俺のハーレムはワル女子だらけ 貸出ホステスと暮らす新生活 (祐。)
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Chapter 1
第1話 le goût du péché 《罪の味》


 東京都、龍明(りゅうめい)市。

 

 都内である故に建ち並んだビルの群れ。目の前の道路にはクラクションを鳴らす渋滞の車がうかがえて、徒歩である自分からしてその光景に気の毒だなと思えてしまう。

 

 ビルの自動ドアを抜けて、すぐにも歩行者の波に呑まれた自分の身。今日は特に往来が激しいと思える平日の真昼間に、自分と行動を共にしていた男の友人Aが愚痴を零していく。

 

「おいおいおいおいおいおい、なんでよりにもよって今日こんなに人が多いんだよ! 平日の昼間だからカラオケもゲーセンも快適に過ごせるかと思っていたのにさぁ!!」

 

 黒髪で黄色のシャツを手ではたはたさせながら、彼は逆ギレ気味にぼやいていく。これを自分は聞き流すようにしていると、もう一人の男の友人Bが茶髪の青いパーカー姿でそう返答していった。

 

「だーから言ったじゃねえか。平日もなにも卒業式とか終わったばかりのタイミングだぞ。そりゃ買い出しで忙しかったり、長期休暇で遊べる時期だったりと、外は混雑するに決まってんだろ。だから家でゲームしようぜって提案したんだ。それなのに、お前のワガママにおれらは付き合ってやって、んでわざわざ外に出てきたってのに結局はゲーセンかよ」

 

「だっておれがやりたかったゲーム、アーケードだからゲーセンにしかねぇんだもん!」

 

「だからっておれらを巻き込むんじゃねえよ。一人で来いよ」

 

「一人じゃ寂しいだろうが!」

 

「なんでキレてんだよ……」

 

 友人Aと友人Bの会話を、自分は意識もせずに聞き流していた。これに友人Aがこちらの肩に手を掛けてくると、友人Bを左手の親指で差しながら同意を求めてきたものだ。

 

「なぁ“歓喜(かんき)”、お前もそう思うだろ?」

 

「え、俺? 悪い、話を聞いてなかった」

 

「あー?」

 

 不機嫌そうな顔を見せる友人A。だが、その彼に友人Bが「おい」と小声で呼び掛けると、友人Aはまるで思い出したかのように「お、おぉ……」とどこか気まずそうにしてこちらから手を離してくる。

 

 二人の友人は、こちらに気を遣ってくれていた。それもそのはずで、こうして友人らが自分を遊びに誘ってくれたのも、先日にも自分に降り掛かったある不幸を紛らわすためだったものだから。

 

 通行人の往来が激しい通路の脇。ビルの陰で三人で佇んで少しばかりと沈黙していく中で、友人Aはじっとしていられないといった具合にそう提案してくる。

 

「まぁよ、とりあえず歩こうぜ! 適当に」

 

 そんな提案を耳にした友人Bは、微妙な表情をしながらもそれに頷いたものだった。

 

「この人混みを歩くのかよ。……でも、他にねぇな。だったら、飯食いたい。なんか飯屋に入ろうぜ」

 

 

 

 晴天の大都会。都心部から離れた位置に存在する、東京の中では田舎な方の小さな地域。

 龍明市。巷では犯罪の街とかアウトローの住所とかいう異名で呼ばれるこの地域は、その噂も概ね間違いとは言えないほどの犯罪が毎日のように起こっている。

 

 実際、昨日はこの街で殺人事件が起こったばかりだった。しかも、今も自分らが歩いているこの周辺で起きた事件でもある。しかし、龍明市を歩く周囲の人間は誰もがそれを気にしない。何故なら、龍明という街は、そういう場所なのだから。

 

 良からぬ連中に目をつけられないよう、自分らも万全な対策の下でこの龍明を遊び歩いていた。自分は身長百七十三というその背丈で、青色のアウターに黒色のシャツ、白色のパンツに茶色の靴という無難ながらも清潔感のある格好をしていて、黒髪のショートヘアーで目立たないようにしつつ、肩に提げている黒色の鞄の中には護身用のスタンガンが入っている。

 

 尤も、周囲の友人二人からは、気にしすぎだろとツッコまれてしまったものだ。そんな二人は気楽なのか不用心なのかどうか。どう感じるかは置いといて、今も彼ら二人が並んでだべっているその間も、自分はその後ろからついていく形で龍明の中を散策していく。

 

 人通りの激しい表の道を避け、三人で脇の道へと進んでいく。その道に差し掛かると途端にして人の気配が減り出したものだったから、自分は周囲の目を気にしつつも二人のあとをついていくように前へ進んでいったものだった。

 

 前の二人は、通りすがった女性のおっぱいの話なんかで盛り上がっていた。確かに大きかったけれど、なんていう自分の内心も織り交ぜつつ二人の話を聞いていると、ふと、友人Aは目についた店の看板を指差してそんなことを口にし始める。

 

「おぉ? おぉ! これかぁ!」

 

 ひとりで納得する友人Aへと、友人Bは呆れたように訊ね掛ける。

 

「なんだよ突然」

 

「この店、同僚から聞いてたんだよ! 美人な姉ちゃんがたくさんいるってさ!」

 

「は?」

 

「メシもウマいんだってよ」

 

「ほう……」

 

 いや反応が分かりやすすぎるだろ。

 友人Bの興味に内心でツッコみつつ、二人が店の看板へと歩み寄るものだから自分もそれについていく。

 

 友人らが見遣る看板を、自分も眺めていった。

 よく見かける、四本の脚で道端に佇む木製のそれ。張り付けられた黒板に店の名前や食事のメニューが記されていることから、ここがレストランであることをうかがえる。

 

 自分は、その店の名前を口ずさんでいった。

 

le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)……?」

 

 読みにくいけど、すごいオシャレ。そんな感想を抱いて見上げていくと、そこに映った店の姿に自分は疑問を感じていく。

 

 見た感じは、隣同士の建物に収まる小さなカラオケ店といった雰囲気のそれ。店の名前の看板があって、夜になるとネオンの光源がキラキラと灯るような華やかさを想像させるその外観。

 

 ただ、店の入り口は地下にあるらしい。看板のすぐ脇には下へ続く階段があり、そこに店の入り口なのだろう両開きのオシャレな扉が存在していた。

 

 自分が無言で眺めていくその傍らで、友人Bは友人Aへとそんなことを訊ね掛けていく。

 

「あ? でもよ、“キャバレー”って書いてあるぞ」

 

 建物の看板に書かれている、キャバレーの文字。しかし、その文字の上には“レストラン”とも記されており、これについて友人Aはそう説明してきたものだった。

 

「いやいやいや、なんかこの店って昼はレストランで夜はキャバレーしてるらしい。ここにレストラン&キャバレーって書いてあるし」

 

「なんだそれ。てか、今やってんのか?」

 

「やってるだろ。値段も高くねぇし、ここにしようぜー」

 

 すごく軽いノリで、二人が階段を下りていく。これに自分も後から続く形で扉を通り抜けていくと、そこで待ち構えていたエントランスに自分らは思わず静かに声を上げていったものだった。

 

 煌びやかな夜の世界。そう思わせる赤色のフロアに、黒色の柱のような壁が閉鎖的な効果を演出する。すぐにして部屋の奥から現れたタキシード姿の女性スタッフがこちらに歩み寄ってくると、友人Aの「三人」という言葉を受けて、「こちらへお進みください」と手で促されていく。

 

 スタッフが促したその先には、平坦な廊下が伸びていた。そのすぐ向こうにも広大なフロアが見えたものだから、今までに踏み入ったことのない世界に三人で「なんかすごいな」と語彙力の無い感想を口にしながら進んでいく。

 

 先で待ち受けていた光景は、まるで劇場とダンスフロアを融合させたかのような空間だった。先へ進むにつれて緩やかな下り坂になるその通路と、段々となって左右へ伸びていく平坦な床。映画館の通路と席のようなイメージだろうか。それがより一層と派手な装飾を施されていて、シャンデリアやミラーボールといった光に晒されて自分らは気後れしてしまう。

 

 あちこちに用意されたテーブルとイス。それらはキャバレーに使用されるものと同等のものだった。だが、そこで食事を行う客層は、女性客が多く感じられる印象。

 

 初めて来る自分らが戸惑いつつ佇んでいると、スタッフなのだろうタキシード姿の女性がこちらに声を掛けてきた。

 

「どうぞ、こちらに」

 

 モブと言ってしまえばそれまでだが、モブと呼ぶには勿体無いほどに美人すぎるそのスタッフ。

 

 入口のスタッフもそうだったように、顔立ちの良さとタキシード姿という二つの要素が合わさった究極の美を前にして、自分ら男性諸君はしどろもどろになりながら席についていく。

 

 その席も、とても座り慣れないものだった。しかし、カラオケみたいと言ってしまえばそれまでだろうか。そんな感想を抱きながらスタッフからメニューを受け取っていくと、自分らは「店の雰囲気と値段が釣り合っていないよな……」と、非常にリーズナブルな文字列にひそひそと話し合っていたものだ。

 

 注文を行った後は、自分らには珍しくスマートフォンを一切と取り出さずに料理を待っていた。

 

 緊張が勝るというか、この雰囲気にスマホが合わないというか。自分らは声をひそめるようにして会話を行っていると、直にして先ほどの女性スタッフが料理を運んでくる。

 

 友人らが頼んだ、フレッシュな野菜と白身の魚が和えられたパスタ。それと、ホテルの朝食ビュッフェなどに並べられるようなパン。パンに関しては、付属してきたチーズ風味のとろりとしたソースに付けて食べるのだろうか。

 

 まるで、別世界にでも足を踏み入れたかのようなオシャレな料理だった。これには友人らも感嘆を零していく中で、自分だけ違う料理を頼んでいたためか、それらを先に食べ始めていく友人らを羨ましく眺めていたものだ。

 

 そして、自分の下にもステーキの料理が運ばれてきた。

 

 先ほどのスタッフとは異なる、ヴァイオレットカラーの長髪が特徴的な小柄の女性スタッフによって。

 

「お待たせしましたー。コチラ、鉄板が熱していてヒジョーにお熱いので、ヤケドしないようお気を付けくださいねー。あと、お好みでバジルのソースをドーゾ。アッツアツの内にお肉にかけちゃっても良しですし、ポテトにケチャップを付けるように、ソースにそのまま付けちゃって召し上がるも良しの一品ですから、まーゆっくりご堪能しちゃってくださーい。ではではー」

 

 ラフな調子で、どこか適当な感じがする喋り方の彼女。そのスタッフは百五十八ほどの背丈であり、小柄というよりも少女のような風貌でタキシードを着こなしている。

 

 その瞳もヴァイオレットカラーであり、人形のようにぱっちりと見開いた目は年相応のようなものをうかがわせる。頬の感じもあどけなさを残しておりながらも、黒色のタキシードにヴァイオレットカラーのシャツという格好でこなれた振る舞いを見せながら彼女は歩き去っていったものだ。

 

 ……緑色の野菜が彩りを与えてくれる鉄板の上。ついてきたバジルのソースも食欲をそそり、今も肉汁が躍る鉄板のステーキに自分は心を奪われていく。

 

 実際に、極上とも言える最高の一品だった。こんなにも美味しくて、こんなにもお手頃な価格で、こんなにも雰囲気が良いお店があったなんて。そんな感激の言葉が終始、友人らと交わされるこのひと時は、自分にとって最高の気分転換になったものだった。

 

 瞬く間にランチを平らげて、自分は満腹感と充実感の余韻に浸っていく。一方で自分の目の前では友人らがデザートに目を通しており、食い入るようにメニューを眺めていたものだ。

 

 そこで、もうしばらく時間がかかりそうだと察した自分はお手洗いで立ち上がっていく。

 

「ちょっとお手洗い」

 

「あいよー」

 

 二人の友人から離れていき、自分はお手洗いの場所を探しに店内を軽く散策する。だが、その肝心なお手洗いの場所が分からなかった。

 

 仕方ないからスタッフさんに訊ねるか。そんなことを思って自分は途方に暮れるかのようその場に佇んでいくと、ふと、こちらへと女性スタッフの一人が声を掛けてきたのだ。

 

「何かお困りでしょうか、お客様」

 

 落ち着きのある、大人びた女性の声音。その一言だけで耳が敏感になる綺麗なそれに呼び掛けられて、自分は思わず振り返って女性の姿を確認した。

 

 絶世の美女だった。灰色混じりの白髪を腰辺りまで伸ばしたその長髪を、分厚いポニーテールとしてまとめてある髪型。黒色の瞳は大人の落ち着きを体現していて、長いまつ毛や色白の肌、そして彼女の左目に泣きぼくろという女神のような艶やかな存在感を醸し出す。加えて、黒色のタキシードにボタンを二つ外した赤色のシャツという風貌は、美麗でありながらもアブない雰囲気を演出していて実にお美しい女性だったものだ。

 

 いや、それ以上に百七十九という高身長でこちらを見遣るその彼女は、軽く腕を組んだ佇まいでただ者ならぬ貫録を解き放っていた。その圧巻な美貌が織り成す危険な香りに自分は言葉を詰まらせていくと、自分を見遣る女性スタッフは軽く首を傾げながらも、悠々とした表情でそう訊ね掛けてくる。

 

「様子から察するに、お手洗いでしょうか」

 

「まさにその通りで……」

 

「でしたら、あちらに見えます廊下をお進みいただいて、突き当たりを右へとお進みください」

 

「た、助かりました! ありがとうございます……!」

 

 正直、あまりにも絶世な美貌を目撃したことで尿意が引っ込んでしまった。

 

 しかし、教えてもらった道へと足早に移動した自分。お礼を口にしながら急ぎ足でその廊下へと進んでいく姿は、さぞ情けなかったに違いないだろう。

 

 そのために、自分の後ろで行われたその女性の動作を、この目で見ることは無かった。

 

 

 

 男性客を案内し、急ぎで移動する男の背を見送るようにしてから踵を返した女神のような女性スタッフ。だが、すぐにもその足を止めて振り返っていくと、既に姿を消していた男の存在に女性は胸のポケットから一枚の写真を取り出して、それを凝視してから、男が消えた廊下へと再び視線を向けていったものだった。

 

 

 

 

 

 数日後。龍明市内にある住宅街の一角。

 

 高くも安くもないアパートの一室を借りて生活をしている自分の部屋に、インターホンが鳴らされた。その音で自分はヘッドフォンを首に掛けて歩き出し、ヘッドフォンが繋がったスマートフォンを片手にインターホンの映像を確認していく。

 

 すると、そこに映っていた女性の姿に自分はたいへん驚いてしまった。

 忘れるわけがない。あんなにも絶世な美貌を誇っていた彼女の顔を。格好も黒色のライダースジャケットに赤色のシャツと、黒色のバイクパンツに膝丈まである黒色のブーツというクールビューティなもので、なおさらとあのレストランの女性スタッフであることに間違いないことを確信する。

 

 一体、何の用だろう。そう思って自分は玄関の扉を開いていくと、やはりそこに佇んでいたのは女性スタッフの彼女。自分が扉を開けると共にして「急にごめんなさいね」と一言かけてくると、次にも女性はそんなことを切り出してきたのだ。

 

「“柏島歓喜(かしわじまかんき)”くん、でいいわね?」

 

「あはい、そうですけど……」

 

「つい先日もお会いしたばかりね。来店してくれて本当にありがとう。何の因果かは分からないけれど、おかげで私は貴方の存在に辿り着くことができた」

 

「なんの話ですか……?」

 

「“柏島長喜(かしわじまちょうき)”さんはご存じよね?」

 

 その名前を聞いた瞬間、自分は背筋が凍りつくような感覚を身に覚えた。

 

「…………はい。俺の親父です……」

 

「お悔やみ申し上げます。貴方のお父様は、私達にとって偉大なお方だったわ」

 

「あの……俺の親父のことを知っているんですか……?」

 

「えぇ、そうよ。貴方のお父様も仰っていたわ。自分の素性を息子さんにはお伝えしていない、と」

 

 彼女が言うように、自分の親父はつい先日亡くなったばかりだった。

 

 尤も、自分は幼い頃から父親という存在をあまり詳しく認識していなかった。普段から家に戻らず、泊まり込みで仕事をしているという名目で滅多に姿を見せなかったその存在。結局、実の親父というのに指で数えられる程度にしか会話を交わしたことがなく、最後に話したのもいつだったか思い出せないまま、親父は病気によってこの世を去った。

 

 あの友人らが遊びに誘ってくれたのも、これによって自分が落ち込んでいたためだった。しかし、何の巡り合わせなのだろうか。その親父のことを知るのだろう人物が自分の住むアパートに訊ね掛けてきて、それもその人物が、先日にもお邪魔したオシャレなお店の従業員という不可思議な出会い。

 

 彼女は胸のポケットから名刺を取り出して、それをこちらへ手渡してくる。自分もそれを受け取っていくと、キャバクラやホストクラブなどで使用されるだろう煌びやかなカードに記された『le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)』という店の名前と、ホステスである『ユノ』という名前を確認してから自分は言葉を投げ掛けていった。

 

「ユノさん、ですか」

 

「そうよ。私はユノ、よろしく」

 

「まぁ、立ち話も何ですし……よろしければ上がっていってください」

 

「では、お言葉に甘えようかしら」

 

 自分の部屋に、美女を入れるなんて思ってもいなかった。だが、そんな気持ちよりも先行して巡る感情は、死んだ親父に対する疑問や不信感ばかりだった。

 

 直にして、ユノという従業員から親父の正体を明かされることになる。

 かつ、自分があの店に訪れた時点で定められた一つの運命と直面する。この運命はすぐにも形となり、自分という存在もまたあのレストラン&キャバレー『le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)』と深い関わりを持つことになるのであった。



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第2話 L'auberge sur la route 《道の宿》

 ピンポーン。部屋のインターホンが鳴らされたことで、就寝の準備を進めていた自分は何事だと思いながらそれの映像を確認したものだ。

 

 時刻は午前零時ちょっと過ぎ。寝間着姿でベッドに寝転がりながらスマートフォンを操作していたところで呼び出され、それも住んでいる地域が犯罪の街こと龍明市であることから、自分は十分な警戒をしながら玄関の様子を眺めていく。

 

 すると、そこには一人の少女らしき存在が映し出されていた。服装は、暗めの赤と暗めの青のボーダーというだぼだぼなシルエットのパーカーに、紫色の短パンというラフなもの。加えて、黒色のソックスに、パーカーと同色の靴。それとパーカーと同じく赤と青のキャスケットを被ってその少女はちんまりと佇んでいたものだ。

 

 だが、自分が真っ先と意識した部分は、彼女の身体的な特徴にあった。それは、肩甲骨あたりまで伸ばしたヴァイオレットカラーのサラサラとした長髪と、くりくりとした人形のような紫色の瞳というもの。

 

 彼女の存在を何となく知っていた。それは、まだまだいたいけな風貌が拭い切れないながらも、キャバレーで働くホステスとしての立派な姿を見たことがあったものだから。

 

 黒色の鞄を提げて、自分の部屋の前でじっと待ち続ける彼女。その表情も疲れのようなものがうかがえて、ただただ扉が開くのを待ち続けているその様子。

 

 出ないわけにはいかないか……。そう思って自分は玄関まで移動し、鍵を開けて扉を開いていく。

 

 すると、自分が「どうしたの?」と訊ね掛けるその前にも、開いた瞬間の扉に向かって彼女はうんざりな顔を見せながらそう喋り出したのだ。

 

「もー、ナニやってるんですかー!! 遅いです!! か弱いレディを外で待たせるなんて、オトナの紳士として失格じゃないですか!? そんなんじゃモテませんよ!?」

 

 え?

 

 突然ダメ出しされた。想定し得ない言葉に自分の頭が真っ白になっていくと、そんな自分の脇を通り抜けるように彼女は玄関へと踏み入ってくる。

 

「まーいいです。今はこーして最寄りの宿屋ができたコトに感謝ですねー。というワケでお邪魔しますよー」

 

「な、なになに!? え、入るの!?」

 

 驚くこちらの様子に、彼女はとても意外そうな顔で見上げてきた。

 

「なんですか?? なんで入っちゃダメなんですか??」

 

「いやいやいやいや!!! 入るもなにも、ここ俺の部屋だから!!」

 

「だから来たんじゃないですか。ナニ言ってるんですか??」

 

「俺からしたら、君が何言ってんのって状態なんだけど!?」

 

 ああ言えばこう言う。そんな内心を感じさせる彼女の面倒くさそうな表情が垣間見えると、次にも彼女は流れで押し切らんとばかりに上目遣いで喋り出してきた。

 

「まー細かいことはイイじゃないですか。こーしてわざわざオンナのコが泊まりに来てあげているんです。なので“カンキさん”にはむしろ、ウチに対する感謝を示してもらいたいモノなんですが」

 

「いや頼んでないし、来るなら来るで事前に連絡くらい入れてもらいたかったんだけど……」

 

 どうしても引かないこちらの反応に、彼女はむすっと不機嫌そうな顔を見せてくる。

 

 かと思えば、閃いたようにして突然とからかうような視線を向けてくると、作り笑いでニヤニヤしながらそんなことを言い出してきたのだ。

 

「あー、カンキさんもしかして、今の今まで“お楽しみ中”でしたか?? だから、そんなに焦っておられるんですね?? まー、お一人様でいそいそと励みに励んでおられる真っ最中だったんでしょうけれど、でしたらすみませんねー、お邪魔しちゃって。ですけど、ウチ、そーいうのにも手慣れておりますから、よろしければ宿代の代わりとして続きをお手伝いしましょうか?? ね、それで手を打ちましょうよー??」

 

「え? ……え!?」

 

 この子、本当に何言ってるの……。

 

 どう言葉を返せばいいのかが分からない。そんなこちらの顔を、彼女は作り笑いから一転とした平然なサマで見遣り始めてくる。そして暫しその視線と見つめ合っていくと、次にも彼女は外へと向きながらそれを話し始めたのだ。

 

「ウチの住まい、ココから電車で四十五分ほどの場所にあるんですよ。それで、ウチの職業柄、こーして夜遅くに帰るコトも決して少なくありませんし、何せココは龍明ですよ?? ココは犯罪の温床とも言うべき危険な街じゃないですか。なので、帰り道にどんな危険と遭遇するのか、分かったもんじゃないです。既にレイプ未遂で何度か襲われた経験もありますから、尚更ですよ」

 

「そ、そうなんだ……。なんかそれを聞かされちゃうと、追い出すわけにはいかなくなるような……」

 

「そーでしょう?? なので、今日は意地でもお世話になりますから、そのへん覚悟しておいてくださいよ??」

 

 上目遣いはそのままに、彼女は手を後ろにやりながら天真爛漫な微笑を見せてくる。

 

 自分の武器を熟知している……。客商売の腕も侮れないと思わされる彼女の甘えに自分は仕方なく頷いていき、彼女を玄関に入れ、扉を閉めながらそんなことを口にしたものだ。

 

「まぁ、これからは事前の連絡を入れてくれると助かるかな……。そうすればご飯とか用意できるから」

 

「わー、ウチを気遣ってくださるんですか!! しかも、ご飯付!! ホントに宿屋さんみたいですね!! なんですか、カンキさんってもしかしてお人好しさんですか??」

 

「そこは気配り上手って言ってほしかったけど……」

 

「まー、とにかく今日のトコロは助かりました!! いやー、ホントに便利ですねーカンキさんという存在は。だって、偶然にも“お店から歩いて十五分ほど”の場所に住んでいらっしゃったんです。そりゃあ最寄りの宿として活用しなければ損ですよ」

 

「そうだね……」

 

 先日、友人らと会食してから気が付いた事実。見慣れない道だったものだから新鮮な景色にひとり冒険心をくすぐられていたものであったけれど、改めてマップで確認してみたら、まさかこのアパートから歩いて十五分の場所にレストラン&キャバレーのle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)があったとは……。

 

 変な汗を流す自分を横目に、彼女は靴を脱いでさっさと部屋に上がり込んでいく。そして鞄を投げ捨てるようにベッドへ放り投げていくと、そこから着替えの寝間着を取り出してきて洗面所へと歩き出したものだった。

 

「シャワーお借りしますからー。あ、覗いたら、宿代とは別に料金を取りますからね」

 

「覗くなとは言わないんだね」

 

「見せるコトには慣れてますから。ウチ、キャバレーで働く前はカラダ売ってましたし」

 

「へぇ、俺には想像できない世界だなぁ……」

 

「まー、今もお客の要望がございましたらカラダを売ったりしてますし、やってることは昔とそんな大差ありませんけどねー。ただ、従業員の待遇で言えば現在の職場は相当恵まれているんじゃないでしょうか?? そーいうワケで失礼しまーす」

 

 そう言って、彼女は洗面所の扉を閉めていった。

 

 ちゃんと着替えを用意していたということは、最初から泊まりに来るつもりだったんだな……。そう思いながら自分はベッドに腰を掛けていき、残された彼女の鞄を他所にしてボーッと照明の光を眺めていく。

 

 ……le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に入ったあの日から、自分の人生に変化が訪れ始めていた。現にホステスの子が泊まりに来るという出来事も想像だにしていなかったものであり、それもすべては、死んだ親父の影響によるものであることを、あの日にもユノという人物から知らされた。

 

 当時の記憶を呼び起こす。眠りにつくように意識を脳内へ巡らせて、ゆっくりと目を瞑って過去の出来事を思い返していく…………。

 

 

 

 

 

 アパートの部屋の中。お茶が入ったコップが乗っているテーブルを挟んで、自分はle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスであるユノという人物と向かい合っている。

 

 既に、彼女からある程度の話を聞かされていた。それを自分なりにまとめて理解していき、それらの情報を整理するかのように彼女へと確認をとっていく。

 

「では……俺の親父は死ぬ前、le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のオーナーとしてあの店を経営していたんですね……? それ以前にも、親父は探偵として龍明に事務所を構えていた。それでいて、警察も介入できないほどの裏社会の闇に触れていたことから、身内の人間が巻き込まれないよう親父は家族の俺から距離を置いていた……」

 

 向かい合うユノは、凛々しい表情で「えぇ」と頷いていく。

 今まで知ることもなかった親父の素性。明かされることのなかったその正体を亡くなった後に伝えられたことで、自分は「だったら、最初からそう言っといてくれよ……」と小声で呟いてしまう。

 

 親父を亡くしたことによって、柏島家は自分一人になってしまったのだ。

 幼い頃に謎の失踪を遂げた母を始めとして、兄は大学に通うと言って家を出たきり音信不通になって数年が経過した。幸いと家族の親戚が今の自分を面倒見てくれていることから、自分は今もこうして何とか生き永らえることができている。

 

 ただ、唯一の心残りがあるのだとするならば、親父との関わりが少なかったことから、親父の死を悲しもうにも心から泣くことができなかった自分に対する怒りが湧いてきてしまうこと。それもきっと、親父は家族であるという実感を持てていなかったからなのかもしれないと思えてしまう。

 

 ……そう考えると、俺の家族って一体何だったんだ……?

 自分は孤独であるという実感が押し寄せてくる。それは、友人や親戚といった身近な存在がありながらも人肌を恋しく感じてしまえる、心が愛に飢えてしまっている証拠とも言えるのだろうか。

 

 ……沈黙が流れるこの空間。俯く自分が言葉にならない思考をぐるぐると巡らせていくその最中、向かい合うユノはおもむろに立ち上がるなりこちらへと声を掛けてきたのだ。

 

「柏島くん、私についてきなさい」

 

「……え?」

 

 顔を上げた自分。その先へと投げ掛けた視界の中には、自分へと手を差し伸べるユノの姿が映し出されている。

 

 直にも、ユノはこちらを見据えながら凛々しい表情でそう喋り出してきたものだ。

 

「私達の店は、貴方のような人を救済するために在るものなの。いいから準備を済ませなさい。私と一緒に、le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)へ向かうわよ」

 

「は、はい……」

 

 言われるまま、自分はユノに連れ出される形で外に出た。

 

 徒歩十五分。レストランを後にしてふとマップを確認してみたら、店と自分の住むアパートが近かったことで友人らと変に盛り上がったあの日のことも、なんだか懐かしくさえ思えてしまえる。

 

 そんなことを考えている間にも到着したレストラン&キャバレーのお店。時刻はお昼というランチタイムである故にそれなりと客が入っている様子を横目にして、自分はユノに案内されるまま二人用の席へと腰を下ろしていった。

 

 黒色のオシャレな丸テーブルに、丸っこいシルエットが可愛らしいイス。それに腰を掛けて落ち着いていくと、ユノは近くの従業員を呼び止めて、手に持つメニューを指差しながらも小声で何かを指示し始める。

 

 その間も、自分は周囲のホールスタッフに視線が向いていた。

 凛々しく気高い美を象徴するかのようなタキシード姿。この店の制服なのだろう女性スタッフの格好は男でもカッコいいと見惚れてしまえる着こなしであり、昼間でありながらもどことなくキャバレーらしさを匂わせる演出としては最高の雰囲気づくりになっているなと思えてくる。

 

 共にして視界に入ったのは、男性スタッフの存在だった。屈強でガタイの良いタキシード姿の男性もまた、客の視界になるべく入らないよう陰で見回りを行う様子をうかがえたものだった。男性のスタッフさんが居たんだなという発見と、夜はキャバレーをしているお店だもんねという納得でひとり頷いていく自分。

 

 と、呼び止めていた従業員が離れていく光景を脇にして、ユノがこちらに向きながらそう喋りかけてきたものだった。

 

「すぐにホステスの子を寄越すから、柏島くんはこのままくつろいでいてちょうだい」

 

「え、あの、今はレストランを営業しているんですよね……?」

 

 まるでキャバレーみたい。そう思った自分の疑問に対して、ユノは微かな笑みでそう答えてくる。

 

「今の貴方には、可憐で人懐っこい女の子の成分が必要よ。大丈夫、安心して。指名料は取らないし、今日の食事代は私が立て替えておくから」

 

「あの、答えになっていないような気がしますけれど……ありがとうございます……?」

 

「私としても、貴方のお父様である柏島オーナーには少なからずの恩義を感じているの。それは、このお店で働く女の子達の総意でもあるのよ。そんな柏島オーナーの息子さんがいらしているんですもの、こんなにも特別なお客様を私達がもてなさずにしてどうするのというだけの話」

 

 女神の如き美貌で、柔らかな笑みを見せてくるユノ。これに自分は言葉を失っていくと、次にもユノは「それじゃあ、ごゆっくり」と言い残して歩き去ってしまった。

 

 途中、数人の女性客から呼び止められて会話に応じていくユノの姿。大人のグレードの更にワンランク上を往くだろう彼女の存在感が多くの女性客の目に留まっていく様子を眺めていると、直にしてこちらに歩み寄ってくる足音に気が付いてそちらへ意識を投げ掛けていく。

 

 するとそこからは、先日にも顔を合わせた小柄の女性スタッフがこちらに料理を運んできてくれていた。タキシード姿に紫色のシャツという格好に加えての、ヴァイオレットカラーの長髪とあどけない風貌が特徴的なその彼女は、料理を乗せた銀色のお盆をテーブルに置きながらそう喋りかけてくる。

 

「コチラをどーぞ。全く、それにしてもイイご身分ですねーアナタ。なんですか、柏島オーナーの息子さんだからという理由で、お昼ご飯一食分を奢ってもらえるチョー特別待遇で迎え入れてもらっちゃって。こんなことならウチも柏島オーナーの養子になっていれば良かったなーって思ったりしましたよ、ホント」

 

「一食分でそこまで言う……?」

 

 素朴な疑問を彼女に投げ掛けていく中で、その彼女はうんざりそうな調子とは裏腹にケロッとした表情で向かいの席に腰を掛けてくる。

 

「そこまで言うに決まってるじゃないですか。ウチはビンボーでチョー貧困層の生活をイヤというほど経験してきましたからね。ご飯一食分が無料? すっごくありがたいコトじゃないですか。ご飯を食べられる、それだけでどれだけ幸せなコトなのか、アナタにはそれを噛みしめてもらいながらコチラを味わってもらいたいモノですね」

 

 ぱちくりとした目で、肘をついた手に顎を乗せてじっとこちらを見つめてくる彼女。

 彼女に差し出された料理は、食欲をそそる絶妙な香りと色合いのチキンと、その周囲に添えられたシャキシャキの新鮮な葉っぱの野菜というもの。申し分程度に付属するレモンが視覚的にも爽やかさを演出する料理を前にして、自分は生唾を呑み込んでしまう。

 

 だが、料理と同じくらい気になる存在が目の前でじろじろと見遣ってきている。そんなこちらの疑問が視線となっていたのだろうか、直にも彼女はちょっと生意気そうな調子でそう喋り出してきた。

 

「まー、そーいうワケで本日、柏島オーナーの息子さんのお相手を任されました“ラミア”と申します。ホステスとしましては勤務時間外なものですから、お呼ばれされた瞬間こそはすっごくイラッとしましたけれど、お相手はあの柏島オーナーの息子さんですから、今回は大目に見てあげています。まー、コチラのお仕事もオーナーに拾われたからこその食い扶持ですから、天国で見守ってくださっているオーナーのためでございましたら、ウチにできることはウチにできる範囲でやらせてもらうつもりです」

 

 胸ポケットから取り出した名刺。それをテーブルに置いて差し出してきたものだから、自分はそれを受け取ってサッと眺めていく。

 

 ラミア。名刺に書かれた彼女の名前と顔を照らし合わせていく。

 

「親父のやつ、俺の知らないところでいろんな人を助けていたってことなのかな……。とにかく、よろしく。ラミア」

 

「ハイ、よろしくおねがいします。そーいうワケでアナタのお相手をさせていただく関係上、まずはお話を盛り上げるためにいろんな情報が必要になってきますので、アナタのコトを隅々まで知り尽くすつもりで、ウチの方から根掘り葉掘りといろんな質問を投げ掛けていきます。なので、覚悟しておいてくださいね」

 

 上目遣いとテキトーな調子を織り交ぜた、独自の雰囲気を纏う彼女ことラミア。そのセリフに自分は「お、お手柔らかに……」と返答していきながらも、その日の昼食はラミアと楽しく談笑するたわいない時間を過ごしたものだった。

 

 

 

 

 

 ……過去の記憶から意識を呼び戻し、時は現在に戻る。

 

 目の前には、暗めの赤と暗めの青のボーダーというもこもこなルームウェアを着用するラミアが、床に化粧水や乳液といった美容グッズを散乱させながらドライヤーで髪を乾かしていく様子が展開されている。

 

 自分が住んでいるアパートが、ここから十五分ほど歩いた場所にある。ラミアと交わした会話の中でふとそんなことを口にしてみたものだったけれど、まさかこんな展開になるとは思いもしていなかった……。

 

 と、ドライヤーの音をガンガン立てながらラミアはこちらに言葉を投げ掛けてくる。

 

「カンキさん、アイスってあります??」

 

「アイス? いや、今はないけど……」

 

「えー、なんでですか」

 

「いやなんでラミアが残念がるの……」

 

「だって、アイス食べたいじゃないですかー」

 

「まずここ、俺の部屋なんだけど……。まぁいいや、今からコンビニ行って買ってくるよ」

 

 ガタッ。ドライヤーの線で美容グッズを押し倒しながらラミアは振り向いてくる。

 

「ホントですか!? なんですか、さすが柏島オーナーの息子さんですね!! あ、ウチ、リンゴ味でおねがいします」

 

「さり気無く味のリクエストまでしてきたな……」

 

 尤も、ラミアもこんな夜遅くまでお勤めしてきた後なんだと考えると、そんな彼女を労りたいという気持ちが先行して、勝手に身体が動き出してしまうというもの。

 

 髪を乾かすラミアを部屋に残して、ひとりコンビニへと赴いた自分。そしてアイスを購入して部屋に戻り、二人でアイスを頬張りながら午前三時ほどまでテレビを観ていたものだった。

 

 ……まさか、こんな生活がこの先も続いていくとは思いもしていなかった。それも、ラミア以外のホステスも集い始める、まさに道の宿と言わんばかりの状況になるなど、この時には夢にも思っていなかった。



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第3話 Vie nocturne 《夜の世界》

 ピンポーン。昼間のアパートに響き渡ったインターホンの音を聞き、自分はヘッドフォンを首に掛けた状態でその映像を確認していく。

 

 そこには、やはりとも言うべきだろうラミアの姿が映し出されていた。

 あの日にも彼女と夜を共にして以来、店から近いという理由でラミアはこのアパートに通いつめるようになっていた。彼女は仕事終わりにこの部屋へ立ち寄ると、その度に私物を洗面所に置いていってはそのまま仕事に出ていったりと、非常にラフで気まぐれな行動が目立っていたものだった。

 

 なんか、日に日にアパートが侵略されているような気がする……。そんなことを思いながら毎朝と目につく洗面所の一角には、ラミアの私物を入れておくための物として自分は専用の籠を設置してあって、持ってきたものはそこに収納するよう彼女に言い聞かせてある。

 

 そんな成り行きで、山積みになった美容グッズがてんこ盛りという状況が繰り広げられていた。それらは実に多種多様な姿を見せており、値段高めの化粧水からマイドライヤー、美顔器から様々なボディソープなどのあらゆる女性向けグッズがうかがえる。

 

 客商売のためとはいえ、美を保たなければならない故の陰の努力に自分は感心さえしてしまえたものだった。尤も、そうして視界に入る彼女の私物を前にして、ラミアからは「勝手に触らないでくださいよー」という謎の注意を食らっていたものだったから、その度に「いやここ俺の部屋なんだけど……」というツッコミを行うまでがワンセットのやり取りみたいになっていたものだったが。

 

 そして、今日も彼女は部屋に訪れた。いつものパーカーという服装で、しかし見慣れない黒色のボストンバッグを背負うようにして佇んでいるその姿。

 

 どことなく、急いでいるように見えたものだった。腕時計で時間を気にする彼女の様子に自分は足早に玄関の扉を開いていくと、「いらっしゃい」と迎える言葉を喋るこちらを遮って、ラミアは急ぎ足で駆け込んでくる。

 

「あー!! カンキさんちょっとジャマです!!」

 

「え、ええぇ」

 

 脇を通るラミアと、彼女が背負うボストンバッグにドカッと押し退けられる自分。そして慌てた様子でラミアは部屋に上がってくると、ボストンバッグを洗面所へ投げ入れながらこちらへ言葉を掛けてきた。

 

「洗面所、使わせてもらいますからっ!! 自由に出入りしてもいいですけど、ウチのジャマだけはしないでくださいよ!! いいですね!?」

 

 バタンッ!! その言葉を最後にラミアは勢いよく洗面所の扉を閉めていって、奥で慌ただしく物音を立てながら浴室へ駆けこんでいく。

 

