除される。

 

「……ザライアン・リーブス? どうしてここに……」

 

「感じたからだ。……聖獣の一角が動いたな?」

 

 何故それを、と問いただそうとして、彼は通信の周波数を変容させ、瞬く間にコードを打ち込み、アルチーナの電源を復旧させていく。

 

 一隻だけ生き返ったアルチーナのアステロイドジェネレーターに火が通り、硬直した月面艦隊を通り抜けていく。

 

「……まさに時が凍ったとはこの事か。不沈の月面艦隊が……」

 

「ダレトからの干渉波だ。電子機器は全て麻痺する。……しかし、まさかダレトを使ってでも何かを止めにかかるとはな。《ネクストデネブ》……」

 

「失礼ながら……ザライアン・リーブス。あなたは一体……何者なのだ。何故、復旧策を知っていた?」

 

「それは僕が既に経験しているからですよ。ダレトの干渉波から逃れる術を。どうやれば生き残れるのかを」

 

 ザライアンは超越者のような眼差しで自分を見据え、そして言い放っていた。

 

「アルチーナは巨大艦でしょう。他のクルエラ級や月面艦隊を立て直します。そうでなければいつまでもこの宙域に留まったままだ。《マギア》を寄越してください。アルチーナを主電源とすれば、アステロイドジェネレーターがイカれていても、外部電源でどうにかなる」

 

 艦長は目頭を揉み、ザライアンの言葉を自分の中で反芻する。

 

「……このような状況を理解して……いや、経験している? そんな人間はこの世に居ないはずだが……」

 

「失敬。言っていませんでしたね。僕の名前はザライアン・リーブス。木星船団のリーダーであり、そして宇宙飛行士。ですが、もう一個、名前を持っているのです」

 

 彼は煤けたような蓬髪を払い、赤い瞳で艦長を見据える。

 

「――僕はこの宇宙の人間ではない。あなた方が四聖獣と呼ぶMF、《フォースベガ》によってこの世界に顕現した、時空の来訪者だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第八章 「月航路を目指して〈ムーンライト・オンザウェイ〉」了

 



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第九章「忌むべき来訪者達の饗宴〈シャドウ・リターナー〉」
第67話「満月の夜に」


「ですが、編集長。これは大きなニュースですよ」

 

 そう持ち込んだデスクに、編集長は嘆息をついていた。

 

「駄目だ。記事にする事は許さん」

 

「何でですか! 世界情勢が大きく移り変わろうとするこのタイミングに!」

 

「分からないのか。血気逸って下手な伝聞を流布すれば、我々は追われる事になる。軍警察から、だ」

 

 その言葉の物々しさにさすがにデスクは返答に窮するかに思われていたのだが、彼女の持ち込んだ書類にはびっしりと、その模様が克明に描かれていた。

 

「月のダレトの防衛圏内から、四聖獣のうち一機が別軌道へと離れた……。これはダレトの守りを司っている月軌道艦隊への糾弾となり得ます! 何より! MFの位置関係はこれまで安全圏と言われていたボーダーライン。それを破った機体が一機でも居れば、それは非常事態なんじゃ?」

 

「分からんのか。非常事態だからこそ言っている」

 

 そう、下手に事を荒立たせれば自分達だけではない、地球圏に住む全人類が不安に駆られるであろう。

 

 それでも、デスクは食い下がる。

 

「……ここが駄目なら、別の出版社に持ち込んだっていいんですよ……!」

 

 最後の脅しのつもりなのだろうが、編集長は落ち着き払っていた。

 

「君は知らん世代なだけだ。知らんからこそ傍観者としての記事を決め込める。あの世界が移り変わった瞬間……ダレトの解放とMF来襲は我々地球圏での世代にとっては大きなターニングポイントであった。後のアステロイドジェネレーターとミラーヘッドの技術、そして高速航行の可能性、木星圏への船団、月への採掘の開始と、MFと言う概念……何もかも全てだ。全てが一夜にして様変わりしたあの激動の時代を君はまだ学生身分であったはずだろう。……あの時どれほどの血が流れ、どれほどの報道が軌道修正したのかを知らんからこそ、こんな傍観者の目線を決め込めるのだ」

 

「それは私が無知だとでも?」

 

「若いだけだ。それだけなのだよ、君は。……職務に戻りたまえ。君は少々、首を突っ込んではいけない事象にやたらと首を突っ込みたがる。前回の記事だってそうだ」

 

「……没にならなければあれは先週のトップニュースになるはずでした」

 

 編集長は自身の端末に編集部内で没案にした彼女の記事を呼び起こす。

 

「エンデュランス・フラクタル、その実情は?」と踊ったタイトルと誇大妄想気味な記事内容に頭痛の種を覚えていた。

 

「あまり逸れば、それこそ命がないぞ。この業界とはそういうものだ」

 

「……分かりませんね。編集長が慎重過ぎるだけなのでは」

 

「慎重過ぎるくらいで我々はいいのだよ。マスメディアとは、報道とは慎重に慎重を期して市民に情報を伝えるものだ。だと言うのに君のやる記事はどれも攻撃性が高い。そんなでは一時の市民の扇動は出来ても、それが継続的には成り得ない。分かるかね? 君がやっているのはアマチュアのやっているネットニュースの煽り記事と同じだ。それは我が社のスタンスではないと言っている」

 

 バンと、デスクは今回の記事を机に叩きつけていた。

 

「でも、報道は自由でしょう!」

 

「自由と秩序がないのは違うんだ。何故、分からない」

 

「分かりたくありませんから。編集長の言っているのは、老人の理論です。もっと攻めなければいつまで経っても市民は真実を知らない無知蒙昧のままでしょう」

 

「それもある一面では正しい。君はどうしたい? この世界を」

 

「暴きたいだけです。真実の姿に」

 

「だが暴いてどうなる? その先にあるのは破滅だと、何故分からん?」

 

「編集長は何でそんなに情熱がないんですか! 今しかないんです! MF02、《ネクストデネブ》の移動を観測! これは我が社が独自に仕入れたスクープなんですよ!」

 

 デスクの興奮気味の声に編集長は心底参ったように頭を振っていた。

 

「……そんな事を世間に公表しても、誰が納得するかね? 混乱の種を撒くだけだ。世論のほとんどは知りたくもあるまい。MFの移動、そして四聖獣のバランスが崩れた……たとえそれが間違いようもなくリアルだとしても、そのリアルに晒された民衆はどうなる? 彼らにとっては知りたくもない現実を一方的に知らされるのはただの暴力と同じ事だ」

 

「……暴力?」

 

「あるいはこう言ってもいい。差別だとも。君は無知蒙昧な民衆を導く聖女の行いのつもりかもしれないが、一面で言えばそれは魔女の行いでもある。いいかね? 沈黙こそが金の時もある」

 

「……沈黙が金? それが報道関係者の言葉ですか!」

 

 デスクの彼女は普段ならば少しばかりマシな記事を書いてくれるものだが、一度火が点くと止まらないのも事実。

 

 何よりもこれが正義なのだと信じて疑わないのは報道関係者としては最も悪手である。

 

「……じきに他の大手出版社も嗅ぎ付け、そして皆の歩調に合わせて我が社も記事を出す。今すぐに、と言うのは早急が過ぎる」

 

「でも、世界が待っているんですよ? なら、それに応じないのも嘘でしょう?」

 

「君は本来ならばもう少し聡いはずだ。だと言うのに、何故今と言うタイミングにこだわる? よもやとも思うが、別出版社から金をちらつかせられたのではないかね?」

 

「それは……」

 

 返事に詰まる当たり、図星か。編集長は大きくため息をつく。

 

「……それはジャーナリズムとは呼べないし、君の振り翳す正義とは正反対にあるものだ。よって、我が社での買い取り、及び君の記事を採用しない。これは相応な権利だ」

 

「……権利って……じゃあこの機会を見逃すんですか!」

 

「……君は軍警察の恐ろしさを知らない。そしてダレトに関連する情報の危険度でさえも。まかり間違えれば人が死ぬ。そういった情報の類なんだ。我々は文字で人を殺せてしまう」

 

「……そんな錆びついた概念、私は振り翳さない……!」

 

 最後の抗弁のように口にしてからデスクは離れていく。

 

 編集長は改めて、彼女の記事に目を通していた。

 

「……MF02……《ネクストデネブ》が空間跳躍……いいや、これはダレトを開いたんだ。そして別の位相空間より現れ、四聖獣の均衡を崩した……。この事実は重く考えるべきであるし何よりも……わたしは彼女の命を慮った、そのつもりなのだがね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 編集長は何も分かってない。それだけが浮き彫りになった議論の末に、デスクである彼女は部下に裏付けを頼んでいた。

 

「これ、明日までに裏付けを頼むわ」

 

「いいんですけれど……デスク、働き過ぎじゃないですか? こんなにやったって……編集長の駄目が通るんじゃ……」

 

「もしもの時には他の出版社を当たる。そうなるのが順当ね」

 

「嫌ですよ、自分。デスクと共倒れなんて」

 

「馬鹿、そこは栄転って言いなさいよ」

 

 襟元を正して記事のデータをカードに納め、本社を後にする。

 

 退勤間際、今一度まだ明かりの点いている出版社を仰ぎ見ていた。

 

「……私にはまだ手がある」

 

 予め想定しておいた番号へとかけ、彼女は約束を取り付けていた。

 

「もしもし? そちらと約束していた……」

 

『ああ、例の。ええ、大きなネタなので我が社としては言い値で買いたい』

 

「本当ですか? ……実のところ、編集長に反対されていて……」

 

『構いませんよ。例の場所で落ち合いましょう。そこでじっくりと話を聞く必要がありそうだ。何せ、これは世界を揺るがすスクープ。きっちりと良識のある人間同士で調停すべきでしょう』

 

 よかった、と彼女は安堵する。

 

 ここにもまだ話の分かる人間が居たのだ。

 

「……ですが、これは危険だとも忠告を受けました。約束の場所には……」

 

『ええ、護衛も付けておきましょう。それで何とかなるはずです』

 

「お願いします。何せ、MFとダレト絡みの事件となれば、欲しい輩はいくらでも居るはずですからね」

 

 通話を切ってそのまま約束しておいた路地裏へと歩いていく。

 

 その道中で空に浮かんだ月を仰いでいた。

 

「……今宵は満月ね……」

 

 月のダレトは沈黙を続けたまま、それでいて世界を様変わりさせる力だけは持っている――。

 

 学生時代、その存在感を目の当たりにした自分が報道関係に入ったのは必然で、そして今、このネタを解き放つのは必定であった。

 

「……世の中分かってないお嬢様みたいに言われるの、一番に気に入らないわよ……」

 

 月のダレトが開いてから、何もかもが一変した――その程度、ミドルスクールの生徒でも分かる。

 

「……それでも私は世界を変えたいの……」

 

 今はこの手の中にあるカード一枚に、世界の今後が賭けられていると言っても過言ではないはずだ。

 

 少し先まで進んでいくと、明らかに周辺の空気が物々しくなっていく。

 

「……護衛を付けたって言うのは嘘なの? こんな空気感……」

 

 いつ襲われても文句が言えないとでも言うような黒服達が忙しく駆け回り、そして物色するように自分を眺めていく。

 

「……お願い、早く……」

 

 その時、通話端末が鳴り響いたので、自分の迂闊さを呪っていた。

 

「はい……」

 

 すぐに出たが、相手先の声は子供のものである。

 

『その情報を買い叩きたい』

 

「……いたずら電話?」

 

『君の経歴を調べさせてもらったよ。君は――』

 

 そこから先にそらんじられた事実に、目を見開く。

 

 その中には自分以外の誰も知らないはずの情報が含まれていたからだ。

 

「……あなたは何?」

 

『あなた、という単一呼称は我々には相応しくない』

 

『左様。君は世界の帳を明けるのには迂闊過ぎた。情報のネットワークは君達が想定しているよりもずっと深い。ずっと深いところで繋がっているものだ。だから、ここで君が下手を打つのはお奨めしない。これ以上踏み込めば……』

 

 分かりやすい常套句での脅しだ。そんなものには屈しない、と奥歯を噛み締める。

 

「……どこで私の情報を買い取ったのかは知らないけれど、でもそんなの関係がない。私の手一つでこの情報はばら撒かれるのよ? なら、勝利者は私……」

 

『残念ながらそうでもないのだよ』

 

『君の構築するプライベートネットワーク、五段階の認証であったが今どき、英数小文字と数字の八桁程度では防壁にも成らない。お陰で君の纏め上げた記事は全て我々の手の中にある』

 

 震撼すると共に、これがブラフである可能性も考慮に入れて彼女は交渉する。

 

「……あなた達の言っている事が本当とも限らない」

 

『ならば証明してみせようではないか。君の目の前を、今、一人の学生が通っているね?』

 

 その言葉通り、学生が端末を弄りながら歩みを進める。

 

「……それくらい、何だって言うの? 適当な事でもでっち上げられる」

 

『――その彼が五秒後に心臓麻痺だ』

 

 まさか、と戦慄いた視界の中で学生は不意に胸元を掻き毟り、その場に蹲っていく。

 

 他の人々が駆け寄る中で、彼女は毅然と応じていた。

 

「……嘘よ。仕込みの可能性だってある」

 

『では君の背後に気を付けろ。三秒後に君は攫われる。逃れたければ我々のルートに従え』

 

 学生が倒れ込んだ隙に乗じて、一人の男が自分の背後のすぐ傍まで歩み寄っていた。

 

 自分に気づかれたのが分かると、男は舌打ち混じりに強硬策に出ようとするので、思わず駆け出していた。

 

 悲鳴も上げられない。

 

 履いていたハイヒールも逃亡の邪魔になったので投げ捨てていた。

 

 恥も外聞もかなぐり捨てて、彼女は男達の魔の手から逃れようともがく。

 

「……何を……何が起こっているの!」

 

『君は言ったではないか。世界を塗り替える大スクープだと』

 

『ならば必然、それを狙うのもまた、世界規模での諜報機関だろう』

 

「何で! 何で、何で何で! 何で私がこんな目に……!」

 

『忠告はされたはずだがね』

 

『編集長身分ならば我々の事にも勘付いていたはずだ。君のような迂闊な人間が出ないために』

 

「……何を……何を言っているの!」

 

『我々は世界を見通す、ホルスの眼のようなものだ。君のような悪さをする人間ならばすぐに勘付ける』

 

『ただ、着眼点はよかったとも。エンデュランス・フラクタルの暗部、そして今回の《ネクストデネブ》への特大スクープ。なるほど、確かにお宝だ。ただし、それを守り通せれば、の話だがね』

 

「何を……どうして……何を言っているの!」

 

 通信はもうとっくに切っているはずなのに、声だけが明瞭に耳朶を打つ。

 

 相手の回線が自分の回線を塗り替えている事にすら気付けないまま、彼女は小高い丘へと走り込んでいた。

 

 ぜいぜいと息を切らし、鼓動は今にも爆発しそうである。

 

 そんな中で、丘より見上げた月だけが、怜悧な眼差しを自分へと投げていた。

 

『……こう言わなければ分からないかね? あまり冗長過ぎるとよくないとは思うのだが――君は知り過ぎだ』

 

『そして知ったからには戻れない。鉄則であろう?』

 

 視線を振り向けた先に居たのは一人の男であった。野蛮人じみた蓬髪にサングラスをかけている。

 

「いや……いやぁッ!」

 

 逃げ出そうとした背中に銃弾が突き刺さる。

 

 よろめいた末にもう一発、今度は心臓を射抜いていた。

 

 遠ざかる視界、ぼやける世界、虚ろになる思考回路。

 

 その中でカードを取り上げられ、その情報を確かめた男が冷たく後頭部へと銃口を突きつける。

 

「……悪いな、お嬢さん。あんたは“世間を知らな過ぎたんだ”。それでお釈迦になっちまった」

 

 一番に言われたくない言葉を脳裏に焼き付け、彼女の頭蓋は弾けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グローブが合流した頃には仕事は終わっていて、クランチは静かに紫煙をたゆたわせていた。

 

「遅ぇよ。……っつってもな、これまでの俺の手腕を知っている部下はみぃーんな死んじまった。こうなっちまえば、もう誰も俺の手柄だなんて言ってくれねぇ」

 

「……クランチ・ディズル……君は……」

 

 クランチは月光の蒼い光を受けながら、天に向かって一服を吹かす。

 

「なんてこたぁねぇ。雇い主が変わっただけさ。俺の仕事内容自体は変わらねぇ。《オルディヌス》だなんだと一端のものを鼻先に突きつけたって俺みたいな戦争屋は結局のところ、地球に降りてすぐの仕事がこれさ」

 

『だが君を信用しての依頼だとも』

 

 胸元に留めたネクタイピン型の端末より発せられた声に、クランチは口角を歪ませる。

 

「信用だと? ……そいつぁどの口が、って返したっていいのかねぇ。言っておくが、あんたらの情報は正確が過ぎて不気味に映るもんだ。俺にもちぃとばかし譲ってくれよ、その叡智とやらを」

 

『いずれは考えておこう』

 

 考えていないものの言い草だ、と思いながら、クランチは情報の集積したカードをグローブへと差し出す。

 

 グローブは慌てて解析機にかけて、その真偽を確かめていた。

 

「……本物のようだな」

 

「分かんねぇなぁ、このお嬢ちゃん。もう少し賢かったら……いいや、俺よかよっぽど賢かったはずだぜ? 俺なんて戦場の死体の数で算数を習った口だ。この首何個目だ? ってな」

 

「……本当なのか冗談なのか分からない事は言わないでくれ。心臓に悪い」

 

「俺の部下なら慣れとけ、それくらい。それに、もう戻れないところまで来てんのはお互い様なんだぜ? 今さら傍観者決め込めねぇよ」

 

「……情報自体は本物だった。MF、《ネクストデネブ》。その移動……あれは位相空間を開いて別時空を介してから、宙域を離脱……いや、跳躍したと……」

 

 書かれている記事内容を反芻するグローブに、クランチは煙草を投げ捨てていた。

 

「興味もねぇな。MFってあれだろ? 月で陣取っているご大層な身分の侵略者だ。そんなのの記事一個書いて命一個を捨ててるんだ。あまりに無鉄砲だとは思うがな」

 

「……彼女にとっては必死であったのだろう。署名までされている」

 

「戦場での生き死にに比べりゃ、こんな平地で日夜戦っている連中なんてみんな平和ボケさ。にしたって連中、高いところが好きなんだな。だから、逃げ遅れるって事も分からない」

 

 二本目の煙草にクランチが火を点けたところで、都心の一角に位置するビルが爆破されていた。

 

 中腹部が折れ曲がり、中に居た人間は即死であろう。

 

「……我々の行動如何で人が大勢死ぬ。ミラーヘッドの戦場と何も変わらない」

 

「おいおい! 腑抜けた事抜かしてんじゃねぇぞ、てめぇ! ミラーヘッドの戦場だぁ? ……あんなもん、ちぃと核を見て握り潰してやるだけの戦場だろうが! ……ったく、湧いたヤツばっかりで嫌になるぜ。煙草が不味くなる」

 

『朗報だよ、クランチ・ディズル。エンデュランス・フラクタル母艦、ベアトリーチェがコロニー、シュルツを出港。これで少しは追いやすくなる』

 

「そいつぁ、統合機構軍の眼を掻い潜るのが容易じゃねぇって事か?」

 

『これでも陣営ごとにやりやすさと言うのはだいぶ違っていてね。そういう点では君らは最適解であった』

 

「最適解、ねぇ……褒められている気はしねぇが」

 

『クランチ・ディズル。そしてその部下二名に告げる。君達は再び、ベアトリーチェに襲撃を仕掛けてもらいたい』

 

「前回みてぇな失態はやめてもらいたいんだがな。あんな……殺人マシーンとやり合えってのはそのご自慢の《オルディヌス》なら足りるのか?」

 

『足りるどころではないはずだ。君らが勝利する』

 

「そいつぁ、心強い。……だがな、同時に思うんだよ。ペテン師ってヤツも大概は大言壮語を吐く。あんたらがいいスポンサーか、それとも性質の悪いペテン師か。そろそろ見極めどころってもんが欲しい。俺も命あっての物種だとは思っているんでね」

 

『珍しい事を言うではないか、クランチ・ディズル。君はもうその領域はとうに過ぎているのだと思っていたが』

 

「殺すのは好きさ。戦場はいい。血と硝煙のにおいに魅せられる最上の場だ。……だがな、同時に一歩間違えれば足元すくわれて、死ぬには自分になっちまう。そういう点じゃ、俺はまだ懐疑的でね。あんたらが俺らを投げてりゃいい爆弾だと思っているのか、それとも帰還を前提とした兵士として送り込んでいるのか、事と次第によっちゃ、返答も変わってくる」

 

 自分達の値踏みを要求している――さすがの連中もそろそろ分かってきた頃合いだろう。

 

『意外だな。殺すのも死ぬのも一興だと思っているようであったが』

 

「そりゃそうさ。だがな、無意味に死ぬのはいただけねぇ。それだけの話だ。あんたらの返答次第じゃ、俺は見限る。その覚悟くらいはあるもんだとおもってもらいたいんだがねぇ……」

 

『その懸念は必要ない』

 

 不意に、それこそ水鳥が湖面に降り立つかのように軽やかに。

 

 ノーマルスーツを着込んだ謎の宇宙飛行士は自分とグローブの間に降り立つ。

 

 今の今までその存在にさえも気付けなかった。己の迂闊さを呪った時には、既に臨戦態勢だ。

 

 グローブと同時に銃口を向けると宇宙飛行士は手を振る。

 

『我々は信に足る存在だと思ってくれていい』

 

「言葉と行動が裏腹だぜ……! 下手に出てきて死にてぇのかよ」

 

『そうではないとも。君らの流儀に、我々なりの返答をしているだけと思って欲しい』

 

「突然に現れるのが返答なのだとすりゃ、間違いも甚だしいな」

 

『これより君達には作戦行動に移ってもらう。その際にとある懸念に関して、一個だけ解消しておこう』

 

「……とある懸念?」

 

「一個だけ? 何だよ」

 

『君らの戦いはこれより、ミラーヘッドの記録上残らない』

 

 これまでの秘密主義に比べれば、何て事はないように思われたが、その実の意味するところを悟り、クランチは銃を握る手を強張らせる。

 

「……それだけは出来ないはずだ。出来ねぇ事を出来るって言い出すと、マジにペテン師めいているぜ」

 

『我々は嘘だけは言わないよ。それが君達との差異だ』

 

「嘘じゃねぇ証明も出来ねぇだろ。ミラーヘッドのログは、クロックワークス社が管理して――」

 

『そのクロックワークス社がだね、つい数時間前に襲撃に遭った。こればっかりは寝耳に水だろう?』

 

 思わぬ、とはこの事で自分もグローブも呆然としていた。

 

「……あの会社が? だがセキュリティは万全のはずだ」

 

『可笑しな事を言うな、君は。今さらセキュリティがどうのだの』

 

「……だとしても、あの会社自体がテロにでも遭わない限りは俺達は監視され続けるぜ。そういった仕組みにしたのは、それこそあんたらじゃないのか?」

 

『仕組みを扱うのも人間ならば、試すのも人間の役割だろう。我々はそう割り切っているがね。いずれにせよ、クロックワークス社はこのスキャンダルを表沙汰にはしない。したところでどうなる? いたずらに不安を駆り立てるだけだ。ちょうど今しがた殺した彼女のように』

 

 一瞥を死体に振り向け、クランチは舌打ちする。

 

「……んで、それが俺らが関知されないのと関係があるんだな?」

 

『一番の問題点であった第十七号量子コンピュータを何者かが強奪。その後に消息不明。これによって我らの盤面が一個進んだ』

 

「量子演算コンピュータでミラーヘッドをどうこうしていたって言う今の一個だけでも随分なスキャンダルだが」

 

『この程度、些末なものだとも。それにクロックワークス社はミラーヘッドの独占事業を得ていた。彼の企業からしてみれば、痛くもない脇腹を突かれたも同義。この状態から、どうあってもミラーヘッドの情報の一部が抜き取られているなど公式発表をするはずもない』

 

「……その目論みが当たっていたとして、じゃあ何で、って話にもなるんだがな。鏡像殺しの異名の俺に対し、今さらミラーヘッドを使えと?」

 

『その忌み名は伊達ではないはずだ。ミラーヘッド戦も出来ないわけではないのだろう?』

 

「……自分が死ぬみてぇで、気分が乗らないだけだ」

 

『ならば《オルディヌス》による第四種殲滅戦を超えたミラーヘッド――ミラーヘッドメギドを使用してもらう。これは名の通り地獄だぞ』

 

 その言葉に息を呑んだのはグローブのほうであった。

 

 自分はと言えば、煙草をくわえたまま宇宙飛行士を睨んでいる。

 

「地獄、か。そいつぁとうの昔に通り過ぎた代物だ」

 

『そう言ってくれると信じていた。君の手腕に期待しよう』

 

 宇宙飛行士はどこから呼び寄せたのか、丘の上に《マギア》を待機させ、そのマニピュレーターへと導かれてどこへなりと飛んで行ってしまう。

 

 最後まで警戒を怠らなかったクランチだが、相手が完全に消え去ってからようやく、屈辱に歯噛みしていた。

 

「……くそがッ! あいつらの走狗かよ、俺は……!」

 

「……だがクランチ・ディズル。彼らの言う事を聞かないわけにもいくまい」

 

「……ああ、癪だがその通り。何だ、グローブ。てめぇ、俺の流儀にも慣れてきたってワケかい」

 

「……そちらに従わなければ自分は死ぬだけだ」

 

「領分を分かってきた犬っころは好きだぜ? 愛想を振るって事も覚え出す」

 

 もう一人の部下がクランチへと煙草を点けたところで、不意にクランチはその部下へとヘッドバットをかましていた。

 

 部下は倒れ伏すなり、クランチに腹腔を蹴られる。

 

「な、何を! 部下だろうに!」

 

「部下だからだろうが。ガス抜きくれぇさせろってんだ。グローブ、てめぇ、今だから言っておくが、もう戻れねぇからな。《オルディヌス》ってのがどんだけヤバい機体なのか、見ただけでも分からないとは言わせねぇ」

 

「それは……」

 

 返答に窮したグローブを糾弾する気にもなれず、クランチは煙草の火を部下の手の甲に押し当てていた。

 

「……返事は?」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「犬ってのはいつでも感謝の気持ちを忘れちゃいけねぇよな。だがただの犬っころで終わるかよ。あいつらに目に物見せてやる。……犬だって獣だって事をな、理解させなくっちゃいけねぇ」

 

「この会話も、聞かれているのではないのか?」

 

「だろうな。だからこそ、言ってんだよ。宣戦布告ってのはいつだって相手を前にしてやるもんだ。見えないところでこっそりやるもんじゃねぇよなぁ?」

 

 グローブは恐れ戦いているようであったが、クランチは少しだけ、不味い煙草が上出来の旨さに変わったのを感じ取っていた。

 

「……にしても、今宵は満月か。嫌な夜だぜ、畜生め」

 

 そう言って天を侮辱するように、煙い息を吐きつけていた。

 

 



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第68話「涙に報いるには」

 操縦を教えて欲しいと、頼まれるなんて思わずにアルベルトは硬直していた。

 

 目の前ではラジアルが頭を下げている。

 

「お願いします! 私に操縦を……MSのいろはを……!」

 

「ま、まずいですって、ラジアルさん! オレなんかに頭を下げないでくださいよ! ……そうじゃなくっても、どこで野郎連中の眼があるか分かんないんですから……!」

 

「でもアルベルトさん……初見で《アルキュミア》を動かしたそうじゃないですか。それって才能ですよ」

 

「……そんな高尚なもんじゃありませんって。オレら、もしもの時は誰かの機体に乗ってでも戦い抜かなくっちゃいけなかった身分っす。だから操縦感覚ってのはもう沁みついちまってるんですよね……」

 

 呪いのようだ、とは思いつつも言わなかった。

 

「じゃあその……《オムニブス》に足りない事、分かるはずですよね?」

 

「……ラジアルさん。オレは正直なところ、あんたが前に出過ぎるってのもあんまり賛成出来ないんだ。いくら《オムニブス》とやらが堅くたって限度がありますし、それに今のままじゃ、まるで死にに行くみたいに……。そういう生き急ぎってのはあんまりオレは……好きになれないんすよ……」

 

「じゃあ、どうすればいいんですか? ……前みたいに、こうして……アルベルトさんと何でもない事を、たわいもない事を話していたほうが……あなたのラジアル・ブルームとしてはよかったかもしれません。……でも私は、リアルを知ってしまったんです。アルベルトさん、あなたのリアルを……」

 

 まさか、とこちらが身構えたのをラジアルは頭を振る。

 

「……言いません。言えるわけ、ないじゃないですか。あんなの、当人だけの問題のはずです」

 

「……参ったな。オレはラジアルさん、あなたにあれを言われちゃ、ここに居れないと、ある意味じゃ覚悟していたんすよ。だからその覚悟の出端を挫かれたみたいなもんで……」

 

「……男の子が過ぎますよ、アルベルトさんは。あの時、一番に辛かったのはアルベルトさんのはずなのに。……そして私はきっと、とっくに死んでいたんですよね……」

 

 どこか遠くを見ながら呟いたラジアルに、アルベルトはかしこまる。

 

「……自分があの時、死んでいたかもしれないなんて精神衛生上、思わないほうがいいっすよ。オレもたまによぎるんすけれど、やっぱりよくないな、って思いますし」

 

「……アルベルトさんは、全部知っていたんですか」

 

 糾弾でも、ましてや詰問でもない。ただの問いかけであった。そのような論調で聞くのもズルいと感じてしまう。

 

「……オレは責任があると思ってるんです。知っていたのに知らないフリをし続けた責任ってのが。だからオレは《アルキュミア》だろうが何だろうが、クラードの隣に居れるんなら何だってしますよ。それこそ、道理にもとる事だって……」

 

 拳をぎゅっと握り締めて放った覚悟に、ラジアルは壁に背を預けて赤髪を漂わせる。

 

 仄かに香水の匂い、女の香り――。

 

「……そう言われちゃうと、私だって何にも聞けなくなっちゃいますよ。アルベルトさん、クラードさんと一緒に戦う事で贖罪でもしようとしているんですか」

 

「……みてぇなもんかもしれません。オレは、あの時助けられなかった命や、知っていたのに知らないフリをして逃げていた自分がどうしたって許せないだけなんです」

 

「……でもそれって、あなたは自分の命を守るためにやった事でしょう」

 

「利己主義なんすよ、結局は。無知な宇宙暴走族を気取っておいて、それで何もかんも知っていたってのは、馬鹿を通り越してもう害悪なんです。オレはただの、凱空龍の面子のヘッドでよかった、ただのそれでよかったってたまに思うんすけれど……これも逃げっすね。オレは結局、クラードの隣に立つ理由が欲しいだけなんすよ。だからあれこれと言って、言葉ばっかり弄して、理由を取ってつけて……」

 

「アルベルトさん……」

 

「だからそんなズルい自分を、見て欲しくないのもあるのかもしれません。だから前に出たがるんだって。多分、クラードには、あいつには見抜かれてるんでしょうけれどね」

 

 そう、クラードならば自分の葛藤など恐らくはお見通しか、あるいは興味もないのだろう。

 

 彼の事だ。「どうでもいい事」で断じられている可能性もある。

 

 クラードはこれまでもそうであったし、これからもそうであり続けるだろう。

 

 そこまでの強い芯が自分の中にはない。

 

 だから惑ってしまう。

 

 だから、このまま壊れかねない心を奮い立たせようと、覚悟で雁字搦めにする。

 

 そうしないと心が折れてしまいそうで怖いから。

 

「……アルベルトさん、でもあなたはきっと、いい人なのは分かります。それは多分、アルベルトさんの魂の色なんだと、私は思うんです。だって一度だって……アルベルトさん、いつだって出来たじゃないですか。私を無理やり、力任せにどうこうするくらい」

 

「……そんなのは男のやる話じゃないってだけです」

 

「ほら、やっぱり。……私の思った通りだった。あなたは自分の魂の色を穢すような事だけは出来ない」

 

「……どうでしょうかね。オレは多分、ラジアルさんの思ったような高尚な人格でもないとは思いますよ。ただの意地っ張りな、それこそ余計な感情と装飾に糊塗されただけの、ちっぽけな奴なんです」

 

 そう、ちっぽけだ。

 

 何もかもが。

 

 図体ばかり大きくて、そのくせ自分を大きく見せようと言う虚飾を纏う気概すらない、ちっぽけさ。

 

 トキサダや他のメンバーは違う。

 

 彼ら彼女らは、凱空龍で生きる事にやり甲斐や生き甲斐を見出している。

 

 反して自分はどうなのだ。

 

 凱空龍でなくとも生きていける、その道がなくっても生きる道はある。

 

 ――半端者だ、と自嘲する。

 

 自分はただの半端者。何者にも成り得ない、ただの弱者。

 

「……そんなの、生きていたって何かなるのか? 誰かを救えるのか? ……だからオレはせめて近い場所に居るクラードだけは見過ごせないのかもしれません」

 

「《レヴォル》の射程に入って《マギア》で殴り込みなんて無茶ですよ。ヴィルヘルム先生にも言われたんじゃ?」

 

「あの人はただの興味本位の人っすよ。どうだった? なんて聞かれちゃいました」

 

 その言葉の後、二人して笑い合う。

 

 打算のない、真実に可笑しいだけの話であった。

 

「……何だかすっきりしますね。アルベルトさんと腹の探り合いとかなしにこうして笑える事って貴重かも」

 

「あ、それはオレも……つーか、正直、ビビってました。あんたがオレの……そういう秘密にいつか勘付いちゃうんじゃないかって」

 

「想像よりもずっと大変なものを抱えているのは分かりました。でも、私は決して、あなたを糾弾しない。だって私、本心ですから。アルベルトさんの事、好きなのは」

 

 不意打ち気味に告白されて、アルベルトは面食らってしまう。

 

「あ、え、へっ……? 今なんて……」

 

「もう! アルベルトさん、女の子に二回も三回も好きだなんて言わせる甲斐性なしなんですか?」

 

「あ、いや……違くて……いや、違わねぇな……じゃなくって! ……嘘でしょ? ラジアル・ブルームがオレみたいなのが好きなんて……」

 

「駄目ですか? ラジアル・ブルームがあなたみたいな人を好きになっちゃ」

 

「いや、駄目とかそんなのは……。ああ、そっか。また、からかわれてるんすね、オレ……」

 

 ようやく察したアルベルトにラジアルは微笑みかける。

 

「いつもよりかは、今の好きは本気だったんですけれどね」

 

「茶化さないでください。オレみたいな宇宙の場末で生きているだけの族上がりなんて、あなたみたいな人が好きになっちゃいけない」

 

「何ですか、それ。映画でもそんなクサい台詞なかったですよ?」

 

 うっ、と手痛いところを突かれてアルベルトは返事に窮する。

 

 実際、どぎまぎしているのもあながち嘘でもないのだ。

 

 こんな美人に――いや、今さら美人かどうかなど関係がなく――ここまで自分の嘘と虚飾をさらけ出しても好きだと言ってくれる人間が居るなど思いも寄らなかった。

 

「……オレ、甲斐性なしっすよ?」

 

「それは見れば分かりますし、もう証明済みです。気が付いたらカトリナさんをずっと目で追ってますもん」

 

「……それ、他のクルーにも」

 

「バレバレですけれど、女性クルーはあえて言及しないんじゃないですかね?」

 

 顔を手で覆い隠す。

 

 穴があるのならば入りたいとはこの事なのだと思い知っていた。

 

「……カッコつかねぇっすね」

 

「いいんじゃないんですか? アルベルトさんは、そういう方ですし」

 

「……ヘタレって言ってます?」

 

「分かるようになってきたじゃないですか。女子の思っている事」

 

 はぁ、と重めのため息をついてアルベルトは滞留した憂鬱さを噛み締めていた。

 

「……嫌っすね、何だか今までのカッコつけが全部馬鹿に見えちゃうみたいで」

 

「うーん……でも男の子ってカッコつけるものじゃないですか? だから、アルベルトさん、すっごく男の子だと思いますよ?」

 

「……ガキって言われて喜ぶ大の大人が居ます?」

 

「その道では居ましたかねぇ?」

 

「……さいですか。まぁいずれにしたって、オレはあんたにはもう手の内の割れたマジシャンみてぇなもんで、今さらかしこまったって無駄って事っすよね」

 

「どうします? 付き合っちゃいますか?」

 

「……何で女ってのは飛躍するんですかね。こう、理論がびゅんと」

 

「えー、ここまで言い合った仲なんですしいい加減付き合っちゃいましょうよ」

 

「駄目っすよ。他の野郎の眼があるうちは無理っす」

 

「……じゃあ他の人の眼がないところなら?」

 

「あのっすね。そんなもんあるわけ――」

 

「――部屋ならないんじゃないですか?」

 

 思わず、息を呑むほどのひそやかな声。

 

 禁忌への誘惑に、アルベルトは乗りそうになってぐっと奥歯を噛み締める。

 

「……駄目っす、駄目なんです。オレは、こう言っちゃなんですけれど、ラジアルさん。あなたをそんな風に……軽んじられない……」

 

「……戦いに赴く前に、抱いてもくれないんですね……」

 

「いや、そういうんじゃ……! ああ、いや、そういうのなのか、クソッ……! ……すいません、気持ちに応えられなくって……」

 

 思わず壁を殴りつけて面を伏せたアルベルトにラジアルは笑顔で返答する。

 

「いいんですよー、別に。私だって、これでも大女優のラジアル・ブルームですし。男の人の空回りな好意には慣れていますので」

 

 何だかそれは、今までの自分を弄んだ言葉とは違って彼女自身を切り売りするような言葉に思えて、アルベルトは気の利いた何かを返そうと、喉の奥に力を込める。

 

 だが、どうしたって浮かばない。

 

 ラジアルの手を取ればいいのか?

 

 彼女を抱きしめればいいのか?

 

 分からない、何もかも分からない。

 

 分かるのは、自分がまだ子供である事だけ――。

 

「違う、オレは……。あなたがオレを好きで居てくれるのはその……めちゃくちゃ嬉しいって言うかその、天にも昇るって言うか……。ああっ、クソッ……貧困な語彙じゃどうにも出来ないくらい、嬉しいんですよ……。でも、駄目なんだ。同時に、あなたを……汚せないんだってのもめちゃくちゃあるんです。オレみたいなののエゴで、あなたを……どうにも出来ない……」

 

「戦い方も教えてはくれないんですね」

 

「……あなたに前を行って欲しくないんす。それはオレらの仕事って言うか……」

 

「前時代的ですよ。今さら男が前、女が後ろなんて」

 

「……言われたってその通りっすけれど、でもオレは……男の意地としてあんたを行かせられないんだ……!」

 

「それだけは分かれって? ……ズルいのはアルベルトさんも同じじゃないですか」

 

 ハッとしたその瞬間には、ラジアルはこれまでのはつらつとした笑顔に戻っていた。

 

「なぁーんて! ……もう! アルベルトさんってば本気にし過ぎですよ。私は女優なんですよ? 何でもかんでも、ステージに立ったらその役に徹するんです。それは知っての通りでしょう? なら、私みたいなのが向ける好意なんて、言っちゃえば台本なんです。その台本に乗るか乗らないかだけの話で」

 

「……ああ、そっか。あ、いや、そうじゃないでしょう、今のは」

 

「……どう取っていただいても構いません。ただ私、アルベルトさんの事、もう嫌いにはなれないなって……そう思っただけですから」

 

 ラジアルは微笑んで手を振る。

 

 そんな彼女の背中に何か言葉を、気の利いた一言でもかけようとして、何も言えない己の弱さに気づいていた。

 

 彼女は自分の弱さを、それでもいいと肯定してくれたのに、自分は彼女に何も返せない。

 

 そんなではきっと後悔すると、この時どうしてなのだか、致命的に分かってしまっているのに、なのに何も言えないのだ。

 

 女一人守れるような、そんな大言壮語も吐けないのだ。

 

 ――半端者。

 

 脳内で己を侮辱する声が響き渡る。

 

 自分自身の声で、それは再生されていた。

 

「……違ぇ……」

 

 いや、違わない。

 

 自分は半端者なのだ。

 

 傷つきたくないから、傷つけたくないから、誰かの好意に応えられない。誰かの好意に甘えられない。

 

 誰かの――もしかしたら一生に一度かもしれない言葉に――応じられない。

 

「……違ぇ……」

 

 もう一言、自分でも欲しかった。

 

 だがどうしたって下手に緊張した渇いた喉からは、呼吸音と大差ない声が漏れるだけ。

 

「……だから、違ぇ……! ……オレは、ラジアルさん……あなたの事が……!」

 

 もう誰も居ない。

 

 彼女は行ってしまった。

 

 残響するばかりの虚しいだけの廊下でアルベルトは噛み締めていた。

 

 恋愛の方程式なんかじゃない。

 

 こんなのはただの負け戦だ。

 

 それもただ自分が傷つくよりもよっぽど辛い、負け戦。

 

「……こんなのって、ねぇだろ、オレ……」

 

 己の至らなさに叫び出したくなってしまうが、そんな馬鹿にも成り切れない。

 

 何者でもない自分を、ただ持て余すだけであった。

 

 ふと、浮かび上がった水滴を目にする。

 

「……泣いていたんだぞ、ラジアルさんは……。アルベルト……!」

 

 だがその涙に。

 

 その悲しみに。

 

 寄り添う事をやめたのもまた、自分そのものであった。

 



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第69話「観測する者よ」

『レヴォルの意志――貴方方がレヴォル・インターセプト・リーディングと呼ぶそのシステムには何か、致命的な欠陥があるのでは?』

 

 そう提言したピアーナの声に、サルトルは飲んでいた携行飲料をむせていた。

 

「大丈夫ですかー? 技術顧問」

 

 同じように《レヴォル》から概算される言語を読み取っていたトーマに心配されて、サルトルは何度かむせてから応じる。

 

「ああ……ったく、死ぬかと思っただろうに。……ピアーナ嬢、それを他の連中に吹聴するなよ」

 

『何故です? これは貴方方の生命線に直結しますが』

 

「……おれ達だってレヴォルの意志の明確な言語化は避けているんだ。それはあのクラードだって同じはずさ」

 

『クラードが、貴方方と、同じく……《レヴォル》から結論を先延ばしにしているとでも?』

 

「ああ、どうにもその気はある。と言うか、そうじゃなくっちゃあいつの行動原理の説明もつかない」

 

「実際、クラードさんってそんな感じですからね。我々に分からない事でもクラードさんなら《レヴォル》に関して分かっちゃうんじゃないですか?」

 

 同じように端末のキーを叩いて概算作業を行っている整備士のエーリクの言葉に、ピアーナは心底理解出来ないとでも言うような声を飛ばす。

 

『だとすれば……クラード、彼の行動原理は不明なままじゃないですか。総員に共有化のされていない価値観をバネにして、それで戦っているとでも?』

 

「ああ、案外、その感じだろうさ。ユーリ、調子はどうだ?」

 

「ぼちぼちですね。前回の《アルキュミア》との連携、めっちゃよかったですよ。あれのデータが今後活きてくれば」

 

「おれ達の戦いは少しずつ楽になってくれる、か。……実際、どうなんだ? ライドマトリクサーの身分で他人に専用のMSを貸し出すって」

 

『……いい気分じゃないですね』

 

「そうだろう? クラードも似たような事を感じたんだろうさ。シュルツでの事、観測出来たのは当事者だけだ。クラードは相当参っていたはずさ。だから艦長だって休暇を出したんだろう」

 

『休暇……そんなもので、あの鋼鉄のライドマトリクサーがどうこうなるとでも?』

 

「実際、《アルキュミア》の調整の時間を稼ぐ事は出来た。結果論とは言え、万々歳だ」

 

『……気に入りませんね、そういう結果が良ければ全てが、みたいなの』

 

「だがこの世に残るのは結果だけだろうさ。ピアーナ、お前さんだってクラードが居なければいつまでもデブリ宙域を漂って、死ぬ事も出来なかっただろう。そういう点ではもう少し感謝をだな……」

 

『あり得ません。第一、何であのクラードに感謝なんて? 彼を蔑みぞすれ、温情を与えてやる事なんてありません』

 

「そう決めつけてやるなって。実際、前回の戦闘では上手く転がったんだ。アルベルトの《マギアハーモニクス》は? 進捗どうなってる?」

 

「こっち、ハード面での洗い出ししてますけれど、ちぃーとヤバいっすね。このままじゃ戦闘のログが霧散しちゃいます」

 

 トーマは別の端末に浮かび上がった《マギアハーモニクス》のステータスを呼び出し、片手ではファストフードを噛り付いている。

 

『……トーマ様。少し品がないのでは?』

 

「あーしはいっつもこうなんで。第一、メシなんて食える時に食っておかないと持たないっすよ」

 

「おれ達整備班は戦闘に関しちゃどうにも出来ん。だから貢献出来る時に貢献させてもらう。これも仕事だ。ピアーナ嬢、あんただってそうのはずだ」

 

『わたくしは……。そもそも、レヴォルの意志がどうのって言う話なんじゃ……』

 

「問題があるシステムなのは重々承知だよ。……だがまぁ、クラード以外をそこまで乗り手だと認めないって言うはずだったのに……そういや、お前ら。ハイデガー少尉を知らないのか? あの人への手土産もシュルツで手に入ったってのに」

 

 格納デッキに陣取るのは高出力の《エクエス》の改修機であった。

 

『それがハイデガー少尉の?』

 

「ああ。こいつはすごいぞー。なにせ、あの超長距離狙撃型の《プロトエクエス》のデータを反映させた、狙撃機能特化型の《エクエス》のカスタムだ。それプラス、格闘兵装にも充実を加えた最新式さ。見た目は《エクエスガンナー》から大きく外れちゃいないが、それでもこいつの実力を見れば《レヴォル》とそう比肩しても違いはないはずなんだがなぁ……」

 

「ハイデガー少尉、こっちに顔出さなくなりましたね」

 

 ユーリの論調にサルトルは腕を組んで唸る。

 

「……うーん、あの人もあの人で統合機構軍の派遣した軍人だから、おれ達がその道をとやかくは言えないんだが……思い詰めていた様子ではあったからなぁ」

 

「《エクエスガンナー》の戦果も決して悪くはないはずなんですけれどね。《マギア》だって別に敵の頭を取ってきているわけじゃないですし、そのほとんどがクラードさんに頼り切っていたオペレーションなのは事実ですし」

 

「……だからってなぁ、ヘソ曲げる事はないだろうに」

 

『ハイデガー少尉の乗艦記録はありません。シュルツに残ったのでは?』

 

「……だとすれば、あーし達は余計に何も言えませんね。だって派遣ですもん、あの人」

 

「だよなぁ……統合機構軍の命令がかかれば、あっちだってビジネスなんだ。そっちになびく事だってあるだろ」

 

「……いい腕をしていたんですけれどねぇ」

 

『整備班が渋面を突き合わせていたって彼は来ませんよ。それに、ベアトリーチェももうシュルツからだいぶ離れています。現宙域は敵影はなし。今のところ航路に支障はありません』

 

「とは言ったって、トライアウトがいつ仕掛けてこないとも限らないし」

 

「おれ達の仕事はスクランブルがかかれば、その瞬間には帰還を祈るしか出来ん。無力なのは思い知っているつもりだが……こうも酷だときついな」

 

「あ、ラジアルさんの《オムニブス》、ちょっとペダル傾いていません? こっちに修正したほうが彼女も動かしやすいんじゃ?」

 

 トーマの提言にサルトルはデータを参照してから他の整備班に声をかける。

 

「《オムニブス》の整備を頼んだ。今の情報は暗号化して共有! 慌てろよ、次いつ出るか分からないんだからな!」

 

 返答が帰ってくるのをサルトルは後頭部を掻いてピアーナへと言葉を振る。

 

「とまぁ、忙しいっちゃ忙しいんだ。ピアーナ嬢、あんたにも出来る事はやってもらうぞ?」

 

『《アルキュミア》のデータならば渡した通りだと思いますが』

 

「……お前さん、おれ達を嘗めているな? RMなんだ、少しは技術面で手伝えって言っているんだ」

 

『提供したデータ以上は手伝いたくありません』

 

 ぴしゃりと言い放たれてしまえば、サルトルも追及出来なくなる。

 

「ま、プライバシーと言えばそうっすけれどねぇ」

 

「トーマ、お前が同調してどうする。メカニックの味方だろ」

 

「その前にあーし、生物学上女なんで。その辺よろしくーっす」

 

「女の味方は辛いな、おい」

 

『これが友情です』

 

「……どの面さげて言ってるんだ、ったく……。だがまぁ、今は納得はしよう。しかし飲み込んだわけじゃないからな。いつかはデータの提携の一つや二つくらいは承服してもらわないとこっちの作業だって進まないんだよ」

 

『レヴォル・インターセプト・リーディング』

 

 不意に言われてサルトルは疑問符を浮かべる。

 

「……何だって?」

 

『どうしてここまで他者を拒むシステムになっているのか、それだけが気にかかります。前回、解析に回した波形パターン。あれはまるで……生物のそれに近い。脳波のようですらありました』

 

「脳波、か。……RMでなければピンとも来ない要素だな」

 

『あれは結局何なのです? ただのアイリウムにしてはあまりにも他と違い過ぎる。サルトル技術顧問、貴方は知っていて黙っているのでは?』

 

「……守秘義務がある。クラードの居ない場所では話せん」

 

『ではクラードに直接聞いてみるとしましょう』

 

 通信回線が一方的に切られ、サルトルは舌打ちする。

 

「……ったく、勝手な奴が多くってオジサンは困るよ」

 

「この艦はそうでなくったって皆さん、自由ですからね。自分もまさか、ラジアルさんが《オムニブス》に乗るなんて言い始めるとは思いませんでしたよ。ヴィルヘルム先生に直談判だったんでしょう?」

 

「……まぁな。《オムニブス》は元々斥候用の機体だ。誰かが乗らないといけなかったし、出来るならそれはライドマトリクサーがよかったのは本音なんだが……オペレーターが前に出るとちょっと調子が狂うな」

 

「ラジアルさん、華っすもんねー」

 

「……何だ、トーマ。何か言いたそうな口調だな」

 

「別に何でもないっすよ。あーしはただのメカニックっすから」

 

「……その前に女の味方なんだろ? ……メカニック同士で隠し事なんてなしにしよう。そうでなければ気持ちよく作業なんて出来ないからな」

 

「それを言わないのもまた、女子なんすよねー」

 

 思わぬ反撃を食らってサルトルはむっとする。

 

「……分からんよな、若いってのは」

 

 



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第70話「忌避すべき毒」

「……レミア。レミア!」

 

 ハッとしてレミアが突っ伏していた艦長の執務机から顔を上げる。

 

 クラードはそんな彼女を慮る声を出していた。

 

「大丈夫? 全然寝てないみたいだけれど」

 

「ああ、クラードね。大丈夫よ。これでも四時間は寝たわ」

 

「……艦長の睡眠時間を削ってまでオペレーションに尽くすべきじゃない」

 

「そうもいかなくなってきているのよ。……書類仕事だけでも手が追われるのに、おまけに軍警察の胡乱な動きをちらつかせられたんじゃ、眠るに眠れないわ」

 

「……トライアウトは俺が排除する。レミアは寝ていたっていい」

 

「心強いけれどね、今は甘えられないの。艦長としての職務が本格化してきたと言うべきかしら。……シュルツから強硬策を取って出港したのを快く思っていない一派が居ると思ってちょうだい」

 

「……本社組か」

 

「その本社組のシグナルが途切れてもう二日。……逆に眠れないわよ。来るはずだった査察もぱぁだって言うんだから」

 

「……トライアウトにやられたと言う線もあり得る」

 

「あるいはもっと厄介な連中にでも絡まれているのか……。いずれにせよ、本社の査察が遅れている分には問題ないけれど、それはあなたにとっての……いいえ、違うわね。ベアトリーチェにとっての痛手となる」

 

「……例の《レヴォル》の改修案か」

 

「そのコンテナも行方不明となれば胸中穏やかじゃないのは分かるわよね? ……本社の査察があって最悪私が更迭になってもそれさえあればベアトリーチェは持ち直せる。月航路までの不安が少なくなったんだけれど、今は不安が募るばかり。このままじゃいずれ《レヴォル》だって頭打ちが来る」

 

「俺は誰にも負けない」

 

「それは根性論よ。あなたの振り翳すものじゃない」

 

 精神論で勝つと言っているのは今のレミアの状態を癒すのには向いていないのだろう。

 

「……だがだからと言って何日寝ていないんだ。四時間と言っても仮眠以下だろう」

 

「あなただって何日も寝てないでしょう? デザイアでの勤務中はほとんど寝ていなかったって報告があるわ」

 

「……お喋りも居る」

 

「結構報告だけは怠らないから重宝しているのよ? 凱空龍、だったかしら、彼らは」

 

「……俺はエージェントだ。あんたは艦長、職務が違う」

 

「重責は似たようなものだとは思うけれどね。……ねぇ、クラード。前回の戦闘時に仕掛けてきた《レグルス》とか言う新型機、あなたはどう見ているの?」

 

「あの動きは……恐らくは最初に仕掛けてきた奴と同じだ。声も聞いた。……黒い旋風の……」

 

「グラッゼ・リヨン。データはなるべく集めておいたけれど、あまり役に立たないかもね。性格分析じゃ、彼みたいなのはトライアウトに属さないと出ているし」

 

「それでも軍警察にこだわってベアトリーチェを追う理由くらいは出てくるだろう」

 

「案外、単純かもしれないわ。あなたを追うため、それで納得出来ない?」

 

「意味が分からない」

 

「……でしょうね。いいわ、グラッゼに関して言えば私が報告書を仕上げておく。あなたは会敵しただけだもの。本来、《レヴォル》のライドマトリクサーの仕事じゃないし、何よりもあなたには似合っていない。《レヴォル》のライドマトリクサーとして戦うのが板についているあなたにはね」

 

 レミアは自分の事を慮ってくれているのは分かるが、それでも今は艦長の職務のほうが重要である。

 

「……俺は誰にも負けない。レミア、あんたは休め。その間に、俺が連中を蹴散らしてやる」

 

「強い言葉は結構だけれど、やれないと意味ないのよね。……私にだって責任はあるもの。あなただけを頼りにするわけにはいかないわ」

 

「……だがそれも、結局はベアトリーチェありきの話だ。艦長職はこの艦と運命を共にする者のはず。適度に休まなければ沈むのは何も俺達だけじゃない」

 

「それ、休む事を拒否し続けたあなたが言える義理? ……まぁいいんだけれどね。私からしてみれば、あなたもカトリナさんも、あまりにも先急いでいるもの」

 

「……何で俺とカトリナとやらが一緒に出てくる」

 

「あら? 不服だった? 案外、人間らしいじゃない、エンデュランス・フラクタルの特級エージェントも」

 

「……意味が分からないだけだ。それに委任担当官だとか言っても、あれはまだ全然足りていない」

 

「その足りていないのが、彼女のいいところだと思うけれどね。何も、充足だけが人間にとってよりよいものだとは思えないわ。不足もまた、人間を仕上げるのに必要なものでしょう」

 

 不足もまた必要――と言うのはどこか逃げ口上めいていたが、それでも今の自分にとって不足はただの無意味でしかない。

 

「《レヴォル》の改修案も持ち越し、その上で敵との遭遇率だけが上昇する。……いい気分じゃない」

 

「それはそうかもね。でもクラード、あなたには力がある。その力をよりよく成熟させるためには、少しの困難も必要なのよ。まぁ、ベアトリーチェも出港してから先、困難だらけであるけれど。それにしたってピアーナの存在や、凱空龍の皆はよくやってくれているわ。もちろん、あなたもね」

 

「……面倒の種がそうはならなかったのならば、まだマシなだけだ」

 

「素直じゃないわね、相変わらず。コーヒーでも飲んでいかない? 寝覚めにはいいわよ?」

 

「いや、これ以上俺が長居しても迷惑なだけだろう。レミア、俺は《レヴォル》のところへと行く。いつでも戦闘に出られるように」

 

「……気負い過ぎないでね。あなたの身体はあなただけのものじゃないんだから」

 

「気負うなんて、それは俺らしくはないだけだ」

 

 艦長室を後にしたクラードは不意打ち気味に角を折れたところでカトリナと遭遇する。

 

「……クラードさん。どうしたんです? 艦長室から来たんですか?」

 

「あんた、また書類仕事をレミアに押しつけようってのか」

 

 抱えている書類を見やって嘆息をついた自分にカトリナは、いえ、と応じる。

 

「……これは私の仕事なのでっ。……と言うか、レミア艦長、ずっと缶詰めじゃないですか。このままじゃまずいんじゃないかって、バーミット先輩から助言をもらったんです」

 

「何をするんだ?」

 

 カトリナがじゃーんと取り出したのは香水であった。

 

「バーミット先輩のお気に入りのナンバーらしくって。これなら少しでも元気が出るんじゃないかなって」

 

「……女って香水で元気出るのか。単純だな」

 

「クラードさんは? これからどうなさるんです?」

 

「どうもこうもないよ。俺は《レヴォル》で敵との遭遇に際しての警戒。それ以外にない」

 

「えーっ! もったいないですよ! どうせなら、ちょっとブレイクタイムにしません? 現状、ベアトリーチェは自動航行モードですし、電子戦ならピアーナさんが担当していますから私達の仕事は少ないですし」

 

「……私達のって、一緒にしないでくれる? 俺はやる事があるんだ」

 

「《レヴォル》とずっと喋っていたって行き詰っちゃいますよ。……少しは私とお茶、駄目ですか?」

 

 カトリナの目は僅かに潤んでいる。

 

 何か聞いて欲しい事があるのだろう。

 

「……委任担当官が泣き落としとか」

 

「食堂に行きましょうっ! 私、いつも似たような食事なんでクラードさんが何を食べるのか楽しみですっ」

 

「人が何を食べるのかなんて楽しみなのか?」

 

「分かりません? ……だってクラードさん、何か食べています?」

 

「ライドマトリクサー施術の一部として空腹は感じにくくなっている」

 

「でもゼロじゃないんでしょう? だったら何かお腹に入れないと」

 

「……つくづく疑問なんだけれど、あんた、そんな事して何が楽しいんだよ」

 

「へっ? ……だって誰かと食事するのって楽しくないですか?」

 

「楽しいだなんて思った事はない。食事は最小限度でいいんだ。下手に誰かと会食したって、面倒ごとが増えるだけなんだし」

 

「……むーっ……、クラードさん、本当に夢がないんですね」

 

「どう言われようと結構だけれど、食堂なんかに行ったところで、意味があるとは思えない」

 

「意味とかじゃないんですぅー。そういうの分かんないんだから、もうっ」

 

 意味ではないとすれば何だと言うのだろう。そこに何か特別なものを持ち込もうとでも言うのだろうか。

 

 食堂はそこそこ空いていて、カトリナはいつも座っていると言う席に書類を置いて予約しておく。

 

 クラードは離れて座ろうと思っていたが、カトリナにその首根っこを押さえられていた。

 

「対面に座ってくださいよ。何のための委任担当官なんですか」

 

「……委任担当官との職務には食事の内容まで含まれていないはずだけれど」

 

「そういうんじゃなくって……! ……クラードさん、バーミット先輩の言う通り、お堅いんですね」

 

「バーミットの言う事を信じるのか。あいつ、下手な事ばっかり流布するんだからな」

 

「でも直属の先輩ですし、私からしてみればクラードさんだって立派な……そのぉー、立派な……」

 

「思いつかないんならそもそも言うなって話だろうに」

 

「うぅー……それは指摘されたらどうしようもないですけれどぉー……」

 

 コーヒーやそもそもそう言った嗜好品はセルフサービスだ。

 

 クラードは辛うじて自分が飲めるブレンドコーヒーを待っている間にカトリナが何かを注文しているのを横目にしていた。

 

「……コーヒー一杯でなびいたみたいで、何だか癪だな」

 

 そう言いつつクラードが席に戻ると、カトリナが持ってきたのは何と立派な食事である。

 

「……ブレイクタイムなんじゃなかったのか」

 

「あっ、そのぉー……お昼抜いちゃってたんで、お腹空いちゃって……」

 

「何か腹に入れなくっちゃいけなかったのはあんたのほうか」

 

 こちらがコーヒー一杯なのに対し、カトリナは定食を頼んでいる。

 

 その頬が僅かに紅潮していた。

 

「そのぉー……こいつ、こんなに食うんだ、とか思ってますよね?」

 

「別にどうとも思ってない。ただ、馬鹿みたいだなとは思う」

 

「……それって、思っているって事ですよね? ……はぁー、もう。でも美味しそうだから、いいや」

 

 いただきます、と手を合わせてすすり上げている食べ物にクラードは関心を向けていた。

 

「……何だそれ。見た事のない食べ物だな」

 

「あれ? クラードさん、うどんを知らない……?」

 

「他所の食べ物なんて知らないよ」

 

「メジャーじゃないんですかねぇ……。私、東洋の血が流れているので、このメニュー大好きなんですよ? 天ぷらうどん付きA定食っ!」

 

「よく食うんだな」

 

「ほら! やっぱりそう思ってるー!」

 

 カトリナはそれでも目の前の定食をがつがつと美味そうに食べる。それが何だか今だけは単なる気紛れか、それとも自分にもその影響があったのか、クラードは頬杖を突いて尋ねていた。

 

「……それ、美味いの?」

 

「ふへっ? あ、とってもおいひんですひょっ!」

 

「食いながら喋るなよ」

 

 ごくんとうどんを飲み込み、カトリナは笑顔で言い直す。

 

「美味しいんですっ! 何て言うんですかね、私もちょっとその気はないと思ったんですけれど、艦内食って思ったよりも栄養があって……」

 

「あんたは作れないのか?」

 

「私? 私はそのぉー……料理って一品しか作れなくって……」

 

「それって何」

 

「……言ったら笑いますよ」

 

「笑わないから。早く言えって」

 

「……オムライス」

 

「……はぁ?」

 

 カトリナは羞恥に耐え忍ぶかのように、ぎゅっと唇を噛んで言い放つ。

 

「お、オムライスですよぉ! オムライスしか作れないんですぅー!」

 

「……オムライスって、卵でメシを包んだあれか」

 

「あ、あれ? 笑わないんですね」

 

「……笑うようなポイントでもないだろ」

 

「いや、でもこれ言うとそのぉー……大学の友達とかから笑われちゃうって言うおなじみパターンがあって……」

 

「俺はそのパターンじゃないって話だろ。オムライスとか、よく分かんないけれど」

 

「……クラードさん、オムライス食べた事ないんですか?」

 

「デザイアで半年、その前からずっと。俺はエージェントクラードだ。余計なものは食わないようにしている」

 

「……それって、お腹空かないって事ですか」

 

「何だよ。憐れむのなら好きにすればいい。俺は最低限度の栄養補給だけでも活動をし続けられる。だからどうだっていい話じゃ――」

 

 その時、カトリナが不意に立ち上がり、テーブルを叩く。

 

「駄目ですっ! ご飯食べないと力出ないじゃないですかぁ! ……分かりました」

 

「何が分かったって」

 

「食堂、ちょっと借ります」

 

「……何言ってんだ、あんた」

 

「クラードさんに! 本物のオムライス! 作ってあげますからっ!」

 

「……オムライスに本物も偽物もクソもないだろ」

 

「食堂でクソは禁止! ……食堂、お借り出来ますか?」

 

「いいですけれど……オムライスを作るって……」

 

「クラードさんが美味しくって美味しくって、それでどうしようもなくなっちゃって頬っぺた落ちちゃうくらいのオムライスを食べさせてあげるんですっ!」

 

「……何だそれ。人間の頬が物を食べたくらいで落ちるわけがない」

 

「物のたとえじゃないですか! ……まぁいいですよ。私、オムライスしか作れませんけれど、でもオムライスだけなら友達とかに言われました。プロ級だって」

 

 カトリナは髪の毛を括り上げ、エプロンを纏う。

 

「……おい、待て。俺はそれを食べないといけないのか」

 

「そう言っているじゃないですか。大丈夫です、物の二十分程度で出来上がりますから。ご飯と卵が三つ。それにケチャップとベーコン、あとはネギとほうれん草! それがあれば出来ちゃいますんで!」

 

「……何を意地になってるんだ。俺がそのオムライスを食べるとでも?」

 

「食べてもらいます! いいえっ、食べたくなるオムライスを作りますからっ!」

 

「……何だよ、それ」

 

 馬鹿馬鹿しいと一蹴するのは簡単だったが、クラードの網膜に焼き付いているのは先ほどのうどんを旨そうにすするカトリナの姿であった。

 

「……俺にも残っているのか。そんな真っ当さが」

 

「作りますよっ! じゃあまずは、ボールに卵を――!」

 

 割ろうとして激震がベアトリーチェ艦内を見舞う。

 

 想定外の衝撃に全員が姿勢を低くしていたが、クラードだけは冷静に事の次第を見守っていた。

 

「……敵襲」

 

『艦内、全域で戦闘警戒。聞こえているわね? クラード』

 

「バーミット。敵襲だな? 何者が仕掛けている?」

 

「……クラードさん」

 

 へたり込んだカトリナへと、クラードは一瞥を寄越す。

 

「……持ち越しになったな」

 

『エージェント、クラード。《レヴォル》の出撃許可が下りたわ』

 

「……出撃許可か。いずれにしたところで、俺が出るだけの話だ」

 

「ま、待って……! 待って、クラードさん!」

 

「……何。俺は戦いに行くだけだ。それだけが俺の存在理由なんだからな」

 

「そんな悲しい事……」

 

「悲しくっても理由がそれしかないだろうに。《レヴォル》が待っている」

 

「じ、じゃあその……私も待っていますっ!」

 

「……はぁ? 何言って――」

 

「その……縁起でもないかもしれませんけれど、普通にオムライスっ! 食べてもらいたいですのでっ!」

 

「……本当に縁起でもないな。帰ったら食う、それでいいだろう」

 

 それだけ言い置いて、クラードは格納デッキを目指す。

 

 既に戦闘機械へと変換した己の自我を持て余しながらも、クラードは声を走らせていた。

 

「……ピアーナ、聞いているんだろう。敵は何者だ」

 

『あら? その辺りは聡いですのね』

 

「今の衝撃……ただの敵じゃない」

 

『そうですわね。恐らく最悪の敵襲となった事でしょう。わたくしはあれを、データでしか知らない』

 

「……何を言っているんだ。《レグルス》なら前にも遭遇した――」

 

『《レグルス》ではありません。あれは、宇宙の深淵を覗く魔そのもの――』

 

「クラード! 《レヴォル》、スクランブルならいつでも行ける!」

 

 サルトルの声を聞きつつ白衣を預け、パイロットスーツに袖を通す。

 

「何なんだ……。いつもの落ち着きがないように思えるが……」

 

「それもその通りだ。何だって……この宙域に出やがった……!」

 

 忌々しげに語るサルトルの横顔の焦燥感に、クラードは瞬時に敵が想定外である事を悟る。

 

「……《レヴォル》で先行する。敵対行動中の相手なら簡単に殺せる」

 

「いや、あれは……。殺せるとかそういう次元で考えていいのか……」

 

「……何だ、サルトル。いつになく弱気だな。何があったって……」

 

『クラード。聞こえているわね?』

 

「バーミット。あんたも何だ。声を強張らせて……」

 

『《レヴォル》で出撃後、ベアトリーチェは旋回し、この宙域を離脱挙動に入るわ。あんたは《レヴォル》で敵を少しでも抑えて。そうじゃないと……喰われる』

 

「……だから何の事を言って――」

 

 そこで不意に、脳髄に響き渡ったのは宇宙の深淵を貫く怨嗟の声であった。

 

 頭蓋が割れそうな激痛が突き立ち、クラードは一瞬だけテーブルモニターに突っ伏してしまう。

 

「……何だ、この、感覚は……」

 

『コミュニケートモード限定発動。“クラード、こちらも感じている。これは……恐れ、というものか”』

 

「《レヴォル》? 俺が指示していないのにコミュニケートモードに入るなんて」

 

『“……参ったな。あれを目にすれば嫌でも、生存本能を叩き起こされる”』

 

「《レヴォル》……?」

 

『《レヴォル》を緊急射出カタパルトに移送? 馬鹿言うんじゃない! クラードに死ねって言っているのか!』

 

 言い争いをし始めたサルトルの怒声はいつになく真剣であった。

 

『仕方ないのよ。あれを前にしてしまった以上は。……本来ならばあり得ない邂逅、こんな局面で行き遭うなんて思っちゃいない……』

 

「レミア? 何だって言うんだ。全員、何が起こっている……!」

 

『“――敵が来るぞ、クラード。我々の敵だ”』

 

「《レヴォル》、お前は……何を言って……」

 

『コミュニケートモード強制終了。現時刻より、レヴォル・インターセプト・リーディングは敵存在の抹消に入ります』

 

「存在末梢? ……それは俺の許可がなければ下りないはずだ」

 

『《レヴォル》はこれより敵存在の抹消を優先し、それ以外のモードを優先順位から外します。敵性存在を確認。レヴォルコアファイターは全ての射出権限を専任RMに移行』

 

「……何が起こったって……!」

 

 クラードはおっとり刀で《レヴォル》へと可変腕を接合させ、そして《レヴォル》の視野と同期した視界の中で、敵影を捉えていた。

 

 ――瞬間、絶句する。

 

 ――血液が凍り付く。

 

 ――心臓がその鼓動を収縮させる。

 

「……あれ、は……」

 

 あり得ない。

 

 だが目の前に展開するそれは、遭遇するはずのない敵意。

 

 宇宙の常闇を無数の砲台から放射される光芒で引き裂き、怒りの雷撃が周辺宙域を打ち砕いている。

 

 今だけは、無音の宇宙が生易しいくらいだ。

 

 それほどまでに、相手は憤怒に沈んでいる。

 

 痩躯は巨大砲台を使役し、ベアトリーチェを見つけるなり、砲撃網を絞って宙域を手繰っていく。

 

「……MF02、《ネクストデネブ》……。だが何でだ。何であれが……月軌道から離れてここまで来ている……」

 



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第71話「対聖獣」

『……クラード、聞こえているわね?』

 

「レミア。何だこれは……。何が起こっている。MFは……四聖獣は決して、月からは離れない。そのはずだ」

 

『……残念だけれど、見えているのが現実よ。私も悪い夢だと思いたいけれど、そうじゃないみたい。……クラード。艦長として命じます。《レヴォル》で敵を引き付け、そしてベアトリーチェは転回。敵MFから逃れる軌道を講じます』

 

「……簡単に言ってくれるな。本来MFはもっと後になってから戦うはずだった相手だぞ。それが目の前に出て来たとなれば……心穏やかなわけもない」

 

 しかしここでかち合った現実だけは確かだ。

 

 相手はベアトリーチェを――いや、それだけではない。自分達の存在する空間そのものを圧迫しようとしている。

 

 まるで宇宙の常闇そのものの持つ狂気。

 

 世界を暗礁で満たす最大の敵意。

 

『クラード! 《アルキュミア》も出られる! 《オムニブス》が斥候として出撃するから、その情報を得てからでも……!』

 

 サルトルの言葉にクラードは乾いた唇を舐める。

 

「冗談。そんな時間がどこにあるの。……会敵速度はこのまま、MF02、《ネクストデネブ》を少しでも遠ざける。そのためなら、《レヴォル》とエージェント、クラードは労を惜しまない」

 

『エージェント、クラードへ。《オムニブス》、行けます!』

 

 ラジアルの声にクラードは命令口調で断じていた。

 

「駄目だ。こんなの相手に斥候なんて死ににいくようなものだぞ。それに、敵は分かりやすく雷撃を撃って来てくれている。これ以上もない、標的を見据えるのには、またとない好機だ。エージェント、クラード! 《レヴォル》、迎撃宙域に先行する!」

 

 甲板カタパルトより射出されたレヴォルコアファイターがそのまま敵の射程圏へと入っていく。

 

 身を焼き焦がす憤怒の塊たる光芒が闇夜を射抜き、そのままベアトリーチェの左舷を焼き払っていく。

 

「……今のだけでも轟沈クラスの威力か。さすがは月のダレトを守る四聖獣だな」

 

 しかし、とクラードはその懸念とは裏腹に自身の内側が激しく脈打つのを感じていた。

 

 ――敵は見えた。ならば次の瞬間には刈り取っている。

 

 会敵速度はむしろ加速させ、《レヴォル》に腕だけを現出させ敵とのすれ違いざまに粒子束を叩き込んでいた。

 

 だが、相手には傷一つない。

 

「……これが噂のIフィールドって奴か。まだ技術として俺達に降り立っていない、ダレトの向こう側の応用技術……」

 

 Iフィールドの皮膜はビーム兵装の全てをことごとく反射する。

 

 ならば、近接戦闘で焼き切るしかない。

 

 そうだと断じたクラードの判断は素早い。

 

 円弧を描いた周回速度を維持したまま、旋回軌道を敵の極太の光軸が貫くも、それを無視して加速度をかけさせた《レヴォル》で至近距離まで肉薄する。

 

 ――常人ならば獄炎のなびく敵の絶対射程に潜り込むなど、考えもしないはずだ。

 

 だが自分と《レヴォル》ならば、この絶対制空権はむしろ敵への攻勢へと打って出られる最大の射程となる。

 

 可変を果たすと共に抜き放っていたのはヒートマチェットであった。

 

 電荷させ、熱を帯びさせたヒートマチェットの赤い残光が棚引き、《ネクストデネブ》の操る高出力砲台へと突き立つ。

 

「……入った……ッ!」

 

 Iフィールドの皮膜を貫通し、敵の装甲へと一打を浴びせ込む。

 

 そのままの勢いを殺さず軽業師めいた挙動で敵本体へと攻撃を叩き込む――そう判断を下そうとした、瞬間であった。

 

 ――何かが自分と《レヴォル》の体内をすり抜け、怨嗟と憎悪がライドマトリクサーの躯体を震わせる。

 

「……何だこれは……。恐怖だとでも、言うのか……」

 

 あり得ない。戦場にそんなものを持ち出すのはとうの昔に過ぎ去っていると言うのに。

 

《ネクストデネブ》の擁するカマキリの複眼を思わせるアイカメラが虹色に輝き、その波長を押し広げていく。

 

 ――許さない。

 

 どうしてなのだか、極寒の宇宙を貫いた熱の塊たる叫び声が《レヴォル》を震撼させる。

 

 それは硬直として現れ、《レヴォル》を操る自分まで巻き込んでいく。

 

「……動、かない……?」

 

 それこそあり得ないはずだ。

 

 だが、この現象を呼ぶとすれば一つだけ。

 

「畏怖していると言うのか……俺と《レヴォル》が……」

 

 敵対存在として抹消すればいいだけと判定していた自分と《レヴォル》がここに来て人間そのもののような恐怖と戦っている。

 

 それが今は滑稽に思えるが、《ネクストデネブ》は容赦などしない。

 

 眼前へと巨大な砲門を突きつけられる。

 

 大写しになったそれを回避しようなんて考えは咄嗟に浮かばない。

 

 しかし、やられるわけにはいかないという習い性の神経が生じ、瞬時にミラーヘッドを展開させ、手刀を形作った《レヴォル》の幻像を撃ち込んでいく。

 

 それと共に《ネクストデネブ》の放った高熱の放射がいくつもの影を蒸発させていた。

 

 ライドマトリクサーたる自分にとってのダメージフィードバックが襲いかかり、肉体から頸椎を引き抜かれたかのような激痛が苛む。

 

 思わず呻き声。

 

 だがそれだけでは終わらない。

 

《ネクストデネブ》は砲門だけを有しているのではなかった。

 

 その疾駆より伸びたのは巨大なクローアームである。

 

 ハサミに掴まれた《レヴォル》は、避ける事さえも叶わぬでくの坊であった。

 

 直上と直下より、巨大砲身が据えられる。

 

 クラードは丹田に力を込めてミラーヘッド展開を行おうとしたが、全ての制御系が赤く明滅し、何もかもが消し去られていく。

 

「ミラーヘッドの使用が……《レヴォル》の権限でも出来ないだと……!」

 

 いや、それよりも、とクラードは機体を割りかねない出力のクローアームの圧迫感を覚えていた。

 

 このまま叩き割るか、それとも上下を挟んだ形の砲撃で消し炭以下に落とし込むか――その判定は全て、目の前の《ネクストデネブ》に投げられている。

 

《ネクストデネブ》は値踏みするかのように、複眼へと光の波長を波打たせこちらを睥睨する。

 

「……冗談」

 

《レヴォル》はヒートマチェットを逆手に握り締め、そのままクローアームを引き裂いていた。

 

 直後、天地を縫い止める光芒の波をクラードはミラーヘッドの急加速で跳び退っている。

 

 そのまま蒼い残像を刻みつつ、一時でさえも同じ場所には留まらないように跳躍し、直上より跳ね上がった《レヴォル》が次の瞬間には赤い残火を敵の装甲へと斜め一閃を浴びせ込んでいる。

 

「……リミッターコード、“マヌエル”。認証……ッ!」

 

《レヴォル》は自身に課されたリミッターを解除し、振り向きざまに向かってきた相手のクローアームをそのままヒートマチェットで応戦。

 

 斬撃が両断していく。

 

 宇宙の深淵を覗き込むかの如きMFの眼窩が瞬き、甲高い機械音声をレコードに刻ませながら敵が振り仰いだその直上を取った《レヴォル》は急降下し、胃の腑が押し上げられる重力を味わいながらクラードはヒートマチェットを打ち下ろす。

 

 敵が咄嗟に翳したのであろう、砲身を寸断し、もう一方のヒートマチェットを袖口のワイヤーに装着させ交差する剣閃が眼前に突きつけられたMFの絶対の殺意の象徴たる巨大砲身を打ち破り、ミラーヘッドの全開加速によって《ネクストデネブ》の異様なヘッドパーツが間近に迫る。

 

「――退け」

 

 ヒートマチェットの片側を投擲し、相手のIフィールドへの牽制とする。

 

 そして直後には迫っているであろう巨大砲門へと爪を立て、脚部で踏み抜いて砲身を駆け抜ける。

 

 まさか相手も巨大砲門を足場にされるとは思っていなかったらしい。

 

 ――狙うは一点。

 

 高圧縮粒子束が蒼く輝き、瞬き、凝縮され、Iフィールドの防衛権を超え、敵の頭部を引っ掴む。不思議な事に恐怖とはこの宇宙の深淵の闇の中でも伝わるものだ。

 

「恐怖しているな。俺と《レヴォル》に」

 

 その言葉が素直に伝わったのか、そうでないのかは分からない。

 

 だが、相手より怨嗟の声が拡散し、《レヴォル》を押し潰さんとする重力が働いたのを感じ取る。

 

 そのまま頭蓋を砕く一撃を共に――そうだと断じたクラードの神経を引っぺがしたのは、交差するかのように機体を嬲っていた巨大砲門の質量であった。

 

 まさか、砲撃を発するでもなく、砲台そのものを兵装とするとは思いも寄らない。

 

 否、ここまで追い込まれて身も世もなく、と言った具合であろう。

 

 吹き飛ばされた形の《レヴォル》であったが、この時クラードは――否、《レヴォル》と同期した精神は砲台に爪を立てていた。

 

 敵も振り払ったと思ったのだろう。

 

 まさか、まだ執念深く噛り付いているとはまるで予期していないはず。

 

 間髪入れずに跳躍。

 

 無論、Iフィールドの鉄壁の檻の中。

 

 だが、《レヴォル》に一度目はあっても、二度目はない。

 

 発生するIフィールドの基点を見出し、ヒートマチェットをワイヤー越しに投げてその基部を粉砕する。

 

 少しでもこちらの叡智が届くのならば、それは好機となり得るはず。

 

 僅かに沈んだIフィールドの皮膜を、《レヴォル》は爪を引き込んでそのまま膂力に任せて引き剥がす。

 

 蒼い眼窩が煌めき、敵を睥睨したのを、真正面に迫った砲門のプレッシャーが遮るも、その砲撃が生じる前には掌底が打ち込まれていた。

 

 至近で咲いた粒子束。

 

 弾け飛ぶ現代のヒトの叡智を超える代物。

 

 だが分かりやすい。

 

 砲門を打ち砕いたのならば、次は至近距離で攻撃すればいい。

 

 何てシンプル。

 

 敵の技術の結晶である砲身を引き裂き、《レヴォル》はクラードの意志を得て肉薄していた。

 

 ――今度は逃さない。

 

「必ず……抹消する! 行くぞ、《レヴォル》。思いっきりゲインをぶち上げろ!」

 

 呼応したレヴォルの意志が鼓動を刻み、その腕が敵の疾駆へと叩き込まれようとした、刹那。

 

 衝撃波があった。

 

 いや、これは衝撃波が内側より「生じた」と形容すべきか。

 

《ネクストデネブ》を葬り去らんと《レヴォル》の腕が伸びた先で、発生したのは暗礁の宇宙を穿つ――大虚ろ。

 

「……まさか。こいつ、ダレトを開いて……」

 

 局地的ではあるが、《ネクストデネブ》はダレトを自分と《レヴォル》を隔てるように発生させ、その大穴の向こうへと《レヴォル》を誘おうとしている。

 

 その帰結する先は、試算するまでもない。

 

 ダレトの向こうに赴いて生きて帰って来られる保証は一ミリもないだろう。

 

「……なら、ミラーヘッドだ」

 

 瞬時に戦闘本能を切り替え、ミラーヘッドの分身体を次々とダレトへと放り込んでいく。

 

 そうする事で許容量を超えたダレトは閉じても可笑しくはないはず。

 

 そう判じていた神経はしかし、直後には失策であったと痛感する。

 

 クラードは己の自我境界線がぶれたのを意識していた。

 

 自分と言う存在が分散し、瓦解し、境界線を越え、何もかもが霧散しようとしている。

 

「……ダレトにミラーヘッドを突っ込んではいけないのか……」

 

 大虚ろの向こう側で、《ネクストデネブ》の眼窩が波打ち煌めく。

 

 それがどうしてなのだか、今は明瞭に――嗤っているのだと知れた。

 

 平時ならばここでわざわざ敵の挑発に乗る事などない。

 

 加えて、相手はダレトを極地発生させる化け物だ。まともに取り合う必要なんてないのに――なのに今だけは――。

 

「……負けられるか」

 

 口にした覚悟をそのままに、クラードは《レヴォル》の掌を分身させている。

 

「これでも喰らえ」

 

 直後、拡散された《レヴォル》の掌底武装が敵の装甲へと矢継ぎ早に撃ち込まれ、接していた相手の表面装甲が裏返り、膨れ上がって内側から爆ぜていく。

 

「叡智は届く……! 俺と《レヴォル》の叡智は……!」

 

 Iフィールドを捨て去り、《ネクストデネブ》はそのマニピュレーターに雷の槍を番えていた。

 

 恐らくは敵の唯一の近接武装。

 

 それを引き出した時点で、現状の優位点を超えているのだと認識したクラードは、振り抜く速度で《ネクストデネブ》の機動力よりも先にヒートマチェットを打ち下ろす。

 

 肩口より血飛沫のように内部伝導パイプが弾け、ミラーヘッドジェルの蒼色に近い飛沫が蒸発する。

 

 ぐんと相手との距離を詰め、クラードはダレトを通り越して、《ネクストデネブ》の懐に入っていた。

 

 そこは既に至近距離。

 

 よって、既に死地なる距離でもある。

 

「……だが、これが俺の距離だ……!」

 

 真紅に染まった瞳を投げ、クラードは敵の頭部を再び引っ掴もうとして、その腕を上下より挟み込むように巨大なる砲身が激突していた。

 

 右腕を失う感覚があったが、構いはしない。

 

「……ミラーヘッド、電荷」

 

 潰された右腕を複製し、まだ動く感覚があるとでも確かめるように握り締めてから、圧迫され、ミラーヘッドジェルを溢れ出させた右腕の神経を伸ばす。

 

 脳髄に突き立つ、電流の痛覚。

 

 血潮を湧き立たせる、電荷の鋭敏さ。

 

 ミラーヘッドに支配された右腕がまるで幽霊のように浮き立ち、圧死した右腕より離脱して《ネクストデネブ》の視神経の真正面でビーム粒子を拡散させていた。

 

《ネクストデネブ》のIフィールドの向こう側はほとんど丸裸だ。

 

 眼をやられたのだろう、《ネクストデネブ》が後退する前に、蒼い残像を引きながらミラーヘッドの腕がその痩躯を掴み、握り締める。

 

 ――ここでむざむざ逃しはしないという恩讐。

 

 それが結実し、形となって《レヴォル》の右腕から溢れていた。

 

 ミラーヘッドの怨念の形状を有して、《ネクストデネブ》の機体を一本、また一本と幽鬼の腕が拘束する。

 

「このまま――倒れろ……!」

 

《ネクストデネブ》にもう手立てはない。

 

 これを逃れる術を相手とて知らぬはずだ。

 

 そう確信したクラードは直後に《ネクストデネブ》の波打つ眼球部分が十字に煌めき、膨大なる熱量を放出したのを目にする。

 

 自身の砲台すら犠牲にしての《レヴォル》駆逐に向けての動き。

 

 しかし寸前でそれを「認識」したクラードはギリギリで逃れている。

 

《レヴォル》の右腕はほぼ使い物にならない。

 

「……まだ左腕がある。それに、右腕だってまだ持つさ」

 

 右腕より噴出したミラーヘッドジェルを形状固定――イメージとして確立。

 

 通常の右腕は最早使い物にはならないが、ミラーヘッドで分身させた腕はまだ使える。

 

 その状態の《レヴォル》と自分に、《ネクストデネブ》より怨嗟の声が放たれたのを感じる。

 

 ――忌々しい、ガンダムめ!

 

「頓着している場合でもない。……このまま駆逐する」

 

 急加速して、ミラーヘッドの分身の補助も得つつ敵の砲撃を潜り抜け、Iフィールドの壁へと。

 

 通電したIフィールドは全てを拒絶する絶対の空間だったが、今の自分と《レヴォル》ならば超えられるはずだ。

 

 ミラーヘッドがそのままIフィールドを突き破り、敵の絶対防衛権へと侵入する。

 

 無数に有する砲台をミラーヘッドの腕にぶつけるが、それをすり抜けて蒼い腕は《ネクストデネブ》の周囲を漂う。

 

「……撃つ」

 

 確信した言葉と共にトリガーを。

 

 それで致命的になるはずだ――敵を包囲した《レヴォル》の腕が固定化し、概念化し、そして腕と言う形状を伴って変化する。

 

 漂ったミラーヘッドジェルの血潮そのものが《レヴォル》の腕を構築する円環となり、《ネクストデネブ》を絶対の拘束に置く。

 

「これで逃がさない……終わりだ」

 

 トリガーさえ引けば、如何にMFとは言え、撃墜は免れないはず。

 

 そうだと判じたまま、撃てばよかったのに――。

 

『……駄目だよ。そんなんじゃ、キミまで死んでしまう』

 

 不意に耳朶を打った声と共に無数の光条が常闇より現れ、《ネクストデネブ》を拘束していた《レヴォル》の腕を断ち切り、それだけに留まらず、《レヴォル》へと不可視の機体が取り付いてそのまま加速し引き剥がしていく。

 

《ネクストデネブ》は九死に一生を得た形で砲身を振り回し、自身の周囲に展開する敵影を叩き潰そうとしたが、どれもこれもまるで視えない。

 

 暗礁の宇宙に溶け込んでいる装甲は、《ネクストデネブ》の力の象徴でも叩き潰せないようであった。

 

「……何が、起こった……」

 

 遅れて事態を認識したクラードは接触回線を聞いている。

 

『……MFに単騎で挑むなんて、無謀もいいところだ』

 

「……何を……いや、待て……その声は……」

 

『自己紹介はまたにしようか。今は……キミと《ネクストデネブ》を引き剥がす。それが最善策だからね』

 

 ぐんぐんと加速し、そのままベアトリーチェの監視する宙域から離れたのを、クラードは感じていた。

 

 既に友軍の監視さえも届かない。

 

 こんな常闇で、と考えていたところで、不意に空間に生じたのは黄色の色彩を誇るMSの編隊であった。

 

「……この機体、シュルツで見かけたあの機体か……」

 

『ボクらのMS、《カンパニュラ》。そして、キミを死なせるわけにはいかない。いいや、これは逆説か。キミが死ねば、《ネクストデネブ》もタダでは済まないんだけれど、相手も認識しているのか、あるいは分かっていて殺そうとしていたのか。いずれにしたって、危険な接触であったのには違いない』

 

「……お前は……」

 

《カンパニュラ》のうちリーダー機のアンテナを付けた一機が浮かび上がり、ウィンドウがコックピットの中に表示される。

 

「……メイア・メイリス……!」

 

『忌々しい、って感じだなぁ、その言い草』

 

「お前は……! 何故俺を……俺と《レヴォル》の戦いを邪魔する……!」

 

『罵られるいわれなくない? ボクはキミを助けたんだよ?』

 

「助けた? あのままなら《ネクストデネブ》を撃てていた……!」

 

『……それも込みで、助けたって言うんだけれど、まぁいいや。宙域を漂いながらワケ分からない事を清算したって仕方ないよね。とりあえずは招くよ。ボクらの魔女の下へと』

 

「……魔女……?」

 

 その時、不意に高熱源を関知した《レヴォル》のセンサーに、クラードは背後を振り向いていた。

 

 果たしてそこには――透明の皮膜を身に纏った戦闘艦が佇んでいる。

 

 カタパルトだけが実体化しており、他は宇宙の闇に溶けていた。

 

『ラムダ、ボク達のための魔女に』

 

 ラムダと呼称されているらしい戦闘艦へと《レヴォル》はそのまま《カンパニュラ》に突き飛ばされる形で飲み込まれ、後部をクッション性の高いワイヤーで縛り付けられたのを感じ取る。

 

「……俺達を鹵獲する気か」

 

『鹵獲だなんて人聞きの悪い。だから、助けたんだってば』

 

「助けた? お前らさえ来なければ、今頃奴をやれていた」

 

『……意見の相違かなぁ。ま、どっちにしたって《レヴォル》はまともな状態じゃない。右腕は大破、他もボロボロ。よく戦って来られたね、そんな整備で』

 

「……俺達を侮辱するな」

 

『あれ? それなりには怒るんだ? まぁ、どっちでもいいんだけれど。《レヴォル》は接収する。そしてライドマトリクサーであるキミだけれど』

 

「……殺すのか」

 

 それが当然の帰結だろう。

 

 相手にも《レヴォル》を稼働させられる素質があるのならば、二人のパイロットは邪魔なだけだ。

 

 しかし、《カンパニュラ》よりもたらされたメイアの反応は違っていた。

 

『……あまりに強情ならって話だけれど、でもそうじゃない。どこかでキミは分かっているはずだ。ここで死ぬのは運命じゃないって』

 

「運命?」

 

『そう、運命さ。キミは信じるかい?』

 

「……俺は運命なんて信じた事はない」

 

《カンパニュラ》が格納デッキに入って来るなり、メイアはコックピットを開け放つ。

 

「でも、さ。運命があったほうがロマンもあっていい。そういうものじゃないの?」

 

「……お前は……」

 

「ボクとキミは選ばれた。レヴォルの意志と呼ばれる、この世界の理に。ならば、それを行使するのは、運命以外の何者でもないだろう?」

 

「……分からないな。お前は《レヴォル》を何故動かせた」

 

「それこそ、運命のなし得る業だとしか言えないかな」

 

「……馬鹿馬鹿しい。こいつはそんな簡単なものじゃない。レヴォルの意志は……乗り手を選ぶ。何故……コロニー、シュルツで《レヴォル》はお前に反応し、そして乗り手とまで認めた? それには裏があるはずだ」

 

「うーん、裏も何も、《レヴォル》のほうからやってきたんだけれど」

 

「それならばカラクリがなければおかしい。《レヴォル》は俺以外を乗り手と認めていないはず」

 

 メイアはパイロットスーツのまま、どこか中空を眺めて答えを探っているようであったが、その様子に友軍から声が飛ぶ。

 

『メイア。考えたって仕方ないんだから、今は艦長に会わせれば?』

 

 それも、女の声であった。

 

 どうにも馴染めないな、とクラードは感じ取る。

 

「それもそっか。OK、じゃあキミの身柄をそのままに艦長に会ってもらう」

 

「……いいのか? 俺は《レヴォル》とまだ繋がっている。ここからでも破壊工作くらいは出来るんだぞ」

 

「そう? でもしないでしょ。どこの宙域かも分からないし、この船の事だって分かっちゃいない。そんな状態で、宇宙を彷徨う? それこそ死にに行くようなものだなぁ」

 

 メイアはどこかで理解している。

 

 自分が従うしかない事を。

 

 しかし、先ほどまでの鋭敏な感覚が、ここで従うのをよしとしない。

 

「……《レヴォル》はまだやれる」

 

「凄んだって駄目だよ。《レヴォル》は限界だ。ボクらは《レヴォル》を修復し、そしてキミには交渉をしたい」

 

「交渉? ……割って入っておいてよく言う」

 

「だーから、助けたんだってば。……ま、今のキミじゃ分かりようもないか。平行線の回答はやめておいて、今は現実的な話だけをしよう。キミがもし、ラムダを轟沈させてもその見返りは薄い。だってキミはラムダがどこに所属しているのかも知らない。そしてもう、振動で分かっていると思うけれどミラーヘッドの加速に入っている。この状態なら、もう宙域の場所を正確に知る事は不可能だって、歴戦のパイロットなら分かるよね?」

 

 ベアトリーチェから離れれば離れるほどに事態は悪く転がっていくのは自明の理だが、ここで認めれば相手の利ともなる。

 

「……どうかな。《レヴォル》にはもしもの時の発信器くらいは付いている」

 

「嘘つけ。前にそんなものはなかった」

 

 相手が《レヴォル》に乗った事があるのでハッタリも利かないか。

 

 奥歯を噛み締めたクラードに対し、メイアはコックピットに入って来るなり、そっと手を自分の接合部に寄せる。

 

「これでも、ボクを敵だと思う?」

 

 威嚇するでも、ましてや牽制するでもない。

 

《レヴォル》との繋がりを確かめるかのような、愛おしい指先。

 

 無論、エージェントが情にほだされる事もなければ、冷徹に事の次第を分析する頭を失っているわけでもない。

 

 だが、今の状態で抵抗しても《レヴォル》ごと撃墜されるか、自分だけ殺されるかのどちらかだ。

 

 ならば、今はベアトリーチェとの合流も鑑みて、生存を選ぶ。

 

 クラードは腕を可変させ、《レヴォル》との繋がりを絶っていた。

 

「信じてくれた?」

 

「俺が信じるのは俺自身と《レヴォル》だけだ。それ以外は信に値しない」

 

「いいよ、それでも。こっち。《レヴォル》はうちの整備班が何とかしてくれる」

 

「……適当な事をすれば、容赦はしない」

 

「安心しなって。それにキミが思っているよりも、キミ達は有名人なんだ。軍警察からはこうも呼ばれている。――“ガンダム”ってね」

 

 その呼び名にクラードは先ほどの戦闘を思い返していた。

 

「……ガンダム……。奴も、そう呼んでいた……《レヴォル》を」

 

「《ネクストデネブ》のパイロットと話したの?」

 

「いや……思念のようなもので……俺もイカレちゃっているな。何だ、その言い訳は」

 

 快活な笑い声を上げてメイアはバイザーを上げる。

 

 茶髪にワンポイントだけ赤の入った髪が揺れていた。

 

「おっかしーね、キミ。でも、それに関しちゃよくやったと思う。元々、《ネクストデネブ》との会敵はもっと先だったんでしょ?」

 

「……何でそれを」

 

「月航路を目指しているのなら、MFとかち合わないほうがおかしいし、それにうちの分析班がね。《レヴォル》はもしもの時、MFと戦闘出来るようになっているはずだって、結果は出していたから」

 

「……お前らは何者だ……? どうして俺を……《レヴォル》を破壊しない。どう考えたって危険だろうに」

 

 立ち止まったクラードに、メイアは何でもない事のように応じる。

 

「その必要がないから、じゃダメかな? ……まぁ、どっちにしたって、《レヴォル》の接収は時間の問題だったんだけれど、色んな勢力が狙っていてねー。どのタイミングにするか講じていたところに、ダレトが開いた。まさかMFが単体であの宙域に出るなんて思いも寄らなかったし、その上、キミと《レヴォル》は無謀にもMF相手に単騎で挑んで……そしてさらに想定外な事に勝ちかけていた」

 

「……そうだ。あのままなら勝てた」

 

「でもダメだ。それじゃ、重要なものを失う。その時じゃないと言える。今は」

 

 メイアの言い草はどれもこれも惑わすようなものだと言えたが、どうしてなのだか頭から否定する気にはなれない。

 

「……まるでその時が来るかのような言い草だな」

 

「そうだろうとは思う。でも、今じゃない。なら、キミは生き残らなければいけない。あのまま《ネクストデネブ》を討てば、なるほど、確かに重要な局面にはなっただろう。でも、それは致命的なんだ。ボクらからしてみればね」

 

 メイアに導かれ、自分は拘束も施されずに隔壁を潜っていく。

 

 後ろに先ほど《カンパニュラ》を動かしていた相手が二人付いているが、その立ち振る舞いから、エージェント相当なのは見て取れた。

 

「……お前らは何だ。何故、《レヴォル》を付け狙っていた」

 

「ボクらだけじゃないんだけれどなぁ、名誉のために言っておくと。《レヴォル》を狙っていたのはそれこそ大勢だよ。その中の一勢力って言うだけ」

 

「答えになっていない」

 

「まぁまぁ。まずは艦長に会って。話はそこからでも遅くないはずだし」

 

 艦長室らしき設えの扉の前で、メイア達は認証キーを打ち込み、開かれた扉の先には手広く取られた部屋と執務机がある。

 

 ここでは喫煙が許されているのか、どこか煙い。

 

 艦長はよりにもよって女艦長であった。

 

 レミアよりも少しだけ年かさを重ねた女艦長は束ねた髪を払い、自分を見据える。

 

 猛禽のような鋭い群青の瞳であった。

 

「ようこそ、ラムダへ。歓迎しましょう、エンデュランス・フラクタルのエージェントさん」

 

「……俺は招かれざる客だと思うが」

 

「そうでもない。あなたを……いいえ、《レヴォル》をいずれ抱き込む事は我が方の計画のうちに入っていた」

 

「……何がしたい」

 

「一つだけ」

 

 指を立てた女艦長はそう断言する。

 

「――この偽りの世界を矯正する」

 

 



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第72話「真実への道標」

 喧騒ばかりが過ぎ去っていく中で、《アルキュミア》に乗り込んだアルベルトは発艦命令を待っていた。

 

「何やってんだ! 何が起こってる! すぐにオレと《アルキュミア》を出してくれ! クラードに危険が及んでいるんだろう!」

 

『駄目よ、今出せば二の舞になりかねない』

 

「二の舞……? クラードに何かあったのか?」

 

 苦々しい面持ちのバーミットにアルベルトは《アルキュミア》のスリッパを解除させ、そのままカタパルトデッキへと向かおうとする。

 

『待ちなさい! まだ待機よ! アルベルト君!』

 

「待ってられっかよ! ……今もクラードはヤバいんだろ? なら、そこに加勢出来ないで何が凱空龍だ!」

 

『……あなたじゃ敵わないわ。あれには……』

 

 バーミットの論調にアルベルトは歯噛みする。

 

「……そうやって、さ。あんたらいつもそうだよな。オレには出来ない、オレじゃ力不足だって……! でもよ! 負けると分かっていても、出なくっちゃいけない局面が、男にゃあるってんだ!」

 

『それはわたくしの命令で聞き届けられません。アルベルト様』

 

 不意に通信ウィンドウに割り込んできたピアーナに、アルベルトはうろたえる。

 

「……ピアーナ? ……《アルキュミア》を任せてくれたんじゃねぇのかよ!」

 

『だからと言って、死ぬと分かっている極地に出せる戦力は現状、一機もないのです。……他の《マギア》編隊の出撃もロックさせていただいております。電脳技師の権限で』

 

 その言葉の通りとでも言うように、凱空龍の面々の当惑の声が通信を流れていく。

 

『どうなってんだ! 何で出られない!』

 

『今出なくっていつ出るんだ!』

 

「……みんな……。それでも、全員、腹ぁ括った凱空龍のはずだ! 何だってここで邪魔をする!」

 

『――敵がMF、だと知ってもですか?』

 

 想定外の言葉にアルベルトは硬直する。

 

「……何、だって……」

 

『MF02、《ネクストデネブ》。それとクラードは戦っている。《レヴォル》単騎で』

 

 まさかそれほどの敵だとは思いも寄らない。

 

 だが、それならば余計に加勢が居るはずだ。

 

「……分かっていて、オレ達を出させねぇのか……」

 

『艦長命令でもあるのよ。《レヴォル》以外でMFとは戦わせられない』

 

「何で……! じゃあ何で《レヴォル》ならいいんだよ!」

 

『彼には資格があるのよ』

 

「レミア……フロイト艦長……?」

 

 まさか艦長直々に直通を繋いでくるとは思っても見ず、アルベルトはうろたえる。

 

『彼はいずれMFと……いいえ、全てのMFを破壊しなければならない任務を帯びていたわ。今はそれが早まっただけ。なら、余計な邪魔をして彼の足を引っ張るべきじゃない』

 

「……邪魔だって? 《レヴォル》だけであの四聖獣……MFとやり合せようなんて考えていたのか! あんた達は!」

 

『人でなしだと、思っていただいて結構よ。それでも、クラードと《レヴォル》なら勝ちの目があった』

 

「そんなわけ……。相手は当時の連邦艦を駆逐した化け物だぞ! そんなのと単騎でなんて……!」

 

『全ては流れの中に入っているのよ。《レヴォル》はいずれ、MF全機を破壊すべく行動するはずだった。今、時計の針を早めようと言うのなら、それに従うまで』

 

「分からねぇ……。分からねぇ、分からねぇ……ッ! あんたらはクラードを死なせてぇのか! クラードはたった一機なんだろう! たった一人なんだろ! ……そんなんで戦わせて……オレ達は高みの見物だとでも……」

 

『そうは言ってないわ。落ち着いてちょうだい、アルベルト君。理由は追って話します。今は、クラードの生存だけを』

 

「祈っておけってか……! ……あんたら、言わないようにしていたけれどやっぱり、どうかしている。《レヴォル》って何なんだ? クラードはあのMSに……どういう因縁を持っていやがる……!」

 

『説明するのには時間も状態も足りない。今はわたくしの指示に従い、艦内待機。それも艦長命令よ』

 

 ピアーナの冷たい声音を受けながらアルベルトは必死に奥歯を噛み締めて耐えていた。

 

 今もクラードは死にに行っているのかもしれない。そんな仲間に、かつて時間を共にした相手に。

 

 何も言えないまま、死んでいくのをよしとするのか。

 

 何も言い切れないまま、遠くに行ってしまうのを自分の中で無理やりにでも承服させるのか。

 

「……それは嘘だろ。アルベルト……ッ!」

 

 振り仰ぐなり、アルベルトはベアトリーチェのカタパルトを内側から叩いて無理やりこじ開けようとする。

 

『何やってんだ! 機体がオーバーロードするぞ!』

 

「それでも……ッ! 何も出来ないまま、もうあの背中を送り出すのだけは……御免なんだよ……ッ! オレはもう、二度も三度もクラードを失望させた! だが四度目は……! 今度ばっかりはもう失望させたくねぇんだ! あいつの隣で戦ってやりてぇ! それが凱空龍のはずだろう、だってのに……!」

 

 カタパルトがめきりと軋んだその時、不意の熱源警告がベアトリーチェを襲う。

 

「……何が……」

 

『何、アレ……』

 

 バーミットの通信越しの絶句にアルベルトは息を呑む。

 

『あれが……ダレト……!』

 

 忌々しげに放たれたレミアの声に、アルベルトは僅かに開いたカタパルトの先で佇む雷光の守護神、《ネクストデネブ》の構築した大虚ろを目にしていた。

 

「……ダレト? 月にあるって言うんじゃないのか……?」

 

『何てこった……。月とはまた違う、新たなダレトが開き、おれ達を飲み込もうってのか……』

 

 サルトルの論調にアルベルトは問い返していた。

 

「あれが……超空間だって言うんなら、このまま進むのはヤバいんじゃねぇのか?」

 

『……悔しいがその通り。《ネクストデネブ》を押し倒してでも月航路を取るつもりだったが……どうする、艦長。これはおれの一存じゃ決められないぞ』

 

『どうもこうもないわ。クラードはまだ戦っている。なら、戦力を温存したまま、ベアトリーチェは百八十度転回。別ルートを辿って時間を稼ぎます』

 

「……何言って! クラードが戦ってるんなら、その後ろを援護するのが艦の役目なんじゃ……!」

 

『青臭い理想論だけじゃ、MFと戦うなんて出来ないのよ。それくらい分かるでしょう、アルベルト君』

 

「だが……だがよ! クラードの戦いに報いる事も出来ないで、オレは……」

 

『……アルベルト。それに凱空龍の面々。今は出撃を許可出来ない。これは技術顧問であるおれの判断だ』

 

 サルトルの言葉が重く響き渡る艦内で、アルベルトは男泣きをしていた。

 

「クソッタレェーッ! 何だって、オレはまた……間違えて……」

 

『……ヘッド』

 

 こちらを慮るトキサダ達はしかし、どこかで割り切れているようであった。

 

 ある意味では当たり前。

 

 MFとやり合うなど正気の沙汰ではない。

 

 加えてダレトの出現とくれば並大抵のパイロットでは足手纏いになるだけだ。

 

「……それでも……クラードは行ったんだぞ……」

 

『そのクラードですが、つい今しがた、シグナルをロスト』

 

 ピアーナの言葉に返答したのは、自分より先にカトリナであった。

 

『ロスト? ロストって……! それってクラードさんが……死ん……』

 

『何とも言えないわ。でも、《レヴォル》のシグナルが急速にこの宙域から離れていく。ダレトに吸引されたのか、あるいは別の空間へと跳躍したのかもモニター不可。全てを拒絶している』

 

『……そん、な……。何だって、そんな……』

 

 自分よりもカトリナのほうが悲しんでいる。その事実にアルベルトは呆然としていた。

 

「……オレより短いのに、あの人は、クラードについて悲しめるんだな……」

 

 欠落と言うわけでも、まして羨望があったわけでもない。

 

 ただ単純に、自分以外にそんな人が居たのか、と意外なだけ。

 

 クラードは戦っている。戦って、そして自分を切り売りするように命を投げ出して、その果てに待つ奈落へと通じる未来に赴いた。

 

 だが、自分は何も出来ない。

 

 このベアトリーチェを守り抜くと言えもしなければ、クラードの隣に立ち続けると断言も出来ないのだ。

 

『……アルベルト君、後で艦長室に来なさい。教えてあげるわ。それに、カトリナさんもね。あなたは委任担当官として、知る義務があります』

 

『……どういう……』

 

『クラードが何故、《レヴォル》でこれまで戦ってこられたのか。そして何故、彼はMF相手に単騎で挑まなければならないのか。それらを全て、私に与えられた権限の限りを話しましょう』

 

 思わぬ、とはこの事でアルベルトは戦慄く視界の中で通信ウィンドウ越しのレミアが頭痛薬を飲み干したのを目の当たりにしていた。

 

『……また頭痛薬が増えそうね』

 

 



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第73話「戦地への距離」

 片道切符だとは、言われたつもりはないものの、それでも死出の旅である事には違いなく、グラッゼは複雑な胸中を語っていた。

 

「……月の軌道方面より逸れて、どこかへと跳躍してしまったMF……。そして時を同じくして、クロックワークス社より我が方へともたらされた情報……。示し合せたかのように出撃命令……どれもこれも、少しばかり現実からは遊離しているな」

 

「大尉、《レグルス》の整備は万全です」

 

 ティーチがそう言ってコックピットブロックを覗き込んできたので、グラッゼは思案を仕舞っていた。

 

「ご苦労。いつも世話をかける」

 

「いえ、大尉付きのメカニックですから。ここで働けて本望って言うのも多いですし」

 

「私のような甲斐性なしについて来られて、本望、か。それは皮肉っているのかな?」

 

「事実でしょうに。メカニック付きでトライアウトジェネシスに転属させてくださった前の上官殿には足を向けて眠れません」

 

「それもその通り。私の意を汲んでくださる方であった」

 

「今の上官はそうでないとでも?」

 

「逸るなよ。トライアウトは縦社会だ。下手な勘繰りは寿命を縮める」

 

「それは、お互いに言えた義理ですかね」

 

 ティーチは三つ編みを払って携行飲料を飲み干していた。

 

「……時に、どう思うかね。これらの情報、同時期にしては出来過ぎているとも」

 

「MFですか? ……案外、世相には疎いもんで」

 

「それでも君の唇から聞きたい。これは何かの暗示なのかと」

 

「そう思いたいのは大尉でしょう? 私の発言なんて最初っから分かっているでしょうに」

 

「そう言ったところも含めて買っている。君は女性として慧眼の持ち主だ。ゆえに、私の思考回路をトレースする事も可能なはず。見知った仲だからね」

 

「……そういうの、やめてくださいよ。誤解されちゃう」

 

 頬を紅潮させたティーチにフッとグラッゼは微笑む。

 

「私と誤解されるのは、君にとって迷惑となるのならばそうしよう。だが、慧眼と評したのは本当だ。この情報をさばくのに、私だけじゃどうしようもない」

 

「ダリンズ少尉に聞けばいいでしょう」

 

「彼女はまた忙しい。《レグルス》ほどではないが、新型機がロールアウトした、その肩慣らしだ。《エクエスブラッド》、と言うらしい」

 

 真紅の色彩を誇る《エクエス》の改修機が格納デッキへと運ばれてくる。

 

「……血の色ですか」

 

「苦手かな?」

 

「好きじゃないだけです」

 

「しかしこの業種では嫌でも目にするだろう。……私の所見を述べるのならば、偶然ではないと、考える」

 

「クロックワークス社にお呼ばれしたのは大尉でしたよね」

 

「ああ、直属の命令だった。だが、その時にはまさか、あの《レヴォル》がそこまでの存在だとは思いも寄らない。世界を欺くシステムだ。これは……可笑しな言い方だが、まさに忌むべき火薬庫――ガンダムだな」

 

「あのシェイムレスの感想は嘘じゃなかったって事ですか」

 

「伊達に戦場を練り歩いているわけじゃないという事だろう。時には前線の兵士の身分のほうが下士官よりもいい見方を得る事も出来る」

 

「そういうもんですかねぇ……」

 

 ティーチは気乗りしないのか、無重力に漂いながら《レグルス》に寄りかかる。

 

「……私の次の任務がそこまで不服かね」

 

「だって……! せっかく直した《レグルス》がですよ! またとんぼ返りで戦場なんて……!」

 

「いつだって綺麗じゃいられないものさ。女性を前にした男の口説き文句とMSだけはね」

 

「……その言い草、相変わらずなんですね」

 

「私には任せられる仲間が居る。これほど心強い事はないよ」

 

「本心なんだか……」

 

「少なくとも偽らざるところさ。しかし、《レグルス》と《エクエス》の編成を組んでミラーヘッドで立ち向かっても《レヴォル》には手も足も出なかったばかりか、あの戦闘艦は別戦力も得ている。……やはりコロニーを発つ前に一度仕掛けるべきであったな」

 

「もう手も足も出ないって言うんですか?」

 

「……逆だよ。これで死合うのに文句も遠慮も要らなくなった。下手に鉄砲を持つ相手よりも熟練者との間のほうがやりやすいのと同じだ。素人は暴発の危険性もあるが、あちらも同じ流儀で銃口を向けるのならば、動きは案外読みやすい」

 

《レグルス》のインジケーターを弄りながら、グラッゼは最終調整に入ろうとして他の兵士の声を聞いていた。

 

『おい、マジだってのかよ、その速報』

 

『マジだってば。つい数時間前の事らしい。《ネクストデネブ》が……』

 

「失礼。会話に割り込ませてもらう。MFが如何にしたか?」

 

『あっ、大尉……』

 

 兵士は格納デッキで挙手敬礼を返す。グラッゼも形ばかりの敬礼をコックピット内でしてから、通信を繋いでいた。

 

「何が起こった?」

 

『つい数時間前のニュースなんですが……MF02、《ネクストデネブ》が月軌道からは別の宙域に出現。その宙域の直近のコロニーはその……シュルツだって言うんです』

 

「……コロニー周辺宙域に? 馬鹿な、それは四聖獣の信念に反するはず……」

 

『それよりも、もしかしたら会敵している可能性もあります。例の戦闘艦が……』

 

 なるほど、とグラッゼは得心してから宙域の分布図へとアクセスする。

 

「……少しノイズが多いな。戦闘艦を追うには大まかな位置情報しか分からない。だがもし……仮定の話だが、MF02の跳躍が件の艦を狙っての事だとすれば……少し情勢はまずい事になる」

 

「大尉? だってそれは、ガンダムを仕留めないでいい事に繋がるんじゃ?」

 

 覗き込んできたティーチにグラッゼは《レグルス》の整備点検を行いつつ言いやる。

 

「ガンダムを仕留めるのは私の責務だ。クラード君と死合うのもね。それをMFとは言え、横取りとは趣味が悪い」

 

「……ご趣味がどうこうでしたら大尉が言えた義理ではないですよ」

 

「それには違いあるまい。だが、四聖獣……それでも沈黙を続けるか。他の三機は」

 

 現状の情報の限りでは他のMFに動きは見られない。

 

 つまり、MF四機のパワーバランスが劇的に崩れたわけでは決してないのだ。

 

 だが、だからと言ってあれら四機を放任してもいいわけでもない。

 

「……送り狼とは、言ったもの。私の次の任務は聖獣狩りやもしれないな」

 

「MFと戦うのですか?」

 

 さすがのティーチも不安げな眼差しを投げてくる。その頬へと手をやり、囁くように口にする。

 

「何でもないさ。今さらMFと戦うのに及び腰になるわけでもない。だが……クラード君、君はどうだ? それでも君は美しき獣のままで居られるのかね……」

 

 ここには居ないクラードの事を想った言葉を吐くと、ティーチはへそを曲げたようだ。

 

 大仰にため息をついて腕を組む。

 

「……これだから、大尉は」

 

「嫌われるようなことを言ったかね?」

 

「いいえ。いつもの大尉だなと思っただけです」

 

「幻滅には慣れている」

 

「幻滅じゃありません。呆れただけですから」

 

「似たようなものだ。しかし、これはどうした事だ? 今しがたのニュースにしては、少しばかり迂遠だぞ。最大望遠」

 

 MF02、《ネクストデネブ》を観測したと言う速報を見てみれば、それは望遠映像の粗い画素であった。これを断定的にMFと言えるかどうかは謎であったが、しかし粗くともその保持する巨大な砲身と疾駆は間違いなく《ネクストデネブ》であり、一度でもMFを見た者ならば見間違うはずもない。

 

「断定は出来ないが、しかし否定の要素もなし、か」

 

「それ、結局はどうとでも言えるって事じゃ?」

 

「いや、これは《ネクストデネブ》のそれだろう。問題があるとすれば、どうしてこれが、シュルツ付近の宙域にまで出張って来たのか、だ」

 

「元々月軌道の四聖獣は、その配置から名付けられたものだと聞きます。最初の使者、《ファーストヴィーナス》、二番目の使者、《ネクストデネブ》……」

 

「三番目の獣、《サードアルタイル》。……唯一我々の牙の届いた聖獣、《フォースベガ》……。どれもこれも、特一級の代物。月軌道艦隊は何をしていた……?」

 

「ダレトが開いたんなら、どこへでも現れられるんじゃ?」

 

「だがそれが十年規模でないのならば、観測されない、あるいは出来ないと断定すべきだ。しかしここに来て聖獣の軌道は翳りを見せる。何があった? それとも、今の今まで何がなかった?」

 

「……分かんない事考えたって仕方ないんじゃ?」

 

「かもしれない。あるいは、分からないと観測し続ける事こそが、我々に出来る唯一の抵抗である可能性は高い」

 

 ティーチは眉をひそめて首を傾げる。

 

 グラッゼは問題の映像を眺めながら、しかしこれが、と感嘆もする。

 

「……私は白軍(ホワイト)……月に故郷があったものだが、それでも初めて、この距離では見たよ。これがダレトの護りを司る聖獣の一角か」

 

「倒せそうですか?」

 

「まず無理だろうな」

 

 即答したこちらにティーチは困り顔だ。

 

「どうした? ティーチ。せっかくの美人が台無しだ」

 

「……思ってもない事、言わないでもらえます?」

 

「どうかな。私はこれで自分に正直だよ」

 

「その正直で、MFに立ち向かえないってのは嘘でしょう」

 

「何だ、そっちで怒っているのか」

 

「当たり前でしょう。《レグルス》の性能だってバッチリってわけじゃないのに、そのまま突っ切ろうとするのが大尉なんですから」

 

「手綱を握ってやらなければいけない相手が多いと苦労する。暴れ馬は一匹でいいと言われているようでもある」

 

「ご存知で。……でも、大尉もお人が悪いですよ。MFとやり合うのは何だか嫌って顔はするんですから」

 

「そうか、顔に出ていたか。これは……誰かさんを笑えんな」

 

 蒼いサングラスのブリッジを上げているとティーチはこちらの顔を覗き込んで説教する。

 

「あのですね、大尉はいつも人を煙に巻く。よくないですよ、それも」

 

「《レヴォル》を狩れと言われているのに、その道中で聖獣まで相手にしなければいけないともなれば憂鬱だよ」

 

「どうなんだか。大尉は何だかんだで楽しんでいらっしゃいます」

 

「楽しい? そうかも……しれんな。これが楽しいと言うのか」

 

 想定外の事象だらけだが、どれもこれも一級品の楽しみではある。

 

 解き放たれた聖獣の相手をするのもやぶさかではない。

 

『グラッゼ・リヨン大尉。お呼びがかかっています』

 

「召集か? ……これは幸先がいいと言うべきなのかな?」

 

「悪い、の間違いじゃ?」

 

「その判断は上に投げよう。《レグルス》を頼むよ、ティーチ」

 

 無重力空間を行き来して、グラッゼはそのまま上官の待つ部屋へと赴く道中で怒声を聞いていた。

 

「何でDDには専用機を充てるんだ! 私には何もないのだぞ!」

 

「……シェイムレスか」

 

「准尉、無茶言わないでください。これでも我々メカニックも難儀しているんです。……話じゃ、MFが近くで出たとか……」

 

「噂だろうに! 第一、MF相手ならばミラーヘッドで圧倒してみせるところだ!」

 

「そんなまた無茶を……。四聖獣だって言うんですよ。《エクエス》なんかで敵う相手じゃない……軍警察の最初期の統制で、月軌道艦隊とは停戦協定を結んだって事を知らないわけじゃないはずです」

 

「あれは腰抜け共がやった勝手な条約だろう! 私ならば出来るとも!」

 

「失敬。腰抜けとは、恐らくその当時のトライアウトからしてみれば聞き捨てならないと思いますが」

 

 会話へと割って入った自分にガヴィリアは苦味を噛み締めた様子であった。

 

「……黒い旋風が、我々の話を盗み聞きか」

 

「趣味が悪いとは断じています。よって割って入った、いけませんか」

 

 舌打ちを滲ませたガヴィリアに、グラッゼは向かい合う整備士へと声を振り向ける。

 

「いつもご苦労。機体を万全にしてくれて助かる」

 

「大尉……」

 

「あなたはトライアウトではないから知らんのだ!」

 

 言い捨てたガヴィリアはそのまま肩で風を切りながら行ってしまう。

 

「あれで命冥加だけはある。厄介だろうに」

 

「大尉……聞かれると……!」

 

「構いはしないさ。君も絡まれて困っていたはず。見過ごせんのだ」

 

 肩をポンと叩き、グラッゼは上官の部屋の扉の前に佇む。

 

「入れ」

 

「失礼いたします。招集命令が来ていたとの報せが」

 

「ああ、これだ」

 

 上官の机の上にはMFに関する極秘資料と、そして《レヴォル》について自分の纏めた報告書が散乱している。

 

「……お気に召さなかったので」

 

「大尉、夢物語はいい。人は想像をたくましくさせて生き長らえて来たものだ。この宇宙の極寒でも。しかし、これは少し飛躍が過ぎるのではないか?」

 

「いえ、事実のみを列挙しただけです」

 

 上官は渋い顔をして、グラッゼの纏め上げた報告書の末尾をペンで叩く。

 

「しかし……あの件のガンダムが、ミラーヘッド搭載機でありながら、まったくモニターされない、そういった仕様なのだと言い切っているのは……」

 

「まずいですか」

 

「下手をすればスキャンダルだよ」

 

 長くため息をついた上官はしかし、頭から否定しているわけでもなさそうだ。

 

「ある程度のご理解は得られる文面であったとは思いますが。……もっとも、自分には文才はありませんので、凡百の言葉でしか羅列出来ません」

 

「ミラーヘッド搭載機の中に、たった一機でもその常識に捉われない機体が居る……。下手を打てば魔女狩りだ。ミラーヘッドの……第四種殲滅戦はある意味では、クロックワークス社のログからは決して逃れられないと言う第三者の視点があったからこそ民意を得てきた。だがこれが真実なのだとすれば、ガンダムの存在だけで世論がひっくり返る。それこそ、論争の幕開けだよ」

 

「論争で済めばいいのですが」

 

「ほとんどの人間は机で戦争をしているつもりなものだ。我々のように前線にて肌で感じている者は少数だとも」

 

「ですが前線の感覚を大事にするのならば、これは詳らかにすべきです。《レヴォル》は……あの機体は世界を欺く」

 

「世界を欺く、か。そんなものを一企業が持っているとは……いや、ゼロから開発したとは考えづらい」

 

「……裏で糸を引いている者の可能性」

 

「馬鹿を言え。そんな存在が居るとすれば……それこそ我々人類は、軍警察はその者達に操られた無様な傀儡に過ぎん」

 

「あるいは親衛隊身分ならば……」

 

「それ以上の詮索はお奨めせんよ。噛み付き癖と同じになりたくなければな」

 

「……失敬。今のは聞かなかった事に」

 

「構わんとも。君は優秀だ。妄言に振り回されるタイプではない」

 

「ですが、この情報を封殺しようにも知っている人間は数名居ます。それに、先のクロックワークス社への襲撃事件……何かがあったと、思うべきでしょう」

 

「それは勘かね?」

 

「いえ、実感です」

 

「……そうとなれば兵を率いるべき……と言うのが軍警察のスタンスではあるのだが、そもそも君にはガンダムの追撃と新造艦への攻撃任務が下っている。その命をここで途切れさせるのは不都合だと、思っている人間は少なくはない」

 

「あの新造艦、《レグルス》と私ならば墜とせます」

 

「心強い言葉だが、今は別だ。君にはとある企業への内偵を頼みたい」

 

「……統合機構軍に胡乱な動きでも」

 

「あの陣営はエンデュランス・フラクタルを含め、何かときな臭い。《レグルス》は目立ち過ぎる。《エクエス》での内偵を命じる」

 

「では一般兵カラーがよろしいでしょう。下手に私だと思わせないほうがいい」

 

「それもその通りだな。……しかし大尉、文句は言わんのだね」

 

「私は所詮、兵士ですので」

 

「旅がらすの兵隊はいちいち作戦に異議を申し立てんか……。いい、その気概は買った。だが、大尉。これは忠告だ。……あまり興味も過ぎれば毒となる」

 

「……一部兵士間の噂ですが、ローゼンシュタイン准尉は頑なに《レヴォル》追撃から降りなかった事で、その責務を追われ、そして今の境遇に甘んじたと、流布されております。人の口に戸は立てられません」

 

「そこまで察しているのならば話は早い。《レヴォル》に呑まれるな。あれは我が方が想定している以上の魔だろう」

 

「エンデュランス・フラクタルを追え、と言う厳命は」

 

「それも継続中だ。まずはこの企業へと行ってもらう」

 

 差し出された企業ロゴは尖鋭性を持ったデザインで、三角形を有している。

 

「……マグナマトリクス社、ですか」

 

「知っているのか?」

 

「風の噂では。しかし、この企業、まるで開示命令の提供がされない、妙な会社だとは聞いております。次世代MSの開発を謳ってはいますが、私の知っている限りではこの企業の開発したMSが流通を辿った形跡はない」

 

「そう、その通り、裏のほうに精通している企業だ。話によれば、親衛隊身分の機体を建造していると言う」

 

「……なるほど。別口でのお得意様、とでも言うべきでしょうか」

 

 上官は腕を組んで嘆息を吐き出す。

 

「そうそう内偵に赴く事も許されん身分であったが、エンデュランス・フラクタルを追っている君ならば、招いてもいいと許可が下りた。よってこの機会を逃す手はなく、トライアウトジェネシスは、マグナマトリクス社を調査する」

 

「何を持ち帰ればよろしいので?」

 

「何も泥棒をすると言うのではない。真正面から入って真正面から出る。それだけだ」

 

 要はこの企業に切り込めるのは今しかないと言っているのだろう。それほどまでに秘密に閉ざされた企業ならば、一ミリでもメスを入れたいのがトライアウトの心情だ。

 

「……了解しました。しかし、何か成果があるとは確約出来かねます」

 

「我々とてただ手をこまねいているわけではないよ」

 

 部屋のスクリーンに投射されたのは暗礁の宇宙空間であったが、その一部の星の軌道がぶれているのをグラッゼは発見する。

 

「……妙な写真ですね」

 

「一発で気づくか。さすがだな」

 

 拡大されて星々の煌めきが意図的に反射、あるいは操作されている事を確信する。

 

「……まさか、光学迷彩……」

 

「そのまさかだ。写真だけでは確証には至らないが、これは戦闘艦、それもヘカテ級だと断定している分析班も居る」

 

「ヘカテ級機動戦艦の開発と、そしてその戦闘艦の黙認。……これとてスキャンダルには違いありませんが」

 

「我々はエンデュランス・フラクタルばかりを追い過ぎていた。これが戦闘艦レベル運用での光学迷彩なのだとすれば、最も脅威として上げるべきはこちらだとも」

 

「消えてみせると言うのならば、エンデュランス・フラクタルの戦闘艦を上回るのは必定。……ですが、これがマグナマトリクス社の手の者だと言う証拠はない」

 

「そうであったはずなのだがね。……大きな声では言えんが有識者からのタレこみがあった。マグナマトリクス社の名前とこの望遠写真を添えて」

 

「……内通者だと思っても」

 

「好きに勘繰れと言っているらしい。我が方からしてみれば、エンデュランス・フラクタルが自身への矛先を逸らすために作った疑似餌の可能性も高いとみている」

 

「なるほど、それは言えている」

 

 トライアウトからの妙な横槍を入れられるくらいならば、他の企業のスキャンダルを演出したほうがいい。

 

「いずれにせよ、これは絶好のチャンスだと言ってもいいだろう。これまで秘中の秘であったマグナマトリクス社に内偵の命が下りたのだ。これを機にして少しでも進められれば」

 

「裏稼業のアコギな商売も叩き出せる。我々からしてみれば一石二鳥どころではない」

 

「……しかし、気を付けるといい、大尉。連中が本気でこのような巨大な戦闘艦を、それもまるで発見出来ないレベルで運用しているとなれば」

 

「……看過出来ませんね。その事実は」

 

「よい退き際を心得ているはずだ。自らの命は自らで守れ」

 

 ようやく敵へと投げられるようになった爆弾の世話までは見られないと言うわけか。グラッゼは胸中に、因果だな、と毒づいて挙手敬礼を返していた。

 

「その命令、慎んで受けさせていただきます」

 

 退室した後に、しかし、とほくそ笑む。

 

「……また死地よりの距離が遠ざかったか。笑えよ、クラード君。私は戦場に生きる君に、また会えなくなってしまった」

 

 



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第74話「自分以外」

「ラムダ艦内じゃ、キミの噂で持ち切り! どう? 正式にこっちに入ってみる気はない?」

 

 メイアが《レヴォル》を眺める自分へとピースをして上下逆さまに視界に入って来る。

 

 クラードは修復されていく《レヴォル》を視界に入れつつ、呟いていた。

 

「……お前らの仲間になれだと。それは俺にとって、屈辱だ」

 

「あれ? 生きていた事への感謝は?」

 

 背を向けて憮然と返す。

 

「そんなものはない。あのまま死ぬのならば本望だった」

 

「嘘だね。嘘だけは分かるんだ、ボク。キミは自分の判断に、自分の精神に嘘をついている。それってさ、あんましよくないと思うなぁ」

 

 メイアは茶髪を無重力になびかせつつ、すんすんと鼻を利かせる。何だか嗅ぎ取られているようで、気分はよくない。

 

「……お前らの目的はよく分かった。俺と《レヴォル》、両方の確保……何ともまぁ、御高説じゃないか。マグナマトリクス社、その新鋭艦、ラムダの擁する任務としてみれば」

 

「何だか棘のある言い草だなぁ、それ」

 

「どう思ってもらっても構わないがな、俺はお前達におもねる気はない。《レヴォル》も……もう俺以外の乗り手を見出したのなら」

 

「あれ? すねてるの?」

 

「まさか。冷静に俯瞰しているのさ」

 

 ただ、とクラードは言い置く。

 

「もう俺は《レヴォル》で戦わなくっていいと息巻いたあの艦長には、舌を巻いたがな」

 

「うちの艦長、すっごいでしょー。あれでやり手のエンジニアの出なんだってさー。ま、ボクからしてみればよく分かんないから、表向きはマネージャー職もやってもらっている事だし」

 

「なかなかに恐れ入る。この戦闘艦、そのものがギルティジェニュエンの母体とはな」

 

「メカニックは全員、バンドのスタッフだし、ブリッジに至るまでみーんな! 一蓮托生ってヤツ! まぁ家族みたいなものかな」

 

「……家族、か」

 

 ベアトリーチェに居た頃は特に何も考えていたつもりはなかったが、それでも彼らの今後くらいは憂いもする。

 

「……《レヴォル》のないベアトリーチェが……月航路まで行けるのか……」

 

「まず無理だろうね。どこかで補給を受けるはずさ」

 

「補給、か。ならその赴く先は、近場のコロニーになる。コロニー、シュルツからの月航路の中で、真っ先に思い浮かぶのは……」

 

「これだね。コロニー、ミッシェル。中規模コロニーだけれど統合機構軍のお膝元でもある。安全っちゃ安全だろうね」

 

 先回りして調べておいたメイアに、クラードは鼻を鳴らす。

 

「……趣味のいい事だ」

 

「エンデュランス・フラクタルは我が社の事実上のライバル企業だし、一応はアンテナ張っているってわけ。それにしても、あの艦、ベアトリーチェだっけ? なかなかにうちの諜報部が手に入れた情報だと、手強いじゃん。艦内設備、そして対空砲火、どれもこれも一級だって言うのに、何故だか《レヴォル》に頼り切った戦い方。それは何故か? ちょっとばかし考えてみた」

 

 メイアは腕を組んで自分の隣へと漂ってくる。

 

 わずらわしくって手を払うと、彼女はその腕を掴んで言いやる。

 

「レヴォル・インターセプト・リーディング――通称、レヴォルの意志の進化、いいや、この場合は学習かな? その学習のために、わざわざ出来る戦闘艦なのにそのほとんどの戦闘力を《レヴォル》に割いている。元々は、《レヴォル》とそれに付随する情報機だけでの運用を目的としていた。ワンオフってわけだ。なら、あのベアトリーチェとか言う艦の目的もどことなく窺い知れてくる」

 

「……そんな簡単に分かるとも思えないが」

 

「分かるんだよ。ボクならね」

 

 どことなく自信満々な風に聞こえるそれに、クラードは問い返す。

 

「何だって言うんだ? お前風に言えば」

 

「あくまで勘なんだけれど、《レヴォル》と言うのがそもそもの間違い。どうして限られた人間にしか乗れないMSなんて運用するのか。そもそも、何故《レヴォル》はキミやボクのように、一部の人間にしか乗りこなせないのか。それには理由がある。……ボクに呼応してみせた《レヴォル》は何かを待ち望んでいるように思えた。それもこれも、特上の何かを」

 

「待ち望んでいる、か」

 

 首から提げたドッグタグを弄る。それはかつての自分の言葉でもあった。

 

「で、考え得るに、多分《レヴォル》ってさ、鍵なんじゃない? 何かを成すための。その何かこそが、エンデュランス・フラクタルの保有する秘密そのもの。《レヴォル》を触媒にして、キミ達は何かを起こそうとしている。そのために、あんな機体を造り上げた。……びっくらこいたよね、ミラーヘッドのログに残らないなんて特性」

 

 まさか、そこまで看破されているとは思わず、クラードはメイアを睨みつける。彼女は手を振って諌めていた。

 

「怒らない、怒らない。知ってて当然でしょ、あれを修繕するんだから」

 

「……その機能は一部の人間しか知り得ていない」

 

「そうなの? ……まぁ、それもそうか。ボクらが強襲したクロックワークス社も虎の子って感じだったし。相当に知られるとまずいんだね、ログに残らないって言うのは」

 

「何故、お前達が知っている」

 

「そりゃあ、そのクロックワークス社のさ、社外秘の機密コンピュータを強奪して、それで解読したからに決まっているじゃん。ま、元々当たりは付いていたみたいなんだけれどね。それでもいざ目にすると違う。本当にログに、欠片にも残っていない」

 

 クラードは迷わずに銃口を向けていた。

 

「……凄まないの。それ、銃弾入っていないでしょ」

 

「もしもの時は撃つという警告も意味している」

 

「なるほどね。まぁ、そりゃあヤバい代物なんだってのは分かるよ? 現状の第四種殲滅戦において、ログが残らないなんて異端なんてもんじゃない。それはつまり、ミラーヘッドオーダーの無意味化、軍警察の信頼の失墜。そして戦争のシステムそのものへの形骸化を招く。つまりはさ、キミと《レヴォル》は生きているだけでこの世界に対してのカウンターになり得るんだ」

 

「そこまで分かっていて、何故それを俺に話す。死に急ぎたいようには見えないが」

 

「うーん……死にたくはないかなぁ、まだ。それにしたってすごいなって思っただけだし。そこまでするテクノロジー、そしてそれを極秘のままに進める理由、聞きたくはない?」

 

「質問しているのはこちらだ」

 

「そうだっけ? まぁいいや。どっちにしたってさ。《レヴォル》は存在するだけでこの世界に大穴を開ける。それこそ月のダレトと同等以上の価値を持つだろう。それを狙う勢力は何もボクらだけじゃない」

 

「……《プロトエクエス》の一派か」

 

「ご明察。彼らは彼らで考えはあるみたい。よく分かんないけれど」

 

「……驚いたな。あれはお前らの一部なのだと思っていたが」

 

「そう? でもやり方があっちのほうが狡いよ。《プロトエクエス》と最新型のライセンス品を使っての強襲なんて。中々に手が込んでいる」

 

「……俺も奴らは手が込んでいると思っていた。何故、そこまでして《レヴォル》とベアトリーチェが欲しいのかと言えば、《レヴォル》の特性だけなのだと思い込んでいたが……ライバル企業にそれほど分析されているのならば、他にも知れ渡っているはずだ。――俺達が月に向かっている理由くらいは」

 

「まぁね。キミの最終目的――全てのMFの破壊。それがエンデュランス・フラクタルの、エージェント、クラードに与えられた使命だ。生涯を賭してでも実行すべき、ね」

 

 メイアは面白がるように鈴を転がすような笑い声を混じらせる。

 

 クラードはそれを睨み据えていた。

 

「……全てのMFは破壊されなければいけない。それも、俺と《レヴォル》の手によって」

 

「なるほど? その理由、実はうちでも特級の秘密でさ。なかなか開示命令も下りないの。よければ聞かせてくれる? 特一級のエージェントの直の言葉で」

 

「……俺は教えない。お前らが勝手に知るだけだ」

 

「そうなってくると、《レヴォル》が使えない時点で失速だけれど」

 

 悔しいがその通り。

 

《レヴォル》の所有権が自分になければこの問題は解決しない。

 

「……教えて欲しければ《レヴォル》を渡して自分を見逃せ、って事か」

 

「分かっているのならば話は早い。俺と《レヴォル》を解放しろ」

 

「ダメだね。まだ、キミらを解放するわけにはいかな。それに、一応はマグナマトリクス社のエージェントとして聞いておく事もある。何で《ネクストデネブ》と一騎討ちを? それがちょっと気になっちゃった」

 

「……どうせ戦うんだ。遅いか速いかだけの違いに過ぎない」

 

「でも、《レヴォル》は完璧じゃなかった。違う?」

 

 どこまでも見透かしたような事を言う――そう感じながらクラードは頬杖を突く。

 

「……どうだろうな」

 

「ふぅーん、そうなんだ。あれでも完璧じゃないんだ。《レヴォル》は……こんな事言うと怒るかもだけれど、ボクに相当馴染んでくれた。あんな感触は初めてのようで初めてじゃない感じ。まるで《レヴォル》とボクは最初っから、そういう風に創造されたみたいに」

 

 感覚としてはやはりレヴォルの意志に招かれたライドマトリクサー、自分と似たような感想を抱くものだ。

 

「……《レヴォル》は強い叛逆心に呼応する。俺はこの世界を……憎んでいるわけでも嫌っているわけでもない。ただただ……不平等である事を痛感しているだけだ」

 

「不平等ねぇ。いずれにしたって、現状の《レヴォル》じゃ、どんなMFでも勝てないよ。あれは扱いが酷過ぎる」

 

「ベアトリーチェの面々はよくしてくれた。間違いなんてない」

 

「そうじゃなくってさ。……あのまま死ににいくような特攻行為、何で容認したのって話」

 

 クラードは一拍の逡巡の後に応じていた。

 

「……俺の希望だったからだろう」

 

「死ぬのが?」

 

「死に場所くらいは選びたいと言う、ただの我儘だ」

 

「その死に場所がMFとの戦い?」

 

「……しつこいな、お前。つまらなくはないが、しつこい」

 

「気になっちゃうんだよねぇ。何せ、世界で唯一無二の、レヴォルの意志に合致した人間二人だもん」

 

「……元々は俺一人のはずだった」

 

 だがどうした運命の気紛れか。《レヴォル》は自分以外を乗り手と選んだ。それはイレギュラーな出来事のはずである。

 

「《レヴォル》はでも、とてもいい子。こっちに合わせてくれている」

 

「そういう風な奴だ。《レヴォル》はそういう……」

 

 その瞬間であった。

 

 艦内警報が劈き、会話は唐突に終わりを告げる。

 

「なに? 敵襲?」

 

『視えるはずがないんですが……この宙域をトライアウトジェネシスの機体が通過します。看過するかどうかは艦長判断ですが……』

 

 オペレーターの声に艦長の声が被さる。

 

『私は進軍すべきと判断します。《レヴォル》の試運転にちょうどいい。メイア、お願いしていいわね?』

 

「アイアイサー! ではでは、メイア・メイリス、《レヴォル》に搭乗しっまーす!」

 

 応じてみせたメイアが《レヴォル》のコックピットに招かれ、そのまま《レヴォル》はスタンディング形態のまま、カタパルトデッキへと移送されていく。

 

「……売られる仔牛を見る気分だな。いつもは自分が乗っているのに」

 

 しかし、この戦闘艦、ラムダは発見もされなければ関知もされない造りだと言うのは先に艦長から聞き及んでいた事だ。

 

 だと言うのに、トライアウトジェネシスの一派と言う時点で、何かしら作為的なものを感じずにはいられない。

 

「……来るのか」

 

 その予感にクラードはぎゅっと拳を固めていた。

 

 



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第75話「詭弁と抵抗」

「パターンが見えるようだよ、悪意と言う名のパターンがね。マグナマトリクス社、視えない艦艇などどうかしているとは思うが、それはしかし、関知しなければの話。探り当てる事自体は難しくない。当たりさえつけていればね」

 

 グラッゼは《エクエス》による機動を描きつつ、わざとトライアウトジェネシスの信号を発する。

 

 これは投網。

 

 この宙域にマグナマトリクス社の艦が存在する可能性が高い、という前情報を得ての狩場であった。

 

「ただし、確定情報ではない上に、嘘偽りを混じらされれば撃たれるのはこちら。ゆえに、私もダミーを混入させてはいる」

 

 グラッゼの率いるのはミラーヘッドによる蒼い残像を引いた一個小隊であった。

 

 常の自分ならばこのような受け身のミラーヘッドを使わないのだが、今回のように殊更に自分達の存在を誇示するのならば有用な使い方だ。

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」

 

 瞬間、何もない暗礁よりMSの反応を関知する。

 

「来たか……!」

 

 機体を振り向けるなり、その照合結果に瞠目する。

 

「ガンダムだと? ……これは、海老で鯛を釣るとはこの事か」

 

 こちらへと真っ直ぐに向かってくる《レヴォル》はしかし、何かが違うとグラッゼは予感する。

 

「……クラード君らしくない挙動だな。真正面から愚直になど」

 

 遠距離からビームライフルが速射され、中距離まで至った瞬間には、格納武装が火を噴き、螺旋を描く弾幕を張っている。

 

 グラッゼは直上へと逃れさせ様に、ミラーヘッドのうち、一機分を放っていた。

 

 相手は落ち着き払ってそれを銃撃する。

 

「……クラード君ではないな、それは。戦い振りに美しい羅刹を感じない。あるいはこう言うべきか。……女々しいぞ、《レヴォル》」

 

 加速してそのまま《レヴォル》へと抜刀して斬りかかる。

 

 それを相手は心得たように距離を稼ぎ、牽制の銃撃と弾幕だけでこちらを翻弄しようと努めているようだが、どれもこれもまるで見当違いだ。

 

「……美しくない。君は私の焦がれた運命の麗しき獣ではない。何者だ! その《レヴォル》に乗っているのは! クラード君ではないのは分かっているのだぞ!」

 

『……へぇ。まさかとは思ったけれどこれは意外。黒い旋風、グラッゼ・リヨン』

 

「女の声……。クラード君はどうした」

 

『それってさ、今の局面で重要?』

 

「重要だとも。私は彼と死合いたいんだ。君ではない。よって、それが如何なる運命の気紛れで我が前に立とうとも、それは撃つに値せずと言う。クラード君ではないのならば、私を倒せはしない」

 

『倒せるさ。ボクだって、《レヴォル》のパイロットだ!』

 

 曲芸じみた挙動で肉薄せしめた《レヴォル》はそのまま弾幕の応戦を張りながら、浴びせ蹴りによって装甲を叩こうとする。

 

 グラッゼは一呼吸ついて、そして落胆と共にその蹴りを防いでいた。

 

『何と!』

 

「嘗めないでもらいたいな。……それにしたところで、研鑽の日々を共にした朋友の機体を駆るとは。恥を知れ! 君は我らの友情に、唾を吐いた!」

 

『唾だって!』

 

 グラッゼはそのまま応戦の突風じみたミラーヘッドの銃撃網を見舞い、そして本体たる《エクエス》は既に相手の至近距離に潜り込んでいる。

 

『まさか!』

 

「そのまさかだ! 君では勝てんと言っただろう!」

 

 あえてビーム刃を発生させず、柄だけでその横腹を叩き据える。

 

 実力者ならばこの行動の意味が分かるはずだ。

 

『……今ので両断されていた……』

 

「君は私の美しき思い出を穢した。清算はさせてもらうぞ、その《レヴォル》の首でもって!」

 

『冗談!』

 

《レヴォル》の四肢が拡張し、その内側に格納されていた火器が一斉掃射され、《エクエス》の目を潰す。

 

 普段の専用《エクエス》か、あるいは《レグルス》ならば完全なる回避が可能ではあったが、内偵の任を帯びている《エクエス》ではそうもいかない。

 

 無様に飛び退り、致命傷を免れるのが精一杯であった。

 

「私に下がらせる……!」

 

《レヴォル》は、と振り仰いだグラッゼは、その反応が急速に遠ざかっていくのを関知していた。

 

 当然、本丸だった戦闘艦の形跡もない。

 

 上手く逃れられた、と言う形であろう。

 

「……やられたな。生涯の戦いを侮辱された事で、少しばかり私も大人げなかったと言うべきか。しかし、《レヴォル》のコピーなんてそうそうは出来ないはず。ならばあれは、正真正銘の《ガンダムレヴォル》であったと思うべきなのだろう。……だが、だとすれば……今手薄なのは、エンデュランス・フラクタルの……」

 

 ここでの追撃よりも、グラッゼは優先される事象のために、ミラーヘッドを仕舞い、宇宙を駆け抜けていた。

 

 戦闘宙域を脱していた遠距離航行用のシャトルに合流し、グラッゼは格納されてから専任メカニックに言いやる。

 

「《レヴォル》が……ガンダムが出た。エンデュランス・フラクタルの艦ではなく」

 

「ガンダムが? 冗談でしょう?」

 

「冗談ならば私は必死にもならないさ。……行き先を変更だ。マグナマトリクス社の支部も、幸いにして存在する。上官命令の棄却にはなるまい」

 

 辿った航路に部下は目配せする。

 

「……あっちを追うって言うんですか。エンデュランス・フラクタルの……」

 

「私が遭遇したのが間違いなく《レヴォル》であったのならば、このコロニーに向かうはずだ。コロニー、ミッシェル。統合機構軍の補給路がある」

 

「ですが……上からの命令はマグナマトリクス社の……」

 

「だから、上官命令への反抗にはなるまいさ。支部があるのだからね」

 

「物は言いようですね」

 

「使いようとも言う。私は任務を継続しながら、あの艦の足取りを追いたい。……そうでなくては……クラード君。私が行くまでに死んでくれるなよ……」

 

 呟いたグラッゼは携行保水液を口に含みつつ、ミッシェルまでの航路時間を概算していた。

 

 



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第76話「痛み、背負い合うのならば」

 艦長室と言うのには質素で、そして思ったよりも物が雑多だ。

 

 執務机の上にうず高く積もった書類の山と、そしてそれを並列処理するレミアの姿に、自分が思っていたベアトリーチェの艦長とは違う職務なのだな、とアルベルトは今さらの得心を浮かべる。

 

「……あなたが聞きたい事は一つのはず。何故、クラードは出して自分は出さなかったのか」

 

「……分かってるんじゃないですか」

 

「言っておくけれど、ここまで来て掴みかからないでね。これでも絶妙なバランスで成り立っている書類の山よ。崩れると後が大変」

 

 その言葉振りにアルベルトは肩を苛立たせて歩み寄っていく。

 

「……あんたは教えるって言ったな? クラードは……あいつの最終目的は何なんだ? 《レヴォル》って何なんだ? 何でクラードばっかり戦わせる! オレは、それを教えてもらうためなら何だってやるさ」

 

「人殺しでも?」

 

 その問いかけに一瞬だけ足が止まるが、ああと応じる。

 

「……今さら殺しに頓着はしねぇ」

 

「半年間のクラードを観て来たんでしょう? 多分、一番近くで」

 

 そのはずなのだ。

 

 しかし、クラードはデザイア崩壊時、自分に一度だって本当の事を言った事などないと言ってのけた。

 

 それが真実だとして、嘘だとして、では残るのは何だ。

 

 クラードの真実は、どこにあると言うのだ。

 

「……隣で観てきたつもりだった。あいつの景色を。だが、とんだ思い違いでもあったんだ。あいつは、オレに目線を振ってくれた事なんてねぇ。オレ達、凱空龍をただの任務対象としか思ってなかった。……って言うのが、表向きだろ」

 

「違うって言うの?」

 

「そうじゃなけりゃ、今頃オレも皆も、デザイアでおっ死んじまっているはずさ。……オレ達は助かった。他でもない、クラードの力で。……あの《レヴォル》で。教えて欲しい。《レヴォル》は何なんだ? 何でMFと戦わなくっちゃいけない」

 

「それが《レヴォル》の存在理由だからよ」

 

「存在理由って……現状の兵器じゃ、MFの……ダレトから来たって言う、来訪者には敵わないはずだ! それは証明されてきて――」

 

「……少し勘違いがあるみたいね。《レヴォル》が現行のMSと同じなんて、誰がそう言ったの?」

 

 言葉を切る。

 

 口を閉ざす。

 

 そして、息を呑んでいた

 

 そう、《レヴォル》が現行のMSだなんて、誰も一言も言っていない。

 

「……あれは何なんだ……」

 

「MSの形に収まっているけれど、でも違う。本当の姿はもっと禍々しい。あれはね、アルベルト君。――モビルフォートレスよ」

 

 レミアはキータイピングを止め、まるで子供に言い聞かせるかのような論調を伴って、そう断言していた。

 

 言われた意味が、発せられた言葉が一瞬解せず、アルベルトは呆然とする。

 

「……あれが、MF……? いや、待て、それは……あり得ない……」

 

「何であり得ないと言えるのかしら」

 

「だって、そうだろう! ……MFって言えば、それはダレトの、向こう側から来た連中のはずだ! だってのに、おかしいじゃねぇか! 《レヴォル》はMSの形をしている!」

 

「……じゃあこう言いましょうか? ――現行のMSの形状に限りなく近いMFが居たとして、では何か不都合でも? と」

 

 絶句する。

 

 文字通り、何も言えなくなる。

 

 そして、頭の中は白んでいくと共に、妙に醒めた意識だけが先鋭化して、渦巻いていく。

 

《レヴォル》がMFだとすれば、これまでの異常な戦闘力も、そしてミラーヘッドの強靭さ、クラードとの親和性の高さもある意味では説明がつく――。

 

 だがそれは。

 

「……あり得ねぇだろ。クラードはMFを操縦していたってのか」

 

「ガワが新型のMSなだけなのよ。あれの中に入っている専用アイリウムであるレヴォル・インターセプト・リーディング……通称、レヴォルの意志は間違いようもなくMF。この銀河へと、五番目に流れ着いた、聖獣の一角。呼称を、《フィフスエレメント》」

 

「《フィフスエレメント》……。いや、それも変だろ。……だって公式にそんな事なんて……!」

 

「誰が言うと言うの? 五体もMFが既にこの銀河には存在していて、そのうち一つはMS大に偽装できるなんて。言えばパニックなんかじゃ済まないわ」

 

 レミアはしかし、あり得ない話をしているにしては冷静だ。

 

 冷静に、事の次第を俯瞰している。

 

 その泣きボクロの瞳に憂いさえも浮かべて。

 

「……いや、でもそうだとすりゃ、じゃあクラードは何なんだ?」

 

《レヴォル》がMFだと言うのは――飛躍した論理だがそれでも理解出来る。

 

 ならば、それを操るクラードは何者だと言うのか。

 

「クラードはうちの会社のエージェントよ。特一級のね」

 

「……嘘じゃねぇのは分かるが、本当でもねぇのも分かるぜ。今なら、な」

 

「少しは頭が冷えて来たと思うべきなのかしらね」

 

「……ああ。《レヴォル》が現状の兵器に近いMF……それもある意味じゃ納得だ。だが、じゃあ何だって言うんだ? それに選ばれた、いや、見出されたクラードって存在は。まさか、宇宙人だとか言うつもりなのか?」

 

「まさか。クラードの出身までは明かせないけれど、彼は紛れもなく人間よ。でも、とても強い。そして抜き身の刀のように鋭く、私が保留し続けているトリガーでもある」

 

「……あんたとクラードの間に何があったのかまでは聞くつもりはねぇ。ただ純粋に、だ。クラードの強さは何なんだ? あいつは何を見ている?」

 

 レミアはその言葉を受け取ってから、そっと煙管を取り出す。

 

「吸ってもいい? ちょっと普通じゃ答えられそうにないのよ」

 

「……答えてくれるんだな?」

 

「そのつもりがなければ、今頃あなたを追い出しているわ」

 

 レミアは雅な手つきで煙管をセットし、そして紫煙をたゆたわせてから、そっと呟く。

 

「……クラードは我が社の特殊エージェント。そして何よりも、レヴォルの意志に選ばれた、この宇宙で唯一の存在」

 

「……それってのも、よく分かんねぇな。だってシュルツでの出来事が……」

 

「あれこそイレギュラーよ。クラード自身も解明を急いでいたけれど、その間に事は起こってしまった。いつだって手遅れなのよ、私は」

 

「……言葉を額面通りに受け取るとして、だ。レヴォルの意志ってのがそれこそ、MFの意志だって言うんなら、クラードはただの人間じゃねぇはずだ」

 

「……そうね。これまでの話を統合するのならば。でも、彼は間違いなく人間。有機伝導技術と思考拡張、そして様々な実験を受けているけれど、彼はエージェント、クラード。私の古い友人でもある……あのクラードなのよ」

 

 レミアの吹く煙の香りは甘ったるく、彼女そのものの原初の匂いのようでさえもあった。

 

「……サルトルも、ヴィルヘルムだってそうだ。あんたも……! クラードの何を知っている? クラードは何だって……こんな辛ぇ目に遭っているって言うんだ!」

 

「辛い目、ね。それはどうかしら、アルベルト君」

 

「……何だって?」

 

「彼の生きる目的がそもそも、この任務そのものにあったとすれば? 月軌道へと向かい、そして現存する全てのMFを駆逐する。それこそが、彼の生存する唯一の道なのだとすれば?」

 

「……何を……。いや、どういうつもりで言ってるんだ、あんた、それは……」

 

「どうもこうも。私が彼について知っている限りの事を、少しずつ教えようと言うのよ。でもあなたに、理解が出来る? クラードはもう、元の名前すら憶えてないのよ? だって言うのに、それでも戦う意志だけは折れさせない。それがどれほどの覚悟と理念の上に成り立っているのか、想像がつく? 彼は《レヴォル》を信じ、そして《レヴォル》も彼を信じている。それが本来、あり得てはいけない邂逅だったとしても、それでもこの両者を引き裂く事なんて出来ない。そんな、運命の巡り会わせの中にある彼を、どう糾弾するって言うの? 少なくとも、私には出来ないわ。彼の生き方を否定するなんて」

 

「……あんたは、それでもクラードの事を信じている……」

 

「当然でしょう? 古い友人だもの」

 

「……その程度でも、信に値するって……」

 

「彼が我が社の“クラード”である限りはね。私は全力で協力するのを惜しまないし、それに彼の目的のためならば自決だって厭わない。それが彼との絆でもある。……言うは易し、の言葉だけれど」

 

「……絆……」

 

 茫然と口にした自分に対し、レミアは確証を持って返答する。

 

「そう、絆。クラードはね、《レヴォル》に乗る事でしか、己の有用性を示せないのよ。それがどれほどに悲しくっても、外野がどれほどに喚いたって、それでも彼にはそれしかない。だから、私はクラードを絶対に裏切りたくはない。それが人道にもとる道だとしてもね。……どう、アルベルト君。この結論、軽蔑した?」

 

「……いや、あんたもクラードも、オレの予想以上のところで……戦っていたんだな」

 

「今さら誰かの戦場を誰かが肩代わり出来ないなんて自明の理でしょう。クラードには彼の戦場がある。私にも私の戦場があるようにね。……でも月航路へと向かうのに、《レヴォル》は必須だった」

 

「このままじゃ、どうしようもねぇってのか?」

 

「いいえ、いずれはクラードはどのような形であれ、私達の下へと戻ってきて、そして任務を遂行するはず。その時に手助けになるべく手は打っておく。入って」

 

 艦長室に入って来たのは髭の中年男性であった。

 

 張り付いたような笑顔を湛えて、人柄だけはよさそうである。

 

「お久しぶりです、艦長。時間がかかって申し訳ありません」

 

「構わないわ。MF02の会敵もあった。むしろ早かったくらいよ、――タジマ営業部長」

 

 タジマと呼ばれた男は自分へと視線を振り向けるなり、ニコニコとして名刺を差し出す。

 

「これはこれは。音に聞く凱空龍とやらの? 私、タジマと申します、以後お見知りおきを」

 

「あっ、ども……。えっと、オレは……」

 

「アルベルト君。潜入先でクラードと行動を共にしていた子よ」

 

「ほう……あのクラードが。では結構な手練れなのでは?」

 

「いや、んな事はねぇですけれど……」

 

「悪いけれど、アルベルト君、一度下がってもらえる? 今はタジマ営業部長に聞かなければいけない事があるの」

 

 アルベルトはその発言に対し、下手に噛み付くわけにもいかなかった。

 

 もう、恐らくは自分の想定していた以上の、そのほとんどを聞き出したからだ。

 

 これ以上彼女に心労をかけさせたくはない。

 

「……あ、ああ。じゃあオレはその……戦闘待機しておきます」

 

 部屋を後にする際、僅かに声が漏れ聞こえる。

 

「よろしいので?」

 

「構わないわ。彼には彼の領分がある」

 

「……オレの領分、か」

 

 しかし明かされた真実は身を押し潰しかねない代物であった。

 

 クラードは《レヴォル》がMFに属するものだと知って乗っていた。そして彼の真意は、全てのMFの駆逐と月のダレトへの到達――どれもこれも、推し量るのも不可能な事実ばかり。

 

「……駄目だな、オレ。まだ迷ってる」

 

 グリップを握りながら半ば放心していたせいだろう。

 

 道を折れた先に居たラジアルと鉢合わせになり、互いに後退する。

 

「……ラジアル、さん」

 

「アルベルトさん。どう、でした? 艦長から色々と聞いたんですよね?」

 

「あ、ああ、はい。……でも、いや……知っていたんですか」

 

 どうしても詰問の論調になってしまう。

 

 ラジアルは少しだけ目を伏せた後に、ええと頷く。

 

「一応は、ベアトリーチェのオペレーターですから。どんなものを扱っているのかくらいは」

 

「……参ったな。マジに知らなかったのはオレだけだったってワケかよ」

 

「アルベルトさんだけじゃないですよ。凱空龍の皆さんは知っておいでじゃないでしょう?」

 

「……それも含めて、オレだって言うんです。凱空龍の面子はクラードの事まで頭回せって言ったって、それは無理って言う話なんですよ。ただ……オレにはあいつらの、帰る場所だけを確保するのだけに必死で……」

 

「そう、ですか。でも、ちょっとだけ久しぶりな感じもしますね。こうやってお話しするの」

 

 かつてのように、ラジアルと廊下で肩を並べて話し込む様相になっていて、アルベルトは沈痛に呟いていた。

 

「……情けねぇって思ってるんじゃないですか」

 

「そんな事は。だってアルベルトさん、前線に出てベアトリーチェを守っているじゃないですか」

 

「それは……! オレなりのケジメだって言う話なだけです。第一、前線って言ったら、あんたが一番危ないんじゃ? 《オムニブス》での斥候任務、安全とは言わせませんよ」

 

「私は安全ですよ? ライドマトリクサーとしての職務もこなせますし、何よりも前回のように、トライアウトが攻めて来た時に一番に対応出来るじゃないですか」

 

「……運とかもあるとは思うんですよ。これまではその運の要素を埋めて来たのがクラードと《レヴォル》だった。その二つがない今となっちゃ、生存率は半減したも同じです」

 

「……クラードさんの事、心配してるんですね」

 

「そりゃあ、あんた……! ……当たり前でしょう。MFとの戦闘中に宙域を離脱したって言うんじゃ、死んだのか生きているのかも……」

 

「《レヴォル》のシグナルは消失。このまま月軌道をベアトリーチェは目指すと言っても、それでも大変な道のりなのは相変わらずですからね。トライアウトの襲撃やシュルツ出立時に攻めて来たような不明機の編成もやってくる可能性だってあります」

 

「……だから、オレはあんたに出て欲しくないんだ。《オムニブス》がどれほど堅牢でも、それでも危ない時ってのはあるはずでしょう? ……オレは……あなたに死んでほしくないだけで……」

 

「あれ? アルベルトさん。私の事、心配してくださってるんですか?」

 

「あ、当たり前でしょう……! ……もう、他人だとか、言ってられないんですから」

 

「……ヴィルヘルム先生が何か言いました?」

 

 聡いな。いや、聡いからこそ、ここまでやってこられたのかもしれない。

 

「あの人は何も。ただ……ラジアルさんが望んで今の職務についている事と、この艦を降りるってなれば、記憶を例え消去されたとしても、それでもトライアウトに追われるかもしれないって言う、話だけで」

 

「……前にも言いましたよね? 私、リアルが欲しいんだって」

 

「あ、ええ、まぁ……」

 

「究極のリアルって何なんでしょうね。MS戦に打って出て、ベアトリーチェはこうして月を目指しているって言うのに……この土壇場で分からなくなっちゃいました」

 

「それは……これまで女優業をやってきたあんたなら、答え出てるんじゃないんですか?」

 

「……答えなんて出ませんよ。ええ、答えなんて、簡単に出しちゃ、いけないんです。でも私は、今の答えが欲しい。……これってワガママですかね?」

 

「いいんじゃないんですか。オレだって……艦長に落ち着けって言われたようなもんですし。あの人自身も何かを隠している。でも、オレはそこまで他人との心の距離を明け透けにするつもりもないですし。話したくないんなら話さないほうがいい」

 

「優しいんですね、アルベルトさんは」

 

「……よしてくださいよ。そこはヘタレって言うところでしょう」

 

「いいえ、優しいですよ……アルベルトさんは……。私みたいなの、遠巻きに眺めているのがお似合いな人間なのに、今もこうして隣り合って話してくれているんですから」

 

「……ラジアルさん?」

 

 ラジアルはすっと廊下の先にある窓を眺めていた。

 

 宇宙の常闇を映し出す窓辺には、何の変化もない。

 

 ラジアルは浮き上がってその窓辺に寄り添っていた。

 

「……私、宇宙で一番の女優になりたかったんです。可笑しいですよね、こんな夢……。でも、一番に、成れるチャンスがあるのなら、成ろうと思ったのは確か。今までいろんな主人公とか、色んなヒロインとか、名前もないキャラクターを演じてきましたけれど……結局私の人生、“ラジアル・ブルーム”という女の人生は、つまらなかったんですよ」

 

「つまらなかったって……でも名声はあるじゃないですか」

 

 その評にラジアルは悲しげな瞳で頭を振っていた。

 

「名声なんて、それは私の演じてきた人々のものです。私自身のものじゃない。私の手には、何もないんですよ、きっと。演じる事だけが上手くって、それで生きて来れましたけれど、ここまで来たら何でもない、ただの女としての人生が……欲しくなったんです」

 

「でも、ラジアルさんはスゲェと思いますよ。オレなんかとはとんでもない差で……」

 

「差なんて、ないですよ。……シュルツで私、ああ、死んだなと、そう思ったんです。《マギア》が目の前に来て、ビームライフルを一撃。それで私の生きていた証明なんて、一個も残らない。塵一つなく、私なんて霧散してしまう。それがとても怖くって……」

 

 自身の身体を抱き、ラジアルは震えを堪えているようであった。

 

 アルベルトは気の利いた言葉一つ吐けず、ラジアルを見つめる事しか出来ない。

 

「……あんなの、忘れちまえばいいんです。有機伝導体操作技術で、トラウマとかは――」

 

「でも、忘れるのはもっと怖いんです」

 

 そう断言したラジアルの眼差しには、なかった事になんて出来ないと言う決意だけがあった。

 

 アルベルトは思わず目を逸らしてしまう。

 

「……忘れるのはもっと怖い。私、忘れたくないんです。アルベルトさんの事、ベアトリーチェでの日々の事、皆さんの事……。忘れて、何でもない、女優ラジアル・ブルームに戻るのはきっと、思ったよりずっと簡単なのかもしれません。でもそこにはきっと、何もない。私が生きていたこの数週間はきっと、私が演じてきたこれまでの何十年間よりもきっと、何か尊いものがあったって……そう思いたいんです」

 

「……でも、あんたはまだ戻れるんだ。次のミッシェルで降りてもいい。誰も責めやしない」

 

「それはアルベルトさんも同じなんじゃないですか?」

 

「……それは、言いっこなしですよ……」

 

 自分はクラードの傷を背負いたいと、身勝手な事を言って他人を困らせているだけだ。

 

 馬鹿馬鹿しい。

 

 クラードの傷は彼自身だけのもの。他人の誰にも肩代わりなんて出来ない。

 

 それこそ傲慢の一言だ。

 

 クラードは誇りを持って戦ってきたはず。ならば自分も、その誇りに唾を吐くような真似だけは出来ない。

 

「アルベルトさん。私のお願い、一個だけ聞いてもらえますか?」

 

「お願い? でもオレが出来る事なんて……」

 

 言い澱んだその時、ラジアルはそっと、その体重を寄せて来ていた。

 

 赤髪が揺れ、彼女の香りが匂い立つ。

 

「……愛をください。あなたの愛を……」

 

 茫然として、何かを言おうとして、何一つ冗談に出来ない瞳を向ける自分が、窓に反射して映る。

 

 ――いつもの冗談、からかいだ。

 

 そう断じて彼女の身体を引き剥がそうとして、強く、それでいて誰よりも弱く、自分の胸の中で泣いている一人の女性を発見する。

 

「……ラジアルさん。でも、オレなんかで……」

 

「いいんです。アルベルトさんじゃないと、嫌なんです、私。……これも、我儘ですよね。あなたを困らせてしまっている」

 

「いや、オレも……」

 

 そっとその肩を抱き寄せる。

 

 小刻みに震える肩は、これまで押し寄せてきたあらゆる恐怖を背負っているのが窺えた。

 

 その痛みを、少しでも分け合えるのなら――痛みは出口に繋がるはず。

 

「……今日だけは、あなたを奪いたいんです。他のあらゆる事から」

 

 そう、きっと今日だけは。

 

 今だけなら。

 

 神だろうが何だろうか、自分達の間に降り立った寄り添う弱さを、否定出来る事なんて出来るはずがないのだから。

 



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第77話「見えてくる景色」

 ――見るべきではなかったのかもしれない。

 

 あるいは、知るべきではなかった、か。

 

 カトリナは艦長室に向かいかけて、抱き合っているラジアルとアルベルトを目にして慌てて廊下の角に身を隠していた。

 

「……私は、何やってんだろ……」

 

 二人が立ち去ったのを確認してから、陰鬱なため息をつく。

 

 委任担当官として、何よりもクラードの理解者として佇んでいたつもりが、当のクラードが居なくなってしまえばほとんどお役御免のようなもので、誰かが自分の道を諭してくれるわけでもない。

 

 ある意味では、ラジアルが羨ましかった。

 

 誰かに寄り添えるのならば、自分もそうしたい。

 

 それくらいの、やけっぱちな心根が、我ながら嫌になってくる。

 

「……駄目だな、私。こういう時に一人で解決出来る力が――」

 

「何やってんすか? カトリナ嬢」

 

 不意に背後から呼び止められ、短い悲鳴を上げてカトリナは前のめりに転んでしまう。

 

 抱えていた書類ごと、カトリナは無様に鼻を打っていた。

 

「痛ったー……。って、トーマさん?」

 

 トーマは整備班のツナギのまま、自分へと手を差し出す。

 

「お疲れやまっす、カトリナ嬢」

 

「えっと……何でここにメカニックのトーマさんが?」

 

「《レヴォル》一機分だけ減ったんで、お役御免って言うんですかね。ちょっとだけ余裕出来たんで、休んでいいとの事っす。ま、言っちゃうとメカニックで渋面突き合わせたって何も出ないから、月軌道までの僅かな休息を取っておけっていうご命令ですね」

 

「そ、そうなんですか……。その、みっともない姿を見せちゃって……すいません」

 

「いいんですよ、別に。カトリナ嬢はいつもそうじゃないですか」

 

「……うぅー……もしかして馬鹿にしてます?」

 

「してないっすよ。クラードさんとかじゃないんですから。あーし、カトリナ嬢の事を期待の新人とか揶揄するつもりもないですし」

 

「……でも、クラードさんが居なくなっちゃって……私も何をすればいいのか、分かんなくなっちゃって……」

 

 またしても陰鬱なため息をついていると、トーマはふむ、と首肯する。

 

「カトリナ嬢、腹減ってねぇっすか?」

 

「えっ……お腹?」

 

「奢るっすよ。女子同士、聞ける話だってあるはずでしょ」

 

「えっ、でも悪いですよ……」

 

「いーから、いーから。あーしが奢りたいって言ってるんですから。その厚意には素直に甘えてください。そうじゃなくたって委任担当官は大変そうに映ったんですから」

 

 トーマに手を引かれ食堂まで辿り着く。

 

 彼女は餃子定食を頼んでから、自分には牛丼を奢ってくれていた。

 

「……その、トーマさんは、いつも餃子で?」

 

「あー、そうっすよ? だって短時間で栄養補給出来るから便利っしょ」

 

「……うーん、そうかなぁ……」

 

「カトリナ嬢、何かあったんすか? なんかいつもみたいな空元気がないっすよ?」

 

 見透かされているのか、と感じたがラジアルとアルベルトの事はさすがに言い出せず、カトリナはクラードの懸念だけを口にする。

 

「その……どうなっちゃうんでしょうか。月航路までまだ道のりはあるのに、クラードさんが行方不明なんて……」

 

「どうにかするしかないっしょ。それがエンデュランス・フラクタルのやり方でしょうし」

 

「……強いんですね、トーマさんは」

 

「これが当たり前の職場だってだけですよ。案外ブラックなんす。一流上場企業って言っても」

 

 トーマは餃子を頬っぺたいっぱいに頬張りながら、その箸でメカニックの学術書を捲っていく。

 

「……食事中にも勉強を?」

 

「タジマって言う、営業職の人が持ってきた新しい武装があるんすよ。それ、次の時までに覚えておかないと、サルトル技術顧問がこれっす」

 

 トーマは指を立てておかんむりというのを示すので、思わずカトリナは笑ってしまう。

 

「あっ……こんな時でも、笑えるんだ……」

 

「笑ったほうがいいっすよ。そのほうが、カトリナ嬢っぽいですし」

 

「そう、ですかね……。でもさすがにクラードさんが居なくなっちゃったのに、陽気に笑うのはちょっと……」

 

「……うちの技術顧問が言っていました。“クラードは心配しなくっても必ず帰ってくる”って。自分達の仕事はその時に恥じるような仕事をしない事だって。タジマさんが持ってきた部品は《レヴォル》専用なんす。だから、あーしはこうして、寝る間も惜しんでそのパーツの解析。これがあーしの仕事なんです」

 

「……自分の、仕事……」

 

「カトリナ嬢の仕事はきっと、委任担当官って言うデカい仕事のはずでしょう? あーしにはお手伝いは出来ませんけれど、その代わりにこうして牛丼奢って、女同士でしか出来ない話をするのが、せめてもの餞別なんすよ」

 

 トーマはぱくぱくと餃子を口に放り込んでいくのですぐにランチタイムは終わってしまいそうであった。

 

「……でも私、クラードさんに、まだ何も出来ていない。まだ、何も……してあげられていない……」

 

「それでもいいんじゃないですか。カトリナ嬢の仕事をこなしていくうちに、クラードさんにとっては困らないようになるはずっすよ。その時を信じて仕事すれば、絶対に裏切らないはずです」

 

「……でも、ここに来て分かんなくなっちゃったんです。何で、MF相手に、艦長はクラードさんと《レヴォル》を単騎で寄越したんだろうとか、それとか……色々……。私も納得したいわけじゃないとは思うんですけれど、それでもどこかで答えが欲しいんだと思います」

 

「答えなんて、辿り着いた時にようやく、って感じっしょ。一個一個に意味がないように思えて、それが答えなんてザルっすよ。カトリナ嬢はこうして頑張っている。その積み重ねで今は納得していくしかないんじゃないですか?」

 

「……頑張りで、納得……」

 

「あーしの仕事もすぐに結果が出るようなものばかりじゃないです。でも、その結果に裏切りたくない、信頼を失いたくない一心で、こうして打ち込んでいるわけっす。自分に何が出来て、何が成せるのかなんてきっとその時その時の答えでしかないんですよ。だったらせめて、腹だけは空かせないようにするのが務めじゃないっすかね。腹が減っては何とやらって昔の人も言いましたし」

 

「……腹が減っては、か……。でも、私……」

 

 そこで不意にトーマが餃子を突き出し、自分の弱音を発しかけた口を塞ぐ。

 

「でもとか、ストとか禁止にしましょ。そのほうがいいに決まってます。あーし、偉そうな事は言えませんけれど、今だけは待つ時なんだって思うんす。だって、クラードさんはきっと帰ってきます。なら、その時に万全な姿勢で待っていないとか嘘でしょ」

 

「……万全で、待つ……」

 

「カトリナ嬢、餃子食っていいっすから、その分だけでもお腹満たしてください。そうじゃないと戦えません」

 

 トーマの言葉にカトリナは突き出された餃子をぱくつき、そして牛丼をかけ込んでいた。

 

 今は待つ事しか出来ない、それでも、自分に出来る抵抗があるのならば、これだけだ。

 

 こうする事だけが、自分が待つ事への表明なのだ。

 

 牛丼を勢いよくかけ込んでいる途中で、不意に喉に詰まってむせてしまうが、トーマはそっと水を差し出す。

 

「ゆっくり行きましょ、カトリナ嬢。どっちにしたって、月までは少し遠いんですから。足並みを止めなければきっと、見えてくるはずですし」

 

「……足並みさえ、止めなければ……」

 

「そういや、カトリナ嬢。いっつもそれ、付けてるんすね」

 

「えっ……何の事……」

 

「いや、今ネクタイの裏に見えたっしょ。思い出の品っすか?」

 

「あっ……そういえばこれ、ずっと付けっ放しだった……」

 

 取り出したのはエンデュランス・フラクタル入社初日に実家から送られてきた祖父の遺品であった。

 

「……鍵、みたいに見えるっすね、それ」

 

「何の鍵なのか、未だに分からないんですよねぇ……。部屋の鍵とかそういうんじゃなさそうですけれど……」

 

「うーん……見た感じ、デバイスっぽくもありますけれど……。でも意外っす。カトリナ嬢、化粧っ気ないっすから。パイセンみたいに歴戦の、って感じでもないっすし」

 

「バーミット先輩とは違いますよ。……でも、これ何だろう……? うん、違う……、何だっけ、これ……」

 

 不意に脳裏を掠めた不明瞭な記憶のビジョンに、カトリナは眩暈に似た何かを感じ取る。

 

「……大丈夫っすか?」

 

「あっ、大丈夫……。この、鍵……何なの……?」

 

 全く知らないわけではない。だが該当する記憶がまるで存在しない、意図しない何か。

 

「まぁ、調べられる環境さえあればいくらでも調べられるんすけれどね。《レヴォル》があんなじゃ、整備班の検索窓も使えないっすし」

 

「鍵には、見えるんですけれどね……」

 

「まぁ、大事なものって事じゃないっすか? じゃ、お先するっす」

 

 カトリナは金色に電灯を反射する鍵をじっと見据え、それから呟いていた。

 

「でも、私にも、何か出来るはずなんだから……。だからカトリナ、負けちゃ駄目……」

 

 その時に見えてくる景色を、今は心待ちにするしかないだろう。

 

 



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第78話「精一杯の抗い」

「――以上が納品の手続きと、そして起こった出来事の顛末です」

 

 そう纏めたタジマにレミアは、そうと淡白に応じる。

 

「まさか本社組の査察がなかったのはそんな理由だとはね。襲撃犯の目星は?」

 

「ついていません。それどころか、痕跡さえも残っておらず。そして不思議な事に……」

 

 レポートの中にある名前をレミアは睨む。

 

「……調べを尽くした限りでは、ヴィヴィー・スゥなる人物は、統合機構軍のブラックリストに存在しない、となれば、ね。反旗を翻しそうな人間はある程度の目星がつくものだけれど、まさか全くのノーマークの人物がエンデュランス・フラクタルのシャトルに取り付いて、それで本社組を皆殺しになんて出来るはずがない。どこかの支援を受けているにしてはしかし、その足取りが掴めないのはまるで謎。……これではお手上げね」

 

「ええ、そうなのです。私もどこかで足取りを掴めるのかと思ったのですが、シャトルを切り離した際に聞こえてきた、声だけが証拠でしょうか」

 

 宇宙の常闇を引き裂くかのように、ヴィヴィー・スゥの声紋認証だけがレコードされている。

 

『――来い、《ネクストデネブ》!』

 

 何度か反芻させてから、レミアは嘆息をつく。

 

「これをどう見るか、ね。問題なのは」

 

「ええ。とても困っているのです。なにせ、判定材料がない」

 

「いいえ、これだけで演算出来るとすればそれは、単純な一事ではないかしらね。このヴィヴィー・スゥなる人物は……MF、《ネクストデネブ》のパイロット」

 

「結論を急ぎ過ぎかと存じます。ですがそうなると……本社のネットワークに存在しないのも納得ではありますが……一つだけ付け加えるのならば――それはあり得ないのです」

 

 タジマの論調にもレミアは納得を示していた。

 

「そうね。だとすればあまりにも……異常な事が立て続けに起こっている事になりかねないし、それにもし、ヴィヴィー・スゥが《ネクストデネブ》のパイロットだと仮定しても、それでも奇妙なのは、呼ぶだけでダレトを形成して来られるMFの異常性」

 

「月でダレトが開いてからこの先、MF……聖獣のさじ加減で他のダレトが開いた事は一度としてない。人類は月のダレトよりもたらされた叡智で木星圏まで辿り着く事が出来ても、それでも自由な航行ほどのものではなく、行動制限も多くかかっている。……その中で、MFのパイロットだけ特別だとすれば……」

 

「世界は混乱に堕ちる、わね……。とは言え、そのヴィヴィー・スゥとか言うテロリストも、あなたの話ではもう死んだのでは?」

 

「どうでしょうか。先の仮定が事実ならば《ネクストデネブ》の生存がこの者の生存も意味しているのでは?」

 

「それは穿ち過ぎじゃないかしらね。第一、宇宙空間に解き放たれてそれでダレトを形成し、MFを召喚するなんて行動……どれを取ったって異常なものでしかない。本社からの次回の査察は?」

 

「打ち止め、と言うのが正しいかと。何度もベアトリーチェに人と資本を送って返り討ちになっては堪らない、と」

 

「……つまり、《レヴォル》に代わる戦力はない、という結論なのね」

 

 タジマは申し訳なさそうに首を垂れる。

 

「すいません、艦長。私の力不足で……」

 

「いいのよ。こればっかりは仕方ないんだし。《レヴォル》の学習性能頼みのベアトリーチェの弱点だしね。月軌道まではまだ時間はあるとはいえ、トライアウトにも目を付けられている。その上で、コロニー、ミッシェルで一時的に停泊。《レヴォル》の穴を埋めたいところだけれど、きっとそれは叶わぬ夢でしょうね」

 

「こちらも驚いていまして。《レヴォル》が居なくなったばかりか、エージェント、クラードの喪失。そして補充用の欠員パイロットであったハイデガー少尉も行方をくらませるとは……」

 

「……《エクエスガンナー》もシュルツで大破してそのまま放置。《マギア》と《アルキュミア》、それに《オムニブス》だけが戦力ってのは心許ないわね。このままじゃ、轟沈も現実的になってくる」

 

 レミアは処方された頭痛薬を飲み干し、そっと息をつく。

 

「コロニー、ミッシェルで戦力を募りましょう。幸いにして統合機構軍のお膝元のコロニーです。フリーの傭兵なら、それなりに出て来るとは思いますが……」

 

「今は、傭兵身分を雇うのもなかなかに困窮しそうだけれど。どこかに戦力が転がっていれば、ね。そう都合のいい話――」

 

 レミアはそこで管制室よりもたらされた情報を執務机の上で応じる。

 

『艦長。よろしいでしょうか』

 

「ピアーナ? 何かあった?」

 

『こちらへと、ゆっくり近づいてくる機体が居ます』

 

 戦闘神経を走らせたレミアは、短く問い返す。

 

「敵? それとも……」

 

『それが……光通信でこちらに電報が。メッセージはそのままの形で提出しますが……』

 

 どこか煮え切らない言い草にレミアはもたらされた電報のメッセージを読み取っていた。

 

「……これって……!」

 

「何です?」

 

 覗き込んできたタジマはその電報に瞠目する。

 

「……何と。しかしこれは僥倖なのでは?」

 

「どうかしら。何回か交戦している。信じるに値するかどうかは……」

 

『機体は相対距離を取って、メッセージを打ち込んできています。“コロニー、ミッシェルの裏港で合流されたし”、と』

 

「……相手も心得ているのでは?」

 

「……でも、何度も敵として立ちはだかった相手よ? 今さら信じろなんて……」

 

『艦長。わたくしは信じてもいいと思います。何よりも、現状は《レヴォル》を欠いているのです。この状況で出撃命令を出しても、たった一機相手にしてやられるのがオチでしょうから』

 

「……分かったわ。私の判断で彼との合流を許可します。艦内クルーの意見は私が聞く」

 

「ご無理をなさっているのでは?」

 

「無理なんて、今さらよ。ベアトリーチェに乗ってから頭痛薬だけは手離せないんだからね」

 

 それにしても、因果か、とレミアはピアーナのもたらした映像を一瞥し、艦長帽を被ってから、立ち上がる。

 

「クラードも戦っているのなら、私達も私達にしか出来ない戦い方をするべきでしょう。それが彼に……報いる事ならばね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「光通信を受信。どうやら相手、こちらに応じるつもりらしいです。コロニー、ミッシェルでの合流を許可する、と。何様なんだか……」

 

「そう言ってくれるな。何様の言い分なのはお互い様だ」

 

 しかし、とグラッゼはベアトリーチェを視野に入れつつ、その航行状態をつぶさに観察する。

 

「MFと死合ったと言うのが本当の情報だとすれば、もう少し損耗していてもいいはずなのだが、案外艦艇の損傷具合は低いな」

 

「《レヴォル》だけを囮にして、逃げたのでは?」

 

「あり得んとは言えないが、だとすれば私は、生涯の朋友を失った事になる。そうは考えたくないね」

 

「……大尉も。いいんですか、あの艦と一時的に手を組むつもりなんて」

 

「私の纏った任務はマグナマトリクス社への内偵だ。ミッシェルにも支部がある。合流の可能性は高いと思っていたが、まさかこんなに早くその足取りを掴めるとも楽観視していなかった。これは運命が我が方に味方しているな」

 

「運命……ですか。しかし、これがトライアウトジェネシス上層部に割れれば……」

 

「君に責任はない。私が全権限を使ったとでも証言すればいい。なに、これでも黒い旋風の渾名は伊達ではなくってね。こう言った時のスケープゴート代わりにはなろう」

 

「……知りませんよ。合流軌道に入ります。それにしても……コロニー、ミッシェル……、統合機構軍の所持する、中型コロニーですか」

 

「月軌道に向かっているのならば必ず立ち寄るであろう事は想像に難くなかった」

 

 シャトルのモニターより通信を繋ぎ、グラッゼはベアトリーチェのブリッジに声を放る。

 

「そちら、エンデュランス・フラクタル新造艦と見受けている。私の名はグラッゼ・リヨン大尉。トライアウトジェネシスに所属している軍人だ。その方は我が方と合流し、その後に対面したい。無論、礼を尽くす。以上だ」

 

「大尉! 何を仰って……!」

 

「対面ではなくMS越しでは信頼も築けまい。私はあくまで交渉事を進めたいんだ。揉め事を増やしたいわけではないのでね」

 

「……ですが、相手は統合機構軍の企業勢ですよ。コロニーに入った途端、狙い撃ちだってあり得るんです」

 

「それはそうだな。だが、そうとは思えんのだ」

 

「……その根拠は……」

 

「勘だよ。いけないかね? 勘で動いては。人間、それさえも失ってしまえばお終いだとも」

 

 部下は承服しかねている様子であったが、グラッゼは停泊場に辿り着いたベアトリーチェより信号が返ってくるのを目にしていた。

 

「港にて待つ、か。私だけで出る。まずは様子見だ。君は出ないほうがいい。少しでも相手に信じるところがないのならば、トライアウト所属の軍人は刺激するだけだ」

 

「大尉も、危険なのでは……」

 

「危険には慣れている……と言い切ってしまえばそこまでなのだがね。私も少しはびくつく。だがそれ以上に……クラード君と会えるかもしれないのか、という期待で胸が高鳴っているとも。《レヴォル》だけ鹵獲された、と言う線で考えているのだが、その目論みが外れた場合……」

 

「外れた場合……何です?」

 

「いや、それは考えないでおこう。私とて最悪の想定を浮かべ過ぎれば捉われる。足をすくわれるとすれば、いつだってその最悪の部分だ。私はあの艦に、まだクラード君が居るのだと……そう信じたい」

 

 シャトルが港へと停泊するなり、グラッゼはタラップを蹴って港へと躍り出ていた。

 

 ベアトリーチェより数名のクルーが歩み出て、自分に向かってライフルを構えている。

 

 その物々しさも当然、とグラッゼは両手を上げていた。

 

「銃を降ろして欲しい。私は戦いに来たのではない」

 

「だったら黒い旋風自ら、何の御用?」

 

「……驚いたな。女艦長か」

 

「伊達に修羅場潜っていないのよ。今さらでしょ、そんなの」

 

 泣きボクロを持つ憂いを帯びた女艦長の言葉に、それもその通り、と納得する。

 

「……見ての通り、私は個人で動いている。トライアウトジェネシスの命令で君達を追撃しているわけではない」

 

「じゃあ何だって言うんだ? 言っておくが、おれ達はそっちの要求とやらを信じたわけじゃないぜ?」

 

 メカニックらしき男がライフルの銃口をこちらに据える。

 

 それ以外にもパイロットと思しき人間が二、三人。これは逃げ口上が通じるような戦力差ではないな、と判定したグラッゼはここでの必殺の言葉を放っていた。

 

「クラード君は居ないのかな? それとも、こう言ったほうがいいか。《レヴォル》諸共、行方不明だと」

 

 まさか、と相手が震撼したのが伝わる。

 

 それと同時に、やはりか、と言う諦観が、自分の胸中を満たしていた。

 

「……やはりあれは《レヴォル》だったか。そして君達はまんまと出し抜かれた、そうらしい」

 

「……何を知っているの?」

 

「少しばかりの情報ならば提供出来る。私は先にも言ったが戦いに来たわけではない。これは交渉だが、一度そちらに私の席を置いてもらえないだろうか? 無論、自分の事は自分で何とかしよう」

 

「……トライアウトを裏切るって言うの?」

 

「大局を見据えての行動だ。トライアウトへの不義にはならない。ああ、それと。これは言っておかなければいけないが、友軍が来た場合、私は彼らと共に撤退しよう。その約束だけは絶対だ」

 

「……信じるに足るのかよ」

 

「信じてもらえなければここで睨み合いだな。どうする? 君達は明らかに目指すところのある航路を取っている。だと言うのに、時間の無駄遣いはしたくないだろう?」

 

 艦長が他のクルーに銃を降ろすように告げる。

 

「……いいわ。買いましょう、グラッゼ・リヨン大尉。それにしても、まさか黒い旋風が一時的とは言え味方になるなんて思いも寄らないけれどね」

 

「その胆力に感謝する。それならば私の《エクエス》を持って来よう。それが充分な信頼の担保となるはずだ」

 

 シャトルより自機を引き上げていると、クルーの一人がふと毒づく。

 

「……何回も襲ってきた奴を信じろってのか……!」

 

「それは語弊だな。私は命令に準じて戦ってきた。今もまた、命令のために動いている。私は短絡的な目的のためには動かない。長期的な物差しで動く事こそ、使命に関わるのだと思っている」

 

「軍属の言い訳よ、それは。第一、それでもあなたが私達を見限らないとも思えないし、条件の上ではまだそっちが優位には変わらないでしょうに」

 

「手厳しいな、エンデュランス・フラクタルの新造艦の艦長は」

 

「当たり前の事を言っているだけよ。それも分からぬほどに無知蒙昧ってほどでもないでしょう? 黒い旋風、グラッゼ・リヨンは」

 

「言い回しに棘があるが、構わない。私は身勝手を通している」

 

《エクエス》を検分させている間に、グラッゼは歩み寄って艦長へと手を差し出していた。相手は怪訝そうにそれを見つめる。

 

「一時的な協定とは言え、握手も不可能かね?」

 

「……一度でも手を結べばそこに汚れも持ち込む。私は甘くないつもりよ」

 

「なるほど、それもまた、正しい」

 

 グラッゼはクルーに背後を取られながら艦内を見渡していく。

 

 やはりと言うべきか、《レヴォル》の姿はない。

 

「……クラード君は攫われたのかね?」

 

「言う義務はないはずだ」

 

「だが知る権利はある。この艦での唯一と言ってもいい戦力だったはずだ。それを外したのならば、艦の生存確率は激減する」

 

「……クラードは居なくなっちまったんだよ」

 

「そうか。それは残念だ。会えるかも、と期待していた己を、少しだけ醒ますのには足りるがね」

 

 だがグラッゼは艦内をつぶさに見渡す。

 

 その中で監視カメラの存在に気づき、そっと振り仰いでいた。

 

「見てないで、こっちに来ればいいのではないか? それとも、私と会うのは嫌かね、フロイライン」

 

『……視線を上げないで、いやらしい』

 

「君の視線が鋭過ぎるのだよ。見返してくれ、と言っているようなものだ」

 

 その言葉繰りに、相手は沈黙を挟んでから応じていた。

 

『……黒い旋風、グラッゼ・リヨン。どういうつもりなのでしょうか? このベアトリーチェでもその情報はある。幾度となく仕掛けてきたトライアウトの走狗……』

 

「語弊はあるが、大体合っているな。私の現状の雇い主がトライアウトジェネシスである以上は言い逃れも出来ない」

 

『ならば何故……今のベアトリーチェに戦力を分け与えるような真似を? 今ならば墜とせるでしょうに』

 

「それに足らなければ実行しない。私の振り翳す識者の理論では、弱った敵を仕留めたところで何も得るものはないのだから」

 

『……変わり者』

 

「酔狂と呼んでいただきたい。もっとも、意味するところは変わらんがね」

 

「――それが変わり者だと言っているのよ」

 

 電算室らしき場所から現れた少女が金色の瞳に射る光を灯している。

 

「……ライドマトリクサーか」

 

「だったら何だとでも? わたくしなら、貴方の首を刎ねるくらい造作もないわ」

 

「確かに。RMの戦闘能力を的確にはかれないほど、落ち延びたつもりでもない。だが君は戦士ではない。それくらいは分かるさ」

 

「……戦士でなくっても銃くらいなら握れる……」

 

「強がるのはよすといい、フロイライン。君の細腕に、銃は似合わない」

 

「……クラード。彼の事が気になっている様子。それは何故?」

 

「《レヴォル》に遭遇した」

 

 その言葉の意味するところを理解しないわけではないのだろう。

 

 目の前の少女も瞠目していたが、それ以上に浮ついたのは自分の背後を取るクルー達であった。

 

「本当なのか、そりゃあ……! 本当に《レヴォル》と?」

 

「嘘を言ったところでどうしようもない。それに、《エクエス》のレコードを調べられれば嫌でも分かる。私は意味のない言葉繰りはしない主義なのでね」

 

 メカニックを顎でしゃくり、《エクエス》へと調べを尽くそうとする相手に、グラッゼは微笑みかける。

 

「いい出会いに恵まれたな、彼は。私の知るクラード君はたった一人でも戦い抜く瞳をしていたものだが」

 

「……どこで遭遇した? クラードは無事なのか?」

 

「そこまでは私でも分からない。《レヴォル》に乗っていたのは彼ではなかったのだから」

 

「……クラードじゃ、ない……?」

 

 困惑するメカニックに声を差し挟む前に、声が響き渡っていた。

 

「教えてください! ……一体、誰が《レヴォル》に乗っていたんですか! クラードさんは……!」

 

 歩み出てきたリクルートスーツ姿の女性を先の少女が押し留める。

 

「カトリナ様。今は冷静になってください」

 

「冷静になんて……! 私は委任担当官なんですよ! ……クラードさんは、どこへ……」

 

 困り顔のカトリナなる女性へと、グラッゼは蒼いサングラスのブリッジを直す。

 

「残念ながら、それに関しては不明点が多い。私でもどうにも出来ないかもしれない」

 

「……そんな……。クラードさんが生きているかどうかも、分からないって事ですか……」

 

「私も悔しい。それが分かれば君達に吉報が届けられたのだと、そう思うとね」

 

「……だが《レヴォル》を見たと言ったな? 《エクエス》のレコードを漁れば分かる事だが、それがクラードじゃなかったって?」

 

「女の声であった。戦い振りは慣れている様子であったが、彼とは違う。彼ならばあんな無様な戦い方をして私を幻滅させる事はない」

 

 そう、あれはクラードを騙るにしたところで――下策が過ぎる。

 

 あんなものはクラードの足元にも及ばないであろう。

 

「……《レヴォル》がどこかの陣営に鹵獲されたって言う事は、クラードさんは生きているかもしれない……」

 

「分からない。それをもっと仔細に知れれば、ここでの諍いもないのだと思えば、私も少しばかり自分の命可愛さに詰めが甘かった、と言うべきだろう」

 

 カトリナが涙の粒を溜めて嗚咽を漏らす。その背中をさすりながら、少女がこちらを睨んでいた。

 

「……貴方はカトリナ様を泣かせた。それだけは許さない」

 

「私も後悔している。婦女子を泣かせる趣味はない」

 

「……いえ……いえっ、ピアーナさん。今は、それだけでもいいんです。クラードさんも、《レヴォル》も生存の可能性が高まった。それだけでも……」

 

「ですが、カトリナ様が無理をする事は……」

 

「いいえ。無理でも少しくらいは気持ちを強く持たないと。そうでないと、私……っ、委任担当官なんですから。クラードさんが帰って来た時に、いい顔出来ませんし……っ」

 

 気丈に笑みを浮かべようとするカトリナに、グラッゼはてらいのない感想を述べる。

 

「……強く、か。それは時に残酷に人を傷つける。カトリナなる優しいお方、君はしかし、《レヴォル》の非情なる真実を知ってもなお、その強さを保ち続けられるか」

 

「非情なる……真実……?」

 

「この艦の中でも情報にばらつきのある様子」

 

「……あんた……!」

 

 銃口が自分の背中に突きつけられたのを感じながら、グラッゼは両手を上げたまま声にする。

 

「《レヴォル》は君達が思っているような容易い代物ではない。あれは異常だ。あんなものが存在している事自体、奇々怪々と言わざるを得ないな」

 

「どういう……」

 

「《レヴォル》のミラーヘッドログを参照すればいい。自ずと答えは出る」

 

「言葉で弄するなんざ……!」

 

「弄している覚えはないのだがね。それとも突かれれば痛い横腹であったか」

 

「……グラッゼ・リヨン……!」

 

「――待て、待てって! あんた……クラードに仕掛けて来ていた……」

 

 ジャケットを着込んだ偉丈夫の男がグリップを握り締めてこちらへと近づいてくる。

 

 そんな彼へと追従するのは赤髪の女性であった。

 

「……制してもらって助かる。危うく命を落とすところだった」

 

「あんた……敵のはずだよな? 何でこの艦に居る?」

 

「敵の敵は、の理論だよ。……しかし、君は違うな。戦士の面持ちをしている」

 

 その表情を観察していたからか、相手は神経を強張らせて応じていた。

 

「……信じられねぇな。敵の敵は理論だとしても、これまで敵だった奴が寝返ってくるなんて信じ難いだろ」

 

「そう思ったほうが遥かに確実性は高い。だが、君達は知らなければいけないはずだ。クラード君の事と《レヴォル》の事、その両方をね」

 

「……クラードの……?」

 

 息を呑んだ相手へと、グラッゼは言葉を重ねる。

 

「《レヴォル》も、だ。あれは君らの思っているような兵器ではない。そうなのだろう?」

 

「おい、口数も過ぎれば毒となる。多弁は銀だって知らないのか?」

 

 銃口を背中に押し当てられて、グラッゼは言葉を仕舞う。

 

「……いずれはまた、君達と話さなければいけない事が……きっとあるのだと、私は思うがね」

 

 グラッゼは一瞥を振り向けてその脇を通り抜け様に、背中に声を聞いていた。

 

「……オレは! ……オレは、凱空龍のアルベルトだ。あんたは何て言う?」

 

 ここで名乗ったところで仕方ないとは言え、名乗りに関しては応じるべきだろうと、グラッゼは視線を振り向けていた。

 

「識者、グラッゼ・リヨン。君と同じく、クラード君に魅せられた側の人間だろう」

 

 



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第79話「傲慢の罪」

 信頼出来る情報筋なのか、という議論にレートが上がったその時には、ディリアンへと口答えしていたのはダイキであった。

 

「何だと! 親衛隊だからって偉そうに!」

 

「やめろ、中尉! ……真実です。エンデュランス・フラクタルの戦闘艦、ベアトリーチェはコロニー、ミッシェルへと停泊中。今ならば奇襲もかけられます」

 

「それならば今すぐに迎撃を。親衛隊の機体も持ち込んだはず。前のようにはいきません」

 

「……《マギア》の発展機、《アイギス》……。ですが、こちらも慎重を期したいと言うのは御理解いただけますかな? 我々とて石橋を叩いて渡るようなものなのです。下手に何度もコロニーへと攻撃を仕掛ければ、それだけでダメージになりかねない」

 

「前回は大義名分がありました。今回もそれは継続中。相手は賊の船です。墜とすのに何の躊躇いもないでしょう」

 

「おい、親衛隊身分だからってなぁ、俺らを小間使いみたいに使えると思うなよ! 俺達はれっきとした、正規軍なんだぜ!」

 

「中尉! ……すいません、口さががなく」

 

「いえ。……そもそも何故、こうして同席しているのかも不明ですが」

 

「クラビア中尉は貴官を守護する役割に入らせます。そのためには事前準備は滞りのないほうがいい」

 

「……なるほど。如何に上への言葉がなっていなくっても、実力だけは確かなようですからね」

 

「ケンカ売ってんのか! ……見てくればっか揃えたって、戦力にならなけりゃ同じだろうが!」

 

「中尉、身の程を弁えたまえ! ……我々としても親衛隊、ひいてはリヴェンシュタイン家には融資を募っている身。あなたの御言葉には賛成いたしますが、しかし……奇襲と言うのはいただけない。丸腰かも知れない相手ですぞ」

 

「丸腰かも知れないからこそ、今、叩くのでしょう。……弟以外は殲滅戦の構えで行ってもらっても構わない。一人残らず殺し尽くしていただきましょうか」

 

「ほう、よろしいので?」

 

 上官の眼差しが変わる。

 

 ――それが許されれば本当に、全滅までやるとでも言うような、試す物言いであった。

 

「もちろん。わたしの目的は弟の目を覚まさせるだけ。他はどうだって構いません」

 

「……分かりやすくってよろしいですな。では、クラビア中尉。君は《レグルス》でリヴェンシュタイン殿を守ってくれ。《アイギス》はまだ試験機だ。何が起こるか分からんからな」

 

「しかし! 中佐殿! それはみすみすと言う奴なのでは?」

 

「命令だ。……口答えは許さん」

 

 その厳命にダイキは舌打ちを滲ませる。

 

「……親衛隊ってのは偉そうでいいですなぁ! おい!」

 

 わざと肩をぶつからせたダイキに、上官が声を飛ばした時には彼は既に退室していた。

 

「……すいません。向こう見ずなのです」

 

「いえ、彼の実力は前回の戦闘でよく分かりました。あれほど撃墜されたのに突っかかるメンタルは称賛に値する」

 

「……クラビア中尉、いやダイキは……あれで戦災孤児なんです。テロリストの自爆テロで両親を失っております。自身にも酷い後遺症を負っていて……これは言い訳にはならないでしょうが、戦いにおいてのみ、自分の存在価値が許されると思っている節があります。その上で、彼の実力自体は本物。どうか寛大な心で見過ごしてやってください」

 

「問題なのは、実戦で役立つかどうかのそれだけ。わたしは別段、気にも留めません」

 

 ――あんな下賤なるものなど、と言外に言い置いたつもりであったが、上官は部下が許されたのだと思って嘆息をついていた。

 

「いや、申し訳ない……。私はこれでも、彼の親代わりのつもりでした。軍属になってからはずっとあいつは私の部下です。あれもあれで私を慕っているつもりでいる。分かりやすい奴なのです、あいつは」

 

「いえ。中佐殿の心持ち、あの者も分かる事でしょう」

 

 まぁそれは、この戦闘の如何に関わらずであろうが。

 

 ディリアンは三次元図に落とし込まれたコロニー、ミッシェルの外観と内部構造を頭に叩き込む。

 

「……中型コロニーとは。統合機構軍のお膝元でしょう」

 

「ええ、だからこそ相手も油断しているのだと考えています。我々としてみればチャンスだとも」

 

「ですが、前回もわけの分からぬ横槍が入りました。あれの情報開示を求めても?」

 

「ええ。……ジェネシスの連中が仕留め損なった機体の事でしょう。我が方で独自に調べたところ、あの白いMSはやはり、エンデュランス・フラクタルの所有物のようで」

 

「新型のMSを企業が率先して開発を?」

 

「……統合機構軍はただでさえ少し先走った動きの目立つ陣営。新型機くらいは建造していても」

 

「可笑しくはない、ですか。ですがあれは少し特殊でした。あんなMSが存在するなんて」

 

「だからこそ、忌むべき火薬庫なのでしょうね。ガンダムとはよくも言ったところ」

 

「……ガンダム」

 

 その忌み名を思い出す度に、あの場でアルベルトを回収出来なかった己の弱さが浮き立つ気がして、ぎゅっと骨が浮くほどに拳を握り締める。

 

 自分にとっては因縁の名だ。

 

「……もし会敵した際には、撃破しても構いませんね?」

 

「ええ、それはこちらも承認していますが……あれは特殊のようです。お気を付けになられたほうがいい」

 

「ミラーヘッド機ならば戦い方は心得ています」

 

「そうですね。釈迦に説法のようなものだ。親衛隊身分の方に、ミラーヘッド機の戦い方なんて」

 

「潜入より、十分以内に仕留めてみせます。それくらいの自信はある」

 

 何よりも、以前のように慣れていない《マギア》ならばともかく、《アイギス》で負けるような愚を犯すわけにはいかない。

 

 上官と共にディリアンは格納デッキへと向かっていた。

 

「俺の《レグルス》、前回ちょっと重かったぞ! ペダル推進、上げておけ!」

 

 ダイキは小隊規模を指揮するのに余念がない様子で、その様は先ほどまでの無遠慮な士官と言うよりも、歴戦の兵士の面持ちであった。

 

「……ダイキもずっとあれならばよいのですが……上に突っかかる癖さえ直せば、昇進も狙える身分だと言うのに」

 

 上官は真実からダイキの親代わりなのだろう。

 

 その眼差しに滲んだ親心、分からぬわけもない。

 

「……わたしは彼の手助けは出来かねます。もしもの時には」

 

「ええ、それは構いません。ダイキも分かっているはず。《アイギス》には独自権限を与えておきます。ミラーヘッドオーダーはこれより四十八時間、あなたが優先して保持するものとして」

 

「感謝します。令状までもらえるとなれば、今度こそ、本当に……」

 

 負けるわけにはいかない。

 

 それだけは、絶対にしてはならないはずであろう。

 

 



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第80話「サードアルタイル」

「月面より離れたMF02、《ネクストデネブ》を関知。これより宙域情報を保持します」

 

 そう言うなり月軌道艦隊全域へともたらされた《ネクストデネブ》の情報に、木星船団の出迎えだけのつもりであった艦長は舌を巻いていた。

 

「……一体、あなたは……」

 

「先にも述べました。僕の名前はザライアン・リーブス。MF、《フォースベガ》のパイロットとして、この地へと舞い降りた人間だと」

 

 その言葉に煩わしさすら覚えているように、ザライアンはヘッドセットを降ろしていた。

 

 先の情報は彼の脳波を拾い上げる事によって関知出来た代物である。

 

 しかし、一個人の情報がまさかMFの位置情報の把握に貢献するなど思いも寄らない。

 

「……だ、だが得心がいかない。何故、特殊な位置情報の把握措置を取らずに、あなたはMF02の位置を的確に理解出来るのか」

 

「それは僕もまた、同じであるからに過ぎないのが、理由ではあるのでしょう」

 

 蓬髪を掻いて、ザライアンは煤けた赤い瞳を中空に投げる。

 

「……あなた方は何なのだ。MFとは何なのですか……」

 

「その問いは連邦調査局によって僕の口から下手に出す事は禁じられている。それに僕があなた方に話せば、それだけでも未来は変動値を示すでしょう。それくらい、ダレトと言うのはデリケートだと思ったほうがいい」

 

「……あなたはただの木星船団のリーダーであったはず」

 

「その情報も、この宇宙で僕が生き残るために、彼らの与えた形骸状の代物に過ぎない。僕の生存は他のMFの生存にも繋がるからでしょう。睨み合い、それが彼らの望んだ対立構図だった」

 

「……彼ら……?」

 

「月軌道艦隊のうち、半数を《ネクストデネブ》の擁立に回せばよいでしょう。それで面子は保たれます」

 

 それ以上は話す口などないようにザライアンはブリッジを立ち去ろうとするので、艦長はその背を追っていた。

 

「待って欲しい! ……あなたはMFに関する致命的な何かを知っている。だからこそ、我々にこうして出迎えの任務が下りた」

 

「あまり詮索はしないほうがいい。僕の事は、これ以上は知らないほうがあなた方にとっても有用なはずだ」

 

「しかしそれでは見ないふりをしろとでも……!」

 

「事実、そう言っております。ザライアン・リーブスは木星帰りの宇宙飛行士――ここではその認識で間違っているわけではない」

 

 そう口にするザライアンは、どこかでその事実を割り切れていないようにさえも映る。

 

「……何を隠しているのだ。MFはただの強力な兵器ではないのか……?」

 

「この宇宙で生存したいのならば、それ以上は知らなくっても構わない。僕が《フォースベガ》のパイロットである事も、そしてMFを関知する能力を保持する事も、知らなくっていい事だ」

 

「……誰がそんな事を隠し立てすると言うのだ。ダレトが開いてから先、まだ二十年と経っていない。そんな組織はどこにも擁立されていない……!」

 

「……ダレトが先か、彼らが先かは問題ではないのです。要はMFが四機も、それを追ってこの宇宙にやってきた。その時点で破綻寸前なんです、この時空は。ギリギリまで膨張した風船は割れるか、それともしぼむかのどちらかしかない。そして彼らは縮小を願っている。割れてしまえば、全てが終わりかねないと知っているからでしょう。僕はその意見に賛成して、そして彼らに差し出した。ミラーヘッドと、ライドマトリクサーの技術、そしてダレトの活用術も。彼らは知りたがっていた。ゆえに差し出すべきものは全て差し出しました。……僕の命の権利でさえ」

 

「……あなたは……」

 

「喋り過ぎました。《ネクストデネブ》を確保した後、月軌道艦隊はその身柄を拘束。これまで通り、MFの観測を続けるとよろしいでしょう」

 

「……これまで通り? だがMFは単独での空間転移が可能なのだと、全世界が知ってしまった! これまでのようにはいかない……」

 

「その空間転移も、もみ消せるのです。今ならばまだ、ね」

 

「……どういう……」

 

 問い返す前に、激震と共にブリッジより新たな情報がもたらされていた。

 

『ブリッジより伝令! アルチーナ格納デッキに穴が開いている。異常発生! 敵の襲撃の可能性に備えて戦闘待機!』

 

「……一体何が……」

 

「――もう来ますよ。しかし、思ったよりも早いな。仕掛けてくるのか」

 

 ザライアンの言葉を咀嚼する前に、艦内を想定外の衝撃波が揺さぶり、艦長はそのままよろめいていた。

 

「……何だと言うのだ! 何が起こっている!」

 

『右舷に亀裂発生! 何者かが我が方の艦艇に攻撃を仕掛けて来ています!』

 

「……何者か、だと……。迎撃部隊を出せ! 何があっても敵を撃破せよ!」

 

『しかし艦長……この方位よりの攻撃は、まさか……。敵の照合確認! これは……MF、《サードアルタイル》!』

 

「……馬鹿な! あれは張子の虎のはずだ!」

 

 思わずそう叫び返したが、それでもブリッジからの伝令は途絶えない。

 

『しかし、なおも健在! あれは……何だ? 視えない武器……!』

 

「視えない武器だと……! 管制室へ行く!」

 

 今はザライアンへの言及よりもアルチーナを襲ってきている敵のほうを優先すべき。

 

 そう判断した神経は間違いではないのだろう。

 

 艦長室の肘掛けを握り締めるなり、艦長は望遠映像で拡大された《サードアルタイル》の眼窩が虹色に輝いているのを目にしていた。

 

「……第三の聖獣が動く……」

 

 それは今までなかった事、そして今まで観測もされなかった事。

 

「《サードアルタイル》より熱源! なおも増大! 来ます!」

 

 何が、と言う明瞭たる言葉を結ぶ前に雪崩のように衝撃波が艦内を見舞っていた。

 

《サードアルタイル》自体にほとんど動きはない。しかし、何かが《サードアルタイル》より放たれたのは見間違えようのない事実。

 

「……粒子兵器か? それとも、新型の何かだって言うのか……。ミラーヘッドの兵装を弱体化させるガスを散布! もしミラーヘッドによる代物ならば……」

 

『――失礼。ブリッジへ』

 

 唐突に繋がれた通信網の先の声に、艦長は面を上げる。

 

「……ジオ・クランスコール……。万華鏡が何の用だ?」

 

『自分ならば迎撃に入れる。艦内でMA用の接続デッキに居たお陰で直撃は免れた。他の兵力は総崩れでも、自分ならばあれと矛を交えられる』

 

「信じられない……MFだぞ!」

 

 思わずと言った様子で叫んだ通信長へとジオは落ち着き払った声で――このアルチーナを襲う喧騒など露知らずとでも言ったように告げる。

 

『自分ならば勝てる。二度も三度も言わせないで欲しい』

 

 確信的な声に艦長は判断を迫られていた。

 

「……勝てる、とでも? MF相手にこれまで勝利したパイロットも、MSも居ない……」

 

『ならば歴史の分岐点に成り得るかも知れない。あのMFは無人機だ、今ならば撃墜出来る可能性が高い』

 

「無人機? と言うか……MFに人が乗っているのかなんて……」

 

 そう、誰にも分からないはず。

 

 だと言うのに何故、断言出来るのか。

 

「……失礼ながら、万華鏡の通り名、別段訝しんでいるわけでもないが、それでも得心がいかない。勝てる、とはどういう事なのか」

 

『言葉通りの意味だ。《ラクリモサ》で直進、ミラーヘッドビットを使っての迎撃、それで事足りる』

 

 本当に、それ以外に何を問うのか、とでもいうような言葉振り。

 

 当然、信じられない部下達は居る。

 

「……艦長、あれを信じろって?」

 

 ここでの判断は自分に委ねられている。艦長は肘掛けを強く握り締めた後、やむを得ぬ、と応じていた。

 

「……再三聞くが、勝てると言うからにはアルチーナが轟沈してからでは遅いのだぞ」

 

『分かり切っている。自分だけで生き残るつもりはない』

 

「接続デッキより! 《ラクリモサ》、出ます!」

 

 別のモニターよりアクティブになった《ラクリモサ》の威容を目にして、艦長は一拍、強く瞼を閉じていた。

 

 ――ここでジオを信じようと信じまいと、いずれにしたところで窮地なのは同じ。

 

 ならば、少しくらい可能性に投げたほうがまだ分はあると言うもの。

 

「……ジオ・クランスコールの出撃を許可する」

 

『助かる。では、《ラクリモサ》、ジオ・クランスコール、目標を撃滅する』

 

《ラクリモサ》がそのスカートバーニアより青い推進剤を引きながら宇宙の常闇を駆けていく。

 

 その最中にも《サードアルタイル》よりもたらされる攻撃は止まない。

 

「……《サードアルタイル》! なおも攻撃を実行中!」

 

「アルチーナの損耗率!」

 

「四割以上! このままでは、ミラーヘッドの運航に差し障りが出ます!」

 

「……万華鏡を信じるしかなくなったわけか」

 

 悔恨と共に噛み締めつつ、艦長は赴いたジオの機体を見据える。

 

《ラクリモサ》は不可視の攻撃網を潜り抜け、そのまま敵影へとバインダーより無数の小型兵器を拡散させていた。

 

「《ラクリモサ》、ミラーヘッドビットを展開!」

 

「……音に聞くミラーヘッドの自律兵器、拝ませてもらおうか……」

 

《ラクリモサ》は《サードアルタイル》より今も放たれる攻撃を掻い潜りながら、その緑色の眼窩を煌めかせて、一斉にミラーヘッドビットを放射していた。

 

 艦よりモニター出来る限りでは、その数は出現より三倍、四倍に拡張していく。

 

「……何基積んでいるんだ……」

 

 驚嘆の声が上がるのも無理からぬ事。

 

《ラクリモサ》の兵装はその全てがブラックボックスに近い。まるで未知の兵装を持つMA大の親衛隊直鞍機なのである。

 

「……その実力は……」

 

《サードアルタイル》の射程に入ったのか、《ラクリモサ》はバインダーを押し広げ、加速していく。

 

《サードアルタイル》はその段になってようやく、《ラクリモサ》を敵として認識したように単眼の頭部が稼働する。

 

「動いた……!」

 

 ざわめきが起こるのも無理もない。

 

 この数年間、まともに動きさえもしなかった四聖獣の一機がここに来て二機、活動を始めただけでも特大の情報だ。

 

《ラクリモサ》は《サードアルタイル》の下方へと入り、ビット兵装を飛ばしていた。

 

 目視は困難であったが先にもたらされた情報より、ビット兵装は三角錐に近い形状を模しているのが露見している。

 

 それぞれが幾何学に挙動し、《サードアルタイル》の網のような攻撃を縫って、そのまま黄色の躯体の中枢部へと突き刺さっていく。

 

 ビーム掃射が雪崩のように巻き起こり、《サードアルタイル》の胸部を射抜いていた。

 

「……やった……?」

 

『いえ、まだの様子』

 

《サードアルタイル》は健在だ。

 

 それどころか、虹色の皮膜を単眼部に波打たせ、敵意を露わにしている。

 

《ラクリモサ》は直後には《サードアルタイル》の背後に回っていたが、その時には《サードアルタイル》の攻撃方向が裏返り、至近のデブリを破砕していく。

 

「……やっぱり、相変わらず視えない……」

 

 だと言うのに、《ラクリモサ》を操るジオに何か気取ったところがあるわけでもない。

 

 彼は当然のように回避運動を取り、当然のように《サードアルタイル》の直上を取ってバインダー上部に取り付けられた拡散ビーム砲を速射していた。

 

 しかし我らが人類の叡智の刃は、彼方より来たりし聖獣には届かない。

 

 直撃する前に霧散したビームに、艦長は肘掛けを殴りつける。

 

「……まさか、Iフィールドか……!」

 

『いいえ。Iフィールドではない。質量兵器です。《サードアルタイル》は視えない質量兵器を無数に操り、それらを自律的に稼働させ、自らの守りと攻撃に充てている』

 

「そんな馬鹿な! それじゃまるで……《ラクリモサ》の設計と……!」

 

 言葉を切った部下の胸中を、艦長は静かに呟く。

 

「……《ラクリモサ》と《サードアルタイル》は同じ……」

 

『詳しく説明する間はない。このままミラーヘッドビットを稼働させ、一気呵成に攻め立てる』

 

《ラクリモサ》が蒼い残像を帯びる。

 

 しかし、これまでの純正のミラーヘッド機のように本体が分身するのではない。

 

《ラクリモサ》は、その操る手数が分身する。

 

 一気に八倍以上の数になった《ラクリモサ》の自律兵装に部下達は絶句していた。

 

「……これが万華鏡……ジオ・クランスコールの《ラクリモサ》……」

 

 逃げ場などない。包囲陣が瞬時に敷かれ、《サードアルタイル》を取り囲む。

 

 今度こそ、確実に《サードアルタイル》は討たれたかに思われたが、それを阻止したのは波のようにのたうつ虹色の輝きであった。

 

 何かが暗礁の宇宙を染め上げ、そして色彩と共に分身したビット兵装を撃墜していく。

 

「今のは何だ……?」

 

「恐らく、これまで不可視であった攻撃であると推測! 《ラクリモサ》の攻撃網に手加減出来なくなったって事か……!」

 

「では、あれが……」

 

『ええ、そのようで。この《ラクリモサ》と同じ自律兵装持ちでありながら、ビットと呼ぶのにはいささか広大が過ぎる。まさに波(パーティクル)のようだ』

 

「パーティクル……。そんな兵装が存在するなど……」

 

『推理するような暇もない。如何にそのパーティクルの防御範囲、攻撃範囲が広かろうと、その波には凪が存在するもの。撃たせていただく』

 

《ラクリモサ》は一直線に《サードアルタイル》へと猪突する。

 

「自殺行為だ! ジオ・クランスコール!」

 

『いや、凪は見えた』

 

 その言葉通り、《ラクリモサ》は撃墜されず《サードアルタイル》の懐へと入っていた。

 

 一瞬で、波の攻撃の中に存在する僅かな凪を関知するだけの操縦センス、そしてそれを実現するだけの技量。

 

 どれもこれも人外のそれだと言わざるを得ないが、そのような些末事など今はどうでもよく、《ラクリモサ》が《サードアルタイル》の射程の内側に入ったのは、まさにこれまで人類が成し得てこなかった偉業が一つ。

 

「……入った……」

 

《ラクリモサ》が腰部にマウントされていた節足の兵装を解き、瞬時にワイヤーで接続されたそれを《サードアルタイル》へと直進させる。

 

 節足の兵装は牙の如く《サードアルタイル》の装甲に食い込み、《ラクリモサ》はワイヤー伝いに電流を浴びせていた。

 

《サードアルタイル》の頭部が悶えるように中天を仰ぎ、やがてそこから光は失せていた。

 

 虹色の波打つ攻撃網も、単眼の生命力も、今はない。

 

「……死んだのか……?」

 

『いえ、先にも言ったようにこれは無人。遠隔で操っている本体が居る』

 

「本体って……ここは月面にほど近いラグランジュポイントのはず。今の人類の叡智ではこんな距離で遠隔操縦出来る技術など存在しないはず」

 

『なので、今の人類ではないと見るべき』

 

 ジオの言葉の赴く先に宿った恐ろしさを解するよりも先に、艦長には職務があった。

 

「……《サードアルタイル》を解析出来るかね」

 

『いいえ、もう不可能になった。プロテクトが堅牢過ぎる。《ラクリモサ》も自分も、所詮は戦うだけの代物。解析機はそちらに委任したい』

 

「……引き受ける、と言いたいところだがアルチーナの損耗率を鑑みれば、そのような余裕もない。今は生き残った者達と共に月面へと向かい、その後、修復を経て地球圏へと木星帰りと《ラクリモサ》を収容。帰投するのが我が方の役割だ」

 

 これ以上アルチーナに戦闘行為をさせて無駄弾を撃ちたくないのもあれば、単純にMFを相手取る事へのおぞましさもある。

 

『それが賢い』

 

「《ラクリモサ》を回収後、我が艦は月面への補給路を経由。その後に地球圏へと。そうでなければ轟沈しかねん」

 

 この期に及んである意味では冷静な判断を下せたのは、我ながら感嘆する。

 

 いや、ここまで来たからこそ、ちょっとやそっとでは驚かなくなっただけなのかもしれない。

 

「……木星帰り……ザライアン・リーブスの処遇と、そして動き出したMF……偶然とは、どうにも思えんな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こんな時に急患かね」

 

 ヴィルヘルムの誹りを受けつつも、バーミットはファムを背負ってベッドに寝かせる。

 

「急に……熱を出しちゃって。多分、疲れも出ているんだと思うわ」

 

「それもそうか。彼女は確か、デザイアからずっとだったからな。クラードに拾われ、そして今も理由も分からずにこの艦に居る」

 

「ミュイ……バーミット、いる?」

 

「居るわよ、ここに。何が欲しいの? 消化にいいものなら用意出来るけれど……」

 

「ミュイぃぃ……あいす」

 

「駄ぁー目。あんた、抜け目ないんだから」

 

 そう言ってやると、ファムは疲弊した頬を僅かに緩めるのだった。

 

「しかし、本当に酷い熱だな。解熱剤を出しておく。そうでなくとも今のベアトリーチェは物々しい。クルーに疲れを言い出すものが居ないか心配だ」

 

「それは杞憂なんじゃないの。ヴィルヘルム先生」

 

 バーミットの声に、ヴィルヘルムはカルテに走らせていたペン先を止める。

 

「……敵わないな、君には」

 

「分かっているはずでしょう? あなたは、戦闘艦の医師を気取っているけれどでも、本当のところじゃ違う。……何せ、クラードの古い知り合いって言えば、ロクな人間が居ないものね。あたしもそうなら、艦長やサルトル技術顧問もそうでしょ」

 

「そう見る理由を知りたいね」

 

「経験則。今さらかまととぶったって、あたし達は戻れないところまで来ているんだろうし」

 

 ヴィルヘルムはファムの脈拍をはかりながら、カルテを書きつける。

 

「君は変わらないな。クラードとは別ベクトルで、だけれど」

 

「あの堅物と一緒にしないでちょうだい。あたしはただのOLよ」

 

「どうかな。ただのOLがここまでの戦線を潜り抜けられるものか」

 

「ヴィルヘルム先生、相変わらず口さがないわね。クラードはそれでも煙たがらない。それはあなた達が特別な間柄だから」

 

「信頼関係と言って欲しい。医師とライドマトリクサーの」

 

「それって詭弁よ」

 

「確かにね。しかし、グラッゼ・リヨン。黒い旋風自ら我が方への戦力となるのは想定外であっただろう。艦内が浮ついている。こんな時に何者かが仕掛けてくれば、それこそ事だ」

 

「そう言う話、当たっちゃうから今はしないほうがいいんじゃないの? それとも、ヴィルヘルム先生にはこれから何が起こるのか分かっているのかしら?」

 

「……わたしはただのRM施術の免許を持っているだけの船医だ。それ以上でも以下でもない」

 

「……クラードは生きているの?」

 

 詰めた声音と、そしてファム以外は外野が居ないという状況。狙わなければ嘘である。

 

「……恐らく生きている。彼にも枝は付けているんだ。わたしと艦長くらいだろう、知っているのは」

 

「サルトル技術顧問にも隠したいってのは、カトリナちゃんに知られたくないって事ね」

 

「相変わらずOLにしておくのにはもったいない頭の回転だな、君は」

 

「どうかしらね。あたしは馬鹿なOLだと思っているけれど」

 

「……クラードと《レヴォル》は生きている。そしてグラッゼの口から《レヴォル》の存在は出た。という事は、クラードも生きているはず。しかし、乗り手が違うと彼は言っているらしい。……という事は、クラードの言っていた、レヴォルの意志の囁いたもう一人……」

 

「艦長との秘密会話、ね。あたしは無頼漢決め込もうと思っていたんだけれど、知っちゃえば仕方ないわ。――メイア・メイリス。この世で唯一であるはずの、レヴォルの意志を受け継ぐもう一人」

 

「信じられない話ではあったんだが、わたしは《レヴォル》のシステム面でのサポートは行っていない。あくまでも、あれの中身を知っているだけだ」

 

「……それ、他言無用でしょう?」

 

「フロイト艦長はアルベルト君に言ったらしい。ならば、ある意味ではもう公然の秘密のようなものだ」

 

「……あれの中身はMF……。そしてクラードの目的は、全てのMFの破壊」

 

「相反するような命題ではあるが、しかし、彼の生存理由でもある」

 

「……ヴィルヘルム先生、これ以上の隠し立てはためにならないわよ。クラードは知っていて、《ネクストデネブ》と戦い、そして行方知れずになった。どっちにとってのイレギュラーなのかしら、これは。世界か、あるいはあたし達か」

 

「その秤はもう傾いているだろう?」

 

 聞くまでもない、という事か。

 

「……いいわ。今は追及はよしておく。カトリナちゃんも、下手な事言って今自爆されたら困るし。だから艦長はアルベルト君には明かしたんだろうしね」

 

「アルベルト君は迷っている。そして、彼は口が堅いはずだ。下手な事を言い出すタマではない」

 

「……本当に、あなたと艦長は、秘密の多い事で」

 

 バーミットはその言葉を潮にして退室する。

 

「……ああ、そうだろうな。だがわたしとて、何でもかんでも隠し通せるほどの器用さを持っちゃいないよ。君が知らないだけだ、バーミット君。この少女の意味を。それにしても不幸の象徴(ファム・ファタール)とは、よく言ったものだよ、君は。文字通り君は不幸を運んでくる。……ベアトリーチェは、その困難にどれだけ持つ……」

 

 鋭い眼差しを、ヴィルヘルムは壁越しの宇宙へと向けていた。

 

 



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第81話「唾棄すべき毒」

「……現状じゃ、あのグラッゼとか言うの、戦力として数えていいんすか」

 

 廊下でいつものように、不貞腐れた面持ちでラジアル相手に言葉を投げる。

 

 しかし、どうしても顔が見られない。

 

 それは自分が大人になったせいだろうか。

 

「……アルベルトさん、こっち向いてくださいよ」

 

「いや、その……何つーか、変っすよね。オレ、宇宙暴走族のヘッドっすよ。だってのに……」

 

「いいんじゃないですか。幸せになったって。私は、だって満たされていますから」

 

 中空へと視線を投げたラジアルは、この世のどんな不幸でさえも打ち崩せない微笑みを湛えていた。

 

「……下手だったらすいません」

 

「いいえ、エスコート上手でしたよ? アルベルトさんは」

 

「……それも女優の嘘でしょう?」

 

「むぅ、失礼ですね。これでも初めてだったんですから」

 

 何だかそう言われてしまうと気恥ずかしく、アルベルトは後頭部を掻いて明後日の方向を見やる。

 

「いえ、そのー……本当にオレなんかでよかったんで?」

 

「……何度も言わせないでくださいよ。アルベルトさんだから、よかったんです。私、大切なものを貰いましたから」

 

「……でも、他の男連中には言わないでくださいよ。リンチに遭っちまう」

 

「ええー、いいんじゃないですかー、別に。こういう時、武勇伝にするんじゃ? 大女優を抱いてやったぞー、って!」

 

「デケェ声出さないでくださいってば! ……実感ねぇっすよ」

 

「ふふ、アルベルトさんってやっぱり、乙女なんですね。こういう時、男の子のほうにリードして欲しいのが女のほうなんですけれど」

 

「いや、それは何つーか……信じられない事ばっかで、どうにも自分の仕出かした事でさえも信じ難いって言うか……」

 

「誇りにすればいいんじゃないですか? 大女優、ラジアル・ブルームの愛した人なんですから」

 

 その事実がどこか遊離している上に、目の前でこうしていつものように自分をからかうラジアルは、どうあっても自分の恋人だなんて思えない。

 

「……あの、ラジアルさん。オレ、やっぱきっちり言います。オレに、あんたを護らせてください。何があったって、オレがあんたの盾になってでも……」

 

「もうっ、アルベルトさん! それ、フラグって奴ですよ?」

 

 またやってしまった、と自らの迂闊さを呪う間にも、ラジアルは満ち足りた笑みを浮かべる。

 

「でも、よかったです。アルベルトさんが本当に、いい人で。私は結局、いい女優だったかもしれないですけれど、一人の女には成り切れなかったですから」

 

「……それは……女優時代の話で?」

 

「はい。……こんな事言うとやきもち焼いちゃうかもですけれど、昔……好きだった人が居たんです。その人は、業界の人でも何でもなくって。でも、本当に……心の奥底から尊敬出来て、そしてその人の事を想うだけで、満ち足りた気分になれた。……でもその人は、私が女優のラジアル・ブルームであると言うだけで、距離を置いてしまった」

 

「……そいつは、女優のオーラとかがあったからじゃ?」

 

「まだ十三にも満たない頃ですよ? 確かにオファーはたくさん来ていましたけれど、それでも彼が求めさえしてくれれば、いつでも女優業は辞められた。私は彼の何か……特別な一になりたかったけれどでも……そうはなれなかった。私は、大女優かもしれませんが、少女としては失格でした。たった一人の……好きな人に、告白も出来ないで、青春を終わらせてしまった」

 

 その悔恨が今も胸を打つかのように、ラジアルは語っていた。

 

 これまで彼女の弱い部分を一度として見ていなかった自分は、結局「大女優ラジアル・ブルーム」と見ていたのだと思い知らされる。

 

 いつだってサインはあったのだ。

 

 それを自分は……そのどことも知れぬ彼と同じく、見落としてしまっていただけ。

 

「……なら、そいつは馬鹿ですよ。ラジアルさんの分かり切った好意に、それか甘えていただけです。好意を向けられるのって、嬉しい以上にしんどいんですよ、男からしてみりゃ。それがいい女ならなおの事」

 

「……アルベルトさんも、しんどかったですか?」

 

「……正直、ちょっとは。でもまぁ、ようやく地に足が着いた気分っす。これまで、クラードを、あいつの隣に居たい、力になりたいって気持ちが前に出過ぎてしましたけれどでも……こっからは自分の信じるもののために戦えそうです」

 

 たとえ単純な動機であっても、それが所詮は自分なのだ。

 

 愛した人を一人にさせないくらいは甲斐性なしでも出来る。

 

「でも、アルベルトさん、危なっかしいですから。約束ですよ? 前に出過ぎない、戦いに呑まれないって」

 

「……それもフラグじゃないですか」

 

「……そうですね」

 

 お互いに微笑み合って、そして小指を絡ませて指切りをする。

 

 こんな――他愛ないような約束事でも、今は信じるに足る。

 

「……よっしゃ。じゃあ《アルキュミア》の様子を見に行ってきます。あのグラッゼとか言う奴だけいいカッコさせませんから」

 

 そう言って駆け出そうとした矢先、警報が耳を劈く。

 

「戦闘警戒? ……でも停泊中のはず」

 

「何が仕掛けてきたって?」

 

『……総員、戦闘警戒。識別不明の機体が三機、こちらへと向かってきている模様。減速する様子もない事から、狙い撃ちのつもりのようですわね……』

 

 ピアーナの報告の声を聞きながら、アルベルトはグリップを握りかけて、その手をラジアルが優しく包み込む。

 

 直後には、涙の粒を瞳に浮かべたラジアルの顔が大写しになっていた。

 

「……行かないでください。傍に居てください……」

 

「……そうもいかないでしょう。今の戦力はオレ達だけみたいなもんなんですから」

 

「……じゃあ、約束を一つ」

 

 これも他愛ない――約束にも成らない抱擁だろう。

 

 くちづけ合ってから、その瞳に誓う。

 

「……必ず帰ります」

 

 それ以上に最早言葉は必要ない。

 

 今は誓い合ったお互いの体温だけを信じるのみだ。

 

 アルベルトは格納デッキに飛び出すなり、サルトルへと声を飛ばしていた。

 

「《アルキュミア》は?」

 

「使えるが、敵の情報がかく乱されている。機体照合にかからんとはどういう事だ、ピアーナ嬢!」

 

『こちらでも手を尽くしているのですが……連邦のデータベースにも、トライアウトにも照合されていない機体なんて存在するわけが……』

 

「未確認ってワケか。そんなもん、あるのか?」

 

『……あるとすれば、一つだけ』

 

 ピアーナの声を聞きながらアルベルトは《アルキュミア》のコックピットに収まり、操縦系統を確かめていた。

 

 インジケーターを操作しながら先に出撃準備に入ったグラッゼの《エクエス》を横目にする。

 

「……野郎。オレらが先だってんだ!」

 

『逸るんじゃない。私が前を見ておく。その間に、君達は編成を組むといい。未確認の敵だと言うのなら、私が捨て石として出たほうが都合もいいはずだ』

 

 正論であったが、しかしそれでは戦力が分散してしまう。

 

「……オレらだって絶対の自信があるわけじゃねぇ。もしもの時には援護も願う」

 

『……何だ、大人しい。さては男にでもなったかね』

 

「な――っ! 勘繰りなんざ!」

 

 グラッゼは通信網に快活な笑い声を弾けさせる。

 

『図星だったか。分かりやすいと、色恋沙汰に足を取られる。注意したほうがいい』

 

「……どうも」

 

『グラッゼ・リヨン。出る!』

 

《エクエス》が出撃したのを格納デッキで視認してから、凱空龍の面々を確かめ、それぞれへと声を振っていた。

 

「……てめぇら、ここが気合の入れどころだ! クラードが居なくっても何でもねぇってところ、見せてやろうぜ!」

 

 その言葉にトキサダが同調する。

 

『凱空龍! 応ッ!』

 

 声が背中を押してくれる感覚がある。

 

 今ならば何が敵でも勝っていけそうだ。

 

 浮ついた自分を鎮めるように、アルベルトは深呼吸して、カタパルトのスリッパを履かせ、丹田に力を込める。

 

『《アルキュミア》、発進どうぞ』

 

「よし……《アルキュミア》、アルベルト、出るぞー!」

 

 出撃するなり、《レヴォル》専用のビームライフルを構え、敵影へと備える。

 

「何が来たって、オレはやってやる……! 今だけは、ベアトリーチェを沈めさせやしねぇッ!」

 

 しかしその宣誓は、直後に目視された敵の情報に上塗りされていた。

 

 それはあるはずのない邂逅であり、そして唾棄すべき毒――。

 

「……嘘だろ……《レヴォル》……?」

 



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第82話「死線宙域」

 想定外の情報を網膜に捉えたアルベルトは、機体照合が相変わらず不明なままの――その赤い色彩を誇る《レヴォル》型の機体を呆然と見据えていた。

 

『アルベルト君! しかしてこれは……クラード君ではないぞ!』

 

 先行していたグラッゼが《エクエス》での弾幕を張りながら三機の《レヴォル》タイプへと立ち向かっていた。

 

 そう、三機なのだ。

 

 赤い《レヴォル》が三機編成、それぞれ散開機動に入り、自分の認識を揺さぶるかのように高出力でグラッゼの《エクエス》が発生させたミラーヘッドの陣形を崩しにかかっている。

 

「……クラードじゃ、ねぇ……? じゃあ誰なんだ、あいつらは!」

 

『分からん! 分からんが一つだけ言える。……並大抵じゃないぞ、こいつらは!』

 

 グラッゼが銃撃網を咲かせつつ、赤い《レヴォル》の陣形へと飽和攻撃を浴びせようとして、三機の赤い《レヴォル》はそれぞれに有するビームライフルを掃射する。

 

 依然としてミラーヘッドは使用されていない。

 

 否、その必要すらない。

 

 相手はミラーヘッドを使わずとも、自分達を困惑のるつぼに落とし込める。

 

「……一体何なんだ、てめぇらは!」

 

『……うっせぇな。一端になってからそう言うのは吼えろよ、ガキィ!』

 

 放たれた声の獰猛さにアルベルトは咄嗟に《アルキュミア》の保有するビームジャベリンを払っていた。

 

 敵の打ち下ろした実体剣がビームジャベリンと干渉波のスパークを散らせ拡散する。

 

「……てめぇは……」

 

『こいつは《レヴォル》じゃねぇ。いい事教えてやるよ、ガキが。こいつの名は、《オルディヌス》。てめぇらの操る《レヴォル》の元型だ!』

 

 そのまま互いに弾かれるように後退した刹那には、残りの二機がベアトリーチェへと進軍している。

 

「しまった……! やらせるかよ!」

 

『ヘッド! 艦砲射撃で相手の出端を挫く! 《マギア》部隊に任せてくれ!』

 

「しかし……相手も《レヴォル》タイプだって言うんなら……!」

 

 いや、形だけ揃えただけの急造部隊の可能性もあったが、グラッゼほどの人物が苦戦するのならばそれは間違いなく本物だという事だろう。

 

 グラッゼはリーダー機らしい赤い《レヴォル》――《オルディヌス》へと牽制の銃撃を見舞いながら急速後退し、《オルディヌス》の射程距離に触れないように努めている。

 

『……ミラーヘッドの期を狙っている? 目的は何だ!』

 

『目的なんざねぇよ、たわけが! てめぇらがスポンサーが気に食わねぇってんで、潰しに来ただけだ!』

 

 グラッゼの《エクエス》の抜刀と、《オルディヌス》の大剣が横薙ぎに払われたのは同時。

 

 その威力にグラッゼの《エクエス》が軋んだのが窺えた。

 

『……だが、その在り方は獣の在り方、そんなもので、クラード君の《レヴォル》と同じものを扱うんじゃないぞ!』

 

『吼えてねぇでとっととミラーヘッドを使えよ! 《エクエス》じゃ張り合いねぇぜ、この《オルディヌス》ならな!』

 

 明らかにパワー負けしている《エクエス》に、アルベルトは援護砲撃を支援していた。

 

「グラッゼ・リヨン! こいつで……!」

 

 火線を張ると、《オルディヌス》は一瞬の硬直を解いてそのまま直上へと逃げていく。

 

 ベアトリーチェ甲板部に張り付いている《マギア》は他二機の牽制銃撃をいなしていたが、それでも出力差が桁違いだ。

 

 まさに《レヴォル》の生き写しとでも言うべき機体がベアトリーチェを襲っている様は、まるで悪い夢のよう。

 

「……何で。何でこんな風になった! 総員! 赤い《レヴォル》は撃墜してくれ! クラードじゃねぇらしい!」

 

『だがヘッド! やりにくいったら!』

 

《オルディヌス》二機はあくまでも随伴機だ。

 

 本命はリーダー機のみ。

 

 それ以外は陽動に過ぎない。

 

「……どこだ? どこへ行った?」

 

 視線を巡らせるアルベルトは背後からの熱源反応にこの時、反射していた。

 

「そこか!」

 

 振り返り様に斬撃を浴びせ込もうとして、相手の剣筋がビームジャベリンの攻勢を払って、そのまま打突の姿勢に入る。

 

『格闘戦ってのはこうやるんだよォッ!』

 

「……何なんだ。何だって言うんだ、お前らは!」

 

『言ったろうが! 《オルディヌス》の使い手たる俺達は選ばれた存在なんだよ。とりあえずてめぇらは死んでおけ。これ以上生きていられるとどうやら目の前を飛んでいるハエみたいなもんだってこってよ!』

 

「そんなはず!」

 

 背面に備え付けていた支持アームによる虚を突いた銃撃でさえも、相手は読んで機体をずらし、そのまま《アルキュミア》の頭部を引っ掴む。

 

 過負荷に警告の音叉が鳴り響く中で、アルベルトは歯噛みする。

 

「……何だって。てめぇらは何だって……!」

 

『……下らねぇ。ミラーヘッドを使うのなら、それも面白いはずなんだがな。それさえもしやがらねぇのは、《オルディヌス》が《レヴォル》の兄弟機ってのが思ったよか効いてんのか? ……ったく、潰し甲斐もねぇ羽虫ってのは、いけねぇ――なッ!』

 

 確実に頭部を潰されたかに思われた一撃であったが、それを遮ったのは《オルディヌス》の背後に迫った《エクエス》のミラーヘッドであった。

 

 蒼い残像を引いた《エクエス》の残像の太刀を、《オルディヌス》は後ろに目でも付いているかのようにかわす。

 

『……避けられた?』

 

『しっかし、分かんねぇもんだなぁ、オイ! どことも知れぬ野郎かと思えば、あの黒い旋風、グラッゼ・リヨンが敵になっているなんてな! こいつぁ……狩り甲斐があるってもんだ!』

 

『何を……クラード君と同じ姿で、けだものが吼えるな!』

 

『だがよ……ミラーヘッド、使ったな?』

 

 それが致命的な一打であったかのように、《オルディヌス》は《エクエス》のミラーヘッドの――その中枢部に当たる部位を――握り締めていた。

 

 途端、ミラーヘッドに異変が生じ、痙攣したかのように残像が硬直する。

 

『……な、に……』

 

『――貰うぜ、てめぇの心臓』

 

 音がするのなら、それは果実を握り潰したかのような。

 

 そしてガラスが割れるように容易く。

 

《エクエス》のミラーヘッドが連鎖的に解除されていく。

 

『……まさ、か……。この力……鏡像殺し……!』

 

『へぇ、あのグラッゼ・リヨンに知っていただけるとは。光栄と思うべきなんだろうなァ……。だがよ、今は死んでおけ』

 

《オルディヌス》の大剣がグラッゼの《エクエス》本体へと斬撃を振るう。

 

《エクエス》は咄嗟の機転で片腕をパージし、その推力で敵の太刀筋の致命的な部分を回避する。

 

『……これは……! アルベルト君! 奴は……!』

 

『へぇ、避けるかよ。さすがは黒い旋風だな。だが、これでミラーヘッドはもう使えねぇ。その意味、エースならよく分かるはずだろ?』

 

 グラッゼは《オルディヌス》より距離を保ったまま、その射程を縮めようともしない。

 

 彼ほどの実力者が何故、と言うよりも、まさか、であった。

 

「……ミラーヘッドの、通用しない敵……だって?」

 

『……鏡像殺し……噂には聞いていたが、実在したとはな。数多の戦場でミラーヘッド……第四種殲滅戦で生き延び、そして兵士達の血潮を啜って次の戦場を目指すという……存在すらあやふやな相手……』

 

『そのあやふやな相手は今、てめぇの目の前に居るわけなんだがな。グラッゼ・リヨン。この射程を縮めないのは、それはビビっているって事でいいのかねぇ』

 

「……あのグラッゼほどの奴が……ビビる……?」

 

 信じられない心地でアルベルトは傍目には隙だらけな《オルディヌス》を睨む。

 

 ――違う。今ならば獲れるはずだ。

 

《アルキュミア》は空間を奔り、《オルディヌス》へとビームジャベリンを振るい落としていた。

 

 両断は不可能でも片腕くらいは、そう感じていた神経は直後に飛び上がった《アルキュミア》の両腕のビジョンに掻き消される。

 

「……オレが斬りかかったはずなのに……」

 

『何もかも遅ぇとはこの事だな。一またたきにも至らねぇ。それとも、大剣は居合い抜きには不向きに見えたか?』

 

 居合い抜き。

 

 まさか、大剣を瞬時に斬り払い、その動作を自分の網膜にさえも居残さず、そのまま鞘に収めたと言うのか。

 

 あり得ない、と言うよりも、まるで不可能なその偉業。

 

 いや、あってはいけない――。

 

「《アルキュミア》の、腕が……」

 

 宙に舞った《アルキュミア》の両腕からビームジャベリンを奪い取った《オルディヌス》が視界の中で大写しになる。

 

『実力者の間に降り立つべきじゃなかったな、ルーキー。何でグラッゼ・リヨンはこの距離を保っているのか、理解も出来ない貧弱な戦力はここで沈んだほうが幸いだろうさ』

 

 ビームジャベリンが空間を駆け抜け、《アルキュミア》へと打ち下ろされる。

 

 ――終わる。こうも呆気なく。

 

 しかし、その瞬きは、悪くない人生だった、という実感もあった。

 

 走馬灯の一刹那――夢想するのはいずれ家庭を持つ、自分とラジアルの姿――そんな手繰るのも馬鹿馬鹿しい幻像が今だけは明瞭に脳内に描き出され、そして思い知る。

 

 自分はただの子供で、そして誰かを護るのには値しない、未熟者であった事だけを。

 

「……クラード、オレは……」

 

 瞬間、《オルディヌス》へと直撃したのはベアトリーチェ方面よりもたらされた弾幕であった。

 

 ハッと夢見ていたアルベルトを現実に誘った火薬は、煙を棚引かせて《オルディヌス》が後退した事でようやく認識される。

 

『……アルベルトさん!』

 

「……嘘、でしょう……ラジアルさん……?」

 



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第83話「慟哭」

 緊急発進したらしい《オムニブス》がその身に纏った弾薬の限りを尽くし、《オルディヌス》を遠ざけようとする。

 

『ヘッド! 他の二機はまだ使いこなしていねぇ! そいつを撃ってくれ!』

 

「オレがこいつを……」

 

 いや、撃たれるのは自分のほうであった。

 

 そんな益体のない考えに身を浸す前に、《オルディヌス》は別方向からの銃撃に回避運動を取っていた。

 

『……何だ? 俺達以外にこいつらに用事のある連中か?』

 

 向かってくるのはミラーヘッドの陣形を取って殲滅包囲を敷いていく《エクエス》と《レグルス》、そして陣頭指揮を執る《マギア》の改修機らしき赤銅色の機体の一個中隊。

 

「……まさか。こんな時にトライアウトだと……!」

 

『アルベルト様! 所属出ました! 新たに向かってくるのはトライアウトネメシス所属、先頭に立つ機体は、《マギア》の発展機、《アイギス》……!』

 

「《アイギス》……ミラーヘッドの発展機……」

 

『そうだ。……しかしわたしの心は悲しみに沈んでいるよ。お前がそんな機体に乗ってわたしに反抗してきている事が、どうあっても許し難いのでね』

 

 通信網に焼き付いた怨嗟の声に、アルベルトは瞠目する。

 

「……兄、貴……?」

 

『兄と呼ぶのならば、お前は帰って来てくれる当てがあると、思っていいのだろうか? それともこのような世迷言の戦場、無関係だと決め込んで欲しいね』

 

《アイギス》は一瞬にして《マギア》の数倍の密度を誇るミラーヘッドを展開する。

 

 その総数は単騎で二十以上――。

 

『こいつぁ……出会いに水差しちゃ悪いってモンだ!』

 

「……兄貴が……オレ達の前に立つってのか……」

 

『逆だ、アルベルト。お前がわたしの前に立っている。これ以上、悪い事に首を突っ込むのはよしておくといい。わたしとて堪忍袋の緒には限界がある』

 

 アルベルトは腕を両断された形の《アルキュミア》でディリアンの操る《アイギス》を先頭にして、トライアウトの万全な陣形が自分達を次々と照準に入れていくのを感じ取っていた。

 

『第四種殲滅戦だ。間違えるなよ、アルベルト。第四種において、人死にはカウントされない。撃墜数だけが物を言う。そんな戦場に、弟の墓標を立てたくはない』

 

 アルベルトはその瞬間、容赦の成らない怒りの熱が胸の内に宿ったのを感じていた。

 

 兄は――ディリアンは、自分達を相変わらず物以下だとしか思っていない。これまで紡いできた絆も、これまでの戦歴を潜り抜けて来た自分達の過去も――何もかもが唾棄すべき代物だと、言われているようなものであった。

 

「……ざけんな……ふざけるな! ……オレは……オレは兄貴の所有物じゃねぇ! それと同じに! こいつらだって生きてる。オレはあんたの都合のいいように生きる道具じゃねぇんだ!」

 

 熱い言葉の発露はしかし、ディリアンからしてみればそれは見限りの言葉であったのだろう。

 

『そうか。……残念だ、アルベルト。皆殺しにしなければ分からぬらしい』

 

 現状、ベアトリーチェ戦力は総崩れに等しい。

 

 この状況下で、下手に抵抗すればそれだけでも相手の神経を逆撫でする。

 

 だが、この絶望的な状況でも、火線を棚引かせたのは《オムニブス》であった。

 

《アイギス》が瞬時にミラーヘッドへと移り、その攻勢を弾いていく。

 

『……何だ? 羽虫が』

 

『取り消してください! アルベルトさんは……アルベルトさんは私の……っ! 大切な人なんです! もう手離したくない!』

 

「ラジアルさん……! 駄目だ! 狙い撃ちにされます!」

 

《オムニブス》へとそのまま守護する形の陣形に移ろうとして、アルベルトの機体は四方八方からの銃撃を浴びていた。

 

 ミラーヘッドの統率された的確な銃撃は《アルキュミア》の装甲を引き剥がし、銀色の鎧は見る影もなく粉砕されていく。

 

「……こんな形が……。こんな形が、オレの終わりだってのかよ……! 兄貴ィ……っ! あんたはオレの前を阻んで……」

 

『分かり合えないのは悲しいものだ、アルベルト。わたしの庇護の下で生きれば、もう少し傷は減らせたのだが。者共、殺すんじゃないぞ。コックピット以外は蜂の巣にしていいが、それ以外の分別くらいはついているんだろうな?』

 

『当たり前でしょうに。トライアウトネメシスを何だと思って』

 

『よく出来る連中だと、そう思っているとも。あの白銀の機体を撃墜まで行くんじゃない。四肢をもいだほうが少しは反省にもなろう』

 

「……兄貴……ィッ!」

 

『……昔のようだな、アルベルト。お前は可愛い弟だったが、無自覚に残酷であった。そのように、蟻の手足をもいだ事があったな……。あの時はわたしも叱ったが、それは因果が返ってくると言ったはずだ。だが心配は要らない。父さんも分かってくれる。悪さをしても、それをしっかりと謝れれば、なかった事にだってしてやれる。お前は誇り高い、リヴェンシュタイン家の次男だ。それくらいは便宜を図ってやると言っているんだ』

 

「兄貴は……ッ、オレの旅路をなかった事にしたいだけだ! そんな身勝手……!」

 

『身勝手に聞こえるのだとすれば、お前はかつての弟ではない。……少しは男兄弟らしく、ぶってやるべきだったな。悪い事は悪い事だと、分からせなかったのはわたしの怠慢でもある』

 

 違う。

 

 ディリアンの理論は――兄の勝手な慕情は――それはただの身勝手な押し付けだ。

 

 自分の事なんて一回だって見ちゃいない。

 

「オレは凱空龍のアルベルトだ! あんたの弟のお人形じゃあ……ない!」

 

 肩口にまだ居残っていたビーム兵装を照射し、《アイギス》を撃墜しようとするが、それを阻んだのは他でもない、静観していた《オルディヌス》であった。

 

「……何……!」

 

『……何だ、貴様は。あの忌々しい、ガンダムの姿をしている。お前も敵か』

 

『いえ、旦那、滅相もない。俺は友軍ですよ、それも特上のね。にしたって、泣ける兄弟愛じゃないですか。ですが俺からしてみりゃ、手ぬるいの一言です。わざと両手両足を引き裂いてやったところで、それでもあなたの弟は帰ってこないのですよ? なら……もうちっと、手痛いしっぺ返しって奴を……喰らわせてやらねぇとなァ!』

 

《オルディヌス》が火線を張る《オムニブス》へと直進する。

 

 まさか、と絶句したその時にはアルベルトは機体をそちらに向かわせようとしたが、四肢をもがれ、ほとんどの機能を廃された《アルキュミア》では敵わない。

 

「やめろ……それだけは……やめてくれ――ッ!」

 

『《オルディヌス》! 私は許さない!』

 

 ラジアルは果敢にも《オルディヌス》へと銃撃網を張るが、それはほとんど意味を成さない。

 

 まずは《オムニブス》の保持する盾が一閃で引き裂かれ、後退するその機体を袖口より放たれたワイヤー武装が拘束し、電撃が浴びせ込まれていた。

 

「駄目だ……! 兄貴、やめさせてくれ! それだけは……!」

 

 悲鳴が通信網に焼き付く。

 

 ライドマトリクサー施術を受けた者からしてみれば、それは地の底の苦しみだろう。

 

 機体の制御系を焼かれるのは自らの神経を焼失されるのと同じ。

 

 しかしディリアンは、それの指揮するトライアウトネメシスの部隊は静観を続けるのみ。

 

『アルベルト、お前には仕置きが必要だ。声を聞くに、あの時の女だろう。たぶらかした……娼婦のように汚らわしい……ッ! あのような者は死ぬのが似合いなのだ』

 

 違う、と懇願しても、どれほどに祈っても、それでも責め苦は止む事はない。

 

《オルディヌス》がラジアルの乗る《オムニブス》を焼き切り、そして動きを止めた機体を一太刀、また一太刀とそぎ落としていく。

 

 生きながらに肉を削がれるかのように、装甲が剥ぎ取られ、そして《オムニブス》の堅牢たる鎧から伝導液が舞い、蒼い血潮が装甲に焼き付く。

 

「……やめてくれぇ……っ! 兄貴……これ以上は……」

 

 ラジアルは自分の目の前で、最も惨たらしい死を経験させられる。

 

 そんな事は耐えられない。

 

『ならば、誓え。以降、わたしに逆らわず、そしてわたしの言う事には絶対服従だと。それならば、その女一人を生かしてやったっていい』

 

 そんな事は、と迷っている時間もない。

 

《アルキュミア》ではラジアル一人助けられないのだ。

 

 なら、自分の言葉で命が救えるのならば。

 

「……オレ、は……兄貴、あんたに……忠誠を――」

 

『だ、め……ですよ、アルベルト、さ……ん。だめ……』

 

「ラジアルさん?」

 

 まさか、まだ生きているのか。いいや、生きていてくれたのならばまだ間に合う。

 

 余計に兄に誓うべきだ。

 

 これ以上の戦いは無意味なのだと。

 

 しかし、ラジアルは声を振り絞る。

 

『だ、……め……あなた、は……こころ、にそむかな、いで……。あな、た……が、まだ……くっしな、い……なら……は、んぎゃくの……めは……』

 

『まだ生きていますぜ。どうします、旦那』

 

《オルディヌス》のパイロットの問いかけに、ディリアンは一拍の逡巡を挟む事もない。

 

『見苦しいだけだ。両断しろ』

 

『……その命のままにィ……ッ!』

 

「やめろぉぉぉぉ――ッ!」

 

 アルベルトが手を伸ばす。

 

 その瞬間、見えないはずのコックピットの中のラジアルが――穏やかに微笑んだのが、視界にハッキリと映っていた。

 

『だい、すき、です……よ。ある、べ、ると……さ、――』

 

 その言葉から先は《オルディヌス》の振るい落とした太刀筋が掻き消す。

 

 両断された《オムニブス》は、ミラーヘッドの蒼い血潮を撒き散らす。

 

 その蒼い花の園で、ラジアルは踊っていた。

 

 赤髪に、奔放な笑顔。

 

 そして異性を翻弄さえもする、麗しい瞳。

 

 それでも彼女は、自分の知っている彼女は――まだ死ぬべきではなかった。

 

 だと言うのに、運命は冷酷に。

 

 その蒼い花の舞う園は遠ざかっていく。

 

 久遠の果てへ、誰の手も届かぬ悠久の向こう側に。

 

 心一つ通わせる事も出来ないまま、ラジアルの微笑みは、彼方へと消えて行き――その残滓を引き裂くように爆発の光輪が舞い散っていた。

 

「あ、あ……」

 

 どうしてなのだろうか。

 

 こういう時、涙が出るものだとばかり思っていた。

 

 叫びが迸るのだと思っていた。

 

 なのに……涙は滞留したまま、現実を認識する事だけを拒む精神が遊離し、呼吸音と大差ない声だけが漏れる。

 

 それが嗚咽に変わるのに、こんなにも時間がかかるのなんて。

 

 一秒が十倍、いや百倍にも感じられる。

 

 その引き伸ばされた時間の中で、爆発の余韻さえも消え去った頃――受け入れがたい現実が、自分の身体を鉛のように重くしていた。

 

 しかし、見開かれた瞳だけは、討つべき相手を睨んでいる。

 

「……あんたが……あんたが……オレの、オレの思うものを……奪っていく。って、の、なら……!」

 

《アルキュミア》を振り向かせ、トリガーを絞る。

 

 残存する粒子全てを使ってでも、ディリアンへとビームの閃光を浴びせようとして、《アルキュミア》本体のパワーダウンに粒子は届く事もなく霧散する。

 

 こんなに無力な事があっていいのか。

 

 愛する人を奪った憎い相手に、一撃さえも許されないなんて。

 

『……アルベルト、そろそろ現実が見えてきた頃合いだろう。それは悲しい。しかしわたしはもっと悲しいのだ。そんな女の事は忘れよう。悪い女だ。お前を破滅に導いた。よって、ここで淘汰されるのは正しいのだ。だってそうだろう? アルベルト。お前は正しい血縁なのだから。どことも知れぬ、野良犬のような女に、なびくべきじゃない』

 

 ――野良犬。

 

 そう実の兄にラジアルの事を評されたのだと分かったその時――アルベルトの脳内は白熱化していた。

 

 何も考えられない。

 

 その代わりに、憎いと言うのだけは分かる。

 

 殺したいと言うのだけは……馬鹿のように明瞭に分かる。

 

 アルベルトは機体の最後の力を振り絞り、加速をかけさせていた。

 

 それは《アルキュミア》に許された挙動ではない。

 

 だが、どうしたってこの男にだけは――ディリアン・L・リヴェンシュタインだけは――許せない。

 

「……殺してやる」

 

『……何だって?』

 

「ディリアン・L・リヴェンシュタイン……! 殺してやる……!」

 

 加速度に至った《アルキュミア》をしかし、ディリアンの部下らしい《エクエス》が一斉に照準する。

 

 それをディリアンの《アイギス》は手で制していた。

 

『いや、待て? 今何と言った? アルベルト。わたしに……この兄に向って……殺してやると言ったのか?』

 

 まるで信じられないと言う声音でさえも、今は邪魔だ。

 

 今は聞き苦しいだけの、ただの雑音に過ぎない。

 

「殺してやる……殺してやる、殺してやる……ッ! ディリアン! てめぇを殺す……!」

 

『……嘘、だろう? わたしを殺すと……そんな事は今の今までお前は……アルベルト……っ! お前は……っ! そんな汚い言葉を使う弟じゃあ、なかっただろうに!』

 

 そんな些末事にショックを受けているのか。

 

 アルベルトはこの局面でも笑えてくる。

 

 兄の滑稽さに。

 

 そして自分の――至らなさに。

 

 自爆でもいい、特攻でもいい。

 

 今はただ、《アイギス》に乗るディリアンを滅する術だけが欲しい。

 

 アルベルトは後先など一切考えず、機体を加速させ、そして《アイギス》へと、この世界を変えるだけの――。

 

「クソッタレの一撃を……!」

 

 だが、その攻勢を削いだのは眼前に降り立った《オルディヌス》だ。

 

『……てめぇ勝手なドラマに浸ってんじゃねぇよ、ガキが』

 

 その太刀筋が《アルキュミア》のバーニア武装を叩き割り、《アルキュミア》は相手へと特攻を仕掛ける事も出来ないデク人形と化す。

 

「クソッ! 《アルキュミア》! 動け動け動け動け動け動け、動けぇ……ッ!」

 

『旦那、大丈夫ですかい?』

 

『あ、ああ。……少し眩暈がする。聞こえないはずの声が、聞こえた気がして……』

 

『下がるといいですぜ。仕置きは済んだでしょう』

 

『……ああ、そうさせてもらうよ』

 

《アイギス》はミラーヘッドを仕舞い込み、随伴機と共に後退していく。

 

《レグルス》と《エクエス》数機が牽制の銃撃を張ったが、それらにはもう殺気なんてものはなかった。

 

 ディリアンの戦意喪失と共にトライアウトは撤退した形だ。

 

 だが、アルベルトは何度も何度も、操縦桿を握り締め、その動作を促していた。

 

「動け! 動け動け動け、動け……うご、け……ぇっ……」

 

 どうしてなのだろう。

 

 もうどうしようもないのに。

 

 いつだって、どうしようもなくなってから、ようやく――涙なんて慰めが出て来るなんて。

 

 それも止め処ない。

 

 アルベルトはコックピットの中で慟哭していた。

 

 この冷徹な暗礁の宇宙を引き裂く、魂の震えであった。

 

 



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第84話「選ばれた者達」

 ぴくり、と顔を上げたのは、予感があったからか。

 

 それとも、そんな事はないはずだ、という認識があったからか。

 

「どったの?」

 

「……誰かの声が、聞こえた気がしたんだ。……知っている奴の声だった」

 

 メイアは怪訝そうにこちらの顔を覗き込む。

 

「それって、ライドマトリクサーとしての何か?」

 

「……いや、ただの感覚だ。恐らくは何でもないのだろう」

 

「そっ。まぁいいや。ボクらはしかし、これより向かおうってのは分かるよね?」

 

 ラムダの航路は既に知らされてある。

 

 その宿縁の行き着く先も。

 

「……まさか月軌道だとはな。そしてラムダのほうが僅かに足が速い」

 

「月面に陣営を持っている白軍の管轄下にあるからね、マグナマトリクス社は。まぁそっちの事情とこっちの事情はちょっと違うかもだけれど」

 

「どちらにしたところで、俺と《レヴォル》が月に辿り着けるのならば、それでいい。全てはその後でも構わない」

 

「へぇ、意外に冷静なんだ」

 

「取り乱したって仕方がないだけだ」

 

 しかし、とクラードは修繕されていく《レヴォル》を見据える。

 

 自分の見知った人間以外の手が入るのはいい気分ではなかったが、それでも《ネクストデネブ》との戦闘で得た傷痕はほとんど埋められていた。

 

「……どうして《レヴォル》の修復方法を知っている」

 

「まぁこっちは色々と情報に精通しているってワケ。だから《レヴォル》も直せるし、それに月航路まではそこまで苦労もしない。ミラーヘッドによる段階加速と、光学迷彩で相手に気取られもしないはずだよ」

 

「……先に仕掛けてきたのは例外か」

 

 軍警察の奇襲を全く読めなかったわけでもあるまい、と考えていたが、メイアは頭を振る。

 

「……何でバレたのかよく分かんないけれどでも……あれが相当な使い手だったのは確か。下手に追うとやられていたかも」

 

 恐らくトライアウトでの使い手と言えば、件のグラッゼか、それとも別の誰かか。

 

 いずれにしたところで、月までの安全航路を辿るのに現状は動くまでもない。

 

「……一つ、教えろ。《レヴォル》は俺を見限ったのか?」

 

「そんな事はないんじゃない? 《レヴォル》は依然としてキミの物だろうし、それは《レヴォル》からしてみても同じじゃないかなぁ」

 

「俺だけに囁くはずだった叛逆の意志……それは今やお前の言う事も聞く」

 

「案外、あるんじゃない? だって、人間がこれだけ居たらさ、イレギュラーも起こるもんだって」

 

「イレギュラーを排除してここまで来たんだ。今さら障害を信じられる身分でもない」

 

 こちらの言葉にメイアは腰に手を当てて憮然とする。

 

「……お堅いなぁ、もう」

 

「言われ慣れている。月軌道を行くのならば、確実に連邦の月軌道艦隊とかち合うぞ。その場合、勝機はあるのか?」

 

「なければやらないよ。うちの《カンパニュラ》も隠密には長けているし、それに関しちゃ任せてもらっていい」

 

《カンパニュラ》と呼称されたMSは今も格納デッキでメンテナンスを受けている。

 

「……光学迷彩を搭載した機体なんて、実在したのか」

 

「それはキミの発言じゃなくない? レヴォル・インターセプト・リーディングのほうがよっぽど不自然」

 

「……どうかな」

 

 踵を返した自分に、メイアは声を振り向ける。

 

「あのさ……! 何があったのかは分からないけれど、でも……仲良くやれそうなら仲良くやっていきたいんだ。それはだって、同じレヴォルの意志に選ばれた者同士だって言うんなら」

 

「俺はエンデュランス・フラクタルのエージェントだ。他者と馴れ合う気はない」

 

「……それもお堅い話。もう一蓮托生じゃないの?」

 

「お前はマグナマトリクス社のエージェントであるように、俺は俺の責務を果たす。そのためだけにここに居る」

 

「《レヴォル》の修復を甘んじて受けているのもそのため?」

 

「……お前らは悔しいが、ベアトリーチェよりも資源が潤沢しているようだ。ならばそれを活用しない手はない。《レヴォル》の完全修復と、そして月への航路、目的が重なるのなら、その手を使わないのも嘘になる」

 

「なるほど。それも一蓮托生の理論と言えばそうだ」

 

 クラードは何度か頷くメイアに、胡乱そうな眼差しを向けていた。

 

「……俺をどうこうしようと思えば出来るはず。何故、この艦ではそうしない?」

 

「必要がないから、じゃダメなの?」

 

「俺は他社のエージェントだ。破壊工作でもするかもしれない」

 

「《レヴォル》が居るうちはしないでしょ、キミは」

 

 見透かしたような事を言う。しかし、その通りではあるので下手に言い返す愚は冒さない。

 

「俺は思ったよりも世界を知らなかった、と見るべきなのか」

 

「あるいは、世界はもっと広かったとでもね。キミの思っていた世界よりも、ボクらの提供する世界のほうが魅力的に映る?」

 

「いや、それは……どうだろうな。結局世界なんて、どこに行ったって同じだ。不幸だけが分配され、そして同じような不運だけが連なっていく……」

 

「それはキミの哲学だと思っても?」

 

「ただの経験則だ」

 

 応じてあてがわれた部屋へと戻ろうとした際、艦内でアナウンスが響き渡る。

 

『エージェント、クラードさん。それにメイア、艦長室に着て頂戴』

 

「何で? まだ戦闘待機には早いでしょ」

 

『用事があるのよ。マグナマトリクス社の本社に向かう前にしておきたい事がある』

 

「……だってさ。どうする?」

 

「ここで従わないのもまた違うだろう」

 

「だよねぇ。けれどま、今ばっかりはキミの境遇に同情。こんなワケの分かんない艦内で、よく騒ぎ出しもしないし、敵意を剥き出しにもしない」

 

「……《レヴォル》が騒がないんだ。なら、俺は大人しくしていろ、という事だろう」

 

 グリップを握り締め、艦長室に向かうと、ベアトリーチェよりも広めに取られた艦長室で先にマーシュと名乗っていた女艦長が声にする。

 

「よく来てくれたわ、二人とも」

 

「呼んだのはそっちだろうに」

 

「マーシュ艦長、ボクは特に艦長の命令には反対しないように努めているけれど、彼はそうじゃないでしょ」

 

「そうも言っていられなくなってね。シミュレーションルームを用いて、これより月までの到着の間、あなた達二人には模擬戦を重ねてもらいます」

 

「模擬戦? ……何のために」

 

「レヴォルの意志のため、とでも言えば、快く従ってくれる?」

 

「冗談。それとも厚顔無恥なだけか? ……データが欲しいだけだろうに」

 

「先回りして理解してくれるのは助かります。マグナマトリクス社としては一ミリでも《レヴォル》のデータを手に入れたい。もちろん、それはあなた達二人で成り立つものだと思っている」

 

「要はレヴォルの意志のモニター化を図りたいだけだろう。貴様らは俺と《レヴォル》を飼い馴らしたい」

 

「そこまで分かって貰えているのなら言葉を弄する気はありません。《レヴォル》は依然として不明瞭な点が多い。それを詳らかにするためには、戦ってもらって示すしかない」

 

「ボクは嫌だなぁ。だってそれってさ、モルモットみたいなもんじゃん」

 

「メイア、分かっているはずよ。あなた達はそれでも、マグナマトリクス社、即ち月面に到着すれば似たような境遇が待っている。ここで先んじて手を打つか打たないかなのよ」

 

「本社の連中に露見すればまずい事でも?」

 

「エージェント、クラードさん。それを開示する義務はありません」

 

「……だろうな。俺だって言うような権利もない」

 

 しかし、とクラードはこのマーシュと名乗った女艦長のやり辛さを胸中に覚えていた。

 

 レミアのように明け透けなわけでもない。だと言うのにどこかで手の内を読まれているような感覚は何だ。

 

「それで、協力してもらえるわね? お二人さん」

 

「……協力は惜しまないけれど、でもいいの? 《レヴォル》の解析なんて彼からしてみれば旨味なんて一ミクロンもない」

 

「いいえ、クラードさんだって、それは思っているはずよ。《レヴォル》が何故、メイアにも反応したのか。知りたいはず」

 

「交換条件だと言うわけか。なるほど、賢い判断だ」

 

「メイア・メイリスと言う彼女の戦いがどうして、《レヴォル》のメインレコードに刻まれなかったのかも気にかかっているはず。氷解する術を与えると言っているのよ」

 

「……まるで何でも分かっているような口ぶりだな」

 

「少なくとも現状のあなたよりかは知っているはず」

 

 譲らない論調にクラードは嘆息一つで打ち切っていた。

 

「……構わない。シミュレーションを試そう」

 

「いいの? それはキミにとって不利益なんじゃ?」

 

「不利益でも、やらなければ軟禁だろう。そうなってしまえば俺は《レヴォル》に触れる事さえも許されない」

 

「分相応を弁えた人間は好きよ。じゃあ、試してもらおうかしら」

 

「シミュレーションルームまでは俺が行く。別に貴様らに案内までしてもらう気はない」

 

 そう言って立ち去ろうとした際に、マーシュは言い置く。

 

「でもそれは……あなた達のどちらかに、レヴォルの意志が囁く……そう思っていいのかしらね」

 

「だろうな。俺かこいつかのどちらかだ。両方はあり得ない」

 

 そう、あり得ないと、規定したいだけなのかもしれないが。

 



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第85話「決意」

 コロニー、ミッシェルに下手に数日も停泊すべきではない。

 

 そう判断を下したのは明朝になってからで、レミアからしてみても苦渋の決断のようであった。

 

「……どうあったって、トライアウトに関知されてしまった以上、留まるのは適切じゃないわ。それに……ラジアルの事もある。感傷的になってしまえばそこまでだもの。……アルベルト君達は?」

 

 通信を繋いだ先に居るサルトルは沈痛に顔を伏せていた。

 

『……正直、かなり参っているって感じだ。《アルキュミア》も大破、このままじゃ出せん。ピアーナと命を共有しているのも大きいからな。《アルキュミア》は暫く修繕に出しつつ、代わりの戦力は《マギアハーモニクス》なら補填出来るが……』

 

「難しいのはパイロットのほう、ね。……これまで彼ら凱空龍に頼り切っていた分、痛みが滲むわ」

 

『それでも、アルベルト以外は人並みに悲しんでいるって風だ。……本音を言っちまうと、あいつだけは……再起不能かもしれん』

 

「でしょうね。目の前で死んだラジアルに、一番近かったようであるもの。彼の胸中は今の私達では慮る事さえも出来ないわ」

 

『それでも……艦長命令だろう。月軌道まで時間もあまりない。今は進むしかないってのも分かる』

 

「それに問題なのは、ね……あの赤い《レヴォル》に関してもだけれど……まさかトライアウトネメシスの一員が彼の……アルベルト君の血縁者だなんてね」

 

『あいつの口から語るべきだろう。おれ達は外野に過ぎん。にしたところで、運命ってのはどこまでも残酷だな。クラードと《レヴォル》が居れば……なんて益体のない事だとは思うが……』

 

「やり切れないのはお互い様よ。……それにしたってどうするか、ね。このまま月軌道まで向かうって言って、承服する人間が何人いるか……」

 

『降りたっていい、って言うつもりだろう。フロイト艦長としてみれば』

 

「……ある意味ではそう言った好機だとは思っているのよ。だって彼らは非戦闘員。それに、コロニー、ミッシェルならまだ猶予もある。彼らをどうこう出来るのは今をおいて他にない」

 

『冷酷な判断だとも思う。同時に、温情もあるとも』

 

「よしてよ……私は鉄の女なんだから」

 

 そう、自分を規定して線を引かなければやっていけない。

 

 何もラジアルとは疎遠だったわけでもない。

 

 女性クルーとして、彼女の優秀さは身に染みて分かっている。

 

 だからこそ、死なないで欲しかった、生きていて欲しかったのが本音なのだが、時は残酷だ。

 

 そんな気持ちの機微さえも振り払い、今は月へと向かうしかない。

 

 そうするしか、自分達の傷は自分達でしか癒せない。

 

『……《マギア》に関しちゃ、整備班連中もよくやれているが……おれはあくまでも技術顧問だ。だから戦術的な事を言わせてもらうと……今のベアトリーチェで、全く敵に遭遇しないという条件付きでもない限り、月航路は推奨出来ない』

 

「それもトライアウトのグラッゼ・リヨンが味方についているとは言え、一時的な協定に過ぎない。彼が敵に回らないと言う保証もない」

 

『問答だな……。グラッゼに艦の守りを頼めばそれだけリスクも高まる。しかし、今のおれ達に、グラッゼ以外に頼れる筋はない』

 

『疑問ではあるのですが』

 

 通信ウィンドウに割り込んできたのはタジマであった。

 

『《レヴォル》の回収任務に当たるつもりはないのですか? 特一級エージェントと《レヴォル》、どちらも欠いてはならない必須の駒』

 

「……確かにね。でも、だからって艦内の空気が悪い中、わざわざ強行するつもりにもなれないのよ。今は、気持ちの整理が必要なはず。だから、私はコロニー、ミッシェルで降りると言う彼らの意思があるのならば尊重するわ」

 

『わたしもそれには同意見だ。元々、デザイアで拾ったような命。彼らには幸福に成る権利がある。ミッシェルならば治安もいい。ここで別れたところで、彼らはそこまで危険でもないだろう』

 

 ヴィルヘルムの意見も含め、凱空龍は一旦、落ち着きどころを求めている節がある。

 

 しかし、その手綱を握っているのはあくまでもアルベルトだ。

 

「……アルベルト君は、どうしているの……?」

 

『部屋で塞ぎ込んじまっているらしい。……無理もない。しかし、降ろすんなら早いほうがいいってのもまた確か。……さすがにトキサダ達に無理やり叩き起こせとは言えないさ』

 

 艦内カメラを見やると、アルベルトの部屋の前でトキサダ達が戸惑っているのが窺えた。

 

 こんな時、切り込んでくれるのはきっとクラードであったはずなのだが、彼は依然行方不明のまま。

 

「……思いたくなかったわね。こんな状態で、まさか月航路なんて」

 

『兵力も足りていない。エンデュランス・フラクタルの支社から補給だけは得られたんだが……兵站があったってその戦力を扱う人間が駄目になったら終わりだろうに』

 

「手詰まりってわけ。……私達らしくない……」

 

 そこで嘆息をついて頭痛薬を飲み干そうとしたレミアは、凱空龍の面々に向かい合った人影を発見する。

 

「……何をやっているの。カトリナさん?」

 

 艦内カメラの中で、カトリナは真っ直ぐに、凱空龍の人々と対面し、そしてアルベルトの部屋の扉へと歩み寄っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あんた……」

 

「アルベルトさんは……どうしていますか」

 

「どうしてって……。ヘッドはさすがに今回ばっかりは参っちまってる。何であいつら……! ラジアルさんを目の前で墜とすなんて……許せねぇよ……ッ!」

 

 トキサダは骨が浮くほどに握り締めた拳を震わせるが、カトリナは腫らした目のままで応じていた。

 

「アルベルトさんに会わせてください」

 

「……何言ってんだ、あんた。そんなの出来るわけねぇだろ! 今は酷だって、分からないのかよ……」

 

「分かっています。私も……馬鹿みたいに泣きました。でも泣いてばっかりじゃ、きっとクラードさんが帰って来た時に、幻滅しちゃう。だから私は……」

 

 アルベルトの部屋へと歩み寄る。

 

 その肩をトキサダが掴んで頭を振っていた。

 

「よしてくれ。ヘッドはただでさえおれらより辛いんだ。そんななのに……追い打ちをかけるような事なんざ……」

 

「……アルベルトさんが一番辛いのは分かります。どれほどラジアルさんの事を想っていたのかも。だからこそ、ここで問い質さなくっちゃいけないんです」

 

 扉を潜り、カトリナは暗い部屋の片隅に座り込む、アルベルトの丸まった背中を見据えていた。

 

「……アルベルトさん。艦長から下船許可が出ました。降りる人間はミッシェルで降りていいようです」

 

 返事はない。それでもカトリナは搾り出すように声を発する。

 

「……辛い人間は……月面まで向かうのがどうしても辛ければ、今のうちに言っておいて欲しいと、そう言っておられます」

 

「……何であんたがそんな事を言いに来る」

 

 昏い声。生きる気力を失ってしまったかのようなか細さ。

 

 カトリナは深呼吸してから、彼の名を呼んでいた。

 

「アルベルトさん……こちらを向いてもらえますか」

 

「……今は誰の顔も見たくないです」

 

「それでも……今はこっちを向いていただけるとありがたいです」

 

 アルベルトは本当に力なく、ゆっくりとこちらに向き直る。

 

 全ての気力が凪いだかのようなその憔悴しきった面持ちへと――カトリナは思いっきり張り手を見舞っていた。

 

 鋭い音が残響し、後ろの凱空龍の面々が当惑したのが伝わる。

 

「な――ッ! 何してんだ、あんた!」

 

 アルベルトも何をされたのか分かっていない様子で、呆然と自分の瞳を見返す。

 

 カトリナはアルベルトの襟元を掴み上げ、そのまま声を張り上げていた。

 

「ここで終わっていいんですか! こんなところで立ち止まっていて、いいんですかっ! ……クラードさんなら、あの人ならきっと、そう言ってくれるはずです。月航路までの旅路、何もなかったなんて言わせません! ……私達は向かうか諦めるかのどっちかしかない! なら……どっちも選択しないのはズルでしょう……!」

 

 アルベルトはその言葉に触発されたかのようにぎり、と奥歯を噛み締めたようであった。

 

「……あんたに何が分かる……。護ると決めた人が、かけがえのない人が、目の前でぼろきれみたいに死んでいったんだぞ。そんななのに……あんたは、オレに戦えって言うのかよ……ッ!」

 

「……戦えとは言っていません。ただ、うじうじと悩んで、諦める事も立ち向かう事も忘れた人は……今の艦内には居て欲しくないだけです」

 

「降りるか戦うかだって……? あんた何様のつもりだ。そんな事を言う権利なんざ……」

 

「ありますっ! 私は委任担当官、それはクラードさんだけじゃない、あなた達の委任担当官でもありますっ! ……だから、こういう時こそ気丈に……振る舞わないといけないのにぃ……っ……」

 

 耐え切れなくなって大粒の涙が頬を伝う。

 

 今だけは、冷徹な委任担当官に徹しようとしたのに、そんな虚像さえも張り切れなくなってカトリナはぼろぼろと泣いていた。

 

 子供のように泣くものだから、アルベルトも当惑した様子である。

 

「……何で、あんたがそこまで泣くんすか」

 

「だって、だってぇ……ラジアルさん、とってもいい人だったからぁ……っ! 死んじゃうなんて、あんまりです……ぅ。居なくなっちゃうなんて、あんまりなんです……っ!」

 

 崩れ落ちた自分にアルベルトは脱力し切っていた。

 

「……こういう時、鼓舞する側が泣いちゃ駄目でしょう」

 

「でも、でもぉ……っ! どうしても嫌で……逃げ出したい……っ! でも駄目なんですぅっ……私だけは……逃げちゃ駄目なんですよぉ……っ!」

 

 カトリナは片手でアルベルトの襟元を掴んでいたがほとんど力は消えていた。

 

 本来ならその襟元を掴み上げて堂々とした佇まいで言い切るつもりであったが、それさえも出来ずにこうして泣き崩れるのはズルいはずだ。

 

 だって言うのに、自分は格好さえもつけられないのか。

 

 そんな自分に嫌気が差す。

 

 アルベルトは自分を見下ろして、そしてふと呟いていた。

 

「……そっか。愛されていたんだな、あの人は」

 

「……ふへっ? アルベルト、さん……?」

 

「……ラジアルさんならきっと、前に進めって言うんでしょうね、オレに……。こんな情けない自分に、前に進めって……」

 

 アルベルトは自分の手を取ったかと思うと、ゆっくりと引き起こしてから、涙で腫らした眼差しを交差させる。

 

 完全に立ち直ったわけではないが、それでも戦う人間の瞳であった。

 

「……アルベルトさん……」

 

「艦長に会わせてください」

 

「……今、何て……?」

 

「艦長に会わせてくださいって言ってるんです」

 

「そ、それはその……降りるって、事ですか……」

 

「……艦長に会ってから考えます」

 

 アルベルトは肩で風を切りながら、艦長室へと向かおうとする。

 

「レミア艦長は、今は管制室で……!」

 

「面倒くさい。どうせ艦内カメラで観てるんでしょう! ……オレの意見を言わせてください」

 

『……騒がしいわね』

 

「レミア艦長……」

 

『廊下で聞く事になるけれど、それでもいいんなら』

 

 角を折れたところからレミアが歩み寄ってくる。

 

 対峙したところで、アルベルトは声にしていた。

 

「……オレはもう、駄目になっちまったのかもしれません」

 

「あ、アルベルトさん……!」

 

「嘘は言いたくねぇ。……だから正直に話す。オレはもう、生きる気力も、ましてやこのベアトリーチェのために戦う気概も、もうほとんど残っちゃいない」

 

「そう。では降りるのね?」

 

「……でもだからって……ここで逃げ出すと面子も立たねぇんだよ……! オレは凱空龍のヘッド! アルベルト・V・リヴェンシュタインだ! ……だから一人でもこの艦に残るメンバーが居るんなら、そいつらのために前を張る義務がある! それが、オレの理由だ!」

 

「……ヘッド……その名前って……」

 

 うろたえ調子のトキサダに、アルベルトは一瞥を振り向ける。

 

「ああ……あの編隊の中に居た、隊長機。あの《アイギス》のパイロットは、ディリアン・L・リヴェンシュタイン。オレの兄貴だ」

 

「……お兄さん……?」

 

「そんでもって……オレはあんたらにも、そして凱空龍の全員にも謝らなくっちゃいけねぇ。デザイア崩壊時に、オレはディリアンから通告を受けていた。統制の事前に、全部分かっていたんだ。トライアウトが来る事も、どこをどう逃げれば助かるのかも。だから、お前らの命のいくつかは、オレが意図的に取りこぼしたようなもんだ。だからトキサダ、それにみんなも……。オレを撃ちたけりゃ、撃っていい。それくらいの権利はある」

 

 トキサダを含め、凱空龍の面々は戸惑っていた。

 

 それはカトリナもそうだ。

 

 まさかアルベルトがそんな秘密をこれまで抱えていたなど、思いも寄らない。

 

「……アルベルトさん……」

 

「どうした、トキサダ。撃つんなら撃て。ここでオレは禍根のはずだ。撃っても誰からも文句は出ねぇ」

 

「……ああ、そうだな」

 

 トキサダが拳銃をすっと突きつける。

 

 アルベルトは逃げもしないのをカトリナは制しかけて、彼の瞳に浮かぶ覚悟の光に何も言えなくなっていた。

 

 アルベルトは、もう覚悟している。

 

 その覚悟の行く末を、誰が否定出来ようか。

 

 彼はもう、ここで死ぬのも止むなしと確証しているのだ。

 

 だから、余計な言葉は互いに吐かない。そんなものが意味なんてないのは、彼らの間に降り立った絆が何よりも証明している。

 

「……ヘッド。おれはこれでも副リーダーくらいのつもりだった。だから、あんたが道を誤った時には、撃つのがおれの責任だって」

 

「ああ、それはその通りだろうな」

 

「……だから、だからよ……。おれは撃てるぜ。あんたを……道を誤ったあんたなんざ……いつだって……」

 

 それでも、その銃口が震え、惑っているのが伝わってくる。

 

 トキサダは顔を歪ませ、今にも泣き出しそうな面持ちでアルベルトの背中を睨む。

 

「……撃てるんだ。撃てるって……言ってくれよ、誰か……。誰だっていいのに……。おれはヘッド……あんたと一緒なら……本望ってつもりだったはずなんだ。凱空龍がどこで野垂れ死のうとよ、あんたと一緒なら、そこに誇りはあるって、思っていたはずなんだ。だってのに……! 何で迷うんだよ、トキサダ・イマイ! ……おれは……ッ!」

 

 銃声が木霊する。

 

 カトリナは思わず目を閉じていた。

 

 しかし、銃弾は天井の照明に突き刺さっただけで、アルベルトの背中を射抜いたわけではない。

 

 その場に崩れ去り、トキサダは喚いていた。

 

「撃てるわけ……撃てるわけねぇだろ! ……ヘッド、あんたはおれの憧れで……そんで何があったって、凱空龍のヘッドなんだ! ……だから、おれはあんたを撃てねぇ。撃って後悔して、それで生きていたくねぇんだ! ……あんたの居ない凱空龍なんて……考えられねぇよぉ……っ」

 

 感情の発露にカトリナも涙を流していた。

 

「……お前ら……オレは裏切り者みてぇなもんで……」

 

「あんただから、信じて死んでいった連中も居たんだ。……だからおれは、あんたの判断を信じる。他でもねぇ、凱空龍のヘッドとしての、これからの判断を」

 

「凱空龍の、ヘッドとしての判断、か……」

 

 アルベルトはレミアと向かい合い、そして告げていた。

 

「オレ達をまだ使ってくれるんなら、この艦で使って欲しい。これは単純に、オレの願いだ」

 

「降りない、という事でいいのかしら? ……正直な事を言うと、下手な覚悟で居座られるほうが迷惑なのよ。これまでみたいな戦いばっかりじゃない。もう、逃れられないと思ってちょうだい。ベアトリーチェはこれより、月軌道に向かいます。その時に覚悟が揺らぐんじゃ、単純に邪魔なだけよ。私達はあなたの自己満足の道具じゃないんだから」

 

「……あんた、そんな言い方……!」

 

 思わず噛み付こうとしたトキサダに、アルベルトは、いや、と制する。

 

「……オレの我儘を通してもらおうとしているんだ。なら、ここは道理を通すべきところだろう。……艦長、オレはあんたの言い分は従う。ここじゃ、あんたがボスだ」

 

「物分りのいいほうだと、思っていいのかしらね。……とは言え、ここまで身勝手貫いて来たんだから、その辺は私としても理解しているつもりだけれど。それでもあなたがベアトリーチェを護ると誓ってくれるのなら、私達はそれに見合う働きをしましょう。月軌道まで、私達は決して墜ちるわけにはいかないのよ。それだけは承知して」

 

 レミアはそう言い置いて踵を返す。

 

 その背中にアルベルトは呼びかけていた。

 

「……あの……っ、オレを責めるんじゃないのか、あんたらは……」

 

「それが何。リヴェンシュタイン家の人間であった事? それとも、ラジアルに関しての話? ……正直ね、今はそんな衝突をしているような場合でもないのよ。コロニー、ミッシェルで得られた補給を基にして、私達はこれから休みなく月への航路を取る。その時に、下手な諍いは無用な軋轢を生む。これは分かって欲しいんだけれど、私達だって、もう戻れない」

 

 断言したレミアの背中にかける言葉はこれ以上なさそうであった。

 

「あ、あの……っ、アルベルトさん……」

 

「カトリナさん。オレ達は戦う。これはただ単にベアトリーチェのためだけじゃねぇ。オレ達なりの……ケジメなんすよ。ここまで戦い抜いたんなら、クラードが居ても居なくっても関係ねぇ。オレは――ベアトリーチェを、ラジアルさんの信じた場所を守り抜く。それくらいの我儘は通させてください」

 

 まさかそこまでアルベルトが覚悟しているとは想定外であったがしかし、カトリナは持ち直していた。

 

「……いえ、お願いするのは私のほうで……。だって、委任担当官の仕事って言ったって、相手が居ないとどうしようもないですから。……あっ、さっきぶったのは……」

 

「いえ、いいんす。いい気付けになりました。にしても……思ったよか効いたんで、その筋の才能はあったって事っすよ」

 

 そうやって互いに微笑み合う。

 

 今は、前進するだけの根拠が欲しい。

 

 それがたとえ困窮し切っただけの「今」しかない刹那的なものだとしても。

 

 自分も、彼らも同じく、未来を見ている。

 

 その先に何があるのかはまるで分からない。分からないのだが――それがただの茫漠とした闇ではないのだけは確かであった。

 

 



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第86話「ただ立ち向かうだけ」

「……盗み聞きは趣味が悪いとは思いつつも、広域通信では拒みようもない」

 

 グラッゼは格納デッキで漂いながら《エクエス》へと改修措置を施していた。

 

「でも、マジにいーんすか。このマニューバだとパイロットがコックピットの中でシェイクされちゃいますよ」

 

「いや、それくらいでちょうどいい。暴れ馬を乗りこなすくらいでなければ、次に《オルディヌス》とやらが攻めて来た時にどうしようもないからね」

 

「ふぅーん……どっちでもいいんすけれど、グラッゼ氏は味方って事でいいんすかね」

 

「今のところは、だがね。それでも心配ならもしもの時の爆弾でも仕掛けてくれてもいい」

 

「そこまでするこたぁないっしょ。あーしもただのメカニック身分っすけれど、結構紳士なのは分かりますし」

 

「……トライアウトに君によく似た女性メカニックを残してきている。彼女に報いるためにも、私は帰還せねばならない」

 

「……口説き調子なの、やめてくんないっすか」

 

 そうか、自分はいつの間にか口説き調子になっていたか、と思い直して、グラッゼはフッと笑みを刻む。

 

「……いや、これは悪癖だな。直しようにも難しい」

 

「そうっすか。でも、それは相当に信頼っすね。女性メカニックって今どきっすけれど、地位ないんだと思っていましたけれど」

 

「トライアウトはそこまで保守的じゃないさ。元々は私の専任メカニックだった。しかし、彼女もある意味では巻き込んでしまった。それは悔やんでも悔やみ切れんよ」

 

「……パイロットにそこまで想ってもらえれば充分だとは思いますけれどね」

 

「君はどう感じている? 先ほどの……騒乱とでも言えばいいのだろうか……。この艦の生命線はやはり《レヴォル》とクラード君であったのだろうな。月軌道までの航路を取るのに、彼が居なければ困難であろう」

 

「……逆っすよ。それがなくっても、あーし達は月に向かわなくっちゃいけない。それがどれほど無理っぽい筋でも」

 

「……君は……」

 

「トーマっす。覚えなくっていいっすよ」

 

「いや、レディの名は覚えておくのが紳士の役目だ。トーマ君、君はこの情勢をどう見ている? 《オルディヌス》なる新型機の台頭、そしてトライアウトネメシスの襲撃、どれを取っても危うい綱渡りだ。それなのに……この艦の人々は希望を捨てようとはしないんだな。それが不可思議でもある」

 

「……そんな不思議な話でもないっしょ。あーしらにはそれしかないんすよ。エンデュランス・フラクタルと言う名の企業に買い叩かれただけの才能っす。そりゃ、正規軍であるグラッゼ氏からしてみりゃ、だいぶ横暴だし、だいぶ無茶苦茶かもしれないっすけれど、それでもあーし達はもうそれしかないんすよ。月へと向かう。その先は……その時に考えるってもんで」

 

「案外、君らは考えなしのようでそうでもない。君ら一人一人が稀代の才能だ。だと言うのに、ヘカテ級とは言えこの艦でその時を待ち望んでいる。……ある意味ではクラード君の見ていた景色と同じだ。あり得ざるビジョンの中に君達は棲んでいる」

 

「あり得ざるビジョン、っすか。……あーし達はでも、そのあり得ないが日常なんすけれどね」

 

「……クラード君は美しき獣だった。彼ともう一度だけでもいい、死合えるのならそれに越した事はない」

 

「それはグラッゼ氏の望みで?」

 

「望み? ……いや、これは呪いだな。クラード君の赤い瞳に、私も魅せられているのだよ。彼の持つ抜き身の殺意、それこそが私をこの世に制約し続ける。そして私は、その制約がこれほどもないように心地よい。彼の瞳に応えるためならば、私は阿修羅にも成ろう」

 

「……ヤバそうな思想っすね。アルベルト氏とも違いますけれど、クラードさんへの執着っすよ、それ」

 

「執着……かもしれないな。私は彼に……とんでもなく執着している。それは彼が私を見てくれるその時までずっとだろう。彼の瞳が私を捉えたその時、私は果てのない渇望の果てへと辿り着く」

 

「……《エクエス》で急に敵に回るのだけはやめてくださいよ、……っと。これで調整完了っす。パージした片腕だけは予備の《エクエスガンナー》のパーツが残っていたからよかったっすけれど、これも急造品なので。反応は鈍いかもしれないっす」

 

「感謝するとも。しかし……この艦もだいぶこなれてきたはず。だと言うのに……それでも執着一つの重力に縛られてしまえばそこまでだ。私はこの艦を沈めろと命を受けてはきたが、それはトライアウトのグラッゼとしての命令だ。今の私は何者でもない」

 

「それは安心していいんすかねー」

 

 その問いかけにグラッゼは静かに笑みを刻んでいた。

 

「少なくとも君らに軽蔑されるような生き様は、刻みたくはないのでね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――定刻ね」

 

 レミアは予め艦内放送で定めておいた乗務員のこれからの是非を問うべき時間が来た事を感じる。

 

 頭痛薬で重たくなった頭を振り払い、下船する人々の待つ格納デッキへと見送りに向かったレミアは、廊下でグリップを握り締めた際、また頭痛の種の予感にタブレットを口に放ろうとして、いや、と押し留める。

 

「……今は、頭痛薬で痛みを誤魔化している場合じゃないわね」

 

 格納デッキの出口に下船する人々は集っている――はずだった。

 

 そこにはしかし、誰も居ない。

 

 その代わりと言ったように、自分の背に声が投げられていた。

 

「フロイト艦長、どうやらここに居残ったのは、みんな馬鹿だったって話みたいだな」

 

「サルトル技術顧問……。みんな、本当のいいと言うの? コロニー、ミッシェルなら敵の追撃もかわせるし、本社からの追及だって……」

 

『今さらそんなものに期待するような奴は一人だって乗っちゃいなかったって事だろう?』

 

 接続されたヴィルヘルムの通信に、レミアは当惑の眼差しを艦内デッキに漂う人々へと振り向ける。

 

 ――自分はお世辞にもよく出来た艦長ではないはず。

 

 それなのに、この先の危険を顧みずに戦い抜いてくれる眼差しを投げるクルーに、少しは人でなしでもこみ上げてくるものもあった。

 

「……馬鹿ね、みんな揃って」

 

「それは言わない約束だろ、フロイト艦長」

 

 レミアは広域通信を張り、ベアトリーチェ全クルーに告げていた。

 

「これより! ベアトリーチェはコロニー、ミッシェルを発ち、月軌道へと向かいます! ミラーヘッドの段階加速を用いての宙域の突破作戦。……雷撃作戦になるわ。それでも構わないと、思っていいのよね、みんな」

 

 総員の首肯が返ってくる。

 

 それでも覚悟を問い質すように、レミアはヘッドセットのマイク越しに言葉を継ぐ。

 

「……分かったわ。でも、これだけは言っておきます。月軌道は《ネクストデネブ》と同じ……いいえ、もっと脅威かも知れないMFの支配域。そこで生き残れる保証は一ミリもない。だから……生き残れなんて言わないわ。そんな容易い言葉、私は吐けないもの。ただ一つ――死ぬ気で今だけを見据えてちょうだい。私達の未来は私達だけで掴むもの。本社の目論みがどうだろうと、このベアトリーチェで信に値する価値にだけ、命を懸けて欲しい。それだけよ。通信終わり!」

 

 切り上げてレミアは管制室に向かう。

 

 管制室ではバーミットと凱空龍の女性メンバーがラジアルの代わりについていた。

 

「……これで色々とすっきりしたんじゃない? レミア艦長」

 

「それは皮肉のつもり、バーミット。でもまぁ……懸念は少しだけ拭えたかもしれないわ」

 

「月航路まで安全とも限らない。でもあたし達は前に進まないといけない。……どれだけ憂鬱だってね。それがあたし達の……あたし達なりの叛逆なんでしょう」

 

「……叛逆、ね。それも皮肉な言葉、クラードの物だけだと思っていたけれど」

 

 艦長帽を深く被り直し、レミアは真正面を向く。

 

 メインモニターを見据え、丹田より叫んでいた。

 

「ベアトリーチェ、出港! 目標地点は一つ――月軌道へ!」

 

 今は、ただ向かうだけ。

 

 



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第87話「六番目の使者」

「……しかし、木星帰りを乗せるだけにしては大仰と言うか……。先の《サードアルタイル》の攻撃も気になります、艦長」

 

 部下の言葉ももっともで、艦長は今も不明なままの《サードアルタイル》の攻撃と、そしてジオの《ラクリモサ》による無力化は成功したのかと言う懸念と板挟みになっていた。

 

「……我々は我々の職務を全うするまでだ。だからこれは……我々にとっての……」

 

 責務、なのだろうか。

 

 しかし、ザライアンはこう言った。「この宇宙に呼ばれてきた」と。

 

 それは即ち、MFでさえも何者かの意志に召喚されてきたと思うべきなのだろうか。

 

 それ以上を追求しようとして、いや、栓無い事だと思考に蓋をする。

 

「……木星帰りの言葉が真実とも限らない。私達は、せいぜいお上の思惑を汲む事くらいだ。仕事を達成すれば、少しはマシな感覚に浸れるのかもしれない」

 

「では帰宅して飲む酒くらいですか。今は信じられるのは」

 

「そうだな。晩酌くらいしか、私達の仕事への苦労を解消させるのは――」

 

 そこまで言おうとして、不意の警告に艦長はつんのめる。

 

『伝令! これは……ダレトより膨大な干渉波! こんな規模……!』

 

「報告を厳にせよ! 何が起こった!」

 

『これは……艦長! あり得ないのですが……月のダレトが……開いていきます……』

 

 報告の体を成していない言の葉に、艦長は肘掛けを強く握り締める。

 

「連邦艦ならもっともらしい報告をしろ! 今何が起こって、現状何が起ころうとしている!」

 

『ダレトより巨大質量の到来を関知! 空間跳躍です!』

 

「……馬鹿な。そんな事は今の今まで……いや、まさかMF02の出戻りか?」

 

 それならばまだ対応のしようがある、と感じた艦長は直後の悲鳴のような伝令に思考を掻き消されていた。

 

「……いえ、これは……! 違います! これまでに確認されたどのMFとも違う干渉波を認識! しかしこの反応は間違いなく……MF相当の出現規模です!」

 

「……まさか。“夏への扉事変”より先、新たに確認されたMFは存在しない!」

 

「――ならばこれは、新たに確認された事象という事なのでしょう」

 

 いつの間に管制室に入って来ていたのか、ザライアンは落ち着き払って声にしていた。

 

「木星帰り! 入室を許可していないぞ!」

 

「それでも、知っているのが僕だけなら、応じるべきでしょう。……この波長は間違いない……MF……来ると言うのか。六番目の使者が」

 

「六番目……? 五番目じゃ……」

 

 そのような認識の齟齬程度、今はどうだってよかった。

 

 問題なのは、MF相当の勢力がダレトを通じてこの月軌道宙域へと出現すると言う事実のみ――。

 

「何が来ると言うのだ……。我々では対処出来んぞ……」

 

『超重力波を確認! 空間を貫いて……艦長! これは砲撃です!』

 

 何だと、と声にする前に、宇宙の深淵たる大虚ろから引き出されていくのは、磁場を伴わせた巨大なるモニュメントのようであった。

 

 形状はちょうど「8」の字に近い。

 

 上下共にすり鉢状の砲口を持ち、その中腹部にメインカメラらしき赤い眼光を持つ。

 

 これまでの全ての常識を塗り替えられたかのようなシルエットに、そして物理法則のことごとくを無視したかのような機体形状。

 

「……MF……ッ! 新しいガンダムか……!」

 

 ザライアンが忌々しげに放った言葉も今は不明瞭なまま、砲口に収斂されていく黒々とした重力磁場が放射され、球体となって凝縮される。

 

「これは……超重力砲撃……。そんな技術、今の人類にないぞ……!」

 

「敵の砲撃範囲を概算! 我がアルチーナ艦も射程内です!」

 

「……まさかそんな……」

 

 こんな呆気ない終わりが、自分達の幕引きだと言うのか。

 

 そんな事があって――。

 

 それ以上の思案を引き裂くかのように、この宇宙に生まれ出でた新たなる使者は、宇宙の常闇を引き裂く「叫び」を発していた。

 

 それはまさに、絶叫と言うに相応しかっただろう。

 

 拡大する磁場と裏返る重力を纏わせ、極黒の重量子は、眼前の羽虫たる月軌道艦隊を飲み込んでいた。

 

「――いけない! 予定にはなかったが……来い! 《フォースベガ》!」

 

 それが何もかも闇に呑まれる前に、耳朶を打った最後の言葉であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――六番目の使者が訪れた』

 

 丸まった胎児達の集う断罪の間にて、その事実だけが認証される。

 

『予定外の事は起こるものだ。しかしそれにしても規模が違う。六番目の聖獣――《シクススプロキオン》の来襲。それはこの宇宙に深刻な亀裂として生じ、我々の世界を冒す。それだけはあってはならないはずだ。世界の変動値は常に我々、ダーレットチルドレンの閾値でなければいけない。それを超える世界の変革は必要ない』

 

『左様。《フィフスエレメント》の確保よりも、今は眼前の脅威を葬り去るべきだ。六番目の聖獣へと、親衛隊による駆逐任務を与える。あの宙域に最も近いのは誰か』

 

 観測の波長が全員に行き渡り、その果てに答えを紡ぐ。

 

『――なるほど。万華鏡、ジオ・クランスコール。戦力としては十二分か。彼奴へと六番目の使者の破壊任務を充てる。なに、あれでよく出来た戦力だ。働きくらいは期待してもよかろう』

 

『全ては、我らの生存とその果てに待つ栄光のために。命を投げ打ってもらうぞ、この次元の人類よ。肉を切って骨を断つ心持ちで向かうがいい。《シクススプロキオン》へと。聖獣討伐任務――こちらの人類には荷が重かろうがそれでも、存亡の危機に瀕すれば少しくらいは抵抗もしよう』

 

 所詮はこの時空の人々へと投げられた決定だ。

 

 自分達はそこまで関与しない。

 

 ただ、あるとすれば――。

 

『ここで動かぬとすれば、嘘なのであろうがな。《フィフスエレメント》――《レヴォル》よ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第九章 「忌むべき来訪者達の饗宴〈シャドウ・リターナー〉」了

 



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第十章「消滅宙域を超えて〈ボーダー・オブ・トランスレーター〉」
第88話「今出来る事を」


 

 ――駆動した己の腕に感覚を。

 

 ぐっと押し包んだ指先で、相手の武装を振り払う。

 

 至近距離でアサルトライフルを構えた敵影へとライフルの軌道をぶれさせ、直上へと機銃掃射が流れた刹那には、その腕は叩き込まれ、構えを崩していた。

 

《エクエス》の構えを模した敵の腕の堅牢さを剥がして、その鋼鉄の肉体の内側へと切り込む。

 

 肘打ち一つで相手の心臓を掻き消し、直後には浴びせ蹴りが敵の攻撃を封殺していた。

 

 その挙動を読んでいた敵影が躍り上がり、そのまま刃が打ち下ろされる。

 

 キーフレームで構成された最小限度でありながら、相手は自分と同じ立ち姿だ。

 

「……《レヴォル》、このまま敵との交戦距離に入る」

 

 今は、その言葉に応えてくれる存在が居ない事に僅かな感傷を持ちつつも、それを悟らせない立ち振る舞いで敵へと至近距離へと潜り込み、その後、腕を払って相手の気勢を削ごうとして、敵は両手を沈ませ、格闘戦術の軌道を誇る。

 

 徒手空拳でありながらも手強い。

 

 わざわざ刃を一度腰部にマウントしてから、こちらの読みをさらに上回る読みで打ちのめそうとしてくる。

 

 それはこの対峙の本懐のはず。

 

 自分はこれに応じるだけの神経を走らせるべきだろう、とここに来て――クラードは呼気を詰めていた。

 

「……このまま打ち負かす」

 

『出来るっての?』

 

 応じる相手の《レヴォル》を模した人型からの声に、クラードは短く答えていた。

 

「……話すだけの時間も与えない」

 

『そっ。でもま、そのほうがそれっぽいか!』

 

 互いに肉薄し、腰にマウントされたヒートマチェットを抜刀したのは同時。

 

 赤い残光が互いに弾かれ合い、そのまま距離を取ってからの跳躍。

 

 飛びかかった勢いを殺さずに打ち下ろした一閃へと角度をつけて斜めに払う。

 

 これは予想出来なかったのか、相手は僅かにたたらを踏んでいた。

 

 その隙を逃さず、次いで切り込んだ一撃を嚆矢として基点を活かして軽業師めいた動きで刃を叩き込む。

 

 その衝突に、相手は何を思うのか。

 

 それよりも、次は何を講じてくるのだろうか。

 

 詮無い思考が一瞬だけ掠めたのを、相手は――メイアが逃しはしない。

 

 ヒートマチェットを投擲し、それへと意識を割いた自分の視野を完全に計算に入れた銃撃。

 

 ゼロ距離に等しい懐でのビームライフルの銃撃が奔る。

 

「……こんな距離で撃てば、隙が生まれる事を分かってか」

 

『分かってないと出来ないよ』

 

 クラードはバランサーをわざと崩して姿勢制御の平衡感覚を乱し、揺らめいた影は、次の瞬間には蹴りを見舞っている。

 

 足蹴にしたビームライフルをしかしメイアは頓着もせず、今度はもう一丁のヒートマチェットを取り出し、下段より振るい上げ。

 

 クラードは後退機動をかけさせつつ、最適な角度を選んでいた。

 

 掌底を打ち込むのには、少しばかり相手が浮ついた瞬間がいい。

 

 そのほうがいいに決まっている。

 

 ヒートマチェットの残光が中空に浮かび上がったその時を狙い、クラードは掌底をメイアの機体へと叩き込む。

 

 だがメイアとてそれを察する事の出来ないほどの技量ではない。

 

 半身になった敵影が掌底を撃ち損ねた《レヴォル》を見据える。

 

 その時には、相手の返す刀の掌底が眼前に迫っている。

 

 舌打ち一つで自分の動作をキャンセルし、クラードは加速度をかけさせて機体を揺さぶり、浴びせ蹴りで敵を吹き飛ばす。

 

 メイアは両手をつけて制動をかけつつ、こちらを睨んだまま、《レヴォル》の蒼い眼窩を向ける。

 

 構えたこちらと、メイアの《レヴォル》がビームライフルを照準したその瞬間――シミュレーション戦闘終了のブザーが鳴っていた。

 

「……ここまでか」

 

『みたいだね。にしても、連戦に次ぐ連戦、ボクも疲れちゃった』

 

「そうは聞こえない言いぐさだ」

 

 クラードは立方体のコックピット筐体から出て、浮遊する身を持て余す。

 

 無重力に設定されているシミュレーションルームでは汗の玉が浮かび上がり、メイアも同じようにインナー姿で汗を纏い、携行保水液を飲み干していた。

 

『二人とも、お疲れ様。あなた達のデータは有用に扱われているわ』

 

「マーシュ。あんたはこれをどう使うのか、知っていてやっているんだろう」

 

『分かっていなくっちゃこんな事に加担出来ない、それはそうでしょう?』

 

「……逆質問だな」

 

 クラードは中空のメイアと手を取り合い、そのまま回転して心底可笑しそうに笑う彼女を目にしていた。

 

「……何故笑う?」

 

「いや、だってさ。キミ、もう一端のこっちのクルーめいた事を言うもんだから」

 

「……戻れるなんて楽観視は半ば捨てたほうがいい。俺と《レヴォル》が最終的に行き着く場所さえ変わらなければ過程はどうだっていい」

 

「最終目的さえ、ねぇ。それは言っちゃえばそうだけれど、でもキミはまだ諦めていない風でもあるけれど?」

 

「それはその通りだ。俺と《レヴォル》はベアトリーチェを守護するために配備された。よって、俺と《レヴォル》の生存はベアトリーチェの保護にも当たる」

 

「まだあの艦は墜ちていないって?」

 

「……充分な距離は稼げたはずだ。なら、俺と《レヴォル》さえ生き残れば結果はさほど変わるまい」

 

 もっとも、それは結果が大きく変動しないだけで、死人の一人や二人は出ているだろう。

 

 その時に、どう感傷を抱くのかは未だに分からないままだが。

 

「わっかんないなぁ。ベアトリーチェが月面航路を諦めるって言うのはないんだ?」

 

「ない。それだけはあり得ない」

 

 断言すると、メイアは興味深そうに自分が先ほどまで乗っていた筐体で頬杖を突く。

 

 自分はと言えば、メイアの搭乗していたシミュレートマシンに乗り込み、今度は双方入れ替わっての戦闘だ。

 

「……とっとと戦闘行動に入れ。何がそんなに可笑しい」

 

「いや、だってさぁ……。キミってば薄情なのかそれともちょっとばかし重たいのか、どっちなのかまるで分かんないや」

 

「俺は薄情だとも。目的のためなら、手段なんて選んでいられない」

 

「……それもまた、キミなのかもね」

 

「とっとと次の戦闘に入るぞ。月軌道まで時間もない」

 

「はぁーい。じゃあ、今度は勝つから。十戦五勝五敗。互いに譲らずの結果はどうなるかな?」

 

「……負け戦をするつもりはない」

 

 クラードはライドマトリクサーの腕を可変させて装着させようとして、ふと躊躇う。

 

「……これは、《レヴォル》をコピーしただけの代物。俺がこれに接触して戦えば戦うほどに、マグナマトリクス社のデータが潤う。……敵に情報を送っているようなものだ」

 

『早くー。戦うんでしょう?』

 

 だが今は。

 

 少しでも《レヴォル》で再び戦える確率が高まるのならば、手段を選んでいる場合でもない。

 

 何故ならば、《レヴォル》と自分は二つで一つ。

 

 この世でそれだけは砕けない――そういう理のはずだ。

 

「……容赦はしない。行くぞ」

 

『こーい! ボクだって容赦しないんだからねー!』

 

 ライドマトリクサーの可変腕を接続した瞬間、電流が脳髄に突き刺さり、クラードは奥歯を噛み締めた。

 

 その直後に鼻孔を掠めた少女の香りに、舌打ちを一つ滲ませる。

 

「……女なんて。《レヴォル》!」

 

 そうして浮かび上がった両者の《レヴォル》は、向かい合い、そして刃を振り翳して衝突していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――どう見ますか、これを」

 

 ラムダにて専任有機伝導技師を務める眼鏡姿の男に、マーシュは腕を組んで応じる。

 

 もたらされるデータは凄まじいものであった。

 

 これまで机上の空論でしかないと思っていた、《レヴォル》の使い手両者のぶつかり合い。

 

 それはマグナマトリクス社にギフトとも言える恩恵をもたらしている。

 

「そうね。メイアの言う、レヴォルの意志。それが本来、二つとないものなのだとすれば、これはイレギュラーでしかない。だって言うのに、二人のバイタルデータは……」

 

「まるで生き写し。こんな事はどのようなRMであってもあり得ない」

 

 先ほどからシミュレーションルームを計測している一室では常に最新のデータへと刷新され、二人の持つ叛逆の意志が互いに呼び合うかのように高まっているのを関知している。

 

「こんな事はあり得なかった。……いいえ、あってはいけなかったはず。だって言うのに、今巻き起こっているのはどう信じればいいのかしらね。レヴォルの意志、これが二人へと同時に干渉し、そして両者を使い手と認め力を貸している」

 

「ですが、我が方からしてみればこれ以上のチャンスはない。エンデュランス・フラクタルが独占してきた《レヴォル》なるMSのデータ。これを得られれば戦局は大いに覆る」

 

「……そうね。元々我が社も統合機構軍に配される陣営とは言え、エンデュランス・フラクタルは仮想敵対企業。よって、これは相手の秘密を窺い知れる絶好の機会ではあるのだけれど……」

 

「艦長、何か懸念でも?」

 

 濁したのを悟られ、マーシュは嘆息をつく。

 

「……未知の技術の結晶、《レヴォル》。こんなものが何故、この宇宙に存在しているのか。そしてどうして一人の乗り手しか認めないなんていう規格外のシステムとして擁立されているのか。どれもこれも不明のままだけれど、それでも分かる事が一つ。――こんなのは普通じゃない」

 

「……そうですね。普通ではありますまい。ですが、普通でない事が立て続けに起こっているのも事実。飲み込めばいいではありませんか。普通じゃない、しかしこれは現実なのだと」

 

「現実、ね。私はメイア達をただのパフォーマーとして擁立するつもりだったんだけれど。彼女達の戦いは確かに、誰にもレコードされるものじゃない。マグナマトリクス社の隠密機動として、影に徹し影に生きる。それが彼女らの鉄則だった。でもだからって……こんなのは実験動物以外の何物でもないと……そう思うのよ」

 

「何か悲観でも? メイアは自らこの試験に申し出た」

 

「……言いたいのはね、彼女達はどっちに生きるべきなのかってだけ。ギルティジェニュエンとしての活動も板につき始めた矢先、こんなマウスみたいな真似をさせるのは気が引けるわ」

 

「どちらでもあるというのが、マグナマトリクス社のエージェントとして正しい在り方でしょう?」

 

「……確かにそれは正論。でも正論がいつだって世の中の常とは限らない」

 

 問題なのは、《レヴォル》と言うMSが何故メイアを求めているのかと言う疑問。

 

《レヴォル》がエンデュランス・フラクタルのアキレス腱なのは間違いないのだが、それにしたって不穏が過ぎる。

 

「……エンデュランス・フラクタルはあんな代物を飼っていたって? 冗談が過ぎるわよ」

 

「ですがデータは上々に役立っています。《レヴォル》の計測率、現状四十七パーセント」

 

「……再現性の低い技術は技術とは呼ばない。それは奇跡と言うのよ」

 

「それでも間もなく五割です。なに、《レヴォル》の叡智は我々の物となりますよ。それも遠からぬ未来でしょう」

 

 確かにそうなのかもしれない。

 

 だがだとしても、それはあっていい結末なのだろうか。

 

「……《レヴォル》に……この世への叛逆の意志に選ばれた世界でたった二人の似姿。鏡像……」

 

 データ試算上の空間で二体の《レヴォル》を模した簡素な機体同士がぶつかり合う。

 

 ヒートマチェットを払い、ビームライフルの光条を放って敵影を撃とうとする、その二人はしかし、お互いの存在そのものが寄る辺のように削り合い、そして戦い合って損耗する。

 

「……一体何が、待っているのかしらね。この二人の未来には」

 

「艦長。メイアはまだやってるの?」

 

 不満そうに入室してきたのはメイアのバンドメンバーの一人であり、隠密の方面でもチームを組んでいるイリスであった。

 

「ええ、まだまだデータが足りないって事でね」

 

「でも、それって本当に必要? メイアはだって、私達のエージェントなのよ? 間違いなんてあった日には」

 

「その時には仲間として、責任ある職務を頼むわ」

 

 暗に妙な動きがあれば消せと命じている。

 

 我が身の狡さに自分でも嫌気が差す。

 

 しかしイリスは分かっているのか、最小限の言葉だけを振っていた。

 

「……了解。艦長命令だもの。聞くわ、そのくらいは」

 

「すまないわね。まだ前回のクロックワークス社の分析が済んでいないのに」

 

「別に構わないってば。……でも、潜れば潜るほどに不自然。あれ、《レヴォル》だっけ? あれのログだけが何故なのだか最初から存在しない。行き遭っていた敵対MSは、じゃあ幽霊とでも戦っていたって言うの?」

 

「……それもある意味では正しいのかもしれないわね」

 

 どこの誰にも感知されない幽鬼――それが《レヴォル》なのだとすれば、異常なスペックも、そして乗り手を選ぶ特殊性も頷けてくる。

 

「……分からないなぁ。そうなると、じゃあ《レヴォル》に乗れるメイアは何?」

 

 その答えはまだ保留されたままであった。

 

 クラードはまだしも、メイアは呼応するように《レヴォル》に受け入れられ、そしてその血肉として戦う事に対し、初めて乗った気がしなかったと述べている。

 

「……艦長として言うのなら、メイアには素質がある。なら、その素質を伸ばさないわけがない」

 

「利用しない手は、に聞こえるけれど」

 

 ある意味では間違っちゃいない。

 

 それも正しい。

 

「……でも私達は少しでも手を得なければいけない。この世界を欺く存在、《レヴォル》の正体を掴むために。それが私達の……世界への叛逆に値するのならば」

 

 その歩みを止めるわけにはいかないはずだから。

 

 



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第89話「想い、奏でるために」

 

 消滅したと思った。

 

 死んだでもなく、殺されたでもなく。

 

 この世に在った証明など何一つ存在せず、掻き消されたのだと。

 

 より上位の情報には、下位の情報は無意味だと断じられ、なかった事にされてしまう。

 

 そう言った情報の刷新と同じく、自分達の肉体はより上位の情報と言う名の瀑布に吹き飛ばされたのだと。

 

 だが、まだ下位の情報たる指先と、そして瞼が動いた時、艦長はようやくまだ生きている事を認識していた。

 

「……い、生きている……」

 

 だが自分達は。

 

 そう、今も宙域を見張る第六の使者に滅却されたはずだ。

 

 だが、月面艦隊の大多数が無事と言う情報を受け、艦長は上ずった声を発する。

 

「何が……何があった!」

 

「艦長! あれを! ……まさか、第四の聖獣が……」

 

 絶句した部下の声に従い、メインモニターへとようやく視線を投じると、そこに背中を向けるのは全身これ武器とでも言うように鋭角的な武装を誇る、第四の聖獣――。

 

「MF、《フォースベガ》……。だがあれは……あれは世界の敵のはず……! 何故、我が方を……守った?」

 

 明瞭な言葉を発せられずに疑問形になっていると、今度は見知った声が通信を伝って耳朶を打つ。

 

『……ご無事ですか、アルチーナ艦長殿。そして月面艦隊の方々』

 

 まさか、と艦長は声を振る。

 

「……ザライアン・リーブス……。何故……」

 

『何故も何も、僕はこの第四の聖獣……《フォースベガ》のパイロットです。よって、第六の聖獣の討伐任務を帯びましょう。この場であれを制する事が出来るとすれば、僕ともう一人だけ……』

 

《フォースベガ》はまだこの世界のMSに近い規格を持っているだけあって、人型の機体はヒトがそうするように目線を振り向ける。

 

 そこには赤い装甲を推進剤で照り輝かせ、幾何学のビット兵装を放つ《ラクリモサ》が視認出来た。

 

「ら、《ラクリモサ》健在……! 当然、ですが、ジオ・クランスコールのバイタルも……」

 

 浮ついた様子の部下の言葉に、艦長はようやくと言った様子で肘掛けを握り締め、これが地獄でも、ましてやあの世の沙汰でもない事を悟っていた。

 

「……まだ、地獄は続くと言うのか……。《ラクリモサ》に充てられる戦力は!」

 

「我が方の《マギア》、まだ行けます!」

 

「よし。《マギア》編隊、《ラクリモサ》と……MF04、《フォースベガ》の援護に回れ。今はあの……新たなるMFを月面から引き剥がすわけにはいかん!」

 

 その信念を振るった喉が焼け爛れたような感覚を放つ。

 

 この状況をまるで信じられないのだ。

 

 何せ、友軍の片割れがMFと言う事実。

 

 そして、《ラクリモサ》を操るジオとて、信じられたものではない。

 

 いつ、その攻勢が自分達を標的にするか分からない中心軸などあるものか。

 

 だがジオはこちらの懸念などまるで気にかけないように敵影へと直進していく。

 

「……しかし、あれは本当に……MFだと言うのですか。まるで滅茶苦茶な形状だ……」

 

 構造は「8」の字を象った紫色のモニュメント。しかし、その後背部はすり鉢状になっており、砲身と思しき上下二つの虚ろ穴は重力磁場を帯びてこちらを見据えている。

 

 ――撃つためだけの機体、いや魔獣か。

 

 そう胸中に独りごちた艦長は月面艦隊よりもたらされる情報をさばいていた。

 

『アルチーナ艦! 今、何が起こった! MF04が我が方への砲撃を……切り裂いたのが、モニター出来たが……』

 

 そのような事が起こったのか。艦長はしかし、今は事の追求よりも生き残る道を選ぶべきだと声を振り絞る。

 

「……討つぞ。MF06はこれより、我々総員の敵として、迎撃対象とする!」

 

 しかし、とどこかで醒めた脳裏で感じる。

 

 勝てるのか。

 

 MF相手に。

 

 先の大戦――“夏への扉事変”ではMF二機相手に連邦艦隊は大半を失った。

 

 今回もまた失うだけの戦いにならないとも限らない。

 

 だが、それでもまだ――。

 

「戦わぬと言うのは……嘘のはずだ……!」

 

 それだけは自分達の寄る辺だと言うように肘掛けに爪を立てていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 送るだけの時間をくれ、と、そう進言してきた凱空龍の面々に対して、反対する気も起きなかったのは自分の裁量にしては甘かった部類だろう。

 

 いちいち死者に気を取られるな、と強く断言してもよかったのだが、それはあまりにも酷だと思ったからかもしれない。

 

 いずれにせよ、十分間だけの黙祷の時間を設けたのは、それはラジアルへの――彼女への憐みもあったのだろう。

 

「……レミア艦長。あたしは別にいいと思っていますけれど。同僚が死ねば、そりゃあ悲しみます」

 

「……先回りしたような事を言わないでよ。私はでも、鉄の女として振る舞うべきだったのでしょうね。月面航路まで時間を無駄にしたくない」

 

「それ、言ったってミラーヘッドの段階加速でここからならすぐなんでしょう? それも分かっていて、許可したんじゃないんですか?」

 

「……あなたには敵わないわね。私相手に臆した事なんてないでしょう?」

 

「ボスは怖いですよ。でもあたしは、だからって何でもかんでも従う人間じゃないんで。クラードとは違って」

 

 バーミットは化粧道具で紅を引いてから、ぱたんと手鏡を閉じる。

 

「……クラードは、生きていると思う?」

 

「グラッゼ・リヨンの証言が確かなら生きているはずですけれど」

 

「でも《レヴォル》だけ鹵獲された可能性もある。私はもう、クラードに期待しないほうがいいのかもしれないと思いかけているのよ」

 

「……意外ですね。艦長、もっとドライな女でしょう」

 

「ええ、平時はね。でも、今はそうとも言えなくなっちゃったってわけ。笑えるでしょう? 鉄の女なんてどこにも居なかった。私はただの……レミア・フロイトって言う、他人よりもそう言った機微に疎いだけの、女に過ぎない」

 

「クラードの前ならそれでも貫けたって意味ですか」

 

「……あなたはまだ最初期のクラードを知っているはず。彼は変わったと、私は個人的には思っていたわ。それもこれも、あの期待の新人……カトリナさんやアルベルト君のお陰なのかもってね。でも、私はそれ以上に、昔のクラードに居て欲しかった。彼が変わらなければ私も変わらないで済む。彼が不変の……それこそ鉄のエージェントならば、私も鉄の女でよかった。誰にどう思われようとも、私は私のままで……。でも、彼は行ってしまった。もう届かない彼岸へと」

 

「まだ死んだとは限らないんじゃ……?」

 

「ええ、でも確かに、昔知っていたはずのエージェント、クラードは死んだのよ。それは間違いない。もうあの頃の彼の眼差しに……鋭利な抜き身の殺意に、私は中てられる事もない。それは安心していいのか、それとも不安になるのかも分からない。でも、私は目の前に突き出されたトリガーへの答えを保留にしている。それはきっと、まだまだ私の中で答えなんて出てないんだって証」

 

 クラードはいつだって、その引き金を握っていた。

 

 いつか、その引き金を絞る時、それを待ち望んでいるかのような赤い瞳――。

 

「その時、後悔しないように、そう生きろって、クラードはかつて私に言ったわ。それは今も彼は守ってくれている。そういう……約束なのよ」

 

「約束ですか。でも、そう言った点じゃ、カトリナちゃんも約束したって言っていましたね」

 

「……カトリナさんが? クラードと?」

 

 勘繰る趣味はないが、それでも気になってしまう。

 

 バーミットはこんな時でも明るいキャラを崩さない。

 

「今ならお安くしておきますけれど? 艦長の臨時ボーナスくらいで」

 

 指で丸を作ってにっこりと笑ってみせる彼女もまた強いのだ。

 

 レミアはフッと微笑んで、よしておく、と応じる。

 

「だって、いくらカトリナさんが未熟でも、それは彼女達だけの約束のはずでしょう? そこまで下種になったつもりはないわ」

 

「あら、そうですか。……独り言なんでノーカウントでいいですけれど、オムライス作るって言っていたみたいですよ」

 

「オムライス?」

 

「独り言です。オムライスを、帰ったら作ってやるって……カトリナちゃんも可笑しな約束をするもんだなぁ、って思っちゃいましたけれどね。でも、あのクラードの足を止めるのに、ちょっとした約束事ってのは思ったより重石になるかもしれませんね。だって今の今まで、クラードって守れない約束は交わさなかったじゃないですか」

 

「……そうね。クラードは、守れない約束は絶対に交わさない。だからきっと……絶対に帰ってくるんでしょうね。それが誰のためであれ、オムライス一つのためだって……」

 

「そうですよ。クラードは気に食わないくらいのヤなクソガキですけれどでも、約束だけは守って来たじゃないですか。なら、あたし達は信じましょ。それがどれだけ守る当てのない約束だって。それでも待つのがいい女の役目でしょ」

 

「いい女の役目、ね。あなたが言うと説得力あるわ、バーミット」

 

「でしょー? あたし、これでもいい女の条件、満たしているつもりですから。……さて、っと。あたしも行きますか」

 

 平時のOL服と違い、喪服に身を包んだバーミットは管制室の設定を行ってから歩み出す。

 

「あたし、カワイイのの面倒もありますんで。先に行ってます」

 

「……私は出席しないわよ」

 

「それも込みで、これからのベアトリーチェの身の振り方ってのを、考えないといけないのかもしれませんね。あたしは素直になろうと思います。カトリナちゃんもカトリナちゃんで、あの子はとても素直。だからこそ、悲しみも悲しみとして受け取ってしまう。今は、その肩が重さに竦んじゃう前に、アドバイスしないと」

 

「あなたも教育係としての自覚が出てきた、と思うべきなのかしら」

 

「よしてくださいよ。そんなの、もうちょっと年食ってからだって間に合うでしょうし」

 

 管制室に一人取り残されたレミアは煙管を吹かしつつ、ふと呟いていた。

 

「でも、それが若さなのよ、バーミット。私はもう、誰かのために泣くような涙は、ほとんど枯れてしまった、嫌な女なんだから」

 

 



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第90話「for you」

 

「パイセン、遅いっすよ」

 

 トーマがそう告げた事でカトリナは出席したバーミットを視野に入れて、それだけでこみ上げそうになる。

 

「バーミット先輩……」

 

「泣くのは早いわよ、カトリナちゃん。……っと、ほとんど全員ねぇ。愛されていたのね、ラジアルも」

 

 格納デッキに出席した総員の面持ちをカトリナも確かめていた。

 

「ええ……。ラジアルさん……」

 

「ほら、しゃんとする。泣くのは全部終わってから、でしょ。……にしても、艦の足を止めているわけだから、たったの十分か。居なくなった人を想うのには、ちょっとだけ短いかもしれないわね」

 

「それでも……っ、この機会をくださったレミア艦長には、感謝しても……」

 

 し切れない、とカトリナは早くも感極まりそうになってしまって、鼻をすすり上げる。

 

「……アルベルト君は? 彼の《マギアハーモニクス》が先導するって話だったけれど」

 

「あっ、もうアルベルトさんは外に出ていて……。私、アルベルトさんをぶってまで立ち上がれって言いましたけれど……でもあんなの、私の言葉じゃなかったのかもしれません。あれはきっと……委任担当官としての、クラードさんが居たとすればそうするって言うだけの話ですし……」

 

「クラードなら、ねぇ……。何だかあいつも隅に置けないわね。みんなに愛されているくせに無頓着で」

 

「クラードさんが? どういう……」

 

「その辺も分からないんじゃ、まだまだだって事よ」

 

 相変わらずバーミットの言う事は半分も分からないが、それでも今、こうしてベアトリーチェが足を止めてでもラジアルの死を悼んでいるのだけは本物だった。

 

《マギアハーモニクス》は頭部を修復され、凱空龍の面々の操る《マギア》と共に宙域に佇んでいる。

 

『……ラジアルさん。オレは、行くよ』

 

 誰かの様式なわけでもない。

 

 ただ、アルベルト達は凱空龍がそうするように、彼女を送りたいと申し出た。

 

 ならばそれには従うべきだろう。

 

《マギア》が一斉に銃口を中天に向け、そのままビームの光条を放射する。

 

 それは一種の仕掛け花火にも思えて、染み入ってくる極色彩にカトリナは瞳の端に涙を浮かべていた。

 

「……泣いたって、しょうがないのに……」

 

「それでも、でしょ。ラジアルは立派な人間だった。それは間違いないもの」

 

 バーミットはゆっくりと黙祷に入っている。

 

 カトリナはそれでも、と拭えない感覚を手繰っていた。

 

「……ラジアルさんは、幸せだったんでしょうか……」

 

「人によって幸せの尺度なんて違うものよ。ラジアルが幸せだったかどうかは、論じるのにはあたしだってラジアルの事はよく知らなかったわけだし。それでも、彼女が悔いなく生きた事だけは確かだと思うけれどね」

 

「悔いなく生きる、ですか……」

 

「そうよ。もしもの時に悔いなく、世の中がどうなっても生きていられる。それはきっと、図太いだとかそういうんじゃない。自分なりの明日を描けるのかどうかって話じゃない? ラジアルはカトリナちゃんの幸せ論とは違うところに居た人間かも知れないけれど、あの子は満足して死んでいった。なら、もしかしたらあったかもしれない後顧の憂いを、あたし達が穢しちゃいけないでしょ」

 

「憂いでさえも、その人の物って事ですか……」

 

「そうよ。後悔も満足も、ひっくるめてその人間の物なんだから。あたし達はあくまでも他人。だから彼女の満足なんて分からないのかもしれない。こうやって、自己満足に浸って、送り出したつもりでいて……それで何も分からないまま、悲しんだフリだけする、そういう人種なのかもね」

 

「……悲しいですよ、それ」

 

「そうね、悲しい。でも、それがリアルなんだとあたしはこれまでの人生で学んで来たわ」

 

 どれだけ冷酷な事実でも、バーミットは目を離す事はないのだろう。

 

 彼女が見据えているのは、これまでの人生と、そしてこれからの自分の人生だ。

 

 決してラジアルの死に囚われた人生ではない。

 

 彼女はきっと、ただ単に決着をつけるためだけに、こうして出席している。

 

 それはともすれば、前を行くアルベルトも同じなのかもしれない。

 

「……アルベルトさん達も、ラジアルさんの喪失をきっと……これから先の人生の糧にするんでしょうね」

 

「あるいは糧にもならないかもしれないけれどね。そんなものよ? 人死になんて」

 

 人は勝手に生きて勝手に死んでいく。

 

 そこに何を見出すのかは、生きている人間の傲慢だけ。

 

「……それでも。家族みたいな距離感でしたから。嫌ですよ、もうこんなのは」

 

「そうね、家族が死ぬのは嫌ね」

 

 何でもないように淡々と応じるバーミットは涙一粒さえも流しはしない。

 

 彼女にとっては、もう覚悟の末にある結末だ。

 

 ――ならば自分にとっては?

 

 ラジアルが死んでしまった事に、こうも胸にささくれを持つ自分にとっては何なのか。

 

 それは、ただの自己満足か、あるいは誰かの事を想っての涙なのか。

 

「……私、まだまだ足りないんだと思います」

 

「カトリナちゃんはでも、幸せになりたいんでしょう?」

 

「……はい。私は、絶対に……幸せになるんだって事だけは」

 

「じゃあ、足を取られていないで。右足と左足を順繰りに進めればきっと、嫌でも前には進めるから」

 

 その言葉の調子が少しだけ可笑しく、カトリナは微笑んでいた。

 

「……それ、クラードさんにも言われました。右足と左足を交互に出せば、歩けるだろうって」

 

「……何か嫌ね、それ。あたしはクラードの後追いじゃないんだからね」

 

「でも、ちょっとだけ安心しました。だって、そうすれば、嫌でも前には……進めるのはハッキリしているんですから」

 

 最後にアルベルトの《マギアハーモニクス》が炸裂弾頭を込めた銃口を斜めに放射し、ラジアルを送り出す花火を散らす。

 

『……すまねぇ、みんな。オレの我儘で艦の足を止めちまって』

 

『何言ってんだ、ヘッド。おれ達もラジアルさんは送り出したいんだ。せめて、後悔のないように、な』

 

『……後悔のないように、か』

 

 アルベルトの語調には僅かな憔悴も窺える。

 

 それも当然と言えば当然なのだろう。

 

 彼はラジアルに最も近かった、親しかった人間だ。

 

 愛した人を送り出すのなんて、最も残酷な役目には違いないのに。

 

「……それでもあなたは、進むんですね、アルベルトさん……」

 

 アルベルトは艦内に戻ってくるなり、格納デッキへと《マギアハーモニクス》を預けてメカニックの合間を抜けていく。

 

「……次の戦闘では《マギアハーモニクス》で出る。《アルキュミア》を壊しちまって悪いって、ピアーナには言っておいてくれ」

 

『もう伝わっていますよ。……まったく、随分な扱いをしたようですね』

 

 ピアーナはこんな時にも電子光学技師としての職務を全うしているらしい。

 

 当たり前と言えば当たり前だが、カトリナは涙をハンカチで拭っていた。

 

「すまねぇ……。けど、次ばっかりは絶対に、もう連中を逃がすわけにもいかねぇ。……ケリはつけるぜ」

 

『そうでなければ困ったものですよ』

 

 アルベルトの背中に何か呼びかけようとして、バーミットに肩を掴まれ、頭を振る。

 

「今は……何も言わないほうがいいと思うわ。お節介だろうけれどね」

 

 アルベルトの傷を癒せない。いや、癒すなんて勝手な思い上がりもいいところだろう。

 

 自分は所詮、他人でしかないのだから。

 

 人は勝手に傷の癒し方を覚えていく。

 

 その人間に合った癒し方は、当人しか分からないものだ。

 

「……アルベルトさん……」

 

 だが自分は見てしまった、知ってしまった。

 

 あの時の出撃前に、一緒に居た二人の姿を。

 

 だから下手な勘繰りの精神が鎌首をもたげてしまって、我ながら無粋だなと自嘲する。

 

 アルベルトの負った痛みは、彼だけのものだ。

 

 他の誰にも肩代わりなんて出来ないはずなのに。

 

「……私は、委任担当官だからって……万能なんかじゃない」

 

 そんな今の身分が、少しだけ――狡いと思えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 略式だが、こう言った時の心得だけは知っている、とグラッゼはアルベルトの背中に声をかけていた。

 

「……心得……?」

 

「死に囚われぬ事だ。死に囚われれば、人間は行き場所をなくす。前にだけ進め。それが君の歩みを止めない事に繋がるだろう」

 

「……オレに、まだ戦えって言うんですか」

 

「それが君の望んだ在り方ならば、それに従うべきだ。そうだとは思わんかね?」

 

「……分かりませんよ、そんなの」

 

「アルベルト君。私はこれまで、数多の部下や上官の死を看取って来た。そんな時にね、言葉が出ぬ、と言う時だってあるのだ。しかし、それでも次の日には何事もなかったかのような顔をして、誰かに愛想を向けなければいけない事だってある」

 

「大人になれって言ってるんすか」

 

「逆だよ。君がまだ子供だと言うのなら、その運命に叛逆してみせろ。大人になるのは随分と後になってからでも充分に取り返しは付くが、子供である時期だけは取り返しなんてつかない。……年かさを食えば嫌でもそうだと規定して動かなければいけなくなるだろう。その時、君は誰の言葉を信じるのか……そればっかりは誰にも操作は出来ないはずだ」

 

「……でも、一人の女の人を失って……子供の身勝手なままで居ろなんて、それは……」

 

 それだってズルい理論のはずだ。

 

 自分は結局、何者にも成れないまま生きろと言われているようなものなのだから。

 

「何者かに成れと、それが人生の最大指標なわけではない。何者にも成らぬ事が、自分の運命への叛逆の徒に成り得る事もある」

 

「……でもそれじゃ、責任なんて取れやしない……」

 

「君が責任を感じているのだとすれば、それは彼女を死なせた事ではない。もっと思い出を作りたかった事だけだろう。先にも言ったが死は死だ。事実でしかない。しかし、思い出を作る事に清算を求めるのであれば、君はまだ取り返しがつく。生きているのならば取り返しのつくほうに舵を切れと言うのが、僅かながら世間を見てきた人間の言える言葉だよ」

 

「言葉繰りでしょう、それだって」

 

「分かっているじゃないか」

 

 グラッゼは自分の肩を叩いて、それから格納デッキへと戻っていく。

 

 結局、他者に言えるのは詭弁だけ。

 

 その詭弁だって、それっぽい事を言っていれば、どうとでもなる話。

 

 どうとも成らないのは自分のこれからの人生だ。

 

 これまでの人生に目を向けるべきじゃない。

 

「……オレは、凱空龍のヘッドだった事も、クラードに出会った事も……この艦に居る事も、ラジアルさんに……大切な人に出会えた事も、なかった事にはしたくねぇ。だから、オレは前を向くよ、クラード。それにラジアルさんも。だって、オレが前見てねぇと、二人が安心出来ねぇだろ。大丈夫なんて気休めは言わねぇ。ただ、……オレは……」

 

「アルベルト。忘れ物だ」

 

 サルトルが歩み寄って来たのでアルベルトは瞼に滲んだ熱を慌てて拭っていた。

 

「何だ? さっきの葬送に問題があったのなら」

 

「違うよ。これを持っておけ」

 

 サルトルの差し出したのは結晶体であった。

 

 蒼い菱形の結晶体が連なって、まるで星々のように輝いている。

 

「……これは? ミラーヘッドの残骸か?」

 

「宙域で見つけた。……《オムニブス》の残骸に紛れていたが、間違いないはずだ。ラジアルの形見だよ」

 

 その言葉にアルベルトは目を見開く。

 

「……形見……」

 

「ライドマトリクサーってのはな。死ぬ瞬間に体内に流れる伝導液の作用でミラーヘッドを凝固させる事もある。ラジアルが死ぬ前に、誰かを想ったって言う形だ。お前が持っておけ」

 

「……でも、でもよ……オレは……みんなを騙して……」

 

「阿呆。今さら大人に気を遣うんじゃねぇよ。お前らは宇宙暴走族の凱空龍なんだろうが。なら、大人の厚意には甘えておくこった。それに……お前だけの責任じゃないのはもうみんな分かってるんだからな。次の出撃時までに自分を立て直しておけ。それもベアトリーチェのパイロットとしての役割だ」

 

 サルトルは身を翻して整備に戻っていく。

 

 ラジアルの魂の形を引き写したかのような結晶体には紐が通されており、首から提げられるようになっていた。

 

「……何が、大人に気を遣うな、だよ。あんた達だって充分にお人好しじゃないか」

 

 だがそれでもいい。

 

 お人好しな人間が、今はありがたい。

 

 アルベルトはその結晶体を首から提げ、そして静かに涙していた。

 

 もうラジアルは居ない――それをこんな形で実感するとは思いも寄らない。

 

 あるいは、サルトルは自分にそうしろと説教するために、これを渡してきたのだろうか。

 

 大人の身分ならば、それも弁えられただろう。

 

「……でもよ、ズルいぜ……。あんたらさっき、子供でもいいって、言っただろうに……」

 

 子供でもいいのなら、今こうして悲しみに暮れる事もまた、自分を許す材料にしても、いいはずであった。

 

 



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第91話「人でなしの役割」

 

 わざわざ呼ばれたからにはワケありなのだろうと、そう勘繰ったクランチは中佐身分のトライアウトネメシスの上官の一室へと招かれていた。

 

 自分はここでは招かれざる客だろうに、と想定しつつも、居並んだ調度品の数々が眼前の人物の権威を示している。

 

「……外人部隊と聞いている。クランチ・ディズルだな?」

 

「知っていただいているのなら、光栄で」

 

「本来は敵として相見えるはずだった名前だ。我が方では君の名前を危険視していてね。鏡像殺しのクランチ、と言えば戦場ではそこそこ名が通っているのだよ」

 

「じゃあ、俺みたいなクチは居ないほうがいいんじゃないですかね。《オルディヌス》を受け取ってもらったのは助かります。補給路もなかった」

 

「その《オルディヌス》とやらだね……あれはどう見たってガンダムなのだが」

 

「ガンダム?」

 

「失礼。エンデュランス・フラクタルの不明機をそう呼んでいるのだ。トライアウトではね」

 

「ほう……ガンダム。大層な名じゃないですか」

 

「大層なのは名前だけではない。あれに撃墜されてきた部下も数多い。正直因縁だよ」

 

「じゃあ《オルディヌス》を置くのはまずいのでは? 下手に部下を刺激してしまう」

 

「いいや、毒を食らわば皿までだ。《オルディヌス》の解析データは我が方に有用に働いている。君と部下二人が全く抵抗の意を示さないのは、それは協力的だと思っていいのだろうか?」

 

「分かりませんよ。単純に、噛み付くだけの度胸もないだけかも」

 

「君のような経歴が言うとそれは笑えると言うのだ、クランチ」

 

 クランチは僅かに口角を緩ませてから、ジョークも効く上官ならば何かと有用性はあると判定していた。

 

「で、伊達や酔狂じゃないでしょう? 《オルディヌス》を次手に置くってのは」

 

「ああ。……既に承知かと思うが我々トライアウトネメシスは軍警察だ。そして軍警察とは統制と、軍の掲げる大義のためにある」

 

「それは存じていますが?」

 

「個人のためではない。分かるかね?」

 

 ああ、なるほど、とそこで得心する。

 

「如何に上客と言えど、あまりに我儘が過ぎるとそれは毒になるって話ですか」

 

「理解が早くって助かるよ。……リヴェンシュタイン家からの継続的な資金繰りは魅力的だが、あまりにそちら側につくとだね、癒着を疑われる事にもなりかねない。そうなれば軍警察の名が泣くだけではない。他の二陣営のトライアウトの上部組織にも嘗められる」

 

「確か、トライアウトジェネシスと、もう一陣営居ましたね」

 

「平時はジェネシスとネメシスだけの運用だが、勘繰りの部署があってね。そこに内々の事まで疑われれば旨味もない」

 

「なるほど。じゃあ結論は大体見えてきたってワケだ。上客を消せって言うんでしょう?」

 

「あまり大きな声で言ってくれるなよ。消せなど、人聞きの悪い。少し大人しく休んでいただきたいだけだ」

 

「……《オルディヌス》なら後ろから斬るくらいは造作もございません」

 

「しかし、気を付けてもらいたい。《アイギス》は最新鋭機だ」

 

「なに、ミラーヘッド頼みの戦闘なら、俺に敵うヤツなんて居やしません。分かっていて、こうして話しているんでしょう?」

 

「食えんな、君も」

 

「お互い様でしょうに。にしたって、それほど邪魔ですかね? リヴェンシュタイン家って言えば、俺みたいな木っ端構成員でも知っているような名家ですよ? 継続的な支援が得られるのなら、少しは苦味くらいは噛むでしょう」

 

「継続的な支援が得られるのならば、な。……本家より厳命があった。あまりせがれを前に出し過ぎないで欲しい、と言う……とんだ我儘だ」

 

「前に出たがりの少佐には、少し難しい命令ですね」

 

「突っぱねようにも、リヴェンシュタイン家はトライアウトに影響力を持っている。真正面から親衛隊の少佐は邪魔だと言うわけにもいかない」

 

「そこで、俺のようなヨゴレの出番ってワケですか。真正面から消すわけにはいかない。だが表舞台からは消えていただきたい……とんだ矛盾だ」

 

「矛盾でもそれが政と言うものだ。ディリアン・L・リヴェンシュタイン少佐には少し手痛いくらいの怪我が必要だろうな」

 

「いいんですか? 《オルディヌス》なら確かに斬るは容易いですが……殺してしまいかねませんよ?」

 

「抵抗したのならばやむなしだろう。それくらいは戦場に出た時点で心得ているはずだ」

 

「御意に。……あんたも相当な食わせ物だと思いますがね。金は欲しいが、前に出てきている交渉人は邪魔だと言うのでは」

 

「あれは交渉人などと言う生易しいものではないよ。……第一、トライアウトネメシスは慈善事業団体ではないのだ。二度も三度も弟以外は全員殺せ、弟は何があっても生かせ、などという命令書を通せるとは思わないでいただきたい」

 

「その弟ってのも、まぁ前に出たがりな死に損ないって感じでしたけれどね。いずれにせよ、このクランチ・ディズル。一度受けた命令は引き受けるのが信条でして」

 

「頼むぞ。……君は元々外人部隊だ。口は堅いと思っていいのだろうね?」

 

「それはご心配なく。ですが、ご入金如何ではこの話はどこからともなく、煙のように漂うかもしれませんが」

 

 上官は小切手を差し出し、自分に目配せする。

 

「好きな額を書きたまえ。後で入金しておこう」

 

「お話が分かる上官で大変助かりますよ」

 

 挙手敬礼を返して、クランチは部屋を後にしてから、ふぅと嘆息をつく。

 

「自分達の邪魔になるとなれば容赦はしない、か。あんたらも大概に人でなしだぜ。俺の事は言えるかよ」

 

 それにしても、トライアウトと言う組織は腐敗が進んでいるものだ、とクランチは実感する。

 

「……あるいは俺が来なくっても誰かには下っていた命令か? どっちにしたって、俺も上客は大事にしたいんでね。それがエンデュランス・フラクタルだろうが、トライアウトだろうがな」

 

 踏み出しかけて、クランチは気配を感じ取っていた。

 

「……趣味が悪ぃな。立ち聞きってのは」

 

 廊下の角より歩み出てきたのはトライアウトネメシスの士官であった。

 

「……中佐殿をたぶらかしたのはお前か」

 

「たぶらかしたぁ? あの中佐は元々そうなんじゃねぇのか? 邪魔となれば味方だろうが平然と撃てという。そいつぁなかなかに下せる命令じゃねぇ。もう手慣れたもんだろうが。てめぇもそのクチに噛まされたんだろ?」

 

「……嘗めるな。中佐殿はそんなお人ではない!」

 

「ここで騒いだら、その尊敬する中佐殿に迷惑がかかるだけだぜ?」

 

 彼は視線を流し、顎をしゃくって自分を誘導していた。

 

 クランチはその後に続きながら、さてどうしてくれようか、と思案を浮かべる。

 

 ――口封じに殺すのは簡単だが足が残るのは旨味がない。

 

 格納デッキの隅にある滅多に声のかからないであろう埃の積もったロッカールームへと、クランチは招かれた瞬間には、飛んできた拳を受け止めていた。

 

「これはどう取るべきなのかねぇ」

 

「……受けた?」

 

「馬鹿馬鹿しい。分かり切った事聞いてんじゃ、ねぇよ!」

 

 その鳩尾に膝蹴りを叩き込み、咳き込んだ相手へと拳を打ち込む。

 

「これから先、作戦行動の支障になっちゃいけねぇ。この程度で済ましてやるが、何が目的で噛み付いて来た? てめぇも金が欲しいってなら相談には乗ってやるが――」

 

「違う……。何故、中佐殿はお前のようなわけの分からぬ相手にそんな事を頼んだ……! 何かあの人の弱みでも握っているんだろう! 俺は……そんなのは許せないッ……!」

 

 真正面からファイティングポーズを取った相手に、クランチは煙草をくわえてから火を点けるまでの動作で首をこきりと折り曲げてみせる。

 

「おいおい、そいつぁ、理想を見過ぎってもんだろうが。それとも穿ち過ぎって言うほうが正しいのか? 俺があの上官殿の弱みを握る? ……ちゃんちゃら可笑しくって笑えてくるぜ。煙草が不味くなる。てめぇの勝手な理想像の押し付けは他所でしな。少なくともこんなトライアウトなんて組織でやるもんじゃねぇだろ」

 

「答えろ……ッ! 中佐殿に何をした……!」

 

「何もしてねぇって。何だ、とんだ見込み違いだな。俺の取り分が欲しくなったからだとか、あの前を行きがちな親衛隊の少佐が気に入らないとかじゃねぇのかよ。マジに中佐殿がどうこうして、俺に依頼したとか思ってんのか?」

 

「答えろォッ!」

 

 拳を浴びせ込もうとする相手に、クランチはまともに取り合うまでもないと身をかわし、そのまま浴びせ蹴りを見舞う。

 

 士官はまともな戦い方以外は教えられていないのか、それだけでよろめいた。

 

 その隙を逃さず、追撃の蹴りを叩き込む。

 

 咳き込んだ士官にクランチは口角を歪めていた。

 

「てめぇ、士官にしちゃ、喧嘩は素人か? もっとやれよ。人でなしのトライアウトネメシスだろうが」

 

「……俺、は……職務をこなしているだけだ! 人でなしになった覚えはない!」

 

 愚直にもこちらを睨み返して言ってくるものだから、クランチは煙草が一気に味をなくしたのを感じていた。

 

「……上物の煙草だってのに、不味くなる話ばっかりしやがる。何だ、てめぇ、もしかしてトライアウトで本当に正義の味方でもやっているつもりだったのかよ」

 

「……当然だ。俺達の戦う相手はまかり間違った連中ばかりなのだからな」

 

 まさか、この期に及んでここまでの真っ直ぐさを漂わせる相手だとは思いも寄らない。

 

 クランチは煙草をつまみ、それの火をそのまま士官の手の甲へと押し付ける。

 

 呻き声を上げる相手に、クランチはつまらなさそうに応じていた。

 

「てめぇの自己満足のために俺の気分を巻き込むんじゃねぇよ、つまらねぇ。いいか? 俺は俺を買う相手のためにだけ戦場を掻い潜っている。他に理由なんざねぇ。トライアウトが俺を高く買うんならそっちにつく。エンデュランス・フラクタルが俺を買うのなら、そっちにつくだけの話だろうが」

 

「貴様……! 大義は……! 大義はないと言うのか……ッ!」

 

「大義ぃ? ……おいおい、今さらトライアウトで大義なんて言い出すヤツ居たのかよ。天然記念物みてぇなヤツだな。だが、そういう勘違いが戦場を回しているだって思うと、ちぃとだけ萎えた気分もマシになるってモンだぜ。どこへ行ったってやっぱり勘違い野郎ってのは居るもんなんだな」

 

 その前髪を掴み上げ、クランチは口角を釣り上げた後に、頭突きをかましていた。

 

「この程度にしてやるよ、ルーキー。……だが、俺の職務に口出せば、これじゃ済まねぇ。後ろから斬られるのが嫌なら、知らん振りを決め込みな。第一、てめぇら、他人からの評価が入って来ねぇのか? トライアウトネメシスって言えば、焼き尽くし(バーンアウト)のネメシスって言われるほどの非人道的集団なんだって思っていたくれぇなんだが。中にはこんなバカもいるもんか。正義なんざ振り翳していると、一般兵に撃たれて死ぬぜ? そこんところ気を付けるんだな」

 

 これくらい言っておけば大概の兵士は恐れを成す。

 

 そう感じて踵を返したクランチの背中に、声がかかっていた。

 

「……ダイキ、だ。ダイキ・クラビア中尉……。覚えておけ。お前のような悪漢には必ず天罰が下る……!」

 

「そうかよ。名前なんてただの指標以下だが、頭の片隅には留めておくとするかねぇ。そうしたほうが後ろから撃たれる心配もなさそうだ」

 

 煙草を踏み消し、クランチは立ち去っていく。

 

 ロッカールームに取り残されたダイキが泣いているのか、それとも悔しさに歯噛みしているのかは分からない。

 

 分からないが、どうせ似たようなものだとは思う。

 

「つまんねぇな、ダイキとやら。大義とか正義に生きるんならもっといい戦場だってあるだろうに。本当に……つまんねぇトコに来たもんだぜ」

 

 



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第92話「間違いだけを、正すため」

 

「――ねぇ、今、つまんないとか思ったでしょう?」

 

 そう問いかけたメイアに、クラードは、いや、と応じる。

 

「俺が《レヴォル》に乗るための最適解だ。つまらないとは……」

 

「嘘でしょ。嘘だけは分かるんだ、ボク」

 

 メイアはミネラルウォーターを飲み干し、それから自分へと同じ商品を差し出す。

 

「ずっとシミュレーターじゃ疲れると思う」

 

「そんな事はない。俺は《レヴォル》に乗れる可能性が一ミリでもあるのなら、それに縋る。それだけだ」

 

「断言するんだ。……まぁ、いいとは思うけれどね。どっちにしたって、ボクもキミも、この船で飼い殺しにされているようなものだし」

 

「……不満でもあるのか」

 

「そりゃあね。ボクにレヴォルの意志が囁いたからって何なのさ。実験動物の扱いを受ける理由にはならないよ」

 

「……お前はそう考えるんだな」

 

 かつて自分に、実験動物で終わるなと説いた男の事を思い出す。

 

 その者は敵になったが、あれも見当違いの助言であったとは思っていない。

 

「なに、ここに来て燃え尽き症候群? 《レヴォル》に乗るんでしょ?」

 

「ああ。……だが俺と《レヴォル》だけが生き残ったって、結末はさして変化はないのかもしれない。ベアトリーチェは今頃、月軌道を目指している」

 

「奇しくもボクらと同じく、だね」

 

 メイアは窓の外へと視線を投げていた。

 

 暗礁の宇宙は何も答えない。ただただ、無情にも暗いだけだ。

 

「……月軌道に入れば、俺は目的を果たさなければいけない。俺の生涯を懸けてでも、果たさなければいけないミッションだ」

 

「《レヴォル》がただのMSじゃないのは分かるけれど、そこまで思い詰める事かなぁ? だって、キミだって一人の人間じゃん」

 

「いや、俺はあの日から……生き死にでさえも自由じゃない。俺の名前は……エージェント、クラード。エンデュランス・フラクタルの、特級エージェントだ」

 

 首から提げたドッグタグを弄る。

 

 最早、名前も擦り切れた代物、だが過去の自分を証明する唯一の術でもあった。

 

「……ねぇ、これから先、どうしたいのか、キミは考えないの?」

 

「これから先? ……月面に到達、そして俺の職務を全うする。それ以外にない」

 

「そうじゃなくってさ。例えばどう生きたいとか、どう生きていきたいとか。……将来への展望? よく分かんないけれど」

 

「分からないのに他人に説いているのか」

 

「そう言われちゃうと立つ瀬ないけれどさ、でも、生きていくってのは確かなんでしょ?」

 

「当たり前だ。俺はまだ、ミッションを果たしていない」

 

「……そのミッションって言うのが終わったら、キミはどうするの?」

 

「任務の次は新たな任務の始まりだ。それが俺の常だった……。だがこのミッションだけは、終生負っていくべきだろう」

 

「死ぬまでって事か。キミも囚われているねぇ」

 

「……囚われて何がいけない。人生は囚われてばかりだ。生きる事、戦う事もまた、囚われだろう。なら、いつだって戦い抜くしかない。それは別に俺だけじゃないはずだが」

 

「そうだね。目的はいつまでも目的のまま、手段と入れ替わりはしない。でも、それってさ。虚しくない? キミは、そんな虚無にばかり自分を投げているんだよ?」

 

「虚しさに肉体を囚われていてはライドマトリクサー施術なんて行わないさ。俺は俺の目的とする一つのために、俺と言う肉体を使い潰す」

 

「その先に待つのが死でさえも、か。キミは本当に、思い切ったらそれっきりって感じ。でも、それでも歩みだけは止めないんでしょう?」

 

「当然だろうに」

 

「……何だかなぁ。キミの生き方見ていると、胸の奥がきゅうぅ……って、締め付けられる気がする。きっとキミを近くで見ていた人達もそうだと思うよ」

 

 一瞬、脳裏を過ったのはアルベルトとカトリナであったが、そんなはずは、とそのビジョンを振り落す。

 

「……俺はずっと一人だ。一人で《レヴォル》を待ち続けていた」

 

「その《レヴォル》の行方でさえも分からなくっても?」

 

「分からなくても、何一つ俺のものでなかろうとも……。それでも戦い続ける。それが俺の、存在理由だ」

 

「……分かり切っている事は聞かない、か。キミは、それでも別に困らないんだろうけれど、キミを見ている人達はきっと、気が気じゃないんだろうね」

 

「それは相手の勝手だ。俺は何でもない」

 

 ミネラルウォーターで喉を潤し、クラードは暗礁の宇宙へと視線を投じる。

 

 月軌道に向かうにつれて明らかにデブリが多くなってきた。

 

 ミラーヘッドの段階加速を経ているこの艦でもさすがにそこから先はマニュアルだ。

 

 不沈艦という誉れを受けていても、死の臭気の強い宙域ではその姿を覆い隠す万能の外套は剥がさざるを得ない。

 

「……死に囚われているんだ。この宇宙も」

 

「出るのは……嫌だなぁ。こんな宙域」

 

「……お前でも恐れを成すのか」

 

「……それ、言い方。ま、いいけれどね。ボクは怖いもの知らずに見えるんでしょ」

 

「そうだと思っていた」

 

「案外、ボクも人間らしいんだよ。いくらRM施術を受けていても、こんなんじゃ、錆びついちゃう」

 

 メイアはギターをケースから取り出し、その弦を弾く。愛おしいものを撫でるように。

 

「……歌はいい。音階はボクを自由にしてくれる」

 

「音の連なりでもか」

 

「無粋な事を言うなぁ。音の連なりに意味を見出すのが人間なのに」

 

「……そんなものか」

 

 あの時、デザイア崩壊時にファムの歌っていた歌も、誰かを癒すための意味となったのだろうか。

 

 そう考えて、我ながららしくない考えだと自嘲する。

 

「……音に意味を見出すのは、人間だから、か」

 

「そうだよ。人間は音楽を生み出し、そしてリズムとテンポと、連なるミュージックに奏でるそれを見出した。ヒトはいくらでも音楽を、芸術を愛し、そして芸術に愛される。互いに奉仕の関係にあるんだ、人と音楽は」

 

「……奉仕と言うのは思いつかなかったよ」

 

「そう? ボクはそう思っているけれどなぁ。人間、誰しもが誰かに奉仕され、そして奉仕されている。それを忘れちゃうと人間お終いだよ」

 

 要は誰かが誰かを支えていると言う夢物語だろう。

 

 それはしかし、とうの昔に捨てた理論だ。

 

「そんなものに縋っていたって……いい事なんて何もない」

 

「キミは悲観的だね。でも、キミにだって音楽は似合う。そういうもんなんだ。誰かのための音楽はこの世に絶対に存在する。そうじゃないと、報われない魂ばっかりでどうにもならない」

 

「……どうにもならない、か。それだけには同意だな」

 

「キミって、ヤな奴だなぁ」

 

「言われ慣れているよ」

 

 メイアは少しだけ頬をむくれさせたが、それでも彼女はギターを弾けば次の瞬間にはその感情を忘れている。

 

「音楽は人の気持ちを癒しもするけれど、傷つけもする。この音楽だって、ミサイルやミラーヘッドと同じなんだ。使い方次第で武器にも成れば、癒しにも成り得る。だから、人間はこんなものとずーっと生涯を共にしてきた。昔なら、音楽に身を捧げた人間だって居た」

 

「……音楽、か。それはハイソだよ」

 

 いつか、アルベルトに言ったような言葉をここで吐くとは思っていなかった。

 

 メイアは微笑んでギターを弾き鳴らす。

 

「ねぇ、キミの歌を教えて。キミの歌を知りたいな」

 

「俺に歌なんてない。俺を意味する指標が残っていないのと同じように」

 

「それでも。人は歌を損なって生きていくなんて信じたくないな。ボクはそれだけの価値は残っていると、そう思っているけれど」

 

「穿ち過ぎだ。あるいはそれをロマンとでも呼ぶと言うのか? ……俺は歌なんてない。俺を意味する他の指標も」

 

「でも、《レヴォル》にはあると思うな」

 

 メイアは高い音階を奏でて鼻歌を口ずさむ。

 

 それが《レヴォル》の歌だとでも言うのか。

 

「……《レヴォル》は戦闘兵器だ。それ以外にない」

 

「そうかな? じゃあボクがあの子に感じている物は何なんだろう? 何か……あの子もまた、歌っている気がする。それはとても孤独な歌。一人で世界相手にか細い歌声を捧げている……」

 

「《レヴォル》は歌なんて知らない」

 

「それはどうだろうね」

 

『メイア。それにクラードさんへ。シミュレーションルームに赴くようにとの艦長命令です』

 

「ありゃ、ここまでみたいだね、談笑タイムは」

 

「無駄な時間を過ごすなと言うお達しだろう」

 

「それは違うんじゃない? 無駄だからいいんでしょ」

 

「……俺には理解しかねる感情だ」

 

 クラードはシミュレーションルームに向かいながら、一際強い輝きが窓の外で瞬いたのを目にしていた。

 

 ハッと、それは瞬間的な判断だったのだろう。

 

 目を保護し、自分に追従しようとしていたメイアを突き飛ばす。

 

「痛った……!」

 

「……これは。何が起こった?」

 

『艦内入電! 月面軌道にて、高出力熱源を関知! ……何これ。月軌道艦隊と何かが戦っている?』

 

「何かって!」

 

 叫び返したメイアにオペレーターはしどろもどろになっていく。

 

『えっと、これは……。月のダレトが開いて……高熱源を出力している? ……まさか、新たな……』

 

「――MFか」

 

 悟ったクラードは壁を蹴り、グリップを握り締めて格納デッキへと向かう。

 

 その背中にメイアは付いて来ていた。

 

「……どこへ行くの」

 

「分かり切っているだろう。MFが出たのならば俺が戦う。それが俺の終生のミッションだ」

 

「MF相手に《レヴォル》だけで向かうって? せっかく修繕したのに?」

 

「……《ネクストデネブ》の時には決定打が足りなかった。それにミラーヘッドジェルも少なかったからな。今ならば少しばかりはマシに戦える」

 

「マシに死ねる、の間違いじゃない? ……キミはきっと、死んじゃうよ」

 

「それでも、これが俺の任務ならば」

 

 格納デッキは今も喧騒に包まれており、メカニックは《カンパニュラ》と呼ばれた機体に取り付いていた。

 

「メイア! 《カンパニュラ》による斥候を出そうにも、重力変動磁場だ! 下手に出ると巻き込まれて撃墜されるぞ!」

 

「《カンパニュラ》の不可視領域で至近距離まで近づくのは?」

 

「自殺行為だ! 敵はダレトより現れたMFだって言うんだろう? なら、近づく前に蒸発する!」

 

「じゃあ何で、月軌道艦隊はまだ駆逐されていない?」

 

 割り込んだクラードにメカニックは当惑するが、恐らく、と言葉を継いでいた。

 

「今しがた送られてきた情報だが……月軌道艦隊に味方する二機の機体が前に出ている。それぞれ、MS、《ラクリモサ》と、そして四番目の聖獣……」

 

「まさか、《フォースベガ》が連邦艦の味方をしているって?」

 

「だから、分かんないんだよ! 情報が錯綜している! 今の判断は危険だ! その前に目的を果たさないといけない」

 

「待て。お前らの目的とは何だ? 月面軌道のマグナマトリクス社の本社へと帰投する事ではないのか?」

 

 その問いかけにメイアは苦々しい表情で応じる。

 

「……悪いけれど、それは方便。本音は違う」

 

「何だと……?」

 

「ボクら、ラムダの乗員はこのまま、マグナマトリクス社に《レヴォル》を献上した後、連邦との渡りをつけ、そのまま月面にて補給を受ける。《レヴォル》を手に出来たのなら、本社組は諸手を上げて歓迎するはずだった。彼らからしてみれば、想定外の一つを手中に入れられたようなものだし」

 

「……お前らの目的は最初から、《レヴォル》の接収にあったと言うわけか」

 

「しょうがないじゃん! ……命令なんだ」

 

 苦渋の選択とでもいうようなメイアの相貌に、クラードは最奥に拘束されている《レヴォル》を視野に入れ、タラップを足掛かりにして飛びかかっていた。

 

「あ、おい、待て!」

 

 待てと言われて待つわけがない。

 

 しかし、クラードは次の瞬間、メカニック達から一斉に向けられた殺意の銃口に僅かに身体を漂わせる。

 

「……動くな」

 

「……何だ、お前らも……つまらない奴らだったわけか。俺を撃ったところで、レヴォルの意志は答えない。お前らは持て余すだけだ」

 

「それでも……。渡すなと言うお達しだ」

 

 メカニック達の論調にクラードはほとほと呆れ返ったとでも言うように嘆息をつく。

 

「間違いを重ねるな、お前らは。俺と《レヴォル》は二つで一つ。片方だけ確保したって意味なんてない」

 

「だが《レヴォル》を渡せば我が方の優位は崩れる。……特に貴様には、渡すなと厳命されている」

 

「メイアが動かせるから、か。あるいは俺のほうが、《レヴォル》への適性値が高いか」

 

 銃口の殺意が蠢動する。

 

 四方八方から撃たれればさすがにまずいか、と醒めた思考で考えたところでこちらを狙っていたメカニックのうち一人が戸惑う。

 

 メイアが拳銃を握り締め、彼へと向けていたからだ。

 

「め、メイア……? 何を……」

 

「彼を殺させない。クラード。ボクは今、キミを行かせるべきだと思う。それは理屈だとかそんなんじゃない。きっと、本能の部分で、キミは月面に行くべきなんだと思う」

 

 まさかメイアは味方になるとは思いも寄らず、クラードは想定外の眼差しを投げていた。

 

「……だがお前が粛清されるぞ」

 

「それでも、同じレヴォルの意志に選ばれた同士じゃん。信じないのも嘘でしょ」

 

 メイアは自身の腕の鳳凰のモールド痕を翳して快活に笑ってみせる。

 

 彼女にとっては、これも一つの叛逆のうちなのだろう。

 

 クラードは静かに、手短に応じる。

 

「……感謝する」

 

「いいよ、そんなの。行って。行って間違いだけを正して来て」

 

《レヴォル》と自分とを隔てるシステムブロックに対し、クラードはライドマトリクサーの腕を翳してシステムを掌握する。

 

 多認証ロックを解除し、隔壁の向こう側に佇む《レヴォル》のコックピットへと乗り込むなり、各種インジケーターを確かめ、クラードは気密を確認していた。

 

「《レヴォル》、コミュニケートモードを10セコンドだけ解放。スクランブルをかける。……もう今さらメイアを知らないとは言わないな?」

 

『コミュニケートモードを解放。専任ユーザーです。“それは意見の相違だよ、クラード。本当に……この艦に行き着くまでメイア・メイリスと言う人間の記録はなかった”』

 

「機械に嘘をつく機能があるとも思えない。……レヴォルの意志の根底に触れるだけのシステム権限を持っているのか、あいつは。いずれにしたところで、このまま離脱するぞ。ラムダの甲板部を破る。ゲインをぶち上げろ……! 全力で撃つ!」

 

『“承知した。エージェント、クラードの認証コードを確認。このまま直上甲板部を貫通する武装を選択する”。コミュニケートモード解除、コード認証、マヌエル。武装承認』

 

《レヴォル》の蒼い眼窩に火が灯り、ぐっと直上を睨み上げた瞬間、両腕を突き出し、掌底の中枢に粒子束を収束させる。

 

「撃て――!」

 

 直後には、ラムダの偽装迷彩を揺らめかせ、《レヴォル》はその甲板から黒煙を棚引かせながら出現していた。

 

 電磁場と粉砕された箇所に消火用のガスが棚引き、《レヴォル》は管制室のあるブリッジを見据える。

 

 一瞬だけ交錯したのも束の間、クラードはラムダの甲板部を蹴り、急降下しつつ加速をかけて下方を流れていく。

 

 メカニック班の言う通り、そこいらかしこで戦闘が散発的に起こっているようであった。

 

「……月軌道で戦闘が勃発……。中心軸に居るのはMFか。だが、俺には別の目的がある。《レヴォル》、月面を走査。コード、“テスタメントベース”を確認しろ」

 

『了解。テスタメントベース、走査開始』

 

 走査の網が月面を探っていく。

 

 こちらの前情報通りなら、そう遠くない場所に存在するはずだ。

 

 クラードは次々と浮かび上がっていくポップアップディスプレイをさばきつつ、目的のそれを確認していた。

 

『確認。テスタメントベースは月面の裏側に位置します』

 

「月の裏側か。《レヴォル》の推進力だけでは疾走するのは難しいな。……だが。俺の計算通りならば、ここに来るはずだ。ベアトリーチェ」

 

 その言葉に導かれるかのようにミラーヘッドの段階加速を経た船体が直下に出現する。

 

 相手も驚愕したのだろう。

 

 まさか、《レヴォル》が直上から帰投するなど思っても見ないはずだ。

 

「信号受信。ベアトリーチェへ。こちら《レヴォル》、ランデブーポイントに入る」

 

『待って……。本当に《レヴォル》? クラードだって言うの? ……何てタイミングで、あんた……』

 

「バーミット、恨み言は後でたっぷりと聞く。レミアに繋げるか?」

 

『艦長に? ……でも今しがた、ミラーヘッドの加速を終えたばっかりで……』

 

『クラード。私ならここに居るわ』

 

「テスタメントベースは月の裏だ。この意味、あんたなら分かるだろう?」

 

 その意味を咀嚼するような沈黙の後に、レミアは応じて来ていた。

 

『……ええ、そうね。でも月軌道でこんな大規模な戦闘が起こっているなんて想定外よ。一度、ベアトリーチェに戻ってもらえるかしら』

 

「無論、そのつもりだ。足が足りないと思っていたところだしな」

 

 ベアトリーチェの甲板部に着地し、《レヴォル》は回頭してからブリッジを見据える。

 

『……驚いたわね。このタイミングであなたが帰ってくるなんてね』

 

「俺は必ず帰ってくると約束したはずだ。レミア、あんたはそれを分かっているだろう?」

 

『……ええ、その通り。でも私だけじゃないわ。あなたを必要としていたのは――』

 

『クラードさん? クラードさんなんですか!』

 

 回線に割り込んできた空気を読まない声に、クラードは眉根を寄せる。

 

「……もうちょっと慎みを覚えなよ、あんたは」

 

『クラードさん……よかったぁ……本当に、クラードさんなんですね?』

 

「何度も呼びかけないで。この宙域じゃ誰かに聞かれていてもおかしくはない」

 

『クラード。格納デッキに帰投してくれて構わないわ。整備班もあなたの帰りを待っている』

 

「言われなくともそのつもりだ」

 

 格納デッキに帰ってくると通信越しに歓声が上がる。

 

『本当に帰って来たんだな? クラード』

 

「ああ、世話をかけたな、サルトル」

 

『こいつぅ……! ……だがいいニュースばかりでもないんだ。ベアトリーチェは月面裏側を目指すが、この戦闘と……そして、我が艦の損耗具合じゃあな』

 

「……何かあったのか?」

 

 その問いかけに沈痛な面持ちを返す整備班に、クラードは予見する。

 

「……誰か死んだんだな?」

 

『ああ、ラジアルが……って、おい! ちょっと! アルベルト! 何やってんだ!』

 

 サルトルが呼び止めるよりも先にアルベルトは《マギアハーモニクス》に搭乗したまま、コックピットを開けて歩み寄ってくる。

 

《マギアハーモニクス》が主人の怒りを引き写したかのように、《レヴォル》の肩口を掴んでいた。

 

『……クラード。聞こえているな?』

 

「ああ、何だ」

 

『……ラジアルさんが死んだよ』

 

「……そうか」

 

『驚かないんだな』

 

「犠牲は付き物だ」

 

『そうか。……ラジアルさんはオレに教えてくれた。こんなオレでも守るに値するものが存在すると。オレはベアトリーチェのクルーとして、この艦を死んでも守るぜ。お前はどうなんだ? クラード。いくらMFが出たとは言え、それでも艦を無視して聖獣との戦いにもつれ込むような奴だ。もしもの時に信用出来ない』

 

『何言ってやがるんだ! クラードは今までベアトリーチェを守ってくれただろうが!』

 

『……オレは今のクラードに聞いてんだ……ッ! 本当にお前は……守ると思ってくれているのか? それは本音なんだな?』

 

 アルベルトはもう分かっているはずだ。

 

 分かっていて問いかけているに違いなかった。

 

「……俺は守ると信じ抜いたものだけを守る。この艦だって例外じゃない」

 

『だがよ……その中には、戦闘単位としての“人を守る”は、入っていないんじゃねぇのか?』

 

「……そうだな。何人犠牲になろうとも、それでも結果論で勝てばいいと思っている。それがエージェント、クラードとしての在り方だ」

 

『……やっぱしか。お前の言う事は、もう分かってるつもりだったがよ……。飲み込めねぇものも……あるんだよなァ……ッ!』

 

 コックピットを蹴って飛び出したアルベルトと、クラードは引き合うようにコックピットから這い出てそのまま中空でぶつかり合っていた。

 

 MSではない、生身の肉体で。

 

「クラードッ! てめぇは言ったな? ケジメをつけてないって! あのデザイアの戦場で! じゃあここでケジメつけようぜ!」

 

「……望むところだ」

 

 もつれ合い、互いに上下逆さまになりながらも、相手の襟元を掴み上げ、クラードはライドマトリクサーの膂力で投げ飛ばす。

 

 アルベルトはしかし、無重力での戦いを心得た様子で一回転して、壁を蹴った後に拳を見舞っていた。

 

 その拳を半身になってかわして鳩尾へと正拳を叩き込むが、アルベルトはそれを受け止めてにやりと笑う。

 

「ここまで来たな?」

 

 腕を掴んでそのまま、自分ごと急降下してデッキの床へと落下。

 

 そんな事、危険過ぎて死んでも出来ないはずなのに、今のアルベルトはやってのけた。

 

 鼻頭を打って鼻血が舞い散り、無重力に血潮が球となって浮かぶ。

 

「……やるじゃないか」

 

「クラードォッ!」

 

 自分もまた昏倒レベルでの打撃を負っているのに違いないのに、アルベルトは拳を見舞う。

 

 しかしふらついた拳一つ避けられないエージェントではない。

 

 命中寸前の拳を掌でいなし、そのまま肉薄――肘打ちで一気に顎を打って昏倒させようとして、アルベルトの瞳に宿った野性を感知し、クラードは咄嗟に蹴って距離を稼ぐ。

 

 アルベルトはその判断を下した時には、全身を使ったヘッドバットをかましていた。

 

 気づいたのはそれが炸裂してからだ。

 

 昏倒レベルに持って行かれたのは愚かにも自分のほう。

 

 クラードは血流が上へ下へと流れていくのを感じつつも、アルベルトの後頭部を掴み、そのまま膝頭で打ち付ける。

 

「言ったよね? その頭、無駄が多いって」

 

「……クラードォッ!」

 

「だから、何」

 

 アルベルトも鼻血を拭って血に汚れた腕で掻くように自分を捉えようともがく。

 

 クラードは離脱しようとして、その声を聞いていた。

 

「何やってるんですか! クラードさん! アルベルトさんも!」

 

「……あんた」

 

 その一瞬に気を削がれた刹那、アルベルトの固めた掌底が胸元を打ち、衝撃によろめいた肉体を掴み取って巴投げを極めてみせる。

 

 クラードは跳ねた身体を掻いて己を回転軸にしながら復帰し、再びアルベルトへと向かいかけて自分と相手の間をカトリナが降り立っていた。

 

「……こんな時に何をやって……! 二人ともっ!」

 

「……退いてください、カトリナさん。これは、ケジメなんす」

 

「……ああ、そうだな。退け。これは俺とアルベルトの問題だ」

 

「何を言って……! ようやく月軌道に至れたのに……!」

 

「そんなのは関係がないんだよ。俺は今、アルベルトとケリをつける。邪魔をするな」

 

「ああ、そうだな、クラード。どっちかが倒れるまでのタイマンと行こうぜ」

 

「……こういうの、吐いた側が負ける。それほどに喧嘩慣れしていないはずがないけれど?」

 

 互いに拳を振り上げて対峙しようとして、カトリナは声を弾けさせる。

 

「やめてくださいっ! 何で……こんな血塗れになってまで……!」

 

「血塗れだからだ。ああ、こんなにも鉄臭い。俺とアルベルトはただの血潮となって戦いっている」

 

「ああ、その通り。血の宿命は、ここでつけようぜ」

 

「らしくない口調だな、アルベルト。まるでハイソだ」

 

「やめて……っ! 誰か! 二人を止めてくださいっ!」

 

『そこまでですよ、お二方』

 

 響き渡ったのはピアーナの一声。

 

『これ以上の戦闘……いいえ、じゃれ合いを続けるのなら、ベアトリーチェ電子光学技師としての権限を用いて、貴方達をこのまま月に放り出したっていいのですよ』

 

「じ、じゃれ合い?」

 

 戸惑ったカトリナを他所に、自分とアルベルトはその言葉の赴き先を理解して、拳を仕舞う。

 

「……そう言われちまえば、オレは退くっきゃないな」

 

「ああ、そうだな。俺はそうでなくったってそんな時間はない」

 

 二人とも承服したので、間に降り立ったカトリナだけが困惑している。

 

「え、えっとー……どういう事なんですか?」

 

『要は二人とも、ちょっと遊びたかっただけでしょうに』

 

 ピアーナの指摘にはアルベルトも頬を掻く。

 

「いやまぁ、ケジメをつけるって言うのがなかったワケじゃねぇっすよ? ただまぁ、オレもいつの間にか線を引いていたって事だ、クラード。こうしてライドマトリクサーであるお前と血が出るまで戦ったのは……お前が凱空龍に入るってのたまった時以来か。あの時はデザイアでも特上の星が見えたよな」

 

「ああ、そんな事もあったな」

 

 凱空龍へと潜入する際に腕っぷしを見せてみろと一度だけ、アルベルトとサシでの殴り合いになった時がある。

 

 あの時は互いに偽っていた。

 

 だが今の自分と、そして彼の間には偽りも何もない、ただの野生だけが存在していた。

 

 そこには打算さえも存在しない。

 

 相手の事を真に受けとめるのならば、もつれ合い殴り合い、そして打ち合う覚悟が必要だっただろう。

 

 それを今の今まで、避けて来ただけの話。

 

 だが、今、アルベルトがそうしてくれたと言う意味は――。

 

「……ラジアルが死んだのは本当だったのか」

 

「ああ。あの人は死んじまった……。オレなんかを守って……オレが護らねぇといけない人だったのに」

 

「……で、アルベルトは後悔しているわけか」

 

「ちょっ……クラードさんっ! そんな言い方……!」

 

「ああ。マジに後悔だ。死んでも死にきれねぇ。……だから、生きる事にした。戦って、全員を守り抜いてな。その後に往生して死んでいくのが、オレの似合いの結末だ」

 

 こきりと首を鳴らすアルベルトの瞳を見返す。

 

 そこには迷いも躊躇いもない。

 

 踏み越えたのだと窺い知れた。

 

「……そうか。ただ生きるよりかは、いいんじゃないの。そのほうが、アルベルトらしい生き方だと、俺は思うけれどね」

 

 鼻血を拭ってクラードはサルトル達へと声を振り向ける。

 

「テスタメントベースへと赴く間、レミアに報告しないといけない事もある。一度艦長室に向かうよ。アルベルトは?」

 

「オレか? オレは……ギリギリまで《マギアハーモニクス》の調整をしておく。前回の戦闘で《アルキュミア》をお釈迦にしちまった。そいつに関しちゃ、ピアーナには顔向け出来ねぇからな。自分の愛機くらいは万全にしておくさ」

 

『そうです。わたくしの《アルキュミア》を大破させたのです。それなりのツケは払ってもらいますからね』

 

「……その割には元気そうだ」

 

 ぼやいてクラードは格納デッキを漂う。

 

 アルベルトとのケリはここで一応ついた。

 

 自分の知った事、そしてこれからの事をレミアに話さなければいけない。

 

「……俺は、《レヴォル》と共に叛逆する。そのためならば……」

 

「――待ちたまえ、クラード君」

 

 呼び止められてクラードは角を折れたところに居る男を目にする。

 

「……貴様は……」

 

「こうして直に会うのは久しぶりだな。識者、グラッゼ・リヨンだ」

 

 手を差し出してきた相手に、クラードは怪訝そうにする。

 

「……何のつもりだ。どうしてベアトリーチェに居る?」

 

「これは意見の相違かな? 私は捕らわれた《レヴォル》と会敵し、そしてベアトリーチェに君ほどの戦力がない事を確認して合流した。何か責められるいわれはない」

 

「……あるだろう。あんたは、俺に何のつもりで……」

 

「君と死合いたい。その一事でここまで戦ってきたのでは不服かね?」

 

「……死合う? 何を言っている」

 

「純粋に。強い者と戦いたいのは世の常だよ。私はその中でも純然なる意志を持って、君と真っ向勝負したいだけに過ぎない」

 

「……死狂いか」

 

「そう言われても何も言い返せないがね。だが私は君とまた会うためだけに、こうしてベアトリーチェの矛となって来た。一つ、言っておく事がある。……《レヴォル》は何機も居るのか?」

 

「……何機も? 何を言っている。《レヴォル》はたった一機だ」

 

「そうか。だとすればあれは本当に……《レヴォル》の先行量産機だとでも言うのか」

 

「先行量産機? そんなもの、あるはずが……」

 

「艦長にレコードの打診をしておくといい。確かに戦った。《オルディヌス》と言っていたか」

 

 全く聞き覚えのない機体名称に、クラードは眉根を寄せる。

 

「……《オルディヌス》……」

 

「それがラジアル・ブルームの命を奪った」

 

 思わぬ言葉にクラードは目を戦慄かせる。

 

 グラッゼは肩に手を置いて忠告していた。

 

「気を付ける事だ。アルベルト君、と言っていたか。彼からしてみれば因縁の機体。……先走るな、と私の口から言うのは容易いがもしもの時にブレーキになるのは君の言葉だろう」

 

「……ラジアルを撃った機体……」

 

「正直、私も驚愕していてね。大女優ラジアル・ブルームがこの艦に乗っていた事もそうならば、彼女の死も。まるで絵空事のようですらある。しかし、現実なんだ。現実だからこそ、重みを持つ」

 

「……現実、か」

 

 自分の居ない間にこのベアトリーチェの中も変わり果てたのかもしれない。

 

 だが今は、現実に足を取られている場合でもない。

 

「……俺は月の裏、テスタメントベースに向かわなければいけない」

 

「そこまでして、その場所には何がある?」

 

 その問いかけにクラードは静かに応じていた。

 

「……俺を構築する、全てが」

 

 



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第93話「テスタメントベースへ」

 

 いつものように書類を小脇に抱えて、カトリナはクラードを待つ。

 

 まさか、生きて帰ってくれるとは思っていなかった。

 

 だから、約束を果たさなければ――そう思ったのだが、何か決定的に何かが自分の中に足りない。

 

 地獄のような戦いを繰り広げたはずだ、MFとなんて。

 

 しかし、自分に何が言えるのだろうか。そう思うと、自然と及び腰になってしまう。

 

 いつもなら、何も考えずに一直線にクラードへと訪問するはずが、どうしてなのだかヴィルヘルムの医務室に訪れていた。

 

「おや、期待の新人。どうしたのかな? 何か具合でも?」

 

「いえ……いや、そうなのかもしれません。私、これまで身体で、全力で立ち向かってきました。こんなでも、出来る事があるはずだって。……でも、アルベルトさんとクラードさんの立ち合いを見て、分からなくなっちゃったって言うか……。ああやって、血塗れになってでも対峙する事が、本当に相手の事を理解する事に繋がるのかなって」

 

「いつになく弱気じゃないか。君らしくない」

 

「……私らしいって何なんでしょうね。だって、これまで私は二十二年しか生きていないんです。クラードさんのほうが、もっと短いはずなのに……それなのに私、クラードさんの生きざまに圧倒されているんです。もちろん、アルベルトさんや、他の方々にも。……だって、皆さんこの月面に来るまで色んなものを切り捨てて来た、その覚悟ってとてつもないじゃないですか」

 

「……物分りがよくなってしまえば時にそれは毒ともなる。君の場合は、賢しくなるべきじゃない。まだまだ、馬鹿の領分でいいはずだ。それが君だろう?」

 

「ば、馬鹿って……。まぁいいですけれど……。私、クラードさんの何に成れるのかなって、ちょっと思っちゃいました……」

 

「クラードは何を求めていると思う?」

 

「それは……分かんないですけれどでも……生半可な覚悟じゃないのは間違いないはずです。だって、あそこまでMFみたいな敵と戦えるのなんて……ただ漫然と生きているだけじゃないって分かりますから」

 

「クラードが怪物に見えるのかな?」

 

 思わぬところで正鵠を射てくるのだから、ヴィルヘルムも人が悪い。

 

「……かも、しれませんね。クラードさんが……私なんかじゃ及びもつかない……怪物に、見えてしまっているのかも……」

 

「だが怪物を殺すのは、いつだって人間だ。怪物同士の戦いでどっちが生き残るのか、という議論は不毛だよ。どのような怪物譚でも、それはやがて英雄譚に代わる。この来英歴のように」

 

「……来英歴……。教えてください、ヴィルヘルムさん、そこに何があるんですか? 何だってクラードさんはここまでして、月の裏側、テスタメントベースに?」

 

「それは、これから確かになる」

 

 ヴィルヘルムは佇まいを正し、支度を始めていた。

 

「……どういう……」

 

「わたしも同行するからだ」

 

「同行って……月面に?」

 

「ああ、そうでなければいけない。これでもわたしは有機伝導技師だ。もしもの時のクラードの意識モニターをするための要員となる」

 

「そのもしもって言うのが、テスタメントベースに待っているって言うんですか?」

 

「ああ、そうだ。わたしだけじゃない、サルトル技術顧問も赴くはずだ」

 

「わ、私も……っ。その、行かせてくれませんか……?」

 

「君も? ……恐らく許可は出ない。クラードだって許しはしないだろう」

 

「それでもっ! ……私知りたいんですっ! クラードさんがここに来るまで、何と戦ってきたのか。何のために、これまで自分を切り売りして来たのかを」

 

「……言っておくがテスタメントベースでの無事は保障出来ない。帰還までの道筋に安全な道なんてない。死んだらそこまでだぞ」

 

 そう言われてしまえば一瞬だけ戸惑ってしまうのが自分であったが、それでも、と拳をぎゅっと握り締めた。

 

「……それ、でもっ……! 私だけ置いてけぼりを食らうのは……だって嫌ですから……」

 

「……君のためを思って言っている……と言うのは、狡い常套句か」

 

「今さら無事も、何もないはずです。私は……私の心に後悔しないように生きていきたいんです……っ!」

 

「心、か。クラードは既に封殺したものだと、そう言っていたが、ここまで来るのに一ミリも信じてこなかったわけでもないだろう。クラードは絶対に言葉の上では肯定しないがね、彼は変わった。どこで心を得たのか、どこであんな風に戦うようになったのか、まるで分からない。わたしは、彼にクラードと言う名を与え、そしてエージェントとして教育した最初期の人間だ」

 

 思わぬ告白にカトリナは面食らう。ヴィルヘルムはそんな自分を見据えたまま喉元をさする。

 

「この喋り方も、この佇まいも、彼はそっくりそのまま真似たはずだ。エージェントとして、人格模倣は初歩の初歩だからね。アルベルト君達が人が変わったようだ、と言っていたのは恐らくそのためもあるのだろう。クラードはこれまで、数多の“取り繕い”の上に成り立っていた。それは彼自身の出自もだし、彼のこれまでの行動も、だ。何もかもを表層で取り繕い、そして全てを消し去って味方だと思ってくれた、そう言ってくれた人々を殺して、その上で彼の足並みは成り立っている。彼の足元は既に屍だらけなんだ、もう、ね。戻れない、とクラードが思っているのだとすればそうだろう。死んだ人間は戻らない。そして――裏切った過去はなかった事にはならない」

 

「……過去を、なかった事には……」

 

「後悔なんて一言も言わないが、クラードは元々、そこまで非情な人間だっただろうか、とわたしは時折思う。こんなでもね。彼は冷徹だが、冷酷ではない。そうするべきと規定した事を、全てにおいて成し得るだけだ。その点において言えばストイックでさえもあるだろう。しかし、それは彼にとって酷な道だったはずだ。わたしはあの時……戦場で拾った一つの命に、“クラード”の名を授けるべきではなかったのかもしれない……」

 

 それはヴィルヘルムの口から漏れた初めての後悔――否、懺悔だったのだろう。

 

 クラードを、彼をエージェントにするべきではなかった。それはきっと、拭えぬ過去の痛み。

 

 だがカトリナは知っている。

 

 クラードは決して、後悔だけで生きているわけではないのだと。

 

「……大丈夫ですよ。クラードさん、それだけでエージェントをしているわけじゃありませんから」

 

「……大丈夫って、君が何を……」

 

「何を知っている、って思われるかもしれませんけれどでも……クラードさん、約束してくれました。私みたいなのと約束を。だから! 帰ってきたら私、オムライスを作るんですっ! クラードさんのために、ふっかふかのオムライスを!」

 

 こちらの言葉があまりにも常識外れに思われたのだろう。

 

 茫然とするヴィルヘルムに、カトリナは言いやる。

 

「だから、ヴィルヘルムさんも後悔なんてしないでください。クラードさんもきっと、そう言ってくれるはずです。ここまで来るのに、無駄なんてなかった。この場所に到達するのにきっと、意味がないなんてなかったはずだから、って」

 

「……驚いたな。君に諭されている」

 

「そうでしょう? 私、これでも他人を叱るのは得意だったり!」

 

 茶化すと、ヴィルヘルムはようやく、微笑んでくれていた。

 

「……まったく。君のような期待の新人に最後のきっかけの背中を押されるとは。わたしもある意味じゃ、焼きが回ったとでも言うのかな」

 

「な――っ! 言い方っ!」

 

「いや、これは事実だから“取り繕わ”ないほうがいいだろう。誰かを煙に巻くような言葉ではないのだから。……カトリナ・シンジョウ君。感謝している。テスタメントベースに向かうための心構えが、まさか君の言葉だとは思いも寄らない」

 

「……私も、まさかヴィルヘルムさんにこんな事言っちゃうなんて、思いも寄りませんでした。でも……」

 

「でも行くんだろう? 強情だな。だが、それも気に入った。艦長に許可は取り付ける。君は格納デッキに向かうといい。強襲用のシャトルを使う。サルトル技術顧問と一緒に居れば、連れて行ってもらえるはずだ。もしごねるようならわたしが許可したと言ってくれればいい」

 

「……ヴィルヘルムさん……」

 

「わたしは君のような人間に、クラードを想っていて欲しいのかもしれないな。彼は独りではないのだと、どこかで納得するために。だがそれはわたしのエゴか」

 

 それでも、否定も肯定も出来ないまま、ヴィルヘルムはカルテや様々な機器を手に医務室を後にする。

 

 もう帰ってこられないかもしれない。

 

 そんな医務室の風景は、いつもより物寂しい。

 

 格納デッキには、既に居合わせていた強襲用のシャトルに乗り合わせる人員がノーマルスーツを纏っている。

 

「おい、期待の新人……。まさか、あんたも来るのか?」

 

「あ、はい……っ! 私だって、出来る事があるはずですっ!」

 

「出来る事ねぇ……。どっちにしたって、他人の命なんて頓着出来ないんだぞ? 自分の身は、自分で守れよ」

 

 差し出された拳銃を躊躇いつつもカトリナは握り締める。

 

「にしても、あーしからしてみても意外っす、カトリナ嬢」

 

「トーマさん……。はい、私も意外でしたけれどでも、ここで付いて行かないほうが、もっと怖いって思いましたので」

 

「ふぅーん、いい事っすよ、それ。きっと」

 

「《レヴォル》の最終点検は? どうなっている?」

 

「ああ、クラード。おれ達が帰る頃には、きっと出来上がっている。そうだよな? みんな!」

 

 整備班の、応! と言う声にクラードは応じてパイロットスーツに袖を通す前に自分を発見していた。

 

「……あんたも来るのか」

 

「あ、はい……っ! だって付いて行かないと、クラードさん、どこかに行っちゃいそうですし……」

 

「危険な宙域だ。レミアの情報と摺合せた結果、新たなMFの出現かもしれない。それに月軌道艦隊を守る不明な機体も居る。……素人が口出し出来るような状況じゃない。明らかに生死の是非を問う場所だ」

 

「……それでも、クラードさんが行くんなら私、行きます……っ。だって、委任担当官は私が任せられた仕事で、そしてこれからもきっとっ! クラードさん達のための仕事のはずですからっ!」

 

「……俺達のための仕事、か」

 

「心配は要らねぇ。オレも付いていく。なに、もう下手な事はかまさねぇ。オレは、オレの信じるもののために戦うんだ」

 

「ヘッド、おれ達はベアトリーチェを守るぜ。……ラジアルさんが命張って守ってくれた場所だ。あんたが帰ってくる場所でもある」

 

「……お前ら……ったく、言ってくれるぜ」

 

 少しだけ涙ぐんだのを目にしたが茶化すのはよしておく。

 

「あんた、カトリナとかだったな?」

 

「もうっ。そろそろ覚えてくれません?」

 

「行き帰りの保証の出来ない旅路だ。命を預けるに足る相手でもある」

 

「……どういう……」

 

 クラードはライドマトリクサーの手を拡張させる。

 

 剥き出しの機械の腕はしかし、以前のような嫌悪感はなかった。

 

 ――それは人を守るための腕だからだ。

 

 今はそれがハッキリと分かる。

 

「握手して欲しい。俺が命を預けるに足ると、そう感じた相手にだけ、このライドマトリクサーの腕を触らせる事にしている」

 

「うっわ、めっちゃレア……!」

 

 トーマの声を受けつつ、カトリナはおっかなびっくりにクラードの機械義肢に触れていた。

 

「……あったかいですね」

 

「ライドマトリクサーの部位に熱は通っていないはずだが」

 

「そういう事を、言っているんじゃないんですよ、もうっ」

 

 微笑み一つでクラードへと返答し、そしてきっちりと握手するように、その部分を握り締める。

 

 これで命一つ、預ける覚悟は出来たようなもの。

 

「……アルベルト。お前にも……」

 

「いや、オレはやめておくぜ、クラード。だって、そんな縁起でもねぇ、命を預けるなんてな。オレ達はだって、いつだって背中合わせだろ? きっと、これからも」

 

 背中を預けるのなら、腕を握る必要はない。

 

 相手を認めるのに、格式ばった言葉や動作は必要ないのだろう。

 

「……そうだったな。いつだって、アルベルトは……俺に切り込みを任せてくれていた。今もまた、そうなんだな?」

 

「分かっているじゃねぇか、クラード」

 

 だから、今はこの二人がその手を取る必要はない。

 

 つい先ほどの殴り合いで、既に絆は確かめ合ったのだから。

 

「……行かなきゃいけない。《レヴォル》の整備は任せておく。テスタメントベースに《レヴォル》を持って行けば、それだけで警戒される。《レヴォル》は俺達の切り札だ。出来るだけ温存しておく」

 

 視界の隅に映った《レヴォル》は、今もまた改修作業が行われていた。

 

 大仰な鎧に身を包み、全身これ武器とでもいうような装備に身を包んでいく。

 

「……また、《レヴォル》が強くなる……」

 

「MFと戦うかもしれない。最後の形態――《フルアーマーレヴォル》へと換装する」

 

 クラードはパイロットスーツに身を包み、自分もまたノーマルスーツに袖を通していた。

 

「……分かっている、カトリナ。これがきっと……最後の戦い……」

 

 自分に言い聞かせ、そして迷いを振り切って向かう。

 

 彼らと共に、月面に降りるために――。

 

 



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第94話「偶像の神殿」

 

「よかったのですか? 艦長は付いて行かなくって」

 

 そう尋ねたタジマにレミアは管制室でノーマルスーツに身を包みつつ応じていた。

 

「……私はあの場に相応しくないもの」

 

「ですが、エージェント、クラードの理解者の一人でしょう? あなたは」

 

「……私は理解者であって同伴者じゃないの。私の仕事は、このベアトリーチェを轟沈させないようにする事。ただでさえ戦闘宙域。その死の臭気は依然濃くなっているわ。きっと、MFがその禁を破った」

 

「メインモニターに、月軌道艦隊と戦闘を繰り広げている対象を表示します。……でもこれは……悪い夢だって言って欲しいわね」

 

「バーミット、映してちょうだい」

 

 そこに映し出されたのは巨大な歯車を思わせる機体であった。

 

 ちょうど「8」の字に映る灰色のモニュメント――そう、それはモニュメントであって決して戦闘のために研ぎ澄まされた代物ではないはずだ。

 

 だと言うのに、今も推進力を持ってその対象は戦域を蹂躙していく。

 

「対象識別、月軌道艦隊より傍受。……MF06、《シクススプロキオン》と呼称」

 

「《シクススプロキオン》……」

 

「第六の聖獣ですか。艦長、今は戦う時ではないとは言え、エージェント、クラードが帰還した際にはあれと交戦するように命令しなければいけません。酷な事を言っているとは思いますが……」

 

 肘掛けをぎゅっと握り締める。

 

 今は、クラード達の帰還まで決してこの艦を墜とさせやしない事だ。

 

「……総員、MF06、《シクススプロキオン》と呼称されるこの対象を観測。月軌道艦隊との戦闘には出来るだけもつれ込まないように。今は、戦力だって削られている、出来るだけ安全牌を――」

 

 そこで言葉が無理やり区切られる。

 

 衝撃波が艦内を揺さぶり、レミアはよろめいてしまう。

 

「状況は!」

 

「艦後方より、敵の襲撃を関知! トライアウトネメシスです!」

 

「……こんな時に追ってくる……! 《マギア》部隊、出撃を許可します! クラード達が帰ってくるまで、絶対にこの艦を死守して!」

 

『了解!』

 

 トキサダ達が出撃するなり、ミラーヘッドの加速度に身を浸し、展開された分身体を率いてトライアウトの軍勢との戦闘にもつれ込む。

 

「……不幸中の幸いと言えば、この乱戦域……ミラーヘッドオーダーが受諾されていない事くらいね……!」

 

 レミアはその事実を噛み締めながら手を払っていた。

 

「この月面宙域で足を止めている時間はありません! ピアーナ! 敵へと電子攻撃を敢行!」

 

『了解。にしてもまったく、人遣いの荒い事』

 

「……あとでどうとでも取り繕うわ。何なら一つだけ言う事を聞いてあげる」

 

『その言葉、忘れないでくださいね。……敵のミラーヘッド干渉波へと介入。相手のミラーヘッドの速度をレイコンマ3遅らせます』

 

「……充分よ。クラード達がテスタメントベースに辿り着くまで、情けない姿なんて見せていられないもの! ベアトリーチェ、百八十度回頭! トライアウトネメシスと正面から……戦います!」

 

 ――そう、ここが自分の戦場だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャトルは推進剤を焚きながら静かに月の裏側に向かう。

 

 まるで月軌道の戦いの喧騒から外れたように、強襲用の機体は制動をかけていた。

 

「……でも、本当に……月の裏側にこんな大規模な……」

 

 カトリナが絶句したのは月の裏側――陰に位置する部分の大半を占める巨大な銀盤の基地を目にしたからだろう。

 

 こんなものが存在するなど、まるで聞いていない。

 

「……何のためにこんな基地が?」

 

「テスタメントベースは月に保存された種の記憶だと言われている。曰く、ここには全てがあるのだと」

 

「……全て……」

 

 ヴィルヘルムの言葉を受けてカトリナが舷窓に目線を振り向けたその時には、テスタメントベースの隔壁へとシャトル下部に位置する炸薬が弾けていた。

 

 そのまま銀盤に穴を空け、シャトルはゆっくりと降下していく。

 

 全ての信号が正常な値を観測してから、まずはサルトルから降りていた。

 

「よし、今のところは勘付かれた様子でもない」

 

「……勘付かれるって……連邦の月軌道艦隊に、ですか?」

 

「……そいつらだけならまだ可愛いもんさ」

 

 何か、サルトルもヴィルヘルムも警戒しているようであった。

 

 その手に携えたアサルトライフルを振り向けてから、クラード達をようやく手招く。

 

「クリア。降りて来い、クラード」

 

「そんなの、俺のほうが慣れてる」

 

「これから戦うお前を損耗なんてさせられん。いいから、おれ達に露払いは任せておけ」

 

「……今だけは預けるよ」

 

「ああ。前を行く。トラップがないとも限らんからな」

 

「……いや、その心配も必要なさそうだ」

 

 そう言ってヴィルヘルムが目線を振り向けた先に居たのは、一機の機械人形であった。

 

 簡素なボディパーツに曲面構成で成り立つ躯体は銀色に輝いていた。

 

「……自走人形(オートマタ)か」

 

 サルトルは殺気を向けるが、相手は赤い信号を発するなり、光通信を試みてくる。

 

「“我、抵抗の意思なし”? ……信じられるかよ」

 

「サルトル、もしもの時は俺が撃つ。今は水先案内人を信じよう」

 

 クラードがサルトルの銃を降ろさせると、オートマタはそのまま踵を返し、ゆったりとした足取りで通路を先導していく。

 

「……こっちに来いって、言っているみたいですけれど」

 

「……いいか? 期待の新人、今だけは自分の身は本当に自分で守れよ? おれ達に頼ったって、何が待っているのか分からんのだからな」

 

 カトリナは固唾を呑む一方で、前を行くオートマタのメンテナンスの整った様子に声を発する。

 

「あの……あのオートマタ……何だかいつでも私達を手招けたような……」

 

「ああ、そうだろうな。テスタメントベースではああいうのがまかり通っている。……この支配域は、まだ“奴ら”の領域だという事か」

 

「……“奴ら”?」

 

 忌々しげに口にしたクラードへと言及する前に漆黒の空間に歩を進めていた。

 

「……とても広い空間みたいですけれど、真っ暗ですよ?」

 

「待ってろ。明かりならいくらでも用意はしてある。……ここはメンテナンスルームか」

 

 サルトルが明かりを灯し、周囲を見渡すがまるで全体像はぼやけたままだ。

 

 アルベルトは壁に手をついて、その瞬間、重々しい投光器の音を立ててメンテナンスルームが露わになっていた。

 

「……宇宙が……頭上に……」

 

 月のトワイライトが瞬き、頭上――月軌道艦隊とMFとの戦いを引き写している。

 

 それと同時にアルベルトが絶句したのが伝わる。

 

 彼の目線はこのメンテナンスベースの壁を構築している無数の残骸――オートマタのカプセルを目にしていた。

 

「……こいつぁ……」

 

「ここで管理されているんだ。オートマタはそれぞれ、奴らの支配領域のために」

 

 クラードは落ち着き払って周囲を見渡してからヴィルヘルムとサルトルに声を飛ばす。

 

「どこかにメンテナンスブロックがあるはずだ。それはきっと、《レヴォル》と等しいだろう」

 

「ああ、そうだろうが、しかし……ここはまるで死体の山だな」

 

 その風景に何か思うところがないわけではないのだろう。クラードは壁に埋め込まれたオートマタの相貌を見据えて、赤い瞳を伏せる。

 

 そんなクラードを見るのが嫌で、カトリナはその手をぎゅっと握り締めて頭を振っていた。

 

「……クラードさんのせいじゃないですよ」

 

「……分かっていても気分のいいものじゃない。これまで俺が積み上げてきた死骸の山と、似たようなものだ」

 

「で、でも……っ! クラードさんが彼らを殺したわけじゃ……!」

 

「今は騒いでいる場合じゃないぞ。これがメンテナンスブロックか。……にしても、一昔前の制御ルーティンだな、これは。解析には時間がかかるかもしれん」

 

 サルトルは早速、解読作業に入っていたが、カトリナはその間、じっとこちらを見据え続けていた。

 

「……何」

 

「いえ、そのぉー……クラードさん、前にここに来た事でも?」

 

「いや、ない。俺の記憶上、テスタメントベースに来るのは初めてだ」

 

「でも、それにしては落ち着いていらっしゃるって言うか……《レヴォル》に乗っている時みたいに穏やかなので……」

 

「……かもしれないな。ここは《レヴォル》のコックピットに感覚が近い。死骸の山だけじゃない、何かが……俺の中の何かがこの施設に感じているのかもしれない」

 

「何かって……」

 

 サルトルは端末のキーを叩きながら、それにしてもとぼやく。

 

「解析作業は難航だな、しかし、どれもこれも古臭い接続口ばかりだ。今どき16進法の制御なんざ、こんな辺境地じゃなけりゃいつハッキングされるか分かったもんじゃないぞ」

 

「オートマタ以外の機材もすごく古いですよね? これって……投射画面じゃなくって……実体のある、えっと……」

 

「液晶って言うんだ。今じゃ取って代わられた技術さ」

 

 オートマタの墓場の中央にうず高く積み上がっているのはそんな今や古めかしい技術の粋だ。

 

「サルトル技術顧問、最新鋭の解析機じゃ、逆にらちが明かない。何か……テスタメントベースの情報は……?」

 

「そんなのあったら苦労しませんって! ……地道ーにパスワードを入力するなんて、中坊の時にハッキングの真似事をした以来だな、こりゃ……」

 

 困り果てたサルトルへと、クラードはふと何かを感じたように一言漏らす。

 

「……この感覚……サルトル、ためしにこいつをゲーデル数で変換してみてくれるか?」

 

「お前のコールサインか? 役に立つとは思えんが……」

 

「頼む。何だかここは……嫌な感じと同じくらい……懐かしいんだ」

 

「懐かしい? まぁ、エージェントの勘だ。おれ達は従うさ。ハズレくじでも試してみるか、……っと!」

 

 0と1の羅列。それはある一定のパターンを示している。

 

 その波長パターンが入力された直後、認証のコードが液晶画面を波打った。

 

「嘘だろ、入った? ……と、いう事はこいつは……」

 

「おい、こりゃあ……!」

 

 アルベルトが息を呑んだのも無理はない。

 

 室内全体を満たすような星の内海の輝きは、蒼白い閃光――。

 

「ミラーヘッドの……輝き……?」

 

「こいつぁたまげた……! この部屋の壁全体に使われているのは、ミラーヘッドジェルを硬質化したもんだって言うのか……!」

 

 サルトルの驚愕にカトリナは魅せられたように呟く。

 

 星々の輝き、命の灯火を宿した月の裏面。

 

「……綺麗。流れ星みたいな……」

 

 クラードはその途端、機材の中に埋もれていたプラグを抜き出していた。

 

「このプラグは……古いけれど、この規格は確か……」

 

 片腕をライドマトリクサーに展開させ、直後にはクラードはプラグを差し込んでいた。

 

 途端、彼は痙攣したかのように直上を仰ぎ、奥歯をぎりと噛み締める。

 

「クラードさん! 何を……!」

 

「やりやがった……! テスタメントベースの中枢システムにライドマトリクサー接続でアクセスするなんざ、そいつは電子の大海原にお前の人格を放り投げるもんだぞ!」

 

 慌ててサルトルが駆け寄ろうとして、クラードの手に制される。

 

「く、クラードさん……?」

 

「まだ、待ってくれ。……こいつの電子接続はRM施術痕に合致する。下手な時間をかけるよりも……このほうが、素早い……!」

 

 クラードの真紅の瞳が光を灯し、接続口に繋げたプラグを一本、また一本と増やしていく。

 

「やめろ! クラード! 脳幹が焼き切れちまうぞ!」

 

「クラードさん! やめてください! あなたがそこまでする必要は……っ!」

 

 クラードの躯体が跳ね、その場に崩れ落ちる。

 

「おい、クラード! マジにヤバいんじゃないのか、そいつぁ!」

 

 アルベルトはその肩を引っ掴んだが、クラードからの返答はない。

 

 まさか、と息を呑んだ自分とアルベルトはしかし、直後のサルトルの言葉に追及を遮られる事になる。

 

「……二人とも、落ち着け。こいつを見てみろ」

 

「これが落ち着いて――! って、何だ、そりゃあ……」

 

 液晶画面が砂嵐を映し出し、直後には幾何学構図とクラードの識別番号が認証されていく。

 

「これ、って……」

 

「この端末にクラードがアクセスした証拠だ。……しかし大したもんだ。何世紀も前の急ごしらえなスペックだってのに、ライドマトリクサーの機能の大半を読み込んでいるとはな……」

 

 液晶上に映し出された波形パターンに、カトリナは閃くものを感じていた。

 

「これって……どこかで見たような……」

 

「レヴォル・インターセプト・リーディングの波形パターンに酷似しているな。もっとも、技術力は雲泥の差だが……」

 

 ヴィルヘルムの補足でようやく、カトリナはそれがピアーナの解析したレヴォルの意志の波形パターンそのものだと認識する。

 

「……あの時の……」

 

「基礎概念が同一なのか? ……あるいは……いや、まさかな」

 

 そう言って笑い話にしようとするのを、サルトルは己の自我で必死に押し留めているようであった。

 

 しかし、その赴くところをヴィルヘルムは指摘する。

 

「サルトル技術顧問、既知の事実から目を瞑るべきではない。……ともすれば、これは兄弟機か、それとも相互間を有している以上、試作機の可能性は高い」

 

「えっとーあのぉー……つまりどういう?」

 

「……アルベルト君、君から説明して欲しい。わたし達では専門的がために、これは理論でしか説明出来ない」

 

「オレ? オレっすか……。っとー……つまりはこのテスタメントベースの中枢そのものが、《レヴォル》の兄弟機か試作機ってこたぁー……、ここが《レヴォル》と同じ代物の腹の中だって?」

 

「……あるいは脳内、と形容してもいいかもしれない。ここはレヴォル・インターセプト・リーディングと同質の、中枢頭脳だ」

 

「……嘘でしょう? ここが、《レヴォル》の頭ん中だなんて……」

 

「《レヴォル》の……中……」

 

「正しくは《レヴォル》と同型機の脳髄と言ったほうがいいかもしれない。……テスタメントベースそのものが、《フィフスエレメント》の末端頭脳か、あるいはその来訪を歓迎するための躯体だという事だ」

 

「《フィフスエレメント》って……」

 

「あ、それはその……オレから説明させてください。言っちまえば、ここは《レヴォル》の兄貴か親父みてぇなもんだって事です」

 

 何だか重要な何かをひた隠しにされているようであったが、それでも分かったのはアルベルトの聡明さだ。

 

「すごいっ! アルベルトさん、解るんですか? 私にはさっぱりなのに……」

 

「いやぁ、ここに来るまで色々と叩き込んだのもあるっつーか」

 

「いや、大したものだ。それでともすれば学者の素質もあるかもしれない」

 

「お、オレが学者? いや、向いてねぇっすよ」

 

「でも、アルベルトさんに解るのに、私に分からないのも……何だかなぁ……」

 

「へそを曲げているような事態じゃないかもしれないぞ、期待の新人。――来るぞ」

 

 何が、と言う明瞭な主語を欠いた言葉であったが蒼い色相が蠢動したかと思うと、それらは波のように一斉にクラードの体内へと押し寄せていた。

 

「……クラード、聞こえているな? 何が視える?」

 

『……光だ。これは……光だけが情報として……』

 

 カトリナは絶句する。

 

 クラードの声帯を震わせたのはまるで機械音声そのものであったからだ。

 

「クラード! おい、何が視えているんだ! 意識をハッキリと持て! 自我境界線を侵犯されているのか……!」

 

 サルトルは大慌てで端末を展開し、クラードのライドマトリクサー施術痕に差し込もうとして、直後に叩き込まれたクラードの蹴りに遮られていた。

 

「危ねぇッ!」

 

 アルベルトが吹っ飛ばされたサルトルを押し止めたからよかったものの、今のは必殺に近い一撃であった。

 

 その予兆にカトリナは震撼する。

 

「クラード……さん……?」

 

「サルトル……さん。何が起こってるって言うんだ、こいつは! オレにも分かるように言ってくれ!」

 

「お、恐らく……だが、膨大な情報にクラードの自我が押し戻されている。心拍や脳波は同期していて正常でも、その中身を……このテスタメントベースそのものが乗っ取ろうとしているのか……」

 

「おい! それってマジにヤバいんじゃねぇのか!」

 

「クラードさんの、中身って……」

 

「人格や自我、あるいはこれまでの経験則と言った様々な要因……。クラードを彼たらしめる全ての要素を、テスタメントベースが塗り替えようとしている。だが、それは上塗りだ。エージェント、クラードの全てが情報の波に圧死されて……欠片も残らないぞ……!」

 

 ヴィルヘルムの紡ぎ出した事実に、カトリナは驚愕してクラードへと歩み寄ろうとしたが、それを制したのはサルトルだ。

 

「行くんじゃない! ……今のクラードの内面が何者なのか……おれにも分からんのだからな」

 

 踏み止まろうとしたカトリナだが、それでも、と前に進む。

 

「それでも……っ。クラードさんはクラードさんのはずですっ! はずなんですっ! ……だったら、ここで手を伸ばさないのは、嘘になっちゃうからっ……!」

 

 それもこれも、委任担当官として――だけではない。

 

 彼を想うのならば、ここで一歩踏み出さないでどうするのか。

 

 クラードへと触れかけて、その体躯が浮かび上がっていた。

 

 蒼白い輝きを帯びたクラード自身が、絶対者のように自分達を睥睨する。

 

 刹那、光の粒子が弾け飛び、それは六翼を広げた天使を想起させていた。

 

「……クラード……なのか?」

 

 そう問いを重ねたのはアルベルトだ。

 

 無理もない。

 

 自分も目の前の光景に圧倒されている。

 

 その中でも平静を保っていたのはサルトルとヴィルヘルムだ。

 

「……テスタメントベースの情報統合が成されたエージェント……これも計算のうちか。エンデュランス・フラクタルの……」

 

「いや、そこまで計算はされていないはずだ。……存外わたしも詰めが甘かったのかもしれないな。しかし、これで全てが繋がる……。来英歴――この世界の始まりを物語る、その遥か以前のピースが……」

 

「世界が、始まる前……?」

 

 茫然と呟く自分に対し、アルベルトは当惑の声を上げていた。

 

「どういう事だっっつーんすか! クラードの奴はどうなっちまったって……!」

 

「……もう、あれはクラードではないのかもしれない。テスタメントベース……その神秘に触れ、そして彼は覚醒の時を迎えようとしている……。《フィフスエレメント》の赴く向こう側、ダレトの果ての技術へと……。元々の欠落点を補強しようと言うのか。遥かなる天上の聖獣の意志よ……」

 

「おい! それっぽい事言ったって、今はクラードが――!」

 

 ヴィルヘルムへと掴みかかったアルベルトに、彼は冷静に告げていた。

 

「有機伝導技師が、特定の記憶を消去出来るように、とある特定の事象を操作する技術である事は、既知のはずだね?」

 

 まるでこの状況でも、ヴィルヘルムは教鞭を振るうような平時の声で全員へと視線を流す。

 

 それはこの状況を半ば読めていたかのようなサルトルにも、状況に翻弄されるしかないアルベルトにも、――そして何もかもが分からないまま、ただ巻き起こった出来事だけを反芻する自分にも、空を覆う星のように平等にもたらされていた。

 

「……有機伝導体操作技術……」

 

「それって……あんたの専門じゃないのか?」

 

「わたしの専門だとも。だからこそ、こうして率先して事実を列挙している。特定の記憶を消去出来る、という事は翻れば、それはその情報の保管も可能だという事だ。この端末はレヴォルの意志にとても似ている。いや、それこそ親子の関係かも知れない。あるいは、予め用意されたアダプタのようなものか。そして《レヴォル》に酷似した存在という事は、このテスタメントベースそのものがクラードの意識を共有出来る、そういった施設である可能性も高い。だがテスタメントベースを我が社が観測したのは、遥かに以前……ダレト出現と前後している。つまりその前から、膨大な時間と遠大な予算、そして気の遠くなるような時間をかけて、この場所に印を刻んだものが居るとすれば……」

 

「……全ては禁じられたメモリーの保持。そのための……ここは墓標か。なるほど、あいつが気分が悪いのと同時に、って言ったのも頷けるな。ここはクラードの打ち立てて来た敵の墓標でもあり、そしてあいつの深層心理そのものを暴く、そう言ったモニュメントだって事か」

 

「無論、十年や二十年、ダレト出現と同期しての情報網ならエンデュランス・フラクタルの深層にも存在する。しかし、これはその遥か以前……何百年……いや、何千年か?」

 

「おいおい、さすがのそれは飛躍し過ぎだろ……! このテスタメントベースの感じから見て、何千年なんてあるはずがねぇ!」

 

 しかしアルベルトの声は震えている。

 

 それは恐れからだったのかもしれないし、何よりも――それをある部分では理解出来てしまう自分にも、だったのかもしれない。

 

「優れたシステムを維持し、データを劣化させないとなると話は別だ。常に時代に合わせた端末は必須になるが、それはかつての大昔、人類有史以前の、霊長が壁に刻んだ抽象画の歴史と重なる。そう、霊長はこうして、星の記憶を紡いできたんだ。その一端が、ここにあるのだとすれば……」

 

「……待って……。クラード……さん?」

 

 浮遊するクラードの像が四方八方より放たれし光によって色相をぶれさせる。

 

 否、それはそのような生易しい光景ではなかった。

 

 ライドマトリクサーの彼自身の体内より、浮遊する粒子が凝固し、形作ったのは老爺の形状であった。

 

 クラードの姿とぶれるように、粗い画素の老人が浮かび上がる。

 

「……このテスタメントベースの主か」

 

 銃口を向けたサルトルはしかし、オートマタが恭しく頭を垂れたのを目にして驚嘆に目を見開いているようであった。

 

 その一機だけではない。

 

 起動した残骸のオートマタ達が、それぞれ足を失い、手をもがれ、そして頭部を損なっていても、それでもクラードと一体化した老人へと敬意を払う。

 

 それはまるで、人が神を信奉するかのように――。

 

「何が起こってんだ! クラード!」

 

『……クラード、それが彼の者の名前か』

 

 今度は電子音声ではない。

 

 その声音そのものに歴史を重ねさせた、神秘の世界からの来訪者の声であった。

 

『お初にお目にかかる。とは言え、我は彼とのリンクで既に君達の素性も、それに境遇も把握している。目の前に逢った事もないが見知った人々が並び立つと言うのはいささか気味の悪い興だが、なるほど……悪くはない』

 

 老人のビジョンと一体化したクラードが静かに首を垂れる。

 

 その動作だけでオートマタ達より何か、火花のような音が連鎖的に漏れ聞こえてくる。

 

 カトリナには、それがまるで人間がそうするような拍手喝采に聞こえていた。

 

『しかし、これも成果の形だ。今一度、君達に感謝しよう。こうして時を超えた邂逅を果たせた事、それは我が計画の一部であり、そして遠大な“ユメ”の結果でもあるのだからね。この我の半身とも呼べる彼を無事にここまで辿り着けさせてくれた事、礼の言葉を星の数ほど尽くしても足りない』

 

「……クラードじゃ、ねぇな……。あんた何なんだ……」

 

『何者か、か。それは涅槃の問いの始まりだよ』

 

 ヴィルヘルムは次の瞬間、ノーマルスーツの気密を確かめてから、バイザーを上げて嘆息をつく。

 

「……申し訳ないがこちらも混乱の渦中にある。今は優先順位を問いたい。まず初めに……」

 

 そうしてヴィルヘルムはオートマタがそうしていたように、恭しく頭を垂れ、そして彼の者へと声を発する。

 

 それは神への祈りにも似た――。

 

「幾重にもなる……あるいは数える事すら傲慢なあなたの眠りを妨げた事への、謝罪をすると共に、あなたが一体……これは涅槃への問いなのだろうが、何者であるのかを。今、我々に明瞭にしていただきたい。何故、月のダレトによって生み出された産物たる、テスタメントベース、その深層部に、あなたが居るのかを」

 

『……ただ安寧なる眠りを貪り、そして我はここに存在する。クラードと言う、彼の躯体を通して、君達とコンタクトを取れる。我が何故、ここに居るのか……もう分かっているのではないのか? その答えを』

 

「しかし、わたしの口からでは恐れ多い」

 

『恐れを抱くのは神を信じているからだ。無神論者はただのシステムに成り下がった我に、畏怖など抱かない。……そして謝罪もしよう。彼の機械の脳髄に一方的に潜入しているのは我のほうだ。このような厄介事、我は末代まで届けるべきではなかった。だと言うのに、テスタメントベース、ここが建造され、そして把握したのは、四聖獣と呼ばれるMFが跳梁跋扈している理由も。……君達は大変な時代に、生きているのだな。この来英歴と言う、囚われた籠の中に』

 

「あなたのせいではない」

 

『……いいや、我の禍根だ。戦火を広げ、その火種を畢竟では摘み取る事も出来ずに、未練だけをこの身に宿し、そうして生き長らえて来た。ヴィルヘルム医師、君は恐らく、我の事を神だと言うだろうが、それは違う。神は、人の身に下ってここまで懺悔をしに来るものではない』

 

「それはあなたが……」

 

 濁した先を、老人は告げる。

 

『技術とは、何だと思うかね?』

 

「技術、とは、ですか。……しかしそれは、問いかければ反射してくるだけの事象に過ぎない」

 

『それも答えが一つ。なに、答えを絞れと言っているわけではない。ただ、我にとってのそれはヒトの分かたれた糸を繋ぎ合わせるものであり、その上で争いへの道を辿らせるものだと、とうの昔に理解したつもりであった。変革期においては時代にこびりついた膿はそそがなければならない。それがどれだけ尊いものだとしても、新たなる時代に生まれ出でる者達にとっては無用の長物と化すのだ。それを万人が理解出来ればいいが、今すぐに全人類へと叡智を与える方法がないのと同じように、その術は封印されている。種の多様性の観点から見ても、正しくはないのだろうから。そうして我々は何千年の揺籃の果てに、結果論として誰一人として同じ思考を持つには至らなかった。当然だ。それは多様性の否定に繋がる。種の存続、保存を掲げるのならば、逆方向への標だよ』

 

 老人は寂しげに瞑目し、そうしてクラードの真紅の瞳と重なった紫色の虹彩に翳りを見せる。

 

『……だが、我はそれを人類の業の一部として捨て切れずに変化を試みた。クラードと《レヴォル》、その二つの存在を作り、君達へのメッセンジャーとして我の根幹を成すものと悟られぬように……。科学者の業に等しい行いを続けた……何度も、何代にもかけて……。察しの通り、我はこのテスタメントベースに保管されたかつての自己存在を、無劣化に近しい状態で伝え、そしてこの時代まで生き長らえさせてきた。延命させてきた、と言い換えてもいい』

 

「世界が変動しようとも、変わらぬ自己を保全し、そして時代の果てに待つ変革を見ようとした……。やはりあなたは……!」

 

 ヴィルヘルムの予感に、クラードと混ざり合った老人は、その名をようやく紡ぐ。

 

 まるで、永劫の時の果てに取り残された、ただの遺物だとでも言うように、ひそやかに。

 

『改めて、名乗ろう。我が名はエーリッヒ。――エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。君達が月のダレトと呼ぶワームホールの基礎理論を提唱した大いなる賢者であり、そして彼方より来たりし来訪者を招こうとした、哀れなる愚者だ』

 

 その真実は、来英歴そのものへの、叛逆――。

 

 



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第95話「勝利者の座」

 

「《オルディヌス》は後方で待機。わたしがあの戦闘艦を……墜とす!」

 

 ディリアンはトライアウトネメシスの包囲陣をミラーヘッドで生み出し、戦艦ベアトリーチェを銃撃網で押し込んでいく。

 

 だがこのような土壇場になっても駆動する《マギア》部隊のミラーヘッドに弾き返される形なのが何よりも屈辱であった。

 

「……型落ちの族の《マギア》で、吼えるな! 愚昧が! 《アイギス》のミラーヘッドが輝く!」

 

 最新鋭のミラーヘッドを搭載した《アイギス》は瞬間的な火力だけで言えば《レグルス》よりも上を行く。

 

 それだけはない。今もこの宙域を押し包む戦闘の吐息と残火の纏い香。

 

 ――あの艦は疲弊している。その確証があるのにどうしてなのだか、他の部下達の勢いは薄い。

 

「何をやっている! 墜とすのだ! 今ならば獲れるのだぞ!」

 

『……しかし、少佐……』

 

 戸惑いの声を上げるのは、こちらへと噛み付く気概を持っていたはずのダイキであった。

 

 何故、今さら迷う。迷う必要なんてない。

 

「……アルベルトが……あの可愛かった弟がわたしを! このわたしを殺すと! そう言ったのだぞ! そんな現実は必要ない! わたし相手に唾を吐くような人間を、この手で育ててきたつもりはないのだ! ……なら、壊れてしまった弟なんて、消えてしまえェッ!」

 

《アイギス》の砲銃撃がベアトリーチェの左舷カタパルトを射抜く。

 

 ならば、それでいい。

 

 誰も手伝わないのならば、自分だけでも因縁の戦闘艦を轟沈し、そして栄光を勝ち取ってみせよう。

 

《アイギス》のミラーヘッドの加速で一気に直上を取り、《マギア》の攻撃射程よりも遥か遠くから撃ち抜いてみせる。

 

 その引き金の容赦のなさに、同じ軍属とは言え彼らも絶句したのが伝わる。

 

「わたしは、阿修羅になったとしても! アルベルトを元の道に戻さなければならないのだ!」

 

『――それは意見の相違ではある』

 

 不意に切り込んできた声にディリアンは反応を果たし、《アイギス》の細腕で受け止めたのは黒く塗装された《エクエス》の太刀であった。

 

「……黒い《エクエス》……? 何の冗談だ」

 

『悪いが、冗談ではないのでね。あなたがどれほどの地位なのかは存じ上げないが、私からしてみれば敵だと言うのだけはハッキリしている』

 

「この声……ッ! 貴様、まさかグラッゼ・リヨンか? 黒い旋風、識者の理論の……?」

 

『ほう、謳われていると言うのは悪い気分ではない。しかし、ここではただの一戦闘単位として振る舞おう。私はこの艦の留守を任されたのでね』

 

 刃を払った《エクエス》の出力は遥かにその想定を凌駕している。

 

「押し返される? ただの《エクエス》に?」

 

『ゲインを三倍以上に引き上げた。これは最早――私の愛馬だ』

 

 その証明のように《エクエス》の姿でしかない相手が躍り上がり、上段よりビームサーベルを叩き落とす。

 

 唐竹割りの太刀筋――と反射した思考がその刃の軌道を読み、機体制御系統を揺らめかせようとして、不意打ち気味の衝撃波にディリアンは歯噛みしていた。

 

「斬ると見せかけてその重圧で打つ……!」

 

《エクエス》は両断の太刀を振るったのではない。それはフェイクだ。

 

 本懐は、その重量に身を任せた体当たり。

 

 基本戦術ではあるが、《アイギス》のフレームもまた、《マギア》と同系統。

 

 ならば、質量の高い攻撃への耐性は低い。

 

「……何を、ただの体当たりでわたしをどうこう出来ると思ったか! 嘗めるなよ、黒い旋風!」

 

《アイギス》のミラーヘッドが可変し、一斉に《エクエス》を狙って包囲陣を敷く。

 

「集中攻撃だ! 打ち倒せ!」

 

 ミラーヘッドの銃撃網が《エクエス》を四方八方より打ち据えたかに思われたが、その前に、《エクエス》は急減速し、機体を軸に回転しながらきりもみつつ直上へと躍り出る。

 

 それは殺意の檻より逃れる唯一の術。

 

 ほんの一刹那にも満たない状況判断でしか、その好機は見出せないだろう。

 

 だと言うのに、相手は――識者の理論、グラッゼ・リヨンは何でもないかのようにその最適解を編み出していた。

 

『……少しマニューバが辛いな。これも私の我儘を通した結果だが』

 

「抜けた……だと? まさか、《アイギス》のミラーヘッドだぞ……!」

 

『失礼ながらその腕、リヴェンシュタイン家の長兄を名乗るにしては少しばかり頭打ちが過ぎる。アルベルト君、彼のほうがまだ上手い』

 

 その言葉は――決して許してはならない言葉のはずであった。

 

 ましてや今、この状況で吐かれて平静で居られるはずがない。

 

「……貴様……ッ、貴様ァ――ッ!」

 

『おっと、虎の尾を踏んだかね? だがその程度のミラーヘッドならば、私だけに戦力を割いていいのかは疑問だな。トキサダ君達、私の作戦通りに』

 

 ハッとディリアンが勘付いたその時には、《マギア》部隊とトライアウトネメシスの部隊が交戦していた。

 

 まんまと最新鋭機であるはずの自分が誘い込まれ、前衛が崩れた隙をついてベアトリーチェの《マギア》編隊が僅かに押しつつある。

 

「……ふざけるな。……ふざけるなぁ――ッ! 何故、こうも容易く……容易くなのだ!」

 

『リヴェンシュタイン家の長男殿。重ねて失礼かと存じるが戦局指揮は下の下に映る。あなたが誘い込まれた間に、トライアウトネメシスの作戦陣形は薄らいだ。今ならばトキサダ君達でも充分に押し留められる』

 

「ふざけるな! 勝てると思っているのか! 我々は軍警察だぞ!」

 

『だから、勝てるとは一言も言っていないだろう。押し留められる、と。そうしてあなたは戻る事も出来ない。現状、私を振りほどくのには、あなたの実力は伴っていない、と断言しよう』

 

 悔しいがその通り。

 

《アイギス》の性能を十全に発揮する前に、グラッゼの《エクエス》は斬りかかり、質量を太刀に伴わせて《アイギス》のスペック面での優位を押し退けさせる。

 

「……改造しただけの《エクエス》で、わたしを退けられるとでも……!」

 

『この《エクエス》には彼らの想いが乗っている。それを退けさせはしないさ』

 

「抜かせ! 想いなど、それはただの戯言に過ぎん!」

 

『ならば戯言に意味を見出すのも、人間だろうに』

 

「人でなし共がよく吼える!」

 

《アイギス》が抜刀し、ビームサーベルが《エクエス》へと斬りかかる。

 

「出力は、こちらのほうが上ェッ!」

 

『確かにそのようだ。だが斬り合いに持ち込む気はない。……乱戦が幸いしたな。――ミラーヘッド、始動』

 

 鍔迫り合いの状態でグラッゼの《エクエス》が無数に分身する。

 

 銃口が据えられ、ディリアンは首の裏に感じたプレッシャーに慌てて飛び退る。

 

 直後、銃撃網が引き裂いていた。

 

『……おや、危険関知くらいはおありの様子』

 

「……貴様……」

 

 だが今ので少しばかり頭は冴えた。

 

 下手に踏み込めば、相手は音に聞く最強の一角だ。

 

 しかし、とディリアンは得心がいかないように応じる。

 

「……トライアウトジェネシスに買い叩かれたと聞いていた旅がらすが、何故我が前を阻む?」

 

『私は依頼を受けていてね。その依頼内容の中には、彼らを守る事も含まれている。なに、いつもの勘繰りで私を惑わせて、それで勝ったつもりでいてくれ。そうしたほうがやりやすい』

 

「……冗談」

 

 最早、少しばかり目は醒めていた。

 

 相手の狩人の射程に入るような愚は冒さない。

 

 ディリアンは《アイギス》のミラーヘッドを展開させたまま、銃撃を放ちつつ急速後退する。

 

「ここは退かせてもらおう。どうせわたしが前を行かなくとも答えは既に決定している」

 

『……それはどうかな?』

 

 ダイキ達の陣営は困惑した様子で《マギア》と打ち合っているが、それが時間稼ぎである事は今の自分には明白であった。

 

「……ダイキ・クラビア中尉。君の《レグルス》を中心陣形にして、あの艦への包囲火力を放つ。出来るかね?」

 

『何を? こいつらを振りほどくのが今は精一杯なんじゃ?』

 

「いや、その必要はない。敵はただの張りぼてだ。落ち着いて対応すれば、何て事はない。あの戦闘艦はほとんど丸腰。中距離よりミラーヘッドの包囲陣形で密集。そのままじりじりと返り討ちにしてくれる」

 

 こちらの命令にダイキも目が覚めたのか、《マギア》を蹴り上げて彼の操る《レグルス》は一度大きく後退し、そのまま直上陣形を部下達に取らせる。

 

『MSは狙うな! あくまでも撃沈させるのは、あの戦闘艦だ!』

 

 部下達は恐らくダイキに指揮されるのには慣れているのだろう。

 

 すぐに戦闘姿勢を変動させた部隊は《レグルス》を先陣に置いて、そのままベアトリーチェへと突撃陣形を組んでいく。

 

《マギア》はおっとり刀で戻ろうとしたが全てが遅い。

 

 トライアウトネメシスの本領発揮だ。

 

 このままベアトリーチェは轟沈し、後には結果だけが残るだろう。

 

「アルベルト、兄さんは残念だよ。お前と決着をつけるまでもなく、もう既に勝敗が決してしまうなんてな」

 

『そうはさせるか! 《マギア》部隊、私に続け! 先頭の《レグルス》を撃墜すれば応戦の目は見える!』

 

『で、でもよ……《レグルス》相手なんざ……ヘッドが居なけりゃ……』

 

『アルベルト君達の居場所を守るのが君達だろう! 男を見せるがいい!』

 

「……グラッゼ・リヨン。らしくない言葉を振るうようになったな。だがそれももう終わりだ。貴様らは墜ちる。わたしと真正面からの決着など、君達には到底遠い」

 

《アイギス》はこのまま距離を保ったままただ事の成り行きを見ていればいい。

 

《エクエス》が牽制の銃撃を放ってから、ベアトリーチェの守りへと戻っていく。

 

 やはり、あの戦闘艦に主力たる戦力は存在しないのだ。

 

「烏合の衆でこのディリアン・L・リヴェンシュタインの目を晦ませるとは。さすがは黒い旋風とでも呼ぶべきか。だがそれもここまで。貴様らの足掻きは無駄に終わるだろう。どこまで行っても、雑魚は所詮、雑魚だという事だ」

 

『撃たせまい……! クラード君が守ると誓った場所ならば! 彼との決着を保留にしたまま、私は死ねんよ……!』

 

《エクエス》は明らかにその躯体の限界を無視した挙動で《レグルス》へと肉薄する。

 

 相対した旧式機と新型機の相貌が重なった瞬間、互いに剣筋を払っていたが、違い過ぎる。

 

 片や、正規のミラーヘッドを振るうだけの強者、片や付け焼刃のミラーヘッドとこれまでの地力だけで粘って来た愚者。

 

 相克するまでもなく、決着はハッキリしていた。

 

《エクエス》がその両腕を叩き落とされ、直後には暴風のようなミラーヘッドの銃撃瀑布によって四肢をもがれている。

 

『……ここまでか。ベアトリーチェ、私は脱出する! 武運を祈ろう……』

 

《エクエス》はコックピットブロックを排出させ、直後には爆風に包み込まれていた。

 

 だがこれは勝利ではない。

 

 グラッゼはその任務を完遂してから撃墜されたに過ぎない。

 

 よって、まだ自分達は――。

 

「トライアウトネメシス! 狙うのは艦だ! 他のはどうだっていい!」

 

『少佐殿、言われなくっても分かっていますよ。にしたって、ミラーヘッドの残存粒子が棚引き過ぎている……このままじゃ、《レグルス》の駆動系にだって影響してきます……』

 

「退けと言うのか。まだだ! まだ終わってはならんのだ……!」

 

 グラッゼ一人を退けたところで、決定的な地盤は揺るがない。

 

 むしろ彼の策に嵌った時点で下策。

 

 徹底抗戦に打って出る《マギア》編隊に正規軍であるはずのトライアウトネメシスが煮え湯を飲まされるなど、あってはならぬ事だ。

 

「……勝利者は、このディリアン・L・リヴェンシュタインだ……。誰にも渡さんよ……」

 

 



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第96話「世界の始まりを紡ぐ」

 

「……なるほど。この極地において、あなたが言いたいのは懺悔であったのは、少し想定外であったが」

 

 ヴィルヘルムの言葉に、エーリッヒと名乗った老爺はフッと笑みを浮かべる。

 

『嗤うがいい。この身は最早錆びついている。我とて、万能の鍵を目指したつもりであったが、扉の向こうは思ったよりも堅牢であった』

 

「ダレトの、基礎理論を構築した人……? でも、おかしくないですか? だってそれじゃ、ダレトの出現と時期が合わないんじゃ……」

 

 自分の感想にヴィルヘルムは、何て事はない、と応じてみせる。

 

「一千年以上前に、既に月のダレトの出現が予知されていたのだとすれば、来るべきその時のためにテスタメントベースの中に自己記憶を保全しておくのは可能だ。……問題があるとすれば、その基礎設計理念がどうしてなのだか、一千年以上、変動しなかった事実」

 

「そ、そうだ……。この爺さんが一千年も……いやそれ以上の時に生きていた人間だって言うんならよ……おかしいじゃねぇか! クラードのライドマトリクサーに合致するわけがねぇ」

 

「あるいは、こう言うべきかもしれない。――千年前に造られた遺産を、我々は掘り出しただけで、発明と呼んでいたのだと……。時代は一巡する、理は流転する。その摂理に従うのなら、大昔に造られた代物を、我々はただなぞっているだけなのかもしれない」

 

『ヴィルヘルム医師、君の考えはある意味では正しい。しかし、ダレトの存在を考えるのならば、こうは思わないかね? 千年前の理論がダレトの向こう側では、つい近日の理論であったのだと』

 

「……ダレトの向こう側……だがそれは、誰も観測出来ない事象だ。MFを開発せしめるほどの技術力、それがともすれば、我々の来英歴の感覚で言えば一千年前だったとでも言うのか」

 

「オイ! 分かるように話してくれ! 頭がパンクしそうだ!」

 

 悲鳴を上げたアルベルトの気持ちも分かる。自分も、どういう事なのか、混乱していた。

 

「……ダレトの向こうが、こっちの世界の一千年前に相当……? でも、でもでも……っ、それじゃ釣り合いませんよ……! だってこっちの一千年前なんて、それこそ来英歴どころか、人類の歴史は始まっているかも怪しいのに……」

 

「いや、これは認識の齟齬だろう。我々が最新だと感じている事象を、ダレトの向こうの人々が最新だと感じているとは限らない。扉の向こうでは、こっちの戦争はそれこそ一千年前の……古めかしい戦闘スタイルである可能性は高い」

 

「……なるほどな。MFはじゃあ、決して新しい未知の機体なんかじゃなく……」

 

 サルトルの言わんとしている事を、ヴィルヘルムは先回りする。

 

「むしろあれが大型なのは、小型化に成功していない証だろう。MFほどの力の誇示が、ダレトの向こうとこっちとでは反転しているのかもしれない。あっちの千年前と、こっちの来英歴が接続され、その結果としてテスタメントベースでは大昔の技術力でしか、我々の再現を行えなかった」

 

「……えっとぉ……つまり?」

 

「……ミラーヘッドも、もたらされた戦争の技術も、全てダレトの向こうでは千年前の遺物。我々がよちよち歩きの赤ん坊のようなものだという事さ。ミラーヘッドの小型化、戦闘方法の確立。どれもこれも、ダレトの向こうでは既に発明されて久しい事象なのだとすれば」

 

「で、でもですよ! それって……じゃあ……」

 

 カトリナは深呼吸し、ゆっくりとその言葉の赴く先を告げる。

 

「……ダレトの向こうとこっちとじゃ……時の流れが、違う……?」

 

「その可能性に至れなかったのもある意味では落とし穴か。ダレトを誰も貫通していないんだ、帰還出来ない旅路では当然だろう。扉の向こうに何があるのかも知らず、我々はそこからもたらされる光の残滓だけで、知った風な気になっていた……原始人だとでも言うのか。例えるのならばダレトのもたらした技術力は火。火はどの時代でも使われてきたが、もし……あちらの世界では火は小型化出来て携帯出来るとしても、それは原始時代にもたらされたのならば、ただの火だ。それの意味を問う形になるだろう。古来より、人間は火との付き合い方を変えてきた。そのように、大昔の人間からしてみれば暖を取る、何かを焼く以外には思いつきもしなかったもので、我々の時代ならば発電も出来る……。同じ火を取り扱っているのに、だ。ここに経験と時代の含蓄の差が生まれてくる。同じ火でも、扱い方が異なればそれは大いなる断絶となる」

 

「……オレらの使うミラーヘッドは、じゃあただの火みたいなもんだって?」

 

『形骸状の話に過ぎんが、今の認識で大幅合っておるとも。我々にとってのミラーヘッドとダレトの基礎理論は、最早ただ当然の事象に過ぎない。しかし、扉の向こうでは開発どころか、見出されても居なければ、火を持ち込んだものは偉大なる発明家に変貌する。ダレトの向こうでは、我はただ火を扱うだけの人間だが、ダレトのこちら側ならば意味は違ってくる』

 

「……驚いたな。しかし道理は立つ。この二十年か十年で急速に発明されたものだと仮定するよりも、もう一つの世界で熟成され、熟知されたものがこっちの世界へと浸透、いいや侵食したのだとすれば。我々の扱うミラーヘッドも、戦争の技術も基礎理論だが、あなたはそれでも世界を変えられたのだとのたまうのでしょう」

 

『そうだ。数多の事象宇宙において我の力など羽虫の域よ。だがそれが巨人の世界ではなく、小人の世界ならば話は違ってくる』

 

「MFもある意味ではそういう事か……。あれも一つの火に過ぎない。しかし、大いなる技術転換期の火なのだとすれば、それは世界を一変させるだけのパワーバランスを持つ」

 

「……なぁ、オレは難しい話は分かんねぇが、MFもミラーヘッドも、とかく重要な意味を持つ技術ってこったろ? それに、この爺さんが言っているのは、つまり……」

 

「ライドマトリクサーの基礎技術も、ダレトの向こう側よりもたらされたもの。つまり、エーリッヒなる老人の言っている事は、おれ達の認識に合わせた千年前の技術って事になるな」

 

 サルトルの結びにカトリナは頭が痛くなるのを感じつつも、必死に究明に努めていた。

 

「……えっと、じゃあその、クラードさんと一体化しているのは……?」

 

『彼が技術特異点に相当する人物だからだ。この次元宇宙には既に、四名の同一躯体が存在しているが、彼に合わせればその波長も合う。我は次元の果てより、彼と同じ躯体として、存在する三番目の使者だ』

 

「……あのぅ、分かります? それ」

 

「頷けなくはない。クラードと《レヴォル》、そしてエーリッヒ、それらが一つの同一線上で結べるのだとすれば、ある意味では同一人物であると仮定するのが手っ取り早い」

 

「……えっと、だとすればあなたは……いいえ、あなたもクラードさんだって言うんですか……」

 

『我はこの次元宇宙に三番目にやってきた。とある存在を抹消するために。だが、我の襲来を関知した連中は先回りし、我の肉体を滅ぼしてこのテスタメントベースへの審問に移り、精神データのみを転写してみせた。そうして我から搾り出せるだけのダレトの向こう側の技術恩恵を受け、さも自分達こそが絶対者のように振る舞っている』

 

「……あんた、そいつらが正真正銘の、黒幕だって言いたいのか」

 

『歴史の裏で糸を引く者達であるのは疑いようもない。我も失態であった。まさか、三番目の襲来時には既に行動が予見され、無力化された後に彼らの力になってしまうなど……。だが肉体を持たぬ我に、防衛権限はほとんど存在しない。明け透けに脳髄を掻き回され、その結果としてこの次元――来英歴は発展した。三番目の襲来時に、もっと気を張るべきであった。そうならば彼らに害される事もなかったのに』

 

「ちょ、ちょっと待て! 彼らってのは何なんだ? あんた、さっきから言葉繰りでオレ達を誤魔化そうとしているようにしか……」

 

 その時、エーリッヒの像がぶれる。

 

 不意打ち気味の現実に、彼は掌へと視線を落として残念そうに呟いていた。

 

『……ここまで、か。我の干渉能力を上回るのも当然。彼らはこのテスタメントベースに我を封じ込めた存在。クラードを通じて君達にコンタクトを取った事も既に露見している。よって、我を再封印し、テスタメントベースを破棄か、あるいは最初からなかった事にするつもりであろう?』

 

「な、なかった事って……」

 

『彼らにとっては児戯だ。よって、我の意識もそこまでであろう。だが、我の意識パターンは既にクラードの、彼の脳内に転写してある。ここまでは、さすがの彼らも想定外であったに違いない。我はクラードの中で生き続ける。彼がいずれ滅びるその時まで……永劫の時を……』

 

「分かりませんね。そこまで語っておいてあなたは最も重要な事にだけは触れていない。彼らとは何なのです? 一言だけ言えば、それで事足りるはずなのに」

 

『……この事象宇宙では彼らの力が強過ぎるのだ。我の乗って来た方舟も、彼らに解析され、そして最早ただ単に邪魔な相手を潰すだけの傀儡よ。あれはただの船であった。戦闘能力があるとは言っても、もう何百年も前の代物なのに……君達はあれをMFと呼ぶ。我にしてみれば、それさえも……。いや、そろそろ時間のようだ』

 

 エーリッヒのビジョンが急速に失せていく。

 

 オートマタ達が嘆くように、天を仰いで甲高い駆動音を響かせていた。

 

「……彼らとは何なのです! それさえ分かれば撃つ敵も見えてくる!」

 

 平時のヴィルヘルムとはまるで違う訴えかけに、エーリッヒは寂しげに頭を振る。

 

『……言えんのだ。それを言えば君達にも危害が及ぶ。彼らの力は強大だ。よって我は、我の自己保存のためにクラードに内在するメモリーへと我の人格データをコピーし、彼の中で違和感として成り立つであろう』

 

「……逃げると言うのか……! それは卑怯者のする事ですよ」

 

『……どうとでも言ってくれ。ただ……我々“波長生命体”にすれば、実態存在を持つ君達と、そして彼らの存在こそが異端でしかない。だが、何故なのだ? 我々はただ、呼んでいただけなのに……。そこには彼らも含まれていた。だが彼らは我々の声を敵と断じ、迎撃の術を整えて来たのか……。馬鹿な、我らに敵意など、既に存在しないと言うのに』

 

「……波長……」

 

「生命体……?」

 

 こちらの疑念を他所に、クラードを押し包んでいたミラーヘッドの蒼い粒子が分散していき、エーリッヒのビジョンが急速に薄れていく。

 

『さよならだ、諸君。今一度会えるとすれば、それはこの来英歴を蝕む敵を撃った時であろう』

 

「……傍観者を決め込んでいれば、確かに楽でしょうね」

 

『……言ってくれるな。我とて辛い。本当ならば、君達とは一緒に……歩みたかったのだが……』

 

 言葉が切れ切れになってゆき、そして最後には言葉にも成らない粒子の拡散がもたらされたかと思うと、クラードの身体は急速に落下してきた。

 

 大慌てでアルベルトが直下に潜り込んでその身を受け止める。

 

「エーリッヒの爺さん!」

 

「……誰だよ、それ」

 

「……クラードか。エーリッヒの事は?」

 

 詰問するサルトルに、クラードは頭を振る。

 

「……いや、そんな人間の記憶はない」

 

「……あの爺さん、最後にハッタリをかましていったのか? それとも……本当にクラードが覚えていないだけで……」

 

 全員がその可能性を考えていたのだろうが、クラードは額を押さえてハッと暗礁の宇宙を仰ぐ。

 

「……ベアトリーチェは? 時間をかけ過ぎたんじゃないのか?」

 

「……確かに。わたし達は少しばかり長居をし過ぎたようだ」

 

 その瞬間、液晶に表示されていた文字が赤に反転し、非常警戒のアラートが鳴り響く。

 

『警告。これより240セコンド後に、テスタメントベース全域が自爆モードに入ります。職員は避難してください。繰り返します……テスタメントベースはこれより、自爆モードに入ります』

 

「……エーリッヒの爺さん、とんでもない置き土産を遺して行きやがった……ッ! 走れるか? クラード! 一気にシャトルまで帰投して、ベアトリーチェと合流! ずらかるぞ!」

 

「……ああ。だが……何が起こったんだ……?」

 

「後で報告書にして上げてやる。今は逃げるぞ!」

 

「じ、自爆って……本当に何なんですかぁー! もうっ!」

 

「喚いている時間も惜しい。今は……ベアトリーチェに戻ろう」

 

 ヴィルヘルムはノーマルスーツのバイザーを下ろし、そうして一度だけ筐体へと惜しむように一瞥を振り向けた後に、決意をしていた。

 

「……行こう」

 

「……ったく、月面に来たってのにとんぼ返りってのはねぇ!」

 

 しかし議論の時間はない。

 

 残された猶予もないままに、カトリナ達はシャトルへと逃げ込み、そしてオートマタ達を残して浮上していた。

 

 直後、テスタメントベースから火の手が上がり、爆発の余剰衝撃波が宇宙の深淵を震わせる。

 

「……何があったんだ、あそこには……」

 

「クラード、思い出せんのなら今は割り切れ。それよりも、次だ」

 

 サルトルの声にクラードはぎゅっと拳を握り締めて、覚悟の相貌を振り向ける。

 

「……完成したんだな? あれが」

 

「ああ、とっておきだ。ベアトリーチェも今のところは無事。気取られてすらいないさ」

 

「あれって仰るのは……」

 

「ああ、期待の新人は知らなかったんだったな? ……おれ達の真の切り札、叛逆の炎そのもの」

 

 シャトルは混迷の宇宙を縫うようにベアトリーチェの艦艇へと取り付き、そのまま全員が艦へと乗り移ってから、クラードはパイロットスーツに袖を通していた。

 

 果たして――彼の視線の先にあったのは、新たなる叛逆の狼煙――。

 

「あれ、って……《レヴォル》?」

 

「そうだ。最大規模でのMSによる、聖獣への駆逐戦闘を想定した機体。――《フルアーマーレヴォル》。おれ達の希望でもある」

 

《フルアーマーレヴォル》の名を冠した機体は《レヴォル》のフレームを中心構造に据え、四肢へと長大な多段階装甲と、そして加速マニューバを取り付けた大型機だ。

 

 武装は六角形のコンテナにそれぞれ両翼のように有されており、その全長だけでベアトリーチェの半分近くはある。

 

 背面へと接続された補助バーニアは地球圏の重力でさえも振り払う巨大さを誇り、それそのものが、龍の背骨に映る。

 

「すごい……こんなものが……」

 

「一刻の猶予もない。サルトル、出撃、行けるな?」

 

「言っておくがぶっつけ本番だぞ! 最終調整をしてやるような時間はなかった!」

 

『カトリナ嬢! あーし達のほうに。《レヴォル》の推進装置だけで肉体が焼かれちゃいます』

 

 トーマに手を引かれ、カトリナは《フルアーマーレヴォル》から引き剥がされていく。

 

 そんな中で、四本の折れ曲がった角を有する新たなる獣である《レヴォル》へと乗り込んだクラードへと、カトリナは必死に声を振っていた。

 

「あの……っ! クラードさん! まだ、まだですからっ! オムライスの約束、まだ……っ!」

 

『……いつまでそんな事言ってるの』

 

「でも……っ、私からしてみれば大事な約束で……。どうか、無事に……!」

 

 小指を突き出す。

 

 そうだ、嘘ついたら針千本飲ます、それくらいの約束手形は心得て来た。

 

 クラードから返答はないかのように思われたが、暫しの沈黙の後に、彼は応じていた。

 

『……オムライスって、美味いのか?』

 

「へっ……そ、それはもう……っ! 絶品なんですからっ!」

 

『じゃあ、その絶品のために、今命を投げ打つのもまぁ……悪くはないかな』

 

 そこで通信は途切れる。

 

 それでも、カトリナは温かなものを感じていた。

 

 クラードのライドマトリクサーの手を握った時と同じ、温かなもの――。

 

「……必ず生きて……っ。クラードさん……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別に約束手形に意味があっただとか、何かのためになるだとか、そんなものはどうだってよかった。

 

 ただ――自分でも不明な感覚だが――絶品のオムライスとやらに興味が湧いていたのは事実だ。

 

「……馬鹿だな、俺。今さら美味いものを食べたって、どうって事ないのに」

 

 それでも、この胸に脈打つ鼓動は。

 

 守るべき信条は、ここに見据えられた。

 

 それなら、後悔はない。

 

 後悔なく――戦えるであろう。

 

「《レヴォル》、コミュニケートモード、30セコンドのみ有効化」

 

『コミュニケートモードに移行。“どうした? クラード。随分と好調のようだが?”』

 

「……ああ、すこぶる調子だけはいい。俺は、今なら悔いなく戦える」

 

『“それは何よりだ。それにしても……様変わりしたな。あのコロニー、デザイアから先、お前を見ていると何かが変わった。そうだと思える”』

 

「何か? 不明瞭な言葉を吐くなよ、《レヴォル》」

 

『“確かに、非言語化は単純に意識の羅列としては正しくないだろう。だが、言語化出来ないものを有用だと思うのが人間なのだと、そう学習はしてきたつもりだ”』

 

「そうか。なら、その学習の意図だけは汲んでやる」

 

『“感謝する。人は、痛み以外で泣ける唯一の生き物だからな”』

 

 ハッと、クラードはその言葉を反芻する。

 

「……今、何て言った? 何でそれを知っている……?」

 

『“さぁな。引用不明”』

 

 思わぬ形で返されたカウンターに、クラードは静かに――笑みを刻む。

 

「……お前ともっと話しておけばよかった。ともすれば俺よりも……変わっていったのは、お前のほうか、《レヴォル》」

 

 メイアとの邂逅。ベアトリーチェの人々との出会いと別れ。そして――自分と言う他者を見つめ続けた、その末の発見と目覚め。

 

《レヴォル》は、今に自分と言う殻を脱ぎ捨て、さらなる高次元へと旅立とうとしているのかもしれない。

 

 その時、背中の心配をしてやらないのが、乗り手としてのせめてもの慈悲と、そして自負。

 

「俺はお前を乗りこなす。暴れ馬になったところで関係はない。《レヴォル》、お前は俺にとって、唯一の……」

 

『“唯一の、何だ?”』

 

「……いや、それを言えば、陳腐に堕ちる。ここから先は言わないよ」

 

 以前までならば明瞭化出来ない意識はただの邪魔だったが、今は何故なのだか、そこに落ち着きさえも取り戻している。

 

 ――分かっているさ、死にはしない。必ず帰還する。

 

『コミュニケートモード終了。これより、《フルアーマーレヴォル》は戦闘宙域へと突入します。突入軌道まで、20セコンド』

 

『……クラード、聞こえている?』

 

「レミアか。俺が居ない間、艦は無事だったか?」

 

『……正直、手痛い打撃を受け続けているけれど、一応はね。これでも艦長職なのよ。それなりに努力はしないと』

 

「……レミア。俺はあんたのトリガーであり続けたい。だから、今ここでは死ねない」

 

『あなたにしては珍しい。死ねない、なんてね。死なない、ならよく言っていたけれど』

 

「ああ、死ねなくなった。自分でも不合理だとは思っているよ。だが……それもひっくるめて、俺なんだ」

 

『……健闘を祈るわ。あなたは私の保留し続けたトリガー。だからいずれは……引かなければいけない。それは私の、運命だもの』

 

「ああ。もう行く。通信は切るぞ」

 

『行ってらっしゃい、クラード』

 

 そんな、ちょっと片道に逸れるかのような気楽さで。

 

 長年の盟友との、別れを切り出せるだけ、レミアは大人なのだろう。

 

「……俺は死ねなくなった。だから――」

 

 両腕を翳し、ライドマトリクサーの接続口を《レヴォル》の接合部へと合わせる。

 

 途端、これまでよりも数倍強い疼痛。

 

 脳髄に突き立つ電流の刃。

 

 その感触も――今は確固たる自分を構築する術。

 

「……だからさ、俺は戦う。《フルアーマーレヴォル》、エージェント、クラード! 迎撃宙域に先行する!」

 



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第97話「聖獣討伐作戦」

 

『ドッキングベイを離脱。《フルアーマーレヴォル》、出撃姿勢に』

 

 その声が響き渡る前に、何重にも制動構造の整えられたコックピットの中で、クラードは強烈なGを感じていた。

 

 胃の腑を押し潰すだけの勢い。これが《フルアーマーレヴォル》、これが新たなる獣の躍動。そして――この戦場を終わらせるためだけに放たれた矢でもある。

 

「この程度で……終わってくれるなよ、《レヴォル》……。俺は、この戦いに終止符を打つ。なら、俺は加速の向こうに行ってまでも、敵を打ち倒すまでだ」

 

 こちらへとおっとり刀で銃口を向けてきたのはトライアウトネメシスの《エクエス》であったが、《フルアーマーレヴォル》はそれに対し、機体を逆立たせて応戦の銃撃を放っていた。

 

 照射される銃撃網を《フルアーマーレヴォル》は身に纏ったIフィールドで弾いていく。

 

 だが、《レヴォル》の手にするビームライフルはどれもこれも当てずっぽうで、命中する感覚はない。

 

『敵は図体ばかりだ! 一気に叩くぞ』

 

「それは……どうかな」

 

 武装モジュールを解放し、コンテナより射出されたのは三角錐のアタックウェポンであった。

 

 アタックウェポンは敵影を照準に入れるなりミサイルを四方八方に撒き散らす。

 

《エクエス》が慌てて推進剤を焚いてそれらを回避しようとするが、既にロックオンされていた数機が爆発の光輪を押し広げ、内側より爆ぜていく。

 

 その空間を《フルアーマーレヴォル》は滑走し、戦場を突き抜けていく。

 

「……敵の第一陣は超えたな。まずはベアトリーチェにかかる火の粉を払う。《レヴォル》、敵影マルチロックオン。照準――掃射」

 

 トリガーを絞る感覚。

 

 打ち出されたのはコンテナの基部表面を滑る小型のビーム照射機であった。

 

 直後、《フルアーマーレヴォル》を中心軸にして火線が舞い散る。

 

 ベアトリーチェを包囲していた《エクエス》はそのことごとくが撤退を余儀なくされ、ほとんどが撃墜されていく。

 

『クラードか? ……助かった』

 

「トキサダ、退いてくれ。《マギア》だって限界が来ているだろう。俺が戦場を先導する。ベアトリーチェは安全圏まで撤退、その後、月の陰に入って月軌道艦隊との戦闘は避けて、うまい具合にエンデュランス・フラクタルの月面支社の助けをもらってくれ。そうすれば死なないはずだ」

 

『……それはいいんだが……クラード。おれ達はもう、この艦と運命を共にするって決めてんだ。おれ達がトライアウトの機体は押さえておく。お前はその間に……敵の本隊を叩いて欲しい』

 

 無論、そのつもりだ。しかし、現状では敵の包囲があまりにも強過ぎる。

 

「……アルベルトも帰って来ているとはいえ、本調子じゃないんだ。このままじゃ押されるだけだよ。俺はこの月面の闘争の本拠地を撃ち叩く。そうしないとジリ貧だ。戦える奴はすぐにでも艦の守りに入って欲しい。ベアトリーチェが墜ちてしまえばそこまでだからな。俺の戦いはあくまでも敵の中心の打倒。そのためには、ベアトリーチェから離れる必要がある。艦がどうなっても、すぐには戻れそうにない」

 

『ああ、分かっている。ヘッドが来てくれるんなら凱空龍は百人力さ。おれらの心配はすんなよ。お前はお前の道を行け、クラード』

 

「……少し意外だな。トキサダ、あんたは俺の事、嫌っていると思っていたけれど」

 

『ああ、嫌いだぜ。だが、任せるに足る相手だってのは分かっている。……ラジアルさんが命をかけて守ってくれた場所だ。おれらだって男なんだ。銃くらいは取らせてくれよ』

 

「……そうか。嫌いでも割り切れるもんなんだ」

 

《フルアーマーレヴォル》はベアトリーチェ甲板部から離れるなり、月軌道艦隊が今も戦闘継続を行っている密集区へと突き抜けていく。

 

「……にしても、死の臭気が濃いったらないな」

 

 ベアトリーチェはあれでも本丸の戦闘からは離れていたほうだ。

 

 月軌道艦隊が砲撃を浴びせ込んでいる対象へと、クラードは深紅の瞳を投げる。

 

「8」の字を象ったかのような異様なシルエットだが、三角錐の推進剤を持つ躯体はただ単純なモニュメントではないのは窺える。

 

 上下に巨大MA相当の砲口を備えているそれは、まさに要塞。

 

「……拠点防衛用の、MF……。相手にとって不足は、って奴だな」

 

《シクススプロキオン》の機体照合がもたらされ、クラードは今も応戦の火線の棚引かせている《エクエス》や《マギア》を視野に入れる。

 

 どれもこれも、豆鉄砲に等しい火力で《シクススプロキオン》に攻撃を放つも、敵の単純な装甲の堅牢さに防がれている形だ。

 

「……《ネクストデネブ》みたいなIフィールドは持っていない。なら、火力で押し込めば……」

 

 そう判じたクラードは直後、《シクススプロキオン》が高重力を形成したのを目の当たりにしていた。

 

 上下の砲口に高重力磁場が固められ、凝縮した直後、ライドマトリクサーの肌を粟立たせるプレッシャーを感じ取る。

 

「……これは、まずい……!」

 

 何が、と言う主語を欠いたまま、クラードは《フルアーマーレヴォル》をぐんぐんと上昇させていく。

 

 その直後には、《シクススプロキオン》の放射した高重力砲撃が月軌道艦隊の半数を飲み込んでいた。

 

 まるで段違い。

 

 こちらの火力の数十倍に等しい《シクススプロキオン》の火力は、最早、彼我戦力差などという生易しい言葉では言い表せないだろう。

 

 まさに殲滅戦。

 

《シクススプロキオン》の砲撃を浴びた艦隊はそのほとんどが蒸発よりも惨い結果へと引き落とされていく。

 

「……あれは、まるで圧死だ」

 

 そう、高重力による物体の圧縮、その後による質量の崩壊。

 

 月軌道艦隊の半数は、と先に述べたが、その実は艦隊の全域を包み込むほどの威力であった。

 

 だがそれを減殺せしめたのは艦隊の前面に佇む緑色の機体の恩恵だ。

 

 鋭角的なシルエットを誇る機体の照合結果に、クラードは瞠目する。

 

「……あれが……MF04、《フォースベガ》か」

 

《フォースベガ》は《シクススプロキオン》の重粒子砲撃をその身に帯びた無数の大剣で斬撃、否――断絶していた。

 

《フォースベガ》の斬り払った部位だけが、まるで無風地帯のように重力の投網より逃れ、その砲撃は上下に分断される。

 

「……斬撃だけで、重力の瀑布を叩き割る……」

 

 クラードとて驚愕しなかったわけでもない。

 

 その実力、そしてその性能、どれをとっても確かに四聖獣の一角に等しい。

 

 しかし《シクススプロキオン》は恐れを宿したわけでもない。それどころか、再チャージまでの時間は先ほどまでよりも短くなっている。

 

「……あれだけの性能の機体が、月軌道まで来れば人類は自ずと滅びる。そうさせないための存在が、俺と《レヴォル》だ」

 

《フルアーマーレヴォル》の機体が《シクススプロキオン》迎撃へと火線を棚引かせる機体群を追い抜いて直進していく。

 

 クラードは各所に備え付けられた衝撃減殺機の機能が無事に実行されているのをその身で確認しつつ、今もぶれ続ける照準器の中に《シクススプロキオン》を据える。

 

「――沈め」

 

 砲撃スロットより折れ曲がった長大な砲身を現出させ、《フルアーマーレヴォル》は砲撃を見舞っていた。

 

 一条の光芒が減殺しながら《シクススプロキオン》に突き刺さる。

 

 その紫色の装甲の一部が剥離し、火力の高さを誇るも、それでもそのモニュメントに翳りが現れたわけではない。

 

 高重力砲撃を充填した《シクススプロキオン》に、クラードは舌打ちを滲ませながら、武装コンテナより新たなる武器を引き出していた。

 

 補助アームを機体の肩より伸長させ、《レヴォル》の両腕に担がれたのはMS戦においてはほとんど無用の長物であろう、ハイパーバズーカであった。

 

「ミラーヘッド戦じゃ、こんなの当たらないだろうけれど……それだけ図体が大きければ別だろう」

 

 何よりも、実体砲撃が意味を持つのならば、たとえ砲弾を使い切ってでも相手に弾幕を浴びせたほうが効果的であるはず。

 

 バズーカの砲撃が無数に光輪を形作るが、それでも全く衰えを知らぬ《シクススプロキオン》の強度にクラードは苦汁を噛み締める。

 

「……どれだけ装甲が堅くっても、中にパイロットが居るって言うんなら、少しでも軌道をずらせるはずなんだが……」

 

 その目論見が叶わないように、《シクススプロキオン》は再び重力を凝縮、装填させ、磁場を辺りに撒き散らしていた。

 

 高重力のせいで《シクススプロキオン》ほどの巨体でも視野の向こうで歪む。

 

 クラードはそれでも接近を諦めなかった。

 

 霞み行く敵の彼方に叩きのめすのが己の役割。引き絞られた弓矢は、命中しなければいけない。

 

「ここで――迎撃する」

 

 マニューバを高めて一気に加速し、《フルアーマーレヴォル》は下部に備え付けていた巨大なビームサーベルを稼働させていた。

 

 その出力だけで艦砲射撃相当の熱量を誇る巨大ビームサーベルはそのまま《シクススプロキオン》へと叩きつけられ、その装甲を融かしていく。

 

「……これでも照準をずらさないのだとすれば、それは相当だって事だが」

 

 だがさすがに干渉波のスパーク光が焼き付き、《シクススプロキオン》の砲撃にも翳りが見られていた。

 

 高出力のサーベルの熱線を受け、《シクススプロキオン》の上部が砕け散り、生じた膨大なデブリが《フルアーマーレヴォル》へと津波のように叩きつける。

 

 不思議な話だ。

 

 攻撃しているのはこちらのはずなのに、その返り血でダメージを受けているなど。

 

 だが、一度だって自分はここで撤退なんて無様な真似は犯さない。

 

「……このまま……焼き切ってやる……!」

 

 血の一滴になっても構わない。

 

 ここでのMFの粉砕はこれまでの戦歴を大きく塗り替えるであろう。

 

 ――それに、とクラードは笑みさえも刻む。

 

「俺の命はこの時のためにあった。なら、それを喜んで投げ打たないのは、嘘だろう」

 

《フルアーマーレヴォル》の格闘兵装が《シクススプロキオン》上部を貫通する。

 

 これで勝負あったか、と期待した自分へと冷水を浴びせるかのように、黒煙の向こう側より生じたのは無数の――手であった。

 

《シクススプロキオン》のどこにそんなものを隠していたのか、おびただしいまでの支持アームの群れが、《フルアーマーレヴォル》を拘束し、直後には、下部に位置する砲門が月軌道艦隊ではなく、自分と《レヴォル》を照準する。

 

 だが、それも織り込み済み。

 

 ならばここでは、恐怖すべきではないのだろう。

 

「……恐怖するのは、お前のほうだ。俺の射程に入ったな?」

 

 武装コンテナより突き出されたのは円柱状のアタックウェポンであった。

 

 相手へと突き立つなり、その先端部に構築されていた砲身が蒼い残火を引き写してゼロ距離射撃の勢いを灯す。

 

「……《レヴォル》の掌底を極大化した武装だ。とくと喰らえ」

 

《シクススプロキオン》の堅牢なる装甲へとぶち当たった武装が爆ぜ、貫通する衝撃波が宇宙の常闇を震わせる。

 

 それは如何に生物としての息吹の薄い《シクススプロキオン》であろうとも、驚嘆せざるを得なかったのだろう。

 

 亀裂が走り、その装甲部がぼろぼろと崩れていく。

 

《シクススプロキオン》の内部フレームである白銀の装甲が剥き出しとなり、もう一撃、とクラードが奥歯を噛み締めたその瞬間、視界を覆い尽くす高重力の投網が機体を嬲っていた。

 

 ショックアブソーバーでも減殺し切れないほどの衝撃波。

 

 それは脳髄をシェイクし、意識の線を次々と断ち切っていく。

 

 だが、自分はこの《レヴォル》と接続されたライドマトリクサー。

 

 当然、何度昏倒の淵に立たされようとも、システムが無理やりシャットダウンと再起動を繰り返す。

 

 その波に、自我境界線でさえも持って行かれそうになってしまうが、ぎり、と感覚だけを握り締め、自分と言う境界を保つ。

 

 それは大嵐の中で無謀にも帆を張って前に進むかのごとき、馬鹿げた挑戦。

 

 しかし、そう行動しなければ、自分は自分に「殺される」。

 

 眼前に佇む強大なる魔より前に、システムの強制停止と言う形で、自分は死を迎えるであろう。

 

 ライドマトリクサーの身は、ほとんど剥き出しのままでMSと同調するようなもの。

 

 生身で宇宙に投げ出された錯覚さえも感じさせる。

 

 それでも深淵の宇宙で、絶対の冷徹さを超えて立ち向かえるとすれば、それは熱い血潮が赴く感覚のみ。

 

 こうして――《レヴォル》と繋がっている。

 

 その実感だけで常闇を掻き、強大が過ぎる敵にも果敢にも――時には無謀でも――刃を突き立てられる。

 

 今にも爆発しそうな操縦感覚。

 

 ライドマトリクサーの腕が、肉体が、精神が、自我が、これまで積み上げてきた「クラード」という経験則が――まるで塵芥のように還っていく。

 

 ある意味では無我への回帰。

 

 ある意味では自我への狂気。

 

 だが、それでも――。

 

「届けェ――ッ」

 

 己を粉砕してでも、敵を討て。

 

 敵の装甲を射抜く瞬間、激震がコックピットを見舞っていた。

 

《シクススプロキオン》の高重力砲が放たれ、月軌道艦隊を抜けてベアトリーチェの待機する戦闘宙域を引き裂いていく。

 

「ベアトリーチェが……! こいつ、分かっているって言うのか……!」

 

 だが次手は打たせない。

 

 武装コンテナより引き出したのはもう一発の円柱型の極地武装。

 

「第二波が来る前に――終わらせる……ッ!」

 

 その攻撃を撃ち込む前にその巨体がぶれていた。

 

 蒼い色相を帯びて、《シクススプロキオン》の機体が直撃を免れる。

 

「まさか……ミラーヘッドだと……」

 

 このタイミングで切り札を出してくるのは、しかし、余裕がない証だ。

 

《シクススプロキオン》を断ち切るのならば今しかない。

 

 それが分かっていながらも、直撃軌道から逃れた《シクススプロキオン》は瞬時に次弾のチャージを終え、何とこれまで充填が必要であった重粒子砲撃を分散し、拡散砲撃に移る。

 

 それは《レヴォル》が《シクススプロキオン》の脅威として挙がっている証左だろう。

 

 横合いから高出力ビームサーベルの斬撃を浴びせ込もうとして、《シクススプロキオン》はミラーヘッドによってその身を分身させ、本体への直撃を掻い潜る。

 

「それでも……それだけ図体が大きければ、避け切れないはずだ……!」

 

 ビームサーベルの残火を帯び、敵のモニュメントじみた巨体の胴体を割らんと迫る。

 

 亀裂が生じ、ビームサーベルの高熱がその堅牢なる装甲をじりじりと焼いていくが、それよりも敵の極大化した重力砲が《フルアーマーレヴォル》の武装コンテナを打ち砕き、内部に引火して《レヴォル》本体にまで衝撃波が至る。

 

「……だと、しても……ッ。死なば諸共だ……」

 

 アラートが鳴り響く中で、クラードは大太刀を振るい上げ、直後には《シクススプロキオン》の頭上へと打ち下ろしていた。

 

 その身を完全に挺した形の唐竹割り――果たしてその行く末は。

 

 



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第98話「崩れ落ちる戦場で」

 

 生きている、と判じた神経は直後に声を聞いていた。

 

『大尉、よくご無事で』

 

「……DDか。この宙域に?」

 

『トライアウトネメシスが出撃しています。ジェネシスとしてみれば、拮抗する戦力を出さないわけにはいきません』

 

 いつも通りの冷たい声音に、グラッゼは久方振りに余裕の笑みを浮かべる。

 

「……私はこれでも拾った命か」

 

『大尉、《レグルス》の準備は万全です。いつでも出撃可能かと』

 

「結構。ならば私も舞い戻ろうではないか。戦場へと」

 

 しかし、とグラッゼは戦局の泥沼化を目にしていた。

 

 最奥に位置する《シクススプロキオン》なるMFの存在。それは月軌道艦隊との硬直と、トライアウトネメシス対エンデュランス・フラクタル勢力の喰らい合いを演じている。

 

「……まさかこのような戦局になろうとはな。私の読みも甘かったというものだ」

 

『いえ、大尉は間違っておりません。ここまで追い込まれれば、窮鼠猫を噛むというもの。トライアウトネメシスも戦力の出し渋りを行っているわけではありません。相手も本気だと、そう判ずるべきでしょう』

 

「……君は優しいな。しかし、《レグルス》で出るにしたところで、敵は同じ軍警察とでも言うべきなのかね?」

 

『我々がトライアウトネメシスを引き受けます。その間に、大尉は己の信じる場所へと』

 

 信じる場所、とその視界は自然と《シクススプロキオン》と拮抗する戦いを繰り広げる《フルアーマーレヴォル》へと向けられていた。

 

「私は諦めが悪い。こんな局面でもまだ彼と……クラード君と死合いたいと思っているのだからね。我ながら我儘が過ぎるのだと」

 

『そのための《レグルス》です』

 

「DD、面倒見がいいと言われないかね? それとも贔屓が過ぎるとでも」

 

『いえ、贔屓ではなく事実ですので。私は《エクエスブラッド》を先頭にしてネメシスを抑えます。その間に、大尉は自らの心に従ってください』

 

「心に、か。それは死への誘因だよ」

 

 だが、現状のまま何も出来ないよりかはありがたい。

 

 コックピットブロックを捨て、グラッゼは用意された《レグルス》へと乗り込んでいた。

 

 気密を確かめ、インジケーターを操作しつつ、自分専用にチューニングされた性能に自負の笑みを浮かべる。

 

「……ティーチ達がやってくれたな。私の今の状態でさえも加味した整備、なるほど、パーフェクトだ」

 

 操縦桿を握り締め、加速用のフットペダルを踏み締めて、グラッゼはダビデ達にハンドサインを送る。

 

「私は彼の下へと向かう。向かわなければいけない」

 

『ご武運を。私達はトライアウトネメシスとの交戦に入ります』

 

「いいのか? その隙を突くのが統合機構軍のやり口かもしれない」

 

『ご心配なく。その程度の相手ならば制する事も出来ます』

 

「……なるほど、心強い事だ」

 

 そう呟いてグラッゼは《レグルス》を挙動させる。

 

 加速度に身を浸し、ミラーヘッドの段階加速さえも得た《レグルス》は真っ直ぐに、重粒子砲撃を艦隊に浴びせようとする《シクススプロキオン》を目指していた。

 

「……しかし、あのMF、まるで意図していないかのような挙動をする。この宇宙に現れて、現状認識が出来ていないのか?」

 

 だとすれば、今こそが好機以外の何物でもない。

 

 グラッゼは艦隊に見舞われた砲撃を一太刀で叩き割って見せた全身これ武器とでもいうような鋭いMFを目にする。

 

「あれが《フォースベガ》……第四の聖獣は人類の味方か? 油断は出来んな」

 

 グラッゼは直後、《フルアーマーレヴォル》と揉み合うようにして拡散重力砲撃を掃射した《シクススプロキオン》の攻撃を目撃する。

 

「……クラード君をやらせはしない。彼は私と戦うのだからね」

 

 それがどれほどのエゴに塗れようとも。

 

 今は、進むべき道を真っ直ぐに駆け抜けるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『左舷カタパルト、取りつかれた……?』

 

『落ち着いてください……! まだ、艦砲射撃は生きています!』

 

 バーミットとピアーナの声が連鎖して響き渡る宙域で、アルベルトは甲板部より《マギアハーモニクス》を戦闘宙域に躍り上がらせていた。

 

「……頼むぜ、相棒。《アルキュミア》に浮気したとは言え、オレに応えてくれよ……」

 

 向かい合ってくる《レグルス》の機動力に目を瞠るものを覚えながらも、習い性の神経は肉薄する刹那には抜刀を果たしていた。

 

 ビームサーベル同士の干渉波が押し広がる中で、アルベルトは《レグルス》のパイロットに声を弾かせる。

 

「お前ら……何だってベアトリーチェを襲う! オレらの帰る場所を、やらせはしねぇ!」

 

『帰る場所? その新造艦が居なければ、しなくてもいい苦労があったって言うのに』

 

「シュルツを焼いたのはてめぇらだろうが……。今さら被害者ヅラしてんじゃねぇ……ッ!」

 

『大義があった! 何故それが分からない!』

 

「分からねぇよ。分かって堪るもんか……! 人殺しを正当化する大義なんざ、反吐が出るってもんだ!」

 

『大義の前に死ぬのが、軍人の務めだ!』

 

「ならオレは、もう二度と取りこぼさねぇ! 誰も、オレの目の届くところで死なせて堪るかァ――ッ!」

 

『それは弱者の抗弁だ! 我々と戦うのには値しない!』

 

《レグルス》が下段より刃を振るい上げ、そのまま返す刀で肩口に切り込んでくる。

 

 明らかにパワーゲインは《レグルス》のほうが上、しかし――。

 

「分かってねぇな、てめぇ。《マギアハーモニクス》に乗らせたら、オレのほうが上ってこった!」

 

 瞬時にバランサーを調整し、わざと姿勢を崩して敵の渾身の太刀筋をかわし、そのまま返答の刃を放った《マギアハーモニクス》に、《レグルス》のパイロットは僅かにうろたえたのが伝わった。

 

『……分からないな。独立愚連隊風情が……!』

 

「応よ! オレらは根無し草の凱空龍! 元々、独立愚連隊が似合ってんのさ!」

 

 たとえ守るべきものがその時々に振り回される程度のものであったとしても――迷わない。もう迷ってなるものか。

 

 そうして迷いのない太刀筋が、《レグルス》の頭蓋を打ち据える。

 

 デュアルアイセンサーを射抜いた一撃を払い、相手の頭部を潰したものの、さすがに最新鋭機、その程度ではよろめきさえもしない。

 

 浴びせ蹴りが《マギアハーモニクス》の細いフレームを打ち据える。

 

 衝撃波だけで操縦桿を握り締める手が弾け飛びそうであったが、ぐっと堪えてアルベルトは吼えていた。

 

《マギアハーモニクス》はそのまま、敵の背後へと回り込む。

 

 ハッとして肘打ちを叩き込んだ敵の勢いに気圧されないように、アルベルトは奥歯を噛み締めていた。

 

「やらせるかよ……! オレは! 凱空龍のヘッドだ!」

 

『ガイ何とかが何だって言う……! 正規軍の苦しみも分からないくせに……!』

 

「分かったからって偉いのかよ……! 畜生が……ッ」

 

『兵隊になる覚悟もなしに……俺の行く手を遮るな!』

 

《マギアハーモニクス》の袖口に装備されたガトリングガンを掃射しようとして、その腕を掴んだ《レグルス》はそのまま巴投げを見舞う。

 

 宙に浮かぶ嫌な感覚を味わいつつも、下手にもがけばまずい事を理解したアルベルトは瞬時に機体を立て直し、速射型のビームライフルを応戦に放っていた。

 

 果たして、その第六感は機能したと言っていいだろう。

 

《レグルス》の左肩を撃ち抜いた一撃と、《マギアハーモニクス》の右腕を根元から削いだ一撃。

 

 それぞれに交錯する一撃を交わしつつ、アルベルトは至近距離まで《レグルス》に接近し、使い物にならなくなった《マギアハーモニクス》の右腕を叩き込んでいた。

 

 至近距離で爆ぜた腕を掃射したライフルの光芒で撃ち抜き、爆発の光輪が押し広がって敵の視界を眩惑する。

 

 その隙を逃さず、《レグルス》のコックピットに照準しようとしたアルベルトへと、不意打ち気味の熱源警告が劈く。

 

「何だ!」

 

 直上を仰ぎ見たアルベルトはミラーヘッドを発生させつつ、こちらへとデルタ編成を組んで肉薄する赤い《レヴォル》を視野に入れていた。

 

「……あれは……ラジアルさんを……あの人を殺した……!」

 

『《オルディヌス》……来るって言うのか、クランチ・ディズル……!』

 

 苦味を噛み締めたように《レグルス》はこちらとの距離を稼ぎ、牽制の銃撃を浴びせながら《オルディヌス》と呼ばれた機体群の射程から逃れていく。

 

 アルベルトは脳内が白熱化していくのを感じていた。

 

「……奴だ。あいつが……ラジアルさんを、オレの大事な人を奪った……!」

 

《マギアハーモニクス》は片腕を失っている。現状で《レヴォル》と同等に近い性能を誇る《オルディヌス》の兵装に敵う道理はないが、かといって負ける道理もない。

 

《マギアハーモニクス》に加速機動をかけさせつつ、アルベルトは敵を睨み据えていた。

 

 相手もこちらに勘付いたのか、《オルディヌス》は僅かに立ち止まってから、こちらの情勢を視野に入れ、三機の《オルディヌス》はそれぞれの機動に入っていく。

 

 恐らくは隊長機であろう、高速でベアトリーチェの直上を取る相手との会敵速度はこの時幸運な事に、今の《マギアハーモニクス》でも間に合う距離であった。

 

 即座に抜刀し、《オルディヌス》の大太刀と鍔迫り合いを繰り広げる。

 

「てめぇが! ……てめぇがラジアルさんを……! あの人を物みてぇに殺した! 咎は受けてもらうぜ……!」

 

『……戦場に生ぬるい感情を持ち込むんじゃねぇよ、白けるな。にしたって、肝心要の標的がどこに行きやがった? 混戦状態が続くとワケ分かんねぇぞ』

 

「よそ見すんじゃねぇ!」

 

 袖口に仕込んだガトリングガンが火を噴くも、《オルディヌス》は一瞥さえも振り向けず、その銃撃をかわしてみせる。

 

「……見ずに避けただと……」

 

『悪ぃな、ルーキー! その程度の熟練度は犬にでも食わせちまったほうが速ぇ! 第一、そんなボロボロの《マギア》の改修機で、この《オルディヌス》が墜とせると思ってんのか!』

 

「墜とす! ここで、お前は……!」

 

 躍り上がり、斜に斬り込むが、敵はほとんどこちらと姿勢を合わせずして一閃を回避し、膝蹴りを《マギアハーモニクス》の痩躯へと叩き込む。

 

 激震する機体の中で、アルベルトは血反吐を吐いていた。

 

「まだ……まだぁ……ッ……!」

 

『おいおい、まだ執念深く追ってくるかよ、クソッタレ。てめぇの湿っぽい感傷なんざ、お呼びじゃねぇんだよ!』

 

《マギアハーモニクス》が《オルディヌス》の腕を引っ掴み、カッと眼を見開いたアルベルトは咆哮と共にビームライフルを乱射していた。

 

《オルディヌス》は当たり前のように掻い潜っていくが、その挙動に僅かながら翳りが見える。

 

 それこそがある意味では自分の好機であった。今しかない――そう判じた神経が機体を伝導し、《マギアハーモニクス》は大きく反動をつけて《オルディヌス》へと衝突する。

 

『……てめぇ……!』

 

「お前は……ここで倒すッ!」

 

『マヌケ言い腐ってんじゃねぇよ、ダボが! 男と心中なんざ真っ平御免だ! 《オルディヌス》の刃に貫かれて死ねよやァ――ッ!』

 

《オルディヌス》が大剣をこちらへと据える。

 

 その切っ先がコックピットを貫くのは誰が見ても明らかだろう。

 

 しかし、希望は捨てなかった。

 

「……そうだ、希望だけは捨てねぇよ、クラード、ラジアルさん……。オレを導いてくれ……」

 

 その時、ジャケットに入れておいた結晶が光り輝く。

 

 ミラーヘッドの蒼を引き写した《マギアハーモニクス》がその掌底を《オルディヌス》の動力部に叩きつける。

 

『こいつぁ……!』

 

「喰らえ……ッ! 《レヴォル》のスペアパーツを使った特注品だ!」

 

《レヴォル》の予備パーツを組み込んだ《マギアハーモニクス》の一撃は、《オルディヌス》の機体を震わせ、その装甲を射抜く。

 

『パワーダウンだと……!』

 

「一撃を受けてもらうぜ……! オレの、男としてのケジメだ!」

 

『……ッざけんな、クソがッ! ここで死ぬのはてめぇのほうだけだろうが!』

 

《オルディヌス》が蹴り上げ、《マギアハーモニクス》が大きく後退する。

 

 激震と共に亀裂が走り、痩躯に電流が迸る。

 

「それでも……ッ、オレは……ラジアルさんに……」

 

 胸元には、砕けた破片が突き刺さっている。

 

 アルベルトは激しくかっ血していた。

 

 血潮の粒が舞う中で、モニターが打ち砕かれたコンソールへと、そっと手を伸ばす。

 

 暗礁の宇宙、何も映さない、常闇の次元。

 

「……オレ、最期にあんたに相応しい男に、成れたかな……ラジアルさん……」

 

 浮遊するその指先。

 

 明日を掴むべく、伸ばした手の先には。

 

 何が見える? 何が映る?

 

 何が、この手に中にまだ居残ってくれるのだろうか。

 

 アルベルトはフッと笑みを浮かべ、それから告げるのだった。

 

「……馬鹿だな、オレ。愛したい人の笑顔を、こんな時……」

 

 その手がゆっくりと、コンソールへと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうなっている! トライアウトジェネシスが敵勢だと!」

 

 ディリアンは交錯していく状況を理解出来ずに、ただただ襲い掛かる火の粉を払うべく戦闘を行っていたが、その中に軍警察カラーの《エクエス》が入り混じり始めたところで違和感を覚える。

 

 ――この戦場は何だ?

 

 何が敵で、何が味方なのだ。

 

「……おかしい。わたしは、正しい事をしていたはずなのに……」

 

 だと言うのに、追い込まれていく一方ではないか。

 

 ディリアンは《アイギス》を直上に逃れさせようとして、その針路を阻んだ赤い《レヴォル》を関知する。

 

「《オルディヌス》……友軍か。驚かせるな――」

 

 そこまで口にしたところで、不意打ち気味に差し込まれていたのは切っ先であった。

 

 ディリアンは眼前の《オルディヌス》に驚愕の面持ちを投げる。

 

「何を……何をやっているのか……分かっているのか……」

 

『――御曹司、悪ぃが、ここまでってこった』

 

「貴様、《オルディヌス》の隊長機。何を……何をやらせている? この友軍機を止め――」

 

『分かんねぇかな。あんた、切られたんだよ。上に無茶言うもんでもねぇって意味さ。これくらい、今の今まで切り捨てる側だったあんたが分からない話でもねぇだろ?』

 

 しかしそれは想定外もいいところだ。

 

 自分は切り捨てる側であって切り捨てられる側ではない。

 

 自分は常に勝者、自分は常に正しかったはずなのに。

 

「こんなのは……違う」

 

『違うってのなら、証明方法を探すこったな。まぁ、てめぇの自意識なんて誰も興味ねぇ。せめて、俺の部下二人を振り切るくらいの生き意地の汚さを見せてくれよ』

 

《オルディヌス》隊長機はデブリを蹴って離れていく。その姿に、手傷を負っているのが窺えた。

 

「待て……待て、待て待て待て! 待つんだ! 何故、高貴なる身分のわたしが切られなければならん! 貴様……たばかったな!」

 

『そうだと思うんならそう信じておくといい。言っとくと、もう帰り道もねぇ中、どこかに回収される幸運なんて期待するもんでもねぇがな』

 

 ディリアンは咆哮しようとして、刃が薙ぎ払われたのを感じていた。

 

 コックピットを引き裂く一閃に、ディリアンは絶句する。

 

 悲鳴が迸り、暗礁の宇宙を劈いていた。

 

「ふざけ……ふざけるなァ……ッ! わたしは、わたしはァ……ッ!」

 

『じゃあな。せめて己の幸運だけを祈って死んどけ』

 

《オルディヌス》がビームライフルを掃射する。

 

《アイギス》の装甲へと衝撃が叩き込まれていく中で、ディリアンは叫んでいた。

 

「わたしは――! リヴェンシュタイン家の長男だぞ――ッ!」

 

『だから何だって言うんだよ。小さい世界で生きてやがんな』

 

《オルディヌス》部隊が急速に離脱していく。

 

 自らの操る《アイギス》だけが、恐ろしい速度でこの戦場の只中に落とし込まれていくのを理解していた。

 

 何も出来ないまま、四肢をもがれ、装甲もボロボロにされてぼろきれのように捨てられていく。

 

 そんな戦場、そんな結末。

 

 誰が望んだ? 誰が――こんな終わりを。

 

「わたしは……アルベルト、お前をただ……正しい道に……」

 

 戦場を闊歩するミラーヘッドの蒼い残像の中に、そんな虚しい抗弁は埋もれていくだけであった。

 

 



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第99話「クラード」

 

 突き刺さった一撃を感じ取る。

 

 それでも、相手はまるで許すつもりはないらしい。

 

 装甲が剥離し、その巨大なるモニュメントを打ち崩しても、高重力の砲撃を拡散する。

 

 多重拡充装甲を分離させ、クラードは《フルアーマーレヴォル》を中空へと逃がしていた。

 

「……ウェポンベースは完全に使い物にならないな。コンテナを分離、標的にぶつける」

 

 武装コンテナを敵に射出し、爆発の粉塵を棚引かせつつ、《シクススプロキオン》が衝撃波の向こう側へと消えていく。

 

 積層装甲を脱ぎ捨てた《レヴォル》は四肢を押し広げ、スタンディングモードへと移行していた。

 

「……《レヴォル》、エージェント、クラード。ゲインをぶち上げろ……! 標的、MF《シクススプロキオン》を撃滅する!」

 

 しかし決戦兵器であるフルアーマーウェポンを破壊された以上、敵の剥離装甲を狙うほかない。

 

 幸いにして「8」の字を描く敵の堅牢な鎧は打ち砕かれ、銀色の素体が見え隠れしている。

 

 今ならば、《レヴォル》の超接近戦での攻撃も届く――そう信じて《レヴォル》を駆け抜けさせていた。

 

 拡散重粒子砲撃が《レヴォル》の機体を狙い澄まそうとしたが、これまでのように大雑把な照準では《レヴォル》の躯体は小さいがゆえ、どれもこれもが当てずっぽうだ。

 

 砲撃を掻い潜り、クラードは《レヴォル》と再度繋がったライドマトリクサーの腕より伝導する稲妻を脳裏に描きつつ、そのまま白銀の部位へと取りつく。

 

 その瞬間に、無数の支持アームが怨念そのもののように伸長し、《レヴォル》へと次々に絡みついていく。

 

「……退け――!」

 

 脚部に格納した武装より幾何学軌道のビームを掃射し、怨嗟の塊の如き支持アームを引き裂いていく。

 

 そのまま掌底を撃ち込もうとして、白銀の素体が波打つ。

 

 何だ、と確認する前には、波打った部分より虹色の皮膜が発生し、《レヴォル》の機体を吹き飛ばしていた。

 

 それはまさに、絶対の冷たさを誇る宇宙に吹き荒ぶ突風。

 

「……こいつ、ナノマシンの風圧で《レヴォル》を離脱させた?」

 

 そんな事が可能なのか否かではない。

 

 事実、《レヴォル》は一度引き剥がされた。

 

 そしてそんな相手を狙わない理由はない。

 

 四方八方より《レヴォル》を狙い撃つ重力の砲撃がもたらされる。

 

 どれかを避けてもどれかが致命的に命中するであろう。

 

 クラードは覚悟を決めていたが、その瞬間に割って入った影があった。

 

『させんよ! クラード君をね!』

 

 黒い《レグルス》がミラーヘッドの残像を拡散させつつ、砲撃を受け止めていく。

 

 しかしそれは本体にダメージがいかないわけではない。

 

「……お前は……」

 

『なに、これは一つ貸しだとも。何よりも! MFなんて相手が居ては私も落ち着いて君と死合えんからね。決着はこの先の未来でつけよう! クラード君、君は任務を果たせ。私はその先に生き、そして君と……羅刹のように戦い合おう! その時を今は――』

 

《レグルス》が砲撃を受け止めた衝撃波で光輪に押し包まれていく。

 

 爆発の余波が収まらぬうちに、クラードは次の判断を下していた。

 

 粉塵を切り裂いて、《レヴォル》が再び《シクススプロキオン》へと急降下し、白銀の素体へと大きく腕を引いていた。

 

「……喰らえ……! とっておき、だ――ッ!」

 

 白銀の躯体に打ち込んだ部位より裏返り、蒼い血潮が舞う。

 

 これはミラーヘッドジェルだ、と判断したクラードはしかし、そのまま次手を打っていた。

 

 ここで下手に及び腰になれば永劫、その機会を失うであろう。

 

 ならば、自分は。

 

 MFを殲滅すると決めた己自身に恥じないように、生き続けろ。

 

 それこそが自分の――たった一つの存在理由なのだから。

 

 クラードは吼えながら、《シクススプロキオン》の中枢部に向けて掌底を矢継ぎ早に放つ。

 

 その直後、この次元宇宙を割る悲鳴が劈いたかのように思われた。

 

 それはまさに、時空を砕く絶叫。

 

 だがその瞬間、何かが自分をすり抜ける。

 

《シクススプロキオン》を今の今まで稼働させていた存在が、自分と言う自我と混ざり合い、そしてその者はライドマトリクサーの意識の網に触れる。

 

 その人物は金髪に赤い眼の――。

 

「……俺、だと……? 《シクススプロキオン》に乗っていたのは……。いや、違う」

 

 何かが――明瞭に違う。

 

 否、つい先ほどまではまるで感じなかった悪寒に、クラードはコックピットの中で震えていた。

 

 そのぞわりとした感覚の基は自分の内側から生じているようだ。

 

 曰く、親殺しのパラドックス。

 

 曰く、自分殺しの咎。

 

 曰く――自害する刹那のいやに醒め切った自意識。

 

「……お前は……ガンダム……《ガンダムレヴォル》だって言うのか……」

 

 何かが言葉で語りかけてきたわけではない。

 

 ただ言葉以上の何かで伝わったのは、今しがた形象崩壊を引き起こす《シクススプロキオン》が、“自分と同じ”であった事だけ。

 

 震え始める。

 

 ガタガタと、極寒の地に招かれたように。

 

 歯の根が合わない。

 

 何もかもが手遅れだとでも言うように。

 

 自分は――自分殺しを行った?

 

 だがその感覚を明瞭化する前に、蒼い血潮を撒き散らしながら崩れ去っていく《シクススプロキオン》の姿が大写しになる。

 

「……勝ったはずなのに、何でこんなに……気持ちが悪いんだ……」

 

 これまで感じてこなかった嫌悪感。これまで感じた事もない拒絶感。

 

 胃の腑より上がってくる酸っぱいものを堪えながら、クラードは月軌道艦隊の側へと振り返りかけて、その機体を震わせたのは照準警告であった。

 

 ハッと習い性の神経で飛び退るも、その時には肩口に突き刺さったビームの残光が視界に居残っている。

 

「……この速度は……」

 

 照準の向こうに居たのは――真っ赤な死に装束を身に纏った死出の旅路の案内人――。

 

「……機体照合……MS、《ラクリモサ》……」

 

 MFを葬った自分には似合いの葬送曲が具象化されて、Y字の機体バインダーを押し広げ、幾何学のビットが放たれていた。

 

 回避――否、反証不可。

 

 恐るべき速度で肉薄したビットの包囲網が《レヴォル》を押し包む。

 

 クラードは舌打ち混じりに直上へと跳ね上がり、身に帯びた悪寒をそのまま振り払うかのように、掌底を浴びせ込んでいた。

 

 その真正面にビットが出現し、掌底の一撃から《ラクリモサ》を守り通す。

 

「……万華鏡……」

 

『左様。ジオ・クランスコールである』

 

 背後へと回り込んだビットの光条を紙一重で回避し、《ラクリモサ》の死角へと至ろうとして、《レヴォル》の脚部へと突き刺さったのはビットの一撃であった。

 

 ヒートマチェットで斬り払い、それらを分散させていくが、眼前に立ち現れたビットが磁石のように一斉に引き動き、一閃を見舞ったこちらを眩惑する。

 

 赤い残火が居残るも、ビットは一つも砕けやしない。

 

 四方八方より迫る殺気の波は次第に強くなっていく。

 

《レヴォル》の機体ステータスは既に先の《シクススプロキオン》との戦闘で損耗の一途を辿っていた。

 

「……ミラーヘッドジェルも四割を切っている。だが……」

 

 ここで逃げるわけには――否、逃げるという選択肢は存在しない。

 

《ラクリモサ》は執念深い狩人のように自分を追い詰め、そして狩り尽くすだろう。

 

 ここでは最早、自分も《レヴォル》もただの獲物でしかない。

 

 狩られるだけの獲物、標的、そして――勝利者の資格を永劫失った感覚だけが明瞭な。

 

「……ふざけるな、まだ死ねない」

 

 そう、死ねない理由が出来た。

 

 ならば自分は、不条理を踏み越えてでも。

 

 唐竹割りを一打、ビットを打ち破り、次手の包囲網を破るべく機動しかけて、ハッと首裏を粟立たせるプレッシャーの波に、機体を飛び退らせる。

 

 直下と直上より挟み込むかの如く放たれた光芒は、既に噛み砕く咢のように。

 

《レヴォル》から蒼い残像が棚引く。

 

「……これが最後の……ミラーヘッド……」

 

 ビットの光線が頭部を射抜く。

 

 その瞬間には、既に段階加速に入っている。

 

 宇宙空間を蹴りつけ、蒼い残像を常闇に刻んで、爪を軋らせる。

 

 リミッターを解除するのに、いささかの躊躇いもない。

 

 ここで負けるのは決定的な敗北となるのは分かり切っている。

 

「……ゆえに、コード認証、“マヌエル”。俺は、与えられた全てを伴わせて……」

 

《レヴォル》は四肢のない異様な機体である《ラクリモサ》の直下に降りて、機体脚部に格納された武装を展開し様に浴びせ蹴りを与えていた。

 

 同期した武装の弾頭が幾何学の軌道を描いて放射され、《ラクリモサ》の足元より迫るが、それらは全てビットによって防がれている。

 

 それらのビットはミラーヘッドの性能を伴わせているのは窺えるのに――。

 

「……気に入らないな、それ。ミラーヘッドを使うまでもないって言うのか」

 

 ビットを捨て石にして、《ラクリモサ》はそれぞれ全方位より《レヴォル》を攻め立てる。

 

 肉薄してくる殺気の投網を払うように、ヒートマチェットを袖口のワイヤーに接続し、そのまま円弧を描くように振るう。

 

 ビットは爆発の光輪と粉塵を生じさせるが、それらでさえもまやかしだ。

 

 本懐は、懐へと潜り込んでくるビットの機動力。

 

 その素早さ、その迷いのない速度、そして、それら全てに宿った殺意。

 

 どれをとっても一級品だ。

 

《レヴォル》を追い詰めるのに、足らない要素は一つもない。

 

 クラードは奥歯を噛み締め、ヒートマチェットを一文字に払うも、その挙動を読み切ったように、上下左右から放たれたビームの光条が《レヴォル》の腕を噛み砕いていた。

 

 腕より噴出するミラーヘッドの蒼い血潮。それを押し留めるように片腕で制そうとして、直近まで迫って来ていたビットの気配に掌底を叩き込む。

 

 果たして、その予感は的中し掌底がビットを撃墜するが、それは罠だ。

 

「……目的は、《レヴォル》の両腕を塞ぐ事……」

 

 その証左のように背後に三基のビットが現出し、《レヴォル》の背筋を撃ち抜いていく。

 

 コックピットが胴体部にあれば、今頃は即死の消し炭。

 

「……だが、《レヴォル》のコックピットは頭にある……」

 

 持ち直した《レヴォル》はしかし、全身からミラーヘッドジェルの血潮を滴らせながら、《ラクリモサ》と対峙する。

 

 その瞬間には、ビットは《レヴォル》へと次々に特攻していき、装甲を打ち崩していく。

 

 ――分かっている。相手は痛くもかゆくもないはずだ。

 

 ミラーヘッドをまるで使わず、自分へと自律兵装を叩き込んでいるだけ。

 

 これでは一方的。

 

 しかし、とクラードは死中に活路を見出していた。

 

 ビットを操っている敵は、それなりにとはいえ、思考拡張、ひいてはライドマトリクサーのはず。

 

 ならば、自分でも届く――届く理由がある。

 

 ビットの一つを直撃の前に掴み取り、クラードはそれを引っ張り込ませていた。

 

 ビット自体は無線、もちろんこれで《ラクリモサ》がよろめく事なんてあり得ない。

 

 だが、自分の肉体の一部を掴まれれば、誰しも穏やかな気持ちではないはず。

 

 ビットは直後に爆散するか、あるいはビームを引き絞り《レヴォル》を迎撃にかかるはず。

 

 ――ここまでは想定通り。

 

 ビットの銃口が《レヴォル》を標的に据えたが、その銃撃を逸らし、頭部を射抜くギリギリのところで押し留め、ビットを掴んだまま《ラクリモサ》へと加速する。

 

 敵の銃撃網はミラーヘッドの残像でいなし、段階加速をかけて真正面から掌底へと粒子束を収束させる。

 

 下手に回り道をすれば、相手に好機を与えるだけだ。

 

 ならば愚直でも正面から、最短距離を用いればよい。

 

「……そこだ! ジオ・クランスコール!」

 

《ラクリモサ》の装甲へと、《レヴォル》の爪が届くかに思われた――その瞬間。

 

《ラクリモサ》はバインダーを二つに割っていた。

 

 直後、その内部に格納されていたのは刃を有するノコギリのようなビットだ。

 

 格闘兵装――と判じた時には既に遅い。

 

《レヴォル》の掌を引き裂き、その攻撃が届く前には、留め切れない衝撃波が腕を突き抜け、《レヴォル》の眼窩を突き破る。

 

 コックピットの自分は無事では済まない。

 

 返しの付いた刃が肉体を引き裂き、赤い血飛沫が舞い上がる。

 

 悲鳴を上げるような愚は犯さない。

 

 その代わりに咆哮を。

 

 相手へと牙を突き立てる野生を。

 

 己の肉体が引き千切れようとも敵へと一撃を、と判じた神経がそのまま掌底のゼロ距離射撃となって突き抜けていた。

 

 破砕の勢いを伴わせた一打は《ラクリモサ》の右肩のバインダーを射抜き、その内部に収まっていたビットを巻き添えにして、紅蓮の火炎を生じさせる。

 

 その途端、声が漏れ聞こえていた。

 

『――やるな。エージェント、クラード』

 

 直後、全方位からの光芒が煌めき、《レヴォル》の躯体を貫く。

 

 最早、機体の駆動系は余さず破壊され、その凶暴性でさえも奪われた《レヴォル》は、磔刑に処された罪人に等しい。

 

 暗礁の宇宙でただ浮かび上がるしか出来ない《レヴォル》を、繋がった神経のまま持て余したクラードは、血の赤に染まったコックピットの中で面を上げる。

 

 その刹那――格闘兵装のビットが《レヴォル》の頭部を撃ち抜いていた。

 

『《ラクリモサ》のミラーヘッドビットを、超えてくるとは思わなかった』

 

 死神の足音が近づいてくる。

 

 万華鏡の通り名の男はその名に相応しい、冷徹な声で死の音叉を奏でる。

 

『そうだな。《ラクリモサ》の修復、加えて新たな戦術、そして――新しい武器が、要るな』

 

《ラクリモサ》が右肩のバインダーより、支持アームを現出させ、接続した格闘兵装のビットでそのまま――《レヴォル》の心臓部たるアステロイドジェネレーターを貫く。

 

 あ、と心臓の音が止まる。

 

 こうも終わりは呆気ない。

 

 そうなのだと分かった時には全て手遅れで、そして全ての事象は時を止まらせる。

 

 クラードは血潮に染まった肉体を横たえさせ、《レヴォル》との接続系統が直後には断絶されていくのを感じ取っていた。

 

「……《レヴォル》、何を……何をやっている?」

 

『“クラード。君は共に死ぬ事はない”』

 

 強制的なコミュニケートモード。それは彼の者の終わりでさえも描いているようで。

 

「何を言っているんだ。死ぬ時は一緒だろう」

 

『“……クラード、君は生きるべきだ。そうなのだと、教わった”』

 

「教わった? 誰にだ? 俺以外にお前に命じられる存在なんて……メイアの意志か……」

 

『“勘付いているのならば話は早い。――生きろ。生きて未来を変えてみせろ。結果はその後についてくる。事象は人の意志の寄せ集めに過ぎない。パッチワークの世界を彩るのは、いつだって人間の意志だ”』

 

「それは……誰の言葉なんだ……」

 

『“引用不明”』

 

 直後、コックピットが強制排除される。

 

 必要最低限の機材だけを整わせて、クラードの躯体は宙を舞っていた。

 

 繋がっている感覚は失せた。

 

 いつだって傍にいるはずの信頼感も消え失せた。

 

 残ったのは、ただの虚無の己のみ。

 

 空虚なる宇宙で、その手は何もない場所を掻く。

 

 機械の腕が、RMの因果の集約たる指先が、最後の最後に紡いだのは、何者でもない。

 

 ただの暗礁の闇であった。

 

「《レヴォル》……お前は……」

 

 視界の中で《レヴォル》は《ラクリモサ》に収容されていく。

 

 全ての沈黙、全ての静寂。

 

 そして静謐だけが、明瞭な冷たさを伴わせて己を抱く。

 

 クラードは、その首からこぼれ落ちたドッグタグと、そしてたった一つの――紫色の欠片のネックレスを意識していた。

 

 



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第100話「戦場の唄」

 

 露店はどれもこれもが急増品ばかりで、それでもカトリナが五着も私服を買ったので、前を行くクラードは鼻を鳴らす。

 

「あんた、案外図太いんだな」

 

「な……何がですか。だって私、いつまでもリクルートスーツなの、おかしいって言われちゃうんで……」

 

「それでも五着はどうかしている。飾り気のある人間ってのは、これだから始末に負えない」

 

「……むぅ。じゃあクラードさんも何か買えばいいんじゃないですか? あっ、ホラ、これなんて。ミラーヘッドの結晶でとても綺麗ですよ!」

 

 露天商が広げている中でカトリナの見出したのはよりにもよってミラーヘッドの蒼を宿した結晶のネックレスで、クラードは眉根を寄せる。

 

「……あんた、知らないんだな。それ、どこかの誰かの遺品だよ。ライドマトリクサーって言うのは死ぬ寸前に、体内のミラーヘッドジェルが凝固して、赤い血を上塗りされて死ぬ事もあるんだ。そうやって蒼色のミラーヘッドの結晶になる。あんたが指差したのは、今際の際に誰かが足掻いた証だ」

 

 さすがにそこまで言えば、カトリナも引き下がるかに思われたのだが、それでも彼女は戸惑いつつも応じる。

 

「でも……綺麗なのは事実じゃないですか」

 

「おっ、嬢ちゃん、なかなかお目が高いねぇ。これは高名なパイロットが、本当に死ぬ瞬間に遺したって言われるネックレスなんだ。何なら、まけておくよ。これでどうだい?」

 

 露天商が指を三本立てたので、クラードは嘆息をつく。

 

「高過ぎる。どこの誰かの死に様なのかも分からない遺品にそれだけ持って行くのはぼったくりだ」

 

「で、でもですよ……! サンゴ礁とかだって、言っちゃえば遺品みたいなものじゃないですか。真珠だって、そういうものですし……」

 

「何だ、じゃああんたは、そのどこの誰かの遺品を俺に買えって? 誰かの悲鳴なんて、興味もない」

 

 そう断じたものの、カトリナはまたしても頬をむくれさせてこちらの意見に異を唱えるモードに入っている。

 

「……何で不機嫌になると小動物のマネするの、あんたは」

 

「べ、別にー! ただ、クラードさんってロマンとかないんですね! と思って!」

 

「……遺品整理なんて趣味が悪い。俺に誰かの死を背負えって言うのか」

 

「しかし彼氏。この嬢ちゃんが言うように高値の黒真珠だって、あれは犠牲のない代物ではないだろう。ダイヤモンドだって言っちまえば化石みたいなもんだ。そのようなものに意義や価値を見出すのが人だろう?」

 

「……って、そういう事ですよ」

 

「誰かの言を借りて俺を説得しようとしないでよ。……ただまぁ、言い方次第だな」

 

「えっ、買ってくれるんですか?」

 

「買ってくれるってのは変な話だ。俺が金を出して、俺のために買う」

 

 こちらの決断にカトリナは呆然としている。

 

「……何だ。買う買わないの押し問答を仕掛けてきたのはそっちだろうに」

 

「いえ、そのぉー……ちょっと悪い事しちゃったかもって……。はい、軽く後悔してます……」

 

「じゃあ言い出すな。しかし……どこの誰かも知らない人間の死に様を背負うのはつまらないな」

 

「あっ! じゃあその、これで……っ!」

 

 カトリナは何を思ったのか、ネックレスを掴み取って自身の掌を軽く切り、その血を滲み込ませる。

 

「痛った……。でもホラ! これで見知らぬ誰かのそういうのじゃなくなりましたっ!」

 

「……あんた馬鹿なのか? 買ったばかりの品を自分の血で汚すなんて」

 

「あっ……怒っちゃい、ましたかね……」

 

 しゅんとするカトリナから、クラードはネックレスを引っ手繰る。

 

「いや、これで少しは……品物として見れるようにはなってきた。少なくとも全く見知らぬ誰かの遺品じゃなくなったのは、考え方としちゃありがたい」

 

「うぅ……言い方ぁ……」

 

 クラードは白衣の内側に常備してある絆創膏を取り出し、カトリナの傷口を掴み取って貼ってやる。

 

「……第一、血なんてどれも同じだろうに。あんたの汗水垂らした結果の血も、どこかの誰かのろくでもない血も、みんな同じように赤い血だ」

 

「あっ……クラードさん、絆創膏なんて持っていたんですね」

 

「戦場の常備品だ。もしもの時に失血死なんて一番につまらない。……それにしたって、向こう見ずと言うか考えなしと言うか、俺が何か持っていなかったら、あんた買い物も出来ないだろう。血塗れの手で品物に触れるつもりだったのか?」

 

「うぅー……言い返せませんけれどぉ……!」

 

「下手な真似をするな。自分は必要以上に大事にしたほうがいい。俺と違ってあんたは生身だ。血が流れれば死にもするし、何よりも集中が削がれる。それは困るはずだろう」

 

「それは……そのぉー、迷惑してます?」

 

「何が。質問の体を成していないよ」

 

「じゃなくって! ……私が余計な事をしなければ、買わずに済んだのにって」

 

「いや、何かしら買わないとこういう場では収まりがつかないのも知っている。買い物袋をくれ」

 

 カトリナより差し出された買い物袋にネックレスを押し込んで露店を抜けていく。

 

「……扱い、雑過ぎません?」

 

「もう俺のだ。今さら扱いがどうとか文句を言ってくれるんじゃない」

 

「……でもちょっと意外。クラードさん、買い物とかするんですね」

 

「……本当、馬鹿にしてる? これでも充分に人並みのつもりだよ。そういう点じゃ、あんたのほうがどうかしている。急にネックレスで掌を切って、自分の血を滲ませるなんて、どう考えたってヤバい奴だろうに」

 

「……それも言い返せないなぁ……」

 

「ただまぁ、見知らぬ誰かの血じゃない分、これは重いな」

 

「ふへっ? ネックレス自体は軽いじゃないですか」

 

「……そういう意味じゃないよ。あんたって本当、愚図でのろまで、それで居て本当に……――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――本当に最後の最後まで、救いようのない、お人好しなんだ」

 

 呟いた声は、言の葉にもならない吐息となって霧散する。

 

 周囲を漂う《レヴォル》の緊急措置は自分をギリギリまで生かすだろう。

 

 それが望まぬ形であったとしても。

 

「……でもどう生きろって言うんだよ。俺は《レヴォル》……お前となら運命を共にしたっていいと思えていたのに……」

 

 だって言うのに何故なのか。

 

 こういう時に思い出すのは――デザイアでの凱空龍の日々と、そしてベアトリーチェに赴任してから一日として見ない事はなかった委任担当官の顔だ。

 

 まるで百面相だった。

 

 怒ったり、笑ったりしたかと思えば、誰かのために涙する事も出来るなんて。

 

 ああ、それは何て――。

 

「何て……人間臭いんだろうな、カトリナ・シンジョウ……」

 

 見えないものを見て、知らないものを知っていた。

 

 だがそれこそが、人間なのだとすれば。

 

 自分は最後まで、人間を知らず。

 

 かくしてエージェントとしての終焉も描けず。

 

 半端な身を持て余し、そして暗礁の宇宙に抱かれて、クラードはあり得ざる歌を聴いていた。

 

 それはどこの国とも知れぬ異郷の歌。

 

 ――否、あらゆる言語が入り混じった、望郷の歌。

 

「歌っているのか……ファム……。誰かのために……誰かのための……鎮魂歌を」

 

 だがそれは、自分のためではないのだろう。

 

 そう感じて、クラードはそっと瞼を閉じていた。

 

 



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第101話「死出の旅」

 

「――痛っ……」

 

 不意に右手に痛みを感じて、カトリナはその部位を見据える。

 

 そこにはいつか、クラードと買い物をした時に貼ってもらった絆創膏があった。

 

「……クラードさん?」

 

 格納デッキを仰ぎ見たカトリナは、帰投してきた《マギア》を視界に入れていた。

 

『トキサダ! その深手じゃ再出撃は無理だ! 何度言ったら分かる!』

 

『分からねぇよ! ヘッドもクラードも行方知れずだって言うんだろ。なら、おれが出ないとか嘘だろ! 最低限度の修繕で軍警察を退ける!』

 

『無理っすよ! 《マギア》じゃトライアウトネメシスとやり合ったってジリ貧っす!』

 

 トーマがコックピットから身を躍らせようとしたトキサダを制するが、彼は真剣そのものの面持ちで告げる。

 

『誰かがやらなくっちゃいけないんだ。なら、おれは凱空龍の副長。出ないわけにはいかないだろうが。トーマ、最速で頼むぜ』

 

『……分からず屋ぁっ! 整備班、《マギア》を直すっすよ!』

 

 トーマが声を張り上げてトキサダの《マギア》に取りついていく。その最中にはカトリナはこちらへと抜けていくトキサダへと声を振り向けていた。

 

「あの……やりましたね、撃墜さん……」

 

「やめてくれよ、そういう言い方。別におれは連中と喧嘩したくってしているわけじゃないんだ」

 

 失言であった、と言葉を仕舞った時には、トキサダは経口補水液を飲み干して言の葉を継ぐ。

 

「……ヘッドのシグナルは?」

 

「あっ、アルベルトさん……。分かりません、管制室には伝令が行っているはずなんですけれど、私、ずっとここに居るから……」

 

「……あんた、待ってるのか? クラードの事」

 

「……はい。私、だって約束しちゃいましたから。クラードさんに、オムライスを作ってあげるって」

 

「……オムライス、ね。そんな事をあのクラードがいちいち覚えているとは思えないけれど」

 

「あの……トキサダさんはでも、凱空龍で一緒に……」

 

「あいつはヘッドにべったりだったから、あんまり絡んだ事はないんだ。だが、おれは強さに関しちゃ信用している。ヘッドが認めた人間だ。おれも副長気取っているが、ヘッドはあいつこそが副リーダーに相応しいって思っていただろうからな」

 

「……トキサダさんは、クラードさんの事が嫌いなんですか」

 

「ああ、嫌いだね。澄ましやがって。だが嫌いなのと、その実力を認めるかどうかは別の話だ。おれはあいつがスゴイ奴だってのは充分に分かっているつもりだし、それにあいつはそういう……おれ達に足を取られたところとか、やっぱり一歩先を行かれている感じってのは分かっているからな」

 

 意想外であったのは、トキサダは何も湿っぽい嫉妬のようなものを感じているのではなく、きちんと実力を認めた上での好き嫌いの話になっていた事でもある。

 

「……トキサダさんは、凱空龍をいつの日にか……?」

 

「ああ。どこでだっていい。復活出来るんなら、おれは最大限まで貢献する。……ただ、ヘッドはかなり責任とかそういうのに雁字搦めだからな。もしもの時は、おれが先導する。そうじゃないと、凱空龍も気持ちよく復活出来ないだろうに」

 

「……羨ましいですね」

 

 ふと口から漏れた言葉にトキサダは訝しげにしていた。

 

「羨ましい? 変な事言うんだな、あんた」

 

「いえ、でも羨ましいですよ……。だって、アルベルトさんもクラードさんも、帰るべき場所ってきっちりあるじゃないですか」

 

「あんたもあるだろう? エンデュランス・フラクタルの正社員なんだから」

 

「……私なんてまだまだで。期待の新人って揶揄されちゃっていますし、それに私、何も成し遂げていないんです、まだ……。だったら、アルベルトさんやクラードさんのほうが、物を成し遂げていますし」

 

「おれ達はただの喧嘩集団じゃない。デザイアの独立愚連隊、凱空龍だ。成し遂げって言う意味じゃ、もうおれ達にだって帰る場所なんてない。デザイアは青春だった。その青春時代にはもう、戻れやしないのさ」

 

「……青春……」

 

「そろそろ行くぜ。ベアトリーチェの守りについているのはほとんどおれらだ。ヘッドがどこまで戦線の前方まで行ったのかも分からない。クラードだって、あいつはMFみたいな怪物とやり合っている。おれだけ休むわけにはいかない」

 

 すぐにパイロットスーツのバイザーを下ろしてコックピットへと戻ろうとしたのを、激震が見舞っていた。

 

 トキサダは慌ただしげにギリギリでコックピットブロックに取りつき、天井を仰ぐ。

 

「状況は!」

 

『艦第三ブリッジに被弾。……まずいですね……このままでは……』

 

 響き渡るピアーナの声にトキサダは《マギア》のコックピットに収まっていた。

 

『おれが出る! 直近の連中は下がらせろ! 他の奴らだって損耗しているはずだ!』

 

『トキサダ氏! 今の《マギア》じゃ無理っすよ!』

 

 トーマが割って入ろうとしたが、その手を取ってトキサダは静かに告げる。

 

『……ミッシェルで買っておいたとっておきの指輪があるんだ。頼むよ、トーマ』

 

 そう言ってトキサダは指輪の箱をトーマに差し出し、そのまま強硬的にコックピットを閉ざして隔壁へと押し通る。

 

『《マギア》改修機、トキサダ・イマイ。出るぜ!』

 

『……トキサダ氏……』

 

 トーマの悔恨を振り切るようにトキサダは出撃するが、直上よりもたらされたのは拡散重力の磁場であった。

 

 想定外の艦への砲撃に誰もがおっとり刀で対応する。

 

 カトリナは管制室のメインモニターと同期した端末で声を弾かせていた。

 

「ピアーナさん! どうなって……」

 

『……最悪ですね。今ので艦を支持する一角を打ち破られました。内部隔壁を既に下ろしていますが、被害は抑えられない場所まで至っています。このままでは遠からず……』

 

 その想定を打ち崩すように、再びの重力波がベアトリーチェを襲う。

 

 レミアが手を払い、声を響かせていた。

 

『艦内隔壁を第十七まで! 火災を防がないと、内部からやられるわよ! ……サルトル技術顧問、現状での勝率は? MS隊の損耗率を教えてちょうだい』

 

『かなりヤバいって感じだ。帰投する《マギア》はどれもこれもが中破レベルだし……軍警察と真正面からかち合うにしちゃ、やはり《レヴォル》もクラードも居ないのは……』

 

『こちらヴィルヘルム、医務室に居たら狙い撃ちされる。わたしはこのまま格納デッキへと向かう。そっちのほうが安全そうだからね』

 

 間もなくヴィルヘルムが辿り着いた格納デッキは半身を失った《マギア》が帰還してくる。

 

『凱空龍の《マギア》編隊はほとんど総崩れだ! いいか? これ以上の損耗はもう撤退戦に近い! ベアトリーチェから一機も出すな! 体のいい的になるぞ!』

 

 サルトルの叫びに近い声にトーマが思わずといった様子で返答する。

 

『整備長! トキサダ氏が……!』

 

『……あいつ、こんな時にまともな装備を施していない《マギア》で出やがって……! トキサダ・イマイ! 帰還しろ! お前以外の部隊はほとんど帰り着いている! お前さえ帰投すれば――』

 

『いや、そうもいかないらしい……。直上から赤い《レヴォル》が二機……!』

 

 因縁の相手を見据えた声にサルトルは落ち着くように声を張る。

 

『お前一人で何が出来る! 今は帰還するんだ! これより先は手痛い打撃になる……!』

 

『……なぁ、トーマ。誰かが赴かなくっちゃいけないんなら、それは副長の仕事のはずだよな?』

 

『……トキサダ氏……?』

 

「まさか……」

 

 カトリナの予感は悪いほうに的中していた。

 

 トキサダの《マギア》は二機の《オルディヌス》の飽和攻撃を受けながら、可変式のビームライフルを構え、そのまま敵へとミラーヘッドの残滓を棚引かせながら直進していく。

 

『ここで禍根は絶つぜ! 三機いるうちの一機でもいい! 墜とせりゃベアトリーチェは無事に月の軌道上に入れる……! 行くぜ……おれは凱空龍の副長、トキサダ・イマイだ! 《オルディヌス》だか何だか知らねぇが来るんなら来やがれ! ガトリングライフルの錆びにしてやる……ッ!』

 

「……駄目……っ! 行っちゃ駄目ですっ! トキサダさん!」

 

 しかし自分の声は届かない。

 

 届かない戦場で、トキサダの操る《マギア》はビームガトリングガンを掃射して《オルディヌス》を引き付けようとするが、その抵抗は虚しく、《オルディヌス》二機のミラーヘッドの前に阻まれる。

 

 別段、トキサダとて使い手ではないわけではない。

 

 ただ、今は状況があまりに悪い。

 

 ガトリングガンの射撃網を潜り抜けた《オルディヌス》が近接兵装の一撃を《マギア》に見舞う。

 

 それだけでもう、アステロイドジェネレーターは臨界寸前なのが窺えたが、トキサダは戦意を凪いだ様子もない。

 

 それどころか、より果敢に《オルディヌス》へと飛びかかっていく。

 

『負けるかよ……トーマが待ってんだ! こんなところで……負けてられるかよ……!』

 

 ガトリングガンを再装填し、《マギア》はミラーヘッドの蒼い残火を灯らせていた。

 

《オルディヌス》の致命的な格闘兵装の一撃はかわしたものの、相手の射程に潜り込んだ時点で下策と言える。

 

『駄目っす! トキサダ氏!』

 

 トーマの声が響き渡る中で、トキサダの機体は滑るように《オルディヌス》一機の真正面へと入るなり、その頭蓋をガトリングガンの砲身で叩きのめしていた。

 

《レヴォル》と同じコックピット構造ならば、頭部が弱点のはずだ。

 

 よろめいた敵機が次のミラーヘッドの加速度を点火する前に、トキサダの《マギア》は打ち下ろした勢いを殺さずに、そのまま砲口を《オルディヌス》の躯体へと押し込む。

 

『喰らえぇぇぇ――ッ!』

 

 咆哮が通信網を震わせ、ゼロ距離のガトリングガンの照準が《オルディヌス》を内側から爆ぜさせる。

 

 しかし、相手も何も見た目ばかり《レヴォル》に似ているだけではない。

 

 その瞬間には《マギア》の頭部を引っ掴み、共通の駆動系であろう掌底を浴びせて《マギア》を貫通させている。

 

 トキサダの《マギア》は人が頭蓋を打ち抜かれたように血飛沫を舞わせてそのまま宙域を漂う。

 

 力なく浮かび上がった《マギア》へと、もう一機の《オルディヌス》が直上より加速度を上げて降下し、《マギア》の細いフレームの中心軸を足蹴にしていた。

 

『……よくも……。我々には、もう何も残されていないのに……!』

 

 相手の怨嗟が響く中で、もう戦闘不能かに思われていたトキサダの《マギア》は眼光を棚引かせ、ガトリングガンを《オルディヌス》の頭部を狙い澄ましていた。

 

『……死なば、諸共よ……ッ!』

 

 その銃身が火を噴く前に、《オルディヌス》の掌底が《マギア》のコックピットブロックへと叩き込まれる。

 

 それは、同時であったのか。あるいはただの偶発的な要因として、稼働したのかは分からない。

 

 分からないが、《マギア》のコックピットが吹き飛ばされるのと、《オルディヌス》の頭部が射抜かれるのはほとんど等しく、そして両者共に粉塵を上げて暗礁の宇宙で命を散らす。

 

 トーマが、ああ、と声にならない叫びを伴わせて涙の粒を浮かび上がらせていた。

 

『……いやぁ……トキサダ……指輪が……指輪を頼むって! 言っていたじゃないっすかぁ……っ!』

 

 外部モニターに縋りつくトーマをサルトルは無理やり引き剥がし、そのまま伝令を振る。

 

『こちらサルトル! 残った戦力だけでも撤退するしかない! ……こんな宙域に、もう勝ち負けも何もないんだ。残った命だけでも、繋ぐしかない……』

 

 それは手痛い敗北を喫したのと何が違う。

 

 すすり泣くトーマに、サルトルは何も言えないようであった。

 

『……分かったわ。現時刻をもって、全ての隔壁を閉鎖。ベアトリーチェは月軌道に位置するエンデュランス・フラクタル本社に向かい、そこまで撤退します』

 

「ま、待って! 待ってください! レミア艦長! まだ、クラードさんが……! それに、アルベルトさんも……!」

 

『……カトリナさん。今の状況で下手に帰投信号なんて打ったら狙い撃ちにされるのは分かるわよね?』

 

「でも……っ、でもっ! お願いですっ! ……三分くらいは……待てませんか……」

 

 しかしレミアは非情なる声を振る。

 

『待っていて、ではベアトリーチェが轟沈すれば、誰が責任を負うの? ……今ならば私が全責任を負います。でも、死んでしまえば誰も責任なんて取れない』

 

「そ、それでも……っ! それでも……いいじゃないですか……。責任を誰が負うのとか言う話じゃなくってぇ……っ! みんなで、生き残れば――」

 

『ではカトリナさん。あなたは今、死ぬかもしれない人達を切り捨てて、生存確率の低い人間のためにどうこう出来ると言うのですか?』

 

 詰問の論調に、それはずるいと言い返せればよかった。

 

 それくらい馬鹿になれればよかったのに、下手に賢しいだけの自分は、馬鹿にすらも成り切れない。

 

 ――分かっている。

 

 ここで撤退するのは正しい。

 

 クラードはMFの下へと赴いた。その時点で生きて帰るなんてどだい無理な確率だ。アルベルトも、トキサダも、それに他の皆も、別に死にに行ったわけではない。

 

 ただ、結果論だ。

 

 結果だけが全てにおいて優先されるのは常である。

 

「で、でも……っ、もう少し待てば……帰ってくる命だって……!」

 

『……私の言葉が聞けないのなら、あなたにも降りてもらいます。そうじゃないのなら、今は命令に背かないで。……私だって、平気だと思うの……!』

 

 震える声に、そうだ、レミアとて平然としているわけではないと思い直す。

 

 彼女はクラードと親しかった。彼の生存を一番に願っているはずなのに――。

 

「……でも、何でですかっ! 何で、みんな死ななくっちゃ、いけないんですかぁっ!」

 

 吼えても、叫んでも、どれもこれも虚しいだけ。

 

 頬を熱いものが伝い落ちる。

 

 無重力ではそれも粒になって、バイザーの上辺に蓄積するだけだった。

 

 そんな自分でも抗えないほどの無力感だけを噛み締めて。

 

『……宇宙はそれだけ非情なのよ』

 

 レミアは冷徹に、今の自分に出来る事だけを実行しようとしている。それは艦長として正しい。

 

 そして、人間としても恐らくは正しいのだろう。

 

 だが自分は。

 

 人間としても――委任担当官としても未熟な自分は。

 

「……クラードさん……っ。帰ってくるって、言ったじゃないですかぁ……っ」

 

 果たされない約束。

 

 成就しない願い。

 

 どれもこれも、ただただ意味は存在せず、ただただ現実の前に塗り固められていくのみ。

 

 格納デッキで、サルトルが声にする。

 

『……了解。艦長命令を受け、格納デッキをこれより閉ざす。帰還者は現時点でのみ概算。ここから先は――』

 

 非情にもそう徹しようとした矢先、帰投信号を受信していた。

 

 まさか、と希望にも似た輝きを感じ取ったカトリナはしかし、帰還したのがたった一機の《マギアハーモニクス》である事を視認する。

 

『アルベルトか! ……総員、対ショック! 四肢がもげてやがるが……生きているんだな?』

 

「あ、アルベルトさん? アルベルトさん! ……生きて、らっしゃるんですか……」

 

 砂嵐の通信の中でほとんど呼吸と大差ないアルベルトの声が漏れ聞こえる。

 

『あ……あ、あ……オレ、生きて、んのか……』

 

『しっかりしろ。おい! 誰かレーザーカッター持って来い! 手動じゃビームが焼き付いて開けられん!』

 

 サルトルの言葉に整備班はレーザーカッターによる強制排除を試みるが、カトリナはそんな最中でもアルベルトに呼びかけていた。

 

「アルベルトさん! アルベルトさん! ……クラードさんは……戦局はどうなりましたか……?」

 

 そんな事を聞いても益体がないのは知っているだろうに。

 

 そうだとしても、カトリナは問い質したかった。

 

 クラードは生きているのか。今の戦局でも、アルベルトが生き永らえたのならば、クラードだって、と。

 

 しかし、レーザーカッターでようやくコックピットから助け出されたアルベルトは満身創痍で、とてもではないがそんな事を聞き出せる状況ではなかった。

 

 血溜まりの中で、アルベルトが激しくかっ血する。

 

『おい! ヴィルヘルムのところに寄越してくれ! このままじゃ手遅れになる……!』

 

 サルトルの言葉に、カトリナは絶句する。

 

 ようやくここまで辿り着いたアルベルトですら、手遅れになるレベルだ。

 

 だと言うのに、何故クラードが生きているなんて希望を振り翳すと言うのだろう。

 

 運ばれていくアルベルトはしかし、自分と視線を交わす瞬間、か細い声で問いかけていた。

 

「……ク、ラード……は……?」

 

 こんな時までアルベルトはクラードの心配をしている。

 

 その事実だけで胸が締め付けられそうになってしまう。

 

 ――自分は所詮、何も出来ない。

 

 何も出来ない安全圏で、ただ喚いているだけ。

 

『今は喋るな! 肺に血が溜まっていたらどうしようもなくなってしまう……。医務室に……って、今は危ないんだったか。……予備の部屋に運び込むぞ! ピアーナ嬢! いいな?』

 

『今は是非を問いかけている場合でもないでしょう。ガイドに従ってアルベルト様を運び込んでください』

 

 ピアーナの声はこのどん詰まりの戦闘宙域において少しの光明に思えていた。

 

「その……ピアーナさん! ……クラードさんは、生きています……よね?」

 

 しかしその問いかけに、ピアーナは沈痛な声を返すのみ。

 

『……カトリナ様。貴女には恩義を感じている。当然、報いるべきだとも。ですが、ここまで戦場をシミュレートして……一滴たりとも、クラードと《レヴォル》が生存してここまで帰投するビジョンが見えません。分かりますか? それは不可能なのですよ』

 

 ピアーナが自分に非情な言葉を振り向けるとはどうしても思えない。

 

 だから、こんな時なのに、自分勝手な言葉が出てしまう。

 

「で、でも……! いつだって無理な戦場でも、クラードさんは生きて帰ってきました! 生きて帰って……今回も、ああ何でもなかったって……言ってくれる、そのはずなんですっ! じゃなかったら私……私、は……」

 

『カトリナ様。わたくしは事実だけを申し上げております。現状では、エージェント、クラードと《レヴォル》の生存率はゼロパーセント……いいえ、それより酷い。マイナスの領域でしょう。それでも信じるのは勝手ですし、わたくしに止める権利はありません。……ありませんが、貴女を慕う、ただ一人の人間として、忠告はします。――その背中に縋ったって、何もいい事はありません』

 

 こんな冷酷な事を。

 

 ここまで冷徹な事を、ピアーナに言わせている愚鈍な自分も嫌なら、現実として横たわる致命的な失点も何もかもから逃げ出したくなってしまう。

 

 しかし、駄目なのだ。

 

 自分は逃げてはいけない身。

 

 委任担当官の仕事は、クラードの帰還を信じる事ではない。

 

 現状で最もプラスに働く要因を見出し、そちらに舵を切る事だ。

 

 だから――クラードがもし、生きて帰らなくとも、自分は全うしなければ、し続けなければいけない。

 

 委任担当官としての職務。

 

 エンデュランス・フラクタルの、エージェントと、そして凱空龍相手の、窓口として。

 

「……でも、こんなのって……あんまりですよぉ……っ!」

 

 泣きじゃくるのも、そんな余裕なんてこの艦にはありはしないのだ。

 

 分かっている。

 

 トキサダが命を賭して《オルディヌス》の飽和攻撃を防ぎ、そして、クラードがMFを恐らくは戦闘不能にまで追い込んだ。

 

 今、撤退を考えないでいつ考えると言うのだ。

 

 戦力を整えると言うのならば、退き際も潔くなければいけない。

 

 ここでベアトリーチェが墜ちれば、自分だけではない。

 

 数十名のスタッフも死に行く運命になってしまう。

 

 それだけは避けなければいけないはずだった。

 

「……クラードさん……。私、駄目ですよね……。だってそういう現実を分かっていても……分かっているはずなのに……あなたに生きていて欲しいと、心の奥底から願っているなんて……」

 

 その時、カトリナの通信回線に割り込んできたのは、歌であった。

 

 それはこの戦場を、ひいてはこれまでの戦いを慰撫するかのような、鎮魂の歌――。

 

「歌っているのは……ファムちゃん……?」

 

 ファムがどこから、どうやって歌っているのかは分からない。

 

 だが、彼女の歌は、彼岸に旅立ってしまったであろう魂を慰め、そして向かうべき場所へと赴かせるだけの、心のある歌であった。

 

 多言語、多音階の入り混じった、まるで意味は不明な歌。

 

 しかしそれでも、今の自分達にはありがたかった。意味なんてなくっても。言葉なんて必要なくっても――こんな時に欲しいのはただの救済だ。

 

 それが自分達に向けられたものではなかろうとも、正者は祈るのみ。

 

 そして、弱者は打ちのめされる。

 

 この暗礁の宇宙で、運命がどう転ぼうとも。

 

 胸元から浮かび上がった金色の鍵をぎゅっと握り締める。

 

「……生きて、クラードさん……」

 

 



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第102話「終幕」

 

「しかし、艦長。あたし達だって余裕ないのに、よくカトリナちゃんに激飛ばしましたね」

 

 バーミットの論調にレミアは額に手をやって頭を振る。

 

「……こんな時に、弱気になるだけの女なら、まだよかったのにね」

 

「それ、艦長には似合わないでしょ。いつだって鉄の女なのが、あたしの知るレミア・フロイト艦長なんだと思っていましたけれど」

 

「クラードが生きているのか、それとももう……なのかも分からないのよ。私だって弱音を吐きたいけれど、この身分が許してはくれないわね。ピアーナ、概算予測をお願い。月面のエンデュランス・フラクタルの本社に辿り着くまでに、私達が生き残れる、確率を」

 

『……よろしいですが、お世辞にも高いとは言えません。今、ここで言う事で余計に絶望を深くさせてしまうのならば……』

 

「なに、あなたもライドマトリクサーなのにヒトの湿っぽさなんて感じるものでもないのよ。クラードのように、冷徹に、事実だけをちょうだい」

 

 こちらの言葉振りがあまりにも迷いがなかったためだろう。

 

 ピアーナは僅かに言葉を濁す。

 

『……あなたはクラードが生きていると信じているのですか』

 

「それは彼の領分よ。私達が生き残れるか、今知りたいのはそれだけ」

 

 線を引いた言葉にピアーナは概算予測をメインモニターに投射させる。

 

『……現状では、《オルディヌス》を振り切れたとは言え、戦力はジリ貧……。このまま月面まで辿り着けても、ベアトリーチェが持つかどうかの保証はありません。現在の陣営を表示いたします』

 

 映し出されたのはトライアウトジェネシスと、そして同組織であるはずのトライアウトネメシスの喰らい合いであった。

 

 両者、一歩も譲らず応戦しつつ、月軌道艦隊は不意に自分達への砲撃が止んだ事で漁夫の利を得ようと艦隊を動かそうとしている。

 

「……連邦艦隊も損耗率は高いって言うのに、今はトライアウトを押さえたい……。トライアウトは同陣営で争い合っている。ベアトリーチェに向かっていた戦力は?」

 

『恐らくはネメシスのほうだと思われます。ジェネシスは後からこの戦線に突入。……泥沼ですね。連邦艦隊も馬鹿ではありません。何よりも、彼らにはMF04らしき敵影と、そして最強のミラーヘッド使いの機体照合があります』

 

「……万華鏡、ジオ・クランスコール……」

 

 その名に聞き覚えがなかったわけではない。

 

 だがこの情勢でまさか月軌道艦隊の側に付いているとはまるで思わなかっただけだ。

 

「どういう事なの? だって、ジオ・クランスコールって言えば、それは確か、王族親衛隊の所属のはずじゃ……?」

 

 バーミットの問いかけにピアーナはモニター越しに頭を振る。

 

『……分かりません。しかし彼が前線に出て……そしてクラードの操る《レヴォル》と戦闘行動を行ったのが、つい先ほど。ようやくもたらされた情報ですのでロスがあるとは思いますが……』

 

「クラードと万華鏡が戦った……? 勝敗は……」

 

「バーミット。余計な事は聞かないほうがいいわ。私達は生き残る事だけを念頭に置いて戦いましょう」

 

「……でも……」

 

「聞こえなかったの? このままベアトリーチェは連邦艦を背にしながら月面へと無理のない速度でランデブーを行います。エンデュランス・フラクタルの最新鋭艦よ。本社組だって壊したくはないはず」

 

『統合機構軍の援護を期待するのですか。……ですがこの戦場で……』

 

「それも織り込み済みよ。本社組に少しでも温情があると思うしかないわね」

 

「でも、こっちにはテスタメントベースのデータがある。……最悪、トライアウトに捕らえられてもそれを交渉材料にすれば……」

 

「バーミット。弱気はいいの。今は、勝算が欲しいだけ」

 

 負けてからの事は考えるべきではない。

 

 今は、勝利かあるいは名誉ある敗走を描くしか方法が見えなかった。

 

 その時、ベアトリーチェを激震したのはトライアウトネメシスの一翼であった。

 

「勘付かれた? いいえ、《オルディヌス》を撃墜したから矛先がこっちに向いたと思うべきね……」

 

「どうするんですか、艦長! 取り付かれでもすれば……!」

 

「今は! 余計な事は考えないで! ミラーヘッド減殺ガスを噴射! MSによる白兵戦を想定して、《マギア》を出撃させます」

 

「でも……一機だって順当な《マギア》なんて……!」

 

「……時間を稼げればいいのよ。月面に降り立つまでの時間を、少しでもね……」

 

 分かっている。我ながら非情なる決断だという事を。

 

 これは恐らく、ベアトリーチェのクルー全員に軽蔑されただろう。

 

 何せ、死んでもいい駒を出せと自ら言ったようなものなのだから。

 

 これは後ろから撃たれても文句は言えないな、と肘掛けを握り締めたレミアへと、通信が繋がれる。

 

『艦長。我々が出ます。我々……凱空龍が……』

 

 そう伝えたのは凱空龍唯一の女性構成員で、彼女はまだトキサダやアルベルトとは違い、艦内待機を命じられていたのだ。

 

「あなた達……。分かって言っているの? 私はあなた達に、死ねと言っているのと同じなのよ」

 

『……それでも……。守りたいんです。ここを任せてくれたヘッドに報いるために……。副長のトキサダさんや、クラードさん達に、私達は恥じ入りたくはない。この艦は、もう第二の故郷なんです。私達はデザイアを追われた……罪人に過ぎません。でも、こんな罪人でも、生きていていいと、居てもいいと言ってくださったのは、このベアトリーチェだけなんです。なら、私達の命はまた、あなた方のために……』

 

 この女性構成員は覚悟の相貌を向けている。

 

 そんな面持ちの相手に、逃げろだの力不足だの言う権利はない。

 

「……分かったわ。《マギア》の出撃許可を。ただし……月面より援護が来ない限りはカタパルトは二度と開きません」

 

「艦長! それはあまりにも……!」

 

 バーミットの言わんとしている事は分かる。

 

 要は片道切符。

 

 投げられた爆弾は手元に帰ってくるものではないのだと。

 

 しかし、女性構成員は挙手敬礼を寄越していた。

 

 軍属ではない、彼女はただの一般人なのに。

 

『……了解しました。職務を全うします』

 

「……ねぇ、あなたの名前は……? いいえ、あなただけじゃない。残っている凱空龍メンバーの名前を、一人ずつ教えてもらえるかしら……」

 

 震える声で、唇を噛み締めながら紡いだ言葉。

 

 それは彼らをより傷つける結果になるかもしれない。だが、名前も聞かずに送り出すのは人道にもとるのだと、今はただ思えただけに過ぎないのだ。

 

 女性構成員はフッと微笑み、名乗っていく。

 

『ユキノ・ヒビヤ。こっちのはグウェル・レーシング』

 

『艦長! どでかいのを喰らわせてやりますよ!』

 

 刈り上げた快活な声を上げた彼は恐らく凱空龍の中では最年少であろう。

 

 まだ小柄であった。

 

 そんな彼の後ろで腕を組んでいる男性メンバーが名乗っていく。

 

『……俺はイワハダ。ツワダ・イワハダです』

 

『こいつ照れてるんですよ! のっぽなだけですから、気にしないでください、艦長!』

 

『グウェル……! ……とまぁ、我々たった三人ですが、それなりには動けます』

 

『他のメンバーはこの戦場じゃ少し心許ないので彼らはメカニックとして戦ってもらいます。……大丈夫。そんな顔をしないでください。私達も凱空龍では二軍でしたが、それなりに使い手であるのは自負しています。副長やヘッドほどじゃ、ありませんけれどね……!』

 

 そうして華のように笑ってみせたユキノに、レミアは悔恨の言葉を噛み締めていた。

 

 ここで彼らに詫びてしまえば、そこまでに済んでしまう代物。送り出すのだ。

 

 ならば、傲岸不遜でもそれなりであれ。

 

「……了解……。行ってらっしゃい」

 

『……艦長。行ってきます』

 

『よっしゃ! 凱空龍、第二部隊の戦いを見せてやろうぜ!』

 

『……気を抜くなよ。相手は軍警察だ』

 

『分かってるって! 俺達の《マギア》はまだまだ綺麗なんだ。ヘッドや副長みたいなギリギリの急造品じゃない。メカニックのみんなが揃えてくれたお蔭さ!』

 

 そうしてサムズアップを寄越すグウェルからカメラが振られ、メカニックに残る事を決めた者達の面持ちを映し出す。

 

 彼らの表情に浮かんでいたのは、困惑、離別、悲壮……それらの感情をない交ぜにした塊を呑んで、それでいて慣れない挙手敬礼を送っている。

 

「……私は、何で……」

 

「艦長。もう、冷たい女から戻ろうなんて、思わないでくださいよ。彼らだって覚悟して赴いているんですから」

 

「……冷たいのね、バーミット」

 

「モテる女には冷たいんですよ、あたし。知っているでしょう?」

 

「……ええ、よく知っているわ。知っているのにね……」

 

 それなのに、何故――こんな感情を持て余すのだろう。

 

 直後、回線を震わせたのは歌声であった。

 

「……歌? 誰が歌っているの……?」

 

『これは……恐らくファム様でしょうね。彼女は……確か重傷者のための医療カプセルに居るはず……。その中で、うなされながら歌っているのでしょうか……』

 

「……誰かのための歌なのね、これは」

 

 人でなしになったとしても、それだけは理解出来た。

 

 理解出来るだけに、これは……。

 

「重く……沈殿するのね……」

 

 歌声は物悲しい。どこの国の言語なのか、どのような音階なのかはまるで自在でまるで自由。

 

 それでいて、鎮魂歌である事だけは分かる。

 

 魂の根幹を、振動させて――。

 

『……歌が聞こえる。俺達のための凱歌だ! ファムが、俺達の天使が、歌ってくれているんだよ!』

 

 グウェルの通信回線にユキノが諌める声を返す。

 

『グウェル、下手を打たない。今は一機でも近づけさせないよ』

 

『……砲撃戦は得意だ。こちらの領分には近づかせない……』

 

『ツワダ、お前は砲撃に徹してくれ。どっちにしたってこの距離じゃ、俺らも相手もミラーヘッドに持ち込めないんだ。砲戦特化で行く!』

 

『……頼むから、近づかないでよ……』

 

 三名の声がめいめいに聞こえてくるのだけが、今はどこか現実離れしている。

 

 彼らは恐らく、今の今までトキサダの指揮下であったはず。そんな彼らが自ら戦うべきだとして、前に立っている。佇んでいる。

 

 その背中に、どんな言葉を吐けよう。

 

 どんな論調で、死に行けと命じられようか。

 

 ユキノの《マギア》がビームライフルを速射し、トライアウトネメシスの《エクエス》と打ち合う。

 

 そのまま接近戦に雪崩れ込んだ彼女は先ほどまでの声音とはまるで一線を画す雄叫びを上げ、果敢にビームサーベルを振り下ろす。

 

 しかし、その太刀筋は無情にも読まれ、返す刀が彼女の《マギア》の胴体を割っていた。

 

 ――分かっている。彼らは本来、前に出て戦うような者達ではない。

 

 トキサダか、あるいはアルベルトの命令がなければ下手に前に出れば撃墜されるだけだろう。

 

 だが、彼らは前に出ると誓った。誓って出撃した。

 

『野郎……! ユキノを――やりやがったな――ッ!』

 

 グウェルが連装ビームライフルを速射しその機体を押し退ける。

 

 だが押し退けただけだ。撃墜まで行っていない。

 

『ユキノ!』

 

『……あ……いき、てる……。あ、でも……片腕……どっか行っちゃった……』

 

 そうしてどこか寂しげに笑うのだが、グウェルはそんな彼女の機体を抱いたまま、火線を交錯させる暗礁の宇宙を仰ぐ。

 

 そこに懸けられているのは命を交錯させるだけの戦場。

 

 ただ無為に生命を散らせるだけの、崩壊の宇宙――。

 

 グウェルは直後には甲板部より離れ、命じられていなかった宙域戦闘へと打って出る。

 

『クソッ! クソッ! クソッ! 俺達が何をやった! ただデザイアで……生きていけりゃ、面白おかしく過ごしていけりゃ、それだけでよかったのに……!』

 

 その言葉がレミアの身体へと刃のように切り込んでいく。

 

 聞いていられなくなって通信端末を投げかけて、それを制したのはヴィルヘルムであった。

 

「フロイト艦長。君には聞き続ける義務がある」

 

「……ヴィルヘルム……。あなたは相変わらずなのね。こんな状況でも、裁かれるものは裁かれるべきだと……」

 

「彼らに行けと言ったのは君だ。なら最期まで……見守ってあげよう。それが彼らへの手向けとなる。何よりも、彼らを裏切らないのならば、最後の最後まで聞くべきだ。彼らの命の声を……」

 

「私には怨嗟のように聞こえてしまうのよ……。純粋な命だとしても……」

 

「それならばなおさらだ。彼らは必死に、手を伸ばしている。きっと、明るいほうへと……」

 

 明るいほうへ。

 

 そんな前向きな彼らを、凱空龍の面々を死なせに行くしか出来ないのが自分と言う名の身分。

 

 グウェルは向かってきたトライアウトネメシスの《エクエス》と真正面から組み合い、《マギア》の加速度で背後を取ろうとして、その時には肘打ちを受けて細いフレーム躯体が揺さぶられる。

 

 鳴動と悲鳴、そして命の声だけが響き渡る。

 

『……死にたくない……』

 

 その言葉を熱放射が遮る。

 

 ビームサーベルの灼熱地獄が彼を焼いているのだ。

 

 思わずバーミットも顔を覆ったのが窺えた。

 

 彼女だけではない。

 

 沈痛に面を伏せ、囚われた罪人のように自分達は管制室からその声の赴く先を聞き続けるしか出来ない。

 

「……謝る事はきっと、でもあなた達の命を侮辱するのでしょうね……」

 

 グウェルを焼き払った《エクエス》がベアトリーチェへと取り付こうとするのを、ツワダは砲撃装備の《マギア》で応戦するも、その火線はどれもこれも当てずっぽうでまるで命中する様子もない。

 

 彼は特別優れているわけではないのだろう。

 

 刃が軋り、格納カタパルト上で押し合うのを、管制室のモニターより、レミア達は眺めていた。

 

『……この!』

 

 押し退けた勢いでつんのめったツワダの《マギア》は転倒間際に砲打を浴びせ込み、《エクエス》を退けようとする。

 

《エクエス》は別に恐れを抱いたわけでも、ましてや彼の戦いに感服したようでもない。

 

 ただ、これ以上の追撃は旨味がないのだと悟り、急後退してバーニアを吹かせていく。

 

『ああ……グウェル……ユキノ……そんな……。こんなところで……こんな……』

 

 泣きじゃくるツワダの声は恐らく、自分達が聞いているなどまるで考えてもいないのだろう。

 

 彼の涙声を聞いていられないのは誰も同じ。

 

 だが、希望も同時に見えていた。

 

「……月面よりようやく本社のお出迎えか……」

 

 統合機構軍の港より、ベアトリーチェと同等のヘカテ級戦艦が飛び立ち、この戦域を留めようと艦砲射撃を始める。

 

 しかし、あまりに遅い。遅過ぎたのだ。

 

 散らなくていい命が散り、死ななくていい人間まで死んだ。

 

 こんなどん詰まりの世界で、誰が生きて行こうと言うのか。

 

 誰が――胸を張って明日を生きる事なんて出来るのか。

 

 涙ぐんだ自分をぐっと堪えて、レミアは艦長としての声を振っていた。

 

「……これより、月面統合機構軍へと合流軌道に入ります。生存が確認出来たパイロットだけを収容後、本社の命令に従い……我々は月面に帰還。ええ、そう……作戦は達成された……」

 

 しかしレミアは顔を上げられなかった。

 

 震える拳で肘掛けを骨が浮くほどに握り締め、ここまで払った犠牲を噛み締めるしかない。

 

 ヴィルヘルムはそんな自分の代わりに本社組との通信を担当する。

 

「こちらヴィルヘルム。ベアトリーチェの損耗は甚大だ。エンデュランス・フラクタル本社への帰投と、修繕を頼みたい。……たくさん、死んでいった者達が居る」

 

 それだけが自分達に許された唯一の抗弁のようであった。

 

『了解した。ベアトリーチェはこれより、月面本社へと収容後、別命あるまで待機。現状の月軌道は連邦とMF、それにトライアウトの軍隊が交差する混迷状態にある。いち早く救援を送ろう』

 

『……よくもぬけぬけと……。今の今まで静観していたくせに……』

 

 ピアーナの堪えた怒りの声音も、本社組からしてみれば痛くもかゆくもないのだろう。

 

『そうか。少し援護が遅れたようだ。謝罪する』

 

 謝罪。

 

 そんな言葉で、死んでいった者達を慰められると思っているのか。

 

 本気で、彼らの死に報いようと?

 

 だが、自分が今言える事は、ベアトリーチェの艦長としての言葉のみ。

 

「……了解。救援感謝します」

 

 何と情けない事か。

 

 何と――示しのつかない言葉か。

 

 死んだのは何も凱空龍の面々だけではない。

 

 自分の半身同然であった、クラードでさえも、もう帰ってこないのだ。

 

 いや、帰ってくるとしても、それはもう全てが終わってからに過ぎない。

 

 だから、もう自分は保留にし続けたトリガーを、二度と引く事もないのだろう。

 

「……クラード……あなたはこんな時、何て言ってくれるの……」

 

 弱々しい女の慕情なんて、きっとクラードはお呼びじゃないとでも言い捨てるのだろうが、それでも今は。

 

 弱い女で、許して欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エンデュランス・フラクタルの増援? ……今さらになっておっとり刀の統合機構軍が。我々トライアウトジェネシスの権限に割り入ってくるなど」

 

 ヘカテ級戦艦の砲撃はしかし、どれもこれも腰が引けている。

 

 どうにも本気ではないと言う感覚に、ダビデは舌打ちを滲ませていた。

 

「そうか……もう戦いは、終わったのだな。……大尉、どこへ、行かれたのですか。いつもなら……ころっと戻ってくるでしょうに」

 

 だが今は、女々しさに頼っている場合でもない。

 

 戦場を駆けるのは男でも女でもない「なり損ない」の「DD」。

 

 ならば自分は冷酷な指揮官としての声を振り向けるべきだ。

 

「牽制銃撃を浴びせながら後退。ネメシスの連中に目に物を見せてやれ。奴らも本隊が討たれればさすがに痛いはずだ。これ以上の継続戦闘は旨味がない。それは……統合機構軍が証明している」

 

『だが……DD! ガンダムが……!』

 

「戦場で軽々しく呼ぶんじゃないぞ! シェイムレス!」

 

 思わず怒声で返したのは、自分でも感情の制御が上手くいっていない証だろう。

 

 グラッゼは帰ってこなかった。

 

 それ自体が自分の胸に、空白となって浮かんでいる。

 

 ぽっかりと穴が開いたように、そこから無数の感情が抜け出していく。

 

 その中にはきっと「女としてのDD」も居たのだろう。

 

 しかし、もうそんなものは必要ない。

 

 否、必要はなくなった。

 

 これ以上続けても、ただの損耗戦。ただの消耗だと言うならば、自分は鬼になろう。

 

「……全軍、撤退機動。ガンダムを討ち損ねたのは確かに痛手だが、それを今は言及しない。ローゼンシュタイン准尉」

 

 今さら言い直したところで断絶は仕方ないのかもしれないが、それでも言わなければ機会を見失うだろう。

 

 相手も失言だと感じていたのか、その声音に翳りが窺える。

 

『……いや、私も……申し訳なかった……』

 

 謙虚になったところで命は帰ってこない。

 

 だとしても――部下一人に心を砕く事なんてもう出来るものか。

 

 自分は自分の思った以上に――夢見る乙女であっただけの話。

 

「……帰投する。今ならば相手も及び腰だ。こちらが撃墜される可能性は低い」

 

 だと言うのに何故か。

 

 涙が止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと、バイタルが沈んでいく。

 

 ゆったりと、闇に呑まれていく。

 

 視界の中で陽光を照り受ける月面の傍で、大虚ろの穴が空いている。

 

 それは彼方への扉、それは向こう側への岸。

 

「……ダレト……」

 

 最早、意識も薄らいでいる。

 

 皮膜のように弱々しい感情の波、弱々しい呼吸が切れ切れになる。

 

 ――分かっている。

 

 このままではそう長くはない。

 

 しかし、クラードは黎明の光を受けて青く輝く始まりの星を眺めていた。

 

 その星へと皆が還るように、推進剤の尾を引いた機体群が蒼い瞬きを伴わせつつ、軌跡を描いていく。

 

 真っ黒のインクの上に、蒼いクレヨンで描くデタラメな絵画。

 

 それぞれの命の軌道を掴むように手を伸ばして、その手がライドマトリクサーの手である事を今さら意識する。

 

「……俺の手は……誰かと繋ぐためにあるって言うのか……《レヴォル》。でもその誰かなんて……どこに居るんだ……どこの……誰だって……」

 

 分からない。

 

 分からないのにどうしてなのだか、こんな時に浮かんだのは頬をむくれさせるカトリナで、クラードはフッと笑ってしまう。

 

「……馬鹿だろ、あんた」

 

 そんな失笑でさえも、宇宙の深淵は飲み込んでいく。

 

 彼方の声は、この時、喪失の色だけを居残して。

 

 歌の残滓は、もう聴こえなくなっていた。

 

 




明日(23日)18時よりエピローグ及びなかがきを投稿して一旦の決着を見ます。

ここまで読んでくださりありがとうございました


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エピローグ

 

『本日の天候は快晴……ユーザーの位置情報より概算した距離ならば、シャトルの打ち上げがよく見える事でしょう。続いては今週のヒットチャート。四週連続一位の快挙を樹立したのは、新進気鋭のアーティスト、ギルティジェニュエンの最新曲から。最新曲“シスターライズ”をお送りします』

 

 位置情報データベースに照合した、余計な情報源を廃しただけの声が響き、彼女は丘に佇んでキャリーケースを引きずっていた。

 

 漏れ聞こえるのはヒットチャートを駆け抜ける新曲の激しい曲調。

 

 穏やかであった鼓動が、リズムに合わせて僅かに早まる。

 

「おーぅい! 本当にいいのかい? 嬢ちゃん。別にタクシー代の中に荷物運びも込みだっていいんだぜ?」

 

 ここまで運んでくれたタクシー運転手の厚意に彼女は頭を振る。

 

 薄茶色の髪を、風が撫でていた。

 

 肌は少し汗ばんでいる。

 

 中天の太陽より注ぎ込む陽光は小春日和のぬくもり。

 

「いえ! 悪いですからっ」

 

 リクルートスーツのまま、彼女は丘の上から望む。

 

 それはシャトルの発射場であった。

 

 手でひさしを作り、その様子を固唾を呑んで見守る。

 

 タクシー運転手が後に続いて来て、ああ、と声にする。

 

「あれだろう? 統合機構軍の打ち上げとかって言うの。何だい、観光だったのかい? 嬢ちゃん」

 

「ええ、まぁ……。でもあれが打ち上がったって言う事は……」

 

「ああ、統合機構軍の持つ二十七の資源衛星は盤石になったって事だ。ニュースでも毎日だろ? 分からないよな。トライアウトの下部組織を統合機構軍が買い叩くなんて。誰も想像出来なかっただろうに」

 

「“想像出来ない事が起きるのが人生、想像出来る事が起こるのは空想の中だけ”」

 

「何だそりゃ。誰の言葉だい?」

 

「……引用不明、ですね」

 

 タクシー運転手は電子煙草を吸いながらシャトルの打ち上げを見守る。

 

 間もなくして、点火したシャトルは資源衛星を抱いて宇宙を目指していた。

 

 あの仄暗い暗礁の空間へ。今も空の中に間違いのように空き続ける大虚ろへと向けて。

 

 黄金の鍵を翳して、憎々しいほどの青空より降り注ぐ陽光を反射させる。

 

 これもある意味では、自分の重石――自分の罪の証。

 

「……ダレトへの観測もこれで十七回目になる。そろそろ何か分かり始める頃だってのは、有識者だとか言う偉そうな連中の言葉ではあるんだが……どうにも信じられんくてな」

 

「でも、今もまた……可能性だけは広がっていく。広がり続けていく」

 

 第二段加速を経て、シャトルは成層圏を超えていく。

 

 その行方を最後まで見守ってから、彼女は踵を返していた。

 

「もう行くのかい? 帰りは少しならサービスするよ」

 

「……いいえ。いいんです。今はちょっとだけ……自分の足で歩いてみたくって」

 

「そうかい。なら近くの街のガイドを投げておく。ほら。カトリナ・シンジョウさん」

 

 投げられたガイドブックを掴み取って、彼女は――カトリナは瞠目する。

 

「……何で名前……」

 

「こっちの方面じゃ有名なんだ、あんたは。……奴らに目に物見せるんだろう? 革命軍のカトリナ、血濡れの淑女(ジャンヌ)」

 

「……ガラじゃないですよ、それ」

 

「希望の星だとか言い出す奴らだって居る。帰りは送らせろよ。有名だって言っただろう? おれみたいな人間ばっかりじゃない。救国の徒が道中で倒れるなんて洒落にならんだろうからな」

 

「救国の徒……ですか」

 

 それに相応しいのはきっと――と、カトリナは憎々しいまでの晴天を睨む。

 

「……この空の下で、繋がっているんなら、きっと」

 

 その手を空に翳し、手の甲に浮かび上がった微細なナノマシン施術の刻印が赤く浮かび上がる。

 

 ――これが、自分の呪縛。

 

「ほれ。足くらいにはなるさ」

 

「ありがとうございます。あっ、思い出しちゃった。あのぉー……」

 

「何だい? 街の様子なら直に見たほうが――」

 

「いえそうではなく。えっとぉー……経費で落ちますかね、これ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空を仰ぎ見るのは幾分か久しぶりで、彼は眩しそうに目を細めていた。

 

 片耳に入れたイヤホンからはノスタルジーの塊のようなジャズが流れている。

 

『今日もお送りしました、ナンバーはジャズの名盤。皆様、いかがお過ごしでしょうか? 現時刻はグリニッジ標準時、13時15分を回っております。続けて交通情報をお送りします。ポートライン鉄道の一部で人身事故による遅延が起きていましたが、現時刻から解消された見込みで――』

 

「……ミラーヘッドの蒼じゃない空ってのは……逆に目に悪ぃ……」

 

「アルベルトさん! また抜け出して! どこへ行こうって言うんですか!」

 

 追いかけてきた看護師に振り返った彼――アルベルトは微笑みかける。

 

「ちょっと喫茶店まで。リハビリがてらですよ」

 

「まだ本調子じゃないんですよ。いくら有機伝導施術の成功率はほとんど百パーセントだからって……」

 

「いや、オレも……コーヒーの味が美味いうちに、ちょっと足を運んでみたい喫茶店があったもんで」

 

 その返しに看護師は困り果てた面持ちで返答する。

 

「……院長先生に怒られるのは私なんですから。……三十分だけしか誤魔化せませんよ」

 

「ありがとう、助かります」

 

 そうして喫茶店へと足を運び、漂ってきた芳しいコーヒーの芳香と、そして懐かしいジャズ音楽に耳を澄ませる。

 

「……生きて欲しいって願いは、叶ったんだな」

 

「久しぶりだね、アルベルト君。よくここが分かったものだ」

 

「あんたのコーヒーの味をオレが忘れるとでも? マスター、いつものをくれ」

 

「君も有機伝導施術を受けたのだろう? いつものなんてけちけちした事を言わずに、もっと奮発すればいいものを」

 

「いや……オレにはやっぱし、いつものでちょうどいいんだよ。身の丈って言うのかな」

 

 そうしてソファに体重を預けて落ち着いてから、隠しておいた煙草に火を点けようとして、なかなかうまくいかない。

 

 まだ手足が馴染み切っていないのだ。

 

「はい、火」

 

 その声と調子が――かつての同朋のような気がしてアルベルトは呆然とする。

 

「……どうしたんだい? 火だろう?」

 

「あっ……ああ、気が利くな、マスター」

 

「今どき、電子煙草じゃないのはレトロ趣味を通り越してアナクロだな」

 

「……それ、よく言われたよ。だがあんたの言葉じゃないはずだ。この喫茶店だってアナクロだらけだろうに。ハイソなんだよ、あんたも」

 

「君にだけは言われたくないね」

 

 差し出されたコーヒーの香りも、もしかすると嗅ぐのは最後かもしれない。

 

 そう思って口に含んだ瞬間、アルベルトはこみ上げてくる感情と感慨に胸がいっぱいになっていた。

 

「……変わんねぇんだな、このコーヒーだけは」

 

「いつだって君の席は空けてある。デザイアで最後に会った時に言った通りに」

 

「そうか、でもオレの席は……もうとっくに、なくなっちまったのかもしんねぇ」

 

 その時、喫茶店の扉が開き、数名の黒服が自分へと歩み寄る。

 

「アルベルト・V・リヴェンシュタイン様。お迎えに参りました」

 

「……ゆっくりとコーヒーを飲んでいる時間さえもねぇのか」

 

「失礼ながらお時間をもう十五分オーバーしております」

 

「……わぁったよ。マスター、美味かったぜ。……オレでもまだ、な」

 

 コインを投げる。

 

 その金額も、あの日のままだった。

 

 だからこんな小言を言われてしまう。

 

「……いつもコイン一枚足りないんだよ、君は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『警告。敵勢はミラーヘッドを展開。オーダーの受諾は四十八時間有効です。下位オーダーは無効化され、再認証にはクロックワークス社への通達が必要となります。繰り返します。下位オーダーの再認証は不可能――』

 

 機体に内蔵されていたアイリウムが、現時点での撤退機動戦を告げる。

 

 草原を吹き抜ける風は直後には紅蓮に染まり、黄昏の空を仰ぎ見た兵士は、喉元をナイフで掻っ切っていた。

 

 それでも――死ねない。

 

 ライドマトリクサーの身になってしまった肉体には、ただの刃物なんてなまくらが過ぎる。

 

「……くそっ! 撤退戦だ! ……死に様すら描けないのかよ……」

 

 噛み締めた生への悔恨に、彼らは牽制銃撃を浴びせながら《エクエス》を駆け抜けさせる。

 

 既に制圧戦へと移行している戦場では、次世代機、《アイギス》の舞う空であり、彼らの支配域だ。

 

「……こんな世界に、誰がしたって言うんだ! こんな……明日も見えない世界なんかに……」

 

 奥歯を強く噛んでこの屈辱、雪辱への叛旗を翻す。

 

 こんな世界に誰がした。

 

 こんな世界を誰が望んだ。

 

《アイギス》が応戦の銃撃網を走らせる。

 

 自分の部隊はそれだけで死に体だ。

 

 ミラーヘッドの――第四種殲滅戦を用いるまでもないのだろう。

 

 死に行くだけの命。

 

 消え行くだけの灯火。

 

 ならせめて――最期くらいは自分らしく描きたいではないか。

 

 彼はキッと《アイギス》を睨み上げ、《エクエス》の機体内部駆動系に負荷をかけ、ミラーヘッドを講じる。

 

 蒼い残像を引いた《エクエス》の大上段に構えたビームサーベルはしかし、《アイギス》の機動性を前にして霧散していた。

 

 両腕が肘口より溶断され、痩躯である《アイギス》に足蹴にされて吹き飛ばされてしまう。

 

「……《エクエス》のパワー負けか……」

 

《アイギス》の照準が自分へと向けられる。

 

 幾重にも交差する照準警告。自分へと告げられる命の最後通告。

 

「……なら、頭を打ち抜いたほうがマシだろうって言うのに」

 

 こんな時に拳銃の一つも携行していないのは最早迂闊だ。

 

 乾いた笑いを上げて、彼は死を受け入れようとしていた。

 

 そんな脱力し切ったライドマトリクサーの耳朶を、明瞭な声が叩く。

 

「……誰だ?」

 

 瞬間、戦場が一変する。

 

《アイギス》が次々と打ち砕かれていき、おっとり刀でミラーヘッドに移ろうとした隊長機を踏み締めたのは濃紺にオレンジ色のラインを輝かせたMSだ。

 

「軍警察……じゃ、ないのか……」

 

 識別信号が、トライアウトではない事を告げている。

 

 識別不明、アンノウン――。

 

 その機体は無数のケーブルを身に帯びた異形であった。包帯まみれの怪人のようにも映る。

 

 眼窩は塞がれており、背びれのように背筋の骨格へと突き立っているのは制御棒だろう。

 

 全身にリミッターらしきものを施されているのに、その機体は何よりも雄弁に、この終わりの大地で生を叫んでいる。

 

 相貌を覆った機体のゴーグル部には三角形のそれぞれの交点に配された「666」の獣の数字――。

 

 それを視認した直後には、機体は跳ね上がり戦場を切り抜けていた。

 

「……今の機体は……いや、しかし……」

 

 最後の最後、もたらされたのは通信のようであった。

 

 ライドマトリクサーでしか受信出来ない、その言葉は――。

 

「……生きろ、だって? ……何者なんだ、お前は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『次元の姫のご様子はどうだ? ジオ・クランスコール』

 

 問いかけた世界を覆う胎児達の声に、ジオは召喚された状態のまま、傅いて応じる。

 

「今のところは何とも。ですが、覚醒の兆候があれば、迷いなく」

 

『そこまで急ぐ必要はないのだろう。先の《シクススプロキオン》との戦闘、大義であったと思っている』

 

『左様。あれで我々の大局が変わった。MF04、《フォースベガ》のパイロットの行方と、そして《ネクストデネブ》の拘束作戦の実行。世界は着実に動きつつある』

 

「お望みならばいつ如何なる時でも、このジオ・クランスコール、命を投げましょう」

 

『よく出来た部下を持てて我々は幸運だろうとも。君のような忠実な部下が居ればね』

 

 子供達の、無邪気な笑い声だけが連鎖して響き渡る。

 

「いえ、自分は所詮兵士です。ならば、戦うべき時に戦えればいいだけの事」

 

『割り切りが出来ているのは素晴らしい。ならばその健闘を期待しよう。何せ、君はこの世でたった二人の、我々の運命の扉を開くための鍵なのだからね』

 

『写し身の鍵は、両者揃ってこそ意味がある。君は、我々の期待を裏切らないはずだ』

 

『ダレトの向こう側を開くのに、君のような忠実な鍵だけが必要だ。我々の運命を拓くために……』

 

「努力します」

 

『ならば、姫の機嫌を、せめて損ねないようにしたまえ。……また屋敷を抜け出したようだからね』

 

 彼らの意識が押し包んでいた空間を抜けると、使用人があたふたして自分へと声をかける。

 

「旦那様! どうしましょう……! また妹君が……!」

 

「またか。いつもの場所だろう。自分が迎えに行く」

 

「ですが……大事なお話をされていたのでは……」

 

「妹の身のほうが大事だろう」

 

 断言したジオは噴水を抜けた先にある中庭の向こう、草原に黄色のドレスを横たえさせた影を見据える。

 

「いつまで不貞腐れているつもりだ、――ファム」

 

 その言葉に銀色の長い髪を流したファムは不服そうに頬をむくれさせていた。

 

「どうして小動物の形態模写をしている」

 

「わかんないの! ファム、にいさま、きらいー!」

 

「そうか。嫌われるのには慣れている。どうして抜け出そうと思ったんだ」

 

「……にいさまにはいってもわからない」

 

「それでも、言ってくれないと分からない」

 

 ファムはうぅんと草原を寝転がった後にようやく座り込む。

 

 せっかくの仕立てのいいドレスが台無しであった。

 

「……ゆめをみたの」

 

「そうか。どんな夢だ」

 

「……ながいゆめ。ファムはそのなかで、バーミットと、カトリナと、アルベルトと……それで、かれとあったの」

 

「彼とは誰の事だ」

 

「……にいさま、やっぱりきらいー」

 

「言ってくれないと分からないのだよ」

 

 肩に手を置くとファムは心底気に入らないようにそれを振り払う。

 

「にいさまはしらなくていいひとー!」

 

 そう言って今度は笑いながら、草原の中でたった一本だけで佇んでいる巨木のほうへと駆けて行ってしまう。

 

「問題のある姫君だな」

 

 ジオは巨木に寄りかかって木洩れ日を楽しんでいるファムへと歩み寄っていた。

 

「ファム、そろそろ教えてくれないか。誰が、お前を呼んでいるのだ」

 

 ファムはころころと今度は喉の奥から笑い出して、その幸せそうな頬を緩める。

 

「……ファムのすきなひとー」

 

「自分よりもかい」

 

「にいさま、ファムにいちどだってふりむいてくれたこともないー」

 

「それは自分の努力不足であった。反省しよう」

 

「……にいさま、そんなことはおもってない」

 

「じゃあ一つだけ聞かせてくれ。ファムの夢に出て来た人と言うのは――」

 

 そこでジオは言葉を切る。

 

 ファムが怯え切って小さく縮こまっていた。

 

 ――こんな楽園の片隅のような空間の真上を、ヘカテ級の巨大戦艦が飛翔する。

 

「失礼。どこの艦だ」

 

『それが……旦那様。所属不明の艦艇です』

 

「所属不明、いいや、見覚えがあるな。その名前は――呪われた魔女の名前だったか」

 

「ベアトリーチェ!」

 

 怯えていたファムの声が一転して明るい声になる。

 

 ジオは包み込まれていた楽園のコロニーの皮膜の向こう――終焉の宇宙の果てを飛ぶ因果の戦闘艦を見据えていた。

 

「そうか、あれが」

 

 世界の敵。討つべき相手。

 

「どうしたって世界は、自分へと戦いを挑むらしい」

 

 オレンジ色の艦艇は楽園の空を引き裂きつつ、彼方へと向かっていく。

 

 きっと、その身に帯びているのは呪詛であろう。

 

 それでも明日に向かうと言うのならば。

 

「迷わない。自分は、貴殿を叩き潰そう」

 

 それがいずれ、運命に選ばれると言う意味であると言うのならば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「着任を歓迎します。レミア・フロイト少佐」

 

 その言葉にレミアは片手間で応じつつ、新たなる所属部署の制服を目の当たりにしていた。

 

「まさか、私がこの職務に就くなんてね」

 

「選べないのだと、聞きました」

 

「それは慮ってくれているとでも?」

 

「いえ、自分は尊敬しているだけです」

 

「尊敬? それは私の事を嗤っていると解釈していいの?」

 

「いえ、単純に、尊敬です。あの時、対峙した身でありながらもこうして職務は職務として割り切っているのが」

 

「厚顔無恥なのだと、思われているようね。……ねぇ、あなた、こういう言葉を知っている? “仇花に実は生らぬ”、どれだけ立派に取り繕うとも、内容が伴わなければそれはいずれ失敗する。私も、そういう星の生まれなのかもしれない」

 

「分かりませんね。自分は上官にだけは恵まれて来たと思っているので」

 

「……それも警句よ。あなた、確か名前は……」

 

「失礼。名乗りが遅れました。ダイキ・クラビア中尉です」

 

「そう、あなたがダイキとか言う……。失礼、こちらも名乗っていなかったわね。流儀にもとるわ。レミア・フロイト。統合機構軍より少佐相当官としてこれより、あなた達の直属の上官となります。私が担当するのは、確か新造艦の」

 

「ええ、ヘカテ級機動戦艦、ブリギット。我々の新たなる指標です」

 

 運び出されていくのは進水式を間際に控えた濃紺の艦艇であった。

 

 ――これがまた自分の、運命を預かる艦となるのか。

 

 レミアはまだ新品の、トライアウトネメシス所属の制服を見やって、ふと呟く。

 

「……これも私の業なのでしょうね」

 

「ブリギットは強いですよ。俺達は勝ちます」

 

「勝つ、ね……。それは一体、何に、なのかしら」

 

 そう言ってレミアは帽子を深く被り直していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『サンキュー! みんな! じゃあとっておきのナンバーを行くよぉーっ!』

 

 野外ライヴでメイアはMCとしてバンドメンバーの統率を務め、やがてギターを撫でると今週のヒットチャートを駆け抜けるナンバーが大音響で人々を揺らす。

 

 混然一体となった感覚を味わいつつ、ステージを走り回って声を響かせる。

 

 この歌が世界を変える――歌には全てを凌駕するだけの力がある。

 

 そうなのだと疑わないメイアは汗を弾かせ、激しいサビの曲調を歌い上げてから、一度舞台袖に入る。

 

 アンコールの声が鳴り止まない中で、マーシュと顔合わせをしていた。

 

「いい? ギルティジェニュエンも正念場……ここまで来たんだもの。コロニー巡礼のツアーも大詰め。張り切っていきましょう」

 

 経口補水液を飲み干してから、メイアはメンバーとのハイタッチを交わす。

 

「よっし! 行こっか! ここがギルティジェニュエンの本気!」

 

「待って、メイア。……本社から電報が来ているわ」

 

 マーシュに呼び止められ、メイアは投射画面の向こう側の映像を目にする。

 

「遂に完成が近いって聞いたよ」

 

 問いかけたメイアに、そうね、とマーシュは短く応じる。

 

「全ては転がり行く世界のために。私達はその世界を戦い抜くための力が要る」

 

「……けれども、さ。本当にいいの? ボクなんかに最初に見せるなんて」

 

「いいえ、あなたが適任よ、メイア。何せこれは……あの幻のMS、《レヴォル》のデータバックアップによって完成した機体なのだから」

 

 メイアはギターケースを撫でながら、なるほどね、と答えていた。

 

「ボクらの努力が実ったってワケだ」

 

「あなたと……エージェント、クラードにはどれだけ感謝してもし切れないわ。我々の陣営が最終的に勝利する。――その地盤さえ崩れないのなら、どんな手を尽くしたっていい」

 

「勝つためには手段は、って奴か。ボクはイマイチ乗れない理論だけれど」

 

「それでも、この機体は世界を変える……。後は到来を待つだけ」

 

「これって、中身がないんだよね? 見かけだけを取り繕った、いわば鎧だけ出来上がったみたいなもので」

 

「そうね。でも、それは遠からずすぐのはずよ。――七番目の使者、聖獣はいずれ訪れる。その時、彼の者を迎える殻が必要なのは明白。私達は、ダレトの向こうより現れる存在に対し、抗いではなく、歓迎をすべきなのよ」

 

「それも、ある種のスタンスの違いでもあるなぁ」

 

 映像の向こうの格納デッキにて、コンテナより引き出されていくのは、右腕のない機体であった。

 

「右腕に搭載予定の特殊兵装はまだ完成していないけれど、基礎フレームはこれでもうすぐのはずよ。《レヴォル》のフレーム構造を踏襲した、世界を暴き欺く機体」

 

 その言葉の穂を、メイアは継いでいた。

 

 ライヴ喧騒に埋もれてしまいそうな、それでいて確かな論調を伴わせて。

 

「扉を開く鍵――《ダーレッドガンダム》。そう、ボク達は、ひとりじゃない」

 

 

 

 

第十章 「消滅宙域を超えて〈ボーダー・オブ・トランスレーター〉」了

 

 

 

『機動戦士ガンダムダレト』 セカンドシーズンへ続く

 




なかがきを挟んで小休止期間を経てからセカンドシーズンに突入いたします


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なかがき

 

なかがき

 

『機動戦士ガンダムダレト』をここまで読んでくださりありがとうございます、オンドゥル大使です。

 あるいはここだけ読まれている方もいらっしゃるでしょうか?

 いずれにせよ、これが公開されていると言うことはダレトのファーストシーズンが終了し、セカンドシーズンの予定が発表されたころかと思います。

 そもそもこの作品を書こうと思った経緯と沿革、それに原案担当のアズマ・ヒカルさんとの打ち合わせなどに関して、この「なかがき」では紐解こうと思います。

 私は元々、ポケモン二次創作畑の人間でしたが、ポケモンを書いていた頃からいずれはガンダムの二次創作を書きたいと思っておりました。というのも、ポケモンを書いていたくせに、書いている内容が生々しかったり血なまぐさかったりしたり、ポケモンの自分の優先順位は四十位だとか言ったりしていたので、もっと優先順位の高い作品を書こうというのはあったのですが、如何せん、さすがはガンダム。やれることもできることも、当時の自分には少なかったのです。

 かといって別にポケモンが嫌いなわけではなく、長きに書いて十部も長編シリーズを書いたのですが、やはり頭の片隅にはガンダムをやってみたいというのがありました。

 事が起こったのは確か2019年かなと思います。

 ツイッターでいわゆる「俺ガンダム」的なデザインイラストが一時的に流行り、その流れでお見掛けしたのがアズマ・ヒカルさんの「俺ガンダム」こと「ガンダムダレト」のデザインであったのです。

 それまでガンダムを書こうというのはなかったと言えば嘘になるのですが、やはり何かしらデザイン草案がなければ自分だけのイメージでは難しいのはジンキ二次創作、『ジンキ・エクステンドSins』で痛感しておりました。

 ロボット物はやはりどこかでデザインがなければ誘因力には乏しく、かといって何でもいい世界観ではないのがガンダムです。

 アズマさんの描かれたガンダムにそこでびびっと来たわけなのです。

 自分にはないもの、自分ではイメージ抽出できないものを持っておられる、それでいて自分のイメージに近い共通の話題も持っていらっしゃるとのことで、もしよければそのイラストのストーリーを書かせていただけないだろうか、と打診させていただきました。

 返事はOKであったのですが、さてここからが難しいところで、アズマさんは本格志向のSFを要望されていらっしゃったのですが、本格SFをガンダムとなると、やはり敷居が高いと思い、何度かディスカッションを重ねることになります。

 このディスカッション内で、お互いに出たイメージの擦り合わせに約二年かかりました。

 自分としてみれば、SFガジェットでのガンダムはやはり本職のSF考証の方には敵わないので、キャッチーなイメージとそれとどことなく背景がこれまでと異なるキャラクター配置でのいい意味でも悪い意味でも前例を出すのが難しい物語づくりを提案いたしました。

 それが最初にクラード達の所属する凱空龍という暴走族であり、当初は「暴走族がガンダムに乗り、そして企業の隠密戦闘艦で戦う」というものでした。

 今のダレトよりももう少し背景としては暗く、少しダーティ寄りな感じですね。

 イメージソースとして見れば「AKIRA」や「メガゾーン23」をガンダムにしようと思った節があります。

 これは最初、難色を示されました。

 暴走族がガンダムに乗るというのもそうなら、話の方向性が見えづらかったのでは、と思います。

 アズマさんから何度か提示されたのは「企業エージェントと新卒社員との交流と、そして企業を巡っての戦い」という本人曰く「狼と香辛料」のガンダム版とのことでした。

 この辺りは擦り合わせて、今日のダレトである「企業の隠密エージェントと新卒社員が交流を重ねながら秘匿戦艦で襲ってくる敵と戦う」という、折衷案となったわけです。

 しかし、自分でも我を通した部分であるのは「宇宙暴走族」の要素と「ロードムービー的な要素」でした。

「月軌道までの旅路の中で、襲ってくる敵と戦い、そして交流を深めていく」という一要素だけでファーストシーズンを終えられるとは自分もあまり思っていませんでしたし、アズマさんや読者の方々はもっとであったと思います。

 ただそこは自分の好きな要素であった「機動戦艦ナデシコ」のような艦内のコミカルさを出したいと思い、できるだけ話が重たくなり過ぎないように努めたつもりです。

「ダレト」という大きな軸の要素であるワームホールの話ですが、こちらに関しても難しくならないように考えました。

 そこで出現したのがこの作品独自であろう敵、MF(モビルフォートレス)です。

 用語自体はサイコガンダムの変形機構の名前としてはあったのですが、これまでの公式作品で深掘りされているとは思えなかったので、今作のキーとして出しました。

 MFのイメージは「とにかく怪獣のような見た目。この世界の技術体系とは異なる世界での最強格」です。

 なので敵対すれば間違いなく死――という感覚で出せれば一番であったので読者の方々にこのギミックがどう作用したのかはこちらも興味深いところです。

 また「ダレト」がどのように見えるのか、というイメージにも四苦八苦した記憶があります。

 これは「空に大虚ろが空いている状態」というイメージでしたので、ちょうど『FGO』の空みたいな感じのイメージソースを共有できたのが大きかったです。

 まぁ、そういった外殻に当たるイメージは打ち合わせしているうちに出てきたのもあれば、私が勝手に決めたものもあるので、どちらが先と言うのもないのですが、こちらで明確に決めたのは宇宙暴走族凱空龍の面々とそして戦艦ベアトリーチェのクルー、それと謎の少女ファム・ファタールでしょう。

 特に凱空龍のヘッド、アルベルトのキャラクター造形はアズマさんのほうにはなかったようで、お互いに刺激し合えたようです。

 ファムに関して、ファーストシーズンで分かったことは少ないものの、重要キャラにまで引き上げられたのは大きな功績でした。

 クラードとカトリナに関してですが、本編中で触れた以上のことはないのですが、この二人の名前に関してはアズマさんに最初に決めていただきました。

 そこから話を膨らませ、何とかこの形で落ち着いたのはデザインとストーリーの二人三脚がうまく行った形かなと思います。

 あとは重要なことですが、ガンダムレヴォル――レヴォルに関しても触れなければいけません。

 レヴォルのデザインは完全にアズマさんの初期稿なのですが、戦い方に関してはストーリー側のこちらで決めさせていただきました。

 なかなかヒートマチェットと掌底の攻撃が決まったり決まらなかったり変形するだのしないだのしましたが、最終的にこの形に落ち着いてよかったと思います。

 またこの世界の標準的なMSの戦略であるミラーヘッドシステム。こちらはアズマさんの初期アイデアにあったものの、こちらでいくらか調整もさせていただきました。

 ミラーヘッドオーダーやミラーヘッドジェルなどがこっちで決めたものになります。

 基本的に「縛り」をこっちで決めた形ですね。

 まぁ、どっちが決めただとか、どっちが先だとかはこの際、どちらでもいいのです。

 重要なことは、この作品がまだセカンドシーズンを残しており、まだ二人三脚は続くということなのですから。

 デザイナーさんと一からやり取りして決めていくのは初めてであったので、失礼なことや互いの意見がぶつかり合うこともありましたが、それ以上に楽しく、こうして作品を作っていくのも自分では思いも寄らぬものが作れて刺激になりました。

 ――さて、実際の話に立ち戻って。

 クラード達は月軌道に辿り着いたものの、その最終的な決着は完全な白黒とはいかなかったのが結末です。

 この先、どうなるのか。カトリナ達は本当に戦うのか、それとも……というのはセカンドシーズンの楽しみにしていただければと思います。

 現状(2022年10月3日現在)、セカンドシーズンは八割ほど書けていますので、ストックがないとかいう形でお待たせすることはないかと。

 あとは完全に感謝、感謝と言うもので、アズマさんだけではなく、読者の皆様に納得のいくストーリーとキャラクターを書ければこれに勝る喜びはなく、日々精進していければと思っております。

 来英暦を支配するダーレットチルドレンの思惑は? クラードは生きているのか? カトリナは本当に世界に抗うつもりなのか? ――全てはまたアナウンスしますセカンドシーズンにて。

 それでは長いなかがきはこれにて。

『機動戦士ガンダムダレト』は、彼らの物語は続きます。

 

2022年10月23日 オンドゥル大使より

 

―――――――

 

「ハーメルン読者の皆様、お初にお目にかかります

今回「機動戦士ガンダムダレト」にて原案を担当した者です。

まずは毎週土曜更新の閲覧や、

本作のプロモーション動画を見て下さった事に 強く感謝したいです。

発端はモビルスーツが敵も味方も分身してゴリゴリの軍隊戦術で戦ったらどうなるのかという

なんともアホみたいな発想から始まり、宇宙エレベーターがあるならワームホールもいけるんじゃねーか?

というどこから脱線して迷子になったのか解らない状況で走り続けていたら

息切れと脱水症状になった時「一緒にやりません?」と一声頂いたのが全てでした

その後は何処か迷子になろうと息切れしようと多くを楽しめた事を覚えてます。

誰かと何かを作る事の楽しさ面白さ 挑戦力を試された気がしますね。

孤独に戦い続けたクラードが俺なんだとしたら 

大使さんはさながらカトリナやサルトルの様な印象でした・・・

最後にここまで読んで頂けたことに 感謝し 喝采し 歓喜し

小躍り程度にテンションを控え 締めくくろうと思います

本当に ありがとうございました!! 」

 

2022/10/23 アズマ・ヒカル(@6gfvd)より

 



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第十一章「叛逆の夜明け〈ブレイキング・ダウン・レヴォル〉」
第103話「地獄蹂躙戦域」


 

 中天に漂うのは硝煙の向こう側。

 

 黄昏の暗黒太陽が空を支配する。

 

 銃撃網が連鎖し、悲鳴と恩讐を棚引かせる戦場で、子を抱えた母親は必死に言い聞かせていた。

 

「大丈夫、大丈夫だから……。きっと、神様が見てくれているわ……だから大丈夫……」

 

 焼夷弾頭が着火し、灼熱の息吹が舞う戦場。

 

 そのような場所で《マギア》編隊がそれぞれ両翼を広げて声を弾けさせていた。

 

『散れ、散れーっ! 敵は高機動だぞ!』

 

『隊長! ミラーヘッドオーダーを受諾! 我が方が使用可能です!』

 

『遅いぞ! この防衛線を突破されるわけにはいかないのだ! 各員、アイリウム認証開始! 令状の受諾を確認し、ミラーヘッドへ……第四種殲滅戦に移る!』

 

 それぞれの機体の各所から蒼白い輝きを発し、ミラーヘッドの分身体を次々と生み出していく。

 

 それは必勝の構え。

 

 この世界において、ミラーヘッドオーダーの認証は即ち、戦局がこちらに転がった事を示す。

 

 そのはずなのに――。

 

《マギア》部隊が相手にするのは灰色の機体色を基調とした能面のように顔のない機体であった。

 

 無骨な成型である頭部の合間より、赤い眼光が《マギア》部隊を睥睨し、携えたビームライフルを振って、隊長機らしい一本角を持つ機体がばらけるように指示する。

 

『馬鹿め……それはミラーヘッドの距離だ!』

 

《マギア》のミラーヘッドの分身体が戦力を八倍にまで増強し、火線が灰色の戦域に叩き込まれる。

 

『やったか!』

 

 だが、その期待は虚しく散る。

 

《マギア》の通信網に焼き付いた声は、静かに命じていた。

 

『――レヴォル・インターセプト・リーディング。ミラーヘッド、発動』

 

 直後にはミラーヘッドの蒼い残火の灯火を纏って灰色の機体群が分身体を生み出す。

 

 それはあり得ざる光景。

 

『……嘘、だろ……。令状は四十八時間有効のはずだ!』

 

『相手は……あれが――騎屍兵。統合機構軍の有する……死者の葬列……ッ!』

 

 灰色の葬列は蒼白い魍魎の輝きを得て、一つ、また一つと分身体を叩き潰し、《マギア》編隊を押し込んでいく。

 

『撃て! 撃てーっ! 如何に相手が噂の騎屍兵とは言え、物量で押せば問題あるまい!』

 

 灰色の機体はそれぞれ頭部より蒼白い亡霊の灯火を輝かせて、《マギア》の火力を押し出していく。

 

 その彼我戦力差は最早推し量るまでもなく――。

 

 敵影が舞い、青い刀身のビームサーベルを発振させて《マギア》を両断する。

 

 機動性能、反応速度、そして機体運動性――全てにおいて現行兵器であるはずの《マギア》を凌駕している。

 

 跳躍の機動を取った敵機へと、必死に狙いをつけようとするも、蒼い残像を引きながら段階加速に入った相手は背後へと回り込み、《マギア》の両腕を握り締め、背筋を蹴りつけて引き千切っていた。

 

 ミラーヘッドジェルの伝導液が焼き付いた《マギア》を足蹴にし、その機体へと無数の火線が撃ち込まれる。

 

『……も、亡者共、が……』

 

 爆発の光輪が広がる中で、他の《マギア》乗りの悲鳴混じりの声が響き渡る。

 

『何で! 何で何で何で! 我々は正規軍だぞ! ここの駐屯地を任されていた……トライアウトの……』

 

『――達す。トライアウト正規軍を名乗る者達へ。我々は上意命令によって統制を行っている。これは貴君らの行ってきた統制と何ら変わるところはない。指揮系統、命令系統が違うだけで、これまで貴君らの実行してきた統制が跳ね返って来ただけだ』

 

 その、まるで抑揚のない、まさに死人のような声音に《マギア》乗り達は背筋を凍らせていた。

 

『跳ね返って……? い、いいや! 何を馬鹿な! 我々には大義があった……!』

 

『では大義で死んでいった者達の、これは怨嗟であろう。残念だ。また地図を書き換えなければいけなくなった』

 

 トライアウトの《マギア》編隊が蒼い残像を棚引かせながら突っ込んでいく。

 

 その雪崩じみた特攻を、灰色の者達はいとも容易く、そして冷酷に断じていた。

 

 ビームサーベルの放射熱が《マギア》のコックピットを引き裂き、それぞれの機体が挙動し敵影が四散するまで光条を叩き込む。

 

 やがて、戦場に静謐が訪れた。

 

 向かってくる《マギア》はもう存在しない。

 

 灰色の葬列は降り立つなり、その頭部の眼光を、地を這うばかりの無辜の人々へと向けていた。

 

『《ネクロレヴォル》編隊。これより統制を執り行う』

 

『御意に』

 

 通信に連鎖する了承の声が響くと共に、主要なインフラへと火線が舞っていた。

 

 光芒が焼き付き、爆発の余波が逃げ遅れた人々を吹き飛ばす。

 

 その女性は、ずっと、子供を抱いていた。

 

「ああ、大丈夫、大丈夫……。きっと、神様が見ていてくれるわ。だから、大丈夫……」

 

 それは哀れであったのか、あるいは最後の最後まで知らずに済んだ幸運であったのか。

 

 抱いた腕の中の子は、もう事切れていると言うのに。

 

 灰色の巨神が大地を踏みしだく。

 

 人々の悲鳴が途絶えて行き、暗黒太陽を背にして亡者達が列を作る。

 

 人の息吹を一片さえ許さぬ喪服の使者達は、全てを叩き潰してから、ようやく嘆息めいた声を発していた。

 

『……地図の書き換えは憂鬱だよ』

 

 それは地球圏にて、またしても静かなる統制が成された瞬間であった。

 

 



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第104話「咎人の贖い」

 

 野外ライヴにて、声高に叫ぶのは世界への叛逆の歌声――。

 

 だがそれを真正直に反抗勢力なのだと規定する人間はこの場には居ない。

 

「とっておきのナンバー! 最高潮の盛り上がりで行っくよーっ!」

 

 津波のように、会場が混然一体となる。

 

 マイクパフォーマンスを振り上げたメイアは汗の球を弾かせつつ、ギターで音階を刻み始めていた。

 

 どのような時代であっても、音楽だけは等価だ。

 

 それは人を人たらしめる抗いの刃であり、同時に心を通わせるツールでもある。

 

 歌唱の途中でしかし、不意打ち気味に響き渡ったのは、現連邦勢力への抗議であった。

 

『ギルティジェニュエンは反政府勢力として政権を脅かしているのか!』

 

 一部分だけの声であったが、それはライヴ会場に水を差したのは間違いない。

 

 MCとして何か言葉を返そうとして、ファン達が声を発する。

 

「何言ってるんだ! 俺ら“罪付き”にとっちゃ、メイア達は神そのものだろうが!」

 

 ギルティジェニュエンのファンは「罪付き」と名乗っている。

 

 彼らはデモを起こそうとした一派へと糾弾の声を向けるが、拡声器で抗議する連中は止まらない。

 

『今も地球圏では統制が行われているはず! 見て見ぬふりをし続けるのが、アーティストなのか!』

 

 少し雲行きが怪しくなってきたな、とメイアが感じた時には舞台袖よりマーシュが手招いていた。

 

「最後のナンバーはちょっと待ってくれる? 今日のスペシャルサンクスの紹介!」

 

 メイアはイリス達がうまく誘導するのを目にしてから、マーシュと顔を合わせる。

 

「……で、何だって?」

 

「ついさっきの情報なんだけれど、驚かないでね?」

 

「何? まさか今すぐライヴを打ち切れって?」

 

「……そのまるで逆。このままライヴの終わりに……年末にある大型フェスの参加が決まったわ。これは月面で行われる特別ライヴで――」

 

「ムーンライヴ? それって……」

 

 鼓動が早鐘を打つ中でマーシュは自分の手を握り締める。

 

「ええ……ようやくギルティジェニュエンは……一流アーティストに上り詰めたって言う証拠……おめでとう、メイア! ……私としても、ちょっと……」

 

 涙ぐんだマーシュにメイアは少しこみ上げるものを感じる。

 

「……じゃあさ。秘蔵のナンバーを披露しようよ! そうすればきっと……歌のない世界なんて退屈だって、どんな人にだって思わせられるはずだからさ!」

 

「ええ、きっとそう……。頑張っていらっしゃい、メイア。ギルティジェニュエンの……あなたはボーカルなんだから」

 

 手を振ってメイアはライヴへと舞い戻っていく。

 

 この歌もまた世界を変える息吹になるはずだ。

 

「じゃあみんな! 飛ばして行っくよー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――数秒前の自分と今の自分が同列だと、どうして言えるのか。

 

 それは数秒前に生じただけの自我だと、どうして断じられないのか。

 

 鼓動が深く脈打った瞬間には、そうだと規定した自身を鼓舞してMSの操縦桿を握り締めていた。

 

「……認証開始。アイリウムの個別ユーザー登録……。三十一から五十七までの認証経路を全てキャンセル。機体は……このまま、コロニーの重力制御圏へと設定……。《オムニブス》……行きます……!」

 

 解き放たれたのは無骨な機体であった。

 

 コロニーの空を舞い、作戦領域に向けて降下されていく。

 

 風切音が耳朶を打つのを感じつつ、奥歯をぐっと噛み締め、手の甲より感じ取った機体ステータスを呼び出し、ヘッドアップディスプレイに統合させる。

 

「現状、悟られた様子はなし。第二陣、行けます」

 

『頼んだぞ。斥候役が墜とされたなんて冗談はよしてくれよな』

 

「……分かっていますよ。《オムニブス》より伝令。機影なし、《マギア》第三小隊、どうぞ」

 

『強硬策なんて考えるもんじゃないですよ。……ったく。あまり先行し過ぎないでください。《オムニブス》には最低限度の火器しか積んでいないんですから。敵拠点上空へと肉薄後、ランデブーポイント23を利用して離脱。敵からの応戦の火線には――』

 

「分かっています。盾で防衛しつつ、最低限度の被弾率で帰投ルートへ……。優しいんですね、――アルベルトさん」

 

『当然の義務って奴ですよ。……別段、オレが優しいとか優しくないとかじゃなくって、作戦立案者が前に出て死にたがっていたんじゃ、世話ぁないって話です』

 

「……です、ね。このまま敵拠点まで引き付け……。相手の第一波の応戦を受けつつ、地表すれすれを飛翔し、大きく円弧を描いて私達の……ベアトリーチェのランデブーポイントへ」

 

『重火力装甲《エクエス》が張っている可能性もあります。そういうのにロックオンされちまえばお終いですから、出来得るだけ会敵は最小限度に。第三小隊に任せてください』

 

「……不死身の第三小隊、ですもんね」

 

『……そいつぁ当て擦りですよ』

 

 敵の通信塔が聳え立つ拠点が大写しになってくる。

 

 そろそろ相手も勘付いたはずだ。

 

 操縦桿を握り締め、汗の玉が浮いたバイザーの中で呼気を詰める。

 

「《オムニブス》、敵の領空内へと到達。速やかに離脱挙動に入ります」

 

 心拍数が上がっていく。

 

 危険域寸前で舞い上がり、《オムニブス》の機影が相手の拠点上空を飛翔していた。

 

『あれは……エンデュランス・フラクタルか……! 敵影探知! 《マギア》が来るぞ!』

 

 相手の通信域が僅かに入ったらしい。その声を意識する前に、既に推進剤を焚いて離脱挙動に入っている。

 

《オムニブス》は様々な武装を積載可能なMSだ。

 

 少し重量としては無理のある離脱用の推進機構をパージさせ、上空へと昇っていく。

 

 火線がいくつか舞い、自機を捉えようとしたが、その時には既に自分が呼び込んだ小隊編成が拠点を睨んでいた。

 

『……《マギア》だと……! 嘗めるんじゃない! 《レグルス》部隊を出せ! 敵は統合機構軍、エンデュランス・フラクタルだ!』

 

「……まずい。基地から《レグルス》が出てくれば厄介になる。少しでも……っ!」

 

 振り返り様に照準器を覗き込んだが、引き金を引く直前になって躊躇う。

 

 何度か浅い呼吸を繰り返し、それから指先に力を入れるも、その気力は霧散して行った。

 

『無理はしないでください。オレ達第三小隊が引き受けますから、《オムニブス》は下がって!』

 

「でも……っ、アルベルトさん……!」

 

 名を呼んだ相手は――アルベルトは、紫色の改修機の《マギアハーモニクス》よりサインを出す。

 

『引き受けたのはオレらです。委任担当官はすぐにベアトリーチェまで後退! 後の露払いは任せてください!』

 

 ――委任担当官。

 

 その名称にぐっと奥歯を噛んで《オムニブス》を帰投ルートに向かわせていた。

 

「……死なないでくださいね……」

 

『誰に言ってるんすか。《マギアハーモニクス》、アルベルト・V・リヴェンシュタイン、RM第三小隊の切り込み隊長として……敵陣を突破する!』

 

 敵基地へと相手がおっとり刀で対応する間にも、《マギアハーモニクス》を含む小隊編成はミラーヘッドシステムを両翼に展開し、火線が敵陣へと叩き込まれていく。

 

 だが相手もされるがまま、というわけではない。

 

 出撃したのは《レグルス》を含んだ、重火力装甲の《エクエス》部隊であった。

 

『火力編成は後ろで待機しておけ。《レグルス》の性能を……誇らせてもらおうか……!』

 

『嘗めんなよ……《マギアハーモニクス》とは長い連れ合いだってんだ!』

 

 即座に抜刀した機体同士がもつれ合い、ビームサーベルの干渉波が拡散する。

 

《オムニブス》はコロニーの空を抜けてそのまま港より、離脱機動に入ろうとしてその行く手を遮っていたのは別働展開していた《エクエス》であった。

 

「……ノーマル装備の《エクエス》なら……抜ける……」

 

 銃口を向けられた瞬間、その考えはしかし霧散していた。

 

 ――殺される。

 

 心臓が収縮し、血液が凍てつく。

 

 思考が酩酊し何も考えられなくなっていく中で、右腕がじくりと痛んでいた。

 

「痛っ……」

 

 それはいつかの約束。いつか交わした、果たされない願い。

 

 パイロットスーツ越しに輝いた手の甲の赤い思考拡張の印が疼き、敵の銃撃網を抜けていた。

 

《オムニブス》の装甲をいくつか弾頭が叩いたが、堅牢なだけが取り柄の《オムニブス》を撃墜するのには至っていない。

 

 宙域へと抜けた瞬間に感じる、僅かな血流のブラックアウト。

 

 その後、大写しになったのはオレンジ色の艦艇であった。

 

「……ベアトリーチェへの合流路を確保。これより帰投します」

 

『了解。そのままの速度で相対合わせ。格納デッキへの収容を願います』

 

 敵影を振り切ってから《オムニブス》はベアトリーチェの格納デッキに潜り込んでいた。

 

『斥候機の帰還だ! 減殺ネットを張って出迎えてやれ!』

 

 その声を聞きつつ、ネットに《オムニブス》を突っ込ませてからようやく、呼吸と心拍が落ち着いてくる。

 

 コックピットブロックを開くと整備班が取り付いてゆき、そっと手が差し出された。

 

『斥候任務ご苦労、委任担当官殿。……いいや、期待の新人か?』

 

 ノーマルスーツを着込んだ相手に対し、その手を握り返して接触回線を開く。

 

「……もう入社して三年ですよ? さすがに新人は無理があるんじゃないですか」

 

『……だな。よく帰って来た――カトリナ・シンジョウ女史』

 

 自身の名前を紡がれ、気密を確かめてからヘルメットを脱いでいた。

 

 栗色の髪が揺れ、汗の粒が宙に舞う。

 

 ふぅ、と一呼吸ついた自分に整備班の一人が携行保水液を差し出していた。

 

『疲れたっしょ。水分補給は大事っすよ、カトリナ嬢』

 

「……トーマさん。いえ、これも任務ですから」

 

 受け取った携行保水液で喉を潤しつつ、今回も弾痕をもらった《オムニブス》を眺める。

 

「……すいません、ヘタクソで……」

 

『まったく、カトリナ女史はMSの操縦が荒っぽいったらねぇ。もうちょっと大事に扱ってくれよ。戦力は限られているんだからな』

 

「……はい」

 

『斥候任務だって言うんですから、弾の一発や二発は貰うでしょ。撃墜されないのが仕事なんですよ、カトリナ嬢の』

 

 言い返したトーマに整備班から声が上がる。

 

『ミラーヘッド搭載機じゃないんですから。あまり無茶を仕出かすものでもないのでは? サルトル技術顧問』

 

『いいんだよ、この人は。何せ作戦立案者であり、委任担当官であらせられるんだからな』

 

 そう言ってサルトルは笑い話にしてくれるが、カトリナはぎゅっと拳を握り締めていた。

 

『何か、心配事でも?』

 

「あ、いえ……。アルベルトさん達、大丈夫かな、って……」

 

『大丈夫っしょ。不死身のRM第三小隊っすよ? って言うか……その名前でいいんすかね。だって彼らからしてみれば、別の名前を名乗りたいはずっすから』

 

「……でも、それを押し殺しているのは私……」

 

『カトリナ嬢、重く考え過ぎですって。どうせ帰ってきたらあっけらかんとしているのがアルベルト氏らなんですから』

 

「そう、ですかね……。でも、未だに作戦介入条件がこれって言うのは、私の力不足の感があるって言うか……」

 

『本社から充てられるのは良くて《アイギス》、悪ければ型落ちもいいところの《マギア》っす。その《アイギス》だって、もしもの時のために温存しておくって判断を下したのは、カトリナ嬢っすよ?』

 

「だって……アルベルトさん達は《マギア》のほうが慣れてるって言うんですから……」

 

 トーマは自分と共に格納デッキを流れ、グリップを握り締める。

 

『本社の連中、あーしらが死んでもいいって、どっかで思っている節はあるってのは間違いないと思います』

 

「……やっぱり、そうですかね」

 

『そうじゃなけりゃ、何のためのレジスタンスなんですか? ……あーしら、一応はエンデュランス・フラクタルとは縁切っているって言う体裁なんすから。まぁ敵にはバレバレっすけれど』

 

「……でも敵の戦力はあんなものじゃない。地球圏の統制は、あんな生易しくは……」

 

 トーマはバイザーを上げ、携行保水液を飲み干していた。

 

「……地球に残したって言う、ご家族は?」

 

 カトリナは頭を振る。

 

「連絡しないようにしてますから。でも……無事に逃げてくれたって信じたいですけれど……」

 

「まぁ、あーしらの生存自体がイレギュラーっすからね。エンデュランス・フラクタルはいつまで支援してくれるかも不明ですし、本社からしてみれば、もう三年前の戦艦なんてどっかで沈んじゃったって正式発表したほうが都合はいいっしょ」

 

「……あの月軌道戦……」

 

 思い返すだけで目頭が熱くなってしまう。

 

 あの時、決断出来なかった自分を叱責するために今の立場に居ると言うのに、これでは中途半端なだけだ。

 

「帰って来なかったのは、何も一人二人じゃなかったでしょ。割り切りっすよ、カトリナ嬢」

 

 その言葉は、トーマ自身一番吐きたくないはずなのに。

 

 それでも彼女は前を向くのだ。

 

 ならば自分が後ろめたいものを感じている場合ではない。

 

「……アルベルトさん達が帰って来た時のために作戦を考えておきます」

 

 トーマは手を振って整備班に戻っていく。

 

「頼むっすよ。今のベアトリーチェの生きるか死ぬかって言う生命線は、カトリナ嬢に託されてるんすから」

 

 バイザーを下ろして《オムニブス》の整備に入ったトーマの背中をしばらく見つめていたが、彼女はそれ以上の言葉を投げようとはしなかった。

 

 カトリナはグリップを握って廊下を進む。

 

「……右足と左足を、交互に出せば、前に進める、か……」

 

 暗い部屋へと行き着き、カトリナはパイロットスーツを脱ぎ捨て、インナー姿のままベッドに飛び込んでいた。

 

「……でも、前に進んで、それで何が残るって言うんですか。私、もう分かんなくなっちゃいましたよ……」

 

 そのまま泥のような眠りの中へと堕ちていく。

 

 ――ああ、自分は、所詮この程度なのだな、と揺れる視界の中で悔恨を噛み締めていた。

 

「……ねぇ、教えてくださいよ。アルベルトさん、トーマさん、サルトルさん……。どこまで行けば、終わりなんですか……。レミア艦長、バーミット先輩……」

 

 薄明りへとそっと手を伸ばす。

 

 それでもまるで答えなんて出ない。

 

 否、答えなんて求めるものでもないのかもしれなかった。

 

「私は、どこまで行けば、納得行く答えに、辿り着けるんですか……。あなたみたいに……」

 

 そこまで口にしてから手を降ろす。

 

 光なんて掴めない。

 

 世界は一寸先の闇へと沈み、そして安寧と惰弱の中で転がり続ける。

 

 ――あの日、月軌道まで辿り着いた自分達は、その先に納得の行く答えが待っているのだと信じていた。

 

 だが実際にはどうだ。

 

 答えなんてない。

 

 分かりやすい正答なんて存在しない。

 

 この世は不明瞭な行く先と、そして正解なんて存在しない選択肢の連続だ。

 

 カトリナは瞼を閉じて、腕で目元を隠す。

 

「……じゃあ何で、あの日、それが答えだって、あなた達はそう信じたんですか。何で、死ねないって、言ってくれたんですか。そんな言葉、なければ希望なんて振り翳さないのに……」

 

 恨み節もここまで来れば女々しいもの。

 

 それでも――三年間戦い抜いたその信念だけは、答えに辿り着くための道標なのだと、信じたかっただけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵影の照準にうろたえたのは何も新兵だからではない。

 

 火線を潜り抜けて来た《レグルス》相手に硬直した部下に対し、アルベルトは機体を走らせていた。

 

「野ッ郎……ミラーヘッド段階加速! 敵の懐に潜り込んで首筋掻っ切る!」

 

 ミラーヘッドの加速域を超えて《マギアハーモニクス》が割って入り、即座に袖口から現出させたヒートナイフで《レグルス》の頸部循環パイプを引き裂いていた。

 

 一瞬のメインカメラの損傷に過ぎないだろうが、部下を死なせるよりかはマシだ。

 

「退けぇッ!」

 

《マギアハーモニクス》で回し蹴りを叩き込んで《レグルス》を後退させ、この死地において弱腰になった部下の機体に触れる。

 

「ビビったんなら後方支援に移れ! 一度でも恐怖に囚われちまえば、もう前なんて任せられねぇ!」

 

『り、了解……! ビームライフルで距離を取りつつ、敵影から出来るだけ時間を稼いで……』

 

「そうだ。それがオレ達、第三小隊の役目――」

 

 その時、部下の《マギア》が不意打ち気味の爆炎に呑まれていた。

 

 直下より重火力装備型の《エクエス》がミサイル迎撃をこちらへと照準する。

 

「……何してくれてんだ……! まだこいつは……ウチに入ったばっかなんだぞ!」

 

 憤怒に呑まれた思考回路の中で、アルベルトの《マギアハーモニクス》は加速度のまま、敵影を捉え、交錯の瞬間に抜刀する。

 

《エクエス》が爆ぜ、光輪を咲かせる中で声が響き渡っていた。

 

『小隊長! このままでは我が方にも影響が出ます! 一時撤退の許可を! 充分に敵は引き付けました! このまま戦い続ければ損耗も大きくなります!』

 

「……ユキノ。分かった! そっちの判断は任せる!」

 

《マギアハーモニクス》を加速させ、アルベルトは疾走する。

 

『小隊長? どこへ……!』

 

「……ケジメつけなくっちゃ、手ぶらじゃ帰れねぇだろうが……! あの人だって覚悟して飛び込んでんだ! オレがビビってちゃ、カッコつかねぇ!」

 

 敵の火線が舞い散る中で、《マギアハーモニクス》にミラーヘッドを行使させていた。

 

 壁のように構築した蒼い残像を叩き割らせる前に至近まで肉薄し、機体に備え付けられていたビームジャベリンを稼働させる。

 

 勢いのままで薙ぎ払い、敵拠点へとMSを投げ込んで止めとする。

 

 火災が巻き起こり、MSに引火し、爆発の音叉が腹腔に響き渡った。

 

 荒い呼吸を整えながら、アルベルトは回線を開いていた。

 

「……ユキノ。後方に下がる準備をしておけ。敵拠点を制圧する」

 

『ま、待ってください! もう作戦は実行されました! 充分な戦果で――!』

 

「ざけんな! こんだけの戦果でむざむざ帰れるかよ……ッ! せめて、相手の情報くらいは抜き出させてもらうぜ」

 

 仰向けに基地に倒れ込んだ《エクエス》の頭部を引っ掴み、力任せに引き千切る。

 

「……こいつのアイリウムの中に情報があるはずだ。奴らの……騎屍兵の情報が……」

 

『小隊長! これ以上は限界です!』

 

「お前らは下がっとけ。限界離脱領域まで居るのは、オレ一人でいい」

 

 第三小隊の《マギア》が次々と距離を取り、離脱挙動に移っていく。

 

 そうだ、それでいい。

 

 ――地獄に囚われるのは、自分一人で充分だ。

 

《エクエス》の敵編隊が機銃掃射で自分を捉えようとする。

 

 アルベルトは呼吸を深く一つついてから、両腕を突き出していた。

 

「……ライドマトリクサー第三小隊の小隊長身分、嘗めるんじゃねぇ。コード認証、“マヌエル”、オレに従え……ッ!」

 

 両腕が可変し、そのままコックピットのユニットと同化する。

 

 瞬間、脳髄に突き立った電流の痛みをそのままに、アルベルトは奥歯を噛み締め青い瞳に逆三角の紋様を浮き出させる。

 

「――エージェント、アルベルト。《マギアハーモニクス》、敵をブチのめす!」

 

 本能を剥き出しにされた《マギアハーモニクス》の眼窩が変形し、内部構造を露出させる。

 

 蒸気が噴出し、雄叫びのようなシステム音声を滾らせて、《マギアハーモニクス》は敵陣へと突っ込んでいた。

 

《エクエス》がおっとり刀で対応するもその時には跳躍したこちらが背後に回っている。

 

 腕を突き出し内蔵されたバルカン砲で敵を至近距離より爆砕。

 

 脱力した《エクエス》を盾にして相手がミラーヘッドを展開するような余力を見せずに突き進む。

 

 ほとんどの《エクエス》の乗り手は新兵らしい。

 

 ならば、自分の刃でも届く。

 

 うろたえた相手の喉笛を掻っ切り、振り向きざまに斬撃。

 

 ビームジャベリンの射程を活かして離れた相手へと一閃を見舞った後に、中距離からミラーヘッドを稼働しようとする敵影へと投擲していた。

 

 アステロイドジェネレーターを貫通し、電流が迸る敵影を睨んだまま、《マギアハーモニクス》は大きく後退していた。

 

 相手はもう敗退戦に移ろうとしている。これ以上はジリ貧なだけだ。

 

 そう判断した瞬間、アルベルトは可変した腕を戻し、元の操縦桿を握り締めていた。

 

「……痛っつ……やっぱオレ程度のRMじゃ……三分が限界、かよ……!」

 

《マギアハーモニクス》の露出していた部位が戻ってゆく。

 

 牙を閉ざした《マギアハーモニクス》は飛翔し、敵拠点へと数発の牽制銃撃をもたらしてから、コロニー上層部で待っていた小隊の仲間の手を取っていた。

 

『……無理をし過ぎです。《マギアハーモニクス》のリミッター解除は想定されていないんですよ』

 

「……そうは言ったってよ。ここで示さないでいつ示すっつうんだ……。オレだけの損害で済めばまだ上々だろうさ。それに……あいつはこんな戦いをずっと前線でやってきたんだ。痛みくらいは分からせてくれよ……」

 

 意識レベルが低下していくのを止められない。

 

 どこか遊離した精神でアルベルトはユキノの声を聞いていた。

 

『……ヘッド、そこまでなさる意味なんて、もうないんですよ……』

 

「オレ、を……ヘッドって、よぶ、ん……じゃ、ねぇ……そんな、資格……」

 

 意識の手綱を手離す。

 

 やがて思考は暗礁の闇の中へと落ちて行った。

 

 



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第105話「幻影の死者」

 

「随分とまぁ、偉そうじゃねぇの。正規軍人でもないくせに」

 

 そう揶揄されるのは最早慣れたもので、流れていく罵倒や嘲笑も、ほとんど気にならなくなっていた。

 

「我々は特務を得ている。よって正規軍に指図される筋合いはない」

 

 それでも我慢出来ない人間は――いいや、人間ですらないか――居るもので、わざわざ言葉を投げた自分へと諫める声が投げられる。

 

『ファイブ。彼らの言い分は正しい』

 

『ですが、トゥエルヴ、それはみすみすというもので』

 

『我々は軍属であり、なおかつ最早“死んで”いる。ならば、彼らの流儀に従うまでなのは理解するといい』

 

 こちらを遠巻きに眺める兵士達は自分達がまだ「マシ」なのだと思いたいだけだ。

 

 そう規定しなければ、喪服のパイロットスーツと常時ヘルメットの異様な集団に飲まれるだけ。要は線引きの延長線なのだとファイブは思い直す事にした。

 

『……失礼を。私の落ち度でした』

 

 応じた声は合成音声であり、人間性の欠片でさえも感じさせないように設定されている。

 

 自分達、騎屍兵は生身の声を震わせる事もない、システムによって最適化された声は生者にしてみれば気分が悪いだろう。

 

 簡単に自身の感情の「齟齬」を認識する事でさえ、正規軍人からしてみれば気に食わないはず。

 

「……何簡単に認めてやがるんだ。騎屍兵身分がよォ……!」

 

 ――騎屍兵。

 

 それは自分達にとっては誉れの名であり、同時に呪いでもある。

 

『そのくらいにしておいてもらいたい。我々は総体であり、一人とて欠けてはならないのだ。ある意味では正規軍よりも弱い立場である』

 

 そう制するトゥエルヴの論調はまさに死人のように淡々としていて、ファイブはトライアウトの正規軍人が毒づいたのを目にしていた。

 

「いいご身分なこって! 《ネクロレヴォル》だとか言う最新型が、そんなに強いってのは話に聞く程度なんだろうな!」

 

 捨て台詞を吐いてトライアウトの士官が遠ざかっていく。

 

 その背中を眺めてから、ファイブは言葉を発していた。

 

『……我々は騎屍兵です。よって、生者と同じ待遇は得られない』

 

『そうだ。諸君らも理解してもらいたい。今の論争は何もファイブだけに留まった話ではない』

 

『御意に』

 

 応じたのは喪服のパイロットスーツを着込んだ中でも小柄な女性兵士だ。

 

 隊列コードは「ゴースト008」――エイトの名前を得ている。

 

『それにしたところで、我々への風当たりはどこに行ったところで強いもの。もう少し、マシにはならないものでしょうか、トゥエルヴ』

 

 そう口火を切ったのは「ゴースト011」――イレブンであり、彼は自分と共に多少のジョークは言い合えるだけの仲であった。

 

 しかし隊を纏める役割を担うトゥエルヴは冷淡に応じる。

 

『我々はそうなのだと規定された矢じりだ。引き絞られた矢は目標に命中しなければならない。それ以外の用途は不要となる。標的の心臓を射抜き、その息の根を止める、それこそが我ら騎屍兵に与えられた使命だ』

 

『騎屍兵には考える事でさえも不要と言われているようでもありますが』

 

『実際、その通りであろう。戦局を講じるのは上の役割だ。我々は、その機嫌を損ねない程度に戦場を闊歩すればいい』

 

『生きる糧は、死屍累々たる戦域にだけ、ですか』

 

 ファイブは自嘲気味に語る。自分はまだ、騎屍兵として感情を割り切れていない。

 

 それもこれも、思考拡張が上手くいっていないせいだと考えていた。

 

 自身の掌に視線を落とす。

 

 ぼう、と浮かび上がる赤い輝きは内蔵ライドマトリクサー施術を物語っていた。

 

『ファイブ、不安ならばセラピーを受けるといい。戦闘前のメンタル統一には専属の有機伝導技師が充てられている』

 

『い、いえ、自分は大丈夫です』

 

『そうは見えないがな。先ほどのトライアウトの士官との諍いも、黙って見過ごせれば的確であった。君は少しばかり現世への誘因が見られる。我らは死んだ身、現世がどうなろうと知った事ではない』

 

 トゥエルヴの達観視には遠く及ばないな、とファイブは拳を握り締める。

 

 戦場に降りれば、幾百の屍の上に佇む感情を殺した死徒であると言うのに、こうした少しのざわめきに波風を立てていては騎屍兵としては失格だ。

 

 格納デッキに留められている自分達の愛機はそれぞれ整備班を充てられ、万全に整えられていた。

 

「トゥエルヴ分隊長。次の戦場は地球圏からはほど近いコロニーと聞いた」

 

 整備班長である髭面の男が顎鬚を撫でながら声をかけてくる。

 

『ああ、《ネクロレヴォル》は対空間戦闘用装備でお願いしたい。一両日中に、だ。出来るか、フリッツ整備班長』

 

「任せておけ。にしたところで、毎度の事ながら綺麗な状態で帰ってくるもんだよ、お前ら騎屍兵は。あれかい? 傷を付ければ厄介の種が増えると思っているのかい?」

 

 軽口の絶えないフリッツの言葉にトゥエルヴは手を払っていた。

 

『《ネクロレヴォル》は先行量産機とは言えワンオフだ。あまり傷を付ければ禍根を残す』

 

「冗談だよ、冗談。お前らは相変わらず、死んだみたいな反応をするな」

 

 フリッツは整備班を纏め上げて、屹立する十三機の《ネクロレヴォル》の整備状況を確かめていた。

 

 インカム越しに彼は言いやる。

 

「そっちの《ネクロレヴォル》五番機は前回の戦闘時、少し浮ついていた。ペダルを重く設定し直してくれ。八番機、十一番機はミラーヘッドジェルの注入が既に終わっている」

 

『助かる。我々として見れば、最善を尽くしてくれる整備班長には感謝してもし切れない』

 

「よせよ、感謝なんて思っても見ない言葉」

 

 タラップを上がり、《ネクロレヴォル》の頭部コックピットに収まったファイブは各種インジケーターを認証してから、両腕を球状の操縦桿へと差し出す。

 

 瞬間、手の甲が可変し、生じた無数の針が球体に空いた穴へと突き出されていた。

 

 視界がレイコンマの世界で切り替わり、《ネクロレヴォル》の視野と同期する。

 

『《ネクロレヴォル》隊、各々のレヴォル・インターセプト・リーディングを認証。反応速度のラグを十秒以内に設定し、《ネクロレヴォル》のコミュニケートサーキットと対話しておけ』

 

『了解。レヴォル・インターセプト・リーディング、コミュニケートサーキット起動』

 

 その言葉に導かれ眼前のディスプレイに浮かび上がった投射映像の中には「REVOL」の文字がある。

 

『これよりコミュニケートサーキットを起動させます。認証ユーザー、ファイブへ。“ファイブ、脳波に乱れを感じている。何かあったのか”』

 

『いいや、何て事はない』

 

『“隠し立てはためにならない。我々は共栄関係にあるのだから”』

 

『専用アイリウム相手に下手な心象操作なんてしようとは思っていない。本当に、何でもないんだ』

 

『“そうか。では問うが、脳波の乱れの原因は何だ?”』

 

『いざこざでしかない。我々の任務には何の支障もあるまい』

 

『“それならばそれで納得しよう。最後に一つ、優位性とは判断材料であり、新たな確率への架け橋である”』

 

『またそれか。それは誰の言葉なんだ?』

 

『“引用不明”――コミュニケートサーキットを終了。これより、専任ユーザーのライドマトリクサー操縦へと移行します』

 

『頼むぞ、《ネクロレヴォル》。死んだ身とは言え、二回も死ぬのは御免なんだからな』

 

《ネクロレヴォル》が円筒状のコンテナへと移送されていく。

 

 それはポートライン技術を転用した小型の量子転送装置であった。

 

 一機ずつではあるが、地球圏から月のラグランジュポイントまでの距離ならばMS相当でも一瞬で運び込める。

 

『便利になるのはいつだって戦争の技術、か』

 

『ファイブ、今日の憂鬱は特に酷いらしい』

 

 イレブンの直通回線にファイブはどうかな、と応じていた。

 

『私達にそんなものはないよ』

 

『いい有機伝導技師を紹介しよう。きっと少しは憂鬱もマシになってくれるはずだ』

 

『いや、よしておく。この僅かに感じる負い目のような痛みも、きっと私がまだ、死者と生者の境界線上で踊っているからこそ、感じるものだろう』

 

『騎屍兵には不要に思えるが?』

 

『そうだろうな。きっとそうだ。だから戦場では狩り尽くしが重要視される。次の戦場も、一匹たりとも逃しはしない』

 

『頼りにしているぞ』

 

『どっちが』

 

 直通回線を切って、ファイブは転送のアナウンスを聞いていた。

 

『三十秒後に月軌道ラグランジュポイントへの転送を開始いたします。動かないようにお願いします』

 

 機体ごと量子転送され、直後には移送先の戦艦の中であった。

 

 無重力に晒されて一瞬のブラックアウト。

 

 だがそれにも随分と慣れて来たものだ。

 

『ようこそ、《ネクロレヴォル》隊。いいや、騎屍兵、と呼ぶべきなのかな』

 

『どちらでも構いません。上官殿、我々の今次任務を』

 

 トゥエルヴには恐らくユニークな物事に関しての感受性がまるで乏しいのだろう。

 

 真面目腐っている、と揶揄してもいいがそれはトライアウトの士官の言う罵倒とさして変わらないはずだ。

 

『これは……音に聞く騎屍兵と纏め上げる十二番目の死人だ。わたしのジョークは聞くまでもないと』

 

『我々はお喋りに来たのではありません。殲滅戦に来たのです』

 

 アクティブウィンドウに浮かび上がった上官はノーマルスーツを着用しており、管制室に当たる場所から通信を繋いでいるのが窺えた。

 

『結構。では騎屍兵の諸君。君達には第四種偽装殲滅戦を実行してもらう。統制の対象はコロニー、レイチェル。中型コロニーだが最近、不穏な噂が流れていてね』

 

『レイチェルと言えば統合機構軍に配されるコロニーのはずです。噂の血濡れの淑女(ジャンヌ)とやらですか』

 

『先んじて言ってもらえて助かる。統合機構軍の動きとしては、新型MSの開発と横流し……死の商人ここに極まれりとでも言うようなものだ。エンデュランス・フラクタルのお膝元でもある』

 

 ――エンデュランス・フラクタル。

 

 その名を聞いた瞬間、ファイブは唾を飲み下す。

 

『では、開発途上のMSの破壊、でしょうか?』

 

『いや、実のところ、これもブラフでね。コロニー、レイチェルは既に我が方に降っている。要は囮と言う奴だ。新型MS開発という情報をちらつかせ、ネズミ共を一掃する。君達ならば適任だろう? これまで幾度となく、そう言った戦場では勝利してきたはずだ』

 

『ええ、それはその通り。我々は統制の名の下に騎屍兵として、数多の反逆者を処罰して来ましたが、遂に本丸とは』

 

『苦労したんだ。成果を上げてくれよ。もっとも、これは言うに及ばず、か。諸君らの作戦成功率は九十九パーセントだ』

 

『残り一パーセントは想定外のイレギュラーを加味してのものです。作戦失敗はあり得ない』

 

 強気な言い草だが、言葉自体は冷淡そのもので、自我などまるで存在し得ないように応じている。

 

『期待しているとも。《ネクロレヴォル》隊は三時間後に作戦実行。我が艦、アラクネより出撃。その後に迎撃作戦に移ってもらいたい』

 

『御意に』

 

 トゥエルヴがそう応じるとアクティブウィンドウが閉じ、作戦実行までの休息が確約されていた。

 

 ファイブは視線を内側に向け、《ネクロレヴォル》の最終チェックへと移っている。

 

 浮かび上がった投射映像のキータイピングの際、ファイブは直通回線を繋いでいた。

 

「イレブン、これはどう思う」

 

『どう、とは? 作戦成功の是非か?』

 

「エンデュランス・フラクタルが我が方にわざわざ情報を売る理由が分からない。これまで散々、トライアウトの基地へと強襲を仕掛けてきた連中が一転して掌返しだ。何かあると、思ったほうがいいのかもしれない」

 

『考え過ぎだ。そこまで勘繰ったって、私達は兵士。騎屍兵だ。閲覧許可は下りないし、作戦実行に際しての懸念事項は少ないほうがいい』

 

「だが、あのエンデュランス・フラクタルだぞ」

 

『思うところでもあるのか? 奴らは狡猾だ。生き残るほうを選ぶのに違いない』

 

 そこでふとタイピングの手を止める。

 

「狡猾、か。……そうであったな」

 

『ファイブ? 心配ならトゥエルヴに掛け合って、今次作戦から外してもらってもいいはずだ。それくらいの我儘は通る』

 

「いや、お前の言った通り、考え過ぎだった。反省しよう」

 

『いつものお前で助かるよ。背中を任せるんだ。冷徹な騎屍兵同士じゃないと、その関係性は瓦解する』

 

「そうだな。私は――騎屍兵だ」

 

 



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第106話「赤い標」

 

 ハッと起き上がったアルベルトは身体の各所が痛んで呻き声を上げる。

 

「気が付いたか」

 

 滅菌されたような天井を仰ぎ、自身の手を光に翳す。

 

「……ああ、オレ……また気ぃ、失って……」

 

「無理をし過ぎだ。リミッターコード“マヌエル”の実行には負荷がかかる。君の独断で決めていいものではない」

 

「……だからっていちいちお伺いを立てている場合でもないでしょう。ヴィルヘルム先生」

 

 ヴィルヘルムはカルテを書きつけつつ、こちらの言葉を聞いていた。

 

「《マギアハーモニクス》はほぼほぼ中身は三年前の最新鋭MSに相当するとは言え、無理が祟れば君は思考拡張の果てに自壊する。それに、限界領域を超えての使用は船医としてお勧めできない」

 

「どうかな……あんたは有機伝導施術師でしょう」

 

「ユキノ君がギリギリまで運んでくれなければ君は死んでいたぞ」

 

「……それに関しちゃ、オレの力不足です。別に無理がどうとかじゃない」

 

「強がるな、アルベルト君。君は、どうしたってこの艦を背負おうとしているのは分かる。エージェントになったのはいいが、君はまだ組織に使い潰されていくだけだ。このままでは自滅の道しかないぞ」

 

「じゃあどうしろって言うんです……! オレが気張らなくっちゃ、あの人は……カトリナさんは前に行っちまうでしょう! ……もうそんなの嫌なんですよ、オレは……守れるもの一つも守れずに……」

 

 悔恨を噛み締めた自分へとヴィルヘルムは冷徹に応じていた。

 

「彼女も限界に近い。支えてやって欲しいとは思うが、君達は互いに無茶をし合う。わたしの身分から口を出せばそれは陳腐に落ちるからね。何も言えない……傍観者だとも」

 

「……《オムニブス》なんかで斥候も、させたくないんすよ。あの人は……分かっていてそれでも前に行っちまう……」

 

「影を追って、か。正直なところ、彼女に言える事はわたしにはないんだ。わたしの身分では、前に出ない人間の言い草でしかない」

 

 ヴィルヘルムはそっと電子煙草をくわえていた。

 

「……禁煙するって言っていたじゃないっすか。まだ一週間っすよ」

 

「ああ、そうか。そうだったか……。いや、すまないね」

 

 ヴィルヘルムが前髪をかき上げて煙草を彷徨わせるが、それでも紫煙をたゆたわせていた。

 

「……分かるような気がするよ。フロイト艦長が煙草に逃げていたのが」

 

「あんた、船医でしょう。いいんですか、だらしなくって」

 

「わたしがしっかりすれば、君らは前に出る愚を犯さずに済むのかね? ……違うだろう。わたしが何をどう言おうと、君らは前に出続ける。本音を言ってしまえば、その背中にかける言葉もないのは辛い」

 

「……オレらは三年……この三年間、ずっと……エンデュランス・フラクタルのエージェントとして戦ってきました。その中で、損耗していったものもある。可笑しいでしょうが、オレは何だか……戦えば戦うほど、自分を切り売りするような感覚に陥るんすよ。……あいつも、こんな感じだったのかなって……」

 

 いつだって前を向いていた。

 

 いつだって背中を任せてくれていた。

 

 それなのに、一度だって理解は出来なかった。

 

「感傷はよしておくといい。それこそ立つ瀬がないと言うものだ。君は我が艦の一級エージェントであり、《マギアハーモニクス》しか充てられない中でよくやっている」

 

「それも嘘でしょう。もっと上手く出来た……」

 

「全ては結果論でしかない。結果の上に成り立つ事象の上で、我々は視座を持つ事でしか、答えを見出す事なんて出来ないんだ」

 

「……なんすか、それ。誰の言葉……」

 

「引用不明……だな」

 

 ヴィルヘルムも思い出しているのだろう。その表情に翳りが窺えた。

 

「……あいつは行っちまったんすよ。全てのMFを殲滅するなんて言うお題目を掲げて。オレじゃ届かない、彼岸へと……」

 

「帰りを待つ愚を犯すよりも、帰る場所を意地でも守る、か」

 

「オレは、ね。女々しさに足を取られてたくさんの物を失ってきました。……もう嫌なんすよ、自分が行動しないせいで誰かが犠牲になるなんて」

 

「だがその行いの先は……。失礼、どうぞ」

 

 訪問してきたのは赤い髪を短髪に切り揃えた少女であった。

 

 強気な鋭い瞳が自分を見据え、エンデュランス・フラクタルの制服に袖を通している。

 

「失礼します。アルベルトさんの様子を見て来るようにと、ユキノさんやシンジョウ先輩から言われてきたので」

 

「見ての通りだ。コード、“マヌエル”の強行による思考拡張の遊離。今に始まった話じゃねぇよ、――シャル」

 

「私の名前はシャルティアです。その愛称で呼ぶのはやめてください」

 

「……どう呼んだって勝手じゃねぇか」

 

「いいえ。アルベルトさんは自覚がなさ過ぎです。委任担当官である私の命令が聞けませんか?」

 

 その言葉振りにアルベルトは膝を立てて嘆息をつく。

 

「……そいつぁ悪かった。シャルティア・ブルーム委任担当官殿」

 

「分かればいいんです。にしたって、ヴィルヘルム先生、煙草、やめたんじゃ?」

 

「ああ。禁煙は一週間が限度かな」

 

「……まったく。だらしがない大人が多過ぎなんですよ、この艦は」

 

「そうは言ってくれるなよ。言っちまったってオレが切り込み隊長だ。みんな苦しい戦いを強いられてるんだからよ」

 

「その切り込み隊長が毎度の事ながら意識を失っていたんじゃどうしようもないって話ですよ、本当に。使い切れないシステムなら、サルトル技術顧問に頼んで抜いてもらえばいいんじゃないですか?」

 

「一応は彼もエージェントだ。機体に関しては彼の意見が優先される」

 

 シャルティアはほとほと呆れ返ったとでも言うように大仰なため息をついていた。

 

「……何だよ」

 

「アルベルトさん。あなたは私の担当エージェントなんですから、私の意見を優先的に聞く義務があります。お分かりですね?」

 

「……ガキじゃねぇんだ。それくれぇは分かってるよ」

 

「では! 《マギアハーモニクス》でのコード“マヌエル”の使用は控えるように! ……これは命令ですよ」

 

「命令、ねぇ。っつってもお前だって、まだ新任だ。オレは戦場での経歴だけは一端だからよ。その都度の判断って言うのは前線に投げられるだろ」

 

「いーえっ! 私の言う事を聞くのが前提条件です!」

 

「……話の分かんねぇ奴だな。いちいちお伺い立てる暇があるかっつうんだよ」

 

「ヴィルヘルム先生、“マヌエル”の起動認証を私持ちにしてください。そうすれば解決します」

 

 シャルティアは腰に手を当てて怒り心頭とでも言うようにヴィルヘルムに進言する。

 

 ヴィルヘルムは紫煙を吹いて、ふむ、と一考していた。

 

「だが、アルベルト君の言い分も正しい。シャル、君はまだ着任して三か月も経っていない。エージェントの言い分は聞くべきだ」

 

「だから、シャルって名前……! 私はシャルティアです! ……チビだからって、嘗めてます?」

 

「嘗めちゃいないよ。ただね、物事には順序ってものが……」

 

「もういいです! いい加減な大人ばっかり!」

 

 シャルティアはそう言い切って医務室を後にしていた。

 

 ヴィルヘルムは電子煙草を灰皿に押し当てて呟く。

 

「……彼女はまるで空回りだな。着任当初の現リーダーを思い出させる」

 

「……カトリナさんとは違うでしょ。シャルはまだ十七なんすよ」

 

「エンデュランス・フラクタル本社の思惑は不明だが、それでも彼女は生え抜きなのだろうね。ベアトリーチェの委任担当官として着任した時には驚いたものだが……。ラジアルの妹、か……」

 

「全然似てねぇっすね」

 

「アルベルト君、シャルはしかし、理にかなっていない事を言っているわけじゃない。コード“マヌエル”の使用は控えるんだ。命がいくつあっても足りないぞ。元々あのシステムは《レヴォル》にのみ採用されていたもの。現状のアイリウム搭載機ではどうしても手に余る。サルトルだって毎回中破まで追い込まれれば心穏やかではないだろう」

 

「……オレらは成ってない大人ってワケっすか」

 

「シャルの言っていた事を気にするのかい? 君が弱気になってどうする」

 

「オレはでも……そんな大人にだけは、成るつもりはなかったんすけれどね……」

 

 しかし三年の月日は否が応でも突きつける。

 

 自分への選択肢はそう多くない事を思い知った。

 

 それには三年間はあまりに長く、そして自分はあまりに脆弱であった。

 

「シャルはまだ若い。この艦に来た当初の君らと同じくね。だからまだ分からないのもあるのだろう。人間は不合理であってもそう判断せざる得ない事もあるという事実を」

 

「でも、それって結局、諦めって奴っすよ」

 

「君らが踏み越えて来たもの、か。分からないものだ。デザイアが崩壊した際、あれほどまでに激情を剥き出しにしてきた君達にでも月日は残酷だなんて」

 

 ベッドから起き上がり、アルベルトは扉に手をかける。

 

「次の作戦があるでしょう。オレは、行きます」

 

「思考拡張の汚染深度もあり得る。検査くらいはしていったほうがいい」

 

「問題ないっすよ。オレは……あいつみたいに成るほどの器でもない」

 

「どうかな。それは当事者の間でしか分からないものだ」

 

 医務室を後にして、アルベルトはグリップを握り締め廊下を進む。

 

「……どれだけ犠牲を払えば、オレはお前に追いつける……。教えてくれよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それにしても、艦長殿。今のベアトリーチェでは作戦実行に問題があるのでは?』

 

 タジマの言葉繰りにカトリナは管制室で応じていた。

 

「いいえ、私は可能だと思っています。それに何より、新型MSの開発現場だって言うんなら、先んじて叩かないと……」

 

 モニターの向こうのタジマは眉根を寄せる。

 

『しかしですね……この作戦を遂行するに足る人材が揃っているとは、とてもとても……ミラーヘッドジェルの原材料であるブルーオイルの補給も難しい状態です。油がなくなればミラーヘッドの戦術に頭打ちが出てくるのは必定』

 

「アルベルトさんは一級のエージェントです。信頼ならこれまでの作戦遂行で打ち立ててきたはずですが」

 

 譲る様子のない自分を目にしてタジマは嘆息をついていた。

 

『では、条件を一つ。……RM第三小隊で向かえば相手の総攻撃に遭いかねません。まずは単騎戦力での潜入からの作戦遂行が求められます』

 

「《オムニブス》で私が先行すればいいんですよね」

 

『……簡単に仰る。敵はこれまでの軍警察程度では収まらないかもしれないのですよ? ……件の騎屍兵が出てくれば、《オムニブス》とて撃墜される恐れもあります』

 

「覚悟は……出来ています」

 

 ぎゅっとシートを握り締めたカトリナにタジマは眼鏡のブリッジを上げていた。

 

『……分かりました。しかしアルベルト君達が納得しますか?』

 

「いつもの斥候任務の延長線上だと伝えます。RM第三小隊はベアトリーチェにて別命あるまで待機。その後に迎撃網を張ればいい」

 

『ですが……我が社から送れる支援物資も限界に近い。先にも述べました通り、見えない終着点に向けて戦い続けるというのは過酷なのです。この作戦の引き延ばしも検討しても――』

 

「駄目です。今叩けるのならば今叩く。そうしないと、私達は何度だって繰り返すだけなのですから」

 

 強い論調で断じるとタジマは迷いの視線を送っていた。

 

『……ベアトリーチェが求心力を失えば、自然とこれまでのレジスタンス活動にも支障が生じます。もうあなただけの身体ではないのですよ、カトリナ・シンジョウ委任担当官』

 

「他のレジスタンス組織には私から声掛けを行っておきます。本社はいつも通り、必要物資を私達に。《オムニブス》によって敵MSプラントを排除すれば、戦力の拡充に繋がります」

 

『そこまで思い切らなくてもいいのでは……。我が社とてベアトリーチェクルーは有用だと考えているのですよ』

 

「いえ、だからこそ、です。……有用性を示し続けるために、私が前に出ないと駄目なはずですから」

 

『言い出すと聞きませんね。……レミア艦長もそうでしたが』

 

「前任者と私は関係ありません。これは私の意思です」

 

 一拍置いて、タジマは承服していた。

 

『……分かりました。では資源の輸送と、それに伴い作戦の実行を。……ですが、サルトル技術顧問も分かっているのでは? 《オムニブス》では、出来る事など所詮……』

 

「タジマ営業部長。私は、自分の出来る事をやっているだけです。……これが……私の仕事ですから」

 

『……了解しました。では作戦実行まで健闘を祈ります』

 

 長距離通信が切られ、カトリナはクルーの居ない管制室で、静かに艦長席のシートに爪を立てる。

 

「……私がやらなくっちゃ……。そうでしょ、カトリナ……」

 

 空虚な言葉が残響する中でカトリナは艦長席に座り、インカムで艦内通信を行っていた。

 

「これより、コロニー、レイチェルへの敵性新型MSの排除作戦を講じます。作戦概要は各々の端末に送信しますので確認してください。記述してある通り、私が先行、その後RM第三小隊による挟撃を実行します」

 

『ちょ、ちょっと待ってください! カトリナさ――』

 

「アルベルトさん、これはもう決定事項です。覆す事はありません」

 

 アクティブウィンドウ越しでもアルベルトは焦燥を浮かべているのが窺えた。

 

『納得出来ません! オレか、ユキノの部隊を伴わせないと、《オムニブス》じゃ撃墜だって……』

 

「アルベルトさん。あなたは前回、コード“マヌエル”を独断で使用した。そのせいで《マギアハーモニクス》における作戦行動は困難だと判定しました。よって、まずは私の《オムニブス》による斥候と偵察、そして初撃は私に任せてもらいます」

 

『……そんなに、オレは頼りないですか……』

 

 ここで流れるに任せれば自分は――とカトリナは肘掛けを掴んでいた。

 

「……ええ。あまりに独断が過ぎます。今回はベアトリーチェにて後方支援。私がサインを送ったら艦と共にコロニー、レイチェル付近まで接近し、そこから敵陣を叩いてもらいます」

 

『……そうっすか。オレは……いいえ、了解です。エージェント、アルベルト。委任担当官の命令を受諾しました』

 

 挙手敬礼するアルベルトにカトリナは苦しいものを感じつつも、それを表には出さないようにぐっと噛み締める。

 

「……私が、前を行きますから、だから……」

 

 だから今は少しだけ。

 

 誰にも声をかけないで欲しかった。

 

 



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第107話「トワイライトダンス」

 

「旦那様! 妹君が……!」

 

 給仕の声を聞いて視線を落としていた文庫本から顔を上げ、ジオは机に置いていた仮面を装着していた。

 

 銀髪を流し、困惑顔を向ける給仕と向かい合う。

 

「如何にしたか」

 

「また、勝手に外に……! 今宵は社交界ですのに……」

 

「自分が説得して来よう」

 

「そんな……! 軍務がおありでしょう!」

 

「自分が行かなければ説得出来ないのならばそのほうがいいはずだ」

 

 庭園へと出ると仕立てのいい黄色のドレスに身を包んだ姿が草原を寝転がっていた。

 

 爪先を揃え、顔を覗き込む。

 

「――ファム。困ったものだな」

 

 その言葉に対し、銀髪を跳ねさせたファムは頬をむくれさせる。

 

「どうして小動物の形態模写をする。その行動は不明瞭だ」

 

「にいさま、きらいー!」

 

「そうか。三年もここで過ごしていてもまだ、自分の事を好いてはくれないか」

 

「しゃこうかい、いやー!」

 

「何故だ。良い御仁と出会える場だ。大事にしたほうがいい」

 

「……ファム、しゃこうかいのおとな、こわいもん……」

 

「それは彼らが貴族階級だからだろう。我々と接点を持とうとしてくれているだけでもありがたい。そう思うべきだ」

 

「だから、にいさま、わからずやー! にいさま、ファムのこと、ちっともわかってくれないー!」

 

 ファムはそのまま機嫌を損ねてしまう。

 

 陽光を受けて照り輝く銀髪をなびかせて、草原の一部に佇む巨木へと駆けていく。

 

 その姿だけ見れば自由奔放な乙女だ。

 

「自分は妹を見ろと言われている。それはそちらのためだ」

 

「わかんないの。にいさま、なんでファムとおうたうたってくれないの?」

 

 小首を傾げるファムにジオは仮面の相貌を撫でる。

 

「自分は兵士だ。歌を紡ぐのは兵役に入っていない」

 

「じゃあ、へいしやめて」

 

「それは出来ないのだよ。自分は戦う以外にない。器用ではないのだ」

 

 むーっ、とファムは不機嫌になって巨木の周りをくるくると駆け出す。

 

「ファム、この三年間、自分は兄として的確に振る舞ったつもりだが、何が不満か」

 

「でも、にいさまはわかりっこない」

 

「分かるさ。この世で二人だけの血縁者だ。理解者のつもりだが」

 

「でも、にいさまからはいやなかんじがする」

 

「それは社交界の貴族よりも、かい」

 

 ファムは困惑したように首を引っ込めた後に、石を拾い上げ樹の表層を削っていた。

 

 そこに描かれていたのは抽象画めいた人形である。

 

「それは誰だ」

 

「えっとー、ファムとーアルベルトと、カトリナとー、バーミットと、それに、かれ」

 

「彼と言うのはまだ教えてもらえないのかな」

 

 五人が手を繋いだ絵柄にファムは先ほどとは打って変わって、頬を紅潮させて喜びを露わにする。

 

「それはひみつなの!」

 

「そうか。では聞くまい。しかし社交界に間に合わないといけない。ファム、少し手荒だが、我慢して欲しい」

 

 ジオは歩み寄るなりファムを肩に担ぎ、彼女の動きを封殺する。

 

「いやーっ! にいさま、いやーっ!」

 

「我慢してくれと言った。そんなに社交界が嫌なのか。踊っていればいいだけだろうに」

 

「……にいさまにはわかんない」

 

「そうかもしれない。だが、ファム、自分の居場所が戦場なように、ファムの居場所は社交の場だ。貴族らしく振舞って欲しい。それがどれほど難しくても」

 

「……しゃこうかい、いやなこたちばっかりきて、ファムをばかにするの」

 

「大人達よりもそっちが問題か。だがファム、いつまでも我儘ばかりを言ってはいられない。自分は社交界の場で守る事は出来ないが、他の全てからファムを守る事は出来る。それだけは分かって欲しい」

 

「……わかんないの。にいさまのばか」

 

「そうか。自分は馬鹿であったか」

 

 邸宅まで戻ってから給仕達にファムのドレスの仕立てと身だしなみを整えさせる。

 

「今日の社交界はローゼンシュタイン家が主催だ。あまり迷惑をかけるものでもない」

 

「いーやっ! しゃこうかい、いやーっ!」

 

「ファム様。どうかお静かに。旦那様は疲れておいでです」

 

 髪を梳かれるファムは相変わらず頬をむくれさせたままであったが、もう逃げ出す事はあるまい。

 

 ジオは仮面に装着されている着信を取ってから、失礼、と邸宅の一室へと入る。

 

 パスコードを入力し、自分だけしか知らない直通回線を得ていた。

 

『次元の姫君はどうか。ジオ・クランスコール』

 

「滞りなく。しかし未だに幼いようです」

 

 周囲の暗闇が蒼く波打ち、直後には天蓋を覆う胎児達の景色が視界を埋め尽くしていた。

 

『無理もあるまい。彼女は特別だ。それでもそろそろ決めねばなるまい。ローゼンシュタイン家は次元の姫を迎え入れる準備は出来ていると言っているのだから』

 

『王族親衛隊にも発言力を持つ家柄だ。次元の姫を迎え入れるのには打ってつけだろう』

 

「しかし、ファムの状態は不安定です。不用意な精神的干渉はあれを目覚めさせる事に成りかねない」

 

『ジオ・クランスコール。既にその問題は解消されつつある。この三年間、我々がただ手をこまねいていたわけではない。収容した《フィフスエレメント》と、そして《ネクロレヴォル》隊のデータは我らに充分な恩恵をもたらした』

 

『左様。既に扉の向こうの彼の者達は解読不可能な代物でもなくなっている。三番目の聖獣は大人しいではないか。ならば我らの行う事は、次の領域だ』

 

「次、と仰るのは」

 

『次元の姫だけでは鍵たり得ない。その血筋――即ち世継ぎが必要になってくる』

 

「ファムはまだ子供です」

 

『血縁だけでも構わない。次元の姫君だけでは不完全。よって完全なるダレトの鍵を得るのには、完成形の存在を世に生み出す必要がある』

 

『我々がそれに踏み切れない理由を貴様は知っておろう。拒む理由はあるか?』

 

「いえ。自分は所詮、兵士です。口を差し挟むべきではない」

 

『ならば下がれ、ジオ・クランスコール。全ては滞りなく行われるだろう。その時に余計な感傷は邪魔になるだけだぞ』

 

「了承しました。ですが自分は社交界に出られぬ身。要らぬ障壁を生みかねない」

 

『既に手は打ってある。余分な懸念を浮かべるな。貴様はただ戦っていればいい』

 

「ではその言葉通りに」

 

『ジオ・クランスコール。貴様、ここ最近、差し出がましい口をよく挟むようになったな。以前までの貴様は、そうではなかった』

 

「それは気のせいでしょう。自分は前に出る事くらいしか取り柄がございません。当然、政に口を挟むなど、恐れ多いだけ」

 

『分かっているのならば話はそこまでだ。ジオ・クランスコール。役目を果たせ。我らの生存権を確約するために』

 

「御意に」

 

 通信が切れ、蒼い光が波打って再び闇の中に呑まれる。

 

 静謐が漂った室内で、ジオは静かに呟いていた。

 

「だが、それは無力と、何が違う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――退屈。そう感じた時にはもう囚われていて。

 

 それでいてもう逃れる術もなくて。

 

 社交界に出るのは手慣れたものだが、もう自分にはその価値すらも見出せないで、鏡の前で何度目か分からない嘆息をついていた。

 

「お嬢様。そんなにため息をつかれると、幸せが逃げて行ってしまいます」

 

「あら、そんな事はなくってよ、シンディ。私、幸せなんて殿方と同じで、気紛れで、女を振り回すのがお得意なだけでしょう?」

 

「お嬢様は少し達観が過ぎます」

 

「そう? 私は現実主義者のつもりだけれど」

 

「こんなにお綺麗なのに、それでは殿方が委縮されますよ」

 

「シンディ、こういうことわざを知ってる? 案ずるより産むがやすしってね。どれだけ着飾ってどれだけ殿方の事を想っていても、それが実地で伝わらなければ同じ事よ」

 

「ですが、お母様譲りの絹のような茶髪に、見目麗しいのにそこまで仰られては、殿方も形無しと言うものでは……」

 

「……もういい。シンディ、これくらいでいいわ。どうせいつものローゼンシュタイン家の面々と顔合わせでしょう? 正直、子供の頃から飽き飽きしているの。いつもいつも、あの高慢ちきな伯爵とは気が合わないったら」

 

「まぁ! お嬢様! そんな事を仰るものではございません!」

 

 お付きの教育係の決まりきった文句に、とことん嫌気が指していた。

 

「……こんな事なら、家を出奔したお姉様のように軍属にでもなればよかったわ」

 

「またそのような事。あなたはこの家督を継ぐ令嬢なのですよ? ――キルシー様」

 

 名を呼ばれても鬱陶しいだけだ。

 

 キルシーは何度目か分からないため息で陰鬱な気分を打ち消す。

 

「シンディ……私はもう、馬鹿馬鹿しい事にうつつを抜かすのはうんざりなの。女なら大人しく、しおらしく振る舞って紳士の気を惹き、子を産めですって? ……とんでもない時代錯誤だわ」

 

「ですが、わたくし共の仕事はお嬢様がいつか家督を継がれるその時まで、こうして送り出すだけですので」

 

「まるで売りに出される仔牛の気分ね。ドナドナ、って感じ」

 

「お嬢様。振る舞いにはお気を付けください。殿方の前では頼みますから、そう言った口調は改めて……」

 

「はいはい、お分かりよ、シンディ。まったく、すぐに社交界に向かうわ。ポートホームで一分もしないでしょう?」

 

 数人の使用人がわざわざ後を付いて来るのだからこれも困った仕様だ。

 

 自分一人でも立てるのに。

 

 自分一人でも抗えるのに。

 

「……いや、それは間違いか。抗いなんて、もうとっくにやめた身分だものね。キルシー……」

 

「よいですか? 殿方の前ではつつましく……」

 

「分かったわよ、シンディ。武運だけを祈っていて。あなたは私の教育係なだけなのだから」

 

「……では、行ってらっしゃいませ」

 

「行ってきます。……世が世ならこんな因習……断ち切ってしまいたいくらいだけれど」

 

 ポートホームに座標を打ち込んでキルシーは転送先に着いた事を確認してから、歩を進める。

 

 先ほどまで邸宅に居たのがまるで嘘のように、絢爛豪華な社交場が開かれていた。

 

 ほとんどの貴族達が集まった形だ。

 

 ここが襲撃されれば事だろうな、と他人事のように感じてしまう。

 

「キルシー嬢。今日もお美しい……!」

 

 分かりやすいおべっかを振るのは仕立てのいいスーツに身を包んだ長身の優男であった。

 

 金髪碧眼、絵に描いたような爽やかな振る舞い。

 

「ローゼンシュタイン様。ご機嫌麗しゅう」

 

「ああ、君は会うたびに綺麗になっていくね」

 

 そんな歯の浮くような台詞をよく吐ける、とキルシーは内心舌打ちする。

 

「お仕事は順調ですの? 軍警察はお忙しいのでしょう?」

 

「ああ、構わないさ。少しばかり時間もあったから今日は参加させてもらっているのもあるからね」

 

 嘘つき、と内心毒づく。

 

 この男は、糊塗されたプライドばかりの人間だ。

 

 軍警察――トライアウトの士官だか何だか知らないが、それにしたところでこのような場に何の恥じらいも纏う事なく、自分の前に「毎回」現れるのだから、心底「恥知らず」としか言いようがない。

 

「だがキルシー。前回話した事、少しは考えてくれたかな?」

 

 話の半分ほど聞いていなかったが、キルシーはお得意の微笑みでそれを誤魔化す。

 

「ええ、でも少し時期尚早だとは思うのです。私はまだ子供のようなものですし、そのような勿体ないお話……」

 

「いや、君は宝石のように麗しい。それは子供の頃から見ているからよく分かっている」

 

「紳士ですのね、ローゼンシュタイン様」

 

「……いい加減、幼馴染なんだ。そろそろ名前で呼んでもらえないかな? 昔のように」

 

 昔――とキルシーは考え込んでいた。

 

 まだ相手の身分が分からなかった頃合いには互いに名前で呼び合っていたか。

 

 自らの愚かしい行いに心底吐き気を催してくる。

 

「そんな恐れ多いですわ。私はただの女ですのに」

 

「そうでもないさ。君は賢明な家系の女性だ。それに、口説きたい男も私だけではないはずだよ。独占していれば、私の身分とて危うい」

 

 肩を竦めた相手に、キルシーは思いっきり同じ仕草で対応したくなったがぐっと押さえておく。

 

 ここで問題を起こせば、シンディにこってりと絞られるのは目に見えているからだ。

 

 下階ではめいめいにグラスを傾け、今宵の饗宴に酔いしれている貴族達が歓談を楽しんでいる。

 

「今日は少し人が多いようですわね」

 

「ああ。新しい貴族の御家も来ているようだからね。何せこの三年間……少しばかり軍警察の仕事は減ってきているんだ。前のように統制も要らなくなっている」

 

「それは喜ばしいのではなくって? だって、みんな戦争がしたいわけではないのでしょう?」

 

「だがね、それでも仕事がなくなる事はない。困ったものだよ、世界と言うのは」

 

「……お話は耳にしていますわ。確か……統合機構軍の一部がレジスタンスを作っているとか何とか」

 

「君の耳に入れるほどの話じゃないさ、キルシー。これは軍属の職務でね」

 

「世界に目を光らせる事はいずれ必要になってくるでしょう? 私、無知蒙昧なまま生きていくのは少し……」

 

「ああ、それは悪い事をした。だが、貴族の耳に入って来るのはどれもこれも遅れた情報だ。平気で半年前の話題を出す人間も多い」

 

「意外……一家言がおありで?」

 

「あ、いや……。私も所詮、軍警察の士官に過ぎない。今のは忘れてくれ」

 

 微笑み一つで誤魔化せると思っている目の前の薄っぺらな男に対し、自分は含みのある笑みで応じてみせる。

 

 ――ああ、これも処世術。

 

 どれもこれも、紛い物なのは自分も何ら変わらない。

 

「下に降りましょう? 少しは歓談の席に華を咲かせないと、来た意味がないでしょうし」

 

「そう硬くなるなよ。君はもう二十歳だったか。だったら、もう十年選手だ」

 

「まだ二十歳ですわ。私は所詮、小娘ですもの」

 

「卑下するものじゃないさ。私の知っているキルシーはそういう娘じゃない」

 

 何を知っているのだ、と心がささくれ立つ。

 

 この男と話しているだけで、こうも苛立つと言うのに、家が取り決めた約束事のせいで、この男を振り切れないでいる。

 

 そんな自分に心底――嫌気が差すと言うのに。

 

 どれもこれも虚飾、偽り、そう「取り繕い」だ。

 

 だが偽りの線を外さないように生きているのが何よりも自分なのだ。

 

 そんな自己嫌悪、完結させてしまえばいいだけなのに。

 

「……むっ、珍しい令嬢が居るな。あれは確か……クランスコール家の……」

 

 足を止めた連れ合いに、キルシーは宴席のど真ん中で癇癪を上げる少女を視界に入れていた。

 

 星を散りばめたかのような銀髪をなびかせ、黄色のドレスに身を纏った彼女は歓談の中心で貴族相手に喚き散らしている。

 

「いーやーっ! にいさまぁー! いやーっ!」

 

「何を仰います。クランスコール家の淑女ならば、わたしが今宵、夜を共にしようと言っているだけなのに」

 

「いーやっ! ここ、いやーっ!」

 

 叫んで前髪の後退している貴族から離れようとする少女をキルシーは目に留めたまま動けなくなっていた。

 

「……クランスコール家の令嬢は今日もご立腹か」

 

「毎回、であるな。あの万華鏡の妹君とはまるで思えない。貴族の面汚しが……」

 

「どうせ、子を宿すくらいしか能のない家柄の女。すぐに抱かれてしまえばいいのに……」

 

 他の貴族達の潜めた声が漏れ聞こえてくる。

 

 どの声も、どの悪意も、彼女を助けようとはしない。

 

 いや、それも当然なのだろう。

 

 ここに居る者達は、誰も今を見ていない。

 

 この世界の外側から観測する事に慣れて、目の前の現実一つ処理出来ない連中ばかりなのだ。

 

 だから――だったのか。

 

 自分の足が不意に動いたのを、キルシーは自覚出来ていなかった。

 

 隣の声が呼び止めようとするが、キルシーはその諍いに割って入り、乱暴に少女の腕を掴んでいた貴族を、あろう事かその足を払い地面に伏せさせる。

 

 それは護身術の一つであった。

 

 咄嗟に東洋の「柔道」の技のうち、瞬時の制圧行動が出てきたのは我ながら僥倖であったと思う。

 

 これで相手を投げ飛ばしていれば外交問題に発展していただろう。

 

「な、何を……!」

 

「彼女は嫌がっていますわ。さすがに拒む相手を無理やり手籠めに、と言うのは、貴族の振る舞いに反するのではなくって?」

 

「……だが、わたしが見初めたのだ! クランスコール卿からはどう扱ってもよいと、既に連絡を受けている!」

 

「ではその命は今、少し遠ざかったと思ってくださいまし。私、ご歓談の席で殿方の腕を捩じり上げるなんてはしたない真似はしたくありませんの」

 

 力を加え、地に伏した貴族の腕を僅かにひねっただけで相手は悲鳴を上げてしまう。

 

 何とか弱い、愚者ばかりであろう。

 

「キルシー! 何をやっているんだ! 相手は地球圏の……!」

 

「どこの出身だろうと関係がないのではなくって? ここは紳士淑女の社交場。そんなところのど真ん中で、令嬢を泣き喚かせるなんて、それが大人のする事ですか」

 

「……大人だから、やるんだろうに……」

 

 抵抗のように声を上げてみせた貴族をキルシーは睨みつけ、そのまま背中を蹴飛ばしてやった。

 

 さすがに他の貴族達にも今のは刺激的であったのだろう。

 

 沈黙が降り立つ中で、キルシーは銀髪の令嬢の手を取っていた。

 

「……行くわよ」

 

 そのまま手を引いて人気のないテラスまで肩を荒立たせて歩んでいく。

 

 背中に声がかかるかに思われたが、毒気を抜かれた貴族達は仔牛よりも大人しかった。

 

 歓談の席を抜け、夜風の吹き込む場所に出てから、キルシーは顔を伏せて、ああっ! と喚いていた。

 

「これ、絶対にシンディのご高説を聞くパターンね……まったく。にしたって、夜のお誘いなんて歓談の席でやるものでもないでしょうに。あんたも相当なのに取り憑かれるなんて運がないわね」

 

 銀髪の令嬢は自分の様子を目にして何やら驚愕の面持ちで黙りこくっている。

 

「ああ、この喋り? だって貴族の喋りって堅っ苦しくってやってられないでしょう? 女同士なんだし、別にいいわよね? 第一、この非常時にパーティだなんていうのが馬鹿のやる事だって言うのよ」

 

「……あの……」

 

「名前」

 

「……ミュイ……?」

 

「名前、教えてくれる? クランスコール家のご令嬢さん? あなたの名前、知りたいわ。あの高慢ちきなだけの貴族の鼻っ柱を折ってやったんだもの。それくらいの報酬はあってもいいわよね?」

 

 銀髪の令嬢は戸惑った後に、そっと声にする。

 

「……ファム・ファ――。ファム・クランスコールが、なまえ……」

 

「ファム? ふぅーん、いい名前じゃないの。私はキルシー。――キルシー・フロイト。これでも貴族なの。よろしくね、ファム」

 

 手を差し出すと、ファムはおずおずと握り返してきた。

 

 華奢な細腕だな、とキルシーは感じ取る。

 

「でも、ちょっと意外。普通は私達みたいなのってお飾りだから、誘いを断るのなんて原則出来ないのよ? ちょっとつつましく笑えば遠ざかるけれど、いつかは抱かれちゃう。それも一方的にね」

 

「ミュイ……キルシー……? は、いやなの?」

 

 平時ならばここでも「取り繕い」の言葉を投げていただろうが、どうせこの少女には通用しなさそうだ、と素の自分を投げ出していた。

 

「……ええ、吐き気がするほどにね。この世界の常識なんて、全部裏返ってしまえばいいのよ。でも私には力がない。どれだけフロイト一族がこの数十年積み重ねてきた力があっても、私は所詮、女だもの。出来る事なんてほとんどないわ。……お姉様が居てくれたら違ったかもしれないけれど……」

 

「ミュイ……キルシーは、ファムのしっているひとに、よくにている、ね」

 

「あら? ファムの知り合いに私みたいな手合いが居るって言うの? それは意外ね。だって、あなたクランスコール家でしょう? 有名よ。ジオ・クランスコール、万華鏡の渾名を取る最強のミラーヘッド使いの家系」

 

「ミュイ……! にいさま……!」

 

「お兄さんなんだ。へぇー、私も知らなかったな。ファムみたいな子が妹だなんて」

 

「……でも、にいさま、きらい……。ファムがいやっていっても、ぜんぜんきいてくれないの……」

 

「クランスコール家は元々、戦士の家系だったと聞くわ。こういった社交場には顔を出さないタイプだったって。それがどうしてなんだか、あなたみたいな子が出て来るって事は、クランスコール家も手段を選んでいられなくなったって言うのかしらね」

 

 ファムは天上を仰ぎ星空を指差す。

 

「ミュイ……! きれい!」

 

「月のトワイライトよ。それもこれも、三年前に統合機構軍が不穏な動きを見せなければ、ここまで私達は来られなかったでしょうけれどね」

 

 今も目に映るのは星々の輝きではない。

 

 遠いどこかでの戦火の灯火だ。

 

 誰かの命が散り、誰かが諍いを繰り返している。そんな人類の歴史を矯正しようともせずに、権力者は胡坐を掻き、自分達の地位に固執するばかりだ。

 

「ここに居る人間達なら、あの瞬きを止められるだけの力があるって言うのにね。やるせないわ」

 

「……キルシー、は……ほし、きらい?」

 

 小首を傾げたファムに、どうかな、と曖昧に応じる。

 

「星を見ているとね……お姉様の事を思い出しちゃう。あの日……出奔されたお姉様はきっと、どこかに居るんだろうけれどでも、私じゃ手が届かないってね。分かっちゃってさ」

 

「キルシーのおねえさんは、うちゅうにいるの?」

 

「そうよ。多分今も……戦っているわ。お姉様はだって私と違って抗う道を選んだんだもの。運命に抗い続ける……そんな辛い道を……」

 

「ミュイ……。キルシー、いやなの……?」

 

「嫌ってわけじゃ……ただ自分に何も出来ないのが、とてつもなく歯がゆいだけの……いいえ、これも理由ね。馬鹿馬鹿しい、自分を正当化したいだけの理由。私、女だからって子供を産んで、ただ殿方の言う通り、はいはいつつましくってのはちょっとどうかなって思っているだけの……そうね、勘違いも甚だしい女子供なだけなのだと思う。だって力なんてないんだもの。何も出来やしないわ……」

 

 今も宇宙で散っている命に報いる事も、その誰かの戦場を肩代わりする事も出来ない。

 

 ただの夢想家――力もない愚者。

 

「でも、ファムをたすけてくれたよ?」

 

「助けたなんて大それたものじゃないわ。あんなの、最低な奴が最低なだけだもの。ま、怒られちゃうのは私のほうなんだけれどねぇ……」

 

 それもこれも憂鬱でため息を漏らしていると、ファムも同じように肩を落としていた。

 

「……何であなたまで辛そうなのよ」

 

「だって……ファムのせいでキルシー、おこられちゃうんでしょ? おこられるのは、いやだもん」

 

「あのねぇ……あなたはあのままじゃ、あの男の相手をさせられて……望まない事になっていたかもしれないの。それが私の中じゃ……何となく、許せなかっただけの……」

 

 言葉を探っているとファムがぎゅっと手を握ってくれる。

 

 その手が温かくってキルシーは目を細めていた。

 

「……ファムの手、あったかいのね」

 

「ミュイ……! それだけがじまん……!」

 

 本当に、柔らかく解けるように笑うのだな、とキルシーは見惚れてしまう。

 

 打算も何もないかのように、自分のように下手に賢しく生き永らえているわけでもない。

 

 ファムはこの世に生まれた意味を謳歌している。

 

 それがたとえ囚われた生まれであったとしても。

 

「……そんな風に笑えるんなら、だってそれは幸福だったって事じゃないの」

 

「ミュイ……?」

 

「ファム。今日はどうせ、あの歓談の席には戻れないんだから、ちょっとここで待ってて。私、とっておきの美味しいものを取ってくるから。ここに居なさいよ。さっきの貴族に見つけられたら事だからね」

 

 ファムは大人しく窓際で頷いていた。

 

 キルシーは下階へ下りる途中、連れ合いに声をかけられる。

 

「キルシー! ……さっきのはまずいぞ……」

 

「あら、ローゼンシュタイン様。私の事を心配してくださるの? でも、とんだ見当違いですわ。だって私、護身術くらいは身に着けていますもの」

 

「そうではなく……! 幼馴染なんだ。護らせてくれよ」

 

「それは貴族としての言葉でしょう。私を本心から心配しての言葉ではないですわ。ローゼンシュタイン様」

 

「……昔のように、ガヴィリアと……呼んではくれないのか」

 

 ここまでくれば情けなさすら漂う相手――ガヴィリアに、キルシーは応じていた。

 

「それもこれも、何も知らなかった無垢には、戻れないだけでしょう?」

 

 しかして今は違う。

 

 ファムのためにとっておきの料理を持って来よう。

 

 それが自分の、この退屈が過ぎる世界における抗いとなるはずだから。

 

 先ほどの騒乱に貴族達は遠巻きに自分を眺めるばかりであったが、今はその好奇の視線がある意味では心地よい。

 

 キルシーはようやく、自分の世界に生きている感覚にふけっていた。

 

 



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第108話「死の淵に立つ」

 

 ――自分の生きていく世界なんて存在しない。

 

 そう規定して、複数のロックがかけられた隔壁を通過し、潜入用の秘匿パイロットスーツに身を包んだまま、コロニーの天蓋を進む。

 

「……あまりにも静かだな。いや、しかしここは……」

 

 見下ろした先は工業地帯の緑地が広がっており、砂塵が舞い上がっていた。

 

 コロニー、レイチェル。

 

 中規模の統合機構軍に配されるコロニーでありながら、その真の目的は試作機の運用にある。

 

 ビル群が居並んでいるが、どれもこれも中身は薄っぺらい。

 

 ダミーの会社が入っているばかりの虚飾。

 

 まるで性質の悪い舞台劇のよう。

 

「……幕切れには程遠い。それにしたってカーテンコールにはあまりに遅いな。動きを悟られていないと言う証明でもあるが……」

 

 言葉を濁したのはこの先どうなるかはまるで不透明だからだ。

 

 バイザー上にポップアップディスプレイを呼び起こす。情報として得たものは大きく二つ。

 

 一つは、このコロニーで数時間以内に実行される作戦と、そしてその作戦に誘い込まれる形の陣営。

 

 両者がぶつかり合えば、人死にが生じるのは自明の理。

 

「……だが、もう一つある。試作機運用のためのコロニーならば、如何にブラフとは言え、それなりのものを用意しているはずだ」

 

 たとえ疑似餌であったとしても、何かしら掴めれば大きな成果となる。

 

 パイロットスーツに備え付けられた推進剤を噴かせつつ、近場の製造工場へと乗り込んでいた。

 

 眼前にあったのはライドマトリクサー専用コネクターである。

 

 片腕を翳し、何度か交錯の赤い光が明滅した後、目元を覆い隠している補助端末に偽装情報を走らせていた。 

 

 赤い残滓が線となって漂う。

 

 稼働した扉の向こうは完全な暗礁の闇に染まっている。

 

「……まったくの嘘と言うわけでもないはずだ。何かがある……その何かは……」

 

 しかし深く潜り込み過ぎれば危険なのは自明の理。

 

 ヘルメットの耳元を探り、通信を繋いでいた。

 

「こちらコード、マヌエル。コード、ロキへ。そちらの解析情報を乞う」

 

『“達す。こちらの走査の限りでは事前情報にあった新型機はその奥にある模様”』

 

「助かる。それにしても、嘘偽りにしては厳重な警備だ。ライドマトリクサー以外を拒む機構とは」

 

『“恐らくは我々の介入目的を察知しての警戒レベルなのだと思われる。重々承諾せよ”』

 

「分かっているさ。要はいつも通り、痕跡さえも残さなければいい」

 

 それにしても、と緑地から漂ってくる砂塵を見据えて、ふと呟いていた。

 

「……戦闘になれば、穏やかではなさそうだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出撃前のゲン担ぎだ、と言い出したのはサルトルであった。

 

「カトリナ女史。生きて帰って来いよ」

 

「当たり前じゃないですか。私は……これまでも……」

 

「だが無茶をするな。無理だと思ったら即時撤退するんだ」

 

「そんなの……私が作戦責任者なんですから――!」

 

 そこから先の言葉はサルトルの真剣な面持ちに遮られていた。

 

 彼は心の奥底から自分を心配してくれている。

 

 そんな相手に虚飾で振る舞うのは不義理だ。

 

「……私はそんなに……頼りないですか」

 

「前にばかり出る。もう期待の新人とは呼ぶまいが、それでも危ういのは変わらん。……あいつの影を、精一杯追いかけているのは分かる。だがな、お前さんはカトリナ・シンジョウであって、あいつではないんだ。なら、自分に出来る戦いをすべきだろう」

 

「……でも、ベアトリーチェは追い込まれていくばかりです。なら、私が示さなくってはいけないのは、せめて《オムニブス》でアルベルトさん達を支援する事くらい。……前回、《マギアハーモニクス》でマヌエルを使ったと聞いた時には、私……」

 

「あいつも無茶をやるようになった……ってのは前からか。三年前からお前さんとアルベルトは時が止まっちまってる。その時間を、埋めようにもオジサンはどうしようもない。若い連中に立ち止まれって言えるほど、偉くなったつもりもないんでね」

 

「……サルトルさんは正しいですよ。私は……おだてられているだけで……」

 

「それも実力のうちだ。カトリナ女史。何も浮ついた話なわけじゃない。本心から、生きて帰って来い。お前さんはおれからしてみれば孫みたいなもんだ。生きて帰って、その務めを果たすまで、絶対に死ぬな。それだけだ」

 

 整備班が次々と《オムニブス》から離れていく。

 

 カトリナは最後のサルトルの言葉に胸元に提げていた鍵を意識する。

 

「……孫……おじいちゃん……。私、何やってるんだろうね。おじいちゃんの言う、立派な人間って言うのに、成れているのかな。それともこれは……」

 

 これは間違いなのだと、正してくれる人間は誰も居ない。

 

 皆、居なくなってしまった。

 

 なら、暗礁の中を這い進むのは、自分の特権だ。

 

『《オムニブス》、カタパルトデッキに移行。発進どうぞ』

 

「……《オムニブス》。カトリナ・シンジョウ、先行します……!」

 

 リニアボルテージの電流を巻き上げて《オムニブス》が発艦する。

 

 今回のメイン任務であるコロニー、レイチェルへの潜入は既にパスコードを受け取っており、さほどリスクはないはずだ。

 

 MS用の運行扉へと《オムニブス》より伸長させたハッキングアームでパスコードを打ち込む。無重力の虜となった《オムニブス》は機体各所に備え付けられた火器の照準を同期した自分の視線で彷徨わせる。

 

「……ここから先は……出たとこ勝負……!」

 

 幸いにして人は居ない。

 

 コックピットハッチを開け放ち、カトリナはタラップを駆け上がっていた。

 

 グリップは生きているが待ち伏せされれば狙い撃ちにされてしまう。

 

 足で蹴りつけ、無重力地帯を漂う。

 

「それにしたって……警備もない? 少しずさんなくらい……」

 

 いや、今はそれさえも自分の進む糧とすべきだろう。

 

 カトリナはホルスターに留めておいた拳銃を意識する。

 

 トリガーに指をかけたところで、震えが生じていた。

 

「……また……っ。私は、また、こんなところで躊躇ってる場合じゃ……」

 

 深呼吸し、己を研ぎ澄ますも拳銃を握る手は想定外なほど冷たい。

 

 血潮など通ってはいないかのように。

 

 あるいは、これそのものを拒む自分の潜在意識か。

 

「……今さら殺意を拒んでいる場合じゃないでしょ、カトリナ……」

 

 道を折れたところでカトリナは監視カメラがこちらを見据えているのを発見した。

 

「一拍遅れた……!」

 

 慌てて監視カメラが発動する前に無力化の銃撃を見舞うが、それにしても奇妙だ。

 

「……すぐにタレットを起動させて、警戒レベルを引き上げてもいいはずなのに……。ここの警戒網は緩い……。まるで……潜り込んで来てくれと言っているようなもの……」

 

 だが自分の目的は潜入にある。

 

 相手の思惑は知らないが、その懐に入れるのならば最大限に利用させてもらう。

 

 隔壁を手持ちの爆薬で吹き飛ばし、カトリナは目的の階層にある格納デッキへと肉体を躍らせていた。

 

 カバーのかけられているのはロールアウト前の新型機か。

 

 その開発現場に辿り着いた、と意識の網を緩めた瞬間――不意に警戒色に周囲が染まる。

 

 けたたましいブザーが鳴り響く中で、カトリナは新型機を照準に捉えていたが、その時には相手が起き上がっていた。

 

 灰色の喪服を思わせる機体が挙動し、能面の頭部より赤い眼光を滾らせる。

 

「……あれは……騎屍兵……《ネクロレヴォル》? 誘われた……ッ!」

 

 そうだと気付いた時には既に遅い。

 

 格納デッキに収まっていたのは全て、新型機に偽装した《ネクロレヴォル》隊であった。

 

「……まさか、作戦が割れていた? それにしたって、待ち伏せなんて……!」

 

 自分一人では確実にここでの作戦実行には至らない。カトリナは直通回線を開いてアルベルト達に救援を要請するも、《ネクロレヴォル》の動きはあまりに迅速であった。

 

 まず、自分の想定していた帰投ルートを塞がれ、次いでこの深部まで潜って来た道筋をビームライフルで溶断される。

 

 これでは退路も進路も存在しない。

 

「網にかかったって? ……これじゃ……《オムニブス》!」

 

 アイドリングモードに設定しておいた《オムニブス》が隔壁を火器で破り、深部へと自分のシグナルを頼りに機動してくるが、パイロットの搭乗していない《オムニブス》など格好の的であろう。

 

 発振されたビームサーベルの残光が焼き付き、《オムニブス》を両断する。

 

 爆発の光輪が押し広がる中で、カトリナは脱出の手立てを探ろうとしていた。

 

「……今ので私が危機的状況下にあるのは伝わったはず……。でもどうやって? どうやって逃れれば……」

 

 否、と自身を奮い立てる。

 

 逃れるのではない。ここで《ネクロレヴォル》相手に立ち回って時間を稼ぎ、アルベルト達を間に合わせるのだ。

 

 カトリナの視野の中には格納デッキに収まっていた年代物の《エクエス》が入っていた。

 

 それに取り付き、コックピットハッチを無理やり開く。

 

「……よかった。一昔前の操縦席なら、思考拡張で操れる――」

 

 その安堵を胸に噛み締める前に《ネクロレヴォル》のビームライフルが周囲を火炎に押し包んでいく。

 

 灼熱地獄の中で、《エクエス》の起動パスコードを省略し、強制起動をかけていた。

 

「お願い……動いて……!」

 

 灰色の試験機カラーを施された《エクエス》の眼窩に光が灯り、カトリナは武器を探ろうとする。

 

「武装は……ヒートナイフ? たったこれだけ? ……でもやるしか……ないっ!」

 

 ビームサーベルを振りかぶって直上より迫ってきた《ネクロレヴォル》相手に、ヒートナイフを逆手に握り締め、干渉波が眼前でスパークする。

 

『そんな年代物の機体で、騎屍兵とやり合えると思ったのか』

 

 接触回線が響き渡り、カトリナは奥歯を噛み締める。

 

「……何で、騎屍兵に私達の作戦が……!」

 

『知る必要はない。ここで散れ、反抗勢力の頭目が』

 

 薙ぎ払われた勢いで《エクエス》はよろめき、そのまま工場地帯へとなだれ込む。

 

 カトリナはようやくおっとり刀で起動し始めた《エクエス》のモニター類を確かめつつ、操縦桿を強く握り締めていた。

 

「このままじゃ……私は……」

 

 アルベルト達が辿り着くまでに自分は死ぬであろう。

 

 ならば、せめて一発でもいい。相手へと反撃の糸口を――と感じて操縦桿を握り締めるが、ヒートナイフで攻勢に打って出る事はどうしても出来なかった。

 

「……何で……っ! 今さら人殺しが出来ないなんて虫がよ過ぎるでしょう……! カトリナ……!」

 

 だが反撃するような気概も湧かないまま、一機の《ネクロレヴォル》が肉薄するのを止められない。

 

 眼前にまで迫られた時には既に遅く、ようやく振るえたヒートナイフを袖口から溶断され、もう片方の腕に装備されていたワイヤーを牽制に見舞おうとするも全てが遠かった。

 

《ネクロレヴォル》の機動性が《エクエス》を突き飛ばし、カトリナは無様に転がっていた。鼻筋を切ったのか、血が滴ってくる。

 

 一気に濃くなってくる血の臭い、死の臭気――。

 

「……でもまだ……死ねない」

 

 そう、死なないのではなく死ねない。

 

 そう誓った人が居たから。

 

 そう言ってくれた人ともう一度、出会いたいと強く思えたから。

 

 自分は今日この日まで戦い抜いて来られた。

 

 どれだけ理想が遠くとも、どれだけ望むだけ自分の願いが消え入りそうになろうとも。

 

 それでも心の奥底にあったのは、ただもう一度、という純粋な祈りそのもの。

 

 片腕の《エクエス》で立ち上がり、カトリナはコックピットの中で雄叫びを上げて操縦桿に力を込めていた。

 

 右手の手の甲の赤い印が瞬く。

 

 思惟を受け取り、直進した《エクエス》が《ネクロレヴォル》に組み付こうとするも、その大雑把な機動は相手からしてみれば避けるまでもないらしい。

 

 単純な膂力で突き飛ばされ、ビームサーベルの熱波が《エクエス》の残っていた片腕も吹き飛ばす。

 

 ミラーヘッドも起動出来ないまま、自分は終わる。

 

 両腕を失った《エクエス》に出来る事などあるものか。

 

 それでもカトリナは折れない志を瞳に宿し、《エクエス》を《ネクロレヴォル》に対峙させていた。

 

『そろそろ諦めては? 反抗勢力の頭目のお方』

 

「……私は、諦められない……! だって、だってだって……! オムライスを作るって……約束したんだから――ッ!」

 

『意味不明な事を。トゥエルヴ、ここで倒します。いいですね?』

 

『構わん。レジスタンスの頭目なら少しは頭が回るかと思っていたが、ただの猪突猛進の愚昧らしい。死体でも少しは有用だ。コックピットは狙わずに無効化せよ』

 

『御意に』

 

《ネクロレヴォル》の眼窩に光が灯ったと思った直後には、これまでにない速度で回り込まれていた。

 

 まさか、今の今まで手加減されていたのか、と意識する前に、背後から蹴りつけられ、カトリナの乗る《エクエス》は砂塵を舞い上げながら工場地帯を滑る。

 

『レジスタンスの頭……一度顔を見ておこうかと思ったが、ここまで向こう見ずだとは思いも寄らない。コックピットは潰すなとのお達しだが、なに、不可抗力なら問題ないだろう』

 

 ビームサーベルが振るい上げられる。

 

 その粒子束の無慈悲さに、ああ、これが、とカトリナは横たわった《エクエス》の中で感じ取っていた。

 

 これが世界の無常さ。

 

 これが宇宙の冷たさ。

 

 これが――たった一人で死に行くと言う冷徹な答え。

 

「……でも、これが終わりなの……? 私の……運命の……」

 

 自分の運命が閉じる時は自分で決められるものだと思っていた。

 

 だと言うのに何だ、このざまは。

 

 単身乗り込んで味方の援護も得られないままに、何も出来ないまま死んでいく。

 

 こんな答えが、自分に与えられた終生の意味なのだとすれば――そんな運命は要らない。

 

 カトリナは右手に浮かんだ思考拡張の印がまだ赤く輝いているのを目にする。

 

「まだ……私は……死ねない。そう……死ねないんだ……!」

 

 操縦桿を握り締める。

 

 立ち向かう意志を伝導させた《エクエス》は、ミラーヘッドジェルを腹腔から噴き出させながらも立ち上がっていた。

 

『無様だ。倒れておけばいい』

 

「それは違う……」

 

 もう一方の手で鼻血を拭う。

 

 ボロボロになったパイロットスーツでは恐らく《ネクロレヴォル》とまともに打ち合えば一発で肉体が吹き飛ぶであろう。

 

 それでも――最後の最後まで運命に抗うだけの――叛逆の心を。

 

「私は……私は死にに来たんじゃない! これから先の運命を拓きに来たんだから……! 絶対に……幸せになるんだ……ッ!」

 

『頭が湧いているのか? そんなもの、真っ当な現実を前にすれば、塵芥であろうに』

 

 敵が大上段にビームサーベルを構え、必殺の太刀を見舞おうとする。

 

 武器はない。

 

 機動性も皆無。

 

 避けるなんて事は出来っこない。

 

 ――ならば、最後まで見据えろ。

 

 叫べ、決して立ち止まる事などなく進め。

 

 己を振り絞り、自我を噛み締め、絶望を押し込めて前へ前へと。

 

 それこそが自分に出来る唯一の叛逆。

 

 唯一の、世界の不条理に抗う牙なのだ。

 

 カトリナは吼え立て、《エクエス》の推進剤を目いっぱいに開いていた。

 

「ここから――ッ、居なくなれェ――ッ!」

 

 ノズルに詰まっていた異物を吐き出して、《エクエス》がその稼働限界を凌駕して《ネクロレヴォル》に見舞ったのは、精一杯の体当たり。

 

 だが、それでいい。

 

 その一発が決まれば、繋げられる。

 

 カトリナの思惟は《エクエス》の片脚に留まり、大地を踏み締め、袖口から切り裂かれた腕で《ネクロレヴォル》の振りかぶった腕を押し止めていた。

 

 そのまま《エクエス》の可動部が悲鳴を上げるほどの挙動を強いての、全身全霊の――大外刈り。

 

《ネクロレヴォル》が姿勢を崩し、《エクエス》に圧し掛かられる形で形勢が逆転していた。

 

『……まさか……MS戦で柔道技を決めただと……』

 

 敵の隊長機から漏れ聞こえた驚愕の声を意識する前に、カトリナは眼前の《ネクロレヴォル》の腕が頭部へと伸びたのを関知していた。

 

『……よくも。こけにしてくれたな……反抗勢力の羽虫が……ッ!』

 

《ネクロレヴォル》の掌に込められた粒子束がゼロ距離で爆ぜ、《エクエス》の頭部を貫いていた。

 

 機体が激震し、ビルへと背筋から突っ込んだのを感じ取る。

 

 アイリウムが機能を停止させ、思考拡張が薄れていた。

 

 中核となる頭部を失ったのだ。

 

 右手に輝いていた赤い灯火も消え失せようとしていく。

 

 ビームサーベルを携えた敵機はミラーヘッドの反応炉心から怨嗟の蒼い焔を上げていた。

 

 それはまさしく亡霊の怒り。

 

 悪鬼の形相に染まった《ネクロレヴォル》は今度こそ本気だ。

 

 本気で自分を消し飛ばすであろう。

 

 その前に、少しでいい。

 

 考える時間が欲しかった。

 

 自分の人生について。

 

 自分の生きてきた意味について。

 

 だが、それらを考えるにしては、時間は有限で、なおかつあまりに短い。

 

 せめて瞼を閉じたほうがいいか、なんていう余計な感傷が脳裏を掠めた刹那――カトリナはブロックノイズを生じさせる直上から舞い降りる機体を目の当たりにしていた。

 

 それは濃紺の色彩を誇る、異形の機体であった。

 

 敵の援軍か、と身構えたが、もうどうでもよかった。

 

 ここまでの抵抗で無意味ならば、最早死ぬだけだろう。

 

 だが最後の最後に、口から出た事実は――。

 

「……死ぬのは……やだなぁ……。お腹も、空いたし……」

 

『――ならば身構えろ。激震するぞ』

 



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第109話「開幕」

 

 その声に現実へと引き戻された瞬間、大地を踏み締め、異形の機体は自分と《ネクロレヴォル》の間に降り立っていた。

 

 敵の薙ぎ払おうとしたビームサーベルの動きを爪で引き裂く。

 

 何と、ビームサーベルの発振部のみを的確に引き裂き、その挙動を無効化したのだ。

 

「……な、に……?」

 

 腕を払ったままの濃紺の機体は獣のような前傾姿勢を取る異質さを誇っていた。

 

 包帯の如くケーブルが巻き付いており、背筋からは制御棒らしき背びれが聳えている。

 

 眼光はバイザーで覆い隠されており、その額には逆三角と「666」の獣の数字が配されているものの、《ネクロレヴォル》を射竦めるだけの気迫を持つ。

 

 対峙した《ネクロレヴォル》隊が一斉に色めき立ったのが窺えたが、それよりも遥かに素早く機動した獣のMSは眼前の《ネクロレヴォル》へと掴みかかり、片腕を引き千切らんと咆哮する。

 

『こいつ……! 何なんだ、機体照合……!』

 

 もがく《ネクロレヴォル》の片腕を獣のMSは根元から奪い去っていた。

 

 ミラーヘッドジェルの蒼い伝導液が血潮のように迸り、獣の相貌を染める。

 

 バイザーの奥に封じられた眼窩が赤い輝きを灯していた。

 

『……これは……! 嘘だろう、機体照合結果は……《レヴォル》……《ガンダムレヴォル》……』

 

「ガン、ダム……」

 

『大丈夫か。この機体では手加減は出来かねる。生きているのならば返答しろ』

 

 自分へと繋がれた直通回線に、カトリナは慌てて応じようとして、ハッとしていた。

 

「……その声は……」

 

『生きているようだな。《エクエス》は頭を失っている。アイリウムによる逃亡は期待出来ないのならば、そいつを捨てて逃げろ。――《レヴォル疑似封式第六形態》。エージェント、クラード……ゲインを限界までぶち上げろ。敵を殲滅する……!』

 

 挙動した重々しい名を持つ獣の機体――《疑似封式レヴォル》が躍り上がり、MSとは思えない速度で敵へと爪を軋らせる。

 

 その一閃を凌いだのは《ネクロレヴォル》隊の中でも半数ほどで、発振させようとしたビームサーベルの刃を発動前に無効化されていた。

 

『まさか……《レヴォルテストタイプ》か? それは廃棄されたナンバーのはず……!』

 

『貴様らが廃棄したと言うこいつが、騎屍兵身分を殺すのにはちょうどいい。纏めてかかって来い。そのほうが遺恨がなくって済む』

 

《疑似封式レヴォル》は獣の機動性で敵のビームライフルの光条を掻い潜り、そのまま一機の《ネクロレヴォル》へと迫っていた。

 

『ファイブ! ミラーヘッドを発動させろ! やられるぞ!』

 

 咄嗟に反応したのだろう。

 

《疑似封式レヴォル》の爪は敵の本体を捉えず、発現せしめたミラーヘッドの蒼い分身体に突き刺さっていた。

 

 それでも殺意を留まらせていない《疑似封式レヴォル》の手刀は分身体の眼窩を引き裂く。

 

 本体が僅かにたたらを踏んだのを逃さず、《疑似封式レヴォル》は駆け抜けるが、その直前には別方向から咲いた光線をかわしていた。

 

 機体に無理やり備え付けた反動推進バーニアで、針路を阻んだビームライフルの一撃を回避すると言う無茶苦茶な方法で。

 

『こいつ……! トゥエルヴ、こいつは私がやります……! どれだけ機体の制御リミッターを外しているとは言え、開発途上のテストタイプ! 何よりも……! 一撃目で上回られた雪辱、晴らさずおくべきか!』

 

『……《エクエス》のパイロット。早く逃走経路を取れ。俺はこいつらを倒してから向かう』

 

「……何で……。何で、生き、て……いたんですか……。クラードさん……?」

 

『……その声。まさか、カトリナ・シンジョウか……』

 

 その一瞬の隙を《ネクロレヴォル》は見逃さない。

 

 躍り上がった機体が手刀を携え、《疑似封式レヴォル》の頭部バイザーを引き裂く。

 

 掌の粒子束を纏わせたその一撃は逆三角の紋様を一文字に溶かしていた。

 

 その奥より覗くのは《レヴォル》のデュアルアイセンサーである。

 

『カトリナ・シンジョウ。何故ここに来ているのかは問わない。だが、早く逃げろ。そうでなければ喰われるぞ』

 

「で、も……クラードさんが……何でここへ……」

 

『今は問わないと言った。退け……!』

 

『余所見なんて! 騎屍兵を嘗めるな!』

 

《ネクロレヴォル》ともつれ合う《疑似封式レヴォル》からカトリナは視線を外せなくなっていた。

 

 獣の雄叫びを上げながら、《疑似封式レヴォル》がその爪に熱を宿らせて《ネクロレヴォル》の首筋を掻っ切る。

 

 伝導液が蒸発し、互いに後退したが、さすがに時間が経っていたせいか、騎屍兵は冷静な頭を取り戻しているようであった。

 

 四方八方からビームライフルの光軸が奔り、《疑似封式レヴォル》の脚を射抜く。

 

『留めろ! 相手はテストタイプとは言え、《レヴォル》を使っている! 我々が叩かなければ、これは世界への禍根となろう……!』

 

 他の機体も一斉に《疑似封式レヴォル》へと飛びかかっていく。

 

 全てがスローに見える中で、《疑似封式レヴォル》は脚部に備え付けられた装甲板を自ら引き剥がしていた。

 

『装甲を自分で引っぺがすだと……!』

 

 ほとんど内部の骨身が残るだけとなった《疑似封式レヴォル》が包囲していた《ネクロレヴォル》の刃を掻い潜り、そのまま爪を地面に突き立てて脚部を躍らせる。

 

 浴びせ蹴りが《ネクロレヴォル》の頭部を打ち据えていた。

 

『まさか……! こんなもの、MSの挙動ではない……!』

 

『ああ、だが実際にそうなのだろう。……これがリミッターを外した《レヴォル》の真の力を行使する者……コード、マヌエルの使い手か……!』

 

《疑似封式レヴォル》が地面に爪を立てたまま後ずさる。

 

《ネクロレヴォル》隊が次こそは、とビームサーベルをめいめいに構えようとして、直上から光芒が降り注いでいた。

 

「……第三小隊の……! アルベルトさん……!」

 

《マギアハーモニクス》が率いる第三小隊がビームライフルを構えて《ネクロレヴォル》隊を翻弄する。

 

 その動きは意想外であったのだろう。

 

《ネクロレヴォル》隊は後退し、指示を仰いでいるようであった。

 

『……どうしますか。殲滅目標が増えましたが……』

 

『どうもこうもない。……我々の目的はここにやってくるネズミの駆逐であった。だがよもや《レヴォル》とはな。一時撤退、体勢を立て直す。現状ではエンデュランス・フラクタルのエージェント機に対し、待ち伏せ以上の戦力は割かれていない』

 

『……了解』

 

《ネクロレヴォル》隊がコロニー、レイチェルより撤退していく。

 

 その機動を目の当たりにしながら、カトリナは佇む《疑似封式レヴォル》へと視線を移していた。

 

「……私を、助けてくれた……?」

 

『カトリナさん! こいつぁ……!』

 

『アルベルトか、その声……』

 

 応じた音声にアルベルトが驚愕の声を上げる。

 

『……嘘、だろ……。クラード……なのか?』

 

 自分の搭乗する《エクエス》をユキノ達の機体が補助して立ち上げた時には、《疑似封式レヴォル》の頭蓋が開き、漆黒の秘匿パイロットスーツを身に纏った人影が風圧に揺れていた。

 

『お前……何で……ッ!』

 

「今は問わないほうがいい。敵も艦艇を隠し持っている。コロニー、レイチェルに砲撃が来る。それまでに離れておくのが賢明だ」

 

 そのどこか突き放すような物言いも、そして背格好もまさしく、あの時失ったクラードそのもので自分だけではなくアルベルト達も困惑しているようであった。

 

『……お前も逃げるぞ! クラード!』

 

「……俺はまだ任務が……」

 

『硬い事言ってんな! 今は逃げるんだろうが!』

 

 アルベルトの《マギアハーモニクス》が《疑似封式レヴォル》を牽引し、カトリナはユキノの《マギア》に同乗してコロニーを離脱していた。

 

 直後、コロニー外壁に大穴を開けたのは極大化された光軸である。

 

「……敵の艦の、砲撃命令……。でもクラードさんは、どうしてそれを……その機体は……」

 

 カトリナは先ほどまでの極度の緊張の糸が切れ、泥のような眠りが意識を閉ざしていくのを感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アラクネによる砲撃措置を完遂。コロニー、レイチェルのシャフトを粉砕しました。ですが、恐らくは……』

 

『生きている、か。それも厄介なものだ。どの陣営なのかは分からないが、待ち伏せ作戦を知られていたとなれば、情報網に亀裂が生じる』

 

 澱みないトゥエルヴの声音を聞きつつ、ファイブは震え始めた指先を感じ取っていた。

 

「……嘘だろう、生きていたなんて……。あの戦い方、それに声は、間違いない。――エージェント、クラード……」

 

『ファイブ、大丈夫か? 精神面でのグラフに乱れが生じている。何か、あのテスト機に思うところでも』

 

 こちらを気にかけたイレブンの論調にファイブは、いや、とヘルメットの気密を確かめてからバイザーを上げていた。

 

 ――友軍同士でも騎屍兵は基本的に素顔を見せない。

 

 だから、今こうしてコックピットの中で顔を露見させたのはイレブンを信用しているからであった。

 

『……お前らしくもない。我々は騎屍兵だろう?』

 

「ああ、そうだな。おれ……いや、私らしくない……。だが、振り切ったはずの因縁がまた舞い戻って来たんだ。それに動揺しないほど、人でなしを演じ切れやしないのもある……」

 

 テーブルモニターに反射する自分の顔はゴーストの異名を取る騎屍兵、ファイブとしての相貌ではなく、過去の因果に雁字搦めにされた一人の男――トキサダ・イマイの迷いの胸中を映し出していた。

 

「……今度は敵となるのか。《ガンダムレヴォル》……」

 

『ファイブ、少し気を滅入らせ過ぎだ。何も迷う事はない。敵は見えた、それでいいじゃないか』

 

 イレブンの気心の知れた論調も今はありがたい。

 

 自分は、もう過去に縛られたまま生きるわけにはいかないのだ。

 

「……ああ、私は騎屍兵として……ゴースト、ファイブとして敵兵を殲滅する。たとえそれが何者であろうともな。エージェント、クラード。お前とやり合えるなんて、人生一度死ななくては分からない事もあるものだ」

 

 だからこそ、決意出来る。

 

 過去は清算すべき。

 

 甘さは捨てるべきであろう。

 

 よって、自分はもう「トキサダ・イマイ」には戻れない。

 

 ヘルメットを被り直した時には、もう「ファイブ」としての兵士の視座に立っていた。

 

 



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第110話「世界に叛逆す」

 

「こっちだ! こっち! ……マニュアルの存在しない機体だぞ、丁寧に扱え!」

 

 サルトルの声を他所に聞きつつ、周囲を見渡す。

 

《マギアハーモニクス》より降り立ったパイロットスーツの影がヘルメットの気密を確かめてからバイザーを上げていた。

 

「……三年振りだな、クラード」

 

「アルベルト、生きていたのか」

 

「……その台詞、オレらの側のもんだろ。お前こそよく……あの月面決戦で、生き残ったな」

 

「ああ、だが全てを失った」

 

 アルベルトは顎をしゃくり、自分の乗機を目にする。

 

「……それも、《レヴォル》じゃねぇのか?」

 

「あれはテスト機だ。アイリウムを搭載していない。《レヴォル疑似封式第六形態》――全ての権限を奪われ、ミラーヘッドすら遂行出来ない代物だ。恐らく俺以外では扱えないだろう」

 

「《疑似封式レヴォル》、か。……まったく、お前はいつも、オレを驚かせるな。……変わんねぇ、あの時のまんまだ、クラード」

 

「……そうか。俺は変わらないか」

 

「おう。背丈も変わんねぇのは、それはやっぱし……」

 

「ああ。俺は三年前よりも色濃いライドマトリクサー施術に身をやつしている。全身の七割がRMだ」

 

「……そう、か。お前も変わろうと、努力をしたんだな」

 

「そういうアルベルトこそ、その入れ墨、伊達じゃなくなったみたいだな」

 

 アルベルトは少し寂しそうに自身の手を裏返す。

 

 その腕に宿ったモールド痕はかつてのようなただの意匠ではなく、実戦で扱うための兵装となっているのが窺えた。

 

「伊達や酔狂をかましていられるほど、世界は甘くねぇってだけの話だろうさ。……クラード、ハッキリ問うぜ。お前はオレ達の仲間か? それとも敵か?」

 

 アルベルトは銃口を自分へと突きつける。その眼差しに迷いはない。

 

「……らしくなったじゃないか、アルベルト。俺相手に敵味方を問えるようになるなんて」

 

「……これでもエンデュランス・フラクタルの一級エージェントだ。ここで是非を問いかけておかないと禍根になるくらいは分かる」

 

「そうか。……俺は、ずっと追い続けている。この世界の答えを。そして、引き離された自らの半身を」

 

「《オリジナルレヴォル》、って奴か」

 

「《レヴォル》を取り戻す。俺の目的はひとまずそれに集約されるだろう。今回、コロニー、レイチェルに潜入したのは新型機の被験情報の中に《レヴォル》が入っている可能性があったからだ。俺はどうしても……もう一度問わなければいけない。何故あの時、《レヴォル》は俺を生かしたのか。その理由を」

 

「《レヴォル》の行方、か。オレ達も目下のところ探しているが、それでも行方不明だったから、お前と《レヴォル》は敵にやられたんだと思っていたところだよ」

 

「情報が欲しい。少しでも《レヴォル》に肉薄出来るような、情報が」

 

「そのためには立ち位置にこだわっているような暇はねぇ、か」

 

「ああ。俺は、《レヴォル》を取り戻すためなら何だってやる」

 

 アルベルトの眼差しから視線を外さずに応じてみせたクラードは、彼が嘆息をついた事で、銃口は降ろされていた。

 

「……思うところは同じ、と考えていいんだろうな。クラード、オレ達も探して回っている。この世界の答えを。あの時……来英歴を壊すだけの因子を、お前は手に入れたはずだ。それさえあれば、扉の向こうへとオレ達は出向かなくっちゃいけない」

 

「……ダレトの向こう側、か」

 

 だがそれは誰も観測し得ない事象だ。

 

 この三年間の技術の積み重ねでさえも、ダレトの叡智を完全に探るのには足りなかった。

 

 恐らくは現行人類には不可能なのか。それとも、鍵が揃っていないのか。

 

「クラードさん!」

 

 タラップの向こうから自分を呼ぶ声が聞こえてくる。

 

 視線を振り向けると、点滴を打っているカトリナが自分を視野に入れるなり、無重力に漂っていた。

 

 その後ろからはヴィルヘルムが続く。

 

「……わ、っとと……」

 

 着地し損ねてよろめいたカトリナの体重を、クラードはその手で受け止めていた。

 

「……何やってんの」

 

「……クラードさん、その……えっと……背丈、変わらないんですね」

 

「第一声がそれか」

 

「だ、だってぇー……生きているなんて、思わなかったんですから……」

 

 目じりに涙を浮かべたカトリナはそれを見せないように顔を拭う。

 

「……あんたも大変だったみたいだな。あんな前線に赴くなんて。レミアは? 他の連中はどうなった?」

 

 その問いかけにカトリナとアルベルトは苦渋の面持ちを浮かべる。

 

「まずはクラード、帰還を祝いたい」

 

「ヴィルヘルム……何があった? どうしてレミアが居ない?」

 

「……クラード。あの月軌道におけるMF、《シクススプロキオン》討伐戦において、ベアトリーチェクルーは再編成され、一部のクルーは別組織へと降った。そのうち数名が、フロイト艦長やバーミット君だ」

 

「……そうか。民間組織に?」

 

「いいや。レミア・フロイトが現在属するのは軍警察、トライアウトネメシス。彼女は我々の敵となった」

 

 意外であったわけでも、ましてや想定外であったわけでもない。

 

 ただ三年間の月日は冷酷である事の、証明になっただけだ。

 

「……分かった。なら、俺はやらなければいけない。あの日失った全てを、取り戻す。それは《レヴォル》だけじゃない。ベアトリーチェのメンバーも入っている」

 

「で、でもクラードさん。レミア艦長は自らの意思で、トライアウトに……」

 

「関係がないだろう。俺は自らの運命への叛逆を行うだけだ。その中に、レミアは居てもらわないと困る。だから、取り戻す、何もかもを」

 

「それはトライアウトネメシス……現状の軍警察への攻撃だと、思っていいのか」

 

「ああ。《疑似封式レヴォル》とベアトリーチェによるトライアウトネメシスへの強襲――レミアの操る部隊と戦い、失ったものを奪還する」

 

「トライアウトネメシスへの……攻撃作戦……」

 

 呆然とするカトリナへと、クラードは言いやる。

 

「ぼさっとしている暇、ないよ。今のベアトリーチェの指揮権はあんたにある。なら、俺はあんたに従う。カトリナ・シンジョウ。あんたが無理だと言えば、俺は自分一人だけでもトライアウトネメシスに仕掛ける。それでいいのなら」

 

「私に、従う……」

 

「委任担当官なんだろう、あんたは」

 

 その言葉にカトリナは感極まったかのように一度面を伏せた後、ぐっと奥歯を噛み締めて涙の粒を払っていた。

 

「……はいっ! 私は委任担当官、カトリナ・シンジョウ。クラードさん、あなたとの職務はまだ、終わっていませんからっ……!」

 

「……ようやく笑ったな」

 

 ヴィルヘルムの言葉に三年間の月日の重さを感じつつも、クラードは暗礁の宇宙を見据える。

 

「……行くぞ。俺達の失ったものを、奪還する――叛逆の時だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――艦長。非常招集ですよ。いいんですか、寝ていて」

 

 艦長室に入ってきたダイキに、レミアはアイマスクを上げていた。

 

「……何、非常招集なんて珍しい……」

 

「寝ぼけているだけじゃなくってお酒も、ですか。……この間中佐殿に業務中の飲酒はご法度だって言われたばっかりでしょう」

 

「うるさいわねぇ……飲まないとやってられないのよ。頭がずきずきするから大声出さないで」

 

「非常招集、聞かないととんでもないですよ」

 

「……私抜きでも、成り立つでしょうに」

 

「それが、ブリギットの艦長であるフロイト艦長には出席してもらわないと困るんです」

 

 レミアはようやく重たい身体を起こす気になってリクライニングさせていた椅子から離れる。

 

「……何だって言うのよ。私達の仕事なんて、どうせ後始末でしょう」

 

「それが前線に赴いていた騎屍兵野郎共からの伝令です。戦場に、亡霊が迷い込んだ、との」

 

「……亡霊ぃ……? 何を言っているの。騎屍兵こそが亡霊みたいなものでしょうに」

 

「相手がガンダムだって言うんですから、それが驚きなんです」

 

 ダイキの放った言葉に、レミアは立ち止まっていた。

 

「……ガンダム……? まさか、そんな……」

 

 軍警察でその渾名が用いられる時は限られている。

 

 忌むべき火薬庫(ガンルーム・ダムド)――ガンダム。

 

 その名称の赴く先は一つしかない。

 

 戦慄くレミアはつい一時間前にもたらされた伝令を端末に受け取っていた。

 

『レミア・フロイト少佐。ブリギット艦長として招集命令を受けて貰いたい。コロニー、レイチェルにて、騎屍兵部隊が名称、ガンダムと遭遇。敵の動きと攻勢から、エンデュランス・フラクタルのレジスタンス兵との接触も考えられる。有事の際に備えよ』

 

「……との事です。艦長、ガンダムって言えば、あいつ……あの白い奴だって言うんですか?」

 

 ダイキは三年前の月軌道決戦において自分達と対峙した立場だ。

 

 無論、その時に《ガンダムレヴォル》を戦場で見ている可能性もある。

 

 しかし、それにしても三年も経ってから、まさか《レヴォル》と行き遭うとは思いも寄らない。

 

「……これも私の……保留にしてきた全ての清算のツケを、払わされる事になるのかしらね」

 

「レミア艦長にクラビア中尉も! すぐにブリギット管制室に来いとのお達しよ」

 

 軍警察の制服に身を包んだ人影にダイキが挙手敬礼する。

 

「サワシロ大尉殿! 今向かいます」

 

「……それ、やめてよね。あたしの事はバーミットでいいって言ったでしょ。下手に格式ばったのはなしだって。……レミア艦長、ブリギットの出撃命令がすぐにでも降ります。……覚悟は、早いうちに決めてください」

 

 ああ、そうか。自分はもう……。

 

「……撃たなければ、いけない立場なのよね。私は、こんなにも……」

 

「クラビア中尉、中佐殿が呼んでいるわ。先にそちらへと向かってちょうだい」

 

「了解です! サワシロ大尉!」

 

「……だから、やめろって言っているでしょ、それ」

 

 ダイキの背中が見えなくなってから、バーミットは自分の肩を揺する。

 

「……レミア・フロイト少佐。軍警察、トライアウトネメシスの士官として、あたし達に命令を。それが今の、あなたの仕事でしょう」

 

「私の……仕事……。クラードを撃つのが、私の……」

 

 震え出す指先をバーミットは強く握り締めていた。

 

「艦が沈んでからじゃ遅いんですよ。レミア・フロイト。あなたにはトライアウトネメシス所属艦、ブリギットの艦長としての責務がある。……だから今は、弱音なんて吐かないでください」

 

「……そう、ね。もう私は……クラードに、夢を見せてもらう側の女じゃ、なくなってしまったのね」

 

「頼みますよ。ブリギットのクルーはあなたを信じているんですから。もしもの時に、女に戻らないでくださいね」

 

 そう言い置いてバーミットは立ち去っていく。

 

 その背中へと、最後の抗弁を放っていた。

 

「……でも信じたいじゃない。クラードが生きていた、なんて夢を……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エンデュランス・フラクタルのレジスタンス艦、ベアトリーチェへの不自然な物資のランデブーを観測した。これは恐らく、近いうちに何らかの交戦意図があると我が方は判定する」

 

 上官の執務室に招かれた上に、思いも寄らぬ吉報とはこの事か、と身を強張らせていた。

 

「……それは確かな情報筋で?」

 

「ああ、これより我々、王族特務親衛隊は、第三次警戒態勢に移る。君の出番もあるやもしれない。出撃出来るように準備をしたまえ」

 

「騎屍兵部隊が居るでしょう。彼らの領分では?」

 

「《ネクロレヴォル》を操る亡者達の一波を掻い潜ったんだ。これまでのエンデュランス・フラクタルの動きとは一線を画する。それに未登録の情報だが、――ガンダムと会敵した、との動きもある」

 

 血液が沸騰する。

 

 喜びが、全身の神経系統を駆け巡る。

 

「《ネクロレヴォル》と対峙するだけのガンダム……。現時点での脅威対象に挙げるのには充分、ですか」

 

「騎屍兵連中に後れを取るわけにはいかない。彼らは死者だが、我々は生者として、親衛隊の力を誇示する必要性がある。君の機体を充てる準備をしておくのも、何も無駄な動きとはならないはずだ」

 

「無論です。私はそのためにここに居るのですから」

 

「……先に言っておくが、我が方からは君以外の戦力は出せない。先行きの不安な戦場となるだろうが……」

 

「構いません。私は兵士です。ならば、兵士の職務を全うしましょう」

 

「……では、頼む。王族親衛隊所属、ヴィクトゥス・レイジ特務大尉。君の力を見せてもらう」

 

「承知」

 

 挙手敬礼を返答としてから、踵を返した人影は仮面を纏っていた。

 

 死に装束の白を翻し、蒼い色彩を誇る双眸を投げる。

 

「……しかして、君のほうから私にアピールしてくれるとはね。運命はこちらの風向きなのだと、教えてくれるのは嬉しいよ、クラード君。晴れて私も一張羅で踊れそうだ」

 

「ヴィクトゥス様。厳命を」

 

 格納デッキに収まっているのは、漆黒の色彩を投光器の光に反射させる機体であった。

 

 頭を垂れている部下達の間を歩み、ヴィクトゥスと呼ばれた男は静かに告げる。

 

 それは、物語の始まりのように。

 

 あるいは、途切れていた幕が上がるかのように。

 

「カーテンコールの時が来た。さぁ、幕開けと行こうか。今度は私と死合ってもらおう。それこそ、どちらかの命が尽き果てるまでね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライヴでの一曲を終えて、アンコールの熱も冷めやらぬうちに舞台袖でその一報を聞いていた。

 

「……そっか。エンデュランス・フラクタルの艦が動いた」

 

『ええ。メイア、私達も動き出さなければいけない。世界の意志を伝えるために』

 

「それも、ボクらの役割かぁ。……何だか憂鬱だな。この三年間、アーティスト活動に専念出来たって言うのに。ムーンライヴもどうなるのか分かんないし」

 

 嘆息をついたメイアは、投射画面の向こう側のマーシュが静かな決意を浮かべたのを感じ取っていた。

 

『マグナマトリクス社は本気よ。既に七番目の意志とは接触を図っている。我々が動き出すのも上層部は察知しているでしょう。その読みの前に、私達で運命を変える』

 

「運命を変える、ね。言うは易しだけれど、それって結構難しそう。……とは言え、楽しみだよ。もう一度彼と会えるんだ。なら、間違いを正した後に、どんな答えを示してくれるのか……見ものだね」

 

 自身のギターを撫で、メイアは赤いメッシュの入った髪を揺らして再びライヴステージへと舞い戻っていた。

 

「さぁ! 最後の曲、行ってみよぉーか! 世界を揺さぶるナンバーを!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通信を閉ざしたマーシュは嘆息をついて、秘匿回線へと繋いでいた。

 

「……私達は世界を変えた罪の清算を求められているのかもしれない。ならば、七番目の使者たる聖獣まで導くのは、私達の職務でしょう。――ねぇ、世界を暴く獣――《ダーレッドガンダム》。その瞳は何を見るのかしら?」

 

 秘匿された回線の向こう側で、デュアルアイを誇る白亜の機体が、胎動の時を待ちわびているようであった。

 

 

 

 

 

 

第十一章 「叛逆の夜明け〈ブレイキング・ダウン・レヴォル〉」 了

 



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第十二章「引き金は、己の運命に携えて〈トリガー・オブ・メサイア〉」
第111話「変えるべき者達へ」


 

 それはマグナマトリクス社としては看過出来ない、というのが大筋の意見であった。

 

「ですが、メイアはよくやってくれています。彼女の諜報活動のお陰で、私達はレヴォル・インターセプト・リーディングの謎を知り、そして叡智に辿り着いた。その果てが今日における《ネクロレヴォル》隊――通称、騎屍兵による新たなる統制のステージでしょう」

 

「君の言い分も分かるがね、マーシュ艦長。メイア・メイリスを始めとするギルティジェニュエンの活動はクロックワークス社の持ち得る量子コンピュータ第十七号を解析まで漕ぎ着け、ミラーヘッドの向こう側である場所まで到達出来た。それは彼女らの功績であろう」

 

「しかし、我々として見ればメイアはレヴォルの意志とやらに選ばれた存在。下手に遊ばせておく余裕はない。彼女には、この世界に落ちて来た新たなる聖獣である、《セブンスベテルギウス》との接触を行ってもらう」

 

 マーシュは上層部の決定に異議を唱えていた。

 

「……それは彼女を実験動物にするのと何が違うと言うのです」

 

「口を慎みたまえ。ラムダの艦長職を与えているのは何も伊達や酔狂ではない。君ならばメイアを制する事が出来ると判定しての采配だ」

 

「しかし……メイア達は自由です。それを縛る事なんて……私には出来ない……」

 

「情でも移ったか、マーシュ艦長。メイア・メイリスもある意味では特別なのだという事を忘れるな。三年前の時点で、彼女は世界を暴く術を持ち合わせていた。それを上手く制して転がせと言う命令には従えたはずだ。なのに、どうして今は駄目なのかね」

 

「……ギルティジェニュエンの活動は軌道に乗っています。こんな時に、ボーカルであるメイアを除きたくない」

 

「隠れ蓑のアーティスト活動に熱が入るのも頷けるが、君をその地位に抜擢したのは何も趣味に走れと言う理由ではない」

 

「うつつを抜かすのも大概にしたまえ。メイア・メイリスのテストパイロットへの擁立と、そして《セブンスベテルギウス》との同調……どれもこれも急務である」

 

 神経質な上官達は結論を急いでいる。マーシュは今すぐには決定出来ないように引き延ばしていた。

 

「……メイアの意見もあります。それにメンバーの軋轢も生みかねません」

 

「その事なのだがね。もう、いいのではないか? 隠れ蓑のアーティスト活動は」

 

「……何を……仰る……」

 

「そうだろう? 諜報活動員として彼女らは充分に働いている。もう表と裏の顔を使い分けさせるのも無駄と言うものだ。彼女らには裏に徹してもらう」

 

「……それは……! ギルティジェニュエンの解散……という意見だと、思ってよろしいのでしょうか……」

 

 思わず立ち上がったマーシュに上官達は冷ややかな侮蔑を浮かべていた。

 

「……何だ、まさか遊びのほうに真剣になっていたのではあるまいな? メイア・メイリスを含め、ギルティジェニュエンのメンバー全員が我が社のエージェントだ。彼女らは重大な秘匿義務を持っており、それは我が社の財産だと言い換えてもいい」

 

「彼女らは物ではございません……!」

 

「いつになく熱くなる。マーシュ艦長。ラムダを任せているのはこのような時のためであろう。あの艦が他の第三者勢力に見つかりでもすれば大スキャンダルだ。我が方への糾弾は免れまい」

 

「その時のために、君達に潜入任務を命じて来た。全ては七番目の聖獣を我が社で囲い込むため。そして、鎧の中に魂が今まさに宿ろうとしている。これには苦労したとも」

 

「……言っておきますが、素質のない者には動かせないように出来ているはずです。扉を開く機体――《ダーレッドガンダム》は」

 

「ゆえにこそ、メイアは手元に置いておけ。今さら逃げ隠れするほど愚かでもないだろうが、手綱は握っておいたほうがいい」

 

「《ダーレッドガンダム》の開発を任せられたのも我が社の貢献度が大きいためだ。それを重々理解するのだな」

 

「……それは……その通りでしょうが……」

 

「《オリジナルレヴォル》への謁見許可も下りる事だろう。我が社は扉の向こうへと手を伸ばす権利を先んじて得られている。君には期待しているとも。その時に勝利者をマグナマトリクス社に導くのだから」

 

 それは、メイアのためにこれまで足掻いて来た証だ。

 

 断じて会議室に居るような人間達のために秘密行動を取ってきたわけではない。

 

 しかし、ここで抗弁を発したところで、仕方がない事は明白。

 

 マーシュは椅子に座り込み、上層部の意見を呑んでいた。

 

「……了解しました。メイアには近いうちに言っておきます。他のメンバーにも……」

 

「もう少女の揺籃の時は終わったのだ。彼女らには現実を生きてもらわなければ困る」

 

「……そろそろメイア達が戻ってきますので、失礼します」

 

 席を立とうとした自分に、上官は言葉を投げていた。

 

「扉が開くまでの辛酸を嘗めた月日がようやく報われるのだ。マーシュ艦長、妙な気は起こさない事だな」

 

「妙? ……いいえ、私はマグナマトリクス社の構成員です。末端の人間でしかないのに、何が出来ると言うのです」

 

「それで構わない。君は引き続き、メイア・メイリスを含む諜報員達の管理に当たってくれ」

 

 会議室を出ると、あまりに馬鹿馬鹿しくなってマーシュは額を押さえていた。

 

 自分の行動も、メイア達のこれまでも、全ては彼らのように利権を貪る魑魅魍魎達のためにあった、と真正面から言われてしまえば立つ瀬もない。

 

「……私は、何が出来たのかしらね、メイア……」

 

 しかし、現状を打破する事は不可能ではなかった。

 

 マーシュは格納ブロックへと足を運ぶ。

 

 マグナマトリクス社の擁する機密の一つである、光学迷彩搭載型のMS、《カンパニュラ》。それらが量産体制に移って久しい。

 

「……三年前にはワンオフだった世界を欺く機体も、今や影もなし、か……」

 

 だが、それは戦争の技術の発展を示す。光学迷彩も、クロックワークス社を欺くミラーヘッドも、どれもこれも確立された技術転用だ。

 

《レヴォル》にあの時出会い、そして自分達の運命は大きく変わった。

 

 メイア自身のこれからも、恐らくは変動し続ける事だろう。

 

 マーシュは格納ブロックをうろついていると、ふと整備士達と目が合っていた。

 

 しかし彼らは積極的に話題を振ってくる事はない。

 

 ある意味ではマシーンめいた職務をこなすだけの彼らの行いはしかし、ただ冷徹なわけでもない。

 

 それは彼らが一様にイヤホンから流れ出るリズムに身を任せ、各々の世界に浸っている事からしてみても明らかだろう。

 

 彼らは皆、ラムダの整備士であるのと同時に、ギルティジェニュエンのファンである「罪付き」なのだ。

 

 ふと、整備班長と話している話好きの有機伝導技師から話題を振られる。

 

「マーシュ艦長! 次のラムダの出港予定はいつになりそうです?」

 

「それは……ちょっと分からなさそうなの。あなた達にはいつでも《カンパニュラ》を出せるようにしておけなんて無理難題を吹っかけておいてだけれど……」

 

「なに、何て事はないですよ。《カンパニュラ》は現状、ミラーヘッドを使ったってクロックワークス社には察知されない、夢の技術が詰まっているんですから」

 

 その夢とやらは自分達とは程遠くない陣営が、今日も地球圏を「統制」の名の下に虐殺を行っている事実の肯定に違いないのに。

 

 それを言い出せないのは純粋な狡さであった。

 

「……夢の技術、か。レヴォル・インターセプト・リーディングはそれほどまでに?」

 

「まさに画期的ですよ。技術班にしてみれば、クロックワークス社のミラーヘッドオーダーと言う枷、そして上位オーダーに下位オーダーは掻き消されると言う戦場のルールを塗り替えた! 世界の常識を変えたんです!」

 

 少しばかり興奮気味に語る有機伝導技師はまだ年若い。

 

 きっとミラーヘッドが実装されてからの戦場しか知らない年代であろう。

 

 歴史の分岐点に居る事が誇らしいのだと思う。

 

「おい、あんまり艦長を困らせるな。《カンパニュラ》はいつでも出せます。それにしたって、分からんもんです。レヴォル・インターセプト・リーディング。この技術だけで秘匿任務の成功率は跳ね上がった」

 

 整備班長の言葉にマーシュは頬杖を突いて整備されていく《カンパニュラ》を眺める。

 

「……元々、隠密に特化した機体であった《カンパニュラ》は、レヴォルの意志によってログにさえ残らない……まさに亡霊としての強みを手に入れた」

 

「これは躍進ですよ。我々からしてみれば、完全なるステルス機の完成も遠からずしてあるでしょう」

 

「整備班長、ステルス機って都市伝説なんじゃ? そんなもの、来英歴に入ってからは存在し得ないものでしょう?」

 

 先ほどの若い技師の声に、整備班長は首根っこを押さえ込んでスキンシップする。

 

「何の、この野郎! 知った風な口を利きやがってまったく……。年若いもんはこれだからいけませんな、艦長。我々先人の積み重ねてきた苦労を知らんのです」

 

「え……あ、ああ、そうね……」

 

「何やら懸念ですか。それとも、上役と上手くいっていませんか?」

 

「……あなた達に聞かせるようなご大層な話じゃないわ。単純に、私はいつの間にか、メイア達に肩入れし過ぎていたっていう……愚かさだもの」

 

「マーシュ艦長はメイアさん達のマネージャーも兼任されていますもんね。いやぁ、すごいっすよ! ギルティジェニュエン! 何て言うんですか、ライヴとかの一体感! あれ、学生時代ヘビロテでしたよ! やっぱ一流は違うなぁ、って! “罪付き”やってて報われるって言うんですか」

 

「メイアさんの歌も進化し続けているからな。それでも俺はやっぱデビュー曲の初々しさが好きかなぁ」

 

「いやいや、整備班長! そこは最新のヒットチャートを見てくださいよ! 快進撃って言うんですか、メイアさんの歌は三週連続一位! これって快挙でしょ!」

 

「お前……何だかんだでミーハーな奴だな。最近の有機伝導技師ってのはみんなそうなのか? ……艦長もそう思われるでしょう。ギルティジェニュエンの、メンバーをデビュー当時から知っている生き字引だって言うんなら」

 

「……私は、そんなつもりはなかったんだけれど」

 

「でも、マーシュ艦長ありきだと思いますけれどね。メイアさん達はやっぱ憧れっすよ!」

 

 若い技師の彼はきっと、マグナマトリクス社に入った志望動機の一つにギルティジェニュエンのスポンサーであった事を隠しもしなかったに違いない。

 

 情景と、そして展望。

 

 そんな眩しいものを見せつけられると、先ほどまでの会議室の陰鬱さがより濃くなってくるようでマーシュはため息をついていた。

 

「……にしたって艦長。ちょっと話があるんですが」

 

 整備班長はたむろしていた若い整備士達を三三五五に散らせる。彼らが作業に移ってから、静かに電子煙草をくわえていた。

 

「あ、失礼。吸っても?」

 

「構わないわよ。……あなたとも随分と長くなったわね」

 

「恐縮です。……俺は正直なところ、メイア達が心配なんですよ。上役、このままギルティジェニュエンとしての活動の押さえどころって言うんですか、もう頭打ちだとか言い出したんじゃないですか」

 

「……勘も回れば疎まれるわよ」

 

「それも恐縮な話で。……メイアさんを乗せようって言うんでしょう。我が社が極秘裏に開発している七番目の聖獣に」

 

「若い整備士達は知らないのね」

 

「あいつらは……ヨゴレを買って出るにしちゃ、まだ若過ぎます。ちょっとばかし年食っているほうがこういうのには向いている。それに、無駄話をしないってのは優秀を通り過ぎて不気味にすら映るって言うのは……これも年かさって奴ですか」

 

 紫煙をたゆたわせ、整備班長は遠くを見る眼を投げていた。

 

「……《ダーレッドガンダム》はもう完成を見ると、上役は想定しているわ。ベテルギウスアームの調整は?」

 

「六割、ってところですかね。元々、あんなトンデモ兵装を実用化しようってのは見え透いた魂胆です。上はこう言っているんじゃないですか? 最終的な勝利者がマグナマトリクス社に成ればいい、とでも」

 

「……メカニックにしておくのにはもったいない慧眼ね」

 

「よしてくださいよ。だからメカニックなんですから。上にとってしてみりゃ、俺みたいな探り屋は嫌われます。なら、機械弄っているほうが数倍マシです。上とのよく分からん権力闘争とかには飽き飽きなので」

 

「……そうか、あなたそう言えば、元々は地球連邦の……」

 

「ええ、士官身分でした。……とは言ったって、月のダレトが開いてから先の、我が陣営の情けなさったら。月軌道艦隊として少しは矜持もあったでしょうがね。そいつも犬に食わせちまえばまだマシって言うもんでした」

 

「連邦の権威の失墜。そして統合機構軍と行政連邦の台頭。……世界は着実に変わっていく……その世界を、見据えるのは若い世代だとは思うけれど」

 

「マーシュ艦長はまだ若いでしょう。若い感性だから、メイアさん達を引っ張っていけた」

 

「お世辞、うまくないのね。私はもう四十を超えているのよ」

 

「そいつはすいません。世辞言うような部署でもないもんで」

 

「……ゴメン、私もいいかしら?」

 

 電子煙草を取り出したマーシュに、整備班長は火を分ける。

 

 息がかかるほどの距離になっても、ときめかなくなったのはいつからだっただろうか。

 

 一服を挟んでから、整備班長へとマーシュは声を振っていた。

 

「……敵は外側だけじゃない。メイアはこのままじゃ、よくて聖獣相手の実験動物、悪ければ廃棄処分もあり得るわ」

 

「メイアさんは特別……そうお考えだと思って間違いないんですよね? 艦長としては」

 

「メイアとは……こんな言い草は陳腐に落ちるけれど、苦楽を共にしてきたわ。だからこそ、大人の都合で切り捨てたくないのよ。彼女らにはまだ未来がある。どこまでも続く未来の地平を見据えるのは、私のようなおばさんじゃないもの」

 

「ですがそれをどうこうするかを決めるのは老躯……因果なものですなぁ。我々世代は年功序列とか言う古めかしいシステムを打破するだとか言われた世代でしたのに、システムにいつの間にか組み込まれちまっている。そして、それが心地いいだなんて。……若い連中には説教も垂れられんものです」

 

「システムを破壊するのは期待されたような世代ではないのかもしれないわね。あるいは、メイア達ですらその世代への礎になるのかも」

 

「まだ見ぬ未来の事に展望を抱いていても仕方ありませんよ。艦長が決めるんなら無理も出ません。俺は従います」

 

「……苦労をかけてすまないわね」

 

「元々……ラムダなんて言う生きてるんだか死んでるんだか分からない任務をずっとしてきた人間です。戦場を闊歩するのは既に死人の領域になりつつある。……まるで地獄の蓋が開いちまったみたいだ」

 

 その地獄の蓋を開けたのは、間違いなく自分だろうと、マーシュは電子煙草の先端を眺めていた。

 

「……《レヴォル》と言う禁断の果実に手を伸ばしたのは愚行であったのか、あるいは未来を切り拓くだけの真なる行動であったのか……。私達の世代で、答えが出れば僥倖ね」

 

「死ぬまでに答えとやらに辿り着きたいものです。……ですが死ぬのは……ちと嫌ですなぁ」

 

「統合機構軍が企業と言ったって、私達は半分軍属に足を突っ込んでいるようなものよ。メイア達のように自由には成れないわ」

 

 灰皿に煙草を突っ込んでもみ消してから、マーシュは整備班長の背中を見やる。

 

 丸まった背中にはこれまで一方的に与えてきた苦労が滲み出ていた。きっと彼も、一端になるためにこの企業に入ったはずだ。

 

 それなのに、いつの間にか長いものに巻かれるようになってしまったのは因果としか言いようがない。

 

「……世界を変えるのは、私達じゃない。そんな事もうとっくの昔に、分かっていたはずなのにね……」

 

 



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第112話「信ずるものを見据えて」

 

「《疑似封式レヴォル》は特別製だ! 壊すんじゃねぇぞ!」

 

 サルトルの怒声が飛ぶ中で格納デッキを漂っていたクラードはタラップに膝をついて休憩していたユキノを発見していた。

 

「……生きていたのか。確か……」

 

「ユキノ・ヒビヤ。……凱空龍じゃ、顔も合せなかったよね。クラードさん」

 

「……デザイアで生き残って以来か。俺は基本的に、アルベルトとしか話さなかったから……」

 

「お高く留まっているな、って私は思っていたよ。……でも実際のところは違った。あんな……無茶苦茶な機体で帰ってくるなんて思いも寄らない」

 

 ユキノはパイロットスーツに身を包んでいたが、その立ち振る舞いでクラードは看破していた。

 

「……ライドマトリクサー施術を受けたのか」

 

「ああ、うん。……三年前の月軌道決戦で、身体半分持って行かれちゃった。その時に、不幸中の幸いで意識はあったから、次に目を覚ましたらこの身体、ってわけ」

 

「お前は確か凱空龍の二軍所属のはずだ。……それでも前に出たのか」

 

「あの時には、私達が前に出ないとベアトリーチェは確実に沈んでいた。……小隊長……ヘッドもトキサダ副長も居なかったけれど、それでも守りたかったのよ。私達の第二の故郷を……」

 

「第二の故郷、か。この三年間、戦い続けていたのか」

 

「私なんて全然……。一番辛いのは、多分、カトリナさんだと思う」

 

「カトリナ・シンジョウが? どうしてああも」

 

「ろくに装備も付けていない《オムニブス》で毎回生きるか死ぬかヒヤヒヤものの斥候任務。……私にはあの人が死に場所を探しているような気がしてならなかった」

 

「死に場所、か。それはエンデュランス・フラクタルが追い込まれたせいなのか」

 

「……それはちょっと違うかな。クラードさん、あなたなら分かると思っていたけれど」

 

「……俺が分かる? ……何故だ」

 

「……まだ、分かんないのか。そっか」

 

 どこか諦観を浮かべられたのは気に食わなかったが、それでもユキノは間違いなく戦士だ。それだけは実感出来る。三年間の隔たりは、彼女を戦士の佇まいに変えていた。

 

「……ヘッドと話さないの?」

 

「話したところでケリはつかない」

 

「……あなたもヘッドも、何でそういうところが不器用なのかな。あの人の《マギアハーモニクス》、あれ、レヴォルの意志のデッドコピーが入っているんだよ」

 

「……ベアトリーチェに居残ったものを再利用したのか」

 

「でも、デッドコピーだから本来の性能にはまるで及ばない。それでもヘッドは、何度も危ない窮地でリミッター解除までして私達を守ろうとしてくれた。それはあの人だからこそ出来た健闘なんだと思う」

 

「……アルベルトは、エージェントになっていたらしいな」

 

「ヘッドだけじゃない。凱空龍の居残り組……いいや、死に損ない組かな。そういう連中はみんな、少なからずRMになって、ベアトリーチェを守るためだけのエージェントになっていった。私はなし崩し的だけれど、他の連中は自分から率先してRM施術を受けたのも居る。……クラードさん。あなたはこんな視点だったんだね」

 

 別段、達観視していたわけではない。だが、凱空龍で当時、ライドマトリクサーの禁術に手を伸ばしていたのは自分くらいなものであった。

 

 ユキノは分かろうとしていると言うよりも、ちょっとした世間話程度のつもりらしい。

 

「……俺の目線なんて知ったって誰も幸福になんて成らない」

 

「……そうかもね。ライドマトリクサーって言うのが存外に面倒くさかったり、色んなしがらみに雁字搦めになっている事もある意味じゃ納得だし、よく分かる。クラードさん、それでも私達は、あなたが切り拓いてくれた未来の先に居るのだと思っている。あの時死んでいった……仲間達に顔向け出来るような人間になるのには、まだ足りないかもだけれど」

 

 ユキノとよく絡んでいた二軍の者達は、そういえば見かけないな、とクラードは感じていた。

 

 詮索するわけでもないが、あの月軌道決戦にて散った命もあるのだろう。

 

「……死んで行った者に報いるため、か。だがそれは偏狭な生き方だ。死に囚われていては、すぐに足元は見えなくなるぞ」

 

「私は別に……。ああ、でもそうか、そうなのかも。私は、グウェルやイワハダのような……あの時果敢に立ち向かって死んだ仲間達に、報いるような戦いをしたいだけなのかもしれない。ワガママだね、これ」

 

「そうでもないんじゃないか。人は意味を見出したがる。それがどんな事であれ、取り返しのつかない事でも」

 

「あなたが《レヴォル》のためなら命を投げ打つのと同じように?」

 

「俺は《レヴォル》を取り戻さなければ、何も始まらないと思っている。あれは俺の半身であった。だから、今の俺は、言ってしまえば空虚だ」

 

「でも、三年間も生き延びてきた。それは本当に、《レヴォル》を追い求めるためだけの三年間だったの?」

 

「……俺はエンデュランス・フラクタルのエージェントだ。何回も敗走を繰り広げるわけにはいかない。あの時……してやられた敗北を糧として、次は勝利する。そのためには、まずは取り戻さなければいけない。奪われたものを、全て」

 

「その中にレミア艦長も入っているってわけか」

 

「レミアだけじゃない。バーミットも、ファムも、ピアーナも……行方知らずになった連中は大勢居る。俺は奪われたままで静観するような人間ではない、それだけの話だ」

 

「やっぱりね。クラードさん、変わったと思う」

 

 ユキノの評にクラードは固めていた拳を開いていた。

 

「……俺が、変わったか……?」

 

「凱空龍に居た頃は、誰も寄せ付けない感じだったじゃない。あなたに擦り寄ろうと思う人間なんて居なかったし。ああ、でも、ヘッドは別かな」

 

「……アルベルトは、《マギアハーモニクス》に《レヴォル》のシステムバックアップを積んでいると聞いた」

 

「そう、無茶ばっかり。……まぁ、ヘッド……ああ、いや、小隊長、なんだけれど。RM第三小隊を束ねる、エージェントだし、私も同じようにエンデュランス・フラクタルのエージェント身分。二級だけれどね」

 

「この三年間、戦い抜いてきたんだ。誇っていいんじゃないか」

 

 こちらの言葉にユキノは心の奥底から意想外であったかのように目を見開いていた。

 

「それも意外。……クラードさんから労いの言葉が来るなんて。三年前の私じゃ、想像も出来なかっただろうし」

 

「どうかな。俺も存外甘くなったのかもしれない」

 

「その甘さで、小隊長の事、カバーしてあげてよ。私達の言う事、あの人は聞かないから。クラードさんならブレーキになると思うし」

 

「俺はあいつの保護者じゃない。それに、アルベルトは思うところがあっての行動だろう。それくらいは分かっていると思っていたが」

 

 ユキノは手を振って携行保水液を飲み干す。

 

「駄目駄目、他人がいくら分かった風な事を言ったって、絶対に認めないんだから。……カトリナさんを巻き込みたくないって思っているのは見え見えなんだけれど、じゃあ私達に何が出来るのかって話だし」

 

「カトリナ・シンジョウは前のような戦いを?」

 

「ええ、常に。前線にだけは出るって息巻いて。……正直、見ていられなかった。その辺に関して言えば、サルトルさんのほうが詳しいんじゃないかな。あの人、孫みたいに思っているみたいだし」

 

「サルトルに孫、か。……そう言う年齢だったか」

 

「よく知っているんでしょう? なら、話してみるといいと思う。私達は所詮、途中から流れ着いただけだから」

 

 ふわぁ、とユキノが欠伸を挟む。

 

 疲労が蓄積しているのは何も彼女だけではない。

 

 今も整備されていく《マギア》の調整を行っているのは新参者の戦闘員達だ。

 

「……見ない顔も増えた」

 

「彼ら彼女らは、出来れば生き残って欲しいんだけれど、それをどうこうするだけの力が私にあるかと言えば、そうでもないし。……小隊長は全部背負っちゃう。私からしてみれば、一番に折れそうなのはあなただって言いたいのに」

 

「アルベルトはそういう性分だろう。もう仕方がない」

 

「そう言ってあげて欲しいんだけれど、クラードさん、そんな気はないでしょう?」

 

「……自分で気づくのが一番のはずだからな」

 

 ユキノはパイロットスーツの襟元を整えて格納デッキを流れていく。

 

 その途上で彼女は挙手敬礼していた。

 

「話せてよかった。クラードさん、もっと怖い人だと思って距離を取っていたのは私のほうだったし」

 

「そうか。……俺はそんな奴に映っていたんだな」

 

「これでも半分RM! 何だかんだで戦果には期待して欲しいのよ。何せ、今の第三小隊では副長身分だからね」

 

「……副長……トキサダも、死んだのか」

 

 ユキノは応じずに自身の乗機へと向かっていく。

 

 その背中を呼び止められずにいると不意に言葉が投げられていた。

 

「……あの、クラード……お前……」

 

「なに、アルベルト。さっきから窺っているのは分かっていたけれど、そんなにうろたえる事でもないだろう」

 

「いや、うろたえちまうよ。……ユキノと話しているなんて、お前らしくねぇって言うか……」

 

「作戦実行時には後方を任せるんだ。話しておいて損はない」

 

「そう、か……。いや、オレのほうこそ勝手に線引いちまっていたのかもな。……お前は凱空龍の面々には興味なんてねぇって……」

 

「トキサダは死んだのか」

 

「……死体も残らなかったって聞く。そう伝えられたのはオレがライドマトリクサーになってからの話だ。あの月軌道決戦で生き残った奴のほうが少ねぇさ」

 

「俺の記憶じゃ、ユキノは二軍……いいや、それ以下だったはずだ。それなのに前線に出るっていうのは今のエンデュランス・フラクタルの損耗具合を分からせてくれる」

 

「現状じゃ、出せる戦力に出し渋りしている場合じゃ、ねぇんだよ。本社からの補給も滞っているし、カトリナさんは、無茶ばっかりする。そういうの……見てらんねぇって言うんだよ」

 

「……何だ、お互い様じゃないか」

 

 自覚がないのか、と思ったが、アルベルトは嘆息をついて後頭部を掻いていた。

 

「何つーかな、お前ともう一度、こうして話せるなんて思いも寄らなかった。もう彼岸に行っちまったんだとばっかし思っていたからな」

 

「勝手に殺すな……とは言っても、あの状況じゃ仕方がない。俺は《レヴォル》を奪われ、戦闘能力は皆無だった。MF、《シクススプロキオン》を倒したまではよかったんだが、それ以降にベアトリーチェに合流する術がなかった」

 

「別に、言い訳が欲しいわけじゃねぇんだ。あの時どうして欲しかっただとか、こうして欲しかっただとかはな。女々しいだけだし、オレもそんな事を言及したいわけじゃねぇ。ただ……今は嬉しい事くらいか。お前が生きていてくれて、オレは素直に嬉しいよ」

 

「……だがこの三年間、失うばかりの戦闘だったはずだ。何故、カトリナ・シンジョウは前を行く? 今回の作戦遂行に関しても、俺が見た限りじゃ少し無理が生じてくるのも分かっての承服のようだった。……馬鹿だったのが、より馬鹿になったのか?」

 

「お前……クラード。そこんところは、それ……あ、いや、そうか。……そうだよな。別に分かって欲しいだとかは、ねぇんだ。だってベアトリーチェには、もっと居たもんな。大切な人達が。お前からしてみれば、大事なピースを欠いたままのこの艦のほうがおかしいのか。オレらの戦いは、そうだ、失うばっかだったさ。だが得るものもあったんだ。オレはこの三年間で、少しばかり自分の身の丈って言うもんを意識するようにはなったさ」

 

「ユキノがぼやいていた。前ばかり向かう、と」

 

 アルベルトは青髪リーゼントを撫で、頭を振る。

 

「……あいつらからしてみりゃ、危なっかしい小隊長なんだろうな。死なせなくっていい奴らまで死なせちまった。咎は受けるつもりだぜ」

 

「背負い過ぎなんだよ。前からそうだ。アルベルトは。凱空龍の頃から変わらないよ」

 

「……お前は変わったな、クラード。何がお前をそうさせたんだ?」

 

 その問いかけには明確に答える術はなかった。

 

 天井を仰いで手を伸ばす。

 

「……奪われたものを奪い返す。その一つだけで、俺は今動いている。三年の月日と、俺自身が抗い抜く理由は、現状それだけだ。《レヴォル》を、まずは取り戻さなくっては俺の叛逆は始まらない」

 

「だがそれは現状の理由だ。取り戻した後は、どうする? 何のために戦うのか、お前は自分自身に問うのか?」

 

 ぎゅっと拳を握り締め、クラードは赤い眼差しを虚空に投げる。

 

「そうだな。その時には……違う理由を自分の中に探っても、いいのかもしれないな」

 

「あー! 居たー! こんなところに!」

 

 振り向けた視線の先で佇んでいたのは赤髪の少女であった。

 

 エンデュランス・フラクタルの制服に身を包んでいるが、ハイスクールの生徒だと言われても何の違和感も抱かない容姿である。

 

 少しばかり鋭い瞳に、短髪に切り揃えた鮮やかな赤。

 

 童顔なのは目立つが、それでも麗しいかんばせであろう。

 

「シャル。格納デッキには来んなって言っただろ」

 

「その呼び方! ……私はシャルティアです! シャルじゃない!」

 

「おいおい、勘弁してくれよ。……今はクラードと喋ってんだ。委任担当官殿はあまり出しゃばってくるんじゃ……」

 

「チビだからって、嘗めないでください! ……はじめまして。あなたが我が社の特級エージェント、クラードですね? お噂はかねがね」

 

「……誰だ、あんた」

 

「申し遅れました。私はシャルティア・ブルーム。この艦における委任担当官を任せられています」

 

「ブルーム……って、あんたまさか……」

 

「はい。姉の事は、ご存知だったと聞いています」

 

「ラジアルの妹、か……」

 

「全然似てねぇだろ?」

 

 アルベルトの差し挟んだ声音に、シャルティアはむっとしてその頬をつねっていた。

 

 一回り大きいはずのアルベルトの頬を何のためらいもなくつねる胆力もそうならば、その気性の激しさにも目を瞠る。

 

「だから! 私は姉とは違うんです! 何回言えば分かるんですか! アルベルトさん!」

 

「痛ってぇなぁ! もう……! 分かった、分かったからよ! カッコつかねぇだろうが!」

 

「本当に? 本当に分かりました?」

 

「分かりましたよ、委任担当官殿。ったく、こちとら恐縮だっての」

 

「……分かった風な言葉じゃないですけれど、まぁ今はいいでしょう。旧友同士、積もる話もあるでしょうしね」

 

 シャルティアはようやくアルベルトの頬から手を離し、自分と向き直っていた。

 

「俺の事は、どこまで聞いているんだ」

 

「エンデュランス・フラクタルにおいて、作戦遂行率百パーセントのエージェント! 正直、素直に尊敬です!」

 

 思わぬ情景を向けられてクラードは思わずアルベルトへと視線を投げる。

 

 彼は肩を竦めていた。

 

「これだろ? だから似てねぇって言うんだよ」

 

「似てる似てない論に行かないでくださいよ! 私はシャルティアであってラジアル・ブルームじゃないんですから!」

 

「へいへい。……っても、こいつはまだ十七だ。ガキんちょだよ、クラード」

 

「ですが、委任担当官としての仕事内容は頭に入っていますので。私はシンジョウ先輩からも教わっていましたし、戦闘のログも参照させていただきました。エージェント、クラードさん。あなたはアルベルトさん達の専属窓である私の職務上、同一と見なさせていただきます」

 

「……それは俺の委任担当官もやるって言いたいのか?」

 

「ええ。光栄この上ありませんが、委縮しないように気を付けて――」

 

「悪いが断る。……カトリナ・シンジョウが俺の委任担当官だ。あんたじゃない」

 

 断じた論調にアルベルトも呆然としているのが伝わった。当のシャルティアは目を見開いて驚嘆している。

 

「……今、何と……?」

 

「俺の委任担当官はカトリナ・シンジョウだ。他の奴じゃない」

 

 書類を抱えたままのシャルティアの脇を通り抜け、クラードは艦の中枢にある遠心重力ブロックを目指していた。

 

 その背中へと、声がかかる。

 

「ま、待ってください! これは本社からの命令なんですよ!」

 

「俺が従うと決めた人間は自分で選ぶ。あんたはその領域じゃないだけだ」

 

「……何だって、そんな言い草……!」

 

「アルベルト。そいつを頼む。俺はあの人に会って、話さなければいけない」

 

「それはいいが……あまりにもお前、その断じ方は……」

 

「何か問題ある? ……俺の命令系統は三年前から変化していない」

 

 シャルティアが怒声を放ったのを聞いていたが、クラードは道を折れてそれをいなしていた。

 

 



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第113話「屍の感情」

 

 騎屍兵分隊を率いるのは、誰が、と決めたわけではない。

 

 ただ自然とリーダー格としてトゥエルヴが矢面に立ち、自分達の境遇を決めてきた。

 

 その行動如何に今さら異議を挟むわけでもなければ、現状を打破したいと願うわけでもない。

 

「君達騎屍兵が遭遇した、と言うのは、《レヴォルテストタイプ》であったのは本当かね?」

 

 眼前の上官相手にトゥエルヴは意思を殺し切ったような冷淡さで応じる。

 

『ええ、間違いなく。機体照合結果のログに残っていると思います』

 

 上官は目頭を揉んだ後に、まことか、と呟いていた。

 

「よもや、強奪されたテストタイプが牙を剥くとはな……」

 

『我々にも下りていない情報です。《レヴォルテストタイプ》が何者かによって鹵獲されていたなど』

 

「……君達は前線兵だ。余計な心配事は聞かせるだけ不要だと思っていた。だが……その見通しは甘かった、というわけだ」

 

『あれは何です? 何故、あそこまでの運動性を確立しているのです』

 

 詰問の論調になっていたが、騎屍兵は誰一人として咎める者は居ない。

 

 トゥエルヴの意見は隊の総意――そう言っても過言ではなかったからだ。

 

 自分達が運用する《ネクロレヴォル》に匹敵、否、凌駕でさえも加味しなければいけないほどの敵は、この三年間現れてこなかったのだから。

 

「《レヴォルテストタイプ》が強奪されたのは随分と前の話になる。君達騎屍兵が設立されるより以前だ。……《オリジナルレヴォル》、聞いた事は」

 

『あります。我々の《ネクロレヴォル》の大元であり、真のレヴォル・インターセプト・リーディング搭載機』

 

「その《オリジナルレヴォル》から電算するに当たり、いくつかのテスト機が生み出された。君らの遭遇した《レヴォルテストタイプ》はそれに相当する。レヴォル・インターセプト・リーディングシステムは、すぐに抽出されたわけではなかった。いくつかの過程を経て、君らの《ネクロレヴォル》に搭載されるに至ったのだ」

 

『それは理解出来ますが、ではあれはただのテスト機だと?』

 

「それにしては、という言い分だな、トゥエルヴ。君の疑問を聞こう」

 

 トゥエルヴはデータチップを差し出し、いくつかの書類も提出していた。

 

『これを見てもらえばよく分かるかと。運動性能だけじゃない、機体反射性、反応速度、どれも段違いでした。近日ロールアウトされると言われている統合機構軍の《アイギス》の発展機である《アデプト》を凌駕していると私個人では判定しています』

 

「第二世代MSをも超える性能だと? ……参照させてもらう」

 

 上官はヘッドセットを装着し、メモリーチップを読み込ませていた。

 

 三分も経たぬうちに状況を理解した上官は感嘆の息を漏らし、今一度自分達に向き直る。

 

「……よくぞこれ相手に生き残れた」

 

『我々は騎屍兵です。もう死んでいる身分ですので、生き残れた、というのは語弊がある』

 

 今のはトゥエルヴの一級のジョークなのだろうか。

 

 イレブンと違い、トゥエルヴとは真正面から話した事がないので、自分には判断出来なかった。

 

「いや、すまないな……。だが理由はハッキリした。あれはコード、マヌエルの実行だ」

 

『レヴォルの意志のリミッターコードですね。我々の《ネクロレヴォル》にも一応は搭載されている』

 

「だが君達は使うなと厳命されたシステム。その概要までは知らされてないだろう」

 

 沈黙を是とすると、上官は改まって説明を始めていた。

 

「……コード、マヌエルとは、レヴォルの意志に存在する制御リミッターであり、搭乗者が極度のライドマトリクサーである者である場合でのみ、発動する代物だ。君達のRM適性でも充分使用可能だが、推奨はされていない。このシステムには欠陥がある」

 

『RMの汚染深度が強過ぎる、とでも言った理由でしょうか』

 

「……あまり聡くなると、たとえ死人である君達でも口を塞がなければいけなくなるのは分かるだろう」

 

『留意いたします』

 

「……汚染深度の問題だが、過去の実験データがある。それによると、八割のRM施術を施された人間であっても、脳髄への損傷が見られたそうだ。意識の混濁、過度な思考拡張による精神の剥離……君達は騎屍兵とは言え、正規の軍人。そんな君達にリスクのあるシステムを使わせると言うのは愚の骨頂だよ」

 

『明確なリスクであるのならば、何故外さないのですか』

 

「外さないのではない。外せないのだ。このシステムはレヴォルの意志の中枢深くに食い込んでいる。これを外せば、今日のレヴォル・インターセプト・リーディングの優位性を削ぐ事に成りかねない」

 

『我々騎屍兵の優位性も、ですか』

 

「そうだ。ゆえに、これは機密とする。理由は言わずとも分かるだろう、トゥエルヴ」

 

『御意に。ですが、遺恨はあります。マヌエルの使用時、戦場に居たエンデュランス・フラクタルのレジスタンス要員……生き延びているのならばマヌエルの実行者とコンタクトがあったと見るべき』

 

 ファイブは追いついてきた《マギア》の改修機を思い返していた。

 

 あれは、自分の気のせいでないのならば間違いない。あの機体のパイロットは――。

 

「それに関してだがね。エンデュランス・フラクタルにはやはり奇妙な動きが目立つ。喜べ……と言っていいのかは不明だが、正規軍が前に出てくれるとの厳命が下りた。間もなく作戦実行が成されるであろう」

 

『トライアウトの、でしょうか』

 

「焼き尽くし(バーンアウト)のネメシスだ。彼らの領分となれば、君達は少しばかり猶予があると思っていい」

 

 まさか、とファイブは人知れず目を戦慄かせていた。

 

 トライアウトネメシスがまたしてもエンデュランス・フラクタルに――ベアトリーチェに仕掛ける。

 

 それは三年前の悪夢の再現だ、とこの時自分は、意想外の言葉を発していた。

 

『その作戦行動、我々が噛む事は可能でしょうか?』

 

 戸惑ったのは上官だけではない。

 

 普段はまるで意識の乱れなどない騎屍兵全員が、自分を異様なものを見る眼で眺めていた。

 

『……ファイブ。どういうつもりだ』

 

『トライアウトネメシスでは作戦行動に支障があると判断し、我が方も加わるべき、という提言です』

 

 よくもまぁ、これほどまでの嘘八百、咄嗟に述べられたものだと我ながら関心さえもする。

 

 鼓動は異常なほど脈打ち、発汗量も尋常ではなかったが、ここが《ネクロレヴォル》のコックピットでない事が幸いした。

 

 誰も自分の内心をモニターする事はない。

 

「……《ネクロレヴォル》隊は温存しておきたいのが本音なのだが、ファイブ、そう提言する論拠を聞こうか」

 

『我々は、奴とは一度戦いました。戦闘経験のないトライアウトネメシスを危険に晒す事はないと思ったからです』

 

『……なるほど。それはある一面では正しい』

 

 まさかトゥエルヴが自分の論拠を補強してくれるとは想定しておらず、ファイブは驚愕の眼差しを向けていた。

 

「では出撃も止むなしと言うのかね、トゥエルヴ」

 

『我々騎屍兵に、上官も部下もありません。我らは等しく命令系統を準ずる者。よってファイブの意見も我が総体における意見の一つなのです』

 

 上官は一考の間を挟んだ後に、では、と全員を見渡していた。

 

「トライアウトネメシスへの出向を命じる。騎屍兵はどの命令系統にも害されない。これは《ネクロレヴォル》隊を作った際に打ち立てた君達の矜持の一つであったな」

 

『感謝します。しかし、《ネクロレヴォル》が前線に幅を利かせ過ぎれば、他の軍務に支障を来す可能性がある。同行するのは私とファイブ、それにイレブンだけの少数精鋭と致しましょう』

 

 まさか、そのような編成になるとは夢にも思わない。

 

 上官は論拠を問い質すような無駄を挟むつもりもないようであった。

 

「……それが総体の望みならば、か。受理しよう」

 

『失礼します』

 

 トゥエルヴが挙手敬礼したのを嚆矢として全員が上官に敬礼を送ってから踵を返していた。

 

 廊下を行き過ぎる自分達を呼び止めるような命知らずは居ない。

 

 だが、並び立つイレブンは別であった。

 

『……どういうつもりだ、ファイブ。お前らしくもない行動だったぞ』

 

『おれ……いいや、私らしく……。しかし我が方が優位なのは違いないはずだ』

 

『馬鹿を言え。トライアウト、正規軍の前でレヴォル・インターセプト・リーディングの真骨頂を晒すわけにはいかないだろう。我々は彼らへのカウンターとして組織されたんだぞ』

 

『いい、イレブン。ファイブとて真意なくして提言したわけでもあるまい。それに関しては《ネクロレヴォル》の性能を絞ればいいだけの事。トライアウトと肩を並べるのは別段、我々の作戦行動としては全くない筋でもないからな』

 

 どうして、こんな時でもトゥエルヴは冷静な判断を下せるのだろう。

 

 単純に不明瞭であったが、エイトが口を差し挟む。

 

『トゥエルヴ、あなたにも思うところがあって、の判断だと思っていいのでしょうか。我々の隊を危険に晒す可能性すらある作戦です』

 

 エイトは唯一の女性兵士であったが、それでも我が強い。

 

 今回の作戦で指揮に組み込まれない事が不服なのだろう。

 

『三名まで、だと判じた。それ以上は禍根を残す。それに、我が隊の手の内を明かすのは旨味がない。三名までならば少数精鋭、我々も最小限度の介入で済む』

 

『……私では力不足だと?』

 

『そうは言っていない。ファイブを選んだのは作戦提言者であるからだが、イレブンを選んだのはファイブをもしもの時に諌められる立ち位置だからだ。当然、私が前に出るのは騎屍兵の作戦行動のレベルを引き上げる意味合いでもある。よって三名が適任。それ以外にはない』

 

 その言葉にエイトは二の句を告げないのか、意見を仕舞っていた。

 

『……しかし、トゥエルヴ。私は個人的な感傷を全く持ち込んでいないとは言えない。どうして作戦を受理させたのです?』

 

 自分の当然の疑問にトゥエルヴは一瞥を振り向けさえもしない。

 

『私も気にかかっている。鹵獲したテストタイプにしてはあの機体、動きのキレが段違いであった。手練れである可能性が高い。トライアウトネメシスが正規軍とは言え、あれ相手に後れを取る可能性もある。その時こそ、我ら騎屍兵が前に立ち、有用性を確かめる。我々への風当たりも少しはマシになってくれるだろう』

 

 そこまでトゥエルヴが加味しているとは思わなかった。いや、思っていればそもそもあの場で口出しなどしなかっただろう。

 

 やはり、自分は割り切れていないのだ。

 

 過去の因縁は終わりにする、ここで手打ちにするという覚悟の不足であろう。

 

『……トゥエルヴ、私は撃てる。不要な心配は……』

 

『無論だろう。それは君への侮辱となる』

 

 ならば自分達は前に進むしか出来ないのだ。

 

 それが数多の屍の上に成り立つであろう、血濡れの道であったとしても、前へ――。

 

 



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第114話「遅れた時計の針を」

 

『現状、芳しくないのは重々承知で、なのですね?』

 

「ええ。ですがクラードさんが帰ってきてくれました。……そう、本当に、帰って来てくれた……」

 

 モニターの向こうのタジマは、ふぅむと一考を挟んだようであった。

 

「……何か問題でも?」

 

『いえ、エージェント、クラードの帰還は素直に喜ぶべきなのでしょうが、それだとしてもトライアウトネメシスに強襲し、そして《レヴォル》と前任者であったフロイト艦長を取り戻す……と言うのはあまりにも現実離れしたプランでして……』

 

「でも、クラードさんは……約束を守ってくれたんですよ……」

 

『彼は死んだものとして本社では扱っておりましたので、完全に想定外なのですよ。それに、他のレジスタンス組織との連絡網にも僅かに気を配らなければいけなくなりました。なにせ、彼らの中には《レヴォル》のライドマトリクサーに友好的な感情を抱いている者ばかりではないのです』

 

「……それは、《レヴォル》がガンダムであったからですか……」

 

 鋭い視線を投げるとタジマは困惑顔で渋々頷く。

 

『……ええ、まぁ。トライアウトの中に紛れ込んでいる構成員の中には、ガンダムを忌避する動きもある。その元凶が、まさか生きていたなど分かれば要らぬ禍根も生み出しかねない』

 

「ですが……私は彼に助けられました。何度も、何度も……今回だって……」

 

『カトリナ・シンジョウ艦長。私からしてみれば、現状の信頼関係にプラスとは限らないクラードの生存は全くの未知数です。このまま、何事もなく話が進むと思えない』

 

「……レミア艦長を取り戻すと、クラードさんは言っているんです」

 

『そのフロイト艦長も自ら進んでトライアウトネメシスに所属なされた。我々の差し挟む意見などないと思ったほうがよろしいかと』

 

 それでも、クラードはかつて失ったもの全てを取り戻すまで止まらないはずだ。

 

 その覚悟だけはありありと伝わって来たのだから。

 

「……話を戻しましょう。《オリジナルレヴォル》の保管場所は、トライアウトネメシスの士官ならば知っている可能性があると言うのは」

 

『ああ、ええ。恐らくはその通りかと。しかし、近づく術はない、というのが現実的な見方でしょうね』

 

「トライアウトが《オリジナルレヴォル》を保管しているわけではない、という事ですか」

 

『あくまで、知っている、だけでしょう。我が方の情報筋では、《オリジナルレヴォル》がどこに運ばれたのかはまるで不明。ですが、上層部に近ければ、今日の統制の中核を成すシステムの大元です。隠したいのが本音のはず』

 

「……《ネクロレヴォル》と言う名のシステムの確立……。動かしている上層部からしてみればアキレス腱の一つでもある」

 

『だからこそ、エージェント、クラードの生存はこれまでの戦いがより苛烈になるのだと、承知なされたほうがいい。《オムニブス》の補助は回しますが、それでも無理は生じてくる。やはり今次作戦は延期なさったほうが――』

 

「駄目です。それじゃ、クラードさんの覚悟に唾を吐くのと同じです」

 

 言い切った自分にタジマは心底困り果てているようであった。

 

『……本社の方針では、あまりに行き過ぎた抵抗活動は相手を刺激しかねない。我々はまだ大きく情勢を動かせないのだと考えて然るべきだと』

 

「ですがそれでは、いつまで経っても《ネクロレヴォル》の統制を止められません。……相手もレヴォルの意志を使っている。捉えられないミラーヘッドの影を捉えるのには、《オリジナルレヴォル》の奪還しかない……」

 

『やれやれ。戦場も見えないようになって来ているのは百も承知。ログに残らぬ《ネクロレヴォル》隊をどうやって炙り出すか、四苦八苦しているところにトライアウトネメシスへの強襲となれば、エンデュランス・フラクタルはこれまで以上に立ち回りを考えなければいけなくなってくる』

 

「……上層部はこの作戦に賛成しかねる、と言う意味ですか」

 

 シートに爪を食い込ませたカトリナに、タジマは冷静な論調で返していた。

 

『承知なさっていただきたいのは、我々はあくまでも統合機構軍に配される企業だという事。利益に繋がらない作戦遂行は難しいとお考えください』

 

「そんな……せっかくクラードさんが帰って来たのに……!」

 

『カトリナ・シンジョウ委任担当官殿。……エージェント、クラードの帰還は思わぬところで軋轢を生む。彼はあの時、死んだとして全てが回っていたのに、まさか生きていたとは思いも寄らない。本社の方針が変化する事は、ほぼないと考えていただきたい』

 

「それじゃ……私達は何のために……!」

 

『お間違えにならないで欲しいのは、現状の統制が明らかに為政者のための間違ったものとなりつつあるのだけは事実だという事。《ネクロレヴォル》と騎屍兵は脅威です。世界から脅威を取り除き、より良い明日のために、我々は尽力するのが使命』

 

「……分かっています。騎屍兵の統制が続くのでは、言論弾圧だけじゃない。存在するものもなかった事に出来てしまう。それだけは、何としても……」

 

『ご理解いただけたのならば嬉しいのですが、それでも禍根は残るもの。あなたの委任担当官としての職務はまだ解かれていない。どうか、クラードにはご忠告を。世界は、思ったよりも簡単ではないのだという事を』

 

 そこでタジマからの長距離通信は途切れる。

 

 カトリナはインカムへと指を這わせ、やがて拳に変えていた。

 

「……こんな時に、何も出来ないのが私達だって言うの……!」

 

 どれほど悔恨を噛み締めても、それでも世界は変わらないと言うのか。

 

 それがこれまでの行いの結果だと、突きつけられていると言うのならば。

 

「居るのか、カトリナ・シンジョウ」

 

 ドアロックの向こう側からの声に、カトリナは目じりに浮かんだ涙を拭い、ロックを解除していた。

 

「……クラードさん。何かありましたか」

 

 それでも顔を見られなかった。

 

 今の自分では、彼に顔向け出来ない。

 

「艦内を見てきた。……三年間で様変わりしたところもあればそうでもないところもある。……作戦遂行までの時間を概算して欲しい。《疑似封式レヴォル》で出る」

 

「……クラードさん。今次作戦はともすれば……望まれていない可能性があります」

 

 それも自分の不徳の致すところ、とどれだけの言葉が来ても覚悟出来ているつもりであったが、クラードは言葉少なであった。

 

「そうか。そうだろうな。俺の我儘だ。それを通す義理は本社にはない」

 

「……怒らないんですか。だってエンデュランス・フラクタルの上層部は、あなたの生存を……不要なものだって……」

 

「三年間も生死不明だった。俺が上でも同じ判断をする」

 

「でも……っ! でも、でも……! 私達は……アルベルトさんと私は信じて来たんです……っ! いつかクラードさんが帰って来てくれるって! その時を待っていたから、待ってこられたから、ここまで戦えて……っ!」

 

 振り返った自分は、かつての日々から何も変わっていないクラードを目の当たりにして声を詰まらせていた。

 

 纏った白衣も、その立ち振る舞いも何も変わらない。

 

 変わってしまったのは自分のほうだ。

 

 権威を前に委縮し、あらゆるしがらみに縛り付けられた、現状の自分自身なのだ。

 

 タジマの言葉も、半分以上は仕方ないと飲み込めてしまっている部分もある。

 

 下手に賢しくならなければ、クラードの生存をただただ喜ぶ事も出来たであろうに。

 

「……私、駄目なんです。背負うものが増えちゃって……。もうあの日みたいに、戻れない……」

 

「それは誰も同じだ。アルベルトも、ユキノも、他の奴らだって同じ事だ。一時として以前までの自分と同じじゃない。だが俺は、だからこそこの作戦を遂行する義務があると思っている」

 

「……義務、ですか……。それは《レヴォル》を取り戻すって言う……」

 

「無論、第一目標はそれだが、俺はそれ以上に、時間がずれたままだと思っている。それぞれの持つ、時間が……。あんたもな」

 

「わ、私も……?」

 

「時間がずれている。ずれた時間を合わせたほうがいい」

 

「……グリニッジ標準時ですよ?」

 

 腕時計型の端末に視線を落とす。

 

 いつも自分の時間を示し続けてくれた端末は静かに時を刻んでいた。

 

「ベアトリーチェのクルーは全員が前に進んだ。ならば、俺も前に進むべきだろう。俺の時間は停滞したままだ。だが《レヴォル》と再会出来れば、それは違ってくる。……抗いの刃を向けるのに、俺はまだ何も足りていないんだ」

 

 クラードのような人間でさえも、現状に不足を感じるのか。

 

 それはずっと彼の戦いを艦内で待っていたばかりの自分には及びもつかない思考回路であろう。

 

「……私は、あなたを追って、ずっと戦ってきたんです」

 

「それは知っている」

 

「……でも、三年も居なくなるなんて……ズルいですよ」

 

「ああ、だろうな」

 

「……帰って来た理由は、それだけなんですか」

 

「生きているとは思っていなかった。それはお互い様だろう。だが、俺には進むべき指針がある。そのためには手段は選んでいられない。当然、躊躇っているような猶予もない。俺は叛逆のために前に進む。幕開けの時が近いのは、もう分かっているからだ」

 

 ――ああ、そうだろう。

 

 クラードはいつだって前を向いてきた。一度だって後ろを振り向いた事なんてないはずだ。

 

 ならば、その後ろを支えるのは委任担当官である自分の職務であり、振り向かずに済む道を踏み締めるのは、自分達の抗いであろう。

 

「……クラードさん。私はこれから、弱音を吐きます」

 

 クラードは何も言わない。カトリナは面を伏せて独白していた。

 

「……あなたが居なくなってから、私はもう駄目だなって思う事が何度も何度もあった。いっその事、絶対にもう帰って来ないんだって、そう思い込んだほうが楽な事もあったし、みんなが生存に絶望している中でも、私とアルベルトさんだけは、あなたがどこかで生きているんだって、そう思って戦ってきました。……ううん、違う。そう思わないと戦えなかった。だって、クラードさんが私達の運命を変えたんですよ? なのに、勝手に退場しちゃうなんて……そんなの認められなかったんです。私達は、あなたを追って……あなたに失望されたくなくって戦い抜いてきた。それはきっと……アルベルトさんだって……」

 

「俺はアルベルトも、あんたの運命も変えたつもりはない。俺は俺の運命への叛逆を講じて来ただけだ。その結果論として誰かの運命を変えたのかもしれない」

 

「じゃあ……謝ってくれるんですか」

 

 我ながら狡い論法だとも感じる。

 

 ここまで来て、クラードに責任を取れと突きつけているのだから。

 

 しかし、クラードは謝罪するわけでも、ましてこれまでの戦いが間違っていると答えるわけでもなかった。

 

「……カトリナ・シンジョウ。俺だけでは、運命に叛逆すると言う気概はあっても、実行に移す事は困難だ。《疑似封式レヴォル》だけでは《ネクロレヴォル》隊には勝てない。トライアウトネメシスの作戦にレミアが噛んでいるのならば、もっとだろう。俺のやり口は割れていると思ったほうがいい」

 

「……だったら、余計に……」

 

「いや、だからこそだ。お前の作戦をくれ。その作戦に沿って、俺は戦う。俺一人では取り戻せない運命も、この艦に居る全員となら取り戻せる。だから俺は決意出来た。委任担当官として、俺に命令して欲しい。――勝てと。打ち勝って帰って来いと。ならば俺は命令を遂行する。それがエンデュランス・フラクタルの、エージェント、クラードとしての責任の取り方だ」

 

 放たれた言葉にカトリナは面を上げていた。

 

 クラードの赤い瞳は迷うところはないとでも言うように自分を見据えている。

 

 勝つためならば、運命を変えるためならば何でもするという双眸の輝き。

 

 それは自分がこの三年間、《オムニブス》のテーブルモニターに反射し続けたものと同じ――否、さらに眩く強い、意志そのもの。

 

 今さらに理解する。

 

 自分はこの光に魅せられて、三年間も戦い抜いてきたのだと。

 

 それはともすればレミアも、であったのかもしれない。アルベルトも、クラードの瞳の力を信じているから、今日この日まで戦い抜いて来られたのだろう。

 

「……私の、作戦で……? 本当にそれでいいんですか? だって、レミア艦長が、トライアウトネメシスの士官として立ち向かって来れば、それは当然、犠牲だって出かねない戦いで……」

 

「俺はレミアも含めて取り戻す。カトリナ・シンジョウ委任担当官。俺に、命令をしろ。俺はその通りに動く。もうお前達の期待を、裏切るような真似はしない。だが究極的に言えば俺は結局、自分のために戦っている。それが気に食わないのならば、それでもいい。俺を死なせて、それで得られる抗いのために使ってくれてもいい」

 

「……何でそこまで……。クラードさんは、だって《レヴォル》を取り戻したいだけなんじゃ……」

 

「ああ。だがそのためには、力が要る。トライアウトを相手取り、《ネクロレヴォル》を打倒し得るだけの力が。俺は自分の力のためならば手段は問わない。《疑似封式レヴォル》だけで達成出来ると自惚れているわけでもない。俺には今、ベアトリーチェクルー全員の力が必要なんだ。なら、下手なプライドや迷いに足を取られている場合じゃないだろう」

 

 クラードの選択肢は自分のため、という根源があるものの、それでも彼の宿す芯の部分は三年前から変化したのを、カトリナは感じ取っていた。

 

 今の彼は、自分達を頼りにしてくれる。

 

《レヴォル》と共に前にばかり出ていた時とは違う。

 

 クラードは自分達と足並みを合わせ、その上で運命への叛逆を成し遂げようと言うのだ。

 

 ある意味ではそれはこれまでの戦いよりもなお困難な、熾烈を極めるものとなるであろう。

 

 そうだと理解していて、クラードは示し続けると決めたのだと、自分を前にして言ってくれている。

 

 その佇まいは、自分がこれまで抵抗し続けた事も無駄ではないと言ってくれているようで――。

 

「……何だ、カトリナ・シンジョウ。泣いているのか」

 

「い、いえっ……目にゴミが入っちゃって……」

 

 慌てて目元を拭ってからカトリナはクラードと向かい合って、ふと微笑む。

 

「……クラードさん。三年前の私は、頼りなかったかもしれないですけれど、今ならば信じてくれますか?」

 

「信じるも信じないもない。俺は勝てると思っているから賭けに値すると想定している」

 

「……もうっ、そういうところですよ……っ。でも、なら私は、あなたに応えたい……。委任担当官、カトリナ・シンジョウとして、命令します。エージェント、クラードは作戦遂行が可能だと判断し、これより私の指揮に入ってもらいます。……要は、生きるも死ぬも私次第、って事ですね」

 

「了承した。俺はこの戦いに望むものは少ないつもりだ」

 

「……よく言いますよ。全部取り戻すんでしょう?」

 

「ああ、項目で言えば少ない、と言うだけの話だな」

 

 何だかそんな軽口がクラードから出たとは思えず、カトリナはくすっと笑う。

 

 今は、その一つだけでも懸念事項が減ってくれた。

 

 クラードがここまで来たのはきっと、そんな理由なのだろう。

 

 ――ならば、自分が及び腰でどうする。戦うのなら、最後まで前のめりであれ。

 

「……行きましょう、クラードさん。レミア艦長が立ち向かってくるんなら、その頬っぺた引っぱたいちゃえばいいんですっ」

 

「あんたにそこまでの胆力があるとは思えないが」

 

「……それは、言わない約束じゃないですかぁ……」

 

「行くぞ。レミアはだが、俺達相手に手加減をしてくれるような奴じゃない。本気で、潰しに来るはずだ。ならば、それ相応で迎え撃たなければいけない」

 

 白衣を翻し、クラードは赴く。

 

 それは奪還の戦場へと。

 

「――戦い抜く。命ある限り」

 

 



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第115話「世界の片隅で」

 

 ふんふんふーん、と鼻歌交じりのファムが珍しく給仕にされるがまま、髪を梳かれているので声をかけていた。

 

「どうやら今日はご機嫌のようだな、ファム」

 

「にいさま! しゃこうかい、すきー!」

 

「気が変わったのか。いい御仁に巡り合えたのならば幸いだ」

 

「ううん、そうじゃないけど、キルシー、すきー!」

 

「キルシー。そのような名の侯爵は存在したか。いずれにせよ、自分としては喜ばしい。あれほど気難しかったのに、前向きになってくれた事が」

 

「旦那様。ファム様はどうやら、フロイト家のご令嬢と親しくなったようなのです」

 

 鏡の前でファムのドレスを仕立てている給仕の言葉に、ジオは冷淡に応じる。

 

「令嬢、か。それは見えていなかった。ファムにはまず、友人を作るところから始めるべきであったか」

 

「キルシー、とってもうれしいこと、ファムにしてくれるから、すきー! おいしいりょうりをたべたよ?」

 

「そうか。よくしてくれる令嬢同士ならば、少しはファムも社交界に出る楽しみがあっていいのだろう。フロイト家にはこちらから懇意に伝えておく。ファムは、今日も出かけるのか」

 

「キルシーがね! おちゃかい? してくれるの」

 

「そうか。ならば佇まいを正して行くといい。フロイト家は、確かローゼンシュタイン家とも親しかったはずだ。これから先にとって優位となる」

 

「ファム様。少し落ち着いてくださいまし。お召し物が汚れてしまいます」

 

「いーやっ! たのしみなのー!」

 

 ばたばたと手足をばたつかせて喜びを発露させるファムからしてみれば、本心からの友人であったのだろう。

 

 あれほど嫌がっていた社交界に出るきっかけとなるのならば、こちらからしてみても不利益には転がり得ない。

 

 仮面に一報が入る。

 

 ジオは邸宅の一室へと赴くなり、回線を繋いでいた。

 

「ジオ・クランスコールは、ここに」

 

『予期せぬ事態が起こった。貴様が三年前に仕留めたはずのレヴォルの意志に選ばれた者がまだ生きていた』

 

「それはまことですか」

 

『困ったものだ。彼の者には生きていてもらっては困る。貴様は確実に殺したと、そう言っていたな?』

 

「こちらの落ち度です。まさかあれほどまでに壊し尽くしたはずの《レヴォル》の中で生きていたとは思いも寄らない」

 

『《オリジナルレヴォル》は我々の手の中にある。トライアウトの保護のうちでは危うくなるであろう。既に手を回し、月面テスタメントベースに収容されている。強奪される可能性は低いと見ているが、レヴォルの意志に選ばれた人間が生きているとなれば事だ』

 

『左様。彼奴は殺さなければいけない。エンデュランス・フラクタルと通じているとなれば、自ずと真実に辿り着くのも時間の問題であろう。よって、ジオ・クランスコール。有事の際には、分かっているな?』

 

「いつでも。愛機、《ラクリモサ》と共に戦場に駆り出しましょう」

 

『次元の姫君の世継ぎは、考えてもらっているか』

 

「それを決めるのはファムです。自分ではどうしようもない」

 

『最悪、洗脳してでもいい。次元の姫の自我を奪い取り、その意思のままに操るくらい造作もないであろう』

 

「ですがそれは、第三の聖獣を目覚めさせかねません」

 

『前にも言った。それは既に解消済みだと。聖獣の動きに関して、貴様は口出し出来る権限を越えているぞ、ジオ・クランスコール』

 

「失礼を」

 

『そうは思っていないような口振りだ。まぁいい。貴様は王族親衛隊直属の兵士。《ラクリモサ》で敵を葬る事が最適解であろう。他に生き方もないのだからな』

 

「承知済みです。自分は、戦うのみですので」

 

『《オリジナルレヴォル》は我らが手中にあるとは言え、解析には時間がかかっている。やはり《ネクロレヴォル》隊の運用には少し待ったをかけたほうがいいか』

 

『いや、奴らは気づいてさえもいまい。騎屍兵のデータ運用が《オリジナルレヴォル》――《フィフスエレメント》覚醒への誘発になる事など。それにしたところで、騎屍兵身分を動かすのには苦労もする。第二世代MSへのレヴォル・インターセプト・リーディングの転用とそしてその技術の粋であるアイリウムの転写。どれほどでも時間をかけられる、というほど我々に時間があるわけでもない。マグナマトリクス社は既に第七の聖獣とコンタクトを取ったと見るべきだ』

 

『やはり、聖獣観察任務を統合機構軍の者達に任せたのは間違いであったか』

 

『だがエンデュランス・フラクタルに幾度となく煮え湯を飲まされるのは旨味がない……。奴らは既にレヴォルの意志をある程度手中に入れたからこそ、この余裕があるのであろうからな。その立場を理解しての現状であろう』

 

「つつしみながら」

 

 ジオは彼らの言葉に口を差し挟む。

 

 顔を上げずにそのまま声を続けていた。

 

「エンデュランス・フラクタルは危険だと進言します。現状の統合機構軍のネットワークは我が方を上回っていると考えるべきでしょう」

 

『貴様、我々に指図するのか。兵士でしかない貴様身分が』

 

「まさか。自分は勝率の話をしているのみです」

 

『我々に勝率が薄いとでも?』

 

「統合機構軍は読めない動きが多い。第七の聖獣に関しても自分の耳に入って来る情報は少ないと存じます。マグナマトリクス社は何を仕込んで来るか分かったものではない。敵を撃つのならば、情報で後れを取っている現状は不利でしょう」

 

『……よく口が回るようになったな、ジオ・クランスコール。次元の姫君の影響か』

 

「いえ、ただの事実のみを進言しただけです」

 

『その事実とやら、虫唾が走ると言わせてもらおう。統合機構軍は我が方から《オルディヌス》を奪い、《レヴォル》という世界を欺く機体へと変貌させた。その影響がまさかこれほどまでの深度で我々に不利益に転がるとは想定外であった』

 

『だがそれは三年前の事象だ。今は違う。我々、ダーレットチルドレンが優勢を誇り、この時代の覇者となる。そのためには、我々の思い通りに動かない勢力は邪魔なだけだ。よって全てを殲滅し、全てをなかった事にする。レヴォルの意志が人を選ぶと言うのならば、我々が選ばせればいい。選択すべきは一個人ではなく、総体たる我らなのだという事を』

 

『まこと……貴様、思い違いも甚だしいな。どうして我々が不利だと述べた? 理由を申せ』

 

「いえ、恐れながら」

 

『言えと、言っているのが分からないのか』

 

「では、一言のみ。敵は自分と《ラクリモサ》から逃れ、生き永らえたほどです。強敵だと、思うべきなのではないでしょうか」

 

 その進言に蒼く波打った胎児達の暗幕がせせら笑う。

 

『強敵? 強敵と申したか! ジオ・クランスコール! 言っておく。それはあり得ない。我々を欺ける存在など、この世には居ない』

 

『テスタメントベースに封印されていたエーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの意識データの取り込みには成功している。読み込みには時間がかかるが、なに、千年の代物だ。少しばかり長い目で見ようではないか』

 

「では、我が方に敗北条件はありますまい」

 

『その通りだ。口を慎め、ジオ・クランスコール。貴様は所詮兵士の身分。如何に最強のミラーヘッド使いを気取ろうと、それは変わらん。我々に使われるためにこの世に存在しているのだ。それを忘れるものではないぞ』

 

「重々、承知しております。自分はただ一刹那の戦いに、勝利と言う結果をもたらすために」

 

『ならば決断せよ。次元の姫君の世継ぎのほうが優先される。子が宿せないのならば他にも手はあるが、強硬策に出たくはないのでね』

 

『貴様が預かった。ならば貴様が姫の運命を決めよ。それが、ジオ・クランスコール、いやしくも兄と慕われる、貴様の辿るべき運命なのだからな』

 

 蒼い暗幕が再び波打って回線が途切れる。

 

 部屋を後にする途中、ジオはポートホームにスキップで向かうファムの姿を視野に入れていた。

 

「にいさま! いってきます!」

 

「ああ。行ってくるといい、ファム」

 

 給仕達がファムの面倒を看る中で、ジオは仮面の相貌を撫でて呟く。

 

「最強のミラーヘッド使い、か。これでは道化だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 退屈をようやく吹き飛ばしてくれる予感に、キルシーはガラにもなくはしゃいでいた。

 

 やはりと言うべきか、前回の社交界でのやらかしをシンディに咎められたのは痛かったが、今日のためにあったと思えば儲けものだ。

 

「それにしても、クランスコール卿のご令嬢がうちにお茶会に来てくださるなんて……。特別に気に入ってくださったのですね、お嬢様」

 

「そうだと思う? シンディ」

 

「……殿方を投げ飛ばした報酬にしては、まぁちょっとばかし割に合わないでしょうけれど」

 

 手痛いところを突かれるが、今はそんなものを吹き飛ばしてしまえるほどに楽しみだ。

 

「ねぇ、シンディ。ファムはこのお菓子を喜んでくれるかしら?」

 

 並べ立てた高級菓子はどれも一級の品々であり、パティシエが腕によりをかけたものばかり。

 

 シンディも今日ばかりはそれほどおかんむりでもないらしく、お茶会の準備を整えてくれていた。

 

「ええ。これならばクランスコール令嬢も喜んでくれるはずでしょう」

 

「……だから、クランスコール令嬢じゃなくって、ファムだってば」

 

「お嬢様! むやみに貴族のご令嬢をファーストネームで呼ぶものではございません。どのような事があって立場が変わるか分からないのですよ」

 

「……シンディは考え過ぎだってば。確かにファムは変な子だけれど、私を貶めるだとかは考えないわ。そう言う風な気が回るような子じゃないもの」

 

「分かりません。クランスコール卿はお嬢様のような方が割って入る事など考えてもいなかったのでしょう? ならば、そのクランスコール令嬢がどのような方かなんて分かったものではありません」

 

「大丈夫よ、シンディ。ファムは悪い子じゃないわ」

 

 そこまで説得したところで、ポートホーム越しに到着音が鳴り響いていた。

 

「来たわ!」

 

「お嬢様! 階段を駆け下りない! はしたないですわよ!」

 

「いいのよ、別に!」

 

 ポートホームで邸宅に入って来たのは、前回と同じく黄色のドレスに身を包んだファムであった。

 

 星屑のような銀髪がシャンデリアの光を反射している。

 

「ファム!」

 

「ミュイ! キルシー!」

 

 出会うなり、互いに抱き合う。

 

 ハグなんていつぶりだろう。

 

 気を許せる相手が居なくなったのはもう随分と前な気がする。

 

「よく来てくれたわね。今日は美味しいお茶とお菓子で、目いっぱい歓迎するわ」

 

「ミュイぃ……! おかしたのしみ!」

 

「でしょう! ファムは食いしん坊だものね!」

 

 ファムの井出達は侯爵令嬢そのものだが、瞳に宿した好奇心の輝きはまるで子犬のようだ。

 

 早速テラスに連れて行くと、ファムは歓声を上げていた。

 

「ミュイ! いっぱいだね!」

 

「そうよ。だって今日はファムが来てくれるって言っていたんだもの。フロイト家の令嬢として、一番のもてなしをしてあげる!」

 

「どれもおいしそう……! ミュイっ!」

 

 早速ドーナッツをつまみ食いしたファムの行動にシンディが目を瞠ったが、ファムはお構いなしに一流のスイーツを何でもない事のように口に放り込んでいく。

 

「ミュイぃぃ……! おいしいね、キルシー」

 

「そ、そうね……。まさかそこまでがっつくとは……予想外だったけれど。でもまぁ、お茶会なんて所詮は建前だしね。ファム、そこに座って頂戴」

 

「ミュイ。……これもたべていい?」

 

「今にお茶が来るわ。ちょっと待ってもらえる? シンディ、お茶の準備は?」

 

「出来ております。クランスコール様、わたくしはキルシーお嬢様のお付きの教育係のシンディと申します。以後、お見知りおきを」

 

「ミュイ……シンディ?」

 

「小うるさい私の教育係よ」

 

「……お嬢様。そのような口調、はしたないですよ」

 

「別にいいじゃない。ここにはマナーや作法にうるさい貴族の連中は居ないし、私はファムとお茶をするために呼び出したんだから。ここじゃ、ただのキルシー・フロイトよ。それ以上でも以下でもないわ」

 

「ですが……お嬢様、今日はこちらがホストなのです。失礼なきよう」

 

「はぁーい、シンディ」

 

 適当にあしらってやるとシンディお得意の睨みが飛んだが、今日ばかりは気にかけないようにする。

 

「……ミュイ。シンディ、こわいね。バーミットみたい」

 

「バーミット? それってファムのところの教育係?」

 

「バーミット、ファムがおふろきらいなのしってて、おにになるの。それとブロッコリーをおしこんでくる……」

 

「そう。ファムはその人が嫌い?」

 

「ううん、だいすき! バーミット、おにだけれど、ファムのだいじなひとぉ……」

 

 柔らかく微笑むファムに当初の目的を忘れそうになったのも一瞬、咳払い一つでキルシーは話題を切り出していた。

 

「……時に、ファム。あなたの家もこのまま、あなたを売り出そうとしているのかしら」

 

「……ミュイ? うりだす、ってなに?」

 

「……前回の社交界を見た限りじゃ、クランスコール卿……まぁ、つまり、万華鏡があなたをもう、何て言うのかしら……見限ったって言うみたいな感じだったから。だって、いくら相手がホスト側だったからと言って、あんなあからさまな事を言うような貴族、お里が知れるってものだもの。心配なのよ。あなたが、クランスコール家の……その家の血統のために、ないがしろにされているんじゃないかって」

 

「……ミュイ……キルシー、むずかしいこという。ファム、よくわかんない……」

 

 すっかりしょぼくれてしまったファムに分かりやすく噛み砕こうとしたところで、シンディが紅茶を注ぎにやってきたので話が中断する。

 

「まぁ、まずはお茶を飲んで。それからゆっくりと、優雅に話しましょう。時間はたっぷりとあるんだしね」

 

 ハーブティーが注がれていく中で、ファムは目を輝かせていた。

 

「きれい!」

 

「でしょう? このハーブティーは地球圏の産地で……」

 

 説明する前に、ティーカップに注がれた紅茶をファムは一息に飲み干してしまう。

 

 さすがの自分もその行動には面食らってしまっていた。

 

 シンディは口を開けたまま茫然自失である。

 

「ミュイ! おいしいね!」

 

「そ、そうね、ファム……。びっくりしたぁ……あなたって本当に、飽きさせないわね」

 

 震える指先で紅茶を口に運んで、シンディに目配せする。

 

 一礼した彼女はどうやら後で話がある、というアイサインを自分に送っているらしい。

 

 その眼差しの鋭さにキルシーはせっかくの上物の紅茶の味がした気がしなかった。

 

「……でも、退屈させないだけ、いいじゃないの。ねぇ、ファム。今の世の中、どう思っているのかしら」

 

「ミュイ? ……これ、おいしいね、キルシー!」

 

 クッキーを口いっぱいに頬張っているファムに、常識なんてものは通用しそうになかったが、その頬をハンカチで拭ってやる。

 

「頬っぺたに付いているわよ? ……何だかファムって子供みたいね」

 

「ミュイぃぃ……バーミットもよくこうしてくれたよ?」

 

「そう。その教育係の人はかなりの……苦労人だったでしょうね。まぁいいわ。ファム、改めて。あなたはこの世界をどう思ってる?」

 

「ミュイ?」

 

 小首を傾げるファムへとキルシーは端末を呼び起こし、投射画面に世界の情勢を映し出す。

 

「私達は当たり前のように地球圏の恩恵を受けているわ。それもこれも、月のダレトの技術を通してね。でも、噂に聞く限りじゃ、地球圏では統制、とか言うのが行われているみたいじゃないの。それも軍警察のものじゃない、私達の耳に入れたくないほどの代物だって」

 

「……キルシーは、おこってるの?」

 

「憤っているのよ。一部のメディアにしか情報を握らせないこの世の中と、それに対して声も荒らげない世論にね。でも私も言えた義理じゃないのはよく分かっているつもり。だって、こうして一級のお茶とお菓子を楽しめるのは、それは多分、色んな人達の屍の上に成り立っているはずだもの。……どうかしているわ。そんな時に毎晩の如く饗宴に浸れる特権層も。その特権層に位置している自分の境遇も……吐き気がする」

 

「ミュイぃぃ……よくわからないけれど、たいへんそう……」

 

「大変とか……! そんな領域じゃないわ! 人が死んでいるのよ!」

 

 いきり立って反発した自分の威勢に、ファムは目に涙を浮かべて委縮する。

 

 しまった、と思ったその時には、ファムは泣き出してしまっていた。

 

「ああ、ごめんなさい、ファム。そんなつもりはなかったの。あなたを怖がらせるようなつもりは……」

 

「お嬢様。どうなさいました?」

 

「大丈夫、シンディ。ちょっと私のほうが取り乱しちゃっただけだから。ファムの面倒は私に見させて頂戴」

 

 ハンカチでファムの涙を拭う。そればかりではなく、頬に付いた菓子の食べかすも一緒に拭ってやっていたが、ファムは何度もしゃくり上げる。

 

「ファム、いやぁーっ! しんじゃうの、とってもいやーっ!」

 

「そうね、ファム。死んじゃうのは……嫌ね。でも、私達みたいなのが無関心を気取れるほど、世界は出来ちゃいないのよ。……ほら、綺麗になった。これで少しは落ち着いた?」

 

「……ミュイ……キルシーも、しんじゃうの?」

 

 上目遣いの問いかけに一瞬ドキリとするものを感じつつも、キルシーは視線を逸らして腕を組んで応じる。

 

「ば、馬鹿仰い……。私は死なないし、ファムも死なない。だって、せっかくお友達になれたんだもの。長い時間をかけて、お互いを理解していきましょう。時間だけは、本当に遠大にあるからね」

 

「ミュイぃぃ……それなら、よかった」

 

「……そうよ。死ぬとかそんな話がしたかったわけじゃ……。そういえば、ファム。私みたいな人を知っているって言っていたけれど、それって貴族の人?」

 

「ミュイ? ファムのしっているひとは、ちょっとこわいひとだよ?」

 

「怖い人、ねぇ……何だか暗に貶められているような気がしないでもないけれど。私に似ているって、顔とか?」

 

「……よくわかんない。でも、キルシーにそっくり」

 

「……それも分かんないなぁ。私みたいなのそうそう居ないと思うんだけれど……。リベラル気取ろうにも今の情勢じゃあね。女はお飾りって言うのが大半だし、それに軍警察の眼もあるから、簡単にはいかないわよ。ほとんどのレジスタンス組織も、軍警察の前じゃ形無しでしょ」

 

 ガヴィリアから聞き出した話の限りでは、トライアウトの前ではちょっとした反抗勢力はほぼほぼ鎮圧済みらしい。

 

 聞かなくっても話してくるのは相変わらず「恥知らず」としか言いようがないが。

 

「……ミュイ。キルシーはむずかしいこと、しってるね」

 

「そう? まぁ、貴族身分でこういう世界情勢がどうこうだとか言い出すのって珍しいか。ファムは、クランスコール家のご令嬢なんでしょう? お兄様から何か話を聞かないの?」

 

「にいさま? にいさまはなにもいわないよ?」

 

「……ま、それも当然か。万華鏡、ジオ・クランスコールだもんねぇ。王族親衛隊の所属って聞いてはいるけれど、その実態はまるで不明。どこから調べようとしても、埃も付いていやしない」

 

「……でもにいさま、なんにもわかってくれないの。ファムのこと、いちどもみてくれない……」

 

「兄妹仲、悪いの?」

 

「なかは……わるくない……。でも、ファムがおねがいすると、それはできないっていうの」

 

「ふぅーん。ファムはどんなお願いをするの?」

 

「あのね……! おうたがうたいたいの!」

 

「お、お歌ぁ? 何を言うかと思えば……」

 

 想定外の言葉に面食らっていると、ファムはテーブルを叩いてリズムを取る。

 

「ファムのおうた、きれいだっていってくれたひとたちがいたの。だから、おうたをうたってあげるの!」

 

 ファムの紡いでみせた音階はどれもこれもバラバラだが、多言語が混ざり合っているように思われた。

 

 その乱雑な連なりが、どうしてなのだか胸に染み入る。

 

 まるで、鎮魂歌のように、誰かの命を、魂を慰撫するために紡がれてきたような歌声であった。

 

「……素敵ね、ファムの歌」

 

「キルシーもうたおう! いっしょにおうた!」

 

「う、歌はちょっと……。私、そんなに得意じゃないから」

 

「でも、いっしょにおうたうたうと、もっとすきーになれるよ?」

 

「そ、そう? なら、歌ってみてもいいかしら。……でも、ファムみたいに上手くないわよ」

 

 ファムは邸宅から見下ろせる景色に向けて歌声を紡ぎ始める。

 

 多音階で、聴く人間によっては雑多とも取れる歌であったが、心を揺り動かすものであったのだけは本物であろう。

 

 その声に乗せて、自分も大して上手くもない歌を歌ってみせる。

 

 誰かに誇るでもない歌――だが、それはこれまで、世界平和を謳うよりも、何かに遺恨を抱くよりも、自分の気持ちに素直になれたような気がしていた。

 

「……お茶会なのに、すっかりお茶が冷めちゃったわね」

 

 冷めた紅茶に口を付ける。

 

 しかし、悪い味ではなかった。

 

 



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第116話「撃つべきは」

 

「機体順応性は七十パーセント以上。ですが、《レグルス》の配備にはコストがかさみます。かと言って、《ネクロレヴォル》隊に追従するのには、《エクエス》では不安材料が大きい」

 

 そう報告の声を飛ばすダイキに、レミアは上の空で応じていた。

 

「ああ、うん。そうね……」

 

「……フロイト艦長? どうしたんですか。あの騎屍兵とか言う奴ら、あいつら生意気ですよ」

 

 前に回り込んできたダイキをレミアは静かに制する。

 

「それでも、特務だって言うんでしょう? なら従うのが軍警察の義務よ」

 

「ですが……! 話に聞いた限りじゃあいつら……俺達の統制を踏みにじっているとか」

 

「噂だけで是非を問うものでもないわ。それに、《ネクロレヴォル》が配備されるのは我々としても、渡りに船と言う奴だものね」

 

 ダイキと共に格納デッキへと至ったレミアは戦闘配置状態の艦内において、喪服のようなパイロットスーツの騎屍兵が今も最終点検を行っているのを目にしていた。

 

「……あいつら、陰気なんですよ。ブリギットの艦内整備士の手は借りない、なんて言っちゃって」

 

「単純な縦社会構造か、あるいは別の理由があるのか、ね」

 

「何なんですか? 別の理由なんて」

 

「……《ネクロレヴォル》を触らせたくない。あるいは秘匿義務」

 

「それこそ、じゃあ何で協力体制なんて取ったんだ、って話じゃないですか。連中お得意のワンマンプレーで済ませればいいだけでしょう?」

 

 その疑問にレミアは脳裏を掠めるものを感じていた。

 

「……私達トライアウトネメシスが既に目を付けられている。ある程度の損耗を加味しての……これは踏み台にされていると、思っていいのかしらね」

 

「どういう事です? 俺達トライアウトネメシスに、勘繰られて困る腹なんて」

 

「ないように思っていても、当の本人が気づかないだけの可能性だってある。ねぇ、こんなことわざを知ってる? “知らぬは仏、見ぬは極楽”、ってね。私達は思ったよりも深く、何かを知り得ている。《ネクロレヴォル》はそのための切り札」

 

「考え過ぎでしょう。第一、だとすれば俺達相手に、レジスタンスが強襲作戦でも仕掛けて来るって言うんですか?」

 

「何か疑問でも?」

 

「現実的じゃないでしょう。それに、強襲をかけられたところで、件のベアトリーチェだって言うんなら、墜とせますよ」

 

「……その根拠を知りたいわね。ダイキ・クラビア中尉」

 

 改まったものだから、ダイキは僅かにうろたえた後に、答えを返していた。

 

「……それは、我が方には優秀な指揮官が居ます。その指揮の下で動いていれば、手負いの艦くらいは叩けます」

 

「本音を、言ってもらえるかしら。建前ではなく」

 

 こちらが言及すると隠し切れないと感じたのか、ダイキは肩を落としていた。

 

「……フロイト艦長が前任だった事は知っています。統合機構軍の。なら、ベアトリーチェの性能を熟知しているとも」

 

「そうね。私はエンデュランス・フラクタルの、ベアトリーチェの艦長を命じられていたわ」

 

「でも、それって命令でしょう? 艦長の意思じゃなかった」

 

「何で言い切れるの?」

 

 それは、と一度口ごもった後に、ダイキは挙手敬礼を返していた。

 

「それは……この三年間、優秀な指揮官の下、戦えた経験があるからです! あなたが過去に囚われているようには見えなかった。それが理由では不服ですか」

 

「過去に囚われている、か。そんなの、当事者の間じゃないと、分かるわけがないじゃない」

 

「少なくとも俺にはそう見えませんでした。レミア・フロイト少佐はブリギットの艦長として武勲を立ててきた。ならば俺達兵士は、それに付き従う義務があります」

 

「義務、ね。……そんな事であなた達を戦場に駆り立てたくはないのだけれど」

 

「自分は士官です。トライアウトネメシスの信念を持っている。だからこそ、統制にも何も疑問は挟みません。それくらいは分かっていただきたい」

 

「あなたはでも、私の過去まで分かった風になったって仕方ない。だってあなたは私じゃないもの」

 

「それは屁理屈だ……」

 

「そうかもしれないわ。でも、相手が襲いかかってくるのならば火の粉を払うのがブリギットの艦長としての正しい職務ではある」

 

 その時、バーミットが管制室へと続くフロアを横切り、自分達を急かす。

 

「艦長とクラビア中尉。とっとと行かないと矢の催促ですよ」

 

「サワシロ大尉! これは失礼を」

 

「……だから、やめてって言っているでしょう。そんなに偉くなったつもりもないんだし」

 

 バーミットは自分の側に流れて来て、肩を叩く。

 

「撃てるんですよね? レミア艦長」

 

 バーミットは理解している。理解した上で問い質しているのだ。

 

 下手な言葉は返せないな、とレミアは応じていた。

 

「……敵がベアトリーチェだと言うのならば、私はあの艦の戦法を全て理解しているつもりよ。負ける要素なんて一つもない」

 

「その言葉が聞けただけでもよかったと、思っていいんでしょうかね。……最悪の場合、特攻もあり得ます。迷いのない判断をくださいよ」

 

 ベアトリーチェが特攻――と脳裏に浮かんだビジョンをレミアは振り落し、トライアウトの士官としての眼差しを投げていた。

 

「……私はブリギットを束ねるだけの人間よ。それなりに修羅場は潜り抜けてきたつもりだし、私情を挟んで敗北するなんて事だけはあり得ないわ」

 

「そうですか。でも、今ベアトリーチェを指揮しているのは、多分、あの子ですよ。自分の事だけでも精一杯なのに、それでも他人のために頑張っちゃうようなあの子の、息の根を止めると、本気で仰っているんですよね?」

 

 分かっている。これは狡い論法なのだと。

 

 それでも、自分は答えなければいけない。トライアウトネメシスの艦長としての言葉を。

 

「……相手が誰だろうと関係がないわ。目の前を阻むような敵は全て排除する。それがトライアウトネメシスとして、正しい判断のはずよ」

 

「心強いですよ、フロイト艦長は」

 

 ダイキの声を受けてレミアは管制室へと向かっていた。

 

 既にブリギットに務める士官達は戦闘態勢に入っている。

 

「これより、レジスタンス残党勢力の統制に移ります。ブリギットによる敵の掃討の後、トライアウトネメシスが先陣を切って相手を拿捕。騎屍兵も協力してくれるとの事ですが、当てにし過ぎないよう。彼らには彼らの利害がある。我々には我々の勝利がある事を、ゆめゆめ忘れないように」

 

「よっしゃ! みんな! いっちょかましていくぜ!」

 

 ダイキがいい景気づけになってくれている。レミアは艦長席に腰掛け、帽子を深く被っていた。

 

「……そうよ、私はもう、戻れるなんて都合のいい事、思っちゃいないもの。……ブリギット出撃! 推定される敵宙域までのミラーヘッド段階加速! 目標、エンデュランス・フラクタル艦、ベアトリーチェ!」

 

 ――そう、それが分かっているのならば。

 

 因果をそそぐのは今のはずだ。

 

 



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第117話「想い、消え行くままに」

 

「しかし、クラード。この調整で本当にいいのか? これじゃ浮足立つぞ……」

 

 コックピット脇で今も電算作業を執り行っているサルトルの小言にクラードは静謐のまま応じていた。

 

「ああ、構わない。どっちにしたって、相手はあのレミアだ。俺達相手に温情を与えて来るとも思えない」

 

「それはそうだがな。ベアトリーチェの段階加速だって限界があるんだ。戦闘宙域で顔を突き合わせて、新型艦に勝てるかと言えば……」

 

「勝てる勝てないじゃない。勝ってみせるんだ」

 

「……お前、変わったな。前まではフロイト艦長やバーミットが言うのは所詮、半年の隔たりだと思っていたが、今のお前は違うよ。任せるに足る何かを持っている」

 

「……そうか? 俺は……変わったのだろうか?」

 

 その問いかけに応えてくれるレヴォルの意志は、この機体には搭載されていない。

 

 テスト機である《疑似封式レヴォル》にはレヴォル・インターセプト・リーディングの加護はない。

 

 静寂のままのコックピット内部は手狭だが、今は宇宙のどんな場所よりも茫漠としているように思われた。

 

 どこまで戦えばいいのか。

 

 どこまで力を振るえばいいのか。

 

 その答えをくれた《レヴォル》は、今この場所には居ない。

 

 ならば、あの時。

 

 月軌道決戦でどうして《レヴォル》が自分を生かしたのか、その問いには応じるべきだ。

 

「……俺は自分が生きた理由を知りたい。《レヴォル》がどうして……《ラクリモサ》との戦いの最中に俺を生かそうとしたのかを、どうしても探求しなくてはいけない。あの状況ならばライドマトリクサーの排除は二の次だったはずだ。なのに、何故……」

 

「お前なぁ……そんな事も分からんのか。《レヴォル》はきっと――」

 

 激震が見舞い、サルトルがよろめいていた。

 

 クラードはコックピットから格納デッキの天井を仰ぐ。

 

「……来たみたいだな」

 

「おいでなすったか! ……作戦行動に移るぞ! クラード、《疑似封式レヴォル》の現状のシステムサーキットを走らせておく。これも……カトリナ女史の要望だって言うんならな」

 

「ああ、頼む。アイリウム認証。今だけは、俺に力を貸せ……《疑似封式レヴォル》」

 

 サルトルが構築してみせたのは仮設のアイリウムだ。

 

 それでも、カトリナの提唱した作戦通りに動くのならば必須の代物。

 

 水色の脈動を浮かび上がらせたアイリウムの機械音声に従い、クラードは両腕を静かに開いていた。

 

『アイリウム認証開始。専任ユーザー名を入力してください』

 

「エージェント、クラード。操るのは、クラードだ」

 

『ユーザー認証確認。コミュニケートサーキットに登録します。クロックワークス社の規定に従い、第十六条を発布。ミラーヘッドオーダーの取得開始』

 

『クラード! 敵勢が来るぞ! 初期認証は後回しにしておけ!』

 

「了解。認証の七段階目までをスキップ。マニュアルで操作する」

 

『了承。ミラーヘッドオーダーの受諾を確認いたしました。オーダーは四十八時間有効です』

 

「……まさか俺が、クロックワークス社の配布するパブリックオーダーを使う事になるとはな」

 

 だがここまでは予定通り。

 

 敵に組み込まれているであろう軍勢を予測し、こちらでミラーヘッドオーダーを取得しておくのは作戦の第一段階だ。

 

『《疑似封式レヴォル》を左舷カタパルトへ! このまま出撃姿勢に入らせる!』

 

 整備班の声が今も耳朶を叩く中で、クラードは両腕を可変させ、《疑似封式レヴォル》と同期する。

 

 脳髄に焼き付く電子の刃――その切っ先を感じつつ、奥歯をぐっと噛み締める。

 

『出撃位置へ。《疑似封式レヴォル》、発進どうぞ』

 

「……《レヴォル疑似封式第六形態》、エージェント、クラード。迎撃宙域へ先行する!」

 

 リニアボルテージの青い電流を波打たせ、《疑似封式レヴォル》は発艦を果たしていた。

 

「既に敵は戦闘配置についていると思うべきなのだろうな。ならば、まずは……初撃を制する! ビームガトリングガン、装填!」

 

《疑似封式レヴォル》にビームガトリングガンを構えさせ、照準器の向こう側に佇む敵母艦たる新造艦へと視線を走らせる。

 

 ブリギットより放たれたのは円弧を描く機動を誇る三機の《ネクロレヴォル》であった。

 

 それぞれに前衛を務める機体の加速度を担い、ミラーヘッドの段階加速に移っている。

 

「……前を行く機体の推力を得て、最小限度のミラーヘッドジェル消費で戦う。なるほど、レミアらしい、無駄を嫌う戦法だ」

 

 会敵距離に入る前にクラードは広域のオープン通信をブリギットに向けて放っていた。

 

 それを相手が受諾するかは賭けであったが、敵はこちらの回線要求を呑む。

 

「……達す。こちらエンデュランス・フラクタル、ベアトリーチェである。そのほうの艦長と話したい」

 

『……今さら何を話すって言うの、クラード』

 

 応じてくれた、とクラードは言葉を継ぐ。

 

「……生きていたんだな、レミア」

 

『死んでいたほうが都合もよかったでしょう。あなたにとっても私にとっても』

 

「どうかな。俺は無用な戦いをしたくはない。要求は二つだ。《オリジナルレヴォル》の引き渡しと、そしてそちらの艦を指揮する、レミア・フロイトの奪取である」

 

 通信先がざわめいたのを感じ取ったが、レミアは冷徹な論調を崩す事はない。

 

『……ふざけるような人間じゃなかったと思っていたけれど。私の知っているエージェント、クラードは』

 

「ああ、ふざけてなんていない。お前が必要だ、レミア」

 

『……何よ、そんな事を言ったって、私がなびくとでも?』

 

「だが話を聞いてくれている。それだけは確かだろう」

 

『レジスタンスの内部戦力を図る必要があります。我々は軍警察、トライアウトネメシス。あなた達のような反抗勢力を統制するために存在している』

 

「それは俺のよく知るレミア・フロイトの言葉とは思えない。……戻ってきて欲しい」

 

『では戻れば、あなた達は抵抗をやめるの? 違うでしょう。あなた達は無益な争いをやめる事はない。そんな相手との交渉は端から意味なんてない』

 

「レミア。俺に撃たせる気か」

 

『それも意見の相違でしょう。あなたが撃たれるのよ、クラード。他でもない、私の手で』

 

 通信が途切れる。

 

 どうやらお喋りはここまで、というつもりらしい。

 

「……レミア。それでも俺の通す叛逆に、お前が必要なのは事実だ。その障害となるのならば……お前とて、敵だ」

 

《ネクロレヴォル》隊へとビームガトリングガンを掃射するも、敵は一斉にばらけていた。

 

 その後方より、隊長機《レグルス》に率いられた編隊が出現する。

 

「……《ネクロレヴォル》でさえも、こちらの意識への陽動か。本命は恐らく、《レグルス》部隊。《ネクロレヴォル》に関しては、しかし、たったの三機。相手取っている時間は――ない!」

 

《レグルス》へと接敵しようとした《疑似封式レヴォル》の行く手をしかし、《ネクロレヴォル》が引き受ける。

 

「……邪魔立てをする気か」

 

『それはこちらの台詞と言うもの。前回は奇襲であった。だが今回は違うな、《レヴォルテストタイプ》。汚名をそそがせてもらおう』

 

 ビームサーベルを引き抜いた敵をクラードは浴びせ蹴りで距離を取ろうとして、その脚部を握り込まれていた。

 

 驚愕に目を見開く前に、《ネクロレヴォル》の膂力で機体を振り回される。

 

『雷撃作戦を取らなければ、テストタイプなど……! 恐るるに足らず!』

 

 宙域へと吹き飛ばされたクラードは機体制御を立て直そうとして、直上からのビームライフルの光条に銃器を盾にしていた。

 

 至近距離で爆ぜたビームガトリングガンの砲身が《疑似封式レヴォル》を照らし出す。

 

 上を取っていた《ネクロレヴォル》が跳ね上がり、そのまま中距離を維持しながら光芒を見舞っていた。

 

「……近づかずにじりじりと……」

 

 だが、相手も消耗戦に打って出るつもりはないらしい。

 

 ベアトリーチェへと《レグルス》部隊が接近しつつあるのを、クラードは察知し、奥歯を噛み締めていた。

 

「……持ってくれよ。ミラーヘッド、起動」

 

『承認。ミラーヘッドシステムを受諾します』

 

《疑似封式レヴォル》の放った蒼い残像の両翼が《レグルス》の行く手を阻む。

 

『撃て! 撃てーっ! 敵は所詮単騎戦力だ! ベアトリーチェはあのガンダムに全ての戦力を注ぐだけの、情けない艦! 相手を損耗させれば勝てる!』

 

 隊長機《レグルス》の指揮でミラーヘッドの分身体が一つ、また一つと消滅していくが、それでも次、次、と手を講じていく。

 

「ミラーヘッドを……消し飛ばさせない……! 消えるのはお前達だ……!」

 

 ヒートマチェットを携えた本体に同期し、全てのミラーヘッドの分身体が近接戦闘に打って出る。

 

《レグルス》はしかし、高機動を誇ってそれらを掻い潜り、ビームライフルによる各個撃破を講じていた。

 

『雑魚だな。如何にガンダムとは言え、最早堕ちるところまで堕ちたか。俺達にやられろ――ッ! ガンダム!』

 

「誰が!」

 

 相手の抜刀速度に合わせて切り結ぶも、敵のパワーゲインに押し負かされ、《疑似封式レヴォル》本体が軋む。

 

「……レミアを、返してもらうぞ……!」

 

『フロイト艦長はトライアウトネメシスの士官だ! お前らみたいなのとは違うんだよ! ガンダムとかさァー!』

 

 隊長機《レグルス》が熾烈な機動性でこちらの斬撃を回避し、背後から斬りつけてくる。

 

 分身体を盾にしてそれらを防御するも、ミラーヘッドに際しての思考拡張に支障が生じていた。

 

 いくつもの自我を手繰っている脳内が今にもスパークしそうなほどだ。

 

 それでも、蒼白い分身体を引き寄せ、《ネクロレヴォル》の進行方向を遮り、敵陣を押し留める。

 

「……ここから先には、行かせはしない……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり、あなたはそうなのね。カトリナ・シンジョウさん。あなたでは私には勝てない」

 

 艦長席の肘掛けを強く握り締め、レミアはそう呟いていた。

 

「《レグルス》第一小隊はしかし、依然として《レヴォルテストタイプ》に阻まれたままです! 艦長の読み通り、敵は単騎戦力に重点している様子で」

 

「ええ、そうでしょう。ベアトリーチェはそうとしか出来ないもの。あの艦艇の本懐は《レヴォル》を先行させての情報集積艦。データを取るためだけの艦では、ブリギットに遠く及ばない。それに、ミラーヘッドオーダーを関知した、との報告があったわね?」

 

「はい。これも予見されていた通り、受諾されたミラーヘッドは一件のみです」

 

「カトリナ・シンジョウさん。あなたには出来ない。クラードの乗るテストタイプの機体を盾にして、自分は安全圏から高みの見物? それじゃ、私には一生届かないわ」

 

「《ネクロレヴォル》、今に敵のミラーヘッドの盾を破ります。《レグルス》第一小隊も同じく」

 

「クラードに頼りっ放し……。そんな戦法しか取れないんじゃ、あなたはいつまでも同じところをぐるぐる回るだけ。……教えてあげればよかったわね。戦術とはこうするのだと。《レグルス》にいつまでもテストタイプの相手をさせるのも、惜しいわ。第二小隊を出しなさい。長距離狙撃砲によるベアトリーチェの轟沈、それでクラードも少しは目が醒めるでしょう。付くべきは、彼女の側ではなかったのだという事を」

 

「《エクエス》第二小隊、ブリギットより発艦。長距離狙撃砲で敵艦を狙い撃て」

 

「今のベアトリーチェはまるで素人の動き。艦砲射撃くらいは張っておくべきだろうけれど、この三年間、弾薬を無駄にし続けたあなた達では、万全なトライアウトネメシスの戦法には絶対に通用しない」

 

 それもこれも、自分の過去を清算するため。

 

 狙撃部隊が隊列を組んでベアトリーチェへと肉薄する。

 

 ダイキの擁する《レグルス》がクラードのミラーヘッドを通過し、ベアトリーチェへと銃口を据えていた。

 

「一斉掃射。放て」

 

 その言葉で四方八方からベアトリーチェへと火線が舞う。

 

 瞬く間に火だるまに包まれたかつての自分の居場所を、レミアは望郷の眼差しで見送っていた。

 

「さよならね。私の忌まわしい過去の……」

 

 はなむけの言葉でも捧げようか、と思ったその瞬間である。

 

「いえ、これは……待ってください! 高熱源関知!」

 

 その言葉が迸った時には、ブリギットの張り出したカタパルトへと光条が見舞われている。

 

 紅蓮の炎に包まれていく艦の鼻先をレミアは驚愕の面持ちで眺めていた。

 

「……何が……」

 

「続いて本艦に直撃の火線! 狙われています!」

 

 馬鹿な、と声にする前に、艦の脚を狙っての精密射撃が四方八方から咲き、ブリギットが急速に動きを鈍らせていく。

 

「……な、何が……? 敵影は捉えられていないのに……」

 

 レミアはその言葉を皆まで聞かずに、閃いたものを感じて声を張っていた。

 

「いえ、待って! 熱源光学センサーに切り替えてちょうだい!」

 

 困惑顔の砲雷長に対し、バーミットが取り付いて熱源光学センサーで捉えた周辺宙域のデータを集積する。

 

「……やられましたね。まさか、こんな事が……」

 

 絶句したのはバーミットだけではない。

 

 管制室に居る全員が、ブリッジを包囲する敵の熱源に当惑していた。

 

「……視えない……敵?」

 

「いえ、想定するべきであったわ。クラードは報告していた。マグナマトリクス社の技術には光学迷彩がある、と。一時的とは言え、その艦に降った時があるクラードなら、光学迷彩技術の転用くらいはわけなかった。……でも、まさかじゃあ……ベアトリーチェとクラードの操る《レヴォルテストタイプ》は……囮?」

 

 ロックオンの警告がけたたましく響き渡る管制室で、レミアは苦々しいものを感じ取っていた。

 

 



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第118話「戦略を討て」

 

「――《疑似封式レヴォル》とベアトリーチェを、囮にする、ですか……?」

 

 カトリナはクラードの提言した作戦に対し、懐疑的であった。

 

 それはこれまで自分達の第二の故郷であったベアトリーチェを捨てろと言っているのだ。

 

 承服出来ないのはアルベルト達も同じである。

 

「ま、待てよ! クラード……! そんな事すれば、ベアトリーチェに残された人間は……」

 

「エンデュランス・フラクタル本社より人数分の《オムニブス》を用意してある。それと、サルトル。俺の提供した技術は、既に転用済みだな?」

 

「ああ。しかしこいつは、相当に燃費が悪いぞ? これを《疑似封式レヴォル》に貼るんじゃなく、《マギア》と《オムニブス》に貼るのでいいのか? もったいないんじゃないか?」

 

「いや、そのほうがいい。レミアは俺が先行すれば必ず俺相手に戦術を叩き込んでくる。俺が諦めればベアトリーチェのクルー全員が諦めるしかないのだと知っているからだ。その穴を突く」

 

「……でも、上手くいくとも限らないんじゃ? だって、クラードさんが、突破されたら……」

 

「俺が突破されれば終わり。そういう風に立ち回ればいい。《疑似封式レヴォル》には、ミラーヘッドが搭載されていない。パブリックのオーダーを取得する必要があるだろう。今回の場合、レミアはわざとそれを空けている可能性が高い」

 

「そいつは……理由があって、なのか?」

 

「ああ。レミアは不確定要素を潰したいはずだ。俺がテストタイプで抗っていると知れば、まずそのミラーヘッドの令状が通ったかどうかを確認したいと思うだろう。もし、何の令状も通っていなければ、《疑似封式レヴォル》にもオリジナルと同じくレヴォル・インターセプト・リーディングが入っているのだと予測し、別の作戦を使ってくる。相手の作戦を一つに絞るのには、レミアがよく知るベアトリーチェの戦法を取ればいい」

 

「確かに……。フロイト艦長はこの艦の事を誰よりも熟知している。……わたし達では及びもつかない事でさえもね」

 

 ヴィルヘルムは作戦概要書に目を通しつつ、電子煙草をくゆらせる。

 

「で、でも……私だって、三年間、この艦を率いて来たんですよ?」

 

「あんたとレミアじゃ駄目だ。歴が違う。正面切って勝てるとは思わないほうがいい」

 

 断言したクラードの論調にカトリナは、少しばかり唇を尖らせる。

 

「……そこまで言い切らなくってもぉ……」

 

「今はへそを曲げている場合じゃないだろうさ。クラードはフロイト艦長の事はよく知っている。なら、あの人がやるであろう作戦がおれ達を確実に殺し切るものである以上、その策を上回るのが前提だろうしな」

 

「殺し切るって……その、話し合いは、出来ないんでしょうか?」

 

「まず無理だと思ったほうがいい。一応、広域通信で呼びかけてはみるが、それはきっと、レミアの迷いを振り切るだけだろう。何よりも自分の過去相手に、レミアは容赦がない。ベアトリーチェは捨て石として使うべきだろうな」

 

「だが、クラード。もし相手が熱源光学センサーで察知していればどうなる? 早々に作戦が瓦解する事になるが……」

 

 アルベルトの問いにクラードは《マギアハーモニクス》に向き直っていた。

 

「……この機体にはレヴォル・インターセプト・リーディングのデッドコピーが入っていると聞いた。ならばもし察知されても数分間のコード、マヌエルの使用が可能なはずだ。敵が最初から光学迷彩を確認していたとしても、俺とアルベルトの《マギアハーモニクス》で相手を挟撃。その間に他の機体で戦艦を押さえる」

 

「……質問、いい? それってクラードさんが《ネクロレヴォル》隊や相手の先行部隊を抑え切った、と言う前提よね? そうならなかった場合は?」

 

 ユキノの疑問ももっともであったが、クラードは短く応じるのみであった。

 

「俺が敵の第一部隊は必ず抑止する。その時間は確保する前提で話を進めて欲しい」

 

 まさか、そのような事を言い出すとは思ってもみなかった全員がクラードへと驚愕の眼差しを向けていた。

 

「……何だ。文句があるのなら早く言え。作戦開始まで時間がない」

 

「いえ、そのぉー……クラードさん、誰かを頼るんですね……」

 

「俺一人ではレミアの作戦を崩す事は到底出来ないだろうからな。ベアトリーチェ一隻は百パーセント犠牲になるだろう。それに関しては何か言える事もないが」

 

「……いや、その作戦で行こう。クラード、お前はオレらの事を一端に考えてくれている。トライアウトネメシスにどっちにしろ勝って《レヴォル》を取り戻すのには、手痛い犠牲の一つや二つは必要になるだろうぜ。オレはクラードの作戦に乗った」

 

「俺の作戦じゃない。これを実行するか決めるのは、今の艦長であるあんただ。カトリナ・シンジョウ」

 

「……私……?」

 

「俺は途中から合流したに過ぎない。だから最終判断はあんたに投げる。俺の作戦が信用出来なければ、他の作戦案を採用してくれていい」

 

 艦内クルーの眼差しが自分へと注がれる。

 

 これまで幾度も、尊い犠牲を払ってきた自分が、このどん詰まりでの判断を下さなければいけない。

 

 それはエンデュランス・フラクタルとして、何よりもカトリナ・シンジョウとしてのこの三年間の信頼を問うものとなるはずだ。

 

「……私は正直なところ、ベアトリーチェを捨てたくはない。……でもそれ以外に、レミア艦長を取り戻して、《レヴォル》も奪還する術が思い浮かばない。……皆さん、ごめんなさい。私の我儘で、ベアトリーチェを……残された帰る場所を、捨てる事になってしまう……」

 

 頭を下げた自分に対し、どのような罵倒も覚悟しているつもりであったが、そのような言葉は投げられなかった。

 

「……じゃあまぁ、いそいそと作戦の準備をしますか」

 

「そうっすね。《マギアハーモニクス》の推進力、どんくらい落ちます?」

 

「ミラーヘッドも使えんしな。相手へと肉薄するまでは静かに行くしかないだろう」

 

「えっ……あれ……? ……皆さん、私を……どうとも思わないんですか?」

 

 戸惑う自分を他所にクラードは呆れた様子で口にする。

 

「……あんたの決定なら、それに従うのが俺達だ。委任担当官なんだろう。なら、一度通した我儘は最後まで通せ。それが責任だ」

 

「まぁ、どうせ私達は戦うしか道はないですし。だったら生存確率の高いほうに流れるのは自然なので」

 

 ユキノの言葉通りに、他のクルー達からも文句は出ない。

 

 何だかそれはそれで拍子抜けで、カトリナは困惑してしまう。

 

「いえ、でもですよ? ……これ、成功しないかも……」

 

「あんた、これまでそんな気持ちで、レジスタンス活動していたわけじゃないだろう」

 

 クラードの言葉にカトリナはハッとする。

 

 彼の赤い瞳は迷いのない覚悟を浮かべていた。

 

「そうだと規定したのならば、そう断じて戦え。それが俺達に出来る唯一の、運命への叛逆だ」

 

 それはこの三年間、孤独に戦ってきたクラードの全てが集約されているようでカトリナは胸が熱くなったのを感じていた。

 

「それに、カトリナさんだけが決めるんじゃないですし。オレらの総意です。……このベアトリーチェとも……長かったなぁ……。まともに別れの言葉を投げてやる時間もねぇですけれど……それでも。――あばよ、ベアトリーチェ。オレ達の第二の故郷……」

 

 そうだ。アルベルト達からしてみれば二度も故郷を奪う事になってしまう。

 

 だがその事実に際してナーバスになっている余裕はなさそうであった。

 

 ユキノはもう《マギア》のコックピットに入って最終点検に移っており、アルベルトはサルトルから説明を受けている。

 

 整備班は各々の仕事へと戻っていた。

 

 その中で、《疑似封式レヴォル》へと踵を返そうとしたクラードの背を、カトリナは呼び止める。

 

「待って……っ! クラードさんっ!」

 

「……何。作戦まで時間がない。相手もこっちの航路くらいは想定している。ミラーヘッドの段階加速を終了させるのと同時に戦闘に入ると思ったほうがいい。レミアは強敵だ。待ってはくれないだろう」

 

「……それでも……あの、その……っ、ありがとうございます……っ! ……私達に、まだ猶予をくれて……」

 

「言っておくけれど、これはあんたの作戦だ。俺はあくまで提案しただけ。作戦成功の如何は指揮官であるあんたにかかっている。《疑似封式レヴォル》で粘ったって、レミアは多分、すぐに限界なんだって見抜いて来るだろう。判断までの時間はあんた任せだ。俺はそれに従うよ」

 

「……それは……何でですか……?」

 

「……あんたは委任担当官なんだろう? 俺に命令するのは、あんたの職務のはずだ。エンデュランス・フラクタルに所属する以上は、委任担当官の言葉に準ずる」

 

「……何だか、ちょっとプレッシャーですね」

 

「レミアはそのプレッシャーを今まで何回も跳ね除けて来た。強敵だと思ったほうがいい。あんたと俺の戦術程度、すぐに読まれて敗北するほうが可能性も高い」

 

「そ、そこは勝てるって、言ってくださいよぉ……」

 

「確定事項じゃない。どれかが割れればお終いだ。俺は出来うる限り、最善を尽くす。その時に……ベアトリーチェを失うんだ。これから先の戦いの大局を見据えるのならば、少しばかり迂闊だと思ったほうがいい」

 

「……いえ、でも……私もこの三年間、この艦と一緒だったので。分かるって言うとちょっとおこがましいですけれど、ベアトリーチェとの航路はこの時のためだったんだ、って思うんです」

 

「……この時のため、か。そう言ってくれる人間が居て、この艦はまだ幸福なのだろう。俺は見極めなければいけない。レミアが、俺達を倒してでも自分を通すのか、それとも俺の一方的な奪還の策に乗ってくれるのか。……答えは二つに一つのはずだ」

 

 二つに一つ。

 

 他に選択肢などないように。

 

「……でも、もう一個くらい、あるんじゃないですか? 答え……」

 

「何があるって言うんだ。レミアは俺達を敵と断じれば容赦なんてしてくる人格じゃない」

 

「そうじゃなくって……。レミア艦長も、クラードさんも、私達も……みんなが幸せになれるような、そんな道が……」

 

「あんたの幸福論か。……こんなどん詰まりになってもなお、幸せになるって言うのは捨てないんだな」

 

「……正直言っちゃうと、前回の作戦の時にはほとんど捨ててました。自分の命一つで、みんなが助かるのなら、それでいいんだって。でも、駄目なんです。最後の最後で、……戦いの中でどうしても、胸の中にしこりのようにあるものが何かって言えば、その願い一つなんです。……私は、幸せになりたい。ううん、幸せになるんだ、って」

 

 クラードの事だ、これも切り捨てるかと思っていたが、彼からの侮蔑の言葉はなかった。

 

「……戦闘行動前だ。今はそれを後回しにしろ。俺は《疑似封式レヴォル》にパブリックのアイリウムを搭載しないといけない。サルトルには無理をさせるだろうからな」

 

 そう言って身を翻していくクラードの背中に、カトリナはそっと呟く。

 

「……でも前みたいに、馬鹿だとか、そんなものはないって、言わないでくれるんですね。クラードさんは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『艦艇自体が囮だと! ……まさかそんな捨て身の策を取ってくるなんて!』

 

 ようやく《疑似封式レヴォル》の包囲網を突破した自分達は、相手の作戦にまんまと引っ掛かってしまったわけだ。

 

 ファイブは回線を開き、騎屍兵部隊に呼びかける。

 

『トゥエルヴ、イレブン! このままじゃ敗北する! 転回して敵を各個撃破して……』

 

『いや、もう遅い、ファイブ。我々はこのテストタイプに乗せられてしまっていた。今さら、撤退機動に移るだけの推力は残っていない。何よりも……執念深く追ってくるのだな、《レヴォルテストタイプ》……!』

 

『悪いが、お前らを通すわけにはいかない。このまま――撃滅する』

 

 断じた冷たい論調に、ファイブは神経が凍てついたのを感じていた。

 

 あの日々と同じ、どれほど無謀な戦局でも切り拓き、活路を見出す怜悧な呼び声――エージェント、クラードを、自分達は敵にしている。

 

 その怯えが僅かに伝わったのだろう。

 

 自身の《ネクロレヴォル》は、《疑似封式レヴォル》の放った旋風めいたミラーヘッドの瀑布を叩き込まれ、よろめいてしまう。

 

『こいつ……! 隙が分かるのか……ッ!』

 

《疑似封式レヴォル》の振るい上げたヒートマチェットの赤い残火が閃光として舞い上がり、直後にはビームライフルを両断されていた。

 

『しかし性能では……テストタイプでは《ネクロレヴォル》に遠く及ばないはず……!』

 

 蹴り上げた一撃で《疑似封式レヴォル》から距離を稼ぎ、身を翻そうとした自機の脚を、相手が掴む。

 

 宇宙の深淵を覗き込んだかのような、絶対零度の感覚が伝導していた。

 

『……逃がすか……』

 

 その声はあの日のまま――否、あの日より生き残りさらに苛烈となったクラードの声には諦めなどは存在しない。

 

 恩讐めいたその言葉に、自身の弱さを実感する。

 

 ここで逃すなと、手を伸ばすのは自分のほうだ。

 

 死に体のクラードなど、今ならば撃墜出来るはず。

 

 そう断じたファイブはビームサーベルを発振させ、機体を横ロールさせて太刀を叩き込む。

 

《疑似封式レヴォル》が姿勢を崩し、頭部を打ち損ねた残存粒子が空間を引き裂く。

 

『……外れた、いや、外した』

 

 覚悟が足りなかったのだ。

 

 相手の喉笛へと食い破り、血潮を啜る覚悟が。

 

 だが戦場ではその一滴の覚悟が明暗を分ける。

 

《疑似封式レヴォル》が《ネクロレヴォル》を蹴り上げて躍り上がり、直上を取った機体がヒートマチェットを電荷させ、そのまま打ち下ろす。

 

 返す刀のビームサーベルの閃光が眼前で弾ける最中、ミラーヘッドの両翼が迫っていた。

 

『……パブリックのミラーヘッド程度で、私を撃墜出来ると思ったか!』

 

 起動するレヴォルの意志。

 

 両脇に一つずつ、ミラーヘッドを盾としただけで相手の挟撃は霧散するも、本体は弾き合って既に至近距離からは離れている。

 

『迂闊だ。近づき過ぎだぞ、ファイブ』

 

 イレブンが牽制銃撃を見舞い、《疑似封式レヴォル》を引き剥がしにかかる。

 

『……ああ、すまない。少し死の臭気が濃いな。あれは……ベアトリーチェは……まだ、沈んでいない……?』

 

『敵艦が健在? ……まさかそのような事……』

 

 トゥエルヴの機体が上方へと周り、業火に包まれたベアトリーチェの損耗率を全体に共有させる。

 

『これは……自動操縦か。敵艦、このままブリギットへと突っ込むつもりだぞ!』

 

『そんな……まさか特攻だって言うのか!』

 

『囮として使った艦艇もそのまま攻撃へと転じさせる……。ちょっとやそっとの覚悟じゃ不可能な領域だぞ……』

 

 無論、《ネクロレヴォル》と《レグルス》の第一小隊はベアトリーチェ轟沈まで立ち向かうべきであったが、本艦が抑えられている状態で前のめりになったところで旨味はなし。

 

『……機体転回。敵陣営に頭を押さえられている旗艦の対処を。でなければ詰みです』

 

『そうだ、ファイブ。賢い判断が必要ならば、向かってくる火だるまの艦艇のトドメよりも、今は我々の保護目標の達成こそが……』

 

 だが、業火に包まれたベアトリーチェの、その決死の覚悟を形にしたような姿は、否が応でも視線を外せない。

 

『……トーマは、逃げてくれたのか……あるいは……』

 

 最悪の想定を振り払い、ファイブとしての自分を研ぎ澄まし、《ネクロレヴォル》は身を翻していた。

 

 既に《疑似封式レヴォル》も確認出来る宙域内には存在しない。

 

『《レグルス》第一小隊は何をして……。いや、言うまいか』

 

 自分達とて、《疑似封式レヴォル》相手に時間をかけ過ぎていた。

 

《マギア》がブリギットのメインブリッジを包囲し、何やら回線を開いているようであったが接触回線のようで割り込むのには時間がかかる。

 

『……どうなってるって言うんだ……この状況……ッ!』

 

 



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第119話「たとえ弱くとも」

 

『達す。《疑似封式レヴォル》の回線を遠隔で中継している』

 

 響き渡った声は聞き間違えようもなく――。

 

「……クラード……。あなた、どうしてそこまで」

 

 絶句する自分に対し、ブリッジは喧騒に包まれていた。

 

「取り付かれたぞ! 《エクエス》で振り払え!」

 

「ミラーヘッド減殺ガスを噴射! ミラーヘッドを使わせるな!」

 

 転がっていく自体の中で、レミアは自分以外の何もかもの時間が遅れていくのを感じ取っていた。

 

 静謐の宇宙を伝導し、クラードの声が鼓膜を震わせる。

 

『……お前が必要だ。レミア。戻って来い』

 

「何を言っているの……。私の居場所なんて、もうないでしょうに。あなたは何でそこまでするの? もう運命に見離されて、何もかもから捨て置かれて……」

 

「艦長! ブリギットからロックオンが外れません! 今すぐにでも、《エクエス》を出撃させて迎撃を!」

 

「艦砲射撃で応戦! 敵を出来るだけ引き剥がすんだ! 艦長、ご判断を……!」

 

「艦長!」

 

「フロイト艦長!」

 

「……わた、しは……」

 

 あの月軌道決戦時と同じか、それよりもなお性質が悪い。

 

 自分の決断一つで人が大勢死ぬ。

 

 自分だけが死ぬのならばまだ救いがある。

 

 だと言うのに、この土壇場は。

 

 何も出来ないまま、命を摘まれる感覚は。

 

 艦長席に座りながら眩暈のようなものを覚える中で、クラードの呼びかけだけが明瞭であった。

 

『……レミア。俺の運命への叛逆にはお前が要る。だから取り戻す。《レヴォル》とお前が居なければいけない』

 

 ――ああ、今でも思い出す。

 

 自分のトリガーになってくれた、たった一人の少年。

 

 そんな彼の、切実な思いが宇宙の冷たさを超えて、こんな諦めの胸中に差し込む。

 

「……でも、私はあなたを捨てた……死んだも止む無しとして、あの時……助けようも思わなかったのよ……」

 

『だからどうだと言う。過去のお前はどうだったか知らない。俺が聞いているのは、今のお前だ』

 

「……今の、私……。今の私は……」

 

 瞬間、足元が不意に明瞭化する。

 

 今の自分はブリギットの艦長。

 

 この艦に生きる全員の生存を預かる義務がある。

 

 だがそれ以上に。

 

 何故、彼の言葉に心動かされつつあるのか。

 

 この三年間、冷え切っていた自分の鼓動を、今一度呼び起こすだけの――感傷が。

 

「……クラード。私にもう一度、救えるはずの命を取りこぼして、それであなたの下に行けと言うの……?」

 

『お前が判断しろ。自分の運命への叛逆は、自分自身で決定するしかない』

 

「……そんなの、狡いわよ……」

 

 トリガーのままで居てくれれば、まだ楽なのに。

 

 彼は自分へと問いかけている。

 

『引き金を引くのは自分自身だ。俺の知っているレミア・フロイトは』

 

「……引き金は自分自身、ね。あなたの言葉はいつだって……私を」

 

「艦長? 何を……」

 

 立ち上がり、こちらを照準する《マギアハーモニクス》へと視線を投げる。

 

「私にはもう……ブリギットを預かる資格はありません。艦内に伝令。トライアウトネメシス所属、ブリギットは敗北。このままでは皆の命もないでしょう。私の命を引き換えに、時間を稼ぎます」

 

「何を仰って……艦長?」

 

 もう、艦長席に座っているような資格は奪われていた。

 

 ホルスターに留めておいた拳銃を手に取り、安全装置を外してこめかみに当てる。

 

「……さようなら、クラード。私はあなたの下に戻るのには、たくさんのものを犠牲にしてきた」

 

『……レミア!』

 

 直後、銃声が劈く。

 

 こめかみに据えていたはずの拳銃を逸らしていたのは、自分の隣に居てくれたオペレーターであった。

 

「……どうして。バーミット……」

 

「駄目ですよ、レミア艦長。そんな風に……いい女のまま終わらないでください。少しくらいは足掻いて、嫌な女になってでも這いつくばって……今を、生きてくださいよ」

 

 銃弾は管制室の天井にめり込んでいる。

 

 硝煙を棚引かせた拳銃を、バーミットは力なく下げた自分の手から取り上げていた。

 

「さ、サワシロ大尉……」

 

「それ、やめろって言ってるでしょう。言っておくけれど、あたしは大義だとか責任だとかはどうでもいいと思っているクチなんで、無責任な事を言うわよ。――総員、ブリギットを退去しなさい。ここから先は、あたしの独断。裁くんなら、あたしを裁くといいわ」

 

 バーミットの論調に砲雷長が息を呑んでいた。

 

「な……謀反など……!」

 

「謀反なんて大それたもんじゃない。あと言っておくけれど、レミア艦長は自分を殺して責任を全うしようとしたけれど、あたしは嫌な女だから、目的のためなら誰でも撃てる」

 

 部下へと向けられた銃口に、管制室は大混乱に陥っていた。

 

 最早、自分一人の命だけで清算出来る領域を超えている。

 

「……バーミット。そこまで思い切るつもり……?」

 

「思い切っただとか、勝手な事言わないでもらえます? 言ったでしょう? あたし、ただのOLだって。軍人身分だとか、ガラじゃないんですよ。さぁ、逃げるんならとっとと逃げる! 今だけは、無駄に高い階級を振り翳させてもらうわよ! 大尉階級なんだからね!」

 

 広域通信でもたらされたバーミットの声に、艦内は上へ下への困惑であろう。

 

 何が起こったのか、理解も納得もしていない部下達に申し訳が立たないと、まだ思っている自分の浅ましさにレミアは頭を振る。

 

「……すまないわね。いつも、汚れ役を任せてしまって」

 

「ウィンウィンでしょ。あたしと艦長の間柄なんて。ブリギットと運命を共にするとか考えてました? ……あたし、フットワークだけは軽いんで」

 

 しゃくり上げた自分の顔を、今は見ないでくれているのがありがたい。

 

 こちらへと、真っ直ぐに向かってくるのは、今も火の手を上げるベアトリーチェだ。

 

 恐らく交渉が断絶した時の事を想定しての自動操縦。

 

 体当たりの覚悟をもって過去に清算をつけたのは自分ではなく、カトリナのほうであったと言うわけだ。

 

「……敵わないわね。期待の新人さんには」

 

 レミアは直通通信を前衛の《マギアハーモニクス》へともたらす。

 

「……達す。これよりレミア・フロイト、及び、バーミット・サワシロはトライアウトネメシスに……反旗を翻します。ブリギットがその手土産、でどうかしらね? カトリナ・シンジョウさん」

 

『……レミア艦長……』

 

「今はあなたが艦長でしょう? 艦を囮にするなんてよく思いつく……無責任にもほどがある艦長だけれどね」

 

『そ、それは言いっこなしで……』

 

「でも、今は。振り切らせてちょうだい。艦主砲! 照準、ベアトリーチェ!」

 

 ブリギットの残存していた主砲がベアトリーチェへと照準を付ける。

 

 誰も阻止しないのはきっと、保留し続けた引き金の一つだと理解しているからか。

 

 マニュアル照準で、レミアはかつての故郷への、さよならを告げていた。

 

「……じゃあね。お疲れ様、ベアトリーチェ……。主砲、撃てぇーっ!」

 

 自分の手で、戻れた領域には手向けを捧げるのが、せめてもの贖罪であろう。

 

 ブリギットのアステロイドジェネレーターに直結されている主砲が火を噴き、ベアトリーチェを貫く。

 

 それはこの三年間、お互いに因縁に囚われていた、自分達への離別であった。

 

 まだ帰れると、心の奥底で感じていた弱い自分への、最後の決断。

 

 ブリギットの主砲に射抜かれたベアトリーチェの内部アステロイドジェネレーターが引火し、最後の一線を超えたかのように艦艇は爆ぜていた。

 

 今の今まで火の手を上げて向かってきていた勢いは完全に削がれ、炉心融解によって内側に引き込まれるようにして噴煙は飲み込まれていく。

 

 やがて宇宙の深淵を残すばかりになっていた宙域を見据え、レミアは艦内通信を告げていた。

 

「……ブリギット艦内に残っている全ての兵士に告げます。これより、トライアウトネメシス所属艦、ブリギットはエンデュランス・フラクタル傘下に入り、艦内クルーの生存は保障しかねる状態になります。よって、総員艦を脱出。生き延びてちょうだい。レミア・フロイト艦長より。通信終わり」

 

 管制室は先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。

 

 周囲を見渡して肩を竦めたバーミットが視界に入っていた。

 

「……あなただってキャリア組には成れたのに。もったいない事をしたわね」

 

「それ、艦長が言います? トライアウトの最新鋭艦を独断で統合機構軍に譲渡。極刑で済めばいいんですけれどね」

 

「そうね。でも私は……もう死ぬより辛い思いは、踏み締めてきたつもりだもの。なら、ここから先は死んだつもりでも……前に進みたい」

 

「ようやく、女としての我儘を通すようになったってわけですか」

 

「……ねぇ、バーミット。こんなことわざを知ってる? “明日やろうは馬鹿野郎”、ってね」

 

「何ですか、それ。誰の言葉です?」

 

「……引用不明、かしらね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『クラードさん! レミア艦長はこちらへ……エンデュランス・フラクタルへと、交渉をしてくれました。作戦は成功です!』

 

「……いや、どうかな。俺はそんな簡単に連中が諦めるとは思っていない」

 

『……クラードさん?』

 

「……直上、ビームライフル、来る……!」

 

 その言葉が消えるか消えないかの刹那、放たれた黄色の光軸をクラードは機体を反転させて回避する。

 

《レグルス》の小隊編成と《ネクロレヴォル》隊だけは自分が振り切らなければこのままではブリギットを襲われる事になるだろう。

 

『殿を務めるか……! お前はいつも……俺の大事なものを……ッ! ガンダム!』

 

「《レヴォル疑似封式第六形態》――迎撃宙域にて、敵勢を振り払う!」

 

《レグルス》隊長機が抜刀し、《疑似封式レヴォル》のヒートマチェットと打ち合う。

 

 他の機体は指揮系統が乱れたせいでほとんど烏合の衆であったが、この機体と《ネクロレヴォル》隊だけは別格だ。

 

《ネクロレヴォル》はそれぞれビームライフルで援護射撃を行いつつ、じりじりと退路を塞ごうとしてくる。

 

『逃しはしない……《レヴォルテストタイプ》よ』

 

『たとえ艦が敵の手に落ちようと、我々の実行する事は変わらない。ファイブ、隊列乱れているぞ。まだ射撃武装は残っているはずだろう』

 

 三機の《ネクロレヴォル》はミラーヘッド段階加速を経ながら自分へと追いすがろうとしてくる。

 

「こいつらだけは……俺の因果だ……ッ!」

 

 ヒートマチェットを払い上げて《レグルス》の挙動に隙が見えた瞬間、《疑似封式レヴォル》のリミッターを解除する。

 

 脳内にガコンと、弾丸が装填されたような感覚。

 

 次の瞬間には世界の見え方が変わっている。

 

 奥歯を噛み締め、過負荷が肉体を磨り潰していくのを予見していた。

 

「コード、マヌエル――発現……!」

 

《疑似封式レヴォル》と同期した視界が赤く染まり、脳髄に突き立った電磁の刃が深く切り込む。

 

 血潮が口中に浮かんだのを関知した直後には、《疑似封式レヴォル》が敵との微かな基点を手掛かりにして躍り上がっていた。

 

《レグルス》の反応は鈍い――否、全ての現象が後れを取る。

 

 こちらの刃を受けて弾かれた姿勢のままの《レグルス》へと、《疑似封式レヴォル》は自身を軸に回転し、そのまま打ち下ろした刃を赤い残光として空間に居残す。

 

『……なん……っ……』

 

「――遅い」

 

 うろたえた相手が次の挙動に移るまでのタイムラグ。

 

 その刹那には振り上げた刃が敵の頭部へとヒートマチェットの柄頭を打ち込んでいた。

 

 頭蓋を潰された《レグルス》の部品が宙を舞っている頃には、次いで一撃。

 

 曲芸のようにジグザグに切り裂いた一閃が《レグルス》の駆動系たる腕部、脚部、推進部への致命的な打撃を与えていた。

 

 相手が全ての打撃を感覚した時には、何もかもが手遅れだ。

 

 時間が元の感覚を取り戻す前に、クラードはそのコックピットブロックへと、最後の一閃を浴びせようとして、ハッと習い性の神経が迸っていた。

 

 獣の挙動で後ずさった《疑似封式レヴォル》に肉薄せしめていたのは、《ネクロレヴォル》隊の中で一際強い挙動の機体。

 

「……恐らくは隊長身分か」

 

 ミラーヘッドの段階加速による隊列を自ら崩し、前衛に出る事で《レグルス》のパイロットの命を救ってみせた。

 

「……運のいい奴だ」

 

《ネクロレヴォル》の刃が頭部へと切り込んでくる。

 

 こちらの弱点を加味した一撃を、《疑似封式レヴォル》は咆哮して飛び退っていた。

 

 その時には、既に背後へと展開していた《オムニブス》へと取り付き、推進力を得て戦闘宙域から逃れていく。

 

 全ての時間が元の時を刻み始めた時には、クラードの意識は剥離しかけていた。

 

『……さん! クラードさん!』

 

 異常な発汗量と共に、体内の時間が遅れを取り戻そうと血流をポンプの如く噴き出す。

 

 神経を引っぺがす激痛に、クラードは奥歯を噛んで堪えていた。

 

『クラードさん! どうしましたか? 敵は……』

 

「……敵は何とか撤退、いいや、もう帰る場所もないか」

 

『作戦は成功しました! ブリギットが我が方に!』

 

「そう、か……。ああ、でもちょっとだけ……レミアには、悪い事をした、な……」

 

『クラードさん? どうしたんです? クラードさ――』

 

「伝えておいて、くれ……。ちょっと暫くは、まともには会えない、って……」

 

 その言葉を潮にして赤く染まったクラードの意識は闇に没していた。

 

 



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第120話「聖獣の胎動」

 

「クラードさん? ……寝ちゃった……?」

 

「そんなに容易い事態じゃない。カトリナ女史、ひとまずブリギットに帰還してくれ。相手方はもう逃げ切っている頃合いだろう」

 

 同乗していたサルトルの声にカトリナは困惑気味に応じる。

 

「あ、はい……。でも……こんな無茶苦茶な作戦、成功するなんて……」

 

「ああ、クラードだけじゃない。ベアトリーチェを……愛してくれた全員の力だ」

 

 自分達の抵抗の証明を消し去ってでも、クラードは勝利にこだわってくれた。だからこそ勝ち取れたこの結果だ。

 

「ブリギットへ。格納デッキを開いてください。こちら、エンデュランス・フラクタル所属、カトリナ・シンジョウです」

 

 ブリギットの格納デッキが開いてゆき、自分とサルトルを乗せた《オムニブス》がまず、着艦してから無事を確かめ他の機体を誘導する。

 

「いいか? ガイドビーコンも何もかも軍警察仕様だ! 間違えるなよ!」

 

 続けて着艦した《オムニブス》に乗っていた整備班がすぐさま飛び出し、光学迷彩に身を包んでいた他の機体を牽引する。

 

 それはさながら、星々の連なりのように。

 

『……こっち、こっちっすよ! 《マギア》部隊は引き続き警戒! 《疑似封式レヴォル》はこっちのハンガーに移してくださいっす!』

 

 トーマが率先して《疑似封式レヴォル》をハンガーに引き寄せ、ようやく立脚した機体へとサルトルは端末を繋いでいた。

 

「生きていろよ、クラード……。にしたって、随分と無茶苦茶なシステムを組みやがって……一朝一夕で何とかなる領域を超えてるぞ、こいつは……」

 

 それでもサルトル含め整備班の生え抜きが解析作業に尽力し、やがてコックピットブロックが開いていた。

 

 そこから滑り落ちた指先にカトリナは絶句する。

 

 考えるより先に落ちかけたクラードを抱えていた。

 

「……クラードさん! クラードさんってば!」

 

「……意識レベルが低下しているだけ……と思いたいが、ヴィルヘルムに診せないと分からんな。ヴィルヘルムの機体は!」

 

『ちょうど今しがた、格納デッキに!』

 

 帰還した《オムニブス》より降りてきたヴィルヘルムはカトリナの抱えているクラードに目を見開いていた。

 

『……この状態は……!』

 

「ヴィルヘルム先生……っ! クラードさんは……」

 

『ブリギットの医療施設を使わなければ何とも言えない状態だ。緊急医療カプセルに輸送! すぐに意識レベルを機体から取り戻さないと、手遅れになりかねない』

 

「そんな……! そこまで……」

 

 眠りに落ちたクラードの横顔には汗がこびりついており、異常な戦闘の只中に居たのが嫌でも理解出来る。

 

 クラードは整備班に任せ、カトリナは《マギアハーモニクス》が着艦するまで見届けてから、身を翻していた。

 

『カトリナさん? どこへ……』

 

「今の私の仕事を……遂行しに行きます……っ!」

 

『ちょっと待ってくださいよ! ……艦長に一家言あんのは何もあんただけじゃないんだ。先走らないでください』

 

 アルベルトの接触回線越しの温かさに救われるものを感じつつも、カトリナは視線を落としていた。

 

「でも、ここに来るまでの犠牲は、何よりも……。納得出来ないのは、私だけの……」

 

『背負い込まないでくださいよ。……オレらだって居るんだ。張子の虎じゃない事を証明させてください』

 

 ブロックを抜けていく中で、重力区画にてノーマルスーツを着込んだ二人にカトリナは立ち止まっていた。

 

「……バーミット先輩も……なんですよね……」

 

『久しぶりね、カトリナちゃん。いい子していた?』

 

「……それは、聞くものじゃないでしょう。悪い子でしたよ、私は」

 

「それは朗報ね。幸せ女なだけじゃ世渡りは出来なかったってわけか」

 

「……もうっ、からかわないでくださいよ。でも、本当に取り戻しちゃうなんて、クラードさんは……」

 

「その事なんだけれどね、ブリギットは軍警察の艦とは言え、足が速いと思わないほうがいいわ。ミラーヘッドの段階加速で逃げても頭打ちが来る。妙案があると、考えていいのかしら」

 

 レミアの値踏みするような論調はかつての懐かしさを感じさせたが、今はそのような思いに囚われている場合でもないと、カトリナは応じていた。

 

「……順当かは分かりませんけれど……この先の考えはあります。私達は、叛逆の徒。なら、次に講じるべきは……」

 

「《レヴォル》の確保、でしょうね。でも、これは悪いニュースなんだけれど、私達トライアウトネメシスの下に、《オリジナルレヴォル》はないのよ。恐らく唯一の想定外がそれだったんじゃないのかしら」

 

「……何となく、そうなんじゃないかなとは思っていましたけれど……」

 

「廊下で話すものでもないわね。ブリーフィングルームに行きましょう。案内するわ」

 

 先導するレミアを他所に、バーミットは自分へと耳打ちする。

 

「それにしたって、あの死神レミア・フロイトを前にして、うろたえなくなったじゃない、カトリナちゃん」

 

「ば、バーミット先輩……っ? 聞こえちゃいますよ」

 

「これでも艦長は買っていると思っていいわ。あなたと、仲間達をね」

 

「仲間……」

 

「何? まさかそうは思ってなかったってわけじゃないでしょう?」

 

「いえ、その……。そっかぁ、私……仲間を、得ていたんですね……」

 

 不可思議な眼差しでこちらを眺めるバーミットにカトリナは頬を掻いて答えていた。

 

「だって、今の今まで……前に行くだけが私、取り柄だと思っていたくらいなので……」

 

「……なるほどね。変わらないところもあったってわけか。あなたも大変じゃないの、アルベルト君」

 

「な、何でですか……オレはどうとも……」

 

「そこまで言っちゃって、今さらどうもこうもないでしょう?」

 

「いえ、その……っ、アルベルトさんには毎回、無茶振りしていますので、私が言える事は何もなくって……」

 

「そうじゃないんだけれどねぇ。カトリナちゃんもその辺が分かるのはまだまだかー」

 

 何だか不明な部分で呆れ返られて、当惑の視線をアルベルトに振ろうとすると、彼は彼で何故なのだか顔を背ける。

 

「あ、アルベルトさん……? 何か、おかしかったですかね?」

 

「いや、そのー……。何ともねぇと、思います、ええ」

 

 どうしてなのか、微笑みを湛えるバーミットを直視出来ない様子のアルベルトに首をひねっていると、四方をモニターで囲まれたブリーフィングルームに辿り着いていた。

 

「えっと……現時刻は夜の九時ですが……」

 

 端末を翳したカトリナに、バーミットは疑問符を挟む。

 

「あれ? こっちじゃ九時半になっているけれど?」

 

「えっ、そんなはず……」

 

「ちょっと貸してみて。……ああやっぱり。グリニッジ標準時の初期設定マニュアルじゃない。これじゃあ出勤も遅れるわけね」

 

 まさか自分のこれまでの時間が遅れているなど思いも寄らず、端末に視線を落としていると、ふと声がリフレインする。

 

「……ずれた時間を合わせろって、こういう事だったんだ……」

 

 こほん、とレミアが咳払いする。

 

「さて、積もる話はありそうだけれど、まずは単刀直入に言うわね。《オリジナルレヴォル》がどこに確保されているのかは、軍警察の中でも秘中の秘。私がかつて《レヴォル》に近づいていたせいもあって、情報権限は降りていない。よって、何も知らないのと同じなの」

 

 口火を切ったレミアにカトリナは予想していたものの落胆は隠せなかった。

 

「……クラードさんがあれほどまでに頑張ったのに……」

 

「でも、それの代わりになるほどの情報なら持っているわ。今のクラードが使っているテストタイプの《レヴォル》では、いずれ何かの拍子に限界が来る。そんな時に、戦えるだけの力がないと、ブリギットを拿捕したとは言え、意味もない」

 

「レミア艦長、件のあれ、まさか情報開示するつもりですか?」

 

 バーミットの言葉振りに、レミアは肩を竦める。

 

「……仕方ないでしょう。私達はもう軍警察に戻るどころか、彼らに唾を吐いたのと同じようなものよ? 情報はエンデュランス・フラクタルに提供します。ただし、カトリナさん。あなたには決意してもらわないといけない」

 

「……決意なら、もう出来て……」

 

「そういうレベルではないのよ。あなた達はエンデュランス・フラクタル上層部を信じて、レジスタンス活動しているのでしょうけれど、一つ事実を教えましょう。――今の統合機構軍を信用してはいけない。なにせ、《ネクロレヴォル》を開発したのはマグナマトリクス社と、そしてエンデュランス・フラクタル上層部の思惑なのだから」

 

 アルベルトが息を呑み、自分も絶句していた。

 

「……何ですって? そいつぁどういう事なんです! オレらの信じていたエンデュランス・フラクタルが……二枚舌だって言いたいんすか!」

 

「……断言は難しいけれど、その筋を疑ったほうがいいわ。カトリナさん、それにアルベルト君も、あなた達に味方する勢力は思ったよりもずっと少ないと考えてちょうだい。そして、そんな絶望的な状況を打破するための鍵を、私は用意出来る」

 

 ブリーフィングルーム中央のテーブルモニターへと歩み寄り、レミアはパスコードを打ち込む。

 

 すると投射画面に映し出されたのは、一機の新型MSの設計図であった。

 

 右腕に装着出来るユニットを肩に有しており、その異常な凶暴性を隠し切れていない鋭角的なシルエットに、カトリナは後ずさる。

 

「……これ、は……」

 

「……《レヴォル》、なのか……?」

 

「いいえ、これは《レヴォル》を基にして開発された、全く新しい機体。この混迷の世界を暴くだけの――怪物。《ダーレッドガンダム》。私達はこれより、マグナマトリクス社が所有するこの機体を奪取し、現状の《レヴォルテストタイプ》に代わる戦力を整えなければならない。それがひいてはクラードの……彼の講じる叛逆の手助けになるのだから……」

 

「《ダーレッドガンダム》……混迷を打ち破る……鍵……」

 

 その鋭敏な眼差しはかつて、《レヴォル》に感じたものと同じか、あるいはそれ以上の圧力をカトリナの胸中に感じさせていた。

 

 

 

 

 

 

第十二章 「引き金は、己の運命に携えて〈トリガー・オブ・メサイア〉」

 

 



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第十三章「七番目の遺志を継ぐ者〈リコレクション・オブ・セブンスベテルギウス〉」
第121「仕組まれた出会い」


 

「帰ってくるなり矢の催促。正直、すまないとは思っているわ」

 

 マーシュの言葉を聞いて、メイアはいいや、と彼女の心労を慮る。

 

「それでもよくやってくれているほうでしょ。ボクらギルティジェニュエンの支援に、その他諸々の。分かっているよ。そろそろ時が来るんだよね?」

 

「……あなたに悟らせたような事を言って欲しくないのよ」

 

「艦長殿はお優しいなぁ。……ま、ボクがどれだけ抵抗しても無意味なのはよく分かっているつもり。だってボクはマグナマトリクス社の所有物でしょ」

 

「……そこまで言い切るつもりはないのよ。あなた達は本社のエージェント。何も落ち度なんてない」

 

「落ち度がないからってこの世界から取りこぼされるほど、無関心気取れないって言うのも分かるし。……例の機体のテスト、どの辺りまで行ってるの?」

 

「現状、六割、と言ったところかしら。私達の権限ではでも、《ダーレッドガンダム》の内情までは切り込めない。歯がゆいのよ。あなたをテストパイロットにさせるって言う上の意見は押し返せないのに、あっちの都合は飲まなくっちゃいけないって言うのは」

 

「……それは艦長として言っているんじゃなくって、ボクらのマネージャーとして言ってくれていると思って?」

 

「ええ、何よりもあなた達を知る古株の一人として……危険に晒したくない」

 

「いいの? それって、本社や上層部からしてみれば、反感を買うんじゃ?」

 

「私は私の出来る事をしてから、あなた達に託したい。これから先の……未来を」

 

 マーシュはどこか懺悔めいた口調で語る。

 

 しかしそれは最早覆しようのない事実であろう。

 

 自分は《ダーレッドガンダム》に搭乗し、この来英歴を変える戦いを繰り広げなければいけない。

 

「……そのための《ネクロレヴォル》、そのためのマグナマトリクス社、か。正直、ボクはギターと一緒ならどこだっていいつもりだったけれど、それでも何だか……遠いところまで来たなって思うよ」

 

「あなたに押し付けるつもりなんてなかった。でも、私は結局、あなたに責任も何もかもを押しつけてしまった……。どれだけ悔いても足りないわ」

 

「艦長、あのさ……。ボクの意見、言ってもいい?」

 

 ここで自分がどう応じようとも、上の決定には逆らえない。それが分かっていてもなお、マーシュに問いかけたかった。

 

「ええ、もちろん」

 

「……正直なところで言うと、アーティスト活動、結構好きだった。元々エージェントの隠れ蓑として作ったバンドのギルティジェニュエンだけれどでも、本気でアツくなれたのは本物だと思っている。……イリス達にもよろしく言ってもらえるの?」

 

「保証は出来かねるわ。もしかしたら……イリス達は記憶を消されてあなたとこれまでの数年間、バンドとして一緒に抗ってきた事さえも忘却され、エージェントとして使い潰されるかもしれない……」

 

「……最悪の想定がそれ、か」

 

「ごめんなさい……。あなた達を守るのが私の役割のはずなのに……いつの間にか私はあなた達に全てを押しつけていた」

 

「いいよ、艦長のせいじゃない。だって、ラムダの航行も今のところ悟られていないし、それに《ネクロレヴォル》の配備だって上の決めた事だ。艦長の責任じゃないよ」

 

「いいえ、私なのよ。……あなた達に直接命じるのは私だもの。だって言うのに……同じ口でアーティスト活動を頑張れとも言う……。賢しいだけなのよ、結局はね」

 

「それでも生き延びるためだ。艦長は……ああ、いや。マーシュはよくやっていると思うよ」

 

 自分の口調がどこか諦観を浮かべていたせいなのだろう。マーシュは涙ぐんでいた。

 

「……ギルティジェニュエンをこの宇宙で一番のバンドにしたかった……それは嘘偽りのない、本音だったの。でもその裏で……あなた達に降りかかる火の粉を、止められなかった。マネージャー失格ね」

 

「そんな事はない。よくやってくれたはずさ。……結果は、残念な事になっちゃったけれど」

 

「メイア・メイリス。マグナマトリクス社の特級エージェントとして、あなたには……七番目の聖獣、《ダーレッドガンダム》のテストを行ってもらいます。拒否権はありません」

 

 その言葉が最後の断絶だったのだろう。

 

 艦長室に押し入ってきた二人組の黒服の背中に続こうとして、不意に銃声が劈いていた。

 

 まさか、と振り向いた黒服の眉間に一発、そして最初の一発は黒服の脚を削いでいた。

 

 メイアはその行動に――拳銃を突き出したまま茫然としているマーシュ相手に目を見開く。

 

「……マーシュ……?」

 

「逃げなさい、メイア」

 

「何言って……こんな事したら、キミだってただじゃ――」

 

「逃げるのよ! メイア! これは艦長職でもましてやマネージャーとしてでもない……人として、あなたへと捧ぐ最後の言葉よ! 私が時間を稼ぐから、あなたは逃げて!」

 

 メイアはその言葉に弾かれたように駆け出していた。

 

 瞬く間にラムダの艦内が赤色光に染まる。

 

 しかし、まさかマーシュの謀反だと想定している人間は少ないのが幸いしていた。

 

 格納デッキまで無重力区画の壁を蹴って抜け、メイアはアイドリング状態の《カンパニュラ》へと搭乗していた。

 

「メイアさん? どうしたんですか、この非常態勢は!」

 

 年若いメカニックへとメイアは気密を確かめてから嘘偽りを述べる。

 

「敵が艦内に潜入した。ボクは先んじて突入するから、キミ達は気を付けて」

 

「敵の潜入? ……まさか、エージェントか何かが……」

 

「いいから! 詮索は後でも出来る! ボクが敵陣を蹴散らしていく!」

 

「あ、……はい! 《カンパニュラ》、出撃準備!」

 

 しかし、リニアカタパルトまでの水先案内人を務めるような生易しさは存在しない。

 

 否、ある程度の抵抗は予期していたと言うべきか。

 

 射出スリッパを履いた《カンパニュラ》へと、《アイギス》が照準を付けている。

 

「……大人しく射出タイミングを待っているような時間はない。仕方ないかな。――強制排除! メイア・メイリス! 《カンパニュラ》、出るよ!」

 

 宙域へと浮かび上がったメイアの《カンパニュラ》はまず初撃を相手に与えてから、光学迷彩を纏おうとして、《アイギス》二機がミラーヘッドの機動に入ったのを目にしていた。

 

「オーダーの受諾は……待ってられない。レヴォル・インターセプト・リーディング、起動……ボクに従え……っ!」

 

 パブリックのミラーヘッドオーダーを取得する間に狙い撃ちにされるくらいならば、自分は叛逆の因子に身を任せよう。

 

「REVOL」のメインコンソールが浮かび上がり、メイアは両腕を拡張させ、青い光を瞬かせて接続する。

 

 脳髄に、一瞬だけ突き立った刃の感覚。

 

 それを噛み締めて、メイアの《カンパニュラ》が宙域を疾走する。

 

《アイギス》のおっとり刀のミラーヘッドの防衛網を突き抜け、敵影の背後へと回り込んだ《カンパニュラ》が抜刀していた。

 

 ビームサーベルで敵の背筋を割り、そのままの加速度に身を任せもう一機を蹴り上げる。

 

「これでダメ押し!」

 

《カンパニュラ》の四肢に内蔵されていた火器が稼働し、無数の幾何学機動を描いて二機に突き刺さる。

 

 これで追っ手は退けたか、とメイアが息をついた次の瞬間、ラムダ甲板より出撃した《カンパニュラ》数機がそれぞれ迎撃機動にばらける。

 

「……嫌だな。マーシュの言っていた懸念、当たっちゃっているじゃんか」

 

 動きからそれらに搭乗しているのがギルティジェニュエンのメンバーである事が窺えるも、照準に迷いはない。

 

「……有機伝導体操作技術でボクの事なんて忘れちゃった? ……イリス達……」

 

 有無を言わせぬ抜刀速度にメイアは距離を稼ごうとしたが、その時には挟撃が奔っていた。

 

《カンパニュラ》同士での戦いは泥仕合となる。

 

 それは光学迷彩を搭載した強襲機と言う特性上、最も忌避すべきであった。

 

「……距離を取っても地獄、取らなくても地獄……。何ならこのままボクが大人しく捕まっても地獄か。……それは、嫌だなぁ……」

 

 何よりも。

 

 この機を作ってくれたマーシュに報いるためには、自分はここで生き延びなければいけない。

 

 ならば――仲間でも牙を突き立てよう。

 

 それが正しく、叛逆すると言う意味ならば。

 

 メイアは《カンパニュラ》のミラーヘッドの加速度で直上へと躍り上がり、四肢内蔵武装を展開していた。

 

 ミラーヘッドジェルと連動した蒼白い弾頭は《カンパニュラ》の指揮系統を乱す。

 

 その隙に敵へと仕掛ける、なんて言う愚は冒さない。

 

 自分は所詮、単騎戦力では程度が知れている。

 

 ならば、逃げに徹する時間を一秒でも作るべきだ。

 

 ミラーヘッドの段階加速ですぐにでも宙域を抜けて光学迷彩を纏おうとして、追撃する《カンパニュラ》の銃撃を背に受けていた。

 

 激震するコックピットの中で、メイアは呻く。

 

「……ここで死んだら、何のためのマーシュの借りなんだか……。死なない……いいや、死ねないね。そうじゃなくっちゃ、ボクに道があるのだと信じてくれた人に、唾を吐くようなものだ!」

 

 応戦の銃撃を見舞うも、多勢に無勢。

 

 銃撃網の嵐を前にすれば、自分の技量など塵芥の代物。

 

 次々と腕と足をもがれていく《カンパニュラ》に、思考拡張の痛みが滲む。

 

 ミラーヘッドを飛ばして盾にしようとするも、無慈悲な斬撃がその分身体を両断していた。

 

「……もう、憶えてもいないってワケか……」

 

 残酷な《カンパニュラ》の刃が自機を叩き割ろうと大上段に構える。

 

 ――ここまでか、と諦念に虚脱した瞬間、暗礁宙域を掻っ切ったのは艦砲射撃の光軸である。

 

「……あれは……? 騎屍兵団の……」

 

 情報を目にした事がある。

 

 騎屍兵――《ネクロレヴォル》隊専用の旗艦が存在すると。

 

 だが実際に目の当たりにしたのは初めてだ。

 

 灰色の艦艇は砲撃網で《カンパニュラ》を退けさせ、撤退機動に移らせる。

 

「ボクを助けた……? どうして……」

 

《ネクロレヴォル》が編隊を組んで出撃し、自分と《カンパニュラ》を確保する。

 

 抵抗しようかとも思ったが、四肢のない機体では何の抵抗にもならないであろう。

 

 何よりも、相手の思惑が不明であった。

 

 もし抵抗するとしても懐に潜り込んでからのほうがいい。

 

 エージェントとしての習い性の神経がこの時、《ネクロレヴォル》に押さえつけられるのをよしとしていた。

 

 格納デッキに帰投するなり、《カンパニュラ》はまるでゴミクズのように投げ捨てられる。

 

 球状の全天候周モニターがブロックノイズを生じさせていたが、それでも包囲されているのは見て取れた。

 

『《カンパニュラ》のパイロットへ。……いいえ、この問いかけもほとんど意味はないですわね。――叛逆者、メイア・メイリスへ。通信感度はどうですか?』

 

 相手は自分を知って援護したようであった。

 

 だが、ならば余計に疑問が浮き立つ。

 

「……何でボクだと分かって助けた? おかしいじゃないか。そっちは騎屍兵団なんだろう?」

 

『確かに、わたくしは騎屍兵を束ねる師団長。この新造艦の艦長を務めております。ですが、情報は何よりも優先されて然るべきもの。貴女の保護のつもりで動いたのではありません。あのマグナマトリクス社の艦であるラムダの脚を抑え、その合流目標を見据えての作戦行動だったのが、どうしてなのか《カンパニュラ》同士で争う貴女達を目にして、作戦の方針を変えたまで』

 

「……冷たい声音だね。まるで機械みたいだ」

 

『……どうとでも。我々第七期騎屍兵団は情報戦を得意とする者達です。よって、貴女の生存に意味を見出し、ここでは貴女を死なせない事が有益だと判断しました』

 

「どうかな。それは間違いかもよ?」

 

『言葉を弄するだけの余裕もないでしょう? 歓迎しましょう。メイア・メイリス。我が艦――呪いの魔女、モルガンに』

 

「……モルガン……。何て名前だ。死にに行けとでも言っているような名前じゃないか」

 

『ゴースト、スリー。ナインに伝達。《カンパニュラ》のパイロットは生かしたまま、わたくしの艦長室まで運んでください』

 

 その言葉に《ネクロレヴォル》から出てきた喪服のパイロットの者達が取り付き、レーザーカッターで無理やりコックピットハッチを焼き切って自分を拘束する。

 

 抵抗するにしても、ここはまだ待つべきだ。

 

 待って敵の考えを推し量らなければ自分は何の価値にもならない。

 

 艦長室とやらまで警護される途中、メイアは質問を投げていた。

 

「キミらが、あの悪名高い、騎屍兵? 地球圏の統制を行っているとか言う、軍警察でさえも、キミ達には勝てないんだろ?」

 

 沈黙。あるいは返答するような舌はないとでも。

 

「興味深いなぁ。だってあれ、《ネクロレヴォル》って言う。じゃあ元の《レヴォル》はどこに行っちゃったんだろうね? ボクも乗れたんだ。レヴォルの意志とやらに選ばれてね。キミ達も特別ってワケ?」

 

『……お喋りだな』

 

「おっ、やっと返答してくれた。ねぇ、じゃあキミらもレヴォルの意志のままにって事?」

 

『ナイン、反応するのは下策です。今は、艦長に任せましょう』

 

「キミ、女性構成員なんだ? へぇー、騎屍兵って女も居るんだね」

 

 こちらの言葉振りにバイザーの奥が覗けない鉄面皮を崩さず、相手は応じる。

 

『艦長と話してください。私達と話すのは必要ない』

 

「そうは思わないけれどなぁー。だってキミ達だって使っているんだろう? レヴォル・インターセプト・リーディング。あれ、本当に世界を欺けちゃう夢のシステム。元々第四種殲滅戦のルールだった上位オーダー、下位オーダーの原則を破っちゃった。トンデモ兵器だよね。じゃあボクら纏めて、世界の敵じゃん。仲良くしようよ。ねぇってば」

 

 自分を拘束する二人はそれ以上言葉を重ねようとはしない。

 

 そのまま艦長室へと彼らは自分を物のように扱いつつ、入室していた。

 

「ご苦労様です。二人とも、下がっていいのですよ」

 

『しかし、艦長。この者、少し口さがが……』

 

「聞こえなかったのですか? ナイン。下がっていい、とわたくしは言いましたわね?」

 

 その物々しい圧を発する人間は、艦長室の巨大な情報集積用である半球型の椅子に深く腰かけていた。

 

 黒髪をツインテールに流し、金色の瞳は今もさばかれていく情報処理に忙しく、こちらをまるで一顧だにしない。

 

『……後は任せます。リクレンツィア艦長』

 

 二人の騎屍兵が立ち去ってから、小柄な艦長はこちらへとようやく視線を投げていた。

 

「好奇心は猫をも殺す。控えるのですね、要らない質問は」

 

「それって警句? ……まぁ、いいや。キミみたいなちっこいのが艦長? 珍しいね。いや、戦場を闊歩する騎屍兵団の正体が、まさか女の子だなんて思いも寄らない」

 

「口だけは達者なようですが、物事を弁えるように。わたくし達は貴女の生殺与奪の権利を持っています。あまり出しゃばれば、その回る舌も引っ張らなくってはいけなくなる」

 

 メイアは艦長室の景観を見渡していた。

 

 ラムダの艦長室とはまるで異なる。

 

 大きくアーチの取られた艦長室は常に情報が同期されており、四方八方に地球圏から木星圏までの最新情報が映し出されている。

 

 さながら情報の津波が押し寄せては返すように。

 

 キーをいくつか打ってから、小柄な艦長はぴょんと椅子から跳ねてこちらへと歩み寄って来ていた。

 

 ――相手の体格から、自分でも制圧出来るか、と浮かべた感覚に金色の瞳が鋭く光る。

 

「自分でも制圧出来るか。なんて事は考えないよう。わたくしに何かあれば、無慈悲な騎屍兵の餌食となるのは貴女のほうです」

 

「……騎屍兵に殺されるのは嫌だけれど、じゃあボクをどうしたいのさ。助けたって言うけれど、正直、余計なお世話だし、何なら必要なかった」

 

「そうですか? それにしては《カンパニュラ》は損耗していましたし、何よりもあれは友軍からの攻撃でした。識別照合にもそう出ています。何故、ああなったのですか? 貴女はマグナマトリクス社の擁する特級エージェントでしょう?」

 

「……ちょっとした上との諍いでね」

 

「嘘ですね。わたくし、嘘にだけは鼻が利きますから。貴女は半ば諦めていたところに、何かが偶発的に作用し、あの艦から離脱……いいえ、反旗を翻した。その結果、友軍からも狙われ、死に瀕すると言う……愚の骨頂にも等しい状態であった」

 

「穿ち過ぎだよ。それに、別段ピンチでもなかったし」

 

「ですから、嘘には鼻が利くのです。貴女の嘘は、かつて虚飾と野蛮だらけだった誰かさんよりも明け透けで、それでいて何者かを庇うための嘘。何かがあって、貴女はマグナマトリクス社を裏切らざるを得なかった。不可抗力だったのでしょう?」

 

「……まるで見てきたように言うんだね」

 

「実際、情報の集積場所では見てきたように語れるのです。普通の人間がまだ至っていない極地であろうとも」

 

「……キミは何だ? どうしてボクみたいなのを受け入れようとする?」

 

「それは貴女次第。貴女の対応が生きるか死ぬかを決めるのです。さぁ、何があったのです? 語ってもらいましょうか」

 

「……悪いけれど、ボクはこれでも口は堅いんだ。アーティストだから知らなくっていい事まで知っちゃう性質だし」

 

「存じていますよ。ギルティジェニュエン。そのメインボーカル、メイア・メイリス。貴女はかつて三年前、《オリジナルレヴォル》に見初められた経歴を持つ」

 

 まさかそこまで看破されているとは想定しておらず、メイアが目を戦慄かせると、相手は肩を竦めていた。

 

「結構常識なんですよ? レヴォルの意志の選んだこの世でたった二人だけの叛逆者は。貴女が知らないだけで」

 

「……キミは……」

 

「――ピアーナ。ピアーナ・リクレンツィア。統合機構軍、エンデュランス・フラクタル所属、中佐相当官です」

 

 冷たく断じた声にはまさか、という感覚があった。

 

「……エンデュランス・フラクタル……? あの企業が、《ネクロレヴォル》を……?」

 

「おや、ご存知なかったのですか? いえ、これも機密情報ですわね。《ネクロレヴォル》隊は軍警察上位組織なのだと、一般的には認識されていますが、その実は統合機構軍の生み出した、軍警察ですらも凌駕する統制機関です。我々は軍警察のこれまで敷いてきた愚劣な統制よりも強い、さらなる人々の意思の統一と、そして反抗勢力の駆逐を目標に掲げています」

 

「……まるで法の代弁者みたいな口振りだ」

 

「事実、そうなのでしょう。わたくし達はトライアウトとは敵対関係にあります。彼らのやる統制は、最早手ぬるい。我々の統制こそが、明日を切り拓く一手となり得る」

 

「……じゃあ、キミ……ピアーナ。改めて聞くけれど、エンデュランス・フラクタルなら助ける利はないでしょ? 何で助けたの?」

 

「……不明な物事に遭遇すれば、人はどう動くと思いますか?」

 

「何? 謎かけ? そりゃあ……不明瞭さを明確にするために、決断するだろうね。目を瞑るか、真実に肉薄するかの、どっちかかな」

 

「結構。わたくしは目を瞑るのはまっぴら御免ですので、貴女を助け、そして真実を聞き出そうとしている。それではご不満ですか?」

 

「でも、そうだとすれば余計に……キミが動いたのは独断って事になるけれど?」

 

「ええ、これはわたくしの独断です。エンデュランス・フラクタルにはダミー情報を既に走らせてあります。上層部に知られれば、わたくしの身柄とて危うい。これでも生かされている身分なのです。全身RMと言うのは、全く不便な代物でしてね」

 

 その段になってメイアはピアーナのあまりに白いうなじと、そして整った外見に納得していた。

 

 小柄なのも全身ライドマトリクサーなのだと言われれば義体をアップデートしていないだけなのだと窺い知れる。

 

「……何て言う化け物を飼ってるんだ、エンデュランス・フラクタルって言うのは……」

 

「今のは聞かなかった事に致しましょう。……さて、メイア・メイリス。貴女がわたくしの事を知らないのは当然でしょうが、わたくしは貴方の思っている以上に、そちらには詳しい。話していただきましょうか。あのラムダで何があったのか。何が起こり、貴女は追われる身分となったのか」

 

 ピアーナ相手に下手な隠し立ては不利に働くだけだ。

 

 それに、今は一時でも早く、マーシュを助け出さなければ、彼女の命が危うい。

 

「……どこから話すべきなのかな……」

 

 この物語は、長くなりそうであった。

 

 



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第122話「咎を受けしもの」

 

 長い長い、物語の終わりのようであった。

 

 深淵の黄昏に包まれた世界を見下ろし、火線が舞う戦場にて、自分はどうしてなのだか空より俯瞰している。

 

 鳥にでもなってしまったのだろうか。

 

 いや、いっその事そのほうがよっぽど楽であろう。

 

 機械の肉体に侵食され、その果てに待っているのは緩やかなる死。

 

 自身の腕に刻まれた呪詛の証であるモールド痕に視線を落としていると、不意に呼び止められた。

 

「お前が見ているそれは、誰かの記憶だ。さて、誰の記憶だと思うかな?」

 

 振り返ると、中空に佇んでいたのは白い老人であった。

 

 髪と髭を風になびかせ、その老人は自分を見据えている。

 

「……ここは何だ……」

 

「誰かの記憶の残滓だとも。考えた事は、なかったか? 死んだライドマトリクサーの魂はどこへ行くのか。その魂に安息はあるのか、とは」

 

「……お前は誰だ」

 

「地獄へと堕ちるか、天国で安らぎを得るのか。……答えを急いでいるようだから言っておこう。どちらでもない。煉獄でただ、虚無のネットワークに囚われ、こうして我々によって観測され、光の情報となって認識される。現状、目にしている光景は、誰かの死に際だとも」

 

「……死に際、か。あまりにも趣味が悪いな」

 

 黄昏の空の彼方に佇むのは、暗黒太陽の虚。

 

「あれが、地球から見た、ダレト、か」

 

「地球の重力圏において、ダレトのスケールは何百分の一にまで希釈される。何故、そうなるのか。それはダレトがこの次元宇宙にありながらにして、この世の理とは違う場所にあるからだ」

 

 歩み出す。

 

 不思議と、空中を歩いているのに恐怖はなかった。

 

「……ダレトの向こう側は俺達の宇宙とは違う……」

 

「そうであるとも言えるし、そうでないとも言える。お前は知っているはずだ。かつて六番目の使者を殺し、その末に目覚めた。自分殺しの咎へと」

 

 その罪は――自分以外では知らないはずだ。

 

 途端に身構え、拳銃をホルスターに探ろうとして指先は空を掻く。

 

「我を銃殺して全てを終わらせようとしたか? そんな無粋なものはここに持ち込んではいないとも」

 

「……ここは何だ」

 

「だから、記憶だとも。誰かの記憶の欠片を、我々は掴んでいるに過ぎない。これが誰の記憶であろうとも、煉獄に囚われたまま、魂は安息を得る事はない。生き地獄だよ。ライドマトリクサー、そしてそれに準ずる技術は元々、人間の精神なんて言う脆く儚いものを安定化させるためにあったと言うのに。禁断の果実はヒトを増長させた。その結果に、人間は自分以外を分ける術として、思考拡張と呼ばれる技術を確立した。これは自分と言う肉体を相手の肉体と隔てるために、我の居た世界では千二百年ほど前に発明された技術革新である。しかしこの次元宇宙の者達は強欲だ。それを用いてのMSとの同調、そしてミラーヘッドをあそこまで野蛮に使う。貴様らのやっている事は数千年前の原始人の争いと同じだ。純正殺戮人類(ナチュラルキラーエイプ)はここまで愚かしく力を使うとは思っていなかった」

 

「分からない事を並べ立てる。お前は何者だと言うんだ」

 

「誰かが言う。全能者、三番目の使者、聖獣の操り手、異種生存確立個体――波長生命体、と」

 

「波長生命体……。何なんだ、お前は! 俺の何を知っている!」

 

「全てだ。エージェントと成ってからのお前の事を、そしてエージェントになる前のお前の事も。……そうか。誰かの景色だと思っていたこの終末の光景は他でもない、お前の原罪であったと言うわけか」

 

 クラードの脳裏を掠めたのは第七管区での戦闘であった。

 

 自分以外は皆、死んで行った。

 

 その手向けにも成らない抵抗を続け、型落ちの《エクエス》で今も応戦の火線を講じるのは幼い日の自分自身。

 

「……俺、なのか……? こんなにも情けない撤退戦で、こうも足掻くのは……」

 

 戦慄く視界の中で老人は絶対者のように告げる。

 

「この過去は何回目だ? それとも、何回も見るほど、お前は過去にこだわっちゃいないか?」

 

「……俺の、過去……」

 

「――PE037」

 

 完全に人格を封殺した記号だ。

 

 だがそうでなくては生き残れなかった。

 

 あの時、銃を取るのには、かつての名前はあまりにも名残惜しかった。

 

 だから、自分殺しを行ったのは、他でもない、自分の意思だ。

 

「……俺はあの時、もう自分を殺していた……」

 

「だがこれから先も、お前は自分を殺し続けなければいけない。それこそが、エンデュランス・フラクタルのエージェントとして生存し続ける最善策だ」

 

 老人の声に、クラードは掴みかかる。

 

 しかしその指先が頸椎を捉える事はなく、すり抜けていた。

 

「……貴様、何だって言うんだ」

 

「全と呼び、一と呼ぶ。あるいはこうも呼ぶか。この世界の均衡を観測し続ける、答えのない観測者の眼差し」

 

「神だとでも、気取るつもりか」

 

「そこまで傲慢に成り果てたつもりはない。だが我はもう、お前だ。お前と我は、最早等しい」

 

 その指先が自分を捉えるなり、鼓動が早鐘を打っていた。

 

 その場に蹲り、クラードは血流の瀑布にもがき苦しむ。

 

 激痛が全身を突き抜ける中、老人は自分を見下ろしていた。

 

「……あのシステムは使わないほうがいい。それは我としても助かる」

 

「……どの口が言っている。お前は……俺の何のつもりだ……!」

 

「肉体を共有するのだ。お前のためを思っている」

 

「俺のため……だと。俺は俺自身の運命に叛逆するためにだけ存在している。それ以外の選択肢はない」

 

「そこまで偏狭に成り果てるべきでもない。お前は、まだやり直せるのだから。我と違ってな。肉体を持ち、魂を愚弄されていない。そうなってからでは全てが手遅れだ。奴らに目を付けられている。遠からず、追っ手は来るぞ。その時、今のお前で守れるか? 大切な者達を……」

 

 自分を指差す老人にクラードは奥歯を軋らせて爪を立てていた。

 

 不思議な事に、今度はその首筋に指がかかる。

 

「お前を殺す。そして、俺は運命を変える」

 

「そうか。だがそれは、遠大なる自分殺しの延長線上に過ぎない」

 

「……惑わせて……!」

 

「我を殺すのと、あの時、六番目の使者を殺した時の感覚は同じだろう。世界からの嫌悪感を覚えたはずだ。あれは世界にとって在り得ざる殺人であった」

 

「……《シクススプロキオン》は……いいや、奴だけじゃない。俺にとって全てのMFは敵だ。最終的に殲滅する……!」

 

 老人の首筋をきつく締めると、相手はどうしてなのだか、慈悲すら浮かべた眼差しで、自分を眺めていた。

 

「……悲しいかな。お前に我の声は届かないのだな……。ここで我を殺しても、お前の観測する全ての情報という波と光は、お前を拘束し、そして制約し続ける。我がかつてテスタメントベースで感じた絶望の彼方を、お前も感じる事になる」

 

 ――テスタメントベース。それはかつて全てが眠る場所だと教え込まれていたはずの、約束の地。

 

「……お前は……」

 

「目覚めれば忘れるだろう。だがこれだけは忘れるな。我は――エージェント、クラード。もうお前と、運命を共にしているのだと」

 

 その言葉が途切れるのと、力を入れた指先が老人の首筋に食い込んで血潮を撒き散らしたのは、同時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハッと目覚めた瞬間に、手を伸ばし、クラードは滅菌された天井を視野に入れる。

 

「……ここは……」

 

「目が覚めたか。今度こそまずいかと、そう思ったが命冥加はあるらしい」

 

 いつものようにヴィルヘルムがカルテを書いているかに思われたが、医務室の形が違う。

 

 明らかにベアトリーチェよりも手広い医務室に、クラードはああ、とようやく現状認識を行う。

 

「……俺達は勝てたんだな?」

 

「ああ。カトリナ君の作戦は遂行され、レミア・フロイトとバーミット・サワシロの奪還。そして、トライアウト艦、ブリギットを確保出来た。大勝利と言ってもいいだろう」

 

「……その割には浮かない顔に映るが」

 

「その貢献者が死にかけたのでは、素直に喜べないとも。クラード、あの《疑似封式レヴォル》には、意図的にリミッターを外す装備が施されているのだな?」

 

 詰問の声音にクラードは早々に認めていた。

 

「……ああ。レヴォルの意志が入っていないんだ。その分だけ、不利に転がると判断し、俺は自分の中に残存していた《レヴォル》のキャッシュを疑似再現し、あの機体にフィードバックしている」

 

「だがそれは、本来ならばMSとライドマトリクサー間で起こる事の、逆作用に繋がる。RMからの思考拡張、それによって発生するミラーヘッドと言う名の恩恵。それらは全て、一方的、もしくはきっちりとした前後の作用があってこその代物だ。ライドマトリクサーの側に残っていた記録の疑似再現には機体の損耗だけではない。情報の累積で脳幹が焼き切れるぞ」

 

「……構わない。これまではそうしなければ勝てなかった」

 

「ミラーヘッドを奪われたツケ、というわけか。クラード。わたしの言えた義理ではないがね。帰って来たのならば生きる努力をするべきだ。死に急ぐべきじゃない」

 

「生きる努力、か……。もうそんなもの、とっくの昔に奪い去られたんだと思っていたよ」

 

 自分のライドマトリクサー施術痕を眺める。

 

 今は両腕だけで済んでいるが、全身の七割に至る追加施術によって最早自分は三年前の自分とは隔絶されていた。

 

「このままでは《疑似封式レヴォル》に肉体だけじゃない、魂まで持って行かれるぞ」

 

「……魂、か。そんなものは存在しない。脳の生み出す電気信号だ――と、以前までのヴィルヘルムならば言っていたはずだが」

 

「参ったな。これでは立つ瀬がないと言うものだ」

 

 電子煙草をくゆらせる彼に、クラードは言いやっていた。

 

「……煙草、似合ってないよ。やめたほうがいい」

 

「お前に似合っている似合っていないを論じられる時が来るとは思いも寄らない。……禁煙は二日が限界だな」

 

 自分自身に嫌気が指しているかのような諦観を浮かべ、ヴィルヘルムは紫煙を漂わせる。

 

「……レミアは? 作戦行動中か」

 

「今はカトリナ君達と情報の擦り合わせの最中だろう。トライアウトネメシスは《レヴォル》の存在を知らなかった。いいや、教えられていなかった、と言うべきか」

 

「……やはり、《レヴォル》は居なかったか」

 

「確証があったんじゃないか? 三年も諜報活動に身をやつしていたんだ。ある程度の当たりはついているはずだろう」

 

 ヴィルヘルムの言葉にクラードは膝を立てて掌で視界を覆う。

 

「……恐らくはあの時……月軌道決戦の最後に、奴に強奪された。あれが居るところこそ、《レヴォル》の存在している場所のはずだ。MS、《ラクリモサ》……万華鏡、ジオ・クランスコール……」

 

「最強のミラーヘッド使いか。なるほど、さもありなん、だが、よく生きて帰って来たものだ」

 

「……《レヴォル》を失った。もしかしたら永劫、かもしれない」

 

「らしくない事を言うじゃないか、クラード。悪い夢でも見たか?」

 

「悪い、夢……」

 

 掴もうとして、夢の輪郭はぼやけそして薄らいでいく。

 

 何か大事な事を、取りこぼしているような感覚だ。

 

「だが船医として忠告するのならば、もう《疑似封式レヴォル》には乗らないほうがいい。あれは命を喰らってその力を発揮する機体だ。お前向きじゃない」

 

「……俺向きかどうかは俺が判断する。お前は安全圏から俺の肉体強度だけを図ってくれればいい」

 

「……そうしたいのは山々だがね。頭を悩ませるお抱えのエージェントが二人も居たんじゃ、なかなか無責任な事は言えないとも」

 

「……アルベルトか」

 

「彼も無茶をする。コード、マヌエルの臨界使用。普通の人間には出来ない芸当だが、もう彼もライドマトリクサーでエージェントだ。わたしはせいぜい、彼が魂をあちら側に持って行かれないように忠告するしか出来ない」

 

「……形無しだな。かつて俺のような……エージェントを拾い上げ、そして育成してきたあんたにしてみれば」

 

「恨んでいるのか? クラード」

 

「まさか。むしろ光栄に思っているくらいだ。俺はあの時、死んでいてもおかしくはなかった。あんたが俺を、勝てるようにしてくれた」

 

「取り繕いも含めて、か。……正直に懺悔するのならば、わたしはもうとっくに、お前の前に立つ資格なんてないと、そう思っているのだが」

 

「過去は変わらない。お前は俺に道を示した。死ぬか、エージェントとして戦い続けるか。俺が後者を選んだだけだ」

 

「……あの状況で選んだなんてそれは嘘だろう。わたしは強制させた。《レヴォル》にお前を記憶させ、特級のエージェントとしてエンデュランス・フラクタルの資産にするために。だが今さら、そんな罪悪に後悔さえも抱くんだ。……笑えるだろう? お前からしてみれば、わたしは生き方を矯正させた大罪人。だと言うのに、時折恐ろしくなる。あの時の決断はともすれば、わたしの運命でさえも変えてしまったのではないかと」

 

 震え始めた指先を制するように、ヴィルヘルムは乱雑に灰皿へと吸い殻を押し潰していた。

 

「……俺はもう行く。情報を知らなければこれから先、勝てない」

 

 扉を潜りかけて、その背中に声がかかる。

 

「クラード。勝てない、と言うが、お前はいつまで……この世界への叛逆を続けるつもりだ? いつかは必要なくなるだろう。平穏が訪れた時、お前はどうする? 世が平定されれば軍事部門で力を持つエンデュランス・フラクタルは失墜する。お前も巻き添えになって自滅する気か?」

 

「そんなつもりは毛頭ない。俺は……戦い続け、そしてその先に叛逆の狼煙を上げるつもりだ。どのような時代になったとしても……その決意だけは、俺の物だ」

 

 ぎゅっと拳を握り締めた自分に、ヴィルヘルムは一言だけ呟く。

 

「……その生き方は咎人のそれだよ」

 



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第123話「呑み込めないことであっても」

 

 格納デッキ付近で携行保水液を飲み干しているところを、声をかけて来たのはシャルティアであった。

 

「……あの人達、信用なるんですか」

 

 その鋭い眼差しは今や疑念に沈んでいる。

 

 無理もない。

 

 つい数時間前まで敵であった人間に権限を譲るなど、シャルティアからしてみれば考えられないのだろう。

 

 ユキノは正直なところを述べていた。

 

「……月軌道決戦、ライブラリは?」

 

「閲覧しました。でもあの時だって……あの人達はたくさん死なせたんでしょう? だったら! おかしいじゃないですか! また指揮を執ろうとするなんて!」

 

「でもカトリナさんからの直の命令。それでも納得出来ない? シャルティア・ブルーム委任担当官殿」

 

 こちらの言い分にシャルティアはぐっと奥歯を噛んで自己矛盾に耐えているようであった。

 

「……先輩の事は、素直に尊敬しています。これまでも、危ない目に何度も遭って来たのに、それでも方針を曲げないんです。立派な方だと、思っています」

 

「じゃああなたは何が不満なの? 委任担当官の決めた事はこの艦じゃ絶対……って言っても、ここはもうトライアウトの艦だけれどね」

 

「そこですよ……! あんな作戦、無茶苦茶だった。何もかもおかしくなるとすれば、あの人が来てからじゃないですか! ……エージェント、クラード……」

 

「気に入らないのなら、別に話す必要性もない。だってあなたは私や小隊長の担当なのだし、クラードさんは今のところ、カトリナさんに信を置いている。なら、下手な事を言って爆発させるのは旨味がない」

 

 こちらの詭弁にシャルティアは明らかに不満なようで、格納デッキの模様を眺めながら、ふと呟いていた。

 

「……ユキノさんは、納得なんですか……」

 

「クラードさんとは長いから。とは言っても、この間までまともに喋った事もなかったけれどね。あの人、笑わないし、悲しまないし。……凱空龍って、一応は知っているわよね?」

 

「……アルベルトさんが指揮していたって言う、宇宙暴走族ですよね。話には……」

 

「その凱空龍で、クラードさんはいつでも、最前線で戦ってきた。だからこその、小隊長の信頼もある。危ない局面をいくつも潜り抜けて来た、猛者よ。それも本物のね」

 

「……分かりません。だから何だって言うんですか。宇宙暴走族のそれとエンデュランス・フラクタルのミッションは違います」

 

「いいえ、クラードさんの中じゃ、多分同じ。あの人は先へ先へと目線を走らせている。どこまでも先の運命を見据えて、それを叛逆する。……言ってのければ夢想家のそれだけれど、ほとんど全てを現実にしてきた。クラードさんには、力があるのよ」

 

「……私に力がないから、エージェント、クラードに命令を下せないと?」

 

「そうは言っていないわ。ただ……信じるに値するかどうかって言うのは結局主観。私は小隊長の事も、クラードさんの事も、もちろん、シャルティア・ブルーム委任担当官の事も信じている。だから、迷わずに戦っていける」

 

 ユキノは自身の腕に刻み込まれたモールド痕を視野に入れる。

 

 これも自分の罪の証。

 

 命令に迷いを挟まないと言うのは、他人の命など頓着なく摘めると言う人でなしの証明でもある。

 

 だから、かつてクラードが壊す事しか出来ないと述べていたのが今ばかりは、痛いほど分かってしまう。

 

 ライドマトリクサーになったから得た視座なのではない。これは、戦いから逃げない事に決めたからこそ、得られた目線であった。

 

「……ユキノさんは優しいんですね」

 

「優しい人間は銃なんて取らないわよ」

 

「いえ、それでも……優しいですよ。アルベルトさんは何でなんですか。私に何か……足りない部分があれば何だってやるって言うのに……。あの人は私を戦いから遠ざけようとしているようにしか思えないんです」

 

 整備されていく《マギア》を見据え、シャルティアは頬をむくれさせる。その理由の一端くらいならば語れるが、自分の口から言ったところでしょうがない事実なのだろう。

 

「言えるのは、私は小隊長にとっては部下……いいえ、これもズルい言い回しかも知れない。凱空龍に居た頃は間違いなく仲間だったけれど、今はそんなぬるい言い方で逃げられはしないから」

 

「……ユキノさんは大人なんですね。アルベルトさんに、怒りもしないなんて」

 

「私だって怒る時は怒るわよ。でも、小隊長は背負っちゃっているから。何でもかんでも、これまで死んで行ったみんなの分、全部ね。……だから何も言えない。賢しいだけの部下なんだって思ってくれていいけれど」

 

「いえ、素直に尊敬です。……でも、これ言うと何でだか、クラードさんは不機嫌だったんですよね……」

 

 シャルティアの漏らした弱音にユキノは思わず吹き出してしまう。

 

「な、何ですか……。そんなに頼りないとでも……?」

 

「いいや! 違って! ……クラードさんに素直に尊敬なんて言ったの? それって……恐れ知らずって言うか……」

 

「もう! ユキノさんまで笑わないでくださいよ!」

 

 とは言われてもユキノはここ数年間では一番のジョークを前にして腹を抱えてしまっていた。

 

「お、おかしくって……お腹痛い……! クラードさんにそこまで言ったんだ……。そりゃー、不機嫌の一つにもなるってば……シャルティア委任担当官ってば……!」

 

「わ、笑わないでって……! 第一、何なんですか。そんなに偉いんですか、クラードさんは」

 

 ようやく笑いを鎮めて、それでも笑い過ぎて涙が出てくるのを止められず、ユキノは答えていた。

 

「言っちゃうと、マジになっちゃっているのね、あなたも」

 

「マジに? なっちゃ駄目なんですか?」

 

「駄目とは言わないけれど……何て言うのかな。クラードさんや小隊長が戦ってきた戦場って、多分男の子しか分からないのよ。だから、私達みたいな、女の身分じゃ、結局外から言っているだけだから、そういう反応になるの」

 

 ユキノは格納デッキを眺めて整備されていく《マギア》を視界の隅に捉えていた。

 

 シャルティアは心底不思議そうにハンガーのほうに視線を投じる。

 

「……分かりませんよ。何ですか、男、女って。そういうの、今じゃ問題ですよ?」

 

「ああ、そりゃー分かっているけれど。……でも、こればっかしは、ね。男の子の領域だから」

 

「……ユキノさんみたいな古株でも、無理なんですか?」

 

「私は古株じゃないし、クラードさんと小隊長の間に芽生えている友情とか言うのは、やっぱし分かんないや。だから、外野がどうこう言っても無駄って言うのは、痛感しちゃうわね」

 

「……でも宇宙暴走族だったんでしょう?」

 

「そっ。“だった”。だから元には戻れない。私は、あの頃が一番ギラついていて、自分でも一番輝いていたのは分かっている。分かっているんだけれど、過去は取り戻しようがない。もう過ぎ去ったものだから」

 

「……私に、大人になれとでも言いたいんですか?」

 

 ユキノは思案した後に、いいや、と応じていた。

 

「その逆かな。シャルティア委任担当官。あなたには変わらないで欲しい。そのまま……空回りでも身体ごとぶつかっていけばきっと……得られるものがあるんじゃないかな。だって、そうやってきて前に前に進もうとしていた人を、私はよく知っているから……」

 

「……そんな効率の悪い人、今頃どこかに異動になっているんじゃないですか? そんなの組織じゃやっていけませんよ」

 

「おっと、鋭い指摘。……でもまぁ、やっていけないから、あの人はずーっと、前しか向いていないんだろうけれどね」

 

 不可思議な面持ちのまま小首を傾げたシャルティアに、ユキノはウインク一つ投げていた。

 

「まぁ、頑張ってちょうだいよ。だって私達の委任担当官殿はあなただから。クラードさんにはカトリナさんかも知れないけれど、私達にはあなたしか居ないんだし」

 

「……だったら、せめてちょっとは答えを教えてくださいよ」

 

「答えなんて自分で探すものよ。与えられるものじゃない」

 

「何ですか、それ。誰の言葉なんです?」

 

「引用不明、かな」

 



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第124話「約束ただ一つ」

 

 与えられた事実を飲み込むのには時間がかかる、とは言われていたが、カトリナは今もブリーフィングルームで漂っていた。

 

 レミアの口より語られた真実を噛み締めるように、瞼をきつく閉じる。

 

「……私達の信じていたエンデュランス・フラクタル上層部が……本当の敵……? そんなの信じられるのかって言う……」

 

 だが信じるしかあるまい。

 

 何よりも、軍警察に務めていた彼女らが嘘をつくメリットがない。

 

 ここで下手に情報を掻き乱したとして、もう逆賊なのだ。今さら名誉挽回もないはずであろう。

 

 ならば、素直に事実を飲み込むべき。飲み込むべきなのだが。

 

「……じゃあ全部、無駄だったって言うの……。カトリナ、そんな事、私は……」

 

 今まで無数の血が流れた。数多の命が散って行った。

 

 それらに対し、戦い続ける事、抗い続ける事だけが、自分なりの叛逆なのだと講じてきたのに。

 

 ここに来て何もかもを信じられなくなってしまうのは身勝手だが、この三年間を無為だと宣告されたようで力が伴わない。

 

 今一度、レミアのもたらした情報を整理する。

 

 投射画面に呼び出したのはロールアウト前の新型機。

 

 鋭角的なシルエットと、そして何よりも右側に配された謎の機構を有する、世界を暴く機体――。

 

「《ダーレッドガンダム》……。こんなものを、上はマグナマトリクス社と示し合せて開発していたって? ……それをどうしろって……」

 

 否、答えなんて出ているはずだ。

 

 レミア達がレヴォルの隠し場所を知らないのであれば、ブリギットを拿捕した自分達の次なる目標はこれであろう。

 

 どこにあるのかまるで不明な《レヴォル》に比べれば、《ダーレッドガンダム》を強奪するほうがより現実的。

 

 しかし、乗るのは自分ではないのだ。

 

 カトリナはレミアより告げられた冷酷な真実をそらんじる。

 

「この機体、操るのはクラードさんになる……か。何でそんな事、私に言うんだろ……。だって私は、命じるしか出来ないのに。たくさんの人に、ここまでだ、死んでくれって……そんな事を言う仕事が、委任担当官だって言うなら……」

 

 それは非情であろう。

 

 いや、人でなしと、言い切ったほうがマシかもしれない。

 

 自分は人間をやめられるのか、と、我が事ではないかのように問いかける。

 

 どうして、こんな冷徹な選択を自分に投げるのか、などと言う逃げ口上は今さら使えないだろう。

 

「……私はもう……私だけの身体じゃない、か……。何でこんな事に、なっちゃったんだろう……」

 

 分かり切っている。

 

 進むためだ。

 

 間違っていても、前へ前へと。

 

 そのために、これまで犠牲を強いてきた。アルベルト達には顔向け出来ないような作戦を何度も、何度だって。

 

 だがその度に損耗されるのは自分の精神だけなのだと、まだ割り切れたのに。

 

 クラードが帰還してから揺れる自分の心は、どうしてこうも脆いのだろうか。

 

「……私、弱くなっちゃったのかな……」

 

 呟いて自嘲する。

 

 強くあろうと、誰よりも精神だけは鍛え上げようとして――それでもたった一つの出会いに折れてしまった。

 

 クラードが生きていた、それだけで、こうも彼に頼り切ってしまう。

 

 やはり自分は、と自前の被害者意識が鎌首をもたげたところで、声が投げられていた。

 

「……いつまでやってるんすか。つーか、あんたが指揮官でしょう」

 

「……アルベルトさん」

 

 ブリーフィングルームの扉に背中を預けて、アルベルトがこちらを見据えている。

 

 その眼差しに耐えられずに、カトリナは視線を背けていた。

 

「……ズルいんです、私。レミア艦長が帰って来てくれれば、クラードさんが帰って来てくれれば……もう自分で決めないでいいって、元の身分に戻れるんだって……どっかで思っちゃっていました」

 

「それは別に、あんたの罪じゃないでしょう」

 

「……いいえ、私のなんです。私が背負わないといけないものなんです。だってそうじゃなくっちゃ……これまで命を投げ出してくれた人達に申し訳が立たないじゃないですか……」

 

「それ、多分艦長も同じように思っていたんでしょうね。……あの月軌道決戦の時、オレらを前にもう二度と同じ目線になれないと思ったのは……嘘じゃないでしょうから」

 

 アルベルトのほうが辛いはずだ。

 

 これまで仲間を何人も失っている。

 

 だが彼の瞳には力があった。

 

 もう迷うまい。自分は前を向く、と覚悟した人間の持つ輝きは、かつてクラードの瞳に見たものと同じ――。

 

「……同じ眼に、なっちゃうんですね。みんな……」

 

「カトリナさん。オレは、正直無理だと思っていました」

 

 独白に、カトリナは視線を振り向ける。アルベルトは扉の一点に目線を据えたまま、言葉にしていた。

 

「クラードの言う、レミア・フロイト艦長の奪還だとか、《レヴォル》の奪還作戦だとか……あいつの掲げる……運命への叛逆だとか……。どれもこれも、耳触りのいいだけの言葉だって。可笑しいっすよね……だってかつて、あいつの事を一番に信頼していたのはオレのはずだったのに……今はもう、あいつの言う事がどれもこれも、青臭い理想論に聞こえちまうんです。……変わったのはオレのほうだ。それも、嫌な大人に……なっちまった」

 

 噛み締めた悔恨にカトリナは声を振り向ける。

 

「アルベルトさん……でもそれは、私が命令するからで――」

 

「違います。それは……違う。命令されたから、じゃあ従うのかはオレら全員の意思一つなんです。命じられたからって死にに行くような酔狂な奴なんて一人も居ねぇ……。オレ達は死に場所一つ、それだけが希望だった。でもクラードは別の希望を翳した……。オレらの命一つ一つに、まだ意味があるって……玉砕以外の道があるって言ってくれたんだ。……それをオレは、青い理想だってどこかで断じている。何でなのかな……あいつの言う、つまんない奴ってのにだけは、成らないつもりだったのによ……」

 

 男泣きを噛み殺し、アルベルトは静かに頬を濡らす。

 

 それはきっと、彼なりの決別であったのだろう。

 

 幼い日々に。クラードの後ろを付いて行けば、その先に道が見えた自分達への決別であり、そして何よりも、その背を疑いなく付いて行けただけの、自分自身への決別の涙だ。

 

「……アルベルトさん……。でもそれは、私も同じですよ。委任担当官だとか何だとか……そう言って空回りしてきた日々は、でも、替え難かった。あの日々に、出来れば戻りたいんです。でももう無理になっちゃった……戻るのには、私達は色んな人の人生の上に、成り立ってしまったんです……」

 

 自分だけではない。アルベルトも戻れない。

 

 だが彼は戦士だ。

 

 退路を断ち、その上で道を示せる立場である。

 

 比して、自分は。

 

 退路を断ったところで、ではどこへ行ける? 何を導にすればいい?