 だいぶ忙しそうにしていたなぁ。そんなことを思いながら洗面所の前まで歩いてくる自分。その間にもシャワーの水を出す音が微かに聞こえ始めてきたこの中で、自分は頭を掻きながらそう呟いたものだった。

 

「……いや、ここ、俺の部屋なんだけど……」

 

 

 

 

 

 洗面所の忙しない物音がだいぶ止んできた。

 テレビのチャンネルを回していく自分が、手に持つリモコンをベッドに置きながら様子をうかがいに洗面所まで歩いていく。その間にも収まった音に自分は不思議と思って扉をノックしていくと、奥からは「どーぞー」という適当な調子が返ってきたものだったから、自分は扉を開けて彼女の様子をこの目で確認したものだ。

 

 するとそこには、綺麗におめかしした見慣れない雰囲気のラミアが存在していた。ヴァイオレットカラーの髪にはカールをかけてあって、キラキラと光るヘアピンを無数と付けてばっちりメイクを決め込んだ彼女の眩しい姿。黒色のパーカーからは白色のフードが顔を出していて、黒色と白色のチェック柄のミニスカートに、黒色のルーズソックスというコーディネートがイマドキ風を演出している。

 

 彼女の横には、厚底ブーツが置かれていた。なんだか歩きにくそうだなという印象を抱きながらも自分はラミアへと視線を投げ掛けていくと、そこで鏡と睨めっこしながらまつ毛にカールを作っている彼女が向いてきて、目が合うなりふとイタズラな笑みを見せられながらそんなことを言われたものだった。

 

「あー、もしかしてウチに見惚れちゃってましたー?? ムフフフフ、この格好カンキさんにはちょっと刺激が強すぎてしまいましたかねー??」

 

 からかうような調子で、ラミアはこちらに近付いてくる。

 

「どーです?? 似合ってます??」

 

「とてもよく似合ってる……」

 

「病んでる雰囲気は出てますか??」

 

「正直に言うと、確かにそれっぽいファッションに見えるかも?」

 

「そーですか、それなら安心ですねー。別に、ウチが好きでこの格好をしたいワケではないんですけど、コチラのファッションはお客にたいへん人気がありまして、よくこの格好で“同伴”をさせられるんですよ。ホント、準備が大変なので困ったモンです」

 

 同伴。その言葉を聞いて、自分は納得しながらそう訊ね掛けていく。

 

「同伴かぁ。キャバ嬢とかにはノルマでそういうのがある、みたいな話は聞いたことあったけれど、あの店も同伴によるノルマとかあったりするもんなの?」

 

 訊ねている間にもせかせかと準備を進めていくラミア。ブランド物の小さなカバンを肩に掛けて鏡の前で最後のチェックを行っていきながら、彼女は鏡に映る自身を眺めながらそう答えてくる。

 

「ノルマと言いますか、ウチらの店は“ホステスの貸出”を売りとしているキャバレーですからねー」

 

「ホステスの貸出……?」

 

「そーです。要は、便利屋ですよ、便利屋。ウチらの店、レストランのスタッフとしても働かされますし、ホステスとしても働かされますし、それに加えて常連さんに貸し出される便利屋としても働かされる、傍から見ればチョーブラックな会社ですから」

 

「ホステスを便利屋として貸出……ってものにピンと来ないんだけど、具体的に言うとどんなことをするお仕事だったりするの……?」

 

 おそるおそると聞いてみる自分。すると、ラミアはこちらに振り向きながらそう答えたものだ。

 

「ホントに、何でもするんです。システム自体はカンキさんの知るキャバ嬢の同伴とほぼ同じようなものでありまして、お店の外でお客さんとお会いして、そこで美味しいモノを食べたり一緒にショッピングしたりなどの疑似的なデートを楽しみます。ただ、ウチらの店が売りにしている貸出というものは、その“同伴の範囲をより拡張したもの”になっています」

 

「同伴の範囲の、拡張?」

 

「ホステスに、何をやらせてもいいんですよ。とは言いましても、人道に反する行いや犯罪ぐるみの行為はNGです。しかし、それ以外でありましたら、ホントに何でもイイんです。ホステスをどこに連れていってもイイですし、ホステスに何を頼んでもキホン許されます。具体的に言いますと、ウチはお店の常連さんと二泊三日の旅行をしたことがありますし、家政婦の代わりとして常連さんのご自宅にしばらく滞在したことだってありますし、何ならエッチしたコトだって数えきれないくらいありますよ」

 

「……なんか、すさまじいシステムだね」

 

「あとは庭の草取りをお願いされて、一緒に草むしりをしたコトもあります」

 

「本当に同伴の範囲が広いな……」

 

 彼女の言葉通りの意味なのだろう。彼女らが務めるあの店は、ホステスを自由に借りることができる特殊な同伴のシステムがあるということらしい。

 

 今日のおめかしも、その同伴によるものなのだろう。そして今日中にも約束があるのなら、ラミアが慌てて帰ってきたことにも頷ける……。

 

 とか考えている内にも、こちらの懐にもぐりこむよう迫っていたラミア。これにぎょっとして自分は驚いていくと、次にも彼女はイタズラな表情を見せながらそう囁いてきた。

 

「ガッカリしちゃいましたか?? ウチが、いろんなオトコのヒトと濃密に接触しているコトに」

 

 反応をうかがうようにして、からかう声音でそれを口にするラミア。そして上目遣いをしてくると、ラミアは後ろに手をやったあざとい仕草を交えながら、甘い声でそのセリフを喋り出したものだった。

 

「耳より情報ですけれど、特別なお客としてカンキさんもお店の子と同伴オッケーですからね?? 何なら、ウチを指名します?? イイですよ?? ウチとしても、その分ノルマに近付けますからね。そーいうワケでどんな同伴でもウチはオッケーなものですから、暇を持て余していましたらぜひ、ラミアをご指名くださーい。ね??」

 

「……け、検討しておきます」

 

 あざとい。

 

 これがle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)……!! 思わず理性が飛び掛けたラミアの悩殺攻撃に自分は視線を逸らしていく中で、懐のラミアは「じゃ、ウチそろそろお時間なのでー」と適当な調子で言いながら玄関に向かい出す。

 

 厚底ブーツを置いて、それを履いていく彼女の背。せめて見送ろうと自分はそこに佇んでいると、玄関の扉に手を掛けたラミアはふと思い出したかのように喋りながら振り返ってくる。

 

「そーいえば、カンキさんって他の子とお会いしたコトあります??」

 

「お店のホステスの子? いや、ユノさんくらいかな?」

 

「と言いますか、カンキさんってあのお店に通ってませんよね??」

 

「まぁ、一人で行くのにも勇気がいる場所だからなぁ……」

 

「ふーん、そーですか」

 

 自分から聞いておいて、素っ気ない返答。

 

 かと思えば、ラミアは部屋を出る前にそんなことを口にしてくる。

 

「カンキさん、あのお店ではけっこう特別扱いされていますから、名前が旬の内に通っておいた方がお得だと思いますよ。もちろん、コチラは売り上げのために提案している商業的な催促ではあるんですけれど、あのお店ってキホンお客をひいきしないので、柏島オーナーの息子さんというせっかくのネームバリューが純粋に勿体無いです」

 

「そ、そういうもんなのかな……?」

 

「そーいうモンです。あのユノさんだって、カンキさんを気に掛けてくださっているんですよ。もー、ホントに意外でしたよ。あのヒト、オトコのヒトに見向きもしない生粋のビアンなんですけど、そのユノさんにさえ柏島オーナーの息子さんという名義がまかり通っているんです。それにお店の皆さん、柏島オーナーが亡くなられたコトにたいへんショックを受けておられます。なので、その息子さんにサービスを提供できるというコトがですね、柏島オーナーに対するウチらなりのせめてもの恩返しにもなるんですよ。なので、そのために一度でもイイので顔を出してあげてみてください。イイですね??」

 

 真剣な声音でそれらを口にしたラミア。彼女の催促に自分は「分かった」と返事をして頷いていき、それを確認するなりラミアは微笑を見せて、玄関の扉を開けていった。

 

「じゃー、そーいうワケなんで行ってきまーす。明日には戻ると思いますので、お店の感想なんかをお聞かせくださいねー」

 

 

 

 

 

 流れでラミアと約束し、これはもう店に行かないわけにはいかないという気持ちに突き動かされるようにして支度を済ませていく。

 

 そして、午後七時という時刻を目安にアパートを出発すると、徒歩十五分という道のりの最中にも自分はある思考をぐるぐると巡らせていたものだった。

 

 ……親父のやつ、俺の知らない所でラミア達の面倒を見ていたんだな。

 つい最近と知った素性に憤りを感じていた自分は、ユノやラミアの口ぶりを介することでその印象を覆しつつあったものだった。だが、それと同時にして巡ってくる感情は、だったら自分をかまってくれても良かったんじゃないのか、という非常に複雑なものであったことも確か。

 

 そんなことを考えている内にも、自分は目的地の前に到着していた。

 

 夜を迎えつつある龍明の街。その中にひっそりとネオンの輝きを放つ、le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の看板。

 思えば、キャバレーの姿であるこの店に訪れることは今回が初めてだった。今まではレストランとしての姿しか見たことがなかった自分にとっては、ネオンの看板から既に新鮮味を感じられてしまっている。

 

 だが、ここからが本番だった。自分は意を決したように踏み出すと、店の入り口である両開きの扉を目指してその階段をコツコツと下り始め、そして扉を開いてエントランスへと踏み入れていく。

 

 その領域に至るや否や、入り口の女性スタッフに「ようこそ」と迎え入れられた。彼女の服装はやはりタキシード。凛とした大人の美を思わせる格好とスタイルで、しかし日中のレストランとは全くもって異なる魅惑的な立ち振る舞いによって、来客を大人の世界へと招き入れていく。

 

 すぐにも、女性スタッフから「柏島オーナーの息子さんですね」という言葉が掛けられた。これに自分は「あはい……」と気の抜けた声で返答を行っていくと、そんな客に対してもスタッフは「お席まで案内いたします」と手で促されながら、彼女に席まで案内してもらったものだった。

 

 店のメインとなるホールに立ち入ると、その瞬間にも圧のようにして降りかかった煌びやかな世界の空気に自分は圧倒されてしまった。

 

 レストランの時とは異なる、ギラギラとした照明が頭上から降り注ぐその光景。それは金塊を思わせる金色が滲むようにして空間に漂っており、通路の赤い絨毯やくどくないアルコールの匂いが高級感を醸し出している。

 

 まるで異世界に迷い込んだかのような感覚だった。そんな自分は女性スタッフに促されるまま、二人用の席に案内されて腰を掛けていったものだ。

 

 そこが奇しくも、以前にもユノに連れてこられた際と同じ場所であったために、キャバレーとしては初めての空間であるにも関わらずどこか安心感も覚えたものだった。

 

 案内してくれた女性スタッフが、「ごゆっくり」と一言を残して入り口へと戻っていく。代わりとしてタキシード姿の男性スタッフが一礼と共に現れると、優雅な動作でおしぼりやコップなどをテーブルの上に用意してくれた。

 

 その間にも、自分はキャバレーの内装をくまなく眺めていく。

 今も流れているサックスの音色は、ホールの奥から聞こえていた。どうやらそれは七名ほどの吹奏楽による生演奏であるらしく、ホールの奥にあるステージから柔らかい音色を響かせていたものだ。

 

 その付近では、王子様を彷彿とさせる男装した女性キャストの姿があった。まるで直にも歌劇が始まるのかと思わせるメイクも施しているその様子から、客に向けたステージのショーなんかも行われているんだなとひとり納得していく。

 

 また、周囲の客層に自分は意識を向けていった。

 キャバレーと言えば、懐に余裕があるおじさまという偏見じみたイメージを抱いていたものであったが、そのイメージ通りであるスーツ姿の男性客が主としてうかがえる。しかし、それに混じるようにしてある程度と見受けられたのは、割と一般的な印象を受ける女性客の存在だった。

 

 OLから家政婦のような女性まで、幅広い範囲でうかがえた女性客の存在感。おひとり様から四名ほどの団体でキャバレーに訪れている光景に自分は最初こそ目を疑ったものだったが、彼女らに対応するホステスもまた凛としたタキシード姿という引き締まったカッコよさを誇るもの。

 

 このキャバレーは、キャバクラなどではあまり見られない凛々しさが特徴的だった。そのシャープな雰囲気が女性客を呼んでいるらしく、加えてこの店は昼間にオシャレなレストランとしても十分に機能している。このことから、男性もまた人を選ぶだろうが、周囲の大人向けサービスではあまり見られない凛々しさを売りとしている店なんだなと、そんな感想を抱いたものだった。

 

 それを思いながら、二名の女性客の間に入ってお酒を振る舞うユノの姿を眺めていく。大人というグレードの一つ上のような風格は無条件に安心感を与えてくれて、さらには絶世の美貌も持つそのホステスは女性客からたいへん人気な様子をうかがわせる。

 

 双方から腕に引っ付かれて寄り掛かられているユノも、満更じゃない顔を見せながら何かを話していたものだった。それを遠くから観察していると、いつの間にかいなくなっていた男性スタッフのボーイの代わりとして、一つの靴音がこちらに近付いてくる。

 

 そして次にも、明るい調子ながらもハキハキとした声音の”彼女”に言葉を投げ掛けられた。

 

「さすがだよね。ユノさんはお客様にとって憧れのような存在で、私達ホステスにとってもすごく頼りになる姉御って感じの人だから、ついつい目で追っちゃうのもよく分かるよ、うん。……でもね、今夜は私だけを見ていてくれると嬉しいな」

 

 テーブルに手を乗せて、こちらの視線を遮るかのように現したその姿。黒色のタキシード姿に紺色のシャツという服装の”彼女”は、見下ろしたその視線で微笑しながらこちらを見つめてくる。

 

 百六十五くらいの背丈であり、クラブピンクの少し青みがかったピンク色の髪がリボンのような細い形になって後ろで結われている。瞳はネイビー色で落ち着いた雰囲気を醸し出していて、しかしどこか勝気で自信のある表情が、彼女の明るくハキハキした調子を生み出しているのかもしれないと思わされた。

 

 彼女は向かいの席に腰を下ろしてくると、こちらから一切と目を離さない一途な瞳を向けつつ胸ポケットから名刺を取り出して、そうセリフを口にしながら手渡してくる。

 

柏島歓喜(かしわじまかんき)君だよね。初めまして。私は”メー”って名前でここのホステスやってるから、どうぞお見知りおきを」

 

 彼女から名刺を受け取って、自分はそこに綴られた名前を見遣っていく。

 

 メー。あまり聞き慣れない響きの名前に自分は「よろしく、メー」と答えていくと、次にもメーは若干と乗り出してきながらそんなことを話し出してきた。

 

「お噂はかねがねと聞いているよー。なんでも、ラミアに随分と気に入られているみたいじゃん。ラミアったら、カンキ君のことを都合の良い男としか見てないよ」

 

「それ、あまり本人に言わない方がいい情報なんじゃ……?」

 

「あは、いいっていいって。そんなんで人を嫌いになるタイプじゃないでしょ君は。ラミアからそう聞いてるし。それにしてもまぁ、他人に甘いねーカンキ君は。そういうところがさ、まるで柏島オーナーみたい」

 

 メーの言葉に、自分はドキッと心臓を掴まれたような感覚を覚えていく。

 それでいて、不意にズイッと顔を近付けてきたメーに自分は驚くと、そんなこちらの顔を見てメーは愉快げに微笑みつつ、しっかりと目を見ながらそう喋ってきたものだった。

 

「ね、私も君のお家に行っていい?」

 

「え? いいけど……」

 

「あは、いいんだ。本当に? 家さ、ここから近いみたいじゃん」

 

「家って言ってもアパートだよ」

 

「そこで住んでるんなら、家でしょ。なに、十五分くらいで着いちゃうみたいじゃん。いいなぁ、私もラミアみたいに君の家を拠点にしちゃおうかな。その方がラクそうだし」

 

「え?」

 

 人、増えるの?

 あまりにも急な展開に思考が追い付かない自分を見て、メーは勝気で自信のある表情でニッと微笑んだものだ。

 

 そして、テーブルに肘をついた手に顎を乗せて、自身のネイビー色の瞳を見せ付けるよう至近距離で見つめ出してくる。このキラキラとした視線に自分は無言の圧力を感じると、彼女の甘えに仕方なく頷きながらそう返答したのだった。

 

「とりあえず、来るだけならいつでもいいよ……」

 

「本当? やったね! それじゃあ近い内にでもお邪魔しようかな。豪華なおもてなしを期待してるから、その辺どうぞよろしく~」

 

「豪華な? いや俺そんな金ないよ!!」

 

「あっははは、冗談だって冗談。本気で焦ってて面白いなぁカンキ君は。弄り甲斐があるね」

 

 両腕をテーブルに乗せ、その上に頭を乗っけて必死なこちらの顔を覗き込んでくるメー。そうして身を乗り出すように急接近を果たしてくると、メーは人差し指でこちらの頬を「えい、えい」とツンツン突っついてくるなど、タキシード姿でなんともフレンドリーな姿勢を見せてきたものだった。

 

 冗談でからかうのが好きな人なのだろうか。そんな、ラミアとは異なった方向性でアプローチを掛けてくるメーというホステスを相手に、自分は冷や汗を流しながらも彼女と乾杯を交わしていく。

 

 それからは、メーとたわいない会話を弾ませる穏やかな時間を過ごしたものだった。尤も、表情から言動までのすべてにおいて人の顔色で楽しんでいく彼女のペースを前にして、自分は終始とそれに呑み込まれていただけの時間だったものだが……。



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第4話 Les trois beautés 《三人の美女》

 ガチャッ。午前零時ちょっと過ぎに、自室の玄関扉が勝手に開けられた。

 

 突然の出来事に、自分は着けていたヘッドフォンを首に掛けながら立ち上がる。そして警戒と共に高まった緊張感で恐る恐ると歩き出していくと、次の時にも玄関からはラミアの声が投げ掛けられてきたものだった。

 

「カンキさーん、ただいま帰りましたー」

 

 適当な調子が通常運転であるラミアの声。彼女のそれが廊下を通じてこちらの耳に行き届いてくると、その直後にも別の女性の声で「お邪魔しまーす」という言葉が響いてくる。

 

 これに自分は、何事だと思いながら玄関を覗き込んで確認していった。すると、そこにはいつものパーカー姿である私服のラミアと、その隣には同じく私服姿のメーが、コンビニのビニール袋を手に提げながら愉快げな表情で玄関に上がり込んでいたものだった。

 

 百六十五くらいの背丈で、クラブピンクの少し青みがかったピンク色の髪が、リボンのような細い形になって後ろで結われているその髪型。ネイビー色の瞳を光らせながらこちらを見つめる彼女の表情は、どこか勝気で自信に満ち溢れたものを感じさせてくる。

 

 彼女の服装は、袖を持て余しつつダボダボで膨らんだシルエットの黒縁紺色マウンテンパーカーに、白色をベースとしたネイビー色の牛柄ワイドパンツというもの。加えて、前開きのパーカーからは白色のへそ出しタンクトップがチラ見えしており、履いているアイボリー色のヒールはサンダルのような大きな穴飾りが特徴的だった。

 

 アイボリー色のカバンを肩に掛け、メーは「やっほー、来ちゃった~」と言いながら、からかうような表情でこちらを見遣ってくる。これに対して自分は「あぁどうも」と返事していきながら、今もラミアが手に持つ鍵を見ながらそれを口にしたものだ。

 

「それ、俺がいない時用として渡しておいた予備の鍵なんだけど……なんかもう、普通に使っちゃってるよね……」

 

 この言葉に、靴を脱いでいたラミアが振り返りつつそう答えてくる。

 

「そーですけど、ナニか問題でも??」

 

「いや、俺がいない時用として渡しておいたやつなんだけど……」

 

「別にイイじゃないですか。というかですね、このお時間なモノですから、カンキさんが既にお休みになられている可能性を考慮しまして、今回コチラを使用させていただいただけのコトです。カンキさんはですね、細かいコトをイチイチ気にしすぎです。もっと気楽にいきましょうよー、気楽にー」

 

「あー……まぁ、それもそうかも」

 

 なんかもう、思考停止しながらそんな返事をしたものだった。

 隣には、メーという来客も訪れている。自分はそのお客を待たせるわけにはいかないと思って「まぁ、上がって上がって」と二人を部屋に促していった。そうしてそそくさと部屋に上がったラミアは、すぐにも座椅子の上に黒色のカバンを投げ捨ててはベッドに腰を掛けて「今日も疲れたー」と背伸びを行っていく。

 

 その間にも、勝手に洗面所の扉を開けたメーが部屋の一角に目を通していくと、「うは、本当にラミアの私物が置いてある。ウケるんだけど」と言いながら電気を点けて洗面所を物色し始めたものだった。

 

 いや二人とも自由すぎか。というかここ俺の部屋なんだけど……。

 自分は内心でそんなツッコミをかましていくのだが、洗面所から出てきたメーが「あ、そうだそうだ!」と急ぎで部屋まで歩いてくると、時計を確認するなり安心した様子でそんなことを喋り出す。

 

「あー、良かったー! セーフ! このあと一時に放送するバラエティ番組の録画さ、今日忘れてきちゃったんだよ~。今から帰っても絶対に最初から観られないからさ、だったらカンキ君のお部屋で観ればいいじゃんって話になって此処に来たんだよねー」

 

 あたかも普通のように話すメーの調子に、自分は「そうなんだ……」と渋い返事をしてしまう。しかしメーはこちらを気にすることなく手に提げたビニール袋を突き出してくると、こちらの瞳を真っ直ぐと見つめながらそうセリフを口にし始めた。

 

「そーそー、これお土産ね。お酒とおつまみ。カンキ君も良かったら一緒にどう? 私とラミアの好みで選んできちゃったヤツなんだけど。あ、でもビールは私のだから、飲むならそれ以外でお願いね。あとさ、カンキ君の部屋になんかおつまみみたいなの無い? 揚げ物系とか。冷蔵庫、漁っていい? へいき?」

 

「漁るのは構わないけど……」

 

 なんか、既にだいぶ馴染んでいる気がする……。

 メーにビニール袋を手渡され、受け取った自分をそのままに彼女は廊下の冷蔵庫に直行し始める。この間にも再起動したラミアが歩き出すと、洗面所に向かいながらメーとそんな会話を交わしたものだった。

 

「カンキさーん、シャワーお借りしますねー」

 

「顔落とすの? 私も後でシャワー使わせて! 番組始まる前に済ませたいから!」

 

「ハーイ、りょーかいでーす」

 

 女子寮か何かかな?

 ここ、俺の部屋なんだけど……。という内心を他所にして、ビニール袋をミニテーブルに置きながら座り込む自分。そこにメーが歩いてくると、着用しているマウンテンパーカーをおもむろに脱ぎ出しながらハキハキとした調子でそう喋りかけてきたものだった。

 

「ふぅ……。それにしても、急に来ちゃってごめんねカンキ君。こんな夜遅くに、迷惑だったでしょ」

 

 脱いだマウンテンパーカーを、部屋の隅に置いてこちらの隣に腰を下ろしてきたメー。上着を脱いだことによってその上半身はへそ出しタンクトップのみとなり、非常に露出の多い格好となって隣に座ってくる。

 

 かつ、心なしか胸を覗き込める角度でこちらににじり寄ってくると、戸惑う自分の肩に右肘を乗せて寄り掛かりながらも、メーはそれに頭を乗せつつそうセリフを口にし始めた。

 

「お世辞は抜きにして、本当に助かってるんだよ? こんな時間にお店から家まで帰ることが、どれだけ怖いものなのか。カンキ君も分かるよね?」

 

「龍明だから、何が起こってもおかしくないもんね。そう考えると、お店の近くに避難場所があるってだいぶ心強いのかなって俺も思うよ」

 

「理解してくれて、どうもありがと。これ、私からのささやかなお礼」

 

 と、次にも自分の頬に、唇が触れる感覚を覚えていった。

 一瞬ながらの柔らかな感触に、自分は思わず「うおっ!?」と声を上げながら仰け反ってしまった。この反応にメーは左手の人差し指を口の前で立てていくと、からかうような表情と共に「私達だけのヒミツだよ?」と甘く囁いてきたものだった。

 

 これがle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)……!! 血流が良くなって、鼻血が出そうになる生理現象を根性で堪えていく。そうしてこちらの反応を堪能したメーがニヤニヤしながら立ち上がっていくと、そのままテーブルを挟んで向かい合う形に座りつつ、ビニール袋からビールの缶を取り出して、その口を開けていった。

 

 この様子を見て、自分は頬に手をあてがいながらそんなことを訊ね掛けていく。

 

「……メー、もしかしてかなり酔ってる? お客とお酒を飲むお仕事だから、既に向こうでもだいぶ飲んであるんじゃないのかな……?」

 

 酔っているのだとしたら、先ほどの行為にも納得がいく。そう考えた自分の問い掛けに対して、メーは持ち上げたビールの缶を軽く振りながらそう答えてくる。

 

「残念でした。今の私は完全にシラフでーす。でも、気にしてくれてありがとカンキ君。まずね、向こうじゃ滅多にお酒を飲まないから、その心配には及ばないよ」

 

「ん? じゃあ、俺が来店した時にも飲んでいたあのカクテルって……」

 

「あぁーごめんね! あれ、ジュースを炭酸で割ったやつなんだ」

 

「なるほど……」

 

 それじゃあシラフで頬に……という、余計にドキドキする結果となってしまった。

 そうして一足先にビールを飲み始めたメーは、「ぷはぁ」と喉ごし爽やかな声でそれを堪能し、サラミや豆などのおつまみを袋から取り出してはテーブルに広げていたものだ。

 

 それと共にして、メーに「テレビつけてもいい?」とリモコンをねだられた。これに自分はリモコンを手渡していくと、既に顔を赤らめていたメーはこちらの目を見据えながら短く「サンキュ」とお礼を告げ、彼女はまるで自宅のように部屋でくつろぎ始めたのであった。

 

 

 

 

 

 ラミアとメーが部屋に訪れてから、少し時間が経過した時のことだった。

 シャワーを済ませたラミアとメーが、双方ルームウェアの姿で晩餐会を開いていくその光景。それぞれ、暗い赤と暗い青のボーダーというラミアのそれと、紺色の薄いTシャツに黒色のワイドパンツのようなルームウェアを身に付けるメーが、酒の力で今日の業務についての愚痴をぶつけ合っていくやり取りが目の前で展開されていく。

 

 やっぱり、裏ではそういう話をしてるよね……。なんていう、覗いてはならない禁忌の領域に踏み入ったような肩身の狭い思いをしていくその最中。ふと、ピンポーンとインターホンが鳴らされたことで、途端として自分に緊張が走り出したものだった。

 

 さすがに、こんな時間じゃ近隣の迷惑になるか……! 住民の苦情を覚悟して、自分は恐る恐るとインターホンの映像を覗き込んでいく。だが、予想を裏切るようにしてそこに映し出されたのは、こんな時間にも関わらず訪れていた、凛々しいサマで佇む私服のユノというその姿。

 

 黒色のライダースジャケットに赤色のシャツ、そして黒色のバイクパンツに膝丈までの黒いブーツ。肩に掛けた黒色のカバンを含めて、画面越しからでも分かるクールビューティな人だなぁ、と。そんなことを思いながら自分は玄関に向かって、その扉を開けていく。

 

 すると、次にも佇んでいたユノが柔らかく微笑みつつもそう言葉を掛けてきた。

 

「こんばんは、柏島くん。夜分にごめんなさいね」

 

「いえ、お気になさらないでください。それより、こんな夜遅くにどうかされましたか?」

 

「いえ、特にどうもしないのだけれども、灯りが点いている様子だったものだから、ついでとして立ち寄ってみただけのことよ。そうね……強いて言うなら、先日の礼を兼ねての様子見といったところかしら」

 

「先日の礼、ですか?」

 

 不思議に思って訊ねていく自分。これにユノは、軽く腕を組んだ凛々しい表情で淡々と喋り出す。

 

「先日、キャバレーとしてのle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に来店してくれたでしょう? そのことでどうしてもお礼が言いたかったの。まずは、来てくれてどうもありがとう。貴方の担当は私ではなかったものだけれども、貴方にサービスを提供できるということは即ち、柏島オーナーへの恩返しに繋がると私達は考えているものだから、我々が今も抱くやり場の無い悔しい気持ちの中、息子さんである貴方が来店してくれたことに感謝して、店を代表して一言だけでもお礼を伝えておきたいと思っていたの」

 

「いやそんな、むしろ俺がお礼を言わなければならない立場と言いますか。俺のことを気に掛けてくださって、本当にありがとうございます。おかげさまで、少しだけでも立ち直ることができました。それに俺としましても、お店にはたいへん楽しませてもらいましたものですし、またそちらにお伺いするつもりでもあります。俺はもう、立派なリピーターなもんですよ。はい」

 

「あら、そう言ってくれると嬉しいわね。ありがとう柏島くん。……あら」

 

 何気無く会話を交わしていくその最中、ユノは足元の靴に気が付いていく。

 

 玄関に並べられていた、ラミアとメーの靴。女性ものである二人分のそれらに自分は「あ、これは」と若干焦っていくと、直後にも部屋から覗き込んできたラミアとメーが、アルコールで顔を赤くしながらユノへと言葉を投げ掛けてきたものだ。

 

「あー、ユノさんじゃないですかー。どーもー、お疲れ様でーす」

 

「ユノさんお疲れ様でーす! 良かったらユノさんもご一緒にどうですか~? お酒もおつまみもありますから、今夜は景気よくやっていきましょうよ~!」

 

 いや、ここ俺の部屋なんだけど……。というか、ホステスが男の部屋に上がりこんでいるって店の人に知られたら相当マズくない……?

 

 と、後ろからの声に自分が変な汗を流しながら見遣ってしまう。だが、それに対してユノはあろうことかそんな返答をしてきたものだった。

 

「随分と楽しそうね。それならお言葉に甘えて、少しだけお邪魔しようかしら」

 

「え? ウソでしょ?」

 

 思わず口にした言葉。これにユノは「本当よ」と返してくると、玄関に上がり込んでブーツを脱ぎ始める始末。

 

 ……彼女が近くで動く度、香水などではない女性の香りが鼻に届いてくる。これに自分は顔を赤らめつつ視線を逸らしてしまうのだが、その間にもユノは「お邪魔します」と一言告げて通りすがると、そのまま部屋に直行してラミアとメーの二人に迎え入れられていった。

 

 あーもうめちゃくちゃだよ。三人のホステスが、人の部屋で晩餐会を開いている。目の前の様子に自分は頭を抱えてしまいながらも、それでも悪い気はしてない自分自身にただただ頭を掻きながら、自分もその晩餐会に合流したものだった。

 

 

 

 黒色のジャケットを脱いだユノが、赤色のシャツの袖を捲り上げた状態でベッドに腰を掛けていた。彼女は若干と前のめりになり、膝に肘を置きながら右手にチューハイの缶を持ち、柔らかくも凛とした表情でラミアの愚痴に付き合っていたものだ。

 

 隣では、床に座ってベッドに寄り掛かるメーがゼロ距離でテレビに張り付いている。観たいと言っていたバラエティ番組が放送されているものだから、メーはそれに集中しているようだった。

 

 その脇で、ラミアの愚痴は一向に止まる気配を見せなかった。態度の悪いお客に対する怒りや苦情を延々と愚痴り続けるその勢いに、自分は次第と疲れてきて意識が遠のき始めてくる。

 

 だが、そのラミアの愚痴に対しても、ユノは親身であり続けた。その姿勢もまた、聞く時は口を閉ざして静かに耳を傾けて、喋る時は淡々とした受け答えや相槌で頷いていくというもの。そんなユノの対応を間近で見ていた自分は、確かに頼れる姉御だなぁと、前にもメーが言っていた言葉を思い出してその顔をついつい眺めてしまう。

 

 と、ユノの顔をじっと見ていると、その彼女がふとこちらに視線を投げ掛けながらそう言葉を口にした。

 

「どうかしたかしら? 柏島くん」

 

「あぁ、いや……」

 

 本当に綺麗な人だな……。そんな言葉が脳裏をよぎる最中にも、酔ったラミアがチューハイの缶を片手にこちらへ絡んでくる。

 

「ウィー、何でもないワケがないですよねー?? カンキさんもどーせ、ユノさんに見惚れていたんですよーだ。オトコのヒトもオンナのヒトも、みーんなそーです。結局はですね、器とおっぱいが大きなおねーさんがみーんな大好きなんですよ!! カンキさんもそーなんですよどーせ!! それと比べましてウチは、器もおっぱいも大きくなんかナイですよ!! だからお客にもなめられるんです!! なーにが『貧乳の方が好きだよ』ですか!! ウチだって好きで貧乳してるワケじゃないんですからね!! 貧乳が好きって言葉はですね、貧乳で悩んでいるヒトに掛けるような言葉じゃないんですよ!! ホント、放っておいてくださいってカンジです!! なんでもかんでも巨乳巨乳!! どーせバスト七十一のウチには人権なんてナイんですよーだ!! ムキー!!」

 

 こわ……。

 圧倒されてしまう自分。だが、ラミアも色々と抱えていて苦労しているんだなという気持ちに同情してしまう。これに対してユノは苦笑を見せていくと、ラミアをなだめるようにそう言葉を口にしたものだった。

 

「貴女には、貴女の魅力があるという証拠よ。伸び悩む業績に貴女は苦悩しているようにうかがえるけれども、それでもお店全体で見たら、貴女は常に売り上げ上位をキープしている、お店側が安心して業務を任せられるとても優秀な人材であることに代わりはないわ」

 

「そーいうユノさんは、ずっと売り上げ一位を記録しているじゃないですかー!! そりゃあですね、女性客のみにターゲットを絞ったスタンスはれっきとした戦略ではありますよ!! ですけど、そんなヒトからお褒めいただいても、ショージキ嫌味のようにしか聞こえてこないってモンですよ!! どーせウチが捻くれているだけナンでしょうけれど、なんかユノさんにフォローされるとチョー悔しいです!!」

 

「それだけ貴女は、今の仕事に対して真剣に取り組んでいるという証拠よ。だとしたら、私は尚更、貴女に負けてなんかいられない」

 

 目の色が変わった。ユノの黒い瞳に力強さが出てくると、これには卑屈になるラミアも静かに息を呑んでいく。

 

 次にもユノは、ラミアをしっかりと見据えながらそれを話し始めたものだった。

 

「私の言葉をどう受け取ろうが、それは貴女の自由よ。ただ、どんなものであろうとも私は常に、自分に正直であることを大事にしながら生きているの。そんな私から言わせてもらうとね。ラミア、私にとって貴女は、警戒すべきライバルの一人であるとそう認識しているわ。それだけ貴女の業績に、私は注意を払っている。優劣が明確になる勝負事においては特に、私は絶対に誰にも負けたくないの。それはお店の売り上げに関しても言えることであって、私はそんな貴女のことを、要注意人物として意識してしまっている節がある」

 

 真剣な声音は、テレビを観ていたメーを振り向かせる。このユノの言葉にラミアは黙りこくっていくと、次にもユノは微笑を見せながらそう〆たのだ。

 

「この言葉をどう受け取るのかも、貴女の自由よ。ただ、私は本心を口にした。それだけのことなんですもの」

 

「……むぅ、ユノさんって時々イジワルですよね……」

 

 遠回しに褒めてくれていた。少なくとも自分はそう受け取っていて、これに対してラミアも怒ろうにも怒れないような感情でムスッと頬を膨らませていく。

 

 それにしても、ユノは負けず嫌いなんだなぁ。それを思いながら彼女を眺めていると、またしてもユノと目が合っては、余裕のある微笑みでこちらへとそう言葉を投げ掛けてきたものだった。

 

「そうね。柏島くんなら同伴してもいいのかも。ねぇ貴方、同伴のシステムは既に把握しているかしら」

 

「この前、ラミアから聞きましたが……」

 

「話が早くて助かるわ。なら、スマートフォンを出しなさい」

 

「え?」

 

 チューハイの缶をテーブルに置いて、右手で催促を行うユノ。これに自分は端末を手渡していくと、ユノは尻ポケットにしまってあったスマートフォンを取り出しては、両手の端末で手早く操作してこちらにスマートフォンを返してくる。

 

「同伴用の私のアカウントを登録しておいたわ。だから、いつでも私を同伴に誘ってちょうだい」

 

 このセリフに、思わず反応を示したのはラミアとメーだった。

 

「えええぇーーー!! あのユノさんが、オトコのヒトに同伴を許したんですか!? 一体ナニがあったんですか!?」

 

「ちょっとユノさん本気!? だって、女の子としか同伴しないって決めてるじゃん!? それ、他の子とか大丈夫なの? 裏切られたとか思われない?」

 

 そう言えば、ユノは生粋のビアンだとラミアが言っていた。

 二人の反応を見てそう思っていく最中にも、ユノはこちらに喋るようそれを口にし始める。

 

「同伴と言っても、柏島オーナーの息子さんを面倒見る程度のものよ。だから、一線を越えるとかの過度なサービスはしてあげられないのだけれども、私としても活動の範囲を今以上に広げていきたいと考えていたところだったから、柏島くんとの同伴はその先駆けとしてちょうど良さそうと思えたの。それに、うかうかしていたら、ラミアやメーに売り上げを越されてしまうかもしれない。だから、私も現状に慢心せず少しずつ変わっていくの。今よりも一歩前進できるよう、試行錯誤を繰り返しつつね」

 

 と言って、ユノは二つほどボタンを外したそのシャツでこちらに前のめりとなっていく。

 

 とてもよく見えてしまう。魅惑的な色白の谷を意識的に腕で寄せてくる大胆なアプローチ。それと共にユノはこちらの顔を覗き込むようにしてくると、色気を放つ大人の表情でそうセリフを放ってきた。

 

「だから、いつでも待っているわよ。柏島くんからのお誘い……」

 

 これがle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)……!!

 本日二回目の鼻血案件。これに自分は「ぐはっ」と仰向けに倒れ込むと、共にしてラミアからは「そんなのズルいです!!」という言葉と、メーからは「成長し続けるタイプの人だ……」という畏怖が聞こえてきた。

 

 尤も、ユノのスタンスは変わらずとして、女性を優先とした付き合いを尊重している。つまり自分は、男性とはまぐわうことのない範囲での男の人との同伴を開始しようとしている彼女の、その新たな試みの実験台的なものなのだろう。

 

 各ホステスには、本人の意思に沿った同伴の範囲が決められているのだろう。そして利用者は、彼女らの意思を尊重しつつ便利屋として一時的に雇っていく。それが、le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)という店のシステムなのだ。

 

 何であれ、ラミアに続いて同伴できる相手が増えた。まだ同伴をしたことが無い身として、そろそろこれを試してみてもいいのだろうかと思う一方で、こうして部屋に上がり込んでいる時点で実質同伴のようなものなのでは? という疑問も思い浮かぶ、そんな一夜を過ごしたものだった。



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第5話 L'appât du diable 《悪魔の誘い》

 夜のネオンを灯らせた、le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の看板。自分は単身でそれの階段を下っていくと、その先にある両開きの扉を開いて煌めきの世界へと一歩踏み入れていく。

 

 すぐにもエントランスのホステスさんに迎えられると、「柏島オーナーの息子さんですね」と気さくに言葉を掛けられながら席へ案内されていく。そうして煌びやかなメインホールに眩しさを感じながらおひとり様のテーブルへ連れてこられると、これで何度目かといういつもの席に案内されてはイスに腰を掛けてホステスを待っていたものだった。

 

 席に着いてすぐ、タキシード姿のボーイが手早くとおしぼりやコップを用意してくれる。これに自分は短くお礼を告げていき、それに対してボーイは一礼をしつつ引き下がっていくと、まるでタイミングを見計らったかのように、その後ろからはタキシード姿のラミアが入れ替わるように歩いてきたものだ。

 

「いらっしゃいませー。今夜お客様のお相手をさせていただきます、ラミアと申しまーす。今日は一緒に楽しい夜を過ごしましょうねー。どーぞよろしくおねがいしまーす」

 

 明るく適当なその調子でありながらも、こちらの反応に内心でニヤニヤしていそうな表情で言葉を掛けてくるラミア。それと共にして彼女は向かいの席に腰を掛けてくると、次にも腕をテーブルに置いて両手を握り合うようなリラックスした様子でラミアは喋り始めた。

 

「なーんて。代わり映えしないカオが来て、今ザンネンに思いましたでしょ??」

 

「そんな、残念とか思ってないよ! むしろ、心のどこかで安心した自分がいるくらいだし」

 

「ふーん。そーいうモンですかねー?? まー、そんなコトは別にイイんです」

 

 あっさりとした返答も、いつもの彼女らしい。そんなことを思いながら自分は彼女の顔を眺めていると、ふとラミアは作ったようなジト目を向けながらそれを訊ね掛けてきた。

 

「あの、カンキさんもしかして、ウチのコト好きだったりします??」

 

「え?」

 

 唐突なそれによって、自分は困惑気味に言葉を詰まらせた。これにラミアはしてやったりとニヤニヤし始めると、次にも好機と言わんばかりに攻め入るようにしてセリフを口にし始めたものだ。

 

「あー、もしかして図星ですかー?? もー、仕方がないヒトですねー。そうでありましたらウチ、今日は精いっぱいおもてなしをさせていただきますから?? その辺よーく覚悟しておいてくださいね?? ウチのコトが大好きな、柏島歓喜(かしわじまかんき)さん」

 

 意図的にフルネームで呼びながら、艶めかしい瞳で見つめながらそれを言うラミア。これに自分は顔を赤らめながら視線を逸らしていくと、ラミアはいつもの適当な調子に戻りながら要望を訊ね掛けてくる。

 

「で、今日はどんなお話がご所望ですかー?? 日頃の愚痴でもお聞きますし、カンキさんの自慢話でも何でも聞いてあげます。ナンでしたら、ウチの私生活について聞いてくれてもいいんですよ?? そーですねー……よく聞かれる質問でございますと、朝は何時に起きてるのー?? というものから、お風呂で最初に洗う場所はどこー?? 何ていうセクハラ的な質問もあったりしますし、後は、一人でいる時はナニをして過ごしているのか~などなど、ウチのプライベートに関する質問をよく投げ掛けられたりしますねー」

 

「あー……じゃあせっかくだから、ラミアのことを色々と知ってみたいもんだけど……。なんか、あれだな……。こうして異性の顔馴染みに人当たり良く接してもらえるとさ、なんか気恥ずかしいというか……」

 

 と、ついついそんなことを口走ってしまった自分。それをラミアが聞き逃すハズもなく、これを耳にした途端にも彼女はからかうような視線を向けながらそう喋り出してくる。

 

「まさか、照れてるんですか?? もー、柏島オーナーの息子さんと言いましても、カンキさんも所詮はフツーのオトコのコですねー。そもそもココはそーいうお店なんですから、恥ずかしがるどころか、目の前にいるラミアちゃんにトコトン甘えてくれちゃえばそれでオッケーなんですよ。分かります??」

 

「……なんか、今日のラミアはやけに肉食系だな……」

 

「ナニ言ってるんですか?? 肉食もなにも、これがウチらの商売ですからね。カンキさんがウチに好意を抱いてくだされば、それだけウチのお給料に直接繋がってくるんです。まー、そーいうコトなので、もーちょっと肩の力を抜いていきましょうよーカンキさん。ココにいらっしゃる時くらいは余計なコトなんか考えないで、お酒を飲みながらウチに惚れてくださればそれでいいんです。なので、カンキさんはお客として正々堂々と、ホステスであるラミアにたくさん恋しちゃってください。イイですね??」

 

「あ、はい……」

 

 ラミアの魂胆はともかくとして、恋しちゃってもいいよなんていうアプローチをけしかけられて意識しない男なんか、この世に絶対いないだろう……。

 

 男の弱点を熟知している。そんな、照れる部分を集中的に狙い撃ちしてくるラミアの戦略に自分は、流されるまま頷いては顔を赤らめることしかできずにいた。

 

 そうして陥落した様子をラミアは確認してくると、テーブル上のメニューをこちらにさり気無く手渡してきて、あどけなさを全面的に押し出した渾身のおねだりを行ってくる。これによって自分は抗う間もなく高めのドリンクを頼まされて、敢え無くラミアに貢ぐこととなったのだ。

 

 

 

 ホールの奥では、吹奏楽による穏やかなジャズの生演奏が行われている。

 とても心地の良い音色が響くこの空間に、男性客の豪快な笑い声の数々が混じってくる。かつ、それらに身を潜めるよう微かに聞こえてくる女性客の声がうかがえてくるこの店内において、自分はラミアと向かい合いながらたわいない会話を交わしていたものだった。

 

「なんですかソレー。そのご友人方、チョー面白いじゃないですかー。お三方のノリもなんですか、男子高校生ですか??」

 

「あぁ、よく言われる。でもそう言われると、なぜか嬉しくなっちゃうな」

 

「えー、そーいうモンですかねー?? ウチはそれ、子供だとなめられてそうであまりイイ気分にはなれません。ナンと言いますか、オトコのヒトってそーいう細かいところをイチイチ気にしたりしませんよね。ウチとしましては羨ましいかぎりですよ、ホント。あーあ、オトコのヒトってイイですねー。ウチもそーいう軽いノリで遊んだりしてみたかったモンです。それと比べて、オンナってホントに面倒な生き物ですから」

 

「ラミアの願いを叶えることはできないけれど、それっぽい体験ならさせてあげられるかもしれない。今度そいつらと遊ぶって話が出た時はさ、良かったらラミアも誘おうか? あいつら、女の子が居ても自然体でいるもんだからさ、きっと男特有の軽いノリをラミアも楽しむことができるかもしれないし」

 

「あー。まー、少し考えさせてください。遊ぶにしましても、お店のシフトですとかオンナのコの体調ですとか、とにかくいろーんな事情がありますから今すぐには約束できないです。申し訳ありませんねー」

 

「大丈夫だよ。強いるつもりは無いから安心して。都合が良い時でいいから」

 

 本当にたわいない会話だった。

 背を伸ばしてラミアと向かい合う自分と、対して頬杖をつきながら組んだ脚をぶらぶらさせているラミアという二人の図。互いに飲み物が入ったコップを手に持って世間話に没頭していると、その会話の流れでラミアはそんなことを切り出してきたのだ。

 

「あの、カンキさん、いつになったらウチを同伴に誘ってくれるんですか??」

 

「同伴?」

 

「そーです、同伴。便利屋として、ウチらホステスをお借りできるシステムのコトですよ。この前お話ししたじゃないですか」

 

 適当な調子はそのままでありながら、両手で頬杖をついて上目遣いを向けてくるラミア。彼女のさり気無いアピールに、自分は胸の高揚感を覚えながらもそれを訊ね掛けていく。

 

「そんなに、俺の同伴が必要な状況にある感じなの……? ほら、ノルマとか……」

 

「いえ、ノルマでありましたら今月分は既に達成しております。ですが、便利屋としてナンでもやらされる関係上、あまりタイプではないようなお方の言う事も素直に聞いてあげなければいけないのが、気持ち的に相当しんどいモンなんですよ。でしたら、気心が知れたお方に利用してもらえる方がよっぽどマシに思えます。それこそカンキさんのようなお方がお相手である方が、ウチ的には嬉しいなーと思えるんですけどねー??」

 

「気心が知れた……? 俺のような人だと嬉しい……?」

 

 意識させてくる言葉の数々。洗練された感情の誘導に自分は動揺を見せていくと、そこに畳みかけるようにしてラミアは次にも、甘えるような表情で乗り出すようにしながら顔を近付けてきた。

 

「カンキさん。ウチじゃあダメですか……??」

 

「い、いや! ラミアがダメとか、そういうんじゃなくて!!」

 

「じゃー、ウチと同伴しましょうよー。ウチのコトを借り受けてくださいよー。ウチは、カンキさんがお相手の方がイイなーって思っております。なので、ね?? どうですかカンキさん。コレは、ラミアからのお願いです。一回だけでもイイので、ウチと同伴してみませんか??」

 

 自分の中では、ラミアと親しくするにはまだ早いと考えていた。

 それを思いながら、目の前の彼女を見遣っていく。だが、そうして直面したのは上目遣いのラミアという理性を破壊してくる魅惑的な光景であり、今も瞳をキラキラ輝かせてくる甘えっぷりを目前にして、自分は欲望に押し負ける形でゆっくりと頷いていったものだった。

 

「……それじゃあ、ラミアをお借りしてみようかな……?」

 

「ハイ言ったー!! 今、仰りましたね!? 二言はありませんよ!!」

 

「い、言った! 確かに言ったから!! ラミアを借り受ける! 俺はラミアを便利屋として借りてみる!!」

 

「さすがですねーカンキさん!! その意気ですよ!! というワケで毎度ありがとうございまーす!! フフン、カンキさんもチョロいモンですねー。オトコのヒトというのは、どうしてこうも押しに弱いんでしょー?? ……ではでは、すぐにも借受の手続きをいたしますから、少しだけコチラでお待ちくださいねー。ルンルーン」

 

 すっかり、彼女の思惑通りになってしまった。

 同伴が決まるや否や、ラミアは席を立つなり「今月のお給料さらにアップップ~」とご機嫌に呟きながら、足早にスタッフ室へと駆け込んでいく。その背を見送った自分は暫しとこの席で待ち続けていると、直にもホールに戻ってきたラミアが、クリップボードに挟んだ一枚の書類と一台のiPadを手に持って歩いてきたものだ。

 

 手に持つそれらをテーブルに置き、手で差し出しつつイスに座りながらラミアは喋り出す。

 

「では、まずはコチラに目をお通しくださーい」

 

「これは……誓約書……?」

 

 ビッシリと文字が刻まれた、ただならぬ雰囲気を醸し出す誓約書。署名を記入する欄が一番下にうかがえる中、ラミアは気後れするこちらへとそのセリフを添えてくる。

 

「あー、そんな警戒しなくても大丈夫ですよ。なんか色々と物騒なコトが書いてありますけれど、要はお借りしたホステスに契約外のコトをやらせたらダメですよーってカンジの内容です。契約を破るおつもりでなければコチラに怯える必要なんかありませんから、カンキさんはコチラに署名さえしてくださればそれでオッケーです」

 

「なんか、東京湾に沈めることを示唆する文章が書かれているんだけど……!?」

 

「ダイジョーブですよ。契約を破りさえしなければ、沈められずに済むんですから」

 

「そういう問題!?」

 

 字面からして、見るからに怪しいその文書。契約を守れなかった場合は命の保障ができないというニュアンスで書かれたその文章に自分は硬直したものだったが、一方で目の前のラミアは「ハイどーぞ」と言って平然とペンを差し出してくる。

 

 ……なんかもう、どうにでもなれ!

 彼女からペンを受け取り、それに署名した自分。そして書き終えるなりラミアが目視でチェックを行っていくと、不備が無いことを確認するなり彼女は「ご記入、ありがとうございまーす」と適当な調子で言いつつそれを回収し、iPadをテーブルの中央に移動させながらそんなことを説明し始めた。

 

「それでは早速、契約の方へ移りたいと思います。契約と言いましても、そんな堅苦しいモンじゃないのでご安心ください。簡単に説明しちゃいますね。まずですね、ホステスをお借りするその前に、カンキさんのような利用者さんにはまず、指定したホステスを借受する理由を、店側に提示してもらう必要があります。その、借受する理由を店側に提示するための手続きをこれから、借受なされるホステスご本人様と一緒に進めなければなりません」

 

「えっと、つまり……俺は今から、『こういった理由でラミアをお借りします』ということを、店側にお伝えしないといけないってことなのかな? で、その手続きを、借受するホステス本人、つまり今回はラミアと一緒に進めないといけないって感じでいいのかな?」

 

「認識としましては、そんなカンジです。そーいうワケなので、まずはカンキさんがウチをお借りする理由から決めないといけませんねー」

 

「ラミアを借りる理由……」

 

 ……急に言われても、すぐには思いつかないな……。

 そんなことを思いながら、必死になって思考を巡らせ始めた自分。そうして考えに耽り出したこちらをラミアはじっと見遣ってくると、次にも顔を覗き込むように乗り出して、ちょっとだけ首を傾げながらも甘えるような声音でそれを口にしてきたものだ。

 

「じゃー、デートとかどーですか??」

 

「デート……。でも俺らってそういう関係では……」

 

「今更ナニ言ってるんですか。ホステスのコと本格的なデートもできちゃうのが、当店の貸出システムのメリットなんですよ。ホステスのオンナのコを好きなように借りられるんですから、その辺もっと上手く使いましょうよ」

 

 ダメ出しされた。これに自分は「固定概念に囚われてるなー俺……」と呟きながら、目の前のラミアを見遣っていく。

 

 ……と、ふと目にした彼女の顔に、自分は勝手に不意を突かれたような気持ちになった。

 

 よく見ると、ラミアってこんなに可愛い顔をしていたんだな。

 

 あどけない風貌で今も見つめ続けてくる彼女の顔。それに自分は思わず見惚れていきながらも、共にして打ち鳴らし始めた静かな鼓動を抱きつつラミアの顔を暫しと眺めていく。

 

 共にして、ふとよぎってきた一つの言葉。この言葉をハッキリと自覚していくと、次にも自分は無意識にもそれを口に出してしまっていた。

 

「ラミアの目……綺麗だな……」

 

「なんですか?? 急に口説いてきましたね」

 

 甘い声音はそのままに、わざとらしく首を傾げてこちらを見遣ってくるラミア。

 

「スイッチ入っちゃいました?? もうガマンできなくなっちゃいましたか??」

 

「いや、本当に、お世辞抜きで、綺麗だ。なんか、情景が思い浮かんできた。街のイルミネーションを反射する、光り輝く紫色の夜の海の光景が……」

 

「なんか急にロマンチックなコトを言い出しましたね。でしたら、海にでも行きますか??」

 

 囁くような声音。段々と顔を近付けながらも穏やかに話しかけてくるラミアのアプローチに、自分は彼女の目を見据えながら返答を行っていく。

 

「海を眺めに行くのもいいかもしれないけれど、デートなら水族館とかの方がいいかもしれないって俺は思ったかな」

 

「水族館ですか。イイですねー。でしたらウチ、イルカを見に行きたいです。まー、そーいうワケですから、それじゃー水族館にでも行きましょーか??」

 

「そうしよう」

 

「決まりですねー」

 

 こちらに近付けていた顔を引っ込めて、iPadを操作し始めたラミアの様子。そして暫しと画面をタップしていくと、最後に画面越しの署名を要求されたことで自分はタッチペンでそれを記入し終えていく。

 

 その署名を目視で確認し、ラミアはひとり頷いていく。そして誓約書も手に持ってiPadを抱えるようにしながら立ち上がっていくと、次にも彼女は微笑みを見せながらそのセリフを口にしてきたものだった。

 

「ハイ、これで契約は完了です。これにてひとまず終了。お疲れ様でしたー。じゃーウチ、コチラを担当の人間に提出してきますから、それまでは他のコと楽しんでいてください。では、また後ほどー」

 

 最後は、いつもの適当な調子だった。手を振るこちらに対してラミアも手を振り返してくると、彼女はニヤニヤとした微笑みと共に歩き出していき、そしてスタッフ室へとその姿を消していった。

 

 

 

 

 

 音もなく脈打っていた心臓の鼓動が、少しずつ収まってきたその時のことだった。

 吹奏楽の演奏がほのかに聞こえてくる、物思いに浸り切った自分だけのこの空間。今も鮮明と瞳に焼き付いたラミアの顔に自分は呆然としていると、ふと視界に入るなり向かいの席に座ってきたメーの存在にハッと我に返っていく。

 

「あぁ、ビックリした。メーか」

 

「やほ、カンキ君。ボーッしちゃって、そんなにラミアちゃんの事が忘れられないのかな?」

 

 ドキッ。彼女の言葉に自分の心臓が跳ね上がると、メーは向かいの席でじっとこちらを見据えてきながら、からかう調子でそう喋り続けてくる。

 

「あーあ、こうしてまた一人ガチ恋させちゃって、ラミアも罪なホステスだよね~。カンキ君もそう思わない?」

 

「よりにもよって、俺に訊ねる……?」

 

「あは、ごめんごめん。カンキ君はガチ恋しちゃったその本人だった」

 

 相変わらずとも言える小悪魔的なその調子で、メーはニタニタと笑みを浮かべながらそう言葉を喋り続けてくる。

 

「それで、ラミアを借りるんだってね。さっきスタッフ室で、本人からそう聞いたよ?」

 

「まぁ、話の流れで……」

 

「だろうねぇ。ラミア、そういう話に持っていくの結構上手いからさ、いろんな男をこれで仕留め切っちゃうんだよね。あーあ、カンキ君もラミアに持っていかれちゃったか~。なんか、すごく残念って感じ? ラミアも本当、侮れないな~」

 

 意味深に思わせる言葉を口にしていきながらも、メーは余裕な表情を見せつつ飄々と喋っていく。そんな彼女を自分は眺めていると、ふとメーは口元に手をあてがって、ひそひそと話をするかのようにしながらこちらに顔を近付けてきたものだ。

 

「ねぇカンキ君。ぶっちゃけさ、ラミアのこと好きになっちゃったでしょ?」

 

「なんだと思ったら、突然なにを聞いてきてるんだ……」

 

「いいじゃん! 恋バナ恋バナ!」

 

 とてもノリノリに話を進めてくるメー。尤も、その表情はイタズラな勝気に満ちており、こちらの反応を面白おかしく眺めることを趣としている様子がうかがえた。

 

「恋バナって言われても、俺とラミアはそういう仲じゃないからな……」

 

「えぇー、なにそれー。カンキ君ノリわるーい」

 

「そんなこと言ったら、メーのドリンク頼んであげないぞー」

 

「あぁー! いじわるー!! もっとノリ悪いやつじゃんそれ!! やだーそんなの、私もなんか飲みたーい」

 

「んー、どうしようかなぁ」

 

「あー、そういう態度をとるんだ? 今日のカンキ君すごいいじわる~!!」

 

 吹っ掛けられたイタズラに対して別のイタズラを返し、これにメーは意外そうな反応で驚きを見せつつもノリノリで返答してきたものだった。

 

 そして、「からかっちゃってごめんねカンキ君! ね、この通りだから!」と言いながら両手を合わせて、それを可愛らしく見せ付けながらウインクと共に謝ってきたメー。尤も、そんな様子とは裏腹に彼女は余裕のある表情で、小悪魔的なイタズラの目でこちらの反応を楽しんでいたものだ……。



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第6話 La tentation du violet 《紫の誘惑》

 朝日が射し込むアパートの自室。今も隣で可動するドライヤーの音を横目にして、歯磨きを終えた自分は歯ブラシを片手に髪を乾かすラミアへと言葉を投げ掛ける。

 

「俺はもうじき準備が終わるけれど、焦らなくても大丈夫だからね。ラミアが準備できるまで、適当に時間を潰してるからさ」

 

 掛けたこちらの言葉に対し、白色のタンクトップに赤と青のボーダーの長パンツという格好のラミアが、ドライヤーの音にも負けない声で「お気遣いどーもでーす」と適当な調子で答えてきたものだった。

 

 ラミアとの同伴もとい、ラミアを借受した疑似的デートの当日。水族館に行こうという話が出てからあっという間に迎えたその朝であったものだが、ラミアが寝坊したことによってその出発が若干と遅れてしまっていた。

 

 とはいえ、彼女には未だ疲労が残っているのも事実。昨夜も死んだような顔をしながら夜遅くに此処へ訪ねてくると、そのまま部屋に上がり込んでは死んだように眠りについていたものだ。人のベッドを占領することによって。

 

 部屋の隅に畳まれた布団の塊。昨日はそこで就寝した自分がその塊に腰を掛けていくと、準備を終えた安心感でふぅっと一息をついていきながらも、ふとベッドに視線を投げ掛けてはその領域を占領する“別の存在”へと話し掛けたものだった。

 

「メー、今日はずっとここにいるつもりなのか?」

 

「そのつもりだったけど、ダメ?」

 

「いや、別に構わないけど……」

 

 人のベッドに横たわり、カタツムリのように布団を纏ってはスマートフォンで音ゲーをしていくメーの姿。ラミアについてきた彼女も当然の如くこの部屋で一泊していくと、今日はオフということでメーは着替えもせずに人の部屋に滞在していたものだった。

 

 休日であることも相まって、彼女はいつものリボンのような髪型を解いた状態でベッドに寝転がっている。そうして解かれたメーの髪は無造作なストレートとして投げ出されていて、腰まで届く長さのそれを揺らしながらこちらを見遣ってきたものだ。

 

「私のことは気にしなくてもいいから、今日はラミアとたくさん楽しんできな~?」

 

「いや、ここ俺の部屋だから訊いたんだけど……」

 

「どうせ朝帰りでしょ? ラミアと愛を育むんだもんね?」

 

「朝から何を言ってるんだ……」

 

 変な汗を流しながら返答する自分。そんなこちらの反応をメーは見るなり、彼女はイタズラに吊り上げた口角でニヤニヤしながらそのセリフを口にしてくる。

 

「あぁそうそう。土産話、楽しみにしてるからね。今日のデートで、ラミアをどんだけ満足させてあげられたのか、とかさ!」

 

「なんか、二重の意味で聞こえてくるんだよなぁ……」

 

「あは、カンキ君いけないんだー。ヘンタイじゃん」

 

「メーに言われると心外だなー……」

 

 返す気力も無い。自分はそんな具合に答えながら途方を見遣っている間も、メーはまるで勝ち誇ったかのような表情を見せてきたものだった。

 

 と、メーとそんなやり取りを交わしている最中にも、着実と準備を進めていたラミアが顔を覗かせてくる。そして廊下からチラッとこちらを確認してくると、次にも「お待たせしましたー」と言いながらラミアはその姿を現してきたものだった。

 

 ふわふわなカールがかけられたヴァイオレットカラーの長髪。アクセントとしてキラキラと光るヘアピンが存在感を醸し出すその中で、メイクやネイルをバッチリと決め込んだあどけない風貌の彼女が真っ直ぐとこちらに歩み寄ってくる。

 

 着用する黒色のパーカーからは白色のフードが顔を出していて、黒色と白色のチェック柄ミニスカートに、黒色のルーズソックスというコーディネートという以前にも見かけた勝負服。それを改めて正面から捉えていくと、自分は静かにゆっくり立ち上がりながら、ラミアの姿に見惚れるようにしながらその言葉を投げ掛けたものだった。

 

「その格好、準備が大変だって言ってなかったっけ……?」

 

「そーですけど、それがナニか??」

 

「いや、俺のためにそこまでしてくれたってことが、なんかすごく嬉しく思えて。でも、相手が俺ならば、いつもの服装でも良かったんじゃないかなとも思えてきてさ……」

 

「なんですか?? ヒトが苦労して整えた支度にケチをつけるんですか??」

 

「いやいやいや!! そうじゃなくて!」

 

 本気で嬉しく思っていたからこそ、ラミアの返答に本気で焦った自分が慌てふためいていく。この様子にラミアはフフッと微笑んでいくと、次にも彼女は適当な調子ながらもそんなセリフを口にし始めた。

 

「ジョーダンですよ。カンキさん、以前にもお見せしたコチラの格好に見惚れておりましたからねー。なので、今日はちょっとだけ頑張っちゃいました。テーマ自体は地雷風病み系女子コーデというモノでありまして、ウチとしましてもあまり気が進まない格好ではあるんですけれど……どうしてでしょうねー、カンキさんがこの格好を喜んでくださると考えたら、なんか自然と抵抗感が無くなっちゃいました」

 

「え……?」

 

 男を落とす熟練のテクニック。それを思いながら自分はラミアの顔を眺めていくのだが、そこでうかがえた彼女の表情からは打算的なものをまるで感じ取れない。

 

 本気で首を傾げて不思議がっているその様子。これに自分は意外だと思いながら困惑していくと、そんなこちらの手をラミアは取ってきながらも、玄関へ歩き出しながらそのセリフを投げ掛けてきたものだった。

 

「まー、そんなコトはどうでもイイんです。それよりも、デートですよデート。ホラ、行きましょー。カンキさん」

 

「そ、そうだね……! 行こっか、水族館」

 

 敢えて確認はしなかったものの、心なしかベッドの方角からものすごく熱い視線を向けられている気がした。

 

 共にして脳裏には、小悪魔が見せてくるイタズラな笑みが思い浮かんでくる。

 これ、帰ってきたら絶対ネタにされる。そう思いながらラミアと玄関に向かっていき、そして扉を開けて部屋を後にする自分。その最中にも「二人とも楽しんできな~?」という小悪魔の言葉が投げ掛けられてくると、そうして閉ざした扉を背にして自分は、ラミアと共に水族館を目指したものだった。

 

 

 

 

 

 この日、東京は晴天の祝日を迎えていた。

 清涼感あふれる白色のタイルが、香る磯を一層と引き立てる。共にして隣接する海辺から流れてくる潮風が撫で掛けてくるこの空間を、自分らは水族館へと続く歩行者用の橋を渡る形で堪能していくのだ。

 

 見下ろせば、そこには穏やかな海が視界に広がっている。加えてカモメの鳴き声や船の汽笛なども聞こえてくるこの環境は、大勢の人混みというシチュエーションも踏まえてデートと呼ぶに相応しい条件が揃っていたものだった。

 

 挙句には、ラミアはノリノリでこちらの腕に引っ付きながら歩いている。傍から見ればちょっとイタいくらいのカップルに見える彼女のくっ付き具合は、もはやこちらがちょっと恥ずかしいレベルだった。

 

 尤も、本人であるラミアは気にしていなかったものだ。彼女にとっては、これも”商売の内”なのだろう。そうして自分だけが気にする中でラミアは、ふと歩く先を指差しながらこちらに言葉を投げ掛けてくる。

 

「カンキさん!! アレを見てください!!」

 

「水族館が見えてきたね。パンフレットに書いてあったように、確かにピラミッドのような形が特徴的だな……」

 

「違います!! もっと手前を見てください!!」

 

「え? 手前にあるソフトクリームの屋台のこと?」

 

「海の塩味って書いてありますよー!! しかも、ソフトクリームです!! ねーねーカンキさん、今すぐ食べましょうよー!!」

 

「花より団子だなぁ……」

 

 頬を膨らませて、猛烈に食べたいアピールをかましてきたラミア。これによって自分はぐいぐい引っ張られていくと、自分もまた観念したように進路を屋台へと変えていっては、そこで二人分のソフトクリームを購入したものだった。

 

 買ったソフトクリームを手に持って、それを二人で口に含みながら水族館を目指していく。その道中では、海の塩味という奇抜な売り文句も伊達ではない塩気を堪能したことで、ラミアと共に複雑な表情を見せながらも穏やかな会話を交わしていたものだ。

 

 祝日という誰にとっても特別な日。これによって賑わいを見せる混雑の水族館に入館していくと、自分は引っ付いたままのラミアを丁重に扱うようにしながら彼女を連れ歩き、彼女もまたこちらへと意識的に身体をくっ付けてきながら、マイナスイオンに満ち溢れたアクアリウムの空間の中を二人で歩き進めていたものだった。

 

 深海エリアや海中トンネル、爬虫類などを観察できる室外エリアといった様々なフロアを回っていく自分達。その間も目についた生物についてラミアとたわいない会話を交わしていき、時には意図的にこちらへ顔を近付けては甘えた声で話し掛けてくるラミアのアプローチに内心ドキドキとしていくこのひと時。

 

 今もこちらの腕に引っ付きながら、魚を指差しては「もっと近くで見たいです」と声を掛けてくるラミアのそれ。これを受けて自分が動き出していくと、ラミアもまたこちらに寄り掛かりながら、常に密着した状態でピッタリとついてくる。

 

 もはや、魚どころではない状況だった。これは、終始と収まらない心臓の鼓動を抱え込んだ至福の時間であり、いつまで身が持つだろうかという奥に控えた鼻血との戦いにばかり神経が向いてしまうというもの。

 

 そんなこちらの状況も、ラミアにはまるで関係無し。むしろ、意識しているこちらに気が付いていたのかもしれない。そうしてラミアはこちらの腕に沿うよう身体の前面を押し付けてくると、温もりと共にこちらの肩らへんに顎をくっ付けてきながら、ぎゅーっと腕を抱きしめつつ顔を見上げながらそのセリフを口にしてくる。

 

「ラミア、ちょっと疲れちゃいました。カンキさん、どこかで一緒に休憩しませんか……??」

 

 自分の武器を熟知している。

 あどけなさを押し出した猛烈な甘え攻撃。これに自分は顔を赤くしながら「じゃ、じゃあ空いてる席を見つけたらそこに座ろうか……」と、視線を逸らしながら答えていく。

 

 するとラミアは、腕に抱き付いたままこちらの視線を追うように移動し始めて、しかしこちらの視界に身体が届かないとなると、それでも頑張って視界に入り込もうとピョンピョン跳ねながら彼女はそんなことを喋り出してきたのだ。

 

「ウチ、お腹が空いちゃいました。イルカショーまでまだ時間がありますし、カンキさんがよろしければ昼食にしませんか?? もちろん、カンキさんの奢りです」

 

「すぅー……、奢らざるを得ない……」

 

 一体何の衝動か、思わず深く息を吸ってしまった。

 頑張る姿を含めて、なんてあざといんだ……。呻くように内心でそれを呟いた時には既に、自分はラミアにハンバーガーを三個も奢ってしまっていたものだった。

 

 今も魚が優雅に泳ぐ、アクアリウムに囲まれた球体状の神秘的なフードコート。小さな魚からサメまでのあらゆる種類が共存する外の景色も相まって、まるでガラス張りの海底基地の中で食事を行っているかのような感覚を覚えていく。

 

 非日常的で、とても幻想的な空間だ。そう思って自分は見惚れるように周囲を見渡していくものであったのだが、テーブルを挟んだ向かいの席に座るラミアが視界に入ると、その度についつい彼女の食事に気を取られて眺め遣ってしまう。

 

 既に三つ目。そんな、両手に持つハンバーガーを軽く平らげてしまうほどのいっぱい食べる女の子というその構図。そうして自分は彼女のことをボーッと眺めていると、ふと視線を上げてきたラミアと目が合っては、おもちゃを見つけたような目でニヤニヤされてしまったものだった。

 

「どーしましたかー?? カンキさん、もしかしてですけど、ラミアちゃんに見惚れちゃっていたんですかー??」

 

「そういうことになるかな。とても可愛いなって思って」

 

 変にはぐらかさず、素直に答えてみる。するとラミアは意外そうに一瞬だけキョトンとするのだが、直後にも作戦変更と言わんばかりに上目遣いを繰り出してきながら、ラミアは猫なで声でそう喋り出してきたのだ。

 

「やっぱりそーでしたか。ウチですねー、カンキさんにたくさん見られちゃってもイイように、おめかし頑張ったんですよ?? ですから、カンキさん。ウチのコトを思う存分、好きなだけ眺めちゃってイイんですからね?? だって今のウチは、カンキさんのモノなんですから」

 

 破壊力が高すぎる。

 シフトチェンジしたラミアのアピールに、自分は思わず照れ混じりの困惑を見せていく。そうして屈するように視線を逸らしていくと、こちらの様子に彼女は両手で頬杖をつきながら、してやったりなイタズラの笑みでジロジロと眺めてきたものだ。

 

「ハイ、今回もウチの勝ちですねー。まったく、カンキさんはホント、オンナのコに弱いですねー。チョロすぎます」

 

「ラミアが男の扱いを知り尽くしているだけだよ……」

 

 謎の敗北感で頭を抱える自分。ラミアはその様子を余裕な表情でまじまじと見つめてくるのだが、ふと思い出すように身に付けている黒白の腕時計を確認していくと、時間を見るなり彼女は慌てて顔を上げながら、立ち上がりつつこちらに言葉を投げ掛けてきたものだった。

 

「あー!! カンキさん!! イルカショー!!」

 

「俺はイルカショーじゃないよ」

 

「ナニ言ってるんですか!! 時間です!! もうすぐ始まっちゃいます!!」

 

 そう言えば、もうそんな時間か。

 なんていう呑気なことを内心で呟いていく自分。その間にもラミアはハンバーガーの包み紙を近くのゴミ箱に捨てて戻ってくると、次にも彼女は急にこちらの腕を引っ張り始めては半ば強引に立ち上がらせてきたものだ。

 

 そんな力任せのアプローチに、若干と戸惑いを見せながら従っていく自分。そうしてこちらが立ち上がるのをラミアは確認していくと、次にも彼女は健気な調子で「さーさー、行きましょう!!」と言葉を口にしながら、こちらを先導するように駆け出していったのであった。

 

 

 

 

 

 円状のホールは吹き抜けとなっており、イルカやシャチが泳ぐ巨大な水槽が中央に設置されている。

 

 イルカショーの会場に自分らは到着すると、会場に着くなりラミアは最前列の席を確保して待機し始めたのだ。

 

 これに自分は、「下手すれば水が降りかかるかもしれないよ?」とラミアに投げ掛ける。だが、それに対して彼女は「それがどーしましたか?? むしろ、イルカショーの醍醐味じゃないですかー」と、バッチリ決め込んだメイクの姿でそんなことを言ってきたものだった。

 

 同時にして、やけにイルカショーにこだわるラミアの様子に自分は、「そんなにイルカショーが楽しみだったの?」と訊ね掛けてみる。すると彼女は、そんな返答を行ってきたのだ。

 

「イルカショーと言いますか、ウチ、イルカという動物が大好きなんですよ」

 

「へぇ、ラミアはイルカが大好きなんだ」

 

「そーです。だって、カワイイじゃないですかー。形とか鳴き声とか、あと健気なトコロも大好きです」

 

「今回のショーはシャチもいるみたいだけど、シャチはどうなの?」

 

「シャチはダメです。ニガテですね。だって、コワいじゃないですかー。姿かたちこそはイルカと似通っておりますけれど、シャチは非常に獰猛なトコロがどーしても受け付けられないです」

 

「海洋系の生物じゃ最強の動物だもんね。俺もカッコいいなって思うけど、近付きたいかと言うとちょっと敬遠しちゃうところはあるかも。そう考えると、イルカって馴染み深いものを感じるよね」

 

 ラミアはイルカが好きだった。そうして彼女がイルカショーにこだわっていた理由を知ったところで、間もなくとショーが開始されるのであろう音楽が流れ始めたものだった。

 

 そこで行われたイルカとシャチによる雄大なショーは、会場の席が満席になるほどの大盛り上がりを見せていった。もちろん、それを最前列で見ていた自分らも、ショーの迫力に声を上げながら楽しんでいたものだ。

 

 だが、目の前で豪快に跳ね上がったイルカが、目の前で着水しようとするその光景を目にするなり、自分は「もしや……?」と思いながら若干と身構えていく。

 

 そして、巡った予感が現実となった。

 イルカが目の前で着水していくと、同時にして大量の水飛沫が跳ね上がってきた。その勢いや量は想定よりもずっと深刻なものであり、これを見た瞬間にも自分は、せっかくのラミアのおめかしが落ちてしまうんじゃないかとひとり不安の念に駆られていく。

 

 そして、彼女に水を浴びせるわけにはいかないと考えたその時のこと。

 最前列に降り掛かってきた大量の飛沫を前にして、自分は咄嗟にラミアへ覆い被さるようにして彼女の目の前に立ってしまう。

 

 ラミアの席の背もたれに手を掛けて、彼女の視界に割り込んでいった自分。その直後にも降り注いだ大量の水が、周辺の客席を容赦なく水浸しにしていった。

 

 ……自分の背中や尻らへんが、ぐっしょりと濡れていく。だが、それと共に目にした光景は、身代わりとなった自分の顔を真っ直ぐと見つめるラミアの、とても意外そうに思う驚きの表情というものだった。

 

 彼女の席の背もたれに掛けた両手。覆い被さる姿勢によって近付いた、お互いの顔の距離。

 暫しもの間、自分とラミアは間近で見つめ合っていた。そして思考が追い付いてきた頃に自分は「あ、ごめん……」と立ち上がっていくと、次にもラミアはこちらの手を取りながら、いつもの適当な調子でそのセリフを口にしてきたものだった。

 

「あーあ、みっともない格好になっちゃいましたねーカンキさん。そのままじゃ一緒に居るウチが恥ずかしいです。ちょっとコッチ来てください」

 

 と、ラミアは立ち上がるなりこちらの手を引いて歩き出していく。そんな彼女に引き連れられる形で大盛況のショーを離れていくと、人混みの無い展望台に連れてこられるなりベンチに座らされ、ラミアは提げていた黒色のカバンからハンカチを取り出しては、びしょ濡れとなったこちらの背中を拭き始めてきたのだ。

 

 小さな布で、頑張って水気を取り払ってくれる彼女の気遣い。これに自分は申し訳なく思いながらもじっとしていくと、ラミアは適当な調子でそれを訊ね掛けてきたものだった。

 

「ウチのコト、守ってくれたんですよね??」

 

「え? まぁ……お化粧とかしているし……」

 

「ありがとうございます。まーウチとしましては、せっかくのイルカショーでしたので、存分に水を浴びるつもりでもありましたけれど」

 

「余計なことをしてごめん……」

 

 出しゃばりすぎたなぁ。そんなことを思いながら自分は謝っていくと、次にもラミアは目の前で屈んできては、こちらの顔を覗き込むようにしてそれを口にし始める。

 

「見直しましたよ??」

 

「見直した……?」

 

「そーです。おかげさまでですね、ショーよりももっとイイものを見ることができました」

 

「ショーよりも? それって何の事かな……?」

 

「なんでもありませーん」

 

 適当な調子で、ニヤニヤとしながら答えてくるラミア。そんな彼女の様子に自分は微笑を見せていくと、次にも彼女は囁くようにその言葉を投げ掛けてきたものだった。

 

「服が乾きましたら、水族館の周りを歩きに行きませんか??」

 

「水族館の周りを? でもそれって、契約を破ることにならないかな」

 

「だいじょーぶですよ。そこは、ホステスの匙加減に委ねられておりますから。ホラ、余計なコトを考えていないで、さっさと服を乾かしますよー」

 

 そう言ってラミアは、屈んだ状態で濡れた背中を拭き始めてくる。そのために彼女は敢えてこちらに近付いてきて、息が掛かり合うような至近距離を維持してくるラミアに自分は、終始と頬を赤らめながら視線を逸らしてしまっていたものだった。

 

 

 

 

 

 ラミアと過ごしたこの一日も、迎えた夜の時刻によって終わりを告げていく。

 街灯に照らされた、海沿いの通り道。一定の間隔でベンチが置かれた人通りのあるその道で、真横で波打つ海のさざ波を聞きながらラミアと向かい合う。

 

 後ろで手を組んだラミアの立ち姿。共にして彼女は甘えるような仕草で首を傾げていくと、こちらにそんな言葉を投げ掛けてきたものだった。

 

「今日はありがとうございました。思っていたよりも楽しむコトができまして、ウチとしましても大満足な同伴でしたよー」

 

「こちらこそ、付き合ってくれてありがとね。俺も想像していたより何倍も楽しい時間を過ごすことができたものだから、ちょっと同伴に味をしめた部分があるかもしれない」

 

「それでしたら、またウチを指名してくださっても構いませんよ?? 次はドコに行きます??」

 

「さ、さすがに気が早いよ!」

 

 取り乱すこちらの反応に、ラミアはイタズラな笑みを見せていく。

 と、次にもおもむろにこちらへ歩み寄ってきた彼女。これに自分は不思議に思いながら立ち尽くしていると、ラミアは両腕を広げるなりこちらをぎゅっと抱きしめてきたのだ。

 

「ラミア……!?」

 

「本来なら有料のオプションです。今回は大サービスですよ??」

 

 ぎゅーっと抱きしめて、こちらを見上げてくるラミアの視線。且つ、自身の身体を擦り付けるようにして顎や上半身を密着させながら、彼女はそんなことを喋り出してきた。

 

「これにて、ウチとの同伴は終了です。お疲れ様でした。初めての同伴、いかがでしたか??」

 

「とても良い夢を見させてもらったなぁ。こんな恋人がいたら、人生楽しいだろうなって思ったよ」

 

「でしたら、夢の続きでも見せてあげましょーか??」

 

 ……え?