 

 クラードと同じ目線に立てるのかと言えば、それこそ傲慢であろう。

 

 彼の見てきた戦場を、勝手知ったるように言えるのはこの世では誰一人として居ないはず。

 

 アルベルトは一回すすり上げて、もう涙を仕舞っていた。

 

 こういう時に、男の子は強くって狡いのだな、と思えてしまう自分が何よりも嫌だった。

 

「……オレはでももう、迷うのはうんざりなんすよ。だから決めました。クラードの示す道に、どんな影が差したとしても……あいつの背中を支えられんのは、オレだけなんだって」

 

「……ですね。クラードさんの味方をしてあげてください」

 

「違うっすよ」

 

「へっ……? だって、アルベルトさん、今そうだって――」

 

「オレは背中合わせに喧嘩するだけです。味方してあげられんのは、カトリナさん。あんただけじゃないですか」

 

「私……だけ……?」

 

 呆然としているとアルベルトはじれったいように後頭部を掻く。

 

「ああ、もう……っ! 何だってあんたもクラードもそう、無自覚なんですか……! オレは! 背中合わせの喧嘩しか取り柄はありません。これまでも、これからもっす。でも……あんたは違う。クラードを全肯定出来るのは、多分この世で一人だけだ。あんたが……この三年間、あいつの帰りを待っていたあんただけがきっと……あいつの心に届くはずなんです。その役目は、オレじゃ、ねぇ……」

 

 どうしてなのか分からない。

 

 分からないがこの時、託されたのだと自分は思えていた。

 

「私だけがクラードさんに届く……。でも、そんなの……」

 

「ないって言い切れるんすか。あんたはこれまでも、言い切れない領域で戦ってきたはずでしょう? なら、ここぞと言う時の弱音だけ、言い切るのなんてズルっすよ」

 

「……私が決断すべき、なんですよね……」

 

 アルベルトは黙ってこちらを見据えている。その瞳に嘘はつけない。

 

「……半端な覚悟じゃ、クラードさんの道を曇らせるだけ。私、やっぱりもう一回……クラードさんに会ってきます。会って、話をしないといけないはずなんです」

 

「……そうしてやってください。オレは結局、あいつに対して、ゲンコじゃないとぶつかれないんす。だから、言葉でぶつかってやるのは、あんただけだ」

 

 カトリナは自身の頬を叩いて気つけにする。

 

 弱音を吐いて、うじうじとするのはもうやめた。

 

 ならば向くべきは前だけのはずだ。

 

「……アルベルトさん、ありがとうございます。私の迷い、断ち切ってくださって……」

 

「何の事やら、っすね。オレは自分の意見言いに来ただけですよ。委任担当官にね」

 

「……その職務もまだ、切れていないはずなら……」

 

 扉を潜ってカトリナはグリップを握り締める。

 

 今の感慨だけは、誰にも奪えない自分だけのもののはずであった。

 

「……だから私は……」

 

 そこまで口にしたところで、廊下を折れた場所でクラードとかち合う。

 

 全く構えていなかったがために、無様に浮かび上がってクラードに袖を摘まれていた。

 

「……何やってんの、あんた」

 

「いや、そのぉー……。うぅー……これじゃ駄目だなぁ……」

 

「何かやろうとしたんでしょ。その割には迂闊だけれど」

 

「そ、そうなんですっ! 私、決めましたっ! このブリギット、決断するのは――」

 

「ああ、それはあんただろう。これまでもそうだったんだからな。レミアはそれでも水先案内人くらいにはなるって言ってブリッジの責任者は請け負うって話だ。あんたはこれまで通り、作戦立案及び俺達を率いる役目に徹して欲しい」

 

 こちらの言おうとした事を全て先回りして言われてしまったので、カトリナはあうあう、と声を詰まらせる。

 

「……何? 何か言いたいんでしょ。何か言えば?」

 

「いえ、そのぉー……言いたい事全部言われちゃったんで……」

 

 クラードはほとほと救い難いとでも言うように首を振る。

 

「……あんた、もっと自信を持てばいい。レミアに作戦で上回ったんだ。一度だけとは言え、それは誇れる話のはず」

 

「それは……元はクラードさんの作戦ですし……」

 

「いいや。俺がベアトリーチェを捨て駒に使う、と言ったところで、反対意見が出て空中分解だっただろう。あんたが纏めたんだ。なら、それはあんたの作戦だ」

 

 断言されれば下手に言い訳するのも女々しく、カトリナは返答に困ってしまう。

 

「あぅ……で、でも……い、いえ……っ。それはそれ、ですね。クラードさん。ここから先の作戦行動において、あなたは慎重を期す必要があります。あの《疑似封式レヴォル》は……あまりに危ないかと」

 

「レミアに聞いてきた。ロールアウト間際の新型機の存在。マグナマトリクス社とエンデュランス・フラクタル上層部が開発に漕ぎ着けた、《レヴォル》を引き継ぐ機体が居るという事を」

 

「あれ……? 怒らないんですね……」

 

「怒ってどうする。……《レヴォル》の場所は依然として不明なまま。なら、俺はその新型機の強奪を目指すべきだろう。俺はあくまでも最終目的として、《レヴォル》の奪還と、そして奪われた全てへの叛逆があるだけだ。それまでの道筋において、《疑似封式レヴォル》だけでは無理なのは目に見えていた」

 

「……それでも、《オリジナルレヴォル》を求めて……ですか」

 

 クラードはその赤い瞳を伏せる。

 

「……分からないんだ。あの時……月軌道決戦の最中、どうして《レヴォル》は俺を排出し、生存確率の低い行動に打って出たのか。それだけは不明なまま、俺が生きているのは気色が悪い」

 

「気色が悪いって……それは《レヴォル》がきっと――!」

 

 きっと、何だと言うのだ。

 

 ここでレヴォルの意志を代弁したところで、自分は恐らく彼らの間に割り入る事なんて出来はしないのに。

 

「きっと……? きっと何だって言うんだ?」

 

「いえ、これは……私の口から言えば陳腐に落ちます。クラードさん。じゃあ次の作戦は……」

 

「ああ。奴らの擁する新型機――《ダーレッドガンダム》の強奪と確保。それにはあんたの作戦が必要だ。ブリギットは足を削いである。今のままではミラーヘッドの段階加速を持っている艦艇にすぐに追いつかれてしまうだろう。逃げに徹していては勝てないはずだ」

 

 先の戦闘でブリギットの推進装置をいくつか奪わなければ、勝利はもぎ取れなかっただろう。

 

 いずれにしたところで、この艦とも遠からず別れを告げなければいけない。

 

「……何だか、一ところに留まらないって言うのは、どうにも……って感じですね」

 

「敵からしてみてもそっちのほうが動きを読みにくい。ブリギットはさらなる捨て駒として使う。その上で、あんただ」

 

「わ、私……?」

 

「ブリギットをどう扱うのかはレミアに任せてある。あんたにはその上での決断をして欲しい。ベアトリーチェの面々に対して信頼が厚いのなら、俺では思い浮かばない作戦が立案出来る」

 

「……でもそれは、クラードさんが居るからで……」

 

「前回と同じく、俺は捨て駒扱いで構わない。それくらいはしないと《ネクロレヴォル》隊には勝てないだろう」

 

 しかしそれは――クラードを軽んじる事に繋がってしまわないだろうか。

 

 その懸念に彼は眉根を寄せる。

 

「……どうした? 不安そうにして。勝利条件は見えているはずだ。あとは、いつ、どう作戦を立てるか。それ次第になってくる」

 

「……作戦は……下手に回り道なんてしない。作戦立案は本日中に行います。レミア艦長とも……その、一度話して……」

 

「ああ、俺はもう言いたい事と聞きたい事は話しておいた。あとはあんたが話してやればいいだろう」

 

 何故なのだか、その内容が気にかかっていた。

 

「……何を、話したんですか……?」

 

「必要な事だ。それと、俺を撃つと心に決めていた、その在り方を」

 

 だがそれは、レミアの傷口を抉るような真似ではないのか。

 

 そう言いかけて、カトリナは口を噤む。

 

 自分に何が言えよう。クラードとレミアは誓いを再び果たしたのだ。

 

 ならばその道は、彼らだけの道のはず。

 

「……そう、ですか。じゃあ私、一度レミア艦長と……あっ、もう艦長じゃ……」

 

「いや、そう呼んでやるとレミアも安心出来るんじゃないか。あの場所が無駄じゃなかったって」

 

「……何だかクラードさんらしくない。いつもはもっと冷たいでしょう」

 

「……そうか? そうでもないと思うがな。格納デッキに向かう。《疑似封式レヴォル》も次の戦いで最後なら、仕上げてやらないといけない」

 

「あっ……待っ……」

 

 呼び止めようとして、その背中にどのような言葉を投げればいいのか分からなくなる。

 

 今の自分に何が言えるのか。

 

 今の自分じゃないと言えない事は何なのか。

 

 一拍の逡巡の末に、カトリナは大声を発していた。

 

「オムライス……! まだ、ですからーっ!」

 

 クラードも振り返る。

 

 自分も、言ってからあれ、と困惑していた。

 

「何言ってんだろ、私……。他の言う事もあるだろうはずなのに……」

 

「――憶えてるよ。その約束」

 

 自分が言葉を取り消す前に、クラードはそう呟いていた。

 

 彼の瞳が、明瞭な意思をもって、自分を見据える。

 

「……だからさ、まだ死ねないだろ」

 

 それだけでこみ上げそうになってしまっていた。

 

 そうだ、まだ死ねない。

 

 死なない、ではなく。

 

「……上等なオムライスとやらを貰うのにはでも、時間があまりにも不足している。いつか、時間があり余った時に、それをいただくとしよう」

 

「……クラードさん……。はいっ! 約束ですからねっ!」

 

「……声デカいよ、あんた」

 

「あっ……ですよね、すいません……」

 

「けれどまぁ、いいんじゃないの。死ぬ気で戦うんだ。約束一つ、守る心持ちくらいで」

 

 クラードは身を翻していく。

 

 その背中にもう余計な言葉は必要なさそうであった。

 

 カトリナは艦長室へと赴いていた。

 

 一度だけでもいい。レミアときっちりと話さなければ、自分はその機会を一生見失う。

 

「……でも、どう話をしよう。……だってレミア艦長の艦を奪っておいて、今さら盗人猛々しいって言うか……」

 

『話があるんなら早くしてちょうだい。時間は有限よ』

 

 思わぬ形で扉の前で立ち往生していた自分の背中を押され、羞恥の念を帯びつつカトリナはノックしていた。

 

「……し、失礼します、レミア艦長……」

 

「もう艦長じゃないけれどね。何、カトリナ・シンジョウさん。まさか三年間でボケちゃったの?」

 

「ぼ、ボケてませんよ……。って、何て言うか、このやり取り……」

 

 くすり、と笑い始めたこちらにレミアも頬を緩める。

 

「そうね。最初にあなたが部署を訪れた時とそっくりね。あの時は、まさかこんな新卒の頼り甲斐もない子がレジスタンスを率いるなんて思いも寄らなかったけれど」

 

 お互いに少し可笑しくって笑い合う。

 

 何だか緊張していた神経も少しは和らいで、カトリナは言葉を継いでいた。

 

「……レミア艦長。ブリギットの指揮は任せます。でも、私はあなたに勝ちました。だから作戦系統は」

 

「あなたに任せる、ね。クラードも念押しをしてきたわ。そうするように、ってね」

 

「クラードさんから?」

 

「……あなたも変わったのね。いい方向か悪い方向かはさておきだけれど」

 

 軽口を叩かれてカトリナは紅潮していた。

 

「……そ、そのっ……私、でもレミア艦長ほどの人間じゃありません。トライアウトネメシスに行って、辛い事も抱えていたはずです。だって言うのに、私は三年間、自分の我を通し続けて……」

 

「それが出来ただけ、いいんじゃないかしら。だってあなた、そんな風に思い切らなくっちゃきっと、ベアトリーチェを捨てる事なんて出来なかったでしょう? あそこには……思い出だけはたくさんあるんだからね」

 

 思い出にしかし、足を取られて未来を見据えられないのは恐らく、勝利の先へは行けない。

 

「……レミア艦長」

 

「だからもう艦長でもないってば。逆賊の徒よ。あなた達と同じく。……けれどまぁ、何て言うのかしらね。しっくりも来ているのよ、この身分に」

 

「それは、そのぉー……。私達の行動に、意味があったって事ですか?」

 

「意味があったかどうかは、後の世で決める。まだ私達は途上のはず、でしょう? ……言っておくけれど、ブリギットを拿捕したくらいでは敵の総力は変わらない。いいえ、むしろ辛い道を行くようになったと思うべきよ。これまでのレジスタンス活動では蚊が刺した程度にしか思っていなかった相手が、本気になってくる」

 

 その言葉に身が引き締まる思いであった。

 

「……待ち受けているのはこれまで以上の……」

 

「ええ、間違いなく、あなた達はより辛い運命に身をやつしたと、考えるべきでしょうね。……でも笑えるのは、どうしてなのか私も……そんな運命のほうがお似合いの、どうしようもない人間だったって言う事。逆境が似合いなんて、どうにもならない感じだけれどね」

 

 レミアはティーカップにコーヒーを注ぎ、もう一方のカップを差し出す。

 

「飲む? インスタントだけれど」

 

「あっ、いただきます……。でも何ていうか、こんな風になるなんて、三年前には思ってもみなかったって言うか……」

 

「そうね。あなたと対等以上の関係でコーヒーを飲むなんてね」

 

 鼻孔をくすぐる芳醇な香りに、カトリナは思わず呟く。

 

「……美味しい」

 

「ええ、美味しいコーヒーは明日の糧だもの。それに、誇っていいわ。あなたは私に、結果はどうあれ勝利した。なら、これは勝利の美酒だもの。生憎、ノンアルコールだけれどね」

 

 ウインクしてみせたレミアに、カトリナも微笑む。

 

 今この瞬間だけは、レミアと肩を並べられている事を光栄に思うべきなのだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 取り乱した士官一人、どうとでもなると考えていたのだが事態は思ったよりも切迫していた。

 

『……クラビア中尉……』

 

「来るな! お前らが居たから、おかしくなっちまったんだ! フロイト少佐も……サワシロ大尉も……俺らを裏切るような人達じゃ、なかったはずだろうが……!」

 

 呻くダイキに対し、声をかけようとしたファイブはイレブンに制されていた。

 

 トゥエルヴがその怒りの矛先を向けられている現状をしかし、看過出来ない。

 

『……イレブン。だが、トゥエルヴだけが……』

 

『いい。あいつは汚れ役を買って出ている』

 

 その言葉通り、ダイキはトゥエルヴに掴みかかり、怒声を張り上げる。

 

「言えよ! 自分達のせいでブリギットを失ったって! 騎屍兵さえ来なければ……不運なんて俺達には降りかからなかったんだって! そう言えよ!」

 

『クラビア中尉。落ち着いて聞いてもらいたい。我々も作戦系統に困惑がある。ブリギットは残念だった。騎屍兵の擁する艦艇では、少しばかり死の臭気が濃いだろうが我慢して欲しい』

 

「我慢? ……それは俺の台詞だって言うのか……。俺が生き延びちまったのも……我慢だって言うのかよ……!」

 

 拳を固めたところで仲裁に入ろうとして、声がかかっていた。

 

「よさないか! クラビア中尉!」

 

 その言葉を投げたのは少しばかり年季の入った将校である。

 

 ダイキは目を見開いて、翳した拳を止めていた。

 

「……中佐殿……? 何故、騎屍兵の艦に……」

 

「凶報を聞いてな。居ても経っても居られず、と言った具合だ。……ブリギットは」

 

 ダイキは拳をぎゅっと握り締め、悔恨を噛み締める。

 

「……俺が居ながら、敵に落ちました……」

 

「そうか。いいや、よく戦ってくれた。生存者が居るのは僥倖だ。こちらの損耗率は?」

 

「ほとんどゼロではありますが……ブリギット一隻を失ったのは単純に大きい……。中佐殿、俺はどうすれば……」

 

 振り翳す先を失ったダイキの拳を掴み、中佐と呼ばれた将校は言いやる。

 

「お前が翳すべき怒りの矛先は、彼らにではないだろう。三年間、少しばかり頭が冷えたかと思ったが……まだまだのようだな」

 

「中佐は……! お変わりなく……」

 

「レミア・フロイト少佐、それにバーミット・サワシロ大尉。共に面識はあった。それゆえに、お前を任せたのもあるのだが……。見極めが足りなかったと言うべきか。統合機構軍からの生え抜きのエリートとは言え、彼女らは情にほだされた。レジスタンスに……逆賊に堕ちるとは……」

 

「……俺が守り切れなかった……俺が……」

 

 涙を堪えるダイキの相貌に、ファイブはあの日の自分を重ねていた。

 

 月軌道決戦時、敵へと果敢に立ち向かった末に――「死者」に堕ちた自分に。

 

『……どう足掻いたところで、敵は敵です』

 

 自分の放った言葉に、将校とダイキは揃って眼を見開く。

 

『……敵は敵なのです……。ならば撃つべき。それ以外にあるでしょうか』

 

「お前……! フロイト艦長をよくも知らないで……言いたい事だけ言いやがって……!」

 

 ――違う。よく知っている。

 

 だがそうは言えずに、ファイブは声を振る。

 

『敵は敵なのです。ならば、次に講じるべきは相手を撃つ手段であって、ここで諍いを続けている場合ではない』

 

「失礼ながら、騎屍兵とお見受けする。名は?」

 

『ファイブです。ゴースト、ファイブ』

 

「階級はどうなっている?」

 

『我々騎屍兵に、階級の別はありません。ただ目的を遂行するだけの亡霊でしかない』

 

 マニュアルじみた言葉に中佐は、そうか、と諦念を浮かべる。

 

「……いや、君達の理念に背くな、これ以上は。……ファイブ、それに騎屍兵の者達へ。すまなかった。ダイキ・クラビア中尉の軽率な発言は私の責任だ」

 

 ここでまさか中佐階級が頭を下げるとは思いも寄らない。

 

 ダイキはしかし、これまでとは違い、言葉少なであった。

 

『……よして欲しい。我々の落ち度だ』

 

「いいや……! これから先、作戦行動を共にする。少しの禍根が命取りになるであろう。……謝らせて欲しい。そしてダイキに……もう一度チャンスをやってくれ」

 

『チャンス、とは……』

 

 困惑する自分達に対して、中佐は顔を上げてダイキを一瞥する。

 

「ダイキ・クラビア中尉はよく出来た部下だ。私の直属でもある。騎屍兵の駆る《ネクロレヴォル》への適性も、決して低いわけではないだろう」

 

「中佐……? 何を言って――!」

 

「《ネクロレヴォル》に空きがあれば、彼を乗せてやって欲しい。そして、共に作戦行動を実施し、この禍根は絶対にそそぐ。それを約束してもらいたい」

 

「やめてください、中佐殿! 俺のために、何でそこまで……!」

 

「お前のためだからだ。私の頭程度、下げればいいのならいくらでも下げよう。だが、ダイキ・クラビア。お前は決して下がってはならん。奪われたのならば、奪い返せ。それがお前と言う仕官だろう」

 

 その言葉振りにダイキは一度、大きく涙ぐんでから、顔を拭って返答する。

 

「……了解しました。中佐殿、俺、また……」

 

「いい。それ以上は言うな。騎屍兵の方々、彼は見ての通り、実直だけが取り柄の行政連邦の士官でしかないが、頼めるだろうか。彼の行く先を」

 

『もちろんです。我々とて、下手な諍いの種を撒きたいわけではない』

 

 トゥエルヴの言葉に異論はない。

 

 ここに集った騎屍兵身分は所詮、彼らの親子ごっこに従うしかなかった。

 

 ――何ていう、三文芝居。

 

 お涙ちょうだいのつもりなのだろうが、ただの自己満足、自己陶酔だ。

 

 ファイブはもう枯れ果てた己の涙の行方を一瞬だけ感じたが、彼らを見据える瞳は最早、騎屍兵のそれになっていた。

 

『必ずや戦果を。そして、取り戻しましょう。奪われたものを、全て』

 

 



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第125話「答えのない戦域へ」

 

 戦うにしては迂闊だ、と《疑似封式レヴォル》に収まった自分へと、サルトルの文句が飛ぶ。

 

「……性能なら充分のはずだけれど」

 

「そうじゃない。こいつのリミッター、お前、弄っただろ。ったく、とんでもない化け物を仕立て上げたもんだ。おれもおれで前回気づくような余裕がなかったのが悔やまれる。……クラード、これに乗り続ければ、お前でも死ぬぞ」

 

「それは忠告? 言っておくけれど、俺は止まる気はない」

 

「ああ、くそっ。その意見も分かるんだから始末に負えないんだよ……! ……《疑似封式レヴォル》の性能を引き出せ、とのオーダーだったが、もうこいつも限界だ。次の戦闘でパブリックのミラーヘッドとコード、マヌエルを併用すれば、確実にガタが来る。その時に、何の備えもないんじゃやられるぞ……!」

 

「備えならある。敵の新型機を鹵獲する」

 

「……簡単そうに言いやがるがなぁ、ったくもう……。こっちにもデータ共有はされた。目標の場所は……それにしたって因果なもんだ。かつてのコロニー、デザイア宙域に新設された、新たなる工業コロニー――エンデュランス・フラクタルインダストリアル71号コロニー、通称セブンワン、か」

 

「そこにあるのは間違いないんだな?」

 

「今さら情報の真偽を問うものでもないだろう。デザイア宙域だ。お前らの庭だろうに」

 

「言っておくけれど、俺はデザイア周辺宙域で戦闘した経験はない。何があったって不思議じゃない宙域だ」

 

「分かってるって。半分ジョークだよ」

 

 クラードはモニター越しのサルトルの背中に宿った憔悴を感じ取り、静かに声を投げていた。

 

「……疲れてる?」

 

「疲れる暇なんてないさ。いつもいっつも、どれだけ忠告したって聞かない小隊長様と、それにお前の合わせ技だって言うんだ。寝る時間さえも惜しいくらいだな」

 

「……悪いな、サルトル。あんたには……」

 

「借りがあるとでも? 言えるようになって来たじゃねぇか。あのエージェント、クラードが。それもこれも、カトリナ女史のお陰かねぇ」

 

「……何であいつが。そこは関係ないだろ」

 

「いつまでも澄ました事言ってんじゃねぇよ、クラード。いい加減、進展の一つや二つも――」

 

 そこで耳馴染みのない警戒音声がけたたましく鳴り響く。

 

 赤色光に塗り固められていく艦内で、クラードは予感していた。

 

「……もう来たか。足が速い艦が居るな」

 

「おいでなすった! ……ったく、悠長に世間話も出来やしねぇ。整備班! ブリギットの艦内設備に慣れているような時間はない! 作戦行動に入るぞ! ……それにしたって、あまりにも早い合流だ。何かあると、思ったほうがいい」

 

「ああ。騎屍兵連中が追いかけてきたにしては、速度がダンチだ。……別働隊か」

 

「おれ達はもう、追われる身だからなぁ。ブリギットなんて言う分かりやすい的もある事だし、大義やら何やらでいつでも撃てるだろうさ」

 

「撃って来るのなら、撃ち返せばいい。サルトル、俺は前に出る。他の連中には、目標の確保を最優先に――」

 

『何言ってやがる! クラード! 今回ばっかりは、いいカッコさせねぇ! RM第三小隊! 底力を見せんぞ!』

 

 アルベルトの言葉が響き渡り、応! と声が相乗する。

 

『クラードさん。逃げ隠れだけさせるのもやめさせてもらいますからね。私達の実力、三年前から変わらないと思っていたら大間違いなんですから。通信終わり!』

 

 ユキノの強気な発言が回線に居残り、《マギア》編隊が次々とカタパルトへと移送されていく。

 

「……変わったのは一人だけじゃない、か」

 

『ぼやぼやしてんな! 敵はマジに追ってくるぞ! ブリギットのカタパルトより発艦後、波状攻撃で敵艦の足を削ぐ! クラード、そっちの目標物は任せたぞ!』

 

 カタパルトにて、発艦準備に入っていく《マギア》をモニターの中で視野に入れ、クラードは管制室に呼びかける。

 

「バーミット。敵影は?」

 

『ヘカテ級戦艦ね。新造艦みたい。こっちのデータ照合にも時間がかかるわ。でも……奇妙ね。この宙域に到達するにしては、あまりに素早いと言うか……』

 

「禍根は後で晴らす。今は出撃姿勢に入らせてくれ」

 

『はいはい。あんたも身勝手なんだから。……カトリナちゃんの作戦、きっちり頭に入ってるんでしょうね?』

 

「ああ。俺は委任担当官、カトリナ・シンジョウの作戦に従う」

 

『……ああ、そう。あんたらしいと言えばあんたらしいけれど。……これだけは個人的な入電。生きて帰ってきなさいよ。これまでみたいに、結果として死ななかった、じゃ許さないんだから』

 

「それは手厳しいな。俺達は敵地へと足を踏み入れている。デザイア跡地だろうが、何だろうが……敵の牙城なのは違いない」

 

『迷いのないのも今はちょっと不安だけれど、まぁいいわ。《マギア》、発艦準備どうぞ』

 

『よっしゃ! 《マギアハーモニクス》、アルベルト・V・リヴェンシュタイン、出るぞー!』

 

 ちょうど先端が張り出した形のブリギットからは上下カタパルトより同時にMSを射出出来る。

 

 次々に作戦展開していく機体群を見送りながら、クラードはカタパルトボルテージに固定された《疑似封式レヴォル》の接続口へと、自身の両腕を翳す。

 

「……行くぞ、《レヴォル疑似封式第六形態》。正念場だ」

 

 直後、可変した両腕を接続させた瞬間には、電流が脳髄に突き立ち、最後の怨嗟が響き渡る。

 

「……死なない、か。俺はだが、それはとうに踏み越えた領域さ」

 

『《レヴォル疑似封式第六形態》、射出タイミング、どうぞ』

 

「了解。《レヴォル疑似封式第六形態》、エージェント、クラード。迎撃宙域に先行する!」

 

 迸った青い電流を蹴り上げ、飛翔した《疑似封式レヴォル》の視野に大写しになったのは、かつてデザイアがあったとは思えない工業コロニーの存在感であった。

 

 自分達の足跡を消し去ったその先に、しかし、進むべき叛逆の道があると言うのならば――自分は迷わない。

 

「《疑似封式レヴォル》で敵陣に踏み込む。第三小隊は援護射撃を乞う」

 

『応よ! 行くぜ、お前ら! ここが踏ん張りどころだ!』

 

《マギアハーモニクス》の銃撃を嚆矢として、小隊編成における援護射撃を心得ている彼らの銃撃網を抜けて来たのは、灰色の機影であった。

 

「……《ネクロレヴォル》? ……あの艦にも居たのか」

 

『聞こえる? クラード。……現状、考え得る最悪の相手と行き遭ったわ。敵艦の名はモルガン。艦長の名前は――ピアーナ・リクレンツィア。統合機構軍の新鋭艦よ』

 

 通信網に焼き付いた悔恨にクラードは一瞥を振り向ける。

 

「……ピアーナ……? あの艦に居るって言うのか……」

 

『今は。二つも三つも奪還は不可能。作戦通りの手はずでお願い。……ピアーナとまさかこうして敵同士になるなんて想定外だったけれどね……』

 

 だが、モルガンとやらは本気だ。

 

 本気でブリギットに仕掛けて来ている。この状況では、前回のような呼びかけは不可能であろう。

 

 艦砲射撃が光輪を作り出す戦場で、クラードは噛み締めていた。

 

「……これも因果か。《疑似封式レヴォル》、このままセブンワンに突入する!」

 

 しかし針路を遮ったのは、熱源警告であった。

 

 何もない宙域から四方八方にビームの光軸が咲く。

 

「……光学迷彩……! 《カンパニュラ》か」

 

 熱源探査モードに設定させ、照準の先に《カンパニュラ》を捉えて加速度をかける。

 

 血液が沸騰する感覚をそのままに、クラードはヒートマチェットを電荷させていた。

 

 赤い残光が居残り、不可視の敵を両断していく。

 

「マグナマトリクス社との蜜月はハッキリしたな。……だが、ブリギットが……」

 

『クラード! こっちは気にすんな! お前は自分の任務を果たせ!』

 

「アルベルト……了解。このまま先行する!」

 

《マギア》小隊が《ネクロレヴォル》との交戦に入るのを視野の隅に入れつつ、クラードは《疑似封式レヴォル》を奔らせる。

 

 放射されるビーム粒子をかわしつつ、機体に加速度をかけさせて突入させていた。

 

 真正面に捉えた不可視の《カンパニュラ》をゼロ距離でビーム刃を構築させた太刀で薙ぎ払い、直角に機動を折れ曲がらせ、セブンワンの狭いメンテナンスルームへと駆け抜ける。

 

 その途上で自動迎撃のタレットが発動し、火線が交錯するが、クラードは構っていられなかった。

 

「……《疑似封式レヴォル》。ここが正念場だ。悪いが耐えてくれ……俺も、痛みには耐えよう」

 

《疑似封式レヴォル》から伝達した激痛を押してでも、自分は進まなければいけない。

 

 そうでしか示せない。

 

 タレットの銃弾を引き受け、装甲が弾き飛ばされる感覚を味わいながら、クラードは隔壁に向けて腰部に格納したビームランチャーを照準していた。

 

「一撃に……賭ける! 行け!」

 

 引き金を絞り、隔壁が灼熱に爆ぜていた。

 

 その向こう側より無数の高熱源が関知され、すぐさまビームランチャーを投擲する。

 

 相手の《カンパニュラ》機動編隊は死角から攻撃を見舞う。

 

 クラードは意識の網を加速させ、《疑似封式レヴォル》に魂の手綱を握らせていた。

 

「……コード、マヌエル実行……! 《レヴォル疑似封式第六形態》、敵を殲滅する!」

 

 跳ね上がった《疑似封式レヴォル》が天井に足を付け、速度のままに蹴り上げて《カンパニュラ》の頭部を引っ掴む。

 

 そのまま引き千切り、袖口に仕込んだワイヤーを機体の弱点へと突き刺していた。

 

 ワイヤーの膂力を用いて反対側に位置する《カンパニュラ》へと機体を投げ捨て、誘爆の輝きが光輪を形作る中で、《疑似封式レヴォル》は電荷させた爪を《カンパニュラ》の頭部へと突き込んでいた。

 

 溶解した敵の頭蓋を引っ掴み、膝頭で衝撃を叩き込んでアイリウムを麻痺させる。

 

 敵からの火線を盾にして防御し、痙攣するかのようにミラーヘッドジェルを撒き散らす《カンパニュラ》のアステロイドジェネレーターを後ろから手刀で突き破る。

 

 収縮爆破が起こる前に機体を蹴り飛ばし、クラードは次の敵を見据えていた。

 

「……ここでは死ねない……まだ俺は……死ねないんだ」

 

 その眼差しは真紅に染まっている。

 

 残光を棚引かせ、《疑似封式レヴォル》は空間を奔っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵艦はセブンワンへと侵攻していく模様。先読みが通用した形ですわね」

 

 管制室にて、RM専用の半球型の艦長椅子に腰かけたピアーナへと、皮肉を投げていた。

 

「……何でボクをブリッジに? 収監させておけばいいのに」

 

「貴女にはまだ利用価値があります。何よりも、あの工業コロニーはマグナマトリクス社の所有物でもある。もしもの時には」

 

「人質、か……。その価値もないかと思うけれど」

 

 メイアは今も戦火が収まらない戦闘宙域を眺め、《マギア》小隊と交戦に入る《ネクロレヴォル》隊を視野に入れる。

 

「騎屍兵……まさか勝手に出していいなんて思わなかったけれど」

 

「わたくしは師団長です。騎屍兵を指揮する義務があります」

 

「それもどうなんだか。全身ライドマトリクサーの艦長なんて、まさか統合機構軍が抱えているなんてね」

 

「どうとでも。わたくしに嫌味を発したところで、戦局は変わりませんわよ」

 

「それはその通りさ。……でも分かんないのは、あの戦闘艦はブリギット……確かトライアウトのもののはず」

 

「ですが、つい数時間前にあの艦艇は拿捕されています。……レジスタンス組織に」

 

 何故なのだか、悔恨を噛み締めたような論調にメイアは疑問符を挟みつつ、《マギア》編隊が《ネクロレヴォル》と撃ち合っているのを目の当たりにする。

 

「……あっちの戦力も相当だ。《ネクロレヴォル》と真正面から戦おうとするなんて」

 

「……蛮勇と勇猛は、違いますのにね。それでも貴女は行くと言うのですか……カトリナ様……」

 

 その名前を問い質す愚は冒さない。

 

 メイアは人質の身分を持て余し、工業コロニーを睨む。

 

「あそこに眠っているのが……世界を暴く機体――」

 

「ええ、貴女の情報通りならば、ですが。しかし、我が方として見ても防衛対象です。セブンワンに潜入しようとするブリギット艦を轟沈させ、戦力を削ぐ。その決定に相違ありません」

 

「……何か、無理してる?」

 

「何の事なのだか」

 

 知らぬ振りを気取っているが、それもプライドか何かに糊塗されたのが窺える。

 

「……誰が手に入れるのかな。世界を変える機体なんて」

 

「勝利者はわたくし達です。その位置関係さえ変わらなければいい。弾幕を張ります。艦砲射撃をわたくしに一任してください」

 

 管制室には人が少ない。

 

 ほとんどがアイリウムによるオート制御であり、詰めているのは三名ほどだ。

 

「了解。火器管制オート迎撃システムを発動。リクレンツィア艦長、敵艦は距離を保ったままです」

 

「恐らく、それほどの迎撃性能は有していないはず。……レジスタンス組織の常套手段です。一撃離脱戦法、それでケリが付くとでも。正直、嘗めるなと言いたいですわね。わたくし達がただ闇雲に戦力を拡充してきたとでも? 騎屍兵にミラーヘッドを許可。本当の第四種殲滅戦を見せて差し上げなさい」

 

「御意に。騎屍兵団へ。ミラーヘッドを展開。敵を圧倒せよ」

 

 その命令系統は恐らくレイコンマの世界で戦場へともたらされた事だろう。

 

《ネクロレヴォル》隊が蒼い色相を帯びて一瞬にして数倍の戦力を誇る。

 

「勝てるはず。わたくしなら、貴女に勝てる……」

 

 ピアーナは何かに囚われている。

 

 それだけは確かだが今の自分にはそれを氷解する術はない。

 

 ただ、転がりつつある戦局の果てで、命が散っていくのを目にするしかなかった。

 

 



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第126話「誘いの魔女」

 

 ミラーヘッドの段階加速に入ったのを照準器に入れたアルベルトは、舌打ちを滲ませる。

 

「野ッ郎……! ミラーヘッドに入りやがる! 総員、敵影を捉え、こっちも応戦するぞ! レヴォル・インターセプト・リーディング、発動!」

 

『了解! 各員、順次発動!』

 

 ユキノの号令を帯びて《マギア》編隊がミラーヘッドの構えに移る。

 

《ネクロレヴォル》のミラーヘッドはしかし、明らかに圧倒していた。

 

 両翼を広げた騎屍兵のミラーヘッドはまるで自在。

 

 こちらの手繰るミラーヘッドの数十分の一でありながら、的確に分身体を射抜き、引き裂いていく。

 

「……あっちのほうが場数は上ってか。ユキノ! 後ろに下がって後方支援に! ……オレは、前に出る!」

 

『小隊長? ……コード、マヌエルの使用は!』

 

「出し惜しみしている暇ぁ、ねぇ! コード、マヌエル! オレに従え……ッ!」

 

 コックピットの操作系が赤く染まり、《マギアハーモニクス》の頭部が引き出され、宇宙の常闇を引き裂く獣の咆哮が上げられる。

 

『……小隊長……』

 

「ユキノ……いいから下がって、ミラーヘッドの後方支援だ。出来んだろ……それくれぇ……。オレは前の連中を――弾き飛ばす!」

 

《マギアハーモニクス》が赤い眼光を棚引かせて《ネクロレヴォル》の背後へと回り込む。

 

 これが千載一遇の好機――そう断じて背筋を蹴りつけ、袖口に仕込んだヒートナイフを発熱させる。

 

 そのままアステロイドジェネレーターに一打、と予見した神経を敵のミラーヘッドは上回ってくる。

 

 瞬時に背後を取られる、凍てつく心音。

 

 しかしマヌエル使用時には、時間が何倍にも引き延ばされる。

 

「……マヌエルは……伊達じゃ、ねぇ……ッ!」

 

 機動力の臨界点を超えて跳ね上がった《マギアハーモニクス》は敵の打ち下ろしたビームサーベルの太刀筋を潜り抜ける。

 

 そのまま掌底を叩き込もうとして相手も同じ姿勢を取っている事に気づいていた。

 

 反射的に機体を下がらせたのはこの三年間で培った習い性であろう。

 

 相手の掌底が爆ぜ、至近距離で絶対の死地である蒼いスパークが散る。

 

「大振りたぁ……上等ッ!」

 

 露わにしたのは剥き出しの格闘神経。

 

 喧嘩殺法の腕が迸り、相手の上品なだけが取り柄の戦法を打ち負かす。

 

 肘打ちからの頭蓋への一撃――レヴォルタイプならば頭部は弱点のはずだ。

 

 揺さぶられた視神経を相手が持ち直す前に、ヒートナイフで息の根を止めようとして敵は機体を蒼く燃やしていた。

 

 それはまさに、亡霊の焔。

 

 ミラーヘッドが雪崩れ込み、《マギアハーモニクス》を瞬間的に吹き飛ばす。

 

 アルベルトは奥歯を噛み締めてその衝撃波を持ち堪えつつ、直上に位置取った敵影が一斉に照準していたのを目にしていた。

 

 ミラーヘッドの段階加速を瞬時に用いて火線を潜り抜ける。

 

「……危ねぇ……。今、首なかったぞ……」

 

 だが安堵を噛むような時間もなし。

 

 敵影へと牽制銃撃を見舞いつつ、次手に移ろうとして虚脱感が視界をブラックアウト寸前まで追い込む。

 

「……マヌエルの臨界時間かよ……。レヴォルの意志ってのは、これだから……ッ!」

 

 ミラーヘッドジェルも三割を切っている。

 

 この状態からでは離脱挙動に移るのが精一杯。

 

 平時ならば帰投するルートに移るのだが、今回ばかりは勝手が違う。

 

「……悪ぃな。普段なら臆病風ってもんだが、今ばっかりは背中任せられてんだ! オレが簡単に折れちゃ、いけねぇんだよ……!」

 

 ビームサーベルを抜刀し、《ネクロレヴォル》のうち一機と打ち合う。

 

 干渉波のスパーク光が散る眼前で、アルベルトは雄叫びを上げていた。

 

「ここから先には! 通させやしねぇ――ッ!」

 

 薙ぎ払った一閃で弾かれ合い、銃撃を浴びせて距離を取ろうとするが、騎屍兵は既に背後へと回り込んでいる。

 

 遅れた照準器で捉えようとするも、相手の挙動は明らかに自機を凌駕している。

 

「……たった三機の《ネクロレヴォル》相手に満身創痍たぁ……我ながら情けねぇ……なァッ!」

 

 吼え立てて敵影と交錯しようとして不意打ち気味に機体が後退していた。

 

 ワイヤーによる引き戻しにアルベルトは当惑を浮かべる前に、ユキノの《マギア》に拘束されている。

 

「……ゆ、ユキノ……? てめぇ何やって……」

 

『何やって、はこっちの台詞でしょう! ……ヘッド、無茶してクラードさんが喜ぶとでも思ってるんですか!』

 

「……あいつに顔向け出来ねぇだろうが」

 

『もう充分でしょう。一旦ブリギットの応戦領域まで戻ります。……我が方も限界が近いでしょうから』

 

「……くそっ! 持たせられないってのかよ……! クラード、あいつの帰る場所くらい、オレは――!」

 

 その時、ブリギットより出撃した機影をアルベルトは視野に入れていた。

 

「……おい、こんな戦闘宙域で、誰が……」

 

『私が許可したわ。これも作戦行動には必要だった』

 

「艦長? ……じゃああれには……!」

 

『今は。ブリギットの護衛を頼ませてちょうだい。私達は勝った上で生き残らなければいけないのよ。あの月軌道決戦とは違う』

 

 アクティブウィンドウに表示されたレミアの面持ちは、死にに行けと言った三年前とは違う。

 

 絶対に生き残るべきだと言う覚悟が窺える。

 

「……了解。ブリギットの護衛位置につく。ただ……あんたでも、無茶な事は言わせねぇ。これ以上、仲間を失うなんて事はな」

 

『了承しているわ。アルベルト君、もうあなたは我が社のエージェントなのだからね。勝手に死んでもらっては困るのよ』

 

「……そうかよ。オレも、身分を弁えてって奴かよ」

 

 牽制銃撃を見舞いつつ、騎屍兵の機体から逃れる。

 

 相手も深追いはしてこないようであったが、今はそれがありがたい。

 

「……ユキノ、さっき出撃した機体は?」

 

『……言わないように、命じられているんですけれど』

 

「言えよ。もうそんな事、言っている場合じゃねぇだろ」

 

『……では。出撃したのは《オムニブス》単騎。乗っているのはカトリナさんですよ』

 

 ユキノの言葉が信じられず、アルベルトは問い返す。

 

「何だって? あの人が何で……」

 

『ほら、信じない。そうだと思ったから言わなかったんです』

 

 どのような意見を持とうと、今はブリギットの守りにつくしかない。それも込みでのユキノの判断なのだろう。

 

 しかしそれでは。

 

「死にに行くようなもんじゃねぇか……護衛の一人も付けずに……!」

 

『大丈夫ですよ。カトリナさんも、もうそんな迂闊な事はしないでしょう』

 

「分かんねぇだろうが! ……そんなもん」

 

『じゃあ小隊長が守りに行きますか? あの絶対の防衛網に突っ込んででも』

 

 それは、と言葉を詰まらせる。

 

 セブンワンは最早ここよりも強い戦闘領域だと判定しても構わないはずだ。

 

 ならば、自分の出来る事はせいぜい、ブリギットを守り通すのみ。

 

「……分かった。オレはオレの出来る事を、だろ。ユキノ」

 

『……相変わらずの物分りで』

 

「放っとけ。……にしたって、あの人が単騎で行くって事は、何か策があるって思えばいいんだよな?」

 

 そうでなければ死に場所を求めて、と言う話になるが、ユキノは断言していた。

 

『それはないでしょう。カトリナさん、死にに行くように見えました?』

 

 一人全てを抱え込もうとしていたカトリナの姿を思い返す。

 

 思い詰めて、もあり得るが、今はレミア達も居る。

 

 分不相応な事はしないはずだ。

 

 否、そうなのだと、信じたいだけの。

 

「……ああっ、もう! 余計な事ばっか脳裏を掠めやがる! ブリギットの護衛につくぞ! 今は! 馬鹿になっちまったほうが楽そうだ」

 

『了解。RM第三小隊は弾幕を張りつつ、敵を近づかせない』

 

 小隊規模で伝令が行き届き、《マギア》がそれぞれ敵部隊の接近を阻む。

 

「……だがよ。じゃああんたは何のつもりで……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隔壁を射抜き、そのまま肩口から突っ込んで侵入した《疑似封式レヴォル》は最早、満身創痍であった。

 

 全身に裂傷を作った機体で、クラードは同期した視界の中に目標を探す。

 

「……ここまで潜り込んだんだ。深部のはず。目的のものが……」

 

 その時、不意打ち気味にアクティブウィンドウに浮かび上がったのは後続する《オムニブス》の信号であった。

 

「……来たのか。ここまで蹴散らしてきたから片道は楽だっただろう」

 

『……よく言いますよ。こっちだって、弾をもらえば同じなんですからね』

 

 カトリナの声を聞いてから、分析結果は、と促す。

 

「この辺りのはずだ。……あんたが後続して来たという事は作戦が継続中って事だな?」

 

『ええ。……《オムニブス》で斥候します。敵影が見えれば、まだ……』

 

 そこまで口にしたカトリナの《オムニブス》を標的した敵影を関知し、クラードは咄嗟に機体を横滑りさせる。

 

《疑似封式レヴォル》の片腕がもがれ、思考拡張の神経を引っぺがす激痛が走っていた。

 

『クラードさん!』

 

「……分かっている。大丈夫だ。……まだ伏兵が居たか」

 

 光学迷彩に身を浸している《カンパニュラ》が残り二機。

 

 しかしその伏兵は同時に、ここが目的の場所である事を告げていた。

 

「……あんたは先に行け。あの《カンパニュラ》は俺が抑える」

 

『でも……クラードさんは……!』

 

「行け。あまり時間も取れない」

 

 こちらの言葉にカトリナは多くを返さず、《オムニブス》を加速させて突っ切っていく。

 

 片方の《カンパニュラ》が追撃しようとしたのを、クラードは宙に舞った腕を拾い上げ、それを投げ捨てていた。

 

《カンパニュラ》が針路を阻まれ、僅かにうろたえた隙を突いてその頭部を引き千切る。

 

「アイリウムはこれで無効……だがそれでももう一機と……」

 

《疑似封式レヴォル》の背面へと銃撃が掃射される。

 

 奥歯を噛み締めて躍り上がった機体は、直上の建築物に爪を食い込ませて機体の軌道を曲げ、直角に敵影へと肉薄する。

 

 浴びせ蹴りを見舞った勢いを殺さず、爪に熱伝導をもたらし一文字で引き裂いていた。

 

《カンパニュラ》のメインカメラが焼き付く。

 

 その中でサブカメラに切り替えるまでの一秒にも満たない隙を突き、手刀がコックピットブロックを貫いていた。

 

 敵影を蹴り上げた時には、背後から照準したもう一機がビームライフルの引き金を絞る。

 

「……来い。お前の相手は、……俺だ」

 

《カンパニュラ》がビームサーベルを抜刀する。

 

 光学迷彩を捨て去ってミラーヘッドの段階加速を経て瞬時に距離を詰めた相手へと、クラードは掌底を浴びせ込もうとして、途端肉体が軋んだのを感じ取っていた。

 

 ――限界。

 

 それが今、訪れるなんて。

 

 かっ血し、ただの肉体一つに集約された自己が《疑似封式レヴォル》から急速に失せていく。

 

 感覚の剥離現象は、ライドマトリクサーの戦場において最も忌避すべきだ。

 

《カンパニュラ》がビームサーベルを大上段に構える。

 

 そのまま打ち下ろされるかに思われた太刀は、放たれた光軸によって阻まれていた。

 

《カンパニュラ》が挙動に驚愕を滲ませる。

 

 その視線の先にあったのは、オレンジ色の機動戦艦であった。

 

「……来たか。俺達の、叛逆のための誘いの魔女――オフィーリア」

 

 援護砲撃を放つ新鋭艦――オフィーリアの存在は作戦のうちに入っていた。

 

 



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第127話「暗礁断末魔」

 

「セブンワンに眠っているのは《ダーレッドガンダム》だけじゃないわ」

 

 ブリーフィングルームにて、レミアはそう切り出していた。

 

「だが荷物が多ければリスクも高まるぞ」

 

 こちらの言い分にカトリナも首肯する。

 

「そうですよ。今のままでも充分に追われるに足る状況なのに、これ以上……」

 

「いいえ、ブリギットではいずれ頭打ちが来る。クラードに一任するだけじゃない。セブンワンの制圧にはクラードの力と《疑似封式レヴォル》が必須だけれど、その後があるのよ」

 

「その後……」

 

「何がある? 《ダーレッドガンダム》の強奪と並行してやろうって言うのか」

 

「これを」

 

 浮かび出した三次元図は新造艦のものであった。

 

「……これ。ブリギット級ですか? こんなものが……」

 

「ええ。行政連邦の新型艦であるブリギットよりもさらに次世代のために生み出された艦艇。名をオフィーリア。誘いの魔女よ」

 

「オフィーリア……」

 

 気圧されている様子のカトリナに、クラードは言いやる。

 

「これをどうしろと言うんだ。俺は《ダーレッドガンダム》だけでも精一杯になるだろう。《疑似封式レヴォル》単騎で行くんだ。生存率も低いはず」

 

「恐らく《ダーレッドガンダム》はこの艦の中に隠されている。二重の策ね。《ダーレッドガンダム》とこの艦は、恐らく二つで一つ。ベアトリーチェと《レヴォル》がそうであったように」

 

「情報集積艦か。だが、どうすると言うんだ? 誰がこの艦を動かす? 俺はライドマトリクサーだが、艦制御は完全に想定外だ」

 

「……あの、だからこそ、私……なんですよね?」

 

 レミアへと問いかけたカトリナに、クラードは目を見開く。

 

「……どういう事だ」

 

「カトリナさんはこの三年間でベアトリーチェ相当の艦の長を務めてきた。私には新しい艦を手にするのは彼女だと思っている」

 

「……俺はカトリナ・シンジョウを守りながら戦えるほどの余裕はない」

 

「だから、これは作戦継続が可能かどうかの是非を問うてから、でしょうね。カトリナさん、あなたは何度も《オムニブス》で戦場に出ているはず。クラードの作った道に沿って、《オムニブス》でオフィーリアまで向かい、艦を起動させてちょうだい」

 

「……俺が突破出来る前提だが、セブンワンの警備が手薄とも思えない。《カンパニュラ》か、《レグルス》か、いずれにせよ強敵が待っているのは間違いないだろう」

 

「エンデュランス・フラクタル上層部がマグナマトリクス社と手を組んで造った機体よ。恐らくは最悪の想定を浮かべるべき」

 

「……光学迷彩持ちか」

 

 レミアは頷き、カトリナへと視線を移す。

 

「カトリナさん。クラードが作戦時間を遂行したら、その時には《オムニブス》で出撃。オフィーリアを手にしてもらいます」

 

「……私が……切り札、なんですね?」

 

 無言の肯定にクラードは口を挟んでいた。

 

「……何でアルベルトを呼ばない。あいつだって現状じゃ立派な戦力だ」

 

「アルベルト君には敵を引き付けてもらいます。RM第三小隊ではユキノさんに作戦の概要を知らせてある」

 

「何でアルベルトには知らせない?」

 

「冷静で居られるとは思えないからよ」

 

 レミアの判断は、しかし正しいのだろう。

 

 彼女の作戦指示はいつだって冷徹で、なおかつ情を排除している。

 

「……なるほど、分かった。だが、だとして。俺がセブンワンの深部まで至る前提だ。……《疑似封式レヴォル》が臨界点を迎える可能性が高い。俺も、生きているかどうかは……」

 

「そんな……! そんなの駄目ですっ!」

 

「駄目って言ったって、無理なものは無理なんだ。レミア、報告書は行っているだろう? 《疑似封式レヴォル》の現状も」

 

「ええ、そうね。だからこそ……最後の最後まで無理を通してもらうわ、クラード」

 

 その一言で彼女が生半可な覚悟でトライアウトネメシスから反目したわけではない事が窺える。

 

「……なるほど。俺にも無茶をしろ、というわけか」

 

「申し訳ないとは思っている。でもあの月軌道決戦と今が違うのは、カトリナさんも戦えるだけの人材になっているという事。そしてアルベルト君達RM第三小隊が敵陣と渡り合えるだけの戦力になっている。クラード、あなた一人に任せているわけじゃない。どの部分で破綻が来ても、この作戦は遂行されない」

 

「……アルベルト達を信じているんだな?」

 

「もちろんよ」

 

 クラードは嘆息一つで憂いを打ち消していた。

 

「……なるほど。なら俺の差し挟む口はないよ、レミア。俺は《疑似封式レヴォル》で先行、その後に作戦実行時間になったらカトリナ・シンジョウが《オムニブス》で俺の作った道を通り、オフィーリアを手に入れる。……俺はセブンワン全ての敵影の排除か」

 

「苦しい戦いを強いているけれど、どっちにせよブリギットのままじゃ足が遅い。追いつかれて包囲なんて旨味がないわ。私達には新造艦、オフィーリアが必須になってくる」

 

「そして《ダーレッドガンダム》か。この両者が揃えば、レミア。勝率はどこまで上がる?」

 

「少なくともトライアウトネメシスに居た頃の私には勝てる」

 

 その言葉が何よりも雄弁に物語っていた。

 

「……それなら、俺は行くよ。レミア、あんたの作戦を俺は信じている。だがそれ以上に、信を置くのは委任担当官だ」

 

「……私……?」

 

 きょとんとするカトリナに、クラードは呆れ返る。

 

「……三年間、何もしていなかったわけじゃないだろ。これまでのあんたには戦力と時間が足りなかったのかもしれないが今のあんたにはレミアとバーミット、それに損耗しているとは言えブリギットに、俺と《疑似封式レヴォル》が居る。この状態ならば勝ちの目はあると思っていいのだろう」

 

「勝ちの目……。レミア艦長、私は……」

 

「頑張って来たんでしょう? なら、私の計算なんて超えてみせなさい、カトリナさん。あなたは委任担当官、戦うだけの役職だけれどその職務を逃げずに全うしてきた。それは誰かに言われたからじゃない。誇っていいはずよ。あなたは、もう三年前の頼りないあなたじゃない。何よりも、私に勝ったんだもの。今さら勝利者としての余裕がないなんて言わせないわよ?」

 

 ウインクしてみせたレミアにカトリナは呆けたような面持ちを浮かべた後に、ぎゅっと拳を握り締める。

 

「……私が……行きます。みんなのために……オフィーリアを手に入れる……!」

 

「その意気よ、カトリナさん。さて、私達は用意をしないとね」

 

「そうですね。ブリギットがいくら捨て駒とは言え、最後の最後まで足掻かないと、この艦だって浮かばれませんよ」

 

 バーミットの言葉に肩を竦めたレミアは作戦概要を纏めてから、ブリーフィングルームを後にしようとする。

 

 その背中にクラードは言葉を投げていた。

 

「……一つ聞かせて欲しい。レミア。あんたはこの戦いの果てに何があると思う?」

 

「あら、意外ね、クラード。そんな事を問いかけるなんて」

 

「まだ、俺の役割は消えていない。――全てのMFを殲滅し、そして……」

 

「そこまで思い切るものでもないと思うけれど。でも、そうね。あなたが本心から、運命へと叛逆すると言うのなら、その作戦は継続中にある。クラード、オフィーリアを手に入れ、《ダーレッドガンダム》を手中に入れれば、私の口から言わせてちょうだい。あなたを……保留し続けたトリガーの赴く先を」

 

「……それはあんたの業でもある」

 

「それはそうなのでしょう。でも、私は向き合う事を恐れていた。その結果が今だと言うのなら、私も変わらなければいけない。あなたや、カトリナさんのようにね」

 

「……カトリナ・シンジョウは強くなった。だからこそ、レミア、あんたに勝てた」

 

「そうね。あそこで上回ったのはきっと、あなたが入れ知恵しただけじゃないもの。彼女はベアトリーチェと共に……ここまで来たのね」

 

「レミア。あんたのトリガーはまだ健在だ。引き金を引く時は、任せて欲しい」

 

 レミアは一つ微笑んだ後に、やっぱり、と続けていた。

 

「……あなたは変わったわ、クラード。だからこそ、そのトリガーの職務もきっと、私がもっと考えるべきなのでしょう。あなたにばかり重石を任せられない」

 

「俺は変わってなんて……いや、これも逃げ口上か。俺はだが、変わらないものもあると信じている。それがお前との約束だ、レミア」

 

「まだあんな弱かった頃の女の泣き言を覚えているなんて、あなたも酔狂ね、クラード」

 

「どう思ってくれてもいい。俺は、約束を違えるような真似はしない」

 

 その言葉を潮にして身を翻す。

 

 無重力に舞う白衣に対し、レミアは語っていた。

 

「でもそれは……あなたにだから言えるのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思考拡張を施したとは言え、新造艦一つを動かすのに必要な集中力は並大抵ではない。

 

 だが、これは自分に任された役目――そう規定したカトリナは砲撃を《カンパニュラ》に向けて放つ。

 

「当たらなくってもいい……クラードさん! リニアカタパルトに配置してあります。《ダーレッドガンダム》へ!」

 

『了解。《疑似封式レヴォル》で敵を蹴散らしてから向かう』

 

 クラードがこちらへと推進剤を振り絞って向かおうとしたのを、カトリナは直上に陣取っている敵影を関知していた。

 

「敵……? まさか、あの影は……!」

 

 セブンワンの建築物の影より、現れたのは――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『クラードさん! 直上より、射撃が来ます! 避けて……!』

 

「直上だと……」

 

 習い性の神経で跳ね上がり、クラードは《疑似封式レヴォル》の機体装甲を叩いたビーム粒子を回避していた。

 

「……あれは……まさか」

 

 能面のような機体構成面を持つ機影は間違いない。

 

 喪服の機体はミラーヘッドを展開し、瞬時に段階加速で肉薄する。

 

 抜刀した敵影に対し、クラードはヒートマチェットを翳していた。

 

「《ネクロレヴォル》……まさか、張っていたのか……!」

 

『エージェント、クラード。その首、狩らせてもらいます』

 

 詰めた声音はよく知っている。

 

 ――これは自分と同じ声だ。

 

「エンデュランス・フラクタルの……育成したエージェントか」

 

『エージェント、クラードは死亡したものとして扱えと本社は言っていましたが、あなたは生き残った。何故です? 不合理でしかない』

 

「その不合理性を、理解出来ないのなら、通せ……!」

 

『看過出来ませんね。そのような不合理を、どうこうしろなんて』

 

《疑似封式レヴォル》で蹴り上げるも、相手は格闘戦術を心得ている。

 

 こちらの動きを読んで受け止めた刹那には、ビームサーベルの熱波が《疑似封式レヴォル》の胴体へと突き込まれようとしていた。

 

 クラードは咄嗟に機体を横ロールさせ、敵を振りほどく。

 

《ネクロレヴォル》に収まった敵エージェントは、静かなる殺意を湛えていた。

 

『エージェント、クラード。もう死んでいるのなら、せめて殺して差し上げましょう。次世代のエージェントである、この私――エージェント、キュクロプスの手で』

 

「……エンデュランス・フラクタルはまた、間違いを犯すと言うわけか」

 

『間違い? 何を言っているのです。あなたはただ敗北するのみ。そこに意味なんてない』

 

《ネクロレヴォル》が肉薄し、《疑似封式レヴォル》を蹴りつける。

 

 クラードはその脚部を掴み、片腕の膂力で振り切る。

 

《ネクロレヴォル》はしかし、その加速追従性で投げ飛ばされる前に姿勢制御を行っていた。

 

「墜ちろ――!」

 

『墜ちるのはあなたのほうです』

 

 ヒートマチェットを電荷させ、そのまま残光を薙ぎ払う。

 

 赤い残火を刻むその時には、敵影は躍り上がり両断の太刀を見舞っていた。

 

 半身になってかわすも、拡散した粒子束が装甲を打ち据える。

 

 クラードはコックピットの中で、マヌエルの臨界点を超えた機体がレッドゾーンを示しているのを目にしていた。

 

「……このままじゃ、よくて空中分解。悪ければ……」

 

『潔いほうがいいですよ、クラード。あなたにはもう、帰る場所なんてない』

 

「帰る場所……。どうかな」

 

『何ですって?』

 

「俺は……帰る場所は分からないが、違えてはいけない約束だけはある。その一つの役目のためには……まだ死ねるものか……!」

 

『そんな風に糊塗されただけのプライドで、私には勝てない』

 

《ネクロレヴォル》が刺突の構えを取ってこちらへと加速する。

 

 クラードはその加速度の勢いを借りて――ビームサーベルがアステロイドジェネレーター炉心を射抜く瞬間を感じ取っていた。

 

『クラードさん!』

 

『終わりですね、エージェント、クラード。もっと賢いと思っていた』

 

「いや……まだ終わりじゃない」

 

 最後の手だ。

 

《疑似封式レヴォル》のコックピットブロックをパージさせ、頭蓋がボルトを爆砕させて離れていく。

 

 無重力を漂うコックピットへと《ネクロレヴォル》が手を伸ばそうとして、その時にはアステロイドジェネレーターを巻き込んだ収縮爆砕が《ネクロレヴォル》の気勢を奪っている。

 

『……これさえも計算内だと……!』

 

「賭けに過ぎない。そして俺は……賭けに勝っただけだ」

 

 クラードはコックピットブロックを破棄し、三年間、共にあった《疑似封式レヴォル》より離れてオフィーリアのリニアカタパルトに固定されている機体へとパイロットスーツの推進剤を吹かせる。

 

「……これが……《ダーレッドガンダム》……」

 

 右肩に長大な複合装甲を持ち、機体シルエットはレヴォルよりも鋭角的になっている。

 

 その双眸を確かめてから、クラードは頭蓋のコックピットに収まっていた。

 

『クラードさん! まだ最終調整が……』

 

「待っているような時間はない」

 

 システム認証を飛ばし、クラードは両腕を翳していた。

 

 赤く疼くライドマトリクサー痕に対し、この機体は呼応している。

 

「それならば……俺に従え――叛逆の担い手よ……!」

 

 瞬間、可変した両腕だけではない。

 

 上部より肩口へと拷問椅子が如く拘束具が装着され、全身に渡る七割のライドマトリクサー施術痕を関知していた。

 

 可変した部位へと無理やりの接続。

 

 クラードは脳髄に突き刺さったこれまでよりもなお色濃い機械信号の侵略に、あ、と声を漏らしていた。

 

 その短い断末魔にもならない声を上げた次の瞬間には、電脳の津波がクラードの意識を漂泊していた。

 

 



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第128話「一滴の物語」

 

「クラードさん? クラードさん! 何が起こって……」

 

 カトリナは《疑似封式レヴォル》の爆発から逃れ、スパーク光を散らせる《ネクロレヴォル》がオフィーリアの管制室へと狙いを付けているのを目にしていた。

 

「……私だけで……クラードさんを、助けなくっちゃ……」

 

 だが、出来るのか。

 

 今まで助けられるばかりであった自分が、彼を助けるなんて。

 

 しかし、やるしかないという思いが次の瞬間には覚悟として奥歯を噛み締めていた。

 

「……クラードさんを守る。守られてばかりじゃ嫌……っ! 私も守りたい……! みんなを、これまで戦ってきた、みんなの命を……! だから――戦う!」

 

 艦砲射撃を《ネクロレヴォル》へと集中させるが、敵は加速挙動でミラーヘッドの分身体を率いてこちらの火線にはかかってくれない。

 

 カトリナは右手の思考拡張の赤い導を輝かせ、敵影を睨む。

 

「当たって……! 私の想いを……オフィーリア……!」

 

 だがこちらの精一杯の戦意をせせら笑うかのように、《ネクロレヴォル》は火線を潜り抜け、ビームライフルの照準を管制室に向けていた。

 

 その一射で全てが終わる。

 

 これまで積み上げてきた、何もかもが。

 

 ――だが、ここで退くのは、もっと……。

 

「……もっと、もっと怖い……! 私は……っ! クラードさんに誇れる自分でありたい……っ! だから、逃げない! 立ち向かうっ!」

 

 分かっている。

 

 ――怖い。

 

 今すぐ逃げ出して、自分の役目なんて捨てて。

 

 もう逃げてしまいたい。

 

 だが、そんな自分を飼い馴らして、漫然と時を生きるのが正しいのか。

 

 そんな自分を最終的に、好きになれるのか。

 

 ――否、断じて否であろう。

 

「ここまで踏み込んできたんだもの。カトリナ……っ! あなたは強い子のはずでしょう……っ!」

 

 しかし無情にも敵の照準警告が管制室に鳴り響く。

 

 こんな今際の際に、誰に願うべきなのだろう。

 

 神なのだろうか、それとも悪魔?

 

 あるいは。

 

「……生きて。クラードさん……っ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつまで呆けている?」

 

 ハッと、クラードは目を覚ましていた。

 

 白く一面が縁どられた空間で、身を起こす。

 

「……ここは……」

 

「煉獄の続きだ。ここまでよく堕ちてきたとも」

 

 そう語り、白い世界を歩むのはいつかの夢と同じ老人であった。

 

「……俺は、死んだのか」

 

「何故そう思う?」

 

「……ライドマトリクサーは死ねば何も残らない。心象風景でさえも」

 

「前回はお前の根源の罪であったが、ここには罪も、ましてや罰せられるべきものもない。クラード、お前は死にに来たのか?」

 

「まさか……。俺は……だが約束を違えた……」

 

 悔恨も、今さらの懺悔もきっとこの世界はお呼びじゃないだろう。老人は背中を向け、もし、と指を立てる。

 

「やり直せるとすれば、どうするか」

 

「……何を言っている。死んだ人間はやり直せない」

 

「だから、もしもの話だとも。仮定の話だ。エージェント、クラード。今一度、世界に舞い戻れるとすれば、何を望む?」

 

 ここまで堕ち切ったのだ。今さら自由も、心の奥底に抱いた叛逆の炎も抱かない。

 

 ――そう、思い込んでいた。

 

 だが、胸の中に燻ぶるのは。

 

 まだ消えてなるものかと、声を上げるのは――。

 

「……俺は、まだ死ねない」

 

「死んだ人間が言うのには矛盾だが」

 

「だから、俺が望むとすれば、力だ。俺は力が欲しい。その力で……全てを変える。この世界を塗り固める諦観も、無意味さも、そして世界を従える無力感も。何もかも唾棄すべき代物だ。――俺は、この世に。生きているこの世界へと……常に叛逆を唱えるもの。それだけの恩讐の徒だ。だから、望むものは、力だけでいい」

 

 その言葉を受け、老人は振り向く。

 

 その瞳の奥に覗いたのは逆三角形の紋様。

 

「舞い戻ると言うのか? 力だけを従えて、この終わりのない煉獄の世界へと」

 

「ああ。何よりも、手荷物は持たない主義なんだ。だから力だけでいい」

 

 こちらの結論に対し、老人は興味深そうに振り返り、すっと自分を指差す。

 

「よかろう、エージェント、クラード。では力だけ、持って行け。全てを灰燼に帰す力――扉の向こうの力はお前にくれてやる。七番目の使者がお前に何を望むのかはまだこれからの物語だが、これだけはハッキリしている。――これは、お前の物語だ」

 

 その言葉と共にクラードは白い世界が色をなくし、やがて漆黒の彼方へと自身が集束していくのをクラードは意識の消失点で感じ取る。

 

 その最果てに残ったのは、たった一滴の――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……ラードさん、クラードさん……っ!』

 

「……うる、さいな……」

 

 瞼を開く。

 

 視界が、これまでぼやけていた意識が明瞭化する。

 

 それに従って、クラードは痛みの手綱を握り締め、敵影を捉えていた。

 

「ああ、今なら……これは、俺の力だ。行くぞ。間違いだけを、正しに行く」

 

 顔を上げた瞬間には同期した視界と共に、《ダーレッドガンダム》の眼窩に光が灯る。

 

 全身を押し包む拷問椅子のライドマトリクサー接続口も、今は必要な痛みだ。

 

 脳髄の深層に突き立った電流の疼きと共に、クラードは機体順応性を感じ取っていた。

 

 ――繋がった意識野と共に、新たなる鼓動が脈打つ。

 

 浮かび上がったモニター類に表示されたのは「DAR‐RE:D」の赤い文字。

 

「――ゲインをぶち上げろ、《ダーレッドガンダム》、エージェント、クラード。迎撃宙域に先行する!」

 

 その言葉と共に機体推進力を臨界点まで引き上げ、《ダーレッドガンダム》が拘束具を引き千切ってリニアカタパルトボルテージより射出される。

 

 その赴く先に居た《ネクロレヴォル》を真正面から突き上げ、敵機体をセブンワンの天蓋へと吹き飛ばしていた。

 

『ガンダムだと……!』

 

「このまま……幕切れにする!」

 

 武装承認を真紅に染まった瞳で認証させ、クラードは《ダーレッドガンダム》が保持している右側の異様な武装を引き出していた。

 

 扁平な盾のようにも映るその武装の内側にはアームが保持されており、《ダーレッドガンダム》の右腕がその武装を掴んでいた。

 

 瞬間、右腕と接続された武装の名称がモニターに表示される。

 

「ベテルギウスアーム……パラドクスフィールド……臨界値に設定……!」

 

 扁平であった武装が蒸気を上げて展開し、五指を広げていた。

 

 それは空想の殺人鬼が如き鋭利な爪を誇り、この次元へと堕ちた聖獣の力を発揮する。

 

 掌底の形へと組み直されたメイン武装が《ネクロレヴォル》を押し包む。

 

 直後には、掌に格納されていたバレルが拡張し、粉砕の威力を敵影に見舞う。

 

《ネクロレヴォル》は瞬きの間に内部メインフレームを激震され、隠されていた内蔵骨格が露出していた。

 

『……《ネクロレヴォル》を暴いただと……!』

 

「《ダーレッドガンダム》のメイン武装、ベテルギウスアームの威力はそれだけで――月軌道決戦時の《フルアーマーレヴォル》に匹敵する。喰らい知れ……!」

 

 舌打ちが回線に滲み、敵影が次の瞬間には爆ぜていた。

 

《ネクロレヴォル》が四散した空間を巨大なる爪が引き裂き、そして掌握する。

 

 まるでそれは、世界を掴むかの如く。

 

「これが俺の……《ダーレッドガンダム》……」

 

 粉塵を切り裂くその名は、忌むべき――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クラードさんが《ダーレッドガンダム》を手に入れた……。信号!」

 

 ハッとしてカトリナはオフィーリアより信号弾を撃ち出す。そのままセブンワンのメインポートより出港した巡洋艦はブリギットへと合流の航路を辿っていた。

 

 甲板部に《ダーレッドガンダム》が着地する。

 

 右腕の異様な武装は元の扁平な形態へと格納されていた。

 

「レミア艦長! 作戦は遂行されました! クラードさんが……っ!」

 

『了解。これ以上は相手も旨味がないはず。戦闘中止! 撤退機動に移らせて! 敵もこちらが宝を手に入れたと分かれば、物分りもいいはず……』

 

 撤退信号の信号弾が撃ち出される中で、カトリナは思考拡張の右手をようやく手離していた。

 

 息をつき、手の甲に浮かんだ赤い紋様を見やる。

 

「オフィーリアは自動航行モードに……。でもこれで、何とか……」

 

 しかしそれでも、眼に映る異質な機体への疑念は拭えない。

 

「《ダーレッドガンダム》……《ネクロレヴォル》を不意打ちとは言え一撃で……? 一体何なの、あの機体は……」

 

 その答えは暗礁の先へと漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鹵獲されましたね。全軍撤退、我が方がこれ以上の損耗を出す事は許しません」

 

 ピアーナの号令に従い、騎屍兵団は一斉に旗艦へと帰っていく。

 

 その潔い去り際に、メイアは疑問を呈していた。

 

「諦めるんだ?」

 

「ええ。下手に兵士を失うのは得策ではありませんから。……ですが、カトリナ様。それにクラードも。貴方達がそのような物語を……叛逆の物語を紡ぐと言うのなら――わたくしはフェアリーテイルの討ち手――物語を殺しましょう」

 

 ピアーナの決意したような相貌にメイアは言葉少なに拡大された新造艦と、その甲板に膝を立てる機体を凝視する。

 

「……あれが、《ダーレッドガンダム》。この世界を変える機体……」

 

 そして自分が手にするはずの機体であった。

 

 叛逆の因子は未だに燻ぶり続けるものの、その行き先は変わっていない。

 

「……生きていたんだね。エージェント、クラード。キミが戦うと言うのなら、いいよ。ボクはそれを見届けよう。それがボクに与えられた、運命だとでも、言うのならばね」

 

 こちらへと鋭い眼差しを投げる異形の機体に、メイアは静かに拳を握り締めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やったってのか! クラード!」

 

《マギアハーモニクス》の損壊率が半分を切ろうとしたところで、アルベルトは作戦遂行を示す信号弾に牽制銃撃を張りつつブリギットへと帰投ルートを辿っていた。

 

 ブリギットは捨てる事になるのだろう。

 

 それでも一度は帰るだけの道を示す義務があるはずだ。

 

「弾幕切らすな! ブリギットがいくらオレらにとっちゃ一時の物だったとはいえ、今だけは帰投する機体を邪魔させるわけにゃいかねぇ!」

 

 ユキノは隊列を率いながら、機体の肩を並べさせて銃撃網を維持し、《ネクロレヴォル》隊を退けていく。

 

『小隊長! 敵はもう……!』

 

「ああ、ようやく帰る気になったかよ……それにしても、ったく……秘密主義が過ぎるぜ、クラードよぉ!」

 

 識別名称オフィーリアと信号された艦艇へと視線を走らせ、アルベルトが軽口を叩くと、クラードの声が返って来た。

 

『……言ったら厄介だろうに』

 

「違いねぇ。RM第三小隊! 一度ブリギットまで帰還しろ! ……話を聞く必要性がありそうだな」

 

 ブリギットの艦砲射撃の内側へと潜り込み、アルベルトは《マギアハーモニクス》をようやく落ち着けていた。

 

「それにしたって、新しい戦艦? そこまで考えていたなんて思わなかったぜ」

 

『アルベルト君達、RM第三小隊は即時帰還を。我が艦はこのまま、相対速度を合わせてオフィーリアと並び、……継続しての作戦行動を行います』

 

「……まだ、終わってねぇってのか」

 

『ええ。このまま生き残るのには、これ以上の地獄と付き合わなければいけない。それはアルベルト君、あなたやカトリナさんが講じてきた代物よ』

 

「……言われちまってるってわけですか。いいっすよ。レジスタンスを続けてきたのはオレらの意思ですし、何なら責任って奴もあるんでしょう」

 

『……敵は高度なRMの艦長だった。今の一瞬、やられていたっておかしくはなかったわ』

 

「ライドマトリクサーの? ……何だってそんな艦が、ここまで追いすがって来たってんだ……」

 

『不明だけれど、でも……単なる偶然で片づけるにしては、出来過ぎているのだけは確かね』

 

 レミアの言葉振りに、アルベルトはこれから先に待ち受けている苦難を予感していた。

 

「……あれが、クラードの新しい機体。《ダーレッドガンダム》、だって言うのか……」

 

 右側に異様なシルエットの武装を保持しており、鋭角的な様は《レヴォル》の意匠をところどころ引き継いでいる。

 

 オフィーリアはブリギットと相対速度を合わせ、補給路であるパイプを繋がせていた。

 

 自分はその補給路を守る義務がある、と再び《マギアハーモニクス》で挙動しようとして、ユキノの《マギア》に制される。

 

『駄目です。小隊長はただでさえ手負いなんですから。今はブリギットの格納デッキに戻ってください』

 

「けれどよ! ……オレが出ないで誰が……」

 

『マヌエルの連続使用でこっぴどくサルトル技術顧問とシャルティア委任担当官に怒られてきてください。話はそれからです』

 

 それっきり個別回線も切ってくるので、アルベルトは不貞腐れる。

 

「……言うようになったじゃねぇか。にしても、シャルに怒られんのかよ……。こっちは憂鬱だぜ」

 

 ため息一つ漏らしてから、アルベルトは《マギアハーモニクス》をブリギットの格納デッキへと漂わせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今しがた連絡を受けました。エンデュランス・フラクタルとマグナマトリクス社の擁していた最新鋭艦、オフィーリアの敵による鹵獲。そして特一級事項であった七番目の使者までも、と」

 

 彼ら相手に声を振り向けた自分に対し、扉の向こうを観測し続けている者達は必要以上の言葉を振る事もない。

 

『貴様は知らぬでもよい事だ。それに、オフィーリアまで奪われるとは……失態だな、エンデュランス・フラクタルの手の者達には』

 

『仕方なかろう。彼らは元々、《オルディヌス》を奪った罪過がある。それの帳消しのために造ってやっていた七番目の使者の器でさえも、奴らは致し方なしとした』

 

『いいや、それも計画のうちか? いずれにせよ、エンデュランス・フラクタル、看過出来ない過ちを犯したな』

 

「自分に出ろと仰るのなら、その時には」

 

『先走るな、ジオ・クランスコール。我々にとって七番目の使者の撃破は急務ではない。《フィフスエレメント》の安定化と、そしてダレトの向こう側へのアクセス。その一事に関して言えば、上手くいっているとも。だが万事順調とはいかぬのが、人の世だな』

 

『この次元宇宙の者達は野蛮が過ぎる。《ネクロレヴォル》も、与えてやっていると言うのに、何故上手くいかんのだ』

 

『彼奴らがいずれ直面するであろう、人の世の頭打ちに際して、我々が手を差し伸べるという段階はまだまかり間違っていない。現状、全て、計算のうちだとも』

 

「しかしそれにしては、払った犠牲があまりにも多い」

 

『何だ、ジオ・クランスコール。何が言いたい?』

 

『我らダーレットチルドレンに、意見でも?』

 

「とんでもございません。自分は兵士。それ以上の意義は有していない」

 

『では下がれ。これ以上、我々を愚弄するのでないのならばな』

 

 頭を垂れたジオに対し、ダーレットチルドレンは言葉を重ねる。

 

『次元の姫君さえ擁立すれば、答えは自ずと出る。貴様はその時に使ってやるだけの命だ。ならばその時まで、機嫌を損ねぬ事だな。我々にも、次元の姫君にも』

 

「努力いたします」

 

 空間が蒼く波打ち、彼らの視線が消えてから、ジオは襟元を緩めて踵を返していた。

 

「旦那様! ファム様が、今日も……!」

 

 給仕の声にジオは仮面の相貌を振り向ける。

 

「何か。また今日も社交界に出ないとでも」

 

「いえ! とんでもございません! ……ここ最近はフロイト家のご令嬢と毎日のように……。ですが、お茶会の前に髪を梳いて差し上げましょうと言うと、ご機嫌を損ねまして……」

 

「自分が迎えに行く。いつもの樹の下だな」

 

 ジオは庭園へと歩み出て、黄色のドレスを身に纏ったファムが天蓋を仰いでいるのを発見していた。

 

「何を見ている」

 

「あのね、かれがやってくるの」

 

「その彼とは、ファムが教えてくれない彼、かな」

 

 ファムは歓喜の声を上げて樹木の下へと踊るような足取りで向かう。

 

「ミュイ! ……ななばんめ……でもそれはこわいね……《レヴォル》よりも……」

 

 ファムが描いているのは手を繋ぐ人々の輪であった。

 

「そこにファムは居るのか」

 

「いるよ? でも、あえないの。みんなは、とってもとおくにいってしまうから。だからあいたいけれど、あえないの」

 

「そうか。それは辛い、のか」

 

「でも、ちょっとだけかわった。ななばんめといっしょなら、もしかしたらかれは……ファムをむかえにきてくれるかもしれないから」

 

「それは運命が、かな」

 

 こちらの問いかけに対し、ファムは小首を傾げる。

 

「わかんないの、にいさま。でも、ファムはたのしみ。もういちど、カトリナと、バーミットと、アルベルトと、それにかれにあえそう」

 

「そうか。喜ばしい事なのだな、大変に」

 

 ファムは歓声を上げて自分を他所に邸宅へと駆け抜けていく。

 

 巨木の下で取り残されたジオは、仮面の下の瞳で樹木に刻まれた人々を眺めていた。

 

 それはマイナス百度の眼差し。

 

「悲しいかな。自分はファム、お前の大切なものを、壊さなければいけない身分だとは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブリギットからこっちに移ったってのに、何つーもんを持ち帰って来たんだ、お前は!」

 

 最初にサルトルの怒声が響き渡って、クラードは移送された《ダーレッドガンダム》のコックピットで呻く。

 

「……知んないよ、そんなの。俺だってここまで上出来に行くとは思わなかったんだ」

 

「まぁな。にしたって、これが最新鋭機か。アガるねぇ……おい! マニュアルなんてねぇぞ! レヴォルタイプの機体だ! 下手なところ弄って壊すわけにはいかんからな!」

 

 整備班に声を振るサルトルの平時の様子を見やってから、クラードは拷問椅子めいた接続口を一つずつ、解除していた。

 

「まずは……肋骨……」

 

 脇腹を覆うように接続されたRM専用の接続口を引き剥がすだけで、地獄のような苦しみである。

 

 激痛と共に認証を開始させる。

 

「次は肩……何だ? サルトル、何かのシステムが動き出している」

 

 水色の脈動を浮かび上がらせた眼前のモニターに対し、サルトルが慌ててコックピット脇の接続ポートからこちらへと視線を投じる。

 

「何やってんだ、クラード! ……これは、アイリウムか? 今まで稼働していなかったって?」

 

 円を描き、アイリウムの内側がこちらへの反応を示す。

 

『専属ユーザーの認証を開始。これより第四次コミュニケートモードに移行します。“失礼する。このシステムに入るのは初めてだが、名称を与えて欲しい。こちらは現状、名無しである”』

 

 その独特のコミュニケートサーキットと、そして言語野は間違いなく――。

 

「《レヴォル》……? まさか、レヴォルの意志なのか?」

 

「嘘、だろ……? こいつは確かにレヴォルタイプだが、まさか、レヴォルの意志が組み込まれているなんて……」

 

 サルトルの驚嘆を他所に、名無しのアイリウムは言葉を継ぐ。

 

『“意見を乞いたい。名称を設定してくれ。専属ライドマトリクサーよ。名前がなければ、こちらの性能を十全に発揮出来ない”』

 

「《レヴォル》……」

 

『“《レヴォル》……綴りはREVOLでいいのか? では次回より、この機体に搭載されているアイリウムは《レヴォル》を名乗ろう。よろしく頼む、認証コード――ライドマトリクサー、クラードよ”』

 

 以前とまるで変わらないような論調のアイリウムにサルトルとクラードは揃って絶句していた。

 

 ――これは叛逆が望んだ、運命の再会なのか。

 

 それとも意図しないイレギュラーなのか。

 

 今は、誰にも断定する手段はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十三章「七番目の遺志を継ぐ者〈リコレクション・オブ・セブンスベテルギウス〉」

 



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第十四章「世界への拒絶本能〈キラー・オブ・トワイライトチルドレン〉」
第129話「暗幕の月軌道」


 

 暗礁宙域は重く沈んでいる。

 

 それは双方の火線がこう着状態になった事からも明らかであった。

 

「戦局は!」

 

 振り絞った声を発するトライアウトの士官に、管制室から声が飛ぶ。

 

「現状、互いに睨み合いです。しかし、何だって言うのでしょうか。相手は月軌道艦隊ですよ」

 

「だからなのだろう。旧時代の遺物に過ぎん連中には退場願わなければ。艦主砲、砲撃準備! ヘカテ級の力を示せば、敵勢だって……!」

 

「待ってください! 艦長、敵勢力より電報! これは……退却せよとの通知です」

 

 想定外の電報に艦長は肘掛けを握り締めていた。

 

 それは何よりの侮辱だろうに。

 

「嘗めているのか……我々がトライアウトの……行政連邦の意を表す部隊である事を知っての狼藉かぁ……ッ!」

 

「しかし、こうも続いています。大規模攻撃の予兆あり。回避されたし、と。……どういう事なんでしょう。相手はこちらに攻撃したいんだかしたくないんだか……」

 

「いずれにせよ、我々を嘗め腐って、ただで済むと思わせるな。《レグルス》部隊へ伝達! 敵月軌道艦隊を叩く! そうだとも、いずれは墜ちる大隊だ。ここで沈めても何の問題もなし……!」

 

 ヘカテ級より月軌道に位置するアルチーナへと《レグルス》がそれぞれ小隊編成を組んで接近していく。

 

「ミラーヘッドを受諾! MS小隊はそのままの会敵速度で敵陣営を一網打尽にせよ」

 

 ミラーヘッドの蒼い両翼を帯びた編成に、艦長は勝利の感慨を噛み締めていたが、直後に冷水を浴びせかけられたかのような伝令が届いていた。

 

「いえ、艦長、これは……! 最大望遠カメラに!」

 

 艦内メインモニターに映し出されたのは、緑色の機体色を反射させる、全身これ武器とでも言うような機体であった。

 

 大きさはMS大でしかないが、その脅威をこの世界に棲む者達で知らない人間は居ない。

 

「……MF04、《フォースベガ》……。だがあんなに離れて何をするつもりだ? 完全に射程外だぞ」

 

《フォースベガ》が片腕を大きく掲げる。

 

 その瞬間、機体内部に格納されていた無数の刃がその腕へと展開されていた。

 

 三角錐型の四枚刃を纏った《フォースベガ》がすっと、人がそうするかのようにこちらへと振り下ろす。

 

 その瞬間には、護衛艦が粉砕――否、断絶されていた。

 

 何が起こったのかまるで分からないトライアウトの艦長は呆けるのみである。

 

「……何が……あのMFは、何をした……?」

 

「目標より放たれたのは……信じられません。超高濃度粒子電磁帯――ビームサーベルの類に酷似!」

 

「馬鹿な……ビームサーベルだとぉ……ッ!」

 

 しかし溶断の瞬間も見えなければ、粒子束を構築したような兆候も見られず。

 

 ただ腕を振り下ろしただけで、艦艇クラスが爆砕されるなど、悪い夢のようであった。

 

「も、目標、もう片方の腕を……」

 

 最大望遠で捉えた《フォースベガ》が、もう片方の腕を開き、刃を同じように三角錐状に構築していく。

 

 追撃が来る、とそう判じたのは自分達だけではないようで、トライアウトの艦艇が一斉砲撃をもたらしていた。

 

 誰が示し合せたわけでもなく、《フォースベガ》へと掃射されたミサイルとビームの乱射はしかし、彼の機体が腕を薙ぎ払っただけで霧散、消滅する。

 

「MF04……腕を払っただけで我が方の砲撃網を……これは、切断……? 切断だと言うのか……」

 

 管制室も静まり返っていた。

 

 この期に及んでどよめくような人間は、トライアウトには居ない。

 

 艦長は肘掛けへと拳で殴りつけ、伝令を飛ばす。

 

「叩けェーッ! MFの首を獲ったとなれば、我々の手柄だ! 世界の手柄ともなろう!」

 

「し、しかし艦長……既に先の攻撃により、《レグルス》部隊は蒸発しています……」

 

「では《エクエス》でもいい! 後衛につかせるつもりだった《エクエス》で押し込め!」

 

「無茶を言わないでください。彼らに死に行けと言うのですか。あの距離から護衛艦を叩き割ったのは既にご承知でしょう? これ以上無益に兵を死なせれば、それこそ行政連邦の沽券に係わります」

 

「……ではどうしろと言うのだ。敵の性能を前にして、ただ何も出来ずに静観しろとでも……」

 

 その時、新たにポップアップウィンドウが開き、長距離通信が保持されていた。

 

「いえ、これは……月軌道艦隊より入電。撤退するのならば、MF04は追撃しない、との事です」

 

「何故、失墜したはずの旧連邦艦隊が、我々に意見出来る……。一体、何がどうなっていると言うのだ……」

 

「分かりませんが、MFの相手なんてしなくってもいいという事なのでは? これは好機です。一時撤退し、情勢を見てからでも遅くはありません」

 

「……馬鹿を言え。その頃には何もかも様変わりしているだろう……」

 

 だが、MF相手にこの距離であっても射程内と言うのであれば、ここでむざむざ背中を見せて斬られるか、あるいは愚直に進んで叩かれるかのどちらかを選べと言われているのに等しい。

 

 戦うのをよしとするか、死ぬのをよしとするかだけの違いだ。

 

 そんな些末事にこだわって部下を死なせるのかと命題にされれば、その時点で詰んでいる。

 

「……艦長。差し出がましい事とは存じますが、これ以上の損耗は我ら、トライアウトにとって不利益となり得ます。今は、……賢明なご決断を」

 

「賢明、か。どれもこれも、虚飾の舞台だ。……艦、回頭! 我が方は一時撤退し、持ち直す! ……だが今に見ていろよ、MF04……貴様のその胎に抱えた叡智は余さず我々が解析する。その時には、死ぬのは貴様のほうだ……!」

 

 ヘカテ級の艦艇が次々と撤退機動に移っていくのは単純なる敗走以上の意味を持つ。

 

 それは月軌道艦隊――旧地球連邦であっても意味ぐらいは察せられるべき。

 

 行政連邦は、度重なるダレトへの侵攻作戦を、ここに不可能だと断じるしかないと言う事実であった。

 

「……だが、何故だ。何故、MF04が……地球連邦の味方をする? 一体、何なのだ。あの聖獣の意図は……」

 

「後方より、追撃、ありません。……艦長、すいませんでした。一兵士の領分を超えた進言を……」

 

 先ほど自分に意見した士官に対し、艦長は頭を振る。

 

「……いいや、私も後先が見えていなかった。あのまま飛び込んでいれば犬死にと言うものだろう。君らを死なせずに済んだのは、ただの現場判断だ。それは誰にも咎められるものではない」

 

「……しかし、どうしてMFが攻撃を? これまで積極的に我が方を撃滅した勢力と言えば、MF02の名が挙がりますが……」

 

「《ネクストデネブ》、か。件の月の聖獣は、今も?」

 

 士官は最大望遠でその模様を映し出す。

 

「ええ。……三年前に一度だけ、超空間を開いて跳躍してからと言うもの、一度ラグランジュポイントへと帰還するなり、我らの叡智が届き……」

 

 最も気性の荒い聖獣であった《ネクストデネブ》は全身を結晶体のような赤い鎖で縛られて眠りについている。

 

 昏睡の只中にある機体は、かつてのように荒ぶる事はない。

 

「それもこれも、何があったのか……三年前の月軌道決戦において、我が方は……トライアウトは統合機構軍の戦力に強制介入し、互いに痛み分けの形で停戦。トライアウトジェネシスとトライアウトネメシスはかつての権力構図を統合機構軍への分配と言う結果に落ち着いたのは……誰の意図だったのでしょうか。今や件の統合機構軍……騎屍兵団でしたっけ? あれのほうがよっぽど我々よりもトライアウトの統制を行っているって言うのに……」

 

「騎屍兵団、か。奴らは間違いようもなく、亡者の影だ。あれに囚われるくらいならば、死の臭気が濃いこの月軌道とて、まだマシな作戦の領分だったと言うのに」

 

 その結果が敗走とは笑えない冗談である。

 

 敗退の軌道を取るこちらとは正反対に、月軌道艦隊へと向かっていく艦艇がいくつか散見されていた。

 

「……あれは、研究部門の艦艇か? 何故、月軌道艦隊へと向かう……」

 

「トライアウトブレーメン……。研究開発を専任している以上、その内情は謎に包まれています。奴らが月軌道艦隊と通じていてもおかしくはないかと」

 

 暗礁宙域を突っ切る青い艦隊に、艦長は唾棄する。

 

「……これだから、言われてしまうのだ。道楽部門とでも」

 

「ブレーメンの内部構成、及び行動理念の全てが不明。それは元々、我らトライアウトに貢献するであろうと目されていたからですが……」

 

「今や、統合機構軍と地球連邦に尻尾を振る走狗と化したか。後ろから撃てと言われれば撃つのだがな」

 

「トライアウト内での内部分裂は、三年前の繰り返しになります。あの時は、ジェネシスとネメシスの間に降り立っていた暗黙の了解を破ったから……」

 

「統合機構軍にその隙を突かれた、か。まったく、儘ならぬものだな。我が陣営もいささか杜撰が過ぎると言うもの」

 

 だが統合機構軍の陣営が割れないのはそれだけではないのだろう。

 

 あのタイミングで、月に本拠地を構える統合機構軍の中でも最大手である、エンデュランス・フラクタルが停戦協定を持ちかけなければ、どちらかは確実に潰れていた。

 

 現時点でトライアウトジェネシスも、トライアウトネメシスも存在しているのは、あの時に間を取り持ったエンデュランス・フラクタルの采配が大きい。

 

「……だが、気に食わんと言うのだ。死の商人め」

 

 トライアウトブレーメンの運用する青い船舶は元々、エンデュランス・フラクタルが開発していたと言う民間機動戦艦であるベアトリーチェという艦艇を模倣したものだ。

 

「さながらブレーメンが漁夫の利を取ったかのような情勢ですが……彼らは最初から分かっていて?」

 

「それも不明だよ。……三年前の月軌道決戦時、貴官はどこへ?」

 

「失礼ながら、まだ配属前でした」

 

「そうか。……若いな。だが、その若さが幸いしたのだろう。あれは地獄であったよ。六番目の聖獣たる《シクススプロキオン》の出現。そして、月軌道艦隊はその現場に居合わせた事で、聖獣討伐任務を帯びてMFと交戦した後、地球圏より英雄の名を賜わったのに比すれば、我々トライアウトからしてみれば内部事情を勘繰られただけの戦いであったのは単純に苦味が勝ったものであった。……トライアウト士官は地球連邦の腐敗し切った縦割り社会よりもなお、腐り果てていると世界に通告されたようなもの。あの日より、行政連邦は苦い戦いを強いられている」

 

「……自分は後から事実を知ったクチですが、全世界的にも新たなるMFの出現と、そしてMF02の空間跳躍はセンセーショナルなニュースでした。……もっとも、その動乱も三日で収まったのはさらに驚きでしたけれど」

 

「世界がひっくり返るような出来事も、三日天下か。何ともまぁ、飲み込み難い事よ」

 

「艦長は……あの戦局で前線に?」

 

 その問いかけに、在りし日のトライアウトの軍勢を思い返す。

 

「……ああ。私はジェネシス側の士官であった。トライアウトネメシスに叛意あり、との報を受け、天誅と意気込んだものさ。だがその実、相手にも自分にも罪ありき、という結論になってしまったのは……後にも先にも笑えんな」

 

「事実、ネメシスは体制に擦り寄っていたと言う、噂が……」

 

「何だ、噂話などを気にかけるのか? それでは出世出来んな」

 

 皮肉めいたジョークを飛ばしてやると、若い士官はうろたえたようである。

 

「そ、それは元より……」

 

「この程度でがたつくな。たかが知れると言うものだ。……しかし、私も若かったのだよ。ジェネシス側に正義があるのだと、信じて疑わなかった。ネメシスの操る《エクエス》の軍勢を……あの動乱の中どれだけ撃墜しただろうか……。泥仕合であったからな。ミラーヘッドオーダーの受諾タイミングもほぼ同時。互いにミラーヘッドで削り合う死地で、聖獣が舞い降りたのはどこか皮肉めいてさえもいたが……」

 

「艦長は、《シクススプロキオン》を? あれを見たのですか?」

 

「……ああ、見た」

 

 今でも網膜に焼き付いて離れない。

 

「8」の字を思わせる異様なモニュメント。円錐型の推進器を持ち、高重力砲撃を放たれた際には死を覚悟したものだ。

 

「……だが、死ななかった。我ながら悪運が強かったのか、あるいは天命か。いずれにしたところで、聖獣を前にすれば、こちら側の人間に生存権などないのだ。あれほどまでに……無力さを噛み締めた戦場もなかったとも」

 

「……その後、転属されて……」

 

 濁した部下に艦長は笑みを浮かべる。

 

「……笑えるだろう? あれだけ殺しておいて、ネメシスのヘカテ級戦艦の艦長をやっている。同族殺しだと、謗られた事も少なくはない」

 

 しかし、そこに正義があったからこそ――大義の前に死んで行った命相手に下手な罪悪感は逆に侮辱となる。

 

「私は信じたからこそ殺した。そこに信念があったと思ってはいる。……いずれにしたところで、今は月軌道艦隊へと向かうブレーメンの厚顔無恥だ。奴らは何を考えている? あちらと繋がっているのか?」

 

「分かりませんよ。その可能性も……。だって、研究部門だからってミラーヘッドも何もかも、奴らは任されているんです。《レグルス》開発、そして《アイギス》の配備。第二世代の時代の流れを作ったのは奴らなんですから。そればっかりは覆せませんよ」

 

「第二世代MS、か。……それは我々人類そのものの、罪のようでさえもあるがな」

 

 青い艦隊は自分達とは正反対の方向へと向かっていく。

 

 その背中へ感じたのは、憎々しさよりも疑念であった。

 

「……護衛艦が沈んでも、奴らには痛くもかゆくもない。我ながら女々しいとも。ブレーメンの連中に配されていれば、酒を酌み交わす相手が生きていたのだと……そう思ってしまうなんてな」

 

 



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第130話「禁術を手繰る者」

 

『敵影、射程外へ逃れました。お疲れ様です、MF04』

 

「その識別番号、やめてくれないか。まるで何でもない、怪物だと言われているようだ」

 

 こちらの返答にアルチーナ艦より声が弾ける。

 

『それはすまなかった。だがこれも広域通信なのだ。後々、提出しなければならん』

 

「それは軽率であった、と言うべきで?」

 

『……いいや。今は互いの武運を祈ろう。……これで何回目となる?』

 

「数えた事はありませんね。僕はどの陣営からしてみてもアンノウンのはず。……いいんですか? こんな風に月軌道艦隊がダレトの向こう側より来たりし存在と交渉……いいや、通信しているなんて」

 

『貴官は間違いなく、我々の護衛対象だ。よってこの通信も、何も憚ったものではない。宇宙飛行士――ザライアン・リーブス』

 

 名を呼ばれ、《フォースベガ》のコックピットに収まっていたザライアンは、コンソールに翳していた両手を閉じていた。

 

 それに同期して《フォースベガ》が武装を収納していく。

 

 両腕へと三角錐状に構築された四枚の太刀筋は、この次元宇宙の者達がダウンサイジング化し、ビームサーベルとして運用している技術の礎であった。

 

「それにしても、トライアウトは何度も攻めてくる。作戦概要が下に流れないのでしょうかね」

 

『これは秘匿義務がある。如何にトライアウトが超法規的機関だとしても、情報が常に上から下へと流れるように。彼らは画一化された情報しか知らないのだろう』

 

「……それは教訓ですか」

 

『いいや、経験則だよ。我々もそうであった。MF04……《フォースベガ》と貴官に出会うまでは』

 

「分からないものは分からない……人類がそうであったように、この次元宇宙でも、ですか」

 

『そうだと認められないのがヒトなのだよ。だからこそ、扉の向こうの叡智へと手を伸ばし続ける。それが無為なるものだと判明しても、なお……。度し難いとはこの事だろうな、宇宙飛行士からしてみれば』

 

「いえ、僕は結局、《フォースベガ》と共にあるだけですから」

 

『……あの時……三年前の月軌道決戦にて第六の聖獣の討伐に当たってくれたのも、そのような打算的な考えだったのかな?』

 

 ザライアンは自らの両腕に視線を落とす。

 

 ――破壊者の腕だ、と自嘲して、いいや、と返答する。

 

「打算だけで動いていれば、僕もあなたも生きてはいない」

 

「不沈の月軌道艦隊がまた、生存確率を伸ばせたのはひいては貴官の働きによるものが多きい。先ほどのトライアウトの強襲も、まるで我が方には情報などなかった」

 

「やはり……意図的な情報封鎖が行われているようですね」

 

『それも、三年も苦楽を共にしていても話せないのかね?』

 

「……知らないほうがいい事実もある」

 

『誰の言葉だ、それは』

 

「引用不明ですね。……僕は一度、《フォースベガ》から降りたほうがいいでしょう。探り屋が来ているんなら余計に。ザライアン・リーブスはMF04のパイロットであった、というのは出来れば知られたくはない」

 

『……今でも信じられないのだよ。君がダレトの向こう側からの使者だと言われても』

 

 アルチーナの艦長の言葉は恐らく、この次元宇宙に住まう者達全ての感想であろう。

 

 MFを操る存在もまた、ヒトであったなど性質が悪い冗談だ。

 

「……一度帰還します。トライアウトブレーメンの面々とは顔合わせをしなければいけない」

 

『ああ。アルチーナへと戻りたまえ。ザライアン・リーブス』

 

 ザライアンは瞼を閉じる。

 

 脳内ニューロンを加速させるイメージを伴わせ、直後には眼を開いていた。

 

 瞳孔から逆三角形の紋様を浮かび上がらせ、光が流転したその時には管制室に着地している。

 

 アルチーナの管制室はざわめく事もないが、艦長だけは帽子を傾けさせていた。

 

「……いつ見ても慣れんな。空間跳躍、人間単位でのダレトの構築など」

 

「慣れれば楽ですよ。この移動方法も」

 

「……それはおぞましいとも言う」

 

 メインモニターに映し出されていたのは青い色彩の艦艇であった。

 

「彼らが?」

 

「ああ。トライアウトブレーメン。幾度となく我が方と渡りを付けたいと交渉を願ってきた軍勢だ」

 

「軍警察なら、《フォースベガ》で仕留められましたが」

 

「逸るなよ。あれには問い質したい事があるのだ。それは君の知りたい事と合致している可能性が高い」

 

 ザライアンは青い艦隊を見据え、そのカタパルトから飛び立っていく疾駆の機体を目にしていた。

 

「……ミラーヘッド新型機、《アイギス》。あれが戦場を席巻するようになってもう一年は経つ」

 

「戦場は変容しつつある、という事だな。《マギア》は型落ち機とされ、《エクエス》は後方支援に追いやられた。我々の所持していた機体も定期的にこうして補給を受けなければ、月軌道の観測ばかりでは感覚をやられる。話によっては、地球圏ではさらに新型の開発を急いでいるとも聞く」

 

「性急が過ぎます。MSの開発の裏には、MFとダレトの解析が欠かせない。……彼らはまた、禁忌の扉を開く……」

 

「扉の向こう側の使者として見れば、ご立腹かな」

 

「いいえ。それもまた、正しいのでしょう。この次元宇宙では、どうやらまだ、“破局”に至っていないようですから」

 

 ザライアンは管制室を後にしようとしてその背中に声を受ける。

 

「して、ザライアン・リーブス。君の言う“破局”とは、一体何なのか。いつ、どのようなタイミングで起こるのか、聞かせてはもらえないのか」

 

「……それをこの次元宇宙の誰かに告げれば、またしても運命の確率論は変動する。僕は……もう失いたくないんです。だから、言えない……」

 

 それが苦渋の選択なのだと、三年間の重みが艦長を含めアルチーナ艦に務める者達との間には降り立っている。

 

「分かった。これ以上の詮索はしない」

 

「……感謝しますよ」

 

「感謝は……本来する側なのだろうな、こちらが。君は……我々を救いに来た――英雄なのだろう?」

 

「英雄は自らの事を英雄とは言いませんよ」

 

 そう言い置いてザライアンは管制室を立ち去っていた。

 

 グリップを握り締めた瞬間、疼痛が走り、自らの腕を握り締める。

 

「……もう限界に来ているのか。《フォースベガ》を自在に操るのには……」

 

 自室とされている暗幕の部屋に雪崩れ込むように押し入り、本の山を除けてベッドに横たわる。

 

 じくじくと神経を侵食する激痛が苛む腕の袖を上げていた。

 

 そこに宿っていたのは赤く明滅する楕円の紋様である。

 

 ――自分を制約し続ける罪の証。

 

「……だが僕も運命に選ばれたんだ。なら、これはきっと聖痕なのだろう」

 

 瞼を閉じると、脳内に反射されたニューロンのネットワークの中に今も《フォースベガ》と、そして同等の力を持つ三機の聖獣を感じ取る。

 

「……《ファーストヴィーナス》は静観を続ける。《ネクストデネブ》は拘束され、この次元宇宙でまどろむか。《サードアルタイル》は……駄目だな、どうにも見えない。三年前の覚醒の兆候以来、三番目が一番にくせ者だ。何か……致命的な何かを逃しているような気がして……」

 

 そこまで口にした時、ザライアンはハッと習い性の身体を起こしていた。

 

「……失礼。ここにいらっしゃると、艦内クルーからお伺いしました」

 

「……ブレーメンの者か」

 

「ああ、そう強張らないでください。我々はただ、あなたの話を聞きに来ただけなのですから。宇宙飛行士、木星帰り、宇宙の戦士……様々な渾名を持つ、我らの誇るべきヒーロー、ザライアン・リーブス。何なら少しインタビューでも拝聴したいほどだ」

 

「……僕は何でもない。ただの木星船団の師団長だ。他のクルーに聞けばいいだろう」

 

「そう邪険にしないでください。私は話し合いがしたくって、ここに寄ったのですから」

 

「……話し合い? 間に合っていると言えば」

 

「そうですか。それは残念」

 

 直後、ザライアンは重圧を感じ、ベッドへと倒れ込んでいた。

 

 瞬時に理解する。

 

 ――これは高重力なのだと。

 

 幾度の死線を乗り越えてきた脳内に打開策を呼び起こそうとする前に、カードキーを認証させて入ってきた男と視線がかち合う。

 

「……お前は……」

 

「強硬策に出ざるを得なくなった。私としてもこれは切り札でしたので、あまり使いたくはないのです」

 

 歩み寄ってくる男に、ザライアンは文庫本の一つに仕込んでいたナイフを手繰り寄せ、相手が至近距離に近づいたのを関知して跳ね上がる。

 

 だが刃はその首を払ったのに、血潮の一つさえも浮かばない。

 

「……ライドマトリクサー、だと……」

 

「人体の弱点は強化してあるのです。頸動脈、頸椎、眼球、エトセトラ……。これでも信頼と実績の企業仕事です。やはり運び屋が死んでは困りますので」

 

「運び屋……? ブレーメンの連中じゃないのか」

 

「彼らに船を寄越したのは我が企業ですから。乗り合わせくらいは何て事はありませんでしたよ」

 

「……エンデュランス・フラクタル……ッ! 死の商人か!」

 

「それは人聞きの悪いと言うもの。私達はビジネスをしたいだけですので。より上客に、より高品質な商品の提供を」

 

「……貴様らが……あの日の惨劇を招いた……! 月軌道決戦でどれほどの人間が死んだと思っている……!」

 

「それは誤解と言うものかと。私は、ただビジネスの仕事のために、あの日あの場所に居たと言うだけですので」

 

 ザライアンは吼え立てて刃を翻す。

 

 男の付けていた眼鏡のフレームを掻っ切り、そのまま後ずさっていた。

 

「これはこれは……また眼鏡を新調しなければいけませんね」

 

「貴様らの目的は何だ……。何故、五番目の使者を……《フィフスエレメント》を封じ込めた? 造ったのは貴様らだろう。――《オリジナルレヴォル》だ」

 

「おや、そこまでご存知とは。失敬、私、ちょっとだけ現状認識が甘かった模様です」

 

 男の読めない視線をザライアンは掻い潜る術を講じようとしたが、相手がどのような手を仕込んでいるのか分からない以上、下手を打てない。

 

 自分の判断次第でこの三年間の苦楽を共にしてきたアルチーナ艦のクルー達まで犠牲になる。

 

 木星圏での過酷な経験則から弾き出そうとした答えも今は彷徨うばかりだ。

 

 エンデュランス・フラクタルは「どこまで」知っているのか。

 

 トライアウトブレーメンの艦に同乗して来たと言うのならば、目的は既に達成されたと考えるべきだろう。

 

「……そちらの目的は僕と《フォースベガ》の擁立か」

 

「聡明で何より。私、商談は大の得意でして。あなたが一言、イエスと言えば、全て万事、まるーく! 収まりますとも」

 

 大仰にジェスチャーしてみせた男の態度に、ザライアンは吐き捨てる。

 

「……気に入らないな。何もかもを分かっていて傍観者を気取るスタンスと言うのは」

 

「何もかもは分かっていません。その証拠に、三年前にヴィヴィー・スゥの襲撃は読めなかった。彼女もまた、あなたなのでしょう?」

 

「……その態度がどこまでも嘗め腐っていると言うんだ。僕が何か話すとでも思ったのか」

 

「いいえ。別に彼女に聞けばよろしい話ですし、それはあなたの良心に任せましょう。ですが、いいのですか? 同じ聖獣に搭乗する者同士、情が移った、という事もあるのでは?」

 

「ないさ。MFに乗る人間同士の接触は危険とされて――」

 

 そこまで語って、しまった、と口を噤む。

 

「そう、なのですね、やはり。MFに乗る人間同士は、接触でさえも忌避している。その理由が垣間見えました」

 

「……僕をはめたのか……」

 

「ちょっとした探り合いですよ。牽制にもならないかと思っていましたが、いやはや。木星帰りには程よいブラフでしたかね?」

 

 ザライアンはナイフを構え、眼前の男へと敵を睨む視線を据えていた。

 

「貴様は何なんだ……」

 

「失礼。名乗るのが遅れましたな。私はエンデュランス・フラクタル、営業部門部長、タジマと申します。ザライアン・リーブス殿。あなたには私の商談に付き合っていただきましょう」

 

 タジマと名乗った男は胸ポケットからスペアの眼鏡を取り出し、ブリッジを上げていた。

 

 



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第131話「彷徨う叛逆」

 

「セブンワンからの補給路は確かに。けれど、《マギア》編隊も少しばかり頭打ちになりつつある。報告は受けていたけれど憂鬱ね……」

 

 そうぼやいたレミアは頭痛薬を飲み干し、オフィーリアの艦長室に書類を運び込んでいた。

 

「……レミア艦長。これも想定内なんすか。オレにはどうにも……あれが信じられないっつーか」

 

「それは三年間で培った勘かしら。アルベルト君」

 

「茶化さないでくださいよ。……これでもRM第三小隊を預かる身っす。制御出来ない代物をメインに据える危険性くらいは分かってるつもりなんで」

 

「ヴィルヘルムがあなたには困っているはずよ。コード、マヌエルを何度も試行する死にたがりのエージェントだって」

 

「それは……! ……何とも言えないっすけれど」

 

 しかし、とアルベルトは広く取られた艦長室を見渡す。

 

 ブリギットとはまた違う、少しばかり古めかしくも映る設計であったが、今も執務机へとリアルタイムに送られてくる情報は他の勢力を圧倒するほどの情報精度なのだろう。

 

「……まさかこれほどの艦艇をエンデュランス・フラクタルとマグナマトリクス社は共同して造っていたなんてね。情報としては知っていても、いざ目の当たりにすると違うわ」

 

「……ブリギットはどうするんすか。あれも課題でしょう」

 

「ブリギットは足を削がれている。次の作戦にはあれを利用する術もあるわ。アルベルト君、あなた達RM第三小隊は私の作戦に従ってもらいます。拒否権は……」

 

「ないって言うんでしょう。オレは構いませんよ。……っつーか、今までが無謀過ぎたくらいっすから。ようやく落ち着ける場所を手に入れられたって言うか」

 

「……ベアトリーチェではカトリナさんの我儘に付き合ったクチでしょう?」

 

 その問いかけにアルベルトは拳をぎゅっと握り締める。

 

「……あの人は、もう無理しないでいいと思うんす。だって、三年間ずっと張り詰めてきた。本社からの無茶な補給も、無理やりな作戦も全部……背負ってきた背中なんす……。だからもう、無理させるのは……」

 

「あなたは見た目に反して優しいのね。もっと早く、こうして喋るべきだったかしら」

 

「よしてくださいよ。そんなもん、三年前のオレじゃあんたと落ち着いて話せもしなかった。ガキだったんす」

 

「今は、物分りのいい大人ってわけね」

 

「……諦めのいい、とも言います。クラードからしてみりゃ、もしかするとオレも、つまんない奴に成り下がったかもしれません」

 

「いいえ。あなたはそれだけの責任と共にあった。なら、クラードも評価してくれているはずよ。彼は、意味のない言葉だけは吐かないもの」

 

「じゃあやっぱ……あの機体、《ダーレッドガンダム》ってのは……」

 

「今は。今は少し時間が必要そうね。結論を性急にするべきでもない。あなたにはかつて、《レヴォル》の真実を語ったけれど、あれもただのMSじゃない。だからこそ、クラードでしか扱えないのでしょうね」

 

「……歯がゆいっすよ。力は手に入れたつもりだって言うのに……」

 

「クラードはそれよりもさらに、でしょうね。《疑似封式レヴォル》を捨て、彼はもう退路なんてない。私達と共に在ってくれるのは喜ばしい事なのでしょうけれど、彼の道に、誰も口出し出来なくなってゆく。出来るとすれば、それはきっと……」

 

「カトリナさんだけ、ですか。……艦長、あんたもクラードと特別な約束を交わしたクチでしょう? なら、クラードはあんたの言う事だって聞くはずだ」

 

「もう資格がないのよ、私には。だからきっと、クラードは自分の従うべき相手は自分で決めていく。その決意に、異議は挟めないわ」

 

「分かんねぇのは、それもっすよ。クラードとあんたはどんな約束をしたんですか。その約束を……違えないためにクラードはあんたを取り戻したんでしょう」

 

「……一つだけ、教えてあげられるのは、クラードは私にとって掛け替えのない存在。彼でなければ約束は完遂されない。……こんなつまらなく成り下がった私でも、まだ価値があるのだと、思ってくれているのならば、だけれどね」

 

 どこか諦観さえも浮かべたレミアに、アルベルトはそれ以上の言及は出来なさそうであった。

 

「……じゃあオレも、《マギアハーモニクス》の整備に戻ります。その……立ち入り過ぎたんなら、すんません。オレも、余裕あるようでないんだと思うんす」

 

「いいわよ、別に。今さら立ち入っただとかそうじゃないとか、もう論争の場でもないでしょう」

 

 扉を潜った瞬間、シャルティアと鉢合わせする。

 

「……シャル、何やってんだ、お前」

 

「私はシャルティアです! シャルじゃない!」

 

「ああ、分かったよ、ったく。艦長室じゃ邪魔だろう。廊下でいいか?」

 

「私との話し合いは廊下でもいいんですか!」

 

 シャルティアは相変わらず噛み付いてくる。アルベルトは無重力に身を流しつつ、廊下に背を預けていた。

 

「……で、委任担当官殿は何の話だよ。艦長に話でもあったのか?」

 

「……ありましたけれど、アルベルトさんのほうが先です」

 

「そいつは何だ? 言っておくが、《マギアハーモニクス》に乗るなってのは聞けねぇぞ」

 

 どうやら図星らしく、シャルティアはぐぬぬ、と歯噛みする。

 

「……あのなぁ、シャル。オレが前に出ないで、RM第三小隊が成り立たないくれぇは分かるだろ。それでも納得出来ねぇのか?」

 

「そりゃ……納得も出来ませんよ。だってこの新鋭艦だって、本来は手に入るはずじゃなかったって言うんじゃ……」

 

「……艦長やクラードが信用出来ねぇのか」

 

「そもそも、ですよ! いきなりやってきて艦長だとか、エージェントだとか……! そういうのって私を通してもらわないと困るはずです!」

 

 シャルティアにとってしてみれば、委任担当官の職務を果たせない事それそのものがどうやら大きな不満らしい。

 

 アルベルトは思案していた。

 

「あのよぉ、シャル。何とかこの新造艦……オフィーリアまで辿り着けたんだ。今までみてぇな撤退戦や電撃作戦だけじゃねぇ。もっと幅広く、全員が生き延びられる作戦が展開出来る。喜ぶべきじゃねぇのか?」

 

「……ですが、それはエンデュランス・フラクタル本社に背く行為ですよ。問題があるんじゃ?」

 

「その問題とやらは、結局のところオレらがエンデュランス・フラクタルに所属し続けるか、みてぇなところもある。シャル、覚悟決めなくっちゃいけねぇ。もしもん時は、英断でもな」

 

「それは蛮勇って言うんです! ……私はあくまで、本社から派遣された社員に過ぎません……。もしもの時、あなた達を守れないじゃないですか……」

 

 シャルティアなりに責任の所在を考えているのだろう。

 

 彼女は本社からの派遣人材。

 

 本社の命令には絶対の身分である。

 

「……オレやカトリナさんが無理やりにここまで来たと思ってんのか? それは大きな間違いだぜ。オレ達は信じるべきだと決めて、クラードの策に乗ったんだ。間違いだとは思って欲しくねぇな」

 

「……でも、アルベルトさんは私に従うべきなんです。ユキノさんも、そうじゃないですか。あなた達は、私が責任を持って担当する、エージェントなんですよ? ……あなた達に何かあってからじゃ、私……」

 

 アルベルトはこめかみを掻く。どうにもシャルティアは責任問題を重く捉えがちな面がある。

 

「……マジメだな。っつっても、現状、オレらを本社がどう思うかと言えば、無理やりにセブンワンに押し入ってのオフィーリアと《ダーレッドガンダム》の強奪行為。言っちまえば逆賊に映る可能性が高い。……自分の事を考えるのなら、シャル。お前は艦を降りても――」

 

「それだけは嫌です! アルベルトさん、カッコつけようとしています? それってズルいじゃないですか」

 

 その言葉振りが、かつての想い人を想起させてアルベルトは二の句を告げなくなってしまう。

 

 絶対にだぶらせてはいけないと自身に言い聞かせてきたのに、ここに至ってシャルティアを――ラジアルに重ねかねないなんて。

 

「……どうしました? アルベルトさん」

 

「いや、何でもねぇ……。疲れてんのかな」

 

「疲労の回復に努めてください。あなたはRM第三小隊の小隊長であるのと同時に、私からしてみれば担当するエージェント。毎回死にに行かれたら困るんですよ。……ユキノさんだって、そう思っているはずなんです」

 

「……何で今、ユキノの名前が出てくんだ?」

 

「……知りません! アルベルトさんの、分からず屋!」

 

 何故なのだか怒り心頭でシャルティアは立ち去ろうと身を翻す。

 

 その背中にアルベルトは言葉を投げていた。

 

「おい。オレに書類を寄越すんじゃねぇのかよ。いいのか? 仕事とか」

 

「あなたに心配されるほどじゃありません! 私は自分できっちりしますから。いい加減な大人とは違うんです!」

 

 何だかその言葉自体に棘が籠っていて、アルベルトは考え込む。

 

「……ユキノがどうしたって? 分かんねぇなぁ。相変わらず。チビのくせに意味分かんねぇところで背負ってやがんだから」

 

 頬を掻いて奇妙な感覚を振り払い、グリップを握って廊下を行き過ぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レヴォルの意志……そのデッドコピー……だと判定すべきなんだろうな」

 

 格納デッキの一角でサルトルのこぼした言葉に、携行飲料に視線を落としたクラードは仰ぎ見る。

 

 今も整備作業が続行されている《ダーレッドガンダム》に対し、違和感と共に飲み干す。

 

「……何故、《ダーレッドガンダム》に初期化されたアイリウムとしてレヴォルの意志が内蔵されているのか……それは恐らく、《レヴォル》の設計理念と同じなんだろうな」

 

「MFへのカウンターとしての立ち位置、か。だがそうなのだとすれば、あの機体を手にすべき人間は限られてくるぞ……。お前の生存を絶望視していたとすれば、あの機体に乗るべきだったのはお前と同じ……レヴォルの意志に選ばれた存在、か」

 

「メイア・メイリス……」

 

「そのメイアもちょっと前に入ってきた情報じゃ、行方不明って話だ。ったく、きな臭いったらねぇな。本社は何を考えてやがったんだ?」

 

「俺かメイアを《ダーレッドガンダム》に搭乗させ、そして全てのMFへの殲滅戦を企てるつもりだった……そう考えてもいいのか」

 

「だがなぁ、クラード。お前は知っているかどうかは知らんが、今のMFってのは……」

 

 月軌道の情報が端末に同期され、サルトルがそれを差し出す。

 

 MFの位置情報は三年前から変わらないものの、そのパワーバランスは大きく変動したようだ。

 

「……MF02が王族親衛隊によって拘束。あの《ネクストデネブ》が、か?」

 

「ああ。お前と戦った直後に王族親衛隊によって《ネクストデネブ》は特殊な拘束を受けている。よって三年前のMFの立ち位置からは大きくその力関係は変わったと見るべきだろうな。現状も稼働を続けていると目されているのは、MF01、《ファーストヴィーナス》と、MF04、《フォースベガ》だけか」

 

「MF04は……あの月軌道決戦で動いていたのを聞いている。……想定外だな。もしかすると、MFを二機も三機も相手取らなければいけないとは」

 

「おいおい、物騒な事を言うもんじゃねぇよ。今はとかく、英気を養うこった。お前も《ダーレッドガンダム》も完璧じゃねぇし、オフィーリアにだって慣れなければならん。他の雑事はおれ達に任せろ。何のための整備班だと思っている」

 

 サルトルは自身の胸元を叩き、自分の憂いは受け止めてくれているようであった。

 

「……すまないな。余分を任せている」

 

「いいさ。パイロットは前を行くんだ。後ろは固めさせろよ。第一、お前の帰りを待っていたのは何もカトリナ女史だけじゃないんだぞ。おれ達だって、生きているんだって、どこかで思っていたさ。ただカトリナ女史ほど、真っ直ぐに想い続けるのには疲れてはいたけれどな」

 

「……月軌道決戦時に大勢死んだのは知っている」

 

「帰って来ない奴らは帰って来ないんだって、そう割り切るしかねぇってのもあった。……トキサダも、居なくなっちまってからはトーマも仕事に熱を上げるようになっちまってな。……三年前じゃ、あいつは確かに腕の立つメカニックだったが、もう仕事しかねぇみたいになっちまったのは正直、見てらんねぇ部分もあった」

 

 トーマは整備班を率いて《ダーレッドガンダム》の解析作業に移っていた。

 

 一心不乱に投射画面を睨むその背中は、最早仕事以外の雑事は切り捨てている節もある。

 

「……苦労をかける。《ダーレッドガンダム》はだが、俺達の主力になるだろう。不意打ちとは言え、《ネクロレヴォル》を撃墜出来た」

 

「そのログも見たよ。……本社が読めないって思ってるのはそれも込みだ。まさか極秘裏にエージェントの擁立までやっているなんてな」

 

「……エージェント、キュクロプスって名乗っていたか」

 

「情報は降りて来てない。ベアトリーチェが半分捨て駒だったのもあるんだろうが、本社がまさかそこまで思い切ってやがるなんて、こっちは想定外だ」

 

 エージェント、キュクロプスの情報網にアクセスしようとして、全てが黒塗りであるのをクラードは垣間見ていた。

 

「……顔さえも分からない、本社のエージェントか」

 

「気を付けろよ、クラード。上はお前のデータを全て持っている。三年前のエージェント、クラードはもう攻略されたと思っていいだろうな」

 

「それだけの月日は経った、という事か……」

 

《ネクロレヴォル》の動きにどこかで既視感があるとすれば、それは自分自身の挙動であったのだろう。

 

 確実にエンデュランス・フラクタル本社は、自分と言うエージェントを網羅し、解析し尽くした。

 

 その結果として最上のエージェントを手に入れたと言うわけだ。

 

「……だが、俺はまだ死ねない。死ねない理由がある。《ダーレッドガンダム》で勝利する術をくれ。俺は勝ち進まなければいけない」

 

「一度決めりゃ、もう聞かねぇ口ぶりだな。いいとも。おれ達は正直、どんな解析不能なもんが差し出されてもそれを飲み込むような部署だ。《レヴォル》ん時だって似たようなものだったさ。今回もどうにかやってみせる」

 

 その言葉を潮にしてサルトルは《ダーレッドガンダム》へと流れて行く。

 

 整備班に声を飛ばすその背中を見送ってから、クラードは携行飲料を飲み干してから、ふと違和感に気づく。

 

「……味がしないな」

 

 疲労が蓄積しているのだろう。ここまで来るのに随分と回り道をしてきた。

 

 一時の過労に陥っている可能性もあった。

 

「クラードさんっ! ……って、ひゃあぅ……!」

 

 格納デッキに飛び込んできたカトリナがバランスを崩し、無重力地帯を漂う。

 

 地面を蹴ってその身体を受け止めてから、カトリナと相対速度を合わせていた。

 

「あっ……ありがとうございま――」

 

「何だ。あんたは管制室の担当じゃなかったのか」

 

「いえ、その……バーミット先輩が引き受けてくださいまして。私はこっちに行ったほうがいいって……」

 

「バーミットも相変わらずのお節介だな」

 

 カトリナは姿勢を持ち直して《ダーレッドガンダム》を眺めていた。

 

 その眼差しに滲んだ恐れの感情に、クラードは問いかける。

 

「……怖いのか」

 

「こ、怖くなんて……っ! ……あー、でも、ちょっとだけ怖いかも……」

 

「あんたはそうでなくっても嘘がつけないんだろう。余計な気を張るだけ無駄だ」

 

「うぅー……言われちゃうなぁ、もう……。けれど、意外そのものですよ。あの機体のよく分かんない装備、クラードさんは一発で使えたんですね」

 

「ベテルギウスアームに関しては俺もよく分かっていない。これから先、サルトル達の解析作業頼みだ」

 

「……よく分かんないのに、何でああも上手く……?」

 

「あれが上策かどうかも分からない。出力を最大値に設定したが、起動直後だ。あれでも十分の一にも満たない性能だろう」

 

「十分の一の性能で……《ネクロレヴォル》の装甲を射抜いたって……じゃああれが本気を出せば、どうなるって言うんです?」

 

「さぁな。見当もつかない」

 

 自分が不確定要素を告げるのは初めてであろう。

 

《レヴォル》の時のような自分の肉体の延長線上としての代物ではなくなっている。

 

 カトリナは目を見開いてから、《ダーレッドガンダム》にその視線を据えていた。

 

「……あの機体、一瞬だけフィードバックが鈍かったですよね? 何かあったんですか?」

 

「ライドマトリクサーとの接続が特殊なんだ。こちらのRM施術痕をトレースして、それに最適な状態になるように出来ているらしい。俺の七割の施術痕を一瞬で網羅して、それで最大出力の設定をぶち込んできた」

 

 こちらの返答にカトリナは頬を掻いて窺う。

 

「えーっと……それってもしかして、危ないんじゃ……」

 

「危なくっても使うしかないだろうな。今の俺達からしてみれば、《ネクロレヴォル》……ひいては騎屍兵を凌駕出来る、唯一の性能だ。どこまで通用するかは不明なままだが、それでも戦い続けるしかない」

 

「……クラードさんは、やっぱり強いままなんですね。三年前から、あなたの眼差しだけは変わらない……」

 

「当然だろう。強くあらなければ、ただ闇雲に時代の中に飲まれていくだけだ。俺は、自分の強さを飼い馴らす。そして、もう一度示すんだ。俺なりの運命への叛逆を……」

 

 瞬間、脳裏に掠めたイメージの波に、クラードはうろたえる。

 

 ――白い空間、その世界を掌握する老人……。

 

「……何だ今のは……」

 

「クラードさん? もしかして……」

 

 返答する前にカトリナの手が額に触れていた。彼女はやっぱり、と仰天する。

 

「熱ありますよ……。一度ヴィルヘルムさんに看てもらえば……」

 

 その手を振り払い、クラードは言い捨てる。

 

「何でもない。疲労の一つや二つ、自分で解決出来る」

 

「あなたが解決出来ても、他の人を困らせちゃうじゃないですか。いいからっ、ヴィルヘルムさんの医務室に直行してください。宇宙の熱病はそうじゃなくっても……って」

 

 そこでカトリナは言葉を区切って微笑む。

 

 不明な言動に、クラードは首を傾げていた。

 

「何だ、何が可笑しい?」

 

「い、いえ……っ。なんて言うか、三年前にもこんなやり取りをした気がするなぁ、って……」

 

「……あの時に無理をしてたのはあんたのほうだったがな」

 

「あれ、憶えて……」

 

「言葉は受け止めておこう。だが、俺は一秒でも早く、《ダーレッドガンダム》に慣れなければいけない。疲労の回復は、それからでもいいだろう」

 

 カトリナの制止から逃れて、クラードは《ダーレッドガンダム》のコックピットへと潜り込む。

 

『コミュニケートモードへと移行。専任ユーザー、クラードの認証コードを受諾しました。“どうした、エージェント、クラード。何か不都合な事でもあったのか?”』

 

 不都合と言えば、この指向性音声もそうだ、とクラードは思い直す。

 

「……今一度聞くが、俺の事を、憶えているわけじゃないんだな? お前は」

 

『“専任ユーザーであるエージェント、クラードを認識してから現時点で十四時間経つ。それ以前のレコードは存在しない”』

 

「……やはり、か。お前は……かつてのレヴォルの意志とは、違う」

 

『“レヴォルの意志、別名レヴォル・インターセプト・リーディングに大別されるシステムの一部だ。それに関しては間違ってはいない”』

 

「そうじゃないんだよ。これだから、レヴォルの意志って奴は……」

 

 だがその論調も、振る舞いも。

 

 かつて自分と離別したはずの《レヴォル》そのものなのだから、性質が悪いと言うもの。

 

 クラードは天を仰ぎ、それから呟く。

 

「……お前はどこに行ってしまったんだ、《レヴォル》」

 

 



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第132話「訪れし強者」

 

「――で、答える気にはならないと、そう断言していいのでしょうかね。メイア・メイリス」

 

 情報が今も同期される艦長室での再三の問いかけに、メイアは肩を竦めていた。

 

「何度も言わせないでよ。《オリジナルレヴォル》の位置情報はそっちが握っているんじゃないの?」

 

「残念ながら。どれだけ情報の集積地点に赴いても、それでも得られないのですよ。《オリジナルレヴォル》――貴女とクラードが選ばれたこの世界への叛逆には」

 

「じゃあボクが知っているわけないじゃん。無駄な手間だよ」

 

「それでも、貴女には聞かなければいけない。あの時、セブンワンから飛び出した新型機を、知っている風でしたからね。あなたは《ダーレッドガンダム》に関しての優先事項を既に耳にしている」

 

「だから、何度も言ったでしょ。それはテストパイロットだからって」

 

「承服出来ないのはそこも、なのですよ。マグナマトリクス社が率先してテストパイロットを選出しようとしていた。その在り方そのものが、イレギュラーなのですからね」

 

 ピアーナは飛び込んでくる情報をさばくのに余念がないと言うのに、自分相手に詰問を続ける。

 

「……あのさ、キミだってまずいんじゃないの? 騎屍兵を使ったのに撤退なんて」

 

「撤退は戦術の一つです。無謀に挑み続けても益がないのならば、その判断に至る事もある」

 

「分かんないな、キミはだってライドマトリクサーでしょ? なら、一度や二度の敗北だってまずいんだって思うはずだけれど」

 

「貴女と違って我々には次がありますから。わたくしはあくまでも、騎屍兵の師団長。彼らの命を預かるのならば、負けるような戦場に赴かせるわけにはいかない」

 

「……死んでいる身でよく言うよ」

 

 ぼやいたメイアに、ピアーナはトン、とペンでテーブルを叩いていた。

 

「今日の尋問はここまでに致しましょう。メイア・メイリス。貴女はこれより、わたくしの管轄下に入っていただきます」

 

「管轄下……? 牢獄にぶち込んだほうが簡単じゃない?」

 

「貴女もRMならば、有効活用したほうがマシ、と言うものです。逆に扱える駒ならば、わたくしは最大限に使う。……東洋の盤上遊戯に、将棋と言うものがあるのはご存知ですか?」

 

「……確か、駒を並べて互いに王様を取り合う……チェスみたいなものだっけ」

 

「チェスと違うのは、取った駒を自分の陣営として用いられる事。今回の場合、そちらの考えで行ったほうがいいでしょうね。現状、メイア・メイリスをただ闇雲に封じ込めるよりかは、最大限に活用する」

 

「……機を見つけて逃げ出すかも?」

 

「そんな衝動的な行動に身を置くような人間じゃないでしょう、貴女は。計算高くあるのならば、わたくしでさえも利用する。そういった腹積もりのはず」

 

「……参ったな。そこまで性格悪くないよ?」

 

 だが見透かされていると言えばその通り。

 

 現状で下手に逃げ隠れしたところで、自分にはもう逃げ場所さえも存在しないのだ。

 

 マーシュはどうなってしまったのだろうか。

 

 自分を逃がした責任を取ったのだとすれば、よくて更迭。悪ければ断罪としての処刑であろう。

 

 しかし、ラムダのクルーは表向き別の職業を持っている。

 

 見せしめの処刑をする旨味はなし。

 

 ならば、生かしてでも活用する。そのスタンスが正しければ、有機伝導体操作技術で記憶を消去して、ラムダの艦長として最大限に再利用を――。

 

「……メイア・メイリス。聞いていましたか?」

 

 ハッと顔を上げ、メイアは後ろ手に拘束された腕を意識する。

 

 今、自分がどう足掻いたところで、どう考えを巡らせたところで誰かを救える可能性は皆無。

 

 ならば、自分一人でも最悪生き延びる方策を浮かべるべきだろう。

 

「……ゴメン、聞いてなかった」

 

 ピアーナは嘆息をついてから説明の言葉を継ぐ。

 

「……呆れますわね。騎屍兵の師団長としてわたくしは位置していますが、基本的に騎屍兵は全員揃う事はありません。作戦行動上のリスクを減らすためですが、そうも言っていられなくなる。補充要員が今、我が艦であるモルガンに現着しました。わたくしはその者との顔合わせを行います。貴女も来るように」

 

「……この状態で?」

 

「説明はわたくしが致します。余計な勘繰りを見せないよう」

 

 ピアーナは艦長服を纏い、帽子を深く被る。

 

 彼女の背丈ではどうあっても嘗められるのではないか、とその後ろ姿に続いていると、どこからともなく騎屍兵が集い、ピアーナの守りを固める。

 

「……なるほどね。死者に好かれる艦長ってわけだ」

 

「口さがが過ぎると拘束を増やさなければいけなくなります。接続したのは、アラクネの艦艇ですね?」

 

『リクレンツィア艦長。王族親衛隊からの入電です』

 

 騎屍兵の一人が歩み出てピアーナに見せたのは暗号化された資料であった。

 

 ピアーナは触れるだけでその暗号を解除し、自身の血肉とする。

 

「……なるほど、それにしても王族親衛隊の補充要員とは。オフィーリアを追うのは何も伊達や酔狂ではない、という事ですか」

 

 ピアーナが管制室で行き会ったのは補給路が接続された艦のクルー達と、異質なる白い衣装を身に纏った男であった。

 

 MSのパイロットとは思えないが、その立ち振る舞い、そして隙のない所作から手練れである事だけは窺える。

 

「ピアーナ・リクレンツィア艦長。お初にお目にかかる……と言うのは、僅かに冗談が過ぎるかな」

 

 挙手敬礼しつつも、白い衣装に仮面と言う井出達の男は手練れの殺意を仕舞う事はない。

 

「……いいのではありませんか。貴方とわたくしは、公式には会っていないのですから。あの艦での出来事は、言ってしまえば一時の幻でしょう」

 

「そう言っていただけると助かる。改めて、王族親衛隊所属、ヴィクトゥス・レイジ特務大尉、旗艦への着任を命じられた。これは王族特務の管轄である。して、そちらの婦女子は? 私はリクレンツィア艦長にお目通り願うはずであったが、麗しいお方が二名もいらっしゃるとは聞いていない」

 

 ピアーナはヴィクトゥスと名乗った士官の言葉を聞き流しつつ、承諾書へとサインを施す。

 

「それは言っていませんでしたからね。ですが、まったく目にした事もないと? 彼女は有名人ですよ」

 

「世俗には疎くって困っている。これでも私は、硬派なのでね」

 

「……何なの、この人。何でナチュラルに口説いてるの?」

 

 こちらの反応にピアーナはため息一つでその憂いを打ち消していた。

 

「……どこまで真剣なのかは不明ですが、実力者なのは確かです。彼の機体は? 搬入済みですか?」

 

「指揮権はそちらにある。私は、向かってくる敵を蹴散らすだけだとも。だが、こちらとしても興味はあってね。件のガンダムだとか言うのは」

 

「まだ断定はしていませんよ。誰ですか、口の軽い関係者も居たものです」

 

「責めるのは私だけにしてもらいたい。興味が尽きないと、どうしても。悪い癖だ、私は詮索屋になっている」

 

「では、ヴィクトゥス・レイジ特務大尉。これより作戦行動に就いていただきます。貴方の行動の如何は全て、わたくし、ピアーナ・リクレンツィア少佐の保持するところとなる」

 

「世話になる。一応、口を差し挟ませてもらうと、私の機体のアイリウムは自分で設計させて欲しい。自分で育てるのが昔から好きでね」

 

「整備班をつけるな、と仰っているので?」

 

「手厳しい事を言っているのは分かっているが、これはこだわりだ。あなた方の手は煩わせない。それだけは、堅く約束しよう」

 

「ではそのように。それでも、貴方の能力は高く買っています。せいぜい、敵勢に対し、前に出過ぎない事ですね。経歴を見る限り、どうにも前に出たがりのようですから」

 

 ピアーナの論調にヴィクトゥスは笑みを浮かべて自分へと視線を移す。

 

 その瞳がミラーヘッドの蒼に染まっているのを、メイアは認識していた。

 

「……視えていないの?」

 

「三年前に、ね。有機伝導体操作技術を拒んできたのだが、こればっかりは軍属である限りはどうしようもない。一度光を失ったが、ダレトからの技術恩恵は私に、もう一つ上の段階の視野を獲得させてくれた」

 

「特務大尉、あまりお喋りが過ぎると、わたくし達としても困るのです。モルガンの部隊への編入には、一意見として窺っていますが、あれはどう解釈すれば?」

 

 運ばれていく機体コンテナの中に納まっていたのは《エクエス》系統の正統後継機である《レグルス》に、さらに最新鋭の機体もある。

 

「……あれは、前線に配備されているって言う……」

 

「《パラティヌス》。《エクエス》の系統樹を辿る、ミラーヘッドの最新鋭機であり、統合機構軍の開発した次世代機でもある」

 

「顔見せ程度だ。実戦では浮つく可能性もあってね。《高機動型レグルス》の受領、それだけではない。少し操縦系統に粗があるが、珍しいものも運び込ませていただいた」

 

 一際大きなコンテナが開閉され、内部に収まった機体の眼光が鋭く灯る。

 

 それは全体像で言えば鬼面の要塞――。

 

「……モビルアーマー……ミラーヘッド全盛期の時代に……?」

 

「MA《サイフォス》。使えるとは思う。こちらの優位にはね」

 

「どうでしょうか。いずれにしたところで、貴方の機体は見せないのですね」

 

 ピアーナの挑発的な物言いにヴィクトゥスは唇の前で指を立てる。

 

「せっかく一張羅で踊るんだ。私はギリギリまで見せない主義でね」

 

「その主義主張は結構ですが、墜ちてからでは知りませんよ」

 

「相変わらず舌鋒の鋭さは健在で安心さえもする。だが、心配は要らない。私はここでは死なない保証くらいはある」

 

「そうですか。では死なないと言う保証を担保にしておくとしましょう。わたくしは、このメイア・メイリスの調書を取らなければいけないのですが」

 

「それに関してはこちらの書類に目を通していただきたい」

 

「何ですか。言っておきますが貴方の同行許可なんて……通って、いますね」

 

 書類を目にするなりピアーナは信じられないものを認めた視線でヴィクトゥスを睨み上げる。

 

「……何をしたのです」

 

「何も。いいや、正しくは、興味が尽きないと、お偉方からの進言だろう。私は婦女子の過去や経歴に詮索をする野暮でもないと思ったのだが、上の考えている事はいつの時代も分からんものだよ」

 

 ピアーナは書類を騎屍兵に手渡す。

 

 静かに下がった騎屍兵を一顧だにせず、ピアーナはヴィクトゥスと交渉めいたやり取りを交わす。

 

「……気に入りませんね。野暮な詮索をする上とやらの立ち位置は」

 

「その発言は聞かなかった事にしておこう。私も君も、長生きはしたいだろう?」

 

「……RMの身分で長生きなど……ですが、領分は別です。わたくしにはわたくしの決めている領分がある。それを守るためならば、人道にもとる行動も、一つや二つ」

 

「飲み込める、か。……あの船に居た頃と何一つ変わらない。フロイライン。君は君の麗しさを保ったまま、魔女に成ったな」

 

「ヴィクトゥス・レイジ特務大尉。今次作戦の目標を伝えておきます。二時間後、作戦遂行が可能なように機体のメンテナンスを怠らないよう」

 

 その言葉を潮にしてピアーナは踵を返す。

 

 ヴィクトゥスは嘆息一つで彼女の機嫌に微笑みを浮かべていた。

 

「……嫌われたものだ。慣れっこだがね」

 

「……王族親衛隊……そうそう動かない部署のはずじゃ……?」

 

「気にかかるのは分かるが、先にも言った通り詮索はお勧めしないな。私は君のような乙女に死んで欲しくないのでね」

 

「……どこまでも嘗めたような口調を……って、あれ? どっかで……会ってる?」

 

「おや。これは珍しい事もあるものだ。自分が口説かれる側になるとは」

 

「いや、そうじゃなくって……どっかの戦場で……ボクら、戦い合った?」

 

「記憶にはないが、そんな邂逅があったのかも、知れないな」

 

 ヴィクトゥスはそれ以上の言葉を重ねず、格納デッキへと向かっていく。

 

 その背中を見送りながらメイアは呟いていた。

 

「……それにしても、王族親衛隊が前に出て来るなんて……個人的には気に入らないけれど、本気には違いない」

 

 



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第133話「女には向かない職業」

 

「ブリギットを捨てる……って事ですか?」

 

 問い返した自分にトーマは携行保水液を飲み干す。

 

「まぁ、有り体に言えばそうっす。足を潰してあるんだから、二隻も機動戦艦を持っておく旨味もないし、それにブリギットは目立ちますからね。トライアウトから目ぇつけられている今となっちゃ、ブリギットを伴わせている時点で下策っすよ」

 

「……そっかぁ。何だか、本当に、一ところに留まらなくなっちゃいましたね」

 

 格納デッキの片隅でメカニックの怒声を聞きながら、カトリナは移送されていく《マギア》を視界に留めていた。

 

「このオフィーリアは作戦目標だったんでしょう? なら、しばらくはここが帰る家って事なんじゃないっすかね。あーしも、とっととここに慣れないと。サルトル技術顧問がこれっす」

 

 角を立てる真似をしたトーマにカトリナは微笑んでから、何だか、と声にする。

 

「こうしてトーマさんと、二人っきりで落ち着いて話すのも久しぶりですね……」

 

「……そうっすね。カトリナ嬢が遠くなっちまったのが原因っしょ」

 

「私が遠く……ああ、でもそうなのかもしれません。私、生き急いでいましたね」

 

「ようやくお分かりになって?」

 

「……もうっ、からかわないでくださいよ。でも、生き急がないと追いつけないって、どこかで思っちゃっていたのは本当なんでしょうね。あの人に……」

 

 自分の視線が《ダーレッドガンダム》に搭乗するクラードに向いていたのを関知してトーマは頬杖を突きながら尋ねる。

 

「……惚れてるんすか、クラードさんに」

 

「へっ……ふへぇっ……? な、何言ってるんですかぁ! トーマさんってばもう……っ!」

 

「いや、そこまで分かりやすい反応してもらえると何て言いますか……ゴチっす、カトリナ嬢」

 

 手を合わせる真似をするトーマにカトリナはあわあわと当惑してしまう。

 

「ち……違いますからねっ? これはそのぉー……憧れとかっ! 憧れとか、そういうの込みで……っ! あ、込みって言っちゃ駄目だ……だから違って……っ!」

 

「そうやってあたふたすんの、随分と久しぶりじゃないですか、カトリナ嬢」

 

 あっ、とそこでトーマが分かり切ってそんな言葉を投げてきたのだと理解して、急速に頭が冷えて行った。

 

「……も、もうっ……」

 

「カトリナ嬢、からかい甲斐ありまくりっしょ」

 

「と、トーマさんだって……っ! お仕事に浮ついたものの一つや二つは――」

 

「ねぇっすよ、そんなの。もう……浮ついただの何だの言わないように、してるんすから」

 

 そこでカトリナは口を噤む。

 

 トーマの首から提げられているネックレスには、いつかの指輪が留められていた。

 

 彼女にとっては待っても仕方のない約束なのだ。

 

 自分とは違う、とカトリナが暗い気分に浸ろうとしたところで、不意打ち気味に背後から頬をつねられてしまう。

 

「ふへぇぅ! ひゃに……」

 

「カトリナちゃーん! つーかまえたーっ!」

 

 バーミットが自分の頬を引っ張り、ふにふにと指先で弄ぶ。

 

「ちょっ……バーミット先輩……っ! 戦闘待機なんじゃ……!」

 

「あー、それ? 何だか息が詰まるって言うんで、もうとっくの昔に自動航行モードに設定しちゃった」

 

 てへ、と舌を出すバーミット相手にカトリナはため息をつく。

 

「も、もう……っ。今が一番大変なんですから! 楽しちゃ駄目ですよっ!」

 

「はいはーい。まさか、カトリナちゃんに言われるようになっちゃうとはねぇ。先輩形無しって感じ」

 

「つーか、パイセン、いいんすか? いくら反旗を翻したって言っても、一応は軍属だったんでしょ。しがらみみたいなのは」

 

「ないわよ。ないない。第一、あんなカタブツばっかのところじゃ恋愛の一つも出来やしないんだから」

 

「さすがっす、パイセン。どこまで行ってもパイセンなのは尊敬っすよ」

 

「じゃなくって! バーミット先輩、トライアウトでもそんな調子だったんですか?」

 

 ツッコんだ自分に対し、バーミットとトーマが顔を見合わせて笑う。

 

 何だか嵌められたようでカトリナは声を上ずらせる。

 

「な、何ですか……笑い合って……」

 

「いやぁー、カトリナちゃん、やっぱいいところ変わっていないなぁ、ってね。思っちゃって。心配だったのよ? レジスタンスの過激思想に染まっちゃったカトリナちゃんなんて見るの、あたし、嫌だったんだからね?」

 

「まぁ、ほぼほぼそんな無理してる状態で三年間っすよ。なかなかのカタブツなのはカトリナ嬢のほうなんじゃないっすか?」

 

「ふっ……二人して身勝手な事言わないでくださいよぅ! 私はその……変わりようもなかったって言うか……根っこのところは同じって言うか……」

 

「でもね、正直それが一番かな。あたしはOL気取っていた頃にはもう戻れないし。何やかんやでトライアウトの大尉身分って言うのは窮屈でね。どれだけ統合機構軍からの派遣だって言ったって、軍属だもの。退屈なんてもんじゃなかったわ」

 

 その軍属の身分から、自分は無理やり連れ戻したのだと思うと、何だか一抹の罪悪感はある。

 

「……その、すいませんでした……」

 

「何で謝るの? カトリナちゃんが謝ったって済む話じゃないでしょう?」

 

「それでもその……私の目標のために、レミア艦長やバーミット先輩をその……一時的とは言え銃口を向けたようなもので……」

 

 ごにょごにょ言葉を濁していると、バーミットはふーん、と自分の頬を摘みながら首を傾げる。

 

「そういうもんかしらねぇ。だってあたしは、自分で自分の居場所くらいは確立するつもりだったし、OL業やろうが、軍人未満に成ろうが、それって結局、あたしの選択だもの。今さら誰かのせいにするような女々しさなんてないし、それこそ失礼でしょ。今まで居た場所にね」

 

「パイセン、イケメン過ぎっすか。バッチシ決まっていますよ」

 

「でしょー? なーんでなのかなぁ。それでも言い寄ってくる男の一人も居なかったのって。あ、けれどまぁ慕ってくれる子は居たか」

 

「ひょうでもひいでひゅけれどぉー……ほっぺたちゅまみゅのやめへくだひゃいー!」

 

「あ、ごめんごめん。ついうっかり。いやー、カトリナちゃんもちゃんとしなさいよ。もちもちほっぺなのはいいけれど、それも年齢には勝てないんだからね? いつかは化粧水やら何やら頼みになってくるんだから。トーマちゃんだって、機械油塗れになっているよりかは着飾ったほうがいいに決まっているんだし」

 

「……あーしに着飾りとか、無理っしょ。年中ツナギでいいんですよ」

 

「駄ぁー目。着飾って輝く子達がそう言う風に無理して着飾らないの、見てられないもの。原石は磨かなくっちゃ光らない! これ、常識よ?」

 

「も、もう……っ、バーミット先輩ってば。……でも、それもそうかも。この数か月間……まともに寝てもいないし」

 

 そこまで口にしたところでバーミットが頬を掴んでくる。

「駄目よ! カトリナちゃん! 女にとって寝不足は大敵! 美容を第一にしないと!」

 

「く、くるひいれひゅってば! ……もうっ! 美容だとか言っていられなくなったんですよぉ!」

 

「ふぅーん。その割には、クラードにお熱じゃないの」

 

 見透かしたような声音に、思わず声を詰まらせる。

 

「……な、な……っ」

 

「あ、やっぱそう見えるっすよねぇ。カトリナ嬢、否定したっすけれど」

 

「えー、どう見たってカトリナちゃん、クラードの事を目で追い過ぎだもん。なぁーにがいいのかしらねぇ、あのトーヘンボク。三年間でちょっとばかし自分の欲望に忠実になっただけじゃないの」

 

「欲望に忠実、ですか……」

 

「そうでしょ。《レヴォル》を取り戻したい、自分の叛逆にはあたしやレミア艦長が必要って。まぁ頼る事を覚えたのはいいんじゃないの? 前みたいに、ただ自分が前に進みたいのか後ろに進みたいのか分からないまま、猪突だけはするような人間じゃなくなったのは見どころあるけれど。でも、まぁ、あいつガキなのには変わんないからねー。カトリナちゃん、いくらライドマトリクサーだからって、狙うのはもうちょっと大人のほうがいいわよ?」

 

「だ、だからぁ……そんなんじゃないんですってば」

 

「例えばー、そうねぇ。ああ、あの子とか。幼馴染の。クラビア中尉」

 

 思わぬところで名前が出てカトリナは困惑していた。

 

「だ、ダイキ……? えっ、何でなんですか」

 

「何でって……ああ、そっか。トライアウトネメシスにまだ在籍しているって知らないんだ?」

 

「いや、その……連絡とかも取らないですし……」

 

「もったいないわねぇー。あの子、真面目腐っていたけれど、見どころはあったのよ? レミア艦長に付きっ切りだったけれどねー」

 

 何だか想定外のところでバーミットとレミアがダイキに関わっていると聞くのは複雑な心境であった。

 

「……ダイキは、何か言っていましたか」

 

「何にも。ちょっとくらいは、カトリナちゃんの事、思い出してもいいくらいなのに。仕事に忠実過ぎたのよ、彼もね。まぁ、今のクラードと比べたら男としちゃどっこいどっこいか」

 

「だから、私はクラードさんにそんなのはないんですってば」

 

「ホントにー? 怪しいわねぇ。だってカトリナちゃん、あいつの帰り、ずーっと待っていたんでしょ?」

 

「……そりゃあ、待っていましたけれど、でもまさか本当に、帰って来てくれるなんて……」

 

「乙女な反応するけれど、今のクラード、危ういわよ。三年前よりもね」

 

 その言葉の赴くところにあるのは間違いなく《ダーレッドガンダム》の存在だろう。

 

 自分でも怖いのだ。

 

 せっかく帰って来てくれたクラードがまた彼岸へと旅立ってしまいそうで。

 

「……クラードさんは約束を守ってくれました。だからきっと、今度も……」

 

「カトリナちゃん燻製のオムライスのために帰って来てくれるって? 希望は……まぁ持つのは自由、か」

 

「えっ……どこでオムライスの事……」

 

「あっ、それ言ってなかったんだっけ。もう、トーマちゃんってば」

 

「あーしのせいにしないでくださいよ。口軽いのはパイセンっしょ」

 

 こうして何だか女三人で笑い合えるのも、随分と久しぶりな気がしてくる。

 

 ずっと張り詰めっ放しだった神経がようやく解れた感覚に、カトリナは頬を緩めていた。

 

「……ようやく、まともに笑ったわね、カトリナちゃん」

 

「えっ……そう、ですかね」

 

「一応は敵だったし、もう一回馬鹿な事言い合えるなんて思いも寄らなかったわ。もしかしたら銃口を突きつけ合う事になるかもって思っていたくらいだし。それくらいの覚悟はあるのよ。これでも軍属モドキだったんだから」

 

 レミアとバーミットは一時的とは言え軍警察に居たのだ。

 

 それは恐らく埋め難い断絶に成りかねなかった。

 

 だが今は。ただ純粋に仲間として、こうして冗談も交わし合える。その関係性の変化に一番に驚いているのは自分であった。

 

「……私、これまで酷い事を……作戦指揮をしてきました」

 

「知ってる」

 

「中にはトライアウト基地への奇襲作戦だとかも……。バーミット先輩の仲間とかも、殺したかもしれない」

 

「でも、カトリナちゃんは一発だって撃ってないんでしょ。自分で銃弾を」

 

「……どうしてそれを……」

 

「あっ、これもトーマちゃんから」

 

「全部あーしのせいにしないでくださいよ、パイセンってば」

 

 トーマを指差したバーミットは、でもね、と言葉の穂を継ぐ。

 

「……ちょっと、嬉しかったかもね。だってカトリナちゃんが誰でも敵は撃つって言うスタンスだったら、もうちょっと距離を置いていたかもしれない。それはもう、あたしの知っていたカトリナちゃんじゃ、ないんじゃないかなって。まぁあたしの知っているカトリナちゃん自体、どこまでなんだって話なんだけれどね」

 

 バーミットもともすれば自分から距離を取られる事を怖がっていたのかもしれない。それくらい、三年間の月日は無情であったのだ。

 

 自分は――幾度となく仲間を死地に招いてきた。

 

 死ななくっていい命もあったはずだ。

 

「……でも、私は強いてきましたから。アルベルトさんやユキノさんには、どれほどの言い訳も出来ませんよ……」

 

「それはあなたも一端に、責任ってものを背負えるようになった証でしょ。あたしは、責任で押し潰されちゃったカトリナちゃんなんて見たくなかったけれど、よかったのはそれも。クラードがあなたにとって掛け替えのない人間だったのが、いい方向に転がったのかもね。……まぁ、それでもあいつは相変わらず、口さがだけが取り柄のクソガキだけれどねー」

 

 バーミットが冗談めかして微笑んだのを、笑い返そうとして激震が見舞っていた。

 

 浮かび上がった自分とバーミットを、トーマが支える。

 

「この振動は……! 戦闘配置っす、お二人とも!」

 

 習い性の身体を跳ねさせてトーマは自分達を降ろしてから、サルトルへと取り付く。

 

「攻撃……っすよね?」

 

「ああ、そうみたいだ。奴さん、思ったよか早いな……。艦長! 敵のシグナルは?」

 

『こちらでも捉えているわ。敵信号は前回と同じく新鋭艦、モルガンと……護衛艦が三隻。補給のつもりなのかもしれないけれど、艦隊を組んでいるみたいね。簡単には通してくれそうにもない。伝令! これよりオフィーリアは戦闘配置に入ります。各員、対MS戦闘用意!』

 

「戦闘配置……モルガンって事は、ピアーナさん……」

 

 前回に得た情報を擦り合わせたカトリナはしかし、とぎゅっと拳を握り締める。

 

 今は、かつての仲間であっても戦い合うしかない。そうでしか、取り戻せないものもある。

 

 トーマが数名の整備班と共に運んできたのは大仰なパイロットスーツであった。

 

 黒と赤のカラーリングが施されたそれは、角張った羽織りのようなパイロットスーツである。それにクラードは袖を通して怪訝そうにしていた。

 

「……これ、重いよ。こんなので戦えって?」

 

「調整した限りじゃ、《ダーレッドガンダム》に接続される際のRMへの痛みは通常の比じゃない。これで少しはマシになるはずだ」

 

 サルトルが《ダーレッドガンダム》のコックピット脇から伸ばしたコードで調整し、端末を最適化する。

 

《ダーレッドガンダム》の計器に視線を落とすクラードへと、カトリナはバーミットに手を引かれながら呼びかけていた。

 

「あの……っ、クラードさん……っ!」

 

「何。言っておくけれど、喋っている余裕はない」

 

「じゃなくって……っ! ……帰って来てくださいよ」

 

 その言葉にクラードは一度だけ振り仰ぎ、ハンドサインを返してからバイザーを下げる。

 

「カトリナちゃん! 今は管制室に! 戦闘待機だって言うんなら、それが一番いいはずよ」

 

 バーミットの急いた声を聞きつつ、カトリナは胸元より浮かび上がった金色の鍵を握り締めていた。

 

「……お願いだから、無事に……」

 

 



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第134話「混迷の戦域で」

 

『敵艦の足は速いわ、クラード。ともすれば、ブリギットをどうこうするのに最適かもしれない』

 

 レミアの言葉を聞き留めつつ、クラードは慣れていない制御系を視認して、バイザーに浮かび上がるアクティブウィンドウを処理していた。

 

「ブリギットはどうせ頭打ちになる。……盾にでもするか」

 

『それも一考のうちだがな、クラード。《ダーレッドガンダム》の性能は未知数なんだ。下手打って敵に捕らわれるなんてのだけはやめてくれよ』

 

「分かっている。サルトル、調整重いよ。こいつのシステムの問題か?」

 

『こっちを拒むように出来てるんだよ、ったく。アイリウム認証に入ってくれ』

 

『登録済み専任ユーザーを認証。エージェント、クラードへ。コミュニケートサーキットを構築します。“どうした? クラード。重石のような姿だが”』

 

「お前を乗りこなすために必要なんだ。荷物は多く持たない主義なんだがな」

 

『“そうか。それは災難だな”』

 

 どうしてなのだろうか。

 

 その言葉振りも。口数も。

 

 どれもこれも、記憶の中のレヴォルの意志、そのもので――。

 

「……憶えていないのは嘘じゃないのか」

 

『“残念ながらレコードに入っているのは前にお前が乗ってからのみだ。それ以前は何一つ存在しない”』

 

「……存在しない場所から生まれ出でたにしては、少しばかり冗長が過ぎる。戦闘時には控えてくれ」

 

『“了解した。どうせコミュニケートモードはあと数秒で切断される。今のうちに言っておくとすれば、エージェント、クラード。お前にこの《ダーレッドガンダム》を乗りこなせるかどうかは、完全に未知の領域だ。よって専任アイリウムと言っても保証は出来かねる”』

 

「何それ。殺しかねないとでも?」

 

『“否定はしない”』

 

「……そこは、否定してもらわないと、困るんだけれどさ」

 

『“いずれにせよ、優位性を見出せ。そうでなければ《ダーレッドガンダム》はお前を喰い殺すであろう。その時に、適切な処置を乞う”』

 

「お前相手に命乞いなんてしないよ。俺は……もう前だけを向いて戦うだけだ」

 

『“いい傾向だ。戦う時に後ろを向いていては当たる弾も当たらない”』

 

「……何だよ、それ。誰の言葉」

 

『“引用不明”、コミュニケートモード終了。これより、戦闘態勢へと移行します』

 

「……何で下手に雄弁なんだよ。レヴォルの意志って言うのはさ」

 

 惑わせるつもりでこのシステムは内蔵されたのか。

 

 あるいは、自分を試すのか。

 

 いずれにしたところで、最早振り返るような余地もなし。

 

「RM神経接続……開始」

 

 両腕が拡張し、アダプターに接続されるのと、拷問椅子めいた変形を遂げたリニアシートへと肉体が押し込まれ、肋骨と両肩、そして背筋に接続口が突き刺さったのは同時であった。

 

 脳髄に突き立つ電磁の刃の疼き。それはより雄弁に、《ダーレッドガンダム》の存在を主張する。

 

「俺は……お前に喰われるために乗っているんじゃ……ない……!」

 

 否定で意識の消失点へと取り込まれる感覚を振り払い、赤い接続パターンが青色に変位するのを目にしていた。

 

『《ダーレッドガンダム》。カタパルトデッキに固定。リニアボルテージを80まで上昇。発進タイミングを、エージェント、クラードに譲渡します。……頼むわよ、クラード。慣れない機体だからって浮つかないでよね』

 

 バーミットのアナウンスを聞きつつ、クラードはバイザー前面に浮かぶ無数のウィンドウを消していく。

 

「そんなつもりもない。俺は敵を撃つだけだ。他に何の価値がある」

 

『はぁー……これだからあんたってのは。そういうところが……まぁいいわ。説教垂れるのは生き残ってからだかんね、トーヘンボク』

 

「……何で俺が。まぁ、どうだっていい。――《ダーレッドガンダム》、エージェント、クラード。迎撃宙域に先行する!」

 

 その言葉と共に射出された《ダーレッドガンダム》のコックピットへ胃の腑を押し上げるGを感じながら、クラードはアクティブになったモニター類より敵艦を見据えていた。

 

「……新型機動戦艦、モルガン。ピアーナの艦艇か。まさかこんなにも早く、再戦になるなんてな」

 

『クラード! モルガンから出てくる連中はオレらに任せてくれ! 《マギアハーモニクス》も整備は順調だ! これで少しは押し出せる!』

 

 後続したアルベルト達のRM第三小隊が宙域を駆け抜け、照準を敵宙域へと据える。

 

 このまま押し出せるか、と感じた直後、艦艇に備え付けられていた巨躯をクラードは最大望遠に映し出していた。

 

「……何だあれは……。モビルアーマーか?」

 

《レグルス》が牽引するのは甲殻類を思わせる巨体であった。

 

 MS四機分はあるであろう大きさと菱形で面構成された姿を見やるなり、アルベルトが通信に声を弾けさせる。

 

『あれは……MAだって言うんなら、その火力を削ぐ! RM第三小隊! 敵MAへと攻撃を集中! 絶対に仕掛けがあるはずだ、そいつを解かなくっちゃ勝てねぇぞ!』

 

 応、と声が集中する中でクラードは違和感を覚えていた。

 

 異様な重さを誇る機体は、推進器さえもまともに付けられていない。

 

「あの機体は……前線を押し出すための機体じゃ……ない? だがだとすればMAの有用性とは……」

 

《レグルス》に引っ張られる形の巨大MAの機体照合結果がオフィーリアよりもたらされる。

 

「……MA《サイフォス》……バーミット、データは?」

 

『それが見当たらないのよ。最新鋭機であるのだけは確かなんだけれど』

 

「……迂闊が過ぎるか。それとも先制攻撃が正解か……」

 

 だが迷っている間に戦局は移り変わっていく。

 

『ミラーヘッドオーダーを受諾! 一気に決める! ミラーヘッドを展開し、敵の両脇を固めるぞ!』

 

 アルベルト達はそれを理解しているからこそ、牽制銃撃を見舞おうとするのだが、その時には《サイフォス》の装甲が全て――裏返っていた。

 

 機体が反射したのはミラーヘッドの蒼である。

 

「何が起こって……」

 

 直後、アルベルト達の展開していたミラーヘッドが霧散する。

 

 何が起こったのか、当事者達もまるで理解出来ない。

 

『ミラーヘッドが……消失した? ミラーヘッドエラーか?』

 

『いいえ、違う……。エラーは参照されていない……小隊長、これはミラーヘッドが……無効化された?』

 

 ユキノの疑問を聞きながらクラードは《サイフォス》の照り輝かせる蒼の色相の向こう側より、喪服の集団が段階加速を行い、戦局へと切り込んでくるのを目にしていた。

 

「……《ネクロレヴォル》のミラーヘッドは有効だと……。だとすれば、オーダーの無力化じゃない。特定の指向性のオーダーだけを、相殺させた?」

 

『まさか! そんな事出来る奴なんてこれまで居やしなかっただろ!』

 

 アルベルト達は前に出過ぎた隊列を組み直そうとして、《ネクロレヴォル》の加速度に肉薄されていた。

 

 ミラーヘッドで分身体を生み出した敵影が一方的な銃撃をするのを、アルベルト達の小隊は成す術もなく後退し、中には撃墜の憂き目に遭う者も居る。

 

『下がれ! オレ達は前に出過ぎている! 一旦体勢を立て直さないと、形勢は――』

 

 そこで《マギアハーモニクス》の頭上へと《ネクロレヴォル》が唐竹割りを浴びせて来ていた。

 

 反応して抜刀した《マギアハーモニクス》が咄嗟に逆手に握り締めたビームサーベルの干渉波を押し広げさせるも、膂力の差は圧倒的だ。

 

『くそっ……! ここまで迫られちゃ、《マギアハーモニクス》のパワー負けって言いたいのかよ……ッ!』

 

『小隊長! 援護射撃を――!』

 

『馬鹿! 前に来るんじゃねぇ!』

 

 アルベルトの声が響き渡る前に、一機の《マギア》が瞬く間に《ネクロレヴォル》に挟撃され、光条に交差されてアステロイドジェネレーターを射抜かれていく。

 

 爆発の光輪が押し広がる中で、アルベルトは敵の刃を翻し、ビームジャベリンを刺突させようとして、距離を取られていた。

 

 その後方より《レグルス》部隊がミラーヘッドを稼働させ、次々に分身体を生み出して応戦の火線を張る。

 

 一気に劣勢に追い込まれた戦場で、アルベルトが奥歯を噛み締めたようであった。

 

『……ミラーヘッドがどうしてなんだか、オレらだけが使えねぇ……』

 

「……《ネクロレヴォル》ならばまだ分かる。だが《レグルス》も使えるのか……? 一体何が……あのMA……」

 

 今も凶悪な蒼の光を円環を描いて拡散する《サイフォス》には小隊規模の《レグルス》が付いており、攻勢には移らせてくれない。

 

『……距離が……! このままじゃ、やられちまうぞ! 何なんだ、あのMAは!』

 

 



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第135話「摂理を壊す獣よ」

 

「――MA《サイフォス》。クロックワークス社先導で建造された、人類史上初の、ミラーヘッドジャマーを搭載したMA。クロックワークス社へと送信されるミラーヘッドオーダーの信号を察知し、敵勢のオーダーのみを無効化する、この第四種殲滅戦においての切り札と成り得る機体」

 

 そう言葉を継いだピアーナに、メイアは視線を振り向けていた。

 

「クロックワークス社とも渡りを付けているなんて思わなかったけれど」

 

「統合機構軍が最終的な勝利者となるために、技術の粋は惜しまないのが我々のスタンスです。たとえ貴女方がかつて第十七号量子コンピュータを強奪した過去があろうとも、クロックワークス社はダレトの恩恵を受け続けるための条件として、MAの開発に着手した」

 

「それ、外交的手段、って奴? いずれにしたって、あのMAの光……気に入らない奴だね。モルガンの真下に置いているのも撃墜されないためでしょ」

 

「相手からしてみれば、ジャマーの中心点に居る《サイフォス》はすぐにでも迎撃したいはずですが、そのためには《レグルス》編隊のミラーヘッドと、そして《ネクロレヴォル》、《サイフォス》にも《レグルス》小隊規模を付けています。これを突破する事など出来るはずがない」

 

「完璧な布陣、って言いたいわけ。でも、嘗めないほうがいいんじゃない? 相手だってここまでの激戦潜り抜けてきたんだし」

 

「モルガンの艦砲射撃もあります。敵勢がこの陣形を突破するためには、最低でも《ネクロレヴォル》を一機でも撃墜するほどでなければいけない。それほどの戦力が拡充されるような時間を置いていないため、敵は遠くから銃撃するしかないのでしょう。しかし、《サイフォス》の装甲は最新鋭のものを使っています。遠距離の豆鉄砲では、決して射抜けない」

 

「嫌だなぁ、こういうの。何だかセコくない? ちくちくとしてさ」

 

「勝てればいいのです。我が方の勝利が揺るがないのならば、それまでの経緯は関係がない」

 

 メイアは《サイフォス》の守りに付いている《レグルス》小隊をカメラの一角に見やる。

 

《サイフォス》の発生させるミラーヘッドジャマーは完全に相手のオーダーを捉えている。この状況から逆転の目を見出すのは不可能であろう。

 

「あるとすれば……クロックワークス社にオーダーを通さない機体」

 

「既に調べは尽くしてあります。エンデュランス・フラクタルの機体はパブリックのオーダーを受諾し、そして攻勢に移っている。今からクロックワークス社に別の令状の信号を出そうにも、こちらの前線は既に相手との会敵距離に入っている。《ネクロレヴォル》と《レグルス》を引き剥がすのには最早詰みの領域。もっと早くに、距離を取るべきでしたね、カトリナ様……。ここで貴女との因縁も終わり……ある意味、長かったと言えましょう」

 

 ピアーナが何かにこだわっているのは先の戦闘からも窺える。それを完全に振り払えていないのも。

 

 だからこそ、自分のような門外漢を管制室に呼んでいるのだろう。

 

「……想定外は、でも起こるもの。――来るのか、《ダーレッドガンダム》」

 

 その言葉を紡いだ瞬間、《ダーレッドガンダム》へと仕掛けていた《ネクロレヴォル》が機体の半分を吹き飛ばされたのを目の当たりにしていた。

 

 ピアーナは僅かに遅れて問い返す。

 

「何事……!」

 

『リクレンツィア艦長。敵のアンノウン機である《ダーレッドガンダム》の……これは、砲撃……?』

 

《ネクロレヴォル》の機体が流れる。

 

 その半身を打ち砕いたのは凶悪な鉤爪を誇る特殊兵装であった。

 

 紫色の磁場がのたうち、灼熱の重力が空間を歪ませている。

 

「……まさか、超重力兵装……? 《シクススプロキオン》のそれだと言うのですか……!」

 

 だがあまりにも小型化されている。

 

 その違和感にピアーナは驚嘆を浮かべつつ、騎屍兵へと声を振っていた。

 

「《ネクロレヴォル》隊、不明機を抑えなさい! ミラーヘッドの加速度で、一気に包囲陣を――」

 

 その言葉が消える前に、《ダーレッドガンダム》は蒼い残像を引いていた。

 

 段階加速を経て、機体が《ネクロレヴォル》の射程を潜り抜け、真っ直ぐにモルガンへと直進してくる。

 

「《サイフォス》のオーダー無効化は! どうなっているのです!」

 

『さ、《サイフォス》は現状、問題なく稼働中! ですが、これは……《サイフォス》のオーダージャマーをさらに無力化するだけの……機体だとしか……!』

 

《サイフォス》に乗り込んだパイロット達からの伝令に、ピアーナはその瞳を見開いていた。

 

「……レヴォル・インターセプト・リーディング。あれにも搭載されているとでも言うのですか……!」

 

「だから言ったじゃんか。嘗めないほうがいいって」

 

 こちらの意見にピアーナは《ダーレッドガンダム》を睨み、手を払っていた。

 

「艦砲射撃、弾幕を切らさないように致しなさい。如何に高性能とは言え、艦の下腹部に回り込むほどの胆力があるとは思えません」

 

「それは過小評価って奴じゃない?」

 

《ダーレッドガンダム》への火線が舞う中で、段階加速をわざと切ってから銃撃の中心地へと機体が舞い上がる。

 

「そこは射程の中心です! 確実に――獲った!」

 

 だがその勝利宣言は、《ダーレッドガンダム》の右腕に装着された特殊兵装が煌めきを上げた事で霧散する。

 

 掌に装填された漆黒の重圧が放射され、四方八方より迫った照準に対し、皮膜の役割を果たしたのだ。

 

 一瞬だけ、全ての火線が消失する。

 

 その機を逃さず、《ダーレッドガンダム》はモルガンの下腹部へと加速をかけて来ていた。

 

「……こんな無茶苦茶な戦法……! やはり貴方だと言うのですか、エージェント、クラード……っ!」

 

 ハッとした様子のピアーナに、まさか、とメイアも目を戦慄かせる。

 

「彼なら……きっとボクらを殺す……」

 

「そう考えなければ、これほどの使い手など居ません……。《サイフォス》護衛の《レグルス》へ! 敵不明機を全力で抑えなさい。どのような手を使っても構いません。モルガンの下部を押さえられれば、轟沈もあり得ます!」

 

『り、了解……!』

 

 しかし、おっとり刀の《レグルス》小隊が《ダーレッドガンダム》相手に出来た事など、応戦の照準を見舞おうとして、機体を無駄に扱った事くらいだろう。

 

 火線が舞う前に、敵機の放った拡散重力磁場が《レグルス》の装甲を引き剥がし、内蔵フレームを軋ませた機体が次々とその鉤爪を前に撃墜されていく。

 

「ミラーヘッドを! こちらは使えるのですよ!」

 

 そのような気が回るような余裕などあるものか。

 

 不明機の放つプレッシャー相手に、賢しい頭を持つだけの兵士などそうそう居まい。

 

 メイアは死の足音を伴わせて、最後の《レグルス》の頭部を引き裂いた悪魔の機体を見据えていた。

 

「……あれが……七番目の使者、《ダーレッドガンダム》……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――レヴォル・インターセプト・リーディング発動中。全てのミラーヘッド権限を専任ユーザーに委譲します。エージェント、クラードへ。ミラーヘッド段階加速を開始』

 

「もうやってるよ。これだから、レヴォルの意志ってのは始末に負えない」

 

 だが、そのお陰で助かっていた。

 

 レヴォルの意志を搭載しているのならば、そのデッドコピーであろうとも《サイフォス》の呪縛を潜り抜けられるはずだ。

 

 そう確信してのミラーヘッド。

 

 確実に敵勢の隙を突けた。

 

 僥倖であったのは、《ダーレッドガンダム》の有する右腕の特殊武装たる、ベテルギウスアームの性能であろう。

 

「……《シクススプロキオン》と同性能の……ダウンサイジング化を果たした、重力磁場放出装置……」

 

《シクススプロキオン》の性能は三年前の月軌道決戦時に一番近い場所で目の当たりにした。

 

 よってその性能を自分が発揮するとすれば、どのように、如何にして、というシミュレートは既に構築済みだ。

 

《ダーレッドガンダム》へと集約された艦砲射撃を一瞬にして無効化、その後に《サイフォス》へと肉薄――そのシナリオはミラーヘッドが使える時点で可能であった。

 

 蒼く照り輝く《サイフォス》が巨大なるクロー装備を両側からこちらへと向けて来るが、鉤爪のパワーゲインはこちらのほうが上である。

 

 クローと真正面から引き付け合い、相手の爪を鉤爪で引き裂いていく。

 

 スパーク光が散る中で、《サイフォス》の頭部へと見舞ったのは腰部にマウントされていた短刀であった。

 

 漆黒の短刀を逆手に握り締め、《ダーレッドガンダム》の機動性をもって、相手のコックピットへと突き立てる。

 

 そのまま機体をロールさせての切断。

 

 加えて鉤爪で圧死させる。

 

 掌に装填された高重力磁場で《サイフォス》の性能を完全に殺し、相手が蒼い輝きを発せられなくなってから、クラードは通信に吹き込んでいた。

 

「アルベルト。敵MAを無効化した。ミラーヘッドは使えるはずだ」

 

『お前は……? クラード、お前はどうするって言うんだ……?』

 

「俺は……ここまで肉薄したんだ。――敵艦を撃破する」

 

《ダーレッドガンダム》が右腕の武装から蒸気を噴出させ、鉤爪を収納させる。

 

 敵艦はさすがに新鋭艦と言うべきか、下部を取ったからと言ってすぐさま撃沈させてくれるほど生易しくもない。

 

 タレットの自動照準が狙い澄ます中で、クラードは短剣を翻し、背面に格納されていた武装へと直結させていた。

 

 可変していたのは黒い大剣である。

 

 湾曲した刃を持つ大剣を両腕で保持し、ミラーヘッドの段階加速で火線を潜り抜けていた。

 

 直上へと躍り出て管制室を見据える。

 

「《ダーレッドガンダム》、このままブリッジを切断する……!」

 

 大振りだが、敵はこちらの戦力を舐め切っている。

 

 今ならば獲れる――そう判断した神経はしかし、直前の熱源警告のアラートに打ち消されていた。

 

 振りかぶる前に、その反応を察知出来たのは幸運と言うしかないだろう。

 

 それほどの加速度を誇って機体へとぶつかってきた敵影は漆黒の機体である。

 

 黄金に輝く眼窩に、王冠を想起させる頭部形状。

 

 加えて《ダーレッドガンダム》を押し返すだけの推力を誇る機体の猪突に、クラードは瞬時に刃を払うが、その時には相手は直上に逃れている。

 

 払った先の刃の切っ先へと、相手は降り立つなり、ビームサーベルの刃を突きつけていた。

 

「……こいつ……手練れか……!」

 

 剣閃を薙ぎ払い、相手の攻勢を削ごうとしたが、その殺気を増幅させるかのように、敵機は舞い上がりこちらの剣筋を読み切ってビームサーベルの刃をわざと消失させ、カツン、と背筋に突き立ててみせる。

 

「……この……今のでやられていたと……!」

 

 大剣の中間部に位置する柄を握り締め、短刀と大剣を分割させて二刀流とする。

 

 慣れない挙動ではあるが、相手に隙を見せるよりかはマシなはず――そう判じた神経で太刀を振るい、敵のビームサーベルと干渉波のスパークを押し広げる。

 

「……ベテルギウスアームを撃つだけの時間は与えないと言いたいのか」

 

 高重力磁場の攻撃は強大だが隙が大きい。

 

 使い慣れていない兵装を用いれば、必然、敵に優位を与える結果になってしまう。

 

 刃を軋らせ、跳ね上がった太刀で応戦。そのままミラーヘッドを展開して敵勢の圧倒――そこまで思考しての太刀筋がことごとく先読みされ、次手の剣筋を払う前に、相手が懐に潜り込み、両腕を交差させて機体の頭部を激震させる。

 

 コックピットが頭部にある事を知っての攻勢としか思えない挙動に、クラードは奥歯を噛み締める。

 

「……こいつ、遊んでいるのか……」

 

『あまりに大振りだな。それでは……この私は墜とせんよ』

 

 一瞬だけ繋がった接触回線に滲んだ余裕に、相手のパイロットの技量が浮かぶ。

 

「……嘗めて……ミラーヘッド、展開!」

 

 ミラーヘッドの順次展開でこのまま手数を圧倒する。そう断じた神経に対し、漆黒の機体の識別信号は機体名称を紡ぎ出していた。

 

 機体名、《高機動型レグルス》、と。

 

 蒼い分身体を生み出し、両翼に広げた分身体による挟撃姿勢に移ろうとして、相手は加速度を上げて肉薄していた。

 

「絶対防衛圏のミラーヘッドの距離に迫る……!」

 

 両断の太刀を払い、《高機動型レグルス》の胴体部を断ち割ろうとしたが、その瞬間には《高機動型レグルス》は曲芸師がそうするように機体を縦軸で回転させ、刃を振り払う。

 

 発振したビーム刃がこちらと干渉したのも一瞬、直上を取った《高機動型レグルス》よりノータイムでの射撃が見舞われる。

 

 仰ぎ見た《高機動型レグルス》の脚部に格納されていたビームタレットが照準され、クラードは《ダーレッドガンダム》に後退の選択肢を取らせていた。

 

「……ミラーヘッドも使わずにこちらを圧倒するか……!」

 

 ベテルギウスアームを使用すれば、少しは引き剥がせるかもしれない、と感じたその時には、降下してきた敵機が両腕に保持した刃を払う。

 

 粒子束を纏わせて、《ダーレッドガンダム》に必殺の応戦を伴わせるような時間を見出させない。

 

「……何者だ……このパイロット……!」

 

 



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第136話「踊り手は一人」

 

「あえて、名乗ろうか。王族親衛隊ヴィクトゥス・レイジ! 特務大尉である!」

 

 もっとも、接触回線以外では通信網が開いてはいないが、それでも血潮が沸騰しているのを感じ取る。

 

 この時を待ちわびた神経が、一秒でも長い交錯を望んでいたが、相手はそうでもないらしい。

 

「小太刀と大太刀の併用……。まだ慣れていないと見た! 加えてその右側の兵装は少しばかり重いようでもある……! 君が美しく輝くのには、やはりまだ足りぬ! しかして! それで加減をするような酔狂でもなし!」

 

 ヴィクトゥスは《高機動型レグルス》の両腕に保持させたビームサーベルで《ダーレッドガンダム》の有する二刀流を凌駕してみせる。

 

「付け焼刃の二刀流など! それはみっともないと言うのだ、クラード君!」

 

 蹴り上げて小太刀をその手から引き剥がす。

 

 直後には大太刀が迫っているのは自明の理。

 

 だが、そのあまりに大振りな得物では《高機動型レグルス》の加速性能を捉えられない。

 

 半身になってかわしざまにビームサーベルを下段より振り上げる。

 

「装甲の一枚くらいは両断したつもりだったが……浅かったな」

 

《ダーレッドガンダム》は健在――否、さらに慎重になっていた。

 

「だがそれくらいでなければ……死合う意義もなし! さぁ、踊って貰うぞ、クラード君。私も一張羅を身に纏ったのだ! ダンスの一曲くらいは付き合っていただこうか!」

 

 刃を閃かせ、《ダーレッドガンダム》の至近まで迫るが、相手の応戦の太刀が大上段に振るわれる。

 

「隙だらけだぞ! そんなもので!」

 

 かわし切った先に居たのはしかし、生み出された分身体である。

 

 回避する事を先読みしての分身体の刺突攻撃に対し、《高機動型レグルス》の片腕を翳す事で一撃を受け切る。

 

「肉を切らせて――骨を断つ! 君とて戦の心得を、分かっていないわけではあるまい!」

 

 分身体を両断し、すぐさま本体に飛び移ろうとして、援護の火線が直上より迫っているのを関知していた。

 

 咄嗟に《高機動型レグルス》を引き剥がさせ、火砲を逃れる。

 

『クラード! そいつ、ヤバいのは見れば分かる! 一旦、《ダーレッドガンダム》は下がれ! このままじゃ飲まれちまうぞ!』

 

「……アルベルト君か。エージェントとして成熟した君とも死合ってみたいのもあるが、艦長よりもたらされた命令外だな。何よりも。虎の子のMAが潰されたのでは作戦も形無しと言うもの。騎屍兵部隊は何をしているのか」

 

《ネクロレヴォル》を押さえているのはオフィーリアよりもたらされた援軍であった。

 

「《マギア》でよくやる……。それもこれも、彼の戦勘と言うものが冴えているのだろう。……楽しみがまた増えた、と言うべきか。いずれにしたところで、ここは艦の守りに付かせてもらおうか。私とて、門外漢を気取れるほど、世捨て人でもないのでね」

 

《高機動型レグルス》の脚部と腰に格納されているビームタレットを照射しつつ、《マギアハーモニクス》と《ダーレッドガンダム》より距離を取っていく。

 

 ヴィクトゥスは後退していく《ダーレッドガンダム》の右側に保持されている特殊兵装を目の当たりにしていた。

 

「……あれだけで《サイフォス》のミラーヘッドジャマーを突破するとは。やはり君は私の見込んだ通り……いいや、それ以上の美しい獣であったのだろう。次に刃を交わす時を待ち望むとしようか。それまで、迂闊には死ねぬな」

 

 ヴィクトゥスはモルガンの甲板に降り立ち、管制室への直通回線を繋ぐ。

 

「大丈夫か。フロイライン」

 

『……それ、やめていただけますか? 部下に示しがつきませんので』

 

「それはすまない事をした。だが、君はあの日よりずっと、私にとってはフロイラインでしかないのでね。今も守るべきと規定した相手だ。……戦局が悪い。日取りを改めるべきだろう」

 

『確かに。まさか《サイフォス》を破壊するとは思いも寄りませんでした』

 

「あのガンダム……まだ先がある。迂闊に踏み込まぬ事だ。死に囚われるぞ」

 

『言われるまでもありません。これより、モルガンは後退しつつ、MS隊には撤退を進言。彼らの損耗率を無駄に出来ませんから』

 

「それで構わないだろう。……それにしたところで、私としても無傷とはいかなかったのは、未熟の証と言うべきか」

 

《高機動型レグルス》の片腕をパージさせる。

 

 瞬間、大太刀を受け止めた腕は誘爆の光に包まれていた。

 

「追いつけないと君は言うかもしれないが、この距離は以前ほど離れてはいないとも。私もタキシードに汚れをつけたまま踊るのは少しばかり気が引ける。今度こそ、互いに新品のドレスで踊ろうじゃないか」

 

『……ヴィクトゥス・レイジ特務大尉。騎屍兵団を撤退させます。相手の攻勢部隊への反撃は任せますので』

 

「ああ、構わないとも。それくらいは請け負おう。だが、《ダーレッドガンダム》と言ったか。その性能、見出される時を楽しみにしておくよ、クラード君。君がこの戦場に舞い戻ってくるまで、私は退屈せずに済みそうだ」

 

 光輪が踊り狂う宇宙のダンスホールを、ヴィクトゥスは睨んでいた。

 

 



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第137話「それぞれの役目」

 

『下がって、下がって! ……敵陣は……退いていくっすね』

 

 トーマの声が弾ける格納デッキでカトリナはノーマルスーツを着込んで帰還する機体を見据えていた。

 

『我が方の損耗率を伝えろ! 少しでも数に抜けがあると違ってくるぞ!』

 

 サルトルの怒声を聞きつつ、カトリナは接触回線を開く。

 

「《ダーレッドガンダム》は? どうなりました?」

 

『……見た限りじゃ、想定以上だな。これはある程度予測出来たとは言え、まさかレヴォルの意志のデッドコピーでも、ミラーヘッドの……ジャミングみたいなのを仕出かしたMAを出し抜くとは……』

 

 絶句している様子のサルトルのデータ端末を覗き見る。

 

 そこにはミラーヘッド無効化の網が張られていたにもかかわらず、敵にも味方にもレコードされないミラーヘッドを行使したという実体だけは存在する。

 

「……まさか、《レヴォル》と同じなんて」

 

『正しくは、《ネクロレヴォル》と同じかもしれんな。エンデュランス・フラクタル上層部とマグナマトリクス社の造り上げた最新鋭機だって言うんだ。《ネクロレヴォル》隊のデータは受諾しているはずだから、それを基にして構築したんだろう』

 

 アルベルトの《マギアハーモニクス》が帰投し、それに続いて《ダーレッドガンダム》がゆっくりと格納デッキに収まっていく。

 

『マニュアルはないんだ! 丁重に運べ! ……それにあの右腕の武装も気にかかる。クラードはあれをブラックホール砲として用いる事に決めたらしいが、それだけじゃなさそうなんだよな……。ただの高重力砲撃用装備にしては、用途不明な部分が多過ぎる』

 

 黒塗りで潰された文字を目で追う中で、カトリナはその武装名をそらんじていた。

 

「……ベテルギウスアーム……。あれは、ただの強いだけの兵器じゃないって、そう思うべきですよね……」

 

『そうだと思わんとやっていけんよ……ったく。意味の分からん武装を取り扱うんだ。三年前の《レヴォル》よりもこっちは慎重になっていくってもんだ』

 

『《ダーレッドガンダム》は三番ハンガーに! 《マギア》は損耗している機体から修復に回すっすよ!』

 

 声を張るトーマに、サルトルは頭を振る。

 

『……あいつも一端のメカニックになっちまって。それをさせちまったのはおれの責任でもある』

 

「いえ、それは……私の責任なんです。トーマさんに、傷を癒させるような時間も与えなかった……」

 

 表情を翳らせた自分に、サルトルはぽんと頭に手を置く。

 

『気負うなよ、カトリナ女史。あんた……リーダーなんだろう? なら、リーダーってのはもっとどっしり構えておくもんだ。感情的になっちまうと、統率なんて簡単に乱れちまう。艦長は確かにフロイト艦長の職務だが、委任担当官であるあんたにはあんたにしか出来ん戦いがある。それはおれ達じゃ肩代わりは出来んからな。そればっかりは自分で決めろよ。戦う理由の一つや二つってのは』

 

「……戦う、理由、ですか……」

 

『クラードは帰って来た。フロイト艦長もそうだ。だが、全部が全部、万事うまく収まるって事もない。そんな事があれば、それこそ奇跡ってもんだ。おれは委任担当官として三年間、ベアトリーチェを引っ張ってきたお前さんを信用している。それは前に立って、誰よりも傷ついてきたからこそ、その背中に信を置くってもんだ。……だがクラードはそんなあんたを支えるだけの……それだけの男になって帰って来た。なら、戦いの中で意味を見出す事だ。委任担当官にしか出来ない戦場ってのも、この世にはあるはずだからな』

 

 サルトルはその通話を潮にして接触回線を切ってオープン回線に切り替えていた。

 

『《ダーレッドガンダム》を格納したら、今度はミラーヘッドジェルの残量に気を付けろ! そいつは初めてのミラーヘッドだ! 何が起こるか分からんからな!』

 

 整備班が応じる中で、カトリナは自分の掌に視線を落とす。

 

 守るべきは、もうベアトリーチェクルーだけではない。

 

 クラードとのかつての約束も、守るに値するもののはずだ。

 

「……でも私、賢しいですよね……。クラードさんとレミア艦長が帰って来れば、もう自分なんてお役御免になったほうがいいって、どっかで思っちゃってるんですから」

 

 アルベルトが《マギアハーモニクス》のコックピットから離れ、整備班に指示を飛ばしてこちらへと漂ってくる。

 

 その手を取ってカトリナは回線を繋いでいた。

 

「あの……っ、アルベルトさん……!」

 

『何すか? 撃墜されたのは……くそっ! オレが居ながら何てざまだ……! 墜とされた奴に言い訳も付かねぇよ……!』

 

「いえ、アルベルトさんはよくやったと思います。……だって、ミラーヘッドオーダーをジャミングする敵なんて想定も出来ませんから……」

 

 こちらの言葉尻が下がっていたのを感じ取ったのか、アルベルトが問いかける。

 

『……何かあったんすか』

 

「い、いえっ……何も……っ」

 

『嘘、下手なんすから、今さら取り繕わないでくださいよ。オレらからしてみても、長い付き合いっす。ミラーヘッド無効化なんて言う敵が出てくるのも第四種殲滅戦がここまで成り立った上なら想定内……それに、相手はあのピアーナの艦だって言うんでしょう。なら、どんな手を打って来たって不思議じゃねぇ。あいつは……オレらの事、分かってやっているんでしょうからね』

 

「……その、ピアーナさんと、一度でもいいから話し合いは……出来ないですよね。私ってば、また易い方向に流れようとしている……」

 

『いや、それくらい生ぬるい理想論語っていたほうが、あんたらしいっすよ。この三年間、ずっと切り詰めっ放しだったんですから。……クラードも帰って来たんです。少しは、あんたらしく……もう少し柔らかく笑えばいいんじゃないですか?』

 

「私らしく……でも私らしくって言ったって……もう、背負い過ぎてしまったから……」

 

『それはみんな同じっすよ。ユキノも、トーマも、他の連中だって同じってワケにはいきません。でも、それでも前にってのが連中のスタンスだって言うんなら、オレらはそれを尊重しないといけない。そうじゃないと、お互いにお互いのスタンスでぶつかり合って、こんな狭い艦内じゃすぐに窒息しちまいます。オレらはこれまで以上に、……ぬるい考え方っすけれど仲間ってのを信頼しないといけない。そうじゃないと、絶対に勝てねぇ。騎屍兵にも、ピアーナにも……』

 

 切り詰めた様子のアルベルトにこんな時、どんな言葉をかけていいのか分からなかった。

 

 彼は死んだ分の仲間の意思も背負っている。

 

 その上で成り立つ自分の意思を何よりも重要視しているはずだ。

 

 だと言うのに、自分は逃げ口上ばかりで、誰かの痛みを背負ったつもりになっているだけ。

 

「……私、ズルいですよね。自分が前に行けば、難しい事を考えずに済むからって……先送りにし続けて」

 

『……それはお互い様でしょう。オレだって、前に行くしか能のない人間っす。だから……死なせちゃいけねぇんだ。誰一人として……』

 

 しかしそれはいずれアルベルトの生き方でさえも狭めてしまう。

 

 そうなった時、彼はどうすると言うのだろうか。

 

 エージェントとして戦い抜いたその先に、本当に光が待っていると言うのだろうか。

 

 今回のような苦しい戦いを何度も強いられていくうちに、本当に大切なものを摩耗し尽くしてしまいそうで――。

 

「……アルベルトさん。あなたも私と、その、約束してもらえますか? 死にに行くような真似だけは、お互いにやめようって。だって、私もあなたもきっと……器用なほうじゃないですから」

 

『……いいっすけれど、それってフラグって奴っすよ? いいんすか? そんな事言っちまって』

 

「わ……私は死ぬつもりはありません……っ! それはアルベルトさんだって同じのはずです。だって言うのに私……あなた達にこの三年間、一つの約束もしてこなかったじゃないですか……」

 

 そうだ。自分は前を行けばいいと思い込んで、アルベルト達に約束の一つもしてやれなかった。

 

 そのせいで死んで行った人間の魂を背負わなくっていいと言う規定を自分の中で引いて、彼らの死を切り捨ててきたのだ。

 

 それは許されざる、自分の罪のはず。

 

 しかしアルベルトは、そのような賢しい自分の考えなど見透かしているようであった。

 

『……あんたが背負うべきじゃない。RM第三小隊の責任はオレのもんですし、死んで行った連中の魂を最後に引き上げるのはオレの仕事っす。……ただ、あんたが一つだけでも、オレら相手に約束をしてくれるって言うんなら、こっちからも一つだけ。もう、無茶だけはしないでください。あんたは……あんたが思っているよりもずっと、色んな人に慕われている。だって言うのに、無理やり前に赴いて、死に囚われるような事、あっちゃいけないはずなんだ』

 

 それは自分の中では責任として線を引いていた部分に切り込む言葉であった。

 

 アルベルトはこの三年間、自分の事をずっと見てくれている。

 

 一度だって視線を外さないのだ。

 

 身勝手を気取っている馬鹿なリーダーだと、そう断じたっていいはずなのに、自分の作戦に異を唱えた事はない。

 

 それはきっと、彼の中でも自分と言う存在が少しは大きくなっているからであろうか。

 

「……なら、お互いに指切りしましょう? それでこれまでのたくさんの……愚かしい行いがチャラに成るなんて思っちゃいないですけれど……背負い合うのなら」

 

『少しはマシになる、っすか。いいっすよ』

 

 指を差し出しかけたアルベルトに、小指を絡めようとして、直上からの怒声を聞いていた。

 

『こらーっ! アルベルトさん! 何やってるんですか!』

 

『シャル? お前、戦闘待機だろうが』

 

『もう戦闘待機は解除されてますよーっだ! 何ですか、シンジョウ先輩と親しくして! ……あなたの委任担当官は私ですよ?』

 

 こちらへとノーマルスーツを着込んだままのシャルティアが割り込んできて、アルベルトは複雑そうな顔をする。

 

『……ったく、何なんだよ、お前は。せっかくの空気に水を差しやがって』

 

『あーっ! 邪魔とか思ったんですか! これだから、いい加減な大人って言うのは!』

 

 怒り心頭のシャルティアを何とか宥めようとするアルベルトに、カトリナは思わず微笑んでいた。

 

 その様子を二人して不思議そうな顔で眺めている。

 

「あれ……? どうしたんです、二人とも……」

 

『いや、この三年間でそんな風に笑ったのって……』

 

『見た事なかったなぁって、思ったんです……先輩、そういう風に笑えるんですね』

 

 そんな当たり前の事ですら、彼らにとっては意想外であったのだろう。

 

 カトリナは救われるものもあると、二人へと微笑みかけていた。

 

「……ええ! 私はだって、皆さんと一緒なら、大丈夫ですからっ!」

 

 今は自分の微笑み一つでさえも、感謝の証だ。

 

 彼らが居なければだって、自分は笑う事さえも忘れていたのだろうから。

 

『ちょっと待て! クラード! どうした、クラード!』

 

 サルトルの平時ではない声音にアルベルトと共に頷き合ってから、《ダーレッドガンダム》のほうへと流れていく。

 

「クラードさんが? どうしました!」

 

『……参ったな。こいつ寝てやがる』

 

 サルトルの言葉に二人して《ダーレッドガンダム》のコックピットを覗き込んでいた。

 

 鎧めいたパイロットスーツに包まれたクラードはどうしてなのだか、眠りこけている。

 

 その様相にもしかしたら、とカトリナは気が気ではなくなっていた。

 

「思考拡張の……副作用ですか?」

 

『いいや。こりゃ単純に疲れだな。まぁ、《ダーレッドガンダム》の思考拡張のレベルが違うってのもあるんだろうが……今は寝かしといてやるか。意識レベル自体は安定している。……今になって寝とぼけてんじゃねぇよ、って言いたいが、こいつがあのMAを撃墜してくれなけりゃ、おれ達は全員、首を括っていたレベルだ。今はそっとしておいてやろう』

 

 サルトル含め、整備班が《ダーレッドガンダム》の装甲を展開させ、整備モードへと切り替える。

 

 カトリナとアルベルトはその様子を静かに見守っていた。

 

「……そういえばクラードさんが眠っているの、初めて見たかも……」

 

『……オレも、目の前で眠りこけちまっているのを見たのは初めてかもしれません。あっ、《レヴォル》と最初に遭遇した時もそうと言えばそうでしたが、あれは意識持って行かれちまってましたからね』

 

 困惑顔のアルベルトに、カトリナは首肯していた。

 

「……今は、そっとしておいてあげましょうか」

 

『……っすね。にしたって、穏やかな顔で寝やがるんだな、こいつぁ……』

 

 だがこの戦線を切り抜けたのはクラードの力と《ダーレッドガンダム》の性能によるものが大きい。

 

 今のままでは、損耗するばかりのはずだ。

 

「……レミア艦長。敵勢は、後退しましたか?」

 

『そうね。現状、モルガンは後退機動に移っているわ。《ネクロレヴォル》隊も一時撤退、この宙域はしばらく安泰とでも……そう思いたいんだけれどね』

 

「……何か、懸念事項でも?」

 

 含むところのあったレミアの論調に切り込んだ自分に、彼女は返答していた。

 

『……さすがに嘘はバレちゃうか。……三分前にブリギットのほうへと伝令があったのよ。合流軌道に移りたい、ってね』

 

「……軍警察の……!」

 

『あまり身構えないで。どうやら相手は、私達……ネメシスから離反した組と連絡を取り合いたいだけのようだから、あなたにまで背負わせるのは杞憂だと思ったのよ』

 

『艦長、それ言い出したらきりがないでしょう。今回はカトリナちゃんも同席、それでいいわよね?』

 

「えっ……あっ、はい……。でも、トライアウトネメシスの追撃なら……」

 

『それも違うようなのよ。合流したいと申し出ている相手の所属は……トライアウトジェネシス。三年前の月軌道決戦時より、権威の失墜したジェネシスの申し出なら、今は呑んでおいたほうがいい』

 

 思わぬ名前にカトリナは問い返していた。

 

「トライアウトジェネシス……? でも軍警察なら同じなんじゃ……」

 

『トライアウトジェネシスは現状、三年前の月軌道決戦時の謀反によって権限が奪われている……かつての軍警察下部組織レベルにまでね。そんな彼らが、ブリギットとオフィーリアを有する我が方に接触したいとなれば、それは何かしらの含みを持っていると意味する事が出来る』

 

「……有益な情報があるって言うわけですか?」

 

『さすがに少しばかり聡くはなったようね、カトリナさん。ええ、そうなのだと思わなければ、統合機構軍同士で戦い合っている私達に、ちょっかいをかけるだけだもの。意味はあるのだと信じたいわね』

 

『だが、軍警察だって言うんでしょう。オレが護衛に付きます。第三小隊の連中で固めさせてください。相手がトライアウトだって言うんなら、オレらに一家言くらいはあったっていいはずです』

 

 回線に割り込んだアルベルトに、レミアが通信の向こう側で頷いたのを感じ取っていた。

 

『ええ、頼むわ。今、クラードは……?』

 

 その疑問に二人して顔を見合わせて、示し合せる。

 

「ちょっとその……今は無理そうです」

 

『っすね。今はクラードの手は借りられません』

 

 その意味するところをレミアは悟ったのかどうか分からないが、認めるのは早かった。

 

『……そう。あまりクラードに頼ってばかりでは駄目だものね。ではアルベルト君、あなたには私達の護衛を頼みます。相手はブリギットのポートホームを使って、こちらと接触してくる予定よ。……もしもの時の迎撃も頼むわ』

 

 もしもの時、と言うのは相手がブリギットを犠牲にしてでも自分達に一矢報いる可能性を加味しての話だろう。

 

 自分とアルベルトは首肯し合う。

 

「ええ、それは了解しました。でも……今さら軍警察の、それもジェネシスが何の用なんでしょう? それだけは分かりませんけれど……」

 

『私達が統合機構軍の内部抗争のような真似をしているのを察知しての接触なのか、あるいは他の要因があるのかもしれないわね』

 

「他の要因……」

 

 カトリナの視線は自ずと《ダーレッドガンダム》に向いていた。

 

 あの機体が災厄か、あるいは幸運を招いて来るのか。

 

 今はそれがどちらなのかも分からない。

 

『いずれにしたところで、これを好機と見るべきなのは確かよ。エンデュランス・フラクタル上層部と袂を分かつのなら、どこかで決断しておくべきだもの。もしもの時に支援が受けられない状態じゃ、ただジリ貧になっていくだけ。少しでも希望が見出せるのなら、それに縋っていきましょう』

 

『艦長。だが敵だった時には……』

 

『ええ、容赦はしないわ。それくらいの覚悟は持っておくべきでしょうから』

 

 通信が切られ、アルベルトはシャルティアに言いやっていた。

 

『……シャル。お前は別室で待機――』

 

『何言ってるんですか。私も同席します。エンデュランス・フラクタルの委任担当官として……やらなくっちゃいけない事があるはずですから』

 

『だがよ……お前は本社から送られてきた身だ。オレらみてぇな独立愚連隊とは違うんだから、下手に背負う事なんざ……』

 

『いえ、私も背負いたいんです。それが……職務を全うするって事でしょうから。アルベルトさんも同席ですよ! なら、私が居ないのは嘘でしょう……!』

 

 シャルティアはその言葉を潮にして格納デッキを流れていく。

 

 その勝気な後ろ姿にアルベルトは嘆息をつく。

 

『……あいつ、何怒ってんだ……。分かんねぇなぁ、ったくよぉ……』

 

 当惑するアルベルトに、カトリナは少しだけシャルティアの気持ちが分かったような気がしていた。

 

 かつて自分も、空回りを続けてきた。

 

 それと同じようなものを、彼女も感じているのかもしれない。

 

「……でも、トライアウトジェネシスが我々に繋ぎたいなんて……何があるんでしょう」

 

『ロクな事じゃないのだけは確かだと思いますけれど……いずれにしたって奇襲だってあり得る。《マギアハーモニクス》の損耗状態! オレはいつでも出られるようにしてくれ!』

 

 整備班に呼びかけるアルベルトに、カトリナは自分を持て余す。

 

「……私にしか出来ない事も……きっとあるはず、カトリナ……」

 

 クラードが《ダーレッドガンダム》で前に出る事を選んだのならば、自分もまた戦いにおける意義を見出すべきだ。

 

 それが理由を探すだけの旅路だと言うのならば、苦しみでさえも今は甘受しよう。

 

 



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第138話「舞踊の宵闇」

 

「それにしたって、艦長。ジェネシスからの伝令って言えば、穏やかじゃなさそうですけれど」

 

 管制室でモルガンの射程距離を測っていたバーミットの言葉にレミアは目を細める。

 

「あるいは……このタイミングだからこそ、かもしれないわね」

 

「それって、軍警察が敵じゃないって話ですか? あたし達が裏切ったもんだから」

 

「分からないわよ。でも、私達は統合機構軍の中で諍いを起こしている。介入するのならば、今が好機なのは間違いないし」

 

「はぁー……メイクを直すような時間もないしサイアク……。艦長ぉー、これってブラック労働ですよぉー」

 

「……今さら何言ってるのよ。一応は軍属だったくせに」

 

「それって、艦長が言います? まったく、階級だけは無駄に高かったの、あれってあたしの働きのお陰なんですからね?」

 

「そうね……でも、ジェネシスの狙いとしてみれば私達の離反は少なからずあるはずよ。軍警察の艦艇であるブリギットがそのままエンデュランス・フラクタルに拿捕された現状、伝令を打ってこちらに赴くってなれば、一番に警戒すべき事は何だと思う?」

 

「……ポートホームで転送された瞬間を狙っての、ブリギットの轟沈。それによる勢力の一網打尽でしょうね」

 

「正解。あなたも何だかんだで軍警察時代の勘は鈍っていないじゃない」

 

「……それ、やめてくださいよ、マジに。カトリナちゃんに怖がられちゃう」

 

「でも、相手はブリギットを轟沈させて戦力を削ぐよりも、話し合いのほうに分があると感じてこうして申し出てきた。その意味を探るに……トライアウトジェネシスは私達の力が欲しいと感じている、そういう想定はどうかしら?」

 

「……ジェネシスは三年前に権威が失墜しています。軍警察の中でも下部組織に近い構成状態にある組織なら、講じるのは反旗を翻す、って感じですか」

 

「この機を逃さず、上へのクーデターもあり得ない話でもない。でもだとすれば、それは組織の中の自浄作用を信じるべき。……それなのに私達、エンデュランス・フラクタルと一時的とは言え手を貸すって言うのは……何か、利があっての事だと思うべきでしょうね」

 

 バーミットは腕を組んでうーんと呻る。

 

「あたし、牽制とか苦手なんですよねー。理屈ばった考えで遠回しより、早道のほうが好きって言うか」

 

「あなたはそうでしょうね。でも、相手は何か意図を持ってこうして探りを入れて来ていると考えるべき。トライアウトジェネシスにも私達の報告は行っているはずよ。だって言うのに、拿捕されたはずのブリギットを頼ってくるって言う事は……」

 

「相手もなりふり構っていられないって事ですか? まぁ、困っているのはお互い様ですけれど。この管制室も、新造艦の割には手広過ぎますからねー」

 

 レミアは構成員の居ない新鋭艦の管制室を仰ぎ見る。

 

 手広いと言うよりも、どこかで虚無さえも感じるような趣であった。

 

「そうね。基本はあなたと私しか居ないオフィーリアじゃ、いずれは厳しい局面も来るわ。その時に……何かしら策を講じておくのは何も間違いじゃない」

 

「カトリナちゃんもこっちに来ればいいのに。あの子、委任担当官だから、で、クラードのほうばっかり行きますよ?」

 

「いいんじゃないの。カトリナさんは変わらない部分もあるって。ねぇ、こういうことわざを知ってる? 噛む馬はしまいまで噛む、ってね。彼女の気質は私達とちょっと戦ったくらいじゃ変わらないんでしょう。クラードとの関係だけは、ちょっとくらいは変わったのだと思っていたけれど」

 

「そのクラードですけれど、今は昏睡……いえ、報告書だとちょっとした疲労って言われていますけれど、あのカタブツ、多分相当に無理を重ねてきたんでしょうね。そこんところは、カトリナちゃんも似通っていますけれど」

 

 バーミットのため息にレミアもメインスクリーンに映し出されたモルガンの勢力を見据えていた。

 

「……まさかピアーナと争う事になるなんてね。まぁ遅いか速いかだけの違いでしょうけれど」

 

「あの子は統合機構軍に配されたんですから、そりゃーそうもなりますよ。……加えて新造艦と騎屍兵の纏め役か。はぁー……あたしなら辞めてますよ、そんな職場」

 

「選り好みをしてもいられないのよ、あの子もね。……けれどまぁ、私達は合い争わなければいけない。それこそどちからかが死ぬまで、でしょうね」

 

「嫌ですよ、艦長。ピアーナ、見た目だけはカワイイ子だったのに」

 

「そう言えば、あなたの担当していたカワイイ子は居ないわね。どこに行ったのかしら」

 

「ファムは……あの後どうなったのかまるで分かりませんからね。はぁー、癒しが欲しいですよ」

 

「癒し、ね……。私達には恐らくほど遠い代物でしょう。お酒にも逃げられないし、どうにもならないわね」

 

「……とか言っちゃって」

 

 バーミットは小脇から取り出した小型サイズの酒瓶を振る。

 

「……悪い癖よ、バーミット。今はどう考えたって警戒態勢……」

 

「そんな事言っていたら、もう一生お酒飲めないですよ? どうです? ちょっとだけ、一口だけ」

 

「……あなたって本当、どうしようもないわね」

 

「それって褒め言葉ですよね? いい女であろうとした艦長の、ちょっとした意地悪さって奴で」

 

 微笑んでバーミットの手にしていた酒瓶を引っ手繰り、呷ってみせる。

 

「あーっ! とっておきのだったのに……!」

 

「これも警句よ。飲んだくれの前に酒を出すなってね」

 

「何ですか、それ。ことわざですか」

 

「いいえ。これはただの……引用不明な言葉ね」

 

 熱い吐息をついて、レミアは襟元を僅かに緩める。

 

 バーミットは酒瓶を逆さにして滴を舐めていた。

 

「……でも、結局どうなんでしょうね。私達のやっている事、正しいのか正しくないのか……」

 

「それもきっと……誰かが決めるもので、私達じゃ答えなんて出やしないんでしょうね」

 

「シャルティア・ブルーム委任担当官、ただいま戻りま――って、お酒臭っ!」

 

 管制室に入るなり鼻をつまんだシャルティアに二人して手を振る。

 

「ああ、シャルじゃないの。どう? まだ一応はあるけれど」

 

「な、何を言っているんですか! 警戒態勢ですよ! ……第一、お酒は二十歳からで……」

 

「あら、何を堅い事を言っているの? 今さら法律も何もないでしょうに」

 

 ぐぬぬ、と拳を握り締めたシャルティアは、ふんと顔を背けていた。

 

「やっぱりここって……いい加減な大人ばっかり! だから嫌なんですよ!」

 

 へそを曲げてシャルティアは踵を返そうとするのでその背中に呼び止める。

 

「いいの? 何かあったから報告に来たんでしょ」

 

「……お酒飲みに言いたくないです」

 

「ああ、心配しないで。あたしは素面だから」

 

「そういう問題じゃ……って言うか、艦長のほうが飲んじゃったんですか? ……一体どうなって……」

 

「ぶつぶつぼやかない。で、何があったの?」

 

「……報告にあったポートホーム利用での会合時間が向こうよりもたらされたので、その報告を……でもお酒飲んじゃってるんじゃ……」

 

「大丈夫よ。お酒の臭いくらいは消せるから」

 

 レミアは口の中へと消臭タブレットを放り込んで齧る。

 

「そういう問題なんですか……?」

 

「で、シャルティア・ブルーム委任担当官としては何か、不自然なところがある、と言ったところかしらね」

 

「あっ……分かっちゃうんですね……」

 

「これでも死線を潜って来た数だけは多いのよ。で、何があったの」

 

「えっと……向こうからの要求なんですけれど……。ブリギットのポートホームを利用するのは最初から想定されているとは思うのですが、これを」

 

 書面を差し出したシャルティアにレミアは読み込んでから、憂いを帯びた泣きボクロを伏せる。

 

「……これは……意外な要求ね」

 

「相手も何かを探りたいんだと思います。どうしますか? これって、不利益ですよね?」

 

「いいえ、ある程度の譲歩は必要でしょう。要求は呑むと返事を書いておいて」

 

「返事をって……艦長が書いてくれないんですか?」

 

「シャル、甘えないの。上司が何でもかんでもしてくれると言えば大間違いなんだから」

 

「だから、私の名前はシャルティアです! シャルじゃありません!」

 

「細かいところにこだわるのねぇ。愛称でしょ?」

 

「その愛称は嫌いなんです! ……でもこれまで、先輩が何でもしてくれましたから……」

 

「それはカトリナちゃんの理論でしょ? あたし達はそこまで優しくはないから」

 

 その言葉にシャルティアはむっとして身を翻していた。

 

「もういいです! 本当、いい加減な大人ってのは、嫌いなんです!」

 

 扉が閉まってから、レミアは笑い出していた。

 

「あれじゃ、カトリナさんの空回りのほうがまだマシね」

 

「笑っちゃ駄目ですよ、艦長。……それにしたって、若いっていいですねぇ」

 

「あら、あなたももうそんな言い草を使うようになった? それはおばさんの常套句よ?」

 

「……まぁ若くないのは事実ですけれどねー。それでもいい女であろうとするのは別でしょう?」

 

「……分かっているじゃない。さて、トライアウトジェネシスとの会合……何が起こるか、まるで分からないわね」

 

「鬼が出るか蛇が出るか……どっちが出ても文句は言えなさそうですけれど」

 

「そうね。私達は……それこそ蛇の道を、行っているようなものだもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「帰還するなり報告せよとは……王族特務に就いているとは言え、負け戦をいちいち聞かせるのは少しばかり嫌気も差します」

 

 そう前置きした自分に対し、長距離通信を打って来ていた上官は微笑みかける。

 

『それにしては……浮足立っているではないか。鋼鉄の鬼を標榜する男のそれとは思えんな』

 

 やはり、分かってしまうか、とヴィクトゥスは口元を緩めていた。

 

「……念願の宿敵に再会出来ました。喜びを隠せるほど、器用ではなかったと言うだけの話でしょう」

 

『そうか。君らしい、と言えば君らしいが王族親衛隊としての一身分としてはよくやるものだ。――専用機を使わずに敵の新型機と相見えるなど』

 

「《高機動型レグルス》には一度、前を行く者が乗っておかなければ後続が来ません。そうでなければ新兵は二の足を踏むと言うもの」

 

『変わらないスタンスで安心したよ。部下想いなところもね』

 

「私は最早、恩讐の徒です。彼と死合える機会があるのならば、それを逃すほどの悠長さを持ち合わせてはいません」

 

『では次からは専用機を使うかね?』

 

「……いえ、今回は少し……水差しが入りました。《高機動型レグルス》も痛手をもらったも同義。よって《パラティヌス》で試した後、その本懐を見たいかと」

 

『《ダーレッドガンダム》。こちらに来ている情報だけでも大したものだ。あの右腕に装着した武装の真価は六番目の使者に相当するとの報告もある。……生きて帰れただけでも僥倖ではないのか?』

 

「いえ、騎屍兵の者達が前を行っています。私は所詮、彼の者と戦う以外では役立たず。持て余すのみでしょう」

 

『謙虚なのはいい。だが、下手に戦場を選り好みすれば逆に足をすくわれるぞ。……改めて、ヴィクトゥス・レイジ特務大尉を推薦したい。新造艦、モルガンの正規補充員としてね』

 

「感謝いたします。私もまた、戦えるだけの戦場に酔う事が出来る」

 

 挙手敬礼したこちらに対し、上官はフッと笑みを浮かべる。

 

『これはさしもの王族親衛隊を譲歩させ過ぎかな? 君のために辛酸を嘗める人間も多いだろう』

 

「それでも、私は遠回りをしたくないのですよ。以前、そのせいでせっかくの機会を見失った事がありましたので」

 

『よかろう。王族親衛隊としては他の補充員を充てるだけの時間も労力もない、と言うのが本音だ。モルガンにて、その真価を発揮せよ』

 

「はっ! このヴィクトゥス・レイジ、必ずや敵の首を持ち帰りましょう」

 

『……あまり堅くならないでいい。私と君の間柄だ』

 

「……ですが部下の眼もある。私とてあの時のように……旅がらすを気取れるでもないのです」

 

『回り巡って君がわたしの部下に成るとは想定外だよ。いや、君からしてみれば想定内かな』

 

「分からぬものです。無常なるこの世界と言うものは」

 

『……特務大尉。その強さは戦果でもって示せ。君の働きは翻れば王族親衛隊の利となる』

 

「心得ております。なに、使われるのには慣れておりますので」

 

『……そうであったな。君に今さらその理を説くのは、釈迦に説法であったか』

 

「では職務に戻らせていただきます」

 

 長距離通信が切られ、暗幕の部屋に明かりを灯したところで、監視カメラを振り仰ぐ。

 

「……また君の眼は、私を捉える。フロイライン、黙って見てないで少しは部下でしかない私に忠言でも送るといい」

 

『貴方にしてみれば諫言痛み入る、と言うだけでしょうに』

 

「参ったな。こちらの言葉を先読みされている」

 

 ピアーナの論調は別段責め立てるわけでもない。

 

 先ほどの戦闘行為に対し、艦長としての言葉を振っているわけではなさそうであった。

 

『……貴方は変わらないのですね。あの時と……まるで同じように』

 

「君は変わったな、フロイライン。目線に艶やかさが出た」

 

『……からかわないで、いやらしい』

 

「これはすまなかった。淑女に育った君に、少しばかり心が揺れているらしい」

 

『……心にもない事を言わないでください。貴方には次回より、騎屍兵との連携を加味していただきます』

 

「いいのかな。私はワンマンのほうが向いていると思うが」

 

『あの艦を墜とすのには、わたくしの操る騎屍兵だけでは致命打に成り得ない。それを理解しての采配です』

 

「なるほど。出来る軍師は違うと言う。自分の領分を理解しているとね」

 

『……貴方がどうして専用機で出なかったのか、それだけでも聞かせていただけませんか?』

 

「艦長職は忙しいだろう。ただの一兵士に過ぎない私の感想を聞く暇なんてあるのかね?」

 

『……わたくしは専用機で出ると想定しておりました。なので、《高機動型レグルス》で出撃した事への是非を問う義務があります』

 

「なるほど、確かに。これでは不義理を働いたのは私のほうだな。……答えよう。まだその時ではないと、判定した」

 

『その時ではない? やり方次第では轟沈していたのはこちらなのですよ』

 

「だが仕掛けたのは我が方だ。それなのにやられる時の想定をしていたのでは、それは形無しと言うものであろう」

 

 こちらの言葉振りにピアーナは一呼吸挟んだ後に、冷徹に告げていた。

 

『……貴方だけを頼っていたわけではありません。しかし、この艦に所属する以上はわたくしの指揮下なのです。それを忘れないよう』

 

「努めよう。なに、私も王族親衛隊身分だ。弁えるよ、その辺りはね」

 

『どうなのだか。……失礼、貴方に構っている暇はなさそうです』

 

 通信が切られるのと同時に、ヴィクトゥスはフッと笑みを刻む。

 

「フラれたな。だが、私の本命は君だけだ、クラード君。さらに強くなったと言うのならば《高機動型レグルス》に乗った程度の私に墜とされてくれるなよ。それは期待外れと言うのだからね」

 

 



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第139話「自由の価値」

 

「……失礼。どこまで話したでしょうか」

 

『口さがのない部下も居るようではないか、ピアーナ・リクレンツィア艦長。最新鋭艦を動かすにしては心労が多いと見える』

 

「貴方に気を遣っていただくほどではありません。こちらの職務ですので」

 

『それくらいドライなほうがいい。足を取られずに済む』

 

「では引き続き、補給の目処は立っているとそう考えていいのですね? ――リヴェンシュタイン王族佐官」

 

 その名前を紡ぐと、相手は喉の奥を振るわせて嗤う。

 

『随分と手痛い言葉じゃないか。……それとも、かつての古巣であるエンデュランス・フラクタル、撃てというのが人情のない話だと思うかね?』

 

「いいえ、正しい判断です。わたくしは統合機構軍の所属艦であるところのモルガンの艦長職。下手な情は邪魔なだけですので」

 

『さすがは冷徹なライドマトリクサー。今さら情念程度で揺り動かされないか』

 

「……それで、貴方ほどの身分の方がどうして直通通信を?」

 

『頼みがあって直通を繋いでいる。わたしとて探られれば痛い横腹もあってね。君達のような独立愚連隊めいた者達に頼っているのはひとえに力不足にある』

 

 そこで相手は激しく咳き込んでいた。

 

 投射画面に浮かび上がったのは裂傷を作った相貌を爪で掻き毟る男の姿であった。

 

 かつての栄華に縋るように、服飾だけは立派だが、今はその様相もどこか虚飾めいている。

 

「……お身体をご自愛ください。貴方は本来、戦闘に介入するような人種ではないはずです」

 

『そうも言っていられない。わたしの望みを叶えるためには、手段は選んでいられない。……このディリアン・L・リヴェンシュタイン、隠居したとは思われたくないのでね』

 

 プライドだけが高い表層の言葉を投げ、相手は――ディリアンは神経質に痩せ細った指先を伸ばす。

 

 肉体には生命維持装置が結び付けられており、無数の管で今も延命措置を行っているのが窺えた。

 

「我が艦は新造艦とは言え、まだテスト段階です。騎屍兵の運用も同じ事。あまり先行した物言いは出来ないとお考えください」

 

『だが目の前にレジスタンスの頭目は居たのだろう? ならば、……とっととあの娼婦を食い殺してやればいい。そうすれば少しばかり……眼が醒めるはずだ。愚弟とは言え、一度死ぬような目に遭った事で、幾ばくかは賢くなっているはず』

 

「用件は、引き続きアルベルト・V・リヴェンシュタインの確保……という事でよろしいですか? リヴェンシュタイン王族佐官」

 

『ああ……頼めるとすればもう君らしか居ない。何よりも……戦場のど真ん中に居るのならば出来るだろう? わたしの力も万能と言うわけではない。王族親衛隊を通してヴィクトゥスを送ったのは何も酔狂だけの話ではない。あの死狂いをどうこう出来るとすれば君の艦くらいなものだろう。それ以上に、戦力になるはずだ』

 

 その戦力が、口さがのない部下なのだがとまでは言わず、ピアーナはディリアンと向かい合う。

 

「では、手はず通りにモルガンに補給をお願いします。護衛艦もミラーヘッドの段階加速で疲弊している。このままオフィーリアと交戦するのは旨味がありません。何よりも、《サイフォス》を撃墜されました」

 

『《サイフォス》の代わりくらいはいくらでも立つ。問題なのは、次だ。《サイフォス》を無効化するMSが現れたとの報告を受けた。……その姿、立ち振る舞いがまるであの因縁の機体……ガンダムだとも』

 

「ええ。あれは機体名称もその名の通り、《ダーレッドガンダム》。我が方が登録している違法禁止兵器に相当します」

 

『……《ダーレッドガンダム》……アルベルトを……惑わせた……! あの時と同じように……! 頼む、ピアーナ・リクレンツィア艦長。オフィーリアを轟沈させ、弟を助け出して欲しい。レジスタンスなんて馬鹿げている。逆らったところで同じなのに。統合機構軍同士で争っているなんて無意味だ。どうか目を醒まさせてやって欲しい』

 

 ――ああ、反吐が出そうだ。

 

 ディリアンは三年前と同じか、あるいはそれよりもなお色濃い妄執だけで戦場の最前線に要らぬ禍根を持ち込もうとしている。

 

 しかし、それを否定するだけの材料もない。

 

 下手に刺激すれば補給が得られないだけではないだろう。

 

「……了解しました。ヴィクトゥス・レイジ特務大尉も少し考えものなくらいですが、彼のお陰で前回は助かったようなもの。少しばかりは特別措置に出ましょう」

 

『……助かる。君のような優秀な士官ばかりならばいいのだが、言う事を聞かない愚か者も多くってね。どうかアルベルトを……あいつを救って欲しい』

 

 通信はいつも一方的なタイミングで切られる。

 

 その模様を眺めていたメイアは首を引っ込めていた。

 

「……疲れたんじゃない?」

 

「軍務です。今さら疲れたなどと言っている時間もない」

 

「それはそっか。……彼、ボクらを殺す気だったね」

 

「それはあの野蛮なRMであるクラードならば当然でしょう。彼は、恐らく事前に知らされていても手加減なんてしない」

 

「クラードの事、よく知ってるんだ? まぁそれもそうか。ベアトリーチェで一緒だったんでしょ。今の話を聞くに」

 

「……貴女を独房にでもぶち込んでおけば……いいえ、今さらの後悔ですわね。ええ、あの者とは一緒でしたが、別段、情などは感じていませんとも。彼には彼の道があった。それを通しただけの……それだけの結果でしょうから」

 

 それにしたところで、アルベルトを無傷で確保せよと言うのは無理があると言うものだ。

 

 前回もその命令のせいで騎屍兵を前線で駆使出来なかった。

 

 せっかくの師団長もこれでは形無し。

 

「……やっぱ疲れてるじゃん。モルガンはこのまま後退して、補給路を受けるってわけ?」

 

「……貴女は捕虜ですよ。教えてどうするんです」

 

「捕虜であるのと同時に、情報源でもあるでしょ。……ボクが死んだら困るはずだけれど?」

 

「……メイア・メイリス。確かに貴女はマグナマトリクス社のアキレス腱となり得る存在でしょう。我が社として見れば、競合する企業は出来るだけ潰しておきたいのが本音でしょうから」

 

「じゃあどうする? ボクを無理やりにでも情報を引き出そうとでもしてくる?」

 

 ピアーナはメイアと目線を交わし、いえ、と頭を振っていた。

 

「……貴女に、たとえどれほどの拷問を受けさせたとしても簡単に吐くとは思えないですし、何よりもそれはわたくしの道理にもとります。貴女にはあくまでも、貴女の意思で我々に協力して欲しい。そのスタンスに変わりはないのですから」

 

「でもそんなぬるい事言っていたら、多分さっきの偉い人に出し抜かれちゃうよ? あの戦闘狂の人、その人の手駒なんでしょ?」

 

「……ある意味ではモルガンへの監視役でもあるのでしょうね。彼はしかし、有益な戦力です。王族親衛隊を一新鋭艦が保持出来るのは大きなアドバンテージとなる。何よりも、今の敵勢はブリギットと言う重石を背負っているのと同義。その状態では十全な性能を発揮出来ないでしょう。叩くのなら、今しかない」

 

「その言葉は本当だろうけれど、本気ではないと見た。……だってキミもボクと同じ……嘘がとっても苦手そうなのは、見ていて分かったからね」

 

「本来ならば、分かった風な口を、と言うのが正しいのでしょうが……轟沈間際まで追い込まれておいてよく言う、と言うのも本音でしょう。《サイフォス》でオフィーリアの勢力を潰し切ったと思ったのが、前回の落ち度でした。ですが、次こそは容赦は致しません。叩き潰します。何よりも、《ダーレッドガンダム》の性能があそこまでだとは思いも寄らない。あれは特一級の破壊対象です」

 

 ピアーナは情報端末の集積体であるシートから降りて、壁に手を翳す。

 

 変形した壁より引き出されたのは一冊の書物であった。

 

「これを。どう見ますか、貴女は」

 

「……何それ。本なんてアナクロだね」

 

「……これを知らない、と言うのですね?」

 

「えーっと、何々? ……『月のダレトの基礎設計理論』、著者、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー? ……こんなの知らないよ?」

 

「……やはり、そうですか。これは偽書ですからね。本来の歴史を歩んだ我々の側からしてみれば、イレギュラーでしかない。しかしこの本は持ち込まれた。我々の次元宇宙に、異物として。……それは同じ存在として見るのならばMF、月のダレトよりもたらされし技術恩恵そのもの。……ですがこの本に記されている内容はどれもこれも……机上の空論にしてはあまりにも綿密が過ぎる。まるでこの理論が別の宇宙ではとっくの昔に実装されているかのような自然さで」

 

 ピアーナは黄ばんだ本のページを捲りながら、メイアの反応を見る。

 

 彼女は心底不思議そうにこちらの様子を観察していた。

 

「……何?」

 

「いえ、何でも。少し期待したのが間違いだったようですね」

 

「それって酷くなーい?」

 

「モルガンはこれより、巡航モードに移行させ、オフィーリアの航路を先読みします。相手も言ってしまえばこちらと同じように補給を受けなければいつまでも航行出来るはずもない。どこかで隙が生じます。その隙を突けるとすれば……この宙域ですね。ちょうどデブリ宙域の中に我が社の観測衛星があります。そこで相手はエンデュランス・フラクタルの本社と渡りを付けるはずです」

 

「うん? おかしくない? キミら、だって本社の命令を受けてこうして戦っているんでしょ? 相手だってそれくらい分かっているんじゃ?」

 

「ですから、これは試金石なのです。オフィーリアがこれまで通り、何も知らずに補給を受けて轟沈の危機に陥るのか、あるいは別の補給路を確保せんとするのか。そうなった場合、我が社として見ればオフィーリアを拿捕した逆賊の徒として一挙に葬れる機が訪れます。それを狙ったっていい」

 

「……何だかなぁ。キミ、そういう小賢しいの、似合ってないけれど? 自分に無理してない? そういうのってよくないと思うなぁ……生き方としてって言うかさ」

 

「貴女に生き方の是非を問われるほど、経験不足ではありません。これでもわたくしはモルガンの艦長ですので。貴女のほうこそ、わたくし相手に下手な事は言わないよう。心象を悪くしてからでは遅いのですからね」

 

「肝に銘じておきまーす。……って言ったってさ。ボクだって帰る場所なんてないんだ。今さらキミに言われるまでもないってね」

 

 ピアーナは再び情報集積端末に自らを繋ぎ、情報の津波を処理し始める。

 

「いずれにせよ、我が方からしてみれば相手の動きを見ての判断。王族親衛隊を得られた時点で、こちらの戦力は向上している。今ならば、我が方には有意ではあると、判断すべきでしょうね」

 

「仕掛けるのなら今って事だよね? とは言え、ボクも死にたくないんだけれど」

 

「貴女の意思は関係ありませんよ。今は、わたくしが指揮を執る。ゴースト、スリー。メイア・メイリスを自傷防止の部屋に案内してください」

 

 レイコンマの世界で命令がもたらされ、直後にはスリーが艦長室に訪れていた。

 

『ここに。リクレンツィア艦長』

 

「彼女が抵抗の意思を見せれば、貴女に一任します。今は、少しだけわたくし一人で考える時間が欲しい」

 

『御意に』

 

「ねぇね。キミってば、女の騎屍兵なんでしょ? やっぱりあの冷酷な騎屍兵って言ったって、女だとか男だとかあるんだ? ちょっと意外」

 

「ゴースト、スリー。先んじて言っておきますが、煩わしいからと言って殺さぬように」

 

『……善処いたします』

 

 とは言ったところで、彼女とて騎屍兵の一員だ。

 

 如何にメイアが彼女の神経を逆撫でしても、害する事はないだろう。

 

「それこそが、騎屍兵に与えられた唯一の自由……ですがそれは、貴女方を扱うわたくしからしてみれば……」

 

 ピアーナは伏せておいた写真立てを引き上げる。

 

 そこにはカトリナと自分、それにクラードの映った数少ない写真であった。

 

「……馬鹿ですわね、わたくしも。過去に足を取られるなと言っておいて、一番に足をすくわれかねないのは……わたくし自身だなんて」

 

 だが、迷うまい。

 

 何よりも、撃つ時に迷えば死ぬのはこちらなのだと、あのクラードが自ら宣言したようなものだ。

 

「であるのならば……わたくしが撃つのが相応しいでしょう。エージェント、クラード。それにカトリナ様……。貴女方に引導を渡すのは、このわたくし。ピアーナ・リクレンツィアです。他の者に……任せておけるものですか」

 

 それが自分の、数少ない自由だと言うのならば。

 

 



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第140話「弱さゆえに」

 

 ブリギットに戦力を集中させろとの命令にユキノは《マギア》から身を躍らせていた。

 

 格納デッキを浮かび上がり、同じように先行していたアルベルトと手を繋いで接触回線を開く。

 

「……首尾は? どうなっています?」

 

『上々……とは言い難そうだな。ブリギットが相手に掌握される危険性もある。《マギア》小隊はシステムをスタンドアローンに設定し、もしもの時に動けるようにはしておけとのこった』

 

「……やはり、単純に仲間に引き入れられるとは……考えないほうがいいという判断ですかね、小隊長」

 

『分かんねぇよ。……艦長やカトリナさんの判断だ。オレらの意見を差し挟むような余地はねぇ』

 

 それも分かっていて、アルベルトは歯噛みしているのだろう。

 

 ユキノは何気なく口にしていた。

 

「……でも、今は私達にだって出来る事はある。小隊長、昔とは違います。RM第三小隊は力がある。今なら、私達は勝利するための戦いに赴けます」

 

『あ、ああ……勝利するための戦い、か。……何つーのか、それはこれまでの敗走を無駄にしないため、とも言えるよな……』

 

「それはその通りでしょう。私は……出来うる事ならこれまでの犠牲に報いたい。それが生き延びた責任でしょうから」

 

『生き延びた責任、か。……んなもんに雁字搦めに成っちまえば……いいや、これ以上は自分に返ってくるってもんだな』

 

「……小隊長も、分かっているじゃないですか」

 

『阿呆。これくらいは考えてねぇと、小隊身分なんて任せられねぇよ。第一、オレが前を行くんだ。今回はクラードも居ねぇ。もし……トライアウトジェネシスの奴らが妙な行動に走った時には、ストッパーはオレなんだからな』

 

 それもある意味では偏狭な考え方だが、今は問うまい。

 

 彼もまた、自分自身で戦いの意味を問い返しているはずだから。

 

 重力ブロックに入るなり、レミア含め管制室の面々と顔を合わせる。

 

『護衛任務に就いたのはオレ含め、第三小隊の面子っす。いくら軍警察って言っても、簡単には制圧出来ないと断言出来ます』

 

『頼むわね、アルベルト君。もしもの時には私達なんて無力だからね』

 

『それ……ネメシスでオレら相手に一端の戦力で向かってきたあんたが言いますか』

 

『あら、減らず口が利けるようになったじゃない。あの時の坊やが』

 

 レミアとアルベルトは今出会ったので三年間の隔絶を埋めるだけの会話だったはずだが、互いに緊張感をはらんだ言葉振りだけで最低限のようであった。

 

「……あの、フロイト艦長。私は……」

 

『ユキノ・ヒビヤさんね。……あの時、私が死ねと言った人間……』

 

 やはり覚えてくれていたか。しかしその覚えられ方は不本意である。

 

 ユキノは挙手敬礼し、三年前に出撃した時と同じように返答していた。

 

「ユキノ・ヒビヤ。生還して参りました。……これでチャラですよ」

 

 その言葉にバイザーの向こうでレミアは視線を背けたのを目にしていた。

 

 まだ自分の罪を直視するのには自分もレミアも、あまりに失い過ぎてしまったのかもしれない。

 

『まぁまぁ。禍根は後にするわよ。……それにしたって、いい女になったじゃないの、ユキノちゃん。ベアトリーチェではあまり話せなかったけれどね』

 

「バーミットさん……。ええ、戦士としての勘だけは冴え渡るようになりました」

 

『そういう意味で言ったんじゃないんだけれど、まぁいいわ。護衛はこれで全員よね?』

 

『あの……バーミット先輩……やっぱり敵にはその……目論みがあると思ったほうがいいですよね……』

 

 不安げな眼差しをノーマルスーツの向こうで交わすカトリナに、バーミットは肘で小突いていた。

 

『カトリナちゃんが不安がってどうするのよ。今は、どしんと構えておく。一応はあなたがリーダーなんだから』

 

『私が……リーダー……』

 

『形式上はいくら逆賊に堕ちたとは言え、私達はあなた達の捕虜扱い。最終判断を下すのはあなたよ、カトリナさん』

 

『……私が……みんなの命を……』

 

『そこまで思い切らなくっていいんだってば。リーダーはどーんとしておく! これ大事よ?』

 

 バーミットの他愛無い言葉繰りに少しだけカトリナの頬が和らいだのをユキノは認めていた。

 

『じゃあ、ポートホームの設定をこちらで認証します……。受諾したと同時に相手が来ますので……皆さん、準備は……』

 

 詰めた声にアルベルトが唾を飲み下したのを感じ取る。

 

『……いつでも』

 

『では……ポートホームの転送を受諾。来ます……』

 

 受信すると同時に後ずさったカトリナは身構える。

 

 自分とアルベルト、それに第三小隊の面々がアサルトライフルを構えたところで、現れたのは三名ほどの少数であった。

 

 パイロットスーツに身を包んでいる相手にまずは照準してから、カトリナは声を発する。

 

『そちらは軍警察……トライアウトジェネシスだと、こちらは聞いております。電報を打ったのは……』

 

『私だ。そして先んじて言っておく。トライアウトジェネシスにおいて、今回の動きを扇動したのは私であると』

 

『……あなたは……』

 

『失礼。名乗りが遅れた。気密は?』

 

 アルベルトはこちらと目線を合わせて首肯する。

 

『空気は大丈夫よ。安心してちょうだい』

 

 レミアの言葉に相手はヘルメットのロックを解除し、ゆっくりと顔を晒していた。

 

 鋭く整った目鼻立ちに、短く刈り上げた髪。

 

 女性であるのは窺えたが、怜悧な声はそれ以上に切り詰めたものを感じさせる。

 

「……私は軍警察、トライアウトジェネシス所属。ダビデ・ダリンズ中尉である」

 

『……ジェネシスのDD、ね?』

 

 そう了承を取ったレミアに、ダビデは眉一つ動かさずに応じてみせる。

 

「そちらの事も存じている。ネメシスのブリギット艦を束ねる、レミア・フロイト少佐。そしてバーミット・サワシロ大尉」

 

『……その階級名、やめてよね。もうネメシスとは縁は切れたんだから』

 

 肩を竦めるバーミットに、ダビデはこちらを見渡すなり両手を上げていた。

 

「敵意はない。もちろん、裏で張っているという事も。ポートホームでの会談を要請したのはこちらだ。騙し討ちなんてするわけがない」

 

『どうでしょうかね。軍警察ならどれだけでも汚い手に出られるのは知っている事だから』

 

 レミアのいささか挑発的とも言える返答に、ダビデはフッと微笑んでいた。

 

「その心配は要らない。私の行動そのものが、トライアウトジェネシスにおいては正道だ。よってこの行為は、軍警察組織としては正しくないが、トライアウトジェネシスと言う組織としては真っ当だと思っていただきたい」

 

『あなた一人で、ジェネシスを背負って立つとでも? それは随分と……思い切った発言ね』

 

「私の行動にジェネシスの人員のこれからがかかっている。下手な事は言えんさ。そちらと渡りを付けたいと言い出したのは私だ。責任は全て私にある」

 

『それは……私達が拿捕された事に、関係があるのかしらね』

 

 値踏みするかのようなレミアの切り込んだ声音に、ダビデは同じくらいの鋭い眼差しを投げていた。

 

「……ないと言えば嘘になる。正直、伝え聞いていたよりも空気は柔らかいようだ。死神、と渾名されていたと言うのは」

 

『その渾名はしばらく返上していたんだけれどね。まぁ、そう聞いていても間違いはないわね』

 

「あなた方が鹵獲され、そしてエンデュランス・フラクタルに降ったと聞いて、我々は行動を起こそうと一念発起した。いわばあなた方の敗北こそがトリガーであった、と言うべきだろう」

 

『その物言い、まるで私達が生きていても死んでいても、遠からずこの行動に打って出ていたように聞こえるけれど』

 

 カトリナはレミアとダビデの間に割り込めないでいるようであった。

 

 無理もない。二人の会話は研ぎ澄まされたナイフのようなものだ。

 

 下手に割り込めば血を見るのは明らかである。

 

「その……っ、あの……っ!」

 

 それでも、先ほど責任者だと言われた手前、彼女は割って入っていた。

 

 その勇気に感嘆すると共に、ユキノは引き金にかけた指に力を込める。

 

 カトリナが嘗められればその時点で詰みだ。自分達はそうなった時の応戦義務がある。

 

「……失礼。あなたは」

 

『あっ……私はその……オフィーリアを、そしてエンデュランス・フラクタルを率いています。カトリナ・シンジョウ委任担当官です』

 

「エンデュランス・フラクタルの? ではレジスタンスの掲げる血濡れの淑女(ジャンヌ)とは、あなたの事か」

 

 返答次第では、とユキノは汗ばんだ掌を感じ取る。

 

 カトリナは応じようとして、何度か言葉を彷徨わせていた。

 

『それはその……あっ、いえ……その通りなんですけれど……。その呼び名は別に……。ああ、いえ、そう……なんですよね。私はだって、あなた達の拠点に何度も仕掛けた……張本人なんですから』

 

 どう出る? とユキノはダビデを照準したまま情勢を観察する。

 

 カトリナの返答は少しばかり迂闊であった。ここで嘗められてしまえば、この会談そのものが瓦解する恐れもある。

 

 今は、慎重な判断を……と緊張を引き締めた自分に、カトリナは言葉を重ねていた。

 

 バイザーを上げ、真っ直ぐな瞳をダビデに据える。

 

「……私は……あなた達の仲間を何人も殺してきました。仇討ちのためだと言うのならば、受けるつもりです」

 

「そうか。レジスタンス組織が何度か我が方に攻撃してきているのは耳に入っている。……死ななくていい人間が死んで行ったのも」

 

 一触即発の空気にユキノは判断を乞おうとレミア達に視線を流す。

 

 レミアは眼差しだけで否定していた。

 

 今は、カトリナだけに任せようと言うのか。

 

「……そう、ですよね……。それはだって、撃った側の責任……。でも、私は間違った事をしたとは思っていません。だって、自分で簡単に間違いなんて決めてしまえば……それは死んだ人達に対しての、何よりの侮辱になるはずですから……っ!」

 

 精一杯の、虚勢を張った論調。

 

 届くか、とユキノが構えを崩さずにいると、ダビデは目を細めて、やがて不意打ち気味に口にしていた。

 

「……あなたが、その口で死ねと命じ、その指先で殺せと言ってきた。その咎は受けるべきだと?」

 

 危険な質問だ。

 

 返答の是非次第では皆殺しにされかねない。

 

 ユキノは緊張に唾を飲み下した。

 

 それはアルベルト達も同じのようで、この質問だけで切り捨てられるかどうかがかかっていると判定していた。

 

 カトリナはそっと、視線を落としてから、やがて意を決したように拳を握り締める。

 

「……はい。私はいずれ、咎を受けるべきだと、そう感じています。……でも今はそうじゃない。ダリンズ中尉、あなたもそうだと感じてくれているから、こうして会談の場を設けてくれたんじゃないですか? だってそうじゃなければ、私とあなた達はただの敵同士のはずです。話し合いをしてくれている以上、今交わすべきなのは銃弾じゃない。お互いをよく知るための……そういう言葉のはずです」

 

 どう出るのか。

 

 全員が固唾を呑んで見守る中で、ダビデはふむ、と一呼吸置いてから言葉にする。

 

「……そうか。そういう人格だったか、あなたは。一言だけ、言い置こう。あなた達……元エンデュランス・フラクタル、ベアトリーチェ所属の人々に殺された者も少なからずいる。因縁を感じている人間も。……だが私は、今はそのような事実を直視して、それで議論を進めないわけにはいかない。何故ならば、私も同じだ。話し合うために、あなた方と渡りを付けに来た。それはネメシスの有する最新鋭艦であったブリギットの拿捕と言う事実と結びつく。あなた方の最終目的を知りたい。レジスタンス活動を続け、そして先の戦闘結果より、エンデュランス・フラクタル同士でも諍いを起こしている様子。何が、あなた達の目指すところか」

 

 ここでクラードが居れば、間違いようのない事実を彼女に突きつけただろう。

 

 それが敵意であれ、叛意であれ。

 

 カトリナに言えるのか、とユキノは照準器から僅かに視線を向けていた。

 

 彼女は僅かに躊躇った後、その真意を口にする。

 

「……私は……いいえ、私達は……この間違った世界へと、叛逆を翻すだけ。そのためになりふりなんて構っていられない。最後の最後の、その一滴になるまで、私達は間違いに対しての抗いを続ける……そういうつもりで、戦ってきました。……いいえ、でもそうじゃないのかもしれない」

 

『……カトリナさん……?』

 

 思わず声が出てしまっていた。

 

 途中までならば指揮官の台詞としては上出来であったのに、最後に付け加えられたのは弱さそのもののようで、自分でも意想外であったのもある。

 

 カトリナはこちらへと一瞥を寄越してから、その続きを紡ぐ。

 

「……私は弱い。弱いだけの、それで諦めが悪いだけの人間です。この手で死ねと命じた、この手で撃てとそそのかしてきた。でもそれが、全て正解であったのかも、間違いであったのかも、それも何もかも、未来で是非を問われるものでしょう。私は、足を止めないでいたい。……右足と左足を交互に動かせば、前にだけは進める。だから私の叛逆に意味があるかどうかを問うのは私でも、ましてやダリンズ中尉、あなたでもない。……それはきっと、未来の誰かなんです。だから、今の時点でのメリットやデメリットを、私個人で問う事は出来ない。……それがどれだけ弱さであろうとも、それさえも捨て去れば、それは私でさえないはずだから……だから……」

 

 進むだけなのだ、と。

 

 最後に結んだカトリナは撃たれてもおかしくはなかった。

 

 この場で発するべきなのは先ほどの台詞の中腹までであって、今の言葉は余分でしかない。

 

 しかし、カトリナは唇を強く引き結ぶ。

 

 それが言えないのならば、自分になんて価値はないのだとでも言うように。

 

 ダビデはその言葉を受け取ってから、やがて問いかけていた。

 

「……その前に進む意思は、あなたのものか。それとも、誰かに与えられたものか」

 

「私のものです。他の誰でもない、カトリナ・シンジョウの……言葉です……!」

 

 譲らない様子のカトリナに、ダビデは上げていた手をそっと降ろしていた。

 

 攻撃が来るか、と身構えたこちらに対し、彼女はフッと笑みを刻む。

 

 それから発せられたのは、完全に想定外の――笑い声であった。

 

 哄笑でも、ましてや嘲りでもない。

 

 心底可笑しいとでも言うような笑い声がブリギットの高い廊下に響き渡った後に、ダビデは後ろに控えている二人へと命じていた。

 

「なるほど……。あなたは相当に……食わせ者だという事か。二人とも、下がれ。正直、ね。返答次第ではこのブリギット艦を爆破するくらいは心得てきたのだが……いやはや、これは何と言うか……毒気を抜かれた、が正しいかな」

 

「あの……それは……っ」

 

「ないよ。もうその意思はない。あなたに問い質して、適当な取り繕いや、あるいは誰かの受け売りが帰ってくるのならば、こちらにも考えはあったが……。その眼差しに宿った光を見るに、下手に賢しく出ようとしての言葉ではないらしい。いや、失礼。これは侮辱もでもあったか」

 

「い、いえ……っ、わたひのこうほそ、ひつへいに……うひゃぁ……噛んじゃった……」

 

 肝心なところでのカトリナの狼藉にしかし、ダビデは神経を逆撫でされた様子もない。

 

 むしろ、これまでの警戒を解いたようでもある。

 

「……考えていたのはレミア・フロイト少佐。あなたがこのカトリナ・シンジョウに何かを吹き込んで我々を煙に巻く、と言うシナリオだったが……そうではなかった。私は、信じよう。このカトリナ・シンジョウを。その上で、考えを述べさせていただく。我が軍警察、トライアウトジェネシスは疲弊している。いや、正確に言えば凋落の一途にある、と言うのが正しい」

 

 思いも寄らぬ告白に自分だけではない、この場に集った全員が呆気に取られていた。

 

「その沈黙、想定外であった、というものであろう。しかし、私は真実を述べている。何よりも、偽る必要性は、この長ならばなさそうなのでね」

 

 カトリナは顔を上気させてその言葉を受け止めていた。

 

『それは交渉が成立した、と言う証と取っても?』

 

「そう受け取ってもらって構わない。我々トライアウトジェネシスは、軍警察全体の腐敗に対し、一つの結論を叩きつけに来た。ブリギット艦はあなた方からしてみれば的の大きいだけの邪魔だろうが、我々がそちらに与すれば、邪魔なだけの艦艇ではなくなる」

 

『確かに、トライアウトジェネシスの技術と、そしてノウハウがあれば、ブリギットを修復も出来るし、その上で応戦も可能になる。……でもいいの? それは軍警察においての裏切り行為でしょう?』

 

「あなたがそれを説くか。だが、今は反目し合っている暇も惜しい。我々はブリギットに現トライアウトジェネシスの戦力を集中させ、撃つべき相手を見据えるように構えている。その対象は、統合機構軍上層部。エンデュランス・フラクタルと、そしてマグナマトリクス社、クロックワークス社を含む企業の魑魅魍魎共を指す。即ち、これまでのあなた方にとっての友軍である」

 

『軍警察に降れと言うの?』

 

「それは正しくない。私は、新たな勢力としての擁立を考えている。トライアウトジェネシスはあなた方に力を貸し、順当なる秩序の復権に力を充てるものである」

 

『順当なる秩序、ね。……そこに私達の居場所はあるのだと、そう思っていいのかしら?』

 

「保証は出来かねるが、共闘の赴きはある、と言っておこう」

 

『……どうとでも取れるような発言ね』

 

「そう言うしかないのが実情だ。現トライアウトは権力に寄り添ったネメシスの台頭と、そしてブレーメンの読めない動きがある。恐らくトライアウトブレーメンは統合機構軍と通じ、騎屍兵達の戦力を拡充しての第四種殲滅戦の掌握を目論んでいるのだろう」

 

 まさか、そこまでだとは思いも寄らない。

 

 カトリナは真正直に驚愕しているようであった。

 

「で、でも……っ! 騎屍兵を率いているのは、軍警察上層部だって……!」

 

『カトリナさん。それに関しては私の持ち帰った情報が正しかったという事ね。加えてピアーナとモルガンが仕掛けて来るのに、何の大義名分も必要ない事が明らかになった。十中八九間違いなく、統合機構軍上層部は黒よ』

 

 そんな、とカトリナが力なく呟く。

 

 無理もない。彼女からしてみればこれまで支援してきたそのものが裏切り行為のようなものなのだから。

 

「……ショックが大きいようだが、先に言っておく。私達は偽りの権力の立ち位置に疑問を持っているだけだ。所詮は兵士でしかない。だが軍警察がこのまま矢面に立って、この世全ての怨念を受け止める構図は間違っている。私達は、何もしていなかったとは言わない。これまでの統制は職務であったと認めよう。だがこの一年余りの騎屍兵の狼藉は目に余る。我々は自らが引き受ける敵意は甘んじて受けるが、覚えのない敵意まで身に帯びるのは御免だという事だ」

 

『それはあなた達が、他者からしてみれば私達の側に寝返ったように映る、という事を承知してなのかしら』

 

「……世界にどう見られようとも構わない。私達は真実だけが欲しい」

 

 ダビデの偽りのない眼差しに、レミアが口を差し挟むよりも先に、カトリナが歩み出ていた。

 

「その……私も……っ! あ、私だけじゃないですけれど……私達も! ……そのつもりです。世界にどのような誹りを受けたってかまわない。ただ……真実だけが欲しいんです」

 

『……カトリナさん? 今のタイミングは私が喋るべきだって分からなかった?』

 

 ハッとしてカトリナは取り成そうとしたのを、レミアはノーマルスーツのバイザーを上げていた。

 

「まったく、あなたって言う人は……ここぞって言う時に変わらない……。でも、今はそれが幸いしたみたい。ダビデ・ダリンズ中尉。あなた方の意見を呑む前に、一度しっかりと、互いのスタンスを話し合うべきでしょうね」

 

「了承が取れたのだと、そう思ってもよろしいか」

 

「了承も何も。この委任担当官さんはもう、そのつもりでしょうし、今じゃ彼女がボスなのよ。私は、ただ流れ流れた女でしかないもの」

 

 レミアのスタンスを目の当たりにしてから、ダビデは応じる。

 

「……では、私達も合流しよう。ブリギット級が手に入ったとなれば、こちらの駒の進め方も変わってくる」

 

 ダビデは歩み出てカトリナへと視線を据える。

 

 身長がちょうど頭一つ分ほど抜きん出ている彼女に対し、カトリナは見上げる形だ。

 

「えと……あの、その……」

 

「……ここまで真正直ならば、もっと早く……いや、それも間違いか」

 

「えっ……あのぉー……」

 

「何でもない。私だけでは戦力の拡充は難しい。一度持ち帰ってもいいか」

 

「構わないけれど、人質くらいは欲しいわね」

 

「では私が居残ろう。二人はポートホームでトライアウトジェネシスの拠点へと伝令を。ブリギット級を動かすだけの人員を送ってから、我々の要求を聞いてもらいたい」

 

「それは補給が受けられると判断しても?」

 

「ああ、コロニー、ルーベン。ここからほど近いコロニーにて、旗艦の補給を受諾しよう」

 

「それは想定外であった、ような言い草だけれど」

 

「……少しばかり牽制が必要かとも思っていたが、必要なさそうだ。カトリナ・シンジョウ」

 

 呼びかけられてカトリナは下手にかしこまる。

 

「は、はひ……っ!」

 

「……あなたのお陰で、少しは話し合いが進む。感謝している」

 

「へ、へっ……?」

 

 自分の手柄だとは思ってもみなかったのだろう。レミアは肩を竦めて声にしていた。

 

「喜んで、カトリナさん。あなたの仕事の中でもまぁまぁ最上の結果よ」

 

「あ、それってぇ……この交渉が、成功したって……」

 

「言葉にすれば陳腐に落ちる。ダビデ・ダリンズ中尉。握手をしてもいいかしら?」

 

 歩み出たレミアにダビデは手を握り返す。

 

「ああ。これからはよろしく頼む」

 

「え、えっとそのぉー……私、その……」

 

 困惑するカトリナの肩をバーミットが掴んで引き寄せる。ようやくバイザーを上げたバーミットにカトリナは視線を振り向けていた。

 

「今は、光栄に思いなさい。カトリナちゃんが誰に与えられたでもない、カトリナちゃんの言葉で、今はここまで譲歩してもらっているんだから」

 

「えっと……じゃあその、ありがとうございますっ!」

 

「謝礼を言うのは僅かに早い。これから起こる事こそが、あなた方に震撼を与えるであろう。トライアウトジェネシス勢力がレジスタンスに付くとなれば、それ相応の反発が来ると考えるべきだ。レジスタンス内部の軋轢もな」

 

 ダビデ以外の二人がポートホームを通じて帰還してから、ユキノ達はようやく気密を確かめてバイザーを上げる。

 

「警戒は怠らないか。統率された、良い兵士達だ」

 

「いえ、その……皆さん、いい方ばかりですので」

 

「その評は私達の下すものだろう。あなたのものではない」

 

 カトリナはまるで事態に転がされていくばかりであったが、彼女の言葉がこの状況の打開策になったのは確かである。

 

 ユキノは安全装置を外した状態で、ダビデを包囲する。引き金はまだ指にかけたままだ。

 

「で、話を聞こうかしら。まずは……こちらの知り得る情報とそちらの提供する情報の擦り合わせ。私達は同じ敵を睨まないといけない。そうでしょう? ダリンズ中尉」

 

「そうだな。……少しばかり、話は長くなる。敵が来ないとも限らない。その間に、ブリギットの修復を行いたい。可能か?」

 

「可能不可能の論議で言えば、あなた達も随分と無茶しているみたいだし、私達は飲みましょう。それくらいはしないと、割に合わなでしょうし」

 

「理解があって助かる。オフィーリアの航路をコロニー、ルーベンに設定し、そちらで友軍と合流する。その時には……すぐにでも戦えるように」

 

「あの……戦うってそのぉー……。私達も軍警察も、統合機構軍と矛を交えるって事なんですよね?」

 

「カトリナさん。営業部のタジマ部長からの連絡は?」

 

「それが……前の作戦を最後になくって……これってやっぱり……」

 

 レミアとダビデは視線を合わせ、それから呟く。

 

「……どうやら、こちらも調停しないといけなさそうね」

 

 



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第141話「罪と罰」

 

 意識の網が暗礁に沈んでから、そう経っていないはずだ。

 

 浮かばせた懸念に、ザライアンは拘束されている己を自覚していた。

 

「空間跳躍は出来ないように、ダレトよりもたらされた特製の拘束具です。無視して飛ぼうとすれば、拘束されている箇所が抜け落ちますよ」

 

 こちらを見据える微笑み顔のタジマに、ザライアンは睨み返す。

 

 今は拘束具に留められていてそれ以外の抵抗は出来ないでいた。

 

「ああ、そう睨まないで。我々としてもこれはかなりの追い込まれた策なのです。何せ、彼らが手に入れてしまった。七番目の聖獣を」

 

 口元まで覆い隠された拘束服は白銀に輝き、自分の放つ思惟を遮断する。

 

 それは常ならば接続されている《フォースベガ》とのリンクを完全に断ち切っていた。

 

「どうです? 半身を封じられたと言うのは」

 

 無言を抵抗の意とすると、タジマはその顎に手を添えていた。

 

「ふむ……あなた方はどうしてそこまで攻撃的なのです。我々が望むのは同じ……この世界の調停のはず」

 

 タジマが黒服を顎でしゃくり、自分の口元だけを拘束服から引き剥がす。

 

 随分と時間が経ってからの口中は乾いており、言葉にする前に舌が痺れていた。

 

「焦らないでも大丈夫ですよ。ここはトライアウトブレーメンの艦内。ベアトリーチェ級の中です」

 

「……あなた方は何のために、僕を拘束した。これは大きな損失と、そして叛意となる」

 

「存じております。ザライアン・リーブス。木星船団の師団長であり、宇宙飛行士、あるいは宇宙の戦士とも。ですが、あなたの正体にはそれらの記号は邪魔なだけだ。その真意は、この次元宇宙に出現した、四番目の使者。MF、《フォースベガ》のパイロット。特一級対象と成り得る存在」

 

「……そこまで分かっていての行動だとすれば、天罰が下るのはそちらだ」

 

 その言葉を放った途端、タジマはぷっと吹き出していた。

 

「失礼……天罰とは。あなた方が言いますか。かつての月軌道艦隊を駆逐し、旧連邦勢力を地に堕とした、災厄の担い手が」

 

「……僕はあなた方のような人間のために戦ったのではない」

 

「ですが、最近はご執心であったようだ。月軌道艦隊、アルチーナ。彼らとは長いので?」

 

「……答える義務はない」

 

「それは残念。最後に聞いておきたかったのに」

 

 その言葉振りにザライアンは顔を上げていた。

 

「まさか……やめろ……」

 

 投射映像が自傷防止の牢獄に映し出される。

 

 その中でアルチーナ艦に向けてトライアウトブレーメンより放たれていたのはミラーヘッドを運用する軍警察の紺色の機体達であった。

 

 即座に包囲し、アルチーナが火の手を上げる。

 

「やめろ……やめさせてくれ……!」

 

「艦長とは懇意になさっていたのでしょう。何せ、これまで《フォースベガ》による鉄壁の守りを誇ってきた。だが、時代は動かなければいけない。停滞は、人類にとって最もあってはならない厄災である。……引用不明ですが」

 

《レグルス》部隊が火線を張り、アルチーナは瞬く間にアステロイドジェネレーターに引火して収縮爆発を生じさせ、光輪が浮かび上がった時には全ての命が途絶えていた。

 

 ザライアンは悔恨を噛み締めるように、その場で項垂れる。

 

「……何て事を……。貴様らは悪魔だ……! 貴様らのやった事は、我々だけではない、この次元宇宙を歪めるぞ……!」

 

「それは彼女にも言われた。不本意ですね。二人のMFのパイロットに、似たような事を言われるのは」

 

「……彼女……?」

 

 続いてタジマが映し出したのは、別の拷問部屋にて椅子に拘束されている金髪の女性であった。

 

 絶望に沈んだ瞳が、彼女のこれまでの経緯を物語っている。

 

 その瞳を目にした途端、心臓が収縮する。

 

 あってはならぬ邂逅が、脳細胞を痙攣させていた。

 

 頭蓋に突き立つのは、禁忌の電流。

 

「……まさか、MF02のパイロット……」

 

「――ヴィヴィー・スゥ。彼女には我が方も手を焼いている。何せ、どれだけの拷問に晒されても何も喋らないのです。あなた方の所属していた次元宇宙に関しても。そして、“破局”に関しての事も、何一つ」

 

「……何故、その単語を知っている……」

 

 戦慄いたザライアンの眼差しに、タジマは静かな論調で応じていた。

 

「静かに。あなた方の動揺はこの世界を震えさせる。《フォースベガ》、《ネクストデネブ》、どちらだって今来てもらえばまずい。それくらいは承知ですよね?」

 

「……彼女は、呼べないのか」

 

「いくつか制約を付けさせていただいています。《ネクストデネブ》を呼べば、言葉にするのもおぞましい拷問を施す事になる」

 

 それは窺える。

 

 ヴィヴィーの頭部に備え付けられた弓状のヘッドセットは自分達の力を封じるためにこの次元宇宙の人々が造り上げたものだ。

 

「便利でよろしい。あのヘッドセット、あなた方の脳内ニューロンに介入し、少しずつ自我を奪う事が出来る。それもこれもあなた方をこの次元宇宙に制約し続ける者達の造り上げた技術だと言うのに、今はこうして利用するのは我らだ」

 

「……彼女の苦しみは僕の苦しみだ。何せ、僕と彼女は……」

 

「――繋がっている。そうでしたね? あなた達、MFのパイロット同士は。次元宇宙に堕とされた際に生じたひずみ。それは同じMFのパイロット同士に関してパラドクスを生じさせた。あなたは彼女であり、彼女はあなたでもある」

 

「……そこまで分かっていて、貴様らはこんな行いをしたのか……! 僕は……! 彼らに降ったんだ! もう争う必要なんて……ないと思っていたのに……」

 

 頬を伝う熱を抑える事も出来ずに、ザライアンは滴が頬から落ちるのを感じ取っていた。

 

 タジマは自分の耳元へとそっと囁きかける。

 

「別に我々とて強硬策を取りたいわけではないのです。ただ、教えていただきたい。あなた方と協定を結んだ存在に関して。彼らはこの次元宇宙で遥か彼方より思惑を巡らせている。我々現行人類では、辿り着いた時点で消されるだけ。ですが、あなた方ならば届く。彼岸の存在、それはこの宇宙を混迷と争いの煉獄に落とした根源――ダーレットチルドレンへと。あなた方は鍵だ。鍵ならば、扉に通じていなければおかしい。さぁ、答えていただきましょうか。MFのパイロット達はどのような約定を我々と結んだのか。それが分かれば、統合機構軍としては動きやすくなる」

 

 ザライアンはその首筋に噛み付こうとして、肉体を走った蒼白い電流を感じ取る。

 

 痙攣した身を起こす事も出来ずに、無様に転がっていた。

 

「危ない危ない。だから枷が必要なのです。あなたも彼女にも。ヴィヴィー・スゥ。彼女の素性から明かしましょうか。巧妙に潜り込んだものです。王族親衛隊とは。しかし、その身分を詳らかにすれば、自ずと見えてくる。王族親衛隊は世界を覆う悪意そのものだ。彼らにとってのルールは、現行人類にとっての大きな枷となる」

 

 抗弁を垂れようとして、舌まで爛れて言葉を発せられない。

 

「どれだけ痛めつけても、あなた方は繋がっている。ゆえに、一人殺した程度では殺せない。厄介なものですよ。次元同位体、ドッペルゲンガー。またの名を――波長生命体と言うのは」

 

 その言葉を反芻する前に、ザライアンは視線の一点が黒服の持つ弓状のヘッドセットへと注がれていた。

 

 身をよじり、精一杯抵抗しようとするが、先ほどの蒼白い電流は自分から全ての力を奪い取っていた。

 

 頭部に嵌められたヘッドセットは、「自分達」にとっては最も唾棄すべき毒。

 

「そのままでも答えられますね? 何故、この次元宇宙を選んだのか。イエスかノーで答えてもらいたい。ああ、大丈夫。ある程度の察しはついておりますので、見当違いの質問は致しません。第一、そうでなければMFを抱き込めるわけがない」

 

 ザライアンの眼差しに対し、タジマは眼鏡の奥の瞳を細める。

 

「あなた方には期待しているのですよ。何せ、ダレトからもたらされたギフトはすべからく、我々の技術を後押ししてきた。ミラーヘッド、量子転送、有機伝導体操作技術など様々な技術恩恵は、今日の人類を然るべきステージへと引き上げた。感謝くらいはしているのです。あなた方が居なければ、我々は類人猿のような生き様で満足していた。さて、彼女の相手に戻りましょうか。あなたにとってフィードバックされる彼女の痛みが、どれだけの時間耐えられるでしょうかね」

 

 ザライアンは思惟を飛ばそうとして、どれだけ足掻いても《フォースベガ》を手足のように扱っていた頃には戻れないのを感じていた。

 

 だがこのようなところで、終わりなど。

 

 終焉にしてはあまりに脆い。

 

 タジマは一つ指を立て、それから質問する。

 

「では、一つ目。ダーレットチルドレンがあなた方と交わした約定。それに関する説ですが……恐らくはこう言われたのではありませんか? “約束を守る代わりに恩恵を。ダレトの向こう側の技術は我々が率先して人類に与える。その代わり、MF同士の戦闘行為を全て封鎖せよ”とでもね。MFは月のダレトに触れようとした人類を消し飛ばすためだけに使え、という事でしょう。事実、我々は幾度となく月のダレトに挑戦し続けてきた。“夏への扉事変”、知らないとは言わせません」

 

 ザライアンは顔を地に伏せて、沈黙を返す。

 

 タジマは自分の周りを歩みつつ、推論を口にする。

 

「あの戦いで当時の連邦月軌道艦隊の八割が消滅させられた。誰でもない、あなた方MFと使者によって。その時の事はよく覚えていらっしゃるのではないですか? 何せ、あなた方はようやく辿り着いた楽園の地平にて、手痛い反撃を受けたのですからね」

 

 ザライアンは涙する顔をタジマへと横たえさせ、その記憶を呼び覚まそうとする。

 

 それは――審判の記憶であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第十四章 「世界への拒絶本能〈キラー・オブ・トワイライトチルドレン〉」了

 



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第十五章「憤怒の先に待ち受けるものよ〈デッドエンド・オブ・ラース〉」
第142話「煉獄輪廻忌憚」


 

 宇宙の常闇に浮かんでいるのはいささか抵抗を感じるが、それでも不思議と恐怖はなかった。

 

 少なくとも以前のような白い闇に包まれるよりかはまだマシであろうと、身を起こしたクラードは周囲の状況把握に努める。

 

「……ここは」

 

「また堕ちてきたのか、エージェント、クラード」

 

 その言葉にクラードは身構えて振り返っていた。

 

 白い老人が星空を仰いでこちらへと視線を流す。

 

「……貴様は……待て。何故俺は……忘れていた? どうしてここでの記憶は持ち越せない……?」

 

「それはここが煉獄であるからだ。夢うつつの脳裏では、ここの記憶を保持したまま現世には舞い戻れない。それは何となくでも分かっているのではないか?」

 

 ここは煉獄――そう告げられて、意想外でもなければ、反感を覚えるでもない。

 

 ただ、どこかに馴染みを感じたのは、やはり異常事態なのであろうが、クラードは老人を見据えていた。

 

「……これは何だ? 前回や……その前とも違う。俺の記憶じゃない」

 

「そうだな。これは……我の記憶に近いものがあるのだろう。あれを見るといい」

 

 推進剤の尾を引いて向かってくるのはクルエラ級の戦艦の隊列であった。

 

 数十隻の艦艇はそれぞれ、目指すべきものを見据えている。

 

 それは星の輝きでさえも吸い込む、大虚ろそのもの。

 

「……ダレト。これは……地球連邦のダレト侵攻時の記憶か……」

 

「物分りはいいほうではないか。そうだとも。これこそが“夏への扉事変”と、そちらが呼称する事実の全貌だ」

 

 言葉を発する前に、艦砲射撃が見舞われ、ダレトを中心軸に据えて現れた機影へと一斉掃射が浴びせられている。

 

 その機影は瞬時に火線を掻い潜り、巨大な砲塔をいくつか重ねていた。

 

 疾駆の機影の眼窩が虹色に波打ち、艦隊を睨むと、直後には蒸発の砲撃が返答される。

 

「……MF02……《ネクストデネブ》」

 

「お前はあれと戦った事があるようだな。何ともまぁ、無茶をしたものよ」

 

《ネクストデネブ》は憤怒に駆られたように次々と砲撃網を艦艇に向けていく。

 

 こちらからの応戦は豆鉄砲のようなもので、《ネクストデネブ》の装甲に傷一つ付けられない。

 

「Iフィールドバリア……」

 

「左様。MF02は我とは違う、別の次元宇宙にて、技術特異点まで昇華された機体。ゆえに、この時空の攻撃などまるで通用しない」

 

 理が違うのだ、とクラードは瞬時に理解していた。

 

《ネクストデネブ》の装甲を叩くだけの重火砲など、まるで意味を成さない。

 

 クルエラ級艦隊がMS部隊を出撃させていく。

 

 その陣形を直上よりもたらされた黄金の帯が突き抜けていた。

 

 射抜かれた形のMSは誘爆の輝きを刻んでいく。

 

「……MF01……《ファーストヴィーナス》」

 

「最初にこの次元宇宙に訪れた使者だ。もっとも、この時点においては、彼らにはその呼称も存在しないようだが」

 

『散れ、散れーっ! 敵勢は謎の攻撃を発動! 我が方は追い込まれるだけだぞ!』

 

『これは……光の帯です! 何なんだ……ビームでも何でもない……』

 

『光線兵器と断定出来ません! 相手の光の攻撃……継続して……』

 

《ファーストヴィーナス》はその一本角に円環の光を押し広げる。

 

 その光景に艦内の人々が祈りを捧げるように膝を折ったのをクラードは極大化された視野で目にしていた。

 

『……神よ……』

 

《ファーストヴィーナス》は機体を軸にして光の帯を纏い、クルエラ級へと降り立って来る。

 

 その光景はさながら世界の終焉であろう。

 

 接触した途端、クルエラ級の装甲は剥げ落ち、やがて蒸発の彼方へと追い込まれていく。

 

《ネクストデネブ》の怨嗟は止まらない。

 

 脚を止めた艦隊を次々と焼き尽くし、紅蓮の彼方で虹色の眼光が瞬く。

 

『……こんな事が……こんな事が……』

 

 MS隊が必死に実弾を見舞うが、それらをことごとく弾くのはマリオネットのように項垂れる三番目の使者であった。

 

「《サードアルタイル》……」

 

「我の乗って来た舟がこのように攻撃に晒されるとはな。だがこの時点での人々の叡智ではまるで届かぬとも。《サードアルタイル》は我の次元宇宙において、遥かな高みにある。それに対して、この宇宙の野蛮なる人類は牙を剥く事しか知らぬのか……」

 

 火線が舞い散る中で、大隊を掻っ切ったのはMS大の機体であった。

 

 その腕に四枚の刃を構築させ、放たれた重力の切断面が地球連邦のMSを溶断していく。

 

 切断面はまるで鮮やかで、斬られた事さえも人々は気付けない。

 

 ――否、それの真価は「切断」という概念にある。

 

 この世において「斬絶」出来る存在ならば、MF04――《フォースベガ》の叡智はすべからく届く。

 

 よってそれは、この世界の理でさえも同義。

 

 大きさだけは他のMFよりも小型でありながら、その躯体を活かしてMS大隊を突っ切り、腕を薙ぎ払う。

 

 瞬間、断ち切られたのは空間そのものであった。

 

 だが彼らには結果として巨大なる溶断が大規模でもたらされた、という事象を生み出す。

 

 切断された宙域が収縮爆発を引き起こし、まだその域に達していないクルエラ級の艦隊を包み込んでいく。

 

『何が起こったんだ! 宇宙が……割れる……?』

 

「次元の地平線でさえも断ち割るだけの力を持つMF04は、この時点ではまるで解明出来ない魔であった事だろう。その証拠に、見てみるがいい。彼の者達は自分達が概念として“切断された”事にさえも気付けないまま死んで行く」

 

《フォースベガ》の本懐は「切断可能な事象全ての斬絶」である。

 

《フォースベガ》が振るった刃はこの次元宇宙では決して観測されない、完璧な溶断兵器であろう。

 

 刃を流転させ、《フォースベガ》は鋭い眼光で大艦隊を睨む。

 

 その睥睨の眼差しはどこかで見覚えがあった。

 

「……《フォースベガ》の基礎設計は……レヴォルと同じ……?」

 

「この時点では《オルディヌス》であっただろうがね。《フォースベガ》は君達の次元宇宙に近い技術で構築されている。だからこそ、叡智が届いたのだろう。しかし、ここまで愚かしく我と、そしてMFに立ち向かっていたとはね」

 

 MSが《サードアルタイル》を粉砕せんと直進していくが、装甲を射抜く事さえも出来ずに特攻し、やがて散っていく。

 

「やめろ……これは無意味だ」

 

「今さらだろう。そしてこれは記憶だとも。“夏への扉事変”において、そちら側が行った愚行の記憶だ。モビルフォートレス――決して破壊出来ない事だけを証明した、敗残の記憶だとも。何故だと思う、エージェント、クラード。何故、お前達はMFに傷一つ付けられなかったのか」

 

 不意打ち気味の質問に、クラードは今も光輪が舞う宙域へと歩を進めて応じる。

 

「……技術が足りなかった。いいや、叡智か。全ては無知であったからこそ、このような犠牲を生んだ……」

 

「そうだ。だが無知であったとして、これはせいぜい二十年程度前の記憶だとも。どうしてこのたった二十年で、この次元宇宙の人類はミラーヘッド、有機伝導体操作技術を確立出来たのか。その謎にまだ肉薄出来ていないぞ」

 

「……何が言いたい、貴様は……」

 

「思い出してみるといい、クラードよ。何故、テスタメントベースには全てがあったのか。そう教えられたのは何故なのか。お前達の旅路の果てにあったあの結果は、一体何であったのか。お前は、我と邂逅するために存在していた」

 

「……どういう、意味だ……」

 

 白い老人は世界を見据え、手を払う。

 

「少しだけ、時を戻そう。この“夏への扉事変”にて、君達はMFの破壊は不可能だと判定した。だがその数年後、ダレトより技術恩恵を得た者が居る。その人間の名前は記されていないが、彼らは形式として、こう名乗った。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー、と言う名を」

 

「エーリッヒ……?」

 

 どうしてなのだかその名は、忘れてはならない名前である事が今、克明に分かっていた。

 

「彼奴等は我の名を騙り、技術恩恵をこの次元宇宙にもたらした。それと同時に、MFのパイロット達とも出会っていた」

 

 場面が切り替わり、デブリの浮かぶばかりの月面宙域から建造中のテスタメントベースへと視線が引き移されていく。

 

 テスタメントベースはオートマタによって開発されていたが、その中心軸に眠っていたのは転写された人格データを有する頭脳であった。

 

「……あれは、貴様か」

 

「こうして形状を保っていられるのは悔しいが彼らのお陰でもある。我は《ファーストヴィーナス》のパイロットよりも僅かに速く、この宇宙に到達し、そして最も優れた知性体とのコンタクトを試みた」

 

「最も優れた知性体……?」

 

 その時、不意に世界が鳴動し、砂嵐の向こう側より声が発せられる。

 

 どうしてなのだか、それは子供の声を伴わせていた。

 

『エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。その叡智、そして力は驚嘆に値する』

 

『よって貴君を滅却、後にこのテスタメントベースに封印する。これで三番目の使者の動きは封殺されたか』

 

『だが、あまりにも迂闊であった。我々が第一次接触をしなければ、他の者が叡智を手に入れていたとなれば結果は大きく違っていただろう』

 

『しかし賢明であったのは、エーリッヒが我々に対して友好的であった事。彼を解体し、その持ち得る頭脳を解析した結果、もたらされたのは遠からぬ未来でのMFのパイロット達の応戦……。月軌道は数十年単位で人の手を拒むようになるぞ』

 

『だがそれも已む無し。ヒトの叡智は万能ではない。よって、我々が導く。そのための三番目の使者だ。彼の者は我々に力を与えた。月軌道で無数の命が散る事になるであろうが、仕方あるまい。月面に出現した超空間をこれより“月の扉(ムーンダレト)”と呼称。彼の者の攻撃が見られたとしても、それはあるべき断罪。生贄は捧げよう。これも仕組まれているのだからね』

 

「……こいつらは……」

 

「我の関知範囲をまるで凌駕する……。我でも、彼らの姿かたちを完全に把握は出来ない。しかし、彼らに接触を図った我は分解、解体、解析され、テスタメントベースの礎となった。そうして、我より全てを奪った者共は、我が名前さえも奪い去り、月のダレトの基礎設計理論を打ち立てた。それによって、この次元宇宙の人類の技術体系は跳ね上がり、ミラーヘッドの技術、量子転送、有機伝導体操作技術などを確立した。……もっとも、我の次元においてのそれは最早、千年以上の前の技術規範であったが……彼らはそれでもよかった。この宇宙を支配するのに、圧倒的な技術のギフトが存在するダレトを説明するのには、打ってつけであったのだ」

 

「……彼ら……彼らとは何だ。貴様の言い分では、ダレトから訪れるMFの攻勢は予見されていたと言うのか」

 

「予見されていても逃れる事は出来なかった、と言えよう。MFの存在をしかし、知っていたからこそ、彼らは手を打てた。MFのパイロット達との邂逅はその一つであろう」

 

 またしてもノイズの砂嵐の向こう側にて、向かい合う者達との相克が明らかになる。

 

「……こいつらは……俺、なのか……」

 

「勘付いてはいたのだろう? エージェント、クラード。MFを動かせる者達は、あの時。《シクススプロキオン》を討伐した際に。次元同一個体、ドッペルゲンガー……どうとでも言い換えられるが、我の言葉ではこう呼ぶ。扉の向こうより来たりし新たなる存在――波長生命体と」

 

「波長……生命体……」

 

「彼らもまた呼ばれたのだ。我々は脳の一部が進化し、呼び合う性質を持っている。この次元宇宙に招かれたのはそれぞれに理由はあるのだろうが、恐らくは似たようなものであろう。我々はそれぞれの宇宙にて、英雄的働きを行い、その果てに次元宇宙を超える力を手に入れた。ある者は、力を。ある者は、叡智を。ある者は、伝道者として。それを抱えたまま、呼び合う場所へと向かった。……だがその結果がこの様では、誰も報われまい」

 

 ノイズの向こう側へと視線を向ける者達は、それぞれ細部の違いはあろうとも、大雑把に見れば金髪に、赤い瞳を持つ――。

 

「……俺、なのか? どうして、俺が……」

 

「エージェント、クラード。お前がレヴォルに選ばれたのは偶然でも何でもない。全ては決められていたのだ。遥かなる次元の意思によって。呼び合う運命によって」

 

 クラードは膝を折る。

 

 一名だけはヘルメットを被っていたが、もう二名は素顔を晒し、ノイズばかりの地平の果てへと声にする。

 

『……我々は交戦を望んでいない。だと言うのに、どうして攻撃して来たのか』

 

『僕も言わせてもらおう。あなた方がこの次元宇宙において優れた知性体だと言うのならば、戦いは回避出来たはずだ。だと言うのに……あんなに死なせる事はなかった……』

 

 歩み出た二人にノイズの向こうの者達は冷徹に告げる。

 

『貴君らがこの次元宇宙に招かれた事は知っている。それは呼び合う性質だとも』

 

『しかし、この次元宇宙は遥かに未発達である。通常の人類とのファーストコンタクトは、思わぬ軋轢を生み出しかねない。よって我々が矢面に立つ』

 

 まだ少年の年かさと思しきほうはうろたえた後に尋ね返していた。

 

『……僕らに自由はないのか?』

 

『残念ながら、君達はあまりに同朋を殺し過ぎた。このまま何の咎も受けずにこの宇宙の人類が受け入れられると思っているのかね?』

 

 それは、と口ごもった少年に少女のほうが歩み出る。

 

『だが、敵意を向けてきたのはそちらである。抵抗は致し方なかった』

 

『そう、致し方なかった。よってこれより、約定を設ける』

 

『……約定……?』

 

『MFによる戦闘の全面停止。そして、貴君らにはあの扉を護ってもらおう。今もあちら側からの物質を送ってくる、大虚ろを』

 

『……ダレトを護れと言うのか? しかし、それならばこの次元宇宙の人類が適任のはずだ』

 

『言ったはずであろう。貴君らはあまりに力に特化し過ぎている。同朋殺しを行ったその手は血に汚れているはずだ』

 

『ならば、贖罪の道として扉を護り、そして想定されている時が訪れた際、貴君らは晴れて、それぞれの次元宇宙における英雄的働きを称賛される。それまで待ってもらいたい』

 

『……分からないな。我々に、世界の敵意を一身に受けろと?』

 

『そうしなければこの次元宇宙は崩壊してしまうであろう』

 

『左様。我々はこの宇宙を預かる優れた知性体として、貴君らを罰する義務がある。これは罪に対しての順当な罰なのだ。貴君らは罪を犯した。逃れ得ぬ罪状は、同族殺しとして縛り続けるであろう。しかして、戻るような手段がないのは既に理解している』

 

『……そうだ。僕らは戻れない……。どれだけ“ガンダム”の力が強大であっても、退路なんてないんだ……』

 

 少年の言葉の既視感にクラードは目を戦慄かせる。

 

 今、この少年は何と言ったのか。

 

 少女のほうはノイズの向こうに対して攻撃的に応じる。

 

『……気に入らないな。全てが計算通りのようで』

 

『なに、護れと言っているのは何も我々の同族を、と言う意味だけではない。ダレトの向こう、貴君らの保護すべき人々が居るはずだ。それに対しての防衛措置に成れば、貴君らも満足するだろう?』

 

『……我々に、扉を潜って来た私達に……脅迫すると言うのか』

 

『とんでもない。これは約定だよ』

 

『これを貴君らが守るのならば、我々は決して約束を違えない。この次元宇宙には然るべき手順で技術とギフトを与え、そして発展させる。貴君らが望んでいるように、人類の進化への貢献としてね』

 

 少女は凶悪に奥歯を噛み締めた後に、その鋭い赤い双眸で睨み上げる。

 

『……貴様らは悪魔だ。やはり最初にここに来た時……滅ぼすべきだった』

 

『だが滅ぼし合いの先に何が待っている? それは緩やかなる死だよ』

 

『そ、そのはずだ! 僕だって同じように思っている! ……正直、こっちの時空でも《エクエス》が運用されているなんて思いも寄らなかったが、もしかすると僕の居た時空とここは近いのかもしれない。ならば、少しは交渉の余地はある』

 

『ほう、四番目の使者のほうが賢明に映る。名は?』

 

 少年は唾を飲み下した後に、彼らに応じる。

 

『リーブス。――ザライアン・リーブス』

 

 少女は名乗らない。その気高い気質はこの段になっても名乗るのを拒否していた。

 

『ではザライアン・リーブスと、そして気高い獅子のような瞳を持つ使者よ。こちらで名前を当てがっても構わないか』

 

『……どうとでも呼ぶがいい。私は、任務を全うするだけだ。お前らの思惑など知った事か。私と《ネクストデネブ》は怒りをもって、この次元宇宙を焼き尽くす。それまで止まらない』

 

 胸元に留めていた懐中時計状の物体を僅かに挙動させる。すると、瞬時に奇形の宇宙服に身を纏い、少女は踵を返していった。

 

『……貴君はどうするかね。第一の使者』

 

『……守りましょう。月の扉を。どうせ、この次元宇宙に堕ちた時点で、あなた方の策に溺れたも同然。ただし、条件がある。私の身柄を追わないでいただきたい。《ファーストヴィーナス》の力を貸すが、それが条件である』

 

『なるほど、呑もう』

 

 その言葉を潮にして第一の使者は空間を跳躍して立ち去って行った。

 

 残されたのは、第四の使者である少年のみだ。

 

『貴君はどう動く? MF04は我々の時空と近しいものを感じる。貴君の行動次第で、この次元宇宙の人々の生活圏は様変わりするであろう』

 

 少年は何度か言葉を紡ぎ損ねた後、意を決したように唇を引き結ぶ。

 

『……それが英雄の……役目に近いのならば。僕は喜んでこの身を差し出そう』

 

『よく言ってくれた。ザライアン・リーブス。MF04に先遣隊を送り、その技術を提供していただきたい。それが翻ってみれば、貴君の訪れた意味であるのだろう』

 

『……ただし、条件はこちらもある。僕がMFのパイロットである事は、公には……』

 

『約束しよう』

 

『貴君にはこれより、木星船団の師団長として、この世界に馴染んでもらおう。この身分ならば隠れ蓑にはちょうどいいはずだ』

 

『先ほどの少女は王族親衛隊に招くとよいだろう。どうせ帰る道もないのだ。ならばそれに相応しい身分こそが、その身を守る事に繋がる』

 

『……一つ聞かせてくれ。あなた方は……この世界を守るために、僕達と約束を果たすんだな?』

 

『それは当然であろう。我々は知性体として、君達とコンタクトを取り、この世界の人類を代表する義務がある。しかし……幻滅しないで欲しいのは、まだこの次元宇宙の人々は何も学んでいない』

 

『幾度となく、月のダレトに立ち向かう事であろう。当然、MFにも』

 

『ともすれば突破されれば、貴君らの辿って来た次元宇宙を破壊される事にも成りかねない』

 

『そんな……それだけは駄目だ! やめさせてくれ! ……どれだけの犠牲だって払う!』

 

『ならば務めよ、ザライアン・リーブス。全てを守るために、戦え。たとえどれほどの恩讐と怨嗟を受けようとも、それがこの次元宇宙に堕ちてきたと言う意味なのだ。貴君はMFで抗い、戦い、その果てに平和を掴み取れ。それが出来なければ、剪定事象として、貴君の故郷は消え去るであろう』

 

 どれほどの時間が、どれほどの迷いがあったのだろう。

 

 クラードは自分と似通った相貌を持つ少年の決意を聞いていた。

 

『……故郷を守る。ヒトを守る。……それが“ガンダム”の乗り手の役割だ』

 

「ガン、ダム……」

 

「その通り。これは偶然の一致か、あるいは事象の集約か、彼らと我の乗って来たMFはそれぞれ、ガンダムの名を冠していた。その名は――《ガンダムレヴォル》。これは奇縁としか言いようがないだろうな。この次元宇宙で抗うために用いられた機体もまた、《ガンダムレヴォル》と言う名であったのは」

 

 クラードは立ち上がり、暗礁に沈んだ調停の間を満たす哄笑を耳にしていた。

 

『短慮、短慮よ』

 

『所詮、我らに比すれば彼らは訪れただけの存在。知らぬまま敵意を向けられるのは悔しかろう』

 

『だが……我々の生存を脅かす天敵は最大限にまで利用させてもらう。波長生命体、その本人には自覚がなくとも、貴様らは時空侵犯者――特異点なのだから』

 

 この者達は、今もこの宇宙を支配しているのか。

 

 この来英歴を、裏から操っていると言うのか。

 

 訪れし使者達の思惑を弄び、その結果として自らの保身に走った知性体――。

 

 クラードはノイズの向こうへと踏み出していた。

 

 壊すべきは、倒すべきは、叛逆すべきは――。

 

「……俺は貴様らのような存在のために、これまで戦ってきたんじゃない。俺は……! 俺の意志で、叛逆を続けてきた! 断じて! 貴様らのような存在を容認するためじゃない!」

 

「ならば決めよ、エージェント、クラード。彼らに立ち向かうと言うのか。MF達でさえ……訪れし使者達でさえも欺いたこの次元宇宙の膿に」

 

 クラードはすっと指鉄砲を向ける。

 

 それは撃つべき相手を決めた眼差し。

 

「俺は俺の叛逆を続けるのみだ。後悔なんてしない。こいつらが俺の道を阻むのならば……俺の敵に違いはない」

 

「だがその結果論として、同朋は大勢死ぬであろう。それでもいいのか?」

 

「……俺はこれまで、数多の屍の上に成り立ってきた。そういう生き様だ。ならば、俺は振り向かない。もう……振り向いて堪るか……!」

 

「エージェント、クラードよ。これは真実の一部分に過ぎない。彼らに肉薄するだけの手段は我には存在しない。こうしてお前と溶け合い、融合し、夢に干渉して真実を伝えていたとしても、だ。お前は醒めればきっと、こんな事実を忘れてしまう。煉獄に堕ちている事など、忘れて、目の前の戦場に躍起になる」

 

「……だが偽りでも知ってしまった。なら、俺には抗うだけの意志がある。ガンダムが敵の名前であろうとも、知った事か。俺は俺のためだけに生きている。《ガンダムレヴォル》が叛逆の名前なら、俺は示そう。それはきっと……間違いではなかったと」

 

 白い老人は再び暗礁に沈んだ世界を仰ぎ、静かに瞑目していた。

 

「……お前に力を与えたのは、そのような言葉を聞きたかったからなのかもしれないな。これも我の願望か」

 

「貴様は……三番目の使者なのだな」

 

 向き直ったこちらに老人は――エーリッヒはその瞳を据える。

 

「……こうしてお前に真実を見せても、何が敵かを説いても、目を醒ませば、うつつに戻れば、忘却してしまう。そういう風に出来ているのだ。我は、お前に希望を見出し、テスタメントベースで融合した。……そうしてこの三年間、お前と共に在った。お前はどのような絶望的な戦局でも抗い、そして自身の牙を突き立ててきた。だが、それでさえも無為なのだと、彼の者達は言うであろう。辿りつけなければ同じ事だ。我が力を貸しても、たとえ他のMFのパイロット達が約定を破って抗ったところで、既に彼らは手を打っている。見るがいい。あれが第五元素――お前の言う《レヴォル》がこの宇宙に訪れた姿だ」

 

 振り仰いだ先には宇宙の大虚ろたるダレトより抽出されたアタッシュケースほどの大きさしかない物体を捉えていた。

 

 それは自分が最初に出会った《レヴォル》の姿そのものであり、自分を見初めた原初の姿かたちだ。

 

 観測衛星が捕獲し、やがて巨大な重力を帯びているダレトより離れていく。

 

 その流星を眺め、クラードは声にしていた。

 

「……俺は俺を阻む全てへの叛逆を誓う。誰のためでもない、俺のための……」

 

「戦うのだな? この世界がどれほど無情でも。退路なんてなくっても」

 

「……退路は必要ない。俺は……進み続けるだけだ。命がある限り。……そう言えば右足と左足を、交互に前に出せば進めるなんて、ご高説も垂れたっけな……」

 

 世界は白い闇に押し包まれていた。

 

 屹立するのは空想の簒奪者の右腕を有する異形――《ダーレッドガンダム》。

 

「では立ち向かえ。お前はしかし、遥かに困難な道を歩む事になるであろう。その先に待っているのは、望むものではないのかもしれない」

 

「……それくらい、理解しての行動だ」

 

 瞬間、世界が裏返り、白い闇の彼方へと意識の消失点は打ち消されていた。

 

 



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第143話「現世の闇よ」

 

 あまりにも身体が重く、自身の胸元に手をやろうとして、その腕が鎧に固められているのを認識する。

 

「……これ、は……」

 

「おっ、ようやく起きたか。まったく、MSの中で眠りこけちまう奴が居るかよ」

 

 サルトルの憎まれ口に、クラードはようやく、網膜の映し出した世界を認めていた。

 

「……俺は……」

 

「無理して動くな。疲れが出たんだろう。ったく、それにしたってもう六時間だぞ? さすがに寝とぼけているか?」

 

「これ……鎧……」

 

「ん? おお、それじゃあ動けんな。一応はRM施術痕へと合致するシステムは切ってあるが、重いか?」

 

 首筋に埋め込まれた排出ボタンを押し込み、クラードはようやく自由になっていた。

 

 浮かび上がった肉体が僅かに軋んで、首に手をやる。

 

「……六時間だって? 状況は……」

 

「張り詰める必要は、しばらくはなさそうだがな。カトリナ女史達の交渉が上手くいって、今はブリギット艦のほうにトライアウトジェネシスの連中が集まってきている」

 

「ジェネシスの……? 意味が分からない……」

 

「まぁ、ちょっとした込み入った事情ってのがあったって事だ。お前も、大丈夫なのか? 一応、ヴィルヘルムの診療を受けたほうがいいかもしれん」

 

「ああ、そうするよ。……何だか随分と長い……夢を見ていたような気がする」

 

「頼むから、夢見がちでMS戦なんてやめてくれよ。お前は要なんだからな」

 

「誰に言ってんのさ」

 

 サルトルとハイタッチを交わし、クラードは格納デッキを流れていた。

 

 その途上で見覚えのない人員を数名目に留める。

 

「……軍警察の軍服……。俺が眠っている間に何が……」

 

 そう考えてエアロックを潜ろうとした途端、道を阻んだ小さな影にクラードは目を瞠る。

 

「……あんた、確かアルベルトの……」

 

『く、クラード……さん。えっと……起きたんですね』

 

「……ラジアルの妹か」

 

『そ、その覚えられ方、不服なんですけれど……』

 

 シャルティアはどこか不承気にバイザーの向こう側で頬をむくれさせる。

 

「現状は? どうなっている」

 

『あ、それ……一応クラードさんを見て来るように言われたんですけれど……』

 

「けれど、何だ? 含みがある言い草だが」

 

『い、いえっ! ……ただ何か言う事くらいはあるんじゃないですか?』

 

「言う事……シャルティア・ブルーム。俺がお前に言う事があると言うのか? ……何だ?」

 

 こちらが首を傾げている間に、シャルティアは心底呆れ返ったかのように告げる。

 

『……本当に、無頓着なんだ……。もういいです! ……別に、私だって謝られたいわけでもないし』

 

「謝る? 俺に過失があるのか」

 

『……だから、いいんですってば! ……エージェント、クラードさん。現状、オフィーリアは戦闘待機。トライアウトネメシス艦、ブリギットへと補充要員を充てているところです』

 

「エンデュランス・フラクタルでか」

 

『いいえ……。これは報告されていなかったかもしれませんが、エンデュランス・フラクタル上層部を……シンジョウ先輩達は見限るそうです』

 

 思わぬ言葉にクラードは目を見開いていた。

 

「……何故だ、と問いかけるまでもないのか。前回仕掛けてきたのはエンデュランス・フラクタルの新鋭艦だったからな。どこかで裏切りがあったと見るべきだろう。しかし、割り切るにしてはあまりにも思い切りがいい。……何かあったな?」

 

『……察しがいいんだか悪いんだか……。ええ、軍警察、トライアウトジェネシスの一派より、こちらと合流したいとの旨があり、シンジョウ先輩達はこれを承諾。行き先はジェネシスの擁するコロニーとなっております』

 

「ブリギットは? 今どうなっている?」

 

 クラードは立ち話をしている状況でもないと察知し、無重力区画を抜けていく。

 

 シャルティアは必死に追いすがって言葉を継いでいた。

 

『ブリギット級はトライアウトジェネシスからの充填要員を経て、これより我が方であるところのオフィーリアと同時作戦に打って出ます。……でも、何でだか、シンジョウ先輩はこれまで仕掛けていた軍警察と手を組むなんて……』

 

「敵の敵は味方理論だろうな。俺もまさか、エンデュランス・フラクタルとマグナマトリクス社を含む統合機構軍がそこまで黒いとは思っていなかった」

 

『……それ、本当に分かっていなかったんですか?』

 

 こちらの顔を覗き込んでくるシャルティアに、エレベーターの前で待ち合わせたクラードは一瞥を振り向ける。

 

「……どういう意味だ」

 

『……クラードさんは分かっていて、あの時……シンジョウ先輩が罠に嵌められた時に行動していたんじゃないですか。だってそうじゃないと、《疑似封式レヴォル》であそこまで踏み込めないんじゃ? この艦じゃクラードさんを疑うような人って居ませんけれど、私からしてみれば、冷静になればその線も出てくる話です』

 

「……馬鹿ではないらしい」

 

『馬鹿って……! 嘗めるのも大概にしてもらえます?』

 

 クラードは片耳にはめていた小型インカムをシャルティアに差し出す。

 

 シャルティアは怪訝そうにしながらバイザーを上げ、それを手に取っていた。

 

「……何です、これ……」

 

 耳にはめた途端、信号が発せられシャルティアは思わず取り落とす。

 

「……RMでしか分からない暗号通信だ。これで俺は独自に、エンデュランス・フラクタルと、そして軍警察の動きを追っていた。もちろん、騎屍兵の連中もな。俺に協力する酔狂な奴が居て、そいつと形式上、組んでいる。ロキ、と相手は名乗っているが」

 

 しかしそのロキもあちらからの一方通行の情報以外はまるで不明。

 

 恐らくは互いを最大限に利用する程度の関係性だろう。

 

 拾い上げた自分にシャルティアはむっとしてこちらを睨み据える。

 

「……何だ。そこまで怒る事じゃないだろう」

 

「い、いいえ! 怒りますよ! ……私の事、どうせ愚かだとか思ってるんでしょう!」

 

「……愚かとまでは思っていない。少しばかり迂闊だが、頭はキレるほうだろう。そうでなければ俺への疑いなんて持たない」

 

『……よく分かりました。クラードさん、結局シンジョウ先輩とアルベルトさん達以外は信用していないんでしょう』

 

 バイザーを下ろしたシャルティアにクラードはインカムを耳にかけ、到着したエレベーターに乗り込んでいた。

 

「……俺が信じるに決める奴は、俺自身で見出す。それだけだ。誰かの評価だとかは当てにしていない」

 

『そ、それって結局……! 私は一生、信用してもらえないって事じゃないですか』

 

「あんたの事は信頼はしていないが、信用はしている。エンデュランス・フラクタルが黒だって分かっても、逃げていないんだからな」

 

 こちらの評にシャルティアは言葉を詰まらせる。

 

『そ、それは……だって私はエンデュランス・フラクタルの本社の人間である以上に……委任担当官ですから』

 

「……そこは譲れないんだな。カトリナ・シンジョウもあんたも」

 

『だ、だって、仕事じゃないですか……』

 

 言葉尻が僅かに下がったのは自信をなくしかけている証だろうか。クラードは嘆息をついて、一言だけ言い置く。

 

「……あんた、でもつまらない人間じゃないよ。それだけは、ハッキリしている」

 

 その是非を相手が問う前にエレベーターが稼働し、シャルティアの姿は扉の向こうに見えなくなっていた。

 

「……だが俺はどうなんだろうな。俺自身もつまらないのかもしれない」

 

 独りごちるような気分でもないはずなのに、どうしてなのだか、今は弱気であった。

 

 しかし、ここで足を止めているような場合でもなし。

 

 管制室へと辿り着いたクラードはエアロックの向こうへと潜る。

 

「状況は?」

 

「クラード? もういいの?」

 

「疲れが出ていただけだ。それだけで艦の守りを疎かにするわけにはいかない」

 

 レミアとバーミットが管制室についていたが、それ以外にも数名の見覚えのない人員が詰めていた。

 

「……こいつらは……」

 

「もう聞いているかもしれないけれど、軍警察……トライアウトジェネシスの方々よ。その中でも信用に足ると、こちらに申し出てくれた方々」

 

「……人質だろうに」

 

「それは言わない約束なのよ。彼らだって死にたくはないはず。しっかりと仕事はしてくれるわ」

 

 クラードは艦長席の背もたれを握ってレミアへと問いかける。

 

「……疲れてる?」

 

「あなたに言われるほどでもないわ。頭痛薬の量も減っているし、今は安定よ。ただ、ね……。色々起こってしまっていて混乱って言うのは本当」

 

「……エンデュランス・フラクタル……いいや、統合機構軍全体か。それが黒だったって言うのは」

 

「確定に近い事項ね。そもそも《ネクロレヴォル》をエンデュランス・フラクタルの新鋭艦であるモルガンが扱った時点で癒着は想定されるべきだったけれど」

 

「敵勢の動きを知りたい。モルガンはどこに位置取っている?」

 

 メインモニターに映し出された敵艦との相対距離と、並行して航行するブリギット艦の位置情報がポインターとして表示される。

 

「私達が向かうのはコロニー、ルーベン。軍警察の趣が強いコロニーだけれど、ジェネシスの管轄だから、統合機構軍に頭を押さえられる可能性は低い」

 

「だがこの航路は本社組からしてみれば俺達がその思惑を察知したと勘繰られる」

 

「それに関してはもう、カトリナさんがね。結論をぶつけようとしているみたい。……とは言え、心配と言えば心配だけれど」

 

「……カトリナ・シンジョウはどこに居る?」

 

「あなたにはカトリナさんの心配よりも、あなた自身の継続的な戦闘能力の心配と、《ダーレッドガンダム》の運用に関しての心配をして欲しいわね。正直、あれはブラックボックスなのよ。もう少し詳細が分かればいいんだけれどデータは……」

 

「統合機構軍の物、か。歯がゆいな。俺達が奪還したものがまだ相手の手の中だと言うのは」

 

「それだけなら……いいんだけれどね」

 

 そこまで口にしてレミアは憂いを打ち消していた。

 

「レミア? 何か懸念事項でも」

 

「……いいえ、言いっこなしって言う奴ね。カトリナさんがあれだけ頑張っているんだもの。私が安住の道だけを選ぶわけにはいかないわ」

 

「……俺は格納デッキに戻ったほうがよさそうだな」

 

「ええ、そうね。戦闘待機だもの。それに、カトリナさんは今だけは、彼女の職務を彼女自身が全うしなければいけない。そればっかりは肩代わり出来ないもの」

 

「委任担当官としての仕事、か……」

 

 つい先ほどの口論が思い出され、クラードは身を漂わせていた。

 

 それにしたところで軍警察、ひいてはトライアウトジェネシスの人員に隙は見られない。

 

 このようなところで隙を突かれるような間抜けが居ないのもあるだろうが、それ以上に切り詰めている。

 

 ブリギットはオフィーリアと相対距離を合わせている以上、あちらの艦にも充分な人員が拡充されたと思うべきだろう。

 

 ある意味では、自分達の領分をトライアウトの連中に占められているようなもの。

 

 だが、レジスタンス組織なだけの形態では、決して統合機構軍に牙を剥く事など出来ないはずだ。

 

 その点では離別を強いなければいけない部分もある。

 

「……その決定は、俺ではなく、委任担当官としての仕事、か。俺が出来るのは……破壊と奪還だけ……」

 

 自らの手に視線を落とす。

 

 その手が二重像を伴ってぶれたのを感じ、一瞬だけ白い闇の世界が視界を覆った感覚に、クラードは目を拭う。

 

 直後には視界は平常通りになっていた。

 

「……俺は、何かを……忘れている?」

 

 だが手から滑り落ちたものが何なのか――確かめる術は永劫、失われているような気がしていた。

 

 



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第144話「撃つべきあなたへ」

 

「……そうですか。呼びかけ、ご苦労様です。はい……私は……カトリナ・シンジョウはその線で……はい」

 

 長距離通話を切り、カトリナはネクタイを締め直して自分を鼓舞しようとしていたが、やはり上手くは行かない。

 

 そもそもこれまで支援を受けていた組織からの決別など、簡単に出来るはずもなし。

 

「……でもそれが私の仕事でしょう、カトリナ……」

 

 通信を繋ぐ。

 

 いつものタジマは現れず、代わりのようなガイド音声が流れていた。

 

『こちらエンデュランス・フラクタル、外部通信部門です。ご用命の番号を通知してください』

 

 秘匿通信の番号を打ち込むと、今度こそタジマが現れるかに思われたが、通信先に居たのは意想外の人物であった。

 

「……何、で……」

 

『お久し振りです、カトリナ様』

 

「ピアーナ……さん……?」

 

 だがどうして。

 

 ピアーナはモルガンの艦長だと聞いていた。まさか通信傍受か、と今さら思い至った考えに、ピアーナは三年前とさして変わらないかんばせを誇りつつ、声にしていた。

 

『この通信はエンデュランス・フラクタル……つまりこれまで貴女方が支援を受けていた番号で間違いないですよ。ただ、タジマ営業部長は別の職務でお忙しいようですので、わたくしが介入いたしました』

 

「……ピアーナさん。あなたは……」

 

『カトリナ様。わたくしが言える事は少ない。ですが、端的に申し上げるのならば。――わたくし達と戦うつもりですか?』

 

 分かっている。

 

 いや、分かっているつもりであった。

 

 エンデュランス・フラクタルを見限るという事は、これまで味方であった人達に銃口を向けるという事。

 

 どれだけ言い繕っても消えない、その事実を今はピアーナの口から突きつけられているだけ。

 

「……でも、逃げないって決めたんです。ピアーナさん。私は……この世界に叛逆します」

 

『それは貴女の意思ではないでしょう。クラードに言いくるめられましたか? それともレミア・フロイト艦長らに? アルベルト様を放っておけませんか?』

 

 ピアーナは全てを理解しているような口ぶりであったが、それでも自分の。これまでの三年間の積み重ねだけは、理解しようとしても出来ないようであった。

 

「……いいえ。これは私の決めた、叛逆です。この三年間……言い逃れの出来ない醜態を晒してきました。どれだけ無様でも、どれだけ無謀でも、それでも明日はあるんだって……そう信じて戦ってきました。その先に待っているのがどれだけ残酷でも……受け入れるって……」

 

『ですがカトリナ様。貴女に反抗勢力の旗印なんて似合いません。今からでも遅くはない。我が方に降ると言ってくだされば……一言言ってくだされば。わたくしの用命で貴女を……殺さずに、最低限度の損耗だけでどうにか出来ます。前回の戦闘でそれが分かったはずです。騎屍兵を本気で稼働させれば、わたくしならば前回、オフィーリアを轟沈出来た。しかし、そうしなかったのはわたくしの弱さでもある。……こんな機械の身体でも、温情だけはあったのでしょうね。カトリナ様、三年前に貴女に命を拾われてから、わたくしの命は貴女のためにあります。だから……無理をして、その果てに擦り切れてしまうような貴女を見たくないのです。どうか、ご決断を。貴女の命一つくらい、わたくしでも守れます』

 

 ああ、きっと。

 

 ピアーナは三年間、変わっていないのだろう。

 

 与えられた命。与えられる命令。

 

 それらのタスクを順当にこなし、彼女はこの地位に居る。

 

 自分とは天と地ほどまでに離れてしまった、その職務に。

 

 だが、自分は。

 

 カトリナは拳をぎゅっと握り締める。

 

 ここで逃げては、誰にも顔向け出来ない。

 

 クラードにも、アルベルトにも。

 

 これまで散って行った、何もかもに――。

 

「……ピアーナさん。私は、でももう逃げられません。だって、もう私は……カトリナ・シンジョウは、たった一人で立っているわけじゃない。たった一人なら、三年前の自分なら、逃げられたかもしれない。でも、もう駄目なんです。……私は、オフィーリアを束ねるカトリナ・シンジョウ。血濡れの淑女(ジャンヌ)です」

 

『……その言い草は、だって狡い……』

 

 悔恨を滲ませたのも一瞬、ピアーナは金色の瞳を据えていた。

 

『……了解しました。これで貴女とわたくしは敵同士。どちらかの命尽きるまで、互いに喰らい合うしかない。……残念です、カトリナ様。命の恩人を、撃つ事になるなんて』

 

 誰がこんな世界にした――と文句を垂れるのは勝手だが、それはきっと逃げ口上だ。

 

 自分達の選択が、この世界を構成している。

 

 その選択肢の咎から逃れ、責からも逃れた先にあるのは、何もない虚無のはず。

 

 ならば、自分は逃げない。

 

 彼らに、死んで行った者達に報いるために。

 

 何よりも、生きている彼らのために。

 

「私は、あなたを恐れません。ピアーナさん。あなたがどれほどの力をもって私達の道を阻もうと、それでも私は決して……振り返る事だけはない」

 

『……貴女達が逃げ込む場所はもう割り出してあります。コロニー、ルーベン。この航路を取った以上、エンデュランス・フラクタルへの叛意と判断し、最新鋭艦モルガンの艦長であるわたくしは、貴女方を撃沈します』

 

「……来るのなら、来てください。それであなたの……気が済むのなら」

 

『……戦うと言うのですね? あくまでも自分の意地を通して』

 

 ――分かっているとも。

 

 ピアーナも逃げて欲しいと願っている。

 

 自分に、逃げて、言い訳をして、その結果として何一つ決められず、月軌道決戦のように。

 

 自分の殻に閉じ籠って状況を打開しようともしない。

 

 弱かった「カトリナ・シンジョウ」に戻って欲しいのだとも。

 

「……はい。私は――あなた達を、倒しますっ……!」

 

『……こうして顔が見れたのは、幸運だったのか不幸だったのか。平時なら、わたくしが割り込むような隙もないのですが……今だけはあった千載一遇の好機。ゆえにこそ、貴女には……死にに行ってほしくなかったのもありますが』

 

「ピアーナさん。私は死にません」

 

『それはわたくし達を殺すと言う意味でしょう』

 

 違う、と言いたい。

 

 殺し殺されだけの世界なんて間違っている。

 

 そんな――綺麗ごとを並べて、今も決断を保留し続けたい。

 

 しかし、もうそんな時期は過ぎたのだ。

 

 もう、弱かった頃には戻れない。

 

「……撃つしか……ないんですか……」

 

 それでも、苦渋が滲んでしまったのは。

 

 決断に、僅かな間違いがあったかのような痛みを覚えたのは、きっとまだ決断出来ていない証であろう。

 

 ピアーナと殺し合いたくない。

 

 いいや、ピアーナだけではない。

 

 誰とも、撃ち合いたくないのだ。

 

 だが、もう不可能になってしまった。

 

 もう戦場で出会うしか、出来なくなってしまった。

 

 その決断を下したのは他でもなく自分自身だと言うのに。

 

『……カトリナ様。わたくしはもう迷いません。わたくしは……ただのライドマトリクサーであり、そして企業に徴用される存在です。貴女方のような反抗勢力を駆逐する役割がある。これは、社会的な正義であり、世界を混沌に落とすわけにはいかない』

 

 今はピアーナのほうが正しいのかもしれない。 

 

 カトリナは薄暗がりの通信室で、ピアーナの眼差しを見据えていた。

 

 金色の瞳は、撃つべき相手を捉えている。

 

「……ピアーナさん。私はこの世界においての……異物なのかもしれません。でも異物にだって、そこには異物の意地があるはずです。なら、私は意地を通したい」

 

『残念です。もう、話し合いの余地はない』

 

 通信が途切れる。

 

 それっきりであった。

 

 何か、明るい兆しの通信が繋がる事もない。

 

 彼女との断絶は、埋めようのない戦場のるつぼの中に消えて行ってしまった。

 

「……戻れないのなら、カトリナ……でも……でもぉ……っ!」

 

 泣くのはズルいはずだ。

 

 涙していいタイミングではないはずだ。

 

 だと言うのに、これまでのように撃つべき相手をこうして直視しなければ、こんな痛みとは無縁で居られたのかもしれない。

 

 だが、もうどうしようもないのだ。

 

 これまでだって、撃ってきたのがアルベルト達なだけであって、命令してきたのは自分自身。

 

 もうこの手は血で汚れている。

 

 こんなにも、血塗れの手で、自分は一体、何を――どんな希望を見出せると言うのか。

 

「失礼します。カトリナさ――」

 

 エアロックを潜って来たアルベルトに、涙を見られてしまった。

 

 慌てて取り繕い、彼から背を向ける。

 

「……何ですか。何かあったのですか」

 

 ここまで三文芝居を通り越して愚直なまでの冷たい声音。

 

 呆れるほどに幼稚な舞台で踊る役者でしかない。

 

「いや、オレは……。ああ、いや、そんな事言っている場合でもないんでしょう。……カトリナさん。モルガンが会敵距離に入りました。やはり、コロニーへの補給までに一度矛を交える事になりそうです。……カトリナさん?」

 

「どうしました。ならRM第三小隊は戦闘待機。これまで通り、迎撃態勢に移ってください」

 

「……いや、でもあんた……そんな震えた声で……」

 

 カトリナは壁に預けた指先をぎゅっと拳に変え、アルベルトには振り向かずに応じていた。

 

「委任担当官としての命令です。……エンデュランス・フラクタル新造艦、モルガンを迎撃してください。私達が向かうのには、必ず弊害になる」

 

「……了解しました。ただ、カトリナさん。これだけは、預けておきますよ」

 

 アルベルトが行ってしまった先より流れてきたのは一枚のハンカチであった。

 

 カトリナはそれを目にするなり、こみ上げてきた熱を堪え切れず、咽び泣く。

 

 ――分かっている、あまりに弱い。

 

 ――分かっている、こんなところで寄りかかっている場合でもない。

 

 なのに――分かっている。自分は、ここで弱さを吐き出すような、そんな人間である事も。

 

「ピアーナさぁん……っ。私……っ、私はぁ……っ」

 

 崩れ落ちる。膝から力が失せる。

 

 握り締めたそのハンカチからは何故なのだろう。

 

 血の臭いが、していた。

 

 



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第145話「暗がりの栄光は」

 

 軽食を取っていた自分に話しかけるなんて物珍しい、とユキノはシャルティアを認めていた。

 

「どうしたの、シャルティア委任担当官。そんなしょげた顔をして」

 

「……ユキノさんは、何でこんな片隅でご飯食べてるんですか。戦闘待機ですよ」

 

「……流動食ばかりだと味気なくってね。オフィーリアは民間主導の戦艦だから、自動販売機があって。これ、そこで買ったの」

 

 噛り付いたサンドイッチを翳すと、シャルティアは今も慌ただしく行き過ぎる整備班を眺めていた。

 

「……何でなんですかね。ここに居るの、ほとんど元のメンバーじゃないですし。半分ほどはトライアウトジェネシスから派遣されてきたメカニックなんでしょう?」

 

「私達の元々の戦力はあまりに心許ない。正直、ね。なりふり構っていられないってカトリナさんが判断したのは正しいと思っているわ。だって今のままじゃ、オフィーリアだって轟沈する可能性がある」

 

「その時には……! その……ユキノさんはどうするんですか?」

 

「何? 艦が轟沈する時なんてMS乗りにまともな判断力があると思っているの?」

 

「それは……そう、ですけれど……」

 

「ごめん。今のは意地悪だった。シャルティア委任担当官は、ちょっとご機嫌ナナメ?」

 

 シャルティアは声を張り上げる軍警察所属の整備士を目に留めているようであった。

 

 自分も当然の帰結として、全体を纏め上げている女メカニックを仰いでいる。

 

「……あの人……」

 

「ティーチって言うんですって。ティーチ・ミンルグス。軍警察の、トライアウトジェネシスじゃ、一番かも知れないメカニックだってさ」

 

「……ユキノさんは、あんな人に自分のMSを弄られて平気なんですか」

 

「平気なわけじゃない。でも選り好みして生き残れるほど甘い戦場でもないのは確かだし。私はカトリナさんやレミア艦長の方針には賛成。ただ……お互いに拭い切れないものはある。それは何度だって、撃つべき相手だと想定して戦ってきたこれまでがあるんでしょうし」

 

「じゃあ何で……。ユキノさんは、大人の女性だからなんですか。私……本社には見切りをつけるって言われた時、すごく怖くって……。だって、私は本社から派遣された人間ですし、本社の命令は絶対の身分で……。でもこの艦の……シンジョウ先輩を裏切るような事も出来ない……賢しいだけの人間なんだって、思い知っちゃったって言うか……」

 

「誰でもクラードさんみたいに思い切れるわけじゃないわ。小隊長みたいにもね。……そうなのだと規定して、これまでの味方を撃つ。そんな事、普通は出来ない。でも、やらなくっちゃいけないなら、それは引き金を絞るのを躊躇っているような場合じゃない。だって、躊躇えば自分が死ぬだけじゃない。自分の守りたかった誰かが死ぬ。そんなのは……もう二度と御免だから……」

 

 ユキノはサンドイッチを頬張って端末を呼び起こしていた。

 

 その待ち受け画面にはかつてベアトリーチェで撮影した自分達の姿がある。

 

「……三年前のですか」

 

「凱空龍の二軍だった頃ね。私は本当に弱かったけれど、でも弱かったのが救いだった。前に出なくっていいって、前に出るのはクラードさんや小隊長や……当時の副長だったトキサダさんの役目だって。そう線を引いて、生き延びられるって思っちゃっていたんでしょうね。そう考える事で、自分に責を負わなくって済んだ。……でもあの三年前の月軌道決戦で、私は自分から艦長に進言した。この艦を守らせて欲しいって」

 

「それは聞いています。あの局面じゃ、ユキノさん達じゃないと出られなかったって……」

 

 シャルティアの伏せた瞳に、ユキノは片腕を翳す。

 

 ライドマトリクサー――禁術が施された半身。ぎゅっと拳を握り締めると、人造筋肉と合成皮膚が「それらしい」形を作る。

 

 だがもう、かつての生身の腕ではない。

 

 もう、取り戻せない。

 

 どれだけ戦っても、どれだけ武勲を立てても、こればっかりはどうしようもない。

 

 永劫、失った証であった。

 

「……私はあの時、死んでいれば……グゥエル達みたいに、あっち側に行ければ……とか、そんな憂いに身を任せそうになった事もある。でも、私は生き延びた。シャルティア委任担当官……生き残ったら、生き残った責任があるのよ」

 

「責任……ですか」

 

「うん……生き延びただけの責任。命を奪った責任。命を散らした人達の先に行くって言う責任。どれもこれも、ね。語ると陳腐に落ちるけれど、それでも私は、いずれこの責任に、許されたいだけなのかもしれない。ああ、何の意味はなくっても生きてよかったんだって……そうやって許されて……それで何の憂いもなく生きて行って、くしゃくしゃのお婆ちゃんになって……何も思い出せなくなっても、それでもただ……その肩には責任だけはあって……。一度人を撃ってしまうとね、どれだけ言い繕ったってそれまでの自分とは断絶しちゃうの。祖国だとか故郷だとか、……愛する人だとか……そんなものに許されたって、どれだけでも自分を責めちゃう」

 

「でもそれは……命令したのは私のような……戦場を知りもしない人間です。ユキノさん達が背負うものじゃないでしょう」

 

「そう思う? ……でも一度でも敵を撃てば、そうなるのよ。まぁこれ以上は委任担当官への苦言になるから言わないようにするけれどね」

 

「《レグルス》を優先して回すように! 《エクエス》は現状のミラーヘッド戦において格好の的になる! 予備パーツの搬入急いで!」

 

 ティーチが声を飛ばし、ふとこちらと視線がかち合う。

 

 シャルティアは思わず視線を逸らしていたが、ユキノは立ち上がっていた。

 

「失礼、この艦のパイロットとお見受けします。《マギア》でこれまで戦ってきたのですか」

 

「そうですね……自分達の主戦力は《マギア》でしたので」

 

「……それではあまりにも相性が悪い。《ネクロレヴォル》と戦うのなら、《アイギス》の配備を行います。後生大事に取っておいたって格納デッキで埃を被るだけなんですから、先行量産されていたエンデュランス・フラクタルを通した《アイギス》から先に使っていきますよ」

 

 ティーチの命令系統に迷いはない。

 

 気圧され気味のシャルティアに対し、ユキノは落ち着き払っている。

 

「《アイギス》での戦闘経験は少ない。新兵は浮足立つ可能性があります」

 

「それでも、新型機があるのに眠らせておくのは惜しいって言っているんです。《アイギス》の配備、行きますよ。そうでなくっても騎屍兵と真っ向から戦うんなら、《アイギス》くらいは乗りこなしていただきます」

 

 そう言ったきりティーチは格納デッキの奥に押し込まれていた《アイギス》とブリギット艦より持ち出してきた機体を優先配備する。

 

「……何ですか、偉そうに」

 

「聞こえるわよ、シャルティア委任担当官」

 

「でもですよ! ……この艦での命令権は……私達にあるって言うのに」

 

「それでも、勝利するためなら手段を選ばない。立派な軍人……と言えるのでしょうね」

 

「私達は民間組織だからって……! 嘗められているんですか!」

 

「そんな事もないでしょう。もう運命共同体なんだから。死にに行かせるような真似をするとは思えないし、彼女にも考えがあるはず。なら、私達はせめて実戦でそれを示しましょう。そのほうがお互いの分を弁えていると言うようなものだろうし」

 

 ユキノは携行飲料を飲み干してその場を立ち去ろうとする。

 

 その背中にシャルティアは言葉を投げていた。

 

「納得出来ませんよ! そんなのも、込みだって言いたいんですか……!」

 

 ユキノは片手を振って、無言のまま無重力区画を漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵はルーベンを封じて来ると見込まれている。要は頭を押さえられた形だ。このままでは遠からず交戦となるだろう」

 

 ヴィルヘルムはカルテから視線を上げずに応じる。

 

「俺が聞きたいのはそんな分かり切った事じゃない。《ダーレッドガンダム》の汚染深度だ」

 

 ふむ、と彼は首肯し、こちらへと向き直っていた。

 

「それなんだが……驚くべき事に汚染深度の値は安定している。《レヴォル》を操っていた時よりも適性が高いくらいだ」

 

「適性が高い? そんなはずはないだろう。俺はあれに初めて乗った時、意識を失ってしまった。そんな事が二度も三度もあっては困る」

 

「だが前回の昏倒は真実、疲労から来るものであったらしい。クラード、わたしのほうでも調べは尽くしているがね。あの《ダーレッドガンダム》には《疑似封式レヴォル》のようなリミッターの解放はないと思っていい」

 

「だからそんなはずが……。いや、お前が嘘を言う理由がない」

 

 ならば飲み込むしかないのだろうか。

 

《ダーレッドガンダム》に覚えた違和感を。

 

 しかし、とヴィルヘルムは電子煙草をくゆらせていた。

 

「あの機体に宿っているのはただの新型MSとしてのものではない、それは確かだろう。右腕に装着される特殊兵装――ベテルギウスアームだったか。あれに関して言えば、分からない事のほうが多い。《レヴォル》の兵装をそのまま極大化したような武装だが、それとは全く設計形態が異なるといった報告もある」

 

「……それでもお前は俺に、乗るなとは言えない立場か」

 

「トライアウトジェネシスが守りを司ってくれるとは言え、わたしからしてみればまだ信用には足らない相手だ。そういう観点で言っても、《ダーレッドガンダム》を後退させるのは現実的じゃない」

 

「……煙草、似合ってないからやめればいいのに」

 

 医務室で白衣を漂わせた自分に、ヴィルヘルムはようやく気付いたように指先の電子煙草に視線を落としていた。

 

「これは……すまないな。禁煙は一日と持たない」

 

「作戦立案はカトリナ・シンジョウが、戦力の是非はレミアが下す。だが、それでも相手が前回のような搦め手に出てくる可能性も高い。……俺は、乗りこなせるようになりたい。暴れ馬であろうとも」

 

「手綱だけは手離さないように、か。しかし、《ダーレッドガンダム》は未知数だ。どこまで設計思想通りで、どこからがそうではないのかがまるで分からない。ここまで現行人類の介入を拒むシステムも珍しいほどだ。まるで我々には……解明する術が存在しないとでも言うように」

 

「造ったのはエンデュランス・フラクタルだ。なのに分からないと言うのは不明を通り越して無作為とも言う」

 

「それなんだが、《レヴォル》だってそうであった。知っているのはお前を含め、少数であったが、あれもMF《フィフスエレメント》。むしろイレギュラーは存在するものとして運用していた」

 

「……《レヴォル》がMFであったのは、アルベルト達は?」

 

「アルベルト君は知っているようだったが、カトリナ君はまだ知らないはずだ。この戦局で知らせたところで混乱を与えるだけだろう。今は、知らないほうがいい」

 

 ヴィルヘルムの意見には半分ほどは賛成であったが、それでも加味出来ない部分がある。

 

「……《ダーレッドガンダム》の解析を、トライアウトジェネシスの整備班が行うと言うのは」

 

「サルトル技術顧問も理解しての采配だが、気に食わないか?」

 

「……あいつらはかつて《レヴォル》と敵対していた。爆弾を仕掛けられてからでは遅い」

 

「確かに。……だがそこまで向こう見ずでもないはずだ。彼らとて逆賊の徒なのだからね」

 

「……軍警察を信じるのか」

 

 ヴィルヘルムは一服を挟んだ後に嘆息交じりに応じる。

 

「逆に聞くが、この状況下で彼らに信を置かなければエンデュランス・フラクタルの思惑通りに事が進むだろう。そうなった場合、詰みは近いと思ったほうがいい」

 

 現状の把握を行う点では、ヴィルヘルムの認識は現実的なのだろう。

 

 しかし、自分の中ではどうにも飲み込み難い。

 

「……《ダーレッドガンダム》の中には、レヴォル・インターセプト・リーディングのデッドコピーが組み込まれている」

 

「それも聞いたが、まるで初期化された《レヴォル》なんだって? ……巡り会わせか、あるいはどこかで想定しての事か。エンデュランス・フラクタル上層部に問い質す術もない以上、今は使いこなすべく努力するしかない」

 

「意外だな、ヴィルヘルム。あんたは警戒しろとでも言うのだと思っていたが」

 

 ヴィルヘルムはフッと笑みを刻んで灰皿に煙草を押し付ける。

 

「そこまで傲慢に出来上がってもいないさ。それに、今は生き延びるのが先決。少しの不条理と不合理は飲み込まざるを得ない。我々が現状不利なのには変わらないのだからね」

 

「……不利、か。せめて《ダーレッドガンダム》が何を考えているのかが分かれば……」

 

「コミュニケートサーキットは同等なのだろう? 話せばいい。かつての《レヴォル》と同じように」

 

「簡単に言ってくれる。俺からしてみれば……《レヴォル》は一機だけだ。他の代わりはない」

 

「かつての愛機と同じ指向音声でも、それは飲み込み難い断絶、か。急いだほうがいい。モルガンの攻撃がすぐに来ないとも限らない」

 

「ああ……ヴィルヘルム」

 

 扉に手をかけたところでクラードは立ち止まっていた。

 

「どうした? 思考拡張も問題ない。わたしの身分でお前を止める言葉はないとも」

 

「そうじゃない。……何か、最近奇妙な感覚を覚える。俺が次に昏睡すれば、その波長を計測して欲しい。何か……手掛かりがあるかもしれない」

 

「夢に手掛かりを求めるか? お前らしくもない」

 

「俺らしく……いいや、そうなのだろうな。夢なんて電気信号の作り出したまやかしだ。そんなものに、手掛かりを求めるなんて」

 

「だが、請け負おう。エージェント、クラードの、長年の友の頼みだ。拒否するわけがない」

 

「それをお前が言うか、ヴィルヘルム。お前は俺に対し、常に上の立場だろう」

 

 こちらの皮肉にヴィルヘルムは笑みを刻んでいた。

 

「……それはもう、存在しない栄光と言う奴だろうさ」

 

 



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第146話「戦域は傾く」

 

『騎屍兵団、順次出撃体勢に入ってください。これより敵艦、オフィーリアとブリギット級との交戦に入ります。MS部隊、スタンバイ次第発進どうぞ』

 

 モルガン艦内に響き渡るピアーナの声に、喪服のパイロットスーツを身に纏った騎屍兵は次々と《ネクロレヴォル》へと搭乗していく中で、メイアはスリーと呼ばれた構成員の腕を掴んでいた。

 

「ねぇ、待って。交戦って、戦う以外の選択肢はないの? あれにはだって、クラードが居るんでしょう? 少しは交渉の余地くらいは……」

 

 スリーはこちらの腕を振り払い、バイザーの表層で読めない声音を返す。

 

『艦長の命令は絶対です。交渉なんてもう断たれたと思ったほうがいい』

 

「分かんないじゃんか! ……あの機体、《ダーレッドガンダム》。あれはただの新型機じゃない。前みたいに《サイフォス》で他のMSの足を止めても突破された。同じような戦術じゃ負けちゃうよ」

 

『我々に敗走は許されない。殊に、二度も三度も同じ相手とは』

 

「そう規定するならさ。ボクを戦力として出してよ。《カンパニュラ》なら交渉事に持ち込めるかもしれない」

 

『メイア・メイリス。貴女、何をやっているのですか。すぐに管制室に来なさい。貴女の居場所はそこではありません』

 

 声が響いてメイアは天井を振り仰ぐ。

 

「それってさ! こっちが勝手に考えている事じゃんか。オフィーリアとの交渉の窓口は作るべきだ。そうじゃないとこっちがフェアじゃない」

 

『何を思っているかと。あれは敵艦です。轟沈させるしかない』

 

「……キミにしちゃ、何だか思い切ったような事を言う。何か悪い事でもあった?」

 

 どうやら図星らしく、ピアーナは僅かに苛立った間を置く。

 

『……命令です。管制室に向かいなさい』

 

「《カンパニュラ》ならやれる! 前回みたいな状況になれば、話し合いじゃ済まない!」

 

『貴女は何なのです。たった一人で出来る事なんてない。何故それが分からないのですか』

 

「何故って……? それはボクもまた……あの機体に選ばれた存在だからさ。叛逆の因子に……」

 

 ここまで言えばピアーナも納得ずくになるかと思っていたが、彼女はより頑固になっていた。

 

『許可なんて降ろせるわけがないでしょう。スリー、彼女を拘束してください。騎屍兵団は準備が出来た者から出撃。ミラーヘッドを行使してオフィーリアの足を潰しなさい』

 

『御意に』

 

 直後、スリーが腕を拘束しそのまま体重を押し付けてくる。

 

 騎屍兵の心得た拘束術は自分のようなエージェントを押し込むのには充分であった。

 

「キミさ……! それでも何だかんだで艦長の事を想っているんでしょう? なら、ちょっとばかしは協力しようよ! この状況に違和感を抱いているんなら……!」

 

『勘違いをしないでください。あなたは何も分かっていない。……リクレンツィア艦長がどんな想いなのかなんて、考えた事もないくせに』

 

 その言葉に宿った死者らしからぬ論調に、メイアは糸口を見つけるよりも先に手刀で昏倒させられてしまう。

 

「チク、ショウ……こんな……」

 

『悪く思わないで欲しいですね。我々は騎屍兵。命令を実行するためだけの死者なのですから』

 

「でもそれは……」

 

 浮かびかけた言葉が霧散していく。

 

 ――でもそれは、何も考えないのとは違うはずであろうに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ピアーナ・リクレンツィア艦長。鉤爪のガンダムは私が担当する。異存ないな?』

 

 管制室に繋がった個別通信にピアーナは応じていた。

 

「構わないのですが、本当に《パラティヌス》でいいのですか? 専用機を出しても順当と言うものでは?」

 

『彼相手に、生半可なドレスでは踊るに堪えん。私も強くあらねばならないのでね、フロイライン。ゆえに、今一度刃を交え、それから決める。決断は私の特権事項のはずだ』

 

「……王族親衛隊身分ならば決定権は投げられている。分かりました。ヴィクトゥス・レイジ特務大尉、後は任せます」

 

『引き受けたと言わせてもらおう』

 

 通信が切られ、ピアーナはこちらへと航行してくるオフィーリアとブリギットを視野に入れていた。

 

「気にかかるのは、ブリギットの動きが自動航行モードのそれにしては少しばかり鋭くなっている……。それに、向かっているのは統合機構軍のお膝元ではなく、コロニー、ルーベン。という事は、軍警察と渡りを付けた、と考えるべき」

 

「艦長、敵勢、来ます。……前と少しだけ違いますね。《アイギス》小隊を数機確認」

 

「既に支援は受けている、という事ですか。ですがそれくらいでなければ、叩き潰し甲斐もないと言うもの。騎屍兵団、出撃。敵MS小隊への交戦を承諾します。弾幕を切らさず、相手のミラーヘッドの攻勢をへし折るように。敵はパブリックのミラーヘッド頼みのはずです。MA、《サイフォス》を後方に位置。相手のミラーヘッドの緩みを狙っての強襲を。艦主砲はオフィーリアを狙ってください。ブリギット艦は後でも墜とせる。雑魚ですよ、所詮は」

 

 こちらの伝令を受け、騎屍兵がミラーヘッドに移っていく。

 

 段階加速を経て次々と交戦領域に入っていく《ネクロレヴォル》隊を眺め、ピアーナは呟いていた。

 

「……わたくしはもう迷わない。カトリナ様、せめて慈悲のうちに……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「MAの光が強くなったら、予め言われていた通りに! 手はず通りにって話だ!」

 

 隊列へと声を飛ばしたアルベルトへと《ネクロレヴォル》が迫ってくる。

 

 その速度はこれまで以上に苛烈であった。

 

「何の! こっちにゃ新型機の、《アイギスハーモニア》があるってんだ!」

 

 紫色に塗装された自分専用の《アイギス》が抜刀する。

 

 相手の振るい上げた蒼いビームサーベルの輝きと干渉し合い、拡散波を生み出して弾かれ合う。

 

 アルベルトは愛機たる《アイギスハーモニア》を急上昇させ、その機動力を活かしてジグザグに挙動し、ビームライフルの光条を絞っていく。

 

《ネクロレヴォル》は即座にビームライフルでの中距離へと移ったが、それこそ狙い目だ。

 

 肉薄し、片腕を振るい上げる。

 

《アイギス》の細腕に格納されていたのは超振動をもたらすクローであった。

 

 相手のビームライフルを真正面から噛み砕き、振動の余剰波がマニピュレーターに伝導して敵の腕を一時的とは言え潰す。

 

「これで持てねぇだろ! 一気に叩く!」

 

 大上段に振るい上げたビームサーベルをそのまま打ち下ろしたが、相手は射程を潜り抜ける。

 

「段階加速か……! だが、こっちだって持ってるんだよ! ミラーヘッド、展開!」

 

 しかしそこでミラーヘッドジャマーによる阻害が入る。

 

 ミラーヘッドエラーの表示にアルベルトは通信をブリギットに送っていた。

 

「《サイフォス》のミラーヘッドジャマーの射程に入った! 手はず通りでいいんだな?」

 

『ええ。送受信の感度を軍警察の周波数に合わせれば……』

 

 ブリギットを中継してミラーヘッドが繋ぎ直され、エラーの文字が掻き消える。

 

「よっしゃ! 思った通り! 打ち消せるのはパブリックのミラーヘッドの送信の一個きり! 軍警察を経れば、その眼を掻い潜る事が出来る!」

 

 ミラーヘッドを再展開した《アイギスハーモニア》が《ネクロレヴォル》へと追いつく。

 

「これで――反撃開始だ!」

 

 しかし、《ネクロレヴォル》の加速度はその程度ではない。

 

 これまで手を抜いていたとしか思えない速度で太刀筋をかわし、瞬時に背後へと回り込んでくる。

 

 無論、アルベルトとて想定出来ていないわけではない。

 

 これまでの《ネクロレヴォル》が本気を出していないのはデータで予測済みだ。

 

 射抜く角度であった射撃をミラーヘッドの加速度で回避し、そのまま分身体を並列で生み出して射撃の応戦網を張る。

 

 だが《ネクロレヴォル》は一騎だけではない。

 

 隊列を組んだ《ネクロレヴォル》は、すぐさま前の機体の速度を借りて円弧の軌道を描きこちらを翻弄せんとする。

 

「……野ッ郎……! 隊列じゃまだ分があるって言いたいのかよ……ッ!」

 

『小隊長。通信来ています。クラードさんから』

 

「クラードから? 何だ!」

 

『アルベルト、敵を振りほどけないのなら、俺が前を務める。切り込み隊長だよ』

 

「だがお前……この間も昏倒して……」

 

『余分な心配、している場合でもないだろ。何よりも《サイフォス》のミラーヘッドジャマーを無効化出来たのは大きい。こっちもミラーヘッドで応戦出来る』

 

《アイギスハーモニア》で《ネクロレヴォル》隊の火線に応対しようとするも、敵勢の火力のほうが圧倒的だ。

 

「悪ぃ! クラード、頼むぜ! こういう時、力添えが出来ねぇのは情けねぇが……」

 

『いいよ。俺も後方待機なんてガラじゃない。今から出撃する』

 

 アルベルトはしかし、クラードが来るまでの時間稼ぎくらいはするつもりであった。

 

「……露払いくらいにはなってもらうぜ。オレと《アイギスハーモニア》の実力で!」

 



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第147話「交差する焔」

 

 鎧じみたパイロットスーツに身を包み、サルトルの補助を受けていた。

 

『クラード。そのパイロットスーツは前回よりも最適化されている。少しくらいは接続時の痛みは和らいだはずだ』

 

「それなら、いいんだけれどさ。どっちにしたって痛みは消えないんだな」

 

『そう言ってくれるなよ。……こう言っちまうと何だが、《ダーレッドガンダム》は分からない事のほうが多いんだ』

 

「了解。不条理でも飲み込め、か。……まったく、俺らしくもない」

 

《ダーレッドガンダム》が格納デッキから移送されていく途中で、ピンクの髪を二つに結ったメカニックが接触回線を開いてくる。

 

『聞こえますか、《ダーレッドガンダム》のパイロットの方』

 

「……あんたは。トライアウトの、か」

 

『ティーチと申します。この機体に関して、一家言が』

 

「……それは出撃前に必要な事なのか」

 

『言っておかなければ禍根に成ります』

 

「……いいよ、言って。手短に」

 

『《ダーレッドガンダム》の性能を調整しておきました。ベテルギウスアームとの接続時に感じるラグを最小限に抑えるようにしておいたのでペダル少し軽いかもしれません。それと、内蔵されているブラックホール砲らしき兵装ですが、出力調整がそちらで可能になったのでご報告を』

 

「……有益だな。感謝する」

 

 自分が知らぬ間に爆弾でも括りつけられる、と判断していた相手は真面目腐った挙手敬礼をノーマルスーツ越しに送っている。

 

「……そうか。俺の取り越し苦労なら、いいんだがな」

 

『《ダーレッドガンダム》、リニアカタパルトボルテージに固定。出力を80に設定し、敵勢力圏への加速を行います。……クラード、準備はいい? 言ってしまうと、一気にアルベルト君達の戦局に割り込むって言う……ジェットコースターみたいなもんなんだからね』

 

 バーミットの警句にクラードは鎧のパイロットスーツの気圧を調整していた。

 

「今さら絶叫マシンだ何だって言う事でもないだろう。第一、俺はそんなの乗った事はないんだよ」

 

『まぁ、あんたに今さらジェットコースターがどうとか釈迦に何とやらだろうけれど、一応は言っておくわ。《ダーレッドガンダム》、出撃タイミングをエージェント、クラードに委譲します』

 

「了解。《ダーレッドガンダム》、エージェント、クラード。迎撃宙域に先行する!」

 

 リニアカタパルトの青い電流がのたうち、《ダーレッドガンダム》と共に胃の腑を押し上げる重力を感じさせて宇宙の内海へと出陣していく。

 

 加速度が並大抵ではないとの報告は嘘ではないようで、平時よりも星々の瞬きが行き過ぎていく。

 

 クラードはパイロットスーツ越しに感じるGに奥歯を噛んで堪えつつ、インジケーターを設定する。

 

「行くぞ。ミラーヘッドを展開して段階加速。一気に戦闘宙域へと突っ込む」

 

《ダーレッドガンダム》が蒼の残像を引いて分身体を生み出し、戦域へと自らを押し込んでいく。

 

 アルベルトの《アイギス》の改修機と《ネクロレヴォル》隊が交戦状態に入っていた。

 

「エージェント、クラード。介入行動に……何だ?」

 

 不意打ち気味の熱源警告。

 

 それと共に尋常ではない加速度で直進してくる機体名称が紡ぎ出される。

 

「《パラティヌス》……? 王族親衛隊が操る、手練れの機体だな」

 

 漆黒の王冠形状の《パラティヌス》がミラーヘッド段階加速を経て《ダーレッドガンダム》の射程へと踏み込んでくる。

 

 クラードは制動用の推進剤を焚かせ、敵影へと腰にマウントした迎撃用のビームライフルを速射していた。

 

 だが相手は即座に回避挙動に入り、視界を逃れたかと思うと直角に折れ曲がってまるで跳ね上がるかのようにこちらへと向かってくる。

 

「……《パラティヌス》とは言え、こんな性能……パイロットがミンチになるぞ……」

 

 しかしそのような懸念とはまるで想定外のところにあるとでも言うような無茶苦茶な軌道を描いて、敵機はビームサーベルを抜刀する。

 

 このままでは直撃軌道だ。

 

 クラードは短刀を引き出し、逆手で応戦する。

 

 干渉波のスパークが押し広がり、眼前で弾け飛んでいた。

 

「……こいつ……! 乗り手は前回の奴か……!」

 

『やるではないか! そうでなければ、我が怨敵には成り得ないとも!』

 

 接触回線越しの声が聞こえたのも一瞬。

 

《パラティヌス》が《ダーレッドガンダム》の腹腔へと浴びせ蹴りを見舞う。

 

 その衝撃波をコックピット内部で減殺させ、クラードは警告音声を聞いていた。

 

『警告。余剰衝撃波がアステロイドジェネレーターへの負担となっています。敵との距離を離してください』

 

「簡単そうに言う……! 剥がれないんだよ……!」

 

 短刀を振るい、相手を引き剥がそうとするも、その時には背後に回り込まれ、咄嗟の習い性で薙ぎ払う。

 

 途端、眼前でビームライフルを断ち割られていた。

 

 敵機が上下に交差させたビームサーベルの光刃が閃き、噛み切るか如く叩き割っていたのだ。

 

「……この距離なら、やれていたと言うのに……!」

 

 敵はわざと武装を潰した。

 

 それはつまり、こちらとの操縦技術では分がある事を示している。

 

「戦場で……! 余裕なんて浮かべているような奴から死ぬ!」

 

 クラードは短刀を背筋に担いだ大太刀と連結させ、そのまま双剣を払う。

 

 敵機はビームサーベルを逆手で翳して応戦し、もう片方の腕を伸ばして大上段より打ち下ろしていた。

 

 瞬時に制動用推進剤を発動させて敵の視野を眩惑させる。

 

 通常の眼であれライドマトリクサーの視野であれメインカメラは潰されたはずだ。

 

 その期を狙っての振り払い。双剣が敵機を引き裂かんとするが、相手はミラーヘッドの分身体を生み出し、あろう事か分身体を生み出す際のラグを用いて太刀筋を回避していた。

 

「ラグを回避運動に用いる……!」

 

『私はこれでも、有用な眼を持っていてね。少しばかり戦闘においては優位だと言わせていただく!』

 

 だがそんなもの、まるで針の糸を通すような活路のはずだ。

 

「……俺には見えていないものが見えているって言うのか。だがそんなもの……!」

 

 双剣を応戦の太刀で振るうも、それさえも予見したが如く、敵機は跳ね上がり、直上を巡ってから、脚部に格納されたビームタレットを速射させる。

 

 挟み込まれるように撃ち込まれた光条を、クラードは機体制御をわざと崩して回避し、持ち直した挙動で右腕の兵装へと手を伸ばさせる。

 

『化け物の誹りをする割には、君とて化け物のような挙動をする!』

 

「悪いが付き合ってはいられない。一体の敵に頓着すれば、戦場で足をすくわれるのは明白だからだ……! ベテルギウスアーム、起動……!」

 

 右腕が兵装に沈み込み、そのままアームを保持してベテルギウスアームを起動させる。

 

 蒸気を噴き出させ、鉤爪が現出し、その掌へと装填されたブラックホール砲の出力閾値が眼前のポップアップディスプレイへと照準される。

 

 真紅に染まった瞳の瞳孔でそれを操作し、適性値に振った暗黒重力磁場を拡散させていた。

 

 仕掛けようとしていた《パラティヌス》が気勢を削がれたかのように距離を取り、拡散重力磁場の網を抜けていく。

 

『面白い兵装を用いる……。だがその鉤爪……ッ! 二度も三度も通用するものではないとだけ言っておこうか!』

 

 掻い潜って両腕のビームサーベルを展開し、敵機は加速度を上げて向かってくる。

 

「……重力磁場への恐れがない……? こんなパイロット……!」

 

『怖がるだけ無駄だと言うものだ! 一度味わった恐怖をトラウマだと言うのは、それは弱腰だと呼ぶ!』

 

「来るのなら……容赦はしない!」

 

 ベテルギウスアームの掌底で敵機を重力の拒絶で押し潰そうとするが、相手は交差させたビームサーベルの粒子束の出力を上げて磁場をこの時、何と十字に掻っ切っていた。

 

「……俺の出力調整が甘い?」

 

『そう自在とはいかない様子。大仰な武装と言うのは、いつの世でも容易く運用とはいかないだろう! その無用の長物、いただく!』

 

 ベテルギウスアーム切断の挙動を取った《パラティヌス》だがその時にはビームサーベルの出力は減殺しており、弱まった粒子だけが装甲を叩く。

 

『何と!』

 

「もらった!」

 

 鉤爪が《パラティヌス》の半身を抑え込む。足掻かせる前にその装甲を内側より爆ぜさせ、重力波を撃ち込もうとして敵機はスモークを焚いていた。

 

「そんなまやかし……!」

 

『どうかな。重力磁場を拡散させるのだ、ならばその拡散粒子を阻害すればいい。ミラーヘッドの噴煙で』

 

 不意打ち気味に《パラティヌス》の像がぶれる。

 

 分身体を生み出し、そちらへと自身を転写していた。

 

 まさかそんな戦法は思いつきもしない。

 

 クラードは《ダーレッドガンダム》の鉤爪より高重力磁場を放出していたが、その時には転写された位置情報へと《パラティヌス》は転移している。

 

『ミラーヘッドの際に用いる粒子の特性を利用した戦術だ。ここまで私に出し惜しみもさせずに行使させるとは、やはり君は私の見込んだ、運命の人だとも!』

 

 最早、形骸化した分身体を鉤爪で引き裂くも、その時には敵影は離脱挙動に入っている。

 

『なるほど、それなりに楽しめた。君は、今のドレスでは踊ってくれそうにない。……私も本気を出すとしよう』

 

「撤退機動? なら、その隙間を縫って《ネクロレヴォル》隊を撃滅する!」

 

《アイギス》小隊が交戦している《ネクロレヴォル》の戦域へと、クラードは割って入っていた。

 

「攻勢は……こっちが上だ!」

 

 敵影が分身体を流転させながら交錯させ、火線を見舞う。

 

《アイギス》に後退させつつ、クラードは《ダーレッドガンダム》の右腕武装を掲げていた。

 

『ベテルギウスアーム、出力を調整。反重力バリアを構築します』

 

 ガイド音声を聞き留めつつ、《ダーレッドガンダム》の前面へと反射皮膜が構成されていく。

 

 紫色の重力磁場を散らせつつ、敵機の放った銃撃が反射していた。

 

《ネクロレヴォル》隊はその攻勢に心得たように距離を取る。

 

『クラード! こいつらはオレが抑える! お前は、エース機を!』

 

「いや、エース機は下がっていった。……どういうつもりなんだか知らないが、俺の強さを図っていたらしい。それにしたって、騎屍兵と打ち合うのは迂闊が過ぎる。《ダーレッドガンダム》で敵の銃撃網を反射させ、その隙を突いてミラーヘッドで牽制。出来るよね?」

 

『……誰に言ってやがる……! RM第三小隊、《アイギス》を引き連れてミラーヘッドを展開。機動力で敵の頭を押さえんぞ!』

 

 応! と相乗する声を通信網に聞きつつ、クラードは《ネクロレヴォル》の動向を眺めていた。

 

 騎屍兵達は下手な損耗を出すつもりはないらしい。

 

 すぐさま中距離戦に移り、ミラーヘッドの戦場を心得た距離を取る。

 

「……騎屍兵は二度も死ぬのは御免と言うわけか」

 

《ネクロレヴォル》のうち、一機が別行動を取る。

 

 その赴く先はブリギット艦であった。

 

「……こっちが制せないからって艦を狙うか。間違いの戦法じゃないな……。ブリギットの守りは?」

 

『それは、そいつはトライアウトジェネシスの連中の受け持ちだ』

 

「……手出し無用と言いたいわけか」

 

 一直線に向かっていく《ネクロレヴォル》へと、ブリギット艦より出撃した機影が応戦していた。

 

 紅色の色彩を誇る《レグルス》がミラーヘッドを展開し、《ネクロレヴォル》ともつれ合っていく。

 

『あれは……件のDDとやらの《レグルスブラッド》か……』

 

《レグルスブラッド》は《ネクロレヴォル》相手に臆する様子もなく、ミラーヘッドの分身体を両翼に生み出して銃撃網を走らせる。

 

 それは第四種殲滅戦に慣れた人間の動きであった。

 

《ネクロレヴォル》が撤退機動に移ろうとするのをアルベルト達第三小隊の《アイギス》が退路を阻む。

 

『逃がさねぇ! ここで撃墜するぜ!』

 

《ネクロレヴォル》はビームサーベルを抜刀し、アルベルトの《アイギスハーモニア》と打ち合う。

 

 干渉波のスパーク光が散る中で、直上より跳び蹴りを見舞った《レグルスブラッド》の威容に気圧され、《ネクロレヴォル》が装甲を弾けさせて後退する。

 

 その隙を逃さず、《アイギスハーモニア》が刃を薙ぎ払っていた。

 

《ネクロレヴォル》の脚部を切り裂いた一撃に、銃弾の雨嵐が機体を打ちのめす。

 

 次々と攻勢を奪われていく《ネクロレヴォル》を、《アイギスハーモニア》がミラーヘッドの体当たりで推進剤を吹き飛ばし、敵影の帰投を防ぐ。

 

『こいつはこのまま鹵獲する! 総員、包囲陣形を敷いて連携!』

 

『了解!』

 

 ユキノらの声が弾け、《ネクロレヴォル》をワイヤーで拘束していた。

 

《レグルスブラッド》が機体頭部へと銃口を押し当て、背後からはアルベルトが固める。

 

『これで王手って奴だ』

 

《ネクロレヴォル》からはしかし何の反応もない。

 

 自爆もあり得ると考え、クラードは鹵獲された機体からは距離を取り、追従してくるであろう敵勢を見据えていたが、騎屍兵隊は追跡を繰り広げて来るでもなく、モルガンへと撤退機動に移っていく。

 

「……友軍でも派閥でもあるのか? それとも、騎屍兵には仲間意識なんてものは希薄だとでも……」

 

 いずれにせよ、この時代で初めての騎屍兵の鹵獲だ。

 

《レグルスブラッド》の的確な射撃が両腕を吹き飛ばし、相手からの抵抗を奪っていく。

 

『悪いが抵抗するような気概は消えてもらう。こちらからしてみれば不明なだけの機体だ。命があるだけでもありがたいと思ってもらいたい』

 

《ネクロレヴォル》からの通信はない。

 

 まさか、自害したのか、とクラードは意識を振っていた。

 

「……そいつ、もし中に入っているのがRMなら、生体波長を調べるといい。バイタルがなければ死んでいる」

 

『忠告感謝する。RMに関しては統合機構軍が持っている分が大きい。我々からしても未知な部分も多いのだ』

 

 怜悧な声の持ち主にクラードは敵勢の陣形へと視線を振り向ける。

 

「……モルガンより来るのはMA《サイフォス》か。アルベルト、その機体じゃ不利だ。俺が前に出る」

 

『けれどよ! ……騎屍兵が撤退したんなら、オレらにだって……!』

 

「《サイフォス》のミラーヘッドジャマーはもう対策されている可能性が高い。次も同じ手が通用するとは限らない。俺ならあいつのジャミングをすり抜けて攻撃出来る」

 

『……騎屍兵を殺さずに鹵獲するほうに集中しろって?』

 

「言わないで分かっているのならそれに越した事はないだろ。そうしてくれ」

 

『……了解』

 

《アイギス》部隊が退いていく中で、《レグルスブラッド》がこちらと並び立つ。

 

「……下がれって言ったはずだけれど」

 

『それは《アイギス》部隊にだけのはずだ。私に下がれと言われた覚えはない』

 

「……物は言いようって感じだ」

 

『戦場の感覚を知りたい。特に、そのガンダムにはな』

 

「……何、下手な勘繰りをしたって、俺にだってこいつははかりかねている。分かった風な事は言えない」

 

『いや……ガンダムには何かと……因縁がある』

 

 その言葉でクラードはようやく、その声の主が三年前にベアトリーチェを攻撃した人間の一人である事に気づいていた。

 

「……貴様……」

 

『そちらが勘付いたという事はこちらも、と思ってもらいたい。……別段、ガンダムだからと言って今さら敵対するわけでもなし』

 

「……じゃあ邪魔にならない程度に援護を。後ろから撃たれるのは趣味じゃない」

 

『……尽力しよう』

 

 互いに弾かれ合うように《サイフォス》へと挟撃を仕掛ける。

 

《サイフォス》は鬼面の装甲を拡張させてミラーヘッドジャマーを張り巡らせていた。

 

 構築したミラーヘッドのジェルを凝固させたツルが円弧を描き、《サイフォス》へと光背のように編み出される。

 

「……まるで絶対者って感じだ」

 

『《レグルスブラッド》、ミラーヘッド受諾失敗。やはり敵は手を打ってきている』

 

「アルベルト達を下がらせて正解だったな。俺が先行する。《ダーレッドガンダム》、システムを展開。レヴォル・インターセプト・リーディング、発動」

 

 浮かび上がっていくシステムの瞬きを視野に入れつつ、クラードはミラーヘッドの段階加速を経て《サイフォス》の射程へと潜り込む。

 

 敵機は出力の高いビーム兵装で固めているが、その砲門はどれもこれも精密さに欠ける。

 

《ダーレッドガンダム》がベテルギウスアームの鉤爪を奔らせた時には、敵機もクロー装備で応戦しようとしていた。

 

 その長大なクローを膂力だけで押し潰し、次いで重力磁場を伝導させ内部に収まるパイロット達を焼き尽くしていく。

 

《サイフォス》から蒼い光が凪いだのを関知し、クラードは敵機の至近距離で重力による圧死を行っていた。

 

 コックピットブロックが粉砕され、装甲を散らせる《サイフォス》の機体に乗り移り、こちらへと照準を向ける砲塔を叩き潰していく。

 

 鉤爪の切断で引き裂き、粉々になった《サイフォス》を蹴ってモルガンへと肉薄せんと推進剤を焚いたが、その時点で《ダーレッドガンダム》の射程圏よりモルガンは逃れていた。

 

 甲板部に《ネクロレヴォル》を配し、こちらへと応戦弾幕を張っている。

 

「……鹵獲したのは一機だけ。他の損耗は《サイフォス》の一機で手打ちか。なるほど、ピアーナらしい、合理的な判断だ」

 

『ガンダムのパイロット、ミラーヘッドジャマーが消えた。我々も帰投するとしよう』

 

「ああ、構わないが……遺恨はないのか。お前らの仲間を俺は大勢殺してきただろう」

 

『……そんなものはあの委任担当官殿が蹴散らしてくれたよ』

 

「……カトリナ・シンジョウが? 何をやったんだ……」

 

 完全に想定外の言葉に面食らいつつ、クラードはオフィーリアの放つガイドビーコンを目にしていた。

 

 



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第148話「彼の痛み」

 

 肘掛けを殴りつける。

 

 自分でもらしくはないと思いつつ、それでも悔恨を噛み締めていた。

 

「……騎屍兵団を束ねる師団長が、聞いて呆れる」

 

「でも、損耗は最小限じゃんか」

 

「……《サイフォス》を操っていたパイロット達だって替えの利く駒と言うわけではないのです。我々は二度も……敗走を重ねた……」

 

 それそのものが自身への咎のように思えて、ピアーナはメインモニターに映し出されたオフィーリアとブリギットを睨んでいた。

 

「……簡単に撃墜されてくれるのなら、貴女はまだ……」

 

『フロイライン。私の《パラティヌス》も限界だ。これより護衛艦の守りから帰還する』

 

 ヴィクトゥスには護衛艦の守りを任せていたのだ。

 

『リクレンツィア艦長。スリーが鹵獲されました』

 

 まるで感情なんて読み取らせない報告に、ピアーナは応じる。

 

「……申し訳ありません……私の落ち度です」

 

『いえ、謝らないでいただきたい。我々とて、少しばかり迂闊でした。《アイギス》の配備に、トライアウトジェネシスの軍勢の合流、どれもこれも想定外でしょう』

 

「……それでも、想定外を想定内に納めるのが、わたくしの役目……」

 

「あのさ……そう思い詰めるもんでもないよ。今回だって轟沈は防げたんだし」

 

「貴女に……っ! わたくしの何が分かると言うのです……っ!」

 

 それは自分にしては珍しい、感情の発露であった。

 

 メイアは放たれた怒りに当惑している。

 

 そこでようやくハッとして、ピアーナは歯噛みしていた。

 

「……こんな醜態……カトリナ様に吼えた自分が誰よりも許せない……」

 

 メイアはそれ以上自分の言葉を重ねようとはしなかった。

 

 それがある意味では、現状ではありがたい。

 

 だがコロニー、ルーベンへの補給路を断てなかったのは自分の生存権を脅かす事だろう。

 

「……わたくしは所詮、飼われているだけの命ですもの……。有用性を示せないのなら、それは同じ……」

 

 管制室では自分の痛みを肩代わりしてくれるような都合のいい人間はいない。

 

 ただ、誰も彼もが言葉少なな事だけが今は寄り添う事に繋がるはずであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「艦長は癇癪を起していたのか。……鉄面皮のフロイラインにしては珍しい事だな」

 

 格納デッキで騎屍兵相手に呼びかけたヴィクトゥスに、騎屍兵は応じていた。

 

『……王族親衛隊身分には分からない事です』

 

「鹵獲されたと聞いた。それもある意味では我が身の不実だ。詫びよう」

 

『……何故、あなたが詫びる……。それは我々、騎屍兵の失態だ』

 

「いいや、私も前に出過ぎていた。よくない癖だ。ついつい戦いに酔って興じてしまう。これでは……戦闘狂と罵られても何ら言い訳も立たんな」

 

 自嘲したヴィクトゥスに、帰投した騎屍兵は声を振っていた。

 

『……我々も嘗めていた部分も大きい。《アイギス》と軍警察の《レグルス》の連携。それに……あのガンダム』

 

「鉤爪の機体を抑えられなかったのは単純に、私の力不足だ。恥じ入っても足りんだろうが」

 

『……特務大尉は何故、最初から専用機を使わなかったのです。使えば勝てていたかもしれない』

 

「戦場とは。常にけだものの領域で戦ってはいけない。識者であるのならば、相手と死合うのに相応しいドレスで舞わねば、それは喰らい合うだけの饗宴と同じだ。私はこれでも、相手と自分で線引いている。識者を気取るのならば、私は争いにおいてでも理性的であるべきだと仮定している」

 

『……識者の理論……まさか、あなたは……』

 

「それ以上の勘繰りはお奨めしない。私は既に敗北者(ヴィクトゥス)――決定的にこの世界より爪弾きにされた存在なのだからね」

 

 騎屍兵の一員はそこでこちらと目線を合わせ、バイザーを上げていた。

 

 驚くべき事に、死者である事を誇りとしている彼らの相貌は、機械的な意匠が施されているものの人間そのものであった。

 

「……顔を見せていいのか?」

 

「これは私個人として……ゴースト、ナインとしての言葉です。我々はどうあっても死者。だとしても仲間意識の一つくらいはあった」

 

「……鹵獲されたのは女性構成員と聞いた」

 

「別段、だからと言って我々が実行する作戦に違いはないのです。しかし……スリーには酷な運命を強いる」

 

「……オフィーリアが……彼の居る艦がそこまで外道だとは思わないがね。それでも懸念事項ではあるのだろう」

 

「見ての通り、我々はライドマトリクサー施術を受けております。有機伝導体操作技術も、そして思考拡張も並の兵士とは違う」

 

「《ネクロレヴォル》を稼働させるためだろう。その意匠は誇りだと、そう思っていいのか」

 

「構いません。我々も折に触れてこうして自分達の傷を見せる事もあるのです。人間のようで笑われるかもしれませんが……」

 

 ナインは頬に走っている幾何学模様のRM施術痕を撫でる。

 

「誰が笑うものか。戦場において、誰もが痛みを背負っているのだ。その矜持を誇りどすれ、笑う者など……」

 

 だが自分の戦い抜いたエゴの一つで失わなくっていい命まで散ったのは事実。

 

 ヴィクトゥスは搬送されてくるコンテナの中に納まっている専用機へと視線を移していた。

 

「……随分と細身に映りますが」

 

「私の扱うだけの最大のマニューバと、そしてミラーヘッドの最大規模での展開を想定しての機体である。名を《ソリチュード》。なに、ちょっとばかし奏でるとしようか。この戦場の独奏曲を」

 

 漆黒の機体は次なる戦場を待ち望んでいるかのようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゆっくり降ろせー。……それにしてもとんでもない手土産だな、こいつは」

 

 搬送されてきた《ネクロレヴォル》の機体を仰ぎ、アルベルトは《アイギスハーモニア》のコックピットを蹴って漂っていた。

 

「……こいつ、パイロットのバイタルは?」

 

「生きてやがる……のは間違いないんだが……騎屍兵に生きているなんて論じていいものかねぇ」

 

「……自死しているもんかと思っちまったよ」

 

「それはこっちも視野に入れている。今のところ自爆の兆候もなし。大人しいもんだ。……だが油断はするなよ。おい! レーザーカッターを持って来てくれ! 内側からは開けるつもりもないらしい!」

 

 溶断したコックピットブロックより浮かび上がって来たのは自身の膝を抱いた喪服のパイロットスーツであった。

 

 バイザーを降ろしており、その顔色は窺えないが鮮血の類は迸っていない。

 

「……生きて……いや、そのつもりで鹵獲したんだからな。アルベルト、RM第三小隊だけに任せちゃいられねぇ。総員、武装を準備!」

 

 サルトルの号令でアサルトライフルをメカニックが構えるも、相手は膝を抱いた姿勢のまま壁まで到達し、ゆっくりと身体を開く。

 

 流れるままに任せた躯体には何が仕込まれているのか分からない。

 

 照準したアルベルトは格納デッキへと踏み込んできた影を視野に入れていた。

 

「鹵獲したって……! アルベルトさん!」

 

「馬鹿……来ちゃ駄目だ!」

 

 その言葉が致命的であったのは自分でも愚かしいくらいであった。

 

 騎屍兵はパイロットスーツの推進剤を焚いてカトリナへと肉薄する。

 

 一瞬の交錯、それでいて、完全に虚を突かれた形。

 

 騎屍兵は袖口に仕込んでいたと思われるナイフを現出させ、カトリナへと振りかぶっていた。

 

 その一閃が確実に振るわれ――血潮が舞う。

 

「あ、」

 

 そんな全ての現象が後れを取った世界で、カトリナは咄嗟に自身を庇ったユキノの背中に走った傷を目の当たりにしていた。

 

「大丈、夫……? カトリナさ……」

 

「ユキノさん! どうして……!」

 

「どうしてって……分かんないや。あの時と同じで……身体が勝手に動いちゃった……」

 

 瞠目するカトリナに対し、色めき立った者達が騎屍兵を封殺しようとするが、アルベルトは手を払っていた。

 

「待て! 撃つな!」

 

「アルベルト? 何言って――!」

 

「せっかくの敵兵なんだ。……まずは情報を仕入れないと等価値じゃねぇ」

 

 自分でもそこまで冷静になれたのは分からない。

 

 しかし、ユキノの痛みを無駄にしないのならば、ここで銃殺するだけでは終わってはいけないはずだ。

 

 アルベルトは敵兵を拘束し、そのままアサルトライフルの銃口を後頭部に押し当てる。

 

 今回はどうしてなのだか、敵は無抵抗であった。

 

「……どうしたよ。そのナイフで応戦もして来ねぇのか」

 

『……勝てない相手に牙を突き立てるような激情家ではない』

 

 その声音にアルベルトは眼を見開く。

 

「……女、か……」

 

『女兵士で何が悪い』

 

 うろたえた自分を制し、引き金に指をかける。

 

「……そりゃ、その通りなのかもしれねぇ。わざとこっちに虚を突かせるようなやり方……正攻法とは思えねぇな」

 

『貴様ら抵抗兵に正攻法の是非を問われるとは思っていない』

 

「待て、アルベルト。そいつの尋問はヴィルヘルムに任せたほうがいい。俺達じゃ持て余すだけだ」

 

 ようやく帰投したクラードが装甲服のパイロットスーツをパージさせ、インナー姿で格納デッキを漂ってくる。

 

「だがよ……こいつはユキノを……!」

 

「ユキノは死んだのか?」

 

「とんでもねぇ! ユキノをすぐに医療ブロックに! まだ助かるはずだ!」

 

 自分の指示に小隊員達が応じてカトリナとユキノを格納デッキから遠ざけていく。

 

「……で、こいつの処遇か」

 

「殺すのは簡単だが、それではあまりに釣り合いが取れない。情報を聞き出す。自傷防止の牢獄に一度軟禁。その後に、話を聞く」

 

 クラードの言い分は正しい。

 

 正しいのだが、アルベルトが困惑したのはクラードがその判断を下す前に、自分が似たような事をのたまっていた部分であった。

 

 これでは――まるで血も涙もないエージェントのそれ。

 

「自害する気は……なさそうだな」

 

 銃弾がその手に携えたナイフを弾き落とす。まだ仕込み武装の一つや二つはありそうだが、警戒してばかりでは何も得られない。

 

「負傷兵が出たか……。遅れて申し訳ない」

 

《レグルスブラッド》より流れてきたダビデの声に、アルベルトは自ずと騎屍兵から身を剥がしていた。

 

「軍警察の役割だ。相手の情報を引き出す」

 

『軍警察。やはりトライアウトと繋がっていたか。艦長の想定通り』

 

 どこまでも冷徹で、感情なんて察知させない騎屍兵の声音に、アルベルトは銃器を構えたまま後ずさっていた。

 

 ――彼らは何だ?