 目で問い掛けた自分。見下ろすこちらの反応にラミアは微笑を見せてくると、次にも甘く囁くような猫なで声でそれを喋り出してくる。

 

「ウチとの同伴は終わりましたから、お次はプライベートとして一緒に過ごしてみませんか?? 様は、ノルマやお給料と関係ない、接待抜きの純粋なお付き合いです」

 

「それって……」

 

「カンキさん。夜はこれからですよ??」

 

 思わず、心の中で大きな深呼吸を行った。

 ギリギリを保つ理性の境界線。抱き付かれる彼女の温もりで、心臓が高らかと打ち鳴らされていく。

 

 彼女の期待を裏切ってはいけない? いや、それらしい理由で自分を正当化させたいだけなんじゃないか?

 自分の中の葛藤と戦い始める自分。これに暫しと無我の境地で考えをまとめていくと、今も上目遣いで眺めてくるラミアへとゆっくり向いていきながら、声を震わせながらも紳士を気取るようにそれを口にしていったものだった。

 

「……もう少し、親しくなったらの方がいいんじゃないかな……? その方が、俺も、ラミアも、あとで後悔しなさそうだし……?」

 

 自分でも分かっている。だが、これを勿体無いと考えてしまったら負けのような気がしてしまう。

 精いっぱいの紳士気取りで返答したその言葉。これにラミアは「そーですか」と答えてくると、彼女はゆっくりとこちらから離れながらも手を差し伸べて、微笑を交えた適当な調子でそのセリフを口にしてきたのであった。

 

「では、今日は真っ直ぐ帰るとしましょーか。ホラ、一緒に帰りますよー。紳士気取りのカンキさん」

 

 

 

 

 

 自室の玄関扉を開いた瞬間にも、奥からは鍋の匂いが香ってきた。

 

 共にして、玄関に並ぶ二人分のブーツに意識が向いていく。それでいて、直後にも奥からルームウェア姿のメーが顔を覗かせてくると、とても意外そうな表情を見せながらそう声を掛けてきたものだった。

 

「あれ? 帰ってきた? おかえりー。なんだ、今頃お楽しみ中かなって思ってたのに。どうしたの? ゴム忘れた?」

 

「素の表情でそれ言うのやめてくれない……?」

 

 変な汗を流すこちらの脇では、靴を脱いだラミアが足早に部屋の奥へと向かっていく。そんな彼女に続くよう自分も部屋に上がっていくと、そこではぐつぐつと煮え滾った鍋のアクを取り除くユノという光景を目の当たりにしたものだった。

 

 白菜や牛肉を始めとする、大量の具材が詰め込まれた眼福料理。これにラミアは喜びを示しながら飛び付いていく中で、その横では私服姿のユノが「おかえりなさい。お邪魔しているわ」とこちらに挨拶を掛けてくる。

 

 そして、メーがこちらの肩に腕を回してきながら、あたかも当然であるかのようにその言葉を投げ掛けてきたものだった。

 

「カンキ君も良かったらどう? ユノさんがさ、良いお肉を取り寄せてくれたんだよ。せっかくだから今食べておかないと、絶対にあとで後悔する美味しさだよ~?」

 

「……あぁ、うん。いや、ここ俺の部屋なんだけど……」



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第7話 L'autre beauté 《もう一人の美女》

 ネオンの輝きを放つle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の看板を通りすがり、その隣の階段を下っていっては両開きの扉を開いて店のホステスに迎えられていく。

 

 そうしてホールに案内されると、自分はいつもの一人用の席に腰を掛けては静かに相手を待ち続けたものだった。

 

 暇を持て余している間、奥のステージで行われていた歌劇に意識が向いていく。それは、男装したホステスが宝塚風の喋り口調で進行していく本格的なお芝居であり、客をもてなす余興にしては随分と気合いが入った演技や演出であることがうかがえる。

 

 歌劇の質こそは、それを本職とするプロには至らないことだろう。だが、キャバレーという舞台で行われるショーとしての質で見ると、今も展開されているホステスの演技には素人目からしても目を見張るものを感じられたものだ。

 

 つい先ほど入ってきたために、物語の内容は掴めていない。だが、物語のクライマックスなのだろう怒りに打ち震える低い音楽が鳴らされると、男役だとうかがえる王子の仮装をしたホステスは、まるで魂が乗っ取られたかのような鬼気迫る表情で何かに悔しがり、凛々しい低音の声を震わせながら、すぐ横に倒れるドレス姿の娘役を優しく抱え込んでいく。

 

 そして天を仰ぎ、彼女の後を追うことを誓うセリフを最後に切ない音楽が鳴らされて、舞台の幕が下ろされていった。

 ゆっくりと閉まっていく赤色のカーテン。その間にもホールのあちこちからは拍手と歓声が上がっており、カーテンが閉ざし切った今でもそれはしばらくと止むことはなかった。

 

 最後の演技だけしか見ていない自分でさえも、主人公の怒りと無念に思わず同情してしまったその舞台。演技のクオリティはまるで舞台役者を雇ってきたかを思わせる非常に高いものを保っていて、しかし、男役のホステスは以前にも入り口で出迎えてもらったことのある見知った顔であったことから、先ほどのショーはこの店のホステスが一から作り上げた舞台であることを悠々と物語っていたものだ。

 

 別料金を取っていても、何らおかしくない演技力だった。これを見られたのなら、もっと早くに来店すれば良かったな。

 そんなことを思いながら、フィナーレ部分の迫力の余韻に浸りつつ水を飲んでいく自分。そうして暫しと意識を放り出していると、次にもひとりのホステスがコツコツという靴音と共にこちらの視界へと顔を覗き込んできた。

 

 凛々しいタキシード姿で、からかうような目を向けてくるメー。トレードマークとも言えるだろう紺色のシャツで彼女は「やっほー」と手を振ってくると、そのまま向かいの席に腰を掛けてきながらそう話し掛けてきたものだ。

 

「いらっしゃーい。カンキ君、今日も来たんだー? そんなにして通い詰めちゃって、カンキ君のお目当ての子は一体誰なのかな~?」

 

「そうだなぁ。強いて言えば、メーかな?」

 

 メーと会話する際のノリで、そんなことを答えていく自分。すると彼女はその勝気な目と繕ったような甘い声で「やーん、カンキ君ってば大胆~!」と言ってくるなり、テーブルに両肘をついていって身を乗り出すようにしながらこちらに顔を近付けてきたものだ。

 

「カンキ君にそんなことを言われちゃったらさぁ? 私、カンキ君のこと、ちょっとだけ意識しちゃうかも?」

 

「ちょっとだけだと、なんだか寂しいな」

 

「なぁに? もしかしてカンキ君、私のこと狙ってるのかな~?」

 

「狙ってる。って言ったら?」

 

「どうしよっかなぁ~? んー、それじゃあ~……私のために、た~っくさんお金を落としていってもらえると嬉しいなぁ?」

 

「発想が小悪魔なんだよなぁ……」

 

「ねぇちょっと、そこはノってくれないのー?」

 

 ムスーッと頬を膨らませてくるメーの反応に、自分は微笑しながら「ごめんごめん」と答えていく。これに彼女も大人しめな微笑をニッと見せて姿勢を正していくと、かと思えば右肘をついて頬杖をつきながら、ちょっと怒るような顔でそんなことを話し始めたのだ。

 

「ねぇちょっと聞いてよカンキ君~」

 

「いいよ。何かあったの?」

 

「何かあった~。この前、同伴してきた時のことなんだけどさー。その相手はちょっとチャラめなホストの雰囲気でね、まぁ地雷な感じはあったけれど顔がタイプだったから夜遅くまで付き合ってあげたんだよね。でもね、解散する前までは良い感じだったのに、最後の最後でムカつく対応されて裏切られた気持ちになっちゃった」

 

「どんな対応されたの?」

 

「聞いてよ。私のことをね、『羊ちゃん』って呼んできたの」

 

「羊ちゃん?」

 

 それの何が問題なんだろう。内心のこれが首を傾げる動作となって表れてしまうと、メーは再び身を乗り出すようにしてこちらに顔を近付けてきながらも、呆れた表情でそれの続きを話してきたものだった。

 

「羊って、『メェ~』って鳴くでしょ?」

 

「あー……メーって名前だもんね」

 

「ほんっと、最低! しかもそいつ、小馬鹿にするように笑いながらいちいち説明してきてさ。それ聞いた瞬間、一気に冷めちゃった。その男がどんなに顔と性格が良くって、どんなにお金持ちで裕福な暮らしをしている人だったとしても、人の名前を笑ってくるようなヤツは絶対にムリ。ありえない。そりゃあさ、メーって名前もちょっと変わっているのかもしれないけどさ、だからって笑い者にする必要は無くない? ちょっといじってくるだけなら私もいいんだよ? だけど、嫌がる私の前で羊の声真似を繰り返してきたらさ、さすがに私も怒っていいよね?」

 

「怒る気持ちはよく分かるよ。俺も歓喜って名前はよくいじられた。不良の連中なんかも、俺を殴る度に『殴られると嬉しいんだろ? 今も喜んでるんだろ?』とか言ってきてたっけなぁ」

 

「そういうのマジむかつくよね!!! 名前と関係ねぇだろって思っちゃう! しかも私がそれで不機嫌になるとさ、相手は『なんでそんなことで怒るんだよ』って逆ギレしてくるんだよ!? ほんっと意味分かんないし! あー思い出すだけでマジむかついてくる! ホントくたばれやあの早漏粗〇ン野郎!! まぁ、その日はヤってないからあいつのチ〇コのことなんか知らないんだけど」

 

 これ、店で話していい内容なのか……?

 今もムスッと不機嫌そうにしているメーを見て、自分は汗を流しながらそんなことを思っていく。だが、それと同時にして自分は『メー』という名前にふとした疑問を抱いていくと、この会話の流れでついつい彼女へとそれを訊ねていったものだった。

 

「その、『メー』って名前はさ……源氏名? それとも本名?」

 

 こちらの問い掛けに、メーは眉を上げながら向かい合ってくる。

 

「源氏名だけど、それがどうしたの?」

 

「ここのお店のホステスってみんな源氏名だったりするのかな」

 

「まぁ、このお店に限らずって感じだけど。……てか、そういうのラミアとかユノさんから聞いてないの?」

 

「そういうの、って?」

 

「このお店特有の“源氏名のルール”のこと」

 

「源氏名のルール?」

 

 そんなものがあるの? という無言の問い掛けをメーは悟っていくと、次にも彼女は右手で頬杖をつきながらこちらと真っ直ぐ向かい合い、勝気な瞳を向けながらメーはその説明をし始めてくれる。

 

「そ。このお店ね、“神話が由来であるもの”っていうテーマで源氏名を考えないといけない、ちょっと変わったルールがあるんだよね」

 

「神話が由来であるもの……?」

 

「って言ってもピンと来ないよね。もうちょっと説明するとね、神様とか道具だったりとか、あとは天使や悪魔、地名や怪物だったり、とにかく“神話に登場する名詞”から名前を取ってこないといけない決まりになってるの」

 

「神話に登場する名詞、って言うと……ゼウスとか?」

 

「極端だけど、そういう話。あとはミカエルとか、ミョルニルとか? あとヴァルハラ? んまぁそっち方面は詳しくないから何とも言えないけどさ、ニュアンスとしては大体そんな感じ。で、神話に登場する名詞が由来になっていればいいから、その取ってきた名詞を自分の好きなように改良しちゃってもオッケー。例えばゼウスだとすると、ゼス、とか。そんな感じ」

 

「なるほど……?」

 

 要は、神話の中に出てくる名詞を参考にして源氏名を付けろ。ということなのかもしれない。

 

 それを踏まえて、自分はラミアとユノの顔を思い浮かべていく。共にして、その二人も神話から名前を取ってきたんだろうなーという漠然とした思考を巡らせるのだが、今も目の前で小悪魔的な視線を投げ掛けてくるメーと見つめ合うと、自分は無意識にもそんなことを訊ね掛けていったものだ。

 

「メーって名前もさ、神話に出てくる名詞なの?」

 

 こちらの問い掛けを耳にするなり、メーは微笑しながらそんな返答を行ってくる。

 

「そうだよ~。……って言っておきながらだけどさ、実は私、メーってものをよく分かってないんだよね。なんかね、メーっていう概念があるらしくて、その響きがなんか面白かったって理由でこの名前にしたような気がする。他にも、イナンナとかイシュタルとかいろんな候補があったりしてね。今思えば、イナって源氏名にしておけば良かったな~とか、いろいろ考えちゃうよね~」

 

「俺自身、メーのことは最初からメーって名前で認識していたもんだから、今の名前に違和感は無いなぁ。というか、候補の名前を踏まえて考えてみても、メーはさ、メーって感じがする」

 

「あは、なにそれ」

 

「メーって名前が一番似合ってるよ」

 

 と、その言葉を口にした瞬間、彼女は気恥ずかしそうな笑みを見せてきたのだ。

 

 こちらの返答にメーは、「こんな名前をまともに取り合ってくれるのはカンキ君くらいだよ~」と冗談めかした調子でケラケラ笑い出していく。だが、メーはそう言いながらも少し間を置きつつゆっくり俯いていくと、かと思えばこちらと目を合わせていき、そして勝気な表情ながらも穏やかな調子でそんな言葉を口にしてきたものだった。

 

「ありがと、カンキ君。君のおかげで、イヤなことを忘れちゃった」

 

 

 

 

 

 それから一時間ほど経過した頃だろうか。その話題も源氏名からたわいない会話へと変わっており、これによって自分はメーと談笑しながら和やかな時間を過ごしていた時のことだった。

 

 自分がメーの愚痴を聞いているその最中、ボーイがメーへと歩み寄っては彼女に耳打ちをしてこちらに一礼してくる。共にしてメーは立ち上がっていくと、申し訳なさそうに両手を合わせながらこちらにその言葉を掛けてきたものだ。

 

「ごめんねカンキ君! 別のお客さんから指名されちゃった!」

 

「気にしなくていいよ。お客さんを待たせちゃ悪いから、早く行っておいで」

 

「ありがと~! 話の続きはカンキ君のお家でね!! じゃ、また後で!」

 

 あぁ、今日も部屋に来るんだ……。

 しれっと今晩の宿泊を伝えてきた彼女の言葉に、自分はそんなことを思いながら手を振ってメーの背中を見送っていく。そうして彼女が別の席へ腰を掛けたのを確認していくと、自分はジントニックが入ったグラスを手に持ちながら暫しと小休憩を挟んでいたものだった。

 

 ……次は誰が来るんだろう。ラミアかな。ラミアなら、緊張しなくていいかもなぁ。なんていうことを考えながら、自分はボーッとした顔で待ち時間を過ごしていく。

 

 と、そうして油断していた時だった。

 突如と背後に感じられた人の気配。これに自分が悪寒を覚えていくと、それとほぼ同時にして、こちらの首辺りにはシャツ越しの何かが押し付けられていく。

 

 直後にも、背後の気配が伸ばしてきたその両腕が、こちらの懐に潜り込んできたのだ。これに自分は驚きながらも振り返ろうとしていくと、そんなこちらの動きを両腕で挟むように静止させてきた“彼女”は次にも、そのまま真上から覗き込むようにして顔を出してくる。

 

 淡藤色(あわふじいろ)の薄く淡い青紫色の短いパッツンボブで、胸元辺りまで伸ばしたもみあげというヘアスタイルに、褐色の肌と魔性の微笑みという組み合わせが特徴的なその風貌……。

 

「こんばんは、柏島歓喜(かしわじまかんき)君。話に聞いていたよりもだいぶ、夜遊びにこなれているみたいじゃない? でも、初々しさはまだ拭えないみたい。わたしはね、そんなウブなオトコのコが何よりも大好物なの……」

 

 艶やかで誘惑的な調子で喋るその女性。同時にして懐に潜り込んだ両手が服の中で蠢き始めていくと、直後にも胸元をまさぐられたことによって自分は変な声を出しながら驚いてしまった。

 

 そんなこちらの反応を見るなり、その女性は恍惚とした表情で舌なめずりをしながら、真上から覗き込むその状態で顔を近付けてくる。

 

 突然と迫った彼女の顔に、自分は思わずビクッと動きを止めていく。だが、そうして視界に映り込んだ女性がまた妖艶で魅惑的に感じられてしまったことから、自分は彼女という存在に見惚れつつ静かに心臓を打ち鳴らし始めてしまったものだ。

 

 先ほどの身体的特徴に加えて、彼女は鮮やかなオッドアイの持ち主でもあった。それぞれ、彼女の右目が水色で、彼女の左目がピンク色という彩色がこちらを捉え続けてくる。

 

 そんな彼女が色気を放つ声音で「刺激が強すぎちゃったかしら? ごめんなさいね~?」と言葉を口にしてくると、共にして見せた妖しい目つきでこちらを弄びつつも彼女は両手を離していき、向かいの席に移動しては腰を下ろして落ち着いてきた。

 

 彼女の背丈は百六十七くらいだろうか。魔性の女とも言えるだろう大人の色気に溢れたお姉さんという印象を感じるその彼女は、正装である黒色のタキシードに鮮やかな明るいピンク色のシャツという格好で現れたものだが、こちらの目の前まで移動してくるなり彼女はシャツのボタンを一つ外し始め、そして胸元をはだけるとこれ見よがしに褐色の谷を披露してきたのだ。

 

 やばい。すごい。でかい。おそらくユノよりも大きい。いや、この店に勤めるホステスの中で一番か……?

 といった具合に、彼女の思惑通りな視線を向けてしまった自分。これに彼女は妖しい目で弄ぶよう見つめてくると、それに気が付いた自分は顔を赤らめながらも、彼女の目へと視線を戻しながら気まずく話し掛けていく。

 

「あの、初めまして、ですよね……?」

 

 姿勢を正しながら、それを投げ掛ける。すると彼女は、右手の人差し指を口元にあてがいながら、艶めかしい調子でそう喋り出してきたものだ。

 

「そんな改まらなくてもいいわよ。もっとラフなお付き合いをしましょう? ね?」

 

「あ、はい……。じゃあタメでいきます……」

 

「言った傍から、敬語が抜けてないじゃない。大丈夫よ、そんな緊張なんかしないで。もっと肩の力を抜いて? ほら、抜いて抜いて?」

 

 と言いながら彼女は右手で輪っかをつくるなり、口元に持ってきてはイタズラに舌を出しつつ右手を動かし始めていく。彼女はそんな動作を交えながらオッドアイによる妖しい瞳を向けてくると、自身のアクションに対するこちらの反応を観察するように眺めてきたものだ。

 

 なんか、とんでもない人が来てしまったな……。

 内心でそう呟く自分の視線。これに彼女は次の作戦と言わんばかりに前のめりの姿勢をとっていくと、豊満な乳を置くようにしながらテーブルに乗りかかり、そのまま艶やかな瞳でこちらの顔を覗き込みつつ自己紹介を行い始めてきた。

 

「どう? たくさん溜まっていた力も抜けていったかしら? スッキリしたようなら、わたしの自己紹介でもしていきましょう? それじゃあまずは、初めまして柏島歓喜(かしわじまかんき)君。わたしは“白鳥(しらとり)レダ”よ。よろしくね? 呼び方は、シロちゃんでもトリちゃんでも、レダでも何でもいいわ。これからも夜のお付き合いをしていくことになるでしょうから、ラミアやメー、あとはユノさん共々、わたしのこともどうぞよしなに」

 

「どうも、初めまして……。柏島歓喜です。よろしく……レダ」

 

「あぁん、初々しいオトコのコから呼び捨てで呼ばれちゃうと、わたしすごく興奮しちゃう」

 

 えぇ……。

 突如と喘ぎ出しては恍惚とした表情を見せてきたホステス、白鳥レダの反応。共にして向けてきた妖しい瞳に自分は若干と戸惑っていくと、そんなこちらの様子を眺めるようにしながらレダはそう喋り出してくる。

 

「カンキ君のことは、以前から耳にしていたわよ。ていうか、ここに来るようになってからもう、それなりに経っているわよね?」

 

「まぁ、ほんとにそれなりって感じだけど……」

 

 あまり意識していなかった部分を話題にされ、なんとも曖昧な返答をしてしまう自分。

 

 そういった自分の様子をレダはじっと眺め遣ってくると、次にも少しだけ声音を真面目にしながら彼女はそれを訊ね掛けてきたのだ。 

 

「ふぅん……。それじゃあここに通い続けているのは、前の経営者が自分のお父さんだったから……ってわけでもないのかしら?」

 

「…………っ」

 

 レダの問い掛けに、自分は堪らず言葉を詰まらせてしまった。

 

 ……というよりも、言葉が思いつかなかったという言い方が正しかったのかもしれない。

 

 親父とは、両手の指で数えられる程度にしか会ったことがなかった。下手すれば、ここのホステス達の方が自分よりも親父と多く会話していたかもしれない。そのため、このお店に通いつめている理由が親父の店だからかと訊ねられてしまうと、それに対して自分は何と返せばいいのかが分からなくなってしまうのだ。

 

 こちらの反応にレダは、先ほどまで見せていた誘惑的な目を途端に細めていく。そしてテーブルに乗せていた乳を身体で持ち上げるようにしながらこちらと向き合ってくると、次にも彼女は色気のある声音ながらもそんなことを口にし始めたのだ。

 

「あなたのお父さんには、たいへんお世話になったものだわ。多分ね、ここで働くホステスの中で一番、あなたのお父さんとの付き合いが長いと思うの」

 

「それって、レダがってこと……?」

 

「そう。色々あってホームレスをしていたわたしのことを、あなたのお父さんは親身になって気に掛けてくれていた。そんな彼の見返りを求めない無条件な男気に、わたし、思わず本気で惚れちゃったりもしたもんだわ」

 

「……そっか。親父は誰かを助けながら生きていたんだな。俺という息子をほったらかしにしながら」

 

 無意識にも、卑屈となった言葉を口にしてしまった。

 

 だが、そんなこちらに対してレダは微笑みながら手を伸ばしてくると、そのままこちらの手を包み込むように握りしめながら、穏やかにそう話し出してくる。

 

「彼は、正義感に溢れる熱血的なオトコだった。既にユノさんからも聞いているでしょうけれど、彼は裏社会に潜む強大な闇と戦う、正義のヒーローみたいなオトコだったの。その戦いに、カンキ君という大事な家族を巻き込まないように立ち回るのも、家族を心配する父親ならば当然の行動だとわたしは思えるわけなんだけど。やっぱりカンキ君からすると、そんなお父さんの考えにも納得がいかない感じなのかしら?」

 

「そりゃあ、理屈は理解しているつもりなんだ。だけど、やっぱり……」

 

「寂しかったんだよね?」

 

 え?

 レダから掛けられたその言葉によって自分は、今まで自覚できていなかった感情を初めて認識することができたような気がした。

 

 そうか。俺は親父という家族とろくに過ごせなかったことに対して、寂しいと感じていたのか。

 

 一瞬ばかりと、頭の中が真っ白になった。そうして唖然とした自分にレダは天使のような微笑みを投げ掛けてくると、こちらの手を握ったまま彼女は歩み寄ってきて、そのままこちらを包み込むように抱きしめながらそれを喋り出してきたのだ。

 

「わたし達le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスは、柏島オーナーから借りた恩をすべて息子さんに返していくつもりでいるのよ? だから、カンキ君。あなたにはね、お父さんが遺していってくれたこのお店を、心行くまで満喫していってもらいたいな~ってわたし達は思ってるわけ。お父さんに構ってもらえなかった分の寂しい気持ちを、わたし達が責任を持って解消させてあげる。ねぇ、カンキ君。わたし達に、そのお手伝いをさせてくれないかしら?」

 

「…………ありがとう」

 

 レダの両腕に包み込まれ、自分は人肌の温もりに目を潤ませる。そして自身の身を受け止められるようにしながら、自分は寂しさを紛らわすように彼女の胸の中に収まっていった。

 

 ようやく自覚することができた言葉無き感情の正体。それが、孤独感という切なさによって生じていたモヤモヤであることに自分は納得していくのだが、ふと現実に戻るようにして現状も自覚していくと、次にも密着しているレダの乳に自分は思わず彼女の両腕を振り払いながら驚いたものだった。

 

「う、うおぉッ!!? 流れで触っちゃってごめんなさい!?」

 

「あらぁ、あらあらあら……。もしかして、恥ずかしくなっちゃったの~? カンキ君ってそういうところもウブなのねぇ? ……オトナに慣れていないその反応。余計に可愛がりたくなってきちゃった……。もうガマンできない……!!」

 

 豹変するよう、途端に見せてきた恍惚とした表情。艶めかしい声音で蕩けるような目をこちらに向けてくると、次にもレダは獲物を捉えた雌豹の如くこちらに覆い被さってきては、セクハラまがいの言葉を掛けつつ過度なボディタッチによる接待を行い始めたのであった。



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第8話 Les déesses du mal 《悪の女神達》

 たまにはコッチにも顔を出しておこう。

 

 そう思って昼間に訪れたle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の看板前。いつものように階段を下って自分は扉を開いていくと、そうして視界に広がったエントランスの奥からはタキシード姿のユノが出迎えてくれたものだった。

 

 トレードマークでもある赤色のシャツが、女帝の如き彼女の風格に拍車をかけていく。そんなユノが悠々としたサマでこちらに歩み寄ってくると、次にも凛々しい一礼と共に言葉を投げ掛けてきた。

 

「ようこそ、柏島くん。貴方の来店を心より待ち望んでいたわ」

 

「ど、どうも……。でもユノさん、ちょっとおおげさですって……」

 

「貴方という存在は、ホステスである我々にとって何よりも大切なお客様でもあるの。柏島オーナーの息子さんを丁重にもてなさずして、この店のホステスは務まらないわ」

 

「あの、ちょっとおおげさなんですって……」

 

「お客様に立ち話を強要してしまうのも、柏島オーナーに面目が立たなくなってしまうわね。さぁ、こちらへ。レストランという形式でも、貴方に至福のひと時を提供してみせるわ」

 

「あぁー……どうも……」

 

 美人でカッコいい生ける女神のような人だけど、なんか一方的なんだよなぁ……。

 それを内心で呟きながらユノに案内される自分。そうして夜間とは一転とした静かな空間に踏み入れていくと、自分はいつもの席に腰を掛けてはユノからメニュー表を受け取っていく。

 

 と、その最中にもユノは屈むようにしながらこちらに顔を近付けてくると、次にも髪を耳にかけていく色っぽい素振りを交えながら、彼女はそんなことを喋り出してきたのだ。

 

「貴方を実験台に仕立て上げようという意図は無いのだけれども、もし貴方が許してくれるのであるならば、試作途中の料理の味見を貴方に頼みたいと考えていたの」

 

「試作途中のですか? それって新作のメニューだったり……?」

 

「えぇ、新作のメニューよ。ホステスにも味見を頼んだりして、既に形になりつつある商品なのだけれども、ホステスといった身内のみに留まらない客観的な感想や指摘も欲しいと話し合っていたところなの。代金はすべてお店が負担するから、貴方が良ければ味見をしていってくれないかしら」

 

「あの、それって無料で頂いちゃってもいいんですか?」

 

「構わないわ。それが、柏島オーナーの息子さんならば尚更」

 

「あじゃあ、ぜひともいただきます。お店の役に立つことができて、しかも美味しい料理が食べられるのなら喜んで協力します」

 

「ありがとう柏島くん。それじゃあ、十分ほど時間をもらえるかしら。一秒でも早く提供できるよう尽力してみせるから」

 

 お、重いなぁ……。

 思わず変な汗を流しながら、「よ、よろしくおねがいします……」と答えた自分。そんなこちらの反応にもユノは気高く凛々しいサマで頷いていくと、コツコツと靴音を鳴らしながら悠々とした背を向けて厨房へと歩き去っていったものだった。

 

 

 

 十分ほどして、手のひらに銀色のお盆を乗せたユノが堂々と歩いてくる。

 備えた気品の風格と共にして、「お待たせしました」と一言を添えながら料理の品をテーブルへ置いてきた彼女。そうして提供された四角い皿を自分は覗き込むようにして眺め遣ると、そこには照明を反射するタレがかけられたサイコロステーキに、マグロやエビといった海鮮ものが付属する彩色豊かな光景を目撃したものだ。

 

 高級感あふれるオシャレな料理。肉と魚の欲張りセット。添えられたパセリやライムが視覚的にも楽しいその品を見て、自分は思わず食い入るようにしながら眺めていく。

 

「めっちゃ美味しそうですね……!!! これ、本当にタダで頂いちゃってもいいんですか? 俺、余裕でお金払えますよ!!」

 

 興奮気味にそんなことを口にしていく自分。それに対してユノは微笑を見せていくと、凛々しい佇まいでかしこまりながらそう返してきたものだった。

 

「気持ちだけ受け取っておくわね。ただ、このメニューは本来、正式な商品として取り扱われていない未だ非公認のもの。そんな、品質の保障が約束できない品物を有償でお客様に提供するわけにはいかないわ」

 

「そ、そういうもんですか……。なんか、タダで頂くのが逆に申し訳なくなってくるクオリティではありますが……」

 

「その判断を下すにはまだ早いわ、柏島くん。まずは、こちらの品を心行くまで堪能していってちょうだい。今回における我々の報酬は、柏島くんから得られた感想や指摘という、お客様からの率直なご意見という非常に貴重なものでもあるのよ。それは些細なことに聞こえるかもしれないけれども、今回提供したサービスは我々にとっても将来、立派な利益へと還元される可能性も秘めているもの。これは、その可能性を模索するべく注ぎ込まれた、未来への投資という必要経費にすぎないの」

 

「わ、分かりました……! じゃあその分、こちらを頂いた後にお世辞の無い素直な意見をいたします」

 

「理解してくれて、どうもありがとう。またこちらに顔を出すわ。さぁ、ごゆっくりどうぞ」

 

 胸の前に右手をやり、軽く一礼してきたユノ。これに自分も会釈する程度に頭を下げていくと、ユノは踵を返して業務に戻っていったものだった。

 

 今もテーブルの上には、新作という料理が湯気を上らせている。

 温かい内に頂かないと参考になる意見も言えないよな。そう考えて早速ナイフとフォークを手に取った自分は、その新作料理を心行くまで堪能した上でその感想をユノへと伝えていったのであった。

 

 

 

 

 

 食事を終えて、一息ついていた時のこと。先ほどにもうかがったこちらの感想をメモ帳に記していたユノが、それを手に持ってスタッフ室へと戻っていったこの場面。

 

 じゃあ、自分はそろそろお暇しようか。そう思って席から立とうと、背もたれに手を掛けていった時のことだった。

 

 スタッフ室から出てきたユノが、こちらへ真っ直ぐ歩いてくる。その様子を自分は視界に入れていくと、次にも歩いてきた彼女からその言葉を掛けられた。

 

「柏島くん、少しだけいいかしら」

 

「あはい、俺に用でしょうか……?」

 

「これといった用事ではないのだけれど、もし時間が許してくれるのであるならば、少しだけお話しをしたいと考えていたところなの」

 

「お話しですか。大丈夫ですよ」

 

「ありがとう、柏島くん。飲み物を用意するわ。席で待っていてちょうだい」

 

 コップを持ち、ドリンクサーバーからコーラを入れてこちらに差し出してきたユノ。それを自分は受け取っていくと、その間にもユノは向かいの席に腰を下ろしつつそんなことを喋り出してくる。

 

「私との同伴の件は、考えてくれたかしら」

 

「以前にも仰っていたものですね。男性との同伴も開始したいという……」

 

「私の活動範囲を、そして私の可能性を広げるための新たな挑戦。その領域へと一歩踏み込むにあたって柏島くんは、私にとって非常に好都合な条件を兼ね備えた存在でもあるの」

 

「確かに、初っ端から見知らぬ男性と……というよりは、まずは自分が慕っていたオーナーの息子と、っていう方が良いのかもしれませんね」

 

「理解してくれてありがとう」

 

 話している間にもユノは脚を組み、右手で頬杖をつきながらこちらと向かい合ってくる。

 そんな、真正面かつ至近距離から眺めた彼女の顔は、もはやこの世ならざる絶世の美しさを放っていた。控えめに言って人類の秘宝とも言えるユノの存在に自分は、照れを隠し切れずに頬を赤らめてしまいながらもそんなことを訊ね掛けていく。

 

「前々から気になっていたんですけれど、ユノさんは男性が苦手なんですか?」

 

「苦手とまではいかないけれども、それ以上に私は女の人を好んでしまう(さが)にあるの。恋愛対象も常に女性で、特に若々しい女の子を魅力的に感じてしまう。私はそんな自分を認めた上で、自分の意思でその(さが)に従いながら生きているわ」

 

「自分に正直であること。ユノさんが最も意識していることでしたね」

 

「覚えてくれていたのね」

 

 そう言い、穏やかな笑みを見せてきたユノ。共にして香ってくる彼女のフェロモンに自分は冷静を装うように笑みを返していくと、次にもユノは悠々とした眼差しでそれを話し始めてきたのだ。

 

「でも、私は今のままではいけない。今日の自分は、昨日の自分よりも一歩だけでも成長していたい。いえ、私は人としての成長以前に、常に前進し続けていなければならないの。そのためには、これまでに踏み入ったことのない領域にも挑戦し続けなければならない宿命にあるわ」

 

「昨日よりも成長していたい。これはとても素晴らしい考えだと思いますし、それを実際に遂行できているユノさんには尊敬の念さえも覚えます。ですけど、だからと言って無茶をしてしまうのも、ちょっと違うような気がしてしまいますね。いや、これを無茶と言ってしまうのは失礼にあたるのかもしれませんが……」

 

 女帝のような雰囲気を醸し出すこの人が、実は意欲に溢れた非常にアクティブな人間であることにギャップのようなものを感じてしまう。

 

 そんなことを思いながらも、生意気にも意見してしまった自分。これにすかさず『ヤバイ』と内心で呟いてしまったものだったが、一方でユノはそんなことを口にし始めてきたものだった。

 

「心配は無いわ。女性経験が豊富であることに代わりはないけれど、前の職場では男性諸君を取りまとめていたものだから、男の人に対する苦手意識はそれほど無いの」

 

「そうなんですか。それを聞いて安心しました。でありましたら、ぜひ同伴したいです。俺がユノさん達の役に立てるのであるならば、惜しみなく協力させていただきます」

 

「大切なお客様である柏島くんに、あろうことか頼み事をしてしまって本当にごめんなさい。そして、ありがとう。貴方の誠意に私は心から敬意を払うわ」

 

 凛々しくも麗しい温もりのある笑み。高貴な風格から見せてくるその微笑みによって、これまでにも数多の女性を落としてきたのだろう。

 

 男である自分もまた、その微笑みによって思わず惚れてしまいそうになった。

 だからこそ、男性客との同伴に尚更と心配に思えてきてしまう。これもきっと、彼女が言う(さが)を尊重したい気持ちがあるから……なのかどうかは分からない。これは、自分の知り得ない領域だ。

 

 とにかく、この日にもユノとの同伴が決まった自分は、その話の直後にも彼女と共に、その場で当日の予定を立て始めたものだった。

 

 メモ帳を用意してきたユノ。そして胸元のポケットから取り出したペンでスラスラとメモを取り始めていくその最中、彼女は視線をこちらへ投げ掛けながらそれを訊ね掛けてくる。

 

「先日のラミアとの同伴では、水族館に行ってきたそうじゃない」

 

「そうですね。潮風が心地良い場所でした」

 

「素敵なデートスポットを選んだわね。……それでなのだけど、彼女との同伴もその格好で行ってきたのかしら」

 

「あはい、そうですけど……」

 

「ラフで無難な格好だから、世間的な視点から鑑みる分には違和感は無いわね。けれども、この店に辿り着くようなホステスは皆、そんな一般的な刺激だけでは満たされない風変りな子がほとんど。世間が追い求める理想像が無難であるならば、我々が追い求める理想像は冒険とも言えるわ」

 

「つまり……この格好は相応しくない、と……?」

 

「柏島くん。貴方はこの先もle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスと同伴する機会に恵まれるでしょう。だからこそ、自分が満たされるだけではなく、相手も満たすことのできる知恵やオーラを身に付けることもいずれ必要になってくるわ。貴方のほんの少しの気遣いが、あの子達のモチベーションの向上により繋がってくるの」

 

「相手も満たすことのできる……。そりゃそうだよな……同伴してくれるホステスも人間なんだし……」

 

 そう考えると、ラミアが頑張っておめかししてくれた一方で、自分はあまりにも素朴な格好をしてしまっていた。これをラミア視点から考えると、自分の頑張りと相手の頑張りがあまり吊り合っていないように感じられてしまって、不服に思えてしまう部分が出てきてしまうかもしれない。

 

 形式としてはホステスを一時的に雇っている身ではあるものの、やはり並んで歩くことを考えると自分もそれ相応の格好や対応をしなければならないか。それを考えた自分が顎に手を付けながら思考に耽っていると、メモにペンを走らせていたユノがその手を止めて、こちらを見遣りながらそんな提案をしてきたものだった。

 

「柏島くんという男性がワンランクアップするためのお手伝いをしましょうか?」

 

「ワンランクアップ、ですか……?」

 

「私が貴方を男前にしてあげる」

 

 ドキッ。気品あふれる凛々しい表情でそれを言われるなり、自分は一瞬だけ陥落しながらも「お願いします……」と困惑気味に答えてしまったものだ。

 

 その返答を耳にしてユノは、テーブルに両肘をついたその両手を組みながら喋り出してくる。

 

「それならば、同伴先は龍明の街中にいたしましょう。ここから二十分ほど歩いた先にある駅前には、貴方の中の常識を覆すに相応しい様々なお店が出揃っているわ。そこで柏島くんを男前に仕上げたその足で、私とデートをいたしましょう。柏島くんとしてはどうかしら。何か要望はある?」

 

「いえ、ユノさんの仰った大まかなスケジュールで問題ありません。ユノさんとしましても男性との同伴は初めてということですから、最初は馴染みのある街中から同伴を始めるべきなのかなと考えておりました」

 

「私のことを考慮してくれているのね。ありがとう。その計らいに私は全力で応えてみせるわ」

 

 言葉の重さからして、あたっていく物事には常に全力であることが何となくうかがえる……。

 

 変な汗を流していく自分。これにユノは気にすることなくメモをまとめていくと、その黒色の手帳をパタンッと閉じてはペンと共に胸のポケットにしまいつつ、ボタンを二つ外してあるその胸元に気を取られるこちらへと彼女は言葉を投げ掛けてきた。

 

「店のシフトの関係などで、現時点では同伴の日時を決定することはできないわ。加えて私は、ショーのキャストとしてステージに立つこともあるものだから、その練習や打ち合わせを含めた上での日時の連絡に、もしかしたら時間が掛かってしまうかもしれない。その点を留意してくれると嬉しいわ」

 

「ショーのキャストって、キャバレーの時にステージの上で行われる演奏や演劇のことですか?」

 

「えぇ、そうよ。私がキャストとしてステージに立つのは演劇の方で、そこではパフォーマーとして演技を行う他に、ダンサーやボーカルも担当することがあるものだから、練習量も他の子と比べてどうしても増えてしまうのよ」

 

 先日にも見たあの舞台にユノさんも立つのか……!