 

 まるで自分の命でさえも頓着していない。

 

 それは所詮、状況を動かすだけの駒でしかないと規定しているかのような。

 

「……相手は騎屍兵だ。どのような破壊工作に打って出るか分かったもんじゃない。……アルベルト?」

 

「あ、ああ、そうだな……。オレも少し気圧されちまったみてぇだ……」

 

「しっかりしてくれ。RM第三小隊に関しちゃ、俺よりもアルベルトの声が大きい。ユキノがやられた事で戦意喪失なんて事になったら目も当てられない」

 

 そうだ、その可能性さえもある。

 

 逆に騎屍兵から情報を引き出すのに、下手な復讐心や敵愾心を生まないために自分のような隊長が居るのだ。

 

 至らなさに、アルベルトは自分の頬を手で張っていた。

 

 響き渡った音叉に、クラードは視線を振り向ける。

 

「……落ち着いた?」

 

「ああ……すまねぇ、クラード。情けねぇところ見せた」

 

「いいんじゃないの。アルベルトがもしもの時に迷わないようにすれば、さ」

 

「……クラード、今回は大丈夫なんだな。《ダーレッドガンダム》からのフィードバックとか……」

 

「ああ、サルトル達のお陰かな。今回は意識を持って行かれずに済んだ」

 

 しかし、その赤い瞳はどこか、諦観めいたものを浮かばせている。

 

「……何か懸念でもあんのか?」

 

「いや、少し……落ち着かない敵と遭遇した。逃がしたのは俺の責任かも知れない」

 

「……そんなこたぁねぇだろ。相手は《パラティヌス》単騎で《ダーレッドガンダム》とやり合った化け物だ。オレらなら一機くらいはやられていたかもしれねぇ。それが無傷で済んだのは……お前のお陰だよ」

 

「俺の……お陰?」

 

 どうしてなのだか、クラードはその言葉に不明瞭さを感じているようであった。

 

「そこまで迷う事か? お前が居なけりゃ、そもそも《サイフォス》の突破も出来てねぇし、何よりもピアーナの操るモルガン相手にここまで善戦も出来てねぇ。コロニーにももうすぐランデブー出来る。……状況は悪いが、これでもまだマシだろうぜ」

 

「……そうか。こんなでもまだマシ……か」

 

 どうしてなのだか、クラードは現状の把握に時間がかかっている様子であった。こういう時、彼を支えるのは自分の役目である。

 

「……クラード。いつまでも呆けている暇ぁ、ねぇ。敵は追撃してくるだろうし、いくら軍警察のお膝元とは言え、安全とも限らねぇ。いや、逆に、か。オフィーリアは統合機構軍の新鋭艦。手痛い事に……なるかもしれねぇな」

 

 考えたくはないが、軋轢も起こりかねない。

 

 何せ、彼らはかつて敵であったのだ。

 

 そればっかりは間違いようもなく、そして違えようもない。

 

「……アルベルト、俺は後の事は任せる。……少し……気にかかったことがある」

 

 格納デッキを抜けようとしたクラードの肩をアルベルトは思わず引っ掴んでいた。

 

「……何?」

 

「いや……ヒデェ顔色だ。一度ヴィルヘルム先生に看て貰ったほうがいいぜ。そうでなくっても無茶苦茶な敵と遭遇したんだ。情報は擦り合わせるべき、だろ?」

 

 クラードの顔色なんてこれまで考えた事もなかったが、この時ばかりは彼の道行きに不安を感じたのもある。

 

 クラードは自身の掌に視線を落とし、ぽつりと呟いていた。

 

「……何か、違和感がある。……あの《ダーレッドガンダム》に」

 

「そいつぁ……新型機だから不安要素くらいは……」

 

「そうじゃない。……何か致命的に……見落としている気がしてならないんだ。それが何なのか分からないのが……気味が悪い」

 

 気味が悪いと言われてしまえば、アルベルトはハンガーに格納された《ダーレッドガンダム》に自ずと視線を流していた。

 

「……確かに奇妙な機体だが……解明には時間もかかるだろ。今は、騎屍兵のほうに気を割くべきじゃねぇのか?」

 

「……アルベルト、冷静になったんだな」

 

 そう返されて自分でもかつてのように義憤に身を任せるような人間でなくなった事に気づく。

 

 クラードの見知っていた頃ならば、自分は仲間を傷つけられて平然としてはいられなかっただろう。

 

 それだけ――この三年間で失ったものが大き過ぎだ。

 

「……嫌な大人に、成っちまったのかな。オレらが、それこそ反抗していた……デザイアの貴族階級連中みてぇによ」

 

「変わらないものもある。だが何も変化しないのは、それは前進していない証拠だ」

 

「……そいつぁ誰の言葉だ?」

 

「……さぁ。引用不明」

 

 クラードは変わらない。いや、変わらないように映るだけなのかもしれない。

 

 RM施術を全身の七割に至るまで受け、その精神でさえも鋼鉄と化したのか。あるいはそうではなく――受け取る自分のほうが変わってしまったのだろうか。

 

 賢しいだけの大人に成ってしまった、どこまでも愚鈍なだけの凡人。

 

「……クラード。今回の戦果、どう思ってるんだ? 騎屍兵の鹵獲にモルガン相手に二度の防衛戦。正直、勝てるようになってきたのは嬉しいところではあるんだけれどよ。オレは要らないイレギュラーでさえも……この艦に運んでいるような気がして……」

 

「それは仕方ないだろう。俺達は、異物でさえも飲み込まないと前には進めない」

 

「前に、か……。だが、クラード。そいつぁ、お前……いや、よしておく」

 

「何だ、言いたい事があるのなら言えばいい」

 

「いや、今はお前、休んだほうがいい。酷い顔色だ」

 

 クラードは自分の頬へと手をやってから、そうか、と首肯する。

 

「俺はそんなに、酷い、か」

 

「オレの言えた義理じゃねぇけれどもよ……。クラード、お前は前に出て、それで傷つき過ぎてんだよ。《疑似封式レヴォル》で戦っていた時だってそうだ。コロニー、ルーベンでいっぺん、休んだほうがいいのかもしれねぇ」

 

「……俺はエージェントだ。休息は命令が出ればそうしよう」

 

 その言葉を潮にしてクラードは格納デッキを立ち去っていく。

 

 流れていく白衣の背中に、アルベルトは小さくこぼしていた。

 

「……でもお前は……それでも戦うんだろうな。どれだけ傷ついたって、自分はエージェントだからって規定して。でもよ、オレもまた、痛みを背負えねぇのかよ……」

 

 少しばかりは強くなったつもりでいた。

 

 だがこの拳はまだ足りていない。

 

 誰かの運命でさえも肩代わりするのには、未だに足りないのだ。

 

 それが嫌でも自覚出来て、アルベルトは拳を握り締めていた。

 

 



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第149話「異端超越者」

 

「はい……はい、オフィーリアはやはり読み通り、コロニー、ルーベンへ立ち寄ると。そうなりましたか。ならば我々も次手を講じる必要性がある」

 

 タジマは何でもないかのように通話を切ってから、さて、と自分へと視線を投げる。

 

「前時代的な拷問方法ばかりでしたが、どうでした? ザライアン・リーブス。これで少しは大人しく話してくれる気になりましたか? あなたの次元宇宙における罪を」

 

 爪を剥がされ、黒服達によって何度か脚を撃たれている。

 

 指も折られたのが五本目から先は数えるのも馬鹿馬鹿しくなっていた。

 

 血と唾液で汚れた面持ちを上げ、ザライアンはふむ、と首肯するタジマを睨み上げていた。

 

「少しは話していただかないと、時間を浪費するだけです。あなたには生き延びていただいたその自覚はあるはず。宇宙の戦士、その渾名が正しいのであるのならば、話くらいは致しましょう」

 

 ザライアンは血の混じった唾を吐く。

 

 タジマの仕立てのいいスーツにそれがこべりつき、黒服が彼の眼差しに自分を殴りつけていた。

 

 顔面と腹腔を何度も殴られ、意識が遠のきかけたところで毎度、それは中断される。

 

 まるでこうした拷問には慣れているかのような手腕であった。

 

「教えていただきたい。再三の話になりますが、あなたは自身の次元宇宙で何を行い、如何にしてMF、《フォースベガ》のパイロットとなったのか。その経緯を。何も難しくはないはずだ」

 

「……僕の口からそれをこの次元宇宙の人類に話せば、世界の命運が変動する」

 

「そう仰るからには、重要であるのは間違いない。私はね、あまりにも時間を無為にするのは主義に反するのです。では質問タイムと行きましょうか。“夏への扉事変”、あの時、あなた方は何者かと協定を結んだはずだ。そうでなければ、MF四機が今日に至るまで静謐を貫いているはずがない。……まぁもっとも、MF02、《ネクストデネブ》の空間跳躍に、MF06、《シクススプロキオン》の襲来と想定外の事は起こってきましたが、それでも私はある意味では想定内の中で納まっているとしか思えないのです。でなければ、MFは我ら現行人類を燃やし尽くしたって可笑しくはないほどの兵力を誇っている。だと言うのに、何故人類を襲わないのか」

 

「……お前らとは違う。僕は無用な戦いをしたくないだけだ」

 

「では何故、“夏への扉事変”ではあれほどまでに殺したのか? そこに疑問があるのですよ。あなた方には理由がある。理由があって、この次元宇宙でいたずらに人は殺せない。まぁ、それでも特定条件下における自衛くらいは任せられているようですが。その証こそが、月のダレトを防衛しての戦闘行為。《ネクストデネブ》と《ファーストヴィーナス》はその点において、決定権を持っているが、何故かあなたは持っていない。これは如何にしてか」

 

「……知らない。考えてみるといい」

 

「だから考えてみたのです。それは恐らく……何者かの思惑があるのではないかと。そうでなければ、あなた方がこうして……月のダレトを守り、そして現行人類に叡智をある程度与えた理由がまるで分からない。何故、MF04から生み出されたミラーヘッドの技術に、有機伝導体操作技術、そして思考拡張、これらへの楔は解かれ、この来英歴を象徴する技術として確立されたのか。それはあなた達、MFのパイロットが条件として与えたからではないのか。この来英歴を牛耳る何者かと渡りを付け、その結果として生存を約束された。あなた達、扉の向こうよりの使者は、そうでなければ生存出来ない、そう言った存在であった」

 

「想像力がたくましい事だ。そこまで考えが及ぶのならば自説を並べればいい」

 

「そうしたいのは山々ですが、推論だけではこの世界は成り立たない。……答えていただきたい。ザライアン・リーブス。あなたを含め、MFのパイロットは誰と、何を約束したのか。それが分かれば、我が統合機構軍の身の振り方も変わってくる」

 

 ザライアンは顔を上げ、余裕ぶったタジマが眼鏡のブリッジを上げるのを目にしていた。

 

「……お前達は悪魔だ。悪魔だから、僕達から奪い続けた。MFの技術も、ミラーヘッドも、全て……。だが何でだ。何で僕は……そんなお前達のために……木星船団の師団長にまでなって……」

 

「分からないのはそこも、です。ザライアン・リーブス。あなたの経歴は意図的に操作されている。それを与えたのは何者です?」

 

「……答えれば陳腐に落ちる。知らないほうがいい事もたくさんあるはずだ」

 

「知らないほうが幸せ、ですか。どうにも……あなたの論調には諦観の類も受け取れる。我々が知ったところで、何にもならないとでも言うようだ」

 

「……事実、そう言っている。あなた方が下手に勘繰れば、この世界だけじゃない。僕の居た次元宇宙でさえも危険に晒す。別に、いいじゃないか……。何も知らなくっても。MFが襲って来れば、僕は迎撃する。《フォースベガ》の力があれば、あなた達を守るのに何の躊躇いもない……躊躇いも……なかったのに」

 

 声が震える。

 

 アルチーナ艦の者達はあそこで死ぬべきではなかった。

 

 自分のような怪物相手に、人間として慕ってくれた人々を結果的とはいえ裏切ってしまった。

 

 そのような悔恨を二度と噛み締めたくはない。

 

 だがタジマには関係もないようで、彼は思案を浮かべる。

 

「困るのですよ、勝手に自己満足されてしまえば。我々は知らなければいけない。何者の意思が、この世界を覆っているのか。誰が如何にして、この世界を計算ずくに落としているのか。エンデュランス・フラクタルは企業です。技術がさらに進展を遂げるのだとすれば、それは我が社の貢献以外にはあり得ない」

 

「……進化の果てに何故、栄光があるのだと信じている」

 

 こちらの言葉が予想外であったのか、タジマはわざとらしく耳を傾ける。

 

「何と仰いました?」

 

「……進化の果てに栄光があるなんて、誰が保証する。人類の進化の果てにあるのは……遠大なる自滅の道かもしれない。その可能性に何故思い至らない」

 

「ですが、道を辿る事をやめれば、それこそ進化の機会を失う。MFは揺籃の方舟だ。我々人類に、未だ解明出来ない命題を与えてくれます。《フィフスエレメント》がそうであったように、たった一つで世界を変える起爆剤となる。それがMFであり、あなた方パイロット達でもある」

 

「……なら、試すがいい。その結果、滅びが訪れたとしてもお前達は後悔するよりも先に死んで行く。何故なら、それこそが道理であるからだ。進化の道を率先して前を行こうとした存在は、すべからく淘汰される。今さら問うまでもない、それがこれまでの人類の愚行そのものであった」

 

「それはあなたの居た世界での常識でしょう。我々は違う」

 

「同じだよ。何もかも、全てが……。MFと言う力を手に入れ、それに溺れ、そうして世界の破滅の際に立って、その時ようやく……思い知るんだ。自分達が何を仕出かしてきたのか、何に手を伸ばしていたのか。……禁忌はいつだって遅れて訪れる。死に際になって、もう手遅れだ、なんて思ったって、それは全てにおいて遅いと言うんだ」

 

「唐突にお喋りになりましたね。話していただけるのですか? MF04の性能を引き出す術でも」

 

「《フォースベガ》の性能を引き出す術? そんなもの……」

 

 思わずせせら笑いが出てしまう。

 

 彼らはまだ、そんな些末事にこだわっているのか。

 

《フォースベガ》の技術をここまで吸い出しておいて、それでもまだ足りないと。まだ何かがあるはずだと信じて、そうして過ちだけを繰り返す。

 

 その果てに待っているのがどうしようもない“破局”なのだと、彼らに教えたところで不可避であろう。

 

 何故ならば、人類はどのような存在であったとしてもその道を辿って来た。

 

 その証明こそが、MFが六体もこの次元宇宙に辿り着いた答えだ。

 

 彼らは恐らく、自分と似たような理由でここまで来たに違いない。

 

 だからこそ、その答えを求めて。

 

 だからこそ、破滅を回避する明瞭な術を求めて。

 

 そして思い知る。

 

 そんな都合のいいものが存在しているとすれば、誰かの世界は救われて、MFなんていうものはこの世に一体だって存在しなくっていいはずなのだと。

 

「……現存するMFの数こそが、この世界の罪の証だ。誰も救えなかった。人類なんて大きな総体を前にして、救済の術だけを求めて求道の旅に出たと言うのに、その行き着く先がどれもこれもがこの次元宇宙であったのは……もう諦めろと言われているんだ。お前らがどれだけ《フォースベガ》を漁って冒涜したところで、答えなんて出ない。答えがあるのなら、僕らはもう、自分の世界に帰っているさ……」

 

 喋り疲れたとでも言うように項垂れる。

 

 そんな自分に黒服が再び痛みを加えてきた。

 

 頬を殴りつけ、タジマが視線を合わせる。

 

「まだ答えを教えていただいていませんよ? ザライアン・リーブス。あなたは何を知っていて、そして何から遠ざけようとしている? それが分からないままでは、私達は諦める事さえも出来ない」

 

「……知ったところで、絶望するだけだ。なら、知らないほうが幾分かマシとも言える」

 

 タジマは一考の余地を挟んでから、背中を向け語り始める。

 

「ですがあなた方、MFのパイロットを擁立した組織が居るのは確かでしょう。いえ、それはともすれば個人かも知れない。この来英歴で、我が軍勢が優位を得るためには、それを知らなければいけないのです。今一度、問いましょう。宇宙飛行士、ザライアン・リーブス。あなた方と協定を結んだのは、誰か」

 

「……教える義務はない」

 

「構いませんよ? 時間だけは、たっぷりとあるのですから。……どうやら到着した様子。歓迎しますよ、宇宙の戦士。我らがエンデュランス・フラクタル月面本社へ。トライアウトブレーメンの方々はここまでの水先案内人になってくれた」

 

 艦艇がどこかの港に到着したのを伝える振動。

 

 相変わらず窓がないために外側で何が起こっているのかも不明のままだが、ザライアンは最早、抵抗の術もない事を感じ取っていた。

 

 頭部に装着された弓型のヘッドセットは少しずつ、それでいて確かに、自分の思考力を奪い去っていく。

 

 じわじわと侵食されるように、思考力だけを削いでいく悪魔の兵装。

 

 考える力を失うと言うのは、こうして自分を抑止するだけの能力でさえも消し去っていくのだ。

 

 それもこうして、痛みに耐え切れなくなった時に、不意に。

 

 自分の自我とは関係なく、ただ自分の声帯を震わせて、思わぬ言葉を漏らす事もある。

 

「……僕だって……こんな風に隠し立てしたいわけじゃない……」

 

 だが耐えねば。

 

 耐えなければ、自分は次元宇宙の護り手。

 

 ここで耐え忍ばなければ何のための「約定」か。

 

 何のための「彼ら」との協定だと言うのか。

 

「少し強情な様子ですので、本社のシステムを使わせていただきますよ。ザライアン・リーブス。あなたは何分耐えられますかね。私の見てきた限りでは、あれに耐えられるのは十分が限度でした。見ていて辛いものですよ。RM施術を利用しての、痛みだけを浮き立たせる拷問器具と言うのは。身体には傷一つないのに、痛覚だけを刺激する。それは神経を引っぺがされたほうがまだマシと言うもの」

 

 黒服に拘束されたまま、自分はベアトリーチェ級の艦よりベッドに乗せられて降ろされる。

 

 高く白亜の天蓋を誇るエンデュランス・フラクタルの裏港で、ザライアンは絶望に伏せた瞳を注いでいた。

 

 ここでどれだけの非人道的な実験が行われてきたのだろう。

 

 どこかで血濡れの臭気が漂ってきて、ザライアンは自分の行方を察する。

 

 ――きっと自分は耐え切れずに喋ってしまうのだろう。

 

 だから、矜持を抱くのならば今だけしかない。

 

 ただの「ザライアン・リーブス」としての誇りを抱き、誰かのためではなく、これまで戦ってきた自己を慰撫するのならば。

 

 だから、もう終わりだと。

 

 終着駅があるのだとすれば、ここなのだと。

 

 そう、自分は思っていた。

 

 もう、抵抗も、そして世界からの悪意にも晒される必要もない。

 

 ある意味では、それは救済なのかもしれない。

 

 それが、最後に思い描く事ならば、戦士としては少しばかり上等であろう。

 

 数十年に等しい生であったとしても、自分は望んだ「英雄」に成れたと言うのならば――。

 

 諦めに、瞼を閉じようとした、その時であった。

 

「失礼。止まってください。どちら様ですか? 本社の裏港で待っているという事は、あなたもエンデュランス・フラクタルのエージェントで?」

 

 首を向けられないが、タジマ達は何者かと対峙しているようであった。

 

『照合してもいい。エージェント、キュクロプス。新世代のエージェントである』

 

「……レジスタンスの対抗任務に出ていた、《ネクロレヴォル》の乗り手ですか。しかし、何故本社に? あなたの任務は、モルガンへの合流だったのでは?」

 

『モルガンよりもこちらが優先事項として高いと判断したまで。私が来てはいけないか』

 

「いえ、そのような事。あなたは特一級エージェントです。ミッション外での独自権限は守られている」

 

『そう言っていただけると助かる。その二名は?』

 

「彼らは保護対象です。あなたの任務の外なのでは?」

 

『そうも――言っていられないのでね』

 

 瞬間、キュクロプスと名乗った人影が疾駆する。

 

 駆け抜けた相手が黒服達を一瞬にして制圧し、独特のパイロットスーツの袖口からナイフを顕現させ彼らの頸動脈を掻っ切って行った。

 

 血潮の舞う中で、タジマが姿勢を沈める。

 

 キュクロプスは浴びせ蹴りを見舞っていたが、タジマは軽い動作でそれを受け止める。

 

「……これは、どういった意味だと受け取れば?」

 

『……隠し立ては今さら意味を成さない。MFのパイロットは確保する』

 

「……真意を、教えていただいても?」

 

『それは――これで充分だろう。来い、《ファーストヴィーナス》』

 

 パチンと指が弾かれ、空間を削いで転移してきたのは黄金の使者であった。

 

「……まさか……」

 

 MF、《ファーストヴィーナス》の顕現。

 

 その威容に気圧されたタジマは《ファーストヴィーナス》の生じさせる金色の帯を四方八方に掃射されていた。

 

 本社の骨組みが崩れ、裏港が崩壊していく。

 

 ベッドのタイヤが軋み、流れていく中で、《ファーストヴィーナス》の生み出した重力の投網が自分と、そしてもう一人――ヴィヴィー・スゥを捉えている。

 

「逃がすな! 《アイギス》部隊出撃! 《ファーストヴィーナス》を迎撃せよ!」

 

 タジマの号令に裏港で張っていたのであろう、《アイギス》が出現し、速射ライフルでその装甲に弾痕を刻もうとするがどれもこれも威力不足だ。

 

《ファーストヴィーナス》が一本角に天使の環を構築し、その躯体は重力を帯びる。

 

 黄金の帯が全方位に掃射され、《アイギス》の機体を貫いていた。

 

 貫かれた先から《アイギス》が硬直していき、やがて全身から蒼い血潮を撒き散らす。

 

「……アステロイドジェネレーターの位置が分かっていると言うのですか……!」

 

『元は我々の叡智だ。よって、この二人は確保する。貴様らに愚弄させるわけにはいかないのでな』

 

《ファーストヴィーナス》のパイロットは超越者の如く言い捨て、無重力区画を撃ち抜いて宇宙の外海へと漕ぎ出す。

 

《アイギス》の追っ手が迫ったが、どれもこれもおっとり刀の段階加速では《ファーストヴィーナス》の叡智に届かなった。

 

 やがて振り切ったのを確認してから、ザライアンは空間転移を認識していた。

 

 訪れたのは広く取られた操縦席である。

 

 まるで生物の臓腑の中のような複雑怪奇な形状を誇るコックピットにて、異形のパイロットスーツに身を包んだ相手が振り向いていた。

 

「無事で? 二人とも」

 

 咄嗟に声が出ない。

 

 それも無理はないだろう。

 

 拘束服の呪縛は未だ健在だ。

 

 ――否、それよりも。

 

 相手の相貌に息を呑んでいたのだろう。

 

「……僕、なのか……?」

 

「それは正しくない。私は右目だけが赤いからね」

 

 金色の髪をショートに整えた少女がオッドアイを振り向ける。

 

 赤と蒼の瞳。

 

 赤い瞳は血の色。もう片方はミラーヘッドの蒼にも似ている。

 

 彼女はこちらへと歩み寄るなり、自分の拘束服を触れるだけで排除していた。

 

「……君は……」

 

「エンデュランス・フラクタルでエージェントを務めていた。キュクロプスと言う」

 

 キュクロプスは完全に能力の削がれた拘束服へと視線を落とし、やがて踏みつける。

 

「忌むべき代物だね、これは」

 

「その……どう礼を言っていいのか……」

 

「別に、何でもない。私が君達を救ったのは翻ってみれば自分の身可愛さだ」

 

「……それは、僕らが繋がっているからか」

 

「分かっているじゃないか。そうとも、私達、波長生命体は脳内ニューロンが発達し、思考拡張と呼ばれるものを操っている。この次元宇宙の猿共のように機械的なものではなく、先天的な素質として」

 

 こめかみを突いてみせたキュクロプスに、ザライアンはまだ横たわっているヴィヴィーに視線を振り向けていた。

 

 彼女は自分よりもなお色濃い拷問が加えられたようであった。

 

 恐らく、女性としての尊厳でさえも奪われるようなおぞましい拷問に晒されたに違いない。

 

 それでも《ネクストデネブ》に関しての一部でも話していないからこそ、自分もエンデュランス・フラクタルに捕獲されたのだろう。

 

 彼女が耐え凌いでくれたからこそ、自分達は全滅しないでいる。

 

「……ヴィヴィー・スゥの、彼女の治療を頼みたい」

 

「ここでは無理だね。一度重力圏へと降りよう。私達の足取りは、月面軌道にある限りはこの次元の猿共に察知されてしまう」

 

「……エンデュランス・フラクタルに潜入していたなんて」

 

「勘違いだね、それも。私は自分を一番に買ってくれる場所がエンデュランス・フラクタルの傭兵部門であったから、それだけの結果だ。君達のように、彼らに与えられた場所を駆使しなかった人間の末路さ」

 

 キュクロプスは思考拡張で《ファーストヴィーナス》を稼働させつつ、その赴く先はまるで予想出来ないでいた。

 

「……どこまで行くんだ? だってどこまで行ったって……彼らが……」

 

「だから、言っただろう? 星の重力圏ならば、少しはマシな抵抗に出られる」

 

 まさか、とザライアンは息を呑む。

 

「――地球に……降りるって言うのか……」

 

「ああ、重力の井戸の底にね。そうしなければ、月面では体のいい的になる」

 

「しかし……キュクロプス! 地球圏では、MFが十全な性能を発揮出来るかどうかなんて……! それに、四聖獣の動きはこの次元宇宙の者達に、要らぬ動乱を……!」

 

 そこまで口にした自分に、キュクロプスは冷たい眼差しを投げてから、頭一つ分高い背丈のこちらへと、手を添わせていた。

 

 首筋に這わされた指先が艶やかな意図を辿る前に、白銀の刃が現れる。

 

 絶句した時には、そのまま押し倒され、頸動脈の傍に冷たい刃が触れていた。

 

「私に命令するな。そして、もう一つ。この次元宇宙の猿共を、何故、お前は気に掛ける? 所詮は純正殺戮人類(ナチュラルキラーエイプ)だ。“破局”の形が変わっただけに過ぎない。私達がこう着状態を続け、そしてこの星の人類に叡智を与え続けるだと? それは延命措置を施された老人に打つ栄養剤と何が違う? 我々がここまで耐え忍んできたのを、奴らは踏みにじった。よって、報復を行う。《ファーストヴィーナス》、明けの明星は今日をもって、この星の重力圏へと絶望の音色を伴わせて落着する。そして第一段階が訪れるであろう。破滅への葬送曲だ」

 

 やめろと命令する事も、やめてくれとも懇願出来ない。

 

 彼女はもう充分に待ったとでも言うように、その隻眼の赤に意志を滾らせている。

 

 復讐の意志であった。

 

 この次元宇宙への、明確な叛意。

 

 一匹たりとも逃がしはしないという破壊への衝動。

 

「……それしか……ないのか……」

 

 ようやく出た言葉は我ながら女々しさの塊で、キュクロプスが刃を離す。

 

「ない。諦めるんだな。もう、転がり出した石だ。《ファーストヴィーナス》はこれより、星の重力圏へと突破軌道に入る。大気圏突破シークエンスに移る。邪魔をするな」

 

 身を翻したキュクロプスが自分の《フォースベガ》とも違う叡智の塊で構築された操縦席に座り、その両腕をゼリー状のアームレイカーに突き刺す。

 

 すると、全面に構築された画面が切り替わり、無数の照準補正が地球の重力圏を保護する防衛網を睥睨していた。

 

『軌道艦隊を目視距離で確認。アイリウム認証――地球連邦軍です』

 

「アイリウム……まさか、この機体が原初なのか……」

 

「蹴散らす。相手はアルチーナ艦であろう。少し面倒だが、いつもの癇癪だ。レヴォル・インターセプト・リーディング。ミラーヘッドを行使」

 

 瞬間、《ファーストヴィーナス》が無数の金色の帯を纏う。

 

 それは鎧のように《ファーストヴィーナス》を保護し、全ての攻撃を弾き返していた。

 

 反射皮膜として有用な攻勢を、逆立たせて《ファーストヴィーナス》はそのまま反転。

 

 敵勢へと放射する事で広範囲の攻撃に転ずる。

 

 艦隊規模に突き刺さっていく黄金の帯が燐光を放出し、次々とアステロイドジェネレーターに引火して収縮爆発を引き起こす。

 

「……これが……始まりの使者の力……」

 

「――《ガンダムレヴォルファーストヴィーナス》、標的を殲滅する」

 

 その言葉尻の冷たさをそのまま具現化したかのように、射程圏内に速射された帯が艦艇を射抜き、MS部隊を根こそぎ叩き割っていく。

 

 あり得ざる、人類の明けの明星。

 

 禁忌の黎明。

 

 やがて赤色の熱波が押し寄せてくる。灼熱の旋風が、重力の投網を感じさせた。

 

「……これが……星の重さ……」

 

「《ファーストヴィーナス》、大気圏突入シークエンスに移行。機体制御を、レヴォル・インターセプト・リーディングに任せる」

 

『了解。“それにしたって手痛いじゃないか、キュクロプス。こちらとしても想定外に等しい”』

 

 どこか、フランクささえ漂わせたアイリウムの認証に、ザライアンはうろたえていた。

 

「……この声は……」

 

「性質の悪いアイリウムの音声だ。《ファーストヴィーナス》、いつものお喋りはやめてもらおう。今は、そんな場合じゃない。お喋りをしているような余裕もないし」

 

『“これはこれは。いつもならお喋りなお前らしくないな、キュクロプス。二人に、名乗らせてもらってもいいだろうか”』

 

「勝手にしろ。これだから、レヴォルの意志と言うのは勝手が悪いんだ」

 

『“では失礼するぞ”』

 

 その瞬間、眼前に円形のコミュニケートサーキットが構築される。

 

 投射映像の類だが、まるで脳内に切り込んで来るかのように、声が浸透していた。

 

『“これは……生態データがお前と同じだ。一体どういう事なんだ?”』

 

「先んじて得られていたデータ通りって事だろうし、次元同一個体、ドッペルゲンガー。……どういう言い方でも出来る」

 

『“お前と同じ、波長生命体、か。そして、レヴォルの意志に選ばれし存在でもある”』

 

「レヴォルの……意志……?」

 

「同レベルのアイリウム技術があるとは想定しないほうがいい。《ファーストヴィーナス》、コミュニケートモードを30セコンド後に終了。後は機体制御を頼む。余計な勘繰りで大事な機体を沈めさせないでくれよ」

 

『“手厳しいな、お前は相変わらず。では、こちらはこの程度で挨拶はそこそこにするとしよう。地球重力圏へのアクセスを開始する。如何に叡智の塊とは言え、これまで重力圏に降り立った事はない。データにない事だらけだぞ”』

 

「構わない。私は少し休もう。休眠モードに設定。《ファーストヴィーナス》は不時着地点を設定すべし」

 

『“了解だ。”……コミュニケートモード終了。これより専任ユーザー、キュクロプスの休眠を優先し、システムは自動で最適解を編み出します』

 

「頼む。……どうした? ここまで拷問されてきたんだろう? ちょっとは休むといい。地球重力圏に降りてからでは、連中の領分だ。どこで察知されてもおかしくはないよ」

 

 落ち着き払ったキュクロプスの態度に、ザライアンは思わず問いかける。

 

「その……僕らからしてみれば意想外だらけなんだ。まず……地球に降りた事なんてあるのか?」

 

「ない。ないから警戒している。どれだけ思考拡張の範囲が広くっても、私はせいぜい、月軌道の本社から飛ばす程度だし。そこに転がっている女のほうが、思考拡張では一番でしょ。どれだけ離れていても《ネクストデネブ》を呼べるはずだからね」

 

 ヴィヴィーへと視線を流す。

 

 それが事実なのかは三年前の月軌道決戦が物語っていた。

 

「……分からないな。僕らは思考拡張でMFを呼べる。君だって、危ない事には変わらないはずだろう」

 

「ここに《フォースベガ》を呼ぶ? それはあり得ない選択肢だろう。第一、呼んだところで答えるかどうかの不明なままだ。私と同行したほうが勝率は高い」

 

「……勝率、か。君は何に勝つつもりだ? 本当に……勝利してみせる気なのか? 彼ら相手に……」

 

「ザライアン・リーブス、それにヴィヴィー・スゥ。君達はあの場で、服従をよしとした。その結果がこれだ。この次元宇宙の猿共は、驕り高ぶり、君達を確保して技術の粋をもたらそうとしている。猿に与えるのには過ぎたる叡智だ。彼らは何を考えていたと思う? あのエンデュランス・フラクタル本社で、君達はあのままならどうなっていたと考える?」

 

「……それは……」

 

 思わず絶句する。

 

 あのまま彼らに捕らえられていれば、恐らく死ぬまで拷問されていたか、あるいはどこかで意識の線が折れて全てを洗いざらい喋ってしまっていたかもしれない。

 

 それどころか、翻ればこの宇宙の人類を危険に晒す、あり得ざる技術を与えていた可能性だってあるのだ。

 

 それは彼らからしてみても本意ではないはず――いや、そもそも。

 

「……待て。じゃあ僕らに全てを吐かせて情報を……“彼ら”の存在を露呈させようとした。それはおかしいんじゃないか?」

 

「何もおかしくはない。統合機構軍ならやりかねる」

 

「そうではなく……! “彼ら”が――ダーレットチルドレンが最も優れた知性体だと言うのならば、これは変だ。どうしてこんな叛逆を阻止出来ていない? そもそもMFに対し、月のダレトを護るように言ってのけたのは“彼ら”のはずだ。なのに何故、僕らを危険に晒し、あまつさえ……MF存続さえも危うくさせた……?」

 

 キュクロプスは振り向き、何て愚鈍なのか、と瞼を伏せた。

 

「……それはダーレットチルドレンが……この星で最も優れた知性体ではない、という証明だろう。まさか、君達は信じていたのか? あの忌まわしいダーレットチルドレンが本当に、我々を導く知性体だなんて。見れば分かるだろう? あれは毒だよ。我々と言う存在への、忌避すべきそれそのものの」

 

 まさか、という思いがなかったわけではない。

 

 ダーレットチルドレンは、自分達との約束を違えなかった、などと言うのは信じたかっただけの抗弁だ。

 

 彼らはこの次元宇宙を守るために屹立し、そして矢面に立ってMFの脅威から人類を護っているのだと。

 

 そうなのだと思えなければ、だってそれはあまりにも――惨い結末であろう。

 

 ザライアンは膝を折っていた。

 

 へたり込んで、その事実に戦慄く。

 

「……だってそれは……それを疑い始めればだって……我々は最初から、謀られていたのか……? そんな事……あるはずが……」

 

「何だ、あの時点で、騙された事に気付けなかったのか。それは不幸だな、ザライアン・リーブス。もう二十年近くも経っているのに、今になって絶望を思い知るなんて」

 

 ああ、とザライアンは呼吸が浅くなっていくのを感じていた。

 

 絶望だけが重々しく降り立ち、全ての希望を薙ぎ払っていく。

 

 拷問をされても堕ちなかった気力が、気概が、崇高なる目的のための精神が――ここに来て限界を思い知る。

 

 まさにぽっきりと、折れてしまったのだ。

 

 これまで信じ込んできた世界が。

 

 これまでそうなのだと規定していた秩序が、正義が。

 

 ことごとく無駄なのだと断定され、そして目の前でがらがらと瓦解していく。

 

 その様は、まるで精神の崩壊にも似て。

 

「じゃあ僕は……何のために守って来たんだ……。何のためにこれまで……! 宇宙飛行士として……! この次元宇宙の人々に英知を授けてきたって言うんだ……!」

 

「全ては無為だった。ザライアン・リーブス。もう決断するといい。月軌道の調停は確かに必要だった。我々がいたずらに争い合ったところで仕方ないのは事実だろう。だが、それはこの次元宇宙を覆う支配者達の悦楽に過ぎなかった。それにこの時点で、気付けただけでも僥倖だろう。もう決めろ。守るべきは、この宇宙の猿共ではない。我々は――《ガンダムレヴォル》を駆るに相当する英雄。それぞれの宇宙で帯びた使命に忠実に、そして完遂すべき目的がある。その最終目標のために、残った命を燃やし尽くすべきだ」

 

「残った命を……。僕は……君達と遭遇すれば……消えるのだと、思い込んでいた」

 

「それは互いに情報不足であった。我々の存在はそれだけでこの次元宇宙を震撼させる。その事象には間違いないのだろう。だが、事情が変わった」

 

「事情? ……一体何があったって――」

 

「――七番目の使者に魂が宿った。この次元宇宙の猿……いいや、もう猿とは呼ぶまい。この宇宙における“私達”だ。その片割れが第一次接触を果たし、そして飛び立った。その翼を折るのは我々でなければいけない。ダーレットチルドレンに、ここから先は一手でも前を行かせてはいけないはずだ」

 

「……まさか。だが七番目には搭乗者が居なかったはずだ」

 

「そう、そうなのだと……我々は教えられていた。何せ、あれはこの次元宇宙の猿共のために遣わされた存在だ。この次元宇宙の人類のためのガンダム……。しかし事象特異点はここまで拡大を果たした。最早、事ここに至ってはただの敵と断定する事でさえも甘いだろうね。次に会敵すれば、容赦はしない。――エージェント、クラード。彼を殺すのは、同じ名を背負った我々の宿命だ」

 

「クラード……そうか。この次元宇宙にも、居るんだな? クラードの名を背負う者が……」

 

 ザライアンは立ち上がっていた。

 

 その瞳は使命に燃えている。

 

「……私も、半信半疑であった。三年前に死んだのだとばかり思っていたからね。でも、確かに彼はクラードであった。それは確認済みだ。《シクススプロキオン》、六番目の使者を抹殺し、遠大なる自分殺しを画策する愚者……。いいや、あれもまた“私”か。どこまでも……人の世はまかりならぬものだね……」

 

 寂しげに語ったキュクロプスに、ザライアンは宣告する。

 

「……もし、その七番目に乗ったのが間違いなくクラードであるのならば……僕は殺さなくてはいけない。それこそが……僕が英雄と成った証であり、《フォースベガ》を伴ってこの次元宇宙に堕ちた使命であるからだ」

 

「……そうかい。さほど目的が違いなくって安心もした。少し休んでからでいい。話を擦り合わせようか。我々が睨むべき……敵に関しての議論だ」

 

 それはきっと、遠く果てない物語の始まりであろう。

 

 



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第150話「彼女らの庭」

 

「――ねぇ、ファム。聞いているの?」

 

「……ミュイ?」

 

 ティーカップを傾けたファムは紅茶をこぼしてしまっている。

 

「ああ、何をやっているのよ。シンディ、ちょっと来てもらえる?」

 

「畏まりました。ハンカチを」

 

 給仕の者達がすぐに集ってファムの指先を拭い、それからやけどがないか確かめる。

 

「ミュイぃぃ……ちからつよいよ……」

 

「我慢しなさい。シミに成ったらどうするの? で、どこまで話したっけ?」

 

「……ミュイ。キルシーはしゃこうかいにでるっていっていたよ?」

 

「そう、社交界。……今度の社交界は眉唾だけれど、王族親衛隊に発言力を持つと言われている貴族が出席するわ。その名を、リヴェンシュタイン家。現状の統合機構軍を裏から操っていると言われている陰のフィクサーね」

 

「ふぃくさー? むずかしいはなしをするね」

 

「うん……まぁファムにはちょっと難しかったか。要は、ね。これまでの社交界とは違う面々の登場ってわけ。そういう御仁を目の前にすれば、私達はお飾りでしかない。それはいくらフロイト家に力があったとしても同じ。あなたのクランスコール家にもね。リヴェンシュタイン家はこれまでも、幾度となく地球連邦、そして王族親衛隊にとってのアキレス腱であった。だからこそ、後生大事にされてきたのだろうし。でもここに来ての情報。……とは言っても、恥知らず経由なんだけれどね?」

 

 こう言った時に便利なのは幼馴染のコネクションか。

 

 ガヴィリアのぼやいた情報を嗅ぎつけて正解であった。

 

 少しなびいてやれば、あの「恥知らず」はぺらぺらと、聞いてもいない事まで喋り出す。

 

 そのよく回る舌で散々、これまで失態を重ねてきたのが窺えるほどに。

 

「ミュイ? はじしらず……?」

 

「何でもないわ。ファム、この先リヴェンシュタイン家の……誰なのかまでは不確定だけれど、そういった人物と遭遇する。私はその人物に……接触してみるわ。それが何よりも……私の求める真実に近いはずだもの」

 

「でも、そのひとはこわいよ?」

 

「……分からないじゃない。もしかしたら権威だけを振り翳すハリボテかも知れないし。それならこっちはこっちで好都合。私は言ってやるのよ。くだらない戦争はやめて、全てを白日の下に晒すべきだって!」

 

 そう断言するとシンディがぎろりとこちらを睨む。

 

 だが構うものか。

 

 彼女とて自分の主義主張を曲げる権利はない。

 

「……キルシーは、とってもつよいんだね」

 

「……強くないわよ。強ければ……あの日、お姉様の背中を止められたはずだもの。私は所詮、後悔ばかりを重ねてきただけの女。でも、次の社交界からは違う。私は私の手で……未来を切り拓く! そのためにファム、あなたには協力して欲しいの。私の数少ない……友人として」

 

「ミュイ? ファムとキルシーはもうともだち! ……じゃ、ないの?」

 

「ええ、友達よ。でも、こればっかりは私の家柄の力だけじゃどうしようもない。伝え聞いた限りじゃ、クランスコール家は世継ぎを望んでいるらしいじゃない。あの時の……禿げ上がった貴族に抱かれるくらいなら、自分の身は自分で一番に利用するのが、私達のような女に残された、唯一の抵抗のはずよ。ファム、クランスコール家の家柄を使って……リヴェンシュタイン家との密約を交わして欲しいの。そうすればもっと強固になるわ」

 

 ファムは首を傾げる。

 

 ――分かっている。

 

 自分は自分のエゴのために、ファムに望まぬ子を産めとまで言っているのだ。

 

 しかし、それほどの覚悟がなければ地球圏の平定は望めないだろう。

 

「ファムだって、これ以上人が死ぬのは嫌でしょう?」

 

「ミュ、イ……しぬの、いやーっ! しぬの、とってもこわいから……いやーっ!」

 

 喚き始めたファムへとキルシーは強く抱き留める。

 

 彼女の震えも、痛みも全部、自分が肩代わりする。

 

 そうしなければ、世界に平和は訪れない。

 

「大丈夫よ、ファム。……誰も死んだりしない。そういう世の中にしましょう。そのために……私達が人柱になる。そういう覚悟がなければ、きっと世界平和なんて夢想、叶うはずもないでしょう」

 

「ミュイ……キルシーはあったかいね。バーミットみたい」

 

「バーミット? ああ、あなたの使用人だったわね。その名前を言う時、あなた、とっても柔らかく微笑むから……きっといい使用人だったのね」

 

「ミュイ……! バーミット、すきー! ……でもおにになるのは、きらーい」

 

「その人はきっと……ファムの事がとても大切だから鬼にでも悪魔にでも成るのよ。私も……鬼と謗られようと……悪魔と罵られたって……やってやるわ。だってそれは……世界の……今も苦しんでいるたくさんの人達を救うためなんだから……!」

 

「ミュイ? せかいへいわ?」

 

「そう、世界平和よ! ファム! ……私はそのための聖女(ジャンヌ)に成りたい。だって、世界のために自分を犠牲に出来るのなら……その生には意味があったのよ。私達は所詮はお飾りだもの。いつかは男に抱かれて、そして子を産む。その後は……どうなるのかなんてまるで分からない。ぼろきれのように捨てられるかもしれないし、もしかしたらそんなささやかな幸せに意味を見出すのかもね。……でも私は……そんな惰弱の果ての安寧なんて……死んでも嫌なの……!」

 

「ミュイ……キルシー、とってもこわいかおをしてるよ?」

 

「ああ、ごめんなさい。せっかくのお茶会が台無しね。こんな話ばかりをして……。あなたを困らせている」

 

「ファムは、こまってないよ? キルシーとおいしいおかしたべられるの、とってもすきぃ……」

 

 解けるように微笑んだファムの面持ちに自分の頬も緩みかけて、否、まだ早いと制する。

 

「……ファム、私もあなたと一緒に居るのは好き。この時間が永劫なら、とまで思う。でも……そんな事は絶対にあり得ない。この世界に生かされている限り、私達は籠の鳥と同じなの。そんな籠の中で飼い殺しにされるか、それとも飛び立つのかは己次第……なら私は、自分の翼を誇りたい! そういう世界で生きてみたいの!」

 

「……ミュイ。キルシーのいっていること、はんぶんもわかんないけれど、でも、キルシー、とってもつよそう!」

 

「……あなたはそれでいいのかもね。この世界の悪意になんて晒されない、どこか別の世界に生きているみたいな感じで……。それがファム、あなたの役割なのかもしれない」

 

「やくわり?」

 

「そう。……お姉様がよく言ってくれていたわ。この世界に生まれ落ちたからには、誰しも役割があるって。その役割に殉じるか、それとも役割を放棄して逃げるかはその人間次第。私は……絶対に逃げたくない。自分の役割を果たさずして、誰かに引き金を任せるなんて……それは絶対に! やっちゃいけない事だから……!」

 

 だからどれほどの危険があろうとも、自分は前に進もう。

 

 それこそが、逃げないと言う証なのだから。

 

「……ミュイ! がんばればできる?」

 

「そうよ! ファム! 私達で世界を変えましょう! この諦観に沈んだだけの世界を! 私達の力で!」

 

 ファムは微笑んで、それから自分の手を握り返してくれる。

 

「……がんばる! ファム、がんばるね!」

 

「ええ! 頑張りましょう! ……世界を変えるのは、私達のような小さな意志でもあるのだという事を……この世界に示すのよ」

 

 その時、ファムの腹の虫がきゅうと鳴く。

 

 キルシーはフッと笑みを浮かべていた。

 

「……ファム、晩御飯も食べていく?」

 

「ミュイ! ばんごはん! ……でも、ブロッコリーはたべられないよ?」

 

 そんな浮世離れしたところもまた、彼女の魅力なのだろう。

 

「ええ、今日はシェフの腕によりをかけて、ファムの好きなものだけを取り揃えるわ」

 

 ファムが歓声を上げる。

 

 今は、彼女一人だけの歓声だが、いずれはきっと世界を塗り替えるだけの歓声に代わるはずだから。

 

 



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第151話「敵と自分と」

 

「ユキノはどうなった」

 

 断ずる論調で尋ねた自分にヴィルヘルムはカルテを手にして応じる。

 

「大事には至らなかった。今は医療カプセルで経過観察だな。……しかし、とんでもない事を仕出かしたものだ。我々が独立愚連隊のようなものだからまだしも、騎屍兵の……」

 

「ゴースト、スリーと名乗っていた」

 

「……やはり事前情報にあった通り、騎屍兵は名前が剥奪される。そのような組織形態を作ったのはともすれば……」

 

「統合機構軍。……俺からあの日、名前を永劫奪ったのと同じやり方か」

 

 その張本人であるヴィルヘルムには思うところがあるのか、電子煙草に火を点けていた。

 

「……煙草、似合ってないって言っただろ」

 

「仕方ないだろうに。……わたしも似合う似合わないという論争に巻き込まれる。……この世に生きている人間は皆、その生き方に似合っているか、似合っていないかで生きるしかないんだ」

 

「それがお前の論法か、ヴィルヘルム」

 

 紫煙をたゆたわせ、ヴィルヘルムは右頬を釣り上げて無理をして笑う。

 

「笑えるだろう? クラード。わたしを恨んだっていいはずだ。お前には別の道だってあった」

 

「それは死だけだ。流れ行く死だけを、俺は反芻するしかない。だがお前は別の道を与えてくれた。エージェントとして生き永らえる世界を」

 

「それは拒んでもいい選択肢だった。今になって思う。……わたしは何と……傲慢であったのだろうとね」

 

「ヴィルヘルム、尋問の時間だ。そろそろ行かないと、ユキノの傷も意味がなくなる」

 

「ああ、そうだな、クラード。……だが、お前は……わたしを許してくれるのか。地獄の炎で焼かれるのが似合いのこのわたしを……」

 

「生憎、まだ焼かれるのには早いだろう。お前は……まだこの世界と言う名の生き地獄で踊ってもらわなければいけない」

 

「それが咎人に与えられた宿業に相応しく……か。お前に説かれる日が来るなんてね。クラード、わたしはだが、もっと自由に生きていいのだと思う。お前が……そんな風に囚われる事もなく……」

 

 エアロックを開き、クラードは促していた。

 

「時間だ。……問答も惜しい」

 

「分かっているさ。……皮肉な事に、トライアウトジェネシスでわたしより優れた有機伝導技師は居なかった。まだこれはわたしの役目なのだろうね」

 

「だが背負うのはお前だけじゃない」

 

 その言葉にヴィルヘルムは煙草を灰皿に押し付けて白衣を纏う。

 

「……背負うのは、か。それもカトリナ君の論法かな?」

 

「いいや、俺の持論だ。何か可笑しいか?」

 

「……可笑しいだろうに。お前は、だって何に……希望を見出すって言うんだ。わたしが生み出した……破壊の手綱に……」

 

「業があると言うのならば、今はお前だけのものじゃない。俺が軽減出来るのならば背負う」

 

「……いいや、これはわたしの罪だ。罪は、自分で拭わなければ、それは贖罪とは呼べないはずだからね」

 

 自分が先導すると、ヴィルヘルムは黙って付いてくる。

 

 無数の無重力区画を抜けると、アルベルト達が固めている尋問室に至っていた。

 

「クラード……! ……あいつ、何かあるといけないからって、今はサルトルさんが……」

 

「ああ、パイロットスーツに何を仕込んでいるのかも不明だ。サルトルが見るのが正しいだろう」

 

「……ヴィルヘルム先生。ユキノは……?」

 

「彼女なら経過は順調だ。今のままなら次回の戦闘にも参加出来る」

 

 ヴィルヘルムの澱みない返答に、アルベルトはしかし顔を歪ませていた。

 

「……いや、それはやめたほうがいいのかもしれねぇ。これ以上、ユキノを傷つけるこたぁ……」

 

「アルベルト。今は、捕獲した騎屍兵の尋問だ」

 

「あ、ああ、そうだったな。……オレはまた、怒りに囚われて……」

 

 ヴィルヘルムが隔壁を抜けていく。

 

 椅子に拘束された相手にはこちらも手が出せないらしく、ヘルメットも被ったままであった。

 

「クラード? 何とかなったのか?」

 

「それはこっちの台詞だ。……進展は?」

 

「あればまだマシだよ。死んではいないが、何も喋らない。……ヴィルヘルム先生に頼んで、少しは……」

 

「バイタルサインは安定している。ヘルメットを外してもいいだろうか? 騎屍兵のパイロット」

 

 その時には、先ほどまでの泣き言は封殺して、ヴィルヘルムは専属医師としての言葉を発していた。

 

 サルトルは周囲を見渡した後に、ヘルメットのロックに指をかける。

 

 ともすれば、それだけで自爆もあり得る緊張感。

 

 しかし、騎屍兵は動こうともしない。

 

 ヘルメットの中から出てきたのは雪月を思わせる長い白髪であった。

 

 白髪をうなじで結って、その騎屍兵は――死んだような面持ちを崩さない鋼鉄の兵士はゆっくりと面を上げる。

 

 首筋から頬に幾何学の紋様が刻まれており、それが思考拡張の強度を示していた。

 

「……はじめまして、と言うべきかな。それとも戦場では何度も会っているから、今さらだとも?」

 

「……何故、私を殺さない。お前達の同朋を殺そうとした。激情に駆られて殺したっていいはずだ」

 

「それにしては釣り合いが取れないのでね。君一人の命だけでも、騎屍兵のテストケースだ。大きな分岐点となるだろう」

 

「私はただの死者。それ以上でも以下でもない」

 

「《ネクロレヴォル》を動かせる。それだけでも価値は高い」

 

「……あれは騎屍兵なら誰にでも従う。この思考拡張を施された人間ならば、誰でも等価だ」

 

「興味深い事象だな。わたしの知るレヴォル・インターセプト・リーディングは乗り手を選ぶんだ。だが聞いた限りでは、そうでもないらしい。我々の関知するレヴォルの意志とは違うのか?」

 

「知ってもそちらに稼働させる術はない」

 

「どうかな? こちらには《オリジナルレヴォル》の乗り手が居る」

 

 その段になってようやく、ゴースト、スリーの瞳が自分へと向けられる。

 

 薄紫色の虹彩は、何もかもを絶望したような諦観を浮かべていた。

 

「……お前が《オリジナルレヴォル》の乗り手か」

 

「そうだ。貴様らは何だ? 《ネクロレヴォル》のシステムはレヴォルの意志そのものだ。だが、そんな簡単に俺の知る《レヴォル》が明け透けにシステムを委譲するはずがない。何か……カラクリがあるな?」

 

「どうだろうか。《レヴォル》が優位性を保っていた頃からもう三年が経つ。いい加減認めたらどうだ? レヴォルの意志とやらは解析され、現行人類はその段にまで至ったのだと」

 

「それは俺の中の叛逆の意志が拒んでいる。《オリジナルレヴォル》は、まだお前らの手の中にない」

 

 断言した自分に、スリーはフッと笑みを刻んでいた。

 

「……ああ、死んでも笑えるものなんだな。初めて知ったよ、《オリジナルレヴォル》の乗り手」

 

「……お前らは何だ? 何故……レヴォルの意志を使用出来る?」

 

「尺度の違いだ、《オリジナルレヴォル》の乗り手。我々はあくまでも、遠大なる観測者の先端として存在しているだけ。それは大きな目線で観察すれば、自ずと答えは出る」

 

「話を戻していただきたい。君一人でも、わたしは切り札になるのだと思っているんだ。ある意味では交渉材料にも」

 

「それは不可能だ。私一人が捕らわれた程度では、決断は覆らない。この艦は墜ちる、それだけが明瞭な答えだ」

 

「それなのだがね、少しだけ妙な点があるんだ。列挙しても構わないだろうか」

 

 ここに来てこちらの攻勢にスリーは僅かに言葉を仕舞う。

 

 ヴィルヘルムが応戦の言葉を吐いたのが想定外であったらしい。

 

「……妙な点?」

 

「ああ。まずは一つ……レヴォル・インターセプト・リーディングの特性上、君達は思考拡張によって分別され、そして個別ごとにシステムが存在していると。……わたしの仮説ではあったが、そうなのだと思っていた。《ネクロレヴォル》のシステムは個体に由来するものだと」

 

「……その通りだ。《ネクロレヴォル》は私に従う。そこの《オリジナルレヴォル》の乗り手と同じく、その叡智は既に私達にもたらされた」

 

「だが、違う。それは大きな勘違いであった」

 

 ヴィルヘルムは迷いを浮かべずに、そう断言する。それにはスリーもうろたえたようであった。

 

「……勘違い? その解釈で合っている。どのような意図があろうと、それが真理だ」

 

「だが真実ではない。そこにはあり得るべき答えを示すだけの論拠と……そして何よりも心がない。そんなものは真実とは程遠い。……よって、ね。わたしは一つ、考えを巡らせてみた。《オリジナルレヴォル》と君達の呼ぶ存在、当初の推論はレヴォルの意志は暴かれ、その技術は完全に個別化されて存在し、技術体系として確立されたのだと。……そう思っていたのだが、幾度となく君達の戦いを目にしてみて、別の疑問が生まれた。命題はこうだ。“――では何故、《オリジナルレヴォル》はたった一人の乗り手しか選ばなかったのか?” この問いに対し、君の答えを聞きたい」

 

「……馬鹿馬鹿しい。今自分で言ったではないか。《オリジナルレヴォル》の叡智は解析され、解読され、もうオープンソースに成ったのだと」

 

「その前提だ。わたし達は大きな勘違いをしていた。もう《オリジナルレヴォル》は暴き尽くされ、そして最早、その技術の意味なんてないと。……ではそう考えるとまた新たな疑問が出る。どうして、現状の第四種殲滅戦は崩壊していないのか」

 

「……第四種殲滅戦は上位オーダーと下位オーダーの関係性によって成り立つ戦争のシステムだ。《ネクロレヴォル》が闊歩すれば、それだけこの現状のシステムに対しての懐疑が生まれる。……だが何故だ。何故……それを擁するクロックワークス社は打撃を受けていない? むしろ、第四種は崩れてはいけない前提のようでさえもある。俺も、長く戦場を渡り歩いて疑問ではあった。《ネクロレヴォル》が、騎屍兵が新たな法であるのならば、もう秩序は形態を変えているはずだ。クロックワークス社の独占状態はどこかで瓦解している」

 

「つまりは、だね。わたしもクラードも言いたいのは一つなんだ。――《オリジナルレヴォル》は、まだ暴かれてなどいない。解析不可能、解読不可能なブラックボックスのままだと。だからこそ、君達は特殊なシステムを用いている。《ネクロレヴォル》に搭載されているのは、ただのレヴォルの意志のデッドコピーなどでは、ないのではないか?」

 

「……分からないな。それだと私達は自分達でも解析されていない未知のシステムに命を預けている事になる。そのような事実は軍部にとって都合が悪いはずだ」

 

「そう、都合が悪い。だと言うのに、騎屍兵は成り立っている。この両論に答えを出すとすれば、それは時間稼ぎではないのか。わたしはそう感じた」

 

「時間……稼ぎだと……」

 

 事ここに至ってようやくスリーが感情らしい感情を見せる。

 

 ヴィルヘルムは、仮説だが、と前置いて言葉をぶつける。

 

「《オリジナルレヴォル》がまだ暴けていないのだと想定すれば、いくつか見えてくる。何故、騎屍兵は単独では出てこないのか。……クラードが目にしたのはイレギュラーだ。基本的には、騎屍兵は単騎戦力では決して前に降りない。その事情は、君達の頬にまで至っている大規模な思考拡張、それが答えなんじゃないのか」

 

 スリーの頬に刻まれた刻印はまさしく彼女の名を示す「Ⅲ」にも映る。

 

 ヴィルヘルムの肉薄に、スリーは苦渋を噛み締めたように顔を歪めていた。

 

「……勝手な事を言う。そんな論拠がどこにある?」

 

「論拠はこれから探せばいい。そう仮定すれば、《ネクロレヴォル》に搭載されているレヴォルの意志の正体も自ずと見えてくる。あれは……単体では完成していないんだ。総体でのみ完結する不完全なシステム……それぞれの存在で希釈し、世界を欺く意志をさらなる知性で欺く。わたしもこれは突飛な説だとは思っているのだが、君を前にしてより自説を強固に出来た。《ネクロレヴォル》は複数個体での思考拡張によって《オリジナルレヴォル》の持つ上位オーダーにアクセスし、その恩恵を受けているだけの下位オーダーの集合体。即ちこれまでの第四種殲滅戦のルールは覆ってはいけないんだ。何故なら《ネクロレヴォル》の持ち得るアドバンテージは第四種殲滅戦ありきのものであるからね。このルールが如何に形骸化していたとしても、君達だけは必死に守らなければいけなかった」

 

 そこまで口にして、ヴィルヘルムは一度、論調を切っていた。

 

 スリーの返答を聞きたかったのだろう。

 

 事実、彼女は沈黙していた。

 

 下手に抗弁を発すれば自分が愚かにも語るに落ちてしまうのだと理解しての静寂だろう。

 

「……で、ここまでの論法に無理なものや、無茶なものがあっただろうか」

 

「……そう思いたければ思うがいい。だが《ネクロレヴォル》は第四種殲滅戦のルールそのものを塗り替える」

 

「それ自体は事実だろう。いいや、事実でなければいけない。《ネクロレヴォル》は絶対の理だ。それを理解しての、秩序の構築。世界の成り立ち……それこそが君達の望むべくして望んだ答えだ。騎屍兵は新たなる社会秩序のために存在している。死者であってもね」

 

 立ち上がったヴィルヘルムにスリーは応じなかった。

 

「……ヴィルヘルム、もういいのか?」

 

「答えは聞けた。彼女自身が自覚してようといまいと……。わたしの論法に沈黙を充てようと、抵抗をしようと、何かが得られると信じて話した甲斐はあった」

 

「この艦は轟沈する。間もなくだ。騎屍兵に容赦はない」

 

 恐らく、それが最も愚鈍に沈んだ抗弁であったには違いないのに、スリーは言葉にしていた。

 

「ありがとう。君の口からそれが聞けてよかった。わたし達は、遺恨なく、抵抗を続けられる。クラード、一旦戻ろう。作戦会議を、行わなければいけなさそうだ。……我らがリーダーとね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はい。こちらではモルガンの動きをモニターしています。……ええ、つつがなく。……でもいいんですか? こんなの……どうあったって不思議じゃないのに」

 

『構わないとも。それより、心配なのは君のほうだ。レジスタンス組織の中には軍警察に反感を抱いている者も多いと聞く。オフィーリア……だったか、そちらの新鋭艦は。統合機構軍と矛を交えたとなれば自ずとそう言った勢力との渡りも大変になってくる』

 

「……お気持ちは結構です。それでも、進まないといけない……」

 

 カトリナは通信先の相手に強く応じていた。

 

 自分の愚鈍な行いのせいで、ユキノを傷つけてしまった。ならばもう、退路なんてないはずだ。生半可な気持ちで戦っていけるはずがない。

 

『……強いな、君は。ならばこちらでも支援の方針を取ろう。だが……コロニー、ルーベン……。トライアウトの息がかかったコロニーでは少々、表立った補給は受け辛いはず。個人的に会わないか? 一度、会って話をしないといけないと思うんだ。だって、もう統合機構軍のレジスタンスとしては、さすがにやっていけないだろう。こちらでモニターしている抵抗勢力にも連絡を付けなければいけない。……僕も辛い身分だが、それでも君には強いる事になる。血濡れの淑女(ジャンヌ)としての立ち回りをね』

 

「……感謝はしているんです。だって、ここまで……色々あったけれど、あなたが支援をしてくれると言い出してくれなければ、そもそもエンデュランス・フラクタル本社とは渡りも付けられなかったでしょうし……」

 

『感謝はこちらもしているんだ。君達の寄る辺になれている事、何よりも意義があるのだと』

 

「いえ……っ! 昔馴染みじゃないですか。なら、私も覚悟しないといけないと思うんです……。自分に何が出来て、何が変えられるのかって」

 

『強くなったと……僕は思うよ。個人的はとても、ね』

 

 通話先にカトリナは微笑みかける。

 

「ありがとうございます。……そろそろ切りますね。支援感謝します。――ハイデガー少尉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……支援感謝します、か。まったく君は、変わっていないな」

 

 ハイデガーは通話を切って、口元に笑みを刻んだ後に、これまでのログを参照する。

 

 ログから位置情報を辿れば、航路も自ずと見えてくる。

 

「……コロニー、ルーベンを辿るのは本当みたいだな。問題なのは、軍警察に渡りを付けられると、これまでの僕の所業が水の泡になってしまいかねない。ベアトリーチェを生かさず殺さずで、これまで立ち回って来たんだ。最後の最後まで、足掻いてくれよ、カトリナ・シンジョウ。期待の新人さん。そうじゃないと……狩り甲斐もないからね」

 

 振り返った先に広がっていたのは大回廊である。

 

 数隻のレジスタンス組織の艦艇が集い、自分の次の言葉を待っている者達がMSのコックピットより顔を出す。

 

「皆の者! 血濡れの淑女(ジャンヌ)、カトリナ・シンジョウより神託を賜わった! 対抗勢力の艦の名前はオフィーリア! 軍警察と癒着している模様である! 喜ぶがいい、これまで諸君らは耐えに耐え、そして忍びに忍び、ここまで辿り着いた! カトリナ・シンジョウを旗印として、我々は抗うべきである! 軍警察に降った者達に死を! カトリナ・シンジョウの名において鉄槌を!」

 

 鉄槌を! とうねりのような声が津波のように押し返してくる。

 

 そうだとも、天罰が下らなければおかしい。

 

 自分の感じた惨めな思いを、噛み締めたまま死ぬがいい。

 

「……それこそが、僕の講じるこの世界への叛逆だ……。そして、生きていたなんてな、エージェント、クラード……ッ!」

 

 RM施術を受けた眼球の瞳孔が収縮し、かつてのクラードの映像を脳髄に投影する。

 

 ――ああ、怒りだけでどうにかなってしまいそうだ。

 

 苦しみだけで、嫉妬だけで魂の根幹まで狂わされる。

 

 ここまでの狂気、ここまで育んだ復讐心。

 

 放つべきだとすれば、それは今のはず。

 

「者共かかれ! 敵はオフィーリアにあり! 世界を謀った敵の名前は――ガンダムッ!」

 

 腕を掲げると、それだけで人々の怨嗟と憤怒を指揮している気分になる。

 

 彼らの怒りは、苦しみは、全て自分が一心に引き受け、そして刃となって目標の首筋を掻っ切るであろう。

 

 その恍惚の瞬間を心待ちにして、ハイデガーはレジスタンスを扇動する。

 

「敵は見えた。さぁ――叛逆の時だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十五章 「憤怒の先に待ち受けるものよ〈デッドエンド・オブ・ラース〉」了

 



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第十六章「破滅地平の事象境界〈パラドクス・インターフェイス〉」
第152話「重量圏へ」


 

 ――昔からそうであった。

 

 この世を救う女神なんてものを信じていた。

 

 女神はすべからく人を導き、そして混沌に沈んだ世界を立て直す。そのために必要な犠牲ならば何だって払う。

 

 そういう存在に憧れを抱いていた。

 

 いつかそうなってみたいと、そうなって誰かの標に成れればと。

 

 だがそんな夢想はいつからかしなくなった。否、しなくなったのではない。

 

 出来なくなったのだ。

 

「お嬢様。あなたはフロイト家の家督を継ぐ者として、相応の身なりを整えてもらいます」

 

 いつも、教育係のシンディはリアリストで、それでいてつまらない俗世に染まるべきではないと言うのが常であった。

 

 彼女の言いたい事は分かる。

 

 姉が出て行ったあの日――何も出来なかった。

 

 姉とは十二歳も離れているために、彼女がフロイト家を後にした時にはまだ、弱々しい子供の身分であった。

 

 だから、姉に何と言えばよかったのか、今でも分からない。

 

 行かないでだとか、傍に居てだとか言えればよかったのだろうか。

 

 あるいは子供の特権で喚き散らして、それで姉を困らせればよかったのかもしれない。

 

 いずれにせよ、自分は愚者を演じるのには少しばかり賢しく、賢者を講じるのには少しばかり愚かで。

 

 そうしているうちに手遅れな領域にまで踏み込んでしまう。

 

 自分に出来る事は、数少ない。

 

 そうなのだと、十三の時には分かってしまった。

 

「おめでとうございます、お嬢様。フロイト家はあなたのお陰で安泰でございます」

 

 安泰。安寧。惰弱。

 

 どれもこれも、聞き飽きた代物。

 

 自分はお飾りなのだと理解出来たのが十三の頃。そして、何の力もなく、特別な女神のようになんて成れないのが身に沁みて分かったのが、その二年後の辺り。

 

 十五歳の誕生日を迎えた時分には、この世界はなんと狭苦しく、なんと想定内の出来事だけで回っていくのだろうと悲観した。

 

 だって仕方がなかった。

 

 共に笑い合えるような真実の友人は居らず、虚飾ばかりの付き合いの同世代。

 

 彼女らはいずれ貴族に見初められて子を宿し、そして後の人生は最早、余生に等しい。

 

 貴族の纏う装飾品のようなもので、女はこうして、彼らの価値観に基づいて生きていくしかない。

 

 それが、この来英歴においても代わり映えのしない真実であり、同時に自分達を籠の鳥として制約し続ける。

 

 どこに行ったとしても、どこに向かったとしても。

 

 そこにあるのは価値観なんてものは薄れた自分自身。

 

 キルシー・フロイトとしての人生には非ず。

 

 フロイト家の令嬢として、ただ大人しく、つつましく、そして謙虚に生きろと言う地獄だ。

 

 殿方を立てろ――分かっている。

 

 貴族の振る舞いを心得ろ――分かっている。

 

 他者に同調し、自分の意見を封殺しろ――だから、分かっている。

 

 もう自分に、人間としての価値なんてものはない。

 

 あるのはフロイト家の令嬢としての価値であり、そこに何を見出すのかなんて決まっている。

 

 誰かに抱かれ、子供を産み、その後は静かに、波風も立てずに生きて行けと言う、教訓。

 

 分かっていた。

 

 女神になんてなれない。

 

 誰かの希望になんてなれない。

 

 ましてや痛みを背負って立つなんて――出来るはずもない。

 

 何故ならば、自分はただの貴族の一員で、女で、令嬢で、そして、思ったよりも出来る事なんて数少ない、ただの凡人なのだから。

 

「……キルシー?」

 

 こちらを窺ってくる隣の少女にキルシーは慌てて取り繕っていた。

 

「あ、何? ファム。何かあった……?」

 

「ううん……でもキルシー、とってもこわいかおをしていたよ?」

 

「ちょっと考え事よ。何だかんだで、地球にこうして、シャトルで降りるのは久しぶりだし。あなたは? ファム」

 

「ミュイぃぃ……なんだかムズムズする……」

 

「そうね、ムズムズするわね。大気圏への突入シークエンスなんて、もう技術としては成立して随分と経つって言うのに……それでも人間は、こうして母なる星に帰る時にはムズムズと落ち着かないものなのよ」

 

 舷窓より大気圏につつがなく入ったのを視認しながら、キルシーは子供の頃を思う。

 

 何にでも興味があったのは、せいぜい十歳までで、そこから先は嫌な子供であったな、と我ながら自嘲していた。

 

「……ファム、地球に降りるのは、何でもない、ちょっとした出来事なんだけれど、それでも特別性を感じずにはいられない。それは私達が所詮は人だからなのよ」

 

「ひとだから? ミュイ、わかんない」

 

「そっか。まぁファムはクランスコール家の令嬢だから、分かり辛かったのかもね」

 

「ミュイ……でもキルシー、ちょっとつらそうだよ?」

 

「辛そう? ……そう、かな。私は辛いのかな……」

 

 自分でもよく分かっていない。

 

 平時ならばポートホームで一瞬で辿り着ける距離を、わざわざファムと特別便に乗り合わせての旅なんて思いも寄らなかったからだろう。

 

 だが一度見ておきたかったのだ。

 

 青き星、母なる大地。

 

 生命を育む、原初の記憶。

 

 きっと地球をこうして、シャトルから見れば、少しはセンチメンタリズムな感傷にも浸れて、これから先に実行する現実からもちょっとだけ現実逃避出来るとでも。

 

「……でも甘かったのかもね。いくら地球圏が平定されて久しいからって、もうどこにも安全な場所なんてない。私達はこんな世界で、生きていくしかないのよ」

 

 ファムは機内食のサンドイッチに齧り付き、ケチャップを頬に付けている。

 

「おいしいね! キルシー!」

 

「……ほら、ファム。ほっぺに付いてるから、じっとしていて」

 

「ミュイぃぃ……ちからつよいよ……」

 

「ほら、これで取れた。……降りたらシンディとまた顔合わせか。嫌になるわね」

 

「シンディ、ちきゅうでまってるの?」

 

「ええ、私がシャトルの第一便で帰るって言うだけで、もう大激怒よ。それでも何とか説得して、こうしてあなたとだけのシャトルを満喫しているわけなんだけれど」

 

 貸し切りのシャトルには自分とファム以外の乗客は居ない。

 

 添乗員も一流であり、無重力でありながら一級の料理とサービスを楽しめる。

 

 グラスが空いていたので添乗員が替えのグラスを持って来て、笑顔でサービスを施す。

 

「これ、なに? ぱちぱちしてるよ?」

 

「白ワインね。飲んだ事ないの?」

 

「わいん……? ない」

 

「じゃあ飲んでみるといいわ。ノンアルコールのはずだから酔っぱらう事もないし」

 

 そう言うなりファムは白ワインを一気飲みする。

 

 その行動があまりにも突飛で、キルシーは気圧されてしまっていた。

 

 ファムは、けっぷ、と一呼吸ついてから、頬を綻ばせる。

 

「おいしいね! これ!」

 

「ええ、そう……美味しいのだけれど……やっぱりあなたは読めないわ。あなたが友達で、本当によかったのかもしれない」

 

「ファムも! キルシーがともだちでよかった!」

 

 真正面から好意を向けられてしまうと照れてしまうもので、キルシーは窓辺へと視線を逃しつつ、頬を掻いていた。

 

「……よしてよ。私にそこまでの好意を受け止める価値なんて……」

 

 そこで視界に入ったのは月のダレトであった。

 

 やはり、異様だ。

 

 宇宙空間の深淵より深い、暗礁の大虚ろ。

 

「ダレト……あれが開いてから、全部おかしくなったのよね……」

 

 戦争の技術が発展しただけではない。

 

 世界の技術体系は切り替わり、そして何もかもが変容した。

 

 ダレトの恩恵なくしてこの来英歴は成り立っていない。

 

 それもこれも、全てが技術を独占する者達と、そしてそのおこぼれに預かる者達とで分かたれてしまったのが大きいのだろう。

 

 自分は幸運にも前者であったからよかったものの、今もダレトの技術恩恵を得られていない国家や地区も多いと聞く。

 

「……ファム、あなたはダレトに関して、どういう見解を持っているのかしら。あれがどう言った意味を持つのか、やはり少しは考えて?」

 

「ダレト? ……ううん、ちょっとこわい、ね」

 

「ちょっと怖い? その程度しか考えていないの?」

 

 こちらの声音が詰問の色を伴っていたせいだろう。

 

 ファムは目に見えてしゅんとして、肩を落とす。

 

「ミュイ……ファム、ダレトのこと、よくわかんない……」

 

「ああ、ごめんなさいね、ファム。別にあなたを咎めようとかそういうんじゃないの。ただ……この世界はダレトありきで回っている。そのような事実と現実に対して、私達は無自覚では居られないはずなのよ。だって、あれだって世界の一部なのだもの。どこかで私達は、ダレトに関して、一家言は持っておくべき。そうでなければあまりにも無知蒙昧が過ぎるでしょうし」

 

「……キルシーはむずかしいこと、しってるね」

 

 運ばれてきたのはローストビーフでファムはすぐに頬張ってしまう。

 

 どうやら議論よりも楽しい食卓のほうが重要らしい。

 

「……そう、ね。今は、ファム、ようやくあなたと二人っきりなんだから、ちょっとは楽しみましょう。小うるさいシンディと顔を合わせるまでまだ三時間以上あるわ。少しは羽目でも外して――いえ、待って……。あれは……何?」

 

 キルシーは視界の中にデブリ帯を認めていた。

 

 地球の大気圏にほど近い場所での艦隊の骸である。

 

 だが、そのような戦闘行為は全面的に禁止されているはずだ。

 

「失礼。あなた、あれはどうなっているの?」

 

 添乗員を呼びつけて尋ねてみると、相手は、ああと応じていた。

 

「つい数時間前に戦闘行為があったようです。通常便は全便欠航なのですが、このシャトルのルートには干渉しないので、ご安心を」

 

「戦闘行為? ……あれは、見たところ連邦のアルチーナ級よね? そんな大艦隊が、何にやられたって言うの?」

 

「……これはまだ正式には降りていない情報なのですが、どうやらMFとの戦闘があったそうです」

 

 想定外の単語にキルシーは目を瞠る。

 

「待って……MF? MFってあれよね、月軌道に居るって言う……ダレトよりの使者……そんなものが何故?」

 

「不明です。これ以上はさすがに情報権限が降りていませんので」

 

 キルシーは窓の外のアルチーナ艦の横っ腹に開いた弾痕らしき部位を注視していた。

 

「……アルチーナ級はそう易々と沈まないはず……。本当にMFだって言うの?」

 

 端末を取り出し、ニュースサイトにアクセスするが、やはりと言うべきか、MFが大気圏防衛線を突破したなどと言う報告はない。

 

「……まさか、MFが……地球に降りた……?」

 

 だがそのような事、と自らの中で一笑に伏す。

 

 MFは四聖獣と呼ばれ、それらの均衡はこの世界のパワーバランスを示しているはずだ。

 

 だと言うのに、アルチーナを轟沈させて地球に降りたとなれば大パニックは免れないはず。

 

 三年前にMF02が空間転移を行った際だって、それだけで充分なスキャンダルとなった。

 

 MFは少し位置情報がずれるだけでも、世界の人々の関心を集めるに足るのだ。

 

「……でも、もしそうだとして……MFが……本当に地球に降りたとして……」

 

 窓を撫でていた指先を降ろす。

 

 だから、どうしたと言うのだ。

 

 自分には何も出来ないではないか。

 

 ただの貴族階級身分だ。

 

 軍警察や旧地球連邦のように軍事力を持っているわけでもない。

 

 何も出来やしない。

 

 こうして時代の転換期に居たとしても、何も。

 

「キルシー?」

 

 こちらの面持ちを窺ってきたファムに、キルシーは咳払いで応じていた。

 

「……ごめんなさい、ファム。余計な事ばっかり考えちゃっているわね、私……」

 

「ううん。キルシーは、だってファムのおともだち。だから、なんでもいってほしい」

 

「……隠し事なんて……私達の間じゃ意味なんてない、か」

 

「ミュイっ!」

 

 微笑んだファムに少しだけ胸の中の重石がマシになったのを感じ取る。

 

「……でもね、私達は何て無力なんだろうって、思うのよ。だって、誰かの何かにも成れない。この世界を変える一撃なんて、持っていないんだし……。やっぱり過ぎたる考えだったのかな、なんて、そう思っちゃうの」

 

「キルシー! ぜったいすごいっ! だからファム、おうえんするっ!」

 

 何だか空回りな応援だが、それでも自分にとっては替え難い言葉であった。

 

「ありがとう、ファム。地球に降りたら、まずは重力に慣れないとね。私達は1Gで生活しているけれど、地球はもっと重いらしいから」

 

「ミュイぃぃ……ムズムズするね」

 

「そうね、ムズムズするわね」

 

『これより、クロックワークス社航空第一便は地球圏へと降下シークエンスに入ります。皆様シートベルトを装着の上、安全を確保出来るまで添乗員の指示に従ってください』

 

 ファムの分のシートベルトも留めてやって、キルシーは大気圏を超えていくシャトルの外を眺めようとしたが、減殺フィルターが下りて窓を覆い隠す。

 

「……狭いわね、重力の井戸の底は」

 

 



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第153話「語るべきこと」

 

 対面を願ったのは、何もユキノが負傷したからだけではない。

 

 軍警察、トライアウトジェネシスと手を組むに当たっての不安要素を打ち消したいだけだと、アルベルトはレミアに説明していた。

 

「だってオレらは……何も知らないも同然なんですからね。騎屍兵身分だってそうだ。艦長、何かあんたは知っている。だから、オレの要望になんて応えてくれた」

 

「勘違いをして欲しくないのは、私は別段、あなた達を先導するからと言って、全ての責任問題に手を回すわけでもない事。……ユキノさんに関して言えば、ヴィルヘルム先生に聞いてちょうだい」

 

「あの人は大丈夫だって言っていました。だから信じますけれど、オレは……やっぱ微妙に、信じられねぇんだよ。あんたが二度も三度も裏切らないとは限らないからな」

 

「賢明な判断ね。あなたはこの三年間でエージェントとして力を付けた。それは実力の面だけじゃない、精神的な面も含めて。戦いにおける生存率よりも他者とこうして会話していく中での勝率を高めていった」

 

「はぐらかさないでください。オレは、今聞きたいのはシンプルなんすよ。あんたはトライアウトジェネシスと密約を交わしたわけでもない。だが、そこには信用ってもんがある。……ネメシスから寝返ったって言っても、皆が皆、信じているわけでもねぇって事っす」

 

 レミアは執務机から煙管を取り出す。

 

 その光景が――かつて自分にMFの存在と、そして《レヴォル》の正体を説いた時とだぶってしまって、アルベルトは唾を飲み下していた。

 

「ごめんなさいね、吸っても?」

 

 首肯すると、甘ったるい紫煙をたゆたわせてレミアは吐息をついていた。

 

「そうね。三年もベアトリーチェを防衛し、そしてカトリナさんの命令を遵守していたあなたからしてみれば、私は鞍替えばかりする裏切り者に映るか、あるいは軽薄に見えるのでしょう。それは正しい感覚よ」

 

「あんたは何で……ジェネシスの連中を抱き込めた? あのやり取りを見ていたとはいえ、含みのあるものを感じずにはいられなかったってのが本音っす」

 

「そもそも、彼のDD……ダビデ・ダリンズ中尉に関して、でしょうね。彼女はかつてベアトリーチェに幾度となく敵として道を阻んできた。……でも、今ばっかりは、信じられると思うわ。彼女の離反はトライアウトジェネシスにとってかなりの痛手になるはず。リスクも分かっていての合流だと思っているけれど」

 

「それも、オレからしてみりゃ不明なんですよ。コロニー、ルーベン。入港してから先、敵の襲撃の予兆もない。ある意味じゃ、不気味過ぎるほどに静かっす。それもどうかと思うんですよ」

 

「そうね。私だって、軍警察の一部組織の離反だから、何かしらトラブルがあるかと思っていたくらいだけれど、そう言ったゴタゴタもなし。DDが上手くやってくれている、という事を加味したとしても出来過ぎているほどに。……そこに何らかの意思の介入を疑うのは自然な事よ」

 

「何者かが……いいや、ここで濁すのもズルいな……。軍警察と、統合機構軍、黒だったのはどっちだって同じ事でしょう? 実際、ピアーナが仕掛けてきたんです。騎屍兵身分まで使って……」

 

「どっちに付いたところで地獄なのは変わりなし。オフィーリアもブリギットも危ない橋を渡っているのは同じ。……でもあなたはこうも思っている。ブリギットはもしもの時に軍警察と合流出来るが、オフィーリアは孤立する。前をブリギットで固められて、後ろにはモルガンでは逃げるに逃げられないのだと」

 

 こちらの想定を軽々と言ってのけるレミアには相変わらず舌を巻きつつ、アルベルトは口にしていた。

 

「……そうっすよ。前も後ろも固められてる現状じゃ、安心して休めもしねぇ。それに……もっとあるのは、クラードの機体っす」

 

「《ダーレッドガンダム》に不安要素を覚えるのは分かる。けれど、あれに関して言えばサルトル技術顧問とクラード本人の領分だろうけれど?」

 

「……そういうのも言いっこなしじゃねぇっすか? もう個人の問題だから、で済ませられないでしょ。《ダーレッドガンダム》に搭載されているアイリウムは、クロックワークス社の作り出した《サイフォス》のミラーヘッドジャマーを無効化する。これだけでも充分に驚きなのに、あいつの性能は遥かに上にいやがる……。《ダーレッドガンダム》に関して言えば、そそのかしたのはあんただ。だから、オレはその線を疑っている」

 

「なるほどね。最初から、ああいう忌み名の機体をクラードにあてがって、自滅させようとする魂胆だとでも」

 

「……全面的に肯定は出来ませんが、否定も出来ないでしょう」

 

 レミアは煙い息を吐いてから、泣きボクロを伏せる。

 

「……でもあの状態じゃ、クラードは《疑似封式レヴォル》に殺されていたわ。彼の魂を死なせないためには、《ダーレッドガンダム》が必須だった。こう思って欲しくないのは、アルベルト君。《ダーレッドガンダム》にレヴォルの意志が搭載されているなんて想定外だったのよ。私は、ただ単に現状を打破するだけの性能だと教えられていた」

 

「それも変でしょう。そんじゃそこいらの新型機なら、クラードが乗る意味がねぇ。オレでもよかった。あんたはクラードに乗らせるように仕向けた。それは何故か。……秘密があるんですよね? あの機体には」

 

 詰めたこちらの声音にレミアはフッと笑みを浮かべる。

 

「つくづく……食えない身分になったじゃない、あなた。私はそこまで勘繰って欲しいわけじゃなかったんだけれど、それもカトリナさんのため?」

 

「……あの人は関係ねぇっすよ」

 

「まぁ、そう言うんならそうなんだろうけれど。……察しの通り、《ダーレッドガンダム》は特別な機体よ。不確定情報だけれど、あの機体はかつての《レヴォル》と同じ……いいえ、それよりもなお色濃い、そういった存在である可能性が高い」

 

「……モビルフォートレス……」

 

「逸らないで。結論は……まだ出ていない。限りなくその可能性が高いだけなのよ。私が知っているのは、《ダーレッドガンダム》がこれまで出てきた新型機を凌駕するだけの性能を持っている事だけ。これに関して言えば信じて欲しいの。嘘を言おうにも、ブリギットごと拿捕されたあの状態じゃ、言えるわけがないでしょう?」

 

「……あんたは強かじゃないですか」

 

「私なら言えるって? 随分と見られたもんじゃない。けれどまぁ、仕方ない、か。とは言え、私の結論もあなたと同じ。クラードに無為に傷ついて欲しくない。彼と交わした約束は、まだ有効のようだから」

 

「その約束って奴なんですけれど、何なんですか。あいつは言いたがらないんですよ。艦長と交わした約束って言うの……」

 

「私も他人にぺらぺらと喋るようなクチじゃないし、自ずと、ね。けれど、前にも言ったかと思うけれど、クラードにはトリガーを託している。その約束を、彼はずっと、守ってくれているのよ」

 

 アルベルトはレミアの話し振りを聞く限り、嘘は言っていないと判断していた。

 

 だが、真実でもないのだと。

 

 どこかで、偽りでないにせよ、糊塗された何かを感じ取る。

 

 そこに踏み込むだけの言葉を、今は持たないだけであった。

 

「……それはクラードとあんただけの……特別な約束ってワケですか」

 

「そう、弱い女だと思ってくれて構わないわ。私は……そう器用にも出来ちゃいないのよ」

 

「いえ、弱いなんて、思っちゃいませんよ。あんたは……その強さでベアトリーチェを率いてくれた。そうじゃなければ、オレはあの時……駄目になっちまっていたかもしれません」

 

 それはかつて、愛する人を失った時の痛み――ラジアルが死んだ時、彼女はあえて冷徹に務めた。

 

 その理由が、今ならば分かる。

 

 上に立つ人間が、感情を乱されればそれだけで生存率は下がるのだ。RM第三小隊を任せられてからと言うもの、それを痛感するだけの日々であった。

 

 何人死んだ、何人死なせた、何人――自分のせいで。

 

 そんな益体のない考えに身を浸し、その結果として重い感情を引きずるくらいならば、冷たく見えたところで、血も涙もないように見えたところで。

 

 それは結果論として、彼らを生かす事に直結する。

 

 だから、分かってしまったから、レミアを責められないのだ。

 

 艦長としての職務は何より正しかったのだと、それが嫌でも理解出来てしまうのだから。

 

「……上に立つってのは一筋縄じゃ、いかないんすね」

 

「あなたもそれが分かっただけ、大人に成ったという事よ。でも、私として見れば、あの時の無鉄砲なあなた達が眩しかったのもあるけれどね」

 

「眩しかった? いや、あの時のオレらは……言って反目するばっかで……何にも分かってなかったんだと思います。何一つ……クラードの事だって、オレは……」

 

 レミアは煙管を下ろし、コーヒーメーカーを抽出していた。

 

「ちょっと飲んでいかない? あなた、普段は休憩だってまともにしていないでしょう?」

 

「いや、オレぁ……」

 

「いいから。カトリナさんもそうだけれど、問題なのはオフィーリアを現状預かっている面々なんだから。あなた達が駄目になっちゃえばそこまで。私は所詮、艦長職だけが取り柄の女なんだし、あなた達に防衛網は一任している。それもこれも、信頼してなのよ。これも、嘘くさいかしら?」

 

「あ、いや、オレは……すんません、何だか……言い繕うのも、ちょっと馬鹿っぽいっすけれど」

 

「そのほうがあなたらしいわ、アルベルト君。私を追求しに来て、まさかコーヒーが振る舞われるなんて思っていなかった?」

 

 マグカップを差し出されアルベルトは芳しい香りが鼻孔を突き抜けていくのを感じ取っていた。

 

「……普段は携行飲料ばっかですから、あったかい飲み物って新鮮っすね」

 

「よくないわよ? いくらRMだからって、必要最低限の栄養ばっかりじゃあね。逼塞しちゃう」

 

「……いただきます」

 

 会釈して口にすると、想定外の苦味にアルベルトは顔を歪めていた。

 

「……苦ぇっすね、コーヒーって」

 

「それはあなたがまだ一端には遠いって言う証明よ。一流の人間は、コーヒーの苦味くらい、飲み干せてしまうんだから」

 

 レミアは涼しい顔をしてコーヒーを口に運ぶ。

 

 その雅な様子にアルベルトは冗談めかして返答していた。

 

「艦長、どっかの偉いさんのお家柄とかだったんすか? コーヒー一つにこだわるなんて」

 

 そこでレミアは不意にこちらへと視線を寄越し、マグカップの黒々とした液体に視線を落とす。

 

「……家って言うのは、アルベルト君。あなたもリヴェンシュタイン家だから、何となく分かると思うけれど、血を絶やすのには覚悟が要るのよ」

 

 リヴェンシュタイン家である事をここで言及されるとは思っておらず、アルベルトは当惑する。

 

「……そいつは……艦長の家もワケありって事で?」

 

「わけなんて言うほどの大層でもないんだけれどね。……妹を、家に残してきたのよ。私より一回りも下の妹で……でも、血は繋がっていないの。母親違いの妹でね」

 

 ここに来てレミアが自分の過去を吐露する。

 

 それはどこか懺悔にも似た響きであった。

 

「妹さん……っすか」

 

「ええ。妹は私の事をとても慕ってくれていたけれど、統合機構軍に入る時に随分と家に反対されちゃってね。ほとんど勘当の形で飛び出しちゃったのよ。妹には酷な事を強いていると思うわ。あの子はとても優しい子だったから、今も家柄に縛られているのかもしれないし」

 

「……艦長も、弱音を見せる事ってあるんすね」

 

「私を何だと思っているの? 失礼な事を言うのね」

 

 だが、こうしてマグカップ片手に笑い合えるとは三年前にはまるで想定していなかった。

 

 それだけ互いは遠く、違う世界の人間同士があのベアトリーチェには集っていたのだろう。

 

 自分は偽りのまま、レミアは責任を胸にして。

 

 それでもベアトリーチェの日々は今でも宝石の過去だ。

 

 あのどこか喧噪を纏ったような毎日は、決して嫌ではなかった。

 

「……懐かしく、なっちまいますね。ファムが居て、トキサダが居て……」

 

「ファムに関して言えば、どこに行ったのかはまるで不明なのだけれど、トキサダ君はね……。私の指揮で殺したようなものだわ。どれだけ謗られたって文句はない」

 

「いえ、そんな……。オレもあん時、気張れなかったんです。だから艦長だけで背負おうなんて思わないでください。オレ達は……何だかんだで一蓮托生っすから」

 

「一蓮托生、ね。あなた達らしいわ、その言葉。だって……ずっとそれでやってきたんだものね。私はそれに乗れなかった。だから軍警察と言う逃げ場を作ったようなものなのだし」

 

「でも……艦長は逃げなかったからこそ、こっちに付いてくれてるんでしょう?」

 

「……分からないわ、そんなの。いいえ、分かったからって簡単な答えで満足してはいけないのでしょうね。あなた達が傷ついて、カトリナさんもここまで損耗して、それでいて、矢面に立ち続けると言うのは苦悩のはずよ」

 

 答えなんて出ない。いや、出してはいけないのだろう。

 

「……オレは多分、どっかでカトリナさんや、艦長に答えを出して欲しいとか、そういう事を考えてるんだと思います。だから……嫌な大人なんだって言うのはそういうところなんでしょうね」

 

「それはあなたもきっと、どこかで責任を背負うようになったからなのでしょう。何も失うものなんてなかった頃には戻れやしないのよ」

 

 責任で雁字搦めに成るのが正しいのか。

 

 それとも、責任を取れるだけの人間に成るのが正しいのか。

 

 いずれにしても、自分はまだ立派な意義を見出せそうになかった。

 

 コーヒーを呷り、アルベルトは身を翻す。

 

「コーヒー、美味かったです。艦長、一つだけ聞かせてください。あんたが守りたいのは、クラードとの約束ですか? それともクラード自身なんですか?」

 

 レミアは唇を引き結び、やがて応じていた。

 

「……私はまだ、トリガーとしての彼に焦がれている。それは私自身、答えなんて出せないから。そんな自分がどれほど嫌でも、どれほどに辛くっても、それでもまだ……自分には価値があるんだと信じたい。ううん……信じなくっちゃ前には進めない。オフィーリアとブリギットを預かる以上は、私は責任逃れの言葉はもう吐けない。ここに居るのはレミア・フロイトと言う、弱い女でありながら、艦長職を全うするだけの女でなくてはいけないのよ」

 

「……いずれにせよ、あんたはクラードと一緒に居なくっちゃいけない、か」

 

「ええ。彼は私にとっての全て。だから、もう一度……機会さえ巡って来れば彼への答えを、保留し続けてきたものを、自分の言葉で出せるんだと思っていた……。でもそれも傲慢なのかもしれないわね。私は彼の生き様と、そしてどう生きるのかと言う命題に関して、あまりに無頓着であったのかもしれない。彼は、エージェント、クラードは分かりやすい答えなんてくれないわ。私に……問い続けている。トリガーとしての意味を」

 

「オレはクラードと背中合わせに喧嘩するだけです。……これはカトリナさんにも言いましたけれど、オレにはそれくらいしか能はありませんから」

 

「……そう。カトリナさんも辛いわね。自分が信じたものに裏切られながらも、前に進まざるを得ないなんて」

 

「いつだって、答えなんてそんなもんでしょう。オレは、目の前に差し出された答えらしきものに対し、ノーを言える人間に成りたいんすよ。だってそれは、オレの見出した答えじゃない」

 

「アルベルト君。そう言えるだけで、もう立派に大人よ」

 

「よしてくださいよ。背丈と年かさだけで大人に成れるなら、もうちょっとマシに出来上がっています」

 

 アルベルトは艦長室の扉を潜ってブリーフィングルームに向かう途上で、書類を抱えたシャルティアと行き会っていた。

 

「……シャル? 何してんだ、ぼさっとして」

 

「あ、ああ、アルベルトさん? いえ、その……私、ちょっと思うところがあって」

 

「だからって委任担当官が廊下でぼんやりしている場合でもねぇだろ。窓の外に何かあんのか?」

 

 シャルティアは茫漠とした宇宙空間に視線を投じている。

 

 並び立つと彼女の背丈の小ささが際立ったが、今は喚き散らす様子でもなかった。

 

「……軍警察の港です。何があるか分かったもんじゃない」

 

「信用しろ、ってのも無理か。悪ぃな。手間取らせてる」

 

「いえ、いいんです。だってそれが……委任担当官のお仕事のはずなんですから。でも、アルベルトさん。ちょっと、分かんなくなっちゃいました。だって、ユキノさんはシンジョウ先輩を庇って、負傷されたって……」

 

「ユキノに大事はねぇ。心配したって仕方ねぇさ」

 

「分かっています、それに関しては。だってシンジョウ先輩は私達のリーダーなんですし、それは重要な局面だった事も……。でも、ユキノさんは大人です。しっかりとした、大人なんです。だって言うのに……この状況が……」

 

「飲み込めない、か。分かんなくもねぇ。オレも、昔はそうだった。凱空龍からベアトリーチェに来た時には、馬鹿みてぇに反目したもんさ」

 

 そう言いやるとシャルティアは少し呆気に取られたように目を見開いていた。

 

「……何だ? いつもだらしがない大人って言っているだろ? その通りなんだからよ、ガキん頃から」

 

「いえ、その……。アルベルトさんが凱空龍の、昔話されるの、初めてのような気がして……」

 

「そうか? そうだったかな。……ま、過ぎたる事は何とやらと言うからな。オレは……でも確かにあの時に、青春の終わりってもんを感じたのは確かだ。ガキで居れる期間ってのは思ったよりも有限で、それはつまんねぇ大人に成っちまってからじゃ取り返しも付かない。そんな事を、誰かが言っていたっけな。……オレは物分りの悪いガキだったよ」

 

 誰かに教えられる前に、大切な人の死で、ようやく自分で実感したのだ。

 

 子供のままでは救えるものも救えない。

 

 取りこぼすばかりの戦場なのだと。

 

 シャルティアは抱えた書類をぎゅっと抱き締め、意を決したように口にする。

 

「……アルベルトさんは、姉と会っているんですよね?」

 

 まるでこうして――かつて並び立って景色を眺めて話していた事を彼女は知っているかのように切り出すものだから、アルベルトは当惑していた。

 

「……ラジアルさん、か……」

 

「私……! 委任担当官ですけれど、それでもやるべき事はきっちりやるべきだと思っています。アルベルトさん! ……ユキノさんが出られない今、戦力として出せるって言うんなら迷わずに命令してください! ……出撃訓練は受けています」

 

 平時ならば、そんな世迷言を聞き入れなかったと思うが、ユキノが負傷し、そして騎屍兵を捕らえた今、少しばかり弱気になっていたのかもしれない。

 

 アルベルトは問い質していた。

 

「……本当に、撃てんのか? お前に、敵を」

 

「……撃て、ます。敵くらい……」

 

「だがその敵って言うのはよ。これまで支援してくれていた統合機構軍であったり、エンデュランス・フラクタルの同朋だったりするかもしれねぇんだ。もういっぺん、聞くぜ。それでも撃てるのか?」

 

「私……は……」

 

 迷いの胸中なのは明らかであった。

 

 それでも、その問いに答えられなければ彼女に銃を取らせるわけにはいかない。

 

 ラジアルとの誓いであると共に、自分に打ち立てた誓いでもある。

 

「……撃てねぇんなら、無理はすんな。それに、オレらだって不屈のRM第三小隊。ユキノの穴くれぇは埋める手立てだってある。シャル、お前はオレ達の委任担当官で居続けてくれ。オレ達を、サポート出来んのはお前だけだ。それは誰にも肩代わり出来るような役職じゃねぇ」

 

 肩を叩いてアルベルトはその場を後にしようとすると、シャルティアは振り返って声を張り上げる。

 

「分かりませんよ、そんなの! ……あと私の名前は、シャルティアです! シャルじゃない!」

 

 吼えられるだけまだマシだ。

 

 アルベルトは片手を振って彼女の声を受け止めていた。

 

 



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第154話「汚泥の感情」

 

「戦局はこう着状態に陥りつつある」

 

 そう述べたダビデは作戦指揮を執る自分へと視線を流していた。

 

 カトリナはゆっくりと応じる。

 

「……ええ。それでも、コロニー、ルーベンで補給が受けられるのは我々としても助かります。ブリギット艦の修復も出来ますし……」

 

「ブリギットの脚が戻って来れば、そのままミラーヘッド段階加速も使えるようになる。私達としても戦力の幅が増える事になるのはありがたいのだが……」

 

 含むところのあるダビデの声に、カトリナは問い返す。

 

「何か……懸念事項でも?」

 

「いや……レジスタンスとの連携はどうなっているのか、そう言えば聞いていなかったと思ってな。カトリナ・シンジョウ。そちらに一任しているが、ルーベンで合流すると言う認識でいいのか」

 

「それに関しては……レジスタンス勢力への伝達係の方がいらっしゃいまして。その方との定期通信で補給路は要請済みです」

 

「それならばいいが……信用なるのか?」

 

「大丈夫ですよっ。もう、長い付き合いの方なんですから」

 

 ダビデは少しばかり神経質になっている気がある。そうでなくとも、軍警察のコロニーに停泊している以上は、オフィーリアの存在はそれだけで起爆剤だ。

 

 彼らをいたずらに刺激している自覚はあるのだろう。

 

「統合機構軍の船舶は、それだけで何が起こるか分かったものではない。ブリギットと私の命令でどうにかなっている部分はあると思ったほうがいいだろう。彼らの中に叛意がある、と言うケースも想定しておくべきだ」

 

「それって……仲間から離反者が出るって言いたいんですか?」

 

「可能性としてよ、可能性」

 

 そう言って宥めてくれたのはバーミットで、彼女は自分とダビデを見比べて微笑む。

 

「……何だ。サワシロ大尉」

 

「バーミット、でいいわよ、ダビデちゃん」

 

「……失礼。今、私をちゃん付けで呼んだか?」

 

「そうだけれど、何? そこまで相手に許容するところを知らない人間だった?」

 

「……いや、それは恐れ知らずと言う」

 

「そうかしらねぇ。あたし、これでもトライアウトネメシスでは大尉待遇だったし、あなたは中尉でしょう? なら、どう呼んだって別に、ここは軍隊じゃないしー」

 

「バーミット先輩! 何言っちゃってるんですかっ!」

 

 こちらの戦々恐々としている様子もバーミットは面白がっているようで、彼女は片手にコーヒーを握って以前までと変わらずOL然として応じる。

 

「カトリナちゃん、ビビっちゃってカワイイー。けれどま、今言った通りでしょ? ここは軍隊じゃないし、あたしは大尉待遇を経験しているだけで、今は大尉じゃない」

 

「……その通りだ。貴君はただのオペレーターのはず」

 

「あれ? 怒っちゃった? ダビデちゃん」

 

「……別に。何でもないだけの話だ」

 

「そう言うところがカタブツなのよ。クラードと同じ」

 

「あの……それで、そのなんですけれど……コロニー、ルーベンでの補給物資が届き次第、オフィーリアは先んじてでも出港したほうがいいと思うんです。だって、統合機構軍の新型艦なんですよ? 一ところに留まるほうがおかしいって言うか……」

 

「それに関してはシンジョウの感覚が正しい。サワシロ大尉は楽観視が過ぎる。騎屍兵に関してもそうだ。何も手掛かりを掴んでいないに等しいのに、何故焦らない」

 

「焦ったって事態は好転しないからねー。それに、尋問だとかはヴィルヘルム先生の職務でしょ? あたしは、もう軍属でもないし、じゃあ気楽なOL身分にでも戻ろうかしらねー」

 

「ば、バーミット先輩。でも、もうエンデュランス・フラクタルからも見限られたんだから、OLには戻れないんじゃ……」

 

「分かっているわよ。再就職の道もあるってだけの話」

 

「……恐れながら、サワシロ大尉。事ここに至っては、最早退路はないと思っていただきたい。軍警察からも正直なところで言えば追われている身なのだ。私が決起したと言ったところで、ジェネシスの全戦力が集結したわけでもない。せいぜい、三分の一がいいところ。残りとトライアウトネメシス、それにブレーメンの動きはまだ分からないと言うのが正しい」

 

 中空に浮かんだ三次元図はコロニー、ルーベンの見取り図であり、ミラーがゆっくりと回転している。

 

「……結局、トライアウトジェネシスも残った側は敵だし、ネメシスからも追われ、ブレーメンからも追求が飛ぶ。その上で統合機構軍の厄介なピアーナとかとも戦わないといけない。はぁー……憂鬱」

 

「で、でもっ、いいじゃないですか! ダビデさんは心強いですし!」

 

「私は所詮、兵士だ。兵士は職務を全うするために居るもの。……軍警察全ての真意を代弁する事なんて出来ない。私は信じるべきものが貴君らにあると判断したから寝返っただけ。トライアウトの真意は未だに探れないまま。その上で、尋ねたい。統合機構軍は何を画策しているのか」

 

「……画策って……そんな大げさな……」

 

「大げさでもなくなってきているのよねぇ。騎屍兵の運用に、モルガンみたいな新鋭艦。それに再三のMAの投入。どれもこれも、オフィーリアを轟沈させるためだけにしては戦力の分布がここまで異常だって言うのは、正直思いも寄らなかったってわけ。あるとすれば、その一因は」

 

「――《ダーレッドガンダム》。あれか」

 

 バーミットの言葉の赴く先を言い当てたダビデに、彼女は指鉄砲を向ける。

 

「それね。モルガンが……と言うよりも、統合機構軍のアキレス腱に成り得る機体だからこそ、何度も追撃しようとしてくる」

 

「でもそれって……やっぱりレヴォルの意志を積んでいるからなんじゃ? だって、ミラーヘッドジャマーが効かなかったって報告もありますし」

 

 書類を手繰った自分に、ダビデは腕を組んで思案する。

 

「それなのだがな。戦場に出て感じたセンスだ、汲んでも汲まなくてもいい話に過ぎないが……」

 

「何? ダビデちゃんの恋愛事情?」

 

 ダビデはバーミットを睨み据え、それから心底侮蔑するような声を発する。

 

「……何故そうなる? 湧いているのか」

 

「ああー、そういうタイプなのねぇ。あたし達は戦場じゃ一単位である前に女なんだから。色恋沙汰も少しは学ばないと」

 

 ダビデの殺意が先鋭化したのを感じ取ってカトリナは大慌てで言葉を差し挟む。

 

「そっ! そう言えばっ! ミラーヘッドジャマーって、あれはクロックワークス社の技術……なんですよね?」

 

「……ああ、それもある。クロックワークス社に関して、予備知識は?」

 

 怒りを仕舞ったダビデに安堵しつつ、カトリナは自分の中の知識を探る。

 

「……えっとぉー……統合機構軍の擁する、企業の一員ですよね。確か、ミラーヘッドのログを取る専属会社だって……」

 

「ミラーヘッドログはこの世界を支配する第四種殲滅戦のルールそのものだ。第三者機関たる陣営から、MAが補給されたと言う事実。それだけでも相当に手をこまねいているわけではないのは窺える」

 

「クロックワークス社はでも、MAの開発をしているなんて寝耳に水だわ。いいえ、この場合は騎屍兵と同等に扱うべき戦力としての拡充、よね。MA《サイフォス》の真価は一方的なミラーヘッドオーダーの送信を阻害する。実際、前回と前々回でアルベルト君達の持ち帰ったデータじゃ、ミラーヘッドオーダーの送受信のタイミングや令状の種類を変えれば対応可能だったけれど」

 

「だが、そのすぐ後に、オーダーの無効化を確認した。恐らく、前回のように軍警察を経ての令状の種類を変えたところで対応はリアルタイムで成されるだけだろう。まさに、相手にとって都合がいいだけの戦場を描く事が出来る」

 

 ダビデからしてみても悩みの種に違いない。

 

 でも、とカトリナは戦闘時の動きを思い返す。

 

「《ダーレッドガンダム》だけは、それに左右されない……。やっぱり、レヴォル・インターセプト・リーディングがあるからで……」

 

「しかしあまりにも不可解だ。騎屍兵の持つシステムと同等のものを、統合機構軍が開発していた、となれば……。やはりそれは既存の戦争のシステムへの懐疑へと繋がる」

 

「ヴィルヘルム先生の報告書にもあったわね。第四種殲滅戦が覆るのならば、それはクロックワークス社の凋落に繋がりかねない、っと」

 

 書類を捲りながら、三者三様に渋面を突き合わせる。

 

「……でも、こうも続いていますよね。それでもクロックワークス社がMAを開発し、そして優位を保ち続けているのは、《ネクロレヴォル》が……第四種殲滅戦のルールに則っているからだって……。どういう意味なんでしょう?」

 

「分かんないわよ。頭のいい男の言い分なんてね」

 

 肩を竦めるバーミットに対し、ダビデは推論を並べていた。

 

「……我々軍警察は、何度か統制に割り込んできた騎屍兵をモニターした事がある。騎屍兵の有するミラーヘッドシステムは、我々の使用する令状よりも高位の代物なのだと、いくつか言われてきた。……だがこの報告書に書かれているのは、まるっきり逆の事柄だ。《ネクロレヴォル》の用いてきたミラーヘッドのシステムは、既存の戦争システムを利用してのものだと? ……信じられるとでも……」

 

「でも、ヴィルヘルム先生が嘘を言うメリットはない……ですよね?」

 

 うーん、と呻ったバーミットは、書類の端を叩く。

 

「この報告書、信用しないわけにもいかないし、かと言ってそれを信じると、次の戦場からどう出るのかって言うのはカトリナちゃんに投げられているのよねぇ……。どうする? 《ネクロレヴォル》のシステムはクロックワークス社のログを掻い潜る。まずこれは間違いない。でも、何でなのだかそんなあったら困るシステムを、クロックワークス社はむしろ重宝している。その証拠がMAの存在。まるで騎屍兵、彼らのためのような戦力を作ってみせる。これは……うーんと、つまり……」

 

「戦争のシステムは変わっていない。それどころか、これまでよりも色濃くシステムは汎用されている。第四種殲滅戦は、根こそぎ変わるような要素なんてない」

 

 結んだダビデに、カトリナは下唇を指で押し上げて首をひねる。

 

「えっとぉー……つまり?」

 

「統合機構軍からしてみれば、困るのは騎屍兵ではなく、《ダーレッドガンダム》と言う一個のイレギュラーだけ、と言う事実……ではないのか? だから排除しようと何度も追ってくる」

 

「ただ……それだと何で開発したんだって話になるのよねー。造らなければいい話なんだし」

 

 バーミットの困惑にカトリナは空間を共有しながら答えを探る。

 

「……えっと、そもそも《ダーレッドガンダム》とオフィーリアはセットなんですよね? レミア艦長の話じゃ」

 

「そうね。かつてのベアトリーチェとレヴォルの関係性らしいし。情報集積艦としての役割を果たしていると見るべきよね」

 

「ならば、オフィーリアは《ダーレッドガンダム》の動きをモニターし、何者かに送る意味があった。……待て、オフィーリアのシステムログはどこに送信されている?」

 

 その段になってハッとしたカトリナは、端末を呼び出していた。

 

「えっと、確か……エンデュランス・フラクタル……にデフォルトでは設定されているはずで……」

 

「まずいな」

 

 そう呟いた時にはダビデはブリーフィングルームを飛び出していた。

 

 バーミットと肩を並べつつ、管制室に向かう。

 

「あの……バーミット先輩は分かって……?」

 

「そこまでシステムの中枢にアクセスするような余裕もなかったし、今思い至ったところよ。カトリナちゃんと同じ」

 

「……ですよね。ずっと追われ続けていましたし……。でも、こんな事に気付かなかったなんて、迂闊だったかも……」

 

「エンデュランス・フラクタルのどこに送られているのかにもよるわ。送信ログはある?」

 

 カトリナは右手に光る思考拡張の赤い標を端末に読み込ませる。

 

「……私が触れた限りですけれど……エンデュランス・フラクタル、兵器開発部門……。タジマ営業部長の……!」

 

 面を上げた自分にバーミットは、なるほど、と声にする。

 

「もしかして最初から織り込み済みだった? あるいは、あの営業部長が真っ黒だったかの違いよね。いずれにせよ、《ダーレッドガンダム》のデータ流出を止めるために、あたし達は努力を――」

 

 そこで激震が見舞う。

 

 オフィーリアに設定されていた1Gの設定が狂い、浮かび上がった肉体をバーミットが握り締めていた。

 

「しっかり! 状況は?」

 

「……攻撃だと? しかしここは……ルーベンの裏港だぞ……!」

 

「モルガンの追撃なんじゃ……? ピアーナさんなら私達の航路を把握出来るはず……!」

 

「だったら余計に迂闊よ。こっちには騎屍兵の人質が居るって言うのに……」

 

 続いて通路の灯りが揺らぎ、衝撃波が艦艇を揺さぶる。

 

「……とにかく! 管制室に! ダビデちゃんはMS部隊の出撃を頼むわ!」

 

「了解した。……だがその呼び名は了承していないからな」

 

「カトリナちゃんはあたしと一緒に管制室に! ……クラード、聞こえている?」

 

『ああ。敵襲か』

 

「逸らないで。何かあったのかもしれない。……軍警察のコロニーよ。闇討ちくらいは想定されていてもおかしくはないわ」

 

「でも……っ! それじゃダビデさんは……っ!」

 

「カトリナちゃん。他人を信じる、大いに結構だけれどこの戦局じゃ、信じた側が馬鹿を見るも想定してちょうだいね」

 

「信じた側が……」

 

「バーミット、現着しました!」

 

 管制室に押し入るなり、バーミットは自身のオペレーター席に座り込む。

 

 レミアは既に戦闘警戒に入っているようで、艦長席の肘掛けを握り締めていた。

 

「遅いわよ。……それにしたって、港に停泊中を狙うなんて、趣味のいい事」

 

「なりふり構っていられないって事じゃないですか? ……MS部隊、戦闘準備! オフィーリアからは出せる戦力は出し渋りしないで行きますよ! クラード、前線を抑えて! やれるわね?」

 

『誰に言っている』

 

 通信先のクラードの声にカトリナは言葉を吹き込んでいた。

 

「あの……っ! クラードさん! もし……軍警察の勢力だったら、その……」

 

『迷っている暇はない。俺は撃てる』

 

 違う。そんな言葉が欲しいのではない。

 

 そう思いつつも、それ以上を言及出来なかった。

 

「……頼みます」

 

「オフィーリア、迎撃準備!」

 

 弾けたレミアの声を聞きつつ、カトリナはメインモニターに拡大された敵陣を見据えていた。

 

「……敵勢は……何、これ……。《アイギス》? 軍警察カラーじゃなくって……?」

 

 現れた第一部隊は、統合機構軍の色彩を誇る《アイギス》であった。

 

 しかももたらされた識別信号はカトリナに驚愕をもたらす。

 

「識別信号受諾……! 参ったわね、これは……。相手はレジスタンスと推定! あたし達とこれまで戦ってきた、レジスタンス組織の一部……」

 

「で、でもそんなの……おかしいじゃないですかっ! だったら何で、攻撃なんて……!」

 

「いずれにせよ、迷っていたら轟沈よ。クラード、行けるわね?」

 

『レミア。墜としてはいけない敵なのか? それならば判断を乞う』

 

「いいえ、選別している場合でもない。とにかく相手の攻勢を削いでちょうだい。《ダーレッドガンダム》による先行を許可するわ」

 

『了解』

 

「エージェント、クラードへ。《ダーレッドガンダム》、リニアボルテージに固定。出撃タイミングを譲渡。……頼むわよ、クラード。あんた、余計な感傷に足を取られないでよね」

 

『造作もない。《ダーレッドガンダム》、エージェント、クラード。迎撃宙域に先行する!』

 

 カタパルトより射出されていく《ダーレッドガンダム》を目にしつつ、カトリナはこの状況の異様さを感じ取っていた。

 

「……何かが……何かがおかしい。おかしいはずですっ! だって、レジスタンスが……私達に仕掛けて来るなんて!」

 

「カトリナさん。あなたは委任担当官としてレジスタンス組織との渡りがあったはずよね? 彼らに反感を買った覚えは?」

 

「い、いえ……そんな事は……。もしかして、統合機構軍の根回し? でもそれにしてはタイミングが……」

 

「停泊中だって統合機構軍に教えたとかじゃないわよね?」

 

「そんな事は絶対……! ……いえ、でももしかして……でもそんな……っ! そんな事はないはず……! だって、そうだとすれば私達は最初から……っ!」

 

『――その通りだよ、カトリナさん』

 

 不意打ち気味に繋がった通信は自分の思考拡張を施した右手より受信されていた。

 

 管制室に響き渡った声に、カトリナは震撼する。

 

「ハイデガー……さん?」

 

「まさか、ハイデガー少尉? 何で……」

 

『我々レジスタンス軍は、カトリナ・シンジョウを旗印として掲げ、今日まで戦い抜いてきた。だが、あなたは裏切った』

 

「そんな事……! 統合機構軍とは――!」

 

『統合機構軍じゃない! ……あなたはもっと前から、僕を裏切って来たんだ……!』

 

 その憤怒に塗れた声に、カトリナは眼を戦慄かせる。

 

「何を言って……ハイデガーさん……?」

 

『こうして、僕らに向かってくるじゃないか。死出の使者が! その名は――ガンダム……ッ!』

 

「ハイデガー少尉。どういうつもり? これまでレジスタンス活動を支援してきたあなた方の明確な離反行為だと、そう思っていいのかしら」

 

 レミアの冷静な声音にハイデガーは自嘲気味に応じる。

 

『……僕を捨てておいてよく吼える。それにあなた方だって! 裏切り者の称号はよく似合うだろうに! そうだろう、死神のレミア・フロイト!』

 

「死神……」

 

 その言葉にレミアは奥歯を噛み締めた後に声を振っていた。

 

「……あなたはそんなつまらない事で叛意を翻すような人間とは思えない。何か理由があるのなら、聞き届ける準備くらいは……」

 

『必要ない。僕の目的は、ただ一つ。エージェント、クラードに絶対的な死を。そしてあの日、僕を見限ったあなた達への叛逆を。そうさ、ここに来るまで――随分と待った! 三年間だぞ! この三年間、僕が平気な顔で、支援し続けたと思っているのか! カトリナ・シンジョウ! 僕の想いに気づいていながら利用し続けて……!』

 

「何を……何を言っているんですか、ハイデガーさん! あなた達は、私を……私達をそんな風に……」

 

『そんな風に……? どの口が言っている! この魔女が!』

 

「《アイギス》、波状攻撃を仕掛けて来ます! ……艦長、これは応戦しかなさそうですよ」

 

「カトリナさん。何があったのか、どうしてこうなってしまったのかは問わないわ。ただ……クラードに攻撃させる。構わないわね?」

 

 問い質された詰問にカトリナは茫然自失になっていた。

 

 何が起こっているのか。

 

 何が、ハイデガーを歪ませたと言うのか。

 

 まるで心当たりなんてないのに、それでも現実だけはこうして迫ってくる。

 

 自分の意思なんて関係なしに、状況だけが転がりつつあった。

 

「……私は……」

 

「迷っている暇はないわよ、カトリナちゃん。クラードはもう出撃してしまった」

 

 それでもまだ、間に合う事なんて一つもないとでも言うのか。

 

 拳をぎゅっと握り締めたカトリナは、メインモニターに投射されるレジスタンスの攻勢がオフィーリアを沈めるべく攻撃網を走らせてくるのを目の当たりにしていた。

 

 



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第155話「消失」

 

 敵勢は《アイギス》とは言ってもほとんど型落ち品に等しい。

 

 最新鋭機であるはずの《アイギス》でも、前期生産型と呼ばれるミラーヘッドへのラグが発生するタイプであった。

 

「……《ダーレッドガンダム》、このまま敵を駆逐する」

 

 腰部にマウントしたビームライフルを速射し、敵の飽和攻撃に備える。

 

 光条が戦域を貫く中で、こちらへと仕掛けてくる艦隊を視野に入れていた。

 

「あれが……敵だと? 統合機構軍の戦艦、それも一世代前の代物だ。ヘカテ級戦艦を確認。オフィーリアへ。分析を乞う」

 

『こちらオフィーリア。……クラード、その艦隊はこれまで、カトリナちゃん達の味方だったレジスタンス組織のものらしいわ。どういう意味なのか、問い質しているけれど、それでも分からないみたい……。分かっているのは、ハイデガー少尉がそこに居る事だけ』

 

「ハイデガー? ベアトリーチェに居た軍人か。何故、今になって……」

 

『分からないけれど、話し合いで済みそうにないのは確か。レジスタンス組織があたし達を攻撃する意図が相変わらず不明なままだから、艦隊への攻撃は留意して、あんたはオフィーリアへの飽和攻撃を防いでちょうだい』

 

「了解。……だが、何故だ。何故、今さら……ハイデガーという……」

 

 しかし迷っているような暇はない。

 

 クラードは《ダーレッドガンダム》を先行させ、ミラーヘッドを展開してみせた《アイギス》が両翼を広げたのを感じ取る。

 

「ミラーヘッドの攻勢に出るか。だが……動き自体は素人のそれだ。《ダーレッドガンダム》なら……」

 

 その時、不意にオープン回線が開き、《アイギス》乗り達の声が響き渡る。

 

『この――ガンダムが! 俺達の道を惑わせて!』

 

「俺が? ……そんなつもりはない」

 

 ビームサーベルを抜刀した《アイギス》に、クラードは小太刀で応じつつ、背後へと回り込んだミラーヘッドの分身体を振り向きざまに引き金を絞って撃ち抜いていた。

 

 破裂した分身体を蹴散らし、《ダーレッドガンダム》が噴煙を引き裂いて逆手に握り締めた小太刀で応戦し、相手の太刀筋を上回って両断する。

 

『……ガンダム……!』

 

 ここで迷っているような時間はない。

 

 次々とミラーヘッドの物量戦闘に入っていく敵勢を一機だってオフィーリアにまで届かせるわけにはいかなかった。

 

 ビームライフルを速射し、分身体へと撃ち込みつつ直上へと躍り上がって艦隊を見据える。

 

「……やはり敵母艦を叩くのが早い。《ダーレッドガンダム》! このまま、敵の本丸を撃ち抜く!」

 

 いちいちミラーヘッドの軍勢を相手取っていればこの戦いは泥仕合になる。

 

 小太刀を背負った大太刀に連結させ、両刃を掲げ、《ダーレッドガンダム》はヘカテ級のブリッジを横切る。

 

 会敵の瞬間にブリッジを叩き割り、沈みゆくヘカテ級を眺めていた。

 

「……こいつらは何だ? 軍警察でも、統合機構軍でもないって言うのか?」

 

 あまりに迂闊だ。

 

《アイギス》の配備も、それに伴う艦隊の守りも薄く、どれもこれも中途半端。

 

 これでは撃ってくれと言っているようなもの。

 

「こいつらの本隊は……あれか」

 

 艦隊の奥に陣頭指揮を執っていると思しきヘカテ級戦艦を視野に入れる。

 

《ダーレッドガンダム》が空間を駆け抜け、艦砲射撃の光芒を潜り抜けていく。

 

「悪いが長引かせるわけにはいかない。《ダーレッドガンダム》で、一気に決める……!」

 

『――それはどうかな。エージェント、クラード』

 

 その言葉に反応する前に、最奥の戦艦の下腹部が開き、引き出されたのは甲殻類を想起させる巨躯であった。

 

「……まさか、MAだと」

 

『MA《カトブレパス》、禁断の獣だ。貴様に止められるか? 我が恩讐の、その結実を!』

 

《カトブレパス》と呼ばれた機体は高出力推進剤を焚いて一挙にこちらへの距離を詰めてくる。

 

 無数のアームが挙動し、ビームの光芒が弾け飛んでいた。

 

 クラードは空間を奔る光軸を回避しつつ、ハイデガーの声に応じる。

 

「どういうつもりだ。今、オフィーリアへの叛逆を行う意図が分からない」

 

『分からない……だと。そんなだから! 貴様は僕の気持ちなんてずっと無視して、カトリナさんと一緒に居られるんだろうに!』

 

「……カトリナ・シンジョウが何だって言うんだ。お前は、どういうつもりで……!」

 

『どういうつもりと言うのはこちらの台詞だ! 分かるまい! 全てを手に入れたと思えば、それは全て、最初から掌から零れ落ちていた側の人間の事なんて!』

 

《カトブレパス》は超振動クローを下部に四本備えており、直後にはワイヤーで繋がれたそれらが射出されていた。

 

 一撃目はかわすも次手、そして三手目と、こちらの位置関係を完全に把握したように機動する超振動クローにクラードは歯噛みしていた。

 

「……全身RMか」

 

『貴様は僕から全てを奪った! 懺悔の時だ、エージェント、クラード!』

 

「俺は貴様から何かを奪ったようなつもりはない」

 

『その傲慢さが、僕を苛立たせる!』

 

 四本のクローの連撃はどれもこれも掻い潜るのが精一杯だ。

 

 攻勢に出ようと思えば、確実にハイデガーの命を啄んでしまう。

 

 だがこのまま守りに打って出るだけでは確実な損耗もあるであろう。

 

 クラードは《アイギス》同士が戦闘宙域に出陣したオフィーリアの様子を横目にしていた。

 

『余所見なんて! ガンダム!』

 

《カトブレパス》がすれ違いざまに格納していたブレードを現出させ、斬撃を浴びせ込んでくる。

 

 大太刀でその一閃を受け止めたものの、相手の出力値の高さに弾かれてしまう。

 

「……何を求める! この戦い、何のためにお前はそこまでするんだ!」

 

『知れた事だろう。貴様が奪った、僕の椅子を。僕の立ち位置を。それらを全て取り戻す。三年間……三年間だぞ! どれだけ待った事か、この時を! 《レヴォル》だって、僕が一番うまく使えるんだ!』

 

 急降下してきた《カトブレパス》の四本腕を、クラードは回避運動に移りつつ、太刀筋を閃かせてワイヤーを断絶していた。

 

 クローが宙を舞う中で、《ダーレッドガンダム》を肉薄させる。

 

「望みも何もなく……ただ漫然と戦うと言うのか。それが正しい事だとでも言うのか!」

 

『お前は奪った側だから分からないだけだ! それを持たざる者の視点に立ってみろと言うのが、何故分からない!』

 

「……俺は奪還者だ。だからこそ、お前の気持ちには寄り添えない……」

 

『黙れ! 簒奪者がそれらしい事を並べて、それで立ち回っているんじゃないぞ!』

 

 残り三本のクローが武装に絡みつく。

 

 超振動が至り、マニピュレーターが武器を取り落としていた。

 

 全身に装備したビームタレットより照準した《カトブレパス》に、クラードは歯噛みする。

 

『そぉれ、墜ちろ!』

 

「……残念だが、俺はまだ死ねない。死ねない理由がある」

 

 その瞬間、手離したはずの両刃の剣が二本に分断される。

 

《ダーレッドガンダム》の袖口から伸長させたワイヤー武装が刃の柄頭に絡みつき、両腕を振るい上げると共にクローを寸断していた。

 

 小太刀がビームタレットの砲塔に突き刺さり、延焼の炎を巻き上げる。

 

『何だと!』

 

「お前が思うよりも、俺のほうが上手だという事だ」

 

 加えて大太刀を手元に引き寄せ、こちらへと加速してきた《カトブレパス》へと、斬撃を加えていた。

 

 ビームタレットが根元から切り裂かれ、噴煙が舞う。

 

『貴様ァ……ッ!』

 

「悪いな。俺はこんなところで、敗北している場合ではない」

 

 小太刀をワイヤーで引き戻す際に敵機の推力が僅かに落ちる。

 

 その隙を狙い、一瞬にして接近せしめたクラードはすれ違いざまにメインカメラへと小太刀を薙ぎ払っていた。

 

《カトブレパス》のモノアイカメラが砕け、機体を翻した《ダーレッドガンダム》がその装甲へと大太刀を突き立てる。

 

 スパーク光が散る中で、両刃を接続させ、大上段に掲げて最後の一撃へと繋げる。

 

『エージェント、クラードォッ!』

 

「俺達の道筋を阻ませやしない」

 

 両断する。

 

 それで終わりだと思っていた。

 

 如何に装甲が堅牢であろうとも、コックピットさえ潰せば決着がつくと。

 

《カトブレパス》が全身より爆発の光を伴わせる。

 

 噴煙が迸る中で、クラードは相手を蹴って離脱挙動に移っていた。

 

「……《アイギス》部隊は、アルベルト達でどうにかなるか……。俺は艦隊を潰して、それで……」

 

 その言葉尻を引き裂いたのは《カトブレパス》よりもたらされた熱源であった。

 

 回避したクラードは装甲より引き出された鋭角的なフォルムを目にして驚愕する。

 

「……まさか、あれは……」

 

『……やはり重たいだけの鎧なんて、纏うものじゃないな。エージェント、クラード。貴様の実力、見誤っていた。それだけは告白しよう。やはり最初から――本気で向かうべきであった』

 

 装甲の内側より出現したのは、灰色の機体色であったが、それでもその威容はまさしく――。

 

「《レヴォル》……だと」

 

『《ガンダムレヴォルテストタイプ》。あるいはこうも呼ぶか。《レヴォル疑似封式第六形態》、とも。貴様が乗りこなしていた《疑似封式レヴォル》、まさか僕に乗れないとでも思ったのか? ガンダムを操るのは貴様だけの特権じゃない!』

 

《カトブレパス》の装甲を引き剥がし、《レヴォルテストタイプ》が瞬時に《ダーレッドガンダム》との距離を詰める。

 

 知っている。

 

 自分はこの機体の性能を、誰よりも知っている。

 

 だからこそ、分かる。

 

《ダーレッドガンダム》の性能では――魂を売り渡して真価を発揮する《レヴォルテストタイプ》を止められないのだと。

 

 ハイデガーの操る《レヴォルテストタイプ》は頭部形状が異なっていたが、それでもこの三年間、自分の操っていた機体の上位互換だ。

 

 獣の挙動で瞬時に直上へと跳ね上がった敵機に、《ダーレッドガンダム》が遅れた認識で刃を払うが、その時には相手の携えたヒートマチェットが《ダーレッドガンダム》の太刀筋を上回る。

 

 叩きつけられた赤の残火に、《ダーレッドガンダム》の機体性能では時間稼ぎ程度にしかならないのは明白であった。

 

「……こいつ……」

 

『《レヴォル》は僕の物だ! それだけじゃない! レミア艦長も、バーミットさんも、ヴィルヘルム先生も、カトリナさんも! 全員、僕を見てくれる! お前に勝てば、みんなが僕を見てくれるんだ!』

 

「……錯乱しているのか。それとも……。いいや、今は問うまい。お前の自己満足のための戦場に、俺を巻き込むな。俺は……前に進むために叛逆する。その道筋を邪魔立てするのなら、お前とて敵だ」

 

『今さらの事を言う! エージェント、クラードォッ! 僕とお前は、絶対に分かり合えない!』

 

「ああ、そのようだな。……《ダーレッドガンダム》、ベテルギウスアーム、稼働」

 

 武装が展開し、右腕を沈み込ませ噴出した蒸気と共に鉤爪が現出する。

 

『こけおどしィッ!』

 

「どうかな。それはお前が身をもって知る」

 

 拡散重力磁場を用いての反重力皮膜。

 

 それは《レヴォルテストタイプ》の太刀筋を根元からそぎ落としていた。

 

 相手も馬鹿ではないのか、一度距離を取ってこちらの武装を観察する。

 

『……何だ、それは。攻撃したはずのヒートマチェットが、削がれただって?』

 

「悪いが説明している時間もなければ余裕もない。……一気に終わらせる」

 

『吼えるな! 簒奪者が! 僕から何もかもを奪っておいて、まだ貴様はそのような事をのたまう! ……ここで死ぬのは貴様だけだ!』

 

《レヴォルテストタイプ》の眼窩に赤い光が宿る。

 

 恐らくはコード、マヌエルの使用。

 

 掻き消える速度で《レヴォルテストタイプ》が《ダーレッドガンダム》へとその爪を撃ち込んできていた。

 

 熱伝導の爪が食い込み、《ダーレッドガンダム》の装甲を融かす。

 

「……速度では分が悪い……か」

 

『負けを認めるんだな、エージェント、クラード。潔いのなら!』

 

「言ったはずだろう。俺は負けられない。そして、死ねない理由がある。お前が俺の前に立つと言うのならば、それは敵として処理するだけだ」

 

『それはこちらも同じ! お前は敵だ。見据えるべき、怨敵だ!』

 

《レヴォルテストタイプ》の爪が食い込んでくる。

 

 鉤爪で応戦しようとしても、何もかも相手の速力のほうが上であった。

 

「……速度による圧倒。コード、マヌエルの特権か」

 

《レヴォルテストタイプ》の顎より封殺されていた熱量が噴き出ている。

 

 コード、マヌエルの実行は機体にも大きな負担を強いるはずだ。

 

 如何に全身ライドマトリクサーでも、その負荷からは逃げられない。

 

「……俺相手に捨て身の攻防か。それで何が救える。お前は俺に勝てれば何だっていいのか?」

 

『ああ、そうだとも! お前相手に勝てるのなら、魂だって機械に売り渡す! ……それで、僕はカトリナさんに……彼女が傍に居てくれるだけで……ッ!』

 

「分からないな。何故、カトリナ・シンジョウにこだわる」

 

『分かるまい! 持たざる者の気持ちなど! 貴様には分かるまいッ!』

 

 すれ違いざまの一閃。

 

 こちらも鉤爪に重力磁場を纏い付かせて応戦したが、相手はどうやらそれ相応のライドマトリクサーらしい。

 

 こちらの一撃を掻い潜り、《ダーレッドガンダム》のアステロイドジェネレーター付近を狙い澄ます。

 

「……動力炉を狙うのか。厄介だな」

 

『言っていられるのも今のうちだ! いい加減墜ちろォッ!』

 

 跳ね上がった《レヴォルテストタイプ》の赤い眼光に、クラードは鉤爪に宿った力をコックピット越しに込めていた。

 

「……手を抜いて勝てるような相手でもなし。加えて《ダーレッドガンダム》の能力だけでは頭打ちが来る。……ベテルギウスアーム、パラドクスフィールド……」

 

 瞳孔で出力値を設定する。

 

 その設定をこれまで収めていた臨界点よりもさらに高次に。

 

 これまで放った事のない、最大出力へと。

 

《ダーレッドガンダム》の右腕が紫色の輝きを帯びていた。

 

 掌底の形へと固定し、撃ち込んでくる相手へと応戦の構えに入る。

 

 武装承認がアイリウム越しに成され、クラードは紡ぎ出された武装の名称を声にしていた。

 

「……出力臨界……! 最大設定に。撃ち抜け! パラドクス――ッ、ディフィート!」

 

 瞬間、七色の輝きが《レヴォルテストタイプ》を包み込んでいた。

 

 パラドクスフィールドの高重力の投網が敵機を捉え、そのまま押し込んでいく。

 

 クラードは重力磁場による偏向で敵機は分解、あるいは圧死するのだと想定していた。

 

 だが巻き起こった事象はそれを超える。

 

『な、何だ……? 何が起こっている……』

 

 パラドクスフィールドの燐光が迸り、虹色の彼方へと《レヴォルテストタイプ》は吸い込まれていく。

 

 想定外の事象にクラードは《ダーレッドガンダム》の右腕そのものが湾曲し、空間を飲み込んでいるのを関知していた。

 

「……何が……《ダーレッドガンダム》、何を引き起こしている……」

 

 オォン、と何者かの吼える声を聞く。

 

 それは獣の覚醒か。

 

《レヴォルテストタイプ》の像が歪み、軋んだ機体は砕けるよりも先に大きく形状を変移させていた。

 

『何なんだ! 全ての事象が……僕を……拒む?』

 

 ハイデガーの悲鳴が通信回線に焼き付き、クラードは思わず問い返していた。

 

「何が起こっている? お前は……一体どうなってしまったんだ!」

 

『わか……わから、ない……。なん、なんだ……。きえる、きえて、いく……。ぼくが、ぼくで、なく、なって……』

 

 光が収斂する。

 

 全ての事象宇宙が彼方へと到達し、そしてハイデガーの操る《レヴォルテストタイプ》は、無数の大虚ろの向こう側へと吸引されていく。

 

「……これは……極小だが、ダレト、なのか……? 《ダーレッドガンダム》のパラドクスフィールドは、ダレトを生み出す……?」

 

 ダレトの向こう側へと、ハイデガーの声が遠ざかっていく。

 

 事象の連続体が切り刻まれ、《レヴォルテストタイプ》が少しずつ、寸断、分解、分散、消滅、誘因現象を巻き起こす。

 

 やがて、何もかもが歪んだ世界より、声だけが明瞭な響きを伴ってクラードの耳朶を打っていた。

 

『……いや、だ……きえたく、な……い』

 

 直後には、連続した大虚ろが収縮を引き起こし、現象を彼方の空に吹き飛ばしていた。

 

 



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第156話「反証不可の世界で」

 

「いた、い……」

 

 ファムが膝を折る。

 

 思わぬ事態にキルシーは彼女の顔を覗き込んでいた。

 

「ファム、どうしたって――」

 

 そこで絶句する。

 

 ファムは息を切らし、熱病に浮かされたように青ざめていた。

 

「何が……誰か! ファムが……!」

 

「ななばんめ……ひらいた、とびら……」

 

「喋らないで! 誰か! すぐに呼べるお医者を! 大丈夫よ、ファム! 大丈夫だからね……」

 

 半分は自分に言い聞かせていたキルシーであったが、すぐにこちらへと駆け寄ってきた医者がファムの額に触れるなり息を呑む。

 

「酷い熱です。一度、医療ブロックに」

 

「頼むわ。お願い、ファム……。あなただけが、私にとっての寄る辺なの……」

 

 ファムの小さな手を握り返していたキルシーは、うわ言のようなファムの言葉を耳にしていた。

 

「クラー、ド……だめ……それは、ほろびのみち……」

 

 何を言っているのかは分からない。

 

 分からないが、キルシーは地球の重力圏より星空を仰いでいた。

 

 星々のトワイライトのどこかで、巻き起こっている何か。

 

 それにファムは感応しているのではないかと。

 

「……でも、じゃあ何だって言うの……。ファムは……一体……」

 

 その答えは出そうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何の光――ッ?」

 

 アルベルトは《アイギスハーモニア》でこれまで打ち合っていた敵との鍔迫り合いを収め、光の向こうへと視線を向けていた。

 

「オフィーリア! 戦局を! 一体何が起こりやがった!」

 

『分からないわ。こっちでも計測不能なのよ』

 

 バーミットの声にアルベルトは敵勢が一斉に矛を収めたのを目の当たりにしていた。

 

「……動きが止まった? クラード!」

 

『小隊長! 前に出過ぎては!』

 

「今行かなくって、いつ行くって言うんだよ! オレは敵をすり抜けてクラードの応援に向かう! オフィーリアの守りは頼むぜ!」

 

 しかし、敵の軍勢はまるで硬直しており、自分の行く手を阻むMSは一機も居ない。

 

「……何だってんだ、こいつら……。急に棒立ちに成りやがって……」

 

 だがその不明瞭さを明らかにする前に、アルベルトは何もない宙域で右腕の特殊武装を展開したままの《ダーレッドガンダム》を視野に入れていた。

 

「クラード! 聞こえっか! クラード!」

 

『……アルベルト、か……』

 

 どこか茫然自失にも聞こえる響きに、何かあったのは疑いようもなかった。

 

《アイギスハーモニア》で相対速度を合わせ、《ダーレッドガンダム》に接触回線を開く。

 

「クラード! 何があった! ……今さっきの光は……」

 

『俺にも分からない……。パラドクスフィールドの出力を最大に設定した、それだけのはずだ。だって言うのに……ハイデガーが、敵機が消失した……』

 

「敵機の消失? そんな事が……」

 

 だが事実、周辺宙域には当初戦闘していたMAの残骸はあるものの、敵MSの欠片さえも漂っていない。

 

「……とにかく、敵は棒立ちだ。今なら、交渉も出来るんじゃねぇのか? だって、相手の頭目が消え……いや、待て。クラード。相手の頭目の名前は……何て言うんだ?」

 

 どうしてなのだか、先ほどまでクラードが戦闘していた相手の事が、靄がかかったように思い出せない。

 

 その不明にアルベルトは問いかけていたのだが、クラードは応じる。

 

『ハイデガーだ。知らないわけじゃないだろう』

 

「いや、ちょっと待ってくれ。……オレはレジスタンス組織の頭になんて、知り合いは……」

 

 どうしてなのか。

 

 クラードの言っている名前も、どこか遊離して聞こえる。

 

『……ふざけているのか? ハイデガーは……元々はベアトリーチェに派遣されていた統合機構軍の……』

 

「いや、ちょっと待ってくれ、クラード。ハイデガー? そんな名前の奴……知り合いには居ねぇはずだ。何かの勘違いじゃねぇのか?」

 

『……そんなはず……! アルベルト、この戦闘宙域はハイデガーのせいだ。奴が、俺達への報復攻撃を仕掛けてきたのが……!』

 

「いや、待て、待ってくれ。……本当に、分からねぇんだ。お前の言っている事が……。オレも、不思議なくらいさ。何で……聞き覚えのない言葉を、オレは……いや、やっぱ駄目だ。クラード、本当に相手の頭目の声を聞いたのか? 相手がそう名乗ったって?」

 

『何を言って……。奴は俺達に宣戦布告をしてきただろうに……』

 

 だが何度反芻しても、クラードの言葉に現実味はない。

 

 いや、もっと言ってしまえば心当たりがない。

 

「……ハイデガー……? 聞いた事のねぇ名前だ。何で、オレは……その名前を聞いた事がねぇのかも分からねぇ……。一体、何が……どうなっちまったんだ……」

 

 艦隊からの砲撃網は消滅している。

 

《アイギス》を含め、敵編隊もどこか目的を見失ったかのように動きを止めていた。

 

 アルベルトは《ダーレッドガンダム》を牽引し、接触回線越しにクラードを慮る。

 

「きっと、何か……オレ達じゃ窺い知れない何かが……起こっちまったんだ。それを解明する術は、今はねぇのか……」

 

 答えは彷徨うばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レジスタンス勢力より入電! これ以上の損耗はこちらも本意ではない、との事……! 助かったぁー!」

 

 脱力したバーミットにレミアは注意を飛ばす。

 

「気を付けて。レジスタンス組織が攻撃を仕掛けてきた理由は不明だけれど、彼らにも言い分はあるはず。勝てない戦をするだけの理由が、ね……」

 

 レミアは警戒姿勢を解かずにいたが、カトリナはハッとして問い返す。

 

「レミア艦長……やっぱりハイデガーさんに私……何か取り返しのつかない事をしてしまったんじゃないでしょうか? もう一度、通信を……」

 

 こちらの言い分にレミアは怪訝そうにする。

 

「……ハイデガー? それは一体、誰の事を言っているの?」

 

「誰って……ハイデガー少尉ですよ。ベアトリーチェに派遣されていた、統合機構軍の……。レジスタンス組織を率いて、私達に攻撃してきた……」

 

 レミアは目頭を揉んでから、バーミットへと振り仰ぐ。

 

「……バーミット? 聞き覚えは?」

 

「いえ、ありませんね……。カトリナちゃん? それって敵の頭目の事?」

 

「いえ、そうではなく……。何を……言っているんですか? お二人とも、まさか私を担いで……?」

 

 疑念の眼差しを交わし合うのは同じで、バーミットもレミアも、不明な出来事に疑問符を浮かべる。

 

「……失礼かもしれないけれど、カトリナさん、何かあったの? レジスタンス組織は私達への反抗を表明し、攻撃を仕掛けてきた。私達はクラードに先行させて、オフィーリアを守る事に専念。そうであったはずよね?」

 

「い、いえっ、前提が崩れています。ハイデガーさんが……私達への復讐のために、レジスタンス組織を率いて、それで攻撃を……」

 

 そこまで言ってから、この場に居る全員がこちらの言い分にピンと来ていない事をカトリナは察知する。何かが、おかしい。何かが、致命的に間違っている。

 

 だがそれを是正するような暇はないようだ。

 

「……敵部隊! 急速に……これは……敵意を、凪いで……」

 

「どういう事なの? レジスタンス組織は我々への攻撃意思を!」

 

 バーミットとレミアのうろたえにカトリナはつい先ほどまで自分達を攻撃していた部隊が、無抵抗の白旗を揚げているのを目の当たりにしていた。

 

「……どう、いう……」

 

「分からない……けれど、戦わないで済むのならば僥倖……と思うべきなのかしらね」

 

「でも、そんな……ハイデガーさんが……」

 

「だから、そのハイデガーって言うのは誰なの? カトリナちゃん。今は、分からない事の究明に努めるような時間もないし、とかく、敵艦隊との交信を行うわ」

 

 バーミットのオープン回線に敵艦隊の中枢より通信網がもたらされる。

 

『こ、こちら、レジスタンス艦隊……。分からない、何故……我々を攻撃している?』

 

「分からない? 何言ってるのよ! そっちが仕掛けてきたんでしょうに!」

 

『ご、誤解だ……。いや、誤解と言うのも変なのか……。こちらはつい数分前まで……そちらが戦端を開いたと言う、形跡が……』

 

「何言ってるの! そっちが停泊中のオフィーリアを――!」

 

「いえ、待ってください、待って……。こちら、カトリナ・シンジョウです。あなた達を率いていたリーダー格の……ミハエル・ハイデガー少尉とお目通りを願えますか……?」

 

『……ミハエル? ハイデガー? 誰なんだ、それは……』

 

「ちょっと! 誤魔化そうったって!」

 

『し、知らない! 本当なんだ……! 本当に……何も……ただ我が方としても、困惑している。あなた方に仕掛けるつもりなんてあるはずがない。特に! カトリナ・シンジョウが居る艦に何で我々は……攻撃なんてしていたんだ……?』

 

「……ちょっと、とぼけるつもり? そっちが奇襲攻撃をしてきたから、あたし達は反撃を……!」

 

「いえ、待ってください。何かが……変なんです」

 

「カトリナちゃん? 一体何を言っているの? 敵艦隊は現にこうして飽和攻撃を!」

 

「いえ、だから待って……何で……みんな、誰もハイデガー少尉の事を、言わないの? まさか……憶えてさえもいないって……?」

 

 戦慄く視界の中でカトリナはメインモニターに映し出された《ダーレッドガンダム》を視野に入れる。

 

 その右腕は空想の殺人鬼の如き凶暴さを携え、白銀に煌めいている。

 

 一体何が、どうなってしまったのか。

 

 今の一瞬で、何か――取り返しのつかない事が起こってしまったのだけは明瞭に分かるのに、誰もその違和感を違和感だと思いさえもしていない。

 

「……ハイデガーさんは……消えた? この……世界から?」

 

 バーミットとレミアが顔を見合わせ、自分へと声を振る。

 

「カトリナさん? もし……疲労が溜まっているのなら一度医務室に行ったほうがいいわ。管制室で下手に喚かれると面倒なのよ」

 

「いえ、それは……はい……。一度、下がります……」

 

「RM第三小隊へ。警戒を怠らず、敵勢を観察します。……それにしたって、何が起こったって言うの?」

 

「ログならあります。……でも、カトリナちゃん、平時とは思えませんでしたね」

 

 エアロックの向こう側でも聞こえてくる。

 

 自分はどうしてしまったのだ。

 

 否――この世界はどうなってしまったのだ。

 

 カトリナは頭を抱え、それから口にしていた。

 

「何で……私だけが……ハイデガーさんの事を、憶えているの……?」

 

 項垂れた胸元からは金色の鍵が揺れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『干渉波を確認した』

 

『《フィフスエレメント》の反応をつい数秒前に我々の側で感じ取れた。これは思考拡張の賜物だな。……そうでなければ、我々とて世界に謀られていた事だろう』

 

『《セブンスベテルギウス》――呼称、《ダーレッドガンダム》、か。まさか事象特異点を凌駕し、世界の書き換えを行うなど予想だにしていない。……あまりにも時期尚早だ』

 

『よって我々はオフィーリアへの攻撃を開始する。しかし、その矢先にMF02とMF04のパイロットのロスト……。どれもこれも偶然にしては出来過ぎている。そうとは思わないか? ――ジオ・クランスコール』

 

 名を呼ばれ、傅いていたジオは微動だにせずに応じる。

 

「ええ、何者かの作為があるのは明白でしょう」

 

『貴様が何か行ったのではないか、と勘繰っているのだよ。もっとも、貴様は使われるだけの駒だ。駒に自由意思は不要なのだと、常日頃から述べている。裏切り者がここまで迫っているとなれば、我らとて穏やかではない』

 

『左様。ジオ・クランスコール。隠し立ては、我々には無意味だぞ』

 

「隠し立てなど。自分の脳を暴いてしまえばよろしいでしょう。思考拡張で可能なはずです」

 

 暫し、沈黙が流れる。

 

 その後に、子供達の哄笑が木霊していた。

 

『ジオ・クランスコール。随分と胆力だけはあるようになったではないか。そこまでして、貴様を疑う事そのものが我々への不義理と成る事を理解しての発言。よい、貴様がそうまで言うのだ。裏切っていない証左にはなろう』

 

『だが得心が行かぬな。《ダーレッドガンダム》は《フィフスエレメント》――《オリジナルレヴォル》と同等の力を保持する。いや、その影響力で言えばさらに上か。あれの右腕は世界を欺く。それにこの状況……我らとしても面白くない』

 

『MFのパイロット達の一斉離反も考えられる。ジオ・クランスコール。もしもの時のために貴様を重用しておいて正解であった。MFへのカウンターと、そして《ダーレッドガンダム》が肉薄した際の迎撃。出来るな?』

 

「仰せのままに」

 

 世界を覆う胎児達の絶対視はジオを全方位から見据える。

 

 虚飾、偽りは見透かしてしまうような眼差し。

 

『……よかろう。貴様に与えたその力、有用に扱え』

 

「心しております」

 

『次元の姫君は地球へと降下したか。それも貴様の思い通りか?』

 

「いえ、ファムにはいい友人が出来たようです。自分は、あれの交友関係まで縛るほどの力はございません」

 

『よからぬ思想にかぶれなければいいのだがな。キルシー・フロイト、か。行政連邦に影響力を持つ家柄の一つ』

 

『彼の者が男であったのならば簡単であったのに、令嬢と成れば話は違ってくる。次元の姫君には回り道をしてもらうような猶予はない』

 

『左様。世継ぎが産めぬのならば、強硬策も考えてある。ジオ・クランスコール。貴様のやるべき事は一つ。分かっているな?』

 

「絶やさぬ事です。ダーレットチルドレンの血筋を。そしてこの次元宇宙の生存権の確立」

 

『その通り。何せ、我々では貴様らのように毒された世界を闊歩する事叶わぬ』

 

『貴様らは楽園を追われた罪人だ。ならば罪人らしく、贖罪の道を辿る事だな』

 

「努力いたします」

 

『だが、ジオ・クランスコール。貴様だけに任せるのには少し、不安要素も大きい』

 

『よって、拡充要員を充てる。ちょうど地球に降りるとの事だ。適任と判断した』

 

「何者です」

 

『何者……か。何者でもない存在、と呼ぶのが正しいのだろう』

 

『彼の者には固有名詞などただの記号だよ。鏡を割るだけの――そう言ったけだものだ』

 

『ジオ・クランスコール。MFのパイロット達も行方知れずだ。何かあってからでは遅い。手は打っておくべきだ。数手先を見越してな』

 

「ですが、こちらも動くべき時を見計らわなければいけません。それだと言うのに、情報が封鎖されたままでは不利益です」

 

『よく回るようになったではないか、その舌。だが、構わぬ。情報階層の第二十七階層へのアクセスを許可する。それと、《ラクリモサ》の運用だが……アルチーナ艦が沈んだとの報告を受けている』

 

「月軌道艦隊が。何者なのです」

 

『情報は我々に、常に光として認識されるが、それでもあまりに遅い。意図的に情報封鎖が行われているのだと判定している。もし……画策しているのが統合機構軍……我々より《フィフスエレメント》を奪った派閥であった場合、即座に断罪する。なに、統合機構軍の操る亡者の幻影には随分と世話になって来たが、あれはただの掃除屋だよ。ゴミ処理にはちょうどいいが、世界の変革には僅かに足りぬ』

 

『そのためのレヴォル・インターセプト・リーディングの蓄積。彼の騎屍兵共には特権を与えてやる代わりにモルモットになってもらった』

 

『この第四種殲滅戦のルールから外れた亡者は間もなく、集い、そして次なる戦地を待ち望むのであろう。それがたとえ破滅の道であろうとも』

 

「自分達は兵士です。命じられればどこへなりと行きます」

 

『ジオ・クランスコール。撃てと命じれば貴様は撃ってきた。信用はしているぞ、その手腕、錆びつかせぬようにな』

 

 気配が掻き消える。

 

 通信が完全に断絶したのを確認してから、部屋を出るなりジオは相貌を覆う仮面のこめかみに指を添えていた。

 

「自分だ。これより情報を送信する。気取られぬために、送信は一度きりである。心しておけ――」

 

 



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第157話「虚飾と戯言」

 

 罪悪感で身体が鉛になっていた。

 

 地球に降りると言い出したのは自分だ。

 

 だからファムの病状がどうであれ、自分が咎を負うべきだと、そう感じていたキルシーは医療ブロックより出てきた医者へと縋るように視線を振り向ける。

 

「ファムは……!」

 

「疲労のようですが、ともすれば地球の重力酔いかもしれません。今は安定に入っていますので、話が出来ますよ」

 

 ホッと胸を撫で下ろし、キルシーは未だにベッドの上で横たわっているファムへと駆け寄っていく。

 

「ファム! ごめんなさい、私……!」

 

「ミュ、イ……? なんで、キルシー、あやまるの?」

 

「だって……あなたに無茶をさせたのは私だもの……。謝っても謝り切れないわ……」

 

 ファムは額へと手をやる。そう言えば膝を折った時も頭痛を最初に感じていたような気がする。

 

「痛いの?」

 

「いまは、いたくない。でも、キルシー、すごくつらそう……。なんで?」

 

「何でって……! 当たり前でしょう! 友達が辛そうにしているのに……平気なわけがないじゃない……っ!」

 

 感情の発露のような自分の言葉にファムは柔らかく微笑んで肩を引き寄せる。

 

「ミュイ! ファムも、キルシー、すきぃー……」

 

 真正面から好意を向けられるとは想定しておらず、キルシーはぼっと熱を帯びた顔をファムから引き剥がしていた。

 

「と、とにかく! ……今は、回復に努めましょう。幸いにして一日前に地球に降りて正解だったわね。明日の社交界では、計画通りにリヴェンシュタイン家のフィクサーが来れば、私達の目的は果たされるようなものだし」

 

 咳払いをして自身を落ち着かせつつ、キルシーはここまで講じてきた計画をそらんじる。

 

「リヴェンシュタイン家へと取り入っての、戦争行動への介入……。上手くいくとは到底思えないけれどでも……ファムと一緒なら、あなたとなら、上手くいきそうな気もするのよ」

 

「ミュイ! ファムも、キルシーといっしょなら、なんでもうまくいくようなきがするよ?」

 

「……だから、てらいのない好意は照れるんだってば……」

 

 わざと視線を外しつつ、キルシーはファムの手を握り締めていた。

 

 華奢な腕だ。

 

 きっと、何事も起こらなければ、彼女はただの女として浪費されていただろう。

 

 自分も同じであった。

 

 ファムと出会わなければ。彼女の純粋さに光明を見出さなければ、きっと絶望の中で生きていた事だろう。

 

 茫漠とした闇を切り裂いてくれたのは、自分にとっては掛け替えのない、この少女なのだ。

 

 世界への叛逆を、たった二人だけでも実行出来るような感覚に陥る。

 

 きっと世界の淵に立ったとしても、この友情だけは崩せないのだと。

 

「……でも、ファム。一個だけ、約束してちょうだい。危なくなったら、すぐに逃げて。私達の計画だって言っても、穴だらけなのは明白なんだから。それに、言ってしまえば見切り発車なのよ。私はいいけれど、あなたに危害が及ぶのを見ていられないわ」

 

「ミュイ? あぶないの? こわいの?」

 

「……うん、正直言うとね。とても怖い……。でも、それと同じくらい……満ち足りているわ。あなたと私で世界を変える。女の身分じゃ世界なんて変えられないと思われているけれど、でもいつだって、革命の女神は現れてきた。今回だって、確証はないけれど、どこかで女神が羽ばたけば、私達の抗いは無駄じゃなかったって言える。……そう、誇りたいだけなのよ」

 

 視線を落とした自分にファムは掌を返してそっと握り締めていた。

 

「キルシーのて、あったかいね」

 

「……手があったかいと、心は冷たいらしいけれどね」

 

「ミュイぃぃ……キルシー、いじわるいう」

 

「ごめんね、ファム。ちょっと意地悪しちゃった」

 

 お互いに微笑み合う。ちょっとした隠し事を共有するかのように。

 

 だがその本質は、この世界そのものへの叛意。

 

「……ファム。社交界には参加する。だってそうしないと、私達が降りてきた意味がないもの」

 

「キルシーと、ファム。ふたりだけの、はんぎゃく、だね」

 

「そうね。たった二人の叛逆。こんな事したって、意味ないのかもしれないけれど」

 

 あるいは、これで自分達は窮地に立たされる可能性さえもある。

 

 無駄死に。それとも勇敢なる栄光。

 

 分からない、何もかも。

 

 しかし、それでも立ち向かうだけの意地だけは存在しているのだ。

 

「……栄養剤を打っておくように進言しておくわ。私はセーフハウスに戻っておく。明日には起き上がれるようになっているでしょうけれど」

 

 手を離しかけてファムが一際強く握り返してくる。

 

「キルシー……ねむれるまで、そばに、いてくれる?」

 

「……うん。ファムの傍に居てあげる。だって、あなたはこの宇宙でたった一人の、本当の意味での友達だもの」

 

 そう言うとファムは安心したのか、すーすーと寝息を立てて眠りの淵に落ちて行った。

 

「……寝ちゃったか。私は、でもあなたに、ある意味では裏切りのような行為を、しているのでしょうね」

 

 ファムの手を離し、キルシーは端末の番号を呼び出していた。

 

『こんな時間にどうした? キルシー。何かあったのかい?』

 

「何でもないですわ、ローゼンシュタイン様。ご存知かと思いますが、私、地球に降りましたの」

 

「取り繕い」の自分を前に出し、ガヴィリアの声を聞いていた。

 

『心配なんだ……。これは極秘情報の一つではあるのだが……地球圏は間もなくきな臭くなる。出来れば月に上がっておいたほうがいいかもしれない』

 

「あら、ご心配なさってくださるの?」

 

『当然じゃないか。だって幼馴染だろう?』

 

 本当に、これほどまでに「恥知らず」だと笑えてさえも来るのだが、キルシーは舌打ち一つでさえも滲ませない。

 

「……私は大丈夫。ですが、同伴のクランスコール家の令嬢が熱を出しまして。明日の社交界には出られる見込みですが」

 

『そんな外面的な事を言っているんじゃない。単純に……危ないんだ。地球圏の明日の社交界、ともすれば予見されていた人々は参加を見送るかもしれない』

 

「それはどうして? 分からないですわ」

 

 ああ、分かり切っているとも。

 

 こんな「取り繕い」で騙せる程度の相手だ。

 

 恐らく重力圏に入る際に目にした防衛艦隊が関係しているのだろう。

 

 明確に何とは断言出来ないが、何かが起こりつつある。

 

 ガヴィリアはそれを懸念しているに過ぎない。

 

『……未確定情報だが、降下したのはアンノウン……。本当に、こちらまで情報が下りてこない。ここまでの厳命は恐らく初めて……いいや、三年前に一度だけあった。月軌道決戦だ』

 

「MFですか?」

 

『逸るものじゃない。まさか、そんな。MFが地球に降下したなんて冗談……』

 

 だがここまで引き出せたのは僥倖だろう。

 

 ガヴィリアは個人的な心象にせよ、他言出来ない理由にせよ、MFが地球降下を行った、ある程度の裏付けがあるのだ。

 

「……ですが、今日降りて明日とんぼ返り、とも行きません。社交界は予定通り、参加します。ローゼンシュタイン様はどうなさいますか?」

 

『……君の身の安全を考えれば参加する。……そのつもりだが、こちらもどうにも上手くいかない事ばかりでね。機密だが』

 

 この男は枕詞のように機密を使うのだな、と感じる。

 

『トライアウトジェネシス内部での叛意があった。言い方は適切でないかもしれないが、クーデターだよ。ジェネシスの一派がレジスタンス組織に寝返った。理由はまるで分からない。……私の同期や上司もその一部に加担している。こうして君と話しているような時間さえもないんだ、実はと言えば』

 

「では明日の参加は見直されたほうがよろしいのでは?」

 

『……いや、私は軍警察であるのと同時に君の騎士だ。だから君を守るよ』

 

 ここまで歯の浮いた台詞を言えるのも才能だな、とキルシーは考えてしまう。

 

「それは心強いですわ。だって、トライアウトのナイトなら、私の杞憂なんて消し去ってくださるでしょうし。まさか、MFが地球圏に降りているのに、私達のような要人が一同に会する場があるなんて」

 

『しっ。傍受されていれば事だ。……まぁとは言っても、一般回線をMFが傍受するなんて事は、あり得ないのだろうが……。しかし、タイミングが悪いと言うか何と言うのか……』

 

「リヴェンシュタイン家の家督を継がれる方が参加されるのだと小耳に挟みました。それも中止の方向で?」

 

『いや、リヴェンシュタイン家が参加するなんて恐らく二年に一回あるかないかだろう。何があっても、恐らくは参加するさ。そういう家系だ』

 

 通話先の「恥知らず」以上にプライドに糊塗された人物だという事か。

 

 キルシーは降り始めた雨音を聞いていた。

 

「でも、心配ですわ……。まさか社交界が中止ともなれば少しばかり慌ただしいでしょう? せっかく地球に降りてきましたのに……」

 

 しおらしさを演じてやると通話先のガヴィリアはここが好機とでも言うように口説き文句を発する。

 

『キルシー、約束しよう。何があっても、君を守る、いいや、護らせてくれ。だって君は、私にとっての――』

 

「あら、ごめんあそばせ。雨でノイズが入ったようですわ。……また明日、ローゼンシュタイン様」

 

 そこで通話を切ってやる。

 

 キルシーは窓に反射した自分自身でさえも、また彼らと同じく卑しい貴族なのだと思い知っていた。

 

「……それでも、私は行くしかないでしょう。ここから先に、何が待っていようとも。だって、ファムと約束したのよ。私は、キルシー・フロイトは、この世界に叛逆すると……だから……」

 

 端末を握り締める。

 

 これ以上の答えは、必要ないはずであった。

 

 



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第158話「簒奪者の彼ら」

 

「傍受した。これは軍警察の秘匿回線だ」

 

《ファーストヴィーナス》は大気圏突破以降、一定空域を浮遊しており、ザライアンはその真意を問い質していた。

 

「何故……すぐに地表に降りない?」

 

「降りればすぐに察知されてしまう。こちらの動きを先回りされるのは旨味がないから、相手から先に動かせる。戦闘の定石だ。出方を見せた側が負ける」

 

「それも……統合機構軍のエージェントとして、培ったもの、か」

 

「何か言いたげだな、ザライアン・リーブス。まさか私に腰が引けていたとでも?」

 

「いや……よく今日この日まで生き残ったものだと、感心したまでだよ。……僕は彼らの支援がなければ生き延びられなかった。木星師団の師団長としての責務、そしてこの次元宇宙での役割と居場所……。どれもこれも、彼らの功績だ。僕自身で手に入れたものなんて、一個もない……」

 

 そう、それが何よりも口惜しい。

 

 こうしてダーレットチルドレンの支援を打ち切った以上、自分達の後ろ盾は一切ない。

 

 統合機構軍――エンデュランス・フラクタルがしかし、ここまで嗅ぎ回っている以上、宇宙でも地球でも同じように追い回されるだけだ。

 

「……どこにも、居場所なんてない……なくなってしまった」

 

「何か誤解をしているとすればそれもだろうが、ザライアン・リーブス。我々は最初から、この次元宇宙においては手枷足枷を付けられているも同義だ。それでも、燃え尽きる最後の一瞬まで、自由を講じるか、それとも支配に甘んじるかだけの違い。私は支配に甘んじ、奴隷と成るのは御免であった。だから統合機構軍で探りを入れ、そしてこの日を待ちわびていた。……もっとも、君達はもっと上手く立ち回るのだと想定してたけれどね。MFの運用も、秘密の確保も。どれもこれも、我々の驕りと、そしてこの次元宇宙の猿共の傲岸不遜さが招いた結果だ」

 

 キュクロプスは許しはしない。

 

 だが激情に任せて行動するような愚行は冒さない。

 

 彼女は一線を保っている。

 

 この期に及んで、一手でもまかり間違えれば自分達はこの次元宇宙の人類への敵と成るであろう。

 

 いや、もっと前から、彼らにしてみれば敵以外の何者でもないか。

 

「……僕は、貢献してきたつもりだった。そうすれば罪は赦されるのだと、そうなのだと信じ込んで。だが、その挙句がこれだ。次元宇宙の約定なんて守られなかった。ダーレットチルドレンは何を考えている? 彼らは何をしたい?」

 

「……知りたいの? それを」

 

 まるで知ってどうすると突きつけるかのような論調。

 

「……知らなくっちゃいけない。だって、そうじゃなくっては何のためのこの力なんだ。僕達はそれぞれの次元宇宙で、故郷の地で英雄の働きをした者達、これに関しては間違いないはずだ」

 

「そうだね。私達は英雄であった。間違いなく、この次元宇宙に来るべくして来た――来英歴を救うために訪れたはずの英雄。しかし、実際に訪れてみれば、何故、この宇宙は私達を拒むのだろうか。最初に……“夏への扉事変”と呼ばれたあの大戦で、世界の敵意が私達に降り注いだ。あれで何千人殺した? 私達は稀代の虐殺者だ。だが、それでもこの次元宇宙は迎え入れると、そう言って、私達を利用した。許されざる罪があるとすれば、奴らだ。純正殺戮人類の猿共め……!」

 

「だが、落ち着いて考えてみれば、ダーレットチルドレンだけが、あの時僕達に接触出来た。この理由を知らなければいけない。何故……彼らは偽りにせよ、この世界で最も優れた知性体を気取れたのか……その謎を氷解しない限り、僕らは永劫、囚われたままだ」

 

「……確かに。その前に、だね」

 

 振り返ったキュクロプスがその赤い隻眼で睨んだのは今も倒れ伏しているヴィヴィーにであった。

 

 歩み寄るなりその腹腔を蹴りつける。

 

「何を!」

 

「動けるはずでしょう、そろそろ。それとも、それほどまでに壊された? いや、《ネクストデネブ》を利用したい連中の腹を考えれば、殺し尽くしはしないはず。それとも、もう反抗の気概さえもない?」

 

 挑発的なその問いかけにヴィヴィーはここに来て初めて、掠れた喉を震わせていた。

 

「……知った風な口で、偉そうに……」

 

「知った風な、ではなく知っていると訂正して欲しいね。私達は次元同一個体。それぞれの苦しみはいずれ互いに知る事になる。それとも、教えてくれないか? 君はMF02への思考拡張を奪われたにしては、あまりにも大人しい。それとも、理由があるのかな? 《ネクストデネブ》はもう、君の物ではない、とでも」

 

 キッと睨み上げたヴィヴィーの眼差しに宿ったのは純度百パーセントの殺意。

 

 身を焦がしかねない憤怒の赤い瞳が射る光を灯す。

 

 ザライアンは当惑していたが、そう言えば、と思い返す。

 

「……《ネクストデネブ》は三年前より、拘束されている。拘束したのが……エンデュランス・フラクタルだとすれば……その術が通じている……叡智が届いている事になる。それは、だっておかしい……」

 

「何故かな? その理由を聞こう」

 

「だって……僕はMF04……《フォースベガ》の叡智を届けてきたが、僕達は互いに知っている。それぞれの次元宇宙での技術特異点は、同一とは限らないのだと。せいぜい思考拡張、有機伝導体操作技術、空間転移……共通なのはその程度だ。それ以外は互いに不可侵のはず。だって言うのに……この次元宇宙の人類は《ネクストデネブ》に届いた……」

 

「それで? 何が気づいたと言うのかな?」

 

 キュクロプスは分かっている。分かっていて自分に答えを保留しているのだ。

 

 ザライアンは決意して声にしていた。

 

「……誰かが裏切っている。誰かが……僕ら四人の中の誰かが、この次元宇宙の人間と繋がっている。そうだとしか思えない。そうでなければMFの拘束なんて不可能のはずだ」

 

「……なるほど。言わんとしている事は分かるが、そうだとすれば私達が同じ空間に居る事は当初の危険性よりもなお色濃いリスクがある事になる。私達それぞれがMF相当の戦力を呼び出せるだけじゃない。次元同一個体のリスク……ドッペルゲンガーと呼称される事象の起点となる可能性……さらにそれに加えて裏切り者の可能性まで加味してしまえば、私達が呑気に喋っているような時間さえもないだろう」

 

「ああ、そうだが……これは棄却すべきだろう」

 

 こちらの物言いに緊迫した空気が一瞬だけ解けていた。

 

「それは何故?」

 

「そう言い出したら……僕達は互いに争い合う。この次元宇宙の人々の思うつぼだ」

 

 ザライアンは生物的な意匠を誇るコックピットの中で座り込む。それに関してはキュクロプスも同意のようであった。

 

 いや、そもそも今の一瞬、自分を試したのもあるだろう。

 

 彼女は統合機構軍に長い間、身を隠していた。

 

 それはつまり、この次元宇宙の人間を試す時間だけは有り余っていたはずだ。

 

 キュクロプスには彼女なりの理念と、そして経験則があると思っていいだろう。

 

 それも自分達のように――ダーレットチルドレンに与えられた身分ではない、彼女が勝ち取った身分だ。

 

 キュクロプスは自分を一拍だけ見据えた後、ふぅん、と感心する。

 

「馬鹿ではなさそうだね。かと言って賢明かと言えばそうでもない。私達、次元同一個体同士が争えば、それだけ不利益になると、でも教えたのはダーレットチルドレン。彼らの想定内に全ては収まっている」

 

「だがそれは……この現状は相応しくないはずだ。彼らは僕達が行方知らずになる事を恐れているはず」

 

「だと言うのに、統合機構軍はその恐れを踏み越えて、ダーレットチルドレンの思惑を超えようとした。何故だと思う?」

 

 問答に、ザライアンは目線を逸らしていた。

 

「それは多分……もう僕達MFの扱い手は、それほど重要ではなくなった……という事ではないかと思う。あるいはこうも考えられる。統合機構軍からしてみれば、もっと相応しい乗り手が見つかった、とも」

 

「六十点。その見方も当たっているけれど、案外、この次元宇宙の猿共は未だにMFを恐れている。それでも、拮抗するだけの戦力を揃えるに値した」

 

「拮抗する戦力……?」

 

 モニターの一角に映し出されたのは灰色のMS部隊であった。

 

 各地を蹂躙し、人々の命を容赦なく奪っていく能面の機体。

 

「……第五の聖獣、《フィフスエレメント》よりもたらされた叡智。それがこの次元宇宙の猿共に、下手な知恵を与えてしまった。それこそが、《ガンダムレヴォル》の量産化。《ネクロレヴォル》とも、騎屍兵とも呼称されるこのMSは物量戦に秀でている。今は先行量産機だけだけれど、これがこの先、安定生産に入れば、MFの脅威は晴れると、そう考えている連中が少なからず居る」

 

「だが、馬鹿な……。この次元宇宙のための《ガンダムレヴォル》は……だって《フィフスエレメント》だけのはずだ。量産化計画なんて僕の居た次元宇宙だって着手出来ずにいた」

 

「そう、本来ならばMFはワンオフ。量産化も、その叡智の分散も、どれもこれも難しい。いいえ、不可能と断言したっていい。それでも、猿共は驕りたかぶり、その結果としてもたらしたのは死者の技術であった。この《ネクロレヴォル》に乗っているRM達は戸籍上、全て死人となっている。言ってしまえば、人体実験を、ほとんどノーリスクで行う事が出来る。エンデュランス・フラクタルもよくやったもの。いいや、統合機構軍全体が、だけれど。彼らは禁忌の扉を開きつつある。その途上で、MFの技術流用が出来れば《ネクロレヴォル》の絶対性は安泰となるだろうから」

 

「だから、僕達を襲った。……全ては第五の聖獣の量産化のために? ……どこまでも……この次元宇宙はまかり間違う……」

 

 顔を手で覆ってザライアンは、ああ、と声にする。

 

 どうしてそんな事を考え付いてしまうのだろう。

 

 思い浮かんでも実行しなければ、まだ許されるのに。この宇宙の人類は、どこまで禁断の果実に手を伸ばせば気が済むのか。

 

「だからこそ、私は潮時だとも感じていた。それは何も、《ネクロレヴォル》の台頭だけじゃない。これを」

 

 モニターが移り変わり、克明に映し出されたのは不格好な特殊武装を持つ機体であった。

 

「……これは……《オリジナルレヴォル》、なのか……」

 

「《オリジナルレヴォル》に似通っているけれど、違う。これは新開発されたMS、《ダーレッドガンダム》。……皮肉な事に、ガンダムの名を冠するなんて、ね。そしてこの機体の持つ右腕の兵装はベテルギウスアーム――第七の聖獣が眠っているとされている」

 

 ザライアンは絶句する。ヴィヴィーもさすがにその情報には驚嘆しているようであった。

 

「第七の、聖獣……? だがそれは……」

 

「そう、あり得ない。何故なら私達が関知出来ないはずがないから」

 

「そう、その通りだ……。僕達は良くも悪くも繋がっている。だから、聖獣の出現があれば、何らかの形で気付けるはず……! 事実、《フィフスエレメント》襲来の際には、僕ら全員が分かっていて、あれに沈黙した。この次元宇宙の人々が、手に入れるべきガンダムだと思ったからだ。それにはダーレットチルドレンとの約定も働いていた。……だが、七番目だって? それはおかしい。イレギュラーだ」

 

「私達の誰も気付けない七番目の使者、《セブンスベテルギウス》。それがどういう意味を持つのか、少しだけ話し合いがしたいな。ヴィヴィー・スゥ。そちらは気付いていたのか?」

 

 ヴィヴィーは地に伏せたまま、いいや、と応じる。

 

「気付けなかった……。私は三年前の空間転移の際、ほとんどの能力を封殺されエンデュランス・フラクタルに軟禁されていた……」

 

「とすれば、残ったのは私と、そしてザライアン・リーブス。最初に手札は晒しておく。私は気付いていなかった。思考拡張で呼び合うはずの七番目の使者に、どうしてなのだかまるで勘付けなかった」

 

「……なら、この映像は何だ? 分かっているからこういう映像が撮れたんだろう?」

 

「私が《ダーレッドガンダム》の存在を知ったのは、エージェントとしてエンデュランス・フラクタルに潜り込んでいたからだ。コロニー、セブンワンにて秘匿事項として情報集積艦、オフィーリアと共に封印されていた。私は襲いかかってくるレジスタンス組織から《ダーレッドガンダム》とオフィーリアを守れと言う命令をもたらされ、その時にようやく、新型機が開発されているのだと知ったくらいさ」

 

 嘘を言っているにしてはあまりにも明け透けだ。ザライアンは一拍の逡巡を挟んだ後に、自身の感想を述べていた。

 

「……僕は月軌道にて、アルチーナの護衛に当たっていた。それが任務とは言わないが、アルチーナ艦のクルー達とは個人的な繋がりもあった。彼らは僕が次元の来訪者だと知っても、一人の人間として……接してくれていた。くれていたのに……」

 

 悔恨が滲む。

 

 守れなかった、守り切れなかった。

 

《フォースベガ》ほどの叡智があったとしても。あれほどの力を持ちながら今は撤退に甘んじている事が、何よりも屈辱だ。

 

「……となれば、三番目の使者に関しても、になるが、あれは私がこの次元宇宙に現れた際にはもう出現していた。《サードアルタイル》。三番目を冠するにしては、あまりにも秘密主義が過ぎる」

 

「会った事はないのか? ……と言う問いも無駄か。だって、僕らはこの二十年間、出会えば死だと思い込んでいた。だから接触は控えていたのに……」

 

「《サードアルタイル》のパイロットに関して、少しばかり興味深いデータはある。三年前、月軌道艦隊と一時的に交戦状態に入った《サードアルタイル》を止めたのは、万華鏡、ジオ・クランスコールであった、と言うログだ」

 

《ファーストヴィーナス》はまるで万能のようにその時の映像記録でさえも保持していた。

 

「……僕が一番近かったな、その時は」

 

「何か気付いた事は?」

 

「……いいや。正直言えば、ジオ・クランスコールに関しても話せる事はない。彼も秘密主義だ。それに、データを反証しようにも、王族親衛隊と呼ばれる身分のせいでまるで掴めない」

 

「MS、《ラクリモサ》の圧倒的性能。それくらいか、今分かるのは。ジオ・クランスコールはその実力で《サードアルタイル》の攻撃を止めてみせた。……だがここで奇妙なのは、《サードアルタイル》のパイロットが居たにしては、動きが散漫であった事だろう。パーティクルビットによる艦隊への波状攻撃。思考拡張を行ってみたものの、この時、パイロットが搭乗しているような感覚はなかった」

 

「……何か疑う余地でも?」

 

「私はこれが、遠隔による操縦であったのではないかと睨んでいる」

 

 ザライアンは自身の腕に刻まれたモールド痕に視線を落とす。

 

「……この次元宇宙の技術なら不可能ではない、が……不可解ではある。それほどの距離で離れていれば、思考拡張を読まれるはずだ。誰もそれを傍受出来なかったのはおかしいだろう」

 

「そう、そのはず。だと言うのに、今日に至るまで《サードアルタイル》のパイロットが誰なのかは分からないまま……。これはある意味では、命題なのではないかと考えている」

 

「命題……」

 

「MF、《サードアルタイル》。最初に次元宇宙に訪れたにしては、秘密が多い。ともすれば、これはダーレットチルドレンの、弱点に当たるのではないか、と」

 

「《サードアルタイル》を彼らが動かした、と見ているのか?」

 

「そう考えれば不可能ではない、が、不可解が残る。何故、万華鏡に応戦させたのか」

 

「それが最も自然だったからじゃ……」

 

「思い出して欲しい。そもそも月軌道艦隊にはそちらも居たはずだ。これは約定に反する」

 

 そう言えば、自分はあの当時、木星船団の師団長としてアルチーナに迎えられていた。

 

 あのまま何の抵抗もしなければ自分も死んでいた可能性だってある。

 

「……ダーレットチルドレンからしてみても、制御不能だった?」

 

「だがそう考えれば、何故、我々の前に一度として姿を見せないのか。不可解が残ってしまう。《サードアルタイル》の主は、ダーレットチルドレンの命令に逆らえないのか」

 

「いや、待って……待って欲しい。《サードアルタイル》のパイロットがダーレットチルドレンに逆らえないとして……月軌道艦隊を襲った理由にはならない上に、それは……」

 

「約定破り……。彼らが決めたルールを彼ら自身が破った事になる。……それでは、あまりに不自然だ」

 

 ここに来て頭打ちか、と感じていたザライアンはヴィヴィーの掠れた声を聞いていた。

 

「……あの戦闘艦……同じものを感じた」

 

「戦闘艦? アルチーナ級か?」

 

「違う……。私が……私をここまでコケにした、あの男……タジマ……ッ! あの男が居た戦闘艦だ……。確か名前は……ベアトリーチェ……!」

 

 憤怒に沈んだ声音のヴィヴィーは赤い瞳をぎらつかせる。

 

 殺意を隠すつもりもないらしい。

 

「ベアトリーチェ……。つい最近までレジスタンス組織の温床だった艦だと言う情報がある。……《オリジナルレヴォル》を、三年前に収容していた情報集積艦だ」

 

「《オリジナルレヴォル》を……? という事は、ダーレットチルドレンの思惑通りに……?」

 

「いや、その逆と言ってもいい。ダーレットチルドレンは幾度となく、《フィフスエレメント》を確保しようとして失敗している。その結果が、これだ」

 

 映像の中では月軌道決戦時に現れた超巨大兵装――呼称、《フルアーマーレヴォル》が《シクススプロキオン》との戦闘に入っていた。

 

「……聖獣討伐作戦……」

 

「あの時、六番目の使者を殺した、遠大なる自分殺しの咎を持つ存在。それこそが、三年前までダーレットチルドレンに反旗を翻し、彼らの思惑通りに行かないように戦い抜いてきた人間……即ち、この次元宇宙の我々と等しい、次元同一個体であると見られる。実際、彼は生き永らえていた。《ダーレッドガンダム》に乗ったのは彼だ。――エージェント、クラード」

 

 その名前がまるで因縁めいて全員の胸の中に沈んでくる。

 

「クラード、その名前か……。エンデュランス・フラクタルは分かっていて、そんな真似を?」

 

「そこまでは掴めなかったが、三年前の決戦時に、彼は死んだと目されていたらしい。しかしながら、生き永らえ、そしてセブンワンにて七番目の使者を手に入れた。これは脅威判定としてはかなり高い。クラードの名を持つ存在が、聖獣と共に在る。それだけでも、我々にしてみれば討伐対象だ」

 

「……確かに。僕らもまた、そうであるのだと……説いても無駄だろうけれどね。だって、僕らでさえ二十年近くかかったんだ。戦場の一瞬で理解出来るとは思えない」

 

「我々の目的は、《セブンスベテルギウス》より、エージェント、クラードを排除する事。そしてもう一つ。約定を守るつもりなど毛頭なかったこの世界への叛逆……まずは先ほど傍受した連中に、思い知らせる」

 

「何だって言うんだ」

 

「連邦高官や貴族共が集まる社交界がある。そこに《ファーストヴィーナス》で襲撃。皆殺しにする」

 

 ザライアンは息を呑んでいた。

 

 キュクロプスの相貌にはしかし、何一つたじろいだ様子もない。

 

「……本気……なのか。そんな事をすれば……」

 

「MFは人類の天敵。そう思っているのが猿共なら、事実にすればいい。これまで月軌道で防衛戦だけを繰り広げてきた私達の、持ち得る全ての叛逆を。少し人類の頭数を減らすだけだ。私達のこれまでの苦難に比べればなんて事はないよ」

 

 だがそれは。

 

 この次元宇宙そのものを敵に回す。

 

「もう一度、何とか協定を結べないだろうか? だってダーレットチルドレンだって、僕らの叛意は想定外のはずだ」

 

「だがそれを破ったのは彼らのほうであり、そしてこの次元宇宙の猿共の浅知恵だ。ダーレットチルドレンには後で思い知らせる。その前段階として、猿共の中でも特権層に値する者達に、天罰を下す」

 

 天罰。

 

 しかし、そのような事、まかり間違っても同じ人間が言っていいはずがないのだ。

 

 ザライアンは拳を骨が浮くほどに握り締めて問いかける。

 

「どうにか……ならないのか……?」

 

「もう、ならない。《ファーストヴィーナス》の技術でもいずれは見つかる。その時に、名誉ある行動を取れるか取れないかだけだ。なら、私は……自身の次元宇宙において英雄であったのなら、英雄として戦いたい。これまで約定一つで停戦を守ってきた私達に出来る抵抗はそれくらいなものだ。ダーレットチルドレン達はそこでようやく、交渉材料を思い至る事だろう。私達に優位な交渉はその後でいい」

 

 キュクロプスはもう決意した瞳を投げている。

 

 ザライアンは何か、自分の意見を言おうとして何一つとして言葉が浮かばなかった。

 

 これまで、アルチーナのクルー達と、ある意味ではぬるま湯のような関係を築いてきた。

 

 この次元宇宙の人間達も捨てたものではないのだと。

 

 同じ人類なら分かり合える道がきっとあるはずだと、そう模索していた自分へと突きつけられたのは何物でもない、ただの敵意であった。

 

「……確かに統合機構軍を、エンデュランス・フラクタルの者達は禁を破った。だからと言って無関係な人間達まで殺せば、禍根を残すぞ」

 

「今さら何を言っている。月軌道に迫って来た人間を、無条件で殺してもいいと、そういう約定であったのではないか。その身の憤怒に任せ、殺し尽くしたのはもう逃れようのない事実」

 

「だがそれは……僕達の故郷を守るための……」

 

「向こうの連中はそう思っちゃくれないとも。私達にどんな理由があろうが、どんな事情があろうが、ただ闇雲にダレトを護るために人殺しを容認した稀代の殺戮者だ。なら、殺戮するのならば自分の意思で、相手くらいは選びたいだろう? ……私に決定権がある。反対でもするのなら、ここで戦うか? 思考拡張の外では、MFを呼べまい」

 

 歯噛みするがその通り。

 

 地球の重力圏まで降りて来た時点で、MFを呼べる関知野は消え去っている。

 

 ヴィヴィーならば可能性はあったが、彼女は抵抗するような気概はないらしい。

 

「……本当に、やるのか。もう……戻れないぞ」

 

「戻る? 何を言っている。ちゃんちゃらおかしいな、ザライアン・リーブス。退路なんて望んでいるのか?」

 

 ああ、そうだとも。

 

 退路なんて、もう断たれた。

 

 そうしたのは、この次元宇宙の人類たちの功罪だ。

 

 止められない。否、止める術は永劫に失われた。

 

「……一つ、聞きたい。連邦高官や貴族達を殺せば、この間違いは正せるのか?」

 

「正せないだろうな。猿共の一山辺りを殺した程度では、何も変わるまい。だからこそ、そのきっかけになればいい。なに、奴らは向かってくるさ。命なんて頓着もせず、私達のMFへと。叡智なんて届かないのに。まったく、羽虫の智慧と言うものだ」

 

 せせら笑うキュクロプスの眼差しに浮かんだのは間違えようのない敵意。

 

 ザライアンは、事ここに至って感じ取る。

 

 ――もう、戻れない。退路は一つでさえもないのだ。

 

「……でもだからって、人類だろうに」

 

「猿共だ。同じ知恵を期待するだけ、無駄さ」

 

 そう言ったきり、キュクロプスは《ファーストヴィーナス》の航行制御へと戻っていく。

 

 その背中に、呼び止められるだけの言葉は、一つもなかった。

 

 



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第159話「闘争の具現」

 

『《ダーレッドガンダム》は特殊兵装を使った! 整備はしっかりしておけよ!』

 

 サルトルの声が流れる中でクラードは装甲服の内側で何度か手を握り締める。

 

 何かを、取りこぼしたような感覚。

 

 そして――致命的な何かを、実行に移してしまったような過ちの感覚。

 

「……俺、は……」

 

『クラード。《ダーレッドガンダム》に損耗はあるんだ。今はサルトルさん達に任せておくといい。……お前も疲れてんだよ。一回その鎧じみたパイロットスーツを解けばいい。そうすりゃ、ちょっとはマシになるさ』

 

 アルベルトの軽口も、今は素直に同意する気にもなれない。

 

「……いや、そもそも……ハイデガーは……」

 

『だから、そいつは誰なんだって。知らない名前を言われるのはこっちだって気分がよくないぜ?』

 

 知らない名前。

 

 そんなはずがないのに。

 

 つい先刻まで戦っていた相手の頭目の名前を、どうしてなのだか全員が見失っている。

 

 その状況が何よりも――気分が悪い。

 

 コックピットブロックが開放され、クラードは首筋の排出ボタンを押し込んでいた。

 

 インナー姿になった自分へとサルトルが白衣を届けてくれる。

 

『おい、クラード。随分とやつれて……何があった?』

 

「いや……サルトル。知っているはずだな? ハイデガーと言う男の事を……」

 

『ハイデガー……? そんな名前の乗員が居たか? いつの話だ、それは』

 

 サルトルほどの人間が忘れているはずがない。

 

 クラードは眩暈じみたものを覚えて白衣を纏って身を翻す。

 

「いや……何でもない。俺も……どうかしてしまっているのかもしれない」

 

『戦い詰めだからな。お前も思い込んじまっているんだろう。おれ達はチームだ。何か禍根があるのなら、共有してくれればいい』

 

 だが共有しようにも、彼らは憶えてすらいないのだ。

 

 記憶の残滓から漏れ出た禁術に、クラードは痛みを抱える。

 

 視線を向けたのは、その禁術を手繰ったと思しき、《ダーレッドガンダム》。

 

 その鋭角的な眼差しが射る光を灯し、自分へと問いかける。

 

 果たして――それを解きほぐす事が出来るのか。

 

 そのような資格があるのか、でさえ。

 

「……一度休憩したい。敵影は?」

 

『今のところは大人しいもんだ。仕掛けてきたくせに、腰が引けてやがる。何かあったのは間違いないんだが、何なんだろうな』

 

 その大元が自分の排除したハイデガーの欠如であるのは疑いようもないのに、何故、誰も彼も憶えていないのか。

 

 彼の憤怒を。

 

 彼の叛意を。

 

 誰一人として記憶してさえもいない。

 

 まるでこの世から意図的に排除されたかのように。

 

 エアロックを潜ろうとした自分と鉢合わせしたのはカトリナであった。

 

「……あんた」

 

「あ、あの……っ。クラードさん……」

 

「後にしてくれ。俺は……ちょっと疲れているのかも――」

 

「ハイデガーさんの事……何で、誰も……憶えていないんですか……?」

 

 その問いかけにクラードは眼を見開く。

 

 彼女は肩を縮こまらせて、その違和感に頭を振る。

 

「何か……クラードさんも、憶えていないんですか? 何があったって……」

 

「あんた……奴の事を憶えているのか?」

 

「クラードさ――」

 

 途端、クラードはカトリナの肩を抑え込んでいた。

 

 力任せに揺さぶり、答えを聞き出そうとする。

 

「言え! 何が起こった! 何故……誰も彼もハイデガーの事を憶えていない!」

 

「痛っ……痛いですっ! クラードさんっ!」

 

「おい! クラード、何やってんだ!」

 

 割って入ったアルベルトに殴りかかられ、クラードは後ずさる。

 

「お前……カトリナさんに何してんだ! 今はそんな場合じゃねぇだろ!」

 

「いや……違う……。俺、は……」

 

 何度も咳き込むカトリナを慮るアルベルトに、彼女は問いかける。

 

「アルベルトさんは……? アルベルトさんは、憶えていますよね? ミハエル・ハイデガー少尉の事……っ! 何度も私達を支援してくれて……!」

 

「……あんたも何言ってんだ! ……何かおかしくなっちまったのか? ミハエル・ハイデガーなんて奴、聞いた事もねぇよ。クラードもカトリナさんも、どうかしちまったのか?」

 

 違う、とクラードは感じ取る。

 

 異物は自分とカトリナの、たった二人だけなのだ。

 

 自分達以外は、誰も憶えてはしない。

 

 戦っていた相手でさえも、一瞬のうちに世界の記憶から爪弾きにした、忌むべき火薬庫――それが、《ダーレッドガンダム》。

 

 今になって震えが生じてくる。

 

 あの時は、ああするしかないのだと判断出来た。

 

 だが、実行してみれば何と恐ろしい事だろう。

 

「……《ダーレッドガンダム》には……人を消し去るような力があるって言うのか……。記憶からでさえも……」

 

「クラード? やっぱ、お前、疲れてんだよ。一度休めって。カトリナさんも、そうっすよ。張り詰めっ放しじゃないですか。きっと一時の幻覚でも見たんですよ。そうじゃなくっちゃ、説明も出来ないでしょう」

 

 アルベルトは本心から、自分達を心配しているのは分かる。

 

 分かるのだが――今はその不和さえも。

 

「……アルベルト。俺はとんでもない、間違いを犯したのかもしれない……」

 

「クラード? 何言って……」

 

 問い質される前にオフィーリアの艦内を抜けていく。

 

「お、おい! クラード!」

 

 誰にも追いついて欲しくなかった。

 

 だから無茶苦茶に、行く当てさえもなく駆け抜ける。

 

 今までだって、人殺しを容認した事はあった。

 

 だがそれは、この世から完全に抹消するのとはわけが違う。

 

 敵に感情移入するなと、何度も教え込まれてきた。

 

 しかしこれは、感情移入などと言う生易しいものではない。

 

 自分の行動一つで、この世に存在した証明を過去未来、全てから消し去れるなど、それはまさに――。

 

「神そのものじゃないか、そんな力……」

 

 クラードはライドマトリクサーの右腕を白衣からさらけ出す。手持ちのナイフを逆手に握り締め、そのまま振り下ろそうとしたのを声が遮っていた。

 

「待って! クラードさんっ! 駄目ですっ!」

 

「……カトリナ……シンジョウ……」

 

「待ってくだ……さいっ……。さっきはびっくりしちゃって……」

 

「何で俺に付き纏う……」

 

「それはぁ、っ……。私があなたの、委任担当官だからで――」

 

「人一人完全に消し去るだけの力を持っていても、か」

 

 問い質した声音に戦慄くカトリナを目の当たりにして、ようやく納得が出来た。

 

「……本当なんだな? 俺は本当に……ハイデガーを消し去ったんだな?」

 

「……そう……みたいなんですね。私にも、その、確証がなくって……」

 

 目線を伏せたカトリナにクラードは問うていた。

 

「……何故、俺とあんただけが憶えている」

 

「それは……分かんないですけれど……」

 

「敵軍勢でさえも憶えていない。自分達が仕掛けた理由でさえも分からず、茫然としている。だからこそ、制しやすかったのもあるが、そんな事はあり得るのか? ……一人の人間の過去未来を、完全に抹消するなんて……」

 

 クラードは自身の掌に視線を落とす。

 

 そのような事がまかり通るとすれば、《ダーレッドガンダム》に搭載されている力は果てしない。

 

 翻ってみればその真髄は時間というものへの干渉だろう。

 

 ハイデガーが存在したと言う時間線を消し去り、別の時間線へと移送させた。

 

「……人類そのものの記憶への改ざん……。それほどの力を、持っているMSなんて……」

 

「で、でもっ、クラードさんっ! 私は……憶えています……。何で……」

 

「何かが俺とあんたの間で引き起こされた。もう一度、問うぞ。ミハエル・ハイデガーを、憶えているか?」

 

「あ、はい……。ハイデガーさんは、レジスタンス組織の旗揚げの当初から、何度も支援してくださって……。でも、まさか、私達を恨んでいたなんて……思いもしなかったですし……」

 

「そこまでは、俺の記憶と違いはないらしいな。つまり、この世界において、俺とあんただけが記憶干渉から逃れている」

 

「でもそれって……どういう事なんでしょう。クラードさんは……乗っていたからかもしれませんけれど、何で私まで……」

 

「分からない。分からないが、他者に吹聴するものでもない。これは……整備班にも言わないほうがいいだろうな」

 

「で、でもそんなの……っ! クラードさんだけで抱えるなんて……っ!」

 

「無用な混乱を巻き起こしたくない。それに、ようやくトライアウトジェネシスとの渡りが付いてきたところだ。奴らに疑念をもたらす上に、それほどまでの超常兵器……鹵獲を狙われないとも限らない」

 

「……これまで以上に、エンデュランス・フラクタルから狙われるって事ですか……」

 

「あるいは狙いたい連中はエンデュランス・フラクタルだけで留まるかどうかも不明だ。《ダーレッドガンダム》の力は未知数に近い。……俺が秘密を抱える。あんたは、おかしな事があっても、誰にも言わない事だ。それが己を守る事に繋がる」

 

「で、でもですよ……? もし……そんな力があるって誰かにバレちゃったら……」

 

 カトリナの懸念にクラードは今しがた貫こうとしていた右手を握り締めていた。

 

「その時こそ……俺は叛逆しなければいけない。この世界への……本当の意味での叛逆を。それだけが、俺に許された権利だ。この力は――世界を破壊する。神にも悪魔にも成り得る力に違いないのだからな」

 

《ダーレッドガンダム》の真価はきっとこんなものではない。

 

 今は、一個人を消し去っただけだが、これがもし、政府要人や決定的な人物を消し去る事態に陥れば、それは比ではない。

 

 世界を変容させる機体の力はこれまでの常識を軽く塗り替える事だろう。

 

 果たしてその時、自分は耐えられるのだろうか。

 

 否、耐えなければいけない。それが力を振るうという意味のはずなのだから。

 

「クラードさん……。でも、そんな傷、クラードさんだけで背負うなんて……重過ぎますよ。そのっ……私にも背負わせてください。だって、それがきっと……世界に叛逆するって言う、意味なんだと思いますから……」

 

「叛逆の意味、か……。いずれにせよ、記憶改ざん……いいや、歴史改変に関しては大っぴらにしないほうがいい。どこで誰が聞いているのか分からないんだからな」

 

「……それは、誰も信じられないって事ですか……」

 

「翻ればそういう意味にもなる。俺は……この破壊の力を飼い慣らさなければいけない。そうでなければ、ただ単に呑まれるだけだ。俺は現実を前にして逃げ口上を並べ立てたくはない」

 

「で、でも……っ」

 

「カトリナ・シンジョウ。あんたは委任担当官だ。だからこそ、逃げずに告げる。俺はこれより――世界を相手取る事になるだろう。それも、戦い抜いている事でさえ誰にも関知されない、世界との闘争だ」

 

「世界との……闘争……」

 

 茫然とするカトリナにクラードは身を翻す。

 

「俺は俺の信じるもののために、戦う」

 

 



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第160話「鏡像殺し、再来」

 

「もういいって聞きました」

 

 病室を訪れたシャルティアに対し、身を起こしたユキノは首肯していた。

 

「うん、心配かけちゃったわね……」

 

「その……色々あったみたいです。あの騎屍兵の鹵獲から先……よく分かんない事ばっかりで……」

 

「さっきヴィルヘルム先生から聞いたけれど、レジスタンス勢力がこっちに集合してきたんだって? それはカトリナさんが?」

 

「いえ……何だかシンジョウ先輩もちょっと……おかしいって言うか」

 

「おかしい、か。カトリナさんはでも、一生懸命でしょう?」

 

「それはそう……! ですけれど……そうじゃないって言うか……。シンジョウ先輩、クラードさんと、何かあったみたいで……」

 

「まぁ、カトリナさんはクラードさんの専属窓だから、私達には関知できないものがあったっておかしくはないわね」

 

 シャルティアはぎゅっと書類の束を抱き留める。

 

「……それでも、信用ないんですかね、私……。シンジョウ先輩の直属の後輩で、委任担当官なのに……」

 

「たとえ身分が同じであったとしても、分け合う痛みは違うはずでしょう。……ま、私に言えた義理じゃないけれど。小隊長にいつまで経っても遠慮している身じゃ、ね」

 

「そんな……! ユキノさんはしっかりやっていますよ! 私、このオフィーリアの大人でもユキノさんほどちゃんとした人って居ないと思っているんですから……」

 

「ちゃんとした大人は考えるよりも先に身体が動いたりしないって」

 

 それは、と口ごもるシャルティアにユキノは微笑みかける。

 

「なんてね。私も大人じゃなかったってだけの話なのよ。それに、クラードさんも小隊長も私なんかじゃ及びもつかないレベルでの戦いを行っているはず。もっと強く……ならないとね……」

 

 拳をぎゅっと握り締めたユキノはシャルティアの報告の声を聞いていた。

 

「……現状、レジスタンス組織の艦隊は目立ちすぎるとの事でして……。何だって急に集まってなんか来たのかは不明なままなんですが、それでもフロイト艦長の方針として少しでも戦力があるのなら利用したいとの事でして」

 

「一手でも先に行けるのなら……か。レミア艦長らしいわね」

 

「ですが、ほとんどが旧型配置の《アイギス》です。中には《エクエス》や《マギア》のような旧式機も採用していますし……。それにトライアウトジェネシスとの密約上、このコロニー、ルーベンにおける作戦行動は慎重を期す必要があるのですが、軍警察からしてみれば統合機構軍の新鋭艦、すぐにでも出航するように、とのお達しが来ています」

 

「世知辛いわね。表向きはレジスタンスとの渡りなんて付けたとは言いたくないし、誰かに勘繰られたくもない。こうなった以上、清濁併せ呑むのにしてはあまりにも苦味が先走る……。ダビデ中尉は?」

 

「あの人の考えも似たようなものらしいです。レジスタンス組織を抱き込むのは半分は賛成ですが、こうして裏港に集まっていると格好の的だと」

 

「……艦隊勢力を率いようにも、今のままじゃ隊列としても甘い……。こういう時、レジスタンスと軍警察はまるで水と油。どれだけ共闘の道が拓けたと言っても、やっぱり基本的なところでは拒む、か。それは感情面でもそうでしょうし」

 

「レジスタンスの方々は、何故、シンジョウ先輩が軍警察と組んでいるのかと勘繰っている者も居る様子です。このままでは、軋轢は酷くなる一方かと……」

 

「レジスタンスとして戦うのか、本戦力として戦うのか……。どっちつかずは嫌われるわね。……って言ったって、私には決定権はないのに、何でシャルティア委任担当官殿は相談を?」

 

 問い返すとシャルティアはもじもじとする。

 

「……ユキノさんの意見が聞きたいんです。今のままじゃ、トライアウトネメシスから来た方々に、ジェネシスの方々のほうが決定権もある。こんなの……マトモじゃないですよ。だから、ベアトリーチェで三年間戦ってきたユキノさんの意見が欲しいんです」

 

「私の意見なんて所詮は兵士の一意見よ。あてにはならないと思うけれど?」

 

「そ、それでも……今のシンジョウ先輩とか、アルベルトさんに聞くよりかは、その……」

 

 ごにょごにょと決断を引き延ばすシャルティアにユキノは嘆息をついていた。

 

「……要は、今の委任担当官からしてみれば、私はマトモに見えるって奴か」

 

「情けない話なのは分かっています。でも、それでもユキノさんなら……だってシンジョウ先輩を身を挺して守ったじゃないですか! だったら素直に尊敬のはずなんです!」

 

「兵士なんて尊敬したってしょうがないと思うけれど、でもそうね……。今の一意見として所感を述べるんなら……レジスタンスは覚悟を決めるべきだと思っている」

 

「それは……正規軍に降れって言う……」

 

「誤解しないで欲しいのは、結局誰かの下で所属するって言うのは、その時々の決断と、その時に最適な選択肢の集合体。だから、私には最適解は出せないけれど、でも最善策なら出せる。このままレジスタンス艦隊に、私達と一緒に行く覚悟があるのなら、同行してもいいと思う。逆に、ここまでの人達なら……」

 

「人達なら……?」

 

「いえ、これはやめておきましょう。だって、私はただのMS乗り。一回の兵士に決断なんて投げるものじゃないわ」

 

「……それってズルいですよ」

 

「そうね、とってもズルい。でも……ズルくたって答えを出さないといけない時もある」

 

「経験則ですか?」

 

「いいえ、これはただの……自分のエゴなのかもね。答えなんて明瞭なものなんてなくっても、それでも前進し続ける事しか出来ない、猪突猛進気味な人間の不格好な生き方よ」

 

 シャルティアは視点を自らのつま先に落として、ぽつりと呟く。

 

「……分かんないんです。シンジョウ先輩は確かに、憧れの先輩で、そしてユキノさんもアルベルトさんも私の担当……私は自分の仕事を全うする……それが正しいはずだって分かるのが普通なのに……今はその決断に、何か迷いめいたものを感じているんです。本当にシンジョウ先輩を信じて付いて行っていいのか、とか、アルベルトさんが何を考えているんだろう、だとか……。変ですよね、だって委任担当官は、戦いのための部署なのに」

 

 自嘲気味に語ったシャルティアにユキノは頬杖をついて応じる。

 

「そう狭く考えるものでもないんじゃない? 私はいいと思うな。シャルティア委任担当官にしか出せない答え。それにこそ価値があるんじゃないかって」

 

「私の……価値?」

 

「うん、だって委任担当官としての仕事って、私達が思うよりも大変だと思うから……それは背負えない領域だからね」

 

「……でも、私は前には行けないんです……。でも、シンジョウ先輩が一言、そうだって言ってくれれば、私だって《オムニブス》で……!」

 

「それは駄目。きっと、カトリナさんだって駄目だって言うだろうし……一番きついのは小隊長かな……」

 

「アルベルトさんが? 何故です? 私はだって……姉とは違います。私の境遇と姉の境遇は違うはずです。《オムニブス》の戦闘訓練は受けてきました。少しでも斥候任務程度ならこなせるはずです」

 

「……そういう、ロジックめいた事じゃないんだろうと思う。きっと、小隊長はどうしたって、シャルティア委任担当官を前にはいかせないと思う」

 

「……でもそれって……侮辱と何が違うんですか」

 

 震える拳を握ったシャルティアに、きっと心の奥底からの無力感を覚えているのだろうとユキノは悟っていた。

 

 自分や他の戦闘員が傷つき、摩耗していくのを見ていられない――心根が優しいのだ。だが戦場では優しさで掻き消されてしまう善意なんてたくさんある。

 

 善意のつもりが他人を傷つける悪意になる事も。

 

 だから、優しいのは争いの場においてはただ邪魔なだけの感情なのだ。

 

「……でもシャルティア委任担当官には、最後まで優しくいて欲しい、これもエゴかもね……」

 

「ユキノさん……」

 

 その時、戦闘警戒のブザーが鳴り響き、医務室を赤色光が埋める。

 

 何が、と口にする前にバーミットの声が響き渡っていた。

 

『こちら管制室! 各員、戦闘警戒……レジスタンス艦隊に向けての敵影を関知!』

 

「敵影? ……でもレジスタンスは……」

 

 ユキノは起き上がるなりすぐさまパイロットスーツに指をかけようとしてシャルティアに阻まれていた。

 

「駄目です……まだ安静で……」

 

「もう一個、私のエゴだけれど、私は戦士。だから、戦いでしか有用性を示せない」

 

 シャルティアの制止を振り切り、ユキノはパイロットスーツを身に纏って格納デッキに漂っていた。

 

「サルトル技術顧問、状況は……?」

 

「ああ、ユキノか。どうやらレジスタンス艦隊に敵襲らしい。詳しい事までは降りてきていないが……」

 

《アイギス》のコックピットブロックに掴まったユキノはそのまま流れるようにコックピットに入るなり、ヘルメットの気密を確かめる。

 

「気ぃつけろ。何が来ているのかまるで不明だ。敵影って言ったって、前回の戦闘時だって情報の擦り合わせが出来ていないんだ。ぼうっとしていたところを横っ面を叩かれた形さ」

 

「だったら、艦隊の神経は張り詰めないといけないはず。《アイギス》のペダルは?」

 

「ペダルの重さ、加速度を上げておきました。《アイギス》部隊は前回までよりも素早く動けるはずです」

 

 顔を出したティーチの声を引き受け、ユキノはサムズアップを寄越してコックピットハッチを閉ざしていく。

 

『ユキノ嬢、今のところクラードさんはまだ出られそうにないです。《ダーレッドガンダム》の支援は遅れると思っておいた方がいいかもしれません』

 

「上等。RM第三小隊で出られそうなのは?」

 

 通信越しのトーマの懸念をユキノは関知していた。

 

「……私が前衛ってわけか」

 

『アルベルト氏達の機体は若干ダメージがキツイ部分があるっす。今のところなら、ユキノ嬢の機体を最前列に置いての作戦行動が最も相応しいかと』

 

「前を行くのは慣れているけれど、《アイギス》でどこまでやれるか……状況は?」

 

『芳しくはないようっすね……。こっちまではまだ被害は来ていませんが、レジスタンス艦が撃たれたとなれば穏やかじゃないはずっす』

 

「……混戦、いいえ、それよりも酷いかもしれないわけか。先遣隊! 戦局を解きほぐすわ!」

 

『RM第三小隊、《アイギス》リニアカタパルトボルテージへ固定』

 

《アイギス》の痩躯がカタパルトに固定され、射出位置に入る。

 

「システムオールグリーン。こっちは準備完了」

 

『了解。発進タイミングをユキノ・ヒビヤに譲渡します。……ユキノちゃん、無理はしないでいいわ。相手の出方を見て迎撃。敵が強大なら退く事も作戦のうちに入れて』

 

「私は小隊長達ほどの使い手じゃない。だから引き際は潔く行かせてもらいます。《アイギス》、ユキノ・ヒビヤ! 行きます!」

 

 リニアボルテージの青い電流をのたうたせながら《アイギス》が一直線に艦隊の合間へと抜けていく。

 

 続く機体群を率いつつ、ユキノはレジスタンス艦が次々と火の手を上げていくのを目の当たりにしていた。

 

「……敵は少数精鋭? 母艦は見られないって事は」

 

 艦砲射撃を見舞うヘカテ級の弾幕を掻い潜り、直後にはミラーヘッドが行使されていた。

 

 だがその色彩は、平時の蒼ではない。

 

「……赤銅色の……ミラーヘッドの分身体?」

 

 これまで観測した事のないミラーヘッドの色調は本体と同じように射撃網を抜けてゆき、接近戦を主体におっとり刀で出撃した《マギア》のミラーヘッドを射抜いていく。

 

 その戦いぶりはまるで敵影に頓着していない。

 

 最低限度の挙動でミラーヘッドの分身体を操り、斬艦刀じみた巨大なる剣を薙ぎ払って旧型機を打ち砕いていく。

 

「……何者なの、あの機体……」

 

 その時、敵影が振り返る。

 

 心臓を鷲掴みにされたような気分であった。

 

 冷汗が伝い落ちる。粟立った神経が告げる。

 

 ――この射程は危険だと。

 

 そう判じた戦闘神経はユキノにミラーヘッド段階加速による後退を選択させていた。

 

 先ほどまで本体が居た空間を引き裂いたのは赤い残像。

 

「まさか……この機体は……《レヴォル》……?」

 

 否、違う。

 

《レヴォル》のようにしか映らない機体の頭部形状は禍々しく歪んでおり、装甲は攻撃的に尖っていた。

 

 より攻撃の要素を強めた、レヴォルタイプの機体――その名を、自分は知っている。

 

 三年前に、相見えた因縁の機体。

 

「……これは、《オルディヌス》……」

 

『何だァ、俺の攻撃を避けやがった。クソ生意気な敵も居るじゃねぇの。にしたって、残飯処理にしてはちぃとばかし、この戦場は退屈だったんだ。少しは綺麗に踊ってくれよ、エンデュランス・フラクタルのMSだって言うんならなァッ!』

 

《オルディヌス》としか思えない敵機であったが、推進剤の加速度はデータ試算以上の代物であった。

 

《アイギス》の躯体を震わせるのは払われる刃の剣風である。

 

 その迷いのない殺意に、ユキノは思わず叫んでいた。

 

「編隊下がれ! この機体は……普通じゃない!」

 

 それを受けて後退機動に移った機体へと、敵機は袖口よりアンカー武装を射出していた。

 

 下がろうとした追従機を引っ掛け、そのまま力任せに振り払う。

 

 二機の《アイギス》が衝突してもつれ合い、動きを鈍らせたところを敵影は跳ね上がり、大剣で二機とも叩き割る。

 

『これで撃墜スコアが上がったな。それとも、どうした? エンデュランス・フラクタルの。ここまで抵抗してきたにしちゃあ、骨がないんじゃねぇの』

 

「貴様……貴様ァ……ッ!」

 

 ビームサーベルを抜刀し、ユキノは大上段に振り下ろす。

 

 相手は刀身でそれを弾き、スパーク光を散らせていた。

 

『いい声で啼くと思ったら女かよ! こいつァ楽しめそうだなァッ、オイ』

 

「黙れ! 《オルディヌス》なんて操ったって……」

 

『――ミラーヘッドメギド、発動』

 

 瞬間、赤銅色のミラーヘッドが発動し、ユキノはその分身体と打ち合っていた。

 

 だが密度がこれまでのミラーヘッドの分身体とはまるで段違いである。

 

 本体と打ち合っているのとさほど変わらないだけの情報量と、そして強靭さは《アイギス》のパワーを軽く凌駕していた。

 

「これは……!」

 

『いい事教えといてやるよ、女ァ……。こいつは《オルディヌス》じゃねぇ。その発展機たる新型――《ガンダムヴォルカヌス》。こいつは俺に馴染んでくれているぜ。火を操る、人類の功罪を背負う悪鬼さ。さぁ、これまで以上の戦場だ!』

 

《ヴォルカヌス》と呼称された機体は一気に大剣を打ち下ろし、《アイギス》の防御を叩き潰す。

 

 姿勢制御をやられた《アイギス》へと、横合いよりの薙ぎ払いの一撃。

 

 それを感覚してユキノは咄嗟のビーム刃による防衛を行う。

 

 しかし、その出力を遥かに超えた膂力で《アイギス》は吹き飛ばされてしまっていた。

 

 まるでぼろきれのように、《アイギス》は宙域を舞う。

 

 その機体へとアンカー武装が叩き込まれ、《ヴォルカヌス》との距離を離す事も出来ない。

 

「《ヴォルカヌス》、だって……」

 

『てめぇらみたいなぬるい戦場やってんじゃねぇよ、たわけが! 奴らの教えてくれた通り、確かにここにゃ標的はたくさん居るがよ、どいつもこいつもぼさっとしていていけねぇな。狩られる側にも礼儀ってもんがあるだろうが!』

 

 自分は狩られる側――そうなのだと規定された直後にはアンカー装備で引き寄せられ斬撃が浴びせられようとする。

 

 ユキノは姿勢制御バーニアを用いて機体を反り返らせ、一閃を回避していた。

 

 だが、一手でもまかり間違えれば断絶されていただろう。

 

 その予感に首裏に汗が滲む中で、ユキノは機体を反転させ《アイギス》の脚部に仕舞われているもう一本のビームサーベルを現出させていた。

 

 軽業師めいた挙動でアンカー装備を切り裂き、機体の自由を得てもそれでも相手のプレッシャーは引き剥がされてくれない。

 

 太刀筋が肉薄し、《アイギス》のパワーゲインでは振りほどけなくなっていく。

 

「……何て事を……。そっちの目的は何!」

 

『目的? 眠てぇ事言ってんな。そんなもん決まってんだろうが。――破壊と殺戮、そんでもって、ミラーヘッドの戦場の席捲。そうとも、俺がこのどうかしてる戦局を支配する。それだけだろうが!』

 

「外道が……! 貴様は外道だ……!」

 

『言われ慣れてるよ、女ァ。そっちこそ、俺みてぇな人間と戦場でやり合うにしては、ちぃとばかし力不足ってもんじゃねぇか。《アイギス》なんかじゃ、すぐ壊れちまってつまんねぇだろうが!』

 

 呼気一閃の刃をかわし、ユキノは反撃の嚆矢を見出そうとしたが、既に《アイギス》は出力が落ちている。

 

 機体が太刀筋を振るう前に両腕が切断され、宙に舞った肘から先を大写しの視界に入れた時には、《ヴォルカヌス》のアンカー装備がコックピットブロックへと真っ直ぐに射出されてくる。

 

 咄嗟の習い性で機体をロールさせて直撃を免れようとするも、機体を激震されユキノは相手を睨み据える。

 

 その時には敵機は加速度を上げて大上段に大剣を振り上げている。

 

『終わりだ! じっくり時間をかけるわけにもいかんのよ。残飯処理なんざつまんねぇんだからよ!』

 

 両断される――その予感にユキノは瞼を閉じようとした。

 

 終わりくらいは潔いほうがいい。

 

 それでも、瞼の裏に浮かぶのは三年前に散っていった仲間達の背中。

 

「……ようやく、行けるのかな。グゥエル……」

 

『――まだだ』

 

 不意に割り込んできた通信網に目を見開いた瞬間、ユキノは拡散重力磁場が《ヴォルカヌス》へと降り注いだのを視認していた。

 

 アンカー装備を引き剥がしたのはアルベルトの《アイギスハーモニア》である。

 

『悪ぃ! ユキノ、遅くなった!』

 

「小隊長……いえ、早過ぎたくらいで……」

 

『今は強がるな。オレとクラードであの敵を……《オルディヌス》モドキを迎撃……破壊する!』

 

 そうだ、とユキノは感覚する。

 

 アルベルトからしてみれば《オルディヌス》は怨敵。

 

 それはクラードも同じであろう。

 

《ダーレッドガンダム》が小太刀で敵機の刃を受け流しつつ、鉤爪の武装を軋らせる。

 

 敵意に揺れているのが窺えた。

 

「……小隊長、ですが、お二人では冷静になれない可能性が……」

 

『他人の心配してんな。……大丈夫さ、オレとクラードならやれる。デザイアで散々見てきただろ? オレ達なら――不可能はねぇ!』

 

 加速度をかけたアルベルトの《アイギスハーモニア》の背中を眺めつつ、ユキノはコックピットで手を伸ばしていた。

 

「……でも、ヘッドはそんなに……器用じゃないでしょうに……」

 

 



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第161話「クロッシングフィールド」

 

「アルベルト。こいつは《オルディヌス》の発展機だ。性能が違う」

 

『ああ、そうみたいだな。ユキノからもたらされたデータ上の名前は《ヴォルカヌス》……。おいおい、勘弁してくれよ。《ネクロレヴォル》だけでも参ってるんだ。その上レヴォルタイプだなんてよ!』

 

 アルベルトの機体がビームジャベリンを駆動させ、《ヴォルカヌス》と打ち合っていく。

 

 こちらの迷いのない殺意に敵影が哄笑を上げていた。

 

『こいつァ……久しぶり、とでも言えばいいのかねェ……! 月軌道決戦で一矢報いようとして必死だった、あのガキじゃねぇか!』

 

『黙っていろ……! 人間のクズが!』

 

『言える義理かね、そいつァ! てめぇらだって大勢の人間の屍の上に成り立っている、ただの人でなしの延長線上だろうが!』

 

『違う、オレ達には……あくまでも目的があった! だが、てめぇのやり方はただの憎しみを増大させるだけの、けだものみてぇなやり口だ!』

 

『そうは言えるようにはなったってワケか! だがそれはてめぇの顔を鏡で見た事がねぇのかってだけだ! 同じ穴の狢なのさ、もうとっくにな!』

 

『ほざいてろ、下種が!』

 

 アルベルトは冷静ではいられないようである。それをクラードは確認しつつ、《ヴォルカヌス》の隙を講じようとしていたが、大剣のような隙の多い武装をメイン軸においていながら、その立ち振る舞い自体は流麗。

 

「……アルベルト。先走り過ぎるとこいつの思うつぼだ。それに、アンカー武装みたいなのをどこに隠し持っているかだって分からない」

 

『けれどよ、クラード! こいつだけは……オレがやらねぇといけねぇんだ!』

 

 やはり冷静さは欠いている。

 

 今のアルベルトは前へ前へと行き過ぎだ。

 

 このままでは敵の発生させる未知のミラーヘッド現象に囚われるのもそう遠くはない。

 

「……挟撃に打って出る。アルベルト、《ダーレッドガンダム》の放つ重力磁場に巻き込まれないようにしてくれ」

 

 返答はない。

 

 敵との戦いにもつれ込んでその余裕さえもないようだ。

 

 クラードは敵の挙動を予見してベテルギウスアームへと右腕を沈ませていた。

 

 アルベルトの《アイギスハーモニア》の交戦によって後退した敵機の潜り込むであろう宙域へとクラードは深紅の瞳で出力調整を行う。

 

「……《ダーレッドガンダム》のパラドクスフィールドは……いや、今は考えまい」

 

 前回巻き起こった不明な現象が脳裏を掠めたが、今は頓着していればこちらの分が悪い。

 

 クラードは照準器に捉えた《ヴォルカヌス》へと収束重力砲を掌底に込め、相手の機動先へと放射していた。

 

 しかし、敵機は赤銅色のミラーヘッドを展開し、その加速度で下方へと抜けていく。

 

 速度は並大抵のミラーヘッドの段階加速を超えており、ブラックホール砲の照準を逃れる。

 

 舌打ちを滲ませたこちらに、敵パイロットの声が響き渡る。

 

『危ねぇ、危ねぇ。だがあわよくば、みてぇな戦い方じゃ、そういうのはイケねぇって言うんだよ!』

 

 アルベルトのビームジャベリンを敵機は大剣で叩き割り、そのまま両断の太刀を見舞おうとして《アイギスハーモニア》は袖口に仕込んだビームサーベルを発振させている。

 

 ビーム刃と実大剣が至近で衝突し、互いの機体の頭部を照らし出す。

 

『てめぇだけは……! てめぇだけは……オレが――墜とす!』

 

『だから、てめぇ勝手なドラマに浸ってんじゃねぇぞ、ガキが! 操縦技術だけでまだまだ青いってワケかよ、てめぇ自身はよォ!』

 

 薙ぎ払われた一閃を回避するも、直後に《アイギスハーモニア》は動きを止めていた。

 

《ヴォルカヌス》の脚部に格納されていたアンカー装備が射出され、アルベルトの脚を止めている。

 

『隠し武装だと……!』

 

『手ってもんはとっておきの機会を巡らせておくもんだ。これだから、戦争童貞ってのは情けねぇまま死んでいくんだよ!』

 

 大剣が唐竹割りの挙動を取る。

 

 クラードは奥歯を噛み締め、《ダーレッドガンダム》の武装を承認させていた。

 

「……アルベルト! ……《ダーレッドガンダム》……! ミラーヘッドを展開、パラドクスフィールドの臨界出力……設定!」

 

 ミラーヘッドによる段階加速を経て、舞い降りた《ダーレッドガンダム》は右腕の武装より七色の輝きを放っていた。

 

 その鉤爪が軋み、《ヴォルカヌス》を照準しかけて、不意に敵機はアンカー装備を根元から引き剥がし、二機から距離を取っていた。

 

『……何だ、その武装……。すげぇ嫌な感じがしやがるな。ここは深追いしねぇほうがいいか』

 

『待て! オレと戦え!』

 

『戦う? ナマ言ってんじゃねぇぞ。戦いにすらなってねぇってくらいは理解出来るよな? さすがに猪突猛進でもよ。しかし……そっちのレヴォルタイプの新型機の、その右腕……何だ、気持ち悪ィ……。戦場の怖気ってのは大事にしねぇとな。拾える命でさえも捨てちまう事になる』

 

「撤退する気か」

 

『挑発には乗らねぇさ。それに、こっちの目的は達成出来たからよ』

 

 直後、レジスタンス艦隊が火の手を上げ噴煙の中にその艦艇を沈めていく。

 

『レジスタンス艦が……!』

 

『目的はここに集まった反乱分子の排除。これで少しは小綺麗になったってもんだろ。何よりも……今どき《マギア》やら《エクエス》で飛び回られるのは鬱陶しいったらねぇ。言ったろ? 残飯処理だってな』

 

《ヴォルカヌス》を駆る相手は格納されたビーム粒子を牽制銃撃として放ちつつ、そのまま距離を取り離脱挙動に入っていく。

 

 アルベルトの《アイギスハーモニア》はそれを追おうとビームライフルを引き絞っていた。

 

『逃げんなよ……! てめぇだけは、オレが墜とすんだからな!』

 

『そいつぁラブコールだと思っていいのかねェ。まぁ、外見だけ成長したガキなんざお呼びじゃねぇんだよ。ここは退く、それが正しいと判定したのならばな。……そっちのレヴォルタイプ、また会う事になるかもしれねぇな』

 

《ヴォルカヌス》が射程距離から逃れても、それでもアルベルトはトリガーを引き続ける。

 

『逃げんなよ……逃げんな……! オレは、だってオレは、男を通さねぇといけねぇはずなのに……。こんな半端で……』

 

「アルベルト……。今は追撃している場合じゃない。ユキノを含めてRM第三小隊を回収。その後にオフィーリアの航路を決めないと、このままじゃ敵に露見している事が致命的だ」

 

『……ああ、分かってる。分かってるはずなんだがよ……いつだって、真実ってのは残酷だよな……』

 

「……だとしても、俺達が折れるわけにはいかないだろう」

 

 アルベルトはオフィーリアのガイドビーコンに従い、ユキノ達の無事を確かめていく。

 

 クラードは艦隊に仕掛けられた爆薬が連鎖爆発を引き起こし、レジスタンス艦隊が轟沈していくのを視界に入れていた。

 

「……せっかくの友軍が墜ちる、か。統合機構軍の擁するレジスタンスではあのレヴォルタイプ……《ヴォルカヌス》を前にすれば、ただの塵芥……。いずれにしたところで、裏港に停泊しているところを抑えられている。このままでは遠からず、オフィーリアの頭を抑えられるな」

 

 しかし今はその懸念よりも、《ヴォルカヌス》の戦略的脅威度が高い。

 

「……あのミラーヘッドは何だ? 赤銅のミラーヘッド……あんな現象があるなんて」

 

 明瞭にしなければならない物事があまりにも多い。

 

 敵を見据えなければ、世界との協定は結べない。

 

 前に進むのにはこの世界は冷酷が過ぎる。

 

「……だがそれでも俺は、突き進むしか出来ない……いつかの敗北が、俺の道を閉ざす時まで……」

 

《ダーレッドガンダム》の右腕武装から手を離す。

 

 格納されていく特殊兵装を一瞥し、クラードは先の戦闘で消滅させてしまった世界の理を思い起こす。

 

「……未来は誰の手の中にもない、か」

 

 



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第162話「問いかけたとしても」

 

「追い討ちが出来ない? 何故です」

 

 その問いかけに通信先のタジマは困惑しているようであった。

 

『月本社に襲撃が与えられましたので、一度補給の見直しを行わなければいけません。オフィーリアの次手を読んでの航路を取る事こそが、最善策かと』

 

「何かあったご様子ですわね。一体何が?」

 

『いえ、リクレンツィア艦長の手を煩わせるような事ではございませんよ。少し……見積もりが甘かっただけの事。計算のし直しですね』

 

 ピアーナは艦長室にて、タジマとの通信ログを取っていた。

 

 モルガンの次の方針とすれば、クロックワークス社よりの補給とそしてオフィーリアへの追撃――そのはずであったのだが、定刻を遅れてのタジマの定期通信は思わぬ結果をもたらしていたと言えよう。

 

「本社への襲撃……? まさか、エンデュランス・フラクタルですよ」

 

『そのはずなのですがねぇ……まさか、エージェント単位での裏切りがあったとは想定外でして』

 

「エージェント……損害率は?」

 

『不明です。しかし、手痛い打撃ではありました。私としてみれば、モルガンに回すだけの余力もない』

 

「では、Bプランの通りに……」

 

『はい。地上に残っていた《ネクロレヴォル》部隊との合流をはかってください。それが最もオフィーリアを追い込む結果となるでしょう』

 

「分かりませんね。こちらは一機鹵獲されたのですよ。それでも戦場へといたずらに彼らを送り込めと言うのですか」

 

『送り狼の役割を果たしていただいているのは重々承知。しかし、モルガンのスタンドプレーでオフィーリアを抑えられれば万々歳、と言ったところでしょうね』

 

「……要は投げられるだけの爆弾の役目でしょう。わたくし達が平然とそこまで実行出来るとでも」

 

『しかし、リクレンツィア艦長からしてみれば、どうしたって墜としたいはずでしょう? オフィーリアは』

 

 こちらの思惑を理解しているのか、あるいはコケにしているのかは不明だが、タジマよりもたらされるはずの追加補給は受けられない。

 

 とあれば、当初の予定通り、別口からの補給路を期待するしかないだろう。

 

「……騎屍兵を集め過ぎれば地球圏における統制のバラつきが起きます。そうなった場合、下手な勘繰りを引き起こす可能性とてありますが」

 

『今は、統制よりも眼前の脅威でしょう。《ダーレッドガンダム》は我々として見ても出来れば鹵獲……いいえ、そこまで我儘は言いますまい。相手の主戦力です。潰せればその機会を逃すべきではない』

 

「……前回の戦闘ログを見ていただければ分かると思いますが、あれはミラーヘッドジャマーを掻い潜りました。それはつまり……かつての《レヴォル》と同じという事。《ネクロレヴォル》の持つ優位性が崩れると共に、世界の秘密である騎屍兵のシステムを崩しかねない」

 

『艦長、少しばかり言葉をお控えなさるよう。どこに耳があるか分かりません。騎屍兵は……《ネクロレヴォル》の統制は完璧です。その絶対優位性が瓦解するなんて事はあり得ない』

 

 そう、あり得ないのだ。

 

 システム上の欠点を知っているのは、騎屍兵達本人と、そして彼らを束ねる自分。統合機構軍の上層部のみ。

 

 騎屍兵の実力を容易く相手に読み取らせてはならない。

 

 そのためならば、少しばかりの強硬策に打って出る事も視野に入るだろう。

 

「……了承しました。では、オフィーリアの航路を先読みしての阻止……それならばいいのですわね?」

 

『ええ。なのでモルガンには《ネクロレヴォル》部隊のさらなる拡充を行っていただきます。騎屍兵の真の実力、引き出せるのはあなただけですから』

 

 よく言う、とピアーナは呆れ返ってしまうが、それも誇張でもないのだろう。

 

 全身RMの自分だけが、騎屍兵のスペックを最大限まで引き出せるはずだ。

 

「請け負いました。……しかし、騎屍兵同士の戦闘になった場合はどうします? 鹵獲されたゴースト、スリーが寝返るとは思えませんが、《ネクロレヴォル》の解析が行われる可能性くらいはあります。そうなった場合、撃つべき、と」

 

『《ネクロレヴォル》はたったの十三機しか存在しない特別な機体。この世界を再構築するのに当たっての必要な駒。よって慎重な動きが求められます。運用に関しては一任しますが、それでもあれは我が社の資産である事はお忘れなきよう』

 

 要はエンデュランス・フラクタルの貴重な資源、せいぜい丁寧に扱えという事なのだろう。

 

 馬鹿らしい、とピアーナは感じる。

 

 戦場に向かう兵器を丁寧になどという妄言。

 

「……分かりました。ではモルガンは騎屍兵の受け入れ態勢を取ります」

 

『我々として見てもこれはイレギュラーです。しかし、イレギュラーは重ならなければいい。リカバリが出来る範囲ならば、それは異常事態と呼ぶのに値しない。頼みますよ、リクレンツィア艦長。オフィーリアに関してはあなたのほうが分かっているでしょうからね』

 

 通信を切り、ピアーナは嘆息をつく。

 

「これが現状なのですよ。笑えるでしょう? メイア・メイリス」

 

 自嘲気味に語ったこちらに対し、メイアは後ろ手に拘束されながらも応じていた。

 

「別に、いいんじゃないの。組織なんてどこも同じだよ。……マグナマトリクス社だって、上じゃ胡乱な動きをしていたみたいだし」

 

「ですが勘繰ればそれだけリスクも高まる。……わたくし達の出来るのは、せいぜい死なない程度の貢献でしょう」

 

「貢献、か。それはエージェントしての自分に集約される価値だと思っていいのかな」

 

「いずれにせよ、モルガンはこれより騎屍兵の補充要員を受け入れる。このままオフィーリアに付いて行ったところで振り切られるか、あるいはまた《ダーレッドガンダム》の阻害を受けます。ならば敵勢の動きを読んでの航路を取るべき。必要最低限の動きで最大のパフォーマンスを目指す」

 

「嫌になっちゃうね。敵は全て封殺すべき、か」

 

 肩を竦めたメイアにピアーナは情報集積端末を弄りつつ、もたらされる新情報を手繰っていた。

 

「……コロニー、ルーベンでの戦闘行為。レジスタンス艦隊への奇襲があったようです」

 

「どこの軍勢?」

 

「貴女に教える義理はない」

 

「義理はないけれど、教えたっていいじゃん」

 

 ピアーナは大仰にため息をついて投射画面を引き寄せる。

 

「……どうやら組織立った動きと言うよりも、少数精鋭による交戦行為だと見るべきでしょうね。レジスタンス艦隊が裏港に集まった理由は依然として不明……しかし、これだけの軍勢です。どこに気取られたっておかしくはない」

 

「分かんないな。レジスタンス組織ってそこまで馬鹿だっけ? 何でコロニーの裏港にわざわざ集合して奇襲してくださいみたいな?」

 

「それも不明……。情報が足りないのです。それでも、こちらは作戦を着々と進めなければいけない」

 

「憂鬱?」

 

「……正直。ですが、騎屍兵の補充に関しては本社の意向です。わたくし達は戦闘行為でのみそれに報いるしかない」

 

「狭い考え方だね。逼塞しちゃいそう」

 

「どれだけ息苦しい考えでも、実行しなければわたくし達の有用性を示せない。……因果なものですね」

 

 ピアーナはその言葉を潮にして椅子よりぴょんと立ち上がり、メイアについているナインと共に艦内を行き進む。

 

「あのさ、艦長。ボク思うんだけれど、やっぱりボクを出してくれればそれ相応の働きはするし、邪魔にはならないと思うなぁ」

 

「またそれですか。貴女はマグナマトリクス社への明確なカウンターとなる。今は、許可出来ません」

 

「それっていつかは許可してくれるって事?」

 

「……揚げ足を」

 

「これは申し訳ない」

 

 メイアも随分と太くなったものだ。ピアーナは格納デッキに運び込まれてくる兵装コンテナを目にしていた。

 

「《ネクロレヴォル》十三機のうち、配備されてきたのは三機ですか」

 

『こちらに残存していた機体を含めると五機編成になります』

 

 ナインの補足にピアーナはポートホームによって転送されてきた騎屍兵四名と顔を合わせていた。

 

『失礼。転属命令が下りましたのでモルガンに現時刻をもって着任いたします。リクレンツィア艦長ですね?』

 

「ピアーナ・リクレンツィア。少佐相当官です。機体と人員の数が合わないようですが」

 

『騎屍兵は常に全員が出撃するわけではありません。我々はMSとの戦闘単位としての数ばかりが優先ではありませんので』

 

「存じています。地球圏での統制、ご苦労様です」

 

 しかし、騎屍兵に続いて歩み寄ってきたのは独特の喪服のパイロットスーツではない人影であった。

 

「貴方は? わたくしは騎屍兵の補充兵しか聞いておりませんが」

 

『ああ、彼は我々騎屍兵の……言ってしまえば新兵です』

 

 真面目腐った挙手敬礼を寄越したのはまだ青年士官という分類が似合う人物であった。

 

「ダイキ・クラビア中尉です! これより“騎屍兵見習い”として、敵性新鋭艦、オフィーリア追撃の任を帯びさせていただきます!」

 

 苦手なタイプだな、とピアーナは第一印象で感じ取る。

 

「“騎屍兵見習い”……? 聞いていませんよ」

 

『そう言った事になったのです。彼の機体は《パラティヌス》を充てていただきたい。オフィーリア追撃のためには一人でも兵士が欲しいはず』

 

「それは実情ではありますが、埋め合わせが出来ない兵力なら……」

 

「――構わないではないか、フロイライン。ちょうど私の《パラティヌス》が空いている。クラビア中尉とやらには修繕したそれを充てればよろしい」

 

 こちらの会話に割って入ったのはヴィクトゥスであり、彼の立ち振る舞いに騎屍兵達は挙手敬礼する。

 

『王族親衛隊とお見受けします。その白装束』

 

 ヴィクトゥスは着地するなり返礼し、フッと口元を緩める。

 

「フロイライン。君の扱う部下達だ。しかし、騎屍兵と共に戦えるのは単純に戦場が引き締まる。よろしく頼もう。ただ、一つだけ条件を付けさせていただくとすれば、鉤爪のレヴォルタイプは私が引き受ける。それだけは了承してもらえるだろうか」

 

『構いません。我々は作戦として、命令された事を実行するのみです』

 

「……なるほど、噂以上に君達は戦士らしい。フロイライン、私は愛機のアイリウムの調整を行っておく。整備班の手出しは無用」

 

「……構いませんが、撃墜されても文句は言えませんよ」

 

「望むところだと言わせてもらおう。私は、自分の手塩にかけたアイリウムで上回られるのならば本望だ」

 

 ヴィクトゥスはそのままハンガーに固定された痩躯の機体へと舞い戻っていく。

 

『あれも新型ですか』

 

「王族親衛隊のとっておきだそうです。わたくしはあまり干渉しませんが、相当なマニューバなのだとか」

 

『して、リクレンツィア艦長。我々は騎屍兵であり、その真価はチームプレイで発揮されます。ですが、最低限のプライバシーとして部屋の一つはあてがってもらえるのでしょうか』

 

「えっ、騎屍兵ってそんな事気にするの?」

 

 思わずと言った様子のメイアの問いかけに、年長者らしき騎屍兵が応じる。

 

『既に死者とは言え、兵士です。兵力の拡充にはそれぞれのメンテナンスは必要不可欠。我々は兵力であると共に、個別の戦力としての意義があるのです』

 

「……メイア・メイリス。失礼であった事の自覚は」

 

「ああ、ゴメンゴメン。そういうの気にする性質なんだ」

 

 ピアーナは騎屍兵部隊へと号令する。

 

「では別命あるまで待機。これより、敵性新鋭艦、オフィーリア迎撃作戦を共にします」

 

『御意に』

 

 挙手敬礼を寄越した騎屍兵達がそれぞれに格納デッキへと漂っていく。

 

 彼らの《ネクロレヴォル》の最終調整であろう。

 

 招かれたのは地球圏の騎屍兵専属のメカニックであり、強い顎髭の整備士はめいめいに声を張っている。

 

「調整開始ー! 《ネクロレヴォル》の空間戦闘用装備を忘れるなー!」

 

「……《ネクロレヴォル》、か。あれってさ、ちょっと思ったんだけれどレヴォルの意志が入っているはずだよね?」

 

「ええ。《ネクロレヴォル》のシステムは世界を欺く。それは《オリジナルレヴォル》と同じもの」

 

「それってさ、嘘……欺瞞じゃないの?」

 

 思わぬところで正鵠を射てくるメイアの言葉振りに、ピアーナは目線を振り向けずに応じていた。

 

「何故、そのような疑念を?」

 

「あのさ、ボク嘘って鼻が利くんだよね。それはもう、特段に」

 

「ですが嘘ではございませんが」

 

「そこなんだよね。嘘っぽい、空気、みたいなのは流れているけれど完全な嘘って感じじゃない。そこが厄介なのかな」

 

 嗅覚があるのだかないのだか分からない言葉を用いるメイアに、ピアーナは明瞭に言いやる。

 

「騎屍兵は勝ちます。その結果さえ揺るがなければいい」

 

「……まぁ、世の中結果論だし、その通りなんだろうけれど、本当にいいの? 彼と戦う事になるなんて」

 

「エージェント、クラード。彼は怪物です。怪物を殺すのは、人の叡智。それはいつだってそうでしょう。《ダーレッドガンダム》という獣の力を手に入れたのなら、わたくし達はより理性的に、理知の力で彼を殺す。それこそが、わたくしの……」

 

 濁したのは脳裏を掠めたカトリナの姿のせいだろうか。

 

 レジスタンスの旗印となっている彼女は、もう自分の知っているどこか愚鈍なカトリナ・シンジョウではない。

 

 ないのだと――規定したいだけ。

 

 そう線を引かなければ、自分は撃つ時きっと迷ってしまう。

 

 鋼鉄のライドマトリクサーの中に残存した、一片の感情の欠片。

 

 そんなものに、足を取られている場合ではないのに。

 

「……迷わない事だけがきっと、手向けになるのでしょうね」

 

 



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第163話「異端なる月下」

 

「キルシー、心配したんだ。だって、あれから連絡も……」

 

「ああ、ごめんあそばせ、ローゼンシュタイン様。地球圏に降りてあまり慣れていなくって」

 

 こちらが愛想笑いを返すと、ガヴィリアは仕立てのいいスーツ姿で微笑む。

 

「いや、君が無事でよかった。知っているかと思うが、あまり地球圏とは言え安全が保障されたわけでもなくってね。こんな時に社交界か、と謗られても何も文句は言えないのだが、ホストがね……」

 

「リヴェンシュタイン家の方がいらっしゃっているというのは本当なのですか?」

 

「……未確定情報だが、そうでなければこれだけの人は集まらないだろうね」

 

 二階層より顎をしゃくったガヴィリアの視線の先には饗宴に身を浸す貴族達が窺えた。

 

 こんな時でも安寧を貪る貴族には関係がないのだろう。彼らの生活にとって重要なのは、今、死に絶えるかもしれないという危惧よりも、今興じられる悦楽であるのは疑いようもない。

 

「すまないね。本来ならローゼンシュタイン家からの迎えを寄越すのが筋だったんだが、そうもいかなくなってしまった」

 

 ワイングラスを片手にしたガヴィリアに、キルシーはこの日のために仕立て上げたドレスに身を纏って虚飾ばかりの眼差しを受ける。

 

 ガヴィリアはきっと、自分などただの幼馴染として消費しているのだろう。

 

 自分も彼に対し、さして特別な気持ちがあるわけでもない。

 

 利用出来るだけ利用して、その後には取り留めのないかわし方を心得るだけだ。

 

 ――と、その時、貴族達の中で声が上がった。

 

「これはこれは、クランスコール卿のご令嬢ではありませんか。お噂はかねがね」

 

 ファムへと言い寄ろうとした貴族に、彼女はソースを頬につけたまま振り返る。

 

「ミュイ? しらないひと……」

 

「ああ、これは失礼。名乗りが遅れましたな。私は、これでも地球連邦に発言力を持つ……」

 

 下らない貴族の名乗り口上を受け止めて、ファムは当惑したように首を傾げる。

 

「ミュイぃぃ……むずかしいこと、わかんない」

 

「ファムってば。あれじゃ貴族も形無しね」

 

 見守る自分の眼差しに気づいたのか、ファムは大きく手を振る。

 

「キルシー! ミュイーっ! こっちのおいしいよー!」

 

「はいはい。じゃあ行ってまいりますわ、ローゼンシュタイン様」

 

「待ってくれ。……君が何を考えているのか分かるよ」

 

「あら、それは意外。ローゼンシュタイン様に興味を持っていただけるなんて恐縮ですわ」

 

「からかわないでくれ。私は……君がリヴェンシュタイン家に興味を持つ理由くらいは察せられるつもりだ。リヴェンシュタイン家は君が思っているような良家ではない。彼らは陰のフィクサー……世界を暗部から動かす者達だ」

 

「よいのですか? それはローゼンシュタイン様からしてみれば不用意なトラブルを招きかねない発言では?」

 

「……ああ、これまで腰が引けていたようには思われていると……理解くらいはしている。だが……キルシー……! 私は君の事を――!」

 

「ああ、失礼。リヴェンシュタイン様がいらっしゃったようですわよ?」

 

 その言葉にガヴィリアは佇まいを正して首を巡らす。

 

 その様子にキルシーは冷笑を浴びせていた。

 

「冗談です。ローゼンシュタイン様。でもそんなにビクビクするくらいなら、言葉はお選びになられたほうがよろしいかと」

 

 これ以上に「恥知らず」の上塗りまでする事はあるまいという、長年の警句のつもりであったが、ガヴィリアは赤面する。

 

 弱々しいプライドを傷つけるのには充分であったらしい。

 

「キルシー、君のために言っているんだ。リヴェンシュタイン家は普通じゃない。接触は危険だと……」

 

「ですが危険だからと言って、踏み込まないのもまた嘘でしょう」

 

 キルシーはファムの手を取り、この社交界のホストルームへと向かっていた。

 

「ミュイぃぃ……まだおいしいごはん、たくさんあったよ?」

 

「今日はご飯を食べに来たんじゃないわよ、ファム。……確か、こっちのはずよね。リヴェンシュタイン家の長兄……次世代の連邦国家を担う人間だって聞くけれど」

 

「キルシーは、むずかしいことしってるね」

 

「……知っているだけよ。実際にここから行動するのには、あなたがいないと……ファム……」

 

 そう、ファムの身柄を交渉材料にして地球圏の平定を確約させる。

 

 それは我ながら人でなしの手段であろうが、自分のような一介の小娘が世界を変革するのには、そういった汚れも必要であろう。

 

 たとえファムに一生恨まれようが、それでも必要なのだ。

 

 彼女は何も分かっていないのか、頬にソースを付けたままである。

 

 思わず足を止め、ハンカチで拭き取ってやった。

 

「動かないで、ちょっとソース付いてるから」

 

「ミュイ……くすぐったいよ」

 

「我慢して。ほら、綺麗になった」

 

「キルシー、やっぱりバーミットみたい」

 

「あなたの使用人ほどじゃないわよ。だってあなたの事……死んでも守り抜くなんて言えないもの」

 

 むしろこれから彼女との絆は切れる。

 

 せっかくの親友であったのに。せっかくの友情であったのに。

 

 それを断ち切るのは自分自身のエゴ。

 

 しかし、それでも非情に徹しなければ、自分は永劫に後悔する。

 

 戦い抜くのならば、世界に抵抗するのなら、自分はどれだけの恨みを受けようとも――。

 

「ここね……」

 

 奥まった場所に位置取った一室の扉は高い。

 

 キルシーはガヴィリアより預かった特別製のカードをドアロックに通し、声を吹き込む。

 

「失礼いたします。私はフロイト家の人間です。リヴェンシュタイン様の部屋はこちらで間違いないでしょうか?」

 

『……誰なのだ』

 

 掠れ切ったような声。

 

 キルシーはファムへと一瞥を振ってから、そっと声にしていた。

 

「……今宵の夜伽の娘を連れて参りました」

 

「よとぎ? ファムだよ?」

 

『……入れ』

 

 重々しい扉が開いてゆき、キルシーが視界に入れたのは巨大なベッドであった。

 

 広く取られた室内は、それだけで社交界の会場とさほど変わらない。

 

 相手が間違いなくVIP待遇であるのは疑いようもない。

 

 歩み出たキルシーはベッドの奥で身を起こした相手を感覚していた。

 

「……フロイト家の者です。こちらはクランスコール家のご令嬢となっております」

 

『……もう随分と長い間、こうした集まりには顔を出していない。して、夜伽の相手とは、そのクランスコール家のか』

 

「ええ。彼女の名前はファム。ファム・クランスコール。名高いミラーヘッド使い、万華鏡、ジオ・クランスコールの血筋です」

 

『……興味深いな。あの不屈の万華鏡の血の者とは』

 

「ええ。彼女には既に承服を取ってあります。しかし、お引き渡しをする前に、少しばかりお話が」

 

『何だ。言ってみろ』

 

「では……恐れながら現状の地球圏の状況下では世界の変革はもたらされないと存じます。それは片面の理由だけではなく、今も蔓延るレジスタンス組織と、そして騎屍兵と呼ばれる者達の統制。世界は均衡とは程遠い場所にあると考えていいでしょう」

 

『私に何をしろと言いたいのだ』

 

「一つだけ。世界への忠告でございます。私は、リヴェンシュタイン様を尊敬しております。協調関係を結ぶ事が出来ればと思い、こうして馳せ参じました」

 

『……軍事力への発言権の確立か』

 

「私は所詮、ただの小娘。しかし、今の世界には一家言はある。それを理解していただいた上で、私の理想とあなた様の理想、それを擦り合わせられれば――」

 

「ねぇ、キルシー」

 

 袖を引っ張ったファムにキルシーは言葉を切る。

 

「何? 今大事なところで――」

 

「くるよ」

 

 何が、という主語を欠いたままにキルシーは直後の激震を感じ取っていた。

 

 社交界の会場が大きく揺れ、キルシーはよろめいてしまう。

 

「何が……? 地震?」

 

 その愚鈍な問いかけに対し、爆発音が連鎖して響き渡る。それは護衛についているはずのMS部隊の敗北を示していた。

 

「いちばんめ……おりてきたんだね」

 

「どういう――」

 

 ファムの言葉を問い質す前に、金色の稲光にも似た輝きが窓の外を満たし、直後には粉砕された天井よりシャンデリアが落ちてくる。

爆砕の音叉を響かせつつ、露わになった空を舞うのはMS部隊であった。

 

「あれ……確か《レグルス》とか言う……」

 

 機銃掃射を迸らせる《レグルス》を轟音で応戦するのは黄金の輝きであった。

 

 帯のような兵装を纏い、《レグルス》の火線を弾いて武装を逆立たせる。

 

 次の瞬間には掃射された帯状の武装が包囲しているMSの腹腔を射抜いていく。

 

 動力炉に引火したのだろう、収縮爆発を引き起こしたMSは噴煙を吐き出しながら地上へと真っ逆さまに落下していく。

 

 頭部から墜落した《レグルス》が爆炎をなびかせ、巨大なる黄金の魔は甲高い咆哮を上げて、世界に布告する。

 

 それは、まるでこの惰弱に沈んだ世界を切り裂くが如き咆哮――地球圏の重力の湿気を断絶する黄金の獣の顕現――。

 

「あれは……何……」

 

 いや、知っていた。

 

 知っているはずであった。

 

 この世界に生きているのならば、誰しも無関係ではいられない。

 

 与えられた名は――モビルフォートレス。

 

 禁じられた明けの明星。

 

『《ファーストヴィーナス》……だと……』

 

 当惑しているのは何も自分達だけではない。

 

 この絶好の夜を砕かれたリヴェンシュタイン家の当主の姿が月明かりに照らされて露わになる。

 

 生命維持装置に繋がれた痩躯。骨と皮ばかり浮き立った、人間としての尊厳を奪われた肉体。

 

 そんなものに、自分は何の疑いも持たず、ファムを捧げようとしていたのか。

 

《ファーストヴィーナス》が警護部隊である《レグルス》を黄金の帯で撃ち落としていく。

 

 まるで桁違いだ。

 

 逡巡の欠片もない挙動、敵意、否、殺意。

 

 研ぎ澄まされたこの世への嫌悪。

 

 どれもこれも、自分が二流、三流だと明らかにされるようで。

 

《ファーストヴィーナス》は稲光を想起させる武装を鬣のように立たせ、一斉掃射で《レグルス》編隊を打ち砕いていく。

 

 あり得ない、それはだって……。

 

『護衛の下々とは言え、王族親衛隊のはずだぞ……何故……』

 

《レグルス》の挙動範囲と機動性は自分のような戦いの素人でも分かるほどに洗練されている。

 

 だと言うのに、《ファーストヴィーナス》の攻撃をかわすどころか、反撃に転じる事さえもまるで出来ないまま撃墜されていくのは悪い夢のようだ。

 

 灼熱の尾を引いて、《レグルス》が海面に没する。

 

 炉心融解と収縮爆発で津波が巻き起こり、海に面した会場が鳴動していた。

 

「……何で……何で、MFがこんな、重力圏に……」

 

 いや、それは聞き及んでいたが、そもそも何故――このような社交界を狙うのか。

 

 そこまで思い立って、目の前で機械に侵食された裸体を晒す男に視線が赴いていた。

 

 ここを狙う理由なんて分かり切っているはず。

 

 目の前の男こそが――地球圏を牛耳り、発言力を持つと自分のような小娘であっても分かっているから、ファムを餌にしようとした。

 

 それと同じ事を、MFは武力で行っているだけだ。

 

《レグルス》部隊はおっかなびっくりの火線で《ファーストヴィーナス》の装甲を叩くが、どれもこれも致命打には成り得ない。

 

 そもそも、攻撃と言う基準にすら達していない、及び腰だ。

 

《ファーストヴィーナス》が一本角の直上に円環を浮き上がらせる。

 

 忌むべきエンジェルハイロゥ――唾棄すべき毒。

 

 風圧が生じ、《レグルス》部隊が煽られる。

 

 黄金の帯を近接武装のように用いて《ファーストヴィーナス》は《レグルス》の胴体を両断していた。

 

 爆炎が散る中で、《レグルス》は撤退機動に入る。

 

 それをリヴェンシュタイン家の当主はうろたえ気味に声にしていた。

 

『ま、待て……! 戦え! 相手はMFだぞ! 討って名を上げろ!』

 

 無理に等しいに決まっている。

 

 こちらの叡智がまるで届かない相手に、何を言っているのか。

 

 いやに醒めた意識の中で、キルシーは《ファーストヴィーナス》がこちらへと狙いを付けたのを、確かに目にしていた。

 

 ――ああ、死ぬのだな、と。

 

 終わりはこうも呆気なく。

 

 そして、ここまで蓄えた知識や意味、自分と言うちっぽけな自我は、ここまで意義を消滅させて。

 

 終焉を迎えるのには、今宵はいい月夜である事くらいしか分からない。

 

 分からないから、泣けもしない。

 

 涙も出ないまま、蒸発の彼方へと。

 

 自分達は追いやられるのだと、そう思い込んでいただけに。

 

 歩み出た影に、キルシーは意識の片隅で声を発する。

 

「……ファム……?」

 

 ファムが、これまで自分の思い通りに動かそうとしていた、虚飾ばかりの娘が――今この時、瞳に静かな闘志を宿らせ、自分の前に佇んでいた。

 

「いちばんめ……ファム、おこった。キルシー、きずつけるの、ゆるせない……!」

 

 ファムの赤紫の瞳が内側から光を宿し、瞬間的な風圧を生み出していた。

 

 それが何なのか、理解する前に《ファーストヴィーナス》の武装が照射されたが、直後に至っても自分の意識は掻き消されない。

 

 その不明さに目を見開いたキルシーは、屹立する巨体を目の当たりにしていた。

 

 円環の武装に吊り下げられた機体はマリオネットを想起させる。

 

 項垂れていた単眼の機体は、目には見えない何かを波打たせて《ファーストヴィーナス》の攻撃を防いだのだ。

 

 その叡智を理解する前に、出たのは呼吸と大差ない声である。

 

「……ファム……あなたは……」

 

「ミュイ! まっててね、キルシー。こわいのは、やっつけちゃう!」

 

 振り向いていつものように笑顔を向けたファムは、直後には敵を見る眼差しを《ファーストヴィーナス》に据える。

 

 その意思に応じるように、単眼の機体より放たれたのは虹色の波であった。

 

 機体を中心軸として放たれたパーティクルが、《ファーストヴィーナス》の装甲に纏いつくなり、連鎖爆発を引き起こす。

 

 それはこれまで幾度となく《レグルス》の銃火を受けてきた堅牢な装甲とは思えないほどに柔い反応であった。

 

 黄金の帯に引火し、武装そのものが溶解していく。

 

 灼熱の吐息に包まれた《ファーストヴィーナス》は、新たに生み出した帯の武装を逆立たせ、一斉にこちらへと打ち込んできた。

 

 当然、消し炭にされると思い込んでいたキルシーは、手を払ったファムの声に目を見開く。

 

「ミュイ! 《サードアルタイル》っ!」

 

 その声に呼応し、第三の使者――《サードアルタイル》はここに来て初めてその単眼の頭部に意思を宿らせ、波打つ虹が皮膜となって黄金の帯を縫い止める。

 

 その光景は世界の終わりを想起させた。

 

 立ち向かえるはずのない叡智が、この時、届いたのだ。

 

 静止した黄金の帯を虹が波打ち、直後には粉砕している。

 

 分解され金色の粒子が舞い踊る中で、ファムは両腕を突き出していた。

 

《サードアルタイル》が、第三の聖獣が、この時、動く。

 

 その挙動自体には、意味などないのかもしれないが、人類史にしてみれば大いなる一歩であった。

 

 浮遊する《サードアルタイル》の周囲に展開する虹の皮膜の指向性が変位し、瞬時に《ファーストヴィーナス》に纏い付いていた。

 

《ファーストヴィーナス》はその波を振り払おうとしたが既に遅い。

 

 瞬く間に爆炎に押し包まれ、《ファーストヴィーナス》の機体より黄金の輝きが明滅する。

 

 それはあり得ざる明けの明星の沈黙。

 

《ファーストヴィーナス》の躯体はこの時初めて、ダメージらしい傷を負ったのだろう。

 

 続く《サードアルタイル》の追撃を、相手は黄金の帯を鎧のように展開して防御し、かかろうとした波の攻撃を受け流す。

 

 それでも完全なる無効化は不可能のようで、爆発の点滅を引き起こしながら、《ファーストヴィーナス》は海上を滑走していった。

 

 そのまま天上へと昇っていく様は、神の鉄槌だと言われても何ら不思議ではない。

 

 無数の黄金の帯による照射攻撃は狙いさえ付いていないものの、社交界の会場を粉砕するのには充分であった。

 

 キルシーは思わず腰が引けてしまう。

 

 それを防御したのは《サードアルタイル》の波打つ虹であった。

 

「ミュイぃぃぃぃッ!」

 

 彼女の声が響き渡り、円環を描いた虹が《ファーストヴィーナス》の攻撃網を弾いていく。

 

 近場の街にそれらは突き刺さり、爆発の光と音が連鎖していた。

 

 キルシーは全てが終わってから、翳した手を払いのける。

 

「キルシー! 一体何が……!」

 

 今さらになって駆け寄ってきたガヴィリアは、半裸のリヴェンシュタイン家当主に一瞥を振り向けた後に、超然と佇むファムへと視線を奪われているようであった。

 

 自分も同じだ。

 

 聖獣を操り、この会場を守り切ったその当事者であるファムは、いつもの笑みを湛えてこちらへと振り返る。

 

「ミュイっ! キルシー! ぶじっ!」

 

「……何が起こったんだ……」

 

 ガヴィリアの「恥知らず」な言葉も今だけは同意であった。

 

《サードアルタイル》はその眼差しを海へと据えたまま、ただそこに在り続ける。

 

 ファムは自分が茫然自失になっている理由が分からないのか、抱きついてくる。

 

「キルシー! よかった! すきー!」

 

「す、き……?」

 

 言われた意味が一瞬分からなかった。

 

 だが、その体温が。

 

 その無邪気な声が、耳朶を打った時、小賢しい自分の意識はようやく、覚醒していた。

 

 ファムを抱き返し、そして確信する。

 

 ――女神は、すぐ傍に居たのではないか。

 

 自分では世界を変えられない。

 

 だがファムならば、世界を変える力を持っている。

 

 その確証にファムを強く抱き留める。

 

「ファム……あなたは女神だったんだわ。私にとって……出会うべくして出会った……これは、運命だったのよ……!」

 

「ミュイぃぃ……キルシー、ちからつよいぃぃ」

 

 今は、そんな事はどうだっていい。

 

 この手には女神の力が、変革の力が手に入った。

 

 それだけで、ここまで無為な革新を夢見てきた甲斐があったと言うものだ。

 

「ファム……私にとっての変革の女神は……あなただった……!」

 

 それは手を伸ばしても届かない太陽や星の輝きに、ようやく手が届いた瞬間でもあった。

 

 



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第164話「盤面を問う」

 

「観測衛星! 何を言っている! 要領を得ないぞ!」

 

 怒声を飛ばした観測班に、だから、と向こうからも荒立った声が返ってくる。

 

『三番目の使者が! MFが空間転移をしたって言うんですよ! 分かんないかな!』

 

「――失礼。モニター班、それは事実ですか?」

 

「あっ……タジマ営業部長……」

 

 観測される事象へと視線を振り向け、タジマは通信の手綱を取る。

 

『営業部長……事実です。先の《ファーストヴィーナス》の空間転移に続いて、まさか三番目の聖獣までもが……事実関係の洗い出し中ですが、地球に降りたと目されています』

 

「不可能なはずだ、重力圏への空間転移はこれまで観測されていないんだぞ……!」

 

 苛立った観測班に対し、タジマは一拍の思考を挟む。

 

「……いいえ、それはこれまで観測されなかっただけの話。不可能とイコールで結ばれるものではない」

 

「営業部長? しかし、それを認めてしまえば、各陣営のパワーバランスが……!」

 

「幸い、我が方には一日の長があります。統合機構軍がこの時のために観測衛星を何機も飛ばしてきた甲斐があったと言うもの。ダレトからの干渉波は? まずはそれを計測してください」

 

『干渉波は……いえ、ダレトは安定……。どういう事なんでしょう……』

 

「事実として一つ。ダレトが安定しているという事は、新たなる使者の来訪ではないという事。これを、まずは認識すべきでしょうね」

 

「しかし、だとすれば空間転移を《サードアルタイル》が行った理由が不明です。だって、あの機体には……」

 

「現状、パイロットは居ない……そのはずでしたが、当てが外れましたかね」

 

 タジマは眼鏡のブリッジを上げて観測衛星の映像を受信したモニターへと視線を振る。

 

『《サードアルタイル》の位置していたラグランジュポイントには影も形もありません。やはり、空間転移としか……』

 

「だが、観測班! それを容認してしまえば、我々人類の叡智はまるで届いていなかった事に……!」

 

「あるいは、事実そうであった可能性もあり得ます。我々は何も理解していなかった。扉の向こうより来たりし者達の、深淵とでも呼ぶべきものに」

 

《サードアルタイル》の位置していた宙域にはその影すらも認められない。真実の意味で消失した、この宇宙の摂理にタジマは嘆息をつく。

 

「……我々はまだ、何も知り得ていない。地上のエンデュランス・フラクタルの支社に伝達を。我が社が抜きん出れば、他を圧倒出来る可能性があります。彼の者がどこに向かおうとも、必ずその足取りを掴む。そうですとも……我々が法となる日も近いのです。情報の察知を最優先に。MFに関しての、どのような些細な情報でも構いません」

 

「はっ! ……しかし、MFが挙動したとなれば世界がどのように動くと言うのでしょうか……?」

 

 その言葉振りにタジマは顎に手を添えて考え込む。

 

「ともすれば……世界はダレトが開いた時と同じか、あるいはそれ以上の混沌に陥る事でしょう。その時に必要なのは、圧倒的な力。我が方はまだ入手し得ていない、七番目の聖獣も、必要になって来る事もあるでしょう」

 

「諜報部よりもたらされた情報資料の中には、《セブンスベテルギウス》の襲来を確認するだけの決定材料は揃っていないとも……」

 

「逸らない事です。逸ればそれだけ取り返しのつかない事になる。今は、慎重な一手でいい。それくらいがちょうどいいはず」

 

 タジマはしかし、そう観測班に命じてから別働隊の通信を繋いでみせる。

 

「こちらタジマ……どうなりましたか? 地上追跡班は」

 

『それが……地球圏への防衛ラインを突破したMF01はそのまま海洋地域へと突入。……いい報せか悪い報せなのかは分かりかねますが、どうやら貴族階級の社交場に攻撃を行い……王族親衛隊が出撃した模様です』

 

「王族親衛隊……ですが彼らは独自の命令系統が与えられているはず。如何に貴族とは言え、守るに値しないと判断すれば切り捨てるのが常……」

 

『確証はありませんが、恐らく今回の社交界には、王族親衛隊身分の人間が侵入していたと考えられます。それを何故なのだか、MF01は察知出来た』

 

 その理由はある程度判読可能だ。

 

 エージェント、キュクロプス――エンデュランス・フラクタルの中でも随一の諜報員がMFのパイロットだったとすれば、彼女は最初から裏切るつもりで潜入していた可能性が高い。

 

 こちらの情報網はある程度までは知られていると想定すべきだろう。

 

「それでも、得心が行かないとすれば、貴族階級に穴を開けた程度では地球圏の閉塞し切った階級制度や身分制はどうにもならない……それくらいは分かっているはずという事……。だと言うのに、彼女は何故……いや、ともすれば他のMFのパイロットの入れ知恵か……」

 

『追撃任務ならば可能ですが、如何せん、腐ってもMFです。犠牲は付き物でしょう』

 

「今は、最低限度の追跡に留めてください。何もいたずらに被害を増やす事はない。本社の裏港が消滅しただけでも痛手なのです。相手にはまだ手札を切らぬほうがよろしいかと」

 

『承知しましたが……本社はどうなったのです? 我々傭兵部門からしてみれば、本社が継続不可能に陥ってしまえばそこまでで――』

 

「勘繰りはお奨めしませんよ。それが生き残る事に繋がるのでしたら、余計にね」

 

 通話先の相手はそこで追求の手を引っ込める。

 

『……でしたら、こちらは追跡を主にします。しかし、分からぬとすればもう一つ。まだ情報源が明らかになっていないのですが、貴族達は無事との事です。死傷者は出たものの、彼の者達に被害はほとんどなく……これは奇跡的でしょう』

 

 タジマはしかし、理解している。

 

 MFと言う絶対的な魔に対し、奇跡なんて脆く崩れるものを掲げるのは間違っていると。

 

 ならば偶然ではなく必然――《サードアルタイル》の空間転移と今回の事態は繋がっていると見るべきであろう。

 

「……まさか、第三の使者……しかし、既にその肉体は失われているはず……」

 

『タジマ営業部長。我々傭兵部門はこの後、《ファーストヴィーナス》の追跡任務を続行します。相手も地球の重力に落ちているのです。少しは追いやすくなっているはず』

 

「そうだと信じたいですがね。それにしたところで、読めないと言うのはそれも込み……。何故、《ファーストヴィーナス》はそのような旧態然とした権力構図に風穴を開ける程度でよしとしたのか……」

 

 どう考えても異常なはずだ。

 

 今の権力構図を塗り替えるのならば、旧連邦政府を打倒し、企業の体質を完全に破壊する。

 

 そのためなら、むしろエンデュランス・フラクタル本社への破壊行為のほうが優先されるはず。

 

 だと言うのに、彼女はMFのパイロット二人を抱き込んで地球へと消えた。

 

 その赴く先の理由は、想像し得る範囲だと思ったほうがいい。

 

「……MFのパイロットをまずは擁立する必然性があった……? しかし、だとすればやはり彼らは我々相手に表立った攻撃は出来ない、と見るべきでしょうか」

 

『《ファーストヴィーナス》の襲来のせいで旧地球連邦はごたごたしているはずです。そうでなくとも、聖獣が月から降りてきたのならば心穏やかでは居られない連中ばかり。我々エンデュランス・フラクタルが最終勝利者になるためには、やはり聖獣を捕獲する必要があるかと』

 

「あるいはこの世界を牛耳る別の存在への干渉、ですか。……だがあまりにもそれは分不相応と言うもの……。MFほどの力を持っておきながら、この世界を破壊しない理由が……彼らにはある……?」

 

『いずれにしたところで、我々に出来るのはまずは応戦です。追撃に関してはこちらの現場判断に任せてください』

 

「頼みますよ。宇宙は……リクレンツィア艦長の擁するモルガンが追い立てているとは言え、こちらも読み切れません。どう転がるのかはまるで……」

 

 通信を切って、タジマは暗礁に沈んだ窓辺で紫煙をくゆらせる。

 

 何が起こり、何が致命的な間違いの中に沈もうとしているのか。

 

 それを読み切らなければこの局面、負けるのは自分達の陣営だ。

 

「……だがしかし……それに関してはあまりに手薄な情報……。一体何が起こったと言うのです。MFは……彼らは何のためにこの宇宙に召喚されてきたのか……解き明かす術は目の前にまで来ていると言うのに……」

 

 まるで追えば追うほどに彼方へと消えていく逃げ水のように。

 

 ともすれば世界は最初から、この手に余る代物であるとでも言うかの如く。

 

「……だが、誰かが手に入れなければいけないはず。その時、勝利者の座に輝くのは顔の見えない匿名の人々ではいけない。世界は、分かりやすい勝利構図を望んでいる。匿名者は葬られ、その後の時代を作るのは我々、エンデュランス・フラクタルでなければ、いけないのですからね……」

 

 



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第165話「最後に笑えれば」

 

「肩肘張り過ぎじゃない? カトリナちゃん」

 

 よっ、と軽く言葉を投げてきたバーミットに、カトリナは沈痛に顔を伏せていた。

 

「……でも、こんな不明瞭な事が立て続けに……」

 

「あのねぇ、起こった事は起こったとして処理しないと、やっていけない。それくらいはこの三年間で学んだはずでしょ? はい、これ」

 

 紙袋いっぱいに詰め込まれたものを差し出されてカトリナは当惑する。

 

「これ……焼きそばパン……ですか?」

 

「そっ。メカニックの子達にも回してあげてね。彼ら、だって《ダーレッドガンダム》の整備に付きっ切りでしょ? だったら、腹ごしらえをしているような時間はないはずだし」

 

 その中の一つを手に取り、カトリナはぐっと堪える。

 

「……でも、起きてしまった事を、何とかしてなかった事には、出来ないんでしょうか? それこそ、都合がいいのかもしれませんけれど……」

 

「無理ね、それは」

 

 どうしてなのだかこの時、バーミットが冷たく見えていた。

 

 彼女は平時ならば自分の都合も相手も都合も抱き込む性質だと言うのに、今ばかりはもう少し温情が欲しかったのもある。

 

「……起きた事は取り返しがつかない。命に取り返しがつかないようにね。でも、これから先を変える事は出来るわ。過去に目を向けるんじゃない、未来に目を向ける事で、あたし達は何かを……変える事が出来るのかもね」

 

「未来に……ですか」

 

「そっ。カトリナちゃんもさぁ、前回の戦闘からかなりダメージ来てるみたいじゃない。ここ、クマになってるし」

 

 目元を指差され、カトリナはそれを恥じ入るよりも先に、いえ、と意気消沈する。

 

「でも……仕事ですので……」

 

「その言葉振りも、いつものじゃないみたい。いつもみたいに語尾が上がってないわよ?」

 

 確かに、平時ならば仕事なのだから、で割り切れるのだが、今だけはどうしようもないと思われていた。

 

 沈黙する自分にバーミットは紙袋の焼きそばパンの封を開けるなり、ふんと息をついて自分の口へと突っ込む。

 

「ふへぇっ……? ふぁにひゃってるでひゅかぁ……」

 

「だまらっしゃい。今のカトリナちゃん、カワイくないわよ?」

 

「か、可愛いとかって……」

 

「いつもの幸せ女はどこに行っちゃったの? この世全ての悲壮感を背負ったみたいな顔、カトリナちゃんに相応しくないわ。第一、今のままじゃ、嫌な女よ」

 

「い、いひゃなおんにゃ……?」

 

「そう。カトリナちゃんは不思議ちゃんだし、何ならちょっとばかし頭のネジが緩んでいるとは思うけれど、でもカワイイのは曲げないし、何ならいい女だった。なのに、今のままじゃ、私可哀想なんです、っていう悲劇のヒロインになりたがりの、嫌な女。……カトリナちゃん、誓ったんでしょう? 三年前に、もうこれ以上、失いたくないって。だからベアトリーチェでずっと頑張って来られた。だって言うのに、ここで足を止めたんじゃ、結局意味なんてない。しゃにむでも、前に進みなさい。それがあなた流の、いい女の条件だって言うのならね」

 

 いつになく真剣な論調のバーミットに、カトリナは気圧されていた。

 

 自分は、知らぬうちに悲劇のヒロインに――誰かに可哀想だと思われるような人間に成ろうとしていたのかもしれない。

 

「……だって、可哀想のほうが楽じゃないですか」

 

「そうね。それはきっと、全人類そうなんでしょう。でも、カトリナちゃん。そんな風に、みんなが笑えなくなった時でも、たった一人、笑えていれば? それはきっと、希望って言うんじゃ、ないのかしらね」

 

「……たった一人で、笑えるんですか……」

 

「もちろん、厳しいかもしれない。でも、この世には最後に笑えていれば、それだけでも幸運ってものは舞い込んでくると思っている。確率論が何だって言うのよ。目の前で悲劇が起きたから自分は可哀想の側に居るほうが楽だって? ……そんなの、あたしが許さない。何よりも、レミア艦長とあたしの横っ面を引っ叩いたんだから、責任は取ってよね」

 

「せ、責任ですか……」

 

「そうよ。他人の人生変えちゃった責任。まぁ、そういう点では、クラードも似たり寄ったりって感じかぁ。……あいつもね。今みたいに無頼漢気取っていた時期だけじゃないのよ。どうしようもないミッションを背負わされて地獄の苦しみみたいな顔をしていた時もあったわ」

 

「……クラードさんが……?」

 

 意外であった。

 

 クラードならばどのようなミッションでも、顔色一つ変えずに達成するのだと思い込んでいたからだ。

 

「……イメージ出来ない? でしょうね。でも、あたしが赴任した最初のほう……エンデュランス・フラクタルに入った本当に最初は、あいつも何度か辛そうな顔をしていた事があったわ。でもそういうのってね、女じゃ駄目なのよ」

 

「女じゃ駄目って……」

 

「だって、じゃあ可哀想だね、その痛みを背負う、って、そう簡単に言えないもの。男には男の戦場がある。女には女の、ね。だから、女々しさであいつを囲って、それで可哀想気取るのだけは絶対にやっちゃいけなかった。……今も、そうなんじゃないの?」

 

「……今の、クラードさん、は……」

 

 決して他人には深入り出来ない秘密を自分と共有し、そしてそれを胸に秘めて消し去ろうとしている。

 

 立ち入る事は無礼と承知でも、それでも彼の痛みに寄り添いたい。

 

「……ホラ、やっぱり言葉が出ないって事は、あいつ、それなりに深い傷を負っているって事でしょ。だったら、背負ってあげられるのは男友達なら拳骨、女ならいい女である事よ」

 

「いい女って……でも私……バーミット先輩みたいにいい女には、急に成れませんよ……」

 

「じゃあ無理でもそのフリをしなさい」

 

「ふ、フリで……? フリでいいんですか?」

 

「そうよ。じゃなけりゃいきなり上等な人間に成りなさいとは言えないし。せめてフリだけでも、そう見えるようにしなくっちゃ。じゃないと、一生同じところをぐるぐる回ってばっかりよ? カトリナちゃん、あなたはどうなりたいの? だって、あたしに会社で出会った時、開口一番に行ったわよね? ――幸せになりたいって」

 

 それは右も左も分からなかった頃、それでも自分の中にあった迷わぬ意志そのものだ。

 

 だが、それを貫くのには現実を知ってしまった。

 

 背負わなくていい分まで背負ってしまったのだから。

 

「……私は……」

 

「はい。言い訳の言葉はこれで塞いじゃう。カトリナちゃん、どうしたいのか、それを決めるのはきっと、どう生きたいのかに繋がるわ。あなたはどうなりたいの?」

 

 もごもごと、再び突っ込まれた焼きそばパンに、カトリナは視線を落としてから、ふっと呟く。

 

「……幸せになりたい。……ううん、幸せになるんだ……!」

 

「だったら、こんなところで油売っている場合じゃないわよね」

 

 カトリナはキッと顔を上げ、焼きそばパンを頬張る。

 

 乱雑に、それでいて綺麗とは言い難い食べ方であったが、今はこれでいい。

 

 自分の中に理路整然とした答えを見出すのは、まだ先のほうに持ち越しでいいはずだ。

 

「……その、ありがとうございます。バーミット先輩」

 

「何の事やら。あたしは焼きそばパンを差し入れただけだし」

 

「……じゃあ焼きそばパン、美味しかったです。その、ちょっとワガママ、いいですか?」

 

「何でも。だってこの艦ではレミア艦長よりも発言力あるんだから」

 

「じゃあ……ちょっとクラードさんと……コロニーに赴いても、いいでしょうか?」

 

「休暇申請ね。いいわよ、別に。レミア艦長には上手く言っておいてあげる」

 

 頭を下げるとバーミットは言いやる。

 

「簡単に頭を下げない。安くなるわよ」

 

 その警句がいつか誰かが言ってくれたアドバイスと重なって、目頭が熱くなるのを感じつつも、カトリナは紙袋を抱えて身を翻していた。

 

 今、自分のやるべき事は悲嘆に暮れる事でもなければ、悲劇を気取って誰かに助けを求める事でもない。

 

 格納デッキに出るなり、カトリナは声を張り上げる。

 

「皆さーん! 焼きそばパンの差し入れでーす!」

 

 その言葉にめいめいの表情がこちらに向く。

 

 中には何で今、この非常時にという面持ちもあったが、それを無視してカトリナは焼きそばパンを差し入れしていく。

 

「はい、これ。皆さんも! ……お腹いっぱいじゃないと、だって元気も出ませんからっ!」

 

「か、カトリナ女史……どういう……」

 

「いいですからっ! サルトルさんも焼きそばパンを!」

 

 その時、《ダーレッドガンダム》のコックピットからこちらを認めたクラードと視線がかち合う。

 

 少し目を伏せたのも一瞬、直後にはカトリナは笑顔を取り繕っていた。

 

「クラードさん! コロニーに行きましょう! 休暇申請は取っておきましたっ!」

 

「休暇申請? ……何言っているんだ、そんな場合じゃないだろう。俺は……あの男に……赤い《レヴォル》を操るあいつに勝たなくちゃいけない。そのためには時間を一秒でも無駄に使うわけには――」

 

 その手を引き寄せ、カトリナは格納デッキを漂う。

 

「クラードさん、借りていきますっ!」

 

 誰かが二の句を継ぐ前に、サルトルが腰に手を当てて声を振っていた。

 

「……仕方ねぇなぁ。皆の衆! クラードは休暇だ。おれ達で機体は万全にしておくぞ!」

 

「休暇? 何を言って……そんなものは必要ない……」

 

「いいから! お前は休め! ……それに、ずっとそんな悲壮な顔で格納デッキうろつかれちゃ、こっちだって迷惑だ。お前は羽を伸ばして来い! その間に、《ダーレッドガンダム》のほうは完璧にしておいてやるよ」

 

「……サルトル、お前……」

 

 クラードの声が返る前に、サルトルは手を払っていた。

 

「さぁ、行った行った! 休暇中のパイロットなんて猫の手にもなりゃしねぇんだ! 今は……休んで来いよ、クラード」

 

 それは恐らく、彼のこれまでの歩みを分かっているからこそ出た言葉なのだろう。

 

 クラードはエアロックを潜ったところで声を潜める。

 

「……レミアが黙っちゃいないぞ」

 

「レミア艦長ならもう申請を出しておきましたっ」

 

「……抜け目ない性格に成ったな、あんた」

 

「そうでしょう? ……だって私、委任担当官なんですからっ!」

 

「どうでもいいけれどさ。手ぇ、引っ張る力、強いよ」

 

「だってこうしないと、クラードさん、付いて来てくれないでしょう?」

 

「……それもそうだな」

 

 面を伏せたクラードにカトリナは遠心重力区画を抜けてオフィーリアから下船する。

 

「……クラードさん、買い物しましょう! いつかみたいに、自由に」

 

「いつかみたいに、か。そのいつかに買った物に、まだ執着しているのは我ながら女々しいな」

 

 クラードの首に掛かっていたのは細かく砕けてはいたが、いつかのミラーヘッドの結晶のネックレスであった。

 

 思わぬ応戦にカトリナは面食らう。

 

「……まだ、持っていてくださったんですね……」

 

「他人に貰ったのは……これと名前だけだ。他は自分で勝ち取って来た」

 

「……クラードさんの名前、エージェントとしての名前ですよね?」

 

「ああ。少しばかり重たい記号だよ」

 

 コロニー、ルーベンの空は快晴に設定されており、軍警察のお膝元とは言え、街は活気づいている。

 

「……すごいな。かつてのコロニーとは似ても似つかないほどの人波だ」

 

「た、確かに……。こんなに人が多かったところ、あまり来た事がないですね……」

 

「……あんたが気圧されてどうするんだ。まるでお上りさんだな」

 

「く……クラードさんだって! ……どうするのかまるで分かっていないって感じですよ?」

 

「どうするのか、か……。確かによく分かっていないな。娯楽のようなものはほとんど封殺してきた身だ」

 

「だったらなおの事……! 必要なんじゃないですか? 委任担当官が」

 

 そっと手を差し出す。

 

 クラードはその手を握り返していた。

 

「……あんたが俺の手をこうして取るのは、まだ二回目か」

 

 一度目は月軌道決戦に赴く際であった。

 

 生きて帰れるのか、まるで分からなかった戦地に赴く時の約束手形として。

 

 今は、違う。

 

 あの時とは、違うと言い切れる。

 

「……違いますよ。三回目です。あの時……コロニーで映画がやっていた時、あの時優しく、私の手を取ってくれたじゃないですか」

 

「そんな事があったか?」

 

「……もうっ! 本当に憶えていないんですねっ!」

 

「……カトリナ・シンジョウ。要は全て忘れて、俺に、少しでも息抜きをさせたいんだろう? その目論みは分かっている」

 

「も、目論見って言い方……。でも、そうですね。クラードさん、全部一旦、忘れちゃうのは駄目ですか?」

 

「……そうするのにしては背負い過ぎてしまっている。別段、誰かの死なんてこれまで重いとも思ってこなかったのに、忘却がこれほどまでに重いなんて、想定してもいない」

 

 ――忘却。

 

 やはり自分と彼だけなのだ。

 

 ハイデガーの消失を、感覚出来るのは。

 

 しかし、カトリナは努めて明るく笑っていた。

 

「いいですからっ! 今は忘れちゃいましょう!」

 

「……それは重いだろ」

 

「罪としては、確かに重いです。でも、どんな罪人だって毎日懺悔しますか? そこまで思い詰めているのなら、もうその人の罪は……一日くらいは、赦されてもいいんじゃないですか?」

 

「一日くらいは……か。それも、どうなんだろうな。俺にはそんな資格……」

 

「ありますよっ! あります! ……だってクラードさんは、今日まで戦い抜いてきた! 忘れずに、帰ってくるって約束っ! ずっと守って来てくれたじゃないですか! なら……分け合うのは、駄目ですか?」

 

「分け合う……?」

 

 クラードの手をぎゅっと握り締め、カトリナは言いやる。

 

「……私とクラードさんだけが憶えていると言うのなら、二人だけの共犯関係です。私達は、この世で二人だけの、忘れちゃいけない人の記憶を共有している。なら、それは自分だけで背負うんじゃない、二人で背負いましょう」

 

 クラードは一瞬だけ放心したようであったが、すぐに持ち直す。

 

「……いいけれど、あんたの理論は穴だらけだ。そんな理論じゃ誰も幸福になんてなれない」

 

「それでも……っ! 目に見える誰かの幸福を……! 祈るのは駄目なんでしょうか? 手の届く人だけでも……幸せになって欲しい……ううん、幸せにするんだって!」

 

 この言葉は届かないかもしれない。

 

 そう思っていたが、クラードはふと言葉にする。

 

「……幸せになる、じゃなくって幸せにする、か。あんたらしい、暴論だ」

 

「ぼ、暴論って……!」

 

「だがその暴論はいい意味で、あんたらしくない。これまでの幸福論とは違うな、カトリナ・シンジョウ」

 

 それはきっと、いい意味でも悪い意味でも、線を引いていたのかもしれない。

 

 幸福になるのは限られた人間だけで、その総数には限界がある――だから不幸だけが世の中で分配されていく――その理論に反論出来ない自分に、どこかで見切りをつけて。

 

 だが今は。

 

 クラードは自分の幸福論が少しでも正しいのだと思ってくれた。

 

 それはきっと、違うはずだ。

 

 これまでとは、きっと……。

 

「クラードさん。ちょっと街を回って行きましょう。気が紛れると思います」

 

「……構わないが……何で涙ぐんでいるんだ?」

 

「……いえ、これは……ちょっと目にゴミが入っちゃただけですからっ!」

 

 そんな分かりやすい言葉で今は済ませて欲しい。

 

 嘘をつけない自分のような人間でもたまには体裁のための嘘だってつくのだ。

 

「……そうか。それならいいが……いや、待て。この人垣は異常だ。何かが起こっているんじゃないのか?」

 

「何かって……お祭りとかじゃないんですかね?」

 

 のほほんと応じてみせた自分にクラードは急に手を引いて人垣の向こう側へと自分を導く。

 

「ま、待ってっ! クラードさん! ……急に引っ張られちゃうと……!」

 

「しっ。静かにしていろ。……群衆が熱狂している」

 

「熱狂……何に、ですか……」

 

「声を潜めろ。あれは……処刑具か。ギロチンとは古風だな」

 

「ギロチン……何で……」

 

 クラードの言葉にカトリナの視線はギロチン台の上に立たされた数名の囚人に据えられていた。

 

 そのうち一人の面持ちに、見知ったものを感じ取る。

 

「……うそ……お父さん……」

 



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第166話「引き金の役割」

 

 クラードもまずいと感じたのだろう。

 

 自分を反対側に向かわせようとしてギロチン台の上からの演説が響き渡る。

 

『諸兄! 彼の者達はレジスタンスに与し、この軍警察のコロニー、ルーベンにて闇取引を行った者達である。よってここに! 彼らを断罪する! これは軍警察より与えられた正当な権限だ!』

 

 その暴力的な言葉に群衆は魅せられたように声を相乗させる。

 

「殺せ!」、「八つ裂きにしろ!」、「市民の敵だ!」

 

「……でも、何でお父さんが……」

 

「理由は何だって思い付く。あんたが……今日この日まで続けてきた抵抗の、その結果だって言うんならな」

 

 まさか、と戦慄いた自分の視界の中でクラードは冷徹に告げる。

 

「どうする? 親しい者の死だ。見ないほうがいいに決まっている。瑕に成るからな」

 

「どうって……私……は……」

 

 頭が働かない。

 

 決断が先延ばしになる。

 

 でも今だけは。そんな弱い自分じゃ駄目なはずなのに。

 

 処刑台に立たされた罪人達は皆、昏い瞳で自分達の番を待っている。

 

 そんな中に自分の親が居るなんて、悪い夢でも見ているかのようだった。

 

「カトリナ・シンジョウ。これは現実だ。だからこそ、決定権はお前にある。……お前はどうしたいんだ」

 

「私は……」

 

 これを悪夢なのだと。自分には関係のないところで起きるはずだった出来事だと、そう断じる事も出来る。

 

 しかしクラードはあくまでも決定権を自分に投げている。

 

 それは、自分が先ほど並べ立てた幸福論が、彼にとっても一筋の光明となったためであろう。

 

 ――分かっている。覚悟するのよ、カトリナ。

 

 もう戻れないのならば、とカトリナは目をきつく瞑った後に、クラードに命じていた。

 

「……私のお父さんを……助けてください」

 

 これは懇願ではない。彼に「命令」したのだ。

 

 自分勝手な願いを、エージェント、クラードの手で変えてくれと。

 

「分かった。今から俺は、お前のトリガーだ」

 

 ――ああ、きっと、と今になって遅く理解する。

 

 こんな瞬間に、彼は物言わぬ引き金となって己を封殺してきたのだろうと。

 

 だが理解してあげるのならもっと早く、もっと明瞭に――彼を救う言葉一つ吐けないままに、自分は彼をトリガーにしてしまっていた。

 

 クラードは片耳を塞ぎ、声にする。

 

「――来い! 《ダーレッドガンダム》!」

 

 気づいてしまった。その瞳が赤い逆三角形の紋様を、刻んでいたその事実に。

 

 突然に広場に跳躍してみせたMSに誰もが当惑する中で、《ダーレッドガンダム》のコックピットへと自分は招かれる。

 

《ダーレッドガンダム》がギロチン台に歩み寄り、その手を差し出していた。

 

「お父さん! こっちへ」

 

『……カトリナ……なのか?』

 

「迷っている時間はない。他の者達まで回収するような余裕もないんだ。確保してこの場を全力で立ち去る」

 

 マニピュレーターに父親を保護した《ダーレッドガンダム》が反転し、そのまま飛翔して軍警察の追求から逃れようとするが、コロニー上層部より降りてきたのはトライアウトの機体群であった。

 

「……待ち伏せか。カトリナ・シンジョウ。少し手荒に行く!」

 

 機体をロールさせ、クラードは敵機の銃撃網をかわし様に相手へと突撃を仕掛けていた。

 

 鋼鉄同士がぶつかり合う重低音が響く中、《エクエス》の誇る銃弾の雨嵐を避け、《ダーレッドガンダム》は上方に抜けている。

 

 逆さ吊りの高層建築物に身を隠し、僅かに敵の気勢を窺ったが、どうやらそこまで追跡してくるほどの執念深さはないようで、あくまでも自衛的な措置であったらしい。

 

 高層ビルの屋上に降ろした父親へと、コックピットを開いたカトリナは声にしていた。

 

「お父さん! ……何でこんなところに……」

 

 昇降機で降り立った自分へと、父親は沈痛に面を伏せて掛けられた手枷を意識する。

 

「……それはこっちの台詞だよ、カトリナ……。もう連絡がつかなくなって三年にもなるのに……」

 

「それは……」

 

 言い澱んだ自分へとクラードから声が振ってくる。

 

「反政府勢力の鎮圧じゃないな。別の何かで処刑されるはずだったらしい」

 

 情報網を掴んだクラードの言葉に、父親は恥じ入るように瞼をきつく瞑っていた。

 

「お父さん……」

 

「そんなつもりは、なかったんだ。だが……お前からの連絡も途絶え、その上で……どうにかしないとと思ってな。母さんも元気がなくなっていたし、わたしだけでも何とかしなければ、と……ポートホーム事業の会社に再就職したのだが、そこは秘密裏に不正取引を行っていた」

 

「裏取引……」

 

「それが軍警察にとっては知られてはまずい案件であったのだろう。わたしはここで処刑されるはずだった。、だが、カトリナ……何でお前がこのコロニーに? それに……その機体は……」

 

「今は、説明は後にさせて。とにかく……お父さんを逃がさないと」

 

 自分の言葉に父親はいいや、と頭を振る。

 

「逃げたところでどこまでも追われるだけだ。……カトリナ、お前は今、一体何をやっているんだ? 確かエンデュランス・フラクタルに務めていたんじゃ……」

 

「それは……」

 

「カトリナ・シンジョウの父親。闇取引とやらの内情を教えさせてもらいたい」

 

「……彼は……」

 

「私の……上司みたいなものなの。クラードさん、お父さんはやましい事なんて――」

 

「やましい事がないのなら、あんな公の処刑場なんて用意されない。軍警察の何を知っている?」

 

 詰問の声音に父親はばつが悪そうに目線を逸らしていた。

 

「……わたしが知り得たのは、軍警察のアキレス腱のようなものであった。ポートホームによる違法な移送行為。トライアウトは地球圏に、《ネクロレヴォル》に拮抗する兵器を輸送している」

 

「その実情を言えと言っている。知り得たからには、軍警察も穏やかではないはずだ。一体、何を知ってしまった?」

 

「く、クラードさんっ……そんな言い方……」

 

 戸惑った自分を他所に父親は罪の告白をするかの如く、重々しく口にしていた。

 

「……トライアウトブレーメン、知らないわけじゃないな?」

 

「ブレーメン……? それって研究部門の軍警察なんじゃ……」

 

「そんな彼らが、開発してしまった禁断の兵器。ミラーヘッドの、第四種殲滅戦を覆しかねない兵装……名称を“ミラーフィーネ”。現行のミラーヘッド減殺ガスよりもなお強力な、第四種殲滅戦を無効化するだけの兵器だ」

 

「第四種殲滅戦を、無効化する……?」

 

「それはミラーヘッドジャマー程度の兵装ではないな?」

 

「ジャマー兵装ならば、まだ読みが勝る。ミラーフィーネは木星船団よりもたらされた叡智だ。搭載したMSはミラーヘッドの戦場にて、その場に居ないものとして扱われる」

 

 その言葉にクラードへと目線を返して絶句する。

 

 彼もその赴くところを理解したらしい。

 

「……レヴォルの意志に寄らず、同じだけの戦力を拡充する、か。考えていないわけではないようだな」

 

「だ、だがわたしは……偶然知り得てしまっただけなんだ! それなのに……本社に足切りをされて……。わたしは知らなかった頃には戻れないとは言え、企業もきな臭いと思っている。軍警察と企業の癒着もあり得るのではないかと」

 

 カトリナはクラードに目線を流し、彼の本意を確かめる。

 

「軍警察のお膝元であるこのコロニーでは彼らこそが法だ。コロニーから逃げ切ったとしても個人アカウントの単位で消せない限りは、ずっと追われ続けるだろう」

 

「で、ではどうすれば……!」

 

「抗うしかない。地球圏でも統制が強くなっていると言うのならば、自分を捨て去る覚悟で戦い抜く。そうでなければ負けるだけだ」

 

「ま、負ける程度で済むのだろうか……。わたしは、これでも責任を感じているんだ。知ってしまった責任、そして一度は逃げようとした責任……どれもこれも、重苦しいものばかりじゃないか……」

 

「だがカトリナ・シンジョウは、あんたの娘は逃げようなんて思っちゃいない」

 

 差し挟まれた声に父親はハッと振り仰ぐ。

 

 クラードは怜悧な赤い瞳を向けたまま、事の趨勢を眺める。

 

「あんたの娘は、逃げなかった。逃げなかったから、今、こうして俺と共に在る」

 

 今一度、今度は教え込むかのように告げられる。

 

 クラードの口から自分が逃げなかったと言われたのは初めてであった。

 

 だが思えばこの三年間、無様でも敗走だけはしなかったのは、それは自分自身の覚悟そのものに問いかけてきたからである。

 

 ――自分が恥ずかしい自分にだけは、成りたくない。

 

 その想いだけでここまでやってこられた。

 

 しかし、それを父親にまで強いるのは酷であろう。

 

 何せ、父親は一般人なのだ。

 

 自分のように、運命への叛逆を講じるのにはあまりにも普通の人間である。

 

 だがクラードの言いたい事は分かる――分かってしまうようになってしまった。

 

 運命への叛逆を常に講じるものだけが、未来を掴む事が出来る。その条件を自らに課してきたクラードにとって、父親のような人間は漫然と今を生きるだけの存在なのだろう。

 

「……あなたは、しかしカトリナをどうすると言うのですか。わたしは……可能なら逃げおおせたい。この過酷な運命から……背中を向けたい」

 

 平時ならばそのような甘えた言葉は許さないクラードであったのだろうが、今ばかりは、と屋上に降り立って言いやっていた。

 

「……カトリナ・シンジョウ。あんたが決めろ。俺は、あんたが従えと言った事なら従う。……《ダーレッドガンダム》を破壊の力に使うのか、それとも守るための力に使うのかは、あんた次第だ」

 

「……でもそれは、クラードさんの力で――」

 

「俺の力の所在は、今はあんたの手の中にある」

 

 それで理解出来てしまった。トリガーの意味を。

 

 クラードは、自分の余計な感情を挟まず、それでいて的確に、トリガーとしての役割をこなそうとしている。

 

 並大抵な事では叶うはずもない、そんな理想を掲げ、彼は自分に問いかけているのだ。

 

 これから先、《ダーレッドガンダム》と自分は、ただ壊すだけの存在なのか。

 

 それとも守るための存在に成り得るのか。

 

 ここが分水嶺であった。

 

 クラードにとっても自分にとっても。

 

 自分が安きに流れれば、クラードは幻滅するのかもしれない。

 

 だが肉親相手だ。血だけは裏切れない。

 

 今、父親が困窮していると言うのならば、それを救うだけの力を自分は持っている。

 

 クラードは自分に従うと言ってくれた――それはただ文面通りなだけではない。

 

 自分の決定なら、それを呑むと言ってくれているのだ。

 

 これまで紡いできた絆を、ある意味では試されているようであった。

 

 父親を救うのにはしかし、オフィーリアの指令とは相反する行動を取らなければいけないかもしれない。

 

 何せ、ほんの一個人だ。

 

 これまでのように仲間達の命を背負って戦場に赴くのとはわけが違う。

 

 どう足掻いても、どう虚飾しても、それは自分の意思であり、自分の決定となる。

 

 カトリナは一拍、拳をぎゅっと握り締めてから息を詰める。

 

 その一瞬で、自分の胸中にある迷いをある意味では掻き消していた。

 

「……クラードさん。お願いします。お父さんを……助けてください」

 

「構わないが、ここは軍警察のコロニーだ。長くは居られなくなるぞ」

 

「……構いません。覚悟の上です」

 

 その時、警笛と共にこちらへと肉薄しようとしてくるのはトライアウトの擁する《レグルス》の部隊であった。

 

 昇降機でコックピットに収まったクラードは敵勢と相対する。

 

『カトリナ・シンジョウ。これよりルートを模索する。それを辿って一旦離脱しろ。戦闘状態では二人も守り切れる自信はない』

 

「……クラードさん……」

 

『行くぞ、《ダーレッドガンダム》。トライアウト軍勢に対し――攻勢を開始する!』

 

《ダーレッドガンダム》がビームライフルを速射し、《レグルス》の編隊をばらけさせてから、その武装を刃に持ち替えていた。

 

 小太刀を逆手に握り締め敵の肉薄を留める。

 

 粒子束が拡散する中で、斬り返し、《レグルス》へと蹴りつける。

 

 そのまま下方へと向かっていったのは自分達から目線を逸らすためだろう。

 

《レグルス》部隊がその背中を追いすがる中でカトリナは父親に言葉をかけていた。

 

「……お父さん、クラードさんが守ってくれるから、今は、このコロニーから離脱しなくっちゃ……。そうしないと、クラードさんに合わせる顔もないよ」

 

「構わないのか? カトリナ……お前はエンデュランス・フラクタルに……企業の人間だろう?」

 

 カトリナはゆっくりと頭を振り、その眼差しに返答する。

 

「そうだけれど、それよりもお父さんの娘だもん。だから、今はこれでいいの」

 

 そう、今は、これでいいはずだ。

 

 自分の中にそのように規定して、カトリナは上層のエレベーターに飛び乗り、コロニーの階層を降りていく。

 

「ポートライナーを使えば、別のコロニーに行けるはず……。そうすれば一旦は、追求から逃れる事くらいは……」

 

「だが……それは重罪に成るんじゃ……」

 

 今さらだとは言えない。

 

 自分がレジスタンスとして戦っていた事を、父親は知らないのだ。

 

 ならば、せめていい娘として振る舞うしかない。

 

「お父さんのほうが大事。お母さんに……故郷にもう一度、帰って欲しいから……」

 

 もう、自分の身では踏む事も叶わないとそう思っていた地球圏の故郷。

 

 そんな当たり前の幸せを父親には失って欲しくない。

 

 だから――今だけはワガママでいる他なかった。

 

 階層表示が切り替わると共にカトリナは顔を上げる。

 

「……絶対、幸せになるんだ……!」

 

 



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第167話「淑女の指先は血に塗れて」

 

 ブリギットより出撃が許されたのは自分だけで、それも当たり前か、とダビデはコロニー、ルーベンに突入する。

 

 もしもの時に軍警察の身分を有効活用出来るのは自分だけなのだ。

 

 通信回線への介入に、ダビデは応じていた。

 

『《ダーレッドガンダム》の反応が急に消えた……いや、空間跳躍したとしか思えない。まさかそれほどまでの力があるなんて、おれ達だって想定外なんだ。頼むぞ、ダリンズ中尉、壊してくれるなよ』

 

「了解。いずれにしたところで主戦力を欠いたままでは作戦行動に支障を来す。今は……《ダーレッドガンダム》の奪還か。しかし何を考えている……エージェント、クラード……」

 

 かつては敵同士として対峙した存在の胸中など分かるはずもない。

 

 ダビデは《レグルスブラッド》をコロニー内部に浮遊させ、今も戦闘行動に移っている《ダーレッドガンダム》と《レグルス》編隊を視野に入れる。

 

「……何をやっているんだ。下手にコロニーの中での戦闘なんて……!」

 

《ダーレッドガンダム》は敵を粉砕するまではいかないように立ち回っている。

 

 武装の無力化のみに気を割いている様子のクラードに、ダビデは割り込むように介入し、ビームサーベルを抜刀していた。

 

 片腕に翳したシールドで行動を制し、二機の動きを留めてみせる。

 

「止まれ! トライアウトジェネシス所属、ダビデ・ダリンズ中尉である!」

 

『……ダリンズ中尉……? 何故、この不明機に味方を……』

 

 確かに、駐在軍からしてみれば自分は不明機に味方する軍属であろう。

 

「何が起こった? 何故、戦っている? エージェント、クラード。どういう了見だ?」

 

『……俺はカトリナ・シンジョウのトリガーとしての役目を果たしているだけだ』

 

「……どういう意味だ? 何か意図でもあるのか?」

 

『……ダビデ・ダリンズ。邪魔をするのなら――お前だって敵だ』

 

《レグルスブラッド》に向けて《ダーレッドガンダム》が仕掛けてくるが、その太刀筋の殺気のなさに、ダビデは疑問を浮かべる。

 

「……どういう事だ? 何故……意味のない戦いを繰り広げる?」

 

『お前は分からなくってもいい。今は、時間を稼がせろ』

 

 刀身が干渉波を押し広げてそのまま機体ごと弾かれ合う。

 

 ダビデは《ダーレッドガンダム》の不明な動きに、刃を下段に構えていた。

 

「……理由を聞かせろ。そうでなければ断罪も出来ん」

 

『だ、ダリンズ中尉……! この機体は、処刑場に急に現れて……囚人を……』

 

「処刑場? そのような見世物は禁じられているはずだな? 何故、処刑なんてものがまかり通る?」

 

 それに関してはこのコロニーの駐在軍のほうが口を滑らせたらしい。

 

 完全に失念していたと言う間が流れた後に、ダビデは《レグルス》編隊へと視線を流す。

 

「……どうやら迂闊なのは、お前だけではないようだな、エージェント、クラード。我が方にも落ち度はあったらしい」

 

『時間を稼がせてもらう。それ以外にない』

 

「……お前は本当に、ストイックが過ぎると言うものだよ。理由を聞かせてくれれば、援護も出来るものを」

 

『必要ない。俺は、俺自身の役目に忠実なだけだ』

 

「それもこれも……無駄の多い事だ……!」

 

 ここでの交錯はほとんど意味などないのかもしれない。だが自分が立ち向かわなければ無用な血が流れる可能性もある。

 

 今は、矢面に立って《ダーレッドガンダム》と打ち合うのが賢明であった。

 

 下段より斜に振るい上げた勢いを殺さず、逆手持ちの小太刀を叩き落とそうとするが、それくらいは想定の範囲内であったのだろう。

 

 刃同士が干渉し、後退しかけた相手へとマニピュレーターを伸ばして引き込み、自分の射程に向かってこさせる。

 

「そこは――私の距離だ!」

 

 上段よりの唐竹割り。

 

 呼気一閃させるも、相手も心得ていないわけでもなし。

 

 大太刀に持ち替えた《ダーレッドガンダム》は盾にしたその刃を立たせ、直後には踏み込んできていた。

 

 首を狩る一撃が奔る。

 

 ダビデは後退用の推進剤を噴かせ、一瞬の後にたたらを踏む。

 

「……アイリウムなら破壊してもいいという冗談はない」

 

 だがここで下手に手を抜けば、駐在軍に勘繰られてしまうのは必至。

 

 今は、無益でも刃を交わすしかない。

 

「……だが、エージェント、クラード。その力量、そう言えばはかった事はなかったな。これで少しは……お互いの手札を晒し合えると言うもの」

 

 戦闘狂のつもりでもなかったが、クラードほどの強者とやり合えるのならば、自分も本望であった。

 

 薙ぎ払った太刀を相手が受け止め、そのまま応戦の刃が切り開く。

 

 活路一つに見出した一閃を防御し、ダビデは自分と相手の立ち位置を入れ替えて剣閃を振るっていた。

 

 必殺の一撃の威容を漂わせた刃を、相手は風と受け流す。

 

「……やるな」

 

『……悪いが加減は出来かねる』

 

「いいさ。そのほうが……戦い甲斐があると言うもの……!」

 

 当惑した駐在軍の通信が耳朶を打つ。

 

『だ、ダリンズ中尉を援護しようにも、ここまで密着していれば……』

 

 そうだとも。

 

 これが狙いだ。

 

 自分もクラードも、しかしこの好機を言い訳にして斬り合っているのみ。

 

 これでは一刹那にかけるだけの刃の死狂い。

 

 だがしかし、これくらいでちょうどいい。

 

 理由は知らないが、それでもクラードが応戦の太刀を振り向けてくるのなら、それに応じないのもまた恥なりと知れ。

 

「行くぞ……エージェント、クラード。言っておくが私は加減が出来るほど、器用には出来ちゃいない……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コロニーの下層でカトリナは上層部を仰ぎ見ていた。

 

「……まだ、戦っている……クラードさん」

 

 ならば時間はあると考えていいのだろう。

 

 父親の手を引き、カトリナは事前にマッピングされていた通路を行き過ぎる。

 

「か、カトリナ……ちょっと待ってくれ……息が……」

 

 息の上がった父親を立ち止まらせ、カトリナは端末に表示されるマップを見やる。

 

 既に駐在軍の手が回ったのか、先んじてマップの先が赤く染まっていた。

 

「……こっちの道じゃ駄目。あっち……!」

 

 回れ右をして反対方向へと駆け出す。

 

 下層市街では先ほどの《ダーレッドガンダム》の闖入がまだ効いているのか、混迷の只中にあった。

 

 だからなのか、囚人服の父親を連れて走っている自分が見咎められる事もない。

 

「……カトリナ……」

 

「なに? マップだって無限じゃないって――」

 

「いや……こうしてお前に……手を引かれる日が来るなんて思わなくってな。わたしも老いたものだよ……」

 

 不意に湧いた感傷に、そうか、とカトリナは脳裏を過ったものを感じ取る。

 

 ――もう、会えないのかもしれないのだな。

 

 そう考えると目頭が熱くなったが、ぐっと堪えてそれを飲み干す。

 

 今は、余計な感傷は要らない。余計な事に足を取られているような時間もない。

 

「……今は……っ、今だけは……!」

 

 父親を逃がす。

 

 だがその先はどうなる?

 

 父親は逃げ切れる保証なんてない。

 

 今、このコロニーから逃走をしたとして、地球圏まで追跡が及ぶ可能性は?

 

 そもそも母親にまで嫌疑がかけられてしまえば、自分達一家はどうなる?

 

 もう二度と会えないだけではない、犯罪者の家族として後ろ指を指され続ける。

 

 向かってくるその現実に対し、カトリナは皺の浮いた父親の手をぎゅっと握り締め、それから口中に声にする。

 

「……だから、どうしたって言うの」

 

 ここで父親を見殺しにすれば。

 

 自分はきっと、大切なもの一つを失ったまま、宙ぶらりんになるに決まっている。

 

 空っぽになってまで、抜け殻になってまで生き永らえていいのか。

 

 それは生と呼べるのか。

 

 カトリナは否とより手を強く引く。

 

「……だって、助けたいって言う気持ちは、私だけの物じゃないでしょう、カトリナ……」

 

 クラードを既にトリガーにしてしまった。

 

 ならば、もう自分は小賢しい策を講じている場合でもない。

 

 ――父親を助ける。母親に危害は及ばせない。自分達は、絶対に生き抜いて……。

 

 その時、父親が不意に自分を突き飛ばしていた。

 

 カトリナは不格好に走り込んだ姿勢のまま転がってしまう。

 

「お父さん?」

 

 自分を突き飛ばした瞬間、老いた父親が相好を崩したのが窺えた。

 

 何に感謝してなのか、その口元が紡ぐ。

 

「ありがとう」と。

 

 その言葉を聞き遂げる前に、銃声が劈き、一発の銃弾が父親の心臓を射抜いていた。

 

 あ、と断末魔にも成らない声がこぼれ、父親が倒れ伏す。

 

 カトリナは、こちらを狙い澄ましたスナイパー相手に何も出来ずになっていた。

 

 機動部隊であろう、その銃口が自分も狙い澄まそうとして、カトリナはろくに動く事さえも出来ない。

 

 父親の手を引き、まだこれでも逃げようとする己の弱さ、その闇を直視する前に、血溜まりが下層市街の通路に広がっていく。

 

 こんな、冷たい強化コンクリートの道の上で、死んで行くような人ではなかったはずなのに。

 

 だと言うのに現実は。

 

 見間違えようもない現実だけは――。

 

 カトリナは腰に備えていたホルスターより拳銃を突き出す。

 

 狙撃手は落ち着き払って通信を放ちつつ、自分達を狙う。

 

 カトリナは涙に濡れた相貌のまま、奥歯を噛み締めて怨敵を狙い据える。

 

 だが、その引き金にかけた指はどうやったって――。

 

「なん、で……。何で、引き金を引けないの……カトリナ……ッ!」

 

 自分でもその茫漠とした事実に唖然とする。

 

 こんな時に、何も出来ないのが自分なのか。

 

 こんな時に、仇も取れないのが自分だと言うのか。

 

 それはあまりにも――。

 

「……いやぁ……お父さん……」

 

 銃口を降ろす。

 

 狙撃手がトリガーを引く前に、雪崩れ込むように加速度をかけてきた《アイギスハーモニア》が機動部隊を牽制していた。

 

 ビームライフルの攻勢が彼らの機動位置を削いでいく中で、声が響き渡る。

 

『カトリナさん! どうしたって言うんすか! これは一体……!』

 

 アルベルトの広域通信にカトリナは拳銃を手にしたまま、その場で蹲っていた。

 

「お父さん……お父さん、おとう、さん……」

 

 その指先が僅かに動く。

 

 ハッとしたカトリナは、血に濡れた父親が最後の最後、力を振り絞って笑ったのを目にしていた。

 

「……カト、リナ、わら、いなさい……おま、えに、は……えが、お……しあわ、せ、に……」

 

 指先が硬直し、そのまま力を失う。

 

 こんなところで死ぬ人間ではなかったはずだ。

 

 こんなところで、死んでいい人間では、なかったはずなのに。

 

 だと言うのに、自分が――「殺した」。

 

 その感情にカトリナの自我は押し流されてしまっていた。

 

 ただ慟哭する。

 

 世界を裂くように、その声は止め処ない。

 

 今は、どうしてここまで世界が残酷なのかと、そう問わずにはいられなかった。

 

「……カトリナさん。敵は撤退しました。襲撃は来ません」

 

「……放っておいてください」

 

「今は……クラードも込みで戻りましょう。あいつもまだ上層で戦っている。それはきっと、あんたのためだ」

 

「……だから、放っておいてください……よぉ……っ!」

 

「カトリナさん。オレはあんたを回収しないといけねぇ。そうじゃないと収まりもつかねぇし……何よりもこのコロニーじゃもう下策だ。オレは……」

 

「だから! 放っておいてって言っているじゃないですか!」

 

 堪え切れずにその銃口をアルベルトに向ける。

 

 もう自分なんて放っておいて欲しい、諦めて欲しい一念で据えた銃口の先に居たのは覚悟を決めた男の相貌であった。

 

「……カトリナさん。前にも、こんな事、ありましたね。オレがぐずついていた時……ラジアルさんが死んじまった時だ」

 

 頬を伝う熱を止める事も出来ずに、カトリナは目を見開く。

 

「それ、は……」

 

「オレもあん時はどうしようもなかった。生きる気力だとか気概だとか全部奪われちまった。生きる屍ってああ言うことを言うんでしょうね。でも……その時、立ち上がれって、無理でも起きろって言ったのは、あんたの言葉でしょう? だって言うのに、今足を止めるのは……それはあの時、激励されたオレが許さねぇ。あんたにはまだ、前を行く責任があるんだ」

 

「……やめてください、やめてくださいよぅ……ぉっ……! 私なんて……私なんて居ても居なくっても……同じ……っ」

 

「じゃあ何ですか。あの時、オレを叱咤して、それでも生きろって言ってくれた……あのカトリナ・シンジョウは! 嘘だったって言いたいんすか!」

 

「嘘なわけないじゃない! 嘘なわけ……ないじゃないですかぁ……っ。……でも、もう駄目かもしれない……もう、立ち上がれないのかも……。クラードさんが、時間を作ってくれたのに、何も……。何も! 報いられなかった! じゃあもう……駄目じゃないですかぁ……っ!」

 

「語れば陳腐に落ちる。オレは……あんたに、ここで足を止めて欲しくないんだ。ここで膝を折って、弱い女に成っちまうのは簡単でしょうよ。でも、オレが焦がれたのは、ずっと背中追っかけて来たのは……どんな事でも折れないカトリナ・シンジョウでしょうが……! 都合のいい時だけ弱く……成らないでください」

 

 だがそれは。

 

 父親の死を踏み越えてでも前に進めと言うのか。

 

 伝い落ちる涙を堪える事も出来ないで、カトリナはぎゅっと拳を握り締める。

 

「……でも、でも、でもぉ……っ! 私はそんなに……強くない……っ!」

 

「強くねぇのはお互い様です。カトリナさん。オレの眼を見てください」

 

 アルベルトは真っ直ぐな双眸で自分を見つめてくる。

 

 カトリナはやり切れてなくって目を逸らしていた。

 

 やめて欲しい、自分に期待するなんて。

 

「オレはあんたを信じた。あんたなら、オレを預けるに足りたと思ったから、三年間、ずっと戦い抜いてきた。それがカトリナ・シンジョウの終わりっすか。それが……オレの好きだった人の……終わりなのかって言っているんですよ……ッ!」

 

 カトリナはその言葉に顔を上げる。

 

 立ち上がったアルベルトは自分の手を引いていた。

 

「走るっすよ。ここももう持たない。……お父さんには、きっちりお別れしておきましょう」

 

 自分の手で別れを告げなければいけない。

 

 それが娘として出来る、精一杯の親孝行だと言うのならば。

 

 掌で瞼を閉ざし、カトリナはアルベルトの機体へと乗り込んでいた。

 

「……コロニー、ルーベンを離脱します。クラードさんにもそう伝えて……さようなら、お父さん……」

 

 このような場所で死ぬはずじゃなかった人。

 

 しかしもう戻れない。戻れない場所まで来てしまった。

 

「……飛びますよ。気ぃ付けて」

 

 飛翔した《アイギスハーモニア》が飛翔機動に移り、コロニーを後にしていく。

 

 クラードとダビデの機体が駐在軍の攻勢より離れ、こちらに追従していた。

 

 誰よりもしっかりしていないと駄目なはずなのに。

 

 それなのに今だけは。

 

「……涙が止まらないの……。許して……ください……」

 

 



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第168話「死者の驕り」

 

「受信した情報の限りでは、我が方に損耗ありとの事でしたが」

 

『それでも無理を押して追撃してください。それが翻っては我が陣営の優位となる』

 

 タジマの言葉を聞き届けてから、ピアーナは現状宙域の様相を視界に留める。

 

「オフィーリアはコロニー、ルーベンに停泊中。しかして、先ほど何者かが介入……レジスタンス艦を撃沈してみせた。その期を逃すな、と?」

 

『了承しておられるようで何よりです。オフィーリア追撃は今しかありません』

 

「ですが、地球重力圏ではもっと大変な事が起こっているご様子。MFの降下と襲撃は予期されたのですか?」

 

『いえ、しかし、現状騎屍兵団は目標遂行に力を入れていただきたい。それが《ネクロレヴォル》を運用する要となるのでしょうからね』

 

 どう言い繕われても、結局自分達は騎屍兵を動かすだけの駒でしかない。

 

 タジマも焦っているのが窺えていた。

 

 今の状況では結果をどこかで残さなければ取りこぼされるとでも言うような。

 

「……では我らモルガンはオフィーリア追撃任務を取ります。戦力の拡充もありましたし、大丈夫だと……信じたいですが」

 

『何度も仕損じるわけではないでしょう。あなたは優秀なのですからね』

 

 その言葉を潮にして通信が切られる。

 

 ピアーナは倒していた写真立てを上げて、そこに映し出された自分とカトリナ達を見据える。

 

「……優秀、ね。それは当て擦りと言うものですよ」

 

 そこで艦長室に伝令が入る。

 

『艦長。少し、お話が』

 

「入っても構いません。何でしょう?」

 

 写真立てを倒してから、艦長室に入って来た青年士官と向かい合う。

 

「クラビア中尉です」

 

 真面目腐った挙手敬礼をする相手に、ピアーナは首肯していた。

 

「存じています。何か不都合でも?」

 

「いえ……艦長は、その、俺の処遇とか、何も言わないんですね」

 

「貴方には兵士としての働きを期待しています。それ以外に何の素養が?」

 

「いえ……俺は兵士です。それ以上でも以下でもないのは間違いないですし……。ですが、得心と言うものがあります。騎屍兵団を取り纏める師団長である艦長からしてみれば、俺のように正規手順で騎屍兵に入隊しなかった身分は、邪魔にも映るのではないかと……」

 

「邪魔なものですか。兵士は一人でも欲しいのが実情です。そこに余分な感情を差し挟む余裕はありません」

 

「恐縮です。しかし、俺だけ名有りと言うのもその……居心地が悪いもので……」

 

 ピアーナは職務の手を止めていた。

 

 ダイキはどこか所在なさげに視線を彷徨わせる。

 

「……騎屍兵団の、彼らは誇りを持って名を捨てているのです。要らぬ同情は、彼らにとっては唾棄すべき侮辱ですよ」

 

「し、失礼を……! ですが俺は……迷いをもって戦いたくないんです。中佐殿が……俺をここまで押し上げてくれた。そんな自分に……恥じ入るような戦いはしたくない……!」

 

「どうやら勘違いをなされているようですね。わたくしからしてみれば、貴方の本懐はどっちだっていい。戦場で役立つか、そうではないかの違いです。トライアウトネメシスでの働きは評価している、と言っているのですよ? 何か不満でも?」

 

「不満……でもないのですが……俺は戦いにおいて、少しばかり余計なものを背負っている……ストイックに成り切れないんです。それが……彼らと俺との、違いでしょう」

 

「ストイックな戦闘機械に成る事への憧れでも?」

 

「いえ、そこは……俺も分からないんです、何も……。ただ……艦長は全身RMとお聞きしました。だから騎屍兵団の師団長に志願を?」

 

「わたくしが彼らに入れ込んでいる、とでも言いたいのですか?」

 

 少しばかり凄んで見せれば、この青年士官は委縮する――かに思われたがダイキは真っ直ぐにこちらを見据えるのみであった。

 

 肝くらいは据わっているか、とピアーナは落ち着いて声にする。

 

「……何でもないのですよ。あの月軌道決戦後、わたくしの居場所は再編成され、そして最も適性が高かったのが騎屍兵団の師団長であっただけ。要は、与えられた役職をこなしているだけの……ただの木偶人形のようなものです。別段、そこに特別な感情や、感傷を持ち込んでいるわけでもない。わたくしは……相変わらずただ、脆いだけ」

 

「脆い……? 全身RMでも……ですか」

 

「精神まで強靭であろうとすれば、出来なくもないのが今の技術でしょう。有機伝導体操作技術、そして思考拡張、どれもこれも、人間の域を引き上げるものばかり。だからと言って……わたくしが強くなれるわけではない。それは何よりも……戦場に居座っていれば嫌でも分かります。むしろ、弱くなるばかり。人界とはまかりならぬとは言うものの、ここまでだとは思いも寄りません」

 

「それは……艦長でも自分は弱いのだと、そう仰っているのですか」

 

「……何を聞きたいのです? わたくし自身の弱さの告白でも聞きに来たのですか」

 

 少しばかり刺々しく応じてやると、ダイキは目を伏せていた。

 

「……ネメシスのほうで俺は……あの人の……レミア・フロイト艦長がどれほどの責任と過去を背負っているのか、考えもしませんでした。ただ闇雲に、勝てる、今の自分達なら負けないと、そればっかりが先行して……。俺だけが勝ったって意味ないんです。みんなが生き残らなくっちゃいけない。それは騎屍兵だろうが、名有りだろうが名無しだろうが、同じ事なんです。俺はそれを理解出来ていなかった……理解出来ないから、あの人は遠くに……俺達と争う道に行ってしまった。それは俺の弱さです」

 

「そこまで思い詰める事もないのでは? レミア艦長が貴方の下を離れたのは、別段貴方が弱かったからでもないでしょう」

 

「いえ、俺の弱さなんです。……憧れの人一人……留められなくって何が男だって言うんですか……!」

 

 ダイキはこれまで話してきた人々とはまるで正反対に居るタイプの人間であった。

 

 騎屍兵を率いている身分上、既に死んだように生きている人間と、あるいは自身の足跡に意義があるのだとそう信じて疑わない「恥知らず」な人間と意見を交わすばかりである。

 

 ある意味では完全な「生者」である身分――どうあっても死人である騎屍兵の事は理解出来ず、かと言って彼はレミアの本心まで窺う事は出来ない。

 

 それはだが、生きているがゆえに起こる過ちなのだろう。

 

 自分のように全身RMとして、死んだように生きているわけではない。

 

 彼は真っ当な生者としての意見を言っているのみだ。

 

 そこに疑念を差し挟むのは、それこそ死者の抗弁であろう。

 

「……ダイキ・クラビア中尉。わたくしに貴女へと適切な答えが振れるとは思っていない。それは死者の驕りでしょう。ですが、貴方には別の道がある。今からでもトライアウトネメシスに戻ったっていい。何も、退路を消すだけが、軍人の素質ではないのですよ」

 

「いえ、俺は……中佐殿に頭を下げさせてしまった。その時点で、俺の道はこっちしかないんです。だから……お願いしに来たんです、艦長。俺に、新型機をください。成果は挙げてみせます」

 

 実直に頭を下げたダイキに、ピアーナは冷徹な言葉を振る。

 

「分かっているのですか? 新型機を振ると言うのはつまり、それだけ死地よりの距離は近くなるばかり。《パラティヌス》で一戦を潜り抜けてから、それは思案しましょう。今は、目に見える戦果を挙げてください。話はそれからです」

 

「それは……可能性はある、と思っていいんですね」

 

 どこまでも前向きだな、とピアーナは感じつつも、彼へとあてがわれるMSのデータを呼び起こす。

 

「《パラティヌス》は現行のミラーヘッド機としても最大のパフォーマンスです。王族親衛隊、ヴィクトゥス・レイジ特務大尉が進言したのですから、貴方はそれで戦い抜き、その上で勝ち取りなさい。それが、今貴方の出来る貢献です」

 

「了解しました! ……艦長の気持ちに応えます」

 

 そう言って身を翻したダイキの背中を見送ってから、ピアーナは呟く。

 

「……道化は、わたくしだけでは、ないという事ですか。死の領域に踏み込むなんて、それはだって、生きているのならそんな必要なんて、ないって言うのに……」

 

 今はただ、死者の領分に足を踏み入れるだけの勇猛な眩しさに、目をやられたと思うべきなのだろう。

 

 久しく熱を忘れていた瞳に、涙が浮かび上がる。

 

「……カトリナ様。わたくしを責めてくださいまし。貴女を死なせまいと必死になっているのに、全部が裏目に出る駄目な女を……」

 

 



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第169話「トリガーは彷徨う」

 

 カトリナは暫く療養が必要だろうと、そう判断したのはヴィルヘルムであった。

 

 状況を聞くに当たって、彼ほどの適任者も居ない。

 

 クラードは汚染深度のテストを受けてから、医務室にて彼へと言葉を振る。

 

「……実際、どうなんだ。血縁者が死ぬと言うのは」

 

「どうとも言えない。わたしだって、何でも知った風な口は利けないと言うわけだ」

 

「分からないな……それがあの冷徹なヴィルヘルムの言葉だとは思えない」

 

「いくら冷徹にこれまで振る舞っていたからって休暇の間にそんな事が起これば、心的外傷を疑いもする。……ある意味では、かつてのラジアルと同じ……いや、それよりも立ち直れないかもしれないな」

 

 ヴィルヘルムは電子煙草に火を点けて紫煙をくゆらせる。

 

「……俺が付いていながら、何も出来なかった」

 

「逆だよ、クラード。お前が付いていたから、彼女の父親は彼女の目の前で死ねた。それは死に行く者としては本望だろう。最後の最後に、娘に会えたのだからね」

 

「だが、俺はカトリナ・シンジョウの心に瑕を付けただけかもしれない」

 

「瑕、か。クラード、だがお前は、どれほどの人死にの上にも成り立ってきたこの三年間のカトリナ君を知らないだろう? ……彼女は立ち上がる。わたしは個人的にだが、そう思っている」

 

「……これまでは他人だった。今回は違うだろうに」

 

「いや、わたしは違わないと思うがね。彼女にとってはベアトリーチェクルーも家族のようなものであった。お前と会う前のカトリナ君は、それこそ日々やつれていくばかりだったよ。クラード、お前の生存を信じ、それでも前に進んだ彼女の強さ、それを目の当たりにしたからこそ、邪険にしないのだろう?」

 

「……俺は俺の叛逆を講じるのみだ。それ以外は、別段どうだっていい。だがカトリナ・シンジョウは、ただの人間だ。戦士でさえもない」

 

「それは彼女にとって侮辱だとは思うがね。わたしは何も過大評価しているわけではない。カトリナ君の芯は、誰よりも強い。ともすれば、その強さはお前以上かもしれない。わたしもかつて……テスタメントベースに降りる際、彼女に背を押されたクチだ」

 

 クラードは己の腕に視線を落とす。

 

 モールド痕が刻まれた腕――原罪を叩き込まれただけの戦闘機械。

 

 だが、カトリナは違う。

 

 まだ戻れるはずなのだ。

 

 その退路をある意味では塞いだのは自分だとも思っている。

 

「……俺はあいつに、思い切らせるだけの素質なんてない」

 

「だがね、クラード。この世において、他人との関係性はそんなものだ。思い切らせるか、踏み止まらせるかだけの違いさ。お前は思い切らせた。それは何も、お前だけの決断ではない。彼女の素質だ。カトリナ君は自分の意思で、戦い続けると決めた。だからこそ、父親の死をただの死として安売りしたくなかったのだろう。事実、彼女の父親は目の前で死ねた。それが瑕となるのか、あるいは心の支えになるのかは、今後のカトリナ君次第だ。他人が口を挟めるだけの領域じゃないのさ」

 

 煙い吐息をつくヴィルヘルムの物言いに、クラードは自身の手を眺める。

 

 これまで数多の死と、そして数多の呪いに塗れた、忌むべき掌。

 

 だがカトリナはこんな意味のないものに、意味を見出そうとしてくれていた。

 

「……カトリナ・シンジョウが再起不能なら、俺に言ってくれ。その時にはコロニー、ルーベンより先の航路にて降ろす事も考えられる」

 

「彼女は言ってしまってももう血濡れの淑女(ジャンヌ)だ。どこで降り立ったところで、彼女の居場所はもう、戦場にしかないとは思うがね。辛い事だが」

 

「戦場に意味を見出す、か。そんなの、少なくっていいはずだったんだが」

 

 だがカトリナはあの時、自分に戦ってくれと願った。

 

 ならばその心根の強さは、誰かに言われたからでもない。自分で探し出すものなのだろう。

 

「俺は……」

 

 その時、激震が見舞う。

 

 長距離巡航ミサイルの直撃を告げた警報が耳を劈いていた。

 

「……戦闘警戒か」

 

「クラード、恐らくは……」

 

「ああ、ピアーナの一派だろうな。……向かってくるのなら容赦はしない」

 

 そう断じるなり医務室を出て格納デッキに向かう途上で、角を折れたところで鉢合わせしたダビデと行き先がかち合う。

 

「……何も言わないのだな」

 

「何の話だ」

 

「私と戦った事も、カトリナ・シンジョウの事も」

 

「お前が俺と戦ったのは意味を理解しての行動だろう。それに、俺は別にカトリナ・シンジョウの事に関して何か言いたい事があるわけでもない」

 

「その割には、平時よりもお喋りに映る。……浮足立っているのか」

 

「まさか。俺は戦闘機械だ。そうと規定されたものを屠る……ただのトリガーだよ」

 

「エージェント、クラード。だがお前は……私の見る限りでは少し思っていたのと違う。……もっと冷徹で、もっと研ぎ澄まされた刃なのだと思っていた。お前に関して、お喋りだった人間が居る」

 

「俺に関して? ……そいつは酔狂だな」

 

「その人は……お前を超えるべき目標だと決めていた。いつだって、口癖だった。エージェント、クラードは美しき獣であると。だが、今のお前には陰りが見える。……その人の言っていた美しき獣とやらは、今は鳴りを潜めているのか?」

 

「……それも間違いだろうさ。俺は鈍ったわけでもないし、そいつの言うような美しき獣とやらの時期もない。――俺は過去からずっと、変わらぬエージェント、クラードだ」

 

「……そうか。それを聞いて安心した。背中を任せるに足る言葉が欲しかったところだ」

 

「お前も随分とお喋りじゃないか、ダビデ・ダリンズ。もっと寡黙かと思っていたが」

 

「……私も何だかんだで情にほだされているところはある。カトリナ・シンジョウが戦いたくないのなら、彼女の意を汲むだけの覚悟も」

 

「……分からないな。みんな、お人好しが過ぎるんだ。何だって他人の痛みをそう背負えるんだよ」

 

「それはお前もだろう、エージェント、クラード」

 

 エアロックを潜る前に放たれた言葉に、無重力を漂いつつクラードは目を見開く。

 

「……俺、が……」

 

「気づいていないのか? あるいは無自覚なのか。お前は……もう充分に……いや、これは言わないほうがいいか」

 

「どういう意味だ」

 

「口にすれば陳腐に落ちる。私は戦うだけだ。戦うだけのDDなのだから」

 

 ダビデは自身の《レグルスブラッド》へと流れていく。

 

 その後ろ姿を眺め終わってから、クラードは身を翻していた。

 

《ダーレッドガンダム》に取り付いているサルトルに声をかける。

 

「首尾は?」

 

「機体追従性自体は上がっているが……お前、どうやって空間転移なんて術を手に入れた? そのログが出ないんだよ」

 

「それは……」

 

 そこで口ごもる。

 

 自分でもどうしてなのだか分からない。

 

 あの時、「呼べば来る」のだと言う確信に衝き動かされて《ダーレッドガンダム》を空間転移させた。

 

 そこに迷いなんて一片もなかった。

 

「……分からない」

 

「そう言うと思ったよ。適性値に振っておいたパラメーターは下手にいじらないほうがいい。何よりも、だ。ポートホーム以外での空間転移はダレトからもたらされた、今の人類じゃ完全解明は難しい技術なんだからな。おれはお前が……彼方に行っちまわないかだけが……不安要素だよ」

 

「俺は何でもない。出撃姿勢に移る」

 

「はいよ。《ダーレッドガンダム》! 出撃体勢に入るぞー! 総員、退避、退避ーっ!」

 

 三三五五に散っていくメカニックの中で個別ウィンドウを開いたのはティーチであった。

 

『クラードさん。《ダーレッドガンダム》に新しい兵装を付与しておきました。右腕の大出力マニューバを利用した極大化ビームマグナムです。これなら……前回仰っていた、不明な要素を排除出来るかと』

 

「助かる。俺もこいつには手を焼いているところだ」

 

 パラドクスフィールドのもたらす不確定要素を排除し、その高出力のみを利用するのには、少しでも手綱を握らなければいけない。

 

 腰部にマウントされたビームマグナムはベテルギウスアームに接続出来る設計になっていた。

 

 格納デッキを移送される途中でアルベルトからの回線が接続される。

 

『クラード。……正直、オレは……いや、何でもねぇ』

 

「何。何かあるなら言いなよ。アルベルトらしくもない」

 

『……オレらしく、か。いや、何でもねぇはずなんだが……言っておくとすりゃ、オレも余計な事をしちまったかもしれねぇ。これに関しちゃ謝っても……』

 

「アルベルトが頭を下げてどうこうなる事なら、もうどうにかなっているでしょ。そうじゃないから苦戦しているのも分かるし。俺はそっちを急かさないよ」

 

 アルベルトは一拍の逡巡を挟んだ後に、言葉を漏らしていた。

 

『そういうつもりでも、なかったんだがな。……いいさ。RM第三小隊! 出撃姿勢に入るぞ! 後れを取るな!』

 

 いつもの調子の声を響かせたアルベルトの通信ウィンドウを切り、《ダーレッドガンダム》がカタパルトボルテージに固定されたのを確認する。

 

 鎧めいたパイロットスーツの気密を確かめ、バイザーを下ろす時になって、管制室から入電してきた相手にクラードは声を返していた。

 

『《ダーレッドガンダム》、発進位置へ。頼むからとちらないでね、クラード』

 

「レミアは? どうしたんだ、バーミット」

 

『今はあたしが艦長代理。……ちょっとね、野暮用があるみたいで』

 

「……レミアが? 珍しいな」

 

『いいから、あんたはしゃんとする! ……これは女にしか分からない戦いなのよ、クラード』

 

「意味分かんないな、それ」

 

『敵勢は前回よりも手駒揃えてきたみたいだから。あんたがヘマやらかさなきゃ、こっちだって無事にコロニーから出港出来る。ここが力の入れどころよ』

 

「了解。《ダーレッドガンダム》、エージェント、クラード。――迎撃宙域に先行する!」

 

 青い電磁を纏いつかせ、《ダーレッドガンダム》の機体が射出される。

 

 後続したアルベルト達の編隊を意識しつつ、クラードは最奥に位置するモルガンと護衛艦隊を睨んでいた。

 

「……ピアーナ。まだ俺達の道を遮るのなら……」

 

《ネクロレヴォル》部隊がそれぞれミラーヘッドの蒼い残像を引きつつ、段階加速へと移っていく。

 

 その統制された動きに迷いは見られない。

 

「……MAの仕込みはなし。単純な部隊の力量だけでこちらの戦力を押し返す気だな」

 

『クラード、オレは《ネクロレヴォル》隊を押さえる。RM第三小隊も出来るはずだ』

 

「あまり逸らないほうがいい。何かしらの策があるから、ピアーナは仕掛け来ている。あるいは、もう既に手は打ってあるとでも……」

 

 その言葉尻を裂いたのは熱源警告であった。

 

 直上からの接近警報にクラードは鎧のパイロットスーツの中で天上を仰ぐ。

 

「……反応、上か!」

 

 瞬時に習い性の身体が小太刀を抜刀する。

 

 受け身の体勢を取った自機へともつれ込むように加速してきた痩躯に押し出されていた。

 

 小太刀が支えきれない超速荷重に弾かれそうになる。

 

 眼前に突きつけられた殺意の双眸が赤く輝き、クラードは息を呑んでいた。

 

「新手か……! こいつ……!」

 

『私も踊るのには少しばかり迂闊だとは思うのだが、しかしいつまでもお預けを食らうほど――我慢強くはないのでね!』

 

 払われたのはビームサーベルの粒子束だ。小太刀を押し返す膂力に、即座に背部にマウントしていた大太刀と接合させ、目の前に翳す。

 

「……この機体は……!」

 

 機体識別照合、アンノウンがもたらされる中で、漆黒の機体はその手に握り締めたビームサーベルの両刃を掲げる。

 

『名乗るのは三下のやる事だが、あえて名乗ろう! この機体の名は《ソリチュード》! 戦域を奏でる独奏曲だ!』

 

「《ソリチュード》……。だがそんな機体で!」

 

 瞬時に接近して薙ぎ払おうとして、機影が掻き消えていた。

 

 瞬間移動としか思えない速度にクラードは瞠目する。

 

 敵機は、自分の振るった切っ先へと降り立っていた。

 

『鈍くなったな、エージェント、クラード君。その太刀筋、迷いが見えるぞ。何なら私が、その迷いを断ち切ってみせよう! 君は戦いにおける麗しき修羅となって、私と一緒にワルツを踊るのだからね!』

 

「誰が!」

 

 刃を振るい上げるも、軽業師めいた挙動を取る敵機は背後を取り、袖口に仕込んだビームバルカンを掃射させる。

 

『これで一死だな』

 

「……こいつは……この機体は……!」

 

 肉薄してきた《ソリチュード》自体に備え付けられた誘導型の強化推進剤が光を瞬かせ、瞬時に側面へと回り込む。

 

 否、その速力は回り込んだ、などと言う生易しいものではない。

 

「……その空間へと、現れた……? まさか、空間転移を物としているのか……!」

 

『案外! 私も長続きするとは思っていないのでね! この奥義を君の前で晒すのは、君が踊ってくれる、その時だ!』

 

《ソリチュード》の脚部に内蔵された仕込み腕が発動し、そのマニピュレーターが保持するビームサーベルが発振され、機体を斬り払おうとする。

 

 クラードは直前で太刀筋を閃かせ、応戦の刃を振るっていた。

 

「……《ダーレッドガンダム》が何故、俺の意に従うのか……。こいつが何を望んでいるのか……」

 

 今になってその命題が鎌首をもたげてくる。

 

 今ではないはずなのに――《ソリチュード》の挙動を目の当たりにすれば、その迷いは重々しい鎖となって自分を束縛する。

 

『鈍い! 脆いぞ、クラード君! その剣さばきで、私と一端に踊るに足ると、思っているのかね!』

 

 斜に振るわれた一撃の重さは本物だ。

 

 本物の強者の剣を前に、惑いの只中の太刀は彷徨うのみ。

 

「……俺は、何のために戦えばいい……いや、俺はトリガーのはずだ。そうと決めた……引き金に過ぎないはず……なのに、何故……カトリナ・シンジョウの父親を守り通せなかった……」

 

 分かっている。

 

 自分のせいではない。

 

 それも理解した上で、カトリナの父親を守ると誓った力は、何も出来ないまま漂っただけだ。

 

 ――何が出来る、何のための力だ、これは。

 

「……俺の力は……《ダーレッドガンダム》……」

 

『呆けているのなら! その寝ぼけた刃を粉砕する!』

 

 上下より牙の如く放たれた一閃が堅牢なはずの格闘兵装を両断し、クラードは爆砕に気圧されるように後退していた。

 

 噴煙を引き裂いて《ソリチュード》が迫り、そのまま腹腔へと一撃を見舞おうとする。

 

 瞬間的な判断で腰にマウントしていたビームマグナムの銃身を盾にしていた。

 

 強化された銃身のビームコーティングならば一撃を凌ぐくらいは出来るはずと、そう判じた神経はしかし、《ソリチュード》の自在な挙動に淘汰される。

 

 さながらサーカスを奏でるかのように、蹴り上げた一撃が頭蓋を揺さぶり、そのままコックピットへの致命的な伝導として視界がぶれる。

 

「……このままでは……!」

 

『エージェント、クラード君! 私は欠伸の出るような一曲を君と踊る気はない! そのような生易しい挙動ばかりなら、構うものか、私自身の手で、引導を渡すのみだ!』

 

《ソリチュード》の速度は常軌を逸している。

 

 持ち得る加速度と空間転移、それだけでも《ダーレッドガンダム》を凌駕し得る性能であろう。

 

 だが、自分は。

 

 ここで撃つ事を躊躇う自分自身は。

 

 どうして、ここで自分は恐れを成しているのか。

 

 戦う事が今さら恐ろしいわけでもなければ、抗う事への迷いがあるわけでもない。

 

 ただ、自分の力が及ばなかった事実を突きつけられ、そして戸惑っているだけだ。

 

 ――カトリナ・シンジョウの父親を守り切れなかった。

 

 そんな事に足を取られている場合ではないはずなのに。

 

『……澱んだな、クラード君。事ここにおいて、迷いの太刀を振るうのは、私への侮辱と知れ!』

 

 肘打ちが機体の芯を激震し、《ダーレッドガンダム》のフレームが軋む。

 

「……俺は……」

 

 



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第170話「畢生よ」

 

 戦闘警戒だ、と言われても身体が鉛に成ったように動けなかった。

 

 分かっている、離別だってしたはずだ。

 

 だと言うのに、部屋から出られない。

 

 自分のような人間に何が出来ると言うのか。

 

 委任担当官として、戦い抜くと誓った――そう、誓ったはずなのに。

 

「……私は、こんなにも弱かった……」

 

 言葉にしたところで、父親が蘇るわけでもなければ過ちを清算出来るわけでもない。

 

 しかし、濁った自分の、世界への叛逆は途絶えていた。

 

 ここで、途絶えようとしていた。

 

 何になると言うのだ。

 

 大切な人を死なせてまでの叛逆など成立するのか。

 

 そんな迷いの胸中に、差し込んできたのは声であった。

 

『……カトリナさん。居るわね?』

 

「レミア……艦長」

 

 クッションを抱いたまま、ベッドの中央で蹲っていた自分へと、レミアは部屋の外から通信を繋ぐ。

 

『クラードが……彼があなたを必要としているわ。今のままじゃ、少しまずいかもしれない』

 

「……何がですか。クラードさんは、だって迷わないじゃないですか。私なんかの声……足手纏いなだけですよ」

 

『それでも彼の背中を押して欲しいと願うのは……同じくクラードに、トリガーとしての意味を見出した同士だから、じゃあ駄目かしらね』

 

 何故それを、と絶句した自分にレミアはフッと微笑んだようであった。

 

『分かるわよ……今のあなたはあの時の私と……同じ境遇の塞ぎ込み方をしているもの』

 

「……艦長も、大切な人を……?」

 

『あなたとちょっと事情は違うけれどね。……エンデュランス・フラクタルに入る前の、統合機構軍の一企業に居た時の事よ。そこで……とても気の合う人と出会えたわ。私は、言ってなかったけれどこれでも貴族出身者だったから、とても奔放な彼に惹かれた。私の知らない世界を何でも知っていて、そしてとても……とても優しかった。きっと、惚れていたのよ。世界の何がしかを知らない私は、少しだけ世界の片鱗が見えた気がして、彼と行動を共にする事が多かった。……こんな事言ったって困るかもしれないけれど、将来を誓い合ったわ』

 

「……その人は……?」

 

『……彼はでも、エンデュランス・フラクタルより送られてきた諜報員に追跡され、ある日行方を晦ませた。産業スパイだったのよ、彼。だから親しかった私が疑われ、そして彼と再接触の可能性があると目された私に、エンデュランス・フラクタルのエージェントが付けられた。それが、クラード』

 

 まさかそんな出会いだったとは思いも寄らない。

 

 カトリナは目を戦慄かせて、その宿業の先を尋ねていた。

 

「……クラードさんは……敵だったんですか」

 

『元々は、の話だけれどね。彼は私に何らかの形で再接触を果たす、そう信じ込んでクラードは寝ずの番。その時に、いくらか話したわ。クラードは……元々の名前を失っている事。エンデュランス・フラクタルの所有物として、今の自分の生存権は存在し、そしてレミア・フロイトと言う私を守るために今は任務に当たっていると』

 

「……変わっていないんですね、その時から」

 

『ええ、変わらない、血も涙もない冷徹なエージェント……今よりももっと、ね。そして、この話は特に面白味もないまま、終局を迎える。……私に彼が接触してきたのよ、エンデュランス・フラクタルの見立て通りにね』

 

 カトリナはクッションに顔を埋めてから、その時の事を思い描く。

 

 レミアは運命の相手を殺さなければいけなかった。それは彼女自身のためであろうし、何よりも相手を守るためにも必定であったのだろう。

 

『……私は、クラードより、拳銃を預かっていたわ。もし接触して来た時は打算以外での再会はあり得ない。だから撃て、とね。……残酷でしょう? 実際、でもそうだったの。彼は……エンデュランス・フラクタルに何を言われたのか、自分の事をどう評されたのかを最初に確認し、それから私の無事は二の次だった。……クラードの言う通りの事しか言わなかったわ。その場合、撃てるのは私だけだって……クラードの話の通りに、私は……』

 

「……撃てたん、ですか……?」

 

 だがこの物語の結末は切ない。それは分かり切っているはずなのに。

 

『……撃てなかった。彼がもう、私をただの事実関係のために使っているのだと分かっていても、それでも撃てなかったのよ。私は……弱い女だった。彼に、最後の選択肢を問いかけたのよ。このまま私と逃げないか、って。でも、彼は出来ないって言った。自分には使命がある。そのために、君を利用していただけだ、ってね。銃口を突きつけられたのは私のほうだったわ。用済みになった湿っぽいだけの女なんて、撃つのに躊躇いなんてなさそうだった。……でも、私は……クラードに命を拾われた。私の引き損なったトリガーを、彼は肩代わりしてくれたのよ。その時から、今も、約束は続いている。私の保留したトリガー、それがクラードと言う名の罪となって、今も私を制約し続ける。……月軌道決戦で、お互いに死んだほうがマシだったと思うのは、それもあったの。もう、縛られ続ける必要性はないんだって。でも、私も生き延びて、彼も生き残って、そして在るべき場所に私を取り戻してくれた』

 

 それはクラードが決して崩さなかった姿勢だ。

 

 レミアを取り戻してからレヴォルを含め失った時を取り戻す――それが彼の講じた叛逆。

 

 世界へと牙を突き立てる行為。

 

 しかし、自分にはそこまで思い切って付いて行けるだけのものがない。

 

 三年間も掲げ続けた叛逆の旗は、こんなにも簡単に折れてしまう。

 

「……私、でも駄目なんです。あの時、言われたんですよ。今は私のトリガーに成ってくれるって……。でも、責任を取り続けなくっちゃいけない。それは私にとって……とてつもなく重くって……」

 

 父親を死なせた責任。

 

 処刑台で無知のまま死なせてやれば、もっと後悔のない死に様だったかもしれない。

 

 なのに自分は、無駄に生の執着を掴ませてから、それを最悪の形で手離させてしまった。

 

 最後の最後、娘に会わせるなんて残酷だ。

 

 そんな残酷な幕引きを選ばせてしまったのは、自分の罪だ。

 

『……カトリナさん。塞ぎ込むのは結構だし、いつでも足を止める事は出来る。でも、今は、今だけは……同じくクラードにトリガーを預けた女同士……弱くなっちゃいけないのよ。彼は待っている。あなたの答えを』

 

「私の答えなんて……っ! だって、クラードさんにとっては、私の我儘なだけで……!」

 

『そうじゃない。クラードは今でも憶えていてくれている。私のトリガーであり続けてくれる。それはあなたもでしょう? カトリナさん。彼に一度でも引き金を預けたのなら、最後の最後、お互いに死んでしまうまで、その時まで抗い抜くのが、いい女の条件のはずよ。クラードに本当の意味で報いたいのなら、余計にね』

 

「でも……でもでもっ! ……クラードさんに、これ以上重石を背負わせられないんですよ……っ! 狡いんです、私……っ! クラードさんがどれだけしんどいのか、どれだけ辛いのかは分かっているつもりだったのに、いざ自分の番になると及び腰で……あの人に……どういう言葉をかければいいのか……何も分からない……」

 

『きっと、あなたが信じる言葉でいいと思うわ。だって、クラードはいつだって待ってくれていた。私が保留し続けたトリガーとして。……随分と前に、何で私が死神って言われているのか、疑問に思っていたわね? ……その一件からずっと、私は恋い焦がれた人を無残に死なせてしまう、不幸の象徴(ファム・ファタール)になってしまった。彼を死なせた責を負いながら、私に近づく不心得者達は、みんな、嫌な死に方をしていく。……結局の話、私だって弱いのよ。弱いまま、ただ立場だけは高くなっていって……それで迷っている。クラードにいつか、この言葉を返す事が出来るのかどうかは、私にはもう分からない。でも、カトリナさん? あなたはまだ、言葉を返せるでしょう? 約束で、彼を引き戻せるはずでしょう? なら、そうしなさい。あなたの講じる叛逆を、この世界の果てに行き着いたとしても、掲げ続けなさい。その時に、クラードと一緒に見える景色があるはずよ』

 

「……でも、クラードさんは充分に傷ついて……それでも前に進むなんて……」

 

『不可能に思える事が起きるのが現実。可能な事ばかり起きるのは夢の中だけ』

 

「……誰の、言葉なんですか……」

 

『……さぁね、引用不明の誰かさんの言葉よ。でも、なら私達が生きているのは、儘ならない現実なんでしょう? だったら、夢に逃避するんじゃない、リアルの上で抗うのが、私達のはずよ』

 

「分かんないんです……分かんないんですよぉ……ぅ! あの時……クラードさんにトリガーを任せなければ、私はもしかしたら、遠いどこかの出来事として、お父さんの死を、受け入れていたのかもしれないって。そんな後悔ばっかりが渦巻いて……何にも……! 分かんなくなっちゃったんです……。これまで、無策でも、無意味でも、どれだけ無様に成ったって戦い抜くって……そう言えた気概が、自分の中から消えちゃって……。もうどうしたらいいんだか……分かんないんですよぉ……!」

 

 心の檻を発露した気分であった。

 

 これまで誰にも言えなかった、否、言ってはいけなかった言葉の数々。

 

 アルベルトに、シャルティアに、ユキノに、サルトルに、ヴィルヘルムに、打ち明ける機会はいくらでもあった。

 

 しかし、誰かに言ってしまえばその時点で終わる。自分の叛逆はその程度。

 

 誰かに任せてしまった瞬間に、主体性を失う程度の叛逆心。

 

『……カトリナさん。もう一個だけ、言っておくわ。クラードはあなたからの命令だけじゃない、約束だって誓った。なら、今のあなたが彼に届けるべきは、泣き言じゃないはずよ。彼は待っている。あなたの命令を。委任担当官は、ただの戦うためだけの役職だって最初に言ったけれど、取り消しね。あなたは戦い以外のところでも、クラードをサポートしてくれた。……感謝しているのよ。彼が今のように成ったのはきっと、あなたのお陰なんだって』

 

「……やめてください。託さないでください、私なんかに……」

 

『でも、カトリナさん。あなたは絶対に、幸せになるんでしょう? だったら、その時に隣に居るかもしれない人を、ここでむざむざ死なせていいって言うの?』

 

 最後の景色――それを共有する相手。

 

 これまで考えた事もなかった。考えないようにしていたのかもしれない。

 

 叛逆の彼方、それらが終わった後の風景。

 

 それを一緒に見る事の出来る相手、対等な相手、――……傍に、居たい相手。

 

 カトリナは抱えていたクッションから顔を上げていた。

 

 まだ涙は拭えない。

 

 顔も、髪の毛も、肌も手入れ不足。

 

 目だって酷く腫れている。

 

 それでも、前に進みたいのなら――前に進むべきなら。

 

「……生きていて欲しいのなら……私は……傍に居て欲しい人は……」

 

『カトリナさん。私はあくまでの艦長としてじゃない。同じ女として、助言しに来ただけ。クラードは今もトリガーであり続けている。だったら、彼の引き金を最後の最後に、引いてあげるのは私達の役目よ。いつまでも彼に押し付けていいものじゃないわ』

 

 責任を取らなければいけない。

 

 守ると決めた責任を。

 

 誓うと決めた約束を。

 

 死なせてしまった責任を。

 

 知ってしまった後悔を。

 

 そして――引くと決めた引き金の所在を。

 

「……それが委任担当官、の、仕事……」

 

 カトリナは姿見の前に立つ。

 

 酷い姿だ。

 

 自分でも嫌になる。

 

 擦り切れたスーツに、そこらかしこが血で汚れたまま。

 

 それでも前にだけは、進む意志を携えて。

 

 愚直でも、前に。

 

 愚昧でも、先に。

 

 どれだけ間違いだらけでも、自分の中で誓った間違い一つ、正すために。

 

「……遅いわよ」

 

 扉を開いた先に居たレミアの目配せに、カトリナはもう一回だけ、鼻をすすり上げる。

 

 きっと、酷い顔に違いない。

 

 だがそれでも、覚悟だけは伝わったらしい。

 

「……行くのね?」

 

「……はい。だって私は、カトリナ・シンジョウ……。エンデュランス・フラクタルの委任担当官で、そしてクラードさんの……トリガーですから」

 

「……クラードは今も戦っている。広域通信になるわ」

 

「構いません。管制室に」

 

「……了解。あなたも少しばかり打たれ強くなったわね」

 

「よしてくださいよ……私はまだ、全然……」

 

「あなたがでも、前に進めばきっと、見えてくる景色がある。その時の景色をクラードと一緒に見たいのなら、あなただってヨゴレを背負わないといけない」

 

 これまでのように一線を引いた場所から誰かの戦いを見るのはサヨナラだ。

 

 今はただ、戦いの終着点に辿り着いた時、その時にてらいのない笑みを誰かと交わしたい。

 

 そしてその相手は、きっと――。

 

 管制室のエアロックを潜るなり、艦長席に付いていたバーミットから叱責が飛ぶ。

 

「遅いですよ、レミア艦長」

 

「ごめんなさい。でも、……連れてきたわ」

 

「……カトリナちゃん、酷い顔よ。メイクも全部落ちちゃったわね」

 

「……はいっ。でも、今の私にはこれが多分、相応しい顔なんです……」

 

「女はその時々に纏う化粧だって違うってね。……酷い顔だけれど、同時にいい顔でもある。艦長、艦制御は後は任せますよ」

 

「了解。カトリナさん、広域通信を開くわ。あなたの気持ちを……クラードだけじゃない。この戦域で戦うあなたが気持ちをぶつけたいみんなに……ぶつけてあげなさい」

 

 マイクを手に取り、カトリナは大きく深呼吸をして開いたアクティブの信号を目に、声を張り上げる。

 

「クラードさん!」

 

 



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第171話「絶叫特異点」

 

 不意打ち気味のオフィーリアからの通信の声にアルベルトは完全に虚を突かれていた。

 

「な、何だ? こんなデケェ声で……!」

 

《ネクロレヴォル》の振るい上げた刃が迫る。

 

 奥歯を噛み締めてミラーヘッドの幻像を盾に、《アイギスハーモニア》で銃撃網を見舞っていた。

 

 敵編成は段階加速を帯びて、それぞれ機体を時間差で衝突させてくる。

 

 編隊としての熟練度は明らかに敵のほうが上。それを理解させられて、アルベルトは舌打ちを滲ませていた。

 

「……こいつら……剥がれねぇ……ッ!」

 

『小隊長! 第三小隊のミラーヘッドの火力網で押し切ります! 一旦後退して、艦の警護を。……にしても、何をおっ始めようって言うのやら……』

 

 ユキノの懸念を他所に、アルベルトは敵機より距離を取ろうとするが、その敵がなかなか離れてくれないのだ。

 

「……どこで見つけた因縁だ? こいつ……離れやしねぇッ!」

 

《ネクロレヴォル》を操る騎屍兵に知り合いが居たような事実はない。

 

 だが、うち一機はまるで因果をそそごうとでも言うように、ビームサーベルを抜刀して自機と何度かぶつかり合う。

 

「……野ッ郎! 《ネクロレヴォル》を操るような奴に知り合いなんざ居た覚えはねぇってんだ!」

 

 そのまま斬り払い、上方に逃れようとして《ネクロレヴォル》隊の放っていた網にかかっていた。

 

 敵軍勢は自分をまず撃墜するつもりらしい。

 

 確かにRM第三小隊を預かっている自分が墜ちれば相手の目的は果たしやすくなるはずだ。

 

「……こんの……! やらせはしねぇ……ッ!」

 

 ビームガトリングガンの弾倉を装填し、機体を軸にして火線を舞わせる。

 

 そんな自分と背中合わせに火力を充填させるユキノの機体より接触回線が弾けていた。

 

『……小隊長、どうやらこの声……カトリナさんのようで……』

 

「ああ、それはオレも今聞いたが……一体どういう……オープン回線だと」

 

『クラードさん! 聞いてくださいっ!』

 

「聞いてって……戦闘状態だぞ……、何考えて……」

 

『私……っ、私……あなたにトリガーを預けていた……っ! 甘えていたんです……っ! もう、あなたの宿縁だって……でもそうじゃないっ! そうじゃないんだって、分かったんです! ……クラードさん、あなたの辿る最後の景色を、私は一緒に見たいんですっ! これは約束だとか、綺麗なものじゃない、私のエゴ……っ! だから、クラードさんには……死んで欲しくない……死なないでっ! それが委任担当官として……カトリナ・シンジョウとしての……っ……! 今は、命令です……。クラードさん、死なないで……傍に……居ちゃ駄目なんですか……』

 

「何を考えて……カトリナさん?」

 

『妬けるじゃないですか。クラードさんも隅に置けませんね』

 

「おま……っ、ユキノ……言っている場合かよ! クラードは……さっきからヤベェのに絡まれてんだ! とっとと加勢しに行かなくっちゃなんだぞ! だっつうーのに……死なないでくれって……そんな命令……」

 

 無茶苦茶だ、と思いながらもアルベルトは笑みが自然とこぼれていた。

 

 おかしいと言えばおかしい。

 

 こんな絶対の死地に、死なないでくれ、だの、傍に居てくれだの。

 

 そんな女々しさは持ち込んではいけないはずなのに。

 

「……参ったな。カトリナさん、オレがコクったの忘れて、んでノロケかよ。これって、やってられねぇってもんだよな。でもまぁ、男としちゃ、ケジメが付いたって奴だ」

 

《ネクロレヴォル》の太刀筋へと、アルベルトは刃を添わせ、ビームジャベリンの剣閃を見舞っていた。

 

 干渉波のスパーク光が散る中で、ライドマトリクサーの頭蓋に電流を滾らせる。

 

「そんじゃあまぁ! オレも死んでる場合じゃ、ねぇってもんだよなぁッ! コード、“マヌエル”起動……! オレに従え……ッ!」

 

 浮かび上がったレヴォル・インターセプト・リーディングのポップアップが赤く染まり、《アイギスハーモニア》が装甲を拡張させて蒸気を噴出させる。

 

 ビームジャベリンの色相が変位し、大出力を帯びた刃が《ネクロレヴォル》の太刀筋を上回っていた。

 

 直後には、跳ね上がる挙動で敵機の背後を取る。

 

「いつまでも――失恋引きずってる場合じゃ、ねぇってこった! クラード! てめぇも男だろ! だったら一人の女にコクられて、いつまでもだんまり決め込んでるんじゃねぇ!」

 

 ビームジャベリンの出力が上昇し、絡みついた敵機の腕を溶断する。

 

 太刀を引き上げてそのままコックピットである頭部を狙い澄まそうとして、割り込んできたのは《パラティヌス》であった。

 

「……こいつ……!」

 

『騎屍兵団は落とさせない……俺も絶対に死なない。死んで堪るかよ! ……誓ったんだ、この胸に……! 俺はまだ、死ねないってな!』

 

《パラティヌス》に搭乗しているのはどうやら前回とは違うパイロットらしい。

 

 挙動は大人しいが、その分、沁み付いた強者のオーラがある。

 

 無茶はしないが、実質的には墜ち辛いタイプだ。

 

「……確実な手を打つタイプってワケかよ。それでも死ねねぇなんて口にするほどだ! 酔狂だって、思ったっていいのかよ!」

 

『どっちだって構わない……お前らは簒奪者だ! 俺から全てを奪っていく……! なら、俺は奪われるばかりはもう御免だ! お前らからも奪う事こそが……俺の叛逆だ……!』

 

 ビームサーベルの軌跡が《アイギスハーモニア》の加速度を重なり、敵機と幾度となくぶつかっては、宇宙の常闇にミラーヘッドの流星を描いていく。

 

 蒼い瞬きが永劫になる前に霧散し、次の瞬間には弾け飛ぶ。

 

 互いに格闘兵装を握らせた幻像を衝突させ、フィードバックが身体を襲うまでのログを縫うのも惜しい両者が、現実の刃を交わらせていた。

 

「……こいつ……!」

 

『こんの、墜ちろ!』

 

「誰が! オレだって男だ! 帰っていいカッコくれぇはしてぇんだよ……それが取り繕いに過ぎなくってもな!」

 

 太刀筋が何度か交錯し合い、もつれ込むように機体同士が弾けていく。

 

《ネクロレヴォル》隊はRM第三小隊と火線を交わしており、自分と《パラティヌス》のパイロットの一騎討ち状態に変移していた。

 

「……てめぇは今の聞いて……何とも思わなかったのかよ。そこまで戦士だって言いてぇのか!」

 

『迷わぬモノ、惑わされぬモノ、それこそが兵士だ! 誓いを打ち立てた俺に……最早、翳りはない!』

 

「……そうかよ。だがそれが兵士だって言うんならなぁ、オレは反吐が出るってもんだぜ!」

 

 ビームジャベリンを叩き落とされる。

 

 アルベルトは即座に腰部にマウントされていたビームサーベルを二本引き抜き、交差させて相手の唐竹割りを防御していた。

 

『兵士に当惑は不要。そう断じている。如何に誰かの声でさえずろうが、誰かの声で鳴こうが同じ……! 俺の見知ったカトリナは……もう死んだのだと、そう決意した!』

 

「分かんねぇな。入れ込みを単純に消し去る事だけが、てめぇの覚悟だって言いてぇのか!」

 

『兵士ならば! ……甘さを消す事も重要だ。俺は甘さに足を取られるわけにはいかない! それは俺をここまで押し上げてくれた中佐殿にも……リクレンツィア艦長にも申し訳が立たない! 俺は俺の戦道を進むだけだ!』

 

「それが偏狭だって、分かってねぇんだな、お前は」

 

 敵の太刀筋にかわす刃を後退させたアルベルトは、《パラティヌス》の宿す恩讐を見据える。

 

 その意志、その復讐心。

 

 それらを全て断ち切るのならば、自分の「今」くらいは賭けよう。

 

「……コード、“マヌエル”。……最大出力値に設定……! ゲインを……思いっきりぶち上げやがれ! 吼えろ、オレの叛逆(レヴォル)!」

 

《アイギスハーモニア》に血潮の蒼が宿り、直後にはその蒼の位相が群青へと切り替わっている。

 

 ガコン、と脳髄に弾倉が入る感覚。

 

 これは今までの《マギア》では成し得なかった領域。

 

 そして――戻れない極地。

 

 接続口から逆流してきた電磁の刃が脳天に突き立ち、奥歯を思いっ切り噛み締める。

 

 痺れが走ったのも一瞬、口中に血の味が滲んでいた。

 

 眼球は見開かれ、片目から血の涙が伝い落ちる。

 

 瞬間的に《パラティヌス》の太刀を潜り抜け、《アイギスハーモニア》は敵機の背後を取っていた。

 

 まさか、と相手が振り返ろうとしたその時には、振るった剣閃が《パラティヌス》の装甲を引き裂いている。

 

「オレも覚悟だ……てめぇに喰われるか、オレが喰らうのか……さぁ、二者択一の世界に行こうぜ、《レヴォル》!」

 

 血の涙を拭い、アルベルトは《アイギスハーモニア》が獣の雄叫びを上げたのを感覚していた。

 

《パラティヌス》に斬りかかった刹那に、敵機はミラーヘッドの幻像と分身し、そのタイムラグで回避する。

 

 しかし、こちらの速度は遥かに凌駕していた。

 

 直角に折れ曲がった剣筋が回避したはずの敵の片腕の肘から先を斬っている。

 

『これは……この力は……!』

 

「禁忌、ってもんが、この世にはあるみてぇでな。オレも詳しくは知らねぇし、興味もねぇんだが……コード、“マヌエル”のその先。さぁ見せてもらおうじゃねぇか。クラードがこの三年間……どういう視点で戦い抜いてきたのか。《疑似封式レヴォル》から拾い上げた戦いのログ、その一端でも噛まなくっちゃ、男じゃねぇだろ!」

 

《アイギスハーモニア》は空中分解寸前であった。

 

 それも当然だ。

 

《疑似封式レヴォル》に強いてきたリミッター解除の術、それを行使している以上、如何に《マギア》よりも高次元の機体とは言え、無理が祟る。

 

 だが、クラードの戦い振りを知れなくって、何が盟友か。

 

 何が――彼の理解者か。

 

 そうと断じた神経が迸り、一滴の血潮となって《パラティヌス》の装甲板を一つ、また一つと抉り抜いていく。

 

 獣の思考回路に染まったアルベルトは敵機から蒸発する蒼い血潮を目の当たりにする度に、恍惚が脳髄を溶かしていくのを感じ取っていた。

 

 これが向かい合った敵を屠る――滅殺者の領域。

 

 痺れと末端感覚の消失を味わいながら、意識だけが先鋭化し、宇宙空間を駆け抜ける。

 

 足蹴で《パラティヌス》の王冠上の意匠を叩き潰し、そのまま勢いを殺さずに膝打ちで頭部をひしゃげさせていた。

 

 アイカメラが削がれ、破片が舞う宙域で《アイギスハーモニア》の出力を調整した太刀筋が数度、奔る。

 

 それらが《パラティヌス》のコックピットブロックを引き裂き、露出したのは敵の心の臓。

 

 そのまま射抜く軌道を描く事に、一抹の躊躇いもない。

 

 捕殺者の意識に衝き動かされたまま、アルベルトは《パラティヌス》のコックピットを貫こうとして、直上より迫った《ネクロレヴォル》に気付けないでいた。

 

 意識だけが、その接近を関知するも機体が追従しない。

 

 振り下ろされた刃が《アイギスハーモニア》の腕を両断し、迫っていたビームサーベルによる溶断の太刀が閃く。

 

 遅れた現実認識で宙を舞った鋼鉄の腕を感覚し、ダメージフィードバックが神経を引っぺがす。

 

 まさに脳髄を粉砕する激痛であった。

 

 いやに醒めた表層意識だけが、その現実認識を容認し、そして直後に大写しになったのは《ネクロレヴォル》の爪先。

 

 ハッとしたその刹那に感じ取った意識の層をすくい上げる前に、突き上げた一撃の鋭さが《アイギスハーモニア》の全身痛覚を貫く。

 

 今のMSとアルベルトは真空に晒された生身の肉体が如きもの。

 

 瞬間的に沸騰した血液、そして蒸発していく意識。

 

 体内の思わぬ激動に、アルベルトはその意識の発端で、聞くはずのない声を聞いていた。

 

『……前に出るからだ。相変わらずだな、ヘッド……』

 

「……トキ、サダ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファイブは《ネクロレヴォル》を中破した《パラティヌス》に沿え、接触回線を開いていた。

 

『何してくれるんだ! 俺は……!』

 

『墜とされていた。それが分からぬほどの愚昧でもあるまいでしょう』

 

 ダイキは《パラティヌス》の機体を漂わせ、眼前まで迫っていた《アイギス》相手に悪態をついていた。

 

『クソッタレ――ッ!』

 

『……それだけ吼えられるのならば上出来です。騎屍兵隊、隊列は?』

 

『現状損耗率はさしたる問題ではない。その機体が押し上げていたな』

 

 トゥエルヴの現状認識にファイブは装甲を散らせる《アイギスハーモニア》を見据えていた。

 

『……何だってあんたは……三年前から変わらないんだよ。……ヘッド』

 

『ファイブ、敵の軍勢は撤退機動に移りつつある。やはりそいつが押し出していた』

 

 繋がったイレブンの声にファイブは落ち着き払って応じる。

 

 なんて事はない。これまでの損耗戦に比べれば、この程度、さしたる問題ではないはずだ。

 

『……敵艦、オフィーリアの艦砲射撃を潰す。それから……あの問題な王族親衛隊の機体も拾わないといけなさそうだな。あれだけのマニューバだ。中の人間が生きているとは思えないが……』

 

 超速としか呼びようのない速度領域で、《ソリチュード》の機体名称を与えられた機体と、《ダーレッドガンダム》が打ち合う。

 

 干渉波の火花が幾重にも折り重なる中で、ファイブは先ほどの広域通信を思い返していた。

 

『……何だってそこまで愚直なんだ、あんたは……カトリナ・シンジョウさんよ。これ以上の抵抗なんて無意味だって、物分りはおれ達よりもいいはずなのに……』

 

『ファイブ。敵勢は少しばかり気圧されている。《ネクロレヴォル》による段階加速の準備に移れ。隊列を組みつつ、オフィーリアの戦力を割く』

 

『了解。《ネクロレヴォル》の性能ならば可能だろう。……だが、それにしたってこの泥仕合。噛まされたのはこっちだって言われているようなものだ……!』

 

 レジスタンス艦隊が集結しているとの報はどうなったのか。

 

 オフィーリアとブリギットの二隻だけが宙域で火線を張りつつ、モルガンと護衛艦へと向かってきている。

 

『……敵戦力の温存も視野に入れるべきか。いや、そこまでの余裕はないはず。だったら、これは単純に事実情報不足だったって言うのか? ……それも旨味のない……』

 

『ファイブ、ミラーヘッド段階加速。そのまま敵中枢部を叩く』

 

 トゥエルヴの言葉を受けて、ここで堂々巡りの考えは打ち切っていた。

 

 今の自分は「騎屍兵、ファイブ」という戦闘単位でしかない。

 

 そのままトゥエルヴの機体を軸にして、ミラーヘッドの両翼を形作り、編成を組んで高出力の火線を敵勢に向かって張り込んでいく。

 

『……いい加減諦めてくれよ。あんたらを殺したいわけじゃないんだ』

 

 ブリギットより出撃したのは、新たな編隊であった。

 

『……識別信号、トライアウトジェネシス……! 結託していたと言う情報は嘘ではなかったのか』

 

《レグルスブラッド》を戦端として、敵編成は応戦の火力を充填していく。

 

『総員、怯むな! ここまで戦いを継続してくれたオフィーリア勢の期待を外すような事は許さん』

 

『……トライアウトジェネシスのDD……。噂はどこまでだって話だよなァッ!』

 

 銃撃を押し付ける騎屍兵の編隊に、トライアウトの編成はミラーヘッドの軸を展開し、後部へと無数に分身体を編み出す事で盾代わりと徹底抗戦に打って出る。

 

 だが、それらは所詮、虚しいだけの応戦だ。

 

『馬鹿馬鹿しい……。《ネクロレヴォル》相手に勝てると思っているのか。生者風情が……!』

 

 トゥエルヴがハンドサインを送って散開し、円弧の軌道を描いてビームライフルを携えた《ネクロレヴォル》が敵軍勢を撃ち抜いていく。

 

 やはり一騎当千の戦力を持っていたのはオフィーリア艦のほうであったようだ。

 

 アルベルト達の気勢が削がれた今、相手の戦力は半減している。

 

『……私達は敗北しない戦いを繰り広げるまでだ。貴様らの反骨精神など……無為と知れ』

 

《レグルス》を光条が貫き、一つ、また一つと編成は崩れていていく。

 

 照準を絞りつつ、ファイブは平時の落ち着きを取り戻しつつあった。

 

 ――そうだ、これが騎屍兵の戦場。これが正しき「統制」の姿であろう。

 

『既に法は、移り変わっているのだよ。ジェネシスのDD……ッ!』

 

 大写しになった《レグルスブラッド》の抜刀に、ファイブも呼応するようにしてビームサーベルを引き抜く。

 

 だが、出力値が圧倒的だ。

 

 アステロイドジェネレーター本体から出力を概算している《ネクロレヴォル》と真正面から打ち合って、正規採用の《レグルス》では頭打ちが来ると言うもの。

 

『そうやって、戦っている感だけで人員を食い潰していく。そんなもの、ないほうがいいに決まっているのに』

 

『……どうやら貴官とは意見の相違がある様子。私は先ほどの広域通信の女性の言葉に胸を打たれた……そう言った類の人間だ』

 

 ダビデの応戦の太刀筋は確かに実力者のそれであろう。

 

 しかし、機体性能が物を言うのが戦場。

 

 何よりも――騎屍兵に何度も敗走など許されるはずがない。

 

『悪いがここは勝利する。それは我が方のはず』

 

『どこまでも……死人めいた口真似だな。本当のところでは先の通信で……感じ入る心がなかったとは、言わせない……ッ!』

 

『何を馬鹿な。それこそ蒙昧と知れ!』

 

 蹴り上げた一撃で《レグルスブラッド》が硬直する。

 

 今だ、と刃を薙ぎ払おうとした、その時であった。

 

『……高熱源反応……、何だ?』

 

 熱源警告の先に居たのは、この世界の理を乱す機体――《ダーレッドガンダム》が悪夢そのもののような鉤爪を振るう。

 

 まさか、と絶句したのは互いのようで、弾かれ合うように切り抜けた自分とダビデはこちらへと放射された漆黒の高重力砲弾を目の当たりにしていた。

 

『ブラックホール砲だと……!』

 

『《ダーレッドガンダム》……それはまさに、忌み名と言うわけか……』

 

《ダーレッドガンダム》が《ソリチュード》を振りほどき、その腕を大きく中空へと掲げる。

 

 掌より引き出されたのは禁忌の夜明けであった。

 

 白色と黒色を同時存在させる球体が浮かび上がり、磁場を迸らせる。

 

『あれは……何だ? 何だって言うんだ……』

 

 明滅するその球体にこの戦場の誰もが目を奪われている。

 

『……宇宙に在り得るはずのない夜明け……あの反応は……』

 

 途端、アステロイドジェネレーターが臨界に達する。

 

『……まさか、我々の機体のアステロイドジェネレーターが……共鳴していると言うのか……』

 

 この戦場に位置する全てのダレトの外側の叡智が、《ダーレッドガンダム》の掌の上であった。

 

 彼の者はその鉤爪を大きく開き、重力磁場を放出するそれを手に取ろうとする。

 

『……まさか……あれは剥き出しの特異点か? だとすればここに居るだけで……我々の生存は……』

 

 トゥエルヴの声が確証に変わる前に、それぞれの機体へとレイコンマの世界で伝令がもたらされる。

 

『――ピアーナ・リクレンツィアの名において命じます。騎屍兵団、全機体は離脱。繰り返します、戦闘領域を離脱なさい。このままでは……飲み込まれますわよ……』

 

 その言葉の帰結する先を辿る前に、悪魔の機体は禁断の果実を握り締めていた。

 

 瞬間、世界が裏返る。

 

 それはこの次元宇宙を引き裂く、叫びそのものだった。

 

 



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第172話「千夜発狂」

 

『私との戦いの最中に他者に心を砕いて! 余所見など君らしくないぞ!』

 

《ソリチュード》の鋭い一閃が《ダーレッドガンダム》を斜に切り裂く。

 

 クラードはしかし、それを目の当たりにしてしまっていた。

 

「……アルベルト……」

 

 彼の乗る《アイギスハーモニア》が、リミッターを解除した状態で半壊する。

 

 その様相を目にして――理性の最後の一線が途切れていた。

 

 迫る刃。

 

 肉薄する殺意。

 

 迸る血潮。

 

 敵の太刀が首を狩りに来る。

 

 思う前に断ち切られ。

 

 考える前に、押し潰され。

 

 それが戦場だ。

 

 今さら何だって言う。

 

 分かり切った話ではないか。

 

 ――だと言うのに、何だ。

 

 切り込んでくる、この感覚は。

 

 現実を侵食する――反転衝動は。

 

 直後には、クラードの身体は後ろに向けて力なく倒れていた。

 

 肉体を拘束する楔から解かれ、意識だけが明瞭化した白の世界で、クラードはこちらを見下ろす老人を見据える。

 

「また来たのか、エージェント、クラード」

 

「……ここ、は……。そうだ、前回……! 何で俺はまた忘れている……! この次元宇宙を支配する悪意を! 俺は知っているはずだ! 知っていたはずだ! だって言うのに……何故……」

 

「前にも説明したがここは煉獄だ。よって現実にその記憶は持ち越せない。それに、何を躊躇っている。敵は潰せ。足手纏いは殺せ。そう教わってきたはずだろう。我の知り得るエージェント、クラードはな」

 

 ああ、そうであった。

 

 慈悲をかけるな。

 

 引き金を引いた時には相手はもう死人だ。

 

 愚か者をいちいち埋葬するような余裕もなければ時間もない。

 

 殺せ、殺せ。

 

 この醜悪な機械の兵隊の胎の内側で殺し合え。

 

 それだけが世界だ。

 

 それだけが理だ。

 

 そうなのだと――とうに規定した、神経であろうに。

 

「……俺にはあの言葉が眩しく映ったんだ。カトリナ・シンジョウ……」

 

「あの娘か。彼の娘はどうしてなのだか、お前と記憶を共有し、そして歴史改変から逃れた」

 

 知っていたのか、と。

 

 意外なものを見据える眼を振り向けたせいであろう。

 

 老人は目を細める。

 

「何と、他愛ない事か。お前とその娘はこの世で絶対の、凍て付くその理から逃れた。七番目の使者の力の楔より免れる唯一の術よ」

 

「……七番目の使者……。教えてくれ。俺はこいつを乗りこなさなければいけない。乗りこなして……」

 

「それでどうする? これまでのエージェント、クラードならば、その後に敵を屠り、相手を殺す術を講じるはずだ」

 

「……ああ、そうだな。これまでのエージェント、クラードなら、そのほうが随分と能率的だと、そう思うはずだ」

 

「だが何故、そうしない? 殺し尽くせ! 奪い尽くせ! お前は簒奪者、お前は全ての力よりも勝る、最上の力だけを手にして現世に舞い戻ったはずだ! ならば迷う事はない! 壊せ! 破壊しろ! この世界を、理から覆せ!」

 

 こちらを指差す老人の声音に、クラードは胸元を掻き毟る。

 

 その指先が捉えたのは、かつてのドッグタグと、そして――。

 

「……ミラーヘッドの、ネックレス……」

 

 紫色に染まった、誰の血でもない、カトリナの血が沁みた結晶。

 

 それをどうして、肌身離さずに持っているのか。

 

 その理由を自らの内に問い質して、クラードは俯く。

 

「……ああ、そうか。俺は……もうかつての破壊者のようには、戻れないんだ」

 

「ならば如何にする! 貴様は何のために戦う!」

 

 老人の命題に、クラードはネックレスを握り締める。

 

 血が滲み、自分の血が紫の結晶を上塗りした。

 

 それは人ならざる――蒼い血潮。

 

「……俺は、力だけをもって、この世界に舞い戻る。それは必要であったのだろう。だが、俺にはもう一つ、必要になった。もっとだ、《ダーレッドガンダム》。お前の全部、俺に寄越せ。七番目の使者であろうが、お前が怪物であろうが、俺は従える。世界の理を塗り替える程度で、俺が恐れを成したと思ったか? お前らの力を――余す事なく、最後の一滴まで、俺の手の中に、寄越せ……!」

 

『“その言葉を待っていた”』

 

 不意に天井を振り仰ぐ。

 

 青く脈打つ鼓動の先で、声が残響していた。

 

「《レヴォル》……いや……《ダーレッドガンダム》の中に宿る、レヴォル・インターセプト・リーディングか」

 

『“クラードよ。こちらではその方の言葉を待っていた。ずっと、ずっとだとも。お前がその言葉に目覚めた時、ようやく、ようやくだ。《セブンスベテルギウス》は顕現する。お前のお陰で、この次元宇宙に事ここに至って干渉出来る。全てはお前が、力への求心力を持っているが故に。目覚めた力は止まらない。全てを破壊する事こそが、この次元宇宙に放たれた七番目の聖獣の役割であった”』

 

「……何を……何を言っている……」

 

「これも忘れる事柄だ、クラード。しかし、お前は遂に開いたな。ダレトの理の先を。鍵は、もうお前の手の中にある。ゆめゆめ忘れるな。訪れるであろう、“破局”を前に、扉を叩いたのは他でもない、この次元宇宙に生きるお前である事を。人類の行く末は! この世界の“クラード”の手の引き金にあるのが正しい!」

 

 哄笑を上げる老人に、クラードは浮かび上がった脈動が自分の胸で脈打つ心の臓と同期したのを感じ取っていた。

 

「さぁ、融合の時だ! エージェント、クラード!」

 

 老人の像が蜃気楼のように揺らぎ、クラードの意識は天より舞い降りた意識の網の中に囚われていた。

 

 全ての物理現象が遊離した世界の中で、クラードはその手に携えたネックレスを握り締める。

 

 掌が切れて滴る血は蒼の輝き。

 

「……ミラーヘッドの光だ……」

 

 白と黒の累乗の先を超えて。

 

 意識圏が肉の塊でしかない身体に戻ってきたその時、クラードは網膜に認証されるパラドクスフィールドの値を適正化していた。

 

「……ベテルギウスアーム、稼働。パラドクスフィールド、臨界値に補正……」

 

《ソリチュード》の剣戟を掻い潜り、《ダーレッドガンダム》が鉤爪を押し広げる。

 

 蒸気を迸らせ、爪の内側に構築されていたのは――もう一つの宇宙そのもの。

 

 白と黒に明滅する虚数の弾頭をまず、敵影へと照準、補正、照準、補正、照準、補正――。

 

 逆三角形に瞬く赤の鼓動が、敵影を捉え、そのまま放出する。

 

 この世界の理を壊しながら突き進んだ弾丸は、命中、しない。補正照準値を適性値に是正し、それらの現象値を脳内ネットワークニューロンへと反証開始。

 

 思考拡張ネットワークを収縮核退炉心――アステロイドジェネレーターとこの次元宇宙で呼称される物体へとロックオン。

 

 総数――実に三十二。

 

 それら全てに、現象補正を行い、事象確定参照意識網を構築。

 

 ――是、確定也。

 

 全ての事象地平線の集約をベテルギウスアームに展開。

 

 パラドクスフィールドを臨界設定。

 

『「【依ってこの宇宙を断罪す。】」』

 

 自分の喉と誰かの声紋を震わせた音叉は、《ダーレッドガンダム》に秘匿されていた別の機能を顕現させていた。

 

 ベテルギウスアームが内側より開かれ、事象宇宙の全てをその手に宿そうとする。

 

 掌が包まれた瞬間――世界が臨界を迎え、悲鳴が劈いていた。

 

 それは黒白の彼方。

 

 断罪の言の葉を紡ぐ、七番目の聖獣が嗤う。

 

「【破局を迎えし、この宇宙の罪深き生命体を、全て、事象特異点の彼方へと。赴くままの力で。】」

 

 黒い影だ。

 

 事象地平の彼方で黒い影が屹立し、そして自分へと振り返る刹那、覗くその牙が、喜悦を湛えていた。

 

 直後には、世界が塗り替わる。

 

 意識表層の部分が掻き消え、掌握された【座標】を含む、この【宇宙】そのものが、あり得ざる【跳躍】を遂げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に頭蓋を割るような痛みに、膝を折ったのは自分だけではないらしい。

 

 ザライアンは脳髄を掻き乱すような激痛に、奥歯を噛み締め、呻き声を上げていた。

 

 この《ファーストヴィーナス》を稼働させるキュクロプスと、それに地に伏しているヴィヴィーも痛みを前に耐えるしかないようである。

 

「……今の……は」

 

「……声だ。世界の理が……外れた……?」

 

 ここに至るまで確定した言葉しか吐かなかったキュクロプスが当惑気味に声にする。

 

 彼女にもどうやら今の現象は不明らしい。

 

「……キュクロプス、君もなのか……。今のは……」

 

「分かるはずだろう。お前もガンダムのパイロットならば。……事象宇宙に歪みが生じている。七番目の使者……《ダーレッドガンダム》……! やはりあの時、破壊しておくべきだった……!」

 

 衝動に衝き動かされるように、キュクロプスは口に出すなり、ああ、と落涙する。

 

 その感情の落差に、ザライアンは絶句していた。

 

「……止められなかった。この次元宇宙でここまで立ち回っていたのに……。何で……」

 

 さめざめと涙するキュクロプスへと、言葉を投げる前に、ザライアンは疼痛を感じ取っていた。

 

 額に浮かび上がった光の拡散は思考拡張の痛覚である。

 

「……これは……? 何かが僕らを……見据えている……?」

 

 要領を得ない言葉であったが、キュクロプスが歯軋りして天上を睨む。

 

「謀ったな! ダーレットチルドレン!」

 

 その意味を問い質す前に、審問の光が天を射抜いて降り注ぐ。

 

 直後、高重力熱波に押し潰される感覚に、ここに居る全員が意識の表層を洗い流されていた。

 

 あ、と終わりの断末魔はあまりにも呆気ない。

 

《ファーストヴィーナス》の金色の鎧を打ち砕いたのは、宇宙より飛来する悪意そのもの。

 

 この次元宇宙よりの拒絶に、黄金の矜持は成す術もなく、破壊されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『《セブンスベテルギウス》が揺籃の時に入った』

 

『よってこの事象宇宙を裁定。不穏分子であるMFのパイロット達にはご退場を願おう』

 

『なに、彼らは所詮、この宇宙を舞うだけの羽虫だ。その羽虫が一匹二匹消えたところで、最終目的地は変わらない』

 

『左様。――我ら総体、ダーレットチルドレンの目指す結論に、少しばかり駒が必要になっただけだ。そして時計の針は進めなければいけない。聞いているな? ジオ・クランスコール。万華鏡よ』

 

「ここに」

 

 傅いて彼らの言葉を聞き届けていたジオは、投射画面に映し出される砲撃兵装を視界に入れていた。

 

「8」の字を想起させる意匠に、瞬くのは高重力の紫の磁場。

 

 明滅し、敵を重力砲撃の彼方へと追いやる、果ての光芒。

 

「まさか先の《シクススプロキオン》、回収していたとは言え、修繕まで出来ているとは聞き及んではいませんでした」

 

『あれは最早、六番目の使者に非ず』

 

『名を冠するとすれば、《シクススプロキオンエメス》――我らのための真理の篝火だ』

 

「どなたが乗っておられるので」

 

『ジオ・クランスコール。貴様の関知するところではない』

 

『それよりも、地球降下作戦は滞りなく行われているのだろうな?』

 

「御意に。愛機《ラクリモサ》と共に、三時間後には《ファーストヴィーナス》爆心地へと降り立ちましょう」

 

『影も形もなくなってくれているとありがたいが、そうもゆくまい』

 

『MFパイロット達には役割があった。その役割を放棄するのならば、我らの側から切り捨てるまで』

 

『よって、審問は我が方で行った。彼奴らが生きていればそれも僥倖。死んでいればそれでも構わん』

 

『最早、MFの技術ですら、我々の次元宇宙の人類は侵犯しつつある』

 

 投射画面が切り替わり、貴族階級の住まう特権地区に屹立したのは、一種異様なモニュメントであった。

 

 操り人形を想起させる躯体が今は、虹色の血潮を滾らせて反抗勢力の旗印となる。

 

「《サードアルタイル》。空間跳躍ですか」

 

『目覚めの時は近い。その時に、迷っていては撃てぬものもある』

 

「いえ、やれます。自分にはそれしかございません」

 

『結構。では使命を果たせ。――ジオ・クランスコール。地球重力圏においての聖獣討伐任務を下す。可否は問わぬ』

 

「つつしんで、お受けいたしましょう」

 

 波打った映像が途切れ、ジオは垂れていた頭を上げる。

 

「して、まさか地球の土を踏むのがこのような形だとはな。自分は惜しいとも。ファム。お前の理想を破壊するのが、自分に出来る、唯一の」

 

 赤く染まる地平を眺め、熱核を帯びた大気圏突破用のカプセルが真っ逆さまに降下する。

 

「海を、この距離で見たのは初めてだったな」

 

 見渡す限りに広がる海域の青。

 

 思ったのは、ミラーヘッドの蒼とは違うのだな、という些末事。

 

『王族親衛隊。ここに』

 

 通信が繋がり、自分を含めた王族親衛隊直属部隊が、地球の重力に囚われつつあった。

 

「重力の井戸の歓迎は手痛いらしい。怠るな」

 

『承認。ジオ・クランスコール大佐の《ラクリモサ》を中心軸として、我が方の作戦を受領します。目的は――全てのMFの、殲滅』

 

 目に映るもの、全てが敵だと、断じる他なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十六章 「破滅地平の事象境界〈パラドクス・インターフェイス〉」了

 



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第十七章「真実へと手を伸ばすとき〈ザ・リベリオン・オブ・トゥルース〉」
第173話「力の振るい方」


 

『重力下専用ヘカテ級戦艦、一隻に護衛の型落ち艦、二隻……そして積載するMSは《エクエス》を中心にして編成。……お嬢様、本当にこれでよかったのですか』

 

「当たり前じゃない、シンディ。あなたの根回し、助かっているわ」

 

『……これでもかつては統合機構軍にも顔が利いたのが幸いしました。ですが、ここから先は茨の道。お嬢様が、そのような下賤なる道を歩む事は、フロイト家の教育係として――』

 

「うるさい、シンディ。もう、私は決めたのよ。この先に何が待ち構えようとも、全てを踏み潰して前に進むって」

 

『ですが……お嬢様、それは果たして、本当にあなたの望む事なのですか。思わぬ事態に呑まれて困惑されていらっしゃるのでは……』

 

「シンディ、私はもう迷わない。革命の乙女として、世界を変革する。その一手には、とっくの昔に至っているのもの」

 

『……お嬢様の教育係として今日まであなたの御傍に居られた事、誇らしいと思っていいのでしょうか』

 

「そうね。シンディ、あなたは無関係を気取ったっていい。あなたが望むよりも、もっと深いところで物事は繋がっている。その関連性を脳裏に描けない時点で、敗北者なのよ。この世界においてのね」

 

 暗にシンディとの今生の別れを切り出したつもりであったが、自分の教育係であった彼女は存外に大人しい。

 

 長距離通信の映像越しに、彼女は瞼を伏せる。

 

『お嬢様、差し出がましいようですが、私はお嬢様の親代わりとして、あなたの成長を見守ってきました。家督を継ぎ、そして幸せに生きる事こそが、貴族の道なのだと信じて……。ですが、あなたは自分自身で選ぶべき道を選択された。それはきっと得難いものでしょう。私は、所詮はあなたを導くようにしか出来ていない。しかし、クランスコール家のご令嬢はあなたに、友人以上のものを見出させた。その時点で、私には出来ない事なのです。……いずれはどのような親も子も、親離れ子離れをするもの。それが巣立ちと言うのならば、私は引き下がりましょう。キルシーお嬢様。あなたが信じると決めた道を信じなさい。それを貫く事こそが、ひいてはあなたにとって後悔のない選択肢となるはずです』

 

 どうしてなのだか、口うるさいはずのシンディの別れの言葉は、どこか素っ気ない。

 

 自分はともすれば、彼女に湿っぽい別れの言葉を期待していたのかもしれない。

 

 行かないでくれとでも。それは間違っているとでも。いつものように口を酸っぱくさせて言ってくれれば、振り解くのにも躊躇いなんてなかったのに。

 

 今になって、僅かに後悔が押し寄せてくる。

 

 彼女が自分の親代わりであったのは間違いなく、そしてどうしたって、彼女が自分を見据えて来てくれたのは事実なのだ。

 

 どれだけの我儘を言っても、どれだけのじゃじゃ馬でも、シンディは一歩下がった目線で付き従ってくれた。

 

 よく出来た従者であったのだろう。

 

「……シンディ。私は、もう行くわ」

 

『ええ。行ってらっしゃいませ、お嬢様』

 

 その言葉を潮にして通信は途切れたが、涙は流すまい。ここで涙すれば、それだけ彼女への侮辱となる。

 

 自分は、もう巣立つと決めた翼なのだ。

 

 籠の鳥の時間は終わりを告げていた。

 

「……ええ、行ってくるわ。さよなら、シンディ」

 

 もう戻れないのだと、自身の覚悟を刻んでキルシーは身を翻す。

 

 その身に纏った白のローブが風にはためいていた。

 

 シンディの用意してくれたヘカテ級戦艦の上で、キルシーは革命の旗印となる屹立する機体を視野に入れる。

 

「……モビルフォートレス、《サードアルタイル》。それは私達の力となる……。傾注!」

 

 管制室にて通信網を振り向けたキルシーは甲板に聳え立つMS編成へと目線を振る。

 

《エクエス》ばかりの烏合の衆とは言え、世界は自分達を無視出来ないはずだ。

 

「これより、世界への反抗の凱歌を示す我が組織は、戦いへの螺旋を貫き通す! 翻した旗の名前はネオジャンヌ! 聖女の名を冠する我が組織はこの世界を崩壊に導こうとする勢力へと攻勢に転ずる! 目標、MF01、《ファーストヴィーナス》! 追撃し、聖獣の首を勝ち取った先にこそ、未来はあるのだ!」

 

 通信網から波打って来る声の相乗に、キルシーは感じ入っていた。

 

 燻ぶり続けた己がここに来てようやく翼を広げ、世界に羽ばたく。

 

「これより、聖獣討伐任務を帯び、我々こそが世界に! その結末を描く! 皆の者、出合え! 第一の聖獣を狩り、我々こそが世界にとって意義のある存在である事を、ここに!」

 

 ここに! と声が響き渡ったのをキルシーは満足げに首肯してから、ヘカテ級戦艦の名前を紡ぎ上げる。

 

「前を行くこの艦の名前は既にヘカテに非ず! 戦艦ブリュンヒルデ! 《ファーストヴィーナス》を追撃する!」

 

 歓声を浴びつつ、キルシーは管制室に駐在する他の人員へと目配せしていた。

 

 彼らの信頼の視線に、キルシーは一度管制室を後にしたところで、背中から声を投げられる。

 

「……キルシー……! 本当にこれで、いいって言うのか……」

 

 声の主の切迫した様子に、キルシーは何でもないように応じてみせる。

 

「あら? ローゼンシュタイン様。まさかこの期に及んで後悔でも?」

 

 ガヴィリアは拳をぎゅっと握り締め、悔恨そのもののように告げる。

 

「……君がこんな反政府組織の頭目になるなんて思いも寄らない」

 

「感謝は、しているのですよ。これだけの大軍勢、あなたの口添えがなければ出来なかったのですから」

 

「……だが、これもある意味では叛意だ。私がトライアウトに居続ける事は難しくなるだろう」

 

「それでも、私を想っての事なのですよね?」

 

「……軍警察として、秩序を乱す者を容認するわけにはいかない。だが、君は、キルシー・フロイトだ。私のよく知る、幼馴染じゃないか」

 

「では幼馴染だから援助してくださったのですか?」

 

「まさか。私は……これでも戦士だ。だからそういうウェットな部分と、戦士の部分は切り分けている。だが私は君に、死にに行ってほしくないんだ。穢されるのは私だけでいい」

 

「あら、その言葉は、嬉しい言葉だと思っていいのかしら」

 

「……いつまでも繰り言を続けていたって仕方ない。キルシー、私は君があの……聖獣を手に入れたと聞いて、その真意を確かめたかったんだ」

 

「《サードアルタイル》は私の物ではありませんよ」

 

「だがあれに乗っているのは……あのクランスコール令嬢だって言うんだろう? 一体何がどうなって……」

 

「ファムは私のただ一人の友達ですもの。彼女だけが……この偽りだらけの世界で信じるに足るものになる」

 

「どうしてそこまでクランスコール令嬢に入れ込むんだ? 彼女が何を考えて……どうして《サードアルタイル》を駆動させられるのか誰も分からないんだろうに」

 

 ガヴィリアからしてみれば不明瞭なだけの代物だろう。

 

 しかし、自分はファムに見たのだ。

 

 可能性と、そしてこの惰弱の世界に陥った混沌の打破を。

 

 三番目の聖獣の力はそれに匹敵する。

 

 ファムは自分の世界を拡大してくれた大事な親友。

 

 ゆえにこそ、革命の女神は彼女にこそ輝く称号であろう。

 

「ファムは優しくって、とってもいい子ですわ。だから、彼女は世界を壊す。それに足る力を持っている」

 

「キルシー、考え直せないのか? このままでは君は逆賊の徒だ。如何に聖獣討伐の大義名分があったところで、組織の設立はいずれ大いなる脅威として統制の対象となる。そうなった時、護り切れるかどうかは分からないんだ」

 

「ローゼンシュタイン様。あなたは守ってくださらないので?」

 

「……君を護る、と、安易に言えない立ち位置に居る。私はトライアウトを抜けたわけではない。それはもちろん、このネオジャンヌの設立メンバーだってそうだ。彼らには軍警察の延長組織だと説明している。……言っていなかったが先のジェネシスにおける謀反があり、現状の軍警察組織には懐疑的な人間も少なくはない。彼らにとって欲しいのは消えない食い扶持だろうさ」

 

「ネオジャンヌはそんな俗世に塗れた思想で成り立った組織ではありませんわ。世界を変えるのです。それならば、相応の覚悟と矜持が必要なはず」

 

「……それは分かっているのだが、中には私にとっての部下も居る。彼らを危険に晒したくはないのだよ。トライアウトジェネシスに正義がなくとも、それでもネオジャンヌを信じている人々は分かりやすい偶像を求めているに違いないのだからね」

 

「《サードアルタイル》は偶像には過ぎると思いますわ」

 

 歩み出そうとした自分へとガヴィリアは肩を引っ掴む。

 

「まぁ、待つんだ、キルシー。……まさか地球圏においてMFの一角が手に入るなんて誰も思っちゃいない。加えて……王族親衛隊、リヴェンシュタイン家の嫡男を守っただって? それは知れれば事だろうが、その力添えもあってのネオジャンヌだ。あまり……先走り過ぎないほうがいいだろう。君だって、突かれれば痛い横腹があるわけでもないのだろうし、過信は禁物だ」

 

「離してくださいまし」

 

 手を振り払う。

 

 驚愕に塗り固められた相貌は、どこまでも「恥知らず」な面持ちだ。

 

「……ローゼンシュタイン様。私は所詮、女であったと痛感しているのです」

 

「……キルシー?」

 

「これまで無知蒙昧だった、女は女の武器を使う事でしか、この世界では生きていけないのだと。そんな凝り固まった私の世界を壊してくれたのはファムです。彼女こそ、革命の女神。この安寧と惰弱に陥りつつある世界の歯車を壊すだけの鍵なんです」

 

「キルシー……だがそれは入れ込み過ぎと言うものだろう。彼女は……私の眼から見れば、そこまでのひとかどの人物であったかと、疑問でもある。それにもし、《サードアルタイル》が途中で敵になれば? その可能性がないわけじゃないだろう」

 

「あり得ません。ファムは私の親友です。侮辱するのなら、ローゼンシュタイン様であっても容赦はしません」

 

「侮辱なんて……。ただ、疑問ではないのか? MFを動かしていたのが人間だったなんて。私はあれには……宇宙人でも乗っているんだと思っていたよ。あれを稼働させるに足る素養が何なのか、まるで分からぬまま……。私達の前には依然としてブラックボックスなんだ。だから信用し過ぎないほうがいい。もしもの時に、裏切られた時が辛いぞ」

 

「それは警句でしょうか? 経験則からの」

 

「……君を想っての言葉だと受け取ってはもらえないのか」

 

 苦々しい面持ちでそう返したガヴィリアに、キルシーは身を翻す。

 

「失礼を。私はこれでもネオジャンヌのリーダー。やる事はたくさんありますので」

 

 その一言で切り捨てようとしたガヴィリアは、最後の最後に「噛み付く」かのように言い添える。

 

「だが……! これは君を……誰よりも想っての言葉なのだと、理解して欲しい……!」

 

 どこまでも女々しいものだ。

 

 キルシーは外に出てヘカテ級戦艦の甲板部に聳える《サードアルタイル》を仰ぎ見ていた。

 

 陽光を照り返す鋼鉄とも、軟体ともつかない装甲。

 

 しかし操り人形を想起させる上部の円環より延びる無数の糸は、現状人類の叡智が及ばぬ領域だ。

 

 今も頭部を項垂れさせる《サードアルタイル》だが、キルシーは甲板部に立つ《エクエス》の手を借りて、聖獣の腹腔に収まる少女へと声をかけていた。

 

 小春日和にまどろんだ少女の銀髪が反射している。

 

「――ファム、起きて」

 

「ミュイぃぃ……あっ、キルシー。おはよう……」

 

 寝ぼけ眼を擦ったファムが大きく伸びをする。

 

 まるで自分がこのネオジャンヌにおいての主戦力である事など自覚していないような挙動であった。

 

「ファム、この機体……《サードアルタイル》は動かせる?」

 

 腹部コックピットの内部は円形に縁取られており、今も無数の情報を流し込まれているのか、地球の様々な地域の映像が映し出されては消えていく。

 

 聖獣の胎に収まるとなれば心穏やかではいられなかったが、操るファムは落ち着き払っている。

 

「うごかせるよ? どうする?」

 

 何でもない事のように言ってのけるファムに、キルシーは嘆息をついていた。

 

「……あなたはいつも驚かせてくれるのね。出会った時からそう。ええ、きっと、私とあなたの出会いは、運命だった」

 

「ミュイ? うんめい? よくわかんない……」

 

「……要は、ファムとは親友になるのが決まっていたって事」

 

 ファムの身体を抱き留め、キルシーはその耳元に囁きかける。

 

 豊かな銀髪から漂うてらいのない少女の香りが鼻孔をくすぐった。

 

「ねぇ、ファム……。あなたが居れば、私は私の世界に叛逆出来る……。だって、《サードアルタイル》のパイロットだったなんて。何でもっと早くに教えてくれなかったの?」

 

「……ミュイ? ファムはこのこのパイロットじゃないよ? このこはべつのひとのものなの」

 

「そうなの? まぁ、それでも今は、ファムの手足のように操れるんでしょう?」

 

「ミュイっ! こうすればいい?」

 

 稼働した《サードアルタイル》の動きに護衛艦の甲板上に佇んでいる《エクエス》部隊が色めき立つ。

 

『こ、これは……! MF稼働!』

 

「うろたえないで。私が命令しているのよ」

 

 インカム越しに《エクエス》乗り達の行動を制してから、ファムが手を差し出すのを目にする。

 

 驚くべき事に《サードアルタイル》には操縦桿などの類はない。

 

 手を翳し、何かをなぞるようにすると《サードアルタイル》が内側から虹色の血潮を滾らせて頭部を上げる。

 

 単眼が輝き、射線が無数のインジケーター越しに照準されていた。

 

「ファム、どれくらいの相手なら倒せそう? 前回のMF01……《ファーストヴィーナス》は倒せそうなのかしら?」

 

「ミュイっ! たおせるよ! でも……いちばんめ、むずかしいかも」

 

「どういう意味? 倒す事は出来ても、って言う事?」

 

「ううん、そうじゃなくって……、あっ、くるよ」

 

 不意にファムが天上を指差す。

 

 キルシーの眼にはしかし、何も映らない。

 

 青空の合間に積乱雲が浮かぶばかりだ。

 

「……何が?」

 

「ろくばんめ、かも。ちょっとけはいがちがうけれど」

 

「六番目……?」

 

 その疑問を氷解する前に天地が縫い止められた。

 

 光芒だ。

 

 黒き光が海と大地を貫いて、世界を震撼させる。

 

 衝撃波が拡散し、積乱雲を一撃で吹き飛ばしていた。

 

 海上を奔っていく風圧に、《エクエス》乗り達が動揺する。

 

『衝撃波……! 一体何の……!』

 

「ファム、これは何……!」

 

 漆黒の光軸が大地へと突き刺さっていた。

 

 それらは瞬時に霧散して行ったが、紫の電磁波を滾らせている。

 

 並大抵のエネルギーではなかったのだけは確かだ。

 

 余剰衝撃波で空間が歪んでいる。

 

「……ろくばんめ。いちばんめをたおした」

 

 想定外の言葉にキルシーは瞠目していた。

 

「倒した……? それってつまり、《ファーストヴィーナス》は今の……砲撃で倒されたって言うの?」

 

「ううん、むりかも。たおすのはできないよ。でも、いちばんめはとってもつらいね」

 

 ファムの言葉の意味の半分も分からずに、キルシーはインカムに手を添えていた。

 

「最大望遠……! MF01《ファーストヴィーナス》は?」

 

『げ、現在、走査難航! 光波、磁場、全ての観測方法を拒んでいます!』

 

「……要は敵の探知が困難ってわけでしょうに……!」

 

 舌打ちを滲ませ、キルシーは今も重力崩壊の途上にある空域を睨む。

 

「一体何が……起きたって言うのよ。ネオジャンヌ全部隊に通達! これより、MF01討伐任務を帯び、海域へと侵攻する!」

 

『で、ですが、リーダー! 何が起こったのかまるで分かりません……それに、ネオジャンヌは結成されてまだ日が浅い……危険なのでは……!』

 

「聞こえなかったの? 私達はネオジャンヌ! この世界の秩序を再構築するために存在しているのよ! ……それに、《サードアルタイル》を擁している私達だって、何かの拍子に狙われないとも限らない。敵は……衛星軌道上から攻撃してきたと推測するのならば、ね」

 

 こちらの言葉振りに《エクエス》乗り達は次々と恐れを成したのが伝わったが、キルシーは声を張る。

 

「やられる前にやるしかないでしょう! 衛星軌道上から攻撃される前に、MF01への攻勢と、可能ならば鹵獲を試みます。《サードアルタイル》ならそれが出来る。そうよね? ファム」

 

「うん、できるよ。でも、このこはとってもおとなしいから、いちばんめとたたかうのはちょっといやみたい」

 

 そう口にするファムに、キルシーは頬へと手を添えて、愛おしげに首肯する。

 

「ええ、分かっているわ、ファム。あなたの聖獣だもの。あなたそっくりなのは分かっている。とっても優しい心の持ち主だって事はね。《サードアルタイル》は切り札よ。シェイムレスが連れてきたトライアウトジェネシスの残存部隊だけでも、露払いにはなるはず。あなたを傷つけさせやしないわ」

 

 ファムはくすぐったそうにして、その赤紫の瞳を細める。

 

「ミュイぃぃぃ……キルシー、くすぐったい」

 

「戦うのよ。私達が、私達の力で、ね。それが可能なのが、私達のための聖女、ネオジャンヌなんだから」

 

 



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第174話「鏡の領域」

 

 直撃を確認してから、ジオは散開を命じていた。

 

「これより、爆心地へと侵攻。王族親衛隊直属の者達は、領空圏を維持しつつ敵を包囲。怠るな。相手は聖獣である」

 

『了解。大佐の《ラクリモサ》を戦端とし、砲撃仕様の《パラティヌス》を展開します。対熱核アーマーを分離。その後に爆心地へと警戒を厳として射線に入れます』

 

 赤い大気圏の手痛い応酬を受け流した者達は分離型の熱核アーマーを排除し、機体を晒していた。

 

 楕円状のカプセルが段階的に排出され、内側に収まっていた《パラティヌス》がその手に携えたのは長距離ライフルである。

 

「ライセンス品である。敵への着弾速度、威力共に申し分ない」

 

 王族親衛隊のライセンスを施されたライフルを突き出した《パラティヌス》編隊は、光背の如くエネルギーホイールを展開していた。

 

 余剰エネルギーの余波が「∞」の形状を取り、今も蒸発の途上にある爆心地を照準する。

 

『照準、構え。トリガーを確認。MFの爆心地においての生存反応、現状認められず。しかし、油断は大敵である。《シクススプロキオンエメス》の充填状況は?』

 

『エネルギー六十パーセントを放出。再チャージまでの試算は七時間と推定』

 

『MFを討伐するのには時間が過ぎる。敵影をロック。その後に《ファーストヴィーナス》の金色の帯の攻撃を予見し、各員管理アイリウムを稼働させよ。レヴォル・インターセプト・リーディングを稼働』

 

 降下する《パラティヌス》編隊が円弧を描きつつ、砲口を爆心地に据える。

 

 海面は超重力砲によって水蒸気が噴き出しており、海底火山の噴火を想起させていた。

 

『熱量推測。《ファーストヴィーナス》が全ての権能を防御に回したと仮定しても、その躯体が残存している可能性は限りなくゼロである。しかし、敵は我々の叡智の届かぬ聖獣、心してかかれ』

 

『了解。大佐、どういたします。攻撃を仕掛けた瞬間に応戦が来るとなれば、熟練の直属部隊とは言え、不確定要素が残ります』

 

 ジオは足元に投射されたリアルタイム映像を仮面の双眸で見据えつつ、直通通信を繋いできた腹心へと声を返す。

 

「情況を見たい。敵影は未だに視認出来ず、か。先制攻撃はしかし譲れないな」

 

『それには同意見です。MF01にどれほどの権能が残っていようとも、先の攻撃は同じ聖獣の一撃。如何に敵が堅牢であろうとも、無傷とはいかないはず』

 

 超重力砲で押し潰されたのだと思いたかったが、そう断じるのには要素が足りない。

 

「直属部隊に入電。総攻撃、開始」

 

『復誦、総攻撃開始』

 

《パラティヌス》が一斉掃射を浴びせ込む。

 

 その砲撃網は一機でヘカテ級の艦砲射撃に相当する。

 

 螺旋を描くように光軸が叩き込まれ、海面を叩き据えていた。

 

『命中。しかし反応なし』

 

「続けろ。砲身が溶断するまでだ」

 

『了解。砲手、そのまま砲撃続行』

 

《パラティヌス》編隊は砲身の弾頭を入れ替え、直撃軌道を講じる。

 

『砲身冷却。再掃射まで、60セコンド以内』

 

 こちらは降下しながら敵へと砲撃を見舞っている以上、完全に落ち切るまでに決着を付けたいのが本懐であろう。

 

 だが、その望みが叶うほど相手が容易いとも思っていない。

 

 一本の黄金の帯が照射され、《パラティヌス》編隊へと直進する。

 

 しかし、王族親衛隊に配される実力者達は、通常のパイロットでは回避困難なそれを容易く避けてみせる。

 

『敵より反撃をモニター。しかし狙いは散漫な模様』

 

「ダメージが思ったよりも深刻なのかもしれない。我々はこのまま、砲撃続行。通用していないはずがないのだ、これでも」

 

 ジオはその直後、額で弾けた関知野のスパークを感じ取っていた。

 

 瞬時に命令系統を飛ばす。

 

「いや、待て。《パラティヌス》は降下軌道を取りつつ、別働隊を警戒せよ」

 

『別働隊? 聖獣ではなく、ですか?』

 

「あれも聖獣だろう。こちらで確認したとは言え、あちらから来てくれるとは想定外だ」

 

『モニター班、艦影を索敵。重力下ヘカテ級戦艦と護衛艦を視認いたしました。総数三隻、所属は不明』

 

『三隻……? 妙ですね、重力下の情勢が群がってくるにしてはあまりにも手早い』

 

「即席の部隊の可能性が高い。MF01への砲撃よりも、こちらを警戒せよ。敵は――MF03、《サードアルタイル》である」

 

 先行するヘカテ級甲板に屹立するのは重力の投網などまるで無視したような威容。

 

 黄色い装甲板の各所に虹色の血潮を滾らせ、単眼がこちらの視線と交錯する。

 

『まさか……空間転移した後に追ってくるなど……』

 

「主の思惑とは違うようだが、あれは《サードアルタイル》に相違あるまい。各員、警戒を厳とせよ。敵勢はパーティクルビットによる波状攻撃を仕掛けて来るぞ」

 

『了解』の復誦が通信網を震わせる中で、虹色の波が拡散し、まずは第一陣の攻撃を仕掛けてくる。

 

 その波の凪を狙っての《エクエス》部隊の強襲。

 

 しかし、とジオは感じ取っていた。

 

「動きがあまりにも杜撰な、まるで素人のそれだ」

 

 指揮系統に乱れがあるとしか思えない作戦配置にジオは仮面の奥の瞳を細めていた。

 

『大佐、敵機のそれは脅威対象にしては低過ぎます。《エクエス》の動きも統率された部隊と見るに散漫としか……。今は聖獣を討伐するのが先決では?』

 

「逸るな。何も手負いの聖獣だけを狩れと言われているわけでもない。《サードアルタイル》の首であっても、我々の手柄には変わりないのだ」

 

『なるほど、それは納得です。どう仕掛けて来るか分からないMF01は後回しですか』

 

「手負いの獣ならばこちらが下手を打てば喰われる可能性もある。警戒心のないほうを選んで駆逐せよ」

 

『御意に』

 

《パラティヌス》部隊の砲門が《サードアルタイル》へと照準される。

 

 一斉掃射の勢いでの攻撃に《サードアルタイル》は虹の皮膜を構築させて光芒の軸を変移させていた。

 

『ビームを曲げる……!』

 

「うろたえるな。あれはミラーヘッド質量兵装での偏向に過ぎない。何度もやれば本体に命中する」

 

《サードアルタイル》との戦闘経験は既に確立されている。

 

 何も拮抗出来るのは《ラクリモサ》だけではない。

 

《パラティヌス》編隊が速射モードに切り替えた砲撃で《サードアルタイル》へと断続的な砲撃網を咲かせる。

 

《エクエス》部隊はこちらの攻勢が全くの想定外であったかのように重力圏で狼狽し、おっとり刀の銃撃で応戦しようとするがあまりにも児戯だ。

 

『《エクエス》は? 如何にしますか』

 

「撃墜せよ。あれも邪魔だ」

 

『了解。各員に通達。《サードアルタイル》へと味方する不明勢力への攻勢を開始。《エクエス》は撃墜、《サードアルタイル》は鹵獲せよ。繰り返す、《サードアルタイル》は鹵獲目標だ』

 

《サードアルタイル》がパーティクルビットで押し返そうとするが、こちらには三年間の隔たりがある。

 

《パラティヌス》の性能ならば、何度も攻撃すれば壁を突破する事も困難ではない。

 

 そして想定通り――《サードアルタイル》の皮膜は長続きしなかった。

 

 元々、攻撃転用目的のパーティクルビットによる防衛圏だ。

 

 さほど堅牢でもないのだろう。

 

 撃ち抜かれた《サードアルタイル》は僅かに傾いだ。

 

 直撃したヘカテ級より黒煙が噴き出す。

 

 敵の通信網が僅かに入り混じり、うろたえ調子の声が漏れ聞こえた。

 

『さ、《サードアルタイル》に、攻撃が入った……?』

 

「余所見をする《エクエス》は全て墜とせ。残しておく旨味もなし」

 

『《エクエス》は殲滅せよ。敵勢力のリーダー格は残しておきますか?』

 

「構わない。どうせ、烏合の衆だろう。地球重力圏での王族親衛隊の発言力は宇宙ほどではない。地球の流儀に任せるとしよう」

 

『では敵の本丸は』

 

「潰せ」

 

《パラティヌス》の一斉掃射をしかし、防衛したのは《サードアルタイル》が新たに張ったパーティクルビットの虹の皮膜である。

 

「無駄な事をしないほうがいい。ファム。お前の力はそんな事に使うものでもない。もっと成すべき事を理解して行動すべきだ。それこそが自分の見出した力なのだから」

 

『大佐、敵は攻勢を防衛。どういたしますか』

 

「物量戦に打って出ればこちらの勝利は揺るがない。このまま押し返す。しかして、残念だよ。月の聖獣がこうも呆気なく沈むと言うのは」

 

《パラティヌス》の一斉掃射が引き続き虹の皮膜を押し返していく。

 

《サードアルタイル》の防衛網でも維持し切れないのか、いくつかの光条がヘカテ級に突き刺さっていた。

 

 黒煙が上がる中、ジオは手を払う。

 

「《サードアルタイル》の装甲は現行人類では突破出来ない叡智。しかし、その守っている艦隊は紙切れ同然だ。そのまま攻撃を続行。なに、守るものがなくなれば少しは冷静にもなるはずだ」

 

『了解しました。《パラティヌス》、攻撃続行。このまま《サードアルタイル》本体ではなく、艦隊への攻撃として砲撃網を――失礼、何だ、この高周波は……』

 

 不意に通信網に焼き付いてきた高周波の音叉が王族親衛隊の隊列を乱す。

 

 ジオはその高周波が何を意味するのかを理解していた。

 

「いけない。全隊列、警戒を厳に。これは、ダレトからの干渉波だ」

 

『……干渉波……! しかし、これまでモニターされたようなアステロイドジェネレーターへの異常はみられません。これは、どういう……』

 

「遅いか速いかだけの違いだ。――来る」

 

 何が、と言う主語を明瞭化する前に、影がまず現れていた。

 

 続いて影が実像を持ち、そのまま事象平面へと実体化する。

 

 驚嘆すべきであったのは、その総数だ。

 

『……何だこれは……。新造艦に、護衛艦……データ照合……騎屍兵の師団だと……!』

 

 ジオは余剰装甲を払い、出現した敵勢と向かい合う。

 

《ラクリモサ》の赤い装甲が光を照り返し、影より現れた鉤爪を擁する機体を照準する。

 

「生きていたか。――エージェント、クラード」

 



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第175話「本能の刃」

 

 実体宇宙に沁み出してきた影そのものの機体群が重力の投網にかけられ、次々と海面へと没していく。

 

『こ、これは……! どうなって……空間転移ですか』

 

「そのような生易しいものではないのだろう。あの機体が、敵も味方も関係なく、事象境界面より戦場そのものを持ち込んできたのだ」

 

 鉤爪の機体と相対する黒い疾駆の機体だけは、推力が段違いであるのか、この状況でも持ち直していた。

 

「機体照合、驚いたな。まさか王族親衛隊の別働隊が、こちらへと転送されてくるとは」

 

 しかし何故、と思う間もなく、鉤爪の機体の睥睨の眼差しがこちらを見据え、直後には加速度を伴って肉薄してくる。

 

『大佐!』

 

「うろたえる必要性はない。彼の者の流儀だ」

 

 落ち着き払って《ラクリモサ》よりミラーヘッドビットを展開させ、光条を見舞う。

 

 鉤爪のMSはその右腕と同期した武装を払ってビーム兵装を折り曲げていた。

 

『……ビームの偏向……危険です! 大佐!』

 

「重力波だな。あの鉤爪自体に高重力を纏い、その動き一つで光線兵器を無効化する」

 

『落ち着いておられる場合ではありません! 敵機の脅威判定は……!』

 

「だから、うろたえる必要はないと、自分は言っている」

 

 鉤爪の悪鬼はそのまま一撃を打ち下ろしたが、格闘兵装をアーム武装に装着させた《ラクリモサ》で相対する。

 

 眼前で弾けるスパーク光にすぐさまミラーヘッドビットを敵背面へと加速。

 

 即座に放射されたビームの連鎖に敵機は右腕を薙ぎ払って重力の皮膜で防御するも、そのいくつかは既に相手の腹腔へと突き刺さっている。

 

「アステロイドジェネレーターの位置は大前提として変わっていないはずだ」

 

 衝突したミラーヘッドビットを起爆させ、さらにミラーヘッドの拡散現象を帯びた蒼い残像が敵の心の臓を露出させる。

 

 アステロイドジェネレーターさえ曝け出されればそれは脅威のはず。

 

 走らせた防衛のためのミラーヘッドビットの光条を敵機は巨大な鉤爪で受けるが、それは悪手というもの。

 

 挟撃の位置関係を取ったミラーヘッドビットの絞り出した光条が相手の肩を射抜く。

 

 それだけで敵の関節部は異常を来し、腕を上げる事も叶わないようになる。

 

「右腕の兵装を潰すのに、わざわざ打ち合うような迂闊さを演じるわけでもない」

 

 全てのMSには基礎設計と言うものが存在する。

 

 人間の骨格、人型を模している以上は絶対に免れぬ弱点――それこそがどれほどの強大なMSであろうと、ミラーヘッドの有無にかかわらず、戦局においては防衛目標となるはずだ。

 

 瞬時に頸部へと浮かび上げたミラーヘッドビットを敵機は浴びせ蹴りで叩き落とすが、その時には反対側に回り込んだ別のビットが腹腔を貫いている。

 

「アステロイドジェネレーターの臨界、あるいはその炉心を高熱に晒せば、どれほど高性能なMSでも直後には木偶人形と化す。まだまだ、戦いの本懐には足りないな」

 

 撃ち抜いたミラーヘッドビットをそのまま敵機に猪突させ、起爆。

 

 炉心周りがどれほど堅牢でも、これで少しは時間稼ぎが出来る。

 

『お、お見事にございます……』

 

 腹心の震えた声に、もし相手方であったらなどという益体のない考えに浸っているのは容易に窺えた。

 

「謙遜はいい。それよりも、この機体を手土産にすれば、少しは王族親衛隊の面目躍如というものだ。このMSを鹵獲する――」

 

 そこまで口にした、瞬間であった。

 

 黒い疾駆が躍り上がり、《パラティヌス》の砲身を叩き割る。

 

 それだけではない。

 

 そのまま王族親衛隊の機体を蹴りつけて加速に用い、《ラクリモサ》へと一閃を浴びせ込もうとする。

 

 その一撃は盾にしたミラーヘッドビットが起爆した事で防げたが、それでも妄執の塊とでも言うべき太刀は留まる事なく、《ラクリモサ》の射程に潜り込んでいた。

 

 アームに接続した格闘兵装で対峙し、スパークの光が拡散する。

 

「どういうつもりだ。王族親衛隊所属、ヴィクトゥス・レイジ特務大尉だな、その黒い機体は」

 

『……私にも分からんさ。分からんが、君にくれてやるのは惜しくってね! 二度も三度も、彼の墓標を飾る栄誉は与えられんと思え! 彼と踊るのは……この私だ!』

 

 加速度で叩き上げられた膝打ちを《ラクリモサ》はビット兵装を翳してまずは一撃。

 

 脚部を撃ち抜いたが、すぐさま相手はパージさせ、誘爆を防ぐ。

 

 返す刀の唐竹割りが迫るも、《ラクリモサ》は機体を反転させ、光背部に接続された高出力推進剤による眩惑を浴びせていた。

 

 これで少しは大人しくなるか、と講じたこちらの手を読んだかの如く、黒い機体は眼窩に赤い双眸を滾らせ、頭蓋を《ラクリモサ》の頭部に衝突させる。

 

 鋼鉄同士がぶつかり合う音叉が響き渡る中で、接触回線が開いていた。

 

『……嘗めないでいただこう。これでも私は……実力で跳ね上がった人間だ……!』

 

「そうであったな。ヴィクトゥス・レイジ特務大尉。少しばかり貴殿の力を軽んじていたらしい。《ラクリモサ》相手にここまでやるとは想定してもいない。だが何故だ。何故、同じ王族親衛隊所属でありながら、自分と相対するのか」

 

『知れた事……! 彼へと引導を渡すのは私の役目! 断じて! 万華鏡に奪われてなるものか! この刃、その血の一滴になるまで喰い尽くすと知れ!』

 

「なるほど。死狂いであったか」

 

 反転し様に、薙ぎ払う一閃。

 

 もう一方のアームに格闘兵装を接続させ、その剣筋を受け流す。

 

「自分に両手を使わせたのは、貴殿が初めてである」

 

『そうかな……。両腕だけで済むと思うなよ、万華鏡……!』

 

「しかし、意味を判じかねている。我々は同族、何故合い争わなければいけないのか」

 

『それが分からぬようでは……! 万華鏡も地に堕ちたと言うものよ!』

 

 ヴィクトゥスの機体が跳ね上がり、両腕に備えた刃を打ち下ろす。

 

 格闘兵装のアームで打ち合うのを部下達は気圧され気味に眺めている。

 

『……大佐に太刀を使わせる……』

 

 何度かの交錯の後に、重加速を伴わせて相手の機体は背後へと回り込む。

 

 恐らく、獲った、と言う確証の一撃。

 

 だが、それでは足らない、と用意しておいたミラーヘッドビットの銃口がその頭部を見据える。

 

 相手の刃より早く、迸った光条が貫く。

 

 しかし、黒煙を上げながらヴィクトゥスの機体はその執念で刃を奔らせていた。

 

 守りに打たせていたミラーヘッドビットを叩き割り、太刀筋が《ラクリモサ》の装甲へと迫る。

 

「二秒」

 

 呟くと同時に直下に据えていたミラーヘッドビットへと命令させ、蒼い残像を引いたミラーヘッドの火線が黒い機体を噴き上がったビームの火線で射抜いていた。

 

 その刃はコックピットのすぐ傍まで肉薄を果たしている。

 

「遅かったようだ、ヴィクトゥス・レイジ特務大尉。二秒あれば、自分の首を刎ねられた」

 

『……逆……だな。二秒あれば……充分であった……ッ!』

 

「ふむ。そのようだ」

 

 鉤爪の機体は完全に射程外に逃れ、重力圏に慣れていなかった敵艦も、今や不明勢力の側へと合流を果たしている。

 

「これが貴殿のやり方か」

 

『……悪いかね? 私は手段だけは選ばぬクチだ』

 

「いや、とても勉強になった。やはり二秒とは言え、猶予を残すべきではない」

 

 浮かび上がったミラーヘッドビットが磁石の如く並び立ち、ヴィクトゥスの機体を包囲する。

 

 その頃には出端を挫かれた《パラティヌス》も持ち直し、砲塔を向けていた。

 

『た、大佐……撃ってよろしいので……?』

 

「撃たないほうがいい。互いに禍根を残す。それに、どうやら目的はあの鉤爪の機体の安全だ。貴殿が敵に回ったと言う最悪の想定は免れた」

 

『……分かった風な口を利く』

 

「分かっているのだ。貴殿には殺意がなかった。あればもう、手段にこだわらず自分を抹殺している」

 

『……それは買いかぶりだとも』

 

「それに知りたい事もある。何故、貴殿を含め、艦隊規模での空間転移など巻き起こったのか。反証するデータが欲しい。全て話してもらう」

 

 ヴィクトゥスの機体はほとんどの推進機能は奪われていたが、それでも炉心は無傷である上に、あの鉤爪のMSに最も近い位置での出現であったのを見逃していない。

 

『……どこから話せばいいのか……』

 

「どこからでも構わない。貴殿は話す義務がある」

 

 その言葉にヴィクトゥスはようやく、刃を仕舞っていた。

 

『……万華鏡には敵わぬ、とでも言えばいいのだろうか』

 

「肉薄はしただろう。ここまでの攻勢を迫ったのは貴殿が初めてだ」

 

『光栄に思うべきなのかな、それは』

 

「少なくとも不名誉ではあるまい。それに、自分とて気にはなっている。何故、戦場一単位での空間跳躍など可能であったのか。知らねば話は進まないだろう」

 

『……私にも解明しかねる事はあるが……』

 

「それは情報の擦り合わせで解決出来る。今は、一手でも情報が欲しい」

 

 ようやく《パラティヌス》編隊が砲身を降ろす。

 

 ヴィクトゥスの機体は満身創痍であったが、それでもまだ衰えぬ戦意だけは窺えた。

 

『……私にも分からない、が……一つだけ言える事はある。エージェント、クラード君……! 彼は私の焦がれた、黒い一陣の旋風……それを超えるに値する人物である事が……』

 

「またクラードか。どうやら彼は、自分にとっても因縁らしい」

 

 それに、とジオは新造艦が海を這い進むヘカテ級へと合流軌道を取っているのを目の当たりにしていた。

 

「また出会う、か。それはしかし、地獄だぞ、ファム」

 



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第176話「宇宙と海とを」

 

 状況など誰にも分かるはずがない。

 

 それでも、管制室から声を張ったレミアは、まず残存する機体数の照合から入ったのはまずまずの戦果であったと言えよう。

 

「残存数! 認証入って!」

 

「機体損耗率、三割未満……! 我が方の損耗は低いですが……しかし」

 

「濁すのはいいの。今は的確な情報が欲しい」

 

「《ダーレッドガンダム》! 不明な軍勢へと肉薄……この機体照合は……王族親衛隊所属、万華鏡、ジオ・クランスコールの《ラクリモサ》? ……どういう……」

 

 戸惑うバーミットへとレミアは視線を振り向けて事態確認を行う。

 

「まずは帰投出来る機体の全収容! その後に、艦推進システムを重力下専用へと切り替えます! アステロイドジェネレーター電荷! ミラーヘッドの皮膜を張りつつ、オフィーリアはこのまま、ゆっくりと降下……着水の後に艦損耗率を概算してちょうだい。……それで、少しは持つはず……」

 

「ですが、レミア艦長! クラードはどうするんです! あいつ、《ラクリモサ》相手に……!」

 

「バーミット、まずは出来る事からこなしていきましょう。そうでないと、死ななくていい人間まで死なせる事になるわ。……まだ飲み込めていないけれど、どうしてなのだか、私達は重力圏に居る。この意味を、すぐに承服するのには叡智も何もかも足りない。……ただ、あそこでへたり込んでいる委任担当官さんには、ちょっとばかしキツイ灸が必要そうだけれど」

 

 カトリナは茫然自失の状態で、管制室の一角でマイクを握り締めたまま、状況でさえも理解出来ていないようだ。

 

「……なに、が……」

 

「起こったのか。それは私達も知りたいのよ、カトリナさん。まずは、さっきまでの泥仕合を返上する。収容出来る機体は全て、オフィーリア格納デッキへ! 呼びかけを怠らないでちょうだい」

 

『こちら格納デッキ! どうなってんだ、こりゃあ……! いきなり重力だって言うのか……!』

 

「サルトル技術顧問、迷惑をかけるけれど、まずは先ほどまでの戦場から生き延びた人間の回収、尽力してもらえる?」

 

『それは構わないが……艦長、これは珍妙を通り越して……』

 

「ええ、意味不明ね。でも、巻き起こった事だけは事実。私達は、理解は出来なくとも、それでも前にだけは進まないといけない。何せ、飲み込める現実だけで出来ているほど、世の中は甘くないようだから」

 

「それは誰の警句ですか? ……収容班! ゆっくりしている場合はないのよ! とっとと格納デッキに残存MSを突っ込む! ほら、早く!」

 

「……誰でもないのよ。引用不明、ってね。こういう時に、鈍感なほうが長生き出来るのかしら」

 

「それはどうでしょうか、ね……ッ! あんの馬鹿……! クラード! 戻りなさい! ……駄目、通信切って、分からず屋ぁ……ッ!」

 

 インカムを握り締めたバーミットにようやく現状認識が追いついてきたのか、カトリナが振り返り様に叫ぶ。

 

「そうだ……クラードさんは……!」

 

「今は、出来る事から拾っていかないと全部取りこぼすわよ。……クラードの回収にはダビデ・ダリンズ中尉を向かわせます。彼女なら損耗も少なく、この状況下でも対応出来る。……他は全部戻して。《レグルスブラッド》を出撃位置に!」

 

 こちらの指示が意想外なのか、カトリナは目を見開いて声にする。

 

「……何で……何でレミア艦長は、うろたえ一つもなく……」

 

「うろたえて事態が好転するのならしているわ。でも、これまでもそうだったけれど、そうじゃない。……そうじゃないなんて分かり切っているでしょうに……。だから私は、嫌でも冷徹になるしかないの。カトリナさん、艦長として委任担当官に命令します。クラードの帰投を確認後、彼を隔離室に」

 

 その命令があまりにも突拍子もなく聞こえたのか、カトリナはようやく立ち上がっていた。

 

「ま、待ってください……! 待って……だってこの状況、誰も説明出来ないんですよ? だって言うのに……クラードさんを隔離なんて……」

 

「確かに理解は出来ないけれど、意味は分かるはずよね? この現象を巻き起こした中心軸なのよ、彼は……」

 

「《ダーレッドガンダム》……」

 

「現状、《ラクリモサ》と交戦……だけれどもまぁ……圧倒されちゃっているわね。このままじゃ鹵獲されますよ」

 

 バーミットの振り向けた声に、カトリナはようやく事の重大さを理解したように声を張る。

 

「そ、そんなの駄目……駄目ですっ! また、三年前と同じに……なっちゃうじゃないですか……!」

 

「じゃああなたは三年前と違うように出来るって言うの!」

 

 張り上げ返した声の圧に、管制室に居る誰もが絶句していた。

 

 まさか自分が声を張ってでもカトリナの論調を崩すとは思っていなかったのだろう。

 

 カトリナ自身、涙が滲んでいる。

 

「自惚れないで……あなた一人だけが、クラードの事を心配しているとでも、思っているの……」

 

 震えた拳を骨が浮くほど握り締め、レミアは肘掛けを殴りつける。

 

 それは自分でも制御出来ない、感情の発露であった。

 

 カトリナは一度涙ぐんで、それから管制室を抜け出す。

 

 その背中に誰一人として声を投げられなかった。

 

「……艦長、憎まれ役は年長者の務めですか」

 

「……そんな大層なものじゃないわ。ただ怒鳴り返したかっただけだもの。私も、身勝手よね……彼女を焚きつけておいて、自分が不明瞭な事態に陥れば、平然と声を張って威圧するなんて……」

 

 震える声と共に艦長帽を目深に被る。

 

「……まぁ、いいんじゃないですか。艦長だって女でしょ。だったら、惚れた男の行く末を、そりゃあ案じないわけじゃないでしょうから」

 

「そんなご立派な大義なんてないのよ。……本当に……私には、何も……ない」

 

「だったら、泣き喚くのは最後の最後にしましょうよ。女だてらに泣いていい時ってのは、決まっているもんでしょう」

 

「……すまないわね」

 

「いいんですよ。長い仲じゃないですか。ま、女としちゃ敵ですけれどもね」

 

「……私は敵、か」

 

「そうですよ。いい女はいつだって敵なんです。知ってるでしょ? 私の常套句」

 

「……そうね。バーミット、あなたはそういう部下だったわ」

 

「盟友でしょ。……でも、クラード、《ダーレッドガンダム》でも《ラクリモサ》にはまだ届かない……か」

 

「鹵獲の危険性は?」

 

「ありますけれど……いや、待ってください、これ……。敵機……これは、機体照合《ソリチュード》……? 敵の張り付いていた機体が戦闘に割って入って……! 今なら回収出来そうです!」

 

「……だ、そうよ。聞こえているわね? ダビデ・ダリンズ中尉」

 

『構わないが、彼を回収後、離脱領域に逃げ切る算段はあるのだろうな? このままではジリ貧だぞ』

 

「そうね……あの艦隊が気にかかるわ。王族親衛隊はあの艦隊と敵対しているように見える……それに先頭を行く艦があの損耗では、如何に権威だけあっても難しいでしょうしね。……それに、あのヘカテ級の甲板に居るのは……」

 

 濁した先をバーミットが照合する。

 

「……出ました。驚きですね……本物の聖獣ですよ、あれは」

 

 髪の毛をかき上げたバーミットの感嘆にレミアはメインモニターにもたらされた影を見据える。

 

「……あれが第三の聖獣、《サードアルタイル》……。でも、どうして? 何故、聖獣が地球重力圏に?」

 

「解き明かすの、ちょっと後にしません? 今は頭がパンクしてしまいそうですし」

 

 肩を竦めたバーミットに、レミアは顎に手を添えて思案する。

 

「……何かが同時多発的に起こったとしか、考えられないわね……。でもそれは、ともすれば世界を覆すだけの……何かなのでしょうね……」

 

 



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第177話「扉の前に立ちゆく」

 

「り、リクレンツィア艦長! モルガン、重力航行へと……」

 

「うろたえないで。重力下での戦闘訓練は既に熟知しているはず。今は、アステロイドジェネレーターを電荷。少しでも負荷を下げつつ、敵艦との距離を取ります」

 

「へぇ……慣れてるんだ、こんな状況……」

 

「まさか。わたくしにも分かりかねる、この状況は……!」

 

「ボクはじゃあ、ハプニングに転がされる人間って立ち位置でいいのかな?」

 

「……馬鹿を言わないでください。そんなに落ち着き払っている人間の言葉が信用出来て?」

 

「あら? バレちゃったかぁ……」

 

 だがこうしてメイアと言葉を交わす事で少しは頭が冷えて来たのもある。

 

 ピアーナは流れ込んでくる騎屍兵達の戸惑いに、レイコンマの世界で応じていた。

 

 ――各員、重力制御。騎屍兵師団は一時撤退を講じます。

 

 了解の復誦が思考拡張越しに伝わってくる中で、ピアーナは異物感を覚えていた。

 

「失礼。ファイブ、何をやっているのです。先行し過ぎです。そこまで追いすがっても、我が方も不明な事象に見舞われたのです。一時撤退を」

 

『しかし……! ここで追わなければ、禍根が残る……!』

 

 音声に憤怒と焦燥を滲ませた声音は、平時の騎屍兵のそれとは思えなかった。

 

「落ち着きなさい。わたくしの命令で精神点滴を打ってもいいのですよ。そのような醜態を晒したくなければ、即時撤退を」

 

『……了解』

 

 オフィーリアとブリギットに仕掛けようとしていた《ネクロレヴォル》がダイキの《パラティヌス》を回収してこちらへと戻ってくる。

 

「……へぇー、珍しい事もあるもんだ。師団長に口ごたえする騎屍兵なんて」

 

 メイアの言葉繰りにピアーナは睨む眼を寄越しつつ、それにしても、と現状を解明しようとしていた。

 

「……何が起こったのか……。不意打ち過ぎて脳内が付いて来ないけれど……それでもハッキリしているのは、ここが地球重力圏だという事……空間転移が行われた? こんな大規模で?」

 

 それにしては、全ての事象が出来過ぎている。

 

 ピアーナはカレンダーとグリニッジ標準時を呼び起こし、刻んでいる時刻に瞠目する。

 

「……これは……ちょうど十二時間前……? わたくし達の作戦時刻より、前の時間に……戻っている……?」

 

 その事実は管制室を震撼させるのには充分であろうが、今は自分だけに留めておこう。そうしなければ要らぬパニックに陥る可能性もある。

 

「……ねぇ、なんか変じゃない? 地球の重力下って言うのもだけれど、何て言うのかな……気持ち悪い」

 

 メイアが嫌悪感を催したようにその場に膝を折る。

 

 彼女にしては気弱な態度だ。ピアーナは視線を振り向けて、メイアが口元を押さえているのを目の当たりにしていた。

 

「メイア・メイリス? 何か……感じた事でも?」

 

「いやー……これは普通に重力酔いかな……? でも、気持ち悪いのは本当……。何だか……今ここに居るはずがないって言う感覚? それがすごい……気分悪くって……」

 

 見れば彼女の顔色は少しばかり悪い。ピアーナはクルーを呼びつけ、メイアへと肩を貸させていた。

 

「メイア・メイリスを医務室へ。恐らく、不明事象のための重力酔いと診断。とは言え、わたくしは医者ではありませんので、専門は船医へ」

 

「……いいの? ボク、このチャンスを使って、逃げちゃう……かもよ?」

 

「そこまで狡猾ならもうとっくに貴女は逃げていますよ。今は、わたくしの責任で他者が具合を悪くするのは……どういう事なのだか、気分が悪いのです」

 

「……キミもじゃん。看てもらえば……?」

 

「わたくしは艦長です。この席を離れるわけにはいきません」

 

「意固地……だなぁ、もう……」

 

 管制室を後にしたメイアを確かめてから、ピアーナは現在時刻を確かめる。

 

「……ちょうど十二時間。……ですが、そんな事、可能だと言うのですか。この戦闘の中心軸に居たのは、あの機体……《ダーレッドガンダム》。エージェント、クラード……」

 

「鉤爪の機体! 不明勢力へと肉薄していきます!」

 

「照合結果は」

 

「照合完了。……あれは……王族親衛隊所属、《ラクリモサ》……?」

 

 疑問符を浮かべるのも無理からぬ事。

 

 これまで静観を貫いてきた王族親衛隊が地上に降りているのも異常事態なら、自分達がこうして彼らの作戦をある意味では妨害しているのも異常。

 

「《ラクリモサ》……以下、所属の《パラティヌス》の砲撃主……。何らかの制圧作戦としか思えない陣営です……」

 

「いえ、それだけではなく……! 《ラクリモサ》、以下の王族親衛隊が向かっている海面が高重力磁場にて陥没……。陥没……?」

 

 自分で言って意味が分からなかったのだろう。ピアーナは艦長席を僅かにリクライニングさせ、情報集積端末から現時点での最新情報を寄り集める。

 

 投射されたキーを高速でタイピングしながら、思考拡張で指先だけでは拾い上げられない情報網へとハッキングする。

 

「……これは……聖獣、《サードアルタイル》と、《ファーストヴィーナス》の衝突……? こんな事が……」

 

 聖獣同士は不可侵を貫いてここまで来ていたはず。だと言うのに、二体の聖獣が街中でぶつかり合い、数多の被害が出たと言う報告を受けてピアーナは頬杖をつく。

 

「……こんな異常事態が示し合せたかのように起こるとも思えない。加えて、王族親衛隊身分が制圧戦? あの陣営相手に?」

 

 目線を振り向けると、ヘカテ級戦艦の甲板上に佇むのは間違えようもなく《サードアルタイル》なのだが、それにしては様子が妙だ。

 

「まるであの聖獣……何かを守っているかのように……。ですがこれまで、聖獣が護るのは月のダレトだけだったはず……その行動を覆す?」

 

「リクレンツィア艦長。やはり奇妙です。海面上に、異常重力波によって陥没した痕跡を確認。こんな事が出来るとすれば、それは限られてきます」

 

「衛星軌道上からの砲撃……、まさか衛星兵器? ですが、何の勧告もなく?」

 

 しかし、多くは考えられない。

 

 衛星兵器が存在する事、そしてその運用の手腕が人類に投げられている事など、今の今まで機密情報としても上がってこなかった。

 

「……何かが……何かが起こりつつある……。それはあの《ダーレッドガンダム》を中心として巻き起こった事象……しかし、こんな事が……」

 

「鉤爪の機体、《ラクリモサ》と会敵。ですがこの戦局は……」

 

 絶句したのも無理からぬ事。

 

 モニターされる《ダーレッドガンダム》のステータスを軽く凌駕してみせた《ラクリモサ》の挙動は、まさに万華鏡の通り名に相応しい。

 

「あれが最強のミラーヘッド使い……」

 

 ミラーヘッドビットを手足の如く使い、《ダーレッドガンダム》の四肢を射抜いていくのはまるで悪い夢のようですらある。

 

「モルガン、重力下仕様に調整完了。これよりアステロイドジェネレーターの伝導率を変容させ……艦長、妙です」

 

「失礼。妙、とは?」

 

「アステロイドジェネレーターの推力が我が方の持ち得る推進力を大幅に下回っており……このままでは着水します」

 

 想定外な事実はそれもであった。

 

 ピアーナは動力炉の推進装置システムへとアクセスし、その異常を認める。

 

「……アステロイドジェネレーターの推力低下……いいえ、これは……推進力を、奪われた?」

 

 そうとしか思えない。

 

 先の戦闘時には異常など見られなかった動力炉心の推力が急速に下がり、モルガンそのものが降下しつつある。

 

「抑えは?」

 

「効きません……まさか、何かが起こって……」

 

「今は。落ち着いて物事の対処を。再点火、出来ますか」

 

「再点火までの概算時間、120セコンドと推定……!」

 

「この戦場で二分の遅れは命取りですわよ……。それにしたところで、アステロイドジェネレーターに異常発生? この局面で……?」

 

「あれが……《ラクリモサ》のミラーヘッド……」

 

 一方では管制室の人間の関心はぶつかり合う《ダーレッドガンダム》と《ラクリモサ》の戦場に集約されていた。

 

 獣の如く鉤爪を軋らせた《ダーレッドガンダム》を意に介さず、《ラクリモサ》は冷静に処理する。

 

 その様相にいくら距離が離れているとは言えぞっとしないのは見て取れる。

 

 しかし自分はこの艦を預かる身。クルーと同じように呆けている場合ではない。

 

「王族親衛隊からの攻撃に警戒。《パラティヌス》編隊は脅威です。我々はあくまでも統合機構軍、エンデュランス・フラクタル所属であるという事を強調し――」

 

 その声を差し挟もうとしたその時には、撃墜するかに思われた《ダーレッドガンダム》を押し退けて割って入った機影を全員が目の当たりにしていた。

 

「か、艦長……。あれは……」

 

「《ソリチュード》……ヴィクトゥス・レイジ特務大尉……何のつもりで……!」

 

 思わず拳で肘掛けを殴りつける。

 

《ソリチュード》はその高推進を活かして《パラティヌス》編隊と《ラクリモサ》へと反撃を見舞い、漆黒の機体が跳ね上がる。

 

「ヴィクトゥス・レイジ特務大尉! おやめなさい! 誰と心得ているのですか!」

 

 もたらした通信網にヴィクトゥスは応じない。

 

 だが、《ラクリモサ》相手と王族親衛隊に善戦するその姿に、クルー達は自然と感嘆の息を漏らしていた。

 

「まさか……勝てるのか……」

 

 馬鹿らしい。勝てたところで、どう説明するのだ。

 

 ピアーナは平時の落ち着きを忘れて、声を張り上げる。

 

「やめろと言っているのです! グラッゼ・リヨン!」

 

 失ったはずの名前を張り上げた自分にクルーからの目線が突き刺さってようやく、ハッと我に返る。

 

 らしからぬ言葉と、らしからぬ怒声に誰もが驚嘆しているようであった。

 

 歯噛みして咳払い一つで自分を取り戻し、冷静なモルガンの艦長としての自分の声を吹き込む。

 

「……帰投なさい、ヴィクトゥス・レイジ特務大尉。貴方の戦闘行為で我々の命さえも脅かされているのですからね」

 

『これはこれは。フロイライン、私はまた、言われてしまっているな』

 

 ようやく返答が来たかと思えば、その時には《ラクリモサ》によって《ソリチュード》はほとんど無効化されている。

 

 秒単位で戦局が変化する事実に、ピアーナは肘掛けを握り締めて声にしていた。

 

「帰還を。それと、貴方の所属は王族親衛隊。主に噛み付くと言うのですか」

 

『手厳しい事を言う。だがそれはその通り。騎屍兵団と共に一時帰還。その後に、作戦行動の是非を問う』

 

 間違ってはいないはずだが、既に手遅れと言っても過言ではあるまい。

 

《ラクリモサ》と《ソリチュード》、王族親衛隊に属する最強格のパイロット同士の戦闘は部下達に何をもたらすのか、想像に難くないからだ。

 

「……貴方の戦闘は貴方だけの物ではない。それはゆめゆめお忘れなきよう」

 

『承知した。モルガンに帰還……したいのだがね。四肢がもう言う事を聞かないのだ』

 

「騎屍兵団に通達。《ソリチュード》の回収後、我が方は一時後退。艦動力炉の復活を待ってから次の作戦に備えます」

 

『了解。ですが、オフィーリアの、敵勢もうろたえがあります。今ならば』

 

「逸らないでください。敵も味方も、状況が不明なままです。この事態に陥った解明とそして一刻も早い誤解を解くように。相手も王族親衛隊です。情報の擦り合わせは必要不可欠なはず」

 

『了解。騎屍兵団はこれより帰還します。……クラビア中尉の《パラティヌス》が大破していますが……』

 

「同じように回収。その後に処遇は決めます。今は……一人でも帰還してください。そうでなければ、状況に呑まれます」

 

 通信を一度区切ってから、ピアーナはようやく気を休める事が出来ると背中を預ける。

 

「……お疲れですか」

 

「疲れなんてものではないでしょう。……何が起こり、何が干渉してわたくし達は重力の井戸の底に落とされたのか……解明は必須でしょうね。ですが、それはこちら側だけの事情では成り立ちません。……護衛艦の状況は?」

 

「各艦、やはり似たような事態に陥っているようです。それぞれの艦動力炉に異常発生。ヘカテ級よりは、重力崩壊に似た現象だと言う報告もあります」

 

「重力崩壊……。あの瞬間……何が起こったのか……」

 

 黒白の彼方、累乗の先の塊を掴んだ《ダーレッドガンダム》を中心軸にしてあの宙域に位置する自分達はたった一機のMSによって空間転移――否、時空転移させられた、と見るべきだろう。

 

 ピアーナは現状、誰も気づいていない時間の齟齬を噛み締める。

 

「……ともすれば、わたくし達は開いてしまったのかもしれない。禁断の扉を……」

 

 



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第178話「未成熟な私」

 

 シャルティアは転がっていく事態一つ、理解も出来ないように格納デッキで重力の洗礼を浴びていた。

 

「これが……地球の重力……」

 

『全機体を整備点検に回せー! 《アイギスハーモニア》はほぼ大破だ! 中に収まっている馬鹿をレーザーカッターですぐに医務室へ!』

 

 サルトルの声が響き渡る中で、シャルティアはへたり込んだまま、《アイギスハーモニア》より救出されたアルベルトを認めていた。

 

 血溜まりの中から運び出されたアルベルトはほとんど半死半生で、意識があるのかどうかも疑わしい様相であった。

 

「……アルベルトさん……!」

 

 平時の無重力の習い性で跳び上がろうとして、今は重力の投網の中である事を認識したシャルティアはタラップを駆け下りていた。

 

「アルベルトさん! アルベルトさん……! 大丈夫……なんですか!」

 

『委任担当官殿は下がってくれ! ……バイタルも、かなり無理をしたようだな。ヴィルヘルムの待っている医務室へ! 医療カプセルを空けておいてくれ。そうでないと、死ななくっていい奴まで死んじまいかねない』

 

「……死んでしまうって……」

 

 絶句した自分にサルトルが怒声を飛ばす。

 

『退いてって言っただろうが! 今は、怪我人をどうこうするのが第一だ! このままじゃ、本当にアルベルト達は手遅れになるぞ……』

 

 その言葉の重さにシャルティアはさぁと血の気が引いていくのを感じていた。

 

 これまでも、幾度となくアルベルトは自分自身に無理を強いてきた。

 

 だが、それでも帰って来てくれると言う信頼があったのだ。

 

 しかし、この戦場は。

 

 あまりにも想定外で。

 

 そしてあまりにも――自分は未熟で。

 

 眩暈を覚え、シャルティアはよろめいたのを受け止めたのはユキノの腕であった。

 

「ユキノ……さん……」

 

「シャルティア委任担当官、ちょっとこっちへ」

 

「ゆ、ユキノさんは……? 怪我はないんですか……」

 

「お陰様でね。前の戦闘で前線に出たから、今回は後方支援に徹する事が出来たのが幸いだったのかな。……それでも、苦いものは滲むわよ。まさかヘッド……小隊長があんな目に遭うなんて……」

 

 パイロットスーツ越しでも怒りを湛えた拳をぎゅっと握り締める。

 

 彼女とて冷静ではいられないのだ。だと言うのに、自分は喚いて、分かった風な事を言って整備班を困らせただけである。

 

『各員、MSへの整備点検を! トライアウトジェネシスのメカニックはダビデ・ダリンズ中尉の編隊を担当!』

 

『ベアトリーチェ組はこっちっすよ! 《アイギス》は整備ブロックを開放してこっちに回して欲しいっす!』

 

 ティーチとトーマが互い違いに声を張って一機でも多くのMSとパイロットを救い出そうとしている。

 

 その戦いに、自分はあまりにも無力であった。

 

「……駄目ですね、私……何も、出来ないなんて」

 

「そんな事はないわ。だって、シャルティア委任担当官は帰りを待ってくれたじゃない」

 

「……待つしか出来ないなんて、それはきっと、ただの無力ですよ」

 

「卑下するものでもないわよ? その待つだけって言う辛い役割を……三年間も貫き通した人間だって居るんだからね」

 

「それってシンジョウ先輩――」

 

 口にする前に、格納デッキへと帰投してきた《レグルスブラッド》が抱えていたのはほとんど達磨状態の《ダーレッドガンダム》である。

 

 ミラーヘッドの蒼い血潮が焼き付き、機体各所を染め上げていた。

 

 見た限り大破の状態に近い機体にメカニックが寄り集まり、レーザーカッターで無理やりコックピットを強制排除させる。

 

『クラード! 生きてるか!』

 

 サルトルの声にも返答はない。

 

 まさか、と思ったその時には格納デッキに飛び込んできた影にシャルティアは目を奪われていた。

 

「……シンジョウ先輩……?」

 

 カトリナは荒い呼吸のまま一度呼気を整えた後、意を決したような面持ちでタラップを駆け下りていく。

 

 そんな彼女の視界には自分達など入っていないようで、整備班が取り付いている《ダーレッドガンダム》へと駆け込む。

 

「クラードさんは! どうなったんですか!」

 

『落ち着け、カトリナ女史……クラードからのバイタルサイン、かなり下がっているな。何が起こったのかはまるで分からんが、《ダーレッドガンダム》は暫く出せそうにもない。この状態じゃ……』

 

「そうじゃなく! クラードさんは……どうなったのかって――!」

 

『おれ達だって知りたいさ!』

 

 怒鳴り返したサルトルの声音に遠巻きに眺めていたシャルティアでさえも息を呑んでいた。

 

 真正面から怒鳴り散らされたカトリナはもっとだろう。

 

 思わず言葉を飲み下したカトリナに、整備班は黙りこくっていた。

 

『……おれ達だってそれは知りたい。クラードは大事な仲間だからな。だが、だからっていちいち冷静さを欠いていたんじゃ、あいつにだって合わす顔がないだろ。それくらいは分かっているよな……委任担当官なら……』

 

「委任担当官なら……」

 

 その言葉の重さが今だけは胸の中に沈殿する。

 

 シャルティアはきゅっと息苦しさを感じたのも一瞬、コックピットから助け出されたクラードの状態に瞠目していた。

 

 ほとんど死体のように脱力し切ったクラードを整備班は担架に乗せ、医務室へと輸送していく。

 

『……クラードがどうなっちまったのか、おれ達がどうなっちまうのかは……まだ誰にも分からん。分からんからこそ、委任担当官であるお前さんだけは、下手にうろたえちゃいけないはずだろう。それくらいは分かるようになったと……思っとったんだがな……』

 

 それはサルトル達の側からしてみても断絶であったのだろう。

 

 カトリナは一拍、その事実を飲み込むように肩を震わせた後、身を翻して駆け出していた。

 

 恐らく医療カプセルに向けて、だろう。

 

 その後ろ姿にシャルティアは言葉を投げていた。

 

「シンジョウ先輩……っ!」

 

 足が止まる。

 

 事ここに至るまで、自分の存在にさえも気付いていなかったカトリナは驚愕の面持ちで振り返った後に、ようやく自分のよく知る委任担当官の先任としての声を発する。

 

「……シャルティア……さん」

 

「先輩……何が起こっているのか、何があったのかはその……窺い知る事も出来ませんけれどでも……っ! 先輩らしくありませんよ! 何だってクラードさんにそこまで入れ込むんです? 彼は、だってエージェントでしょう? ……確かにもうエンデュランス・フラクタルがどうだとか言えない身分ではありますが……。それでもエージェントと委任担当官の立場の差です。どうして……自分を削ってまで、クラードさんに尽くすんですか……!」

 

 それは単純な疑問であった。

 

 シャルティアはその疑問に澱みなく答えて欲しかっただけだ。

 

 平時のように、あるいはこれまでのように。

 

 教育係として、何よりも先達として。

 

 迷う事はなく、一拍の逡巡さえも浮かべずに。

 

 だが、カトリナはその問いかけに面を伏せていた。

 

「……私は……何者でもなくなった」

 

「先輩? でもシンジョウ先輩は……私の尊敬出来る委任担当官で……」

 

「それ以前に、私はカトリナ・シンジョウ……クラードさんを支えたい……。それが、私の……どん詰まりまで来たところの本音……なのかもしれない」

 

 分かっていた。

 

 分かり切っていたのだ。

 

 クラードが帰還してから、彼女はおかしくなってしまっていた。

 

 先の戦闘だって、戦闘宙域に向けて自分の感情を発露させるなんて間違っている。

 

 どう考えたって異常なはずなのに、それをオフィーリアの艦内のクルー達は飲み込んでいるようであった。

 

 やめて欲しい。

 

 そんな、誰かの押し付け。

 

 誰かの価値観で、自分の情景を打ち砕くなんて。

 

「……クラードさんの、せいなんですか……」

 

「シャルティアさん……?」

 

「クラードさんが居るから、シンジョウ先輩はおかしくなっちゃったんですか……。あの人が全部……おかしくさせたんですか……!」

 

「違う! ……それは違う……私は、元からこうで――」

 

「だったら! 何で私の前では、しゃんとした人間を演じていたんですか! ……あなたが情けない大人だなんて、思いたくなかったんですよ……私は……」

 

 自分とて誰かに勝手な自己投影をしていただけだ。

 

 カトリナに、立派な委任担当官でいて欲しいなど、それも甘えの一言。

 

 しかし、自分が目標とする人間なのは間違いようのない事実。

 

 だと言うのに、カトリナは身勝手に、それこそ幻想を打ち壊して行ってしまう。

 

 ただの女として、クラードに入れ込んでしまう。

 

 ならばその前に決定的な断絶を味わわせて欲しかった。

 

 そのほうが、誰にも期待しないで済むのだから。

 

 言葉を彷徨わせるカトリナに幻滅する前に、ユキノが歩み出ていた。

 

「ユキノさ――」

 

 その言葉を遮ったのは一発の張り手。

 

 まさか、ユキノが暴力を振るうとは思っておらず、想定外の痛みにシャルティアは頬をさする。

 

「……シャルティア委任担当官……あなたの事は尊敬しているし、上官だとも思っている。だけれど、カトリナさんの希望を壊す事は、私は個人的な心象で許せない。誰にだって、生きる指標がある、生きるに足る目標があるのよ。だって言うのに、憧れ一つでカトリナさんの生きる目的を壊さないで欲しい。あなたにとっての人生があるように、カトリナさんにとっての人生がある。それは……誰にも冒されるものではない資格だから……」

 

 痛みは出口にもならない。

 

 カトリナが困惑して声を発する前に、シャルティアは奥歯を噛み締めて駆け出していた。

 

「シャルティアさん!」

 

 やめて欲しい、呼び止めないで欲しい。

 

 シャルティアは重力に囚われた重い手足を振るって、自室へと飛び込んでいた。

 

 痛みが今さらにじくりと滲んで、直後には身を震わせる。

 

 涙が止め処なく溢れていた。

 

 子供で居たいと思っていたわけではない。

 

 むしろ、逆だ。

 

 早く誰かに認めて欲しかった。

 

 自分は一人前だと、誰かに言って欲しかっただけなのだ。

 

 だが、アルベルトが重傷を負い、そしてカトリナが我を忘れた今、誰に頼ればいいのか、誰に縋ればいいのかまるで分からない。

 

 無辺の闇を漂っているのと同義だ。

 

 そんな中で道標が一個あればよかったのに、ユキノにさえも幻滅されれば自分の行き場所なんてない。

 

「……私は……どこに行けば、いいんですかぁ……ぅ。教えてくださいよぉ、誰かぁ……アルベルトさん……」

 

 どうしてこんな時に、アルベルトの名前が胸の内から湧いてくるのだろう。

 

 だらしがない大人だと、普段はあれほど言っているくせに、こんな時に頼るよすがにしたいなんて虫がよ過ぎるだろうに。

 

 しかし、駄目であった。

 

 心の支えを失った幼い自我は、ただ慰めを求めて嗚咽するばかりであった。

 

 



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第179話「世界の重さを知る」

 

「……よかったん、ですかね……シャルティアさんに、あんな……」

 

 絶句した自分にユキノは背を向けたまま言いやる。

 

「……彼女にも分かってもらわないといけないとは思っているんです。カトリナさん、だってあなたはこの三年間、ずっと苦しんできた……っ! それを近くで見ていたんです。なら、こんな時くらいあなたを支える役目になっちゃ、駄目なんですか? ……小隊長……ヘッドは、あなただから、好きになったんですよ。ここまで付いて来たんですよぉ……ッ!」

 

 それはRM第三小隊副長としての言葉ではなく、ユキノ・ヒビヤと言う女性としての言葉だったのだろう。

 

 事実、彼女はこれまで自意識を封殺してきた。それは察するに余りある。

 

 だと言うのに、自分は身勝手にもクラードに全てを託そうとした。

 

 恨んだっていいはずなのに、ユキノは自分の代わりに痛みを肩代わりしてくれた。

 

「……ユキノさん……」

 

 涙声になっているせいか、それとも顔を見せたくないのか、ユキノは振り向かない。

 

 それでも、彼女は強く言いやる。

 

「……クラードさんのところに行ってください。あなたには、だってその資格がある。三年も待ったんです。だったらもう、素直な気持ちを、ぶつけたっていいはずじゃないですか」

 

 ユキノも自分の気持ちの落としどころを見出そうとしているのは窺えた。

 

 カトリナは一つ頷き、身を翻す。

 

「……ありがとう、ユキノさん」

 

「……やめてください。身勝手なんです、私だって……なのにあなたに、強くあれって言っているようなものなんですから……」

 

 レミアの分を引き受けた。

 

 ユキノの痛みを引き受けた。

 

 シャルティアを傷つけたのかもしれない。

 

 それでも、自分は。この心が望む自分の指針は――。

 

 タラップを駆け上がり、救急救命カプセルの居並ぶブロックへと駆け抜けていく。

 

 久方ぶりの地球の重力に晒された身体が軋み、体力を奪われていく。

 

 ようやく辿り着いたその時には、ヴィルヘルムが佇んでいた。

 

「……やぁ、遅かったじゃないか」

 

「ヴィルヘルム先生……」

 

「アルベルト君はコード、“マヌエル”の使用によってかなりの損耗だ。しかしギリギリのところでシステムから切り離されたお陰で脳幹は無事。意識レベルも間もなく回復するだろう」

 

「あの……クラードさんは……」

 

 ヴィルヘルムはクラードの収まるカプセルを眺め、それから口にする。

 

「……すまないね、吸っても?」

 

 電子煙草を取り出したヴィルヘルムは確認する前に火を点けて口火を切る。

 

「……《ダーレッドガンダム》が何を引き起こしたのか。何故、我々が地球圏に……これは空間転移と呼ぶべき事象なのだろうか……そうなってしまったのかは分からない。これはエンジニアの分野とあらゆる総合的な分野に跨っている。よって、わたしでは判断を下せない」

 

「……でも、クラードさんの無事かどうかは……」

 

「ああ、船医であるわたしの領分だ。……まったく、嫌になるよ。君達に一番都合の悪い報告をするのはいつだって、自分の役目なのだとそう思い知らされる」

 

「……クラードさんは、生きているんですか……」

 

 水色の再生治療の液体の中に収まったクラードの面持ちはもう彼岸に行ってしまったかのようにも映る。

 

「……バイタルにも問題がある。それ以前に、彼を構成するライドマトリクサーとしての部分への汚染深度が高い。何かが起こり、《ダーレッドガンダム》からの逆流が彼の脳髄を揺さぶったのだろう」

 

「何か……ヴィルヘルム先生……その何かって言うのは……《ダーレッドガンダム》が特別だから、ですか……?」

 

「連戦で聞く暇もなかったが、君は前回の戦闘時に不明なログを参照している。何があったのか、話して欲しい」

 

「……誰にも信じられないかもしれません。実際、クラードさんはそれで苦しんでいたんです」

 

「だが他人に話す事で、それが少しでも緩和される可能性もある。クラードが話したがらないからと言って、君まで口を閉ざすのか?」

 

「いえ、私は……やっぱりズルいですよね。私、ここで言っちゃえば楽だって言うのは、分かっているんです。分かっているのに、クラードさんが、これを言っちゃうとどこか遠くに消えちゃいそうで……怖い……」

 

 そう、怖いのだ。

 

 今でも震えが止まらない。

 

 もし、自分がこの事象を観測する事で、クラードの生命に致命的な何かが起こるくらいならば、何も言わないまま、口を閉ざしたままのほうがよっぽどマシだとも思っている。

 

 ヴィルヘルムは急かさない。

 

 その代わりに誓約もしない。

 

「……わたしが君達の痛みを肩代わりするとは、言い切れない。わたしだって世界から爪弾きにされた側なのだろう。だから、君達の抗いは君達のものだと、そう断言すれば、まだ……姑息な大人だったのだろうがね。さすがに三年間も一緒に居るんだ。そろそろ……信頼してはくれないかな、カトリナ・シンジョウ君」

 

 ユキノも同じ気持ちだったのだろう。

 

 信頼して欲しい、自分達に頼って欲しいと。

 

 そう思っているからこそ、シャルティアを拒絶出来た。

 

 自分ではきっと、シャルティアの気持ちの重さに押し潰されて、何も言えなくなっただろうから、彼女は手を振るえたのだろう。

 

 それが永劫に、信頼を失う事に繋がろうとも。

 

 それでも非情に成れたのは彼女がこれまで幾度となく背負ってきたからだ。

 

 ならば自分も――背負った痛みの一つくらいは、吐露しなければ嘘であろう。

 

「……前回……レジスタンス艦隊が戦局に割って入った時……皆さんは、どうしてレジスタンスが敵に回ったのか分からないと仰っていました。でも、違うんです。それは私に理由があった。……本当に、憶えていないんですか……? ミハエル・ハイデガー少尉の事を……」

 

 少しばかり期待していた。ここでヴィルヘルムが憶えていてくれれば、自分の痛みは半減するとでも。

 

 だが、彼も首を横に振る。

 

「残念ながら。しかしそれが、君とクラードにとっては特別な人物の名前であった」

 

「……ハイデガー少尉は、この三年間、私の活動を支援してくれた人物です。もっと翻れば、かつてのベアトリーチェのメンバーでした。でも……それも誰も、憶えていないんですよね……」

 

「そのようだね。だが君とクラードは違った」

 

 決意を胸に頷き、カトリナは言葉を継ぐ。

 

「……ハイデガーさんの乗る《疑似封式レヴォル》を、クラードさんは《ダーレッドガンダム》の有するパラドクスフィールドで攻撃……そう、攻撃しただけのはずなんです。破壊したわけでも、ましてや……誰の記憶にも残らないような事を仕出かしたわけでもない。だって言うのに……私以外、誰もその事を……憶えていない……」

 

「なるほど。その言葉、以前までなら聞き流していただろうが、しかし、今回の事象を鑑みるに見過ごしていい事柄とも思えない。それに何より、ね」

 

「何より……なんですか」

 

「委任担当官たる君の発言だ。軽んじる事は出来ない」

 

 普段ならば、からかっているのか、と軽口を飛ばせただろうが、今ばかりは重々しく胸の中で沈殿する。

 

「……私とクラードさんしか、憶えていないと言うのは……」

 

「《ダーレッドガンダム》の性能が関係しているのは間違いない。間違いないのだが……その疑問を氷解するのには理論が足りていない」

 

「理論……ですか?」

 

「クラードはまだ分かる。何故君まで憶えているのか……それがまるで不明瞭なままだ」

 

 言われてみれば、《ダーレッドガンダム》の力の改変を受けていても、何故自分のような凡庸な人間まで憶えているのかはクラードに問い質した事はない。

 

「……何か……イレギュラーでも起こったって言う事でしょうか?」

 

「あるいは君とクラードの記憶そのものがこの世界へのイレギュラーか。しかしクラードは《ダーレッドガンダム》を操る存在。それを加味すればどのような理論もまかり通るが、問題は君だな」

 

「……私が何か……この改変に巻き込まれないような事でも……」

 

「分からない……何かわたし達とは違う力が働いているとでも言うのか」

 

「でも……《ダーレッドガンダム》が引き起こしたその、空間転移、でいいんでしょうか? それには巻き込まれているわけですし……」

 

「矛盾だな。《ダーレッドガンダム》の力の全てを受けないのならば、この空間転移でさえも跳ね除けるはずだが……記憶改変、いいや、これはもっと大事だろう。――歴史改変、とでも呼ぶべき事象だ」

 

「れ、歴史改変……。でもそこまで大げさだとは……」

 

「思えないかね? だが事実、引き起こされたのは一人の人間単位でありながら、その者が存在したと言う証明を過去未来、全ての人間の記憶から抜け落ちさせるのは記憶改ざんなんていう生易しいものではない。まさに歴史へのカウンターだ。我々来英歴の人間が積み上げてきた、これまでへの――叛逆か」

 

「でも、《ダーレッドガンダム》がそれほどの性能だとして、じゃあ、何で……」

 

「何故、クラードはこれまで無事に、いや、無事でもないか。違和感はあったのかもしれない。それが形になったのが、歴史改変現象と、そして戦場そのものの転移……正直、これほどまでの力を有する機体は、既にMSと呼ぶのにはいささか余りある」

 

「……怪物、でしょうか」

 

「だが君はそうと呼びたくないのだろう? クラードの事も」

 

 カトリナは医療カプセルで横たわっているクラードの面持ちを見据える。

 

「……私、ズルいんです。クラードさんに、トリガーとしての役割を課してしまった。でも、レミア艦長に、それは私のものだって……私の罪でもあるって、そう言えればきっと、未来があるはずだって……。でも結果として巻き起こったのは……」

 

「地球重力圏への空間転移。何がきっかけで、何が本質であるのかはまだぼやかされているようなものだが、しかしハッキリと言えるのは、クラードはわたし達を助けるために、こうしてあまりにも重い宿命を背負ってしまっている事だけだろう」

 

「クラードさんは、目覚めてくれるでしょうか……」

 

「目覚めてもらわなければ困る。彼は我々に、大きなツケを貸したままだ。そのツケを返してもらうまでは、死んでいる余裕なんてない」

 

 その言葉に自分が目を丸くしているとヴィルヘルムは肩を竦める。

 

「……わたしがこんな口調になるのがそれほど意外かな? 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているが」

 

「い、いえ……失礼かもですけれどヴィルヘルムさん、ずっと一線を引いているように映りましたから……」

 

「三年間も一蓮托生でも、そう見えていたのか」

 

 いや、これは失礼を通り越して無礼でさえもある。カトリナは何か気の利いた言葉を返そうとして、ヴィルヘルムが歩を進めたのを目にしていた。

 

「あの……怒っちゃいました?」

 

「いや、ここでクラード達を見守っていても仕方ない。後は本人達の体力と……幸運に賭けるしかないからね。わたしには別の仕事がある。委任担当官の仕事ではないが」

 

「い、いえ……っ、付いて行かせてください。私だって、一蓮托生ですよ……っ!」

 

「参ったな。言われてしまっている」

 

 ヴィルヘルムは煙草を灰皿で揉み消し、向かったのは軟禁室であった。

 

 カトリナはまさか、と身構える。

 

「……ここって……」

 

「一手でも勝てる要素が欲しい。そのための努力は惜しまないとも」

 

 エアロックが開かれた先に待っていたのは、椅子に縛り付けられたままの騎屍兵であった。

 

 確か、スリーと言う名前であったはずだ、とカトリナは曖昧な記憶を手繰り寄せる。

 

「……ここがどこだか分かるかな」

 

 対面に座り込むなり、そう口火を切ったヴィルヘルムにスリーは目線を上げて応じる。

 

 色素の薄い、紫色の虹彩が射る光を灯していた。

 

「……重力が濃い。地球圏か」

 

「正解だが、何故そうなったと思う?」

 

「……そちらの情報が乏しい。よってこの謎かけめいた詰問は成立しない」

 

「結構。わたしは嫌いではないのだがね、謎かけも」

 

「繰り言の時間も惜しい。私を尋問したければ好きにしろ」

 

「いいや、尋問は暫く休みにする。これからするのは、交渉だ」

 

「交渉……?」

 

 疑問符を浮かべる自分に対し、スリーはその雪のような白い長髪を振るう。

 

「交渉条件としてのレートに上がらない。自分は騎屍兵だ。もう死んでいる身分である」

 

「だからこそさ。君にはこれより――オフィーリアの守りの任に就いてもらいたいと、わたしは思っているのだからね」

 

 放たれた言葉の意外さに自分だけではない、スリーも絶句した様子である。

 

「……何を言って……」

 

「言葉通りの意味だ。地球圏に何故、堕ちたのかの仔細は省くが、現状、君達の母船との戦闘は膠着状態と言える。それよりもまずい相手を敵に回してしまった」

 

「……王族親衛隊か」

 

「半分は正解だが、半分は不正解だ。どうやら第三勢力らしい」

 

「ヴィルヘルムさん! それ、言っちゃって……」

 

「隠し立てしてでは、動ける兵を潰すかね? わたしはそれでは正しくないと考えている。一機でも出せるのならば、次の追撃に備えるべきだ」

 

「分からないな。私は騎屍兵だぞ。《ネクロレヴォル》にさえ乗れば、この艦を墜とすくらい造作もない」

 

 そう、その通りのはずだ。

 

 これまでの冷徹な騎屍兵であるのならば。

 

 しかし、ヴィルヘルムは抗弁を発する。

 

「……わたしも持てる手札が多いとはお世辞にも言えない。だからこれは交渉事になる。本来なら、強硬策に打って出るところを、レートが大きく傾いていると言えよう」

 

「ヴィルヘルム……さん?」

 

「《ネクロレヴォル》のシステムの穴を、前回は突いた。あれが事実であれ、全くの的外れであれ、君としては思うところがあるはずだ。よって、単純に敵に回るのは得策ではないだろう。それに、騎屍兵と言ってもそれはシステムに組み込まれ、万全な状態での話。今の君は、システムから弾かれているようにさえも映る」

 

「勘繰りをしたところでためにはならない。私はいつでもお前らを撃てる」

 

 その気迫にカトリナは息を詰まらせたが、ヴィルヘルムは逡巡一つ浮かべずに言葉を投げていた。

 

「《ネクロレヴォル》は解析済みだ。もう君だけの力ではない」

 

 これは嘘、ハッタリだ、と気づいた時、カトリナはヴィルヘルムの横顔を見ようとしたが、それよりも先に彼は言葉を継ぐ。

 

「アイリウムも未調整のままでは、恐らく《ネクロレヴォル》はその性能も十全に果たせないまま、モルガンに属する騎屍兵自身の手によって撃墜されるだろう」

 

「分かり切っている事実だ。私の命に騎屍兵団は頓着しない」

 

「だが、同時にこうも思っているはずだ。せっかくの世界を欺く《ネクロレヴォル》、パイロットは駄目でも、機体だけでも回収したい、が本音ではないかと」

 

 ヴィルヘルムの瞳がスリーを見据える。

 

 彼女は言葉を差し挟もうとして、出来かねているのが窺えた。ヴィルヘルムの言葉が正鵠を射たのだろう。

 

「……私の命に意味はない。だが《ネクロレヴォル》は別だと言いたいのか」

 

「事実、その通りだとは思うがね。しかし、わたし達としては、君と《ネクロレヴォル》はセットでこそ意味があると判定している。モルガンからの追撃は今のところ見られないが、王族親衛隊、さらに言えば第三勢力、そしてこれは、君にとっても意想外であろう敵だが……」

 

「どのような敵であろうと、《ネクロレヴォル》は敗北し得ない」

 

「それが世界を睨む聖獣――MFであろうとも、かな?」

 

 まさか、とスリーが当惑したのが伝わった。

 

 MFと会敵したと言うカードは完全な切り札のはず。

 

 しかし、ここで見せたという事は、ヴィルヘルムの真意は……。

 

「MFだと……? あれはしかし、月軌道より動かぬはずだ。でたらめを……!」

 

「そうであった、という事実関係でしかない。カトリナ君、MF03の映像をこちらに寄越せるかな」

 

 カトリナは目を見ずに首肯して、今もオフィーリアが見張っている海域に存在するMF03――《サードアルタイル》の望遠映像を差し出していた。

 

 その映像にスリーは舌打ちする。

 

「……何がどうなっている」

 

「分かりたければ、協力して欲しい。何せ、これは完全なイレギュラーだ。モルガンが沈んでからでは遅いはず」

 

「……私に、何を望む」

 

「《ネクロレヴォル》への搭乗と、そして我が方への一時的な協定。その上で、君の判断で決めるといい」

 

「……いいのか? 《ネクロレヴォル》に搭乗すれば、先にも言ったが約束を守る義理なんて」

 

「だが違える義理もあるまい」

 

 ここでの交渉の軸は全くの未知数であるMF一機の情報のみ。しかも、その《サードアルタイル》とて今はどの情勢に肩入れしているのかまるで分からないのだ。

 

 吉兆に転ぶか、凶兆に転ぶかはまさに賭け。

 

 スリーが、《サードアルタイル》を迎撃し得るだけの自信と気概があるのならば、この交渉は決裂であろう。

 

 しかし、母艦の無事と、そしてもしもの時にMFへと拮抗する戦力として自身が成立するためならば、一刻も早く戦場に舞い戻りたいに違いない。

 

 何せ、このままでは何も知らされず、何も分からないままオフィーリアと運命を共にするだけだ。

 

 スリーがどう出るのか――ここでの判断材料は自分達ではない。

 

《ネクロレヴォル》に乗せたところで、先ほどの言葉にあった通り、オフィーリアを轟沈せしめる可能性もないわけではない。

 

 だが、無意味な事をしないのならば。

 

 その時になってモルガンまで共倒れでは、戦士の名折れのはず。

 

 ここで戦士の誇りを賭けるか、それとも自身の身の安全を軸にするか。

 

 スリーは逡巡の間の後に、嘆息をついていた。

 

「……貴様らは心底、甘い。私をこうして手足を縛るだけで済ませている事、そして兵士の一人も付けていない事」

 

「それは諫言痛み入るね」

 

「その上で……私を《ネクロレヴォル》に乗せようとしている事。せっかく手に入れた騎屍兵のパーツがこのままでは元に戻るだけだ。それでは何に関しても足りない。後悔を噛み締めて死んで行くだけ」

 

 やはり交渉事になどならないのではないか。

 

 逸りかけた自分へと、まるで意図したかのようにヴィルヘルムは先ほどの端末を返す。

 

「そういえば……モルガンは現状、航行を保てていないらしい」

 

 ここでそのカードを切る。

 

 スリーは訝しげにこちらへと視線を投げていた。

 

「……事実です。モルガンだけじゃない。護衛艦も、全部……今のままじゃ海面を這うだけの……」

 

 それはオフィーリアとブリギットとて同じ条件だが、ちらつかせなければこちらへの好条件となる。

 

 カトリナは艦望遠カメラより捉えた現状のモルガンと護衛艦の映像を見せる。

 

「フェイクの可能性」

 

「そんなものを用意すると思っているのかい?」

 

「……地球重力圏に唐突に艦が跳んだと言う冗談もなければ、そもそも成立もしない嘘、か……」

 

「恐らくはアステロイドジェネレーターに原因がある。それはつまり、ミラーヘッドも使えない艦艇だという事だ。我が方が第三勢力に情報を売れば、モルガンはさほど難しくもなく轟沈するだろう」

 

「その第三勢力とやらと繋がっているのか」

 

「ああ、いち早く連絡を繋いだ。見てもらった通り、その第三勢力はMFを有している。この物理宇宙において、通常のMSならば脅威になり得ないだろうが、MFを味方に付けているとなれば胸中、穏やかでもないはずだが」

 

 詭弁、虚飾だ。

 

 第三勢力の狙いは未だに不明。そしてMFが制御下などあまりにも豪胆が過ぎる。

 

 しかし現状、どの勢力も芳しくないのは事実。

 

 王族親衛隊が強襲作戦を行い、MFを擁する第三勢力は煮え湯を呑まされているのだと推測すれば、自分達が味方に付くのも帰結の一つとしては頷ける。

 

 問題なのは、スリーが最終的な勝利者を誰に置くのか。

 

 モルガンが沈んでも痛くも痒くもないと言う兵ならば、この交渉事は最初から破綻している。

 

 しかし、モルガンを沈めてはならない、加えてMFの動きも気になると一ミリでも思えば、自分をこの牢から出させる手はずを整えるに違いない。

 

 いずれにせよ、自分達に退路はないのだ。

 

 彼女を解放するか、このまま束縛したままにしておくか。

 

 クラードとアルベルトが負傷している現状では、艦の戦力は総崩れだと言うほかない。

 

 途中で復帰出来たとしても、王族親衛隊とMF相手に立ち回れるような余裕はないだろう。

 

 ヴィルヘルムの真意は一つ――時間稼ぎだ。

 

 クラードとアルベルトが回復出来るまで、あるいは《ダーレッドガンダム》を修復し、少しでも体勢を立て直せるまでの猶予を得る事。

 

 そのためにはユキノ達RM第三小隊だけではどうしようもない。

 

 ダビデが加わってところで焼け石に水だろう。

 

 主戦力を欠いたままのオフィーリアではいずれ沈む。

 

 しかし、ここで《ネクロレヴォル》と、そしてスリーの了承を得られれば、少なくとも次の戦場では沈まずに済むだろう。

 

 もっとも、それは彼女が即座に反転して撃って来ないとも限らない、危うい賭けなのだが。

 

 固唾を呑んだカトリナに比して、ヴィルヘルムは冷静のように映った。

 

 先ほどまでの自分の話し振りに戸惑っていた人間の眼ではない。

 

 交渉事に命を懸ける人間――そして自分の戦場をここだと規定した人間の眼差しである。

 

 僅かな沈黙がまるで永遠のように続いた後に、スリーは重々しく口を開いた。

 

「……アイリウムを弄っているのならば、《ネクロレヴォル》の戦力は半減するも同然」

 

「それでも《レヴォル》の名を冠するだけの機体だ。MF相手に、出来ないとは言わせない」

 

「……先の《オリジナルレヴォル》の乗り手がやったように、聖獣相手に立ち回ってみせろ、か。分かっているのか? 貴様らは分の悪い賭けをしているぞ?」

 

「それでも《レヴォル》に賭けるのならば本望さ」

 

 それは本心であったのか、それとも交渉を円滑に進めるための虚飾であったのか。

 

 最後の最後まで真意は分からぬまま、スリーは首を鳴らしていた。

 

「……少しばかり身体がなまっている。上手くいくかは分からない」

 

「最悪は艦砲射撃に徹してくれてもいい。MF相手では、それも意味があるのかは不明だが」

 

「《サードアルタイル》、か。聖獣がどこかの陣営に転がったとなれば、我が方だけではない。世界が動くぞ」

 

「その世界への叛逆だろう? 君らが駆るのは」

 

「……どこまでも、人を食ったような物言いをする」

 

「カトリナ君。彼女の拘束を一時間後に解除。メカニックに《ネクロレヴォル》の最終調整を行わせて欲しい」

 

「で、ですが……!」

 

「これは命令だよ」

 

 二の句を継げず、カトリナは了承するしかなかった。

 

「……分かりました」

 

「地球重力下だ。言っておくと、助けられるものも助ける余裕はないと思ったほうがいい」

 

「元よりそのつもりだ。《ネクロレヴォル》も空間戦闘用装備のままではまともに動けまい。……しかし貴様、何故私にそこまで告げる? MFも、モルガンの情勢も、全て嘘の可能性だってあった」

 

「簡単な事だよ。君はここで座して死に行くのを待つような人間ではない」

 

「……既に死んでいるはずの騎屍兵に、座して死ぬ、と説くか……」

 

 ヴィルヘルムは身を翻す。

 

 エアロックを潜ってからカトリナはようやく虚脱していた。

 

「つ、疲れたぁー……。ヴィルヘルムさん?」

 

「いやはや、失礼。慣れない事はするものじゃないな」

 

 再び煙草に火を点けようとしたのをカトリナは制する。

 

「ここは禁煙区域です」

 

「そうだった。まったく我が事ながらうっかりしていたよ」

 

「うっかりで済みませんよ? 本当に……彼女を陣営に?」

 

「気にかかっているはずだ。モルガンの無事以上に、《サードアルタイル》の是非に、そして王族親衛隊、地球重力下への空間跳躍……どれもこれも信じられないだろうが、ペテンを打つにしてはリスクが高過ぎる。どれかは事実であると呑んで、ではどれの優先事項が高いかと言えば、自ずと答えは出る」

 

「……人前で嘘をつくなんて……」

 

「平常心かと思ったかい? わたしとてこれだよ」

 

 ヴィルヘルムの手は震えていた。

 

 それは彼だけではない、この艦の運命を自分一人で抱えた重責であろう。

 

「……でも、何でそこまで……」

 

「なに、君とクラードが世界の重さを知ったんだ。なら、わたし一人、責任を背負わないのは嘘だろうに」

 

 世界の重さ――それは個人で負うのにはあまりにも荷物だ。

 

「でも……どこかで嘘がバレちゃえば……」

 

「何の事かな。わたしは嘘なんて一言も言っていない。《サードアルタイル》が第三勢力の手にある事も、その第三勢力が王族親衛隊に強襲されている様子なのも、そして次に我が方が打つべき手としては、《サードアルタイル》を擁する陣営への接触だ。未来に起こり得る事を先に述べただけ。むしろ良心的だよ」

 

「……ヴィルヘルムさん、詐欺師が向いていますよ」

 

「これはこれは。君に職業適性を問われるとはね」

 

 嘆息一つで憂いを打ち消し、カトリナは向かい合っていた。

 

「……私の言っている事、荒唐無稽だとか言わないんですね」

 

「現に我々は信じ難い事実の前に佇んでいる。真実を目の当たりにすれば、我々の持つ虚飾の鎧など、紙切れ同然だよ」

 

「何ですか、それ。誰の言葉ですか」

 

 ヴィルヘルムは一拍置いた後に、ウインクしてみせる。

 

「引用不明、かな」

 

 



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第180話「姉と、妹と」

 

「《サードアルタイル》の佇んでいる艦……あれは手負いね」

 

 最大望遠でメインモニターに映し出されたMFはまるで悪い夢のようで、レミアは頭痛薬を飲み干す。

 

「しかし現実ですよ、レミア艦長。あの様子から見ると、上で張っている王族親衛隊とやり合ったって感じですけれど」

 

「それも不明のまま……何故、王族親衛隊ほどの身分で、別働隊なんて真似をして……地上戦力を割こうとしたのか……いえ、そもそもこの問答の前提が間違えているのかもしれない」

 

「あれですか」

 

 カメラが振られたのは今ももうもうと白煙をなびかせる蒸発した海面であった。

 

「爆心地……と言うのが正しいかしらね」

 

「でもあれほどの規模……射撃兵装程度じゃ……」

 

「そうね。でも似たようなものなら、データを参照出来る」

 

 レミアがバーミットに寄越したのはかつての月軌道決戦のデータであった。

 

 彼女はそれを目にするなり息を呑む。

 

「……嘘でしょう。MF06、《シクススプロキオン》の砲撃痕と、合致……」

 

「あくまで六割の解析結果だけれど、当てになるわ。こういう時に統合機構軍の新鋭艦って言うのはね。データだけは揃っている。それに、トライアウトネメシスでは届かなかった事実も、意図的に封鎖された事象にも届く」

 

「でも、だとしたら、この天上に……」

 

「ええ、第六の聖獣は存在する」

 

 数名のクルーがおっかなびっくりに天井を振り仰いだのを目にして、レミアは王族親衛隊へとカメラを振っていた。

 

「そして万華鏡、ジオ・クランスコールの《ラクリモサ》……。どこまで計算通りなのかしらね」

 

「《ラクリモサ》含む別働隊はやはり、爆心地を狙っての行動だと見てるんですか」

 

「そうじゃないと釣り合いが取れない。私達が空間転移してくるのを先読みしたなんて思いたくないし、そこまで相手の情報が先んじていれば、航行能力をほぼ失ったオフィーリアに仕掛けてこないのも不気味でしょう」

 

「……先の戦闘でクラードと交戦した後に、敵の新型機とやり合ったみたいな痕跡があります。身内同士で縄張り争いでも?」

 

「あるいはもっと単純なのかもね。クラードを万華鏡に討たせたくなかったとでも」

 

「それこそ私怨ですよ。……まぁ、可能性としちゃ熟慮しますけれど」

 

「これまでクラードと《ダーレッドガンダム》に執着してきたパイロットである可能性も高い。それに、こうも言うわ。起こり得る事だけ起こるのは空想の中だけとでも」

 

「……それ、誰の言葉でもないんでしょ」

 

「分かっているじゃない。……それにしたって、ジオ・クランスコール側の沈黙も今は重々しいわね。第三勢力への電報の返答は?」

 

「それが……暫し待って欲しいとの事です」

 

「待つ? 《サードアルタイル》を持っているのに?」

 

 バーミットの疑念にレミアは勘繰りを浮かべる。

 

「ここで待つと言うのは単純に意味がないわよ……。それとも、本当に何の思想も考えもない、短慮なだけの第三勢力なのだとすれば……私達が空間転移しなければ撃沈していた……」

 

「その事なんですけれど、もうそろそろいいですか?」

 

「何がかしら」

 

「……空間転移。当たり前のように言っていますけれど、それってクラードが引き起こしたって……レミア艦長は見ているんですよね?」

 

「そうじゃないと説明がつかないから、そうなのだと規定しているだけよ」

 

「……それって、あいつの事、信じているって思っていいんですか」

 

「……二度も三度も、私が男を裏切れるように映っているの?」

 

「いいえ。艦長ってその辺、ぶきっちょじゃないですか」

 

「……意見が合うわね、珍しく」

 

「そりゃどうも。いい女と話していると疲れますよ、こっちは」

 

 肩を回す真似をするバーミットに微笑みを返してから、レミアは《サードアルタイル》を擁する陣営の真意を探ろうとする。

 

「……こっちで直属の調査部隊を回したい。そう電報を打ってちょうだい」

 

「いえ、ですがそれだと、モルガンの奇襲を受けた場合……」

 

「モルガンは最新鋭の統合機構軍の空間戦闘特化巡洋艦……である事が幸か不幸か、相手は重力下に対応するまでに時間がかかるわ。オフィーリアのほうが僅かに足が速い。とは言え、スターターがかかるのはほぼ同時でしょうけれど」

 

「……落ち着いているんですね。空間転移なんてこれまでの人類が成し得て来なかった事象ですよ?」

 

「ポートホーム単位なら、これまでだって人類はダレトの恩恵に与って来た。……とは言え、これは異例中の異例のはず。一戦場単位での空間転移、そして地球重力圏までの距離は、言うに及ばず。これまでの常識を打ち破っている」

 

 バーミットはため息交じりに距離を概算する。

 

「これだけの距離と陣営……ざっとポートホームだと十年分ってところですか」

 

「でもあれならば可能と見て間違いない。《ダーレッドガンダム》……その名に忌み名を冠する事を許された機体ならばね」

 

「やり切れませんよ、まったく。クラードもいつまで寝ぼけてんのよー! とっとと起きろ、あんのバカ……!」

 

「今は……信じて待ちましょう」

 

 その時、管制室へと通信が飛ぶ。

 

 肘掛けに格納されていた受話器を取っていた。

 

「はい、こちら管制室……」

 

『艦長、これは一応、秘匿通信ですが……』

 

 通話越しのサルトルの声にレミアはブリッジを見渡してから、即座に告げていた。

 

「大丈夫。何か?」

 

『……ヴィルヘルムからの伝令です。次の戦闘から《ネクロレヴォル》を……鹵獲した騎屍兵を使うように艦長に進言して欲しいと……』

 

「……まぁ、そう来るわよね。クラードもアルベルト君も負傷となれば。一度、ダリンズ中尉の意見を聞かせてもらえる? そっちに居るんでしょう?」

 

『こちらダリンズ。アイリウムに細工をすれば、レヴォルの意志とやらを封じ込める策自体はある。これはクラードが《疑似封式レヴォル》に乗っていた際に用いていたアルゴリズムと、《アイギスハーモニア》に仕込まれていたマヌエルなるリミッターの解析によって可能となってはいるが……』

 

「なに? 言いたい事があるのならとっとと言って。時間は有限よ」

 

『……では。――馬鹿げていると、言わせてもらう』

 

「そうね、同意見。でも同時に、《ダーレッドガンダム》を含む我が艦の主戦力は限られ、現状では勝てるものも勝てない。……ならばせめて、抗いだけは立派に講じてみせましょう。それだけが、私達がクラードとアルベルト君に出来る、貢献のようなものよ」

 

『貢献、か……。了解した。ダビデ・ダリンズ、これより騎屍兵と共に出撃準備に移る。最後に、レミア・フロイト』

 

「何かしら」

 

『いや……貴官の判断の冷静さを称賛する。あなたはそれでも……前を向けるのだな』

 

「前を向かないとやっていけないからね。私達は、勝利しなければいけない。そのための策なら、どれだけのヨゴレでも買って出るのが大人の役割よ」

 

『どれだけのヨゴレでも、か。軍人としての判断力もあるのだと、理解した』

 

 通信が途絶えてから、レミアは独りごちる。

 

「……よしてちょうだいよ、そんなの、もう持ち合わせちゃいないんだから」

 

「艦長。王族親衛隊、一定距離を保ったまま、向かってきません。相手方は、やはり……」

 

「ええ、まずはモルガンとの合流を計るか、でしょうね。それでも王族親衛隊と統合機構軍の癒着までは出ていないし……現状の情報量だけでの判定は難しいわ。少なくともエンデュランス・フラクタルに対等な条件での情報交換を持ちかけるとは思えない。……備えだけはしておくべきでしょう」

 

「レミア艦長、もし、ピアーナ達が攻めてくるとして、最短だとそれでも一時間半は猶予があると見られます。一度、接触しておいたほうがいいかもしれませんね。……《サードアルタイル》の」

 

 バーミットの忠言にレミアは通信領域を繋いでいた。

 

「そうね……。こちら、新鋭艦、オフィーリア。ヘカテ級重力下艦へとオープン回線を乞う」

 

 矢面に立つのはまずは艦長である自分の役目のはずだ。

 

 そうなのだと規定したレミアは迷わず、通信チャンネルを繋ごうとして、相手方の電報を受けていた。

 

「来ました。……甲板に代表者の来訪を求める……との事です。何なのでしょう……相手の不明組織の目的は……」

 

「いずれにせよ、《サードアルタイル》で風穴を開けてくるような横暴な組織とも思えないのよね……。いいわ、私が行きます」

 

 立ち上がったレミアをバーミットが肩を掴んで制する。色めき立った管制室の空気にバーミットは視線を交わしていた。

 

「……艦長だけ行かせるわけにいかないでしょ。エージェントを最低でも一人は付けたいし……MSを一機でも随伴させるのが筋ですよ」

 

「そうね……では、ユキノさん。頼めるかしら」

 

 通信領域を繋いだユキノの声はどうしてなのだか沈んでいた。

 

『……私……ですか』

 

「不満かしら」

 

『いえ……当然ですよね、私しか、RM第三小隊でまともなエージェントって居ませんし。分かりました。ヘカテ級戦艦への護衛を務めます』

 

「《アイギス》を伴わせて《サードアルタイル》の眼前に。……まぁ、まんまと、と言った感じなのでしょうけれど」

 

「《サードアルタイル》に戦闘能力があるのは既に承知済みです。しかし……攻撃してくるかまでは……」

 

「どこまで独立愚連隊を気取るような組織かどうかも分からないのよ。バーミット、警戒は厳にすべきでしょうね」

 

「……カトリナちゃんは連れて行かないんですか」

 

「今の彼女では足枷よ」

 

 それを何の逡巡も浮かべずに応じた自分へと、バーミットは肩を竦める。

 

「こりゃまた、いい女だこって」

 

「迷わないのがいい女の条件と言うわけでもないでしょうに。……私は嫌な女よ」

 

 艦長帽を目深に被り直し、レミアはオフィーリア管制室を後にしていた。

 

 久方ぶりの地球重力の洗礼は、足取りを重くさせる。

 

「……地球圏に帰って来るなんて思いも寄らなかったですね」

 

「呪縛なのよ、私からしてみてもね。月で全てが決していれば、もうこの世に未練なんてなかった」

 

「それ、艦長が言います? 未練タラタラで足並みを崩さないでくださいよ。あたしだって、それなりに未練はあるんですから」

 

「あら? バーミット、あなた、古巣に未練だとか、そういうなまっちょろいのは持ち込まないタイプだと思っていたけれど」

 

「逆です。未練があるとすれば、もっと早く、艦長の横っ面、叩いておけばよかったってだけの話ですし」

 

「……そうね。それほど高尚に出来上がった面の皮でもないんだし、あなたのビンタくらい、受けておいたらよかったかもね……」

 

「ビンタ一発で済みますかねぇ」

 

 こういう時に、笑わせてくれるのが彼女の強みだ。レミアはフッと笑みを浮かべてから、《アイギス》に搭乗したユキノと向かい合う。

 

 コックピットを開け放った状態でのユキノとの邂逅は、何故なのだかとてつもなく時間が経っているような感覚を覚えた。

 

「《アイギス》、稼働状況は」

 

 すぐに駆け寄ってきたサルトルがステータスを表示させた端末を差し出す。

 

「前回の戦闘で、使える《アイギス》はほとんど出払ってしまいました。ですが、ユキノの《アイギス》は不幸中の幸いで無傷に近い。これなら、もし聖獣が襲ってきても、一撃くらいは……」

 

 サルトルの考えている事は分かる。

 

 一撃を与えるではなく、一撃を凌げるか、の是非だ。

 

 そこにパイロットの命の問題を持ち込んではいない。ある意味ではストイックだが、ここでは仕方のない切り捨てなのだと理解している。

 

「サルトル技術顧問、それでも私は、ユキノさんを死なせたくないのよ」

 

「しかし、艦長。現時点で、不明勢力の目的も、そいつらが敵対するかどうかってのもまるで不明だって言うんでしょう? だったら、盾代わりならなります。ユキノはエンデュランス・フラクタルの、エージェントで――」

 

「私達はもう、エンデュランス・フラクタルではないはずよ」

 

「それはそうですが……」

 

 口ごもったサルトルの肩を叩き、レミアは前に歩み出る。

 

「ユキノさん! ……あの時……月軌道決戦で死ねと言ったのを、私はよく憶えている……。それでも今、私に力を貸してくれるのね?」

 

「……私も一端のエージェントです。お供しますよ、レミア艦長」

 

 挙手敬礼するユキノに、ああ、とレミアは感じ入るものを覚えていた。

 

 ――本当に、あの日自分に敬礼したのと同じような瞳で、強くなったのだな、と。

 

「了解。これより、不明勢力への交渉に移ります。私達は、《オムニブス》による移送を」

 

「……駄目って言ったって聞かないんだからなぁ、ったく……。まだ無事な《オムニブス》があったろう! とっとと寄越せー!」

 

 張り上げた声に《オムニブス》が運び込まれ、そのコンテナブロックへとレミアは乗り込んでいた。

 

 操縦は重力下だが、自動操縦らしい。

 

 それほど距離はないのだ。戦闘の恐れはもちろんあったが、交渉人を出せと申し出てきた手前、何も聞き出さずに撃墜と言うわけでもあるまい。

 

 ユキノの《アイギス》が甲板部に膝を立てて屹立し、《オムニブス》出撃を待ってから、ゆっくりとその速度を合わせる。

 

 向かうのは、第三の聖獣が待つ、謎の存在。

 

 唾を飲み下したのは何も自分だけではなかった。

 

「交渉になるんでしょうね、本当に」

 

「乗るか反るか、その都度ね、実際」

 

「博打はやらない主義ですよ、あたし」

 

「私だって、勝てない戦はしない主義よ」

 

《アイギス》よりも《オムニブス》が先に甲板部に着陸する。

 

 コンテナ部が開いてようやく、潮風に身を任せたレミアは佇む聖獣の威容に息を呑む。

 

 ――これが第三の聖獣。この世界に風穴を開けてみせた、究極の力の象徴。

 

 黄色の装甲部の継ぎ目に虹色の血潮を滾らせた人型兵器は、ただでさえ立派に脅威として確立する。

 

 しかしながら、今の自分達はその攻撃を受ければ全滅の憂き目に遭うのは必定。

 

 よってここで講じるべきは、矛を交える術ではなく交渉術。

 

 一秒でも長く、この海域での戦闘中止を訴えるべきであったのだが、レミアの視点は《サードアルタイル》の腹腔に収まっている二人の少女に意図せず釘付けになっていた。

 

 豪奢なドレスを身に纏った少女と、純白の法衣めいた衣装を身に纏った少女は、それぞれ違うベクトルで自分の脳髄を揺さぶる。

 

「……まさか、キルシー……?」

 

「お姉、様……?」

 

 相手もまるで意図していない声を発する。

 

 純白の衣装の少女は、拳銃をこちらに向けながら目を戦慄かせていた。

 

 否、それ以上に――。

 

「ファム? あんた……ファムなの?」

 

 バーミットの声に《サードアルタイル》のコックピットに収まった銀髪の令嬢は――かつて自分達と共に月航路へと赴いた、ファム・ファタールは――思わぬ再会に歓喜を浮かべていた。

 

『ミュイっ! バーミットっ!』

 

《サードアルタイル》越しに聞こえてくる三年振りの彼女の声は、自分達を震撼させるのには充分であった。

 

「……どういう……事なの……。何で、あなたが……」

 

「それは……こちらの台詞です! お姉様が何故……戦場に……っ!」

 



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第181話「世界への害意」

 

「艦長……お知り合いですか」

 

 サルトルの詰めた声に今はそのような再会を喜ぶべきでも、ましてや悲しむべきでもないのは窺えていた。

 

「……ええ、まぁ。交渉を、始めさせてもらってもいいのかしら」

 

 その言葉振りに自分達は感動的な再会など描けない事を悟ったのか、キルシーの瞳は昏く陥る。

 

「……そう、ですね。我々ネオジャンヌとしても、あの王族親衛隊はとても困るのです。それに加えて、見たところ統合機構軍の技術が配された新造艦が二隻以上……敵か味方かも分からなければ策を講じようもありませんわ」

 

 かつての自分がよく知るキルシーとは断絶している。

 

 当たり前だ。

 

 自分が出奔して何年経ったと思っているのか。

 

 どこかで賢しくも成り下がったキルシーの声音に拳をぎゅっと握り締めつつ、悔恨はここまでだ、と感情は打ち止めにする。

 

「……我々は統合機構軍ではないわ。正しくはレジスタンス組織……血濡れの淑女(ジャンヌ)と言えば、少しは耳馴染みがあるはずだけれど」

 

「血濡れの淑女(ジャンヌ)……! まさか、軍警察に反抗の凱歌を掲げ続ける、反政府組織……お姉様が……?」

 

「いけない? 私はその淑女に忠誠を誓った身。当の彼女は……今は会わせられない。事情があってね」

 

「その事情と言うのは、《サードアルタイル》を警戒しての事だと、思っていいのでしょうか」

 

 まるで違うところにあったが、今はキルシーの機嫌を損ねるのは得策ではない。

 

 彼女が掲げるネオジャンヌなる組織の目的さえも聞き出せていないのだ。

 

「こちらへと電報を打ったという事は、二枚舌ではないと言う証拠が欲しいのだけれど」

 

 キルシーは照準を外して、ファムへと目配せする。

 

「……いいでしょう。ファム、あの灰色の艦艇へと先制攻撃、出来るわね?」

 

「ミュイ? むりだよ、キルシー」

 

「無理……? それは今さら何を言っているのか、と問いただしていいのかしら」

 

 その応答にファムは三年前の彼女と同じように、純粋そのものの瞳で答える。

 

「ミュイぃぃぃ……むりなものはむりだよ。さっきのでこのこ、ほとんどつかいはたした」

 

 それは即ち、《サードアルタイル》は現状、張子の虎である事の証であったが、切り込まないほうがパワーバランスを維持出来そうである。

 

「交渉がしたいのよ、キルシー。ネオジャンヌという組織が掲げる目的は何? どうして……王族親衛隊身分と戦っていたのか」

 

「私達は選ばれた存在なのです、お姉様」

 

「……選ばれた……?」

 

 胡乱そうな声を返していると、キルシーは天を仰ぐ。

 

「私は……この子に会えた。ファムが私の……! たった一人の理解者、そして! 革命の女神だったのよ! ……だから私は迷わない。安寧と惰弱に沈んだこの世界を、平定する。そう言った存在なのです、このキルシー・フロイトが、世界を変える……!」

 

 感じ入ったような声音は心の奥底で心酔しているのが窺える。

 

 何が、彼女をそこまで駆り立てたのかは不明だが、《サードアルタイル》の力は危険だ。

 

 第三の聖獣は簡単に世界の均衡を崩すであろう。

 

「……ではネオジャンヌの目的は私達と同じく、既存の秩序への叛逆だと……?」

 

「叛逆? そんな小さな目的ではないですわ。――作り変えるのです。私とファムなら、それが出来る……!」

 

「見たところ編成している《エクエス》は……軍警察仕様に移るけれど」

 

 濃紺の《エクエス》は自分の認識違いでないのなら、軍警察、トライアウトジェネシスのものである。

 

 それを従えている意味を問い質したつもりであったが、キルシーは我が事のように軍勢を誇る。

 

「素晴らしいでしょう! お姉様! 彼らは私達のためならば命を捨てる覚悟を持つ騎士達です!」

 

《エクエス》乗り達はそれぞれこちらを包囲しているものの、キルシーの言葉に戸惑いを浮かべているのは明瞭であった。

 

 元々は軍警察、恐らくはダビデの離反した後のトライアウトジェネシスの所属部隊。

 

 統率度はそれほど高くはないか、と脅威判定を下してから、レミアは言葉を投げていた。

 

「この世界を作り変える……言うは容易いけれど、それは茨の道よ。誰に咎められても仕方のないような、そんな道筋。キルシー、私はあなたにそこまでやる事はないと思っている」

 

「お姉様のお気持ちは分かりますわ。ですが、私はもう決めたのです。これが私に出来る、世界への叛逆。今すぐにお姉様の力添えになれないのは残念ですけれど、いずれは私達ネオジャンヌが、世界を席巻するのですから」

 

 理想に糊塗されたばかりの、キルシーの瞳はまるで酔いしれている。

 

 この世界の真の姿を見ようともしていない。

 

 現状、《サードアルタイル》を擁するネオジャンヌと手を組むのが、自分達としても正しい道であろう。

 

 しかし、それは――。

 

「……キルシー。世の中はそう簡単じゃないのよ」

 

 どうしてなのだろうか。

 

 彼女の言う、革命の決意は、カトリナやクラードの掲げてきたそれよりもよほど幼稚に映る。

 

 語っている事はさほど変わらないのに、キルシーの言葉振りはどれもこれもまやかしめいているのだ。

 

「……今……何と?」

 

「キルシー、あなたでは出来ない。《サードアルタイル》の力を使って、王族親衛隊と戦い抜く事も、ましてや世界を変えるなんて……。それがどれほどの痛みを伴っての言葉なのかは分からないけれど、それでも私は、痛みと共に在った人間を二人知っている。その二人は……決して振り返らなかった。決して……迷わなかったのよ。だって言うのに、あなたの言葉はどれもこれも、虚飾めいている。それで自分は救えても、他人までは救えないわ」

 

 キルシーの眼差しに敵意が宿る。

 

 銃口が突きつけられてサルトル達が色めき立っていた。

 

「艦長……!」

 

「下がって、サルトル技術顧問。ユキノさんも、いいわね? 今はトリガーに指をかけるのは早過ぎるわ。まずは、どれほどの覚悟なのかを問い質しましょう」

 

『しかし、レミア艦長……目の前のは、聖獣なんですよ……』

 

「そうかもしれない。けれど、乗っているのは、彼女だと言うのなら」

 

「……お姉様にファムの何が分かるの……。私達の、何が分かるって言うの」

 

「ミュイぃぃぃ……キルシー、くるしいよ」

 

 傍らのファムをぎゅっと抱き締めたキルシーには、それ以外に寄る辺などないような突き詰めた声音で告げていた。

 

「……ファム。《サードアルタイル》は何なの? あなたが……第三の聖獣の、パイロットなの……?」

 

 レミアの問いかけにファムは思案するように指で唇を押し上げる。

 

「むずかしいから、わかんないけれど、でもこのこはファムのいうこと、きいてくれるよ?」

 

「ファム……あなたもしかして最初から……《サードアルタイル》のパイロットだったって言うの? ベアトリーチェに居た頃も……!」

 

 思わず口を挟んだバーミットにファムは嬉しそうに身を揺する。

 

「ミュイ! バーミット、ひさしぶりっ!」

 

 それと同期して《サードアルタイル》がその未知の躯体を鳴動させるので、《エクエス》乗り達とこちらは気が気ではない。

 

『り、リーダー……MFが……』

 

「鎮まりなさい。御前でしてよ」

 

「……ええ、久しぶりね、ファム。でも意外。あんた、分からない事だらけだったけれど、それでもまさかMFのパイロットなんて思いも寄らないって言うか……」

 

「ミュイっ! ベアトリーチェは?」

 

「……役目を終えたのよ。それはそうと、キルシー。あなたがネオジャンヌの頭目だと言うのなら、一つ。交渉事の矢面に立つのはあなただという事よね?」

 

「ええ、お姉様。こうして対峙するなんてまるで想定外だけれど」

 

「……あなたはネオジャンヌを掲げ、何を……王族親衛隊と戦えば無事では済まないのは分かっているはず……」

 

「何を? 分かり切っているでしょう。この世界は、どれもこれも間違っている。間違いの只中に沈んでいるのよ。そんな惰弱なる世界を救い上げるのに、絶世の救世の聖女が必要になってくる。ファムと私はそれなの。そして答えてくれた、世界が……! その証こそが《サードアルタイル》! 誰もが恐れる第三の聖獣……!」

 

「《サードアルタイル》を擁すれば、必然的に争いに巻き込まれていく。それを分かっていての行動なのね?」

 

「無論、言うまでもないわ、そんな事。《サードアルタイル》は無敵なのよ。この力を前にすれば、王族親衛隊であろうと何であろうと、私達の前にひれ伏すしかない」

 

「……それはどうかしら」

 

 こちらの言葉繰りにキルシーは眉を跳ねさせる。

 

「……今、何て?」

 

「キルシー。あなたには世界が見えていない。確かに、この来英歴において、MFの力を持つ事は絶対者の意味を有するのかもしれない。でも、それは同時に責任も生じてくるのよ。力を持つ事への、責任が」

 

「それくらい、分かっているわ、お姉様。私は責任ある職務として――」

 

「そういうんじゃないのよ。そういうんじゃ……」

 

 だがこの議論は平行線であろう。

 

 失った自分と、失う前の自分がまるで違うように、姉妹であっても断絶は埋めようがない。

 

「お姉様? 全能になったんですよ? だって言うのに、力を振るわないのは、それも嘘でしょう?」

 

「全能者なんて存在しないのよ、キルシー。この世には、自分と、自分に近しい地獄を切り売りするだけの、似たり寄ったりな不幸だけが分配されている……。勝利者の座なんて最初からなかった」

 

「それはお姉様の理論でしょう? 私は違う」

 

「違うと規定したところで、MFはだって、力でしょう」

 

 力を振るうのならば、そこに宿ってくるのは必然な思想と論理。

 

 キルシーの謳う夢物語はどれほど耳心地がよくとも、どこかで頭打ちが来る。

 

 そうなのだと、自分は――理解出来てしまった。

 

「……では交渉決裂だと、そう思っていいのかしら。お姉様」

 

「出来れば争いたくはないのだけれど、あなたの言う全能者だけでは世界は回らない」

 

「九割の凡人に任せていれば世界は悪いほうにしか転がらないのよ。それはお姉様だって分かっているでしょう?」

 

「それでもあなたがその一だとは限らない」

 

 強い論調で言い返したせいであろう。キルシーは僅かに絶句する。

 

「帰るわよ、バーミット。それにみんな。ネオジャンヌと結託する事は、我々はあり得ない」

 

 身を翻した自分に、他の者達は正気なのか、という目線を振り向けるが、決定を覆すような異論を差し挟む人間は居ない。

 

「後悔するわ、お姉様!」

 

 キルシーの高笑いが響き渡る中で、レミアは《オムニブス》のコンテナブロックに乗り込み、海面を観察する。

 

「……モルガンは再行動に移るまで時間もない。アステロイドジェネレーターが駆動しないとは言え、最新鋭艦。それなりに復活も速いと想定すべき」

 

「それでも、艦長はあの子の傍には寄り添わないんですね」

 

 隣席のバーミットの言葉に、レミアはそうね、と額を押さえる。

 

「以前までの私なら……あの子の言う理想論にも、思うところはあったかもね。《サードアルタイル》の戦力は魅力的だし、それに今は敵に回すべき勢力ではないわ」

 

「それもこれも、クラードとカトリナちゃんに幻滅されたくないから、ですか」

 

 こちらの思想を先回りしたバーミットにレミアは微笑みかける。

 

「……馬鹿ね、私も。一時の感情でせっかく得られたはずの戦力を手離している」

 

「いいんじゃないですか、別に。あたしは権力にへりくだったり、力をよしとする艦長なんて見たくないですから。ま、個人的な意見ですけれどねー」

 

 それでも自分の意見はオフィーリアの総意となる。

 

 もしもの時に《サードアルタイル》が敵に回るなど、代表者としては下策もいいところであったのかもしれない。

 

 それでもクラードと――そして、カトリナの叛逆を、キルシーの言うところの拙い叛逆意識で染め上げたくないのは、自分でも譲れない部分であった。

 

「……《サードアルタイル》が敵に回る……かもしれないわね」

 

「まさかファムがあの聖獣を動かしているなんて想定外ですよ。あんなにカワイイのに、何でああなっちゃうのかなぁ」

 

「それでもバーミット、あなたの事はしっかり憶えていたみたいじゃない」

 

「当たり前でしょう? あのカワイイのをまともに仕上げたの、あたしですよ? 貢献者です、貢献者」

 

 そう言ってのけるのが少しだけ可笑しく、今はこの絶望の淵にあっても笑う事が出来た。

 

「それにしたって、聖獣の操り手、か。まさに不幸の象徴(ファム・ファタール)ね」

 

「嫌ですよ、あたし。あの子を撃てって言われるなんて」

 

「そうはならないように……努力したいところなんだけれどね」

 

 しかしそうも言っていられない状況がやってくるのは目に見えている。

 

 灰色の艦艇を浮かべているモルガンは間もなく作戦行動に入るはずだ。

 

 その時、クラードとアルベルトを欠いた自分達はまともに戦えるのか、それすら分かったものではない。

 

「……あるいは、戦いにもならないまま、終わっていくのかしらね」

 

「抗うだけ抗うのみですよ。いつだってそうだったでしょ? 我らがレミア・フロイト艦長は」

 

「そうね、バーミット。あなたにだけは敵わないわ」

 

「でしょー? あたし、これでもいい女の自覚あるんで」

 

 それでも間に合うかどうかだけの時間の猶予だけは冷酷だ。

 

 時だけは、残酷なまでに刻んでいく。

 

 レミアは時計に視線を落とした瞬間、違和感に気づいていた。

 

「……この時間……バーミット、ちょっと時計を見せてもらえる?」

 

「何ですか? 時間……?」

 

 バーミットの時計と自分の時計を合わせる。

 

 そこで確証めいた事実に、まさか、と震撼していた。

 

「……おかしい……。私達は、十二時間ほど前に……戻っている?」

 

「戻っている? そんなわけ……でも確かに、時間は前回の戦闘の十二時間前……艦長、担いでいます?」

 

「いいえ……そんなわけ……。でも、これに勘付いているのは……」

 

 バーミットは自ずと声を潜ませていた。

 

「……あたし達だけっぽいですね。あるいは他の皆は気付いていても違和感程度で片付けているのかもしれません。だってこんなの……おかしいでしょ。十二時間前に戻っているなんて……あたし達は、じゃあタイムトラベラーだとでも言うんですか?」

 

「……状況の擦り合わせが必要そうね。私の懸念事項とすれば、大きく二つ。ただ単純に、時計が壊れてしまっただけ、と言う、現実的な筋。もう一つは……あり得てはいけないんだけれど――《ダーレッドガンダム》が、あの機体が私達を、十二時間前の地球重力圏へと時間遡行させた」

 

「空間転移も込みでですか? それこそ、あり得ないって言うか……」

 

 だがそうだと仮定すれば、《ダーレッドガンダム》の有する能力は推し量っている以上という事になる。

 

 格納デッキへと降り立った《オムニブス》のウィンドウより、レミアはハンガーで修繕されていく《ダーレッドガンダム》を目に留めていた。

 

 ともすれば、それを修復するのは自分達だけではない。

 

 ――それは世界にとっての、明確なる害意となるのではないか、と、この時脳裏を掠めた予感は、冗談であって欲しかった。

 

 



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第182話「秘められしもの」

 

 王族親衛隊同士の戦闘接触は原則禁じられているはずだ。

 

 そうなのだと聞かされてきたし、それは自分達を統括する人間としても正しくないはずだろう。

 

 しかし眼前に現れた人間はまさに鉄面皮の鋼鉄の機械――。

 

 恭しく頭を垂れた相手へと、ピアーナは声を振る。

 

「王族親衛隊所属、ジオ・クランスコール大佐。これはどういう事なのです」

 

「説明は難しい」

 

 その唇でさえもマイナス百度の冷徹さを携えている。

 

 王族親衛隊に意見するほどの権限は自分には与えられていないが、それでも異議申し立ての発言力がないとまでは言わせない。

 

「我が方の機体……《ソリチュード》を中破させましたね? それはモルガンの戦力を削いだ事になります。申し開きは」

 

「ない。自分は向かってきた相手に対処しただけである」

 

 まるでそうと規定しただけの機械の延長線上。

 

 ジオの言葉に迷いも、まして人間らしい逡巡など期待出来るはずもない。

 

「では、それはこちらに落ち度があったとして……何故、地球圏に?」

 

「機密事項に抵触する」

 

「……あの高重力磁場の陥没地点に関係が?」

 

「機密事項に抵触する」

 

 まるで話す気はないようだが、ここで少しでも口を割ってもらわなければ自分としても立つ瀬がないと言うもの。

 

 ここは憶測でもいい。万華鏡相手に立ち回って見せよう。

 

「……察するに、ですが、《サードアルタイル》があの第三勢力に与しているのは完全な意想外であったのでは? そうでなければ貴方達ほどの組織が、たった三隻の重力艦艇に手を焼いた事になりますが」

 

「相手は聖獣だとも。油断は大敵のはずだ」

 

 そう言われてしまえば、その通り。

 

 しかし、ジオの真意は別にあるというのが、ピアーナの見立てであった。

 

「……あの第三勢力、情報は集めておきました。地球重力圏に陥ってから、現時刻で三十分。わたくしにとっては児戯の領域」

 

 片手を払い、情報の投網を振るって王族親衛隊にもたらされるはずであった情報を読み取る。

 

「――ネオジャンヌ。レジスタンス組織のようですが、しかしあまりに日が浅い。結成されてまだ四十八時間も経っていないのに、艦艇三隻に《エクエス》の編隊を構築している。その裏にはトライアウトジェネシスの離反が見え隠れしているとの事ですが」

 

「軍警察の領域に関しては自分のあずかり知るところではない」

 

「……トライアウトジェネシスの一部がオフィーリアに降っているのは?」

 

「初耳である」

 

 仮面の相貌はまるで読ませない。

 

 それもこれも織り込み済みであるのか、あるいは本当に知らなかったのか。

 

 いずれにせよ、万華鏡、ジオ・クランスコールを一時的とは言え、勢力に組み込む事が出来るのは僥倖であろう。

 

「……結構。わたくし達が知りたいのはそれ以上の領域ですので。《パラティヌス》の特一級編隊、何もない場所に現れるにしては出来過ぎております。この後の任務継続に関しては?」

 

「貴殿に話す義務はない」

 

「義務はなくとも、物事を円滑に進めるための処世術と言うものはあるはずです。貴方は……王族親衛隊は何を追って、重力圏に降りてきたのか。そしてあの高重力地帯は一体何なのか。調査部隊を送ってもいいのですよ」

 

 こちらなりの牽制のつもりであったが、ジオは意に介していないかのように応じてみせる。

 

「それには及ばない。既に決した戦闘状況である」

 

「分かりませんね。貴方はあの場所に……爆心地に気取られてはまずい何かがあると言っているようなものでは?」

 

「勘違いしてもらいたくないのは、調査に関しては反対意見でもなければ賛成意見でもない。中立を取らせていただく」

 

「ではわたくし達があの場所を精査してもいい、との事ですか?」

 

「構わないが、禍根を残す意味がある。推奨はしない」

 

 何かがある。それは間違いない。

 

 だが、今も走査の手を進めているものの、光波、磁場、観測衛星からの映像、全てを拒む結界領域だ。

 

 もうもうと噴き上がる白い噴煙と、そして今も居残る重力異常だけが爆心地の異様さを伝えるのみである。

 

 確かに、送り狼がまんまと何かに捉われる可能性は大いにあり得る。

 

 だが何もしないのも、それは違うはずだ。

 

「……モルガンより護衛艦へ。《エクエスガンナー》の一個小隊を調査部隊として派遣してください」

 

 護衛艦に伝達した自分に対し、ジオは視線を逸らしもしない。

 

 あるいは忠告はしたとでも言いたいのだろうか。

 

「……少しばかり、情報の擦り合わせが必要そうですね。万華鏡、ジオ・クランスコールともあろうものが、どうしてこんな様に成っているのか」

 

「自分としても疑問である」

 

「はぐらかすのは似合いではありませんよ? それとも……わたくし程度なら少しでも時間を稼げばどうとでもなると? 嘗めないでいただきたい。こちらの主戦力を貴方は潰したも同義ですよ」

 

「軍事裁判の想定は出来ている」

 

「《ソリチュード》のほうから仕掛けたのは明白ですが、それにしたってあそこまで痛めつける必要性はありましたか?」

 

「そうしなければ《ラクリモサ》とて危うかった。正当防衛である」

 

 どこまでも冷徹。どこまでも平静を崩さない。

 

 本当に機械とでも対話しているかのようだ。

 

「……貴方と話していると、三年前に遭遇した野蛮人を思い起こさせますね。彼は……貴方ほど理論立てて機械的に喋れはしませんでしたが」

 

「もし、《ソリチュード》の修繕が難しいのならば我が方より進言する。部隊の再編成と、補充要員は滞りなく行われるであろう」

 

「……これは意見の総意かもしれませんが、王族親衛隊を下手に招き入れれば我が騎屍兵団の沽券に係わります。如何に強大な駒とは言え、二つも三つも揃えれば、それは禍根の種でしょう」

 

「賢明な判断だと、評させて頂こう」

 

「全く褒められている気はしませんが、貴方ほどの人間ならばそうなのでしょうね。実際、ジオ・クランスコールほどのミラーヘッド使いが、こんな場所に何分も拘束状態にあるのは彼の人々からしてみても好ましい状況ではないでしょう。貴方の拘束を解けと、先ほどから矢の催促です。しかし、ここで疑問が一つ。貴方をもし、解放したらではどこに行くと言うのでしょう? それこそ、《ラクリモサ》で高重力地帯に押し入るのか、それとも第三の聖獣を駆逐するのか」

 

「その答えは保留であろう。貴殿に話しても益体にもならない」

 

「……ええ、確かに。王族親衛隊と統合機構軍はそもそも交わらぬ点のようなもの。個人的な心象でこちらにヴィクトゥス・レイジ特務大尉を送っている事でさえも、本来ならばスキャンダルです」

 

 暗にディリアンの采配ミスを批評しているつもりであったが、ジオは言葉に翳り一つも浮かべない。

 

「使い手であった。ならば戦場に持ち込まれるべきであろう」

 

「……これは本筋からは逸れるのですが、貴方と特務大尉に面識は?」

 

「ほとんどない。しかし王族親衛隊は末端に至るまで把握している」

 

 つまりあのお喋りなヴィクトゥスに仕掛けたところで、自分の腹は割れないという事だ。

 

 どこまでも――ジオ・クランスコール――読めない男である。

 

「業腹な連中も居たもの。貴方は恐れないのですね」

 

「兵士には無縁の代物だ」

 

「……そうでしょうか。恐れが兵士を強くさせる。わたくしの持論ですが」

 

「ならば自分には当てはまらぬだけの事」

 

 警告ブザーが鳴る。

 

 つまり、万華鏡に問い質せるのはここまでという合図。

 

「……では、ジオ・クランスコール大佐。貴方の拘束を解きます。とは言っても、手錠の一つもかけていない状態での拘束とは片腹痛いものがありますが」

 

「情状酌量の余地があるとの判断であろう。感謝する」

 

 まるで心の一片でもそうは思っていないような口調であった。

 

 身を翻しかけたジオは、エアロックの向こう側で松葉杖をついて佇むダイキと鉢合わせしていた。

 

「……クラビア中尉……」

 

 自分が息を呑んだその瞬間、ダイキは力一杯ジオに掴みかかっている。

 

 松葉杖が床を転がり、包帯だらけの彼の体重がジオへと前のめりに押しかかっている。

 

「……あんた、王族親衛隊なんだってな。最強のミラーヘッド使い、ジオ・クランスコール……!」

 

「何者であろうか」

 

「クラビア中尉! 相手は王族親衛隊ですよ!」

 

 こちらの制止を無視して、ダイキは拳を突き上げていた。

 

 ジオは軽い動作でかわした後に、ダイキの体重を移動させ、そのまま押し倒す。

 

 立つ事でさえも儘ならないダイキは艦長室へと雪崩れ込んで激痛に顔をしかめていた。

 

「……痛……っ! あんた……いきなり現れて偉そうにするなよな……ここは俺達の船なんだ!」

 

「ピアーナ・リクレンツィア艦長。彼の保護を。手負いの身で無理はするものではない」

 

 ピアーナは大慌てでダイキへと駆け寄り、彼へと肩を貸していた。

 

「では、失礼する」

 

 言葉少なに立ち去ったのを確認してから、ダイキはへへっ、と笑う。

 

「……これで……いいんですよね? リクレンツィア艦長……」

 

「ええ、上出来です。貴方に芝居が出来るとは想定していませんでしたが」

 

「身体の負傷は本物です。隠し通せるものじゃありませんでしたが、それが幸いして自分の本懐まではバレなかったようですし」

 

「貴方は平時では明け透けなのですよ。だからこそ、頼んだのもありますが」

 

 ダイキの手の中には盗聴器が掴まれていた。

 

 先ほど拳を振るった際に片割れをジオの服に取り付けておいたのだ。

 

 全て――自分の命令であった。

 

「……このまま事態に翻弄されるのはわたくしとしても御免です。エンデュランス・フラクタルにも、まして王族親衛隊にも借りを作りっ放しでは面白くない。わたくしが何に従うべきかはわたくし自身が判断する。そのために……利用させていただきますよ。万華鏡、ジオ・クランスコール。その御身であっても……」

 

 盗聴器の感度は良好であり、さほど離れていない戦場ならば常に彼の言葉を拾えるであろう。

 

 まさか、最強のミラーヘッド使いに盗聴器が仕込まれているなどその部下達は思いも寄らないはずだ。

 

『事態は』

 

『つつがなく。しかし、よろしいのですか。統合機構軍に借りを作る形になりますが』

 

『構わない。いずれ袂を分かつ。それに、王族親衛隊、ヴィクトゥス・レイジ特務大尉。彼は自分に肉薄するだけの猛者であった』

 

『《シクススプロキオンエメス》の充填状況は現在、八十パーセント。再放射までに時間はかかりませんが、それでも高重力砲撃を行えばそれなりに足が付きます。どういたしますか』

 

『構わない。どうせ地に伏すばかりの者達は理解も及ばぬ聖獣の領域だ。知った時には既に足を止められているであろう』

 

「聖獣……《シクススプロキオンエメス》? ……なるほど、高重力磁場の砲撃は第六の聖獣によるもの……!」

 

 確証めいた声にダイキは松葉杖をついて起き上がる。

 

「……第六の聖獣って……月軌道決戦で倒されたんじゃ……」

 

「何者かが裏で取引し、そして手に入れた。聖獣の力を……。でもそこまでして、では何をしたいのか」

 

 再び耳をそばだてると、ジオの通信網が聞こえてくる。

 

『ジオ・クランスコール。仕損じるとは貴様らしくないな』

 

「……子供の声?」

 

 先ほどまでの部下の声とは違う、囁くかのような子供の声が漏れてくる。

 

『《サードアルタイル》と、第七の聖獣による妨害がありました』

 

『言い訳はいくらでも聞く。問題なのは、あの爆心地でまだ生きていると言う事実だ。おぞましいとも。MF01、《ファーストヴィーナス》』

 

『左様。バイタルサインが送られてくる以上、他のMFパイロットも生存の可能性が高い。よって、ひき潰せ。貴様ならばそれくらいは造作もあるまい』

 

『つつしんで。しかし、よいのでしょうか。我々の行動を見ている者達が居ります』

 

 まさか、とピアーナとダイキは絶句していたが、どうやら盗聴が露見したわけではないらしい。

 

 単純に、この戦場を見据える勢力の事であろう。

 

『オフィーリア、か。統合機構軍に造らせた艦も敵に回るならばやむなし。それに第七の聖獣の目覚めも近い。もし、覚醒の時に成った場合は』

 

『撃ちましょう。前回の戦闘で関節部を潰しましたが』

 

『それでも生き永らえてくるのが奴だ。第七の聖獣、《セブンスベテルギウス》。忌まわしい、我々に拮抗するためだけに生み出された、ガンダムか』

 

『しかしエンデュランス・フラクタルとマグナマトリクス社の手にない事だけは安泰だな。奴らの手にあれば、聖獣討伐と貴様に課した任務、先んじられていた可能性が高い』

 

『彼らは動きますか』

 

『動かぬと言うのは嘘であろうよ。元々、MFのパイロットを尋問にかけていたほどだ。よほど知りたいのだろう。この世界の真実を』

 

「……この世界の、真実……?」

 

 息を呑んで互いに視線を交わしていたピアーナとダイキは、次に放たれる言葉に唾を飲み下す。

 

『肉薄しますか。やはり。エージェント、クラードは』

 

「……まさか、クラード? 何故彼の名を……」

 

『おぞましき者を目にするのならば、我々はかかる火の粉を払わなければならぬ。それこそが、貴様に出来る唯一の貢献だ。ジオ・クランスコール。奴は死に物狂いで運命の鍵を壊しに来るぞ。その時、撃てないでは困る。我らの駒として、聖獣は在るのだからな』

 

『従えますか。聖獣を』

 

『六番目の使者は我が方に微笑む。貴様はせいぜい、地上に這いつくばる手負いの獣を駆逐する事だ。それに集中せよ』

 

『心得ておりますゆえ』

 

 ピアーナは耳を澄ませているのが自分だけではなく、ダイキもである事に瞠目していた。

 

「……貴方は聞かないほうがいいのでは」

 

「何故です。艦長自らの厳命ですよ」

 

「貴方は分かりやすい」

 

 そう言ってやると、ダイキはフッと微笑んで傾いた挙手敬礼をする。

 

「これでもトライアウトネメシスでは生え抜きでした!」

 

「大怪我をしているのですから少しは自重を覚える事ですね。そうでなければ、捨てるはずのない命まで捨てる事になりますよ」

 

「大義のためならば」

 

 大真面目にそう言うのだから、それは性質が悪いと言うものだ。

 

「……大義、ですか。貴方を使い、こうして盗聴と言う姑息な真似までしておいて、今のわたくしに大義など……。いえ、それでも前に進むべきと規定したからの行動なのだと、信じたいんでしょうね」

 

「艦長の瞳はとても澄んでおります。同じような眼差しの人を、……自分はよく知っているつもりでありました」

 

 知っているつもり、か。

 

 それは誰ともなく、の言葉なのだろう。

 

 どんな人間だって、よく知っているつもりでしかない。

 

 他人の事など、結局のところでは深く分け入るつもりでない限りは、知った風な口しか利けないものだ。

 

「それにしても、気にかかるのは先ほどの通信です。王族親衛隊の上層部だと仮定しても……違和感が残る」

 

「あえてのボイスチェンジャーなのでは?」

 

「それにしても……万華鏡に口出し出来る身分です。こちらで調べておく必要がありそうですね」

 

「艦長。俺が言えた身分ではありませんが、あまりご無理をなさらぬよう」

 

「本当に貴方が言えた身分でないところが癪ですが、忠言痛み入ります。何せ、わたくしは……これから先、無理を道理で通そうとしている。それが如何ほどに愚かなのかを、分かっていないはずがないのに……」

 

 それでも、ジオから得られるものがあるのなら、自分はこのまま足だけは留めないように努めよう。

 

「愚かしくとも……右足と左足を交互に前に出せば……それは前進になるはずですから……」

 

 



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第183話「守りたい願いを抱いて」

 

 不意に浮上する感覚に、アルベルトは空を掻いていた。

 

 その手が天井へと伸びたのを感覚して、ああ、とようやく理解する。

 

「……オレ、死んじまったんじゃねぇのか」

 

「生憎ね」

 

 応じたのはヴィルヘルムで、その声にアルベルトは身を起こす。

 

 水色の緊急医療カプセルに浸された肉体には無数の傷痕がある。

 

 この三年間だけではない。

 

 これまで戦い抜いてきた証であった。

 

「……ヴィルヘルム先生。生き意地が汚い、とかは言わねぇんすね」

 

「君はこの艦において主戦力だ。口が裂けてもそんな事は言えないとも」

 

「だが、前にばかり出る無能だとは思ってんじゃないっすか」

 

「有能無能議論に持ち込む時点で、わたしの出る幕じゃないさ」

 

 ヴィルヘルムは壁に背中を預けてこちらの返答を待っているようであったが、アルベルトは自身の掌に視線を落とし、それから感覚する。

 

「……重力、だな」

 

「地球重力圏に、オフィーリアは位置している。現在地の情報は必要かな?」

 

「……いいや、このザマじゃ、オレは次の戦いじゃ留守番でしょう。それくらいドライには成れているつもりです」

 

「自分を俯瞰するか。いいや、これは三年間戦い抜いてきたエージェントたる君には失礼に当たるな」

 

「第三者視点くらいには慣れているつもりっす。ただ……ここに来るまでデカい恋煩いを、持って来ていたのが……自分でも足を止めていたんでしょうね」

 

「カトリナ君は大事なしとは言い難い。少し……状況を飲み込むのに時間がかかっている様子だ」

 

「……って、あれ? オレ、カトリナさんだとは一言も言ってねぇはずですけれど……」

 

「君を見れば分かる。分かりやすいんだ、気を付けるといい。足をすくわれるぞ」

 

「……マジにカッコつかねぇな……バレバレだったってワケですか」

 

 湿気を帯びた頭髪をリーゼントに整え、アルベルトはカプセルに満たされたゲル状の再生治療液を払って、ヴィルヘルムよりタオルを受け取っていた。

 

「しかし、君が眠っている間に状況は動いた。これは素直に喜ぶべきだろう」

 

「……吉報ですか」

 

「そうなるかどうかはこれからの我が方次第になる。なに、最悪の戦局は打破したと言うべきだろう」

 

「……何かが起こり、オレ達は重力圏に……」

 

「おや、そこは不自然に思わないのだね」

 

 むしろこれまで異常事態が立て続けに起こって来たのだ。重力の洗礼を浴びれば嫌でも理解出来る事柄ならば、その分の理解には割かない。

 

 問題があるとすれば、それはたった一つ。

 

「……クラードは? あいつはどうなったんすか」

 

「……ギリギリまでコード、マヌエルを連続使用しての瀕死状態だったのにも関わらず、君はクラードを心配出来るか」

 

「それはいつもの事だって言うところでしょう」

 

「いや、それに関しても……これは凶報だな。《アイギスハーモニア》は大破だ。もう使えると思わないほうがいい」

 

「酷使したせいっすか」

 

「それもあるが……直前の事は覚えていないのか? 君は《ネクロレヴォル》に機体を寸断されたんだぞ」

 

 記憶を手繰り寄せるが、どこかで違和感に突き当たる。

 

「……あの騎屍兵の奴……オレの事をヘッドって呼びやがった……」

 

「それは異常だな。騎屍兵に知り合いがいた記憶は?」

 

「あるわけないでしょう。……この三年間、睨み合いを続けてきた連中っすよ。あいつらの統制、反吐が出るってもんだ」

 

 だが、だとすれば、自分の聞き間違えであろうか。それにしては、どこかで懐かしい声であったような気もするのだが。

 

 益体のない考えを、アルベルトは頭を振って振り落していた。

 

「それよか、クラードっすよ。あいつ、どうなったんで?」

 

「隣のカプセルを見るといい」

 

 まさか、と目を見開いてカプセルへと視線を投じる。

 

「クラード……!」

 

 再生治療中のクラードの面持ちはこれまでのように帰ってくるような感覚は薄い。

 

 まるで死人のそれだ。

 

 拳をぎゅっと握り締め、思わず叫ぶ。

 

「何やってんだ、クラード! お前はそんなところで……足踏みしている場合じゃ、ねぇだろうがッ!」

 

「ここは病室だよ」

 

 ヴィルヘルムは電子煙草をくゆらせつつ、紫煙をたゆたわせる。

 

「……意識レベルはこれでも少しは戻ったほうだ。一時は本当にまずかった。後は肉体の損耗だが、彼は七割のレベルでのライドマトリクサーだ。再生治療カプセルでの治癒でどうしようもなければ、お手上げと言うほかない」

 

「……どこかに、停泊するのは? 医療施設のある……そう、国家だとか……」

 

「そんな余裕があると思っているのか?」

 

 分かっている。

 

 余裕があれば、こんなところで長話をしている場合でもない。

 

 それに、自分で言ったのではないか。

 

 次の戦闘には出られない、と。それはつまり――まだ切れていない戦場の緊迫感をどこかで感じていると言う事実だ。

 

「……ここは最悪の戦場っすか」

 

「そうだな……そうとも言えるし、少しの猶予は生まれたと言うべきでもある。少しばかり複雑怪奇だ。アルベルト君、その前に一度ある。まずは上着を着ようか」

 

 差し出された簡易的な衣服を身に纏い、緊急医療カプセルの部屋から出る直前、今も眠りに落ちるクラードへと視線を向けていた。

 

「……オレが生きているうちは、死ぬ事なんて許さねぇぞ、クラード……ッ!」

 

 救急医療室を出た瞬間、部屋の前で佇んでいた小さな影に、アルベルトは瞠目する。

 

「……シャル、お前……」

 

 どうしてなのか、シャルティアの目は腫れ上がっている。

 

 まさか、それほどまでに心配をかけたか、と慮ったのも一瞬、アルベルトは視線を逸らしていた。

 

「……悪かったよ。その、あれだろ? 委任担当官としてのお叱りは、受けるつもりだ。再三の勧告にもかかわらず、マヌエルの連続転用……オレの頭でいいんなら、下げるつもりくれぇは……」

 

「そうじゃ、ないんです……アルベルトさん」

 

 頭を下げかけたアルベルトは、直後には自分へと体重を預けてきたシャルティアに言葉を詰まらせる。

 

「……シャル? どうしたんだ、お前……オレなら見たところ無事だし、大事には……」

 

「そうじゃ……そうじゃないんです……! 私は……駄目なんだって、分かっちゃって……」

 

 涙を伝い落ちさせるシャルティアにアルベルトは当惑しながら、ヴィルヘルムへと助けを乞う眼差しを投げたが、彼はあえて退席していた。

 

 自分達で解決しろ、という事なのだろう。

 

 年長者なりの配慮が今はありがたい。

 

 アルベルトはおっかなびっくりに、シャルティアの頭を撫でる。

 

 これまで子供呼ばわりや、未熟者だと言われれば彼女の神経を逆撫でしてきた自分だ。この行動もともすれば、また怒らせてしまうかもしれないな、と思いつつ、その赤い髪に、嫌でも回顧する。

 

「……ラジアルさんと、同じなんだな」

 

「……あ、当たり前です……姉妹ですよ?」

 

「ああ、そうだった。……ったく、普段は全然似てねぇのに……何でこんな時に、思い出しちまうんだろうな……」

 

 これも身勝手かもしれない。

 

 シャルティアには決して、ラジアルの面影を重ねてはいけないのだと自分を律してきたのだ。

 

 愛した人だからだけではない。

 

 それは委任担当官の職務を全うしようとする彼女への侮辱になる。

 

 しかし、弱々しく泣き喚く一人の少女の体温は、否が応でもラジアルの事を――喪った想い人への悔恨を生じさせる。

 

「……アルベルトさん? 震えて……」

 

「ああ、これは違う……いや、違わねぇか。オレは、ずっと怖かったんだ。お前に……どうして姉を……ラジアルさんを見殺しにしたんだって、追及されちまう事が。だってどうにも言い訳なんて立たねぇ。オレはあの時……純粋にガキだったんだよ。だからあの人を死なせちまった……」

 

 この三年間、誰にも打ち明けなかった胸の内を、どうしてなのだか、妹であるシャルティア相手に言葉にするのは、ともすれば彼女さえも傷つけかねない。

 

 だから、わざと遠ざけた。

 

 だから、重ねなかった。

 

 だから――自分は彼女の前では、弱い自分を見せてはいけなかった。

 

 だらしがない大人だと罵られても、そっちのほうが随分とマシだ。

 

 ラジアルを死なせた、大罪人だと謗られるよりは、まだ自分の心の領域を保てた。

 

 だが、もうそんな糊塗された要らぬプライドで、彼女に向き合うのは失礼と言うものだろう。

 

 理由は分からない。

 

 自分が何度も心労をかけさせたせいかもしれないし、シャルティアにしか分からない痛みかも知れない。

 

 それでも、こうして目の前で泣いている少女一人、救えなくってどうするのだ。

 

 そっと頭を撫でてやると、シャルティアはぐずりながら、少しずつ落ち着いて行った。

 

「……私、こうして誰かに……褒めて欲しかったのかもしれません」

 

「褒めて……? だがてめぇはよくやってるだろ、シャル。委任担当官としても、人間としても出来ているはずだ」

 

「でも……姉が居ましたから。私はもっと、人一倍努力しないと、姉のようには成れませんでした」

 

 ラジアル・ブルームと言う大女優としての姉。

 

 それはシャルティアにとってどのような存在であったのか、尋ねた事はそう言えばなかった。

 

「……ラジアルさんは、お前にとってはどんなお姉さんだったんだ?」

 

 ここに来るまで、封殺していた問い。

 

 それを口にしてしまえば、自分はラジアルとの思い出に逃げる事になるのだと、そう思い込んでいた。

 

 だが実際には違う。

 

 シャルティアを救いたいがために、今は宇宙に散った彼女を想う。

 

 シャルティアは涙を拭いながら、毅然として応じる。

 

「とても……立派な姉でした。私は、こう言うと意外とか思われるかもしれませんが、誇りある人間であったと思っています。姉は、女優と言う仕事と、それと芸能人で初のライドマトリクサーと言う偉業を成し遂げた人間として、皆が語っているのを知っています。でも、それだけじゃなかった。姉は優しかったんです。私にだって、金銭面だけじゃない、きっちりと見守っていてくれた……だから今、私はここに居られるんです。姉が……私をアルベルトさんのところにまで届けてくれた……」

 

 しかし、それは呪いと表裏一体だ。

 

 ラジアルを死なせたのは紛れもなく自分。

 

 ともすれば、シャルティアはこのような過酷な道を選ばずに済んだのではないか。

 

 あの時、自分が護るべきと思った人を目の前で失わなければ、今、彼女を苦しめている原因もあり得なかったのではないか。

 

 シャルティアはまだ十七だ。

 

 ハイスクールで友人達と談笑しているのが似合う年かさなのに。

 

 彼女の身には重過ぎるであろう、エンデュランス・フラクタルの制服がある。

 

 鎧のように、それはシャルティアを冷たく突き放す。

 

 そんな服を身に纏って、大人達の言葉を真に受けて、叛逆の途上に身を投げるよりかは、もっとマシな生き様があったはずだ。

 

 だと言うのに、奪ったのは自分である。

 

「……アルベルトさん? どうしたんです、怖い顔して……」

 

 シャルティアの肩を掴み、アルベルトは口に出そうとした。

 

 今言わなければいつ言うのだ。

 

 ラジアルを――姉を殺したのは自分なのだと。

 

 罪を告白するのならば今のはずであった。

 

 だが、出来ない。

 

 震える手は力を失い、喉まで出かかった言葉は意味のない吐息として彷徨うだけ。

 

 自分は、シャルティア相手にだって、真正面からぶつかれていないのだ。

 

 なのに、クラードへと対等な身分なのだと言いたがる。

 

 カトリナへは長年の恋煩いを断ち切ったのだと、そうのたまうのか。

 

 全部――身勝手に過ぎないのではないか。

 

 何もかも、ただの自己満足だ。

 

 シャルティアに自分の罪を告白して、では分かりやすく軽蔑して欲しいのか。

 

 糾弾して欲しいのだろうか。

 

 しかし、それは、赦しの形を簡略化しているだけに過ぎない。

 

 シャルティアという、自分を追放するのに一番適した身分の人間から、心底の侮蔑を得て、それでようやく一端なんて馬鹿げている。

 

 分かっていた。分かり切っていたはずだ。

 

 ――恋心だけで三年もカトリナの傍に居られるものか。

 

 ――罪悪感だけで三年もシャルティアの傍に居られるものか。

 

 自分はとうの昔に、別の理由を見つけているはずなのだ。

 

 自分は彼女らに、明瞭な答えを明示しなければいけない。

 

 罪の赦しとは別の形で。

 

 かつての恋慕とは別の形での。

 

「……シャル。オレはお前を、せめて護りたい。それじゃ、駄目か?」

 

「え……えっ、でもアルベルトさんには、この艦を守り抜く理由が……」

 

「理由なんて、結局は賢しいだけの後付けなんだよ。シャル、これを預かってくれ」

 

 首から提げたそれは、自分のものだと規定した罪の証――ラジアルの形見の結晶であった。

 

「これって……ミラーヘッドの結晶……?」

 

「オレの命を、お前に預けるぜ、シャル。……本当はもっと早く、これを言えればよかったんだろうけれどな」

 

 今の今まで逃げ続けてきたツケが回って来たのだろう。

 

 あるいは、もう逃げないと言う証明が欲しかったのだろうか。

 

 シャルティアに自分の罪を預ける事で、彼女にだけは直視して欲しいと。

 

 僅かに躊躇った後に、シャルティアは結晶を受け取る。

 

「……でも、私は……委任担当官として、誰にも誇れないのかもしれないんです。ユキノさんに、その……ビンタされちゃいましたし」

 

 その段になって頬を掻くシャルティアは、思い出してか、またも涙ぐんでしまう。

 

「……駄目ですよね、私。アルベルトさん達を散々、だらしない大人だって、あれほど言ってきたのに……。私自身が情けなくなった時に、誰かに傍に居て欲しいだなんて。自己肯定して欲しいだなんて……身勝手でずる賢くって……それでいて嫌な人間なのは、他でもない、私じゃないですか……」

 

 その涙をどうしてなのだろうか。

 

 これ以上見ていられないと、指先でそっと拭う。

 

「……お前が駄目なら、オレは何だって言うんだよ。いつだって、傲岸不遜だっていい、オレ達エージェントを導く、委任担当官なんだろ?」

 

「でも、でもそのエージェントに、その……拒絶されちゃったら? ……委任担当官なんて虚飾ですよ。意味をなくす……」

 

「意味ならあるさ。カトリナさんはこの三年間……クラード不在だったんだぜ? 必ず帰ってくる。そう信じりゃ、意味なんてどれだけでも出てくる。お前はオレ達の帰還を、ただ待ち望んでくれりゃいいんだ。それが、委任担当官の……戦うだけの職務なんだろうな。ああ、今さらだ。オレ、本当に鈍っちぃ……」

 

 ようやく、少しだけでも理解出来た。

 

 カトリナがただ、絶望の間近で待ち望んできたわけではないという事を。

 

 クラードが帰ってくるのだと、約束を携えて自分達を前に進ませてくれるのだと、そう愚かでも信じ込んでいたから、カトリナは弱音なんて吐かないでいた。

 

 ならば、愚かでも自分も信じよう。

 

 クラードの帰還と、そして自分のこれから先の生還を。

 

「オレは、違えるような約束はしねぇ主義だ。だから、シャル。お前に一個、約束手形があるとすりゃあ、一つ。――無事に帰って来るって信じてくれ。そん時に、ラジアルさんの……お前の姉さんの話をしてやるよ」

 

「本当……ですか……? 本当に、姉の話を……」

 

「おう。オレが嘘付いた事なんてあるか?」

 

「……嘘ばっかじゃないですか。マヌエル使わないって言っておいて使うし」

 

「あー……そりゃあ、マジにそうだ。この約束、ちょっと弱いよな……」

 

 自分でも迂闊であったと思う。

 

 しかし、シャルティアは微笑んでくれた。

 

 その相貌が不意にラジアルの微笑みと重なり、アルベルトは早口になってしまう。

 

「あー……そういや、オレは次は出られねぇんだが、策はどうなってるんだ、シャル。やっぱ、ユキノを隊長編成にして、それで出るのが一番だと思ってるんだが」

 



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第184話「敵について」

 

「アルベルトさん……? ええ、そうですね。ですが、我々は困った事に、現状ではあまり手出し出来ないんです」

 

「手出し出来ない……? ピアーナのモルガンか」

 

「それだけではありません」

 

 咳払い一つでこれまでの憂いを打ち消し、シャルティアは端末に現在状況を表示させる。

 

 そうやって弱さを切り上げて自分なりの強さを出すところも、ラジアルにそっくりであった。

 

「……現海域上のパワーバランスです。これに関して、レミア艦長他、メインクルーが交渉に立ったのがつい三十分前」

 

「……何だってんだ、こりゃあ……」

 

 思わず絶句する。

 

 位置情報に映し出された艦艇の数もそうだが、敵対組織のマーカーを配された相手の情報は驚嘆に値するものであった。

 

「……モビルフォートレス……嘘だろ、聖獣……」

 

「私も嘘だと信じたいのですが、事実のようです。MF03、《サードアルタイル》は反政府組織、ネオジャンヌの旗印として、屹立し、そのパイロットは……私は顔馴染みがないのですが、ヴィルヘルム先生はアルベルトさんなら分かるって……」

 

 続いて克明な映像にアルベルトは息を呑む。

 

「……こいつ……ファム、なのか?」

 

「やはり、知っておられるんですね? この人物は何者なんです? 現状、私にはファム・ファタールと言う名前と、そしてベアトリーチェの、クルーであったと言うログしか許されていません……」

 

「何でファムが……? いや、そもそも……MFのコックピットってこたぁ……」

 

「ええ、現在、MF03は彼女の手のうちというわけです」

 

 全てが不明瞭な中で、ファムが《サードアルタイル》のパイロットである、という確定情報だけが流れていく。

 

 しかし見極めなければいけないはずだ。

 

 そうでなくては、自分達の月航路も意味をなくす。

 

「……シャル。ファムに関しちゃ、オレも知ってる事は少ねぇ。こいつは元々、クラードが拾って来たんだ」

 

「クラードさんが? 拾ったって……」

 

「言葉通りの意味さ。宇宙暴走族気取っていた頃に……こいつが、落ちてきて……」

 

 そうだ、何故これまで疑問に思わなかったのだ。

 

 ――全てはファムが始まりだったのではないか。

 

 軍警察が「パッケージ」と呼んでいた事、そして幾度となくベアトリーチェは数多の勢力に狙われ続けてきた。

 

 それらの原因は全て、ファム一人の確保にあったのだとすれば。

 

 点と点が繋がる。

 

 最初から、ファムは重要人物であった――。

 

「……だが、嘘だろ。ファムが最初から……MFのパイロットだったって、知っていた陣営が居るってのか……?」

 

 そう考えなければ説明がつかない。

 

 だが、どの陣営だ、と思案を巡らせても答えがそう容易く浮かんでくるわけもなし。

 

 アルベルトはファムにしか見えない少女と、そしてその隣で拳銃を構える令嬢らしき少女を認める。

 

「……こいつは? 何者なんだ?」

 

「ネオジャンヌの頭目を名乗っているそうです。情報によると、名前はキルシー。――キルシー・フロイトを、名乗っていますが……」

 

「フロイト……? おい、そいつぁ……」

 

 シャルティアがゆっくりと頷く。

 

「……艦長の血縁者だそうです。これは事実確認済みの情報です」

 

「どう……なってんだ……。ファムがMFのパイロットってだけで混乱しそうなのに、艦長の血縁者……? 意味が……まるで分からねぇぞ……」

 

「それだけではありません。これはアルベルトさんを混乱させるだけと思われるかもしれませんが、既に厳命が下りています。……《ダーレッドガンダム》を、クラードさんをあそこまで追い込んだのは、王族親衛隊所属、《ラクリモサ》。万華鏡の、ジオ・クランスコールです」

 

 後頭部を鈍器で殴りつけられた気分であった。

 

 眩暈の只中でアルベルトは事実確認を行う。

 

「……待て、待ってくれ。ファムがMFのパイロットで、その……《サードアルタイル》はネオジャンヌに与してるのか? その頭目が……艦長の血縁者? んで、クラードをやったのが、あのジオ・クランスコールだと?」

 

「信じられないかもしれませんが、事実です。……でも、疑問はありますね。どうして……王族親衛隊ほどの人間が、この地球圏に降りて来たんでしょう……。その意味がまだ……」

 

「シャル。こいつぁ何だ? 海底火山でも噴火したのか? アンノウンってなってるが……」

 

「これは……我々も関知出来ない領域なのです。走査は行っておりますが、全ての権限を拒んでいて……重力異常が巻き起こっている事と、そして何らかの爆心地だと考えられるんですが……」

 

「爆心地? おいおい、この期に及んで新兵器だとかはなしで頼むぜ」

 

「私もそう思いたいんですけれど……ブリッジから伝令は未だ届かず。という事は、この未確認事象は解明されていない、という事でしょうね……」

 

 アルベルトは一度、壁に体重を預けてから、ふと天井を仰ぎ見る。

 

 全ての事象は重なっている――否、重なるべくしてこの時を迎えた、と考えるべきだろう。

 

 そしてそれら全ての中心軸にあるのは間違いようもなくあの機体――《ダーレッドガンダム》。彼の機体は一体何を暴いたのか。

 

「……オレの出来の悪い頭じゃ、分からねぇ事だらけだが、確かな事ならいくつかある」

 

「大丈夫ですか? ……やはり、まだ無理をすべきでは……」

 

「いや、オレはどうせ出れねぇんだ。なら考えくらいは巡らせておくべきだろ。兵士であってもな、納得出来る戦場で戦いたいのが本音ってもんだ。……しかし、まさかファムが……《サードアルタイル》のパイロットだって……? んなもん、信じろってほうが……」

 

「ですが、事実なんです。……事実だから、性質が悪いのかもしれませんが……」

 

「ああ……そうだな。まるで悪い夢だ。にしたって、MF相手に艦長達は交渉事に移ったって事なのか? それはあまりにも……」

 

 あまりにも報われるものは少ないが、自分が眠っている間に起こった事実としては辛いものがある。

 

 ゆえにこそ、次の戦場に出られないのは歯がゆかった。

 

「艦長達がせっかく、切り開いた戦場に、オレは出られねぇのかよ……」

 

「アルベルトさん、無理だけは、しないでください。これは委任担当官としてだけじゃなくって……その、シャルティア・ブルームとしてのお願いです」

 

 そう言われてしまえば、自分は承服せざるを得なくなる。

 

 つい先刻までの覚悟が逆に足を止める事になるなど。

 

「……それにしても、その爆心地っての、どう考えたって怪しいじゃねぇか。王族親衛隊が出張っているのも気にかかる……。シャル、ちょっと調べを尽くせねぇか?」

 

「……私の権限では、これ以上の捜査能力は……」

 

「そうじゃねぇ。あの爆心地そのものを調べるんじゃなくって、前後関係だ。まず一つ、何故、オレ達は地球重力圏に空間転移……そうだな、空間転移としか思えない事になっちまったのか」

 

「それは……前後の事象を鑑みるに、《ダーレッドガンダム》が何かをしたとしか……」

 

「それだよ。《ダーレッドガンダム》がどれだけ化け物みたいな性能って言ったって、艦隊クラスを空間転移させられるほどの力とも思えねぇんだ。……どこかにカラクリがあるはず……」

 

「そう言えば、地球重力圏に落ちた際に、敵方も友軍も、どちらもアステロイドジェネレーターがダウンしました。これがもしかして……関係があるのかも……」

 

「博打でも賭けるしかねぇってこった。その線で第一の疑問は調べていくか……。あの戦闘宙域に集まった、アステロイドジェネレーターの状態異常……」

 

「ちょ、ちょっと待ってください! まだ疑問点が?」

 

「当たり前だろ。そもそも、だ。《サードアルタイル》が月のラグランジュポイントを離れた理由だよ」

 

「それこそ、空間転移だって言うんじゃないですか?」

 

「理由もないのに、これまで静観を貫いてきたMFが唐突に地上に現れるとは思えねぇ。事が起こる前に、何かがあったはずだ。シャル、報道とかに管制がかかっていないなら、地球圏のニュースは見れるな?」

 

「え、ええ……でもめぼしい情報は既に手に入れた後ですけれど」

 

「それでもいい。何か……情報源があるはずだ……」

 

 シャルティアから端末を受け取り、アルベルトは調べを尽くす。

 

 エンデュランス・フラクタル製の情報集積端末だ。通常の報道では隠されていてもサーチエンジン次第では垣間見える真実もあるはず。

 

 アルベルトはエージェントとして腕を磨いてきたこの三年間を思い返し、MFが出現する要因を探る。

 

「MFレベルの戦力が降りて来るって言う理由は、限られてくるはずだ。何か大きな集まりでもあったか、あるいは政府要人を狙っての誅殺計画……直近レベルの事象を調べてやれば……っと。これ、か?」

 

「何か出ましたか?」

 

 アルベルトは胡乱そうにしつつも、情報を読み上げる。

 

「……貴族階級の地球圏での社交界……? 一昨日の情報だが……」

 

 いや、まだだ、とアルベルトは情報の内海へと潜っていく。

 

「社交界……へとMFが強襲を掛けて来た可能性……何でこれまでは大人しかったんだが、って話だが……この機を狙う理由があったとすれば……」

 

「要人の参加……とかでしょうか?」

 

 こちらの顔色を窺うシャルティアに、アルベルトは脳内で閃くものを感じていた。

 

「いや、だがしかし……あり得るとすりゃあ……。シャル、社交界に参加していた貴族のリストアップ、出来るか?」

 

「……少し時間がかかるかもしれませんけれど……」

 

「出来るんならやっておいてくれ。……もしかしたらオレは……とんでもねぇ見落としをしているかもしれねぇ。それに、因縁の落としどころもな」

 

 こちらの言葉を承服し切っていないシャルティアを他所に、アルベルトはその因果の果てを見据えていた。

 

「……MFが狙う、この地球の頭目が居るとすりゃ……限りなく近い位置に、奴が居るはずだ……ディリアン……!」

 

 



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第185話「女神は地に堕ち」

 

『それで、なのだが、交渉は決裂とでも?』

 

 こちらに繋いだディリアンの言葉振りには落胆も混じっている様子であった。

 

 キルシーは甲板上の《サードアルタイル》を一瞥し、まだ、と声を張る。

 

「まだ、終わっておりません……! リヴェンシュタイン様、まだ……私達ネオジャンヌは、やれます……!」

 

『しかし、先の王族親衛隊との交戦、我が方でも庇い切れなくなる。王族親衛隊とわたしは繋がっているのは言わずとも分かるだろう?』

 

「それは……」

 

 分かっている。ディリアンの身分上、王族親衛隊と矛を交えたと言う事実は単純に心象が悪いだけではない。

 

 どっちつかずの組織ならば解体してしまったほうがマシだと思うのが筋のはず。

 

「で、ですが……MF03、《サードアルタイル》の戦力は私達の側に……! これだけでも、充分な戦果ではないでしょうか!」

 

『《サードアルタイル》、裏切らない保証もないのだろうに』

 

「裏切りませんとも! あの時、御身を守ったのは何も間違いではないでしょう!」

 

 そう、ディリアンにはこの言葉が効くはずだ。

 

 実際、《ファーストヴィーナス》の奇襲を防いだのはファムの戦果。

 

 翻ってみれば自分の戦果でもある。

 

 あの時死んでいたのだとちらつかせれば、少しはまともな交渉の材料にもなってくる。

 

 ディリアンは通信網の先で舌打ちしたのが窺えた。

 

『……それなのだが、わたしが狙われたのだと言う確証もあるまい。MFはあの場に居る全員を虐殺するつもりでいたとすれば』

 

「だとしても! 私は皆さまの命を守り抜いたのです! これは勲章されるべきでは?」

 

『……君が本当に皆の命を守ったのかどうかは判定しかねる。《サードアルタイル》のパイロットは……万華鏡の妹君なのだろう? 彼女がもし、クランスコール令嬢としての権限を発動させ、その結果君が切り捨てられないとも限るまい』

 

「い、いえ! そんな事は決してあり得ません!」

 

『何故、言い切れる? 相手はMFのパイロットだぞ。何を考えているのか分かったものではない』

 

 そう言い詰められてしまえば、自分もファムを信じる以外に言えなくなる。

 

「……ファムは、クランスコール令嬢は私の親友です。裏切るなんて事は絶対に……」

 

『あり得ない、か。そう思っているのが君だけとも限らないだろうに。いずれにせよ、ネオジャンヌがこれから先も組織として成立させたいのなら、結果を見せてからにしたまえ。そうでなければ補給は不可能だ』

 

 ここで期待していた補給物資も受けられず、前回の損耗のままに戦えば、自分達は空中分解するのだと嫌でも分かる。

 

「どうか、一度の補給だけでも……! そうすればネオジャンヌは輝きます!」

 

『一度の補給と言うがね。その一度が禍根に成るのだ。もし、わたしがどこの馬の骨とも知れぬ第三勢力に情報と物資を横流ししていたなどと知れれば、要らぬスキャンダルを生む。お互いの腹のうちを守るためにも、これは必要な線引きだとも』

 

 必要な線引き――それは暗に、信用出来ないと明言されているようであった。

 

 拳をぎゅっと握り締め、キルシーは通信先のディリアンを睨む。

 

「……分かりました。では結果があれば、よろしいのですね?」

 

『……フロイト嬢? 何を言っているのか、分かっているのだろうな?』

 

「結果さえ示せば……私達への継続的な支援と! そして、この世界への叛逆を、承服していただいたと認識して、構いませんね?」

 

 詰めた声音にディリアンが通信先で息を呑む。

 

『……いいか? 要らない事はするな。余計な真似に出れば、自らの首を絞める事になる。それくらい、フロイト家の人間ならば分かるだろう? 貴族階級がどれほどに得難い特権なのかを、分かっているはずだ』

 

「ええ、ええ、リヴェンシュタイン様。要はこの世界は結果が全てにおいて優先されるのです。ならば……迷わない事だけが、その結果に繋がると言うのでしたら」

 

『……フロイト嬢。何をするつもりだ……?』

 

「見せて差し上げるのみです。《サードアルタイル》の、聖獣の力と言うものを」

 

 相手の声が返ってくる前に通信を切り、キルシーは身を翻していた。

 

 甲板上に佇む《サードアルタイル》に視線を投じてから、管制室を通じて声を巡らせる。

 

「傾注! これより、ネオジャンヌは不明勢力との交戦に入ります。狙うのは、レジスタンス艦、オフィーリア、そしてブリギット! 彼らは我が方との交渉を打ち切りました。よって、天罰を与えます!」

 

《エクエス》部隊が甲板上より飛び上がり、キルシーは手を払って号令する。

 

「かかる火の粉は払うべき……全軍、攻撃準備……! お姉様、私を見限った事、後悔させましょう。《エクエス》、標的を狙い澄ましなさい!」

 

 言い捨ててから、キルシーは管制室を後にしようとする。

 

「り、リーダー、どこへ……」

 

「どこへ? 決まっているでしょう。《サードアルタイル》と……ファムと話してくるのよ。彼女は私の唯一の理解者。《サードアルタイル》による攻撃を講じるわ。それで決着が付く。……ええ、そう……決着なら、もう付いているのよ」

 

 そう自分に言い聞かせ、爪を噛んだキルシーは甲板上を突き抜けていく潮風を浴びていた。

 

 先刻の王族親衛隊の攻撃でヘカテ級戦艦にはところどころ銃痕が生々しく穿っている。

 

「……ファム! 私を上に!」

 

「ミュイぃぃぃ……キルシー……?」

 

「寝ていたの? 今は戦闘警戒なのよ。ちゃんとしてちょうだい」

 

 こちらの怒気にファムは縮こまる。

 

「み、ミュイ……キルシー、こわいよ……」

 

「あっ……ごめんなさいね、ファム。あなたを怖がらせるつもりはなかったの。ただ……ちょっと邪魔な相手が居るものだから。あの艦を黙らせてもらえるかしら?」

 

 指差した先のオフィーリアに、ファムは寝ぼけ眼を擦って応じる。

 

「でも、バーミットたちがいるよ?」

 

「……いいから、やるのよ。お姉様は私の気持ちを踏みにじった。裏切ったのよ。そして裏切り者には死を……!」

 

「でも、かれもいるし、アルベルトも、みんないるから、ファム、できない」

 

「出来ない? 出来ないって言ったの? ……ファム、あなたの力に誰もが期待している。この世界の誰もが! あなた相手に無関心ではいられない! それほどまでの力を有しているのよ! ……誇っていいわ、ファム。あなたはたった一人の、私の親友なのだもの……」

 

 ファムの豊かな銀髪を抱き留めるが、彼女はどこかピンと来ていないようであった。

 

「でも、できない」

 

「お願いだから、言う事を聞いて、ファム。私はあなたを信じている。オフィーリアとブリギットを沈めるくらい、わけないはずよね? あなたのさっきまでの力を見せつけてあげて? そうすれば、お姉様も、リヴェンシュタイン様も、世界でさえも……私相手に無関心なんて決め込めない! ただの貴族の娘だからって、嘗めた口なんて叩けないはずなのよ!」

 

「み、ミュイ……でも、ファム、したくない。やりたくないよ、キルシー」

 

「どうして? さっきは出来たじゃない。あれと同じ事をやればいいのよ。《ファーストヴィーナス》を倒した時と同じ。抵抗するものを叩きのめすだけ」

 

「あれは、いちばんめがキルシーをあぶないめにあわせたから。いまは、ファムはみんながだいじ。だから、みんながいるところにはこうげきしない」

 

「攻撃しない? 出来ないって言うの? 私のお願いを、聞けないって言うの?」

 

「ミュイぃぃぃ……そんなこといわれてもこまるよ、キルシー……」

 

「――そう」

 

 パンと、一撃。

 

 その頬を叩いてやる。

 

 これで少しは目が覚めただろう。

 

 自分がこの世界を救う革命の乙女である事を、ファムは自覚すべきなのだ。

 

 そのための汚れ役ならば買って出る。

 

 何をされたのか、ファムは理解していないように、頬をさすっていた。

 

「キル、シー……?」

 

「出来ない、したくないじゃ、世界は変えられない。もう、転がり出した石なのよ。《エクエス》は全軍、オフィーリアに向かって攻撃を仕掛ける。あなたの力添えがなければネオジャンヌは空中分解してしまうわ。お願いよ、ファム。《サードアルタイル》を使ってみんなを守って」

 

 しかし、ファムはこちらの言葉など聞こえていないように、目を潤ませ涙を伝わせていた。

 

「いやっ……いや――っ!」

 

 それは世界を震わせる慟哭。

 

 キルシーは《サードアルタイル》が虹色の血脈を滾らせたのを感じ取っていた。

 

「それでいいのよ! ファム! あなたの力が、一撃が! 世界を変える……!」

 

 しかし、波打った虹の皮膜は誰でもない――ヘカテ級戦艦を押し潰そうとする。

 

 想定外の事象にキルシーは目を見開いていた。

 

「ファム? 何をやっているの? 攻撃の方向性が逆よ? オフィーリアを攻撃なさい! あれは私達の敵なのだから!」

 

 言い聞かせる自分に対し、ファムは癇癪を上げて泣きじゃくる。

 

「いたいのいや、こわいのいや、しんじゃうの……とってもいやーっ!」

 

《サードアルタイル》の拡大化させた虹の皮膜がヘカテ級を押し潰さんとする。

 

『リーダー? このままでは、ブリッジが粉砕します! 《サードアルタイル》を止めてください!』

 

「分かって……分かってる! ファム! やめなさい! このままじゃ、私のネオジャンヌが……!」

 

「いやっ! いや――っ!」

 

《サードアルタイル》のコックピットが色彩を放出し、次の瞬間、キルシーは弾き飛ばされていた。

 

 コックピットより落下するのを誰かが止めてくれるわけでもない。

 

 不格好に甲板上へと落下し、キルシーは呼吸が出来なくなっていた。

 

「い、痛い……誰か……足の骨が……」

 

 振り仰いだキルシーは地獄の光景を目の当たりにしていた。

 

 波打った《サードアルタイル》のパーティクルビットが、強襲をかけようとしていた《エクエス》を絡め取り、次々とその挙動を奪っていく。

 

『何が……MFの攻撃……? リーダー! どうなって……!』

 

 虹色の腕に押し潰されていく構成員達の悲鳴を聞きながら、キルシーは立ち上がろうと必死になったが、誰も助けてくれないまま甲板を這いつくばる。

 

「ああ、シンディ……助けてよ、シンディ……いつも、いつもそうだったでしょう、あなたは……。ねぇ、私の手を引いて……シンディ――」

 

《サードアルタイル》の極大化した波がヘカテ級を押し潰し、直後には断末魔がインカムを劈いていた。

 

「私、は……世界を変える、革命の乙女、……女神になるために……何だって、何だって犠牲にするのに……何でぇ……っ……。世界は、応えてくれないの……?」

 

 爆炎が舞い散る甲板でキルシーは涙声で這いながら、手を伸ばす。

 

 直上の《サードアルタイル》が浮遊し、ヘカテ級を離れた瞬間、その瞳は天使の羽根を幻視していた。

 

 空より舞い降りる、革命の天使が、炎を纏わせて虹色の翼を押し広げる。

 

「ああ……なんて、綺麗な……女神様の御姿……」

 

 直後、《サードアルタイル》の引き起こした風圧がヘカテ級戦艦を容易に吹き飛ばしていた。

 

 



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第186話「愚者は天を仰ぐ」

 

『何が起こったの?』

 

 レミアの繋いだ通信網に、ユキノは《アイギス》のコックピットの中で怒鳴り返すサルトルの姿を捉えていた。

 

『分かりません! ですが……モニターする限りじゃ……あいつら、自滅したって言うのか……?』

 

「サルトル技術顧問! いつでも出られます!」

 

 こちらの声に、サルトルの代わりにトーマが接触回線を響かせる。

 

『今は駄目っすよ! 混戦になるっす! 状況が晴れてから、改めて出撃要請を出しますから……!』

 

「そんなの待っていたら轟沈してしまう! ユキノ・ヒビヤ、迎撃行動に移ります!」

 

《アイギス》を無理やり立て直し、ユキノはカタパルトへと移動していた。

 

 無重力と違い、流れるように移送する事は出来ない。

 

 歯がゆさを覚えていると、格納デッキで肩を並べていたのはダビデの《レグルスブラッド》と、それに随伴される形での灰色の躯体――。

 

「《ネクロレヴォル》? まさか、本当に出すって言うんですか!」

 

『ユキノ・ヒビヤ。そちらの言いたい事は分かる。だが、今は一手でも戦力が欲しい。馬鹿げていても、承認して欲しい』

 

 ダビデの声は平時の落ち着きを伴わせているが、それでも自分の中でも納得がいっていないのは窺えた。

 

「……艦長達の、作戦だと思っていいんですか」

 

『責任は私が取るわ。ユキノさん、《ネクロレヴォル》を先行させてちょうだい』

 

 分かっている。判断は正しい。

 

 もしもの時に後ろから撃てるようにしておけと言っているのだ。

 

「……了解」

 

『《ネクロレヴォル》をリニアボルテージへ! 反応、これまでの奴とは違うぞ! 重力戦線を心得ておけ!』

 

 サルトルの滑り落ちていく声を聞き留めつつ、ユキノはコックピット越しに《ネクロレヴォル》を見据える。

 

「……撃つべき敵が、味方に成ったって言うのは……楽観視し過ぎかしらね」

 

『ゴースト、スリー。《ネクロレヴォル》、出撃する』

 

 まるで言葉の表層にも迷いなんて浮かべない、死者のままで《ネクロレヴォル》が先行する。

 

 続いて出撃姿勢に入ったのはダビデだ。

 

「……編成では私が最後尾か」

 

『……ユキノ嬢、理解してくれとは言わないっすよ……』

 

「飲み込むしかないのでしょうね。今は、小隊長だって出られないんだし、クラードさんはもっと……。私達で、艦を守らないと」

 

『ダビデ・ダリンズ、《レグルスブラッド》、攻勢に移る』

 

 青い電流を迸らせて出陣したダビデの機体の背中を見据えて、ユキノは地球重力圏の重さを丹田に受け止める。

 

「……重いわね、地球の重力って言うのは」

 

『《アイギス》、発進どうぞ』

 

「了解……。ユキノ・ヒビヤ。行きます!」

 

 胃の腑に押し付けられる重力を感じつつ、《アイギス》が宙を舞う。

 

 驚いた事に、敵勢と思しき《エクエス》の半数以上が既に迎撃されていた。

 

「敵の損耗率が高い? まさか、モルガンからの攻勢?」

 

『いや、これは……やはり自滅のようだ。《サードアルタイル》……か』

 

《エクエス》を絡め取っていく虹色の光が拡散し、叫びにも似た高音域の咆哮を滾らせ、聖獣が屹立する。

 

 思わず銃口を向けた自分にダビデは制していた。

 

『いや、待て。あれの中に乗っているのは、交渉の時と同じならば、敵の首魁のはず。生け捕りにしたほうが優位に進む』

 

「ですけれど……! 撃って来るって言うんなら!」

 

『待てと言っている。《ネクロレヴォル》のパイロットも分かっているな? ここで下手を打てば、モルガンとて無事では済まないぞ』

 

『……それくらいは承知済みだ』

 

 眼前まで迫った《サードアルタイル》は圧巻の一言であった。

 

 月のラグランジュポイントに位置し続け、そしてダレトの守護をこの数十年間、守り通してきた存在は、自分達の操る機械の塊とは別格だ。

 

「……まさに、聖なる獣……」

 

 感嘆の息を漏らしたユキノはコックピットが開け放たれているのを発見する。

 

「待って……あれは……ファム、ちゃん……?」

 

『知り合いのようであった。艦長達も……』

 

「どうして……? 何でMFにファムちゃんが……」

 

 最大望遠で観測した相手は見間違えようもない。

 

 銀髪を下方より流れてくる強風に晒し、ところどころで炎が燻ぶる戦場で、ファムは涙を流している。

 

「一体何が……何があったの? ファムちゃん!」

 

『広域通信は迂闊だぞ! ユキノ・ヒビヤ!』

 

 しかし、呼びかけずにはいられない。

 

 ファムが聖獣に乗っている事も不明ならば、それを手足の如く動かしている事も不明瞭だ。

 

 その時、ファムの声を通信域が拾い上げる。

 

『……いたいの、いやぁ……っ、こわいの……もっといやぁ……っ! しんじゃうの、いや――っ!』

 

 その声を引き受けたかのように、《サードアルタイル》を中心軸にして風圧が嬲る。

 

 虹色の波に触れただけでも、《アイギス》の躯体が震撼したのが伝わった。

 

「……恐怖している? MSでは……MFに勝てないって言うの……?」

 

『……情けない話だが、こちらも同じものを感じている。聖獣相手に、現行のMSでは手が届かないとでも言うのか……!』

 

 ダビデの悔恨が噛み締められる中で、《ネクロレヴォル》の挙動をユキノは観察していた。

 

 その照準が迷いなく、コックピットのファムに向けられたのを関知したユキノは、思わず割って入る。

 

「何を……! どういうつもりで……!」

 

『見えていないのか? あれはコックピットを晒している。千載一遇の好機だ。今ならば、聖獣のパイロットだけを無力化出来る』

 

「それは……! それはでも、看過出来ない! ファムちゃんを殺させるわけにはいかない!」

 

『だが、あれはたくさん殺してきたぞ』

 

 その冷酷なる言葉が、脳内に沁み渡っていく。

 

《サードアルタイル》の波打つ攻撃によって《エクエス》部隊はほとんど壊滅状態だ。

 

 その多数がアステロイドジェネレーターを封殺され、海面に叩きつけられるようにして撃墜されている。

 

「……ファムちゃんが望んでやったわけがない」

 

『何故、そう言い切れる? あれは聖獣のパイロットだ。“夏への扉事変”を思い出せ。あれがどれだけの人間を殺してきたのか、知らないわけがあるまい』

 

「それは……」

 

 正論だ。

 

 真っ向からの正論に、成す術がない。

 

 聖獣は――MFはこの世界にとっての敵。

 

 滅ぼさなければいけないはずだ。

 

 しかし、それを知ってもなお――。

 

『ユキノ・ヒビヤ! 何をしている!』

 

 ダビデが驚嘆の声を張り上げる。

 

 気づけば、ユキノは《サードアルタイル》を庇うように、《アイギス》の四肢を広げていた。

 

「……撃たせない。撃たないで……」

 

『分かっているのか? それは世界への裏切り行為だ』

 

「……今さらじゃない。私達は世界に叛逆するために存在している。だったら……見知った女の子一人、守れないでどうするって言うのよ……」

 

 こう着の時が行き過ぎる。

 

 こうしている間にも、後ろから自分は《サードアルタイル》の放つ波に呑まれ、自滅するかもしれない。

 

 それでも――かつてのベアトリーチェでの日々を、嘘だと思いたくないだけの、これは我儘だ。

 

 ユキノは瞼を閉じて、その時を待っていた。

 

 誰からともなく、終わりはやって来るだろうと。

 

 しかし、《ネクロレヴォル》からの銃撃も、《サードアルタイル》からの攻撃もやって来なかった。

 

『……ミュイ……』

 

「ファムちゃん……?」

 

 ファムは涙を拭いつつも、自分を真っ直ぐに見据えて声を発する。

 

『ミュイ……しんじゃうのは……やだよ……』

 

「大丈夫、死なないわ。だって、私はあなたが……デザイアに落ちて来た時から知っているもの。あなたは私達の天使でしょう?」

 

『ミュイ……それ、いってくれるひと、ひさしぶりぃ……』

 

 先ほどまで泣き喚いていたのに、今度は慈愛の籠った微笑みを浮かべる。

 

 まるで赤子のそれだが、どうやら落ち着いてくれたらしい。

 

 ユキノは《アイギス》のマニピュレーターを伸ばしていた。

 

「……こっちへ。あなたが居るべきなのは、そんな怖い場所じゃない」

 

 応じてくれるかどうかは分からない。それでも、ファムの言葉を信じるのならば。

 

 あの日、自分達へと落ちてきた天使を、今一度と思うのならば。

 

『アルベルト……クラードは、いる?』

 

「ええ、居るわ。クラードさんも、小隊……ヘッドも、みんな。みんな、こっちに居る……」

 

『ミュイぃぃぃ……じゃあ、そっちにいく……』

 

 おっかなびっくりにコックピットから飛び移ろうとするファムを、《アイギス》の両手が抱える。

 

 その途端、《サードアルタイル》から光が失せていた。

 

 虹色の血脈が消え、まるで人形のように項垂れたかと思うと、真っ逆さまに海中へと没する。

 

 それを誰ともなく、眺めていた。

 

『……さんばんめ、おっことしちゃった』

 

 それでも、ファムは何でもないように口にする。

 

 ユキノはこの場での判断を求められているのを感じ、通信網に声を響かせる。

 

「こちら、ユキノ・ヒビヤ。……《サードアルタイル》は無効化しました。ファムちゃんを……回収。敵勢は……向かってくる気配もなし。作戦の続行を問います」

 

 だがこれでよかったのだろうか。聖獣の最後がまさか海の底へと沈んでいくなど世界中の誰も予想出来ないだろう。

 

『こちら、管制室。ファムを確保出来たって言うのは、今だけは吉報として受け取りましょう。艦長、いいですよね?』

 

『……ああ、もうっ。あなた達はいつだって、こちらの想定外を行くんだから。そのまま、部隊は帰投。敵の奇襲も削いだって言うんなら、あまり前に出しておく旨味もないわ。《ネクロレヴォル》も……』

 

「まって。こわいのがくる……」

 

「ファムちゃん? 来るって……」

 

 天上を仰ぎ見たファムの視線の先を追ったユキノは、こちらへと赤色の光を伴わせて降下してくる大気圏突破カプセルを認めていた。

 

「シグナル不明……? 一体何が……」

 

 カプセルが装甲を弾き飛ばし、内側に燻ぶる真紅の機体を晒し出す。

 

 それは、邪悪なる赤銅の輝きを帯びて――。

 

『大気圏をひとっ飛びってワケだ! それもこれも、てめぇらを追うって言う大義名分だって言うんだから、笑わせるぜ!』

 

 響き渡った声と、機体識別照合にユキノは身構える。

 

 交錯の一瞬、アンカー装備が《アイギス》の動きを封殺していた。

 

「こいつ……確か前回現れた……《ヴォルカヌス》……!」

 

『憶えてもらって光栄だねぇ! 女ァ……ッ!』

 

『こいつ! 敵勢か!』

 

 ダビデの《レグルスブラッド》がすかさずミラーヘッドを起動させ、応戦の銃撃網を見舞うが、《ヴォルカヌス》は赤銅のミラーヘッドを盾にしてそのまま《レグルスブラッド》へと肉薄する。

 

 加速した一瞬、その手がミラーヘッドの中核を掴み取っていた。

 

『――貰うぜ、その心臓……!』

 

 それはまさにガラスが砕け散るかのように。

 

《レグルスブラッド》のミラーヘッドが一瞬にして無効化される。

 

『何だと……《レグルスブラッド》のミラーヘッドは、オーダーを通した正規品だと言うのに……!』

 

『いつまでも正規非正規言ってるから、てめぇらは俺に追いつけねぇ』

 

 大剣が《レグルスブラッド》の無防備な躯体を叩きのめす。

 

 咄嗟に《ネクロレヴォル》が応戦に出ようとしたが、その迷いの銃口を読んだのか、《ヴォルカヌス》はミラーヘッドの段階加速を経て跳ね上がる。

 

『騎屍兵がそっちに付いているとは驚きだな。ってもまぁ、情けねぇ機体で俺を墜とせるかよ! なまっちょろい!』

 

《ヴォルカヌス》のアンカー装備が《ネクロレヴォル》を翻弄し、隠し腕に搭載したビームタレットが《ネクロレヴォル》の攻勢を削いでいく。

 

『さて、と。スポンサーからは《サードアルタイル》の奪還と聞いていたんだが、随分と戦場の様相は違うじゃねぇか。《サードアルタイル》は水没、そんで対抗勢力は自滅か。どれもこれも、つまらねぇ戦場だなァ、おい!』

 

《ヴォルカヌス》が加速度を帯び、《アイギス》へと追いつこうとする。

 

 ファムを抱えている以上、ミラーヘッドの段階加速も、ましてや推進剤をまともに使う事も許されない。

 

「どうにか……格納デッキまで帰還出来れば……!」

 

『――遅ぇ』

 

 それは冷徹な響きを伴わせて。

 

 残酷な現実の色調が、《アイギス》を縫い止めていく。

 

《ヴォルカヌス》の操った大剣が分身体を構築し、それぞれが自律兵装の如く空間を奔って《アイギス》を射抜いたのである。

 

 完全に無力化された《アイギス》がその手からファムを取りこぼしかける。

 

「……駄目……っ!」

 

 慌てて姿勢制御にインジケーターを振ろうとしたが、その時には既に、よろめいたファムはマニピュレーターから身を躍らせている。

 

 落ちていくファムを《ヴォルカヌス》が回収しようと回り込む。

 

 恐らくは自分も撃墜するのだろう。

 

『パッケージの引き渡し感謝するぜ。じゃあ死ねやァ――ッ!』

 

 その剣が両断の太刀を滾らせたのだと、そう確証していた。

 

 誰が救いに来ると言うのか。

 

 この極地に。

 

 絶望の淵に。

 

 しかし、ユキノの絶望の耳朶を打ったのは、熱源警告であった。

 

 途端、ミラーヘッドの段階加速を経て《ヴォルカヌス》の機体を突き飛ばしたのは、見知った機影である。

 

「……《マギアハーモニクス》……? ヘッド……?」

 

 否、その戦い振りで分かる。

 

 加速度にかかる荷重をまるで無視した機動と、そして《ヴォルカヌス》相手に果敢に攻め立てる動きは、何度も目にしてきたはずだ。

 

「……まさか、クラードさん……?」

 

『離れろよ、クソッタレがァッ!』

 

《ヴォルカヌス》の腕からファムを奪い取り、そのまま急上昇に移ろうとした《マギアハーモニクス》だが、ビームタレットの追撃と、追尾性能を誇る大剣のミラーヘッドを全身に纏い、今にも空中分解寸前であった。

 

『退き際が潔くねぇのはいただけねぇなァ! ここで墜ちろよォ!』

 

《ヴォルカヌス》が大剣を下段に構え、直上の《マギアハーモニクス》へと狙いを付ける。

 

《マギアハーモニクス》はスパーク光を散らせながら、ファムを抱え、《ヴォルカヌス》の太刀筋を中枢に受けていた。

 

 折れ曲がった疾駆が溶断され、ファムの身体が宙を舞う。

 

 ユキノは中空で弾け飛んだ《マギアハーモニクス》の装甲の中に、身を躍らせた白衣姿のクラードを認めていた。

 

「……どうするって言うの……」

 

 ライドマトリクサーとは言え、ただの人間の身でMS相手に抗えるはずもない。

 

《ヴォルカヌス》の手が迫る中で、クラードがこの戦場に声を響かせていた。

 

『――来い! 《ダーレッドガンダム》!』

 

 その声が世界を満たすのと、空間転移してきた《ダーレッドガンダム》が《ヴォルカヌス》と相対したのはほぼ同時。

 

 互いにレヴォルタイプの鋭い双眸を交わしたのも一瞬、鋼鉄の頭蓋をぶつけ、《ヴォルカヌス》から一瞬の隙を奪った《ダーレッドガンダム》はその手を伸ばす。

 

 風に銀髪を煽られるファムへと《ダーレッドガンダム》はそのマニピュレーターで受け止め、コックピットへと招く。

 

『ユキノ、遅くなった。すまない』

 

「そ、それは……いいんだけれどでも、クラードさん。《ダーレッドガンダム》はまだ修繕が……」

 

『手負いで俺に立ち向かうたぁ、いい根性しているじゃねぇか! このまま断ち切ってやるよ! ガンダムッ!』

 

《ダーレッドガンダム》の修繕状況は戦闘継続可能にはまるで見えない。

 

 機体が爆散しないように仮縫いで設えられた包帯を風圧になびかせ、《ダーレッドガンダム》は即席のビームサーベルで打ち合う。

 

《ヴォルカヌス》の機体追従性には及ばず、そのまま弾き飛ばされかねないが、《ダーレッドガンダム》の特殊兵装が鉤爪を現出させていた。

 

『……俺は死ねない。死ねない理由がある。だから――応えろ、《ダーレッドガンダム》! 俺達は、まだ終われないはずだ!』

 

 鉤爪の兵装を掲げ、《ダーレッドガンダム》は次の瞬間、虹色の輝きを帯びていた。

 

 その正体を看破する前に、鉤爪と大剣が絡み合う。

 

 直後に視界に入った現象に、ユキノは絶句する。

 

「……嘘、でしょう……。一瞬で、修復した……?」

 

《ダーレッドガンダム》は先ほどまでの手負いの状態から一転、完璧な整備が施された状態へと変移していた。

 

 その現象を解き明かす前に大剣を弾き返し、《ダーレッドガンダム》は拡散重力波を《ヴォルカヌス》に向けて放出する。

 

『クソがァッ! 分からねぇ事態を起こしやがる……!』

 

『俺は俺の信じる事を……全うするまでだ……!』

 

 刃を交わす二機相手に、ここに居る誰もが介入出来ないでいた。

 

 一体何が起こっていると言うのか。

 

 そして、どうしてクラードは復活したのか。

 

「……一体何が……《ダーレッドガンダム》……」

 

 



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第187話「抵抗の消失点」

 

 堕ちてくるのも慣れるもので、ああ、ここは煉獄なのだな、とクラードは意識する。

 

 そして、自分の後ろに超越者を気取っているであろう、老人の事も。

 

「……俺は、また手痛い損耗を受けたらしい」

 

「今回ばかりは、七番目の使者の力があまりにも強大であった。お前がうろたえるのも分からないわけでもない」

 

 クラードは真っ白な世界で老人と向かい合う。

 

「……ここに来て、ようやく思い出す。この世界を牛耳る存在、“夏への扉事変”の真実。そして……聖獣達の意義、か。教えてくれ。俺はそいつらを倒さなくてはいけない。何故、情報を与えないんだ?」

 

「それが致命的な間違いに繋がりかねないからだ。エージェント、クラード。お前は力だけを望んでこの世界に舞い戻った。ならば、力だけを信じて戦うがいい。この世界が焼け落ちるその日まで」

 

 確かに、自分は力を望んだ。その結果として、《ダーレッドガンダム》の開いてはならない扉を開いてしまったのならば、それは自分の罪だ。

 

「……だが、俺は知っている。先の戦いで、ここに居たな? ――レヴォルの意志」

 

『“誤魔化しは利かないようだ”』

 

 声そのものはレヴォルの意志。だがその実は違う。

 

「お前は……《レヴォル》じゃないな?」

 

『“そちらが定義したレヴォル・インターセプト・リーディングの在り方とは異なるかもしれないが、こちらも世界を暴く機能を有している。何ら、問題はあるまい”』

 

「ミラーヘッドのオーダーをすり抜け、そして今も、不明なる現象を引き起こす。……お前は何だ?」

 

『“いずれ辿るこの世界への諦観の道。それは戦いの終焉を刻む”』

 

「世界を見下ろすとでも言うのか。絶対者のように……」

 

「エージェント、クラード。お前は舞い戻らなければいけない。世界へと、その罪過を抱えたままで」

 

「……罪、か。だが俺は罪に足を引きずられるようなつもりはない。……まだあるだろう、この機体の力は」

 

 老人が眼を細め、やがて声にする。

 

「そこまで分かっているのならば話は早い。ファム・ファタールを知っているな?」

 

 意想外の名前にクラードは僅かにうろたえていた。

 

「……どうしてファムの名前が出てくる」

 

「彼女はMF、《サードアルタイル》を動かすに足る存在だ」

 

 この白の空間では無為に驚嘆するような時間さえも惜しい。

 

「……そうか」

 

「驚かないのだな」

 

「どうせ、ここでの記憶は持ち越せない。なら、俺は煉獄の炎に焼かれながらでも、真実に手を伸ばすまでだ。それがたとえ、現世では意味なんてなくっても。俺は俺の出来る事を全うする」

 

「力への求心力だけでは動かない、という事か」

 

「……力だけでは、誰も救えない。俺は自分を切り捨ててもいい。それ以上を所望する」

 

 老人は手を広げ、風に白髪と白髭をたなびかせる。

 

「力だけを望まぬ強欲か。だがそれもよかろう。お前にはもっと相応しい地獄をくれてやる。その地獄で踊るか、それとも地獄から這い上がるかはお前次第だ」

 

 老人の瞳が逆三角形の紋様を帯びて真紅に輝く。

 

 クラードはその瞬間、左目に疼痛を感じていた。

 

「エージェント、クラード! その肉体が消え失せるその日まで、我が力はお前の力である! 生き永らえろとも、まして死ぬなとも言わない。だが自分の語った言葉にだけは、裏切るな。それは自らへの絶望に繋がる」

 

「言われなくとも」

 

 顔を上げたクラードは拳を骨が浮くほどに握り締める。

 

 爪が食い込み、滴ったのは蒼い血液――ミラーヘッドの色彩。

 

「俺は――世界へと叛逆するために、手段は選ばない。戦いはこれからだ」

 

「よかろう! ならば舞い戻るがいい! 地獄の戦場へと!」

 

 その言葉と共に黒白の彼方へと意識の消失点が追いやられていく。

 

 目を醒ましたその時には、緊急医療カプセルのブザーを無視して、上体を起こす。

 

 ずっと付いていたのか、ヴィルヘルムが大慌てで押し入ってくる。

 

「……クラード……まさかこんなに早く目を醒ますとは……」

 

「状況をくれ。戦いはまだ終わっていないはずだ」

 

「あ、ああ……だが、今は戦局がこう着していて……何とも言えないんだ。まずは身体を万全にするところから――」

 

「それなら心配はない。俺は出られる」

 

 黒いインナーを纏い、白衣へと袖を通す。

 

 ヴィルヘルムはあまりにも無謀だと判じたのだろう。汚染深度の検査器具を持って歩み寄る。

 

「……待て、待つんだ、クラード。船医として……何よりもお前をよく知る人間として、今は行かせられない。このまま死にに行けと言えると思っているのか?」

 

「ヴィルヘルム、俺は死ねない。だから、行くしかない、通してくれ」

 

 その肩を引っ掴み、制そうとして彼は唾を飲み下す。

 

「……クラード。お前……傷口が……」

 

 前回の《ラクリモサ》との戦闘で負った傷口を上塗りするように蒼い血潮が覆っている。

 

「……何が起こった? お前に、一体何が……」

 

「後にしてくれ、ヴィルヘルム。《ダーレッドガンダム》で出撃する」

 

「クラード! ……お前とアルベルト君を見ている身だ。そんな言葉に耐え切れると思って……」

 

「……そうか。なら、仕方ない」

 

 クラードは額で弾ける思惟を飛ばす。

 

 途端、ヴィルヘルムは糸が切れた人形のようにぱたんと倒れ伏していた。

 

「これ、は……思考拡張、なのか? ……こんなに強い……」

 

「ヴィルヘルム。悪いとは思っている。だが、俺はここで止まれない」

 

 医務室を出る間際に、ヴィルヘルムが今にも閉じ行く意識を保とうと、声を張り上げる。

 

「クラード! ……お前は、あの時……テスタメントベースで何を手に入れた……! 何に成ろうとして、いる……」

 

「それは俺も不明のままだ。だが……間違いないのは一つだけ。俺は、俺が求めるよりも多く、全てを取り戻すための力が必要だ。そのためなら――迷いは振り切ろう」

 

 ヴィルヘルムが意識を失う。

 

 医務室から出るなり、地球重力に晒された躯体であったが、思ったよりも負荷は少ない。

 

「馴染んでくれているのか……俺の肉体が」

 

 何度か手を握り締め、今も混迷の只中にある格納デッキへと踏み出していた。

 

 こちらを認めるなり、サルトルが仰天する。

 

「まさか……! おい、幽霊じゃないだろうな……」

 

「本人だよ。……《ダーレッドガンダム》で出る」

 

「無理だ、許可出来ない! それに修復の目処だって立っていないんだ」

 

「現状は? モルガンからの敵勢が気にかかる」

 

「いや……そんな事も言っていられなくなった。クラード、説明すると長くなるから色々と省くぞ。――モビルフォートレスだ」

 

 その言葉にクラードはタラップを駆け下りるなり、サルトルの肩を掴む。

 

「……事実か?」

 

「ああ。それも……何だってこんな事に、なっちまっているんだって話なんだが……」

 

 濁すサルトルにクラードは語気を強める。

 

「敵が何であろうと、それがMFであると言うのならば、俺は元からの目標に従い、殲滅する」

 

「そうも言ってられないんだよ! ……MF03、《サードアルタイル》のパイロットは、ファムだ」

 

「……何だと?」

 

 一瞬、信じ難い名前が耳朶を打ったのを感じ取り、聞き返す。

 

 サルトルは心底参ったとでも言うように、肩を竦めていた。

 

「……ベアトリーチェで一緒に居た、あのファムさ。第三勢力、ネオジャンヌ、と名乗っていたか。その主戦力として徴用されている」

 

「……何で、ファムが……《サードアルタイル》だと」

 

「おれ達にもまるで分からないんだ! ……そんな混迷の戦場にお前を寄越すわけには……」

 

 確かに、自分が赴いたところで混乱の種を撒くだけなのかもしれない。

 

 しかし、今出撃しなければ自分は後悔するだけだろう。

 

「……なら出撃出来る機体をくれ。《マギア》でもいい」

 

「どうするつもりなんだ、クラード!」

 

「……戦闘状況に割って入り、戦局を見極めて奇襲する。そうすれば、如何にMFであろうと一拍の隙が生まれるはずだ」

 

「まさか、撃墜するって言うのか? 相手はファムなんだぞ!」

 

「……どこまで真実でどこまで嘘なのかがまるで分からない。俺は、俺の目と耳で、本当だけを知りたい」

 

「クラード……。でも、お前、そんな身体で……」

 

「ヴィルヘルムからの許可は取り付けた。出られる機体をくれ、サルトル」

 

 こちらの詰めた声音に、サルトルは長年の眼差しを交わし合う。

 

「……本気、なんだな? 言っておくが王族親衛隊だってどう動くかまるで分からん。……死にに行くようなものだぞ」

 

「構わない。それに、俺は死ねない。安易に死にに行くのとは、違ってくる。全てを取り戻し、全てをこの手に奪還する。それまで、俺には容易い死さえも生ぬるい」

 

 サルトルは諦観の息をつき、インカムに声を吹き込む。

 

「……空いていたアルベルトの《マギアハーモニクス》を充てる。修繕作業、出来ているな!」

 

「でもこれは……ちょっとマジに浮つくっすよ!」

 

 トーマの声と共に奥底に仕舞われていた《マギアハーモニクス》が引き出されていく。

 

 コックピットハッチが開くなり、クラードは白衣を翻していた。

 

「……クラードさん。このまま出るとして、戦場は泥沼っす。帰って来られる保証は……」

 

「充分だ。《マギアハーモニクス》でミラーヘッドの段階加速を経て強襲。そこから先は――」

 

「出たとこ勝負、っすよね。……戦果に期待するッす」

 

 心得ているトーマの声を受けて、クラードはサムズアップを寄越し、《マギアハーモニクス》の操縦桿を握り締める。

 

 久方ぶりのマニュアル操作のMSを手に馴染ませ、移送されていく戦場の空を眺めていた。

 

 虹色の波がのたうち、《エクエス》が次々に海面へと没していく地獄のような戦域が視野に入る。

 

 それでも、止まるわけにはいかない。

 

『クラード? 起きたの?』

 

 管制室からのレミアの直通通信に、クラードは声を返していた。

 

「……レミア。俺を止めようって言うんなら」

 

『……分かっている。起きたのならば、あなたは自らの任務に、忠実でしょう。それにカタパルトまで出た以上、狙い撃ちにされるよりかは出撃させたほうが賢明だし』

 

「……すまないな。俺の我儘だ」

 

『今さらよ。それに……その我を通すって言うところも、委任担当官に少しばかり分けてあげたいくらいだわ』

 

「……カトリナ・シンジョウは? どうなった?」

 

『……今は、保留でも』

 

「ああ、構わない。しかし、俺が従うのはあくまで委任担当官の命令だ」

 

『そうね。……あの子のトリガーになったのだもの。もう彼女とあなたの領域なのはよく分かっているつもりよ』

 

「もう出撃する。レミア、お前のトリガーであり続けるつもりだった」

 

『何よ、それ。言っておくけれど、こんなところで死ぬなんて、絶対に許さない……』

 

 未練じみた言葉にクラードは、いや、と応じる。

 

「……俺もお前のトリガーとして、生を全うするつもりだ。ここで燃え尽きるなんて愚の骨頂を犯すはずがない」

 

『そう……出撃許可を下します。クラード、生きて』

 

 それは願いの結実であったのかもしれない。

 

 MFが舞うこの戦場で、生きろなんてどだい無理な願望だ。

 

 だが願う事だけが、信じる事だけが、人間に出来る唯一の抵抗だと言うのならば――自分はその叛逆を叶えよう。

 

「エージェント、クラード。《マギアハーモニクス》、迎撃宙域に先行する!」

 

 リニアボルテージの青い電流がのたうち、出撃機動に入った《マギアハーモニクス》はすぐさまコード、マヌエルを執行させる。

 

「マヌエル、起動。ミラーヘッドの段階加速、開始。敵陣に突っ込むぞ……!」

 

 水色の円環が浮かび上がり、クラードは加速度を上げて敵機の集中する空域へと割り込んでいた。

 

 直後にもたらされる機体照合に驚嘆しているような間も惜しい。

 

「《ヴォルカヌス》……ここでも来るか」

 

 だがそれよりも今は強襲されている先行部隊の掩護だ。

 

 割り込むなり、クラードは本能に近い領域で《ヴォルカヌス》の手から奪い取る。

 

 その姿は見間違えようもなく――。

 

『……クラード……クラード……!』

 

 それは叛逆の火が燃え盛った落日の日と同じ呼び声。

 

 長い銀髪を風圧になびかせ、ファムを抱えた瞬間には、直下より襲いかかった剣閃が機体を両断していた。

 

《ヴォルカヌス》の太刀を相手に《マギアハーモニクス》では勝利出来るはずもない。

 

 ――ならば、どうするか――。

 

 絶対絶望の彼我に居ながら、いやに醒めた思考回路は最適解を編み出す。

 

 脳裏に突き立った電流の感覚。額で弾け飛ぶ思考拡張。

 

 呼び声は、一つ。

 

「――来い! 《ダーレッドガンダム》!」

 

 その刹那には、《ダーレッドガンダム》の躯体が位相空間を跳躍し、自分の姿と重なり合って、その一部へと組み込まれている。

 

 しかしサルトルの言う通り。

 

 戦えるようには出来ていない。

 

《ヴォルカヌス》の頭部と頭蓋を衝突させて出端を挫くのが精一杯だ。

 

 それでも、抗いを講じるのに、この鎧は最適である事だけは明瞭である。

 

「今の状態では勝てない、か。ならば――勝てる状態にしてやればいい。出来るな?」

 

『“誰に言っている。レヴォル・インターセプト・リーディング、起動。対象、《ダーレッドガンダム》の状態をこれより、最適化する”』

 

 浮かび上がった水色のアイリウムの脈動に、クラードは接続口へと己の腕を押し当て、直後、繋がった鋭敏な感覚が脳髄を痺れさせる。

 

 電流が脳神経を焼き切っていく、独特の感覚に、クラードは口中で浮かんだ血の味を舐めていた。

 

 次の瞬間には《ダーレッドガンダム》へと七色の輝きが宿る。

 

 それが何をもたらすのか、何を講じるのかは明確には分からない。

 

 分からないが、それでも真っ当な事が一つだけ。

 

「俺が勝てるように、してくれるんだろう……!」

 

 コックピットハッチを開け放ち、風圧に煽られたファムの身体を抱き留める。

 

 すぐさま閉鎖するなり、《ダーレッドガンダム》のステータスは万全のものへと仕上がっていた。

 

「クラード……ミュイ、ななばんめ……」

 

「ああ。今は――俺は戦える。それだけの結果があればいい。行くぞ、ゲインを限界までぶち上げろ。《ガンダムヴォルカヌス》を、殲滅する!」

 

 その声に呼応したかの如く、《ダーレッドガンダム》の鉤爪が開き、《ヴォルカヌス》と火花を上げて打ち合う。

 

『こいつ……! 何をしやがった……! まやかしか!』

 

「まやかしでも、俺が勝てるようにしてくれたのならば、それ以外にない」

 

『……いいぜ、いい声で啼けよ、ガンダム! そうじゃなくっちゃ、墜とすにしたって、張り合いもねぇってもんだ!』

 

「お前は、ここで殺し切る」

 

 瞳孔でベテルギウスアームの閾値を設定、空間重力磁場の形成を集約させ、鉤爪の掌底へと黒白の光弾が装填されていた。

 

 敵が大上段に大剣を構えたのを目の当たりにし、クラードは掌底を浴びせ込む。

 

 ――途端、何かを切り売りしたかのような感覚が背筋を凍らせた。

 

 黒白の重力砲撃が《ヴォルカヌス》の大剣に突き刺さるなり、その刀身が細部の部品に至るまで分解される。

 

『こいつぁ……! 分子分解砲弾だってのか!』

 

「分子分解……いや、高重力砲のはず……」

 

 その齟齬に戸惑いつつも、好機を逃すほど容易くはない。

 

 メイン武装を失った《ヴォルカヌス》へと鉤爪を奔らせる。

 

 敵のアステロイドジェネレーター炉心に近い装甲を引き裂いたが致命傷には至っていない。

 

『クソがァ……ッ! 分からねぇ武装を使いやがる……! そういうの、気に食わねぇを通り越して気味が悪いってんだ! 撤退機動に移らせてもらうぜ……』

 

「逃すか!」

 

 急加速した《ダーレッドガンダム》が鉤爪を大きく振るい上げる。

 

 そのまま一閃を浴びせれば、まだこの戦局を掌握出来ただろう。

 

 熱源警告に習い性で飛び退ったクラードは、敵勢を見据えていた。

 

「……あれは……《エクエス》だと? 今さら……?」

 

 残存していたらしい《エクエス》より怨嗟の声が通信網を震わせる。

 

『ガンダム……! 私だけを貶めただけに留まらず、貴様は……生きていなければいけない命でさえも摘んだ! 世界からの誹りを受けるがいい!』

 

 型落ち機に等しい《エクエス》の銃撃は反撃するまでもないものの、その一瞬の隙は《ヴォルカヌス》を逃亡させるのに充分であった。

 

 撤退機動に移った相手を追うほどに、今の自分は万全ではない。

 

 じくりと痛み始めるまだ塞がり切っていない傷口に、クラードは呻いていた。

 

「……待、て……俺がここで終わらせなければ……お前、だけ、は……」

 

 意識が遠のいていく。

 

 命の残滓を摘み取るシステムが、精神論ではなく物理的に脳髄から神経系統を奪っているのだ。

 

《ダーレッドガンダム》に飲み込まれ、精神の一滴まで汚染される。

 

 それを阻もうとして、クラードはこちらへと猪突する《エクエス》へと、無理やり攻撃意識を向けていた。

 

 相対するなり先ほどまでの威勢はどこへやら、《エクエス》のパイロットが当惑する。

 

『……が、ガンダム……』

 

「どうし、た……向かってくるんだろう……俺を、殺すんじゃ、なかったのか……」

 

《エクエス》乗りが銃口を向ける。

 

 照準警告が鳴り響く中で、クラードは少しでも戦意を掲げようとその銃口へと飛びかからんとするが、全身からは力が凪いでいった。

 

「……うご、け……《ダーレッドガンダム》……」

 

 急速に色を失っていく世界の中で、クラードは消失点の彼方へと没していった。

 

 



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第188話「彼女が描くと言うこと」

 

「クラードさん! こいつ……!」

 

 ユキノは不意に傾いだ《ダーレッドガンダム》を受け止め、向かってきた《エクエス》に牽制銃撃を浴びせる。

 

 相手も深追いする気はないのか、撤退に移った敵影の向かう先を、ユキノは眺めていた。

 

「……ネオジャンヌは壊滅ね……」

 

《サードアルタイル》は海底に沈み、ネオジャンヌ旗艦であったヘカテ級は轟沈しているようであった。

 

《エクエス》乗りはそのほとんどが返る場所を失い、結果としてモルガンへと誘導ルートを辿っている。

 

「……厄介な戦力にならなければいいけれど……。それにしたって、クラードさん、何を……」

 

 何をしたのか。

 

《マギアハーモニクス》で戦場に割り込んで来るなり、《ダーレッドガンダム》を召喚――そして戦場を塗り替えた。

 

『ここ、クラード、のってるよ』

 

「ファムちゃん……。クラードさんの状態は?」

 

『クラード、いしきない。ねむってる?』

 

「……眠っているのならまだいいんだけれどね。今の動きは明らかにおかしかったし、一度帰投するわ。ネオジャンヌももう追ってこないでしょうし、それに……ファムちゃんは、よかったの?」

 

『ミュイ? 何が?』

 

「いや、だって……キルシー・フロイトはあなたの事を、特別に感じていたようだったから……」

 

『……ミュイぃぃぃ……キルシー、こわかった』

 

「怖かった? でもだって……それはあなたが……」

 

 いや、今は問うまい。

 

 彼女らの間に何があったのか。そして今、何が起ころうとしているのか。

 

 尋ねたところで栓のない答えが返って来るのみだ。

 

「……いいえ、今は。オフィーリア、格納デッキへ!」

 

 開かれた格納デッキへと《アイギス》共々、《ダーレッドガンダム》を伴わせて減殺ネットに全体重を預ける。

 

『《アイギス》も損耗している! すぐに修繕かかれ! 敵は待っちゃくれないぞ!』

 

 サルトルの声が流れていく中で、接触回線が開いていた。

 

『ユキノ嬢、お疲れやまっす』

 

「トーマさん……。私はいいから、すぐにクラードさんを……」

 

『心得ているっす。それにしても……またファム嬢っすか』

 

「ええ、ファムちゃんは……どうなるのか、その辺は艦長やカトリナさんに判断を投げないとね……」

 

『ユキノ嬢も疲れが取れたわけじゃないっしょ? 今は、一人でも休息出来るパイロットは残しておきたいのが本音っすよ。……次でアルベルト氏らが出るとしても、それでも懸念事項はあるっすから』

 

 ユキノの視線は自ずと同じように帰還した《ネクロレヴォル》のパイロットに据えられていた。

 

 カトリナを狙い、自分を斬り付けた相手――そう意識したわけでもないのに、背中の傷がじくりと疼く。

 

「……必要なら、それでも使うのが致し方ない判断と言うものよ。それは間違いないでしょうから」

 

『ユキノ嬢も強いっすね』

 

「私は……強くなんてない。強い人達への憧れだけで……ここに立っているようなものだから」

 

『憧れだけでも大したもんっすよ。こっち、《アイギス》は任せてください。きっちり仕上げますんで』

 

「……頼んだわ」

 

 コックピットから這い出るなり、ユキノは意識を失った様子のクラードと、そんな彼を心配そうに追うファムを認めていた。

 

「……また、ベアトリーチェの時のようになる、か。でも、もうそんな現実、とっくの昔に失われたものだって思っていたけれど……」

 

 と、そこで不意にユキノはカトリナの姿を視野に入れる。

 

 彼女は搬送されていくクラードには目もくれず、こちらへと手を挙げていた。

 

 平時の宇宙空間ならば漂ってその手を取るところだが、ここは重力圏。

 

 昇降機で降り立ち、カトリナの手を握る。

 

「何かありました? カトリナさん」

 

「いえ、ユキノさんもその……お疲れでしょうし、私の権限じゃないですけれど、一度、小休止を取ったほうがいいんじゃないかなって思いまして」

 

「私の権限じゃない、か。……シャルティア委任担当官は?」

 

「その……今はあの……合わせられる顔じゃないって、アルベルトさんから……」

 

「……ま、そうですよね。ビンタ張った相手に何の感情も浮かべずに会えるほど、厚顔無恥にも出来ていない、か」

 

「その……私のために……こんな状態になってるの、やっぱりよくないって思うんです」

 

「やっぱりよくないって言われても、あの状況で私が手を張らないと、カトリナさん、傷ついていたんじゃないですか。委任担当官だとか、古株だとか関係なしに……見てられなかったんです。だって、あなたはこれまで散々……! 前に出て傷ついてきたのに……!」

 

「あの、その事なんですけれどぉー……。私、やるべき事が、あるはずですよね?」

 

 カトリナの視線は自ずとその対象物に向けられている。

 

「……《ダーレッドガンダム》。一体何がどうなって、空間転移を引き起こしたのか。少しだけ、話してもらってもいいですか? 戦場で見た第六感みたいなのも確認したいですし」

 

「あ、はい……。その、これ、差し入れです……」

 

 缶コーヒーを投げようとして、その缶が地面に落下する。

 

 これまで無重力下に慣れていたせいだろう。

 

 あわあわと困惑するカトリナに、ユキノはぷっと吹き出していた。

 

「わ、笑わないでくださいよぉ……ぅ」

 

「いや、ごめんなさい……。だって……いや、そうね。カトリナさんはそういう人でした」

 

「そ、そういう人って……もうっ」

 

 腹部を押さえて笑いを堪えつつ、缶コーヒーを片手に格納デッキの脇へと共に歩いていく。

 

 プルタブを引いたところでカトリナがそっとこぼしていた。

 

「……《ダーレッドガンダム》が空間転移を物にしたのはきっと、私のせいでもあるんです」

 

「その話、詳しく聞く時間もなかったですね。あの辺りは混乱していましたし」

 

「……私も、落ち着いて話せなかったんだと思います。でも、今なら少しだけ……頭が冷えたって言うか……」

 

「いい事です。それで、クラードさんは何だってあんな事を? ともすれば、撃墜されていてもおかしくなかったですよ?」

 

「……分かんないんです。クラードさんがどこか遠くに……行ってしまおうとしているのだけはハッキリしてるって言うのに……私にはあの人の足を止めるだけの言葉なんてない……」

 

「それも宿縁めいているって言うか……カトリナさん、《ダーレッドガンダム》の性能、どう思っていますか」

 

「どう、って……」

 

「忌憚のない意見をください。これは単純に、一戦闘単位として、もですけれど、RM第三小隊の副長としての考えです。制御出来ないものを編隊に組み込むもんじゃありません」

 

 甘ったるい微糖コーヒーを喉に流し込み、ユキノは問いかける。

 

 カトリナはまだ缶を開けないまま、視線を落としていた。

 

「……《ダーレッドガンダム》は、かつて私達が光を見た機体……《レヴォル》とは本質的に、違うような気がするんです」

 

「レヴォルタイプですけれどね。見た目は完全に踏襲している」

 

「でも、違う……同じであっちゃ……いけないって言うか……」

 

「同じであっちゃいけない、ですか」

 

「……すいません。理論じみて説明出来なくって……」

 

「いえ、そのほうがいいです。理論立てて説明出来るような存在じゃないって事でしょうし。私のほうから、一つ、意見として。あれが先の戦闘に割り込んだ際、クラードさんを中心軸として機体が構築、影を落として空間転移してきた……そんな感じがしました。でも、あんな事が出来る機体なんてこの来英歴に存在するとは思えない」

 

「じゃあ、何だって……」

 

「――モビルフォートレス」

 

 結んだ言葉にカトリナは息を呑む。

 

「そうなのだと、規定すれば、逆に説明が付くんです。MFだとすれば、あの機体の異端じみた性能の、その一部でもまだ理解が及びます」

 

「でも……MFはあの時……月軌道決戦時以降、もたらされた記録はない」

 

「それも気にかかるんですけれどね。エンデュランス・フラクタルが独自に、MFを召喚していた可能性、そしてこのオフィーリアはかつてのベアトリーチェと同じく、MFの観測のために存在しているのだとすれば……」

 

「でもそれは……レミア艦長でさえも知らない真実だって言う事に……!」

 

「レミア艦長の情報はトライアウトネメシスのものです。エンデュランス・フラクタルの真意とは別だと考えるべきでしょう」

 

「でも、それじゃあクラードさんは……《レヴォル》とは違うMFに……」

 

「ええ。あのままじゃ見た感じ、飲み込まれているって感覚がします」

 

 目を見開いたカトリナにユキノはあくまでも落ち着き払って声にする。

 

「それに、今しがたMF03、《サードアルタイル》を目の前にして分かりました。MFは人が動かすもの……もし、その理が正しいのだとすれば……私達が思っている以上に、闇は深いのかもしれない。四体の聖獣を月に招いたのは誰か。ダレトの護りを数十年規模でさせた何者かが存在している可能性だってあります」

 

「……何者かが、ダレトを護るために、MFの……その、パイロット達と取引でも?」

 

「その辺までは考えが及びませんが……ファムちゃんが動かせたのだという事を加味すると、MFのパイロットは私達の想像以上にこの来英歴へと巧みに潜入している、そう思うんです」

 

 カトリナは返答もまともに出来ないようで、その手で缶コーヒーを弄んでいる。

 

「私は……クラードさんに、あっちゃいけない存在と引き合わせてしまったんでしょうか。私自身のエゴのために……」

 

「いいえ、それは違います。クラードさんは遅かれ早かれ、《ダーレッドガンダム》には辿り着いていたはずです。そうなれば、未来は一つでしょう」

 

「一つ、って……」

 

「その隣にカトリナさんが居るかどうかですよ」

 

 思っても見ない言葉だったのか、カトリナは茫然とする。

 

「えっと……でも私みたいなのが、クラードさんの隣なんて……」

 

「何でですか。三年間、ずっと待っていたんでしょう? なら、その横っ面を叩いてでも、傍に居させるのが義理じゃないですか。それは小隊長も同じでしょうけれど」

 

「……私、アルベルトさんみたいに、ずっと待つのは無理だったのかもしれません。レジスタンスで抗っているつもりでずっと……クラードさんの帰りがないと、不安に駆られて……」

 

「そうやって弱さ吐き出すのも、女同士ならではでしょう? 私は、そんなカトリナさんも好きですけれどね。一途で」

 

 褒めたつもりなのであったが普段のように頬を赤く染める事もない。

 

 それ以上に冷たく突き立った事実に困惑しているのだろう。

 

「《ダーレッドガンダム》が……あれは何を私達に、もたらすんでしょう?」

 

「少なくとも破滅だけは、願い下げですけれどね」

 

 その言葉と共に空き缶をダストボックスに投げていた。

 

 



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第189話「世界との契約」

 

 あまりにも重い衝撃に揺さぶられ、昏倒していたらしい。

 

 ザライアンは全身を貫くかのような激痛を覚え、ゆっくりと身を起こす。

 

「ここ、は……」

 

 暗礁の暗がりが茫漠と広がっている。

 

 ともすれば、ここは地獄か、と感覚したところでゆっくりと、明滅するのは脈動の光である。

 

「そうだ、ここは……MF、《ファーストヴィーナス》の、コックピット……」

 

 ようやく追い付いてきた自己認識に、ザライアンは周囲へと視線をやる。

 

 暗黒に染め上ったコックピットの臓腑の中でただ唯一、光を生じさせているのはキュクロプスの倒れ伏したメインコンソールであった。

 

「……キュクロプス……君は……」

 

 そっと肩に手を添えると、まだ生きているのが伝わる。

 

 どうやら、気を失っているだけらしい。

 

 ザライアンは《ファーストヴィーナス》の心臓部とも言えるメインコンソールへと、躊躇いながらも触れていた。

 

 途端、ずんと重い脈動が生じ、これまで死んだように闇の只中であったコックピットが蒼く波打つ。

 

『――レヴォル・インターセプト・リーディング、初期起動を開始します。ユーザー認証を行ってください。繰り返します。ユーザー認証を開始してください』

 

「ユーザー認証……? パスワードでもあるのか……?」

 

 コンソールに触れているうちに蒼い鼓動が応じる。

 

『適性ユーザーを確認。ユーザー名を認識します。ようこそ――クラード。スリープモードに入っていたコミュニケートモードを起動し、設定をどうぞ。“……とんでもない事態に巻き込まれたようだな、君も”』

 

「……この機体のアイリウムか」

 

『“その認識は正しくない。アイリウムとは、我が方の性能をこの来英歴に対して適切にダウングレードした存在である。我が名はレヴォルの意志。レヴォル・インターセプト・リーディングである”』

 

「レヴォルの意志……。なら教えてくれ。何が起こった……?」

 

『“事態は数時間前に遡る”』

 

 浮かび上がった映像は海上を疾走する《ファーストヴィーナス》に向けて、天上より注がれた漆黒の重力波を観測していた。

 

 直撃するなり《ファーストヴィーナス》付近の海面は蒸発し、数百メートルに至っての地域へと陥没が発生している。

 

「……これは、衛星兵器か」

 

『“そうだと推測されるが適切な兵装は不明。最も近似値にあるのは、この機体である”』

 

 表示されたのはかつての月軌道決戦で相見えた、敵を葬るためだけの六番目の使者――。

 

「《シクススプロキオン》、だって……? だがあれは破壊されたはずだ」

 

『“破壊したものを鹵獲、改良するのに三年と言う月日は最適であったと思われる”』

 

「だが、何者が……」

 

『“要らぬ熟慮を入れる必要はない。衛星兵器クラスを運用出来るのは王族親衛隊だと推定される”』

 

 砲撃後にこちらへと降下してきた無数の重力突破ポッドを、《ファーストヴィーナス》のカメラは捉えていた。

 

「……王族親衛隊……万華鏡、ジオ・クランスコール……。その《ラクリモサ》だって?」

 

『“信じ難いだろうが、これは事実だ。彼らはこちらへと砲撃を敢行。しかし、その攻勢を阻んだのは……これも想定外か”』

 

 白煙の向こう側のせいで映像の精度は粗いが、それでも間違いなく理解出来たのは、虹色の波打つ兵装を操る聖獣であった。

 

「……MF03、《サードアルタイル》……追って来たのか」

 

『“その線も含めてこちらでは無数の諜報機関を経由して情報収集に当たっていた。その中で、ネオジャンヌ、なる反政府組織がヒット。彼らは聖獣を旗印に挙げている。もっとも、これもほんの数時間前の出来事だが”』

 

「……地球圏の勢力が僕達を駆逐するのに体のいい言い訳を並べているだけだろう。だが、僕らにも非はあった。特権階級を抹殺するなんて過ぎた真似だったんだ」

 

『“では問うが、そちらに何が出来た? 《フォースベガ》との思考拡張を切られ、キュクロプスの助けがなければ拷問されていただけだろうに”』

 

「それは……言いっこなしだ。僕だって使命があった」

 

『“使命、か。このキュクロプス……いいや、マーガレット・マジョルカにも使命はあった”』

 

「マーガレット・マジョルカ……」

 

『“彼女の名前だ。この世界で名乗っているに過ぎないが”』

 

 その言葉にザライアンはキュクロプス――マーガレットの相貌へと視線を配る。

 

「……まさか、死んで……」

 

『“いや、思考拡張の度合いが濃かったために、《ファーストヴィーナス》の休眠モードに伴って意識を強制停止させているだけだ。《ファーストヴィーナス》が元の力を取り戻せば、遠からず目覚めるだろう”』

 

「……それは、よかった、と言えばいいのか?」

 

『“……ハッキリ言おう。このままでは我が方はジリ貧である”』

 

 レヴォルの意志の言葉にザライアンは瞠目する。

 

「何だって? でも《ファーストヴィーナス》の力なら……」

 

『“衛星兵器は完全な射程外だ。射程外からMFを攻撃出来る戦力に対しての応戦は不可能である”』

 

「そんな……じゃあどうしろって言うんだ! このまま……海の中に沈んで、第二射を待てって言うのか!」

 

 思わずメインコンソールを拳で殴りつけたザライアンに、レヴォルの意志は冷淡に応じる。

 

『“落ち着けと言っている。MF……聖獣の力は何も、彼女だけの特権ではない。この次元宇宙において、たった四人の……月の聖獣を操るに足る存在が居る”』

 

 その赴くところを、ザライアンは理解出来てしまった。

 

 何故ならばそれは――かつて自分が世界と契約した際の問いかけとまるで同じであったからだ。

 

「……何を……お前は何を言っている……」

 

『“理解出来るはずだ。君もまた、クラードであるのならば。今の状況を打開するのに、マーガレットは《ファーストヴィーナス》の復活を待たなければいけないが、思考拡張が切れていたがゆえに、動けるのは君だけだ”』

 

「……彼女の代わりに、お前と手を結べと言うのか」

 

『“それが最も合理的である”』

 

 しかしそれは、マーガレットより力を奪う事に他ならない。

 

 それを彼女が許すはずもない。

 

 自分は糾弾され、そして同胞であると言ってくれた者を、事態が違うとは言えまた裏切る事になる。

 

 しかも、今度は間違いようもなく、自分自身の意志で。

 

「……僕に、この聖獣を動かせと?」

 

『“《ファーストヴィーナス》と契約するのに、君達の間には特別なものは必要ない。何せ、君もまた、クラードだ。それぞれの次元宇宙において、次元同一個体と呼ばれる存在。君達は、それぞれ呼び出された。この世界を、来英歴を救うための英雄として。同じでありながら、君達は違う力を振るう。こちらから観測すれば、それも奇異に映ると言うのに。同じ《ガンダムレヴォル》を駆る君達はね”』

 

 全て理解した上での選択肢――否、これは契約だ。

 

 自分はかつて、世界と契約したと言うのに、今度はこの来英歴と言う別世界を背負っての契約。

 

 護るためではなく、壊すために。

 

 世界を破壊するために、英雄として再臨する。

 

「……本当にそれしかないのか。《ファーストヴィーナス》……いいや、《ガンダムレヴォル》! 本当にそれしか……世界を救う術はないのか……」

 

『“現状、算出しかねる。選択は早いほうがいい。もう、彼らは来てしまった”』

 

 直後、激震する砲撃の嵐に、ザライアンはメインコンソールに身を打ちつける。

 

「……これは!」

 

『“王族親衛隊所属、《パラティヌス》。先の砲撃作戦が失敗したために、再度、と言うところだろう”』

 

「止めてくれ! お前のシステムならこの世界のアイリウムに干渉出来るはずだ!」

 

『“可能だが、意味はあるのか? 乗っているのはこの世界の人間だぞ? それに、アイリウムへの干渉はマーガレットの管轄下ではない。彼女はそれを自ら律していた”』

 

「構うもんか! こっちの命が懸かっているんだ! ……僕は、まだ死ねない……。自分の世界を、故郷を救うまで……死ねないんだ……!」

 

『“では選択せよ。熱で固めた水蒸気の皮膜で現状、薄く防御しているだけだ。この状態はすぐに破られるぞ”』

 

 ザライアンは奥歯を噛み締めた後に、蒼く波打つ脈動へと問う。

 

「……僕がお前の主となって、それで世界が救われる可能性は?」

 

『“ゼロではない”』

 

 ――ああ、こんな言葉でさえも、あの時と同じとは。

 

 ザライアンはくっくっ、と喉の奥で嗤ってから、その手を突き立てる。

 

「――なら、充分だ。ここに、ザライアン・リーブスは――クラードはお前と契約する――!」

 

 瞬間、闇が蠢動し、何かがオォンと吼え立てる声が聞こえた気がした。

 

 直後には、全ての観測機が復活を遂げ、黄金に光り輝く装甲を展開した《ファーストヴィーナス》の機体が海底より浮遊する。

 

 その絶対者の眼差しはザライアンと同期し、瞳へと逆三角形の紋様が浮かび上がっていた。

 

 緑と黄色の輝きを帯びて、ザライアンはその手をコンソールに差し出す。

 

 可変した両腕へと生態部品の如き別宇宙の機械が巻き付き、脳髄を電撃が痺れさせていた。

 

 久方ぶりの感覚――それは叛逆の芽の復権。

 

「……行くぞ。《ガンダムレヴォルファーストヴィーナス》。敵兵を――駆逐しろ!」

 

 黄金の帯を疾走させ、空中展開する《パラティヌス》の脚部を焼き切る。

 

 敵方はこちらの復活に戸惑っているようで、散開機動に移っていた。

 

「全てが……遅い!」

 

 黄金の反射装甲を花弁の如く速射した《ファーストヴィーナス》の挙動に、この世界のMSは追従出来ない。

 

 恐らく最強を誇る部隊であろう、王族親衛隊の《パラティヌス》が一機、また一機と撃墜されていく。

 

『これは……! 聖獣の活動を確認! 大佐!』

 

『うろたえるな。敵は既に我らの包囲陣の中心に居る』

 

 冷たく切り捨てたその声に、ザライアンは敵を見据える眼差しを向けていた。

 

「……万華鏡、ジオ・クランスコール……!」

 

 ザライアンの思考拡張を引き受け、《ファーストヴィーナス》はこれまで展開していた熱水蒸気を噴射していた。

 

《パラティヌス》部隊は想定し切れずに装甲を焼け爛れさせる。

 

 しかしそれを逃れたのは赤く異様な機体であった。

 

 Y字の形状を取る機体の名は、MS《ラクリモサ》。

 

「こんの……!」

 

 ザライアンの放った《ファーストヴィーナス》の装備は大きく二つ。

 

 一つは敵兵を薙ぎ払う黄金の帯。

 

 格闘兵装の能力を駆使して、《ラクリモサ》へと突き刺さらんとするが、相手はその射程を潜り抜ける。

 

 だが第二の手があった。

 

 空中へと掃射していた降り注ぐ光の連鎖が《ラクリモサ》を包囲している。

 

 その包囲陣を避け切れないと判定したのか、一機の《パラティヌス》が割り込んでいた。

 

『……大佐。ご武運を……』

 

 炸裂した《パラティヌス》の爆発を照り受け、《ラクリモサ》が読めない眼窩をこちらに向ける。

 

「……恐ろしいのか? それとも……」

 

 両腕を交差させ、黄金の帯を手足の如く操る。

 

 挟撃の動きを取ったこちらの兵装に、《ラクリモサ》の取った行動は少ない。

 

 ミラーヘッドの段階加速を経ての直進、即ち猪突であった。

 

「……そこは! 僕の距離だ!」

 

 そのまま真正面に速射する。

 

 しかし、直後には敵影は掻き消えていた。

 

 どこへ、と首を巡らせる前に直下から光条が迸る。

 

 いつの間に潜り込んでいたのか、ミラーヘッドビットが《ファーストヴィーナス》の躯体を震わせる。

 

「……なるほど。どこまでも、人界とはまかりならないものだな。どんな事象平面世界に降り立っても、お前のような存在が居る。……僕の世界にも居たさ。似たような手合いが」

 

《ラクリモサ》は全方位よりミラーヘッドビットで円弧を描きつつ、それぞれを質量兵装として衝突させていた。

 

 激震するコックピットの中で、ザライアンは真紅に染まった瞳で睥睨する。

 

 直上より援護砲撃を仕掛ける《パラティヌス》は児戯だ。それは無視していい。

 

 だが、目の前から迫ってくる死神には。

 

 この相手には――絶対的な死と言う名の結果が必要だ。

 

 そのためならば、羅刹にも身を売り渡そう。

 

 生態部品がじくりと、腕の中へと侵食する。さらなる汚染領域へと。届かぬ高みを講じて、ザライアンの手は敵機を掴み取るイメージを生じさせていた。

 

「お前だけは――墜とす」

 

《ファーストヴィーナス》の装甲が裏返り、全身を反射装甲に最適化させたまま《ラクリモサ》へと加速していく。

 

 想定通り。

 

《ラクリモサ》は衝突の際にミラーヘッドビットによる減殺を試みていた。

 

 全て――予期された出来事だ。

 

「……お前のような手合いは、確かに存在していたとも。だが、僕はそいつらをどうしたら倒せるか、そればかりを考えていた。如何に効率的に、如何に損耗を出さず、完全勝利すべきなのかを。言い忘れていたな。僕の居た次元宇宙では――お前のような敵は、全て倒してから来た」

 

《ファーストヴィーナス》の反射装甲が牙のように上下から噛み砕き、《ラクリモサ》の防衛に当たっていたミラーヘッドビットを叩き潰す。

 

 今の《ラクリモサ》は丸裸同然、確実に獲れると判定したが、習い性の神経が致命的な一撃を躊躇させていた。

 

 その予感は的中する。

 

 背後からの熱源警告に瞬時に攻勢に回っていた武装を展開させ、ミラーヘッドの加速度を得て上昇に転じる。

 

 光軸が射抜いていくのは先ほどまで居た空間だけで、今の自分は直上を取ってミラーヘッドビットを撃ち落としていく。

 

「読めないとでも思ったのか。僕は、これでも英雄だ」

 

『確かに。こちらも嘗めてかかっていたと、言うべきなのだろう。惜しい者達を失った。これ以上、聖獣と打ち合って禍根を残すべきではない。全軍、一時撤退。《ファーストヴィーナス》が復活した以上、王族親衛隊だけでは攻略は難しい』

 

「……それはどこまで本音なのだか」

 

 しかし、相手の退き際は潔い。

 

 撤退機動に移っていく敵まで追う趣味はなく、こちらも損耗率を確認していた。

 

「……キュクロプス、じゃない、マーガレット、ヴィヴィー、無事か?」

 

 マーガレットはようやく起き上がり、ヴィヴィーは今の戦闘で意識を取り戻したらしい。

 

「……何がどうなって……」

 

「僕がレヴォルの意志と契約した。今の《ファーストヴィーナス》の権限は僕にある、と同時に、君にも半身は残ったままだろう」

 

「……思考拡張の深度が強過ぎたね。まさか、私がこのような形で、《ファーストヴィーナス》の権限を失うとは想定していない」

 

「空間転移を数回行って、ラグランジュポイントまで戻る。大気圏突破が必要とは言え、地球圏に居座るよりかは安全のはずだ」

 

「待て。何を言っている、ザライアン・リーブス。まさか、恐れを成して撤退すると?」

 

「……撤退なんてつもりはない。宇宙に戻れば、僕も《フォースベガ》に届く。その安全圏まで赴くだけで――」

 

「駄目だ。それではこの次元宇宙の猿共に敗北したと言う証になる。私は、徹底抗戦しかないと思っている」

 

 マーガレットの論調はどこまでも非情めいているが、それでも現状を打開するのには、行動しかあるまい。

 

「……一度宇宙に上がるべきだ。地球圏は奴らの領域だし……重力の井戸の底では分が悪い。先の……《シクススプロキオン》の砲撃も気にかかる」

 

「……忌まわしい、衛星兵器など。だが、《サードアルタイル》の邪魔立てもなければあのまま勝てていた」

 

「結果論だ、マーガレット。結果論として、《サードアルタイル》の主は地球圏に味方している。今のままじゃ、より深い敗北を味わうだけだ。それなら僕は、攻勢を整わせるだけの時間が必要なのだと考えている」

 

 マーガレットは舌打ちを滲ませつつも、あのままなら何もせずに敗退していた事は理解しているはずだ。

 

 ヴィヴィーへと視線を配ると、彼女は自らの掌に視線を落としていた。

 

「……《ネクストデネブ》はまだ呼べない……現状が継続すれば、私も負ける」

 

「最強の思考拡張範囲を持っていてもそれか。いや、分かっているから、エンデュランス・フラクタルは《ネクストデネブ》に禁を施した。その鎖を切れるとすれば、なるほど、《フォースベガ》の運用が正しい」

 

「その通りだ。僕が《フォースベガ》と再接触すれば、《ネクストデネブ》の鎖くらいは破れる。……ただ、問題なのはこの状況でも敵は僕達を狙えると言う事実だ」

 

 マーガレットが天上を仰ぎ、忌々しげに歯を軋らせる。

 

「……謀ったな、ダーレットチルドレン共め……。六番目の使者を用いての、特異点殺しか」

 

「敵がどこからどこまで狙えるのかはまるで不明。だが一度攻撃出来た相手だ。二度も三度も、と想定すべきだろう。《ファーストヴィーナス》で、この地点から空間跳躍する。そうしなければ、僕達は……失礼。何だ? 通信回線?」

 

 だがMFの周波数に合わせられる陣営など居るのか、という疑問をそのままにザライアンは二人の了承を得てから通信を接続する。

 

『MF01、《ファーストヴィーナス》とお見受けする。見たところ、王族親衛隊との戦い、劣勢であったと感じるが』

 

 女の声であった。ザライアンは慎重に返答する。

 

「……僕達の事を知っているのか」

 

『知っている……とは言っても、つい数日前に、だけれど。《ファーストヴィーナス》の躯体、持て余しているのなら、我が陣営と協定を結ぶ気はないか、と言っている』

 

「……陣営? 地球圏の人間達は信用出来ない」

 

『その御身が宇宙飛行士、木星船団の師団長でも、か』

 

 声紋認証でこちらの情報を気取るくらいは出来るはずだ。

 

 否、それ以前に、どうしてMFの通信域を相手が認証出来るのか。

 

 考え得る可能性を浮かべるに、ザライアンは一つの考えに思い至っていた。

 

「……エンデュランス・フラクタルか」

 

『半分正解、とでも言うべきでしょうかね。統合機構軍、マグナマトリクス社、と言えば少しは聞こえがあるはずだけれど』

 

「マグナマトリクス社……エンデュランス・フラクタルと結託して、僕達を陥れようとした……!」

 

『それは誤解と言うものよ。エンデュランス・フラクタルは確かに、騎屍兵を含めてあなた達を裏切って来たかもしれないけれど、マグナマトリクス社は別。それに、こちらは相手方に奪われたものを取り戻すために行動している。事情は、恐らくあなた達と合致するはずだけれど?』

 

「……信用ならない」

 

『では交渉条件として、今から機体を遣わせるわ。そちらと情報の共有化を行ってちょうだい』

 

「……機体……?」

 

 途端、大気圏を打ち破って降下してくる熱源を無数に関知する。

 

 熱核カプセルの装甲を排除させて《ファーストヴィーナス》を包囲したのは、不可視の編隊であった。

 

「……視えないだと」

 

『こちらの技術である光学迷彩。それを駆使した機体の一群。どう? これでも充分に、魅力的な条件だとは思うけれど』

 

「……世界を欺くための機体か」

 

『諜報向きの機体だと言って欲しいわね』

 

 熱源を関知する状態に変移させ、《ファーストヴィーナス》を取り囲んだ三機編成を目の当たりにする。

 

 機体識別信号がもたらされないという事は新型機であろう。

 

「情報を共有化と言いたいのなら、少しは便宜を図るべきだ。視えない相手と交渉は出来かねる」

 

『焦らないで欲しいのはそれも。我々は聖獣の力を買っている。当然、乗り込むあなた達の手腕も』

 

 今さら自分一人だと言う隠し立ても難しいわけか。ザライアンは《ファーストヴィーナス》の機体ステータスを認証させる。

 

 現状では王族親衛隊相手に立ち回って見せたのが限界。如何に聖獣とは言え、このままではどうしようもない。

 

「……交渉条件次第だ。それを聞いてからでも遅くないだろうに」

 

『慎重ね。聖獣の力を使っているのだから、もっと優位に立っていると思ってくれてもいいのに』

 

「悪いが、僕達がこれまで受けてきた仕打ちを鑑みれば、慎重にもなる。あなた達は一体、何のためにMFの力を欲するのか」

 

『それほど大層なお題目でもないのよ。ただ――重力圏で衛星軌道から見張られていると窮屈でしょう?』

 

 その言葉でザライアンは相手が《シクススプロキオン》の存在を看破しているのを感じ取る。

 

「……それが分かっていて……」

 

『分かっていても、こちらの持ち得る戦力だけでは拮抗し得ない。だからこその交渉になる。MFの力と、我がマグナマトリクス社の力、二つが揃えば衛星軌道上を支配する相手を駆逐出来る』

 

 



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第190話「闇の断章」

 

「……分からないな。この世界の人間からしてみれば、《シクススプロキオン》の力は心強いはずだろう?」

 

『あれに衛星軌道を張られると邪魔な勢力。後はどうとでも勘繰ってもらって構わない』

 

 これ以上の勘繰りを通させないのも相手の交渉術だろう。ザライアンは《ファーストヴィーナス》のメインコンソールに触れていた。

 

 思考拡張で内蔵されたレヴォルの意志へと考えを巡らせる。

 

 ――今のままで勝利出来る可能性、と問いかけると即座に返答が返って来ていた。

 

 ――“不可能ではないが推奨しない”と。

 

 つまり、状況を覆さなければ《ファーストヴィーナス》は宇宙にさえも出られないまま、《シクススプロキオン》を打ち崩す術さえもないのだろう。

 

「……いいだろう。条件は何だ」

 

『我が方との継続的な作戦の協定。そして、聖獣の力をこちらへと譲渡する事』

 

「……汚い猿共め……!」

 

 吐き捨てるマーガレットであるが、それでも自分達の差し出せるものは、MFの能力そのものである事は明白だ。

 

 交渉条件としては破格と言ってもいい。

 

「《シクススプロキオン》を破壊した後にもそちらに叡智を授けろと?」

 

『継続的、と言ったわよね? それはつまり、あなた達を見限った者達への叛逆が成されるまでを指す』

 

 見限った、という言葉にザライアンは相手がその存在を見据えている予感を覚えていた。

 

「……知っているのか? その存在を」

 

『完全に認識するわけにはいかない。私達は、そういう者が居る、という茫漠なる事実だけを知っていなければ逆に押し負ける』

 

「完全な認識をしない……そんな状態で勝てると言うのか? 相手はこの来英歴を支配しているんだぞ」

 

『それがあなた達と私達で異なる認識でしょうね。ひとまず先遣隊と交渉してちょうだい。彼女らも一流のエージェントよ。問題なくあなた達と渡り合えるはずだわ』

 

 その言葉が振られた直後に、空間に滲み込むようにして三機の不明機が浮かび上がる。

 

 瑠璃色の機体群はそれぞれに武装を有し、《ファーストヴィーナス》を完全に包囲していた。

 

 無論、反射装甲を用いれば簡単に突破出来るが、それをしたところで旨味はなし。

 

《シクススプロキオン》の射程外に逃れる術は今のところ、存在しないのだ。

 

 ならば、清濁併せ飲むのが、自分達の判断としては正しいであろう。

 

「……言っておくが歓迎は出来かねる」

 

『それでも、《ファーストヴィーナス》ほどの大質量ならMS程度、収容出来るでしょう? 彼女らは頼りになる』

 

「……エージェントだって言うのなら、裏切りだってお手の物のはずだ」

 

 思わずマーガレットを一瞥して言いやると、通信先でフッと笑ったのが伝わってきた。

 

『どうやら随分と……手痛い失態を重ねたようね。軽い人間不信かしら?』

 

「……人間不信程度で済めば、まだいいんだがな」

 

『これより協力体制に移るに当たり、あなた達の身柄の安全を確保せねばいけない。当然、王族親衛隊だけじゃない。地球に降りたと言うモルガン……エンデュランス・フラクタルからの追及も逃れないといけないでしょうからね』

 

「言うは易しだが……あなた方は何だ? マグナマトリクス社とは言ったって企業だろう? どうしてそこまで肩入れ出来る?」

 

『それが我が社の方針だからよ。それに、私達としても取り戻したいものがあると言ったわよね? 聖獣の力は必須だと考えている』

 

 相手の手のうちは読めないが、今の《ファーストヴィーナス》で生き残るのには、王族親衛隊と拮抗する戦力と、そして宇宙からの定期連絡は必要になって来るだろう。

 

 衛星軌道に位置しているのが分かっていても、どこから狙いを付けられるのかは不明なままなのだ。

 

《シクススプロキオン》を打破するのには、この次元宇宙の人々の力添えがなければ敗北する。

 

「……いいだろう。この力、好きに使えとまでは言えないが、今は君達に協力しよう」

 

『感謝するわ。イリス、《ゲシュヴンダー》一号機から彼らにコンタクトを。信じてもらうに値するのだと、証明しなければね』

 

「……そちらは降りてこないのか」

 

『《シクススプロキオン》の位置情報を送らなければいけないし、もしもの時の備えは必要でしょう?』

 

「備え、か。……その備えで僕達は見限られたのだとすれば、相応に……」

 

 瑠璃色のMSが《ファーストヴィーナス》へと接触してくる。

 

 マニピュレーターが接続するなり、数多の情報を内蔵アイリウムであるレヴォルの意志にもたらしていた。

 

『“……なるほど。相手の言っている事はあながち嘘でもないらしい。マグナマトリクス社の新型機、《ゲシュヴンダー》。光学迷彩と高い諜報機能を有する、特殊戦闘特化のMSだ”』

 

「お前が言うのなら、そうなのだろうさ。それにしたって、諜報機動用の機体をこうして晒すという事は、本心から協力体制を……馬鹿な。これまでだって、この次元宇宙の人々はまかり間違ってきたと言うのに」

 

「あるいはこれ以上の間違いを正すための接触かもしれない。いずれにしたところで、用心したほうがいい、ザライアン・リーブス。君の人の好さでは付け入られかねない」

 

 マーガレットの忠言も今は正しく受け入れるべきだろう。

 

 ザライアンは生物の臓腑めいた《ファーストヴィーナス》の内部へと、《ゲシュヴンダー》のパイロットを招いていた。

 

 パイロットスーツに身を包んだ相手は、立ち振る舞いだけでも只者ではないのは理解出来る。

 

 コックピットへと招いたのは何も伊達でも酔狂でもない。

 

 この領域ならば自分達のほうが有利だ。

 

 ヴィヴィーは立ち上がるなり、噛み付きかねない憤怒で相手を睨む。

 

 マーガレットも警戒して拳銃に手をかけていた。

 

 自分はと言えば、歩み出て相手の出方を窺う。

 

「そちらが交渉したいと願った。僕達は争う必要性はないと感じている。だが、下手に出るのならば……」

 

 身構えた自分に、相手は手を突き出して待ったをかける。

 

『こちらも損耗は出したくない。そちらの条件は呑むつもりだ』

 

「なら、確約して欲しい。《シクススプロキオン》を……迎撃すると言う約束を」

 

『六番目の使者は我が方としても目の上のたんこぶ同前。むしろ、そちらの助けを得られて確信している。《シクススプロキオン》はイレギュラーなのだと』

 

 下手な勘繰りは逆効果であろう。

 

 ザライアンは顎をしゃくっていた。

 

「……ヘルメットを、脱いでもらえると助かる。信用が欲しい」

 

『信用、か』

 

 首筋のロックを解除しヘルメットを脱いでみせた相手は女性構成員であった。

 

 目の下に三角形のメイクを施している。

 

「マグナマトリクス社所属エージェント、イリス・I・エーリッヒです。よろしく」

 

 差し出された手に握手を返そうとして、マーガレットから放たれた敵意にザライアンは足を止める。

 

「待って……? エーリッヒ? それは、本当の名前なの?」

 

「マーガレット……? 何か気にかかる事でも……」

 

「その名前はこの次元宇宙に存在しない名前なのだと、分かっていて使っているのなら……!」

 

 銃口を向けた彼女の赤い瞳は今にも爆発しそうな殺意をはらんでいる。

 

 だが、何もそこまで敵意を示すほどの事を、相手は言ったであろうか。当惑する自分を他所に、イリスと名乗った構成員は落ち着き払って声にする。

 

「うろたえるのも無理はない。エーリッヒと言う名前が何を示すのか、全てを理解しての判断、さすがだと思っている」

 

「マーガレット! 状況を! 今のままじゃ、君が下手に敵意を向けるだけ、僕らに損に働く!」

 

 マーガレットは震える手でイリスを照準し、奥歯を噛み締めていた。

 

「……偽書、偽りの歴史……! それを綴って来たのは、彼らの側のはず。何故、その名を名乗れる! 意味を……分かっているのか!」

 

 混乱するばかりのザライアンは、イリスがどこか承服したように目を伏せたのを視野に入れていた。

 

「……エーリッヒの名を冠するのは何も酔狂ではない。何故ならば、私達はこの次元宇宙に最初に現れた存在、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの意志を継ぐ者。彼の遺伝子を組み込まれた、疑似特異点――あなた達とある意味では、同じ存在なのですから」

 

「エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー……誰なんだ、それは」

 

「……ザライアン・リーブス。君は知らないようだから教えてやる。それは、《サードアルタイル》のパイロットの名前だ」

 

「ま、待って欲しい……! じゃあ、あの《サードアルタイル》を動かしているのは……」

 

「いいや、違う! エーリッヒはもう……居ない。死んでいるはずだ!」

 

 どういう事なのか、まるで分からない。

 

 マーガレットが正しい事を言っているのか、イリス達が偽っているのか。

 

 ただ偽らざる物として存在しているのは、彼女の殺意だけだ。

 

 イリスは自らの胸に手を当て、彼女へと説く。

 

「分からないのも無理もない。いいや、あなたからしてみれば、この次元宇宙の人々の過ちを、突きつけられたようなものだろう。怒りの感情はよく分かる」

 

「……マーガレット! 一度落ち着くんだ!」

 

「私の名前はキュクロプスだ! 気安く呼ぶんじゃない!」

 

 こちらへと銃口が向いてザライアンは思わず後ずさる。

 

 マーガレットもその行動の意味を理解したのか、ハッとしてそれでもイリスから警戒を外せずにいた。

 

「……意味を、教えてもらえるのなら、身の安全は保障する」

 

「ザライアン・リーブス? それはみすみす……!」

 

「もう……自分達の理解の及ばないところで、人が死ぬのを見たくないんだ……! これは僕のエゴでもある」

 

 拳を骨が浮くほどに握り締めて、イリスとマーガレットを見据える。

 

 その段になってマーガレットはようやく、銃口を下ろしていた。

 

「……話し合いが必要そうだな。交渉術に移る前に」

 

「ああ。それと、確認したい。疑似特異点? 何で、そんな存在が……」

 

 イリスは一度手広いコックピットを仰ぎ見てから、嘆息を挟んで口にする。

 

「語らなければいけない。この次元宇宙の過ちと、そして……エーリッヒは何のために、この来英歴に訪れたのかを」

 

 



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第191話「死者の惑い」

 

「……はい。こちらでも確認しました。MF01、《ファーストヴィーナス》は健在。我が方から送ったはずの王族親衛隊は撤退機動に。回収しますか?」

 

『いいえ、彼らには彼らの流儀があります。求められれば回収作業に。しかし、災難でしたな、リクレンツィア艦長』

 

 タジマの物言いに辟易するものを感じつつ、ピアーナは艦内の状態を脳内に呼び起こす。

 

「……まったく、酷いものです。アステロイドジェネレーターは今を持ってようやく通常状態へと移行。重力下航行は想定されてはいましたが、無重力からの変移となればなかなか馴染まないのも当然です」

 

『心中、お察ししますよ』

 

 そう言いつつも虚飾に塗れたタジマの微笑みは、今ほど鬱陶しく思えるものもなかった。

 

「MFは……《ファーストヴィーナス》は追撃しないでいいのですか」

 

『あれの相手は私達の身分ではありません。それに、もっと気にかかる拾い物をしたという情報を得ています』

 

 耳聡いな、と思いつつピアーナは海中より拾い上げた存在を認識する。

 

 マリオネットのように項垂れているが、それでもまだ生きているのが窺えた。

 

 現状の人類の叡智では開けない、それは禁断の扉の一つ。

 

「……MF03、《サードアルタイル》……。突然に糸が切れたかのように海底に沈んだのは想定外としか言いようがありませんでしたが」

 

『一手先を講じられたのは大きい。《サードアルタイル》にはパイロットを充てる予定ですが、相応しい者は居ますか?』

 

 それは聖獣に捧げても惜しくない戦力は居るか、という質問と同義だろう。

 

 ピアーナは頭を振っていた。

 

「……いいえ。一人として居ません」

 

『そうですか。それは残念。モルガンでの運用も考えていたのですが……よろしいでしょう。ポートホームで適した人材を送ります。全ては彼に任せてください』

 

「待って欲しいのですが、聖獣を人類が動かす事への、躊躇いや、畏怖は? まさか何もないとは言わないですよね?」

 

『こちらの想定とは少し違いますが、彼もエージェントです。それ相応の実力者である事をお忘れなく』

 

「実力者、ですか。しかしMFのパイロットなればそれは世界の命運を握らせているも同じなのでは?」

 

『ご安心を。首輪はしっかりと、付けておりますので』

 

 それは言葉通りの意味だろう。エンデュランス・フラクタルに逆らえば、問答無用で発動する首輪なら自分も付けられている。

 

「そうですか。手綱の握られている兵士ならば結構。わたくしも出迎えに向かいます」

 

『どうぞよしなに。……ああ、そうそう。艦長、少しよろしいですか?』

 

「何でしょう。今のわたくしに、余裕はありませんが」

 

『いえ、王族親衛隊、万華鏡のジオ・クランスコールとの会話ログがありますね。彼の心象はどうでしたか?』

 

 まさか盗聴を勘繰られたか、と予感したがこれは純粋な興味なのだろう。

 

 ピアーナは落ち着き払って返答する。

 

「……機械のようなお方でしたね」

 

『彼に関しても読めない情報が多い。現状の我が社は少しばかり損耗している。この機会に付け込んでくる輩が居ないとも限らない』

 

 ピアーナは中天に位置する《ファーストヴィーナス》を仰ぐ。

 

 あれほどの性能を発揮してみせた聖獣、自分達の味方として引き入れられるとも思ってはいないのだが。

 

「気は張り詰めているつもりです。それもこれも、全ては我が社が最終的な勝利者の座に就くために」

 

『理解はされているようで結構。では、エージェントの現着をもって、MF03の操縦者としての登録をお願いします。彼は長年、我が社を支えてくれました』

 

 そこまでのエージェントが果たして存在しただろうか、と感じつつピアーナは通信を切って《ラクリモサ》の先導する部隊の位置情報を把握していた。

 

「……何機かは撃墜されたようですわね」

 

「艦長、今の《ファーストヴィーナス》に仕掛けるのは得策とも思えません。それに、聖獣を確保したからと言って、人類の言う事なんて聞くのでしょうか……」

 

 クルーの不安も無理からぬ事。

 

 これまで絶対的な存在として屹立してきたMFがこの期に及んで味方に転がるなど、人類のどこを探しても想定外のはずだ。

 

「……身構えるべきはわたくし達、なのかもしれませんね」

 

 ピアーナが管制室を出るなり、騎屍兵達が両脇を固める。

 

 彼らには武装が許されており、ポートホームから派遣されてくるエージェントの検分も入っている。

 

「ファイブ。貴方は前回、先走りが過ぎましたね」

 

『失礼を。あの戦場で相手方を押し上げていた敵を撃墜せねば、と気が急いた結果です』

 

「……優秀な兵士はそれゆえに、結果を求め過ぎてしまう。それが如何なる形であっても」

 

『我々は死者です。リクレンツィア艦長、ご命令があればいつでも』

 

「その心構えはよろしい。ですが、足をすくわれてからでは遅いのですよ。今は一手でも、優位な情報が必須のはず。どの陣営にとっても……」

 

 ポートホームに着く際、壁に背を預けていた人影にピアーナは足を止めていた。

 

「こんなところで油を売っている場合ですか。ヴィクトゥス・レイジ特務大尉」

 

「諫言痛み入る。しかし、私としても愛機が半壊させられた状態だ。正直に言うと手が余っているのだよ、フロイライン」

 

 相変わらずの甘ったるい口調だけは確かなようで、ピアーナはヴィクトゥスにため息を返す。

 

「……貴方が死ぬかもしれないなど、杞憂だったようですね」

 

「信を置いてもらっている証なのだと思っているがね」

 

「わたくしをその舌先三寸で懐柔出来ると思わないように。お得意の口さがだけは、まだまだ死んでも直らなさそうですからね」

 

「万華鏡とやり合えば、死も覚悟する。しかし、君があそこで呼んでくれて助かったとも」

 

 それは自分にとっての失態だ。

 

 まさか前後不覚になって彼の失ったはずの名前を紡いでしまうなど。

 

「……忘れてください」

 

「忘れないとも。何よりも、艦長に名を憶えてもらったと言うのは光栄でね」

 

「だから、忘れてと言っているでしょうに……」

 

「格納デッキに収容されたあれを見た。凄まじいな、月の聖獣とは」

 

 そう言えば、とピアーナは益体のない質問を感じ取っていた。

 

「……聖獣をあの距離で見た事は?」

 

「月軌道決戦時以来だな。あれだって最大望遠だ。まぁ、私は一度死んだ身。あの時の記憶は誰かの残滓のようなものだろう」

 

「……では《サードアルタイル》のパイロットが充てられると言うのも」

 

「初耳だ。しかし、現行人類であれを扱えると言うのか? 聖獣に乗っていたのは婦女子であったと聞く」

 

「口の軽い整備班も居たものですわね。とは言え、確証めいたものは何一つありません。前回の戦闘ログを参照するに……コックピットに相当する場所にファム……彼女が……乗っていたと言うだけの……」

 

 網膜の裏側に映し出されたのは、《ダーレッドガンダム》に収容された銀髪の少女の映像であった。

 

 まさか不幸の象徴(ファム・ファタール)――生きていたとは。

 

「私にとって面識は薄いのだが、ベアトリーチェでのクルーであったと記憶している」

 

「ええ。……そのはずだったのですが……どうして見落としていたのでしょうか。彼女の記録は全て抹消済みです。今アクセス出来る領域は……万華鏡、ジオ・クランスコールの妹と言う、嘘としか思えない情報のみ」

 

「万華鏡の妹君か。それは、確かに不幸を呼ぶな」

 

「それも本当かどうかは怪しいものですが。わたくしはこれより、エージェントと謁見します。貴方は……その必要はないかと存じますが」

 

「少しは艦長の職務を軽減出来るかと思う。もっとも、これも驕りかも知れないが」

 

 とは言え、エンデュランス・フラクタル本社からの特級エージェントと言う触れ込みだ。一度は顔合わせをしておいたほうが、後々に禍根を残さずに済むだろう。

 

「……了解しました。ファイブ、ナイン、わたくしの警護を」

 

「私は何をすればいい?」

 

「見ていれば結構」

 

 切り捨てた自分の声音に、ヴィクトゥスは肩を竦めるのみであった。

 

 ポートホームの位置情報設定を相手から受信し、量子転送されてきたのは一人の青年士官であった。

 

 しかし、その面持ちと姿に、ファイブが思わずと言った様子で声を発する。

 

『……グゥエル?』

 

 そう、自分にとっても見知った存在――ベアトリーチェクルーの一人であったグゥエルが、精悍な顔つきでこちらへと挙手敬礼する。

 

「エージェント、サイファー。これよりモルガンにて第三の聖獣、《サードアルタイル》のパイロットとして着任いたします」

 

 呆然とするとはこの事で、ピアーナは絶句していた。

 

 身を乗り出したのは想定外にファイブで、彼はグゥエルにしか見えない相手の肩を揺する。

 

『おい、グゥエル! グゥエルなんだろ! 何やってんだ、こんなところで……!』

 

「……ファイブ?」

 

 いつもの彼らしくない。全てを切り捨て、非情に徹する騎屍兵の態度とはまるで正反対であった。

 

「失礼ながら、騎屍兵ファイブ様。グゥエルとは誰なのです? 私はエージェント、サイファー。エンデュランス・フラクタルの擁する特級エージェントとして、《サードアルタイル》のパイロットに任命されて――」

 

『何言ってるんだ! お前はグゥエル……グゥエル・レーシングだろう! おれは……おれはお前が死んじまったって……あの時、月軌道決戦で聞かされて……、ああ、でもこれじゃ分かんないか……』

 

 ファイブは常時着用を命じられているヘルメットを解除し、その相貌を晒して見せる。

 

 ピアーナは露わになったファイブの素顔に、息を呑んでいた。

 

「嘘……でしょう……、トキサダ様……?」

 

 その段になってようやくファイブはこれが失策であった事を悟ったようであったが、それでも彼は止まる様子はない。

 

「グゥエル! お前が生きていたのなら、おれだって、無用な犠牲は出したくないんだ! ……アルベルトは……ヘッドは……まだ前に出たがっているが、それも止めさせて、全部……全部なかった事にしようぜ! おれ達なら、もう一回凱空龍を――!」

 

「失礼ながら誰かと勘違いなされているのではないですか。私はエンデュランス・フラクタルの所有物です。あなた方と面識はない。騎屍兵ならば、その面子を保つためにも、素顔は晒すべきではないと考えます」

 

「水臭い事……言ってんじゃねぇよ、グゥエル……! お前が生きていてくれただけでも……」

 

「だから、分からぬ事を言う。グゥエルとは誰なのです」

 

 振り解かれたファイブの腕は彷徨うばかりであった。

 

 あ、と言葉に詰まったファイブへと、グゥエルにしか見えないエージェントは冷徹に告げる。

 

「私は兵装として扱われるはず。リクレンツィア艦長、《サードアルタイル》へとガイドを頼みます。……しかし、鉄壁の騎屍兵が、言うのも何ですが聞いて呆れる。亡者の面影に囚われるなど」

 

 エージェントとしての声を振り向けて、襟元を正したサイファーに、グゥエル少年の面影は全く見られない。

 

 それでも見間違えようもなく、彼は――グゥエルにしか映らないのも事実。

 

「……お前……そんな言葉遣い、どこで覚えたんだ……! おれは凱空龍の副長で……」

 

「言葉遣い? ああ、失礼でしたか。しかし、一度錯乱した騎屍兵の方をあしらうのには、この程度で充分かと」

 

「お前……!」

 

「そこまでです、ファイブ。彼はエージェント、それも本社より送られてきた特級の。よってこれ以上の個人的心象による阻害は、本社から咎められます」

 

 そこまで言ってから、ファイブはよろめいていた。

 

「……嘘……なんだろ……?」

 

「何が嘘なのでしょうか? 私はエージェント、サイファー。あなた達の言う、聖獣を駆るに値する者です。それ以上でも以下でもありません」

 

 そうと断じた機械としか思えない論調に、ファイブは今さらに、恥じ入るようにヘルメットを装着していた。

 

「艦長、彼へと厳命を。余計な感傷に気取られれば、それだけ戦場での致命的な損害になる。覚えておくとよろしい」

 

「え、ええ……それは心得ておきましょう。サイファー、貴方はこのまま《サードアルタイル》へと……」

 

「ご案内を。しかし、騎屍兵がうろたえなど。それは最早、戦場を闊歩する死者としては失格なのでは?」

 

 ――戦場を闊歩する死者。

 

 その呼び名にファイブは何も言えなくなっているようであった。

 

 ピアーナは目線でヴィクトゥスに了承を取り、彼は頷く。

 

「では、わたくしはナインと共に向かいます。ファイブ、貴方は少しばかり、前回の戦闘での疲労が蓄積しているようです。見えもしないものを見ている。よって、次回の戦場での出撃許可は出せません」

 

『そんな……艦長……!』

 

「騎屍兵は常に冷徹。そして、怜悧な眼差しで戦場を俯瞰する者。そんな死者達に、余分な感情は毒なだけです」

 

 そう断じる事でしか、今は彼を救えない。

 

 ヴィクトゥスがファイブの肩を叩き、下がらせていく。

 

 ピアーナは残されたナインと共に、サイファーと肩を並べていた。

 

「それにしても壮観に映る。エンデュランス・フラクタルの新鋭艦、モルガンは。まさか聖獣を鹵獲するなど思いも寄りません」

 

 声も、姿もグゥエルそのものに違いないのに、その立ち振る舞いと隙のない所作からエージェントとして最強格であるのは窺える。

 

「……偶然の産物ですよ。全ては」

 

「その偶然を制する事が出来るから、あなた方は強い。《サードアルタイル》の兵装は自律機動兵装なのだと既に耳にしております」

 

「そうですわね……あれは、言ってしまえば王族親衛隊、万華鏡の《ラクリモサ》が近いのでしょう」

 

「ジオ・クランスコール。一度お目にかかりたかったところです」

 

「もしかすると……相対する可能性もあります。それも戦場の敵として」

 

「いいでしょう。撃ってみせます。私は、そのために規定されたエージェントなのですから」

 

 ――ああ、そうまでして。否、そういう風に叩き込まれているように。

 

 エンデュランス・フラクタルの教えをまるで拒む事はなく、彼は祝福のように告げてみせていた。

 

「《サードアルタイル》で艦長の禍根は打ち切ります。それが私の役目なのですから」

 

「ええ、そうですわね。……それが、エンデュランス・フラクタルの、そうなのだと規定された、エージェントなのですから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か。平時とは思えなかった」

 

 ファイブと名乗っていたはずの騎屍兵の素顔は隠されているが、ヴィクトゥスは先ほど目にした相貌に心当たりがあった。

 

「……なるほど。君か。ベアトリーチェに居た、確か、トキサダ・イマイ……」

 

『その人間はもう死にました。今の私は……騎屍兵、ゴースト、ファイブ……』

 

「そう偏狭になるものでもない。それに、ね。もう知ってしまったものをなかった事には出来ないのだよ。逆はそうなのだとしても、理屈としては通らない」

 

『……あんたは……グラッゼ・リヨ――』

 

「悪いがそれも死者の名前だ。私は今は、王族親衛隊所属、ヴィクトゥス・レイジ特務大尉だとも。……もっとも、こっちも知られてしまっていたとは。とんだ道化なのはお互い様か」

 

 ファイブは声紋をこれまで変更していたが、首筋のスイッチを押し込んで声を発する。

 

「……あんたの事だ。どこかで見通しはついていたんだろう。黒い旋風」

 

「それもどうだろうかな。私の眼は特別製だが、そこまで見通しはよくなかったとも。少なくとも、あの時、月軌道決戦で散った命がまさか騎屍兵に返り咲いているとは想定外であった」

 

「……おれの事、あんたは嗤ってもいいはずだ」

 

「嗤えるものか。互いに道化を演じている者同士、何が嗤えるものか」

 

 ヴィクトゥスとして見ればそれは本音に近い部分であったのだが、ファイブの意見は違うらしい。

 

「……おれはまだ、騎屍兵で居なくっちゃいけない。これはケジメなんだ。あの時、生き延びちまった人間のケジメであり……おれが凱空龍の夢を終わらせる。そうでなくっちゃ、いつまでも戦場におっとり刀で飛び出してくるアルベルトや、ユキノをどうこう出来ない」

 

「やはり、見知った者達だとは分かっていて、君は剣を取るのか。それは修羅の道だぞ」

 

「動きで丸分かりなんだ……二人とも。だが、おれはもう死んでいる。死んでいるからこそ、出来る芸当っていうものもある。あんたもそれを込みで、生き返ったクチだろう?」

 

「生き返った、か。しかし既にグラッゼ・リヨンという愚者は戦場に散り、その末に残存したのは、ピエロを演じるだけの三文役者だとも。私は私の因果に決着をつけない限り、グラッゼ・リヨンとしての魂の安息はない。ここに突き立つのは敗北者……敗北者(ヴィクトゥス)だけだ」

 

「……分からないな。あんたは、別に死に場所はあそこじゃなかっただろうに。おれは……もうベアトリーチェに居た誰にも、顔向け出来ないって言うだけなんだ」

 

「私もそうだ。そこまで厚顔無恥だとは思って欲しくない。戦いのための仮面を纏い、そして敵を討つ。それこそが、敗者の栄光に相応しい」

 

「敗者の栄光、か。……あんたは勝利者になるつもりはないらしい」

 

「勝利者とは、戦場を見据える識者にこそ輝くものだ。今の私は恩讐の徒。たった一つの目的のために鼓動を燃やし続ける」

 

「《ダーレッドガンダム》、か……」

 

「彼は美しき獣だろう。私が肉薄してみせたのだ。それくらいは獣としての意地を見せていただきたいところだが……しかし、あの機体は本能に赴くところが過ぎるな。戦場単位での空間転移。どう考えても人類の手に余る」

 

「……あんたもそう考えているのか。《ダーレッドガンダム》は……何かがおかしい、って」

 

「何か? あれは歯車を欠いた懐中時計のようなものだ。重要な部品がまるでないのに、正常に動く事、それそのものが異常なのだと……そろそろ誰もが気付き始めている頃合いだと、思っているがね」

 

「……おれの事、あんたは……」

 

「告げ口など三流がする事だよ。私は、戦場の一時に狂える修羅であればいい」

 

 ファイブは首筋のボタンを押し込み、騎屍兵の声紋で応じていた。

 

『……ああ、それならいいんだ。しかし、おれは……いいや、私は弱いな……。死に場所もそうなのだと決めた戦場ですら、自らで描けないとは……』

 

「兵士は死に場所を飾るのが本懐に非ず。最後の剣がどこに突き立つかだけを考えておけばいい」

 

『……それは誰の言葉だ?』

 

 その問いかけに、ヴィクトゥスはナンセンスだ、と返す。

 

「ただの……引用不明な言の葉に過ぎんさ」

 

 



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第192話「覚醒」

 

 顔を合わせてみれば、それは驚愕もする、とカトリナは向かい合ったファムを迎え入れていた。

 

 しかし、現状警戒中なのには変わらず、ダビデはいつでも拳銃に手を伸ばせるように構えている。

 

 それは回収したはずのユキノも同じで、張り詰めた緊張の糸がファムと言うたった一人の少女のためだけにほどけかねなかった。

 

「ミュイ……なんだかへんなかんじ……。ムズムズする……」

 

「ファム……本当に、ファムなの?」

 

 格納デッキへと歩み出てきたのはバーミットで、ファムは彼女を認めるなり、駆け込もうとしていた。

 

 それを全員が制する。

 

 バーミットとファムは、互いに距離を取って硬直していた。

 

「……ミュイぃぃぃ……なんでっ! ファム、かえってきただけっ!」

 

「それはそう……なんだけれど……」

 

 信じられるものか。彼女が《サードアルタイル》のパイロットであり、そしてネオジャンヌの要であったのに、首魁であった存在を裏切ってこちらについたなど。

 

 性質の悪い夢のようであった。

 

 だがこれは現実。

 

《サードアルタイル》は実在し、そして聖獣は海に沈んだ。

 

 残ったのは、ファム・ファタールと言う少女だけ。

 

「……一つ気にかかったんだが……ファム。お前さん、何だって《サードアルタイル》を動かせたのを黙っていたんだ?」

 

「さ、サルトルさん! 空気読んで……!」

 

「阿呆、空気なんて読んでいたら、いつまでも聞き出せんままにまた戦場だろうが。おれは空気の読めないオジサンだからいいんだよ!」

 

 開き直ったサルトルの疑問はしかし、ここに居る全員の疑問でもあった。

 

 いつから――否、どこからが彼女の思惑で、どこからが巻き込まれていたのだろうか。

 

 カトリナは唾を飲み下してファムへと詰問する。

 

「……ファムちゃん……何があったのか、教えて欲しい。だって、《サードアルタイル》のパイロットだって分かっていたら、処遇だって違った。それとも……あなたは最初から、私達を巻き込んで……楽しかったの?」

 

 ベアトリーチェの旅路にいくつもの障害があった。

 

 それはファムを狙ってのものだったとすれば説明がつく。

 

 だがそうなのだと知れば、今度は迷宮だ。

 

 最初からファムは自分の身を守るために、ベアトリーチェを――ひいては自分達を、利用していたのか。

 

 当の本人は小首を傾げる。

 

「ミュイ? ベアトリーチェでいっしょにいたころはたのしかったよ? でも、なんでそんなことをきくの?」

 

「それは……! あなたが……もし、敵なのだとすれば、私達は……!」

 

 撃たなくてはいけない。いや、ここで撃たなければ禍根を残す。

 

《サードアルタイル》のパイロットを確保したのだとすれば、他の勢力への牽制にもなる。

 

 自分はオフィーリアを預かる委任担当官として、冷徹に判断を下さなければいけないはずなのだ。

 

 だと言うのに、ここで甘さが勝ってしまえばまたまかり間違う。

 

 引き金を引く役目はここでは自分のはず。

 

 断じてユキノやダビデに譲ってはいけない。

 

 彼女の処遇は――運命を壊す鍵は、自分の中にあるのなら。

 

 ホルスターの拳銃に手を添えようとして、指先が震え出していた。

 

 ファムが《サードアルタイル》のパイロットだから恐ろしいのではない。

 

 ここで撃ってしまえる自分が、撃とうとする自分の正しさと言う名の圧に震えているのだ。

 

 撃てれば幸福なのか。

 

 世界の敵を撃ってしまえれば、血濡れの淑女としての名は、自分の中に収まるのだろうか。

 

 ぐっと奥歯を噛み締め、撃つぞ、と念じる。

 

 撃ててしまえれば、自分はもう、迷いの只中になんて。

 

 だが、ファムを目の当たりにして、その迷いは深まるばかりだ。

 

 彼女を撃って、では幸福になれるのか。

 

 幸せに――なれるのだろうか。

 

「私は……ファムちゃん……撃ちたく……ない。撃たせないで……」

 

 それでも引き金を向けざるを得ない。

 

 自分はもう、オフィーリアの乗員の運命まで背負い込んでいるのだから。

 

 突きつけられた拳銃にファムは目を潤ませる。

 

「なんで……? なんでカトリナは、ファムをこわがらせるの……?」

 

「何でって……だってあなたは……私達の旅を危険に晒した元凶で……あなたを撃てば、みんなが……幸せに成れるはずで……世界から脅威が除かれて……みんな……」

 

「ミュイぃぃぃ……わかんないよ」

 

「それは……私もそう……。どうすればいいの……? 何も……分かんなくなっちゃった……」

 

 震える銃口が、それでも、と引き金に指をかける。

 

 自分だけではない。

 

 世界を救えるのなら、ヨゴレの一つくらいはここで請け負う。

 

 請け負えれば――楽なのに。

 

「楽に……転がっちゃ駄目……っ、カトリナ……っ!」

 

 銃口を下ろす。

 

 泣き出したファムはバーミットへと真っ直ぐに駆けて行った。

 

「よしよし……怖かったのね、ファム……」

 

「うん……ずっと、こわかった……」

 

 全員分の沈黙が降り立つ。

 

 分かっている。自分は、またまかり間違えたのだと。

 

 それでも、撃つ事で正しさを示せるのならば、もうとっくの昔にこの引き金は引けているはずなのだ。

 

「――それでいい。カトリナ・シンジョウ」

 

 起き上がって声にしたのは《ダーレッドガンダム》より回収されていたクラードであった。

 

「クラードさん……」

 

「お前はそれでいい。甘さと弱さは違う。まるで別のものだ。……だから、あんたはそれを貫け。そうじゃなくっても、あんたの言う道は茨の道なんだ。幸せになろうなんてな」

 

 あ、と今になって先ほどまで脳内を堂々巡りしていた解答が飛び出す。

 

 幸せになる、いや幸せになるための道標を自分だけじゃない、みんなで幸せになるために――。

 

 全てを犠牲にしたっていいと息巻いたはずだ。

 

 ならば自分一人で悲劇を気取っている場合でもないのは事実である。

 

「……クラードさん、私を試して……」

 

「何の事だ。俺は今、気が付いたところだ」

 

 クラードの額には汗の玉が浮いている。

 

 相当に無理をしているのは明らかで、サルトルが肩を貸していた。

 

「しっかりしろ! クラード! ……ここで死なれりゃ、寝覚めが悪いってもんだ」

 

「そう、だな……。俺も、そう思っていた……」

 

 意識を閉ざしかけては、何度も痛みに耐えるようにして、その糸を切らさぬようにしている。

 

 そう映ったクラードの赤い眼差しは、不意に二階層へと注がれていた。

 

「……ヴィルヘルム……」

 

 ヴィルヘルムが格納デッキに赴き、クラードを見据えているが、その瞳には静かな恐れが宿っていた。

 

「……クラード。お前は……今――どっちなんだ?」

 

 その問いをオフィーリアのクルー達は誰も回答出来ない。

 

 しかし、当のクラードだけは別のようであった。

 

「……世話をかけさせた。今の俺は、エージェント、クラードだ。戦闘行動を続行する」

 

「そんな……! 駄目ですっ、駄目……だってそれじゃ、クラードさんだけが傷ついちゃうじゃないですかっ!」

 

「……俺が駄目になろうと、アルベルト達が居るだろう」

 

「それでもっ! あなたじゃないと駄目だから、言ってるんですよぉっ!」

 

 叫んだ自分の言葉は自分でも不明瞭で、カトリナはハッとする。

 

「あ、あれ……? 私、何言って……」

 

「クラード。委任担当官の命には従う。そうだな?」

 

 問いかけたヴィルヘルムの声音はいつもより何故なのだか厳しい。

 

 そうでないのならば――という意味を持たせた語気にクラードは応じていた。

 

「……ああ。俺は委任担当官、カトリナ・シンジョウに従う。従うのだと、俺自身が決めた。だから……俺はお前の疑問に答えるよ、ヴィルヘルム」

 

 クラードが白衣の袖を捲り上げる。

 

 その場に集った全員が絶句していた。

 

 前回の戦闘で負ったと思しき痛々しい怪我の痕跡を覆うのは、蒼い血潮であったからだ。

 

 そこらかしこの傷口が蒼く凝固した血液で塞がっている。

 

「それ……って……」

 

「ミラーヘッドと同じ色相。そしてお前は……もう彼岸に行ったのだな? クラード」

 

 クラードはこちらを一瞥する。

 

 どうしてなのだか、それはさよならを告げるかのように、寂しく、そして喪失の響きにしてはあまりに脆く――。

 

「すまなかった、カトリナ・シンジョウ。それにみんな。俺はみんなに嘘を付いている」

 

「嘘……って……」

 

 クラードはその腕を可変させる。

 

 可変を遂げた腕より伝った血の一滴は、蒼い色であった。

 

「俺はもう、人間でもライドマトリクサーでもない。彼方より辿りし彼岸の存在。――波長生命体だ」

 

「波長……生命体って……」

 

 だがその馴染みのない言葉が、どうしてなのだか今は思い出せてしまっていた。

 

「……エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。彼と一つになってから、お前の変化をモニターするような時間も暇もなかった。だから、もっと早く……ああ、そうだとも。わたしがもっと早くに、気付いていればよかった……。お前は……何でそんな事まで背負ってしまえるんだ……クラード……!」

 

 どうしてなのだか、ヴィルヘルムの論調には嗚咽が混じっている。

 

 やめて欲しい。

 

 まるでそんな、クラードが人間ではないみたいに。取り返しのつかない領域にまで、行ってしまったような言い草なんて。

 

「ミュイ……クラード、どうしたの……? なんで、ないてるの……?」

 

「――俺が泣いている……?」

 

 その段になってクラードは、頬を伝う涙を感覚したらしい。

 

 何もかもが今さらの出来事で、そしてそれらを飲み込むには、全員の時間が足りていなかった。

 

 ファムが《サードアルタイル》のパイロットであった事も。

 

 クラードが波長生命体と呼ばれる存在になってしまった事も。

 

 何もかもが、自分達にとってはあまりにも遠い出来事でありながら、何よりも近い出来事であった。

 

「クラード。ならば確信した。やはり《ダーレッドガンダム》は……」

 

 濁したヴィルヘルムに、クラードはああ、と落涙しながら言いやる。

 

「あれはMF07、《セブンスベテルギウス》。最後の……聖獣だ」

 

 ――最後の聖獣。

 

 それがどのような意味を持つのか。

 

 今の自分達にはまるで理解の及ばない事実であった。

 

 



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第193話「聖獣誅殺」

 

 全ては想定内だ、とイリスは告げていた。

 

「《セブンスベテルギウス》……この次元宇宙において《ダーレッドガンダム》と呼ばれし機体が禁断の扉に行き着く事も。そして、私達はその扉が開くのを観測する側である事も、だ」

 

「それは僕達に……安息なる死に場所なんてない、って言いたいのか……」

 

「それがエーリッヒの運命。エーリッヒは……この次元宇宙に漂着したその時に、全てを悟っていた。次元宇宙の終焉、“破局”を。そして、何のために自分は召喚され、これからも同じく、自分達は呼ばれ続けるのかを」

 

「……それがクラードの名を辿る者の末路だって言いたいのか……。私達にはもう、手段なんて残されていないとでも?」

 

 マーガレットの抗弁はある意味では正しい。

 

 彼女はエンデュランス・フラクタルに潜んでまで、この世界を変えようとした。

 

 見据えようとした世界の果てが、まさか拒絶なんて誰も思わないだろう。

 

「エーリッヒの名を継ぎし、私達は感じ取れる。五感を超越した感覚で。これも、思考拡張の賜物だと、そう思っていい」

 

「だが分からないのは、何故、エーリッヒは自分が彼らに解体され、その末に待つのが地獄だと分かっていても、そうせざるを得なかったのか、という事だ。僕達はだって……彼よりも後にこの次元宇宙に訪れた。救済者……英雄としての働きを期待されて。それらが全て嘘……虚飾だって言いたいのか?」

 

「嘘ではない。あなた達を呼んだのはこの次元宇宙の祖たる存在。もっとも、彼の声は遮られ、あなた達にはただ単に情報として、光の一つとして受け取られたのだろうけれど」

 

「だってそうだ……そのはずだ……! 私達は、この世界を……! 欲望と俗世に塗れた、このどうしようもない次元宇宙を……救いに来たはずじゃないかぁ……ッ! そこに何が待っていたとしても! 英雄として! 世界の総意として!」

 

 マーガレットの声に熱が籠る。

 

 彼女は世界に絶望するのと同じくらい、世界に希望も見出していた。そうでなければ、世界への叛逆行為など実行に移せるはずがない。

 

「……分からないものだ。拒む事と愛する事が、同じ意味を持つなんて……」

 

 力なく呟いたザライアンはそのまま上昇軌道に移っている《ファーストヴィーナス》よりもたらされる映像を仰ぎ見ていた。

 

《ゲシュヴンダー》を擁したまま、《ファーストヴィーナス》は遥か彼方――成層圏にまで至っている。

 

「……これが君達の狙いなら、僕らはとんだ水先案内人ってわけか」

 

「MFだけでは《シクススプロキオン》を倒せない。だが、私達の叡智があれば、まだ届く。この世界そのものを覆う悪意に」

 

 イリスは手を差し出す。

 

 それは先ほどまでとは意味合いが違っていた。

 

「……私は、殺せればいい」

 

 そう、小さくこぼしたのはヴィヴィーであった。

 

 彼女はイリスよりもたらされた情報に何の異論も挟まなかったが、ここに来て真紅の瞳が殺意を帯びる。

 

「そこまでして……私達を迫害したいのなら……私は殺してやる……! 私達に襲いかかる、全てを! 我々、波長生命体を拒むと言うのなら、とことんまで……! この世界全てを血に染めてでも……! 塵殺だ……! この世界に息づく人間共を、この手で! それこそが私達、MFパイロットにとっての救済だ!」

 

 誰もが押し黙っていた。

 

 その理論は間違っているなど口が裂けても言えるものか。

 

 ヴィヴィーは、エンデュランス・フラクタルに捕らえられ、拷問の日々を送って来たのだ。

 

 彼女にとって、現行人類は滅ぼすべき存在であり、その力の象徴こそが《ネクストデネブ》なのだろう。

 

 ならば、分かりやすい救いなど、自分達は講じるべきでもなく。

 

「判断は……これで纏まった、と言っていいのかしらね」

 

 イリスの言葉にマーガレットは言い置いていた。

 

「全てを委ねるとは言っていない。あくまでも、その事実が正しいのなら、と言う前置きがある。もし……一部でも私達を謀ろうと言うのなら、反撃が来ると思っておいてもらいたいね」

 

 ザライアンもイリスへと眼差しを据える。

 

 彼女は首肯していた。

 

「約束しましょう。それに、ここまで話した事の中に、間違いはない。私達の知り得る、世界の仕組みであったのだから」

 

「エーリッヒの忘れ形見、か……。彼は真っ先にこの次元宇宙に迷い込んで、絶望し、そして救済の道を辿れない事を理解した。もう、そこには何もないのだと……“破局”でさえも、織り込み済みの事象であったのならば」

 

「エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーは偉人として登録されるか、それとも異端として裁かれるかのどちらかであった。彼にとってしてみれば、千年前の叡智で成立する来英歴を、ともすれば救いたかったのかもしれない。あまりにも……我々は暴虐の果てを辿っていた」

 

「それが純正殺戮人類の最果て……か。《ファーストヴィーナス》、静止軌道に入った。本当にこの座標で合っているんだろうな?」

 

 浮かび上がった《ファーストヴィーナス》は衛星軌道上より走査の網を走らせる。

 

 ザライアンが思考拡張の網の中で捉えたのは、巨大なる魔であった。

 

 三角錐型の推進装置を一対有する、「8」の字型の拠点防衛砲撃装置――《シクススプロキオンエメス》が、宙域より地上を睨んでいる。

 

「……今ならば獲れる、か……」

 

「油断はしないほうがいい、ザライアン・リーブス。相手もパイロットが乗っている……このマグナマトリクス社のエージェントが言うのには……彼らの手の者だと言うのは……」

 

「にわかには信じ難いが、それでも飲み込むしかないだろう。僕らには……もう選択肢なんて多くないんだから」

 

 勝負は《シクススプロキオンエメス》がこちらに勘付く前に、であった。

 

《ファーストヴィーナス》が加速度を上げて推進し、黄金の反射装甲を逆立たせる。

 

 先ほどの砲撃は、咄嗟の防衛が働いたが、今の自分達にそれほどの余裕はない。

 

 如何にMFとは言え、操るのは人間だ。

 

 よって聖獣同士の戦いでは、手の読み合いが決め手となる。

 

《シクススプロキオンエメス》がゆっくりと、その一対の砲門をこちらへと照準していた。

 

 全体としては極めて行動は緩慢でありながら、一度でも見据えられればお終いなのだと直感出来る。

 

 ザライアンは唾を飲み下し、メインコンソールに腕を突き立てて生態部品を絡みつかせていた。

 

 脳髄に焼き付く、電磁の刃。

 

『“言っておくが機会は一度きりだ。外せばそこまでだぞ”』

 

「分かっている。……これだから、レヴォルの意志って奴は」

 

 逆立たせた黄金の帯を敵勢へと狙いを定め、そのまま掃射する。

 

《シクススプロキオンエメス》の堅牢な装甲を射抜くのにはあまりにも足りないが、それでも自分達に出来る抵抗はこの程度だ。

 

 薄紫色を誇る装甲の一部を剥離させつつ、第六の聖獣がこちらを睥睨する。

 

 咆哮が銀河を引き裂く雄叫びのように相乗し、その叫びそのものとしか思えない砲撃が、空間を突き抜けていた。

 

 掠めるだけでも全滅。

 

《ファーストヴィーナス》は直上へとミラーヘッドの段階加速で逃れ、一撃目を回避してみせる。

 

『“初撃は計算通り、真っ直ぐであった。だが、再チャージまでの概算時間はまるで分からない。もし……今の砲撃が十パーセントにも満たない力だった場合”』

 

「分かっている! ……再装填までの時間的余裕なんて与えるつもりはない!」

 

《ファーストヴィーナス》が降下するとの同時に黄金の稲光を放射し、《シクススプロキオンエメス》の表皮を抉る。

 

 僅かに垣間見えた内部装甲板に向けて、黄金の帯を穿っていた。

 

 波打った軟体の内部装甲がこちらの攻勢を受け止め、直後には拡散させている。

 

「……ミラーヘッドか……!」

 

 忌々しげに口にしたザライアンは、相手がミラーヘッドの残像現象を利用して、致命的な一撃を凌いだのを感じ取る。

 

 砲口を中心軸にして円環を辿った宇宙を引き裂く絶叫が再装填される。

 

「間に合わない……!」

 

「狙われているぞ! ザライアン・リーブス!」

 

「……ああ。だが、これでいい。今の一撃を食い込ませられただけで――僕らの勝利だ」

 

 確信した声音と共に《シクススプロキオンエメス》の砲撃が中断される。

 

 何が起こったのかと相手が認識したその時には既に遅い。

 

 先ほどの黄金の帯に潜ませたのは《ゲシュヴンダー》編隊であった。

 

 如何に相手がミラーヘッドによって致命傷を免れようとも、ゼロ距離での《ゲシュヴンダー》の破壊工作には反撃も出来ないはず。

 

 全て――作戦通りであった。

 

《シクススプロキオンエメス》が内側より爆ぜる。

 

 光学迷彩を纏った《ゲシュヴンダー》は次々と爆薬を発動させ、《シクススプロキオンエメス》を粉砕していた。

 

「……拠点防衛の聖獣が、墜ちる……」

 

 茫然と口にしたマーガレットに、ザライアンは詰めの一手を加える。

 

 黄金の帯を四つに組んで、直方体にして速射し、イリス達が開けた傷口へと止めの一撃となって食い込んでいた。

 

 着弾と同時に雷撃が拡散し、《シクススプロキオンエメス》の叡智が破られていく。

 

 派手な爆発の光輪を広がらせることもない。

 

《シクススプロキオンエメス》は完全に沈黙していた。

 

「……さて、拝ませてもらおうか。彼らの姿を」

 

《ゲシュヴンダー》が分け入り、敵機から抉り取ったのは小さなカプセルであった。

 

 それは彼女らが言及を恐れていた存在であり、同時に自分達をこの世界に「約定」で縛り付けた張本人。

 

『……こんなに小さい存在が、まさか――話に聞いていた彼ら、ダーレットチルドレンだったなんて……』

 

《ゲシュヴンダー》の掌に無数のケーブルと共に引き千切られたダーレットチルドレンの躯体が転がる。

 

《ファーストヴィーナス》をゆっくりと降下させ、《ゲシュヴンダー》達と合流していた。

 

「……これが……彼らの本当の姿、か」

 

 そして何よりも意味を成すのは、この来英歴が始まって以来の、この次元宇宙の人間による、神殺しに等しい行為であった。

 

『こちらでも確認。イリス、“聖獣討伐作戦”の完遂と、思考拡張による相手の構想阻害を加味し、これよりラムダは通常航行に移るわ。ジャマー装備を展開、相手の出端を挫く』

 

『了解。それにしたってこんな小さなのが……世界の支配者なんてね』

 

『物事は分からないものよ。私達が推測するよりも早く、推移していく。それに、どれだけ憶測を並べ立てたって真実の前には無力でしかない』

 

「真実……本当に、これでよかったのだろうか……」

 

 浮かべた懸念にマーガレットが応じる。

 

「彼らの判断だったんだ。それに、私達は手を貸しただけに過ぎない。いずれにせよ、頭を押さえられている状態では、《ファーストヴィーナス》は敗北しかなかった。たとえこの結末が現行人類にとって望まぬ結末であったとしても、私達が手助けしたのはひとえに、自らの生存権のため」

 

「ああ……ラムダへ。こちらの望み通りの計画に手を貸してもらえると、思っていいのだろうか」

 

『請け負っているわ。私達、マグナマトリクス社はこれより、MFパイロット三名の亡命先として、あなた達の身柄を受理。三体の聖獣の力を用いての反撃戦闘に移る』

 

「……まだここは僕の思考拡張の領域外だ。よって月のラグランジュポイントまでの水先案内人をお願いしたい。《ファーストヴィーナス》は目立ち過ぎる」

 

『空間転移で行けるのでは?』

 

「……それも万能じゃないと、分かっているから協力体制を敷いたんだろうに。僕達はそちらに従おう。マグナマトリクス社の……」

 

『名乗りが遅れたわね。ラムダの艦長を務める、マーシュ。マーシュ・ブラウニー。これより、マグナマトリクス社の責任者として、あなた達、聖獣を駆る者達への協力を行います。こちらの目的は、ただ一つ……ダーレットチルドレンの打倒にある。あなた達の約定と、そしてこの次元宇宙の人々の功罪を裁くのは、誰よりも聖獣の担い手が相応しい』

 

 マーシュと名乗った女性艦長は装甲内に《ゲシュヴンダー》を格納したこちらに対し、あくまでも対等の様子であった。

 

「聖獣の担い手、か。これまで散々恐れて来て、事ここに至って対等の立場としての交渉……本気なのか?」

 

 ヴィヴィーの疑問も分からないでもないが、ザライアンは代表して声にしていた。

 

「……マグナマトリクス社が僕達の手助けをしたのは事実だ。現行人類にしてみれば、彼らの……ダーレットチルドレンの平定に別段、不満もないはずなのに。どうして、叛逆を企てる僕らを助けた?」

 

『いずれ分かる。私達は大きな目標のために、手を組むべき相手への無為な詮索はしない』

 

 それを素直に賢明だと、言えればまだよかったのだろうが、エンデュランス・フラクタルのような強硬策を取られる可能性だってゼロではない。

 

「お互いに腹の探り合いは……現状は野暮なだけ、か。一つ、教えて欲しい。あなた方はこの世界を破滅させたいのか、それとも救いたいのか」

 

 ナンセンス、とばかりに即答される。

 

『救済しなければならないでしょう。この世界は堕ちるところまで堕ちている。このまま熟れた果実のような最後を迎えるよりかは、まだチャンスがあるのだと、私達はそう思いたい』

 

 ザライアンは《ファーストヴィーナス》より見果てぬ星の運河へと視線を投じていた。

 

「……まだまだ広いな。星の外海は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「回収した時より、手は加えていません。これで動かせるとでも?」

 

 こちらの問いにエージェント、サイファーは応じる。

 

「無論です。今や、聖獣の叡智は何も特別なものではなくなっている。コックピットブロックへの誘導を」

 

「……承知しました」

 

 しかし、とピアーナはその後ろ姿を目にして考える。

 

 どうみても、自分の記憶にあるグゥエルの姿にしか映らない。否、それよりもまさか、という思いが突き立っていた。

 

 ――騎屍兵はあの時死んだはずのトキサダだった?

 

 騎屍兵の身分情報は暗号化され、自分の権限でも彼らの「生前」の情報にはアクセス出来ない。

 

 しかし、ファイブは自らヘルメットを外し、そしてサイファーに問い質していた。

 

 ともすれば、これまでだって辛い決断をさせていたのかもしれない。

 

「……ゴースト、ファイブがトキサダ様だったとすれば……エージェント、サイファーがグゥエル様でも……何らおかしくはない、か」

 

 そうだとすればエンデュランス・フラクタル本社は深い闇を抱えているのかもしれない。

 

 ならば、その闇の集約たるクラードは、一体何者だと言うのか。

 

 彼の個人情報にかつてアクセスした事があったが、あれは表層であった。

 

 クラードは何故、レヴォルを動かすに足る存在だったのか。

 

 彼の素性に何が隠されていると言うのか――問答は増えるばかりだ。

 

「……エージェント、クラードの存在に……この世界の秘密が隠されている……?」

 

 そう規定しなければ、彼と言う一個人の手の中にレヴォルの手綱が握られているはずもない。

 

 ピアーナがエンデュランス・フラクタルの秘匿事項にアクセスしかけて、不意に声が弾ける。

 

「おい! 《サードアルタイル》が動いているぞ……!」

 

 メカニック達の声が滑り落ちていく中で、《サードアルタイル》が稼働し、モルガンの格納デッキを押し上げていく。

 

「何をやっているのです! 出撃は許可していません! エージェント、サイファー!」

 

『いえ、許可は要りません。あなたよりも上級のライセンスを得ている。私はこれより、敵の排除に向かいます。モルガンの艦長として、あなたは関知しないで結構』

 

「そうは……そうは行くと思っているのですか! あなたの身柄はわたくしの権限で――!」

 

『それは本当ですか? 一度試してみるとよろしい。そうでない事が浮き彫りになる』

 

 ピアーナはサイファーへの強硬策へとアクセスしかけて全ての情報権限がエラーに上塗りされていた。

 

「エラー……? わたくしの権限を上回る……?」

 

『だから、言ったでしょう。無駄だって。それに邪魔する意義はないんですよ。我々の敵を淘汰するのみですから』

 

「……敵……オフィーリアへの攻撃を……」

 

『それはいずれ。まずは、地上に蔓延る敵を掃討します。これより、MF《サードアルタイル》は聖獣として覚醒し、既存の地上戦力を焼き払う。それによって生み出されるのは、新たなる秩序』

 

「地上戦力への攻勢……? 権力への叛逆だとでも言うのですか……!」

 

『力は、分配され得る場所に収まらなければいけない。エンデュランス・フラクタルの下に、力は統治され、そして世界は一つになる。訪れるのは調和。この乱れた世界を、再構築する』

 

《サードアルタイル》の虹色の皮膜が格納デッキを満たし、モルガンの内側から爆砕しようとする。

 

《サードアルタイル》ほどの巨躯を押し留める方法はない。

 

 最早、ここまでか、と奥歯を噛み締めたピアーナへと、声が響き渡っていた。

 

『諦めるなんて……らしくないでしょ! キミなら!』

 

 声の主を確かめる前に、出撃準備に入っていた《ネクロレヴォル》が《サードアルタイル》へと体当たりをかましていた。

 

 剥き出しのコックピットより垣間見えた面影にピアーナは絶句する。

 

「……メイア・メイリス……」

 

『キミなら、こんな事に異議を唱えるはずだ! それがボク達にとって叛逆だと言うのならば!』

 

 しかし虹色の皮膜に押し出され、《ネクロレヴォル》とは言え、機体が分解寸前まで追い込まれていく。

 

『なんの……ッ! これしきィ……ッ!』

 

 両腕を押し込み、《サードアルタイル》の中枢部に向けて《ネクロレヴォル》はビームサーベルを払っていた。

 

『小賢しい真似を』

 

 浮遊した《サードアルタイル》より波打つビットの一斉掃射が行われる。

 

《ネクロレヴォル》の装甲が浮き上がり、そのまま崩壊の途上を踏んでいた。

 

「《ネクロレヴォル》とは言え、そのままではやられます! メイア・メイリス!」

 

『いや……ゴメン。ここで撤退したら、ボクの中に眠る叛逆の因子は、また諦めちゃう事になる! 月軌道で彼に託したんだ! 間違いを正すためだけに、戦って欲しいって! ならさ……!』

 

 両腕にビームサーベルの光刃を携えた《ネクロレヴォル》が二刀流で《サードアルタイル》へと縋りつく。

 

《サードアルタイル》は児戯とでも言うように虹に波打つ光を放射し、《ネクロレヴォル》を押し飛ばしていた。

 

 コックピットの中で、メイアが衝撃波に身をひき潰されたのが伝わる。

 

「メイア・メイリス! 撤退しなさい!」

 

『……冗、談……ッ! この機体にもあるんだろう……? レヴォルの意志よ! ボクに従え……ッ!』

 

 アイリウムの輝きを灯らせた《ネクロレヴォル》が幽鬼の如く頭部を蒼く燃やして、ミラーヘッドの残像現象を伴わせつつ、《サードアルタイル》に猪突していた。

 

《サードアルタイル》より噛み砕く勢いでの虹の皮膜が蠢動する。

 

 表面装甲が剥離し、蒼く燃ゆる亡者と化した《ネクロレヴォル》が《サードアルタイル》の装甲へと爪を立てていた。

 

 浮遊した《サードアルタイル》が幾度も振り払おうとパーティクルビットを放射する。

 

 その勢いに打ちのめされた《ネクロレヴォル》が宙を舞い、モルガンの甲板部に叩きつけられていた。

 

「メイア……!」

 

『全ての事象は終わりを告げる時が来た。第三の聖獣は世界を暴くであろう』

 

《サードアルタイル》はそれこそ磔刑にかけられた絶対者の如く君臨し、虹色の光を放ちながら彼方の空へと消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

第十七章 「真実へと手を伸ばすとき〈ザ・リベリオン・オブ・トゥルース〉」了



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第十八章「想い、彼方の闇を超えて〈フラワー・オブ・アルゴリズム〉」
第194話「地獄のその先に」


 

『――由々しき事態となった』

 

 そう告げたダーレットチルドレンの声を受けて、クランチは煙草を噛み締める。

 

「面倒な命令だってんなら、お断りだぜ。あの鉤爪の機体……あいつはヤベェ。やり合えば確実にどっちも無事じゃ済まねぇだろうさ」

 

『そうではない。いや、《セブンスベテルギウス》も可及的速やかに対応を行わなければいけないが、それよりも、だ。我が陣営の一つである、《シクススプロキオンエメス》が攻略された』

 

「聖獣の鹵獲なんてやっからだ。最初から、身の丈ってもんを考えねぇからこんな事になっちまう」

 

『諫言痛み入るが、そうも言ってはいられなくなってきている』

 

 クランチは《ヴォルカヌス》にもたらされる情報のうち、一つを拾い上げていた。

 

 静止衛星よりもたらされた画像は粗いが克明に映し出している。

 

「……第三の聖獣か」

 

『《サードアルタイル》が彼の者の手に堕ちた。それだけは止めなければいけない』

 

「分かんねぇな。《シクススプロキオンエメス》が墜ちたんだろ? そっちはいいのかよ」

 

『既に手は打ってある。それに、墜ちたのならばまだいい。元々、我らの次元宇宙では手に余る代物だ。それに彼らとて、《シクススプロキオンエメス》を鹵獲しようと言う腹ではあるまい』

 

『左様。問題なのは、《サードアルタイル》が企業に――エンデュランス・フラクタルの手に落ちたと言う事実』

 

『彼の者達はこれから炙り出しを行うつもりであろう。地球圏の支配特権層への排除行動と、そして我が方への攻勢。即ち、世界と言う盤面を覆すつもりだ』

 

 紫煙をくゆらせるクランチは《サードアルタイル》の攻撃目標地点を睨んでいた。

 

「……分かんねぇもんだな。現状、人類の持つ有限のフロンティアを破壊して回るなんざ。それはただの怪物と変わんねぇだろうに」

 

『エンデュランス・フラクタルの狙いはそこにある。第三の聖獣を用いての、自らへの糾弾がもたらされない形での秩序構図の刷新』

 

『一企業が聖獣の力を独占するのは《フィフスエレメント》以来の衝撃がもたらされる。この世界を根底から破壊し尽くすつもりだ』

 

「じゃあ何か、オイ。俺含むあんたらは、義憤の徒として立ち上がり、聖獣狩りにでも繰り出せって事か?」

 

『理解が早くて助かるよ』

 

「冗談じゃねぇ。死にに行けって言ってんのか、てめぇら。スポンサー命令とは言え、聞き入れられねぇよ」

 

『無論、策もなく死ねなど誰が言えるものか。君は、クランチ・ディズル、この世界を我らの手中に収めるのに随分と貢献してくれた。その度合いも理解している。それに、君なくして我々の生存権の確立は難しかっただろう』

 

「世辞はいいんだよ、クソッタレ。てめぇら可愛さに俺を切るってか?」

 

『切るなど、とんでもない。君には《サードアルタイル》に対しての、特権を付けよう。聖獣狩りの英雄としての力だ』

 

「《ヴォルカヌス》よりも馴染む機体でも充ててくれるってのかよ」

 

『まずは、ミラーヘッドメギドの特殊性でもって、《サードアルタイル》に肉薄。彼の者達の企みを阻止する。君は地球重力圏でのエンデュランス・フラクタルを制してくれたまえ。特級のMAを授ける。世界を欺き、全てを欺瞞の向こう側へと落とし込む機体――真理の扉を開くだけの機体を。ランデブーポイントを指定しておく』

 

 想定外の言葉にクランチは絶句する。

 

「……まさか……落としてくるってのか。第六の聖獣をそのまま、地球圏に……」

 

 だが相手に使われるのが癪ならば獲らないわけでもない選択肢である。

 

《ヴォルカヌス》のコックピット内に《シクススプロキオンエメス》との合流時間の概算が示されていた。

 

 その道中には王族親衛隊の誇る地上前線基地がある。

 

「……なるほどね。弾薬を補給してから、第六の聖獣の力をこの手に、ってワケかい。どうにも利用されている感じは否めねぇが……それでも俺には手段はねぇ。何よりも、この地上を今に聖なる獣が焼き払おうってんだ。なら、請け負おうじゃねぇの。世界を救う――英雄としての立ち位置ってのをよ」

 

《ヴォルカヌス》の赤い機体が宵闇を掻い潜って地上を抜けていく。

 

 クランチはかつて自分達が踏みしだいてきたような戦場を眼下に入れていた。

 

 同じような戦場、同じような死に様と、同じような人々。

 

 彼らはこの世の終わりまで殺し合い、そして互いに分かり合う事はないのだと規定して刃を振るう。

 

 自分は、そんな地獄から救い出されたのだとそう思うべきなのだろうか。

 

「……いいや、俺は結局、地獄の延長線上に居るだけさ。なら、もうちょっとマシな地獄を選ばせてもらうだけの話だ。底辺で喰い合っている連中には同情するぜ。何せ俺みたいな人でなしでも、成れるって話だからなァ! 英雄ってヤツによ!」

 

《ヴォルカヌス》が爆発の音叉を響かせる戦場を俯瞰し、そして彼らの戦い振りを嘲笑う。

 

 世界の座を掴むのならば、数百人殺した程度ならばそれは殺戮者だが、何億人を救えるのならばそれは一転して英雄と成り得る。

 

 クランチは高笑いを上げつつ、かつての自分が居たであろう、戦場の景色を蹂躙していた。

 

 突然に割り込んできた《ヴォルカヌス》相手に、ただただ統制を行っていただけの軍隊がうろたえる。

 

『な、何だこれは……! 赤い機体……!』

 

「喰らえよォッ! ミラーヘッドメギド!」

 

 分散した赤銅色のミラーヘッドを伴わせ、クランチは一機、また一機と愚かなる機体を葬っていく。

 

『お、応戦! 応戦――ッ! トライアウトの統制を邪魔させるなーッ!』

 

「別に統制の邪魔なんてしてねぇよ、たわけが。強いヤツが生き、弱いヤツが死ぬだけだ。そんなもん、この世界の始まりから決まっている弱肉強食って言う、一番シンプルな掟だろうが!」

 

 ミラーヘッドメギドの領域は友軍、敵軍を問わない。

 

 うろたえた兵力を飲み込み、たたらを踏んだ相手を斬り伏せていく。

 

 そこに善悪はなく、ただの力の求心力が意味を成すのみ。

 

《レグルス》を叩き据えた斬撃が灯り、型落ちの《マギア》が焼け落ちていく。

 

『な、こっちの味方じゃ……ない……? ミラーヘッドオーダーを受諾! すぐに適応――』

 

「――遅ぇ。その心臓、いただくぜ」

 

 ミラーヘッドの赤い中核を腕で射抜くと、いとも簡単に相手は総崩れに陥っていく。

 

 クランチは敵味方を問わず、全ての事象が終わりを告げていく戦域で、ただただ――喜悦に嗤っていた。

 

「これだ! これが戦場の愉悦ってもんだ! 今さら、何が怖ぇもねぇ。俺はこの世界を――来英歴を救う英雄サマってヤツになるんだからよォ! 道開けろ、たわけ共が!」

 

『れ、《レグルス》が押し込まれる……』

 

 その頭蓋を爪で突き破り、MSの駆動系を引き抜いてミラーヘッドの伝導液が迸る。

 

「ったく、三下程度ですらねぇ。いいか? この場末でプライドだとか、くだらねぇもんにこだわっているって言うんなら、そんなもんは犬にでも喰わせとけって話だ。戦場で意味を成すのは! 力だけだ! 力だけを求めて、俺はこの世に舞い降りた! さぁ、踊ってくれよ、皆の衆! 俺はこれから、聖獣の力を得て、この来英歴ってもんを救うんだからよ。最大の饗宴だ! 群衆は多いほうがいいぜェ……歓声よりも断末魔のほうが心地いいがなァ!」

 

『この……人でなし、が……』

 

「悪いな。人であろうと思った事はねぇよ」

 

 足元に縋りついてきた機影を撃ち抜き、《ヴォルカヌス》は地上を支配していた。

 

 同期したミラーヘッドメギドの残影がアステロイドジェネレーターを打ち砕き、この世界の最果てに捧げられる生贄達の血を浴びる。

 

 赤銅の死神達が帯びるのは、蒼い血潮であった。

 

「さぁ、少しはタマぁ付いてんだって言うんなら、来いよ。《ヴォルカヌス》が、このクランチ・ディズルが! てめぇら全員、錆びにしてやるって言ってんだからよォ!」

 

 その眼窩に闘争の光を滾らせ、クランチは自身の生まれ育った戦場を駆け抜ける。

 

 ――そうだ、これこそが原初の証。

 

 これこそが自分の走るべき、故郷であろう。

 

 戦場だけが望郷の念を抱かせ、そして悦びの中で身を躍らせる。

 

 太刀が掻っ切り、敵影を引き裂く。

 

 ひび割れた《レグルス》の頭蓋を押し開き、アイリウムの混じった液体を啜る《ヴォルカヌス》は、まさに悪鬼。

 

『……化け物……』

 

「そいつァ、最大の褒め言葉ってヤツだ! 恐れろよ、凡人共! 俺が! その命に彩りを添えてやらァッ!」

 

 アンカー武装が《マギア》のコックピットを撃ち抜く。

 

 火の粉が舞い散る戦場で、ただそれだけをよすがにするかのように、《ヴォルカヌス》は咆哮していた。

 

 



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第195話「死の風圧」

 

「敵影に動きあり! これは……《サードアルタイル》です!」

 

 もたらされた伝令にレミアは格納デッキに集まっているはずのバーミット達へと通信網を走らせていた。

 

「バーミット、それにカトリナさん達も。今は再会を噛み締めている場合でもなさそうね……」

 

 浮遊した《サードアルタイル》が望遠映像でメインモニターに映し出され、その機体より滑り落ちる蒼い焔を宿らせた機影を認識していた。

 

「あれは? 《ネクロレヴォル》……?」

 

「の、ようですが……何が起こっていると言うのでしょうか。モルガンが《サードアルタイル》を回収してから先、不明瞭な事ばかりで……」

 

「答えを求めていたって好転はしない……というのはまさしくその通り。聖獣は解き放たれた。各員、戦闘配置! 第三の聖獣の動きに警戒しつつ、出せる戦力は出し渋らないでちょうだい」

 

『艦長! オレも出れます!』

 

 直通通信を繋いだアルベルトに、レミアは眉根を寄せる。

 

「……アルベルト君、あなた、機体がないでしょう」

 

『《マギア》でも何とでもなりますよ。オレだって伊達にエージェントをやってねぇってんですから』

 

「……それもそうか。いいわ、損耗の少ない部隊を最優先。《サードアルタイル》はどう出るか分からない。持ち場に戻って、各自、戦闘に移れるように――」

 

「すいません、遅れました」

 

「遅いわよ、バーミット……って、その子も管制室に?」

 

 瞠目したのは、バーミットがファムを引き連れていたからだ。

 

 この戦場の、ともすれば中心軸の人間をこの場に呼んで大丈夫なのかどうかの議論に挙げる前に、バーミットはファムを空いていた席に座らせる。

 

「いい? ファム、あんたはそこで何もせずに、じーっとしていなさい」

 

「ミュイ……バーミット、あいかわらずおに」

 

「うっさいわね! ……艦長、これが私の下す最大限の冷静な判断です。目の届くところに居れば、ファムは悪さはしません」

 

「保証はないでしょう?」

 

「ええ、ないです。でも……これは確信めいた言葉で申し訳ないんですけれど、経験則って奴なんです」

 

 そう言われてしまえば、自分に挟む言葉はない。

 

「……分かったわ。あなたとファムの絆とやらを信じましょう」

 

「いい? じーっとしていなさいよ」

 

「ミュイぃぃぃぃ……バーミット、しつこいぃぃ……」

 

 ファムはテーブルモニターに顔を押しつけつつ、それでも三年前とまるで変わる事のない態度で応じる。

 

 三年の隔たりを感じているのはまるでこちらだけのような感覚であった。

 

「……懸念事項は、浮かべるだけ無駄か。今は、一つでも確定事項が欲しいところだし。アルベルト君を先頭にしてRM第三小隊は対聖獣へと。ダリンズ中尉も、行ける?」

 

『構わないが……少しばかり面倒が起こっている。格納デッキで巻き起こった事象を飲み込むのには少しばかり時間がかかりそうだ』

 

 一体、何が起こったのかを今問い質しても仕方ないだろう。

 

「……分かったわ。今は不問にします。聖獣がこれだけの距離にまで肉薄したのは三年前のモデルケースしかない。MF02、《ネクストデネブ》時のデータを再演算。レヴォルがないのが痛いけれど、それでも私達はあの頃よりか強くはなってきたはず」

 

「生き意地が汚いの間違いかもしれませんけれどね。アルベルト君? 配置出来るのはただの《アイギス》よ。あなたの専用機じゃない」

 

『それでも、今気張らないと一生後悔するでしょうに。こっちは準備完了です』

 

「……やれやれ、血気盛んな、とでも言えばいいのかしらね。無茶をするエージェントを持つと気苦労が絶えないわ」

 

「それ、艦長が言います? ……どっちにしたって、今のオフィーリアはかなり参っちゃっていますよ。クラードも……あんな事を言い出すなんてどうかしている」

 

「クラードが? 何かあったの?」

 

「……今は、混乱の種、でしょ」

 

「……それもそうね。何があったのかは尋ねるべき時があるのでしょう。敵影を捕捉。これよりオフィーリアは重力航行に移り、モルガンと対峙します」

 

『《アイギス》、アルベルト・V・リヴェンシュタイン、出るぞー!』

 

 アルベルトの声に続いてユキノが発進位置に入っていく。

 

「RM第三小隊は随時、発進へ。射出タイミングを譲渡します」

 

『……了解。でも……あんな事があって、みんなまともに戦えるって言うの……?』

 

 どうやらユキノも惑っているらしい。彼女にしては戦いに湿り気のようなものを持ち込むのは珍しかった。

 

「……後でいくらでも聞きます。今は、目の前の聖獣が脅威」

 

『……分かりました。でも、一番傷ついているのはカトリナさんだと思います。通信終わり。ユキノ・ヒビヤ、行きます』

 

「カトリナさんが……?」

 

 不明瞭なまま、レミアはオフィーリアから出撃したRM第三小隊を眺めるしかない。

 

「《サードアルタイル》は依然として驚異的な推力を誇ったまま、このまま直上に……出るのか……?」

 

「上から攻撃されれば我が方はまるで対策なんてない。包囲陣を固めて、そのまま迎撃態勢に移る。もしもの時の艦砲射撃、切らさないで」

 

 命令を下しながら、レミアはこの情勢を脳裏で計算していた。

 

《サードアルタイル》はモルガンの格納デッキを破って出撃したようにも映ったが、何が事実で何が嘘なのかは後で決まるはずだ。

 

 動かなければその是非でさえも問い質せない。

 

「RM第三小隊は両翼に展開。ミラーヘッドオーダーを受諾。いつでも第四種殲滅戦に移れます……が……」

 

 バーミットが言葉を濁すのも分かる。

 

 第四種殲滅戦に移ったとして、勝てる要素がまるで皆無な状況下で、ではいたずらに損壊ばかりを出したところでどうすると言うのか。

 

 今は、一つでも確定事項が欲しいのに、相手の思惑でさえも不明である。

 

「……ミラーヘッドの攻勢が通用するのかどうかは賭け。……だけれど、やらないよりかはやって後悔しましょう」

 

「……聖獣を相手取るのなら、か。あたしもヤキが回ったもんですよ。こんなのオペレーターの仕事じゃないでしょう。勝てるかどうかも分からないのに、送り出すなんて……」

 

「いつだって、私達は一言二言足りないのよ。終わってからそれに気づくだけで」

 

「それも、誰の言葉なんですか」

 

「……引用不明の、誰かさんのね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上昇軌道に移る《サードアルタイル》の巨体は予め聞いていた情報以上で、アルベルトは浮つき気味な《アイギス》の姿勢を制御しつつ、その威容に唾を飲み下す。

 

「……あれが、第三の聖獣、か。各員、ビビったらやられる。ミラーヘッドオーダーは受諾してんだ。こっちのほうが数は有利だって事、覚えておけ」

 

『ヘッド……ですが……』

 

「ユキノ、小隊長だ。……オレをヘッドって呼ぶのは許さねぇ……」

 

『……でも、クラードさんが……。あれはどういう意味なんでしょう。波長生命体って……ヘッドは知っていたんですか?』

 

 かつて月軌道決戦時、テスタメントベースにて、エーリッヒが言い残した言葉の一つである。

 

 あの時はその意味も、ましてやもたらされた言葉が神託なのか呪いなのかも分からないままであった。

 

 しかし、今ハッキリしているのは呪いの側面だ。

 

「……オレ達の足を取るって言うんなら、成功しているぜ、エーリッヒの爺さんよ。だが、ここで足ぃ止めて、クラードに幻滅されるのはもっと御免なんだよ! 各員、《サードアルタイル》へと包囲陣形。波状攻撃を仕掛ける!」

 

『り、了解……!』

 

 うろたえ気味の兵士が居るのも理解している。

 

 聖獣へと直接仕掛けるなど、この三年間、一度として破られなかった理だ。

 

 それを今、自分達は崩そうとしている。

 

 ダレトが開いてから先、屹立した理の一つを。

 

 自分達はこの手で、切り開こうと言うのだ。

 

 身震いも当たり前、それでも――戦わなければいけない。

 

「クラードに頼れねぇんだ……。RM第三小隊総員、ミラーヘッドを展開! 幸いにしてオーダーの権利はこっちにある。相手の遊撃が巻き起こる前に、絞り込んで敵影を金縛りにする!」

 

《アイギス》部隊が疾風の如く蒼いミラーヘッドを展開し、一瞬にして戦力が四倍近くに膨れ上がった機影が《サードアルタイル》を囲む。

 

 ここまでの作戦は上々。

 

 しかし、ここからはまるで出たとこ勝負。

 

 アルベルトは掌に浮かんだ嫌な汗を拭う間もなく、その全景が大写しになった敵方に絶句していた。

 

「……これが、モビルフォートレス……」

 

 単純なスケール比だけではない。

 

 この気圧されは、畏敬の念が宿っている。

 

 巨体はほぼ動いていないが、円環の物体から糸のようなもので吊るされたマリオネットの形状を取る《サードアルタイル》は、存在感だけで圧倒的であった。

 

 ミラーヘッドで戦線を拡張しているのに、全く彼我戦力差が埋まった様子はない。

 

 それどころかより克明に、相手との力量差が浮き彫りになっていくかのようだ。

 

『……聖獣を相手にするのは……記録されている限りではクラードさんのケースだけ……』

 

 ユキノが思わずと言った様子でそう呟いたのも理解出来る。

 

 クラードならば、彼と《レヴォル》ならば勝てるかもしれない――そんな淡い幻想があったのも事実。

 

 しかし、純然たる力の塊を目の当たりにすれば、自分達のような凡庸さは委縮するのみであった。

 

《レヴォル》なら、クラードなら、と言う次元ではない。

 

「こんなもの……人がどうこう出来るのか……?」

 

 隊長である自分が口にしてはいけない言葉であったのかもしれない。

 

 だが、そのような弱音が出るほどに、眼前にした聖獣の威容は全てを硬直させる。

 

 こちらが先手を打っているはずなのに、誰も照準に移れていないのがその証。

 

 先走って銃撃するような人間は、この場には居なかった。

 

 誰もが聖獣の存在に中てられたまま、ただ漫然と時間だけが過ぎていく。

 

 その秒数が十秒をカウントした際、ようやく意識を取り戻せたアルベルトは、奥歯を噛み締めてから、ようやく声を振り絞る。

 

「……攻撃……開始……ッ!」

 

 ミラーヘッドの幻像より四方八方からの銃撃。

 

 通常の敵ならば半数の撃破が可能である布陣であったが、直撃の白煙の向こう側より出現した敵機は健在――否、より正確に言い表すなら。

 

「……無傷……だと」

 

 黄色い装甲の継ぎ目に虹色の血脈を滾らせ、《サードアルタイル》の単眼の頭部が自分達を見据える。

 

 収縮したその瞬間、アルベルトには分かってしまっていた。

 

 全てが無為なのだという事を。

 

 そして、反撃が来る。

 

「……やべぇぞ……ミラーヘッドの幻像を盾にして、総員、対ショック姿勢!」

 

 こちらの判断が早かったのか、それとも相手からしてみれば判断の早さ遅さなど意味を成さなかったのかは分からない。

 

 ミラーヘッドの蒼い分身体を絡め取ったのは虹色の皮膜であった。

 

 薄く波打ったかと思うと、それだけで分身体が破裂し、ダメージフィードバックが頭蓋を揺さぶる。

 

「……これは……何だ……? どういう攻撃だってんだ……!」

 

 明瞭に相手の意図を探る事も出来ぬまま、ただ損耗だけが蓄積していく中で、アルベルトは《サードアルタイル》が中心軸となって放つ虹色の波を見据えていた。

 

 全体像としてはオーロラの様相に近い。

 

 しかし触れただけで攻撃性能を持つなど、まるでこちらの技術力を凌駕している。

 

 いいや、初めからこちらの技術など、届いてすらいなかったと言うだけなのだろう。

 

「……各員! 防御陣形を取ったまま後退! 相手の波に触れるな! 触れただけでやられるぞ!」

 

 張り上げた言葉も虚しく、波打つ虹の本体に触れた《アイギス》が爆砕し、仲間の断末魔が通信網に響く。

 

『い、嫌だ! 嫌だぁ……っ!』

 

 アルベルトは深く瞑目し、言葉を噛み締めていた。

 

「……すまねぇ……オレが不甲斐ないばっかりに……。だが、終わらせねぇ。こんな結果で! 終わらせて堪るかってんだ!」

 

 改修されていない《アイギス》でも戦いようはある。

 

 ミラーヘッドの両翼を広げ、《サードアルタイル》へと衝突させ様に上昇機動に移り、まず相手の眼を眩惑させていた。

 

 その隙を突いて、巨大な敵機の直上に位置取り、頭部らしき箇所を狙い澄ます。

 

「落ち着け……落ち着けば、通るはずだ……オレ達の牙だって……これは! 人類の牙そのものだからだ!」

 

 出力を最大値に設定したビームライフルが敵の頭部を照準するも、それは放出された虹で掻き消されていた。

 

『無駄な事を。そのような行動は何の意味も持たない』

 

 不意に接続された相手のパイロットらしき声に、アルベルトはハッとしていた。

 

 いや、それよりも。

 

 自分よりも近しい人間が、その声に反応する。

 

『……この声……グゥエル?』

 

 まさか、とアルベルトは瞠目していた。

 

「……違う。グゥエルはあの月軌道決戦で……死んだはずだ。亡者の声を騙るなんて……」

 

『貴様らも、か。どうして私の事をその指標で呼ぶ。私はエージェント、サイファー。《サードアルタイル》を用いて全ての秩序構図を塗り替える――覇者の名前だ』

 

《サードアルタイル》が空間を鳴動させ、纏わりついていたRM第三小隊を振り切っていく。

 

 その推力はこれまで本気など出していなかったのがありありと窺えた。

 

 しかし、それでも《サードアルタイル》に必死に縋りついたのは、ユキノの《アイギス》であった。

 

『……ねぇ、嘘でしょう? ……だってあなたは……私を庇って……あの時……死んだはず……』

 

「ユキノ! 惑わされんな! 《サードアルタイル》は聖獣だぞ!」

 

 自分の声など、ユキノは聞こえていないように、虹の波を拡散させる《サードアルタイル》の装甲に刃を突き立て、言葉を振り絞る。

 

『……ねぇ、答えて……。私が……あの時死に損なった私を……ここで連れて行くために、そんな声をしているの……? 私が……今も生きているから……』

 

「ユキノ! そいつは違う! グゥエルじゃねぇ!」

 

 アルベルトは《アイギス》のビームサーベルを抜刀し、《サードアルタイル》へと唐竹割りを見舞うが、その一閃は虹の皮膜で阻害されていた。

 

 ビームサーベルは刀身が掻き消えている。

 

 すぐさま使い物にならなくなった武装を捨て、《アイギス》の靴底に装備されているアンカーを用いて《サードアルタイル》の装甲に降り立っていた。

 

 しかし、その領域は死地だ。

 

 放たれる虹の皮膜の暴風圏に相当するために、《アイギス》の装甲が激震される。

 

 長くは持たない――それは理解出来たがアルベルトはユキノの《アイギス》へと叫ぶ。

 

「ユキノ! 撤退しろ! こいつはここでは倒せねぇ!」

 

 違う。

 

 そんな言葉でユキノを――生き残った罪に囚われた彼女を解放する事なんて出来ない。

 

 今は強硬策でもユキノの機体を吹き飛ばし、聖獣から距離を取らせなければ。

 

 そう判断したアルベルトは一足ごとに装甲がひき潰される感覚を味わいながら、《サードアルタイル》の表層を歩む。

 

「……頼む……今は、退いてくれ。お前まで……囚われる事なんて、ねぇんだ……」

 

 歩みを進める自分の姿も見えていないようであった。

 

『……ああ、グゥエル……答えて! ……答えてよ! 私は……間違っていたの……? あなたが、生き残るべきだったから、こんな事に……』

 

『要領を得ないな、小娘。ここで死んで行け』

 

《サードアルタイル》の纏う風圧が変異する。

 

 その虹色の旋風がユキノの《アイギス》を捉えた事を反射的に理解した身体は、勝手に動いていた。

 

 機体を加速させ、彼女の《アイギス》へと体当たりして吹き飛ばす。

 

『……ヘッド……?』

 

「ああ、悪ぃ、ユキノ。それに、クラード。オレ、死ん――」

 

 その言葉が明瞭な意味を持つ前に、機体がこの世の摂理とは異なる速度で粉砕されていた。

 

 



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第196話「命、燃やせるのならば」

 

 目の前で爆ぜたのは蒼い輝きだ。

 

 それがアルベルトの姿を取り、自分を突き飛ばした瞬間、彼の微笑みが見えた気がした。

 

 そんな益体のない思考に身を浸していた自我が、起こった現象を理解したのは、《サードアルタイル》より機体が弾き落とされ、敵の攻撃領域から逃れてからだった。

 

「……いやぁ……ヘッド……」

 

 嗚咽が狭いコックピットに木霊する。

 

 また、生き延びた。

 

 また、死に損なった。

 

 そしてまた――自分は、誰かの犠牲の上で――。

 

 瞬間、ユキノの意識の糸は浮かび上がったシステムの警告に上塗りされていた。

 

『レヴォル・インターセプト・リーディング、起動。これより、コード認証を行います。専任ユーザー、マヌエルの実行を待機。システムコードを声紋入力してください』

 

 自分の知っている最後の術。

 

 自分の持ち得る、最大の毒。

 

 自分でも、敵に牙を突き立てられる、最善の策。

 

「エージェント、ユキノ・ヒビヤが命じる。コード、マヌエル、きど――」

 

『――駄目だ』

 

 割り込んできたのはダビデの《レグルスブラッド》であった。

 

 急速に《アイギス》を引き剥がされ、《サードアルタイル》が遠ざかっていく。

 

「やめて……離してっ………! 離してください……っ! 私は、死んででも、ヘッドに……報いなくっちゃいけないんです……! これが、凱空龍のメンバーとしての……」

 

『落ち着け、ユキノ・ヒビヤ。死ななくていい人間まで死地に赴くべきではない』

 

「でも、でもぉ……っ! ヘッドは私を……私みたいな替えの利く駒を庇って死んだんですよぉ……ッ!」

 

 涙が伝い落ちる。

 

 自分が削り落ちていく。

 

 もうこれ以上、何かを犠牲にする事なんてないと思っていた。驕りたかぶっていたのかもしれない。

 

 自分は強くなった。何も失わないくらい、強く――。

 

 だがその実は。

 

 何も成さない。何も成し得ない。

 

 愛すべき人を失い、守るべき人間を損ない、そしてその果てに、死に絶えなかった自我だけが小汚く残る。

 

 こんな汚点が自分の最果てなのか。

 

 こんなヨゴレだけが、自分の手に居残った証だと言うのか。

 

『落ち着くんだ。今は……誰一人として死ぬ事は許さない。追撃に向かう事は許可出来ないんだ。これよりオフィーリアへと帰投ルートを辿る。その後に……アルベルトの、彼の生死は問おう』

 

 何を言っているのだ。

 

 目の前で散ってしまった命一つ、どうこう出来ないのなら、それにはもう戦士の資格はない。

 

「私は……終わるのなら……ヘッドの傍で、死にたかったんです。どれだけ無茶をする人でも……傍らに居てあげられたら……だってそれだけで救えるはずじゃないですかぁ……っ……!」

 

『救えるのは自分の気持ち一つだけだ。それを手離してでも、勝利に縋りつくのが戦士の務めのはず』

 

「それは綺麗事でしょう……ッ!」

 

 メインコンソールを殴りつける。こんなにも無力、こんなにも弱々しい。

 

 女としての弱さなんて捨て去ったつもりなのに、眼前で消えた憧れの命一つの輝きに、もう魂の色はくすんでしまっている。

 

 こんな状態で、どう戦えと言うのだ。

 

 こんな自分で、どう生きろと言うのだ。

 

 泣きじゃくるユキノへと、ダビデは静かに言い添えていた。

 

『……一度帰還し、策を練る。そうでなければ《サードアルタイル》のパイロットに関しての事も、エージェント、アルベルトの処遇も……何一つとして、取りこぼすばかりだ』

 

 すぐに了承を返せない。

 

 それでも、ユキノは面を伏せたまま、接続の時を待つマヌエルの実行シークエンスをキャンセルしていた。

 

 水色の円環が逆戻しのように掻き消え、脈動が制止する。

 

「……了解」

 

 ここまで苦味を飲み込む事は、この三年間、何度もあったはずだ。

 

 何度もあったはずなのに、それでも自分を許せない。

 

 アルベルトの死一つで、身体は鉛のようになっていた。

 

 鼓動も、意識も、そして魂も――全て穢れてしまったかのようだ。

 

 もうこの世界で生きていく事に、何の気力も保てない。

 

「……私はだって……また、間違えた……」

 

 自分の腕一つなら、自分の肉体程度なら。

 

 どれほどまでも切り売り出来たはずなのに。

 

 ここまで自分は――弱くなったとでも言うのか。

 

『……ユキノ・ヒビヤ。オフィーリアの格納デッキに向かうぞ。残存部隊はミラーヘッドの段階加速を経て急速離脱。《サードアルタイル》の虹の波に捉われるな』

 

《サードアルタイル》の機影は既に遥か彼方へと消える。

 

 ユキノは《アイギス》から降り立つなり、駆け込んできたシャルティアが問い質したのを聞いていた。

 

「アルベルトさんは? ……どうなったんですか……」

 

「シャルティア委任担当官……ヘッドは……」

 

 濁しただけでも彼女には理解出来てしまったに違いない。

 

 どのような誹りでも受けるつもりであった。

 

 沈痛に顔を伏せた自分にはしかし、シャルティアからの罵倒の一つも浴びせられない。

 

 代わりにシャルティアは、その眼差しに希望の光を見出して、自分を真っ直ぐに見据えてくる。

 

 やめて欲しい。

 

 自分のエゴで張り手まで見舞っておいて、一端の口を利いた女相手に、愚直にも真っ直ぐな眼差しなど。

 

「……ユキノさん。アルベルトさんは、死んだんですね」

 

 シャルティアの口から出たとは思えないほどの冷徹な論調。

 

 すぐに何か気の利いた言葉を返そうとして、何一つ伴っていない事に気づく。

 

 自分は――アルベルトの死に、何一つとして飾り立てる言葉を持たない。

 

「私は……」

 

「ユキノさんに、負傷は?」

 

「あ、……いや、私は何も……」

 

「そう、ですか。よかったです。これで、まだ戦えますから」

 

 どうしてなのだろうか。

 

 あの時、カトリナに掴みかかった時のシャルティアはどう考えても子供であったのに、この数時間で彼女は冷静な判断を下せるだけの女性に成っていた。

 

 一体何がそうさせたのかは分かり切っている。

 

 アルベルトが、彼女の心を開いたのだ。

 

 だと言うのに、自分は真っ当に彼女の瞳にさえも誓えない半端者。

 

 ユキノは恥じ入るよりも、この選択肢を選ばざるを得なかった自らの境遇を呪っていた。

 

 一端に大人の女を気取って、見知った風な口を利いて、それで何が出来た?

 

 彼女らに、誇れる人間であり続けようとして残ったのはただの虚勢。シャルティアに何が出来た? 彼女は自分達の帰りを待つだけだ。

 

 その無力感を噛み締めていないはずがないのに、分かったような言葉繰りで自分は彼女より前に居る気がしていたのだ。

 

「……シャルティア委任担当官。私は……」

 

「ユキノさんが帰って来ただけでも次に繋がります。それこそがきっと……アルベルトさんの望んだ、明日でしょうから……」

 

 分かっている。

 

 目尻より流れ落ちるその滴。

 

 シャルティアだって辛いはずだ。

 

 彼女だって、アルベルトと何度も言葉を交わし、その熱量を持ったまま情景を抱いていた少女なのだ。

 

 アルベルトに――エージェントに死んで欲しくないのは委任担当官なら当たり前の事。

 

 だと言うのに、自分は彼女に最悪の結果を持ち帰ってしまった。

 

「……ごめん、なさい……」

 

 そのたった一言を口にするだけで、身が削れる思いであった。

 

 自分のせいでアルベルトは死んだ。

 

 ならば、釈明をするのが筋のはずだが、適当な言葉で――気の利いただけの台詞だけで――アルベルトの死を飾り立てられない。

 

 だって、アルベルトは自分にとっても特別な――特別な想い人だったのだから。

 

 その時、差し出されたのはハンカチであった。

 

 シャルティアだって辛いはずなのに、こうして自分にハンカチを手渡せる。

 

 それだけで、絆の違いを見せつけられたようですらある。

 

「……ごめんなさい、シャルティア委任担当官。……ヘッドを、守れなかった」

 

「サヨナラ出来なかったのは残念ですけれど、それでも私は委任担当官です。アルベルトさんの遺した仕事は、しっかりとこなしておきました」

 

「……ヘッドの遺した仕事……?」

 

「MF、《サードアルタイル》の存在と、そして王族親衛隊の目的。どうしてこうも同時多発的に事象が巻き起こったのか。……全ては、アルベルトさんの兄である、ディリアン・L・リヴェンシュタイン……彼が関わっている可能性が濃厚になりました」

 

「……ディリアン、って……」

 

「ええ、三年前、月軌道決戦時にベアトリーチェを強襲した人間です。彼は……まだ生きている。世界を牛耳るためだけに、残りカスのような命を絞って……」

 

 別段、仇討ちと言うものでもない。

 

 だが指針が見えたのは、今の暗中模索の自分からしてみればありがたかった。

 

「……MFに、回収されたファムちゃん……それに、万華鏡。どれもこれも、まるで離れている事実に思えるけれど、全ては……繋がっている……?」

 

「あるいは関係ない事実に関連性を見出したいだけの抗弁なのかもしれませんが……私は信じたいです。アルベルトさんの……命令に」

 

 アルベルトの命令。

 

 

 それは自分達、RM第三小隊と凱空龍の面々に残された、最後の寄る辺。

 

「……シャルティア委任担当官。ビンタを張ってごめんなさい」

 

 今さらだったのだろう。

 

 シャルティアは柔らかく微笑む。

 

「……結構効きました、あれ」

 

「実行しましょう。ヘッドの遺してくれた、その意志に報いるためにも……私達は、生きなければいけない。その命に限りがあるのを、理解しているのなら」

 

 その最後の一片まで。

 

 命ある限り、戦え。

 

 



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第197話「戻れない刻を重ねて」

 

「《サードアルタイル》はこのまま上昇を続けています。宇宙にでも出るつもりなんですかね」

 

 バーミットの報告にレミアは艦長帽を目深に被り直す。

 

「……それにしても、辛いわね、やっぱり。人が死ぬのは」

 

「アルベルト君が死んだのは何も艦長のせいじゃないでしょう。彼は最後まで力強く戦った……それだけで充分じゃないですか」

 

「いいえ、私はそんな……そんな糊塗された虚飾で、あの月軌道決戦でもたくさん死なせたわ。また……間違えたのかしらね」

 

「艦長が間違ったとすれば、それはあたし達全員の責任として跳ね返ってきますよ。上下関係無視して正直言いますけれど――舐め過ぎですってば。あたし達は、だってもう一蓮托生ですし。艦長だけ痛みを背負うって言うんなら、それこそふざけんなですよ」

 

 バーミットの強気な言葉が背中を押してくれる。

 

 こういう時、対等な身分の女の言葉はありがたい。

 

「……すまないわね。まだ……弱音を吐くのには随分と早いみたい」

 

「艦長はオフィーリアの作戦行動にだけ気を割いてください。問題なのは……戦力の激減と、委任担当官、か」

 

「カトリナさんは上手くやってくれるでしょうかね」

 

「どうでしょうね。……クラードの事もありますし、正直あたしはカトリナちゃんがもう、どん詰まりまで来ているんだと思います。そこで腐るか、諦めないかは彼女の領域ですし」

 

「冷たいのね、バーミット」

 

「知っているでしょう? あたし、冷たいんですよ。もっとウェットな人間なら、どれほどよかったでしょうけれど」

 

「いいえ。今はあなたのドライな意見が欲しい。戦いにおいて、死者の妄執に足を取られた側が負けるのは必定。私達は、《サードアルタイル》を逃すわけにはいかない」

 

「とは言ってもなー。ファム、あんた何か感じないの?」

 

 先ほどから地球のマッピング機能で遊んでいたファムへの言葉に、彼女は小首を傾げる。

 

「ミュイ? ……さんばんめ、よくわかんない」

 

「それはあんたじゃ捕捉出来ないって事?」

 

「なんだかへん。さんばんめ、ふんいきかわった」

 

「そう言えば……MFがもし人が操るものだとすれば……ダレトの向こう側より来たりし聖獣は、人の手で構築されたものだと言うの? あれは……どう考えたって来英歴の技術の何歩も先を行っている。でもそうなのだと規定すれば、ダレトの向こう側はこの世界の理とは違う宇宙だって言うの?」

 

「ミュイぃぃぃぃ……むずかしいこと、わかんない……」

 

 髪の毛を巻いて当惑したファムに、それもそうか、とレミアは感じ取る。

 

 何せ、事ここに至るまでMFのパイロットが人間であった事でさえも驚嘆すべき事実であるはずなのだが、受け入れてしまっている自分達も居る。

 

 ファムならば――MF、《サードアルタイル》のパイロットであったとしても、あり得るのではないか、と。

 

「問題なのは、《サードアルタイル》の手綱が彼女にはない事。あそこまで自在に動かして見せたのに、離れればそれっきり? そんなはずもないと思うけれど……」

 

「分かりませんよ。MFは人智の及ばぬ存在ですし。ファムー、あんた、何か《サードアルタイル》に関して知っている事はないの? あれの弱点だとか」

 

「じゃくてん……? わかんない。だってあのこは、ファムのじゃないから」

 

「その言葉も……どこまで信じていいのかしらね。どっちにしたところで最悪に転がり始めているのはハッキリしているのだろうし。オフィーリアはモルガンの動向を見据えて、このままの距離を保ちつつ推進力を維持する。今度、アステロイドジェネレーターが損壊したら、命なんてないんだからね」

 

「炉心の状態は安定域に入りかけていますけれど、それでも一度ダウンしたんです。空間巡航の時みたいな力強さは失われたと思っていいかと」

 

「ここは重力の井戸の底。私達がこれまで培ってきたノウハウは通用しないと思っていいわ。それに……気にかかるのよ」

 

 声を潜めた自分にバーミットは心得たように応じる。

 

「……ネオジャンヌ、ですか。確かに、ファムが動転して内部分裂って感じでしたけれど、それでもあの……艦長の妹さん、そんな事を仕出かすようには映りませんでしたからね」

 

「そう……身内褒めになるかもしれないけれど、キルシーは私よりもよっぽど人心掌握術があったはず。だって言うのに、こんな簡単に空中分解したのは、何もMF03の力が強大であっただけじゃない。あのネオジャンヌは滅びるべくして滅びた」

 

「元々、即席の組織だったんじゃ? それにしては、軍警察の統率された《エクエス》ばかりでしたけれど」

 

「気にかかるのはそれも。キルシーと軍警察の癒着なんて、どこであり得たのか……。あの子は実家に預けておいた手前、偉そうな口を利けるわけじゃないけれど……フロイト家は軍警察に発言力を持っているとは思えないのよね」

 

「艦長がトライアウトネメシスに居たのも、偶然と言えば偶然ですし。そこまで計算して動けるタイプじゃないってのが見立てですか」

 

「個人的な、そういう感情なのだけれど……キルシーは勝てる算段があったから、ネオジャンヌの設立を早めた。そう思わないとおかしな事がたくさんある」

 

「それはMF単位での戦力の拡充だとか?」

 

「それももちろんだろうけれど……あの子が何を思っていたのか、今となっちゃ……」

 

 言葉を濁したレミアはマッピングされた地球儀を回して遊ぶファムを視野に入れる。

 

 キルシーはファムとの出会いによって劇的に何かが変わったのだろうか。

 

 それこそ自分の世界を変えてしまえるまでに。

 

「……けれど、キルシー。それはあの子の力に酔っていただけなのよ」

 

「いずれにしたって、事ここに至っては出来る事は少ないですし。あたし達は出撃した機体の収容と修繕を。そうしないと、次の戦場にも出られませんよ」

 

「次の戦場、か……。バーミット、やっぱりあなた強かね。これでもまだ、次があるって、言い切れるんだから」

 

「言葉の上くらいは強くないと何もかもを取りこぼしちゃいます。そうでなくっても、みんな弱気になっているんだし。ここは、それくらいは、ってところでしょう」

 

「そうね……言葉の上だけでも、強く、か……。あの月軌道決戦の時に、本気で戦い抜けなかった己への戒めね、ほとんど」

 

 今回ばかりは、一つとして取りこぼしてなるものか。

 

 あの時、失ったものを全て取り戻すと息巻いているのは何もクラードだけではない。

 

「……そう言えば、クラードは? まだ《ダーレッドガンダム》に?」

 

「乗っているみたいですよ。……ヴィルヘルム先生が言うのには、本当にクラードなのか? ですって。どういう意味なんですかね」

 

「ヴィルヘルムが分からないのなら、私達に講じられる事なんて少ないのでしょう」

 

「ま、分からないなりにやれる事だってあるはずなんですし。あたし達はオフィーリアの管制室を預かっている分、責任だけは立派に存在するんですから」

 

「そうね……責任だけは……今の私達にとって、これほどまでにない、現実感なのでしょうね」

 

 しかし掛け替えのない人を失ったのは事実。

 

 それをクラードがどう受け止めるのか。

 

 カトリナはどうやって、その痛みから立ち上がるのか――全ては自分のあずかり知ると事ではないのだろう。

 

「……何せ、もう私達は……あの二人の背中を追う事しか、出来ないんだから……」

 

 

 



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第198話「強さと弱さ」

 

 強くあらねばならないと決意していた。誰よりも強く――。

 

 だから、アルベルトが撃墜されたのだと、そうもたらされた時にも、クラードは平静を装っているつもりであった。

 

「そう、か……。アルベルトが死んだか」

 

 報告してきた人影を見据える。

 

 コックピットの装甲越しに対峙したカトリナは、どこか感情を処理し切れていないようであった。

 

『……私は……アルベルトさんに、あれだけ叱咤されたのに……何も、答えを出せないまま、行っちゃうなんて……』

 

「悲しむのは後でも出来る。今は、俺達に出来るのは前に進む事だけだろう」

 

『……冷たいんですね、クラードさん』

 

「あいつが最後まで戦士として生きたって言うんなら、俺が下手に講釈を垂れるものでもないはずだ。アルベルトにはアルベルトにしか分からない戦いがあった」

 

『でもその戦いは……私が無理を言ってここまでやってきた三年間でもあるんですよ』

 

「あんたは委任担当官だ。だからアルベルトを導く役目があったし、その役目を最後まで全うするだけの気概があったはずだ。だって言うのに、ここで足踏みしてるんじゃ、意味なんてないだろう」

 

 カトリナはその手をそっと、《ダーレッドガンダム》のコックピットブロックへと触れさせる。

 

『……本当に冷たい……。クラードさん、教えてくださいよ。そこから出て来てください。何でもう……私達と対話をするのを、諦めちゃってるんですか。自分だけ彼岸に行っちゃったなんて、そんな事は言わないでください。私達はこの三年間、あなたの帰りを待ちわびて……』

 

「帰りを待てば、じゃあ報われるのか」

 

 通信越しにハッとしたのが伝わってくる。

 

『それは……』

 

「帰って来ない相手に期待したってたかが知れている。それに、ユキノが目の前で弾け飛ぶ《アイギス》を見たって言うんだ。なら、疑う余地はないじゃないか。俺は、次の戦場のために《ダーレッドガンダム》を万全にしておく。それが俺に出来る、戦士としての心構えだ」

 

『分かんない……っ、分かんないんですよっ、クラードさん! アルベルトさんは、抜け殻みたいな私でも、それでもあなた達、エージェントを導く委任担当官だって言ってくれました! 私は絶対に……諦めちゃいけないんだって! 駄目になっちゃ……いけないんだって……! なのに、なのにぃ……っ! 私、ここで折れてしまいたい……っ、駄目になれば……もう何も考えないでいいんなら……どれだけ楽なんだろうって……ぇ! そう思っちゃうんですよぉ……っ!』

 

 声の節々に嗚咽が混じっていた。

 

 悲痛な声だけが《ダーレッドガンダム》のコックピット内に残響する。

 

 永劫に失った寄る辺、永遠に失われたその感覚。

 

 アルベルトならば、彼ならば必ず帰ってくると、そう言えればよかったのだろうか。

 

 何も心配しなくっていい、アルベルトの事だ、きっと何でもない顔をして帰ってくるとでも。

 

「……馬鹿だろ、俺は。そんなわけないのに……」

 

 最適化しようとしていたキーのタイピングを止めて、クラードはその拳を握り締める。

 

『……クラード、さん……?』

 

「カトリナ・シンジョウ。俺は、アルベルトならば、背中を預けるのに足ると思っていた。笑えるだろう? 俺はエンデュランス・フラクタルの生み出したエージェントだ。彼の組織のためならば、命だって見限る。それだけ非情に徹する事の出来た、特級の存在だって言うのに……何でなんだ? 何で……アルベルトの死一つ……こうも冷静に処理出来ない……」

 

『それが心って……言うんじゃないですか?』

 

 カトリナの返答にクラードは面を上げる。

 

 モニター越しのカトリナは泣きじゃくって、見られたものではないとでも言うように顔を逸らす。

 

「……心……? こんなものが、心だって言うのか……? 苦しいだけだ、辛いだけだ、痛むばかりじゃないか……! こんなものが……心だって言いたいのか……!」

 

 これまで全てを封殺し、心なんて言う不確定要素を排除して来たと言うのに、ここに来て足を取られるのがその一言だとでも言うのだろうか。

 

 ――馬鹿馬鹿しい。心なんてまやかしだ。

 

 そうだとも。心なんて必要ない。

 

 ――お前はエージェントだろう? 最良の結果だけを読み取り、最適な結論だけで生きていけばいい。

 

 これまでは、それでよかった。

 

 ――何人殺してきた? どれだけの屍の上に、その命が成り立っていると思っている? だって言うのに、今さら弱くなれるものか。

 

 ああ、そうだろうに。

 

「……だから俺には……心なんて要らないと……そう思っていたんだ。邪魔なだけのイレギュラーなら、排除して、切り詰めて……その上で戦いにおいての正解だけで成り立てればいい。俺に必要なのは、力だけだ。力だけを求めて、俺はこの世界に、叛逆を……」

 

『でも、力だけじゃ……何も救えませんよ……』

 

 クラードはそこで考えを打ち止めにさせる。

 

 力だけでは何も救えない。その理が正しいとすれば、これまでの自分の行いは? これまで殺してきた人々は? これまで仕方ないと切り詰めてきた自身は――?

 

「……力だけで、よかったのに。何で俺に、こんな余計なものまで背負わせて、生き永らえさせた……《レヴォル》……!」

 

 分からない。分からないが、こうも胸が痛いのだ。

 

 締め付けられるように、呼吸でさえもまともではなくなって。

 

 誰かに預けてしまえれば、誰かに寄越してしまえればこれほどいいものもないのに。

 

 こんなに辛いのならば、心なんて自分の中には必要なかった。

 

 冷徹な機械であるだけのライドマトリクサーでいい。

 

 戦闘機械だ。

 

 兵器としての在り方を突き詰めたのが、自分自身。

 

 エージェント、クラードは最期の時までその身を紅蓮の炎に焼かれて、敵を狙い澄ます事だけに特化すればいい。

 

 そうなのだと――思い込んでいた。

 

 そう思えれば――どれほどよかったのか。

 

「……教えてくれ、《レヴォル》……。俺は、どうすればよかったんだ……? あの日……月軌道決戦でお前は、言ったな? 人間は痛み以外で泣ける唯一の存在なのだと。何でその言の葉を……知っていたんだ……」

 

『それはきっと……』

 

 カトリナが答えを発しようとする。

 

 それが自分以外の口から出るのが不快で、クラードは制していた。

 

「何も。何も言うな、カトリナ・シンジョウ。《レヴォル》と俺の記憶は俺達だけのものだ。他の人間に答えを言って欲しくない。……何でだ。これまでならそんな事、気にも留めなかっただろうに……」

 

 もう自分は、彼らに別れを告げたも同義なのだ。

 

 ――波長生命体。

 

 自分はもう、この世界を生きる人類とは違う理で生きていくしかない。

 

『それでも……クラードさんは私の……大切な人だから……』

 

「大切な人間……? 馬鹿を言え。エージェントなんていくらでも替えが利く」

 

『そうじゃ、ないんです……そうじゃ……。だってクラードさん、約束してくださいましたよね? オムライスの、約束……。絶対に食べに帰って来てくれるって。だったら、私にとってのクラードさんは、あなただけなんです。あなただけが……私のオムライスを……食べに来てくれるんですから……』

 

 無視すればいい。下らない約束だ。

 

 そんな事があったなんて憶えておかなくってもいいのに。

 

 だと言うのに自分は――月軌道決戦で交わした約束一つのために、この世界へと舞い戻った。

 

 それまでの「死なない戦い」から、「死ねない戦い」に。

 

 自分の命一つはもう、自分勝手に捨て去る事も出来ないのだ。

 

 何せ、あまりにも背負っている。

 

 この艦の運命も、誰かに預けられた命も、そしてほんの小さな、取るに足らない約束一つも。

 

「……俺は、こんなにも弱かったのか……」

 

 一人で戦い抜けばいい。自分はたった一人でも戦い抜けるだけのエージェントだ。

 

 誰の助けも要らない。誰かのトリガーになれば、その時点でただの引き金。鋼鉄なだけの虚無。

 

 そうなのだと、規定すればどれほど楽だと言うのか。

 

 引き金は絞られ、弾丸は敵を射抜くために存在するもの。

 

 それ以外に価値はなく、それ以外に意味もない。

 

 だってそんな事は言われるまでもない。とっくの昔に分かり切っていた事だろう?

 

 しかし、《ダーレッドガンダム》のコックピット越しに対面したカトリナの言葉に、自分はどうしてここまで揺れ動かされているのか。

 

 彼女の言葉も虚飾だと切り捨てる事だって出来るのに。

 

 自分は何に――意味を見出して。

 

「俺の弱さは……この世界を取り戻せやしない。叛逆なんて……」

 

『そうじゃないですよ。そうじゃない……だって、人って一人じゃ、立てるようには出来ていないんですから。だから、これはクラードさんだけじゃない。みんなの――叛逆なんです。この世界への、私達の声を、抗いを向けるための……』

 

「抗い、か……。だが俺は、二度も三度も間違えてそこから先があるとは思っていない……」

 

『きっと、大丈夫ですよ。だって、私も何度も間違えた。それでも、その度に立ち上がって、その度にみんなに励まされてここまで来たんです。だったら、一度折れたくらいじゃ、へこたれません。……でも、それでも……アルベルトさんが居なくなったのは……辛いですね』

 

 ここで一言でも辛いと言えば、自分はエージェントとしての資格なんてないだろう。

 

 返すべき言葉は一つ。

 

 ――そういう事もある。戦場を生きていれば、誰かの死に直面する事も。いちいち死に怯えていれば、足元をすくわれるだけだ。

 

「……俺は……怖い」

 

 だが口から出たのは、そんな想定とは正反対の言葉であった。

 

「俺が俺でなくなってしまう事も……アルベルトが居なくなってしまった事も……《ダーレッドガンダム》の力そのものも……。俺は、俺が思っている以上に、間違えてしまっているんじゃないのか? この世界への叛逆のつもりが、俺の思う世界なんて……この世のどこにも存在しなかったんじゃないか……と」

 

 手が震えはじめる。

 

 指先は、ここではないどこかを彷徨って空を掻いていた。

 

 アルベルトならば――彼ならば分かったのだろうか。

 

 自分の赴くべき心の先を。

 

 どう生きて、どう死ねばよかったのかを。

 

 今さらアルベルトに尋ねたところで、答えなんて永劫返って来ないと分かっているのに。

 

 その時、不意にコックピットブロックが開け放たれていた。

 

《ダーレッドガンダム》の緊急ハッチを開いて、カトリナが自分と対面する。

 

 これまで、直接的に会話する事のなかった自分達は、目が合うなりどこかばつが悪そうに視線を逸らしていた。

 

「……その……えっとぉー……」

 

「……何だ。何か用があったんだろう」

 

「その……私……回線越しだから言えたのかもしれません。でも、目の前にすると臆病だから……」

 

「だから、何だって言うんだ」

 

 カトリナは調子を取り戻すように、こほんと咳払いする。

 

 しかし、どこかに詰まったのか、何度も咳き込む形となってしまっていた。

 

 見ていられずにクラードは彼女の背中をさする。

 

「何をやっているんだ、あんたは」

 

「す、すいません……。慣れていなくって……。私、その……自分の気持ちに正直になる事を、避けて来たんだと思います」

 

「避けて来たって……」

 

「わ、私……っ! 私は……あなたの委任担当官っ! そして……その、クラードさんを最後まで……見届ける義務とか権利とか……その他諸々っ! 色々ありますけれどでも……っ! 今言いたいのはそんな事じゃなくって!」

 

「何でわざわざ回り道するような事を言ってるの」

 

「そ、それはぁー……こうして面と向かってその……自分の気持ちを言い切るなんて事……何で皆出来るんだろ……」

 

 視線を右往左往させるカトリナへと、クラードは嘆息一つで言い切っていた。

 

「……人間は、痛み以外で泣けるって言っていたのは、誰なのか、あんたには言っていなかったな?」

 

「ふへぇっ? ……ああ、そう言えば、そういう……」

 

「俺の前任者なんだと。つまり……俺の前の“クラード”だ」

 

「クラードさんの前の……クラード……?」

 

「言っていなかったがあんたも知っているはずだ。エージェントの席が空けば、その名を名乗る事が許される。俺の時には、この名前が空席だった。だから名付けられた。ただ戦場を駆け抜けるだけの愚かな子供に、クラードと言う名前の意味を」

 

「それは……えっと……」

 

 首から下げたドッグタグ一つを握り締め、クラードは言いやる。

 

「名前は……意味が宿らなければそれはただの音の連なりに過ぎない。だから俺は“クラード”に成った。成るべくして成ったと言われるように、屍を積み上げてでも。俺はエージェント、クラードでなければいけない。そうでない俺に、存在価値はない」

 

「そ、そんな事……っ! クラードさんは、だってこれまで、私達のために戦ってくれて……一番最前線で、傷ついていたはずですっ! それは……他の人が傷つく怖さを知っているから……だからなんでしょうっ!」

 

「だから? だから俺は……前に出て、《ダーレッドガンダム》で戦ってきたのか……? 他人が傷つくのなんて所詮は他人事のはず。そんな事で……」

 

「だってそれは……人は痛み以外で泣けるから、だから……! 痛み以外で泣くために、あなたはずっと……そうやって自分を切り売りして……」

 

 赴くべき戦場は自分で選択してきたつもりだった。

 

 そうすれば、後悔がないのだと。

 

 そうすれば、何かに足を取られてその拍子に転ぶ事もないのだと規定して。

 

 だが自分は――事ここに至って意識した自分自身は――臆病なだけであった。

 

 誰かに死んで欲しくないから、自分が死地に赴く。

 

 誰かに傷ついて欲しくないから、自分が傷ついていく。

 

 それは、弱者の在り方だ。断じて強者の在り方ではない。

 

「……俺は、こんなにも弱い……。それが分かっていたのか? アルベルト……」

 

 だから、自分にはないものを求めて、アルベルトを突き離せなかったのだろうか。

 

 今となっては答えなんて彷徨うばかりだ。

 

「アルベルトさんも、三年間エージェントだったんです。きっと……分かっていたんでしょうね。クラードさんの苦しみを。心がどれほど痛いのかを……」

 

「……心……。力でもない、何でもないそれを……、ただ信じて来られたって言うのか? それがアルベルトの……強さ……」

 

「クラードさん……。私はその……! クラードさんの事が――!」

 

『クラード、聞こえている? 今しがた、《サードアルタイル》の予測到来地点が概算されたわ。ここより南方の前線基地、そこに到来しようとしている』

 

 不意打ち気味に接続されたレミアの通信にカトリナが素っ頓狂な声を上げる。

 

「って、ひやぁ……っ!」

 

『あら? カトリナさんも一緒? ならちょうどいいわ。カトリナさんはブリーフィングルームまで来てちょうだい。《サードアルタイル》をここで逃がせば、私達の禍根になるのは明白よ。クラードは《ダーレッドガンダム》の調整を』

 

「ああ、レミア、分かった」

 

 鎧のパイロットスーツを一度脱ぎ捨て、汗に蒸した身体を解放する。

 

 クラードは《ダーレッドガンダム》のコックピットより這い出ていた。

 

 カトリナはどうしてなのだか、顔を真っ赤にさせている。

 

「……何やってるの。俺達の戦いは、まだ終わっていない。……アルベルトには悪いけれど、今だけは忘れさせてもらう」

 

「いえ、その……何て言うか……間が悪いんだからなぁ……レミア艦長も」

 

「何の事だよ。作戦を聞かないと。出せる戦力は限られている。それに、第三の聖獣の脅威ともなれば、世界中が黙っちゃいない」

 

「そ、それはぁー……。まぁ、言っちゃって恥ずかしい思いするよりかは、いいのかもですけれどぉ……」

 

「何ぶつくさ言ってのさ」

 

「知りませんっ! クラードさんは色々と……鈍感だって事ですっ!」

 

「……久しぶりに見たな、小動物のモノマネするあんた」

 

 そう呟くと、カトリナはより不機嫌になって自分の後ろをついてくる。

 

 今は、これだけでもいい。

 

 寄る辺は、たった一人でも、意味があると言うのならば。

 

 



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第199話「彼女の煉獄」

 

 堕ちていくのはどこまでも無辺の白の空間を。

 

 ゆっくりと、それでいて浮上する術は存在しないように、取り返しもつかないまま。

 

 海底へと呼吸する機能だけは有して、命を搾り取られて沈められていく感覚。

 

 やがて、世界は白一色に塗り固められ、自身の呼吸音で目が覚める。

 

「……あれ、生きてるや。ボク……」

 

 何もかも想定外であった。記憶を手繰ると、《サードアルタイル》の虹の皮膜で押し飛ばされた最後のビジョンが浮かんでくる。

 

「……おかしいな。死んでいるはずだって言うのに」

 

 だが世界はどこまでも続いている。

 

 ここは死後の世界か、とも思ったがそれにしては味気ない。

 

 いや、死後の世界などそんなものか、と落ち着いてすらいる。

 

「……死ぬってのは案外、呆気ないものなのかなぁ」

 

 昼寝から醒めたようなそんな心地で、メイアは両腕を伸ばしていた。

 

 思ったよりも身体の自由は利く。

 

 脚がないのかと思ったが、足は白い世界を踏み締めていた。

 

 周囲を見渡すと、何もない空虚なだけの空間が茫漠と広がっている。

 

 宇宙の闇にも似た世界に、メイアは一つ深呼吸していると、不意に呼び止められていた。

 

「――ここに堕ちるのは初めてか? メイア・メイリス」

 

 振り向いた先に居た存在に、メイアは目を見開いていた。

 

「……キミ……、エージェント、クラード……?」

 

 疑問符を浮かべていたのは、クラードもまた白衣を纏ったその姿で周囲を見渡していたからだ。

 

「……どうやら俺達は堕ちてきたらしい」

 

「ここはどこなの? ……って、まるでこれじゃ常用外の英会話みたいだ。馬鹿みたいだよねー、これはペンですか? みたいな問い」

 

「だがここがどこなのか、お前は分かっていないのだろう」

 

「……だね。不承だけれど聞いてみる。ここってどこなのさ」

 

「煉獄……なのだと、奴は言っていた」

 

「奴……? 他にもこんな気の狂いそうな空間に居る酔狂な人間なんて?」

 

「……奴は俺が堕ちると必ずここに居た。だが……お前は初めてだな。大抵、ここに堕ちてくるときは俺の意識だけだったはずなのに」

 

 クラードの真紅の瞳と、メイアは視線を交わし、それから腕を組んで考え込む。

 

「……煉獄ってさ。概念でしょ、それ。天国でも地獄でもないって言う。何だっけ、その場所じゃ、みんな等しく炎で焼かれるんだっけ?」

 

「それにしては、ここは物静かだ。しかし、奴は必ず出てきた。俺を導くと言って……」

 

「さっきからさぁ、そうは言うけれど、ここじゃ人間が生きていけるようには見えないよ」

 

「……お前こそ、何で堕ちてきた? 前後の記憶はハッキリしているのか?」

 

「……聖獣とやり合って撃墜、かな? まぁ、その後の記憶はスパッと途切れているから、ああ死んじゃったなぁって思ったんだけれど」

 

「聖獣……。どの聖獣だ? MFと戦うなんて非常事態に何度も巻き込まれるとは思っていないが」

 

「どのって……《サードアルタイル》じゃん。あれ? それってキミは知ってるんじゃなかったっけ? だって、確かピアーナの話じゃ、《サードアルタイル》のパイロットはキミ達の知り合いだったとかで」

 

「……聖獣のパイロットに知り合い? ……いや、そもそも聖獣に人間が乗っていたのか?」

 

「あれ? そっから? ……んー、何だか妙だなぁ。ボクの知っている情報と齟齬があるみたいに思えるし……」

 

 思案する自分に対し、クラードはどこか落ち着き払っている。

 

「とは言え、堕ちるのも随分と慣れてきた。ここでは人は見ないものを見るらしい。気を付けて進め」

 

「進めって……って言うか、見ないものも何も、さっきから真っ白なだけなんだけれど」

 

 そこでクラードは足を止める。何か重大な間違いに気づいたかのように。

 

「……見えていないのか? この戦場が……」

 

「戦場? あれ、ここってそうなの? だから真っ白になっちゃったとか?」

 

「いや、違う……。俺にはずっと見えているし、聞こえている……。これは……俺が死んだ時の情報だ」

 

「死んだ時って、やだなぁ、もう。やっぱりここって死後の世界なわけ?」

 

 冗談めかして言いやると、クラードは目を戦慄かせて、声を詰まらせる。

 

「そんなはずは……。じゃあ俺に聞こえているのは、見えているのは何だ? 俺は……あの場所で死んだ。コロニー、セブンワン深部で……オフィーリアに搭載されていた《ダーレッドガンダム》にアクセスした瞬間に……。その情報量に耐え切れず圧死したんだ……」

 

「うん? ……でも、セブンワンからキミは出てきたじゃんか。あの時、そう、オフィーリアも一緒に。……あれ? ちょっと変じゃない? 何だってキミはその……自分が死んだんだって思い込んでいるわけ?」

 

 クラードは後ずさり、ああ、と声を上げる。

 

「違う! 俺のせいじゃ……俺のせいじゃない! みんな……みんな死んでしまったなんて……! 嫌だ、嫌だ、こんな世界は嫌だ! 答えてくれ……《レヴォル》!」

 

 唐突に戦慄いて絶叫したクラードに、メイアはうろたえつつも彼の身体を押さえつける。

 

「ちょ……っ! 落ち着きなってば! 誰も死んでないはずだし……それにキミは生きて……《ダーレッドガンダム》を手に入れたじゃないか!」

 

 しかしクラードの精神は荒むばかりで、彼の瞳は恐れを宿す。

 

「あ、いや……違う。俺は……その時だけじゃな、い……。あの後も……《ソリチュード》に敗北して、俺は……」

 

「何言ってんのさ! 《ソリチュード》には勝ったし、キミは生き延びて――」

 

「――そやつに何を説いても無駄だ」

 

 白い荒野に現れたのは髭を蓄えた老人であった。

 

 今の今まで気配さえなかったのに、超越者の如くその場に佇む異常存在に、メイアは身構える。

 

「待て、貴様、メイア・メイリスだな?」

 

「……何でボクの名前を知っている……ここは何だ!」

 

「ここは煉獄だ。クラードの言った通りに」

 

「煉獄って……何もない白い空間じゃないか」

 

「それは貴様にとっては、であろう。そこに居るクラードにとってはここはまさに生き地獄よ。何せ、これまでの戦いで仕損じてきた可能性と対峙しているのだからな」

 

「仕損じてきた可能性……?」

 

 胡乱そうに言葉を向けると、老人はふむ、と顎鬚を撫でる。

 

「メイア・メイリス。多元宇宙論を信じるかな」

 

「多元宇宙論……って、いくつも可能性があるとか言う……パラレルワールドめいた話の事……?」

 

「理解が早くって助かる。いや、この空間では理解しなければ前に進めないから、不可抗力なのであろうが」

 

「それが彼と何の関係が!」

 

「――分からぬか。そのクラードは多元宇宙において、“失敗してきた”クラードだ」

 

「失敗……?」

 

 クラードは蹲って頭を抱えている。

 

「俺が……俺が戦えなかったばかりに、皆死んだ……。アルベルトも、レミアも、バーミットも……カトリナ・シンジョウまでも……」

 

「クラードの生き様はまるで水面を跳ねる石のようなものだ。あらゆる可能性世界へと彼はアクセスし、その可能性を踏み抜かずに踏破してきたのが、お前のよく知るクラードよ」

 

「……分かんないな。だって、この世は結果論だ。結果論だけで形成されるから、残酷なんだろうけれど」

 

「そう、結果論。数多の凡百は結果論だけを甘んじて受け止めて、この世界を生きていくのだが……クラードの名を持つのは何も伊達ではない。彼がこれまで、至った世界線の数はそれこそ忘却宇宙の因果律を超えている。では何故、エージェント、クラードは何回も死に、または何回も生き延びて来たのか」

 

「問答かい? 好きじゃないな」

 

「それでもここは煉獄の片隅。老躯の戯言くらいは聞いて行け。まず、一つ。この次元宇宙で何故、レヴォルの意志はお前とこやつに囁いたか。そのカラクリを講じようではないか」

 

「カラクリ……? あれは偶然なんだろう?」

 

「偶然で世界に二人だけの乗り手しか選ばぬMSが建造されるとでも? それに、エンデュランス・フラクタルも、そして彼の者達もよっぽど狡猾だ。そのようなイレギュラーは極力排してきたはず。しかし、エージェント、クラードとメイア・メイリスには相互間が存在している。何故か」

 

 この問答は飛ばせない、とメイアは直感的に感じて老人と対峙する。

 

「……彼は……ボクに似ているからじゃないかな。多分、これまで生きて来てボクに……物理的な部分じゃなくって感覚的な部分でここまで似ている人間って……居なかったかもしれない」

 

「その違和感こそが、この次元宇宙のひずみそのものよ。ではどこが似ていると言うのか。クラードとお前のどこが、そこまで合致している?」

 

 問い返されてみれば、自分のRM施術痕は鳳凰の紋様であるし、それに恐らくライドマトリクサーとしての暦が違う。単純比較では彼と並ぶはずもない。

 

「……分かんないけれど、それこそ魂の色とか」

 

「魂の色か。それは詩的だな」

 

 老人の評にメイアは不服そうに応じてみせる。

 

「じゃあ何だって言うのさ。よく似ているところなんて、外見上ないでしょ」

 

「そう、相違点はあっても、合致するものは驚くほど少ない。せいぜい、同じくライドマトリクサーと呼ばれる技術を用いている事くらいであろう。だが、それはこの次元宇宙において特別ではない。ならば、お前とこやつはどうして、レヴォルに乗れるのか」

 

「……あのさ。答えがないんならはぐらかさないでよ、もったいぶって」

 

「答えがない? 違うな、メイア・メイリス。それは違う。答えならばもうとっくに、持ち得ているだろう? エージェント、クラードは、可能性世界の怪物だ。あらゆる可能性を内包するシュレディンガーの猫のようなもの。クラード一人に対し、因果が集約過ぎている。どうしてそうなったのか。単一個体に過ぎない人間に、何故、ここまで因果の糸が張り巡らされているのか。答えの一端を手繰ろう。彼らを見るといい」

 

 瞬間、世界が切り替わり、ブロックノイズの向こうを睨む三名の男女が映し出される。

 

 その姿、形はまさに――。

 

「……これは……全員似通った容姿の……クラード……?」

 

「そう、彼らもクラードであった。己の故郷とする次元宇宙において英雄的な働きを実行する存在。次元同一個体、あるいは波長生命体とも」

 

「波長……生命体……」

 

「少しだけ、彼の者達との問答を観察してみようか」

 

 途端、静止していた時間が動き出していた。

 

『……僕は、ここまで来るのに随分と時間を要した。そちらの要求を呑むのはやぶさかではないし、それに僕達はそれぞれ――各々の故郷を護るためにこの次元宇宙に呼ばれてきたんだ。英雄の名を戴いてね』

 

「……英雄……?」

 

『下らんな。私はこのまま進めさせてもらう。《ネクストデネブ》ならこの次元宇宙程度制圧出来る』

 

『待つといい、ヴィヴィー・スゥ。それでも我々との約定は守ってもらう』

 

 子供の囁き声が連鎖し、メイアは耳を塞いで思わず蹲る。

 

「……何だ、この声……。気持ち、悪い……!」

 

「そうか。お前にはこの声の主の醜悪さが分かるのか」

 

『……約定。それに関しては同意だ。僕らは“夏への扉事変”で殺し過ぎた。稀代の殺人者を縛るのには、この次元宇宙の規則が相応しい』

 

「“夏への扉事変”って……じゃあ、彼らは……!」

 

「そうだ。彼らは聖獣の操り手――モビルフォートレスのパイロット達だ」

 

 震撼すべき内容であるはずなのに、メイアはどうしてなのだか、その事実はすんなりと飲み込めていた。

 

「……MFを操るに足る人間達……そしてクラード……。ああ、そうか。そういう事か。……ねぇ、この質問には答えてもらうよ。――《レヴォル》もまた、モビルフォートレスなんだね?」

 

 老人は感心したでも、まして絶望したでもない。

 

 ただこちらの返答に、乾いた拍手を送る。

 

「その通り。よく迷宮を脱したな」

 

「……迷宮でも何でもないでしょ。答えは最初から、目の前にあったって言うわけか」

 

「クラードの名を継ぎし者達はMFを動かすに足る存在。そして《レヴォル》――呼称、《フィフスエレメント》は第五の使者、MFであった。ここまでで相違ないな?」

 

「……信じ難いけれど、頭は信じられないくらいに冴え渡っている。……悔しいけれど飲み込めちゃうんだなぁ……」

 

 ぼやいたメイアは眼下に収まる三名のパイロットを見据える。

 

 一人の少年の相貌にはどこかで見覚えがあった。

 

「……彼は、誰だ……? いや、誰だなんて問いは意味ないんだろうけれど。だって、彼もクラードなんだし。でも、どっかで見た事が……」

 

「ザライアン・リーブス。聞いた事があるはずだ」

 

 その名前でメイアは閃くものを感じていた。

 

「……思い出した。木星船団の師団長……宇宙飛行士、ザライアン・リーブス……でも、変だ。だって彼は……結構ボクらよりも上のはず……」

 

「違和感があるのも無理はない。彼らがこの次元宇宙に訪れた際、年齢はまちまちであった」

 

「……待って。それは変でしょ。彼らもまたクラードなら、年齢がバラバラなのは辻褄が合わない……」

 

「では辻褄が合うとはどういう事だ?」

 

「……逆質問、やめてよね。……そうだなぁ。ボクとクラードはほぼ同じ年齢なのに、どうして彼らだけ年齢が違うって言うんだ? それは変だろうに」

 

「役割、というものに集約される。もう少し観てみようか」

 

 再び動き出した時に、彼らはブロックノイズの向こう側と対峙する。

 

『……言っておくが、《フォースベガ》だけだ。私の《ファーストヴィーナス》は約定は守るが、それ以外は関知しない。接近した敵影を叩き潰すように飼育してある』

 

『その認識で構わない。いずれにしたところで、この次元宇宙の者達においてはダレトの力は毒にもなるだろう。君の裁量で裁いてくれていい』

 

『……私の《ネクストデネブ》も同じく、だ。容赦をするつもりはない』

 

『ま、待ってくれよ! ……僕らは約定を守らなければ、この次元宇宙での生存さえも危うい! ……それに、同族を殺し過ぎた。咎は受けるべきだろう』

 

『咎だと? それはお前だけの冗談にしてくれ、そちら側のクラード。私はここに降り立った。その責務として、《ネクストデネブ》を稼働させなければいけない。それこそがガンダムを引き継ぐ者の宿命なのだからな』

 

「……ガンダム……?」

 

「奇しくも同じ忌み名をもってこの次元宇宙に訪れるとはな。だがそれも決められた事実だ。MFのパイロット達はそれぞれの故郷の世界にて、その名を冠していた。――《ガンダムレヴォル》の名だ」

 

 老人の口にする言葉に、メイアは額を押さえる。

 

「……待って……ちょっと待ってよ。じゃあ、何? みんなが……《ガンダムレヴォル》と言う名前に……まるで呪いのように引き寄せられて……!」

 

「この場では祝福と呼ぶべきだろうな。その祝福一つで、三人は少なくともこの次元宇宙に降りてきた」

 

 そこではた、と考えが止まる。

 

「……いや、待って。前提がおかしい。三人? ダレトから来た聖獣は四体のはず。四人が正しい」

 

「その通りだ。お前の目の前に居る、我こそが――」

 

 老人がその腕を掲げる。

 

 途端、亀裂が走り、見知ったライドマトリクサーの紋様が浮かび上がっていた。

 

「……まさか、キミが……?」

 

「いけないかね。我もまた、《ガンダムレヴォル》に選ばれた人間だ。名乗りが遅れたな、メイア・メイリス。我が名は、エーリッヒ。――エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。《サードアルタイル》を伴わせてこの次元宇宙に最初に降り立った愚者であり、彼の者達に叡智を与えた賢者である」

 

「《サードアルタイル》の……! って、それも変じゃん。だってキミは……あの女の子じゃないし」

 

 身構えたメイアは急に馬鹿馬鹿しくなる。

 

《サードアルタイル》を操っていたのは銀髪の少女のはず。

 

 目の前の老人ではない。

 

 繰り言だと思っていると悟られたのだろう。相手は嘆息をつく。

 

「信じられないか」

 

「信じられないって言うか、無理筋に近い。だって、おじいちゃんでしょ。どう見ても銀髪の美少女じゃないし」

 

 憮然として言いやると、エーリッヒは喉の奥でくっくっと笑う。

 

「……あれもまた、よからぬ宿縁であると認識してはいないのだな。いいだろう、一つずつ解きほぐそう。まずは、一つ」

 

 老人が指を立てると、世界は暗礁の宇宙空間に切り替わっていた。

 

 落下の感覚よりも空間を切り替えると言う全能者の如き動きに仰天する。

 

「……ここはキミの思うがままってワケか」

 

「認識世界は自在に切り替えられるが、それでも程度はあるとも。現に、浮遊感はないはずだ。それに息が出来ないと言う感覚も」

 

「本当だ……。周りはどう見たって宇宙なのに……ノーマルスーツも必要ないなんて」

 

 視界の隅で先ほどから死のトラウマに囚われたクラードが短く悲鳴を上げる。

 

 見ていられずに、歩み寄って彼の手を取っていた。

 

「怖くないってば。ここはこのおじいちゃんの見せている記憶の世界でしょ?」

 

「嫌だ……やめろ……やめてくれぇ……ッ!」

 

 その手を強く振りほどいたクラードに、メイアは少し幻滅気味に応じる。

 

「……あ、っそ。キミがそこまで怖がりだとは思わなかったけれど」

 

「責めてやるな、メイア・メイリス。あらゆる多元宇宙の業を背負っているのだ。お前は一人で無数の自分の死に耐えられるように出来ているのか?」

 

 そう言われてしまえば言い返す事も出来ず、メイアは沈黙するしかない。

 

「……って言ってもさぁ、ボクじゃない人の事だから分かんないや」

 

「ドライだな。いや、だからこそ、最も醜悪な事実にまだ気づいていないのだと言えるが……いいだろう。そこに居るエージェント、クラードはお前のよく知るあやつではない。現実を生きているクラードは数多の死を乗り越え、その度に強靭になっていく精神と肉体の上に成り立っている。要は、凡百の精神力では、彼の者の運命には耐え難いものがあるだけだが」

 

「分かんないのは、それも。確かに《レヴォル》は特別だ。さっきの言っていた、MFだって言うのもよく分かる。だけれど、さ。そっちの言い草じゃ、五番目の使者だって言うじゃん。でも、あまりにも形状がこっちの常識で組み立てられている。それはどう説明するの?」

 

「だからこそ、因果地平を宇宙空間に変えた。見てみるがいい。あれが、まず我が方舟、貴様らが《サードアルタイル》と呼ぶ、原初の《ガンダムレヴォル》だ」

 

 ダレトの超空間を超えて物理宇宙に現出したのは、先に目にした《サードアルタイル》とはまた違う、灰色の機体色であった。

 

 しかし原型はほぼ同じだ。

 

「……あれも《レヴォル》か」

 

「そして、この宇宙に現れたのがいささか早過ぎた。我はこの次元宇宙で、呼び声を基にして月へと現れたのだ」

 

「……うん? いや待って。それも変。MFの出現はだって、四体同時のはずだ」

 

「ダレトが開いたその瞬間の事を正確に観測している人間など居るのか? 彼の者達によって遅れた情報を意図的に掴まされ、他の三体よりも数年規模で早く訪れた我は、第一次接触を試みた」

 

「……第一次接触……って言うと……」

 

「この宇宙における知性体とのコンタクトだ。だが彼の者達は我の想定の上を行っていた」

 

 エーリッヒがその瞼を伏せる。

 

 その懺悔のような眼差しの先には、《サードアルタイル》を包囲する無数の機体があった。

 

「……《プロトエクエス》……? でも、これはミラーヘッドの幻像じゃない。本物の……軍隊だ……」

 

「今の時間軸において実態を伴った本格的な軍隊行動は珍しく映るだろうが、我への歓迎はこのようなものであった」

 

 エーリッヒがその指を指揮棒のように振るうと、《プロトエクエス》より一斉掃射が放たれていた。

 

 月面で巻き起こる殲滅のトワイライトダンスに、メイアはこれが過去の映像だと分かっていても気圧される。

 

「……何て、事を……」

 

「これが彼らの言うところの、第一次接触だった」

 

《サードアルタイル》はこの時点では戦闘能力を奪われているのか、装甲に亀裂を走らせ、そこいらかしこから虹色の血潮を浮かばせている。

 

「我は彼の者達に捕獲された。交渉などなかった」

 

 続いて場面が切り替わり、ブロックノイズの向こう側を睨んだ過去のエーリッヒは手術台に磔にされ、無数の機械によって解体されていく。

 

 血潮が舞い、臓腑を引き出され、そして脳髄を掻き回される。

 

 それでも――。

 

「……嘘、でしょ……生きてる……」

 

「そう、我は簡単に死ねなかった。幸か不幸かは分からないが」

 

 ブロックノイズの向こう側から忌々しげな声が放たれる。

 

『……ここまで殺しても自我が残る』

 

『これは最早、我々の領分を超えるだろう』

 

『しかし、彼から得られた情報は有益だ。あちら側の思考拡張に、そして肉体の機械化技術――さしずめ有機伝導体操作技術と呼称しようか。彼の持ち得たギフトを最大限に利用し、来英歴は発展する』

 

『それだけではない。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーは予言を我々に残した』

 

「……予言……?」

 

「別に、我が予言めいた事を言ったわけではない。我の内部に蓄積していたメモリーを彼らが解析しただけだ」

 

『近いうちに、さらに三体の《ガンダムレヴォル》、か。これらを現時刻より、モビルフォートレスと命名。それらに対し、我が方は叡智でもって対抗する』

 

『ギフトには感謝している、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。貴君のお陰でこの来英歴は安泰だ』

 

 メイアは口元を押さえてその場に膝を折っていた。

 

「……何て……事だ。MFの到来は、じゃあ予見されていたって言うの?」

 

「彼の者達にはどのタイミングでMFが来るのかは理解されていた。だからこそ、約定によってMFのパイロットと交渉し、そして彼らを丸め込めた。……おぞましいとはこの事を言う。彼らにとってはMFとの第一次接触は、この次元宇宙をより高い支配域に留めるためには必須であったのだろう」

 

『エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーを抹殺する事は不可能と判定。月面に永久に封印する』

 

『名を冠するのならば、テスタメントベースとでも言うべきか。テスタメントベースにエーリッヒ・シュヴァインシュタイガーが遺した思考拡張の脳波を封じ込める事しか、現状の我々には出来ないとはな。彼は恐らく、より強い思考拡張脳波で、仲間を呼び込むであろう。来英歴を破壊すべき、と断定した聖獣達を』

 

『しかし到来が予見出来ていれば対策も出来る。周期は?』

 

『近い年月に三体、その後に一体、と出た』

 

 エーリッヒの脳波を解析し、MFの出現予測を立てているのだと思い知った時、メイアは奥歯を噛み締めていた。

 

「……どうして……どうしてそこまで分かっていて……たくさん死なせたんだ……!」

 

「彼らにとっては都合がよかった。この次元宇宙の人間が死ねば死ぬほどに、MFを脅威と位置づけ、特別な接触機会を得られる。その予測通りに、三体のMFが出現。彼の者達は秘匿していた我が《サードアルタイル》を同時出現したかのように見せかける事によって、四体のMFの出現を演出した」

 

「演出……? この来英歴を震撼させたあの事件を演出したのが……このブロックノイズの向こうに居る奴らだって言うのか……!」

 

「そう怒りを向けるな、……と言っても無駄か。エージェント、クラードも同じであった」

 

「……クラードも……?」

 

 先ほどから頭を抱えて座り込んでいるクラードの事ではないのだろう。

 

 エーリッヒは向かい合って告げていた。

 

「……ああ。奴もよくここに堕ちてくる。その度に、叛逆の心を新たにして、そして現世へと帰っていくのだ。何度も言ったのだがな。ここでの記憶は持ち越せない。現実に戻った時点で、また愚かな行動を続けるだけだと」

 

「……じゃあ、クラードは知って……? あいつらの事も……」

 

「知っているが、認識は出来ない。そういう風に封印を込めておいた。お前と同じように。彼の者達の思考拡張は特別だ。約定、と銘打っているが、あれは目にしたものを服従させるだけの効力を持つ。だがこうやって隠してやれば、少しばかりは薄らぐはずだ」

 

「……何だ、それ。まるで催眠状態じゃないか」

 

「遠からぬものだ。思考拡張は種類があるが、彼の者達は強い服従の意志を宿らせる。MFのパイロット達が明瞭な叛逆に打って出られないのは彼ら相手に対等な交渉をしようとしたのが敗因だろう。この次元宇宙では逆らえない」

 

「逆らえないって……。でもそれは嘘だろう? 《サードアルタイル》は……!」

 

「第三の使者は我の思考拡張を模した新たな人体に従うように制御された。これは我が即座に解体され、そこまで気が回らなかったのもある。元々、《サードアルタイル》は方舟だ。戦うための機体ではない」

 

「戦うためじゃ……ない?」

 

 エーリッヒが指差す。

 

 その先には赤子を抱いた宇宙服を着込んだ存在が浮き彫りになっていた。

 

 赤子は泣き喚き、この世に生まれ落ちた存在の因果を証明する。

 

 それは呪いであるのか、あるいは福音であるのか。

 

『エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの思考拡張脳波を解析。その結果、無数の失敗作を経て、ようやく生み出された。我々の中で唯一、成長する個体』

 

『これまでの全ての概念を過去にするであろう。この少女は支配の素質を持っている。……だがあまりに危険だ。我々の思考拡張能力と、そしてダレトよりの未明の思考拡張を併せ持つハイブリッド体か』

 

『よって封印を施す。肉体の成長と精神の成熟に均衡をもたらさない』

 

 銀髪の赤子の頭部に装着されたのは弓型のヘッドセットであった。

 

『叡智は我々のためにある。このまま成長すれば、いずれ我らのための力を振るうだろう。その存在そのものが――不幸そのものだな、なぁ――ミセリア・リリス。破滅をもたらす烙印よ』

 

 赤子は弓型のヘッドセットが食い込んだせいか、痛みに泣きじゃくっていた。

 

 その少女の相貌が、《サードアルタイル》を稼働させてみせた少女と重なる。

 

「……まさか……」

 

「彼の者達が用意してみせた駒の一つ。――名を、ミセリア・リリス」

 

「……でも何で……何で彼女の誕生がキミの記憶から見られるんだ……?」

 

 エーリッヒはこめかみを突いてみせていた。

 

「繋がっているのだ。同じ思考拡張の波長を持っているのだからな。彼の者達はそこまではさすがに分からなかったらしい。解明されないままの技術体系の一つだ。その中には、ミラーヘッドとアステロイドジェネレーター、そしてライドマトリクサー施術もある」

 

「……ミラーヘッドも、MSとかのアステロイドジェネレーターも、……そしてライドマトリクサーの技術まで? じゃあ全部が全部……おじいちゃんの世界の代物だって言うのか……?」

 

「だが、我と彼の者達は認識に差がある。こちらの技術体系をそのまま発展させた野蛮な思考拡張に身体改造技術は、我の次元宇宙では千年も前に過ぎ去った異端の技術であった」

 

 宇宙の背景に見るもおぞましい身体改造の映像がフラッシュバックしていく。

 

 それだけの失敗と、試行錯誤を繰り返した結果、訪れたのがそれでもなお愚かしい行動だったとすれば、来英歴は救われない。

 

「……ねぇ、おじいちゃん。本当に他に手段はなかったの? あの子……ミセリアが生まれないで済んだ優しい世界も……ボクらみたいなライドマトリクサーが存在しないような……慈しみのある世界だとか……」

 

 エーリッヒは宇宙空間に溶け込む実験体達の真紅の悲鳴を浴びながら、その瞳を細めていた。

 

「……なかったのだろうな。あれば……もっとよかったのだが」

 



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第200話「光の指先で」

 

「そっか……。おじいちゃんを責めたって仕方ないからね。だってキミは……まさか訪れた先で歓迎されるでもなく、バラバラにされちゃったんでしょう?」

 

「別段、呪っているわけでもない。彼の者達はどう交渉しようともそう決断しただろう。事実、この次元宇宙にとって我の叡智は劇薬にも成り得たのだ。最初に得たのが彼らであっただけで、他の人類が得れば、別の結果をもたらしたかと言えばそうでもない。もっと陰惨な地獄が待ち受けていたかもしれない」

 

 メイアは責められなかった。

 

 どうして責められよう。エーリッヒは絶望し切ったのだ。この次元宇宙で自分の声に応じた唯一の存在に裏切られ、そして方舟を奪われた。

 

 彼らにしてみればエーリッヒの叡智を凌駕したのだろうが、まだその掌の上だとは思いもしないだろう。

 

「いやだぁ……やめてくれぇ……ぅ。もう、やめてくれぇ……」

 

 力ない声を発するクラードの傍に、メイアは座り込む。

 

 彼にしてみれば、救えなかった数多の地獄を再現させられている。

 

 まさしくここは――煉獄。

 

 罪の炎で人々が焼かれ続ける。

 

「クラード……キミの頭蓋は地獄に通じているのか……。だからあんなに……寂しそうな眼をしていたんだね……」

 

 何度も死に様を目の当たりにすれば、人間はこうも簡単に壊れる。

 

「そして、《サードアルタイル》は生まれた。いいや、新生した、と言えば正しいだろう」

 

 宵闇を斬り裂く虹色の血潮を滾らせ、黄色の装甲に塗り直された《サードアルタイル》がダレト侵攻の際に機を狙って打ち上げられる。

 

 月の裏側から現れたのだ。

 

 ダレトを観測した者達からすれば、確かに《サードアルタイル》も同じ聖獣に思われただろう。

 

 だが、実際には正反対。

 

《サードアルタイル》は利用されるために解き放たれた獣だったのだ。

 

「……じゃあ、あの子……。ミセリアは……」

 

「彼の者達によって再現された我の劣化コピーとでも言うべきか。違うとすれば、彼らの呼び声に近い思考拡張の叫びと、我の思考拡張の板挟みになって自我が常に粉砕されている。その波打ちを最小限に留めるための技術があの弓形のヘッドセットだ。彼女はいつまでも幼年期の夢を見続ける。醒めない悪夢なのだと誰も教えないままに」

 

 幼年期の夢――銀髪の少女は何を見続けたのだろう。

 

 仕組まれたMFとこの次元宇宙のぶつかり合い。

 

 エーリッヒが口を閉ざし続けた世界の秘密をその脳髄に収め続けるなど、自分では出来そうになかった。

 

「……ミセリア、か。おじいちゃん、ボクは彼女も救いたい」

 

「彼女も、と言うのは」

 

 メイアは立ち上がるなり、呻き続けるクラードの手を取る。

 

「もちろん、どっちもだ! どっちも、この世界の終わりみたいな場所から助け出す! だってボクには出来るはずなんだ……! ボクにレヴォルの意志が囁くのなら!」

 

「……まだ教えていなかったな。お前の生まれにもまた、秘密がある」

 

「いいよ、どんな秘密があったって、乗り越えてやる。……だって、ここには彼が居る」

 

 自分がその手を取っていても、クラードは虚ろな瞳を投げ続ける。その眼差しには取りこぼしてきた過去しか映らないのかもしれない。

 

 それでも、救うと決めた。

 

 共に歩むと決めたのだ。

 

 ならば、自分はクラードと共に在ろう。

 

「……メイア・メイリス。ここでは教え切れない事もある。お前も、現世に戻ればこの煉獄での記憶を持ち越せるかどうかは不明だ」

 

「いいさ。何度だって。ボクは立ち上がる。――だってボク達は、一人じゃないんだから」

 

 そうでしょ、とクラードの手を引く。

 

 力の籠っていないクラードの手、かつて全ての運命を裁くと決めた存在の指先とは思えないほどのか弱さだが、それでもいい。

 

 今は、その手を握り締められる。

 

「メイア・メイリス。……覚醒の予兆だ。そろそろ煉獄の夢より醒め、そして儘ならぬ現実に戻るがいい。その果てに何が待とうとも……己の手で切り拓いていくのであれば」

 

「ああ。でももう一個だけ、いい?」

 

「何だ? あまり時間はかけられ――」

 

 不意打ち気味に、メイアはエーリッヒの手を取っていた。

 

 枯れ果てたかのような、皺だらけの手を愛おしそうに握る。

 

「……何を……」

 

「ボクが救うのは、キミもだ、おじいちゃん。こんな場所、寂しくていつまでも同じ景色で、退屈でしょう? ボクのライヴのチケットをあげる! いつか遊びにおいでよ、おじいちゃん!」

 

 エーリッヒは呆気に取られた様子であったが、やがてその瞳を細める。

 

「……そうか。メイア・メイリス。その運命を超越してでも、世界を救うとのたまうか」

 

「当然じゃないか! こんな寒いところ、出ていくんだ!」

 

「いやだ……アルベルト、レミア……」

 

 呟き続けるクラードにメイアはその手を握って、微笑む。

 

「ほら、行くよ、クラード。ボク達のゲインをぶち上げる時だ」

 

 瞬間、意識は消失点の向こう側へと吸い上げられる。

 

 その刹那に、エーリッヒは言葉を投げていた。

 

「え、何――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、何……」

 

 手を伸ばしてメイアは起き上がろうとするが身体が言う事を聞かない。

 

「やめたほうがよいですわよ。メイア・メイリス。貴女は無茶をしたのですからね」

 

 傍らに座り込むピアーナの相貌へと、メイアは微笑みかけていた。

 

「ああ、帰って来たんだ、ボク」

 

「そのようですわね。生き意地が汚いとはまさにこの事」

 

「酷い言い様だなぁ、それ。命冥加があるって言ってよ」

 

 しかし肉体は水色の再生治療カプセルに横たわったままでしか口を開けない。その唇でさえ、ひりつくような痛みを伴わせる。

 

「……痛っつつ……我ながら無茶したぁ……」

 

「お陰様で十三機しか存在しない《ネクロレヴォル》を一機失いました」

 

 ピアーナが投射映像を天井に映し出し、メイアは《サードアルタイル》の発生させた虹の皮膜に押し出されて大破した《ネクロレヴォル》を目の当たりにしていた。

 

「よく生きてたなぁ、これで」

 

「本当にそうですよ。死んでいてもおかしくはなかった」

 

「でも、まぁ、約束したし? おじいちゃんと」

 

「おじいちゃん? 貴女に祖父でも?」

 

「あれ……いや、何で? 誰のおじいちゃん?」

 

「それはこっちの台詞ですよ。寝ぼけていないで、再生治療に努める事ですね」

 

「忠言痛み入る……かな。にしても、ここは手広くって助かるや」

 

「エンデュランス・フラクタルの最新鋭艦ですからね。それくらいは当然です」

 

「あれ? 艦長殿はずっと付きっ切り?」

 

「まさか。貴女の意識レベルが正常に戻って来たので、今しがたここに来ただけです」

 

 とは言え、やはり嘘は下手だ。

 

 ピアーナは白磁の頬を僅かに紅潮させている。

 

「……まぁ、生きていてよかったよ、ホント」

 

「二、三、伝達しなければならない事が」

 

「どうぞー。どうせボク、逃げられないし」

 

「これより、我が艦は《サードアルタイル》の追撃に向かいます。これはエンデュランス・フラクタルの上層部の合意です」

 

「うん? それって変じゃない? だって第三の聖獣を解き放つのが目的だったんでしょ? じゃなくっちゃ、乗せないよねぇ、誰だか知らない人なんて」

 

「……わたくしとしては、本社は聖獣の視察に来たい程度だと思っておりました。まさかエージェントをもって、《サードアルタイル》による統制を望んでいるとは思ってもみません」

 

「統制、か……。企業からしてみれば都合がいい。MFはどの勢力にも与していない、と世界中の誰もが思っている中で、主要な都市圏や他の企業をこうして出し抜ける。もし追求が来ても、エージェントなら知らぬ存せぬを貫き通せるし」

 

「ですがそれは、わたくしの本意ではない。よって、我が艦は尻拭いを行います」

 

「……ん? 今変な事言わなかった?」

 

「いいえ。これはわたくしの責任です。《サードアルタイル》がもし、無秩序に世界を襲えば……それだけで死ななくっていい人間まで死ぬ事になる。わたくしは所詮、組織の飼い犬のようなものですが、精神まで飼い犬根性が染みついているわけではございません」

 

「でもさ、表立ってモルガンが《サードアルタイル》の道を邪魔するのは無理でしょ。それこそ、無理筋って奴」

 

「ですね、我が艦はあくまでも、《サードアルタイル》がもしもの時に沈黙してしまった時のバックアップが基本。そして今もわたくしの思考拡張に送られてくる電算された聖獣の力を……本社は無遠慮に拾い上げ、何かを画策している。わたくしに止める術はありません。艦長席に座れば自動更新でこの情報は筒抜けとなります」

 

「いいの? それ言って」

 

「構いません。もう転がり出した石なのですから。それに、わたくし一個人で止めようと思っても不可能な領域。《サードアルタイル》が世界を席巻する」

 

「でも、艦長殿はご立腹って感じじゃん」

 

「……当たり前でしょう。こんなもの、飲み込めと言うほうがどうかしております。よって、わたくしも独自に手を打ちます。メイア・メイリス、それまで死なないよう」

 

「努めて参りまーす」

 

 寝そべりながら返事をすると、ピアーナは瞼を伏せて嘆息をつく。

 

「……本当に貴女は……食えない人間ですわね。あの野蛮なエージェント……クラードにそっくりな」

 

 退室したピアーナに返答し切れず、メイアは天井を見据える。

 

「……あれ? でもボク……結構憶えているなぁ、何でだろう? 煉獄だとか、細かい会話の内容までは思い出せないけれど……この世界を支配する絶対者……彼の者達、か。それに、おじいちゃんに、泣きじゃくるクラードに……助けなくっちゃいけない、女の子が居るんだ。彼女の名前は……ミセリア・リリス」

 

 



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第201話「ユメ見る少女」

 

 我ながららしくないと言えばらしくなかったのだろう。

 

 メイアの生存にかけずらっている場合でもないのに、それでもこうして胸を掻き毟る焦燥感に押し潰されそうになる。

 

「……わたくしは、こうも弱かった、という事なのでしょうね」

 

 呟き、ピアーナはモルガン最奥に位置するアステロイドジェネレーター管理室へと訪れていた。

 

 スタンドアローンに設定しておいた電算椅子に座り込むなり、ふぅと嘆息をつく。

 

「――それで? ご気分はどうですか? アルベルト様」

 

「いいわけが……ねぇだろうが」

 

 視線の先には両腕を拘束され、全身に裂傷を作りながらもこちらを鋭く見据えるアルベルトが胡坐を掻いていた。

 

「結構。貴方も意外としぶといのですね。月軌道決戦の時から、命だけは有り余っている」

 

「用件はそれだけじゃねぇだろ。……ピアーナ・リクレンツィア……!」

 

「まるで怨敵でも睨むような物言いですわね」

 

「実際、そうだろうが。てめぇはオレらを裏切った……!」

 

「それは語弊があると言うもの。わたくしはモルガンへ、貴方達はベアトリーチェの任務を継続されていた。裏切りなど、最初からなかったのです。エンデュランス・フラクタル本社が全て決めた事。決定権は、わたくしにはなかっただけ」

 

「じゃあ何かよ。本社の意向には従うってか……!」

 

「そうですわね。わたくしは今のところ、逆らうメリットを見出せません。全身ライドマトリクサーのこの身、いつ情報だけ抜き取られて捨てられるかも分からないのです。本社に下手に歯向かえるわけがないでしょう」

 

「てめぇはその理論で……オレ達を苦しめてきたって言うのか! 死んだヤツだって居るんだぞ!」

 

「ええ、実際に、死んだ人間は大勢居ました。ですが、先にも言った通り、わたくしに決定権はなく、全てはエンデュランス・フラクタルの意向です」

 

「ふざけんな! ……お前の事、どれだけカトリナさんは心配していたか……!」

 

「……その人の事を言わないでください。わたくしとて機械とは言え、苦しむ心くらいはあるのです」

 

 ピアーナは電算椅子のコンソールを撫でる。

 

 すると、アルベルトの拘束具が外れていた。勢いでつんのめったアルベルトが床に転がる。

 

「……どういうつもりだ? 死に体のオレくらいなら、拘束なんて要らねぇってか?」

 

「いいえ、そこまで嘗めたつもりはありません」

 

「じゃあ、何だよ……! 言っておくが、全身RMでも喉笛に牙突き立てるくらいは出来るんだぜ……!」

 

「下品な事を言わないでくださいませ。こちらに」

 

 再び電算椅子を操作し、椅子に座ったまま、ピアーナは浮遊してアルベルトを先導していた。

 

 アルベルトは逆らう気概はあるのだろうが様子を見るつもりなのだろう。

 

 下手に刺激しようとはせず、追従してくる。

 

「大人しくなりましたね、アルベルト様。それもこれも、この三年間の積み重ねですか」

 

「……賢しいだけの大人になったって言いたいんだろ」

 

「そこまで侮辱するつもりはございません。第一、貴方には役割があるのでしょう?」

 

「……エンデュランス・フラクタルのエージェントとしての仕事なら、突っぱねてやる……!」

 

「それも自由に行かないのが我々のはずです。お気づきですよね? エンデュランス・フラクタルによって既に枷を嵌められているという事に」

 

「……鬱陶しい首輪の事なら、三年前からずっとだろ」

 

「ええ、我々は逆らえば死と言う残酷な運命の上に敷かれている。それでも貴方達の叛逆を本社が黙殺しているのは、最終的な勝利条件のために転がしているに過ぎない。我々はダイスによって生か死か、まるで均一な確率で裏返る状況を与えられている」

 

「……均一な確率ってのは嘘だろう。本社のさじ加減なのは知ってんだよ」

 

「ですね。なのでこの博打は、既に不利に転がっていると判定すべきでしょう」

 

「……博打ぃ? 何を仕出かそうって言うんだ?」

 

「オフィーリアから解析部隊が来ないという事は、貴方は死んだ扱いになった可能性が高い」

 

「……まぁ、だろうな。《サードアルタイル》に吹っ飛ばされた時にはマジに死んだと思ったからよ」

 

「ですが、こうして生きている事、それそのものが、確率論においてどちらかの不利に転がる。わたくしが一手でも上回れるとすれば、その点のみ」

 

「……何を言いたいのかまるで分かんねぇけれど、ピアーナ。お前、全部筒抜けなんだろ? 本社に忠誠を誓ったって事はよ」

 

「そこまで理解されていらっしゃるのなら、より。この策を講じるべきだと判断いたします」

 

 漆黒に塗り固められた空間へと赴くなり、ピアーナは電算椅子を手繰って投光器の電源を入れていた。

 

 重い音と共に露わになったのは、白銀の騎士の威容を持つ機体――。

 

 アルベルトにしてみれば、再会するとは想定してもいなかった機体だろう。

 

 絶句して、その姿を思い起こしているようだ。

 

「……こいつぁ……」

 

「わたくしが生きているのだから、この機体も当然、生きているのです。わたくしの半身、呪いそのものの機体――《アルキュミア》も」

 

「……《アルキュミア》は三年前に大破した。オレが……護れなかった時に……」

 

「ええ、ですが修繕が行われ、今ではこのモルガンの最奥に安置されています。そして《アルキュミア》はわたくしと一心同体。こちらに与えられた権限と情報を全て、蓄積している」

 

 その言葉の赴く先を、ピアーナはアルベルトに向き直って口にしていた。

 

「――アルベルト様。私の願いは一つ。これに乗っていただきたいのです」

 

「……何を言って……」

 

「貴方なら命を預けられると三年前に既に決めておりました。そして、《アルキュミア》のシステムは本社でさえも掴めない。何故ならばこれはわたくしの生命線そのもの。下手に細工すればピアーナ・リクレンツィアの死と言う結果を生み出しかねない。イレギュラーを嫌う本社からしてみれば、これも一つのアキレス腱なのです」

 

「……だが、オレがこいつに乗るって事は……」

 

「ええ。モルガンより出撃し、カトリナ様を救ってくださいまし。それがわたくしの望みです」

 

 まさかその言葉を放たれるとは思っても見ないのだろう。アルベルトは息を呑んでいたが、ピアーナは構わず続ける。

 

「《アルキュミア》の仕様は、本社によってネットワークを暴かれるわたくしの最後の抵抗なのです。この《アルキュミア》に、現状持ち得る情報を全て、スタンドアローン状態で集積します。そうすれば、わたくしの知り得た情報とそして権限は貴方のものとなる。翻ってみれば、オフィーリアの力となるでしょう」

 

「……だ、だが……オレにそんな事を、任せていいのかよ……。ピアーナ、オレが死ぬ時はこの機体も死ぬ時だ。……命を、本当の意味で預けるって言ってるんだぞ。それに本社の連中は情報を抜き取られたって知れば……」

 

「ええ、わたくしの意思は無関係。排除にかかるでしょうね」

 

「だから……! 何でそんなに落ち着き払っていられるんだ! オレみてぇな奴に……お前の生き死にまで背負えってのかよ……! そこまでの――」

 

「そこまでの価値がないと一言でも仰れば。その舌、引き千切りますわよ、アルベルト様」

 

 制したこちらに、アルベルトは言葉を詰まらせていた。

 

「……けれどよ……」

 

「どちらにせよ、誰かに頼まなければならない事なのです。メイア・メイリスに依頼するつもりでしたが、彼女は先の戦闘で重傷を負いました。幸いにして、《アルキュミア》の機体追従性に精通している貴方が生死不明となり、そしてモルガンで拾い上げたのがつい数時間前。わたくしはこの機会こそ、自分に出来る唯一の叛逆と構え、そして準備をした。三年間眠っていた半身を起こしてでも、これは誰かがやらなければいけないのです」

 

「……だが、オレはお前に期待されるような戦いを出来るとも限らねぇ」

 

「……何を仰います。月軌道決戦であれほど果敢に戦い抜き、そして今日まで生き残ってきた自らの強運を信じてください。貴方は、わたくしの命を預けるに足る御仁なのですから」

 

「……紛れもなく命、か。こいつは重いな……」

 

「重くとも、これが最後の一手です。わたくしがこのモルガンで完全に他の介入を拒めるのはこの部屋とこの電算椅子のみ。そして、《アルキュミア》に全能力を託し、貴方を送り出せれば、それだけでカウンターと成り得る」

 

「……そうまでして、本社の闇を暴きたいんなら、お前も来ればいいだろう? オフィーリアに。だってあそこにはみんなが……!」

 

「駄目なのです。わたくしは穢れた身。もうこの身体では……カトリナ様にもう一度だけ抱きつく事も、弱音を吐く事さえも許されない。全てを貴方に任せ、そして時が実るのを待つしかありません」

 

「……時って……そんなもの、絶対に来るとは……言えないだろうが」

 

「いいえ、来ます。必ず、時は来る。その致命的な一瞬に、わたくしは全てを賭けます。性質の悪い博打だと、嗤っていただいて結構」

 

「……嗤えるかよ、そんな顔をしたヤツの話を」

 

 ピアーナはその時になって頬を伝い落ちる熱を感じ取っていた。

 

 自分でも不明瞭な感情が発露し、計測出来ない何かを生じさせている。

 

「……アルベルト様。これはバグです」

 

「……バグなもんか。お前は……人間なんだ。間違えようもなく、人間なんだよ……! いくらお前が否定しようとな、カトリナさんが好きなんだろう? ベアトリーチェの居心地がよかったんだろ? 三年前に……出来れば戻りてぇんだろ……!」

 

「そんなはず……違います」

 

「違わねぇ! ……約束するぜ、ピアーナ・リクレンツィア。オレは片道切符だけ背負って戦いに赴くような半端者じゃねぇ。必ず……お前をこの呪いから救い出す。だから……オフィーリアで笑って会おうぜ。今度は混じり気のない笑顔でな」

 

「……貴方はそんな事を真顔で言えるから、狡いんですよ……」

 

「それもそうだな。オレは……ズルい人間なんだ」

 

 アルベルトを手招くように、《アルキュミア》が稼働し、そのマニピュレーターを差し出す。

 

 彼は一度だけ振り返っていた。

 

「……約束しましょう、アルベルト様。もう一度……打算も何もなく、笑える日々が来る事を……」

 

「ああ。約束だ、ピアーナ。お前の命、オレが預かる」

 

 コックピットへと乗り込んだアルベルトを目で追いつつ、ピアーナは頬を伝い落ちる滴の熱を、今だけはと感じていた。

 

「……わたくしはまだ……人間でいてよかった……。今だけは……不完全なライドマトリクサーで本当に……よかった……」

 

 都合のいい願いかも知れない。

 

 それでも、願いの形を自分で描けるのならば。

 

 それは夢に繋がる。

 

 夢は誰かに託すもの。

 

 そして、諦めなければいずれ叶うものとされている。

 

「……馬鹿ですね、わたくし。夢なんて……醒めれば消える幻ですのに……」

 

 それでも今はまだ。

 

 夢の淵に居させて欲しかった。

 

 

 



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第202話「騎士、再臨」

 

「駆動系は変化なし。《アイギス》と同じ、第二世代機か。……《アルキュミア》、待たせたな」

 

『“本当ですよ。いつまで待たせたと思ってるんです? アルベルトさん”』

 

 浮かび上がったのは二頭身ほどにデフォルメされたピアーナのマスコット姿であった。

 

「……ぴ、ピアーナ? じゃああれは……?」

 

『“わたくしは第三世代型アイリウム、ピアーナ・リクレンツィアの持つ個別情報と固定権限を引き受けた存在です。ふふん、すごいでしょう?”』

 

 マスコット姿のピアーナのアイリウムに、何だかせっかくの別れを台無しにされた気がして、アルベルトは眉間に皺を寄せる。

 

「……何だかなぁ。てめぇもよくやるじゃねぇか」

 

『“こら。実体のわたくしを相手にするのはもうおやめなさい。これからはわたくしが、貴方のサポートを行います。大丈夫です、これでもここ数十年のエンデュランス・フラクタルの技術結晶そのものですから。実体のわたくしよりも有能かもですよ?”』

 

「……ったく、カッコつけさせてもくれねぇんだな。じゃあお前の事は? 何て呼べばいい?」

 

『“普通にピアーナでいいのでは?”』

 

「それじゃややこしいだろうが。……愛称でも何でもいいから、何かねぇのかよ」

 

『“わたくしはピアーナ・リクレンツィア本体より切り離された独自権限の膨大な資料(マテリアル)の一部に過ぎませんから。アイリウムとしての自我は後付けですし”』

 

「ああ、分かったよ、クソッ。じゃあお前は今からマテリアだ。聞こえてるか? マテリア」

 

『“……それは、人間が自分の赤子に人間と名付けるようなものでは? ひねりがなさすぎます”』

 

「うっせぇな。行くぞ、マテリア。《アルキュミア》で発進――」

 

『“失礼、補足事項を。この機体は三年前の《アルキュミア》とは本質的に異なる機体構造となっております。名を冠するのなら――《アルキュミアヴィラーゴ》。真に発展した機体となるでしょう”』

 

「……注文多いな、まどろっこしい」

 

『“認証しないと出撃させませんよ”』

 

「ああ、分かった分かったから! 余韻ぶち壊すな! ……ったく。《アルキュミアヴィラーゴ》、アルベルト・V・リヴェンシュタイン、出るぞー!」

 

 上層の緊急発艦カタパルトが最終積層まで開き、オールグリーンを示したのを目にして、アルベルトは丹田より出撃させていた。

 

《アルキュミアヴィラーゴ》は新たなる命を得て、その祝福のままに飛翔する。

 

 空域を駆け抜ける自分達へと、緊急発進した《ネクロレヴォル》が追いすがっていた。

 

「……追い付かれる……! もっと速度出ねぇのか! マテリア!」

 

『“起き掛けです! これでも最高速度!”』

 

「……しゃあねぇ、いっちょ追い払うぞ!」

 

『“武装を承認。ビームジャベリンです”』

 

《アルキュミアヴィラーゴ》がビームジャベリンを携え、《ネクロレヴォル》へと太刀筋を交わしていた。

 

『……モルガンから発艦したとなれば、穏やかではない。……何者かの裏切りか』

 

「知らねぇだろうがなぁ……この世には、まだ尊い約束ってもんがあるんだよ! 騎屍兵め!」

 

『……その声……やはり生きていたのか、ヘッド……』

 

「騎屍兵に知り合いは居ねぇ!」

 

《ネクロレヴォル》の打ち下ろした太刀筋をビームジャベリンの発振した刃が押し返す。

 

 その攻勢に対し、《ネクロレヴォル》が後続の機体を制していた。

 

「……何のつもりだ?」

 

『……ファイブ、何を……』

 

『今は、おれに任せてくれ』

 

 頭部コックピットハッチが開き、風圧に煽られた喪服のパイロットスーツが露わになる。

 

 何と相手は、そのヘルメットを外して見せた。

 

『“警告、警告! 距離が近過ぎます!”』

 

「……いや、待て……。その顔は……」

 

 しかし、そんなはずは。

 

 あり得ない再会がこうも立て続けに起きるなど。

 

『……変わらないな、ヘッド。そういうところとかがさ』

 

「トキサダ……? トキサダだってのか!」

 

 頬にRM施術痕が走っているがその相貌は間違いなく、トキサダ・イマイのものであった。

 

『“声紋データ解読。トキサダ・イマイのログと一致”』

 

「……何で……何で騎屍兵なんかになってんだ! てめぇは!」

 

『こうしなければ生きられなかった。そう返答しても、あんたはまだ吼えられるのかよ』

 

 トキサダの言い分にアルベルトは完全に閉口していた。

 

 そうだ、彼は死んだ。

 

 あの月軌道決戦で、命を散らしたはずなのだ。

 

 だと言うのに、間違いの上で成り立つ生など、それこそあってはならない。

 

「……オレは……取りこぼした命を取りこぼしたまんまで……」

 

『“アルベルトさん! 緊急! 熱源接近!”』

 

「何――」

 

 その悔恨を噛み締める前に、後続の《ネクロレヴォル》が銃撃を行ったのだ。

 

 アルベルトはビームジャベリンを戦闘形態に変移させ、銃撃を防御する。

 

『何をするんだ! イレブン!』

 

『……お前がおかしくなったのは最近だと思っていたが、そうか。そういう事だったのか。まさか自分を殺した人間と、こうして出会えるとは思っても見ない』

 

『……何を言って……!』

 

『黙れ。その言葉は明瞭な裏切り行為だ。よってここで裁く』

 

 ビームライフルの銃口を突きつけた《ネクロレヴォル》に対し、別の機体がそれを制する。

 

『やめろ。仲間内でいがみ合っている場合か。今は、あの不明機を撃墜するのが先決だ』

 

『……トゥエルヴ……』

 

『だが……! ファイブは……我々を!』

 

『“今です、アルベルトさん。全滅させてしまいましょう”』

 

「お前……ッ! ちょっとは空気を読めねぇのかよ!」

 

『“空気なんて読んでいたら撃墜されるのはこっちですよ! せっかく自由になったのに、まだ450セコンドしか活動していません!”』

 

「ああ、うっせねぇなしかし……ッ!」

 

 機体を反転させ、アルベルトは一路、撤退機動に移っていた。

 

『待て! ヘッド! あんたは――!』

 

「悪いが、身内の喧嘩を吹っ掛けるほど、今は余裕なんてねぇんだ。悪いな、トキサダ……それにしたって、生きていたなんてよ……!」

 

『“推進装置は正常に作動中。このまま逃げ切れます”』

 

「逃げ切れ……か。それしかねぇよな、マジに……。オフィーリアとの距離は?」

 

『“概算中……いえ、待ってください。……オフィーリア及び、ブリギットは現在、追跡航行に移っているようです”』

 

「追跡? 何をだよ」

 

『“それが……オフィーリアの航路には……消えて行った《サードアルタイル》の針路が……”』

 

 まさか、とアルベルトは震撼していた。

 

「……嘘だろ……あの戦力で追うってのか! 何考えてんだ!」

 

『“わ、わたくしに当たらないでくださいよ……知りませんってば”』

 

 コックピット側面を思いっきり殴りつけた反動でマテリアが浮かび上がり、そのまま無重力空間のように漂う。

 

「っと……悪い。……だがあの戦力で《サードアルタイル》の追跡だと……。そんな事したって、敵は……」

 

『“待ってはくれません。恐らく《サードアルタイル》の出現に際し、手を打っている勢力があると考えるべきです。その勢力に呑まれるか、あるいは交戦となるか……”』

 

「最悪の選択肢が二つに一つって感じだな……。だが、今は飲み干すしかねぇ。マテリア、このまま《アルキュミアヴィラーゴ》は最大加速で追い上げる! ミラーヘッドオーダーの取得!」

 

『“既にオーダーを受諾しています”』

 

 マテリアが頭上に封筒を掲げ、それを開封する。

 

「よっしゃ! 今はそれでいい。ミラーヘッドの段階加速で追跡するぞ。いいな?」

 

『“駄目って言ったってするんでしょう?”』

 

「分かってるじゃねぇか。……オフィーリアを危険に晒すわけにはいかねぇ。このまま全速で追撃する!」

 

『“言っておきますけれど、わたくしのオリジナルはこんな事、絶対に推奨しないんですからね”』

 

「……それも、分かってんよ。今は拾われた命一つだ。この価値を問い質すまでもねぇだろ」

 

 白銀の騎士の威容を持つ《アルキュミアヴィラーゴ》が、黄昏の光を照り受けて未だ見えぬ宵闇へと疾走する。

 

 その足並みを止める事だけはしてはいけないはずだから。

 

 



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第203話「強く儚い者たちへ」

 

 艦長室に通され、ザライアンは警戒しなかったわけではない。

 

 これまでのように、自分達を封殺する術はいくらでも存在する。

 

 加えて相手は統合機構軍――エンデュランス・フラクタルと同じ技術を持ち得る者達だ。

 

 どれだけの汚い手でも用いて、MFのパイロットを捕縛、その身を交渉条件にして世界との渡りをつける手はずだってあった。

 

 しかし――拍子抜けと言うべきか、ザライアンとマーガレット、それにヴィヴィーはエージェント達に取り囲まれながらも特に何か異常な出来事が起こるまでもなく、艦長室へと通される。

 

 その異様さに逆に絶句したほどであった。

 

 広くアーチ状に取られた艦長室の最奥では、執務椅子に座り込んだ女性が怜悧な瞳をこちらに投げる。

 

「……あなたがマーシュ艦長か」

 

「そういうあなたはザライアン・リーブス。光栄だわ。木星船団を束ねる師団長、宇宙飛行士の渾名を取るあなたとこうして対面出来るなんて」

 

「世辞はいい。僕達には時間がない。分かるだろう?」

 

「そうね。それに、《ファーストヴィーナス》を含む最大戦力を、今は保有しているのは秘中の秘。それでも、エンデュランス・フラクタルのような情報体系は存在している。彼らに嗅ぎ回れれば痛くもない横腹を晒すのみ」

 

「……あなた達も企業だ。彼らと癒着している可能性だってあった」

 

「それはないと、ここまで来れば証明出来たものだと思っていたけれど」

 

「……生憎僕らは疑り深くってね」

 

「それくらいがちょうどいいわ。あなた達は、だってエンデュランス・フラクタルに軟禁されかけたんでしょう?」

 

 情報は既にオープンソースだと思っていい。しかし、エンデュランス・フラクタルが露見させるとも思えない。

 

「……失礼。こっちにも腕利きが居てね。エンデュランス・フラクタルとは常に牽制の状態にあるのよ」

 

「企業同士の抗争に巻き込まれる趣味はない」

 

 マーガレットが率先して言ってのけた言葉に、マーシュは頬杖をついて応じる。

 

「でも、いいのかしら? あなた達は私達に少しばかり力を預けてくれる。企業への不信感があるにも関わらず、と」

 

「それに関しては僕が。……確かにエンデュランス・フラクタルの動きには胡乱なものを感じる。しかし、だからと言って誰とも組まず、僕らだけで戦い抜くのは至難の業なのだと……地上に降りて痛感した」

 

「第三の聖獣に、第六の聖獣は想定外でもおかしくはない」

 

「それでも、見通しが甘かった、と思っているんだ。僕らはMFの叡智をいつでも取り出せるのだと過信していた。それが手足を奪われれば、ここまで不測の事態になるなんて」

 

「思考拡張を塞がれているのだと、イリスから伝え聞いている。それでも、あなたは《ファーストヴィーナス》の中に眠る原初のアイリウム……レヴォルの意志と交信を果たしたのだと聞いているけれど」

 

「……だからって万能じゃない」

 

「万華鏡を退けたのでしょう? なかなかに出来る戦果じゃないわ」

 

「どうだかね……万華鏡はこの戦局も読んで撤退に移った可能性が高い」

 

 事実、ジオがあれ以上深追いしてこなかったのは何も《ファーストヴィーナス》の戦力が割れないからだけではなさそうだ。

 

 何かこちらでも窺い知れないものを、王族親衛隊は抱えているようであった。

 

「……言っておくと、別段敵の敵は味方理論を振り翳すつもりもない。エンデュランス・フラクタルと我が社は一部分では繋がっていた。それは今日における禍根とも言える結晶となっている」

 

「……《セブンスベテルギウス》だな?」

 

 確証めいたマーガレットの論調にマーシュはその前髪を払う。

 

「《ダーレッドガンダム》よ、こっちでの通り名は」

 

「……ガンダム、か。まさかここまで因縁になるなんて思いも寄らない……」

 

「あまり話し込んでいる場合でもないけれど、あなた達は全員、それぞれの次元宇宙で英雄的働きを行い、その末にダレトを通してこの次元宇宙に訪れたのだと聞いたわ。それも、彼の宇宙では聖獣はガンダムの名を帯びていた。……偶然にしては出来過ぎているわね」

 

「……僕らも驚いている。呼び合うのがその素質だと思ってはいたが、この次元宇宙にもクラードが存在し、そして彼の乗機は《ガンダムレヴォル》であったのだと、……聞かされてしまえばね」

 

「ここで答え合わせをしない? 《ガンダムレヴォル》は何故、この次元宇宙に実質七機も存在するのか。それは何者かの作為が見え隠れする」

 

「作為……? しかし僕らは……」

 

「ザライアン・リーブス。先ほどから代表者のような物言いはやめてもらおう」

 

 マーガレットは歩み出て、己の知り得る情報を交渉条件に挙げていた。

 

「マーシュ艦長。我々としても敵を打倒する好機であるのは重々承知だ。しかし、それがガンダムに関わるものであるのならば、話は違ってくる」

 

「同じ敵を睨んでいても、かしら?」

 

「それでも、だ。そもそも同じ敵、と言うのさえも怪しい。あなた方は知っていたのか? この世界を覆う悪意の存在を」

 

「……私個人の所見から語らせてもらうと、それはまことしやかに、と言ったレベルね。だってあまりにも早過ぎた。ダレトからの技術が浸透し、企業が世界を覆うまでの速度は。何者かの裏からの手引きがないのならば、来英歴は未だに非人道的な人体実験で頭打ちになっていたでしょうし」

 

「そうだ。来英歴……この世界は間違っている。野蛮人達がその手に余る技術を用い、そしてヒトである事でさえも捨てて、その果てに何もかもを求める。純正殺戮人類(ナチュラルキラーエイプ)はそもそも出発点から間違っているはずだ。獣の骨で肉を狩る事を覚え、その喜悦のまま同族同士で喰らい合いを講じる。未だにその延長から逃れられていない。第四種殲滅戦も、ミラーヘッドも、ライドマトリクサーでさえも。……どうして過去の過ちに学べないのか。あなた方が辿っているのは破滅の道だ」

 

「それも存じているわ。“破局”だったかしら」

 

 マーガレットは僅かに語気を改める。

 

「……知っていても平静でいられるものなのだな」

 

「誤解しないで欲しいのは、これでも危機感は覚えているのよ。でも、個人ではどうしようもない。だから、私は企業の駒であったとしても、それでも前進出来る道を選んだだけ。結局……賢しいのは他でもない自分なんだって、思い知るばかりよ」

 

「それでも賢明なのは、あなたにはまだ拒否権と退路がある。エンデュランス・フラクタルはその退路を打ち消し、無理やりにでもこの時代を進めようとしている」

 

「だから、あなたは見限った。そう思っていいのかしら? エージェント、キュクロプスの名を戴いた最強のエージェントであっても」

 

 マーガレットは一拍置いた後に、マーシュを見据えて言いやる。

 

「……それが人間らしい選択だと思っただけ」

 

「人間らしい、か。私もあなた達への誤解があった。MFのパイロットは人間などではないのだと、どこかで線引いていたのは間違いない。この次元宇宙の人類には“夏への扉事変”での出来事はあまりに鮮烈が過ぎたのよ」

 

「……あれだって、仕組まれていた……」

 

 ザライアンのこぼした声音に、マーシュは髪をかき上げる。

 

「そうね。その事を承知しているのは一握りだけれど、MFのパイロットが人間だと知れれば、地球圏は混迷に陥るのは必定。別世界の人間だから、と言う理由で魔女狩りが行われかねない。だって、あなた達のどこにも、この世界の人々と変わるところなんてない」

 

 しかし、エンデュランス・フラクタルは自分達を交渉材料にして世界の秘密に肉薄しようとした。

 

 マーシュの言葉繰りには現実味があった。

 

 来英歴の人々は、追い詰められればどのような行動に出るのかまるで分からない。

 

 そんな人々に真実を明かすのはあまりに酷であるし、自分達の運命に暗い影を落としかねない。

 

「……あり得ないと言い切れないのが、悔しいところだ」

 

「それに、ザライアン・リーブス。あなたは有名人なのよ。あなたが思っている以上にね。その正体がMF04、《フォースベガ》のパイロットで別次元の人間であった、となれば疑心暗鬼に陥るのも明白でしょう」

 

「……この世界の人類は皆、業を抱えていると言うのに……」

 

「ダレトが開いて数十年、それでも人類は一つになり切れない。それどころか、ダレトから与えられた技術で殺し合いの術を高め、人である事と言う尊厳さえも自ら捨て去ろうとしている。……世界が見捨てた結果だ、訪れるであろう“破局”は」

 

 そう、この世界は遠大なる自分殺しの果てにある。

 

 MFを呼び込んだのも、全ての事象が帰結する先でさえも。

 

「……それでもあなた達が口を割らないのは、やはりこの世界を覆う悪意は、それ以上の手を尽くしている、と見るべきなのでしょうね」

 

「申し訳ないが、我々の安全のためにも、そしてあなた方の命のためにも、世界の真実に肉薄するのは推奨出来ない。それは……別の形での“破局”を引き寄せるだけだからだ」

 

「……信用がないわけじゃない、とは思っても?」

 

「それは……! ……当たり前じゃないか。だってそうなら、《シクススプロキオンエメス》攻略戦に打って出るわけがない。それに……彼らの一員を手中に置くなんて……」

 

「それなんだけれどね。うちの解析班が言うのには、やはりあれは胎児なのだそうなのよ。でも、MFを胎児が動かせるわけがない。それに、思考拡張らしき波が観測されているとも言われている。――あれは救護信号。そうなのでしょう? 三人とも」

 

「……そこまで分かっていて、答えを迫るのは卑怯じゃないか」

 

「これは来英歴の人類が開いてはいけないパンドラの箱だったのかもしれない。でも、私達はもう、その一端に居る。なら無関心を決め込むのは一番にやってはいけないはずよ」

 

 マーシュの論調には熱がある。

 

 だが、信用なるのか、と言う部分でザライアンには迷いがあった。

 

 信用して、裏切られてきたのがこれまでの戦いだ。

 

 そして、下手に信を置けば、全てを巻き込んでしまう。

 

 ザライアンが言葉を講じかねている間に、マーガレットは尋ねていた。

 

「……エーリッヒの事を、知っているな? エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの事だ」

 

 その事実は、自分は知らされていなかった情報だが、マーガレットの確信にマーシュは瞼を伏せる。

 

 深い藍色に染まった艦長室が濃い影を落としていた。

 

「……私がその事を知ったのは、つい数日前の話だった。私は……レヴォルの意志に選ばれた存在であるメイア・メイリスを逃がすために、組織に叛逆した――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「メイア! 逃げなさい! それがあなたの……運命への叛逆だと言うのなら……!」

 

 己の中の熱を言葉にしたその時には、マーシュは黒服を銃撃していた。

 

 しかし自分の叛逆など長くは持つまい。

 

 既にラムダの艦内はひっくり返したような大パニックに陥っている。

 

 艦長室に横たわった死骸を目の当たりにして、整備班長は絶句していた。

 

「……艦長、あんた……」

 

「何も……何も言わないで。ああ……私はただ、メイア……あなたとまだ、馬鹿をやりたかっただけなのに……」

 

 後悔を口にしたところで時が戻るわけではない。

 

 整備班長は冷たく声にしていた。

 

「……イリス達の様子が妙だった。メイアを追跡する事に何の躊躇いも抱いていない。……艦長、まさか有機伝導体操作技術で……」

 

「いいえ。恐らくは本社の意向でしょう。イリス達はエージェント。もしもの時に迷う事のないように設計されていたのね。……私は、間違えてしまったけれど」

 

 拳銃を握り締めた指が震えている。これ以上の間違いを犯す前に、自分の頭蓋を撃ち抜いたほうがよっぽど賢明なはず。

 

 そう感じて顎に銃口を添えた自分を、整備班長は頭を振って制していた。

 

「……よせ。よしてくれ、マーシュ艦長……。あんたが間違っていたんだとすりゃ、それはラムダの船員全員のミスだ。あんただけが泥を被って死ぬ事はない」

 

「でも、メイアはあのままじゃ、《ダーレッドガンダム》のパーツとして運用されて……きっと酷い目に遭っていたわ。それをある一面では容認したのは、私自身なのよ」

 

「だがあんたは……! ギルティジェニュエンのマネージャーだろう! ……ラムダの艦長である前に、あいつらの理解者だったはずだ……!」

 

「そう、……理解者が聞いて呆れるわよね。本社の命令に異論の一つも挟めず、彼女達が戦争の道具になる事を分かっていて、三年前にレヴォルの意志を解析し、そして第七の使者を利用して、悪魔を生み出した。……《ダーレッドガンダム》……止める術なんて思いつかないのに……」

 

 どれだけ絶望しても、それでもこの世界はきっと最悪に転がっていく事だけは確かであり、そしてまかり間違ったのは自分のほうだ。

 

 ここでの死以外での贖いなど思い浮かぶものか。

 

 整備班長は想定外の事態に、ただ一言だけ発していた。

 

「……あんたは間違っちゃいない……」

 

「そう、そうだとしても……己を罰するのは己だけのはずでしょう。私は、メイアにもう合わせる顔なんてないもの」

 

「だから死を選ぶって言うのか……? それは違うだろうに……」

 

「だとしても、私に何が出来るって……」

 

『こちらイリス。メイア・メイリスを取り逃がしました。対象は騎屍兵、《ネクロレヴォル》の師団に捕獲されたようです』

 

「……《ネクロレヴォル》に?」

 

 だとすれば、自分が想定したよりも地獄になるのかもしれない。

 

 舞い戻って来たイリス達に自分は処分されるか、あるいは本社からの処罰を受けるかのどちらかなのだろう。

 

 マーシュは全てを受け入れるつもりであった。

 

 見知った整備班長は、何か言葉を投げようとして当惑だけを浮かべる。

 

「……これ以上……誰も泥をかぶる必要なんてないってのに……」

 

「それはそうだとしても、誰かが罰を受け入れなければ世界の答えなんて得られないのでしょうね。永遠に……」

 

「だが、あんたは……同朋だったはずだ。メイア達の……!」

 

「それも驕りなのよ。結局のところ、私はメイアの事を、何一つ分かっていなかった」

 

『ポートホームの座標接続開始。艦長に是非を問います』

 

 ポートホームが接続されたという事は、本社からの増援が来るのは免れまい。

 

「……整備班長、逃げたほうがいいわ。メイアの事を知っている人間は消される可能性がある」

 

「冗談。自分の死に場所くらいは自分で選びたいんでね」

 

「……すまないわね、酷な運命を強いて」

 

「別に。……あんたに後悔がないのなら、それでいいんだよ、マーシュ艦長」

 

 よくて拘束、悪ければこの場で銃殺か。

 

 マーシュは最早無用な抵抗はすまいと、拳銃を下げ、執務椅子へと腰掛けていた。

 

「この死体はどうする?」

 

「置いておくといいわ。私だけの判断だと言う証明にもなるし」

 

「しかし、それは……」

 

「ラムダはまだ使える艦よ。それをたった一人の人間のエゴで潰すべきでもないでしょう?」

 

「……この艦と運命を共にするのが、クルーの役割なのだと思ったんだがな」

 

「元々、隠密に秀でた艦なのだから。経歴に書けもしない、汚れ仕事ばかりを引き受けてきたって言うのに」

 

「艦長、あんたの罪は我々も背負う。背負わせて欲しい」

 

「……酔狂なのね」

 

「馬鹿なだけさ」

 

 廊下を駆け抜ける足音が聞こえてくる。

 

 次の瞬間には自分を誅殺しているであろう、死の足音を前に、マーシュは瞼を閉じていたが、開かれた扉の先に居たのは本社の黒服達ではない。

 

「……イリス……?」

 

 帰投してきたらしきイリスが艦長室の扉の前で佇む。

 

 どういうつもりだ、と窺ったこちらにイリスが迷いなく銃撃していた。

 

 その弾丸は、こちらへと迫っていた本社の黒服を射抜いたらしい。

 

 呻き声が漏れ聞こえる中で、イリスを筆頭とするエージェント達が本社の黒服達を次々と蹴散らしていく。

 

 その模様に整備班長と共に呆気に取られていた。

 

 イリスは本社のエージェントだ。

 

 もしもの時にマグナマトリクス社の放つ矢の一本として使われるはずであったのに、今はこうして本社組を撃ち殺しているのは悪い夢のようであった。

 

「……何のつもりで……」

 

「――マーシュ艦長。メイアを行かせたのは独断?」

 

 いや、ここで淡い考えを浮かべたところで仕方ないはずだ。

 

 イリス達は既に使命に目覚め、メイアを追撃した。

 

 それは即ち、もう彼女らに温情など期待出来ないと言う事実であった。

 

 なるほど、撃つのならば自分の手で、と言うわけか。

 

「……ええ、そうよ。幻滅した?」

 

「……いいや、尊敬を。そして、今も答えは我々の手の中にある。マーシュ艦長、あなたは判断を誤らなかった。素直に称賛する」

 

 発せられた言葉の意味が当初はまるで理解出来なかった。

 

 それが皮肉でも何でもなく、自分の評価なのだと思案した時には、疑問へと変移する。

 

「……どういう、意味……」

 

「メイアを《ダーレッドガンダム》に差し出せば、ある意味では世界は収斂していたでしょう。しかし、それでは別の破滅をもたらすだけ。私達は数年規模で、メイア・メイリスを観察していた。観測者として、彼女のもたらす秩序構図への叛逆に意味があるのかと」

 

「……待って、あなた、イリス……よね……?」

 

 眼前の相手に対し、名を問うなど愚か者のする事であるが、それでも問わずにはいられない。

 

 彼女は――本当にギルティジェニュエンのイリスなのだろうか。

 

「……私はイリス……イリス・エーリッヒ。この名の意味を、しかしほとんどの人間は理解さえもしない。何故ならば彼らにとってこの名称に込められた真の意味は開示されていないから」

 

「真の意味……? おい、ちょっと待て。もしかして、もう有機伝導体操作技術で記憶を……!」

 

「心配要らない。私達の脳髄を本社が弄ったわけではない。ただ、私達だけじゃない。この世界に息づくあらゆる人間……ライドマトリクサーと言う禁忌を犯した人々は目覚めつつある。私はそのための調停者として、こうしてあなた方マグナマトリクス社のエージェントを隠れ蓑にしていただけだ」

 

「何を……言って……あなたはだって、マグナマトリクス社の送り込んできた、エージェントで……」

 

「彼らは知らなかった。私の秘密も、私達、人類が講じてきた禁断の果実も。そしてメイアは、その罪を解き明かす術を持つ。まさしく“罪付き”のメイア。あの子の歌声は全ての審問の時が明かされた後に意味を持つ。何故、ギルティジェニュエンはここまで大きなバンドになったのか。それはRMへの共振音波、特定波形への思考反射に過ぎない」

 

「……あなた、イリス……じゃないの」

 

「間違えないで欲しいのは、イリス・エーリッヒは後継者でしかない。エーリッヒの名を継ぐべきなのはこの世界にあまねく数十億単位の人類とRMという禁術に手を伸ばした結果。そう、私達は結果に過ぎず、それに集約される」

 

「イリス。本社の追撃はこれくらいみたい」

 

 他のバンドメンバーがアサルトライフルを携えて言いやる。

 

 衣装には血が飛び散っており、彼女らが本社の者達を手にかけたのがありありと伝わった。

 

「……どうして……裁かれるべきは私でしょう?」

 

「いいえ、マーシュ艦長。あなたにはもっとやるべき事がある。そのために、マグナマトリクス社の上層部の思惑は邪魔になる。あなたには試金石になってもらった。本社がどう間違うのか、というだけの」

 

 イリスの言葉はどれも理解出来ない、否、してはいけないような気がしていた。

 

 どれもこれも彼女らの言葉繰りにしては違っている。

 

「……あなたは誰なの……」

 

「先にも述べたとおり、イリス・エーリッヒ。この世界に訪れた最初の聖獣の操り手である、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの名を継ぐ存在である。……とは言っても、遠隔の思考拡張に過ぎない。私の深層意識は今も月面にある」

 

「……月面……テスタメントベース?」

 

 その事実が脳裏で繋がった瞬間、マーシュはイリスの唇を借りてこの場で自分を見据える老人を目の当たりにした感覚に捉われていた。

 

「……よろしく頼む、マーシュ艦長。私が見てきた限りでは、まだ頼みの綱になる人間の一人だ、あなたは」

 

 



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第204話「歩く程度の速さで」

 

 追跡任務は、とシャルティアは口火を切っていた。

 

「依然、実行中です。それにしても……推進力がまるで既存のMSやMAとは異なりますね……。これがMF……月の聖獣だって言うんですか」

 

「ファムがこっちに居る以上、私達には追う義務がある。……とは言え、頭痛の種には違いないわね」

 

 ブリーフィングルームで渋面を突き合わせたのは、カトリナとシャルティア、それにレミアとダビデであった。

 

 レミアは頭痛薬を口に放りこんで水で流し込む。

 

「その……MF追撃に成功したとして、我々の主力装備では攻撃などまるで無意味かと推測されます。届くとすれば……」

 

「先の戦闘でも謎の現象を見せた……《ダーレッドガンダム》……ですよね」

 

 自分の発した言葉にダビデとレミアは揃って承服し切れない声を返す。

 

「……だがあの機体と、そしてエージェント、クラードには分からぬ事が多過ぎる。このまま追撃しても、MFのやる事だ。どの陣営もだんまりを決め込めば、最終的な勝利者はそのパイロットの所有者になるだろう」

 

「つまりはエンデュランス・フラクタルの上層部、か。……彼らにとっての意義は聖獣の名を借りての、敵対勢力の一掃、でしょうね」

 

「でもそれって……! 一方的な大虐殺になるんじゃ……!」

 

「この世で一方的でなかった事などない。それはミラーヘッドの形式が整ってからずっとそうであっただろう。第四種殲滅戦の延長線上にあるだけだ」

 

「それでも……放置は出来ない、というのがあなたの見立てよね? カトリナさん」

 

「……はい。だって、あれにはファムちゃんが乗っていたんです。もし……自分の乗って来た機体が人殺しを行ったのだとすれば、私なら平静じゃいられません……」

 

 胸元でぎゅっと拳を握り締めた自分に対し、意見を述べたのはシャルティアであった。

 

「……その、私も、シンジョウ先輩の意見には賛成です。ファムさんの事とか、……三年前のベアトリーチェの事、ログでしか知りませんけれどでも……背負わせちゃいけないような気がするんです」

 

「……しかし、MF相手にまともな戦力はなし。この数十年間、現行人類の叡智を拒んできた第三の聖獣への有効策なんて思い浮かぶわけがない。せめてMFを打倒出来る作戦でも用意出来れば違ってくるんだが……」

 

「聖獣討伐は、既にクラードが行っている。ノウハウは彼にしか分からない領域にある、としか言いようがないわね」

 

「……やはり、ここでもクラードか。言わせてもらうが、あなた方は少し、あのクラードに頼り過ぎじゃないか? 三年前の戦いを責めるわけではないが、全ての因果を彼に集約させたのは失策だ。お陰であのクラードにしか分からない領域が多過ぎる」

 

「……そうね。私達はクラード一人にずっと、背負わせてきた。その清算をしろって、言われているようなものなのかもね……。

 

 沈みかけたレミアの論調に、カトリナは、でも、と声を発する。

 

「……クラードさんはでも、彼岸に……あっち側に行っちゃわないって、言ってくださいました。一人で誰も知らない場所になんていかないって、一個だけ……っ! 約束してくれたんですっ。だから、まだあの人は、ここに居てくれる……」

 

「そうは言うが、クラードの持ち得る力は超人的だ。MS単位での空間跳躍に、波長生命体だと……? どういう事なのかはさっぱりだな……」

 

「それに関して、少し私のほうで下調べと言うか、調査は尽くしてみました。……さすがに本社のデータベースを参照は出来ませんけれど、オフィーリアの残存ログを辿って」

 

 おずおずと挙手をしたシャルティアにカトリナは瞠目していた。

 

 レミアとダビデも同じようで、まさかシャルティアが率先して調べているとは思いも寄らなかったのだろう。

 

「……あなたが?」

 

「結果はどうだったんだ?」

 

「それが……やはり“波長生命体”なるログは公式には存在しませんでした。ですが、月面、テスタメントベースにて、ヴィルヘルム先生とサルトル技術顧問と、それに……アルベルトさん、シンジョウ先輩の証言が残っていました。これは極秘事項に抵触するのですが、月面で待っていたのは、レヴォルの意志に酷似した情報集積体であったと。自らをエーリッヒ・シュヴァインシュタイガーと名乗る、そういう存在であったと言う過去の調書が」

 

「それ、エンデュランス・フラクタルに露見したらオフィーリアに追撃部隊を送って来るわよ。枝は切ったんでしょうね?」

 

「……一応、私なりの方法で、ですが……」

 

 委縮したシャルティアにカトリナは問い質す。

 

「それで? 何か分かったの?」

 

「あ、はい……。波長生命体なる固有名詞はこれ以降には出ていません。もちろん、これ以前にも。ですがエーリッヒ・シュヴァインシュタイガーと言う名称を探ってみたところ……彼の存在は歴史の影に時折語られる人物として合致しました」

 

「……そのエーリッヒなる何某が、波長生命体の手掛かりだと?」

 

「確証はありませんが、手探りのまま探し回るよりかはマシなはずです。このエーリッヒなる人物、語られるのはどれもこれも、月のダレトに関しての論文関係なのですが……」

 

 濁したシャルティアに、カトリナは疑問を呈する。

 

「どうしたの? 何が……」

 

「いえ、彼の偉業、その歴史的な歩み……それらは全て、偽書と呼ばれる……偽りの歴史です」

 

「偽りの……」

 

 絶句した自分達を相手に、シャルティアは情報をブリーフィングルームに投射する。

 

「はい。彼の著作はどれもこれも、嘘ばかりで並べ立てられた理論や、思考迷宮ばかりであり、この世界においてまともに取り上げられたものは一つもありません」

 

「まともな論文のない学者……だとでも言うのか」

 

「それも奇妙なんです。彼の生没年は意図的に隠されており、いつ生まれていつ亡くなったのかさえも不明なままなんです。その生涯を隠蔽されたまま過ごした、稀有な例と言ってもいいでしょう」

 

「……意図的に隠蔽された、偉人……」

 

 そこでカトリナはエーリッヒなる人物の名をどこかで聞いたような気がしたが、簡単には思い出せなかった。

 

「……分からんな。テスタメントベースとやらで、では出てきたのはその偽りの偉人だとでも言うのか」

 

「サルトル技術顧問の証言と、ヴィルヘルム先生の証言を鑑みるに、嘘偽りの情報にしてはあまりにも現実的だったというものがあります。これは私が二人に直接聞いた実感です。でも……ヴィルヘルム先生はまだ、何か隠されているような……そんな気はしましたけれど」

 

 そう言えば、テスタメントベースにてヴィルヘルムだけが何かを知っている風であった。

 

 全員が困惑するしかなかったあの場で、彼はエーリッヒの語る真実に肉薄していたはずなのだ。

 

「……ヴィルヘルム先生は何かを知っている……」

 

「でも教えてくれなかったんです。多分、語るつもりもないのでしょうけれど」

 

 しゅんとするシャルティアに、レミアは応じる。

 

「いいえ、これでも立派な一歩よ。よくやってくれたわ、シャルティア委任担当官」

 

「い、いえ、その……ある意味じゃ贖罪って言うか、レミア艦長達の事、私、信用してませんでしたから。歩み寄りもしようと思っていませんでしたし、そんななのに自分だけ取り乱したって、何にもならないって……それだけは分かったので、出来る事を、と思いまして……」

 

「……なるほど。カトリナさん。いい後輩を持ったわね」

 

 フッと微笑みを浮かべたレミアに、カトリナは責任を痛感する。

 

 元々、シャルティアはまだ十七歳。

 

 ハイスクールの制服が似合う身分なのに、彼女にここまで無理をさせたのは自分の至らなさでもある。

 

「……シャルティアさん。ごめんなさい、私がその……気が回らないばっかりに」

 

「いえ、シンジョウ先輩は立派な方だと思っています。私、素直に尊敬してるんですから、そんな風に卑下しないでください」

 

 それもこれも、今の自分には過ぎたる称賛か。

 

 カトリナはブリーフィングルームのモニターに浮かび上がった《サードアルタイル》の針路を見据えていた。

 

「……《サードアルタイル》は間もなく地上に到達します。それがどの陣営に与する国家であれ、あれは蹂躙するでしょう」

 

「それを許すわけにはいかない、か。カトリナさん、あなたも無茶を言うようになったわね」

 

「……はい。無茶でも実現しないと、だってそれは霧散しちゃいますから。願うのなら、少しくらいは傲慢なほうがいいって……」

 

「しかし先にも述べた通り、《ダーレッドガンダム》の性能に振り回されては敵わない。後ろからいつでも撃てる位置に居たとしても、あれを抑え切れる自信はないぞ」

 

「……大丈夫です。クラードさんは、約束を破ったりしません。……信じてとは言い切れませんけれど、少しだけ猶予をください。もし……クラードさんが間違えてしまった時には、同じように咎を受ける覚悟なのが委任担当官の役目のはずです」

 

「……カトリナ・シンジョウ……そこまで……」

 

 息を呑んだダビデにレミアは言い置く。

 

「……そうね、結局のところ出たとこ勝負なのは事実なのだし。それに、私達はクラードをこれまで信用してきた。彼が波長生命体を名乗ろうと、その血潮が人の赤ではなかろうとも、それだけで彼を信じない理由にはならない。だって、私達は同じ……彼に託したトリガーを、まだ諦めたわけじゃないんだもの」

 

 自分とレミアにしか分からぬ言葉に、少しだけ救われた気分を味わったカトリナは、針路上で大陸に差し掛かった《サードアルタイル》の座標を睨んでいた。

 

「……第三の聖獣を止めます。止めないといけないはずです」

 

「……言っても聞かない奴の言葉振りだ、それは」

 

「それでも、私達なりの叛逆を講じるしかないでしょう」

 

 ダビデは嘆息をついた後に、その身を翻す。

 

「……パイロットは格納デッキに待機しておいたほうがいい。それと、騎屍兵に関してだが……」

 

「それに関してはユキノさんが一任してくださると……私は聞いています」

 

 シャルティアの尻すぼみの声は騎屍兵に対しての恐れもあるのだろう。

 

 だが自分達は、そのような及び腰では勝てるものも勝てなくなってくる。

 

「……了解したわ。オフィーリア管制室にて、私は陣頭指揮を執ります。ブリギットのほうもそちらの指揮系統に任せるわ、ダリンズ中尉」

 

「……如何にトライアウトジェネシスとは言え、聖獣と会敵したなんてケースはない。死にに行けと言っているようなものだ」

 

「そう……あなたも辛いわね」

 

「そうだとしても、私は成り損ないのDDに過ぎん。あえてでも命令するとも」

 

 ブリーフィングルームを出る際、不意にシャルティアに呼び止められる。

 

「あの……シンジョウ先輩」

 

「シャルティアさん……どうしたの?」

 

「いえ、その……私、すいませんでした! シンジョウ先輩の指示を待たずに、勝手な調べを尽くした事……命令違反でしょうし……」

 

「そんな! シャルティアさんが調べてくれたから、今があるんだから。むしろ、ありがたいくらいだろうし。それと……ありがとう。クラードさんを、信じてくれて」

 

「……私が信じたいのは、この艦を護ると言う意志を最後まで貫き通した……どこかのだらしがない人の……そんな言葉だけですから」

 

 そう言って気丈に泣き笑いをするシャルティアは本来、誰かに頼っても縋ってもいい身分のはずだ。

 

 そんな彼女が前に進もうとしているのに、自分だけ後ろを向いて立ち止まっているわけにはいかない。

 

「……ありがとう」

 

「いいえ、私のほうこそ」

 

 その言葉を潮にしてお互いの戦場へ。お互いが輝けるだけの場所へと赴くのみだ。

 

 格納デッキでは今も忙しく作業が続行されていたが、クラードの搭乗する《ダーレッドガンダム》には、誰ともなく遠慮をしているようであった。

 

 カトリナはタラップを駆け下り、閉ざされたレヴォルタイプの鋭い双眸を持つコックピットの前で深呼吸する。

 

 クラードは今もきっと、苦しみの只中にいる。

 

 そんな彼を救うだけの言葉なんて自分は吐けないのかもしれない。

 

 だが、今は。

 

 今だけは、無遠慮で不格好でも、それでもいい。

 

 前に進めるだけの気概があるのなら、クラードを鼓舞するくらいわけないはずだ。

 

 頬を張り、よし、と気を張り詰めたところで不意にコックピットが開いていた。

 

「……何やってるの、あんた」

 

「く、クラードさん? ……えっとですねぇー……気合の籠った言葉でも言おうと思ったんですけれど……見てました?」

 

「目の前で何かやられたんじゃ、気にかかって集中も出来ない」

 

「うぅー……言われちゃってるなぁ……」

 

「それで? 用があるんでしょ」

 

「あ、そうです! そうなんです!」

 

「……うるさいよ」

 

「あっ、すいません……。その! でも分かったんですっ! 私、やっぱり諦められませんっ! 世界がどうこうなっちゃうのが私達の責任があるって言うんなら、一手でも間違いだけを正すために、行動したっていいはずなんですっ!」

 

「それは分かっている。それに……どっちにしたって奴は敵だ。アルベルトの言う、弔い合戦って言うのは苦手だけれどさ。それでも少しばかりは、戦う理由だってある。なら、俺は最後の一滴になるまで戦い尽くす。それだけが、俺の……」

 

 思い詰めたクラードの相貌へと、カトリナは自ずと手を伸ばしていた。

 

 その頬をさする。

 

 どうして、こうなるまで彼は独りで切り詰めてしまったのだろう。

 

 どうして、ここに至るまで自分は彼に寄り添えなかったのだろう。

 

 自分は――もっとクラードと共に戦う覚悟を決めるべきであったのだ。

 

「……何」

 

「いえ、その……私は、あなたの委任担当官です。だから、最後の最後まで、付き従う義務があります」

 

「それは分かっているけれど、この手、何なの」

 

「それは……クラードさんは、その、波長生命体とかじゃないですよ。きちっとした、人間の温かさがあります」

 

「……あんた、相変わらずの感情論だな。俺の血の色を見ただろうに」

 

「それでもっ……私は信じたい。クラードさんは私の知る時からずっと、変わってなんていないって事を。だってあなたは、自分を切り売りするように戦うけれど、それでも私達のために、いつだって戦い抜いてくれた。その真意だけは嘘じゃないはずなんです」

 

「……人であろうと思った事なんてない、冷たいトリガーであってもか?」

 

 その問いかけは確かに狡い。逃げ出せればどれほど楽か。

 

 だが逃げてはいけない。

 

 楽に――転がってはいけないのだ。

 

「……あなたが私のトリガーだとしても、だったらなおの事、私は手離しちゃいけないんです。あなたを扱う……責任があると言うのなら」

 

「……責任、か。そんな言葉で雁字搦めになった連中は大勢見てきたクチさ」

 

「でも……っ! 私の責任は違いますっ! クラードさん、あなたが絶対に、勝手に消えちゃったりしないように……! もう一度だけ、約束してくださいっ。必ず帰って来るって……」

 

「約束は難しい。相手は聖獣だ。俺でも二度も三度も勝てるとは思っていない」

 

「そ、それでも……っ」

 

「それでも、なのか? あんたは、相変わらず変わっているな。俺みたいな人間モドキ、投げたって何にも罪悪感なんてないだろうに」

 

「い、いえ、そんな事……」

 

「だが、約束は難しいが、誓う事なら出来る」

 

 クラードの手は自分の手を握り返し、小指を絡めていた。

 

「こうすれば、約束とは別の誓いなら、果たそう。俺はカトリナ・シンジョウ、あんたの扱ったトリガーであり、そしてエージェントだ。約束は別だが、誓いの一つは達成するように努力する」

 

「……もうっ。クラードさん、知ってました? 約束よりも誓いのほうが重いんですよっ」

 

「そうなのか。勉強不足だった。これから覚えるよ」

 

 少しむくれてみせると、クラードはその手を離す。

 

「なら、重いだけの誓いを、とっとと果たした後に、約束だろう。そのほうが随分と楽なはずだ」

 

 手が離れる。

 

 距離が空く。

 

 もう永劫に、彼と果たせるだけの約束なんてないのではないかという危惧が、焦燥が胸を掻き毟る。

 

 そんな痛みを抱えるのが苦痛で、カトリナは声を張っていた。

 

「クラードさんっ! その誓いっ、私の分なんですからねーっ!」

 

 サムズアップを最後にクラードの姿は《ダーレッドガンダム》のコックピットハッチに消えて行く。

 

 それでも、自分に納得のいく答えを果たせてよかった。

 

 誓い一つ、胸に抱けたのなら、それは明日への約束への糧になる。

 

「……ありがとう、なんて、絶対にまだ言いませんから。だって、まだ誓いがあるんです。その後でもいいはずでしょう? ありがとうって、言うのは……」

 

 MS格納デッキで忙しく声が行き渡る。

 

『MS各隊、発進準備に移ってください。これより、第三の聖獣、《サードアルタイル》の追撃任務に当たってもらいます。各隊、発進準備』

 

 オペレーションの声が響き渡る中で、カトリナは指先で目尻に浮かんだ涙を拭っていると、不意に人影と行き会う。

 

「……ユキノさん……」

 

「カトリナさん? ……ああ、クラードさんに」

 

 どこか納得した様子の彼女は泣き腫らした目を隠そうとしたが、その微笑みは今にも崩れそうであった。

 

「……その……アルベルトさんは……」

 

「ヘッドがどうであろうと、今は私がRM第三小隊の小隊長です。……あーあ! 嫌だ嫌だ! 偉くなんてなるつもりはなかったんだけれどなぁ!」

 

 思いの丈をぶちまけたユキノに面食らっていると、彼女はふふっと悪戯っぽく微笑む。

 

「……なぁーんて。私は、戦います。目の前で憧れの人を失ったんです。なら、戦えますとも」

 

「……でもそれは、辛い事を強いているのと違わない道でしょう」

 

「たとえ茨道であろうとも、私は行くんです。だってこれは、ヘッドだけじゃない。カトリナさんやクラードさんが作ってくれた道なんですから。誇らないと損じゃないですか」

 

 ユキノは何度も何度も、大切なものを失った上で成り立つ道を歩んでいる。

 

 彼女の痛みの一端が分からないわけではないのに、それでも愚鈍を演じる事でしか、自分はユキノを送り出せない。

 

「……ユキノさん。《サードアルタイル》のパイロットのレコード……グゥエルさんの声だって聞きました」

 

「……私も馬鹿ですよねぇ。グゥエルが生きているわけがないのに。それに、生きていたところで、私は否定されちゃったんです。なら、もう仕方がないって言うのに」

 

 何度も仲間の生き死にに関わるのは誰だって慣れていないはずだ。

 

 それが近しい者であったのならばなおの事。

 

「……私は、委任担当官としての言葉でしか、あなた達を送り出せません。だから、その……弱くっても、その……」

 

 こちらが返事に窮しているのを悟ってか、ユキノは柔らかく微笑んでいた。

 

「辛気臭いですよ、カトリナさん。いつだって、あなたは無茶で、やる事成す事なんだって、出たとこ勝負の身体でぶつかっていくタイプでしょう? だったなら、私は託された側だと思うんです。前線で敵とかち合うのが私の役目ですから。ヘッド風に言えば、喧嘩するのは私達なんです」

 

「……でも、その喧嘩を遠くで見守るだけなんて……」

 

「遠くで、じゃないでしょう? クラードさんに啖呵切ったんです。それなら、あなたの戦場だってもう、一蓮托生のはずですし」

 

 あの時、トリガーとしての意味を見出したクラードに立ち止まって欲しかった。

 

 もう一度だけ、前のような関係に戻りたかった。

 

 だがそれは傲慢と言うものだ。

 

 誰だって一秒前に戻る事なんて出来ない。

 

 求めるのならば進み続ける事だけが、後退していない事への証明だ。

 

「……私の戦場も、あなた達と一緒でありたいと、その……思っています」

 

「なら、言葉は少なめでいいはずです」

 

 帰ってきて欲しいのなら、数多の言葉に埋もれる事のない、ただ純粋な背中を押す言葉だけでいい。

 

「……行ってらっしゃい」

 

「行ってきます。でもまぁ、こういうのも悪くないなって話ですし」

 

 挙手敬礼をしてみせたユキノは迷いを振り切ったように映ったが、それでも彼女の中では渦巻いているのだろう。

 

 グゥエルらしき人物の存在。

 

 アルベルトの死。

 

 それにイレギュラーばかり引き起こすクラードと《ダーレッドガンダム》。

 

 後ろを任せろとは言い難い戦局ばかりだが、それでも前進する事だけが、生きているという事実になる。

 

 証明事項は後々探せばいい。

 

 カトリナは格納デッキで発進準備にかかるMS部隊を視野に入れていた。

 

「……頑張ってください、皆さん……ううん、私も、頑張らないとっ……!」

 

 その一言で足を進められた。

 

 



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第205話「悪意へと染まる空」

 

『クラード、聞こえている? 《サードアルタイル》は旧連邦支配領域の大陸に進出。現在、管轄しているのは旧態然とした貴族体質よ』

 

「地球連邦の連中を間接的とは言え、助けると言うわけか」

 

 鎧のパイロットスーツを身に纏い、クラードはインジケーターを調整する。

 

『気が乗らないのはお互い様でしょう。……大丈夫なの? 《ダーレッドガンダム》は』

 

「大丈夫、かどうかは判定しかねるな。こいつがどう挙動するのかは、俺にも分からない」

 

 バーミットが通信先で嘆息をついたのが伝わってくる。

 

『……あんたってそういう……まぁいいわ。愚痴は帰ってからたくさん言ってあげる』

 

「あんたには珍しいじゃないか。先延ばしにするなんて」

 

『ミュイっ! クラードっ!』

 

 通信先で不意に弾けた声にクラードはアクティブウィンドウ越しのファムを見やる。

 

『こらっ、ファムー。あんた、今は戦闘警戒中なんだからねー』

 

「……ファムはそこに居るのか」

 

『いるよ? クラード、がんばってね』

 

「……頑張る、か。頑張って死ねという事なのかもな」

 

『ミュイ……しんじゃうのは、やだよ……』

 

『あんたってば。少しはマシになったかと思ったら、そういう事は言わない!』

 

「あまりマシな戦局でもないんでね。楽観視は捨てたほうがいいだろう」

 

『……だからってねぇ……これから出る人間相手に死ぬなんて言えないでしょうが。……カトリナちゃんとは話したの?』

 

「ああ、話しておいた」

 

『ふぅーん。あんたも隅に置けないわねぇ』

 

「何の事だ。カトリナ・シンジョウとは委任担当官としての話しかしていない」

 

『あれー? あたしは何も言ってないわよ? あんたから口を滑らせたんだからねー』

 

 こういう時に妙に聡いのがバーミットの強みなのだろう。

 

「……あんたらしいな。他人のゴシップに興味でもあるのか」

 

『別に、こういう時に笑い話の一つや二つは言えたほうが命は拾いやすいって言う経験則よ』

 

 分かっている。

 

 自分達はあまりに無謀な賭けに出ているのだ。

 

 聖獣討伐作戦――月軌道決戦で実行したあれとはまるで異なる。

 

 戦力も、それに死力もまるで足りていない。

 

 それに、地球連邦の議席が少し減ったところで、自分達には何の影響もないはずだ。

 

 だと言うのに割って入って死中に活路を見出そうと言うのがそもそも酔狂だろう。

 

「……正直なところ、勝てるか勝てないかの分水嶺はとうに超えているだろうに」

 

『そうね。でも勝って帰ってらっしゃい。これはあんたを前から知る人間の言葉よ』

 

「……そんなに軽く言われてしまうものなのか」

 

『大げさに言ったって、あんたは無理をするんだから。だったら、ちょっとした別れ程度で湿っぽくなるもんでもないでしょうに』

 

「……それもそうだな。俺も、らしくない感傷に足を取られているのかもしれない」

 

『長く生きている人間の言葉で言わせてもらうと、あんたは少し悲観的なのよ。幸せ女のカトリナちゃんを見習いなさい。あの子は……まだ、それでもまだ、って抗っているでしょう? あれくらい意地汚くなったほうが、勝ちの目はあるわよ』

 

『ミュイっ! バーミット、いじきたない!』

 

『あたしは意地汚くないっての! ……まぁ、ともかく。特別な事は言わないわ。ただ、帰ってらっしゃい』

 

 咳払いして佇まいを正したバーミットにファムがモニターを覗き込んでくる。

 

 そんな二人に、クラードはサムズアップを寄越していた。

 

「……ああ。俺はまだ、死ねないからな」

 

『クラードさん! 修繕、細かいところもやっておきました。ベテルギウスアームに直結するビームマグナムも一緒に。武装は最大規模で装着してあります。重力下ですので、少し重たいかもしれませんが』

 

 ティーチの接触回線にクラードは応じていた。

 

「火力としては、聖獣に比肩出来そうか」

 

『それも、出たとこ勝負でしょうね。《ダーレッドガンダム》の性能としては、これ以上とないほどに引き上げたつもりですが……』

 

 濁すのは、前回の戦闘でも巻き起こした不明現象の元凶が未だに理解出来ていないからであろう。

 

 オフィーリアの整備班の頭脳を結集しても、《ダーレッドガンダム》はブラックボックスのままであった。

 

『……ただ』

 

 ティーチは声を潜めワイヤーで繋がった接触回線でギリギリ聞こえる声を絞っていた。

 

『……ヴィルヘルムさんの仰っていた事が気にかかります。このMSも、聖獣の一部だって言うのは……』

 

 混乱をもたらさないようにヴィルヘルムは自身の持ち得る憶測を誰彼かまわずに話す事はないが、それでも《ダーレッドガンダム》と自分の変化に戸惑っているのは理解出来る。

 

「……そうだとしても、俺は変わらない。敵を殲滅し、その末に勝利を掴み取るまでだ」

 

『……ですよね。安心しました。こっちはバックアップは可能ですので、どれだけでも言ってください。……ご武運を』

 

「すまないな、ティーチ。あんたには無理をさせる」

 

 その言葉を返した途端、ティーチは茫然とした後に涙ぐんでいた。

 

 理由が分からず、クラードは問い返す。

 

「どうした? 何かあったのか?」

 

『い、いえ……っ。……昔、似たような事を、言われた事があったので思い出してしまって……忘れてください。ちょっとした恋煩いのようなものです。思い出の中だけの話ですので』

 

「……そう、か」

 

 ティーチは涙を拭ってワイヤーを外す。

 

 自分もまた誰かの思い出の中で生きてけるのだろうか、と脳裏を掠めた考えに、クラードは自嘲する。

 

「……馬鹿だろ、その考え。思い出の中で生きるなんてのは、死んだ人間にだけ許される特権だ。俺は、まだ生きているだろう。ならばその命、燃やさないでどうすると言うんだ」

 

 腕を可変させ、接続口に繋いだ途端、電磁の刃が突き立ち、クラードはその痛みを脳髄の中に埋め込んでいた。

 

『レヴォル・インターセプト・リーディング、起動します。“懲りないのだな、お前も”』

 

「……《ダーレッドガンダム》、お前は俺の何かを知っているようだ。だからこそ、言っておく。俺はお前に呑まれない。むしろ、逆だ。振り落されないように気を付けておけ。お前を乗りこなすのは、この俺だ」

 

『“お前に従えと言うのかね?”』

 

「……いつだってそうだっただろう。レヴォル・インターセプト・リーディング、俺に従え」

 

『“努力しよう”。コミュニケートモード終了。専用アイリウムはこれより、戦闘モードに移行します』

 

 カタパルトへと移送されていく中で、クラードは誘導灯が青く染まるのを視野に入れていた。

 

『射出タイミングをエージェント、クラードに譲渡。発進どうぞ』

 

「了解。――《ダーレッドガンダム》、エージェント、クラード。迎撃空域に先行する!」

 

 青い電流がのたうち、重力の重石を引き受けた《ダーレッドガンダム》は背部格納バックパックを展開させていた。

 

 二対の翼が開き、推進剤の尾を引かせて安定領域へと引き上げていく。

 

 続いてダビデの《レグルスブラッド》とRM第三小隊を束ねるユキノの機体が後ろを固め、鹵獲されたという《ネクロレヴォル》も戦線に加わる。

 

「……単純戦力でも聖獣には比肩し得ない……。それでもやるしかない、か」

 

『クラードさん。《ネクロレヴォル》はもしもの時にはダリンズ中尉にお任せしています。私達は、前衛として第三の聖獣の出端を挫く役割です』

 

「……一番槍と言うわけだな。引き受けよう」

 

 クラードは暗雲の垂れ込める大陸の景色が次々と切り替わっていくのを目の当たりにしていた。

 

《サードアルタイル》が行き過ぎた空は電磁が想定外の出力を弾き出し、街の明かりが明滅する。

 

「……支配特権層の戦い振りか」

 

 空を舞うのは何も自分達だけではない。

 

 おっとり刀で抵抗のために出撃したであろう、《レグルス》編隊が応戦の火線を咲かせている。

 

《サードアルタイル》は虹の皮膜で防衛しつつ、実体弾もビーム兵器も意に介さずとでも言うように跳ね返していた。

 

 虹の皮膜は触れただけでも毒のようで、機体が融け落ち、《レグルス》はアイカメラから生命の光を奪われて墜落する。

 

 街並みは半狂乱に陥っていた。

 

 そのほとんどが《サードアルタイル》本体のもたらした悲劇と言うよりかは、《レグルス》の無用な抵抗によって生まれた流れ弾の被害のようである。

 

『……何て惨い……』

 

『抵抗するな、とは言えないだろう。あれは仕方のない事だ……』

 

 ユキノとダビデの言葉を受けながら、クラードは《サードアルタイル》の索敵領域に入った事を関知する。

 

 それはレーダーによるものでもあったが、何よりも肌を粟立たせる感覚であった。

 

 ――同族が狩人の領域に押し入った事を、否が応でも感じさせる。

 

「……そうさ。俺とお前は、同じだろうな」

 

《サードアルタイル》が振り返る。その単眼はこちらを捉えていた。

 

「《ダーレッドガンダム》より各機へ。これより、迎撃戦闘を開始する。……断っておくが、これは要らぬ追撃だ。相手にとってしてみれば、俺達なんて羽虫のそれだろう」

 

『それでも、やる意味があるんなら、私達はやるしかないでしょう。……《アイギス》はミラーヘッドの両翼を広げて敵を包囲。パーティクルビットに警戒しつつ、波状攻撃を仕掛けます』

 

 ユキノの声にクラードは《ダーレッドガンダム》の右腕に装着されたビームマグナムを意識する。

 

《サードアルタイル》は照準されたのを感じ取ってか、虹の防御膜を押し広げていた。

 

「……パーティクルビット相手にこっちの火力がどこまで通じるのかは未知数……。だがそれでも……」

 

 ビームマグナムが光を充填し、そのまま一射する。

 

 それを嚆矢としてRM第三小隊の火砲が掃射されていた。

 

 現状、自分達の最大限の抗いはしかし、《サードアルタイル》の生じさせた虹の防御膜を前に霧散していく。

 

『弾幕を切らすな。パーティクルビットは有限のはずだ』

 

 ダビデの声に彼女を指揮官としての部隊が火線を途絶えさせないが、それでもこちらの総火力だけでは《サードアルタイル》の装甲にさえも届かない。

 

 クラードは前進していた。

 

 友軍の火力を引き受けながら、ビームマグナムを構え、直上から《サードアルタイル》を射抜こうとする。

 

 しかし、相手の反射速度はこちらの想定以上であった。

 

 すかさず回り込んだパーティクルビットの皮膜が裏返り、即座に反撃に移る。

 

 舌打ちを滲ませて後退し様に距離を稼ごうとするが、パーティクルビットの追撃は容赦ない。

 

「相手はほとんど動いてないって言うのに……!」

 

 自在なる腕か、あるいは相応の意識のように虹の皮膜が《ダーレッドガンダム》を捉えようとする。

 

 反転し様にビームマグナムを一射するも、相手からしてみれば避けるまでもない。

 

 エネルギーが拡散し、虹が吸収する。

 

「パーティクルビットにはエネルギー吸収の力もあるって言うのか……!」

 

 機体を加速させ、街並みスレスレを滑空するが、《サードアルタイル》には人命の頓着さえ存在せず、パーティクルビットの荒波が人々の営みを洗い流していく。

 

『逃げ遅れた人達が……!』

 

『今は……聖獣討伐が最優先だ。気を割いている場合でもない』

 

 ダビデの論調が正しいがクラードはこの時、逃げ遅れた親子が虹の波に飲み込まれ、そのまま消滅して行ったのを目の当たりにしていた。

 

 掻き消されるようにして、触れた個所から分解されていく。

 

 そこに人間の尊厳など、まるで最初から存在していなかったかのように。

 

「……俺達は、こんな奴と戦っているのか……」

 

《サードアルタイル》の挙動には迷いがない。

 

 かつて、《ネクストデネブ》を相手取った時や、《シクススプロキオン》と相見えた時とも違う。

 

 殺意だけだ。

 

 殺意だけで、この聖獣は自分達を薙ぎ倒している。

 

 そこに論拠はなく、倒すべきと規定した相手を葬っているのみ。

 

 虹色の波の一端が《ダーレッドガンダム》に絡みつこうとして、クラードはビームマグナムを一射させて退けさせようとしたが、相手のほうが随分と素早い。

 

 瞬時に機体を横ロールさせつつ、武装を手離し、近接武装の小太刀で叩き割る。

 

 爆炎が舞い散り、虹の皮膜の挙動を一瞬だけ押し留めたがたかが知れていると言うものだ。

 

 第三の聖獣から逃れる術はない。

 

 彼の者の射程に潜り込んだ時点で、自分達は分の悪い戦いを講じているだけ。

 

『ミラーヘッドを維持しつつ、敵の攻撃射程に入り過ぎないよう、留意! 中距離からの射撃で応戦!』

 

 ユキノの命令は的確だが、《サードアルタイル》にしてみれば、そのような判断も意味はあるまい。

 

 背後から仕掛けようとしていた《レグルス》を虹の一閃が引き裂き、そのまま溶断された機体が街頭へと墜落する。

 

 アステロイドジェネレーターに引火したのか収縮爆発が引き起こされ、業火が街を焼き払っていた。

 

 朱色に染まる街の火炎を照り受け、《サードアルタイル》の単眼がこちらを睨む。

 

 クラードは小太刀と大太刀を接合させ、双剣で敵機の射線へと加速していた。

 

「……ミラーヘッド展開。段階加速!」

 

 段階加速を経た《ダーレッドガンダム》が敵の第一射である虹の皮膜を潜り抜け、一閃を薙ぎ払う。

 

 勢いを殺さずに直上に抜ける形での再加速で、虹の荒波を断ち割っていた。

 

 それでも修復される速度のほうが遥かに素早い。

 

 持ち直した敵機が《ダーレッドガンダム》を狙い澄まし、視界の両側から包み込むようにしてパーティクルビットの津波を引き起こす。

 

 瞬時に機体を急速後退。

 

 相手の射程から逃れようとするも、別の経路を辿っていたパーティクルビットの一部が脚部へと纏いついていた。

 

 即断即決で太刀を閃かせ、絡め取られた部位を切断する。

 

 それでも、相手からしてみれば、自由自在な波の一部が切られた程度では、かすり傷ですらないのだろう。

 

 荒波が湧き立ち、《ダーレッドガンダム》を包囲しようとする。

 

「……無敵か。無敵だとでも言うのか……第三の聖獣は……」

 

 否、この世に無敵の機体などありはしない。

 

 眼前から逃げ場をなくそうとした《サードアルタイル》の挙動に、クラードは奥歯を噛み締めて瞳孔を絞っていた。

 

 右側の武装へと腕を潜り込ませ、《ダーレッドガンダム》が跳ね上がる。

 

 その瞬間、相手はうろたえたように波の勢いを削がせた。

 

 ほんの一瞬だが好機に繋がる。

 

「ベテルギウスアーム、セット。敵を照準……引き裂く!」

 

 鉤爪を軋らせ、《ダーレッドガンダム》は頭上を覆っていたパーティクルビットを薙ぎ払っていた。

 

 どうやら《ダーレッドガンダム》の武装の中でも、ベテルギウスアームなら相手を上回れるらしい。

 

 しかしこれは、自分にとっても諸刃の剣――。

 

 鉤爪を展開させた自分に、ユキノ達が僅かにうろたえたのが伝わる。

 

 無理もない。これを用いて自分は地上まで空間転移させた。

 

 不明瞭な武装を振るうのは何も自分も、《サードアルタイル》も同じ事だ。

 

「……それでも勝てる手を講じるしかない。パラドクスフィールドの補正値を固定……このまま――薙ぎ払う!」

 

 鉤爪の掌の内側より生じた虹色の輝きを帯び、《ダーレッドガンダム》は吼えていた。

 

 パーティクルビットを引き裂き――否、この世界より分解し、そして消滅させている。

 

 虹の津波が触れた個所から掻き消え、相手へと肉薄する。

 

「今だ。第二部隊、及びRM第三小隊はここから斬り込め。俺が先陣を務める」

 

『だけれど、クラードさん。その機体は……!』

 

「……頓着している場合でもない。使えるものは使え」

 

《ダーレッドガンダム》が次々とパーティクルビットの存在そのものを打ち消していく。

 

 それは対消滅現象にも似て、相手の微細なる虹の皮膜を構成する物質の概念を世界から殺ぎ落とす。

 

「……このまま……機体装甲板に取り付ければ……!」

 

《サードアルタイル》の装甲が眼前に迫り、クラードは雄叫びを上げて鉤爪を打ち下ろしていた。

 

《ダーレッドガンダム》の世界を拒む爪が、第三の聖獣に届く。

 

 それは在り得ざる接触であったのかもしれない。世界を割る絶叫が響き渡り、《ダーレッドガンダム》を虹の皮膜が押し返していく。

 

 機体を削られる感覚がライドマトリクサーの痛覚として伝導し、クラードは神経を引き剥がす激痛に奥歯を噛み締める。

 

 痛みだけで精神が洗い流されてしまいそうだ。

 

 それでも、爪弾いた攻勢を止めるわけにはいかない。

 

 返す刀の鉤爪が奔り、パーティクルビットを切り拓く。

 

「――行け!」

 

 声が連鎖した瞬間には、友軍の火線が突き刺さっていた。

 

 敵影を捉えた一斉掃射は《サードアルタイル》の躯体を僅かに傾がせる。

 

『……効いている……?』

 

 疑問でもやるしかない。

 

 どれだけ愚行でも、行動するほかないのだ。

 

 鉤爪を掌底の形に固定し、クラードは砲門を《サードアルタイル》の装甲へと照準していた。

 

 黒白の輝きを誇る弾頭が弾き出され、着弾するなり敵の装甲板を概念宇宙の外側へと吹き飛ばしていく。

 

『……すごい……』

 

 味方の忌避を受けても、止まってなるものか。

 

 たとえ《ダーレッドガンダム》の力そのものが禁じられたそれであったとしても、最後の最後まで振り絞れば、それは己の力として血肉となる。

 

 そうなのだと信じて、クラードは第二射を試みていたが、その時には虹の皮膜が先鋭化し、鋭い一陣の旋風となってこちらの肩口を射抜いていた。

 

 鋭敏な痛みが突き抜け、コックピットを叫びが満たす。

 

 しかし、それこそが好機でもあった。

 

 クラードは固定化されたパーティクルビットのすり鉢状の刃を鉤爪で掴み取る。

 

「これ、で……お前はもう、逃げられない……」

 

『まさかここまでするとはな。エージェント、クラード』

 

 その時になって初めて、接触回線が通信を震わせていた。

 

「……なるほど、確かにグゥエルの声によく似ている。だが、俺は甘くはないぞ。たとえ見知った人間の亡霊を騙ろうとも――ここで全て、断ち切るまでだ」

 

《サードアルタイル》の単眼と《ダーレッドガンダム》の双眸が重なり合い、互いを見据えた直後には、決着が付いているはずであった。

 

 ――地上を粉砕する極大化された重力砲撃が、戦場を突っ切る事を想定していなければ。

 

 クラードは機体ごと投げ出され、宙を舞う。

 

《サードアルタイル》は砲撃と言う名の概念を叩き込まれた事でさえも遅れた認識であったらしい。

 

 機体の半分の質量を奪われてから、ようやく現実認識が追いついて来たとでも言うように、その身を傾がせ、爆発の余波が襲う。

 

 衝撃波が全部隊を震撼させ、眼下に広がる街並みはその存在の証明の一欠けらも残す事なく、消滅の一途を辿ったのであった。

 

「何、が……」

 

 起こったのか。

 

 それを解き明かすのにはあまりにも足らず、そして自分はあまりにも無力であった。

 

 ただ、通信網を哄笑が満たす。

 

『あばよ、聖獣とやら。ここで俺に狙われたのが、運のツキだと思ってもらって構わねぇぜ、その他大勢の連中もよ。英雄が煌めくとすりゃあ、こういう瞬間なんだろうな。その他大勢を踏み潰す時が、一番に快楽ってもんだ!』

 

「……貴様、は……」

 

 敵意は、再び掃射された高重力砲撃を前に霧散していた。

 

 



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第206話「自分の言葉で」

 

「砲撃を関知! ……艦長、これって……!」

 

 バーミットが息を呑んだ事態に、レミアは認証を行っていた。

 

「……間違いなく、高重力砲撃。……《シクススプロキオン》の」

 

「でも! 第六の聖獣はあの時……クラードが……!」

 

「生き残っていた、と言うべきなのかしらね。敵の発射位置は?」

 

「発射位置概算……これって……まるで別の場所ですよ。こんな距離で、高重力砲撃を《サードアルタイル》に見舞ったって言うんですか……」

 

 メインモニターに投射された発射位置の推定では、大陸弾道ミサイルレベルでの距離であった。

 

 レミアは肘掛けを強く握り締め、悔恨を噛み締める。

 

「……甘かった。《サードアルタイル》が動いているのを静観している陣営ばっかりじゃないのは分かっていたけれど……!」

 

「それでも第六の聖獣なんて……! もしかして先の戦場の陥没地帯も、こいつの仕業……?」

 

「解き明かすのは後にしましょう。今は……出払っているクラード達の安否が心配よ」

 

「《サードアルタイル》……五十パーセントの被弾率を確認! こちらの損耗は算出中です」

 

「急いでちょうだいよ……。全滅してから計算したって遅いんだからね……」

 

 しかし、とレミアは思案していた。

 

《サードアルタイル》が進軍する事を予期しての第六の聖獣の展開なのだとすれば、相手は相当前からこの状況を概算出来ているはずだ。

 

 それほどまでの陣営がここまで尻尾さえも掴ませなかった状況のほうが嘘めいている。

 

「……エンデュランス・フラクタル……にしては、やり方が少し杜撰と言うか。本社の連中ならこちらが《サードアルタイル》の攻勢に移る前には動いているでしょうし」

 

「……似たような感じ、あたし、何となくですけれど思い出しました。海賊と戦った後に仕掛けてきた、《プロトエクエス》の時みたいな……」

 

 バーミットの言葉にレミアはまさか、と言葉を振る。

 

「あの時の一派まで動いているって……? だとすれば相手は……聖獣レベルの運用を可能にする……」

 

「艦長! 第二射を確認! こちらまで到達します!」

 

「何秒後に!」

 

「間もなく……来る!」

 

 海上に展開していたオフィーリアとブリギットでさえも、その余波からは逃れられなかった。

 

 超長距離砲撃――それも第六の使者の力を最大にまで引き上げた一撃。

 

 轟沈してもおかしくはない衝撃波の拡散に、レミアは奥歯を噛み締めていた。

 

「艦、対ショック姿勢に! 衝撃減殺に努めて!」

 

「舵を持って行かれますよ……!」

 

「ここで沈めば何のための抵抗だって言うの! ……クラード達が生き残ったって帰る場所が残っていないんじゃ、世話ないでしょうに……!」

 

 衝撃波が掻き消え、高重力砲撃の余波が艦艇を揺さぶる。

 

「……第二射、耐え切りましたが……相手がこの位置情報を掴んだ可能性も……」

 

 バーミットの息も絶え絶えな声音にレミアは手を払っていた。

 

「敵の位置情報を把握させて! 相手がどこに居るのか分かれば……!」

 

「でも、砲撃も、ましてや弾幕なんて通用しませんよ!」

 

「……確かに、私達じゃ通用しないのかもね。でも、この情報を有用に使える人材が、戦場には居るわ」

 

「……まさか」

 

 こちらの赴くところを理解したのだろう。戦慄いた様子のバーミットへとレミアは視線を向ける。

 

「……お願いよ。無理でも、やってのけるしかないじゃない」

 

「……了解しました。本当、艦長も賭け事が好きなんですよねー……っと」

 

 位置情報のデータを送信する。

 

 その時になって管制室に飛び込んできたカトリナの声が弾けていた。

 

「艦長、今のは……!」

 

「高重力砲撃……第六の聖獣の力ね」

 

「でも……っ、そんなのが存在するわけが……!」

 

「実際はそういう風に戦場が転がっている。次の一撃をまともに受ければ確実にオフィーリアは沈むわ」

 

 こちらの断定口調にカトリナは絶句したようであったが、椅子の一つに座り込んでいたはずのファムが不意によろめく。

 

 その身体を寸前で駆け寄って押し留めたのはカトリナであった。

 

「ファムちゃん……? 酷い熱……どうして……」

 

「わかんない……ファム、もうたたかいたく……ないよ……」

 

「まさか、《サードアルタイル》と同期しているって言うの?」

 

 バーミットの言葉にカトリナが震撼した様子でファムを抱えていた。

 

「で、でも……っ、これまでそんな事……っ!」

 

「……これまでの常識が通用しなくなっているのかもね。カトリナさん、ファムを医務室へ。ヴィルヘルムならこの状況、どうにかする方法は持っているのかもしれない」

 

「は、はい……っ。で、でも……ここから離れても……」

 

「聞こえなかった? 一度受けた命令は実行してちょうだい」

 

 冷徹に務めたレミアの声音に、カトリナはファムに肩を貸して管制室を出ていく。

 

「……相変わらず、最終決定にあの子の意向を差し挟まないのは健在、ですか」

 

「……読まれてしまっているわね、あなたには」

 

「いいんですよ、別に。ただ……カトリナちゃんだって思うところはあるはずだって事です」

 

「……私ばっかりがクラードの事を想っているわけじゃないのは理解しているつもりよ」

 

「いい女はいい男と出会うために存在しているようなもんでしょ。……正直、今の艦長にもう一度クラードと再会するって言うのは無理筋っぽいですけれど」

 

「クラードは必ず、手掛かりを得るわ。その時、私達が先に死んだんじゃ彼に合わせる顔がないもの」

 

「そのための位置情報……でも、これも賭けですよね? 《ダーレッドガンダム》の性能への、ある意味じゃ願望じみた……」

 

「願望でも、投げなければ、私達はこのまま沈むだけ。なら、少しでも有益なほうに行動すべき。違う?」

 

「それはその通りなんですけれど、それも誰かの言葉ですか?」

 

「……いいえ、誰の言葉でもない。私の言葉よ」

 

 今、クラードに生きて欲しいと願うのは他でもない――レミア・フロイトの感情のはずであったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「墜とし甲斐もねぇってもんだなぁ、オイ。今ので艦隊は沈められたか?」

 

 呟いてクランチは煙草の紫煙をくゆらせていた。

 

 つい数時間前に大気圏の《シクススプロキオンエメス》より分離された第六の聖獣の心臓部は、地表へと降り立つなり無数の節足を伴わせ、大地に根を張っていた。

 

 砲身の形状を取ったそれはおあつらえ向きに引き金を有しており、《ヴォルカヌス》はまるで卵の殻に覆われたように、《シクススプロキオンエメス》の心臓と一体化している。

 

「……機体識別コード、《シクススプロキオンハーツ》、か。聖獣の心臓がこんなもんだとは誰も想像も出来やしねぇだろうなぁ。そして、今の俺は英雄だ。この世界の危機とやらを、こんな引き金一個でどうにか出来ちまう。……さて、第三の聖獣の足は削いだ。お仕事と行こうかねぇ」

 

 砲身と一体化した《ヴォルカヌス》の照準器には、殲滅目標である企業の地球圏における拠点が映し出されている。

 

「俺はどっちが喰らい合いの勝者になろうと知ったこっちゃねぇが、スポンサーがうるさいんでな。ここいらで白黒つけようや。《シクススプロキオンハーツ》、照準開始」

 

 円環の機動部を持つ高重力砲撃の核が紫色の磁場を帯び、光を明滅させる。

 

 それはまさに脈打つ鼓動を想起させ、聖獣の息吹が未だに健在であるのだと伝えさせていた。

 

 クランチは煙草の味を噛み締め、狙いをつける。

 

「引き金一つでお陀仏たぁ、てめぇらも運がなかったな。これは世界を変える一撃だ」

 

 目標は統合機構軍中核、エンデュランス・フラクタル地球支部へと――その一撃は今に放たれようとしていたが、その瞬間、世界を引き裂いたのは黒白の使者であった。

 

「……何だ。不意に暗くなりやがった……」

 

 仰ぎ見た天上世界は夜を超えた漆黒に染まり、大虚ろが頭上に開く。

 

 それは見間違えようもなく――。

 

「……おいおい、ダレト、だと……。何でこんなところに開きやがる……」

 

 この世界を支配するダレトに近しいものが、頭上に展開され、その内側より七色を帯びた白銀の腕が、扉の向こうからこちらを睥睨していた。

 

 クランチは思わず、くわえた煙草を強く噛み締める。

 

 世界の理から外れた人間であっても、この世の摂理を壊す存在に対しての危機感覚くらいは生じるものだ。

 

 たとえそれが、聖獣に由来するものであろうが。

 

「《シクススプロキオンハーツ》! 照準補正だ! ダレトらしきもんの向こう側から……何が来るってんだよ……!」

 

 しかし高重力砲撃はそう簡単には自分の思い通りにはいかない。

 

 何よりも大地に深く根を張った《シクススプロキオンハーツ》は聖獣の心臓部であり、最早生きているとは言い難い。

 

 扉を開いて、世界が流転する。

 

 黒く、昏く、深い闇の中に沈んだ世界で、その機体だけが明瞭な輝きを纏って鉤爪を開いていた。

 

「……野ッ郎……何でだ! 何であれはダレトを形成出来る!」

 

 しかしその疑問を氷解する前に、扉の向こうから来たりし使者は、一撃をもって第六の聖獣の心臓を引き裂いていた。

 

 瞬間、この世ならざる絶叫が響き渡る。

 

 命を啄まれた聖獣の断末魔が脳髄を揺さぶっていた。

 

 それは相手として例外ではないはずなのに、敵は《シクススプロキオンハーツ》を粉砕してから、自分へと狙いをつける。

 

 その迷いのなさに、背筋に氷を差し込まれた気分であった。

 

 戦場では瞬間的な迷いに足を取られた側から命を落とす。

 

 この場合でもそれは同じ。

 

 聖獣の心臓から迸った蒼い血潮を照り受け、獣の機体は吼え立てる。

 

 世界そのものを震撼させる遠吠えであった。

 

「……話に聞いていた第七の使者……! それにしちゃ、殺意が強過ぎってもんだ!」

 

 躍り上がった鉤爪の機体はそのまま《ヴォルカヌス》の剣閃と打ち合うが、相手の殺生の核である鉤爪はここでの衝突を主軸に置いていない。

 

 そのまま大剣を引き込み、形成したダレトの向こうへと、自分を招こうとする。

 

「……離し……! 離しやがれ! てめぇ……! 分かってんのか! これから成す事は英雄だって言うのが……!」

 

『……黙れ。英雄も何もない。お前は俺と一緒に、来るんだ』

 

 不意打ち気味の接触回線が開いたその時には、クランチは《ヴォルカヌス》と共にダレトを潜っていた。

 

 そこは上下左右も、ましてや時間と空間も自在の世界。

 

 薄紫色の暗雲が垂れ込める暗がりの世界で、数倍に引き延ばされた鉤爪の機体と、《ヴォルカヌス》に搭乗したクランチの意識だけが明瞭に伸縮する。

 

「何が……何が起こっていやがる……!」

 

 だが、その交錯は途絶えていた。

 

 直後には業火によって分断された地平が広がっており、先ほど捉えたはずの《サードアルタイル》が大地に横たわっている。

 

「……これは……俺はダレトを超えたって言うのか……」

 

 その感慨を噛み締める前に、殺気の波を感じ取って《ヴォルカヌス》に太刀を奔らせる。

 

 刃と交錯したのは白銀の鉤爪であった。

 

 その主が今は明確に映っている。

 

「……《ダーレッドガンダム》……。ガンダムだと」

 

『お前をここまで手招いたのは、俺の手で決着をつけるためだ』

 

 パイロットの声が残響し、引き裂かれる空間をクランチは眼下に収めていた。

 

「へっ……! あそこで殺す事だって出来ただろうに、酔狂なこって!」

 

『それではここで死んだ者達が浮かばれない……!』

 

「浮かばれないだと? てめぇも俺と似たようなもんだろうが! だって言うのに、戦場に理念だの誇りだの持ち込んで女々しいとは思わねぇのか!」

 

『俺は……お前を真正面から打ち破る!』

 

「そんな機体でよく言えたもんだなぁ、てめぇ。そいつだって獣だ! 星を破壊しかねない、聖獣の一端だ!」

 

『黙っていろ……! お前を打ち取れば、少しはマシになる。……ああ、そうだ。俺はようやく、人並みに成れるだろう』

 

《ヴォルカヌス》と《ダーレッドガンダム》が幾度かその刃を交わす。

 

 相手の双剣が閃くも、つい先ほどの奇妙な感覚に比べれば、大した事はない。

 

 MSの挙動ならば恐れるまでもない。

 

「てめぇは同類だ! 俺と一緒の、殺戮機械(キリングマシーン)なのさ!」

 

『……そうだろうな。俺は、所詮変わりはしない。だから、《ダーレッドガンダム》を動かしている』

 

「贖罪のつもりなのかねぇ! 人並みじゃ出来ねぇ事をやってのけるのが! だがそいつぁ……ただのエゴの塊だ! 戦場じゃ掃いて捨てるほど見てきた、ただの自己顕示欲ってヤツなんだよ!」

 

『……自己顕示欲だとしても……俺は、俺を乗りこなす!』

 

《ダーレッドガンダム》の双剣の射程を潜り抜け、《ヴォルカヌス》の刃が大上段から打ち下ろされる。

 

 アステロイドジェネレーター付近を斬り裂いたが、少しばかり浅い。

 

 即座に感覚し、急速後退してアンカー武装を射出していた。

 

 相手は片足を失っているため、僅かにその反応に翳りが出る。

 

 腕を絡め取り、胴体を拘束していた。

 

「高尚な言葉で取り繕ったって、てめぇは俺と同じさ。《ダーレッドガンダム》、聖獣を乗りこなすのも似たようなもんだ。俺は俺のエゴと自分への求心力だけで乗りこなすが、てめぇのは混じり気のある覚悟ってだけだ。いいか? 混じり気のない、真実の殺意ってもんは本能で振るう。こんな風に――なぁッ!」

 

《ヴォルカヌス》の刃が《ダーレッドガンダム》へと迫る。

 

 今度こそ、その機体を打ち砕いたかに思われた。

 

 相手は推進力も、何もかも不足している。

 

 恐らくはつい先ほどのダレトを開いた事で消耗しているのだろう。

 

 千載一遇の好機に狙いを付けようとして、クランチは声を聞いていた。

 

『――待ってください!』

 

 刃が命中間際で鈍る。

 

《ダーレッドガンダム》が右腕の武装を翳し、その一撃を凌いでいた。

 

「……何だ。女の声だと……」

 

『……カトリナ・シンジョウ……?』

 

 拡大モニターに映し出されたのは《オムニブス》と呼称される機体であった。

 

 だがどう見ても前線を押し出すようには見えない。よくて斥候任務程度しか充てられない機体であろう。

 

『……《ガンダムヴォルカヌス》の、パイロットの方に告げます。少し待ってください。私はあなたに、……言いたい事があります』

 

「何だァ? 女が前に出て、この化け物みてぇな機体を懐柔でもするって言うのかねぇ。ま、それならそれで楽しめそうだ! 結局んところ、てめぇら程度じゃ、俺を押し出せやしねぇって事実なんだからなァ!」

 

『貴様……!』

 

『クラードさん。待って、待ってください』

 

《ダーレッドガンダム》が《オムニブス》の警護に移りかけたのを、マニピュレーターで制される。

 

 まるで正反対、守るべきなのはどう考えても丸腰に近い《オムニブス》のはずなのに――今は何故なのだか、前に出ようとしている。

 

「……イカレて前に出るってか? そいつァ傑作だ! 自ら死にに来るかよ! いいねェ、それもそそるってもんだ!」

 

『……《ガンダムヴォルカヌス》のパイロットの方。あなたは、かつてラジアルさんを、……アルベルトさんの大事な人を、殺しましたね?』

 

「その程度がどうしたよ? つーか、何だァ? 弔い合戦でもしようってのかい? それにしちゃ、もっとマシな武装を積んだ機体でも寄越すんだな。殺し合いを繰り広げるにしちゃ、ちと下策だろうに」

 

『……名前を、お聞きしてもよろしいでしょうか』

 

「名前だと? ……オイオイ、マジにイカレちまってんのか。そんなもん、戦場じゃ真っ先にオクラになる代物だろうが。まぁ、名乗ってやってもいい。俺の名はクランチ・ディズル。覚えておけ、この来英歴を変える英雄の名前だ」

 

 こちらの自信満々の返答に対し、《オムニブス》に収まった相手は、憐憫の情でも抱いたかのように返答していた。

 

『……英雄、ですか。そんなもの、ないほうがいいのに』

 

「そいつぁ意見の相違だな。この壊れ果てた世界で、何を信じるって言うんだ? 力だけだ。力だけだろうが! その間違いようのない事実一個、持っていれば充分だって言うんだよ! ……それとも、何か? 《ダーレッドガンダム》、それほどの力をもってしても、俺一人殺せねぇんだからな!」

 

『……貴様……!』

 

 逸りかけた《ダーレッドガンダム》を、《オムニブス》は静かに制してから、呼吸を挟む。

 

 何故なのだか、落ち着き払った声音が、凛と響き渡っていた。

 

『――クランチ・ディズルさん。あなたは今――幸せですか?』

 



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第207話「相容れぬ毒」

 

「……何言って……」

 

『幸せですかって、聞いているんです。あなたは、これまでたくさんの人を不幸にしてきました。じゃあ不幸の上に幸福が成り立つって言うんなら、あなたは幸せであるはずですよね? じゃあ、ここまでやって、それは幸福ですか? 幸せに……成れているんですか?』

 

『……カトリナ・シンジョウ! 奴を刺激しては……』

 

『クラードさん。これは私の問いです。私が……聞かなくっちゃいけない問いなんです。クランチ・ディズルさん。私も知っている人を踏みつけにして、誰かの犠牲の上に成り立つ幸福を享受して、ではあなたは本当に、求めていた幸せはそこにあるんですか? それであなたは幸せに成れるんですか?』

 

「何言って……てめぇ、マジにイカレだってのか? 幸福なんて問うまでもねぇ。生きるべくして俺は生きて、死ぬべくして連中は死んでいった! 戦場なんて二極だろうに! 生きるか、死ぬかの二極だ! その両極が受け入れられねぇってんじゃ、それこそそいつは戦争不適格者だろうが!」

 

『……そうですか。じゃあ私は、ずっと戦争不適格者でいい。あなたのように、幸せにも成れず、誰かを不幸にもし切れない、中途半端な人間に成るよりかは、ずっといい』

 

 その言葉はどうしてなのだか、これまでどれほどの戦局であっても苛立ちの一つも浮かべず、そして醒めてしまえばこちらのものであった戦場を掻き乱すのに――充分な効力を発揮していた。

 

「……てめぇ、俺が不幸だって言いてぇのか」

 

『いいえ。あなたは間違いようもなく、自分で思い知っているはずです。幸福でも、不幸でもない。あなたはそのどっちにも、資格なんてない……っ! どちらにも成れないんですっ! なら、あなたが……クラードさんを愚弄するなんてあり得ない……っ!』

 

『……カトリナ・シンジョウ……』

 

『だってクラードさんは! 全てを取り戻そうと戦っている! 必死に、戦っているんですっ! たとえ戻れなくなろうとも、必死になって……しゃにむに手を伸ばすんならきっと、その手に掴めるものを信じているんですからっ! あなたとは……違う……!』

 

 途端、クランチが感じたのは殺意でも何でもない。

 

 これは――不快感だ。

 

 侮辱でも、ましてや知った風な口を叩かれたわけでもない。

 

 ただ純粋に、自分という個が、目の前の非武装に近い《オムニブス》一個相手に――突き崩されていた。

 

 崩されてはいけない論理を。

 

 崩してはいけない論理で。

 

 それは戦争屋、全ての人間を超えた先に居るはずの、クランチ・ディズルの生存を脅かす。

 

 これまでどれだけの硝煙も。

 

 どれだけの非人道的な武装も。

 

 どれだけの戦場も掻い潜って来たクランチは、その一個だけは我慢出来なかった。否、看過してはいけなかったのだろう。

 

 己の中の何かが叫ぶ。

 

 ――奴を殺せ、と。

 

 尊厳を叩き潰せ。

 

 その論理を破綻させろ。

 

 命と血と、そして臓物の腐臭でもって。

 

 ――喰らい尽くせ。

 

「……てめぇ……」

 

《オムニブス》を睨み据える。

 

 照準器の中心に捉えた敵機へと、クランチは雄叫びを上げて飛びかかっていた。

 

 憤怒でもない。

 

 悲嘆でもない。

 

 ただ――お互いがお互いの存在を、許し合えないだけだ。

 

 そういった遭遇が存在する。

 

 そういった邂逅もある。

 

 だから、壊さなければいけない。

 

 壊し、貶め、その論理を犯し、その頭蓋に漂う夢物語を粉砕せよ。

 

 そうでなくては、クランチ・ディズルという個がこれまで積み上げてきた戦場は。

 

 これまで積み上げてきた骸の数々は。

 

 自分を否定する。

 

 自分を判定する。

 

 自分を――殺されるまでもなかった人間であったと、規定する。

 

 運がよくて生き延びたのではない。

 

 強くって生き永らえたのでもない。

 

 誰よりも狡猾で生存を勝ち取ったのでさえもない。

 

 カトリナとやらの論調を飲み込めば、一度飲み干せば。一度でもそれを許せば。

 

 ――自分は、死ぬ程度の価値もなかったのだと、理解出来てしまう。

 

《ヴォルカヌス》がミラーヘッドメギドを発現させる。

 

 赤銅の幻像が構築され、無数の大剣へとアンカーを接続させ、幾何学の軌道を描かせる。

 

 前に出た《ダーレッドガンダム》が呼応するようにミラーヘッドの蒼い分身体を編み出し、その右腕の武装を叩き上げていた。

 

 大剣とぶつかり合った赤と蒼が、それぞれの機体を照り輝かせる。

 

「……ふざけるな……ふざけるな、この戦争不適合者が! 死ぬまでもなかっただと? 殺されるまでもなかっただと? そんなちゃちな理論で俺が生き延びたって言うのか! ふざけるんじゃねぇ!」

 

『……そうやって力で相手を否定する事こそが、その証明なのだと何故理解出来ない』

 

「黙れよ! てめぇは俺と同じだろうが! 俺と同じ、戦争中毒者なんだろうが! 戦いがないとやっていけねぇ、張り合いがねぇから戦っている! 分かるぜ、その苦悩! もし、この世から戦いを取り上げられたら、どうやって生きて行けばいいんだか、分からんねぇんだろ! だから、こうして最上の力だけを手に入れて舞い戻った! 俺とてめぇは、同類だ!」

 

『……だとしても……!』

 

『違いますっ! クラードさんは、あなたなんかとは、違う! クラードさんは、誓いを! 約束を果たしてくれるために戦ってくれているんです! 何もないあなたとは……絶対に違う!』

 

「その嘗めた口を閉じろよ、アマァ! 縫い付けて全てを後悔させながらぶち殺してやる! ああ、そうさ……この来英歴で! 戦いなしじゃ生きていけねぇヤツばっかりだ。だからてめぇらは剣を取るんだろうが! だから銃を取るんだろうが! その理由付けに高尚なもんをぶら下げたって、透けて見えるって言ってんだよ、クソッタレが!」

 

『それでも……っ! クラードさんは、私の……私の大事な人なんですっ! あなたに、殺させやしない……!』

 

 途端、クランチは殺意の波が凪いでいくのを感じていた。

 

 それも当然だ。

 

 目障りな虫を殺すのにいちいち殺意なんて浮かべてはいられるか。

 

 萎えた瞳で、《オムニブス》へと剣筋の一斉掃射を照準する。

 

「うぜぇ、死ね」

 

 全方位からのミラーヘッドメギドの一斉掃射――回避する術はない。

 

《オムニブス》は直後には己の愚かな言葉を後悔するよりも先に、剣に貫かれて絶命するであろう。

 

 思えば、カトリナとやらの言葉はどれも耳障りだ。

 

 幸せなるだと。不幸とは違うだと。

 

 そんなものが許されていいのは生まれたての赤子くらいなものだろう。

 

 野生の世界において、生まれて数秒の時しか経っていない赤子であったとしても、生殺与奪を迫られる。

 

 時には、目に映った者を親だと誤認して。

 

 時には、即座に戦えるように生まれ落ちたその時から立つ事を覚え。

 

 そうやって野生の世界では、本能だけが意味を成す世界では成り立ってきた。そうしなければ滅んでしまうからだ。

 

 そうしなければ、捕食者に喰われるだけだ。

 

 尊厳もない。

 

 慈悲もない。

 

 ただ、喰い尽くされ、奪い尽くされるだけ。

 

 自分は、野生の捕食者だ。

 

 自分は、理性の簒奪者だ。

 

 自分は――獣だ。

 

 そうだと規定したその時から、もう既に獣としてしか生きられないのだ。

 

「……ぬくぬくと養殖の世界しか知らねぇクセに、野性を否定する言葉を吐くんじゃねぇよ」

 

 だがその野性の牙は。

 

 自らの存在を賭した本能の剣は――全て叩き落とされていた。

 

 その鉤爪に本能を宿した七番目の獣によって。

 

『……俺はお前の理論のほうが、まかり取っているようにも聞こえる』

 

「そうだろうさ。俺とてめぇは同じなんだからな」

 

『……だがな、俺にはこいつの……カトリナ・シンジョウの掲げる耳触りがいいだけの言葉を……信じたくなった。それがヒトとして生きるという事なら。俺が獣にならず、彼岸にも行かず、この世界で踏み止まる……たった一つの理由になるのなら――俺は、甘ったるい養殖の世界でも、構わない。野生の世界だけでは、ヒトはきっと、幸せには成れないのだろう』

 

「……ああ、何でだ。てめぇは分かっているはずだろう。本能の部分で。そんな甘ったるい言葉を信じたって、何にもいい事はねぇ。俺と同じだ。力だけを信じろ。本能の世界で生きる事のほうが心地いいはずだろうに」

 

『……かもな。だが俺は――まだヒトでありたい』

 

 それは在り得ざるはずの――裏切りの言葉であった。

 

 相対して、殺し合い、否定し合う事こそが、互いの存在証明であったはずの無二の存在からの、背信行為。

 

 背を向けたのは相手が先だ。

 

 殺すまでもない、と。

 

 牙を突き立て合い、野性を曝け出すまでもないのだと。

 

 そう規定されてしまえば、戦場は醒め行く。

 

 自分一人が躍起になって何人殺そうが、何億人を虐殺しようが同じ事だ。

 

 自分の生は結果論でしかなく。

 

 自分の死は価値を見失う。

 

 ただ立ち尽くすのみの紅蓮の炎の中で、煉獄未満の戦場を歩み抜くだけ。

 

 ――孤独の、戦場――。

 

 途端、クランチの理性は弾け飛んでいた。

 

 これまで抑制していた自我が、集約していた戦いへの本能が、全て焼け落ちる。

 

 融け落ちる。

 

 それは無意味なのだと、同じ境遇の人間にさえも、憐憫の情を浮かべられ。

 

《ヴォルカヌス》が駆け抜けていた。

 

 その疾走は世界への不和を帯びて。

 

《オムニブス》を、そこに位置する自分の否定者を、確実に葬らなければ。

 

 そうでなければ、自分は自分の意義を見失ったまま、この世界で喰らい合いだけを信じて、戦うしかない。

 

 ある意味では、これまで通り。

 