 巡ってきた高揚感。あのクオリティのショーをユノさんの演技で見られるなんて、という期待感も脳裏によぎってくる。

 

「すごいですね……! 俺、ユノさんのステージも見たいです……!」

 

「ふふ、ありがとう。話が逸れてしまったものだけれど、そういった事情から同伴の日時についての連絡は遅れてしまうかもしれない。ということを伝えたかったの」

 

「いやいや構いません!! いつでもお待ちしております」

 

「理解してくれてありがとう。とても助かるわ」

 

 そう言って、凛々しいサマで再び微笑んできたユノ。これに自分は照れながらも「いえ」と答えていくことで、この場にて彼女とは解散になったものだった。

 

 

 

 

 

 無償で新作の昼食を頂いてしまった上に、ユノと同伴の約束もできてしまった。

 昼間から幸福度が満たされて、とても充実した良い気分でle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)から出てきた自分。その店前の道に出て、外の空気を吸いながらもユノと同伴する駅前を下見するべく歩き出した、その時のこと。

 

 ふと、こちらに歩み寄ってくる気配に自分は振り向いていく。するとその視界の先からは、こちらを目指して歩いてくる一人の女性がうかがえたのだ。

 

 淡藤色(あわふじいろ)の薄く淡い青紫色の短いパッツンボブ。胸元辺りまで伸ばしたもみあげというヘアスタイルに、右目が水色、左目がピンク色というオッドアイと、褐色の肌に魔性の微笑みという組み合わせが特徴的なその風貌。

 

 加えて、黒色のコートに紅鼠(べにねず)の赤みがかった鼠色のワンピースというその格好と、華やかな白色のレースが入った黒色のサイハイソックスに、モコモコとした黒色のブーツという姿で近付いてくる“彼女”。

 

 他、ショルダーバッグのような黒色のスーツケースを手に提げていたものであったのだが、それ以上に意識が向いてしまったのは身に付けているワンピース。それは下が見えるか見えないかの絶妙な絶対領域を作り出している極端に短い丈であったため、昼間から露出の多い格好で出歩く“彼女”に自分が恥ずかしくなってしまえたものだった。

 

 白鳥(しらとり)レダ。先日にも初対面だった彼女は、自身のことをそう名乗っていた。途端に自分は彼女の恍惚とした表情を思い出していくのだが、その印象を体現するかの如くレダは艶やかな視線を送ってくると、次にもこちらに歩み寄りながら恍惚とした顔で喋りかけてきたものだ。

 

「あらぁ、奇遇ね~。こんにちは、カンキ君」

 

「ど、どうも……」

 

「視線を逸らしちゃって、どうしたの~? 挨拶のお返事くらいは、相手の目を見ながらしないとね?」

 

 息がかかるくらいの至近距離まで詰めてきたレダ。このアプローチに自分は頬を赤らめていくと、彼女は獲物を補足したような笑みでこちらの頬に手を掛けつつも、そのまま自身の方へとゆっくり振り向かせながらそう喋り続けてくる。

 

「お昼から刺激的すぎちゃったかしら~? でも、これだけで目も合わせられなくなるようじゃあ、わたし達の夜の相手も務まらないわよ?」

 

「そ、そういう目的で関わってるわけじゃないから……!」

 

「あら、ウフフ……。とっても良い反応を見せてくれるじゃない。ウブなオトコが焦っちゃっているその姿……余計にゾクゾクしてきちゃう……」

 

 褐色の頬を赤らめるレダ。共にして舌なめずりを行ってくると、こちらの肩に両腕を回してきては大胆に顔を近付けて、唇が触れ合うというその距離で彼女は囁くようにそれを言い放ってきた。

 

「ねぇカンキ君。この後、予定とかあるのかしら? もし急ぎの用が無いのなら……今からわたしと気持ち良いことをシに行かない……?」

 

「ちょっと、昼間から何言ってるの!?」

 

「営みに昼も夜も関係無いのよ? 心と体が惹かれ合ったその瞬間こそが、お互いの欲求を満たすのに絶好のタイミングなんだから……」

 

 と言うなり、誘惑的に身体をくっ付けてきたレダ。その豊満な乳も自慢げに押し付けてくる彼女のアタックを受けて、自分は焦りつつもその身体を優しく遠ざけていく。

 

「いやいやいや、こういうことはせめて人目の無いところで……!」

 

「そう言われてもわたし、ガマンできないの……。こうしておあずけにされている間も、身体の芯が熱く火照ってきちゃって……もう、歯止めが利かないんだからぁ……!」

 

「どんだけ溜まってるの!? いやいやちょっと、一旦離れて……」

 

「あぁん!」

 

「喘がないで!!」

 

 通報される! その一心で自分は、必死な形相を見せながらレダを引き剥がしたものだ。

 

 そんなこちらの対応に、レダは不服そうな表情を見せてきた。だが、そうしてこちらから両腕を解いてくる最中にも、彼女が手に提げていたスーツケースがこちらの背中にゴツッと当たり……。

 

 その直後にも、レダはスーツケースを大事そうに抱え込んでいったのだ。

 

 これと共にわずかながらと聞こえてきた、カラカラという中身の音。何かの軽量な機器がぶつかり合うようなそれを自分は耳にしていくと、今もレダが抱えるスーツケースを指差しながら問い掛けてみたものだった。

 

「だ、大丈夫? なんか、とても大切そうに見えるけど……」

 

「あぁいえ、平気よこれくらい。……ウフフ。ウブで弄り甲斐のあるオトコを前にして、ちょっと昂りすぎちゃったみたいね。この続きはまた別の機会にしましょう? ねぇ? カ・ン・キ・く・ん?」

 

 色っぽく呼んでくる名前に、自分は視線を逸らしてしまった。

 と、抱え込んでいたスーツケースを再び提げていくレダ。それを身体の後ろに回しては両手で持つようにしていくと、彼女はワンピースから褐色の谷を覗かせてくるような前かがみの姿勢でこちらに歩み寄りながらも、ふとそんなことを訊ね掛けてきた。

 

「それでカンキ君、この後はどこに行くつもりだったのかしら? あなたのアパート、そっち方面じゃないでしょう? もしかして……どこかでガールフレンドと待ち合わせ~?」

 

「なんでレダが俺のアパートの場所を知ってるの……。まぁそれは良いとして、この後は駅前に行こうかなって思ってたんだ」

 

「駅前? ふぅん……」

 

 と、何かうかがうような視線を向けてきたレダ。その、何かを含んだ相槌で彼女は何度か頷いていくと、次にもそんな言葉を投げ掛けてきたのだ。

 

「もしかして、同伴だったかしらぁ? それだったら、せっかくのお楽しみのところお邪魔しちゃってごめんなさいね~?」

 

「いやいや、たった今お店から出てきたところで、これから一人で駅前に行ってくるつもりだったんだ」

 

「え?」

 

「え?」

 

 え?

 互いにキョトンとしたその瞳。これに何かが噛み合っていないと感じたのは、おそらく自分だけじゃなかったはず。

 

 すぐにもレダが、言い寄るようにこちらへ数歩と近付いてきた。先ほどまでの誘惑的なオーラとは正反対の、とても真剣な眼差しを突き刺すように向けながら……。

 

「カンキ君、それはあまりにも不用心すぎるわよ?」

 

「不用心? まぁ確かに、龍明って街は犯罪の温床とか言われてるけど……」

 

「そうじゃないわよ。あなた、“命を狙われている”自覚はあるの? って話よ」

 

「…………え?」

 

 なんだそれ。これまで耳にしたことも無いような言葉を掛けられたことで、自分は唖然としながらレダを見遣ってしまった。

 

 この反応にレダは、『あちゃー』と言わんばかりの顔をしながら自身の口元へ手を伸ばしていく。

 

「その様子じゃ、ユノさんから知らされていなかったみたいねぇ……。わたし、余計なこと言っちゃったのかも~……」

 

「いや……。え? 本当なの、その話」

 

「え、えぇ、まぁ……。いまさら隠してもしょうがないわよねー……」

 

 冷や汗を流すレダが、こちらから視線を逸らしていく。だが、彼女はすぐにもこちらへ向き直ってくると、次にも艶やかな声音ながらも真剣な調子でそれを話してくれたのだ。

 

「わたしの方からじゃ、あまり詳しくは話せないのだけど……。結論から言ってしまえば、カンキ君。あなた日頃から、命の危機が脅かされている状況に置かれているのよ」

 

「なんでまた、俺なんかが……?」

 

「至極単純な話、あなたが柏島オーナーの息子さんだからよ」

 

「…………俺の命と親父に、何か関係が……?」

 

「考えられる最もな原因としては、あなたのお父さんが裏社会に恨みを買ってしまっているから、かしら? 柏島オーナーへのヘイトは非常に根強いものになっているらしくって、既に亡くなられたことで本人が不在となった今になっても、そんな彼への報復として、実の息子さんであるあなたの命を狙っている……という線でわたし達は考えているわね。その真相は闇の中ではあるのだけど」

 

「…………」

 

 言葉にし得ない感情。同時にして巡ってきた、『だから親父のやつ、俺と関わらないように距離を置いていたのか』という認めざるを得ない納得の言葉。

 

 そんな自分の様子に、レダは神妙な顔でこちらの手を取りながらその言葉を掛けてきたものだ。

 

「大丈夫だから、カンキ君。裏ではユノさんがぬかりなく手を回してくれていて、そのおかげであなたは今も平穏な日常を送ることができているのよ。まぁ……今でこそわたしが余計なことを言っちゃったものだから、あなたに不安を与えてしまったものなんだけれども、大丈夫、わたし達は責任を持ってあなたのことを最後まで守り抜いてあげるから」

 

「…………気を遣わせてごめん。今度からは俺も、周囲に気を付けながら生きていくよ」

 

「あなたは何も悪くない。全部、柏島オーナーに悪行を暴かれるに至った裏の組織が発端なのであって、そんな彼らがカンキ君のことを逆恨みしているだけなのよ」

 

 その言葉を喋りながらもレダは、手に取ったこちらの手の甲を自身の顔に近付けてはおもむろに口づけを行ってくる。これに自分は心臓の鼓動を静かに鳴らしつつも、与えられた温もりによって少しばかりと落ち着きを取り戻したものだった。

 

 共にしてレダは、こちらの手を引くようにしながら駅の方角へと歩き出した。そして彼女は髪を揺らしながら振り向いてくると、褐色の魔性な笑顔でありながらも純粋な優しさを滲ませたその表情で、上目遣いを交えながらその言葉を掛けてくれたのだ。

 

「あなたの用事に、わたしが最後まで付き添ってあげる。その方が安心できるでしょう? だから今は、一緒に居ましょ? ね? カンキ君が安心できる毎日を送れるように、こうしてわたし達が見守っていることを証明してあげるから!」



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第9話 La tentation du rouge 《赤の誘惑》

 ユノとの同伴当日。

 龍明の駅前で待ち合わせという予定通りに、自分は部屋を出る前に鏡の前で身だしなみのチェックを行っていた時のことだった。

 

 部屋の奥では、人のベッドに引きこもるメーがスマートフォンで音ゲーをプレイしている音が聞こえてくる。それを横目に自分は、そろそろ出発すると彼女に外出を伝えようと顔を覗かせた時にも、自分の背後にあった玄関の扉がひとりでに開けられるなりラミアが入ってきた。

 

 この音に自分は振り返っていく。だが、「おかえり」と声を掛けようと口を開いた時にも目撃したラミアの様子に、迎える気持ちよりも心配の気持ちが勝ってしまったのだ。

 

 病み系コーデという勝負服姿のラミアが見せてきた、死人の如き青白い顔色。目の下につくった黒いくまと、疲労困憊で死に掛け状態なその表情は、げっそりとした頬で更に強調されていたことで、もはやホステスが見せていい顔ではなかったものだ。

 

 限界状態のラミアは、朦朧とした意識でこちらを捉えながら「ただいま帰りましたー……」と弱々しく言葉を口にしてくる。これにはベッドにいたルームウェア姿のメーも様子を見に歩み寄ってきたその中で、自分はラミアをうかがうようにしながらその言葉を掛けていった。

 

「お、おかえり……。いや、本当にお疲れ様……」

 

「うー……もうまぢムリです……。ホントに信じられない地獄のような同伴でした……。足がイタいって言ってるのに気合いが足りないとか言われて歩かされ続けたり、ウチのハナシを最後まで聞かないで自分の話を始めてきたり、周囲への態度が悪すぎて一緒に居るのが恥ずかしく思いましたし、挙句には薬を飲んでないのに許可も無く中に出されたりして……なんだかジブンが惨めに思えてくる同伴でした……。どーしてウチがこんな仕打ちを受けないといけないんでしょうか……なんかもうやってられませんよ……」

 

 ラミアの様子からして、だいぶ参ってしまっているな……。

 玄関先で呆然と佇むようにする彼女は、部屋に着くなり涙を浮かばせながらそれらを話したものだった。それに対し、話を聞いたメーが「最低なクズ。そんなヤツ死んじゃえばいいのにね」と容赦なく言いながらもラミアに近付いていって、彼女はラミアの頭を優しく撫でながらも部屋に上がるよう促していく。

 

 だが、そんなラミアは顔を上げるなり、こちらの顔をじっと見据え始めてきた。

 これに、自分は首を傾げながらも向き合っていく。そして次の時にもラミアは、迷うことなくこちらに抱き付いてきたのだ。

 

 突然のそれに、自分は一瞬ばかり焦ってしまった。だが、無心で抱きしめてくる彼女の頭を撫で始めていくと、彼女はこちらに顔を埋めながらもこもった声でそれを喋り出していく。

 

「カンキさん。ウチを慰めてください……」

 

「よく頑張ったねラミア。お仕事のためにずっと我慢して、本当にえらいよ。よく頑張った」

 

「ご褒美が欲しいです」

 

「冷蔵庫の中にショートケーキが入ってるよ。三つ入ってるけど、頑張ってきたラミアが全部食べてもいい」

 

「食べたいです……。甘いもの大好きですから……。でも、お昼のシフトまでに睡眠もとっておかないといけません……」

 

「それじゃあ、今はゆっくり休まないとね。……メー、ラミアのことを任せてもいいかな。俺、そろそろ出ないと」

 

 ラミアの頭を撫でながら、靴を脱いだ彼女をメーに引き渡していく。これにメーは、「カンキ君は行ってきて。こっちは大丈夫だから」と口にしてラミアを抱きとめつつ、こちらに勝気な視線を向けてきたものだ。

 

 そして自分は、「ラミアのこと、お願いね」とメーに伝えて部屋を後にした。

 同伴というものも大変だな。そんなことを考えながら歩き出すこの道のり。且つ、この後にもユノとの同伴を控えていた身として、相手に失礼の無い対応をしなきゃなという意識が一層と強くなったものでもあったのだ。

 

 

 

 

 

 朝方の龍明。都会らしく発展し、高層ビルに囲まれた交通機関と横断歩道が巡らされたその空間。しかし街の空気はどこか黄色く濁っているように感じられ、その淀んだ雰囲気が無法地帯らしさを醸し出してくる。

 

 そんな街中にある龍明の駅前へと移動した自分は、待ち合わせ場所である駅の柱で暫しと佇んでいた。

 

 時折と腕時計を確認する。待ち合わせに遅れてはならないと思って、張り切って時間前に到着した現在。だが、ちょっと早すぎたこともあって自分はしばらくそこに棒立ちをかましていく。

 

 と、待ち合わせの時間きっかりとなったその時刻。ちょうど針がその数字を示したその瞬間にも、自分は近付いてくる気配へと振り向いては歩み寄る“彼女”の姿を捉えていったものだ。

 

 とても見慣れた、分厚い白色のポニーテール。色白の肌で気高き風格を醸し出すあの存在感は、相も変わらずといった具合に女帝とも言える凛々しさを纏っている。……はずだった。

 

 黒色のノースリーブトップスに、赤と黒のチェック柄ロングスカートというそのコーディネート。加えて、黒色のローファーに赤色の靴下という組み合わせと、肩に掛けた黒色のカバンに黒縁の伊達メガネという格好で“彼女”は姿を現すと、あまりにも見慣れないファッションに思わず呆気に取られていたこちらの顔をうかがいながらそう喋り出してくる。

 

「待たせてしまったかしら、柏島くん」

 

「いえ、そんな……」

 

「どうかしら、この格好。男性との同伴ということで趣を変えてみたのだけれど、やっぱりこういった系統は私には合わないわね」

 

「いやいや! むしろその逆で……めっちゃ似合ってて綺麗です、ユノさん……」

 

 これまでに見てきた彼女の姿は、凛々しく麗しいデキる女上司という頼れるお姉さんとしての姿だった。だが、今こうして目の前に存在する彼女は、女性という温もりと愛らしさを兼ね備えたファッションを身に纏っており、女性らしさを全面的に押し出してきた彼女はもはや別人のようにも思えてきてしまえる。

 

 そう言ってしまうと失礼なのかもしれない。だが、ホステスとしてのタキシード姿や、私服であるライダースジャケットとバイクパンツという凛としたスタイルから一転としたその姿を目撃して、自分はこの瞬間にもユノという人物を改めて異性として意識してしまったものだった。

 

 もう、何時間でも見惚れてしまえる。そんな勢いで彼女のことをじっと見遣っていたこちらに対して、ユノは申し訳なさそうに眉をひそめながらそれを言い出してきたものだ。

 

「そんな注目されてしまうと、さすがに私でも恥ずかしいわ」

 

「あ……すんません……。でもそれくらい、めっっっちゃ綺麗です……」

 

「ありがとう、柏島くん。ただ、そこまで驚かれてしまうとかえって失礼に思えてくるものよ。私もれっきとした女性なのだから」

 

「ご、ごめんなさい!! 普段のカッコよさとのギャップで、つい……!!」

 

「ふふ、冗談よ。柏島くんは分かりやすくて助かるわ。ポーカーフェイスが苦手であるその素直な性格、いとも容易く貴方の真意を汲み取ることができるからこそ、私は安心して貴方に同伴を頼むことができるというもの」

 

 こちらに歩み寄ってくるユノ。そして彼女は悠々としたサマで右手を差し伸べてくると、こちらよりも背の高いそのアプローチと共にユノは、穏やかな調子でそれを口にしてきたのだ。

 

「さぁ、私との同伴を開始いたしましょう。今日は楽しいデートにしましょうね、柏島くん」

 

 

 

 

 

 人々の視線を吸い寄せるその存在感。コツコツと靴音を鳴らしていく度に、彼女を認知した周囲の人間はその女神に見惚れていく。

 

 ユノと出歩く龍明の街は、いつになく気持ちが落ち着かないある種の緊張感を伴っていた。

 周囲から向けられる視線に心拍数が上がっていく。別に自分が見られているわけでもないのに生じるこの緊張に気が引き締まっていく一方で、当の彼女は人目を気にすることなく駅前を歩き進めていっては、更に駅ナカへと移動してブティックを吟味していくその様子。

 

 この同伴は、基本的にユノの後をついていくお出掛けとなっていた。尤も、時折と彼女はこちらの腕に手を回してきては、「あのお店とかどうかしら」と言葉を投げ掛けてきたりなどの親密的なコミュニケーションも交わしてきたものだったが。

 

 女性に恋愛感情を抱くというユノは、男性である自分に対してこれといった抵抗を見せることなく駅ナカを巡っていたものだ。彼女としても、男性との同伴を始めるにあたってどのように接するのかを確かめている最中なのだろう。

 

 メンズものを取り扱うブティックを暫しと眺め、「ここにしましょう」と短く断言したユノ。そして彼女はこちらの手を優しくとってくると、先導するように店内へと入っていっては店の中を一通りと回っていく。

 

 この、導いてくれる安心感こそが、女性からの支持を得ている部分なのかもしれない。ユノが併せ持つ気高き風格は、身近の者に絶対的な安堵を与えてくれる。

 

 今も手を取りながら店内を歩き回っていくその最中に、逐一とこちらの様子をうかがっては気に掛けてくれるその対応。加えて絶世の美貌というその風貌も合わさることで、男である自分でさえもまるで女神の加護に包み込まれたかのような安心感を得ることができていたものだ。

 

 ユノが選んでくれた服を、試着室で身に纏っていく自分。そうして着替えが完了したということで自分はカーテンを開いていくと、その前で凛々しく佇んでいたユノが納得の頷きを見せながらその言葉を掛けてくる。

 

「いいんじゃないかしら。その服装ならば、ホステスの子達もきっと大喜びで同伴してくれるわよ」

 

「そ、そういうもんですかね……。俺、この格好ちょっと恥ずかしいんですけど……」

 

 と言いながら、自分は背後の鏡へと振り向いて自身の姿を改めて確認していく。

 黒と白とオレンジが入り乱れるカーディガンのようなアウターに、内側にはフード付きの黒色のパーカーと、腹部に巻き付けたベルトのような白色のアクセサリー。暗い青色のボトムスに、黒色のスニーカーというストリート系に近しいその格好。

 

 なんか自分らしくないと思えてしまうその一式。これに違和感が拭えないと言わんばかりの顔を映していくこちらとは反対に、ユノは鏡越しに満足そうな顔を見せていたものだった。

 

 あとは髪をいじれば完璧。というユノのアドバイスをもらって、自分はそれら一式を購入。それらの衣類もユノが店の経費で支払うとか言い出したことで、実質無償で手に入ってしまったものだ。

 

 そして、早速とその格好に着替えて龍明の街へと出ていく自分ら。その際にもユノはこちらの左手を握ってくると、手を繋いだその状態でこちらに提案を投げ掛けてくる。

 

「長時間、私のわがままに付き合わせてしまってごめんなさい。時間も時間だから、昼食にでもしましょうか?」

 

「わがままだなんて、そんな。俺のためにコーディネートをしてくださってありがとうございました。それでお昼なんですが……」

 

 俺、友達とはファミレスぐらいにしか行ってなかったしなぁ……。という内心を呟きながら周囲を眺めていく自分。

 

 女性とのデートの際、どんな店に行くべきなのだろうか?? そんなの全然知らないぞ??

 ふと訪れた謎の危機感。行き先によってはユノを失望させてしまうんじゃないかという不安感にも駆られ始めたこの緊張が、心臓の鼓動となって何度も胸に打ち付けてくる。

 

 だが、そうして挙動不審のような見渡しを行うこちらに対して、ユノは悠々としたサマでそれを口にし始めたのだ。

 

「なにも恥ずべきことではないわ、柏島くん。誰にだって、知らないことくらい存在するものよ」

 

「まぁ自分は男でもあるんで、デートの時くらいはそういうところもしっかり調べておけば良かったなと、今になって反省しております……。この周辺にあるオシャレな飲食店を知らないだなんてラミアやメーに知られたら、数日はそのことをネタにされてしまいますからね……」

 

「仲睦まじくて、たいへんよろしいこと。日頃からあの子達の面倒を見てくれてありがとう。それじゃあ……日頃のお礼も兼ねて、今回はとっておきのお店を貴方に紹介してあげようかしら」

 

「本当ですか? めっちゃ助かります……!」

 

「私が女の子と同伴する時に利用するお店なの。だから、店内の雰囲気や料理の味といった品質は保障するわ。ここから徒歩で十五分くらいの場所にあるから、ついてきてちょうだい」

 

 それらを口にして歩き出したユノ。そうして手を繋ぐ彼女が導くように先を歩き出したことで、自分は更なる安心感を抱きながらユノおすすめのレストランに連れていってもらった。

 

 ビルの九階に位置するレストラン。全体的にシックな雰囲気の店内に、昼間でも宝石のような照明が灯る空間が高級感を醸し出している。加えて、ビルの外にある観葉植物と、ナイフとフォークでいただく料理の形式が一層とオシャレでもあった。

 

 最初こそは色々と身構えたものであったのだが、お値段は非常にリーズナブルで、デートの際にふらっと訪れた際にも安心して利用できるのがポイントだった。これを受けて自分は良い武器を手に入れたなという身に付いた知識に自信を持ちながら、今も二人用の席で向かい合うユノと穏やかな食事を行って昼食を終えていく。

 

 かと思えば、駅前に戻るなり今度はデパートの中を二人で歩いていたものだった。

 人混みがごった返すこの空間。その中を自分はユノと足並みを揃えながら巡っていき、時には若者に人気なアイスクリーム屋の列に二人で並んで、同じものを頼んでアイスクリームを堪能したりなどといったラフな付き合いも行っていく。

 

 ユノという人物は、色々な意味で可動域が広かった。

 コーン付きのアイスクリームを手に持って、二人で店内のベンチに座ってそれを食べているその最中。今も隣にいるユノの存在に未だ緊張が拭えない自分が、顔を赤らめながらもちょっと気まずそうにしてアイスをかじっていた時のこと。

 

 提げているカバンからスマートフォンを取り出したユノ。赤色のそれでカメラを起動していくと、不意にも彼女はこちらの肩に手を回してきながらインカメラを向けてくる……。

 

「とても良い表情」

 

「え?」

 

 パシャッ。

 カメラの存在に驚いた自分の顔が、なんとも間抜けに写されていたその写真。それでいて、まさかユノがこのような行動を取ってくるなんてという想定外の事態に困惑が隠し切れず、自分はそんなことを訊ね掛けてしまう。

 

「ユ、ユノさん!? ユノさんってこういうことする人だったんですか……!?」

 

「私がしてはいけない理由なんて無いでしょう?」

 

「そ、それはそうですけど……!!」

 

「柏島くんが私のことをどう思っているかなんて知る由も無いけれど、私もれっきとしたホステスである以上はこういうこともできるのよ」

 

 と言うなり、ベンチの背に腕を掛けたユノが、次にもその手でピースをつくってこちらに凛々しいドヤ顔を行ってきたのだ。

 

 あっっっ。なんてことだっっ。

 思わぬヤンチャなギャップに昇天しかけた自分。途端に愛らしく感じてしまったユノのアピールに鼻血が出そうになると、ユノはノースリーブのトップスでおもむろに腕を上げてきては、再びこちらの肩に腕を掛けてきてインカメラを構えていく。

 

「次はカメラ目線をちょうだい。その服装の柏島くんの写真を、いつものホステスの子に送信するつもりでいるから」

 

「え、ラミアとかメーですか?」

 

「あとは最近、レダとも仲が良いみたいじゃない?」

 

「まぁ……レダとは最近になって関わるようになりましたけど……」

 

「彼女達に先ほどの写真を送ったら、どんな反応をするでしょうね?」

 

「それは勘弁してくださいよ!! 絶対ネタにされます!!」

 

「それじゃあ、ネタにされないようこの写真はカッコよく写っておきましょう?」

 

「どちらにしても送るんですか!?」

 

 パシャッ。

 

 問答無用すぎる。もはや無慈悲とも言えるシャッターが切られ、自分は必死な形相のそれに頭を抱えてしまったものだった。尤も、自分の顔以上にユノの勝負服姿の方に意識が向くことだろうけれど。

 

 そんなやり取りを交わしつつ、自分らは再びデパートの中を巡り出す。その途中に見つけた映画館へと続く通路に視線をやっていくと、その突き当たりにはちょうど話題となっているアクション映画の特大ポスターが張り出されているのを視界に捉えたものだ。

 

 走行中の貨物列車から大量の荷物が流れ出し、その上を駆け抜けようとしている男の俳優が手を伸ばしているその図。貨物列車の上には、武装した男に囚われる女性というなんとも派手な様子に自分は暫しと眺めていると、それに気が付いたユノもまたポスターを見遣るなりそんなことを口にし始めてきた。

 

「今、話題になっているアクション映画みたいね。お店に来てくれるお客様が、あの主演の俳優さんのファンって方が多いの」

 

「ポスターの左上に写っている顔を見れば、一発で納得できますね。まだ二十代前半で若くありながらも、なんともまぁハードボイルドで渋い演技をするもんですから、男から見てもカッコイイなと思っちゃったりするもんですよ」

 

「共感できる部分はあるわね。私も、若い女の子には目移りしてしまうもの」

 

「同性でも、カッコ良かったり可愛かったりすればついつい注目してしまうものですね」

 

 たわいない会話だった。だが、そんな話をしている最中にもユノは腕時計を確認していくなり、おもむろにこんなことを提案してきたのだ。

 

「柏島くん。貴方が良ければ、これからあの映画を観てみない?」

 

「あはい、構いませんが……ユノさんってアクション映画をご覧になるんですね……。ちょっとだけ意外でした……」

 

「私自身それほど嫌いではないのだけど、それ以上に話題の引き出しを増やしておくことに意義があるのよ」

 

「なるほど、お客との会話に活かせますもんね。話題の映画ですから尚更。そうとあれば行きましょう!」

 

 接待が主となる仕事であるため、世間の流行には敏感であることも重要になるんだ。

 そんなユノへの感心に自分は心の中で頷いていきながら、映画館へと向かうためにそちらへ歩き出していく。が、今は彼女と手を繋いでいた状態であったために、自分が歩き出したその時にもユノをエスコートするかのような光景を生み出してしまった。

 

 その瞬間に巡ってきた、互いに視線を交わし合うこの沈黙。

 ……いつもと逆だ。自分がユノという女性を先導する今のシチュエーションには、自分もユノも気まずそうにしながらゆっくり視線を逸らしていってしまう。だが、次にもユノが再び向き合ってくると、その凛々しいサマでありながらも頬を赤く染めながらそれを喋り出してきたのであった。

 

「……いいわ、柏島くん。貴方の男らしい紳士な姿を私に見せてちょうだい。柏島くんのエスコートに、期待しているわよ」

 

 

 

 

 

 映画を見終えた現在でも、先ほどユノから掛けられた言葉に未だドキドキが鳴り止まない自分。感想を二人で話しながら映画館を後にしていくと、夕方になりつつある現時刻でデパート内のゲームセンターを楽しんで、気付けば夜という時間帯を迎えていたものだ。

 

 ゲームセンターでは主にメダルゲームで遊んでいた。とても意外に思ったのが、ユノという人物がメダルゲームに随分と夢中になっていたことだろう。

 

 彼女はどんなことでも手を抜かない。それ故に、遊びにも常に全力となって取り組んでいた。それも、メダルゲームの筐体にしっかりと張り付いて、真剣な眼差しを画面に向けながらゲームに熱中していたその姿に自分は呆気にとられてしまうほどのもの。

 

 また、ユノとエアホッケーで遊んだ際にはとんだ目に遭わされたものだった。

 さすがは負けず嫌いの彼女。普段はあまり触れないそのゲームでも、敗北する度に鬼のような形相で再戦を臨んでくるその光景。それが何十回と繰り返されたことで自分は疲れ果て、しかし疲労とは別にして自分は、その短時間でユノに実力を追い抜かされてしまう。

 

 彼女、一戦毎に良い所と悪い所の研究を行っていた。その揺ぎ無い姿勢に感服する形で自分は完敗を認めていくと、ユノは満足したようにその瞬間だけ無邪気な笑みを見せて喜んでいたものだった。

 

 こうして、デパートのゲームセンターも堪能した自分ら。その時間も夜を迎えて、そろそろ解散しようかという話が出始めた時のこと。

 

 デパートの出口まで歩いてきたところで、自分は自動ドアのセンサーを踏みながらも思い出すようにそれを口にしたものだった。

 

「あ、最後に地下で買い物でもしていこうかな」

 

 こちらが足を止めたことによって、手を繋いでいたユノが悠々としたサマで振り返ってくる。

 

「どうかしたのかしら」

 

「あぁいえ、ちょっと今晩のご飯と甘い物を買って帰ろうかと思いまして。家を出る時、ラミアがすごく辛そうにしておりまして。同伴で嫌なことがあったってことで相当参ってしまっている様子でしたから、甘い物で少しだけでも元気を出してもらいたいなと」

 

「ラミアのことを気遣ってくれているのね。これには、店を代表してお礼を言わないといけないわ。柏島くん、ホステスのことを大切に扱ってくれて本当にありがとう。この私から、心からの感謝を表明するわ」

 

「扱って、ってそんな……」

 

 こちらの言葉を遮るように、握る手を持ち上げてきたユノ。そしてこちらと向かい合いながら彼女は真っ直ぐと瞳を見据えてくると、次にも穏やかな微笑みを見せながらそれを口にしてきたものだった。

 

「そのお買い物、私にも手伝わせてくれないかしら。私は彼女らが喜ぶものを把握している。だから、私の知恵は今の貴方の役に立てるかもしれない」

 

「役に立つとか、そんな大層なもんでもありませんが……! ですが、ついてきてくださるのであれば本当に心強く思いますし、何よりも俺が嬉しいです……」

 

 最後は純粋な気持ちを口走ってしまったものだった。

 と、その嬉しいという言葉を耳にしたユノ。それに対して穏やかな微笑を返してくると、ふとユノは一歩近付いてくるなり、こちらに軽い抱擁を行ってきた。

 

 背丈的に、ちょうど彼女の鎖骨あたりに顔が埋まる。且つ至近距離によるユノの香りと懐の弾力に自分は堪らず顔を赤くしていくその中でユノは、割と早めに抱擁を解いてきては手を引く形でデパートへと歩き出しつつその言葉を投げ掛けてきたのであった。

 

「男性をハグしたのは、これが初めてよ。つまり貴方は、私の初めてを体験した男性とも言えるでしょうね。……さぁ、立ち竦んでいないで買い出しへ行きましょう? 私にとって、お客様としても、男性としても特別な存在の柏島くん」

 

 

 

 

 

 住宅街の夜道に響かせる、両手に提げたビニール袋の音。それを二人で持ちながらアパートに帰ってくると、扉を開いた直後にもルームウェア姿のラミアとメーが飛び出すように顔を出してきた。

 

 それと同時にして、こちらとユノの格好に二人が驚きの声を上げていく。

 

「カンキさんユノさんおかえりなさーい!! もー、ユノさんからお写真が送られてきた時はウチ、ホンキで驚きましたよー!! 見た目が変わりすぎていたモンですから、最初どちらも分かりませんでした!!」

 

「うはー!!! やば! 生だと二人の印象めっちゃ違うじゃん!! ウケるんだけど! てかユノさんそんな格好もできんの!? やばくない!? チョー可愛い!! え、別で写真撮ってもいい?」

 

 アイスクリームを食べている時にも不意に撮られた写真で、ラミアとメーは興奮している様子だった。

 

 女の子ってこういうの好きなんだなぁ。と、そんなことを思いながら自分は提げていたビニール袋をラミアへ手渡していく。

 

「ラミア、これにシュークリームとかティラミスとかいろいろ入ってるから、好きなの取って食べていいよ」

 

「え、ウチにですか?? うわー、なんかスゴイいっぱいありますね!! コレ、ホントに全部ウチがいただいちゃってイイんですか!? すごく嬉しいです!! ありがとうございます!!」

 

 全部とまでは言ってないけど、これで元気を出してくれるならまぁいいか……。

 内心で呟いたその言葉も、既に背を向けて部屋へ戻っていったラミアを見送る最中に忘却していく自分。この脇ではユノがメーへとビニール袋を手渡しながら、そんな会話を展開していたものだ。

 

「お惣菜が中心ではあるけれども、お寿司や天ぷらが入っているから好きなように食べてちょうだい」

 

「さっすがユノさん! しかもビールまで入ってる!! ユノさん分かってるぅ~! あぁ二人も上がって上がって!! みんなで一緒に晩ご飯食べよ!!」

 

 と言いながらウキウキで部屋に戻っていくメー。

 これに対して自分は、「いやここ俺の部屋なんだけど……」というセリフを呟いた。そんな感じで大喜びなラミアとメーの反応を見送ったものであったのだが、最後に隣のユノが靴を脱いで上がっていくと、今も玄関に佇むこちらへ振り返りながらも彼女は穏やかに微笑みながらそれを伝えてきたものであったのだった。

 

「まだまだ楽しいひと時を過ごせそうね。それじゃあ、お言葉に甘えてもうしばらくだけお世話になろうかしら。……柏島くん、お邪魔します」



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第10話 Les liaisons dangereuses 《危険な関係》

 深夜の時刻。le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の出入り口付近でスマートフォンを操作していた自分は、店の裏口と思われる路地裏から顔を出してきたラミアにその言葉で呼び掛けられた。

 

「お待たせしましたー。それじゃーさっさと帰ってご飯にでもしましょー」

 

 赤と青のボーダーパーカーといういつもの服装で、同色のキャスケットを被ったラミアが生意気な表情を向けてくる。そのあどけない様子に自分は「そうだね」と返しながらラミアへと歩み寄っていくと、そのまま二人で並ぶようにしながらアパートへ向かっていったものだった。

 

 深夜の闇が落ち、車道と歩道の境が見分けつかなくなったひと気の無い夜道。この日も自分はキャバレーとしてのle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を満喫し、今日の相手をしてくれたラミアから一緒に帰ろうというお誘いを受けたことで今に至る。

 

 ラミアとは先ほどまで、接待という形で時間いっぱい談笑していたものだった。しかし、帰り道である現在に関しても話題が尽きることはなく、自分とラミアはたわいない話をしながら歩を進めていたものだ。

 

 会話の内容は主に、ラミアの愚痴というものだった。とは言うものの、彼女の愚痴や相談を聞くことに自分はこれといった抵抗を持っていなかったため、この時もラミアの尽きない愚痴に共感の頷きを交えて付き合っていく。

 

 それから、先日にも行ったラミアとの同伴以来、自分らはどこか距離感が近付いていたような気がした。特に、最近あったユノとの同伴の詳細をラミアが聞いてきてからは、ラミアもまた意識的にこちらの手を繋いでくるアプローチを見せてくるようになっていた。

 

 今も、二人で手を繋ぎながら歩くこの夜道。表通りから外れた細道が街灯の少なさをより一層と際立てるこの空間において、自分はラミアの黒色のカバンを代わりに持ちながらも、特に周囲を気にすることもなくラミアの話を聞いていく。

 

「それで、周囲のホステスの胸ばっか見てたそのエロジジイがですね、ウチを見た瞬間なんて言ってきたと思いますか!? ヒトの胸を見た瞬間、あの興醒めしたザンネンそうなカオで『なんだかキミは可哀相だね』って同情してきたんですよ!? ハァー!? うるさいボケぇ!! 余計なお世話じゃあ!! ってカンジです!! ウチだってですね、好きでぺったんこでいるワケじゃないんです!! そりゃあ周りのおっぱいはウチから見ても魅力的ですよ!? だからってどーしてああいった輩は、わざわざそんな言葉をクチにしてくるんでしょうかね!? ウチのことを慰めているつもりなんでしょうか!? それともただのセクハラなんでしょうか!? どちらにしてもしばいてやりますよ!!」

 

「そりゃあ、とんだ災難だったね……」

 

 苦労しているなぁ……。という言葉を内心で呟きつつ、自分は今も手を繋ぐ隣のラミアを眺めていく。

 

 そんなこちらの視線に気が付いた彼女もまた、目を合わせるように向いてきた。

 

 ……ムッとしたジト目で訝しげな言葉を添えながら。

 

「なんですか。カンキさんもウチのコトを哀れむんですか」

 

「そ、そういうつもりで見たわけじゃないんだけど……」

 

「じゃー、どーいうおつもりでウチのコトを見たんですか。どーせ上から覗いてもぺったんこですよーだ」

 

「どういうつもりで見ていたか……まぁ強いて言えば、今はラミアの内面を見ていたかな」

 

「内面ですか??」

 

「そう。性格とか考え方とか、身体の見た目じゃないラミアの内側の部分」

 

「ふーん。…………カンキさんのえっち」

 

「なんで!?」

 

 こちらの反応にラミアは、満更でもなさそうな微笑を見せてきた。

 

 そんな帰り道を辿っていた時のこと。現在もアパートを目指して、自分とラミアが深夜の一本道を雑談しながらゆっくり歩いていると、ふと背後から人の気配のようなものが、ゆらっ、と感じられていく。

 

 それに自分は、何も思うことなく振り返っていった。すると、その瞬間にも一つの人影がおもむろに飛び付いてくる光景を目撃する……。

 

 こちらに覆い被さるよう飛び掛かり、そのまま身体全体でこちらにしがみついてきた”それ”。加えて、衝撃で揺らいだ身体がラミアとの距離を離していき、自分はこの時にも心臓が飛び出るかのような恐怖を味わっていく。

 

 ……尤も、その褐色肌に、ピンクと水色のオッドアイという“彼女”の容姿を確認するまでの恐怖であったものだが。

 

「あ~ん! カンキ君~、会いたかったぁ~!」

 

「れ、レダ……!?」

 

 黒色のコートに、紅鼠(べにねず)の赤みがかった鼠色のワンピース。華やかな白色のレースが入った黒色のサイハイソックスに、モコモコとした黒色のブーツという格好のレダ。また、手に提げたショルダーバッグのような黒色のスーツケースが、彼女を際立たせるのに十分な存在感を放っていたものだ。

 

 そんな彼女はこちらに対して、豊満な乳を押し付けてくるアプローチを行っていた。ぎゅっと抱き付いてきては自身の身体をひたすらに密着させてくるその熱烈な抱擁に、自分は驚きよりも先に困惑が巡ってしまう。

 

 共にして、隣のラミアが恨めしそうな視線を送りながら喋り出したものだった。主にレダの胸を凝視しながら。

 

「あのー……レダさーん……?? それ、ウチのカンキさんだったんですけどー……??」

 

「あらぁ~? よーく見たらラミアも一緒だったのね~? あなたって色々とちっちゃいから、こんな近くに来るまで全く気が付かなかったわ~?」

 

「ちっちゃ……っ。あ、アナタってホントにいろんなオンナを敵に回しますよねー……っ」

 

「あらあら、なにそんな些細な事で怒っているのかしらぁ~? ごめんなさいね~? わたし、持たざる人間への配慮に欠けてしまっていたみた~い?」

 

「持たざるニンゲン……っ。なんですか。ケンカ売ってるんですか。そんなにウチとのケンカをご所望なのでありましたら、お望み通りそのケンカ、高く買ってあげますけどー……??」

 

 と言うなりラミアは、どこからともなくスタンガンを取り出しては電流を迸らせていく。

 

 いやそんなもの持ってたの!? という驚きと、いやここは犯罪の温床と呼ばれる龍明だから、女の子が護身用に持っていても当たり前かという納得が同時に行われた内心。

 

 その間もレダはこちらの懐に頬を擦り付けるようにしていくと、自身の頭をにじりにじりとこちらの顔に近付けながら、肩に手を掛けて誘惑的にそう呟いてきたものだった。

 

「いくら性格を重視するカンキ君でもぉ、おっきくて弾力とハリのあるおっぱいが目の前にあったら、迷わずそっちを選ぶに決まっているでしょう? ねぇ? あなたもオトコのコですものねぇ~?」

 

「え? え?」

 

 と言いながら、レダは右手に提げていた黒色のスーツケースを持ち上げていく。そしてその手の人差し指を伸ばしてこちらに近付けてくると、次にもこちらの乳首をおもむろに突っついてきたことで自分は思わず声を上げてしまったものだった。

 

 これに対してラミア、静かなる怒りで血管を浮かび上がらせながら、ニッコリとした表情で「おっぱいだけが取り柄のビッチが減らず口を叩いておりますねー……」とスタンガンを構えていく。

 

 一触即発。これに自分は危機感を募らせる。

 そして、レダがすり寄るようにしてこちらの耳元へ顔を近付けてきた。……その時のことだった。

 

 つま先で立つような姿勢になるレダ。そして、誘惑するかのような吐息を吹きかけてきた。……かと思えば彼女は、突如と低い声音でそれを喋り出してくる。

 

「なに悠長に夜道を歩いているのよ」

 

「れ、レダ?」

 

「シッ。黙って聞いて」

 

 冗談抜きの真剣な調子。これに自分が唖然としていくこの目の前では、スタンガンを手に持つラミアが真面目な様相を向けてくる。

 

 今もこちらにすり寄った状態のレダ。彼女は誘惑するように身体を押し付けてくるのだが、一方で真剣な表情を見せながらも静かな声で喋り続けてきたものだ。

 

「あなた、かなり危なかったわよ。下手すれば今、ここで死んでたかも」

 

「それって……俺が命を狙われているっていう……」

 

 この脇で、ラミアはそれとなく視線をどこかへやっていく。そしてどこかを暫し見つめるように佇んでいくと、彼女はその目をこちらへ戻しながらも小声でレダへと訊ね掛けていった。

 

「ウチらでやります?? 見たカンジ単独のようにうかがえますけど」

 

「いいえ、接触は極力避けたいわ。わたし達二人だけの状況だったら迎え撃ってあげても良かったんだけど、護衛対象のカンキ君がいる状況じゃあ、迂闊な戦闘はかえって弱点を晒すことになりかねないわよ」

 

「それもそーですね。ウチらが出払ってしまいますと、カンキさんの守りの手が疎かになってしまいますモンね。じゃーこのまま襲撃に警戒しつつ、カンキさんのアパートまで退避ってカンジでいきましょーか」

 

「そうしましょ。カンキ君、このまま真っ直ぐアパートを目指して。なるべく平常を装うように。“あちら”に動揺を見せてしまったら、瞬く間に付け入られるわよ」

 

 途端に巡って来た、凍てつくような緊張感。先ほどまでの和気藹々とした温度差に自分は、極度の恐怖を覚えながらもレダの指示に従うことで、抱き付いたままの彼女を連れてアパートへ歩き出していく。

 

 その間もラミアが、スタンガンを備えた状態で周囲をうかがうようにしながらついてくれていた。この二人の様子からして、自分が命を狙われているというのはホステス共通の認識であるらしいと感じ取っていく。

 

 そうしてレダとラミアに守られながら、自分は住んでいるアパートまで戻ってきた。

 玄関扉を開いて、ラミアとレダを入れてから鍵を閉めていく。そして自分は緊張から解放されるようにその場でへたり込むと、そんな自分へとラミアとレダが寄り添うようにしゃがみながら言葉を掛けてくれたものだった。

 

「カンキさん、コワイ思いをさせてすみませんでした。今日のコチラは完全にウチのミスです。カンキさんの安全も考慮しないで一緒に帰ろうと約束したのは、ウチが迂闊でした」

 

「まぁまぁ、いいじゃない。終わり良ければすべてよし。こうしてアパートまで戻ってきてしまえば、連中もそう簡単に手出しなんかできないわよ」

 

 ラミアをフォローしつつも、こちらの頭を撫でてくるレダ。そんな中で自分は「二人共、ありがとう……」と口にしながらゆっくり立ち上がっていくと、それに合わせて彼女らも腰を上げていくなり、レダは思い出したかのように部屋の中を眺め出していく。

 

「それにしても、あれよねぇ。とんだ成り行きではあったけれども、何だかんだでわたしもカンキ君のお部屋デビューを飾っちゃったわねぇ」

 

「お部屋デビューって……そんな大層なもんじゃ……」

 

「いやぁん。わたし、カンキ君にお持ち帰りされちゃったぁ~。獣みたいに激しくされちゃったらどうしよぉ~!」

 

「ご、語弊を招く言い方だよねそれ!?」

 

 未だ残る恐怖にぶっ刺さってきた焦燥。これによって自分は気持ちを転換していくと、ある意味でいつも通りになれたことに頭を掻きつつ、今も玄関にいるラミアとレダに「まぁ、とりあえず上がっていってよ……」と促したことで二人を部屋に上げていったものであった。

 

 

 

 

 

 ……いつの間にか眠ってしまっていた。

 床に敷いていた布団で目を覚ます自分。そうして瞼を持ち上げていくと、そこに映し出された自室の天井が朝の日差しを帯びていることに気が付いていく。

 

 昨夜の緊張感から解放されるなり、自分は事切れたかのように眠りについてしまったらしい。

 ラミアとレダがベッドで寝るために、いつものように床に布団を敷いたところまでは覚えているこの記憶。これに自分はボサボサになった髪であくびをしながら上半身を起き上がらせていくと、その先にいた褐色の存在に自分は暫し呆然と視線を向けてしまっていたものだった。

 

 傍に畳まれていた彼女の私服。そして目の前で佇む彼女が、こちらがよく着用している白色のYシャツのみを身に付けた露出の多い格好でこちらに振り向いてくるその光景。

 

 ぶかぶかなそれが、かえってワンピースのようになっていたレダの姿。丈がまた絶妙な絶対領域を作り出しているその様子に自分が困惑し始めていくと、次にも彼女は魅惑的な目でこちらを捉えながらそれを喋り出してくる。

 

「あらぁ、カンキ君お目覚め? お・は・よ」

 

「あぁ、おはよう……。……いやいやいやいや! なんでそんな格好してんの!?」

 

 彼女の挨拶に流されそうとなった自分。だがここで慌ててYシャツのみのレダへツッコんでいくと、そんなこちらの反応にレダが魔女のような笑みを浮かべていく。

 

「なんでって言われても、あなたの部屋にわたしのパジャマとか無いんですもの。だったら、部屋にあるあなたの私物を借りる他に考えられないでしょう?」

 

「だからって、俺のYシャツを直で着なくてもいいんじゃない……? それに借りるならズボンとかも履いてくれないと目のやり場に困るんだけど……」

 

「なぁに~? カンキ君もしかして、照れちゃってる~? わたしのようなオンナに自分のお洋服を着てもらえた嬉しさを隠しているのかしらぁ?」

 

「…………否定ができない」

 

 そりゃあ、嬉しいけど……。

 なんていう本音を表情に滲ませてしまう自分。そうして気恥ずかしさから視線を逸らした自分であったものだったのだが、この様子にレダは何かを企むような笑みを浮かべてくると、その時にもこんな呼び掛けを行ってきたものだ。

 

「カンキく~ん? コッチ向いて~?」

 

「ん?」

 

 ぴらっ。

 Yシャツの裾をめくってきたレダ。これに自分は思わず「ぶフォっ」と鼻血を噴き出しながらノックダウンしていく。

 

 大人の黒色が見えたところで、部屋の廊下からルームウェア姿のラミアが顔を覗かせてきた。シャワーの後と思われる濡れた髪をタオルで乾かしていくサマを見せながら。

 

「お二方、ナニ朝から盛ってるんですかー。えっちするんでしたらウチがお昼のシフトに出てからにしてくださいよー」

 

「あらぁ、ラミアは混ざらなくてもいいの? どうせならお仕事の時間まで三人で盛り上がっていきましょうよ? わたしとラミアのどっちのがカンキ君の“カタチ”に合っているのか、この際だから交互に入れてハッキリさせないかしら?」

 

「生憎ですけど今日はパスでお願いします。月が終わったばかりでノリ気になれないんですよねー……」

 

「そうなの? わたしはすぐ発散したくなっちゃうものだけど? ラミアってけっこう重かったりするのかしら?」

 

「いやもうゲロおもですよ。むしろレダさんが他の方と比べて軽すぎるだけなんです。だから、終わった後のケロッとした様子がなんともまー羨ましいかぎりです。レダさんはどーしてそんなピンピンしていられるんですか?? なんですか、そーいうクスリでもキメてるんですか?? それウチにもくださいよ」

 

「そんなこと言われても知らないわよ。強いて言えば薬局で売ってるサプリメントとかで失った鉄を補ってるくらい? それにしたって、わたしだって完全に痛くないわけじゃないのよ?」

 

「どちらにしてもイタいモンはイタいんですから、だったらイタみが軽い方がイイに決まってるじゃないですかー。あーあ、ホント、ウチと身体を交換してほしいモノです」

 

「あなたが持っていないこのおっぱいも手に入るものね?」

 

「ぶち転がしますよ??」

 

 自分が聞いてもいい話だったのかは分からない。

 二人の話を他所にして、ティッシュで鼻を押さえながら起き上がる自分。その動きにラミアとレダが振り向いてくる中で、自分は息をつきながらそんなことを二人に伝えていった。

 

「昨日はありがとう。ラミアもレダも、俺のことを守ってくれたんだよね……」

 

 昨夜は、ろくに感謝を伝えられずに眠ってしまった。

 引き摺っていたそれを口頭で伝えていった自分。すると、こちらに視線を投げ掛けていたレダが腰に手をやりながらそう答えてきたものだ。

 

「カンキ君も、これからは気を付けなさいよ~? そりゃあ、あなたは一般人だから、命を狙われるって言われても実感は湧かないんでしょうけれど。それにしたって昨日は本当にギリギリだったんだから、さすがに少しだけでも危機感は持ってちょうだいね?」

 

「レダはあの夜、俺が狙われていたことに気が付いていたってことなんだよね……?」

 

「確信は持てていなかったけれど、二人がお店を出た辺りから周囲の気配に違和感があって、念のためこっそり後をつけていたのよ。そしたら案の定ってかんじ」

 

「すごいな……。全く気が付かなかった……」

 

「これからはしっかりしてね?」

 

 先ほどまでの魔性に溢れた喋り方とは異なる、至って真面目なレダの声音。

 少しばかりと呆れた様子でもある彼女が眉をひそめていたその脇で、ラミアはタオルで髪を乾かしながらも呟くようにそんなことを喋り出していく。

 

「それにしたって、ウチらはレダさんの嗅覚に敵わないですよ。さすが“現役”のホステスです」

 

 適当な調子でそれを口にしてきたラミア。これに自分は「現役?」と返していくと、ラミアはそのままの調子でそう説明し始めてきたのだ。

 

「カンキさんに仰っておりませんでしたっけ?? ウチらホステスってみんな犯罪者なんですよ??」

 

「え? 犯罪者? ……え!?」

 

「お手本のような驚きっぷりですね」

 

 驚きというよりも困惑に近かったその反応。自分はラミアとレダの顔を交互に見遣っていくその最中にも、ラミアは何気ないサマでこちらに歩み寄りつつ言葉を喋り続けてくる。

 

le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)というお店はですね、『龍明で悪事を働いた経験のある犯罪者を搔き集めて創設された』、裏社会を知る人々のみで構成された裏組織の一角なんです。とは言いましてもその大半は元犯罪者でありまして、今はカタギとしてまともにホステスやボーイをこなしたりなどして、表社会への復帰に励んでいたりするものですけど」

 

「犯罪経験のある人達を集めたお店が、あの……?」

 

「そーです。なので、ユノさんを始めとして、メーさんも、レダさんも。そして……カンキさんが思わず恋しちゃったこのラミアちゃんも実は、犯罪経験のあるクソのような底辺の人間に過ぎなかったりするんですよねー」

 

 髪を拭きながら近付いてきた彼女。その頭をタオルでわしゃわしゃしながらこちらを見下ろすように佇んでくると、次にもラミアはしゃがんできたことで彼女との目の高さが合っていく。

 

 夜景のように光り輝く、紫色の海のようなその瞳。だが、その瞳を見て深海に呑み込まれるような錯覚を覚え始めていくと、直にもラミアは感情を読み取らせない真顔をこちらに近付けながらそれを喋り出してくる。

 

「カンキさんは、好きになっちゃったコが犯罪者だったと知らされてもなお、その相手を好きであり続けるコトってできますか??」

 

「…………犯罪の内容によるかな……」

 

「聞きたいです?? もう、ウチのコトを好きでいられなくなるかもしれませんよ?? 世の中には、知らなくてもイイことがあったりするモンですからね。それでもなお、聞きたいですか?? ウチがこれまでに犯してきた罪の数々について」

 

 淡々とした適当ないつもの調子が、まるでこちらに迫り来るかのような不安感をもたらしてくる。

 

 精神を取り込んでくるかのような深い瞳を向けながら、少し首を傾げてこちらの目をじっと見据えてくるラミア。これに自分は暫しと圧倒されて沈黙を貫いてしまったものであったが、このままでは彼女を素直に受け入れられなくなるかもしれない、という別の不安が勝ったことによって、自分は覚悟するように頷いていったものだった。

 

「……聞かせてほしい。ラミアがこれまでに犯してきた犯罪のことを」

 

「後悔しませんか?? もう、お店のコトもキライになっちゃうかもしれませんよ??」

 

「別にそれで構わない。あの店もなんか親父が建てたもんらしいけれど、そんなこと今となってはどうだっていい。それ以上に今は、俺はラミアの過去を受け入れたいって気持ちでいる。そして、今ここでラミアの過去の過ちを聞いた上で俺は、親父が遺した遺産よりも、今こうして目の前にいるラミアのことを大事にしていきたいって気持ちでいるんだ」

 

「…………いいんですね。わかりました」

 

 と、次にも座り込んでいるこちらの脚に乗りかかってきたラミア。ぼふっ、とおもむろに乗っかってはその両腕と両脚をこちらの背中に回してくると、彼女はそのまま顔を近付けて、見下ろすようでありながら、こちらを試してくるかのような瞳を向けながらその言葉を掛けてきたものだ。

 

「じゃー、カンキさんのお望み通り、ウチが犯してきた罪を包み隠さずお伝えします。カンキさん。どんな内容であろうとも、ウチのコトを見放さないって約束してくれますね??」

 

「……いいよ。教えて……」

 

「わかりました。ウチがこれまでにしでかしてきた犯罪はですね……」

 

 生気を吸い取るかのような深く色濃いその瞳。それを次第と近付けていくと、今も水分を含んだサラサラの長髪を流していきながら、唇と唇が触れ合うのかというその距離で彼女は静かに言い放ってきた。

 

「売春です」

 

「…………っ」

 

「…………」

 

「…………っ?」

 

 あれ……今と特に変わんなくない……?

 

 いや、間違いなく変わっていることは確かだった。あのお店が特異的なだけであり、そもそもとして売春と聞いて普通に思えてしまえるその業務体制の時点で色々とおかしいのだ。

 

 だが、こうしてラミアからのカミングアウトを耳にするなり、自分は拍子抜けと言わんばかりの表情をしてまう。これにラミアは目の前で静かに頬を膨らませていくと、とても不満げな調子でそれを口にしてきたものだった。

 

「……カンキさん。どーして驚いてくれないんですか」

 

「え、あぁ……。あぁ、いや。ごめん。なんか、思っていたよりも……いや、そんなこと言っちゃったら失礼であることも承知はしているんだけど。ただ、ラミアが初めてここに来た時に身体を売っていたって聞いてもいたものだったから、それでつい反応が疎かに……」

 

「ウチだって、好きでカラダを売っていたワケじゃないんですからね」

 

「そうだとは思う……! でも、なんだろう。俺としてはどこか安心してしまったところもあってさ……」

 

 むーっ、と不満げに顔をしかめてくるラミアの背へと、自分は両手を回していく。そうして彼女を抱きとめるように抱え込んでいくと、自分はラミアの目をしっかりと見据えながらそれを伝えていったものであった。

 

「……今とそんな変わらないってことはさ、俺は今のラミアのことを、今のまま受け入れることができるってことにもなるからさ。そう考えたら、ラミアに対する気持ちもこのままで良いんだって思えてきて、なんだか安心しちゃった部分もあるんだよね」

 

「…………カンキさんってアレですよね。対してホンキでもないコトバを、よくそこまでハッキリ言い切れますよね。そーいう八方美人なトコロがアナタの……まー、もーイイです」

 

 真っ直ぐと見据えて伝えたこの気持ち。それに対してラミアは心なしか瞳を潤ませていくと、こちらにしがみつく両腕両脚の力もちょっとだけ強くなった感覚と共にして、ラミアは呟くように「……受け入れる云々ってのは、ちょっとだけ嬉しかったです」と言ってきたものだった。

 

 ……しかし、見つめ合う時間は今も続いていく。

 お互いに抱きしめるようにして向かい合うこの状態に、静寂な胸の高鳴りが刻み込まれる。それでいて彼女も次第と頬を赤く染めていくと、まるで自分らだけが別の世界に隔離されたかのような密接な空気感にお互いが惹かれ合うようなものを感じ取れてしまい……。

 

 ……チューするなら今だ。

 どこからともなく響いてきたその言葉。これに自分も顔を赤らめながらラミアと向かい合っていくのだが、ラミアにぞっこんとなったその神経がふと途切れるようにして、意識は急にこの空間から引き戻されていく。

 

 今もラミアと向かい合う自分。だが、すぐ脇から感じ取れたその気配へと視線を投げ掛けていくと、抱き合う自分とラミアの真横から「チューするなら今だ……!」と囁いてくるレダの存在に気が付いたものだった……。

 

 ……囁く間、口元に手をあてがってその言葉を届け続けていたレダ。完全に遊び感覚である彼女のそれに自分は、変な汗を流しながらレダを見遣ってしまったものであった。



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第11話 Nouvelles perceptions 《新たな認識》

 夕方のle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。昼時に営業を開始するレストランとしての姿を一旦たたんだその店は、夜のキャバレーに備えて次なる準備へと取り掛かっていた。

 

 そんな閉じられた店の扉を自分は顔パスで開けてもらい、届け物という名目でホステスの控室へと顔を出していく。そこで自分はラミアに小さな手提げバッグを渡してエントランスに引き返していくと、帰ろうとした最中にも二名のホステスに呼び止められたものだった。

 

 彼女らから受け取った一眼レフカメラ。それを自分は構えていくと、立てかけられた白色のパネルの前に立つホステスを一人ずつ撮影していってから、カメラを彼女らに返していく。

 

 そうして歩き去る彼女らを見送るようにして手を振って、それじゃあ今度こそ帰ろうと出口へ振り返ったその時のことだった。

 

 踵を返すようにした自分は、直後にも背後で待ち構えていたタキシード姿のメーに「わっ!」と声を掛けられていく。これに自分は「うおっ!?」と驚きで一歩引き下がっていくと、こちらの反応にメーは勝気な瞳を向けながらしてやったりとそう喋り出してきたものだ。

 

「あっははは!! 良い反応してくれるじゃーん! カンキ君ってさ、からかい甲斐があるよね」

 

「いや本気でビックリした……! というか、驚かすのは俺じゃなくてもいいでしょ……」

 

「何言ってるの? 相手がカンキ君だから驚かすんでしょ? 当然じゃない?」

 

「メーの中の当然に付き合わされる俺の身よ……」

 

「えー。じゃあなに、驚かされるのそんなに嫌だった?」

 

「嫌かどうかと聞かれると……うーん、むしろ嬉しい……?」

 

「ドMじゃん。カンキ君ってヘンタイだー」

 

「いやなんでそうなるの!?」

 

 相変わらずからかってくるその調子はもはや、メーと会話しているという実感さえ湧いてくる。それくらい彼女にからかわれてきた自分が変な汗を流しながら先の言葉を投げ掛けていくと、メーは両手を後ろにやりながら勝気な瞳のままこちらへ歩み寄ってきたものだ。

 

「でー? パネル写真の撮影を手伝ってあげてたんだ? 前もなんか頼まれてなかった?」

 

「前はー……えっと、ショーで使う衣装を舞台裏まで届けに行ったりしたかな?」

 

「さっき控室にも顔を出してたよね?」

 

「あぁ、ラミアが俺の部屋に忘れ物をしたっていうから、届けに来たんだよ」

 

「へぇ、カンキ君みんなからこき使われてんじゃん。こんなにパシリに使われまくって嫌がらないとか、やっぱりカンキ君ってドMなんでしょ?」

 

「いやどんだけ俺のことを変態扱いしたいんだ……」

 

「違うの?」

 

「違うよ!!」

 

 このやり取りに、近くを通ったホステスがフフッと微笑したものだ。

 ボケとツッコミのコントみたいな会話を展開する現状に、自分は頭を抱えていく。尤も、自分はこのやり取りを楽しんでいたため、悪い気なんか一切しなかったものなのだが。

 

 そして、それはメーも同様であるようだった。彼女はこのやり取りにしてやったりな笑みを浮かべていると、ふとそんなことを切り出してきたものだ。

 

「それじゃあさ、ついでに私の手伝いもしていってよ」

 

「メーは何をしていたところなの?」

 

「ショーで使った小物の整理。舞台裏の倉庫の整理整頓って感じ」

 

「それ、部外者の俺が手伝ってもいいものなのかな……」

 

「何言ってるの? カンキ君もウチの店の立派な関係者だよ?」

 

「え? いや、前のオーナーの息子って実質部外者じゃ……」

 

「私達ホステスのパシリ役」

 

「あー…………いやいやいや! ちょっと納得しそうになったけど、やっぱ部外者じゃん!!」

 

「あは、バレた?」

 

 悪気の無いテヘペロでかわい子ぶったメー。その様子に自分は頭を掻きながらも話を軌道修正していく。

 

「……それで倉庫の手伝いだったよね? まぁ、俺で良ければ手伝わせてよ。日頃からこのお店に世話になってるから、恩返しのつもりで働かせてほしい」

 

「え、いいの!? やった、ありがとー! 私ひとりじゃチョーだるくって今までサボっちゃってたからさぁ、誰か居てくれるとすごい助かるー! いやぁ、やっぱこういうのはドMなカンキ君に頼んでみるもんですなぁ」

 

「いやどうしてドMにこだわる……」

 

 意外そうに喋りながら喜ぶメーに対して、自分は変な汗を流しながらツッコんでいく。だが、彼女は構わずこちらの背中に手をやってくると、そのまま押すようにしながら自分を舞台裏まで連れていったものだった。

 

 

 

 

 

 その両開きの扉を開けていくと、視界には衣装や小道具で覆われた密室空間が広がり出した。それはゴム製や革製のにおいが充満した独特のものを伴っており、ある意味で想定し得る馴染み深いにおいへ踏み入るよう自分とメーは倉庫に入っていく。

 

 両サイドに置かれた棚は、ショーで使用される旗や布、足元にある大量の段ボール箱などといった様々な物で埋もれていた。それでも扉から真っ直ぐ歩ける程度の道は確保されており、しかし倉庫を埋め尽くさんとする勢いの道具の多さに自分は、このキャバレーでこれほどまでの小道具が使用されてきたんだなと店の歴史に圧倒されたものだった。

 

 メーに案内されるよう真っ直ぐ歩いていくその最中、自分は飛び出していたマイクスタンドの脚を蹴ってしまう。これに自分は「うわ、ごめんなさい!」と声を上げていくのだが、一方でメーは「あぁ別にいいよー」と適当に返事してから付近の棚を漁り出したのだ。

 

 その間、自分はメーの後ろから彼女を眺めていた。

 イメージカラーなのだろう紺色のシャツを着こなす彼女。ネイビー色の瞳で見せてくる勝気なその表情は、彼女の快活さを表すに十分だったことだろう。

 

 他のホステスと比べると、メーとはだいぶラフな付き合いで馴染んでいた。先ほどにも交わしたコントのようなやり取りも相まって、メーと会話している時の気持ちはまるで、同年代の幼馴染を相手にしているかのような感覚を覚えていたものだ。

 

「あれー? ここにちりとりとかの掃除道具があったはずなんだけど、誰か動かしたのかなー……。元の位置に戻さないとか、本当に面倒くさいんですけど……」

 

 見当たらない道具に愚痴を零していくメー。そうしてタキシード姿で棚に頭を突っ込んでいく様子を自分は眺めていると、ふと彼女が漁る棚の上に意識が向いていく。

 

 がさごそと中身を掻き分けるメーの震動が、上の方にも伝っていた。そしてそれは棚の上にあった金色のトロフィーのような小道具を揺らしていき、振り子のように左右に傾き始めたそれは、次第と手前に倒れ始めてくる……。

 

 その先には、棚に頭を突っ込むメーがいた。

 これに自分は、「メー!! 危ない!!」と叫びながら飛び出していく。この声に彼女は「え?」と言いながら頭を出してくるのだが、その時にも自分は彼女の頭上越しにその落ちてきたトロフィーへと右手を伸ばしたことによって、この身体はメーの尻や背中にぶつかっては彼女を棚へ押し付けてしまったのだ。

 

 すぐにも、メーの「ひゃう!!」という珍しい声が上がってくる。だが、その間にも自分はトロフィーを棚に押さえ付ける形で落下を防いでいくと、彼女を棚と挟んだ状態で、右足のつま先だけで身体のバランスを取っていく非常に不安定な前のめりの姿勢で、暫しその場に留まっていたものだった。

 

 今や、トロフィーを棚に押さえ付けるその力のみで体勢を維持している。そんな頭上の気配にメーは「あ、ありがと……」と言いながらこちらへ振り返ろうとしたのであったのだが……。

 

 彼女が動こうとした瞬間、自分の身体がぐらついたことで思わずメーの左肩に左手を乗せてしまった。これによってメーは「みゃっ!!」というまたもや珍しい声を出しながらビクッと身体を硬直させていくと、彼女は棚と向き合うその状態で、上ずった声で喋り出してきたものだ。

 

「なに!? 何!? どういう状況!?」

 

「ごめん! ちょっと支えが欲しくって!」

 

「え、え!? こ、このままでいればいい……!?」

 

「うん……! そのままでいてくれると助かる……!」

 

 必死な自分のすぐ真横には、両手を胸の前にやっては女々しい縮こまり方でじっと突っ立つメーの姿があった。

 

 あまりにもビックリしたようで、髪の毛が逆立つような驚き具合を見せてくれたものだった。だが、今は自分のことで精いっぱいだったこちらは、現在も右手で押さえ付けているトロフィーに意識と神経を集中させていきながら、ゆっくりと両足を床に着けていって体勢を直していく。

 

 そして、押さえ付けていたトロフィーを両手で支えるところまできた。

 ……突っ立つメー越しにそれを持ち上げていって、そのまま棚の上へ戻そうと自分は背と両腕を伸ばしていくこの状況。今も棚と挟む形で彼女をその場に突っ立たせてしまっており、そうして女々しい縮こまりで棚と向き合い続けるメーの背後で自分はトロフィーを戻していく。

 

 と、その最中にも彼女から言葉を投げ掛けられたものだった。心なしか声を震わせて、若干と高い声で動揺を見せながら……。

 

「か、カンキ君! もういいよね!? ねぇ、もういいよね!?」

 

「ごめん! ちょっと、これだけ戻しちゃうから……!」

 

「ま、まだぁ!? う、うぅ~……!!」

 

 え、なにその唸り声。

 思わず真下を向いた自分。それと共にして視界に映ったメーの脳天という光景が、なんだか新鮮に思えてきてしまう。

 

 これに自分は、無意識とそんなことを呟いてしまった。

 

「あれ……メーのつむじ、初めて見たかも」

 

「ななっ、なぁっっ!!? この状況で何言ってんのカンキ君!? てか、そんなの当たり前でしょお!?」

 

 と、縮み上がったその状態で、タキシード姿のメーが途端に顔を赤らめながら声を荒げてくる。

 

 これを受けて自分は、何か優越感と思しき心の昂りを覚えてしまった。

 ちょっと巡ってきた好奇心。自分はトロフィーをそっと棚の上に戻していくと、しかし両腕を持ち上げた体勢を維持しながら、この顔を彼女の耳元へ近付けていく。そして今も縮こまるメーの耳元に自分は近付いていくと、次にも囁くようにしながらその言葉を投げ掛けてみたものだった。

 

「……メー。何をそんなに焦っているの?」

 

「にゃあぁっ!!? ななな、なに!!? な、なに……!? なにって……!? いい、いいから早く戻してよカンキ君!!」

 

「もしかして、メーってさ…………アレ、なのかな……?」

 

「……なっ、なに!? なに!? カンキ君なんなの!? 何なの!?」

 

「いや? なんにも?」

 

「は、はぁぁあっ!!? い、いいからこんなことしてないで早く戻してよぉ!! じゃないと私ここから動けないぃ!!」

 

 動かないでという言葉を未だ律儀に守る彼女の様子。メーの背中と密着するその距離感も相まったことによって、彼女は一層と焦るような必死の声音でそれを喋り続けてくる。

 

「ねぇ何なの!? なんかいつものカンキ君と全然違うんだけど!!? なんなの本当に!? こんな、こんな意地悪みたいなこと、君はしないでしょ……!?」

 

「いつもの仕返し。って言ったら? もう動いていいよ」

 

「え……?」

 

 と言って、耳元で囁くこちらへと彼女はすぐさま振り返ってくる。

 

 共にして目撃した、顔中を赤く染めたメーの女々しい姿。彼女のチャームポイントでもある勝気な瞳には、若干と涙ぐんだような潤いがうかがえる。

 

 長いまつ毛と口元をわなわなと震わせて、メーは言葉を失ったように暫しこちらを見据えてきた。そうして至近距離で彼女と目が合っていくと、自分は露呈したメーの弱点を得意げにそう伝えていったものだった。

 

「メーっていつも俺のことをいじってくるけどさ、メー自身は誰かにいじられることに慣れてないよね? どうだった? メーを意識していじってみたんだけど、本人から見て俺はどう見えた……」

 

 スパァンッ!!!! と響き渡った彼女の強烈なビンタ。頬に打ち付けられた甲高い音が倉庫に鳴り響いていくと、次にもメーは我に返ったかのように慌てながらこちらへ謝ってきたものだった。

 

 

 

 

 

 開店前のメインホール。清掃も終わって、夜のキャバレーを営業する準備が整ったその空間。

 

 いつもの席に座っていた自分は、赤くした頬で呆然と彼女を待っていた。そうして今もヒリヒリする頬の感覚を忘れていると、しばらくしてコーラの入ったコップを手に持つメーが申し訳なさそうな顔をしながら向かいの席に座ってきたものだった。

 

「はいこれ。私からのお詫び。さっきは本当にごめんね」

 

「いやそんな、元はと言えばメーをからかった俺がいけなかったんだし……」

 

「そんなことないって! そもそもとして、いつも私が人にやってることでもあるんだから、自分がやられたからってカンキ君を無暗に怒ったりするつもりなんかないよ!」

 

 勝気な瞳ながらも眉をひそませて、メーは慌ててそれを喋りながらコップを手渡してくる。そのストロー付きのコップを自分は「ありがとう」と受け取っていくと、手ぶらになった彼女は気まずそうにしながらもハキハキとした調子でそう喋り出してきた。

 

「でも、あまりにも急でビックリしちゃったかな。だって、今までいじり倒してきたカンキ君が、あの場面で急に私をからかってきたんだもん。私自身ドSキャラみたいな感じを売りにしてきたもんだからさ、その関係でM気質のお客さんに気に入られることが多くって、自分がいじられるってあんまり無かったんだよね」

 

「もしかして、俺のせいでMに目覚めちゃった?」

 

「んー?? なに?? もう一回叩かれたい??」

 

「いや何でもないです」

 

 満面の笑顔でメーに訊ねられたことで、自分は慌てて口を噤んだものだった。

 

 それだけは勘弁。なんて思いながら、ストローでコーラを飲んでいく自分。しかし、叩かれたからといって嫌な気分になったわけでもなかった自分は、向かいのメーに視線を投げ掛けながらも、反省を込めてそれを口にしていく。

 

「まぁ、俺としてもメーを必要以上に驚かせたくはなかったから、もうあんなことをしないように気を付けるよ。急にからかってごめんね、メー」

 