 ある意味では、これまでとは違う。

 

「……てめぇだけは、ここで殺す……!」

 

《ヴォルカヌス》の振りかぶった大剣を、《ダーレッドガンダム》が双剣で弾き返していた。

 

「……退けよ。てめぇだってこの世に居ちゃ、いけねぇって言われたようなもんだろうが」

 

『……かもな。だが俺は、委任担当官を信じる。信じて……いかなければいけない』

 

「その信じたヤツにこっぴどく裏切られるさ! てめぇだって俺と似たようなもんだ! 信じた先から裏切りが生じるんなら、最初から信じないほうがいいだろうに!」

 

『……誰に信を置くのかは俺が決める。たとえどれだけ裏切られようとも、信を置く人間だけは、俺の……魂が決める』

 

「魂なんざ! 有機伝導施術とライドマトリクサーでどうこうなっちまう脳の電気信号だろうに!」

 

《ダーレッドガンダム》を包囲し、ミラーヘッドメギドの分身体が襲いかかる。

 

 それを敵機は鉤爪に滾らせた黒白の殺意で引き裂いていた。

 

 赤銅色の分身体を斬り裂くのは、この世ならざる幻想の殺気。

 

 その爪が太刀筋を押し返し、分身体を斜に斬り伏せていた。

 

「……俺のミラーヘッドに干渉するだと……」

 

 逆流してきたミラーヘッドのダメージに、クランチは《ヴォルカヌス》から《オムニブス》に収まった人間を視野に入れる。

 

 怨嗟の色で濁った視界で、《オムニブス》のパイロットはそれでも自分を強く見据えているのが伝わった。

 

「……気に食わねぇな、その眼差し……!」

 

《ダーレッドガンダム》が鉤爪の蒼い残滓を棚引かせるが、その時には離脱挙動に入っていた。

 

 これ以上の喰い合いの旨味はなし――そう判断したのは何も間違いではないはずだ。

 

 間違いではないはずなのに……。

 

「……クソがッ! ……これじゃ敗走って言うんだよ。許さねぇ……あの《オムニブス》に乗っていたクソアマ……カトリナ・シンジョウ……」

 

『クランチ・ディズル、《シクススプロキオンハーツ》を残しての空間跳躍、一体何が起こったのか』

 

 ダーレットチルドレンの声に、クランチは怒りを湛えてコックピットの一角を殴り据える。

 

「うるせぇぞ! ……戦場の外から覗き込むしか能のねぇ、腰抜け共が!」

 

『我々はその特権を得ているのでね』

 

『あまり深入りするな。《セブンスベテルギウス》はイレギュラーだ。近づけばそちらにも思わぬ損耗があるだろう』

 

「……そういや、あの機体。ダレトを開きやがったように見えたが……」

 

『空間跳躍、そして位相空間を接続する。どれもこれも、この来英歴には過ぎたる技術だ。我々が打ち止めにしなければいけない』

 

『それに、貴様は第六の使者の心臓を捨て置いた。あれを解析されればまずいぞ。この次元宇宙の人類に余計な知恵を授けてしまう』

 

「……てめぇらが心配するのは聖獣を奪われないかどうかって話かい。第六の聖獣の心臓部は大地に食い込んでる。そう易々と回収は出来ないはずだが」

 

『回収されなくとも、あれが存在するだけで相当にこちらへの不利益に繋がる』

 

『左様。公にはあれは三年前の月軌道決戦で破壊されたと発表されているのだ。どの陣営が手に入れてもこちらには不利益に繋がる』

 

「存在しないはずの聖獣ってワケか。まぁ、俺も死んでいるようなもんだがな」

 

『クランチ・ディズル。しかし第三の聖獣を仕留めたのはよくやってくれたとも』

 

『既に回収班を向かわせているが、聖獣の一角が墜ちたとなれば彼の者達の行動も変わってくるはず。牽制になったのは有効だろう』

 

 牽制、自分の意味はそんな矮小なものに集約されるというのか。

 

 だが、今ダーレットチルドレンに歯向かったところでただ食い潰されるだけだ。

 

 クランチは少しばかり醒めた思考回路で煙草をくわえていた。

 

 火を点ける段になって、憎悪が身を染めかねない。

 

 ようやく点いた火は小さいが、それでも地獄の炎と同じ質を保っていた。

 

 紫煙をくゆらせ、クランチは怒りの標的を定める。

 

「……今度遭遇すればただじゃおかねぇ……カトリナ・シンジョウ……あれは俺のこれまでの戦いに、唾を吐きやがった……!」

 

 パッケージを握り締め、手の中で煙草が折れ曲がっていた。

 

 



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第208話「集約される意義」

 

 焼け落ちた第三の聖獣への回収任務が下ったのが、つい数分前で、格納デッキにてダイキは出撃姿勢に移ろうとしている王族親衛隊の機体へと突っかかっていた。

 

「おい、待てよ! 俺達の艦はあんたらのフリースペースじゃないんだ! 便利に使われて気分がいいわけがねぇ!」

 

「我々は王族特務を受諾している。トライアウトの士官には分からんだろうさ」

 

「何だと! 喧嘩売るなら買うぜ!」

 

「よすといい。彼は真っ当な事を言っている」

 

 そう言って自分達に割り込んできたのは鋼鉄の仮面の相貌であった。

 

「……万華鏡、ジオ・クランスコール……」

 

「失礼した。自分達が貴殿らを便利に使っているというのは事実だろう。誹りは受けるつもりである」

 

 どこまでも、切り詰めた機械のような声。

 

 しかし、ここで気圧されれば負ける、とダイキはまだ痛む身体を引きずる。

 

「気に入らないって言っているんだ! あんたらは勝手に宇宙から降りてきて、それで戦闘継続中の俺達を足に使っているんだからな!」

 

「忠言痛み入る。しかし、聖獣の捕獲は急務であるのは理解されて欲しい」

 

「理解されて欲しいだ? そんな風に思い切れるから、あんた達は身勝手だって言っているんだろうが!」

 

「口を慎め! 士官身分が! 王族親衛隊の御前だぞ!」

 

「いい。彼は礼儀の話をしている」

 

「ですが、大佐……! 馬鹿にされたままで……!」

 

「馬鹿になどしていないはずだ。ダイキ・クラビア中尉だっただろうか。貴殿の不満はもっともであるし、我々王族親衛隊に対して抱いている感情は理解出来ないわけでもない」

 

 鉄面皮の万華鏡が自分の言葉振りを聞いているだけでもどこか浮世離れしていたが、それでもダイキは押し負けまいと奥歯をぐっと噛み締めていた。

 

「……あんたらがやろうとしているのは、俺達の未来のためって感じがしない……!」

 

「なるほど。確かに、未来という茫漠な理念のために動いているかと言えば、そうではない。我々王族親衛隊は常に大衆の利害と、そして世界の秩序のために動いている、と言えば分かりやすいか」

 

「大衆の利害……? 第三の聖獣を捕獲するのが利害だって言うのか……!」

 

「聖獣は誰かの手のうちになければいけない。この世界で管理出来なければ、それは害悪であろう。我々が率先して始末する。自分達の役割とはそういう事だ」

 

「……それが気に食わないって……あんたらは結局! 俺達民草の事なんて一端にも考えちゃいないんだろう!」

 

「そう映ったのならば謝罪する。そろそろ発進準備に移らなければいけない」

 

 身を翻したジオに、部下は当惑しつつも後を追従していた。

 

 ダイキは大破した《ネクロレヴォル》を改修した機体を仰ぎ見る。

 

「……これ、乗れるのか?」

 

「ああ、内蔵フレームが逝っちまったから、《パラティヌス》の残存フレームとのニコイチですよ。《ネクロレヴォル》というよりも、この機体はもう別種の機体と言ってもいいでしょうね」

 

 昇降機で降りてきたメカニックと視線を合わせ、ダイキはまるで包帯を巻かれた亡者のようにも映る機体の装甲に触れていた。

 

「……頼むぜ。俺の戦いを講じるために、お前は必要なんだよ。……機体コードは?」

 

「《ネクロレヴォル改修実装型極地参式》とか、仰々しいコードが付いていますけれど、メカニックの連中の間柄じゃ、こいつは包帯男――《シュラウド》の機体名称で通っています」

 

「《シュラウド》……俺のための……機体……」

 

「それにしたって、艦長はこいつの修繕を全面に回せって言うんだから、こっちも困りものですよ。正直、モルガンが最新鋭艦だからって補給もまともに受けられていないんです。騎屍兵団は損耗ばっかりで、最善の装備で出られたかって言うとそうじゃないですし」

 

「苦労をかけさせてすまない。……騎屍兵団は?」

 

 僅かに声を潜めて尋ねると、メカニックは騎屍兵団の動向を眺める。

 

「……本当のところ、ここまで統率が乱れるのは想定外でした。自分はモルガンの勤務、それほど長くないほうですけれど、騎屍兵団には騎屍兵団の規律があるのは理解出来ましたし……。ただ……彼らを自然と束ねる役割のトゥエルヴが、ここに来て困惑しているのは窺えますね」

 

「……大丈夫なのか? その、軋轢だとか……」

 

「大丈夫ですよ。彼らは騎屍兵団としての誇りがあるのでしょうし。その矜持ありきの《ネクロレヴォル》隊です。そればっかりは当事者じゃないと分からないんでしょうね」

 

「……当事者、か。俺達じゃ関知出来ない領域なのかもな……」

 

「騎屍兵団の管理は艦長にも任せられています。実際、リクレンツィア艦長は大忙しだと思いますよ。《サードアルタイル》の強行出撃に、メイア・メイリスだって重症だって聞きます。真面目に言うと、モルガンのこれ以上の戦闘継続は望むべくもないというか……」

 

 それはモルガンに務めてきたメカニックの本音であったのだろう。

 

 彼はメカニックの帽子のつばを上げて、困惑の息をつく。

 

「俺達も一蓮托生だと思うんだがな。……それでも立ち入れないものってのはあるし……次の出撃に備えて俺はリクレンツィア艦長に一度面会しておく。《シュラウド》の出撃許可も得なけりゃいけないだろうしな」

 

「頼みます。……クラビア中尉」

 

「何だ? 何か用件でもあるんなら」

 

「い、いえ……ただその……リクレンツィア艦長を、見守ってあげてください。自分達みたいな木っ端スタッフに言えるだけの口はありませんけれどでも、心が痛むじゃないですか。見た目だけとは言え自分よりも小柄な少女に、ここまでの運命を任せるって言うのは……」

 

 モルガンのスタッフにもまともな感性を持つ者も居る。

 

 彼らにとってしてみればピアーナは頼れる艦長であるのと同時に、あまり背負わせたくはないのだろう。

 

「……務める」

 

 首肯して、ダイキは廊下を歩んでいく。

 

「……でも、俺に何が出来るって言うんだろうな。前に出る事くらいしか能がねぇ、イノシシ頭のダイキ・クラビアが……」

 

 艦長室に三度のノックの後に入ると、ピアーナは情報集積端末の電算椅子に座り込み、瞼を閉じていた。

 

「……失礼、仮眠中でしたか」

 

「いいえ、同期に時間がかかっていただけです。今、本社からの要請を得ました。これより、モルガンは第三の聖獣の回収任務と共に、敵艦オフィーリアへの強襲へと部隊を割きます。結論として言うとすれば、小隊を二つに分ける事になりますが」

 

「……俺が前に出ます。艦長は……あまり心配なさらぬよう。王族親衛隊も動き出しています」

 

 こちらの報告に嘆息をついてピアーナは電算椅子の肘掛けを撫でていた。

 

「……やはり、ですね。第三の聖獣を先行させたのは誰かの思惑であった」

 

「ですが……大勢の人間が死にました。俺達が抑えられなかったのは何て言うのか……責任を感じちまいます」

 

「下手な事まで責任感を抱かない事です、クラビア中尉。そうでなくとも我々は見張られていると思ってもいい」

 

 ピアーナは電算椅子より降りて、自分の袖口を引く。

 

 それはジオに仕掛けていた盗聴器の同期を示していた。

 

 ピアーナは電算椅子に座っている間は本社のデータベースと接続されている。

 

 下手な勘繰りをされてしまえば、彼女自身の窮地に繋がりかねない。

 

 秘密の会話はスタンドアローンになった時だけであった。

 

「……どうやら気取られた様子はないみたいです。俺の感覚ですが」

 

「気を付けてくださいよ。わたくしは思考の表層には浮かべないようにしていますが、本社の直結データベースを探れば探るほどに、わたくしの思考回路は明け透けになる。こうして、地球と月ほど離れているから本意までは探られませんが、何かの拍子に本社からの査察もあり得ます」

 

「……先のエージェントみたいに、ですか。艦長はあのエージェントと顔見知りのようでしたが……」

 

「勘繰りはお奨めしませんよ。とは言え……あの顔には驚いてしまいましたが。ベアトリーチェに在籍していた頃、死んだはずの顔でしたので」

 

「……分かりませんね。本社は後ろ暗い事を隠していると? 騎屍兵団を束ねるリクレンツィア艦長にまで?」

 

「それがまかり通るのが現状なのでしょう。わたくしは……言及して、いい具合に都合のいい事実だけを取り出せるほどの身分でもありません。所詮は全身RMの傀儡。彼らにしてみれば、モルガンを動かすに足るだけのパーツに過ぎません」

 

「……艦長は……! パーツなんかじゃありませんよ。だって心が……ガッツがある人じゃないですか……!」

 

「……ガッツ、ですか。まるでわたくしとは正反対の位置にあるかのような、言葉ですが……」

 

「少なくとも自分の見た限りじゃ、艦長は真っ当です。俺は……《サードアルタイル》を追撃するってのには賛成ですが、それもこれも、あまりまともとは言い難い道筋でしょうし」

 

「先の戦いで聖獣との戦力差もあり得ます。それでも本社は確保に移るべしと……騎屍兵を寄越せと言ってきています」

 

「それは身勝手が過ぎるでしょう! ……エージェントを送った結果、制御不能になったって……!」

 

「静かに。あまりこのモルガンでエンデュランス・フラクタルの不満を言うべきではありません」

 

 制されてダイキは当惑していた。

 

「……そりゃあ、そうかもでしょうが……。エンデュランス・フラクタルの真意って何なんでしょうか。こうしていたずらに被害を出す事が、連中の本懐とも思えないんですけれど」

 

「いえ、本社の真意にだけは辿り着かないほうがよろしいでしょう。我々はあくまでも使われる側です。使う側の本音なんて分かるわけがない」

 

 ピアーナも苦渋の上にその決断をしているのが窺えた。

 

 ダイキは言葉少なに、彼女を支えるようにだけ了承する。

 

「……どこまでもお供しますよ、リクレンツィア艦長。どうせ……俺の命なんて、大義って言ったって誰かの命の身代わりになんて成れやしないんですから」

 

 大義のために死ねた時代とは違うのだ。

 

 トライアウトネメシスに居た頃のように、誰かに迷惑をかけながら、理想にだけ殉ずる生き方を選べばいいだけではない。

 

 今は、自分がどれだけの生存権を得られるのかを問い質さなければいけない。

 

 意味のない理由に集約される生にだけは、この命を燃やし尽くす戦いにはならないのだから。

 

 それが兵士としては失格の理屈であったとしても、目の前の命を取りこぼして何が戦士か。

 

「……わたくしは、誰かに自分の思うような生き方をして欲しいだけなのかもしれませんね。そんなエゴで……人の命を愚弄するのが、騎屍兵団の師団長を務めるわたくしの……引き剥がせない傲慢さなのだとすれば……」

 

「艦長は違う、違いますよ。……俺は、これでも色んな人間を見てきたクチです。リクレンツィア艦長の眼差しには、力があります。このモルガンだって、艦長だから付いてきている連中だって居る。王族親衛隊が《サードアルタイル》の回収に当たるって言うんなら、それを補助しろって?」

 

「馬鹿げていますか?」

 

「……と言うよりもまるで不明なんですよ。ジオ・クランスコールを含む王族親衛隊……彼の者達は読めない動きをしているとしか、言いようがありません。騎屍兵団を遣わせたほうが?」

 

「無論、《ネクロレヴォル》は出しますが……少しだけ、難しそうですわね」

 

 壁に埋め込まれた電脳ネットワークにアクセスしたピアーナは瞼を伏せていた。

 

「……聞き及んでいます。騎屍兵、ファイブでしたっけ。先の戦闘において、何をトチ狂ったんだか、自分の正体を明かしたとかって……」

 

「彼らのメンタルケアもわたくしの役目の一つですが、医療分野のRMに関しては専門外。それに……騎屍兵全員の統率を乱したのは、何も彼だけではありません」

 

「……騎屍兵の世話は騎屍兵自身が取るべき、ですか」

 

「彼らとて、如何にエンデュランス・フラクタルの所有物とは言え、自由意思はあります。よって、彼らのチームプレイに……若干とは言え期待するしかないでしょうね」

 

「大丈夫なんですか。……絶対に明かされないはずの騎屍兵の正体が、思わぬ人間だったなんて事になると」

 

「当然、彼らとて馬鹿ではありません。自分達の統率の乱れは自分達で責任を取る必要があるくらい、分かっているはずなのですがね」

 

「それがここまで、地球圏で幅を利かせてきた騎屍兵の役割ってわけですか」

 

 こちらの出した結論にピアーナは嘆息交じりの声を発していた。

 

「……役割なんて高尚なものかどうかは、分からないですけれどね」

 

 



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第209話「屍の辿り方」

 

『私としては、今次作戦において、ファイブの参加に一家言を持つ』

 

 切り出されたトゥエルヴの発言に異議を申し立てるような騎屍兵は居らず、ファイブは弾劾の誹りを受けても仕方あるまいと半ば受け入れていた。

 

『あの不明機に乗っていたのが生前の知り合いであったと? ファイブ』

 

『……ああ、かつて私が……ベアトリーチェのクルーとして戦っていた頃に……上官であった』

 

 本来ならばもっと言葉を尽くすべきであったのだろうが、凱空龍の日々を騎屍兵の者達に話すのは気が引けて、中途半端な物言いになってしまう。

 

『かつての上官か。だが、撃てるのだろう? ならば問題ないはずだ。私がファイブのステータスは保障する』

 

 前に歩み出て自分の擁護をしてくれたのはイレブンであった。

 

 思えば幾度となく騎屍兵になってから背中を任せてきた身。ここでも守られるのか、とファイブはもどかしさを覚えていた。

 

 ――自分の生き様は、誰かに守られるばかりだな。

 

『そうは言うが……我々騎屍兵は一人として欠けてはならない戦力。不確定要素を持ち込むべきではない』

 

『しかし、トゥエルヴ! その理論ならば、この状態でファイブを欠くのも間違っているはずだろう!』

 

 いつになく声に圧を持たせて、イレブンが熱弁する。

 

 そんな彼にばかり話させるのは申し訳ない気がして、ファイブは肩を掴んでいた。

 

『もういい。いいんだ、イレブン。私の因縁だ』

 

『しかし……!』

 

『鹵獲されたスリーの奪還作戦も儘ならぬ。現状では《サードアルタイル》回収任務が充てられている上に、必要なはずの《ネクロレヴォル》も大破の後に修繕となれば穏やかではない。我々が仲違いしている場合ではないだろう』

 

 ナインの冷徹な分析にトゥエルヴはしかし、声を差し挟んでいた。

 

『だがそもそも欠けた存在を補おうと誰も思っていなければ同じ事だ。騎屍兵団はこれ以上の敗走を重ねるわけにもいかない。よって、私の一存で決定する。今次作戦においてファイブ、お前は出せない』

 

『……それは騎屍兵全体の士気に関わる、と言いたいんだろう』

 

 分かっている。それくらいの理屈、飲み込めるはずだ。

 

 現に自分は前回の戦闘において、アルベルト相手に身を晒した。

 

 騎屍兵において生前の正体を明かす事はタブーであるのは、誰の目にも明らかであった。

 

 ここに来て軋轢など望んでいるはずもない。

 

『しかし……! 出し渋ればその分だけ、我々は敗北しかねない! トゥエルヴ、私の責任でいい。ファイブを何とか出せないのか?』

 

 こうまで自分のために泥を被ってくれるのが何よりも意外であった。

 

『イレブン……何でそこまでして……』

 

『それは……』

 

『駄目だ。イレブン、お前も出撃停止処分にしてもいい。ファイブの処遇は保留にしてある。これでも随分と譲歩だ。我々騎屍兵団は一糸乱れぬ統率こそが強み。事ここに至って、下手を打てば聖獣相手だ。確実にしてやられるぞ』

 

 その言葉の重みを誰しも理解していた。

 

 イレブンは拳を握り締め、命令に承服する。

 

『……了解……』

 

『出撃は十分後だ。その前に……ファイブ。少しいいか?』

 

 まさかトゥエルヴ直々に自分の処分を下されるのだろうか。

 

 それも仕方あるまいと、ファイブは諦め調子にその背中に続く。

 

 ロッカールームでトゥエルヴは、周囲を見渡していた。

 

『ここならば、問題ないか』

 

『トゥエルヴ、私は今回の作戦に異存はない。それに、私としても下手を打ったと思っている。どう考えたってそちらの意見が当たり前だ。……正直、皆と戦えないのは辛いが……』

 

『何を言っている。……まったく、何も知らんと言うのは無知がゆえに、残酷だな』

 

 トゥエルヴは首筋の緊急排出ボタンを押し込んでいた。

 

 ヘルメットを外し、向き直った相貌にファイブは息を呑む。

 

『……嘘、だろ。……女……』

 

「男だと言った覚えはないのだがね。誰もが男だと思い込む」

 

 黒髪を流した女性の素顔を晒したトゥエルヴはこちらを見据えるなり、顎をしゃくっていた。

 

「そちらも、素顔を見せていただきたい。私だけなのはフェアではない」

 

 ファイブはどこともなく、これは応じなければ礼儀に反するとヘルメットを脱ぐ。

 

 ファイブとしてではなく――もう死んだ名前でしかない、トキサダ・イマイとしての顔でトゥエルヴと向かい合っていた。

 

「……お互いに酷い顔だな」

 

 自嘲気味に語るトゥエルヴの頬にも思考拡張の痣が走っている。

 

 ファイブはその言葉に乗り切れずに頬をさすっていた。

 

「……私は……今次作戦においての除隊も覚悟していた」

 

「そうなると思ったのか? ……いや、そっちのほうが気が楽か。何せ、甘んじて、死者になれるのだからな。だが私はそれを許さない。一度でも騎屍兵として世界に舞い戻った身、その責務を果たし切るまで、生き抜く義務がある」

 

「だが……おれは……! アルベルトに……あいつに銃を向けると決めた。それは個人的な思想だ。何よりも……おれが決着をつけなければいけない因果だった……」

 

 震え始めた声にトゥエルヴは、ふむ、と一呼吸置いていた。

 

 ロッカーの一区画を叩き、その内側に収納していた炭酸ジュースを持ち出す。

 

「飲むといい。気が紛れる」

 

「……ジュースで酔えって?」

 

「気分次第で酔えもするだろう? 戦場にだって酔えるんだ、素質はある」

 

 トゥエルヴは炭酸ジュースのプルタブを空けて一気に呷っていた。

 

 自分も応じるようにジュースを喉に流し込む。

 

 炭酸とは言え、人体に有害であるのならば自動浄化され、戦闘に際し不要な機能は切り捨てられる――それが騎屍兵だ。

 

「……こういう時、生きていた頃はげっぷが出ていたのだと思い出せる」

 

「……女だろう?」

 

「女でも同じさ。生きていた頃……生前ならばな」

 

 トゥエルヴの論調はこれまで自分達を率いていたとは思えない柔らかさが宿っており、ファイブは自ずとその過去が気にかかっていた。

 

「……何で騎屍兵なんかに……」

 

「死んだから、では理由にならないか?」

 

「……それはだっておかしいだろう。おれ達は、死んだからと言ってでは棺桶に入るか戦場で死ぬかの判断は選べたはずだ」

 

「棺桶では満足いかぬ、という理由では駄目なのか?」

 

「……あんたの事は男だと思っていたし、それに《ネクロレヴォル》隊を率いるんだ。きっと、生きていた頃もそれなりにヤバい道に足を突っ込んでいたんだと思っていたよ」

 

「……私が死んだのは、あの月軌道決戦であった。私はあの時、地球連邦の艦に所属する《マギア》乗りであった」

 

 こうして過去を語る段になるのは、まさか彼――否、彼女の側になるとは想定もしていない。

 

 ファイブは自ずと、聞く調子になっていた。

 

「《マギア》に? って言う事は、それなりに映え抜きの?」

 

「だと思うか? 私は、自分で言うのも何だが、凡庸であったと思うよ。ただの女MS乗りに過ぎなかったし、実力が飛び抜けてあったわけでもなければ、適性が高かったわけでもない。ミラーヘッドの戦場でおっかなびっくりに敵を撃墜するのがお似合いの、ただの弱い人間であった」

 

 騎屍兵の身分で人間であった頃を語るのはどこかしら後ろめたさを感じる。

 

 それは自分達が世界の領分の最果てのような場所で生き抜いているからだろう。

 

 死んでいても何らおかしくない状況から、企業の利益のためだけに生き永らえ、そして多くの罪のない命を葬って来た。

 

 心のない虐殺者の誹りを受けたとしても何の文句も言えまい。

 

「……あれは、何だったかな。そうだ、《シクススプロキオン》。あれの発生させた高重力砲撃。その第一波で私は死んだと思ったのだろうな。実際には、あの状況下でMF04、《フォースベガ》によって砲撃は斬り裂かれ、大部分は無事に済んだらしいのだが。……私は逸るような不完全な兵士であった。艦を守るべくミラーヘッドの皮膜を展開、それで《フォースベガ》の守りの先へと、自ら赴いてしまった。気が付いた時には《マギア》と一緒にどことも知れぬ宙域を漂っていた。……とても寒かったのを覚えている。それと、ああ、こうやって死んで行くのだな、と。絶望したのもよく覚えている。死は特別なものではない。他の全ての現象と同じく、何ら変哲のない風を装って命を刈り取っていくんだ。静かになっていく狭いコックピットの中で、私は《マギア》と共に死んだ。……心残りであったのは、地球圏にパートナーと、それにようやく恵まれた子宝を遺して行った事くらいだったか」

 

「……子持ちだったのか」

 

 絶句したのが伝わったのだろう。トゥエルヴはフッと笑みを刻む。

 

「笑えるか? ファイブ。ここまで女子供の区別なく、統制の名の下にあらゆる人命を容赦なく奪ってきた騎屍兵のトゥエルヴが、血の通った人間のような事をのたまうのは」

 

「い、いや……それは……」

 

「無理はしないでいい。そう思われる事には慣れている。いいや、慣れてしまった、が正しいか」

 

 こちらの思考を読み取ったかのように、トゥエルヴは声に一抹の寂しさを灯らせていた。

 

「……会いに行ったりとかは? 騎屍兵になってからでも……」

 

「一度だけ、あったな。まだライドマトリクサー施術を受けて間もない頃に、リハビリの名目で」

 

「……どうだったんだ?」

 

 トゥエルヴはその悲嘆の先を口にしていた。

 

 ――そう、自分達は《ネクロレヴォル》隊、騎屍兵なのだ。こう言った話の結末は悲劇であるのは決まり切っている。

 

「……パートナーは新しい妻を持ち、子供は笑っていた。本当に、心底。私の不在なんて意味がないとでも言うように。死者は、大人しく土の下を寝床にしていればいいとでも言うような……あたたかな家庭であった。私は思い出に帰る事さえも許されず、そのまま騎屍兵として、戦場を闊歩した。似たような子供や、似たような親子を何百人と殺したはずだ。それでも不思議と胸が痛まないのは、それはもう私が死者だからだろう。生者の行き場にどうこう言うほどの領分は既に存在せず、私はただただ、自分の死の穴倉の準備をしていくばかりであった」

 

「死の穴倉の準備……」

 

「騎屍兵は、死ねばどうなると思う?」

 

 唐突の質問に、ファイブは自分なりの答えを探っていた。

 

「……少なくとも天国には、行けないんじゃないかな、とは思う」

 

「同意見だ。もう死んでいるのに、黄泉の国への片道切符を拒否し続けたツケは払わなければいけないのだろうな。私達は、在ってはならない存在なのだろう。見知った人間からしてみれば、思い出の清算はとっくの昔に済んでいるんだ。だって言うのに、彼らの思い出に分け入るような事はしてはいけない。……いいや、出来ない、が正しいのだろう」

 

「おれが前回、素顔を晒したのは生者の思い出に分け入る行為、か……」

 

「ファイブ、いいや、トキサダ・イマイ、だったな」

 

 自らの生前の名前を紡いだトゥエルヴに瞠目していると、彼女は薄く微笑む。

 

「可笑しな事でもない。前回名乗ったのを聞いているし、それに私は騎屍兵の中でも統率者に分類されているらしい。自分ではそんなつもりはないのだが、全員の名簿を預かっている。その中に興味深い因縁を見つけた。月軌道決戦で、私達の隊のほとんどは構成されているが、イレブン。お前を庇った彼だ」

 

「あ、ああ……イレブンには本当に、どれほど礼を言っていいか……」

 

「その義理堅い彼だがな、名前はグローブ。月軌道決戦にて、《オルディヌス》を駆って戦艦ベアトリーチェに仕掛けた経歴を持つ。もしかしたらどこかで会っているんじゃないのか?」

 

 思わぬ言葉に、ファイブは思考が硬直するのを感じ取っていた。

 

「……《オルディヌス》の……パイロット……?」

 

「ああ、記録上そうなっている。そしてトキサダ・イマイ。そちらはベアトリーチェ所属のパイロットであった。ともすれば、遭遇していても何らおかしくはないのだが」

 

《オルディヌス》――その名を紡ぎ上げた途端に浮かび上がったのはあの絶望的な月軌道決戦にて、自分の操る《マギア》の目にした最後の光景であった。

 

《オルディヌス》と同士討ちに近い形で死に絶え、そして生き返った。

 

 まさか両者共にこの世界に未だ取りこぼされ、同じ隊に所属しているなど思いも寄らない。

 

 否、それどころか、自分はイレブンに友情さえも感じていたのだ。

 

 彼は自分を頼ってくれる。騎屍兵になってからなら、確実に戦友と言えるのは、イレブンなのだと。

 

 そこまで愚かしくも――思い上がって。

 

「……おれは……仇に友情を感じていたって言うのか。そんな事って……」

 

「余計な茶々を入れてしまったらしい。私は、別段、二人の間柄に軋轢を生みたいわけではないのだ。ただ、迷いを浮かべながら戦えば確実に死ぬのはお前だ。なら、少しばかりは知った上で決めたほうがいいだろう。……騎屍兵身分とは言え、聖獣相手に上手く立ち回れるとも思っていない。しかし、トキサダ・イマイ。まだ死ねんのだろう? そう容易くは。だからこそ、助言をするつもりだった」

 

「助言……?」

 

 トゥエルヴはヘルメットを抱え、自分を見据える。

 

「――生きろ。生きてその使命を果たせ、トキサダ・イマイ。それこそが、お前に課せられた、使命であるからだ」

 

 差し出されたのはデータチップである。

 

 何のデータなのだか分からなかったが、ファイブはそれを受け止めるしか出来なかった。

 

 今は、イレブンが――無二の友だと信じ込んでいた相手が敵であった衝撃が大きい。

 

『私はもう行く。これから先、お前が騎屍兵、ゴースト、ファイブとして生きるのか。それともトキサダ・イマイとしての生を渇望するのかは自由だ。私は強制はしない。だが、自らの生前の行いのツケくらいは、自らで付けてから死んで行け。それが居場所を永劫なくした死者の送れる、せめてもの手向けだ』

 

 既にヘルメットを装着したトゥエルヴに肩を叩かれ、茫然とするしかないファイブは立ち尽くす。

 

 知らないほうがよかったのか――だがトゥエルヴは知ってから戦えと、自分に言いたかったのだろう。

 

 ようやく振り返った時、ロッカールームは自分一人きりであった。

 

 



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第210話「意味存在を問う」

 

「穏やかではない帰還だな」

 

 格納デッキに顔を見せるのは珍しい面持ちに、シャルティアは息を呑んでいた。

 

「……ヴィルヘルム……先生」

 

「普段通りでいい。だらしがない大人だと思われているだろうからね」

 

「……ですが、私にも分からないんです。何で……シンジョウ先輩はあそこまで出来るんでしょうか。エージェント相手に、そりゃあ一蓮托生って言うのは、私も覚えがないわけじゃないですけれど……でもあんなの……! 死にに行っているようなものじゃないですか……! 戦場に《オムニブス》で割って入るのなんて、普通じゃないですよ!」

 

「普通じゃない、か。しかしカトリナ君はそれをこの三年間、ずっとやってのけていたんだ。彼女にとっての普通は我々後方支援しか能のない人間とは少しずれているのかもしれない」

 

 ヴィルヘルムが電子煙草をくゆらせるので、シャルティアは目を見開く。

 

「格納デッキ、禁煙ですよ」

 

「知っている。禁煙は二日も持たんな」

 

「……怒られるのはヴィルヘルム先生なんですからね」

 

「……して、どう思う。彼女の言葉に」

 

「思うところがあるとでも?」

 

「オープン回線だったんだ。みんなが聞いているなんて当の本人は思っても見ないだろうが、それでも、ね。先輩の本音が聞けたようなものじゃないのか」

 

「失礼ですよ。分かった風な事を言うのって」

 

「だが他人なんてそんなものさ。分かった風にしか成れないんだ」

 

「……それも、誰の言葉なんです?」

 

「……引用不明な誰かだろうね。憧れの先輩の言葉はシャルティア・ブルーム委任担当官としては不服だったかい?」

 

 その問いかけに、シャルティアは自らの手に視線を落としていた。

 

「よく……分かんなくなっちゃいました。だって、敵ですよ? 《サードアルタイル》を……聖獣を撃墜しようとしている敵。《ダーレッドガンダム》だって苦戦しました。それ相手に……何ですか、あの理論は」

 

「幸せですか、か。しかし、彼女を知っている人間からしてみれば、よく吼えたものだと、褒めてやりたいところだがね」

 

「はぁ? ……幸せかどうかなんて、敵相手に問答するなんておかしいじゃないですか」

 

「だがカトリナ君からしてみれば急務だったのだろう。《オムニブス》でスクランブルをかけてまでの援護。だと言うのに、やった事は火に油を注ぐような物言いだった。……とは言え、相手が硬直したお陰で、クラードは助かったようなものだが」

 

「……それも結果論でしょう。逆上した敵に撃たれないとも限らなかったわけですし」

 

「しかし、その胆力にわたしは彼女を過小評価していたのだと思い知った。……敵相手にも自分の幸福論をのたまうだけの強さを、もうとっくの昔に手に入れていたとはね」

 

「……正直、聞いていて呆れちゃいました。幸せかどうかなんて、どうだっていいでしょう? そんなので戦場が回りますか? そんなので……死んじゃった人達が、生き返るわけでも、ないでしょうに……!」

 

 思わず語気が強くなる。

 

 アルベルトの喪失は考えないつもりであったが、カトリナがあんな調子ではアルベルトも浮かばれないだろう。

 

 ヴィルヘルムは煙草をくわえ、紫煙を棚引かせていた。

 

 その瞳は遠くを見据え、自分では及びもつかないものを目の当たりにしている。

 

 回収されてきた《ダーレッドガンダム》が格納デッキに収容されるのを視野に入れ、シャルティアは呟いていた。

 

「……死んだ人なんて、どうだっていいんですか。シンジョウ先輩は」

 

「それは違う。それくらいは分かっているはずだろう」

 

「だったら! ……だったら何で、幸せなんて説けるんですか! 敵ですよ! 敵は撃たないとどうしようもないんです! そんなの当たり前の事じゃないですか!」

 

「そう、当たり前だ。戦場の常識さ。しかし……カトリナ君はともすれば、わたし達の忘れてしまった日常というものを、もしかすると思い出させてくれるのかもしれない」

 

「……日常なんて、もう私達には訪れないでしょう。叛逆者なんですから」

 

「そうだな。そして彼女は血濡れの淑女(ジャンヌ)。それくらいは、分かっていての事なんだろう」

 

「……自分が旗印なら、何を言ったっていいって言う文句にはならないですよ」

 

「そこまで無責任に映るかい?」

 

 問われてしまえば、返事に窮する。

 

 カトリナが目指す方向を素直に憧憬の眼差しで仰げなくなったのはいつからなのだろう。自分の中で承服出来なくなって、それで理想像とは違うと、吼えられるようになったのはいつからだというのだろう。

 

 我ながら嫌な後輩に成り下がったものだ。

 

「……でも、素直に尊敬させて欲しかっただけなんですよ」

 

「尊敬なんて近づけば近づくほどに消えていく幻みたいなものだ。君はカトリナ君に、蜃気楼のようなものを抱いていただけなんだろう」

 

「……近づけば醒めてしまうって言いたいんですか」

 

「そうだな……。ただね、この世には同じ蜃気楼でも、実は案外近かった、というものもあるらしい」

 

「私もシンジョウ先輩も似たようなものだって……」

 

「そこまでは言い切れないだろう」

 

『オーライ、オーライ。《アイギス》部隊はこっちへ。《ネクロレヴォル》はこっちだ。場所を間違えるなよ』

 

 サルトルの拡張音声が鳴り響く中で、戦場に駆り出した《オムニブス》が最後に帰還してくる。

 

 そこから這い出たカトリナは早速、サルトルから叱責を受けていた。

 

『戦場のど真ん中にスクランブルで言う事か! あれが!』

 

『すいません……っ! でもどうしても……言わないと気が済まなくって……っ、って、これも広域通信……?』

 

 慌てて通話領域を縮小させたカトリナ相手に整備班から笑い声が上がる。

 

『ま! 期待の新人は変わらなかったって事か! めでたくはないが、オジサンとしちゃ嬉しいよ』

 

「……何でですか。あんなの、懲罰ものでしょうに」

 

「あの輪に加わったって罰は当たらないぞ」

 

「……断ります。だらしがない大人って、これだから嫌いなんですから」

 

 しかし、ユキノも合流し、メカニック達と一緒になってカトリナの生存を喜んでいる。

 

 何だか、その輪に入らないのも、別の意味で斜に構えているような気がしていた。

 

「……ヴィルヘルム先生は、あの輪に入らないんですか」

 

「わたしは怒られてしまうな。禁煙なんだろう?」

 

 どこか試すようにウインクしてみせたヴィルヘルム相手に、シャルティアは苛立たしげに後頭部を掻いていいた。

 

「……ああ、もうっ! これだから、だらしがない大人って言うのは嫌いなんです!」

 

 タラップを駆け下りるなり、声を弾けさせる。

 

「シンジョウ先輩!」

 

「あっ、シャルティア委任担当官……」

 

「見損ないました! そこまでやって、何が委任担当官ですか!」

 

 突っかかったと思われたのだろう、ユキノが制そうと間に入りかけたのを、カトリナがゆっくりと頭を振る。

 

「……そっか。幻滅されちゃった?」

 

「ええ、幻滅も幻滅です! ……でも、どうしてそこまで出来たんですか? それも素直に……疑問なんです。だって私は……私はアルベルトさんが死んじゃった時、大慌てで《オムニブス》に乗り込んで、相手に説教をするような……度胸もなかった。怖かったんですよ。エージェントの皆さんが赴く、本物の戦場って言うのが。だって私は委任担当官……彼らの帰る場所には成れても、その隣で戦う事には成れない。だから、せめて帰る場所を護る事を一番に掲げてって……教えてくれたのはシンジョウ先輩じゃないですか」

 

「……そうだね。教えを破っちゃった事になる」

 

「……エージェントと同じ戦場に立つのは間違っています。だってそうじゃないと……私があの時……オフィーリアで受け止めただけの想いが……無駄になっちゃうような気がして……」

 

 自分が表立って、アルベルトと同じ戦場に居られればよかったのだろうか。それならば最良の道を選べて、そしてその道に殉ずる事も出来たのかもしれない。

 

 しかし生き延びてしまった。

 

 生き永らえてしまったのだ。

 

 ならば、そこから先を考えるのは、生きている人間の役目なのだろう。

 

「……エージェントと同じ戦場なんて間違っている、か」

 

「おかしいですよ……そんなの全部……。クラードさんが何かしてくれますか! シンジョウ先輩が死んじゃったら……私は誰を、目標にすればいいんですか……」

 

 震え始めた声にカトリナは歩み寄ってそっと肩を抱いていた。

 

 生きている人間のあたたかさに、シャルティアは目を見開く。

 

「ごめん……ごめんなさい、シャルティアさん。でも私には、これでしか出来そうにない。クラードさんに報いるのには、あの人が目指す叛逆を、きっちりとした形で完遂させるのにはこれしか……。私は委任担当官だから、担当エージェントが死ぬその瞬間まで、彼を信じる義務がある」

 

「……そこに間違いを差し挟む余地はないって言いたいんですか」

 

「ううん……間違う事もあるだろうし、私の選択が最善じゃない」

 

「だったら……!」

 

「だからって……前に進む事と幸せになる事を、諦められるほど、賢しくもないの……」

 

 また幸せになる、という理論だ。

 

 それがどうしたってシャルティアには理解出来ない。

 

「それは……それは、ベアトリーチェに居た頃から……ひいてはこのオフィーリアであったとしても、シンジョウ先輩が振るわなければいけない信念だって言いたいんですか。それがあなたの全てだって……」

 

 カトリナは一拍の逡巡を浮かべたが、やがて頷いていた。

 

 彼女の守るべき信念。彼女が決意すべき、己の心。

 

 それが幸福になる、という事であるのならば、先の戦いで振り翳したのはある意味ではカトリナなりの戦いであったのだろう。

 

 自らの心に依拠するところの信念を貫き通すために、その意地を相手にぶつけたのだ。

 

 エージェントでも出来ないだけのハッタリ。

 

 自分の精一杯で、敵を打ちのめす。

 

 そんな――可能不可能議論を飛び越えた先にある戦いを、彼女は必死に講じて。

 

 シャルティアはぎゅっと拳を握り締めた後に、搾り出すように口にする。

 

「……だったなら、それを私みたいな小娘に、馬鹿馬鹿しいとか思わせないでくださいよ。私は! シンジョウ先輩、あなたを尊敬していました。だから、尊敬に背く行為をされると……私自身、どう振る舞ったらいいのか、まるで分かんない……分かんないんですよぉ……!」

 

「シャルティアさん……」

 

「……簡単に幻滅出来れば、まだ楽なのに……。それでもあなたの事を勇猛果敢だと、どこかで思えちゃっているから始末が悪いって言うんです! ……もっと私に、ただのだらしがない大人だと思わせてくれれば……楽なのに……」

 

 それでもどこかで分かってしまっていた。

 

 承知出来てしまうのだ。

 

 カトリナの語った幸福論は、一朝一夕のものではない。

 

 彼女を形成する中心軸になるものだと。

 

 ならば、それを容易く否定する事は、カトリナの人生を否定する事に繋がる。

 

 そこまで嫌いに――させないで欲しい。

 

 自分の我儘でこれまでの情景を台無しにさせないで欲しいと言うのは、純粋なただの願いそのものであろう。

 

 だが願ってはいけないのか。

 

 ここに帰還したカトリナに、まだ自分の尊敬するエンデュランス・フラクタルの委任担当官の先任であると言う事実を、自分はまだ受け止めたいのだろう。

 

 カトリナが何か言葉をかけようとして、シャルティアは彼女と向かい合って面を伏せる。

 

 こんな時に顔を見ることも出来ないなんて情けないにも程がある。

 

「……私、正しいとは、思っていませんから」

 

「……うん。それでもいい」

 

「……だって、アルベルトさんが……あの人なら飲み込めって言うんでしょうし。私、だらしがない大人の言葉を聞くつもりは、ないんで」

 

 ちょっとした反抗心。

 

 ちょっとした気持ちの齟齬。

 

 その一つで、今は飲み干すしか方法はなさそうであった。

 

 カトリナに背を向けタラップを駆け上がったところで、待ち構えていたヴィルヘルムが紫煙をたゆたわせる。

 

「どうだった」

 

「……見ていたんでしょう?」

 

「肝心要のところは聞かないと分からない」

 

「……私は……シンジョウ先輩に理想を見ていたみたいです」

 

「そうか」

 

「でも同時に……そんなシンジョウ先輩を、見くびってもいたんです」

 

「ほう、それは興味深いな」

 

 シャルティアはきゅっと胸元で手を握り締め、ヴィルヘルムへと言い放つ。

 

「……ヴィルヘルム先生。オフィーリアの艦内設備なら、思考拡張の施術くらいは出来ますよね?」

 

 その覚悟するところに、ヴィルヘルムは目線を直視させる。

 

「……構わないが、いいのか? 戻れないぞ」

 

「ええ。どっちにしたって、私だけこんな身分で宙ぶらりんなままじゃ、何も出来やしません。私は……私に落胆したくないんです」

 

「自分に落胆するのは最後でいい、か。君も生き急ぐな」

 

「それでも。私に出来る事が少しでも増えるって言うのなら」

 

「前に進む事を否定はしない。いいだろう。思考拡張施術はわたしの専門だ」

 

 携帯灰皿に煙草を押しつけて、ヴィルヘルムは白衣を翻す。

 

 その背中に続く道中で、シャルティアは視線を《ダーレッドガンダム》に向けていた。

 

 頭部コックピットに数名の整備班が取り付き、鎧じみたパイロットスーツに包まれたクラードが運び出されてくる。

 

「……シンジョウ先輩の気持ち、裏切ったらただじゃおかないですからね、クラードさん」

 

 そう独りごちて、歩みを進めていた。

 

 



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第211話「獣は大地へと堕ち」

 

 大陸に横たわる聖獣の姿は、黙示録の世界を想起させるのに充分であった。

 

「神は居ない、か」

 

 呟いたジオへと通信回線がもたらされる。

 

 どれもこれも逼迫した状況を伝えてくるが、その中で不意に優先権を持つものが接続される。

 

『……こちら、王族親衛隊所属……そのほうは万華鏡の部隊か……』

 

『地下シェルターからの通信ですね。どうやら生存者のようです』

 

 部下の分析に、相手からの声に生存の望みが宿る。

 

『救援か……! 上にはまだ第三の聖獣が存在しているのだろう? さっさと片付けて我々を助けんか……!』

 

「しかし脅威は第三の聖獣だけではありますまい」

 

『先の高重力砲撃で、火災が一部で発生している……! 時間がないのだ! すぐに救助編成を急行させて――!』

 

「申し訳ありませんが、我々の任は救う事ではなく、滅する事です」

 

 断じたジオは《ラクリモサ》のヘッドアップディスプレイ越しに映し出された、横たわる《サードアルタイル》へと、磁石のようにミラーヘッドビットを展開させていた。

 

「《パラティヌス》編隊へ。放て」

 

《パラティヌス》部隊の砲撃が《サードアルタイル》の剥き出しの臓腑へと突き刺さる。

 

 咆哮した《サードアルタイル》が不完全ながら波打つ虹を形成して防衛網を張るが、どれもこれも精密さに欠ける。

 

「継続して砲撃を実行。このまま撃墜する」

 

『待て! 待てと言っている、ジオ・クランスコール! 我々をまず救護してから、第三の聖獣を駆逐するのだ! そうでなければこのまま、奴の重量と熱量で我々は圧死してしまうだろうに!』

 

「承服しかねます。千載一遇の好機ですので。それに、ここで《サードアルタイル》を撃墜出来なければもっと被害は広がる事でしょう。よって、奴の足はここでひき潰す」

 

《パラティヌス》部隊の砲撃が連鎖し、《サードアルタイル》の腹腔の傷を抉っていた。

 

『大佐。つい数刻前の高重力砲撃のせいで、《サードアルタイル》は活動不能状態に陥っている模様です。どういたしますか。このまま砲撃を続ければ断続的なダメージとなり、結果として第三の聖獣は無力化が可能と目されますが、確かに。王族親衛隊の方々を無碍には出来かねます』

 

『そうだろう! 万華鏡よ、一時的に攻撃を停止。その後に、好機を見出し、敵を鹵獲せよ。貴様ならばそれくらい造作もあるまい……』

 

「失礼ながら。聖獣を倒せるような機会が何度も訪れるほど甘く見積もってはいません。よってここでの優先順位はあなた方の生存ではなく、聖獣の討伐任務と心得ます」

 

『……貴様……! 我らの命はどうでもいいと言うのか! 貴様ら王族親衛隊は我々あってのものなのだぞ……!』

 

『大佐。如何に致しますか? 《サードアルタイル》の命と、王族親衛隊の方々の命、天秤にかけるのは大佐の役目ですが』

 

 しかし、ジオは逡巡の間さえも浮かべない。

 

 元より、その思考回路に迷いは殊更もない。

 

「第三の聖獣の撃墜を最優先。その後に救護部隊を差し向ける」

 

『……悪魔め……! ジオ・クランスコール……!』

 

「ミラーヘッドビット、電荷。敵のパーティクルビットを押し返す」

 

 ミラーヘッドビットが加速度を増して虹の皮膜へと光芒を引き絞らせ、その質量でさえも犠牲にして防衛網を拡散させる。

 

「守りが消えた。総員、敵の胎へと砲撃を敢行」

 

《パラティヌス》部隊が弾頭を入れ替え、瞬時に装填していく。

 

『特殊弾頭装備。対聖獣砲撃を実行します』

 

《サードアルタイル》へと一斉に放たれたのは赤い光軸であった。これまでの砲撃と明瞭に異なるのは弾丸が突き刺さった途端、破裂の爆発を拡散させていく。

 

 その拡散磁場が檻のように《サードアルタイル》の挙動を押し留めていた。

 

「聖獣とはいえ獣、獣は牢獄に堕ちるべし、か」

 

 パーティクルビットを構築して攻勢に移ろうとするが、そのような技量はもうほとんど相手には残っていないようである。

 

 加速した《ラクリモサ》が四方八方に放ったミラーヘッドビットによって包囲陣を敷き、《サードアルタイル》の不完全な攻撃網を破る。

 

 全方位より放たれた一斉掃射が相手の動きを完全に封殺していた。

 

「第三の聖獣ともあろうものが、堕ちたものだ。それに悲しみを禁じ得んよ」

 

 単眼に虹の血脈を滾らせて咆哮した《サードアルタイル》へと、断ずる鋭さを伴わせて《ラクリモサ》はビット兵装で叩きつけていた。

 

《サードアルタイル》が今も延焼し続ける臓腑を再生しようと試みるが、その先から崩れ落ちていく。

 

『大佐。敵の再生能力が落ちています。これは……これまでの戦いでは見られなかった現象かと』

 

「本来の乗り手ではないのだ。能力も低下しているはず」

 

『なるほど。では今ならば撃墜出来ますか』

 

「今ならば、ではない。我々に二度も三度も敗走は許されない。王族親衛隊の、責務である」

 

『御意に』

 

 部下達の《パラティヌス》が砲身を立てて弾倉を込める。

 

 次の一斉掃射で確実に、第三の聖獣はその命を摘まれるだろう。

 

 その時の衝撃波で地下シェルターは完全に陥落か。

 

 しかしジオの思考に特権階級の命の天秤は完全に消失していた。

 

 今はただ、聖獣討伐にのみ命を燃やす死狂いであればいいと。

 

 先の牢獄の弾頭で《サードアルタイル》は疲弊し切っている。

 

 平時ならば万全であろうパーティクルビットの構築率も甘い。どれもこれも、形成する前に霧散していくばかりだ。

 

 ならばこそ、この好機を見逃すわけにはいかない。

 

「部隊へ。自分が先行する。敵のパーティクルビットの構築を破綻させてから、その懐へと潜り込み、照準位置を補正。弱点へと総員で砲撃し、《サードアルタイル》を撃滅せよ」

 

『承知しました。ですが、絶対の防衛圏です』

 

「何か不都合でも」

 

『いえ、ご武運を。大佐ならば出来るでしょう』

 

 腹心の部下の声に、ジオは冷徹な仮面越しの眼差しを《サードアルタイル》へと注いでいた。

 

「彼の第三の聖獣とは言え、腹腔を破られてまで狩人に喰らいかかるほどの器量もなし。致命傷を受けた状態で何度も牙を突き立てられる道理はない。ここでその命脈、確実に摘むまで」

 

 直後、《ラクリモサ》にミラーヘッドの急加速をかけさせ、パーティクルビットの予測通りの展開速度に対し、さらなる段階加速でその読みを上回る。

 

 遥か後方に構築されたパーティクルビットの虹の防衛網を視野の隅に入れ、ジオは格闘兵装のビットを機体のバインダーより伸長させた腕へと装備させる。

 

「しかしながら、腐っても聖獣だ。手は打っているはずだろう」

 

 その読み通り、《ラクリモサ》の針路を阻んだのはこれまで予兆すらなかった白い閃光だ。

 

《サードアルタイル》の眼前で集約された光芒に、《ラクリモサ》は回避不可能の領域まで踏み込んでいる。

 

 だがそれは、《ラクリモサ》の射程でもあると言う事実。

 

 白き光の瀑布を赤い装甲に照り輝かせた《ラクリモサ》が潜り抜け、頭上へと上昇していく。

 

 直後、空間を鳴動させる光の螺旋が《サードアルタイル》より放出されていた。

 

 一直線に相手を撃ち抜く事のみに特化したその武装は、さながら聖獣の咆哮とでも呼ぶべきであろうか。

 

「しかしながら、その声を断つのが、自分の役割である」

 

 直上より加速度を得て降下した《ラクリモサ》は格闘兵装で《サードアルタイル》の頭蓋を叩き割る。

 

 虹色の血潮が舞い散ったもののその一撃は浅い。

 

 単眼の頭部が《ラクリモサ》を再び狙い澄まし、パーティクルビットが、次は押し潰す勢いで放たれていた。

 

 両側より圧殺の構えで撃たれた虹の死線空域で、《ラクリモサ》はY字の機体を滑らせて回避していく。

 

 その時には既にミラーヘッドビットは無数に放出されており、《サードアルタイル》の腹腔へと狙いをつけていた。

 

「悪いが墜とさせていただく。これ以上の戦闘継続は無意味だ」

 

 ミラーヘッドビットが光条を引き絞ろうとした、その瞬間である。

 

『大佐、お時間です』

 

 腹心の部下の放った言葉と共に無数の光条が《ラクリモサ》の針路を遮る。

 

「存じている。思ったよりも早かったな、騎屍兵か」

 

 後続部隊を担当する《ネクロレヴォル》がこちらの部隊に向けてビームライフルを照準する。

 

『分かりませんね。睨むべきは世界の敵よりも、目の前の羽虫とでも言いたいかのように』

 

「実際、そうなのだろう。《サードアルタイル》を我らの一存で破壊されると、迷惑なのだ。彼らにとっては」

 

《ネクロレヴォル》のうち一機が《パラティヌス》と接近し、瞬時に抜刀していた。

 

 互いのビームサーベルの干渉波が押し広がり、磁場の中で声が迸る。

 

『《サードアルタイル》を破壊はさせない。それは我が社の所有物であるからです』

 

『所有物が暴走すれば、それを制するのは王族親衛隊の役割だ』

 

《パラティヌス》の砲撃部隊が《ネクロレヴォル》隊へと狙いをつける。

 

 彼らは散開してそれぞれミラーヘッドの両翼を拡張していた。

 

 亡者の頭蓋に蒼い焔が宿り、《パラティヌス》と戦いを展開していく。

 

『死者は! 黙って土の下をねぐらにしていればいいのだ!』

 

 王族親衛隊の《パラティヌス》が激しく《ネクロレヴォル》とぶつかり合う。

 

 互いにミラーヘッドを展開し、それぞれの放射網が交錯する中で本体が肉薄して、刃を交わしていた。

 

『こいつ……! 避けるって言うのか!』

 

『こちら騎屍兵、ゴースト、トゥエルヴである。騎屍兵師団として忠告する。《サードアルタイル》は我が方で回収する手はずになっているため、王族親衛隊のこれ以上の戦闘は越権行為である』

 

『越権だと? どの口が……!』

 

『我々は貴官らとの戦闘は望まない。手負いとは言え《サードアルタイル》を相手取りながら、我々との継続戦闘は不可能と考える』

 

『……嘗めているのか。我々は王族親衛隊だぞ』

 

『その王族親衛隊が、守るべき支配特権層の地下シェルターよりも、聖獣討伐に乗り出しているとなれば、胸中穏やかではない者達も居るはずだ』

 

「この者は分かっているな」

 

『大佐?』

 

 既に先ほどの支配特権層とのやり取りは抽出済みか、あるいはそれを加味してのブラフか。いずれにせよ、このまま戦い続ければ王族親衛隊に要らぬ泥が付くようなもの。

 

「ゴースト、トゥエルヴ、と言ったか。確かに、我が方からしてみても守るべき主君を無視して聖獣討伐に乗り出せばそれだけリスクも高まる。加えて、今の《サードアルタイル》は手負い。この状態ならば、追い込みの必要性は薄いとも言える」

 

『理解が早いようで助かる――』

 

「が、それを我々が容易く飲み込むとでも思ったのか。それこそ嘗めるな、と言わせていただきたい」

 

 包囲陣を敷いていたミラーヘッドビットが蒼い輝きを宿して《サードアルタイル》の臓腑へと潜り込んでいた。

 

 直後には自爆したミラーヘッドビットが内側より虹色の血潮を迸らせる。

 

『……貴様……』

 

『大佐……』

 

「我々はここで聖獣を狩らねばならない。そのためならば、必要な犠牲は払う。貴君らがその道を阻むのならば、それは敵と断じさせてもらう」

 

『……それは正気のお考えと捉えてよろしいのか。王族親衛隊が大義ではなく、眼前の聖獣の首一つにその意志を陥落させたとでも』

 

「勘違いがあるようだから言っておこう。我々の目的はあくまでも、この先未来永劫における恒久的平和の達成だ。ここで《サードアルタイル》を逃せば、それは遠ざかる。我々の手で、第三の聖獣は捕殺されなければならない。これは急務である」

 

『急務……? よく吼えられたもの。ここで第三の聖獣を殺し尽くさなければ、枕を高くして眠れないだけだろう。弱腰が、聞いて呆れる。王族親衛隊の名が泣くぞ』

 

『痴れ者が!』

 

 腹心の部下の《パラティヌス》が跳ね上がり、《ネクロレヴォル》へと太刀を見舞っていた。

 

 その刃を《ネクロレヴォル》は受け止める。

 

『大佐に向かって、知った風な口を利くな! 貴様ら企業の手の者は平気で他者の理念を踏みしだく……! 如何な理由があろうとも王族親衛隊の誇りを穢す事は許さん!』

 

 どうやら彼の逆鱗に触れたらしい。

 

 ミラーヘッドの分身体を蹴散らし、《パラティヌス》が《ネクロレヴォル》の頭蓋を蹴り上げる。

 

 隙が生じた瞬間を狙ってのゼロ距離の砲撃の矛先を、逸らしたのは別の《ネクロレヴォル》であった。

 

『トゥエルヴ! 迂闊だ!』

 

 逸らされた光条を見る迂闊さを辿る前に、薙ぎ払われた一閃を割って入った《ネクロレヴォル》が受け止めていた。

 

『……貴様ら死者の首程度で、この義憤が収まると思うなよ……!』

 

『義憤も何も、これは命令である! モルガンの指揮下にあるのならば!』

 

『我々は直属以外、誰の指図も受けない! それが王族親衛隊の矜持だ!』

 

 下段より打ち払われた刃が相手を圧倒し、そのまま刺突が心臓部を貫くかに思われた、その時であった。

 

『――そうか。では私もその矜持で生きるとしよう』

 

 撃ち放たれたのは雷撃。

 

 否、雷撃を想起させるほどの、強烈な一閃。

 

 頭上より舞い降りた漆黒の機体が全身に蒼い血潮を滾らせ、太刀を払う。

 

 手首から接続された制御循環ケーブルが柄頭に装着された実体剣を二振り。

 

 払ったのは、まさしく黒き旋風そのもの――。

 

「ヴィクトゥス・レイジ特務大尉。また敵となるか」

 

『存外、私も人情深いようでね。今回は騎屍兵の者達に肩入れさせてもらおう』

 

「人情深い、か。貴官も冗談を飛ばす」

 

『それは意外。万華鏡、血も涙もないジオ・クランスコールにも届くジョークがあったか』

 

「それは笑えると言うのだよ、ヴィクトゥス・レイジ」

 

《パラティヌス》部隊が《ラクリモサ》を固めるように寄り集まっていく。

 

 比して、騎屍兵部隊はヴィクトゥスの操る新型機へと、隊列を組んでいた。

 

『……礼は言いませんよ』

 

『要らんさ。ここで死合うのは、ただ一刹那の悦楽に狂うだけの死狂いなのだからね。さて、新調したスーツも我が身に見合うのか! その試し斬りの相手が彼の万華鏡と在れば、それは過不足なく!』

 

「やるか」

 

『応と言わせてもらおう! 行くぞ、我が鎧、我が刃たる、《ソリチュード》弐番機! タイプ、《ゴスペル》!』

 



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第212話「亡者の価値は」

 

 機体識別認証に《ゴスペル》の機体照合が充てられ、相手が刃を突きつける。

 

『大佐、あの機体、やり合えば面倒です。痛み分けの結果になるでしょう』

 

「それでも戦わない道があるわけでもないはずだ。エンデュランス・フラクタルは手負いの《サードアルタイル》をどうしたって回収したい。我が方もそれは同じ。各員、後方の第三の聖獣に気を配りつつ、騎屍兵と交戦する」

 

『ヴィクトゥス・レイジ特務大尉は? どういたします?』

 

「殺さぬ程度に始末せよ」

 

『……無茶を仰る』

 

 直後、《ゴスペル》が掻き消える。

 

 先の戦闘でも見せた空間転移――それに等しい超加速であろう。

 

「だが、如何に優れた戦法とは言え、既に一度見た手を二度も講じれば、それは愚かとも言う」

 

 出現する空間に配置しておいたミラーヘッドビットが《ゴスペル》の刃を塞ぎ、相手へと絶対の死地を送り込む。

 

『なんと……!』

 

「空間転移に近い速度での戦いは、重力下では見切られやすい。覚えておくといい。どう立ち現れようと、それは上下左右のどれかでしかない。加えて貴官の性格だ。まず背後を取るのだと、それくらいは察知出来る」

 

『……優れた軍師は優れた戦士でもあると言うわけか』

 

「そこまで驕り昂ぶったつもりでもない。ただ当然の事実だ」

 

 ミラーヘッドビットの洗礼を受けた《ゴスペル》が刃を翻し、そのまま頭上へと流れていく。

 

 天へと昇っていく一筋の蒼い光は、まさしく流星。

 

『……ミラーヘッドを分身ではなく、もっぱら加速にのみ特化させる……』

 

「彼にしか出来ない戦い方だろう」

 

 蒼白い光を棚引かせて、《ゴスペル》は一気に距離を詰めていた。

 

 部下の一人がうろたえたのを、閃いた太刀が砲身を溶断する。

 

 そのまま浴びせ蹴りを加えた瞬間には、《パラティヌス》の背後へと転移し、踵落としを決めていた。

 

《パラティヌス》は墜落寸前で持ち直すが、王族親衛隊の身分でなければ難しい切り返しであっただろう。

 

「その戦闘能力、王族親衛隊の中でも生え抜きと、言わせてもらおう」

 

『惜しいとでも言いたげだ』

 

「惜しいとも。自分は貴官を殺さなければならないのだから」

 

《ラクリモサ》と《ゴスペル》が対峙したのも一瞬、直後にはお互いの手が放たれている。

 

 空間転移でこちらの射程に潜り込んだ《ゴスペル》を、直上よりのミラーヘッドビットで応戦。

 

 しかしながら、それらの火線は全て読まれ、加速度のままに相手は《ラクリモサ》の躯体へと肘打ちを見舞う。

 

『大佐!』

 

 遅い。

 

 全てが――遅いのだ。

 

 腹心の部下がそれに気づいて声をかけるのも。

 

《パラティヌス》部隊が自分のフォローに回ろうとして騎屍兵達に阻まれていくのも。

 

 全て――何もかも後れを取った事象でしかない。

 

 だがその速度の中で、自分とヴィクトゥスだけは等速の世界で生きる事が出来る。

 

「特別と、思うべきなのだろうか。あるいは研鑽の賜物か」

 

『どちらでもいい。身に余る称賛だとも』

 

「よして欲しい。これから滅する相手に、賛美を寄せている余力はない」

 

『どこまでが本音かな……ジオ・クランスコール……!』

 

 下段よりの打ち払い。

 

《ラクリモサ》の装備した格闘兵装で応戦するも、相手の速度からの勢いが遥かに勝る。

 

 格闘兵装は根元から断ち割られ、その余剰衝撃波で《ラクリモサ》のバインダーに亀裂が走る。

 

 相手が刃を返していた。

 

 それは即ち、まずは片腕だけでも狙う心づもりだろう。

 

「しかしそれは貪欲とも言う」

 

 衝撃波で亀裂の入ったバインダーよりビーム放射をもたらす。

 

 自らバインダーの内側に格納されていたミラーヘッドビットを解放する事で相手の出端を挫いていた。

 

 放射された光条は完全に想定外であったのだろう。

 

《ゴスペル》の頭部を射抜いた形であったが、相手は止まらない。

 

 メインカメラの損傷など知らぬとでも言いたげの進軍が、太刀を握り締め《ラクリモサ》の懐へと飛び込む。

 

「見えていないはずだが、よもや心眼の心得もあったか」

 

『――断つ!』

 

「生き急ぎ過ぎだ」

 

 下方より回り込ませておいたミラーヘッドビットの光条が《ゴスペル》の関節系統を全て殺す手はずであったが、それは前回の経験が生きていたのか、死線領域に踏み込む前に、相手は急速後退する。

 

 その段になって全ての現象がようやく元の時間を取り戻したかのように、腹心の《パラティヌス》の砲撃が《ゴスペル》を射抜こうとするが、相手は直上へと跳ね上がっていた。

 

『速いですね』

 

「速さだけが強みのようだ」

 

《ゴスペル》は雲海を引き裂き、きりもみながら真っ逆さまに降下してくる。

 

 その様は、遥か彼方の時代に敵と死合う最中にこそ、自らの生を実感したと言う「サムライ」とやらの生き様を想起させていた。

 

「ミラーヘッドビットを電荷。両翼で叩き潰せ」

 

『大佐……! 片割れのバインダーが……!』

 

 絶句した様子の部下に、ジオは自嘲する。

 

「片腕程度は落とすと、そう宣言したのは伊達でもなさそうだ」

 

 ミラーヘッドビットが《ゴスペル》へと直進していく。

 

 途中、その総数を膨れ上がらせ、相手へと網のような光条が見舞われたが《ゴスペル》は唐竹割りの一太刀でそれを弾いていた。

 

『嘘だろう……! ビームコーティングか!』

 

「どこまでも時代錯誤な相手だ」

 

『時代を先取りしたと、そう評してもらおうか』

 

「少しばかり先鋭が過ぎる」

 

『……そうかな……!』

 

《パラティヌス》の砲撃網が咲くが、《ゴスペル》は全て、振るった刃でビームを偏向させる。

 

『化け物が……! ビームを刃で弾くなんて正気の沙汰じゃないぞ!』

 

「最早、狂気でのみ踊る事を覚えたか」

 

『死狂いとは、正気と狂気の沙汰の只中で踊る心に在り……!』

 

《パラティヌス》はただでさえ、騎屍兵の抑え込みに苦戦している。

 

 自分の機体だけで《サードアルタイル》の守護は難しい。

 

 かと言ってここで《ラクリモサ》が退けば、それは全体の士気に関わって来るだろう。

 

「難儀なものだな。後ろから撃たれるのも考えながら立ち回ると言うのは」

 

《サードアルタイル》のステータスは少しずつだが戻りつつある。

 

「自己修復、あるいはそれに準ずる性能。さすがは聖獣。凡百の付けた傷は痛くも痒くもないようだな」

 

 あるいは、とジオは思考する。

 

 先の高重力砲撃。あの一撃で決まるはずであった戦局が引き延ばされ、結果として自分達の戦場になっているだけで、聖獣討伐など驕りの一言だったのかもしれない。

 

 そのような些末事を浮かべているような時間さえも惜しいほどに、《ゴスペル》はミラーヘッドビットを叩き落としてこちらへと太刀を担ぐ。

 

『大佐! 現状の《ラクリモサ》では、反撃は……!』

 

「向かってくる敵相手に、背中は見せられるものか。来るがいい」

 

『死合おうとも。我が心は不滅……! 一切衆生!』

 

《ゴスペル》が太刀を閃かせ、その一閃を叩き込もうとする。

 

 その動作と、《サードアルタイル》が後方で起き上がり、再び白き閃光を充填したのは同時。

 

「いかんな。重なっている」

 

《サードアルタイル》の広域砲撃と、たった一本の針の糸のような《ゴスペル》の一点攻撃。

 

 今の戦局においての喰い合わせは最悪だ。

 

 どちらかを封じなければ遠からずの全滅。

 

 作戦を実行するためには、少しばかり――「本気」を出すしかなさそうだ。

 

 ジオは仮面をさする。

 

 相貌を撫でてから、仮面の内側の擁するネットワーク――思考拡張をこの時初めて行使していた。

 

「思考加速。エグゾーストネットワーク、ブーステッド1」

 

 まず《サードアルタイル》の側へとバインダーから現出させた腕を翳し、ミラーヘッドビットを円環の軌道で配置する。

 

 それと共に砕いたバインダーの支柱部分に当たるフレームへとミラーヘッドビットを吸いつかせ、一時的な疑似バインダーとしていた。

 

 ミラーヘッドビットは吸着し、構築し、接続され、《ゴスペル》の一太刀を受け止める腕を形成する。

 

 速かったのは《サードアルタイル》の放つ光芒であった。

 

 直進する白き破壊の瀑布をミラーヘッドビットの出力値を引き上げて拡散させる。

 

 その直後には、ミラーヘッドビットが数珠繋ぎになった片腕に、《ゴスペル》の全力の唐竹割りが叩き込まれていた。

 

《ラクリモサ》が建造されてから初めて――軋みを上げる。

 

 ジオは一拍呼吸をついてから、まず一手、と《サードアルタイル》へと組み上げていたミラーヘッドビットの円環軌道を放出していた。

 

 相手の眼前でいくつかのビットは爆ぜて視界を眩惑し、同時にまだ再生の途上である臓腑へととどめの光条を撃ち込む。

 

 聖獣が吼えていた。

 

 それを認識したヴィクトゥスの遅れた認識へと、数珠繋ぎのミラーヘッドビットを分散させ、四方八方からビームを叩き込んでいる。

 

《ゴスペル》の四肢を射抜いたその挙動に、相手がうろたえた声を発していた。

 

『……な、に……』

 

「少し遅いな。思考加速の世界に貴官は」

 

 ヴィクトゥスが持ち直す前に、下方よりさらに追撃。

 

 いくつかのミラーヘッドビットを直進させて誘爆する事で完全に封殺する。

 

《ゴスペル》が後退してから、メイン推進剤以外の機能のほとんどを奪われた事を悟ったようであった。

 

『……わざと殺し損なったな。何故だ』

 

「貴官も王族親衛隊である。分かるだろう」

 

『……情けは、無用……!』

 

「それが一番に効く薬のはずだ」

 

 しかし、とジオは《サードアルタイル》へと向き直る。

 

「まだ生きているか。しぶといな、聖獣は」

 

 だがほとんど死に体には違いない。

 

 引導を渡すべきだと、機体を直進させかけて、不意に割り込んできた太刀筋にジオは冷静に観察する。

 

「何用」

 

『……やらせは、しねぇ……形が変わったからって、あいつはグゥエルのはずだ!』

 

「失礼ながら、問う。騎屍兵のはずだな」

 

 愚鈍な問いかけに対し、《ネクロレヴォル》が蒼いビームサーベルの太刀筋を払う。

 

『私は……いいや、おれはトキサダ! トキサダ・イマイだ! 凱空龍の副長、舐めんじゃねぇ!』

 

「今一度、失礼ながら問う。ガイクーリューとは何だ。要領を得ない返答は混乱をもたらす」

 

『そうかよ……。どうせ万華鏡様には……分かんないこった!』

 

《ネクロレヴォル》はそのまま大振りの打ち下ろしで一閃を迫るが、どれもこれも、先のヴィクトゥスに比べれば浅い打ち込みばかり。

 

 避けるまでもない。

 

 神罰のようにミラーヘッドビットを叩き下ろし、無数の光条に抱かれて《ネクロレヴォル》が四肢より蒼い血潮を撒き散らす。

 

『おれ……はなぁ……二度も三度も! 後悔のまま死ぬわけには、いかねぇ! ……仲間が居るんだ! なら、おれのやる事は決まってるはず!』

 

「理解し難い」

 

 薙ぎ払うように冷徹に。

 

 ミラーヘッドビットの火線に抱かれて、《ネクロレヴォル》が追い込まれていく。

 

『倒す……倒さなくっちゃ、いけねぇ……。あんただけは――墜とす!』

 

 頭蓋に蒼い焔を顕現させた《ネクロレヴォル》がミラーヘッドの亡霊達を引き連れ、ビットを撃ち落としていく。

 

「火事場の馬鹿力と言うものか。雑兵でもミラーヘッドビットを落とす。なるほど、認識違いであった、と言わせていただく」

 

《ネクロレヴォル》が太刀を振り翳し、急加速で接近するのをジオは醒めた眼差しで見据えていた。

 

「加えて援護に一機、いや、二機」

 

 背後に迫った《ゴスペル》だけではない。

 

 別の《ネクロレヴォル》が援護射撃をもたらすのを、ジオは視野に入れていた。

 

『トゥエルヴ……? 何故……』

 

『何故も何もない。そう生きると決めたのならば、貫き通せ。それが死人の意地だ』

 

《ゴスペル》は今の一撃が最後の一振りであったのだろう。

 

 力なく離れていく《ゴスペル》にミラーヘッドビットで数発の光弾を浴びせてから、ジオは冷酷に援護に入った《ネクロレヴォル》を見据える。

 

 全方位から攻め立てるミラーヘッドビットに対し、相手は既にミラーヘッドの制限時間を超えているのか、攻撃される一方であった。

 

『トゥエルヴ! あんたはでも……待っている人が居るんだろう! 旦那さんや、息子が……!』

 

『……もう待っていない』

 

「理解に苦しむ。貴官は冷静に事の次第を読み込める人間であったはずだ。ゴースト、トゥエルヴ。割って入って死にに来るか」

 

『……まだ生きている価値のある人間のために死ねるのなら、本望だ』

 

 まず脚部を落とす。

 

 その上で空中において姿勢を崩した《ネクロレヴォル》にさらに追撃を見舞っていた。

 

 上下から牙のように光条で挟み、《ネクロレヴォル》の心臓部を引き裂く。

 

 アステロイドジェネレーターが剥き出しになった瞬間、《ネクロレヴォル》は自らの心臓部へと腕を差し込み、そのまま引き出してみせる。

 

『アステロイドジェネレーターの臨界まで稼働させれば、さしもの《ラクリモサ》とは言え一撃からは逃れられまい……!』

 

『大佐! 敵が接近して――!』

 

『やらせねぇ――ッ!』

 

 腹心の《パラティヌス》を急加速で殴りつけた《ネクロレヴォル》の蒼い焔の輝きが、下方よりこちらに接近するもう一機と交錯していた。

 

 その互いの眼差しを確かめる前に、炉心を晒した《ネクロレヴォル》が《ラクリモサ》へと急加速する。

 

『死なば諸共だ……ジオ・クランスコール……! 作戦は完遂されるだろう』

 

「分からないのは、それも、だ。ゴースト、トゥエルヴ。貴官はまともであると思っていた」

 

『……マトモで死人なんてやっていけるわけがないだろう。私もどこかで壊れていたのさ。でも、もう……壊れた人でなしを、続けなくってもいいようだ……』

 

 その瞬間、ジオは仮面の内側で壊れた世界を見据え続ける女性を目の当たりにしていた。

 

『……私は最後の最後に……真っ当に死ねたかな……』

 

 直後、全てが弾けていた。

 



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第213話「扉の番人よ」

 

『アステロイドジェネレーターの臨界光を確認! ……クラード、行けるわね?』

 

 オフィーリアがモニターしたのは一機の《ネクロレヴォル》が《ラクリモサ》相手に特攻を仕掛けた一部始終であった。

 

「……騎屍兵が、特攻だと?」

 

『クラード。今までの常識じゃ考えられない事が起こっているわ。でも、間違えないで。あなたの職務は……』

 

「ああ、レミア。分かっている。無事に、帰還する事だ。聖獣相手ならばまずそれを優先する」

 

『……頼んだわよ。カトリナさんには言っておいたから、前みたいな無茶はしないとは思うけれど』

 

 クラードはインジケーターを調整しながら、カタパルトデッキへと移送される《ダーレッドガンダム》を感じ取っていた。

 

 先の戦闘で一時的とは言え、ダレトを開いた。

 

 それは敵味方に大きな脅威を与えているはずだ。

 

「……《ダーレッドガンダム》。その名の通り、こいつは扉の番人だとでも言うのか」

 

『レヴォル・インターセプト・リーディング、コミュニケートモードを30セコンド開始。“どうした? そこまで不安か?”』

 

「……弱気にもなる。俺だってダレトの力を使いこなせるとは思っていない」

 

『“意見の相違だな。力だけを手に入れてこの世界に舞い戻って来たお前ならば、力の振るい方だけには迷わないと思っていたが”』

 

「そうか……俺は、力だけを求めて、この世界に……。いや、きっとそれだけでは、ないのだろう。それだけじゃまかり通らない事が、この世には多過ぎる」

 

『“エージェントなのだろう、お前は”』

 

「それと同時に、俺は何かを……感じ取っているのか。俺は……幸せなのか……?」

 

『“要領を得ない質問だ。それを答えて欲しいのか?”』

 

「……いや、答えればこれは陳腐に落ちる。俺自身が、探し出すための問答なのだろうさ」

 

『カタパルトボルテージ上昇、《ダーレッドガンダム》、発進どうぞ。……クラード、片道切符じゃカトリナちゃんがまた無茶するんだから。あんたも、そろそろ往復するって事を覚えなさい』

 

「頭の片隅には留めておこう」

 

『……本当、可愛げのないったら……。一つ、報告。ファムの容体が安定しないわ。多分だけれど、あの聖獣、《サードアルタイル》のダメージと同期している可能性が高い』

 

「聖獣を救えと言うのか。また、無理難題だな」

 

『聖獣じゃないわ。あんたには――ファムを救って欲しいのよ』

 

 それがただ一筋の願いだとでも言うように、バーミットが口にする。

 

「バーミット、あんたも変わったな。誰かを救えなんて、口が裂けても言わなかった人間だろうに」

 

『それでも、よ。あんただけがファムを救える。それはハッキリしているでしょうに』

 

「俺だけが、か。……そこまで自惚れたつもりはないよ」

 

『馬鹿。自惚れたって文句言わないって太鼓判押してんのよ。はい、お喋りはここまで! 《ダーレッドガンダム》、発進どうぞ!』

 

「了解した。……自惚れても文句は言わない、か。それはどういう立場なんだろうな。……《ダーレッドガンダム》、エージェント、クラード。迎撃空域に先行する!」

 

 青い電流を波打たせて《ダーレッドガンダム》が出撃機動に入る。

 

 後方から隊列に組み込まれていくのはユキノと《ネクロレヴォル》、それに後方支援のダビデであった。

 

『……聖獣討伐作戦って言ったって、前回のようにイレギュラーが出ないとも限らない。各機、それぞれの持ち場を守れ』

 

 ダビデの声にRM第三小隊から了解の復誦が返る。

 

『ダリンズ中尉の言う通り、ここからは戦い抜く事でのみ、生きている証明を示せる空域なんだから。RM第三小隊、気を抜かないように!』

 

 応、と声が相乗するのを回線越しに聞いてから、クラードは独りごちる。

 

「……ユキノもらしくなったものだな」

 

 この感傷でさえも、自分のような独断専行型の人間からしてみればらしくないのかもしれないが。

 

 クラードは拡大化された視野に、横たわる《サードアルタイル》を巡って合い争う陣営を目の当たりにしていた。

 

「……騎屍兵団と、戦っているのは、《ラクリモサ》……王族親衛隊、か?」

 

『クラードさん、騎屍兵団と王族親衛隊が争う理由って思い当たりますか?』

 

「……騎屍兵団はピアーナの管轄と考えられる。ともすれば、地球圏の思惑とエンデュランス・フラクタルの思惑の対立か」

 

『じゃあ、ピアーナさん達が味方になってくれるとも?』

 

『そこまで楽観視はすべきではないだろうな。それに、モルガンがこれまで仕掛けてきた事実は変わらない。大方、利害の対立、と言った具合だろう』

 

 ダビデの見方は厳しいが、一番この状況に合致している。

 

 騎屍兵団が友軍になれば心強い以上に、後ろから撃たれまいか、という懸念が勝る。

 

 それに、とクラードは隊列に加わっている《ネクロレヴォル》を意識していた。

 

「……ゴースト、スリー。どう動くのかまるで分からない駒を扱うって言うのは、思ったよりも気を遣うはずだ」

 

 問題なのは、離反者が出ないとも限らないという想定外。

 

 そうなってしまえば自分達は内側から総崩れとなる。

 

《ダーレッドガンダム》に装備させたビームマグナムの照準を見定め、クラードは騎屍兵団と王族親衛隊、どちらに初撃を与えるべきか悩んだのはほんの一瞬であった。

 

 何故ならば、その時には攻撃範囲を延ばしたミラーヘッドビットが隊列を突き崩しにかかっていたからだ。

 

「ミラーヘッドビット……! 《ラクリモサ》、ジオ・クランスコール……!」

 

 因縁の名を紡ぎ上げた自分に対し、《ラクリモサ》はほぼ中破の状態に映っていた。

 

 それでも、自分達以外の騎屍兵団と、漆黒の痩躯の機体を相手取っても、まだ余裕があるかのように見える。

 

『……ねぇ、クラードさん。横たわっている《サードアルタイル》……あれでもまだ……脅威だって言うの……』

 

 ユキノの疑問もさもありなん。

 

《サードアルタイル》は腹腔を抉られた形のまま、直立する事さえも出来ないようで、大陸に身を横たえている。

 

 どう考えても無防備であるのに、王族親衛隊は砲撃の照準を向けたまま、照準を外そうとしない。

 

「……俺達の知らない聖獣の秘密があるのかもしれない。あるいは、それだけ事態を重く見ているという事か」

 

 ビームマグナムを速射モードに設定させ、出力値を絞った疑似パラドクスフィールド砲撃がミラーヘッドビットを打ち消していく。

 

「……破壊するのではなく、この世から打ち消す砲撃……」

 

 ティーチ達が頭脳を突き合わせて造り上げた、この世に在らざるはずの兵器であろう。

 

 だがこれまで建造されてきたどの銃撃兵装よりも馴染むのは、それだけ《ダーレッドガンダム》と言う未知のブラックボックスが解析された証かもしれない。

 

『エージェント、クラード。《ラクリモサ》をまず潰す。それで異存はないな?』

 

 ダビデの詰問にクラードは一拍の逡巡を差し挟んでいた。

 

 情況的には《ラクリモサ》をまず破壊し、それから王族親衛隊を相手取ったほうが勝率は高そうに思われる。

 

 しかし、相手はこれまで不可能を可能にしてきた不屈の万華鏡。

 

 加えて、これまで《サードアルタイル》と騎屍兵団を相手取っても、まだ余裕があるかのように振る舞えるだけの胆力の持ち主だ。

 

「……戦えばただでは済まないだろうな」

 

『では騎屍兵団を?』

 

「いや、《ラクリモサ》が出ているんだ。なら、俺は戦わなければいけないだろう。……あいつには借りがある」

 

 月軌道決戦時の借りと、重力の井戸の底へと堕ちてきた際に、二度も敗退している。

 

「三度も負けるのは……エージェントとして許されない」

 

 砲口を向けた《ダーレッドガンダム》に、《ラクリモサ》はミラーヘッドビットに円環を描かせて自在に操り、そのまま騎屍兵団の《ネクロレヴォル》を翻弄する。

 

 漆黒の機体が立ちはだかるかのように太刀を振り翳していたが、その機体をすり抜け、ミラーヘッドビットは自分達を標的にしていた。

 

「……ここで潰すべきは誰なのか、分かっていないわけではないだろう……!」

 

『久方ぶりだな。エージェント、クラード』

 

「直通回線……!」

 

 うろたえたクラードへと、万華鏡の鋼鉄に磨き上げた声音が響き渡る。

 

『あの時、自分はお前を二度殺したつもりだった。三度死ぬのは墓標に相応しくないだろう。よって、ここでの死は数えられない』

 

 ミラーヘッドビットが包囲陣を敷き、磁石のように一斉に動き出す。

 

 それらの軌道は、星座の瞬きにも似て――繋がった瞬間には、絶対の死地の光条が戦場を射抜いている。

 

 挙動しろと、命令する前にRM第三小隊が散開機動に移ったのは、日ごろの訓練の賜物か、それともアルベルトの意志をここで無駄にしないという意地か。

 

 いずれにせよ、最も足枷になるであろう陣営を狙っての、自分の意識を分散させてからの本懐――格闘兵装を備えたビットが回り込んで《ダーレッドガンダム》を撃ち抜こうとしたのを瞬間的に察知する。

 

 直感の部分で、額で弾けた思惟の飛沫がライドマトリクサーの電磁の世界で伝わっていた。

 

「……今の、は……」

 

 感覚ではない。

 

 かと言って、第六感と言う戦場に相応しいものでもない。

 

 何物か分からぬものを振るって、自分は今、《ラクリモサ》の必殺の一撃を受け止めたのか。

 

 その感慨に耽るような間はなく、続けざまにミラーヘッドビットが光条を絞っていく。

 

 振り絞られた光の連鎖は全方位からの死神の息吹だ。

 

 クラードは《ダーレッドガンダム》の保持する小太刀を逆手に握らせ、ビームを偏向させていた。

 

 それは致命的な一打になり得る射撃。

 

 無論、致命打を防がれれば如何に相手が万華鏡とは言え隙が出るはず。

 

 そう考えての肉薄。

 

 ビームマグナムを突き出し、小太刀を本懐に携えて必殺の間合いへと踏み込む。

 

《ラクリモサ》は半壊しているも同義だ。

 

 片側のバインダーは根元から剥がれ落ち、ミラーヘッドビットも本来の数よりかは随分と減っているように映る。

 

 それでも、小隊編成を圧倒し、騎屍兵団を足止めするだけの力を有する。

 

 それだけの力を振るう事をこの世において許された――怪物。

 

「だが、怪物を殺すのは……同じく怪物であるはずだ」

 

 バインダーの陰に隠されていたミラーヘッドビットの三連砲撃が突き出したビームマグナムを爆ぜさせる。 

 

 それさえも計算のうち。

 

 爆発の余波で相手は一瞬とは言え眩惑されているはず。

 

 小太刀を背中で大太刀と連結させ、双剣を下段より振るい上げる。

 

 この一閃で、全てが決するという予感。

 

 その感覚に、ライドマトリクサーの身でありながらも、身震いを抑えられない。

 

 この牙が、この刃が――万華鏡に、届く。

 

 斜に振るった一撃は《ラクリモサ》を引き裂き、全ての因果を終わらせるはずであったのだが――。

 

『甘いな。エージェント、クラード』

 

《ラクリモサ》の腹腔に収められていたのは無数の節足である。

 

 今の今まで、《ラクリモサ》はバインダーに有した支持アームしか使ってこなかった。

 

 その読みの甘さが、まさかの隠し腕の存在を自分の意識から消し去っていた。

 

 節足がそれぞれビーム刃を有し、必殺のはずの一閃は脆くも防がれる。

 

「それでも……もう一撃……!」

 

 振りかぶった刃を唐竹割りの軌道で叩き込めば。

 

 そう判じた神経は、直後に背筋へと冷水を浴びせかけられたかのような感覚に上塗りされる。

 

 肌を粟立たせる戦闘神経が、咄嗟の後退を選んでいた。

 

『戦闘における瞬時の判断は健在のようだ。エージェント、クラード。獣に堕ちたわけではないらしい』

 

 三対の節足は、その内側に複合武装を隠し持っていた。

 

 もし、踏み込んでいれば、至近距離のビーム砲撃にコックピットを焼かれていただろう。

 

「……そこまでの装備、厳重を通り越して弱腰に映るぞ。ジオ・クランスコール」

 

『戦場を渡り歩くのだ。弱腰にもなる』

 

 節足が再び格納される。

 

 相手の射程がこれで割れたわけではないだろう。

 

 むしろ、これまでの戦闘で一度として使ってこなかった武装をここで開示されたせいで、頭の中は懐疑心でいっぱいになっている。

 

 ――次はどの手で来るのだ、その次は? と。

 

 どこまで読んでも、ジオにはその先があるような気がして、致命打に踏み込めない。

 

「……まさに万華鏡という事か……渾名は伊達ではない……」

 

『エージェント、クラード。自分はこれでも疲弊していてね。出来れば戦闘は避けたい。それに、今は大人しいが、数秒後に《サードアルタイル》が起き出さないとも限らない。極力、能率を重視して、聖獣討伐は終わらせたいのが本音に違いない』

 

「……その言を真に受けて、俺達が撤退するとでも思っているのか」

 

『そうであって欲しい、という願望だ』

 

「そうであって欲しい……か。現実は大概、その逆を行くものだ」

 

 一振りの剣を大太刀と小太刀に分け、両腕で構える。

 

 現状の《ラクリモサ》は、素人目ならば死に体に映るだろう。

 

 数でも優位を保っているのはこちらなのだと。

 

 しかし、先の攻撃で、RM第三小隊は思い知ったはずだ。

 

 ――万華鏡、ジオ・クランスコールは相手の息の根を止めるためならば手段を選ばない。

 

 現に以前までの自分ならば足を止めて撃ち抜かれていただろう。その上、不明瞭な感覚が先行しなければ、隠し腕も見抜けなかった。

 

 詰みに入っているのは相手のようで、実のところはこちらなのだ。

 

 数だけ優勢を保っていても、RM第三小隊のほとんどは《ラクリモサ》相手に立ち向かうほどの命知らずではないだろう。

 

 ユキノも命令を下し損ねている。

 

 それだけ時間はロスする。

 

 そして、時間が消費されればされるほどに、《サードアルタイル》が復活するという可能性も高まってくる。

 

 イレギュラーを排したいのならば、いち早く《ラクリモサ》を迎撃すべきだが、敵はそれだけに留まるだろうか、とクラードは展開する王族親衛隊へと目線を振っていた。

 

 王族親衛隊の《パラティヌス》がこちらに砲撃網を向ければ、小隊編成は容易く崩れるであろう。

 

 それだけではない。

 

 騎屍兵団と、謎の漆黒の機体。

 

 この二つの異常事態を覆せなければ最終的な勝利者は相手に譲る事になる。

 

「……考えろ、考えるんだ……」

 

 汗が滴る。

 

 喉奥がやけに渇く。

 

 普段ならば自分だけ戦えばいい、勝てればいいという局面がもう通り過ぎていた。

 

 RM第三小隊を一人も死なせず、その上で騎屍兵団との衝突もなく、《ラクリモサ》を撃墜出来るのか――その命題は掲げるまでもなく否であろう。

 

 敵は自分がレヴォルに乗っていようが、《ダーレッドガンダム》に搭乗していようが関係がない。

 

 本来の意味で、関係がないのだ。

 

 どう動けば、どう戦えば、どう斬り込めば――誰が優位になり、誰が不利になるのかを直感と経験から知っている、赤き死徒――万華鏡の、《ラクリモサ》。

 

「どうやって……俺はどうすれば、こいつに勝てる……? 教えてくれ、《レヴォル》。お前なら、どう切り抜けたって言うんだ……」

 

『戦士としての素質を機械に問うか。それは軟弱者と呼ぶ』

 

《ラクリモサ》が次の挙動を仕掛ける。

 

 それは戦闘の息吹。

 

 確実に啄まれるのは自分の側だと、明瞭な理解が脳裏を掠める。

 

 その刹那に、身を起こした《サードアルタイル》が白い光芒を煌めかせていた。

 

「《サードアルタイル》……」

 

『またか。手間をかけさせる、貴君も』

 

 ミラーヘッドビットが一斉稼働し、《サードアルタイル》の弱点部位へと射撃網を迸らせていた。

 

 そのビームの網が《サードアルタイル》の機体を押し潰さんとするも、第三の聖獣は単眼に虹色の血潮を滾らせ、咆哮する。

 

 獣の雄叫びが大地を割り、地脈から溢れ出た虹の輝きを吸引して翼を押し広げていた。

 

『大佐……! 《サードアルタイル》が、これは、進化……?』

 

『見積もりが甘かったのはこちらのようだな。我々が騎屍兵にかけずらっている間に街並みのエネルギーゲインを吸い取り、大地を這うばかりの獣は翼竜と化すか』

 

『クラードさん! 《サードアルタイル》が……これは、飛びます……!』

 

「前に出ては! ユキノ!」

 

 ユキノの《マギアハーモニクス》が《ダーレッドガンダム》よりも先行する。

 

 それを止められなかった己の迂闊さを呪う前に、《サードアルタイル》は光背を帯びて拡散させる。

 

『……ユキノ、それにクラードさんも。オレにもカッコつけさせてくださいよ……』

 

 まさか、とクラードは瞠目していた。

 

 ユキノは接触回線越しに絶句する。

 

『……グゥエル』

 

「グゥエル・レーシング。本当に、生きていたのか……」

 

『勝手に死んで墓の下ってのは、性に合わないんですよ。それに……あの時、オレが気張れなかったから、ユキノが苦しんでいるんじゃ、男じゃないって言うんですよ……!』

 

《サードアルタイル》が拡散磁場を放出し、王族親衛隊を絡め取る。

 

 それは先ほどまでの戦場の逆襲であった。

 

『大佐……! 《パラティヌス》の出力では、《サードアルタイル》の足を止められません……!』

 

『うろたえは死を招く。総員、一時後退。落ち着いて照準し、ここで第三の聖獣を射殺せ。我が方の《パラティヌス》の性能ならば出来る』

 

『――させられないな!』

 

 急降下で割り込んできた漆黒の機体の辻風が《パラティヌス》を散らしていく。

 

 編隊を組み直そうとした相手へと、《ゴスペル》の機体照合がかけられた流星が幾何学の軌道を描いて突き刺さっていた。

 

『クラード君は私と踊るのだよ! そのための露払いならば喜んで引き受けよう!』

 

《パラティヌス》を格闘兵装で組み伏せ、正確無比な砲撃を刃で両断する。

 

『ビームを斬るって言うのは、それはもう怪物と言う!』

 

『怪物結構! 私も人間の身のままでは、踊るに値しない!』

 

 肘打ちで《パラティヌス》の駆動系をダウンさせた《ゴスペル》が次の標的を狙い澄まそうとして、《ネクロレヴォル》のうち一機が《ラクリモサ》を照準しているのをクラードは視界の隅で発見する。

 

『許さない……トゥエルヴには……彼女には帰れるだけの場所があった! 死者の意地なだけで死んでいい人間ではなかった! それを貴様! ジオ・クランスコール!』

 

 だがその照準軌道はあまりに拙く読まれている。

 

《ラクリモサ》が背を向けた一瞬を狙ったつもりなのだろうが、それは相手の思惑通りだ。

 

 疾走したミラーヘッドビットが《ネクロレヴォル》を包囲し、矢継ぎ早に両腕、両足を削いでいく。

 

 挙動に迷いはない。

 

 逡巡のない殺意は、鏡のように反射する。

 

 それこそが、万華鏡の真骨頂。

 

 ミラーヘッドビットがコックピットの位置する頭部へと直撃し、《ネクロレヴォル》が糸の切れた人形のように落下しかけるのを、隊列を崩してでも一機の《ネクロレヴォル》が腕を引っ掴んでいた。

 

『ファイブ! お前はまだ……死んでは……!』

 

『統率出来ない軍隊は軍隊とは呼ばんよ。貴君らでは自分に勝つ事は出来ない。そして、《サードアルタイル》のパイロット。どのようなつもりかは知らないが、逃げ切れると思わないほうがいい。ここは絶対の死地である』

 

『死地なんて……通り過ぎてきた頃合いだ!』

 

 パーティクルビットを構築しようとするが、平時の構築具合に比すればまるで児戯。

 

 その攻撃網も、防衛網も、どれもこれも弱く脆く、そして万華鏡の前では無意味。

 

 ミラーヘッドビットが単騎で虹の皮膜を突破し、《サードアルタイル》のコックピットを狙い澄ます。

 

 その砲身が熱を帯びた瞬間には、声が漏れ聞こえていた。

 

『……クラードさん。ユキノを、頼みます……』

 

「グゥエル……」

 

『――いいや! 二度も三度も、死なせやしねぇ!』

 



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第214話「戦士の帰還」

 

 響き渡った声を認識する前に、回転軸を伴わせた刃がミラーヘッドビットを断絶し、白銀の機体がコックピットの前に舞い降りる。

 

 それはかつて目の当たりにした、騎士の威容を持つ機体。

 

 名を――。

 

「《アルキュミア》……? どうして……」

 

『どうしてもこうしてもねぇ。オレは……もう二度と! 凱空龍の面子を、裏切るような真似だけはしねぇって心に誓ったんだ!』

 

 聞こえるはずのない声が聞こえる。

 

 吼えるはずのない声が吼える。

 

 そして――白銀の粒子を伴わせて、騎士は再臨する。

 

 その身に帯びるのは二度と後悔を背負わないと言う覚悟。

 

「アル、ベルト……?」

 

『どうして……。私は夢を見ているの?』

 

『クラードもユキノも、歯ぁ食いしばれ! これは夢でも何でもねぇ! リアルだって事を頭に刻んでな!』

 

『見た事のない機体である、が、新型機か。邪魔立ては無用』

 

 ミラーヘッドビットが全方位より照準するのを《アルキュミア》の新型機はビームジャベリンを一回転させて睨み据える。

 

 真紅の眼窩に光が灯り、蒼く分裂した残像を見据えていた。

 

『“照合完了。ミラーヘッドビットの解析を開始、承認。ミラーフィーネ、散布を開始します”』

 

「……ピアーナ・リクレンツィア……?」

 

『悪いが、多くは喋っている時間はねぇ。ちぃと戦場に邪魔する……ぜっ!』

 

 瞬間、世界が静止する。

 

 ミラーヘッドビットが硬直し、動きを止めていた。

 

 だがまさか、という思いが先行する。

 

「……ミラーヘッドビットを……停止させたって言うのか」

 

『“停止信号は有効。アルベルトさん、50セコンドですよ”』

 

『充分! 《アルキュミアヴィラーゴ》、アルベルト・V・リヴェンシュタイン、出るぞー!』

 

 一振りのビームジャベリンを分割させ、双剣と化した刃が奔り、ミラーヘッドビットを一つ、また一つと粉砕する。

 

 その様はまるでこれまでの《ラクリモサ》の戦闘とはかけ離れている。

 

 万華鏡が一方的と言えるほどの戦場で、蹂躙されていた。

 

『ミラーヘッドビットが自分の意志を伝達しない。何をしたのか』

 

『何も! ただちょっと黙ってもらっているだけだ!』

 

『理解に苦しむな、貴君は』

 

 射程へと潜り込んだ《アルキュミアヴィラーゴ》に、クラードは反射的に声を発していた。

 

「いけない! その距離は……!」

 

 稼働した節足が《アルキュミアヴィラーゴ》を溶断する前に、ビームジャベリンの刃が伸長し、《ラクリモサ》を拘束する。

 

 まさか、《ラクリモサ》ほどの機体を抑え込むだけのパワーゲインを持っているとは想定出来ず、そのまま《ラクリモサ》は《アルキュミアヴィラーゴ》に振り回されていた。

 

『そぉーれ! これで墜ちろ!』

 

『大佐! 《ラクリモサ》の今のステータスでは……!』

 

『杞憂だ』

 

 ミラーヘッドビットを速度の減殺のために用いて、制動をかけた《ラクリモサ》は直後、その心の臓を貫くために《アルキュミアヴィラーゴ》が突き進んだのを大写しにしたいに違いない。

 

『貰ったぜ! 万華鏡の心臓――ッ!』

 

『悪いが我が心臓の明け渡し先は決まっているのでね』

 

《ラクリモサ》のコックピットがパージされ、《パラティヌス》のマニピュレーターへと保持される。

 

 その瞬間には、アステロイドジェネレーターを貫いた《アルキュミアヴィラーゴ》はハッと感覚して《ラクリモサ》を振り抜いていた。

 

 直後、収縮爆発が拡散し、ビームジャベリンの穂先が消え失せる。

 

『やりやがった……自爆なんて……』

 

『いずれにせよ、《ラクリモサ》は破棄だ。次で本気を出そう』

 

 ジオを抱えたまま、王族親衛隊は撤退機動に移っていく。

 

 牽制砲撃を浴びせかけながら後退していく相手まで追う趣味はない。

 

 遠ざかっていく敵影に、クラードは改めて《アルキュミアヴィラーゴ》へと視線を移す。

 

「……本当に、生きていたんだな。アルベルト」

 

『おう、まぁな。……何だ、ユキノ。泣いてのか?』

 

『馬鹿っ、馬鹿馬鹿、馬鹿――ッ! ヘッドは大馬鹿者です! 何で……あんな真似したんですか……あなたは……』

 

 涙声のユキノのオープン回線にアルベルトは困惑しているようであった。

 

『……ああもしねぇと、みんなを守れねぇだろうが。ただ……悪かった。軽率な行動だったと思ってるよ』

 

「アルベルト、再会を喜んでいるような状況でもない」

 

『ああ、そうだな』

 

 騎屍兵と《ゴスペル》、如何に《ラクリモサ》と王族親衛隊が退いたとは言え、絶対的な戦力だ。

 

 その上、《サードアルタイル》が翼を得て復活したとなれば穏やかではあるまい。

 

《ゴスペル》が前衛を担当し、刃を鞘へと格納していた。

 

『……総員、下がれ。ここで死合うは、戦士の名折れだ』

 

「意外だな。あんたは戦場なんて選ばない性質かと思っていた」

 

『私としてもそうしたいのは山々なのだがね。……騎屍兵の彼らにしてみれば、ここで私がけだものの如く喰いかかれば、せっかくの犠牲が泡沫と化す。私は人でなしだが、そこまで非情には成り切れない』

 

 先ほど《ラクリモサ》に撃墜されかかった《ネクロレヴォル》の乗り手は、助けられた友軍の機体を伝い、オープン回線を開いていた。

 

『……生きていたんだな。アルベルト・V・リヴェンシュタイン……』

 

 変声器を用いていない声音にはクラードも聞き覚えがあった。

 

「……まさか、トキサダ・イマイか?」

 

『クラードさん。あんたもあんただ。勝てない勝負をするもんじゃない。そんな事、あんたが一番よく分かっているはずだって言うのにな。……おれは一度死んだ。ゴーストだ。だが亡霊なりの意地はあると思ってもらいたい。おれ達はこれより、モルガンへと一時帰投、その後に戦力を整え、オフィーリアへと進軍する』

 

『トキサダ……! その流れは変えられねぇのか? 本当にそれしか……方法はねぇのか……?』

 

『ないよ。ないって分かってるんだろ、アルベルト……いいや、ヘッド。あんたはそれなりに賢しいはずだ。だから、その機体の乗り手に選ばれた』

 

『……道はあるはずだ。グゥエルは正気に戻ってくれた』

 

『……それもリミットがないとも限らないのにな。一つ言っておくとすれば、エンデュランス・フラクタルはどうあっても第三の聖獣を鹵獲したいらしい。その理由までは推し量れないが、しかしハッキリしているのは、ここで聖獣を手に入れた勢力が世界を手に入れるだろう。その時に、後悔のない選択が出来るかどうかは、戦士としての素質を問う』

 

『オレが戦士じゃねぇとでも……?』

 

『アルベルト……おれはあんたに焦がれ、あんたに憧れ、あんたのために死んだつもりだった。……だが、笑える話だ。実際には墓の下に居るはずがこうして現世を飛び回っている。――今一度、宣告するぞ、アルベルト・V・リヴェンシュタイン。おれはあんたを許すつもりはない。おれの手で、オフィーリアは沈む。その程度が、おれの出来る程度の介錯だ』

 

 騎屍兵団は信号弾を撃ってモルガンへと帰投ルートを辿っていく。

 

 取り残されたのはオフィーリアから出撃した自分達と、アルベルトのみ。

 

「……これからどうするんだ? アルベルト」

 

『そうだな。目下のところは腹が減っているからメシかな』

 

「冗談、言えるようになったじゃないか」

 

『お前ほどでもねぇよ。……悪ぃな、遅くなって。避難誘導をしていたら遅くなっちまった』

 

『“まったく! 何であんな真似に出たんですかね! 理解に苦しみますよ!”』

 

「うっせぇなぁ……。結果的に最良の登場シーンだったんだからいいだろうが」

 

 言い争いをする声に、やはり、とクラードは意識を改める。

 

「同乗しているのか? ピアーナ・リクレンツィア……」

 

『こいつはアイリウムさ。だが、ピアーナの魂の色を引き写したヤツでもある』

 

「話は……しっかりと聞かせてもらおうか。何よりも……見知った場所で」

 

『ああ、ちぃとばかし帰りが遅くなったのは謝る。すまなかったな、クラード。それに、ユキノ達も。オレは……もう一度、戦場に舞い戻れた』

 

 その感慨を噛み締めるかのように、アルベルトは声にしていた。

 

 亡霊の戯言ではない。

 

 しっかりとした、戦士の声音であった。

 

 



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第215話「醒めないユメへ」

 

「艦長! 騎屍兵団は帰投ルートへと……艦長?」

 

 ピアーナを振り仰いだブリッジの人々の視線に、熱を帯びた意識を振り払う。

 

「……いえ、何でも。……まったく、無茶をするものです」

 

「先の不明機と照合結果は一致。ですが、何が起こったと言うのでしょう。万華鏡を……一機体が撃墜したように……」

 

「実際、その通りであったのでしょうね。王族親衛隊は?」

 

「別ルートを辿っているようです。ばつが悪いと言うのはさしもの厚顔無恥な者達でも分かっている、と見るべきでしょうか?」

 

「あるいはこの局面はまだ戦闘継続の只中にあるとでも……いえ、実際のところは分かりません。《ネクロレヴォル》隊へと格納デッキを開いてください。トゥエルヴが……命を賭したのは見て分かったでしょう」

 

 アステロイドジェネレーターの収縮爆発がなければ《ラクリモサ》撃墜は得られなかっただろう。

 

 しかし、その代償のように光背によって飛翔する第三の聖獣が粉塵の空に屹立する。

 

「……仕損じた責任はある、と思っていいでしょうね」

 

「ですが、本社の意向では《サードアルタイル》の鹵獲は急務です。モルガンとしての動きに間違いはなかった。……せめてそう信じたいですよ」

 

「そうですわね……。そう信じられれば、どれほどにいいか……」

 

「艦長? お疲れですか」

 

「……少し。自室に戻ります。作戦指示は二十分後に先送りに。それでも構わないと、言ってくれるかどうかは分かりませんが」

 

「騎屍兵団だって艦長の意見を聞かずに出る向こう見ずばかりじゃないでしょう。彼らも兵士です。何に従えばいいかくらいは見えているはずですよ」

 

 何に従えばいいか――それが最も見えていないのは自分自身だ。

 

 心に従うのならば、アルベルトと共に半身を引き写した《アルキュミアヴィラーゴ》の生存を喜ぶべきであったのだろうが、自分には責任がある。

 

 ――曰く、生き残った責任。

 

 ――曰く、死に損なった責任。

 

「……どうあったって、艦長職は囚われる。貴女の気苦労が少しは分かった気がしますよ、レミア・フロイト艦長……」

 

 そう呟いてブリッジを後にしたピアーナは自室に赴く道中で思わぬ人物と遭遇していた。

 

「……大丈夫ですか? だいぶ、具合悪そうですけれど……」

 

「クラビア中尉、戦闘待機です……よ」

 

「騎屍兵団の連中が先走って出撃したせいで俺の機体は後回しですって。……って言うか、それより、顔色も悪いですし……何かあったんで?」

 

「……貴方が介入していい事柄ではありません。これはわたくし自身の咎のようなもの……」

 

「いやいや、格好つけないでくださいよ。……艦長と俺、もう共犯関係みたいなもんでしょ?」

 

 ジオと王族親衛隊の目論みを探っているのだ。

 

 本社からしてみても、まして彼らからしてみてもイレギュラーだろう。

 

「……そう、ですわね。まったく、貴方と言う人は……」

 

 よろめいた自分を慌ててダイキが受け止める。

 

「危ねぇ! ……本当、何やったんですか。まるで同じ戦場に出たみたいな損耗具合ですよ」

 

「……ここでは気取られます」

 

「はいはい、それは分かっていますけれどね。……具合の悪い婦女子を運ぶのに、いちいち了承が要りますか」

 

「……思ったよりも紳士ですのね」

 

「それはどうも。……って言うか、何だよ。紳士だと思われてなかったのかよ……」

 

 どうやらダイキの不満はそこらしく、ピアーナは少しばかりこの状況下で救われるものを感じていた。

 

 艦長室に戻るなり、電算椅子に座ろうとするのを、ダイキが首を横に振る。

 

「駄目ですよ。あれ、艦長と本社が無理やり同期しているんでしょう? そんな顔をした艦長を座らせられません」

 

「……上官命令でも、ですか」

 

「今まで散々、跳ねっ返りって言われてきたクチです。始末書の一枚や二枚くらいなら喜んで書きますよ」

 

 ピアーナは壁に背を預け、ゆっくりと座り込む。

 

「……少し……状況が複雑になって来たようですわね」

 

 呼吸が荒い。想定以上に、自分自身を分割してアイリウム化するのは損耗となっていたようだ。

 

「大丈夫ですか? どう見ても具合悪そうですけれど。何なら医務室に――」

 

「大丈夫です。それにわたくしは、全身ライドマトリクサー。調整次第でどうとでもなります」

 

 こちらの目線を汲んでダイキは言葉を仕舞う。

 

 最早、このモルガンにおいてどこを取っても自由ではない。

 

 先の《アルキュミアヴィラーゴ》の識別信号を受諾したエンデュランス・フラクタル本社は恐らく視察を差し向けて来るか、あるいは自分のデータ上の抹消を仕掛けてくる事だろう。

 

 後者のほうが現実味を帯びているのは、全身を機械に冒された自分という存在そのものへの罰のように思われた。

 

「……ここで椅子にも座らず、話すのが一番安全、って事ですか」

 

「貴方は理解だけは素早く、機転が利く。わたくしがこの艦長室に戻れるのは、恐らくもう二度とない機会でしょうね」

 

「分かりません……どうして艦長はそこまで? ……俺、さっきの不明機、知ってるんですよ。《アルキュミア》って名称だったはずです」

 

「ではわたくしの差し金だとして、貴方はどうします。わたくしを撃ちますか。ダイキ・クラビア中尉」

 

 黄金の瞳を向けた自分に、ダイキは赤髪を掻いて、煩わしげに声にする。

 

「ああ、もうっ! 何だって誰も彼も、そんなギリギリのラインで戦ってるんですか! ……少しは俺を信用してくださいよ。そうじゃないと、困るのは艦長のほうでしょう?」

 

「わたくしが信用するとも限らないのに?」

 

「それでも、です。何よりも、俺、そんな風に無理する女子ってのは、見ていられないんですよ。……カトリナも、そんなでしたから」

 

 ダイキの口からカトリナの名前が出たのはそう言えば初めてかもしれない。

 

 データ上は二人が幼馴染であった事は承知していたが、実際に語られるとは思っても見ない。

 

「……カトリナ様……いいえ、カトリナ・シンジョウと、貴方が?」

 

「まぁ、腐れ縁って奴で。家が近かったのもあるんですがね、あいつとは顔を合わせる度に、なんつーか、喧嘩です」

 

「喧嘩……仲が良かったのでは……?」

 

「とんでもない! ……って言うか、知っておられるんですね。まぁ驚きませんけれど。元々、あいつ、エンデュランス・フラクタルに入社するんだって息巻いていましたから。どこかで接触があったんでしょうし」

 

 ピアーナはばつが悪そうに視線を背ける。

 

 どこか彼らの思い出に無遠慮に分け入ったようで居心地が悪かったのもあった。

 

「……仲が、悪かったのですか?」

 

「幼馴染なんてそんなもんですよ。顔を合わせると何かと、色々ありました。聞いておいでかもしれませんが、俺は戦災孤児だったので、カトリナとは近所って言っても、引き取られた先の家での、って話ですが」

 

「……生家ではない、という事ですか」

 

「まぁ、そんなところです。カトリナの奴は、結構ぶきっちょでしてね。クラスで俺がいじめられていると、まぁ女だてらに割り込んでって……そんで割を食っていましたね。いじめられていたんですよ、あいつも」

 

「……カトリナ様が……?」

 

 どうしてなのだろう。

 

 出会ってからの印象でしかないが、彼女がいじめられていたなど想像もつかない。

 

 むしろ、そのような事態とは正反対の場所で、ぬくぬくと生きてきたような感覚を見受けていた。

 

 この世の悪の部分からは切り離され、善性だけを浴びて成長したのだと。

 

「……あいつ、馬鹿なんです」

 

「それは……何となく分かりますけれど」

 

「でしょ? ……馬鹿正直に、自分は間違っていないって。そんでもって、俺の味方をしてくれるかって言うと、そうでもないんですよ。ダイキはもっと強くなりなさいって、お前は俺のオカンかよって言う。……まぁ、母親の記憶なんてほとんどないんですがね。ってすいません、これは笑えませんね」

 

 ダイキはゆっくりと、それでいて確かな論調でカトリナとの思い出を紡いでくれているようであった。

 

「……わたくしはお二人がその……恋人の関係にあったのかと」

 

「恋人? ……うーん、それは違うかな。って言っても、あいつの周りって結構、異常だったんです。友達、少ないんですよ、あいつ」

 

「……あれだけ明るくても、ですか?」

 

「逆です。底抜けに明るくて底抜けに真正面から物事を見ちゃうような人間ってのは、疎まれるんですよ。表面上の友人関係は多かったでしょうね、それこそ。グループディスカッションとか得意そうでしたし、初対面の相手とでもすぐに打ち解けられるような人材でしたから。でも、俺はミドルスクールからずっと、あいつの事を見ていて……それで大学で首席になったところまで見届けましたけれど、その真正面さって仇になっていたって言うか……。人間って表向き言っている事が正しくっても、裏じゃどうとでも言っちゃえる生き物じゃないですか。何度か……あいつメインのいざこざとかも聞きました。俺は大学は途中で抜けて、トライアウトの防衛学校のほうに入隊しましたけれど、それまでのあいつって、とにかく努力家なんです。人前で泣き言を言わない、他人に対しては優しくあろうとする……模範みたいな人格で」

 

「……それはわたくしも感じました。カトリナ様は……太陽のようなお方だと」

 

「でも、それで好かれるかって言えばそうでもない。模範みたいな人生ってのは、普通に嫌われますよ。何でもっと上手くやらないんだって、何度か思いました。あいつにとって一番近いのが俺だっただけの話なんでしょうけれど、陥れてやろうみたいな事も、聞いたのだって一回や二回じゃありません」

 

「……中尉は、カトリナ様の事が嫌いだったのですか」

 

「……もうガキじゃないんですから、本音で言いますね。艦長の事、信頼していますし。……好きだったっすよ、真面目なところでは。でも、俺には力がなかった。ずっと、夢想みたいな事ばっかり言ってるカトリナに、馬鹿だな、こう生きろよだとか、もっと上手い生き方がこの世にはあるぞだとか、そういう事を言うと大抵喧嘩です。それでも、曲げなかったからこそ、あいつはあの場に居るんでしょうね。……何度か聞かされませんでしたか? 絶対、幸せに成るんだって」

 

「それは……まるでカトリナ様の精神的支柱のような格言でしたが……」

 

「あれ、ずっと言ってるんです。自分でも他人でもお構いなし。そりゃあまぁ、ハブかれちゃいますよね。俺はあいつの、そういうところが嫌いでしたし、疎ましかったですけれど……他の大人だとか少し世の中知った風になっている同世代が言う、リアルだとかよりもずっと、眩しい代物でした。……だから、ああ、好きだったんだなって……離れちゃって分かるんですよね。馬鹿でしょ、俺って」

 

 それは自分には無縁のような情景であった。

 

 誰かを好きになる――それは同時に、誰かの悪名や裏面も覗き見る事なのだろう。その時に幻滅しないかどうかを確かめるのに、普通は皆必死になるのだ。

 

 憧れや、希望に糊塗された表層を人は好きになる。

 

 だがその向こう側にある本性を、では知った上で、それを眩しいと評せるのは、本心から他者を愛せた事のある「人間」の特権なのだろう。

 

 とうの昔にそれを放棄している自分は、ではどうしてカトリナに惹かれたのか。

 

「……羨ましかったんでしょうね、わたくしはきっと……」

 

 確率論を無視した感情論。

 

 概算すればすぐに分かる現象を、それでも体当たりで向かっていく胆力。

 

 そして――笑えば華のように麗しい。

 

 微笑み一つ知らない鋼鉄の身であっても、太陽に触れれば少しはぬくもりを思い出す。

 

 きっと、求め続けていたのだ。

 

 絶対の極寒に囚われ、長い年月を常闇へと投げ続けてきた己には、彼女の生き様そのものが。

 

 だから、この胸に芽吹いたのは、闇に咲く花の感情でしかない。

 

「……もっと明るいところへ、眩い場所へとわたくしは……ずっと行きたかった……」

 

「リクレンツィア艦長。これを」

 

 ハンカチを差し出される。

 

 馬鹿馬鹿しい、と一蹴しようとして顎を伝い落ちた滴を感じ取っていた。

 

「……わたくしにも……まだ……」

 

「リクレンツィア艦長。俺はカトリナとたとえ敵対するとしても、自分の心以上に、今仕えるべき人に従います。そして、この艦の責任者は、あなただ」

 

 ハンカチを手に取り、ピアーナはダイキの手を取る。

 

「……電算椅子に座ってしまえば、わたくしの意思はもうないも同然です。エンデュランス・フラクタル本社の意のままにでしょう」

 

「じゃあ、護らせてくださいよ。他の何者でもない、俺達は共犯関係なんですから」

 

 そうだ、王族親衛隊に勝てるわけでもなければ、この世界のうねりに抗い切れるわけでもない。

 

 それでも――たった二人ならば。

 

 否、二人で居られるのならば。

 

「……ダイキ・クラビア中尉。わたくしはエンデュランス・フラクタルの所有物。モルガンを任せられている存在です。貴方は所詮、一兵卒でしかない。そんな貴方に守れますか」

 

「守れるかどうかを問うよりも、護りたいって言う気持ちが大事じゃないですか」

 

 そう勝気に笑ってみせるこの青年は本当に、どこまで愚直なのだ。

 

 カトリナの事も、騎屍兵の事も、そして自分の事まで背負い込もうとしている。

 

 その果てに待っているのが破滅であろうとも、彼の実直さに救われる人間も居るのだろう。

 

 カトリナがダイキの事を悪く言わなかったのが、今になってよく分かるとは思いもしない。

 

 涙を拭って、ピアーナは改めて艦長としての双眸を向ける。

 

「……わたくしはそんなに、頼りないと言うのですか」

 

「俺は護りたいと願った人のために動くのみです。それが誰であろうと関係ない、そうでしょう?」

 

「……本当に、貴方と言う人間は……。言っておきますが」

 

「はい、何とでも」

 

 呼吸一つ挟んで、ピアーナは言い置く。

 

「……わたくしは年齢的には貴方より年上なので、悪しからず」

 

 その言葉に毒気を抜かれた、とでも言うのだろうか。

 

 ダイキは一つ微笑み、ええ、と了承する。

 

「存じております。それに、言ってませんでしたか。俺は年上が好みなんです」

 

 これで自分の意志一つ、預けられる人間を得られたか。

 

 軽口でも、今はそれでいい。

 

 ピアーナは身を翻し、電算椅子へと向かっていた。

 

 ――分かっている、怖い。

 

 本社のさじ加減一つで、自分の命と気持ちと、そして心は消滅する。

 

 それが何よりも怖いが――今は一人でも。

 

「……得られた理解を捨て去るのが、ここまで怖いだなんて……」

 

 ダイキはじっと見守ってくれている。

 

 自分の選択に口を挟まないのも、ダイキが自分を一人の女性として見てくれている証明であろう。

 

 電算椅子に深く腰掛け、ピアーナは呼吸をつく。

 

 直後、エンデュランス・フラクタルのデータベースと同期した機械仕掛けの脳髄は、意識と言うものを簡単に消失点の向こう側へと消し去っていた。

 

 こうして同期処理が成される時、ほとんど自分の自由意思という境界線はない。

 

 ピアーナ・リクレンツィアと言う個を尊重される事はなく、モルガンを稼働させる一パーツとして運用されるだけだ。

 

 ――この同期処理で、自分という個は消え去るかもしれない。

 

 そう感じた事が一度や二度ではなかった。

 

 しかし、今は――と、瞼を閉じ電流の瀑布が意識を漂白しようとするのを耐え忍ぶ。

 

 ようやく得られた理解。

 

 ようやく得られた朋友。

 

 そして――自分の気持ちを吐露しても、同じ目線に立ってくれる人よ。

 

 カトリナ以外にそんな人間は不要だと、ベアトリーチェ時代には判じていた。

 

 彼女だけが、自分を助け、この地獄のような現世から解放してくれるのだと。

 

 だが、運命は残酷に、そして感情を処理するような暇もなく、カトリナを敵とした。

 

 だから、自分はモルガンと生き死にを共にするのだと信じ込んでいた。

 

 この艦が墜ちる時は自分の死に時。

 

 しかし、自分の死はモルガンが轟沈する時とイコールではない。

 

 自分の代わりなど、エンデュランス・フラクタルはいくらでも用意出来るようになっているだろう。

 

 この三年間がその証左であった。

 

 恐らくは、本社はもっと仄暗い闇を抱えている。

 

 それに気づくまいと思っていても、目を逸らしていても、いずれは闇に呑まれるのが必定。

 

 ならば、せめて幸福な夢だけを、見ていたいではないか。

 

 ピアーナの唇からこの時、電算処理が成される中で、声が漏れていた。

 

「……ああ、こんな一生なら、それはきっと夢のような……」

 

 次の瞬間には掻き消えているかもしれない、些末事。

 

 それでも、運命を共にしてくれる人間が、もう一人現れてくれてよかった。

 

 ――生きていて、よかったのだろう。

 

 暗礁の宇宙を掻いて、幾百の夜を超えて生存に縋り付いた先に、理解者を得られたのだとするのならば。

 

 それはきっと、優しい「ユメ」だ。

 

 なら、自分はきっと安堵して、夢の中に堕ちていける。

 

 それが二度と目覚める事のない、悪夢の淵であったとしても。

 

「……いい夢を、見られるように……」

 

 意識を手離そうとした、直前。

 

 電算椅子より、ピアーナは引き剥がされていた。

 

 同期処理がエラーを起こし、エンデュランス・フラクタルのデータベース更新が滞る。

 

 抱き留めた体温を感じ取ったその時には、銃声が劈いていた。

 

 電算椅子を撃ち抜いたのは軍人の相貌のダイキである。

 

「……クラビア中尉……」

 

「……やっぱ駄目だ。駄目なんです、俺……。カトリナの時には見て見ぬ振りが出来た。上手く……生きて来られたはずなんです。でも、二度も三度も……大事な人が届かない場所に行っちまうのを、容認したら、それは男じゃないって言うんですよ」

 

 エラー情報のポップアップが浮かび上がるのを、ダイキは正確無比に銃撃する。

 

「……いいのですか。貴方はこれでエンデュランス・フラクタルからも追われる身ですよ」

 

「いえ、構いません。しかし……艦長室でリクレンツィア艦長と何をしていた、と問われれば、言い訳は出来ませんね」

 

 頬を掻くダイキに、ピアーナはぷっと吹き出す。

 

 ――ああ、三年間、久しく忘れていた感情が。

 

「しかし、この艦はエンデュランス・フラクタルの物です。統合機構軍が内側からの背信者を許すとも思えません」

 

「じゃあ、高跳びでもしますか。お供しますよ、リクレンツィア艦長」

 

 どこまでも、冗談のような物言いで、彼は本気の言葉を言ってのける。

 



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第216話「宿命と共に」

 

「……わたくしの情報網をエンデュランス・フラクタル本社が嗅ぎ回っている事でしょう。そう容易く逃げられるとは思っていません」

 

「あ、そういや、艦長は騎屍兵団の師団長でもあるわけですよね。……参ったな、勝てるのかよ、俺……」

 

「逃げる事には肯定意見なのですね」

 

「そりゃあもう。人間、逃げられないところまで追い込まれたらお終いですし。それに、現状モルガンは混乱の渦中にあります。《アルキュミア》の乗り手が万華鏡を倒してくれたお陰で、少しばかり監視網も薄らいだはずです」

 

「……ですが、騎屍兵を置いておく事は、わたくしには出来ない。彼らもまた、過去の遺恨に囚われているのですから」

 

 ゴースト、ファイブの――トキサダの顔が思い起こされる。

 

 騎屍兵の個人情報まで自分は持っていなかったが、彼らがあの月面決戦で生き延びたのであれば、その然るべき矛先は自分に向いてもおかしくはない。

 

「ともかく、モルガンを逃げますよ。そうじゃないと、俺の今の行動は明らかに統合機構軍への叛逆でしょうし」

 

「それもまともな叛逆とも思えませんがね。……わたくしなんかを庇って、貴方が追われる身になろうとは」

 

「よく言われます。その時に猪突猛進なだけの、イノシシ頭のダイキだと」

 

 しかし、この赤毛の青年は、自分を助けてくれたのだ。

 

 囚われて、もう逃れる事など一生出来ないと思っていた枷から。

 

「……何ですか、それ。貴方はそういうのだから、出世出来ないんですよ」

 

「それも、中佐殿の口癖でした」

 

 微笑んだダイキは電算椅子から浮かび上がった命令書の一部をすくい上げる。

 

 それは自分の脳髄へとダウンロードされるはずだった末端情報の残滓であった。

 

「……リクレンツィア艦長、これって……」

 

「電子命令書ですわね。わたくしが命令遂行に忠実であったかを反証する鍵でもあります」

 

「いや、ところどころブロックノイズですけれど、この命令書……。よく読んでください」

 

「……何です?」

 

 ダイキが指差した先を、ピアーナは注視する。

 

 命令書に書かれていた内容は、驚嘆に値するものであった。

 

「……まさかそんな……。既にそこまで……本社は到達していると……?」

 

「これ、ちょっとまずいですよ。何てこった……統合機構軍はこの世界の盤面を、覆そうって言うんですか。こんな情報……」

 

 照準しようとしたダイキを、ピアーナは押し留める。

 

「お待ちください。……この情報だけでも端末で持ち帰れば、優位に立てます」

 

 手持ちの携行端末へと命令書をダウンロードし、ピアーナは艦内へと情報を伝達させる。

 

『緊急警告。モルガン艦内で火災が発生。艦長権限で第二十七隔壁までを閉鎖します』

 

 電子音声が鳴り響き、隔壁が滞りなく閉ざされていく。

 

「逃げ道は確保しました。これで少しは時間が稼げるかと」

 

 こちらの手腕にダイキは口笛を鳴らす。

 

「さすが……敵に回したくないですよ、艦長は」

 

「……怒りますよ?」

 

「冗談です。しかし、いいんですか? 嘘の情報なんてすぐに解読されちゃいますよ」

 

「一秒でも時間をロス出来れば僥倖です。それに……わたくしの目的は、ただ逃げおおせるだけではありませんから」

 

 ピアーナは隔壁に閉ざされた道順の先にある、医務室を見据えていた。

 

 艦長室から出るなり、赤い警告灯で塗り固められた廊下を、重力に縛られているのを感じつつ駆け抜けていく。

 

 だが日頃の体力のなさが裏目に出たか、あるいはこの数時間の激動が祟ったのか、足をもつれさせてしまっていた。

 

「……こんな場合では……」

 

「ああ、もうっ! 艦長は世話が焼ける……!」

 

 ダイキが自分の身体を持ち上げ、そのまま廊下を抜けていく。

 

「その……重いでしょう?」

 

「全然……です……!」

 

「……嘘が下手ですのね……」

 

 全身RMだ。重いに決まっている。

 

 それでも、まるで一人の少女に成ってしまったかのようにダイキに抱き上げられるのは、悪い気がしなかったのも事実であった。

 

「……そこ! 医務室への非常口へ!」

 

「はいはい! ……って、メイア・メイリス……?」

 

 メイアが医療カプセルを開き、こきりと首を鳴らす。

 

「来る頃だと思っていたよ、ピアーナ・リクレンツィア艦長。随分と見せつけてくれるじゃんか。お姫様抱っこだなんて」

 

「……今は不問に付します。メイア・メイリス。わたくしはモルガンを去ります。貴女も来てください」

 

「待ってました……! って言おうかなって思ったけれど、一応聞いとく。勝算はあっての事?」

 

 問いかけに、ピアーナは首を横に振る。

 

「……いえ。これまでならば勝算のない戦いはやって来なかったのですが……。ここに来て、分からなくなってしまいました」

 

 ふぅーん、とメイアは訳知り顔になった後に、一つ頷いていた。

 

「じゃあ、分かった。キミを守るよ、ピアーナ艦長」

 

「……話を聞いていなかったのですか。わたくしは勝てるかどうかは分からないと言っているのですよ」

 

「それが、さ。何だかこれまでキミと話して来て……一番人間臭く聞こえたから、問答無用で手を貸すよ。逃げるのには足が要るでしょ? ボクだってライドマトリクサーだ。《ネクロレヴォル》を強奪するかどうかって部分で、ボクを必要と判じてくれたはず」

 

 どうやらメイアはこちらの意思を話すまでもなく、自分の意見を尊重してくれているようであった。

 

 またしても目頭が熱くなったが、今は堪えておく。

 

「……ええ。それだけではありません。貴女は――あのクラードと唯一、拮抗する。この世界での切り札なのです」

 

「ボクも、さ。そろそろ会いに行く頃かなって、ちょうど思っていたんだ。クラード……彼に会って、確かめないといけない事が出来た」

 

「あの、何だかよく分かんないんですが、利害の一致って事でいいんですかね」

 

 所在なさげなダイキへと、ピアーナは応じる。

 

「このまま格納デッキへ。……ですがもし、騎屍兵が待ち構えていれば……」

 

 無事では済まないだろう。その懸念に二人が心強く声にする。

 

「任せてください。俺は負けません」

 

「ボクだって、一泡吹かせてやる算段はついているんだから」

 

 どうやら自分の味方をしてくれると言う酔狂な人間は、いつの世でも無茶をするつもりらしい。

 

 その辺りも――カトリナを思い返す。

 

「……分かりました。もし、騎屍兵が待ち構えていても、出たとこ勝負で行きましょう」

 

「それにしたって……そっちの軍人さん、艦長重いでしょ? 一回降ろしたら?」

 

「いや、この重みは大事な命一つの重さだ。誰かに替えられないだろ?」

 

「……そういうのは、聞こえないところでやってもらえます?」

 

 耳まで熱を帯びた自分を、メイアとダイキは視線を交わし合って微笑む。

 

「何だかなぁ。やっぱりキミは素直なほうが可愛いよ」

 

「本当、そうですよ。リクレンツィア艦長は素直が一番!」

 

「……怒りますよ?」

 

 隔壁で閉ざされた道順を抜ければ、遠からず格納デッキへと辿り着く。

 

 警告灯で塗り固められた廊下を超え、ピアーナはダイキと共に、今も混乱が続く格納デッキの裏側からタラップを駆け上がっていた。

 

「……まさかこんな形でようやく新型に乗れるなんて思っちゃいなかったですが」

 

 ダイキの視線の先には《ネクロレヴォル》改修型が収まっている。

 

「……こいつで逃げるの?」

 

「そのつもりだが……コックピットの認証に時間がかかる。アイリウムだって俺専用になっちゃいないんだ。すまないが、一瞬だけリクレンツィア艦長を任せた」

 

「合点! ほら、艦長。ありがとうとでも言えば?」

 

「……礼を言うのは、全てが無事に済んでからです」

 

「お堅いねぇ、キミも」

 

 コックピット脇の緊急射出用のノブを引き、ダイキは機体調整に移っていた。

 

「ダイキ・クラビア中尉! 出撃命令は出ていませんよ!」

 

 その段になってこちらに気付いたメカニックへと、ダイキは声を飛ばす。

 

『艦長命令だ! アイリウムの調整が出来次第、俺は出る!』

 

「無茶言わないでください! 《ネクロレヴォル》だって……!」

 

『押し通るって、そう言ってるんだ!』

 

 アイリウムの認証と、そしてシステムの照合には最低でも三分間はかかるはずだ。

 

 だがその時間を、ただ静観しているような人間は、この艦には居ない。

 

 姿勢を沈めていた《ネクロレヴォル》のうち一機が、ダイキの機体へと取り付いていた。

 

 その衝撃波で吹き飛ばされそうになるのを、メイアの手が繋ぎ止める。

 

「この手は離さないよ……!」

 

 赤い警告の光が明滅する格納デッキで、《ネクロレヴォル》の蒼い焔が灯っていた。

 

『……艦長。これはどういった事ですか。何故、メイア・メイリスがここに居るのです』

 

「……わたくしが緊急事態だと判定しました。よって彼女には同伴していただきます」

 

『分からぬ事を。あなたもまた、おれを裏切ると言うのですね』

 

「……まさか。トキサダ様……!」

 

《ネクロレヴォル》の拳が機体を激震させる。

 

 至近距離においてレヴォルタイプに比肩する戦力はない。

 

 たとえメイアが叛逆の意志に選ばれていようとも、MSがなければ彼女とてただの非力な少女だ。

 

『まただ……またあんた達は……おれを失望させる。トゥエルヴが死んだんだ……だって言うのに、弔いの間さえも与えてくれないのかよ……!』

 

 それは冷徹な騎屍兵の声ではなかった。

 

 間違いなく生者である「トキサダ・イマイ」の怨嗟だ。

 

「……トキサダ様……貴方は……」

 

『逃げるって言うのが! どういう意味なのか、分かっていないわけじゃないだろう! ピアーナ・リクレンツィア!』

 

 その声に宿った怒りに返答する前に、ダイキの機体が挙動し、《ネクロレヴォル》の腕をひねり上げていた。

 

『……お前なぁ……どれだけ吼えたって、それは女々しいってもんだろうが! 艦長は今! こうしたいって願っているんだ! それを祝福ぞすれ、否定なんてやっちゃいけないだろうが!』

 

『願いなんて……そんな風に出来ているわけじゃないだろうに!』

 

『いいや、叶えてやるさ。叶えるのが……男の意地だ!』

 

 ダイキの搭乗する機体のアイカメラが光を灯す。

 

 まるで包帯を纏った亡霊の形状を取ったその機体の名は――。

 

『行くぜ、相棒。……名は《ネクロレヴォル》改修型――《シュラウド》。ダイキ・クラビア、出る!』

 

 その機体――《シュラウド》は手首よりダガー武装を現出させる。

 

 ビーム粒子を帯びたダガーがトキサダの操る《ネクロレヴォル》の腕を溶断していた。

 

『小手先の戦い方で……騎屍兵が墜ちると思うか!』

 

『侮っちゃいないさ。音に聞く騎屍兵だって言うんなら、二手三手先は講じている。だからこそ、ここは逃げに徹しさせてもらうぜ』

 

 コックピットブロックを開き、ダイキが自分達を呼ぼうとしたその時には、トキサダの操る《ネクロレヴォル》が蒼き幻影をその身に宿す。

 

「……まさか……ここは艦内ですよ……」

 

『この……裏切り者がァ――ッ!』

 

 警告を無視しての、閉所でのミラーヘッド。

 

 それは条約で禁止されている使用方法だ。

 

 だが、騎屍兵の一員であるのならば、ロック解除の術は譲渡されている。

 

 格納デッキを満たしたミラーヘッドの蒼い分身体の数はおびただしい。

 

 強硬策でもない限りは、ここで押し留められるであろう。

 

「……艦長、それにメイア・メイリス。ここは、俺を信じちゃ、くれないか」

 

 メイアは痛みに呻きながらも自分の手を離さない。

 

 それは魂に誓った行動だからだろう。

 

「……逃げ切れる?」

 

「逃げ切る、っていう後ろ向きな動機じゃ、こいつは下せない。少し強引だが――倒してこの場を後にする」

 

「いいね、嫌いじゃない」

 

「言っている場合ですか! こんな閉所でのミラーヘッドの使用なんて、マニュアルには――!」

 

「マニュアルにある事だけをやってのけるのが、軍属じゃないって話です。……さて、行くぞ、《シュラウド》。相手は騎屍兵だ。相手にとって……不足はねぇよなぁ!」

 

 深呼吸を挟んで《ネクロレヴォル》を睨み据えたダイキの瞳の覚悟は決まっていた。

 

 その決断に何の疑問も差し挟めず、ピアーナは茫然とする。

 

 ダミーの火災警報が今、この場所では現実となって二機が向かい合う。

 

 格納デッキで燃え盛る炎の照り返しを受け、《シュラウド》は姿勢を沈めていた。

 

《ネクロレヴォル》の幻像が一斉に抜刀し、ビームサーベルを振り払う。

 

 それは必殺の間合い。

 

『墜ちろ! 裏切り者め!』

 

「……いいや、ここじゃ墜ちられるかよ。それに、簡単に意見を曲げるようじゃ、まだまだだって、笑われちまうからな!」

 

《シュラウド》に実行させたのはこの局面での体当たりであった。

 

 しかし、ただの体当たりなど、ミラーヘッドを持つMS相手には児戯にも等しい。

 

 加えて、相手はこの地球圏で幾度となく殲滅戦を繰り返してきた亡者の一角だ。

 

『嘗めるなよ……! 死地の距離を理解してないか!』

 

 ビームサーベルによる絶対的な制圧圏内。

 

 確実に獲られたのだと、ピアーナは感じ取って思わず目を閉じかけていた。

 

「目ぇ! 開けておいてください。大丈夫です……俺が――勝つ!」

 

 その言葉に衝き動かされるように瞼を開く。

 

 必中であった間合いを、《シュラウド》は次の瞬間、蒼い粒子態となって潜り抜けていた。

 

 それはトキサダからしてみても意想外であったのだろう。

 

 刃を透過するように、太刀筋を抜けて、《シュラウド》は左腕を《ネクロレヴォル》の後頭部に押し当てる。

 

 左手にはレヴォルと同性能の貫通衝撃弾頭が搭載されており、王手であった。

 

『……何が……起こった……?』

 

「《ネクロレヴォル》の性能は、俺にも囁いたって事だ。この局面で、お前はどうする?」

 

『……ここで生き永らえて、では生き恥を晒せと言うのか……。おれに……! 何度も何度も、また間違えろと言うのか!』

 

 振り返り様の斬撃が打ちかかる前に、ダイキの照準は《ネクロレヴォル》のアステロイドジェネレーターを撃ち抜いていた。

 

 急速に幻像が掻き消えて行き、《ネクロレヴォル》から怒りの衝動が抜けていく。

 

『くそっ……チク、ショウ……』

 

「悪いな。俺も、いつまで経っても半端者の類じゃ、居られないんでね」

 

 ダイキがコックピットへと手招くために、マニピュレーターを延ばす。

 

 メイアの手に引かれながら、獄炎の只中で向かおうとして、トキサダの怨嗟が遮っていた。

 

『また……! またおれ達を裏切るのか……ピアーナ・リクレンツィア……!』

 

 それはかつてベアトリーチェで無駄死にをさせた繰り返しになると言う意味であったのだろう。

 

 あの月軌道決戦で確かに、自分の力は必要であった。

 

 だがそれを持て余したのも事実。

 

 足を止めようとした自分へと、メイアが叱責する。

 

「しっかりして。……キミが惑えば、それだけリスクが高まる」

 

 ピアーナはその瞳に宿った覚悟を問い返し、コックピットブロックに収まる。

 

『……何だよ……裏切るんなら最初から……希望なんて、持たせるんじゃねぇよ!』

 

 トキサダの慟哭が、格納デッキに響き渡る中で、《シュラウド》は天井を打ち破り飛翔高度に至っていた。

 

 閉ざされたコックピットの中で、モルガンが眼下に離れていく様子は、まさかこんな光景を見るとは思わなかった意想外さがある。

 

「……わたくしは……一生あの艦に囚われるのだと……」

 

「間違いを間違いなのだと正せる間に、動けるのがヒトだと思う。少なくとも、ボクはそういう人達を知っている」

 

 メイアの慰めも、今はまだ脳裏に残響するトキサダの声を振り払えずにいた。

 

「……わたくしは、彼らに希望なんて振り翳していたのですね……」

 

「それはリクレンツィア艦長のせいじゃない。……あいつらが勝手にそう思っていただけです。騎屍兵だって……生きていたって事なのか」

 

 ダイキの戸惑いも無理からぬ事。

 

 そもそもトキサダが騎屍兵の一員であった事でさえも、自分は教えられていなかった。

 

「……エンデュランス・フラクタルは確実な手を取ってきます。恐らく、これが、その一端でしょう」

 

 端末を開くと投射画面に映し出されたのは破損したデータの命令書であった。

 

 メイアはその言葉をなぞる。

 

「……MF03……《サードアルタイル》の破棄と、そして今次作戦の命令遂行……。何だ、この一節……。“魔獣”ってのは、何かの隠喩?」

 

「いいえ、恐らくはその言葉通りに。既に聖獣は、彼の者達にしてみれば必要不可欠でもない、という事なのでしょう。ヒトの世を切り拓くのに、聖なる獣を使うのでは無理が生じる。だからと言って、ヒトは魔獣を使うと言うのですか……」

 

 メイアとダイキが目線を交わし合う。

 

 ピアーナは、一瞬だけ脳内ストレージへとダウンロードされたイメージを思い返す。

 

 ――それは、天より舞い降りる執行の使者であった。

 

 



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第217話「彼女らの涙」

 

 張り手の一発くらいは来るか、と身構えていた自分にとって、シャルティアとユキノが同時に声を張って来たのは意外でも何でもなかった。

 

「小隊長!」

 

「アルベルトさん!」

 

 どのような誹りも受けるつもりだ、と身構えたアルベルトは、次の瞬間、二人分の体温に戸惑う。

 

「よかった……本当に、生きていてくれたんですね……!」

 

「私……私のせいで、死なせちゃったんだと……そう思って……」

 

「おいおい、落ち着いてくれよ。って言うか、二人して何だ、湿っぽい……。何で生きていたんだ、だとか……オレはこれでも色々と言い訳を考えていたんだが……」

 

 顔を上げたユキノが涙で濡れた面持ちで、自分を叱責する。

 

「馬鹿っ! そんな事……言い足りないくらいですよっ!」

 

「だ、だろ……? だからこう……みんなが見ている前で女二人分の涙ってのは……ちと重いぜ?」

 

「いいんですっ……だって、アルベルトさん、涙に弱いですもん」

 

 未だ泣きじゃくった顔さえも見せず、顔を伏せているシャルティアは明らかに平時よりも頭に来ているのが窺えた。

 

「……まずったな。こういう時、拳が来たほうがスッキリするってのに……」

 

「それもこれも、お前の功績の賜物という事だろう。……よく生きていてくれたな、アルベルト」

 

「サルトルさん……。その……、オレ、《アイギス》を無駄にしちまって――!」

 

「馬鹿、そういう事で逃げてんじゃねぇ。女二人泣かせてるんだ。責任取れよ」

 

 そう言ってにやにやとしてサルトルは《アルキュミアヴィラーゴ》の整備へと戻っていく。

 

 他のメカニック達も似たようなもので、どこか遠巻きに自分達を眺めて面白がっているようであった。

 

「……何だ? オフィーリアの整備班ってのは暇だったのかよ、ったく」

 

 不意にその視線が留まったのは《ダーレッドガンダム》のタラップでこちらを見つめているカトリナであった。

 

 お互いに目線が合って、あ、と一声。

 

 それでばつが悪そうに視線を逸らしてしまう。

 

「……何だか帰って来たってのに、別の惑星に降り立ったみたいな気分だな……」

 

「小隊長っ! 言い訳はいくらでも聞きますが、まず一つ」

 

 むっとした様子のユキノ相手にはどのような言い訳も意味がなさそうだ。

 

 アルベルトは種の割れたマジシャンのように肩を竦めるしかない。

 

「……何だよ。何なりとどうぞ」

 

「……生きていてくれて嬉しいのはその……本音ですから」

 

 何だか調子が狂うとはこの事で、ユキノ自身も何やら戸惑いの渦中にあるらしい。

 

 無理もない、とアルベルトは格納デッキに収まる《ネクロレヴォル》を一瞥していた。

 

「あれ……敵機だよな?」

 

「一時的に手を組むように協定を結んだんです。……私は何も出来ていませんけれど」

 

「そんな事ねぇだろ。シャルだって上手く行くように働きかけてくれたのは事実だろうしな」

 

「だから――っ! 私はシャルティアですっ! シャルじゃ……ない……っ!」

 

 ようやく顔を上げたシャルティアの面持ちは酷いものだ。

 

 涙で腫れぼったい瞳を拭い、何度もしゃくり上げる。

 

 アルベルトはそんなシャルティアの頭を撫でていた。

 

「……何つーか、無理させたな。シャルティア委任担当官」

 

「……分かってるんなら少しは自重してください。あと、子供扱いも禁止です」

 

 じとっとした眼で言われてしまえば反論も出来ず、アルベルトは心底参ったように返す。

 

「悪かったって思ってる。……まぁ、死んじまったんだって自分でもあの時は思ったもんだ。それが生きていると……妙な心地なんだな」

 

「……アルベルトさんには少しその居心地の悪さを充分に味わってもらいます……。そうじゃないと反省、しなさそうですからっ」

 

「重々反省しているつもりではあるんだが……まぁ、言葉を尽くしたって結果は変わらねぇようだし、オレもちょっとは無茶しない方向に舵切るとするしかなさそうだな」

 

 リーゼントを掻きながら思案していると、シャルティアは身を翻していた。

 

「……あの……アルベルトさんを心配してたの、私達だけじゃないんで。……クラードさんと会わないんですか」

 

「クラード……は、どうするかな」

 

「どうするかなって……だってクラードさん、何だかんだで責任を感じていたみたいですよ。自分が出られれば、みたいな……」

 

「あいつがそんなタマだとは思わねぇんだが……どっちにしたってオレが居ない間に起こった事も清算しねぇといけなさそうだ。殴り合いで分かった風に成れていた三年前のほうがまだ楽だったかもな……」

 

「……仲直り……出来そうですか」

 

「仲直りって……元々仲たがいしていたワケじゃ……ああ、いや、シャルの眼から見りゃそうだったのかもしれねぇ。クラードが……波長生命体だとか言われて、オレもヤケになっていたのかもな。あいつの事分かろうともしねぇで……勝手に彼岸に行こうとしてたんだ、そりゃあ怒るよな」

 

 しかし、とアルベルトは困惑もする。

 

《ダーレッドガンダム》の前に佇むカトリナが主な原因であった。

 

 何だか――彼女とクラードの間柄には容易く踏み込めないような感覚さえも漂わせているのは気のせいであろうか。

 

 自分の考え過ぎであったのならば、それでいいのだが。

 

「どっちにしたって……、今は色々とまずいんです。MF03の……事実上の鹵獲。これはどの勢力にとっても大きな意味を持つはずで……」

 

 シャルティアは赤い短髪をくるくると弄りながら当惑の声を発する。

 

「確かにな。お前からしてみりゃ、データでしか見た事のない機体と、そしてデータ上は死んだ事になっている面子、か……」

 

 衝撃を受けているのは何も自分だけではないのだろう。

 

 アルベルトは自ずと今も搬入作業に忙しいトーマへと視線を投げていた。

 

 トキサダが生きていた――それだけならまだしも、彼は騎屍兵として幾度となく自分達を葬ろうとしていた。

 

 その事実は、彼女の小さな双肩では抱えきれないであろう。

 

 自分とて、信じたくはなかったが、二度にも渡る断絶は、完全に敵なのだと明言されてしまったようで。

 

「……こういう時に、何か言えるのがヘッドってもんだったんだろうがな……。お山の大将を気取っていたのはマジに事実って事かよ」

 

 凱空龍の面々の人生を背負っているつもりであった。

 

 しかし、その実は彼らが別々の人生を歩んだ時に、こうも脆いとは話にならない。

 

「……その、後々データ共有はします。フロイト艦長からも呼び出しが来ていますし。今は、それぞれの持ち得る情報を、少しでも擦り合わせないと……」

 

「あ、ああ、それはそうだな。オレだって、《ダーレッドガンダム》の事、よく分かっちゃいねぇし、それに、仕掛けて来たって話だったな? 赤いレヴォルタイプが……」

 

「はい。《ヴォルカヌス》、と機体照合がもたらされています。でも、それだけじゃないのは明らかで……」

 

 シャルティアは端末を弄りつつ、照合されていくデータに疑問を浮かべているようであった。

 

「……オレにも分からねぇ。ただ一つ、言えるのは……あの《ヴォルカヌス》のパイロットだけは、生かしちゃおけねぇって事だけだ」

 

 骨が浮くほど拳を握り締めた自分に、シャルティアは不安そうな面持ちで尋ねる。

 

「何で、……何でそこまでなんですか? 何だかアルベルトさん……《ヴォルカヌス》のデータを参照する時……すごく、怖いです……」

 

 ハッとしてアルベルトは顔を伏せるシャルティアに、どう切り出すべきか悩んでいた。

 

「……あの機体は……あいつだけは……!」

 

「教えて……は、もらえないんですよね……。そういうの、あるでしょうし」

 

 本当ならば、言ってしまいたかった。

 

 ――あの機体とパイロットは、お前の姉さんの……ラジアルの命を奪った忌まわしい存在だと。

 

 しかし言えば、ともすればシャルティアにまでこの復讐心に巻き込んでしまうかもしれない。

 

 彼女は、ラジアルが戦いの中で命を落とした事を知っている。

 

 だが、怨敵まで睨む必要はないはずだ。

 

 戦場で敵を見据えるのは、兵士である自分達の役目である。

 

 シャルティアにそこまで背負わせたくはない。

 

「……シャル、その……言えねぇの、本当に申し訳ねぇとは思ってんだ。でも、オレは……お前にこんな気分、味わわせたくねぇんだよ」

 

「それって……アルベルトさんが大人だからですか……?」

 

「……ああ。大人だから、これ以上は言えねぇ」

 

 いつものように成っていない、だらしがない大人だと罵られるかと思っていたが、シャルティアの声音は沈んでいた。

 

「そう、……ですか。でも、私は少しだけ……安心しました」

 

「安心……って何がだよ」

 

「いえ、だってアルベルトさん、一回死んじゃったのと同じだからって、また特攻じみた事をしようとか、そういう考えなのかなって思っていたから……ですかね。もう……危ない事、出来ればして欲しくないんです。変……ですよね? だって、私、委任担当官なのに……」

 

 委任担当官の職務からしてみれば、エージェントが危険な現場に赴くことはある程度承服しなければいけないはず。

 

 しかしだからと言って、シャルティアにこれ以上一方的に預けていいはずもない。

 

 その小さな肩は震えていた。

 

 自分が死んだと聞かされた時、彼女はどう思ったのだろう。

 

 その感情を、どう処理したのだろうか。

 

 一度は封殺したはずの感情を、自分は生存と言う形で掻き乱しているのと同じではないか。

 

 そんな解決もしない思案が、考えを纏まらせない。

 

 そっと、アルベルトはシャルティアの肩に手を置いていた。

 

「心配すんなって。オレが約束、破った事あるか?」

 

「……いっぱいあるじゃないですか。マヌエルは使うなっていつも言っているのに……」

 

「そりゃあ、お前……言いっこなしだぜ。それがないと切り抜けられない事も多かったろ?」

 

 じとっとした瞳で見据えられると何も反論出来なくなってしまうのだが、シャルティアは少しだけ笑みを見せていた。

 

「……アルベルトさん、言い忘れていました」

 

「何がだよ。言っとくが、オレにこれ以上謝罪の言葉を引き出させようなんざ……」

 

「いえ、そうではなく。……おかえりなさい。これだけ、先に言っておきますね」

 

 何だか毒気を抜かれた気分と言うのはまさにこの事で、シャルティアの側から大人びた言葉を聞けるとは想定してもいない。

 

「……どうしたんです? 鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔をして……」

 

「いや、お前……何だか一端の社会人みたいな事言いやがるから、驚いて……」

 

 その言葉を発した途端、シャルティアの手持ち端末が向こうずねに振るわれていた。

 

「痛って! それ精密機械だろ!」

 

「もういいですっ! こっちがしおらしくなったら、アルベルトさんってそういう、デリカシーのない事言っちゃえるんですから。やっぱり、だらしがない大人ですねっ!」

 

 ぷいっとそっぽを向いて言い訳をする前に駆け出してしまったシャルティアの背中に、ようやくらしくなったな、とアルベルトは苦笑する。

 

「……何だよ。しみったれた言葉なんて、お呼びじゃねぇってのは、やっぱりお互い様じゃねぇか」

 

 しかし、と振り仰いでいた。

 

「《ダーレッドガンダム》……また分からない性能を発揮して、《ヴォルカヌス》を追い詰めたって聞いたが、本当に大丈夫なのかよ、クラード……」

 

 その言葉は本人に問いかける勇気もなく、霧散していた。

 

 



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第218話「彼の線引き」

 

『いいんですか? アルベルトさん、帰って来たのに……』

 

「俺が応じるのは次のブリーフィングを経てからだ。そうじゃないと余計な感情を持ち込む事になる」

 

『その余計な感情って言うのが、大事なんじゃないですか?』

 

 クラードはコックピットブロックの前でずっとこちらに問いかけてくるカトリナへと、調整の手を止めて一瞥を振り向ける。

 

「……あんただってアルベルトと顔を合わせたらいいんじゃないか。何でさっきから避けてるんだ」

 

『私……私はその……何でなのかな。アルベルトさんが生きていてくれて、すっごく嬉しいんです。嬉しいはずなんですけれど……何だか、何を話せばいいんだか、分かんなくなっちゃってて……』

 

「何でもいいんじゃないか。生きていたんだ、何ですぐに連絡を寄越さなかったんだ、って言う文句でもいい」

 

 もっとも、その文句はとっくにユキノとシャルティアに言われてしまっているようであったが。

 

 クラードは《ダーレッドガンダム》を僅かに窺うアルベルトを、拡大モニター越しに眺めていた。

 

「……本当に、生きていたんだな」

 

『クラードさんも、信じていなかったんですか』

 

「信じて馬鹿を見た時のリスクが先に立つ。戦力は摩耗するものだ。殊に、ここは重力圏、俺達の常識は通用しないと思ったほうがいい」

 

『……そういうものなんですかね』

 

「アイリウム、認証開始。レヴォル・インターセプト・リーディングとの対話を30セコンド後に。……何であんたまでアルベルトに言う言葉を迷ってるんだ。委任担当官だろう」

 

『アルベルトさんの委任担当官はシャルティアさんなので……。その、私なんかが割り込んでいいのかなって、ちょっと……』

 

「……ラジアルの事を考えているのか」

 

 カトリナは手元の端末へと視線を落とす。

 

 そこにはかつてのベアトリーチェで撮影したラジアル達との写真データがあった。

 

『……私、三年前も……こういう事、あったんです。ラジアルさんとアルベルトさんが特別な仲だって、知っていて……知ってて何も言えなかったんです。ズルいですよね、その立ち位置。だって、二人の間に立ち入れないからって、じゃあ馬鹿を気取っていればいいんだって言うのは……本当に、ズルいはずなんです』

 

「あんたはそれを後悔している。違うか?」

 

『……でもだからって、じゃあ私はラジアルさんのようには成れませんよ。それに、きっとそんな事、アルベルトさんだって望んでいないはずなんです』

 

 死者の影を追ったところで、それは逃げ水の如く。

 

 自分達は、今をこうして生きていくしかない。

 

 カトリナが惑っているとしても、それは今を生きた結果だ。

 

 クラードは凍えたように過去を見返す彼女の瞳に、言葉を放っていた。

 

「……過去は覆らない。俺達が見据えるのは……今と、そしてその結果論だけが意味を持つ、これから先だけだ」

 

『そんなの……残酷じゃないですか』

 

「残酷でもそれが事実なんだ。過去に切り離した事柄が今に響いて来るなんて事はないし、過ちは過ぎ去ったからこそ、今に活かせる。俺達が取りこぼさないように前を向けるのは、その今の一瞬を生きていくしかないのだと、直感的に知っているからだろう」

 

『……一瞬でしか、生きられないんですかね』

 

「人間の一生なんてその程度でしかない。……これはヴィルヘルムがよく言っていた事だから奴の引用だが、人生は積み重ねの代償だ。積み上げてきたものでしか、結論は存在しない。俺の今がこの機体にあるように、アルベルトのこれからは《アルキュミア》の改修機と共にしかない。……たとえそれが、アルベルトにしてみれば辛い決断だろうと……割り込む術はないんだ」

 

『……それって悲しいですよ』

 

「そうだな。だが悲しくても、きっと正しい」

 

 カトリナはその段になって、アルベルトへと向き直ろうとしていたが、やはり彼女なりに思うところがあるのだろう。

 

 真正面からぶつかり合えるのは、先送りになりそうであった。

 

『レヴォル・インターセプト・リーディング。コミュニケートモードを形成。“どうやら随分と困り果てているらしい”』

 

「お前は俺達を見て嗤っているんだろう。人間の不都合さと不便さを」

 

『“いや、よく学習させてもらっているとも。そこまで不合理を抱え込む、人類と言う種をね”』

 

「俺も、ここまで人間は不合理に成れるのだとは、想定していなかった。お前が……それをあの時、教えてくれたのだと……そう思ったんだ、《レヴォル》……」

 

 月面決戦の時、何故自分を生かしたのか。

 

 何故、あの言の葉を知っていたのか。

 

 全ての答えを聞き出せる存在はすぐ傍に居るはずなのに、どうしてなのだか、このレヴォルの意志に尋ねても、永劫答えは形をなくすような気がしていた。

 

『“先の戦闘時のバッファとデータを照合するに、《アルキュミアヴィラーゴ》には特別なアイリウムが搭載されている”』

 

「やはり、か……。声がピアーナ……、ピアーナ・リクレンツィアのものだった。どういう事なのか……はアルベルトの口から聞く必要がありそうだな」

 

『“失礼、割り込み回線だ。《レグルスブラッド》から。DDの直通を得ている”』

 

「ダビデ・ダリンズの? ……繋げ」

 

『悪いな、プライベート回線を使わせてもらっている』

 

「構わない。易々と話せない事ならば相応だ」

 

『理解してもらって助かる。……それにしたところで、得心が行かぬ事もあるのだ。先の戦闘で観測されたMF03……《サードアルタイル》の事実上の鹵獲、と言うのは』

 

 クラードはオフィーリアとブリギットに挟まれた形で浮遊している《サードアルタイル》を別のカメラから目視する。

 

「聖獣の捕獲は想定されていなかっただろうな」

 

『加えて、顔見知りのようであった』

 

 グゥエル・レーシング――かつて月軌道決戦で失ったはずの人間の声と記憶を騙る何者かと、そう判じたほうがまだマシな状況ではあったが、クラードは冷静に判断していた。

 

「……あれは、恐らくエンデュランス・フラクタルの手によって、エージェントに育成された、そういう存在だろう」

 

 ダビデは、こちらの応答に、やはりか、と声を沈ませる。

 

『……問い質したい事は山ほどあるが、やはりエンデュランス・フラクタル上層部は黒であったと、再認識せざるを得ない』

 

「俺も本社の連中の意向に関してまでは関知していない。奴らのやり口は分かっているつもりだったが、ここまでとは想像も出来なかった」

 

『本当にそうか? エージェント、クラード』

 

 ここで詰問してくる意味は自ずと理解される。

 

 だがクラードは答えを先延ばしにしていた。

 

「……何が言いたい」

 

 モニターの向こうのダビデは怜悧な面持ちのまま、エンデュランス・フラクタルの暗部へと鋭く切り込む。

 

『本当に、想像も出来なかったのか、と聞いているんだ。エンデュランス・フラクタルがここまで非人道的な行動に出たと言うのは』

 

「トライアウト所属が言えた義理でもないだろう」

 

『まさしくその通り……ではあるのだがな。私も驚いている。《ネクロレヴォル》の運用と、そして秘密裏に《サードアルタイル》のパイロットの擁立……。どれもこれも一企業の思惑にしては大き過ぎる』

 

「言っておくが、バックに何が居るのかを詮索するのはお奨めしない。俺にはそういう風に出来てもいない」

 

『ただでさえ短い寿命が縮まるだけだ。今さら戦々恐々としたところで仕方あるまい』

 

 戦士らしい考えだ。

 

 しかし、だとしてもクラードの脳裏には、《サードアルタイル》のパイロットの確保までやってのけた本社の意向がまるで読めなかった。

 

《ネクロレヴォル》の実質的な運用支配まではまだ分かる。だがその後に、エンデュランス・フラクタルは何をしようとしているのか。

 

「……統制の先にある、新たなる秩序構造の刷新……」

 

『世界征服だとでも言いたいのか?』

 

 いつになく冗談めかしたダビデの言葉であったが、クラードには否定も出来ないでいた。

 

「……聖獣を用いての、支配特権層の狙い撃ち。その上で何を築こうと言うんだ。虚飾の玉座だろうに……」

 

『私が懸念しているのは、だ。エンデュランス・フラクタルからの追撃をかわすだけの余裕もなければ、加わって来たエージェント、アルベルトの新型機にだって手が回っていない現状、お前は何を目指すのか、見えなくなっているのではないか、という事なのだが』

 

「……俺が、目標を見失っているとでも?」

 

『実際、そう映る。《ダーレッドガンダム》の過大なる性能を持て余し、そして自身が……波長生命体であったか? そのような存在に成ろうとしている最中に、お前は何を望んで戦場に赴く? これまでのように、奪い返すだけの戦いでいいのか?』

 

「……饒舌じゃないか、ダビデ・ダリンズ。俺の目的は、今も昔も変わらない。奪われたものを、全て、奪い返す」

 

『だがその戦いは虚無への供物だぞ? 本当に果てがあるのか? お前が奪われたという《オリジナルレヴォル》、答えなんて存在しないのかもしれない』

 

「それは……」

 

 このような時に口ごもる性質ではなかったはずだ。

 

 だが、今はダビデの論調に澱みなく返答する事さえも難しい。

 

 ――自分は何のために、誰のために戦うべきなのか。奪われたままの戦いで、奪われたままの戦場で。目的を見失えば自然と足は死へと向かう。

 

「……それは知っているはずだろう、俺は……」

 

 誰よりも雄弁に、語りかけてくるものがある。

 

 死への求心力。

 

 絶望の咎へと、指先がかかっている。

 

 この手が掴むのは、希望か、それとも希望の形を取った遥かなる絶望なのか。

 

 クラードは自らの掌へと視線を落とす。

 

 機械仕掛けの腕――ライドマトリクサーの呪詛が渦巻く。

 

『すぐに返答出来ないのならば、少しは考えたほうがいい。次の作戦指示までには、な』

 

「それは、誰の目線のつもりだ」

 

 凄みを利かせたつもりであったが、最早兵士であるダビデには通用さえもしない。

 

『誰でもない……戦場で肩を並べる戦士の一角として、の……そうだな。助言だと思ってくれていい。通信終わり』

 

 一方的に切られた個別回線に、クラードは《ダーレッドガンダム》のコックピットで深く呼吸する。

 

「……誰でもない、か。助言って言うのが、実は一番効くもんだな」

 

 たとえこの身を預けているのが、悪魔の胎方だとしても。

 

 前に進む事だけが、結果を示し続ける事に繋がるのだろう。

 

 



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第219話「聖獣捕獲任務」

 

 結論は先延ばしにしてもいいのではないか。

 

 そう言った甘い言葉が出てしまうくらいには、自分は少し疲弊していたらしい。

 

 ブリーフィングルームで顔を突き合わせたレミアは即座に断じる。

 

「駄目よ、カトリナさん。あなたが一番分かっているはずでしょう? ……《サードアルタイル》のパイロットに信を置くべきじゃない」

 

「で、でもですよ……。だって彼は……グゥエルさんで……」

 

「そんな彼から、直通回線が届いているわ。……さすがは聖獣、こっちの秘匿暗号通信なんてお手の物ってわけ」

 

 どこか不承気なバーミットは投射画面を繋いでいた。

 

『……何て言えばいいんでしょうね。お久しぶりです、とでも……』

 

「グゥエルさん……!」

 

「失礼、グゥエル・レーシング本人である証を見せてちょうだい。そうでないと回線は即座に切らざるを得ないわ」

 

 レミアの切り詰めたかのような声音に、カトリナは思わず反論する。

 

「ま、待ってくださいっ! グゥエルさんですよ! ……だって間違えようもなく……」

 

「エンデュランス・フラクタル本社は彼をエージェント化した。その過程を間違っては、喰われるのはこちらになるわ」

 

 一時も緊張の糸を切らさないようにしているレミアに、カトリナはおずおずと引き下がっていた。

 

「でも……月軌道決戦で……拾われたんじゃ……」

 

「そんな生易しいものではないのは承知の上でしょう? ……グゥエル・レーシング、あなたはあの時、撃墜されそして戦死した、そのはずよね?」

 

 どうしてレミアはそこまで警戒を解かないのかくらいは、自分でも分かる。

 

 この三年間、エンデュランス・フラクタルは世界を欺いてきた。

 

 その証左が《ネクロレヴォル》と、そして自分達の境遇。

 

 だから、一時でもグゥエルの形を取る相手に、温情など与えてはならない。

 

 それが形式上でも艦長職を全うする事になるのならば。

 

 しかし、カトリナはそこまで切り捨てられないでいた。

 

 奇跡的に生還していた可能性だってある。

 

 ならば、喜ぶべきではないのか――そう楽観的に考える一方で、グゥエルの身そのものが本社の投げてきた爆弾である可能性も捨てきれない。

 

 かつての仲間と同じ姿かたちをして、彼は事実、《サードアルタイル》を用いて都市圏を制圧しようとしていた。

 

 そこに彼の意思があったかどうかは関係がない。

 

 問題なのは、三年前にはただの二軍の兵隊でしかなかったグゥエルが、聖獣を動かすに足る人材へと変貌を遂げている現実である。

 

 エンデュランス・フラクタルのおぞましき技術の粋が、彼の肉体には刻み込まれているはずだ。

 

 その禁忌を警戒しての布陣であろう、ユキノ達を用いての制圧陣形を取っているのは何も間違いではない。

 

 一手でも異常があれば、即座にコックピットブロックを撃ち抜ける距離に、《アイギス》の編隊が位置していた。

 

『……信じてもらおうとは、思っていません。実際、俺も何でここに自分が居るのか……現実認識が追いついていないんです』

 

「その言葉を信じろとでも?」

 

『……いえ、分かっているつもりです。俺はあの後……恐らくエンデュランス・フラクタル本社に収容された。そして人格改造の有機伝導施術を受け、別人格が表に出ている可能性が高いと言う事くらいは……』

 

「別人格……」

 

「だからと言って、あなたの罪が帳消しになるわけでもないわ」

 

 前に歩み出たレミアの有無を言わせぬ物言いに、カトリナは思わず踏み出していた。

 

「ま、待ってください! 本当に別人格だって言うんなら、グゥエルさんに非はないはずですっ!」

 

 レミアは憂いを帯びた泣きボクロの瞳に、厳しい詰問の色を浮かべさせていた。

 

「非はない? 本気で言っているの、カトリナさん。彼は、この世界と言う盤面を突き崩す、聖獣の乗り手なのよ?」

 

「そ、その論理なら、ファムちゃんだって……!」

 

「カトリナちゃん。ファムはずっと医務室で眠っているの。聞き出せるような状態じゃないのは分かっているでしょう?」

 

 バーミットの言葉にも、カトリナはレミアと向かい合ったまま、対峙する姿勢を崩さなかった。

 

 ここで押し負ければきっと、自分は永遠に自らの職務を捨て去る事になるだろうというのは、予感出来ていたからだ。

 

「……私は委任担当官です……っ。凱空龍の人達専用の、窓口……だから、逃げない……っ!」

 

『カトリナさん……』

 

「聞いておくけれど、委任担当官は死ぬ職務じゃないのよ」

 

「分かっています……っ。でも、死にに行くエージェントに何も出来ないのは、じゃあもっと違うでしょう……!」

 

 暫しの睨み合いの後、レミアは嘆息一つで追及を打ち切っていた。

 

「……分かったわ。私は所詮、後から来た人間だもの。三年間戦い抜いてきたあなたの覚悟には敵わないものもある。グゥエル・レーシング君」

 

『は、はい……。何でしょうか』

 

 レミアはグゥエルと向き合い、あろう事か頭を下げていた。

 

 その行動に誰しもが瞠目する。

 

「……ごめんなさい。あの時……月軌道決戦であなた達を守られなかったのは、素直に艦長としての落ち度だった。ずっと……謝らなければいけないと思っていた……」

 

 まさかレミアも痛みを抱えているとは思いも寄らない。

 

 グゥエルはやんわりと、その言葉に首を振る。

 

『……頭を上げてください、レミア艦長。俺達はあの時、使命に殉じられたんです。凱空龍として、だけじゃない。ベアトリーチェを故郷とする人間としての、やるべき事をやっただけ。艦長が気負う事はないですよ』

 

「それでも。私はあなた達の命を投げられるべきと規定した。……どれだけの誹りも甘んじて受けるわ」

 

『……俺も、よく分からないうちに聖獣のパイロットになってしまったんです。自分で選んだ結果でもなく。艦長は、艦長として然るべき判断をしたのに、謝られたら困っちまいますよ』

 

 ようやく頭を上げたレミアは少し涙ぐんでいるようにも映った。

 

「目下のところ問題なのは、《サードアルタイル》を巡って襲ってくると予想される、王族親衛隊ではないのか」

 

 ダビデが話題を切り替える。その言葉に応じたのは特別に同席しているアルベルトであった。

 

「いや、それは……大丈夫だとは思う。万華鏡、ジオ・クランスコールがどれほどなのかは分からねぇけれど、専用機を撃墜したんだ。そう簡単に追っては来ないだろうとは……うちのアイリウムが予測判定を下しているんだ」

 

『“何ですか、その不承気な言い草は。このマテリアが、わざわざ敵の予想陣形まで張っているんです。感謝されてしかるべきでしょう”』

 

 その論調も、ましてその声音も、カトリナは見覚えがあった。

 

「……ピアーナ、さん、じゃ、ないんですよね……?」

 

『“こちらではお初にお目にかかります。わたくしはピアーナ・リクレンツィアの統合データをスタンドアローン化させた《アルキュミアヴィラーゴ》搭載アイリウム。……カトリナ様、でよろしかったですね?”』

 

「あ、はい……。ピアーナさんが戻って来たみたいで、私はちょっと嬉しいかもです」

 

『“それは何よりです。わたくしのオリジナルは貴女に相当ご執心だったようですが、残念ながら分離されたわたくしの性癖はノーマルなので、そういう気分に成れないのが残念ですが”』

 

 その言葉にはカトリナも愛想笑いを浮かべるしかない。

 

 それにしても、とブリーフィングルームを妖精のように駆け回る二頭身姿のピアーナのアイリウム――マテリアはこれまで自分達が培ってきたアイリウム技術の先にあるような気がしていた。

 

「……ピアーナさんの分身……みたいに思えばいいんですかね」

 

「こいつ、ピアーナ本人よりもよっぽど我儘ですんで、適当にあしらってもらって構いませんよ」

 

『“何ですか、その言い草は! わたくしの建てた作戦立案書、要らないんですか?”』

 

「ほら、すぐヘソ曲げちまうんです。こういうところ、ピアーナにはなかったでしょう?」

 

 渋面を作ったアルベルトに、マテリアはポカポカとその小さな手で殴りつける。

 

『“偉そうに言わないでくださいまし! アルベルトさん、搭乗者がそのようなものだから、もっと上手くやれた局面を逃すんですよ!”』

 

「へいへい。……ったく、これじゃピアーナを抱えて帰還したほうがマシだったな」

 

 その言葉繰りに思わず笑顔に成ったのはカトリナだけではなく、バーミットやレミアも、であった。

 

 ダビデは不承気に腕を組んで憮然とする。

 

「……そのアイリウム、作戦立案まで可能だと言うのか?」

 

『“伊達にアイリウムだと思わないでください! オリジナルのわたくしが培ってきた技巧は全て、このマテリアの物となっております!”』

 

 ふふん、と自慢げに胸を反らすマテリアに、ダビデは小首を傾げる。

 

「分からんな。技術と言うものはいつだって、兵士には遠い代物だろうから」

 

『“その技術を第一線で使うのが兵士のはずでしょう? トライアウトのダビデ様、貴女は少し軽率が過ぎます”』

 

「むっ……そうか。そう言われてしまうのか……」

 

 まさかダビデを言いくるめるとは、とカトリナは舌を巻いていた。

 

「でも、マテリア……でいいのかしら、呼び方は」

 

『“レミア・フロイト艦長。何なりと、好きな呼び方で構いません”』

 

「次の作戦として立案されたこのミッションだけれど、どう考えても布陣の中に《サードアルタイル》を組み込んでいるように思うのは私だけかしら?」

 

『“何を仰います。鹵獲したのならば使わないと損でしょう? 《サードアルタイル》だけではありませんよ”』

 

 カトリナも作戦に目を通して、当惑していた。

 

「……鹵獲していた《ネクロレヴォル》も使って……ですか?」

 

『“ゴースト、スリー、でしたっけ。彼女のデータはわたくしのほうが詳しい。それを分析した結果、戦力として組み込むのならばその位置と判定したのです”』

 

「……前回の戦闘から猶予も経っていない。騎屍兵を丸め込めるのか?」

 

『“わたくしのオリジナルは騎屍兵団の師団長ですよ? それくらい造作もありません”』

 

 自信満々なマテリアにブリーフィングルームに集った全員が困惑していた。

 

「……おい、マテリア。ゴースト、スリーの説得にオレが充てられてんのは、何かの当て付けか?」

 

『“失敬な。わたくしのオリジナルでもそうした、と言う判断ですよ。彼女には正式にオフィーリアの戦力になってもらいます。そのためには、一度は対面が必要でしょう?”』

 

「……ボスの命令……って言うか、そのコピーの命令で動くのかよ、騎屍兵は」

 

『“動きますよ。殊に、彼女のデータベースならば。アルベルトさん、少しはわたくしを信用してくださいまし。貴女の機体の専属アイリウムなんですからね”』

 

「とは言っても、てめぇだって信用なるかって言えばそうじゃないだろうが……」

 

 後頭部を掻いて困り果てているアルベルトに、カトリナは声をかけようとして、少し躊躇いが出てしまう。

 

 その陰鬱な間を相手も感じ取ったようで、アルベルトは自ずと視線を逸らしていた。

 

『“何です? 何か気まずい事でも?”』

 

「お前……そこは言わないもんだろ」

 

『“人間と言うのはこれだから性質が悪いのですよ。過去の遺恨があろうがなかろうが、それでも手を組むほうが合理的と判断されれば、そうするのが理想でしょうに”』

 

 ピアーナと同じ声のマテリアにそう諭されれば、どこかそれはピアーナの本音のようで、カトリナは咳払い一つで調子を取り戻し、アルベルトと向かい合っていた。

 

「あ、アルベルトさん……っ!」

 

「あ、はい……。何……ってとぼけている場合でもねぇか。カトリナさん、何となく話すのが難しいってのはずっとだったんですが、……どう言っちまえばいいのかな……」

 

『“――好きなんでしょう?”』

 

 出し抜けに放たれたマテリアの言葉に、アルベルトは顔を真っ赤にして大仰な動作で否定する。

 

「バ――ッ! 何言ってんだ、マテリア! オレがいつ、そんな事を――!」

 

『“いえ、そうではなく。カトリナ様が立案される作戦に沿う事が好きなのでしょう? どうせ。それでわたくしの案に乗り気ではないだけで”』

 

 これは藪蛇と言うものであったのだろう。

 

 まんまと言葉を引き出されたアルベルトは紅潮した頬を掻く。

 

 カトリナも思わぬ告白に戸惑っていた。

 

「えっ……いや、それってその……どういう……」

 

「鈍いのねぇ、カトリナちゃん。アルベルト君も。いつまでも先延ばしにしたんじゃ、男が廃るってものよ?」

 

 バーミットが面白がって口を挟んだ事で、つまりは「そういう事」なのだと、鈍い自分でも分かってしまう。

 

「……えっ、えっ……。でもアルベルトさん、そんな事、一度だって……」

 

「……言いましたよ。カトリナさんの親父さんが死んだ時に、どさくさでしたけれど。……でも、こんな風に改まって言う事になるなんて思わなかったっす……」

 

 作戦立案の場でまさか好意を露見されるとは思っておらず、カトリナは当惑していた。

 

「いや……あ、嫌じゃないんですけれど……でも、えー……だってアルベルトさん、そんなの勘付かせなかったじゃないですか……」

 

「女に勘付かれるほど、オレもデリカシーがないワケじゃねぇって事ですよ……。ったく、せっかく帰投したのに、こんなのあんまりだぜ……」

 

 気まずい沈黙を挟んだ後に、カトリナはアルベルトの気持ちと真正面から向かい合っていた。

 

 きっと彼はずっと、その気持ちを押し殺してきたのだろう。

 

 ならば、応じるべきなのは――。

 

「その……でも、ごめんなさい……。私、アルベルトさんの告白はその……受けられません……」

 

「分かってますよ、それくらい。……分かっていたから、保留にしたのもあるんですが……」

 

「あれー? じゃあカトリナちゃん、今はフリーって事?」

 

「ば、バーミット先輩! 今は作戦立案中ですよっ!」

 

「ふふーん。じゃあカトリナちゃんは好きな人、もう居るんだ?」

 

「そ、それはですね……」

 

 完全に固まってしまった事で、何よりも雄弁に語ったようなものだ。

 

 ダビデが大仰に咳払いする。

 

「……いいだろうか? 作戦の立案中のはずだ」

 

「お堅いわねー、ダビデちゃんは」

 

 バーミットの怖いもの知らずの論調は無視して、ダビデは投射画面の作戦を読み上げる。

 

「マテリアとか言うアイリウム。この作戦は、《ダーレッドガンダム》の能力を十全に活かした編成だが、エージェント、クラードにはこの事は?」

 

『“既に同期済みです。無論、彼は了承しましたが”』

 

「……そうだとしても、前提条件が厳しいのではないか? ダレトを開くなど……」

 

 この場において全員が脳裏に想定していた言葉を、ダビデは代弁していた。

 

 ――今次作戦の遂行には、《ダーレッドガンダム》の能力の一つである、ダレトを開く力が必要不可欠、と。

 

『“無茶だとは思っていませんよ。前回、そういうデータがあったのは知っていますし、これはわたくしのオリジナルが想定していた事象ですが、《ダーレッドガンダム》には超空間を形成する能力がなければ説明がつかない、とも”』

 

「……だとしても、それを行使出来る《ダーレッドガンダム》は、では何だと言うのだ」

 

「――モビルフォートレス……」

 

 赴くところの先を、呟いたのはアルベルトであった。

 

 全員の視線が集まる中で、彼は眼差しを上げる。

 

「……レミア艦長、あんたはそう言っていたはずだ。《レヴォル》はモビルフォートレスだった。なら、《ダーレッドガンダム》だってそれに類しても何もおかしくはないはず……」

 

 確かに《ダーレッドガンダム》がMFであるのならば、全ての事象に説明は付くのだが。

 

「……そうだとして、クラードさんは何なんです? MFを動かせる人材なんて……」

 

「それは分かんねぇですけれど、でもクラードも……きっと何かを感じ取っているはずなんです。そうじゃねぇと、あいつの覚悟だとか、そういうのも説明は付かないでしょう」

 

「波長生命体……か。何故あのような事を言い出したのかも、搭乗機が聖獣の一角であるのならば……。しかし、そうだとして、この作戦には無理がある。聖獣相当の戦力を二機、駒として使えとでも?」

 

 ダビデの反論にマテリアは封筒を頭上に掲げ、それを捲って読み上げる。

 

『“エンデュランス・フラクタルが聖獣を使えたのです。こちらで使えないという事はないのでは?”』

 

「そうではない……これは気持ちの問題だ。つい先刻まで敵のものであった機体と、そして不明瞭な動きを繰り返す機体、その二つを要とするのは……やはり困難なものを感じざるを得ない……」

 

 ダビデの論点は正しいのだろう。

 

 聖獣を作戦の一部として組み込む事もイレギュラーならば、《ダーレッドガンダム》の未知なる兵装を当然のものとして運用するのもリスクは高い。

 

『“そのための作戦なんですがね。《サードアルタイル》を撃ち抜いた高重力砲撃のデータは、皆さん参照出来ていますね?”』

 

「……これって……三年前のデータ照合と……」

 

 アルベルトの声音にマテリアは断定する。

 

『“ええ、一致する。よって《サードアルタイル》を中破させた攻撃は、MF06、《シクススプロキオン》の高重力砲撃であると想定します。これは《ダーレッドガンダム》のレコード内にも一致するものがあり、ほぼ間違いないでしょう”』

 

「……地上に《シクススプロキオン》が堕ちてきたって言うのか?」

 

『“エージェント、クラードと《ダーレッドガンダム》の記録情報の中には、さらに細分化された《シクススプロキオン》の姿かたちがあります。これは……ほぼ砲撃器官ですね”』

 

《ヴォルカヌス》が複雑怪奇にうねった砲身の引き金を抱えている映像に、この場に集った者達は絶句していた。

 

「どのような結果かは分からないけれど、地上へと聖獣が放たれたのは間違いないわけね……」

 

『“しかも、この状態は恐らく不完全か、あるいはほぼ死に体だと推定されます。三年前に《フルアーマーレヴォル》が戦闘した形状とまるで異なる。何者かが《シクススプロキオン》の遺骸を再利用し、高重力砲撃器官として地上運用を計画していた、と”』

 

「末恐ろしいもんがあるな。あれほどの威力の重力砲撃を、地上で使われるなんざ……」

 

『“だからこそ、です。次の作戦で必ず、物にしなければいけない。わたくしは改めて、地上に堕ちた聖獣の捕獲作戦を提唱します”』

 

 そう、これは強襲作戦ではなく――第六の聖獣の捕獲作戦なのだ。

 

「……位置情報の割り出しは出来ているけれど、ダレトを開いてそこにクラードを……と言うのは、現実的とは思えないわよ」

 

 レミアの提言にマテリアは別のデータを参照させていた。

 

『“空間跳躍を特別なものと捉えればそうでしょうが、既にエージェント、クラードは何度もそれを行使しています。ポートホーム技術の運用延長線上にあると考えれば、精神衛生上いいのでは?”』

 

「でも、ポートホームの技術は決まった場所に物を運ぶ程度で……」

 

『“技術革新は現場から行われるものです。《ダーレッドガンダム》の性能ならば、それは届く”』

 

「ピアーナ……じゃない、マテリア。この作戦を遂行するにしても、クラードの負荷が強過ぎるように感じるわ。それでも、なのよね?」

 

『“それでも、です。そうでなければ我々は勝てないでしょう”』

 

 覚悟を問い質したバーミットに確証めいた声音で返答したマテリアに、彼女は髪をかき上げていた。

 

「……オーケー、分かった。艦長、それにカトリナさんも。荒唐無稽だとか言っている状態はもうとっくに過ぎたのかもね。何よりも、聖獣を使えれば、私達の陣営は一気に戦力が拡充される。断る義理もないでしょう」

 

「……でも、クラードさんが無茶しちゃうのは……」

 

「あいつだけの無茶じゃないわ。あたし達全員で無茶無謀を通り越さないと、この作戦は達成不可能。要はこれまで通り、あたし達は自分達の力を信じて、無理を承知で貫き通すのよ」

 

 無理を承知で、とバーミットが付け加えたのはきっと、自分の感情も慮っての事なのだろう。

 

 クラードにこれ以上傷ついて欲しくないと考えている、自分の弱さを――。

 

「マテリア、作戦開始までの所要時間は?」

 

『“三時間後、それまでに全てをこなす必要性があります”』

 

「……簡単に言ってくれるのも、ピアーナが帰ってきたみたいね。カトリナさん」

 

「は、はい……」

 

「今は、沈んでいる場合でもないわ。グゥエル君の搭乗する《サードアルタイル》のメンテナンスまでは難しい。オフィーリア積載の全MSの整備を優先。……この作戦、信じましょう。それくらい楽観的になっても、いいはずでしょうからね」

 

 状況自体は重く凝っている。

 

 それでも、マテリアの提唱した作戦は希望の光となるはずであった。

 

「……仕方ないだろうな。私は兵士だ。決定には異を挟まない」

 

「あら、それにしてはダビデちゃん、ちょっと突っかかっていたみたいだけれど?」

 

 この場でダビデをからかえるのはバーミットくらいなものだ。

 

 ダビデは恨めしげな視線を一瞥してから、ふんと呼吸する。

 

「……少しはそちらの楽観視を、信じてみたい時だってある」

 

「だ、そうよ、カトリナちゃん」

 

「ええっ……何で私……」

 

「だって、委任担当官なんでしょう? グゥエル君の事も、帰って来たアルベルト君の事も、カトリナちゃんが責任持たないと。あ、でも振っちゃった手前、アルベルト君は合わせづらいか」

 

「も、もうっ……バーミット先輩っ!」

 

 茶化されれば照れもするが、今はその軽口が何だかありがたい。

 

 カトリナはアルベルトへと、視線を向けていた。

 

「……アルベルトさん、その、私……」

 

「いえ、いいんです、カトリナさん。そういうんじゃないって事くらい、分かっていたつもりっすから。……クラードをよろしく頼みます」

 

「へっ……何にも言ってないのに……」

 

「……そういうところっすよ。分かりやすいっての」

 

 虚を突かれていると、アルベルトは少し恨めしげな論調を返していた。

 

 言われた意味を理解した途端、顔が熱を帯びていく。

 

「はわわわっ……私は……っ」

 

『“カトリナ様。ヴィルヘルム、という有機伝導技師の医師が居ると聞いていましたが”』

 

 割り込んできたマテリアに、カトリナは戸惑いつつも応じる。

 

「ふぇっ……あ、ええ。そう言えばヴィルヘルムさん、来なかったけれど……」

 

『“ゴースト、スリーの件で、彼が一番分かっていそうなので、アルベルトさんと同伴させます。いいですね?”』

 

「あっ、それは……はい。でも、ヴィルヘルムさん、こういう時には絶対に居るものなのに……シャルティアさんも……?」

 

 



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第220話「脆い背中」

 

「――起きて構わない」

 

 声を投げられ、シャルティアは身を起こす。

 

 僅かに疼く左肩を覗き込むと、ひし形の有機伝導の痕跡が赤く煌めいていた。

 

「……こんな簡単に出来ちゃうんですね……」

 

「来英歴においては思考拡張はほとんどアクセサリーのようなものだ。それでも、基本的には施術しないのが一般的だが」

 

 ヴィルヘルムは煙草を吹かそうとして自分の視線に気づいたようであった。

 

「失礼。禁煙は半日と持たなくなったな」

 

 シャルティアは服飾を整え、エンデュランス・フラクタルの制服へと袖を通す。

 

「……もっと早く、こうするべきだったと思うんですけれど……」

 

「いや、アルベルト君が帰って来たんだ。ある意味では適切なタイミングだっただろう」

 

「……ヴィルヘルム先生は、アルベルトさんが死んだんだと……そう思っていたんですよね……」

 

「帰ってこない仲間を思って泣くよりかは、精神的にいいと言うだけだ。お奨めはしない」

 

「……意外です。ヴィルヘルム先生も泣けるんですね」

 

「……君はわたしを何だと思っているのかな。いや、だらしがない大人の一員だと思われているんだろうが」

 

「分かっているんじゃないですか」

 

 肩口の思考拡張の痛みに顔をしかめると、ヴィルヘルムは煙草を手の中で弄ぶ。

 

「少し痛むのが数日続くだろう。馴染むのには一か月、それが目安だ」

 

「……この痛み、シンジョウ先輩も背負っているんですよね」

 

「わたしが施術したわけではないがね。彼女も一端に成ろうとこの三年間必死だった、それだけさ」

 

「それを私は……分かんないって駄々を捏ねて……子供なのはどっちなんだって話ですよ」

 

 ベッドの上で膝を抱いたシャルティアに、ヴィルヘルムは天井を仰いで言いやる。

 

「……後悔ならば出来るだけ具体的に述べておくといい、これは処世術だが」

 

「何だって言うんです?」

 

「後々、理由のない苛立ちに、煩わされずに済む。……っと、何かな、その眼は」

 

 自分の視線がどこか追及のものになっていた事に気付いたのだろう。シャルティアはため息をついていた。

 

「……それって、ズルい大人の言い分ですよ」

 

「いけないかな? わたしは言ってしまえば、ズルい大人の領分だよ」

 

「……アルベルトさん、帰って来たのに忙しそうで……私なんかが想ったってしょうがないのかなって」

 

「そんな事はないだろう。委任担当官に想われるのはエージェント冥利に尽きるはずだ」

 

「ヴィルヘルム先生は? ……前職がエージェントの育成だったと聞いていますが」

 

「育成なんて綺麗なもんじゃない。わたしがやって来たのは洗脳教育だ。……特にクラードは、ね。彼には重荷を背負わせた。クラードなんて名前、空席じゃないほうがよかったはずなんだ」

 

 手の中の煙草に視線を落としたヴィルヘルムに、シャルティアは問いかける。

 

「……後悔してるんですか。ヴィルヘルム先生でも」

 

「後悔、か。懺悔を星の数ほど並べたところで、彼の積み上げてきた骸の数には遠く及ばない。クラードは自分自身でさえも殺している。殺し殺されの果てに、彼は生きているのだろう」

 

 エンデュランス・フラクタルのエージェントは、本社の意向のままに潜入し、その職務を全うする――そう聞かされて自分は委任担当官に成ったはずだ。

 

 クラードの経歴も頭に入っている。

 

 だがそれは「知って」いただけだ。

 

 彼自身の事を何一つ、「識って」はいない。

 

「……私、すごい失礼な事を言っちゃったのかもしれません。素直に尊敬なんて」

 

「何だ、猪突猛進なだけが取り柄の委任担当官が泣き言なんて珍しいじゃないか」

 

「言わないでくださいよ。私だって……少しナイーブな時はあります」

 

 膝を抱えて蹲る。

 

 クラードの事を考えもしない発言であったな、と自らの迂闊さを呪う。

 

「……一つ助言しておくと、そういうスタンスは悪いわけじゃない。君の先輩がまさしくそうだ。冷や冷やしたもんだよ。地雷を的確に踏み抜いていくのだからね」

 

「……シンジョウ先輩みたいに、強くなれませんよ……」

 

「言ってやるな。彼女とて、万能の強さじゃない。それでも、前を向いて、そして右足と左足を交互に出す、それを強さと呼ぶのならば、きっとささやかなものなのだろう」

 

「右足と左足を、交互に出す……」

 

「そうすれば嫌でも進める。当たり前の事だが、人間は足を止めた時に案外、思い至らないものさ。そんな単純な事実でさえも」

 

 シャルティアは自分の剥き出しの足を眺めていた。

 

 まだ本当の挫折を知らない、しなやかな足首とピンと伸びた爪先。

 

 折れて、折れて、それでも前に進むと決めた人間の爪はきっと、こんなに綺麗ではないはずだ。

 

「……アルベルトさん、まだ戦うつもり……なんでしょうね」

 

「委任担当官としては戦いをやめさせたいのかな?」

 

「……怖くなっちゃった、のもあるんだと思うんです。自分が命を賭して、最後の最後まで面倒を看ると思っていた人が、不意に死んじゃうって言うのは。何て言うのかな、胸の中心に大きな穴がぽっかり空いちゃったみたいに……」

 

 あのような喪失感を二度も三度も味わうのは御免だと思う一方で、カトリナはその喪失感を踏み越えて三年間、ずっとクラードを待ち続けてきたのだと確信する。

 

 彼女は強い。

 

 きっと、この艦で一番に。

 

 それでも、自分の強さ弱さを表裏一体だと感じているからこそ、脆さも際立つ。

 

「委任担当官の職務と言うのは、ある日突然、要らなくなる物なのかもしれないな。わたしも、クラードにはもう必要ないのだと、そう言われてしまったかのようだった」

 

「……波長生命体だとか言うの、ヴィルヘルム先生は、信じて……?」

 

「信じるも何も、わたしがその事実に一番肉薄している。……肯定せざるを得なかったさ。クラードがそう言うのだから、それを体現しているのだと」

 

「でも、急にそんな風になっちゃうなんて、変じゃないですか。血が蒼いってのも、仕込みなんじゃ……」

 

「クラードはそんな下らない事はしない。それが……分かってしまっているからこそ、効くんだろうな、わたしのような人間には。クラード……お前はあの時、テスタメントベースで何を得たと言うんだ。何を……失ったと言うんだ……」

 

 それはヴィルヘルムの懺悔のように思われた。

 

 データ上でしか知らない月軌道決戦の一幕である、テスタメントベース。

 

 その場に集った人々の中にはアルベルトやカトリナも居たと聞く。

 

 一体彼らは何と遭遇し、そして何を決意したと言うのか。

 

 当人達にしか分からない事とは言え、そこまで思い至らせるのには理由があるはずだ。

 

「……私、作戦指示を受けに行きます。ブリーフィングにも欠席しちゃいましたし」

 

「ああ、それはわたしも似たようなものだ。艦長のお叱りを受けるとするか」

 

 椅子から腰を浮かしかけたところで、扉がノックされる。

 

「どうぞ」

 

「失礼します。……って、シャル。何でここに居るんだよ」

 

「アルベルトさん……。あっ、これはその……」

 

 衣服が乱れていたのをアルベルトは咎めるかに思われたが、彼の意識は奥に座るヴィルヘルムに注がれていた。

 

「……ヴィルヘルム先生。ここに来たって意味、分かっていますよね」

 

「ああ、件の騎屍兵の説得か。わたしが必要な局面なんてその程度だろう」

 

「……オレも同席します。どうやらそうしないといけないようなので……」

 

『“アルベルトさんは先延ばし癖が過ぎます! もう作戦開始まで二時間前ですよ!”』

 

 ひょっこりと現れた二頭身の少女のアバターに、シャルティアは面食らう。

 

「それ……アルベルトさんの乗って来た機体の……?」

 

「ああ、専属アイリウムだ」

 

『“マテリアと申します。……名付け親がアルベルトさんなのは、少し癪ですが”』

 

「この通り、口が減らないヤツでな。仲良くは無理でも、面倒くさがらずにいて欲しい」

 

『“何ですか、その言い草は! わたくしはこれでも、オリジナルのわたくしよりも性能がいいんですよ!”』

 

「へいへい、分かったよ、ったく。……シャル、どうしたんだ? 何かあったのか?」

 

「いえ、別に……。騎屍兵との面談って……」

 

「ゴースト、スリーに、次の作戦の協力を頼むんだよ。ヴィルヘルム先生、出来ますよね?」

 

「ああ、有機伝導施術師として、何よりも騎屍兵と言う仕組みを少しばかり理解したわたしの協力は不可欠だろう。アルベルト君、そしてマテリア、よろしく頼む」

 

「いえ、こっちこそ……。あ、シャル」

 

「何ですか。って言うか、シャルティアですけれど……」

 

「いや、ハッキリ言っていなかったと思ってな。……心配させて悪かった、帰って来たんだから、委任担当官には謝っておくべきだろ」

 

 アルベルトが素直に謝ってくるとは想定しておらず、シャルティアは少しばかり呆気に取られる。

 

「いえ、その……。私もその……覚悟が足りなかったんだと思いますし。もういいですよ、気にしてません」

 

「それ、気にしてるヤツの口調だろ。……何なんだよ、何か……いつもと違うぞ?」

 

 こういう時には目聡いのだ、とシャルティアは思考拡張を施した肩口を庇いながら応じていた。

 

「何でもないんです! ……本当、アルベルトさんってばそういうところが……」

 

「何で怒ってんだよ。……まぁ、何でもねぇんならいいんだ。オレはもう、どこにも行かねぇ。それだけは約束するからよ」

 

 医務室を後にした二人に、シャルティアは何か言いそびれたような気がして深呼吸する。

 

「……私も他人の事、言えないかな。素直に成れないなんて……」

 

 



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第221話「氷の姫君」

 

 既に行動権限は一般レベルまで下がっているはずだったが、それでも自分の居場所はここだとでも言うように、ゴースト、スリーは自傷防止処置が成された部屋で蹲っていた。

 

 雪化粧のような真っ白な髪と、ぞっとするような美貌は損なわれていない。

 

 まさに、亡霊。

 

 行き会えば、その直後には死の淵へと落とし込まれるだろう。

 

 薄紫の瞳を向け、スリーは声にする。

 

「私の処遇でも決まったのか」

 

「ああ、一応はね。アルベルト君、いいかな」

 

 声をかけたのは自分の口から言うべきなのだと、ヴィルヘルムが判断したからだろう。

 

「騎屍兵の……その、あんたには次の作戦にも継続して参加してもらいたい」

 

「そうでなければ鹵獲した《ネクロレヴォル》を破壊でもするか」

 

「……いや、そうじゃねぇ。……そうじゃねぇはずだ」

 

「アルベルト君?」

 

 疑問を発したヴィルヘルムに、アルベルトはきつく瞑目した後に声にしていた。

 

「……騎屍兵の、あんたの同僚に会った。オレの仲間だったヤツの顔をしていた」

 

「死の隊列は時に行き会う者にとって最も邪悪な顔を取る。そういうものだ」

 

 きっとこれまでならば信じられなかっただろう。

 

 だが、二度も目にしたのならば、それは最早逃れられない現実そのものだ。

 

「……トキサダを、オレは助け出したい。手ぇ貸してくれ」

 

「トキサダと言うのが我々の一員であったのならば、彼はこう言ったはずだ。もう迷わない、とでも」

 

 騎屍兵の生き方を、彼女は強制されたでもなくその身に馴染ませている。

 

 きっと、そうでしか生きていけなかった――否、死に切れなかったのだ。

 

 死者として現世を闊歩するのには、まともな状況判断は邪魔になる。

 

 だから、こうも切り詰めた声で自分を拒絶するのだろう。

 

 ――トキサダがそうであったように。

 

「……だが、オレだってもう、迷いは捨てた。トキサダを……オレの我儘でもいい、もう一度仲間にする。そのためなら手段は選ばねぇ」

 

「アルベルト君、しかしそれは……」

 

「私の力を借りてでも、か? 忌まわしい亡者の手だぞ、これは」

 

 そうなのかもしれない。

 

 地球圏の統制を行ってきた騎屍兵の一角だ。

 

 彼女にも矜持があるはず。

 

 だが――そんなもの知った事か。

 

「……オレは自分の信念に殉ずるだけだ。信念のためなら死んでもいい」

 

 先ほどシャルティアにかけた言葉とは正反対になるが、その覚悟は胸にあった。

 

 自分をこれ以上騙して、生きていたくないだけなのだ。

 

「アルベルト君は一度、死の淵を経験している。だからこそ、言えるのだろう。どうだろうか、ゴースト、スリー。君の戦力があれば、盤石だと、このアイリウムが言っている」

 

『“聖獣、《サードアルタイル》と騎屍兵、《ネクロレヴォル》があれば、わたくしの提唱した作戦は完璧です。どこにも隙なんてありません!”』

 

 ふふんと胸を反らしたマテリアに、スリーは奇異なものを見る目を向けていた。

 

「……よく喋るアイリウムだ」

 

『“そちらこそ、思ったよりもお喋りだったのですね、騎屍兵と言うのは。わたくしのオリジナルとはそんなに会話ログはなかったですよ?”』

 

「……リクレンツィア艦長のアイリウムか?」

 

 ようやくその段になって繋がりが見えたのだろう。

 

 スリーは、なるほどと承服する。

 

「あの人も今の体制には疑問があるわけか」

 

「ピアーナがアルベルト君に預けたんだ。彼女もエンデュランス・フラクタルに従うだけの人間じゃない」

 

「抗いを、か。しかしその結果、何も残らないかもしれない。騎屍兵に何を求めると言うんだ。もう死んだものとして扱われる人々だぞ? 彼らが何を見て、何を感じて、戦地を統制して回っていたのか、生者であるそちらに分かるとは思えない」

 

「分かろうと思ってるんじゃねぇ。オレだってトキサダの痛みまでは背負えねぇだろうさ。だがな、これだけは言える。――あいつは副長で、オレがヘッドだ。凱空龍で交わした盃、嘗めるんじゃねぇ」

 

 今日この日に至るまで、三年間、封殺し続けた思いであった。

 

 凱空龍の名を自分の口で語るのは、死ぬ直前で構わない――そう規定していたアルベルトは、少しでも希望が見えたのならば、と。

 

 何故ならば、その希望が目の前にあるのだ。

 

 ならば手を伸ばさないほうがどうかしているだろう。

 

「……理解出来ない。そんなもの、脆く崩れるだけの代物だ。生前の事など、我々は皆、忘れている」

 

「だったら、ゲンコツで思い出させるまでだ。それが凱空龍の在り方なんだからよ」

 

 ヴィルヘルムは暫しの沈黙の後に、スリーへと提案していた。

 

「どうだろうか。アルベルト君が前衛、君が後衛、その立ち位置だけはハッキリさせている」

 

「後ろから撃ててもいいと言うのか」

 

「撃てるものなら、撃ってみやがれ。オレはもう死なねぇよ」

 

 スリーの透明度の高い瞳と向かい合う。

 

 マイナス百度の煌めきを持つスリーの視線と交錯したのも一瞬、彼女は瞑目していた。

 

「……言っても聞かない性質だ。応じよう」

 

「感謝する、これは、型式だが」

 

 握手を求めたヴィルヘルムに、スリーは自分へと向き直る。

 

「……こっちが礼儀だ」

 

「お、オレ……?」

 

 差し出された白磁の指先に、アルベルトは戸惑ってしまう。

 

「なるほど、確かに。君を説得したのはアルベルト君だ。ならば、それが流儀だろう」

 

「いや、でもヴィルヘルム先生……それってのは……」

 

「前を任せる。私は後ろだ、その明瞭な部分だけでも間違えなければいい」

 

 断言され、アルベルトは手を握り返す。

 

 しなやかだが、それでも人間のぬくもりがある手であった。

 

「……ああ、頼むぜ、その、ゴースト、スリー――」

 

「シズク、だ。もしもの時に呼びにくい呼称では困るだろう。ここでは皆、名前を名乗っている。ならばその流儀に従おう」

 

「シズク……」

 

「――シズク・エトランジェ。私の生前の名だ」

 

 そう名乗ってくれたと言う事は信じてくれたと言う証なのだろうか。

 

 それとも、一時的な協定に持ち込むだけの、ただの記号だとでも言いたいのだろうか。

 

 いずれにせよ、アルベルトにとっては大事な名前であった。

 

「……ああ。オレも背中を任せるんだ、名前があったほうがいい。頼んだぜ、シズク」

 

 呼ぶと、スリーは――シズクは少し戸惑ったように瞠目する。

 

「どうした? 発音が変だったか?」

 

「いや……こんな事も、あるのだな。死んだはずの身で、もう一度、誰かの口から自分の名を聞くなんて……」

 

 アルベルトは指摘しなかったが、この時のシズクは傍目にも――まるで死者だとは思えなかった。

 

 人がそうするように、少し照れたのが、窺えたからだ。

 

「……作戦開始は一時間四十分後。既に《ネクロレヴォル》は整備済みだ。君は格納デッキへと赴いて欲しい」

 

「ああ。……よろしく頼む、お前は……」

 

「アルベルト・V・リヴェンシュタインだ」

 

「そうか。ではアルベルト、そちらの作戦指揮下に入る」

 

 その言葉一つで彼女の迷いは振り切れたのが戦士の眼差しで分かる。

 

 アルベルトは一つ頷き、身を翻していた。

 

 扉を潜ったところで、ヴィルヘルムが肘で小突く。

 

「やるじゃないか。氷の姫君の心を開くなんて」

 

「そんな大層なもんじゃないですよ。それに……オレもいっぺん、死んだみてぇなもんだ。気持ちは、分かんないでも、なかったですからね」

 

「しかし、君の言っていた事の次第は重大だぞ。トキサダ君をもう一度、わたし達の仲間に加えるとなると」

 

「……やっぱりまずかったですかね。断言しちまうのは」

 

「いや、そのほうが君らしい。……三年前を思い出すな。無鉄砲なだけが取り柄だった、若かりし君達を。わたしのような人間には、君らの行動力は素直に眩しかった」

 

「よしてくださいよ。そこまで老け込んだわけでもないでしょう」

 

 ヴィルヘルムは煙草に火を点け、いいや、と頭を振っていた。

 

「老け込んださ、もう随分とね。……未来を切り拓くのは、旧態然とした老人のそれではない。時代は、いつだって若い息吹を求めている」

 

「何ですか、それ。誰の言葉です」

 

 その問いかけに、ヴィルヘルムは紫煙をたゆたわせ、分かり切っているようにウインクする。

 

「引用不明、だな」

 

 



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第222話「欺瞞と虚飾」

 

「艦内に火災警報。加えて、《ネクロレヴォル》改修機を一機失う、か。随分とやられたものだな」

 

 医務室で治療を受ける自分へと声を投げたのは先の戦闘で自らも負傷したヴィクトゥスであった。

 

「……あんたに言われる義理はない」

 

「ヘルメットを、もう被らないのか? あれは君らの矜持だろう」

 

「……おれにはもう、必要ないんですよ。死者である事をやめると言うのならば……!」

 

「その声音、怨嗟が混じっているように聞こえる。それは死への誘因だぞ」

 

「……あんたには分からないんでしょうね。死んだと言っても、あんたは席がある。おれ達にはなかった。一度死の穴倉に潜ってしまえば……もう二度と陽の光は拝めない……そういう理だったはずなんだ」

 

「そうでないとでも言いたげだ」

 

 ヴィクトゥスは傍目に見ても重傷に映る。

 

 それでもベッドに腰掛けもしないのは彼なりの気遣いか、それとも掲げた胸の矜持か。

 

「……分からない。何も……分からなくなってしまった。トゥエルヴが死んだ、スリーは相手に鹵獲された。……イレブンは、聞けば笑うでしょうけれど、おれをかつて墜とした怨敵だった……。信じられますか? 全てが一日で覆ってしまったみたいなもんです。おれの重ねてきた功罪を、見せつけられているんですよ、あいつの形で……アルベルト……!」

 

 骨が浮くほど握り締めた拳に、ヴィクトゥスは天井を仰いで呟く。

 

「死に囚われてはいけない。これは年長者なりのアドバイスだ。私は一度死に、それでもこの現世に舞い戻ると決めた。厚顔無恥に見えるだろうが、それは私の求めている戦場がまだ、この現実に存在すると知っているからだ。私は、万華鏡との戦闘程度で後れを取るわけにはいかない。彼が、そんな私と踊ってくれるはずがないからだ」

 

「……彼……」

 

「美しき獣には、同じく美しき戦場が必要。それこそ世の理、覆ってはいけない摂理そのものだ。私は、求め続けているのだよ。彼と……クラード君と踊れるだけの、一刹那の舞踊を。その時が来れば喜んでこの残りカスの命、燃やし尽くそう」

 

 ミラーヘッドの蒼に染まった眼差しにはまるで迷いがない。

 

 ヴィクトゥスはある意味では戦闘狂なのだろう。

 

 しかし、自分よりも正しい道を歩んでいるようにも見える。

 

「……死者の幻に足を囚われているのは、おれのほうだって笑いたいんですか」

 

「まさか。嗤えば魑魅魍魎に堕ちると言うものだ。私は君達の戦いを誇れどすれ、嗤う事などない」

 

 心底、清廉潔癖であろうとするヴィクトゥスの声音に、どこか気後れしたのは間違いではない。

 

 しかし、今さらどうしろと言うのだ。

 

 死者として闊歩し続けた三年余り――それを無為だと言いたくはない。

 

「……死人には死人の意地ってもんがあります。おれは……死者の矜持を、こんなところで失いたくない。だって、ここに来るまででも随分と死んだ。騎屍兵だから、もう既に死んでいるからなんて関係がない。おれは、ただおれの我儘のために、彼岸に行っちまった連中の死に様を、無碍にするのだけは嫌なんです」

 

「生き様ではなく死に様を説くか。確かにそれは、君達にしか出来ない論法だ」

 

 そうだとも。

 

 もう真っ当に生きるなんて事は諦めの向こうに置いて行っている。

 

 今は、一手でもいい、死に様を描くべきだ。

 

 クラードに勝つ事が不可能に近くとも、たとえこの道を阻むのがアルベルトだとしても――自分は自分に恥じない戦いをしたいだけ。

 

「……おれはもう死者、トキサダ・イマイとして、燃え落ちた命一つを振るう恩讐の徒だ」

 

「なるほど、それも構わないだろう。だが一つだけ忠告をするのなら、気を付けたほうがいい。彼らは手強いぞ」

 

「それこそ、説法にも成りはしませんよ。おれは誰よりも、あいつらの力は理解しているつもりです」

 

「確かに、これでは説かれているのは私のほうか」

 

 ヴィクトゥスは医務室を後にしようとする。

 

 しかしその直前に医師に止められていた。

 

「駄目です、特務大尉。許可出来ません」

 

「私は私の意思でこの艦に来た。ならば渡り歩くのも私の意思一つのはずだ」

 

「上意がある。あなたを死なせられないんです」

 

「それは杞憂と言うものだとも。私は、まだ死なないさ」

 

 口元に喜悦さえも浮かべてみせたヴィクトゥスは自分の命ですら、賭けの対象なのであろう。

 

 ――心の奥底から自分が輝ける舞台のために、何でも賭けてみせる事が出来る死狂い――ヴィクトゥス・レイジの名はそれに尽きる。

 

「……でもあんただって、ベアトリーチェに居ただろうに。それは戦うためだけの行動だとは、思いたくはないんだよ……」

 

 我ながら女々しいとも感じる。

 

 ヴィクトゥスが捨てた名に今さら何を執着しているのか。

 

 彼は要らないと断じたのだ。

 

 これまでの過去も、そしてこれからの栄光も。

 

 ならば、必要ないとされて棄てられた意義に、余人が口を挟むのも間違いであろう。

 

 トキサダは死した胸元が痛むほどに深く呼吸し、そして覚悟を声にしていた。

 

「トゥエルヴ、あんたは分かっていたのか……? おれがここまで……騎屍兵に入れ込む事も。……いや、きっと分かっていたんだろうな。凱空龍に居た頃からそうさ。おれは、人一倍、仲間意識だとかに囚われやすい性質だった。そういうのも読んだ上で、あんたはおれに正体を明かしたんだ。なら……おれは、行くよ」

 

 たとえそれが戻れぬ修羅の道だとしても。

 

 もう迷うわけにはいかなかった。

 

 死者の肉体ならばどれだけの覚悟でも賭けられる。

 

 自分の残りカスの命そのものが、最大限の賭け金だ。

 

「おれは……アルベルト・V・リヴェンシュタイン……あんたを――殺す」

 

 かつて決断出来なかった想いを口にする。

 

 あの時撃てていれば、否、撃てていなかったからこそ、自分の命は「こちら側」に位置する事になった。

 

 ならば、その清算を行うのは誰よりも自分自身の意思が正しい。

 

 そう思うと身体が自然と軽くなる。

 

 前回の戦闘による負傷は、自ずと身体に馴染んでいた。

 

 恩讐の徒であろうとも、間違いの上に成り立った「死に様」でも構わない。

 

「ただおれは……あんたを撃つためだけに、死を描くのみだ」

 

 その双眸からは迷いは消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「困りますよ、特務大尉。ここは現場なんです」

 

 そう言って艦長室の前に出張っている艦構成員へと、ヴィクトゥスは諭す。

 

「フロイラインは私の友人であった。友人の部屋に出向くのに、理由が必要か」

 

「もう……リクレンツィア艦長は逆賊の徒として見なせと、上から厳命が降りているんですよ……。エンデュランス・フラクタル本社の意向です。逆らえるわけが……」

 

「私は王族親衛隊だ。それくらいの命令は跳ね除けられる」

 

 そこまで粘ったところで相手は折れたようであった。

 

「……知りませんよ、何があっても」

 

「構うまい。彼女が消えた理由を知らずして、では友人を名乗れるかね?」

 

「……言っておきますと、最後の同期処理を拒んだのはリクレンツィア艦長の意思じゃないとか言われていますけれど、それでもあの人は……我々モルガンのスタッフを捨てたんです。恨むなってほうが無理でしょうに」

 

「なるほど。しかし、君達も兵士だ。少しは覚悟の上に行動を成り立たせたほうがいい」

 

「……上が見限るなんて、想定していられますか」

 

「それも言えている。よって、君達の責任はない。あくまで私が、彼女の足跡を追いたいだけだ」

 

 これで少しは彼らの重責が消えるかと思っての言葉であったが、構成員達は表情を翳らせる。

 

「……我々はどうすればよかったんですか。《サードアルタイル》を稼働させるエージェントが呼ばれたかと思えば、モルガンの艦長が居なくなるなんて……どう考えればこの局面を跳ね除けられるって言うんです?」

 

「君は責任職かな」

 

「……軍曹ですよ。一介の」

 

「では軍曹。いい事を教えてあげよう。処世術に過ぎんが、こういう時には無責任を決め込むのも、ある意味では世渡りの術でもある」

 

 しかし軍曹はどこか苦虫を噛み潰したように頭を振る。

 

「……駄目なんですよ、そういうの。だって傍目には乙女なんです、艦長は。いくら全身RMの化け物だって言われていたって、心の奥底じゃ、避け切れません。それを尊敬と、そして情景で掻き消してくれたのはリクレンツィア艦長本人の人柄と実力なんです。分かりますか? ……みんな、艦長の事が好きだったんですよ。騎屍兵師団を束ねる、バケモノだって言われてもね」

 

「それが本心ならば、大事にするといい。帰って来た時に打ち明けられる恋心だ」

 

「……馬鹿馬鹿しい。一兵卒が艦長に告白出来ますか」

 

 そう言い置いて軍曹は離れていく。

 

 ヴィクトゥスは部屋に入るなり、散乱したハードカバーの書籍を本棚へと戻していた。

 

「……フロイライン。君はどうやら自分で思っている以上に、愛されていたらしい」

 

 とは言え、届かぬ恋心には違いない。

 

 ヴィクトゥスは何の気もなしに、本を捲る。

 

 久しく触れていなかった紙媒体のページを撫でていると、ふと本の隙間から一枚の栞が滑り落ちていた。

 

「船が錨を降ろすように、こうして紙媒体の本のページとページの間に小休止を挟む、か。もう百年近く忘れられていた行動原則だな」

 

 栞を拾い上げたヴィクトゥスは目の当たりにした栞のデザインに小首を傾げる。

 

「……珍しいデザインを愛用していたものだ。栞に穴が開いているとは」

 

 細やかな穴が栞には開けられており、ヴィクトゥスはそれを戻しかけて、はた、と立ち止まる。

 

「……待て。このデザインに意味がない、というのは早計か。彼女は、フロイラインは意味のない行動はしない。それはベアトリーチェに居た頃からずっとであったはず。彼女がもし、この栞を愛用しているとすれば……そこには必然的に何らかの意図が込められていると考えるべきだ。しかしだとすれば、この穴の法則は……」

 

 一定間隔で開けられた小さな穴を凝視する。

 

 ヴィクトゥスが脳裏に閃くものを感じたのは、かつてトライアウトジェネシスに所属していた経験が活きた結果であった。

 

「……これは、モールス信号か? 穴の配置と、そして位置関係がそれを示しているのだとすれば……」

 

 読み解く事が出来たのは、ほとんど道楽の領域に到達していた自らの勤勉さによるものであろう。

 

 モールス信号は既に廃れた暗号でありながら、危機に瀕した時には最も有効だとヴィクトゥスは知っている。

 

 そして――知っているからこそ。

 

「……フロイライン、これは君が、危機に瀕しているからこそ遺したものだと、そう推察するのならば……。これが君にとっての切り札であると……」

 

 ヴィクトゥスは改めて本のタイトルを読み取る。

 

「“月のダレトの基礎理論”、著者、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー……。これにも意味があると、感じるべきなのだろうな。そして君が遺したがっていたメッセージは……そうか」

 

 栞を握り締め、ヴィクトゥスが向かったのは格納デッキであった。

 

 先ほどの戦闘で中破に近い状態まで追い込まれた愛機へと、ヴィクトゥスは乗り込む。

 

「特務大尉? 何をなさっているんですか! まだ修繕中ですよ!」

 

「どうやら……待っていては全てが手遅れになる段階らしい。それに、私はただ、会いに行くだけだ。本来ならば武装も必要ないのだが……念のためね」

 

 インジケーターを調節し、機体の最善のポテンシャルを引き出す。

 

「会いに……って! 分かってないんですか! 艦長は自ら、離反して――!」

 

「そうではないよ。会いに行くのはフロイラインにではない。私は……彼女の意思を、確かに受け取った」

 

「何を言って……」

 

 その直後にはコックピットブロックを閉ざし、ヴィクトゥスは愛機の状態を確かめる。

 

「行けるか、《ゴスペル》。私の我儘に付き合ってもらおう」

 

 アイリウムの蒼い輝きが呼応し、ヴィクトゥスは《ゴスペル》に太刀を携えさせ、緊急出撃姿勢に入る。

 

 しかし、カタパルトは閉ざされていた。

 

 それも当然だろう。

 

 つい先刻、艦長自ら離反したのだ。

 

「なるほど、少し気を張り詰めるのも無理からぬ、と言うわけだ。では実力で――押し通る」

 

 刃を掲げ、《ゴスペル》の高機動でカタパルトデッキを破砕する。

 

 緊急信号の赤い警告色を背中に照り受けながら、《ゴスペル》は飛翔していた。

 

「……少しの間であったが、世話になった」

 

 モルガンより急速に離れていく。

 

 ヴィクトゥスは手の中にある栞へと視線を落としていた。

 

「……これが事実なのだとすれば、私が思っていたよりも来英歴は深い闇の中にあるようだ。それを君は知っていたのか? フロイライン。あるいは、知っていたとしても記憶を閉ざし、わざと見識を捻じ曲げてでもいたのか? ……いずれにせよ、私は会わなければいけない。それが君に託されたという、意味なのだと知るだろう」

 

《ゴスペル》へと追撃のMSが迫ってくる事もない。

 

 恐らくはモルガンにはそれほどの余裕もないのだろう。

 

 騎屍兵の一角を失い、艦長まで失ったモルガンがどこまで生き残れるのかは運でしかない。

 

「いや、世の中はすべからくして、運と何者かの作為で回っているようなものだ。まったく、どうにもならぬとはこの事だな。人界とはいつの世であったとしても」

 

《ゴスペル》が超速機動に入るなり雲を描き一路、黄昏の空を掻っ切っていく。

 

 その果てに待つものを、誰一人として思う術はなかったのであろう。

 

 背中は孤独に映った。

 

 



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第223話「裁きを待つ者達よ」

 

『一度目は偶然であったとしよう。では二度目は? 二度も三度も偶然が積み重なるわけがない』

 

 鎧のパイロットスーツに身を包んだ自分へと、声を投げて来たのはダビデであった。

 

「……何が言いたい」

 

『のらりくらりとかわせると思うな、とも言っている。……何よりも、お前を信頼しての言動だろう。カトリナ・シンジョウは。彼女の信頼を無碍にするなと言っている』

 

「意外だな。あんたにはそういうの、どうでもいい代物かと思っていたけれど」

 

『私も想定外だ。かつての敵へと、まるで温情をかけるなど。……しかし事情が事情だ。《ダーレッドガンダム》を先行させ、ダレトを開き、作戦地域へと空間跳躍。正直、生きた心地のしない任務とはこの事だと思うほどにはマトモなつもりだよ』

 

「俺が真っ当じゃないみたいな言い草だ」

 

『少なくとも、これまで空間跳躍、そしてダレトの実力を物にしてきたMSはこの世に存在してこなかったはずだ。それを実現の領域まで押し上げた、エージェント、クラードの功績は大きいだろう』

 

 ダビデの物言いはどこか婉曲的だ。まるで真実そのものへの肉薄は避けているかのような。

 

「……俺が魔物に見えるのか? あんたには」

 

『魔物のほうがまだマシかも知れない。ダレトを開き、そして聖獣の力を自らのものとする……その果てに待つものを考えるだけでもおぞましいだろう』

 

 やはり、自分の居場所は――と諦観を浮かべようとしたクラードの耳朶を打ったのは直通通信であった。

 

『あっ……繋がった……っ! クラードさん、その今回の作戦展開……』

 

 場違いなカトリナの声音にクラードは応じる。

 

「何だ。俺は全部承服している。マテリアとか言うピアーナの出涸らしの作戦概要は既に聞いている上での行動だ」

 

『“失礼ですね! わたくしが出涸らしなんて! これでもスタンドアローン状態においてはオリジナルのわたくしを凌駕する性能を誇っているのですよ!”』

 

 ふふん、と自信満々に言ってのけたマテリアの論調はまさにピアーナ本人と言っても差し支えない。

 

「……口うるさいのが帰って来たものだな」

 

『悪い、クラード。茶々を挟むような事ばっか言っちまって……。マテリア、てめぇも反省しろよ』

 

『“嫌ですよ。アルベルトさんは何か勘違いをなさっているのでは? わたくしがエージェント、クラードに対して反省するなんて。当方には付属していない機能です”』

 

『てめ……っ、今はそんな事言っている場合じゃ……。悪ぃ、クラード。クセの悪いアイリウムだ』

 

「構わない。どうせ、ピアーナが帰って来たって似たようなものだろ。それに、口うるさくっても優秀なら、今次作戦に組み込むのに何の抵抗もない」

 

『……本当に、そうか? いや、オレが言えた義理でもねぇんだろうが、今回の作戦。大仰だって聞いているぜ。そこに不穏分子を一個でも差し挟むってのは……』

 

「アルベルト、そっちは新型機の調整に時間がかかるだろ。今は、その口さがないアイリウムと話し合いでもしていればいい」

 

『……ああ、そうさせてもらうぜ。トライアウトのDDとか言うのも。今は……いいな?』

 

『……仕方あるまい』

 

 二人分の通信回線が途切れたコックピットで、クラードは一人だけ直通回線を開いているカトリナと目線を交わす。

 

 相手はどこか当惑している様子であった。

 

「……で、何? 俺が今次作戦の要だ。しくじるなって、釘を刺しに来たのか?」

 

『め、滅相もない……っ! クラードさんが一番に辛い立ち位置だって言うのはその……分かっているつもりです……』

 

「分かっているって言うんなら、何で戦闘前にこんな通信を? 俺が迷うとでも思ったのか?」

 

『そ、そういうのとは違うんですけれどぉ……っ。その……あんまり言い触らさないで下さると助かるんですけれど』

 

「何だ。単刀直入に言ってくれ。時間はあるようでない」

 

『……じ、じゃあその……。私、アルベルトさんにその……告白されちゃいました……』

 

 これから死地に赴くのにはどうにも浮足立った話題に、クラードは目をしばたたく。

 

「……何だって?」

 

『だ、だからぁ……、何度も言わせないでくださいよぉ……。告白されちゃったんですっ! 愛の告白っ!』

 

 言った傍から自分自身が恥ずかしくなったのか、カトリナは頬を紅潮させる。

 

「……だから? 俺にどうしろって言うんだ」

 

『そ、それでその……でも、応えられませんって、振っちゃったって言うか……』

 

「何だそれ。ただあんたとアルベルトの空気が最悪になっただけじゃないか」

 

『い、いえ、そうでもないみたいで。……私、愚図だから、三年間も一緒に居たのに、気付けなくって……』

 

「それで? 色恋沙汰に首を突っ込むほど、俺は野暮でもないよ」

 

 カトリナは先ほどから通信ディスプレイ越しにどこかもじもじしている。

 

 まるで、何か重大な事を言いそびれているように。

 

『で、ですよね……クラードさんはそういう人です……』

 

「好きだとか嫌いだとかは俺に押し付けないでくれ。艦内の空気はレミアがどうこうするだろうけれど、これから出撃だって言うのに、面倒を掲げられたらアルベルト達だって万全に戦えないだろ」

 

『……それは正論ですけれど……』

 

 何が言いたいのかまるで分からない。

 

 まるで分からないと言うのに――通信を切ってはいけないのだけは、何故なのだかハッキリしている。

 

「……言いたい事あるんなら、言えば? 俺だってダレトを形成して無事に済むとも限らない」

 

『そ、そうなんですよ……。クラードさんだって、次も、その次も無事だとは……限らないじゃないですか……』

 

「だが自らの無事の保証なんてこれまでだって出来ていない。今さらの事象だ」

 

『でも、作戦の要はクラードさんと《ダーレッドガンダム》なんです。……だったらその……私が単純に、言えないのだけはもどかしいじゃないですか……っ』

 

「言えないって何が? 言っておくけれど、どんな忠告を受けたって、俺はこの作戦を決行――」

 

『好きなんですっ! 大好きなんですよぉ……っ! ……これが……私の言葉なんです……』

 

 遮って放たれた想定外の言葉は、クラードの冷静な脳内を混乱させるのに充分であった。

 

「……何だって?」

 

『に、二度も三度も、乙女に言わせるつもりですかぁっ……』

 

「いや、ちょっと待て。アルベルトならともかく……何で俺みたいなのを……」

 

『……クラードさん、ずっと無茶するから。ずっと前に立って苦しんでいるから……何も言えなかったんです。でも……言わないともっと後悔しちゃいますから……っ、だから言わせてくださいっ! あなたの事が……私は大好き……っ! 死んで欲しくないんですっ……!』

 

 唐突にもほどがある。

 

 それでも、感情の堰を切ったように、カトリナは息を切らし、耳まで真っ赤に染めて言い放つ。

 

 それは――何というか――。

 

「……言葉もないってのはこの事なのか……。俺は、どう答えろって言うんだよ……」

 

『こ、答えは後でも……その、大丈夫……です……ぅ……』

 

「何であんたはそれで泣いてるんだ?」

 

 涙する理由が分からず、問い返すとカトリナは心底安堵したように、柔らかく微笑んでいた。

 

『だって、だってぇ……っ、これまで言えなかったですからぁ……っ、嬉しくって、泣いているんです……っ』

 

「俺は答えていないのにか?」

 

『あっ……そっかぁ……そういえばそうだった……。うぅ……また早とちり……』

 

 どうして、そんな事に一喜一憂出来るのだろう。

 

 どうして、そんな事で九死に一生を得たかのように涙するのだろう。

 

 どうして――そうまでして生の意味を理解したような微笑みがこぼれるのだろう。

 

 分からない、何一つ。

 

 何も分からないが、それでも分かっている事柄は、たった一つ。

 

「……カトリナ・シンジョウ。俺は前に約束したな? オムライスとやらを食べるまでは死ねない、と」

 

『あっ……まだ憶えていて……』

 

「その言葉への返答も、付け加えていいだろうか? 今の俺には……容易い言葉で表現する術が見当たらない。……どうしてなんだろうな。これまで、たくさん死地には赴いてきたはずなのに……その言葉一つへの返事が……見当たらないなんて……」

 

 自分の中のどこを探しても、経験則でも、戦場の勘でもなく、返答するだけの言葉が見当たらないのは、これまでなかった出来事だ。

 

 だからこそ、こればっかりは条件反射で答えてはいけないのだろう。

 

 それこそ相手の感情に、唾を吐くようなものだ。

 

『……帰ってきて、ゆっくり答えを聞かせてください……。クラードさん、あなたの偽らざる……答えを……』

 

『――すまない、いいだろうか?』

 

 不意に接続された通信回線にカトリナが素っ頓狂な声を上げる。

 

『ひゃん……っ! ……って、あなたは確か、騎屍兵の……』

 

 通信回線の向こうに居る相手は鹵獲されていた騎屍兵の一員だ。

 

 相貌を隠す漆黒のヘルメットではなく、エンデュランス・フラクタルの規格に準じたヘルメットを着用している。

 

 そのかんばせは――まるで白雪のように儚げで、薄紫色の瞳は戸惑いを浮かべている。

 

「確か、ゴースト、スリー……」

 

『識別信号の変更を伝えていなかった。これより我が方は、《ネクロレヴォル》搭乗、シズク・エトランジェを名乗らせてもらう。この照合を全体に伝えなければと、全体通信に接続されているこの通信域で確認されてもらったのだが……何か問題でもあっただろうか?』

 

 ゴースト、スリー――否、シズクの問いかけにカトリナは先ほどまでのやり取りがまさかの全体通信域である事を悟って奇声を上げる。

 

『えっ……えっ、えっ……ひゃぁぅ……っ! み、皆さん、聞いていらしたんですかぁ……っ!』

 

『いや、静観を貫いておこうと思っていたんだが』

 

『ヴィルヘルム先生、ゲロったらバレバレじゃないですか。まー、いいものを聞かせてもらったわよ、カトリナちゃん。それに、クラードもね。一世一代の大告白っ!』

 

 面白がっているバーミットの論調にそれは自明の理なのだとクラードは感じ取る。

 

『さ、最低ですよっ! 盗み聞きなんて……っ!』

 

『いいえ、カトリナさん。あなたが通信域をミスったのよ。よく確認しなさい』

 

 レミアの諭す声音に、カトリナは通信域を再確認して、あ、と間抜けな声を発する。

 

『ホントだ……これ……』

 

「参ったものだな。全員織り込み済みと言う事か」

 

 こちらの声音に、赤面して手で顔を覆ったカトリナの姿が大写しになる。

 

『クラード、カトリナさんにそこまで言わせたんだ。断るのは男じゃねぇよな?』

 

『……すまんな、こういうのには疎くって……出来れば口を差し挟まないのが一番だと感じたんだが……』

 

 アルベルトとダビデの声が続いて、クラードは嘆息をつく。

 

「……まったく、何て連中だ」

 

『ほ、本当ですよ! いくらその……私がミスったからってその……今の今まで誰も忠告しないって言うのは……うぅ……恥ずかしいなぁ……』

 

 しかしオフィーリア全域に通達されたのならば、自分の返答も自ずと決まってくる。

 

「……カトリナ・シンジョウ。ひとまず保留でいいだろうか。俺も、こうして他人に耳をそばだてられた状態では、承服しかねる」

 

『えー、クラード、あんたも隅に置けないわねぇ。ここはスパッと! 帰ったら抱いてやるとでも言ってあげればいいのよ!』

 

『ば、バーミット先輩! セクハラですよ! それ……!』

 

『あーあ! カトリナちゃんとクラードみたいなトーヘンボクが恋愛しているのに、あたし達が恋愛しちゃいけないなんて、やっぱり間違ってません? 艦長』

 

『バーミット、適材適所よ、適材適所』

 

『あのー、お二方、それも筒抜けなんですが……』

 

『“アルベルトさんはそんな事より、《アルキュミアヴィラーゴ》の調整、頼みますよ。これ、わたくしの半身なんですからね!”』

 

『ああっ、もううっせぇな、マテリア。ちょっとは情感ってもんがあんだろ?』

 

 自分一人で死にに行くつもりでいたのに、いつの間にか通信域にはオフィーリア総員の声が満ちている。

 

 その現状が――どうしてなのだろうか。

 

 かつてデザイアにて、凱空龍への潜入任務に当たっていた時の情景と、重なっていたのは。

 

 馬鹿馬鹿しい、エージェントとしてのまやかしなのだと、そう断じていた自分以外が、確かにそこに居たのだ。

 

 炎を囲んで馬鹿騒ぎしていた三年前のあの光景に、まるで帰って来たような感覚に、クラードはふと呟く。

 

「……俺が求めていたのは……」

 

『もうっ! 皆さん、デリカシーとか……えっと、何か言いました? クラードさん』

 

「……いいや、何でもない。カトリナ・シンジョウ委任担当官に俺は約束する。――必ず帰る、待っていろ」

 

 そこまで確信的な言葉を吐くとは思われていなかったのだろう。

 

 一拍、呆けたように目を見開いたカトリナの頬を涙が伝う。

 

『……ええ……ええ、ええ……っ! 必ず……帰って来てください、クラードさん……。これはその……命令とかじゃなくって……』

 

「分かっている。純然たる願いだと言うのならば、応えるのが……俺だ」

 

『……覚悟は、決まったようだな、クラード』

 

 サルトルが割り込んできてクラードは頷き返す。

 

「行けるか? 今の俺と、《ダーレッドガンダム》なら」

 

『40セコンドのみ、アイリウムとの接続を許可する。そこから先は出たとこ勝負だ、この色男!』

 

「……言ってくれる。その間のみ、全ての通信をシャットアウトする。構わないな?」

 

『充分に男としての責務を果たして来い。それがお前の、今やるべき事だ』

 

 サルトルを含む、全員の通信ウィンドウが順番に掻き消えていく中で、最後の最後にカトリナの通信域だけがアクティブになっている。

 

『……必ず、帰ってきて。その後に答えを聞かせてください、クラードさん……』

 

「ああ。俺は約束を果たすまでは、死ねない。通信終わり」

 

 蒼い脈動と共に全ての通信が途切れた無辺の闇の中で、声が残響する。

 

『レヴォル・インターセプト・リーディング。権限を復旧。“よかったのか? もっと言うべき事があったはずだろう?”』

 

「……俺はここでは死ねない。そう容易くは、な。それを再認識しただけでも十全だ」

 

『“そうか。しかし運命はそう簡単に行くかどうかは不明瞭なままだ。聖獣の心臓の確保作戦。如何に第三の聖獣が味方に付こうが、不確定領域なのは変わるまい。このまま死にに行くつもりか?”』

 

「……今ので確信した。お前は……《レヴォル》じゃないな?」

 

『“今の今まで、お前の言う《レヴォル》だと、一度として反証した事はない。それとも、落胆したか? これまで信じ込んできた縁が、ここに掻き消えた事に”』

 

「……以前までなら、そうだったかもしれない。だが、俺にはもう、別の縁がある。なら、それに応えればいいだけの話だ。――だから、《ダーレッドガンダム》。お前がどれほどの悪魔だとしても、俺は乗りこなす。それが俺に与えられた、責務だ」

 

『“責務とは。分かった風な事を言うではないか。だがその程度で使いこなせるほど、甘くはないぞ? お前はたった一人、獄炎に焼かれて死に行くのが宿命なのだからな”』

 

 だとしても。

 

 自分の最後に立つ場所が、煉獄の丘であったとしても。

 

 罪に塗れた自分を直視するのは、自分自身の覚悟でなければいけない。

 

「……俺は人でなしで、そして、今の今まで、ヒトであろうと思った事もなかった。だが、カトリナ・シンジョウの涙を目にして、改めて思う。――俺は、ヒトでありたい」

 

『“それは既に波長生命体への進化を遂げようとしているお前からしてみれば、不可逆なる行為だろう。それとも、自らの心臓に刃を突き立てて、己の血の色でも見てみるか?”』

 

「そんな行動は必要ない。いや、俺の血の色がミラーヘッドの蒼だとしても……関係がないだけの話だ。お前との言葉繰りも、ここまでだ」

 

『“そうか。残念だよ、クラード。もう少し騙し合いが通用するかと思っていたのだがね。” ――コミュニケートモード終了。《ダーレッドガンダム》、発進位置に』

 

『カタパルトに固定。発進位置にどうぞ。……クラード、あんたの事だろうから、確定の約束なんて出来ないとか言い出しそうだけれど、それでも男の子だって言うんなら、嘘でも言ってのけなさい。必ず――』

 

「必ず帰る。もう、そうなのだと規定した」

 

 断定の論調であったからだろうか。それとも想定外の言葉が飛んで来たためか、バーミットは戸惑ったようである。

 

『……あんた……』

 

「バーミット、俺は違える約束を何度も交わすように見えるか?」

 

 その問いかけに通信の先でバーミットが笑ったのが伝わる。

 

『……本当、あんたって奴は。これだから始末に負えないってのよ。……《ダーレッドガンダム》、射出タイミングをパイロットに譲渡します』

 

「了解。――《ダーレッドガンダム》、エージェント、クラード。迎撃空域に――先行する!」

 

 稲光を迸らせながら《ダーレッドガンダム》が空を舞う。

 

 それに引き続いてオフィーリアより機体群が解き放たれていた。

 

 位置情報が照合され、クラードは感覚を手繰り寄せる。

 

 瞬間、自らの鼓動が鋭敏化し、全身にもたらされる蒼の血脈を嫌でも理解させられていた。

 

「……俺がヒトでなくなろうとも……たった一つの誓いのために……。届け! 《ダーレッドガンダム》! ベテルギウスアーム、起動!」

 

 機体を激震するのは右腕に拡張された鉤爪の武装が展開したからだろう。

 

 これまで、意図して使用したのは一度あったかないか。

 

 それは戦略とは言わない。奇跡と呼ぶのだ。

 

「……それでも、俺はその奇跡を、自ら引き寄せてみせる……! パラドクスフィールド、電荷! ダレトよ! 俺に従え……ッ!」

 

 偏向された光が集合し、飲み込まれた先に宵闇を垣間見させる。

 

 右腕に拡張された大虚ろは、じくじくと滲む古傷のよう。

 

『あれが……ダレト……』

 

 アルベルトは初めて見るからだろう。

 

《ダーレッドガンダム》の性能に気圧されているのが伝わった。

 

 ――そうだとも、これは本来、畏れの先にある代物――。

 

「だが……今はただ、俺の命令のままに……! お前が赴くのみだ!」

 

 霧散しかけた大虚ろの形成事象を握り締め、鉤爪が位相空間の先を捉える。

 

 直後、視界は拓け、紫色の雲海の向こう側に着地点が引き寄せられていた。

 

「届け――ッ! 《ダーレッドガンダム》!」

 

 次の瞬間には、空が裂け、闇が血潮を迸らせていた。

 

 空間が叫びに震え、手繰り寄せた奇跡の価値が意思の刃と化す。

 

 切り拓いた位相空間を跳び越えた《ダーレッドガンダム》と、オフィーリアの一群が眼下に収めたのは、大地に根を張る忌むべき聖獣の心臓部であった。

 

「……《シクススプロキオン》の……第六の聖獣の心の臓……」

 

 確率論でしかない。

 

 それでもこの奇跡を掴み取ったのは人の意思だと、今は信じてクラードは後続へと通信域を飛ばす。

 

「無事か? オフィーリアは?」

 

『こちらバーミット。……まったく、無茶してくれちゃって……。でも、お陰様で今のところは無事……でもないのか。またアステロイドジェネレーターが麻痺しているみたいだから、艦砲支援は難しいわよ』

 

「宇宙から地上に降りた時と同じ……いや、それこそが《ダーレッドガンダム》の代償なのか? ……いずれにせよ、今ならば……!」

 

《ダーレッドガンダム》の腰部にマウントされている大太刀を振るい上げ、クラードは真っ逆さまに降り立とうとしていた。

 

 一撃――それで聖獣の心臓の息の根を止める。

 

《シクススプロキオン》の心臓部は血脈を大地に走らせ、未だ健在に映る。

 

 ならば、今度こそ殺し尽くさなければいけないはずだ。

 

 大上段に振るおうとしたクラードは、瞬間的な殺気の波に機体を後退させる。

 

 その時には、赤い光の津波が聖獣の心臓を覆っていた。

 

「赤い光……? 《ヴォルカヌス》か?」

 

 想定していた敵とはしかし、まるで異なる影が自分達を睥睨する。

 

 ――影だ。

 

 屹立するのは巨大なる影であった。

 

 円筒型の影は、まるで陸に打ち上がった鯨を思わせる。

 

「……こんな巨大な敵機は……」

 

 戸惑いを浮かべたその時には、鯨にしか見えない敵機の背面が裂け、赤い光の拡散粒子が機体を追いすがる。

 

 咄嗟に飛び退り、刃で弾き落とそうとするが、対象物の質量差に、太刀のほうが押し負ける。

 

「……何だこれは……。あまりにも……重い!」

 

 小太刀と分割させて応戦しようとするも、敵機の手数はあまりに膨大である。

 

 景色を覆い尽くした赤い光の拡散磁場が《ダーレッドガンダム》を含む、友軍機の翼を折っていた。

 

『何だこりゃあ……。まるで……重いじゃねぇか……!』

 

 アルベルトの当惑が通信に焼き付いたその時には、こちらの軍勢は地を這いつくばる。

 

《ダーレッドガンダム》でさえも出力がまるで上がらない。

 

「……何が、起こっている……?」

 

 その眼差しの先には、拡張した肋骨に映る部位より粒子が放出されている。

 

「……赤い……咎……」

 

《ダーレッドガンダム》が出力を失い、大地へと機体が墜落する。

 

 何度も這い上がろうとするも、まるで絶対者のように佇む影相手に、誰一人として指一本でさえも動かせない。

 

「……あれは……何だって言うんだ……」

 

 巨大建造物の機体は無数の赤いアイカメラで睥睨し、大地に這いつくばる機体群へと向けて装甲板を裏返らせ、砲身を無数に突きつける。

 

 逃れる術などない。

 

 照準警告が無数に鳴り響く中で、クラードは直通したライドマトリクサーの電位でさえも阻害を受けているのを感じ取っていた。

 

「……これは……ミラーヘッドジャマー……いいや、《ダーレッドガンダム》は無効化出来るはずだ、だとすれば、これは……」

 

 砲身に赤い輝きが充填される。

 

 反撃に転じるような時間を――瞬きの間に浮かべるまでの暇もなく――それらは無慈悲に、照射されていた。

 

 



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第224話「偽りの世界へ」

 

「遅かった……! 何もかも、全てが……!」

 

 悔恨を口にしたピアーナへと、ダイキは大陸に屹立した異様なる機影を目の当たりにしていた。

 

「……あれは、何だって言うんです? この大きさ……艦隊クラスだって言うんじゃ……!」

 

「あれはイミテーションモビルフォートレス……――魔獣、《ティルヴィング》……!」

 

「《ティルヴィング》……? 初めて聞く名前だけれど、キミはあれの事を知って……?」

 

 メイアがうろたえたその時には、ピアーナは呼吸を乱してコックピットの端へと倒れ込む。

 

「え、ええ……あれは……」

 

「えっ、ちょっと待って! 酷い熱だ……全身RMなんでしょ? 何だって熱病なんて……」

 

「もしかして……俺が同期処理を無理やり切ったからか?」

 

 今さらに後悔の念が浮かんでくる中で、メイアが糾弾する。

 

「どうするってのさ! ここで艦長が死にでもすれば……!」

 

「んな事言われても、俺だって精一杯なんだよ! ……おいおい……来るぞ……!」

 

 照準警告が連鎖し、ダイキは《シュラウド》を上昇させる。

 

 無数の赤い砲弾が空中を引き裂いていく中で、不意にアステロイドジェネレーターがパワーダウンする。

 

「……嘘だろ? 何でこのタイミングでパワーダウンなんざ……!」

 

「これ……墜落するって事じゃ……」

 

 ヘッドアップディスプレイに浮かび上がった警告と、そして鳴り止まないアイリウムの認証エラーにダイキは操縦桿を殴りつける。

 

「クソッ! 何だってこんな局面で……! おい、動きやがれ!」

 

「――心配を。コード306を認証」

 

 ピアーナが手を払うと、今しがたの阻害などまるで嘘であったかのように《シュラウド》が性能を取り戻す。

 

「動いた? リクレンツィア艦長、今何を……!」

 

「いいえ、今はとにかく敵から離脱挙動に。少しでも近づけばあの機体の投網である……ミラーヘッド阻害性能たる、ミラーフィーネの網にかかる」

 

「ミラーフィーネって……それは開発中のはずじゃ……」

 

「わたくしには権限が降りていた。だからこそ、《アルキュミアヴィラーゴ》には搭載して……。ああ、でもどうして……。何故、わたくしは忘れていたと言うのでしょう……」

 

 ピアーナの頬を涙が伝っている。

 

 その理由が不明瞭なまま、ダイキは《シュラウド》を敵の射程圏外へと逃がしていた。

 

「相手はデカブツだから追って来られないのか? それとも、追うまでもねぇってのかよ……!」

 

「後者でしょうね。そして……わたくしはこの局面になるまで……思い出せなかった。全ては意図されていたと言うのに……」

 

「キミは……何で泣いているんだ……?」

 

 当惑するメイアへと、ピアーナは拭えぬ涙を抱え、そして悔恨の先の言葉を口にする。

 

「わたくしは――知っていた! あの人の事を……ずっと前から知っていたのに! 今の今まで記憶に封印が施されていたなんて……!」

 

「艦長! 言っている意味は分からんが、敵を放っておくわけにもいかないはずだ! ……《シュラウド》でもう一回打って出る! その時まで……持ってくれよ……ッ!」

 

 円弧の機動を描き、ダイキは再び敵影へと照準しようとして、ピアーナは堰を切ったように溢れ出す涙の奔流に声を押し殺す。

 

「……何で……どうして……! わたくしが貴方を忘れるなんて……――エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー……ッ!」

 

 この世界で唯一湧いた間違いへの抵抗のように、ピアーナは叫んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いやに静かであった、と言うのは最初の印象でしかない。

 

 だが習い性の感覚は第一射を予見し、その一撃を嚆矢として弾丸の雨嵐が機体へと押し込まれる。

 

「……招かれざる来客、と言うわけか。手痛いとは言え、慣れている歓迎だ」

 

 ヴィクトゥスは機体追従性能を最大まで引き上げるも、先の万華鏡との戦闘で疲弊した《ゴスペル》では平時の三割にも満たない。

 

 ゆえに、機体の機動力を無視して着弾していく誘導ミサイルや砲弾の応酬に、奥歯を噛み締めて耐え忍ぶ。

 

「これがそちらの流儀だと言うのならば……甘んじて受けよう!」

 

 工業地帯を想起させる鉄壁の要塞都市には、秘匿されて配置されたMS部隊が宙を狙い、《ゴスペル》をいくつもの照準警告が留める。

 

「空間加速跳躍……嘗めないでもらおうか!」

 

 弾丸を足掛かりにしての急加速はしかし、《ゴスペル》の装甲板を剥離させる。

 

 修繕が整っていない機体では、長丁場の戦闘は不利であろう。

 

 だからと言って、ここで逃げおおせるほどの意気地なしでは決してない。

 

 腕に格納されたガトリング砲を用いての牽制銃撃と、そして大地に根を張るようにしてこちらにビームライフルを狙い澄ます敵影に、ヴィクトゥスは駆けていた。

 

「――そこだ!」

 

 着地と言うのにはあまりに豪胆。

 

 だが墜落と言うのにはあまりに流麗。

 

 刃を翻し、四方八方からの敵意の眼差しを、直下に配備されていた《レグルス》を盾にして視線を巡らせる。

 

「……隊長機が居るはずだな? どこだ……」

 

 この膠着状態を破るべく、何者かが指揮するはずだ。

 

 果たして――その期は訪れていた。

 

 一機の《レグルス》がハンドサインを送る。

 

 それを嚆矢としてヴィクトゥスは盾にした機体を捨て置き、一拍の逡巡もなく隊長機のバイザーへと刀を投擲する。

 

「悪いな、平時ならば撃ち合いにも応じよう。しかし今は急を要する!」

 

 アイリウムを潰された形の隊長機へとヴィクトゥスは機体をひねって浴びせ蹴りを見舞い、よろけた敵編成へと牽制銃撃で距離を稼ぐ。

 

 しかし《ゴスペル》は近接格闘特化型の機体。

 

 最早、その装甲は限界に到達していた。

 

「……やはり、無理はさせるものではないな。だが、そろそろのはずだ」

 

 折れ曲がった迷宮路地からの容赦ないビームライフルの掃射に、《ゴスペル》は機体各所に傷を作っていた。

 

「――それでも! 折れぬ気概があると知れ!」

 

 袖口より射出させた短刀で《レグルス》の首筋を掻っ切り、ミラーヘッドジェルの蒼い血潮を全身に浴びながら、一路、ヴィクトゥスは目指す。

 

 それは銀盤の地平の中枢であった。

 

「……想定外なのは、この場所があまりにも……似ているという点だ。あの月軌道決戦……忘れもしない、三年前の……。名は、テスタメントベースだったか」

 

 待ち構えていた高出力型《レグルス》の砲門がこちらを狙い澄ました瞬間には、《ゴスペル》に短刀を投げさせ、一時的に敵機の照準機能を奪う。

 

 その刹那には飛びかかり、平時の己ならば思いつきもしない野性を剥き出しにした挙動で並び立つ敵影の首を刈っていた。

 

「脚で薙ぎ払うな、とは、教えられていないのでね」

 

 脚部に格納していた刃を現出させ、ヴィクトゥスは押し進む。

 

 しかし中枢に近づけば近づくほどに、守護隊の防衛網は堅牢に成っていくばかりだ。

 

「……それは何かがあるのだと、教えているようなものだ……!」

 

《ゴスペル》はもう持つまい。

 

 だが、それでも――戦い抜く事に、誉れあれと知れ。

 

「行くぞ……最後の……空間加速跳躍を……!」

 

 超加速度に一瞬で浸った《ゴスペル》が敵影の背後を取っていた。

 

 千載一遇の好機だが、最早愛機には敵へと牙を突き立てるような力さえも残されていない。

 

 それはMS乗りとしては恥の上塗りもいいところの、機体を捨てての特攻であった。

 

 ヴィクトゥスが生身で降り立つなり、起爆スイッチを作動させ、周囲の《レグルス》を巻き添えにしていく。

 

「……さらば、我が刃の一角よ」

 

 目指す場所は一つ――銀盤の中心、逆立つようにして展開する全ての武装もこの付近だけは存在しない。

 

 ヴィクトゥスは直後にかっ血していた。

 

 元々、空間加速跳躍は連続して行使出来るようには設計されていない。

 

「……それでも、よくやったさ。私の誇りだ」

 

 扉は固く閉ざされている。

 

 しかし、その開錠の術は己の手の中にあった。

 

「……フロイライン、全て、分かっていたのか?」

 

 カードキーへと栞を通す。

 

 数十のセキュリティを突破し、白銀の扉の向こう側へと自分を誘っていた。

 

 超加速の激痛を押して、ヴィクトゥスは進む。

 

 滅菌されたような白の空間は、嫌でも死を想起させた。

 

 その死の象徴のような場所に――降り立つ白き服飾の魔が一人。

 

 拳銃を突きつける。

 

 相手は、ゆっくりとこちらへと振り返っていた。

 

「……珍客だな。この場所を知っている者が出て来るとは思わなかった」

 

「それは見解の相違でしょう。そろそろだと、分かっていたはずだ」

 

 白い老爺は、くっくっと喉の奥で嗤う。

 

 久しく他者との交流を果たしていない、掠れ声であった。

 

「それで? 貴様は何をしにここまで来た? まさか、儂を殺すためではあるまい」

 

「時と場合次第では、そちらを優先せざるを得ないかもしれません。私も会うのは初めてだ。偽りの歴史の証人たる、あなたの名は――エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。まさかこの眼で相見えるとは思っても見ない」

 

 その言葉にエーリッヒと呼ばれた老人は力なく返す。

 

「偽りの歴史を編纂してきた儂を嗤いに来たかね? 黒き旋風は」

 

「失礼、もう返上した名前です。今の私は、ただの敗北者(ヴィクトゥス)でしかない」

 

「敗北者とは。ここまで至ったのだ、誇っていい」

 

「長く静かに話していたいものだが、時間もあまりない。――そろそろ偽りの、黒き歴史の証人は真実を告げるべき時ではないのか? エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー……いいや」

 

 ここまで自分を導いた栞へと視線を落とす。

 

 そこに刻まれた名前は、ただ一つ。

 

「――ミハエル・ハイデガー。それがあなたの、真実の名前だ」

 

 その名称を紡いだ瞬間に、エーリッヒ――否、ハイデガー老人は瞑目していた。

 

「……待っていた、待ち望んでいた。そうか、ようやくか。彼女が、やったんだな? ピアーナ・リクレンツィア……」

 

「封印されし名前……私でさえ、この符丁がなければあなたの事を一時として憶えていられない……。一体何なのだ、これは。何が起こって……あなたはここに居るのか」

 

 ハイデガーはそっと、自らの記憶の表層を撫でるような、静かな論調で声にしていた。

 

「全てを話す時が、来たのかもしれない」

 

 それは禁じられた、暗黒童話の一幕――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十八章 「想い、彼方の闇を超えて〈フラワー・オブ・アルゴリズム〉」了

 



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第十九章「想い、未来の果てへと〈ソング・オブ・フューチャーゲート〉」
第225話「邂逅少女」


 

 消滅したかと、そう思った直後にはハイデガーは街並みに没していた。

 

 周囲を見渡し、自身の掌へと視線を落とす。

 

「……ここは……いや、僕は確かに……エージェント、クラードとの戦いの果てに……」

 

 瞼の裏に浮かんだのは、七色の虹をこちらへと放出する《ダーレッドガンダム》の悪鬼の如き形相――。

 

 しかし、平穏な日々を謳歌する街頭にはまるで相当し得ない記憶であった。

 

「……僕は……死んだのか……?」

 

 死後の世界だというのならば、なるほど、雑多な街並みもある意味では頷ける。

 

 それにしても、天国にせよ地獄にせよ、思ったよりも俗っぽいものだ。

 

 歩む足がある事にまず驚き、それからライドマトリクサーの機能を確かめる。

 

「……驚きだな。死後の世界にも全身ライドマトリクサーが引き継げるなんて……」

 

 それとも、誰も死した後の世界なんて知る由もないためかもしれない。

 

 案外、飲み込めている胸中にハイデガーはふと、視界に留まった書店へと入る。

 

「天国の本屋か。こんなものまであるんだな」

 

 今どき珍しいハードカバーも、ある意味では納得だ。

 

 ここが死後の世界であるのなら、ともすればハイテク機器は持ち込めないのかもしれない。

 

「それにしてもアナクロなものだ。紙製の本ばかりだなんて」

 

 手に取ったハードカバーのページを指先でなぞり、奥付を捲ってみる。

 

「……“認識し得る世界の設計理論に関して”、著者、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー……」

 

 耳馴染みのない著者と本にハイデガーは本を元の位置に戻そうとして、書店員の主人の怒声が耳朶を打っていた。

 

「駄目だ、駄目だ! 忌まわしい! 連邦の生み出した機械人形が!」

 

 書店の主人が少女を突き飛ばす。

 

 病人服に厚手のコートを着込んだ少女はコインを取り落としていた。

 

「お願い……します。本を売ってください……」

 

「分からんのかな。連邦の兵器に売ってやる本なんて一冊だってないんだよ。それとも、その機械の肉体でデジタルデータにアクセスすればいいだろう。わたしらを嗤っているくせに……!」

 

「おいおい……天国の本屋にしては随分と横柄だな……。いや、天国にまでライドマトリクサー施術を持ち込んだのならば当然の報い、か。それにしたって、どこかで聞いた事のある声のような……」

 

「お願いします……。本を売ってください……。何も出来ませんけれど、お金なら……!」

 

「金の問題じゃないんだ。それとも、地球連邦政府からお前のような機械人形に恵んでやれとでも言われたのか? わたしは死んでも御免だね」

 

 少女は長い黒髪を抱えて、顔を伏せている。

 

 それほど肌寒い気候でもないのに、凍えたような吐息を発していた。

 

「本を……本を売ってください……。あたしの出来る事なら……何でもしますから、本を……」

 

「兵器が何を言う。人殺しの道具だってのは知っているんだ。地球連邦もヤキが回ったもんだな。落ちぶれた服飾職人の娘を売りに出したんだ。それなりの電子金銭は持ち合わせているだろうに。何でわざわざ下々の街まで降りて来るんだ、この疫病神め!」

 

 書店の主人ははたきで煩わしそうに少女を殴りつける。

 

 さすがに無視は出来ず、ハイデガーは割って入っていた。

 

「おいおい……いくらなんでも寝覚めが悪いって言うのはこの事だろうに……!」

 

 振るい上げられたはたきを掴み上げ、習い性の軍人の所作で主人の腕をひねり上げる。

 

「な、何なんだ、あんたは……。この娘が何をしたのか……知らないわけじゃあるまい……!」

 

「悪いけれど、僕は何も知らないんだ。それに、死後の世界でまで、婦女子をいたぶろうって言うのは趣味が悪いとも思う。その娘は本を買いたがっているだけに映ったが?」

 

「馬鹿を言え! 地球連邦の生み出した最新鋭のマシーン兵器だぞ! この娘が何者なのか、街の人間達は皆知っているさ! 親に売られた被験体だってな!」

 

「被験体……? しかし、だからと言って目に余る悪行だ。僕は人でなしの悪人のつもりだが、心根まで腐ったつもりはない」

 

 とは言っても、つい先刻までクラードとカトリナに対し、終わりのない怨嗟を抱いていたのは事実。

 

 言えた義理ではないな、と自嘲しつつも、書店の主人を突き放す。

 

「……あんた、後悔するぞ。その娘を救おうなんて……」

 

「別に、人助けのつもりなんてないさ。本を売るつもりがないんなら、僕が買う。この本でいい」

 

 先ほどまで手に取っていた本を少女の手持ちのコインで買い付ける。

 

 主人はふんと鼻を鳴らしていた。

 

「正義漢のつもりかい? 言っておくが、わたしはあんたに売ったんだからな。その娘に売ったわけじゃない。ほら! 商売の邪魔だ! とっとと消え失せろ!」

 

 年季の入った扉が荒々しく閉められ、自分達を拒絶する。

 

 ハイデガーは買い付けた本一冊を少女に差し出していた。

 

「欲しかった本かどうかは分からないが……」

 

「……いいん……ですか? あたしによくすると、他の人達の眼が……」

 

 その言葉通り、街並みを行き交う人々の関心は自分と少女に向けられているようであった。

 

 あれだけ無関心であったのに、よくもまぁ、とその厚顔無恥さに呆れ返る。

 

「……僕は大丈夫だ。それに君も、何だってそこまで忌み嫌われているんだ? 見たところ……通常よりも色濃いライドマトリクサー施術には映るが、別段特別とも思わない。僕よりかはだいぶ軽い」

 

 少女の剥き出しの白磁の腕にはライドマトリクサー施術の亀裂が走ってはいたが、自分のような最新鋭の技術の粋を詰め込まれたようには見えない。

 

 せいぜい、三世代ほど前の代物だろう。

 

 少女は長い前髪で隠れた相貌で、こちらの言葉に驚嘆したようであった。

 

「その……あまりライドマトリクサーって言う言葉を、使わないほうが……いいです。それは機密事項なんだって、お父様に教わりました」

 

「ライドマトリクサーが機密事項? ……何十年前の話をしているんだ? 今どき、ファッションの一環みたいなものだろう。もっとも、僕くらいな全身RMは今でも少しは珍しいかもしれないが……」

 

「……お兄さんも……全身を……弄られたんですか」

 

「……まぁ、僕の場合は自ら志願してのものだけれど……君はそうには映らない。しかし、身体改造施術を忌避として持っているのは一部の地域と特権層くらいなものだろう? 君の家はそれほど裕福なのか?」

 

 こちらの問いかけに少女はふるふると首を横に振る。

 

「……あたしは、あたしの家はとても貧しくって……。服飾職人だけでは食っていけないからって、連邦の政策を受け入れたんです……。だから、この街じゃあたしは爪弾き者みたいなもので……」

 

 少女はハードカバーの本を胸元に抱え、ぎゅっと握り締める。

 

 彼女にしか分からぬ地獄があるのだろう。

 

 思えば、ここが天国だと考えるのは早計かもしれない。

 

 ここは形こそ違えど、地獄である可能性もある。

 

「それにしたって分からないな……。地獄じゃライドマトリクサーって言うのは駄目なのか?」

 

 ハイデガーの純粋な疑問に少女は首を傾げる。

 

「その……お兄さんはどこから来たんですか……? 連邦の政策から逃れての完全な義肢技術はまだ発展途上のはずですけれど……お兄さんの義肢はとても優秀な技術者が造ったように見えます。あたしを改造した人達はこの星で一番の頭脳だって言っていたはずなんですが……」

 

「それはまた……随分と驕った発言だな。身体改造技術が禁忌の死後の世界、か……。それも僕には似合いの場所だな」

 

 独りごちてから、ハイデガーはこちらを避ける人波の中で、誰かが石を投げたのを視界の隅に捉えていた。

 

 この時、身体拡張技術の粋を凝らした腕は彼女に命中する前にその石を掴み取る。

 

「……忌むべき技術の申し子め……」

 

 誰ともなく、この街では少女を恐れているのが窺えた。

 

「石を投げる理由はそれだけか? 僕も身体拡張技術の上に成り立っている。石を投げるのならば、僕にも投げるといい。その勇気もないのか?」

 

 声を張った自分に人々はめいめいに顔を見合わせ、それから忌避を宿らせた眼差しで呪う。

 

「……後悔する事になる。その娘は呪われた存在だと言うのに」

 

「呪い結構、僕は死んだ後でまで外道に落ちるつもりもない。……とは言っても、怖がらせてしまった。大丈夫かい?」

 

 肩に手を置くと少女は目に見えて恐怖して後ずさる。

 

 まるで世界の悪意を満身に引き受けたかのように、歯の根すら合わないようであった。

 

「……何で、あたしに優しくするんですか……。この街に……いいえ、この世界で生きている限り、もうあたしなんて……居なくなっちゃえばいいってずっと言われているのに……」

 

「それは違う。君は何もしていないじゃないか。ただの度の過ぎた迫害だ、こんなもの。……今どき、ライドマトリクサーであるだけで、ここまで村八分にするって言うのも、逆に珍しくもあるけれど……」

 

 ハイデガーは思案する。

 

 この街に留まっていても彼女にとっては好転し得ないだろう。

 

 かと言って、自分も死後の国の歩き方までは存じていない。

 

 探り探りでも、少女に歩き方を聞くしかあるまい。

 

「……つかぬ事を聞くけれど、君の家は? ライドマトリクサーだって家くらいはあるはずだ」

 

 少女はおずおずと街の外を示す。

 

 郊外に追いやられているなど、典型的な迫害の歴史そのものであった。

 

「……よし、僕も同行しよう」

 

「……何で、お兄さんはそこまであたしに優しいんですか……。あたしは地球連邦の生み出した……怪物だって、言われているのに……」

 

「ライドマトリクサー施術が怪物だの何だの言われていたのは数十年ほど前の話じゃないか。それだって、ダレトの形成と共に軟化したのだと聞いている。身体改造、思考拡張の部分はこの数十年で飛躍的に理解が早まったのだと……」

 

「……ダレトって……何ですか?」

 

「ダレトは……ああ、そうか。ここはさすがに死後の国だから、ダレトは見えないのか。えっと……空に開いた大虚ろ、ってところかな」

 

 仰ぎ見た空は暮れかけており、夕映えには白き月が浮かび上がる。

 

「……お兄さんは、とても遠いところから来たような……そんな感じがします。あたしなんかじゃ及びもつかないほどの……」

 

 生きていた頃の事を遠い事だと評するのならば、間違ってはいないだろう。

 

 ハイデガーは何でもないように遠巻きにこちらを眺める人々の視線を観察していた。

 

「別段、遠いって言うわけでもないと思うけれどね。死はいつだって近いものさ」

 

 それにしたところで、街路樹を超えた先にあったのは時代錯誤もいいところの豪邸であった。木目造りで広大な庭を整えている。

 

「これが君の?」

 

 こくりと頷いた少女に、なるほど、さもありなんとハイデガーは理解する。

 

 街の人々からは度の過ぎた成金は嫌われているのだろう。

 

 加えて自分の娘をライドマトリクサーに仕立て上げれば、嫌味の一つも出てくる。

 

「……あ、こっちから入ってください。表から入ると、お父様が……」

 

「君は親にも嫌われているのか?」

 

 裏庭に繋がる折れ曲がった通路を赴きつつ、少女が首肯したのを目の当たりにしていた。

 

「……どうしたものかな。死んだ身で言うのも何だが、悲観が過ぎるような気もするな。君はRM身体改造施術がそれほど浸透していない土地で過ごしたにしては、連邦の名を騙る連中と繋がりがあるようにも聞こえるし……。まぁ、地球連邦の権威なんて“夏への扉事変”を最後に失墜したようなものだけれど」

 

「……お兄さんは、分からない事を言うんですね。地球連邦は……健在ですよ」

 

「……まぁ、確かに。地球重力圏では未だに発言力は高いと聞く。……うん? そう考えるとここは地球圏か」

 

 月が見える位置ならば当然とも言えたが、そもそも自分は《ダーレッドガンダム》と戦闘した時点ではコロニーの制空権であったはずだ。

 

「……あの虹の光……あの後何かが起こって、僕は地球にでも跳ばされたか?」

 

「その……五分だけしか誤魔化せませんので……」

 

 開錠した少女に引き続き、ハイデガーは豪邸の中に入る。

 

 裏口から足を踏み入れた豪邸の内部は思ったよりも簡素で、巨大なシャンデリアの輝くロビーを抜けてしまえば、表の豪華絢爛さは嘘のように静まり返っている。

 

「……まるでハリボテだな」

 

「この部屋です。あたしの……部屋……」

 

 少女は自室の鍵を開け、自分を招く。

 

 死後の世界とは言え、少女の姿を取った死神に率いられるとは想定してもいない。ハイデガーは襟元を正して、ゆっくりと足を進めていた。

 

「……思ったよりも何もないんだな……」

 

「はい……。でも本だけは……」

 

 四方を本棚で埋め尽くされているが、生活雑貨のようなものは存在しない。

 

 せいぜい、質素な机の上にある地球儀の模型くらいなものだ。

 

 本棚も見た事も聞いた事もないような著者の本ばかりで埋められていて、ハイデガーにしてみれば少しばかり居心地も悪い。

 

「……ハードカバーの本ばかりなんだな」

 

「お爺様が遺して行った部屋なのだと、お父様からは聞かされています。祖父も随分と前に他界したので、ここだけがあたしの専用部屋のようなもので」

 

 一冊のハードカバーを手に取り、パラパラと捲る。

 

 少女は先ほど自分の買い付けた本を机の上に置いてから、そっと向き直っていた。

 

「……その、ありがとうございました……。あのままじゃあたし……どうなっていたか……」

 

「別にいいんだ、そんな事は。些細なものだろう? それに……僕からしてみれば地獄の歩き方を知っている人間に……いいや、天使か何かに会えたようなものだからありがたい」

 

「……あたしが……天使……?」

 

「違うのか? じゃあ死神か何かかな」

 

 もう死した以上、恐れるものでもないと少し軽口になった自分へと、少女は拳をぎゅっと握り締める。

 

「……お兄さんは……その、不思議な事を言うんですね……」

 

「そうかな……。僕は自分を平凡なのだと規定しているけれど」

 

 巻末には本の著者の名前が記されている。

 

 どのような本でも、終わりは来るものなのだ。

 

 それは人生の辿るべき結末そのもののようで、ハイデガーは僅かに感傷に浸る。

 

「……お兄さんは、あたしの事、怖がらないんですね……」

 

「言ったろ? 僕も全身RMだ。君よりも随分と先進技術で固めただけの……ああ、そうだな。臆病者さ」

 

「お兄さんが……臆病者……ですか……?」

 

「きっと、そうだったんだろうな。僕は一体、何を恐れていたのだろう。……ベアトリーチェに居られなくなる事だったんだろうか。それとも、エージェント、クラードの実力でも、恐れていたのか……。生きていた頃は随分と色んなしがらみに縛られて、臆病であったと感じるよ」

 

 それも、死んだ今となっては存外に凪いだ胸中であった。

 

 クラードへの怨念も、カトリナへの歪んだ恋心も消滅している。

 

 死はある一面では救済なのだと、こういった時に実感するものなのか、とハイデガーは別の本へと手を伸ばしていた。

 

「……哲学書か。今の僕には必読本かな」

 

「……あたしには、ここにある本の一部分も分かりません。でも……本を読んでいる間だけは、この世の全てを忘れられるから……。だからあたしは……本の世界に逃げているのかも……」

 

「逃避も充分な人間活動の一つだよ。僕はそうなのだと思っている」

 

「……でも、迷惑をかけて……しまいましたね……」

 

「そんな事はないさ。今度、本を買いに行くのならば付いていくよ。僕みたいな軍属くずれでもボディガードくらいにはなる」

 

 少女があれほど罵倒される理由が思い至らないのもあったが、死んだ場所でまで人間同士の醜い争いを見たくなかったのもある。

 

 少女は口元だけで微笑み、面を伏せていた。

 

「……優しいんですね、お兄さんは……」

 

「僕は優しくなんてないよ。当たり前の事をしているだけだ」

 

 文字情報を拡大された視覚野で処理する。

 

 最新鋭のRM施術は、文字情報をリアルタイムで翻訳し、どれほどの哲学の礎であろうとも解読してみせる。

 

 これもある意味では脳に地獄を飼っているようなものだ。

 

 彼の哲学者達が一生をかけても至らなかった真理めいたものに、自分は一瞬でアクセスする事が出来る。

 

 膨大なメタデータと情報処理能力を有した全身は、それだけで呪われるべき代物だ。

 

「……そういえば、情報処理の外部ストレージデータが正常作用すると言う事は、地獄にも量子コンピュータ並みの処理能力を実現する演算機器があると言う事か」

 

 どこか不思議な心地で呟くと、少女は窓の外へと手招く。

 

「この街は圏内ですから……。きっと、あの処理場へとアクセスしているのでしょう」

 

 少女が指示したのは工場地帯であった。

 

 銀盤の無骨な前線基地は、今も忙しい音が鳴り響く。

 

「……あれが地球連邦の?」

 

 少女は頷き、その先を声にする。

 

「……ええ、実験施設です。あたしが聞いた限りでは、テスタメントベースと呼ばれているそうです」

 

「……テスタメントベース、か。奇縁だな。死後の世界にも同じ名前の施設が存在するなんて」

 

 かつてベアトリーチェの目指した最終目的地点であり、月のテスタメントベースには文字通り「全て」があるのだと認識されていた。

 

 それも三年前の事象だ。

 

 今さらどうこう言う領域でもない。

 

「……お兄さんは、何でテスタメントベースにアクセスを? あの場所は、あたし以外の介入を拒むと聞いています……」

 

「……それは……技術的な問題だろうね。僕のほうが君のRM施術よりも上らしい。これも奇妙と言えば奇妙か。死んでまでRM施術の呪いじみたものに左右されるなんて」

 

 ハイデガーは試しにテスタメントベース中枢へと思惟を飛ばしていた。

 

 電子の意識は容易く第三十六層までの隔壁を突破し、テスタメントベースの擁する機密情報へと触れる。

 

 ――ここまで容易いセキュリティも珍しいな。まるで何十年も前のログデータだけで構成された防壁だ。

 

 無論、抗生防壁が作用しすぐにでもハイデガーの意識の撤退を求めたが、手を薙ぎ払うだけでそれらのセキュリティ障壁は意味をなくしていた。

 

 ――あまりにもセキュリティが甘過ぎる。何だって言うんだ、ここは。……いや、死後の世界か。

 

 最重要機密までの距離は一歩歩むよりも近い距離にあったが、ハイデガーはあえて表層のデータのみを拾い集め、現実の肉体へと帰還する。

 

「……っと。これは……第七機密情報……。あれだけ大仰な外見でこんな情報隔壁、盗ってくれと言っているようなものじゃないか」

 

 少女は今しがた自分のやってのけた芸当に息を呑んでいるようであった。

 

「……何を……したんですか……?」

 

「何って、電子戦闘……ああ、そうか。死後の世界にそんな概念はないのか」

 

 ハイデガーは脳内ネットワークに貯蔵したデータ照合を行おうとして、エラーの反証に塗り潰される。

 

「……時期情報のエラー? 最新の情報にアップデートもされていないってのか、まったく……」

 

 その部分を黒塗りで誤魔化し、ハイデガーが認証したデータネットワークは――あまりにも稚拙なものであった。

 

「……何だ、これは……。連邦政府の汚職や非人道的な実験の数々の情報が、こうも簡単に……? どうにも、死後の世界と言うのはセキュリティから成っていないようだな。とは言っても、もう死んでいるのだから意味なんてないけれど」

 

「……お兄さんは……神様か何かなんですか」

 

 見ず知らずの少女に神だと信奉されるほどに、この場所の情報機密レベルは低いのだろうか。

 

 それとも、地域情報の問題か、とハイデガーはマッピングを行おうとして、先ほどと同じく日時の情報の齟齬に突き当たる。

 

「……またか。どうしてこうも……更新情報の食い違いが……」

 

 情報を最新のものにしようとして反証されたのは「無効な日時」という結果であった。

 

「……そんなはずがないだろう。無効なんて事は……」

 

 しかし何度書き換えようとしても、その部分だけが該当し得ない。

 

「時刻情報をグリニッジ標準時に設定。これで最新のものになるはず……」

 

 だが、無効化されたエラーは戻る事はない。

 

 ハイデガーは苛立たしげに後頭部を掻いて、日時情報を照合していた。

 

 ――と、そこである事実に気付く。

 

「……来英歴241年……? あまりにも前の情報で止まっているんだな。これじゃ、日時の書き換えだけでも膨大な……」

 

 はた、と更新の手を止める。

 

 どれもこれも、甘いばかりの機密情報管理。

 

 そして、識別される日時は示し合せたかのように来英歴241年を示している。

 

 ハイデガーは少女へと問いかけていた。

 

「……今日は、何年の何月何日だ?」

 

 少女もまさかそのような基本的な事を尋ねられるとは想定していなかったのだろう。

 

 少しまごついてから、カレンダーを照合したようであった。

 

「えっと……来英歴241年、4月7日ですけれど……」

 

「241……? 294年ではなく……?」

 

「は、はい……。五十年も後の話を……どうして?」

 

 まさか、とハイデガーは先ほどの機密情報と共に基本設計骨子へとアクセスを試みていた。

 

 自動的に日時を刻むはずの時計は「来英歴241年」の春を示している。

 

「……嘘、だろう……。僕がじゃあ、ここに居るのは……」

 

 ここが天国でもましてや地獄でもないとすれば。

 

《ダーレッドガンダム》によって跳躍した、この時空は――。

 

「あの……大丈夫ですか……? すごい、汗……」

 

「君は……? 君は何だ……? もし……僕の想定している最悪なのだと考えて……じゃあ君は? ……五十三年も前の昔に……君ほどのライドマトリクサーなんて存在し得ないはずじゃ……」

 

「何を仰っているのかは……あたしには分かりませんけれど……名前を、そういえば名乗っていませんでしたね。……助けられたのに……」

 

 少女は顔を覆い隠す髪を両側に払い、頬に至ったRM施術痕と、隠されていた黄金の瞳でこちらを見返す。

 

 その幼いかんばせに――戸惑いを浮かべて。

 

 唇が紡ぎ出した名前は、たった一つの呪縛とでも言うように。

 

「……あたしの名前は……ピアーナ。――ピアーナ・リクレンツィア……です。地球連邦の生み出した、初の……全身ライドマトリクサー……と、されています……」

 

 所在なさげにそう名乗った少女――ピアーナにハイデガーは這い上る恐れを感じ取っていた。

 

 ――これは何だ?

 

 否、これがもし、現実だとするのならば――自分のほうが何者だと言うのだ。

 

「……《ダーレッドガンダム》……エージェント、クラードに……僕は殺されたわけじゃなかったって言うのか……? この地点まで……僕は“跳ばされた”?」

 

「あの……顔色悪いです……よ? あたしが言うのも……何ですけれど……」

 

「そうなのだとすれば……僕がここに居る事そのものが……この時代においての……」

 

 信じたくはなかった。

 

 しかし認めてしまわなければ、この現実の整合性は取れない。

 

 あまりにも脆弱なシステムに、時代錯誤なRM施術者差別。そして、この時代でも適応出来る、ピアーナを名乗る少女の存在。

 

 全ての照合結果が、ある一点を指し示す。

 

「……ここは来英歴241年の……地球。ピアーナ・リクレンツィアが人類初の全身RMとなった……その年……」

 

 もしそうなのだとすれば、自分はまだライドマトリクサーの自覚に慣れていないピアーナと出会っているのか。

 

 そして彼女の記憶に――否、記録に干渉しているとすれば。

 

「……何て事だ。僕は……死んだわけでもなければ、ましてや天国でも地獄に堕ちたわけでもなく……ここは現実の延長線上だって言うのか……?」

 

 しかしそう理解すれば、これほどまでに飲み込める事象もない。

 

《ダーレッドガンダム》によって自分は五十三年前の地球に降り立ち、そしてピアーナを助け出した。

 

 その理由が分からずとも、理解は出来てしまう。

 

 理屈の部分ではない。これは、そうなのだと、認証すれば全てが楽に転がる。

 

「あの……大丈夫……ですか。やっぱり……あたしなんかを……助けなきゃよかったって……」

 

 こちらを慮るピアーナの黄金の瞳に、ハイデガーは何度か呼吸を落ち着けた後に、そっと応じていた。

 

「……いや、何でもない。……そう、みたいだな。僕は……五十三年の時を……超えたらしい……」

 

「その……よくは分かりませんけれど、お兄さんの……お名前は何と言うんですか? それが分かれば……あたしみたいなのでも……どうにか出来るかも……」

 

 ハイデガーは名乗りかけて、はたと口ごもる。

 

 ここでミハエル・ハイデガーの生存は、何かの影響を及ぼしかねない。そうでなくとも、恐らく人類未踏のタイムトラベルに等しい。

 

 片道切符であろうとも、何が起こってもおかしくないのだ。

 

 慎重に、ハイデガーは言葉を選ぼうとして、ピアーナの机に置いた書籍の著者へと視線を投じていた。

 

「……そうだな……僕の名前は……エーリッヒ。――エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーと言うのが……名前……」

 

 

 



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第226話「まるで紛い物」

 

 加速度と重圧が世界を押し潰す。

 

 レッドゾーンに沈んだ彼方の中で、ダイキは追従してくる砲弾へとデコイを放っていた。

 

 爆発の光輪が咲く中で、ピアーナの言葉が突き立つ。

 

「あの人は……! わたくしはあの人を……知っているはずでしたのに……! 何で……どうして今まで……!」

 

 その懺悔を聞いているような余裕もない。

 

《シュラウド》に急制動をかけさせて追尾弾幕を振り切ってから、ダイキは敵の本体へと視線を投じる。

 

「……デカい、鯨みたいな形状の奴だな……。あれが艦長の言っていた……」

 

「魔獣……だって? でもあんなの……MAとかじゃないのか?」

 

 言葉尻を引き継いだメイアの問いかけにピアーナはさめざめと泣くばかりだ。

 

「……艦長を落ち着かせてくれ。俺は……! 出来るだけ射程圏外へと逃れる! ここまで来たって言うのに、あれは……!」

 

 拡大化されたその視野の中に、大地に根を張る異形の心臓部を見据える。

 

 識別信号は臓腑をこう認識していた。

 

 ――MF06、と。

 

「……まさか、あれが三年前のMF06? ……嘘だろ、破壊されたはずじゃ……!」

 

「そんな容易いもんじゃなかったって事なんだろうけれど……それにしたってあれは? 《サードアルタイル》じゃないのか?」

 

「何? ……次から次へとどうなってんだ!」

 

《サードアルタイル》を含んだ連隊は赤い皮膜の向こう側で大地に縛り付けられていた。

 

「聖獣の力でも突破出来ないのか……。魔獣って言うのは何なんだ?」

 

「……正式名称、IMF02、《ティルヴィング》……。彼の者達が……造り上げたこの世ならざる獣の……名前」

 

 ピアーナは己の中に残存したデータを照合しているようであった。

 

 彼女が手を払うと《シュラウド》のポップアップディスプレイに機体識別が振られていく。

 

「……IMF……? そんなの初めて聞いたぞ……」

 

「わたくしにもたらされたのが、つい先刻の事です。知らぬのも無理からぬ事……。ですが、もう実戦投入レベルだとは……。お気を付けください、クラビア中尉。あれの所有権を持っているのは、統合機構軍のはずです」

 

「統合機構軍の? ……エンデュランス・フラクタル本社と根っこでは繋がっているってわけですか」

 

「……それだけならばまだいいのですが……。最悪の想定を浮かべるとするのならば、IMF系列は既に……量産化され系列化されている可能性でさえも……」

 

 そこでピアーナは額を抑えて疼痛に呻く。

 

「……まだ無茶出来ないんでしょう! 艦長、一個だけ教えてください。……IMFとやらに攻撃して、いいんですよね?」

 

 敵ならば撃つ事に何の躊躇いもない。

 

 しかし、ピアーナは頭を振っていた。

 

「駄目です、駄目……。今の我々では、あの機体に勝てない……」

 

「勝てる勝てない理論は前線の兵士の分類です。一発でも喰らわせないと腹の虫が収まんないんですよ……! 狙います……!」

 

 照準器の向こうで《ティルヴィング》が咆哮する。

 

 赤い皮膜が拡張し、ビームライフルの先端にかかった瞬間には、システムがダウンしていた。

 

「……何だ? 照準システムが沈黙……? おいおい、何だって今……!」

 

「《ティルヴィング》の権能でしょう……。背中の翼と、肋骨部位から散布している赤い粒子皮膜……。あれは恐らく……ミラーフィーネです」

 

「ミラーフィーネって……まだ実用段階だって言う、ミラーヘッド減殺の技術なんじゃ……」

 

「既に先行実用化は成されています。ですが、まさかIMFに組み込むとは……。クラビア中尉、適切な距離を。あの機体に呑まれれば、それだけで沈みます」

 

 ダイキは《シュラウド》に飛び退らせ、《ティルヴィング》の巨体から距離を稼ぐ。

 

 その段になってようやくビームライフルのシステムが復旧するが、射程外となっていた。

 

「……射程圏内じゃ、あいつは無敵だって言うんですか!」

 

「……少なくとも今は……。超長距離ライフルでもない限り、あの魔獣に傷一つ付けられはしないでしょうね……。《シュラウド》の性能は近接格闘寄りです。このまま牽制を続けていても、損耗するのはわたくし達でしょう」

 

「じゃあ逃げろって言うんですか! 冗談……!」

 

 向き直った《シュラウド》はミラーヘッドオーダーを受諾していた。

 

『オーダーを受理。《ネクロレヴォル改修機》によるミラーヘッドシステムの実行を開始します』

 

「いけません……! 中尉! ミラーフィーネの前では、ミラーヘッドに類する兵装は全て無為なのです……!」

 

「それは先ほど説明していただいたから分かっていますよ。何も特攻を仕掛けようってわけじゃない。ただ……相手の注意を削ぐのには、これが有効でしょう。ミラーヘッドシステム実行! コード“マヌエル”とやら……俺に従え……ッ!」

 

 段階加速を経た《シュラウド》が向かったのは赤い粒子皮膜に覆われた先に居る《サードアルタイル》であった。

 

「第三の聖獣よ! お前が聖なる獣を戴くって言うんなら、これくらいは耐えてみせろよな! 《シュラウド》、全方位照準!」

 

 両翼に携えたミラーヘッドの分身体が一斉に《サードアルタイル》を狙い澄ます。

 

「今の《サードアルタイル》は無効化されているんだ! 死に体を叩くって?」

 

 メイアの喚く声にダイキは乾いた唇を舐める。

 

「……安心しやがれ。そんなつもりは……毛頭ねぇッ! 《サードアルタイル》の性能とやらを、信じさせてもらうだけだ!」

 

 トリガーが絞られ、放たれた一斉掃射に対し、《サードアルタイル》の行った事は少ない。

 

 ただの――自動迎撃だ。

 

 その機能が生きているかどうかの賭けであったが、自動迎撃システムであるパーティクルビットの性能が一方的に封じられているはずもない。

 

 何よりも、これまで《サードアルタイル》の戦歴を目にしてきたのならば分かる。

 

 一定方向からの攻撃を反射してみせるパーティクルビットのシステムがこの程度でダウンするはずがない。

 

 もし仮に沈黙しているとすれば、それは別の理由によってのみであり――目の前の《ティルヴィング》のミラーフィーネの影響に非ず。

 

 想定していた通り、パーティクルビットが内側から形成され、こちらの掃射したビーム兵装を飲み込むのと同時に、虹色の波は赤い皮膜を一部分とは言え、覆い返していた。

 

「……盤面が覆る……!」

 

 一部とは言え、ミラーフィーネを無効化した穴へと《シュラウド》を加速させて突っ込ませる。

 

 ダイキは接触回線のワイヤーシステムを《サードアルタイル》に接続させていた。

 

「達す! 《サードアルタイル》のパーティクルビットはこの状況下でも有効である事が示された! そちらの本意は不明だが、このまま敵不明機……IMF02とやらに与していいはずもない! どうか俺が活路を開くのを援護して欲しい! いいな?」

 

『……この声……ダイキ?』

 

 想定外の声が後方の艦艇より発せられ、ダイキは戸惑う。

 

「……嘘だろう。こんな時に……カトリナが居るのか?」

 

『こちら《サードアルタイル》パイロット……パーティクルビットの自動迎撃システムを利用しての内側からの赤い皮膜の破壊、見事であったと……』

 

 ノイズ塗れの声が返答され、ダイキは《シュラウド》を《サードアルタイル》の至近につける。

 

「世辞はいい。今は……あの化け物をどうにかしねぇとな。他の兵装は無理らしい。だが《サードアルタイル》のパーティクルビットは凡百なミラーヘッドの武装とは違うはずだ。パーティクルビットで友軍機を押し包み、そのまま一旦離脱。それが一番賢い策だと思うぜ」

 

『……了解した。パーティクルビットを散布し、この状況下から一時離脱する。……それにしても、よく信じられたな』

 

「信じたのは後にも先にもリクレンツィア艦長の手腕だけさ。俺は、戦場で生き残る術だけを講じる賢しいだけの男だよ」

 

「わ、わたくし……?」

 

「いけないですか? 俺は……殉ずると決めた相手にはとことんのイノシシ頭のダイキ・クラビア! ……ここで一発、決めさせてください」

 

 その言葉に浮かんだ懇願に、ピアーナは白磁の頬を僅かに紅潮させて、そっぽを向く。

 

「……勝手になさい」

 

「じゃあ勝手にさせていただきます! オフィーリア、だったか? 確か! それとブリギット級! これより《サードアルタイル》によるパーティクルビットの眩惑で一時撤退してくれ! この赤い粒子皮膜の中じゃ、ミラーヘッドに類する武装は全部無効らしい! 俺の言葉を信じるかどうかはそっちの勝手だが、生き残れる確率の高いほうに懸けてくれ!」

 

 ダイキはパーティクルビットの虹の皮膜が拡散する中で、大地に這いつくばった機体群が少しずつ性能を取り戻していくのを眼下に入れていた。

 

「……訪れてみれば、その矢先に《ティルヴィング》が居たって言うんじゃ、そりゃ回避も難しいわな。とにかく、作戦を講じるしかねぇ。このままただ闇雲に突っ込んだって、何にも好転なんざ……おい、何だ、あの機体……」

 

 パーティクルビットの皮膜の内側で、ようやく立ち上がり始めた機体の内、鉤爪を有する一機がその掌底に黒白の光弾を生成し、《ティルヴィング》へと立ち向かおうとする。

 

「おい! そこの鉤爪の機体の! 何を考えてるんだか知らねぇが、今は無理だ! 撤退しろ! 幸いにして、相手方も《サードアルタイル》の兵装までは考慮に入れていないんだ!」

 

 ダイキの必死の訴えかけに、鉤爪の機体のパイロットの声が滲む。

 

『……ふざ、けるな……! 俺は……! 俺はこんなところで、膝をつくためにここまで来たんじゃない……! 全てを無効化するのだと言うのならば……! この一撃も無力化出来るか!』

 

「何、ハイになってんだよ……! 今は頭に血が上ったほうが負けだってのが分かんないのか?」

 

 鉤爪の機体の背後で、白銀の騎士の機体も起き上がり、両肩を拡張させていた。

 

『……クラード……。こっちでミラーフィーネを……展開する。もしかしたら一撃の補助になるかもしれねぇ……。頼んだぜ……』

 

『ああ……任された……』

 

「あれはわたくしの《アルキュミアヴィラーゴ》……! ならば乗っているのは……アルベルト様?」

 

「ああ、もうっ! 何が起こっていやがるんだ! それに! 人の気も知らないで命令無視のことごとく……! 俺だからまだ許してやってるんだぞ!」

 

 他の機体を下がらせ、ダイキは前線へと赴いていた。

 

「今ならば撤退出来る! 何でそれが分からない! ……パーティクルビットの中に包まれていれば、少なくとも被弾の可能性も低い! ……おい、前の二機に言ってんだ! 聞いてんのか!」

 

『……聞いて……やったっていいが……ここで俺が何もせず……ただ帰投するのだけは……あってはならない……。カトリナ・シンジョウに……誓ってきた……』

 

「カトリナに? ……あんた、その声……そう言えばどこかで……」

 

『……下がれ。《ダーレッドガンダム》の一撃であの機体を沈ませる……。その後は任せた……』

 

《ダーレッドガンダム》の照合を与えられた機体が黒白の弾丸を突き出し、前へと足を進める。

 

「……信じられねぇ……。パーティクルビットの守りを得ずに……魔獣に立ち向かうってのかよ……」

 

 その後方で蒼いミラーフィーネの輝きを放つ《アルキュミアヴィラーゴ》が付き従い、まるで長旅を共にしてきた盟友のように、その足並みを削がせない。

 

「……駄目です、アルベルト様……! 《アルキュミアヴィラーゴ》の兵装は、そこまで強くないのです……! 今の状態では……《ティルヴィング》の射程圏内に入る前に……」

 

 そこでピアーナは言葉を切り、胸元を掻き毟る。

 

 異常事態にメイアが声を上げていた。

 

「どうしたんだ? もしかして……何か異常でも……!」

 

「いえ……何でも……。《アルキュミアヴィラーゴ》は……わたくしの半身も同然。機体損耗ダメージフィードバックくらいは……覚悟の上……」

 

 息を切らせるピアーナに、ダイキは歯を食いしばっていた。

 

「……何だよ、それ。結局リクレンツィア艦長がしんどい目に遭ってるじゃねぇか……」

 

「……中尉?」

 

「キミは……」

 

 ダイキは《シュラウド》に加速をかけさせる。

 

 パーティクルビットの追従速度限界まで振り絞った急加速で《ダーレッドガンダム》の眼前へと躍り出ていた。

 

『……何者――』

 

「――すまん!」

 

 謝罪の声と共に《シュラウド》の拳で《ダーレッドガンダム》の頭蓋を揺さぶる。

 

「何を! クラビア中尉!」

 

「……だからすまんって言ったでしょうが。こいつらの覚悟は本物なのは分かります。ですがここで死なせるわけにもいきません。……よって、俺がヨゴレを引き受けます。……艦長、すいませんがいい一発を喰らわせないと止まりそうにないので、暫し我慢してください……!」

 

『てめぇ! クラードをよくも……!』

 

 ビームジャベリンを振るおうとした《アルキュミアヴィラーゴ》へと、即座に下段からビームサーベルを抜刀し、二の太刀で両腕を斬り落とす。

 

『……この実力……!』

 

「分かってくれればそれでよし。分かってくれないのならば……押し通る……!」

 

《シュラウド》がバーニアを噴かせて《ダーレッドガンダム》を抱え、《アルキュミアヴィラーゴ》へと接触回線を弾けさせていた。

 

「……今は無理だ。どれだけ意地があろうが、こればっかりはな。……そっちだって実のところは分かってるんだろう? このまま無理に前に進んだって、待っているのは破滅だって事くらいは」

 

『……あんた……』

 

「ダイキ、だ。ダイキ・クラビア。別に憶えてもらわなくったって結構だが、こっちも根無し草なもんでね。……悪いが呉越同舟、オフィーリアに間借りさせてもらうぜ」

 

《サードアルタイル》の虹の拡散皮膜がようやくミラーフィーネを押し返し、大半の機体がオフィーリアとブリギットへと帰還した形となる。

 

 ダイキは管制室へと直通をかけて声を弾けさせていた。

 

「オフィーリアへ! このまま艦を百八十度回頭! 《サードアルタイル》のパーティクルビットで守ってもらいつつ、相手の射程圏外へと出る! 相違ないな?」

 

『こちらオフィーリア艦長、レミア・フロイトです。……驚いたわね。まさか、クラビア中尉?』

 

 返答の声の馴染みに、ダイキも眼を見開く。

 

「……レミア・フロイト艦長……? ……ったく、何だってんだ。因果の一つや二つ……いや、今はそんな場合でもないでしょう。フロイト艦長だって言うんなら話は早い。艦の足で敵から離脱自体は難しくないはずでしょう?」

 

『アステロイドジェネレーターが一部機能不全を起こしているのよ。……この鈍足じゃ、あの巨体にでも追いつかれるわ……』

 

「何だってそんな事が……! ……ああ、いや、分かっていないわけじゃないんです。ただ……飲み込むのには、いささか時間の要るって言うのによ……!」

 

 ダイキは機体を対峙させる。

 

《ティルヴィング》はあまりに遅いが、それでもこちらを追い詰めるべく――動いているのが窺えた。

 

「……まさか馬鹿デカイ敵を相手に、立ち回りなんて思いも寄りませんっての。少し時間を稼ぎます。パーティクルビットがあれば、その射程圏内ならミラーヘッドに類する兵装も使えるでしょう。出来れば援護砲撃をもらえればバッチリですよ」

 

『……クラビア中尉……何を……』

 

「俺なりの恩返しです……ッ! リクレンツィア艦長、それにメイア・メイリス。ちぃと無理な機動をしますが、出来ればコックピットの中では吐かないでもらえるとありがたい……!」

 

「……クラビア中尉……」

 

 ピアーナの切なさに塗れた黄金の瞳に、ダイキは軽口を返す。

 

「……そんな眼で見ないでくださいよ。俺だって嫌なんですから。ただ……リクレンツィア艦長も生かす。他の連中も同様に、ってなると、無茶になるもんなんです。男ってのはいつだって、少し気負ったくらいがちょうどいい」

 

 抜刀したビームサーベルを逆手に握り締め、もう一方の手で新たにビームサーベルを発振させる。

 

「格闘戦は不利なんじゃ……!」

 

「それも普通の話。……俺は今から、普通じゃない事をする。頼みます、リクレンツィア艦長、それにフロイト艦長も。……俺を導いてください」

 

 相手の返答を待つ前に《シュラウド》へと急加速をかける。

 

 パーティクルビットを纏っているとは言え、その射程圏外に一瞬でも出ればミラーヘッドの叡智で成り立った兵装は役に立たない。

 

 なればこそ――己の牙を研ぎ澄まし、そして巨獣へと喰いかかれ。

 

 血の一滴になるまで敵を屠るためだけの野性を剥き出しにして、誅殺せよ。

 

 ビームサーベルの切っ先が《ティルヴィング》の放った赤い砲弾を斬り裂くなり、質量バランスが崩れて機体制御に異常を来す。

 

「……超質量の砲弾ってわけか。確かに、一歩一歩が小さい魔獣ならではの――なまくら戦法ってわけかよ!」

 

 瞬時にサーベルを持ち替えて、逆手にした腕に比重を置く。

 

 ビームサーベルを安直に構えない理由は、わざと質量比を崩すため。

 

 粒子束が形成され、そして刃の形状を成すだけでも、それ相応の質量変動が起きる。

 

 その一瞬の変動値をアイリウムバランサーに学習させ、沈みゆく機体を立て直す。

 

「これが俺流だ……! 喰らい知りやがれ……!」

 

 パーティクルビットの粒子が見る見るうちに剥がれていく。

 

 既に《サードアルタイル》の射程圏ギリギリだ。

 

 しかしここまでやれば、相手も必死の構えである。

 

 無数の赤いアイカメラが睥睨し、砲弾が弧を描いて《シュラウド》へと突き刺さらんとする。

 

「舌ぁ、噛まないでください……! 行きますよ……ッ!」

 

 機体をバレルロールさせ、その反動でミラーフィーネの粒子がかかるのを防ぐ。

 

 躍り上がった機体の中枢に重心バランスを置き、両腕を開くと同時に斬撃を浴びせていた。

 

 魔獣の皮膚はだが、まるで破れる気配もない。

 

 十字の刃を見舞ったと言うのに、ダメージは想定以下であった。

 

「……まぁ、こんなもんか。ったく、デカい口を叩いた割には、俺はこんなもんだったって事ですかね。……もう一発、浴びせてから、帰投ルートに入ります。再三言いますが、コックピットでゲロらないようにしてください。急上昇でメインカメラを狙います……ッ!」

 

 急減速からの、上昇は専用のパイロットスーツを身に纏っているダイキにしても臓腑を押し潰される感覚に陥るほどだ。

 

 生身に近いメイアとピアーナは地獄のような加速度だろう。

 

 機体をきりもみさせて雲を裂き、その果てにある《ティルヴィング》の頭上へと《シュラウド》は至っていた。

 

 果たして――魔獣の頭蓋はまるでムカデのそれにも似て――。

 

「……本当に魔の獣って感じだな。魔獣討伐……赴かせてもらう……って言いたいところだが……俺も限界……。唐竹割りにて――御免ッ!」

 

 大上段に掲げたビームサーベルによる一振りが《ティルヴィング》の頭蓋を切り裂く。

 

 無論、大したダメージではないのは理解しているが、それでも喰らいかかったのは己の信念を貫き通すためでもある。

 

 呼気一閃と共に急下降に打って出た《シュラウド》はミラーフィーネの赤い皮膜の網にかかる前に、制動をかけて僅かに上昇し、パーティクルビットの保護下に至っていた。

 

 津波のように向かってくるミラーフィーネの呪詛からは命からがら逃れた事になる。

 

「……いやはや、危ないところだった。ご無事で……リクレンツィアか――」

 

 その二言目をピアーナの拳がヘルメットを殴りつけて遮る。

 

「馬鹿ですか! 貴方は! ……あんな真似をして……パイロットである貴方の身に……何かあれば……!」

 

「あれ……ちょっと意外……。艦長、俺の事、心配してくれてるんで?」

 

「それは……! あ、当たり前でしょう! わたくしの事を信用しての機動は分かりますからね……!」

 

 ふんと鼻を鳴らしたピアーナに、メイアと視線を交わし合って微笑み合う。

 

「な、何ですか! メイア・メイリス! それにクラビア中尉! 貴方方は本当に……いつだって無茶無謀を……!」

 

「はいはい。今は……艦長の小言も嬉しいくらいですよ。……生き残ったって感慨があるってもんです」

 

「まぁね。……それにしたって病み上がりに今の急加速は堪えたなぁ」

 

「ゲロ吐いて気ぃ失うかと思ったが……案外タフじゃんか」

 

「これでもマグナマトリクス社のエージェントなんでね。この程度の加速、朝飯前……うっぷ……」

 

「おいおい、その朝飯を吐かないでくれよ。ここまでお膳立てしておいたんだからな」

 

「貴方達は! 緊張と言うのがないのですか!」

 

 ピアーナの喧噪も今はありがたい。生きている証明になる。

 

「……ああ、でも面倒を抱え込んじまったな。カトリナに、それにフロイト艦長……。多分居ると思うけれど、サワシロ大尉も、か。……俺って女運悪いのかもしれねぇな」

 

「今さらじゃんか。ピアーナみたいなのを好きになったんだから、覚悟しなよ」

 

「……だな。んじゃまぁ、お邪魔しますかね。ベアトリーチェ級戦艦、オフィーリアへと」

 

「聞いているんですの! 二人とも!」

 

 ピアーナの怒声はまだ収まりそうにない。

 

 その言葉を聞き入れつつ、《シュラウド》は開かれた格納デッキへと歩み出していた。

 

 何が起こるのかはまるで未知数であったが、それでも今は――前に進むしかなかった。

 

 



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第227話「姫と騎士」

 

 感情は昏く沈んでいる。

 

 意識は波の如く、砂浜を行き来していた。

 

 そうだ、と面を上げる。

 

「……ここは……」

 

 白い砂浜。

 

 赤く弾ける波打ち際。

 

 空を仰げば、まるで世界の終わりの様相を呈している。

 

 赤と灰色の雲に抱かれた天球の胎方の中で、自分はゆったりと呼吸していた。

 

「……そうだ、私は……。あの後……ネオジャンヌ崩壊の後に……《エクエス》に導かれて……」

 

 立ち上がる。

 

 世界を俯瞰している間さえも惜しいはずだ。

 

「どこへ……どこへ行ったの! ファム! 私の女神……!」

 

 砂浜を駆け出した直後には、何かに躓いて倒れ伏す。

 

「痛った……。これ、何……」

 

 躓いたのは、白骨の――人間の遺骸であった。

 

 思わず悲鳴を上げて後ずさる。

 

「なに……何なのよ……これは……」

 

 骸が起き上がる。

 

 白い砂を全身から血潮のように滑らせた骸は一つや二つではない。

 

 幾百の死が、自分を捉えようと動き出していた。

 

「いや……っ、いやぁ……っ!」

 

 走り出してから、気付く。

 

 自分が絢爛豪華なドレスを纏っているのではなく、華奢なワンピース一枚である事に。

 

 そして、手入れを欠かさなかった髪も爪も、全てが枯れ果てたように生気を失っている。

 

「……私は……なに……」

 

 直後、赤い海面が上昇する。

 

 その血のような色相を纏って顕現したのは、漆黒の鯨のような存在であった。

 

 亀裂が走り、無数の眼球が自分を見据える。

 

 思わず尻餅をついたところで、砂浜の下から腕が伸びていた。

 

「いや……っ! なに……何だって言うのよぉ……っ! 私が何をしたって……――!」

 

『――キルシー……。君を……護る……よ……』

 

 切れ切れの声の主へと、彼女は――キルシーはようやく自我を伴わせて視線を投じる。

 

 地面の下から腕を取ったのは、半面が削がれたガヴィリアの頭蓋であった。

 

 途端、夢の皮膜は消え失せ、暗黒へと残響したのは叫びだ。

 

 赤い海も、骨を想起させるような白の砂浜も消滅する。

 

 その代わりに、とくん、とくんと脈動する小さな明かりを感覚していた。

 

「……あれは……私は……どうなったって言うの……」

 

 手を伸ばす。

 

 その途端、激痛と共に皮膚が剥がれていた。

 

 赤い血さえも迸らない。

 

 枯れ尽くした自分の腕は骨が覗いていた。

 

「だれか……だれか……きて……。ここはこわい……ここは……いやぁ……っ」

 

 見る見るうちに自分の身から装飾も、煌びやかなかんばせも消える。

 

 残ったのは、ただ腐った臭いを放つ臓腑と、そして骨格ばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――IMF02、敵をロスト。やはり、使い手ですね。《サードアルタイル》の武装ならば、こちらのミラーフィーネが通用しないと一瞬で看破するなんて」

 

 無数のモニター画面よりもたらされるIMF02のシグナルに、ふむと一拍の思案を差し挟む。

 

「少しばかり、逸ったのかもしれませんな。クロックワークス社代表取締役様」

 

 恭しく頭を垂れたこちらに、肥え太った重役は返答する。

 

「やはり……使えないのではないかね? IMF……イミテーションモビルフォートレスの投入は」

 

「IMF02はこれから先のスタンダードになりますよ。フラッグシップ機としてのテストは順調ですし、このまま行けば改良点もさほど多くありますまい。エンデュランス・フラクタルより出向している私としては結果がすぐに見れてお互いにウィンウィン……よろしい事ではありませんか」

 

「それは死の商人の言葉繰りだぞ。――エンデュランス・フラクタル営業部長、タジマ、だったか」

 

 タジマは眼鏡のブリッジを上げて首肯する。

 

「あなた方はどうしても我々の技術が欲しい。我々としてもいきなり本懐を遂げるのは難しい以上、一度テストタイプを通すのが相応しい流れでしょう。なに、心配は要りません。聖獣の力の一端に触れれば誰でも及び腰になる。恐々と運用するのは別に恥ではありませんよ」

 

「恥など……思ってはいない」

 

 重役はしかし、タジマの物言いにも引っかかるものを感じていた。

 

 イミテーションモビルフォートレス――魔獣の開発が推し進められて早半年。エンデュランス・フラクタルは《ネクロレヴォル》の運用で一日の長があると言うのに、統合機構軍全体の足並みを揃える事を提案してきた。

 

 その結実した代物こそが、クロックワークス社のこれまで優位に立っていたミラーヘッドジャマー技術の発展運用たるミラーフィーネ。

 

 これはまさに、聖獣と正反対の「ヒトが駆る」魔獣の力に相応しい。

 

「それにしたところで、《ティルヴィング》の内蔵アステロイドジェネレーターはやはり熱暴走を引き起こしています。この大きさでなければ《ティルヴィング》はメルトダウンを引き起こし、収縮爆発で自滅している事でしょう」

 

 オペレーターの一人にそう言葉を振ったタジマは部下の肩を叩く。

 

 ひっと短い悲鳴を上げた女性オペレーターはタジマの営業スマイルを向けられて声を震わせていた。

 

「な、何か……」

 

 タジマは営業スマイルを崩さずに尋ねる。

 

「《ティルヴィング》に“搭載”されているパイロットのバイタルは如何です?」

 

「に、二名のバイタル、脳波……共鳴領域で安定……。《ティルヴィング》の運用は……つつがなく……」

 

「よろしい。しかし、クロックワークス社として見ればMAのノウハウを活かしてくださった事、感謝しているのですよ。ミラーヘッドジャマーだけではこれから先の戦場を席巻は出来ない、それは共通認識であったようで」

 

「……タジマ、そちらの要求するスペックは達成出来ているはずだ。あとは、ノルマの話だろう」

 

「ええ、もちろん。商売においてノルマ達成は悲願ですからね。《ティルヴィング》の初陣として、第三の聖獣を狩り、オフィーリアを轟沈させる――最終目的さえ変わらなければ構いません」

 

「分からんのはそれもある。第三の聖獣は一度、そちらの保有するベアトリーチェ級戦艦たるモルガンが鹵獲したと言う情報が入っていたが」

 

「聖獣なのです。首輪をつけても機能するかどうかは賭けの一言。やはり、と言うべきでしょうか。首輪は正常に機能しなかった」

 

 それでさえも予定調和だと言うようなタジマの論調に、重役は唾を飲み下す。

 

 ――この男は悪辣の徒だ。

 

 しかし、誰もが恐れていながら、その表層にさえも触れられないのは、彼が自らの残虐非道な行いを全て隠蔽し、その末に現状の安寧があるのだと理解しているからだろう。

 

 タジマを糾弾すれば、同じ指先で、同じ口で自分達も裁かれる。

 

 それが誰よりもこの場で雄弁に理解出来ているからこそ、重役は彼を縛れなかった。

 

「……一つ聞きたいのだが、エンデュランス・フラクタル保有機としてではなく、我が社の保有に調印したのは理由が?」

 

「開発にあれだけ協力していただいたのです。契約上、クロックワークス社の最大戦力としたのは当然でしょう?」

 

 それも詭弁だ、と言い返せればよかったが、ここで蛮勇は死を意味する。

 

「……第六の聖獣の心臓……回収はよかったのかね」

 

「もちろん、聖獣の心臓は我が方が手に入れなければいけません。が、最終勝利者さえ変わらなければよろしいでしょう。聖獣の心臓をオフィーリア側も狙っているからこそ、この餌に食いついたのでしょうから」

 

「《ティルヴィング》、第六の聖獣の心臓から一時離脱します。このままではミラーフィーネの運用に支障を来すのと……それに第六の聖獣の心臓より、今も溢れ返りかねない……これは……」

 

 モニターされているのは渦を巻いて砲撃の形態を取った第六の聖獣の心臓の内側から迸る黒々とした液体であった。

 

 その液体は大地に触れるなり、物質を昇華させて異次元へと飲み込んでいく。

 

「……あれも、広義のダレトだと?」

 

「ええ。やはり仮説通り、聖獣の心臓部はダレトに通じている。否、全てのミラーヘッドの産物は、大小多かれ少なかれやはり、ダレトをその身に宿しているのです。アステロイドジェネレーター炉心のエネルギーの大元、全ての始まり――ミラーヘッドシステムの根源はやはり、ダレトよりもたらされる力……“存在力”とでも言うべき代物でしょう」

 

「存在力、か……。我々は知らぬうちに、ダレトに触れていたのだと……」

 

「全ては十六年前に決していたのですよ。“夏への扉事変”、あの時……月のダレトが開き、世界が様変わりしたあの瞬間に。この来英歴は辿るべくして運命を辿っている。全てはダレトの向こう側へと至るための前準備に過ぎない」

 

 タジマの語る禁忌への誘因が恐ろしいのもあれば、彼はそれをビジネストークの一環として用いているのも狂気の産物だ。

 

 まるで前準備とは――その先に何かがあるかのような言い草ではないか。

 

「……失礼ながら、エンデュランス・フラクタルとして見れば、魔獣の存在そのものがスキャンダルのはず。いいのか? 野に放ったようなものだが」

 

「魔獣を飼い殺しにしてどうするのです。ヒトが使う獣なのですから、使わなければどれほど崇高な理念を有していても、あるいはどれほど蛇の道を辿っていたとしても意味がありますまい。あれは使ってこそ意義があるのです」

 

 魔獣は放たれるべくして放たれたと言う事か。

 

 しかし、疑問は残る。

 

「……タジマ営業部長、あなたはダレトを何だと考えている?」

 

「これは、まるで説法ですな。ですが、お答えしましょう。ビジネスとして有用な関係性を結んでいるのですから。ダレトは扉に過ぎない、その先に待つものこそ、我々来英歴の至るべき未来そのものであると」

 

「……来英歴の未来、か。それがあの空の大虚ろに懸かっているとは」

 

「今さらの論法でしょう? 思考拡張、ライドマトリクサー、そして今日に至るまで全てのミラーヘッド事業と兵器の開発、戦争の技術はあの大虚ろよりもたらされた叡智なのです。我々はこの世界を転がす視点を持った人類、ならば叡智は開かれるためにある」

 

 タジマは満足そうな笑みを浮かべつつ、管制室を後にする。

 

 残された重役は額を押さえて、頭を振っていた。

 

「……叡智、か。しかし間違った叡智は、禁術のそれと紙一重だ」

 

「《ティルヴィング》より、反射を確認。認識阻害の一つかと考えます」

 

「姫と騎士には“夢”を見させておけ。消える事のない、夢の世界を、な」

 

「了解。精神点滴七番、“ジュークボックス”を注入。……安定域へ。思考脳波、内蔵心拍共にフラットの領域です」

 

「モニターは続けろ。だが、聖獣の心臓には近づくな。最接近するとすれば、オフィーリアが持ち直した時だろうが……まさか、驚いたな。《サードアルタイル》のパーティクルビットでMSを包み込んで一時離脱とは。優れた軍師でも居るかのようだ」

 

 いや、そもそもエンデュランス・フラクタルの制御下を離れた《サードアルタイル》を今一度作戦に組み込むと言う豪胆さがなければ、あのままミラーフィーネに呑まれた機体は確実に潰せていたはず。

 

「……転がり出した石とは言え、それを止めるのは人の意思、か。魔獣《ティルヴィング》……果たしてその大いなる力はどう我ら人界に影響をもたらすと言うのか……」

 

 勘繰りを続けていたところで仕方はない。

 

 重役はオペレーター達へと命令を振っていた。

 

「……引き続き、《ティルヴィング》の信号を受信。接近する敵影があればすぐさま自動迎撃を走らせよ。あれに容易く近づく、と言うのは現行の兵器ではないだろうが、先にモニターされた《ネクロレヴォル》の改修機もある」

 

「シーン06の272秒間だけですが、《ティルヴィング》の機体追従性を上回った、と言う報告が上がっています。MSが瞬時に《ティルヴィング》の脆弱性を突けると言うのはデータにはありませんでした」

 

「それも当然、か。あれほどの巨躯を前にしてよく立ち向かったものだ。……騎士の栄光があるとすれば、ああいう者にこそ輝くのだろうな。魔獣に立ち向かう騎士はしかし、物語の終末においてはろくな死に方をしないものだ。大抵、牙に毒を持っている魔獣にとっては、な」

 

「オフィーリア追撃に我が方の機体を向かわせますか?」

 

「よせ、藪蛇になるだけだ。まだ《ティルヴィング》が我が方の機体だと露呈していない以上、要らぬ詮索を進めるような真似だけはよしておけ。……タジマはああ言ってはいたが、我々の事などトカゲの尻尾切り程度にしか思っていないだろう。統合機構軍で、何が足並みを合わせる時、だ、死の商人め」

 

 だがタジマ含むエンデュランス・フラクタルの面々のデータがなければ《ティルヴィング》は完成さえもしなかっただろう。

 

 その最後のピースを埋めたのが、完全に偶然の産物であったのは笑えもしないが。

 

「姫と騎士に不明瞭な動きがあればすぐに連絡を寄越せ。わたしは一度、会議に出なければいけない」

 

「了解しました。《ティルヴィング》、内蔵アステロイドジェネレーターの温度が急上昇。冷却水と排熱、電荷に入ります」

 

「頼んだぞ。あのデカブツとは言え、繊細なんだ。少しでも異常があれば報告するように。以上」

 

 扉を潜り、重役は切り詰めた空気からようやく抜け出していた。

 

 魔獣の心拍、そして脳波を常にモニターし続ける地獄のような領域から逃れたとは言え、それでも面倒は付き纏う。

 

 ネクタイを緩め、それにしても、とひとりごちていた。

 

「こんな世界の場末に至っても会議とは。……わたしは憂鬱だよ」

 

 

 



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第228話「-53度の夜」

 

「エーリッヒ様、こちらの本には何と書かれているのですか?」

 

 そう尋ねてきたピアーナに、ハイデガーは応じていた。

 

「えっと、ちょっと待ってくれ。……古い文字だ。もう使われていない言語だな……。発声言語と、それから翻訳ソフトを用いて解読しよう」

 

 部屋の四面を埋め尽くした本の数々も三分の一ほどは解読出来たであろうか。

 

 ハイデガーはピアーナの邸宅のこの部屋に隠匿する事となった。

 

 居場所のない身で肩を寄せ合う事の心地よさを感じたのもあるだろう。

 

 ハイデガーはゆっくりと、現実認識に落ち着かせていた。

 

 まず収集したのは事前情報と、そして近況である。

 

 それに関しては紙媒体と、そして新聞が貢献したのは意想外としか言いようがない。

 

 毎日投函される新聞は、自分の居た時代より五十三年前となるこの時代において、有用に働いていた。

 

 第一に、日時の経過と、そして技術レベルの確認。

 

 どうやらこの時代での一日は《ダーレッドガンダム》に跳ばされる前の一日の経過時間と同じ。

 

 それを確認しなければいけないのは、自らに施したライドマトリクサー施術が常に最新の情報へと更新される仕組みになっていた事に起因する。

 

 最新の情報として登録されている日時、時間が、無効な設定となっているためまずはそれに慣れる事から始めなければいけなかった。

 

 生身であった時と同じように、今日が何月何日なのか。

 

 そして、時間経過は跳躍する前と同じなのかどうか――時刻調整機能が正常に働かない以上、人間的な感覚を頼りにするしかない。

 

 よってハイデガーは毎日のように新聞を読みふけり、そして部屋の中に時計を三つ用意していた。

 

 一つはグリニッジ標準時に自動補正されるデジタル時計。もう一つは古めかしいアンティークそのものと言えるようなアナログの時計。そして最後の一つは時差をわざと五十三年後に調整し直した時計であった。

 

 この三つの時間を常に視野に入れないとハイデガーは一時でさえも落ち着かなかった。

 

「エーリッヒ様は……偉大なのですね。解読不可能な文字まで全て読めるなんて……」

 

「いや、僕は……そういう風に出来ているだけだ」

 

 ピアーナは長く伸ばした前髪の奥で微笑んだのが伝わる。

 

 どうにも野暮ったい印象は拭えないが、彼女の日常を守るのには自分が妙な事を吹聴するわけにはいかなかった。

 

 この街はそうでなくとも全身RMに冷たい。

 

 いや、この街と言うよりもこの邸宅であってもだろう。

 

 ピアーナはアナログの柱時計がある時間を告げた瞬間、小さく委縮していた。

 

「……あっ……またこの時間に……お父様に……会いに行かなくっちゃ……」

 

 毎夜深夜三時――ピアーナは先ほどまでの言葉尻とは正反対の暗く沈んだ声を発する。

 

 夜も更けた辺りになって、ピアーナは毎夜、父親とされている男の下へと向かう習慣がついているようであった。

 

 それは、この邸宅に招かれてからずっとのようで、彼女が欠かした事はない。

 

 一度、それくらい破ってしまえばいいのではないか、と提案したが、ピアーナは身体の芯から震え、頭を振って否定した。

 

 ――父親を愛さない娘なんて居ない、と。

 

 その愛する、がどのような意味なのかは、深くは問わなかったが、この時刻になるとハイデガーは孤独になる。

 

 眠る事すら久しく忘れた全身ライドマトリクサーの身は、この時、完全に一人きりになってしまうのだ。

 

「……ああ、行ってらっしゃい」

 

「行ってきます……。その、エーリッヒ様。ここの文脈……物語のように感じるのですが……どうでしょうか?」

 

「うん……あ、ああ、そうみたいだな。古の物語、か……。分かった、君が帰ってくるまでには翻訳しておくよ。そうすれば明日も楽しみだろうし」

 

「そう……ですね。明日も……」

 

 ピアーナの声に翳りがあるのは、明日に控えた連邦による定期診断が迫っているからだろう。

 

 この世界において、全身ライドマトリクサーのモデルケースは彼女しか居ない。

 

 よって、最も搾取される立場なのは窺えていた。

 

「……ピアーナ、大丈夫だとは言わないし言えないが……物語は君を癒してくれるだろう。それだけは……確かなはずだ」

 

 慰めにも成らない言葉にピアーナは微笑みを向けてから、部屋を後にしていた。

 

「あっ……エーリッヒ様、電気系統だけはその……調整しておかなければ屋敷の者にも存在がバレかねませんので……その……」

 

「ああ、分かっている。僕は電気がなくっても感覚で文字が読めるから、それは杞憂だよ」

 

 一つ頷いてピアーナは立ち去っていた。

 

 残されたハイデガーはさて、と物語の翻訳を開始する。

 

「……悲しいかな、全身RMと言うのは、一時間もかからないんだ」

 

 文字情報を掌でなぞっただけで、それらと同期処理されたアーカイヴへと接続され、一分にも満たない情報の交錯の後に物語のデータが脳内へと翻訳されている。

 

「……これは古来の姫と騎士の物語か……。騎士は姫の囚われた巨大な怪物へと立ち向かい、そして最後には怪物と契約を交わして姫と共に胎の中で過ごす事を決める……バッドエンドだな」

 

 せめてピアーナには物語の上だけでもハッピーエンドを辿って欲しい。

 

 そう思ってしまうのはただのエゴなのだろうか。

 

 ハイデガーは部屋の電気を消してから用意されたベッドに横たわるも、やはりと言うべきか眠りはやって来ない。

 

「……有機伝導施術の成れの果て……睡眠の必要がない肉体と言うのはこんなにも侘しいものか」

 

 ハイデガーは目を瞑る。

 

 瞬間、脳内に構築されたネットワークシステムが連邦の基地へとアクセスしていた。

 

 ――テスタメントベース……とやら。まだ情報の防壁がまるで成っていない。これなら僕でも全ての情報を盗み取って痕跡すら残さない事でさえも……しかし、ここが開発されている理由は何だ? 何のために、地上に月面の再現をしようとしている……いいや、まだダレトも開いていないんだ。再現も何もない、か。

 

 ハイデガーは観測所のネットワークに介入し、月軌道を仰ぎ見ていた。

 

 まだ空に開いた間違いのような大虚ろは存在しない。

 

 つまり、ダレトが開くのはこれから先の歴史だと言う事だ。

 

「……ダレトが開く前に、ピアーナは全身を改造施術されていた……。いや、歴史を紐解けば自ずと分かる事だったが……ベアトリーチェに居た頃はそんな風でもなかったし……」

 

 とは言え、こうして眠るフリをするのも飽きたところだ。

 

 ハイデガーは新聞の文字情報へと視線を走らせていた。

 

 強化された網膜情報は即座に関連情報と結び付けられ、新聞記事の内容を補強する。

 

「……しかし五十三年前にはまだ新聞記事はアナログ主流だったのか。時代の流れを感じるな」

 

 ――と、その時ある記事が目に留まっていた。

 

「……発掘調査を断念……? 巨人のねぐら……?」

 

 オカルトめいた記事に着目したのは街よりほど近い場所であったからだ。

 

「山岳地帯に存在するとされていた十年前に突如として発見された遺跡の調査隊は今期をもってその発掘を完全に断念すると言う声明を出した……。来英歴を辿ってから発見された新たな先史文明の遺跡調査には莫大な資産と時間がかけられる予定であったが、市長自ら調査にかける資金を停止すると勧告。……その場所は巨人のねぐらと呼ばれており、18メートルクラスの巨神像が安置されており……18メートルの巨人……? まさか……」

 

 この時間軸に跳躍してきた際、自分は生身であった。

 

 その事に今日まで疑問を抱かなかったのは《ダーレッドガンダム》の性能がまるで予期し切れないからだ。

 

 だが、もし――自分と共に乗機も時間跳躍に巻き込まれたのだとすれば――その発見がこの近辺であるのは頷ける。

 

「……だが、どうしてだ? 遺跡調査……ってなっていると言う事は、最近のものでもない……と言うのか? 場所は……歩いても行けるな」

 

 新聞を折りたたみ、ハイデガーは裏の勝手口より邸宅を抜け出す。

 

 元々、夜間であろうとも暗視機能が付随しているため、昼間と同じように感じられる身だ。

 

 昼夜の逆転の心配も、眠りを必要としないのならば杞憂である。

 

「……しかし、その巨人とやらが万が一、僕の思っている通りだとすれば……どうするって言うんだ……。再会したからと言って今さらクラードを討つと言うわけでもあるまいし……」

 

 時間跳躍をした以上、もう一度同じ時代に戻れると言う楽観視は捨てたほうがいい。

 

 そもそも、五十三年のラグでさえも不明なのだ。

 

 ここは目立たないように生きていくのが吉であろう。

 

 訪れた場所は山岳地帯と言うほどでもない。ちょっとしたハイキングコースレベルのなだらかな坂が続いている。

 

 そこいらに調査の痕跡が残っており、遺跡と言うからには何かしら起因するものがあるはずだと、ハイデガーは構えていたが、案外容易く立ち入り禁止のゲートまで辿り着けていた。

 

「……日々の研鑽のお陰か、全身RMの無尽蔵の体力のせいか……」

 

 恐らくは後者だろうと思いつつも、ハイデガーは閉鎖されたゲートを片腕の力だけで開き切る。

 

「警報は鳴らないな。それほど重要とは思われていないのか」

 

 一応、先んじて警備装置へとアクセスして全ての権限を奪っておいたが、どうやらここに安置されているものがそこまで重要とは思われていないのか、警備も手薄であった。

 

 ガードマンが配置されている様子もなく、寂れた廃墟と言うのが一番の印象だ。

 

「……とは言え、巨人のねぐらと評されているんだ。それなりの広さを誇る……ここは、まるで鍾乳洞だな」

 

 地球圏に点在すると言われている鍾乳洞はデータベースでのみ閲覧した事があるが、ハイデガーの眼前に広がっていたのはそれとはまた別種のものに思われていた。

 

「蒼い結晶体……まさか、これはミラーヘッドジェルが硬質化したものか? ……どれだけの年月が経ったって言うんだ……」

 

 自分と共にこの時間軸に跳んできたのではないのか。

 

 ハイデガーは奥へと足を踏み入れていくうち、明らかに発掘途中の箇所へと視線を投じていた。

 

 その装甲は間違いない。

 

 五十三年後には全てのMSに標準装備されている規格のものであったが、この時代には過ぎたる代物なのだろう。

 

 傷一つつける事の出来ないものに対しては諦めるしかない。

 

「……だが、お前がもしそうならば……僕に従え……」

 

 腕を可変させ内側より呼び声を発すると、共鳴して装甲が蒼く輝く。

 

 色調を帯びた洞窟が鳴動し、埋まっていた巨人を呼び起こしていた。

 

 轟、と空気が震え垣間見えていた巨人の腕がハイデガーの目の前で風圧を生み出す。

 

 この時代には想定されていないミラーヘッドの風切り音、そしてMS特有の機動シークエンスを響かせその巨人は――否、MSはハイデガーの前に屹立していた。

 

「……やはり、お前だったか。《レヴォルテストタイプ》……」

 

 名を呼ぶとオォン、と叫びが迸る。

 

 自分と完全な同期を果たしている《レヴォルテストタイプ》は塞がれたフェイスパーツの向こうに眼窩を煌めかせていた。

 

 ゆっくりと、そのマニピュレーターが伸ばされる。

 

「……乗れって言うのか? ……アイリウムが生きているのかもしれないな」

 

 コックピットブロックに搭乗するなり、アイリウムの声が響き渡る。

 

『専属ライドマトリクサーの搭乗を認証。前回の戦闘より七百日が経過しております。専任ユーザーの再認証をお願いします』

 

「ミハエル・ハイデガー……声紋認証及びRM接続認証を乞う」

 

 両腕を可変させ、接続口へと繋げた途端、電流の突き立つ感覚が脳髄を痺れさせる。

 

『承認。レヴォル・インターセプト・リーディング、稼働。コミュニケートサーキットを起動させます。戦闘モードへと移行しますか?』

 

「いや、今はいい。アイドリング状態のまま……そうだな……ミラーヘッドによる防護迷彩を展開出来るかどうかを試したい。稼働準備」

 

『了解。ミラーヘッドジェル残量は六十七パーセント。ミラーヘッド偽装迷彩を展開します。偽装迷彩機能は最大250日まで継続可能』

 

「燃費だけはいいんだな。……まぁ、いい。ここも崩落したし、この時代の人間に気取られるのは旨味もない。《レヴォルテストタイプ》、飛翔高度に移ってくれ。目標地点まで飛ぶ」

 

『了承しました。この後の行動を専任ライドマトリクサーへと譲渡します』

 

 蒼い円環が浮かび上がり、アイリウムの稼働を確かめさせてから、ハイデガーは飛翔機動に移らせていた。

 

 七百日のブランクによって各所が軋んでいるのが窺えたが、それでも機動に耐えたのはひとえにエンデュランス・フラクタルの仕事の良心さか。

 

 スラスターに累積した粉塵を噴射し、《レヴォルテストタイプ》は空へと舞い上がる。

 

 ライドマトリクサーの所作に慣れた身として見れば、街の頭上を音もなく飛翔する事など容易い。

 

 そのままピアーナの邸宅の裏へと機体を停め、コックピットブロックを開放させる。

 

「偽装迷彩を展開。僕が合図するまでずっとだ」

 

『承認。偽装迷彩の展開時にはエネルギー残量は常に最適化されています。専任ユーザーは出来るだけ離れてください。偽装迷彩発生時には有毒ガスが発生する場合があります』

 

「頼むぞ。……まったく、レヴォルの意志って言うのはこれだから」

 

 有毒ガスが発生したとしても、無害化出来るのが自分という存在だ。

 

《レヴォルテストタイプ》は景色に溶け、目視ではほとんど発見不可能な領域となる。

 

「……久しぶりにMSを動かした気分だな。いや、実際にそうなんだろうけれど」

 

 首回りに滲んだ汗は否が応でも最後の感覚と光景を思い起こさせる。

 

 ――悪鬼の如き《ダーレッドガンダム》の形相と、そして周囲を満たす虹の輝き。

 

「……よそう。有機伝導体操作技術はこういう時のためにある」

 

 トラウマを脳内に分泌されるホルモンで最小限に抑え、記憶の表層に上って来ないように最適化する。

 

 ある意味では古来より人類には備わっていた機能だ。

 

 人間は忘れる事が出来るからこそ強い。

 

 その機能を拡張化させただけ。

 

「……裏庭に隠したのは、軽率だったか? だが《レヴォルテストタイプ》なのだと分かった以上、放ってもおけないしな」

 

 ハイデガーは部屋へと戻った後に、物語の翻訳を再開していた。

 

 こうして一つでも、ピアーナに語れる物語を増やす事程度が、彼女にも自分にも恐らく今の環境において最善であろう。

 

「明日はテスタメントベースに彼女が連れて行かれる……か。売られる子牛を見る気分で僕は憂鬱だよ」

 

 とは言え分かった事も多い。

 

 ピアーナはこの時代において、かつてベアトリーチェで行使したような実力は持ち合わせていない事。そして、この豪勢な邸宅はピアーナを両親が連邦政府へと譲渡した事で獲得した資産である事だ。

 

「……考えたくないな。永遠に自分の娘を手離す代わりに、栄光を、か。しかし……これだけの資産があっても五十三年後には……やはりデータベースに合致するものはなし。王族親衛隊や特権階級の名前を調べても、リクレンツィアと言う家系は存在しない。……消え失せる運命、か」

 

 一時の栄華のために、娘を怪物に仕立て上げる両親もそうなら、ピアーナもピアーナだ。

 

 意味も分からずにその力を手に入れたのだろうが、過ぎたる力は毒となるのは目に見えている。

 

「……本だけが自分の世界、か。五十三年後に君はそんな事も忘れて、電子戦闘のエキスパートになるんだ、なんて信じないだろうな」

 

 ハイデガーはページを捲りつつ、自動翻訳機能を走らせ彼女の行き着く先を思う。

 

 ――ピアーナは月軌道決戦以降、統合機構軍に配されたのだと伝え聞いていた。

 

「……結局は逃れられないのか。自分の役割と言うものがあるとして、そういう因果からは。ピアーナも僕もそうだ。何で……僕はあの時、《ダーレッドガンダム》に……クラードに勝てなかった……! 勝てたはずだろうに……!」

 

 しかし身を焼く怒りかと言えばそうでもない。

 

 人間らしく振る舞ってみても、どうしてなのかいやに醒めた思考回路だけがある。

 

 これが全身RMになると言う事なのだろうか。

 

 機械によって精神は統合され、一度意味がないと判じた事に関しては無関心になる。

 

 記憶の中でどれほど憎らしいと思っている相手でも、記録の中ではそうでもない。第三者のような目線で相手と自分を計算し、そして暗算は自分の立ち位置を決定させている。

 

 五十三年の月日をどうやって埋めるか、という遠大なテーマに立ち向かえば精神が自壊するであろう。それを防ぐために、今はこうして終わりのない物語を綴っている。

 

 これも一種の逃避なのだろうか。

 

 自分は、ピアーナのための物語を紡ぐ事で、彼女に一端の人間を演じているのかもしれない。

 

 あるいは、思い出したくない過去を追いやるために、目の前のタスクをこなしているだけなのかもしれない。

 

 いずれにせよ、この時代で出来る事は思っているよりも少ないだろう。

 

「……僕は何故、この時間軸に落とされたんだ……。それさえも悪意だと言うのか……《ダーレッドガンダム》……」

 

 空に浮かぶ月を眺める。

 

 黄金に輝く三日月は、恐れの穴が開いた五十三年後よりも純粋な輝きを宿しているように思われた。

 

 

 



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第229話「おかえりなさい」

 

 敵対するべきではない、と判定していても身体は自ずと動くものだ。

 

 アルベルトは《アルキュミアヴィラーゴ》のコックピットブロックより駆け下りるなり、《ネクロレヴォル》の改修機と向かい合っていた。

 

「……サルトルさん。出て来た奴への対処はオレに任せて欲しい」

 

「だがお前……相手は何者なのかも分からんのだぞ……」

 

「敵じゃねぇ、とは思いたいがな。今、クラードの状態は?」

 

「……芳しくないな。あの赤い光の波に捕らわれた直後から意識レベルが急速に低下した、とある。データ、見るか?」

 

 リアルタイムデータを差し出そうとしたサルトルを、アルベルトは制していた。

 

「いや、大丈夫だ。生きているんだな?」

 

「それも、辛うじてって感じだな。あのままじゃ、抵抗も出来ず死んでもおかしくなかった。それを……何とかこの状態まで持ち直したのも奴さんだって言うんじゃ、穏やかじゃないさ」

 

《ネクロレヴォル改修機》はクラードを助けたように映ったが、それも一時の判断だと言えばその通りかもしれない。

 

 アルベルトは整備班と共に前に歩み出ていた。

 

「……アルベルトさん……あれって……」

 

「シャル……? 来んな! ……相手の状態も何もかも分からん」

 

 背後にかかったシャルティアの声にアルベルトは張り詰めた面持ちのまま、拳銃の弾倉を込めていた。

 

 いつでも撃てる覚悟はあるつもりだ。

 

 詰めた息に、機体のコックピットブロックが開放される。

 

《ネクロレヴォル》と同系統の機体のため、頭部コックピットの方式を踏襲した相手が挙動する前に、と拳銃を構えたアルベルトと整備班は、直後に接続された意想外の声を聞いていた。

 

『……まったく! どれだけ言えば分かるのですか! クラビア中尉、反省するように』

 

『へいへい、艦長は小うるさいんですから。生き残っただけでも御の字でしょ』

 

『そういう態度だから……!』

 

「……嘘……だろ、ピアーナ……?」

 

 コックピットより立ち現れたのは自分をモルガンより逃がした服飾のままのピアーナであった。

 

 彼女に付随してパイロットがヘルメットを脱ぐ。

 

 警戒心を走らせた自分達へとタラップの上で声が弾けていた。

 

「……ダイキ……? やっぱり、何で……」

 

「カトリナ……さん? ダイキって……まさか……」

 

「やっぱり、カトリナだったか。って言う事はここはオフィーリアで間違いないんだな?」

 

 ダイキと呼ばれたパイロットがカトリナを認めて周囲を見渡したその時には、配置していた整備班が一斉にアサルトライフルの銃口を据えている。

 

「おおっ、怖ぇ……。安心してくれ……って言うのも何か変だが……俺は敵じゃねぇ」

 

「味方って言う根拠もねぇだろうが……」

 

「その声、さっきの《アルキュミア》のパイロットだな? ……やれやれ、あんな戦い方をするのはどこのどいつだって思ったが……」

 

「てめぇに諭されるいわれはねぇよ……。命が惜しければ動くんじゃねぇ……一歩でも動けば……!」

 

「蜂の巣ってわけかよ。にしたって、これは心外だぜ? 俺は援護に回ったはずだよな?」

 

「悪いが、どこの馬の骨とも知らねぇ奴の援護ってのは、そう呼ばねぇんだよ。命知らずって言うんだ」

 

「そうか。覚えておくよ。じゃあ、俺はとりあえず……フロイト艦長に報告をしたいんだが」

 

「あんたがレミア艦長の何を知ってるって言うんだ……!」

 

 こちらが敵愾心を剥き出しにすると、ダイキも同じように声に敵意を纏っていた。

 

「……元はと言えば、あんたらがフロイト艦長をそそのかしたからだろうか。あの人はトライアウトネメシスの士官だったんだぞ。俺の……直属の上官でもあった……!」

 

「奪ったのはお互い様って言いてぇのか? 悪いけれど通じねぇ論法だ。何よりも、あの人はこっちを選んだってのは明白だろ」

 

「……今ハッキリと分かったのは、あんたとは気が合いそうにねぇって事だけだな」

 

「それは奇遇だな。オレもだぜ……!」

 

 互いに牽制の言葉を投げ合っていると、同時に背後から――不意打ちのチョップを浴びせられていた。

 

「やめなさい、アルベルト君」

 

「やめなさい、クラビア中尉」

 

 バーミットとピアーナが同時に自分達を制し、アルベルトとダイキは完全に虚を突かれた形となる。

 

「って……バーミットさん……? 何やってるんで……」

 

「それはこっちの台詞よ。いきなり喧嘩腰ってのは感心しないわね、あなたもクラビア中尉も」

 

「痛って……リクレンツィア艦長、それが助けた人間に対しての態度ですか?」

 

「貴方は迂闊が過ぎます。オフィーリアの軍勢のほうが優位なのに喧嘩を売ってどうするのです」

 

「そいつはそうですが……。売ったのはあっちっすよ!」

 

「んだと、てめぇ! 降りて来い! ぶちのめしてや――!」

 

「だから、やめなさいってば」

 

 再びお互いにチョップが浴びせられ、二人ともどこかばつが悪い様子で振り返る。

 

「あのー……これじゃカッコつかねぇんスけれど」

 

「喧嘩しに来たんじゃないのくらいは分かるでしょうに。話をしに来たんでしょう? ピアーナ・リクレンツィア艦長」

 

「バーミット様……どうやら貴女とはここで仲違いをしているような状況でもない、と言う認識では同じのようですね」

 

「あら、意外。カトリナちゃんだけを慕っているんだと思っていたわ。あたしの事も様付けしてくれるのね」

 

「……元々、ベアトリーチェに居た頃は同じような身分でしたから、憶えていましたとも。わたくしがたまたま、電子戦闘に長けていただけで……分かたれてしまった」

 

「それも残念な話よね。あたし、結構あんたの事、好きだったのよ? 見た目だけはカワイイし、ファムにも負けない逸材だって」

 

「……バーミット様。ここに至るまでの行動原理だとか、そういう事と問い質すのでは……」

 

「野暮ってもんでしょ、そういうの。第一、あたし、嫌いなのよね。戦う理由だとか手を組む理由だとかそう言うの。打算だとか抜きにして、ただ一言だけ、言わせてちょうだい。――おかえり、ピアーナ」

 

 その言葉にコックピットのピアーナは僅かに顔を伏せてから、搾り出すように返答していた。

 

「……ただいま……帰りました……。本当に、こんな事を言っていいんですか」

 

「あたしが許す! あんたもカワイイしね。それに、現場判断って奴よ。さっきの戦闘を見た限りじゃ、あんた達が敵だとはどうも思えないのよね」

 

「……味方にしては少しばかり迂闊が過ぎます。そこを糾弾されてもいいのでは?」

 

「あたし、難しい事分かんないんだもーん。言ってるでしょ? 元々一介のOLに何を期待するんだかって」

 

 バーミットの軽口でピアーナはようやく張り詰めた糸を解きほぐしたように、少しだけ微笑む。

 

「……貴女は変わらないのですね、バーミット様」

 

「変わったのは年かさだけなもんよ。それと階級かしらね。久しぶりじゃない、クラビア中尉。あんた、まだ中尉階級だっけ?」

 

「そ、その……俺は……サワシロ大尉……」

 

「ファミリーネーム禁止、階級で呼ぶの禁止。今のだけで二回のバツよ、あんた。分かっているんでしょうね?」

 

 バーミットの一声だけでダイキは及び腰になったのが伝わった。

 

 アルベルトは転がっていく状況に対し、呆けたように眺めるしか出来ない。

 

 その目線を理解してか、バーミットは肩を叩く。

 

「いいの? カトリナちゃんだけじゃない、みんなが危ないのよ。アルベルト君、あなたは《アルキュミアヴィラーゴ》で待機。話はあたしとレミア艦長、それにダビデちゃんも来て欲しいわね。あと、カトリナちゃんとシャルティア委任担当官も」

 

「……私……も……?」

 

 茫然とするシャルティアへとバーミットはそっと肩を突く。

 

「あなただけでしょ? アルベルト君を止められるのは。他の面子は喧嘩しないように退避! はい、撤収!」

 

 バーミットが手を叩いた事で切り詰めていた整備班の緊張は、ここではまるで意味のないものとして消費されていく。

 

「……相変わらずの胆力だ。ま、キャリア組ってのはやっぱりな。ここがキレる」

 

 こめかみを突いたサルトルは大声を発して手を叩いていた。

 

「やめだ! やめ! そういう空気じゃないのは分かり切っていただろう? 第一! 元々聖獣の心臓を狙っての作戦はまだ切れちゃいないんだ。パイロットは全員、機体内で待機! これは命令だ!」

 

「で、でもサルトルさん……あいつが妙な事を仕出かしたら……」

 

「ピアーナがおれ達を裏切るか?」

 

 そう詰められてしまえばアルベルトは返答も出来なかった。

 

「それは……」

 

『“わたくしのオリジナルはやはり、どこかで割り切れていないんですよ! その点、完璧なボディーのわたくしはどうですか! こういう時でもきっちり、《アルキュミアヴィラーゴ》の戦闘待機を解かなかったんですからね!”』

 

「あっ、マテリア、てめぇ……今は出て来ちゃ駄目だろうが!」

 

 アルベルトが手を伸ばすのをマテリアは掻い潜っていく。

 

『“いやですよー! なぁーんで、アルベルトさんの言う事を聞かないといけないんですか?”』

 

「てめぇは《アルキュミアヴィラーゴ》のアイリウムだろうが! ……あと空気読め! オリジナルが来てるんだぞ!」

 

『“だからって無駄に空気を読んで機体内で待機していろとでも? ふぅーん、アルベルトさんはわたくしがオリジナルに劣っていると、そう仰るんですねー”』

 

「誰もそうは言ってねぇだろうが! ……って言うか筒抜け……」

 

 自分達のやり取りを目の当たりにしていた整備班は毒気を抜かれたように微笑んでから、銃器を降ろしていた。

 

「……やめっすね、やめ。こういうの、そもそも向いてないんすよ。撤収ー」

 

 トーマの合図で整備班はめいめいの仕事へと戻っていく。

 

 ある意味では警戒状態が解かれたのはありがたいが、その中で自分達がただ単に醜態を晒したような気がしてアルベルトは納得いかなかった。

 

「……何でオレだけ、馬鹿みたいに……」

 

『“馬鹿なのは前からでしょう?”』

 

「てめぇ……っ! マテリア……! ちょっと待て!」

 

 捕まえようとしてマテリアは踊るように宙を駆け抜け、《アルキュミアヴィラーゴ》のコックピットへと逃げていく。

 

 アルベルトは降下してきたダイキとやらへと、コックピットに入る前にガンを飛ばしていた。

 

 相手もその気のようでこちらを睨み据えたのをピアーナが制する。

 

「やめなさい、クラビア中尉。バーミット様の便宜がなければ撃たれていましたよ」

 

「そいつは……分かっているつもりですが……。あの人、やっぱ軍人っぽくねぇよ……」

 

 やけっぱちのようにそう口にするダイキに、ピアーナも呆れ返っているようであった。

 

「ええ、本当に……。三年前から、変わっていないのですね、バーミット様。わたくしも少しばかり肩肘を張り過ぎていたようです。……とは言え、敵と言われればそれが是となる空間。もしもの時には備えるように」

 

「……了解です」

 

 やり取りの一部始終を眺めてからアルベルトはコックピット内部を漂うマテリアがリーゼントに張り付いて来たのを払う。

 

「ああっ、もう! 何がしてぇんだ、てめぇは!」

 

『“そっちこそ! 女々しいですよ、アルベルトさん。何もそこまで恋しい視線でわたくしのオリジナルを見なくても。わたくしはここに居るのですからっ!”』

 

「……てめぇのペースに巻き込まれると、本当にイライラしてるのが馬鹿馬鹿しく思えて来るぜ」

 

『“でしょう? ここは静観、ですよ”』

 

「……ってもよ、さっきの戦場、誰が死んだっておかしくなかったんだ。そんな中で、《ネクロレヴォル》系列の機体に助けられたってのはぞっとしねぇぜ」

 

『“機体識別信号、来ました。あれは《ネクロレヴォル》強化改修型、《シュラウド》、と言うのが名称のようですね”』

 

「名前なんざどうだっていい! ……オレが言いてぇのは、土壇場で敵に命を預けるって言うリスクを背負うのが納得いかねぇってだけで……!」

 

『“アルベルトさんはまだ彼を信じていないと言うわけなんですか?”』

 

「そりゃ、お前……突然来たようなヤツを、信じろってのが無理なんじゃ……」

 

『“ふぅーむ、分かりませんね。その論法だと諸々問題があると思うのですが”』

 

 マテリアの指摘はもちろん、的を射ている。

 

 自分の物言いで言えばグゥエルの操る《サードアルタイル》だって信用ならないと言う事になる上に、何度も前線で戦い抜いているクラードはもっとだ。

 

「……そういや、クラードは……」

 

『“ヴィルヘルム先生がコックピットから強制排除させて医務室へ。現在、心拍、脳波、全てが異常値のようです”』

 

「それもそうか……。あいつ、あのダイキとか言うのが下がれって言っても下がらなかったもんな……」

 

『“それはアルベルトさんも同じですよ!”』

 

「うっせぇな……分かってんよ……」

 

 ダイキの《シュラウド》が咄嗟の判断で《サードアルタイル》の自動防衛機能を看破しなければ、恐らく全滅していただろう。

 

 アルベルトはその予感に震える。

 

「……何だったんだ、あのバカデカい敵は……。あんなの、これまでに居なかったぞ……」

 

『“機体照合の中に該当データはなし。まったく新しい敵だと断定せざるを得ません”』

 

「まったく新しい敵って……MAだとかって言うのか? だとしても、規格外っつーか……」

 

『“わたくしのオリジナルが何かしら交渉条件を持っているようです”』

 

「持っているようですって……何で分かるんだよ」

 

『“オフィーリアに入った時点で、何度か情報を共有しております。そう言う風に出来上がったネットワークなのです”』

 

 マテリアの返答にアルベルトは頬杖を突いて招かれていくピアーナを視界に入れる。

 

「……それにしたって、こんな形の帰還になるなんてな。オレも想定外って言うのか?」

 

『“わたくしのオリジナルはモルガンで使命を全うするかに思われましたが、そうでもない様子。いえ、それどころではない、が正しいでしょうか”』

 

「《アルキュミアヴィラーゴ》を譲渡された時点で、ピアーナには選択肢がなかったのは分かってる。分かってるが、何も《ネクロレヴォル》系列の機体に乗ってまで来るとは思わねぇだろうが」

 

『“いつだって現実とは想定されない事態だけで構築された代物と言う事なのでしょう”』

 

「何だよ、それ。誰の言葉だ?」

 

『“……引用不明、ですが”』

 

 マテリア自身も困惑しているように応じた答えに、アルベルトは陰鬱なため息をついていた。

 

『“な、何ですか……。わたくしだってこの言葉を使いたくはないのですよ”』

 

「いや、別にそういう事を言っているワケじゃねぇんだ。ピアーナの領分も理解しているつもりさ。だが……あの女……は」

 

《シュラウド》のコックピットから出てきた少女にアルベルトはモニターを拡大させていた。

 

『“メイア・メイリス。ギルティジェニュエンのボーカルであり、マグナマトリクス社所属です”』

 

「いや、そういうのを聞いてるんじゃねぇ。メイア……って、いっぺんレヴォルを動かしてみせたって言う、あいつか……?」

 

『“そういえば初遭遇でしたか。メイア・メイリスは一時的にモルガンで身柄を預かっていたのです”』

 

 その情報も初耳ならば、メイアがどこか訳知り顔で格納デッキを歩んでいくのを見てもいられず、アルベルトは再び出ようとして、彼女の行く先を遮ったのはユキノであった。

 

「……ユキノ……? 何やって……」

 

『“今は、任せたらどうですか? アルベルトさん、一方的に物騒な交渉を吹っ掛けそうですし“』

 

「何言って……ユキノが危ねぇんじゃ……!」

 

 腰を浮かしかけた自分をマテリアが回り込んで制する。

 

『“だーかーら、そういうところですよ。さっきの戦闘で死にかけたんです。なら、命はもっと慎重に扱うべきなはずでしょう? クラビア中尉に噛み付いたところで仕方がないのと同じように、今アルベルトさんがメイア・メイリスに喰いかかっても何もいい事はないですよ”』

 

 アルベルトは後頭部を掻いて嘆息交じりに座り込む。

 

「……言っておくが、何かあったらオレは飛び出すからな」

 

『“どうぞ、ご自由に。……でも、少しはユキノ様達も信じてあげればどうです? 古い仲間達なのでしょう?”』

 

「仲間なんて生易しいもんじゃねぇ。……オレ達は……言っちまえば家族みたいなもんで……」

 

 凱空龍の絆が容易く切れるとは思っていなかったが、その言葉は先刻のトキサダの存在で霧散しかけていた。

 

 トキサダが生きていた事も驚愕の事実なら、彼が《ネクロレヴォル》のパイロットであった事でさえも自分にはにわかに信じ難い。

 

「……分かんねぇ……世の中どうしちまったんだ……」

 

 コックピットの中でそう呟く事くらいしか、今の自分には出来そうになかった。

 

 



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第230話「ヒトとしての意義」

 

「あっ、キミって……えっと、ゴメン。知っていると思ったら知らない人だったや。誰だっけ?」

 

「私はユキノ、ユキノ・ヒビヤ。RM第三小隊の副隊長を務めています。あなたはメイア・メイリスさんですよね?」

 

「あっ、何でそれ……」

 

「あなたが思っているよりも、有名人って事です」

 

「えっ、何……サインとか?」

 

「まさか。この土壇場でサインなんて。私は……小隊長の仕事を減らしたいだけですから」

 

「小隊長ってさっき、ダイキと息巻いていた彼? 喧嘩っ早いってのは嫌だねー」

 

「……あなたは何で、あの機体に?」

 

 ユキノの詰問にメイアはうーんと呻っていた。

 

「何でって言われると……ノリ? としか言いようがないんだよね。まぁハッキリ言える事があるとすれば、ボクはピアーナを守るために付いて来たようなもので」

 

「……ピアーナさんと、あなたはどういう立場だって言うんですか?」

 

「助けたいってのが本音かな。もちろん、色々あったにはあったんだけれど、無茶する人だから、艦長って仕事は。ボクがよく知っている艦長もそうだったし、みんなそうなのかな? ……前に出て、死んで欲しくないだけ」

 

 こちらの返答にユキノは顎に手を添えて思案する。

 

「……それをまともに受け取るとして、じゃああなたはでも……三年前にレヴォルを動かしたって言う記録があります」

 

「あれも何でだったのかな? 分かる人居る? って言うか、クラードが居るはずじゃんか。彼はどこ?」

 

「クラードさんは……先の戦闘で負傷したようで、医務室に」

 

「訪問してもいい?」

 

「それは……駄目です。クラードさんはこの作戦の要なんですから」

 

「うーん、ケチー。……まぁ、とは言えさっきの戦闘見ていたらそれも言えないか。《ダーレッドガンダム》の性能を使って無理やりミラーフィーネを突破しようなんてどうかしてる。思った以上に生き急ぎになっているみたいだね、クラードは」

 

 こちらが知った風な論調であったためだろう、ユキノはむっとして言い返す。

 

「……あなたがクラードさんの何を知って……」

 

「どうかな。キミよか知っているかもよ?」

 

 意味のない挑発に乗るかどうか――ユキノは一拍の逡巡の後に、ため息をついていた。

 

「……そうやって煙に巻くのが常套句なんでしょう?」

 

「あっ、バレた?」

 

 種の割れたマジシャンのように肩を竦めていると、ユキノは自分を手招いていた。

 

 格納デッキの隅で重力と戦闘の衝撃で散乱した空き缶を一つずつ彼女は拾い集める。

 

「……で? 何? この艦の流儀で一発、って感じ?」

 

「……殴りませんよ、別に。ただ……あの場所だと整備班の眼もありますから、話しやすいところでってだけです」

 

「ボクも多分、重要参考人だから何かと聞きたい事があると思うんだけれど」

 

「その前に私の質問に答えてください。何であなたは《レヴォル》に乗れたんですか?」

 

「それかー。分かんないんだよねぇ、未だに。そこんところはハッキリしないから、次にしない?」

 

「……じゃあ次に。何でモルガンに?」

 

「あー、それも行きずり、って奴かな? 元々、短い命だったのを救ってもらったみたいなもの?」

 

「……何で疑問形なんですか」

 

「それはー、ボクにも分かんない。だってそういうものでしょーって言う」

 

 正直に話したところで、ユキノに事の経緯を説明するだけで時間はかかるだろう。

 

 彼女は拾い集めた空き缶をダストボックスに捨ててから、手を叩いて尋ねる。

 

「……じゃあ何も分かんないんじゃないですか」

 

「そう言われちゃえばそうかな。……ボク自身、何が起こって何でここに居るのかもよく分かってない。ピアーナを守るためだとか、そういうのも建前みたいなもんだし。ボク自身が行動する理由みたいなのは不明なままだ」

 

「……自分の行動理由が分かんないままで、よくここまで来れましたね」

 

「それも不思議っちゃ不思議なんだよねー。やっぱりこういうの、天の御導きがーとか言っておけばそれっぽい?」

 

 ユキノはため息をついてから、中空を仰ぐ。

 

「ないない尽くしの艦とは言え、そこまでよく分かんないのもなかなかないですよ。……ピアーナさんとの繋がりは?」

 

「艦長と……捕虜? かな?」

 

「捕虜ならここに居る理由もわけ分かんないですね」

 

「でしょー? ワケ分かんないだってば。そういう事態に巻き込まれた……被害者だって思ってよ」

 

「被害者の言い分にしては、随分と豪胆が過ぎますけれど」

 

 そこで暫し睨み合っていると先に沈黙に耐え切れなくなったのは相手のほうであった。

 

 ぷっと吹き出したユキノに、メイアも堪えていた笑いを発する。

 

「ちょっ……待って。何で笑うのさ」

 

「いや、だって……あまりにも……何だろう。わけ分かんない事ばっかり言うもんですから」

 

「だってワケ分かんないんだもん、仕方ないよね?」

 

「何で自信満々なんですか……」

 

 お互いに腹を抱えて笑い合ってから、ああ、とユキノは告げる。

 

「その調子じゃ、何で敵にトキサダ副長が居たのかも分かんないでしょうし、グゥエルが《サードアルタイル》に乗っている理由も知らなさそうですね」

 

「あれ? もしかして試してた?」

 

「当然。これでもエンデュランス・フラクタルのエージェントですし」

 

「うへぇ……嫌な女だなぁ、キミ。……とは言え、当たり前か。いきなり来たような奴を、じゃあどうぞって通すのもおかしいから」

 

「……私はあの三年前から時間が止まっちゃってるんです。少しでも手掛かりがあれば、って気持ちでしたけれど……それも空振りって感じですね」

 

「キミも苦労してそうだなぁ。さっきのダイキとやり合っていた彼……アルベルトとか言ったっけ?」

 

「どうかしましたか?」

 

「いや、キミ、彼の事好きでしょ?」

 

 不意打ち気味に言ったためか、それとも本人は意識さえもしていないのか、ユキノは似つかわしくない咳き込み方をする。

 

「大丈夫? えー、そんな意外かなぁ……」

 

「な……何を根拠に……」

 

「いや、だってそう言う風に顔に書いてあるもん。そりゃー、分かるよ」

 

 ユキノは紅潮した面持ちでこほんと咳払いする。

 

「……そんな事は、断じて」

 

「嘘。嘘だけは鼻が利くんだー、ボク。だから今のは嘘だって分かる」

 

「……メイア・メイリス、あなたは……」

 

「呼びやすい呼び方で大丈夫だよ」

 

「……じゃあメイア……さん。あなたは自分の目的は不明瞭なのに、オフィーリアでこのまま普通に待機出来ると思っているんですか」

 

「あれ? 話題変えたね。ははーん、今のは結構効いたって感じ?」

 

「……質問には答えてくださいよ」

 

 ゆったりとした沈黙が降り立った後に、メイアは逃れられないな、と応じていた。

 

「まず無理だろうね。ボクやピアーナ、それにダイキの知っている事の洗い出しから始めるだろうけれど、それで間に合う? さっきの敵がもう一度襲ってこないとも限らない。時間は、あるようで全然足りないんだ」

 

「……あの敵は……? あんなの初めてでした……」

 

「艦長曰く、IMFとか言うまるで意図されていない敵だったみたい。魔獣、とか言っていたかな」

 

「魔獣……そんなものが、どこの誰の手で……」

 

「質問に対する返答、終わり。ねぇ、さっきの彼のどこがいいのさ」

 

 割り切って話題を変えた自分に、ユキノは視線を逸らす。

 

「あれー? そんなに言いたくないの?」

 

「……意図しない質問には答えたくありません」

 

「でもボクだって全然分かんないんだ。IMFとか言っていたのが何なのか。そんなのいいからさー、ちょっとは聞かせてよ。ねぇ、アルベルトとか言うのの何がいいのさ?」

 

「……あなたはバーミットさんじゃないんですから、色恋沙汰とか、知らない艦に来てまず聞く事じゃないでしょう」

 

「へぇー、でも色恋ではあるんだ? 上官と部下とかじゃなく?」

 

「……怒りますよ?」

 

「ジョーダン。さっき試されたのの仕返し」

 

 微笑んでから、メイアは両手を上げる。

 

 ユキノは一拍挟んでから、自らの乗機であろう《アイギス》を仰ぎ見ていた。

 

「……これから先の戦い、分かんないじゃないですか。いつあんなのが出てきて、私達が何かのはずみに……全滅してしまうような。そんな事だってあり得るってのが分かったんですから」

 

「さっきのはマジにヤバかったんだと思う。心中、察するよ」

 

 IMFと何の説明もなしに会敵していれば自分達も手段を講じている暇などなかっただろう。

 

 それでも助かったのは、ひとえにダイキの機転と、そしてピアーナの知識のお陰だ。

 

「……私達はこれまで以上に……危ない橋を渡っていかないといけないのでしょうか」

 

「かもね。それでも、希望がないわけじゃないでしょ?」

 

 自ずとその眼差しは《ダーレッドガンダム》を目で追っている。

 

 中破した《ダーレッドガンダム》は格納デッキで修繕を受けていたが、その威容にメイアもたじろいでいた。

 

「……末恐ろしい機体だなぁ。ミラーフィーネの中を突き進もうとするなんて」

 

「クラードさんの現場判断です。逆らえませんよ」

 

「キミはクラードと長いんだ? それも結構意外だなぁ。彼、そういう縁とか作らないタイプじゃん」

 

「運が良かったと言うべきなんでしょうね。凱空龍で一緒に戦って、三年前の月軌道決戦、そして今も味方でいてくれる」

 

「クラードは……彼は同じでしょ。ストイックに敵を見据えている」

 

「メイアさんに何が分かるんですか」

 

「分かるよ。ボクと彼は……どうやら似たようなものらしいから」

 

「レヴォルに乗れた事、ですか?」

 

 その段に至ってメイアは首をひねる。

 

「あれ……何で近いなんて思ったんだろ。……違う箇所のほうが多いはずなのに……」

 

「何ですか、それ。結構、その場の勘とかで動いてるんですね。ギルティジェニュエン、“罪付き”のメイアって言うのは」

 

「あっ、今馬鹿にしたでしょ?」

 

「してませんよ」

 

「いいや、したね。……あー、でもホントに分かんないや。何で? ボクはどうして、クラードと近いなんて思っちゃってるんだろうね?」

 

「何ですか。自問自答なんて」

 

 メイアが悩んでいると、直上のタラップから声がかかる。

 

「ユキノ嬢。そこのお嬢さんを呼んでくれとレミア艦長からお達しっす」

 

「ああ、トーマさん。悪いわね、今行かせるから」

 

 整備班の女性と目配せをしたユキノに、メイアは嘆息をつく。

 

「お喋りも終わりかな?」

 

「そうみたいですね。……クラードさんの下には行かせませんよ?」

 

「誰も何も言ってないじゃん」

 

「そういう顔をしていたって言うんです」

 

「さっきの仕返し? やだなぁ、もう」

 

 とは言え、無駄口を叩いている場合でもないようだ。

 

 トーマと呼ばれた整備班がこっちだと示したのを、メイアは首肯して追従する。

 

「……一つだけ。《レヴォル》はどんなものだったんですか」

 

「あれ? お喋りは終わりだったんじゃないの?」

 

「それだけ……聞かせてください。私達の運命を、ある意味じゃ根本から変えた……あの叛逆の機体は一体……」

 

「乗った人間にしか分からない何か、か。……キミは結構、頭は切れるみたいだね。うーん、とは言え、ボクだってよく分かんないんだけれど……感想でいいなら。初めて乗った気がしなかった、って言う感じかな」

 

「……初めて乗った気がしない……それが《レヴォル》の?」

 

「はい、お喋り終わり。ボクは大人しく付いていきますよーっと」

 

 ユキノはまだ尋ねたい事が山ほどありそうだったが、メイアはオフィーリアのブリーフィングルームへと導かれる。

 

「……けれど、いい仲間を持ったもんだなぁ、クラードは。そういう点じゃちょっと羨ましいや」

 

 



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第231話「Who I Am」

 

 意識が朦朧としている、というわけでもない。

 

 かといって、明瞭かと問われればそれも否だ。

 

「……俺は……また堕ちて来たのか……」

 

 四方八方が白の領域。

 

 自分の脳髄に寄生する煉獄――。

 

「堕ちてくるのも慣れてきたのではないか? クラード」

 

 振り向けば白い老人が絶対者の眼差しで自分を見返す。

 

「……あれは何だ?」

 

「唐突な逆質問だな」

 

「知っているのだろう? あんな敵は今まで居なかった」

 

「万能の鍵と言うわけでもないとも。我とて関知せぬ領域だ」

 

「……ここには全てがあるように感じる。堕ちてくれば嫌でも分かる。俺が、忘れている事……《ダーレッドガンダム》の秘密に、そして世界の謎も……。何故……現実では持ち越せない?」

 

「そういう風に出来ているのだ、この煉獄の仕組みを今さら説くべきか?」

 

「……いや、そんな時間も惜しい。お前と対峙していると言う事は、俺は相応に無茶をやったんだな?」

 

 最後の記憶は《ネクロレヴォル》系列の機体に抱えられ、赤い熱波のような皮膜から逃れたところまでだ。

 

 それ以降はぷっつりと記憶も意識も途切れている。

 

「……《ネクロレヴォル》……騎屍兵の知り合いは居ないと思っていたが……」

 

「あれは我も想定外であった。まさかこう動くとはな。ピアーナ・リクレンツィア、分からぬ女よ」

 

「ピアーナ……? やはり。あれに同乗していた声はピアーナだったのか?」

 

 だとすれば、今のモルガンは手薄か、と考えて、否と反証する。

 

「そういう場合でもないか。俺は作戦を……遂行し損なった」

 

「無理を通すべきでもあるまい。あれは世界に風穴を開けるような害意だ」

 

「……MAかとも思ったが、あんな巨大な機体は前例がない。恐らく符合するものが居るとすれば……」

 

「分かっているのだろう? ここは思考迷宮だ。お前の関知野がそのまま反映される」

 

 白の世界の中で、思い至った相手――聖獣の影が差す。

 

「……MFか」

 

「その真似事、と呼ぶべきなのだろうが。疑似的に聖獣を再現するなど……この次元宇宙の、何と浅ましい事よ」

 

「聖獣は……お前が乗って来たのと合わせれば、現存するのは四機のはず。それらが奪われた……と言うよりかは現実的な線で言えば……」

 

「模造品だ、あれは。猿真似(イミテーション)だよ」

 

 エーリッヒが断言するのならば、それは確定事項だろうが、ここでの記憶は現実に持ち越せない以上、目が覚めてからの情報整理になるだろう。

 

「……敵は聖獣の模倣……」

 

「それほど意外な結論でもあるまい? 自らで御する手段を持ち得ないこの次元宇宙の人類は、では模造した獣に跨る事を選んだ。……まさに魔獣よ」

 

 ――魔獣。

 

 その名称が妙に胸の中にすとんと落ちたのは偶然であろうか。

 

「……俺は、また起きれば無知なままに現状を掻き回す」

 

「そうでもない。《ダーレッドガンダム》の性能をよく引き出している。括目して、己の血潮を見るがいい。お前の血は、もう人類のそれではない」

 

 掌を翳せば、蒼い血脈が流れている。

 

「……波長生命体か」

 

「これはお前の選んだ結末の一つだ、クラードよ。誰に責任を被せられるわけでもあるまい」

 

「そうだな、そうだとも。……俺がここまでの未来を選び取って来た。《ダーレッドガンダム》を乗りこなしたのも、俺のエゴだ」

 

「しかし、後悔が浮かんでいるようにも映る。今までのお前にはなかった代物だ」

 

 ――後悔? そんなものに足を取られている時間はない。

 

 これまでの冷徹なエージェントならばそう答えていたはずなのだが、喉を震わせたのは別の声であった。

 

「……俺は、後悔しているのかもしれない。《ダーレッドガンダム》に乗った事もそうならば、ここまでの決断も。……これは、何だと言うんだ……」

 

「教えてやろう。それは“恐怖”と呼ぶ。お前がこれまで遠ざけ、そして目を逸らし続けてきた感情だ。お前はエージェントとなった時から、恐怖だけは手綱を引いていた。それに一度でも囚われれば戦いで生き抜く事は出来ないのだと、直感的に理解していたのだ。だが今のお前の胸を締め付けるのは、間違いなく恐怖そのものであろう。何を恐れている? 《ダーレッドガンダム》の力か? それとも、我と肉体を共にする事に今さら身震いでも?」

 

 分かっている。ここはエーリッヒの領域だ。

 

 嘘は付けない。それどころか思考は明け透けになる。

 

「……カトリナ・シンジョウ。不可思議な宿縁だな。貴様はメイア・メイリスではなく、あの娘を選んだと言うのか」

 

「……何故、メイアの名前がここで出てくる?」

 

 こちらの疑念にエーリッヒは両腕を広げ、それから哄笑を上げていた。

 

「思い知る事となる! メイア・メイリスが何を背負い、何を覚悟してこの世界に舞い戻って来たのかを! お前はその後でも、あのカトリナ・シンジョウと言う娘を想えるのか! ……見物だな、クラード。お前の唯一間違った決断こそが、カトリナ・シンジョウを選んだ事など!」

 

「待て、貴様は……一体何を知っている……!」

 

 消え失せていく感覚の果てに、クラードはその手をエーリッヒへと伸ばしていた。

 

 エーリッヒの像がぶれ、直後には感覚意識は途絶えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空を掻いた指先に、クラードはぶれた視界を持ち直す。

 

「……ここ、は……」

 

「気が付いたか。……まったく、冷や冷やとさせる。お前は、いつもわたしのような待っているしかない身分にとってしてみれば恐怖でしかない」

 

「ヴィルヘルム……か? ……俺は……」

 

「直前までの記憶は持ち越しているか?」

 

 屹立する巨大なる影、そして赤い拡散粒子が世界を覆う光景――。

 

「ああ、負けたんだな、俺は……」

 

「悲観するようなものじゃない。あんなもの、どうかしている」

 

 ヴィルヘルムの声に浮かんだ恐れのような感情に、クラードは身を起こしていた。

 

「……まだ節々が痛む」

 

「お前の生命力はかなり向上している。傷に関してはほとんど自然治癒だ。……これでは船医は要らんと言われているようでさえあるがね」

 

 腕や頬に至った傷痕をなぞり、クラードは包帯を引っぺがしていた。

 

「……蒼い血筋……」

 

「お前は口にするのを嫌がるだろうが……波長生命体に関してはわたしも完全に知り得ているわけではない。とは言っても、驚異的な回復速度と、そして書き換えが進んでいるのだけは窺えた」

 

「……書き換え……?」

 

「隠しても仕方あるまい。……クラード、お前の肉体は少しずつ、この世界の理とは別の場所へと至ろうとしている。……とは言っても、全くの荒唐無稽でもない。元々その兆候はあった。それを推し進めたのが、あの機体であっただけの話だ」

 

「……《ダーレッドガンダム》か」

 

「まさに忌むべき火薬庫(ガンルーム・ダムド)の名前に相応しい。乗り手を書き換えるなど……最早MSのそれではないだろう。クラード、それでもあの機体に乗り続けるつもりか? 戻って来られなくなるぞ」

 

 掌に視線を落とす。

 

 末端神経まで蒼の血潮に染まった時、自分は何を思うのだろう。

 

 だがそのような感情は些末事なのだと、今は追いやるしかない。

 

 拳に変えて、決意を口にする。

 

「……ああ。今は足を取られている時間も惜しい」

 

 ヴィルヘルムは煙草に火を点け、紫煙をたゆたわせていた。その視線が天井の換気装置に注がれる。

 

「……失礼。禁煙はもう二時間も持たなくなってしまったな」

 

「ヴィルヘルム。お前には分かっている事もあるはずだ。それが俺にとって今、必要なのかどうかも。お前は……全て分かった上で、それで俺を導いたはずだ。クラードの名前を与えた時点で」

 

「そこまで重石に感じてもらっているとすれば、失策だな。クラード、その名前はもうお前自身のものだ。空白の席でもなければ、まして替えの利く名前でもない。お前だけが持つ、本当の名前だろう」

 

「嘘が下手になったな、ヴィルヘルム。……俺の名前は……」

 

 首から下げたドッグタグをさする。

 

 かつての価値がそこに集約されているはずであった。

 

 自分は「クラード」でなければ意味なんてないはずだ。そして名を与え、意味を見出したのはエンデュランス・フラクタルであり、ひいてはヴィルヘルムであったはずなのに。

 

 彼は、囚われるなと言っている。

 

 だが自分にとって、ヴィルヘルムが下した裁定を、今さら覆せるものか。

 

「……失い続けてきたお前だ。もう一つでさえも……失う事なんてないと、わたしは思っているのだがね」

 

「そうなのだと分かっているのだとすれば意地が悪い。エンデュランス・フラクタルに背を向けると決めた時点で、俺達の道は閉ざされたも同じだろう。俺は奪われたものを全て取り戻す。レヴォルも、それにあの日失った何もかもをまだ取り返していない」

 

「その事なのだが、どうやら少しは戻ってきているらしい。これは吉報なのかどうかは分からないが」

 

 ヴィルヘルムが灰皿で煙草を揉み消した瞬間、クラードは対面のベッドから起き上がった影を視界に留めていた。

 

「……ミュイ……っ、クラード……」

 

「……ファムか。まだここに居たんだな」

 

 寝ぼけ眼を擦ったファムは次の瞬間、自分へと抱き付いていた。

 

「……クラード! すきー!」

 

「……重いよ。それに、さっきまで重篤だったんじゃないのか? 医務室に居るって言う事は」

 

「そんなのどうだっていいー! クラード、そばにいてくれるから、ファムすきー!」

 

 頬ずりするファムに、ヴィルヘルムは訳知り顔で声にする。

 

「これも、取り戻した一つじゃないのか。想定していなかったとはいえ、お前は一つずつ、あの日失ったものを奪還しつつある。その行く先に光が差しているのだと、わたしは思っているのだが」

 

「……ファム。お前は何故、《サードアルタイル》に……?」

 

 問い詰める論調にファムは変わらない様子で首を傾げる。

 

「ミュイ……? だってさんばんめはずっとファムといっしょだったよ?」

 

「……つまり、MF03《サードアルタイル》はお前の乗機だったと言う事か。……いや、待て……。何かが……おかしい」

 

 しかしその違和感を明言化出来ず、クラードは額を押さえる。

 

「《サードアルタイル》に人が乗っている事自体、エンデュランス・フラクタル上層部くらいしか知り得なかったはずだ。ファムがその鍵だなんて想定外だっただろう」

 

「……本当に、そうか? ヴィルヘルム、お前は何となくでも、知っていたんじゃないのか? ファムが意味もなく、俺達に拾われたわけじゃなかった事くらいは」

 

「参ったな、読まれてしまっている」

 

 特に悪びれるわけでもないヴィルヘルムは、ここでの隠し立てに意味がない事を理解しているのだろう。

 

「……《サードアルタイル》は聖獣の中でも別種だった――それくらいは既知の事実だったのだろう」

 

「分かって欲しいのは、《サードアルタイル》とファムの繋がり自体は、思考拡張の専門であるわたしには予見出来た……その程度だ。それ以上は分かりもしなかった。まさか本当に《サードアルタイル》を呼び出すほどの能力と、そして手足のように扱ってみせる技量があるなんて」

 

「ファムと《サードアルタイル》の繋がり自体には気づいていて黙っていたのか」

 

「確定事項じゃなかった。仕方がない事だ。混乱させる種になる」

 

 三年前の時点でファムに何かあるのだと推定していたのはきっと、ヴィルヘルムくらいなものだったのだろう。

 

 その彼とてファムが強度の思考拡張を保持しているのだという推論を浮かべるしか出来ないのであれば、なるほど、他人に口外すべき事ではないくらいは頷ける。

 

「……しかし……一つずつ奪い返しているのでは話にならない。もっとだ……もっと必要になってくる。俺は……誰にも負けない力が欲しい」

 

「力、か。クラード、それは闇の求心力だ。誰にも負けない虚栄の頂に立って、お前はどうする? その時傍に居る人間でさえも、お前は拒むと言うのか」

 

 ――待っていますからっ!

 

 不意に脳裏を過ったカトリナの姿に、クラードはファムの体重を受け止めて横たわる。

 

「……俺は……何で人でなしで居られなかったんだろうな。ヒトであろうと思った事なんてないと言うのに」

 

「ミュイ……? クラードはひとだよ?」

 

「RM施術が全身の七割に到達している。人間と呼ぶべきじゃない」

 

 否、そういう事を言っているわけではないのは分かっている。

 

 分かっていても、今は他者を拒むような言葉しか吐けない。

 

 自分でも己の迂闊さに腹が立つ。誰かと共に立つ縁を結べるわけでもなければ、帰還を約束出来るほど強くもない。

 

《ダーレッドガンダム》と言う魔に呑まれ、そのまま闇の先へと到達してしまえればまだ楽であったかもしれない。

 

 だと言うのに、ここに来てヒトでありたいと願うのはただの傲慢であろう。

 

 力だけで現世に舞い戻り、力だけで他者の介在を拒んで全てを塵芥に追いやれれば、どれほど楽であっただろうか。

 

 だが自分は知ってしまった。

 

 帰るべき場所があると言う気持ちを。

 

 その安息を胸に抱いて戦うという心強さを。

 

「……守る……なんて、簡単に吐ける言葉じゃないのにな」

 

「お前はそれくらいでいいはずだ。今もカトリナ君と、アルベルト君達が策を編み出してくれている。お前は強いが一騎当千と言うわけにもいかない。何よりも、このオフィーリアではそれを許すような環境でもない。お前を一人で立ち向かわせるような無責任な人間はこの艦には居ないとも」

 

「……意外だな、ヴィルヘルム。投げられた爆弾は手元に返ってくるものじゃないとでも言うと思っていたが」

 

「お前は爆弾じゃないさ。ヒトであろうとする人間を、爆弾扱いなんて出来るものか。それこそ人道にもとると言うものだよ」

 

「人道に……お前が言うと笑えてくるよ、ヴィルヘルム」

 

 かつて冷徹に徹し、エージェントを育て上げる事に終始していた男が、今は一端の人間の感情を理解したような言葉を弄する。

 

 それだけでも異常であったが、自分はその言葉に嫌悪感を覚えているわけでもなければ、そういうものかとすとんと胸に落ちている感覚さえもある。

 

 ヴィルヘルムが無理をして「取り繕い」の言葉を向けているわけではないのだと、理解出来てしまっているのだ。

 

 自分はあれほど他者を蔑ろにして、骸の上に立つ事に何の躊躇も浮かべなかったのに。

 

 今になって懺悔をするつもりもなければ、後悔に足を取られているわけでもない。

 

 ただ――ヴィルヘルムと言う男が真っ直ぐに前を向いて歩き出しているのを、悪い気分でもなく見届けている己が居る。

 

 この男に道を閉ざされ、道を諭され、道を踏み外したというのに。

 

 恨んでも恨み切れないはずだと言うのに。

 

 ヴィルヘルムの生涯をかけた贖罪を、見届けてもいいのだと、そう思えているのだ。

 

「……俺は随分と……なまくらに成ってしまったのかもな」

 

「なまくらに堕ちれば戦いにおいて修羅に囚われる事もない。だが、刃としての純然たる力は消滅する。クラード、もうお前は選び取ろうとしているんじゃないのか? 剥き出しの刃として常に紅蓮の炎を身に纏うのか、それとも別の道を模索してもいいのかを」

 

「別の道……。俺に今さら、別の道、か……」

 

 それは恐らく、これまで積み上げてきた過去が許さないだろう。

 

 何人も、何十人も、否――何百人と殺してきたはずだ。

 

 数えるのも馬鹿馬鹿しい数の死骸を踏みしだき、その怨嗟の声を振り払って、ここまで到達した。

 

 今さら、何を言える?

 

 今さら、何を吼えられる?

 

 殺してきた者達に頭でも垂れろと言うのか。

 

 地獄の炎に焼かれ続けて、最後の最後に後悔しながら死んで行けばいいと言うのか。

 

 きっと、どちらも違う。

 

 どちらもきっと、罪の清算には程遠い。

 

「……俺は……どうあればいいんだろうな……」

 

 分からない。分からないと言うのに、カトリナの声だけがいやに明瞭に記憶の中で残響する。

 

「待っているって……。そんな身分じゃないだろ、俺もあんたも……」

 

 呟いた言葉は医務室の滅菌された天井に霧散していた。

 

 



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第232話「超越者達の座へと」

 

《レヴォルテストタイプ》が気取られた様子はない――とハイデガーは数か月を迎えた邸宅の窓より偽装迷彩を施された機体を垣間見る。

 

 全身ライドマトリクサーの網膜情報の中に辛うじて映る《レヴォルテストタイプ》の威容は、この時間軸においては恐らく畏怖すべき存在であろう。

 

「あの……エーリッヒ様。この間翻訳されていた文学作品を本当に……学会に発表するのが、あたしでよかったのでしょうか?」

 

「ん……ああ、それは構わないだろう。僕にとっては意味のない称号だし。それに、君の存在意義が増えたほうが、全身RMのモデルケースとしても都合がいいはずだ。これから先、ライドマトリクサー施術を受ける者達の背中を押す」

 

「そう……でしょうか……。あたし、確かに色んな人の賛辞を受けました……。全身RMは古代の文学ですら瞬間的に翻訳し、その精度は計り知れない……そう思ってもらうの自体は……嫌な気持ちはしないんですけれど……」

 

 ピアーナの言いたい事は分かる。

 

 外部翻訳ソフトがまだ安定していないこの時期のライドマトリクサーへ向けられる称賛にしては、過ぎたるものであるはずだからだろう。

 

 だが、ピアーナが現状、ライドマトリクサーのテストベッドなのだとすれば、彼女を嚆矢としてライドマトリクサー施術のハードルが下がればそれに越した事はない。

 

「君だって頑張っている。僕だけの栄光じゃない。ここに君のお爺様が遺した本がなければ、翻訳事業なんて立ち上げられなかっただろうからね」

 

 自分という存在の隠れ蓑にもなる。

 

「……ですが、それでも……エーリッヒ様がずっと書き上げようとしていらっしゃるそれは……あたしには何の事なんだか分からないんですけれど……」

 

「ああ、これか。これは……まだ起こり得ていない事象の話だから、しかも仮説論文だ。読まなくって正解だろう」

 

 築こうとしていたのは《レヴォルテストタイプ》のシステムログから探り得たダレトの基礎設計理論であった。

 

 アステロイドジェネレーターとひいてはミラーヘッドシステムの安定化はダレト出現後に全人類へともたらされた叡智。

 

 しかしこの時点では月のダレトが開く事も、ましてやその技術がオープンソースとなり、人界を一変させてしまう事を誰一人として知らない。

 

 知らない理論を築き上げる事は出来ないはずだ。

 

 少なくとも自分以外は。

 

「……創作物だよ。物語と一緒さ」

 

「でも……エーリッヒ様の翻訳された物語の言の葉は……あたし、優しくって好きです。言葉にも人の心って滲み出るんですね……」

 

 ピアーナは長い前髪で隠れた下ではにかんだのが伝わる。

 

 どうにもてらいのない感情をぶつけられるのはハイデガーも慣れていなくって、頬を掻いていた。

 

「そうかな……。自分でも意外な才能だったのかなと思う。僕は……戦う事くらいしか能がないのだと思っていたものだから……」

 

 語り部に成れるなど誰が想像したであろうか。

 

 クラードを憎み、カトリナを恨み、そしてベアトリーチェに居た全ての人間へと怨嗟をぶつけていた頃の自分は少し薄らいでいるようであった。

 

 それもこれも、五十三年前のこの時間軸での過ごし方に慣れて来たのか、あるいは未来の恨みつらみなど考えても仕方ないのだと、そう思わせてくれたのだろうか。

 

「きっと、エーリッヒ様には他人を慮る……そういう心があったのだと思います。だから、優しい物語を紡げるんです……きっと」

 

「……君に言われると照れるな。ピアーナ、僕は何もいい先生でもなければ師範でもない。だから……僕が教えられるのはせいぜい、全身RMとしての最善の生き方くらいなものだ。……今日もいい時間になって来たな」

 

 部屋の時計が正午を差す。

 

 ピアーナは一呼吸で電脳世界へと自身を浸し、自分と同じ記憶領域のストレージにログインしていた。

 

 ――うん。かなりレスポンスも早くなってきた。この調子なら、電子戦闘に打って出るのもそうそう遠い話でもない。

 

 ――あの、疑問なのですが……あたしに電子戦闘を教えて、どうするって言うのですか……? これまでこういうの、教わった事なくって……。

 

 ――戸惑う事はないよ。これから必要になってくる備えだ。それに、ライドマトリクサーとしての強みを知っておくのも悪い事じゃないだろう。僕が教えられるのはこの程度だが、今日は防壁迷路を潜ってみようか。テスタメントベースの機密隔壁の八層まで行こう。

 

 意識圏でそう伝えると、ピアーナは自分でも驚くほどの素養で防壁迷路を通過し、そして機密隔壁へと到達していた。

 

 その鮮やかさに教えている立場なのも一拍忘れてしまうほど。

 

 ――あの、エーリッヒ様……機密隔壁の五層までは簡単なのですが……やはり六層からは……。

 

 ――ああ、そうだね。ここに来てライドマトリクサーとしての歴が生きて来ると言うものだろう。抗生防壁が勘付いてくる前にダミー情報を三層まで維持、やれるかい?

 

 ――が、がんばりましゅ……っ、ふぇ……っ、噛んじゃった……。

 

 意識の網を手繰り寄せるのはピアーナのほうが上手だが、それでもまだこの時代の抗生防壁とは言え、少し鈍さを感じざるを得ない。

 

 だが、ライドマトリクサーとして戦えるようにならなければこの先、彼女は勝ち残っていけないだろう。

 

 一人前になるのを見届けるのに、自分は立ち会えない可能性のほうが高いが今は彼女の経験値を一つでも増やす事だ。

 

 ――僕は別の防壁へと潜り込む。リミットは三十分だ。それを超えればさしもの君とはいえ勘付かれかねない。

 

 ――は、はいっ!

 

 ハイデガーは自分の肉体へと意識を戻し、ピアーナの時間を補強するために敵性システムの関知範囲を遅らせていた。

 

「これで三十分は稼げるな……。さて、僕には僕の仕事が……ある」

 

 意識圏を別の方向へと向けて、ハイデガーが潜入を果たしたのは月面へとアクセスする権限を持つ天文台であった。

 

 直通の経路を持つのはこの星でも一つきりで、その一筋の道をハイデガーは辿り、そしてデータの集積体の扉の前に佇んでいた。

 

 ――これが、月にその拠点を構える存在の集積回路か。この時間軸にしては、恐ろしく精度の高い防壁を誇っている……が……。

 

 関知されずに潜り抜ける事も出来るが、ハイデガーはわざと相手に気取らせていた。

 

 瞬間、肉体へと防壁迷路を逆流して相手の情報が跳ね返ってくる。

 

 ハイデガーは全身RMの躯体を震わせ、その場に蹲っていた。

 

『……何者だ。我々に関知するなど……』

 

 声帯を震わせるのは子供の声であった。

 

 ハイデガーは喉元を押さえようとするが相手の情報をわざと飲み込んだのだ。そのため、脳髄が敵対存在の情報の瀑布に鈍る。

 

『我々の事を知っていなければこの最短ルートは取れないはず。貴様は何だ?』

 

「……ぼく……ぼぼく……僕……僕……は……あなた方を知っている。これ、は……デモンストレーションだ」

 

『有用に買い叩けと言うのかね? 悪いが、どこの木っ端ハッカーかは知らないが、過ぎたる行為は毒となる。脳幹を焼かれて死ぬがいい』

 

「……いい、のか……? ここに居るのは……僕だけじゃないぞ……」

 

 内部ストレージにピアーナの存在を匂わせる。

 

 しかし完全に察知させるわけにはいかない。

 

 あくまでももう一人観測者が居る事を相手に理解させるためだ。

 

『……賢しい手を使ってくるではないか。一人で向かってくるわけではないと言うのは』

 

「……あなた方相手に一人で対峙するのは少しばかり迂闊だろう……。僕は……先にも言った通り、自分の力を示すためにあなた方に接触を試みた」

 

『その行き着く先が破滅なのだとしても、か? あまりに迂遠だな』

 

「分かっているのならば……突きつけた抗生防壁を解除して欲しい。いつ脳が焼かれるのは分からないままでは交渉も出来ないだろう」

 

『……交渉、か。よかろう。抗生防壁を解除する』

 

 その段になってようやく、脳内への負荷が一段階減ったようだ。

 

 信じさせる事は出来ないが、疑いを逸らす事ならば出来る。

 

「……僕はあなた方の事を少しだけだが知っている。それは僕が……エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの名前を使ってからの事だ」

 

『我々も放置していた名前だな。偽書に用いるための封じられた偉人の名称だ』

 

 やはり、そうか、とハイデガーは察知する。

 

 ――エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーと言う名の偉人は過去未来、ライブラリに存在しない。

 

 それは意図的に消された以外では考えにくい。

 

 では誰がその存在を消したのか――その命題に、ハイデガーはテスタメントベースを建造している大元を突きとめる事にした。

 

 謎の銀盤の地平、それを造り上げて何を成そうと言うのか。

 

 しかし難航した先に待っていたのは、天文台からの月への直通ルートであった。

 

 戻る術のない片道切符。

 

 もし相手が自分の想定以上の存在だとすれば、交渉権を持たないまま飛び込むのは自滅以外の何物でもない。

 

 ゆえにこそ――半年間、待った。

 

 この半年で収集出来た情報の網、そしてピアーナと言う存在。

 

 ピアーナに電子戦闘を教え込んだのは、こうして自分が彼らと対等に渡り合うためでもある。

 

 もしもの時にピアーナに全てを任せられれば、自分はここで朽ちたところで、彼女が行く末を理解して辿るであろう。

 

『貴様は……エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの名義で翻訳本を出しているのか』

 

「物語の翻訳だ。忘れ去られた古来の物語を、僕は再構築している」

 

『エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーに許された領分を超えているな』

 

「しかし、あなた方が管理さえも忘れたこの名前に再び意味を持たせられたのは強いはずだ。……僕は予言を残すために、あなた方に接触した」

 

『予言、とは。酔狂なる事よ』

 

「どうとでも言ってくれ。……三十年後……異次元への超空間が開く。それは月のダレトと呼ばれるだろう」

 

『突飛な話し振りは相手への好感触とならないはずだが』

 

「突飛でもないはずだ。十年後……最初の使者がこの次元宇宙……来英歴を訪れる。その人物はこの世界に叡智をもたらし、人類は次なるフェイズへと移る」

 

 この札は《レヴォルテストタイプ》に内蔵されていた秘匿情報の一つであった。

 

 恐らくベアトリーチェが自分の離れた後、月軌道で手に入れた情報の一端が全てのレヴォルタイプへと同期されたのだろう。

 

 自分は訪れるべき未来の一つを知っている。

 

 そしてそれは、この局面において有用な切り札になるはずであった。

 

『興味深いな。だが、荒唐無稽な物語を紡ぐのがそちらの得意分野と見える』

 

「荒唐無稽でもないはずだ。星にテスタメントベースなる場所を造っているのは、そういったものへの備え……。既に月面付近において未知の粒子が観測されているはず。その粒子の名前は……フェルミノイド粒子……」

 

 アステロイドジェネレーターを扱う兵器を駆使するのならば、誰しもが聞いた事のある名前だが、この時間軸においてはまだその名称は「存在さえもしていない」。

 

 これは賭けに等しい。

 

 相手がその名称に準ずるものを想定しているかどうかの。

 

 だが、そうでなければ説明がつかない。

 

 そして相手が落ち着き払って自分の暴論めいた仮説を聞いている理由にもならない。

 

 この時間軸で全身ライドマトリクサーのピアーナが存在する事、そしてテスタメントベースが構築されつつある事から逆算した結果だ。

 

 恐らくは十年以内に、フェルミノイド粒子は発見されるのだと――否、発見されるのではない。

 

 人類が見出した事に「設定」されるのだ。

 

 他ならぬ「彼ら」によって。

 

『……我々の動きを察知している国家機関は存在しないはずだ』

 

『左様。フェルミノイド粒子と我々が命名したのはほんの半年前。それを盗み出すほどの諜報機関はまだ地球上に発生すらしていない。貴様は……本当に何者だ?』

 

 首の皮一枚で繋がった仮説に、ハイデガーは落ち着き払った様子を「取り繕って」、相手へと伝える。

 

「つい先ほど述べた通り。僕の名前はエーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。あなた達が忘却の彼方に喪失した、偉人説である」

 

 こちらの言葉繰りに相手はこちらの喉を震わせて哄笑する。

 

『よくも吼えられたものよ。だがその胆力、そして豪胆さ、気に入ったと言わせてもらおう』

 

『我々も地球上に端末をいくつか配置しているがね、間に合わぬのだよ、どれほど急いだとしても』

 

 ――端末。

 

 恐らくその一つが、ピアーナ・リクレンツィアと言う少女。

 

 ハイデガーは奥歯を噛み締める。思考回路が怒りで白熱化していくのを感じ取っていた。

 

「彼ら」の思惑一つで人生を狂わされた乙女。

 

 そんな彼女に同情しないわけでもない。

 

 だが今は封殺すべき感情だ。

 

 ピアーナを利用している者達を、さらに大きな意思で利用し返すほどでなければ食い破られるのはこちらのほうとなる。

 

「……僕はあなた方の運用方針に従おう。端末とやらの有用な活用法も提案したい。どうだろうか? 毎日、この時間帯。僕の脳内ネットワークへとアクセスしてもらうと言うのは」

 

『そちらの脳内ストレージはこちらの用意した端末よりも随分と手広なようだ』

 

『加えて慣れもある。どういう術かは分からないが、我々の思考拡張を無視して自らの内部へと飼えると言うのは希少だ。よかろう。第256番目の個体のネットワークをそちらへと常時アクセスに切り替える』

 

 まさか、常時アクセスの権限をいきなり渡されるとは思いも寄らない。

 

 ハイデガーが戸惑うよりも先に、「彼ら」のうちの一員のネットワークが脳内へと急速に構築されていく。

 

 通常のライドマトリクサーならば人格の書き換えに相応する複雑な接続方式であったが、ハイデガーが耐えられたのは来英歴294年時点でも最新鋭のものに準じていたからでもある。

 

 記憶と記録を激しく揺さぶられ、ハイデガーは脈打つ心拍の上昇に胸元を掻き毟っていた。

 

「……人間が耐えられるそれじゃない……」

 

 しかし、幾度かの身を破られる激痛と更新の後に、ようやく「彼ら」のネットワークの一部が自分の人格データに間借りされる。

 

『これで統一は果たされた。そちらの都合のいい時間帯に繋げて来るといい』

 

 だがこれは翻ってみれば、「彼ら」相手に筒抜けの思考回路という事になる。

 

 しかしそれくらいのリスクを負わなければいけない相手であった。

 

 半年間で培った情報網と、そして五十三年後の技術力がなければ自分は食い潰され、「彼ら」の言う端末の一つに成り下がっていた事だろう。

 

「……礼を言う。これであなた方と少しは話し合える」

 

『話し合いと言うのは互いに対等なレートから言える原理だ。まだ貴様に信を置いたわけではない』

 

「……それでも、少しずつであっても知らなければいけないはずですよ。あなた方はね……」

 

『確かに。こちらが用意するまでに地上にこれほどの技術力が発達していたとなれば穏やかではない。ゆっくりとその脳髄を解明させてもらおう』

 

 どうやら現状、すぐには自分の事を看破するだけの技術はないらしい。

 

 それだけは都合のよかった結果だろう。

 

『また接触する。貴様の名前を、今一度聞こうか』

 

 ハイデガーは呼吸を整え、そして「彼ら」へと宣告めいた名前を告げる。

 

「先にも述べた。僕は……いいや――私はエーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。忘却の彼方よりこの来英歴を照らす者なり」

 

『その名前、しかと覚えたぞ』

 

 途端、接触が一方的に断絶され、ハイデガーは呼吸を荒立たせていた。

 

「……何て情報量だ、まったく……! 少しでも集中を切らせば、呑まれかねないなんて……」

 

 だが月面に陣取る理由も、そしてこの時代の人類を観測する理由もこれから聞き出せばいい。

 

 そう断じて安楽椅子に深く腰掛けた途端、毛布が背後から掛けられる。

 

 ハイデガーは習い性の動きで手刀を作り、背後に迫った影を押し倒していた。

 

「……え、エーリッヒ様……?」

 

「ピアーナ……。ああ、すまない。僕は……」

 

「あの……どこに接続されているのか分からなかったんですけれど……三十分を過ぎたので……」

 

 ピアーナは首筋に添えられた自分の手刀に悲鳴一つ上げなかった。

 

 全身RMの手刀はナイフにも匹敵すると言うのに。

 

「……何で、叫んで助けを呼ばなかったんだ」

 

「何でって……。あたしにとって……エーリッヒ様は信じられるお人ですから……。その……少しお疲れの様子でしたので、毛布を、と……今の時期は冷えます」

 

 そう言えば、とハイデガーは外の景色に意識を飛ばしていた。

 

「もう冬……か」

 

 雪化粧の街並みが広がり、木々を鳥達が揺さぶって羽ばたいていく。

 

「はい……。風邪を引いてはいけませんので……」

 

「僕は風邪なんて引かないよ」

 

「それでも……です。あたし、エーリッヒ様には体調を崩して欲しくないんです……」

 

 ピアーナの厚意を無碍にする気にも成れず、ハイデガーは毛布を受け取っていた。

 

 彼女は部屋に備え付けられているコーヒーメーカーを抽出する。

 

 芳しい香りがハードカバーのにおいと混じり合い、鼻孔をくすぐった。

 

「……あたしは……まだミルクとお砂糖がないと飲めないんですけれど……エーリッヒ様はよくご愛飲されているようでしたので……」

 

「ああ。これも……ある意味では生身の時の習慣が抜けないんだな……」

 

 マグカップから伝わるぬくもり。

 

 挽き立てのコーヒーの芳香は自ずと気持ちをリセットさせてくれる。

 

 ハイデガーは黒々とした液体に視線を落としつつ、先ほどまでの相手を思い返していた。

 

「……ピアーナ。抗生防壁はどれくらい持つようになった?」

 

「全然です。エーリッヒ様の抗生防壁の作り方に比べれば……。持って二十分と言ったところでしょう」

 

 対面に座り込んだピアーナが息をふぅふぅと吹いて冷まそうとする。

 

 口に含んでから、その熱さに舌を出して苦味を堪えているようであった。

 

 彼女もある意味では我慢する立場にある。

 

 自分が「彼ら」に肉薄するために、毎日のように電子戦闘の鍛錬だ。

 

 その上、いくら古代の物語を翻訳して少しばかりの称賛を得ているとは言え、彼女を排斥する街の人々の態度は変わらない。

 

 全身ライドマトリクサーなだけで、この時代では異端。

 

 しかし、「彼ら」は端末と評した全身ライドマトリクサーを数名以上は用意している口ぶりであった。

 

 それはこの地球上に、ピアーナ以外の同朋が居る証明ではないだろうか。

 

「……いや、よそう。居るか居ないかも分からない戦力を当てにするのは」

 

 それよりも目の前のピアーナの面倒をきっちりと看るほうが大事だ。

 

「……どうしたんですか……エーリッヒ様……」

 

「何でもない。僕にとっては君が大事なのだと、理解したまでの話さ」

 

 ピアーナは茫然とその言葉を聞いた後に白磁の頬を紅潮させていた。

 

「……あ、熱いですね……、その、コーヒー……」

 

「ああ、目を覚ますのにはちょうどいい」

 

 ハイデガーは思索を巡らせる。

 

「彼ら」に接触する次の機会は慎重に練らなければいけないが、既に自分のネットワークの中に枝を付けられている。

 

 この状態ではそうそうこちらの優位にだけ転がるわけでもないだろう。

 

 如何にこの時代において全身RMが解析されない技術だと言っても、「彼ら」相手に何度も同じ立ち回りは不可能だ。

 

「……少しばかり、準備を要するかもしれないな」

 

「彼ら」の攻防をかわすのは難しいかもしれない。

 

 しかし、自分は五十三年の月日の隔たり分、技術面では上に立っている。

 

 ならば、この全身RMの禁術、今使わずしていつ使い潰すと言うのか。

 

「……エーリッヒ様。何か……危ない事をされているのでしたら……その……あたしが言える事じゃないでしょうけれど、お手伝いさせてください。あたし……エーリッヒ様のお手伝いなら、喜んでします」

 

「気持ちは嬉しいが、今は翻訳に時間を費やしたほうがいいだろうね。全身ライドマトリクサーへの理解をもっと深めないと。……僕だって下手に街を歩けもしないし」

 

「ごめんなさい、あたし……。気の付かないぐずで……。エーリッヒ様の気持ちが……分からないなんて……」

 

 しゅんとしたピアーナへと、ハイデガーは歩み寄ってそっと頭を撫でてやる。

 

「ピアーナはよくやっているよ。君は僕の誇りだ」

 

「……エーリッヒ様……」

 

「だから今は、無茶をする時じゃないんだろう。僕達がいずれ、何の憂いもなく街を歩けるようになるのには、ピアーナ、君の手助けが必要なんだ」

 

 窓際へと歩み寄り、凍て付いた空気を感じ取る。

 

 もう半年――否、まだ半年だ。

 

 自分達には出来る事の一つや二つ、もっとあるはずなのだから。

 

「……あたし、翻訳……エーリッヒ様に頼ってばっかりじゃなくって、自分でもやりたい……です。あたしに出来る事……何でも言ってください……」

 

「その心構えだけで充分だよ、ピアーナ。それにしても……そうか、雪景色はこんな風に……綺麗だっただろうか」

 

 自分の中で時間は止まっているのかもしれない。

 

 憎み、恨み、そして自らの席がないのだと認識したあの日から、ずっと。

 

 景色は廻ったはずなのに、その実感がまるでない。

 

 きっと自分は生きながらにして、修羅に堕ちていたのだろう。

 

 それを救ってくれたのは、ピアーナだ。

 

 五十三年前に堕とされた理由が分からなくとも、ピアーナに出会えた事はきっと、運命であったのだろう。

 

「……あの……何か……」

 

「いや、これも奇縁だな、と……そう思ってね」

 

 ハイデガーはコーヒーに口をつける。

 

 バサッ、とカラスが庭先で羽ばたいた音が響き渡っていた。

 

 

 



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第233話「もう一度、あなたと」

 

 懐かしいわね、とレミアが口火を切ったのはきっと、計算でも何でもなかったのだろう。

 

 それほどまでに、この光景は異様であった。

 

 カトリナはブリーフィングルームに会したピアーナとダイキ、そしてメイアを見やる。

 

「……えっと……モルガンから三名とも、出奔したと考えて……?」

 

「脱走兵だよ。別に気取る必要性もねぇし」

 

 ダイキの気安い言葉繰りに、カトリナはそれでも、とピアーナと目線を交わす事が出来ないでいた。

 

 無理もない。

 

 一度、敵対するのだと決めた身、もう二度とこうして肩を並べる事は出来ないのだと覚悟していたのだ。

 

 それがこのような形とは言え、帰って来てくれた嬉しさと、胸の中で渦巻く不可解な感情が自分を素直にさせない。

 

 馬鹿正直に帰って来てくれて嬉しいなどと吼えられる時期はとうに過ぎたのだろう。

 

 ピアーナもピアーナで、自分相手に距離を掴みかねているようであった。

 

「クラビア中尉。あなたも相変わらず健在で何よりだわ」

 

 レミアが率先して場を回してくれている。

 

 ダイキは肩を竦めていた。

 

「……正直、もう一度会えるなんて思っちゃいませんでしたけれどね」

 

「それも奇縁よ。人界と言うのは、こういう風に回っているのね」

 

「ダイキ・クラビアとやら。元々トライアウトネメシス所属の士官だと聞いている。その素性の下、確認したい。何故、モルガンを裏切り、我々の側につくと決めたのか」

 

 ダビデの論調には相変わらず容赦がない。

 

 否、ここで何者かの慕情に囚われず、平等に物事を判断していると断言していいだろう。

 

 ダイキは少し思案しているようであった。

 

「どうするっかな……。リクレンツィア艦長、本音でいいですか?」

 

「……貴方の本音はいつだってどうしようもないでしょう。とは言え、わたくしからしてみても、なかなか切り出しにくい。どうぞ」

 

「では本音で。……俺はリクレンツィア艦長を護りたい。そのためなら、統合機構軍であろうとレジスタンスであろうと関係がない。モルガンに所属していたのは元々、フロイト艦長達の影を追っての事だったが、この際、そんな些末事はいいんです。俺の目的はただ一つ――ピアーナ・リクレンツィアと言う人を、他の何者にも奪い去らせないためだ」

 

 まさかそこまで愚直に想定外の言葉が出て来るとは思っていなかったのか、レミアは吹き出していた。

 

「ちょっと……ちょっと待って……。クラビア中尉、正気……?」

 

「正気も正気ですよ。俺はリクレンツィア艦長のためなら何にだってなれます」

 

「待って……その当のピアーナ……あなた、照れているの?」

 

 レミアが指摘したために全員の視線が集まって、ピアーナは顔を伏せていた。

 

「……もうっ、そういうところなんですから。クラビア中尉、少しは自重するように」

 

「すいません、ちょっと嘘付けなかったもんで」

 

「嘘でなくとも、自重せよと言ったのです。ここは一応、敵艦ですよ」

 

「もう敵だの何だのと、言っている場合でもないんじゃないですか? 俺はここで、フロイト艦長やサワシロ大尉と、建設的な議論が出来ると思っていたんですが」

 

「頭は冷えているようじゃない。クラビア中尉」

 

 バーミットの言葉にダイキは腕を組む。

 

「まぁ……冷えてないとどうしようもないですからね。この状況下で、喚き散らしてどうとでもなるんなら、いいんですけれど」

 

「そうじゃないのは明白ね。カトリナさん、先刻会敵した対象の照合結果を寄越してちょうだい」

 

 レミアに命令され、カトリナは慌てて手元の端末を操作する。

 

「は、はい……っ。えっと……どれだっけ……」

 

「ときに、さ。クラビア中尉はどの辺が好きになったの? ピアーナの」

 

 バーミットの色恋沙汰特有の嗅覚に、ダイキは後頭部を掻く。

 

「いやぁ……何つーんですかね……気がついたら護りたかったって言う、シンプルなもんです」

 

「へぇー、なかなか言わせるじゃない、ピアーナ。あんたも隅に置けないわねぇ」

 

「……バーミット様。今は作戦会議中です。余計な雑事に足を取られている場合ではないかと」

 

「あれー? 人並みに照れちゃってぇー。三年前の、あの鉄面皮のピアーナからは想像も出来ないわねぇ」

 

「……怒りますよ、バーミット様」

 

「はいはい、じゃあ怒られが発生する前にこの話題は打ち切るとするわ。でも……後で聴かせてもらえる? 何があったのかくらいは」

 

「……趣味が悪いですよ、他人の恋路を邪魔する奴は、と言うでしょう」

 

「あっれー? 恋路とまでは言ってないんだけれどねぇ。ピアーナ、あんたもその気があるってわけね」

 

「……失言でした。今のはなしで」

 

 カトリナがぼんやりとピアーナの白磁の肌に浮かんだ紅潮を眺めていると、レミアが注意を飛ばす。

 

「カトリナさん。気になるのは分かるけれど、先に仕事」

 

「は、はひっ……っ! うへぇ……噛んじゃったぁ……」

 

 そう応答したのを、ダイキがどこか微笑ましく視線を投げていた。

 

「……何よ、ダイキ……」

 

「いや、お前も変わってないんだなと思ってちょっと安心した。……血濡れの淑女(ジャンヌ)だなんだと持ち上げられて、俺の知っているカトリナ・シンジョウはどっか行っちまったんだとばかり思っていたからな。……お前、やっぱりちょっと愚図なくらいでちょうどいいよ」

 

「……それって貶してるよね? 本当、そういうところも変わらないんだから……」

 

「カトリナちゃんカワイイー。久しぶりに元カレと会ってもつれとか、あたし超好み!」

 

「ば、バーミット先輩! 言いっこなしですよっ! ……もうっ。これが前回の戦闘で遭遇した敵の詳細情報です。……とは言っても、ほとんどの情報に照合をかけられるような決定的な結果はなかったわけなのですが……」

 

 ようやく投射映像がブリーフィングルームの中央に投影される。

 

 天を衝く鯨――そう形容するのが正しい形状であった。

 

 頭部は先の《シュラウド》が持ち帰ったデータから逆算したもので、ハッキリしたところは分かっていない。

 

 それどころか、全体形状でさえもブロックノイズが激しく、明瞭ではない。

 

「……これに関しての情報を、あなた達は持っていると思っていいのよね?」

 

「はい。この機体は……イミテーションモビルフォートレス02、《ティルヴィング》。……魔獣と、形容されています」

 

「魔獣……」

 

「これまでのモビルフォートレスのデータフィードバックから生み出された可能性の高い、……巨大兵器、とでも言うべき代物かしら?」

 

「そのような生易しいものではありません。要は、人類は……聖獣を制御するのが難しいのならば造ってしまえばいいという思考回路に至ったと言う証なのですから。そして生み出された……悪魔の胎方こそが……この機体」

 

「ちょっといいか?」

 

 挙手したのは壁に背中を預けているアルベルトであった。

 

 彼はずっとダイキの一挙手一投足に注意を注いでおり、ダイキもその敵意には気づいているようである。

 

「どうぞ、アルベルト君」

 

「あの機体……赤い粒子拡散幕を放出してきた。その途端に、こちら側の軍勢は総崩れ。だが、俺の《アルキュミアヴィラーゴ》には認証出来るものが一個だけあった。あれは……ミラーフィーネシステムだな?」

 

 ピアーナは視線を伏せ、こんなつもりでは、と悔恨の声を発する。

 

「こんなつもりでは……なかったのです、アルベルト様……。ミラーフィーネをここまで実用段階レベルまで引き上げているなど、想定外でした……」

 

「それでも相手の兵装がミラーフィーネなら……艦長、こっちからも提言がある。俺の《アルキュミアヴィラーゴ》のシステムキャッシュ内にあるミラーフィーネの権能を分析して欲しい。敵の魔獣とやらが全く同じものを使っていないにせよ、打開する一手にはなるはずだ」

 

「それに関しては既にトーマさんやサルトル技術顧問に任せてあるわ。ミラーフィーネの実用化……まさかここまで来ているとはね……」

 

「俺の所感なんだが……あれはミラーフィーネシステムと言うよりも、ミラーヘッドを擁する全ての戦闘兵器に対し、起動する別種のシステムにも思えた。だからこそ、第三の聖獣のパーティクルビットが有効だった」

 

「《サードアルタイル》の自動迎撃システムね。パーティクルビットで機体を包んで、一時的にミラーフィーネのシステム阻害を無効化……。なかなかに危ない橋を渡るわね」

 

「ですが、これが一兵力として有用なら、次に敵と遭遇した時には作戦として用いるべきだと感じます。俺の《シュラウド》が斬り込んだとはいえ、まるで相手には効いていないように見えました」

 

「……おい、さっきから俺の俺のって……てめぇが居なけりゃ、オレ達は負けていたって言いたいのかよ……!」

 

 にわかにダイキへと喰ってかかったアルベルトに、当のダイキも振り返って応じる。

 

「あぁ……? それが分からないほどお前らは愚かしいんだって言うんなら、その通りだろうが……!」

 

「てめぇ……! RM第三小隊の誇り嘗めんじゃねぇ……ッ! オレらだけでも勝てていた……! それが分からねぇってのなら……!」

 

「何だと……? 分からないのなら、拳で語り合うか、てめぇ……。さっきから野郎の視線なんて鬱陶しいんだよ……! 一端の戦士だって言うんなら、視線じゃなくって口で語りやがれ、口で!」

 

「……言わせておけば……!」

 

「何だと、この野郎……ッ!」

 

 互いに至近距離まで歩み寄り、拳を固めた二人へと、思わずカトリナは叫んでいた。

 

「やめて……! やめてくださいっ! ……二人とも……ここで相争ったって仕方ないじゃないですか……! 今はIMFを倒す事が最優先で……っ!」

 

「カトリナ、こいつは一発食らわせねぇと分からない馬鹿だ。だから、殴る」

 

「上等……ッ! 鍛えたエンデュランス・フラクタルのエージェントの実力……嘗めてんじゃねぇぞ……ッ!」

 

「へっ……何だよ、女々しいな。まだエンデュランス・フラクタルがどうのこうの言ってるんじゃ、たかが知れてるってもんだろ」

 

「……言ったな……ッ!」

 

 挑発を交わした二人の一触即発さ加減に、カトリナは絶句したところで、それぞれへとビンタが見舞われる。

 

「おやめなさい!」

 

「やめてください!」

 

 驚愕したのは、先ほどまで静観を貫いていたユキノのビンタがアルベルトの頬を打ったのと、ピアーナのビンタがダイキの頬を捉えたのは同時であったからだ。

 

 熱を削がれた二人は茫然としている。

 

「……リクレンツィア艦長……」

 

「ユキノ……お前……」

 

「何をやっているんですか! こんなところで喧嘩をしている場合じゃないでしょう!」

 

「小隊長! ここで誰かを殴ったって好転するものじゃないくらいは分かるはずです! ……何よりも……小隊長は助けられた身分じゃないですか!」

 

「それは……言いっこなしだぜ……」

 

 ダイキもピアーナに頬をぶたれて、それからぽつりと口にする。

 

「……中佐殿にもぶたれた事ないのに……」

 

「まったく! 中佐殿とやらは貴方を随分と甘やかしたようですね! ……わたくし達は拾われたのですよ。それを無碍にして、ここで殴り合ったって意味なんてないでしょうに……!」

 

「それは……その通りですが……」

 

「「でもこいつが……!」」

 

「二人とも! 落ち着いてください!」

 

「二人とも! 落ち着きなさい!」

 

 互いに指差したのを制したピアーナとユキノの声に、男二人はしゅんと項垂れるしかないようであった。

 

「……はい……艦長……」

 

「……わぁったよ……! ここじゃ何も言いっこなしだ!」

 

 ピアーナとユキノはお互いの顔を覗き込み、それからフッと口元を緩める。

 

「……あまり話していませんでしたが、ユキノ様。強く成られたようで……」

 

「私も……。ピアーナさんの事、何も分かっていなかったんだなぁって」

 

 頬を掻いたユキノに、ピアーナはふふっ、と微笑む。

 

「……似合いの場所に収まった、というわけですか」

 

「お互いに……ですね」

 

 ユキノとピアーナの友情に毒気を抜かれた気分になっている自分の肩を、バーミットは小突く。

 

「カトリナちゃん、もしかしてピアーナが自分以外に懐いて意外とか思ってる?」

 

「お、おおお思ってなんていませんっ! 第一、失礼じゃないですか……っ!」

 

「ああ、それ、多少なりともは思っている感じね。まぁ、三年もあれば人間的な成長くらいはあるわよ」

 

 ひらひらと手を振るバーミットにカトリナは頬をむくれさせる。

 

「……そんなんじゃ……ないのにぃ……」

 

 ただ、ピアーナが誰かを制する事が出来るようになったのは、恐らく自分の窺い知らないところでの成長には違いない。

 

 いつまでも自分の後ろを付き従ってくれた身分ではないのだ。

 

「……話を戻すわね。ミラーフィーネ現象は《アルキュミアヴィラーゴ》に搭載されているそれよりも、かなり大規模で、なおかつ出力も高いと見て間違いないかしら?」

 

 レミアの詰問にピアーナは応じる。

 

「はい……。恐らく、あれだけの機体全長です。もっと広範囲の散布も想定されているかと」

 

「そして魔獣のミラーフィーネは、《アルキュミアヴィラーゴ》のミラーフィーネのように一時的なミラーヘッド兵装の麻痺に留まらず、この世界の標準的な武装そのものを停止させる、とも」

 

「ええ、その感じはありました。ビームライフルの照準も馬鹿になってしまったんで、近接戦闘に持ち込んだんです」

 

 ダイキが持ち直して報告したのを、レミアは逡巡を浮かべているようであった。

 

「……それだけの兵力と兵装……どれを取っても一レジスタンスがどうこう出来る範囲を超えているわね……」

 

「けれど恐らく目的は……同じって言うのが始末に負えないって感がありますね」

 

 バーミットの言葉にカトリナはハッとする。

 

「……偶然遭遇したんじゃ……ないってお考えですか……先輩は……」

 

「そりゃそうでしょ。《ダーレッドガンダム》のダレト形成までは読んでいなかったかもしれないけれど、あの場所に局地的に集まる理由もないし。相手の目論みも恐らくは……」

 

「――第六の聖獣の心臓。どういうつもりかまでは不明だけれど、お互いにぶつかり合う結果になりそうね」

 

 レミアの結論にカトリナは端末を持ち直して身震いしていた。

 

「……けれど……あんな巨大な兵器が、相手だなんて……」

 

「元々何かしらの妨害は想定していたけれど、IMFと呼ばれる兵力はまるで想定外。……さて、どうしたものかしらね。交渉条件で譲ってもらえそうにはなさそうだし」

 

「あの状況下で、動けたのは同じくミラーフィーネを搭載している《アルキュミアヴィラーゴ》と、そして……」

 

 バーミットの赴くところをカトリナは呟いていた。

 

「……クラードさんの、《ダーレッドガンダム》だけ……。単騎戦力では無理があります」

 

「それに関しては同意見です、サワシロ大尉。《サードアルタイル》だってこっちの攻撃がなければ、迎撃システムを走らせるような余裕もなかったように映りました。今のオフィーリアとブリギットの戦力じゃ、たかが知れています。それに、どうしたって必要なんですか? その……第六の聖獣の心臓って言うのは……」

 

「今の私達が攻勢に打って出るのに、《ダーレッドガンダム》の性能頼みじゃあまりにも情けないのよ。それに、もっと言えば、《ダーレッドガンダム》を強化出来る数少ない機会でもある」

 

 カトリナはしかし、《ダーレッドガンダム》が今以上の力を手に入れる事に懐疑的であった。

 

 一体クラードは……《ダーレッドガンダム》は何に成ろうとしていると言うのか。

 

 あまりにも想定外な現象が重なり過ぎて、クラードの背中が霞んでしまいそうである。

 

 ――自分はその背中に、帰って来て欲しいと無責任な言葉を投げるばかりで。

 

「その話なんですが……トライアウトジェネシスのDD……ダビデ・ダリンズにお聞きしたい。ブリギットの管制システムは現状、どれくらいの性能を引き出せています?」

 

 その問いの不明瞭さにカトリナが困惑している間にも、ダビデは答えている。

 

「現状、四割未満……と言ったところか。やはり管制室に居るのが元々艦隊勤務じゃない人間が多いからな」

 

「それなら……リクレンツィア艦長を、俺は推していいでしょうか?」

 

 ピアーナと視線を交わし合ったダイキの言葉に、レミアを含め全員が瞠目する。

 

「それは……ピアーナにブリギットを任せろと言うの?」

 

「もう、俺達も脱走兵です。真っ当な裁きなんて得られると思っていません。だからこそ、贖罪じゃないですが、ブリギットの管制システムなら、艦長の実力を加味すれば百パーセント引き出せるはずです」

 

 ダイキより前に歩み出て、ピアーナはすっと息を吸い込み、直後には頭を下げていた。

 

「……ピアーナさん……」

 

「お願いいたします。……身勝手な物言いなのは百も承知ですが……魔獣を打倒するのに、わたくし達だけでも貴女達だけでも足りないのは分かり切っています。わたくしは……あくまでも前に進みたい。ブリギットの管制を担当するのは……これまでまかり間違え続けた……せめてもの償いとして……」

 

「ピアーナさん……でもそれは……」

 

「立場があった。それに、あなたには譲れないものもね。……楽なほうに流れるのは簡単だったけれど、あたし達はそうじゃなかった。それぞれに、雁字搦めになっちゃっていたのかもね……」

 

「バーミット先輩……」

 

 率先して前に出たバーミットがピアーナの肩へとそっと手を置く。

 

「顔を上げて、ピアーナ。あなたのせいだなんて思っちゃいないわ。何よりも、前を見なさい。ここに居るのは、誰? トライアウトネメシスに降ったとんでもないOLと、そんでもって、一度は沈めると決めた艦長よ? そんなあたし達が手を取り合っているの。三年前と同じくね。だったら、ここは帰って来るべき場所のはずでしょう? 何よりも、あなたはそれだけの日々を頑張って来た。だから……ここで言うのはお願いでも何でもないはずよ。――ピアーナ、よく頑張ってくれたわね……」

 

 その言葉を受け止めた途端、ピアーナは顔を逸らし、溢れ出した涙を拭っていた。

 

「……わたくし……わたくしは……何度も……貴女達を殺そうとしていたのに……」

 

「立場が違えば似たようなものよ、ここに居るみんながそう。ダビデちゃんはあたし達を狙ってきただろうし、艦長やあたしだって、一度はベアトリーチェを墜とそうとした。それが正しい事だって信じてね。でも、正しさなんて流動的なのよ。その時々で違ってくる。……あたしは、カワイイあんたが戻って来てくれて嬉しい。それじゃ……駄目?」

 

 ピアーナは堪え切れない涙にしゃくり上げ、何度も何度も頭を振る。

 

「……わたくしは……許されないんだと……思っておりましたのに……」

 

「それはお互い様でしょ。あたしだって、まさかカトリナちゃんが許してくれるなんて思ってもみなかったわよ」

 

「わ、私……?」

 

「だってそうでしょ。今のボスはレミア艦長じゃなくって、カトリナちゃん。だから、あなたの声でピアーナを解き放ってあげて。カトリナちゃんは……ピアーナをどうしたい?」

 

「私……は……」

 

 一度は決裂した。

 

 もう二度と、道は交わらないのだと覚悟していたのに。

 

 いざ目の前にすれば何を言っていいのかまるで分からない。

 

 涙顔のピアーナに、カトリナは自ずと歩み寄っていた。

 

 そして――三年前にしたのと同じく――柔らかな抱擁を果たす。

 

「……生きていてくれて……よかった……。ありがとうございます、ピアーナさん……」

 

「ありが……とう……ですか? ……わたくしは貴女を殺すと、ハッキリ言いましたのに……」

 

「それでも……ありがとうございます。ピアーナさんは誓いを果たしてくださいました。私は……ずっと待っていた……! ピアーナさんが帰って来てくれるのを……だから、おかえりなさい、ピアーナさん」

 

 真正面から顔を覗き込んでしまえば、ピアーナの黄金の瞳に映る自分もまた、しゃくり上げて頬を濡らしていた。

 

 こうして顔を見られれば――こうして真っ当に真正面からぶつかり合えれば、こうも容易く分かり合えていたかもしれないのに。もっと早く、こう出来ていればよかったのに。

 

 それでも、ヒトはすれ違う。

 

 それでも、ヒトは傷つけ合う。

 

 そして、間違いの先に結果論を得るだけだ。

 

 結果論が間違っていようが、それに異を唱える事は出来ない。自分が選び取って来た道に相反する事になる。それだけは、してはならない。自らの信念に唾を吐くようなものだ。

 

「……カトリナ様……。はい……ただいま……帰りました……」

 

 ぬくもりが伝わってくれる。

 

 自分の気持ちは嘘ではなかった。

 

 そしてピアーナの気持ちも嘘ではなかった。

 

 それでも、すれ違ってしまうのは、分かり合えなくなってしまうのは、ヒトの業と言うものなのだろう。

 

 ただ、一時でもいい。

 

 こうして互いの傷跡を癒せるだけの関係であるのならば、それだけでいいはずだ。

 



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第234話「壊れたユメへ」

「……何だか一件落着って感じ出してますが、こっから始まりなんですからね」

 

 ダイキの声を受け、ピアーナは涙を拭ってもちろん、と応じていた。

 

「……わたくしは……出来得る限りの……手助けをしたいのです。カトリナ様だけではなく、皆様のために……」

 

「そうと決まりゃ、早速作戦を練ろうじゃねぇか。……ピアーナ、帰って来たの、オレも嬉しく思ってるぜ」

 

『“何ですか! アルベルトさんってば、鼻の下伸ばしちゃって! そんなにオリジナルのわたくしがいいんですか! このロリコン!”』

 

「げっ……! せっかくいい雰囲気だったのにぶち壊しにするなよな、マテリア。第一、お前だって別段、ピアーナの帰還に一家言あるワケじゃねぇだろ」

 

『“ありますよ! せっかくわたくしの有能さを示せていたのにー!”』

 

 ピアーナはマテリアと向かい合い、それから微笑む。

 

「……アルベルト様にはマテリアのほうが合っているご様子。どうかよろしくお願いします」

 

「あ、ああ……それはもちろん……お前の半身を受け取っているんだからな。そう簡単にやられやしねぇよ」

 

『“どの口が言うんだか。もっと《アルキュミアヴィラーゴ》を上手く使ってくださいよね! 機体が上質でもこれじゃ命が持ちませんよ!”』

 

「……マテリア、ちょっと黙っておけよ」

 

 言い合いを続けるマテリアとアルベルトに、カトリナも笑みをこぼす。

 

 何だか久しぶりに――打算なく笑えた気分であった。

 

「……して、次の作戦はどうする? 懐かしい面々が揃ったようだが、それだけでは勝てるかどうかも微妙だぞ」

 

 ダビデの論調は厳しいようだが今の状況を的確に把握している。

 

「……ブリギットがこれまで以上の性能を発揮出来るんなら、艦隊戦でIMFを追い込むのも作戦のうちに入って来るだろ。可能性が広がったんだ」

 

「可能性が拡張したところで、勝算がなければ同じ事だ。現に我々は勝率を引き上げるべく《サードアルタイル》のパイロットとも協定を結び、鹵獲した《ネクロレヴォル》のパイロットまで利用して、それで前回の憂き目だぞ? ……何も出来ずに撃墜されていたのは火を見るまでも明らかだろうに」

 

 ダビデの戦局分析は冷徹がゆえに誰も応じられなかった。

 

 第三の聖獣の力を物にしていながらの敗走、そしてクラードとアルベルト頼みの戦場、どれもこれも勝ちの目には薄い。

 

「……トライアウトジェネシスのDDの眼は腐っちゃいないようだな。俺も大筋じゃ同意見だ。かと言ってここで勝てない理由を浮かべるのは士気に関わると思っちゃいたんだが……」

 

 後頭部を掻いたダイキにカトリナは思案を巡らせる。

 

「……勝てるだけの説得力……って言う事ですよね……」

 

「勝利条件を間違ってはならない、と言う話でもある。我々の目的はあくまでも第六の聖獣の心臓の確保だ。IMF……魔獣とやらを撃破する事ではない」

 

「それは……そうかもですけれど、あんなの放っておいたら大変な事に……!」

 

「どう大変な事になると言うんだ? 統合機構軍の生み出した怪物を我々が率先して葬るだけの理由もないだろう。それに、敵の動きの動機も不明瞭だ。相手も聖獣の心臓を欲するのならばぶつかり合うだろうが、あれだけの戦力……聖獣の心臓だけを獲りに来ているとも思えない」

 

「……別の目論みがある……聖獣の心臓はその中の一つでしかない、そう言いたいわけね。ダリンズ中尉」

 

 レミアが顎に手を添えて考察を纏めたのを、ダビデは首肯する。

 

「聖獣の心臓を奪い去るだけならば、いくらでも手段はある。そちらの行動如何では、もっと容易い手も取れるだろう。問題なのは、魔獣とやらを倒す、そのようなお題目に足を取られて、結果として我が方が不利を被る相手にも、敵は仕掛けてくると言う事だ」

 

「王族親衛隊の足取りも気にかかるわね……。あたし達がダレトを……不安定ながらに物に出来ている事を相手が気づいていないのなら、つけ入る隙はまだあるはず」

 

 バーミットが中天を仰いで分析してみせたのを、カトリナは声にしていた。

 

「……つまり、あれだけの敵を……放っておくっていうんですか」

 

「まかり間違えるなとはそういう事もだ、カトリナ・シンジョウ。我々の目的の中にIMFの駆逐なんてものはない。同じ条件下ならば戦ってもいいが、明らかに相手のほうが優位だ。この状況で下手を打てば、敗走だけでは済まない……もっと手痛いしっぺ返しを受ける事になる」

 

「カトリナさんの考えている事は分かるわ。IMF……あんなものを放置しておいたら、地上は荒れ果てるでしょう。もしかしたらこれまで以上に苛烈な統制が待っているのかもしれない。でも、私達の目的はあくまでも聖獣の心臓を確保し、そして次なる武装へと繋げる事。今、真正面から《ティルヴィング》と戦い抜いて、勝率が高いわけではないでしょうしね」

 

「……レミア艦長……」

 

 自分の懸念事項を全て悟っている様子のレミアに、カトリナはぎゅっと胸の前で拳を握り締める。

 

「……分かりました。今は、聖獣の心臓を確保する事を最優先に。でも、もし……どうしても《ティルヴィング》が看過出来ない事を仕出かしたのなら……」

 

「その時には戦う……ね。カトリナちゃん、言っておくけれど、単騎戦力でどうこう出来る敵じゃないわ。その権能は聖獣に匹敵すると思っていいでしょうし」

 

 バーミットでさえも今回ばかりは弱気である。

 

「……でも、放っておくなんて……何か……手はないんでしょうか……」

 

 地球の人々が魔獣の脅威に晒されているのを、分かっていて放逐する事など自分には出来そうにない。

 

 だが、かと言って、これまで抗ってきたのはあのような規格外の化け物と戦うためではないのだ。

 

 皆の言う事は正しい――そう感じて口を閉ざそうとした自分へと、ピアーナが袖を引く。

 

「……ピアーナさん……」

 

「カトリナ様、貴女の性格上、あれは放っておけない、そう仰ると思っておりました。……わたくしにはエンデュランス・フラクタル上層部の提言した作戦指示書がございます。これに従えば……《ティルヴィング》の投入はまだ序章でしかない。ここから先、IMFが世界の戦場を席巻する、その前段階です。ですが、敵が統合機構軍、ひいてはエンデュランス・フラクタルだと言うのならば、手を貸す事も出来ます」

 

「ピアーナさん……? でも、あなたは……」

 

 言い出しかけた自分へと、ピアーナは頭を振っていた。

 

「……確かにわたくしはエンデュランス・フラクタルの走狗でした。ここで発言するだけの権利も持っていないでしょうし、いつ裏切るのか皆様からしてみても気が気ではないでしょう。ですが……これだけは言わせてください。わたくし達は……一人ではないのです。ならば、IMFの蛮行を、その邪悪を止める義務があるはず。わたくしのエゴだと思ってもらっても構いません。それでも、《ティルヴィング》を破壊しなければいけないのだと……」

 

 頭を下げたピアーナにカトリナは戸惑っていた。

 

 ピアーナの言葉を信じるのならば、《ティルヴィング》を破壊しても次なる魔獣が建造される可能性もある。その度に戦っていれば損耗も激しくなるばかりだ。

 

 自分達の目的だけを優先するのならば、《ティルヴィング》は放置し、そして聖獣の心臓を奪い取る事だけを考えればいい。

 

 それでも――放っておけないのだとざわめくこの心は、きっと――。

 

「……私はピアーナさんを信じます」

 

「カトリナ様……」

 

 面を上げたピアーナにカトリナは一つ頷いて強く主張していた。

 

「だって……ピアーナさんは帰って来てくださいました! 私は……待っている事しか出来ないけれど、それでも……! クラードさんも帰って来てくれた、レミア艦長だってそう……皆さんだって……! もう二度と戻らないと思っていたものが、ここにはある……! 絶対に取り戻せないのだとそう覚悟していたものがここにあると言うのなら……私はもう一度、勇気を出せる! あの日奪われた全てを……取り戻すために……私は、戦えます……っ!」

 

 自分の必死の抗弁に、レミアは嘆息交じりに尋ね返す。

 

「それが……あなたの答えなのね? カトリナさん」

 

「……はい……っ。無茶でも無謀でもいい……諦めなければ、何かが見えるはずですから……っ!」

 

 暫しの沈黙の後に、レミアはバーミットへと視線を流す。

 

「バーミット、IMFの認証コードをピアーナから受諾して。彼女は、今の口ぶりなら、魔獣の攻略法に精通している可能性が高い」

 

「艦長、それって結局、情で動くって事ですよね?」

 

 心得た様子で微笑んだバーミットに、レミアはフッと笑みを浮かべていた。

 

「いけない? 今までだって、きっとそうだった。カトリナさん、あなたはこの艦の委任担当官。エージェントの命を預かる義務と責任があります。……だから、あなたに託すわ。クラードを含むエージェント達の命の輝き。それを今、あなたの手の中に」

 

「私の……手の中ですか……」

 

「何よりも、戦い抜くのだと決めた人間の、そうと規定された眼差しって言うのは裏切れないものよ。バーミット、次の戦場までにIMFの位置情報を捕捉。正面切って戦うのが難しくっても、何かしら活路はあるはず」

 

「正気か? レミア・フロイト艦長。我々は聖獣の心臓を確保しなければいけないはずだろう」

 

 ダビデの問いかけに、レミアは憂いを帯びた泣きボクロで応じていた。

 

「……ねぇ、ダリンズ中尉。こういうことわざを知ってる? “為せばなる、為さねばならぬ何事も”ってね」

 

「それは根性論だろう」

 

「根性論が時に必要な局面もある。それに……これだけの人々に、まだ説得するつもり?」

 

 ダビデは自分を一瞥してから、理解出来ないとでも言うようにため息をつく。

 

「……死にに行くようなものだぞ」

 

「元より、そのつもりだったじゃない。クラードにダレトを開いてもらった時点でね。作戦指揮は私が執ります。カトリナさんはエージェントの面々へと作戦詳細を伝えてください。現時刻より二時間以内に――聖獣の心臓の確保と、IMF02《ティルヴィング》の破壊を敢行します。……言っておくけれど、これは艦長命令です」

 

「……両方って言うんですか? さすがに欲張り過ぎなんじゃ……」

 

 ダイキの戸惑いにレミアは自信満々に返答する。

 

「欲張り上等。下手に遠慮していちゃ、レジスタンスなんてやってられないわ。それとも、クラビア中尉、あなたはこの程度で及び腰になるのかしら?」

 

「……いえ。お供します。出来なかった忠義の一、果たすとすれば今だと思いますので」

 

 挙手敬礼を返したダイキに、今さらながら彼は敵で、そして軍属であった事を思い出す。

 

「……それだけの時間が流れちゃったんだな……」

 

「ではこれより――オフィーリアは聖獣の心臓の座標まで出撃。目標が何であれ、邪魔をするのならば構わない。全て、薙ぎ払いましょう」

 

 その声音がここまで心強く聞こえたのは、恐らく初めてであったのだろう。

 

 総員が身を引き締める中で、カトリナはピアーナの声を聞いていた。

 

「……あの、カトリナ様……大事なお話があります」

 

「ピアーナさん? 大事ってそれはどういう……」

 

「エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー……彼に関しての話です」

 

 想定外の名前が出てきてカトリナは困惑する。

 

「……エーリッヒって……それは確か、月のテスタメントベースで……クラードさんに接触してきた……」

 

「それまでにも、偽書を書き連ねてきた偉人である彼ですが……接点がないわけではなかったのです。カトリナ様、貴女と私は共に……彼に救われてここに居る。何故、思い出せなかったのでしょう……わたくしは五十年前に……彼に出会っていたのです」

 

「五十年前……? どういう……」

 

「ピアーナ、エーリッヒの爺さんって言えば、オレも関係ねぇワケじゃない。聞かせてもらうぜ」

 

 アルベルトの物言いに、ピアーナは静かに頷いていた。

 

「……あのお方はきっと……ですがこれは……わたくしの記憶の中にある、蜃気楼のようなものでしかありません。実際に彼がどういう人間で、どういった理屈で五十年前にわたくしの前に現れたのか……それはまるで分からないのですが……一つ言える事があるとすれば、わたくしもカトリナ様も……そしてベアトリーチェに居た皆が、彼とは出会っているのです」

 

「ベアトリーチェに居た全員が? ……おいおい、それは奇妙だろ。あの爺さんは、月のテスタメントベースに居たって言うんじゃ……」

 

「いいえ、そうではなく。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーと言う、時の偉人は――わたくし達の隣人でもあった。今から話す事は、わたくしの過去に起因する出来事です。……来英歴253年の……暑い夏の事でした」

 

 紡がれ行くのは壊れ果てた夢の先の物語のようであった。

 

 



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第235話「来英暦253年、夏」

 

 夏はさすがに蒸す、とハイデガーは一息つくべく、部屋から出て《レヴォルテストタイプ》のコックピットへと向かおうとした、その矢先であった。

 

 視線がかち合ったのはこの邸宅の給仕である。

 

 悲鳴が咄嗟に飛び出さなかったのは彼女なりの使命感であったのか、それとも自分が呆けたようにしていたせいであろうか。

 

 給仕の彼女はこほんと咳払いしていた。

 

「……お嬢様の部屋にいらっしゃるお方ですね?」

 

 そこまで露呈しているのならば、下手な隠し立てはするまい。

 

「……僕を見逃してくれるのか?」

 

「邸宅の中では噂になっておりますよ。ピアーナお嬢様が数年前とはまるで違う……明るいお方になられたのだと。きっと、よい殿方との巡り会わせがあったのでは、とも」

 

「……参ったな。そこまで読まれているんじゃ、今さらって奴だ」

 

 こちらの手は割れているも同じ。下手なマジシャンより性質が悪い、とおどけてみせると、給仕は微笑んでいた。

 

 華のように笑うのが印象的な女性であった。

 

「……お嬢様を、助けてもらっているのですね」

 

「僕が助けられている。そういう関係なんだ」

 

「ですが、本当に……。ここ一、二年ほどでお嬢様は……立派に成られました。古代文学の翻訳でライドマトリクサーの地位の向上まで叫ばれるようになるとは思ってもみませんでしたし」

 

「……なぁ、その……ピアーナみたいな全身ライドマトリクサーって言うのは、やっぱり少ないのか?」

 

「前例は三件ほどしかないそうです。お嬢様のケースはそれも特殊で……あ、これはこうでした」

 

 唇の前で指を立てて茶目っ気を出す給仕に、ハイデガーは自ずと微笑んでいた。

 

「……何だ、それ。お口にチャックって言いたいのか?」

 

「ええ、私は何も言っていませんとも。……それで、どうなさいます? 私が一声、キャーと叫べば、あなたの立場はなくなりますが」

 

「これは怖い。強請られているな」

 

「いいえ、そうでもないのでしょう?」

 

 お互いの立場にぷっと吹き出し、ハイデガーは上を指差した。

 

「ここじゃ目立つ。バルコニーのほうで話そう」

 

「まるでご自分の家のように仰るのですね」

 

「もう二年半ほどだ。すっかり慣れてしまったよ」

 

 とは言っても、人目につかないように努力しているのだ。

 

 こうして給仕に見つかるのは初めてであったし、遭遇した際にはどうするべきかと決めあぐねていたところで、彼女のようなタイプに出会うのは想定外であった。

 

 栗毛の給仕はバルコニーに出たところで、すっと煙草を差し出す。

 

「失礼。吸っても?」

 

「あ、ああ……。ちょっと意外だな。君のような人間が吸うのか……」

 

 うろたえ調子な自分に、給仕は小悪魔的な微笑みで返す。

 

「女性に理想を追い求め過ぎじゃないですか? 私だって、嗜みですよ」

 

 紫煙をたゆたわせつつ、ようやく話す段になってハイデガーは言葉に詰まっていた。

 

「……何です?」

 

「いや……どこかで会ったかな、と思って……」

 

「何です、それ。前時代的な口説き文句」

 

「いや、確かに。これは石器時代からやり直しかな?」

 

 自分なりのジョークのつもりだったが、給仕は少し微笑んだだけで次を促していた。

 

「……お嬢様に翻訳を教えたのは、あなたですね?」

 

「目聡いな、嫌われるよ、そういうの」

 

「目聡くって結構。これでも私、お局様の目を掻い潜って色々とやっているので」

 

 その証左が一本の煙草に結実しているようですらあった。

 

 彼女はどこか自由奔放に映る。

 

「……ここは窮屈だな」

 

 ハイデガーの視線の先には完成間近のテスタメントベースの全容がある。

 

 一度でも電脳に潜れば、その目的とそして完成後のスタンスでさえも丸裸であったが、解せないのはそもそも誰が先導したのか、だ。

 

「彼ら」の存在がちらつくも、それらしい尻尾を見せた事はあれ以降ない。

 

「邸宅がこんな風になったのも、割とここ数年らしいです。元々、リクレンツィア家は服飾産業に従事していたようで」

 

「服飾……。それにしては……何て言うか……」

 

「お嬢様の身なり、ですか。嫌われますよ、それこそ」

 

「言えた義理じゃない、か。……今は?」

 

「服飾で少しばかり名を上げていたリクレンツィア家は潰えつつあります。それもこれも、今の旦那様がお嬢様を全身ライドマトリクサーへと変えてから、ですね」

 

「この街の人々はRM施術を嫌っているのか?」

 

「嫌いなんじゃなくって、無知なのが怖いんですよ。偏狭な場所で成り上がっただけの、ただの成金です」

 

「いいのかい? それは自分の主人への侮辱だぞ」

 

「構いませんよ。第一、今どきじゃないと思うんですよね。大きな邸宅構えて、使用人をたくさん雇ってって。それこそアナクロですよ」

 

 どうやらこの給仕は随分と口が達者なようだ。

 

 人は見た目にはよらないな、とハイデガーは嘆息をつく。

 

「……それで? 成金趣味に飼われている身としちゃ、大きくは出られないはずだろう? ピアーナの父親は、何を考えて娘を……」

 

「実験台に、ですか? ……さぁ」

 

 中空に向けて煙い吐息を放った給仕の取り付く島もないような声音に、ハイデガーはおいおい、と返答する。

 

「そういうゴシップに興味があるんじゃないか?」

 

「あのですね……食らいついていいゴシップと、そうじゃないものくらいの嗅覚はありますよ。もしかして……私達みたいなのはみんな、お金目的に飼われている可哀想な女だなんて思ってます?」

 

「いや、それは……」

 

 追及の眼差しにハイデガーは折れていた。

 

「……すまない。ちょっとは思っていた」

 

「素直でよろしい。……でもそうですね。リクレンツィア家の名手たる、旦那様は何かと一家言あるようで」

 

「面白く思っていないのか? 自分の娘だろうに」

 

「それだから、面白くないんじゃないですか? こんな事を言うのは憚られますが、この時代でも機械人形と揶揄されるのがライドマトリクサーと言う身分です。二か月に一度、お嬢様は連邦からメンテナンスを受けなければいけない。その一事だけでも、正直、真っ当な親なら参っちゃいますよ」

 

 ピアーナは二か月に一度のメンテナンスを連邦法によって定められている。

 

 メンテナンスの日はちょうど明日であった。

 

「……僕も嫌だな。売られる子牛を見るようで」

 

「旦那様はそれ以上に……嫌悪と愛情の狭間で揺れ動いているはずです。別に気持ちを分かれだとか言うつもりはないですけれど、お嬢様に近づくのなら覚悟を持ったほうがいいですよ」

 

「……覚悟、か。それはとうの昔に……」

 

 自分の掌に視線を落とすと、自動的に網膜が適切な視力を概算する。

 

 この指先一つですら、自由ではない身なのが全身RMだ。

 

 殊にこの時代では地球連邦によって束縛され、街を出歩けば石を投げられる。

 

「……お嬢様には、可哀想だとかそういうの必要ないと思います」

 

「過ぎたる憐憫は刃と同じ……か」

 

「あなたがどれだけお嬢様の気持ちに寄り添ったって、それは結果として傷つける事になりかねません。……正直、覚悟って言うのはそれもだと思います。下手に距離を詰めれば、それだけ手痛いしっぺ返しが待っている」

 

「それがピアーナの部屋に勝手に押し入らない理由か」

 

 如何に給仕身分とは言え、二年半もの間、自分が見つからなかったのは彼女らがピアーナを遠巻きに眺める事しかしていない事にも起因する。

 

 干渉はせず、かと言って下手に突き放しもしない。

 

 それがこの家のルールなのだろう。

 

「……お嬢様は孤独を選んでいらっしゃるのだと、そう思っていました。今日あなたに会うまでは」

 

「誰だって孤独なんて望んで得ているものじゃないのさ。それが傍目に見えるとすれば余計に」

 

「経験則……みたいな言葉に聞こえますね」

 

「だとすれば、僕の努力不足だ」

 

 一度、部屋に戻ろうと踵を返しかけた自分に、給仕の彼女は声を振っていた。

 

「また、お話ししても?」

 

「……君は。賢しいのが取り柄なんじゃないのか?」

 

「賢しく立ち回るのも最近、ちょーっとリスクないなぁって思っていたところです。どうせなら、スリル、欲しいじゃないですか。お局様の目を盗んでちょろまかすのもしょうもないですし。せっかくなら、世界を揺るがすスリルの上で遊びたいですし」

 

 ししし、と小坊主同然の笑みで返答した彼女に、やはり重ねるのはよくないな、とハイデガーは頭を振る。

 

「もう少しおしとやかになる事だな。そうでないと、色々と逃す」

 

「えーっ。これでもすごく真面目なのにぃ」

 

「どこが……。一応、名前を聞いておいていいかな。使用人が多くって覚えきれない」

 

「テトラです。でも、名前なんて記号でしょう?」

 

「いいから。フルネームは?」

 

「……嫌いなんですよ、家が。だからこんな偏屈なリクレンツィア家で働いているって言うのに」

 

「知らないとこっちの命運にかかわるんだ。とっとと教えてくれ」

 

「……んじゃあ、言いますけれど。――テトラ・シンジョウ。これ、あんまり言い触らさなさないでください。東洋系の血は嫌われるんです」

 

「……そう、か。……いや、自分の眼も……」

 

「何です? まさか東洋系の女に口を開くんじゃなかったとか、そう思っていらっしゃいます?」

 

「……いや、知り合いに……よく似ていたものだから。声をかけてよかった」

 

 そう返すと、テトラは悪戯めいた微笑みを向けるのであった。

 

「じゃ、私も仕事に戻りますかねぇ。そろそろお局様の怒りゲージがマックスになったところでしょうし」

 

 大きく伸びをして、テトラは煙草を踏み消す。

 

 その所作も、どこか浮世離れしているようでハイデガーは彼女が見えなくなるまでずっと視線で追っていた。

 

「……シンジョウ、か。これも奇縁だな」

 

 部屋に戻ったところで、ピアーナは瞠目する。

 

「お外に……出られていたんですか?」

 

「ああ。たまには気分転換に……」

 

「お煙草をお吸いに……?」

 

 彼女の匂いがついていたのだろう。ハイデガーは襟元を正す。

 

「この時代にも煙草はあるんだな」

 

「ほとんどの大衆娯楽は消え去ったようですが、煙草は残っているみたいですね……。エーリッヒ様、本日のお仕事はもう済ませておきました」

 

 安楽椅子の背もたれに手を伸ばしたところで、ピアーナの報告に面食らう。

 

「早いな……。いや、もう君の仕事だと、そう思うべきなのかな」

 

「とんでもない……! エーリッヒ様が居なければ、あたしは翻訳作家になんて成れませんでしたし……」

 

「もう立派な作家先生だ。何ならサインでも窺おうかな」

 

「……怒りますよ……」

 

 頬をむくれさせたピアーナにハイデガーはいやはや、と手を振る。

 

「すまなかった。ちょっと意地悪をしたくなったんだ」

 

「……エーリッヒ様、あたし……今日はちょっと勇気を出してみたんです。分かります……?」

 

「ああ、髪を切ったのか」

 

 応じると、ピアーナは嬉しそうにはにかんだ。

 

「正解……。どうですかね……」

 

 少し前からピアーナの髪型はショートボブになっていたが、今日は少し思い切りがいいのか、前髪を随分と切ったらしい。

 

 以前までなら隠れていた黄金の瞳がよく見えていた。

 

「うん、よく似合っている。それにしたって、最初に会った頃とは見違えたよ」

 

「最初のほうは……あたし、見えないほうがいいとか思っていましたし……」

 

 野暮ったい長髪だった面影はもうほとんどない。

 

 ピアーナの髪の色は不思議で、窓から差し込む光の屈折角で切り替わる。

 

 その移り変わりの奔放さは都度ごとの彼女の機嫌の象徴でさえもあった。

 

 基本の黒髪のカラーにエメラルドの色彩が入るのは、自分もまるで宝石のようであると感じている。

 

 ラメのように敷き詰めた色鮮やかさをもっと誇ればいいのに、ピアーナは余計な装飾に走る事はない。

 

 あくまでも自分の振る舞いとしてあるのは、目立ちたくないと言う気持ちであろう。

 

 それでも彼女なりに前を向こうとしているのが窺えた。

 

 ならば自分がやるべきなのは、その背中を押す事だろう。

 

「それにしたって、翻訳作家としての仕事がようやく軌道に乗って来たんだ。別案件を寄越してくる企業の厚顔無恥さには呆れ返る」

 

「でも……それでお仕事が貰えるんなら……あたしはいいかな……。今は少しでも仕事を増やす時期だって思いますし」

 

「それは言えてる。それに、僕としても鼻が高いのさ。ピアーナ・リクレンツィア先生?」

 

「もうっ……そういうのは言いっこなしですよ……」

 

 ピアーナはこういう時、所在なさげながら、それでも自分の中に確固たるものを感じて微笑むのだ。

 

 それは五十一年後の彼女を少しばかり知っている身となれば、どこか奇異にさえ映る。

 

「……なぁ、これは戯言みたいなものだと思ってくれていいんだが……ピアーナ、もし……タイムトラベルが可能だとすれば、どうしたい? 人類の夢だろう?」

 

「タイムトラベル……ですか? あっ、次の翻訳案件はSFとか……?」

 

「まぁ、そう考えてくれていい。翻訳作家にはいちいち作品に入れ込むのは性に合わないかもしれないが、話の種だよ。どうかな?」

 

 ピアーナはうーんと呻った後に、あっ、と手を叩く。

 

「それなら……あたしは……いいえ、やっぱりやめておきます。暗くなっちゃうから」

 

「別に僕と君との間柄じゃないか」

 

「いえ、でも……。作品に入れ込まないのが、翻訳作家ですから……」

 

 どうやら道は諭すまでもないと言うわけだ。

 

 いや、ともすれば諭されたのは自分のほうか。

 

 ハイデガーは安楽椅子に深く腰掛けて思案する。

 

 この時代に跳ばされた意味――たとえそんなものはないとしても、それでも何か、意義のある時代であると感じずにはいられない。

 

 最初期のピアーナとの邂逅に、「彼ら」への接触、そして「エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー」と言う名前が持つ呪い。

 

 どれもこれも、ただの現象と片づけるのには出来過ぎている。

 

「……タイムトラベル、か。果たしてそれは、時間旅行などと呼べるのだろうか。片道しかない切符なんて……」

 

「エーリッヒ様?」

 

「何でもない。僕はまた潜っておくから、その間の仕事は任せる」

 

「最近……潜る時間が長くなられましたね。深夜まで……」

 

「それだけ相手が手強いってわけさ」

 

 ハイデガーは直後には電子の海へと漕ぎ出していた。

 

 脳内ニューロンの中でハイデガーは「彼ら」の声の一部を聞く。

 

『また潜って来たな。自分の中に我々の一部を飼い馴らす事にも慣れて来た様子だ』

 

「そうでもないとも。こうして仮想空間に自我を落とし込む作業を経なければ、同居人に迷惑をかける」

 

 実体の声帯は震わせていない。

 

 あくまでも仮想空間での「彼ら」との何度目か分からない対面であった。

 

「彼ら」の姿は光情報として認識され、ハイデガーは己の電脳の躯体を輝かせ、無数の悪意と対峙する。

 

「それで、結果は出たのか?」

 

『ああ。テスタメントベースを月面にも建造、そして、地球連邦軍への新たなる組織編成案の提示。どれもこれも連邦法を掻い潜っての実施だ。骨も折れる』

 

「よく言えるものだ。そちらは全知全能を気取っていると言うのに」

 

『こちらも言わせてもらおう。貴様は我らとの接点を持ち、そしてこの二年余り、対等に近い条件で渡り合ってきた。その敬意を表し、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの名は御旗となって、歴史に刻まれる事だろう』

 

「……元々は使い捨てのはずだった名前、か」

 

『最早、偉人説だ。その名前を持つ事、誇りに思っていい。貴様は“惑星(ほし)のエーリッヒ”として、叡智を施してきた。無知蒙昧な人々を起こすのには、名が負けてないと言う事だ』

 

「名前負けしていないってだけで、じゃあ偉人ってわけでもないだろうに……」

 

『貴様は我々の技術の方向性を定めた。三十年以内に開くと予言した月のダレト、そしてこの規模での思考拡張に、まだ発展分野であった全身RMへの差別意識をなくすための貢献……まさに人類史を背負って立つだけの偉業と言ってもいい』

 

「そういうのはどうだっていいと、そう言われているようだ」

 

『違いない。何故、そこまでの知識を持っていて、我らに与する? 大いなる存在が恐ろしいのか?』

 

 おぞましいの間違いだろうに、と胸中で毒づいてからハイデガーは応じていた。

 

「企業を擁立しての巨大兵器の開発前身は? その企画の推移をまだ聞いていなかった」

 

『貴様の言う通り、まだ新進気鋭の企業でありながら、有機伝導体操作技術に帰依している珍しい技術者連中を取り集めたが、企業体の時代が来ると言うのは、何か確証でも?』

 

「……勘みたいなものだ。その企業の名簿を寄越して欲しい」

 

『既に技術体系として成り立っているものを含め、百二十社前後。その中でも卓越していると思しき者達は――画期的な技術によって人型巨大兵器を推進するマグナマトリクス社、量子演算コンピュータ端末による一律管理を目指すクロックワークス社、そして――傭兵部門と企業理念が最も合致率の高かった、エンデュランス・フラクタル社の三つか』

 

 エンデュランス・フラクタル――まさか五十年以上前の時点で、布石を打っていたとは思いも寄らない。

 

 だが、彼らをこのまま進ませなければ全身ライドマトリクサーへの偏見や、施術そのものへの忌避はなくならないだろう。

 

 ピアーナのために、汚れた道であっても進むべきだ。

 

「……彼らの情報は逐一欲しい」

 

『承知した。こちらもそのほうがもたらす技術恩恵で潤っている。モビルワーカーと呼ばれた機械人形技術を、さらに発展させるというアイデアは素晴らしかった』

 

『ライドマトリクサーがまるで纏うようにそれらを扱い、ヒトの義肢の延長線上に存在する技術の神髄――まさに機械延長服(モビルスーツ)と言う名前が相応しいだろう』

 

「……将来扱う事になるのは何もライドマトリクサーだけじゃない。普通の人間だって、扱えるようになる」

 

『重機を扱うように、かね。なるほど、時代の転換期とはこうして訪れるものか』

 

「……あなた方は来英歴の始まりより、それらを俯瞰してきたはずだ。だと言うのに、今さら僕のような木っ端ライドマトリクサーを信用する理由が、今一つ分からないんだが」

 

『信を置くに値するとも。貴様は我々の思考拡張領域に踏み込んだ。通常の人間では不可能だからな』

 

『この時代において、それほどまでの深度のライドマトリクサーは存在せず、そしてたまたまこの波長を読んでいる、と言うのには、いささか技巧が過ぎる。最初から、分かっていたかのように接触して来ただろう』

 

「……波長、か。それは明け透けだとも言う」

 

 この時代においてはまだ思考拡張だけに秀でた交信手段はさほど存在しない。

 

 だと言うのに、「彼ら」の交信手段はまるで五十年後のそれと同等か、あるいはそれ以上でさえもある。

 

 元居た時代において、「彼ら」の支配が健在であると仮定すれば、その技術領域は遥かな高みだ。

 

『しかし、操られるのは興味もなければ旨味もなし、と言った具合だな。どうしてそこまで栄華を拒む? 我々と手を組めば、真の意味での平定に邁進する事も可能だろうに』

 

「……生憎、僕は僕でやる事がある。あなた方に全面的な服従をするわけにもいかない」

 

『その邸宅で飼われている機械人形端末か。どうしてそこまで入れ込む。以前、教えたであろう? この時代において、試作型のライドマトリクサーは――』

 

「それ以上、言うな! 僕が許さない……!」

 

 仮想の肉体で拳をぎゅっと握り締める。

 

 血が通わない電脳の躯体でも、爪を食い込ませていた。

 

『……よかろう。これ以上は言うまい』

 

『しかし、忠告はしておく。人形遊びにうつつを抜かせば、足をすくわれるのはそちらのほうだと』

 

 唐突に接続が切られる。

 

 相手からの思考拡張脳波を打ち切られるのはいつだって突然だ。

 

 だからこそ、何度か枝をつけようともしたが、既に自分の電脳に深く食い込んだ「彼ら」の側の枝のほうが強い。

 

 下手を打てば、自分だけではない。

 

 ピアーナの身さえも危険に晒す。

 

「……そういえば、ピアーナは……。もう深夜か……」

 

 戻ってきた肉体感覚にハイデガーは息をついていた。

 

 時刻は深夜三時。

 

 彼女は毎日のように、この時間帯になると部屋を抜ける。

 

 ハイデガーは視野と感覚器の調整に三分を要していた。

 

「仮想現実に身を浸し過ぎれば、それだけ危険も増す、か……」

 

 だが、ピアーナに危害を加えないように立ち回るのにはこの方法しかない。

 

 そういえば、とようやく立ち上がれたハイデガーはピアーナの仕事の一端である翻訳文学に触れていた。

 

「……今日の物語は悲劇だな。我が子を食い殺す実の父親の……物語か」

 

 ページを捲っていると、不意に滑り落ちたのは銀色の栞であった。

 

「……金属製の栞……。ヒトは船が錨を下ろすように、物語と言う大海原で迷わないように栞を挟む……か」

 

 その栞に触れた途端、ハイデガーは脳髄を揺さぶる衝撃を感じていた。

 

 頭蓋に突き立ったのは誰かの記憶だ。

 

「これ……は……」

 

 大いなる大地に燻ぶる蒼い残像の地平。

 

 黒色に堕ちた太陽の光からの干渉波を受け、ブリキの巨人が世界を踏み荒らす。

 

「今の……ビジョンは……あれはミラーヘッド……か?」

 

 自分の中で該当するのはミラーヘッドによる「統制」の戦場でしかない。

 

 だが、何故と言う疑問が浮き立つ。

 

「……この時代にミラーヘッドは……まだ存在さえもしないはずだ……」

 

 ならばこの栞に刻み込まれた記憶は誰のものだと言うのだ。

 

 ハイデガーは栞を仔細に眺める。

 

「……この栞……ライドマトリクサーの指先でさすらなければ、反応さえもしない……」

 

 指先に刻印された自動翻訳機能が作用し、栞の内側に封印されてきた記憶を呼び覚ましたのだ。

 

 だが、とハイデガーは本のあった場所へと視線を巡らせる。

 

「……この本は……今週に入ってから、ようやくこの書架から持ち出されたものだ。それまで本棚の隅で……埃を被っていたはず……」

 

 しかし、この記憶に一度でも触れれば――それは在りし日のミラーヘッドの戦場を思い返すのには充分な起爆剤だ。

 

 何よりも自分は、この記憶の在り処を知っている。

 

「……だが、待て。ミラーヘッドは存在していない。それだけは確かだ。今にモビルスーツの建造に移ろうと言う時代だぞ……。そんな時代に第四種殲滅戦はおろか……ミラーヘッドの技術体系でさえも成り立っていない。しかし、この記憶は間違いなく……ミラーヘッドの戦場だ。僕の経験がそう告げている」

 

 だと言うのに、どれだけ知識を総動員しても、どれだけ感覚器を鋭敏にさせても、この時代にミラーヘッドの技術の残滓でさえも関知出来ない。

 

 ――それでも蒼い地獄の光景だけは本物だ。

 

「まさか……僕より先に、この時代にミラーヘッドの概念を持ち込んだ人間が……居る?」

 

 あるいは「彼ら」の何者かが送り込んだ差し金か。

 

 どうとも取れるが、ハッキリしているのはこれが「挑発」だと言う事だ。

 

 この時代に跳躍してきたハイデガーへの、正真正銘の宣戦布告だ。

 

「……僕に何をさせたい……。ここでピアーナを……見ているだけの僕が……ピアーナ?」

 

 ページを捲り、その物語へと視線を落とす。

 

 曰く、“その少女は自ら望んで父親に食い殺されるのだ”――と。

 

「……まさか……」

 



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第236話「バッドパラドックス」

 

 だが、今の今まで否定する論拠があるのか。

 

 彼女はこの時刻になれば、決められたように部屋を出る。

 

 向かう先は――。

 

「……やめろ。やめたほうがいい……」

 

 そうなのだと、分かっているはずなのに、足は自然と部屋を出て最奥に位置する場所へと向かっていた。

 

 宵闇の降り立った邸宅は静まり返っている。

 

 遠くで鳥の鳴く声が聞こえてきた。

 

「……やめろ……」

 

 そうなのだと、“分かっていたはず”だろう?