「ふぅん……。もうしてくれないんだ……?」

 

 こちらの言葉に対して、右手で頬杖をつきながら流し目で見遣ってくるメー。その彼女の様子を自分は気にすることなく、ただただストローでコーラを飲み続けていく。

 

 そんなこちらを、メーはやけにじっと眺め遣っていた。これに自分は不思議に思いながらもコーラを吸い続けていると、ふと彼女はイタズラに口角を吊り上げながらそれを口にし始めてくる。

 

「ねぇカンキ君」

 

「?」

 

「私の彼氏になってくれない?」

 

 ぶフォっ。

 不意打ちのいじりに、自分はストローでコーラを噴き出した。幸いにもストローだったために口から噴射する自体は免れたものの、動揺するこちらの反応にメーはしてやったりな微笑を浮かべながら喋り続けてくる。

 

「なぁに? もしかして本気にしちゃった?」

 

「ゲホッ、ごほっ。……いやいやいや!! 嘘だとしてもこうなるって!!」

 

「あは、なにそれ。ウケる」

 

 メーのやつ、早速やり返してきたな……。

 内心でぼやいたその言葉。それが視線となったこちらの様子にメーは満足そうに微笑んでいくと、その流れのままと言わんばかりに彼女は身を乗り出すようにしながら、続けて言葉を投げ掛けてきたものだ。

 

「じゃあさ~、同伴くらいならしてくれる?」

 

「同伴? メーと?」

 

「そう、私と同伴。てか聞いて! 今月のノルマさ~、まだ達成できていなくってマジやばなの!! だからお願い! 私を助けるつもりで、近い内に同伴してくれない!? ね? それならいいでしょ!?」

 

 急に頼んできたかと思えば、メーは両手を合わせながら必死に頭を下げてきた。その様子からしてノルマまで程遠いんだなと自分は悟っていき、コップをテーブルに置きながらその返答を行っていく。

 

「そんな必死に頼まなくても、俺で良ければ同伴に付き合えるよ」

 

「本当!? やった、ありがと! カンキ君ってこういう時すごい便利だよね~!」

 

「俺ってホステスのみんなからどう見られてるんだろ……」

 

 この時にも、いつしか言われた『都合の良い男としか見てないよ』という言葉を思い出した自分。尤も、それに対して悪い気がしないどころか、むしろ楽しいとも思ってしまっていたものでもあるのだが。

 

 

 

 

 

 同伴の予定を組むべく、意気揚々とスタッフ室へ向かったメーの姿。そして彼女はすぐにもこちらへ戻ってくると、抱えるように持ってきたiPadをドカッとテーブルに置きながら早速それを喋り出していく。

 

「ねぇカンキ君。私、東京タワー行きたい!」

 

「一応聞くけど、これってお客の要望を叶えるサービスじゃなかったっけ……?」

 

「あは、細かいことは気にしない気にしなーい」

 

 付き添う側が自分の行きたいところを提案してくるなんてなぁ……。

 という言葉を内心に留めながら、自分は「それじゃあ東京タワーに行こっか」と答えていく。するとメーは「え、本当にいいの?」と言い出しっぺが意外そうに訊ね返してきたものだったから、自分は変な汗を流しながらも頷いたことですぐ行き先が決まったものだった。

 

 尤も、この自由奔放な快活さもメーの長所なのかもしれない。こうして一方的に引っ張ってくれる存在というのも、受け身の人間からすれば非常に頼もしく感じるため、自分はメーの提案を聞き入れた上でそれを彼女に訊ねてみたものだ。

 

「一日中ずっと東京タワーってわけでもないよね? 他にメーの行きたいところってあったりするの?」

 

「私の? うーん、そうだな~。東京タワーの後は~……あ、ボーリングがしたいかも!」

 

「随分とアクティブだね……」

 

「私の行きたいとこばかりになっちゃってるけど、カンキ君の行きたいトコってなんかあったりする?」

 

「俺の行きたい場所? 東京タワー周辺……なんかあったかな……」

 

「なに、思いつかないの? じゃあビアガーデン行こ! 私、バーベキューしながらビール飲みたい!」

 

「これもうどっちが同伴なのか分かんないな」

 

 慣れたサマで自分はそれを口にした。これに対してメーはウキウキしながらiPadを操作していく。

 

 メーの希望で同伴の行き先があっさり決まったその様子は、もはや清々しさを感じられた。尤もメーの提案に自分も異論が無く、その結果、同伴の内容を話し合うこと約五分という短時間でその手続きが済んでいく。

 

 史上最速で同伴の内容が決まったな。そう思いながら、メーがiPadを操作していく様子を眺めていく自分。この視線に彼女は気が付いて顔を上げてくると、目が合うなりメーはファンサービスとも言える勝気なウインクを投げ掛けてきたことによって、自分は心の中で「可愛い……」と呟きつつ静かに悶えるよう視線を逸らしていった。

 

 すぐにもメーは、iPadをテーブルに置いて頬杖をついてきた。

 こちらに視線を投げ掛けて、勝気な瞳でじっと見つめてくる彼女のそれ。これに自分は暫し困惑してしまうのだが、彼女に応えるべきかと考えた自分もまた、メーの視線と真正面から向き合い出していく。

 

 互いに目が合って、何となく見つめ合い出したこの時間。

 心なしか、メーはイタズラに口角を吊り上げてきたようにうかがえた。だから自分も負けてなるものかと思って頬杖をついていくと、こちらもまた彼女のネイビー色の瞳を真剣に見つめていく真っ直ぐな視線をメーにぶつけてみたものだった。

 

 ……暫しと見つめ合うこの空間。互いに一歩も引かんとする意地の張り合いは、次第にも双方に赤面をもたらしていく。

 

 早く目を逸らしてほしい。じゃないと負けた気がするから。

 彼女の自信に満ち溢れた顔に、そんなことを考えながらも胸を高鳴らせていく自分。そして、その鼓動と連動するようにこの目が若干と揺らぎ始めていくと、次にもメーは勝気に微笑みながらそれを口にし始めてきたものだった。

 

「なぁに? また私のことをからかっているのかな? ん?」

 

「そういうメーこそ、俺におねだりをしていたんじゃないのかな? また私をからかってくださいって、物欲しげにさ」

 

「あは、言うじゃん。カンキ君のくせにチョー生意気。……でも、なんだろうね。カンキ君のその攻め気、私、ちょっとクセになっちゃったかも」

 

 え?

 思わず呆気にとられた自分。それと同時にしてメーは一段と頬を赤らめてくると、そのままうつ伏せになるように姿勢を下げていくなり彼女は、立てた右腕を枕のようにしながら上目遣いでこちらを見遣ってきたのだ。

 

 どことなく、自身の頬を隠すような動作を交えていくメー。共にして彼女は甘えるような視線をこちらに投げ掛けてくると、次にもメーは照れた調子でありながらも、微笑みながらその言葉を口にしてきたのであった。

 

「なんかね、カンキ君との同伴が楽しみになってきちゃったの。何だったら、もう待ち切れないくらいの気持ちでいるんだよ? こんな状態で同伴の日までおあずけを食らわされちゃったら、私どうなっちゃうのかな? ……これがキッカケで私がMに目覚めちゃったらさ、君にはちゃんと責任をとってもらわないといけないよね? そうでしょ? カンキ君」



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第12話 La tentation du bleu foncé 《紺の誘惑》

 メーとの同伴当日。朝から龍明の駅前で彼女を待つ自分は、付近の柱に佇みながら逐一と腕時計を確認していたものだった。

 

 隣には、護衛としてついてきてくれたレダがこちらの腕に絡みついていた。それもベッタリ引っ付いた恋人ムーブをかますその様子から、今日が誰との同伴なのかが分からなくなってくる。

 

 直にも、駅のホームからいつもの私服姿であるメーが歩いてきた。

 袖を持て余しつつ、ダボダボで膨らんだシルエットの黒縁紺色マウンテンパーカー。ストリート系を思わせるそのアウターに合わせるよう、白色をベースとしたネイビー色の牛柄ワイドパンツに、その前開きのパーカーからは白色のへそ出しタンクトップがチラ見えしているメーのファッション。

 

 履いているアイボリー色のヒールは、サンダルのような大きな穴飾りが特徴的だった。そして同色のカバンを肩に掛けた彼女は「おまたせー!」と言葉を掛けながら、佇む自分とレダに合流してくる。

 

 勝気なネイビー色の瞳に、目の下に薄っすらとつくった黒色のクマ。これに自分は「大丈夫? 具合でも悪い?」と訊ね掛けていくと、次にもメーは苦笑いしながらそんなことを話し始めたのである。

 

「え、えへへ……いやぁ~、やっぱ分かっちゃう? 隠すために化粧室で頑張ってきたんだけど、やっぱファンデーションじゃ隠せないか……」

 

 心なしか、ちょっと恥ずかしそうに目を逸らしてきたメー。そんな彼女の様子に自分が首を傾げている最中にも、こちらの腕に抱き付いていたレダが淡々とそれを口にしてくる。

 

「だから、余裕を持ってノルマを終わらせておきなさいってあれほど言っていたのよ~?今になって慌てて同伴を増やすんだから、肝心な時に醜態を晒すことになるんだからぁ」

 

「いやぁ~……まさかここまでギリギリになるなんて思わなかったからねー……。まぁおかげで、あとはカンキ君との同伴さえやっちゃえばノルマは達成になるんだけど……あれだね。学校の夏休み最終日に、終わっていない宿題に急いで取り掛かっていくあの感覚。それを久しぶりに思い出したもんだね~」

 

「ほんと、あんたっていつになっても呑気よねぇ。夏休みの宿題なんて初日に全部終わらせてたから、そんな感覚わたしが知る由も無いわ」

 

「え、うそっ。夏休みの前半に宿題を終わらせる子供とか、本当に実在するの!? うわーすごい。さっすが、見た目によらずお店で一番真面目なホステスなだけあるわ~……」

 

「ちょっとなにそれ。今の言葉、あまりにも失礼じゃない?」

 

 今までこちらを誘惑し続けていたあのレダが、夏休みの宿題を真っ先に終わらせるタイプの人間だったなんて……。

 

 メーに共感していた身として、今も腕に抱き付いているレダに思わず感心さえしてしまったものだった。そうしてメーとレダの会話を聞いている自分が呆然とそこに突っ立っていると、ふとこちらに視線を投げ掛けてきたメーが、レダから奪い取るようにもう片方の腕を引っ張ってきながらそれを喋り出してくる。

 

「はーい、そういうことだから、ここから先は私とカンキ君のお楽しみタイムでーす。カンキ君のお守りありがとね~レダ。あとは本命の私にお任せちょーだーい」

 

 と言って、メーはこちらの腕に絡みつくなりレダに見せ付けるよう抱き寄せてきたものだった。

 

 これを受けて、腕から離れたレダがムスッとした目でメーを見遣っていく。

 

「あなた、誰がここまでカンキ君を送ってきたと思ってるのよ。ただでさえ命を狙われているカレなんだから、ヘマしてカレに大怪我させたら容赦しないわよ?」

 

「はいはい分かってるって~。それじゃあ行こー、カンキ君」

 

 適当に受け流すような調子で答えるメー。それと共に自分は彼女に駅へと連れていかれると、その歩みの最中にもメーは振り向くようにしてレダへとその一言を告げていったのであった。

 

「ま、感謝はしてるって。わざわざ連れてきてくれてありがとね、レダ」

 

「わたしへのお礼は別にいいから、その分カンキ君を楽しませてあげてちょうだいよ? ……カンキ君~! 次はわたしと同伴しましょうねぇ~!」

 

 

 

 

 

 目指すは東京タワー。事前に決めてある目的地に向かって、自分らは電車へと乗り込んでいく。そして、走り出した車内において自分は、早速メーの様子に気を取られることとなったものだった。

 

 ……隣の席に座るメーが、こちらに寄り掛かる形で爆睡している。

 無防備な寝顔を晒して、スヤスヤと眠る彼女の様子。動き出したばかりの電車に揺られたメーは、つい先ほどまでの同伴の疲れからか瞬く間に眠りについてしまったようだった。

 

 あれほど勝気な瞳を向けていたというのに、眠る時は可憐な寝顔を晒してくるメーのそれ。日頃から目にしている彼女の活発さとは対極にあるその顔を見て、自分は何故だか胸の高鳴りを感じてしまえて仕方がない。

 

 ついさっきまで、メーは他のお客と夜通しで同伴してきていた。ろくに眠る時間も確保できないまま次の同伴に臨んだともなれば、そりゃあ蓄積した疲労が彼女の意識を奪ってもおかしくないことだろう。

 

 だからこそ、自分との同伴の時はゆっくり休んでほしいとも思えてしまった。

 寄り掛かるメーの頭へと、自分もさり気無く寄り添ってみる。今も小さな寝息を立てている彼女に頭をつけてみると、そこから感じ取れたメーの体温に更なる高揚感を覚え出した自分。

 

 ……彼女の顔を近くで眺めてみると、改めてその麗しさに気付かされる。

 日頃から目についていたその長いまつ毛は、メーの引き締まった顔に更なる華麗な印象を与えてくれていた。

 

 ユノとは異なる方向性の美人さんだ。一度でもいいから、メーの着物姿を見てみたい。

 そんなことを悶々と思いながら、間近で眺めていた自分。すると、見惚れていたその顔はふと僅かながらに瞼を持ち上げてきて、そこから細い視線をこちらへ投げ掛けてくる……。

 

「何用かね?」

 

「お、起きてたの……?」

 

「君が起こしてきたんだよ? 寝ちゃってた私に寄り掛かってくるもんだからさ」

 

「ごめん。悪気はなかったんだけど……」

 

「いいよ。その方が私も落ち着くし」

 

 ぎゅっ、とこちらの手を握ってくるメー。そして彼女は「もう少しだけ、このままでいてもいいかな……?」と穏やかに訊ね掛けてくると、再び瞼を閉ざしていくなりメーはそのままリラックスした様子で寝息を立て始めたのであった。

 

 

 

 

 

 電車から降りて、徒歩で移動する自分ら。そうして到着した紅のシンボルを見上げると、メーはこちらの手を引くようにして中へと歩き出していく。

 

 エレベーターで移動することで、遥か上空の展望台に辿り着いた自分とメー。そこから眺める景色は実に圧巻なものであり、人為的に生み出された建物の海が人々の歴史を象っていたものだ。

 

 あまりもの高さに自分は、一瞬だけ立ち眩みを起こしてその場でフラついてしまった。

 気が遠のくような、意識がキュッとしぼんでいくこの感覚。自分は近くの手すりに掴まって気持ちを落ち着けていくその最中にも、すぐ横にいたメーがからかうような目でこちらに言葉を投げ掛けてきたものだった。

 

「あれれ~? カンキ君ってもしかして、高いとこ苦手なのかな~?」

 

「いや……あれ? 前までこんな、高いところは平気だったんだけど……」

 

「大人になって、ダメになっちゃった感じ? おじいちゃんじゃん」

 

「まだそんなんじゃないよ……。というか、メーは高いところ大丈夫なの?」

 

 ケタケタと笑みを浮かべるメーを見て、自分はそんなことを訊ねていく。すると彼女は満面の笑みでそう答えてきたのだ。

 

「私は高いとこ大好きだよ!! あー、いーや、高いとこっていうか~……こう、落ちたら死ぬ!! っていうスリル? が大好きなのかな?」

 

「死ぬっていうスリル?」

 

「そう!! だって、ここから落ちたら絶対死ぬじゃん!? そう考えるとさ……なんかすごくゾクゾクしてこない!? このゾクゾク感が私、大好きなんだよね!」

 

「あー……別世界で生きているタイプの人間だ……。じゃあ、この東京タワーのてっぺんからバンジージャンプができるってなったらさ、メーは参加したいって思ったりするの?」

 

「なにそれ!!! チョーやりたい!!! それって地面すれすれまで落ちるのかな!? だとしたら、どれくらい怖いんだろう!? あ~……考えただけですっごく楽しい……!! やってみたいなぁ……!」

 

 こりゃ完全に別世界で生きているなぁ……。

 目を輝かせて下を覗き込むメーの横顔を見て、自分は変な汗を流しながらそう思ったものだった。

 

 この後にも、メーはガラス張りの床の上でピョンピョン跳ねてみせたりとその度胸を存分に見せ付けられたものだった。彼女自身もこのスリルで恍惚とした表情を見せてきて、その床から退いた後にも、ドクドクと打ち鳴らす胸をこちらの腕に押し付けて響かせてきたものだ。

 

 ラミアやユノとの同伴とは異なって、付き添う側のホステスが大いにはしゃぎ回る今回のデート。東京タワー内のお土産コーナーでもメーは片っ端から気になるものを手に取っていっては購入を悩んでいったりと、もはや同伴であることも忘れて彼女はお出掛けを心から満喫していく。

 

 自分らは東京タワーを後にすると、メーは次にもボウリングをやりに行こ!! と言い出すなり、こちらを引っ張り回すように街中を歩き出したものだった。

 

 そうして自分らは、近くの繁華街に訪れる。そこでメーは蕎麦屋を目にすると「あっ蕎麦! 食べたい!」と突然言い出すなり強引に蕎麦屋へと連れ込まれた。

 

 お座敷で向かい合いながら、共にざるそばを啜っていく昼食の時間。メーはある程度と食べ進めたそのタイミングでつゆに大量のワサビを投下していくと、そのまま蕎麦を口いっぱいに啜っていっては一人で悶絶して、顔を赤くしながら水を流し込んでという様子を見せてくる。

 

 その後にもメーは、涙目ながらも無邪気な笑顔で「辛すぎて死ぬかと思った~!」と言ってみせた。彼女のチャレンジ精神には感心を通り越して呆気に取られてしまったものだったが。

 

 蕎麦屋を後にした自分らは、メーに連れられる形でボウリング場を目指していく。

 だが、付近の大きなゲームセンターを目にすると、メーは「ちょっと遊んでいこうよ!」と言ってはゲームセンターへと連れていかれたものだ。

 

 大音量の電子音が出迎えてくれる建物の中。入口付近にあったクレーンゲームなどのポピュラーなそれらに自分は注目していくのだが、一方でメーはゲームセンターの奥へ奥へと突き進むなり、一風変わった筐体が立ち並ぶ空間へと連れてこられる。

 

 音ゲーと呼ばれる、ちょっとマニアックなゲームを楽しめる空間。そこでメーは空いている台へと指を差しながらこちらへ喋りかけてきたものだ。

 

「カンキ君ってこういうの興味ある?」

 

「音ゲーだよね。あんまり馴染みは無いかな。格闘ゲームなら友人らの相手になったりはしているんだけど……そう言えばメー、いつも俺の部屋でやってるもんね」

 

「スマホでね! でも、やっぱり音ゲーはゲームセンターでやるに限るよ!! この際だから、カンキ君に音ゲーのやり方をレクチャーしてさしあげようではないか!」

 

「ははぁ、メー様じきじきにお教えいただけるとは、ありがたき幸せ」

 

「うむ、くるしゅうない!」

 

 互いに理解し合った掛け合いを行いながら、メーに促される形で音ゲーに臨んでいく自分。そうして覚束ない操作の脇で彼女の指導を受けながら、自分はメーと共にゲームに没頭していったものだった。

 

 寄り道ばかりの同伴だったが、ゲームセンターから出てきた後は真っ直ぐとボウリング場を目指し始めた自分ら。こうして到着したボウリング場では、自分らのレーンに移動するなりメーがそんなことを持ちかけてきた。

 

「じゃあカンキ君、ここらで私とひと勝負してみない?」

 

「勝負?」

 

「どっちがより高いスコアを出せるか勝負しよ! 負けた方は、この後のビアガーデンで全額負担!」

 

「また思い切った勝負だな……」

 

 まぁ、勝負の結果はどうであれ自分が全部負担するつもりではあるけれど。

 そんなことを思いながら、椅子に腰を掛けていた自分は立ち上がっていく。そして、今も張り切ったサマで佇むメーを見据えながら、自分は自信満々にそう答えたものだった。

 

「実は、友人らとよく来るんだ。悪いけど、手加減はできないよ」

 

「へぇ、カンキ君のクセに偉そうなこと言うじゃん。それじゃあ決まりね! この勝負に負けた方は、ビアガーデン全額負担!! そうとなれば、私も遠慮はできないから!」

 

 と言うと、メーはカバンを漁り出すなり紺色のグローブを取り出してきた。

 

 え?

 嫌な予感がよぎり出す自分。これに対して彼女は、ものすごく得意げな顔を向けてきたものだ。

 

「悪いね~。私、ボウリングで同伴相手に負けたことないから。そこんとこヨロシク」

 

「あ……ど、どうも。よろしくっす……」

 

 結果は言わずもがな、自分はズタボロに打ちのめされた。

 メーに四連続ストライクのフォースを叩き出され、圧倒的な格差を見せつけられたこの勝負。こうして敢え無くビアガーデン全額負担の刑に処された自分が悔しがる脇で、メーは清々しい表情で右腕を回すストレッチを行っていたものだ。

 

 マウンテンパーカーを脱ぎ捨てた本気モード。運動中の汗を流す彼女の姿は、勝気な表情も相まってサマになっている。

 

 勝負を終えた中で、勝負なしの投球に励むメーの様子に思わず見惚れてしまっていた。

 それは、ボウリングの上手さに留まらず、程よくついた彼女の筋肉がメーという女性に一層もの磨きをかけていたからだ。そんな彼女の姿には、周囲の人間も堪らず注目してしまう。

 

 直後にも、気持ちの良いストライクの音が響き渡ってきた。

 綺麗な投球フォームを見せ付けて、自信に満ち溢れた表情で振り返ってくる彼女。そして椅子に座るこちらを見遣ると、メーは流した汗と共にニッと笑みながらそう喋りかけてくる。

 

「どーよ? 私の実力、思い知ったかな?」

 

「悔しいけど、認めざるを得ない……」

 

「何なら、もうひと勝負でもする? そうだなぁ~……じゃあ次の勝負に負けた人は、次回の同伴の晩ご飯を全額負担する。ってのはどう?」

 

「しれっと次の同伴の話を持ち掛けてきたな……」

 

「ま、どうせ次もカンキ君が負担することになるから、別に勝負しなくてもいいよね?」

 

 ぐぬぬ……。

 圧倒的優位から見下してくるメーの視線。これも二人の仲だからこそできる掛け合いではあるものの、非常に屈辱的で自分は歯がゆく感じてしまう。

 

 そこで、自分はある悪戯を思い付いた。

 次の投球フォームに入ったメー。ボウリングボールを構え、その綺麗な姿勢と足取りで一直線に踏み出していくその頃合いを見計らい、自分はさり気無い調子でそんなことを口にしてみた。

 

「あ、ラミアも来てたんだ?」

 

「え?」

 

 ガタンッ。という音を立ててガーターに吸い込まれたボール。直後にメーがすぐさま振り返ってくるのだが、そんな彼女に自分は両手を広げて『さぁ?』というジェスチャーを見せていく。

 

 このあと、両方のこめかみにメーのげんこつを食らったことは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 夜を迎えた東京が、色鮮やかなネオンの光を放っていく。

 ビルの屋上にあるビアガーデン。活気に溢れた人々で埋め尽くされたこの空間には、観葉植物や中に入れるログハウスといった様々なアクセントが用意されている。

 

 視覚的にも楽しい、賑わいに満ちた憩いの場。酒の席で宴を行う大所帯が笑い声を響かせるその中で、二人用の席に座る自分とメーは、テーブルの上に用意されたコンロでバーベキューを楽しんでいた。

 

 今も網の上で音を立てる肉や野菜を他所にして、ビールの入ったジョッキでメーと乾杯を行っていく。彼女の「かんぱーい!」という声と共に二人でビールを喉へ流し込んでいくと、メーは既に赤くしていた頬で陽気にそれを喋り出してきたものだった。

 

「あは~! 今日は本当に楽しい一日だった~!! こんな同伴がずっと続けばいいのにって心から思うわ~」

 

「俺で良ければ、また付き合うよ。んまぁ、まだこの同伴は終わってないから、今は夕食を存分に楽しもう」

 

「ねぇねぇカンキ君!! 次の同伴はどこに行こっか!? そろそろ夏になるからさ~、みんなで海にでも行かなーい?」

 

「みんなと一緒じゃあ、それ同伴にならないんじゃない? でもいいね。海とかプールとか、夏らしい遊びをみんなとしたいね」

 

「とか言いながらカンキ君、実は私達の水着姿が見たいだけなんじゃなーい? うわー! カンキ君ってヘンタイだ~!!」

 

「変態扱いするの本当に好きだな……。いや、水着姿が見たいってのは否定できないけど」

 

 変な汗を流しながらメーを見遣る自分。そうして目の前の彼女が肉を好んで頬張っていく様子を眺めていると、目が合った彼女は悪戯にニッと笑みながら喋り出してくる。

 

「ねぇねぇカンキ君。カンキ君は今日の同伴、楽しかった?」

 

「うわビックリした。またからかってくるのかと思って身構えてたのに、すごいまともなことを訊いてきた」

 

「なにさ~!! 私がまともで何が悪いの!?」

 

「いやいや冗談冗談」

 

「あは、知ってまーす」

 

 だいぶ酔ってるな……。

 内心で呟いた言葉。その言葉通りにメーはベロベロに酔いつぶれると、夕食を終えた後なんかは彼女を背負うようにして、自分は夜の東京を歩いていたものだ。

 

 メーを背負ったまま、電車に乗ってアパートまで帰る。……そこまでいけるかな。

 不安がよぎるこの道中。それを脳裏に浮かべながら歩いていると、今もおんぶしているメーが唸りながらも耳元でそんなことを口にしてきた。

 

「ホテル……」

 

「ホテル?」

 

「右、曲がって……。五分……」

 

「そこにあるホテルがどうしたの?」

 

「予約とってある……」

 

 用意周到だ……。

 元から酔いつぶれる気満々だったのかもしれない。彼女の言葉を受けて自分はメーの案内に従っていくと、五分ほどかけて歩いたその先にて普通のビジネスホテルに辿り着く。

 

 ……てっきり、アッチ系のホテルかと思ってた。

 彼女への不信が申し訳ないほどの普通のビジネスホテルを前にして、自分はメーを一旦下ろしていく。そしてフラつく彼女を連れて中へ入っていくと、そうすぐにも案内された部屋に踏み入るなり自分は唖然としてしまったものだ。

 

「ベッドが一つしかないけど……もしかしてシングル……?」

 

「うぅ~……」

 

 会話が成り立たない。取り敢えず既に限界のメーをベッドに寝かせてあげて、自分はその傍に落ち着くようベッドに腰を掛けていく。

 

 そして、ベッドに横たわったメーの様子を何となく眺めていった。

 顔を赤らめ、着ているマウンテンパーカーが乱れたその姿。心なしか卑猥に感じ取れる彼女の様子に自分は「参ったなぁ……」と頭を掻いていると、ふと上着の裾が引っ張られる感覚で振り返ると同時にして、メーはこちらを思い切り引き倒してきたのだ。

 

 思わぬ力に、彼女の付近に両手をつくような姿勢となった自分。そうして寝転がる彼女と間近で向かい合っていくと、次の時にもメーは悪戯に微笑みながら喋り出してくる。

 

「あは、二人きりになっちゃったね~?」

 

「メー?」

 

「ねぇカンキ君~。えっちしよ~?」

 

「…………」

 

 こちらの首に両腕を回してきたメー。そのままキスしようと顔を近付けてきたものだったから、自分は避けるように顔を離して彼女と距離を空けていく。

 

 その行動にメーは、一瞬だけ思考停止したかのようなポカンとした表情を向けてきた。

 

「カンキ君……?」

 

「ダメだよメー。そういうホテルとかと違って壁が薄いから、近隣の迷惑になる」

 

「やだ。今シたい気分なの。カンキ君が欲しい」

 

「それより休みな。他の客との同伴でろくに眠れてないだろうから」

 

「やだ! シてくれないと眠れない! だからお願い……!」

 

「ごめんねメー。どんなに頼まれても、今のメーとはする気になれないよ」

 

 勝気な瞳を潤ませ始めたメーの様子。物欲しげに見遣ってくる彼女の視線を受けて自分は顔を近付けていくと、そのままメーの頭を優しく撫で掛けながら彼女の説得を試みる。

 

「メーが嫌いなわけじゃないから、安心してほしいんだ」

 

「……やっぱラミア? カンキ君はラミアが好きなの……?」

 

「うーん……いや、どうなんだろう。これが恋愛的な好きなのかどうかは自分でも分からないんだけど、それを踏まえてもラミアのことは好きだよ」

 

「やっぱそうだよね……。カンキ君も、私よりラミアを選ぶよね……」

 

「違う。メーとのえっちが嫌なわけじゃないんだよ。ただ俺が、酔っている女の子に手を出したくないだけ。メーの意識がハッキリしてるシラフの時ならできるから、今はゆっくり休んでくれないかな」

 

「……本当? えっちしてくれる……?」

 

「いずれしてあげるから、今は目を閉じてゆっくり休んでほしいな」

 

 じゃないと、こちらの理性が爆発しかねない……。

 堪えることで精いっぱいだった。何だったら、このまま彼女の望む通りに覆い被さりたい。それでもなお酔っている女の子に手を出すことが、自分にはとてもできずにいた。

 

 こちらの手を取ってくるメー。既に途切れつつある意識の中でその勝気な瞳を向け続けてくると、間もなくして彼女は深い眠りについていった。

 

 そんな眠り姫に布団を掛けてあげ、自分は深いため息をつきながら悶々としていく。そしておもむろに立ち上がって洗面所へ移動していくと、そのままトイレの個室にこもっては暫しと気分を落ち着かせていたものだった。

 

 

 

 

 

 アパートに帰ってきたのは、翌日の朝になってからだった。

 

 玄関扉を開くなり、奥からはルームウェア姿のラミアと私服姿のレダが顔を覗かせてくる。そして、駆け寄ってくるラミアとニヤついているレダの二人に自分とメーは迎え入れられると、次にもラミアとレダからその言葉を掛けられた。

 

「カンキさん!! どーして最初はウチじゃなかったんですか!? 出会った順番からしてウチが最初ですよね!? なんでですか!?」

 

「枯れたような顔をしちゃって、カンキ君もやっぱりオトコなのねぇ? それで、どうだった? 同伴したカノジョのぐ・あ・い」

 

 思わず心で頭を抱えた。

 二人に対して自分は、「いやいやしてないから……」と答えていく。だが、すぐにもレダが「じゃあその顔は一体何なのかしら? もしかして、オンナを連れ込んでまでしてお一人様?」と訊ね掛けてきたものだったから、自分は言葉を詰まらせてその場に立ち尽くしてしまう。

 

 そんな自分の後ろから、メーが通り抜けるように部屋へ上がっていく。そして彼女は「あーあ」と短く声を出していくと、直後にも背伸びをしながらそれを喋り出していったのだ。

 

「残念だった。あー、本当にザンネンだった~。だって、せっかくカンキ君と夜を共にしたっていうのに、私すっごく酔ってたから夜の記憶が全く無いんだよね~。あーあ、勿体無い。本当に勿体なーい」

 

 背伸びするメーへと振り向く一同。そこで彼女は両腕を下ろして身体の後ろにやっていくと、そのままクルッとこちらへ振り返りながら勝気な瞳でそう言葉を続けてきたものだ。

 

「だからさ~? また同伴に付き合ってよね? いいでしょ? カンキ君」

 

「あぁ、うん。またいつでも……」

 

 ……タイミング、逃しちゃったのかな。

 脳裏によぎる後悔に自己嫌悪さえしてしまえる自分。だが、この時にも一瞬だけ目撃したその光景は、ちょっとだけ後悔したこちらの様子にからかうような視線を向けてくるメーの姿というものであった。




【chapter 2に続く…………】


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Chapter 2
第13話 Un petit monde 《狭い世界》


 この日も夜のle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に顔を出していた自分は、今日の相手であるタキシード姿のラミアといつもの談笑を交わしながらその時間を満喫していく。

 

 もはや、ホステスである彼女の話を聞く立場に置かれた自分の状況に、これって逆なのでは? という疑問を抱いてしまう。

 

 そんな中でラミアの愚痴に共感を示していると、ふと彼女の下にやってきたボーイがラミアに耳打ちをするなり、彼女はボーイに「すぐ確認しますねー」と言いながら向かいの席のこちらへそう喋りかけてきたものだった。

 

「すみませんねー、所用でちょっとだけ席を外します。あー、すぐ戻りますから、カンキさんはそれまでゆっくりしていてくださーい。ではではー」

 

「あぁ、行ってらっしゃい」

 

 手を振ってラミアの背を見送る自分。そうして彼女がスタッフ室に入っていくのを確認していくと、自分は持て余した暇で暫し呆然としていたものだった。

 

 この後にも、業務を終えたラミアとメー、それとレダの三人でアパートに帰る予定があった。加えて、自分は親父の関係で命を狙われる立場であることから、夜の街を迂闊に出歩くこともできずにお店で待機することしかやることがないこの状況。

 

 話し相手がいないと暇だなぁ。呑気にもそんなことを考えながらボーッとしていると、ふと歩み寄ってきた靴音と共にして、低く淡々とした男性の声音でその言葉を掛けられたのだ。

 

「おきゃくさま、スマートフォンの着信に気付かれていないご様子ですね」

 

「え?」

 

 どこか不敵な声音を耳にして、自分は振り返ってその姿を確認する。

 百八十一ほどの身長であるその男性は、黒色のタキシードに白色のシャツというごく一般的なボーイの格好をしている人物だった。しかし、無造作なショートヘアーはブライトピンクの暗めなピンク色であり、土器のような質感をうかがわせる灰色の肌と、暗めの赤い瞳に長めのまつ毛、そして中性的な顔立ちの容貌が何とも印象的。

 

 そのボーイは、穏やかな細い目でこちらの上着を見遣っていた。その視線に自分は「ど、どうも……?」と言いながらパンツのポケットに手を入れていくのだが、この動作を見たボーイは不敵な静けさでそう教えてくれたものだ。

 

「上着の右ポケット。そこでマナーモードの震動が聞こえている。既に七回は震えているかな。これから八回目だ」

 

「あ、上着のポケットか。……え、震動の音とかも聞こえているんですか? 騒がしいこの空間で、その距離で……?」

 

「僕との会話に励むより、着信に応じた方が君のためになると思うよ」

 

 淡々と喋るその調子が、なんだか裏を感じられて少しばかりと不気味に思えてしまえる。

 

 初めて見るボーイに自分は、うかがうような視線を向けてしまいながらも「ありがとうございます……」とお礼を口にして、上着のポケットから端末を取り出した。

 

 そして、画面に映し出された名前に自分は「親戚のおばさんからだ……」と呟くと、店のエントランスへと駆け出しながらその着信に応答したものだった。

 

 

 

 

 

 静寂に近しい空間のエントランス。そこで出迎えのホステス二人が会話をしているその脇で、自分は通話を切るなり「参ったな……」と頭を掻いてしまっていた。

 

 ……親戚の女の子が行方知れずになった。歓喜くんはその子の行方を知らないだろうか?

 要約すると、そんな内容の会話だったものだ。これに自分は心当たりがあるはずもなく、力になれないことを悔やみながら会話を切り上げて、無力感に苛まれながらメインホールへと歩き出していく。

 

 行方が分からなくなったその女の子は、この年から高校生になったばかりの女子高生だった。自分もその子の存在自体は認識していたものであるのだが、その子との接点はほぼ皆無に等しく、顔も合わせたことがないために、自分にとってその子はほぼ赤の他人のような人間だったものだ。

 

 むしろ、その失踪した女の子の“お姉さん”だった人物のことを、自分はよく知っている。

 現在は女子高生である妹さんと、九歳も離れているそのお姉さん。彼女は、自分が知る限りで最も破天荒な性格である暴風のような人間だったことは覚えていた。住んでいる自宅がその親戚の家と近かった時なんかは、そのお姉さんが事ある毎にこちらへ押しかけていたものだ。

 

 ……振り回されてばかりだったけれど、誰よりも頼れる姉御のような存在だったな。と、そんなことを思っていく自分。しかし、共にして巡ってきた不安の感情が、そのお姉さんに対する感慨深さを打ち消してしまう。

 

 あのお姉さん、今はどうしているのだろう。いや、そもそもとして彼女は生きているのかすらも分からない。それもそのはずで、そのお姉さんはある時を境にして“行方不明”となってしまったものだから……。

 

 

 

 ホールに戻ってくると、自分の席にはラミアとあのボーイが待っていた。

 向かいの席に座るラミアが、足をぶらぶらさせながらボーイの彼と会話している。そこに自分が歩いてくると、こちらに気が付いた彼女は適当な調子で言葉を投げ掛けてきたものだ。

 

「あー、カンキさんおかえりなさーい。なんですか、カンキさんにも電話できる相手っていらっしゃったんですねー」

 

「ラミアは俺のことを何だと思っているんだ……」

 

 汗を流しながら椅子に座る自分。それから、着信を知らせてくれた不敵なボーイへと先のお礼を伝えていく。

 

「電話が来ていること、教えてくれてありがとう。おかげで、割と大事な話を聞き逃さずに済んで本当に助かった」

 

「どういたしまして。それで君は、行方不明になった女の子についてだいぶ疎いようだったね。このままじゃあその子、龍明という有象無象の邪悪が蔓延るこの街で、言い様に食い物とされてしまうんじゃないのかな」

 

 絶句。ホールから、エントランスまでのあの距離の会話が聞こえていたとでも言うのか。

 盗聴器でも仕込まれている? なんていう疑念が表情に表れたこちらの様子に、ラミアは頬杖をつきながらそれを説明してくる。

 

「あー、カンキさんは“クリスさん”のコトをご存じないみたいですねー?? カレ、ものすごい地獄耳をお持ちなんですよ。なので、ココから控室のウチらの会話なんかも聞いていたりして、ホントに心底から気持ち悪いなと思っちゃうモンですよ。あ、もちろんイイ意味でですよ??」

 

 クリスというボーイへと振り向きながら喋るラミア。これに対してクリスは「お褒めいただき光栄だね」と淡泊な調子で答えていく。

 

 その上で彼はこちらに向いてくると、次にも不敵な声音で淡々と喋り出してきたものだった。

 

「人探しなら僕に任せてくれないかな。今までの人生、請け負った依頼を達成することしかしてこなかったものだからね。こうして平穏な暮らしに迎え入れられてしまった今、生きていることがただ退屈で仕方がないんだ」

 

「そ、そうなんだ……?」

 

 ホステスのみんなは変わり者だと思っていたけれど、ボーイも大概だなぁ……。

 それを思いながらクリスを見遣る自分。そこで彼と目が合っていくのだが、その瞬間にも不思議と全身に悪寒が巡り出したことによって、自分はクリスの提案に躊躇してしまう。

 

 そんなこちらの様子におかまいなし。クリスは真っ直ぐな瞳でこちらを見据えながら、淡々とした調子で喋り出してくる。

 

「それじゃあ、話だけでも聞かせてくれないかな。高校の名前は、龍明高等学校って言ってたね。だから、それ以外での彼女の特徴……例えば、名前とか髪の長さ、それとほくろの位置なんかを教えてもらえさえすれば、あとは僕が勝手に探し出してくるからさ」

 

「とは言っても、俺もその子のことはほとんど知らないんだ。その子のお姉さんとなら親密に関わっていたもんなんだけど、その頃は妹さん、まだ小学校に上がる前とかの大きさだったものだから、今の妹さんの特徴とかはまるで知らないんだ……」

 

「そう言えば、話の中で“菜子(なこ)”って名前が挙がっていたね」

 

「そうだね。いなくなった女の子の名前。ここ二週間、菜子ちゃんが家に帰ってきていないらしい。このことを警察に相談したりしたみたいなんだけど、如何せんその菜子ちゃん、警察の間でも有名な問題児らしくって、その関係でまともに取り合ってくれなかったみたいなんだ」

 

「尤も、龍明の警察は迷子の捜索程度で腰を上げたりしないさ。彼らは銃撃事件やストライキの鎮圧で手一杯だからね」

 

 これ本当に日本?