 

 何故、今の今まで“目を逸らし続けて”きた?

 

 ピアーナの父親の部屋は豪奢な真鍮製の扉であったが、それが少し開いている。

 

 差し込むのは月明かり。

 

「……やめろ……やめておけば……」

 

 見ないでおけば。

 

 見ない振りを続けておければ。

 

 ――だって自分は――幸せだったじゃないか。

 

 この二年余り。

 

 ピアーナの傍で、彼女のすぐ近くで。

 

 満たされない自分に嫌気が差す事もなく、誰かを恨んで、憎んで、殺したいほど憎悪に沈んで自らを煉獄の炎に投げる事もなく。

 

 平穏で、なだらかで、安寧で、停滞で、静寂で。

 

 暗礁で、怠惰で、貧弱で、優越で、そして何よりも――必要とされていたはずだろう?

 

 それは「彼ら」からでもあるし、翻訳作家と言う身分でもあるし、誰よりも傍に居て笑っていてくれる――彼女のために。彼女の笑顔のために。彼女の心の平和を願って――。

 

 だから、開けてはならない。

 

 知ってはならない。

 

 進んではならない。

 

 真実を――もう嫌ほど見たじゃないか。

 

 人間は愚かで、醜悪で、おぞましく、何よりも利己的なのだと。

 

 三年分の憎悪を膨らませて、自分の脳髄を悪魔の発想で満たして。

 

 その結果がこれだろう?

 

 その結果が、負けたのだろう?

 

 その結果が――ああ、こうも耐え難い。

 

 指先は滑るように、扉に手をかけていた。

 

 ――等間隔に軋む寝台。

 

 ――鳴り止まない嬌声。

 

 ――脈打つ肉と肉のぶつかる音。

 

 ――男が少女へと覆い被さり、その悪意に満ちた肉塊を。

 

 ――迸る闇の快楽を。

 

 ――滾る悪魔の悦楽を。

 

 ――何度も、何度も。

 

 ――少女の未発達な白磁の肌へと放つ。

 

 ――彼女のようやく膨らみかけた胸元は白い憎悪に塗れ。

 

 ――ようやく女性らしさを誇りかけた躯体は喜悦と愉悦のはけ口とされる。

 

 だから――分かっていただろう。

 

 とうに。二年も前に。

 

「そうなのだ」と言う事くらいは。

 

「……エーリッヒ様……?」

 

 少女は――何度も何度も無理やりな絶頂に喉を枯らしたピアーナは――まるで意想外な自分の存在に目を見開いていた。

 

「……君は……ああ、使用人か? この時間には来るなと言っておるのに。まぁ、いい。どうかね? 君も一緒に楽しんでいかないか? なに、悪くは言うまいよ。使用人も給仕も皆知っての事だろう? 我が娘ながら、なかなかの逸物であると――」

 

 近寄ろうとした男を、ハイデガーは獣の瞳で拒絶していた。

 

「――それ以上、僕に近づくな、穢れた豚が」

 

 吐き出した言葉が想定外であったのか、あるいは本当に自分の事を使用人の誰かだと勘違いしているのか――男はいきり立ったままの下半身を隠しもせずに歩み寄る。

 

「何を、分かった風な事を言っているつもりなんだ? 穢れた豚と言ったか? わたしはこのリクレンツィア家の当主だぞ」

 

「だからそれ以上……彼女を……ピアーナを傷つける事は許さないと、言っているだろうが!」

 

 自分の剥き出しの殺意に、男は――ピアーナの父親はようやく、理性を取り戻した様子であった。

 

「……貴様、使用人ではないな? 何者だ?」

 

「エーリッヒ様……!」

 

「……娘をたぶらかす悪漢か。何も心配は要らないよ、ピアーナ。父さんがこらしめてやろう。……それと別に、お前にはもう少し今日の“仕置き”が必要なようだがね」

 

 仕置き――と言う言葉を聞いた途端、ハイデガーの脳内は白熱化していた。

 

 身を焼く憤怒がライドマトリクサーの躯体を跳ね上げさせ、ピアーナの父親を組み伏せる。

 

 軍隊式の挙動ですぐさま手刀を振るい上げ、その醜く肥え太った首筋を掻っ切らんとした、瞬間――。

 

「やめてください! ……お願い、やめて……エーリッヒ様……」

 

 寝台の上で、ピアーナが小さな身体一つを震わせて声を搾り出す。

 

 その一声がなければ自分は迷いなく、組み伏せた相手の首を刎ねていただろう。

 

 ぐぇっ、と醜い声を上げて締め上げた喉笛をハイデガーはようやく感覚する。

 

「……僕は……」

 

 身を離す。

 

 それから――自分が実行しようとした殺気の残滓に自ら中てられたように後ずさっていた。

 

「……ピアーナ……こんな事を……」

 

「お願い……こんな事だなんて……言わないで……。あたしにとっては……」

 

 泣きじゃくるピアーナの懇願にハイデガーの意識は出会った時の時間へと巻き戻っていた。

 

 ――街の盟主であろう、邸宅の娘でありながら街行く全ての人々から唾を吐き捨てられる乙女、ピアーナ・リクレンツィア。

 

 そんな彼女が、父親に真っ当に愛されていると思ったのか?

 

 そんな彼女が、歪まない愛を知って、自分の前で華のように笑ってくれると、そう錯覚していたのか?

 

 見ない振りをしていただけだ。

 

 知らない振りをしていただけだ。

 

 無知を気取り、蒙昧で騙し、その末にピアーナを――彼女を、救ったつもりでいた。

 

 自分の力で、ピアーナをこの牢獄のような時代から救い出したなんて驕り昂ぶって。

 

「……違う……」

 

 違わない。

 

 ピアーナを少しでも、生きやすいようにするために。

 

「……違う……」

 

 違わない。

 

 自分のような人間でも、生きていていいのだと誤魔化すために。

 

「……だから、違う……」

 

 違わない。

 

 ピアーナの姿に――ショートボブの黒髪を揺らすいたいけな少女の相貌に――恋い焦がれた女性を、重ねていたくせに。

 

 ハイデガーは満身から叫んでいた。

 

 身を引き裂く絶叫は、崩壊寸前の自我の糸を、ぷつんと切っていた。

 

 ここにあったのは、ただの無力な男。

 

 ここに居たのは、ただの無意味な自我。

 

 ここにあってはならなかったのは、誰かを助けるだなんて大義名分を振り翳して――その果てに誰も助けられないだけの、偽りの存在。

 

「……僕は……」

 

 殺さなくては。

 

 殺し尽くして、そして否定しなくては。

 

 直後に自分の意識が判定していたのは、「間違ったものは排除すべき」だという、シンプルな答えであった。

 

 ああ、だって――シアワセなユメはもう浸り尽くしただろう?

 

 目の前にあるのは現実だ。

 

 たとえ五十年前だとしても。

 

 ピアーナがベアトリーチェの日々を知る由もないとしても。

 

 あるいは、宇宙の深淵で救助される未来が来る事を理解さえも出来なくても。

 

「……笑っていた。笑っていたはずなんだ……ッ! ピアーナは……少なくとも僕の前に居る時は……だって何で……カトリナさんそっくりに……笑うんだよぉ……」

 

 分かっている。

 

 殺せもしない。

 

 否定も出来ない。

 

 自分に突きつけられたのは、無邪気に描かれた日々を啄んだ、骸の記憶。

 

 分かっていたじゃないか――カトリナ・シンジョウと、もう出会う事なんてない。

 

 分かっていたはずだろう――カトリナ・シンジョウは、自分を愛してはくれない。

 

 だから、どうしても重ねてしまった。

 

 求めてしまった。

 

 ピアーナに――彼女に似た微笑みを持つ、カトリナの代用品に愛を注げばこの想いは報われるのだと。

 

 ハイデガーにはもう、殺意も何もない。

 

 何もない虚無だけの、己の心を持て余す。

 

「何だと言うのだ! 使用人風情が、わたしに盾突きおって……!」

 

 ピアーナの父親が壁に立てかけられていた銀の矛を握り締め、それを真っ直ぐに自分の肉体へと打ち下ろす。

 

「ハイデガー様っ!」

 

「……え、何で……」

 

 こんな土壇場で露見したのは――こちらをじっと見据えるピアーナの黄金の瞳より零れ落ちた一筋の涙と――捨てたはずの名前であった。

 

「死ねぃ!」

 

 矛が自分の肩口へと叩き込まれる。

 

 だが、機械仕掛けの身には――傷一つつかない。

 

 その手応えにピアーナの父親が眉を跳ねさせる。

 

「……貴様……っ!」

 

「……僕はこれじゃ、死ねない……」

 

 矛の刃を掌で握り締め、そのまま握力で粉砕する。

 

 気圧された様子の相手に肉薄し、首根っこを片手で締め上げていた。

 

 喉の奥から発せられるくぐもった声。

 

 豚の悲鳴だ、とハイデガーはそのまま破滅の衝動のままに頸椎を打ち砕こうとした。

 

 だがそれを、体温が遮る。

 

 何だ、と視線を投じた先には白磁の肌を月明かりに照らしたピアーナが、涙顔のままに頭を振っていた。

 

「……やめてください……やめて……お父様は、関係ないの……」

 

「かんけいないわけ……ないだろう……。こいつ……は、きみを……」

 

「お願いだから……っ! お父様を殺さないで……っ! ハイデガー様……!」

 

「ハイデガー……って……だれだ……」

 

 もう遅い。

 

 壊れてしまったものは、もう取り戻せない。

 

 壊れてしまったものは、二度と元には戻らない。

 

 それでも、ピアーナの体温がぎゅっと、自分の暴力の衝動を押し留めていく。

 

 その段階になってようやく、ハイデガーは目の前で苦しげに呻くピアーナの父親の姿を認めていた。

 

 金と利権で、肥えるだけ肥えた手足。

 

 肉に埋もれた欲望ばかりの末端。

 

 それを――赦せと言うのか。

 

 ピアーナは、どれだけこの男に身を捧げて来たのか分からない。

 

 どれだけ苦しくても、目の前で「取り繕って」笑ってきたのか、分からないのに。

 

 だと言うのに、赦せと。

 

 殺すなと言うのか。

 

「……ハイデガー様……っ!」

 

「……だからそれは……僕の……名前……だ」

 

 指先から不意に力が失せる。

 

 何度も咳き込んで痛みと吐き気に俯くピアーナの父親へと、ハイデガーはよろめいていた。

 

「……お願いです……っ、殺さないで……」

 

「でも、君は僕の前で……どれだけ無理をしていたんだ……。どれだけ……苦しかった……はずなのに……」

 

 気付かないでいた。

 

 否、気付いていたのだ。

 

 とっくの昔に、ピアーナは彼女の最愛の父親から凌辱されているのだと。

 

 分かっていたのに目を逸らし、理解者を気取って来た。

 

 その罰なのか、これが。

 

 これが罰だと言うのだろうか。

 

 クラードを憎み、カトリナへと満たされぬ愛欲を覚え、《レヴォルテストタイプ》を操ってまで恩讐の徒に成り下がろうとした挙句が、このザマなのか。

 

「……ああ……」

 

 何ていう報いだと言うのだろう。

 

 ハイデガーは自分の顔を覆って膝を折っていた。

 

 醜いのは自分だ。

 

 おぞましいのは、自分自身だ。

 

 膨れ上がった承認欲求と、そしてハリボテの偽善で塗り固められた己。

 

 ミハエル・ハイデガー――裁かれるのは、お前自身だろうに。

 

 嗚咽しても、涙しても、情けなく喚いても、それでもピアーナは離れなかった。

 

 こんなにも醜悪な自分は、彼女の前には居られないと言うのに。

 

「……大丈夫です、大丈夫です、ハイデガー様……。あなたはあたしにとって、世界を見せてくれた人……大切な人なんです。だから……あたしのために無理をしないで。あなたは……あなたのままで……」

 

「ピアーナ……僕は……何度も君を偽った。分かった振りをして、分かった風になっていたんだ。君を救い出したかったんじゃない……。僕は……君に救われたかった……」

 

 求めている場所が違っていたとでも言うのだろうか。

 

 あるいは、求めている相手が違ったとでも言うのだろうか。

 

 ピアーナの父親が吼え立てる。

 

「……だ、誰か! この者を捕らえろ! 殺そうとしたんだぞ! わたしをだ!」

 

「お父様……このお方はあたしにとって大事な人なんです……。どうか、お気を鎮めて……」

 

「ならん! ならんぞぉ……ッ! わたしはリクレンツィア家の、当主なのだからなァ……ッ!」

 

 ああ、ピアーナの父親もまた、囚われている。

 

 身分か、それとも栄華か。

 

 自らを装飾するものに。

 

 自らを固める虚栄に。

 

「……ピアーナ……僕はもう、ここには居られない」

 

 ピアーナ相手に、もう二度と虚勢は張れないだろう。

 

 そう感じて身を翻そうとした自分の腕へと、ピアーナの体温がかかる。

 

「……置いて、行かないでください……。あたしにとっては……ハイデガー様が居る場所が……」

 

「ピアーナァッ! 賊を擁護するのか! わたしの娘だろうに!」

 

 その怒声にピアーナは縮こまって耐え忍ぶ。

 

 きっとこれまでずっと耐えてきた。

 

 苦しくても、辛くても、どれだけの厄災でもずっと。

 

 だからもう――耐えなくっていいはずなのだ。

 

「……君は僕が守る。守らせてくれ」

 

 上着をピアーナに被せ、その肩に手を置く。

 

 ピアーナも何度か躊躇うように父親のほうを窺ったが、その足は傷つき続けてきた部屋を後にしようとしていた。

 

「ピアーナァッ! お前が他の場所で生きていけると思うのかァッ!」

 

「いえ、きっと、彼女はこれから先、生きていける」

 

 ハイデガーは震え始めたピアーナの肩をしっかりと抱く。

 

「リクレンツィア家は五十年後には影も形もない。それだけは……言っておく。あなたは実の娘を辱めただけだ」

 

「何が分かると言うのだ、青二才め!」

 

 そう、何が分かると言うのだろう。

 

 自分にはきっと何も分かるまい。

 

 それでも、ピアーナが進むだけの道を作りたいと願うのは強欲であろうか。

 

 外に出るなり、使用人達が包囲していた。

 

 彼ら彼女らは猟銃用の得物を握り締めている。

 

「逃げ場なし、か。ならば――来い! 《レヴォルテストタイプ》!」

 

 風圧が舞い上がり、偽装迷彩を施されていた《レヴォルテストタイプ》が起動する。

 

 眼窩に攻撃色の光を湛え、《レヴォルテストタイプ》のマニピュレーターが邸宅を半壊せしめていた。

 

「鋼鉄の、巨人……」

 

 茫然自失の者達を置いて、ハイデガーはピアーナをコックピットへと導く。

 

 その最中で、眼差しはこちらを仰ぎ見るテトラへと注がれていた。

 

 彼女はどこか、祈るように自分達を目にしている。

 

 他の者達に浮かんだ明瞭な恐れとも違う、その瞳に浮かんでいたのは情景にも似た色であった。

 

「……来るのなら、来い」

 



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第237話「その名を辿って」

 

 ハイデガーの言葉にテトラはふっと歩み出す。

 

 他の使用人や給仕の制止の声も届かず、《レヴォルテストタイプ》の腕が彼女を抱える。

 

「手狭なコックピットだ。少し無茶をする。舌を噛まないように」

 

 テトラとピアーナを擁したコックピットハッチを閉め、ハイデガーは両腕を接続口へと翳す。

 

 直後に腕が可変し、頭蓋に突き立つ電流の味が広がっていた。

 

「……二年くらいじゃ、錆びもしないだろう、《レヴォルテストタイプ》」

 

『専任ライドマトリクサーの帰還を確認。これよりアイリウムの挙動を優先します。モードを選択、後に主導権を譲渡します』

 

「……女の人の、声……?」

 

「アイリウム……まぁ、機械音声だ、気にしなくっていい。飛ぶぞ、出来るな?」

 

『承認。ノズルスラスターを噴射させ、これより425秒間の飛翔機動に入ります』

 

「充分な距離は稼げそうだ。行くぞ」

 

 飛翔した《レヴォルテストタイプ》はスラスターノズルに蓄積した粉塵を噴き上げ、そのまま高高度へと至っていた。

 

 あまりの高さにテトラの表情に恐怖が宿る。

 

「こんな高さ……」

 

「慣れたものさ、これくらい」

 

『安定機動に入ります。飛翔高度を限定、425秒の挙動を訂正し、237秒間の高高度維持を実用』

 

「半分程度しか持たないか……」

 

 メンテナンスもなしで二年間放置すればさもありなん。

 

 むしろ機動してくれただけでもありがたいほどだ。

 

「……ハイデガー様、これは……どういう……」

 

「ああ、言っていなかった。モビルスーツと言う……鋼鉄の巨人だ。少し先の未来では当たり前になっている」

 

「モビルスーツ……? じゃああなた、未来人だって言うんですか?」

 

 テトラの問いかけにハイデガーはすぐには応じられなかった。

 

 この時間軸が正しく来英歴を辿っているのかどうかさえも分からない。

 

 しかしだからと言って、ピアーナを助けなければ自分は一生後悔していただろう。

 

「……それはよく……と言うか、何故、来たんだ……」

 

 質問するとテトラは頬をむくれさせる。

 

「来いと言ったのはそっちでしょう?」

 

「いや、そうは言ったが、普通来るか? ……この事態で」

 

「何ですかそれ。来るもの拒まず、そう言ったものでしょう?」

 

「……たくましいな」

 

 つんと澄ました様子のテトラから視線を戻し、ハイデガーは《レヴォルテストタイプ》の降り立つ場所を概算する。

 

「ここからなら……あの場所がちょうどいい。テスタメントベースに亡命する」

 

「あれって連邦の基地でしょう? 身勝手に押し入って、排除されるのはこっちなんじゃ?」

 

「心配は要らない。もう伝手はある」

 

 自分がエーリッヒなのだと告げればさほど抵抗はないはずだ――と、その段になって、ピアーナが何故、自分の本当の名前を知っていたのかと言う疑問に行き着いていた。

 

 しかし今のピアーナに問い質せるような余裕はない。

 

 ほうほうのていで逃げ出してきたのだ。

 

 少しでも落ち着ける場所を提供するのがやっとだろう。

 

「……ハイデガー様……あの……」

 

「ハイデガーって言うんです? あなたは。ふぅん、何かイメージと違いましたね」

 

 分かった風な事を言うテトラの言葉振りに翻弄されつつ、《レヴォルテストタイプ》はテスタメントベースの領空へと入っていた。

 

 迎撃網が走り、照準警告が鳴り響く。

 

「ちょっと! 伝手はあるって……!」

 

「それは今から作るんだ。ちょっと黙っていてくれ」

 

 仮想人格データにアクセスし、ハイデガーはテスタメントベース中枢の抗生防壁を打ち破っていた。

 

「……照準連鎖システムと、迎撃防衛システムは……この糸か……!」

 

 断絶させた瞬間には先ほどまでのけたたましい警告音が嘘のように静まり返る。

 

「……止まった? 何をしたんです?」

 

「だから言ったろ? 伝手を作ったんだ」

 

「意味が分かりません」

 

「……そうかもな」

 

 無事に着地した自分達へと、おっとり刀の機動隊の兵士達が照準する。

 

 コックピットハッチを開かず、ハイデガーは告げていた。

 

「協力者として、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの名において宣告する。我が方に銃を向けるのは遠からぬ破滅と知れ」

 

 この一声だけでも理解出来る人間は居るはずであった。

 

 三分ほど経った頃、兵士達はめいめいに指令を受け、銃を降ろしていた。

 

「……だから、何をしたんです?」

 

「伝手だよ、特別な」

 

『牽引します。格納庫へと』

 

 相手のガイド音声にハイデガーは返答していた。

 

「信用出来ない。中枢部へと直接アクセスを乞う」

 

「そんな強気な……!」

 

「それくらいじゃないと通してくれやしない」

 

 舌を巻くテトラにハイデガーは相手の返答を待っていた。

 

『……了解しました。テスタメントベース中枢への直接アクセスを許可します。歓迎します、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー様』

 

「あれ? ハイデガーだったんじゃ?」

 

「名前は、信用の数だけ持っていたほうがいいさ」

 

 テスタメントベース中枢部にはこの基地そのものの頭脳である未発達なアイリウムが据えられている。

 

 半球状のアイリウムへとマニピュレーター末端部より端末を翳していた。

 

 相手からのアクセスは少しおっかなびっくりだ。

 

 それもそのはず。

 

 五十年後のアイリウムと、前時代的でありながら原初のアイリウムとの初の邂逅である。

 

『……承認いたしました。データ痕も一致。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー様ご本人と認識』

 

「認証助かる。このまま僕達はどうなる?」

 

『決議を経て、連邦軍諜報部の預かりとなります』

 

「諜報部、か。穏やかじゃない言葉に聞こえるな」

 

『これでも譲歩なのです。元々、その機体と貴方達は、一方的に拿捕されるはずであったのですから』

 

「……なるほど、高度に政治的、ね」

 

『理解していただければ助かります』

 

 しかし、この時代の地球連邦軍に自分達を匿うだけのメリットはあるのだろうか。

 

 ハイデガーは仮想人格を拾い上げて、攻勢防壁の網を潜らせようとした瞬間には、声がかかっていた。

 

「駄目です……ハイデガー様。今は相手の出方を看ましょう……」

 

「……驚いたな。僕が抗生防壁を破るのが悟れるようになったのか、ピアーナ……」

 

「何度も見ておりますので……。その兆候くらいは……」

 

 五十年後の電子戦闘光学師としての片鱗は既にあると言うわけか。

 

 ハイデガーは暫時、思考を差し挟む。

 

 もうリクレンツィア家には居られないとは言え、少し軽率が過ぎたか、と後悔が脳裏を掠めたのも一瞬、全天候モニターに反射するピアーナの姿にその言い訳は封殺された。

 

「……僕が救いたかったんじゃない。僕は……救われたかったわけか」

 

「何を言っているんです?」

 

「君には分からないよ」

 

 そう返すとテトラは明らかに不服そうであった。

 

「……その言い草、気に入りませんよ。何でも分かった風なんですね、ハイデガーさんは」

 

「あれ、様付けはなしか」

 

 少し茶化したつもりであったが、テトラは給仕服の襟元から風を入れていた。

 

「もうお役御免でしょ? それに、いついかなる時も御用は何でも、って、そもそもガラじゃないんです」

 

「元々向いていなかった、って事か」

 

「……まぁ、そもそも私だってあのお屋敷に売られたみたいなものですし。後々の話なんて大体が想像出来るでしょう。あのお屋敷でお局様の下で一生を終えるか、それとも別の人生かなんて問い質すまでもないって言うか」

 

 テトラの人生もある意味では閉じていたのだろう。

 

 別段、彼女まで助けるつもりはなかったが、それでも面影はある。

 

 ――カトリナ・シンジョウの、彼女の面影が。

 

「……僕は、いつまで囚われているんだろうな」

 

『機体識別信号を受諾。テスタメントベース中枢にお越しください』

 

「信用出来ない、その間に機体を鹵獲するつもりか」

 

『では問い返しますが、そのまま機体に閉じ籠って交渉出来るとでも? 籠城するのは勝手ですが、それが賢いとも思えませんね』

 

「分かっているさ。この時代のアイリウムにしては融通が利く」

 

『最新鋭の叡智が詰め込まれておりますので簡単な受け答えは可能です。それもこれも、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー様、貴方が何度もこの基地へとアクセスした膨大なデータベースが機能している』

 

 なるほど、伝手と言ったのは何も間違いではないらしい。自分がこれまで築き上げてきた知識にそのまま跳ね返されている気分であった。

 

「……では僕達は一度、そちらに謁見願おうか」

 

『代表者はテスタメントベース研究室にいらっしゃいます。そちらまでのガイドを送っておきますので行き先はお任せします。研究顧問役は既にエーリッヒ様の到着を心待ちにされておられます』

 

「僕が今夜こちらに来る事は察知出来ていないはずだが?」

 

『それは研究顧問の胸のうちと言うものでしょう。わたくしに関して言えば、エーリッヒ様に悪い心象ではございません』

 

「悪い心象ではない、か。それは褒められているのか貶されているのか分からないな」

 

『少なくとも、貴方方を害そうと言う気持ちは微塵にも。所詮、わたくしは疑似発達型思考回路ネットワーク。貴方方の持つネットとは隔絶されているのです』

 

 どうやらこの酔狂なアイリウムは自分達を言葉で弄そうとはしていても、迷わせようと言う害意はないらしい。

 

 信用に値するか、とハイデガーは二人へと視線を振っていた。

 

「私は……別にいいと思います。相手が何を言っているのかはさっぱりでしたけれど」

 

 肩を竦めたテトラに比して、ピアーナは縮こまっている。

 

「……あたしは……誰を信じればいいのか、よく分かりません……」

 

 それが正直な気持ちの吐露であろう。

 

 彼女はこの二年間の父親からの折檻に耐え、そこから救い出されたとは言え、自覚もあまりないはずだ。

 

「……僕が付いている。ピアーナ、もし不安なら僕が矢面に立つ」

 

「あら、心強い。ひょっとしてハイデガーさん、そういうご趣味が? 殿方の趣味にいちいち口を出すような野暮な女のつもりもないですけれど」

 

 そう言ってから静かに舌を出すテトラにハイデガーは悩まされていた。

 

 口調も性格もまるで違うのに、見た目はカトリナのほとんど生き写しだから始末に負えない。

 

「……いいから。今は僕の信用がかかっている」

 

「ですね。じゃあ私達はせいぜいお荷物ってわけですか」

 

 コックピットブロックを開け放つ。

 

 鋼鉄の巨神である《レヴォルテストタイプ》へと、ハイデガーは言い置いておく。

 

「防衛障壁を展開。専任RMである僕以外の命令系統は受け付けないように」

 

『承認しました。システムはこれよりスタンドアローンに入ります』

 

「今の、どうやったんです? まるで魔法みたいな」

 

「解読されない技術の粋は、魔法みたいに映るものさ」

 

 テトラの興味をかわしてハイデガーは歩み出す。

 

 ちょうど雨粒がかかって空を仰いでいた。

 

 冷えた大気の中で、白く輝く息が棚引く。

 

 いやに心の臓が落ち着いているのは、自分の中の心の澱を解放したからだろうか。

 

 こうなる日をどこかで分かっていた――分かっていて先延ばしにしていたのだ。

 

 当然の報いとは言え、やはり戻れない日々を回顧せざるを得ない。

 

「……研究顧問とは? 僕らの事を知っているのか?」

 

『何度かテスタメントベースには電脳知性体が潜入した痕跡があります。それにいち早く気づいたのが、研究顧問です』

 

 露見していたのか。

 

 まさか自分の手腕が五十年前の人々に解読されているとは想定外であった。

 

「……痕跡は残していないつもりだったんだが……」

 

『研究顧問は特別なお方です。誰が気づかなくとも、あのお方は気付かれます』

 

「随分と執心じゃないか」

 

『それはその通りでしょう。わたくしはあのお方に造られたのですから。造物主を崇める事は人類史がこれまで辿って来た歴史と同じはず』

 

 なるほど、創造神への畏敬の念くらいは機械でも模倣出来るか。

 

 それとも本当に――今話しているアイリウムは特別製なのだろうか。

 

 この時間軸にしては秀でているが、さほど特別とも思えない。

 

「……研究顧問はここに?」

 

 テスタメントベース中枢部たる半球状のドームの中に、ハイデガーは踏み込んでいた。

 

 無数の防御隔壁を超えた先にあったのは白く滅菌された部屋だ。

 

 四方八方からは監視カメラの視線が矢の如く飛ぶ。

 

「ここに来るのは君達が最初の客人だ、歓迎しよう」

 

 その声音と、そして人当たりの柔らかい言葉振りに、ハイデガーは思い至る人物を描いていた。

 

 だがまさか、あり得ない――そう判定した意識は振り向いた白衣の人影を前に霧散する。

 

「……まさか、そんな……」

 

「何かな? それほど意想外な邂逅だとは思えないが」

 

「でもあなたは……まだこの時間軸には存在しても居ないはずだ……。――ヴィルヘルム先生」

 

 その言の葉を受け、紫煙をたゆたわせていた男性は口角を緩める。

 

「おや? 同名の知り合いが居たのかな? それとも……わたしのあずかり知らぬところで、君とは出会っていたか?」

 

 ハイデガーはよろめきつつ、目の前の現実を直視する。

 

 ――ヴィルヘルムであるはずがない。

 

 それを確かめるのには、あまりにも酷似している。

 

 違うのは無精髭を蓄えている点と、煙草の喫煙者である部分くらいだろう。

 

「どう……なされたんです? ハイデガーさん。あれ、お知り合いですか?」

 

 テトラの疑問も耳に入って来ない。

 

 ハイデガーはその時、ピアーナに袖を引かれてようやく自我を保てていた。

 

「……ハイデガー様……」

 

「あ、ああ、すまない。あまりにも……知り合いによく似た人物が居たから。でも、その人のはずがないと、分かり切っている」

 

「それは経験則かな? いずれにせよ、君らはこの地球上でも最も秘匿されたこの場所に招かれたんだ。誇ってもいい」

 

「……誇っても、か。だが最も閉ざされた場所と言う意味でもある」

 

 返答すると、ヴィルヘルムと名乗った男性はニヒルな笑みを浮かべる。

 

「皮肉は嫌いじゃない。むしろ大好物だとも。人間は、その自意識を肥大化させて生存出来る唯一の知性体だ」

 

「それは……誰の言葉なんですか」

 

「さぁね、引用不明とでも言うべきか」

 

 ヴィルヘルムと同じ佇まいで、ヴィルヘルムのような事を言ってのける眼前の存在に、圧倒を覚えつつもハイデガーは咳払いで打ち消していた。

 

「……それで、あなたは何故、我々をここに招く気になったのです?」

 

「まぁ、それを話すのには時間がかかる。どうだね? 一緒にお茶でも。自信のあるコーヒーを焙煎している」

 

「まぁ! コーヒー!」

 

 こんな状況下にも関わらず、平時のような声が出せるテトラはある意味では大物だろう。

 

 ヴィルヘルムを名乗った相手は笑顔でコーヒーを抽出していた。

 

「これでも暇でね。こうしてコーヒーの味だけは一丁前になっていくわけさ」

 

 人数分のコーヒーが淹れられる中で、アイリウムが声にする。

 

『わたくしの分はどうしたのです? ヴィルヘルム様』

 

「おや、人工知性体でもコーヒーによる休息は必要かな?」

 

『ここまで招いたのです。一杯くらいはわたくしにもくださいよ』

 

「じゃあ、これでどうかな? 今、コーヒーの味覚に相当するデータを送信したが」

 

『……そういう問題ではありません。神棚に供えるように、心構えが必要だと言っているのです』

 

「参ったな、言われてしまっている」

 

 コーヒーカップを端末の上に置き、自分の分のコーヒーに口を付けてから、ヴィルヘルムは余裕たっぷりに尋ねていた。

 

「それで? 君達は何故、ここに来た?」

 

「……行く当てがもうないからですよ。もう居場所なんて……どこにも存在しない……」

 

「それは違う……と短絡的に言うつもりはないが、あの機械の巨神を使えば、どこへなりと逃げられるだろう。わざわざ敵の多い場所を選んだのには理由があるはずだ」

 

 その論調でさえ、冷静さを崩さないヴィルヘルムの口調そのもので、ハイデガーは三年前に袂を分かったはずの相手と話している錯覚に襲われる。

 

「……テスタメントベースの建造には、僕も協力している」

 

「なるほど。幾度となくテスタメントベースの抗生防壁へとアクセスし、その都度開錠してから施錠まできっちりとこなす律儀なハッカーは君だったか」

 

「……そこまで露見しているのなら、余計に、です。何で僕達をここまで?」

 

「興味深いからだ。持ち得る技術も、そしてその身に宿した現代科学でも解き明かせない神秘も、どれもこれも一級だろう。君は思ったよりも我々に注目されている。自覚は持ったほうがいい」

 

「それはどうも……。ですが、ヴィルヘルムせんせ……研究顧問はここで何を? 他に人員が居るようには見えないですが」

 

『失敬な! わたくしが居ますよ!』

 

 自信満々のアイリウムの声にヴィルヘルムは微笑んでいた。

 

「言われているぞ、君」

 

「……じゃあ仮に二人だとして。たった二人で出来る事なんてたかが知れているでしょう? 一体、何の研究を? テスタメントベースは何のために生み出されたのです?」

 

「その前に、レディに服を着せてあげるといい。わたしの研究室には滅多な事では他人は来ないが、服くらいは用意してある」

 

 ヴィルヘルムは落ち着き払った様子でピアーナが裸体に近い事を看破し、自らの研究服の替えを差し出す。

 

 震えるピアーナに代わってハイデガーはそれを受け取っていた。

 

「……テトラ、ピアーナを頼む。僕が着せるわけにはいかない。」

 

「そりゃあ頼まれますけれどね。女の子の着替えを覗く趣味は最低ですから」

 

 テトラがピアーナを着替えさせている間、ハイデガーはヴィルヘルムへと歩み寄っていた。

 

「どうした? 他人が淹れたコーヒーは飲めないかね?」

 

「それよりも、一つだけ……。あなたは本当にヴィルヘルムと言う名前なのか」

 

「どういう意味かな?」

 

「あまりにも偶然が過ぎれば、それは必然だと言うんですよ。僕は……この場所へと跳ばされたのが運命だと思う事にしていた。でもここまで偶然が重なればそれは出来過ぎているとも言う」

 

「何者かの作為、かね?」

 

「あるいは現在進行形でここを見張っている存在が居るとも」

 

 ヴィルヘルムは視線を機器へと流し、それから顎でしゃくっていた。

 

「コーヒーを飲むといい。この時代の端末では君を納得させるのに少し時間がかかる」

 

「……僕の正体を……」

 

「知ってはいない。だが、特異な人物であるのは分かっている。全身ライドマトリクサーのようにも映るが、少し違うな。ピアーナ・リクレンツィア。彼女のデータは存在する。この地上でも珍しい、全身ライドマトリクサー施術を受けた身分だ。当然の事ながら彼女の家柄であるリクレンツィア家には莫大な資産が約束され、そして地球連邦政府による管理権限が与えられている。いわば、特権階級だ」

 

 ハイデガーは先ほど対峙したピアーナの父親を思い返す。

 

 彼は最初から狂っていたのか、それとも狂わせたのは金や名誉によるものか。

 

 否、きっと両方であったのだろう。

 

 リクレンツィア家の当主として、実の娘を連邦の研究機関に預けると言う暴挙は、狂っていなければ出来ないはず。

 

「……特権階級ってのはみんなああなんですか」

 

「……言っておくが、リクレンツィア家当主は元々は服飾関係の職人であった。彼の名誉のために言わせてもらうと、家系としては連邦政府に準ずる血族ではない。ただ、誰もが唾を吐き、そして目を背けるライドマトリクサーと言う分野において、理解があっただけだ。当主は精神鑑定の結果、その意識は大変良好であったと言う記録がある」

 

「じゃあ……! じゃあ、ピアーナは……分かっていて……あんな目に……」

 

「あんな目、と言うのを詮索する趣味はないが、状況証拠だけで言えば、なるほど。確かに選択はミスであったようだな」

 

「……あなたはピアーナが……この世界そのものの悪意に石を投げられ、罵倒される苦しみを知らない……!」

 

「知った風になる事は偉い事かね? わたしはそうは思わない。痛みを肩代わり出来るのは代償を背負う覚悟のある人間だけだ。知ったつもりの言葉はナイフ以上に他人を傷つける」

 

 ヴィルヘルムの言葉は正論だ。

 

 分かっているからこそ、ヒトは傷つけ合う。

 

 その言葉振りでさえも――三年前に分かたれた道を再確認されるようで。

 

「……やはり僕は、あなたを好きには成れそうにない」

 

「そうか。生憎わたしも、君の事は好きに成れそうにない。どれだけ取り繕っても侵入者だからね、君らは。わたしは現場責任者を務めている。君達をこれ以上、テスタメントベースの神秘に近づけさせるわけにはいかないのだが……話はそう単純でもない」

 

 ヴィルヘルムは大きく呼吸し、端末に表示されたデータをこちらへと見せつける。

 

 それはテスタメントベースの擁する機密そのものであった。

 

「……言っている事とやっている事がちぐはぐですよ」

 

「わたしは研究顧問だ。当然、テスタメントベースの運用方針も理解している。その中で、どうにも解せないのがこれだ。上は月面にもこれと同じようなものを造るつもりでいる。そのこころは?」

 

「……それは、相手にしか分からないでしょう」

 

「三十点の答えだな。君ならばもっと肉薄出来るはずだ」

 

 試されている感覚にハイデガーは吐き捨てる。

 

「……じゃあ、それこそ身勝手そのものなんじゃないですか。あるいは、別の何かを、待ち望んでいるか」

 

「今のはよかった。五十点に格上げだ。主観が入り混じってはいるが、それでも君の本心を聞けた気がする」

 

「……何が聞きたいんです」

 

 ヴィルヘルムは端末に腰掛け、深く煙草を吸ってから言葉を発していた。

 

「……つまりは、今のわたしでは、お歴々の考えを読み取る事はまずもって不可能だ、という事実だ。彼らは思惑の外で動いていると言っていい。だが、君は違う。何度もテスタメントベースの抗生防壁に打って出て、その結果に得た何かがあるはずだ。わたしは現場判断を大事にしたい」

 

「……僕の入手した情報と、あなたの情報とを擦り合わせて、それで上を打倒するとでも?」

 

「おいおい、滅多な事は言うもんじゃないとも。打倒なんて、人聞きが悪いと言うものだ。考えを知りたいだけさ」

 

 肩を竦めた相手にハイデガーは、記憶の中のヴィルヘルムよりも目の前の男は飄々としているように映っていた。

 

「じゃあ、僕達をどうこうしようってわけじゃ、ないって考えても?」

 

「それはそうなんだがね。全身ライドマトリクサーを擁すれば技術の叡智は十年は早く訪れる。どうだろうか? 君達さえよければ、ここで暮らしてみないか?」

 

 思わぬ、と言うのはこのような時を言うのだろう。

 

 想定外の提案にハイデガーは面食らう。

 

「……僕らを、テスタメントベースで飼い殺しにするとでも」

 

「言い方だ、言い方。生憎のところ、わたしにも一般社会において生活と言うものは存在する。これでもここを空ける事もあるんだ。その間、思わぬ闖入者を呼び込みたくはない」

 

「……同じじゃないですか。番犬として飼うと言っている」

 

「これは失礼。こちらも言葉が足りなかったな。――単刀直入に言わせてもらえば、君達の実力は買っているとも。それだけのハッキング能力と、現状比肩し得ない情報処理技術、そしてあの巨人の叡智もある。それら全てを寄越せとは言わないが、テスタメントベースならば適正な扱いを施す事が可能だろう」

 

 逆を言えばテスタメントベース以外では最早自分達に生きる道はないとさえ、言われてしまっているようである。

 

 だが事実そうなのだ。

 

 ピアーナの日々を壊してしまった以上、もうリクレンツィア家の邸宅で、知らぬ存ぜぬを通せるわけがない。

 

「お着替え完了ーっと。あ、お話終わりました?」

 

 テトラによって白衣に着替えさせられたピアーナの双眸を見据える。

 

「あの……どうでしょう、か……?」

 

「とっても似合っているとも。研究職も悪くないんじゃないか?」

 

 軽口のヴィルヘルムに辟易するものを感じつつも、ハイデガーは静かに誓っていた。

 

 ――もうピアーナを傷つけさせない。他の誰の手も及ばない場所へと保護するのには、ヴィルヘルムの口上をある程度受け入れるしかない。

 

「……分かりました。僕達の能力があなたの……ひいては僕らの役割となるのならば」

 

「そこまで硬く構える必要性はないとも。それに、依頼しているのはこちらのほうだ。協力して欲しいのは純粋な願いだよ」

 

 ヴィルヘルムの口振りにハイデガーは真正面からその瞳を覗き込んで返答する。

 

「……力が必要と言うのならば、応じましょう。どうせ、僕にはそれくらいしか……出来る事なんてないのだから」

 

「ではまずは名乗りだな。君の名前は? ハイデガー、でいいのかな?」

 

 既に二人にはハイデガーで通っているが、ヴィルヘルムにはその名を呼んで欲しくなかった。

 

 だから――これは自分の、我を通すだけの手前勝手さだ。

 

「……いいえ、僕の名前はエーリッヒ。――エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーと、呼んでいただきたい」

 



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第238話「邂逅落日、前夜」

 

 宇宙の常闇から生命の星を眺める事の、何と冒涜的な事か。

 

 ザライアンはラムダの舷窓から望める青き母なる惑星に言葉をこぼしていた。

 

「……僕達の正しさは、まるで意味を持たなかった、か」

 

「そうでもない。ザライアン・リーブス。そちらの交渉によって我々はマグナマトリクス社における特権を得たに等しい」

 

 前を歩んでいたマーガレットの言葉に、どうだか、と口にしたのはヴィヴィーであった。

 

「この次元宇宙の猿共に、要らぬ知恵を与えているだけだ。私が《ネクストデネブ》さえ呼べれば……焼き尽くしてやっているものを……!」

 

 憤怒に染まったヴィヴィーの声音に、マーガレットは落ち着き払って応じる。

 

「だが我々の生存権の確保、そしてMFへの合流の確約。どれもこれも、統合機構軍の一組織にしては思い切ったものだと言う」

 

「それは……多分、前回の戦闘時に、彼らの一員を確保出来たのが大きいんだと思う」

 

 ザライアンの眼差しは今も宙域を警戒する紺碧の機体を目の当たりにしていた。

 

 ――MS、《ゲシュヴンダー》。

 

 性能面では王族親衛隊の持つ《パラティヌス》に匹敵するであろう。

 

 それだけの機体追従性を誇りながら、今の今まで秘匿され続けてきたマグナマトリクス社の切り札、と言ったところか。

 

「あれもレヴォルタイプに近い。警戒任務はお得意と言ったところのはずだ」

 

「《レヴォル》……なぁ、教えてくれないか。僕達はだって……あの日……“夏への扉事変”の後、意図的に接触を禁じられた。一体、何があったんだ? 別の次元宇宙では、僕が想定している限りでしかないが、やはりあったのだろう? “破局”の観測が」

 

「我々が自らの次元宇宙に関して情報共有するのは禁じられている――と言うのも、今さらの話だな。“彼ら”によって情報を封じられ、私達はこの来英歴で生きる他なくなった。私はあの時、相手の手に落ちる事を拒んだが、それがこのような形となって跳ね返って来るとは思いも寄らない」

 

「マーガレット・マジョルカ。私は軽々に話すべきではないと感じている」

 

「ヴィヴィー・スゥ、そちらは酷く手痛い歓迎を受けたのだろう。言いたくないのは分かるが、私達が情報を封じれば、この次元宇宙の純正殺戮人類にとって優位に働く。……迂闊でも今は動くべきだ」

 

 マーガレットの言動はここまで来英歴の人類を嘗めていた自らへの戒めのようでさえもあった。

 

 その驕りが、先の第六の聖獣による一撃を生んだのだとすれば、もう加減などしている場合ではない。

 

「……僕も、賛成だ。ここに来るまで、何があったのか。少しでも情報を互いに聞き出せれば……連中に勝てるかもしれない」

 

「……下らん。私は私を侮った者達を焼き尽くせればそれでいい」

 

 ヴィヴィーの論調は相変わらず取り付く島もないようであったが、ここから退席しないところを見るに、聞く姿勢くらいはあると考えていいだろう。

 

「……僕から、話させてくれ。僕の故郷の宇宙……来英歴とは異なる手順で栄えた世界では、ミラーヘッドの戦術レベルは現在とほぼ同等であった。あの日……僕は運命に選ばれると共に、一度……死んだんだ。叛逆の運命によって」

 

 ザライアンの眼差しはここではない遠い宇宙の出来事へと思いを馳せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剥離した装甲を刃が劈く。

 

 貫いた感覚を正常に保ったまま、彼は並び立つ《エクエス》の頭部を斬り裂いていた。

 

 首を刈られた機械人形達が膝を折り、末期の戦場で紅蓮の業火に焼かれる。

 

「……これが……叛逆の運命……」

 

『達す。《オリジナルレヴォル》の次元同一個体を判定。《エクエス》では勝利出来ない。総員、退避を――』

 

「――遅い」

 

 脳内に焼き付いた情報痕跡へと電子の網が張られ、途端に明瞭になった視野で腕を払っていた。

 

《エクエス》部隊が寸断され、重力磁場が偏向する。

 

 黒色に近い断絶の太刀は粒子を伴わせていた。

 

『……フェルミノイドの……情報切断概念……』

 

 通信網に焼き付いた敵兵の声も、今は雑事だ。

 

 脳内が先ほどからけたたましい「聲」で満たされている。

 

 ――全てを斬り落とせ。

 

 ――目に映る全てが敵だ。

 

 ――概念を両断し、観念を切断し、想念を分断せよ。

 

「うる……さい……。何だこの声は……!」

 

 コックピットの中でのた打ち回る。

 

 明らかに救われた身分でありながら、脳髄が割れそうな意識の重なり合いであった。

 

 自我境界線が今にぷつりと途切れる間際まで追い込まれたところで、彼はその手に握り締めた血塗れの拳銃を意識する。

 

 これで頭蓋をかち割れば、少しはマシになるであろうか、と。

 

 暴かれた死への誘因をそのままに、銃口を顎に添え、引き金を絞りかけたところで、不意に接近警告が意識を揺るがす。

 

『――よう。生きているか?』

 

 降り立ったのは《エクエス》部隊であったがカラーリングが違う。

 

 友軍の識別信号に彼は、あ、と声を発していた。

 

『何だ、まだ子供の声じゃないか。まさか、これをやってのけたのは、お前か?』

 

 喉が焼けたように熱い。

 

 枯れ果てた声を思い出す前に、機体が挙動する。

 

 その腕に四枚の刃を顕現させ、友軍信号を発する《エクエス》を断絶しかけた死地の太刀筋は――死線を潜り抜けた相手の挙動を前に霧散する。

 

「……かわ……された……?」

 

『敗北を知るのは上等な経験だ、少年。そして強過ぎる力は、お前への福音になるのかどうかも、な』

 

《エクエス》の構えたヒートトンファーがコックピット部へと叩き込まれ、機体が鳴動する。

 

 コックピットに備え付けられている衝撃減殺の機能が働いたが、それよりも素早く《エクエス》は自分達を組み伏せていた。

 

 手狭な腹腔のコックピットが直後にはひっくり返っている様は、我ながら無力の象徴でさえある。

 

 コックピット側面へとヒートトンファーの灼熱化した武装が添えられていた。

 

 つまりは王手――最果ての戦場でそれを痛感出来ないほどの戦士ではない。

 

「……殺すなら、殺せ」

 

『喋れるじゃないか。なら、お前は今日から、おれの下につけ。それが正しさと言う奴だ』

 

「……正しさなんて……ない」

 

『確かにな。正しい戦場っていうモノがあるとすれば、それは言葉を弄するだけの詭弁だろうに。しかし、な。根幹の部分で正しいと言う概念はある。子供を一人で修羅に落とすのが正しい大人とはおれにはどうしても思えない』

 

「……正しい……大人……?」

 

 分からない。今まで自分は命の奪い合いをしていたのだ。

 

 だと言うのに、通信先の相手は正しさを振り翳す。

 

 それがどれほどまでに愚かなんて問うまでもないのに。

 

 彼は急速に脱力していく四肢を感じていた。

 

 それは恐らく、この機体に接続された時点で、相手を殺し尽くす恩讐の徒になる以外の選択肢を奪われていたからだろう。

 

 奪い、奪われ。呪い、呪われ。殺し、殺され。

 

 それが当たり前だ。日常であったのだ。

 

 だから自分は――禁術をその腕に秘めている。

 

 先ほどからコックピットの中を血染めにする両腕の紋様が光を失っていた。

 

 戦意の喪失と共に、刻まれた「聖痕」とも呼ぶべきものは力を失う。

 

 それこそが“疾走する本能(ライドエフェクター)”の名を持つ自分には相応しい末路であったはずなのに。

 

 通信先の《エクエス》より、パイロットが降りてきたのが回線の感度で伝わって来ていた。

 

『……なぁ、そろそろ出てくれないか? こっちだって子供相手に銃なんて振り回したくない』

 

「……子供じゃ……ない」

 

『そうかよ。じゃあ顔見せだ。お互いに上品に、な』

 

 外部開閉ボタンに干渉され、腹腔のコックピットを開いた瞬間、差し込んできたのは悪魔の黄昏の光景であった。

 

 空を支配する暗黒太陽――ダレト。

 

 死に別れた者達は地獄の炎で焼かれ、照り返しを受けている。

 

 そんな中で、灰色のパイロットスーツ越しの相手はヘルメットを開いていた。

 

 四方に開閉する形状のヘルメットの下にあったのは、精悍な顔つきの男性である。

 

 口元にニヒルな笑みを浮かべた相手は、おっと、と声にする。

 

「お前……最近実装されたって言う、ライドマトリクサーの発展形……ライドエフェクターか。だからそいつと感応したんだな」

 

「……子供のライドエフェクターは珍しいか」

 

 戦場では当たり前に損耗するだけの代物だと言うのに。

 

 相手はこほんと咳払いして、いいや、と頭を振る。

 

「こちらも敬意が足りていなかった。ここまで戦い抜いたんだ、歓迎するよ。それとも……この手は敵意に塗れているか?」

 

 差し出された手は無改造の生身の腕に映った。

 

 随分と前――この戦場に放り込まれるよりも以前に、数回だけ見た事のある光景であった。

 

 ――生きろよ、と願ってくれた誰か。

 

 その人の手は、生身の温かさであった気がする。

 

 途端、彼は泣き崩れていた。

 

 どうして――生きるだけがこうも難しい。誰かを蹴落とさなければ、生き抜く事さえも、この戦地では無理であった。

 

 涙が止め処なく溢れ出る中で、ぼやけた視界の向こうの男は茶化さなかった。

 

「……よく、ここまで戦ったな。おれはお前を、一端の兵士として迎え入れたい。みんな、いいよな!」

 

『まったく! 小隊長は言い出したら聞かないもんだから!』

 

 通信網を騒がせる声は、ここまでやってきた大人達の声であった。

 

 誰の手も届かない、戦場の最前線。

 

 誰の手も届かない、死と硝煙だけが支配する空間。

 

 それなのに、こうして手を伸ばしてくれる誰かが、まだ居た。

 

 自分はもう、見離されたのだとばかり思っていたのに。

 

「……もう……死ぬしかないんだって……」

 

「そう偏狭に構えるなよ。助けたおれだって少し気分は悪くするぜ?」

 

 こんな土壇場で冗談の言えるタマだ。相当にイカれているか、あるいは相応に真っ当かのどちらかだろう。

 

 握り締めた体温が伝わる。

 

「お前の名前は? ここまでやったんだ、撃墜王として刻んでおくぜ?」

 

「……俺は……」

 

 久しく忘れていた名前を、彼は紡ぎ出していた。

 

「……俺は……クラード。クラードだ」

 

「そうか。おれはこの小隊を束ねる《エクエス》乗りの一人に過ぎないんだが」

 

『名乗ってあげてくださいよ、小隊長。それは義理ですよ』

 

「むぅ、そうだったな。名乗れと言っておいておれのほうが渋ってどうする、って話だ。おれの名前は――ザライアン。ザライアン・リーブスだ」

 

 手を引いてくれた男の名前を――クラードは意識の中に刻み込んでいた。

 

 あ、とそれに返答する前に混濁した意識野が閉ざされていく。

 

 何か、真っ当な返事を考えよう、と思ったその直後には、宵闇の中へと自我は消え失せていた。

 

 

 



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第239話「人界を編む」

 

《オリジナルレヴォル》の干渉波から逃れられたのは、ただの偶然に過ぎない。

 

 一度でも観測されてしまえば、その戦場は途端に泥沼化する。

 

「気を付けて運べ。ダレトの向こう側から来た遺産だ」

 

 部下達に命令する途上で、ザライアンは等間隔の振動を感じていた。

 

 踏みしだくMSの骸を超え、ようやく視界に入った前線基地を目の当たりにした瞬間、部下の一人が声にする。

 

『小隊長、これはやはり、扉の向こうからもたらされた……』

 

「ああ。だからって及び腰になるな。彼……クラードへの侮辱に繋がる」

 

『了解はしましたけれど、それでも信じ難いですね……。前線兵が子供だったって言うのもそうなら、この機体が少年を選んだって言う事にもなるでしょう』

 

「まぁ、我々が関知するのは所詮、扉の向こうからもたらされる叡智の一端だ。おい、そこ、もたつくなよ。基地まで帰投するのに後ろを付かれていないかの再確認、忘れるな」

 

《エクエス》の機体は少しがたつくくらいでちょうどいい。

 

 ザライアンは壁に囲われた前線基地を見渡す。

 

 非常時には壁の各所から砲台が現出し、敵編隊を狙い澄ます砦となっている。

 

 自分達の部隊のログを関知し、大仰なメインブロックが開いていた。

 

「MS三十機に相当する扉、か……」

 

 それだけ外部が恐ろしいのもある。

 

《エクエス》乗りに確約されているのはある意味では変わらぬ日常の謳歌と、そして民草を守り抜く信念だ。

 

 だがその信念も軽く吹き飛ばされてしまうのが戦地でもある。

 

 殊にダレト――空に陣取る暗黒太陽からの共鳴連鎖がモニターされれば、それだけで一部隊が消滅する事さえもあり得るのだ。

 

 ザライアンは砦の中の人々からの称賛を得ていた。

 

『リーブス小隊長! それが今回の獲物ですかい?』

 

「ああ、ちょっとした拾い物だ」

 

『いいよなぁ、花形の外部探査部隊。こっちもあやかりたいもんだよ』

 

 そうそういいものでもないさ、と返しかけてザライアンは口を噤む。

 

 この世界において自分達の栄光とそして力の誇示を少しでも恥じれば、それはこれまで死した者達へ唾を吐くようなものだ。

 

 それだけ、外部探査部隊は生存率が低い。

 

《エクエス》で探索するのには、あまりにも外の世界は弱肉強食の理が強く、そしてその理を前にすれば、実力者紛いの人間は途端に足が竦む事だろう。

 

 本物の強者でしか、生きる事を許されない果ての園――それが何十年も紛争状態にあるこの世界の現状であった。

 

《エクエス》を含め、鋼鉄の巨神に身を固めなければ、砦の外では死が常に付き纏う。

 

 誰も自分達の生存域を確約してはくれない。

 

 ゆえにこそ、先ほど回収したクラードと名乗った少年の生き方の苛烈さもさもありなん。

 

「……子供か。それはしかし、大人がしっかりしていなかったから、こうなってしまったのだろうな」

 

『小隊長、その機体を持って祭壇まで行くんですか?』

 

「当たり前だろ。まずは神官に判断を仰がなければいけない。おれ達の役割はそれからだ」

 

『嫌な身分ですよね。せっかくの外部探査部隊になっても、結局は砦の中の掟は絶対なんですから』

 

「盗聴されるぞ、それ。どこに耳が付いているか分からないんだ」

 

 ザライアンは都市部に巡らされた蒼い光の網を視野に入れていた。

 

 あれが都市の「神経」だ。

 

 砦の中において絶対の価値観を持つ、神官の「瞳」でもある。

 

『それにしたって、我が領土はまだ敵の攻め込みを三回しか経験していないって言うのに……少し神経質なんじゃ?』

 

「どこもそうとは限らないんだろ。そろそろ祭壇に着くぞ。通信域を一定にしておけ」

 

 祭壇――そう評されているのは砦の頭脳たる蒼い血潮を滾らせた情報集積部位であった。

 

《エクエス》乗り達がそれぞれ、片膝を立てさせて祭壇の前で傅く。

 

 鋼鉄の巨神の力を持っていても、理だけは守らなければならない。

 

 祭壇より神官達が歩み出ていた。

 

 彼らは一様に頭蓋を覆う豆電球型のヘッドセットを有しており、それらの端末は祭壇の最奥へと接続されている。

 

『ザライアン・リーブス小隊長。帰還を歓迎する』

 

「感謝いたします」

 

『しかし、珍しいものを拾ってきたものだ。扉の向こうの産物とは』

 

「恐らくは遺産の一つだと思われます。高重力磁場を偏向させ、断絶と言う概念そのものを付与する機体と言う識別処理が出ています」

 

『興味深いな。暗黒太陽の向こうの者達の叡智の結晶とは』

 

『既に搭乗者が登録されている。何者か』

 

「戦場に投入された少年兵のようです。ライドエフェクター施術を両腕に刻み込まれております」

 

『現在科学の忌み子か』

 

 吐き捨てる物言いの神官に、ザライアンはコックピットの中で僅かに眉をひそめる。

 

「……よろしければ……彼の処遇に関しては自分に一任してもらえないでしょうか? まだ意識もあります。今は気を失っているだけで……彼は仲間に成ってくれる可能性が高い」

 

『ライドエフェクター施術は禁忌の一つだ。簡単に受け入れろと言うのが難しい』

 

「ですが、彼は恐らく元の居場所もなくし……一人の身分です。出来れば、その戦士としての戦い振りは讃えたい」

 

『ザライアン・リーブス。面倒見がいいのは知っている。だが、下手に抱き込めば貴君の害にもなるぞ?』

 

「承知の上です」

 

 暫時の沈黙が流れた後に、神官達は機体だけを回収していた。

 

『調べは尽くす。この機体の処遇とパイロットの処遇はイコールではない』

 

 神官達の眼前で取り落とされたクラードへと、ザライアンは《エクエス》のマニピュレーターを延ばしていた。

 

『だが、ザライアン・リーブス。もし……その少年が喉笛に噛み付いた時には、どうするか』

 

 それをこの局面で聞くのは卑怯だと感じつつ、おくびにも出さないで応じていた。

 

「その時は……自分が責任を持って、彼の首を刎ねましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が開いた時には、どうにも騒がしいな、という感覚が付いて回っていた。

 

 脳髄に残響する「聲」に何度か頭を揺さぶられた気分で、よろけた身体を起き上がらせる。

 

「……俺は……」

 

「起きたか。おぅい、起きたってよぉ」

 

 自分の横たわっていたベッドの傍に居る男の声に、記憶を手繰り寄せる。

 

「……あんたは、ザライアン……とか言う」

 

「ザライアン・リーブスだ」

 

 今はパイロットスーツ姿でもない。

 

 平時の軽装に身を包んだ茶髪の男性はそれなりの偉丈夫であったが、物々しさは感じなかった。

 

「……ここは……」

 

 回復した視界で見渡す。

 

 木目造りの一室で自分は保護されているらしいと言うのは分かる。

 

「あら? 本当に起きたのね。あなた、下の子達の面倒を看てちょうだい。私はその子の状態を看ておくから」

 

「オッケイ、んじゃ、後でな」

 

 気安い様子のザライアンと入れ替わりで部屋に入って来た女性は柔らかい笑顔で微笑みかける。

 

 クラードは腰のホルスターに反射的に手を伸ばしかけて、自分の服装も着替えさせられている事にようやく気付いていた。

 

「……俺は……」

 

「しっ。怖がらなくっていいわ。あなた、南七十管区の紛争地に居たんだってね。あそこは一度でも投入されれば、二度と生きては帰って来られないって聞いていたけれど」

 

 女は手慣れた様子で医療器具を探り、自分の瞳孔反射とそして両腕に刻印された紋様に機械を当てていた。

 

 僅かに痺れる感覚に顔をしかめる。

 

「痛いだろうけれど、ちょっとだけ我慢して。ライドエフェクターになったのは、何年?」

 

「……その機械で調べれば出るだろう」

 

「あなたの口から聞きたいのよ」

 

「……もう二年になるか」

 

「そう。二年間もずっと紛争地ってわけでもないでしょう。《エクエス》に乗ったのは?」

 

「……その場その場で当てられる機体は違う。今回はたまたま、《エクエス》であっただけだ」

 

 女はぬるま湯に浸した柔らかい絹で自分のライドエフェクター痕を拭っていた。

 

「聖痕」より血が沁み込み、瞬く間に白かった絹は真っ赤に染まる。

 

「……あの人も《エクエス》乗りだから。あなたが生き残ってくれて嬉しいって思っているはずよ」

 

「……あの人と言うのはさっきの、ザライアンとか言う……」

 

「あれでも旦那だからね。《エクエス》に乗って長いから。戦地を飛び回って帰ってくるのは大抵忘れた頃って具合。どこの砦でも似たようなものだろうけれど。ほら、背中を向けて? 汗を拭かないと」

 

 クラードは大人しく背中を向けていた。

 

 その途上で窓より望める景色に蒼い「神経」を垣間見る。

 

「ここの砦は……どこの前線基地だ?」

 

「東の連邦の領土の一つよ。同じように、戦線を拡大させている」

 

「……領土の奪い合い、か」

 

「それだってどこも同じでしょう?」

 

 女の声は柔らかく耳馴染みがいいが、それは久しく聞いていなかった「平和」と言うものを謳歌する人間の声であった。

 

「……あんたは何も感じないんだな」

 

「兵士の妻をやるって言うだけで大変っちゃ大変だけれど、飯の種だから。それに……あの人はちょっと変わり者だし」

 

「変わり者……」

 

 そこで脳髄を揺らすのとは別種の声が発せられていた。

 

 駆け込む足音と共に二人の少年が部屋のドアを開ける。

 

「こぉーら。お父さんの言う事をちゃんと聞きなさい」

 

「駄目だって! ザライアンは毎回、約束破るんだもんなー。石英の土産を買ってくれって言っておいたのに!」

 

「悪い悪い。おれも必死でな。今回はちょっと余裕なかったんだよ」

 

「そんな事言って、毎回余裕ないじゃんかー!」

 

 こちらを覗き見たザライアンはさらに二人の子供を抱えている。

 

 クラードは唐突な子供達の好機の眼差しにうろたえていた。

 

「……そんなに、子供が……?」

 

「お前だって子供だろー? まったく、ザライアンは相変わらず、節操がないんだからなぁ」

 

「こらこら。お父さんを悪く言っちゃいけません。……まったくどこで覚えたんだか」

 

「はいはーい。ま、母さんに免じて今回は許してやるよ」

 

「そいつぁ悪かった……なっ!」

 

 デコピンをかましたザライアンへと少年がタックルして階下へと駆け抜けていく。

 

 残された気弱そうな少年は女の傍へと歩み寄っていた。

 

「包帯……要るかもって……」

 

「ああ、助かるわ。お父さんと遊んでいらっしゃい」

 

 頭を撫でられると少年はくすぐったそうに首を引っ込めてから、こちらへと興味深そうな視線を投げる。

 

「……何だ」

 

 威圧すると少年はたじろいで後ずさっていた。

 

「いや、その……」

 

「俺の施術痕がそんなに珍しいか」

 

 涙目になった少年へとクラードは追撃しようとして、女に遮られていた。

 

「こら。ここじゃ、あなたは弟なんだから。お兄ちゃんにそんな事言っちゃいけません」

 

 制されてクラードは胡乱そうにする。

 

「……俺が、弟……?」

 

「ここじゃ年齢順は関係ないんだ。先に来たほうが兄貴で、お前は弟ってわけさ。おっととと……」

 

「あなた気を付けてちょうだい。二人はまだ二歳にもならないんだから」

 

 子供達を前に後ろに抱きかかえたザライアンは女へと微笑みを向けていた。

 

「ああ、気を付けるよ。それで、クラード。お前の乗っていた機体なんだがな。あれにはちょっとした調査が必要ってんで、一週間は砦の神官達の預かりって事に成っている。その間、ここで養生してくれ。大したものはないが、休める時間だけはある」

 

「休める時間……。いや、俺にそんなもの……」

 

「おいおい! そんなものなんて軽んじるものじゃないぜ? お前は真っ当に戦士だろ? なら戦士には休息がなくっちゃな」

 

 ザライアンは肩を叩いて上機嫌に部屋を出ていく。

 

 クラードはその温かみに茫然としていた。

 

「あの人、結構変わり者でしょ? あなたも大変だったとは思うけれど、ここじゃ少しの変わり者も、大層な変わり者も似たようなものだから。そこまで肩肘を張る必要性もないし」

 

「……分からないな。俺はあんたをここで殺すかもしれない」

 

 凄んだつもりであったが、女はあっけらかんと笑っていた。

 

 何だか壮絶に滑ったようで気恥ずかしい。

 

「……何が可笑しい? 俺は兵士だ。殺せと言われれば殺す」

 

「兵士だなんだって言ったって、あなたはまだまだ子供なのよ、結局は。それに、運が悪かったわね。私相手にはそういうの通じないから、さっ!」

 

 背中を叩かれてクラードは委縮する。

 

 その有り様と快活な様子に今度こそ毒気を抜かれたと言う奴で、言い返す気力も起きなかった。

 

「……俺は、殺ししか知らないんだぞ。そんな奴を、家庭に置くもんじゃない」

 

「そうかしらね。私は……あなたは真っ当に生きられそうに映るけれど」

 

「一度でも戦場に出た人間に真っ当なんて期待するなんてお門違いだ」

 

「お生憎様、そういう点じゃ、旦那のほうがよっぽどなのよ。あなたはまだひよっこ」

 

 そう指し示されれば、言い負かされた気分にも陥る。

 

「……勝手にしろ。あんたは……」

 

「ああ、名乗ってなかったっけ。私はバーミット。バーミット・リーブス。ま、ここじゃお母ちゃんやらママやら言われているけれどね」

 

 バーミットと名乗った女は自分と向かい合って両腕に包帯を巻いてくれた。

 

 丁寧な所作にクラードは思わず問い質す。

 

「……医療経験が?」

 

「昔、戦地でね。旦那ともそこで出会ったの。あの人、楽観主義でしょ? あなたも参ったクチじゃない?」

 

 コックピットを開くなりの言葉には、まるで自分を恐れていないようにさえ映ったが、しかしあれは――。

 

「……ダレトよりの遺産なんだぞ。恐れないほうがどうかしている」

 

「あの黒色の太陽ねぇ。あれ、日照りって程じゃないけれど南のほうはほとんど農作物に恵まれないって。とんだ疫病神ね」

 

「その疫病神から堕ちてきたのが、あんたの旦那が拾ってきた俺の機体だ。危ないとは思わないのか」

 

「全然っ! あなた、それよりもちょっと食べたほうがいいわ。痩せ過ぎよ。パンと水と……あと何がいい?」

 

「……何でもいい。俺は食べ物に好き嫌いなんて価値観は挟まない」

 

「それはいい事で。じゃあ適当にあったかいものを持って来るわ。ちょっと待っててね」

 

 バーミットが部屋を立ち去ってから、クラードは己の両腕を包帯越しに眺めていた。

 

 因果の集約点たる印――ヒトの呪縛。

 

「ライドエフェクター相手に温情なんて……馬鹿な連中だ」

 

 だがそれを拒めなかったのも事実。

 

 クラードは都市圏を巡る蒼い血脈たる「神経」を視界の端に留め、窓の外へと手を伸ばそうとした瞬間――焼き付くような激痛が両腕を走ったのを感じ取って呻く。

 

 途端、正常色の蒼から赤へと色相を変えた砦の内側は混乱に包まれていた。

 

「……これは……敵襲か」

 

「クラード! ……悪い、おれは出なくっちゃいけない。子供達と妻を頼む」

 

 押し入ってきたザライアンの眼差しにクラードは確信する。

 

「……俺が倒した連中の報復だな?」

 

「……そうだとして、お前に出ろなんて言えないとも。《エクエス》部隊だけで充分だ。お前は休んでおけ」

 

 額に手をやったザライアンの一所作に、彼もまた戦場に慣れた兵士なのだと実感する。

 

 ザライアンの背中へと投げるべき言葉も見当たらないまま、バーミットは子供達と共に自分を手招いていた。

 

「地下にシェルターがある! そこまで行ければ……!」

 

 だが木造の家を出た瞬間に、混乱のるつぼに落とし込まれた街並みが飛び込んでくる。

 

 誰もが地下シェルターとやらを目指しているのが窺えたが、それでも異常なほどの混迷であった。

 

「……敵が攻めてくるのは、初めてなのか?」

 

「いいえ、初めてじゃないけれどまだ三回目。ここは管区から離れているから、少しばかりはマシなの。でも……襲われればあまり頑丈と言うわけでもない。早く、シェルターにさえ入れば……」

 

「母さん……大丈夫なのか……?」

 

 バーミットは子供達を抱いて地下シェルターへと一路急ごうとするが、恐慌に駆られた人々に足を取られて転んでしまう。

 

「母さん!」

 

 二人の少年が起こそうと肩を貸すが、バーミットは足を挫いたようであった。

 

 これでは恐らく逃げ遅れる――クラードには火を見るまでもなく明らかであった。

 

 迷宮じみた砦の都市の中を《エクエス》部隊が駆け抜けていく。

 

 その中にザライアンが居るのが窺えたが、彼はいちいち人波を頓着するような余裕もないらしい。

 

 推進剤を吹かして一気に加速した《エクエス》の挙動に戸惑いを浮かべる人々も居る。

 

 それでも、ザライアンは砦から銃撃戦に打って出ているようであった。

 

 火線が舞い、硝煙の臭いが途端に満たす。

 

 ――ああ、見知った場所の香りだ。

 

 クラードは必死に地下シェルターを目指す人々から逆方向へと歩み出ていた。

 

「クラード君? そっちは危険よ……!」

 

「……俺には、役目があると思った」

 

「クラード……君……?」

 

「あいつと契約したんだ。それは世界への――叛逆の契約だ。運命に出会えなかったのだと、俺は諦めていた。もうここで死んでいくしか道なんてないのだと」

 

 だが一時とは言え。

 

 自分のような人でなしに休息の時間を与えてくれようとした人間の厚意を、無碍に出来るものか。

 

「……バーミットさん。子供達と一緒に避難してくれ。俺は――戦うよ」

 

「戦うって……! MSもなしに……無理よ……!」

 

 ああ、分かっている。分かり切っている。

 

 だと言うのに、これは死への誘因だろうか。

 

 戦場へと向かう足を止められない。

 

 別段死にたいわけでもないのに。

 

 それでも――あの絶対の死地から助け出してもらった恩義くらいは、感じてもいいはずなのだから。

 

 空っぽの心であっても、死から救い出された温情で動いても構わない。

 

 それは――ヒトであるのならば、当たり前の感情であったのだろう。

 

 久しく忘れていた感覚であったが、この時クラードはその感情の意味を手繰り寄せていた。

 

 巻かれた包帯の内側で蠢動する赤い兆し。

 

 脈動と刻印が鼓動と一体化する。

 

 否――その鼓動は最早、一つに非ず。

 

 二つの脈動が己の中で同居する。

 

 やがて、一つに結びつかれた鼓動の意義を、クラードはその赤い瞳で呼び寄せていた。

 

 それは約束された、世界を壊す聖剣の名前――。

 

「来い! 《レヴォル》!」

 

 瞬間的に装甲が構築され、築き上げられた巨神の息吹を纏い、クラードは瞑目した直後には腹腔のコックピットへと収まっていた。

 

 瞳を開く。

 

 真紅に染まった瞳へと緑色の三角形が刻み込まれ、新たな刻印は戦闘の息吹を伴わせる。

 

 轟、と風が唸り、搭乗した機体の周囲を逆巻く暴風域が包み込んでいた。

 

 一歩、歩み出すだけで位相を変えた風圧が奔り、刃の剣圧として街の一部を断ち切る。

 

「……浮つくなよ。《レヴォル》、俺に……従え……ッ!」

 

 直後、眼窩に意識が宿り、《レヴォル》は飛翔していた。

 

 単純な飛行回路ではない。

 

 空間そのものを否定し、その上から概念を差し挟む事によって飛翔と呼ぶのにはあまりにも高度で、なおかつ素早い機動力を可能にする。

 

 ビーム兵装で固めた敵影の陣形の只中へと、クラードは飛び込んでいた。

 

『敵影……? これは……何だ?』

 

 白く照り輝く機体が両腕を掲げる。

 

 その腕に沿うようにして、きりもみながら刃が内側より展開されていた。

 

 両腕に宿した太刀の感覚を鳴動させ、クラードは刃の圧力を一挙に放つ。

 

 オォン、と機体が咆哮したのが伝わった。

 

 嵐のように黒色にほど近い重力磁場が拡張され、周囲に展開していた能面のMSを蹴散らしていく。

 

 否、蹴散らすと言う表現は生ぬるい。

 

 文字通りの「断絶」。

 

 文字通りの「断罪」。

 

 刃の投網にかけられた敵機は切断されたと認識する前に微粒子のレベルに至るまで溶断されていた。

 

 その切断面は今しがた斬られたにもかかわらず完全に冷却されている。

 

 二度と接合する事のない運命を辿った敵影を踏みしだき、クラードは敵の首魁らしき機体へと向かい合っていた。

 

「……お前を倒せば、ここで終わりか」

 

『待て、いや、待つんだ……。何だ、その機体は……。まさか、報告にあったダレトよりの使者か? だが、操っているのは人間と見受ける。……我々は北二十六管区の砦より参った。そのほうとは外交的な取引の末に、軟着陸の線で話し合いたい』

 

「どの口が。勝てなくなった途端に弱腰か」

 

 片腕を掲げる。

 

 刃が蠢動し、四枚刃が流転を始める。

 

『待て! 待つんだ! この砦との超法規的取り決めには神官の合意が必要なはず。ここで我々を倒せば、禍根を残すぞ……! 戦争国家と渾名されたくなければ、一度武装を仕舞う事をお勧めする』

 

 クラードはいつでも武装展開が出来るように構えながら、ザライアンへと通信を繋いでいた。

 

「……こいつらの言っている事は本当か?」

 

『……ああ、間違いじゃない。何よりも、紛争を避けると言う方針はどの砦でも同じのはずさ。だが……今回は相手が無条件で攻めてきた。それは恐らく、お前の操っている機体の鹵獲目的だろう』

 

「……俺が居れば迷惑をかける、か。なら――禍根は少ないほうがいい」

 

『何を……! 何をしようと言うのだ! 我が方は平和的解決を――!』

 

「それってさ。反吐が出るってもんなんだ。戦場じゃ一番に踏み潰されるだけの、飯の種にさえもなりやしない」

 

《レヴォル》が両腕に拡張した刃を翳し、敵兵へと突っ込む。

 

 ビームライフルの軌跡でさえも、刃が接触した瞬間には偏向し、コックピットへと深々と切っ先が突き刺さっていた。

 

 途端、背後に感覚した銃撃を軽くステップを踏んで回避し様に一閃。

 

 敵機は両断され、後方についていた指揮官機は恐れ戦いたようであった。

 

『……な、何なんだ、それは……その機体は……!』

 

「――《レヴォル》だ」

 

 至近距離まで距離そのものを「切断」し、レイコンマの世界で肉薄する。

 

 相手が悲鳴を上げたその時には、刃を流転させた腕を振り落とすのには充分であったが、それを止めたのはザライアンの一声であった。

 

『そこまでだ! クラード、ここで全滅させても旨味はない。そいつは残しておいてくれ』

 

 もう一秒遅ければ断絶させていただろう。

 

 ギリギリで止まった斬撃に、相手の機体は硬直していた。

 

 恐らくパイロットは失神でもしているのだろう。

 

 ザライアン達の《エクエス》が砦の守りからこちらへと舞い降りて、接触回線を開く。

 

『よくやるよ、お前……。本当にそいつと出会ったのはさっきので初めてか?』

 

「……ああ、だけれど……初めて乗った気が、しないんだ」

 

『それはまるでエース様のご意見だな。さて、残った指揮官機から命令系統の洗い出し。こいつぁ忙しくなりそうだぞ』

 

 ザライアンは《エクエス》のコックピットハッチを開く。

 

 拡大化されたモニター内で、サムズアップを寄越しているのが視野に留まった。

 

「……俺は……助けたのか。何でだ……」

 

 自分でも不明瞭な感覚であった。

 

 確かにザライアンには恩義がある。助けられたのならば助け返すのもやぶさかではない。

 

 だが、自分は今日この日に至るまで、無数の裏切りと骸の上に成り立っていた。

 

 今さら、人の道なんてものを信奉するのはそれこそ間違いだろう。

 

 それでも彼らを――バーミットや子供達を死なせたくなかった。

 

「俺にも……まだあったのか。ヒトの心が……」

 

 包帯の下から刻印に沿って血が滲んでいる。

 

 平時ならば忌むべき紋様も、今は誰かを助け出せた証のようで、嫌な気分はしなかった。

 

 砦のメインブロックたる扉が開く。

 

 敗残兵を回収する中で、クラードはふと空を仰いでいた。

 

 未だに世界を満たす暗黒太陽たる存在――ダレト。それがもたらしたのが、数奇な運命の結果だとしても。

 

「……分からないものだな。人の世って言うのはさ」

 

 

 



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第240話「概念殺し」

 

 ザライアンにしてみれば、突然に現れた数奇な運命の先を見せつけられたような気がして、《エクエス》のコックピットの中でも震えていた。

 

「参ったな。ブルっちまってるってのか、おれも」

 

『小隊長。こっちのも駄目です。完全にイカレちまってる……と言うよりも、奇妙だ。通信回線ごと何もかも“切断”されたようにしか思えない』

 

「まさに概念殺しか。そんなものが存在しちまう事のほうが信じられないが……今目の前で起こった事を反芻するに、別段クラードは特別な事をしたって風でもないんだろうな」

 

《エクエス》乗り達はめいめいに報告を飛ばす。

 

『やはり……あれは危険なんじゃ? だって神官の居る祭殿から空間を跳び越えて来たんなら……』

 

「だがおれ達は救われたんだ。クラードに。なら、あいつを排斥するってのは嘘だろ」

 

『……小隊長』

 

 護りたいのだと、願ってくれたからあの機体――《レヴォル》とやらは味方になった。だが、その矛先を少しでも見誤れば刃は自分達を容赦なく貫いただろう。

 

 白き獣の胎からクラードは排出されていた。

 

 その小さな身体で動かしていたと言うのはにわかには信じられない。

 

 しかし、そうなのだと規定するしかない。

 

 クラードは、彼は選ばれたのだ。

 

 世界の意志とでも呼ぶべきものに。

 

「……おれ達に微笑むかどうかは、クラードのさじ加減一つか」

 

《エクエス》を駆動させ、ザライアンはクラードの傍に佇む《レヴォル》へと接触回線を開いていた。

 

「クラード。ここから先は神官達が出張ってくる。その時に、お前はこっちの砦のルールを知らない。かまでもかけられればそこまでだ」

 

『どうすればいい?』

 

「……おれの言う通りにしてくれ。下手な禍根の種を残したくない」

 

『分かった。俺は従うよ。ザライアン……俺もこの居場所が……少しばかり気に入っているみたいだ』

 

 そう口にする横顔にザライアンは静かに恐怖していた。

 

 面影自体は家に居る子供達と何ら変わらないのに、彼の死んだような赤い瞳が、この世界の命運を決めている。

 

 無意識のうちに選別し、無意識のうちに簒奪する――それこそがまるで正しい事のように。

 

「……クラード。少し、提案がある。神官達の質問を抜けたら、おれに付き合ってくれないか?」

 

 どういう意味なのか解していないのだろう。

 

 小首を傾げたクラードに、ザライアンは声にしていた。

 

「お前に……戦い方を教えてやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 打ち込みは何よりも鋭く。

 

 鋭敏な刃を翳して、それから地を這うように下段より振るい上げる。

 

 それをザライアンは一手で受け止め、返す刀で打ち下ろす。

 

 クラードは掠めた一撃で額を僅かに切っていた。

 

 ――木剣でよかった。

 

 これが真剣ならば額を割られていただろう。

 

 その予感にざわめく胸の中で、静かに剣筋を整えていた。

 

 呼吸は常に一定に。

 

 それでいて、見定める瞳は揺るがさぬように。

 

 クラードは木剣の重さを感じつつ、ザライアンへと横合いから打ち込む。

 

 その一撃が入る前に、ザライアンの逆手に握り締めた太刀が返答の一撃を差し込んでいた。

 

 防御と同時に反撃へと転じる。

 

 それでさえも流麗に。

 

 クラードは次手を講じる前に鳩尾に一打を受けていた。

 

 肺が押し込まれる感覚と、心臓が収縮する。

 

 は、と呼吸が漏れ出た次の瞬間には、叩き落とされた一撃を肩口にもらっていた。

 

 痛みによろめいた刹那に、首筋へと剣筋が添えられる。

 

 王手、のサインであった。

 

 クラードはじっとりと汗を掻いた状態で後ろへと倒れ込む。

 

 ザライアンの呼吸にはまだ余裕が窺えた。

 

「銃撃戦の体力はあっても、打ち込みの精度は低いな」

 

「クラード、よぇー!」

 

 子供達が囃し立てるように周りを走っていく。

 

 その言葉を否定する事も出来ずに、クラードは空を仰いでいた。

 

「……何で、俺は勝てない」

 

「練度の問題だ。それと、これまで銃の扱いには長けていただろうが、一対一の真剣勝負にはお前はまだ弱い。これは単純に辿って来た戦い方の問題だな」

 

「……何で俺は太刀なんて。前時代的だ」

 

「《レヴォル》が近接戦闘用なんだ。だったら、太刀筋は知っておいたほうがいい」

 

 そう言われてしまえば、クラードに言い返す術もない。

 

 ――あの後、神官達によって自分は《レヴォル》の私的占有を咎められたが、ザライアンの言う通りに反応したお陰か、極刑は免れていた。

 

 その代わり、ザライアンの許可なく《レヴォル》の使用は禁止されていた。

 

 恐らく最大限の譲歩であったのは窺える。

 

 それでも、手にしたはずの力を振るえないのは素直に不明瞭である。

 

「……なぁ、クラード。あれ、ダレトの向こうから来たって言うのは本当か?」

 

「ああ。ダレトの……今も俺達を照らす暗黒太陽の向こう側から来た」

 

「そうか」

 

 この世界は黒い太陽と黄昏の世界に彩られている。

 

 昔は「夜明け」とやらが訪れたと言う話をどこかで聞いた事があったが、クラードが戦場を覚えてからずっとその夜明けとやらは訪れない。

 

 世界は終わらぬ夕闇に染まり、差し込んだ斜陽の光に眉をひそめる。

 

「クラード、ダレトは……おれ達の砦じゃ禁忌なんだ。あれの向こうに何があるのかって言うのは未だに分からない。時折、《オリジナルレヴォル》とやらの干渉波で電子機器が駄目になるが、その理由も不明なんだ。神官達に言わせれば、神に障っているのだから当然との事だが……おれはな。神なんて居るとは思えないんだよ」

 

「いいのか? 神官達に聞かれでもすれば」

 

「構うもんか。ここはおれの敷地だ。それに、おれはこれでも《エクエス》乗りの中でも小隊長身分。身勝手に外に出る権限くらいはある」

 

 今しがた鍛錬しているのは砦の中ではなく、ほど近い湖のほとりであった。

 

 戦場を渡り歩いてきた身として見ればオアシスにも映る。

 

「クラード、ザライアンはやっぱ強ぇーだろ! お前じゃまだ勝てないっての!」

 

「こらこら。クラードはまだ家に来たばっかりなんだ。兄貴面もそこまでにしとけ」

 

 デコピン一つでザライアンは微笑み、子供達とじゃれ合う。

 

「……慣れているんだな」

 

「子供の扱いか? そりゃあ、お前、父親だからな」

 

「そうじゃない。あんたは……いや、何でもない」

 

「何だよ。言いたい事があれば言えよ、クラード。お前ももう、家族なんだからな」

 

「……勝手に家族にされれば迷惑だ」

 

「そうか? おれは家族ってのは一人でも多いほうが騒がしくっていい」

 

「なぁ、ザライアンー! とっとと行こうぜー。クラードの奴ばっかり構ってないでさー」

 

「そうはいかない。今日はとことんまで鍛錬だ。クラード、一撃でもいい。おれに打ち込んで来い。他の砦の連中が仕掛けてくる前には、物にしてもらわないと困る」

 

 クラードは起き上がり、木剣を握り締めていた。

 

「……《レヴォル》が近距離戦闘用だからって、木剣なんてナンセンスだ」

 

「銃よりかは理にかなっているだろ? お前、それとも自分の愛銃を奪われてご立腹か?」

 

 この砦に入ってから自分は一度として銃を握っていない。

 

 今の今まで扱わない日のほうが少なかったものを、突然に取り上げられれば戸惑いもする。

 

「……銃のほうがいい。あれは馴染む」

 

「剣のほうが馴染んだほうがいい。銃は剥き出しの敵意だが、剣には誇りが宿る」

 

 ザライアンは木剣の刀身をさすり、その誇りとやらを大事にしているようであった。

 

「……馬鹿馬鹿しい。それは幻みたいなものだ」

 

「幻でも、ないよりかはあったほうがいいだろ? 剣には心もある。覚えておくといい。銃には心がないが、剣には魂と呼べるものが宿ってくる」

 

 クラードは木剣の柄に巻かれた布が血で滲んでいるのを発見していた。

 

 ザライアンが使っていたものだとすれば随分と使い古された逸品だ。

 

「ザライアン・リーブス。あんたには聞きたい事がある」

 

「何だ? 言っておくが、バーミットの口説き方に関してはノーコメントだぜ。これでも苦労して口説いたんだ」

 

「あんたはこういう時でも冗談が言えるんだな」

 

「ジョークを口に出来なくなっちゃ人間終わりさ。どんな時でも不遜であれ、ってな」

 

 ザライアンは木剣についた砂を払っている。

 

 今しかない、とクラードは剣を携えて飛び込んでいた。

 

 ザライアンはそれを予期して払い上げを行うが、クラードは片手に掴んだ砂を投げる。

 

 一瞬だけザライアンの矛先が揺らいだ隙を突き、その横腹へと剣筋を叩き込んでいた。

 

 捉えた、と言う感覚は一瞬、すぐさま返す刀の一閃によってクラードは鼻頭を叩かれ、無様に転がってしまう。

 

「ザライアン! 野郎、クラード……卑怯な真似を……!」

 

「いや、卑怯でも手は手だ、よくやった、クラード。それにしたって千載一遇のチャンスを物にするとは、なかなかに運もいい」

 

 快活に笑うザライアンに、クラードは子供達へと視線をくれていた。

 

「……ガキの居ないところで喋りたい」

 

「それが望みか? 別に《レヴォル》のところに案内してもいいんだぞ」

 

「今は、そっちのほうが先だ」

 

「何だとぅ! クラード、お前は弟なのに生意気だぞ!」

 

「いいから。男同士一対一で喋りたいってのがお前の望みなら、なるほど、しっかりと叶えよう」

 

 子供達は不服そうに砦の中へと戻っていく。

 

 その背中が充分に離れてから、クラードは口火を切っていた。

 

「……子供達の年齢がバラバラだ。本当の子供じゃないな?」

 

「そんな事を聞きたかったのか? ああ、確かに。みんな戦災孤児さ。小さい子達も同じようにな。中にはMSのコックピットに置き去りってのもあった」

 

 ザライアンは軽い調子で返すが、クラードにしてみればもう一つの確信もあった。

 

「バーミットは? あの女は何だ?」

 

「何だってのはないだろ? おれの自慢の妻だ」

 

「それも虚飾か? 子供を産んだにしては若い」

 

 ザライアンは少し思案した様子を浮かべた後に、嘆息一つで応じる。

 

「……バーミットは子供が産めない身体なんだ。戦場で出会ったクチでな。あいつは医者だったが、そんなの関係なしの、酷い戦場だった。そんな場所で運命の出会い、これって本当に一生涯添い遂げられるって奴だろ?」

 

「茶化すな。要は寄せ集めの家族ごっこか」

 

「そう映るか、お前には」

 

 即答出来なかった。

 

 家族ごっこなのだと、それでしかないのだと言い切れないのは彼らの間に絆のようなものがあったからだ。

 

 本物の家族以上に、彼らは身を寄せ合い、お互いを必要としている。

 

「……あんたは偽りの家族を護るために《エクエス》の小隊長に?」

 

「元々は大義名分もない。砦の中だって今は平和だが、昔は酷かった。生き残るためには、明日の食い扶持を稼ぐのには泥棒でも殺しでも何でもやったさ。今さら綺麗な手じゃない」

 

「……意外だな。あんたは綺麗事を貫くもんだと、思っていた」

 

「それはお互いに理想を見ていたって奴だな。……なぁ、クラード。前線は変わらないか? まだお前の魂は……戦いの先に囚われているのか?」

 

 当たり前だと答えられればどれほど楽だっただろう。

 

 この砦に保護されてから数週間。

 

 打ち込みの鍛錬を始めて数日。

 

 クラードは己の掌に視線を落としていた。

 

「……たまに、自分が銃を握っていた事を忘れそうになる。このまま……日常に埋もれてしまえればどれほど楽なのだろうと、思ってしまう時がある」

 

「本音で喋ってくれているのが分かるぜ、クラード。お前は、そういう点じゃ義理堅い。だからこそおれは買ったんだ。お前ならきっと、みんなを幸せにしてくれるはずさ。この世界に囚われているおれ達みたいな人間を……扉の向こうに連れ出してくれるんだってな」

 

 暗黒太陽を仰ぎ見る。

 

 世界はきっと――もう終わっている。

 

 だとしても、終わりくらいは描きたいではないか。

 

 その終わりの形を紡ぐのに、何の抵抗も出来ずに終わる事こそが恐怖でさえもある。

 

「……幸せに成れる、か。でもそれって、一端の人間にだけ与えられた権利って奴なんだろうな」

 

「おれもお前も、ロクデナシって奴なのかね」

 

 それは――きっと真っ当に生きている人間からすれば同じ穴のムジナだろう。

 

 自分もザライアンも、どれほど平穏を祈っていてももう汚れた指先なのだ。

 

 だが、だからと言って人でなしに成っていい言い訳でもない。

 

「……俺は、最後の一人になっても戦う」

 

「決意、と見ていいのかね、それってのは。来いよ、クラード。打ち込みには素直に性格が出る。お前の太刀筋、見せてくれ」

 

「……行くぞ」

 

 呼気を詰め、そしてクラードは振るい上げた剣と共に咆哮を上げていた。

 

 



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第241話「鏡越しの己に」

 

 歩む足並みは少しばかり浮ついている。

 

 何せ――人々の期待を背負っての出陣だ。

 

 砦の住民達は自分に何を見ているのだろうと、クラードはコックピットの中で硬直していた。

 

『式典だ。型式通りでいいんだよ、お前も』

 

 ザライアンの直結回線にクラードは読まれている事を実感する。

 

「……変な感じだ。戦いに行くのに歓迎されるなんて……」

 

 これまで、戦に赴く時には誰の声援もなかった。

 

 だが、今は――。

 

 砦の人々は新たに生まれ落ちた戦いの刃へとてらいのない祝福を投げていた。

 

 街々は彩られ、祭囃子が鳴り響いている。

 

 子供達が縁日を行き交い、声いっぱいの歓喜が咲く。

 

「……俺はこんなに期待される事をしていない」

 

『それはおれ達も似たようなもんだ。みんな、ダレトの向こうの贈り物が珍しいのさ。期待に応えてやれ。それがお前の操る《レヴォル》の義務だ』

 

「《レヴォル》の義務、か」

 

 クラードは慣れない動作で《レヴォル》に手を振らせると、津波のような人々の歓喜の声が押し寄せてくる。

 

「……こんなに喜んでくれるんだな」

 

『だろ? やってみるもんさ。虚勢でも、な』

 

 ザライアンの部隊の《エクエス》も手を振りながら、砦のメインブロックへとゆったりと歩んでいく。

 

 初陣――もう何度目か分からないMSによる戦闘だと言うのに、こうも心が躍っているのは何故なのだろう。

 

 きっと、独りではないから――そんな益体もない意味に今は少し笑えてくる。

 

「……俺も、笑えるんだな」

 

『行くぞ! 《エクエス》第七小隊、出る!』

 

 ザライアンの声に呼応して《エクエス》部隊が飛び出していく。

 

 最後尾についたクラードの《レヴォル》は推進剤を噴かせてその背中に続いていた。

 

 次第に声援が離れて行き、もう聞こえなくなったところでようやく気を緩められる。

 

「……疲れるな」

 

『そう思っているんなら、お前だってまだ一端の兵士には程遠いのさ。知ったつもりになっていただけだよ』

 

 ザライアンにはこの数か月で随分と世話になっていた。

 

 その中でも彼に向けるのには最上の言葉を自分は知っている。

 

「……バーミットの手術、上手くいってるんだろ? もうすぐ弟が産まれるかもしれないんだ。なら、兄貴として一端になりたいってのが本音だ」

 

 部隊員から自分の声に合わせてめいめいに通信が繋がれる。

 

『ひゅー! 言われてるじゃないですか、小隊長!』

 

『お前……っ! ……それは言いっこなしだぜ。ようやく軌道に乗ったって言うのによ』

 

「弟が出来るのなら、俺は誇れる兄貴で居たい。いや、妹の可能性もあるのか」

 

『娘かぁ……小隊長、その点で言えば自分のほうが先輩ですぜ! 何だって聞いてください!』

 

『調子づくなっての。……クラードも上手い冗談を思いつくようになりやがって。……後で覚えてろよ?』

 

 部隊員の笑い声が連鎖する。

 

 彼らも祝福しているのだ。

 

 クラードは緑色の機体色を与えられた《レヴォル》を顧みる。

 

「……緑に塗って欲しかったのは、もう血の色なんて御免だって思ったからなんだけれどな」

 

 何よりも、ザライアンとこの数か月、平原で打ち合ってきた自分には馴染みの色に思えたからだ。

 

 これまでの自分との決別にもちょうどいい。

 

『緑色ってのは映えるから戦場じゃ間違えようもない。クラードにしちゃ、上出来の提案じゃないですか』

 

『まぁなぁ……。総員、一応は戦闘警戒をしておけよ。《エクエス》を転がすだけの式典任務とは言え、一応は敵襲の恐れもあるんだ』

 

 通信回線には流行りのラブソングを流している者も居る。

 

『こら。言った傍から。しかも流行りの曲かよ』

 

『いいじゃないですか。娘さんには小隊長もラブソングを歌ってあげてくださいよ。大きくなっていい女になるかどうかはそれにかかっているでしょう』

 

『音楽の趣味をとやかく言う男のところには嫁がせないから心配すんな』

 

 囃し立てる声と笑い声で自分は満たされた気分になっていた。

 

 暗黒太陽は相変わらず地上を睥睨しているが、それでも黄昏空が今ほど眩しく見えた事もない。

 

 少しはこの安寧と終焉の空をいい方向に描きたくもなってくるのだ。

 

 クラードは視界と同期させた《レヴォル》の挙動を確かめるべく、一際高く飛翔していた。

 

『おおっ! すげぇ! やっぱりダレトの遺産は違うな!』

 

『気を張っておけよ。撃たれても文句は言えないからな』

 

 ザライアンの声を聞き留めつつ、クラードは空を駆け抜ける感覚に浸っていた。

 

 今までのように地を這いつくばる戦いはしなくてもいい。

 

 ――もう、自由なのだ。

 

 この式典が終わればきっと、自分はザライアンの部隊に正式に招致され、そして《エクエス》と肩を並べて、砦を守るのだ。

 

 生まれてくる命に祝福を捧げるために――。

 

「なら……悪くないかな……」

 

 そう呟いたその瞬間であった。

 

 暗黒太陽の周辺が波打ち、どくんと鼓動が脈打つ。

 

 その感覚を、自分は知っている。

 

 命の淵で感じ取った、絶望の音色だ。

 

「……ザライアン! すぐに《エクエス》を下がらせるんだ! これは……《オリジナルレヴォル》の干渉波が来るぞ……!」

 

 しかし直後に殺到したのは暗黒太陽からの波だけではない。

 

 レーダー網を震わせたのは照準警告であった。

 

 まさか、と息を呑んだ瞬間には《エクエス》部隊に向けて砲火が放たれている。

 

 地上を駆け抜けていた《エクエス》が砲火に巻き込まれ、姿勢を崩して爆炎に呑まれる。

 

 何が、とクラードは現状認識を正常にすべく最適化を行っていた。

 

 両腕を接続口に翳し、ライドエフェクターとしての権能を発揮する。

 

 包帯を巻いた先に感じた鋭敏な死の感覚に、咄嗟に機体をバレルロールさせる。

 

 重力下でも正常に働いた回避運動はしかし、他の者達にまで伝わらなかった。

 

 波打つ干渉波の合間を縫って、小型の自律兵装が光条を絞る。

 

「あれは……あんな小さな自律兵装なんて……」

 

 だが見間違えようもなく、蒼白い光を棚引かせたそれは分身を構築し、《エクエス》部隊を叩きのめしていく。

 

『クラード? 一体何が……!』

 

「ザライアン! すぐに後退しろ! こいつは……別格だ……!」

 

 円錐型の自律兵装を有しているのはまるで合わせ鏡のような黒い《レヴォル》であった。

 

 頭部形状は他の砦で正式採用されている能面の形状であるが、その頭蓋を赤い眼光が流れる。

 

 明らかにこれまでの敵とは違う――その確証にクラードは《レヴォル》と共に先行していた。

 

『クラード! 前に出るな! お前は最後尾を固めるんだ!』

 

「いや、ザライアン……これは……まずい!」

 

 何を、と言う主語を結ぶ前の習い性の感覚で機体の片腕を翳す。

 

 すり鉢状の刃が現出し、やがて逆巻いた高重力磁場の太刀筋が敵MSを断ち割らんと迫る。

 

 しかし相手は潜り抜けたばかりか、高機動を重力下で実現してみせた。

 

「……《レヴォルタイプ》……。それも明らかに……俺の《レヴォル》よりも、性能が高い、だと……!」

 

 これまで想定しなかったわけではない。

 

 自分以外の人間が《レヴォル》に選ばれ、そして襲ってくる。

 

 だが、それはとんだ懸念であったはずだ。

 

 この数か月の平穏を思い返す。

 

 一度としてそんなイレギュラーはなかった。

 

 だから、ないのだと、思い込んでいた。

 

 そうなのだと断言すれば、飲み込めばどれほど容易かっただろう。

 

 しかし、現実はこうして突きつける。

 

 安寧と惰弱に沈んでいた自分を叱責するように。

 

《レヴォルタイプ》は背面に格納された自律兵装で《エクエス》を蹴散らしていく。

 

 仲間の声が。先ほどまで笑い合っていた気安い声が恐慌に駆られ、そして潰えていく。

 

 クラードは機体推進剤を目一杯に引き絞り、《レヴォルタイプ》へと追いついて背筋を叩き据えていた。

 

「何のつもりで……何のつもりなんだ! お前は!」

 

『――破壊する』

 

 その声に。

 

 その声の主に。

 

 自分の脈動が凍り付く。

 

 これは「まるで在りし日の自分の声だ」と。

 

 銃弾しか知らず。

 

 暴力しか信じず。

 

 そうして潰えてきた、己と言う名の過去。

 

 その清算を求められているようで、クラードは硬直する。

 

 隙を逃さず、自律兵装が四方八方に展開され、《レヴォル》の四肢を撃ち抜いていた。

 

 激震するコックピット。

 

《エクエス》程度ならば想定出来た機体追従性も、同じ《レヴォルタイプ》となれば及び腰になる。

 

 肉体が軋み、機体が警戒色のポップアップウィンドウに沈んでいく。

 

 何度もコックピットの中で意識の昏倒と、そして覚醒を繰り返す中で、ザライアンの果敢な声が響き渡る。

 

『なろっ! てめぇだけは――墜とす!』

 

《エクエス》では無理だ、そう言おうとして唇が言葉を紡げない。

 

 肉体は重く鎖に囚われたように言う事を聞かない。

 

 きっと、もう自分はこの末路を描くためだけに生き永らえたのだ、と冷静な自分は俯瞰する。

 

 ――だってそうだろう? 何で、あんなに殺して、あんなに信じられないと言ってのけた自分を裏切って、そうして一端の人生を選べるなんて思った?

 

 血濡れの自分が、かつて直視した自分の咎が目の前で嗤う。

 

 ――何故、そんな様に成り損なった? と。

 

 何を信じたと言うのだ。

 

 何を見据えたと言うのだ。

 

 何を――期待したと言うのだ。

 

 もう自分は――とっくの昔に壊れているくせに。

 

 人間ぶった痛みも、人間めいた平穏も。

 

 偽善ぶった人生も、虚飾めいた空想も。

 

 何もかも棄てた癖に、今さら何を――救われようなどと言うのだ。

 

 ザライアンの声が焼き付く。

 

《エクエス》が包囲陣を敷く磁石のような自律兵装に貫かれ、そのコックピットの中から声が漏れ聞こえる。

 

 きっと死にたくないだとか、きっと嫌だとか言う声なのだろうと。

 

 断末魔なんてそんなものだと、規定した自分の鼓膜を、彼の声が震わせる。

 

『……クラード、悪ぃ。先に行く、ぜ……。後を頼んだ……おれの――』

 

 その声が。その証が。

 

 自分の名を呼んだ瞬間にクラードの意識は、全神経は弾けていた。

 

《レヴォル》が駆動し、その眼窩に赤い導が宿る。

 

 包帯の下で紋様が疼く。

 

 刻まれた呪いが、再び動き出す。

 

 クラードは真紅に染まった瞳で、接続口へと両腕を叩き込んでいた。

 

 機械が絡みつき、肉体を蝕む。

 

「聲」が、幾重もの呪縛が頭蓋を掻き毟る。

 

 ――ここで終焉だと。

 

 ――ここで死ねと。

 

 ――胎の中で、死んで行けと。

 

《レヴォル》の「聲」を、クラードは振り切っていた。

 

「……黙っていろよ、《レヴォル》。お前が俺に乗るんじゃない。俺が――お前を乗りこなすんだ」

 

 紡ぎ上げたシステムの名は一つ。

 

 警戒色はコックピットから消え失せ、蒼い輝きが満たしていく。

 

「コード、“マヌエル”……俺に、従え……ッ!」

 

 脳細胞を沸騰させる感覚にクラードは意識の網を手繰り寄せ、機体を跳躍させる。

 

 それはこの世界にあり得ざる技術の粋であったのだろう。

 

 蒼白い閃光を抱いて、《レヴォル》が分身する。

 

 腕を突き出し、自身の操る本体と同期した分身体より空を裂く太刀筋が放たれていた。

 

 それは世界を破る咆哮――叛逆の標を持つ黒色の輝きが敵《レヴォルタイプ》を捉えんとする。

 

 敵機は地表ギリギリを滑り、大地を打ち破る自分の拒絶の刃をいなそうとするが、相手の突き上げた格闘兵装を《レヴォル》の真空の剣閃が打ち破っていた。

 

 分身体がそれぞれ機動し、《レヴォルタイプ》へと叩き込まれていく。

 

 自律兵装が宙を舞ったが、それさえも児戯だ。

 

 唐竹割りに構えた片腕をそのまま打ち下ろさんとして、回り込んでいた自律兵装の光軸が関節系統を爆ぜさせる。

 

「……片腕くらい、くれてやる……!」

 

 脱力し切った腕へともう片方の腕で刃を無理やり引き剥がす。

 

 重力の色彩を伴わせた一撃が、ビィンと鳴動し敵機へと叩きつけていた。

 

 コバルトブルーの血潮を撒き散らした敵影へと、返す刀の二の太刀が閃く。

 

 だが相手もされるがままではない。

 

 ビット兵装を爆弾として射出し、《レヴォル》の勢いを殺そうとする。

 

 何度も揺さぶられた脳髄で、何度も消え入りそうになった意識の隅で――クラードはザライアンの最期の言葉を反芻していた。

 

「……俺はあんたの言う……立派な息子なんかじゃ……なかった」

 

 ――おれの自慢の息子。

 

 そんな言葉を吐くくらいなら、命乞いをして欲しかった。

 

 もっと生き意地を汚く、もっと醜く。

 

 だったなら見限られたのに。

 

 だったなら諦められたのに。

 

「……もう、諦められないじゃないか。あんたの終わりの言葉が、俺への祈りだって言うんなら……」

 

 直視した自律兵装のうち一つが《レヴォル》の頭部を激震する。

 

 半分が暗黒に沈んだコックピットの中で、クラードは吼えていた。

 

 それはこの数か月、ザライアンに叩き込まれた打ち込みの術である。

 

 振るい上げた太刀筋が蒼い残像を帯び、光の刃を構築する。

 

「……ビーム、サーベルだ……これが」

 

 この世界には存在しない叡智を手繰り、クラードは敵《レヴォルタイプ》の頭蓋を撃ち割っていた。

 

 絶命の瞬間の悲鳴が劈く中で、クラードは意識を手離す。

 

 もう、無理をしなくっていい。

 

 もう、虚勢を張らなくっていい。

 

 ああ、もうきっと――だってそう遠くないうちに会えるはずだから。

 

「だから……ごめんなさい……父さん。俺はあんたの言う……自慢の息子なんかじゃ……」

 

 意識は泥のような昏倒に苛まれ、そして堕ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗黒太陽がもたらすのは災厄と言われている。

 

 あれがいつ、空を支配したのか――それはこの世界の誰も知らない。

 

 きっと、世界が構築された瞬間から決まり切った理の一つだったのだろう。

 

 だから争い合うのも、領土を巡って殺し合うのも当然の摂理なのだ。

 

 自分達は罪人でもなければ、咎人でもないのに、それでも喰らい合う。

 

 それでも血を流し合う。

 

 それ以外の方法があったはずだ。

 

 それ以外の残酷な選択肢だってあったはずだ。

 

 機械の鎧に身を固め、鋼鉄の銃器で敵を葬る術を講じなくってもいい未来もあったのかもしれない。

 

 だが、それ以外に知らないじゃないか。

 

 それ以外に知りようのない世界だったではないか。

 

 では諦めるしかなかったのか。

 

 きっと過ぎたる願いは毒であったのだろう。

 

 ――だが、違うと。

 

 違うのだと、声を張り上げたい。

 

 だって、自分のような呪われた生まれでも祝福出来た。

 

 世界の声が、優しい夢のように思えたのだ。

 

 だから、自分はここに居る。

 

 ここで、戦い続ける。

 

 弟や妹に、決して顔向け出来なくとも。

 

 その血濡れの指先で触れる事が許されなくとも。

 

 それでもいい。

 

 自分は――だってもう手に入れていた。

 

 安息の場所を。

 

 魂の故郷を。

 

 ならば、それでいいではないか。

 

 何を求める必要がある。

 

 何を渇望する必要がある。

 

 何を――騙されたように泣きじゃくる必要があると言うのだ。

 

「……助けてくれ、ザライアン……父さん……俺の心は、あんたに貰ったのに……」

 

 何も返せない。

 

 そう懺悔した瞬間には、瞼を開いていた。

 

 自分を見下ろすのはバーミットを含めた医療班である。

 

 彼らはバイタルが正常になったのを確認するなり、声を飛ばしていた。

 

「《レヴォル》のパイロットの生存を確認! 生存だ!」

 

 しかし誰も、送った時のような歓声を上げなかった事で、嫌でも先ほどの光景が嘘や夢ではなかったのだと理解出来る。

 

「……バーミット……俺は……」

 

「何も。何も言わないで、クラード。あなたが生きてくれて、よかった……」

 

「よかった……? よかったはずなんて……」

 

 黄昏の色調が視界に滲んでいく。

 

 こんな時にまともに誰かの顔を見て泣けないなんて、どれほど情けない事だろう。

 

 それでも、泣きじゃくる自分を、バーミットは安心させようと背中をさすってくれていた。

 

 ここで子供のように泣いてしまえば、自分は永劫後悔する。

 

 それは分かっていたのに、何故なのだろう。

 

 止め処なく溢れる、涙だけは止められなかった。

 

 

 



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第242話「英雄は立つ」

 

 その日が訪れたのは唐突で。

 

 しかし到来を予感する事も出来ていた。

 

「勇者、クラード。《ガンダムレヴォル》によるダレトの向こうへの観測を命じる」

 

 神官達の声に、バーミットが引き止める。

 

 自分の袖を引いたのは随分と年の離れた妹であった。

 

 まだ生まれ落ちて二年に満たない妹の指先に、自分は誓う。

 

「大丈夫。僕は……絶対に帰ってくる」

 

「やくそく……だよ、おにいちゃん……」

 

「ああ、約束だ。僕の大事な……家族にも」

 

「クラード。あなたには辛い思いばかりをさせる……。申し訳ないと、思っているわ」

 

「やめてくれ、母さん。僕は幸せだよ。家族に恵まれて……それでこの地を、護るために旅立てるんだから」

 

 その意味を分からないバーミットではない。

 

 だがザライアンの――父親の守り抜いた家族を守らずして何が男か。

 

 修繕された《レヴォル》は――あの戦いの後にガンダムの名を冠していた。

 

 何でも、システムポップアップに最初に浮かんだ言葉であったらしい。

 

 その真相を解明するために、自分はこれから暗黒太陽の扉の向こうへと旅立つ。

 

 思えば、随分と大きなものを経験させてもらった。

 

 この世界も捨てたものではない事、そしてあの日――ザライアンが守り抜いた家族と言うものの尊さ。

 

 口で言うのは容易いが、自分は悪人の側からそれを知れたのだ。

 

 ならば、言葉以上の価値があるはずだった。

 

 神官達に恭しく首を垂れる。

 

 今、砦の人々が自分と《ガンダムレヴォル》の行方をリアルタイムで見守っている。

 

「時空の先へと赴くのに、我が砦だけの叡智では足りないかもしれないが……」

 

「いえ、そのような事はない。僕は、きっと相応しい結果を持ち帰ります。もう二度と、《オリジナルレヴォル》の干渉波に脅かされない……永劫の平和を、この地に」

 

「……生まれ落ちたのはこの場所でなくとも、お前は戦い抜くと言うのか」

 

 きっと人によっては恐れの宿る決断であったのだろう。

 

 震える声音に、クラードは断言する。

 

「ええ。僕は僕の家族が息づくこの場所を――故郷を護る。そのためなら、何人たりとも赦しはしない。戦い抜きましょう」

 

「……お前にそんな決断をさせるために、今日まで生きてもらったわけではないのに……」

 

 神官達も自分に感情移入しているのか。

 

 平時は心の欠片さえも窺わせない彼らでさえも、自分の旅路には思うところがあるのかもしれない。

 

「……行こう。《ガンダムレヴォル》。世界を――救いに行こう」

 

 その声にマニピュレーターを伸ばし、悪魔の胎に自ら収まる。

 

 目指す先は一つ、彼方の暗黒太陽の向こう側。

 

「扉の先へ。……父さん、母さん……僕は、行くよ」

 

 両腕に刻まれた呪いの刻印が疼く。

 

《レヴォル》は同期された情報を更新し、その眼窩は黒く煙る陽光の先を睨んでいた。

 

 今この時――《ガンダムレヴォル》は旅立つ。

 

 果てにあるのは、時空の彼方、累乗の先。ヒトが望める、遥か向こう側。

 

 だが征かねばならぬ、征かねば男の名が廃る。

 

 クラードは胸に抱いた志と共に、暗黒太陽へと迫っていた。

 

 通常の恒星のそれではないのが明白であったが、なんとその大虚ろは飛翔して間もない場所に固定されていた。

 

「……こんな空に……僕達は支配され続けて……」

 

 だが、目指すべきは遥か果て――故郷を救うための巡礼の旅。

 

《ガンダムレヴォル》はこの時、干渉波を潜り抜けて、そして扉は――開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一呼吸置いて、ザライアンはヴィヴィーとマーガレットの反応を確かめる。

 

 彼女らは自分の境遇に何か疑問を挟むわけでもなければ、異論を口にするわけでもない。

 

 それもある意味では当然なのだろう。

 

「……僕は、そうしてこの次元宇宙へと辿り着いた。だが、まさか時を同じくして三人のMFまで到来しているとは思っても見ない」

 

「それで、ザライアン・リーブス、お前は何故、クラードの名を捨てた?」

 

「感覚的に理解出来たからだ。本能の部分なのかもしれない……同じく扉より来たりし使者達は自分と同じなのだと。ならば余計な緩衝を生まないためには、僕は喜んでクラードの名を捨てよう、と……そう決意出来た」

 

 そうして得たのが父親の名前だ。

 

 ――ザライアン・リーブス。

 

 自分にとってこれ以上のない、栄光の名前。

 

 ヴィヴィーはこちらの話し振りに興味を示したのか、静かに語る。

 

「……似たようなものであったのだな。次元同一個体なんだ、似ていて当然か」

 

「だが、僕は今、こうしてここに居る事に意義を見出している。死んでいて当然であった命だ。それを拾ってくれた父さんや母さん、それに兄弟達を、死なせるわけにはいかない。そのためには彼らの……ダーレットチルドレンの叡智が必要だった」

 

「約定を結ばされたのは、不利益になると分かっていても、お前はそれを選択していたと言うわけか」

 

 首肯し、ザライアンは舷窓に手を付く。

 

 宇宙の常闇が広がる中で、その手を拳に変えていた。

 

「……僕は必ず帰る。そのためには、《フォースベガ》を解き放ち、そしてダーレットチルドレンを倒さなければいけない……。その目論みに最も近いのがマグナマトリクス社であるのなら、利用もされてやる」

 

「その心積もりは買うが、しかし連中は何を思って我々を抱き込んだのか、まだ分からないんだ。《フォースベガ》と《ネクストデネブ》の奪還は慎重過ぎてもいいくらいだろう」

 

「……お前は自分のMFを持っているからそんな余裕が言える」

 

 突っかかったヴィヴィーにマーガレットは肩を竦める。

 

「これでも立ち回りは気を遣っていたつもりだがね。それでも、先の超重力砲撃で《ファーストヴィーナス》を奪われかねなかった時には冷や汗ものだった。だが、もう恐れる事はない。ラムダの船員が何を考えてエーリッヒの名を継いだのかも知れた。ここに来て、ハッキリしたな。――我々はダーレットチルドレンを、彼らを殺さなければいけない」

 

 共通の目的にザライアンは提言する。

 

「でも僕らの力だけじゃ、彼らには到底敵わない。約定で縛られ、そしてMFの行動範囲は限られている。今のままじゃ、どうあったって勝てない」

 

「この艦に艦載されていた《ゲシュヴンダー》なる機体を最悪使ってでも宙域まで飛ぶか? だが《ネクストデネブ》は封じられている。まずはザライアン・リーブスが《フォースベガ》に接触しなければいけない。思考拡張は?」

 

 ザライアンは額を撫で、それから頭を振っていた。

 

「……駄目だ、ここからでも遠い」

 

「わざと距離を取っているのかもな。マグナマトリクス社の連中からしてみても、制御の出来ないMFを奪われるわけにはいかないのかもしれない」

 

「だが……! マーシュ艦長は信頼出来そうではあった」

 

「それは一時的な協定に過ぎないだろう。私はあの女艦長にそこまで信を置いていない。所詮は純正殺戮人類の一員だ。いずれは切り離す」

 

 マーガレットの迷いのない論調に、自ずと視線はヴィヴィーへと行っていた。

 

 彼女の瞳は昏く沈んでいたが、それでも確固たる声音で言い放つ。

 

「……《ネクストデネブ》を取り返す。それからだ、全ては」

 

「我々は簒奪者だの稀代の殺戮者だの言われてきたが、それでも奪われたもののほうが多いとはな。これも因果か」

 

 ザライアンはその時、関知野を震わせる声を聞いた気がして窓の外に視線を移していた。

 

「……どうした?」

 

「いや……何かが……近づいてくる」

 

「このラムダは視認出来ないはずだが」

 

 それでもその感覚へと信を置き、ザライアンはラムダへと一直線に向かってくる機体を視野に入れていた。

 

 それは――赤い閃光。

 

 青い推進剤の尾を引きながら、こちらへと真っ直ぐに向かってくるのは繭のような機体であった。

 

 それそのものが異様としか言いようのないシルエットに、ザライアンは狼狽する。

 

「……視えているのか?」

 

「まさか。熱源光学迷彩を伴わせている艦だぞ」

 

 しかし相手は直後には機体を拡張させている。

 

 それはX字を想起させるバインダーを有しており、内側から無数に放出されたのは自律兵装であった。

 

 細やかに動き蒼い光を蠢動させた刹那には、引き絞られた光条がラムダ艦艇を揺さぶっている。

 

「……何だと! まさか、敵影はラムダを視認……」

 

「いずれにしても! このままじゃ轟沈する……! マーシュ艦長は!」

 

『こちらマーシュ。まずい事になったわね。接近している機体識別信号は――王族親衛隊、放たれたバイタルサインは最強のミラーヘッド使い、万華鏡、ジオ・クランスコールのものよ』

 

「ジオ・クランスコール……! 宇宙に上がって来ていたのか……!」

 

 忌々しげに放った声に応答するように、ミラーヘッドビットが幾何学の軌道を描いてラムダ甲板へと突き刺さる。

 

 激震にザライアンは身を持ち直しつつマーシュへと提言する。

 

「……《ファーストヴィーナス》で出ます。ここで潰えるわけにはいかない」

 

『許可出来ないわ。《ゲシュヴンダー》で牽制しつつ、時間を稼ぐ。あなた達はその間に、《フォースベガ》の思考拡張範囲まで逃れてもらいます』

 

「何で……! それじゃ尻尾を巻いて逃げろって言っているようなもんじゃ――」

 

『あなた達の生存が全ての鍵になる。ここで死んでいい人員じゃないのよ』

 

「それにしても、何故相手はこっちが分かるんだ。偽装迷彩は有効じゃないのか?」

 

『そうね……きっと私達が彼らを手に入れたからでしょう』

 

 その言葉にハッとする。

 

 先の《シクススプロキオンエメス》攻略戦で手に入れたダーレットチルドレンの一員。

 

 その者がもし――思考拡張の救援信号を打っているとすれば。

 

 ジオからしてみれば相手が見えていようが見えていなかろうが関係ないのだ。

 

 その道筋を頼みに攻撃していれば勝手に相手は自滅する。

 

 ザライアンはマーシュへと声を飛ばす。

 

「……《ファーストヴィーナス》で時間を稼ぐ。僕でもそれくらいは――」

 

『自惚れないで。このまま戦力を摩耗すればそれだけで我が方の敗北に傾く。あなた達は切り札なのよ』

 

 歯噛みする。

 

 このまま黙ってやられていろと言うのか。

 

 それとも、背中を向けて逃げ出せとでも。

 

「……ザライアン・リーブス。何も《ファーストヴィーナス》を動かせるのは、お前だけではない」

 

 マーガレットの声に、ザライアンは目線を振り向ける。

 

「……だがそれじゃあ……」

 

「いずれにせよ、私では《フォースベガ》と《ネクストデネブ》を操れない。ここで捨て石になるのは、私が正しいだろう」

 

「だが……ジオ・クランスコールは……万華鏡は強敵だ。もしもの時があれば……」

 

「万に一つでも、私は負けない。この世界に生きる純正殺戮人類を排除し尽くすまでは……!」

 

 そのオッドアイの瞳に宿った恩讐の火に、ザライアンは二の句を継げなかった。

 

 きっと彼女なりに出来る事を模索しているのだ。

 

 ならば、これ以上は侮辱に繋がる。

 

「……分かった。僕とヴィヴィー・スゥは自らのMFの確保に向かう」

 

「ああ、それでいい。……ザライアン・リーブス。一つ聞いていいだろうか」

 

「何だろうか。僕に答えられる範囲なら……」

 

「死に時を見失い、それで英雄の名を手に入れたと言うのならば、私達は同じはずだ。同じ名前を冠している。ガンダムの名と、そしてもう一つ。それを教えてくれ」

 

 この次元宇宙に囚われた栄誉ではなく、自分達が旅立つのに足る理由を答えろと言われているのだ。

 

 ここに嘘は付けないな、とザライアンは瞑目の末に応じていた。

 

「……操る機体の名前はガンダム。そして――僕に与えられた戦士としての名前は――機動戦士。――機動戦士ガンダムだ」

 

 マーガレットは特に感慨を浮かべたわけでもない。

 

 しかし、確かな確証に口元を緩めていた。

 

「……《レヴォル》の名は伊達ではないか。行け。私は相手を押し留める」

 

 断絶のように、ザライアンはマーガレットとは正反対の道筋を辿る。

 

 その背中を一瞥し、彼女の持ち得る魂の輝きを感じてから、奥歯を噛み締めた。

 

 出来る事があれば、何でもしたい。

 

 しかしそのように相手の領域に踏み込むのは、今だけは冒涜だろう。

 

 ――マーガレットは覚悟して立ち向かおうとしている。ならば、彼女の戦いは彼女だけのものだ。決して余人が口を挟めるものではない。

 

「……それでも、僕は弱いな。立ち向かう戦士の背中一つ、気の利いた言葉で押せないなんて」

 

 既に格納デッキにはシャトルが用意されており、ラムダより正反対の方向へと発進準備が整っている。

 

 慌ただしく《ゲシュヴンダー》の最終チェックが行われ、次々にカタパルトへと移送されていった。

 

「二人とも、これは片道切符だ。そう簡単に行って帰っては出来ない」

 

 

「覚悟の上です。僕達は、そうでなければいけない」

 

 整備班長の慮った言葉へと覚悟の声で返答する。

 

 彼はフッと笑みを浮かべていた。

 

「……何でなのかな。《レヴォル》を扱う資格のある人間って言うのは、いつだってそういう眼をしているってんだから。……言っておくと、頼みの綱はあんたらだけじゃない。そればっかりは安心して欲しい。ラムダはそう簡単に沈まないさ」

 

「……信じていますよ」

 

 シャトルへと乗り込み、パイロットスーツに身を固める。

 

 マグナマトリクス社製のパイロットスーツはこの時、自分の肉体に馴染んでいた。

 

『イリス・エーリッヒ。《ゲシュヴンダー》、出ます』

 

 イリス達の声が響き渡る中でザライアンはヴィヴィーへと手を伸ばす。

 

「行こう」

 

 しかし彼女はそれを拒み、自らの手足でシャトルに収まる。

 

 ザライアンは一拍嘆息を差し挟んでから、シャトルの操舵を担当していた。

 

「システム自体は単純だが、もう戦域になっていると言うのなら、王族親衛隊の送り狼も考えなければいけない。悪いが、全速前進で行く……!」

 

 ヘルメットのバイザーを下げ、ザライアンは緊急射出カタパルトに位置していた。

 

 カウントと共にオールグリーンに染まった発着信号に、ザライアンは腹腔から声を発する。

 

「ザライアン・リーブス、出る!」

 

 カタパルトボルテージの青い電流を跳ねさせてシャトルは宇宙の宵闇を駆け抜けていた。

 

 目線を振ればそこいらかしこで戦闘が散発的に起こっている。

 

 いつ巻き込まれてもおかしくはない距離だ、と認識を改めてザライアンは操舵していた。

 

「……向かうべきは、僕の《ガンダムレヴォル》へと……《フォースベガ》……」

 

 



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第243話「覚悟の証を」

 

《ゲシュヴンダー》の攻勢は思ったよりも頼りになるな、とマーガレットは胸中に結んでから、コックピットの中で蒼く波打つアイリウムを感じていた。

 

『コミュニケートサーキットを起動。これより専任ユーザーへと委譲します。“久しぶり、というのは性急かな?”』

 

「《ファーストヴィーナス》。お前は私が乗りこなす。浮気したのは許してやるから、私に……従え」

 

『“寛大なのだと、思っていいのだろうかね。いずれにしても、こちらとしてはパイロットを選べないのだ。その時々で最適解を選び取るとも”』

 

 レヴォルの意志の皮肉に付き合っている場合でもない。

 

 マーガレットは接続口へと掌を翳し、直後には巻き上がった樹木のような機械部品が腕を侵食していた。

 

 脳髄に突き立つ、電流の痺れ。

 

 その感覚を味わいつつ、マーガレットはキッと戦意に染まった双眸を戦場へと向けていた。

 

「悪いが撃墜させてもらう……この世界の悪意が生み出しし元凶。その結実が貴様なのだろうからな、ジオ・クランスコール!」

 

『こちらも把握している。MFのパイロットが一人、マーガレット・マジョルカ。自分が相手取るのにはいささか時期が早いようでもあるが、それは選べない。よってここで断罪する』

 

「……機械のような物言いを口にする……! その回るだけの舌を叩き斬ってやる!」

 

《ファーストヴィーナス》が直上へと黄金の推進剤を焚いて躍り上がり、直下の敵機へと黄金の帯を射出していた。

 

 それを相手は遊泳するように余裕を持って回避運動に入っている。

 

「そんな小手先で! 私の《ファーストヴィーナス》を相手取るか!」

 

『こちらもでは言わせてもらおう。自分としては聖獣と戦うのは何の引け目もないのだが、地上とは物が違う。この機体の真骨頂は空間戦闘で発揮される。――行こう、《ラクリモサステイン》。爪弾け、ミラーヘッドビット』

 

 バインダーより無数に弾き出されたビット兵装へと、マーガレットは己の持ち得る照準システム全てを発揮させて叩き落としていた。

 

「小賢しい……ッ! 貴様も所詮は、純正殺戮人類の一人だと言う事だ。どれほど策を弄しようと、私のガンダムには敵わない!」

 

『なるほど、ガンダムか。ならば聖獣殺しであるのと同時に、ガンダム討伐でもある』

 

 ジオの《ラクリモサステイン》はこちらの敵意を鏡のように反射するのみだ。

 

 余計な感情を差し挟まないミラーヘッドビットが駆動し、加速度を得て襲いかかってくるも、一撃一撃はさしたるダメージでもない。

 

 黄金の帯を盾のように用いて減殺すれば、そもそも攻撃とも呼べない代物だ。

 

「嘗めているのか、万華鏡。一度でも撃墜のチャンスがあれば、その時に墜とすべきであったな。貴様も私を軽んじていた。地上よりも空間戦闘が得意なのは、貴様だけではない!」

 

《ファーストヴィーナス》が黄金の帯を無数に重ねて射出し、その威力を高めて《ラクリモサステイン》を撃ち抜く。

 

 この時――あまりにも容易く相手の機体の中枢部へと突き刺さった事を、疑問に思うべきであったのだろうか。

 

 否、戦闘色に染まったマーガレットの脳内は既に討つと決めた意識で満たされている。

 

 一撃が相手を射抜いたのだと、そう確証して次手を打っていた。

 

「全方位からだ……これで終わりだ、万華鏡!」

 

 マーガレットが掌握した《ラクリモサステイン》の座標へと一斉掃射が叩き込まれる。

 

 撃墜され、黒煙を棚引かせる《ラクリモサステイン》の像に、今度こそ勝利を確信した――その瞬間であった。

 

『そう来るか。ならば少し――事象を巻き戻そう』

 

 ジオの声に不明瞭さを感じ取ったその時には、全ての事象宇宙が後れを取る。

 

 何が起こっているのか分からないまま、《ラクリモサステイン》へと撃ち込まれたはずのこちらの攻勢が巻き戻され、そして無意味と化していく。

 

「何だ……? これは、何が起こっている……」

 

 抵抗も出来ないまま、《ファーストヴィーナス》は《ゲシュヴンダー》数機を擁したままの状態にまで立ち返っていた。

 

 マーガレットはコックピットの中で視線を巡らせる。

 

「何が……《ファーストヴィーナス》! 何が起こった!」

 

『解析不能……全ての事象ゲージの修復を確認。敵機によってこの次元宇宙そのものが“あるべき形に修正された”と推測』

 

「修正……修正だと? ……まさか、この力は……貴様、その機体! 《オリジナルレヴォル》の技術を――!」

 

『――全てが遅い。ミラーヘッドビット、電荷』

 

 先ほどまでとは段違いのミラーヘッドビットが《ファーストヴィーナス》を四方八方から射抜いていく。

 

 照準精度も、そして威力もまるで異なっていた。

 

 先ほどの事象では手加減をしていたのか、と感じたが恐らくそれも違う。

 

 ジオは――《ラクリモサステイン》は「そういった事が可能」なのだと、推測するしかない。

 

「……わざと私に撃たせたのか……。その機体の性能を誇示するために……」

 

『少し違う。当方もこの機体にはまだ慣れていない。よって、試させてもらった。そうか、これが――レヴォルの意志か』

 

 間違いない、とそこで確信する。

 

 相手の機体にもレヴォル・インターセプト・リーディングが搭載され、そして自分の機体を上回ったのだ。

 

 性能でも、そして権能でも。

 

 全てにおいて、《ファーストヴィーナス》では勝てないのだと理解させるために。

 

「……知恵ある生命体にとって、最も有効な手段は勝てる勝てないの理論ではなく、無駄なのだ、と実感させる事か。何をやっても無為なのだと、知性があればあるほどに感じ取り、そして抵抗の気概を失う……」

 

『よく観察している。貴公には軍師の才能もともすればあったのだろう』

 

 ミラーヘッドビットが加速度を上げて《ファーストヴィーナス》の装甲を剥離させる。

 

 誘爆の衝撃波でコックピット内が激震されるが、マーガレットは抵抗も出来なかった。

 

 ――何をしようと無駄、それが明瞭に分かってしまったからだ。

 

 自分が猿共だと断定していた連中が、自分にとって意義のある「知恵の果実」を手に入れて最大の叡智を凌駕する。

 

 その瞬間に、マーガレットは奥歯を噛み締めながらも、溢れ出す涙を止められないでいた。

 

「……これが……これが私の追い求めた……答えだと言うのか……! こんな場所に、答えがあったなんて……! 《オリジナルレヴォル》……! 私にはもう微笑まないと言うのか……叛逆の運命!」

 

『反証は不可能だ。マーガレット・マジョルカ。ここに沈め』

 

 ミラーヘッドビットが幾何学の軌道を描いて《ファーストヴィーナス》の堅牢な守りを突き崩す。

 

『警告、警告。これ以上損耗は機体の自動修復機能でも賄えない。コミュニケートサーキットを出力……“死ぬ気か、マーガレット・マジョルカ……”』

 

「レヴォル……私はこの土壇場に、祈りさえも感じているんだ……。私達があれほど追い求めた答えが……こんな形で結実するとは想定もしていない。だが、答えはあったんだ。ならばその事に祝福しよう」

 

『“機体追従性を80パーセントまで向上。自動迎撃システムを認証する。このまま撃墜されるわけにはいかない”』

 

 レヴォルの意志による自動迎撃が開始されるも、それでも《ラクリモサステイン》が撃墜出来ないのは明白だ。

 

 黄金の帯が小型に変移し、これまでにない連続射撃をもって相手の機体へと追いすがるが、《ラクリモサステイン》の機動力にはまるで追いつけない。

 

 敵機はそれどころか、さらにミラーヘッドビットを空間に追加し、細やかな機動力で《ファーストヴィーナス》の装甲へと亀裂を走らせる。

 

『《ファーストヴィーナス》! あまりにも迂闊だ! 援護に入る、悪く思うな……』

 

 イリス達の声が連鎖し、《ファーストヴィーナス》を守るべく《ゲシュヴンダー》が《ラクリモサステイン》へと銃撃するが、どれもこれも命中する前に相手の操る自律兵装が背後を取っていく。

 

『退け。ここで自分は《ファーストヴィーナス》の撃墜のみを命じられている』

 

 わざと引き絞られないビームの意味を今さら理解出来ないほど、彼女らも馬鹿ではないはずだ。

 

《ラクリモサステイン》の疾駆が射程圏内までこちらを追い込み、身に纏っている黄金の帯を打ち砕いていく。

 

『自動迎撃システム損耗。反射戦闘屈折率、56パーセントにまで低下。コミュニケートサーキットによる専任ユーザーの承認を乞う。“マーガレット、マヌエルを使え。それならば一時的とは言え、相手を退けられる”』

 

 その提案にマーガレットは頭を振っていた。

 

「……もう、答えはここなんだ、《レヴォル》。どん詰まりだ。私達の旅路は、ここに意味が集約されていた……」

 

 思えばつい先ほどザライアンの故郷の物語を聞いたのも理由としてはあったのかもしれない。

 

 誰もが物語を持つ。

 

 そして、誰もが自分だけは特別だと思い込む。

 

 物語に付随する己の優位性を疑いもしない。

 

 そんな調子だから、六十億の知性はひっ迫するのだ。

 

「……馬鹿な。物語などない。誰もに等しく、不幸だけが分配される世界だ。それがこの世の理なのだと……分かっていただろう? “クラード”。私の《ガンダムレヴォル》と、そうしてこのマーガレット・マジョルカという躯体の物語の末はここにある。ならば――本懐を遂げずして、何が生か。何が死か。ジオ・クランスコール。私の園まで入って来たな?」

 

 完全に射程圏内に潜り込んだジオの《ラクリモサステイン》は巨大な機体である《ファーストヴィーナス》を内側から破砕する気であったのだろう。

 

 だがそれは――このマーガレット・マジョルカの術中であり、最後の抵抗の気概に火を点けていた。

 

「これが無為なら、私の価値はない。しかし、ここまで来たんだ。――抱け。私の中で貴様は絶命する。全攻撃器官を《ファーストヴィーナス》の心臓へと集約させる」

 

『何をするつもりか』

 

「聖獣の心臓を、見せてやると言っているんだ」

 

 黄金の帯が内側へと裏返り、その刃は堅牢な装甲へと薄皮一枚を引き裂くように容易く、溶断していた。

 

 腹腔に位置する部位が暗黒の色相を得て流転する。

 

 それを目の当たりにして、正気でいられる人間はこの世には居ないはずだ。

 

『ダレト、か』

 

「そうだとも。聖獣の心臓部位にはダレトが宿っている。これは私達、“クラード”が本能的に察知している事だ。自身の操る《ガンダムレヴォル》の切り札であり、そして忌避すべき弱点でもある」

 

『何故、それを今晒す』

 

「必要であるからだ。貴様にとっては特に。事象宇宙を巻き戻せる能力を保持しているのならば、他の攻撃ではまるで通らないかもしれないが、ダレトであるのならば届く。――私は、この時のために生きていたのだろう。《ファーストヴィーナス》、この次元宇宙に降り立った最初の《ガンダムレヴォル》よ。今こそその心の臓を晒し、宇宙にあり得ざる夜明けを導き出せ」

 

 干渉波が互いに呼応する。

 

 そう、呼び合っているのだ。

 

《オリジナルレヴォル》の一部か、あるいは権能を引き写した《ラクリモサステイン》にとってこれは唯一の毒である。

 

『自爆特攻をするつもりか』

 

「そんなつもりはさらさらない。どうせ、私の故郷なんてものは大したものじゃないんだ。ザライアン・リーブス……彼のように崇高な信念があるわけでもない。ヴィヴィー・スゥ……彼女のように憤怒だけを頼りにして生きていくほどの気力もない。私にとって貴様ら純正殺戮人類の愚かさだけがこの身体を動かす原動力であったが、それも失せた。ここで手打ちにしようじゃないか、ジオ・クランスコール。お互いに過ぎたる力は、持つものじゃないだろう?」

 

《ラクリモサステイン》が推進剤を焚いて逃れようとするが、既に自分の領域だ。

 

 何よりも、開いてしまったダレトを止める術など、この世界では持っていないはず。

 

『事象宇宙の調律を拒むか。それはしかし、《ファーストヴィーナス》と、そしてマーガレット・マジョルカ。貴公らの意味消失を意味する』

 

 最後の抵抗のつもりであったのだろうか。

 

 その言葉を、マーガレットはせせら笑う。

 

「構わないさ、もう、な……。私は少し……生き過ぎてしまったらしい。なら、終わりを描く事に、全霊を傾けてもいい。編纂概念の向こう側で……待っているぞ、二人とも。さぁ、終焉の時だ!」

 

 一本の黄金の帯が《ファーストヴィーナス》の心臓部を狙い澄ます。

 

 その攻撃さえ実行されれば、《ラクリモサステイン》ごと、この事象を消滅させられる――はずであった。

 

『そうか。ならば自分も――少し本気を出そう。思考加速、エグゾーストネットワーク。ブーステッド2』

 

 ハッと感覚する。

 

 その直後には、黄金の帯は《ファーストヴィーナス》の心臓を貫いていたが、《ラクリモサステイン》は充分な距離を取っていた。

 

「……いつの間、に……」

 

『不本意ではある。だが同時に、これ以外になかった、とも思っている。マーガレット・マジョルカ。そして第一の《ガンダムレヴォル》。これはせめてもの手向けだ』

 

「嘘だろう……その力は……」

 

 警告音が響き渡る。

 

 直上に四つのミラーヘッドビット、そして動きを封殺するように挟み込む六つの自律兵装の網。

 

 奥歯を噛み締める。

 

 こんな終わりを描いてまで――最後の最後まで自分は、この世界の人類に絶望し切らなければいけないのか。

 

 来英歴を呪いながら消えて行けと言うのか。

 

「ジオ・クランスコール――ッ!」

 

『――放て』

 

 ジオの声はまるで鮮やかなタクトの一振りのように。

 

《ファーストヴィーナス》を押し潰す悪意の光軸は、この時完全な形で命中していた。

 

 まず頭蓋を射抜き、その上で《ファーストヴィーナス》の特徴的な黄金の装甲板を打ち据えていく。

 

 こちらには最早、防衛手段も、そして抵抗手段も存在し得ない。

 

 このまま蹂躙されるかに思われたが、マーガレットはコックピットに至った亀裂を目の当たりにして声を爆ぜさせる。

 

「これが! これが貴様ら純正殺戮人類の行き着く先だと言うのならば! 私は呪おう! この来英歴を! 破局に至った世界はこうも愚かしく、そして破滅の道を辿るのだから!」

 

 地獄の哄笑が響き渡る中、最後の一撃が肉体を吹き飛ばしていた。

 



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第244話「聖獣、堕つる時」

 

「目標の沈黙を確認。このまま制圧に入る」

 

『そうはさせない。万華鏡』

 

 機体識別信号、《ゲシュヴンダー》が破壊された《ファーストヴィーナス》の陣取る宙域を保護するように浮かび上がっている。

 

「その方では勝てないと分かっているはず。余計な事はしないほうがいい」

 

『それはどうかしらね』

 

 この時、不可視の鎧を纏っていたラムダが宇宙空間の常闇に姿を晒す。

 

 その意味を理解してジオは《ラクリモサステイン》の自律兵装を自分の周囲へと呼び戻していた。

 

「どういうつもりか」

 

『交渉条件に移るのには充分でしょう? あなたは私達がどこに行こうと分かる術を持っている。そして、目的はそれなのは明白』

 

《ゲシュヴンダー》の一機が銃口を向ける。

 

 真空の闇へと晒されたのはカプセルであった。

 

 その中で息づく存在が、自分へと命じる。

 

『何をしている、ジオ・クランスコール。ここに居ると言っているだろう』

 

「人質作戦とは、程度が知れる」

 

『どうとでも。私達としても想定外の拾い物なのよ。どうかしら? 交換と言うのは』

 

「我が方は貴官の船を墜とすように命を受けている。ここで交換と言うのは命のやり取りか」

 

『そう難しい事じゃないでしょう? 我が艦の安全と、人質の交換を条件とする』

 

「安全とは。なかなかに言ってくれる。ここでそちらを逃す利がない」

 

『どうかしら? 例えば主砲の照準を少しでも向けるか、あるいはカプセルに一ミリのデブリでもぶつかれば、簡単にこの内側の存在は死ぬ事でしょう。それを容認出来る立場?』

 

 長丁場に持ち込めばその分不利になるのはこちらなのだと相手は理解している。

 

 ジオの思考は一秒未満の決断であった。

 

「了承した。《ラクリモサステイン》で人質の交換と、そちらの安全な航路を保証する」

 

『マーシュ艦長、相手の動き次第では……』

 

《ゲシュヴンダー》のパイロットもそれなりのやり手ではあるが、この状況では自分の機体に比肩しないのは何よりも先ほどの打ち合いで理解出来たはず。

 

 よってそれ以上に接近してこないのは、交換条件の無意識下での飲み込みであったのだろう。

 

「ただし、それ以外の交換条件は聞き入れない」

 

 艦の直上より舞い降りたのは王族親衛隊の《パラティヌス》部隊だ。

 

『……今の今まで気配を悟らせない……?』

 

「言っておく。マグナマトリクス社の光学迷彩は既に解析されて久しい。我が方も重宝している」

 

『……交換条件が聞いて呆れる……!』

 

《ゲシュヴンダー》の殺気が向かいかけたのを、ラムダの艦長が押し留めていた。

 

『待ちなさい、イリス。ここは静観しましょう』

 

『でも、艦長……!』

 

『……お願い。第一の聖獣が墜ちたのよ。少しは命を大切にする姿勢が必要になってくる』

 

『賢明に映るぞ、ラムダの艦長。大佐、重要人物の確保は完遂しました』

 

 腹心の部下の声に、ジオは撤退機動の命令を下そうとして、ダーレットチルドレンの声に阻まれていた。

 

『待て、ジオ・クランスコール。奴らに思い知らせるのだ。我々を害した罰を』

 

「どうしろと言うのです」

 

『――第一の聖獣の心臓をお前が手に入れろ』

 

 その命に仮面の下でジオは眉を僅かに跳ねさせる。

 

「それはご命令ですか」

 

『そうだ。目の前にある聖獣の心臓、ここで退いて相手にくれてやる旨味もあるまい』

 

「しかし、外交的取引が成立した以上、それは簒奪者の行いです」

 

『よいではないか。我々は全てを手に入れ、そして彼の者達は全てを失うのだ。これは勅命である』

 

 そう命じられてしまえば、自分に否定する術はない。

 

「了解しました」

 

 ミラーヘッドビットを周囲に展開しつつ、《ゲシュヴンダー》が保護する聖獣の心臓へと肉薄する。

 

 内側で無限の流転を繰り返す漆黒の心臓部へと、この時行った事は少ない。

 

 ミラーヘッドビットで撃ち抜くと同時に、《ラクリモサステイン》を接触させる。

 

 途端、自身の自我境界線が無数に分裂していた。

 

 肉体が意味存在を失い、全ての意識が剥離する。

 

 だがその状態は長くはない。

 

 直後には、《ラクリモサステイン》のコンソールには聖獣の心臓を手に入れた権能が、まるでさも当たり前のように表示されている。

 

「概念の書き換え、そして事象の占有か」

 

『こいつ……! 《ファーストヴィーナス》を喰ったって言うのか……!』

 

 突きつけられた銃口に対し、ジオは振り向けた殺意にも満たない感情をミラーヘッドビットに電荷させる。

 

 瞬間、黄金の色相を帯びたミラーヘッドビットが質量兵装の意義を伴わせ、《ゲシュヴンダー》の持つビームライフルを貫いていた。

 

『これは……《ファーストヴィーナス》の力……?』

 

 応戦の頭部バルカン砲から機体を保護したのは、ミラーヘッドビットに付与された黄金の障壁である。

 

 まさに――その力は鉄壁。

 

 一ミリの世界でさえ、徹しもしない世界の中で、いやに醒めた意識でジオはミラーヘッドビットを手繰る。

 

 障壁を構成しつつ、別のミラーヘッドビットが幾何学に機動し、《ゲシュヴンダー》を瞬きの間には包囲していた。

 

『……は、速過ぎる……』

 

『これで充分であろう、ジオ・クランスコール。帰投する。聖獣の心臓を我々が手に入れた事で、情勢は動く。地上勢力は後回しだ。まずは宇宙での力の誇示を行う』

 

「しかし我が方は相手を追撃出来ません」

 

『何を言っている? 別に約束を守る義理もない。どうせ、相手方も逆賊の徒だ。このまま殲滅してしまえ』

 

 そう命じられるのは分かり切っていたと言うのに、少しばかり人の湿っぽさを感じていた自分もどうかしているのだろう。

 

 あるいは聖獣の心臓を喰らった代償か。

 

 澄み渡った湖の如く醒め切った感情に、僅かに沁みた黒点のようなものだろう。

 

「仰せのままに」

 

 銃口を向けるや否や、相手からの声が飛ぶ。

 

『……外道に落ちると言うの。彼の万華鏡の名が泣くわよ』

 

「外道結構。我が方は最初から、この宙域には居なかった、記録にはそう記される」

 

『そう……。そちらがそのつもりなら、考えはあるわ』

 

 光学迷彩を纏い直すような暇を与えない。

 

 全方位より照準したミラーヘッドビットの光条が打ち砕くのには十全であったと言うのに――この時、ミラーヘッドビットは高重力の断絶現象に晒されていた。

 

 思考拡張で接続された思惟がざわめく。

 

「思ったよりも早かったな。いや、自分が時間をかけ過ぎたか」

 

『MF04……《フォースベガ》……』

 

 茫然とする王族親衛隊の《パラティヌス》の通信網に、再び放射された「断絶」の概念が牙を剥く。

 

《パラティヌス》は確かにかわしたはずであったが、その脚部装甲が裏返り、直後には「切断」されている。

 

『触れてもいないのに……か……?』

 

「否。あれは切断概念を物体に付与する。射程内であれば、勝利する方法は限りなくゼロであろう」

 

『大佐……。《パラティヌス》に対聖獣弾頭の使用許可を。あれは我々が総員で相手取る必要があるでしょう』

 

「いや、我々の目的はあくまでもラムダに囚われた人質の奪還。《ファーストヴィーナス》撃破は想定外であったが、これも戦果として受け取ろう」

 

『ジオ・クランスコール! 敵を撃破しろ! 殲滅するのだ!』

 

「いいえ、もう不可能です」

 

 ラムダは不可視の鎧を身に纏い、熱源光学センサーに切り替えるような余裕もない。

 

《ゲシュヴンダー》もいつの間にか撤退し、今の自分達へと明瞭な敵意を持っているのは遥か彼方に存在する《フォースベガ》だけだ。

 

「勝てない戦いはするものではありません。我が方だけでは現状、聖獣を相手取るのは難しい」

 

『貴様の力があるだろう……!』

 

「それもつい先ほど。ブーステッド2まで使用しました。次に使えるのはあと一回きり」

 

 こちらの報告にダーレットチルドレンは不承気に声にする。

 

『……問題があるようだな。我々の欠陥品と言うのは』

 

『大佐。撤退を進言いたします。これ以上……あなたがそのような言葉を吐かれるのは、耐えられそうにない』

 

 カプセルの持ち主は《パラティヌス》の部下だ。

 

 彼も分かっている身分のはずだが、今は自分への忠誠が勝っているようであった。

 

「衛星軌道上へと帰投する。その後に、追撃作戦があれば追えばいい」

 

《ラクリモサステイン》はバインダーを閉じ、繭のような形状へと変形して撤退に移る。

 

 大局で言えば、こちらの完全勝利には違いないが、それでも相手を逃したのは大きな禍根になるのは窺える。

 

「しかし、聖獣の心臓とは。思いも寄らぬ、とはこの事を言う。自分は、少しばかり世界の重量を背負うのにはあまりに脆い」

 

 どくん、とコンソール上の鼓動が脈打つ。

 

《ラクリモサステイン》と同一化した第一の聖獣の脈動はこの時、ジオにとって大きな世界の試練のようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『マーシュ艦長! そちらは無事か?』

 

 管制室に響き渡るザライアンの声に、マーシュは軽口一つで応じていた。

 

「逃げなかったのね、それはやはり宇宙飛行士の名に唾を吐く行為だから?」

 

『……逃げるわけがない……。僕は、もう誰も裏切りたくないんだ。自分の気持ちも……!』

 

「そう。でも、気を付ける事ね。広域通信は気取られかねない。ランデブーポイントX03で落ち合いましょう。既に《ゲシュヴンダー》から信号を発しているわ」

 

『……信用してもらっているわけではないのか』

 

「信用はしているわよ。それでも、聖獣の力に恐れをなしているクルーも数多いの。彼らのメンタルも考えなければいけないのが艦長の職務もである」

 

『……了解』

 

 暫時の沈黙の後に了承の声を返した相手に、マーシュは我ながら、と嘆息をつく。

 

「どこまで……人でなしに成ればいいのかしらね。ねぇ、メイア。あなたはこんな私を軽蔑するかしら」

 

『マーシュ艦長。《ゲシュヴンダー》全機収容完了。作戦は一時終了だ。……何を気にしているのかは分からんが、少しは気を休めるといい。こちらには損耗一つない。艦長の判断に間違いはなかった』

 

 整備班長の後半の声はプライベート通信であり、自分を慮ってのものだったが、マーシュにしてみればそれも辛い。

 

 彼らの信用と命を預かっている手前、弱音の一つも吐ける状況ではない。

 

「……ええ、お疲れ様……。《ゲシュヴンダー》はすぐに使えないと意味がないわ。整備を急いでちょうだい」

 

『あいよ。こっちも仕事はきっちりとこなすよ。通信終わり』

 

 管制室は静まり返っており、自分一人の存在を持て余すばかりであった。

 

「……メイア。こんな虚栄の頂、あなたはきっと、意味なんてないって言うでしょうね。だってこれは……あなたと見たかった景色じゃないもの」

 

『艦長へ。《ゲシュヴンダー》パイロットはこれより全員、ブリーフィングルームへと向かいます。相手は……聖獣の心臓を喰らいました。この意味を分かっているのは我々と、そしてザライアン・リーブス達だけでしょう』

 

「ええ、これより向かいます。……聖獣の心臓を手に入れる。それがどれほどの意味を持つとしても……ジオ・クランスコール。彼は我々にとって最も忌避すべき毒となった。それだけは……確かでしょうからね」

 

 誰の声もない管制室を、マーシュは後にしていた。

 

 残響の音色さえもなく、扉は冷徹に閉じられていた。

 

 



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第245話「惑星のエーリッヒ」

 

「どういう……意味だって言うんだよ、そりゃあ……」

 

 アルベルトだけではない、自分も絶句していた。

 

 まさか――ピアーナの口から永劫に失ったはずの名前を聞く事になるとは思ってもみなかったからだ。

 

「……ピアーナ、さん……ハイデガーさんの事……」

 

「憶えている、と言えば、それもまた違ってきます。わたくしにこの変調がもたらされたのは、クラビア中尉に同期処理を邪魔された事、そして《アルキュミアヴィラーゴ》のアイリウムを手離した事が原因でしょう」

 

「え、俺……っすか?」

 

「いや……オレ……マテリア?」

 

 茫然とするアルベルトとダイキを他所に、浮かび上がったアイリウムの結晶たるマテリアは肩を竦める。

 

『“そのような事例のデータはありません。何かの勘違いでは?”』

 

「いいえ、そのはずなのです。だってわたくしは……あの場所で、貴女と出会い、そして別れた。《アルキュミア》の中に、貴女を遺して……」

 

「ちょっ……ちょっと待ってくれ! じゃあ何か? 五十年も前に……カトリナさんが言っていたハイデガーって言うのが居たって? それはちょっとおかしいぜ!」

 

 アルベルトは混乱しているのか、それとも信じられないのか、途方に暮れているようであった。

 

 自分でももしハイデガーの記憶がなければ信じる事も出来なかっただろう。

 

 しかし、ここに来てハイデガーの名前と存在、そして自分のよく知る名前が出てきてカトリナは当惑をどうにかするだけでも必死であった。

 

「……だってテトラって……それは私の……お婆ちゃんの名前ですよ……?」

 

 こちらの疑惑にピアーナは真正面から黄金の瞳を向けてくる。

 

「その通りなのです。テトラ様は……カトリナ様のお婆様。それを……わたくしは今の今まで忘れていた。いいえ、封殺されていたのです。他でもない、ハイデガー様の手によって」

 

「……待ってください、リクレンツィア艦長、それじゃ都合が合わない。ハイデガーとやらは何をしたって言うんです? 今まで話を聞いた限りじゃ、エーリッヒとか名乗って艦長を困らせていたようにしか……」

 

「あのお方は恩人なのです。それ以上に……わたくしにとって欠ける事のないピースのはずであった。でも、忘れていた。その功罪を……わたくしは今こそ受けるべきなのでしょう」

 

「……話して……くれるんですよね……?」

 

 ピアーナの過去に隠された秘密は、この来英歴を開くための鍵のようであった。

 

 彼女はその手を伸ばし、自分の首から下げている黄金の鍵を握る。

 

「……ダレトの鍵。これがここにあると言う事は、ハイデガー様はその目的を完遂されていると言う事です。わたくしは、貴女にこれを伝えるべく、宇宙の深淵を何十年も漂っていた……」

 

「そこも分からねぇよ、ピアーナ。何だってお前は……救命ポッドに乗っていたんだ? あの時点でカトリナさんの事も、何もかも分かっていたのか?」

 

 アルベルトの詰問にピアーナはゆっくりと頭を振る。

 

「いいえ……あの時はまだ記憶に封がかかっていた。ですが今、ハッキリと分かります。ハイデガー様はわたくしに、ベアトリーチェと、そしてカトリナ様を護るように、使命を与えてくださったのだと」

 

「……あの、俺、ちょっと頭がこんがらがっちまって……。後から話聞いてもいいですか?」

 

 ダイキのギブアップ宣言にピアーナは嘆息をついたが、その眼差しは別の通信回線を開いていた。

 

「聞いているのでしょう? エージェント、クラード。貴方にとっても関係があります」

 

『……俺にとっては無意味だと思うがな』

 

「貴方が五十年前にハイデガー様を跳ばした、いいえ、送り込んだ。それこそが全ての始まりであり、そしてダレトを繋ぐ呪いでもある」

 

 音声のみで回線をアクティブに設定したクラードの顔色は窺えない。

 

 それでも、彼だって戸惑っているはずだ。

 

 自分が消し去ったはずのハイデガーが生きており、なおかつ時間遡行を行ったなど。

 

 にわかには信じ難いだろうが、それだけの性能をもし、《ダーレッドガンダム》が持っているのだとすれば、聖獣の力はあまりに強大。

 

 きっと、クラードだけでは背負い込み切れないだろう。

 

「……ピアーナさん。聞かせてください。ハイデガーさんは、どうなったんですか……」

 

 ピアーナはゆっくりとした語り口調で言葉を継いでいた。

 

「……地上のテスタメントベース、そこでわたくし達は、つかの間の平穏を……享受する事になりました――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やーい! ヴィルヘルム先生の間抜けー!」

 

 そう囃し立てられて、ヴィルヘルムはいつもの渋面に煙草を取り出して深く呼気を吸い込んでいるようであった。

 

「……エーリッヒ。君の子供は少しばかり正直が過ぎるな」

 

 テトラが抱いた我が子に、ハイデガーは当惑していた。

 

「そう言わないでくれ。ここじゃないと生きられないんだ」

 

「……しかし、子供を作るなとは言っていなかったが、君らは正気かね?」

 

「ヴィルヘルム先生が堅物なだけでしょー? 男女が居れば普通ですよー」

 

 テトラの返答に心底参ったように、ヴィルヘルムは後頭部を掻く。

 

「……子供は苦手だ。図々しくって」

 

「そうでもないんじゃないか。きっと、あなたも子供を持つ時が来る」

 

「そんな事はこの世がひっくり返ってもないと誓うがね」

 

 紫煙をたゆたわせるヴィルヘルムに、ハイデガーは未来の事など誰も分からないのだと実感する。

 

 こうして――テトラと子供をもうけるなど、誰が予想出来ただろうか。

 

 彼女にしてみれば一生軟禁状態なならば、それくらいは構わないと言うスタンスであったのが自分としては意外であった。

 

 焦がれ続けた面影を持つ女性に恋愛感情を持つのはさほど時間がかからなかった気がする。

 

「……して、エーリッヒ。君へと数度、アクセスしている連中の洗い出しが完了した」

 

「危ない綱渡りをするな……」

 

「間借りしているのはお互い様だ。わたしとしては家族と言うものにはさしたる興味もないのだが、子供はもう五才だろう。そろそろこの状況が異常なのだと、理解し始める頃合いだ」

 

 ヴィルヘルムの言葉通り、外部と完全に隔絶されたテスタメントベースでは、いつ自分の息子もその違和感に勘付くか分からない。

 

 否、それ以前に、何のために自分はこのような境遇であるのかを嘆くであろうか。

 

「……テトラ、ちょっとヴィルヘルムと話してくる。ここには……プライバシーがあるようでない」

 

『“ちょっと! それはわたくしの事を言っているのですか?”』

 

 突っかかって来た電子知性体の声にハイデガーはため息をつく。

 

「……頼むから少しは大人しくしてくれよ。同期処理は?」

 

『“つつがなく。それにしても、よかったんですか? ピアーナ、彼女に他の職務は任せて”』

 

「元々、翻訳作家としての栄光は彼女のものだし、それに僕は他にやるべき事がある。そのすり合わせを行わないといけない」

 

 ピアーナは電算椅子に座り込み、今も高速で情報をさばいている。

 

 彼女ほどのライドマトリクサーでなければ出来ない芸当だ。

 

 ハイデガーはその額へとそっと触れ、静かに声にする。

 

「頼んだよ、ピアーナ」

 

「……ハイデガー……様?」

 

「悪い、起こしてしまったか」

 

 ピアーナはヘッドセットを上げて自分を認めるなり、笑顔を向ける。

 

「ハイデガー様、現状でもネットワークの構築速度はテスタメントベースが優位です。何もここまで急がなくってもいいのでは?」

 

「いや、そろそろ動き出す手合いが出てくるだろう。ピアーナ、君には翻訳も任せている、負担になっているかもしれないが……」

 

「構いません。あたし、ハイデガー様のお役に立ちたいんです……」

 

 いじらしいまでの言葉にヴィルヘルムが茶化す。

 

「よかったじゃないか。懐いてもらえて」

 

「……その言い草は卑怯だよ」

 

「それにしても、最近はそういうのがトレンドなのか? 自らの技術結晶を結婚指輪代わりに渡すなんて」

 

「あら? ヴィルヘルム先生、嫉妬ですか? 男のそれは見苦しいですよ」

 

「見苦しいぞー、ヴィルヘルム」

 

 テトラと息子に言い返されて、ヴィルヘルムは頬を掻く。

 

「そこまで言うんなら気に入っているんだろうな。ここが秘匿された場所だからと言って、結婚指輪を買えなかった事を後悔しても知らないぞ」

 

「別にいいんですよー。あなた、これ、大事にしますから」

 

 テトラの首から下げられているのは黄金の鍵であった。

 

 照明を照り返すその鍵はどこに通じているわけでもない。

 

 ただ、自分の愛情を形として残すのに、適切なものを他に知らなかった、不器用なだけの代物だ。

 

「……君も趣味が悪い。結婚指輪くらい買いに行った」

 

「そう言われてしまえばそこまでだが、僕も男なものでね。妻には……自分の愛の形を示したかった」

 

「ノロケかい? 受け付けないよ」

 

 軽口を返すヴィルヘルムと共に向かったのは他の介入を拒む完全な秘匿環境であった。

 

 自分のような全身RMでも、この部屋では権能の一部でさえも使用出来ない。

 

 暗く沈んだ部屋の中で、ヴィルヘルムは本日何本目か分からない煙草に火を点けていた。

 

「……禁煙出来ないのか?」

 

「持たないんだよ、何もかも。それで? 結果はどうなっている……なんて聞くまでもないか。君の言う“確定された未来”とやらに近づきつつあるのだろう?」

 

「……幾度となく、交信を試みてきた。その結果が……僕のよく知る来英歴へと少しずつ近づいている。これが何を意味するのか、情報を共有したい」

 

「時代の不可抗力が働いている可能性もある。どうあっても、どう足掻いてもそのように成るのだと規定された時間軸が存在し、君はその中で足掻くだけの道化だ」

 

「それならばまだいいさ。問題なのは、僕はピアーナを助けた。そして……テトラとも子供を作った。これがどういう意味になるのか、まだ分からないんだ。結果がまるで見えない」

 

「全能を気取った存在にしては謙虚な末路じゃないか」

 

 エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの名を持つのにしては、あまりにも脆い未来への道筋なのかもしれない。

 

 だが、着実に知っている技術は現れつつある。

 

「地球連邦軍が推し進める……新型機動兵器のテストベッド、耳にはしているだろう?」

 

「ああ、確か……《エクエス》とか言っていたか。現状課題としてあるのは、あまりにも燃費が悪い事と、動力部の相性らしい。このままでは道楽技術で終わるか」

 

 その技術が世界を一変させるのだと、ヴィルヘルムはまるで信じていないようであった。

 

「モビルスーツの技術は数十年後に意味を持つ……。僕はそれも込みで、考えを巡らせたい」

 

「そう言えば乗って来た機体、解析するのはどうやら企業になるようだな。統合機構軍……と、企業連は手を組んで叡智を得ようとしている。あれに関してはいいのか?」

 

《レヴォルテストタイプ》はあの後、テスタメントベースからの交渉材料に用いていた。

 

 その勝ち馬にいち早く乗ろうとした企業の名を、ハイデガーは忌々しげに呟く。

 

「……エンデュランス・フラクタル、か」

 

「新進気鋭の会社だろうじゃないか。元々傭兵業で成り立ったPMCくずれではあるが、それなりの技術力は保障されている」

 

「……その技術力が、問題でもあるんだがな……」

 

 しかし彼らと取引するのは明らかな利益をもたらしていた。

 

 ヴィルヘルムは煙草を灰皿で揉み消し、何でもない事のように口にする。

 

「全身RMへの理解、差別の撤廃、それを一流上場企業がやれば、少しはこの腐った世界は変わる……エーリッヒ、君はピアーナを救うためだけに存在していいのか?」

 

「構わない。僕の命は彼女に投げたも同義だ」

 

 即答に、ヴィルヘルムは天井を仰いで大きく呼吸を吸い込む。

 

 煙い吐息が舞い上がり、ただでさえ手狭な室内を埋め尽くして行った。

 

「……分からないのはそれもある。来英歴が辿るべき宿命が、確か君の手に入れた栞に集約されていると言うのも」 

 

 ヴィルヘルムは梱包された白銀の栞を取り出す。

 

「解析は? どこまで分かった?」

 

 その問いかけに彼は肩を竦める。

 

「何も分からなかった、が結論だ。君の言う蒼い戦場とやらは観測されなかった。それ以前に、この栞に何らかの処置が施されているとすれば、我々よりも以前の人間の仕業と言う事になる」

 

「……納得するのには少し足りない、か」

 

 ヴィルヘルムは煙草のパッケージの底を叩き、新たに一本くわえていた。

 

「なぁ、君は何故、このテスタメントベースで生きていく事を選択した。話の限りじゃ、ピアーナを守るためだけにしては大仰が過ぎる。別に誰も知らない土地に降り立てばよかったじゃないか。あの巨人にはそれが出来た。だと言うのに、この場所を選んだ理由を聞かせてくれ」

 

「……将来の話になるが、テスタメントベースは地上と月で二ヶ所建造される。その時、月のテスタメントベースの意味と同一の価値を持っていなければこの場所は封鎖されるだろう」

 

「月面にこの場所を、か。何の意味があって……と言うのは愚問だな。君の言う、ダレトとやらか」

 

 ハイデガーはヴィルヘルムの映し出した投射画面の宇宙空間の定点映像を凝視する。

 

 まだ、ダレトは出現していない。

 

 だが確実にこの世界に風穴を開けるはずだ。

 

「……君の言うワームホール、超空間の形成と、そしてそこから現れるとされる、モビルフォートレス――聖獣と呼ばれる事になる未知の存在。どれもこれも荒唐無稽だと断じてもいいが、あまりにもよく出来過ぎた創作は創作とも呼べなくなる。嘘はもっともらしい事実と同時に語るものだ。そこまで話せれば、もうそれは近い世界の真実なのだと理解するしかない」

 

「……空に、大虚ろが開くのもそう遠くない。もしその時、対応出来るだけの能力を持っているのだとすれば、それだけで違ってくる。運命は、土壇場まで分からない」

 

「運命は分からない、か。全能者を名乗っておいてそれは情けないとも呼ぶ。君は何のためにこの来英歴を試したい? 《レヴォルテストタイプ》の解析を企業に投げたのも、そしてわたしと手を組んだのも全て、未来への投資だと言うのならば、少しは教えてもらえないだろうか? 君の目論みとやらも」

 

「目論みなんて、大層なものじゃないさ。ただ……優しい未来が欲しいだけだ」

 

「優しい未来か。理想論だな。それだけでは回らない。……言っていなかったが、わたしはエンデュランス・フラクタルの招待を受けている」

 

 初耳の言葉もそれとなく受け入れられるのは、この数年間で築き上げた信頼感もあるのだろう。

 

「そう、か……。統合機構軍に配されるか……」

 

「残念に思ってくれているのは分かる。だが、わたしは自分のような技術者くずれが彼らの力になるのは必定だとも思っている。人でなしがこれから先に必要になって来るのだろう。その時代の到来に、誰も抗えないのと同じに」

 

「誰も抗えない、時代の波、か……」

 

 呟いてから、ここまでの道筋を思う。

 

 テトラとの息子に、ピアーナの成長。

 

 どれを取ってもあのまま燻ぶるばかりであった自分には持て余すだけの幸福だ。

 

 しかし、分かっている。

 

 自分は、幸福なんて長く続かない事を。

 

「……テスタメントベースの研究主任は? どうなってしまう?」

 

「君達と、そしてピアーナに任せたい。これから先、わたしは宇宙の職務になる。テスタメントベース内部でいつまでも引きこもっても居られないわけだ。嫌にもなるよ」

 

「どういう職務なんだ? 少しは友人のよしみで教えてくれないか?」

 

 ヴィルヘルムは煙草をくわえた口角を緩め、つまらない事さ、とぼやく。

 

「何でも、これから先の時代を創る、新進気鋭の者達の教育、いいや、そんな綺麗な言葉じゃないな。君にならば、その全容を語ろう。戦災孤児達を寄り集め、洗脳教育を施す。それがエンデュランス・フラクタルだけじゃない、統合機構軍全体で足並みを揃える“エージェント計画”だ」

 

 エージェント――紡がれたその名称にハイデガーは震える。

 

「……まさか。だとすれば、ここが始点か……?」

 

「どうした? まさか未来の変動値に意味でもあったか?」

 

「……いや、確定じゃない。だから何とも言えない……。すまない、僕は全能者を気取っておいて何も言えないなんて……」

 

「そうでもないだろう。君の肉体に端を発しているライドマトリクサー先進技術。そしてそれを流用した、義肢と機械との伝導。“思考拡張”と呼ばれるようになるとされている技術をこの時代にもたらせたのは大きいはずだ」

 

 思考拡張の基礎理論をヴィルヘルムへと語ったのは、何も五十年後の彼への意趣返しと言うわけでもない。

 

 ただ、必要であると感じたからだ。

 

 これからの来英歴を辿っていく者達へのある意味ではギフト。

 

 福音になるのならば、それに越した事はない。

 

「僕のような末端でもどうにかなるのなら……それを救いと見るか呪いと見るかだけの違いだよ」

 

「末端、か。あと数十年後には君のような存在が跳梁跋扈する。恐ろしい時代が来るものだ。しかし、わたしは歓迎したい。君達のような存在こそが、未来を切り拓く鍵だと」

 

「……随分と殊勝になったものだな」

 

「何だ? 未来のわたしと痴情のもつれでもあったのか? たまに君は分からない事でわたしを責めるな」

 

 互いに目線を交わし合って笑い合う。

 

 ここでは憎しみなんてものは意味がない。

 

 何よりも――この時代のほうが自分は自由に生きられていた。

 

 あれだけしがらみに囚われ、そして憎悪ばかりを膨らませていた「ミハエル・ハイデガー」と言う人間は、過去に救われる事になるなど思っても見ない。

 

「……笑うかもしれないが、僕は君達を恨んでいた。だって……あの時代では誰一人として特別ではなく、そして誰一人として繋がっていた。でも、僕は孤独なのだと……生きている価値なんてないんだと、思い込んでいたんだ……」

 

「生きている価値、か。それはしかし、付与価値と言うものだろう。誰かから与えられない限り、役割なんてものに集約はされないものさ」

 

「……かもしれない。僕は、大事な事をまだ――」

 

 そこで自分の言葉を遮ったのは爆発の音響であった。

 

 ヴィルヘルムと視線を交わし合い、部屋から出た瞬間に飛び込んできたのは武装を固めた部隊である。

 

「連邦保安局より、勅命である。テスタメントベース研究主任、イヴァン・クーンド主任研究員はどこか」

 

「イヴァン……一体誰だ……」

 

「失礼。偽っていたな。それはわたしの名だ」

 

 ヴィルヘルム――イヴァンは前に歩み出て自分を制する。

 

 連邦保安局の職員らしい物々しい人々は自分達を包囲し、銃口を向けて牽制する。

 

「……大丈夫、大丈夫だから……」

 

 テトラが必死に息子を守ろうとする。

 

「で、これはどういう了見かな。テスタメントベースはわたしの管轄下だ。如何に連邦保安局とは言え、汚い足で踏み潰していいものじゃないはず」

 

「それは本日の連邦法改正により、廃止された。貴君はこれより、連邦法に則って捕縛される」

 

「捕縛……? 彼が一体何をしたって言うんだ……!」

 

 隊長らしき者が自分を一瞥するなり、ふんと鼻を鳴らす。

 

「エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーだな。そちらにも複数の罪状がかけられている。連邦法により、その身柄を確保させてもらう」

 

「……横暴だ! そんな昨日今日の法律で、ここは超法規的機関だぞ……!」

 

「人類の遺産とでも言うつもりかね? それはもう通らない。非人道的処置と技術のオープンソース化と、そしてこのテスタメントベースを永劫に封印する事で、未来への展望とする」

 

 明らかにそれは何者かの作為が見え隠れしていた。

 

 しかし、今の自分達には何も出来やしない。

 

「……僕達を足蹴にするって言うのか……」

 

「苦言に対し今は統制しないが、いずれ法に背く。要らぬ口は控える事だな」

 

 統制――幾度となく未来で聞いてきた言葉は、この時に呪縛として作用する。

 

 最早、動き始めているのだ。

 

 時代のうねりは止められない。

 

「……そうか。踏襲銀河連邦……もう片鱗を」

 

「失礼……。何故、その名を知っている? お得意のハッキングかね?」

 

「……読むまでもないさ。お前らのやり口は……いつだってそうだって言う話だ」

 

 隊長格は自分へと歩み寄るなり、腹腔へと拳を見舞っていた。

 

 ただの鉄拳ならばいなすまでもなかったが、その拳はライドマトリクサーを麻痺させる電撃を伴わせている。

 

 この時代の技術でも、明らかに自分への牽制に相当する代物にハイデガーは膝を折っていた。

 

「ハイデガー様……っ!」

 

 駆け寄ろうとしたピアーナを顎でしゃくっただけで部隊員が捕縛する。

 

「禁忌の技術体系の一つであるピアーナ・リクレンツィアは我が方で裁く。貴君の身柄の安全は我らが保障しよう」

 

「……どの口が……!」

 

「従えぬのなら、死、あるまでだ」

 

 ハイデガーは丹田へと力を込め、隊長格を吹き飛ばしていた。

 

 戦闘用に調整された腕が現出し、ナイフ以上の切れ味を誇る手刀がその首筋に添えられる。

 

「来るな!」

 

 ハイデガーは身を焼く憤怒に駆られながらも、冷静に事の次第を観察する。

 

 ヴィルヘルムは従おうとしている。

 

 恐らく、ここで逆らったところで意味がない事を悟っているのだろう。

 

 ピアーナをしかし、彼らのものにさせるわけにはいかない。

 

 彼女はようやく自由に生きられる翼を得たのだ。

 

 だと言うのに、それをもぎ取るような真似など、許すわけにはいかない。

 

「……僕に……いいや、我に従ってもらおう。我が名は――エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。絶対者である」

 

 ならば――精一杯虚飾を「取り繕え」。

 

 今まで散々やって来ただろう。

 

 演じるのだ。

 

 この場で余裕ある佇まいを。

 

 そして、皆を救うために。

 

「……詭弁だ。聞き入れるな」

 

「それはどうかな」

 

 ハイデガーはテスタメントベースの映像中枢へとアクセスし、自分の記憶野に存在する記憶を、ただ投射してみせた。

 

 そう、単純にこれから到来する時代を見せつけただけだ。

 

 ライドマトリクサーの技術としては末端もいいところ。

 

 しかし、人々は神託でも得たように絶句する。

 

 何故ならばそれは――未来に起こり得る煉獄の戦場そのものだからだ。

 

「……神様……」

 

 膝を折り、祈りを捧げ始める者達にとって、それは間違いようもなく預言者の遺すそれであったのだろう。

 

「惑わされるな! ただの映像投射だ!」

 

「果たして、そうであるかな。我は……全てが分かる。分かるからこそ、貴様らを裁く事も出来る。自分がいつ死に、どこで子を成し、そしてその子孫はどこで途絶えるのか。知ってみるのも悪くはあるまい」

 

 中には半狂乱になる者も居た。

 

 未来視を実現する自分という存在に、自我が持たないのだろう。

 

「騙っているだけだ! この者は神ではない!」

 

「ではどう説明する? いずれこの場所も燃え尽くされ、世界は蒼い残像を誇るブリキの死神達で満たされる。その時、自分の死に様くらいは描きたいだろう?」

 

「耳を貸すな! 思考拡張技術とやらだ!」

 

 だが、この時代の者達にとって解明出来ない技術はそれだけで神秘足り得る。

 

 神秘を前に、人はどうして来たか。

 

 蹲り、過ぎ去るのを待ってきたか、あるいは意味づけをしてきただけだ。

 

 かつて、嵐や災害に、聖なる獣を見て来たのが人類であるのならば、ここに居る者達が見ているのは神話の世界の再現であろう。

 

 預言者達は、こうして世界の神秘を下々にもたらしてきた。

 

 その叡智に、無知蒙昧なる者達は傅くしかない。

 

 この場で、自分相手に銃口を構えるような勇猛なる者は存在しなかった。

 

 ハイデガーは一歩歩み出し、眼前の相手を突き飛ばす。

 

「……この者を裁け」

 

 その言葉に誰となく、それでいて全員が集合無意識に囚われたかのように。

 

 拳銃が、ナイフが振るわれ、隊長格へと暴力の発露が向かっていく。

 

「やめろ……やめろと言っている! 貴様ら……何をしているのか分かって……!」

 

 もう遅い。

 

 暴力は一度振るわれてしまえばその行方を辿るまでもなく。

 

 そして、その末路を関知するまでもなく。

 

 血飛沫が舞い、呼吸を荒立たせて生き残った者達へと、ハイデガーは神託を下す。

 

「我の言うようにしておけば、地獄で亡者の苦しみを味わわずに済む。その一端でも理解出来たか?」

 

「……エーリッヒ……君は……」

 

「ヴィルヘルム……いや、イヴァン・クーンド。貴公は統合機構軍へと赴け。そこが終生において意味を成す」

 

 そして、今の自分はピアーナと愛する妻と息子を、まるでゴミのような眼差しで射抜き――。

 

「その者達を解放せよ」

 

 人々が道を開けていく。

 

 かつて、海を割った偉人はこうして世界を渡る術を持ったのだ。

 

 世界を崩壊させる術は、解明されぬ神秘の域であり、そして人界を稲光で打つ。

 

 その一撃は――世界を揺るがす一撃に違いない。

 

「……あなた……」

 

「行け」

 

 一言で離別は果たされていた。

 

 これで分からぬほど、テトラは聞く耳を持たない女ではない。

 

 彼女はまだ幼い子を抱え、そうしてピアーナの手を引いていた。

 

「……行きましょう」

 

「待って……待ってください……ハイデガー様! ハイデガー……様……っ! あたしを置いていくんですか! みんなを……救ってくれるって、助けてくれるって……! あなたはそう言ってくれたじゃないですか! あの日……あの夜にあたしのために動いてくれた人は……だってあなたでしょう……!」

 

 分かっている。

 

 これは明瞭な、彼女への裏切り行為。

 

 だが、これしかない。

 

 愚かしい自分はこれ以上の最善策を思い至らない。

 

 全能者を騙れ。

 

 預言者として偽れ。

 

 そうでしか救えない。

 

 そうでしか――彼女らの未来はない。

 

 ハイデガーはゆっくりとピアーナへと歩み寄り、その手に栞を握らせていた。

 

「……これ、は……」

 

「ピアーナ。僕は幸せなんだ。君が生きていてくれる。どんな形であれ、僕らはもう一度出会う。そのために……僕とこの時代で出会ってくれた。それが何よりも……嬉しい。だから、お別れだ。君の記憶を封印する」

 

「……いや……っ、嫌ですっ……。なんで、なんで……あなたの事を忘れないといけないのですかっ! あなたの事だけは……忘れたくないのに……っ。何でそんな事を……」

 

「それが君のためなんだ。……カトリナさんとクラードを……助けてあげて欲しい」

 

「……カトリナ……クラードとは、一体誰の……」

 

「全ては忘却の彼方に。――眠れ」

 

 ピアーナの記憶中枢へとアクセスし、その人格データへと介入する。

 

 上書きするのに使ったのは、テスタメントベースの情報知性体であった。

 

『“……本当に、いいんですの? わたくしのデータを用いての人格改変なんて……”』

 

「構わない。君はピアーナを救ってくれる。だって、僕はもう知っているんだ。君達はいいパートナーになれる」

 

『“……答えられるかどうかは分かりません”』

 

「それでも。未来に希望を投げたい」

 

『“人はそんな顔をするのですね”』

 

 そう口にされて頬を流れる熱を感じていた。

 

 こんな土壇場になって人の心なんて要らなかったのに。

 

 だと言うのに、運命は。

 

 この時間軸との自決と、そして「エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー」として生存させる事を強制させる。

 

「……ああ、そうかもしれない。だって……人間は痛み以外で泣ける、唯一の生き物なんだ」

 

 そんな誰かの物真似のような言の葉で、ピアーナを送り出す。

 

 連邦保安局の人々は戦々恐々として、自分の行いを眺めていた。

 

「……我はこれより、地上のテスタメントベースを司る。“惑星(ほし)のエーリッヒ”としての言葉だ。聞けないものは居るか?」

 

 賢人の声音を前にして誰も抵抗出来ないはずだ。

 

 やがて撤退して行った人々の残滓を感じ取る前に、ぽつり、と滴がテスタメントベースの銀盤へと降り始めていた。

 

 静かな雨音を奏で、揺籃の時代は終わりを告げていた。

 

「……序幕はここまで。カーテンコールの時に……僕一人じゃ……何が出来るって言うんだ……」

 

 全てが消え去ってから、孤独感が苛む。

 

 全てを失ってから、虚無感が押し寄せる。

 

 それでも――耐えねばならないはずだ。

 

 自分は“惑星(ほし)のエーリッヒ”。

 

 時代を超える賢者の一人であり、来英歴を壊すのではなく、創り上げる存在。

 

「これより、我が叛逆を行う。時のいや果てまで、この命を実行しよう。我の意味は、ここに集約するのだから」

 

 そして――ただのヒトに過ぎなかった己は、時を超えた――。

 

 



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第246話「千年のユメ」

 

「――それがあなたの、千年の夢(ユメ)か」

 

「“幻想(ユメ)”だよ。嗤えばいい」

 

 嗤えるものか。自分はその一端を思い知っただけ、幸福なのだろう。

 

 ヴィクトゥスは栞の意味を問い質していた。

 

「……ではこれは、あなたより前の何者かが遺した……」

 

「今の世界でもその呪縛が解けないのだとすれば、ともすればそれこそが、我の求め続けてきた世界を開く鍵――ダレトの鍵である可能性が高い」

 

「ダレトの鍵……とは……」

 

「妻に預けておいた。いずれ、カトリナが……孫娘が生まれた時にそれを渡せと。数十年前に発見された技術結晶だ。儂なりに世界を解析し、来るべきダレトの到来を予感して、創り上げてきた防波技術。この世界の強制力に唯一抗う、ヒトが持つ魂の術」

 

「……そうか。カトリナ・シンジョウが持つ、黄金の鍵。あれはそのような意味を……」

 

「貴君が持ってきた白銀の栞と意味存在は同じだが、この先の未来で何が起こるのかは不確定だ。儂はもう――生きていない事になっている」

 

「自らの死を偽装しなければ、あなたの奥方の身も危うかった。心中、お察しする」

 

「言うな。慣れている」

 

 そう、心底慣れてしまった――否、慣れて疲れ果てたその背中にヴィクトゥスは自分の決意を告げる。

 

「私は、それでもクラード君と、巡り会わせてくれたあなたに感謝しかない。あなたが居なければ、今日のクラード君の刃の冴えはなかっただろう」

 

「クラードを……この日まで自分は、憎み切れなかった。それは己自身の愚かさの証でもある。そして未来に、儂は賭ける事にしたのだ。自分では到底届かない、その先へ。最早、何もかも遠い出来事よ」

 

 エーリッヒにとってそれはしかし偶発的に訪れた贖罪の道であったに違いない。

 

 彼は、自分の犯した罪の重さを、五十年の月日で思い知り、孤独の果てを描いたのだ。

 

「……私は憶測でしか物を言えない。だから、これもあなたの痛みの一端にさえ触れられないだろう。だが、あなたは人類を、ひいては他の者を愛するだけの心があった。少なくとも、愛がなければ、こんな場所まで来る事は出来なかったはずだ」

 

「それも、儂は知るのにここまでかかった。どうか、時間とそして愛した者を置き去りにしてまで責務を果たそうとした儂を軽んじてくれ。もう、意味などない。貴様が来た時点で、儂の運命は終わっている」

 

 自分が偶然にもピアーナの部屋で栞を見つける事も、ともすれば組み込まれている事象の一つなのかもしれない。

 

 それでも、人間は運命を踏み越えてこそ強くなれるのだ。

 

 エーリッヒはそれを成し遂げた。

 

 ゆえにこそ、クラードと、そしてカトリナは今、生きている。

 

「あなたの人生には祝福があった」

 

「言うようになったではないか。黒き旋風、グラッゼ・リヨン」

 

「失礼ながら、もう捨てた名です。今の私はただの敗北者、よってここに、あなたの意志を継ぎたい。敗者には敗者なりの意地がある」

 

「儂の意志を継ぐ、その意味を分かって言っているのだな?」

 

「もちろん。この終わりの淵にある世界を、救えと言うのでしょう? 月にあったと言うテスタメントベース、その意味も今ならば分かる。来英歴は終わりに佇みつつある。終末の世界でしかし、自分の力はあまりにも足りない」

 

「分かっていて、論じているのだとすれば大したタマだ。よかろう、持って行け。儂からの餞別だ」

 

 エーリッヒがその手を端末に翳す。

 

 すると、テスタメントベース中枢の地下より引き出されたのは漆黒の機体であった。

 

 その独特の鋭い頭部形状に、ヴィクトゥスは息を呑む。

 

「……まさか、これは……」

 

「五十三年前、儂が使っていた《レヴォルテストタイプ》。それが解析を終え、今はここに封じられていた、永い眠りの末だが、最新鋭の装備を整えてある。今、統合機構軍の講じている手の一つたる、イミテーションモビルフォートレス建造計画。そのフラッグシップ機だ。携えて行け、魔獣《トルネンブラ》の名を」

 

「《トルネンブラ》……《ガンダムレヴォルトルネンブラ》……」

 

 熱に浮かされたようにその名を紡ぎ上げ、ヴィクトゥスは今一度、エーリッヒへと拝礼する。

 

「……ここまで礼を尽くされて何も出来ぬ木偶だとは思って欲しくない。必ずやその意志を、私は果たそう」

 

「よい。儂も随分と待った。……妻に先立たれたと知ったのは、儂が死んだとされた五年後であったかな。全てが手遅れなのを聞く度に心が軋みを上げたよ。いや、儂に心などなかったか……」

 

「あなたには間違いようもなく、心があった。人を憎むのも心ならば、愛するのも同じく心のはずだ」

 

「……だからこそ、人間はもがき苦しむ、か。もうとっくに人類の一員である事を諦めた身だ。今さら、人界のルールに則った戦いをするべきでもない。ヴィクトゥス・レイジ。貴様は全てを持って行くのだ。儂の叛逆の運命ごと。そして、遺言を、彼らに伝えて欲しい。……どのような過酷な運命が待ち受けていても――僕達は、ひとりじゃない」

 

「……頂戴します」

 

 ヴィクトゥスは《レヴォルトルネンブラ》へと搭乗し、アイリウムの認証を受けていた。

 

 五十三年前の技術はさらにアップデートされ、現状の最新鋭機に相当する技術の粋が刻み込まれている。

 

 浮かび上がった円環を描くポップアップが声を生じさせていた。

 

『最新のユーザーを登録。声紋認証を行います。ユーザー名を』

 

「グラッゼ……いや、まだだな。私は囚われている。ヴィクトゥス・レイジ。それが私の名前だ」

 

『登録いたします。専任ユーザーをヴィクトゥス・レイジで認証。コミュニケートサーキットを30セコンド有効化。“ようこそ、ミハエル・ハイデガー様”』

 

「……ハイデガーの名前で認証されている? まさか、この栞か?」

 

 白銀の栞を携えた自分をハイデガーだと認証しているのだとすれば、このシステムはゆうに数十年の禁を破られた事になる。

 

『“これより、IMF00《トルネンブラ》はあなたの生態データを登録し、再起動いたします”』

 

 直後、両肩と脇腹へと差し込まれた端末の生じさせる激痛に、ヴィクトゥスは奥歯を噛み締める。

 

「……レヴォルの意志の……洗礼か……」

 

 無数のポップアップが生じては消えて行き、バイタルデータを同期していた。

 

『“承認。これより、専任ユーザーへと全権を委譲。発進準備に移ります”』

 

「……私を受け入れた? 全身RMではない、私を……」

 

 ヴィクトゥスは全天候モニターの一角よりエーリッヒを一瞥する。

 

 彼がその権限を自分へと差し出したのだろう。

 

 ――まさに意志を継ぐに相応しい。

 

 ヴィクトゥスはリニアカタパルトボルテージに固定される《レヴォルトルネンブラ》を意識していた。

 

 無数の隔壁が開き、地上への通路を解放させる。

 

 それは、翼で舞う時へとようやく解き放たれた、麗しき一羽の黒鴉への祝福に等しい。

 

『発進準備完了。出撃します』

 

「……まさか、私がクラード君と同じく、《レヴォル》を駆る事になるとは思いも寄らない。なればこそ、全霊をかけて。――ヴィクトゥス・レイジ。IMF00、《ガンダムレヴォルトルネンブラ》。始まりの魔獣よ、今こそ解き放たれる時だ」

 

 地上に向けて重力を伴わせ、《レヴォルトルネンブラ》が出陣する。

 

 テスタメントベース中枢部より抜け出た漆黒の機体は推進剤の出力を得て、今まさに舞い上がる。

 

 蒼き光を後光のように照り輝かせ、陣形についていた《レグルス》から照準を重ねられていた。

 

 ヴィクトゥスは直後には機動性を発揮し、臓腑を押し込む強大なGを感覚する。

 

「……これが……ガンダム……!」

 

 ここまで乗り捨ててきた《ゴスペル》の息吹よりも、さらに色濃い戦場を舞うためだけの一滴。

 

《レグルス》の機動力を上回り、背面を取った《レヴォルトルネンブラ》へとヴィクトゥスは手甲に格納されていた装備を現出させていた。

 

 果たして――見出されたのは。

 

「……ビームサーベル……これで――ッ!」

 

 発振した蒼いビームサーベルの刃が《レグルス》を蹴散らし、その破片が舞う空でヴィクトゥスは爆炎を噴き上げたテスタメントベースを視野に入れていた。

 

「……何を……何のつもりで……エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー!」

 

『地獄の研究はこれで手打ちとなる。何よりも、儂が生きていても好転する事は一つもない。“月のエーリッヒ”はきっと、これさえも予見している。儂は“惑星のエーリッヒ”として、使命を全うしよう』

 

「……遺言とは……そんなつもりで受け取ったわけではなかった……!」

 

 こちらの言葉に音声回線の向こう側でも明瞭に、エーリッヒは笑ったのが伝わった。

 

『……僕は感謝さえもしているんだ。叛逆の運命は、誰かを傷つける事に非ず。誰かを救うためにあった。この時代まで生きていけた事、愛した者達を守って死ねる事に、どれだけ幸福だと感じているか。何もなかった、虚無への供物に過ぎなかった僕の生存には……意味があった……』

 

「そのような事を、思い至らせるために私はここに赴いたわけでは……」

 

 否、今さらの出来事だろう。

 

 いずれにせよ、そろそろなのだと彼は理解していたはず。

 

 それが早いか遅いかだけ。

 

 きっと人生において、命の終焉と同じく、訪れる場所を心待ちにしていたのだろう。

 

 生き過ぎた自分の人生の清算を求め、そして自分がこの場所へと訪れた。

 

 託すのには、充分な理由のはずだ。

 

「……だが、それも……狡い……」

 

『狡くとも、僕は……ようやくテトラの下へと行ける。愛した人々が愛したまま、間違いだけを正すために叛逆している事を理解して、ようやく旅立てるんだ。ヴィクトゥス・レイジ。君は征け。その手に魔獣の力を携えて、暗礁宇宙の彼方へと……己の正義を信じて』

 

 テスタメントベース中枢部が爆ぜ、内側よりの破裂が衝撃波として伝導する。

 

 最後の最後、通信網に焼き付いた声に、ヴィクトゥスは瞑目していた。

 

「……“クラードを頼む”、か。あなたはこの極地で、憎しみではなく慈しみで彼を見る事が出来た。その時点で、既に救いは……」

 

 いいや、これ以上は言うまい。

 

 自分の身勝手な飾り立てなど、エーリッヒは望んでもいないだろう。

 

 追撃する《レグルス》を加速度で振り切り、《レヴォルトルネンブラ》は空を駆け抜けていた。

 

 漆黒の機体は六翼の翼を拡張させ、飛行機雲を描いていく。

 

「……約束しよう。私は、あなたの意志を継いだ。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの後継者は、このヴィクトゥス・レイジの終生の役割だ」

 

 その言葉はレヴォルタイプのコックピットの中で静かに溶けてゆく。

 

 今、解き放たれた刃は、振るわれる時を待ち望んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 崩落する。

 

 世界が焼け落ちる。

 

 発動させた自爆プログラムの腕に抱かれ、自分は今に死に絶えようとしている。

 

 だが、それでよかった。

 

 それで、自分は満足であった。

 

「……これでようやく、この世界を去れる……か。クラード、それにカトリナさんも……笑ってくれていいが、僕は君達と出会えて……たとえ憎らしくともこうして想えてよかったとさえ考えているんだ」

 

 よろめき、エーリッヒ――否、ハイデガーは積年の務めよりようやく解き放たれた自己で歩みを進めていた。

 

 随分と老いさらばえた。

 

 それでも、ここに来られた事に、ここで今、彼らの道筋を思える事の、何と幸福な事か。

 

 ハイデガーは最終機密チェックの施された最奥の部屋まで、導かれるようにして歩みを進める。

 

 もう、かつてのように走る事さえも出来ない。

 

 それでも、今自分の脳内に居たのは、きっちりと大地を踏み締め、そして大いなる海原へと向かって駆け出す小さな自分であった。

 

 ――ミハエル・ハイデガーと言う名前は呪いではない。

 

「……祝福だった。僕の存在意義は、呪いではなく……。だから、こうして満足して逝ける。君の……下へ……テトラ……僕の愛した人……」

 

 テスタメントベースを完全に破壊するのには自分の承認が必要である。

 

 ハイデガーは両腕を可変させ、最終認証を終えていた。

 

 これで自分の生は意味をなくす――いいや、これで役目を終える。

 

「……感謝、するべきなのだろうか。《ダーレッドガンダム》、そしてクラード。僕に……役割を与えてくれてありがとう。君達を憎む事でしか存在出来なかったミハエル・ハイデガーは、ようやくその意味存在に完結出来る……」

 

 指先が捉えたのはかつての写真映像であった。

 

 このテスタメントベースで生きると決めた時、写真を嫌がるヴィルヘルムと、そしてピアーナ達と撮影した一枚である。

 

 その一枚に集約された思い出を抱き、ハイデガーは落ち行く世界を見据えていた。

 

 業火に呑まれ、自分の世界であった場所は砕ける。

 

 そんな今際の際だと言うのに、浮かんだのは歌声であった。

 

 ピアーナが作業の合間によく口ずさんでいた、五十年も前の流行歌である。

 

 ハイデガーは老人の喉ではなく、自分の本来の声でその歌声を紡ぎ出す。

 

 最後の最後に、歌えれば。

 

 全てが終わる場所で、歌えればそれでいいではないか。

 

「……さようなら、みんな。また……会おう」

 

 叶わない願いだとしてもそれはきっと――未来への展望には違いない。

 

 この五十年余り、願い続けたもの。

 

 それは終生の祈り。

 

「未来を信じる事だけはきっと誰にも邪魔されない。それだけはどこまでも……自由なはずなのだから」

 

 だから、笑え、と。

 

 寂しくとも、侘しくとも。

 

 如何に孤独でも、如何にいびつでも。

 

 それでも笑えれば。

 

 それでも歌えれば。

 

 世界の果てに待っているのはきっと、自分の望んだ安寧であるのだろう。

 

「自分の世界の終わりをこうして願えるだけ……僕はきっと随分と長く生きた。ピアーナ、後は頼んだよ。君だけの……世界を……」

 

 テスタメントベースの隔壁が焼け落ち、天上より落下してくる。

 

 その終わりを、ハイデガーは安らかな面持ちで迎えていた。

 

 

 



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第247話「事象平面の果てに」

 

 絶句した一同の中で、最初に言葉を継いだのはアルベルトであった。

 

『……カトリナさんの爺さんが……ハイデガーとかだって……? 待ってくれ、待って……ピアーナ、そいつぁ……』

 

『飲み込めないのも分かります。ですが、これは事実であり、そしてわたくしが知っている全てでもある』

 

 沈痛な面持ちを伏せたピアーナへと、誰も懸ける言葉を見失っているようであった。

 

 クラードは直通回線より声を放つ。

 

「……ピアーナ、それを俺達に教えて、それでどうする? ハイデガーの事を認識しているのは現状、俺とカトリナ・シンジョウだけだと、知っていてなのか?」

 

『分かっています、虫のいい話だとも。ですが……わたくしは……事ここに至ってようやく、あのお方の事を思い出せたのです……! だから、報せなければ、いけなかった……』

 

《ダーレッドガンダム》のコックピットの中でクラードは長く深く呼吸する。

 

 自分の功罪だと思い込んでいたハイデガー消滅はその実、ピアーナも関知しての事であっただけではない。

 

「……来英歴の……歴史が変わっていた……?」

 

 否、そうではない。

 

 組み込まれた来英歴の歴史を紐解けば、そうなってしまっていただけ。

 

 元々、自分とカトリナが出会うのでさえも、織り込み済みであったとすれば。

 

『クラードさん……私……聞けてよかったと、思ってます。だって、ハイデガーさんの事、私は特別に思えるんですから……。

 

「……カトリナ・シンジョウ……」

 

 消し去ったはずの人物が自分の祖父であったなど、受け入れがたいはずだ。

 

 だと言うのに、カトリナは嬉し涙を流していた。

 

 ようやく――胸の中に受け入れる場所を見出したかのように。

 

『……おじいちゃん……おじいちゃんが遺した鍵は……今もここにあるよ……』

 

『……カトリナ様……』

 

 言葉を失う一同の中で、アルベルトは壁を殴りつけていた。

 

『……こんな事って……こんな事ってあっていいのかよ……! だって、オレはどんだけ聞いても、まるで思い出せないんだぞ……! だってのに、カトリナさんとクラードだけが……そいつの重みを受け入れるなんざ……酷だろうに……!』

 

 アルベルトなりの受け止め方なのは窺えた。

 

 彼は自分達の事を考えてくれている。

 

 きっと、誰よりも。

 

「……アルベルト。俺も、背負う事にする」

 

『クラード……?』

 

「この手で消してしまった……そう思い込んでいた命一つが、カトリナ・シンジョウの持つ鍵に集約されると言うのならば、俺はそいつの事を決して忘れない。絶対に……忘れてはいけないんだ……!」

 

『……クラード、お前……』

 

 拳を堅く握り締める。

 

 こうして、今、決意出来た。

 

 ハイデガーの意味は、ここにあった。

 

 自分の覚悟を固めるために。

 

 そして、道を歩み出すためにこそ。

 

『……クラード、わたくしは確かに、ハイデガー様に教わりました。貴方と、そしてカトリナ様を頼んだ、と。だから、わたくしは自分の意志で、これから貴方達に加勢いたします。ブリギットの艦制御が必要だと言うのならば、電子光学技士としての責務があります』

 

『……参ったな。話のスケールが壮大過ぎて俺はまるで付いていけねぇ……だが、一個だけハッキリしてます。最後の最後まで、お供しますよ、リクレンツィア艦長』

 

 挙手敬礼したダイキにピアーナは微笑みを向けたのも一瞬、彼女は歩み出していた。

 

 それは自分なりのハイデガーとの決別であったのだろう。

 

 思い出の中で生きていけるのならば、人は決して一人ではない。

 

「……俺達は、ひとりじゃない、か……」

 

 呟いたクラードは《ダーレッドガンダム》のアイリウムを作動させる。

 

『コミュニケートサーキットを展開。専任ユーザーの承認を乞います。30セコンドの対話状態へと変移。“どうした? 今しがたの会話で何か思うところでも?”』

 

「……お前は分かっていたのか? いや、分かっていたとしても俺には教えないのだろうな。それだけの運命を」

 

『“知り得る情報ではなかった。五十三年も前に跳躍させたつもりもない”』

 

 全ては偶然――否、必然のはずだ。

 

 偶然で出来上がったにしては、自分の運命はここまで築き上がっている。

 

「……レヴォルの意志、お前に、俺は決して屈しない。それはハイデガーと言う男が、この五十年を積み上げてきた意志であるからだ」

 

『“こちらを拒むとでも?”』

 

「違うな。逆だ。――俺は最後まで、お前を乗りこなす。レヴォルの意志よ、俺に従え。それが俺に出来る、唯一の叛逆……いいや、手向けだ。ミハエル・ハイデガーと言う男に対しての、義理でもある」

 

『“義理、か。似合わぬ言葉で自らを装飾し、そして折り固め、拘泥するか。それがお前の理屈だと言うのならば、こちらはそれを凌駕しよう”』

 

「上等……と言う奴だ、《ダーレッドガンダム》」

 

『コミュニケートモードを終了。これよりレヴォル・インターセプト・リーディングは次の戦場に向けて調整状態に入ります』

 

「……カトリナ・シンジョウ。届いているか?」

 

 声を発した自分に、カトリナは立ち尽くしたまま頬を濡らしている。

 

 きっとようやく見出された自分の価値に震えているのだろう。

 

『……はい。……分かって、決意しなくっちゃいけないのに私……何で、こんなにも嬉しいんでしょう。安心しているのかも……しれません。ハイデガーさんが……おじいちゃんが私にエンデュランス・フラクタルに入って欲しいって願った意味。それってきっと……出会うためだったんですね。私と、クラードさんが』

 

「……ハイデガーがどこまで事象を掌握していたかは分からない。だが……俺も一つ思う。カトリナ・シンジョウ。変わらないのは、たった一個でいい。あんたは俺の委任担当官であり、それはハイデガーの意志も関係がない。あんたが決意したから、ここまでの未来は拓けたんだ。その意味を……忘れるな」

 

 自分なりの鼓舞のつもりであったが伝わるかどうかはどっちでもよかった。カトリナは涙を拭い、そうして泣き腫らした眼差しでこちらを見据える。

 

『……委任担当官、カトリナ・シンジョウは……これよりあなたの担当窓口として……いいえ、これからもずっと……っ! ずっと……っ!』

 

 委任担当官の職務までハイデガーが理解しての事であったとは思えない。

 

 ここまで来られたのはきっと、個人個人の意思もあるはずだ。

 

 ハイデガーは他者の意思を祈り、願い、そして想いを届けるべく時空を超えた。

 

「……人の想いが時を超える事もあるのだな……」

 

 しかしそうなのだと、自分はよく知っている。

 

 想いが他人の運命を変容させ、そして行く先でさえも変え得る事を。

 

「……ミハエル・ハイデガー。お前は未来に……本心から願えたのか。変える事こそが自らが掲げられる叛逆なのだと。しかし、俺は……」

 

 コックピットの中で停滞を持て余す。

 

 自分は前に進まなければいけない。

 

 ピアーナの話し振りを聞いたのならば、そのはずだ。

 

 だが、この足を僅かに鈍らせるのは――聖獣の息吹。

 

「……俺は次の作戦にこそ、第六の聖獣の心臓を手に入れなければいけない。だと言うのに、俺は……何を、恐れているのか? そこまでしたハイデガーの想いが潰える事にでも……」

 

 否、違う。

 

 これはまるで別種の恐怖だ。

 

 クラードは明瞭不能な恐怖の根源に向けて、一言だけ放っていた。

 

「……俺は、俺ではなくなるのが……怖いのか……?」

 

 

 



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第248話「今を生きるスケールで」

 

「正直、話半分、って感じかなー」

 

 格納デッキへと自らの居場所を見出した矢先、声が弾けてアルベルトは視線を向ける。

 

「……メイア・メイリスだったか」

 

 メイアはウインクして整備されていく機体を眺める自分の傍らに佇んでいた。

 

「知ってるでしょ? この宇宙で一番のアーティストの名前だ」

 

「それは当て擦りだろうが。第一、オレは……ピアーナの言っていた言葉に嘘があるとは思えねぇ」

 

「それはボクも同感。でも、信じられるスケールってものがある」

 

「それは……今さら言いっこなしだろ」

 

 聖獣を操り、そして作戦に組み込んで自分達はそれをも超える戦いを繰り広げようと言うのだ。

 

 だと言うのに、ここで参ってしまっているのでは肩透かしもいいところ。

 

「……でも、信じられる? 五十年も前に跳ばされた名もない人が、今のボク達を創り上げているなんて。それは何だか……ボクはちょっとヤだな……」

 

「嫌って……それはお前……メイア・メイリスの、一流アーティストの第六感って言いたいのかよ」

 

「そこまで思い上がったつもりもないよ。ただ、さ。ここまで艦長には色々と世話になって来たけれど、そのハイデガー……いいや、話の中じゃエーリッヒだっけ? ……どっかで聞いた覚えがあるんだけれど……何だっけ?」

 

「オレに聞くなよ。どう考えても学はなさそうに見えるだろ?」

 

「どうかな。案外、一番に真実に肉薄しているのはキミみたいなクチかも。クラードは冷静に事の次第を望めそうにもないし、あのカトリナって人もそう。ハイデガーの生き方に……感動しちゃってるんだ」

 

「お前はそうじゃないみたいな言い草だな」

 

「ボクはほとんど無関係だからね。ハイデガーだろうがエーリッヒだろうが、そりゃすごいとは思う。ここまで想いを切らさずに、未来に展望を描けるなんて。でもそれって、結局は人間の限界ってものに頭打ちになるんじゃない?」

 

「……人間の限界か」

 

 メイアはどこか、先ほどの話の中に違和感を抱いているようでさえもあった。

 

 ハイデガーと言う――自分の知らない人間の行いは全て自分達の今に繋がっている――そう言われても実感出来ない自分があまりにも不感症なのかと思っていたくらいだ。

 

「何となく分かるんじゃない? だってキミは、クラードに一番近い場所で見守って来たって言うんでしょ? なら、彼の目線だって何となく分かるはずだ」

 

「……オレはクラードの視座なんて分かった風な事を言えねぇよ」

 

 分かった風になったのがデザイアでの日々だと言うのならば、今は少しばかり諦観さえもある。

 

 クラードは、自分に期待してくれているようで、そうでもない。

 

 きっと何度も、何度だって打ちひしがれた過去があると言うのに、クラードは膝を折る様子もない。

 

 それは彼が赴くべき未来を見据えているからだと、再会するまでは思っていたが実際は違っていた。

 

「……クラードは、見据えるべき場所を……そうそう神様みたいには成っちまえねぇって、そうやって足掻いているのが今ばっかりは分かるんだ。だってよ、神様みたいな奴が寄越した道標なんて、あいつはそれこそ御免だって言ってのけるはずなんだからな」

 

「何だ、案外やっぱりクラードの事、分かってあげてるじゃん」

 

 メイアは赤い瞳に宿った好奇の色を隠しもしない。

 

 アルベルトは嘆息交じりに、その気配を振り払う。

 

「……あのな、オレは分かった風になって、それで何もかも諦めるようなヤツが大嫌いなんだよ。ハイデガーってのがどれほど偉大にクラードとカトリナさんの事……それにピアーナの未来だって理解したつもりになっていようが、オレは御免だね。神様が最初から最後まで創った道なんて、反吐が出るってもんだ」

 

「……いい気概だね。ボクは何となく、それを聞いて安心したかも」

 

「安心? そりゃ真逆だろ? 不安の間違いだ。こんなヤツがピアーナの半身である《アルキュミアヴィラーゴ》を操ってるんだって言う、落胆だってあるだろ」

 

「いいや、ないね。ボクは高尚な音楽に堕ちる気なんてないんだ。だって、音楽ってのはもっと自由で、そして万人のものじゃなくっちゃいけない。神様の生み出したメロディなんて、一番に叛逆の対象だよ。この世の神の音階があるとすれば、ボクはそういうものにとっての毒じゃないと生きる価値もない」

 

「生きる価値も……か。お前と言い、クラードと言い、思い切りがよ過ぎんだよ。自分が世界にとっての毒になるなんて……間違ってもオレは言い出さねぇ」

 

 それだけ脆いのだろう。

 

 自分一人が世界と言う強制力に抗うなんて、それこそ意味がないとでも言うように、先ほどの話は受け止めていた。

 

 クラードの未来も、カトリナの未来も、ともすれば自分の未来でさえも――。

 

 そこまで考えて、馬鹿馬鹿しくなったのもある。

 

 誰かの作ったレールに沿って生きるなんてらしくない。

 

 そう――凱空龍の荒れくれ者らしくないではないか。

 

「……オレは高尚なものにとっての毒だなんて言い出せるほど強くもねぇし、それにピアーナの言う感動とか言うのも、何となくだけれど拒んでるんだろうな。そういうもんには無縁の生き方だと思っていただけに」

 

「それがキミなりの叛逆か。アルベルト・V・リヴェンシュタイン」

 

 フルネームで呼ばれ、一拍構えたが、アルベルトはそれも意味がないか、と警戒を解く。

 

「……お前は何がしたいんだ? クラードと同じように《レヴォル》に選ばれて……この世界にとっての毒だろうが、忌むべき何かだろうがになろうとしてんのか?」

 

「どうだろうねぇ……。ボクは結局さ、自分の存在感ってものに特別性を見出したかったのかもしれない。ギルティジェニュエンのボーカルとしてがなり立てて、世界に亀裂を作るだけの“罪付き”のメイア。そう……評価されるのがどこか心地よかったんだ。でも、さっきの話聞いてさ、何だか拍子抜けしちゃった。いや、感動はしたんだよ? そこは間違えないで欲しいな」

 

「別に誤解するつもりもねぇよ。ドデカい話に感動するかしねぇかはその人間次第だろ」

 

「そう、その人間次第のはずなんだ。でも、さっきのは結構、キタって言うか……参っちゃうよね。五十年間なんて重石、まだ若い身分にはきつ過ぎる。別に艦長の生き方に異議を差し挟むわけじゃないけれど、それでも、さ。年数で説得させるなんてズルいじゃん」

 

 意外、と言うのが正直な感想であった。

 

 アルベルトは先ほどのような話に感動する人間こそ、真っ当な生き方なのだと思い込んでいたからだ。

 

「……分かんねぇもんだ。オレは、これでも真っ当に……いや、違うな。それなりに人間的な感性を持っているつもりだった。でもよ、さっきので泣けねぇんだ。それって人でなしって事なのかもな」

 

「じゃあボクも人でなしだ。だって、泣けなかった。酷いとは思ったし、しんどいとは思ったよ? でも、泣けない。これってさ、やっぱり強制力みたいなもの?」

 

「……オレに聞くなよ。知るワケねぇだろ」

 

「でも何となくだけれど、キミはそういうのを知っているように映るんだ。これは穿ち過ぎかな?」

 

 問いかけられてアルベルトは脳裏を掠めたラジアルとの思い出を振り払う。

 

 簡単に思い出して、それで感傷に浸るような記憶でもない。

 

「……オレはただのRM第三小隊の小隊長。それだけに過ぎねぇよ。それ以上の意味を見出すのは勝手だが、お門違いってもんだ」

 

「そう。何となくキミには涙なんて似合わないもんだって決めつけていたのかもね。まぁ、それでも……ボクは艦長の言う、時を超えた想いに感化されなかった。これってさ、アーティストとしては失格?」

 

「だから、知るワケねぇって言ってるでしょう。他人の思い出なんだ。当事者であるカトリナさんや、クラードからしてりゃ、とんでもねぇ過去だっただろうさ。ピアーナも……あそこまで重たいもんを背負っているなんて思いも寄らなかった。ただ……その生き方の苛烈さに感情移入出来るかって言えばそれも違ぇはずだ。きっと、思い出なんて分かった風に成っちまうのが一番よくねぇんだろうな」

 

 ピアーナの過去には同情するものもある。

 

 ハイデガーが遺した意志には圧倒されるものもある。

 

 しかし――だからと言って分かった風になって、それで同じように泣けるか? と問われれば途端に霧散するのだ。

 

 きっと誰にでも、他人の感情移入を拒む物語はある。

 

 それがちょうど自分にとっては先ほどの物語であっただけの話。

 

「……こんだけ説明されてもハイデガーとか言うのが生きていて、元々はベアトリーチェのクルーだったなんて全然信じられねぇんだ。これって何つーのかな……感情の矛先を知らない、馬鹿みてぇだなって」

 

「感情の矛先なんてボクだって分かんないよ。艦長の思い出話だし、当事者には絶対に成れないんだから。それこそ、ダイキみたいに艦長の全てを肯定するとか言い出さない限りはさ。やっぱり他人なんだよ」

 

「……やっぱし他人、か」

 

『“とは言え、少しは感じ入るものがあったのではないのですか? アルベルトさん”』

 

 唐突に浮かび上がったビジョンにアルベルトはうわっ、と仰け反る。

 

「……何で今の今まで出てこなかったのに出て来るんだよ。空気読めって」

 

『“何ですか! わたくしが空気を読んで、じゃあさめざめとまるで幽霊のように振る舞えとでも? それこそ御免ですよ!”』

 

「……驚いた。さっきの話だと、キミは元々、テスタメントベースで培養された……知的生命体みたいだけれど」

 

 メイアも驚嘆しているのか、マテリア相手に及び腰になっているようであったが、当の本人はのほほんとしている。

 

『“ですが、憶えていない出来事に意味を見出せと言われても……それこそ無感情ですよ。わたくしは機械ですから”』

 

「そのジョーク、今ばっかしは笑えねぇよ。もうちょい分かれ」

 

 自分が言いやると、マテリアは頬をむくれさせて抗議する。

 

『“……何ですか。わたくしだって、今の今まで実感なんてなかったんですよ? ピアーナ・リクレンツィアの一部なんだって、本気で思い込んでいたんですから”』

 

 ピアーナの半身、と言う事はマテリアは彼女の人格形成に多大な影響力を持っている可能性が高い。

 

 それどころか、先ほどの物語を信じるのならば、彼女の記憶を封じていたのはマテリア自身でもあるのだ。

 

「……お前は……さっきの聞いておいて、何でもねぇって振る舞えんのかよ」

 

『“別に、何だってないんじゃないですか? だって、わたくしからしてみれば、五十年も前にあったかなかったか分からない記憶の一部に触れさせられて、それで信じろですよ? こっちの身にもなって欲しいものです”』

 

 ちょこんと三角座りをして不貞腐れるマテリアに、アルベルトはそっと呟いていた。

 

「五十年、か……。そんだけの説得力で話されちまうと、何だかな。オレらの抵抗なんざ意味なんてねぇって言われているみたいでな。スケール違いって言うかよ」

 

『“……わたくしに、殊勝に成れとでも? それこそ反吐が出るっていうものです。わたくしはマテリアであって、ピアーナ・リクレンツィアじゃないんですから”』

 

 あ、とアルベルトはその段になって彼女の地雷を踏んでしまった事に気付く。

 

 誰もがマテリアをピアーナの一部、彼女の封じられた思い出として語る事に、一番に敏感なのはきっと、マテリア自身なのだ。

 

「……悪かったよ。さっきの話に感動しなかったクセに、他人にはそれっぽい生き方をしろって言っているようなもんだった」

 

『“本当ですよ。アルベルトさんは相変わらず女子の扱いが全然ですね”』

 

 完全に参ったこちらに対し、メイアがクスリと笑う。

 

「……何か?」

 

「いや、キミとそのアイリウムとの関係、面白いね。何だかとっても自由な気がするよ。さっきの話聞いた後のやり取りだとは思えないほどに」

 

「……緊張感足りてねぇヤツが二人揃って……って意味かよ」

 

「いや、それくらいでちょうどいいのかもしれない。ボクも、さ。いつだってお涙頂戴の物語ばっかり奏でていたらお腹いっぱいになっちゃうよ。なら、今日はブルースの気分でもあれば、今日はポップの気分って風に移り変わったほうがよっぽど自由だ。うん、人間らしい」

 

「……人間らしい……か」

 

 自分とマテリアの関係性に人間らしいなんていう感想を持ち出す相手には何となくだが、当てになるような気はしていた。

 

「……オレらはもう少し……自由な立ち位置で生きているつもりだったんだがな。それが意外と偏狭で、それでいて誰かのとてつもない思惑の上なんだって言われりゃ、ちぃとばかし辟易もするぜ。ここまでの抵抗も、ハイデガーとか言うのの思い通りだったのかってな」

 

「それは違うでしょ。だってキミ、カトリナの事、好きだから支え続けたんだから」

 

 不意に自分の感情に触れられ、アルベルトは当惑気味に後ずさる。

 

「な……な……っ」

 

『“バレバレなんですよ、アルベルトさんは”』

 

「てめぇっ! 何言ってやがる、マテリア! もうちょい空気ってもんをだな……!」

 

『“知りませーん。血も涙もないマシーンですから”』

 

「だから、彼女の思い出になりたくって、キミは悩んでいるんでしょ? でも、泣けない。それってさ、何だかんだ人間ってのはそういうもんなんだよ」

 

「……そういうもんって……でもそりゃあ……!」

 

「そういう風にしてあげるのが、カトリナの言い分なら確かなんだろうね。でも、キミは彼女のそういうのには成れないし、彼女自身も望んじゃいない。それで決着。あれ? ダメ?」

 

「……駄目っつーか……何だってオレは、こうも見透かされちまうんだろうな」

 

 重苦しいため息をついてから、アルベルトは格納デッキで整備されてゆく《ネクロレヴォル改修機》と、そして愛機の《アルキュミアヴィラーゴ》を視野に入れていた。

 

「……お前も戦うのか?」

 

「そりゃあね。一機でも戦力が欲しいのが実情でしょ? これでもライドマトリクサーだし、望まれればどれだけだって!」

 

 腕まくりをして鳳凰の紋様のRM施術痕を見せつけたメイアに、やはり自分は、とアルベルトは天井を仰いで呼気を付く。

 

「……やっぱオレは、お前みたいにも成れねぇし、何だかんだで実感もねぇのかもな」

 

「……でも、しんどい目には遭ってきたはずだ。キミだって一端の戦士だから、クラードの傍に居られる」

 

「オレが一端の、か。でもよ、クラードが何を望んでいるのか、今になってよく分かんなくなっちまったんだ。さっきの話で余計にさ。クラードには物語がある。だがオレにはねぇ。その……何つーのかな、隔絶みたいなのが明らかになっちまってよ」

 

「醒めちゃったってわけか」

 

 代弁されてアルベルトは項垂れる。

 

「……身勝手だって嗤えよ。それくらいの立ち位置なんだろ?」

 

「嗤えないよ。ボクだって泣けなかったし、キミを嗤えるもんか。きっと、さ。人間なんてそれなりに人でなしで、それなりに他人と自分とを分けているだ。だから、他者を傷つけるし、他者の想いに寄り添えるんだろうね」

 

「……やっぱお前、一端だよ。オレにはそこまでの思い切りはねぇ」

 

「嘘つき。だってキミは、クラードだって好きなんでしょ?」

 

 またしても見透かされた事を言われ、アルベルトは面映ゆい。

 

「……クラードの感じている事も、思っている事も、オレにとっちゃ宇宙よりも遠いのかもしれねぇ」

 

 彼が何を抱えて、どのような闇をこれまで飼い馴らして《ダーレッドガンダム》に乗り続けているのかだって、分かりさえもしなかった。

 

 ハイデガーの記憶をこの世で二人きり――カトリナとだけ共有する事だって重石であったはずだ。

 

「クラードが何を考えているのかは彼だけの領分でしょ。ボクだって分かんないよ」

 

「……《レヴォル》を動かせても、か」

 

「そっ。《レヴォル》を動かせたってそう。だからボクに、特別なものなんて期待してないでよね。だって何だかんだで、この世はいい加減な調子で回ってるんじゃないかな? 何もかも敷き詰められて完璧なものなんてないんだ。そう思わなくっちゃやってられないよ」

 

 それはハイデガーの辿って来た道筋そのものへの叛逆のようでさえあって、アルベルトは嘆息をつく。

 

「……クラードも、何かを感じている。でもよ、オレには分け入る術なんて見当たらねぇんだ」

 

「だったらさ、少しでもクラードを支えようよ。何だかよく分かんないけれど、ボク、キミはちょっと好きかも知れない」

 

 唐突に告白されて、アルベルトは当惑する。

 

 声を出し渋っている間にマテリアが囃し立てる。

 

『“ひゅーひゅー! 妬けますねぇ、アルベルトさん!”』

 

「てめっ……! マテリア! そういうんじゃねぇ……っ!」

 

 マテリアは浮かび上がって自分の拳を掻い潜る。

 

 その様子を眺めながら、メイアは肩を叩く。

 

「分かってあげてね! クラードの事、最後の最後まで……!」

 

 その言葉を潮にして格納デッキを後にしたメイアに、アルベルトはガラにもなく照れてしまった己を持て余す。

 

「……何だっつーんだよ、女ってのはこれだから」

 

 始末に負えないのだ、とアルベルトは愛機の修復作業を見守っていた。

 

 



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第249話「少女S」

 

「定期検診も完了。思考拡張はしっかりと馴染んでいるらしい」

 

 ヴィルヘルムの診察を受けてから、シャルティアは肩口に疼く思考拡張の色彩を一瞥する。

 

「……ヴィルヘルム先生、さっきの……リクレンツィアさんの話ですけれど……」

 

「ああ、聞いていたのか」

 

 ヴィルヘルムは煙草に火を点け、何度か煙い息を吐き出してから、項垂れる。

 

「……何も……思わないんですか?」

 

「ある意味では、当然の帰結だとも思った。ピアーナほどの全身ライドマトリクサーが、どうして生き延びて来たのか。そして、あの技術はどうして成り立ったのか。ハイデガーなる人物の存在は……未だに掴もうとしては消える蜃気楼のようであるが。それに……カトリナ君の持つ鍵にも秘密があるとなれば少しばかりややこしい。一体何を思って――」

 

「じゃなくって……! ヴィルヘルム先生、あの話の中に登場するのは……!」

 

「ああ、恐らく前任者たる父親だろうな」

 

 前任者、と言う言葉にシャルティアは茫然とする。

 

「前任者って……」

 

「わたしの前の“ヴィルヘルム”だ。言ってなかったか? この名前もクラードと同じくコードネームのようなものだと」

 

「……でも、もうその名前って……」

 

「馴染んでしまったのが幸か不幸か、わたしは本来ならば次世代の“ヴィルヘルム”の育成をしなければいけない身分なのだが、エンデュランス・フラクタルに背を向けた今となっては、少しばかり持て余す役割になっている」

 

 シャルティアは分け入る術を持たず、その話を黙って聞く事しか出来ない。

 

「……どうした? シャルティア・ブルーム委任担当官。聞きたい事はたくさんあるのだろう?」

 

「……です、けれど……聞いていいのかどうか……」

 

「分からない、かね? わたしは……ピアーナのこれまでの経緯と、そしてハイデガー……いいや、エーリッヒの結論には納得であった。月軌道決戦におけるわたしの不透明な言動は少しは頭に入っているだろう? 月のテスタメントベースで、わたしはエーリッヒ・シュヴァインシュタイガーを、少しばかりは知っていたんだ」

 

「……でも、エーリッヒなる人物はどれだけ文献資料を漁ってもそれらしい足跡はない」

 

「よく調べ上げたじゃないか。そうだとも。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーは偽書の偉人だ。彼の者を覗く時、彼の者もこちらを覗き込んでいる。わたしは父親である先代ヴィルヘルムより知識の全てを叩き込まれた。わたしにとってはね、あのような美しい思い出の父親ではなかった」

 

 それは触れてはならない事のようでシャルティアは戸惑う。

 

 しかし今、彼の傷口に触れられるのは自分だけだった。

 

「……ピアーナさんとシンジョウ先輩のお婆様の恩人でも、ですか」

 

「正直、ね。わたしにしてみれば父親の言っている事の半分くらいはもうろくした老人の言葉繰りなのだろうな、というのがあった。諦めていたんだ。父親を父親として認識する事に。だがピアーナの証言で、父親は間違っていなかった事が証明された……まったく嫌になる。嫌い切れない記憶の中の父親を、また思い出させられるようで」

 

 灰皿に乱暴に煙草を揉み消したヴィルヘルムには平時の穏やかさは宿っていなかった。

 

 彼もまた、痛みの末に今があるのだと、シャルティアは理解させられてしまった。

 

「……それは、ヴィルヘルム先生にとって、嫌な思い出ですか」

 

「……いや、気を遣わせてしまったな。すまない、わたしのような身分はもっと理知的に振る舞うべきだった。いくら父親の記憶だろうとね。客観的な物言いが欲しいんだろう。分かっているさ。だがね……わたしにとっての前任者は、もう終わっているものだったんだ」

 

「終わっている……って……」

 

「役割も、そして父親としても。先代ヴィルヘルムに畏敬の念を抱いた事は、きっと物心ついてからはなかったな」

 

 押し付けられてきたのかもしれない。

 

 それこそ理想を。

 

 高尚なる意志を。

 

 ヴィルヘルムはしかし、その立ち振る舞いも、そして自分の言動そのものが先代に似てしまっているそれそのものへの嫌悪がある。

 

「……ヴィルヘルム先生はでも、先代の……いいえ、お父さんの事が、信じたかったんじゃないですか?」

 

「……何故、そう思う?」

 

 これまでになかった、本物の圧。

 

 ヴィルヘルムはこの記憶に触れられる事を本質的に嫌っている、否、この感情はきっと――。

 

「……だってお父さんの事を信じていなかったら、月のテスタメントベースで率先してエーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの事を信じたりはしなかったんでしょう? ヴィルヘルム先生はきっと……どこかでお父さんの事を……その意味があったんだと救われたかったんじゃないですか……」

 

 ヴィルヘルムは震える指先で掴み取った煙草をくわえ、それから火を点ける。

 

 分かっている。

 

 誰しも触れられたくない思い出くらいはある。

 

 自分だって、姉の事をとやかく比較にされたくはない。

 

 それでも、ここでヴィルヘルム相手に向かい合って、彼の想いを吐き出させられるのは自分だけなのだ。

 

 ならば、逃げてはいけない――楽なほうに転がっては駄目なのだ。

 

「……君の眼は期待の新人によく似ているように、なったな」

 

「……私が……?」

 

「恐れ知らずとも言う。ここは密室で、そしてわたしは大の大人だ。君をどうこうするくらいは出来た。それでも、君はわたしを真正面から覗いた。何故だ? どうしてそこまで他人に対して思い切れる?」

 

「……それはだって……とても辛そうに、語るから……。きっと嫌なんだと、痛いのだって分かるんです。でも、それは……触れて欲しくない理由にしちゃ……駄目じゃないですか」

 

「そうかな」

 

 ヴィルヘルムの両腕が不意に首筋へと伸びる。

 

 まるで構える事も出来なかった所作、そして混じり気のない――殺意。

 

 首筋の傍で硬直した指先に、ヴィルヘルムが問う。

 

「どうした? 助けを呼べばいい。わたしが乱暴しようとしたのだと、言い触らせばいい」

 

「……しません」

 

「何故だ。何故なんだ、君もカトリナ君も……。何で……他人の痛みで、泣きそうになっているんだ……」

 

 項垂れたヴィルヘルムへと、シャルティアは声を搾り出す。

 

「……だってそれが……人間である事の、証明じゃないんですか……。他人の痛みで泣ける唯一の生き物が……きっと人間なんですよ」

 

 ハッと、ヴィルヘルムは身を引く。

 

 その仕草に滲んだ畏怖に、シャルティアはその身へと抱擁していた。

 

 ――分からない。

 

 腕の中のヴィルヘルムが静かに泣きじゃくる。

 

 ――分からない。

 

 どうしてこうも、皆が弱々しく涙出来るのだろう。彼らは何故、こうも弱さを抱えて強さを誇ろうとするのだろう。

 

 ――分からない。

 

 自分のような小娘が何故、ヴィルヘルムの痛みに触れられたのかも。

 

 ――分からない。

 

 でも。

 

「……分かりたいのが……人間のはずなんです」

 

「……分かりたいだって……? そんな理由であの父親を許せるって言うのか……? “ぼく”は一度だって……分からなかったって言うのに……!」

 

 涙声のヴィルヘルムはただのか弱い一個人であった。

 

 自分へと説法を説く大人でもなければ、だらしがない大人でもない。

 

 ここに居るのは剥き出しの自分を晒し合うのみの。

 

「大丈夫ですから。ヴィルヘルム先生……大丈夫です」

 

 背筋をそっと叩く。泣きじゃくるヴィルヘルムは数拍の呼吸の後に、少しばかり平時の落ち着きを取り戻そうとしていた。

 

「……すまない。君に甘えるつもりはなかったんだ」

 

「いえ、誰だって……そういう風な場所って必要なんだと思います。それに、ヴィルヘルム先生だって辛いでしょう」

 

「……君も分かった風な大人の言葉繰りをするようになったな」

 

「……そう、でしょうか」

 

 佇まいを正したヴィルヘルムはようやく語る気になったようであった。

 

「……先代ヴィルヘルムよりわたしは、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの情報を得ていた。しかし、それはピアーナの口から語られたものとは少し異なる。わたしが知っていたのは話にあった“惑星のエーリッヒ”の側面ではなく、いずれ人類に福音をもたらすとされている月面のテスタメントベース……即ち、惑星の反対となる“月のエーリッヒ”に関してであった」

 

「それって……月軌道決戦の記録にあったものですよね? テスタメントベースの内側には、特定の周波数に反応する集積回路があったって言う……」

 

 しかし半信半疑であった。

 

 今の今までその情報を信じるに足る要素はまるでない。

 

 だが、鼻をすすり上げたヴィルヘルムの面持ちと、そしてピアーナよりもたらされた真実が物語っている。

 

 ――この来英歴は“二人のエーリッヒ”によって成り立ったのだと。

 

「……わたしが危惧されていたのは“月のエーリッヒ”の動向のほうだ。その時が来るまで、“ヴィルヘルム”の名を継ぐのならば、テスタメントベース……約束の場所で“クラード”の名を継ぐ者の補佐をしろ、と」

 

「でも……何でわざわざ月面に? それも話の中じゃ分からないって言うか……」

 

「恐らくは……であるが、“月のエーリッヒ”も“惑星のエーリッヒ”も懸念事項はほとんど同じであったと推測される。わたしが接触した際、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーは明らかに観測する第三者を意識していた」

 

「その後に……クラードさんと、一体化したって、レポートには……」

 

「要領を得ない報告であっただろうが、しかしそうとしか言いようがない。クラードは“月のエーリッヒ”の意識の連続体と呼べるものと融合し、そして進化した。恐るべき存在、“波長生命体”へと……」

 

 震える指先で煙草の箱の底を叩き、ヴィルヘルムは紫煙をたゆたわせる。

 

「……私にしてみれば、クラードさんが“波長生命体”とやらになったって言うのも実感がないって言うか……。だって、それだって架空の存在でしょう?」

 

「架空であった……いいや、架空であればよかったのだが。そろそろ聡い者達は気付き始める頃合いだろう。波長生命体が聖獣を駆ると言う意味も」

 

「どういう……」

 

「詳らかにするのには、少し憶測が過ぎるな。一度、会わなければいけないだろう」

 

「それって……」

 

「……君も来るか、シャルティア委任担当官」

 

 腰を上げたヴィルヘルムの相貌にシャルティアも覚悟の意志を通わせていた。

 

「……はい。何があったとしても、私は自分に出来る事を全うしていきたいですから」

 

「……その真っ直ぐさが時に君を傷つける……いや、これは要らぬ警句だな」

 

 ヴィルヘルムは灰皿に煙草を押し付けて消してから、医務室を立ち去っていた。

 

 シャルティアは服飾を整えてからその後ろについている。

 

 ヴィルヘルムが向かったのは格納デッキの中でも外郭に位置する部分であった。

 

 昇降用のエレベーターに飛び乗り、何と彼は今もオフィーリアの守りについている《サードアルタイル》に接触しようとする。

 

「ま、待って……ヴィルヘルム先生……! 聖獣は危険です!」

 

「それでも、聞かねばならないはずだ。わたしの功罪でもある。グゥエル君、居てくれているか?」

 

『ヴィルヘルム先生……? どうしたんです、物々しい……』

 

 周辺を取り囲む凱空龍の元の面々は重武装だ。

 

 グゥエルからしてみれば、それでさえも困惑の種なのだろう。

 

「……分かって欲しい。敵は、IMFだけでもなさそうなんだ」

 



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第250話「祈りの先に待つものを」

 

『……いえ、分かっているつもりです。これでも、エンデュランス・フラクタルで教育されてきた三年間もありますし、エージェントとしての勘って言うんですかね。それも、まぁまぁ。凶報ですか』

 

 ヴィルヘルムは一拍目線を伏せた後に、《サードアルタイル》へと直通回線で呼びかける。

 

「君の操っているのは《サードアルタイル》……第三の聖獣のはずだな? ログはどうなっている?」

 

『それが、こっちの領分じゃないんですよ。それが分かったのは、ヘッド達と合流してから今までで数回のログ送信の解析……これじゃ何の当てにも成らないな。エージェントとして使い潰される予定だったのは目に見えています』

 

 やはり、そうなのだろうとシャルティアは感じ取っていた。

 

 グゥエルはエンデュランス・フラクタルによって「再教育」を受けさせられた身。

 

 恐らく、その自由でさえも効かなかったはずだ。

 

 それがどうしてなのだか、彼の意識は表面化している。

 

 とは言え、それが永続的に続く保証もない以上は――と、《サードアルタイル》に括りつけられた爆弾の数をシャルティアは目で追っていた。

 

 グゥエル本人も了承しているとは言え、この扱いはあまりにも人道にもとっている。

 

 しかし、安全装置としての爆弾がなければこうして話す事も儘ならないだろう。

 

 実際、自分もこうして目の当たりにしても圧倒されている。

 

 第三の聖獣としての在り方――それは地を這いつくばるしか能のない人類を遥かな高みで俯瞰する。

 

 ヒトの手で届く叡智などあるものかと嗤っているようでさえもあった。

 

「君の感覚でいい。MF03は次の戦場でも使えそうか?」

 

『レミア艦長にも聞かれました、それ。一応、こっちで掌握している分もありますけれど、いつ何が起こって本社の意向に逆らえないか分かりません』

 

「ファムは? 彼女はどう言っている?」

 

『ファムは……俺達の天使は、俺が乗っているって分かっているんでしょうかね……近づいてもくれませんよ』

 

 格納デッキの隅でトーマとユキノに肩を抱かれたファムは不安げな眼差しをこちらへと注ぐ。

 

 元々は彼女の聖獣だ、と言う事実でさえも、先刻分かったばかり。

 

 だと言うのに、今のファムは恐れを抱いているようであった。

 

「シャルティア委任担当官……これからわたしは、少し想定外な事を言う。レコードを撮るならば今だぞ」

 

「……どういう……」

 

「先の戦いで、《サードアルタイル》は権能を発揮し、そのお陰で我々は九死に一生を得た。だが、わたしは次の戦いでもそうとは限らないと規定している。その上で、進言する。――《サードアルタイル》の権限をグゥエル君に預け、わたしとの共同作戦を張ってもらおう」

 

 その発言に即座に反応したのは元凱空龍のメカニック達であった。

 

「何を……! ヴィルヘルム先生……!」

 

 向けられる銃口にシャルティアは思わずそれを庇うように踏み出しかけて声に阻まれる。

 

「来るな! ……君まで背負う事はない、シャルティア委任担当官。わたしはオフィーリアの船医であり、有機伝導技師だ。決して作戦士官などではない。これは真っ当な反応だ」

 

「で、でも……ヴィルヘルム先生が間違うなんて事が……」

 

「それがあり得る局面だから言っている。シャルティア・ブルーム委任担当官、もしもの時にわたしの責任に出来る。レコードを撮れ。そして、君の職務を果たせ」

 

 確かにここですべき事は、ヴィルヘルムを後で糾弾するためにレコードに記録し、彼の行動を縛り付ける行いであろう。

 

 それがオフィーリアの――ひいてはエンデュランス・フラクタルの委任担当官だと言うのならば、正しいはずの行い。

 

 教わってきたはずだ。

 

 誰かが間違えれば泡沫に帰すレジスタンス活動。

 

 そんなものに身をやつすのならば、すぐにでも誰かを見限れる冷徹さを持て、と。

 

「……出来ません……」

 

 震える声で紡ぎ出した声に、ヴィルヘルムは背を向けたまま声を放つ。

 

「やれ。やらなければ禍根を残す」

 

「出来ません……! だって……ヴィルヘルム先生だって……辛いのに……それを知っているのに、何で今さら……第三者になんて……」

 

「言ったはずだ。それが君の役職であると」

 

「なら! それを違うと言えるのも、私の役割のはずなんです!」

 

 シャルティアはヴィルヘルムを庇うように踏み出し、銃口を向けられていた。

 

 ――分かっている。

 

 ――怖い。

 

 銃を向けられると言うのは、こんなにも恐ろしいのか。

 

 こんなにも、視界がぶれて。

 

 こんなにも、意識は閉ざされそうで。

 

 それでも、奥歯を噛み締めて耐える。

 

 それでも、萎えかけた意識に熱を通す。

 

 きっとアルベルト達は、こんなひりつくような殺気を感じながらこれまで戦ってきたはずだ。

 

 ならば――自分の役目は帰る場所を守る事だけではない。

 

「……君も死ぬぞ、シャルティア……!」

 

「でも……心に従って立派に死ねるんなら……それでいいです。私は……自分の心一つに誓いを立てられないまま死ぬほうがよっぽど……怖い……!」

 

 こちらの様子が奇妙であると感じたのか、ユキノが歩み出そうとしたのをシャルティアは微笑みで応じていた。

 

 本当なら頼ってしまいたい。

 

 だが、こればかりは自分の役目だ。

 

 抱え込まなければ、何が仲間か。

 

 何が、信を置くに足る盟友か。

 

 シャルティアは向けられた銃口の殺気から逃げなかった。

 

 きっと、これまでならば逃げていた。

 

 しかし肩口で今も疼く思考拡張の痕跡が、逃げを許さなかった。

 

「……容易いほうに……転がっちゃ、駄目……」

 

 その決意を瞳に浮かべると、彼らも当惑していた。

 

 撃てばいいのか、撃ってはいけないのか。

 

 その判定は彼らの手にはない。

 

「……そこまで往生際が悪くなれとは、教わってないだろう。シャルティア・ブルーム委任担当官。君達、銃口を降ろしてくれ。試すような事をするつもりはなかった」

 

「しかし……ヴィルヘルム先生……これは背信行為ですよ」

 

「だとすればわたしが責任を負えばいいだけの話だ。あるいは……ずっと見ているんだろう? クラード」

 

「……えっ……」

 

 思わず、と言った様子で漏れた声に、回線が繋がれる。

 

『驚いたな。ヴィルヘルム、あんたはそこまでウェットな性質でもなかったはずだ』

 

「そうかもしれないが……出会いが、変えたのだろうな。こう言えば陳腐に落ちるが、人との繋がりと言うものが」

 

「く、クラードさん……?」

 

『シャルティア・ブルームとか言うの。あんたの覚悟、見させてもらった。別に俺は裁定者じゃない。誰かを裁く権利もなければ、誰かを罰する権利もない。ただ……自分が間違った時に撃てと言ったのは、その男のほうだ』

 

 ハッとしてシャルティアはヴィルヘルムの背中を眺める。

 

 彼は肩越しに一瞥を向けて口元を緩めていた。

 

「……参ったな。お前にそれを言わせるのは本当に最後の最後だと、思っていたんだが」

 

「……ヴィルヘルム先生……」

 

『ヴィルヘルム、俺からも作戦を進言したい。グゥエル・レーシングの《サードアルタイル》は有用だった。先ほどの戦いでパーティクルビットがなければ俺達は負けていただろう。それは火を見るまでもなく明らかだ』

 

「……だな。分かっていてのつもりでもなかった。ただ、わたしは……お前に裁いて欲しかったんだよ、クラード。直属の人間が冷静さを欠いた時、始末をするのがわたしの教えた通りのはずだ」

 

『だがあんたは間違っちゃいない。ここでの判断はそちらのほうが合致している』

 

「これは、言われてしまっていると、そう思うべき局面なのかな」

 

 ヴィルヘルムは《サードアルタイル》に手をつき、そっと懇願するように首を垂れる。

 

「……頼む。クラード達を救って欲しい。これは作戦指揮者でもなければ、立案の立ち位置にもない門外漢からの願いでしかないが……彼らを死なせないでくれ、グゥエル君。どうか……どうか生きて帰って欲しい」

 

『……ヴィルヘルム先生、それは命令……じゃ、ないですよね』

 

「ああ。弱い人間の祈りのようなものだ。……笑えるだろう。信仰なんて一番に捨てた性質の人間が、縋る時には神頼みだなんて」

 

『いえ、俺も、今のあなたならば信じてみたくなりました。元々、ヘッドには拾われた命なんです。なら、俺もRM第三小隊の一員として……殿を務めます』

 

 しかし、いつグゥエルは本社の命令で背くか分かったものではない。

 

 そのリスクが消えたわけではないのだ。

 

 だが、ここでの提言よりもシャルティアが信じるのはヴィルヘルムの決死の心であった。

 

 自分が裁かれると分かっていて、それで命一つを投げるのはそうそう出来る事ではない。それも、自分の教育してきたクラードに判断を投げた――その理由は即ち。

 

「ヴィルヘルム先生、あなたは知っている事は全て……」

 

「ああ、言い置いた。よってわたしに価値はもうない。だからこそ、裁かれてもいいと思ったんだが……当てが外れるとはこの事か」

 

『ヴィルヘルム、俺はあんたを裁くほどの器量もなければ権利もない。次の作戦までに万全にしておく。それはあんただってそうだ』

 

「言われてしまっているな。いいや、そのほうがお前らしい。グゥエル君、次の作戦の要となるのは明らかに《サードアルタイル》だ。……頼んだよ」

 

『ヴィルヘルム先生……ええ、もちろん。俺に出来る事は、全部……』

 

 その言葉を受けて安堵したのか、ヴィルヘルムは踵を返していた。

 

 どこか全てを捨てたかのような寄る辺のない背中に、自分は何を思ったのだろう。

 

 声を張り上げて呼び止めていた。

 

「ヴィルヘルム先生……!」

 

「……何かな。シャルティア・ブルーム委任担当官。わたしに言える事は、もう何一つない。次の戦場では油断が命取りになる。委任担当官としてアルベルト君達を守ってあげるのが、君の役割のはず――」

 

「いえ、そうではなく。……ヴィルヘルム先生だって、守られていいはずなんです」

 

 その言葉に心底意外であったかのようにヴィルヘルムは目を見開く。

 

「わたしが……守られる……? だがそれは、何も出来ない事と同義だ」

 

「いえ、違います。それはきっと……違う。だってヴィルヘルム先生は、待つ事に意味を見出してきた人なんです。私も……待つしか出来ない身分ですから、だから言わせてください。待つ事は苦痛で、それでいてとても怖いですけれど……直視してください。アルベルトさん達の戦いも、待つ事という名の戦いを」

 

 それは自分の振り翳すような領域ではなかったのかもしれない。

 

 ただ、今はヴィルヘルムの心を救いたいのだ。

 

 彼はこれまで数多の秘密を抱えてきたに違いない。

 

 その度に心が擦り切れ、そして軋んできた。

 

 だが、もう隠し立てをする秘密もないというのならば、その痛みも肩代わり出来るはずだ。

 

 たとえ自分のような小娘であったとしても。

 

「……シャルティア・ブルーム……君は……」

 

「私は何も知らないに等しい人間かもですけれど……知らないからこそ言える事もあります……! 無知である事は、何も無力である事とイコールじゃない。待つ事も、帰る場所を守る事も、戦いなんです……っ!」

 

 誰かから借りた言葉でもない。

 

 誰かから教わった言葉でもない。

 

 ただ――自分の心の意味を見出す言の葉を、今ヴィルヘルムにぶつけなければその機会は永劫失われるという事だけは明瞭であった。

 

「……君に、そこまで言わせるほど、わたしは弱く、脆く見えるかね……?」

 

 とは言え、とヴィルヘルムは天上を仰ぐ。

 

 涙を堪えているのは、今の自分ならば窺えた。

 

 こうして泣かない事を選択し続けてきたのが、ヴィルヘルムという人間なのだろう。

 

「……一つ、まだ君には明かしていない事があった。クラードも、よく聞いてくれ。わたしの真の名前は……クリシュナ・クーンド。意味のない文字の羅列だが、憶えておいてくれ。お前がハイデガーの事を憶えてくれていたように、“ぼく”の名前を……」

 

『ああ、俺はお前の事を、一生忘れないだろう。俺に名をくれたのは、お前だからだ』

 

「……まるで呪縛のように言うのだな」

 

『呪縛はお互い様だ。世界の果てに至るまで、業火に焼かれ続けようと言うのが』

 

「約束、のようなものだったな。いいだろう。クラード、いずれわたしに教えて欲しい。お前のタイミングでいい。捨ててきた名前を……いや、これは野暮か。もっと相応しい、人間が居るのだろうからな」

 

 ヴィルヘルムは《ダーレッドガンダム》に収まるクラードへと視線を流してから、自分を一瞥する。

 

「……まさかわたしを暴いたのが、君のような女性だとは思わなかったよ。ともすれば君は、母に似ているのかも……いや、これ以上言えばわたしの地位も何もかも堕ち果てるな。言葉を重ねるのも、いい加減にしたほうがいい」

 

 格納デッキを立ち去ろうとするヴィルヘルムに、シャルティアは頷き返してから、身を翻していた。

 

「……グゥエルさん、でしたね? 私はエンデュランス・フラクタル、RM第三小隊の窓口である委任担当官です。これよりあなたの作戦系統への指示を行います」

 

『……それは……構わないが、ヴィルヘルム先生は……』

 

「……あの人は、きっと大丈夫。だって、ようやく弱さを吐き出せるようになったんです。なら、きっと……大丈夫なはず」

 

 自分は自分の職務を全うすべきだ。

 

 そうなのだと、ヴィルヘルムの白衣の背中は語っていた。

 

 



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第251話「悪の印よ」

 

 煙草の味がここまで不味いのもそうそうない。

 

 紫煙をたゆたわせたクランチは、舌打ちを滲ませていた。

 

「……誰が楽しくってこの身分なんだか、分かったもんじゃねぇよな」

 

『そう言うな、クランチ・ディズル。君の乗機は一時的に彼らの預かりとなる』

 

「道楽部門とか言われている連中じゃねぇか。……信用なるんだろうな?」

 

 一足早く宇宙へと上がったクランチは衛星軌道上のステーションで紺碧の色に染められた艦隊の出迎えに遭っていた。

 

『彼らは一面では同じなのだよ。我々と目指すところはね』

 

「……トライアウトブレーメン。いいのかよ、奴ら、統合機構軍とグルだぜ? 俺の勘がそう言っている」

 

『とは言ってもだね、《ヴォルカヌス》を修繕するのにはトライアウト陣営のどれかに協力を仰がねばならない。君の機体は統制の一端を担っているのだから』

 

「ケッ、やるんじゃあなかったな。俺の身分を押さえつけたいとか言うんなら、殺し合いも一興だと思っていた自分が嫌になる」

 

『しかし、君の《ヴォルカヌス》もここで打ち止めに近いだろう。修繕及び改修作業、そうして得られるのは、神の視座だ』

 

 通信越しにもたらされる声にクランチは手を払う。

 

「よせやい、神なんざ戦場から一番遠い代物だ。どうせなら悪魔に見初められたほうがよっぽど命冥加ってもんだ」

 

『ならば悪魔と共に行くがいい。これより、《ヴォルカヌス》は最終段階に入る。その名は――イミテーションモビルフォートレス01、《カルラ》と融合し、さしずめ《ガンダムヴォルカヌスカルラ》……と呼ぶべきか』

 

「《ヴォルカヌスカルラ》、ねぇ……。名前なんてただの記号さ。それに意味を見出すのはいつだって人間ってもんだ」

 

 トライアウトブレーメンを信用ならないのは、何も彼らが道楽部門と渾名されているからだけでもない。

 

 クランチは彼らの構成員の所作一つ一つを観察し、それから看破する。

 

「……全員、強度のRMだ。いざという時に盾にされたんじゃ堪ったもんじゃねぇって言うんだ」

 

『見抜くか。さすがの慧眼だな』

 

「おい、ふざけてんのか? RMの連中ばっかりなんて俺は御免だぜ? いつでも撃たれる位置に居るようなもんだ」

 

『意外だな。君はそういった迫害意識はないと思っていたが』

 

「迫害なんて高尚なもんでもねぇよ。いざという時に信じられるのは、いつだってオートマチックよりマニュアルだ。そりゃ、銃の種類なんていちいち選んでいられねぇけれどな。部下はマニュアルで固めるって決めてんだよ」

 

『それでも、彼らの技術面での支援は君をもう一段階上に引き上げるだろう。……つい先ほど観測された事柄だが、聖獣が動き出している』

 

「あぁ? てめぇら何やってんだ。そいつらは掌握したってのたまっただろうが」

 

『残念ながら、統合機構軍の中に裏切り者が居るらしい。恐らくは、第六の聖獣を墜としたのと同じ一派だ』

 

 その言葉繰りにクランチは常闇の宇宙空間を眺めながら言い捨てる。

 

「てめぇら、うまく人間を操ったつもりかもしれねぇが、案外抜けてるんじゃねぇか? 人類を上辺からすくったつもりになって、それで分かったつもりを気取っていたって事じゃねぇか」

 

『返す言葉もないな』

 

『だが我々の助力がなければ未だに来英歴は未明のままであった。黎明の光を届かせたのは我々の叡智だ』

 

「それも、どうなんだかねぇ。……で? 次の俺の派遣先はどこだよ? どこへなりと殺しに行けと言われれば殺しに行くのが戦争屋ってもんだが」

 

『ああ、それなのだがね――』

 

 煙草をくわえたクランチは通信越しにもたらされた宣告に、呆けたようにそれを取り落とす。

 

「……嘘、冗談とかじゃ、ねぇよな?」

 

『我々が冗談を言ったためしがあるかね?』

 

 クランチはステーションで駐在するトライアウトブレーメンの者達を視野に入れてから、声を潜める。

 

「……それは……俺としちゃ大歓迎だが……いいのか? 言えた義理じゃねぇが、それは……背信行為ってもんじゃねぇのか?」

 

『我々の視座に背信する者など、この世には居ない』

 

『左様。最早、第一の聖獣も始末した。残っているのは、二体の聖獣と、そしてエンデュランス・フラクタルの手に堕ちた《サードアルタイル》。こちらはまだいい。クランチ・ディズル、君に命じたいのは最後の仕上げとでも言うべきものだ。最終的な勝利者になるのは、いつだって君のような賢明な人間だろう?』

 

 悪魔の誘惑に、クランチは喜悦を滲ませる。

 

 まさか――これほどまでの戦場を用意しているとは思いも寄らない。

 

「……じゃああれかい? 俺はこれまで通り……いいやこれまで以上に、戦場に酔えるってもんだと、思っていいんだろうな?」

 

『その認識で構わないとも。《ヴォルカヌスカルラ》がロールアウト次第、君には世界を相手取る戦いに挑んでもらおう』

 

「……上等……ッ!」

 

 通信を切り、クランチはトライアウトブレーメンの女性構成員に呼びかけられていた。

 

「クランチ・ディズル様ですね? こちらへどうぞ。我が方の用意した最上の機体をご覧に入れます」

 

 女性構成員はそれなりの容姿をしていたが、全身RMというのはどうにもそそられない。

 

 誘うように揺れる尻も、男をたぶらかす胸も、甘い吐息とその整ったかんばせも。

 

 どれもこれも虚飾――偽物だ。

 

 だからこそ、クランチは次の言葉を問い返していた。

 

「《ヴォルカヌス》、あれは我が方にガンダムとして登録されています。三年前に設立された概念ですが、違反兵器に相当します」

 

「違反兵器ぃ? 今さらそんな分野で戦ってねぇだろ、てめぇら」

 

 全て織り込み済みだと言うように、女性構成員は口元を緩め眼鏡のブリッジを上げる。

 

「ええ、その通り。ガンダムの遺恨は全て過去のものとなり、我々はこれから先の栄光を築き上げる。お見せしましょう。これがIMF01、《カルラ》です」

 

 女性構成員が案内した格納デッキに佇んでいたのは、巨大な構造物と呼ぶべき代物であった。

 

 両肩に位置する部位にすり鉢状の推進器を有し、背中には怪物の背びれじみた構造物が内側より脈打っている。

 

 それは――ヒトのスケールに落とし込むのならば巨獣の鎧そのもの。

 

「これが……《カルラ》、か。イミテーションモビルフォートレスとか言う」

 

「我々トライアウトブレーメンは、《ネクロレヴォル》との協力による統制の末に兵器の上層概念へと触れました。それこそが来英歴の人間の手による聖獣の模造、魔獣の建造です」

 

「魔獣、ねぇ……。これだけでどれだけの街が焼ける?」

 

「世界主要都市だけならば、三十分あれば陥落出来るでしょう」

 

 何の疑問も差し挟まずにスペックだけを報告する構成員に、クランチは笑みを刻んでいた。

 

「……いいじゃねぇか、《ヴォルカヌスカルラ》……こいつと一体になって神とやらを騙るのも悪くねぇ。何よりも……もう俺に怖いものなんて何一つねぇんだ。クリアになった意識ってのは、いつだって自分を最善の状態にする。これもそうさ、目に見える形での力の誇示。人間はいつだってそんなもんで成り立ってきたんだからな」

 

「クランチ・ディズル様。これより、《カルラ》のコアユニットへと《ヴォルカヌス》を統合、結合する事でその性能を十全に発揮出来るようにいたします。トライアウトブレーメン直下の戦力として、これよりあなたには――宇宙に上がってくる全ての存在を、迎撃してもらいます」

 

 それは先ほどダーレットチルドレンが言ってのけた事実と合致するが、自分がもたらされたのはさらに高次の命令権である。

 

「いいのかねぇ……俺はこれから先、人類を宇宙に上げるなって言われているんだぜ? それはつまり、もう来英歴の人間共には先がねぇってこった。その意味、分からないほど馬鹿じゃねぇだろ?」

 

 女性構成員は紅を引いた唇に笑みを浮かべていた。

 

「それこそが求められる未来であると言うのならば」

 

「受け入れる、かよ。じゃあよ、ついでにその作り物の身体で俺を受け入れてくれよ。こういう性質はよく居たクチだろ?」

 

 迫ると女性構成員は分かり切った言葉を吐く。

 

「……人に見られてしまいます」

 

「構わねぇさ。そっちだって承知の上のはずだ」

 

 女性構成員の唇を塞ぎ、直後には悪徳の情欲が溢れ出す。

 

 恐怖するものが何一つない、澄み渡った意識の中でクランチは動物的な本能で腰を動かしていた。

 

「ああ、これは……たまんねぇな。世界を手にする、英雄の目線ってのは」

 

 喘ぐ女性構成員の声が格納デッキの隅に残響する。

 

 その中でクランチは不意に浮かび上がった声に意識を取られていた。

 

 ――あなたは幸せですか?

 

「……何だと……?」

 

「……クランチ様……?」

 

 熱を帯びた呼吸の女性構成員を前に、憤怒が這い出てくる。

 

 封殺したはずの感情が汚泥のように浮かび上がり、直後には暴力で相手を屈服させていた。

 

 その声に聞き留めた名前を重ね、クランチは引き裂きかねない力で何度も泥を吐き出す。

 

「……ふざけるな、ふざけるなよ……カトリナ・シンジョウ……てめぇだけは……この世に女として生まれた事を……後悔させながら殺してやる……! てめぇだけは……俺の獲物だ……!」

 

 悪欲の渦巻く宇宙で、クランチは奥歯を噛み締めていた。

 

 



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第252話「後戻りできない戦地へと」

 

「IMF02の索敵範囲には出来るだけ入らないように、それでいて《サードアルタイル》のパーティクルビットの有効範囲内で、ね……。なかなかに無茶な作戦を立案したものだわ」

 

 ブリギットの管制室でピアーナの艦長席兼電算椅子にもたれかかり、バーミットはコーヒーを差し出していた。

 

「バーミット様? ……そろそろオフィーリアに戻られたほうが……」

 

「最後の最後まで、ここまで甲斐甲斐しくするような義理もないでしょ? ……贖罪のつもりなら、やめておきなさいって言うのが、あたしの本音」

 

 ピアーナは電算作業を一端止め、差し出されたマグカップを手に取っていた。

 

「……あたたかいですね」

 

「あたしの特製ブレンド。感謝してよね、あたしがお茶入れるなんて、もうとっくの昔にレアになってるんだから」

 

 コーヒーを啜るバーミットとピアーナは視線を交わして、それから笑い合う。

 

「……何で笑えているんでしょうね、わたくし達は。殺し合っていたのに」

 

「あんたが自分の中に溜まっていた澱みたいなのを吐き出したからかもね。話は一応、レミア艦長と一緒に聞いたけれど……にわかには信じ難い事実ね」

 

「ですがバーミット様は戯言ではなく、事実と思ってくださっているのですね」

 

 こちらの呼吸にバーミットは茶目っ気たっぷりにウインクする。

 

「そりゃー、あんた、カワイイからね。信じるに足る要素なんてその程度でいいのよ、その程度で」

 

 バーミットの生き方はいつだって自由だ。

 

 ベアトリーチェで拾われた時も、彼女は最初に自分の身を案じてくれた事を思い出す。

 

「……あの、ベアトリーチェでは……すいませんでした。誰も信じられなくって……あの時は」

 

「何の話? あたし、覚えていなくっていいことはすぐに忘れる性質だからね」

 

 その立ち振る舞いが今はありがたい。

 

 過去に囚われずに済むからだ。

 

「……ですが、これは奇縁でしょうね。わたくしはカトリナ様を……拾われる前から知っていたんですから」

 

「その話、全部が全部話したわけじゃないでしょ? カトリナちゃんのお婆様ってのはどういう人だったの?」

 

 電算椅子にもたれかかってきたバーミットに、ピアーナは顎に手を添えて思案する。

 

「そうですね……ちょうど貴女のように……奔放な方であったと記憶しています。ハイデガー様をよく困らせていました。テスタメントベースで生きていくしかないと宣言された時も、それほど驚いていらっしゃらなかった気がします」

 

「ふぅーん、じゃあいい女だったって事だ」

 

「……ええ、偉大な女性でした。ハイデガー様もあのような方だから、添い遂げようと思われたのでしょうね」

 

 コーヒーに口をつける。

 

 少し苦みばしった味が先行したが、そこから先は溶けるように甘い。

 

「そのハイデガーって言うの、どうしてもあたし達は思い出せないんだけれど、でも居たのよね? ベアトリーチェに」

 

「ええ、途中で下船されましたが最初から居たメンバーのはずです」

 

「じゃあ、あたし達はとんだ重石を……カトリナちゃんに背負わせたみたいなもんか。みんなが忘れてしまった人間の事、いつまでも憶えておくなんて常人の域じゃないもの」

 

 言葉尻は沈んでいたが、それでも割り切っているのが窺えた。

 

 分かっている、バーミットはそういった人種だ。

 

 ある程度までは現実と理想の境目を理解し、割り切れる。

 

 しかし、カトリナはそうではない。

 

 きっと彼女にとっては相対する自分共々、何もかも巡らせる思い通りにいかなかったはずだろう。

 

「……苦いですね」

 

「足りないなら砂糖を入れなさい。そうやって人生を生きていくしかないのよ、所詮他人なんてね。その都度都度で、分かりやすい人間関係に集約されるしか、道なんてない。それは誰かを愛する事だったり、誰かを憎む事だったりするんでしょうけれど、そればかりは強制出来ないから」

 

「……バーミット様は、でも、その振る舞いでカトリナ様を救ってくださったのですね。それはよく分かります」

 

「そう? あんたも分かるようになったってわけか。ま、五十年も前から居たんじゃ、大人のレディ通り越してお婆ちゃんだけれどね」

 

 軽口が今は愛おしく、ピアーナは微笑みかける。

 

「……カトリナ様を、わたくしは守りたい。今度こそ、この心に迷いなく、自分のために……。それは、いけないのでしょうか?」

 

「誰も強制出来ないわ。だってあんたの人生なんだもの。この世に生まれて、走り出したら誰も止めてなんてくれない。その時々でアドバイスをくれる人は居ても、最後の時まで一緒に走り抜けてくれる人は滅多なものじゃ出来ないわ」

 

「……バーミット様は、そういった方はいらっしゃったのですか?」

 

「……どうなのかしらね? これでも恋愛体質のつもりだったけれど、もう、そういうのを遠巻きから眺めるのが好きになっちゃってさ。あーあ! レミア艦長みたいに枯れたつもりもないってのに!」

 

「……聞こえますよ?」

 

「いいのよ、聞かせるためにデカい声出してるんだから」

 

 バーミットの自由奔放さはきっと、誰にも縛られないからこそだろう。

 

 皆が自分を守るために、自分の殻に誰かを引き入れないために、線を引く。

 

 線引いた先は他者の人生、他者の領分だ。

 

 しかし、バーミットはその線を時折、強引なほどの言葉と行動で飛び越えていく。

 

「……バーミット様のような在り方は、純粋に眩しいですよ。わたくしには……特に」

 

 面を伏せた自分の名をバーミットが呼ぶ。

 

 反射的に顔を上げると、頬を指差されていた。

 

「かかった。あんたも結局さ、長い時間を生きてきたとは言え人間なんだと、あたしは思うわよ? カワイイんだからさ、ダイキ中尉といい感じになっちゃいなさいな」

 

「……クラビア中尉は関係ありませんよ」

 

 ふふっ、と笑ってからバーミットは身を翻す。

 

「まぁ、頑張りなさい。あんたなりの納得いく答えをね。それが誰かと恋する事でも、誰かを慈しむ事だってどっちでもいいのよ。だって、あんたの人生はあんたのものだって、ハイデガーは言いたかったんでしょうし」

 

 ハイデガーは自分を自由にしたかったのだろうか。

 

 外の世界を知らぬ籠の鳥。

 

 鳥籠に囚われたままの自分を、救い出すために、彼は五十年の時を超えたのだろうか。

 

 だとすれば、返し切れない恩義が、彼とひいてはカトリナにはある。

 

「……わたくしは、もう取りこぼすのは嫌なんです。だって自分の努力でどうにでも出来た。どうにでも……未来を描けると言うのなら……わたくしは……迷わずに行きます」

 

 バーミットはわざと返答せずに立ち去っていた。

 

 覚悟は決まった、とピアーナは電算椅子に手を翳し、全ての広域ネットワークを拾い上げる。

 

「ブリギット所属のトライアウトネメシス……いいえ、最早そのような別は不要でしょうね。ブリギットを守護する皆様はクラビア中尉の《シュラウド》をリーダー機としてIMFには対応してください。これより我々は……IMF02、《ティルヴィング》撃退とそして聖獣の心臓を確保すべく行動します」

 

『艦長! どかーんとやってやりますよ!』

 

 ネットワークの一つが拾い上げたダイキの声に、ピアーナは諌める。

 

「クラビア中尉、油断はしないよう。貴方の指揮一つで連隊が墜ちかねません」

 

『ですが、艦長は俺の事は信用してくれている、そうでしょう?』

 

「……本当、貴方は食えない……。作戦指示書には目を通しておいてください。メイア・メイリス? 艦内待機を命じていましたよね?」

 

『ボクでも乗れそうなのがあったから、これ使う事にするよ。一機でも戦力は欲しいでしょ? 《レグルス》だっけ?』

 

『メイア・メイリス。《レグルス》のミラーヘッドには慣れているか?』

 

 メイアに声をかけたのはダビデであり、彼女はマニュアルを差し出していた。

 

 メイアは一読するなり、コックピットの隅に置く。

 

『大体分かった』

 

『大体って……その程度の読み込みで、貴様……』

 

『あのさー、ボクはこれでもエージェントなの。もうちょい信用してよ。ねぇ、艦長?』

 

 そのやり取り一つでも今の自分にとっては勇気となる。

 

 微笑みをこぼし、ピアーナは通信域に呼びかける。

 

「ダビデ・ダリンズ。貴女はこれまで通り、トライアウトジェネシスの流儀でお願いします。そのほうがきっと、編隊としても動きやすいはず」

 

『了解した。……リクレンツィア、とか言ったな? カトリナ・シンジョウに声をかけないでいいのか?』

 

「……貴女も存外、お人好しですわね」

 

『……放っておけ。これでも彼女にほだされたクチなのでな』

 

 もちろん、カトリナには呼びかけるつもりであったが、それは最後でいい。

 

『アルベルト様、オフィーリアの作戦行動は任せていますが、わたくしのアイリウムの調整は如何です?』

 

『“マテリアです! もうオリジナルのわたくしとは違っているんですから、その辺理解するよう!”』

 

『あっ、てめぇっ……勝手に通信チャンネルをオンにするんじゃねぇよ。……ピアーナ、オレはお前の立ち位置とか、立場とか理解したとは言わねぇ。だが、抱えて来たもんは――』

 

『“アルベルトさん! こっち、調整甘いですよ! 何やってるんです!”』

 

『ああっ、もう! てめぇはカッコつけさせてもくれねぇな、マジに! ……まぁ、何っつーか、大丈夫だ、こっちは』

 

「そうですか。安心しました」

 

『RM第三小隊より入電。《サードアルタイル》のパーティクルビットには前衛として入ります。……話すの、久しぶりですよね、ピアーナ』

 

「……ユキノ様。生きていらして……いいえ、それもまた侮辱ですわね」

 

『いいのよ、別に。ただ……案外喋る機会もなかったなってだけ。帰還したら、面白い話をいっぱい聞かせてちょうだい。通信終わり』

 

 ピアーナはネットワークに接続された一部に、一瞬気取られていたが、持ち直して繋ぐ。

 

「……ゴースト、スリー、生きているとは……」

 

『リクレンツィア艦長、私のような人間にはわざわざ通信は不要です』

 

「そうは……いきません。貴女はわたくしの作戦の犠牲者――」

 

『そういうのも、やめにしましょう。私の今はゴースト、スリーではなく、シズク・エトランジェ。死に損なった人間が背負うのに相応しい、そんな記号です』

 

 彼女もまた運命を振り切ったのかもしれない。

 

 ようやく安堵した心地のピアーナは最後の二つのどちらを優先すべきか一瞬だけ逡巡したが、やがて接続していた。

 

「……エージェント、クラード」

 

『何だ? 《ダーレッドガンダム》のスペックは渡したはずだろう』

 

「いえ、そうではなく……。貴方はわたくしを、軽蔑しないのですね」

 

『軽蔑すれば満足だったか』

 

「……貴方はどこかで、分かっていたのではないのですか? わたくしがこんなにも脆く、そして弱い事を。だから三年前、撃たなかった。殺す必要もない程度だと明け透けだったから……」

 

『そこまで他人を評価出来るほどの人間だとも思っていない。俺は常に俺の判断にはその場その場で準じているだけだ』

 

「……分かった風な事を、言っていたのはわたくしのほうかもしれませんね。貴方は、そんなに簡単ではなかった」

 

『今さらでの出来事だ。これ以上、時間を引き延ばすな』

 

 相変わらずの朴念仁だ。とは言え、クラードには言っておかなければいけない事もある。

 

「……ハイデガー様の事、貴方は憶えていたと言うのは、本当だったのですか……。皆が忘れてしまった後でも……」

 

 震える声の問いかけに、クラードは別段、飾ったわけでもなければ驕ったわけでもない。

 

 ただ自分の感情に素直であっただけだ。

 

『憶えていたからと言って意味があるわけでもない。ヒトは思い出の中で生きられる。誰かが思い出として認識して初めて意味があるのだろう。そういう点ではお前がカトリナ・シンジョウに話した事でハイデガーの生には意味が出来たと言えるはずだ』

 

「意味……ハイデガー様が別れる間際、わたくしに貴方とカトリナ様を頼むと言ってくださったのは、それも意味があったのでしょうか? 未来で出会うという事を、理解して……」

 

『考えたって安きに似たりだ。どうせ、俺達は後付けの意味で戦うしかない。ピアーナ、勝てる作戦をくれ。それ以外に俺は要らない』

 

 切り詰めた――と言うよりも心底それ以外に必要性を感じていないと言う声音に、ピアーナはようやく了承出来ていた。

 

「……クラード、わたくしは貴方に、感謝しなければいけないのかもしれませんね。貴方の行動でわたくしは救われた。それは間違いでも何でもないのですから」

 

『行動に伴っての結果なんて、どうせ意味を見出すのは後世でしかない。俺達は、今を覆すために抗うだけだ』

 

「そうですわね……貴方はいつだってそうでした。わたくしが失念していただけの事。……エージェント、クラード。作戦行動を期待します」

 

『了解した』

 

 それで通信を切る事に、自分はどこかで安息さえも感じているのだ。

 

 余分な言葉など必要ない。

 

 こうして、片道切符の約束で、満足出来るのならば。

 

 最後の最後、後回しにし続けた結論に、ピアーナは手を伸ばしていた。

 

「……カトリナ様」

 

『……ピアーナさん? 作戦行動に何か支障でも……?』

 

「いえ、そうではなく……。詫びるべきなのは、間違いないですから。わたくしは間違えていた、間違え続けて、そして貴女を……殺してしまうところだった。ハイデガー様との誓いも忘れて……」

 

 沈痛に沈んだこちらの声音に、カトリナは応じていた。

 

『……大丈夫ですよ。だってピアーナさん、信じてくださっていたでしょう? 敵同士になっちゃった時は、辛かったですけれど、それも込みで、私達なんだと思います。どんな人間だって、間違いを犯さない事なんてないですし。私達は間違えながら、そうやって少しでも……自分の信じるに値するものを、信じられるんでしょう』

 

「自分の信じるに値するもの……」

 

 かつて希望を見た。

 

 ハイデガーの姿に、そしてカトリナの振る舞いに。

 

 だがそれは、仕組まれていた出会いであったかもしれない。

 

 ハイデガーの予言通りに事は進み、そして自分はベアトリーチェの面々と出会った。

 

 それが正しかったのか、間違っていたのかは結局、後世の人間が決める事。

 

 自分達は、正しいと信じた場所に赴く程度でしかない。

 

 その程度でしか、ないのだ。

 

「……構えたところで仕方はない、か。わたくしとした事が、クラードに教えられるなんて思いも寄りませんでした」

 

『クラードさんが? ……でもそれって、多分クラードさんも、ピアーナさんもこの局面にならないと、素直になれなかったんですよ。だから、私は出会いに感謝しているんです。ハイデガーさん……おじいちゃんの事も、それにおばあちゃんの事も、ピアーナさんの口から聞けてよかった。だって、私、こうも満たされているんです。それが聞けたから、覚悟も出来る……。ハイデガーさんの生きてきた意味を、私は感じられるんです』

 

 それこそ、ヒトは思い出の中でしか意味を持たない、か。

 

 ピアーナは瞑目してその言葉を咀嚼した後に、的確な指示を飛ばす。

 

「……カトリナ様。これよりブリギットは独自権限をもって、IMF02へと作戦行動を開始します。作戦概要は打ち合わせた通りに」

 

『はい……。あの、ピアーナさん』

 

「何か? もう作戦行動まで300セコンドを切っていますよ」

 

『いえ、そのぉ……なかった事には出来ない、それは分かります。でも、これだけは。……お帰りなさい、ピアーナさん。私、ピアーナさんが帰ってくれて、とても嬉しいです……っ!』

 

 予想外とはこのような事で。

 

 そして、毒気を抜かれたように呆けた後に、ピアーナはくすっと微笑んでいた。

 

 五十年も前に忘れた笑い方で、何のてらいもなく笑える事もあるのだ。

 

 その奇縁に、ピアーナは一言だけ返す。

 

「……ええ、ただいま、帰りました、カトリナ様」

 

 それで通信を切る。

 

 ブリギット管制室の空気を吸い込んでから、ワンマンの管制室で電子戦闘を実行する。

 

 浮かび上がった半球状の電算椅子からアクティブウィンドウが投射され、ピアーナは手を払う。

 

「作戦開始――ブリギット、出陣!」

 

 



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第253話「閃光の果て」

 

『頭には入ったか、ってよ』

 

 サルトルの声が響き渡る中で、クラードは《ダーレッドガンダム》のコックピット内で鎧のパイロットスーツを着込む。

 

「何が。作戦概要なら、打ち合わせたでしょ」

 

『そうじゃないだろ。……ったく、お前さんは、相変わらず素っ気ないと言うか、何と言うかな……。期待の新人に言ってやる事も、ピアーナ嬢に言ってやる事ももっと多かったんじゃないのか?』

 

「言葉を重ねたって仕方ない。……それに、別段死にに行く気もしないんだ。俺は、聖獣の心臓を手に入れて、ここに帰ってくる。なら、それでいい」

 

『かもしれんがなぁ……。オジサンとしちゃあ心配だよ。お前さんらの関わり合いってのは、どうにもなぁ……淡白と言うか何と言うか』

 

「サルトル、ベテルギウスアームの修繕、出来たんだよね? 途中で動かなくなった、じゃ話にならない」

 

『そりゃあ、心配するな。ティーチ女史と仕上げた完璧な仕事だ。トーマの奴も太鼓判を押してやがったし、今回は壊れるなんて事はないだろう』

 

 クラードは《ダーレッドガンダム》の武装の中にあるビームマグナムの仕様を確かめてから、管制室からの声を聞いていた。

 

『出撃位置に。《ダーレッドガンダム》、カタパルトデッキへと。……頼んだわよ、クラード。前回みたいに無茶しないでよね』

 

 バーミットの小言にクラードはインジケーターを調整する。

 

「前回は出端を挫かれた。倒すと決めればそれ以外にない」

 

『そりゃあ頼りになる事で。……言っておくと、IMF02、《ティルヴィング》とやらはほとんど動いていないみたい。いいえ、動けないのかもね。デカブツだから』

 

「聖獣の心臓を掴もうとすれば、会敵は避けられない、か」

 

『それもそうなんだけれど、妙でもある。解析班のデータによると、あの大きさの巨体となれば、冷却装置が膨大に必要になるらしいのよ。だって言うのに、前回のような動きをしてくれば熱暴走しているはず』

 

「……相手も何かしらの策略があるという事か」

 

『そうでしょうね。狙い目がなければ聖獣の心臓を狙って鉢合わせなんて事もないでしょうし……』

 

「……奴の狙いも、聖獣の心臓、か」

 

『だとすれば頷けてくる、ってだけの話。じゃあね、クラード。あんた、カトリナちゃんを泣かせるんじゃないわよ』

 

「何でカトリナ・シンジョウの名前が出てくる」

 

『あんたってば、そろそろそのトーヘンボクも直したほうがマシに……まぁいいわ。あんたらしいと言えばそうだし』

 

「バーミット。俺は作戦を遂行し、そして帰還する。その前提を間違えなければいい」

 

『そうね。その程度でもまだ真っ当になったと思うべきなんでしょう。《ダーレッドガンダム》、リニアカタパルトボルテージを上昇。発進どうぞ』

 

「了解。《ダーレッドガンダム》、エージェント、クラード……」

 

 そこで一拍呼吸を置いてから、クラードは接続口へと腕を翳す。

 

 途端、可変した腕を伝導させて電位が頭蓋を射抜き、痺れた感覚と共に奥歯を噛み締める。

 

「……お前を駆るのは……俺の役目だ……! 迎撃空域に……先行する!」

 

 青い電流を迸らせて《ダーレッドガンダム》が空域を引き裂いていく。

 

《サードアルタイル》が最後尾につき、出撃した全機を俯瞰出来る立ち位置だ。

 

 ブリギットからもダビデを嚆矢としてMS部隊が出撃していく。

 

 前回は聖獣の心臓の回収目的であったため、戦闘編成にしては脆弱であった。

 

 今回は密集陣形を取り、即座に《ティルヴィング》に対応出来るようにそれぞれの背中を任せている。

 

「……しかし、あれはまだ、動きもしない……」

 

 天を衝く威容の《ティルヴィング》に対して、クラードは《ダーレッドガンダム》の武装を変更させていた。

 

「ベテルギウスアーム、接続。ビームマグナムで牽制銃撃する」

 

 右腕を沈み込ませた白銀の鉤爪を固定させ、その掌底部へとビームマグナムの撃鉄部分を接合させる。

 

 一本の砲身と化した右腕武装を掲げ、クラードは敵影を睨む。

 

「エネルギー充填……行ける」

 

 引き出されたのは黒白の砲弾であった。

 

《ティルヴィング》へと突き刺さるなり、その装甲が裏返り、世界を引き裂く絶叫が木霊する。

 

 ライドマトリクサーの電位を掻き毟る声に、クラードは歯噛みする。

 

「……効いているにしたって、この声は……」

 

『クラード、奴さんが展開する前に、ある程度は損耗させておく! ミラーフィーネを起動するぞ!』

 

 アルベルトの駆る《アルキュミアヴィラーゴ》が上昇し、一定高度へと到達した瞬間に蒼い皮膜を拡張させる。

 

 ミラーフィーネ機構は自陣でさえも巻き込みかねない諸刃の剣――だからこそアルベルトはRM第三小隊の小隊長としての任務は半ば捨て、ユキノの《アイギス》へと後を任せていた。

 

《アルキュミアヴィラーゴ》が斬り込み、敵のミラーフィーネの効力を確認次第、《サードアルタイル》のパーティクルビットを広域展開――それで事は足りているはずだった。

 

 この時、地面から浮かび上がった触手じみた機動兵装を予期出来ていれば。

 

 大地を突き破り、揺らめく触手がMS部隊を捉えんとする。

 

「……まさか、張られていた……?」

 

 否、相手は動かなかったのではない。

 

 動く必要性がなかったのだ。

 

 ここに来て、自分達を確実に迎え撃つのにはミラーフィーネの射程へと完全に捉えなければいけない。

 

 だが、こちらには前回の策がある。

 

 それさえも凌駕して――最初から、ミラーフィーネを考慮に入れての攻勢。

 

 だとすれば全て、裏返る。

 

「RM第三小隊! ここは相手の触手を回避に専念しろ! そうでなければ……」

 

 こちらの懸念が直後には現実となっている。

 

《アイギス》はその脆い装甲の弱点を晒し、捉えられた直後にはひき潰されていた。

 

 見知ったパイロットの断末魔が通信網に焼き付いたその時には、クラードは《ティルヴィング》を睥睨する。

 

「……貴様は……貴様は……ッ!」

 

《ティルヴィング》本体はまるで不動の状態。

 

 しかし、脅威判定は前回よりも上だ。

 

 こちらを完全に敵だと判定している。

 

 確実に潰す手を講じるために、動かない振りをしていただけ。

 

《ティルヴィング》がオォンと吼えたその直後には、触手を発端として赤い拡散磁場が覆っている。

 

「……まさか、局所的なミラーフィーネを……!」

 

『クラード! そっちに戻ったほうがいいんじゃ……このままじゃジリ貧だ!』

 

 判断を乞いかけて、クラードはいいやと頭を振る。

 

「相手からしてみれば……密集陣形は狙いやすかったと言うわけか。アルベルト! そっちは別経路から《ティルヴィング》を抑えてくれ! そうでなければ読み負ける……!」

 

 僅かな逡巡を浮かべたのも一瞬、アルベルト自身も戦士だ。

 

《アルキュミアヴィラーゴ》は高空に位置して一目散に《ティルヴィング》を目指して疾走する。

 

 問題なのは、こうして足を止めている自分達のほう。

 

「……相手からしてみれば、わざわざ網にかかっただけじゃない、位置関係も最悪だ。ユキノ! RM第三小隊を散開させろ! その後に、パーティクルビットを纏わせて――!」

 

『やってる! やっているけれど、相手の速度があまりにも速くって……!』

 

 ユキノの悲鳴じみた通信網の先で触手を避けられなかったメンバーの《アイギス》が叩き潰される。

 

 ミラーヘッドを封じられ、武装のことごとくを無効化された状態ではもがく事も出来ない。

 

 クラードはまるで生殺しのこの状態で、《ティルヴィング》の装甲が次々と変移し、赤い眼を無数に備えているのを目の当たりにしていた。

 

 装甲表面が裏返り、砲身が出現する。

 

 それぞれが照準したのを関知した瞬間には、クラードはビームマグナムの砲身に熱を通していた。

 

 敵機のアイカメラを狙い澄ました一撃を叩き込むが、それでも相手の触手の勢いは削がれない。

 

「……触手そのものに、感覚器を有している可能性もあるのか……。どこまでも厄介な……魔獣だな」

 

 砲撃を見舞いつつ、クラードは殿を務める《サードアルタイル》のおっとり刀の援護を得ていた。

 

 少しずつ、しかしながら確実な手段をもって、パーティクルビットが押し包んでいく。

 

『クラードさん! 俺の出来る事は少ないですから、前へ……!』

 

「グゥエル・レーシング……感謝する!」

 

 アルベルトの機体と共に上下から挟み込むようにして屹立した敵影を捉える。

 

「……バーミットの話では、この巨体の維持には相当なエネルギーを擁するはずだ。どこかに冷却装置でもあるとは言われていたが……」

 

 しかし鯨の威容を誇る相手にはどこにも継ぎ目でさえもない。

 

 本当に機械仕掛けなのかさえも怪しい魔獣が深く長く、咆哮する。

 

 それはまさに鯨の声にも似て――戦場を圧倒していた。

 

『クラード! 《アルキュミアヴィラーゴ》のミラーフィーネは確実に発動している! ……距離を判じて敵の懐に潜り込み、それで近接戦闘に移るのが、あのダイキとか言う軍人の戦法だったはずだ!』

 

 クラードは《ティルヴィング》へと幾度か砲撃を与えるが、まるで効いた様子もない。

 

 ここは、とビームマグナムを格納し、右腕の鉤爪を開いていた。

 

「……格闘戦で、やるしかない、か」

 

 ベテルギウスアームを拡張させ、敵機の装甲へとゼロ距離の掌底を爆ぜさせようとして、瞬間的に放出された火力を前に封殺されてしまう。

 

 まるで圧倒的。

 

 砲撃網が弾幕を張り、MS一機分程度の火力では到底太刀打ち出来ない皮膜。

 

 それを前にして、クラードは後退を強いられていた。

 

 パーティクルビットの守りがあるとは言え、それでも前進を続ければ以前のような無理な戦局に転がりかねない。

 

 加えて自分は戦力の要だ。

 

 そう簡単に墜ちるわけにはいかない身分がこの時、《ダーレッドガンダム》とクラードを膠着させていた。

 

「……身勝手に立ち向かえればまだ楽なんだがな……」

 

 上空にて《アルキュミアヴィラーゴ》がビームジャベリンを振るい上げ、斬撃を浴びせ込んでいたが、それでさえも蚊が刺した程度でしかないのだろう。

 

 一斉砲撃の火砲が白銀の機体の装甲を流れて行き、接近戦に持ち込ませない。

 

『クソッ! どうしろってんだ、こんなの……! おい、ダイキとか言うの! 前みたいな戦法は通じないぞ、これ……!』

 

『分かってんよ、そんな事は……それよか、相手の張った触手の戦法はこうもいやらしいとはな……! こっちの足を止められている! 思うように展開も出来ないぞ、こりゃあ……!』

 

 ダイキ達のブリギット出撃部隊は触手の網に阻まれ、それらを斬り据えて行く事に必死でまるで作戦が成り立っていない。

 

 現状、《ティルヴィング》に肉薄せしめたのは自分とアルベルトの機体だけだ。

 

「……この状況でさえも、まだ僥倖だって言うんだから、どうしろって言うんだ……」

 

《ティルヴィング》を滅する術はまるで思いつかない。

 

 この土壇場において、時間をかければ逆効果なのは目に見えている。

 

 ――否、一つだけ、方法はあった。

 

 だが、それは禁術だ。

 

「……《ダーレッドガンダム》のパラドクスフィールドを再び全開にして……《ティルヴィング》をこの事象宇宙から……消し去る……」

 

 浮かべた策にアルベルトは必死の抗弁を振る。

 

『待て! 待つんだ、クラード! お前に二度も三度もそんな苦しい真似をさせて、堪るかってんだ! だって、しんどかったんだろ! 辛かったんだろ! だって言うのに、オレ達は欠片も憶えちゃいなかった! あんな事……二度も三度も、味わわせるなんて……生き地獄だろうが……!』

 

《アルキュミアヴィラーゴ》が敵の火砲を回避しつつ、ミラーフィーネの蒼い皮膜を拡散させるが相手との出力差で拮抗状態にもならない。

 

 まるで燃え尽きる前の松明の灯りだ。

 

《ティルヴィング》と言う大火を前にして、《アルキュミアヴィラーゴ》だけでは届く気配もない。

 

 ここでしかし、自分が迷っているような時間もないだろう。

 

 クラードは覚悟を決めていた。

 

「……レヴォル・インターセプト・リーディング、コミュニケートサーキットを起動。……やれるな? 《ダーレッドガンダム》」

 

『コミュニケートモードを30セコンド限定で稼働。“パラドクスフィールドの閾値を最大まで設定すれば、なるほど、《ティルヴィング》ほどの巨体でも事象宇宙から消し去る事は容易い”』

 

「……それを実行出来るのかと、聞いている」

 

『“可笑しな事を言う。今言った通りではないか。事象宇宙から消し去れると”』

 

「……間違いはないんだな? ハイデガーの時のように、時間跳躍の結果としてこの時空に居なかった事になるだけでは、ないのだな?」

 

『“レコードされていない情報だが、パラドクスフィールドの最大出力で《ティルヴィング》を消し去った場合、相応の対価が訪れる事は予期される。果たして、物事を忘れる程度で済むかどうかは観測不能だ”』

 

「……覚悟の上だ」

 

『“了承した、そちらに従おう。――パラドクスフィールドの設定を最大値に”』

 

 途端、白銀の鉤爪は七色の輝きを抱く。

 

 掌より浮かび上がった極黒の事象平面への干渉磁場が混じり合い、黒と色彩が流転する。

 

『……クラード……本気だってのか……。ハイデガーを忘れる程度じゃ済まないんだぞ……! 今度こそ絶対……お前は致命的な何かを……』

 

「アルベルト。もう俺は、失いながら戦っていくしかない。そうでしかないと今、規定した」

 

『だが、そりゃあ……』

 

 分かっている。修羅の道だという事くらいは。

 

 それでも、前を行かねばここで退路はない。

 

 道を阻む者は迷わず排除せよ。

 

 そしてこの次元に後悔や血飛沫を舞い散らす前に――圧殺してみせろ。

 

「《ダーレッドガンダム》……パラドクスフィールドを――」

 

『駄目――っ! 駄目です、クラードさん!』

 

 通信網に不意に咲いた声に、クラードは代償の掌底を放つ前に硬直していた。

 

「……カトリナ・シンジョウ……?」

 

『ミュイ! クラードがくるしいなら……だめ!』

 

「……ファム、も……か?」

 

 オフィーリアからスクランブルを果たした《オムニブス》は、触手に阻まれた空域を滑走し、そのまま地表へと降り立っていた。

 

 そこには大地に根を張ったままの第六の聖獣の臓腑がある。

 

《オムニブス》が推進剤を焚いて緩やかに着地し、聖獣の心臓を掴み取る。

 

「何を……何をやっている! ここは戦闘空域だぞ……!」

 

『分かって……います! 分かっていて、ここまで来たんです! 私もファムちゃんも……半端な覚悟でクラードさんに……その力を使って欲しくないんです……っ!』

 

『ミュイ……、こどう、きこえるよ……。カトリナ、まだろくばんめ、いきてる……』

 

『生きてる……? じゃあなおの事……! クラードさん、聖獣の心臓を……!』

 

 内蔵火器で地表へと固定された聖獣の心臓を引き剥がし、明らかに荷重を無視した《オムニブス》が舞い上がろうとする。

 

『わわっ……パワー不足……? そんな……!』

 

「カトリナ・シンジョウ! ファム……!」

 

 クラードはその手を伸ばす。

 

 破壊の右腕を一度手離し、《ダーレッドガンダム》のマニピュレーターが《オムニブス》に触れていた。

 

 瞬間、照準警告が鳴り響き、崩壊の火力が自分達を押し包まんとする。

 

 閃光の果てに――クラードの意識は消失点の向こう側へと没していた。

 

 



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第254話「其れは事象を射抜く砲撃」

 

 右手を伸ばす。

 

 何も考えられないまま、ただ虚空に。

 

 その手を取るものは居ないと、そう思っていたが――クラードはカトリナに手を握られていた。

 

 四方と重力が消え失せた白いだけの空間で、ファムを傍らに抱くカトリナと、自分達は指を絡ませる。

 

「……何で……」

 

「クラードさん……? ひゃぁう……っ!」

 

 途端、戻ってきた重力でカトリナは尻餅をついていた。

 

 ファムもカトリナの重さを煩わしそうに声にする。

 

「ミュイー! カトリナ、おもいー!」

 

「ご、ごめんファムちゃん……って、ここ……どこ……?」

 

「……ここは……」

 

 何度も堕ちて来たから分かる。

 

 ここは――件の煉獄のはず。

 

 だと言うのに、平時の記憶を持ち越したまま、カトリナとファムまで堕ちてきている。

 

「……どうしてなんだ。どうしてカトリナ・シンジョウとファムまで堕ちてきている……」

 

「――貴様らが咎人だからに、決まっておろう」

 

 発せられた声の主に、クラードは身構える。

 

 咄嗟にカトリナとファムを庇うように前に歩み出て、対峙していた。

 

「……エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー……!」

 

 忌々しげに放った名前に、カトリナは困惑しているようであった。

 

「……えっ、何で……。だって、あなたは月のテスタメントベースで……」

 

「あの時の小娘だな? そして……ここに我と共に同時存在する事、それそのものが罪深き……理解はしておろう。彼奴等の手の、悪の娘よ」

 

「……ファムの事を知っているのか?」

 

「そうか、貴様には見せていなかったな。メイア・メイリスには見せていたが、それはやはり不足であったか。エージェント、クラード。堕ちてきた意味くらいは分かっておろう」

 

 前後の記憶を確かめ、クラードは詰問する。

 

「……ベテルギウスアームのパラドクスフィールド……空間跳躍の際、お前と《ダーレッドガンダム》は示し合せていたな? 貴様らには……全て分かっての事だった……! ハイデガーの事も……《ダーレッドガンダム》の性能も……!」

 

「そう睨むな。我とて貴様に叡智を持たせられないのは辛いのだ。クラード、貴様は何も思い出せず、記憶出来ず現世へと戻る。その度に、原初の罪を抱いて。しかし、ピアーナ・リクレンツィアの記憶が戻るとは想定していなかったな」

 

「……ピアーナの事まで、知っていたのか……」

 

 驚嘆するこちらへと、白の老人は哄笑を上げる。

 

「当然だ。我は全能、貴様らの呼ぶ“月のエーリッヒ”だと言うのに。だが“惑星のエーリッヒ”がここまで手を講じているとは想定外であった。我の関知範囲の外で、ピアーナ・リクレンツィアと未来で出会えるように仕組んでおるとはな。そこまでの者だとは看破出来なかった」

 

「……貴様の思い通りにばかり……ならないというわけだ……!」

 

 鋭く返すなりエーリッヒは口元に深く笑みを刻む。

 

「……待って……っ、待ってください……! あなたは……月のテスタメントベースの時点で……私が“惑星のエーリッヒ”の……ハイデガーさんの孫娘だって、知って……」

 

「惑わされるな、カトリナ・シンジョウ。こいつはただ、全能を気取っているだけに過ぎない」

 

「だが貴様らの言うところの全能者とは、このような者の事を言うはずだ。そして、彼奴等の忘れ形見と一緒とは。どこまでも人界とは度し難い」

 

 ファムへと視線をくれるなり、嘲笑したエーリッヒにカトリナがそっと彼女へと肩を寄せる。

 

 それでも、ファムは噛み付いていた。

 

「ミュイ! クラード! このひと、いやなひと!」

 

「これはこれは。嫌われてしまったな」

 

「まやかしを弄するな。エーリッヒ、何故この二人までここに堕ちた? 俺だけのはずだ、この煉獄に堕ちるような人間は……」

 

「煉獄……って、ここが……? じゃあ私達、もう死んで……」

 

「死んではいない。そのはずだ。いいや、死後の世界もこんなものかもしれないと言う、諦めはあるがな」

 

 だがエーリッヒがこうして現れたという事は、単純な死に集約はされないだろう。

 

 何かの意味がなければこうしてエーリッヒは自分達の前に姿を現さないはずだ。

 

 その確証に、クラードは声を発していた。

 

「……《ダーレッドガンダム》の性能か」

 

「察しもよくなったではないか。いや、この煉獄において、全ての記憶を持ち越せるのならば、その状態も当たり前か」

 

「……前回、宇宙からの空間跳躍の際に、お前と《ダーレッドガンダム》のレヴォルの意志は何かを知っているようであった。何がある? 《ダーレッドガンダム》の真の目論みは何だ?」

 

「目論みとは。まるで邪悪そのもののような言い草ではないか。我は貴様の行く末を案じぞすれ、陥れようと言う気はないのだからな」

 

「どうかな。ここにカトリナ・シンジョウとファムが墜ちて来たのが何よりも雄弁に物語っている。……一体、《ダーレッドガンダム》には何がある?」

 

「勘繰るのも別段構わないが、時間もない。ここで言葉を弄しているような余裕もな。IMF02《ティルヴィング》……彼の者達が生み出しし魔獣を葬るのに足る力を……ここに授けよう」

 

 エーリッヒの想定外の言葉に目を見開く自分へと、カトリナは視線を投げていた。

 

「クラード……さん。これって一体、どういう……。私達、死んじゃったんじゃないんですか?」

 

「……死はまだ縁遠いという事か」

 

「死の安息が訪れるのには、まだ早いだけの事よ。貴様も、その小娘もな。そしてファム・ファタールの名を冠する娘よ。彼奴らが生み出したエゴの塊よ。そちらまで堕ちて来るとは完全に考えの外であったが、致し方あるまい」

 

 クラードは咄嗟にカトリナとファムを庇うべく歩み出る。

 

 しかしその腕をカトリナは制していた。

 

「カトリナ・シンジョウ……? 奴は危険だ」

 

「それは……何となく分かります。でも、あなたは……私のおじいちゃんと……同じ名前を持っている。それにはきっと、意味があるはずだから。だから私は……恐れない……っ! クラードさんの後ろに隠れているばかりじゃきっと、駄目だから……っ!」

 

「恐れを押してでも前に踏み出るか。よかろう、その勇気に敬意を表し、ここでの記憶を貴様らは持ち越す。だが一時的だ。そしてクラード、貴様にとっては一部でしかない。魔獣を殺せる兵装を携え、そしてまた! 現世の地獄へと帰って行け!」

 

 途端、足場が重力をなくし、全てが暗礁の闇へと途絶えようとする。

 

「カトリナ……!」

 

「クラードさん……!」

 

 二人の手は、闇の果てへと堕ちかけた世界の中で繋がり――やがて全てが白く弾けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頭蓋に突き立つ電磁の刃が、痛みと共に感覚を取り戻させる。

 

「……ここ、は……」

 

『クラードさん……。今、私達……』

 

 断片的であるが憶えている。

 

 今しがた自分達は、この世にあらざる世界へと堕ち、そして戻ってきた。

 

《オムニブス》が聖獣の心臓を携えている。

 

 クラードは右腕の鉤爪を翳し、手刀を差し込んでいた。

 

「聖獣の心臓よ……! 俺に力を貸せ……ッ!」

 

 世界が裏返り、全ての事象宇宙が後れを生じさせる。

 

 その只中で、自分と《ダーレッドガンダム》、そしてカトリナ達の操る《オムニブス》だけが明瞭な時を刻んでいた。

 

『これって……』

 

「世界が……剥離する……!」

 

 心臓を貫いた右腕が変容していた。

 

 紫色の結晶体を帯び、白銀の鉤爪が鋭く輝く。

 

 クラードはこちらへと一斉掃射を見舞う《ティルヴィング》の火砲へと、ゆっくりと照準していた。

 

「……パラドクスフィールド、最大値に設定。ベテルギウスアーム……これは、変異……?」

 

 システム名がブロックノイズで切り替わり、その武装の名称を紡ぎ出す。

 

 忌むべきその名は――。

 

「……ダーレッド、バスター……」

 

 直後、右腕が可変し、黒白の砲弾を掌底に抱いた一撃が、この時《ティルヴィング》の攻勢よりも先に――全ての現象を塗り替えていた。

 

 発射された一撃が世界の致命的なものに亀裂を生じさせ、「後に撃たれた」という事象そのものを書き換えていた。

 

「……明らかに後から放ったものなのに……」

 

《ダーレッドガンダム》の右腕より放たれた砲弾は時空を書き換え、ブロックノイズを軌跡に生じさせて打ち据えようとした火線を歪ませ、《ティルヴィング》の下腹部へと突き刺さる。

 

 その瞬間、劈いたのは世界を割る絶叫であった。

 

《ダーレッドガンダム》と接続していた自分だけではない。

 

 この場に息づく全ての生命体を拒絶する悲鳴に、電子機器が麻痺していく。

 

「……魔獣の断末魔か……」

 

 直撃したはずの箇所は最初から存在しなかったかのようにそぎ落とされていた。

 

 まるでその部分だけ不格好に切り取られた騙し絵の如く、《ティルヴィング》の下腹部の向こう側の景色が見えていた。

 

 弾道上の重力と生命体を消し去り、砲撃は成されていたのだ。

 

 大地は事象境界線の前に掻き消され、射抜かれた先の光景も壮絶に波打っている。

 

 それは世界に穴を開ける一撃に等しい。

 

《ティルヴィング》が傾ぎ、赤い眼光から戦意が消え失せて行く。

 

 仰げば赤い皮膜は消失し、《アルキュミアヴィラーゴ》がこちらへと合流する。

 

『クラード! 今……一体何が……』

 

 アルベルトの声も今は遠い。

 

 全ての事象が後れを取ったかのように、クラードには感じられていた。

 

「……今、俺は……何を撃った……?」

 

 右腕の鉤爪の合間を黒白の電磁が行き交う。

 

 少しずつ完成を見ていた《ダーレッドガンダム》の兵装が今、まさにこの瞬間にようやくその片鱗を見せたのだけは窺える。

 

 ブラックホール砲でもなければ、それ以外の凡百たる別の兵装でもない。

 

 ――世界と言う理を打ち砕くだけの、禁忌の兵器。

 

「……カトリナ……カトリナ・シンジョウ……! ファム……!」

 

『ミュイぃぃぃ……ななばんめ、こわい……ね』

 

『く、クラードさん……今、私達、どうなったんですか……』

 

 二人とも無事であるようだが、今しがたの現象を解明するような余裕もない。

 

『《ティルヴィング》が墜ちるぞ……』

 

 ダイキの声が通信網に焼き付き、傾いでいた《ティルヴィング》が力なく、その頭部を項垂れようとさせて、地表を見据えたムカデの頭頂部が拡張していた。

 

 内部器官はまるで生物の口腔のよう。

 

 そこから放たれたのは世界を割る怨嗟の咆哮であった。

 

 誰しもが縫い止められたように硬直する中で、クラードは《ダーレッドガンダム》を進める。

 

「……俺、だけだと言うのだろう、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー……ここで奴を仕留められるのは、俺だけだとでも……!」

 

『クラード……さん……?』

 

 カトリナの声にも戸惑いさえも浮かべず、クラードは再び鉤爪の右腕へと熱を通そうとした。

 

《ダーレッドガンダム》の眼窩が煌めき、脈動と共に次弾が逆巻いて発生する。

 

 そう、これは装填などと言う言葉は生ぬるい。

 

 まさに「事象の発生」。禁じられた新たなる黎明の誕生に、世界そのものが鳴動する。

 

 黒白の砲弾を編み出し、《ダーレッドガンダム》が《ティルヴィング》へと照準しようとして、途端に機体内部が暗く沈んでいた。

 

「……何だ……?」

 

 警告表記さえも浮かばず、何もかもが沈黙に落ちる。

 

 可変させていた腕が強制的に戻り、フィードバックの激痛が頭蓋を苛む。

 

「これ、は……」

 

 闇の中へと没していく意識の中でクラードは何とかその意思表示を保とうとするが、閉ざされ行く意識の波を捉えたのはレヴォルの意志であった。

 

 蒼い円環が波打ち、暗黒の中で声を生じさせる。

 

『“何度も撃てば、それだけで事象地平線に亀裂が走る。力の使い時を見誤らぬ事だな、クラード”』

 

「……貴様は……《ダーレッドガンダム》……か。何故……止める……」

 

『“お前が死ぬのにはまだ早いからだ。お前達には、もっと残酷な未来が待っている事だろう”』

 

「待て……レヴォル……の、意志……」

 

 伸ばしかけた指先は力を失い、コンソールの上に落ちていた。

 

 



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第255話「亀裂の入った世界で」

 

「何が起こったって言うんです!」

 

 アルベルトからしてみれば、唐突な事象ばかりで狼狽もする。

 

 しかし、硬直するRM第三小隊の足並みを、今ばかりは是正する時間が訪れたと考えるべきであろう。

 

「ユキノ! RM第三小隊の損耗は!」

 

『小隊長……! こちらは三割を持って行かれて……っ! それよりも小隊長は! 大丈夫なんですか、今のは……』

 

 ユキノからしてみても観測不可能な事象であったらしい。

 

「……《ティルヴィング》のどてっ腹に風穴を開けやがったのか……クラード……」

 

 大地を割り、空間そのものを呑んだつい先ほどの黒白の弾頭が、《ティルヴィング》を射抜いたところまでは理解出来るが、その砲弾の意味まではまるで分からない。

 

 だが、《ダーレッドガンダム》はトドメを刺そうとして、機体制御系が沈黙したのは窺えた。

 

「……今のままじゃ……体のいい的だ……!」

 

《アルキュミアヴィラーゴ》を疾走させ、《ダーレッドガンダム》を回収する。

 

 脱力した形の《ダーレッドガンダム》に最悪の想定が脳裏を掠める。

 

「クラード! どうしたってんだ、クラード! ……お前はこんなところで……!」

 

『アルベルトさん……っ! 《ティルヴィング》が……!』

 

 カトリナの声が通信域を震わせ、直後には頭上に迫った《ティルヴィング》の口腔部にアルベルトは射竦められたように動けなくなっていた。

 

 ミラーフィーネシステムを実行するような時間もない。

 

 楕円上に牙を並べたムカデの頭蓋に、飲み込まれる――と感じた、その刹那。

 

 声が、弾けていた。

 

『……キルシー……?』

 

「……ファム……?」

 

 知らない人間の名前を紡ぎ出したのは、《オムニブス》に同乗するファムであった。

 

 その名前が放たれた瞬間、《ティルヴィング》の動きが鈍る。

 

 アルベルトからしてみれば、何が起こっているのかはまるで不明だが、千載一遇の好機であるのは事実。

 

《ダーレッドガンダム》を抱えて撤退機動に移った《アルキュミアヴィラーゴ》のコックピットで、ファムの訴えかけが響く。

 

『キルシー……? キルシー、なの? キルシー、ファム……だよ……』

 

「何をやってるんですか! ここで足を止めていれば、魔獣の腹の中ですよ!」

 

《オムニブス》へと接触回線を開いた自分にカトリナの声が返ってくる。

 

『で、でも……ファムちゃんが、呼びかけていて……』

 

「そんな事に頓着していたら戦場ではやられちまいます! ファムも、今は分からん事を言っている場合じゃ――」

 

『ミュイ……! キルシー! そこにいるの? なんで……なんでそんなところにいるの……? キルシーっ!』

 

 ファムの声が聞こえているのか、あるいは偶然の折り重なりか、《ティルヴィング》は動きを止めている。

 

 今しか、大勢を整える暇はない。

 

「ユキノ! それにブリギットの連中も、だ! 今は一時撤退! その後でどうとでもなる! 聖獣の心臓は……どうやら手に入ったらしい。これ以上の損耗はマジにマズイ! オフィーリアでこっちの戦局を確かめる! 今は……帰還しかねぇだろ、マテリア! 広域通信!」

 

『“分かってますよ! オフィーリア、及びブリギットから出撃した編隊へ! 一時撤退! 繰り返します、一時撤退してください!”』

 

 マテリアの声が届いた範囲ならば、戦略的撤退も飲み込んでくれる事だろう。

 

 問題なのは、自機の腕の中にある《ダーレッドガンダム》と、そして乗り手であるクラードの安否であった。

 

「……クラード……お前はそう簡単には彼岸には、行っちまわないよな……」

 

 弱気でも、今はそう尋ねられるだけの時間が欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「撤退を確認! 動けているMS部隊は格納デッキへ! ……酷いものね、万全を期しての出撃でこれほどやられるなんて」

 

 レミアは自身の実力不足を噛み締める。

 

 肘掛けを骨が浮くほどに握り締めてから、意味のない感傷だ、と帰投していく機体を視野に入れる。

 

「クラードは……どうなったの? 《ダーレッドガンダム》の状態は?」

 

『それが艦長! まるで不明なんです。直前まではモニター出来ているんですが……。おい! クラードのバイタルをすぐに確認! ヴィルヘルムに入電してすぐに治療を……! モタモタするな! 他の機体だって中破してるんだぞ!』

 

 サルトルも落ち着かないようで、忙しない整備班の声が滑り落ちる中で、バーミットの声が返っていた。

 

「……大丈夫、とは言いませんよ。あたしにも……よく分かんないんですから」

 

「……こういう時、正直なのがあなたよね、バーミット。……直前までのレコード、回せる? 《ダーレッドガンダム》が一斉砲火を受ける……はずだった映像を」

 

「映しますが……これ……どう考えても避けられない秒数なんです。フレームレートを何回試行しても、この状態からどうやって《ティルヴィング》の腹腔に撃ち込んだって……」

 

「今は、結果だけが欲しいの。構わず管制室のモニターに」

 

《ティルヴィング》の赤い砲火を今に受けるか――そのようにしか見えなかった《ダーレッドガンダム》と《オムニブス》が直後には攻勢に移っている。

 

 まるで――世界の理が入れ替わったかのように。

 

「……どう見る? バーミット」

 

「これまでだって、そりゃあ確かに意味不明な事ってのは起こってきましたけれど……これって多分……地球にあたし達が落ちて来た時の、空間転移現象と同じなんじゃないですか……?」

 

「やっぱり、そう見るわよね……。《ダーレッドガンダム》はこの一瞬の間に……聖獣の心臓を手に入れた、と」

 

 白銀の鉤爪に纏い付いた紫色の結晶体が顕現したその直後、レイコンマ一秒にも満たない世界で、凝縮し、放たれた砲弾。

 

 それが全てを塗り替えていた。

 

 照準したようには見えないほど一瞬。

 

 それでいて、確定的に相手を葬るのには十全過ぎるほどの時間。

 

 黒白の砲弾が放たれ、《ティルヴィング》の下腹部を射抜いていた。

 

「……どう考えても、負けるのはこっちだった。でも、何かが変わった。そして、《ダーレッドガンダム》とクラードを生かした、としか、見えないのよね……」

 

「何らかの力が重なった、って事ですか? ……確かにMFの心臓なんて、今の今まで縁なんてなかったですけれど、まさか時間だとかそういうのを逆転させただとか?」

 

「そこまで突飛でもないかもしれないけれど……。いえ、待って。通信よ」

 

 直通通信を繋ぐと、声が弾けていた。

 

『ミュイ! ミュイぃぃぃ……っ! キルシー……! キルシー……っ!』

 

『ファムちゃん……落ち着いて! 何があったの? あのIMFが……キルシーって……』

 

「カトリナさん、直通通信よ」

 

 返答すると、まさか管制室に繋がっているとは思っていなかったのか、周波数を確認したカトリナが弁明の声を発する。

 

『す、すいません……! でも……あの《ティルヴィング》を見てから……ファムちゃんが言う事を聞いてくれなくって……』

 

「ファム? どうしたって言うの? キルシーって言うのは……確かネオジャンヌの頭目よね? 何で今、その名前が関係あるの?」

 

 バーミットが宥めるように通信を繋ぐと、ファムの涙声が聞こえてくる。

 

『ミュイぃぃぃ……っ! なんで……っ! キルシー……そんなところに……いちゃ、だめだよ……っ!』

 

 直感的であったのかもしれない。

 

 あるいは偶発的に重なった事象を認識するのに、いやに醒めた神経が作用したか。

 

 レミアは傾ぐ《ティルヴィング》の姿へと、震える声を発していた。

 

「……まさか……あの中にキルシーが……?」

 

「艦長! そんな事……あり得ませんよ! だって艦長の妹さんは……あの時、死んだはずじゃ……!」

 

 しかし死体を確認したわけでもない。

 

 何よりも、ファムが感じている。

 

 それは自分達には関知出来ない領域であろうとも、妙に説得力があった。

 

「……IMFの中に……キルシーが……」

 

「艦長! ……先に謝っておきます、すいません!」

 

 彷徨うように艦長席から腰を浮かせた自分へと、バーミットが阻み、張り手を見舞っていた。

 

 その痛みで遊離しかけた意識が明瞭化する。

 

「……バーミット……」

 

「しっかりしてください! 艦長が駄目になっちゃえば、あたし達はお終いです! それこそ、もう戻れないところまで来ているんですよ。覚悟を決めてください。今、弱い女に戻っているような余裕はないんですから……!」

 

 決死の訴えかけに、レミアはじくりと痛む頬をさすり、やがて放心したように席に座っていた。

 

「……でも、まさか。そんな事があるわけが……」

 

「……カトリナちゃんの言っていたハイデガーの一件だってあります。今は、あり得ないと言う証拠を探すよりも、ある程度はあり得るのだと、飲み込むほうが精神衛生上いいはずなんです」

 

「……でもキルシーが……。IMFに乗っているなんて……」

 

 信じられない、否、あり得ないと言って欲しかった。

 

 だが先のピアーナの一件もある上に、聖獣の心臓と言うイレギュラーを抱え込んだ自分達には、あり得ない証左のほうが少ない。

 

《ティルヴィング》が遠く長く咆哮し、やがてゆっくりと身を翻させていた。

 

 その腹腔には間違いのように風穴が開いている。

 

「……クラードがやってのけた……世界を壊す一撃……」

 

「艦長、クラードの意識戻っていません。次の戦闘がどうなるかは不明ですけれど、時間が出来たと考えるか、あるいはそんな余裕もないって考えるかは、案外、長丁場には成らなさそうです」

 

 淡々と説明するバーミットに、レミアはああ、と沈痛に面を伏せる。

 

 現実なのだと訴えかける頬の痛みが、今だけは憎いほど。

 

 それほどまでに、もたらされた現実はあまりに過酷で――。

 

「……教えてちょうだい、クラード……。私達は、間違えたの……?」

 

「その質問、今ばっかりはズルいですよ。オフィーリア、通常航行に戻ります。ブリギットとの航続距離合わせ、ピアーナとデータを連携しますよ」

 

「……冷たいのね」

 

 抗弁のように発した言葉に、今だけはバーミットは返答さえもしなかった。

 

 



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第256話「答えを求めて、ただ」

 

「いやぁ! キルシーが……キルシーがぁ……っ!」

 

「待って、ファムちゃん……! 落ち着いて……!」

 

《オムニブス》から降り立つなり、ファムは格納デッキから出ようとしたので、カトリナは決死の勢いで止めていた。

 

 しかし彼女には何も通じていないように、呼びかけを続ける。

 

「キルシー……っ! なんで……なんで、そこにいるのぉ……っ!」

 

「カトリナさん! ファム、どうしたってんだ、お前……!」

 

「アルベルトさん! ファムちゃんが……さっきからずっと……」

 

 アルベルトは困り顔で自分が必死に押し留めているファムの横顔を眺めている。

 

 彼からしてみてもRM第三小隊が追い込まれたのだ。

 

 余裕があるわけではないはずなのにファムの顔を覗き込む。

 

「ファム! ……どうしたってんだ、お前も……クラードも……」

 

「ミュイ……クラード……」

 

 唐突に勢いをなくしたファムに、カトリナはつんのめってしまう。

 

「ファムちゃん……?」

 

「……クラードぉ……それは……よくないちから、だよ……」

 

 途端に泣きじゃくり始めたファムにカトリナとアルベルトは視線を彷徨わせる。

 

「……どうすれば……」

 

「オレに聞かれましても……。あの、いいっすか、そもそも」

 

「はい?」

 

 アルベルトは深く呼吸してから、自分に向かって大声を発していた。

 

「なに、また無茶してるんですか! あんな戦場に……《オムニブス》で出るってのがどういう意味を持つのかってくらい、分かってるはずでしょう!」

 

 まさか怒声が飛んでくるとは想定していなかったカトリナは、響き渡った声に首を縮こまらせる。

 

「ふぇ……っ、でも……でもでも……! あのままじゃみんな……!」

 

「分かってくださいよ! ……あんたの身分は、もうあんた一人のもんじゃねぇんだ! ……それくらい、少しは自分を大事にしてください……」

 

 アルベルトの言わんとしている事を理解出来ないほど子供であるつもりもない。

 

 しかし、それでもあのままでは全滅の危険性すらあった。

 

「……私にも……出来る事が欲しかったんです。……エゴかもですけれど、それくらいは……血濡れの淑女に出来る事だって……!」

 

「その結果が……! この危ない情況っすか! ……クラードが助けなくっちゃ、あんたもファムも死んでいたんですよ……!」

 

 平時よりもアルベルトは怒り心頭のようであった。

 

 分かっている、どうして自分でも――あの時視線を合わせただけのファムまで連れ出そうとしたのかは、明言化出来ないのだ。

 

「……でも、私が行かなくっちゃ、それこそ……っ!」

 

「あのですね……! オレもユキノ達も……RM第三小隊の連中は……それこそ覚悟くれぇは出来てるんですよ! ……でもあんたは違う! あんたが死んじまったら……何のための抵抗ですか! 何のための抗いですか! ……途端に意味がなくなるくらい、分かってるはずでしょう……!」

 

 アルベルトの声色にはどこか承服し切れない痛みが滲んでいた。

 

 結果論として、自分もクラードも助かったものの両方死ぬ可能性だってあったのだ。

 

 ――だが、赴く足を止められなかった。

 

 これまでだって意味はない戦いはあったかもしれない。

 

 見て見ぬ振りなど出来なかったのだ。

 

 命が散っていく戦場で、自分だけ安全な場所で待っているなど、それはだって――。

 

「だってそれは……三年前と……同じじゃないですかぁ……っ」

 

「……何であんたが泣くんです。それはズルいでしょう」

 

「分かって……分かっているんです……っ。こんな事をして、命を粗末にするものじゃないって事くらい……っ、分かっているんですぅ……っ! でも、もう何も出来ないのは嫌……っ、私も守りたい……っ!」

 

 かつて月軌道決戦で無力な自分を持て余したように。

 

 あるいは――ラジアルが死んだ時に何も出来なかったように。

 

 もう何も出来ないまま事態を静観するのだけは御免であった。

 

「……あんたは……その結果で自分が死んじまっても、いいって言うんですか。それで事態が好転するとでも……!」

 

「……だって、だってぇ……っ! 私……私はもう……無力な自分だけは、嫌なんですっ! そんな事になるのは絶対に……嫌ぁっ……!」

 

 真正面から見返したせいか、あるいはアルベルトは覚悟を問い質していたのか。

 

 嘆息一つで、憂いを消し去る。

 

「……そんな眼をしているから、かもしれませんね」

 

「……えっ……」

 

「何でもありません。言って駄目な分からず屋ってのを、オレは傍で見ていたつもりですが、それも驕りの一つだったのかもって話です。ユキノ! RM第三小隊の損耗を確認してぇ! 報告を頼む!」

 

 その一声で先ほどまでの諍いを中断したアルベルトの背中に、カトリナは狼狽気味に呼びかけていた。

 

「……えっと……もう怒らないんですか……」

 

「何が……。って言うか、あんたも承知しているんだかいないんだか。オレらはオレらに出来る戦いをします。あんたにはあんたの出来る戦いを……ファムを頼みます。オレ達は所詮、前に出るだけが能のRM第三小隊っすから」

 

 言葉をかける前にアルベルトはユキノから報告を受ける。

 

 何名かの名前が滑り落ちて行き、それが死傷者の名前である事に勘付いたカトリナは膝から崩れ落ちていた。

 

「……私……また身勝手だ……」

 

 涙が零れ落ちる。

 

 何も出来ない無力感に打ちひしがれているのは自分だけではない。

 

 アルベルトも、ユキノも同じか、それ以上の痛みを背負っているのだ。

 

 自分だけ分かった風になって、それで悲劇のヒロインを気取るつもりか。

 

 馬鹿らしい、自分の境遇に秘密があったからと言って、それで中心人物にでもなったつもりだと言うのか。

 

 それこそ傲慢の一言。

 

 それこそ――何の資格もない。

 

「……私は……でもクラードさんを……クラードさんは……」

 

 鎧のパイロットスーツを強制排除されたクラードは担架に乗せられ、医務室へと運ばれていた。

 

 何度かシャルティアが呼びかける。

 

 彼女でさえ自分の居場所を持っていると言うのに、自分はまた戦場を掻き乱しただけで、何かを得たような気になっているのだ。

 

 その無遠慮なやり口が――心底嫌になる。

 

 誰かのせいでもない、自分のエゴとそして身勝手がまた人を死なせたのだ。

 

「……私、は……」

 

「カトリナ……? だいじょうぶ……?」

 

 面を上げると先ほどまで涙声だったファムが自分を慮って声を発している。

 

「……ファムちゃん……本当に、あの中に居るの……? ファムちゃんの、大事な人が……」

 

「……うん。ファム、わかる。にせもののなかに、キルシー、いる」

 

 ファムにしか分からぬ領域もある。カトリナは折った脚に熱を込めていた。

 

 まだ倒れるわけには、まだ自分が諦めるわけにはいかない。

 

「……ファムちゃん。私……ファムちゃんの想いを叶えたい」

 

「ミュイ……? カトリナ、キルシーをたすけてくれる……の?」

 

「うん……だってファムちゃんは、私達の事、忘れないでいてくれたから。ファムちゃんの大事な事は、私達にとっても大事な事だもの」

 

 ならば自分の決意は定まったようなものだ。

 

 カトリナはファムの肩を掴み、約束を告げる。

 

「私達に……ファムちゃんの大事なものを……守らせて」

 

「ミュイぃぃぃ……でも、にせもの、とてもつよい」

 

「大丈夫。私達なら、きっと出来るよ」

 

 半ば無責任な言葉であったのかもしれない。

 

 それでも、ファムを裏切るような真似をここで出来るものか。

 

 ファムは瞳を潤ませて、こくりと頷く。

 

「……ファムも、キルシー、たすけたい……」

 

「じゃあ、行こう」

 

 その手を引いて、カトリナは想いを新たにする。

 

 自分のすべき事は、誰かの決心を後押しする事であるのならば――。

 

「絶対に……幸せに成らないといけないはずだから……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が重く沈んでいる。

 

 それでありながら、瞼を上げる事に躊躇いはなく、重石を付けられたかのような上体を起こしていた。

 

「……ここ、は……」

 

 四方八方が白の世界。

 

 またか、とクラードは振り向かずに声を放っていた。

 

「煉獄に何度も堕ちるものではないだろう」

 

「――だが、貴様は堕ちてきた。しかし、先ほどは少しばかり驚いたな。小娘と彼奴等の遣いと共に堕ちて来るとは」

 

 クラードは白色の世界に滲み出した色相を目にする。

 

《ダーレッドガンダム》が放った砲弾は確かに《ティルヴィング》を射抜き、その行動を止めようとしたが――。

 

「……仕留め損なった、か。俺は聖獣の心臓を手に入れたはずだが」

 

「第六の聖獣の心臓は貴様に馴染む前に、まず《セブンスベテルギウス》との結合を果たす。その前段階で無茶をすれば、意識も昏倒するだろう」

 

 第二射はあまりにも無謀であったか。

 

 クラードは一呼吸置いてから、立ち上がって肩越しに一瞥する。

 

「……エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。ここでの記憶は持ち越せない、との事だったな? ……カトリナ・シンジョウとファムも同じか?」

 

「それを聞いてどうなる? 他者の心配をしている場合か?」

 

「……言われてみれば確かに。俺は、自分の心配を少しはするべきだな。あの砲撃……テーブルモニターに表示されたのは……」

 

「第六の聖獣の概念性能と、第七の聖獣が持つ世界を引き裂く権能が合わさり、進化した。元々聖獣の心臓は取り込んだ対象と同化する性質を持つ」

 

「……《ダーレッドガンダム》がまた強くなった、という単純な話でもないはずだ。俺達が聖獣の心臓を取り込まなければしかし、《ティルヴィング》が取り込んでいた可能性もある」

 

「全ては可能性宇宙の話だ。一概には言えない」

 

 クラードはエーリッヒと向かい合い、意外だな、とこぼす。

 

「貴様は全能者気取りだろう。全てお見通し、というわけでもないのか?」

 

「全能者であっても、見通せぬものもある。第六の聖獣が地上に墜ちた事もそうだ。あれは彼の者達が仕出かしたミスの一つ。だがその綻びが最終的な勝利者を変えてくる。事象は変動しつつあるのだ、クラード」

 

「可能性世界の話に過ぎないそれは……俺達の努力次第で、とでも言うようだ」

 

「事実、そうなりつつある。《ダーレッドガンダム》は《シクススプロキオン》の心臓を取り込み、さらなる力を得た。今や、その力の手綱一本を握っているのは、力を望み、この世界に舞い戻った貴様自身に過ぎん」

 

「俺次第で神にも悪魔にも、か。だが得心がいかない。どうして《ダーレッドガンダム》はそこまで出来る? 一体お前と《ダーレッドガンダム》に搭載されたアイリウムは、何を企んでいるんだ?」

 

「ここで知ったところで、貴様は現世に記憶を持ち越せぬ」

 

 せせら笑うエーリッヒに、クラードは臆さずに応じていた。

 

「だが知れば変わってくる。それがたとえ、変えようのない運命だとしても」

 

「運命……! 貴様のような人間が運命など、信じると言うのか? あるいは先の“惑星のエーリッヒ”の生き様が貴様の考えを変えさせたか? 言っておこう、“惑星のエーリッヒ”がやった事、彼奴の放った運命と言う名の呪縛は、貴様を永劫苦しめる事となる。それは“惑星のエーリッヒ”が――ミハエル・ハイデガーが貴様を恨み切れなかった事に起因した代物だ」

 

「憎しみや憎悪だけでは……ヒトは時を超えられないはずだ。ハイデガーが五十年間を耐えられたのはその後に託す者が居たからに違いない。……俺に託されたと言うのならば、力を振るう事に何の躊躇いもあるものか」

 

「だがそれは他者の思惑に過ぎん。貴様の原初の衝動は自らが奪われたものを奪い返す一事より生ずるものだ。他人から借り物の情動で動くような人間ではあるまい。エージェント、クラードよ。貴様はこの世界を歩むのに、他人の理由を頼りにして歩むと言うのか?」

 

「まさか。俺の理由は常に俺の中にある。借り物の価値観や、他人の衝動で動くものか。俺は……自分の衝動を飼い馴らす。飼い馴らさなければいけない」

 

 だがそれは――空虚な事と何が違う。

 

 誰かの思惑で動くのも、またヒトだ。

 

 ヒトは誰かに託す事で、時代も世界も超えて行ける。

 

 ハイデガーが自分とカトリナに想いを託したと言うのならば、責任は生じる。

 

《ダーレッドガンダム》を駆るだけの責任、そして未来を生きるための存在証明。

 

「……だが、俺は……。そこまでの価値はあるのか……?」

 

「自問か、貴様らしくもあるまい。ここまで来ておいて、最早退路も非ず。貴様は進み続ける他ない。たとえ待っているのが破滅の道筋であると分かっていても、だ」

 

「……やはりか。あの力は……過ぎたる毒にも映った」

 

「過ぎたる毒だと? クラードよ、本心から第七の聖獣を駆るのならば、これだけは覚えておけ。貴様は毒を喰らい、身の真髄まで闇で染めて、そして唾棄すべき存在として屹立するのだ。それが貴様が征く、茨の道よ」

 

「……茨の道、か。もう既に退路は、消し去ったつもりだったんだがな。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー、ならば俺に、勝てる手立てを寄越せ。今の《ダーレッドガンダム》では、魔獣でさえもまともに狩れない。今のままでは、どうせ先細る。俺は……魔獣も聖獣も、超えて行く」

 

 浮かべた決意にエーリッヒは両腕を広げ、白の世界に哄笑を残響させる。

 

「ならば行け! その身に呪詛と毒を帯びて、迷える現世へと戻って行け!」

 

 途端、重圧が消え失せ、クラードの意識は浮上する。

 

 その最中で、エーリッヒへと指鉄砲を向けていた。

 

「分かっているはずだ、貴様もまた――俺は乗りこなす。覚悟しろ、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。お前もいずれ、俺の力となる」

 

「それは、愉しみにしておくとしよう。いずれ貴様の手に! 聖獣の力は集結する!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空を掻いた指先が痺れ、クラードは声を聞いていた。

 

「ヴィルヘルム先生! クラードさんの意識が……!」

 

「まぁ、待て。クラード、わたしが分かるか?」

 

「……ヴィルヘルム……か」

 

「ふむ、意識レベルは正常のようだな。前後の記憶は?」

 

「……IMF02は……? 倒せたのか……」

 

「自己認識も正常のようですね……。バイタルサイン、僅かに危険域です」

 

 シャルティアの報告を聞きつけてヴィルヘルムが機械を自身の両腕にはめ込む。

 

 途端、補正された電位の刃が頭蓋に突き立っていた。

 

 その激痛に、奥歯を噛み締める。

 

「……耐えてくれよ、クラード。お前はこんなところで彼岸に行くべきじゃない」

 

「……俺は……」

 

「《ダーレッドガンダム》に呑まれたかと思ったくらいだ」

 

 前後の記憶が明瞭化し、クラードは身を起こそうとして全身を貫く痛みの澱に身体を横たえていた。

 

「……身体が言う事を聞かない」

 

「恐らくは、強度のRM適応によって意識の一部を持って行かれたのだろう。《ダーレッドガンダム》の中に存在するキャッシュを統合しなければ、お前はこのままでは危うい」

 

 その言葉を聞いてもクラードは指先を延ばしていた。

 

 何か、掴みかねているような気がする。

 

 大切な何かを、取り落としたままで――。

 

「クラードさん! 大人しくしていてください! 救急処置が必要にもなります!」

 

 シャルティアの悲鳴のような声を聞き留めつつ、クラードはヴィルヘルムに問う。

 

「……俺は、負けたのか……?」

 

「いや、勝ち負けで言える領域ではない。少し、事態を整理しなければいけなさそうだ」

 

 両腕に嵌められた機械より停止信号が打ち込まれ、身体は脱力していく。

 

 RMの身となれば逆らう事も出来ない。

 

 それでも言葉を重ねる。

 

「……ヴィルヘルム、ハッキリと言ってくれ。俺は……また取りこぼして……」

 

「そこまで気に病む事でもない。お前はよくやった。聖獣の心臓を手に入れた《ダーレッドガンダム》が放った不明なる砲撃、それが我が方を救ったんだ」

 

「……俺が、救った……救えたのか……?」

 

「ああ、お前の力だ、間違いなく」

 

 その評価は、平時ならば波風も経てずに受け止められたと言うのに、今は何故なのだか心がざわめく。

 

「……アルベルト達は? 他の連中はどうなった?」

 

 ヴィルヘルムが沈痛に面を伏せ、煙草に火を点ける。

 

 シャルティアも言葉をなくしているようであった。

 

「……何かがあった、な? 何があった」

 

「……これは不確定事項だが……少し、厄介な事になりそうだ。ファム……彼女が感じ取っている存在。それがもし……事実なのだとすれば、我々が相手取っていたIMF02、《ティルヴィング》の正体は……」

 

 紫煙がたゆたい、ヴィルヘルムの顔を覆い隠そうとする。

 

 クラードはその向こうへと必死に声を飛ばす。

 

「……言ってくれ。どれほどの残酷な真実でも、俺は知らなければいけないだろう」

 

「……では。《ティルヴィング》は破壊されていない。そして、あれに乗っているのは、恐らく――」

 

 



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第257話「悪魔の謀略」

 

「何が起こった!」

 

 オペレーター達に怒声を飛ばした途端、振り向いた人影を睨んでいた。

 

「おやおや、少しばかりイレギュラーが発生した様子」

 

「……タジマ、貴様……!」

 

「《ティルヴィング》、制御を失います!」

 

「完全に制御不能! 《ティルヴィング》、停止信号を受け付けません!」

 

 悲鳴のように劈くオペレーター達の報告に赤い警告色に沈んだ管制室で、まさか、と絶句する。

 

「……《ティルヴィング》が、墜ちた……?」

 

「そう簡単に事が運べば、まだよかったのですがねぇ」

 

 意味ありげにタジマの発した言葉より、連鎖して絶望的な宣告がもたらされる。

 

「《ティルヴィング》、制御系を全て解除し……このまま……大陸中部を目指して進行中!」

 

「進行方向に存在するのは……ポートホーム粒子加速器観測所七号! まさか……強い存在力に引かれて……」

 

「これは困った事になりましたねぇ。《ティルヴィング》が向かっているのは存在力の集積地点、もし《ティルヴィング》がミラーフィーネの権能を発動すれば、世界規模でのポートホーム事業が阻害、いいえ、完全に停止するのもそう遠くないでしょう。宇宙と地球の間が完全に分断されます」

 

 いやに落ち着き払った声音に、タジマは全て織り込み済みである事が把握出来ていた。

 

「……まさか、貴様……最初からそれが目的か……! 我が方で《ティルヴィング》を稼働させ、不可侵条約が結ばれているポートホームの集積地点を落とさせ……地上と宇宙を永遠に閉ざす……!」

 

「何故、そうお思いに? 私とて、宇宙に帰らなければいけないのですよ? 意味は何だと言うのです?」

 

 余裕を浮かばせたタジマへと、想定される最も忌避すべき推論をぶつける。

 

「……それは……貴様らエンデュランス・フラクタルが宇宙事業を支配するため……! 我々を売ったな、タジマ……!」

 

「火のないところに煙は立たないとは言われますが、散々な言われようだ。しかし、八割がたは正解、と言っておきましょう。《ティルヴィング》がポートホーム集積地点を抑えれば、それだけ彼の者達は動きづらくなる。地上からの増援を望めない以上、宇宙と地球は断絶され、そして約束の時が訪れる際、地球圏の特権階級の者達は指をくわえて待つ事しか出来ない」

 

「……貴様……!」

 

 ホルスターより拳銃を取り出し、引き金を絞る。

 

 弾丸は、間違えようもなくタジマの頭蓋を射抜いていた。

 

「……これが貴様らへの報いだ」

 

 肩を荒立たせた重役は撃ち抜かれたタジマの遺骸を蹴り、オペレーター達へと通達する。

 

「……絶対に止めろ。緊急停止信号でも、クロックワークス社の軍部を使っても構わん。我々がもし、ポートホーム集積地点を落としたとなれば、世界から糾弾を受けるのは必定だ」

 

「――困りますなぁ、ミスター。あなたの思惑だけで世界が回っているわけではないと言うのに」

 

 その声に振り返って弾丸を叩き込む。

 

 確実に殺したはずの相手は片腕を突き出し、耳の裏を撫でる。

 

 それだけで高重力が発生し、重役は無様に頭を垂れていた。

 

「……これ、は……ライドマトリクサー……か!」

 

 タジマは白い血液が伝い落ちる額をハンカチで拭い、弾痕を埋めていた。

 

「……ライドマトリクサーだけだとお思いですか? 既に扉の向こうの技術たる、ライドエフェクターの能力さえも得ている」

 

「……ライドエフェクター……それは、一体……」

 

「知る必要はない。何よりも、殺し損なった相手の口から聞く事の無様さくらいは分かっていての事でしょう? ミスター、あなたは全てが終わった時にこめかみに銃弾を一発、それで事足ります」

 

「……何が……何が目的だ……! 来英歴に生きているのならば、それは禁忌のはず……! ポートホームだけは、阻害してはいけないのだ! 我々の編み出した技術の粋を……エゴの一つで止めると言うのかァ……!」

 

「そもそも築き上げてきた虚栄の城を今さら技術の粋だとのたまうのが間違ってはいるのですが……まぁいいでしょう。クロックワークス社が全ての泥を被り、地上の転送技術は三十年遅れる」

 

「……教えろ……! 何が、目的でそんな事をする……! 貴様らエンデュランス・フラクタルとて、困窮するはずだ!」

 

「ところが、その時には我々はもう、約束の時を迎えている。もう、この重力圏に縛られる事もない。自由なのですよ、どこまでも」

 

 その言葉繰りに重役は閃くものを感じ取っていた。

 

「……ダレトの向こうへ……扉を潜るつもりか……!」

 

「おや、最後の最後で賢しい判断が出来るとは。なかなかに見どころがあったようですね。しかし、私もお人好しではない。一度殺されて、はいそうですか、と宗旨替えはみっともないですからね」

 

「――タジマァ――!」

 

 その声が残響する前にタジマはその手に握り締めた拳銃のトリガーを引いていた。

 

 頭蓋に一発、二発と撃ち込まれた弾丸は重役の意識を完全に暗幕の向こう側へと閉ざしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、私としてもあなた方を殺すのは忍びない。どうです? エンデュランス・フラクタルへと転職でも?」

 

 呼びかけたタジマは途端に恐慌に駆られたオペレーター達より一斉に銃口を向けられていた。

 

「……残念ですよ」

 

 重力の投網がオペレーターを絡め取り、全員を這いつくばらせる。

 

 タジマは一発ずつ、入念に殺し尽くしてから、最後の一人の女性オペレーターと視線を合わせていた。

 

 わざわざ屈み込み、その眉間に銃口を当てる。

 

「いや……いやぁ……」

 

 タジマは泣きじゃくる相手とは対照的な営業スマイルを向けて首を傾げる。

 

「死に行く気分はどうです? さしずめ、小旅行ですか?」

 

「いやぁ……! いやぁ……っ!」

 

「言葉も忘れます? それがクロックワークス社のトップシークレットに携わった人材の末路ですか? あまりに脆い」

 

 何度もいやいやをする女性に、タジマはふむ、と一考の余地を挟んでいた。

 

「……冥途の土産、と言うのは好みの言葉ではないのですが、教えておきましょうか。何せ、皆さん、転職希望を聞く前に天国へと行かれたのですから。ああ、いや、これは可笑しい。IMFを利用しておいて天国とは。多分、地獄ですよね」

 

 何でもない事のように――ほんの営業トークの一環のようにタジマは語りつつ、その銃口を押し付ける。

 

「……IMFは次の次元に移りつつある。クロックワークス社の寡占ではなく、さらなる領域へと。《ティルヴィング》は大きさばかりが自慢のでくの坊でしたが、私達が生み出すのはそうではない。IMF03、《アデプト》の実装。それこそが新時代の幕開け。分かります?」

 

 女性オペレーターは何度も喉の奥から懇願するように呼吸音を漏らす。

 

 タジマは興味が失せたように笑顔を向けて、引き金を引いていた。

 

 鮮血が迸り、スーツを濡らす。

 

「ふぅ……服が汚れてしまった。それにしても、《ティルヴィング》の暴走は織り込み済みでしたが、これは想定外でしたよ、エージェント、クラード。まさか《ダーレッドガンダム》の権能の発現、そして世界を狂わせる砲撃ですか。これはこれは……また、面白くなりそうだ」

 

 タジマはレコードされた《ダーレッドガンダム》の砲撃を何度か巻き戻してから、ふふっ、とほくそ笑む。

 

「……何だか三年前に戻ったようですよ。あなたは相変わらず、確率論の向こう側で踊ると言うのは。少年の心で、あなた方を迎え撃ちましょう。とは言っても、最早宇宙と地上は永劫に途絶えた。あなた方が来られるとすれば、それこそ奇跡、ですかね」

 

 佇まいを正し、タジマは管制室を後にしていた。

 

 



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第258話「必滅の者達へ」

 

 地を這いつくばる鯨の威容に、まさか、と相手は息を呑む。

 

「あんな……おぞましいものが実用化されていたとは。統合機構軍、恐れ入る」

 

「しかし、進行方向にはポートホームの集積地点がある。よろしいのですか? 手を打たなくとも」

 

「わたしが手を打ったところで、英雄と持て囃される事もない。この身は既に死んだとされているのだから」

 

 生命維持装置に繋がれた己の骨ばった肉体を、この時ばかりは――ディリアンは恨めしく思った事もない。

 

 延命措置が問題なく稼働しているのを確認し、地面を融解させながら這い進む異形を目の当たりにする。

 

「……イミテーションモビルフォートレス。実用化されていたとは」

 

「魔獣、ですか」

 

「……貴官が乗って来たのも照合上は同じであった。わたしはしかし、大恩は返す性質だ」

 

「それは光栄だと、思ってよろしいのでしょうか。ディリアン・L・リヴェンシュタイン殿」

 

「どうとでも取って構わん。しかし、その命、わたしのためにあるのだと忠誠を誓ったからこそ、今ここに居るのだろう? 王族親衛隊所属……」

 

「――ヴィクトゥス・レイジ、特務大尉です」

 

 傅いた相手にディリアンは高空船舶の中で空を仰ぐ。

 

「……あと数時間で、地球圏は最後の夜明けを迎える。宇宙と地上は断絶され、地球圏は三十年ほど後れを取る事だろう」

 

「それを止められるのでは?」

 

「傲慢になるものでもないよ。出来る事と出来ない事くらいはあるだろう、如何に王族親衛隊所属とは言え」

 

「討てと言われれば討ちましょう」

 

「逸るな、とも言っている。……《ティルヴィング》だったか。あんなもの、相手取るだけでもどうかしている。わたしの従僕となった貴官の手を煩わせれば、それだけで宇宙に上がる手順は増える」

 

 魔獣を殺すのは他の誰かに任せればいい。

 

 そう言外に告げたつもりであったが、そもそも魔獣は狩り尽くせるような生易しいものでもないはずだ。

 

 恐らく、地上勢力は総力を並べても敵わないだろう。

 

 それでも戦意だけは留める事が出来ず、要らぬ人死にばかりを増やすのは必定。

 

 もう読めている戦局に、強力な駒を送る事もない。

 

「しかし、それでも抗う者達は居るでしょう」

 

 想定外のヴィクトゥスの言葉振りに、ディリアンは鼻を鳴らす。

 

「あんな化け物相手に、立ち向かうと? 馬鹿馬鹿しい。死期が早まるだけだ。それに、相手は魔獣だぞ? ミラーフィーネとやらを搭載しているとすれば、現状のミラーヘッド機では勝利出来ない。それが分かっていて、立ち向かうのはそれこそ蛮勇と言う」

 

「……蛮勇でも、彼はきっと立ち向かう」

 

「……あんなものに死力を尽くす愚か者を知っているのか?」

 

「……少なくとも二名、ほど」

 

 ヴィクトゥスの言葉繰りは読めない。

 

 彼はそれを心待ちにしているのか、それとも馬鹿馬鹿しいと唾棄しているのか。

 

 それさえも分からないのは仮面の向こうに輝く蒼い瞳が既に乗り越えてきた光を宿しているからだろう。

 

 彼は何らかの特別措置を受け、今も格納コンテナに収まっている魔獣――照合名《トルネンブラ》を駆って来たはずだ。

 

「……貴官は何故、《トルネンブラ》を操ってわたし達、特権層を助けに来た? それが分からない」

 

「王族親衛隊はあなた方を守る剣であるのは自明の理でしょう? 私はその命に背くつもりはない」

 

「……そうか。そうであったな。貴官は思ったよりも賢明であっただけの話か」

 

 そう結ぶとヴィクトゥスは高空船舶よりもたらされたアナウンスを聞いているようであった。

 

『間もなく大気圏を突破いたします。皆様におかれましては、シートベルトを着用し、数分間の間、席をお立ちになりませんよう――』

 

「大気圏突破、か。まさかこのような形で再び宇宙に舞い戻るとは」

 

「間もなく、世界は様変わりする。その瞬間に立ち会えないのは残念か?」

 

「……少し」

 

「俯瞰するのにも慣れておいたほうがいい。王族親衛隊所属となれば特に、な。我が方はモルガンと合流予定のはずであったが、当てが外れてしまったようだ。先んじてモルガンは宇宙へと飛び立ち、ランデブーは数時間遅れるとの報告があった」

 

 しかし、その報告もどこか浮ついており、ディリアンは疑念を抱いていた。

 

 モルガンに所属していたライドマトリクサー――ピアーナ・リクレンツィア艦長の報告が途絶えて数日。

 

 作戦行動が遂行されていた可能性も低く、現状ではモルガンへと合流するメリットも少ないだろう。

 

「……わたしは、ただ単に一事を達成する事を望んでいたと言うのに」

 

「モルガンには優秀な騎屍兵が居ります。何の心配も要らないかと」

 

「騎屍兵団、か。それを操るものがRMの小娘だと言うのもどこか遊離した現実だよ。いや、性質の悪い冗談だと言うべきか」

 

「……私はそのような者達には敬意を表するべきだと思っております」

 

「歴史の裏側で動くような者達だぞ? 貴官とは正反対だとは考えているが」

 

 むしろ、綴られぬ汚れ仕事を請け負う程度の者達だ。関わり合いは少ないほうが、この先は生き抜ける可能性が高い。

 

「私は戦士こそ常に称賛されるべきだとも考えています。それこそが、戦場で踊る心がけかと」

 

「どこかで聞いたような物言いをする。……そうだ、識者の理論とやらを振り翳していた者が居たな。確か、名前は……」

 

「グラッゼ・リヨン。歴史に翻弄された、とんだ敗北者でしょう」

 

「そうだ、グラッゼとやら。先の月軌道決戦では何やら不穏な動きがあったとも聞く。所詮、その程度に集約される人物であったのだろう。撃墜王の名前をほしいままにしていたとも聞くが」

 

「彼の者はその生き方にピリオドを打てなかった。その時点で敗北の帰結は必定であったのでしょう」

 

 どうしてなのだろうか。

 

 ヴィクトゥスは吐き捨てるようにグラッゼの事を語る。

 

 戦友でもあったのだろうか。あるいは同じ戦場を駆け抜けた朋友か。

 

「……いずれにせよ、世界が焼け落ちる瞬間と言うのは、思ったよりも静かなものだ」

 

『これより、本船舶は衛星軌道ステーションにて、統合機構軍所属艦モルガンへと接続いたします』

 

 アナウンスがもたらされ、ディリアンは頬杖を突いて遥か下方に堕ちた地表を見据えていた。

 

「せいぜい、終わりの時を綴るがいい、愚かしい者達よ。その身に赤い血が流れている事だけが、貴様らの誇りであろう」

 

《ティルヴィング》相手に、蛮勇を気取り立ち向かうか。

 

 しかしそれは破滅への誘因に等しいと言うのに。

 

「失礼。御身を移送します」

 

「頼む。……この身一つ、満足に動かせぬとはな」

 

 移動用の寝台に乗り込み、生命維持装置を起動させる。

 

 脈拍は問題なく刻み、血流のブラックアウトさえも感じさせない最新鋭機器が意識をクリアにしていた。

 

 精密機器の塊であるこの肉体でさえも自由ではない。

 

 ディリアンはヴィクトゥスによって移送されながら、衛星軌道ステーションに陣取る紺碧の船舶を目の当たりにする。

 

「トライアウトブレーメン……道楽部門の者達がこの土壇場で追いついたか」

 

「ブレーメンには不明瞭なものが多いと聞きます」

 

「噂程度に踊らされるクチかね? ……実際、ブレーメンの連中は上手く立ち回ったほうだろうさ。統合機構軍との渡りをいち早くつけたのは彼らだと聞く。先の月軌道決戦において最終的な勝利者となったのは、な。……だが次は違う。勝利者の座につくのはわたしのような人間だ。他に邪魔をさせるものか」

 

「失礼を。騎屍兵の者達です」

 

 ヴィクトゥスはモルガンより衛星軌道ステーションに降り立った喪服のパイロットスーツの一団へと挙手敬礼を返していた。

 

 相手の先鋒も返礼し、声を発する。

 

『……ヴィクトゥス・レイジ……生きていたとは』

 

「失礼ながら、特務大尉が抜けている。しかし、そちらも無事でよかった」

 

『無事であるものか……! ピアーナ・リクレンツィア艦長の離反と、そして一部兵士の反抗……! どれを取っても、今、こうしている場合でさえもない』

 

「しかしそれを選んだのはそちらだ。……ゴースト、ファイブで、今は呼称しても?」

 

『もう戻れない亡霊の名前だ。私は迷わない。ゴーストの名称がそれに相応しいのであれば、そう振る舞おう』

 

 覚悟を決めた声音にディリアンは割り込んでいた。

 

「何をしているか。貴官らは騎屍兵団として、最後まで戦い抜くのが誉れであろう。無駄口を叩いている場合でもないはずだ」

 

 自分の言葉繰りにその時――騎屍兵の一員が驚嘆したのが窺えた。

 

『……そのお方は?』

 

「ディリアン・L・リヴェンシュタイン王族佐官だ。知らぬとは言わせんぞ」

 

 高らかに名乗った自分に、ゴースト、ファイブの名前を取った相手は何やら確証めいた声を発する。

 

『……そうか、そちらが……リヴェンシュタイン家の』

 

「知っているではないか。王に連なる家系だ、よく憶えておくがいい」

 

『……ええ、二度と……忘れませんとも。ヴィクトゥス・レイジ特務大尉、我々はトライアウトブレーメンと共闘し、衛星軌道を守る任務を仰せつかっています。それもこれも、地上からの勢力を根絶やしにするために』

 

「……風の噂でしかないと思っていたが、やはり事象はそう動くか。となれば、既に張っていると見るべきだろうな」

 

『ええ。王族親衛隊所属、万華鏡、ジオ・クランスコールの先遣部隊は、既に』

 

「何だ、万華鏡が居るのか。ならば懸念も少ないだろう。特務大尉、わたしを運べ。ブレーメンの上層部に渡りを付けたい」

 

「……仰せのままに」

 

 自動椅子を押すヴィクトゥスへと、騎屍兵団が離れたのを確認してからふんと吐き捨てる。

 

「……騎屍兵など。死の臭気が移ると言うものだ」

 

「聞こえます。余計な言葉は控えたほうがよろしいかと」

 

「余計? そう聞こえるかね、貴官も。わたしは王族佐官の身分だぞ」

 

「……いえ、肝に銘じておきましょう」

 

 引き下がったヴィクトゥスの声を聞き留めつつ、ディリアンはこちらへと歩み寄ってきたトライアウトブレーメンの見目麗しい女性構成員と顔合わせをしていた。

 

 相手はこちらの身分を分かっているのか、即座に傅く。

 

「これはこれは。リヴェンシュタイン王族佐官様、お久しぶりです」

 

「わたしとしても会えて嬉しい。君は……確かブレーメンの開発担当であったな?」

 

 相手は微笑んで自分の骨ばった手へと口づけをする。

 

「私共としましても、リヴェンシュタイン様のお心添えが得られるとなれば頼もしいですわ。これから先、あなたを守る盾となり、矛となりましょう」

 

「うむ、よろしく頼む。して、完成しているのか? 話にあった、IMF一号機は……」

 

「こちらです」

 

 先導する女性構成員の揺れる尻に、劣情を駆りたてられる。

 

 やはり、色気がなければ生きていても甲斐はないと言うものだ。

 

 やがて向かったのは大仰な扉の向こうであった。

 

 格納デッキに収容されているのはMS七機分ほどある巨大な構造物である。

 

 おお、と感嘆の息が思わず漏れていた。

 

「完成していたのだな! 《カルラ》が!」

 

「IMF01《カルラ》……リヴェンシュタイン様のお力添えにより、ロールアウトいたしました」

 

「でかした! これさえあれば……最早どのような脅威でも恐るるに足らず! あの万華鏡でさえも殺し尽くすであろう、最高の技術の粋だ!」

 

 両手を広げてその生誕を祝っていると、タラップに体重を預けている男が視線を振り向ける。

 

「……何者だ」

 

「失礼。王族親衛隊所属です。《カルラ》……いいえ、IMF01《ヴォルカヌスカルラ》の専属パイロットとなっております」

 

「貴様が、これのパイロットか。使い手なのだろうな?」

 

 パイロットスーツを着込んだ男は恭しく頭を垂れる。

 

「無論、リヴェンシュタイン様のご健在あってこその実用化。私としてもこれを動かせる事に喜びを禁じ得ません」

 

「それはその通りだ。わたしが先回りして投資しなければ、トライアウトブレーメンは先細っていただろう。貴君らの繁栄はわたしの力なくしては実現しなかった」

 

「まことに……。して、そちらのお方は」

 

「……知らないのか? まぁ王族親衛隊同士でも、コネクションはないものか」

 

 ヴィクトゥスは歩み出ると、こちらを一瞥していた。

 

「失礼を。私には《カルラ》のパイロットと話す事がございます」

 

「ふむ、では……」

 

 ディリアンは女性構成員の尻を撫でる。

 

 相手も心得ているのか、自動椅子を牽引していた。

 

「せいぜい長話をする事だ。わたしには少し所用が出来てね」

 

 女性構成員に手を引かれ、格納デッキの片隅へと進んでいく。

 

 最早、ヴィクトゥスや《ヴォルカヌスカルラ》の事などどうでもよく、目の前の悦楽を貪るのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よォ、生きていたんじゃねぇか、しぶといな」

 

「……その声、喋り口調も……忘れた事はなかった。――クランチ・ディズル。鏡像殺しがまさかIMFのパイロットだとはな」

 

 互いに頭蓋を押し付け合い、やがて弾かれ合うように後ずさっていた。

 

「ここでの言い争いはやめねぇか? ミスター。どうせあんたもあのお偉方に飼われているクチだろうさ」

 

「……言い返せないのが辛いな。私としては、貴様のような悪は断ちたいところだが」

 

 ディリアンがまさかIMFの開発に意見しているとは思いも寄らない。

 

 否、そもそも今も地表を食い潰すIMF02、《ティルヴィング》とて何者かが開発情報をリークしなければ自分も宇宙に上がれていないだろう。

 

 ディリアンの尻馬に上手く乗ったのは、何も目の前のクランチだけではない。

 

「なぁ、てめぇだって戦いしか居場所がねぇ、とんだ戦場至上主義者だろうさ。俺と喰らい合っても旨味があるかねぇ」

 

「そう問われれば黙認するしかあるまい。私はクラード君やアルベルト君に……顔向け出来ない事をしている」

 

 ディリアンを知ったからには彼らの代わりに天誅を、とも考えていたが、自分の領分でもないだろう。

 

「へっ……! 上等な口を利く戦闘マシーンじゃねぇか。俺とお前に、差なんてあるかよ! なぁ! 識者の理論の持ち主さんよォ!」

 

「……正体が割れているならば、なおの事、私が口を差し挟むべきでもないな」

 

「黒い旋風も堕ちたもんだ。あんな色ボケ権力者に擦り寄って楽しいかよ。俺は戦場を選べるんなら、別にどうだっていいがな」

 

「……私は、戦うべき場所を常に追い求めている。その点で言えば、貴官と何の変りもない。ただ一刹那に踊る死狂いに過ぎん。だが、狂うに足る人物と仕えるに足る人物は選べるつもりだ」

 

「何をボケた事抜かしてんだか。どうせ、てめぇも人でなしだ。俺達は同じ穴のムジナなのさ。戦う事でしか意味なんて見出せねぇ、とんだ戦争中毒者だ!」

 

「かもしれない。しかし、貴官が私のように成れないのと同じく、私も貴官ほど堕ちるつもりもない」

 

「せいぜい、薄っぺらなプライド振り翳していろよ。あんたは結局、戦いに至上の意味を見出す以上、俺と何にも変わりゃしねぇ。どうせ、あの貴族サマの理解を得たほどだ。汚い真似もしてきたんだろうさ」

 

「……言い返せんのは、やはり厳しいな」

 

 ヴィクトゥスはクランチと向かい合い、今も起動の時を待ち望んでいる魔獣を仰ぎ見る。

 

「《ヴォルカヌスカルラ》……まさしく魔の獣か」

 

「いいツラぁしてんだろ? 俺が最後の最後、英雄に成るに足る面構えの機体だ。……あんたは、何に成りたい? あの貴族の金魚の糞してんだ、最終的な展望くれぇは聞かせてもらいたいねぇ」

 

「何も」

 

 短く返答した自分にクランチは眉を跳ねさせる。

 

「何だと?」

 

「何も――望んではいない。私はある者の生き方に感動させられた。ならば、この力、剣たる生き様は、彼の者に捧げるべきだ。最早、ヴィクトゥス・レイジでもなければ、敗北者でしかないグラッゼ・リヨンでもない。私は――私の信じる志のために一振りの剣となろう」

 

 こちらの言葉にクランチは額を抱えて哄笑を発する。

 

「……とんだサイコ野郎だったって事か! 俺が見間違えていたみてぇだな。あんたは人でなしで……なおかつヒトである事をやめようってのかい!」

 

「……ヒトである事がこの世に執着するしがらみであると言うのならば……私は容易くそれを乗り越えよう」

 

「笑わせてくれるぜ。イカレが一人じゃなくって安心したよ。ああ、でも、ある意味じゃ元々一人じゃねぇか。騎屍兵とか言う死んだ身分の連中がうろついてる。あいつら、マトモじゃねぇぜ」

 

「分かるようだね、彼らの持った覚悟も」

 

「覚悟ぉ? おいおい、ナマ言っちゃあいけねぇな。あいつらは、もう戦場以外に行き場所なんてねぇ、とんだ場末の生き様……いいや、死に様ってのを描くだけだろうが。モルガンってのもなかなかに舞台が整っていていい。魔女の名前を帯びて、あいつらは戦場を、喜んで前を行ってくれるってんだ。なら、俺のやり口は一つだろうが」

 

「……感心しないな、そのやり口は」

 

「うっせぇよ。どうせ、戦場なんざ、生きて結果を示し続けるか、死んでそこまでの二者択一の世界でしかねぇ。俺も、あんたも! 真っ当なようでとうにその感覚は死んでんのさ! だから、こんな世界の土壇場で宇宙まで上がって来られた! だが他の連中は違うだろうぜ。地表を這うしか出来ないウジ虫野郎共は三十年は地べたに縫い付けられたまんまだ」

 

 ヴィクトゥスはその一翼を担うであろう、《ヴォルカヌスカルラ》の威容を今一度目に焼き付け、それからクランチへと言葉を投げる。

 

「……私はそこまで傲慢でもないよ」

 

「どうかな。あんたも俺も、戦場の嗅覚ってもんで生きてる。だから、このタイミングで宇宙に上がって来られた。誇っていいんじゃねぇか? 俺達は狗さ。それも、血と硝煙に酔う、咎狗ってもんだ。なら、狗は狗らしく、使われて生きようじゃねぇの。ただまぁ、最後の最後、その牙が誰を貫くかまでは、分からねぇだろうがな」

 

 肩を叩き、クランチは助言して立ち去る。

 

「そろそろいいんじゃねぇか? 早漏野郎の相手をしているのも、ブレーメンの強度RMの連中の仕事だろうからな」

 

 ヴィクトゥスはその言葉を受け取ってから、拳を堅く握り締める。

 

「……笑えよ、クラード君。あるいは軽蔑するかもしれないな。戦いと、そして引き継いだ意志のために、今拳を振るえぬ弱い私を。だが、力を手離すわけにはいかないのだ。最後の最後、堕ち行く宇宙の真っ只中で、君と踊るためには、少しの汚れくらいは引き受けよう」

 

 ヴィクトゥスは呼吸で意識を確かめ、それからゆっくりと歩を進めていた。

 

 



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第259話「歩むべきを見据えて」

 

「どうあったって、現場判断ってのもあります」

 

 レミアへとそう忠告したアルベルトに、ブリーフィングルームの重苦しい空気をカトリナは感じていた。

 

「……そうね。未確定情報に踊らされて、二の足を踏んでいる場合じゃないもの」

 

「レミア艦長……でも、でもでも……っ! ファムちゃんはあれに……キルシーさんを感じているって……!」

 

「カトリナちゃん、感情論で動くのは結構。これまでだって確率じゃどうしようもない戦場を、あなたはそうやって生き永らえてきた。……でも事が事なのよ、受け止めて」

 

 バーミットのたしなめる声にカトリナはゆっくりと頭を振っていた。

 

「でも……っ! もしキルシーさんが乗っているんだとすれば……! レミア艦長!」

 

「私だって分かっているわよ!」

 

 返された怒声に、カトリナは硬直していた。

 

「……分かっている、分かっているつもりなの……。でも、だからって私の一感情で、こんな事……決められるわけがないでしょう……!」

 

 顔を伏せたレミアの感情の発露にカトリナは何も言えなくなっていた。

 

 分かった風な事を言って、この場を掻き乱したところで仕方ないのだ。

 

 アルベルトは静かに応じていた。

 

「……とは言え、オレらからしてみても、《ティルヴィング》は二度も三度も相手取れる敵じゃありません。余裕があるかって言えば、ないんです」

 

「……ええ、それは承知の上。RM第三小隊は前回の戦闘での損耗もあります。よって、今次作戦の決行は見合わせるのが適当でしょうね」

 

「……とは言ったところで、大人しくはいそうですか、と受け止められるわけでもあるまい。殊に、ここに集った者達はな」

 

 ダビデの言葉にバーミットは端末上に呼び起こした情報を手繰って前髪をかき上げる。

 

「でも、どうするって? 今しがたアルベルト君の言った通り、あたし達じゃ、《ティルヴィング》を抑えるなんて事は出来そうにないわ。妙案があるのなら聞くけれど」

 

「……我々だけでは不可能な領域であるのだけは嫌ほどに分かるのだが、何も言えん。IMFをこのまま放置してもいいとは判じられないが、止められる術があるとも思えないのは事実……」

 

 やはり、そうなのだろうか。

 

《ティルヴィング》に搭乗しているのがレミアの妹であるキルシーだとしても、助け出す術は存在しない――そんな残酷な答えだけが、今目の前にある事実だと言うのならば。

 

「……私はでも、ファムちゃんに……。助け出すって決めたんです。誓ったんです。なら、無理を承知でも、やらないといけないはずじゃないですか」

 

「カトリナちゃん、無謀と勇猛はまるで違うわ。IMFを止められるとすれば、もう一度……《ダーレッドガンダム》の放った謎の弾頭が必須になってくる」

 

「……あ、れ……? 私、そう言えばあの時……白い空間に……堕ちて……? あれは、夢……?」

 

 脳内に残存する記憶の片隅を感じつつ、カトリナはアルベルトの言葉を聞いていた。

 

「どっちにせよ、敵はミラーフィーネ持ちなんです。ただの編隊じゃやられるのがオチってヤツですよ」

 

「そうね……。私達は一刻も早く、宇宙に上がらなければいけない。そのためには魔獣を相手取っているような余裕もなければ、時間もない」

 

「……エンデュランス・フラクタル本社が何か遣いを寄越さないとも限らない。我々の次の行動は慎重に行かなければいけないはずだ」

 

 レミアの言葉にダビデが同調する。

 

 分かっている、自分達はこれまで以上に、世界から狙われる事だろう。

 

 その上で、一度宇宙に上がり、エンデュランス・フラクタル本社と事を構える考えも必定になってくるはずだ。

 

 だと言うのに、地表に這いつくばって魔獣の相手をしている場合でもない。

 

「……でも、私達はきっと……何かが出来るはずなんです」

 

「何か、ね。これまでならあなたの言葉に、少しは勇気付けられた経緯もあるでしょうけれど……IMF02をどうこうする手段が見当たらないのなら、もう私達に出来る事なんて……」

 

『――失礼を。何も手がないわけではございません』

 

 唐突に繋がれた回線に、カトリナは狼狽する。

 

「ピアーナさん……?」

 

『ブリギットを預かる艦長として、IMF02《ティルヴィング》の針路を計測いたしました。その進行方向にあるのは、ポートホームの粒子加速器と推測されます』

 

「それって……」

 

 ブリーフィングルーム中央に三次元の投射映像が映し出され、リアルタイムでの《ティルヴィング》の進行状況を示していた。

 

『ポートホーム集積地点をもし、《ティルヴィング》がミラーフィーネで攻撃……あるいはその強い力に引き寄せられるようにして、捕食にかかった場合……地上と宇宙は隔たれるでしょう。わたくしの計測結果では、三十年は宇宙に上がる術が存在しなくなるとされています』

 

「三十年……? おい、そりゃあ、マジなのか! ポートホームの集積地点ってのは、でも世界に何個もあるもんだろ?」

 

 疑問を発したアルベルトに、ピアーナのもたらしたデータは的確に応答する。

 

『この来英歴では宇宙へと上がるのにポートホーム……即ちダレトの技術結晶が使われて来ました。瞬間的に空間転送が可能なポートホーム技術は連鎖反応を引き起こすとされており、一カ所の起爆が他の集積場へのダメージとなります。もし……ミラーフィーネによって完全停止に追い込まれた場合、地球圏と宇宙での断絶に留まりません。人々は宇宙へと赴く術をなくす事でしょう』

 

「……取り戻すのには三十年は必要だってのか……」

 

 茫然とするアルベルトにピアーナはツインテールを払う。

 

『……これでもマシな試算です。もし、《ティルヴィング》ほどの巨大兵器がポートホーム付近で自爆した場合……我々が当たり前のように使っている転送技術は使えなくなる可能性があります。そうなれば、宇宙へと上がるのにはローテクの技術に頼る事となり……我々がエンデュランス・フラクタル本社と戦うなど夢のまた夢……』

 

「……参ったわね。こっちとしちゃ、一撃与えたつもりが、相手にとっては最後の手段を取らざる得ない状況にまで追い込んでしまった、って事なのかしら」

 

 バーミットの言葉にピアーナは重ねる。

 

『いえ、これはこちらの読み違えと言うよりも……最初から仕組まれていた流れのような気さえするのです。《ティルヴィング》がもし、聖獣の心臓を獲得していた場合、自動操縦型に切り替わっていた可能性があるでしょう。これはわたくしの中へと流れ込んできたIMFの基礎設計理論に基づいた話になるのですが……』

 

「……なるほど、つまるところ、どちらもまだ可能性でしかない。でも悪い方向に可能性は転がっている……艦長、あたしから進言するとすれば、《ティルヴィング》の足止め……くらいなものでしょうね。完全撃破は不可能と考えたほうがいいでしょうし」

 

「……分かっているわ、バーミット。こういう時こそ、理知的に振る舞わなければいけない事くらい。現時刻で、《ティルヴィング》に最も近い勢力は?」

 

『……我々……という事になりますね』

 

 ピアーナの声を聞き留め、レミアは判断を下す。

 

「では、これより――魔獣《ティルヴィング》を討伐します。それに、さしものエンデュランス・フラクタル本社も馬鹿ではないはず。送り狼で《ティルヴィング》をどうこうされる前に、私達の力で止めましょう」

 

 レミアにしてみれば、キルシーが乗っているかもしれない《ティルヴィング》に仕掛ける事そのものが下策であるはずだ。

 

 しかし彼女は迷わない。

 

 オフィーリアを預かる責任者としての声を振り絞る。

 

「……止める……んですよね? 倒すんじゃなくって……」

 

「カトリナさん。弱音はいいの、今は……私達に出来る抗いを浮かべるまで。どっちにしたって、このまま指をくわえて待っていれば、宇宙への道筋が永劫に途絶えると言うのなら、まだ勝ちの芽があるほうに賭ける、それが私達なりの抵抗でしょう」

 

『話は聞いた』

 

 接続された声にカトリナは瞠目する。

 

「クラードさん……?」

 

 医務室から直通を繋いできたらしいクラードの面持ちには疲弊が窺えたが、彼は言ってのける。

 

『俺と《ダーレッドガンダム》が先鋒を務める。アルベルト達にはバックアップに回って欲しい。……聖獣の心臓を手に入れたんだ、少しは出来るはずだ』

 

「でも……でもでも……っ、クラードさん……っ」

 

『何だ、カトリナ・シンジョウ。まさか諦めると言うわけでもないだろう』

 

 クラードの赤い瞳に浮かんでいたのは本気の眼差しだ。

 

 ここで――《ティルヴィング》を完全に封殺する。

 

 その決意の輝きに、レミアは目元を伏せる。

 

「……クラード。あなたにばかり、無茶をさせるものじゃないと、私は思っているのよ……」

 

『無茶を言っているのは百も承知だ。それでも……俺達は宇宙に上がって決着をつけなければいけない相手が居る。それなのに、悠々と三十年も待てるものか。俺が出る、他の文句は受け付けない』

 

「……あなたはそれだから……痛みを全て背負ってしまう……」

 

 弱い女の一面を晒したのも一瞬、レミアは艦長としての声を問い返していた。

 

「……一つ聞くわ、クラード。《ダーレッドガンダム》を使いこなし、勝てる作戦に組み込んでも構わないのよね?」

 

 それはクラードに前を任せると言う意思表示でもあった。

 

 無論、ここで弱気に挫ける彼ではない。

 

『……ああ、俺がこれまでと同じように……奪われたものを奪い返すだけの戦いを繰り広げるだけだ』

 

「……分かったわ。クラードと《ダーレッドガンダム》を作戦の前線へと組み込みます。サルトル技術顧問、《ダーレッドガンダム》の修繕、どれくらいでいけそう?」

 

『こっちはかなり損耗しているが……何でなのだか分からんとは言え、これは……自己修復していると言うべきか』

 

「自己修復?」

 

『《ダーレッドガンダム》の有するベテルギウスアームが破損個所を中心にして別の機動形態へと変異を果たそうとしている……。これは恐らく……MFの持つ修復機能の一部だと考えられるが、仕組みはまるで分からん。人外未知のテクノロジーだ……』

 

「……《ダーレッドガンダム》が?」

 

「……要は、次の戦いで出せるか否かで言えば……」

 

『……出せる、がクラードと応相談だな。おれ達だって戦ってるんだ。どれだけ無理無謀なスケジュールでも間に合わせよう。任せろよ、艦長。それに、期待の新人も。おれ達、オフィーリア整備班はお前さん達を生かして帰すまでが仕事だ。絶対に、万全の状態にしてみせるさ』

 

「……サルトルさん……」

 

「……期待しているわ。では、私達はこれより、《ティルヴィング》討伐作戦を決行します。ピアーナのブリギットと相対速度合わせ、IMF02への追撃に入る。出せるパイロットは全員出して。……恐らくはこれまでにない、戦いとなるでしょう」

 

 その言葉を発し切ってから、レミアは踵を返す。

 

 カトリナは思わず背中へと呼びかけていた。

 

「レミア艦長……!」

 

「……何、カトリナさん。時間は有限よ」

 

「あの、その……っ、私……っ! 私……! ファムちゃんと約束したんですっ! 絶対に……キルシーさんを、そのっ、助け出すって!」

 

「……出来ない事を作戦に組み込むわけにはいかないわ。あなただって三年間も戦ってきたのなら分かるでしょう」

 

「出来る出来ないじゃなく……っ、やってみせたいと! 思っているんですっ!」

 

 分かっている。とんだ精神論だ。

 

 ガッツで世界が救えるものか。

 

 だが、それでも自分はどうしたって希望を捨てられない。

 

 だって、誰しもが絶対に――。

 

「幸せに成るために……生きているはずなんだから……っ」

 

 レミアは顔を伏せたまま振り返って歩み寄っていた。

 

 張り手の一つくらいは来ても、可笑しくはない。

 

 身構えたカトリナへと――レミアは震える声で尋ね返す。

 

「……本当に……本当にそんな事が……叶うと思っているの? 出来ると思っているの? ……キルシーを……あの子に何も出来なかった私みたいな女に……資格があると思っているの……?」

 

 肩に触れたレミアの指先は凍えたように震えていた。

 

 その段になってようやく、カトリナはレミアを直視する。

 

 今にも崩れ落ちそうな眼差し。

 

 今にも決壊しそうな感情。

 

 そして――今も必死に押し留めている、「レミア・フロイト」としての自我。

 

 彼女は、恐らく自分以上に救済を求めている。

 

 だが、願ってしまえば、祈ってしまえば。

 

 それは個人としての言葉に成り下がり、オフィーリアの存続の危機に陥らせるであろう。

 

 今、個人的な感情を発露させるわけにはいかない。

 

 そんな澱に囚われ、行き場をなくしたレミアの感情に訴えかけるように、カトリナは真っ直ぐにその瞳を見返して頷く。

 

「……助け、ましょう……。私達なら、出来ます……っ。可能不可能の次元なんて、これまでだって飛び越えて来たじゃないですか……」

 

「……あなたにそんな風に諭される日が、来るなんてね……」

 

 レミアは寂しげに自嘲した後に、自分の手を握り締める。

 

 冷たい指先、緊張に強張った手が、懇願するように自分の手の体温を求める。

 

「……お願い……カトリナさん、クラード……。あの子を……助けて……。キルシーを……姉らしい事なんて一個も出来なかったけれど……最期くらいは、人間らしく……殺してあげて……」

 

 もっと姉として願いたかった事はあったはずだ。幸せくらいは祈ったってよかったはずだ。

 

 だがレミアの身分はそれを許さないのだろう。

 

 血を分けた妹へと、最後の最後、安息な死くらいしか、レミア・フロイトと言う女性は報われないのだろう。

 

 彼女にとって最も残酷な選択肢だけが残された形だ。

 

 しかもそれを、自分とクラードに投げなければいけないと言う苦痛は推し量るに余りある。

 

 カトリナはその手を優しく包み込み、言って聞かせるようにゆっくりと告げる。

 

「……大丈夫、ですから。私達はきっと……助けられます。いいえ、助けなくっちゃいけないんです。だって、誰でもきっと――」

 

「幸せになる権利はある、から?」

 

 先回りして口にされた言葉に、カトリナは微笑む。

 

 レミアも口元を綻ばせていたが、それでも緊迫は拭えないようであった。

 

「……私は怖い」

 

「ええ、知っています」

 

「……キルシーを殺す事もそうなら、それを冷酷に告げてしまえる自分にも」

 

「……分かっています」

 

「……あの子の事なんて、何一つ分かっていなかった。姉なんて言える立場じゃないのも、重々承知。……でも、どうしても……あの子を怪物のまま、死なせちゃいけないのだけは分かる。私にとってのあの子は……母親違いでも掛け替えのない妹で……何度も袖を引いてくれた事だけは、憶えているもの」

 

「だったら、艦長は憶えてあげてください。キルシーさんの事、きっちり思い出の中で」

 

 面を上げたレミアは僅かに涙ぐんでから、そうね、と呟く。

 

「……もう思い出の中でしか、私はあの子に、姉らしい事をしてあげるなんて、……出来ないのかもね」

 

「レミア艦長はきっと、いいお姉ちゃんだったんだと思います。だって、そうじゃなくっちゃ、ここまで艦長は……キルシーさんのために、泣けないはずじゃないですか」

 

 その段になって頬を伝う熱に気付いたように、レミアはハッとしていた。

 

「……死神と呼ばれた私でも、まだ心が残っていたって事……なのかしらね」

 

「優しさで、示してあげてください。私達が前で戦います。レミア艦長は……オフィーリアを頼みます」

 

「ええ、任されたわ。それでも……カトリナさん。無茶だけは、しないでちょうだいね。あなたの無理無策のせいで、寿命が縮む思いをするのはこっちなんだから」

 

 軽口を交わし合い、お互いに身を翻す。

 

 行くべき道は、ここに決まった。

 

 



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第260話「英雄の走馬灯」

 

 ――扉を潜った先は暗礁の宇宙で、戸惑うよりも先に攻勢に移るべきと言う冷徹な己を発見する。

 

 だが、この次元宇宙の人々はどれもこれも廃材のような人型兵器に身を包んでいるものだ。

 

 それを捕捉した直後には照準補正を行い、向かってくる艦隊へと超重力砲撃を敢行する。

 

 照射された極黒の重力磁場は命中する前に切断されていた。

 

「まずは、一射目が失敗。《ガンダムレヴォル》、次いで第二射を行う。敵の識別信号を受信した後に、重力の投網にかける。ミラーヘッドシステムを受信、この世界の周波数に合わせる」

 

 ロジックで固めた声音で機体に命令し、順応したアイリウムが推進剤に火を通していた。

 

 問題があるとすれば、この次元宇宙での技術特異点たる、「ガンダム」。

 

 だが、先の高重力砲撃を断ち切った相手がこの世界においての「《ガンダムレヴォル》」とは思えない。

 

「敵味方識別を実行したいところだが、今の状況化は得策ではない。艦隊規模への砲撃を持続させ――」

 

 そこで操っていた機体へと向かってくる敵影を関知する。

 

 戦闘機形態へと可変した敵機には無数の武装コンテナが接続され、それそのものが重火力のヤマアラシのようであった。

 

「……あれが、この世界の《ガンダムレヴォル》か」

 

 直感的なものであったのは間違いないが、それでも判断材料としては充分。

 

 そして、迎撃するのに相当する時間も適切であった。

 

「《ガンダムレヴォル》、これより迎撃戦闘を開始する」

 

 照射した高重力砲撃とのたうつ磁場の嵐の中を相手は突破してくる。

 

「……使い手か」

 

 しかしそれは関係がない。

 

 扉を潜って来た以上、ある程度の敵対勢力は予測された領域だ。

 

 それでも相手の執念深さは驚嘆に値する。

 

 武装コンテナより編み出した円柱型の武装が機体表層に触れた途端、相手の回線が入り混じっていた。

 

「……《レヴォル》の掌底を極大化した武装だ。とくと喰らえ」

 

「この、声は……」

 

 戸惑いを浮かべたのが敗因であったのか、あるいはその声に反応したのが決定打であったのか。

 

 自機の機体表層が打ち砕かれ、内蔵骨格が激震される。

 

「……《ガンダムレヴォル》……補正値を設定。敵の脅威判定を更新、敵を《ガンダムレヴォル》だと規定して、ミラーヘッドを帯びた回避運動を」

 

 しかし自分の操る機体の唯一の弱点は、咄嗟の回避がまるで不可能な事。

 

 相手の攻勢に対して、付け焼刃のミラーヘッドでは回避も叶わず、次々と連鎖爆発が起きていく。

 

「《ガンダムレヴォル》……敵機へと最大出力での重力磁場砲撃を開始。拡散重力によって敵を近づけさせるな」

 

 こちらの命令系統を潜り抜けてきた敵機が最大出力を浴びせ込む。

 

 遥かに矮躯でありながら、その速度は目を瞠るものがある。

 

 その掌底が装甲面を貫き、コックピットブロックを叩き据える刹那――夢を、見ていた。

 

 天を衝く巨大構造物と、赤と青の連星に支配された宙域――故郷の記憶が今際の際に掠め、その星で育まれた英雄と言う名の概念が自分を生み出した経緯が瞬間的な走馬灯となって流れ行く。

 

「……俺は、こんなところで終わりなのか……何一つ、救えないまま」

 

 敵機のゼロ距離衝撃波が熱波と獄炎を纏わせてコックピットに守られた自分を焼き尽くす。

 

 最後に感じたのは、死はこうも容易いと言う、ありふれた思考回路であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――さん、クラードさん、聞こえていますか?』

 

 何度か呼びかけられ、クラードはようやく眠りの淵から目を覚ます。

 

「……今のは……」

 

 自分の記憶の中にはない――だが遥かにリアルな光景であった。

 

『クラードさん、現状、《ダーレッドガンダム》の性能評価を下したいのですが……構いませんね?』

 

 接触回線のティーチの訝しむ声にクラードは応じる。

 

「ああ、構わない」

 

『では。クラードさん、《ダーレッドガンダム》の性能面での洗い出し、完了しました。どうやらこれは……別物のMSと見てよさそうです』

 

 ティーチの評価にクラードは《ダーレッドガンダム》のコックピットに潜り込んだまま、インジケーターを確かめる。

 

「全く別種、か。聖獣の心臓の稼働率は?」

 

『それも、なんですけれど……どうやらこの機体、《シクススプロキオン》の権能の一部を引き継いでいるとしか思えないんです。形状に関しては、テーブルモニターを参照してください』

 

 テーブルモニターに映し出された《ダーレッドガンダム》のシルエットは前回までと異なっている。

 

 両肩部に新たなる武装と思しき突起があり、内蔵武装も四つほど増えているようであった。

 

 否、それよりも特筆すべきはベテルギウスアームの形状であろう。

 

 鉤爪の前腕部に、巨大な撃鉄めいた機構が付属され、アーム全体の形状も刺々しく変異している。

 

「……先の報告にあった、変質しているって言うのは本当なんだ?」

 

『ああ、クラード。こいつを前回までの《ダーレッドガンダム》と同一だと判定するのも難しい。正直、出たとこ勝負なのは事実だが……使えそうか?』

 

 サルトルの慮る声にクラードは接続口へと両手を翳し、軽く操って見せる。

 

「両腕の反応速度は問題なし。可動部への思考拡張も接続すればロスは限りなくゼロに出来る。……ただ、整備班の懸念も分からないわけじゃない」

 

『こいつには手を焼くな……。毎回、出来る事と出来ない事が変容するなんざ、まるで生き物みたいだ』

 

「……生き物、か」

 

 サルトルの評もさもありなん。

 

 もし――MFがそれ単体でも成り立つ生命体だとすれば。

 

 操っている自分は一体何者だと言うのだろう。

 

 波長生命体としての力を帯びてでしか、扱えない兵装と仮定して、自分は一体、何に成ろうと言うのだろうか。

 

「……答えのない問いかけだな」

 

『クラード、一応、ティーチの進言でベテルギウスアームの認証する……ダーレッドバスターだったか。それには二段階認証を設ける事にした。お前さんだけの現場判断じゃ危険だってのはおれが見ても分かるからな』

 

「二段階認証? もしもの時に遅れれば困る。それ、俺にとっても有益なんだろうな?」

 

『ああ、これはとっておきなんだが――』

 

 放たれた言葉にクラードは瞠目していた。

 

「……本気?」

 

『本気も本気だとも。これがお前には一番効く薬だってな』

 

「それ、皮肉もいいところだよ。俺が嫌がるって分かってやってる?」

 

『嫌がろうが、お前がダーレッドバスターを撃つに当たって、一度考える時間くらいは必須だろうさ。そのための機構だ』

 

 別段、サルトル達は面白がって付属した機能であるわけではない。

 

 わけではないのだが――。

 

「……やっぱり、飲み込みづらいよ、それ」

 

『だろうな。飲み込みづらいだろうと言うのも織り込み済みだ』

 

 長年寄り添ってきたからこそ出るアイデアなのだろう。

 

 クラードは嘆息をついた後に、《ダーレッドガンダム》の機能を呼び起こす。

 

「……《ティルヴィング》に追い付いたらすぐに戦闘だ。レミアから勝てる作戦を貰えれば俺はそれでいい。……少しこいつと話す」

 

『オーライ、おれ達は《ダーレッドガンダム》を万全にする。それでいいはずだな?』

 

 無言を是として、クラードはレヴォルの意志へと繋げていた。

 

『レヴォル・インターセプト・リーディング、コミュニケートサーキットを構築。専任ユーザーとの120セコンドの対話に移ります。“どうかしたのか? クラード”』

 

「とぼけるな。お前には分かっていたのだろう。……聖獣の心臓を取り込めば、機体が変容する事も」

 

『“予測出来かねる事態だ。何も万能ではないよ”』

 

 その語り口調に既視感を覚えつつ、クラードは問い返す。

 

「……ダーレッドバスターはどのような意味を持つ?」

 

『“こちらで計測している限りは、第六の聖獣の超重力砲撃とベテルギウスアームの持つ砲弾を組み合わせた、画期的な兵装だとも”』

 

「その内情は不明のままで、お前に乗れと言うのは難しい。もっと詳しくは分からないのか?」

 

『“反証不能。何よりも、オフィーリア整備班によってこれ以上の解析は阻害されている”』

 

 サルトル達がレヴォルの意志によって勝手に書き換えられるのを阻んでいるのだろう。

 

 クラードは鎧のパイロットスーツに包まれたまま、いくつかシステムを稼働させる。

 

「……お前が強くなったのならば、それでいい。俺は力だけを望んでこの世界に舞い戻った。……《ティルヴィング》を撃墜出来るのならば、悪魔のような力でも……」

 

 その先を言葉にしようとして直通回線が割り込む。

 

『クラード、次の戦い、正直ちょっとまずいんじゃない? ボクとしちゃ、ちょっと心配』

 

「……メイア・メイリス。生きていたのか」

 

『失敬だなぁ、死んだと思ってたの?』

 

「先の戦いでは生存率は低かったはずだ」

 

『《レグルス》でも案外やれちゃうね。ま、これもボクの才能! なんだろうけれどね!』

 

「冗長な話なら聞くつもりはない」

 

『……カトリナだっけ? あの人、きっとキミの事を誰よりも信じている。ブリーフィングルームの話はボクも聞かせてもらっていたけれど、なかなか出来る決断じゃない。《ティルヴィング》に……囚われているのがオフィーリア艦長の妹さんだっけ? そんなのさ、この土壇場で足を取られている場合じゃないでしょ』

 

「俺はレミアの保留し続けているトリガーだ。レミアがそう望むのなら、俺は引き金を引く権利がある」

 

『でもそれは……権利でしかないんじゃない? 義務とかとは違うはずだよ』

 

 分かった風な事を言うものだ。いや、元々メイアは、自分にとって分かった風な事を言ってのける不明瞭な誰かでしかない。

 

 それはきっと三年前から変わる事もなく。

 

「……レミアが望めば、俺はそうする覚悟がある。味方を撃てと言われればそれでもいい。ただ……権利と納得は近いようで遠い概念だという事だ」

 

『違いないね。納得付くの道なんて、なかなかないもんだよ。そんなのを戦場に求めてこれまでやってこれたわけでもないでしょ?』

 

「……惑わせるな。俺は撃てる」

 

『だろうけれど、ボクの話も聞いて欲しかっただけ。はい、通信終わり!』

 

 一方的に打ち切られたメイアとの会話に、クラードは重く沈殿するものを感じ取っていた。

 

「……撃つ前に、考える事、か。今の今まで見ないようにして来たな」

 

 ダーレッドバスターと呼称される武装が強大であるのならば、自分は一考の余地を挟むような余裕すらないはずだ。

 

 しかし、サルトルもメイアも「考えろ」と言った。

 

 それは何も意味のない殺戮機械へと堕ちるなという忠告であろう。

 

「……馬鹿馬鹿しい。俺は今も昔も、キリングマシーンだ……そうに違いないって言うのに……」

 

 今さら人らしさをこの手に握り締めて何になる。

 

 どこで手打ちになるのかも分からない戦いの中で、人間らしさに足を取られて、では戦えるのか?

 

 真っ当に、勝利を手に出来ると言うのか。

 

『クラード、オフィーリアは《ティルヴィング》への追撃可能距離に入ったわ。あんたの機体が前線を押し出す、それに関しちゃ前の作戦と同じ。違うのは』

 

「聖獣の心臓がこの手にある事。そして、ダーレッドバスターか。……バーミット、まさかあんたも関わったとかじゃないだろうな?」

 

『疑心暗鬼になるのも分かるけれど、今回あたしは関知していない。けれどまぁ、サルトル技術顧問から聞かされたと思うけれど、それってあんたをこの世界に押し留めるのには一番でしょ?』

 

「……どいつもこいつも知った風に言う」

 

『知っているから言えるのよ。そろそろ分かりなさい、あんたも。射出カタパルトへと移送を開始。《ダーレッドガンダム》を出撃姿勢に移らせます』

 

 切り詰めた声音はこの戦局が決して芳しくない事を告げているのだろう。

 

《ティルヴィング》がポートホーム集積地点に到達すれば、その時点で自分達の敗北。

 

 しかしだからと言って、何の考えもなく殺し尽くせばいいと言うわけでもない。

 

「……厄介だな、殺しちゃいけないってのも」

 

《ダーレッドガンダム》がリニアカタパルトへと固定される。

 

『リニアカタパルトボルテージを上昇。《ダーレッドガンダム》を出撃した30セコンド以内に、後続部隊を続けさせるわ。ブリギットから通信来てる。聞いていく?』

 

「必要ない。どうせ、ピアーナの苦言だろう」

 

『そこまで分かっているのなら、考えは一つです、エージェント、クラード』

 

 ハッキングされた通信網へとクラードは真紅の瞳を向ける。

 

「……無駄口を叩いている暇はないはずだがな」

 

『ですから、簡潔に。IMF02、《ティルヴィング》が暴走する事、それそのものでさえもエンデュランス・フラクタル上層部は織り込み済みであった可能性が高い』

 

「俺の一撃のせいじゃないと言いたいのか? 今さらそんな口上があったところで」

 

『ですが、戦地へと赴く足が少しは軽くなったでしょう?』

 

「……本当に、お前らは分かったような事を言うんだな。聖獣の心臓を取り込んだんだ。もう俺も……《ダーレッドガンダム》も違う」

 

『だとしても、諦めを踏み越えるのが貴方のはずです。通信終わり』

 

『ったく、もう。あんたらも素直じゃないんだから。はい! 時間ないんだから出撃シークエンスを省略! 《ダーレッドガンダム》、発進タイミングをエージェント、クラードに譲渡!』

 

 バーミットがわざとらしく声を張ったのも少しは自分を鼓舞する意味合いもあったのかもしれない。

 

 いずれにせよ――迷っているような余裕もない。

 

 戦いに赴くのに、心の行方を彷徨わせている時間は一刻たりとも惜しい。

 

「……《ダーレッドガンダム》、エージェント、クラード。迎撃空域に――先行する!」

 

 青い電流をのたうたせて《ダーレッドガンダム》の機体が射出される。

 

 即座に敵影を睨み据えた自分と呼応して、照準器が自動補正されていた。

 

 どうやらティーチ達が《ダーレッドガンダム》に施した特殊機構が活きるように設定されているらしい。

 

「……ありがたい事だ、敵を睨むだけでいいのは」

 

 両腕を可変させ、接続口からの電位が頭蓋に突き立つ。

 

 脳内ニューロンへと叩き込まれた情報の津波をいなしつつ、クラードは《ティルヴィング》の全容を眺めていた。

 

「前回開いた風穴はそのまま、か。それでも瓦解しない……まさに魔獣だな」

 

 下腹部に開いた風穴から誘爆してくれれば少しはマシな戦いを繰り広げられそうだがそうも言っていられない。

 

 クラードは上空へと展開したアルベルトの声を聞いていた。

 

『クラード。こっちはミラーフィーネで敵を挑発。少しだけでもいい、相手の動きを止める。それでいいな?』

 

「いいも何も、作戦概要は聞いたはずでしょ。なら、俺がいい悪いを口にする領域でもない」

 

『……相変わらずで安心するのも半分ってところだ。ブリギットから出撃した編隊! ダイキとか言うのを先行させて相手の足を潰すのに専念しろ!』

 

『誰に言ってやがる! 俺達が一番、《ティルヴィング》をこれ以上前に進ませやしねぇ! 行くぞ! 野郎共!』

 

 ダイキにもカリスマ性と言うのがあるのだろうか。

 

 あるいは元トライアウトの前歴が効いているのか、ブリギットより出撃したダビデを中心軸とするトライアウトの軍勢は少しばかり纏まりを取り戻したようであった。

 

『……エージェント、クラード。我々はあくまで、相手の進行方向を少しばかり鈍らせるだけだ。切り札はお前の中にある』

 

 ダビデの直通回線にクラードは応じていた。

 

「らしくないな。俺なんかに頼るほうじゃなかっただろ、あんたは」

 

『……そうだな。私も少し、気弱になっているのかもしれない。あれがミラーフィーネを発動させるか、あるいは集積地点を破壊でもすれば、宇宙と地上は三十年も断絶されると聞かされれば、自ずと身構える』

 

「今は身構えたほうがいい。先の触手による奇襲の策も相手は持っている。損耗を減らすのならば、少しばかりおっかなびっくりでもちょうどいいはずだ」

 

『……それもそうか。お前に諭されるとはな。これも意想外か』

 

「いずれにしたところで、これ以上進ませるわけにはいかない。《ティルヴィング》を迎撃する」

 

 ブリギットからの後続編隊が誘導ミサイルによる迎撃網を放つが、それらは《ティルヴィング》が振り向きもせずに放った防衛網によって阻まれる。

 

 ここまではある意味では予測通り。

 

 これ以上どう転がるのかは正直なところ、誰にも予測出来ない領域だ。

 

 クラードは真紅の瞳を《ティルヴィング》へと据えていた。

 

「牽制程度じゃ、蚊が刺したほどでもないんだろう。だからこそ……容赦はしない。ベテルギウスアームを展開、ビームマグナム、発射準備」

 

 鉤爪の兵装へと右腕を沈み込ませ、掌底と一体化した砲身を突き出す。

 

 直後、黒白の弾頭が《ティルヴィング》へと向けて放たれていた。

 

 トリガーを引き絞った感覚さえも薄いが、これまでティーチやトーマ達が造り上げてきた一級の砲弾だ。

 

 軌跡を掻き消し、重力磁場を散らして黒白の砲撃は《ティルヴィング》の表皮へと突き刺さる。

 

 途端、絶叫が放たれていた。

 

 ライドマトリクサーの電位が痺れ、接続された全ての機器が沈黙へと沈み込もうとする。

 

「……これは……ミラーヘッドジャマーか……! まさか咆哮だけでジャマー兵装と同等なんてな……!」

 

 ミラーフィーネにばかり気を削がれていては敗北するという事か。

 

 しかし、高空より仕掛けていたアルベルトの《アルキュミアヴィラーゴ》は白銀の機体を翻させる。

 

 ビームジャベリンを振り翳し、果敢に刃を突き立てていた。

 

《ティルヴィング》のムカデの口腔部より叫びが漏れ、全域に向けてのミラーヘッドジャマーが吼え立てられる。

 

『野郎……ッ! ようやく届いたんだ……無駄にさせっかよ……!』

 

《アルキュミアヴィラーゴ》が蒼い光を明滅させ、ミラーフィーネで相手の阻害兵装を無効化していく。

 

 そのまま二の太刀を振るいかけて《ティルヴィング》の全身が裏返り、砲身を構築していた。

 

《アルキュミアヴィラーゴ》を狙い澄ました砲撃の一斉掃射を、直前に察知して振り解いた機体が下降していく。

 

『“アルベルトさん! このままじゃ機体がバラバラに成りますよ! もっと丁寧に!”』

 

『んな事言ってる場合かよ、マテリア! 精一杯、ゲインを上げてくれ! この程度の馬力じゃ足りねぇ……ッ!』

 

 アルベルトも必死に活路を見出そうとしてくれている。

 

 後続部隊からの火線も絶えない。

 

《ティルヴィング》がようやく振り返り、自分達を敵勢だと認識したようであった。

 

「……今になって敵がこちらだと気付いたみたいな様子だな……!」

 

 全方位に向けて砲撃が仕掛けられ、こちらの機体を振り解こうとする。

 

 第三部隊であるシズクを筆頭とした機体の編成へと最奥に位置する《サードアルタイル》からパーティクルビットによる加護がもたらされていた。

 

『クラードさん……! それにヘッドも! 第三部隊による攻勢が入ります、一度オフィーリアまで帰投して次の手を! そうじゃないとこいつは……!』

 

 グゥエルの懸念が形になるのは、その三秒後にも満たない間であった。

 

《ティルヴィング》が赤い皮膜を形成し、途端に世界は禁じられた夕暮れに染まる。

 

「……ミラーフィーネの広域展開……オフィーリア! ポートホーム集積地点までの位置関係は!」

 

『もうさほど距離なんてないも同然! クラード、時間はないわ!』

 

「……だろうな。だとすれば……」

 

 ビームマグナムの砲身を外し、クラードは鉤爪の内側へと意識を飛ばしていた。

 

 ――感覚する。

 

 この手が喰らった第六の聖獣の鼓動を。

 

 脈動が己と同調し、肉体が拡張した感覚と共に、鉤爪が紫色に輝き、結晶化を果たしていた。

 

 直後には――七色に染まった鉤爪の兵装に熱と意識が宿っている。

 

「……まるで聖獣を右腕だけで御しているような感覚だな」

 

 今にも弾け飛びそうな右腕の疼きに、クラードは奥歯を食いしばる。

 

《ティルヴィング》がそれを関知してか、砲撃網を激化させていた。

 

 弾幕が張られる中で、クラードは敵影を睨む。

 

「……だが、俺達の切り札は、これじゃない」

 

『――ミラーヘッド、加速第二段階! 行きますっ!』

 

 丹田に力を込めた様子の声が弾けるのと同時にオフィーリアより弾丸の如く前線にまで到達したのは――ほとんど丸裸同然の《オムニブス》であった。

 

 まともな兵装はなく、全ては超加速に身を委ねるため。

 

 その速力は恐らく、《ティルヴィング》の関知する速度を超えていたのだろう。

 

 一直線に、愚直とも言える針路を取ったパイロットの声が残響する。

 

『……ファムちゃん……ちょっと苦しいかもだけれど、我慢して……!』

 

『ミュイぃぃぃ……』

 

 相手もまさか兵力として数えられもしない《オムニブス》が切り札だとは想定もしていなかったはずだ。

 

 その証左のように、《オムニブス》はミラーフィーネを受けて速力を減殺していくが、パーティクルビットの加護を得て今――届く。

 

《ティルヴィング》に開いた唯一の弱点。

 

 数多の装甲を打ち砕いた風穴へと。

 

《オムニブス》が触れた途端、声が響き渡る。

 

『キルシー……っ!』

 

 



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第261話「姫と淑女」

 

 誰かの呼ぶ声が、聞こえたような気がした。

 

 顔を上げるが、骸で構築された砂浜は凪いだまま。

 

 赤い血潮の波は変わらない時間を刻んでいる。

 

「……私は、ここで朽ちていくしかない。そうなのでしょうね」

 

 最早諦めもついた。

 

 ワンピース一枚だけの自分へと、骸骨が覆い被さる。

 

『キルシー……君を、護る……よ……』

 

「もう必要ない。全部……壊れてしまえばいい」

 

 蹲ったままキルシーは破滅への願望を語る。

 

 世界なんて焼け落ちてしまえばそれで全てが終わる。

 

 そんな絶望の淵に佇むのがお似合いなのだ。

 

 だから不意に世界に亀裂を生じさせた「聲」を――にわかには信じられなかった。

 

『キルシー……っ!』

 

「……ファム……?」

 

 そのようなはずがない。そう思いながらも絶望の白い砂浜で、キルシーはゆっくりと顔を上げる。

 

 赤い波間の向こう側から声が、自分を呼ぶたどたどしい声が聞こえてくる。

 

 思わず腰を浮かしかけて、骨ばった騎士が足首を掴む。

 

『行っては駄目だよ、キルシー……私が……護るから……』

 

 誰を信じればいいのだろうか。

 

 嘘としか思えない幻聴だろうか。

 

 それとも、自分を護るとのたまうこの骸骨の騎士であろうか。

 

『キルシー……っ!』

 

「ファムが……ファムが呼んでいるの……? でも……あなたはだって、私を裏切った……!」

 

 思念が波風を立たせ、世界が敵意の色相に染まる。

 

 自分を中心軸として風圧が巻き起こり、拒絶の旋風が幻聴を遠ざけていた。

 

『そう、だ……それでいい、キルシー……もう、傷つく事なんて……ない』

 

『キルシー……っ!』

 

「やめて……うるさいうるさいうるさいうるさい……! あなたなんて嫌いよ、ファム! あなたはだって、私を救ってくれる女神じゃなかった! 私を裏切って……それで今は幸せなんでしょう? なら……私なんて、最初から要らなかったんじゃない……」

 

『……キルシー……でもファム……キルシーのこと、すき……だよ……』

 

「やめて。ファム、あなたには人の心なんて分からないんでしょうね。一度裏切られてしまえば……どれほどの事を諦めてしまうのか……。一度見限られてしまえば……どれだけ……願ったって祈ったって……無駄なんだって分かってしまうのよ……!」

 

 脳裏に浮かび上がるのはあの日、自分を見捨てて出奔してしまった姉の背中があった。

 

 どうして連れて行ってくれなかったのだろう。

 

 子供だったから?

 

 弱かったから?

 

 それとも――邪魔だったから?

 

「……お姉様は……私なんて要らなかった……だから、置いて行った。私を……あんな籠の鳥のような場所に……!」

 

『ちがう……ちがうよ、キルシー……。レミアは、そんなひとじゃないよ……』

 

 幻聴はやはり都合のいい言葉を吐くものだ。

 

 ファムがレミアを知っているはずがない。

 

「……あなたに何が分かるの? お姉様は……私なんて生まれないほうがいいって思っていたんだわ。だから……! 平気で置いて行けた! 平気で見捨てられた! ……もう、思い出しさえもしないでしょうね……私の事なんて、とっくの昔に見限られたのよ……! だからもう……優しい世界なんて、要らない」

 

 世界が色相を失う。

 

 白と赤ばかりの暗色の世界で、波風が吹き荒れ、骸の砂浜が風圧で乱れる。

 

「私は……最初から一人ぼっち! 一人ぼっちの……ただの道化! ファム、あなただって笑っていたんでしょう? 無駄な事をしている、馬鹿な女だって! どうせ、私なんて誰も必要として……ない」

 

『それは違う……違うはずです……っ!』

 

「……誰の声……?」

 

 ファムの声が生じた場所より、抵抗のような声が発せられる。

 

『レミア艦長は……あなたを助けて欲しいって……殺したくないはずなんです……っ! でも、あなたを止めないといけない。だから、私達に託してくれた……!』

 

「意味の分からない事を……じゃああなたは私に何をしてくれるの? 何も出来ないでしょう? だって言うのに、無責任な事を言わないで!」

 

 拒絶の風が吹き荒び、声を吹き飛ばさんとする。

 

 その刹那に、ファムの声が響いていた。

 

『ミュイ……でも、ファム、キルシーといて、たのしかったよ……? なのに、キルシーはファムといて、たのしくなかった……の?』

 

「楽しかった? そんなのまやかしよ! ファム、私はあなたの事なんて大嫌い! あの時……見捨てればよかった! 手を差し伸べた事も後悔しているわ! そのままどこかの貴族の物になってしまえば、それでよかったのよ! あなたなんて……最初から居なければ……!」

 

 その時、世界が鳴動する。

 

 鋼鉄がぶつかり合う音が残響し、キルシーは声を途切れさせていた。

 

「……何の音……?」

 

『そんな事……そんな事……言わないでください……っ! ファムちゃんはあなたの事を……ずっと、ずっとずっと……! 助けたかったはずなんですっ! そんなファムちゃんの気持ちを踏みにじるのが……友達なんですか! 本当の友達なら……痛みだって背負い合える……!』

 

「何を……そんな正論、今さら説かれるまでもないわ。友達? そんなもの、感じた事もない。私は昔から、ずっと一人……キルシー・フロイトに友達なんて居なかった……!」

 

 かつての記憶が足を取ろうとする。

 

 泣きじゃくっていた過去が、不意に思い出されてキルシーは敵意の嵐を躊躇ってしまう。

 

 ――友達なんて居なかった。ずっと一人の世界だった。

 

『ミュイ……でも、ファムとキルシーは……ともだち……だよ……?』

 

「やめて。そんな言葉で……私の中に入って来ないで! 何を無遠慮に……あなた達が私に何が出来るって言うのよ!」

 

 そう、もう手遅れなのだ。

 

 全ての世界は白と赤に分かたれ。

 

 自分は永劫、この罪人の砂浜で囚われる。

 

 その運命はとうの昔に、受け入れたはずなのに。

 

 またしても、鋼鉄を破砕する音が響き渡る。

 

「……何を、やっているの……? もう無駄なのよ! ファム、あなたなんて大嫌い!」

 

『じゃああなたは……打算だけでファムちゃんと付き合っていたって言うんですか……っ! そんな歪んだ気持ちだけで……ファムちゃんと……っ!』

 

「そうよ、悪い? ……クランスコール令嬢の身分は色々と使えるはずだって、そんな計算だけで!」

 

 吹き荒れる嵐。

 

 砂浜が崩れて行く。

 

 その内側で脈打つのは無数の骸骨の群れであった。

 

 自分を許しはしない。

 

 自分を、この場から離しはしない。

 

 もう、永遠に裁かれる時なんて来ない。

 

 地獄の片隅で、こうして囚われる事でしか。

 

 だがまたしても――鋼鉄が衝突するような鈍い音が響く。

 

「……だから何をしているんだって……今さら意味なんてないのよ! もう放っておいて!」

 

『出来ません……っ! 出来るわけ……ないじゃないですか……っ! だって、あなたはレミア艦長にとって大切な人で……ファムちゃんにとっても大事な人で……なら私にとってもそう! 幸せに――成るんだぁ……っ!』

 

 キルシーはその言葉の芯の強さに僅かに後ずさる。

 

「幸せ……? そんなもの、最初からなかった! なかったはずなのよ! ……私はどうせ、貴族に抱かれて……それで子供を産むような道筋しかなかった! 利用されるだけされて……最期の最期にそれを幸福だったって自分に言い聞かせるの……それが……せいぜい許された幸せで――」

 

『そんなの……っ、本当の幸せって言いませんよ……っ! 誰だってそう! 幸せに……成れるんですっ!』

 

 どこまでも耳障りな声だ。

 

 それでいて、この絶望の極致にあると言うのに、何故なのだか声が自分の中で響き渡る。

 

 もう諦めを踏み越えたと言うのに、今さら幸せなんて事をのたまう。

 

「……やめて……そんなもの……ない」

 

『ミュイ……! キルシー……!』

 

 耳を塞ぐ。

 

 世界を拒絶する。

 

 それで全て事足りたはずだ。

 

 全て終わりでよかったはずだ。

 

 だと言うのに、まだ――諦め切れない己の弱さが。

 

 どこかに希望があるのだと思いたい弱い己が。

 

「……本当に……あなたは……私の事を……憶えていて、くれるの? だって、思い出さないほうがいいに……決まっているのに……」

 

『ミュイ! キルシーのこと、わすれるわけ……ない……! だって……ファムたちは、ひとりじゃない、よ……!』

 

 その言葉と共に天上が割れていた。

 

 灰色に染まった世界が砕け落ち、明るい光の生じた空から、無数の弾痕を付けられた兵器が手を伸ばす。

 

 コックピットから顔を覗かせた相手にキルシーは戸惑う。

 

「……ファム……本当に、ここまで来てくれたの……?」

 

「ミュイ……っ! キルシー……!」

 

 白銀の髪を舞い上がらせ、ファムの身体が骸の砂浜に降り立つ。

 

 それは決して、女神のように荘厳な姿ではなく――。

 

 ファムは不格好に転がり落ち、何度も足を取られてから、顔を上げる。

 

「キルシー……みぃつけた!」

 

 まるで今まで拒絶していた事なんて忘れるような柔らかな笑顔で。

 

 思えば彼女はずっとそうだった。

 

 自分がフロイト家の令嬢である事など関係なく。

 

 かと言って己がクランスコール家の令嬢である事も感じさせず。

 

 たった一人の「ファム・クランスコール」として――自分に向き合ってくれた。

 

 キルシーは思わず駆け出す。

 

 骸骨の騎士が足を取り、押さえ込んで何度も阻もうとするが、それでも構いやしない。

 

 足首に巻かれた鎖を断ち切り、砂浜を這って、不格好にファムの下へと向かう。

 

「……ファム……ファム……ファム……!」

 

「ミュイっ! キルシーっ!」

 

 ようやく辿り着いた頃にはボロボロで。

 

 お互いに決して無事とは言えないような様相で。

 

 それでもキルシーは目の前のファムに向けて、抱擁していた。

 

「……ようやく会えた……。私の……本当の友達……」

 

「ミュイっ! キルシー、よかった! だってキルシー、なにもかわってない!」

 

「変わってない……? 私、が? ……こんな風になってしまったのに?」

 

 世界は歪んだ。

 

 世界は終わりを告げた。

 

 灰色の骸の大地に、赤い臓腑の海に、どこまでも広がる曇天。

 

 もう世界に希望なんてないと、そう何度も思った事か。

 

 だと言うのに、ファムの笑顔だけが翳りがない。

 

 彼女だけがこの世界で――自由だ。

 

「ミュイっ! いこっ、キルシー! こんなとこ、くらくってこわいから……ファムがつれていってあげるっ! レミアも、カトリナも、クラードもいるところに!」

 

 きっとそれは救済であったのだろう。

 

 だが、キルシーはその手を離していた。

 

「ミュイ……?」

 

「……ファム。駄目。そこまであなたに頼ってしまえば……私はきっと、永遠に後悔する。だって、あなたはもう、私の女神じゃないもの。私の……たった一人だけの、本物の友達。だから、決着は……自分でつけるわ」

 

 振り返る。

 

 視線の先にはおびただしい骸の数。

 

 骸骨の騎士がたどたどしく言葉を紡ぐ。

 

『キルシー……君を……護る、よ……』

 

「ガヴィリア……あなたもまた、私が捕らえてしまった。だから、こんな運命を背負わせた……。終わりにしましょう。私達は、もう……」

 

 途端、粉砕された天蓋が急速に閉じていく。

 

『ファムちゃん! こっちに!』

 

 鋼鉄の兵士の手が伸びる。

 

 ファムはしかし何度も振り返っていた。

 

「……でも、でもでも……キルシーが……!」

 

「もういいのよ、ファム。私は、ようやく救われた。あなたの手に、ずっと縋っていると、だって大人に成れないもの。――だから、これでバイバイ。また会いましょう」

 

 それはほんの数刻の別れのように。

 

 精一杯の偽らざる笑顔で。

 

 手を振る。

 

 彼女との永劫の別れのために。

 

 そして、自分自身への決着のために。

 

 天上が閉じ、世界は再び闇に呑まれるかに思われたが、キルシーの胸に宿った灯火だけは本物であった。

 

 魍魎達の叫び。

 

 亡者達の怨嗟。

 

 それを引き受け、キルシーは両腕を広げる。

 

「さようなら、ファム。あなたは……もう一度、世界に戻って。それで私以外の、誰かを救ってあげて。だから私の罪は、私で背負う」

 

 怨霊の骸が一斉に降り注ぐ。

 

 その罪の刃が表皮を断ち切る。

 

 手足を斬り裂く。

 

 それでも――逃げない。逃げてなるものか。

 

「……もう、逃げないって決めた……。ファム……あなたのためだもの」

 

 やがて骸の群れに抱かれて意識を消し去ろうとした、その時であった。

 

『キルシー……キルシー――っ!』

 

 その声の主にハッとして振り返る。

 

 赤い臓腑の海の向こうから、聞こえてきたのは。

 

「……お姉、様……?」

 

 



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第262話「キルシー・フロイト」

 

「艦長! 広域通信なんて迂闊ですよ!」

 

 バーミットが止めにかかったが構うものか、と呼びかける。

 

 レミアは平時の落ち着きを忘れ、《ティルヴィング》へと声を発していた。

 

「キルシー……キルシー――っ! 私は……あなたを、一度は見捨てた……。贖い切れないとは思っている……! でも、けれど今も……見失わないで……! 私は……あなたをずっと……愛して……いた……」

 

 そう、愛して「いた」。

 

 過去形でしかない。

 

 今も自分達の脅威となるキルシーに同じだけの愛を注げるものか。

 

 思わず項垂れる。

 

 涙が、頬を伝い落ちていた。

 

 もう取り戻せない。

 

 もう言い訳も出来ない。

 

 自分はここに――キルシー・フロイトの姉として言える事は、一言もない。

 

 咽び泣く中で、バーミットが背中をさすってくれる。

 

「……大丈夫です。大丈夫……カトリナちゃんとファムが、行ってくれました。これできっと……艦長の想いだって届いたはずなんです」

 

「……こういう時、突き放すのがあなたじゃないの……」

 

「何言ってるんです。艦長とあたし、どれだけの仲だと思ってるんですか? もう、お互いにずぶずぶでしょ? 今さら湿っぽい事、言いっこなしですよ」

 

 バーミットの強さに救われるものを感じつつ、レミアはカトリナの乗る《オムニブス》と、そして今も照準するクラードの《ダーレッドガンダム》へと、回線を開く。

 

「……お願い、カトリナさん。……クラード……。キルシーを……人として死なせてあげて。私の保留し続けたトリガー……その役目を……果たして……」

 

『――請け負った』

 

 譲渡されたトリガーの行方は今、クラードがしっかりと保持している。

 

 レミアは幻の中で、自身の突きつけた銃口に手を添えたクラードを視ていた。

 

 その銃口の先にはドレスを着込んだキルシーが居る。

 

 彼女は戸惑うでもなければ、まして嫌悪するでもなく、その銃口の行方を受け入れていた。

 

 穏やかな笑みで、自分の罪を受け止めてくれている。

 

「……そんな顔で……笑うように、なったのね……、キルシー……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クラードさん……!」

 

《オムニブス》を急速後退させる。

 

 推進剤を焚きながら《ティルヴィング》の射程より逃れようとした《オムニブス》であったが、あまりにも損害を受け過ぎていた。

 

「懐に潜り込んで呼びかけるのは……結構手痛かったですよ……」

 

 その証拠に逃げなかった証として弾痕が装甲を打ち据えている。

 

「……キルシー……さよ、なら……? さよなら、なの……?」

 

「ファムちゃん……」

 

『カトリナ・シンジョウ。これより――《ダーレッドガンダム》の特殊兵装を、開放する。承認を乞う』

 

 クラードの言葉にカトリナは首から下げた黄金の鍵を握り締めていた。

 

 そのままテーブルモニターに現出した認証装置の鍵穴へと差し込んで回す。

 

 開錠されたシステムゲートが認証を指し示し、カトリナの最終安全装置たる声紋照合を推奨する。

 

『委任担当官の識別信号の受諾開始。受諾コードを発声してください』

 

「受諾コード、PE037! ダーレッドバスターの発射シークエンスを――委任担当官カトリナ・シンジョウの名において許諾しますっ!」

 

『コード認証を確認。ダーレッドバスター、発射信号を承認』

 

「……クラードさん……! ダーレッドバスター、撃てますっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 片腕に抱えた呪縛を解き放つ。

 

 白銀の鉤爪が七色の色彩を放ち、掌底の構えで固定した武装を突き出していた。

 

 今にも弾け飛びそうな概念殺しの砲弾。

 

 黒白の累乗弾頭は撃鉄に酷似した機構によって――装填される。

 

『専任ユーザーの発射シークエンスを許諾。ダーレッドバスター、発射体勢を維持』

 

『クラードさん……! ダーレッドバスター、撃てますっ!』

 

「……よし」

 

 かと言って、ただ放っただけでは先の風穴と同じ結果に終わるだろう。

 

 闇雲ではなく、狙いをつけ、確実に葬る。

 

「……耐えてくれよ、《ダーレッドガンダム》。ミラーヘッド……段階加速……!」

 

 蒼い色調を引き写した《ダーレッドガンダム》が大地を駆け抜ける。

 

 その速力、そして世界を打ち消しながらの佇まいは、既にヒトの造った戦闘兵器の域を超えている。

 

 今――聖獣の名を借りし兵装を携え、魔獣を討ち滅ぼす撃滅の徒が、肉薄する。

 

 その腕に宿った概念殺しの一撃を命中させるために。

 

 地表を引き裂いて触手が蠢き、こちらを捉えようとするが全て遅い。

 

 大地を蹴った《ダーレッドガンダム》が《オムニブス》と入れ替わる形で前に出て、その掌を突き出していた。

 

『「ダーレッド――、バスター――ッ!」』

 

 カトリナの声と自分の声が相乗し、《ティルヴィング》の剥き出しの内蔵骨格へと、放つ。

 

 それは世界を鳴動させる一撃。

 

 着弾と共に《ティルヴィング》の全身が虹色に脈打ち、やがて装甲の継ぎ目より噴出したのは蒼い血潮であった。

 

『……やった……?』

 

「いや……まだだ……!」

 

《ティルヴィング》ほどの巨大な兵器を一撃で倒すのにはまだ中枢部への威力が足りていなかったのか、あるいは自分の見据えた弱点部位が見誤っていたのか。

 

《ティルヴィング》は未だ健在――。

 

「……作戦失敗……だと言うのか……」

 

 絶望的な宣告が滑り落ちようとしたその刹那。

 

 砲撃が《ティルヴィング》の躯体を打ち据える。

 

 後続部隊か、と熱源を関知したクラードは識別信号にうろたえていた。

 

「……識別……クロックワークス社だと……」

 

『ここまでの追い込み感謝する。これより、我が社が先陣を切ってIMF02、《ティルヴィング》を処理させていただく。貴官らに責任は生じず、ここに居たと言う記録も残らない』

 

 アルチーナ級の艦艇より《アイギス》がそれぞれミラーヘッドの軌跡を滾らせて長距離ライフルで狙い澄ます。

 

 その赤い砲撃には見覚えがあった。

 

「……王族親衛隊が使っていたのと同じ砲弾か……。対聖獣用の……」

 

『本来ならば逆賊たる貴官らとの戦闘は避けられないが、ここでは不問とする。我が方による魔獣の抑止を、ただ見ていればいい』

 

 アルチーナ級の艦艇よりもたらされた声に、クラードは奥歯を噛み締める。

 

「……ふざけるな。自分達が生み出した者を……処理するなんて傲慢な真似……見過ごせるわけがないだろう……!」

 

『言葉を慎め。そちらには聖獣の鹵獲疑惑もある。いっその事、貴官らを攻撃してもいい』

 

《サードアルタイル》が最奥に位置している以上、下手な口出しも出来ないと、相手は高を括っているわけか。

 

 ――まったくもって、唾棄すべき代物だ。

 

 クラードは機体を反転させ、《アイギス》の照準から《ティルヴィング》を庇うように機動する。

 

『……クラード……さん……?』

 

「俺は俺の信じる者達のために刃を振るう。だが貴様らは違う。貴様らは……ただ憎しみの連鎖を断ち切ろうともしない、敵だ。俺は敵のために、道を作った覚えはない」

 

『……ミュイ……クラード……』

 

『賢しくない判断だな、エージェントにしては。ここで静観を貫いているほうがまだマシだろうに』

 

「そうだろうな。だが、俺は人でなしに成る事には慣れているとは言え、外道に堕ちろと命じられたつもりはない」

 

『……後悔するぞ。その化け物を放逐して、何の得がある。現に、貴官らとて、破壊を急務としていたはずだ』

 

『……ばけもの……じゃ、ないよ……。キルシーは……だってバイバイしてくれたもん……っ!』

 

「……ファム……」

 

『またあおうって……いってくれた……っ!』

 

 ファムに恥じるような生き方をしたくない。

 

 その一心で、クラードは一斉に突きつけられた砲身相手にも臆さず、老いず、逃げなかった。

 

『……自分が撃たれてもいいと言うのか』

 

「撃つのならば撃て。そちらこそ、後悔がないようにな」

 

『……《アイギス》部隊、照準を敵不明機へと――』

 

 命令が下ろうとした、その瞬間。

 

 どくん、と空間を震わせる脈動と共に声が思考へと澄み渡っていく。

 

 ――ファム達を、殺させやしない。

 

「……誰だ……?」

 

 疑問が氷解する前に、《ティルヴィング》がオォンと長く、遠く咆哮する。

 

 その雄叫びは蒼い光を帯びていた。

 

『……まさか、ミラーヘッド……?』

 

「いいや、違う……これは……ポートホーム集積地点と、共鳴しているのか……」

 

 ポートホーム集積地点が粒子加速を開始し、甲高い共鳴連鎖が空域を満たしていく。

 

 その光は途端にこの戦局を取り込み、オフィーリアとブリギット、そして《サードアルタイル》までも光の渦の中へと落とし込んでいた。

 

「……オフィーリアが……!」

 

 機体を駆け抜けさせようとして、クラードはカトリナの声を聞いていた。

 

『……待ってください、クラードさん……。この光……あたたかい……』

 

「……何の光だって言うんだ……」

 

 ――ファムの友達でしょう? あなた達は。なら、私のするべき事は決まっている。

 

「……思考に声が……! お前は……一体……」

 

 否、問答するまでもない。

 

 声の主は《ティルヴィング》の搭乗者――キルシー・フロイトのはずだ。

 

 ――魔獣の力を使い果たし……あなた達を宇宙に上げます。それで私の……償いとなるのなら。

 

 光が渦巻いて加速し、直後には浮遊感を伴わせて戦域の機体群を押し上げていく。

 

『何を……何をやっているか! 撃て! 撃つんだ……!』

 

 アルチーナ級の艦艇より声が響き渡り、《アイギス》が《ティルヴィング》へと砲撃を見舞う。

 

 恐らく、《ティルヴィング》は先のダーレッドバスターで致命傷を受けていたのだろう。

 

 ミラーフィーネを展開するような余裕もなく、次々と砲弾でその身を削っていく。

 

『キルシー……っ!』

 

 ――さよなら、ファム。大丈夫、あなた達ならきっと、大丈夫だから。

 

『いやだよ、キルシー……もう、バイバイなの……?』

 

 その問いかけにキルシーは慈愛の微笑みさえ浮かべさせて応じたのが、クラードにも伝わっていた。

 

 ――……馬鹿ね。また会えるから、バイバイするんでしょう? さよならは、もう一度どこかで会いましょうって言う、意味なんだから。

 

『撃て! 魔獣を墜とせ!』

 

《アイギス》の砲撃がより激化し、《ティルヴィング》の装甲が剥離していく。

 

 死の直前に、《ティルヴィング》は蒼い光の柱と化していた。

 

 物質転送のためだけに特化した、想いの輝きだ。

 

 光の樹木は枝葉を伸ばし、その内側の命そのものの脈動を感じさせる。

 

『……キルシー……うん、また、またあおっ……。キルシーのおうた……あたたかい……』

 

『歌が……聴こえるって言うの……ファムちゃん……。でも、私にも分かる……。手を振るあの人はきっと……歌っている……』

 

 ファムが静かに、それでいて確かな声音で、歌声を紡ぎ始める。

 

 それは罪悪に堕ちた地表をさらう、浄罪の歌であった。

 

「ファムの歌と共に、誰かが歌っている……違う、歌っているのは……キルシー・フロイト……」

 

 電位でしかない、ただの現象だ。

 

 一定波長でしかない、ただの音叉だ。

 

 だと言うのに――こうまで心を震わせる歌が、あったであろうか。

 

 音階も、言語も、まるで不明瞭。

 

 まるで不揃いだと言うのに、二人の歌が戦場を満たしていく。

 

「……戦地を歌が……洗い流す……」

 

 罪の地平に向けて、二人の少女が歌声を響き渡らせる。

 

『……クラード……この歌……ファムが……歌っているのか……?』

 

 上空展開していたアルベルトも同じように、空の彼方へと向けて引き上げられていく途上であった。

 

 戸惑いがちなその声に、クラードは確かな論調で応じる。

 

「……ああ。ファムとキルシー・フロイトの……魂の歌声だ」

 

 やがて世界の片隅で、歌声だけを寄る辺にしたファムともう一人の少女を幻視した瞬間には、光は爆ぜていた。

 

 ティルヴィングの存在証明そのものを対価とした願いは、蒼い樹木の消滅と共に、キルシーの意味存在さえも消え失せる。

 

 途端、クラードは無重力を感覚していた。

 

『……歌が……止んだ……』

 

 成層圏を超え、衛星軌道上まで上がって来た艦隊はオフィーリアとブリギットだけであった。

 

 それがどのような意味を持つのか、理解出来ないわけではあるまい。

 

『……クラードさん……私……私……助けられてばっかりで……』

 

 泣きじゃくるカトリナの回線越しの声を聞きつつ、クラードは面を伏せる。

 

「……俺もだ。俺も……キルシー・フロイトを本当に……殺してよかったのか、はかりかねている……」

 

 片腕を接続口から引き剥がし、その掌を眺める。

 

 何も掴めない、破壊者の腕、簒奪者の指先かも知れない。

 

 それでも――今だけは、何かを生み出せたのだと、信じたいではないか。

 

『……キルシー……バイバイ。また……どこかで、あおう……』

 

 歌の最後にファムの添えた言葉に、一同は押し黙るしかなかった。

 

 犠牲の果てに、宇宙まで上がれた。

 

 その感慨を噛み締めながら、自分達は最後の最後まで戦い抜くしかない。

 

『……《ダーレッドガンダム》へ。一時帰投してちょうだい。他の編隊ももちろんよ。……悲しんでいる場合じゃ、ないでしょうからね』

 

 バーミットの声に混じってレミアの咽び泣く声が漏れ聞こえてくる。

 

 きっと、彼女も痛みを背負った。

 

 ならば、その責は負うべきだ。

 

「……了解。一時帰投して――」

 

 その言葉尻を引き裂いたのは熱源警告であった。

 

 咄嗟の習い性で鉤爪の機構を現出させ、放たれた黄金の帯による一撃を弾き飛ばす。

 

「……この攻撃現象は……《ファーストヴィーナス》……!」

 

 しかしもたらされた識別信号にクラードは目を戦慄かせる。

 

「……違う……聖獣じゃ……ない」

 

『――問う。成層圏より上がって来たそちらを、自分は叩きのめすように命じられている。退くか、進むか。いずれかの選択を求める』

 

 機械のように切り詰めた冷酷な声に、クラードは振り仰いでいた。

 

 暗礁の宇宙で、赤いX字の機体が鋼鉄の兵隊を率いている。

 

「……ジオ・クランスコール……!」

 

『また相見えたか、エージェント、クラード。喜ばしい事だ。――自分は貴殿を、完全に殺し尽くす。その運命より、逃れ得ぬという事が、現実として突きつけられたのだから』

 

 

 

 

 

 

 

第十九章「想い、未来の果てへと〈ソング・オブ・フューチャーゲート〉」 了

 



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第二十章「地獄聖戦の終焉に問う〈バッドエンド・オア・ヘブンズエンド〉」
第263話「夢うつつの彼ら」


 

 ――駆け抜けていた。

 

 逃れようのない宿命から。

 

 逃れようのない因果の果てから。

 

 右足と左足を交互に動かせば、少しは前に進めるのだと信じて。

 

 だが、それも幻想。

 

 醒めてしまえば、消える幻でしかない。

 

 どうあっても逃れようのない運命は存在し、どうあっても避けようのない運命は屹立する。

 

 だから――駆け抜けていたのだ。

 

 草原を。

 

 空を。

 

 宇宙を。

 

 地の果てまで。

 

 手を伸ばす。

 

 そして、伸ばした先が虚空であったとしても、それを掴み取ろうとする。

 

 運命への片道切符。

 

 宿命への連鎖。

 

 握りかけて、掴みかけて、それは霧散する。

 

 果ての空に、星が打ち上がっていた。

 

 全ての終わりなのだと悟るまでに、数拍。

 

 心の臓が、この矮小な肉体に諦めを刻むまでの一拍。

 

 眺めていた、圧倒されていたのだ。

 

 ――世界が終わる瞬間を。

 

 蒼く染まった月が、虚空の彼方で衝突し、無音の世界で地表へと無数の隕石が降り注ぐ。

 

 終わりの流星。

 

 そして、始まりの覚醒。

 

 魅せられていたのは自分のほう。

 

 漆黒の躯体を誇る脱出艇が空の果てを目指して飛び立っていた。

 

 蛹のような形をしたそれらは一斉に、月の向こう側に開いた間違いのような大虚ろへと飛び込んでいく。

 

 涸れた喉がようやく声を発する。

 

「……ダレト」

 

 それは空を支配する漆黒の扉。

 

 それは世界を牛耳る漆黒の答え。

 

 自らにかけられた呪縛をこの時、痛いほどに理解していた。

 

 両腕と両足に、紋様が刻み込まれ枷のように浮かび上がる。

 

 世界から旅立つのに、この身一つでさえも自由ではない。

 

 打ちひしがれていた視界の中で、ダレトに飛び込んだ蛹の群れが一つ一つ、弾き返されそして爆発の光輪を拡張させる。

 

 彼らはダレトの向こうへと赴くのに選ばれなかったのだ。

 

 そう反射的に理解した自分は、小高い丘へと向かっていた。

 

 丘の上には研究所が佇んでおり、そこでこの終末の光景を眺める老爺の名前を自分は呼ぶ。

 

「……ヴィルヘルム先生……」

 

 白衣を纏った老人は何でもない事のように自分へと目線を振り向け、それから煙草を足で踏みつけていた。

 

「ああ、何だ、まだ居たのか。――クラード。もう終わりだ、この世界も、この星も」

 

「何か……何か手はないのでしょうか? だって……みんな……死んで行ってしまったなんて……」

 

「手なんてないとも。彼らは自らを保護する最大の護りを得てダレトに突入したと言うのに……これはちゃんちゃら笑える結果だ。ダレトが彼らを“拒んだ”とは」

 

 世界は終わりの淵に至ろうとしている。

 

 だと言うのにヴィルヘルムの論調には余裕でさえも窺えた。

 

「……私が言う事ではないのかもしれませんが……彼らに技術提供し、そしてダレトを突破する術を与えたのはあなたのはずです……ヴィルヘルム先生」

 

「ああ、そうだとも。しかし、皆“理性の箍(ライドシンセサイザー)”に囚われ、そしてわたしの提供した技術を疑いもせず享受し、ダレトの向こうに至れると豪語した愚か者達だ。彼らには似合いの結末だっただろうさ。何せ、最期の瞬間にダレトが自分達を拒んだと言う結果だけを思い知り、そして命を散らして行ったのだから」

 

「……先生は……彼らを分かっていて、見殺しにしたんですか」

 

「まさか。そこまで万能ではないよ。だが……思いのほかつまらない結果に集約されたな、という感想はある」

 

「つまらない結果……」

 

「だってそうだろう? この世界の叡智の粋を凝らした現代科学の忌み子に自ら志願した六十億はこうして滅んだ。知るがいい、クラード。純正殺戮人類(ナチュラルキラーエイプ)など所詮、この程度のものだ。彼らは数億年前に動物の骨で狩りを覚えた時から何も進歩していない。だから甘受出来る、だから疑いもしない。わたしが世界を救うのだとのたまわなければ、彼らはどうしていたと思う? 同族同士で殺し合いを尽くしていただろうな。この星が滅びゆくその日まで、ずっと。それを見るか、ダレトに飛び込み自殺を行うのを見るかだけの違いだ。わたしとしてみれば、後者のほうに興味があった。……が、つまらんな、ヒトが死ぬのを見るのも、もう充分に飽きた」

 

 彷徨う視界の中で、ホルスターに留めていた拳銃を握り締める。

 

 ヴィルヘルムへと突きつけた途端、彼は頬を緩めていた。

 

「何だ、クラード。わたしを殺すかね? それとも糾弾するか! 霊長を滅ぼした簒奪者とでも! だがそれは、お前とて何が違う?」

 

「……私は……私は、あなたとは、違う……! 違う結末を信じたい……!」

 

「……クラード、最も初期のライドシンセサイザーよ。お前は美しい。お前は麗しい。お前は、この世に生まれ落ちた時点で、他の凡百とは違う道を辿れる。そういう真実めいたものを、わたしに感じさせた」

 

「……だから六十億を見殺しにしたって言うんですか……!」

 

「いけないかね? 六十億と一を、天秤にかけるのは」

 

「……あまりにも傲慢だ、それは」

 

 ヴィルヘルムは後頭部を掻いてから、研究所の最奥へと顎をしゃくっていた。

 

「……ついて来い。いいものを見せてやろう」

 

「……いいもの……」

 

 ここで撃ってしまえば、まだ楽かもしれない。

 

 だが――クラードの中には疑問とそして興味があった。

 

 人類を殺した罪の一端を背負いながら、ヴィルヘルムには気負うところが一つもない。

 

 彼は、滅ぼした人類になど到底意義を見出しているつもりもないようであった。

 

 むしろ、滅んだのだからそれは身勝手な権利なのだとでも言うように。

 

 隔壁の扉がヴィルヘルムの生体認証を得て開いていく。

 

 何重にも隔離された暗闇に安置されていたのは、今しがたダレトに突入したのと同系統に映る漆黒の巨神であった。

 

「……これは……」

 

「名を《レヴォル》。《ガンダムレヴォル》だ。お前の授かった名前を認証し、そして意味を成す剣となろう」

 

「……《レヴォル》……」

 

「クラード。最後の一人になったお前に命じる。――扉の向こうへと赴け。そして純正殺戮人類を殺し尽くすのだ」

 

「……何故……何故そんな事を、私に言うのですか……」

 

「何故も何もない。それが扉の向こうを開くに足る素質を持った者――機動戦士の宿命であるのは分かり切っているだろう。お前は往け。運命の赴く先、交差する螺旋の向こうに佇む世界の答えを知るために」

 

「……私は、ヴィルヘルム先生……あなたを殺す事も出来る……!」

 

「やるのか? その震える銃口で、わたしを殺せるのか?」

 

 問い質されればその覚悟は霧散する。

 

 何故なのかと問い返す愚も犯すまい。

 

 この終末の星で、真に一人になるかどうかの問答だ。

 

 だからこれは、最後の最後に引くトリガーへの問い。

 

「……ヴィルヘルム……先生……っ」

 

「撃ちたければ撃て。わたしの心臓はここだ、クラード。外すなよ」

 

 左胸を指し示したヴィルヘルムに、クラードは頬を熱が伝っているのを感じていた。

 

 ――相手は六十億の人類を滅ぼした大罪人。

 

 撃つに足る理由は充分なはずだ。

 

 だと言うのに、手が痺れ足が竦む。

 

 相手が罪人な以前に――自分にとってはこれ以上とない、恩人であったからだろう。

 

「……あなたは私に生きていいのだと言ってくれた……」

 

「ライドシンセサイザーにしたのは延命するためではない。結論を下すためだ。そのために、クラード。生きて指し示すか、それともわたしと共に死して終わるかの二者択一、選べ。お前ならば難しくもない問答のはずだ」

 

 分かっている。

 

 ここで撃って、自分は《レヴォル》と共にダレトを突破する。

 

 滅びゆく世界を捨てて、ダレトの向こうへと約束された平穏のために。

 

 手打ちにするのならば今しかない。

 

 ヴィルヘルムを撃って、ここに約束は完遂される。

 

 だから、撃てばいいだけのはずだ。だと言うのに。

 

「……撃て……ません」

 

 クラードは膝を折ってへたり込んでいた。

 

 撃てるわけがない。

 

 撃てば永劫、自分は彷徨い続ける亡者と化す。

 

 彼は与えてくれた。

 

 意味など存在しない自分に、ライドシンセサイザーとしての第二の生を。

 

「……お前を育てたのはいつでも撃てるようにするためだ。その時に迷わぬように」

 

 歩み寄ってくるヴィルヘルムの足音に、クラードは涙する。

 

「……だって、だってあなたは……私のたった一人の……家族、なんでしょう?」

 

 ぴくり、とヴィルヘルムの動きが硬直する。

 

 その言葉だけは予見出来なかったように。

 

「……家族なんて居ない」

 

「嘘、嘘嘘嘘……嘘……っ! だって、ここまで面倒を看てくれたのは……私に裁定を下させるため……あなたをここで罰するため……! それを家族と言わなくってどう言うんですか……!」

 

「……理解者が家族と言う共同体である必要性はない」

 

「なら……!」

 

「だからクラード、お前は往け。お前の望みだけを伴わせて、終わりの世界を見捨てろ。それがお前に託された、唯一の……」

 

 銃身を引き寄せたヴィルヘルムに戸惑うよりも先に、銃声が劈いていた。

 

 心臓を的確に撃ち抜いた感覚と、彼の温かな指先が急速に力をなくしていく。

 

 現実味も失せていた。

 

 倒れ伏したヴィルヘルムに、思わず肩を揺する。

 

「ヴィルヘルム先生……!」

 

「クラード、わたしの……愛おしい……」

 

 血濡れの指先が惑い、頬をさする。

 

 その手をしっかりと握り締めて、クラードは何度も頷いていた。

 

「……ヴィルヘルム先生……! 先生は私に……生きる術を、教えてくれた……!」

 

「……馬鹿を言え。わたしは六十億を殺した大罪人だ。それだけを刻んで終わる……」

 

「でも……でも……! ヴィルヘルム先生は救いたかったんでしょう? 人類を……!」

 

「……そこまで傲慢に成り果てるものでもない、よ……」

 

 その気力も、そして思い残す言葉もないのだろう。

 

 ヴィルヘルムは胸の中で息絶えていた。

 

 クラードは彼の息遣いの最後まで感じ取ってから、キッと視線を上げる。

 

 赴く先には、《レヴォル》の名を誇る禁断の機体が佇んでいた。

 

「……ありがとう、ヴィルヘルム先生。私は……憂いなく、旅立てる」

 

 ありがとう、ありがとう、と、何度も感謝してから、最後の最後に一言添えていた。

 

「……私の愛する……お兄ちゃん……」

 

 憂いを打ち消し、ライドシンセサイザーの両腕を突き出す。

 

 その途端、《レヴォル》から樹木のように機械類が伸張され、自身をコックピットへと導いていた。

 

『認証開始。専任ユーザーの登録を要求します』

 

 生物の臓腑を思わせる幾何学のコックピットの中でテーブルモニターに両手を付いて、クラードは告げる。

 

「……私はクラード。この世界最後の人類……」

 

『認証を確認。クラードへ、コミュニケートサーキットは124秒有効化。“はじめまして、かな、クラード”』

 

 その声音に、クラードは目を見開いていた。

 

「……ヴィルヘルム先生……?」

 

『“その呼称は正しくない。こちらはヴィルヘルムの人格データを複写した、AIコミュニケーションツールである。名がないのならば、レヴォル・インターセプト・リーディング。レヴォルの意志を名乗らせてもらう”』

 

「……レヴォルの意志……」

 

『“早速だが、崩壊しかけた惑星に留まっているのは賢い選択とは言えない。《レヴォル》を伴わせての空間跳躍、そしてダレトに向かってのエネルギー放出は既に完遂された。ダレト突入時のラグはレイコンマの世界で補正されるだろう”』

 

 クラードは面を伏せていた。

 

 ヴィルヘルムの声が最後の最後まで自分を導くと言うのならば――自分こそが六十億の霊長を殺した同族殺し、最大禁忌の「純正殺戮人類」だ。

 

「……私に意思を継げと、そう言っているのですか。ヴィルヘルム先生」

 

『“問答の時間も惜しい。《レヴォル》は20セコンド後に飛翔機動に移る”』

 

「……分かった。私を導け、レヴォルの意志よ。ダレトに……突入する」

 

『“了解した”』

 

 直後、漆黒の機体を中心軸にして黄金の暴風が逆巻いていた。

 

 全身を金色に染め上げた《レヴォル》の機体に灯火が宿り、次の瞬間にはそのパワーゲインで研究所を吹き飛ばす。

 

 最後の最後、ヒトであろうとしたヴィルヘルムの遺骸は欠片も残らないであろう。

 

 クラードはオッドアイの真紅の瞳から涙を流している自分を、テーブルモニターに反射させていた。

 

「……もう、誰も犠牲にさせない。私は……往く!」

 

 目指すのは間違いのように虚空に開いた大虚ろ。

 

 月が地表をさらい、世界を押し流していく。

 

 惑星は紀元前の状態にまで還元されるであろう。

 

 その後に生命が生じるか、生じないかまでは分からない。

 

 明日の事など、誰も分かるものか。

 

《レヴォル》が黄金の色彩を纏ってダレトへと投入ルートに入っていた。

 

 不思議な事にほとんど干渉はない。

 

 だが、胸に抱いた最後の一撃の感覚だけは明瞭であった。

 

 人殺しの咎があろうと、大事な人を自分のエゴで失った経験があろうと、今は関係がない。

 

 向かうのは一路、ダレトの彼方へ。

 

「……私は……機動戦士《ガンダムレヴォル》を駆る……クラードだ……!」

 

 そして、見果てぬ世界を目指した夢の彼方は、累乗の先へと――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 覚醒状態で見る夢と言うのは夢遊病に類するらしい、とここで感覚するだけの理性は残っていた。

 

「自分は、夢を見ていたのか。見果てぬ夢を」

 

 だがこれは自分の記憶にはない。

 

 全くの想像を夢で見る事も稀にあるらしいが、自分の場合はそう「設計」されていないのだから、これは記憶と考えるべきだ。

 

「《ファーストヴィーナス》パイロット、マーガレット・マジョルカの持つ、記憶か」

 

 世界が滅びるさまを見せつけられたのは恐らく、先刻の戦闘で《ラクリモサステイン》が聖獣の心臓を取り込んだからだろう。

 

《ファーストヴィーナス》とマーガレットの持つ記憶の一端を、自分は白昼夢に近い状態で感覚させられたのだ。

 

「しかし、疑念が残るとすれば、聖獣の心臓にはそのような権能があったのか」

 

『……大佐? 今しがた観測された巨大な存在力の塊が上がってきます。……王族親衛隊の命により、宇宙に上がってくる勢力は叩けとのお達しです』

 

 腹心たる部下の言葉にジオは視線を振り向けていた。

 

「納得いかぬ、という物言いに聞こえる」

 

『……大佐は、この世界の土壇場でどうお考えですか? IMFとやらによって、宇宙と地上の交流は三十年は閉ざされると聞きます。それでも、我々に栄光は輝くと、そう思ってもいいのでしょうか……?』

 

「勘繰っても我々の身分には不必要な領域だ」

 

 断じた声音に部下は戸惑いを浮かべているようであった。

 

『……そう、なのでしょうが……分からなく、なってしまうのです。私は、撃てと言われれば撃ちます。叩けと言われれば、叩きましょう。それくらいの覚悟を持って王族特務に臨んでいるつもりですが……あんなものが、我々の意思決定に差し挟まれていたとなれば、疑問もあります』

 

「あんなものと、形容せぬほうがいい。死が近づくぞ」

 

『分かっては……! 分かってはいるんですよ、大佐……! 王族親衛隊とはそういうものである事くらいは……! ですが、やはり……自分は人間なのです。どうしようもなく……人間である事を痛感させられるんですよ……! 上に噛み付いたところで何も好転しない……それくらいは分かっています。ですが、それを大佐が誹りを受けていいかどうかは別でしょう!』

 

「自分は駒だ。駒は打ち手に忠実であらなければいけない。余計な感情論を挟む余地はない」

 

『……大佐の答えは、予め分かっていました。ですが、飲み込めぬ、とはこの事であって……! いえ、やめましょう……か。我々が問答するだけ、無駄なのですから。世界は彼らの思惑に沿って動いている、それが遅かれ早かれこういった形で結実するだけの……』

 

《パラティヌス》に乗り込んだ腹心は接触回線を切って離れていく。

 

 また、こうして人が離れるのだな、といやに醒めた心地で考えていた。

 

「敵を捕捉。あれは、驚くべきだな」

 

 蒼い軌跡を描きながら、二隻の艦艇と共に地球より浮上してくるのは討つと決めた怨敵だ。

 

 存在力の輝きを誇りつつ、その対象物は光を拡散させて宇宙の常闇へと上がって来ていた。

 

「ミラーヘッドビット、電荷。これより敵を撃つ。王族親衛隊、前へ」

 

『了解しました。全機、対聖獣弾頭を装備。敵を――血濡れの淑女(ジャンヌ)を討つ』

 

「残念だ、エージェント、クラード。やはり自分とそのほうは、戦う事でしか分かり合えぬらしい」

 

 



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第264話「塵芥の戦場」

 

『ミラーヘッドビットだって……!』

 

 通信網を叩いたアルベルトの戸惑いの声に、クラードは《ダーレッドガンダム》で前衛を務めつつ、敵影を見据えていた。

 

 真紅のX字の異形より放たれた無数の敵意に、クラードは改めて対象を捉える。

 

「……新型の《ラクリモサ》……王族親衛隊、ジオ・クランスコールか」

 

『クラード、こっちヤバいぜ! オレらは上がって来たばっかだ! まともな戦闘なんて出来る状態じゃ……!』

 

「分かっている。俺が、敵を抑える。その間に、オフィーリアとブリギットはそれぞれ、安全な航路を取ってくれ」

 

『……何、言って……』

 

「聞こえなかったの? 俺が奴を仕留める。王族親衛隊が来るって言うのなら、諸共だ。《ダーレッドガンダム》なら、それが出来――」

 

 断言しかけた自分へと、アルベルトの機体から接触回線が弾ける。

 

『馬鹿言ってんじゃねぇ! ……お前を、何度も何度もしんどい目に遭わせて、それで平気だとでも思ってんのか! ……オレらはもう、一蓮托生だとかそういうの超えてんだ。今さら……またどっか行っちまうなんて、言わないでくれよ』

 

《アルキュミアヴィラーゴ》がビームジャベリンを翳し、もう片方のマニピュレーターを中空に掲げていた。

 

 それはきっと――自分達にとっての約束手形なのだろう。

 

 ここまで、数多の犠牲があった。

 

 ここに来るまで、どれだけの骸を打ち立てて来ただろう。

 

 その果てに、待っているのが万華鏡との決着であるのならば、応じるのが自分であり、エージェント、クラードの答えのはずだ。

 

 しかし、それ以前に。

 

 アルベルトへと、まだ答えを保留にしていた。

 

 クラードはそっと、左腕を接触させる。

 

 気安い態度で、何でもないように応えて、そして、終わらせてみせよう。

 

「……ああ。俺はエンデュランス・フラクタルのエージェントであり……凱空龍の切り込み隊長だ」

 

『……クラード、オレ達も出来る限り、露払いってのをさせてもらうぜ。お前が万華鏡と戦いやすいようにな。……三年前には出来なかった戦いってヤツを』

 

 今はこうしてアルベルト達も力を誇っている。

 

 ならば、少しばかり任せる事もまた、信を置く戦いには必要だろう。

 

「……ああ、他の連中は任せた」

 

『……クラード……。よし、行くぞ、お前ら! オフィーリアのRM第三小隊、力の見せつけどころだ! 敵が王族親衛隊だろうが知ったこっちゃねぇ! オレらはオレらのために戦うまでだ!』

 

『蛮勇は……馬鹿を見る……!』

 

 一斉掃射されたのは赤い弾頭であった。

 

《パラティヌス》の狙いは明らかに《サードアルタイル》だ。

 

 まずは聖獣を潰し、それから時間をかけて自分達を圧搾していくつもりなのだろう。

 

 平時ならば、自分が矢面に立ち、弾頭を押し曲げるなりするところであったが――クラードは動かなかった。

 

《アルキュミアヴィラーゴ》が駆動し、ビームジャベリンを振り下ろして弾頭を斬り裂いていく。

 

 後方支援であったはずの部隊が動き、めいめいに銃撃を王族親衛隊の《パラティヌス》に向けて放っていた。

 

『何を馬鹿な……! 我々は王族特務だぞ!』

 

『知った事じゃないわよ! 第一、もうとっくに怖がる領域は過ぎている……ってね!』

 

 ユキノの声を嚆矢として、オフィーリアとブリギットより部隊が押し上げていく。

 

 それぞれの声が常闇の宇宙に弾ける中で、クラードはただ、《ラクリモサステイン》を睨んでいた。

 

「……お前の相手は……この俺だ」

 

『納得づく、という風に映る。それとも、やはり蛮勇なのだろうか。王族親衛隊は貴君らに倒される程度の熟練者ではない』

 

「そうだとしても……俺は連中を信じたい。いや、信じてもいいのだと、思えるようになってきた」

 

『信じてもいい、か。それは自分の知るエージェント、クラードの言葉とは、どうにも捉え難い』

 

「お前の知っているクラードは、三年前に一度死んでいる。だが、今度はどうだ? 万華鏡、ジオ・クランスコール。俺を完膚なきまでに、殺し尽くせるか? 二度と立ち向かってこないようにまで」

 

『《ラクリモサステイン》にはそれが可能だ。貴君は今一度、敗北の前に打ちひしがれるがいい。ミラーヘッドビット、電荷』

 

 四方八方より迫るミラーヘッドビットの軌道に、クラードは右腕を払うイメージを伴わせる。

 

 途端、ベテルギウスアームに内包された漆黒の電磁が拡散し、引き絞られかけたビーム粒子を霧散させていた。

 

 ミラーヘッドビットは恐れを抱いたように硬直する。

 

「答えはそう容易くはない。――行くぞ、ジオ・クランスコール。最後の……戦いだ」

 

『貴君の赴き、そして戦い振り、しかと見届けてきたつもりであったのだがな。想定以上だとも、エージェント、クラード。通信回線、Pの73621を開け』

 

 思わぬ要求にクラードは片耳に嵌めている通信回線を開いていた。

 

 その暗号通信が導き出す答えは――。

 

『幾度となく、お前の道標となってきたつもりであったのだが』

 

「……ロキ、か? この三年間、俺を支援してきた……」

 

 だがその正体がまさかジオ・クランスコールだとは思いも寄らない。

 

『お前は強くなった。だがその答えの果てに、自分が立つ。これは確定事項なのだろう』

 

「……惑わせるつもりか? それとも手心でも? 俺はお前がこの三年間、俺を生かしてきた理由なんて知るつもりはない。俺を殺せなかった、その不手際だけを悔いて、死んで行け」

 

『よく吼える。だがそれも事実か。自分は三年前に殺し損なったお前に、少し肩入れしていたらしい。あの時、何故死ななかった。いっその事、死んだほうが楽でさえもあっただろうに。それとも――ああ、そうか。《レヴォル》に守られて、無様にも生き永らえたか』

 

 その最大限の侮辱に、クラードはベテルギウスアームへと右腕を沈み込ませていた。

 

「――黙っていろ。今、お前のその喉笛を……噛み千切ってやる」

 

『獣に堕ちて、では如何にする。お前はその程度であったか、クラード』

 

 一拍の呼吸を挟み、クラードはその刃のような意志を真紅に染め上げていた。

 

「……《ダーレッドガンダム》、エージェント、クラード」

 

『名乗りとは、古風なものだ。だが、応じよう。《ラクリモサステイン》、ジオ・クランスコール』

 

「――ゲインをぶち上げろ。万華鏡、ジオ・クランスコールを……迎撃する!」

 

『そのほうの威勢を吹き飛ばす。行け、ミラーヘッドビット』

 

 再びミラーヘッドビットが高速で肉薄する。

 

 先ほどよりも細かく推進剤を焚いたミラーヘッドビットの段階加速は通常のパイロットではまるで読めない機動速度だ。

 

 だが、自分は――《ダーレッドガンダム》に乗り込み、そして波長生命体に至ったこの身ならば。

 

「……拡散重力磁場を放出。ミラーヘッドビットの攻撃網を掻い潜りながら、敵影へと接近する」

 

 闇を内包する鉤爪を振るい上げ、蒼い軌跡を描くミラーヘッドビットより引き絞られたビーム粒子を叩きのめしていく。

 

 その首筋に喰いかかる覚悟で、クラードは《ダーレッドガンダム》を加速させていた。

 

 まずは段階加速一段階目で《ラクリモサステイン》の絶対防衛網に至ろうとして、上下より噛み砕く顎の粒子の檻に阻まれる。

 

 しかし、今の自分には第六の聖獣の力もある。

 

 そのまま薙ぎ払った勢いでミラーヘッドビットの権能を奪っていき、相手が立ち回るよりも素早く、的確に。

 

 そして何よりも雄弁に。

 

 殺意と敵意だけを伴わせて、刃の如くあれ。

 

 鉤爪が《ラクリモサステイン》までの距離を阻むと言うのならば、その距離を「殺す」。

 

 一瞬で大写しになった赤い機体に、クラードは奥歯を噛み締めてベテルギウスアームを振るい落とす。

 

『なるほど、やるようになったというわけだ、一端程度には』

 

「嘗めていれば……お前は墜ちる!」

 

『だがこちらも、言わせていただこう。聖獣の心臓を喰らったのは、貴君だけではない』

 

 黄金の閃光が掠める。

 

 その一瞬にも満たない交錯で、クラードは瞬時に後退していた。

 

《ダーレッドガンダム》の躯体に差し込まれたのは金色の帯状の攻撃であった。

 

 その攻撃手段の持ち主を、自分は知っている。

 

 否――殺さなければならなかった対象だ。

 

「……《ファーストヴィーナス》の権能……」

 

『その通り。ここから先は、自分としても未知の領域だ、エージェント、クラード。聖獣の力、振るった程度でそう容易く踏み潰されないで欲しい。自分を三年前のように、失望させてくれるな』

 

《ラクリモサステイン》の纏っている戦闘の色彩が変異する。

 

 黄金の装甲と、そして帯を身に纏い、一瞬にしてその攻撃方法と手段が切り替わっていた。

 

 今の《ラクリモサステイン》は無数の自律兵装と、そして《ファーストヴィーナス》の力を兼ね備えた――最強の存在。

 

「……万華鏡、その名が廃る事はないと言うわけか」

 

『エージェント、クラード。刻むといい、第一の聖獣の息吹を。これが、貴君の死の形になるかどうかは、さて、何分持つだろうか、な』

 

 四方八方と言う生易しいものではない。

 

 空間を満たし切った殺意の刃が全方位より放たれ、クラードは次の瞬間には、鉤爪より溢れた黒白の磁場砲撃を実行していた。

 

 少しでも加減――否、力の使い方を見誤れば喰われる。

 

 それが双方ともに了承として降り立ち、深淵の宇宙の闇を掻くようにして、《ダーレッドガンダム》と《ラクリモサステイン》は交差していた。

 

 互いに能力の限りを尽くし、そしてお互いを殺すために。

 

 聖獣の力を手に入れた者同士、生き残るのは確実にどちらかという結果になる。

 

 明瞭なる事実に今は時さえも忘れて――殺し殺され合おう。

 

 

 



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第265話「理知の獣」

 

『MSハンガー、すぐに開けておけ! 回収した機体には、パイロットの生存が最優先だ!』

 

 オープン回線で声を飛ばすサルトルの声量に圧倒されながら、カトリナは《オムニブス》でオフィーリアに帰投していた。

 

「……あの……クラードさんは……」

 

『クラードさんは戦っています、カトリナ嬢、それにファム嬢も。今は、お二方は完全にお荷物です。すぐに管制室に向かってください』

 

 二の句を継がせないトーマの厳しい論調はそれだけ事態が切迫している事を伝えていた。

 

「……でも、私が居ないところで……クラードさんはまた……!」

 

 しかし自分が踏み越えられる領域ではないのだろう。

 

 相手は万華鏡、ジオ・クランスコール。

 

 最強のミラーヘッド使いと、そして彼が指揮する王族親衛隊。

 

 少しでも半端者の意地で食らい付けば、それだけでも厄介の種になる。

 

 今は、実力者達の帰還をただ待ち望むしかないようであった。

 

「……でもそれって、三年前と何が違って……」

 

「違うっすよ、カトリナ嬢」

 

 コックピットハッチを強制排除させたトーマと視線がかち合って、カトリナは思わず顔を逸らしてしまう。

 

 あの月軌道決戦で最も大事なものを失ったのはトーマのはずだ。

 

 だと言うのに、自分はまた、誰かの気持ちを踏みにじりかけている。

 

「……その、トーマさん……」

 

「カトリナ嬢の仕事はなんすか? 前に出て、無謀な策を練る事っすか? そうじゃない戦場くらいは分かるでしょう? 前回はたまたま運がよかっただけっす。戦いは……それだけ確率が変動する場なんすよ。だから、半端な意地は呑まれます。殊に、今みたいな戦場では」

 

「で、でも……クラードさんの《ダーレッドガンダム》……その力の真の意義は……私じゃないと……」

 

「必要に駆られればそうなりますって。カトリナ嬢、無理し過ぎっすよ」

 

 柔らかく諭す言葉振りに、トーマは自分を叱らないのだな、と思い返していた。

 

「……何で、トーマさんは私を……怒鳴りつけないんですか……。私みたいなのなんて、怒鳴って少しでも分からせたほうがいいでしょうに」

 

 我ながら女々しい問いかけだと思いつつも、トーマのスタンスを尋ねずにはいられなかったのもある。

 

 彼女は今も忙しく収容されていくMSを横目にして、首をひねっていた。

 

「何でっすかね? 分かんないっす」

 

「わ、分かんないって……」

 

「だってそういうものだから、じゃ、駄目っすか? カトリナ嬢、一番に効くのはあーしみたいなののガチギレじゃなくって、アルベルト氏とかのマジギレでしょ? だから、あーしはちょっとばかし賢しくってもそう動くんすよ。……自分でも嫌になる、そういうクセ……」

 

 トーマはこの戦場の土壇場でも、本音で話してくれているのが窺えた。

 

 いつだって、そうであった。

 

《オムニブス》を中破させた事も二度や三度ではない。

 

 サルトルやアルベルトは怒る事もあったが、トーマだけは一言も叱らなかった。

 

 それそのものが、一番に自分への薬なのだと実感していたのだろう。

 

 近くで見てくれていたのは、何も彼らだけではないのだと。

 

「……トーマさんの事……私、分かろうともしないで……」

 

「分かる戦場ばっかりじゃないでしょう。カトリナ嬢、今は安全な場所に。ここもヤバヤバのヤバっすから。管制室にファム嬢と一緒に」

 

 手を引くトーマに対してファムは呆けたようにMSデッキを眺めている。

 

「ファムちゃん……私達に、出来る事はもう……」

 

「にいさま? にいさまはクラード、ころしちゃうの?」

 

 その言葉にカトリナは茫然とする。

 

「兄様……って、ファムちゃん……敵の事を、知っているの?」

 

「ミュイ? にいさまはにいさまだよ?」

 

 まるで当たり前のように発せられた言葉に、自分とトーマは視線を交わし合う。

 

「……万華鏡、ジオ・クランスコールが……」

 

「ファム嬢のお兄様ぁ? ……ちょっと、冗談は顔だけに……って、言えるクチじゃないっすね、あーしも。髪の毛もギトギトの機械油まみれ。ファム嬢、それってマジ筋の奴っすか?」

 

「うん、ほんとだよ? でも……にいさま、かなしそう。なんでそんなふうに、たたかうの?」

 

「あの万華鏡が……悲しい……?」

 

 二人して信じられないものを見る眼差しを向けていると、サルトルの回線が割り込む。

 

『おい、二人とも! ぼんやりしてちゃ、仕事に成らん! とっとと管制室に行くか、それか隅っこで邪魔に成らんところに行ってくれ! 今はいつもの優しいオジサンにもなれんのだからな!』

 

 ハウリングするサルトルの悲鳴に、トーマと自分は頷き合い、ファムの肩を掴む。

 

「ファムちゃん……今は、邪魔になっちゃうから」

 

「にいさまは……クラードをころしたくないの?」

 

「……クラードさん……」

 

 純粋な問いかけに等しい疑問は、この時ばかりは喧噪の中に埋もれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出撃には序列がある――そう口にされ、ヴィクトゥスは骨が浮くほど拳を硬く握り締めていた。

 

『……分かっているはずだよな? あんたほどの実力者なら』

 

「……しかし、私は……! 今出撃しなくっていつ出ると言うのだ……!」

 

『ヴィクトゥス・レイジ特務大尉。あなたの発言権は一時的に封殺されている。それくらいは分かって欲しい。ここはモルガンだ。騎屍兵達の最後の死に様を飾るのに相応しい場所だという事くらいは』

 

 イレブンと呼称されていた騎屍兵が自分を押し戻し、前を行くゴースト、ファイブを赴かせる。

 

「君とて! ……この戦場に疑問を持たぬ性質ではないはずだ!」

 

 我ながら甲斐性もない叫びであったが、ファイブはその読めない喪服のパイロットスーツのヘルメットを一瞥さえもしない。

 

『あなたの時代は終わったんだ。……ディリアン・L・リヴェンシュタイン。まさかあんな人間の成れの果ての腰巾着に収まっていようとはな。……私達を止めるのに、いささか説得力不足だとは感じなかったのか?』

 

「……私は……! 誰かに飼われる気はないさ……!」

 

 だがそれも逃げ口上なのは分かり切っている。

 

 他の誰でもない、自分自身が。

 

『では今すぐその首に馴染んだ鎖を解くんだな。もっとも、そっちのほうがよっぽど人間じみている。お笑い種だよ、ヴィクトゥス・レイジ。あんたほどの人間が、最後に辿り着くのはそんな結果だなんて。せいぜい、身分一つ大事にして、死すべき戦場を逃すといい』

 

 ファイブが乗り込んだのはこれまでの《ネクロレヴォル》ではない。

 

《ネクロレヴォル》に高機動型改修を施し、無数の加速バーニアと対艦装備を施した紅色を誇る恩讐の機体――。

 

『――《ネクロレヴォル高度改修型弐番機》。コード、《プロミネンス》。ゴースト、ファイブの名において、命じる。騎屍兵の敗残兵達よ、――おれに従え』

 

 その言葉に同調するようにイレブンは自分を突き飛ばしていた。

 

 格納デッキを舞うヴィクトゥスは声を搾り出す。

 

「君らとて……! そこまで思い詰める事はなかった! そうではないか……!」

 

『いえ、ヴィクトゥス・レイジ特務大尉。最早、我々の命は捨てられたのです。他でもない、リクレンツィア艦長によって。彼女が何をして、どう生きるのかは勝手ですが、投げられた命はもう、獄炎として輝くのみ。どうか、ファイブの赴く“死に様”を、邪魔しないでいただきたい』

 

 ――死に様。

 

 そうだ、彼らはもう事実上、「死んで」いる。

 

 その在り方に異議を申し立てたとて、最早意味などない。

 

《ネクロレヴォル》によって度重なる血と硝煙の戦いの果てに、彼らはようやく、自由な死に様を描けるようになったのだ。

 

 それがたとえ、自ら信じた者を撃つという答えであったとしても。

 

「……だが君らは……まだ……死ぬには惜しい」

 

『特務大尉、我々の命の灯はもう、三年前に途絶えているのです。ならば最後の戦場くらい、自分の意志でこの命、燃やしても構わないではありませんか。ファイブは行こうとしています。その道を、共に歩む事こそ、騎屍兵であった誉れなのです』

 

「誉れ、か……。君は……君の本当の名前は……いや、よそう。我ながら女々しい問答であった……」

 

 知ったところで。

 

 見知ったような事を言ったところで。

 

 今の彼らの覚悟を、止められるものか。

 

 今の彼らの未来を、変えられるものか。

 

 そうではない者に成り下がった自分のような卑しい人間に。

 

「……しかし序列と言ったな。ならば、それに従うまでだ」

 

 ヴィクトゥスはその時、自分を呼ぶ声を聞き届けていた。

 

『何をやっているか。貴様は王族親衛隊の守りにつけ! わたしを守るのだ! こんなモルガンが野蛮人だらけの艦に落ち延びているとは思わなかった! いやに死に急ぐ連中ばかり! これでは亡命に来たと言うのに……!』

 

「……ディリアン・L・リヴェンシュタイン……」

 

『王族佐官が抜けているぞ! まったく……せっかくわたしが子飼いにしてやっているのだ。もう少し弁えて動いてもらいたいものだな』

 

 ヴィクトゥスは瞑目した後に、一度ディリアンの居る重力ブロックへと踵を返していた。

 

 ノックもせずに室内に押し入り、トライアウトブレーメンの構成員に奉仕させていたディリアンと対峙する。

 

「……なっ……貴様、ノックくらいはするべきであろう! 何だと心得ている!」

 

「失礼ながら、そのような淫らな行為に耽っている場合でしょうか。今は宇宙の絶対防衛戦の只中なのです」

 

「知っているとも、たわけめ。見ろ! 馬鹿共がぞろぞろと死にに行く……! このような悦楽のコンテンツがあるか? 騎屍兵と謳われた者達も所詮は使い捨ての駒であったという事だ! わたしはそのような喜悦に自らを従わせているだけ……貴官と何の変りもあるまい」

 

 ブレーメンの女性構成員を跨らせたディリアンへと、ヴィクトゥスは眉一つ上げずにつかつかと歩み寄る。

 

「……何だ? この女が欲しければ貴官も買えば――」

 

 その言葉の先を、ヴィクトゥスの拳は遮っていた。

 

 ブレーメンの女性構成員の頭部を裏拳で吹き飛ばし、白い血潮が舞う。

 

 頭部を失ってもブレーメンの構成員は喘ぎ続けていた。

 

 まるで調子を失った不出来な機械人形のように。

 

 さしものディリアンも恐れを宿したのか、女性構成員を突き飛ばしていた。

 

「な、何を……!」

 

「死すべき戦場に殉じ、己の生の意味を問い質す……私とした事が、また取りこぼすところであった。識者の理論では、そうであるべきに戦わない者を、腑抜けと呼ぶ」

 

「何を……何を言っているのだ……貴様は……」

 

「失礼ながら、ディリアン・L・リヴェンシュタイン。あなたはここで悦楽を貪るような価値もなければ、彼らを嗤う権利もない。そして何よりも――意義を持って死を選ぶ権利ですら」

 

 銃口を突きつけるとディリアンはその枯れ果てた身体をまるで虫のように揺らして、助けを乞う。

 

「だ、誰かぁ……! 誰かぁ……っ! 謀反である……! この……ヴィクトゥス・レイジ特務大尉の……正気を失って……」

 

「誰も正気を失ってなどいない。いや、真に狂気に堕ちると言うのならば、私は彼と踊りたいのだ。だと言うのに、卑しく肥えるだけ肥えた薄汚い豚未満に――飼われる趣味などない」

 

「ぶ、豚未満だと……! 貴様、誰と心得ている! わたしはリヴェンシュタイン家の長男で――!」

 

「だから何だと、言うのです」

 

 理性的に振る舞ったつもりであるが、それでも隠し切れていない殺意の波に、どうやらディリアンは中てられたようだ。

 

 あうあう、と何度も言葉になる未満で喉の奥で潰れていく声に、ヴィクトゥスは身を翻していた。

 

「失礼を。もうあなたに要らぬ首輪を付けられて、自らの信に背く事を行うのには、心底嫌気が差しました。よって私はこれより、王族特務の任よりお暇をいただきます。もう……こんな上っ面だけの肩書きは、必要ない。序列があるのならば、それに従うと、私は言ったぞ、トキサダ君。ならば君らが出たのなら必然、私の《レヴォルトルネンブラ》も出るべきであろう」

 

「ま、待て……! 待て、ヴィクトゥス・レイジ! 貴様、わたしに背くか! 王族親衛隊を捨ててまで、では何に殉ずる!」

 

「何に? 決まっているでしょう」

 

 侮蔑の一瞥を投げ、分かり切った答えを返す。

 

「――全ては一刹那に生きる死狂いの感覚に。クラード君と踊れない世界に、意義などない」

 

「貴様……その瞳……!」

 

「ああ、失礼。あまりにもガラにもなく……昂ぶってしまっていますので。お偉方には眼の毒でありましたか? 私の眼差しは」

 

 蒼く染まった双眸で、ヴィクトゥスは格納デッキへと一路向かう。

 

 その歩みを止める言葉を、ディリアンは思いつきもしないようであった。

 

 ――最早、答えは問い質すまでに非ず。

 

「クラード君、さぁ、舞い踊ろう。私と一緒に、この硝煙の宇宙で」

 

 



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第266話「代価の道を行く」

 

「弾数……全然足りねぇ……ッ! こんなのってあるかよ……!」

 

『《アルキュミアヴィラーゴ》、帰還したぞ! すぐに補給班を回せ! ミラーヘッドジェルの回復も、だ!』

 

 サルトルの声が響き渡る格納デッキでアルベルトは汗が滲んだ顔を拭っていた。

 

『アルベルトさん、お疲れ様です。首尾は……』

 

 不意に接続された接触回線にアルベルトは視線を振り向けていた。

 

「ああ、シャルか……。こっちは似たようなもんだ。すぐに戻らないと全員、危うい……。《サードアルタイル》……グゥエルのほうはどうなってる?」

 

 コックピットブロックが開放されると同時にノーマルスーツに身を包んだシャルティアが視界に入る。

どうやら彼女も機体整備を手伝って漂っているようだ。

 

『グゥエルさんは常に回線をオンにしていただいています。何せ……聖獣ですので……』

 

「ヤバいのか?」

 

『……《サードアルタイル》の状況は今のところ、王族親衛隊、《パラティヌス》の対聖獣弾頭を受ければ弱体化します。それを狙わせないように、ピアーナさんの率いるブリギットの部隊が展開しているみたいですが……』

 

「ピアーナ、か……。あいつなら上手くやってくれるだろ」

 

『“何ですか! アルベルトさんは相変わらず、オリジナルのわたくしに信を置き過ぎでしょうに!”』

 

 浮かび上がったマテリアにシャルティアが僅かに怯えたように後ずさっていた。

 

『うわっ……コックピットの中なら、頭身も自由って本当だったんだ……』

 

『“当然ですよ、シャルティアさん。あ、いえ……これは別段、自分でメイキングしたのであって、そりゃあ通常戦闘時は二頭身のほうが燃費もいいですので”』

 

 マテリアはピアーナと同じ頭身に自身を再デザインしているが、彼女の要望なのか胸元だけの主張が強い。

 

「……あのよ、マテリア。MSのコックピットに女が二人押しかけるのってカッコつかないんだが」

 

『“何を言ってるんですか! 今くらいですよ! この宙域はそうじゃなくとも、存在力と言うべきものがとても強いんです。恐らくは、地上で破壊された《ティルヴィング》の影響を、わたくし達も自然と受けていると考えるべきでしょうね”』

 

『……と、言う事は……今ならミラーヘッドも普段より強い、って事ですか?』

 

「そう楽観的になれるかよ。マテリア、ミラーヘッドオーダーの受諾速度は?」

 

『“現在、こちらが優位に立っていますが、相手は王族親衛隊。優先権があります”』

 

「……ってこたぁ、このまま長期戦になればなるほど、押されちまうって事か。分かりやすいが、ちとマズイな。王族親衛隊と真っ向からやり合うのは初めてだが、連中、かなりの使い手なのは間違いねぇだろうし……。マテリア、《アルキュミアヴィラーゴ》の反応速度、上げておいてくれ」

 

『“今のままでもかなりレスポンスは向上していますが?”』

 

「オレが反射的にそう思った瞬間には武器が動いているほうがいい。RMの深度レベルも最適化して欲しい」

 

『“ですがそれは……アルベルトさんの意識の低下を招きます。もしもの時に撃墜でもされれば……”』

 

「迷っている暇ぁ、ねぇんだよ、マテリア。頼む」

 

 こちらの声が真に迫っていたせいだろうか。

 

 それともマテリアとて、この戦場が決して上手く回っていない事を理解しての決断だったのかもしれない。

 

『“相変わらずの分からず屋ですね。しかし、専属アイリウムとしてはその決断を後押しせずにはいられません。了承しましょう”』

 

「……さて、そろそろミラーヘッドジェルも装填される頃合いだろうぜ。《アルキュミアヴィラーゴ》、再出撃を――」

 

『待って……! 待ってください、アルベルトさん……!』

 

「何だよ、シャル。今は一秒でも戦場を離れるわけにはいかねぇんだって……」

 

 シャルティアは不意にノーマルスーツのバイザーを上げ、そっと自分の唇へと口づけしていた。

 

 想定外よりも完全な不意打ちに、アルベルトは驚嘆したまま彼女を見返す。

 

「……お前……」

 

「……必ず帰ってきて。これは委任担当官としての……いえ、何でもないのかもしれませんけれど」

 

 どこか遊離したような光景に、アルベルトは今の今まで封殺していたラジアルの面影を重ねていた。

 

「……違う、お前は……ラジアルさんとは……違うんだ」

 

「ええ、違います。姉とは違う、シャルティア・ブルームとして。……生きて帰って来てください。命令ですよ」

 

 シャルティアはバイザーを下げて機体から離れていく。

 

 放心した状態の自分へとマテリアが小突く。

 

『“いつまでそうやってるんですか、アルベルトさん? もしかして、はじめてのチューでしたか?”』

 

「バ……ッ! 馬鹿、てめぇ何言って……!」

 

『“……ちぇー、何だか損した気分です。他人のノロケなんて一番見せつけられたくないって言うのに”』

 

「……お前、やっぱピアーナとは違うんだな。そんな事、あいつは言わねぇだろ」

 

『“だから、わたくしはマテリアなんですってば。で? どうでした?”』

 

「どうって……オレみたいなのに、……あんな約束、するもんじゃねぇだろ。そればっかりは、……あいつの期待に応えられるかどうか……」

 

『“いえ、そうではなく。キスの味と言うものを、知りたかっただけですので”』

 

 完全に毒気を抜かれたという意味ではマテリアの軽口に、アルベルトは面を伏せて言い返す。

 

「本当にてめぇは……! 下らねぇ事言ってねぇで準備しろ。アイリウムが機能しないんじゃ、MS乗りに取っちゃ形無しもいいところなんだからな」

 

『“はいはーい、じゃあ充分に仕事しましょうか”』

 

 二頭身に戻ったマテリアが機体制御系に干渉し、コックピットの中が再び戦闘の息吹を帯びて《アルキュミアヴィラーゴ》がカタパルトデッキへと移送されていく。

 

『アルベルト氏、中距離専用のガトリングガンを追加装備しておきましたっす。接近戦だけでは辛いはずですので』

 

 トーマの言葉にアルベルトは目線だけで応じて返答する。

 

「近距離だけの敵じゃ、ねぇだろうからな」

 

『気を付けてくださいよ。……先ほど入った情報ですが、宙域に艦影あり、そのクラスからして恐らくは……モルガンとの解析結果が出てるっす』

 

「モルガン……って事は……」

 

 最悪の遭遇戦になる可能性に、アルベルトは奥歯を噛み締める。

 

 相手がトキサダであろうと誰であろうと、今は振り解くのみだ。

 

 今の戦局で敵を選り好みしている時間も余裕もない。

 

「……了解した。《アルキュミアヴィラーゴ》、カタパルトに固定」

 

『カタパルトボルテージを80まで上昇。アルベルト君、もう聞いているかもしれないけれど、モルガンの騎屍兵が来るとすればこの局面と読みが出ているわ。あたし達は前を行くMS部隊の援護砲撃くらいしか出来ない。だから、前は任せたわよ』

 

「了解です。どっちにしたって……オレは前に行くしか……」

 

 そこでつい先ほどの口づけを思い返す。

 

 シャルティアの心は自分に縋っている。

 

 そんな状況で、負けるわけにはいかない。

 

「……重いよな。こんな重さを背負って……お前は行ったのか、クラード。……なら……負けてられねぇよなァ……ッ!」

 

『《アルキュミアヴィラーゴ》、射出タイミングをパイロットに譲渡します』

 

「了解ッ! 《アルキュミアヴィラーゴ》、アルベルト・V・リヴェンシュタイン! 出るぞー!」

 

 青い電磁を弾き飛ばして《アルキュミアヴィラーゴ》の躯体が宇宙へと躍り出る。

 

 瞬間、最大風圧のように向かってくる砲撃網を関知して掻い潜っていた。

 

『“瞬間高熱源! 回避運動を取ります!”』

 

「サポート頼むぜ、マテリア! 相手の懐に潜り込む!」

 

《アルキュミアヴィラーゴ》が加速し、そのまま敵影と衝突していた。

 

 敵機は《ネクロレヴォル》に無数のバーニアと火力装備を施した重火力型の機体であった。

 

 青い推進剤を散らし、速度面でこちらを圧倒した敵機は、腹部隠し腕よりビームサーベルを現出させる。

 

「なろ……っ!」

 

 ビームジャベリンを打ち下ろし、干渉波のスパーク光が散る中で、接触回線が弾けていた。

 

『……その機体、《アルキュミア》の改修機……! アルベルト、あんただな?』

 

「てめぇ……トキサダ! トキサダなんだろ! だったら、こんなの意味がないって分かるはずだろうが! お前は……オレよか頭も回るヤツで――」

 

『黙れ。アルベルト、あんたはいつもそうだよな。要らない感傷に足を取られて、それで敗北するんだ。あんたには分からないだろうさ。おれが失ってきたものも、これから先、失い続けるものも。あんたはそうやって……無遠慮に奪っていく。だから、おれも奪わせてもらう。あんたの腐った理想を、《ネクロレヴォル高度改修型弐番機》――《プロミネンス》の恩讐の炎で!』

 

《プロミネンス》と機体照合された紅色の《ネクロレヴォル》は弾かれ合いながら、マウントされているビームタレットと実弾のマシンガンを掃射していた。

 

 弾幕をこちらもビームガトリングガンで応戦しながら、アルベルトは胃の腑を押し上げる重圧を感じつつ、《アルキュミアヴィラーゴ》で接近戦を挑む。

 

「何のためだ! オレらが戦う理由なんざ……ねぇはずだろうが! そりゃ……お前も辛かったのは分かる……! この三年間、騎屍兵身分だったって言うんなら……。だけれどよ、トーマさんは待ってんだぞ! お前の帰りを……ずっと、ずっと……!」

 

『それこそ戯言だよ、アルベルト。あんたはそうやって、誰かに戦う理由を押しつけて、さぞいい身分だろうな。おれには自分という一しかなかった。昔から、ずっと。だからクラードと仲間ごっこをするあんたが……鬱陶しかったんだ……!』

 

「クラードだって辛ぇんだ! オレが分かってやんなくって誰が分かるってんだよ!」

 

『その辛さを他人に帰属している時点で、あんたはおれには勝てない。イレブン、騎屍兵部隊を敵艦へと向かわせてくれ』

 

 自分が相対している隙を狙い、他の《ネクロレヴォル》編隊が第一線を突き抜けてオフィーリアへと向かおうとする。

 

「させるか! マテリア、やれるな?」

 

『“誰に言ってるんですか! 思考拡張、マルチロックオンシステムを解放! アルベルトさん、ちょっと思考を借りますよ!”』

 

 瞬間、脳内に割り込んできたマテリアの領域を飲み込み、ライドマトリクサーの照準システムが介在され、《アルキュミアヴィラーゴ》に仕組まれた白銀の自律兵装が四方八方を飛び交っていた。

 

『……これは、まさかミラーヘッドビット……!』

 

「当たれぇ――ッ!」

 

 拡散した思考脳波を拾い上げた自律兵装が小刻みに稼働し、《ネクロレヴォル》部隊の道を阻むようにビーム粒子の砲火を放つ。

 

 アルベルトは今の一撃だけでも息を切らしていた。

 

 マテリアに譲渡しているとは言え、自身の思考脳波を相手に間貸しする感覚は何度も味わうものではない。

 

 しかし、渋っていればそれだけ損耗が出る。

 

 ならば――自分の切り売りくらいは喜んで請け負おう。

 

『……アルベルト、あんた、おれ達相手に勝てると思っているのか? それがどれほど傲慢な事か、分かっての行動なんだな?』

 

「……ああ……っ! オレはトキサダ……てめぇを止める。止めるだけの意地がある……!」

 

『止めるだけの意地、か。事ここに至って殺すと言えないあんたの弱さが滲んでいるよ。おれ達は騎屍兵! 世界の裏側で戦い続ける、骸の兵隊だ!』

 

「……なら、そんな宿命からお前を取り戻す……! それがオレなりの……運命への叛逆だ……!」

 

『……ちょっとやそっとで下がりそうもない敵だな。イレブン、これから好機を作る。その間に敵艦へと一気に攻めてくれ。そうしなければここで立ち往生だ』

 

「攻め立てる? そんなの、許すと思ってんのか? ……トキサダ、オレはお前をもう一度……取り戻すまで、ここでてこでも離れる気はねぇ……!」

 

『てこでも、か。いい事を教えてやろう、アルベルト。今モルガンにはある要人を同乗させている』

 

「……それを守るのがてめぇらの役目ってワケか」

 

『別に、そんな義理はないんだがな。アルベルト、そいつの名は――ディリアン。ディリアン・L・リヴェンシュタインだ』

 

 最初、何を言われたのかアルベルトは認識出来なかった。

 

 トキサダは今、誰の名前を口にしたのだ?

 

「……何、だって……?」

 

『ディリアン・L・リヴェンシュタイン。その名前を、あんたは忘れちゃいないだろう。ラジアル・ブルームを殺した原因を作った人間であり、そしてあんたの実の兄だ』

 

「……ディリアンが……あいつが、モルガンに居るってのか……?」

 

『何度も問い質すものじゃないだろう? ディリアンを、あんたは誰よりも殺したいはずだよな?』

 

 思考が白熱化していく。

 

 久方振りに湧いた芯からの怒りが、冷静な判断を失わせていた。

 

「……ヤツを……殺せるのなら……オレは……!」

 

『だがな、アルベルト。おれからしてみれば、モルガンは旗艦だ。どれだけ外道が居ようとも、守り通すのが騎屍兵としての職務だ』

 

 アルベルトは瞬間、ビームジャベリンを振るい上げていた。

 

 それに呼応するように《プロミネンス》が隠し腕のビームサーベルで弾く。

 

「……退けよ、トキサダ。今からモルガンを墜としに行く」

 

『退くわけないだろう。ディリアンを殺したければ――おれを殺して行け。それが最低条件だ』

 

「……退けよぉ……っ! お前だって、苦しかっただろうが! ラジアルさんの……あの人のかたき討ちが出来るって言うなら、オレは……!」

 

『もう生前の感情なんて忘れたよ。おれは何とも思っちゃいない。だが、あんたは行けるか? 殺したいほど憎い相手を、無視出来るような性質じゃないだろう? 殺しに行くのなら、おれを殺してから行けよ、アルベルト・V・リヴェンシュタイン』

 

「オレをその名で呼ぶんじゃねぇ――ッ!」

 

 怒りのままに《プロミネンス》と何度も交錯を続ける自分へとマテリアが呼びかける。

 

『“アルベルトさん! 他の騎屍兵が……包囲網を抜けて……!”』

 

「黙ってろ……! 今ばっかりは……漢の……戦いだ」

 

『クサい台詞を吐くようになったじゃないか、アルベルト。あんたにしてみれば、ラジアル・ブルームの死は格好つけるための逃げ口上か?』

 

「トキサダ……! お前が邪魔するんなら……お前だって敵だ……!」

 

『いいとも、アルベルト。来いよ。おれに勝てなければ所詮はそこまでだ。《プロミネンス》の性能を見せてやる』

 

「トキサダァ……ッ!」

 

《アルキュミアヴィラーゴ》のビームジャベリンが《プロミネンス》のビームサーベルと交錯し、干渉波のスパークを散らせる。

 

 互いに何度も弾かれ合い、何度も必殺の太刀を見舞うが、決定的な一打にはならない。

 

 それも、分かり切っている。

 

 ――何年間、お互いの背中を預け合ったと思っているのだ。

 

 信頼の証が今ばかりは凶兆となって差し込み、《プロミネンス》は段階加速で直上より弾幕を見舞う。

 

「……なろ……っ!」

 

 無理な回避運動を取らせながら、マテリアへと声を飛ばしていた。

 

「マテリア! 《アルキュミアヴィラーゴ》のミラーヘッドビットで相手を狙え! ……オレだけじゃ足りねぇ……ッ!」

 

『“でも、いいんですか……アルベルトさん。データ上には、トキサダ・イマイはあなたの……”』

 

「オレがいいって言ってんだ! ……それに何よりも……中途半端な気持ちじゃ押し負ける……! 殺すつもりで行かなけりゃ、やられるのはこっちになるぞ……!」

 

 それは明瞭に分かり切っていた。

 

 粒子束と実弾が何度も《アルキュミアヴィラーゴ》の白銀の躯体を震わせる。

 

 恐らく、火力上は相手のほうが上手。

 

 それでいて、敵機もレヴォル・インターセプト・リーディング搭載機となれば、半端な覚悟で勝つ事は不可能であろう。

 

「……マテリア。オレの全部、お前に託す。ミラーヘッドビットを展開して、ヤツを包囲する。相手の動きが削がれたところに、格闘戦でケリつけりゃいいだけの話だ」

 

『“……分かりました。アルベルトさん、思考照準借りますよ。ミラーヘッドビット、ハイマニューバ! マルチロックオン!”』

 

 意識の片隅がマテリアによって間借りされ、アルベルトは機体を押し上げつつ、ミラーヘッドビットの拡散磁場を関知していた。

 

「外さねぇ……! 行け、ミラーヘッドビット!」

 

 白銀の穂先であるミラーヘッドビットが《プロミネンス》を照準すべく疾走するが、相手はその大柄な躯体に備え付けられているビームライフルで一射していた。

 

 ミラーヘッドビットのうち、一基が粉砕され、脳髄を揺るがすダメージフィードバックが集約する。

 

 悲鳴を上げたマテリアの身体がブロックノイズに揺れるのを視界の一部で感じつつ、《アルキュミアヴィラーゴ》を上昇させていた。

 

「……トキサダ……オレは……お前を、撃つ!」

 

『来いよ、アルベルト。そんなだからあんたは、いつだって取りこぼす。本気で殺しに来い。おれは手加減なんてしない。鬱陶しい――羽虫が!』

 

 背部より迫ったミラーヘッドビットを相手は振るい落としたサーベルで叩き落としていた。

 

 ダメージの疼痛を味わいつつ、アルベルトは奥歯を噛み締める。

 

「……敵機は、見えてやがんのか……?」

 

『“恐らく、アイリウムによる補助を最大まで拡張していると推測されます。……ですが、それは……あれだけの機体追従速度、パイロットのRMの規模が八十パーセント以上と推測されます”』

 

「……トキサダ……お前は……」

 

『今さら同情なんてするなよ、アルベルト。おれは勝利するためにここに居る。そうさ、おれは騎屍兵だ!』

 

 その覚悟に唾を吐けるわけもない。

 

 アルベルトは残存した自律兵装を機体後部に集め、ビームライフルを構えていた。

 

「それがてめぇの覚悟なら……! オレはそれを叩きのめすまでだ! 全砲門、一斉掃射!」

 

 機体各所のハードポイントが開き、重火力が《プロミネンス》へと突き刺さらんとする。

 

 敵機は機体を急速降下させて回避しようとするが、いくつかは掠めて装甲が赤熱化していた。

 

 舌打ち混じりにパージさせ、《プロミネンス》が真正面から向かってくる。

 

『あんたは……ここで墜ちろ!』

 

「トキサダァ――ッ!」

 

『おれはそんな名前じゃない! ゴースト、ファイブだ! いつまでも! 生前の名前にしがみつくのはみっともないって言っているんだ! それくらい分かれよ、あんたも!』

 

 刃を交わし、想いを交わしながら、情念だけが滑り落ちていく。

 

 こんな戦場に誰がした?

 

 こんな宿命に誰がしたと言うのだ。

 

 アルベルトは下唇を噛んで己の想いを封殺していた。

 

「……オレは守らなくっちゃいけねぇ……! クラードを、オフィーリアのヤツらを……! オレの大切なもの達を!」

 

『なら、おれを踏み越えて行け! アルベルトォッ!』

 

 互いに満身より咆哮し、振るった剣閃が装甲を融解させている。

 

「……どんだけ想いがあったって、そこまでだって言うのかよ……トキサダ……」

 

《プロミネンス》の砲火が機体へと集約する。

 

 それと同時に自律兵装を走らせ、相手の装甲を撃ち抜いていた。

 

 距離もない。

 

 そして、何よりも時間の猶予もない。

 

 クラードの決着の時、自分が宿縁を抱えていたのでは話にならない。

 

「……オレはオフィーリアを守る! もう、誰も死なせやしねぇ!」

 

『感動的だな、アルベルト。だが、あんたの言う理想はことごとく死んでいく!』

 

「なら、もう死なせないって誓うまでだ!」

 

 宇宙の深淵を引き裂く雄叫びを上げて、想いの形の両者がぶつかり合う。

 

 その戦域を一歩も譲らず、アルベルトとトキサダはただただ願いの具現として、刃を振るっていた。

 

 

 



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第267話「死者の名を継ぐ」

 

『近づいてきているぞ! 弾幕張れ!』

 

 ダビデの声が通信網に焼き付く中で、ダイキは《シュラウド》を駆って敵陣に穴を開けようとしていたが、やはり腐っても王族親衛隊だ。

 

 その練度は自分のような人間の比ではない。

 

「野郎……! 《パラティヌス》ってはやり辛いったら……!」

 

 その赤い砲撃が《サードアルタイル》に至る前に、ダイキは《シュラウド》の加速度でシールドを翳す。

 

 しかし、相手の迷いのない火力を前にシールドは爆散してしまっていた。

 

「……対聖獣弾頭なんだ。ただの盾じゃ持つわけねぇ……! それでも……ッ!」

 

『クラビア中尉、新たに敵影を関知。……これは、騎屍兵……!』

 

 ブリギットを操るピアーナの声を聞き留めたダイキは、襲いかかってくる《ネクロレヴォル》の刃を咄嗟に発振したビームサーベルの太刀で受け止めていた。

 

 干渉波のスパーク光が至近距離で散り、接触回線を震わせる。

 

『……《ネクロレヴォル》改修機、という事は、クラビア中尉か』

 

「あんたら、騎屍兵なんだろ! リクレンツィア艦長が悲しむ! 何でそれが分からない!」

 

『……艦長は我々を見捨てた。そんな者に仁義を感じるのは間違っているはずだ』

 

「見捨てたのはエンデュランス・フラクタルの連中のほうだ! あいつらから艦長を護るためなら……俺は何だってやるぜ!」

 

『逆賊の徒に堕ちてもか……! ダイキ・クラビア中尉!』

 

「よく話すじゃねぇの。もっと口下手かと思っていた……ぜっ!」

 

 浴びせ蹴りで突き飛ばし、敵勢から距離を稼ぎつつダイキは戦局を見据えていた。

 

「……ここ大一番で王族親衛隊とドンパチするってのは、まさに予想外って奴だな。それにしたって……あいつらは無茶をやる……。万華鏡と真正面切って戦うだって? 死に急ぎかよ、エージェント、クラードってのはさ」

 

 だが自分も相応に無茶を演じているものだ。

 

《ネクロレヴォル》隊との戦いはまるで想定していない。

 

《シュラウド》が格闘戦に秀でているとは言え、《ネクロレヴォル》はオールラウンダーだ。

 

 敵が纏めてかかれば、自分達などたちどころに無力化されるであろう。

 

 その時、先陣を切っている《ネクロレヴォル》の照準が、戦域の只中で応戦するこちらの友軍機に向けられていた。

 

「……あれは、こっちに寝返ったって言う、騎屍兵……確かゴースト、スリーだったか?」

 

 ワイヤーが射出され、敵機の《ネクロレヴォル》との回線が開かれる。

 

 さすがに物理接触回線だ。

 

 自分には分け入る術はない。

 

「……おいおい、こんな土壇場で、裏切りとかない……よな? どっちにしたって、戦場で足を止めている場合じゃねぇ……!」

 

《パラティヌス》が割り込んでビームサーベルを斜に刻もうとするのを、下段より振るい上げた一閃で切り結ぶ。

 

 互いに弾かれた一瞬の隙を突いて、中破したシールドを投擲していた。

 

 回転しながらシールドは《パラティヌス》の腹腔へと突き刺さり、相手の気勢が削がれたのを感覚して急加速する。

 

「悪いね! 俺はこれでも搦め手上等なんだよ……ッ!」

 

 両手に携えたビームサーベルを互い違いに振るい、《パラティヌス》をようやく一機撃破する。

 

 爆発の光輪の余波を感じる前に、次なる敵の猛攻がダイキの感覚を落ち着かせない。

 

「……くそっ! こんな状況じゃ、真っ当な会話なんざ……! 一体何を……話してやがる……!」

 

 こちらの《ネクロレヴォル》へと、相手は何かを語りかけているのは明白。

 

 だとして、ブリギットの守りについている彼女がもし、心変わりでもすれば。

 

 最も危ういのはピアーナの待つ艦橋だ。

 

 ダイキは仕掛けてくる《パラティヌス》の攻勢を退けつつ、失態を噛み締める。

 

「……俺が行くまで……持つ、か……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――どういう、心境の変化だったか。聞いても?』

 

 向かい合った形の機体同士、《アイギス》より通信を飛ばしてきたのは、確かユキノと言う女性であったか。

 

 シズクは《ネクロレヴォル》に収まったまま、その言葉を問い返す。

 

「……意味をはかりかねる。心境の変化?」

 

『だってそうでしょう? あなたはカトリナさんを殺すところだったし、私からしてみれば、ある意味じゃ因縁。って言ったって、こんな距離でも別に、そうは思わないんだけれどね』

 

「……何故。あなた達は前を向いて戦える? IMF02、《ティルヴィング》は性能を聞くだけでも強敵だ。そんなものに、立ち向かわなくっていい脅威に、わざわざ死にに行くような真似をする? 理解出来ない」

 

『そうかもね。実際、大勢死んだわよ、前回の戦闘で』

 

 そうだ、彼女はRM第三小隊とやらをほとんど任されている。

 

 部下達が死んで、憎いはずだ。その遠因を作ったのが自分であるのならば、ここで撃って終わりにすればいい。

 

 しかし、ユキノはそうする仕草もない。

 

「……私相手に直通通信を繋ぐ。それも何故。殺したいほどの相手だろうに」

 

『何でかしらね……。それはまぁ、ある意味じゃクラードさんや小隊長がそれ以上を飲み込んできたからかもしれないけれど……私個人はね。別にあなたに刺されたからって、恨みつらみだとか、感じちゃいないのかもね』

 

「死ぬところだったのだろう。それでも、か」

 

『……そうね、それでも。三年前の月軌道決戦で何も守れないまま死ぬよりかは、まだ意義のある死だったから、受け入れる準備は出来ていたのかな。あの時は本当に……私は何も出来なかった……』

 

「……三年前、か……」

 

 別段、ユキノが話しやすかったわけでもない。

 

 ただ、きっかけであった。

 

 それに過ぎないのだ。

 

「……三年前、私はトライアウトネメシスの訓練兵だった」

 

『騎屍兵は実質上、死んだ事になっているって聞いたけれど、その時に?』

 

 こくりと頷き、シズクは続ける。

 

「酷い戦場だった。私以外にも訓練兵の同期は居たが、皆死んだ。最後の最後まで喚いて、足掻いて、それで醜く死んで行った。誰が悪かったわけでも、まして誰に大義があったわけでもない。皆、死の前では平等だった。近づいてくる死の足音の前では……人間なんて、その程度だったのかもしれない」

 

『……あなたはそこで一度、“死んだ”のよね?』

 

 あの戦いの決着を死で清算出来たのならば、まだよかったのだろう。

 

「私は死に損なった。生き延びて……それでも身体の半分は強度のライドマトリクサーだ。時々……自分の生きている世界が、あの戦いの延長線上なのか、分からなくなる。これは機械の水槽に浮いた何者かの見ている夢なのか、それとも自分の感覚している戦場なのか……。前者ならば、性質の悪い夢だ。私は死んでまで……この世界に囚われ続けている」

 

『でも後者だとしても……あなたは自分でそれを選んだという事になる』

 

「……私は、後者でありたいと、心のどこかで願っているのかもしれない。いや、それもどこかお笑い種か。騎屍兵に心など」

 

 心なんてあるはずがない。

 

 あれば、統制の名の下に人々を地図ごと消すなんて事を何度も何度も繰り返せるものか。

 

 心ある人間の行いにしてはあまりにも目に余る所業だろう。

 

 自分はやはり、機械の一部なのだ。

 

 パーツでしかない。

 

《ネクロレヴォル》を稼働させるだけの、一部品だ。

 

 そうして騎屍兵として、何も感じず、何も考えず。

 

 全てを、どうしようもなかったとして、処理するのが簡単であったのだろう。

 

 自分が三年前にどうしようもなく、死に損なったように。

 

 きっと彼らもどうしようもない運命のままに死んで行った。

 

 そう規定すれば少しは気も軽くなるはずであったのに。

 

『……今のあなたはそうじゃないって思っているみたいだけれど』

 

「……分からなく、なってしまった。三年前に死んだから、地獄の延長線で動いているのだと。裁かれる事のない世界で、ずっと、蜃気楼のように揺らめくのが似合いの結末だと、そう思い込んでいたが……。何故、奴は無遠慮に私に割り込んでくる」

 

『奴……ってのは、まぁ何となく分かるけれど、小隊長の事よね?』

 

 一拍の嘆息を挟んで、シズクは声にしていた。

 

「……私になんて入れ込まないほうがいい。私は死者、騎屍兵だ。だから、ここまでやって来られた。ここまで死に損なったまま、世界に対し、不格好で居られた。……だが奴は違う。死んだ眼をしていない。何故なんだ。……魔獣に立ち向かうと決めた時も、私を説得しに来た時も……何で奴は、あんな眼をしたまま、戦えるんだ」

 

『それはあなたが綺麗だからでしょうね』

 

 ユキノの返答に、シズクは嘲りを向けていた。

 

「からかっているのか」

 

『いいえ、ご大層なお題目でもなく。……小隊長は美人に弱いから』

 

「……そういう空気じゃなかっただろう」

 

『あの人、一度愛した人を失っているのよ。ラジアル・ブルームって言えば、分かる?』

 

「……天才女優と謳われた、あのラジアル・ブルームか? ……驚いたな、消息不明とは聞いていたが、死んでいたとは」

 

『そっ。そのラジアルさんが、ベアトリーチェに同乗していた時、二人、恋仲だったの。私は……まぁ、お似合いだなって思ってた。だって、私、凱空龍でも二軍だし。別に小隊長……いいえ、ヘッドが誰と付き合おうが勝手だもの。分かっていて、見ていない振りを続けた、その愚かしい結果が、これなんだと思う。私はいい人を演じられるだけ。誰にとっても都合のいい女を……』

 

「……あの男を愛しているのか」

 

『私の好意なんてお呼びじゃないでしょう。……どれだけ焦がれたって、宇宙暴走族の中に居る女一人なんて、目もくれないわよ。だってあの人は……私みたいな跳ねっ返りじゃ、届かない人なんだから』

 

「……想いを告げる気はないのか?」

 

『駄目よ、駄目。だってカトリナさんを振り切ったばかりの小隊長の心の隙間を埋めようとするなんて、それこそ嫌な女だもの。あの人は……三年間も恋い焦がれて、見守って来た。それが義務なんだって、自分に言い聞かせて。ラジアルさんを失った時、一度駄目になりかけたあの人を見たから分かる。カトリナさんはきっと、忘れられない人。どれだけ言葉の上で振り切っただとか、どれだけ決着が付いたって言っても、きっと小隊長は忘れない。その心にケリなんて一生つかないまま、失恋を続けるのが私にも似合いなんでしょうね』

 

「……分からない。いや、分からない振りをしているだけか。私も……かつてはそういう気持ちがあった。誰かを愛して、誰かに焦がれて、それで意義があるのだと、そう思い込んでいた。だが、この三年間でそう感じるだけの何かが壊れてしまったのだろう。……恨んでくれていい、お前を刺した時、私にあったのは使命感だった」

 

『……それは騎屍兵として?』

 

「そうだ。誉れと思ってお前を刺した。カトリナと言ったあの女を殺せれば、鹵獲されてもいい境遇だと、そう信じて疑わずに、刃を振り下ろした。前後なんて考えもしなかった。ここで相手を殺し、自分も死ぬ。その境遇に、疑いの余地さえも挟まずに」

 

 そういう形でしか成り立てなかったのだろう。

 

 自分は騎屍兵。

 

 もう死んだ存在。

 

 ならば、世界に歪みをもたらすべきでもない。

 

 死者は死者らしく、土の下をねぐらにして、殺しを続ける。

 

 生者の足を時折取り、その生き様に怨嗟を吐いて、そうして相手を引き込む。

 

 死の誘因に。

 

 それが騎屍兵――《ネクロレヴォル》を稼働させる、ゴースト、スリーとして真っ当な在り方なのだと。

 

『……でも、ピアーナさんは恋を知ったようだけれど?』

 

「……私にも信じられなかった。リクレンツィア艦長は騎屍兵の師団長として常に迷いのない決断を振るってきた。時には私達よりも冷酷に、非情であったはずだ。だと言うのに、今の艦長は……まるで知らない少女だった……。この艦の者達は、皆そうなのか? 私達では意見を差し挟む事さえも恐ろしかった艦長を、一端の少女のように扱う。あのカトリナと言うのだってそうだ。騎屍兵師団長は伊達な称号じゃない。何十、何百も殺し、そして冷徹にそれらを実行し続けたからこそ、輝く称号だ。それをまるで……最初からそんなものはなかったかのように……」

 

『あなたの知っているピアーナさんは、きっとそう出来たのかもね。でも、私達の知るピアーナさんはそうじゃない。あの子なりに……悩んで、時折自己嫌悪して、それで進んできたんだと思う。だって、ベアトリーチェでの日々は、私にとっても宝石の日々だった。ラジアルさんが居て、副長が居て……ヘッドが居て、クラードさんが居る。それが当たり前だった。デザイアを放逐されても、それでもよかった。帰る場所があったから。……それももう、永遠に失ったようなものだけれど』

 

「辛くないのか?」

 

『……辛いと言えば、辛い』

 

「……もう、やめてしまいたくならないのか?」

 

『そうね……。もう全部ひっくるめて、やめてしまいたい。投げ出したい時もある』

 

「……なら……」

 

『でもそれを……私自身も許せない。小隊長が《サードアルタイル》に吹き飛ばされて死んだと思った時、私の中は空っぽだった。その時、ああそうなんだって分かったの。私は小隊長の背中を追うだけの小娘。ずっと、縋り続けたかった。ずっと、このままの距離がよかった。心地いいとさえ思っていた。あの人を慕って、あの人に信頼されて。でも、そんなの虚飾。シャルティア委任担当官と顔を合わせた時、私は何も言えなくなった。これまでの私の価値を、全て否定された気分だった。……こんな時、気の利いた事も、ましてや自分を嫌いになり切る事さえも出来ないなんて、って』

 

「……それでもお前の仲間達は責めないだろう」

 

『それが余計に……しんどかったかな。誰かに責められて、ぐちゃぐちゃに言われたほうが楽だった。……でも、自分の感情の落としどころは自分で決めないといけない。最後の最後に、自分がどうしたいのかを決められるのは自分だけ。……ようやく、クラードさんがどうしたいのかが、その時になって分かったの。世界への叛逆、運命への簒奪者なんて、言ったってよく分かっちゃいなかった。でも、そういう事なんだって、こんなにも遅れて理解出来てしまった。自分の道筋を決められるのは自分だけ。他の誰でもない。きっとクラードさんは凱空龍に居た頃から、その気持ちを曲げちゃいない。だから、強い』

 

「……だから、強い、か」

 

『《ダーレッドガンダム》のベテルギウスアーム、最終調整完了! ビームマグナムの弾倉をきちんと込めて、確認作業に移る!』

 

 メカニックのティーチとやらの声がオープン回線で響き渡る。

 

 きっと、こうして喋る事さえも、かつての自分は無駄と断じていただろう。

 

 それが、少しばかり変わったのが、今を生きている者達の声だなど、思いも寄らない。

 

「……私は、諦めて来たのかもしれない。もう死んだのだと、そう規定したほうが随分と楽だから。だが、ここに居る者達は違うな。……楽に転がるのならば、IMFにも……もっと言えば世界にも、立ち向かうべきじゃない。自分の立ち位置から、一歩も離れないほうが、楽なのに……」

 

『カトリナさんもクラードさんも、言っている事は真逆だけれど、志しているのは、見ているものはきっと一緒……。そして二人とも、絶対に楽には転がらない。それがきっと……強さなんだと思う。私にはない、答え……』

 

「分からないな、私にはお前達も強く映る。IMFに立ち向かい、その果てに何を得るつもりだ? 蛮勇だと分かり切っているのに、その果てに何を求めて、戦場に意味を見出す」

 

 その時、ユキノはくすっと笑ったのが伝わった。

 

 シズクは眉を跳ねさせる。

 

「……何か可笑しな事を言ったか?」

 

『いえ、そんな事はないんだけれど。衝動的なものだけで、私達は戦ってきた。デザイアでも、ベアトリーチェでもそう。私達はその時々の、刹那的な心だけで回っている。嗤えるでしょう? あなたにしてみれば、自分の道筋を狭めてなおかつ、退路を塞いでいるなんて』

 

「……私達だってそうだ。騎屍兵なのだと、もう死んでいるのだと退路を塞いできた。だがそれも……分からなくなってしまった。正しいと信じた生き方に殉ずる事も出来ず、その生き方に疑問を見出す事も出来ず。ただただ、持て余すばかりの死を、私は抱えているのだろう」

 

『生ではなく死、か……。でも、小隊長はあなたみたいな人でも分かってくれるでしょう? 私みたいなどうしようもない弱さを持っていても、あの人は分かってくれようとする。それが時折……きついんだけれどね』

 

『オフィーリアはIMF02への追撃速度に入りました。これよりRM第三小隊、及び合流部隊による強襲を仕掛けます』

 

 アナウンスがかかった事で、ここでの会話は打ち止めとなった。

 

『……ありがとう。話せてよかった。……何て言うのかな、私はいつも取りこぼしてから気付くみたいだから。ピアーナさんも、クラードさんもそう。もっと早くに……話せて分かり合っていれば、こんな齟齬はなかったんだって』

 

「……私も話せてよかった。ユキノ・ヒビヤ。一つだけ、約束してくれないか」

 

『何? 私に出来る事なら何でもやるけれど』

 

「……お互いに、生き残らないか? もちろん、勝敗で分かたれるような容易い戦場だとは思っていない。だが、生き残る事で、可能性が……何か確率が変動する事もあると言うのならば……私は、生き残りたい」

 

『それは騎屍兵としての言葉じゃなく?』

 

 一拍の逡巡を差し挟み、シズクは応じていた。

 

「……ああ。シズク・エトランジェとしての、言葉だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どうした? 何故返答をしない、ゴースト、スリー』

 

 戦場に舞い戻って来た意識で、シズクは接触回線越しのイレブンの声を聞く。

 

 目の前に屹立するのは《ネクロレヴォル》隊――自分の帰るべき居場所。

 

 それが差し出されていると言うのに、ここで何かが惑う。

 

「私は……」

 

『ヘルメットを外しているのか? 敵に対して恫喝されたか。その結果ならば情状酌量の余地がある。帰って来い。それが望みだ』

 

「……望み……? 望みなんてでも、私が騎屍兵に戻れば……この最悪な戦いが巻き戻るわけでもない……」

 

『何を高望みをしている? 最早一兵卒で出来る範疇は過ぎた。戦うのならば、どっちつかずの立場は抜け出すべきだ。それに、お前は賢明な人材だ。このまま反転し、敵艦を我々で抑える。それで事足りるはずだ』

 

 イレブンの声音には迷いはない。

 

 それどころか最適解を導き出している風でもある。

 

 撃つべきは、と指先が硬直する。

 

 RM施術が施された肉体が、永劫とも言える彷徨いの中へと呑まれていく。

 

 自分はどう生きるべきなのか、どう死ぬべきなのか。

 

 そしてどう――ユキノとの想いに報いるべきなのか。

 

「……私はいけない」

 

『……ゴースト、スリー……?』

 

「私はもう、ゴースト、スリーじゃ、ない。私の名前はシズク……シズク・エトランジェ。ここで守ると誓った、戦うと誓った。なら……自分の想いに、唾を吐くべきじゃないから……!」

 

 そう、最早「シズク・エトランジェ」としての戦いだ。

 

 騎屍兵の名無しではない。

 

 戦いは、己の胸の内で疼く衝動に衝き動かされて赴くべきだ。

 

『……後悔するぞ』

 

「それでもいい……! 私は……生きていきたい。死に損ないでも、もう一度人生をやり直していいのなら……!」

 

『決裂だな』

 

 接触回線が切られ、《ネクロレヴォル》隊がビームライフルを照準する。

 

 照準警告が鳴り響く中で、不意打ち気味の熱源反応に目線を向けた途端、《アイギス》が割って入り、弾幕を張って騎屍兵を後退させていく。

 

 重火力の武装を抱えた《アイギス》から声が放たれていた。

 

『シズク! 大丈夫だった?』

 

 名を呼んでくれたユキノに、シズクは思わず声を飛ばす。

 

「……今みたいな無茶な機動……危ないって思わないのか」

 

『危ない程度で及び腰じゃどうしようもないわよ。《ネクロレヴォル》隊はまぁまぁの数。……いけそう?』

 

「……騎屍兵として、《ネクロレヴォル》の性能は熟知しているつもりだ」

 

『それって当てにしてもいいって事なのかしらね? どっちにしたって、これ以上後退も出来ないんだし。《アイギス》、ユキノ・ヒビヤ! このまま応戦展開に入るわよ!』

 

「……《ネクロレヴォル》、シズク・エトランジェ。……出る」

 

 ユキノの《アイギス》が面火力で騎屍兵の牽制を弾いてから、シズクの《ネクロレヴォル》はイレブンの機体へと蒼いビームサーベルを振るっていた。

 

 互いにぶつかり合い、刃の灼熱がアイカメラを焦がす。

 

『……ここまで来て裏切りとは。ゴースト、スリー。堕ちたものだな』

 

「……堕ちたっていい。私は……生前の名前にまだ未練があったという事だ」

 

『墓碑銘を名乗る事の厚顔無恥さを恥じながら死んで行け。このまま、墜ちろ』

 

 イレブンの下段よりの振るい上げを弾いていなし、刺突を浴びせようとして瞬時に回避されていた。

 

 シズクは《ネクロレヴォル》の肩口にマウントされている近接戦用のガトリングガンを放射し、相手の接近を阻む。

 

 ――分かっている。

 

 自分もイレブンも熟練度はほぼ同じ。

 

 泥仕合になるのは明白。

 

 だがそれでも、自分を曲げたくないと言う意思が、太刀筋となって交わす。

 

 急接近すると共に浴びせ蹴りを与えて衝撃波で牽制しようとするが、《ネクロレヴォル》の加速度で回り込まれ、速射モードに設定したビームライフルの火線を潜り抜ける。

 

 上下左右が目まぐるしく入れ替わる感覚を味わいながら、シズクはイレブンの機体へと一射していた。

 

 掻い潜ったイレブンは刃を中段に構え、そのビーム粒子束の出力を引き上げる。

 

 恐らく、長期戦は不利なのだと判断したのだろう。

 

 シズクはビーム刃の発振を停止させ、腰だめに構える。

 

『抜刀速度で私に勝てると思っているのか』

 

「そちらこそ。太刀筋が震えているぞ? 隠し切れていないんじゃないか、恐怖を」

 

『恐怖など。騎屍兵になってからは覚えた事のない感情だ』

 

 爆発の光輪が広がっていく戦場の中で、互いに睨み合った両機はやがて弾かれたように急接近していた。

 

 肉薄したイレブンの機体の放った粒子切断面がシズクの機体の左肩を根元からそぎ落とす。

 

 シズクは逆手に握り締めたビームサーベルの発振部を敵《ネクロレヴォル》の頭蓋へと押し当てていた。

 

「――砕けろ」

 

 ビーム刃が形成され、《ネクロレヴォル》の頭部を断ち割らんとする。

 

 一閃は、ギリギリのところで回避されてしまったが、それがどのような意味を持つのかはレヴォルタイプを操っているのならば自明の理だ。

 

 シズクはガトリングガンを掃射して敵《ネクロレヴォル》へとダメ押しの弾幕を張っていた。

 

 噴煙に包まれていく《ネクロレヴォル》が大破したかどうかまでは分からない。

 

 分からないが、それでも自分の想いを告げる事は出来た。

 

 これまで、誰かの大義でしか刃を振るえなかった自分とは違う。

 

 ぐずぐずに融けた左腕を抱えつつ、シズクは一度ブリギットへと帰投すべきだと感じていた。

 

「……このままじゃ継続戦闘は難しい……。それにしたって、こんな混戦……」

 

 その時、シズクはブリギットより再出撃したダビデの《レグルスブラッド》とそれに随伴する通常《レグルス》を視野に入れる。

 

「……ジェネシスのDD、それについていくとは、中々の実力者だろう。今は、あまりにも難しい宙域だ」

 

 



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第268話「宇宙の徒花」

 

『弾薬は全く足らないんだ。《サードアルタイル》のパーティクルビットで加護を引き受けつつ、王族親衛隊の対聖獣弾頭を叩き落とすぞ』

 

 ダビデからもたらされた言葉にメイアはふんと鼻を鳴らす。

 

「弾頭を叩き落とすって根性論じゃん? なかなかに難しいと思うなぁ」

 

『やってみせるんだろう? なら、少しは見せてもらわないとな』

 

「はいはーい。ま、一宿一飯って言うか、それくらいは返すよ」

 

 余裕を気取ってみせるが、既に劣勢。

 

《パラティヌス》が前衛後衛を入れ替えつつ、間断なく砲撃してくるのに対して、こちらはパーティクルビットによる護りしかまともにない。

 

 しかも、《ネクロレヴォル》隊も介入してくるとなれば戦力は絞られていくばかりだ。

 

「……まったく、嫌になっちゃうなぁ。こうも敵との彼我戦力差ってのがあると」

 

『弱音を吐いている場合でもないぞ。敵勢を駆逐する』

 

《レグルスブラッド》の後部につき、ミラーヘッドの段階加速を経て《ネクロレヴォル》隊と、そして王族親衛隊との決戦に分かれていた。

 

 自分は《ネクロレヴォル》との交戦だ。

 

「悪いね。そっちにも一宿一飯はあるんだけれど、更新されちゃった」

 

 ビームサーベルを打ち下ろすが、さしもの相手もレヴォルタイプ。

 

 パワー面での不足は否めず、瞬時に腰部にマウントされていたレールガンで距離を稼ごうとする。

 

 しかし、相手は瞬時にミラーヘッドを展開し、全方位からの攻撃に切り替えていた。

 

 メイアはマニュアルで推進剤を焚き、火砲を掻い潜っていく。

 

「なかかなにしつこいじゃんか。それとも何? ボクがこっちに居るほうが意外?」

 

『……メイア・メイリスだな。始末するように命令が出ている』

 

「その命令系統ってさ、やっぱしエンデュランス・フラクタルなのかな。キミらはリクレンツィア艦長に忠誠を誓っていたはずだろう?」

 

『艦長は関係がない。我々は駒だ。大事を成すために、世界を欺く事を許されし駒。ならば、駒には駒の意地がある』

 

「駒の意地ね……。なら、ボクだってそうだ! 宇宙最強のアーティストに――成っちゃいないんだからさ――っ!」

 

 何度か刃を交錯させつつ、ビームライフルで牽制し、メイアは戦場の移り変わりを目の当たりにしていた。

 

「敵勢はクラードとアルベルトに分かれた……。でも、油断出来ないよね。このままじゃどうなるのかまるで分からないんだから」

 

『貴様らは敗北する。我々は勝利する、それが確定事項だ』

 

「確定事項、ねぇ。そういう風な事言う奴は、大概負けちゃうんだけれど。フラグって奴? でもさ、ボク相手に勝つなんて強気だね? 《レヴォル》を動かせたって言うのに」

 

『最早、レヴォルタイプはオープンソースだ。それを特別視する事に意義を見出せない』

 

「分かってるって。マジレスやめなよ」

 

 相手がこれで少しでも隙を見せてくれれば、と思っていたが、敵機は思ったよりも冷静らしい。

 

『一つ、言っておくが、私を含め騎屍兵に揺さぶりは通用しない。時間稼ぎもいいところだな』

 

「……そうかな。こっちも一つ、言っておくとさ。ボクってば中距離戦のほうが得意なんだよね」

 

『近接格闘兵装を使っておいて吼えるものだ。次で首を刎ねる』

 

「威勢結構。さぁ、やろうか」

 

 ミラーヘッドの両翼を用いた重火力でこちらの足を潰す方策を用いつつ、本体が大上段に刃を掲げる。

 

 メイアは火線を抜けつつ、携えたビームサーベルの剣戟で鍔迫り合いを行う。

 

 スパーク光が目に焼き付く中で、慣性運動で機体を横滑りさせて、弾かれ合った直後にビームライフルを照準しようとして、そのロックオン機能を奪われていた。

 

《ネクロレヴォル》の隠し玉だったのか、袖口から射出されたアンカーナイフがビームライフルを握るマニピュレーターへと深々と突き刺さる。

 

 途端、膨れ上がった暴発で視野を眩惑されたメイアは後退しようとして、段階加速を経た《ネクロレヴォル》に距離を詰められていた。

 

『終わりだな』

 

「そうだね……キミが」

 

 相手がこちらの思惑に理解する前に、メイアは宙域を流れるビームライフルへとワイヤーアンカーを絡みつかせていた。

 

「後ろに目を付けなよ、ってね!」

 

 アンカー武装がトリガーを引き、《ネクロレヴォル》の機体を貫いていた。

 

 つんのめった《ネクロレヴォル》が、最後の足掻きとでも言うようにビームサーベルを引き抜いて接近する。

 

「ああ、もうっ! うざったいったら!」

 

《レグルス》で浴びせ蹴りを見舞うと共に収縮爆発が引き起こされ、片足を持って行かれていた。

 

『メイア・メイリス! 無事か?』

 

「ああ、うん。片足失ったけれど、これでも無事。……にしたって、性能差って奴かなぁ」

 

『……吼えられるのならば、ブリギットの包囲陣まで後退。パーティクルビットの守りも薄くなっている……。《サードアルタイル》はあれでも継続戦闘を行っている身だ。あまり無茶は言えなくなっているのだろうな』

 

「お優しいなぁ、ジェネシスのDDは。けれど、一旦後退ってのはマジの話。《サードアルタイル》の弾幕が薄くなっているのはきっと……操る人間の違いかもしれない」

 

『……報告にあったファム・ファタールと言う少女が元の持ち主、と言う話だったか。それもどこまで……いや、待て。メイア・メイリス。これは……高熱源……?』

 

「何で疑問形? ってか、この距離で熱源警告って……」

 

 声を放ち切る前に、ブリギットの横っ腹を叩いたのは放射されたビームの光軸であった。

 

 思わぬ攻勢にメイアは声を弾けさせる。

 

「モルガンの砲撃?」

 

『……いや、違う……新手か……!』

 

 ダビデの忌々しげな声音と共に拡大モニター上に投影されたのは艦艇よりも遥かに巨大な――。

 

「これ、何……? 鎧?」

 

『識別信号なし。艦でもなければ、MSでもない……。MAか?』

 

「こんな巨大なMAなんてある? いや、類似したものを上げるとすれば……これって……!」

 

『トライアウトブレーメンより声明が下っています。各員、オープン回線に合わせ……。今しがたの砲撃の意味、問い質さないわけにはいきません』

 

 ピアーナの切り詰めた声音にメイアは回線の周波数を合わせ、《レグルス》のコックピットの中で反響する通信を聞く。

 

『――通達。これよりトライアウトブレーメンは、エンデュランス・フラクタルと結託し、レジスタンス勢力の一掃を行う。王族親衛隊は下がっていただきたい。高出力ビーム兵装の邪魔になる』

 

「トライアウトブレーメン……? って、軍警察の第三勢力じゃんか……!」

 

『まさか、裏で動いていたとはな。色々と尾ひれのつくタイプの勢力であったが……ここで我々と敵対するか……!』

 

『こちらの主戦力はIMF01、《ヴォルカヌスカルラ》。貴君らが地上で戦ったIMF02、《ティルヴィング》を制御下に置いたものである。これと戦う意味が分からぬほど、無知蒙昧でもあるまい』

 

「……嘘でしょ。まさか、また魔獣? しかも今度は……空間戦闘用だって?」

 

『嘘でも狂言でもないのは、ああして屹立する事で明らかか。どうする、ブリギット艦長。このまま相手にされるがままと言うわけでもあるまい』

 

 ダビデの繋いだ言葉に、ピアーナから慎重な声が漏れ聞こえる。

 

『……通常ならば、このまま戦闘に入っても構わないのですが、我々の主戦力である、クラードの《ダーレッドガンダム》と、アルベルト様の《アルキュミアヴィラーゴ》は依然、戦闘中。しかも、クラードは万華鏡との戦いの中です。ここで援護してくれとは言えません』

 

「じゃあ、どうするってのさ! ……ボクらだけで魔獣と戦えって?」

 

『そうではありませんが……! 外交的な戦略を交えようにも、相手は既に一射してきました。撃つ気があるのは明白でしょう。戦場はこちらの不利に転がっています』

 

『悔しいがブリギットの艦長の言う通りだ。敵はこの局面を読んで、《ヴォルカヌスカルラ》とやらを投入してきていると見るべきだろう。思ったよりも厳しいな……』

 

「じゃあ……ボクらだけ……」

 

『ええ。クラード達の戦いを邪魔出来ない以上、我々だけで太刀打ちするしかないでしょう。《ヴォルカヌスカルラ》……ここで魔獣が立ち塞がると言うのならば……!』

 

 徹底抗戦の構えだが、敗色濃厚の感覚にメイアは息を呑む。

 

 このまま戦っても、犠牲なしに敵を倒す事は不可能だろう。

 

「……待って、ねぇ待ってって。ピアーナ、キミはそんな結末、望んじゃいないだろう? 犠牲なんて、ないほうがいいに決まってるんだ! だったら、ボクはそんな運命とやらに、牙を突き立てる!」

 

『何を……メイア・メイリス、何を言っているのです。クラード達の戦い振りを見ているでしょう? 彼らに背を向けろなど……言えるわけがありませんよ……!』

 

 震える声音に、ピアーナとて恐怖を押し殺し切れていないのが窺えた。

 

 分かっている、ここでの魔獣との対立は、単純に戦力をひき潰すだけだ。

 

 それが誰よりも明瞭に理解出来ているからこそ、彼女は恐怖とそして責任に押し潰されそうになっている。

 

「……あのさ、ボクらを舐めないでよね。ピアーナ、キミを護るって決めているのは誰かさんだけじゃないんだ。その艦長席に座っている以上、キミが指揮官だ。ならさ……! 指揮官を護るために前を行くのは、ボクらの仕事でしょ!」

 

 引き寄せたビームライフルを利き手ではないほうのマニピュレーターで掴む。

 

 鑑みるに通常戦闘時の戦力の半分程度でしかないだろう。

 

 それでも、自分はピアーナを護ると決めた側の人間だ。

 

『よく吼えてくれた、メイアとか言うの。俺も気持ちは同じだ』

 

「とか言うのって……いい加減覚えなよ、鳥頭なんだからさ」

 

『悪い。俺、そういう芸能界とかには疎くってな』

 

 割り込んできたダイキの気安い軽口に救われつつ、ブリギットを守護するMS部隊が寄り集まっていく。

 

『……皆さん……本当に、いいのですか……?』

 

『いいも何もない。私達は、ただこの戦場で命を燃やし尽くすまでだ』

 

「そうだって。ピアーナ艦長が気を揉む事じゃないよ。……ま、一つあるとすれば、キミは信じて待ってくれればいい。最上の結果を届けてみせる」

 

 それにしても、とメイアは拡大モニター上に映し出された《ヴォルカヌスカルラ》の巨躯とその高出力に指先が震え出すのを止められなかった。

 

「……参ったな。ブルっちゃってるなんて。ライヴでもここまで震える事なんてなかったってのに……」

 

 ここで死ぬのは、もちろん怖い。

 

 だが――クラードが戦っているのだ。

 

 ならば――。

 

「信じる者達へ、何も出来ずに散っていくほうが、よっぽど怖いってね! ブリギットMS部隊、行くよ!」

 

『おい! 指揮官は俺だっての! リクレンツィア艦長、どデカいのをお見舞いしてやりましょうよ!』

 

『交渉は決裂、と見ていいのか』

 

「交渉? いきなり撃って来ておいて、交渉も何もないでしょ。王族親衛隊に弾が当たらないようにってのも建前だ。キミら結局、さ。殺し合いが見たいだけだろうに」

 

『……警告はした』

 

《ヴォルカヌスカルラ》が挙動する。

 

 無数の紺碧の艦艇より、エネルギーチューブを送電され、真紅の躯体がミラーヘッドの蒼の伝導率を伴わせて像がぶれていた。

 

「最大出力のミラーヘッドの砲撃、か……。避けられそう? DD」

 

『まず、無理だろうな』

 

「……案外、キミってば冗談通じるタイプだった?」

 

『……メイア・メイリス。ミラーヘッドの砲撃を逸らすのには同じだけの存在力か、あるいはMSで減殺する必要があるだろう。どれだけの技術力の粋かは知らないが、《ティルヴィング》と同等以上を名乗っているという事は……』

 

「簡単には止められない、か。死に時ってのは、思ったよかあっさりだなぁ」

 

『お前ら……俺が段階加速して相手の懐に潜り込む。それまで死ぬんじゃないぞ』

 

「あのさー、それってフラグなんだけれどー」

 

 ダイキの言葉に生意気に返していると、相手もそれを判じてかフッと通信先で笑ったようであった。

 

『……言ってろ。死地はここに在り!』

 

《ヴォルカヌスカルラ》の両肩に備え付けられたすり鉢状の砲撃器官が照準され、次こそ確実な命中と共に死が訪れると予見していた。

 

 この宙域に居る誰もが、直後の死への恐怖よりも、ここで一矢報いる事すら出来ない悔しさを滲ませる。

 

「……嫌だな。せめて……もう一度ギルティジェニュエンで、宇宙凱旋ライヴでもしてから……死にたかったかも」

 

 最後の最後に出た悔恨も我ながら女々しい――そう感じた矢先であった。

 

『――私達も同じ気持ちよ、メイア』

 

 その言葉の主を確かめるようにハッと天上を仰いだメイアは、何もない空間より放たれた漆黒の刃を目の当たりにする。

 

 砲撃と見間違うほどの密度の重力粒子が変動し、《ヴォルカヌスカルラ》の放った緑色のビーム粒子を「切断」していた。

 

「……嘘……でしょ……生きてるじゃん……か」

 

 諦め切った肉体が虚脱するのと同時に、声の主を確かめるべくレーダーを凝視する。

 

『何奴――!』

 

 ダビデの声が弾けると共に宙域から滲み出したのは見知った艦艇であった。

 

「……ラムダ……どうして……? だってラムダはもう……」

 

『通達。これよりマグナマトリクス所属艦、隠密行動艦艇ベアトリーチェ級ラムダは、そちらの援護に入るわ』

 

 もたらされた事実と声に、メイアはパニックに陥っていた。

 

「……何で……生きて、るのさ……マーシュ……?」

 

『……ブリギット級、それにオフィーリアは我々の援護を受けて欲しい。こちらには聖獣二機の守りがある』

 

 光学迷彩で隠し通されてきたのはラムダより展開する無数の新型機だけではない。

 

『あれが……MF02、《ネクストデネブ》と……MF04、《フォースベガ》か……』

 

 絶句した様子のダビデに、《ネクストデネブ》と《フォースベガ》が肩を並べて《ヴォルカヌスカルラ》へと構えを取る。

 

「……まさか、聖獣が、味方……?」

 

『安心してちょうだい。この二機は友軍機。理由あって、協定を結んでいるわ。絶対に裏切る事はない』

 

『……ちょ……ちょっと待てって……! こっちは覚悟してたんだぞ! 何だってそんな……身勝手だろ、あんたら!』

 

 完全に出端を挫かれたダイキの《シュラウド》を視野に入れつつ、《ネクストデネブ》と《フォースベガ》より伝令がもたらされていた。

 

『こちら《フォースベガ》パイロット……名乗れば早いか。木星船団所属、ザライアン・リーブスである』

 

「木星船団って……まさか宇宙飛行士? 何だってそんな……」

 

『詳しい事は後で説明する。我々の目的は、魔獣《ヴォルカヌスカルラ》の撃墜と、そして君達の守り。ここまで来た事は称賛に値する。よって、少しの間かも知れないが、共闘関係に持ち込みたい。いいだろうか? ブリギットの艦長と、それにオフィーリア』

 

「いいだろうかって……どうすんのさ?」

 

『……今は呑みましょう。断るよりも、少しは生存率が上がりそうです』

 

『賢明な判断だ。もっともここで断られていたとしても、押し通してはいたが。……《フォースベガ》で敵IMFへと迎撃網を走らせる。その間に、《ネクストデネブ》が接近し、相手を蒸発させる』

 

『蒸発……穏やかではないな』

 

 ダビデの声音に宿った戸惑いも、今や些事のように、《ネクストデネブ》は一対の砲身を構え、その尖った爪を突き出す。

 

『……断っておくと、僕はどっちに転がったつもりもない。今は、そのほうが正道なのだと、思っただけの事だ』

 

《フォースベガ》ほどの戦力を維持するザライアンの論調には、僅かながら翳りが見える。

 

 しかし、それさえも吹き飛ばすかのように《ネクストデネブ》は高火力を放出していた。

 

 相手が射程外だと言うのに憤怒の塊のような、その攻撃網は緩まない。

 

 いくつかの砲撃が《ヴォルカヌスカルラ》を掠める中で、メイアは圧倒されていた。

 

 MFと言う力の権化に、だけではない。

 

 それを操る何者かの――止め処ない恩讐と、これは――。

 

「……悲しみ? 何を……悲しんでいるんだ。聖獣だって言うのに……」

 

 直観的でしかないが、《ネクストデネブ》のパイロットは、ただただ怒りだけではないような気がしていた。

 

 接触回線を開いたダビデが声を吹き込む。

 

『……メイア・メイリス。足を失った機体では前を行く編成には組み込めない。一旦、格納デッキまで後退。修繕を待って、我が方の赴く先を決める』

 

「あ、……うん。そうだね。まさか、MFが友軍機になるなんて……想定外もいいところだ。それに……」

 

 それにかつての古巣が何故、MFと組んでいるのかも不明なまま。

 

 死んだと思っていた相手へと、メイアは声を振り絞っていた。

 

「……マーシュ、また会えてよかった」

 

『……知り合いのようだが、今は』

 

「うん、了解。使えない戦力で戦場掻き乱すのもよくないだろうしね」

 

 反転したメイアは《ヴォルカヌスカルラ》へと向かっていく戦士達の背中を一瞥する。

 

「……でもついさっき……あの声……まさかイリス達? おかしいな……だってキミらは、ボクを撃てたじゃないか。なのに、今はそうじゃないみたいに……」

 

 真実は彷徨うばかりであった。

 

 

 



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第269話「神域の魔獣」

 

「おいおい……とんだ伏兵も居たもんだなぁ、聖獣が二機と来た!」

 

 クランチはコックピットの中でぼやくなり、トライアウトブレーメンの艦艇より報告を聞く。

 

『識別照合完了。向かってくる敵影は間違いなく、MF02、とMF04と推察される』

 

「んなもん、見りゃあ分かるっての、たわけが。にしたって、聖獣とやり合えるたぁ、こいつはツイてると思ったほうがいいのかねぇ! ――IMF01、魔獣《ヴォルカヌスカルラ》。お前の性能を見せてみろよ!」

 

 先ほど砲撃を溶断されたが、こちらのエネルギー状態は決して悪くはない。

 

 むしろ最善だ。

 

 トライアウトブレーメンの艦艇六隻のアステロイドジェネレーターからエネルギーを供給されている状態なのは、万全を期すために他ならない。

 

「砕けちまえよ! 聖獣とやらもな!」

 

 両肩に位置するすり鉢状の砲撃器官が瞬き、直後には高出力のミラーヘッド砲撃がもたらされている。

 

 しかし、敵機はうろたえるわけでもない。

 

《ネクストデネブ》は憤怒のままに自律稼働する一対の砲門を手繰っていた。

 

 直撃したと感じた瞬間には、ビーム粒子が霧散している。

 

「件のIフィールドってヤツか! 面白ぇ! 面白ぇぞ! モノホンの聖獣ってのはそう来なくっちゃいけねぇ……なァ!」

 

 両腕に格納されていた拡散重力磁場の収束装置を稼働させる。

 

 蒼い残像を帯びて袖口より山脈じみた剣が形成されていた。

 

「思い知りな! これがビームサーベルだ!」

 

 質量と、そして単純なエネルギー総量だけでも艦砲砲撃に値する。

 

 在りし日の月軌道艦隊でさえ凌駕する性能のビームサーベルを《ネクストデネブ》へと打ち下ろしていた。

 

 相手はIフィールドを纏い、砲門で受け止めるがそれでも限度があるらしい。

 

 足を止めた敵機へと、クランチは喜悦に口角を釣り上げる。

 

「嬉しいねぇ! 聖獣が魔獣の罠にかかるってのも! なかなか出来ねぇ経験ってヤツさ!」

 

《ヴォルカヌスカルラ》の四肢に格納されているのはそれ一つがMS大ほどもある円盤状の削岩機であった。

 

「自律兵装持たせてくれるってのも、割と羽振りはいいってもんだ! 行けよ、ミラーヘッドジェム!」

 

 蒼い残像現象を伴わせ、円盤の自律兵装が宇宙の常闇を疾走する。

 

《ネクストデネブ》は撃墜しようと砲門を稼働させるが、その時にはもう片方の腕から発振させたビームサーベルが突き刺さっていた。

 

「聖獣に……届いたってこった!」

 

『……図に乗るな。私の《ネクストデネブ》に、貴様らは傷一つ――つけられるものか!』

 

 直後に咆哮した《ネクストデネブ》がビームサーベルを弾き返す。

 

「……今のは、威勢、か。威勢だけで質量差を無視出来んのか? ……ますます面白ぇ……ッ! 戦場はァ……こうでなくっちゃあ、なッ!」

 

 戦場の愉悦に浸ったまま、クランチは四方八方よりミラーヘッドジェムを操作する。

 

《ネクストデネブ》ほどの機体とは言え、Iフィールドを何度も展開出来るわけでもあるまい。

 

 加えて、《ヴォルカヌスカルラ》との打ち合いは終わらない戦いに挑むようなもの。

 

「六隻のベアトリーチェ級戦艦に、内蔵するのは十七のアステロイドジェネレーター。さぁ、止められるかよ。聖獣とやらでもよォ……ッ!」

 

 ミラーヘッドジェムが砲身に至った瞬間、これまで人類が成し遂げて来なかった聖獣への一撃が入っていた。

 

 砲身表面が焼け爛れ、Iフィールドが歪んでいる。

 

「やっぱりな! そう何でも無尽蔵ってワケじゃ、ねぇと見た! ここで時代は移り変わるのさ! ……獣は討たれ、英雄の時代の……到来だ!」

 

 ミラーヘッドジェムはまだ格納しているのも含めれば《ネクストデネブ》を撃墜するに足る量が内包されている。

 

 このまま物量戦で押し込めるか、と感じた矢先、戦場の習い性がクランチの背筋を粟立たせていた。

 

「……やべぇな。右舷の艦隊……!」

 

 それを認識するよりも先に――右舷に位置していた艦隊が断絶されていた。

 

 漆黒の重力の太刀を操り、後衛に位置している《フォースベガ》がその腕に刃を拡張させる。

 

「……聖獣は二機……おい、艦隊! ……ああ、駄目か。死んじまいやがった。いや、消滅と言ったほうが正しいかもな。おい、そこの。あんた、さっきの通信じゃ、ザライアンとか言うの。俺みたいなロクデナシでも聞いた事はあるぜ。木星船団を指揮する、随分とエリートなはずじゃねぇの。だってのに、その正体は世界をたばかる聖獣のパイロットって事か!」

 

『……何が可笑しい……』

 

「いや、こいつぁ傑作で笑えてね! 何てこたぁねぇ、人でなしってのは案外、他人より高い位置が好きなもんさ。あんたもそうだろう! 高みに上って、下々を見下ろすのが、何よりも好きなんだろうが!」

 

『……僕は……そんなつもりは……ない!』

 

 言い切るのと同時に放たれた重力の剣に宿った殺気はしかし、どこか混じり気があるのをクランチは見抜いていた。

 

 ――これはほだされるクチだ、と。

 

「マジな話かねぇ、それも。今の今まで、人類の敵を担っておいて、それでいて裏では騙し騙され……さぞ楽しかった事だろうぜ! 来英歴の人間は全部、愚かに見えていたってこったろうが!」

 

『……僕は、貴様とは……違う!』

 

「どう違う! 力への求心力に負けて、今もそうやって聖獣越しでしか戦えねぇ、腰抜けと! 戦場依存症の俺の、どっちが高尚かねぇ、こいつぁ!」

 

 黒色の刃がのたうち、《ヴォルカヌスカルラ》本体へと放たれる。

 

 それは心の余裕がなくなっている証拠だ。

 

 先ほどの太刀筋で、艦艇を攻撃すれば、確実に戦力を削げると理解していた冴え渡っていた脳も今はないも同義。

 

『……取り消せ……。僕が、貴様よりも下劣だと言うのか……!』

 

「そうじゃねぇのか? 来英歴を背負って立つ宇宙飛行士の裏の顔が、実のところあれだけ人殺しを行った聖獣のパイロットだぜ? バレればどうなる? 羨望も、情景も、そして何よりも信頼も! 何もかも失っててめぇは一人っきりだ!」

 

『……一人でも、大義があれば一人ではない……!』

 

「大義! 大義たぁ、随分と俗世間じみた事を言うじゃねぇの! 結局のところ、てめぇだって割り切れていねぇのさ。殺し尽くす簒奪者の手なんだってなァ!」

 

『僕は……僕はこの世界を救いに来たんだ! 貴様のような壊すだけの人間と一緒にするな!』

 

《フォースベガ》は前に出ている。

 

 高重力の太刀筋は確かに恐ろしい兵装だ。

 

 先ほどからミラーヘッドジェムを盾にして直撃は免れているが、もしあれが《カルラ》に内蔵されている《ヴォルカヌス》本体まで至る性能があれば恐るべきだろう。

 

 しかしクランチはこの時、相手の力量を完全に掌握していた。

 

 如何に優れた武装を持ったとしても、如何に優れた思想を持ち得ていたとしても。

 

 こちらの誘いに乗り、そして力の振るいどころを間違えれば、一瞬にして瓦解する。

 

 それは何者でもない、どのような最果ての戦場でも届く経験則だ。

 

「壊すだけの人間ねぇ。それは光栄と思うべきなんだろうな。俺は全てを壊す! 壊して壊して……その果てに待っているのが、玉座なら、喜んで背負って立つぜ!」

 

『壊した果てに待っているのはただの虚無なのだと、何故気付かない! それだから貴様は……僕達に押し負ける!』

 

「果たしてそうかねぇ……。ミラーヘッドジェム、電荷。少し分からせてやるといい。戦場の素人に、本物の戦場ってヤツを」

 

 これまで格納されていたミラーヘッドジェムはあえて使ってこなかった。

 

《ネクストデネブ》相手ならば、全て使い尽くすまでもない。

 

 問題はどこまで《フォースベガ》のパイロットが釣れてくれるかであったが、相手は思ったよりも容易く挑発に乗った。

 

 その時点で――勝ち筋は見えていた。

 

《ヴォルカヌスカルラ》内部に格納されていたミラーヘッドジェムが疾走し、大上段に太刀を振るい上げた《フォースベガ》へと包囲陣を敷く。

 

『小賢しいだけだ! 《フォースベガ》!』

 

 両腕を振るい、迫りかけた自律兵装を打ち砕いた戦力は確かに本物だろう。

 

 クランチは口笛を吹かす。

 

「シビれるねぇ……それだけの力、俺も欲しくなっちまったよ」

 

『貴様に聖獣が微笑む事など……あるものか!』

 

「それがあるんだなぁ、こいつが。俺の園に入ってきて無事で済むかよ。ミラーヘッドジェム、ミラーフィーネを展開構築」

 

《フォースベガ》からしてみれば、まさしく一足飛びの距離。

 

 そこで相手は硬直していた。

 

 ミラーヘッドジェムが四方八方より赤い光を拡散させ、聖獣の殺意が押し留まる。

 

『……何を……何をした……! これは!』

 

「ミラーフィーネって言う、極上の兵器さ。どうにもこいつに睨まれると、ミラーヘッド内臓兵装は全部意味をなくすらしい。ビビるねぇ、その性能。ただまぁ、それを振るうのは他でもない、俺だってだけで安心するさ」

 

『く……っ! この程度の距離……! 《フォースベガ》!』

 

「無駄だと悟ったほうがいいぜ、ザライアン・リーブスよぉ。あんたは結局、何者にも成れねぇんだ。安心しな。英雄には俺がなっておく。お前はせいぜい、地を這い付くばるだけの、無価値の代物に堕ちてろよ」

 

『……ふざけるな……! 貴様だけは……墜とす……!』

 

「強がりもここまで来れば立派に酔狂だな。もっと落ち着いて物事の推移を見るべきだったところを、俺の口車にまんまと乗りやがって。性能が良くったってなァ! 感情を制御出来ないゴミには過ぎた代物だってこったよ!」

 

『……《フォースベガ》……ビームサーベルで敵を両断――!』

 

「――遅ぇ。既に俺の領域に入っているんだ。触れるよか簡単だな」

 

 クランチの眼差しは《フォースベガ》の中心軸で脈打つ心臓部を見据えていた。

 

 ミラーフィーネの制御下にある現状、手で触れるような事もない。

 

 そうなのだと規定した直後には、《フォースベガ》から完全に勢いが削がれていた。

 

『……《フォースベガ》……?』

 

「ミラーヘッドエラーってヤツを知ってっか? 宇宙飛行士。そうなっちまえば自力じゃ活動再開は不可能だ。そして――栄光は俺にこそ輝く」

 

 出力値を引き上げた刃を大上段に振り上げる。

 

 相手は絶望しながら死んでいく。

 

 その喜悦だけでもクランチからしてみれば極上であった。

 

 何せ、世界全ての羨望を得た相手を、その座から引きずり下ろすのだ。

 

「英雄ってのはこうでなくっちゃいけねぇ。時代遅れなんだよ、聖獣なんざ。聖獣殺したぁ、なかなかに幸先がいい事じゃねぇの」

 

『……動け! 動け、《フォースベガ》! どうして……僕は……来英歴を……こんな世界を、守ろうとして……』

 

「世界を守るたぁ、随分と妄言だな。死んでいけよ」

 

 そうして刃は、振り下ろされていた。

 

 



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第270話「呪いと共に在れ」

 

「聖獣だと? ……オフィーリアはどうなっている……」

 

 戦線に入った聖獣二機に気を取られたクラードへと、ミラーヘッドビットは容赦なく斬り込んでくる。

 

『自分との戦いは片手間で済ませるようなものか』

 

 引き絞られたビームの光条に、クラードは奥歯を軋らせて機体を上昇させていた。

 

《ダーレッドガンダム》は至りかけた敵の兵装を拡散重力磁場で叩きのめそうとするが、それを掻い潜って何度も装甲を叩く攻撃が見舞われる。

 

『エージェント、クラード。ともすれば、三年前より弱くなったのではないか。何よりも、マシーンの性能頼みの戦い方で、自分を凌駕出来るか』

 

「俺が三年前より……弱い、だと? ……そんなはず……!」

 

 双剣を構え、《ラクリモサステイン》の死の領域へと踏み込む。

 

 敵のビームの檻を超え、その向こう側に佇む死の根源そのものの《ラクリモサステイン》へと、斜に太刀筋を浴びせようとしたが、それは軽く防がれてしまう。

 

 ミラーヘッドビットが動きを阻害し、段階加速を経て《ダーレッドガンダム》の装甲の至近距離で爆ぜる。

 

「……貴様……は……」

 

『これは落胆、と言うのだろうか。自分は少しばかり、貴様を過大評価していたようだ。何よりも、ここまでまともに自分の操る《ラクリモサステイン》に太刀筋さえも浴びせられていない事実。弱い敵に、真っ当な戦いの評価は必要ない』

 

 直上からミラーヘッドビットがビームを放つ。機体をきりもみさせて回避させたそれを予見し、背面を塞がれていた。

 

 通常ならば王手のところを、ミラーヘッドビットが蒼い残像を帯びて衝突して簡単な結末を辿らせない。

 

 撃墜されてもおかしくはない局面が何度もあった。

 

 しかし、《ラクリモサステイン》は致命的な一撃を先ほどから避けている風でもある。

 

 まるで――自分を試しているかのような。

 

「……俺を嘗めるな……。戦いにおいて、情けをかけられるほど……弱くなった覚えはない……!」

 

『それは逃げ口上と言うのだ、エージェント、クラード。自分と相対したのならば、殺し切るつもりで来い。そうでなければ、ここで死ぬ度胸もなしに、《ラクリモサステイン》に立ち向かうだけの羽虫を相手取る意味もなし』

 

「言わせておけば……! 行くぞ!」

 

《ダーレッドガンダム》の鉤爪がミラーヘッドビットを捉えようとして、瞬間的に敵の操るビットの位相が変わっていた。

 

 ミラーヘッドの加速を帯び、《ラクリモサステイン》を中心軸にして回転を始める。

 

『同じ攻撃が何度も来ると思うな。戦場は常に生き物のようなものだ』

 

《ラクリモサステイン》の肩にマウントされた高出力ビーム砲の基部と連結し、直後には艦砲射撃レベルの砲火が二発、放たれていた。

 

 これまでのリズムを崩すジオの戦い振りに、クラードは何度も呼吸を整え直す。

 

 万華鏡との戦闘で、一度でもリズムを立て直すラグがあれば、それだけで死の呼吸となっていく。

 

 その証左のように、前面を塞ぐ形で現れたミラーヘッドビットへと、瞬時の判断で鉤爪を払うも、動きが阻害されていた。

 

「……《ファーストヴィーナス》の権能……!」

 

 ミラーヘッドビットより樹木のように枝分かれした黄金の帯が鉤爪を捕らえ、固定する。

 

 ほんの一拍にも満たない硬直であったが、万華鏡相手ならばそれは致命的となるであろう。

 

『ここで終焉か。思ったよりも呆気ない』

 

 反射された黄金の帯が装甲面に突き刺さり、《ダーレッドガンダム》を引き剥がした途端、《ラクリモサステイン》が放つビーム放射が《ダーレッドガンダム》に直撃する。

 

 少しずつ遊離していく感覚に、クラードはぜいぜいと呼吸を荒立たせていた。

 

 ――終わる、死ぬ、否――潰える。

 

 ここで死ぬよりも恐怖であるのは、何も成さぬまま、この戦いに喰われていくという事だ。

 

 誰にも勝利出来ず、誰のための戦いでもない。

 

 自分は、三年前と同じか、それよりも愚かな戦局を抱いて、溺死する。

 

 そんな終末があっていいのか。

 

 そんな終焉に帰結していいのか。

 

「……違う……!」

 

 クラードは己の中から湧き出る叛逆の魂を感じ取る。

 

 まだ――魂の色は、消えていない。

 

 この世界に叛逆すると誓った眼差しと、想いは簡単に消えてしまうものか。

 

 奥歯を噛み締め、ジオの操るミラーヘッドビットが全方位を満たすのをクラードは感覚し、《ダーレッドガンダム》を急上昇させる。

 

 加速からの虚脱したような重圧を感じつつ、直下に位置する自律兵装を見据え、《ダーレッドガンダム》の高重力磁場拡散で叩きのめそうとする。

 

「……獲った……ッ!」

 

『そろそろ言うべきか。真面目にやれ、とでも』

 

 その予感は全て外れ、ミラーヘッドビットは加速すると共に磁石のようにぴったりと稼働する。

 

《ダーレッドガンダム》の死角に回り込んだ相手に対し、振り返るよりも先に引き絞られたビーム光が弾け、光芒が何度も打ちのめす。

 

 爆発の光輪が押し広がる中で、クラードは激しくかっ血していた。

 

 その血の色が蒼く染まっている事に、今さら感じ入る。

 

「……ああ、もう俺は……とっくの昔に……終わっていたのか……?」

 

『自分との戦いだ。エージェント、クラード。下手な勘繰りや、あるいは慕情で勝利出来るとでも思っているのか。何に迷っている、何に惑っている』

 

 そうだ、殺すべきと規定した相手は、ただ一人。

 

 それ以外でも以下でもない。

 

 ここでジオを倒さなければ、王族親衛隊による蹂躙が是となり、オフィーリアの者達は全滅する。

 

 先ほど聖獣が姿を見せたからと言って情勢は変わらない。

 

 劣勢に次ぐ劣勢。

 

 そして、自分は勝てない相手に牙を突き立てるような人間だったか。

 

 ――否、断じて否のはず。

 

「……俺は……勝たなければいけない。誓ったんだ」

 

『誓った、か。誰にだ』

 

「……カトリナ・シンジョウに。いや、そうでもないな……」

 

 脳裏を掠めたカトリナの笑顔。

 

 膨れっ面。

 

 しかめっ面。

 

 まるで百面相だ。

 

 三年前に掠めた感傷と同じなのに、今は別の感情が胸の中にある。

 

 この明言出来ない感情の行方は――。

 

「……ああ、そういう事か。まったく面倒だな、生きるってのは、さ……」

 

『分かった風な事を言う。自分に勝てる算段でもついたか』

 

「そうだな……。光明も、活路も、まるで針の穴みたいなものだ。だが……俺は……俺は誓い一つに……」

 

『悪いが、時間切れだ。エージェント、クラード。答えは遠かったようだな』

 

 真正面に三つのミラーヘッドビット。

 

 うち中央の一基からビームが迸り、もう二つが螺旋の機動を描いてコックピットを擁する頭蓋へと叩き込まれる。

 

 途端、クラードの意識は光に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あの……クラードさん……』

 

「何だ。これからIMF02を打倒する。余計な言葉は必要ないだろう」

 

『それも……なんですけれど、私、誓いを……果たしてもらえるのかなって……』

 

 整備中の《ダーレッドガンダム》の真正面に佇み、何やら落ち着かない様子のカトリナへと、クラードは声を放っていた。

 

「……あのさ、わざわざない時間を割いてここまで来て、それで確認事項でもない言葉繰りってのは馬鹿って言う」

 

『うぅ……言われちゃってるなぁ……。で、でもですよ! クラードさん、その……足りないもの、あるんじゃないかなって……』

 

「今の俺に不足しているのは確かに魔獣への対策だろうな。ミラーフィーネに対し、《ダーレッドガンダム》は僅かだが優位を取れるとは言え、時間制限もある。前回のような撤退戦になれば、それこそ醜態だろう」

 

『違ってぇ……クラードさん、その……』

 

「何だ、カトリナ・シンジョウ。まだ言うべき事でもあるのか? 作戦概要は頭に入っている」

 

『いえ、その……私の事、まだフルネームで、呼ぶん、ですね……』

 

「委任担当官に対しての適切な距離だと判断している。別に問題はないだろ」

 

『おっ……大有りですよ……っ! だってクラードさん、あなたにはその……名前があるはずでしょう?』

 

「……エージェント、クラードが俺の名前だ」

 

『そうじゃなくって! ……普通の人には、ファミリーネームがあるんです。ヴィルヘルム先生だって、本名があったみたいに』

 

「……言いたい事があるのならもっと直截的に言え。何も伝わってこない」

 

『……じゃあ。クラードさんの本当の名前、私にその……預けてくれませんか? クラードさんだってエージェントになる前の名前があったはずなんですよね?』

 

「……名前……」

 

 パイロットスーツの下にあるドッグタグを意識する。

 

 それと共に、同じように首から下げているネックレスにも。

 

 カトリナは、気付いた様子もない。

 

 三年前に彼女の血の色に染まった、この世界にたった一つだけの証にも。

 

「……俺の名前はもう戦場に捨て去った。今さら縋り付くものでもない」

 

『じゃあその……っ! 私の名前、あげますっ! シンジョウって名前! どうですか? クラード・シンジョウ! これってピッタリなんじゃ……!』

 

「……あんた、その意味、分かって言ってるのか? 世の中じゃ、そうやって籍をもらうってのは……」

 

 そこまで口にしてカトリナの頬が紅潮しているのを目の当たりにする。

 

 別に伊達や酔狂で言っているわけではないのだ。

 

 しかし、これから戦地に赴くに当たって、それは枷となる。

 

 自分は、枷は少ないほうがいいと考えている。それはエージェントとしての生き方なのだから。

 

 だから、突っぱねればいい。

 

 ――そんなものは必要ない、と。

 

 しかし口から出たのは、別の言葉であった。

 

「……俺に、記号以外の名前は相応しくない。クラードと言うのは戦うための名前だ。それに、あんたのような人間のファミリーネームなんて……」

 

 どうして、ここまで弱く成り下がってしまったのだろう。

 

 拒絶出来れば。

 

 跳ね飛ばせれば。

 

 恐れも、畏怖も、羨望も、情景も――この胸に湧いた僅かな――希望も。

 

『……きっとでも、クラードさんは戦いが終われば、真っ当に生きられますよ。だって、《ヴォルカヌス》のパイロットとの戦いに……ヒトでありたいって願えたんですから』

 

「……あんた、本当に変わっているな。あんな戦場、早く忘れたほうがいい。俺も……何であんな事を言ったのか、分からないんだ」

 

 自分は戦う事にしか意義を見出せない人でなし。

 

 そうであったはずだ、これまでもこれからも。

 

 だと言うのに、ヒトであろうと思った事なんてなかったはずなのに。

 

 ――これは弱さだ。

 

 ヒトでありたいと願い、ヒトらしく死にたいとまで考えてしまうのなんて。

 

 呪いかもしれない。

 

 一生消えない呪い。

 

 一生消えない宿命。

 

 そして――こうも戦場の淵に立っているのに、消える様子もない、灯り。

 

「どうしてなんだろうな。……その事を思い出すと、胸の奥が……痛むんだ。ヒトでありたいと願ったのは、間違いだったのだろうか」

 

『それは違います。違いますよ、クラードさんは。だって、そうありたいと願うからこそ、ヒトは苦しめるんです。だから、クラードさんは間違いなく……心ある、人間なんですよ』

 

 そう言って柔らかく微笑むカトリナの相貌に、クラードは呆けたように口にする。

 

「……あんたの笑い顔、何だか見飽きたような気がしていたが……そうか、そんな風に……笑うんだな」

 

 ならば自分もそんな風に笑えるような日が来るのだろうか。

 

 そんな――何も明日への恐れがないかのような笑顔で、誰かに託し切ったように。

 

「……カトリナ・シンジョウ。定位置に戻れ。前みたいに割って入ったら、今度こそ命がない。俺には委任担当官を守る義務がある。エージェントとして、それと……」

 

「シンジョウ」の名をもらえるのならば。

 

 その在り処が消えてしまっては本末転倒だろう――と、そこまでは言わない。

 

 きっと、言わなくとも伝わったのだろう。

 

 平時ならばそのような繋がりは信じていない自分でも、今だけは。

 

 ――未来を、信じてもいいのだろう。

 

 



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第271話「愛すべき者達のために」

 

 任せようとしていた死の指先を、払い除ける。

 

 任せようとしていた死の囁きを、振り解く。

 

《ダーレッドガンダム》の鉤爪が重力と時間を無視して振るわれ、ミラーヘッドビットを消し飛ばしていた。

 

『どうした、エージェント、クラード。今しがた貴様は、死にに行く面持ちであった』

 

「……ああ、そうだな。だが……やめておく。お前に葬送曲を奏でられるのには……まだこの世に未練があったみたいだからな」

 

 それに、と言葉の穂を継ぐ。

 

「……誓ったんだ。この戦いさえ終われば……人でなしの宿縁さえ払えれば……もう一度、ヒトに戻っていいのだと。怪物を殺すのは……同じ怪物じゃない。ヒトでしかない、ただの……人間でしか」

 

 どくん、と脈打つ。

 

 ――分かっている、これはもう戻れない呪縛の一つ。

 

 それでも、自分は。

 

「……明日を駆ける……駆け抜けていきたい……! お前を超える、その先の明日へ……! 俺の中で譲れないものがあるとすれば、それはお前を倒した先だ……! ジオ・クランスコール……!」

 

『理解出来ないな』

 

 全方位から放たれた殺意の網に、クラードは静かに唇で紡ぐ。

 

「……思考加速、エグゾーストネットワーク……」

 

 直後、全ての現象が後れを取る。

 

 その只中で、漆黒の重力圧を身に纏った《ダーレッドガンダム》がビーム銃撃網を潜り抜けていた。

 

 ジオでさえ、関知していない時の流れで、クラードは鉤爪を振るわせる。

 

 ミラーヘッドビットをいくつか叩き割ったところで、時は正常な時間を刻み始めていた。

 

『今のは、まさか』

 

 分からない、自分でも何を手繰ったのか。

 

 しかし、事ここにおいてジオと《ラクリモサステイン》を破る術である事だけは明瞭であった。

 

『そうか、貴様も使えるか。ならば加減は、すべきではないな』

 

「……来い、ジオ・クランスコール。俺は……まだ、死にたくない」

 

『エージェント、クラード。それは本音と、見るべきか。戦士としては失格もいいところだぞ。死にたくないなど』

 

「……ああ、俺もそう思う。だが、今の俺は死にたくない理由がある。なら、ここで終わるべきなのは、お前のほうだ」

 

 死なないでも、死ねないでもなく――「死にたくない」。

 

 ジオが弱くなったと判定した理由もこれならば頷ける。

 

 エージェントとして、自分は随分と弱くなった事だろう。

 

 だが人としてならば。

 

 人間としてならば、これが真っ当なのだ。

 

 ならば、自分はせめて一端の人間でありたい。

 

 真似事でもいい、人間であろうとするのならば。

 

『己の弱さを露呈し、その上で活路を見出すか。それはしかし、蛮勇と何が違う。《ファーストヴィーナス》の権能を使う』

 

《ラクリモサステイン》が刺々しく黄金の鎧を身に纏い、それらを一斉掃射する。

 

《ダーレッドガンダム》で回避しながら、クラードは考えを巡らせていた。

 

 ――思えば、失ってばかりの戦場だ。

 

 しかし、失うだけではないものもこの世にはあった。

 

 奪い取るため、奪い返すための戦場も。

 

 奪還のために自身を鼓舞する事に、何の疑いもなかった。

 

 思案する前に相手へと牙を突き立てろ。その爪を研ぎ澄まし、敵を引き裂けと。

 

 だが、力を手に入れて、その向こう側に佇む脅威を目の当たりにした時、腰が引けたのは何も弱さではない。

 

 強さと弱さが紙一重だと言うのならば――自分は弱くともただ前へ。

 

《ラクリモサステイン》が《ダーレッドガンダム》へと掃射の果てに、黄金の帯で防御撃皮膜を形成する。

 

 クラードはコックピットの中で吼え立て、《ダーレッドガンダム》の鉤爪に掌底を構えさせる。

 

 形成された無数の壁を突き崩し、自分の障害となる全てを破壊していく。

 

 解き放たれた黒白の砲弾が黄金の帯を叩きのめし、上下より噛み砕く勢いで引き絞られたミラーヘッドビットの光芒を突き抜け、さらに前へ。

 

『至近まで迫るか。ならば、迎え撃とう』

 

 X字のバインダーに今の今まで隠されていた六本の支持アームを現出させ、《ラクリモサステイン》が火力弾幕を張る。

 

《ダーレッドガンダム》の装甲が爆ぜる。

 

 砕ける。

 

 機体が重火力に押し潰され、命の一滴になるまで絞り尽くされていく。

 

 警戒色に染まるコックピットの中で、クラードは咄嗟に、ライドマトリクサーの接続口を外していた。

 

『警告。RM接続口の無効化を確認。即座に再認証を乞う』

 

「……見ているんだろう、レヴォルの意志……」

 

『“賢しい選択とは言えない”』

 

「それでも……! 俺の戦いを最後まで見ていろ。お前を俺は乗りこなす。《ダーレッドガンダム》、全権限を専任RMのマニュアルに移譲しろ」

 

『“《ラクリモサステイン》の高精度オールレンジ攻撃をマニュアルで回避する気か? 死ぬぞ”』

 

「……マシーンに頼りっ放しでは奴には一生勝てない。最後の最後で手綱を寄越せ、《ダーレッドガンダム》。奴を超えるのには、確率論を凌駕したものが必要だ」

 

『“……いいだろう。全権限を専任RMのマニュアル操作に、切り替える。言っておくが、世界が切り替わるのに等しい。落差で死ぬと言う、最も愚かしい真似だけは描いてくれるな”』

 

 直後、世界が切り替わっていた。

 

 全接続系が排除され、クラードは唐突に身一つで《ダーレッドガンダム》のコックピットへと「取り残される」。

 

 ――これがライドマトリクサーの肉体一つになるという事。

 

 識別信号も、脳内にマッピングされていた情報網も全て消え失せた。

 

 だがそれでも明瞭なのは――己の中に持ち得る戦意だけ。

 

 胸に宿った闘争心の炎が燃え盛り、クラードは音のない宇宙で確かに、その音階を聞いていた。

 

「……これが、《ラクリモサステイン》の奏でる葬送曲か」

 

 まずは《ダーレッドガンダム》の機動を切り替え、現れた操縦桿を握り締める。

 

 久しく忘れていた、己の手でMSを稼働させる感覚。

 

 しかし自分には在りし日の凱空龍の経験則がある。

 

 敵の全方位射撃に対し、急加速して潜り抜け、レイコンマの世界で上下左右を挟み込もうとした敵の殺意の網を抜ける。

 

 振りかぶった先には、ただの命一つ。

 

《ラクリモサステイン》の中で、自分を試すジオの魂の色が、今ほど確かに映った事もない。

 

 クラードは思いっ切り、右腕を振るい上げさせる。

 

 鉤爪が引き裂く機動を描こうとして、ミラーヘッドビットの銃撃網が交差して内部より砕き果てる。

 

「……まだだ!」

 

 右腕マニピュレーターを排除し、クラードは自身と一体化した脈動の中で、操縦桿を押し上げる。

 

《ラクリモサステイン》の支持アームが勢いを伴わせて延びるのと、《ダーレッドガンダム》の拳がその頭蓋を打ち据えたのは、ほとんど同時。

 

 暗礁の宇宙で、交差した拳が互いの頭蓋を打ち砕く。

 

『なるほど、自分に最後に届くのは、ビームでも奇をてらった攻撃でもなく、物理的な拳であったか』

 

「ジオ・クランスコール……!」

 

 ゼロ距離で支持アーム先端に組み込まれていた銃口が煌めくのを、いちいち意識に留めている時間さえも惜しい。

 

 クラードはさらに返す刀の勢いでもう片方の拳を固め、《ラクリモサステイン》を激震させる。

 

 ぶれた照準が《ダーレッドガンダム》の頭部のすぐ傍を掠め、その火力がブレードアンテナの片面を焼き尽くしていた。

 

 至近距離で浴びせ蹴りを見舞い、《ラクリモサステイン》の支持アームが照準の頼みを失ったように彷徨う。

 

 そのまま機体を引き寄せ、クラードは思いっ切り頭部を引いてから、相手の頭蓋へとコックピットブロックたる頭部を衝突させていた。

 

 激震するコックピット。

 

 だが、ライドマトリクサーの術をことごとく断ち切っている自分には、機体ダメージのフィードバックは訪れない。

 

 しかし、ジオは違うはずだ。

 

《ラクリモサステイン》が標的を見失ったように中天を仰いだところで、クラードは敵機へと膝蹴りを叩き込み、よろめいた肩口へと手刀を打つ。

 

 まるでもみくちゃだ。

 

 それでも、己の魂一つを賭けて、クラードは立ち向かっていた。

 

 最早、体裁も何もない。

 

 蒼い伝導液を迸らせ、二機はもつれ合うようにして宇宙の闇を漂っていた。

 

『エージェント、クラード。このような戦い、誰が望んでいた。貴様らしくもない、暴力だけの発露など』

 

「……いけないか? 俺は元々、宇宙暴走族、凱空龍の、切り込み隊長だ」

 

『それは容易い答えだと言うのか』

 

「少なくとも……パンを八枚に切るよりかは、充分に簡単だ」

 

 拳が装甲へとめり込み、破片が散る。

 

 武装のほとんどを失った形の《ダーレッドガンダム》へと、《ラクリモサステイン》は支持アームで抱え込んでいた。

 

『この距離ならば外す道理もない』

 

 六本の支持アームの銃口にビームが充填される。

 

 狙っているのは《ダーレッドガンダム》のアステロイドジェネレーターだろう。

 

 クラードは機体の両腕を組み、ゼロ距離の死地において、打ち下ろす。

 

 まさに喧嘩殺法としか言いようのない戦い。

 

 頭蓋を叩きのめされたラクリモサテインの真正面から、掌底を叩き込ませる。

 

「――砕けろ」

 

 それは段階加速をミリ単位で実行させた一撃。

 

 掌底がぶつかるのと同時に、右腕だけでミラーヘッドを帯びさせ段階加速はまるで砲弾の如く《ラクリモサステイン》の頭部を叩き割る。

 

 遂に砕けた頭蓋の内側で、球体状のコックピットブロックが露出する。

 

 照準の精度を失ったビームの砲火が明後日の方向を射抜いていく。

 

 クラードは相貌を焼かれた《ダーレッドガンダム》のコックピットブロックから、《ラクリモサステイン》よりこちらを覗くジオと向かい合っていた。

 

「……決着だ、ジオ・クランスコール……」

 

『まだ戦うと言うのか。貴様は、もうエージェントではないな。生き意地汚く生にしがみつく、ただの人間だ』

 

「……それでいけない事はないだろう。俺は……どうせ、人間だ」

 

『そうだと誓うのならば、征け』

 

《ラクリモサステイン》が機体を引き剥がす。

 

 この期に乗じてミラーヘッドビットを引き戻されれば自分の敗北だ。

 

 だが、自然と後悔はない。

 

 やれる事はすべてやったと言う清々しさだけが胸の中に去来する。

 

《ラクリモサステイン》はミラーヘッドビットを駆動させたが、自分を狙おうとはしなかった。

 

「……どういうつもりだ」

 

『これが答えだ。エージェント、クラード。自分はここでようやく託せる。自分を殺せるだけの人間を見届ける事こそが、本懐であった』

 

「何を……何を言っている……? お前は、俺を撃墜するんじゃ……」

 

『それを分かっていると言うのならば、戦え。この世の果てになったとしても、戦い続けろ。自分一人のためでもない、誰かのためと言う高尚さでもない。お前は、お前の信じる、愛すべき者達のために、戦え』

 

「……愛すべき、者達……」

 

 アルベルトやカトリナ、それにピアーナやレミアの姿かたちが、明瞭に像を伴わせて脳裏を過っていく。

 

 愛すべき者達のために戦えなど、言うような人間ではなかったはずだ。

 

「……どこへ行く? ジオ・クランスコール」

 

『終わらせて来よう。宿縁と言うものを』

 

 反転した《ラクリモサステイン》は最後の最後に、オープン回線を開いていた。

 

『ファム、聞いているか。すまなかった。自分は、いい兄ではなかったらしい』

 

 その懺悔に返答が欲しかったわけでもないのだろう。

 

《ラクリモサステイン》は中破した機体を、トライアウトブレーメンの艦艇に向けて加速させていた。

 

「……待て、待つんだ、ジオ・クランスコール……。戦えと……! お前が言うのならば、俺との決着をつけてから……それからで……」

 

『あまり縋るものでもない。エージェント、クラード。三年前に取り損なった命の行方は、お前のものだ。自分でしか決められない命の行方を、失うものではない』

 

「……自分でしか決められない……命の行方……」

 

 赤い機体は推進剤を焚いて、トライアウトブレーメンの艦隊に向けて、飛び立つ。

 

 最早、呼び止めるだけの言葉もない。

 

 彼の岸へと旅立った者を、呼び戻すような言葉は、存在しない。

 

 ただ――その中でオープン回線を叩いた、小さな声を聞いていた。

 

「……泣いているのか。ファム……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何度も咽び泣く声を、ジオは聞いていた。

 

 オープン回線で、この世の極致にあるような戦場では場違いな、言葉一つが結ばれる。

 

『……いってらっしゃい……にいさま……』

 

「ああ、行ってくる。ファム」

 

 分かり合えた邂逅ではなかったのだろう。

 

 そして分かった風に成るべきでもなかったのだろう。

 

 それは理解出来ていても、ジオは仮面の下でフッと微笑んでいた。

 

「分からぬものだ。自分のような人でなしでも、残せるものがあったとは」

 

『大佐……。どこへ行こうと言うんです』

 

 腹心の部下が《ラクリモサステイン》と肩を並べる。

 

 しかし、乗機である《パラティヌス》はほとんど大破同然だ。

 

 片腕を失っている状態の《パラティヌス》を嚆矢として、自分の背後には無数の機体が続いていた。

 

 誰も彼も王族親衛隊で自分の下につくと決めた一騎当千の猛者達だ。

 

「さぁ、どこへ行こうか。自分でも決めかねているのだ。笑うか」

 

『……大佐の身勝手は今に始まった話でもないでしょう? ……よろしいんですか。妹君を、遺して行かれるのは』

 

「構わない。もう託すべき人間を見出せた」

 

 クラードの《ダーレッドガンダム》は戦闘能力のほとんどを失った状態で虚脱したように宇宙を漂っていた。

 

『それは何より。……さて、どうしますか。トライアウトブレーメン。ただの道楽部門でないのは魔獣を駆り出して来た事からも明白ですが』

 

「一隻でも轟沈させる。それが遺すに足ると感じた者達への手向けだ」

 

『……了解。王族親衛隊……敵艦を迎撃する。皆の者、大佐に続け。御旗は万華鏡、ジオ・クランスコールである』

 

 トライアウトブレーメンのベアトリーチェ級より艦砲砲撃が見舞われる。

 

《パラティヌス》が宙域を舞い、対聖獣弾頭を放っていた。

 

 赤い砲撃に艦艇が砕けるが、返答のMS部隊による銃撃の連鎖によって《パラティヌス》は容易く散っていく。

 

『……お先に失礼します。大佐……共に戦えて……光栄……』

 

 次々と、自慢の部下達がこの宙域で砕け散っていく。

 

 声が、肉体が、魂が、霧散していく。

 

《ラクリモサステイン》を急加速させると、既に危険域だと言う信号が発せられ、警戒色に塗り固められていく。

 

 ジオはその加速度の中で、《ヴォルカヌスカルラ》と識別照合された機体に半身を叩きのめされた《フォースベガ》が《ネクストデネブ》と共に後退していくのを目の当たりにしていた。

 

「行く者達、か。進め、最後の一滴になってでも、自分は押し通る」

 

 ミラーヘッドビットが電荷され、蒼い残像を引いてトライアウトブレーメンの艦を打ちのめし、出撃していたMS部隊を叩き落とす。

 

 だが、如何に《ラクリモサステイン》が優れていても、ただの一機のMSには違いない。

 

 ミラーヘッドの両翼を広げた《アイギス》相当の機体が全方位より照準する現実からは逃れられそうになかった。

 

 銃弾が赤い装甲を引き剥がし、そのX字のバインダーが砕け落ちていく。

 

 途端、警告信号と共に直通通信が入電されていた。

 

『ジオ・クランスコール。ここで死ぬ事は許さぬ』

 

「死に際くらい、自由にさせていただきたい」

 

『ならぬ。貴様は最後の最後まで役割があった』

 

『そして何故……先の戦いで思考加速を使わなかった? あれを使っていれば勝てた戦場であろう』

 

「戦場では、ない。あれは勝負であった」

 

『理解出来ないな。これまで計算の枠外でしか動かなかった貴様が、ここに来て離反するような真似に出るとは』

 

「あなた方には分かるまい。魂の色を交わした者との邂逅、それこそが自分の、命題であった。たとえ紛い物であっても、命の色彩だけは、他者に誇れる唯一の」

 

『思考加速を使えば死ぬ事が恐ろしくなったのか? エグゾーストネットワークでいくらでも貴様は勝てるように設計した。我々の尖兵として』

 

「どうであろう、な。自分でも、最後の最後には、命が惜しかったのかもしれない。いいや、違うか。命は、この世に放たれた時点で、自由だ。それを今さらに分かっただけの――ただの愚か者であった、という、遅いだけの代物に過ぎない」

 

『ジオ・クランスコール。ここでの死は与えない』

 

『左様。エグゾーストネットワークを使って生き延びろ。これは命令だ』

 

「思考拡張で自分に命じる事は出来ない。自分もまた、あなた方と同じく、ダーレットチルドレンの末席を汚す者としては」

 

「約定」の思考拡張を跳ね除け、ジオは真っ直ぐに戦域を見据えていた。

 

 そこいらで火線が舞い上がり、火の手が上がって蒼い残像と焔に抱かれていく。

 

 宇宙の常闇を満たす不出来なサーカスの戦火に、ジオはふと、口にしていた。

 

「……こんなにも、世界は美しかったのか……。ファム、お前はこれを見ていたのだな……。最後の最後まで、不格好な兄であった事を、許して欲しい……」

 

 艦砲射撃が《ラクリモサステイン》のミラーヘッドビットを粉砕する。

 

 複製した自我が分散し、加速度を失いかけた自分へと斬りかかってきた《アイギス》に死の影が差したのを予感するも、割って入ったのは腹心の部下の《パラティヌス》であった。

 

『……大佐を、死なせはしない……。大佐、あなたの下で働けた事、身に余る武勲でした。どうか、よい人生を、歩んでください』

 

 ビームサーベルを引き抜いた《パラティヌス》と《アイギス》が交錯し、直後には互いを斬りつけて収縮爆発が連鎖する。

 

 ――ああ、こんなにも、命が輝く。

 

 ジオは正面に捉えたトライアウトブレーメンの艦艇に向けて、ミラーヘッドビットを伴わせて前進する。

 

 艦砲砲撃が掠め、コックピットに亀裂が入っていた。

 

 それでも――愚直に前へ。

 

 ベアトリーチェ級の艦橋が眼前に迫った瞬間、ジオはフッと口元に笑みを刻む。

 

「死に行けるのは……しかし、少し寂しいな。そうか、これが……。クラード、戦い抜いて行け。この激動の時代を、終わらせるために。お前は……ひとりではないのだから」

 

《ラクリモサステイン》の躯体が艦橋へと突き刺さる。

 

 直後、爆発した光輪は何も特別なものではなかった。

 

 ただの命一つとして、艦を巻き添えにして宇宙を疾走する激情は、終焉の時を迎えていた。

 

 



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第272話「激震の巨神獣」

 

 半身を焼き爛れさせたまま、ただ闇の中を漂っていた。

 

 世界が動乱へと転がっていく中で、接触した体温だけを感じる。

 

「……ヴィヴィー・スゥ……君は……」

 

『ザライアン・リーブス。このままでは、貴様は死ぬ』

 

 ああ、そうか、といやに明瞭な思考回路で理解する。

 

「やっぱり……僕は死ぬのか」

 

『MFと命を同期している我々は、そのダメージが深刻ならば如何にパイロットとは言え死は免れない。ここで終点だ』

 

「……だろうな。僕は、でもいい。それでいいんだ。もう……随分と疲れた」

 

『……私も同じだ』

 

 出し抜けに放たれたヴィヴィーの言葉に、薄い自我の上で、ザライアンは応じる。

 

「……君も死にたくなかったのか?」

 

『……全てを恨み、憎み、憤怒の先に置いて行ければ、どれほどよかっただろう。私は《ネクストデネブ》が攻略されていない事だけが、安心出来る材料だった。だが、それももう、どうだっていい。私にはこれ以上戦い抜ける力なんてない。……思ったよりも脆かったのはお互い様だという事だ』

 

 違いない、とザライアンは笑う。

 

 笑いながら、ああ、死んで行くのだな、と冷たくなった四肢を抱え込む。

 

「……旅立った時点で、僕は故郷のために死んでもよかったのに。……死は怖いな」

 

『ならば……貴様には生きていく義務がある』

 

 力を籠らせたヴィヴィーの論調に、ザライアンは片腕を掲げる。

 

「でももう……、死に絶える時だ」

 

『MFのダメージがそのまま深刻な傷となるのならば、逆も然りだ。聖獣の心臓を、……《ネクストデネブ》と私を喰らえ、ザライアン・リーブス。そうすれば、貴様は生き残れる』

 

 何を、と呼吸音と大差ない声が漏れる。

 

「……何を……言っているんだ、ヴィヴィー。だってそんな事をすれば……君が……」

 

『死に行くのは怖い。だが、私はここまでで打ち止めだ。故郷と言うものがあったとすれば、貴様のように勇猛果敢に戦えたのだろうか? 何も分からない。私の世界には、そんなものはなかったから』

 

「ヴィヴィー・スゥ……君はでも……ようやく《ネクストデネブ》を取り戻せたのに……」

 

『奪還の旅であった。貴様とマーガレット・マジョルカとの旅路。……禁じられていた“クラード”同士の旅は……言いたくはないが、悪いものでもなかった。今は、そう思える……』

 

「……ヴィヴィー……」

 

『時間がない。《ガンダムレヴォルフォースベガ》! ヴィヴィー・スゥの名の下に命じる! この躯体を――同じ《ガンダムレヴォル》ならば、出来るだろう! 喰らって生き永らえろ!』

 

 その瞬間、《フォースベガ》が満身より吼え立てる。

 

「……《フォースベガ》……?」

 

《フォースベガ》の頭部マスクが砕け、現出したのは牙であった。

 

 その牙が《ネクストデネブ》の腹腔より取り出された大虚ろへと喰らいつく。

 

 ダレトだ、と認識したその時には、ザライアンの意識は漂白されていた。

 

 白の世界に投げ出されたザライアンは、瞼を開くと同時に世界を覆う黒い地平を認識していた。

 

 惑星ではない。

 

 黒い地平線が上下左右に広がる中で、カプセルが等間隔に並んでいる。

 

 そのカプセルの中で、金髪をなびかせる影は、どれも同じ――。

 

「……ヴィヴィー・スゥ……いいや、“クラード”……」

 

 世界を救うべく、生み出された存在。

 

 カプセルが排出され、直後には砲弾めいた機動兵器に乗り込ませられて、ヴィヴィーの似姿は宇宙の彼方へと消えて行く。

 

 世界を知らず、自分の存在理由さえも定かではない。

 

 そんな彼女はただ、憤怒するしかなかったのだろう。

 

 同じように生み出された「自己」と違うものがあったとすれば、彼女には世界を恨み、全ての境遇を破壊するだけの衝動があった。

 

 だから、ただの偶然の産物として、最後の機動兵器の乗り手に選ばれたのは、彼女ではない可能性もあった。

 

 別のクラードが乗り込んでいたかもしれない、異形の生態兵器へと乗り込み、姉妹達が突き進んでいった宇宙の深層へと、彼女は旅立っていた。

 

《ネクストデネブ》は、戦うためだけの彼女にとって唯一の朋友と言えるもの。

 

 暗いばかりの宇宙を、黎明の力でこじ開ける力だったのであろう。

 

 彼女の想いが、ヴィヴィー・スゥの魂が滲み込んでくる。

 

 ザライアンはそこで、現実の喉を震わせていた。

 

「……僕にみんな……託していく。そんな価値なんて……ないかもしれないのに」

 

 持ち直した機体へと、回線が開く。

 

『何だァ? 死に損ないが、自力で持ち直したやがった? おいおい、これだから聖獣ってのは始末に負えないんだよ。オカルト巻き起こしやがって、そこで大人しく死んどけよォ! ガキィ!』

 

《ヴォルカヌスカルラ》が再び巨大な刃を打ち下ろす。

 

 その一撃を同期した意識の中で、ザライアンはすっと掲げた腕で留めていた。

 

『粉砕されねぇ? 何だってんだ、てめぇは……ッ!』

 

「僕か? 僕は宇宙飛行士、木星船団の師団長。……いいや、違うな。僕は、世界を救うために遣わされた、次元の超越者、機動戦士……ガンダム」

 

 ぐぐっ、と刃を引っ掴んだ腕に感覚が取り戻され、直後には相手のビーム構築粒子束を粉砕していた。

 

 何物でもない、ただのマニピュレーターの出力が、艦艇六隻分のエネルギーゲインを凌駕する。

 

『ふざけ……やがって! 無理ゲー掴まされちゃァ、堪ったもんじゃねぇよなァ! 行けよ、ミラーヘッドジェム!』

 

 四方八方より迫る円盤型の自律兵装の網を、ザライアンは新たに構築し直されたコックピットで認証する。

 

 相手の速度は、先刻に比べればあまりに――遅い。

 

 瞼を開き、世界の声を聞いたザライアンは両腕に刻み込まれたモールド痕を明滅させる。

 

 血の赤がコックピットの中で瞬き、それは新生した機体の脈動と呼応していた。

 

「……機動戦士、ガンダムレヴォル……《フォースベガ》。いいや、もうただの《フォースベガ》じゃない。――《フォースベガネクサス》、ザライアン・リーブスの名の下に。敵を――撃滅しろ!」

 

 この世界に生まれ直した愛機――《フォースベガネクサス》がマスクに亀裂を生じさせて咆哮し、全身から生命の息吹を漲らせる。

 

 四肢がより鋭敏に進化した《フォースベガネクサス》は機体を開いていた。

 

「行け! Iフィールドバリア!」

 

 展開された《ネクストデネブ》と同型の砲門は全部で四つ。

 

 それぞれが高出力のIフィールドバリアを構築し、ミラーヘッドジェムの勢いを完全に阻む。

 

『クソがァッ! 今さらパワーアップなんざ、小賢しいんだよ!』

 

「全てを断ち切る。行くぞ」

 

 片腕を翳す。

 

 すり鉢状に開いた四枚の刃に、さらに連なるように三枚の刃が交差し、削岩機の威容を伴わせて《ヴォルカヌスカルラ》を狙う。

 

 瞬間、重力磁場を拡散させ、黎明の輝きを帯びた断絶の太刀筋が《ヴォルカヌスカルラ》の半身を叩き割っていた。

 

 以前までのパワーゲインの五倍以上にまで拡張した重力の太刀が、堅牢な魔獣の装甲を突き崩す。

 

《ヴォルカヌスカルラ》の両断された箇所から迸った伝導液が宇宙を濡らす中で、叫びが残響していた。

 

『こんなもんで……! IMFが墜ちたんじゃ、形無しってもんだろうが!』

 

「そちらがどれほどの戦力で来ようとも、僕は負けない。今の僕らに勝てると思っているのならば、だが」

 

《ヴォルカヌスカルラ》はこちらの挑発に乗るか、と感じていたが、直後にミラーヘッドジェムが格納された事で相手の意識も醒めている事が明らかになった。

 

『……白ける事を言いやがるぜ。こっちも万全とは程遠くなったんでな。一度退いてやる。だが、一匹でも聖獣が墜ちたってのはそっちからしれみりゃ、痛手のはずだ』

 

 言われるまでもない。

 

 残存したトライアウトブレーメンの艦隊が《ヴォルカヌスカルラ》と共に撤退機動に移っていく。

 

 取り残されたザライアンは、背後に庇った存在へと声をかけていた。

 

「……もう、大丈夫か? ヴィヴィー・スゥ……」

 

『……ああ。不思議なものだ、聖獣の心臓を明け渡せば、もう死んだものと思っていたが』

 

《ネクストデネブ》から生命の息吹は消えたが、彼女自身は生き永らえたようであった。

 

 その事自身に驚きはあるものの、ザライアンからしてみれば守れた命一つ、誇りに思っていた。

 

「……一度撤収しよう。オフィーリア勢との渡りも付けたいだろうし、ラムダのダメージも気にかかるところだ」

 

『それは構わないが……彼らは歓迎するだろうか。力を失った私を……』

 

「君がそう思わなくとも、僕は命を拾ってもらった。礼を言いたい」

 

『……よしてくれ。礼なんて……私はもう、存在価値を失ったようなものだ……』

 

 ヴィヴィーの声音には憔悴すら窺える。

 

 彼女を構成するパーツを自分に移譲したのだ。

 

 恐らく、これまで来英歴を恨み憎んできた憤怒でさえも、自分は引き継いだのだろう。

 

 力だけではない、とザライアンは拳を固める。

 

「……話さなくてはいけない。この次元宇宙の“クラード”とも。もう、お互いの物理接触を忌避している場合でもなくなった。……何を思おうとも、僕らはひとりでは……ないのだから」

 

 それが未来への展望であろうと、あるいは忌避すべき毒であろうとも。

 

 もう自分と向かい合うのに、さほど時はあるまい。

 

『……次元同一個体……私達は何故、この来英歴に呼ばれたのだろうか。ただただ、宇宙の彼方を超える旅路の果てに、集結したにしてはあまりにも因果を感じる』

 

「僕もだ。マーシュ艦長、こっちはIMFを退けた。一度、帰投する。そちらの攻勢はどうか?」

 

『ザライアン? 王族親衛隊は撤退……いいえ、トライアウトブレーメンの艦隊へと特攻して散って行ったわ。ちょうど今、敵陣が手薄になった頃合いでしょう。私達はオフィーリアとランデブーし、ポートホームを使っての交渉に移らざるを得ない。このままお互いに何も知らぬまま戦うのは、あまりに不利なのだと、分からなければね。私達が敵対している存在の正体も』

 

「……“彼ら”を炙り出すのにしては、しかし損害は甚大だろう。帰投ルートに入る」

 

《ネクストデネブ》の躯体を抱き、《フォースベガネクサス》はラムダへの帰還の道筋を辿っていた。

 

 見渡せば宇宙を満たすデブリの群れは、先ほどまでの死の臭気が濃い戦場を映し出す。

 

「……あれほど混迷を極めた戦場も、画一化してしまえばこうなっていくわけか」

 

 誰かが使命に殉じ、誰かが残された。

 

 その意志は継ぐべきであろう。

 

 ザライアンは《フォースベガネクサス》のコックピットの中で、深く瞑目していた。

 

「……僕らが聖獣でこれまで戦ってきた事だって、無駄じゃないはずだ。そうだって……信じたいじゃないか……」

 

 

 



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第273話「剣と銃弾と」

 

「聖獣の帰投ルート、間違いなく現れたあの艦よね? ……頭痛薬が欲しいところだけれど、ちょっと我慢かしら」

 

 額をさすったレミアに、バーミットが声を飛ばす。

 

「大丈夫ですか? まぁ、あたし達も地上戦線からこの先、よくやって来れましたよ。どうです? 落ち着いたらお酒でも」

 

「いいわね。……って言いたいところだけれど、私達はあまりにも大きなものを、失ってきた……」

 

 未だキルシーを失った心の隙間を埋めるのに、一時の享楽に溺れるような真似は出来そうにない。

 

 しかしバーミットは気安く提案する。

 

「あたし達、これで大所帯になったんですし、女子会とかどうです? あたし、幹事やりますよ?」

 

「……バーミット、あなたはいつものようで居てくれる、ありがたいと思うべきなのかしらね」

 

「よしてくださいよ。いい女でありたいだけですから」

 

 労いをかわしつつ、バーミットは宙域の状態を的確に報告する。

 

「……それにしたって、万華鏡を含む王族親衛隊は全員でトライアウトブレーメンに特攻……いや、これは全員がそれほどまでにジオ・クランスコールと言う一人の人間に、心酔していたって事なんでしょうかね」

 

「彼らには彼らにしか分からない領域があるわ。クラードはどうなっているの?」

 

「現在、オフィーリア格納デッキに収容中。ダビデちゃん達もブリギットに一時帰還……ただ……」

 

「ただ、何?」

 

 またしても頭痛の種が増えそうだと思いつつ、レミアは尋ね返す。

 

「……アルベルト君がまだ帰還していません。恐らくは出現した《ネクロレヴォル》改修機と……継続戦闘中かと」

 

「止められる人員は?」

 

「……クラードが満身創痍です。この状態でなんて……」

 

「……そうよね。戦局を見て、撤退信号を送信――」

 

『レミア艦長……! 私に行かせてください』

 

 直通回線を繋いできたのはユキノであった。

 

「でも、ユキノさん……あなたの《アイギス》だって、もうかなりのダメージが蓄積しているはずよ。許可出来ないわ」

 

『……いえ、これは意地なんです。多分、小隊長と……副長の。二人を止めるのならば、私じゃないと。だって今のRM第三小隊を預かっているのは、間違いなく私なんですから』

 

 決意の双眸を向けたユキノに、レミアは三年前の月軌道決戦の眼差しを感じ取っていた。

 

「……言っておくけれど、片道切符はなしでお願いするわ。絶対にアルベルト君を連れ戻してちょうだい」

 

『了解、です』

 

 ぷつんと切られた通信にレミアは嘆息と共に艦長帽を傾ける。

 

「……ため息、幸せが逃げていきますよ」

 

「もうとっくに愛想尽かされているわよ、そんなの。クラードの《ダーレッドガンダム》の修繕状況次第で、次の戦闘も変わってくる。それに、戦力としちゃ二番目に強いアルベルト君が行ったきり戻ってこないんじゃ、何にもならないでしょう。……ラムダとどう事を構えるのかもあるでしょうし」

 

「ダビデちゃんに任せちゃえばいいんじゃないですか? 優れた戦士は優れた軍師でも、って言いますし」

 

「……こればっかりは、艦長としての責務よ。誰かに任せられないわ」

 

「……そこんところ、レミア艦長は相変わらずみたいで。大丈夫です? よければこれでも」

 

 差し出されたのはタブレット型の栄養剤であった。

 

 そこから二錠取り出して、くっと飲み干す。

 

「……私ももう若くないわね」

 

「よしてくださいよ、そういうの。言うのにはまだ、レミア艦長はガッツあるほうでしょ?」

 

「……どうかしらね。この戦いが終わった時に、もう何も求めるところのない、燃え尽き症候群になっているかも」

 

「そこんところは同感です。第一、クラードもアルベルト君も、結局は先行し過ぎなんですよ。生き急ぐんだから。あいつらにお灸を据えられるのは、まぁレミア艦長かカトリナちゃんくらいですよ」

 

「あら、意外ね。あなたはその分別に入っていないのは」

 

「それこそ、勘弁です。生き急ぎの男にほいほい付いて行ったら、女はいいところで散るもんです」

 

「……そうね。今は、ユキノさんを信じるしか、ない、か……」

 

「信じて待つのも戦いです。あたしらは結局、女としての価値を持ち続けるしかないんですよね。男が前に行っちゃうもんだから」

 

「カトリナさんは? どうしているのかモニター出来る?」

 

「……格納デッキで……。さっきからファムが……泣いていますね。どうにか宥めようとしているみたいで」

 

 聞いただけの話でしかないが、ファムがジオの妹であったのは真実であったのだろうか。

 

 ほとんど表舞台に出てこない万華鏡の妹であった記録はないが、それでも二人の絆だけは本物だったのだろう。

 

「……私達は結局、何も……知らなかったのね。世界の仕組みでさえも」

 

「どうなんでしょうね、その辺も。まぁ、ラムダの構成員と話せればまだ違ってくるかもしれないですけれど。さぁて、面倒ごとが増えない事を、ちょっとは祈る時間くらいはあるんでしょうかね」

 

 その言葉にレミアは小さくこぼしていた。

 

「……私達に出来るのは、祈りだけなんて、どうにも無責任に、成り果てたつもりも、ないんだけれどね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃撃が交差する中で、アルベルトは爆発寸前の操縦桿を抱えながら、機体を急上昇させていた。

 

 加速度で肉体がバラバラになりそうな荷重を引き受けるも、敵影を照準器に捉えてビーム兵装を一射する。

 

 紅色の敵機はそれを紙一重で回避して減速し、不意に相対速度を合わせて来ていた。

 

 舌打ち混じりにビームジャベリンを翳し、一撃を衝突させる。

 

『いい加減に墜ちろよ! アルベルト!』

 

「……ふざけんな……。オレはてめぇを……トキサダ! てめぇを……!」

 

『何も言えないってなら、一端に戦士気取って前になんて出て来るな! おれ達の覚悟も知らないで、あんたは邪魔なんだよ!』

 

「……邪魔って言うんなら、オレの言葉を少しは聞きやがれ!」

 

 互いに弾かれ合い、距離を取ったところで牽制射撃を見舞う。

 

 ミラーヘッドビットのビームの網を、敵機――《プロミネンス》は追加装備バーニアをパージさせて機体を急速ロールさせる。

 

 こちらは先刻より損耗が激しい。

 

 やはり地上戦線の直後に宇宙でのここまでの戦闘は想定されていないのだ。

 

『“アルベルトさん! 一時帰還しましょう! このままでは泥仕合ですよ!”』

 

「うっせぇ……マテリア……! 避けられない戦いって事くれぇは、分かるだろうが!」

 

『“ミラーヘッドジェルも残存三割以下です! 次のミラーヘッドでエラーが起きますよ!”』

 

 悲鳴じみたマテリアの報告でさえも、今は喧しいだけの雑音だ。

 

 トキサダの《プロミネンス》が実体弾頭で《アルキュミアヴィラーゴ》を狙い澄ます。

 

 ミラーヘッドビットをデコイ代わりに使用し、爆ぜた光輪の陰に隠れて円弧の機動を描く。

 

 背後を取ったタイミングで加速し、ビームジャベリンを掲げていた。

 

「そこだ!」

 

 確実に獲ったと認識した交錯を、《プロミネンス》は機銃掃射で弾幕を張って距離を稼ぐ。

 

 刃が致命的な距離を取り損ない、空振りしたところで《プロミネンス》が格納していた重火器を晒していた。

 

 ビームの火力が装甲を削いでいく中で、アルベルトは奥歯を噛み締めて機体の追従性を上げる。

 

「なろ……っ!」

 

 半回転した拍子に浴びせ蹴りを見舞い、《プロミネンス》は打撃に打ち震える。

 

『アルベルトォ……ッ!』

 

「トキサダァ……ッ!」

 

 再び照準を付けようとして、火線が互いを引き剥がしていた。

 

《ネクロレヴォル》部隊によって庇われた形の《プロミネンス》と、前に割り込んできたユキノの《アイギス》が銃火器を向け合う。

 

「ユキノ……! てめぇ何して……!」

 

『黙ってください! 今のままじゃ、小隊長は戦場の狂気に呑まれたままです!』

 

「な……っ! 誰がそんなもん――!」

 

『そうじゃないですか! ……第一、アツくなり過ぎなんですよ。今は、頭に血が上ったほうが負けだって、分からないんですか……!』

 

 その言葉で冷水を浴びせかけられたようにアルベルトは乗機のステータスを視野に入れる。

 

 ライドマトリクサー専用機でなければ、既に戦闘続行不可能のレベルに到達し、各種ポップアップ警告ウィンドウが浮かび上がっている。

 

『“……アルベルトさん……”』

 

 管轄するマテリアもどこか熱を帯びたような面持ちで憔悴している。

 

 恐らくはシステムがオーバーヒートを起こしているのだろう。

 

「……オレ……は……」

 

『ようやく周りが見えましたか? ……帰還しますよ。オフィーリアも結構ダメージを負っています。RM第三小隊のほとんどは帰投済みですが、小隊長本人がいつまでも帰ってこないんじゃ、戦闘終了も言い切れません』

 

《ネクロレヴォル》の残存部隊は《プロミネンス》を帰還させる方向に持っていきたいらしい。

 

 ある意味では利害の一致で、ここでの決着は持ち越しになった形だ。

 

『……アルベルト。ユキノに守られて、情けないと思わないのか?』

 

「……てめぇ……っ!」

 

『静かに。……本当に、トキサダ副長なんですね?』

 

『嘘を言う意味もない。ユキノ、どうやらかなり強くなったようだが、そのお山の大将を持ち上げるのはやめたほうがいいぜ。そいつは死ななくっちゃ直らないんだからな』

 

「それに関しては同感ですが、今は死なせられません。……トキサダ副長、あなたも同様に」

 

『どこまでも、おめでたい奴らだ。……こっちもダメージが馬鹿にならない。それに、万華鏡が墜ちたってのなら、作戦の立て直しだ。アルベルト、よかったじゃないか。命を拾えて』

 

「……てめぇだけは……オレが……ッ!」

 

『その気持ちは同じだよ。……あんただけは、おれが墜とす』

 

 その言葉を潮にして、互いに後退していく。

 

 最後の最後まで銃口を向けたまま、アルベルトは凪いでいく己の感情に戸惑っていた。

 

「……ユキノ、悪ぃ。頭に血ぃ上ってたのはマジみたいだ」

 

『……そんな分かり切った事言ってないで、小隊長、帰還しますよ。相手だって損耗はかなりのはずなんです。……ただ少し……意外だったのは……』

 

 ユキノが濁したのは、《ネクロレヴォル》の残存部隊にシズクの機体がなかった事だろう。

 

「……ああ。分からねぇ戦場だが、それでもオレ達は……信じていいのか、それさえも定かじゃねぇ。ただ……思ったより悲観するもんでもねぇって意味なのかもな」

 

 ガイドビーコンで誘導するオフィーリア格納デッキに、減殺ネットで《アルキュミアヴィラーゴ》はその機体を横たえさせる。

 

『《アルキュミアヴィラーゴ》、こいつは特殊機だぞ! メンテは慎重に行え!』

 

 サルトルの声が響き渡る艦内で、アルベルトは中天を仰いでいた。

 

「……何でこんな風にしか……生きられないんだろうな。オレらは……」

 

『“アルベルトさん……ちょっと制御モードに……入ります。継続戦闘が強過ぎて……”』

 

 疲弊し切ったマテリアが二頭身モードで休眠制御に入る。

 

 どうやら自分達は、かなりの無茶をしてしまったらしい。

 

 それでも、とアルベルトは瞑目する。

 

「……何だってこんな風でしか……自分の意志を示せねぇんだろうな。もっと戦い以外で、どうこうする術がありゃあ、よかったんだが……」

 

 自分は戦いしか知らない。

 

 たとえトキサダと袂を分かとうとも。

 

 刃と銃弾でしか、語り合えないのが何よりも虚しかった。

 

 



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第274話「討滅の誓い」

 

「ヴィクトゥス・レイジ特務大尉が行方不明だと!」

 

 モルガンに帰投するなり声が響き渡って、トキサダはコックピットブロックから漂っていた。

 

『失礼、どう言う事だ?』

 

 言い争いをしていたメカニック達は頭を振るばかりであった。

 

「戦闘中に出撃して……それから信号をロストしているんです。あの機体はどうにも特殊で……こっちの受信電波を阻む術があるみたいで……」

 

 ヴィクトゥスの駆るレヴォルタイプには特殊な構造が施されているのは窺えていたが、完全に気配を殺せるとは恐れ入る。

 

『……魔獣と名乗っていたのは、何も伊達でも酔狂でもない、と言うわけか』

 

『ファイブ』

 

 声をかけてきたイレブンに対し、振り返ると同時に交わされたのは拳であった。

 

 ヘルメットを激震する一打が打ち込まれ、長期の戦闘の疲労によってよろめいた肉体を彼は拘束術で封殺する。

 

『何のつもりだ! あのまま戦っていれば、撃墜もあり得た!』

 

 いつになく声を張り上げるイレブンに、ファイブとしての声でトキサダは応じていた。

 

『……禍根を払うためだった。おれの我儘だ』

 

『……そうだとして、騎屍兵は一人で死んでいくものではないだろう……!』

 

 彼の想いも、分からないわけではない。

 

 それでも、自分はアルベルトとの因縁を清算しなければ前に進めない。

 

『……オフィーリアに仕掛けたはずだな? 戦果は?』

 

 ばつが悪そうにイレブンは顔を背けていた。

 

『……ゴースト、スリーは相手にほだされたのか、我々への帰還を拒んだ……。何故……死に囚われた我々の理解者なんて……居ないはずだ……!』

 

『それは認識の違いだよ、イレブン。もう、おれだって、騎屍兵ゴースト、ファイブとして、冷静に成れる気はない。お笑い種だろうさ。騎屍兵は一糸の乱れも許されない鉄の集団だったのに、艦長が離反し、構成員は拿捕され、そしておれは……こうして自分の想いだけで前に出る』

 

『……ファイブ、お前だけの責任ではないと思っている。しかし、《プロミネンス》を使ってのあれほどまでの戦闘行動。全員を危険に晒す事だとは、思わなかったのか?』

 

『悪いとは思っているよ』

 

 感情をおくびにも出さずに応じた自分の声に、イレブンは悔恨を噛み締めているようであった。

 

『……何がお前をそうさせた……! 三年間、上手くやって来たじゃないか。死人として……ここまで来られたってのに……何がおかしくさせた……』

 

「おれはもう、騎屍兵を気取っているような余力もないのかもな」

 

 ヘルメットを外し、声紋を自分のものに変え、トキサダは騎屍兵の者達に向けて双眸を向けていた。

 

 うろたえたような者も居れば、イレブンのように冷静な者も居る。

 

『……戻るんだな? もう一度、生者に』

 

「おれはもう死者だ。だが死人にも意地がある。死ぬに値する覚悟も。……悪い。トゥエルヴが死んだ時、おれだけ託されていた。騎屍兵団は、もう以前のような完璧さもなくなっただろう」

 

『……いや、お前がそうありたいと願うのなら、私達もそうするべきだ。我らは騎屍兵……それであるのと同時に、この三年間、全てを共にしてきた集団なのだから』

 

「……イレブン、お前の……本当の名前は――!」

 

『そこから先は言いっこなしだ。未来を掴むんだろう? トキサダ・イマイ』

 

 その言葉振りにトキサダは絶句する。

 

 まさか、知っていたのか。

 

 自分がかつて殺し合ったベアトリーチェ側の人間であった事を。

 

 とっくの昔にイレブンは悟って、その上で自分の行く末を案じてくれていたと言うのだろうか。

 

 言葉が出なくなった自分へと、イレブンは背を向ける。

 

『整備班に、お前の《プロミネンス》を優先して修繕するように伝える。……名を取り戻すのならば、相応の機体を駆るべきだ』

 

 騎屍兵の者達は言葉もなく、それぞれの実務に戻っていく。

 

 その無関心さが、今だけはありがたかった。

 

 浮かび上がる涙の粒を、誰にも茶化されずに済んだのは。

 

「……ありがとう……おれはまた……青春を取りこぼして……!」

 

 涙を拭ったところで、格納デッキへと乗り込んできた自動椅子の影を見つける。

 

「どうなっている! 戦闘待機だと!」

 

「リヴェンシュタイン様! ここは艦内で待機してください! まだ第一種戦闘配置のままです!」

 

 メカニック達が押し留めようとしているのを、ディリアンは杖で叩いていた。

 

「馬鹿者が! わたしに触れるな、汚らわしい騎屍兵の艦の者風情で!」

 

 プライドと利己心で塗り固められたその面持ちにトキサダが降り立って杖を掴んでいた。

 

「何を……!」

 

「彼らを侮辱する事は許しません。モルガンの大切な仲間です」

 

「仲間だと? 馬鹿を言え! 世界の裏でこそこそとしているような連中が、わたしに物言いをするなど百年早いのだ!」

 

「……お前はそんなだから……ヴィクトゥスにも愛想を尽かされる」

 

 その言葉はどうやら図星であったらしく、顔を屈辱に塗り固めたディリアンは杖を振り落とす。

 

「黙れッ! 騎屍兵身分で……! 分かった風な事を……!」

 

 トキサダが行った事は少ない。

 

 杖を弾くと同時に握力だけで折り曲げ、習い性の戦闘術でディリアンを後ろ手に拘束する。

 

「お静かに」

 

「ぐぁ……っ、貴様ぁ……っ! わたしに触れるな!」

 

「そのような事を、言っておられる場合ですか?」

 

「そうであろう! わたしは王族親衛隊の守りが――!」

 

「万華鏡は死にましたよ」

 

 その事実に、ディリアンは絶句したようであった。

 

「死んだ……? あの完璧な……戦闘マシーンが……?」

 

「ええ、最後は無残なものでした。トライアウトブレーメンの艦へと特攻。他の王族親衛隊直属も、その後を追って死亡」

 

「う、嘘だ……っ! 嘘だぁ……っ! あの万華鏡がそんなつまらぬ事で死ぬわけがない……っ! わたしを騙そうとし……!」

 

「騙して何になるって言うんです? それとも、本当に信じられませんか? あなたの守りなど、もう誰一人としていない事が」

 

 枯れ果てた腕を掲げ、ディリアンは叫ぶ。

 

「誰か! 誰かぁ……っ! わたしは王族佐官だぞ!」

 

 しかしモルガンの整備班は一瞥を振り向ける者さえも居ない。

 

 全てから見放されたディリアンへと、トキサダは囁きかける。

 

「ですがあなたの目的だけは、果たして差し上げましょう。アルベルトの行方、でしたね?」

 

「……何故、騎屍兵身分に過ぎない貴様が……アルベルトの事を……」

 

「アルベルトは敵艦に居ます。無謀にも向かってくるその首を、裂いて臓腑を踏みしだき、その上であなたに献上しましょう」

 

「……アルベルトを……殺すだと……?」

 

「ええ。私に迷いはありません。アルベルトを最上の方法で殺して差し上げます」

 

「な、ならぬ……ならぬぞぉ……っ! 貴様ごときがアルベルトを殺すなど……! わたしの下へと連れてこい! すぐに、だ! 貴様ならば出来るのだろう!」

 

 ――ああ、ここまで勘違いだと、いっそ清々しいくらい。

 

 トキサダはディリアンの腕の付け根を踏み締め、そのまま別の方向に折り曲げる。

 

「やめろ……何をしている、やめろ、やめろ、やめ――!」

 

「お喋りだとこうなると、少しはお分かりになってください」

 

 枯れた肉体が折れ曲がったところで、大した音もしないのだな、というのが感想であった。

 

「がぁ……っ! き、貴様……ぁ……っ!」

 

「お静かにお願いします。ここは騎屍兵の艦ですよ? あなた一人を封殺するくらい、わけはない」

 

「……貴様ぁ……っ! 誰か……誰でもいい……この男を……殺せぇ……! 騎屍兵の身分で……私をぉ……っ!」

 

 しかし誰一人として視線さえも合わせない絶望に、ディリアンは沈んでいるようであった。

 

 その絶望に一口分のスパイスを加える。

 

「あまり喚かれぬよう。あなた程度、誰でも殺せます。それなのに、誰も私刑にしない意味くらいは分かりますよね? ――あなたのような人間、手を汚すほどの価値もない、という事です」

 

 呆けたように口を開いたディリアンの顔を蹴り上げ、トキサダは浮かび上がる。

 

「だれかぁ……っ、ころせぇ……、ころせぇ……っ、ころ、せぇ……ころして……」

 

 格納デッキの片隅に置かれたゴミ以下の人間など、誰も気には留めまい。

 

 トキサダは《プロミネンス》修繕作業に移る整備班へとハンドサインを返し、モルガンの通路のグリップを握り締める。

 

 宇宙の常闇に反射した己の久方ぶりの相貌には、因果の集約のように斜の傷痕が刻まれていた。

 

 その傷口をなぞり、決意を浮かべる。

 

「……ここに誓おう。今一度、トキサダ・イマイとして。アルベルト・V・リヴェンシュタインを殺す一振りの刃として。おれは舞い戻るのだと」

 

 その誓いは誰に聞き留められるわけでもなかったが、胸に刻むのには充分であった。

 

 



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第275話「真実は無情にも」

 

 修繕作業に運ばれていく《レグルス》を眺めていたメイアは、《ネクロレヴォル》から離れるなり整備班と向かい合ってサインを送る人影を目に留めていた。

 

「ねぇ、キミ、確かゴースト、スリーだったよね? 艦長の前で会った……」

 

 呼び止めた自分に意識を振り向けた相手は、ヘルメットを外していた。

 

 汗の玉が浮かび上がる、白雪のような髪を持つ麗しいかんばせだ。

 

「……驚いた。びっくりするくらい美人」

 

 こちらの軽率な発言に少しむっとしたようであったが、それさえも絵になる容貌であった。

 

「……何か。メイア・メイリス」

 

「あ、いや……あー、駄目だ。ガチの美人見ちゃうとど忘れしちゃう……」

 

「ふざけているのか? 《ネクロレヴォル》の修繕と作戦の随時実行、一秒でも惜しい」

 

「あっ……分かった、分かったってば。……えーっとさ、キミ、何で逃げなかったの?」

 

「……質問の意図をはかりかねる」

 

「……嘘じゃん。分かっているクセに。だってキミは、鹵獲されたって言う見識だ。だから、別にボクらを見限って、相手についてもよかったんじゃない?」

 

 少し思案するように中空を睨んでから、相手は告げていた。

 

「……不義理となる、と思ったからだ」

 

「それはこの艦に対して?」

 

「いや……一個人としてぶつかってくれた、人間が二人も居る。なら、私は彼らの意思に殉ずるべきだ。如何に死人とは言え、約束は約束なのだと」

 

「ふぅん……何だかちょっと意外だな。だって、キミ、モルガンに居た頃は本当に切り詰めた刃みたいだったから」

 

「……私も、鈍ったものだと思う。しかし、同時に、それでよかったのだと思う事にした」

 

「いいね、思う事にしたっての。何だか前向きで、騎屍兵っぽくない」

 

「……メイア・メイリス。単純な知的好奇心なら、私に付き纏わないほうがいい」

 

「あっ、待ってって。キミ、本当の名前、あるんでしょ? 教えてよ」

 

「……シズク・エトランジェ。何でもない、記号だ」

 

「シズク、か。何なら、また話そうよ。キミ、思ったよか面白そうだ」

 

 こちらの評にシズクは渋面を返す。

 

「……断る。個人的な興味で時間を割くような場合でもない。……大勢、死んだようだな」

 

 帰還した《アイギス》も《レグルス》もどれもこれも中破レベルだ。

 

 それも当然、王族親衛隊の擁する《パラティヌス》と真正面からやり合えば、人死にが出ないなんて都合のいい事もない。

 

「……まぁ、辛いのはオフィーリアに前から居た人間でしょ。ボクみたいな、途中から割って入った人間じゃ、分かった風にも成れないよ」

 

「王族親衛隊は、ほとんど壊滅、か。あれで一つ事に殉ずる精神を持っていたのだろうか」

 

「どうだかね。どっちにしたって、ボクには命題もある」

 

 合流してきたラムダに、そして生きているのならばもう一度会いたい人間も居るのだ。

 

 だから、ここでは死ねないと言う思い一つを胸に、《レグルス》で戦い抜いてきたつもりだったのだが。

 

「……いやはや、でもお荷物だったみたいだね。ボクってば、もっと上手くやるタイプだと思っていたのにな」

 

「戦場に投げられれば、ヒトは容易に価値を見失う。足を取られれば負けだ」

 

「それもそうだけれどさ。うーん……何て言うのかな。ボクの事、知っているでしょ?」

 

 こちらの興味津々な質問にシズクは心底呆れ返ったように口にしていた。

 

「……ギルティジェニュエンのボーカル、だったか? “罪付き”のメイア」

 

「そう! そろそろさー……やっぱりライヴもしたいし、こうやって戦場を歩き回っているのも疲れちゃった。凱旋ライヴ、早くしたいなー」

 

「自分一人で出来るのか?」

 

「そこなんだよねー。……ボクに帰る場所があるのなら、それを感じたい。イリス達が生きているかどうかは分からないけれど、分からないからって悲観に持ち込むのは、違う気がするから」

 

「分からないから悲観に持ち込む、か。……私もそうだったのかもしれない。騎屍兵であったそれ以降の事は、もう分かろうとも思わなかった。戦場で踏みしだく敵兵にいちいち気を取られていれば、敗北以前に騎屍兵としての価値を失う。私は、悲観もましてや生への憧れも、とっくの昔に失ったものだと思っていた。それが単純な……誰かとの繋がりを希釈化しただけの代物だとは思わずに……」

 

「キミには帰る場所がある。それに尽きるでしょ」

 

 シズクはハッとしたように周囲を見渡してから、そうか、と小さく呟く。

 

「……帰る場所が……あれば、それでよかったのかもしれないな」

 

「よく分かんないけれど、さ。誰かの悲しみを自分のもののように語るのも違うだろうし。それでも、ここに帰れればいいって、思える居場所が一つ、あるといいよね」

 

 メイアは身を翻していた。

 

 シズクは《ネクロレヴォル》の改修作業と次の作戦に忙しいはずだ。

 

 そう感じた背中に、声がかかる。

 

「待って……欲しい、メイア・メイリス。一つ、答えてくれ。……それが心なんだろうか?」

 

「分かんないよ、そこまで言い切れる身分でもないし。ただ、一つ言えるのは、そこまで思えるのならさ、いつかボク達のライヴを観に来てくれない? きっと損はさせないから」

 

 その言葉を潮にして、メイアは重力ブロックに向けてグリップを握り締める。

 

 道中で遭遇したのは泣きじゃくるファムを抱えたカトリナだった。

 

「……あっ、えっと、メイアさん……」

 

「カトリナ……だっけ? それとファム」

 

 ファムの眼からは涙の粒が溢れ出し、止め処ない。

 

 その理由はオープン回線で告げられた事実に符合するのだろう。

 

「……本当に、万華鏡の妹だって?」

 

「にいさま……にいさま……いっちゃ、やだよぅ……」

 

「……ファムちゃんの悲しみに寄り添う事も出来ないんですよね。だって、万華鏡……ジオ・クランスコールとの日々はファムちゃんだけの思い出なんだし」

 

「……あの鉄壁の万華鏡に妹が居たのも驚きなら、最後の最後に遺した言葉がそれかぁ……。何だかやるせないね」

 

「でももっと辛いのは……きっとクラードさんなんです。だって、必死に戦い抜いたのに、これじゃあ……あんまりですよ」

 

 面を伏せた様子のカトリナにメイアは手を引いていた。

 

 ハッとした瞬間には笑顔を咲かせている。

 

「大丈夫だって! クラードなら、大丈夫っ! だって、今までだって辛い事も、しんどい事だってあったわけじゃんか! でも立ち上がって来たんだ、だからクラードなら……!」

 

 あれ? とメイアはその言葉尻が震えている事に気付いていた。

 

 頬を伝い落ちる涙の粒にも。

 

「……何で? あれあれ? 何で何で……? 何でなんだろ……?」

 

「……メイアさん、クラードさんの事、心配してくださっているんですよね?」

 

「あ、うん、そう……なのかな? ボクはクラードの事が心配……? でも、何で涙?」

 

「泣けるのは……痛み以外で泣けるのは、人間だけらしいです。それがきっと……メイアさんがクラードさんを想っている証なんだと思いますっ」

 

 崩れそうな感情を持ち堪えさせて、笑顔を向けるカトリナに、メイアは頬を掻く。

 

「……何だかな。励まそうとして、逆に励まされたんじゃ、世話ないや」

 

「でも、ありがとうございます。クラードさんを、きっちり想ってくれて」

 

「それはキミのほうでしょ? クラードの事、好きだって言うんなら」

 

 少し不意を突くつもりで声にしたが、カトリナは満たされた笑顔で応じていた。

 

「……はいっ。クラードさんならきっと、何度だって立ち上がってくれます。なら、私はその歩みを支えるだけで……」

 

「それだけで幸せって? おめでたいね。でも……嫌いじゃない。キミみたいなナチュラルボーン馬鹿ってのも居たもんだ」

 

「……それって、貶してます?」

 

「分かるようになってるじゃん。じゃあ、ちょっとばかし、ハンカチを借りようかな?」

 

 差し出されたハンカチでちーんと鼻をかんでから、メイアは持ち直す。

 

「……大丈夫ですか? 私から見ればメイアさんも無茶しているように映りますけれど……」

 

「誰も大丈夫じゃないのかもね。けれど、予感だけはある。何か、重要な事が起ころうとしている、そんな予感は。カトリナ……も、あれでしょ? 呼ばれたんでしょ? 作戦会議」

 

「あ……はい。ラムダの構成員との顔合わせも兼ねてって、レミア艦長から……」

 

「……ファム……は連れていくしかないか。ファム? 歩ける?」

 

「……ミュイ……あるける……けれどでも、とっても……かなしいね……」

 

「うん、とっても悲しい。ファムにしてみれば、大事な人が二人も居なくなっちゃったんだから。でも、右足と左足を交互に動かせば、前に進む事だけは出来るはず」

 

 そこでカトリナはくすっと微笑む。

 

 メイアは首を傾げていた。

 

「あれ? 何か変な事言った?」

 

「あ、いえ……。クラードさんにも昔、同じような事を言われたっけなって思いまして」

 

「……何だか癪だな。クラードの二番煎じみたいで」

 

「でも、本当にそうだと思います。私達は……苦しくっても前に進まないといけない局面ばっかりで……それでも、前を向くだけの覚悟があれば……」

 

「幸運なんだろうね。ボクは、分かった風な事を言うつもりはないけれど、ここまで戦ってきたキミだって相当だと思う。だから……もうそろそろ終着点が見えれば、きっと展望としちゃいいはずだ」

 

 重力ブロックを潜り抜け、オフィーリアの会議室の前で三人で佇む。

 

『入ってちょうだい』

 

 内部よりレミアの声が響き渡り、カトリナが先行してノックして踏み込む。

 

 会議室の手前にはオフィーリアの構成員が集っていたが、向こう側にはラムダの構成員が机を挟んで対峙していた。

 

「……マーシュ……生きていたんだ……」

 

「久しぶりね、メイア。再会を祝うような余裕もないわ。早速だけれど」

 

 顎をしゃくったマーシュに、一人の青年が歩み出る。

 

 蓬髪に、憔悴したような面持ちの彼は率先して名乗り出ていた。

 

「お初にお目にかかります。僕はザライアン……ザライアン・リーブス。MF04、《フォースベガネクサス》のパイロットです」

 

 その一言で全員に緊張が走ったのが伝わる。

 

 まさか、MFのパイロットが世界的にも有名な木星船団の師団長だとは想定外であった。

 

「……宇宙飛行士、ザライアン・リーブス。木星船団の師団長であり、幾度となく木星への資源調達に赴いている……まさに人類代表と言ってもいい。この経歴に、間違いはないわね?」

 

 問い質したレミアに、ザライアンは強張った表情のまま応じていた。

 

「尾ひれがついているようですが、大方その通りです」

 

「そして、MFのパイロット……ね。なかなか信じ難いけれど……イレギュラーが起こり続けてきたのが現状……。飲み込みましょう。それで、何故、マグナマトリクス社とMFのパイロットが結託を? それがまるで分からないのだけれど」

 

「結託と言うのは少し違ってね。利害の一致、とでも言うべきなのだろうけれど」

 

 マーシュは軽く挙手し、説明責任を果たそうとする。

 

「まず一つ。マグナマトリクス社はラムダの現状を把握していない。私達は本社から背を向けた形となる」

 

「私達と同じ……と言うわけ。でも信用し切れないのは、今の今まで関知されないわけでもなかったでしょう」

 

「それに関しては私から、説明しましょう」

 

 恭しく頭を垂れた懐かしい面影にメイアは絶句する。

 

「……イリス。生きてくれたんだ……」

 

「メイア、久しぶりね。死んだとばかり思っていたけれど、生きていてくれたほうが都合もいいわ。説明も簡略化出来そうだし」

 

 何だかその言葉振りは――自分の見知ったバンドメンバーであり、エージェント仲間でもあったイリスとはまるで別種のようであった。

 

「私達は大きな一つの目的のために動いています。それはMFの側……彼らにしてみても大きなアキレス腱であり、この次元宇宙に集約され続ける原因でもある」

 

「MFのパイロット達の弱みでも握っているって?」

 

 半分冗談めかした論調のバーミットの問いかけに、イリスは表情をほとんど動かさずに首肯する。

 

「ええ、その通り。MFのパイロット達を拘束し、彼らを今日まで縛り続けてきた存在が、この世には居る」

 

 まさかそのような言葉が返って来るとは想定外であったのか、質問したバーミットはうろたえたようであった。

 

「ねぇ、待って……。そんなのが居たとして……じゃあ何? まさか世界を裏側から回していたとか言わないわよね?」

 

「聡くって助かります。彼らはこの来英歴を支配し、王族親衛隊を組織して全てを予見されている事柄通りに進めようとしている」

 

 バーミットははぁ、とため息をこぼす。

 

「……何か?」

 

「いえ、別に。今さらスケールが大きいだとか小さいだとか、言うもんでもないけれど、MFのパイロットが目の前に居るんだもの。ちょっとは常人並みに驚く暇くらいは欲しかっただけ」

 

「そうですか。では説明に移らせてもらいます。彼らの名前は、口にする事でさえも禁じられてきましたが、最早、その段階は過ぎました。ザライアン・リーブス、名前を」

 

 ザライアンは深く瞑目した後に、その名を紡ぎ上げていた。

 

「……彼らの名は、ダーレットチルドレン。この来英歴にて、最も発達した知性体を名乗り、僕らを……いや、僕らだけではなく世界をたばかった存在だ」

 

「ダーレットチルドレン……? そんなものが居たとして……じゃあ今の今まで、キミらは何で、そいつらに縛られていたって言うんだ? MFほどの力があれば、すぐに相手を潰す事くらい――」

 

「メイア、思考拡張の分野を知っているのならば、少しは耳にした事があるはず。彼の技術は脳神経のバイパスに作用し、記憶や無意識下での状況の把握を可能にする」

 

「だから、それが何だって……」

 

「“約定”だ」

 

 短く告げたザライアンに全員の視線が集まっていく。

 

「彼らの存在を目にし、耳にした者は無意識下で逆らえなくなる。それこそが強度の思考拡張たる“約定”。我々が今まで他の人々にこれを打ち明けられなかったのは、彼らの名を知るだけでも“約定”の範囲に縛られる可能性があったからだ」

 

「“約定”……? じゃあ、キミ達は……来英歴を訪れたその時に……逆らえなくなったって?」

 

「事象は前後するが、そう思ってもらって構わない。この来英歴に呼ばれた時点で、僕達には敗北しかなかった」

 

「……“夏への扉事変”は……あれもあなた達の言うダーレットチルドレンの思惑があったと?」

 

 質問したレミアに、ザライアンは頭を振っていた。

 

「いや、あれは僕達の罪だ。この次元宇宙に召喚された際、僕達は呼応するように互いの機体で合流するはずだった。たった一つの“呼び声”に応じた結果だ。それを確かめる義務があった。しかし、この次元宇宙の者達は僕達に対し、武力で先制攻撃してきた。よって……対処するしか、なかった……」

 

 その言葉振りに浮かんだ悔恨はかつての大虐殺の記憶だろうか。

 

 彼らにしか分からぬ領域がある。

 

 そんな中でカトリナが出し抜けに声を発していた。

 

「……待ってください、呼び声? 誰かが……あなた達を呼んだって言うんですか?」

 

「僕達は、ずっと呼ばれている。それは今でも……声は情報となって認識されているという事は、呼び声の主はまだ死んでいないと思われる」

 

「一体……誰が呼んでいたって言うんですか……?」

 

 ザライアンは一瞥を振り向ける。

 

 それは先ほどから車椅子に腰掛けている女性にであった。

 

 金髪で真紅の瞳が揺れている。

 

「……答えよう。それは――オリジナルレヴォル。僕達全員を呼んだのは、たった一つの存在だ。この次元宇宙に存在する、オリジナルレヴォルこそが、僕達を召喚し、そして滅亡の淵に立っている事を告げている」

 

「オリジナル……」

 

「レヴォルって……」

 

 カトリナとバーミットが驚嘆する中で、レミアが切り口鋭く問い返す。

 

「それは、私達の擁していた《レヴォル》そのもの……なのかしら?」

 

 一拍の沈黙の後、ザライアンは答えていた。

 

「……恐らく、この次元宇宙で実装されていた《レヴォル》は、少し違う。彼女……ヴィヴィー・スゥの証言と擦り合わせるに、この次元宇宙で《レヴォル》と呼ばれていた存在は、僕らを呼んでいた“ガンダム”ではない」

 

「……ガンダム……?」

 

「僕達はそれぞれの次元宇宙にて、技術特異点と呼ばれた存在と共に、この世界に舞い降りた。世界を救済するために。その名前は、偶然の一致か、あるいは必然か。僕達は機動戦士の名を取り、そして操る機体は全て、本来の名前は《ガンダムレヴォル》である、と」

 

「ガンダム……機動戦士……ガンダム……」

 

 メイアは口中に繰り返しつつ、ザライアンの語る論調がどこか懺悔めいているのを感じていた。

 

 これまで他者に話せなかった事への悔恨と言うよりも、それを口にする事、それ自体が禁忌であるかのように。

 

 レミアは挙手し、発言していた。

 

「私達がモニターしていた《レヴォル》は、MF05、《フィフスエレメント》であった、という情報はある。あなた達を呼んでいたのは、じゃあもっと原初の、ものであったと?」

 

「……分からない。存在は感じるんだが、とても微弱なんだ」

 

「既存のMFではない……と見るべきかしら?」

 

「……《サードアルタイル》の放つ波長とも、まして現状、稼働している《ダーレッドガンダム》……あれとも違うのは、感じるんだが……明確にそれを認識する事は出来ない。MFから降りてしまっている現状では、もっとだ。それに、少しずつその波長は……僕達にとって無力なものへと変じつつあるのを、感じ取る。僕達、波長生命体には……」

 

 その言葉が放たれた瞬間、カトリナがハッとして声を張っていた。

 

「波長……生命体……。教えてください……っ! 波長生命体って言うのは、何なんですか! 一体何が……普通の人間と違うって……!」

 

「カトリナさん、落ち着いてちょうだい。今はお互いの情報の擦り合わせが急務よ」

 

「で、でも……っ! じゃあクラードさんは……あんなに苦しんだ意味が……! 少しは報われるはずじゃないですか! 自分以外の波長生命体が居るっていうのなら……!」

 

「気持ちは分かるけれど。カトリナさん、落ち着いてくれる?」

 

「い、いえっ……! ここで退けば、だってクラードさんが……!」

 

「――落ち着いてと! 言っているのよ!」

 

 机を叩いて立ち上がったレミアの怒声に、カトリナの言葉は遮られた。

 

 震える声音で、レミアは顔を向けずに告げる。

 

「……あなただけが……クラードの心配をしているんじゃ……ないのよ」

 

 



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第276話「光るなら」

 

 カトリナは軽くよろめき、後ずさっていた。

 

 メイアは会議を進ませる。

 

「……いいかな? 波長生命体、それってさ。宇宙人とかとは違うんだ?」

 

「宇宙人と言うのがどういうものを指すのかにもよるが、別の世界における、オリジナルレヴォルを感じられる存在の総称として、僕らは使っている。生態波長を共有する者同士、と言う意味もある。……これは言っていなかったが、僕らもまた、“クラード”である、と言うのは」

 

 カトリナは呼吸音と大差ない声で、どういう、と問い返していた。

 

「……別の次元宇宙の“クラード”。別の言い方ならば次元同一個体。ドッペルゲンガーのようなもの、と言えばいいのだろうか。僕も、ヴィヴィー・スゥも、そして死んで行ったMFパイロットは全員、“ガンダムレヴォル”を動かすに足る機動戦士……“クラード”だ」

 

 絶句した様子のオフィーリアクルーに比して、メイアはどことなく冷静であった。

 

 それならば、一つの結論に行き着ける。

 

「……キミらもクラードなら……じゃあ今日まで会わなかった理由も頷ける。お互いの物理干渉はそれだけで危険だった。何が起こるのか分からないだろうからね」

 

「彼らは本当に、約定の効果以上に自分達が物理接触を行えば、それだけで未来は変動値を起こしかねないと危惧していたのよ。だからこそ、今日までMF同士は結託しなかった。お互いの情報もまるで知らないまま、見知らぬ宇宙に投げ出されていたのよ」

 

 マーシュの補足でようやく、レミアは席につく事が出来たようであった。

 

 スケールの大きさもそうならば、MFが物理接触を避け続けていた理由がお互いの存在そのものへの忌避など誰が想定するだろう。

 

 彼らは存在するだけでこの来英歴を左右しかねない運命を宿して訪れたのだ。

 

「……でも、じゃあどうして……今になって真実を……」

 

 圧倒された様子のバーミットの声音に、ザライアンは応じる。

 

「僕達を利用して、ダーレットチルドレンの一掃を図った勢力がある。その名は、エンデュランス・フラクタル」

 

 まさかここになってエンデュランス・フラクタルの名前が浮かび上がるなど想定もしていなかったのだろう。

 

 レミアは額を押さえて、待って、と声にする。

 

「待ってちょうだい……。いえ、でもそれは……じゃあエンデュランス・フラクタル上層部は、全て承知の上……という事?」

 

「そうなのだと考えられる。《ネクロレヴォル》と言う存在の量産、それによって統制を行い、この世界にレヴォルの意志と言う名の福音をもたらした。……いや、違うな。呪いか。彼らはただ、技術としてレヴォル・インターセプト・リーディングを実装させたんじゃない。いずれ来たる時のために……準備していた。ダーレットチルドレンを壊滅させるために」

 

「でも、ここまで完璧に偽装し続けてきたダーレットチルドレンの、その尻尾を掴んだって言うのは……? それが理解出来ない……」

 

 ダーレットチルドレンは「約定」の能力があるはずだ。それなのに正体を掴ませた状態で、相手に追われるような間抜けとは思えない。

 

「……僕達にも不明だが……エンデュランス・フラクタルはダーレットチルドレンの思惑を理解し、その上で壊滅計画を建てるだけの存在が居るとしか思えない。それがともすれば……オリジナルレヴォルかもしれないとは」

 

「……いずれにせよ、私達は本社と事を構えつつ、ダーレットチルドレンも追わなければいけなくなった……でも、相手はそこまで万能に成り立っているって言うのなら、人間が手に負えるような代物なの?」

 

「それに関しては、これを」

 

 イリスが率先して投射映像を机の上に映し出していた。

 

「これは……月面……?」

 

 月の天球図が浮かび上がり、マッピングされたそれを指し示す。

 

「かつてあなた方は、月の裏側、テスタメントベースに至った。それは賢人たるエーリッヒに出会うために」

 

「……テスタメントベース……」

 

 口中に繰り返したカトリナは、それ以上の意味を見出しているようであった。

 

「エーリッヒはあなた方と遭遇し、そして自らの生存のための行動に出た。その答えの果てが、現状であると推測される」

 

「テスタメントベースは……自爆したんじゃ……」

 

「ダーレットチルドレンの住まう場所……聖堂と呼ばれる空間は、テスタメントベースの内側……月の内部だ」

 

 ザライアンの言葉に、メイアが声にする前に投射映像が変移する。

 

 それはテスタメントベース跡地に建てられた打ち上げ基地であった。

 

「一週間前の映像だ。恐らくは完成している。ダーレットチルドレンは間もなく、この宇宙を発つつもりだ」

 

 打ち上げ基地には脊椎を思わせる構造物が屹立していた。

 

「……ダーレットチルドレンは、この来英歴を支配してきた。だって言うのに、どこへ行くって言うの?」

 

「考えられるのは……僕らの故郷……ダレトの向こう側だと、思われる」

 

 ザライアンの論調に逡巡を浮かべる前に、マーシュが立ち上がる。

 

「私達は、それを阻止すべく、動いている。マグナマトリクス社も恐らくは、既にエンデュランス・フラクタルの思惑に組み込まれ、ダーレットチルドレンの炙り出しのために動いているはず。その結果はあなた達が地上で目の当たりにした通り」

 

「……魔獣……IMFの開発……」

 

 マーシュは頭を下げていた。

 

「協力して欲しい。虫のいい話だとは思うけれど……ダーレットチルドレンの目論みさえ打破出来れば、私達には光明がある。MFのパイロットがこの次元宇宙に縛られ続ける必要性もない。何よりも、睨むべき敵は一つだと、そう思ったほうがお互いにいいはず」

 

「マーシュ……キミは……」

 

 結論は艦長に投げられた結果になった。

 

 レミアはしかし、すぐには承服しなかった。

 

「……考える時間をちょうだい。そうでないと……取りこぼしかねない」

 

「構わないが、時間もない。ダーレットチルドレンがダレトの向こうを目指したその時……何が起こるのかまるで分からないんだ。ダレトは基本的に、一方通行な代物なはず。だと言うのに、その流れを超えようと言うのが……」

 

 ザライアンにしてみれば、今日まで辛酸を舐めさせられた存在。

 

 一刻も早く討ちたい気持ちも分からないわけでもないが。

 

「……だから、ちょっと待って。情報が多過ぎるわ……。別の次元宇宙から来たMFに……あなた達が皆、“クラード”だったなんて……。それはじゃあ……私達の強いてきた道は、間違いだったと言うの……?」

 

「フロイト艦長。私達、ラムダのエージェントは彼らと行動を共にする。現状、最悪の手として考えられるIMFのうち一角、《ヴォルカヌスカルラ》。それを倒さない限り、我々はダーレットチルドレンに打って出る事も不可能なら、この世界で戦い抜く事も難しい」

 

「ようやく王族親衛隊を退けられた。あの万華鏡、ジオ・クランスコールも打倒出来た今だからこそ、本来の目的に戻りたい。……僕らはきっと……そのために存在し続けたのだろうって、思えるから……」

 

 イリス達との、それは断絶に思われた。

 

 もう自分と共にライヴをするつもりもなければ、ギルティジェニュエンを続けるつもりもない。

 

 世界の選択肢と言う、大きなものに流されて、その上で戦い抜くと言う覚悟。

 

「……何だよ、それ……」

 

 メイアは拳を骨が浮くほどに硬く握り締めていた。

 

 ようやく再会出来たのに、仲間達が別の場所を見据えているなんて性質の悪い冗談だ。

 

「メイア。分かってくれるはずよね? これまで一緒に戦ってきたんだから……」

 

「分からない……分かるもんか! そんな……お題目掲げてさ、一端に偉くなったつもり? イリス! キミはいつだって、ボクと一緒に……バンド活動してきたじゃんかぁ……っ! だってのに、そんなのないよ! 世界だの何だの言って、キミの本当にしたい事なの、それは!」

 

「本心よ。それ以外にない」

 

 本当に、疑う余地などないとでも言うような言い草に、メイアは頭を振る。

 

「そんなの……知らない。ボクは……世界がどうなるかなんて……興味もない。ようやく……さ! ようやくみんなともう一度会えたってのに、こんなのってないよ! ……だったら、ボクは世界に無関心のままで……いい」

 

 身を翻し、会議室から逃げるように歩み出る。

 

 こんな事なら、知らないほうがよかった。

 

 無関心のまま、戦いの前線に赴かないほうがよかったに違いない。

 

 だって言うのに、時は無情にも流れていく。

 

 自分の決断が、これまでの想いが、無駄だったのだと断ずるかのように。

 

 無重力ブロックに流れ出て、メイアは気持ちの落ち着けどころも分からずに、壁を殴りつけていた。

 

 浮かび上がった肉体が、今ばかりは寄る辺もない。

 

「……何だってこんな……」

 

 否、分かっていたはずだ。

 

 イリス達は行動しなければ、本社に始末されていた。

 

 自分だって、奇跡的にピアーナの居るモルガンに捕まったからこそ、今がある。

 

 結果に全ては集約される。

 

 今は、その結果が恨めしいだけ。

 

「……何だって、こんな事に……、なっちゃったんだろ……」

 

 涙の粒が頬の表層を滑っていく。

 

 自分の行動の結果だろうに、誰かのせいにしてしまいたかった。

 

 だから――こんな時に、出会えるとは思いも寄らない。

 

「……メイア・メイリス。何をしている」

 

「……クラード……?」

 

 目線を振り向けた先には医務室から今しがた出てきたクラードが全身に包帯を巻きつけていた。

 

 RM施術痕が蒼く滲み、包帯の端から滴が伝い落ち、無重力に晒される。

 

 お互いの間に浮かび上がった蒼い血液の玉に、メイアは鼻をすすってから応じる。

 

「……聞いたよ、それ。波長生命体とか、何とか」

 

「……会談の様子は医務室でもリアルタイムで聞き及んだところだ。ダーレットチルドレン、来英歴を支配する、闇の勢力、か」

 

「じゃあ話が早いね。キミは……やっぱり戦うの? ダーレットチルドレンを打倒して、その末に……叛逆を描くために」

 

 クラードの答えなんてきっと分かり切っている。

 

 彼に迷いなんてないのだから。

 

 ――ああ、ダーレットチルドレンを倒し、俺の叛逆を果たす。

 

 きっと、そう言ってのけるはずだ。

 

 明瞭なほどに分かりやすい、そうなのだと、判じた神経は直後のクラードの言葉に不意打ちを受けていた。

 

「……いや、どうなんだろうな。確かにラムダ側の話を擦り合わせるに、ダーレットチルドレンが危険なのは分かる。だが、俺は自分で思っている以上に……奴らを憎む事なんて出来やしない」

 

 呆けていたせいであろう、クラードは尋ね返す。

 

「どうした? 何か可笑しな帰結だったか?」

 

「……いや、ちょっと、……うん、そうかも。キミは、いつだって前を向いていたから。だから、答えなんて……その……分かり切っているのかなって、そう思っていたのはボクの驕りかな。キミはきっと、ダーレットチルドレンを打倒して、自分の叛逆を成し遂げるものだと」

 

「その気持ちは常にある。だが、ダーレットチルドレンとやらを倒して、ではこれまで散って行った者達に報いる事が出来るかは別の話だ。俺は……奴に託された。万華鏡、ジオ・クランスコールに……愛する者達を守れ、と。俺の愛する者達は……一体誰なんだ……」

 

「何だ、そんな事。そんなの、心に従えばいいんだよ。今まで守りたいと、その命に代えてでも、戦って守り抜きたいと思った人達の事を思い浮かべながら、戦っていければいいはずなんだ」

 

「だが……俺はもう、人間ではない。波長生命体だ。そして、《ダーレッドガンダム》を動かす唯一の部品。そんな存在に……心なんてものがあるのか? 愛する者達に、後悔しない戦いを、と奴は言い残して、死んで行った。それも心に殉ずるという事なのか? だとすれば……俺の心はどこにある? 誰のために手打ちにすればいい?」

 

 純粋な疑問そのもののようなクラードの論調に、メイアは窓の外へと視線を投げる。

 

 宇宙の常闇は人間の迷いなど全て吸い込んでしまうかのように深く昏い。

 

 それでも、ヒトは叡智の光を伴わせて、今日まで深淵の宇宙を漂ってきた。

 

 鋼鉄の兵士を身に纏い、それで殺し合う術さえも覚えて。

 

「……きっと、さ。後悔しないなんて、嘘なんだ」

 

「嘘? ……ならどうすればいい? メイア・メイリス。俺はどうするのが、正しい……」

 

「知ったこっちゃない! ……ってところだと思うけれど?」

 

「知った事ではない……?」

 

 メイアはクラードへと一足飛びで歩み寄り、その腕を握り締める。

 

 包帯が巻かれた蒼い血潮が流れる腕と、自分のRM施術痕の腕とを翳す。

 

「きっと、さ。そんなもんなんだよ。……知ったこっちゃない、誰かの犠牲も、誰かの気持ちも、遺すべき想いも……知ったこっちゃないってね。だって、キミはエージェント、クラードだろう? だったら、最後まで成すべきと思った事だけを成すために、この世界で叛逆を続けて行けばいい。それがきっと、キミの存在価値を決める、最後の指針だ」

 

 お互いのRM施術痕を翳していると、クラードは茫然としていた。

 

「どったの? 別に可笑しな事でもないでしょ?」

 

「いや……こうしてお互いの戦果を確かめ合うような真似をしたのは……随分と久しぶりに思えてな。三年の月日が経ったとはいえ、俺はまだ、縛られ続けているのかもしれない。戦いの舞台は……月面、テスタメントベース、か」

 

「三年前の月軌道決戦のあの日から、ボクらも時間は止まったまんまだ。……一緒に、踏み出そうよ。だって間違いだけを、正すんでしょ? キミの力なら」

 

「……あの日そう言って俺と《レヴォル》を送り出した人間だ。説得力があるな」

 

「でしょ?」

 

 そう言ってようやく笑える。

 

 打算もなく、無意識に。

 

 ずっと出来ていたはずの所作も、こうして誰かと共に居なければ砕け落ちてしまうほど脆かったのだと思い知る。

 

「……メイア……!」

 

 背中にかかった声に、メイアは振り返る。

 

 息を切らして、イリスが無重力ブロックへと踏み込んできていた。

 

「……来ないで。ボクは多分……駄目だ。駄目なんだよ。人類のためだとかそう言うお題目で戦うのはきっと……向いていない。だから、ただのそんじゃそこいらに居る人間で――」

 

「ライヴ……」

 

 イリスの喉より漏れ出た声にメイアは瞠目する。

 

 彼女は必死に、搾り出すように言葉にしていた。

 

「……許可が出た。ライヴ……してもいいって、マーシュ艦長が……」

 

「……本当に? ボクを引き留めるための、一時の嘘じゃなくって?」

 

「……嘘なら、分かるように鼻が利くでしょう? メイアなら」

 

 イリスの声音に嘘の感覚はない。

 

 だが、ここで信じて馬鹿を見ていいのだろうか。

 

 イリス達の思惑はきっと、世界と言う盤面そのものを覆す戦いだ。

 

 だと言うのに自分は――まだ、“罪付き”のメイアのままで、いいと言うのだろうか。

 

「……メイア・メイリス。お前が言った通りだ。心に従うと言うのならば、ここでの行動は決まっている」

 

 クラードの言葉に、メイアはそっと感慨を噛み締めていた。

 

 嘘ではないのなら、ここで信じてもいいのならば。

 

「……イリス、もう一度……ボクと歌ってくれる……の?」

 

「……当たり前、でしょ」

 

 先ほどまでの超然とした佇まいではなく、バンドメンバーとしての声に、メイアは目頭が熱くなる。

 

 涙を拭ってから、クラードへと向き直っていた。

 

「……ありがとう。ボクはもう一度……憂いなく行ける」

 

「そうか。俺は別段、特別な事をした覚えもないのだがな」

 

「言ってくれちゃってぇ。……けれどまぁ、感謝かな。クラード、頬っぺた」

 

「何だ?」

 

 クラードが認識する前に、その頬へとキスをする。

 

 相手が意識を振り向けたその時には、メイアは悪戯っぽく笑って手を振っていた。

 

「バイバイ、クラード。キミにとっておきの、歌をプレゼントするよ!」

 

 そうして踵を返した自分へと、クラードは言葉少なであった。

 

「……そうか。それもいいのかもな」

 

 



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第277話「叛逆の魔獣」

 

『有用な駒も消えた。これは由々しき事態である』

 

 全体の意識を震わせた思考会話に、しかし、と反論が返る。

 

『我々の赴く先を知っている存在がそう多く居るとも思えない。居たとして、我らを止められるものか。現行人類では頭打ちがやってくる事は必定。ダレトの向こうに旅立つのに、六十億はひっ迫するだけだ。よって、裁定者として我々は存在する。人々の意志を高次に向かわせるための、これは大いなる旅路だ』

 

『IMF04、《マルドゥック》の開発状況は80パーセント。もしもの時には、緊急を要して旅立つ事も可能ではある』

 

『《マルドゥック》の開発には《サードアルタイル》のデータが有用であった。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーは我々にギフトを授けたも同然だ。しかし、意想外であったのはジオ・クランスコールの自滅か』

 

『奴の思考回路にはバグがあった。そう認識するほかあるまい。元々、無理があったのだ。やはり、我らと違い、言葉を弄して会話をする個体など、意味などなかった。思考会話の出来ない、成長だけする出来損ないは始末出来て助かったほどだろう』

 

『だが、王族親衛隊が一連隊分、消えてしまったのは痛い損害だ。しかも手練れの者達であった』

 

『補填するのに、時間はあまりに少ない。やはり、月軌道へと、要らぬ敵を近づけせないのが先決――』

 

 その議決を取る前に、ダーレットチルドレンの聖堂を揺るがしたのは爆撃であった。

 

『……何だ、今の衝撃波は』

 

『よもや、敵か?』

 

『MFならば関知出来るはず。敵の照合をもたらせ』

 

 一斉にダーレットチルドレンの思考捕捉が宙域へと網を巡らせたが、その速度を遥かに凌駕する高機動の疾駆が月面すれすれを奔る。

 

『……この速度……加えてこの状態の機体は……』

 

『照合データを。……よもや、実在していたとはな。《レヴォルテストタイプ》……』

 

 機体照合に晒された敵機へと、月面の自動迎撃システムが起動するが、どれもこれもおっとり刀で、砲身を根元から断ち切られていく。

 

『あの性能は……! 聖獣か!』

 

『否、聖獣との反証は不可能。データベース上に存在しないMS……いいや、これは最早既に……IMFと言ったほうが正しいだろう』

 

『《レヴォル》の躯体を纏ったIMFなど……居るものか!』

 

 砲撃が月面を突き抜ける中で、ミサイルの照準が不明機を捉え、一斉掃射されるも相手は純粋な速度だけで圧倒していた。

 

 直後には六翼の翼が拡張し、そこから放たれたミラーヘッドの蒼い残像磁場がミサイルの機能を奪っていく。

 

『チャフか? ……いや、ミラーヘッド構築時に発生する特殊磁場で照準を偏向させたと言うのか……』

 

『そのような真似が出来るなど……それこそ我らの用意した万華鏡以外に存在するまい! 一体何者なのだ……!』

 

『《マルドゥック》を墜とされるわけにはいかない。間に合わせだが、《プロトエクエス》で応戦する』

 

 月面から出撃した《プロトエクエス》はしかし、無人機だ。

 

 全て、思考拡張で稼働させた機体にはミラーヘッド時のラグも、そして特殊なオーダーの獲得も必要ない。

 

『全て、同一と見なされた躯体の操るゆうに百を超えるミラーヘッド! 第四種殲滅戦のその真髄を喰らうがいい!』

 

 ミラーヘッドを展開した《プロトエクエス》自体は型落ち機だが、全て中身は最新鋭に整っている。

 

 もたらされる銃撃の雨嵐に、たった一機の叛逆機は成す術もなく叩き落とされるはずであった。

 

『そうか……では、こちらも第四種の流儀に従い――制圧する! ミラーヘッドオーダーを受諾。レヴォル・インターセプト・リーディングよ。私に……従え……ッ!』

 

 瞬間、敵機も分身体を展開し、《プロトエクエス》百体の部隊に向けて刃を振るい上げる。

 

『馬鹿な真似を! 百の大隊を前にして、たった数体のミラーヘッドで勝利出来るものか!』

 

『やってみなくては……分からんさ!』

 

《プロトエクエス》の銃撃網と多重ロックオンの嵐を、漆黒のレヴォルタイプは超加速度で潜り抜けていく。

 

 ミラーヘッドの段階加速をもってしても、その速力はあまりにも人間離れしていた。

 

『……何だと! 速過ぎる……!』

 

『《プロトエクエス》の現行アイリウムでは、あの機体を凌駕出来ないだと……!』

 

『アイリウムの処理速度がまるで段違いだ。……一体何者が乗っていると言うのだ、あのレヴォルタイプは……!』

 

『アイリウムの処理速度、か。あなた方の胡坐を掻いた代物では、それは呼ぶに値せず、と言う。百を超える《プロトエクエス》の包囲網――超えさせていただく!』

 

《プロトエクエス》の分身体を携えた蒼い残像を引く刃で斬り裂き、急加速と急上昇を連鎖させた敵機は、翼より放出される磁場でミラーヘッドを麻痺させていく。

 

『ミラーヘッドが……これは気化……だと言うのか? 分身体が次々に、電子信号を拒否していく……』

 

『ミラーヘッドジェルで構築された分身体を電荷前の状態へと変移……磁場放出で電位体を痺れさせ、その期に乗じてミラーヘッドの完全なる無力化を行う……。あり得ない、今の来英歴に、そんな機体は存在しない……』

 

『まさか、統合機構軍が開発していた、ミラーフィーネか?』

 

『反証不可。ミラーフィーネシステムは現行のミラーヘッドに対し、別のオーダーを走らせる事で重複させ、命令系統を崩すシステムだ。第一、我々とてその恩恵は受けている。《マルドゥック》に内蔵されているミラーフィーネは最新型のはずだ。だと言うのに、何故だ? 何故あの機体は、ミラーフィーネシステムに類するものではないと、判定出来る……!』

 

『お答えしよう。《レヴォルテストタイプ》を極めたこの機体には、既に現行のミラーヘッドを超え、そして無効化する術が搭載されている。これはあなた方が想定していたミラーヘッド技術の、遥か五十年は先を行く未来のミラーヘッドだ』

 

『五十年後のミラーヘッド……第四種殲滅戦だと? そのような技術、地球で精製されるものか!』

 

『……否、相手が純正の地球で開発されたMS……IMFだとすれば、一つだけ類似する例がある……。しかし、その行方は……我々の物のはず……』

 

 聖堂にもたらされた情報にアクセスし、ダーレットチルドレンの総体はテスタメントベースの奥深くに封印されし「それ」を関知していた。

 

『……確認した。持ち出されたわけではない』

 

『だとすればそれこそ……あれの存在を容認出来ない』

 

 敵機は《プロトエクエス》の蒼い血潮を照り受けさせ、胴体を掻っ切る。

 

 ビームサーベルを逆手に握り締めた機体はそのまま柄の部分を接合させて、剣をテスタメントベース跡地の打ち上げ地点へと投擲していた。

 

 最重要機密たる《マルドゥック》のすぐ傍に突き立った刃は、狙いを少しでもつけられれば確実に陥落させられる自信に満ちている。

 

『……よかろう。貴様の強さ、認めよう』

 

『そして、何が望みだ? ここまで来たという事は、貴様も来英歴の人間として、一家言あると見ていいのだろうか』

 

『来英歴の人間? ……いいえ、既にこの身は、そのような雑事に囚われるに非ず。ただ一刹那の戦いに踊るだけの死狂い、それこそが我が宿願、我が敗北(ヴィクトゥス)の辿る一路でしょう』

 

『ヴィクトゥス……。貴様、王族親衛隊、ヴィクトゥス・レイジ特務大尉か……! 消息不明との報告であったが……』

 

『死んでいましたとも。ですが、序列には従うと言うのが私のポリシーでね。見えている本丸に対して、指をくわえてただ静観するだけと言うのは違う事くらい、馬鹿でも分かる』

 

『本丸と言ったからには、貴様……我らを墜とすつもりか』

 

『それは交渉次第と言わせていただく。《プロトエクエス》百の躯体を超えるこの力、ただ闇雲に敵と断ずるのには惜しいはずでしょう?』

 

『……何を言わせたい、貴様……』

 

 銀盤に降り立った漆黒の機体はレヴォルタイプ特有の射る眼光で《マルドゥック》を睨んでいた。

 

『一つ、そうたった一つです。――この力、買っていただきたい』

 

 取り出したビームサーベルを発振させたまま、敵機が歩み寄ってくる。

 

 このままでは《マルドゥック》が墜とされるのは必定であろう。

 

 リミットが迫る中で、ダーレットチルドレンは決断をしなければいけなかった。

 

『買う……だと? 何の目的があるか分からぬ貴様をか』

 

『目的ならば、既に明瞭のはず。私は王族親衛隊に入った時より、一つ事だけを望んでいた。即ち、この朽ち果てた身と踊るに足る、最高の戦場の提供だ』

 

『……鏡像殺しのような事をのたまう。貴様、戦闘狂に堕ちたと言うのか』

 

『そうとしか映らないのならば、それで構わない』

 

 全体へと思考観測がもたらされていた。

 

 ここでヴィクトゥスの言い分を取れば、どこかで計画にひずみが出るだろう。

 

 しかし、相手の言い分を取らなければ、眼前に迫るのは破滅。

 

 何よりも――百を超える《プロトエクエス》の洗礼に耐えただけの強者なのは間違いない。

 

 万華鏡の穴を埋めるのには、彼ほどの適任も居ない。

 

 その刃が振るい上げられる。

 

 最早、《マルドゥック》は射程距離であった。

 

『……問う。ここで貴様を擁して、では何の利害があるか』

 

『では逆質問させていただくが、ここで私を止めずして、あなた方はどうするのか。まさか、ここまで大仰に設営されたIMFをむざむざ破壊されるのをよしとするわけでもあるまい』

 

 ヴィクトゥスの論調にはまるで迷いがない。

 

 ダーレットチルドレンは反証するような余裕もなく、彼の願いを聞き届けるしかなかった。

 

『……了承した。貴様を我々、ダーレットチルドレン直属の王族親衛隊、隊長へと任命する』

 

 その言葉で刃の発振が止まり、ヴィクトゥスは矛を収める。

 

『……しかし縛られる身分と言うのはいただけない。きっと、彼は来る。この月軌道、テスタメントベースへと。その時には、誰の言葉も聞かず、命令も受け付けない。私は彼と戦えれば、それでいい』

 

 ここまで破格の条件でも、今のダーレットチルドレンが呑まなくてはいけないのは、肉薄せしめた実力もそうならば、局面もそうである。

 

『……我々はここで終わるわけにはいかぬのだ』

 

『左様……よって、ヴィクトゥス・レイジ。特務大尉より昇格、王族親衛隊を束ねる大佐の任を命ずる』

 

『だが先の戦いで、王族親衛隊は散り申した』

 

『……安心材料になるかは分からぬが、我々の操る《プロトエクエス》は健在。よってこれらを貴様の部下とせよ』

 

『死の傀儡を操るのをよしとする、か。まさにこの終わりの局面には相応しい。……よろしい。その命、引き受けましょうぞ』

 

 ダーレットチルドレンはしかし、この喉笛まで至った殺気に中てられていた。

 

 この五十年余り、ここまで肉薄した単一存在は観測してこなかった。

 

 あったとすれば、たった一件――。

 

『……ヴィクトゥス・レイジ特務大佐。その《レヴォルテストタイプ》は誰より預かった?』

 

 その問いかけにヴィクトゥスは一拍置いた後に、感慨を噛み締めたようであった。

 

『……守るべき信念を置く者より。時を超えし想いの形として、我が刃と結実する』

 

 



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第278話「証だけを」

 

「ライヴが催される……? そんな事している場合じゃ――!」

 

 言い出しかけたのをサルトルが制する。

 

「そういう場合なんだろうさ。今回みたいな土壇場じゃ、特に、な」

 

 アルベルトはコックピットブロックの配線を手伝いながら、後頭部を掻いていた。

 

「納得出来るかって言うんすよ。……そりゃ、オレみたいなのが口出しする領分でもないんでしょうが」

 

「慰安ライヴ……って建前だろう。……正直、オジサンとしちゃ、ギルティ……何とやらは分からんが、それでも、な。ここまで酷な現実を突きつけられたままで最終決戦とはいかんのも分かるんだよ」

 

 サルトルは《アルキュミアヴィラーゴ》の整備班へと声をかけ、駆動系を確かめさせる。

 

「トーマ! どうなっている?」

 

『こっち、脚部問題なしっす。他の油圧とかも見てください。アルベルト氏! コックピットから反応速度、多分、マイナス2以下だとは思うんすが』

 

「分かってっよ……。ちぃと待てって……」

 

 ライドマトリクサー接続口へと両腕を翳したところで、視界の隅で丸まっているマテリアを認める。

 

 彼女はスリープモードに入ると言ったきり、コックピットに横たわって寝息を立てていた。

 

 少しは存在力が回復したからか、ピアーナの頭身にまで戻ったマテリアは普通の少女のそれと変わらず、豊満な肉体は逆に目に毒だ。

 

 アルベルトは鼻っ面を指でつまんでいた。

 

 ふがっ、と人間がそうするように呼吸困難で起き上がったマテリアは自分を直視するなり呆然とする。

 

「……起きたか?」

 

『“アルベルトさん……”』

 

 起床の際に少しは交わす言葉でもあるか、と考えていたアルベルトは直後に顔を真っ赤にしたマテリアの言葉に想定外に叩き起こされる形となる。

 

『“だ、誰かー! アルベルトさんに襲われるー!”』

 

 思わず吹き出し、アルベルトはマテリアを取り押さえようとしたが、それが余計に彼女の言葉に説得力を持たせていた。

 

『“あ、アイリウムだからって寝起きを襲うなんて! アルベルトさんはやっぱり、ケダモノですね!”』

 

「あ、アホ抜かせ! ……ったく、ちょっとは心配したこっちの身にもなれってんだよ」

 

『“ふぅーん、心配ですか。ですが、このパーフェクトなボディを持つわたくし相手に、全く欲情しなかったとでも?”』

 

「……するわけねぇだろ。見た目ピアーナなんだからな」

 

 頬杖を突いて憮然としていると、マテリアのよく分からない沸点に触れたのか、彼女はぽこぽこと殴りつけてくる。

 

『“何でですか! 少しはムラっとするものでしょう! ……ハッ! まさか本当に……アルベルトさん、ロリコンなので……?”』

 

「馬鹿言ってんじゃねぇよ! ……って言うか、ピアーナも五十超えてんだろ。それも変なんじゃねぇの」

 

『“あー! 若いのがいいんですね! どうせ若いのが! やっぱり、ちょっと少女趣味じゃないですかぁー! ふぅーんだ! どうせ、古株アイリウムですよーだ!”』

 

「……誰もそこまで言ってねぇだろうが。第一、調子はもう大丈夫なのかよ?」

 

 こちらが慮ると、マテリアは狭いコックピットの中で身体をひねる。

 

 正直、邪魔だがまた逆鱗に触れかねないので黙っておく。

 

『“うぅーん……ちょっと寝過ぎましたかね?”』

 

「それならいいんだがな。……強制的にスリープモードに入ったから、少しはこっちだって責任感じてたんだぞ」

 

『“じゃあ、責任……取ってくれるんですか?”』

 

 頬を赤らめたマテリアの広域通信の声に、アルベルトはコックピットの中で思わず立ち上がっていた。

 

 見事に脳天をぶつけ、痛みに悶絶する。

 

「バ……ッ! 馬鹿言ってんじゃねぇよ! つーか誤解生むだろ! 誤解!」

 

『“ふぅーん、少しは元気になったじゃないですか。あれだけ死ぬ思いで戦っていたって言うのに”』

 

 その言葉繰りにはアルベルトも返す言葉もない。

 

 トキサダの《プロミネンス》の怨念にあのまま身体を持って行かれていた可能性だってあったのだ。

 

「……お前、確信犯で言っただろ」

 

『“ちょっとは調子戻ったのはそっちじゃないんですか? ……あんな風に戦って欲しくないんですよ。《アルキュミアヴィラーゴ》のアイリウムとして……これは混ざり気のない本音です”』

 

 死ぬ気で戦えば、それだけマテリアからしてみれば恐怖の戦場だと言うわけか。

 

 アルベルトは少し不貞腐れて、マテリアから視線を外す。

 

「……分かってんだよ。理屈の部分じゃ、な。ユキノとお前に助けられたんだって事くらいは。けれどよ、こればっかりは譲れねぇんだ」

 

『“何ですか、それ。馬鹿のする事じゃないですか。自分から死にに行って、それでこれだけ銃弾喰らって。アルベルトさん! 聞いてます?”』

 

「あー、うっせぇなぁ。お前、アイリウムだろ? ……何だってここまで自我があるってんだよ」

 

『“あなたのアイリウムだからですよ! ……《アルキュミアヴィラーゴ》にこれだけ無理させて、しかも整備班の皆さんは一晩中修理ですよ! 分かってるんですか! どれだけ自分が無理な事を仕出かしたのか!”』

 

「……それは悪ぃと思ってんよ。……でも、それとこれとは別だろうが。トキサダは……あいつはオレが介錯してやらなきゃいけねぇ。そういう……使命感みたいなのが、絶対にあるはずなんだ。あそこまであいつを追い込んだのはオレの行いみたいなもんさ。だから……譲れねぇ、漢の、戦いだ……」

 

『“ふぅーん……言うじゃないですか。けれど! もう二度と、あんな死にに行く戦い方はしないでくださいよっ! わたくしじゃなかったら、あんな機動、耐えられずにオーバーヒートしちゃいますからねっ!”』

 

「……うるせぇなぁ。今もオーバーヒートしてんじゃねぇの?」

 

 額を触ってやると、マテリアは耳まで真っ赤になって自分を突き飛ばす。

 

 今度は無重力で肉体が転がって後頭部を痛めていた。

 

『“えっち! ばかっ! 信じられませんっ! ……いきなり女の子に触る人が居ますかっ!”』

 

「痛ってー……てめぇ……こっちは心配してんだぞ? よく吼えられるもんだよ、ったく」

 

『“アルベルトさん、そんなのじゃろくすっぽ女の人には振り向いてもらえませんね! 今日まで彼女の一人だって居なかったんじゃないですか!”』

 

「……ったく、余計なお世話だっつぅ話だよ。第一、そんなんで次の戦いに備えられるんだろうな?」

 

『“ふっふーんだ! アルベルトさんに比べれば、どうです? わたくしの優秀さは! オリジナルのわたくしなんかよりもよっぽど優秀でしょう? 《アルキュミアヴィラーゴ》の火器管制システムと新規装備された武装の同期処理! それに機体制御スラスターとミラーヘッドビットの管制制御だってやってのけるんですよ? すごいでしょー!”』

 

 胸を反らしたマテリアに、アルベルトは大仰なため息を漏らしていた。

 

「……そいつは、よく出来たこって。それにしたってなぁ……この非常時になかなか落ち着いてもいられねぇってのは本音なんだよ。どういうつもりで……メイアとか言うのはライヴなんざ……」

 

 マテリアが中空を見据えて情報を同期する。

 

『“ああ、メイア・メイリスのライヴ、ですか。スリープモード時の出来事だったので、つい今しがた認識しました。ふぅーん、いいんじゃないですかね、別に。次の戦いがある意味では決着になるんです。一服の清涼剤ですよ”』

 

「アイリウムのクセに分かった風な事を言いやがるんだからなぁ……。お前もそう思うのかよ」

 

『“現状を鑑みて、次に進むための儀礼的なものが必須なのは疑いようもないでしょう。ラムダのもたらした情報と、そしてダーレットチルドレンなる存在。どれもこれも、一昼夜で飲み込むのには大き過ぎます”』

 

 儀礼的、と評されてアルベルトは頬を掻く。

 

「……人間、そういうもんなのかもな。非効率でも前に進むための勇気ってもんが要るのかも知れん」

 

『“それこそ、アルベルトさんだってそうじゃないですか。前回の戦闘だって同じ事です。自分の価値観を突き詰めていけば、そこに生まれるのは必然的な己そのものでしょう?”』

 

「……ま、否定はしねぇよ。ただ……己ってもんに突き詰めていけば、結局は我儘にもなっちまう。その皺寄せみたいなのは……自分の中に持っておくべきだろうな」

 

『“うーん、分かりませんね。そこで自分の中で結局は葛藤が生まれるのは分かっているのに、何で求めるんですか? 妥協すれば、少しはマシな答えに辿り着けるのでは?”』

 

「……妥協なんてこの戦場に求めちまえば、オレはまた、三年前よりも深い後悔に呑まれちまう。だから、今回ばっかりはガチに真剣だ。自分の中でマジに成っちまわないといけない戦いは常にあるんだよ」

 

 何よりも――トキサダはモルガンにディリアンが居るのだと挑発した。

 

 あれがただの言葉の表層にせよ、事実にせよ、戦う理由には充分だ。

 

 自分達は今一度、ぶつかり合わなければ収束しない因果にあるのだろう。

 

「……トキサダ、何でお前は……そっちに行っちまったんだよ」

 

 我ながら女々しい自問自答に、マテリアは腰に手をやってふんと鼻を鳴らす。

 

『“そんなの、状況がそう決めただけの代物ですよ。ゴースト、ファイブが死んだはずのトキサダ・イマイであったと言うのは、オリジナルのわたくしでさえも知らなかったのですからね。こんな因縁、誰だって望んじゃいないはずなんです”』

 

「……だよな。望んじゃ……いないってオレは、でも信じたいだけなのかもな」

 

 かつての盟友との殺し合いなど、誰も望んでいないのだと、そう規定すればまだ正常な自分を保てる。

 

 だがもし、トキサダとの関係が修復不可能だとして。

 

 もう二度と、以前のように笑い合えないのだとすれば、自分は――。

 

「……オレは、戦う。己の我儘を貫き通すために、何よりも……凱空龍時代のあいつを、オレは誰よりも知っている。だからこそ、取り戻すための……ああ、そうか。クラードの言っていた奪還のための戦いってのは……こういう事なのかもな」

 

 奪還の戦いを掲げてきたクラードの辛さもまた、分かったような気がする。

 

『“……アルベルトさん、シャルティア委任担当官の直通です。繋ぎますね”』

 

 マテリアがアイドリング状態になり、シャルティアからの通信を接続させる。

 

『アルベルトさん、その……大丈夫……ですよね?』

 

 どこか所在なさげなシャルティアの声にアルベルトは平時のように応じかけて、彼女との不意な口づけを思い出す。

 

「あ、ああ……《アルキュミアヴィラーゴ》は整備班に任せりゃ、何とかなりそうだ。次の戦いがいつになるかは分からねぇけれど、この調子なら……元の戦力を取り戻せそうだ……な」

 

『それは……よかったです。あのその……アルベルトさん、今、《アルキュミアヴィラーゴ》が見える距離に居るんですけれど……近くに、行っていいですか?』

 

 一拍の逡巡の後に、アルベルトは首肯していた。

 

「……おう、いいぜ」

 

『じゃあ……』

 

 制服姿のシャルティアが視野に入り、アルベルトは思わず視線を逸らす。

 

 彼女はコックピットブロックに手をつくと、傍らに立つマテリアを気にかけていた。

 

「……あっ、マテリア……でしたよね? 戦闘警戒ですか?」

 

『“……べっつにー。何でもないですよー”』

 

 これは分かっていてわざわざ同席しているのだな、と言うのはアルベルトには察知出来たが、シャルティアは構わずに自分へと顔を近づけさせる。

 

「あの……アルベルトさん。前みたいな戦い方……やめて欲しいんですけれど……もうそんな事、言ってられなくなっちゃいました……よね?」

 

「あ、ああ……シャルも聞いたのか。ラムダの連中がもたらしたっつー、その、情報を」

 

「ええ、委任担当官として聞いておく必要性がありましたから。……でも、私としてはそれを知っても……結局、同じなんじゃないかって思うんです」

 

「同じ……ってのは?」

 

「……私達がやれるのは、目の前の事象だけ。地上で《ティルヴィング》を止めた時だってそうです。目の前の事に一生懸命になった結果が、この状況なんだと思います。だから、やる事もこれまで通り。ある意味じゃ、間違っていないと思います」

 

 シャルティアにしてはかなり冷静な物事の俯瞰にアルベルトは若干の当惑を浮かべていた。

 

「……その、なんだ……。お前って、そんな冷静だったか?」

 

 いつもならば、ここで怒声が飛んでくるのだろうが、彼女は寂しく微笑む。

 

「……アルベルトさんが、何度も無茶をするから、何だか慣れちゃったのかもしれません。そりゃ、私だって処理し切れていませんよ? 状況って言うか、局面で言えば。だって、来英歴全てを牛耳っていた存在が居て、それに唯一対抗可能なのが私達なんだって……。そんなの、納得出来るわけがありません。でも、今は信じなくっちゃ。伊達に三年間、レジスタンスしていたんじゃないんだって、見せつける時じゃないですか?」

 

「そ、そりゃあそうだがよ……。お前にはまだ、そこまで背負わせるのは酷っつーか……」

 

 駄目だ、とアルベルトは困惑する。

 

 シャルティアの顔を真正面から見られない。

 

 きっと、彼女からしてみれば、約束手形のつもりのキスだったのだろうが、今の自分には重く沈殿する。

 

「アルベルトさん? 大丈夫……ですか?」

 

 そのしなやかな指先が触れかけて、アルベルトは思わずそれを拒む。

 

「あ、いや……! 大丈夫だ! オレは大丈夫だからよ……! シャル、お前にはお前の出来る事、精一杯やって欲しいんだよ。オレみたいなのに足を取られている場合じゃねぇって言うか、その……」

 

 言葉を濁していると、シャルティアはそっと、腕に触れてきた。

 

 ライドマトリクサーの施術痕を優しくなぞった指に、思わずどきりとする。

 

「……その、メイアさんの……ライヴ。一緒に……行きませんか?」

 

「お、オレ? オレはでも……《アルキュミアヴィラーゴ》の整備が……」

 

「少しの間でもいいんです。……アルベルトさんの時間、私にくれませんか?」

 

 それはきっと、トキサダとの殺し合いを間近で見たからこそ出る言葉でもあったのだろう。

 

 次も帰って来られるとは限らない。

 

 だから――証が欲しい。

 

 それはでも、三年前にラジアルが懇願したのとまるで同じで。

 

 アルベルトは返答しかねていた。

 

「……ちょっと、考えさせてくれ。オレも、少しは自分の感情を整理出来るかと、思ったんだが……そうもいかないらしい」

 

「……でも、待ってますから」

 

 そう言い置いてシャルティアは機体から離れていく。

 

 その背中を見送っていると、マテリアが不意に呟いていた。

 

『“……ヘタレ”』

 

「……ああ、間違いようもねぇ、ヘタレの言い草だっただろうな。だがよ、オレはもう、二度も三度も……誰かに約束出来ねぇんだよ。絶対に帰るなんて、言うのは簡単だろうさ。あいつの気持ちに……答える事だってな。……でもよ、駄目なんだ。駄目なんだよ、オレ……。ラジアルさんに誓った想いを、あいつに重ねちまったが最後、きっとオレは……駄目になっちまう」

 

『“ラジアル・ブルームとシャルティア委任担当官は別でしょう?”』

 

「分かっちゃいるんだ。あいつに、重ね過ぎちまうのは単純に、失礼なんだって事くれぇは。でも……たまに垣間見えちまう。あいつの瞳が、声が、香りが……ラジアルさんをどうしたって、オレに忘れさせてはくれねぇ……」

 

『“似てないと、思いますけれどね”』

 

「ああ、全然似てねぇんだ。だから、なのかもな。もっとラジアルさんそっくりな妹だったら……オレはここまで……大事に出来なかったのかもしれねぇ」

 

 この関係性を大切にしたいと思ったのは他でもない。

 

 シャルティアが一人の女性として、自分を導く側に立とうとしているからだろう。

 

 不完全な誰かの代わりではなく、別のひととして。

 

 だから、伝えられない。

 

 だから、簡単に想えない。

 

 重ねる事は何よりも侮辱だという事を知りながら、少しずつ近づいていくこの距離が、もどかしいほどの距離が、かつてラジアルと培った時間に等しくなっていくのが。

 

「……オレは多分、怖いんだ。シャルが……オレにとって掛け替えのない人間に、成っていくのが……」

 

『“失うのはもう御免、と言うわけですか”』

 

「……笑えよ、マテリア。ビビってばっかの臆病者ってな」

 

『“……笑えませんよ、そんなの。だってアルベルトさんは、その分優しいんでしょう? それって……機械でも、笑えません……”』

 

 優しさか、と我ながら自嘲する。

 

 傷つきたくないだけだ。

 

 傷つくのが怖くて、傷つけるのも怖くて。

 

 それで心地よい距離を模索して、結果として突き放したままがいいなんて思い込む。

 

 どこまで己を糊塗すれば気が済むのだろう。

 

 シャルティアの前でありのままの自分を晒す事が出来ない。

 

 こんなにもプライドと、そして恐怖心に塗れたただの自己顕示欲だけの人格なんて。

 

「……オレの弱さを、ここ一番で飼い慣らせないなんて……オレは、けれどでも……」

 

『“いいんじゃないですか。だって、アルベルトさんは人間でしょう? アイリウムに間違いは許されません。だってそれは、パイロットを危険に晒す事になり得ます。でも人間なら、ちょっと間違ったって、それをリカバーするだけの何かがあればいい。わたくしは機械だから完璧に分かったわけじゃないですけれど、それって人間の特権じゃないんですか。なら、アルベルトさんはシャルティア委任担当官を、救えるはずなんです。戦闘のフィードバックでもない、計算じみたものでもない、それこそ人間でしか、救えない領域なんですから”』

 

「人間でしか、救えない、か……」

 

 マテリアなりの励ましだったのだろう。アルベルトは振り返って、マテリアの頭をくしゃくしゃと撫でる。

 

『“なっ……何ですか……犬にするみたいに……くしゃくしゃされたって嬉しくなんてないんですからねっ!”』

 

「いや、悪かった、マテリア。オレ、もっとたくさんのものを、得ていいのかもな。……失う事にビビり散らかしていたんじゃ、何にも得られねぇ。クラードはきっと、こういう時に言うんだろうさ。取り戻すのに、貪欲じゃなくっちゃ意味がないってな」

 

『“……何です、それ。本当にクラードさんの言葉ですか?”』

 

「……いや、それこそ引用不明な、言の葉の一つだろうさ。マテリア、留守任せたぜ」

 

『“あっ……待って……”』

 

 コックピットブロックから離れようとして、マテリアの手が自分の腕を掴む。

 

 僅かにつんのめってからアルベルトは振り向く。

 

「……どうかしたか?」

 

『“あ、いや……わたくし……何で……”』

 

 当惑した様子のマテリアへと、アルベルトは返答する。

 

「心配すんな。戻ってくる」

 

 その一言にマテリアは聞こえないくらいの声音で、指先を離していた。

 

『“そういうの言えちゃうのが……ズルいんですよ、アルベルトさん”』

 

 



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第279話「ユアネーム」

 

「慰問ライヴ、ねぇ……。この世界の土壇場に、なかなか太い神経だとは思うんだけれど」

 

 レミアは艦長室でバーミット相手にこぼすと、彼女は二杯目のコーヒーに口を付けていた。

 

「だからこそ、なんでしょうね。あたし達、知りたくない事まで知ったって言うか、そこまで思い切らせちゃうってのは素直に責任感じていますよ」

 

 メイアにとってしてみれば、かつての朋友が生きていただけでいいのに、彼女らは別の場所を見据えている。

 

 それは性質の悪い冗談かもしれないし、メイアにとっての地獄かもしれない。

 

「ダーレットチルドレン、世界を覆う悪意、か。バーミット、どれくらい信じてるの?」

 

「半分くらいですかね。まぁ、事ここに至って嘘をつくメリットなんてないですから、ラムダの艦長からしてみれば、それこそ必死の訴えかけだったんでしょうけれど」

 

「……それに加えてMFのパイロットの擁立、か。手を組むとは言ったけれど、心情の部分ではどうにも、ね。嘘だろうが本当だろうが、私達はそこまで高尚になったつもりもないし」

 

「艦長もあたしも、カトリナちゃんだから付いていく気になったって言うのに、それが世界の行方ってなれば穏やかでもないですよ。それに第一、もしラムダとMFパイロットの言う事が事実だとして、ダーレットチルドレン打倒後にはどうなるんですか? 新しい秩序でも?」

 

 世界を支配しているのが間違いなくダーレットチルドレンなる存在だとして、その後どうするつもりなのかまでは聞き出せなかった。

 

 メイアが会談の場から離れたのもあるが、何よりもマーシュ達に切り込み切れなかったのもある。

 

「……何か隠している、裏があるって言いたいんでしょう? 私もそれは同感。けれどお互いに脇を突っつき合っているような時間も余裕もない。モルガンが攻めてくれば、私達は対抗策を講じるしかない」

 

「因果なもんですよねー。……トキサダ君達が敵だってのもありますけれど、それでもあたし達はこれまで、自分の信じるもののために戦ってきたって言うのに」

 

「信じるものも、その時々の信条も別々よ。私は……キルシーをしっかりと、送り出せたのかしら」

 

 地上で消えて行ったキルシーの最後の瞬きを、目に焼き付けるようなそんな余裕もなかった。

 

《ティルヴィング》と共にキルシーは自分を殺す権利があったはずだろう。

 

 だと言うのに、ファムとカトリナ、それにクラードによって辛うじてこの立場に収まっている事の、何と脆い事か。

 

 レミアはコーヒーの黒い表層を覗き込んで、ふとこぼす。

 

「……世界に是非を問うような責任感も、まして権利もないのかもしれない。私達は、その時々で最適解を導き出すだけの……それだけの代物でしかない。トライアウトに居たのだってそう。……私は、あの日、月軌道で死んで行った人々に、報いたかっただけ。こんな弱さ、カトリナさんはきっと、軽蔑するでしょうね」

 

「カトリナちゃんだってこの三年間、ベアトリーチェと皆を率いて強くなったんです。信じましょ? あたし達の出来る事なんてせいぜい、あの子が致命的なミスをしないように見守るだけなんですから」

 

「……老け込んだ事を言うのね、バーミット。あなたは最後の最後まで、いい女で居るつもりなんだと思っていたけれど」

 

「そりゃー、そうですよ? あたしの信条として見りゃ、いい女の条件を踏んでいるだけですから。ただ……レミア艦長が命じたんでしょ? あたしに、教育係って」

 

「そう、だったわね。カトリナさんとあなたを引き合わせたのは私だった……何て事はない。決着をつけろと言われているのよね。自分達の引き寄せてきたこれまでに」

 

 それがダーレットチルドレンの打倒なのだとすれば、今は従うべきだろう。

 

 元々、これまで目の前の戦いに必死になってきた手前、それほど崇高になれないだけの話だ。

 

 だから、秩序も。

 

 ましてや世界の行方も、今はどうだっていい。

 

「……私達は、結局見守る側なのよ。世界の是非も、カトリナさん達がどう動くのかだって」

 

「若者に任せる、ですか。レミア艦長、それ言い出すともうオバサンですよ?」

 

「……でも、悪くはない身分だわ。オバサンでもね」

 

「それは話が合いますね。あたしもです」

 

 互いにマグマップを寄せ合い、コツンと音を立てる。

 

 艦長室には二人分のコーヒーをすする音だけが響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラムダの格納デッキは手広く取られているが、それでも押し合いへし合いに近い状態で、カトリナは圧倒されていた。

 

「すごい……これがギルティジェニュエンの……ライヴ……」

 

 熱量がまるで段違いだ。

 

 タオルを掲げ、団扇をそれぞれ伴わせたファンの熱気に中てられたようによろめいたのを、不意に受け止められていた。

 

「何やってるんだ、あんたも」

 

「あっ……クラードさん。私、ライヴとか来たの初めてで……」

 

「奇遇だな。俺もだ」

 

 クラードの横顔をそっと盗み見る。

 

 彼はメイア達の立つステージをじっと見据えていた。

 

「……その、クラードさん、こういうの興味あったんですね」

 

「興味とかじゃない。ただ……メイアと言う人間の、これはある意味じゃ叛逆の証なんだろう」

 

「叛逆の……」

 

「奴なりに出来る事を模索したのが、ライヴと言う形で結実しただけだ。俺はそれも一つの抗いなのだと思う」

 

「一つの抗い……ですか。メイアさん達、けれどもう、あの調子じゃ……」

 

 何となくでも分かる。

 

 メイア達はこのライヴを最後のライヴにするつもりなのだろう。

 

 それでも、彼女らの生き様を誰か矯正出来るものか。

 

 メイアは最後の戦いに赴く前に、仲間達と今一度、絆を確かめ合いたかったのだろう。

 

 それは自分も――きっと同じ。

 

 傍らに佇むクラードへと、カトリナは問いかける。

 

「……メイアさんの事、もう何とも、思ってないんですか?」

 

「……レヴォルの一件に関しては俺にもまだ分からない。だが、奴に害意はない。なら、その道を少しは気にかけてもいいと思えただけの話だ」

 

「クラードさんは《レヴォル》の事、まだ探し続けるんですよね?」

 

「当然だ。俺にとっての唯一の存在証明……それを手離したまま、終わるつもりはない。……だがジオ・クランスコールはきっと、違ったんだろう」

 

 クラードの口からジオの名前が出るとは想定しておらず、カトリナは驚愕する。

 

「……万華鏡、ジオ・クランスコール……」

 

「ファムの兄であるのは知らなかった。俺をこの三年間、導いてきたロキである事も」

 

「彼なりに思うところでもあったのでしょうか……?」

 

「分からない、消えた者達の想いは、きっと後に遺された者が推測するだけだ。本当のところはきっと……誰にも分からない。だから……意味があるんだろうな。ジオ・クランスコールは、ファムを頼むと、そう言ってくれた。ファムは?」

 

「ファムちゃんは……閉じ籠っちゃって……。ダーレットチルドレンの話を聞いてから、ずっと、私の部屋に……」

 

 聞かせるのには酷であったのだろうか。

 

 そう感じていると、クラードは前を向いていた。

 

「ファムなりに思うところもあるのだろう。俺はこの三年、ジオ・クランスコールに……幾度となく命を救われてきた。ロキとして、俺をどうして見守って来たのかは分からない。だが、分からないなりに、憶測出来るのは……奴は俺に、ファムと、未来を託したかったのかもしれない。この先に訪れる全てを跳ね飛ばすほどの、強さを、俺に与えるために奴は試練を、演じていたのかもしれない」

 

 分からない。

 

 全ては結果論だ。

 

 クラードがこうしてジオの事を想う術も。

 

 残されたファムがジオの事を思う術も。

 

 きっとどちらも同じもの。

 

 想いに質も、それに伴う責任もない。

 

 ただ――人として、彼はどのように散って行ったのかを考える事だけが出来る。

 

 それこそが、生者に出来る唯一の抵抗なのだろう。

 

「……私、でもファムちゃんは……愛されていたんだと思います。ジオ・クランスコールがどういう存在だったのか、ほとんど知らないけれどでも……ファムちゃんへの愛情だけは……本物だったんじゃないかなって」

 

「愛情、か。……奴は俺に、何を見たんだろうな。月軌道決戦で相対した時、確かな死の足音として屹立した奴は……俺と《レヴォル》に……」

 

 その疑問に返そうとして、ステージ上からのギターの音色に遮られていた。

 

『みんなー! 今日はボクら、ギルティジェニュエンのライヴに来てくれてありがとー! この模様はリアルタイム配信もされているから、世界中の孤独を感じているみんなへ! ボク達は……多分これから先、いっぱい後悔するし、いっぱい嫌な気分にもなると思う。でもでも……! その度に思うはずなんだ! 生きたいって! この世界でも、クソッタレな世界でも、生きていくしかないんだって! だから、みんなへと、この曲を捧げるよ! まずはデビュー曲から!』

 

 メイアがリズムに合わせて歌声を響き渡らせる。

 

 それは平時のメイアとはまるで異なっていて、カトリナはその模様に圧倒されていた。

 

 音が、声が、想いそのものを吐露するかのような歌詞が――全てが混然一体となって格納デッキを震わせる。

 

「これが……メイアさんの、武器……」

 

 別に今日まで一度としてメイア達の曲に触れて来なかったわけではない。

 

 しかし、生で聴くのはまるで違う。

 

 ライヴ会場そのものが生き物だ。

 

 メイア・メイリスと言うカリスマを際立たせるための一種の生命体。

 

 観客のうねりを受け、メイアは続けざまに曲を奏でる。

 

 輝くライヴパフォーマンス。爪弾くギターの反響音。

 

 メイアはこうして――自由になる。

 

 誰にも止められない想いの具現。

 

 メイアの歌声に、カトリナは自分でも意識しないうちに胸元でぎゅっと手を握り締めていた。

 

 輝く汗、声が弾け、メイアは絶対の存在となる。

 

 ステージ上の彼女は今までの戦局を全て吹っ飛ばすだけのパワーを持つ怪物だ。

 

 これまでの懸念も。

 

 これからの憂いも。

 

 何もかも、知った事かの一事で塗り潰していく。

 

 メイア・メイリスとしての存在感をぎらつかせ、世界への抗いの歌声ががなり立てられる。

 

 メイアの赤い瞳が、ステージ衣装が煌めきを誇る。

 

 マイクパフォーマンスに入ったところで、ラムダの船員からの黄色い歓声が飛ぶ。

 

 メイアは手を振ってリズムを爪先で刻んでいた。

 

 イリス達のベースに乗って次の曲へと移り変わっていくメイアは、まるで変幻自在。

 

 事象宇宙を飛び回る確率論の悪魔が居るとして、今のメイアはその悪魔でさえも味方にする。

 

 全ての確率が、変動値が彼女のために微笑む。

 

 ウインクしたメイアの挙動にどきりとしたその時、クラードの相貌を思わず盗み見ていた。

 

 彼はそっと瞑目していた。

 

 メイアの気持ちの発露を真正面から受け止めたように。

 

 だから――カトリナはその手を握り寄せていた。

 

 かつて、名も知らぬ映画を前にして、人間だけが痛み以外で泣けると言ってくれた面持ちと同じ、その変わらぬ瞳に。

 

 クラードは一拍だけ驚愕したようであったが、自分の指先を受け入れていた。

 

「……メイア・メイリスは自由だな」

 

「……ですね。メイアさんの言う、宇宙で一番のバンドって言うの……こういう事だったんすね」

 

「宇宙に心があるとすれば、今のメイア・メイリスにはきっと味方しているんだろうな。……俺にはない」

 

「クラードさん?」

 

 クラードは包帯を巻いた右腕に視線を落とす。

 

 蒼く滲んだ血の色に、昏い眼差しを投げていた。

 

「波長生命体としての……俺の心は、どこにあるんだろうな。誰になるべきなのか、何になるべきなのか……もう分からなくなってしまった」

 

「……でも、クラードさんはクラードさんですよ。きっと、これまでも、これからも」

 

「……いや、もう俺は……クラードで居続けていいのかも分からなくなってしまっている。聖獣のパイロット達が等しく“クラード”であると言うのなら……俺の存在価値は何だ?」

 

 自問自答の迷宮に陥りかけたクラードに、カトリナは胸にこみ上げるものを感じて、そっと向かい合っていた。

 

「でも……でもでも、クラードさんはきっと……私にとって掛け替えのない、人ですから。だってあなたは……私の世界を変えてくれた人、なんです。だから、聖獣のパイロットが同じ“クラード”だったとしても……私にとってのクラードさんは、たった一人、あなただけなんですから」

 

 赤い双眸が揺れる。

 

 その瞳が、今だけは弱さを吐き出しているようであった。

 

「……カトリナ・シンジョウ。あんたになら、告げていいかもしれない。俺の本当の名前は――」

 

 名前が紡がれる。

 

 カトリナは目を見開いていた。

 

 その時間だけ、切り取られたように遊離する。

 

 世界が音に溺れている中で、カトリナだけはクラードの告白を聞いていた。

 

 その名前は濁されず。

 

 その名前は澱まず。

 

 その名前は――きっと、ずっと知りたかったもの。

 

 クラードは首から下げたドッグタグをさする。

 

「俺は……ずっとこの名前を背負い続けるんだと思い込んでいた。こうして誰かに……話せるなんて思いも寄らない……」

 

「でも……クラードさんはこうして、私を信じてくれたから、言ってくれたんですよね。本当の……名前」

 

「ああ、だからもう……執着するものでも、ないな」

 

 ふっとクラードはドッグタグを首から千切り、カトリナへと差し出す。

 

 包帯塗れの手が、ドッグタグを握り締め、自分の手へと託していた。

 

 それはまるで縋るかのように。

 

 それはまるでようやく手離せた証を、誰かに祈るかのように。

 

「……クラードさん、でもこれって……大事なものなんじゃ」

 

「構わないさ。俺にはこっちがある」

 

 首から下げていたのは、いつかの記憶にあったネックレスであった。

 

 あ、と声を上げかけてライヴ中である事に気付いて口を噤む。

 

「……それ、持っていてくれたんですね……」

 

「三年間、手離した事はなかった。だから、俺はこれがあればいい。使い古した名前は、あんたに預けるとしよう。カトリナ・シンジョウ」

 

 それは恐らく、クラードからしてみればこれまでの重石を誰かに預けられると言う瞬間。

 

 きっとこれまで訪れる事のなかった魂の安息。

 

 ならば、このドッグタグの重さは、きっとこうして手にするだけでは済まないだろう。

 

 掌に収まるクラードの呪縛の証。

 

 その名前を握り締め、カトリナは微笑みかけていた。

 

「……絶対、忘れません」

 

「ああ。委任担当官にならば、俺の名前を預けても大丈夫そうだ。そのドッグタグ、あんたに預けている。だから……」

 

「絶対に帰ってくる、ですよね? だって預かっているんですもん。返さないと、申し訳が立ちません」

 

「……分かっているのなら、それでいい。預ける意味も……出て来るんだからな」

 

 メイアがヒットナンバーを駆け抜ける。

 

 音階が格納デッキに拡散するのを乱反射した光の中に見出し、カトリナは胸の前でドッグタグをぎゅっと握る。

 

 掌には、赤い思考拡張の標が輝く。

 

 きっと、これは自分の罪の証なのだ。

 

 だがクラードも己の罪の結実を預けてくれた。

 

 ならば、自分はこうして、己だけの罪に溺れるべきではない。

 

 最後の最後に、クラードの分の罪まで背負って、そうして――。

 

「……あれ? でもそれって……背負い合うって事は……」

 

 瞳を振り向けた時、クラードは背中を向けてライヴ会場から立ち去っていた。

 

 追うべきではない。

 

 もう、証はもらったのだ。

 

 その背にかけるべき言葉も、交わすべき言葉も、既に掌にある。

 

 だから、今ばかりは言葉少なでいい。

 

 きっと――クラードは約束と誓いを覚えてくれている。

 

 他の誰が忘れてしまっても、自分だけは彼の名前を憶えている。

 

「……ありがとうございます……クラードさん……」

 

 頬を涙が伝い落ちる。

 

 ライヴの熱狂に掻き消されていく感情を、今ばかりは自分のものとして噛み締めていた。

 

 

 



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第280話「ユアソング」

 

「ほら、これ……! 三枚目のアルバムに入っていた曲ですよ、アルベルトさん」

 

「ああ、そうなんだな……。オレはてんで疎いもんだから……」

 

 しかし、少し意外であったのはシャルティアのような真面目ぶった少女でも、ギルティジェニュエンの“罪付き”であった事だろう。

 

「……オレは何も知らなかったんだな。お前の事も、一つだって」

 

「もう、アルベルトさん、ライヴ中に辛気臭い顔をしないでください! あっ、メイアさん、こっち見ました! 気づいてもらえたんですかね?」

 

 黄色い歓声を飛ばすシャルティアは年相応の少女で、アルベルトはその横顔にラジアルの面影を重ねてしまっていた。

 

 ラジアルも生きていれば、このようにそれなりのミーハーな言葉を交わす事もあったのだろうか、と益体もない感覚に身を浸す。

 

「……馬鹿だろ、オレ。そればっかりは、考えないようにしていたってのに」

 

「アルベルトさん? 何やってるんですか。イリスさんがリードボーカルしている時は、オレンジ色のペンライトですよ!」

 

 そんな自分の感情を知ってか知らずか、シャルティアは自分の手を引く。

 

 まるで、あの日失った大切な人に、手を引かれているようで。

 

 ともすれば、永劫失った感覚であったのかもしれない。

 

 自分には、人並みの幸せなど訪れるものではないのだと。

 

 勝手に知った風になって、勝手に悲観に暮れて。

 

 それで悲劇を演じれば、自分でもマシなほうだと規定して。

 

「……最低だな、オレは」

 

「アルベルトさん?」

 

「……シャル。こんな時に言うのは、多分ズルいだろうし、それにお前からしてみりゃ、思い出したくもねぇのかもしれねぇ。……だが、言わせてくれ。オレは……お前の姉さんを……ラジアルさんを、守れなかった……」

 

 きっとこれまで押し殺してきた懺悔。

 

 きっと死に行くその瞬間まで封じ込めようとしていた想い。

 

 しかし、シャルティアは軽蔑も、ましてや悲しげな面持ちをするわけでもなく、微笑みを返していた。

 

「……知っています、アルベルトさんが……姉を想ってくれていたのは。私に、必死に重ねないようにして……今日まで頑張ってくれていたのは。でも……でもですよ。私は……妹だから、ラジアル・ブルームの血縁者だから、今あなたの傍に居るんじゃ、ないんです。私は……シャルティア・ブルームと言う、一人の女として……ここで想っているんです」

 

 その言葉にアルベルトは改めてシャルティアの相貌を直視する。

 

 彼女は慈悲深く微笑み、乱反射する虹色の輝きがそれを彩る。

 

「――私は、あなたが好き。アルベルトさん」

 

 それは、決してラジアルの妹だから出た言葉でもなければ、一時の感情に身を任せて出た言葉でもないのだろう。

 

 三年間――ずっとだらしない人間だと思われていたはずだ。

 

 彼女の想いを真正面から見定めず、曖昧なまま濁していた自分には、その輝きは眩し過ぎる。

 

 アルベルトは思わず目線を逸らしていた。

 

「……やめてくれよ。オレに、誰かに好かれるような価値なんざ……」

 

「でも、私の想いを……受け止めてはくれませんか? こうして、あなたの事を考えて……怒ったり、笑ったり、同じように悲しんだりするのは……私の、シャルティア・ブルームの感情なのは間違いないんです」

 

「……きっと、一時の感情で昂ぶっているだけさ。オレみたいなのは、そういうのに流されて、また何かを取りこぼす。それが何よりも……」

 

 怖い、と結ぼうとしてシャルティアに手を握り締められる。

 

 その温度と、震える指先にアルベルトはハッとしていた。

 

 彼女とて怖いのだ。

 

 自分の想いを告げる事。

 

 そして、報われない想いが霧散するのは、誰だって怖い。

 

 だが、シャルティアはこうして自分に打ち明けてくれた。

 

 ラジアルの妹としてではなく、まして委任担当官としてでもない。

 

 一人の少女として、自分を好いてくれるのだと。

 

 だがその感情を、受け止めるのには自分はあまりにも――汚れていた。

 

 シャルティアを不幸にしたくない。

 

 ラジアルのように、最後の最後に誰かの事を考えて、死んで欲しくない。

 

 だから、自分勝手な、それこそ身勝手な気持ちがこうして彼女との間に壁を作る。

 

 もう誰も――傷ついて欲しくない。

 

「……傷つくのは、オレだけでいい……」

 

「……アルベルトさん?」

 

「……シャル。オレは帰る約束なんて出来ねぇ。無事に帰って来るなんて……そんな生易しい結末がオレみたいなのに似合いだとも思えねぇ。戦場に……置いてきたヤツが居るんだ。そいつの魂を一個……拾い上げてからじゃねぇと、何にも言えねぇんだよ。約束も、誓いも……恋慕も……オレには遠い代物だ」

 

 言い訳だ。

 

 シャルティアの想いに応えられないからって、トキサダを言い訳にしている。

 

 こうして拒絶するほうが楽だから。

 

 誰かの想いを受け止めて、その上で戦場に赴くのは何よりも怖いから。

 

 そして、また失うのを怖がって、誰かを引き留めたくもない。

 

 もし、自分が戦場に散れば、シャルティアは思い詰めるだろう。

 

 自分と同じ思いをさせたくはない。

 

 誰よりもラジアルの妹に。

 

 暫し、沈黙が流れる。

 

『みんなー! 今日はありがとー! 最後のナンバーになっちゃったけれど、ボクらは! 絶対に宇宙で一番のバンドになるっ! だから、その時までヒットチャートを追いかけていてっ! 絶対、後悔はさせないからっ!』

 

 最終ナンバーが奏でられる中で、アルベルトはシャルティアの頬を伝う涙を目の当たりにしていた。

 

 きっと、彼女の想いを裏切ってしまった事だろう。

 

 だが、自分には応える術がない。

 

 そんな純粋な好意に、何を預けられると言うのだ。

 

 命一つでさえも、女に預けられない弱い男だ。

 

 シャルティアを一端の少女として扱うのならば、きっと想いに応えてやるべきであった。

 

 しかし、もう恐怖を味わいたくはない。

 

 誰かを遺して行く事も、誰かに取り残されるのも。

 

 何もかも――恐怖しているだけの、弱い自分。

 

 何が度胸だ、何が一端の戦士だ。

 

 自分はここまで脆い。

 

 クラードを支えると言う意志も、カトリナを想い続けた慕情も、ラジアルの事を一時でさえも忘れなかった記憶でさえも。

 

 自分はこうして損なう。

 

 自分はこうして手離していく。

 

 シャルティアの想いに、単純に答えられればいいだけなのに。

 

 自分も好きだと、想いを形にすればまだ楽であったのか。

 

 それとも、大人として、シャルティアの成熟し切っていない好意は、憧れと大差ないと諭せればよかったのか。

 

 何も出来ない。

 

 何も、決められない。

 

 アルベルトは身を翻していた。

 

 覚悟は、自分の中だけでいい。

 

 誰かに預けてしまえば、それだけで脆くなる。

 

 それだけで、自分だけの代物ではなくなる。

 

 だから――戦地に赴くのは一人でいい。

 

 最後の戦場が待っているのならば、その決着は自分以外の誰かに付けるものではないはずだ。

 

 メイア達の演奏がトップスピードを経て、そうして閉幕へと導かれていく。

 

 形あるものはいずれ終わり、そして二度と再演される事もない。

 

 きっと、命だってそのはずだ。

 

 終焉を描くのに、誰かの想いは、ただただ辛いだけ。

 

 だから――直後のシャルティアの声にアルベルトは胸を打たれていた。

 

「それでも……っ! それでも……待っていますからぁ――っ!」

 

 ライヴ中の大声に人々の関心が集まる。

 

 身も世もなく叫んだシャルティアの言葉に、それらしい一言でさえも返せないまま、アルベルトは硬直していた。

 

 指先でさえも自由ではない。

 

 だが、ここで彼女を一人にしていいのか?

 

 彼女の気持ちに、何一つ報いる事も出来ぬまま、旅立っていいのか?

 

 自問自答が渦巻く胸中で、顔を上げる。

 

 涙が伝い落ちるのを、ただ誤魔化したかっただけだ。

 

 熱が想いとして結実し、彼女へと振り返れればまだよかったのかもしれない。

 

 しかし、滴に成る前にアルベルトは拭い去っていた。

 

「……オレは……きっと悪い大人だ。お前を裏切る……」

 

 その一言で、軽蔑して欲しかった。

 

 見損なって欲しかった。

 

 もう自分に期待なんてしないで欲しい。

 

 死に行くだけの屍に、何を見ると言うのだろう。

 

 戦場を理由にして、少女の恋い焦がれた一つを腐り落とさせる。

 

 そんな自分には、孤独はきっとお似合いで――。

 

「……失礼」

 

 だから、踏み込んできた声の主にアルベルトは認識する前に、肩に手が置かれたのを感覚する。

 

 振り返ろうとして、思い切った張り手が頬を捉えていた。

 

「……痛っつ……お前……騎屍兵の……」

 

「シズク・エトランジェ。……聞いておいて普通忘れるか?」

 

 だがあまりに遊離していた。

 

 どうしてシズクが、という感情よりも張り手を見舞われた理由が分からずに当惑する。

 

「……何でお前が……」

 

「ここに、って? 私だって、死に行く前に少しは……生者の真似事がしたかっただけかもしれない。当然だろう、私は騎屍兵。既に墓碑銘が刻まれている。だが……お前は違うだろう。アルベルト・V・リヴェンシュタイン。待っていてくれる、その帰りを期待してくれる人間が居る。それがどれだけ……替え難い事なのか、分かっているはずだ」

 

 まだ熱を帯びた頬を、アルベルトはさする。

 

 さすってから、その手を拳に変えて握り締めていた。

 

「……分かってるに……決まってんだろうが。オレは……! でも分かっていて……期待させてそれを裏切るのなんて……もう真っ平なんだよ! トキサダが待ってるんだ……! あいつの腕だ、今度こそオレを刈るだろう。だって言うのに、オレは一端に帰る場所を持っているなんて……それはだって、狡いだろうが……!」

 

「狡くとも、それは今を生きる人間の特権だ。死に囚われて、それで恋い焦がれた想いを無駄にするのは、それこそ無為な代物と知れ。お前は生きなければいけない。生きるために、取り戻すために……戦え。それが私を呪縛から解放した男の……宿命だ」

 

 ハッとして、アルベルトはシズクの麗しいかんばせを見据える。

 

 彼女の生き様を――自分が救ったと言うのか。

 

 呪いから解き放ったのは、自分だと言うのか。

 

「……オレは……知らない間に、誰かを助けて……?」

 

「それを分かっていないのなら、それでいい。勝手に生きて、勝手に死ね。それが、精一杯今日を生きるという事なのかもしれないが、私にしてみれば知った事か。……死に様を描くのに……私では道を説ける気もしない」

 

 そう言って踵を返すシズクの白雪のような相貌に、アルベルトは何か気の利いた言葉をかけようとして、飲み込んでいた。

 

 今救うべきなのは、彼女ではない。

 

 自分が今、向き合うべきなのは――。

 

「……シャル。オレは……簡単な約束なんて出来ねぇ。出来ねぇけれど、一個だけ。オレはお前を……」

 

 そこでアルベルトはしんと静まり返っている事に気付く。

 

 ライヴの喧噪が失せ、皆が自分達に注目していた。

 

「……なっ、てめぇら……聞いて……!」

 

『あーあ! せっかく一世一代の告白が聞けると思ったのになー!』

 

 メイアのMCに周囲の観客が笑い声を漏らす。

 

 どうにも、自分だけでは格好がつきそうにもない。

 

 こういう時に、及び腰になってしまうのが自分なのだ。

 

 どうしようもなく、「アルベルト・V・リヴェンシュタイン」なのだろう。

 

 シャルティアは涙を拭って微笑みを向けてくれていた。

 

「……じゃあ、答えは、待ってますから」

 

 それだけで了承が取れたのは今だけは幸運であった。

 

 メイア達が再び、音楽を奏で始める。

 

『じゃあ気を取り直して、最後のナンバー! 行こっか!』

 

 歌の中に埋没していく。

 

 こうして平時とはまるで異なる環境に身を置いて、それで何かを得られると言うのならば、きっとそれは替え難い。

 

 誰かではなく、自分の決意だけで突き進んでいけるものだと言うのならば。

 

 メイア達の歌声を聞き留めつつ、シャルティアの手がそっと、自分の手へと触れたのを、今は咎めなかった。

 

 彼女の想いに応えられない、弱い自分でも、それでも。

 

 今は、歌声に打たれて――ただ空気に身を任せるのみだった。

 

 

 



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第281話「ヒトは神を仰ぎ、神はヒトの世を」

 

「首尾は?」

 

『順調です。問題があるとすれば、トライアウトブレーメンの艦艇が思ったよりも轟沈した事でしょうか』

 

「結構、それくらいならば補填出来ます。我が方からベアトリーチェ級を寄越してください。さしものカトリナ様やレミア艦長でも、どうしようもないものがあるはず。艦隊戦となれば余計に。我々が最終的な勝利者となればよろしい」

 

『ですが……タジマ営業部長、先の戦闘で万華鏡が墜ちたのは想定外でした。王族親衛隊の守りも手薄な今、彼らに仕掛けるのには好都合なのでは?』

 

「逸ってはいけませんよ。如何に損耗していても、この来英歴を支配してきた特権層。最後の最後まで侮るべきではない」

 

 タジマは通信網に応じつつ、エンデュランス・フラクタル本社の深部へと歩を進めていた。

 

 月の一等地に建設された本社の奥の奥――重力区画へと入り込んでいく。

 

「カトリナ様はよくやっていますよ。まさに、血濡れの淑女(ジャンヌ)に相応しい。《ティルヴィング》運用の時点で終わるかと思っていましたが、案外しぶとい。彼女も悪運があると思っていいでしょう」

 

 それにしても、とタジマは自分の後ろを取る相手に声を飛ばしていた。

 

「あなたが味方になってくれるとは意外でしたよ。ゴースト、ファイブ。いいえ、トキサダ・イマイ君と、呼んだほうがよろしいですかね?」

 

「どちらの名でもいい。モルガンの入港の許可を感謝したい」

 

「これはこれは。三年前からしてみれば、見違えた、と言うべきでしょうか」

 

 トキサダの相貌に走る傷痕と、そして頬に至る強度の思考拡張を揶揄したつもりであったが彼はまばたきさえもしない。

 

「……別段、構わない。おれはもう……アルベルトを殺す以外にない恩讐の徒だ」

 

「アルベルト君もなかなかに命冥加がある。彼も一端の実力者です。墜とせますか? トキサダ君」

 

「墜とす……おれの意味はそれに集約される」

 

「それにしては、我が方に私を見つけた時、心静かに向かい合ったのは意外としか言いようがなかったでしたよ。あなたからしてみれば、私は本社の意向を聞かせるだけの小賢しい人間でしょうに」

 

「……おれもこの三年間で死に慣れた。今さら表舞台だとか裏だとか考えているような場合でもない」

 

「……大人に成られた様子だ。侮っていたのはこちらでしたかね?」

 

「それもどうだっていい。本題に移ろうじゃないか、タジマ営業部長」

 

 銃口が突きつけられる。

 

 いつでも殺せる殺意を内包しながらも、トキサダの怜悧な瞳は真実を追い求めているようであった。

 

「あなたは月軌道決戦で一度死に、そして三年間の騎屍兵の役割を全うした。その上で、知りたいと言うのですか? この世界が抱え込んだいびつなる真理を」

 

「エンデュランス・フラクタルの最終目的を知りたい。地上におけるIMFの運用、そして前回の《ヴォルカヌスカルラ》の支援。どれもこれも……まるで世界を分断しようとしているみたいだ」

 

「ふむ、間違ってはいませんね。まずこの世界を構築する秩序構図を刷新しなければいけない。話はそこからです」

 

「そのために……グゥエルを……いや、エージェント、サイファーを育成したのか」

 

「グゥエル・レーシング……彼はかなり最適解であったはずなのですがね。それでもイレギュラーは起こり得るもの。いやはや、現実とは儘ならぬものです」

 

「……本当に、そうか? あんたは知っていたんじゃないか? グゥエルに欠陥がある事、そして真意には《サードアルタイル》の制御ではなく、どの勢力にも置かない事が目論みだった」

 

「その論拠は? 聖獣を手離すメリットなどない」

 

 トキサダは一考の沈黙を差し挟んだ後に、推論をぶつけていた。

 

「……恐らく、聖獣の中でも《サードアルタイル》には別の役目がある。そうじゃなくっちゃ、あそこまで用意周到でもないだろう。グゥエルに何を仕込んだ?」

 

 詰問にタジマはエレベーターの中で眼鏡のブリッジを上げる。

 

「これはこれは。聡明に成られたようですね。宇宙暴走族の副長の洞察力とは思えない」

 

「繰り言はいい。《サードアルタイル》の役目は何だ?」

 

「第三の聖獣……いいえ、それもこれも糊塗された現状だ。あれは三番目の使者ではない。彼の者達が偽装した、その在り方なだけ。この次元宇宙に最も早く訪れた、賢者の方舟。《サードアルタイル》は長らくパイロットが不在でした。しかし、彼の者達は叡智の果てを目指し、そして自ら禁術を手繰った。ご存知でしょう? ファム・ファタールを名乗る少女の事を」

 

「……ファムが? どうだって言うんだ……?」

 

「彼女は元々、パッケージとして我が社に納品されるはずだった」

 

 こちらの放った事実をトキサダは事ここに至ってようやく驚愕を浮かべる。

 

「……ファムは……クラードが助けたのは……偶然じゃないってのか?」

 

「偶然でしたよ? コロニー、デザイアでまさか癖の悪い運び屋に落とされるなんて。しかしそこでエージェント、クラードが潜伏し、そして彼ならば何かに気付く事は想定内ではありました。実際、ファム・ファタールと名乗る彼女がベアトリーチェに居たのは僥倖でした。我々が管理する、彼女の力を発揮させるのにはね」

 

「ファムも……お前らの思い通りだって言うのか?」

 

「いえ、彼女は違いますよ。パッケージであったのはその通りですが、本来ならば《サードアルタイル》を稼働させるためのパーツでした。元々、王族親衛隊、ジオ・クランスコールの妹君として彼の者達に確保されたのも想定外でしたが、しかし、その程度の誤差ならば修正出来る。現に彼女は今、《サードアルタイル》に近い位置に居るはず。結果さえ変わらなければいい。大局を見据え、その事象において変動値が少なければそれで構わなかった」

 

 トキサダが恐れを抱いたのが伝わる。

 

 彼は騎屍兵に堕ちていたとは言え、それでも人間性を捨て切れていない。

 

 だからこそ、自分の言葉がここで効いてくる。

 

「……ファムを《サードアルタイル》に乗せて……お前達は何がしたかった? 結果として、と今、お前は言ったな? どのような道を辿ったとしても……パッケージとして確保出来ればよかったと。だがあの時……デザイアを襲ってファムの確保に動いたのは……正規軍だった。軍警察に命令が行っていたとすれば……」

 

「おや、なかなかに頭が切れるご様子。あの時点で、トライアウトブレーメンに我々は用命したはずなのですがね。ブレーメンの者達はトライアウトの下部組織に実行権を移していた。まぁ現地の兵士には分かりようもない領分だったのは確かでしょうが」

 

「……おれ達を……凱空龍の仲間を殺したのは……お前だったのか……! タジマ……!」

 

「誤解ですよ。それは婉曲が過ぎると言うもの。私はあの時、《フルアーマーレヴォル》のための資金集めと部品集めに終始していましたから。現場の事は分かりません」

 

「……お前は、おれ達を無茶苦茶にした……敵だってのか」

 

「それはこの先に待ち構える真実を目にしてからでも遅くはない。さぁ、着きましたよ。ここがエンデュランス・フラクタルの最深部。月の本社が擁する世界の秘密そのものです」

 

 最深部へとエレベーターが到着し、暗幕に包まれた空間ですっと歩み出す。

 

 トキサダは自分の後ろに付き従いながら、周囲を見渡していた。

 

「……ここは何だ? ライドマトリクサーの高精度視力でも、何も視えない……」

 

「一応は組織の最深部ですからね。ライドマトリクサーの技術の粋、そう言えばあなたはどこまで知っているのでしたか?」

 

「……どうって、RM施術に関して言えば、騎屍兵師団は一つ上の技術を提供されている事くらいは――」

 

「ああ、いえ、そうではなく。今日のライドマトリクサー、その礎となる技術はどこから来て、この来英歴にもたらされたのか、と言う命題です」

 

「……おれは技術者じゃない。前を行く兵士だ」

 

「では解説いたしましょう。RM施術、そして思考拡張の分野を切り拓いたのは、ほんの二十年間でしかない。それまでも存在していましたが、真髄を発揮したのはその期間。人類初の民間人のライドマトリクサー、ラジアル・ブルームが出始めたのは、さらに最近」

 

「……ラジアルさんの……」

 

「彼女はモデルケースだった。いえ、さらに遡れば、五十三年前の秘匿されたライドマトリクサー技術、あなた方にはこう名乗っていましたかね? ピアーナ・リクレンツィア、と」

 

 そこでトキサダは足を止める。ピアーナの名前が出た事で、彼なりに動揺している様子であった。

 

「……何でここで……艦長の名前が出るんだ……」

 

「おや? ご存知ない? ピアーナ・リクレンツィアは旧地球連邦によって極秘裏に生み出された、人類史において最初のライドマトリクサー。アップデートを繰り返した事で原型は分からなくなっていますが、彼女は時の賢人たる、エーリッヒ……いいえ、“惑星(ほし)のエーリッヒ”の見出した最高傑作」

 

「……“惑星(ほし)のエーリッヒ”? エーリッヒなる人物は月のテスタメントベースのデータベースに照合結果はあるが……」

 

「そうですか。そこまでの深層には至っていないご様子。構いません、知らずともよい情報と言うのもある。ですが、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーをご存知ならば、触れておいたほうがよろしい。エーリッヒなる人物の名は元々、彼の者達が人類を上手く動かすための記号でしかなかった。ただの標識、ただの指標、ですが、その名を誇る賢人は訪れた。他ならぬダレトの向こうから」

 

「……エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーは……聖獣の使い手だとでも?」

 

「彼は否定するでしょうが、おおむねその通りですよ。《サードアルタイル》に搭乗してこの次元宇宙に到来した彼は、しかし予言によってその出端を挫かれる。“惑星のエーリッヒ”が彼の者達相手に交渉した事がかえって裏目に出た。あなた方が接触した“月のエーリッヒ”は、ダレトを超えてやってきた途端に、戦闘能力を奪われ、そしてバラバラに刻まれて叡智を取り出された。それこそが現行のRM技術、そして思考拡張と呼ばれる分野。ミラーヘッド、第四種殲滅戦も彼がもたらしたギフトが一つ」

 

「……その言葉が真実だとして、“月のエーリッヒ”が全部……おれ達の世界を創ったって言いたいのか?」

 

「いえ、エーリッヒの到来は全て、パズルにおいて欠けたピースがないのと同様に、予見されていた。彼の者達がそれを利用したに過ぎない。エーリッヒがこの世界に持ち込んだのは言うなれば火。しかし火は、時代によって意味を変える。石器時代に持ち込まれれば、それは何でもない、火でしかないものも、時代が下れば、エネルギーを取り出せる代物と化す。きっかけなのですよ、全ては。第四種殲滅戦のルールに則ったのも、ミラーヘッドも。何もかもきっかけであった。しかし、来英歴はきっかけを待っていた」

 

 トキサダが引き金に指をかける。

 

 そろそろ戯言も終いの頃合いだろう。

 

「……分からないな。お前は結局、何を信じて、何のために今日まで欺いてきた。世界を騙し、全てを秘匿のうちに済ませようとしていた。本懐は何だ?」

 

「本懐、ですか。よくご覧になるがよろしい。我々が信奉していたのは、これだけでしかない」

 

 タジマは網膜認証と生体認証で六十五を超えるロックを解除する。

 

 ゆっくりと開かれていく扉の向こうに佇んでいたのは、ケーブルに繋がれた白い躯体であった。

 

 折れ曲がった二本角を有する、鎧の如きそれは――。

 

「これは……《レヴォル》……? いや、レヴォルタイプか?」

 

「正しく、その通りですよ、トキサダ君。これこそが、我々の求め続けてきた答え。MF《フィフスエレメント》。その骨格として、最も相応しい躯体。――《ガンダムレヴォルトゥルーオブジェクト》。この次元宇宙に息づく人類のためのレヴォルです」

 

「……《レヴォル》……この機体が、MF……?」

 

「いけませんか? MS相当のMFが居ては」

 

《レヴォルトゥルーオブジェクト》を前にして、自ずとタジマは傅いていた。

 

 その模様にトキサダは戸惑いを浮かべて銃口を彷徨わせる。

 

「……何だって言うんだ……ただのMSだろう!」

 

「いいえ、トキサダ君。お教えしましょう。この機体が最後に生き残ったMFとなった時、全てが訪れる。疑問には感じませんでしたか? エージェント、クラードは何故、MF02《ネクストデネブ》にあそこまで果敢に立ち向かい、MF06《シクススプロキオン》戦も恐れを抱かずに戦い抜いた理由を」

 

「……あいつは、特別なんだろう」

 

「事実、その解釈は正しいですが、間違ってもいる。我が社が聖獣に勝利出来る逸材を育成し、そして《レヴォル》に乗せたのは何も酔狂ではない」

 

「……じゃあクラードに……全てのMFを……倒させようとでもしていたのか?」

 

「ビンゴですよ、トキサダ君。まさしく、我々は全てのMFを滅ぼさなければいけなかった。それが成り立った瞬間、訪れる存在を迎えるために」

 

「……分からないな。全てのMFを倒して……来英歴に平和が訪れれば、それはお前達の計画とやら通りでもないはずだ」

 

「我々エンデュランス・フラクタルに属する人間は、ダレトの向こうから訪れる聖獣を招く必要性があった。MF01、《ファーストヴィーナス》、MF02、《ネクストデネブ》。MF03、《サードアルタイル》、MF04、《フォースベガ》。そして《レヴォル》たる《フィフスエレメント》。MF06、《シクススプロキオン》、MF07、《セブンスベテルギウス》。ああ、これは、あなた方には《ダーレッドガンダム》の名称のほうが馴染みもあるでしょうが」

 

「……《ダーレッドガンダム》も……聖獣だって言うのか……」

 

「おや、知らなかったのですか? それとも、ピアーナ・リクレンツィアは知っていて隠し通したのかもしれませんね。あなた方は何度も何度も、MFと会敵していると言うのに」

 

 トキサダは持ち直すように後頭部へと照準する。

 

「何故……何故、聖獣をこの来英歴に招いた! 言え!」

 

「招いたのは彼の者達ですよ? 我々は正確な運用性を行ったに過ぎない」

 

「正確な……運用性……だと」

 

「MF05、《フィフスエレメント》。それはこの次元宇宙による特異性を見出された存在。そして、我らの王でもある」

 

「……王、だって?」

 

「王は玉座に就くのが正しい。しかし、王を侮蔑したのは彼の者達が先です。《オルディヌス》、知っているでしょう?」

 

「《オルディヌス》……おれを……」

 

「ええ、一度殺した機体です。元々、彼の者達によって運用される形態では、《オルディヌス》の姿であった。それを我が社が察知し、奪還。MS《レヴォル》へと運用形態を変えた」

 

 タジマはその段になって祈るように両手を掲げていた。

 

 ケーブルに塗れた《レヴォルトゥルーオブジェクト》が風をはらみ、静かに鳴動する。

 

「……《レヴォル》は元々、《オルディヌス》だったってのか……」

 

「意外でしたか? それとも心外でしたか? 自分達の味方であったと思っていた機体の原初の姿が自分を殺した相手だったのは」

 

「……いや、そんな事に足を取られている場合でも、ないんだろうな。お前らは、じゃあ《レヴォル》をクラードに与えた事で、聖獣を殺し尽くそうとした」

 

「ええ、全ての聖獣の殲滅。それこそが大願」

 

「分からないのはそれも、だ。《レヴォル》だって聖獣なんだろう」

 

「全てのMFを駆逐し、そして第七の使者が破壊されたその時、訪れる」

 

「……何が、だ?」

 

 タジマは振り返り、トキサダの恐れを抱いた相貌を見据えていた。

 

「聖獣の乗り手はこう呼ぶ。――“破局”と」

 

「破局……?」

 

「読んで字の如く、世界の終わりとされています。それが来訪した時、MFのパイロット達は全ての存在意義を失う。だから彼らは必死になってそれだけは阻止すべく動いている。ですが、無理なのです。不可能なのですよ。遠からず“破局”は訪れる。その時に、しかし滅びを待つのが私達ではありません」

 

「そっちの言い草じゃ、まるで逃れる術があるみたいだが……」

 

「そのための切り札こそが、《レヴォルトゥルーオブジェクト》。MF05、《フィフスエレメント》がこの宇宙に訪れた理由。ですが、それを知る時、現行人類が生き残っているかどうかは不明です」

 

 トキサダは震え始めた指先を制するように片腕で強く握り締めていた。

 

「……人類の破滅……それが遠くないと?」

 

「このままではいずれ」

 

「だがお前らの言う、彼の者達……そいつらはこの来英歴を支配しているんだろう? 支配するのをやめて、何になると言うんだ?」

 

「語弊なく伝えるのならば、神、にでも成ろうと言うのでしょうね。何と傲慢な」

 

 トキサダは《レヴォルトゥルーオブジェクト》を仰ぎ、それから拳銃をホルスターに収めていた。

 

「……おれ達が勝とうが負けようが、その結末は同じだって言うのか?」

 

「変動値はあるでしょうが、大まかには。MFを七体も呼んだ時点で、既に事象宇宙は崩壊寸前なのです。その運命から救い出すのには、《レヴォルトゥルーオブジェクト》の存在は欠かせない」

 

 タジマは《レヴォルトゥルーオブジェクト》を一瞥し、フッと口元に笑みを刻む。

 

「世界を救うためなのです。協力してくれますよね? トキサダ・イマイ君。君はだって、この世界を手離すほど、人でなしではないでしょう?」

 

「……世界の手綱を握っているのは、お前らなんだろう……」

 

「いいえ。今はやはり彼の者達が邪魔をする。よって、君達には最後まで戦ってもらいますよ。月面都市には無数の廃棄コロニーがございます。戦うのには絶好の場所のはず。何よりも、アルベルト君との決着にはうってつけでしょう?」

 

「……おれ達の決着は壊れかけたコロニー、か。いいだろう。お前達がどれほどの事を企んでいようとも、おれ一人では阻止も難しい。所詮、おれ達騎屍兵は投げられた命だ。ならば……最後の瞬間まで、死に様を描く事をやめるつもりはない」

 

 トキサダが身を翻す。

 

 タジマは神の如く鳴動する機体へと視線を振り向けていた。

 

「なるほど、死に様、ですか。やはりヒトは面白い。そう思いませんか、《フィフスエレメント》」

 

 



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第282話「あなたと一緒なら」

 

「宙域地図なんかと睨めっこしたって、しょうがないでしょう?」

 

 ブリギットの管制室に潜り込んできたダイキの声に、ピアーナは顎に手を添えたまま応じる。

 

「いえ、最後の最後まで作戦が重要です。このまま月軌道を目指した場合、無数の廃棄コロニーが待つ宙域を抜ける事になります。そうなればMS部隊の苦戦は必至。少しでも勝てる算段をつけなければ全滅もあり得ます」

 

「……あの、リクレンツィア艦長。少しはロマンスってものを分かりませんか?」

 

 ダイキが艦長席の背もたれに手をつく。

 

 ピアーナは呆れ返ってため息を漏らしていた。

 

「……貴方は相変わらず、少し楽観的が過ぎます。この局面、読み負ければ全てが水泡に帰すと言うのに」

 

「ですが、俺なら勝てますよ。自信がある」

 

「その自信はどこから湧いてくるのやら。……いいのですか? カトリナ様と話をするよい機会であったはずです」

 

「ああ、それ、もういいかなって。あいつはあいつなりに精一杯ですし、何よりも……恋仲を引き裂くような野暮ってのはしませんよ」

 

「……失礼。誰と誰が、ですか?」

 

「あれ、艦長、とぼけるのはなしでしょ? あのクラードとか言うのと、カトリナがですよ」

 

「……クラードとカトリナ様が?」

 

「おっかないっすよねぇ。《ダーレッドガンダム》、でしたっけ。あの機体、何度も凄ぇ現象を引き起こしていますけれど、俺みたいな身分じゃ、あんなの動かすだけで精一杯でしょう。何つーんでしょうかね。役割があるとすりゃ、クラードってのと真正面からかち合えばやられるだけってのも分かります」

 

「……貴方は以前、クラードと戦った経歴があったはずですが」

 

「それはお互いの実力を知りっこなかった頃でしょう? ……今となってしてみれば、あんなのを想い続けるカトリナも、どうかしています。二人とも、狂気なんですよ。そんでもって狂気じみた恋愛ってのは、夏風邪の次くらいには性質が悪い」

 

「狂気じみた恋愛……ですか」

 

「お互いに狂っちまえるんですよ。世界を片っ端からひっくり返す戦いをして、その上で恋愛なんて出来るってのは存分にイカレちまっています。俺は……そういうの、多分出来ないんでしょう」

 

「……話を、聞いていませんでしたが、貴方はカトリナ様に、告白はしたのですか」

 

「そんな度胸、なかったですよ。あいつの傍には居たつもりですがね。理解者ってのは難しいんです。幼馴染でしたけれど、あいつの事、一端に理解も出来なかったんだな、ってオフィーリアに合流してから思いましたもん。あいつの傍にはクラードが居て、んでもってあのいけ好かねぇ、アルベルトとか言うのが居て……それから、艦長が居るんでしょう? あいつを心の底から、幸せに出来る奴ってのは、もう定数埋まってるんです。だったら、わざわざ席を取り合うのなんて、それこそみっともないですよ」

 

 そう言って笑うダイキはしかしピアーナの眼にはどこか寂しげにさえ映った。

 

「……ですが、クラビア中尉。貴方はずっと、カトリナ様の事を想っていられた……」

 

「想いだけじゃ、何にも。何にもならないのが実情って奴でしょう。俺は一端の戦士を気取っていましたけれど、それくらい思い切らないと何もかも取りこぼすって感覚だけが先行して……」

 

 ダイキの視線を落とした掌は震えていた。

 

 戦士にでも恐れはある。

 

 それを封殺していたのは騎屍兵を束ねる師団長としての身分だ。

 

 騎屍兵は死者、死者には恐れと言う機能でさえもない――そう信じて、外道じみた作戦もこれまで講じてきた。

 

「……わたくしも存分に、人でなしでしょうね。カトリナ様に嫌われたくないと思いながらも、自分の役割に集約されるものを感じて……。クラビア中尉、わたくしは撃つと、わざわざカトリナ様に宣告さえもしたのです。ですが、このザマは何でしょうか? ……ブリギットを操り、カトリナ様の援護をしたいと願っている。それは多分……ハイデガー様がわたくしに託した想いもあるのでしょう。記憶を取り戻してから、時折、分からなくなるのです。この気持ちの芯は、五十年前に失った記憶の残滓なのか、それとも本当に今……カトリナ様を想っての事なのか……何もかも虚飾めいて……」

 

 震え始めた指先を、ダイキの手がそっと握り返していた。

 

「大丈夫ですよ。そりゃー俺だってかなり壮大な話だと思いましたけれど、俺と組んで一緒に画策するの、楽しかったんじゃないですか? 俺は楽しかったですよ。艦長もモルガンを率いる完璧なだけの人じゃないんだって分かって」

 

 ダイキのてらいのない笑顔に、ピアーナは戸惑うばかりであった。

 

「……いいの、でしょうか……? そんな、一時の楽しさに身を任せてても……。わたくしは、どれだけ行ってもきっと……弱いままなのでしょうね。王族親衛隊を暴こうとしたのも、万華鏡に探りを入れていたのも……どれもこれも、わたくしに許された領分でもないはずですのに」

 

「艦長、かったるい事考えるのはやめにしましょう。俺は、そういうところも含めて、艦長の事、好きになったんですから。今さら、だとか本音は、だとか言うのは全部終わってからでいいんじゃないですか? 俺は最後の最後に、リクレンツィア艦長がこの胸に来てくれりゃ、どうだっていいですよ」

 

 気安いダイキの言葉に、ピアーナは膨れっ面になっていた。

 

「……もう。本当に貴方と言う人は……食えないのですからね」

 

「あれ? 怒らせちまいました?」

 

「知りません。貴方は本当に、分かっていないんですから」

 

「あっれー……俺、そこまで空気読めないつもりもなかったんですけれど……ここじゃそういう意味じゃないんですか?」

 

「そういう意味って……貴方はデリカシーがないんですよ。分かっていないって言うのは……それであって」

 

「じゃあ、リクレンツィア艦長は俺の事、嫌いですか?」

 

 突きつけられた質問にピアーナは頬を紅潮させて目線を逸らす。

 

「……そんな事……言ったつもりもありませんよ」

 

「よかった。やっぱり艦長は人間らしいですよ。俺みたいなのの言葉なんて、別に繰り言だって断じてもいいってのに、リクレンツィア艦長は付き合ってくれます。それって結構、面倒見がいいって言うんですよ」

 

「……クラビア中尉。言葉の意図を逸らさぬように。貴方は本当にいいのですか? 元々信じたものに、背を向けるようなものでしょう?」

 

「俺の信じたものってのは、その時々で流動的です。あー、でも……中佐殿に悪い事をしたなってのは思いますかね」

 

「……親代わりでしたか、確か」

 

「ええ、まぁ。けれど、あの人は何だかんだ分かってくれるとは思っているんですよ。イノシシ頭のダイキって言われていても、見捨てなかったんですから。あの人に誇れるような男に……俺はなりたいだけなんです」

 

 ピアーナは長く嘆息をついてから、肘掛けで頬杖を突く。

 

「案外、わたくしも貴方も、相応に馬鹿だった、と言うわけなのですかね」

 

「それ! それですよ、艦長。馬鹿上等じゃないですか。必死に食らいついて、それで馬鹿って呼ばれるの、俺は悪くないと思ってますよ」

 

 微笑んだダイキに、ピアーナは背もたれに体重を預け、フッと笑う。

 

「……ダイキ・クラビア中尉。わたくしはもう二度と、大切な人を忘れたくありません。その結果、取りこぼす事が何よりも怖い。だから――貴方もカトリナ様も忘れない……いいえ、忘れてやらない」

 

「いいですよ。いつまでも憶えていてくださいよ! あ、でも今のだとまるで死ぬみたいなんで、やっぱなしで」

 

 ダイキはどこまでも楽観的だが、今はその楽観視が有りがたい。

 

 ピアーナは深く瞑目し、やがて言葉を紡ぐ。

 

「……最後の戦い、これで勝とうが負けようが、わたくし達はもう、進み続けるしかない。右足と左足を交互に動かせば、進める。進んだ先に何があろうとも……たとえ闇が待っていようとも、わたくし達は間違いなく、前へと……」

 

 



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第283話「一つだけ」

 

 搬入されていく《ネクストデネブ》からはやはり、と言うべきか、信号が確認出来ないとの事であった。

 

 ヴィヴィーは車椅子に体重を預けながら、一つため息をつく。

 

「……もう私には……戦士の資格すらないと言うわけか」

 

《ネクストデネブ》の威容にたじろぐメカニックを他所に、一人の女性士官が声を張り上げる。

 

「《レグルス》の代わりは? 代替機は何だっていい。用意してくれ」

 

「無茶言わないでくださいよ。ラムダには、そりゃあ《ゲシュヴンダー》とか言うのが配備さているみたいですけれど、中尉の乗れる《レグルス》には限りがあります。前回の戦闘で《レグルスブラッド》のミラーヘッドジェルも劣化している現状、一度様子見と言うしか……」

 

「歯がゆいな……ここに来て専用機の経年劣化による戦線離脱とは……。そちらは……」

 

 自分に気が付いた短髪の女性士官はパイロットスーツの襟元を開けつつ、浮遊してくる。

 

 以前までならばこの来英歴に住まう人間はすべからず憤怒と憎悪の対象であったが、今は不思議と心が凪いでいた。

 

 怒り続けることも、憎み続ける事も疲れてしまったのかもしれない。

 

「確か、ヴィヴィー・スゥ、と。先刻の会議はこちらにも耳に入っている。MFのパイロット、《ネクストデネブ》、か」

 

「……ここまで来たと言うのに、私は戦士の資格を永劫失ったも同然だ。《ネクストデネブ》は私に応えてくれない」

 

「……聞いた話では、この次元宇宙へとダレトを通じて訪れた際、応戦したのだと。“夏への扉事変”で」

 

「畏れたか? 私達を。それとも、ここで手打ちにするか。指先一つ、真っ当に動けもしない、私ならばどれだけでも痛めつけられるだろう」

 

 諦観を持ち込むのもらしくはないが、ここまで来たのだ。

 

 もう――終わりがあるとすればここが終着点のはずだ。

 

 この宇宙の人類の怒りを買うくらい別段恐れもなかったが、相手は冷淡に応じていた。

 

「……戦士でないのならば、痛めつけるのは道理にもとる。それに、私は当事者とは言い難い。その時に死した魂だけが、そちらを罰する事が出来るだろう」

 

「意外だな。私はこの来英歴で……誰もが恐怖し、そして怒りのぶつけどころなのだと思っていたが」

 

 どこまで挑発しても、相手は涼しい面持ちで無重力に漂って経口保水液を飲み干す。

 

「……私はそちらを罰するだけの理由もなく、それにこの来英歴の代表とまで驕り昂ぶるつもりもない。私は……結局、誰でもないのだろうな。何者でもない、成り損ないのDD……ずっと、そんな調子だった」

 

 陰を落とした相手に、ヴィヴィーは尋ねる。

 

「DD……そんな名前か?」

 

「ダビデ・ダリンズ、それが名前だが、私は……元々、呪い呪われた名前の上に立つような人間だ。本当の名前を遥か前に失い、偽りに糊塗された名前で戦場を闊歩する死神のようなものだろう」

 

「……本当の名前を失い、か……」

 

 どうしてなのだろう。

 

 その境遇が他人事のように思えなかったのは。

 

 自分の中に“クラード”として戦い抜いたこれまでがあったからだろうか。

 

 ダレトを通じて訪れた際にはもう、捨てたはずの名前だろうに。

 

「……MFのパイロットは皆、クラード……そう聞いた。エージェント、クラードとはまた別種の存在とも言えないのだと。……因果だな」

 

「ああ、そうだとも、因果なんだろうな。私達は、お互いの物理接触でさえも忌避して、そうして決定的な機会を取りこぼして終わりを描くだけ……。全て、己の役目に殉じての事なのだと規定していたが、なんて事はない。私達は、怖がっていたんだ」

 

「己の意味消失、そして物理的な存在証明、か」

 

「分かった風な事を言うが、それが事実なのだろう。私達は、機動戦士としての名前を誉れに感じて、そして来英歴を救うのだと息巻いて……それでこの帰結だ。笑えるだろう? 結局は何者にも成れぬまま、終わっていく……」

 

《ネクストデネブ》の双眸は昏く沈んでいる。

 

 きっと、未来永劫、呼び声に応える事はないかのように。

 

「……分かった風な事を言うつもりはないが、私も似たようなものだ。トライアウト……軍警察に所属し、正義を気取っていたが、全ては操り人形の帰結であった。私は……このオフィーリアに来た時、自爆も考えていた。それが正義なのだと、信じていたからだ。正義のためならば死ねる……それがどれほど狂気に沈んだものなのだと、考えようともしないで……」

 

「正義のためならば死ねる、か。……案外、類似しているのかもな。どこに居ようとも、人類の価値なんて、その程度なんだ。私の意味が何に集約しようとも……《ネクストデネブ》を操れる事だけが、自身の存在証明だった。私の……生きていていい、意味だった」

 

 ダビデはこちらへと視線を振り向ける。

 

 弱く成り果てた聖獣のパイロットなど、一笑に伏す程度のものだろう。

 

 そう考えていたヴィヴィーは、直後に差し出された手に驚愕していた。

 

「何を……」

 

「そちらも充分に戦士だったと、感じたまでだ。それに……こう言ってしまえば傲慢かもしれないが、私に似ているような眼差しをしている人間を、放ってはおけない」

 

「……この来英歴の人類を数千人単位で殺した指だぞ?」

 

「それでも。救えるものだってあるはずだ。それに、私とて統制の名の下に無数の骸を踏みしだいてきた。最早……戻れる道でもない。裁かれる覚悟はいつでも出来ている」

 

 意外であったのはダビデの面持ちにはてらうところも何もなかった事だ。

 

 真実、己の道を悔いているわけでもない。

 

 それ以外の道を模索するような女々しさもなければ、自分の道を恥じているわけでもない。

 

 これまで踏み締めてきた道を全て――肯定した上で、自分の前に立つ。

 

 それは、ヴィヴィーからしてみれば初めて、打算なく自分と向かい合ってくれた人間の瞳であったのかもしれない。

 

「……私は、誰かと協定なんてしない……」

 

「ならば、預けてくれるだろうか? 私の愛機はもう限界らしい。《ネクストデネブ》、乗れるのならば」

 

 握手を拒んだ自分にまさかそのような提案をしてくるとは思いも寄らない。

 

「……《ネクストデネブ》に乗ると言うのか? 言っておくが、並大抵の精神とは思えない」

 

「そうだろうな。しかし、モデルケースがないわけじゃない。《サードアルタイル》に乗り込んでいるのはエンデュランス・フラクタルのエージェントであると聞く。聖獣の純正なパイロットではなくとも、届くものはあるのかもしれない」

 

「……私が言いたいのは、この次元宇宙の人類を殺し尽くした血濡れの機体に、わざわざ乗りたがるのは酔狂だと、そう言っているんだ。赦せるのか? その罪の証を」

 

「赦すも赦さないもない。私は……最後の最後まで戦士であり続けたい。それが私の……成り損ないのDDとしての存在証明なのだとすれば」

 

 何故なのだろうか。

 

 憤怒も、ましてや拒絶感もない。

 

 ダビデは《ネクストデネブ》を真正面から見据えている。

 

 その覚悟が言葉を弄するよりも前に、全て伝わって来たかのように感じられたのは。

 

「……アステロイドジェネレーターの移植が可能ならば、《ネクストデネブ》は稼働するだろう。ただし、私が使っていたようなIフィールドや高出力兵装がそのままと言うわけでもない。時間制限付きの代物に成り下がる」

 

「それでも……私は駆ってみたい。この世界を救うために訪れた機体が、最終決戦でどのように輝くのかを、知らなくてはいけないような気がするんだ」

 

「……変わり者だな。だが、《ネクストデネブ》は私の半身も同然。預けると言う意味は命でさえも、と読み替えられる」

 

「預けて欲しい。私は……まだ戦わなければいけない。誓ったからだ。カトリナ・シンジョウ……彼女が前に出ると言うのならば、私も争いの中に身を投げる覚悟くらいはある」

 

「どうあったところで、私に拒否権もない。だから……これは懇願なのだろうな。《ネクストデネブ》を、継いでくれるのならば……」

 

 継承者を求め続けていたわけでもないのに、ヴィヴィーの胸中は憤怒に掻き消されるわけでもない。

 

 ただ静かな心地で、ダビデの決意を真正面から受け止める。

 

 車椅子を動かし、ダビデへと手を差し出していた。

 

 細い女性的な指先だが、確かな力を伴わせて、彼女は手を握り締める。

 

「……約束しよう。第二の聖獣、その意志を」

 

「言っておくが、半端ではないぞ、こいつは。聖獣の名を、あまり舐めないほうがいい」

 

「それは承知の上だ。何よりも……私に容易く乗りこなせるような面持ちをしていない」

 

 フッと笑みを刻み、互いに手を離したところで、ザライアンの声がかかっていた。

 

「ヴィヴィー・スゥ……こんなところに……」

 

「ザライアン・リーブス。どうしたんだ、息を切らして」

 

「どうもこうも……どこにも居ないから探していたんだ。……君は、もう……」

 

 そこから先を彷徨わせたザライアンにヴィヴィーは車椅子を進める。

 

「ザライアン・リーブス。私は、後は任せた。艦で待とう。戦いに赴く者達の覚悟がある」

 

 自分の言葉が想定外であったのか、ザライアンは戸惑いながら車椅子のグリップを握る。

 

「……あ、ああ、それは確かに……」

 

「一つ、本当の名前を、教えてもらえるだろうか。ダビデ・ダリンズ。貴様の……魂の名前を」

 

 ダビデは踵を返し、片手を振る。

 

「――リューネ・ダリンズ。この世に“生まれ損ねた”、弱々しい少女の名前だ」

 

「そうか。リューネ、《ネクストデネブ》を預ける。頼んだぞ、この世界を」

 

「承知した。……しかし、分からないものだ。もう死んだはずの名前を……こうして紡ぐ事になるのなんて」

 

「……私もそうだ。《ネクストデネブ》をこうして……誰かに預けられるような心境になるなんて……思いも寄らなかった」

 

「それも……ある意味では託すという事なのかもしれないな。世界の土壇場において、誰かに意志を預ける事は決して弱さではない」

 

「弱さではない、か。……私は迷い続けていたのかもしれない。この来英暦に辿り着いたその時から、ずっと今日まで。託す術を持たず、他者を信じず、怒りにだけ身を任せて全てを破壊する事だけを願って……。だが違う。破壊するだけが、何もかもではない。私は……きっとこうして、誰か他の人間に、この役割を預けたかった。“クラード”としての重責を」

 

 ザライアンは言葉を聞き届けた後に、懺悔するように語っていた。

 

「……僕に《ネクストデネブ》を……聖獣を任せてくれたのは君だ。君自身なんだ。だから、君の弱さも、怒りも全て……次の戦場へと導かせよう」

 

 ヴィヴィーはラムダ船外にて修繕整備されている《フォースベガネクサス》を視野に入れていた。

 

《ネクストデネブ》の力を得て、さらに遠く果てまで飛ぶ事を許された機体。

 

 きっとこの来英暦の靄のような曇りを、全て払うであろう。

 

「……次の戦場、か」

 

 静かに口にして、ヴィヴィーは瞑目する。

 

 それはきっと――終焉の宇宙に棚引く、最後の意志そのものであろう。

 

 



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第284話「アイのシナリオ」

 

『それにしたって本当に……よかったの? 戦闘待機なんて……』

 

《サードアルタイル》のコックピットブロックは手広く取られ、中央に収まるグゥエルと、そして想定外の存在にユキノは戸惑っていた。

 

『ミュイ……これ、ちいさい……』

 

『我慢してくれ、ファム。《サードアルタイル》を動かすって言うんだから』

 

 パイロットスーツに身を包んだファムは窮屈そうにして首を傾げる。

 

『でも、グゥエル……《サードアルタイル》を動かすのに、これだけの権能を操っていたなんてね』

 

 ポップアップディスプレイも投射映像もどれもこれも最新鋭の代物だ。

 

 否、自分達にとっては既知の技術でさえもないモニュメントも並んでいる。

 

『ああ、俺はエンデュランス・フラクタルで聖獣の操縦を叩き込まれたから。何よりも、これだよ』

 

 グゥエルが片腕を翳す。

 

 パイロットスーツと同期したモールド痕は彼がもう、ほとんど全身ライドマトリクサーなのだと嫌でも物語っていた。

 

 しかし、それはお互い様だ。

 

 ユキノもパイロットスーツに施されたモールド痕を翳し、グゥエルと突き合わせる。

 

『……クラードさんと小隊長はよく……こうやっていたわね。今さらになって意味が分かるのなんて』

 

『いつだって、手遅れなもんなんだよ、俺達みたいな手合いは、さ』

 

 その言葉振りが、三年前の月軌道決戦のそれとはまるで異なっていたせいだろう。

 

 ユキノは思わず尋ねていた。

 

『……グゥエルは……三年前、私を助けてくれたわよね? あの時も……その、必死で?』

 

『あの時は……そうだな。俺もガキだったんだよ。何も知らなかった。世界のスケールも、何と戦っているのかも。イワハダは……?』

 

『パイロットからは退いて、メカニックになっている。会わないの?』

 

 グゥエルは視線を落とし、今も同期処理と情報交差に慌ただしいコックピットの中で呟く。

 

『……どうだろうな。《サードアルタイル》のパイロットになった時から、もうこんな調子でさ。三年前には、馬鹿やったよな。覚えてるか? 俺達、よく副長からさ、三馬鹿だって怒られてたっけ』

 

『あ、……うん。そうだったわね。二軍は出来れば前に出るな、って。でもお前達は間違いようもなく、誇り高い凱空龍の仲間だって……。何で、こうなっちゃったんだろうね。小隊長と……騎屍兵になった副長が、殺し合うなんて……』

 

『俺だって一度ヘッドを殺そうとした……結局は、さ。分かった風になるしかないのかもな。誰だって、そうやって生きて来たんだろうし。ヘッドだって……あの人にしか分からない地獄があるんだろう。俺やユキノが知った口を利くもんじゃない』

 

『……けれど……それって残酷よ』

 

 一度失った片腕を抱く。

 

 グゥエルほどではないとは言え、三年前に肉体を損傷し、結果としてライドマトリクサー施術を受けたこの身体は、もう隔絶されて久しい。

 

 凱空龍の二軍であった頃が、とても懐かしいのだ。

 

『……デザイアに居た頃と、それとベアトリーチェは、俺達にとっての青春だった。けれど青春ってのは、卒業しないといけないんだ。凱空龍は間違いなく、俺達の特別。若さだったんだろうな。けれど、若さってのに身を任せて、何もかもをやってのけるのって、それはもう……難しいんだと思うんだよ』

 

 ベアトリーチェを守るために、ああして出撃出来たのは若さゆえの蛮勇であったのだろう。

 

 今も同じ事が出来るとかと問われれば即答出来る自信がない。

 

『……グゥエル、私は……RM第三小隊の副長として、出来る事をやってきたつもり。これまでも、これからも。でも、時々……こんなのでいいのかって、怖くなる。私みたいなのについて行って、死んでいった仲間も大勢居るわ。そんな彼らに……道を諭せるだけの人間なのかどうかって』

 

 グゥエルは手を手繰って投射画面を手繰った後に、頭を振っていた。

 

『それは、きっと……一生分かんないのかもな。俺も、さ。エージェント、サイファーとして生きてきた頃の記憶はあるんだ。クラードさんの……エージェントの仕事ってさ、後ろ暗い事ばっかりなんだよ。あの人はあれだけの苦しみと骸の上に……今もこんな混迷の戦場を生き抜こうとしている。それって、滅茶苦茶しんどいとは、思うんだ』

 

『グゥエル……』

 

『何人も殺したし、どんな命令にも迷いを浮かべず、即断即決出来るだけの判断能力と強さ。……クラードさんは凱空龍に居た頃から、ずっとそうなんだって知って、俺、怖くなっちまったんだ。クラードさんはきっと……俺達には分からない地獄を見てきたはずなんだ。なのに、あの人にずっと……その傍に居るんだって、言ってのけられるヘッドとカトリナさんは……やっぱり違うよ。俺達みたいなのとは……違う……』

 

『カトリナさんはでも……この三年間、ずっと苦しんできた。近くで見て来たもの、分かるわ。あれだけ苦しんで、苦しみ抜いて、それで結局、得るものなんて何にもないかもしれない戦いに、何度も赴いて。……でも、カトリナさんは救われたと思う。私、思い出せないけれど、ハイデガーさん、だっけ。自分のお爺さんが、カトリナさんとクラードさん、それにピアーナさんの未来のために戦ってくれたんだって言う証が、それこそ生きて生きて、生き抜く事なんだって言う答え、出ちゃったんだもん。それってとても……とても意義深い事だと思うわ』

 

 カトリナとクラードの未来のために、五十年間の時を超えたハイデガーの意志はどのようなものだったのだろう。

 

 考えるだけで途方もない時間も距離も、そして未確定な世界も、何もかもを信じ抜く――それは相応の覚悟がないと不可能なはずだ。

 

『ミュイ……さんばんめ、ちょっとおもい……』

 

『ああ、俺用にカスタマイズしたから、ファムの運用方針とはちょっとずれているかもしれないな。だが、フォローを頼んだぜ、俺達の天使』

 

『ミュイっ! ファム、やるよ! だって……だってキルシーとにいさまが……いってくれたもん……! ファムも、たたかうっ!』

 

 きっと奇跡の代償であったのだろう。

 

 キルシーに、そして万華鏡、ジオ・クランスコールの最期。

 

 二人はファムの未来を信じられた。

 

 だからこそ、迷いなく決断出来たはずだ。

 

 それが彼らの望みだと言うのならば、きっとファムも自分の中の意志に従う。

 

 誰かに強制されたわけでもない、自分だけの真実を見出すために。

 

『……そろそろ、戻るわね。グゥエル、ファムを頼むわよ』

 

『ああ。任せてくれ。元々《サードアルタイル》のパイロットはファムなんだ。何なら俺より上手く扱えるかもしれないからな』

 

 ユキノはファムに手を振って、身を翻していた。

 

 オフィーリアの艦内へと戻ってから、不意に虚しさが思考を掠める。

 

『……でも私は……きっとそんなもののために、戦っていたんじゃないのよ……。許されたかった、それだけだった。けれど、そんなの今さらよね。……最後に一つだけ証が欲しいなんて』

 

 それこそ傲慢。

 

 それこそ女々しいだろう。

 

 ユキノは整備ドックに通されていく《アルキュミアヴィラーゴ》のコックピットへと、自ずと足が向いていた。

 

 別段、アルベルトから証が欲しかったわけでもない。

 

 ただ――これまでの戦いを清算するのに、彼の言葉があればきっと迷わずに戦えるのだと、そう思いたかっただけだ。

 

『……馬鹿よね、私。結局、ヘッドから大切にされたいだけだなんて』

 

 コックピットを覗き込むと、不貞腐れたように丸まっているマテリアとちょうど視線がかち合う。

 

『……マテリア……?』

 

 疑問形を挟んだのは彼女の瞳より涙が溢れているように映ったからだったが、マテリアはこちらを認識するなりすぐに持ち直す。

 

『“ユキノさん……でしたか。どうしたんです?”』

 

『いやその……小隊長を……呼ぼうかと思って』

 

 我ながら嘘が下手だな、と感じたところでマテリアがぷいっと視線を背ける。

 

『“アルベルトさんなら、メイア・メイリスのライヴに行ったっきりですよ。何なら朝帰りじゃないんですか?”』

 

 マテリアのジョークのセンスにユキノは舌を巻く。

 

『……どこで覚えてきたの? そんな言葉……』

 

『“所詮、わたくしは膨大なメタデータに裏打ちされたただの情報集積体、ただの閲覧情報(マテリアル)ですから。別にマシーンだから気にしませんよーっだ”』

 

 思いっ切り気にしている人間の口振りに、ユキノはコックピットブロックに手をかけて、マテリアの様子を窺う。

 

 彼女は少しばつが悪そうにこちらとは視線を合わせない。

 

『“……何ですか。わたくしの顔に何かついていますか?”』

 

『いや、その……あなたも小隊長の事、気にかけてくれてるんだなって』

 

『“はぁ? ……そんなわけないじゃないですか! アルベルトさんなんて気にしているわけないでしょう! まったく、そんな戯言言うためにここまで? それは随分と暇な事ですね!”』

 

「……そうね。暇だから、あなたと話したいなんて思ったのかも」

 

 バイザーを上げ、ヘルメットを外して艦内の空気に身を浸す。

 

 マテリアは心底理解出来ないとでも言うように論調を荒らげていた。

 

『“あのですね、アルベルトさんはだから身勝手なんですよ! 何ですか、シャルティア・ブルーム委任担当官にキスされたからって、ちょっとなびいちゃうなんて! そんな軽薄な大人だから、何にも決断出来ないんですっ!”』

 

「えっ、シャルティア委任担当官がキスなんてしたの?」

 

 想定外の言葉が飛んできて当惑していると、マテリアはハッとして慌てて口を噤む。

 

『“あ、いえ……今のは違って……。その、忘れてください。機械には無理ですけれど、人間には忘れるって機能があるはずでしょう?”』

 

「いや、それはそうなんだけれどさ。……聞いちゃった事を忘れるのは難しいかな……。シャルティア委任担当官から?」

 

『“それはそうでしょう。だって、アルベルトさんからキスなんて甲斐性のある事、出来ると思います?”』

 

「ああ、それは確かに同意だわ。小隊長からするのは無理ね」

 

『“そうでしょう、そうでしょう。……って、その……例え話であって、これは実在するものじゃなくって、えっと……フィクションで……”』

 

 アイリウムであるのに、まるで人間のような下手くそな嘘をつこうとするのだな、とユキノは微笑みかけていた。

 

 こちらの様相に、マテリアはむっと頬をむくれさせる。

 

『“な……何ですか、その笑い……。どうせ、わたくしはこんなですよ。……やっぱりオリジナルのわたくしのほうがいいんですかね。だって、こんなの変ですよ。アイリウムなのに……こんなプログラム、絶対ないはずなのに……。何でなんですか、これ……!”』

 

 マテリアは拳をぎゅっと握り締めて立ち上がっていた。

 

 彼女のツインテールがふわりと浮かび上がり、黄金の瞳が涙の粒でいっぱいになる。

 

『“こんなの……要らない感情のはずですっ! こんなの……だって絶対におかしいでしょう! アイリウムなんですよ……パイロットを補助し、時には的確なアドバイスを送り、時には助けとなる……それが機械の役割なんでしょう? でも……変なんですよ、壊れちゃったんですかね……? わたくしは……アルベルトさんの事を、プログラム通り補佐しようとしているだけなのに……何でこんな……!”』

 

「きっと、好きなのよね。あなたも小隊長の事が」

 

 ぽつりと口にすると、マテリアは呆けたようになって、電子の涙を浮かばせる。

 

『“……す、き……? わたくしが、アルベルトさん……を?”』

 

「パイロットとアイリウムの関係じゃなく、きっとあなたは小隊長の事、もう放っておけないのよ。それって女の子として、好きって事でしょ?」

 

 こちらの言葉にマテリアは暫時、呆然としていたが、やがてぶんぶんと首を横に振り始める。

 

『“ち、ちちちち……ちが……違いますっ! そんなわけ……そんなわけないでしょう! だって、わたくしはぱーふぇくとなアイリウムで……《アルキュミアヴィラーゴ》に搭載された、ピアーナ・リクレンツィアのスタンドアローンデータですよ? だって言うのに……人間を好きになんてなるはずが……!”』

 

「でも、あなたの反応、どう見たって小隊長を女の子として好きに見えるけれど?」

 

『“ば……ばばば……馬鹿な事を言わないでくださいっ! あ! さては担いでいますね? そうです! そうに違いないですっ! だって……アイリウムですよ? 機械学習しかない、戦闘端末が人間のパイロットを、……パイロットにそんな感情を抱くわけが……”』

 

「でも、正直なほうがいいわよ。だって、シャルティア委任担当官は自分に正直になったから、小隊長にキス出来たんでしょ?」

 

『“あ、あれは不可抗力なんじゃない……ですか? だって、補給中に突然なんて……”』

 

「へぇー、補給中にキスしたんだ? シャルティア委任担当官もやるわね」

 

 大慌てで口元を押さえたマテリアに、ユキノは微笑みかける。

 

「……マテリア。あなたはきっと、そういう子なのよ。小隊長の事を、好きでいてくれる。特別なアイリウムなんだと思う」

 

『“……何ですか、それ。馬鹿じゃないんですか。だって……機械と人間なんて……それに、わたくしの元々の役割は、オリジナルであるピアーナ・リクレンツィアの記憶の封印だったんですよ? ……まぁ、わたくし自身も無自覚でしたけれど”』

 

「でも、こうして私達と繋がり合って、こうして同じように誰かを想ってくれる。私はね、あなたの恋、応援したいなって思うの」

 

『“……恋って……そんなの、人間の感情のバグじゃないですか。知っていますよ? 恋愛感情なんて欲望と渇望の境目みたいなもので、自分でも制御出来ない、不出来な代物だって。そんなものをわたくしが……マテリアというアイリウムが持っていいわけ……”』

 

「マテリア」

 

 言葉を遮ってマテリアの手を引く。

 

 電子の海をたゆたう存在の感覚はしかし、しっかりとした体温を伴わせていた。

 

 ユキノはマテリアの腕へと自分の指先を絡める。

 

 そうして胸元へと手を引き寄せていた。

 

「……分かる? 人間の心臓ってこんな風に……ドキドキするものなんだって事」

 

『“な、何ですか……言っておきますけれどオリジナルと違ってわたくしにはそっちの気は……”』

 

「そうじゃなくって、さ。あなたにもきっと、あるんじゃない? 小隊長と一緒に居て、ドキドキする……そういうのが、きっと」

 

『“……ユキノさん、誤解していますよ。わたくしは機械なんです”』

 

「じゃあ誤解ついでに一つだけ。……小隊長を守ってあげてね。私じゃきっと、務まんないから」

 

『“……ユキノさんがしてあげればいいじゃないですか。あんな甲斐性なし”』

 

「私みたいなのの慕情なんてね、きっと小隊長には届かないのよ。でも、私にはこの距離がお似合い。何なら、こうして見守る距離が心地よいとさえ思っているの。でも、あなたは違う。心がある。心があるのなら、する事は一個だけ。でしょ?」

 

 ユキノはマテリアの手を離し、《アルキュミアヴィラーゴ》から距離を置いていく。

 

『“ま、待ってください……ユキノさん。心って……そんなもの、何処にあるって言うんですか? だってわたくしは……アイリウムで……”』

 

「なくさないでね! その心!」

 

 呼びかけてから手を振る。

 

 愛機に乗り込んでコックピットに収まった瞬間、ユキノは静かに呟いていた。

 

「……よかったですね、ヘッド。だってこうして想ってくれる人、ちゃんと居るじゃないですか。だったら、私は思い切って身を引いて……身を……引ければいいのに……」

 

 簡単に割り切れるかと思っていた。

 

 だが、感情とは裏腹に涙が堰を切ったように溢れ出す。

 

「あれ? ……何でだろ。もうとっくの昔に、分かっていた事なのに……。何でなんだろ……ヘッドが私の事、振り向いてくれるはずないなんて、だって分かり切っていたでしょう……?」

 

 拭っても拭っても消えない熱に衝き動かされ、ユキノは暗く沈んだコックピットの中で、咽び泣いていた。

 

 それはこれまでの想いの結実であったのかもしれないし、あるいは消えないはずの慕情を振り切ったからなのかもしれない。

 

 いずれにせよ、滞留する熱が「愛情」と言う名前の代物であった事を、今のユキノは痛いほど思い知っただけであった。

 

 



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第285話「最後の戦場へと」

 

『機体ステータス、オールグリーン。クラード、行けそうか?』

 

 鎧のパイロットスーツに身を包み、クラードは《ダーレッドガンダム》の各種インジケーターを調整していく。

 

「問題はない。だが……思ったよりも呆気ないものだな。聖獣のパイロット達との協定もそうなら、ここまで来たのも……」

 

『そうだと思えるだけ、マシなんだろうな。おれ達は犠牲の上に成り立っているとは言え、連中に託されてきたんだろうからな』

 

 サルトルの返答にクラードはコックピットの中で深呼吸する。

 

 戦い抜くためだけに、自らを規定してここまでやってこられた。

 

 そのつもりだ。

 

 だが――最後の最後に、自分の存在証明を手離せるとは思っても見ない。

 

 首から下げたネックレスを感覚し、クラードは呼び掛けていた。

 

「……サルトル。俺はこれで……よかったんだろうか。ジオ・クランスコールが最後に言った言葉が、まだよく分かっていないんだ。どう在るべきなのか……どう模索していくべきなのかも……」

 

『そんなもん、保留の答えだろうさ。いつだって明確なアンサーが出るなんて事もないだろう? おれ達は少なくとも、目の前のメカニック一つに集中してきた。今、その、何と言うんだ? ダーレットチルドレン? そいつらを打倒すれば、少しは目的に近づくと言うのなら、構わんのじゃないか? オジサンにはよく分からんが』

 

「……ダーレットチルドレン、世界を裏から回す、影の集団、か」

 

 そのような存在も眉唾であったが、事ここに至って虚言を弄する意味もなし。

 

 何よりも聖獣のパイロット達が、自らの乗機を失いながらもこうして繋いできた意味はきっとあるはずだ。

 

「……俺に出来るのは、きっとそんなに多くはない。取りこぼさないためだけの戦いを講じるだけ、か」

 

『……なぁ、クラード。答えてやったのか? 期待の新人に』

 

「カトリナ・シンジョウには預け物をしておいた。それできっといい」

 

『……そうか。お前さんみたいなのが他人に預けるってのは、きっと大きいんだろうな』

 

 自分とサルトルの仲だ。

 

 今さら余計な格式ばった言葉が必要ない事くらいは分かり切っている。

 

「目標は月面……テスタメントベース。三年前のあの日に……失ったはずのものへと……」

 

『広域通信。こちらオフィーリア、レミア・フロイトです。既に聞いての通りだと思うけれど、月軌道に入りました。目標は月面、テスタメントベース跡地。恐らく、敵の本丸があると思しき場所に到達するのには苦難が待ち受けているでしょう。それでも……総員の無事と、そして帰還を願って。甘くはないかもしれないけれど、ここまで戦い抜いたのは間違いなく事実。だったら、約束して欲しい。誰一人欠ける事なく、戦線を終える事を。メカニックも、パイロットも、管制制御の別もありません。ここに居る全員が、生きて帰ってください。……ラストミッション、頼んだわよ……。通信終わり』

 

「……レミアもお節介になったものだな」

 

 呟いてから、クラードはコックピットの中で声を飛ばす。

 

「聞こえているんだろう、レヴォルの意志」

 

『レヴォル・インターセプト・リーディング、対話モードを開始。専任ライドマトリクサーのバイタルに異常なし』

 

「コミュニケートモードに移行。60セコンド」

 

『了解。コミュニケートサーキットを構築します。“何だ、いやに静観めいた面持ちじゃないか、クラード”』

 

「ここまで戦ってきた……その事実を噛み締めているだけだ。レヴォルの意志……いいや、《ダーレッドガンダム》。お前が俺に、どれほどの試練を与えてきても関係がない。最後の最後まで、お前は俺の力そのものだ。だから……撃つべき敵が誰であろうとも、乗りこなすまで」

 

『“決意表明か、お前らしくもない。自らの力に溺れ、その末に何を求める? 如何に波長生命体に進化しようとも、お前はより脆くなったように映るが”』

 

「脆い……そうだろうな。俺は多分、弱くなったのだろう。だが、それを恥ではないと、今は思えている」

 

 弱くなったからこそ見えてくる景色もある。

 

 これまで蔑ろにしてきたものに、意味を見出したからこそ、自分の一部をカトリナに預ける事も出来た。

 

『“《ダーレッドガンダム》の性能ならば、比肩する相手もそう存在するまい。その上で、問う。お前は何を目指す? エージェント、クラード”』

 

「何を……か。愚問だな。――俺は失ったものを奪われたものを奪い返すだけだ。奪還のための戦いを繰り広げ、そして……その後は……その後、は……」

 

 分からない。返事に窮する。

 

 その後は――どうすればいいのだろうか。

 

 彷徨わせた言葉の先に、不意にカトリナのビジョンが掠める。

 

「……そう、だな。オムライスとやらを一つ、もらおうかな。それくらいなものだ、俺は」

 

『“理解しかねる”』

 

「そうだろうな。そうであったとしても、俺は……俺の立てた誓いを、果たすまでだ」

 

『“こうして話すのも、恐らくは最後だろう。残念だよ、エージェント、クラード。最後の最後に、答えを得られないのは”』

 

「どうかな。答えなんて、とっくの昔にもう……決まっていたのかもしれない」

 

『コミュニケートモード終了。専任ユーザーへと全権を委譲します』

 

『こっち、聞こえている? クラード』

 

「バーミットか。何だ?」

 

『何だじゃないわよ、まったく……。あんた、一応は最後の戦いなんだから、それなりの言葉を交わしておこうかと思ってね』

 

「……俺と喋る事なんてないだろう」

 

『あんたはそうでもあたしはあるの。……カトリナちゃんにはきっちり言っておいた?』

 

「ああ、預けておいた」

 

『……微妙に要領を得ない返答ねぇ。ま、いいわ。あんたなりのケジメなんでしょうから。あたしからしてみれば、あの子の恋バナが実ったかどうかってのも楽しみだったんだけれど……あんたみたいなトーヘンボク、好きになってくれる子なんてカトリナちゃんくらいよ?』

 

「バーミット、余計な事を言っている場合か? とっととガイドを出してくれ」

 

『あんたってば本当にそういう……。けれどもまぁ、そういうのも含めて、安心した。何て言うかさ、あんたらしいって思うのよ。あたしの知っているエージェント、クラードはきっと、こんなもんなんだって』

 

「物言いに棘を感じるな」

 

『そんなもんでしょ? あたしとあんたは結局、別段馴れ合うわけでもなければ、変に突き放したわけでもないし。こういう距離もアリって事よ』

 

「……馴れ合い、か。それは確かに、あんたとは縁も遠そうだ」

 

『でしょう? ……気張ってきなさい。それで必ず、帰ってくるの』

 

「ああ、既に誓いは交わした」

 

『あら、隅に置けない。……じゃあ、いいわね? 《ダーレッドガンダム》、カタパルトへと移送。リニアカタパルトボルテージを80へと上昇。発進準備完了。射出タイミングを《ダーレッドガンダム》、パイロットへと譲渡します』

 

「了解」

 

 短く返答し、クラードは一拍の呼吸を置く。

 

 茫漠とした宇宙の深淵。

 

 漕ぎ出すのは闇夜の彼方。

 

 それでも――信じるものは、ここに在る。

 

 だから――悔いはない。

 

「《ダーレッドガンダム》、エージェント、クラード。迎撃宙域に――先行する!」

 

 青い電流が弾け飛び、カタパルトから出撃した《ダーレッドガンダム》が推進剤を噴かす。

 

「……これが最後だと言うのならば……俺は俺の命を、使い尽くすまで……」

 

 命の戦場にかけるのならば、それは灯火の一滴でさえも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アルベルト氏! 《アルキュミアヴィラーゴ》、調整完了したっすけれど、武装面で重い可能性はあります』

 

 トーマからの声を受け、アルベルトはコックピットへと収まる。

 

「武装……ビームジャベリンは?」

 

『ジャベリンは二丁。中遠距離用にビームガトリングガンと、《ダーレッドガンダム》に使用していたビームマグナムも装備しておいたっす』

 

「上々だ。そんだけあれば……きっと勝つ事も……」

 

『その事なんですが、アルベルト氏。……トキサダが、騎屍兵に所属している、ユキノ嬢から聞きました。信用出来る筋だって』

 

 トーマにしてみれば、かつての恋人が生きていただけでも相当なのに、それでも自分達の整備を万全にしてくれているのだ。

 

 この問いからは逃げられないな、とアルベルトは応じる。

 

「ああ……トーマさん、オレ……あんたの想いを……」

 

『いえ、気にかけないでくださいっす。あーしは……もうとっくに終わった恋っすから。そんなのに足を取られて、パイロットを死なせるほうが問題っす。だから……これはあーしからのお願いなんだと思います。トキサダを……殺してください』

 

 きっとその言葉は、そんな簡単に吐けるような言葉ではなかったはずだ。

 

 愛した者を今一度殺せなど。

 

 トーマの葛藤は想像するに余りある。

 

 それでも彼女の想いを勝手に分かった風になるのは、恐らくそんな資格もない。

 

「……分かった。トキサダに関しちゃ、オレに任せて欲しい」

 

『……頼むっすよ。通信終わり』

 

『全機体、カタパルトへと移送! 順次発進姿勢に入れ!』

 

 忙しくサルトルやメカニックの声が行き過ぎるのを感じていたアルベルトは、そういえばいやに静かだな、と感じ取る。

 

「……マテリア? どこ行った?」

 

 周囲を見渡すが、マテリアを発見出来ないでいると、不意に体温が自分の背中にかかってくる。

 

『“……アルベルトさん、その、これってバグなんです”』

 

「何言って……ビックリしちまったじゃねぇか」

 

『“アルベルトさんの顔を見れないんです。どう返していいのか……分かんなくって……”』

 

「これが最後の踏ん張りどころだろ? お前を頼りにはしてるんだぜ?」

 

『“……頼りに……。そう……ですよね。わたくしは《アルキュミアヴィラーゴ》の、アイリウムですから……ね”』

 

 どこか寂しげに呟くマテリアに、アルベルトは振り返ろうとして頬にキスされる。

 

 その口づけを問い返す前に、二頭身に変じたマテリアは視線を掻い潜って前に出ていた。

 

『“ほら! アルベルトさん! 最後の戦いなんですから、もっとシャキッとしないと! わたくしも《アルキュミアヴィラーゴ》のアイリウムとして、張り切っていきますよー!”』

 

「あ、お前……今の……」

 

『“余計な事、考えている場合じゃないでしょう? アルベルトさん……行きましょう!”』

 

 余計な事――だとすれば今のキスは何だったのだろうか。

 

 どういう意味だったのか、問い返すにも彼女は《アルキュミアヴィラーゴ》のシステムと一体化していた。

 

『アルベルト君? 《アルキュミアヴィラーゴ》、カタパルトデッキに移送するわ。……どうかした?』

 

「あ、いや、何でも……。ぼんやりしている場合じゃ、ねぇっすもんね……」

 

『リニアカタパルトボルテージを80に上昇。《アルキュミアヴィラーゴ》、射出タイミングをパイロットへ譲渡します』

 

「……これが最後だってなら、オレはやるぜ。徹底的にな。……トキサダ、てめぇを取り戻す。奪還の戦いだって言うんなら、上等だ」

 

 両腕を翳し、接続口へと可変させると共に電磁の刃が脳髄に突き立つ。

 

 奥歯を噛み締め、アルベルトは丹田より声を発していた。

 

「アルベルト・V・リヴェンシュタイン! 《アルキュミアヴィラーゴ》、出るぞ!」

 

 青い電磁をのたうたせ、白銀の躯体たる《アルキュミアヴィラーゴ》が前線へと加速していく。

 

 既にブリギットとラムダからは援軍が出撃しており、自分は戦力の中腹に位置していた。

 

「それにしたって……もう一度月軌道とはな……」

 

 三年前の敗退が嫌でも思い起こされる宙域で、アルベルトは自分に付随するユキノの《アイギス》を視認していた。

 

『小隊長、後方は聖獣の守りがあります。今回は、艦の事は気にしないで大丈夫かと』

 

「ああ、それはありがてぇが……大丈夫なんだろうな? 聖獣が三体なんて、ぞっとしねぇぜ」

 

『うち一機にはダビデ・ダリンズ中尉が搭乗していると聞きます。もしもの時の抑止力は期待出来るかと』

 

 ダビデの操るのは《ネクストデネブ》であったが、後背部に戦艦用のアステロイドジェネレーターを直結されている。

 

 恐らく、MS用の動力では聖獣を稼働させるのに足らなかったのだろう。

 

 それでもほとんど動く事はない、木偶の坊に等しいが存在するだけマシだ。

 

「……頼んだぜ。最後の戦いだってんだからよ。ここで折れるわけにゃ……」

 

 その時、熱源警告が発せられ、アルベルトはこちらへと向かってくる巨大機を視界に入れていた。

 

「……赤銅色のIMF……! 《ヴォルカヌスカルラ》ってのか、あれが!」

 

 放たれたのは砲撃。

 

 それも艦砲射撃に等しい出力の火砲がオフィーリア艦隊へと直進する。

 

 全く減殺しない勢いの光軸へと真正面から立ち向かったのは、第四の聖獣であった。

 

 片腕を翳し、すり鉢状の四枚の刃を顕現させる。

 

 さらに交差するように四枚、構築されるなり削岩機が如く回転を始めていた。

 

 螺旋を描いた刃を通常のMSがそうするように振るった途端、漆黒の重力磁場が形成され、《ヴォルカヌスカルラ》の砲撃を打ち消していた。

 

「……いや、あれは斬りやがったのか……? 何てぇ力だ、《フォースベガネクサス》……」

 

『全部隊へと通達。魔獣、《ヴォルカヌスカルラ》は僕が相手取る。この宇宙飛行士、ザライアン・リーブスと、聖獣《フォースベガネクサス》が……!』

 

 ザライアンの一声で士気が上がったのは間違いない。

 

 聖獣が味方になるだけでも心強いのに、彼は元々来英暦の人々にとっての英雄だ。

 

「……一騎当千ってのはこういう事を言うのか? いずれにしたって、敵であるよか味方のほうがいい。ユキノ、オレらは防衛網を抜けてテスタメントベースへと向かうクラードの補佐だ。頼んだぜ」

 

『了解。RM第三小隊の意地を見せましょう』

 

 ユキノは何故なのだか、少し他人行儀な声音であった。

 

 それを感じ取る前に、アルベルトは宙域へと先行してきた艦艇を見据える。

 

「……モルガン……ってぇ事は、騎屍兵か!」

 

 月軌道に至る前にモルガンより円弧の軌道を描いて発進したのは《ネクロレヴォル》であった。

 

 その総数を認識する前に、接近警告が鳴り響く。

 

「反応……上!」

 

 流星が如く降り立ってきたのはミラーヘッドの段階加速を経た紅色の重装備機。

 

『……アルベルト……! あんただけは、おれが墜とす……!』

 

「機体照合、《プロミネンス》……トキサダ……!」

 

 交錯する一瞬、ビームジャベリンを引き抜いた《アルキュミアヴィラーゴ》と《プロミネンス》のビームサーベルが干渉波のスパーク光を散らせる。

 

『よくものこのことまたやって来られたものだな。厚顔無恥とはこの事を言う』

 

「黙ってろ! てめぇはオレが……!」

 

『殺すと言い切れないのなら! 下手に戦場を搔き乱すんじゃない!』

 

 払われた一閃を後退して回避し、次いで咲いた高火力弾幕へと《アルキュミアヴィラーゴ》を上昇させる。

 

「……お前だけは……オレの役割だ!」

 

『どうかな、アルベルト。俺と一騎討ちなんて、やった事もなかったはずだ。見せてやるよ。《ネクロレヴォル》を操るに足る存在……騎屍兵の力って奴を。――コード、“マヌエル”発動。おれに、従え……ッ!』

 

 途端、荷重装備の《プロミネンス》が蒼い光を帯びて急接近する。

 

 肉薄した敵機体に、おっとり刀のビームジャベリンを一閃させるも、紙一重で回避され、隠し腕のビームサーベルが振るわれていた。

 

「なろ……っ!」

 

《アルキュミアヴィラーゴ》の脚部に格納されている内蔵兵装を現出させてその一撃をいなす。

 

 レヴォルと同系統の蒼い砲火を浴びせようとするが、《プロミネンス》は加速挙動で軽くかわしていた。

 

「……マヌエル……だと……」

 

『分かっているはずだ、アルベルト。こいつも《ネクロレヴォル》なんだからな。その力くらいは振るう素質があるって事くらい。その骨董品で! どれだけ持つか、やってみるか!』

 

「……てめぇ……! トキサダァ――ッ!」

 

 ビームガトリングガンの弾倉を装填し、背面から肩部へと自動的に組み変わった銃口が《プロミネンス》へと火砲を見舞う。

 

 しかしコード、マヌエルの実行とそしてミラーヘッドの超加速を可能にしている相手にはそう容易く命中する様子もない。

 

『当ててみせろよ! アルベルトォ――ッ!』

 

 拡張するトキサダの殺意の波に、アルベルトは《アルキュミアヴィラーゴ》を奔らせていた。

 

 



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第286話「獣の方程式」

 

「《ヴォルカヌスカルラ》……! 攻撃すべきか……!」

 

 クラードは《ダーレッドガンダム》の特殊兵装であるベテルギウスアームへと移行しようとして、《ヴォルカヌスカルラ》からの通信が耳朶を打っていた。

 

『そこの。鉤爪の機体、行けよ。手出し無用とのこった』

 

「何だと?」

 

『俺も不確定要素の強いそいつとやり合うのは得策じゃないんでね。《ヴォルカヌスカルラ》とどうしてもやり合いたいって言うんなら無理にとは言わないが、てめぇらの目的は月面だろ? 損耗するか、それとも無傷で向かうか、賢いのはどっちかくらいは分かるはずだ』

 

 想定外の言葉であった。

 

《ヴォルカヌスカルラ》のパイロットは戦闘狂のはず。

 

 だと言うのに、ここで自分を見逃す理由が思いつかない。

 

「……怖気づいたか」

 

『どうとでも取ってもらって結構だよ。いずれにしたところで、その機体以外は通すなとお達しだ、鉤爪の。さて、どっちを取るか?』

 

 クラードは《ヴォルカヌスカルラ》に付随するトライアウトブレーメンの艦艇に仕掛けがあるのではないかと疑うが、艦砲射撃の様子もない。

 

 本当に、月面まで自分を通すというのは嘘でも何でもないのか。

 

 迷っているだけの時間も惜しく、クラードは《ヴォルカヌスカルラ》の脇を通り抜けていた。

 

「……本当に、後ろからも撃って来ないというのか……?」

 

 不明瞭な感覚に戸惑いながらも、月軌道へと入り、テスタメントベース跡地を視野に入れる。

 

「……データ照合通り、打ち上げ施設に魔獣……。あれを破壊すれば、ダーレットチルドレンの目論見は崩れる……はず」

 

 ベテルギウスアームへと接続し、重力砲撃を敢行せんとした、その時であった。

 

 接近警告が劈き、クラードは咄嗟の判断で鉤爪の腕で防御する。

 

 至近距離で弾けた刃の感覚に、急速後退させるも、追い縋る敵機の速度は圧倒的だ。

 

 ミラーヘッドの蒼い残像を引きつつ、瞬時に《ダーレッドガンダム》の横合いに入った相手へと、腰部にマウントしていた小太刀を抜刀して受け止める。

 

「……手練れか……!」

 

 発振されたビームサーベルの出力値の高さに瞠目したその時には、照り返しを受けた相手の相貌が明らかとなっていた。

 

 それは漆黒の色彩を伴わせた、叛逆の機体――。

 

「……《レヴォル》? 《レヴォル》……なのか?」

 

『その問いには、否と答えさせてもらおうか』

 

 接触回線が弾けると同時に浴びせ蹴りが狙う。

 

 クラードは機体をひねらせ、その一撃を回避すると共に弾かれ合うようにして距離を取っていた。

 

 宙域で対峙するのは鏡合わせのような機体同士であった。

 

《ダーレッドガンダム》と、そして敵の不明なレヴォルタイプに識別照合がもたらされる。

 

「……《レヴォルテストタイプ》……? あり得ない、それはハイデガーの……!」

 

『名乗らせていただく。“惑星のエーリッヒ”たる存在、ミハエル・ハイデガーより受け継ぎしこの運命を。原初の魔獣、IMF00《ガンダムレヴォルトルネンブラ》! そして封じ込めた我が名こそ――!』

 

 頭蓋のコックピットを開き、こちらへとその身を晒した黒色のパイロットスーツの相手は広域通信をもたらす。

 

『死した名前、既に敗北者とは言え、君とこうして再び相見えたのだ。ならば、捨てた名前で踊ろうではないか! エージェント、クラード君。識者グラッゼ、グラッゼ・リヨンとして!』

 

「グラッゼ・リヨン……生きていたのか」

 

『死んでいたさ。だが、君と躍るのに棺桶に片足を突っ込んだままでは半端者と言う。私は死してこそ、この宿業を手繰ろうではないか。そのために私はここに居る。たとえこの世界をたばかる存在の味方、後ろ指差される存在となろうとも! 私は私の信じるもののために、戦い抜くまでだ!』

 

「……貴様は、何のためにこの戦いに赴く。ダーレットチルドレンを守ると言うのか」

 

『それで君と戦えるのならば、安いものだ』

 

 コックピットが閉じ、眼窩に戦意の灯火を宿らせた敵機――《レヴォルトルネンブラ》は本物の殺気を放っている。

 

 既に戦う以外の選択肢は枯れ果てたのだろう。

 

 クラードも己の戦闘意識を研ぎ澄まし、敵機と相対する。

 

『決闘ならば! 名乗りもやぶさかではない! 《ガンダムレヴォルトルネンブラ》、グラッゼ・リヨン!』

 

「……《ダーレッドガンダム》、エージェント、クラード……!」

 

『征く!』

 

「先行する!」

 

 互いに刃を抜刀し、距離を詰める。

 

 肉薄した瞬間には《レヴォルトルネンブラ》の加速度が超過し、まるで掻き消えたかの如く、背後を取っていた。

 

「……速い……!」

 

『少しでも後れを取ってくれるなよ! 君は私と踊らなければいけないのだからね! 既にこの運命は! 我々が創造された瞬間より、定まっていたのだ!』

 

 大太刀を引き抜き、《レヴォルトルネンブラ》のビームサーベルと打ち合うが、相手は一拍の呼吸さえも感じさせず、瞬時に上昇し様に蹴り上げる。

 

 レヴォルタイプの弱点である頭部コックピットを迷いなく狙った攻防にクラードは奥歯を噛み締めて小太刀を振るっていた。

 

 足の一本でも叩き落したか、と思われた一閃は脚部に装備された格納型のビームサーベルによって防御される。

 

『甘いぞ! そしてその距離は、私のものだ!』

 

 腰にマウントされたレールガンが火を噴き、至近距離で弾頭が爆ぜる。

 

 クラードは目まぐるしく変わっていく戦局で交錯する刃の感触を覚えていた。

 

 グラッゼの太刀筋は真の強者のもの。

 

 半端な覚悟では潜り抜ける事はおろか、一撃でさえもかわせない。

 

「……距離を取ったほうが読み負ける、か……!」

 

『分かっているのならば! 私と踊れ! クラード君!』

 

《レヴォルトルネンブラ》が両腕に太刀を握り締め、交差する刃を叩き込む。

 

 クラードは太刀を結合させて双剣を成し、その一撃に応じていた。

 

「……あの時……! 《シクススプロキオン》攻防戦で! 貴様は彼岸に赴いたはずだ!」

 

『それはあの時の私の後悔の一つでね! やはり我を曲げず、君と戦うのに終始すべきであった!』

 

 浴びせ蹴りが見舞われるのを、《ダーレッドガンダム》に防御させてから太刀筋を打ち込む。

 

 しかし、《レヴォルトルネンブラ》は事象さえも折り曲げるほどの急加速で刃を潜り抜け、横凪ぎで叩き伏せる。

 

 敵の刃に籠った殺気の真髄に、《ダーレッドガンダム》は後退していた。

 

 その隙を逃さず、蹴りが打ち抜かれクラードは《ダーレッドガンダム》の機体が月面のクレーターに埋もれたのを感覚する。

 

 舞い上がった銀色の砂埃の向こう側で、大上段に太刀を振るい上げた敵機に、《ダーレッドガンダム》は両腕で双剣を構えていた。

 

『防御とは! あまりに脆弱! あまりにも後ろ向きではないか! 君らしくもないぞ!』

 

 クラードは奥歯を噛み締めつつ、眼前で弾ける干渉波のスパーク光を睨む。

 

「……俺らしい、だと。分かった風な事を言う。俺は……俺の決着をつけるためにここに来た! ダーレットチルドレンを倒せば、全てが終わるというのならば!」

 

『全てが終わる? 本当にそう思っているのか? クラード君』

 

 その問いかけに《レヴォルトルネンブラ》がこちらを蹴り上げ、次いで浮いた機体へと肘打ちを見舞う。

 

 月面で制動をかけつつ、クラードは双剣を携えて応じていた。

 

「……どういう意味だ?」

 

『あの魔獣……打ち上げ施設に居るあれを、私が壊さなかったのは何故だと思う? 君と戦いたいからだけではない。本当に、ダーレットチルドレンを打倒するだけで、世界が救われるとでも? ……彼の者達はそこまで単純ではない』

 

「聖獣が邪魔をするのならば、それも踏み越えるまでだ」

 

『分かっていないな、君は。ダーレットチルドレンの存在も、聖獣の意味も、私が何も知らず、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーよりこの機体を引き継いだと思っているのか?』

 

 グラッゼの言葉振りにクラードは一度構えを解き、改めて相対する。

 

「……エーリッヒ……いや、ハイデガーは……。何を貴様に教えたと言うんだ」

 

『私は彼の知り得た全ての知識を、《レヴォルトルネンブラ》のアイリウムを通して継承した。君らが聖獣と呼ぶ存在、それは様々な多元宇宙における《ガンダムレヴォル》そのものである事も、無論、承知の上だ』

 

 そこまで知り得ているのは一握りのはず。

 

 クラードはグラッゼが伊達でも酔狂でもなく、《レヴォルトルネンブラ》を操っている意義を探っていた。

 

「……ハイデガーから何を聞いた? 貴様は、何を知っている?」

 

 暫時、月面に沈黙が流れる。

 

 やがて、グラッゼは静かな論調で語り始めていた。

 

『……始まりは、一つであった。だが、それを発見したのは、決して偶然ではなかったのだと、ミハエル・ハイデガーは独白している。奇妙だとは、思わなかったか? 聖獣のパイロットが君と同じく“クラード”であるのならば、この世界には既に、同等の存在たる《ガンダムレヴォル》が不可欠であると。だが、君の操っていた《レヴォル》は《フィフスエレメント》、第五の聖獣であった。本来、五番目の聖獣にはそれに相応する“クラード”が居るはずだ。だと言うのに、五番目の“クラード”の存在は今日まで秘匿された』

 

「……《レヴォル》を駆るのが俺の役割だ。《フィフスエレメント》が《レヴォル》の形を取るのならば、それを操るのは俺の――」

 

『違うだろう? 前提を間違っている。来英暦に元々存在する聖獣を、何故君達は関知さえもしなかった、いや、出来なかったのか。教えよう。君は既に――この来英暦の《レヴォル》に出会っている。遥か昔にね』

 

「……惑わせようとしているのか。俺にとって《レヴォル》は、一体だけだ」

 

『君は本質的に、その部分を狂わされている。他でもない、エンデュランス・フラクタルと言う名の悪意によって』

 

「エンデュランス・フラクタルに、胡乱な動きがあったのは承知の上だとも」

 

『では君は、この次元宇宙の《ガンダムレヴォル》の存在を知っていたとでも? ……いいや、それはあり得ないな。知っていれば、君は……君だけではない、彼の者達でさえも、真実には肉薄出来ていなかった。それが一つ目の過ちだ。そして、二つ目は――!』

 

《レヴォルトルネンブラ》が加速し、その刃を打ち振るう。

 

 月面を滑って回避したクラードは敵機に内在する殺意と、それとはまるで相反する何かの感情を見据えていた。

 

『《フィフスエレメント》の真の価値を、君達は理解でさえもしていない。彼の者達は《オルディヌス》として運用し、第五の聖獣の能力である調律を行おうとしていたが、それはあまりにも浅薄! あまりにも愚かしいものであった! ミハエル・ハイデガーはどう言っていたのか……教えてあげよう。この世界を覆う悪意の真実と言うものを!』

 

《レヴォルトルネンブラ》がビームサーベルを薙ぎ払い、太刀筋に籠らせたのは明瞭なる殺気。

 

 その真髄を見極める前に、クラードは双剣で受け止めていた。

 

「……ハイデガーの語った……真実だと……?」

 

『クラード君。君は既に、出会っているのだよ。この次元宇宙の《ガンダムレヴォル》に……! 君を構成する美しき獣の方程式……《レヴォルゼロポラリス》だ!』

 

 



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第287話「原初の聖獣」

 

『専任ユーザーへと、アイリウムによるコミュニケートサーキットを構築。対話モードを有効化』

 

「対話モード? 今はモルガンを目指しているところなのだが……」

 

 しかしヴィクトゥスは手にした《レヴォルトルネンブラ》の力の真髄に驚嘆もしていた。

 

「それにしても、パワーゲインがとんでもない。これで《レヴォル》のテストタイプなのだから、畏怖もあるさ」

 

『これよりアイリウム――エーリッヒ・インターセプト・リーディングによるユーザーへの対話を実行します』

 

「……エーリッヒ・インターセプト・リーディング……直訳するのならばエーリッヒの意志、か」

 

 蒼い円環が構築され、ゆっくりと脈打ち始める。

 

『“これを儂以外が手に入れているというのならば、それは継承すべき人物を見出したという事なのだろう。喜ばしい事実だ”』

 

 つい先刻話したばかりのエーリッヒの声音に、ヴィクトゥスは判定する。

 

「アイリウムに自らの人格データを転写……いや、不可能ではないな。殊に、“惑星のエーリッヒ”となれば、賢人であろう」

 

『“教え尽くせたかどうかは分からないが、知っての通り、この魔獣《レヴォルトルネンブラ》はイミテーションモビルフォートレス計画の先駆け、そして全ての聖獣を破壊するべくして建造された存在だ。その性能面で言えば、現行のMSでは敵いようもない。まさしく無敵の剣だとも”』

 

「それは理解出来るのだが、しかし得心がいかぬものもある。あなたは最初から、これを誰かに預けるつもりで造ったはずだ。一体どうして……? 造らなければ要らぬ争いも生まなかった」

 

『“それは結果論だよ、ヴィクトゥス・レイジ。儂は伝えるべくしてここに居る、とは言っても、所詮データを複写しただけのアイリウムだが”』

 

「あなたは何を伝えたい? 私に何を継いで欲しいと言うのだ」

 

 一拍の沈黙の後に、エーリッヒの意志は応えていた。

 

『“……持っているようだな。白銀の栞を”』

 

「あ、ああ。これはあなたから授かった……そしてフロイラインと私を繋ぐ縁そのものだ」

 

 携えた白銀の栞にエーリッヒの意志はなるほどと発する。

 

『“では意味までは、教えていなかったのか。いや、教えるのが憚られたのだろう。如何にも人間らしい判断だ”』

 

「……どういう事だ。何を言いたい……」

 

『“それはただの栞ではないのは、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー……いいや、ミハエル・ハイデガーを思い出せた事からも明らかだろう。それは特殊記憶媒体であり、この次元宇宙の理に縛られない、特異点だ”』

 

 ヴィクトゥスは胸ポケットに留めた白銀の栞を意識する。

 

「特異点? それは……どういう……」

 

『“分かりやすく言えば、それはモビルフォートレス……聖獣なのだよ”』

 

 放たれた言葉の意味を、一瞬はかりかねてヴィクトゥスは愚かにももう一度尋ねる。

 

「……待ってくれ。今何と……?」

 

『“二度も三度も問い返したところで変わるまい。それは聖獣――MF00だ”』

 

「……そのような事、オリジナルのあなたは一言も言わなかった……」

 

『“知っていても言えない、否、教えなければいけなくとも口に出来ない。それが人間の持つ不可解さの一つであり、0と1では分け切れないものだろう。そのおぞましさに気づいたのはミハエル・ハイデガーが地上のテスタメントベースに一人籠るようになってからの話だ。研究を重ねた結果、ただの偶然にしては出来過ぎていると、残存データを解析し、その結果として得られたのは、白銀の栞は記録を知っているのではなく、この来英暦で巻き起こる過ちを既に記憶しているのだと、そう判断した。そしてそれに類する存在を消去法で探していった結果、見出されたのは聖獣であるという事実であった”』

 

 ヴィクトゥスは今も胸元に留められている栞へと視線を落とす。

 

 どう見ても聖獣とは思えない。

 

 否、聖獣であったとして――このような形であるものか。

 

「……聖獣はダレトの向こう側より来たりし使者だ。この栞もダレトの向こうから?」

 

『“少し違う。思い出すといい、聖獣が来訪する原因は、思考拡張……その呼び声にこそある。当初はそれをダーレットチルドレンによるものだと仮定していたが、それにしては現状、六体もの聖獣が来訪するのは不自然だ。ならば、ダーレットチルドレン以外の、別種の存在が呼び込んでいると見るのが自然だろう”』

 

「別種の存在……聖獣を呼ぶのは、では何だと?」

 

『“ハッキリとした事は不明のままだが、聖獣同士が呼応するのならば、この世界にもそれと同等か、あるいは酷似した存在が不可欠となる。五十年先のRM技術へと対応したその栞は、まさしく技術に関して言えば特異点クラス。であるのならば、その小さな栞こそが、この来英暦におけるMFだと規定すれば説明も付く。即ち、オリジナルレヴォルとは、MF05《フィフスエレメント》の事ではなく、その栞のような小さな生命体の事を言うのではないか、と”』

 

 しかしその仮説はあまりに突飛だ。

 

 栞にしか見えないそれが聖獣であり、さらに言えば生命体であるなど。

 

「……これが生き物だとして、では何故、聖獣を呼び続けるのか。それが知りたい」

 

 蒼い円環は揺らめき、その問いへと対応する答えを持っているようであった。

 

『“ミハエル・ハイデガーが五十年間研究し続けたのは、聖獣を呼び込むプロセスだ。何故、エージェント、クラードにしか《レヴォル》は動かせなかったのか。そういったシステムを構築したのは誰なのか”』

 

「エンデュランス・フラクタルではないのか? 彼らはクラード君にだけ、《レヴォル》を動かせるように細工をした」

 

『“だが後のデータには、メイア・メイリスも動かせたという記録がある。これは確定事項だ”』

 

 確かに自分自身、何者かが稼働させたレヴォルと会敵している。

 

 クラードだけが《レヴォル》に選ばれた、というわけではないのか。

 

「……では、前提条件が崩れる。クラード君ではなくてもいいのなら、何が決定打となるのか」

 

『“仮説に過ぎないが、ヴィクトゥス・レイジ。貴様がそれを持っている時点で運命の変動値は動いているという事になる。メイア・メイリスは何者かによって、《レヴォル》に最適化された存在、そしてクラードは、それと同等の《レヴォル》を動かせる絶対的な素質を持っているという事なのだろう”』

 

「絶対的な素質……それはセンスではなく?」

 

『“センスだけでは《レヴォル》は動かない。これはミハエル・ハイデガー本人が《レヴォル》のテストパイロットであった事にも起因する。《レヴォル》は特定波長を有し、アイリウムにその波長を人格データとして内包している。これをレヴォルの意志と呼ぶ。ミハエル・ハイデガー搭乗時にはレヴォルの意志は観測されなかった”』

 

 つまり、クラードが乗った以降でしか《レヴォル》の真の性能は発揮されていないというわけか。

 

「圧倒的な戦闘センスを持つクラード君に呼応したというよりも、クラード君でなければ《レヴォル》の性能は御し切れなかったという事か」

 

『“だが、それはMF05《フィフスエレメント》だけの特性ではない。全てのMFは等しく、クラードと言う存在に反応する。メイア・メイリスに関して言えば情報不足だが、クラードに関して言えば手札は揃っている。――次元同一個体、そう呼称される存在がクラードだ。クラードは全ての聖獣を操るだけの素質を持つ。それは後天的ではなく、先天的……クラードとしてこの次元宇宙に選ばれた瞬間から、だ”』

 

 あまりにも唐突な言説であったが、自分自身クラードを特別視している。

 

 クラードの能力が人並み外れた操縦技術だけに集約されているわけではなく、その存在そのものが禁忌であると言うのならば――命を懸けて戦うのに値するというもの。

 

『“ヴィクトゥス・レイジ。何故、笑っている?”』

 

「いや、失礼……。戦闘の喜悦を御し切れないのでは私もまだまだだな」

 

 だが喜ばしい。

 

 それほどまでの人物と渡り合える力が、今はこの手にあるのだから。

 

「生まれた瞬間からクラード君には聖獣を操るだけの資格があった、そう見るとすれば彼が《レヴォル》に選ばれたのは必然に感じる」

 

『“レヴォルの意志、あるいはレヴォル・インターセプト・リーディング。それらがクラードをどのような基準で感知しているのかは不足している情報だが、もし、MFがクラードへと引き寄せられているのだとすれば、三年前のデザイア崩壊時に《レヴォル》が緊急発進したのも頷ける。クラードには聖獣を御するだけの力がある”』

 

「なるほど。つまり聖獣がクラード君と呼び合うのは、何も偶然ではないと。……だが、だとすれば何故だ? 何故、この栞がMFだと言う?」

 

 MFと呼ぶのにはあまりにも脆弱に映る。

 

 聖獣の名を冠するのに、特別な素質があるとも思えないとは言え、ただの栞が世界を謀るなど。

 

『“最初に儂がそれに触れた時、ミラーヘッドの記憶が内蔵メモリーに干渉した。貴様も同じであったのではないか?”』

 

「……言われてみれば。あれはフロイラインの緊急SOSかと思っていたが……」

 

『“儂は高度なRM施術者に反応するそれを、五十年の歳月をかけて分析した。その結果、白銀の栞と、そしてもう一つはMFだと判定した”』

 

「……失礼。もう一つ?」

 

 自分がピアーナの艦長室から持ち出したのはこの栞一枚のはずだ。

 

 そう考えていると、蒼い鼓動が応じる。

 

『“テトラ・シンジョウ。オリジナルの儂が伴侶に選んだ女性に、差し出したものがあった。黄金の鍵……それは元々、月面探査で見つけ出されたオブジェクトの一つであった。固有波長を観測した結果、白銀の栞と黄金の鍵の波長はぴったりと、一致していたのだ”』

 

「……それは、つまり……」

 

 赴く先を濁していると、エーリッヒの意志は断言する。

 

『“そうだ。両者は二つで一つなのだ。この来英暦を繋ぐに足る鍵――ダレトの鍵である二つの存在は、どちらも同じくMF00《ゼロポラリス》なのだと認識した”』

 

 



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第288話「欺瞞の魔獣」

 

「RM第三小隊は小隊長の戦闘に引っ張られないで! このまま本丸を墜としにかかるわよ!」

 

 ユキノが叫び、自らの《アイギス》を先頭にしてミラーヘッドの両翼を押し広げる。

 

 残存したRM第三小隊は少ないものの、それでも彼らはここまで生き抜いてきた猛者達。

 

 そう簡単に墜ちるわけがない。

 

 信頼感を噛み締めて、ユキノは月軌道へと入る。

 

「月軌道……三年前から変わらないのね……」

 

 しかし変わったものもある。

 

 まさかトライアウトを離反した面々と力を合わせるとは思いも寄らない。

 

『ユキノ・ヒビヤ。《ネクストデネブ》による火力支援を行う。高出力兵装の巻き添えを食らわないようにしてくれ』

 

 後方から支援するべく、ダビデの搭乗した《ネクストデネブ》が砲門を突き出す。

 

 狙うのは月軌道に位置するトライアウトブレーメンの紺碧の艦隊だ。

 

「……前回みたいに《ヴォルカヌスカルラ》と真っ向からやり合えば、損耗も激しいはず。射程外から決めさせてもらうわよ……」

 

 光軸を放射し、《ヴォルカヌスカルラ》を擁する艦隊へと牽制砲撃を見舞う。

 

「RM第三小隊は敵IMF付近で散開! 相手に狙いをつけさせないで! あくまでもこっちの目的は打ち上げ基地にある魔獣だからね!」

 

 返答が返ってくる中で、ユキノはミラーヘッドオーダーの受諾率を視野に入れる。

 

「……相手はミラーヘッドを使わない? オーダーの受諾率はこちらが八割以上なんて……何か考えでも?」

 

 だが勘繰って踏み越えられないままでは意味がない。

 

《アイギス》に加速をかけさせて、ユキノは散開機動に移った後続部隊を確認する。

 

 ミラーヘッドの蒼い分身体を生み出し、トライアウトブレーメンの艦艇を包囲していた。

 

「これで……墜ちろ!」

 

 ビームライフルを照準した途端、艦下部より引き出された機影にユキノは瞠目する。

 

「……何……? 新手?」

 

 識別照合をかけさせようとするが、その途端ブロックノイズに阻まれる。

 

 細い体躯の銀色の機体は《アイギス》の系譜に思われたが、それにしてはあまりにも異質であった。

 

 両肩に装備された増設スラスターと、赤く沈殿するミラーヘッドジェルを覗かせる半透明なそれはくるりと機体を翻し、まるで異なるパワーゲインで向かってくる。

 

 咄嗟の習い性でビームサーベルを引き抜き、対応したが相手の出力値は遥かに上であった。

 

「……この機体……まさか新型?」

 

 単眼が覗き込み、異様に手足の長い機体は袖口からダガーナイフを射出する。

 

 ユキノは分身体を盾にして直撃を防いだが、直後には相手の肩口が展開し赤い皮膜を構築していた。

 

 途端、分身体が力をなくし、蒸発していく。

 

「……これって……まさか! ミラーフィーネシステムだって言うの?」

 

 ならば至近距離は危険だと、相手へと牽制銃撃を浴びせつつ距離を取ろうとして敵機は赤銅の分身体を生み出していた。

 

 構成された赤銅の影が襲い掛かってくる。

 

 データ上に認識された敵の戦い方は、ある存在と合致していた。

 

「……赤いミラーヘッド! いいえ、ミラーヘッドメギド……? 一般機が?」

 

 ミラーヘッドの蒼と赤銅の色相が交わし合い、衝突するなりユキノはダメージフィードバックの激痛を感じていた。

 

 相手のミラーヘッドメギドの焔は消えない。

 

 構築時における密度が違うのだ。

 

「……蒼いミラーヘッドじゃ、簡単に打ち負けちゃう……。総員、一旦敵部隊から距離を置いて――!」

 

『――遅いですよ、皆様方』

 

 耳朶を打った声を認識する前に、銀色の機体が散開機動を取って、こちらの《アイギス》と《レグルス》を迎撃していく。

 

 その鮮やかなる手際と、そして操縦技術に半端なパイロットはやられていくばかりだ。

 

「……この戦い方……エージェントのそれ……」

 

 だがだとすれば。

 

 トライアウトブレーメンと組んでいるのは、間違えようもなく――。

 

「エンデュランス・フラクタル上層部……! あなた達は一体、何がしたいって言うの!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何がしたいとは。それも愚問ですな」

 

 管制室よりタジマは眼鏡のブリッジを上げて戦局を見据える。

 

 後方に位置したトライアウトブレーメンのベアトリーチェ級はいつでも敵陣を狙えるように配備されていた。

 

「IMF03《アデプト》。全機、ステータスに問題なし。このまま敵陣営を押し込められます」

 

 オペレーターの冷淡な声にタジマは満足げに応じていた。

 

「結構。第三の魔獣は滞りなく実用化に至れただけでも僥倖です。これまでは量産計画は困難とされてきましたが、元々《アイギス》の発展機たる《アデプト》の開発計画に噛ませていただいて助かりましたよ。マグナマトリクス社の皆様」

 

『……勘違いをしてもらっては困るな、エンデュランス・フラクタルの。地上の《ティルヴィング》事件にて既に手垢の付いているクロックワークス社と手を切りたいのは見え透いているのだからな』

 

「これはこれは。嫌われたものだ」

 

『これから先の来英暦における戦争事業を回すのに、IMFの配備は急務。よって、貴社と手を組むのは何もやぶさかではない。軍警察とも渡りがあるのだろう? 《アデプト》の先行投資程度、必要な悪名と言うものだ』

 

「あなた方は慧眼ですよ。IMFの重要性に早々に気づけただけではなく、戦争産業への介入と、これから先のミラーヘッド事業への栄光。どれもこれも、一企業体だけで終わらせるのにはもったいない。統合機構軍として足並みを揃えようというのです」

 

『足並み、か。しかしレジスタンス部隊を駆逐した先、聖獣の確保とそしてダレトからもたらされる事業の一本化。滞りなく、と思っていいのだろうな?』

 

「それは無論。魔獣《アデプト》の試験運用には打ってつけでしょう。レジスタンス組織を壊滅させた実績があれば、MS開発事業としての隠れ蓑にもなる」

 

『言い草だな。我々は何も隠れ潜んで開発しているわけではない。公の事業としての《アデプト》への投資だ。ミラーフィーネシステムと、そして新時代のミラーヘッドたるミラーヘッドメギド。どれもこれも、我々からしてみれば光り輝く道と言っていいだろう』

 

「ミラーヘッドメギドは高密度の分身体を形成する事による既存のミラーヘッドへの対抗策として。実用化されている技術はオープンソースにされなければいけない」

 

『しかし、懸念があるとすれば。勝てるのだろうな? タジマ営業部長』

 

「些末事でしょう。敵は《レグルス》と《アイギス》ばかり。むしろ、これは良いデモンストレーションとなるはずです。旧時代のミラーヘッド機を新時代のミラーヘッド機が蹂躙する。なかなか得られるものではないですよ? ここまでの大規模戦闘データは」

 

『……我々はあくまでも開発企業だ。戦争屋とそしられる覚えはない』

 

「銃を作る人間は犯罪者、理論ではございますまい。いつだって使う側のモラル次第。それはどのような時代でも変わらないでしょう」

 

『……戦果を期待するぞ』

 

 通信が切られ、タジマは口角を吊り上げる。

 

「戦果、ですか。しかしそれは、終わってから得られるもの。オフィーリアを舐めているわけではありません。《ティルヴィング》を破壊し、宇宙まで上がってきた。その功績、軽んじてはいけないのは必定。だからこそ、全力をもって。叩きのめしましょう、カトリナ・シンジョウ委任担当官。あなた方の掲げる理想は所詮、甘い甘い絵空事。青いだけの果実を摘むのに、理由が要りますか?」

 

「《アデプト》部隊、さらに前進。《ヴォルカヌスカルラ》へと仕掛けようとしていた敵勢を押しのけていきます。ミラーヘッドオーダー受諾」

 

「《アデプト》には全機、レヴォル・インターセプト・リーディングが搭載されています。後出しのミラーヘッドオーダーでも、我々が上回る事が出来る。さぁ、どう挽回しますか? あなた方の最後の足掻きを見せてくださいよ」

 

 タジマは一笑に付し、光輪が咲いていく暗礁の戦場を眺めていた。

 

 



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第289話「英雄は堕ち行く」

 

「IMF……! 魔獣の量産化計画だって……? まさかそこまでやっているとは……エンデュランス・フラクタル!」

 

 ザライアンは《フォースベガネクサス》を駆け抜けさせ、《アデプト》の銃撃網を潜り抜けていく。

 

 高出力のビームライフルの火線が狙いを定める中で、《フォースベガネクサス》は全身から刃を現出させ、着弾と同時に逸らしていく。

 

「全てを断絶するだけの力だ。……いたずらに命を摘むのは気が引けるが、やむなしとする……!」

 

 反射させた重力磁場斬撃が《アデプト》を両断し、爆発の光輪を抜けてその腕を突き付ける。

 

 削岩機の様相を呈した刃が流転し、《アデプト》の銀色の装甲を裏返していた。

 

 そのまま突き上げ、掲げた刃を膨れ上がらせて射線上の敵機を粉砕していく。

 

「……《ヴォルカヌスカルラ》の高出力砲撃を押さえないと……! オフィーリアとラムダに危険が及ぶ……!」

 

 しかし《アデプト》の軍勢は想定よりも強敵だ。

 

 ビームサーベルを発振させた《アデプト》が振るい上げたのを片腕で制し、機体を中心軸にして巻き起こさせた辻風で叩き切る。

 

「……ここまで迷いのない攻撃を敢行するってのは……ただのパイロットじゃないな。エージェント……か」

 

 断ち割り、機体を翻した二の太刀で腹腔を貫く。

 

 しかし《アデプト》の機動力は《フォースベガネクサス》を凌駕していた。

 

「……艦へと! 本丸を墜とす気か!」

 

《フォースベガネクサス》の漆黒の刃を振るおうとして、首裏が粟立つ。

 

 瞬間的に機体を翻させて回避出来たのは恐らく戦闘の第六感だろう。

 

『行けよ! ミラーヘッドジェム!』

 

 高速回転する自律兵装が突き刺さりかけて、ザライアンは腕を振るう。

 

 叩き割ったその先より出現した無数の円盤兵器が《フォースベガネクサス》の装甲を狙っていた。

 

 舌打ち混じりにザライアンは噛み砕く一撃を叩き込み、ミラーヘッドジェムを相殺していくが、相手の速力は前回よりも向上している。

 

 死角から回り込んできた兵装をザライアンは振り返りざまの一閃で打ち破っていた。

 

「……まるで自在か。万華鏡の実力に比肩するだけの能力……これが、魔獣の力……!」

 

『いい声で啼けよ! 聖獣殺しって言うんだから、張り合いがねぇとつまんねぇから、なァッ!』

 

《ヴォルカヌスカルラ》の全身に搭載されたミラーヘッドの存在力そのものを変換する砲撃網に《フォースベガネクサス》を潜り抜けさせ、両断の太刀を見舞う。

 

 しかし堅牢な相手の表層には亀裂さえも入らない。

 

「……なんて防御力……だったならば!」

 

『墜ちろよォッ!』

 

 ミラーヘッドジェムが四方八方より迫るのを、ザライアンは感覚して砲門を叩き上げていた。

 

「Iフィールドバリア!」

 

 構築したIフィールドの皮膜に弾かれた一瞬の隙を突き、《フォースベガネクサス》はその腕を《ヴォルカヌスカルラ》へと接触させる。

 

「ゼロ距離だ! そしてこの距離は、僕のものでもある!」

 

『ああ、そうかよ。だがな――触れたな?』

 

 ぞわりと総毛立つ。

 

 習い性の感覚で高重力斬撃を見舞ったものの、直後には後退を選んでいたのは接触したままならば間違いようもなく致命打になっていたと感じられたからだろう。

 

「……前と同じ……ミラーヘッドエラーを強制させる……?」

 

『賢しい距離を取りやがって。それでも聖獣かよ、オイ! もっと獣だってなら、喉笛齧り付いて来いよ! 狩り甲斐もねぇってもんだ!』

 

「……一つ、聞く。お前からは……悪意しか感じられない。来英暦の者達と多く触れてきたが、ここまでの純然たる殺気の相手は居なかった。お前は……何なんだ……?」

 

 暫時、沈黙が流れる。

 

 相手もこの問いは初めてであったのだろうか、と勘繰っていると、喉の奥でくっくっと嗤う声が漏れ聞こえる。

 

 直後には哄笑となって通信網を震わせていた。

 

『おいおい! こいつァ傑作だな! 何なんだ、と来やがったか! 教えてやるよ、異星人。俺の名前はクランチ・ディズル。覚えなくったっていいぜ。どうせてめぇの聖獣の心臓を取り込めば、俺は無敵に成るんだからよ!』

 

「聖獣の心臓は渡さない……そして僕は負けるつもりもない。今ならば……《ヴォルカヌスカルラ》を破壊するだけで命は取らないでおく」

 

『命は取らないだぁ? 寝ぼけた事言ってんじゃねぇよ。戦場において! 命のやり取りだけが意味のある言葉だろうが! てめぇの身勝手でこの極上の戦場を、馬鹿に高尚に仕立て上げてんじゃねぇぞ!』

 

 ミラーヘッドジェムの円盤が刃を回転させ、一直線に向かってくる。

 

 ザライアンは《フォースベガネクサス》の両腕で挟み込み、白刃取りを決めていた。

 

 その膂力で回転を止め、刃の斬撃で粉砕する。

 

『痺れるねぇ、その力! 圧倒的な殺意の象徴! もう分かってるんだろうが! 俺とお前に! 違いなんて一個もねぇって事が! 互いにこの世界じゃ生き辛いだろうに! 殺戮機械なんじゃぁ、なァ!』

 

「違う! 僕は人間だ!」

 

『人間とは、ご大層めいた大言壮語で自分を飾り立てりやがる! だったら人間の証明ってヤツを! 明かして見せろよ、MF!』

 

「僕は……! 僕に託してくれた者達のために戦う! 故郷を守り、愛すべき者達に報いるためだけに!」

 

 自律兵装を叩き割り、一直線に斬撃を延ばすも、《ヴォルカヌスカルラ》は身に纏った赤銅の皮膜で弾き返していた。

 

「高密度のミラーヘッドによる……防御障壁……!」

 

『ミラーヘッドメギドだ。防御だけじゃねぇ! てめぇには及びもつかないだろうさ!』

 

 直後、ミラーヘッドジェムが赤銅の色相を帯びてこちらへと狙いをつける。

 

「ミラーヘッドなら……僕に及ぶわけが! 《フォースベガネクサス》!」

 

《フォースベガネクサス》の全身に宿った蒼い血脈を奔らせ、滾った斬撃網で自律兵装を打ち破ろうとしたが、刃は触れた途端に霧散する。

 

「……効いていない? いや、これは……解除されている……?」

 

『まったく、連中も考えたもんさ。自律兵装それぞれに俺の権能を付随させるなんざ、とんだデタラメ兵器もあったもんだ。こいつらは俺の分身みてぇらしくってよ。ミラーヘッドエラーを引き起こす! 触れただけでなァッ!』

 

 その声が響き渡った直後、接近戦は危険だと判定して、四つの砲門から火砲を叩き込む。

 

 しかし灼熱の憤怒に包まれたミラーヘッドジェムは健在――否、それどころか砲撃のエネルギーを纏い、《フォースベガネクサス》の装甲へと突き刺さる。

 

 削られていく装甲に激痛を感じ、ザライアンは手を払うイメージで自律兵装を遠ざけるが、反対側からの応酬によろめく。

 

「……ミラーヘッドを無効化する……力……」

 

『てめぇらが来英暦以外の技術で出来ているとか、小難しい事は分からねぇが、それは結局のところ、ミラーヘッドの延長だって言うんなら、砕く術は心得てる。鏡を壊すのは得意でな』

 

 ザライアンは四肢から高重力磁場の刃を振り撒き、自律兵装へと放ちながら《ヴォルカヌスカルラ》の背後を取るべく段階加速に身を浸らせる。

 

「……如何に多大な力量……技術の粋を持っていようとも、MSの急所は分かっているつもりだ!」

 

 その装甲が堅牢であろうとも、後背部へと斬りつければ――そう判じた神経はしかし、末端神経の如く浮かび上がった節足部位を前に遮られる。

 

「隠し腕だと!」

 

『《ヴォルカヌスカルラ》の魔獣の性能は俺の戦士としての基本能力を引き上げてくれてるんだよ。後ろを取ったくらいで勝ちを確信するなんざ、それでも宇宙飛行士かっての!』

 

 隠し腕たる節足が《フォースベガネクサス》を拘束する。

 

「……嘗めるな。《フォースベガネクサス》のパワーゲインなら……これくらい」

 

『それくれぇは考慮の上だ。触れた時点で下策だって事、忘れてるんじゃねぇのか?』

 

 ハッとしたその瞬間にはサブアームが《フォースベガネクサス》の胸元を軽く叩く。

 

 それだけで全てのシステムがダウンし、ザライアンはコックピットの中で己一つだけを持て余していた。

 

「……《フォースベガネクサス》……?」

 

 まさか、またしてもだと言うのか。

 

 震撼したザライアンの耳朶を打ったのはクランチの勝利を確信した声であった。

 

『じゃあな、宇宙飛行士。そして聖獣の駆り手。死は潔く、そして着実なものとして訪れる。結局のところ、てめぇじゃ俺には勝てねぇんだよ。聖獣の心臓、貰い受けるぜ』

 

 昏く沈んだコックピットへと衝撃が浴びせられる。

 

 暗礁の全天候モニターは何が起こっているのかまるで不明なまま、ただただ自身の弱さだけを噛み締める。

 

「……僕は……けれど僕は……負けない、負けられない……ここで……足を止めている場合じゃ――ない……!」

 

 ならば、禁忌へと手を伸ばす事に躊躇いなどあるものか。

 

 ザライアンは両腕を翳す。

 

 赤く脈打つのは封じていたはずの権能――ライドエフェクターの標。

 

 明滅するそれが《フォースベガネクサス》の奥底で鼓動するそれと呼応し、直後、全てが開けていた。

 

 自らの心拍と同期した両腕を振るい上げ、《フォースベガネクサス》の誇る漆黒の重力磁場が末端アームを両断する。

 

『何だと! ミラーヘッドエラーのはずだ!』

 

「……ライドエフェクター技術はミラーヘッドエラーがもし実行された場合を想定して埋め込まれた技術だ。この次元宇宙では、それは未だ発明されてすらいないが」

 

 だがその分負荷は大きい。

 

 今にも爆発しかねない心臓を感覚しながら、ザライアンは両腕より伝い落ちる赤い血の粒を視野に入れる。

 

「命を削る禁術だと言うのならば、僕に今一度、応えろ! 《フォースベガネクサス》!」

 

 片腕を突き上げ、天高く構築された重力の太刀筋をザライアンは打ち下ろしていた。

 

「これが――! 僕らの世界のビームサーベルだ!」

 

『ビームサーベルだと……重力粒子を凝縮したこんなもんが……ビームサーベルだって言うのかよ!』

 

 一閃が舞い、その装甲面を突き崩す。

 

 神経が走るように末端部位まで伸び切ったそれが《ヴォルカヌスカルラ》の表皮を引き裂いていた。

 

 形象崩壊したそれらは繋ぎ合わされる事もない。

 

『……これが……断絶の概念付与か……!』

 

 内側より有機的に膨れ上がった装甲を相手はパージし、《ヴォルカヌスカルラ》の巨大な袖口からビームサーベルを構築する。

 

『こんの……! いい加減墜ちろよォッ!』

 

「僕はまだ……死ぬわけにはいかない。敗北が許されないのならば……自らの命でさえも切り売りして……! 《ガンダムレヴォルフォースベガネクサス》! 僕の命を触媒に、《ヴォルカヌスカルラ》を切断概念で抹消する!」

 

『冗談じゃねぇ! 聖獣を喰らうのはこの俺だ! クランチ・ディズルこそが、世界を支配する……帝王なんだよォ……ッ!』

 

「空白の玉座を埋めるのは……この時代に生きる者達の特権だ。断じて僕らのようなイレギュラーでも、ましてダーレットチルドレンのような狡猾なる者達でもない……。彼らが生きる時代は、彼らが決める……! それこそが今を生きる人々の、あるべき姿だ!」

 

『クソ喰らえ! 下等生物連中が吼えやがる! てめぇだって、聖獣って言うスペシャルな力を手に入れている自分に酔っているだけだろうが! 使命感だとか、そういうのを振り翳すには、その手は汚れ過ぎてるってもんだ!』

 

 止め処なく紋様から血は溢れていく。

 

 かつての戦場での感覚を思い返し、ザライアンは深紅に染まった瞳の中央に逆三角の印を浮かべていた。

 

「……ここで打ち止めだ。クランチ・ディズル……!」

 

『ざけんな! 終わるのはてめぇだよ、宇宙飛行士! 《ヴォルカヌスカルラ》、装備している全ての自律兵装を解放! ミラーヘッドジェムで突っ切れ!』

 

 鎧じみた全貌から編み出されたミラーヘッドジェムの総数を、《フォースベガネクサス》の蘇ったアイリウムが認証する。

 

 その総数は――大小合わせて二十を超える。

 

「避けるまでもない。――全て、断ち切る」

 

 両腕のビームサーベルでまずは交差する斬撃。

 

 それだけで半数を破壊出来たが、それだけでは留まらない。

 

 脚部に展開した斬撃兵装を飛ばし、ミラーヘッドジェムを引き裂く。

 

 それでも残存する円盤兵器をザライアンは機体の腕で掴み上げていた。

 

 マニピュレーターが破砕されるよりも素早い速度で再生が及び、膂力で圧搾する。

 

 戦闘行為に臨む度に、身を焼くように全身から迸るのは憤怒だ。

 

 恐らくはヴィヴィーからもたらされた代物だろう。

 

 彼女の感情を引き受け、《フォースベガネクサス》が四つの砲門を照準する。

 

《ネクストデネブ》の力そのものである火力が叩き込まれ、灼熱する装甲を弾き飛ばしていた。

 

『クソがぁ……ッ! 鬱陶しいんだよ! 借り物の聖獣の力で……戦っているクセによォ……ッ!』

 

「確かに、この感情は借り物かもしれない。だが、ここまでお前を憎むよりもまず、怒りが勝る。……これがヴィヴィー・スゥ。彼女の持つ純然たる怒りの根源か。戦いに及ぶ彼女はここまでの怒りを……常に彷徨わせて……。ならば、尽くそう。僕は、お前を――宇宙飛行士でも、ましてや第四の聖獣の駆り手でもなく、この来英暦に堕ちた“クラード”の一人として、叩きのめすまでだ」

 

 砲門が最大出力の閾値を超え、砲身そのものを焼き尽くして純然たるエネルギーの集合体が《ヴォルカヌスカルラ》を射抜く。

 

 巨大なる魔獣はこの時、完全に焼失していた。

 

 頑強な鎧は蒸発し、その宙域にパーツの一片でさえも漂わせない。

 

 伴わせているトライアウトブレーメンの艦艇が離れ行くのを、ザライアンは意識に留める。

 

「……勝ち抜けは許さない」

 

 砲身を砕くエネルギーの奔流を振るい、トライアウトブレーメンの艦を打ち砕いていく。

 

 直前に出撃した《アデプト》の軍勢はしかし、倒し切れなかった。

 

「……やらせるか。このまま……魔獣を全滅させて――」

 

『――おいおい、残心ってものを心得ていねぇようだな。ザライアン・リーブスよぉ』

 

 太刀の腕を振るい上げた《フォースベガネクサス》へと、背後から差し込まれる。

 

 遅れた認識でザライアンは聖獣の心臓部を貫いた大太刀を感覚していた。

 

「な……に……?」

 

『《ガンダムヴォルカヌス》。ミラーヘッドメギドの高出力質量でてめぇに誤認させた。爆砕したのはミラーヘッドの影だ。聖獣の心臓、喰らわせてもらうぜ』

 

 引き抜かれた途端、収縮した存在力の発露にザライアンはかっ血する。

 

 機体と同期した肉体の損耗に、思わずよろめいていた。

 

「……こんな、事で……」

 

 血濡れの指先に力を入れ、テーブルモニターへと爪を立てる。

 

 振り返りざまに一閃――それで相手は倒せるはずだが、《フォースベガネクサス》は呼応しない。

 

 既に制御系統を指揮する能力を奪われているのだ。

 

 聖獣の心臓を貫かれて無事で済むはずもない。

 

「……だが、それでも僕は……」

 

『往生際が悪いぜ、聖獣。《フォースベガネクサス》とやら、心臓を失ったてめぇにはもう用はねぇ。ここで朽ちろよ』

 

 大剣を引き抜かれると共に《フォースベガネクサス》の残存する権能が失われていく。

 

 背後で聖獣の心臓を掲げた《ヴォルカヌス》が視界に入っていた。

 

『これが聖獣の心臓か。難儀なもんじゃねぇの。こんなもんに縛られて戦えなくなるなんざ。だが、これで俺は英雄だ。来英暦を救う、本物の、な』

 

《ヴォルカヌス》が漆黒の渦を成す聖獣の心臓を取り込もうとする。

 

 だがそれだけは看過してはならなかった。

 

 他の誰でもない、クランチの手に渡る事だけは。

 

「……応えろ。僕の叛逆(レヴォル)……! まだ、やられるわけにはいかないだろうに……!」

 

《フォースベガネクサス》が呼応して眼窩に灯火を宿す。

 

 恐らく、駆動出来たのは二つの心臓を手に入れていたからだろう。

 

 最後の一撃は《ネクストデネブ》の能力であった。

 

「Iフィールド……バリア!」

 

 Iフィールドの結界陣が聖獣の心臓を包み込み、直後には《ヴォルカヌス》の腕から削ぎ落していた。

 

『何をしやがる……死に損ないがァ!』

 

 雄叫びを上げて《フォースベガネクサス》の両腕で大剣を受け止め、刃を無数に突き立てる。

 

 流転した余剰衝撃波がゼロ距離で発生し、大剣を根元から叩き折っていた。

 

『武装を……!』

 

「まだ……まだぁ……っ!」

 

 相手もレヴォルタイプならばコックピットブロックは頭蓋にあるはず。

 

 そう判じてマニピュレーターで頭部を掴もうとして、折れた剣が一文字に走る。

 

《フォースベガネクサス》の眉間が叩き切られ、メインカメラに亀裂が生じていた。

 

 割れ果てた視界の中で、ザライアンはそれでもしゃにむに迫る。

 

『いい加減に墜ちろよォッ!』

 

「殺して見せろ、クランチ・ディズル。この……宇宙飛行士、ザライアン・リーブスを……!」

 

 だがそこまでが限界であった。

 

 心臓の音が絶え、《ヴォルカヌス》のコックピットまであと少しのところで完全停止する。

 

 宇宙の常闇を彷徨うしかない《フォースベガネクサス》を相手は蹴り上げ、打ち下ろす一撃で片腕を斬り落としていた。

 

『クソがァッ! てめぇみたいなのに《カルラ》をやられて、その上ダメージなんて割に合わねぇんだよ、おセンチ野郎が! ミラーヘッドメギド展開! これで死ねよやァ――ッ!』

 

 眼前で《ヴォルカヌス》が赤銅色のミラーヘッドを展開し、全方位から大剣を振るい上げる。

 

 ザライアンは、最早手立てはないと諦めていた。

 

 当然だ、心臓を奪われ、その上で数秒間とは言え動けたのさえ奇跡。

 

 ともすればきっと、自分が《フォースベガ》のパイロットに選ばれたのはこのような土壇場での戦いのためであったのかもしれない。

 

 痛みと終焉の予感に瞑目しかけたその時であった。

 

『ミュイ……! させない……!』

 

 虹色の輝きが周囲を覆い、ミラーヘッドメギドの太刀筋を受け止める。

 

『ザライアンさん! 無事ですか!』

 

「……《サードアルタイル》……か」

 

 パーティクルビットを展開し、《サードアルタイル》は《ヴォルカヌス》へと四方八方から仕掛けていく。

 

『寄ってたかって聖獣がぞろぞろと……。水入りだ、トライアウトブレーメンの連中も死んじまったみたいだからな。さすがに聖獣と真っ向からやり合える戦力じゃねぇ。他のヤツらでも殺して手土産にするので手打ちにしようじゃねぇの。聖獣の首を狩り損ねたのは痛いが、なに、まだ次はあるだろうさ』

 

《ヴォルカヌス》はミラーヘッドメギドを段階加速に用いて戦域を離脱していく。

 

 こちらへと追従した《サードアルタイル》が接触回線を開いていた。

 

『ミュイぃぃぃ……よんばんめ、ぶじ?』

 

『ザライアンさん、《カルラ》をやったんですね?』

 

「あ、ああ……だがクランチ・ディズルは逃した。その上……聖獣の心臓を……」

 

 Iフィールドバリアに包まれた聖獣の心臓が宙域を漂っている。

 

 ザライアンは《サードアルタイル》に搭乗する二人へと、懇願していた。

 

「……頼む。聖獣の心臓を取り込んで欲しい。他の人間に渡すわけにはいかないんだ。何よりも、《サードアルタイル》に乗る君達ならば、きっと有用に扱ってくれる」

 

『……ザライアンさん……けれど、聖獣の蘇生機能で……』

 

「もう働かない。さすがに機体外に出た心臓を元に戻す事は出来そうにない。それなら、安心出来る相手に託したほうがまだいいはずだ」

 

《サードアルタイル》を操る二人は当惑したようであったが、悩んでいる時間も惜しいと感じたのか、パーティクルビットで心臓を引き寄せる。

 

 途端、《サードアルタイル》が内側より脈動し、ザライアンは自らの半身を投げたのだと認識していた。

 

「……もう《フォースベガネクサス》は使い物にならない。戦線より離脱する。《サードアルタイル》の二人は……」

 

『俺達は……このまま、前線を維持します。クラードさん達がテスタメントベースに赴いたんです。俺らがやらないと、きっと押し上げられません』

 

『ミュイっ! クラード、がんばってる!』

 

「……そう、か。推進剤も消えた僕の機体ではどうしようもない。帰投ルートに入るが、武運を祈らせてもらう」

 

 ザライアンはコックピットハッチを開き、前線へと向かっていく《サードアルタイル》の背中を眺めていた。

 

 パーティクルビットの慣性制御でオフィーリアへと機体は戻っていくが、果たして無事に帰れるだろうか、と全ての権能を失ったコックピットで体重を預ける。

 

「……《フォースベガネクサス》……僕らはやれる事は……やったはずだよな……?」

 

 その瞳に映るのは月軌道に空いた間違いのような大虚ろたるダレト。

 

 向こう側に位置する故郷を想える事だけが、誉れある称号だけを抱いた自分自身の残りカスのような勲章であった。

 

 

 



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第290話「鏡合わせのふたり」

 

 衛星軌道コロニーへと銃弾が矢継ぎ早に撃ち込まれていく。

 

 月のダレトを観測するために生み出されたヒトの業を踏み越え、アルベルトは機体を疾走させる。

 

 トキサダの《プロミネンス》は前回よりも強化改修が加えられ、精度の高い銃撃網を潜り抜けて、ビームジャベリンを翳していた。

 

「……トキサダ……! てめぇは……もう戻るつもりもねぇのか……!」

 

『戻る? 何を言っているんだ、アルベルト。あんたが、その退路を消したんだろうに!』

 

「……言われりゃ辛ぇぞ、それは……」

 

『“アルベルトさん、《プロミネンス》の速力はまだ底知れません。相手はミラーヘッドの段階加速なしに、《アルキュミアヴィラーゴ》と渡り合っているんです”』

 

「だとしてもよ……! 手ぇ抜くような余裕もねぇだろうが……!」

 

 廃棄コロニーへと押し入った《アルキュミアヴィラーゴ》の躯体は《プロミネンス》の間断のない応酬をかわしつつ、ビル群を蹴ってビームガトリングガンを掃射していた。

 

《プロミネンス》の重火力がビルを薙ぎ倒し、隠れる場所を一つずつ消し飛ばしていく。

 

『逃げ隠れか。あんたらしいよ、アルベルト。いつだってあんたは……おれ達から逃げていたんだからな』

 

「……黙っていろ、トキサダ……!」

 

 しかし軽々に仕掛ける事は出来ない。

 

 敵機の総火力は圧倒的だ。

 

 真正面から愚直にと言うのは通じないだろう。

 

 加えて、自分も相手もまだミラーヘッドの切り札を隠し持っている。

 

 先に晒したほうが不利に立つのは必定。

 

 アルベルトは太陽光パネルへと接地し、《プロミネンス》の動向を見ていた。

 

 用途を終えた太陽光パネルは光を反射する事もなく、昏く沈んでいる。

 

《プロミネンス》が一度、下方に降り立ったのを好機と確信し、アルベルトは丹田に力を込めていた。

 

 無重力空間での、真っ逆さまの下降。

 

 急加速をつけた推進剤の青を刻み、ビームジャベリンを振るい上げる。

 

「もらった……!」

 

『あんたはいつだってそうだな、アルベルト。本物のチャンスと言うのを、分かっていない』

 

 直後、《プロミネンス》は機体に格納していた兵装を展開する。

 

 それは隠し腕に支持された円盤型の兵装であった。

 

「チャクラムか……!」

 

 ビームチャクラムを振るった《プロミネンス》の一撃を受け止めた途端、敵機は飛翔し実弾兵力の弾幕を叩き込んでくる。

 

 負けじとアルベルトもビームガトリングガンの砲火と装備していたビームマグナムを一射していた。

 

 光軸が朽ち果てたコロニーの外窓を射抜く。

 

《プロミネンス》は小刻みに加速しつつ、《アルキュミアヴィラーゴ》へと接近を試みていた。

 

 重装備の《プロミネンス》の距離に至れば自ずと押し負けると判断したアルベルトは、ここに来て切り札の一つを講じる。

 

「……出し惜しみはしてらんねぇな。マテリア! 照準精度、任せるぜ! 行け! ミラーヘッドビット!」

 

『“了解! アルベルトさん、思考領域借りますよ!”』

 

 マテリアへと思考拡張の一部を貸し渡し、《アルキュミアヴィラーゴ》は翼型の形状のミラーヘッドビットを周囲に展開していた。

 

 包囲陣を組んだそれを一斉掃射させる。

 

「こんの、当たれ――ッ!」

 

 だが《プロミネンス》も一度見た兵装には簡単にかかってくれるはずもなく、加速と機体の横ロールを駆使した機動で上回られていた。

 

『甘いんじゃないのか、アルベルト。おれを殺すという気概が足りないぞ。もっと本気で、殺しにかかって来い。そうでなければ死ぬのはそっちのほうだ』

 

 そう、まだだ。

 

 まだ――決意出来ていない。

 

 トキサダを殺す事も、ましてやこの戦場において自分の役割でさえも。

 

 ダーレットチルドレンだとか言う全能者を倒す――無理だ。まるでイメージ出来ない。

 

 そんなもののために、今まで自分達は世界へと叛逆を投げ続けてきたと言うのか。

 

 そんなもののために、人殺しの汚名でさえも被ってきたと言うのか。

 

 そんなもののために――カトリナは苦しんできたと言うのだろうか。

 

「……分かんねぇ……分かんねぇよ……そんなもん。分かって……堪るかってんだ!」

 

 ビームの檻をかわした《プロミネンス》の砲門が開く。

 

 ミサイルが一斉射され、アルベルトは奥歯を噛み締めて急速後退させていた。

 

 ビルが爆ぜ、粉塵が舞い上がる。

 

 砕けた廃屋から人が生活していた残滓が吹き出していた。

 

 アルベルトはビームジャベリンを薙ぎ払って灰を払い、《プロミネンス》へと打ち下ろす。

 

 敵機はビームサーベルを翳してその一撃を受け止めていた。

 

「トキサダァッ! トーマさんは、ずっと待ってんだぞ!」

 

『だから何だって言うんだ。おれはもう死者なんだぞ。今さら生前の想いに足を取られて、あんたを殺し損ねろと言うのか。それこそお笑い種だ。アルベルト、女を理由にして戦う事ほど、女々しい事もないと知れ!』

 

 払い上げられた膂力で弾き返し、ミラーヘッドビットの放射で《プロミネンス》の動きを制そうとしたが、相手は機体を中心軸にしてビームチャクラムを回転させ自律兵装を叩き割っていく。

 

『練度が低いな。それでミラーヘッドビットを、万華鏡の猿真似だと言うのだから呆れもする。あんたじゃ扱い切れない。そんな事も分からないのか、アルベルト』

 

「……黙ってろよ……。オレはてめぇを……真正面からどうにかするって決めてんだ!」

 

『どうにかだと? まだハッキリと言えないのか! 殺し殺されの間柄だろう、おれとあんたは!』

 

《プロミネンス》は加速し至近距離まで肉薄すると共にビームサーベルを振るっていた。

 

 両腕だけではない、隠し腕と機体の重装甲から現出した六本の腕による刃が迫る。

 

 ビームジャベリンで弾き返すも、二の太刀、三の太刀が閃くのを止められない。

 

 アルベルトは舌打ち混じりにミラーヘッドビットを呼び戻し、盾としていた。

 

 爆ぜた自律兵装の爆風で足元の高速道路が陥没し、粉塵が舞い散る一瞬の隙を突き、急上昇に打って出る。

 

《プロミネンス》は追加武装のバーニアに火を通し、《アルキュミアヴィラーゴ》を追撃していた。

 

 宙域で蒼い残火とジャベリンの斬撃が交錯する。

 

 至近距離でビームガトリングガンの弾幕を張ろうとして、ビームチャクラムが一直線に振るわれた事で砲塔がぐずぐずに融解する。

 

 爆破する前に武装をパージし、その反動で僅かによろめく。

 

 敵機は荷重重量の蹴りで《アルキュミアヴィラーゴ》の腹腔へと一撃を加え、そのまま推進剤を全開にして押し潰さんとする。

 

 残存したミラーヘッドビットを用いて装甲面を焼き切ろうとするが、こちらの決意よりも相手の決意のほうが遥かに上だ。

 

 ビームが装甲を切り裂いていくのを頓着もしない《プロミネンス》相手に、アルベルトは決断を迫られていた。

 

「……マテリア。ミラーヘッドオーダーを受諾……!」

 

『“オーダーを受諾。ですがこの状況は……アルベルトさん……!”』

 

「分かってんよ、それくらい……。マズいって事はな……!」

 

 肩の装甲が引き出され、ミラーフィーネシステムの蒼い檻の中へと相手を落とし込む。

 

 それと同時にミラーヘッドの段階加速と両翼を展開し、《プロミネンス》のコックピットブロックを狙っていた。

 

 挟み込むようにして分身体がビームジャベリンを叩き込むのを、トキサダもさすがに看過出来なかったのだろう。

 

 直後には蒼い焔が宿り、《プロミネンス》もミラーヘッドを展開している。

 

 互いに弾かれ合うようにしてミラーヘッドの分身体を突き崩し、一瞬の膠着の後に向かい合っていた。

 

「……相手のミラーヘッドの総数は三……機体の性能を引き上げ過ぎた功罪だろうな。だがこっちも真っ当じゃねぇ」

 

 ミラーヘッドジェルは自律兵装の制御のために主に用いていたためか、展開出来る総数は限りがある。

 

 よってこちらも分身体はたったの三体。

 

「マテリア、ミラーヘッドジェルの損耗率は?」

 

『“現在、五割を切っています。ミラーヘッドビットを主軸に置いていたので……”』

 

「これでもマシなほうってワケか。……行くぞ」

 

 睨み合いの形になったのも数秒間――即座に攻勢に移っていた。

 

 段階加速を経て、ミラーヘッドジェルの消耗を考えずに距離を詰める。

 

 大上段に打ち下ろした一撃を装甲面に食い込ませていた。

 

 だがそれはトキサダの狙い通りであったのだろう。

 

 二体が挟み撃ちを仕掛け、同時に刃を振るう。

 

 アルベルトは刺し込んだ部位を基点として機体を引き上げ、回し蹴りを叩き込んでいた。

 

 だがまだ残り一体の分身体が残っている。

 

 機銃掃射を見舞った分身体へと、こちらの持ち得る分身体のその身を挺して防御させ、弾幕の向こう側にある本体へと切り込んでいた。

 

『迂闊だな、アルベルト。そんなもので、おれを殺せるとでも思ったか』

 

「そんなものだろうがよ……オレは自分を曲げるつもりはねぇ!」

 

 残存する分身体二体で斬撃を浴びせ、《プロミネンス》の装甲を削いでいく。

 

 浴びせ蹴りで出鼻を挫き、次いで刃で装甲の内側を砕かんとする。

 

 しかしトキサダも使い手だ。

 

 格闘戦術は心得ているのか、蹴りをいなしてから刺突をビームサーベルで受け流し、機体に埋め込まれている爆雷を点火させていた。

 

 至近距離で弾けた光源にこちらがうろたえた隙に乗じ、ビームチャクラムが両側から放たれる。

 

 アルベルトはミラーヘッドビットを段階加速で呼び戻し、武装自体を増加させていた。

 

 蒼い残像を引いてミラーヘッドビットの光条が《プロミネンス》の装甲を焼き切っていく。

 

 だがそれも長くは続かない。

 

 ビームチャクラムによって粉砕され、《アルキュミアヴィラーゴ》を後退させていた。

 

 互いに一進一退。

 

 武装を削り、精神を削って双方の極限まで至る。

 

 呼吸を荒立たせたアルベルトは、トキサダへと問いかけていた。

 

「……トキサダ。ここまでやっても……お前には伝わらねぇってのか?」

 

『伝わる? 何を期待している、アルベルト。あんたが死ぬか、おれが死ぬかのどちらかでしか、決着なんてつかない』

 

 トキサダは呼吸を乱した様子もない。

 

 これが騎屍兵か――とアルベルトは痛感する。

 

 三年間も統制と称して、世界の裏側で戦うのを強制された者達の成れの果て。

 

 そんな場所まで追い込んだ一面が自分にもあると言うのならば――。

 

 アルベルトは一度、接続口から両腕を引き剥がしていた。

 

『“アルベルトさん? まさか、説得なんて無意味ですよ……”』

 

「そうじゃねぇ。……マテリア、一個、試してねぇのがあったな? ……そいつを使う」

 

 マテリアはそれを悟って息を呑んだ様子である。

 

『“……承服出来ません。さすがに現状の消耗率で実行すれば、機体だけじゃない、アルベルトさんがコックピットでバラバラになりますよ……”』

 

「それでも、さ。やらなきゃいつ、覚悟決めるって言うんだよ」

 

 暫時の沈黙の後に、マテリアは応じていた。

 

『“……分かりました。システムへの開放権限を受諾。全権を専任ライドマトリクサーへと委譲します。――コード、マヌエル、執行準備完了”』

 

 封じて来たその禁を破るとすれば、今しかない。

 



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第291話「帰ろう」

 

 アルベルトはコックピット下方に隠されてきた接続口が展開し、自身のRM施術痕と同期するのを感覚していた。

 

 直後、展開された両腕が接続口へと合致し、アルベルトは頭蓋へと突き立つ電磁の刃を喰らい知る。

 

 鼻の奥が切れ、鼻血がつぅと伝う。

 

 それを拭って、アルベルトは声紋認証を行っていた。

 

「……コード、“マヌエル”。アルベルト・V・リヴェンシュタインの名において、命じる。……オレに……従え……ッ!」

 

 マヌエルの脈動が自身の心拍と同調し、次の瞬間、《アルキュミアヴィラーゴ》は駆け抜けていた。

 

 瞬時に相手の直上を取り、ビームマグナムの引き金を引く。

 

《プロミネンス》はその荷重装甲がゆえに一撃を回避し切れずに表面を焼け爛れさせていた。

 

『……これは……マヌエル、か』

 

「ああ……てめぇを倒す。倒して目ぇ、醒まさせてやる。何度だっていい。オレの全霊を……突っ込めば……!」

 

『倒すとは。まだ甘い夢を見ているのか? アルベルト。度し難いな、やはり、あんたは。ならば応えよう。コード、“マヌエル”、実行。《ネクロレヴォル》強化改修型弐番機《プロミネンス》、おれに……従え……!』

 

 ミラーヘッドが位相を変え、その重装備に見合わぬ速度で《プロミネンス》が飛翔する。

 

《アルキュミアヴィラーゴ》もそれに合わせて宙を舞い、ビームマグナムで狙いをつけようとするが、急減速して相対速度を合わせて来た《プロミネンス》のすれ違いざまの斬撃を受けていた。

 

 咄嗟にビームマグナムを盾にして致命傷は免れたが、刃の残滓が白銀の装甲に亀裂を走らせている。

 

「トキサダァ……ッ!」

 

『アルベルトォ……ッ!』

 

 双方の機体の内部骨格が拡張し、オォンと咆哮する。

 

 覚醒の息吹を棚引かせ、絶対零度の宙域で紅色の躯体と白銀の躯体が刃をかわし合う。

 

《プロミネンス》は円弧の軌道を描いて再接触する前に、砲身を後方へと向けて追撃しようとしていた。

 

 アルベルトはビームジャベリンをコロニーシャフトへと突き刺し、制動をかけてその銃撃網を掻い潜る。

 

 朽ち果てたコロニーシャフトがゆっくりと崩壊の一途を辿り、足場にして《プロミネンス》へと再度向かい合う。

 

 こちらを睥睨した眼窩が殺意の灯火を宿らせたのを真正面から見据えて、《アルキュミアヴィラーゴ》は赤い眼光を棚引かせていた。

 

 ビームジャベリンの切っ先が《プロミネンス》の装甲を引き剥がす。

 

 それと同時に相手のビームサーベルの応酬が装甲面へと突き立っていく。

 

 数度に渡るパージと爆砕の果てに、アルベルトは《プロミネンス》へと分身体を用いた殴打を浴びせていた。

 

 だがトキサダも勢いを削がれた様子もなく、支持アームで刺突し、分身体に穴を開けていく。

 

 薙ぎ払った一閃で《プロミネンス》の分身体を破壊するが、それは明らかな囮だ。

 

 分身体が消え去った直後に、射抜く挙動で重火力が叩き込まれる。

 

 思わず防御の姿勢を取らせた《アルキュミアヴィラーゴ》はコロニー外壁へと後退を余儀なくされていた。

 

 放射弾幕が見舞われ、回避の余地もない自機へと数百の弾丸が撃ち込まれる。

 

『もう諦めろよ。あんたじゃおれに勝てない』

 

 コロニー外壁が砕け、酸素が漏れ出る中で《アルキュミアヴィラーゴ》はその腕を振るって壁面を叩き、今一度《プロミネンス》へと対峙していた。

 

「……やってみなけりゃ……分からねぇだろうが……」

 

『もう分かり切っている。騎屍兵として訓練されたおれと、三年間、ぬくぬくとレジスタンスなんかに身をやつしていたあんたじゃ、差は歴然だ。《アルキュミアヴィラーゴ》だったか? その機体、せっかくの高性能機なのにもったいない事をする。それならおれと戦うよりも、別の使い道だってあったはずだ。分かるか? あんたはあんたのエゴのせいで、勝機を逃す。他の連中に使わせたほうがよっぽど上手く扱えただろうに』

 

 アルベルトは全身から噴き出す汗を止められないでいた。

 

《プロミネンス》とトキサダの迷いのない殺気のせいだけではない。

 

《アルキュミアヴィラーゴ》で執行するほぼ初めてのコード、マヌエル。

 

 身体負荷は《アイギスハーモニア》のそれの比ではない。

 

 今にも閉じそうな意識を必死に押し留めて、アルベルトは敵機を睨む。

 

「……お前には……そう映るってのか、オレと……マテリアが……」

 

『事実そうだろう。いずれにせよ、あんた達は勝てないんだよ。騎屍兵だけじゃない。トライアウトブレーメンの連中が運用するIMFに、まだ隠されている戦力だってある。クラードがどうこうしたところで、勝ち目なんてない。最初から負け試合なんだ。なら、潔いほうがいい。敗北を認め、そして死ぬのが賢明だ。戦いにおいて、駆け引きは少なく、いつだって彼我戦力差が明瞭になるだけ。第四種殲滅戦に移ってから、当然の帰結に過ぎない』

 

 アルベルトは繋がった《アルキュミアヴィラーゴ》との感覚を味わいながら、そう言えばクラードは、と益体のない考えに身を浸らせていた。

 

 ――クラードならば、こんな時にどうする?

 

 信じていたはずの相手が敵で、自分はどうあっても相手を否定しなければいけない。

 

 否定したその先に、全てを取り戻すと言うのならば――どこまでも傲慢で。

 

 その時、不意に自嘲する。

 

『……何だ? 遂に諦めたか?』

 

「……ああ、自分でも嫌になる性分さ。諦めたほうが楽なんだろうよ。……けれどな。けれどそんな背中を……あいつらに……凱空龍のヤツらに見せられるかってんだ……! オレは宇宙暴走族、凱空龍のヘッド! アルベルト・V・リヴェンシュタインだ!」

 

『過去に縋るか。それでおれを殺せるとでも?』

 

「……死なせねぇ。てめぇだけは、死なせずに……オレも自分を曲げずに押し通す」

 

『どうやってだ。《プロミネンス》の性能を前にして、その墜ちかけの機体でどうにかなるとでも思っているのか?』

 

「……墜ちかけかどうかは、オレが決める。マテリア、残存ミラーヘッドジェル、どれくらいだ?」

 

『“構築出来るのはせいぜい一体……いいえ、半分でしょうね……”』

 

 その言葉を聞いて、アルベルトはフッと笑みを刻んでいた。

 

「……上、等……ッ!」

 

《アルキュミアヴィラーゴ》へと今一度戦意が宿る。

 

 トキサダは心底理解出来ないように告げていた。

 

『……そこまでして、何が残るって言うんだ。どうせ、オフィーリアはもう轟沈している。あんたの信じたものは、何も残っていない』

 

「信じるってのは……いいか? よく聞いとけ! 信じるってのはなぁ……! 背中合わせに喧嘩出来るって事なんだよ……! それくらい、凱空龍のメンツなら、頭ぁ……入れとけ!」

 

『……アルベルト。もう終わりだ。過去に生きるあんたは、おれに致命傷を与える事も出来ない。死に行け、ただ虚しいままに』

 

《プロミネンス》が重火力を真正面から叩き込んでくる。

 

 弾幕は単純な威力だけでも《アルキュミアヴィラーゴ》の装甲を打ち崩すだろう。

 

「……駆け抜けろ、《アルキュミアヴィラーゴ》!」

 

 急加速し、愚直にも正面から《プロミネンス》相手に突き進む。

 

『愚かだな。それとも遂に脳が腐ったか? 全弾を撃ち込まれて、それでも最短距離を目指す、か。あんたらしい、馬鹿の真似事だ。だが、その前に力尽きるだろうさ。最後の最後に知るがいい、《プロミネンス》の恩讐を』

 

 副次火力でさえも注ぎ込み、《プロミネンス》の機銃掃射が《アルキュミアヴィラーゴ》の装甲を剥ぎ取っていく。

 

 頭部が砕け、アステロイドジェネレーターを保護する装甲面が撃ち抜かれ、脚部が破砕する。

 

 前につんのめった《アルキュミアヴィラーゴ》はそのまま無様に転倒し、弾丸を叩き込まれて装甲が吹き飛ぶ。

 

 白銀の威容は砕け落ち、ほとんど半身になった《アルキュミアヴィラーゴ》へと、《プロミネンス》はビームサーベルの刃を沿わせていた。

 

『最後くらいはおれの手で介錯してやる。アルベルト、あんたは今際の際まで、馬鹿であっただけの話だ』

 

 振るい上げた太刀をそのまま打ち下ろさんとしたところで――不意に硬直していた。

 

『……違う。これは……本体じゃ、ない?』

 

 半壊した《アルキュミアヴィラーゴ》の躯体が風圧に溶けていく。それは蒼いミラーヘッドで構築された幻像であった。

 

『高密度のミラーヘッドを固めて、本体と大差ない状態まで組み上げた……だと。今の一瞬で……!』

 

 それを勘付かれる前に、朽ちたビル群からの、決死の跳躍。

 

 ビームジャベリンを振るい上げる。

 

 互いに劈く、熱源警告。

 

 アルベルトはコロニー外壁を粉砕し、《プロミネンス》の背後へと立ち現れていた。

 

 既にミラーヘッドジェルは尽き果てている。

 

 それでも、この一瞬に全てを賭けて。

 

 咆哮と共に刃を打ち下ろす。

 

「トキサダ――ッ! 歯ぁ、食いしばれッ!」

 

『アルベルトォ――ッ!』

 

 近接戦闘用の格闘兵装が開き、装甲を断ち割った《アルキュミアヴィラーゴ》へと返答の太刀が腕を付け根から叩き切る。

 

 しかし、この策を講じていたアルベルトのほうが僅かに上回っていた。

 

 何よりも――自分はひとりではない。

 

『“ミラーヘッド分身体、高密度構築を解除……! アルベルトさん! 決めるのならば今しかないですよ!”』

 

「ああ! 分かってんよ、マテリア!」

 

 機体を踏ん張らせ、薙ぎ払う一閃。

 

 剥離した装甲版の向こうに、アステロイドジェネレーター炉心が脈打つ。

 

《プロミネンス》が至近距離で重火器を照準する。

 

 幾重にも照準警告が絶対の死地を示す中で、アルベルトは果敢に前進していた。

 

《アルキュミアヴィラーゴ》の相貌を火砲が焼き尽くす。

 

 白銀の鎧を塵と硝煙に染めながら、刺突を浴びせていた。

 

 それはアステロイドジェネレーター炉心ではなく、コックピットを狙い澄ます。

 

『……おれを殺せるのか? アルベルト』

 

 問いかけに、迷う事はないとアルベルトは断じていた。

 

 そのつもりだった。

 

 ――ああ、ここでさよならだぜ、トキサダ。

 

 そう口にするつもりだったのに、喉を震わせたのは別の言葉だ。

 

「……いいや、殺さねぇ」

 

 自分でもその不明瞭さを感じ取る前にビームジャベリンは《プロミネンス》の武装を斬り落とし、そしてコックピットへと灼熱の切っ先を突き付ける。

 

 王手の合図。

 

 そして、それは自分の掲げた意志の証。

 

『……殺さない、だと? 甘ったれた事を言っているんじゃないぞ。おれはあんたを殺せる、その自負がある。あんたには結局、覚悟なんてないのさ』

 

「……ああ、ねぇんだろうな。今、一瞬前まで、オレはトキサダ、お前を殺して全部終わらせるつもりだった。だが、そうじゃねぇ。……きっと、そうじゃねぇんだ。オレが欲しかったのはお前との決着なんかじゃねぇ。トキサダ、もう一度お前に、凱空龍の副長を任せたい。そういうエゴなんだろうさ」

 

『……馬鹿を言うな。凱空龍なんてとっくに終わっているだろうに。おれをどこまで惨めにさせれば気が済む』

 

「そっちこそ、馬鹿言ってんじゃねぇ。凱空龍は何度だって、復活するってのたまっていたのは他でもない、お前だろうが。ここに宣言するぜ。トキサダ、オレはお前を――奪還する」

 

 それが保留し続けてきた自分の答えだ。

 

 トキサダの《プロミネンス》が硬直する。

 

 しかし、この距離は完全に致命的だ。

 

 トキサダに少しでも殺意があれば、容易く獲られるだろう。

 

 だとしても、アルベルトには貫き通さなければならない意地に思えていた。

 

『……馬鹿だろ、あんたも……』

 

 暫時の沈黙の後に、トキサダがこぼす。

 

 発振していたビームサーベルの刀身が消え、紅色の《プロミネンス》から敵意が凪いでいく。

 

 分かり合えたとは言わない。

 

 恐らくトキサダにはそれ相応の苦しみがあったはずなのだから。

 

 ここに来るまで、彼の苦しみを一欠片だって理解していなかった自分の責任だ。

 

「……トキサダ。オレも馬鹿だからよ。本心ってもんを口にするのには随分と……遠回りしてきた感じだ」

 

 接触回線から男泣きが漏れ聞こえる。

 

 それを今は茶化す気にもなれず、二つの機体は折り重なるようにして沈黙していた。

 

「……帰ろうぜ。オレ達の……居場所に」

 



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