 改めてそんな疑問が思い浮かんでくる。もはや当たり前になっていたその日常に自分が内心でドン引きする間にも、クリスは淡々とした調子でそれをこちらに訊ね掛けてきたものだった。

 

「じゃあ、苗字だけでいいよ。外見の特徴があればもっと早く見つかるんだけど、探し出すなら本名だけで十分さ。その分、発見が遅れて既に死体になっている可能性も上がるけれどね」

 

「嫌なこと言わないでくれ……。それじゃあ、苗字を教えればいいんだね……」

 

 警察がまともに取り合ってくれない以上は、このクリスってボーイに頼るしかなさそうだ。

 

 なんだか、悪魔に魂を売るような気分だった。

 そんな面持ちで彼と向き合っていく自分。そして、今も細く光らせた紅の瞳と向かい合うように彼の目を見据えながら、自分は行方不明であるその少女の本名を伝えていった。その時のことだ……。

 

蓼丸菜子(たでまるなこ)。それが、いなくなった女の子の名前だね」

 

「蓼丸?」

 

 苗字を聞くなり、クリスはわずかながらに見開いてきた。

 そして、何やら思考を巡らせ始めたその姿。これに自分とラミアが首を傾げて様子をうかがっていくと、次の時にもクリスは不敵にニヤつきながら淡々とそれを喋り出してきたものだった。

 

「どうやら僕の出る幕は無さそうだ。この件はユノに伝えてあげると良いかもしれないね」

 

「ユノさん? どうしてそこでユノさんの名前が?」

 

「彼女に訊ねれば分かるよ。そして、そのお姉さんか。なるほど」

 

 ひとり納得した彼の様子に、尚更と疑問がよぎってしまう。

 挙句には、クリスは興味を無くしたように踵を返していくと、去り際にもその言葉をこちらに投げ掛けてきたものだった。

 

「今回は手柄をユノに譲るとして、もし他の件で困ったことがあったら是非とも僕に教えてよ。特に、殺しの案件なら喜んで引き受けるよ。身近に憎らしく思う人物でもいないかい? それを僕に教えてくれれば、殺しから死体の処理まですべて引き受けてあげる。それを頭の片隅に入れておいてくれるとたいへん嬉しいな。じゃあそういうことで、またお話をしようね。柏島オーナーの息子さん」

 

 

 

 

 

 真夜中になり、キャバレーとしての姿も閉店した穏やかなメインホール。業務を終えたホステスやボーイが和気藹々と会話を交わしていく様子を光景にして、自分は引っ付いてくるラミアへと言葉を投げ掛ける。

 

「いや、ラミアはついてこなくて大丈夫なんだけど……」

 

 ユノの下へと向かうその道中、どこかワクワクとした様相のラミアがついてくるこの状況。これに先の言葉を掛けていくのだが、一方として彼女はムッと振り向きながら真剣な眼差しでそう返答してきたものだった。

 

「なんでですか?? どーしてウチもハナシを聞いちゃいけないんですか?? クリスさんのあんな態度、ウチ初めて見たんですよ?? あんな意味深な対応を取られてしまいましたら、部外者のウチでもついつい気になっちゃうモンじゃないですか!?」

 

「いやいや、見世物ってわけでもないんだけど……。まぁいいか……なんか、ユノさんの近くにメーとレダもいるし……」

 

 向かう先で佇むタキシード姿のユノの傍には、同じくタキシード姿のメーとレダが会話を交わしていたその光景。

 

 まぁ、聞かれても問題ないか。そんなことを考えている間にも自分らはユノの下に到着すると、歩いてくるこちらにメーとレダが手を振ってきて、彼女らの反応に一歩遅れてユノが振り返ってくる。

 

 そして、彼女は凛々しい佇まいでこちらへ右手を差し伸べてくると、次にも男女問わず魅了する大人の麗しさでその言葉を投げ掛けてきたものだった。

 

「こんばんは、柏島くん。今宵も私達の店を楽しんでもらえたかしら。貴方の心が満たされれば、それだけ私達は報われるの。だから、またいつでもいらしてちょうだい。貴方の来訪を、私達は心から歓迎するわ」

 

 あぁ、自分は今ユノさんと会話している。そんな実感が湧いてくる彼女節に、自分は変な汗を流していく。

 

 それは置いといて、自分は「あの、ちょっと相談があるんですけど……」と切り出していくなり、ユノにこれまでの経緯を説明したものだ。

 

 探している女の子がいて、その女の子は蓼丸菜子(たでまるなこ)という名前であるということ。それを説明して、「捜索の方、協力していただけないでしょうか?」と自分はユノに訊ねていく。

 

 だが、そうして自分は申し訳なく思いながらユノを見遣っていくと、そこで目にした彼女の様相にこちらが衝撃を受けてしまったものだった。

 

 今までの凛々しいサマからは考えられないほどの、呆気にとられたその表情。暫しと放心に近い雰囲気で彼女は呆然と立ち尽くすものだったから、これには自分とラミア、それとメーが揃って首を傾げながらユノをうかがっていく。

 

 一方、ユノの傍にいたレダは、軽く腕を組んだ佇まいでユノを見遣りながらも、彼女の顔色をうかがうようにそれを口にし始めたのだ。

 

蓼丸(たでまる)って、あの蓼丸という認識で良いのかしら~? だとしたらユノさん。この話、あなたにとっても他人事ではないんじゃないの?」

 

 どういうことなんだろう。それを視線で問い掛けると、レダの言葉に反応するようユノが喋り出していく。

 

「どういった内容であろうとも、柏島くんの頼みであるならば私は断るつもりなんて毛頭ないわ。柏島くんに否定を突き付けるということは、柏島オーナーに対する不義理を働くことにもなりかねない。今は亡きオーナーへのご恩に報いるためにも、柏島くん、その少女の捜索を私に任せてもらえないかしら」

 

「ちょっと大げさに聞こえますけど……急な頼みであるにも関わらず快くお引き受けくださったユノさんの温情に、自分は感謝しかありません」

 

 何はともあれ、蓼丸菜子(たでまるなこ)という女の子の捜索に希望が見えてきた。これに自分は勝利を確信するかのような気分でいる中で、ユノは改まるようにこちらへそう訊ね掛けてくる。

 

「それでなんだけど、柏島くん。ひとつ、貴方から聞かせてもらいたい話があるの」

 

「なんでしょうか?」

 

「貴方の言う、“お姉さん”、という人物に関しての質問なの」

 

「あはい、それがどうかしましたか……?」

 

「彼女の名前についてなのだけど、もし私が思い描いている人物と同一であるのならば、彼女はきっと“ヒイロ”という名で呼ばれていたはずよ。この名前に心当たりはあるかしら?」

 

「あ…………」

 

 図星。思わずキュッと縮まった心臓の感覚に、ユノは確信するかのような頷きを見せつつそれを訊ねてきたものだった。

 

「……柏島くん。“ヒイロ”という人物とは、どういった関係の仲だったのかしら?」

 

「いやそんな、大した仲では……。ただ、ヒイロ姉さんは俺の“従姉”でしたので、住んでる家が近かった頃なんかは毎日のように姉さんに振り回されていたもんですけど……」

 

「……その時の話、良かったら私に聞かせてもらえないかしら」

 

 穏やかでありながらも、しみじみとした声音で喋るユノの調子。これに自分は「わかりました」と答えていくと、そのヒイロという人物とのエピソードで何気なく記憶に残っているその話を、ユノを始めとした周囲のホステス達に話し始めていったのであった。

 

 

 

 

 

 小学生か、中学生くらいの頃だろうか。そんな曖昧な記憶の中に残る、親戚の家のリビングというこの空間。この頃から親父は、探偵という身分を隠してこちらと距離を取っていたことから、自分は親戚の家を転々と移動する形で住まいを移していく引っ越し生活を余儀なくされていた。

 

 そうして、親戚の家の広いリビングでテレビゲームをしていた時のこと。ふかふかなソファに座って、大きな画面に釘付けとなるよう無心でゲームをしていると、玄関扉が開く音の直後にもドカドカ走ってくる音と共にして、“彼女”は躊躇いなくソファへと飛び込んでくる。

 

「うらぁぁああああーーーーー!!!!」

 

「う、うわあぁぁああああ!!??」

 

 書き起こすと途端にして、知能の低下が著しくなった双方のセリフ。これによって驚いた自分が飛び込んだ彼女に押し倒されていくと、次にも彼女は、無垢が故にキレ散らかすこちらを力強く抱きしめてきたものだった。

 

 鼠色のブレザーに白色のシャツ、そして赤と白のチェック柄スカートという高校の制服姿であるその彼女。巻いていた赤色のリボンはだらしなく緩めていて、シャツのボタンも三つほど開けていたことで灰色のアンダーシャツが丸見えになっている。

 

 そうして、脱げかけた白色のルーズソックスも気にしない彼女がこちらをムギュウっと抱き抱えてくると、ふわっと扇状に広がる腰丈程度の茶髪ロングヘアーをぐしゃぐしゃにしながら、彼女は無邪気な調子でそれを喋り出してきたものだった。

 

「捕まえたぞー少年!! さぁ、観念してアタシの抱き枕となるが良い!! ほらアタシにかまえ~!」

 

「な、な、ヒイロ姉ちゃん邪魔!!! 今ゲームしてたんだけど!!!」

 

「ゲームなんて何年経ってもできるもんっしょ~? それよか、現役JKのアタシの相手をする方がよっぽど有益だと思うんだけど?? その辺どうなんよ~?」

 

「やだ! 邪魔!! いいとこだったんだから離して!!」

 

「ちぇー、ノリの悪いガキんちょだこと」

 

 悪びれる様子もなくニヤッと見せてきた彼女の笑み。一方で今も抱き抱えられる自分がゲーム機のコントローラーで彼女を殴りまくるのだが、そんなこちらの反応に彼女は、黒色の瞳をキラキラ輝かせながら愉悦の笑みを浮かべて眺めてきたものだ。

 

 今思うと、百六十八くらいはあっただろう彼女の背丈。性格は粗暴で行動がいちいち豪快であるその人物は、ソファの上であぐらをかきながらも、ゲームをプレイするこちらの様子をまじまじと見つめていく。

 

 どのタイミングで仕掛けようか。背後からの視線でその言葉が伝わってくる彼女の気配に、子供ながらも自分は冷や汗を流しながらゲームを進めるその状況。

 

 だが、ここで彼女は「あ、やべ!」と言いながら思い出したように学校の鞄の中を漁り出していくと、取り出した携帯電話を開いて確認して、そのままおもむろに立ち上がってドタバタ歩き出しながら騒ぎ立てていく。

 

「やーばい! かれピッピとの待ち合わせ!! 急いで風呂済ませねぇと!!」

 

「お風呂? まだ夜じゃないよ?」

 

「あん?? ……あぁ。お風呂っていうのはね~、何も夜に入るものってわけではないのだよ歓喜(カンキ)くん。必要があれば、お風呂は朝でも昼でもいつでも入っていいものなのさー」

 

「??? どこか出掛けるの? いま夕方だよ?」

 

「あぁ違う違う、夜になるからお出掛けするんだよ~? じゃないと、大好きな人とイチャイチャできないからね。まぁさ、歓喜くんもお姉さんみたいな年齢になれば分かることだから」

 

 そう言って彼女は、ソファに座るこちらに近付くなり頬にキスをしてきた。これに自分は子供ながら頬を拭いていくと、そんなこちらの真横に彼女は腰を下ろしてきては、肩に腕を回してきて寄り掛かってくる。

 

 そして、彼女はこちらの頭を撫でながら、あろうことか耳元でそんなことを喋り出してきたのであった。

 

「アタシはね、これから大好きな彼氏くんとらぶらぶえっちをしてくるんだぞ~??」

 

「えっち? って……えっちなこと?」

 

「そう!! えっちなこと!! お互いの愛を確かめ合う神聖なる行為で、人間が寂しさや欲望を紛らわすために励んでいく大人のお遊びのことを言うんだよ~。いい、歓喜くん。これはね、セ〇クスっていう名前の遊びなんだ。よく覚えておけよ~?? 歓喜くんも彼女ができたら絶対にする、とっても気持ち良いお遊戯だから、可愛い彼女ちゃんを失望させないためにも、今の内によく勉強しておけ~?」

 

「セ〇クス?」

 

「そうそう!!! セ〇クス!!! うわぁ歓喜くんかしこ~い!! 今の内にセ〇クスを覚えちゃうなんて歓喜くん将来は有望だね! よ! 未来のヤリ〇ン男!!! 時代の最先端を往く全自動人類繫栄マシーン!!! あ、何だったらアタシでセ〇クスの練習でもする?? 帰ってきた後にでもしよっか??」

 

「????」

 

「てか歓喜くん、ちゃんとおち〇ち〇剥いてる?? 今の内に剥いておかないと立派な大人になれないよ? ほら、ちょっとお姉さんに見せてみなさい??」

 

「え。え。なに。待って。どうして脱がしてくるの!? ヒイロ姉ちゃん!! 待って、やめ」

 

 

 

 

 

 ……これ以上を話してしまうと、何故だか自分の尊厳が失われるような気がしてしまえた。

 

 場面は現在に戻り、自分は話を途中で止めるようにして「まぁ、そんなこともありました……」と無理やり締めていく。この話に対し、横で聞いていたラミアとメーが「うわぁ……」とドン引きする眼差しをこちらへ向けてきたものだった。

 

 いや、その目を自分に向けられても困るんだけど……。

 という言葉を内心で呟くこちらの目の前では、ユノは何かに納得したかのように何度も頷きながらしみじみと喋り出してくる。

 

「龍明高等学校の制服に、突拍子も無い衝動的な行動、それにふしだらな言葉遣いに髪型の様子など、当時の彼女が兼ね備えていた特徴と見事に一致するわね。柏島くんの話から、その人物が私の知るヒイロと同一人物であることが分かったわ」

 

「本人曰く、小学生の時点で性交渉を経験していたらしいです。また、彼女が語ってくれた武勇伝も中々にぶっ飛んでおりまして、教卓を振り回して廊下の窓をすべて割り尽くしたり、学校の屋上から飛び降りて校庭の花壇に突っ込んだり、喧嘩を売ってきた大人をバイクに縛り付けて引き摺り回したなどの話を散々と聞かされたもんですよ……」

 

「えぇ、よく知っているわよ。ヒイロが語った武勇伝の一部分は、私も目にしたことがある事実に基づいているのですもの」

 

「あぁ、やっぱり本当のことだったんですね……。…………ん?」

 

 私も目にしたことがある?

 その言葉に、自分は驚きを隠せない顔で彼女を見遣ってしまったものだった。そんなこちらの視線を受けてユノは、凛々しいサマで清々しくそう答えてくる。

 

「ヒイロとはね、小学校に入学した頃からの長い付き合いなの。家柄の関係で周囲から孤立していた私に対しても、彼女は何の疑問も抱くことなく話し掛けに来てくれたものだわ。それ以来、私はよくヒイロと行動を共にしていたものよ」

 

「……ユノさん、ヒイロ姉さんと同級生だったんですか……?」

 

「世間って狭いものね」

 

 そう言って苦笑してみせたユノ。だが、すぐにも真剣な表情に変えてくると、ユノは低い声音でこちらにその言葉を投げ掛けてくる。

 

「ヒイロの足取りとか、貴方は掴めているものなの? 彼女と親戚であるならば、ヒイロが失踪した理由についても何か聞いていたりしないのかしら」

 

「それが、ヒイロ姉さんが失踪した理由は俺達にも分からなくて……。あまりにも急に姿を消してしまったものですから、親戚の間でもしばらく問題になりましたし、何よりもヒイロ姉さんの失踪がキッカケで“蓼丸家は崩壊”しましたから、それ以来の情報がこちらの耳に入ってこなくって……。期待にお応えできなくてすみません……」

 

「いえ、貴方が謝罪する必要はないわ。それよりも今は、目先の問題に取り掛かることが先決ね」

 

 本来の目的は、二週間ほど前から行方不明になってしまっている蓼丸菜子という少女の捜索。ユノの協力を仰ぐべく昔話に興じていたものであったものだが、ここで話を聞いていたレダが、話の本筋へと導くようユノへとそれを話し出してくる。

 

「わたしも一応、ヒイロさんのことを少しだけ知っているわよ。だからこそ、ユノさん。あのヒイロさんの妹ちゃんを探し出すために、“彼ら”の協力を仰ぐべきだとわたしは思うんだけど」

 

「“彼ら”ね。あまり気は進まないけれども」

 

「手段を選んでいられない状況だとわたしは思うし、ユノさんのお願いであれば“彼ら”は快く協力してくれると思うのよ。動くなら早い方が良いわよ。そうでしょ?」

 

 “彼ら”?

 それを視線で問い掛けるのだが、ユノはレダを凝視していてこちらに全く気付かない。そして直にもユノはひとり頷いていくと、「そうね、協力を仰いでみましょう」と言うなり尻ポケットからスマートフォンを取り出しながら他所へと歩いていってしまったのだ。

 

 そこで自分は、レダに「彼らって、誰のこと?」と訊ねてみる。だが、この問いに対して彼女は「あらあらぁ、オンナのヒミツに詮索はご法度よ~?」と適当にはぐらかしてくるなり、先までの緊張感とは相反するサマで、豊満な乳を擦り付けるようにこちらへ抱き付いてきたものだった。



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第14話 Un baiser passionné 《熱烈なキス》

 昼下がりの龍明。曇り空の穏やかな風を受けながら、自分は七名程度の集団に混じって駅前を歩いていく。

 

 ちょっとした趣味の集まりである男女が、会話に花を咲かせていく和やかな空間。集まった男女の皆がマニアックな話にのめり込むその中で、自分はスマートフォンを確認するなり彼らへと一言掛けていったものだった。

 

「それじゃあ事前にも話してあったように、このあと待ち合わせがあるから俺は先に失礼するね。また呼んでくれると嬉しいな。じゃあまた」

 

 振り返る彼らに快く送り出される自分。その際に「彼女との待ち合わせか~?」と茶化されたりして苦笑しながら歩き出していくのであったが、そうして自分は彼らと離れるなり、既に視界に映っていた勝負服姿のラミアへと真っ直ぐ歩みを進めていったものだった。

 

 駅前の柱の前で、紫色のスマートフォンをたぷたぷ操作していたその彼女。いつもの病み系ファッションで、カールを掛けたヴァイオレットカラーのロングヘアーという身なりのラミアが可憐に佇んでいる。

 

 下に着ている白色のフードが顔を出した黒色のパーカー。それと、黒と白のチェック柄ミニスカートに、黒色のルーズソックスと黒色の厚底ブーツという彼女の格好。

 

 そんなラミアを目指して歩いていると、こちらの靴音に気が付いた彼女が顔を上げて確認してくる。そしてラミアもこちらへ歩き出してくると、スマートフォンを持つ手を軽く振りながらその言葉を掛けてきたのだ。

 

「どーも、カンキさん。お疲れ様でーす」

 

「お疲れ様、ラミア。待たせちゃった?」

 

「すこーしだけ待った程度ですよー。まー、カンキさんをお待ちしている間に、三回くらいナンパされたくらいです」

 

「人気者だね。でも彼らの気持ち、俺にも分かるかも」

 

 メイクとコーデをバッチリ決め込んだ、地雷風を装うあどけない乙女。そんな印象を受けるラミアの格好に自分は感想を口にしていくと、この言葉を聞いた彼女は後ろに両手をやりながら、甘えるような上目遣いで覗き込むように近付いてくる。

 

「おや?? おやおや?? カンキさんも、このラミアちゃんにメロメロですか??」

 

「否定ができない自分がいるよ」

 

「ははーん?? それじゃー、カンキさんもラミアちゃんのイチファンとして、ウチがとっても喜んでいるお姿をトーゼン見たいモンですよね?? それでしたらウチ、現在お腹が空いておりましてですねー」

 

「隙があれば奢らせようとしてくる……」

 

「なんですか?? 本来でありましたらコチラ、同伴案件のお出掛けなんですよ?? それなのに今はですね、お店のノルマと何にも関係の無い貴重なプライベートのお時間を割いてまでしてココにいるんですから、カンキさんはそんな頑張り屋のウチにご褒美を与えるべきなんですよ」

 

「いやまぁ、どちらにしても奢るつもりではあったけどさ。そもそもとしてこのお出掛け、ラミアが夏に向けたコスメを選ぶにあたって、現地で男性視点の意見をうかがいながら選びたいってところから決まった計画だったよね……?」

 

「ムムッ。なんですかー、ウチに文句でもあるんですかー」

 

 本気ではない逆ギレ。困り眉を見せながら敢えて突っ掛かってくるラミアの絡みに、自分は「いやいや文句はないけど!!」と返答しながら行動を促していく。

 

「それで、お腹が減ってるんでしょ? ラミアもさっきまで同伴だったもんね。お疲れ様。今日頑張ってきたご褒美で、なんか美味しいものでも食べような」

 

「えへへ、カンキさんってウチらに対してトコトン甘いですよね。ホント、ウチらにとって都合がイイ存在なのでいつも助かりますよー」

 

「否定はできないけど、言い方よ……」

 

「あー、ウチお寿司食べたいです!! 今日頑張ってきたご褒美で、ちょっとお高めなお寿司が食べたいキブンです!! お寿司食べましょうよー!!」

 

「人の奢りになった途端に昼飯のグレードを上げてきたな……」

 

 ラミアの調子に、汗を流しながら呟いていく自分。その間にも彼女はご機嫌な足取りでこちらに近付いてくると、そのまま腕にしがみついてからおもむろに見上げてきたものだ。

 

 そして、おねだりをするような甘い声と表情で「ダメですか……??」と訊ね掛けてくる。これに対して自分は、内心で「ずるい……」と思いながら渋々と承諾した。

 

 そうしてラミアが満足気な微笑を見せてくると、次にも彼女は「ハイ決まりです!! それじゃー早速お寿司を食べにいきましょー!!」と言ってこちらの腕を引っ張り出してきたため、それに合わせて自分も歩き出したことで、腕に引っ付くラミアと二人で駅前を歩き出したものであった。

 

 

 

 

 

 昼食を済ませた自分らは、当初の目的であるラミアのコスメ探しのために近くのデパートに立ち寄っていた。

 

 店内の化粧品売り場で、ラミアと一緒に品物を眺める自分。

 まるで宝石のようにキラキラと光る容器が、辺り一面と展開されているその光景。同時にして、男である故に謎の禁忌に触れているかのような気分を味わいながらこの領域に踏み入れていると、隣にいるラミアがアイシャドウのパレットを手に取りながら喋りかけてきたものだった。

 

「カンキさん、コレ見てください。南国の砂浜をイメージしたアイシャドウみたいです。清涼感ある透き通った白色の浜辺から着想を得たって謳っているだけはありますねー。どーですか?? コチラ、ウチに似合うと思います??」

 

「なんか、見るもの全てが同じに見えちゃってなぁ……」

 

「ナニ言ってるんですか?? どっからどー見ても違うじゃないですか。ホラ、コチラの着物と合わせるコトを想定された和風チックなパレットと見比べてみてください。コチラは雅とも見受けられる落ち着いた色が揃っておりますよね??」

 

「あー……なんか、美味しそう。アイシャドウのパレットってチョコレートみたいだよね」

 

「……カンキさんと一緒に来たのは間違いだったみたいですね」

 

 ラミアから蔑みの目を向けられる。これに自分は「ごめん……」と謝ってしまったものだった。

 

 とは言え、彼女もそこまで本気に怒っているわけではなかった。

 こちらの謝罪に、ラミアは「まー、オトコのヒトには分かりませんよねー」と言葉を掛けていく。それから、自身が今も付けているアイシャドウのことを説明した上で、ラミアは手に持つ商品の色について熱く語ってくれたものだった。

 

 そういったやり取りを行いながら、ラミアと共にアイシャドウ以外の様々なコスメを見てきたものだ。その結果としてラミアは、暗い赤色ながらも煌めいたツヤを放つリップを購入したことで満足気に化粧品売り場を後にしていく。

 

 こんな調子で自分は、成り行きでラミアとのデートを楽しんでいた。

 今もこちらの右腕に引っ付く彼女は、前方を指差しながら「アチラでショーをやってますね。見に行ってみますか??」などと言葉を投げ掛けてきてくれる。ラミアも何だかんだでノリノリなサマを見せていたことに自分は安堵していくその中で、ふと目についた帽子売り場の前で立ち止まるなり彼女は不思議そうな顔で訊ね掛けてきた。

 

「どーしましたー?? なにか気になるモノでもございました??」

 

「あぁ、ちょっとピンと来たものがあって。寄っていってもいい?」

 

「構いませんよー」

 

 そう言ってラミアは、こちらの腕にぎゅっとくっ付いてきた。

 こちらに全てを委ねたスタンス。自分の歩みに従うよう彼女も足並みを揃えてくれるラミアの気遣いに、内心で感謝しながら自分は目的の場所を目指していく。

 

 そして、一つの帽子コーナーの前に到着した。

 動物の頭部や耳を象った帽子が何とも特徴的である、ちょっと風変わりな帽子を取り扱うその一帯。ここで自分は不思議と惹かれていったとある帽子を手に取っていくと、それを持ちながらも隣にいるラミアと見比べるようにして、暫し思考に耽っていく。

 

 ……猫耳がついた、ちょっと膨らみのある黒色キャスケット。それを、今も腕に引っ付く彼女と交互に見遣っていく中で、ラミアが「カンキさん、ソレ被るんですか??」と適当な調子で喋り出してくる。

 

 すぐにも自分は、「いや、そういうわけではないんだけどね」と返答した。

 且つ、好奇心のあまりにラミアの頭部をまじまじと見つめてしまう。そんなこちらの視線に彼女は何かを察していくと、次にもラミアは上目遣いのまま、受け入れるかのように頭を差し出してきて……。

 

 ……自分は、猫耳の黒色キャスケットをラミアに被せていったものだった。

 

「…………ラミア」

 

「…………なんですか??」

 

「…………とても似合ってる」

 

「…………ソレ、褒めてます??」

 

「…………正直な感想、言っていい?」

 

「…………イイですよ」

 

「…………めっちゃ可愛い」

 

 元々の可憐でいたいけな風貌とマッチしている上に、今の地雷風コーデが合わさることで絶妙な可愛さを発揮しているその格好。これを目撃して、思わず本音が漏れ出てしまった本気のトーンをラミアは耳にしていくと、次にも彼女は「……どーも」と言うなり恥ずかしそうに俯いたものだった

 

 それからラミアは、付近の鏡を見つけるなりその前まで移動して、しばらく自身のコーデと見合わせていく。

 

 本人としても、満更ではなかったのかもしれない。猫耳がついている帽子に彼女は抵抗が拭えない様子ではあるのだが、一方で脱ぐのも名残惜しそうに暫し被り続けていると、ふとラミアはおもむろにこちらへ振り返りながら、反応をうかがうかのような視線でそれを訊ね掛けてきたものだ。

 

「…………あの。コレ、ヘンじゃないですか……??」

 

「変じゃない。なんか、奇跡的にラミアと噛み合ってるよ」

 

「……そーですか。コチラを被っていても、同伴相手からはヘンに思われたりしませんかね……??」

 

「少なくとも俺は見惚れちゃうな。だから、むしろ同伴の依頼が増えると思う。ナンパも増えちゃうかもしれない。それくらい、その帽子はラミアに似合ってるよ」

 

「……そーですか」

 

 チラッ。期待の目を向けてきたラミア。

 あと一歩の踏ん切りがつかない。そんな様子の、どこか助けを乞うかのような彼女の目と自分は向き合っていくと、その意図を汲み取るなり自分は大きく頷いてみせながらその言葉を伝えていった。

 

「買うだけ買っておいてもいいと思うよ。帽子に関しては買わずに後悔するより、買って後悔した方が良いと思う」

 

「!! ……まー、カンキさんがそこまで仰るのでありましたら、今ココでコチラを購入してもイイのかもしれませんね……!!」

 

 どうやら、ラミアの背中を押すことができたらしい。

 ひとりでは踏み出せずにいたその一歩を手助けしたことによって、ラミアは何かを誤魔化すような上ずった声音でそれを口にしながらも、被っていた帽子を手に持って足早と会計へ向かっていった。

 

 その時の彼女の駆け足がまた、小動物のようにトコトコとした足取りであったためなのだろうか。この時にもラミアの背を見送っていた自分は、不思議と彼女のことを愛らしく思えてしまって仕方が無かったものだった。

 

 

 

 

 

 場面は変わって、龍明の駅前から少し離れた公園に訪れる自分ら。購入した帽子をさっそく試したい! というラミアの意思の下、自分らは付近の公園で散歩をしようという話になって今に至る。

 

 夏が近いこの季節。どこか怪しい雲行きの空の下。デパートの駅前から歩いてきたこの公園は、周囲の木々に辺り一面の芝生が生い茂る、大自然を思わせるほどの解放感に満たされた緑の空間によって成り立っていた。

 

 今もこの公園では、小さな子供からリードを着けていない犬までの様々な生き物が走り回っていたものだ。

 とても和やかな空間だなと感じる一方で、空の様子が様子なだけに人の数は少なめであるこの状況。それでもラミアの帽子デビューを優先したこのお出掛けであったのだが、草木によって囲まれた暗がりの細い道に差し掛かったところで暗雲が立ち込め始めたものだった。

 

 駅前からずっと手を繋いで歩いてきた道のり。それでいて、アパートへの近道である一方通行の細い道を辿っている時にもポツポツと感じられ始めた、湿り気のあるこの空気感。

 

 次第に、雨が降り始めてきた。これを受けて自分とラミアは互いに傘の有無を確かめ合っていくのだが、共に持ち合わせていない事実と直面するなり二人で真っ青になりながら走り出したものだった。

 

 しかし、ラミアの履いている厚底ブーツが運動に不向きな形状をしていたため、これに自分は急ぎで周囲を見渡して雨宿りできる場所を探していく。

 

 そこで見つけたのが、田舎のバス停で見受けられるような小さな小屋というものだった。

 今も繋いでいた手を引っ張りながら、急ぎでそこに駆け込んでいく自分ら。それとほぼ同時にして滝のような勢いで雨が降り出してくると、それは一瞬にして豪雨となって龍明に降り注いだのだ……。

 

 

 

 ……小屋に備え付けられたベンチに座っている、自分とラミア。隣にいるラミアがこちらの手を一切と離さずにいるその脇で、自分は通話を終えたスマートフォンを上着のポケットにしまいながら彼女へそれを伝えていく。

 

「ちょうど俺の部屋にいたメーが、傘を持って俺達を迎えに来てくれるって。だから、それまで俺達はここで雨宿りをしていよう」

 

「……わかりました」

 

 ちょっとだけしょんぼりとしたラミアの声音。これに自分は彼女へと振り向きながら訊ね掛けていく。

 

「どうしたの? 具合でも悪い? 急な雨で冷えちゃった?」

 

「あー、いえ。そーいうワケではないんですけどー……。ただ、ウチのワガママでカンキさんを大雨に巻き込んでしまったモンなので、ついつい浮かれちゃって失敗したなーって反省していたトコロでした」

 

「気に掛けてくれてありがとう、ラミア。心配には及ばないよ。俺としては、買った帽子を被っているラミアを間近で見ることができて楽しかったし」

 

 繋いでいた手を離して、ラミアの肩に手を回しながらトントンと叩いていく自分。これに彼女は「そう仰っていただけますと、何だか嬉しくなっちゃいますね」と口にしてくると、次にもラミアはこちらに寄り掛かり、そのままべったりとしながら落ち着いてきたものだった。

 

 今も被っている猫耳の黒キャスケット。それを抱き抱えるようにしてラミアの頭を優しく撫でていく。

 雨がザーザー降り続ける空間の中、ひと気の無い小屋に取り残された二人の男女。この空気で高揚感が昂らないはずもなく、次の時にもラミアはこちらをじっと見つめてくるなり、彼女はベンチに座るこちらへと覆い被さるように勢いよく乗りかかってきたのだ。

 

 突然の行動に、自分は思わず声を上げて驚いていく。

 だが、そんなこちらの反応もラミアはお構いなしだった。その両腕をこちらの肩に回してきた彼女は、スカートという格好で向かい合うように乗りかかりながら、甘えるような可憐な声音でそれを喋り出してくる。

 

「カンキさん。一つ、ウチからお訊ねしてもよろしいでしょーか??」

 

「え? あ、いいよ……?」

 

 あまりにも急すぎるラミアのアプローチ。

 首の後ろに回してきた腕でぎゅぅっと抱きしめてきた彼女。それでいてラミアは、意図的に顔を近付けながら猫なで声でそれを訊ね掛けてくる。

 

「カンキさん基準ですと、ウチとカンキさんってまだ親しくない関係だったりするんでしょーか??」

 

「親しくない関係……?」

 

「以前、ウチと同伴した時のコトを覚えておりますか?? ウチはですね、ソレを理由にされて一度、カンキさんにフラれちゃっておりますから」

 

「フラれたって、そんな……」

 

 ラミアとの同伴で水族館にお出掛けした日の夜。彼女から夜のお誘いを受けた際にも自分は、互いの関係を理由にしてラミアのお誘いを断っていた。

 

 たぶん、彼女はそのことを言っているのかもしれない。

 突然の問い掛けに困惑が勝るこちらの心情。だが、そんなこちらへ追撃をかますように、ラミアは乗りかかるその身体を一段と密着させてきたものだ。

 

 これによって、自分の股付近には悶々とした感覚が生じ始めてしまう。

 スカートであるラミアが、こちらの“ソレ”に押し付けるよう自身の下半身を密着させてきた。そうして意図的にくっ付けてきた彼女の大胆な行動に、自分は思わずラミアの背に手を回してしまいながら言葉を掛けていく。

 

「待って。さすがにそれはやばい……!」

 

「どーしました?? ナニがそんなヤバいんですか??」

 

「いやいや、ラミアも分かって言ってるでしょ!?」

 

「あ、またおっきくなりましたね」

 

「こんなの不可抗力だ……!!!」

 

 こちらの生理的な現象を、自身の股で事細かに感じ取ってくるラミアのアプローチ。

 強い……。あまりにも強すぎる……。これまでにも受けてきた彼女からのアプローチの中でも、特に破壊力の強い誘惑に自分はラミアを抱き抱えるようにしてしまう。

 

 彼女のショーツを意識してしまうだけでも限界なのに、更にそれを上回る欲望を駆り立ててくるラミアの攻撃。これで自分の思考がぐちゃぐちゃにかき乱されていくと、彼女は追撃として鼻先が触れ合う距離まで顔を近付けながら、甘い声音でそれを囁いてきたものだ。

 

「カンキさん。イイ加減、紳士を気取るのはやめませんか?? カンキさんもそろそろ欲求を受け入れるべきだとウチは思うんですけど、その辺いかがなモンでしょーか??」

 

「でも……でも……。ラミア達は同伴でそういうことをしているから……俺といる時くらいは、そういうしがらみを忘れてもらいたくて……!」

 

「そりゃー、相手によってはウチらも渋々ってトコもありますけど、キホンはウチらも好きでやっているコトなんですよ?? なので、カンキさんが勝手にそう勘違いされているだけなんですから、ガマンする必要なんかナイんですよ??」

 

 息が掛かり合う至近距離。潤ませた魅惑的な目と、今にも触れ合いそうな互いの唇。

 可憐な顔で、こちらを堕としに掛かっていた。そうして陥落寸前の理性で見遣るこちらの視線を彼女は受けて、猫耳キャスケットを被るラミアはトドメと言わんばかりに猫なで声でその言葉を掛けてきた……。

 

「カンキさん。気取っているだけではモテませんよ?? せっかくヒトとしてのイイトコロを見せてきたんですから、お次はカンキさんのオトコらしいトコロ、ウチに見せてくれてもイイんじゃないですか……??」

 

 あっダメだっ。

 

 ラミアを支える自分の手が、彼女の身体を抱き寄せる。且つ、一層と猛ったソレを彼女のに押し付けていくと、ラミアもまたキュッと身体を縮こまらせながら、ニッと静かに微笑んで期待の眼差しを向けてくる。

 

 お互いの大切なところがくっ付くシチュエーション。そこから受ける熱と感覚に心臓を打ち鳴らし始めた自分はそのまま、吸い寄せられるかのようにラミアの唇を塞いでいったものだった。

 

 ……le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスに対して初めて行った口付け。ついばむように軽いキスを何度か行っていくその最中にも、ラミアはそれに応えるかのようにこちらのキスを全て受け止めていく。

 

 こちらの肩に回していた彼女の両腕が、直にも力が加わって抱擁となる。そして、二人で抱きしめ合いながらキスを交わし合うという構図が生まれたその瞬間にも、自分はラミアの頭を手で優しく押さえ付け、理性のブレーキが壊れたかのように彼女の柔らかな唇を求め出してしまった。

 

 降りしきる雨の中、ひと気の無い小屋の中で熱烈に交わし合う欲望。

 軽いキスを繰り返すアプローチから、一回の口づけが長いディープキスへと移行していく。それと共に自分は、ラミアの腰を一層と押さえ付けてソレに強くあてがっていき、ラミアもまたこちらの期待を上回るかのように深く座り込んでくることで、上でも、そして下でも熱を共有し合っていく。

 

 もう、戻れない。今までの友達的な関係では収まり切らなくなった彼女への想いが、タガが外れたかのように胸の内から溢れ出してくる。

 

 目の前では、蕩けるような表情で恍惚としたラミアの顔が映り出している。しかし優位に立っているが故の余裕も思わせる微笑みを彼女は見せてくると、次はラミアから近付いてきては何度も軽いキスを交わし合っていくのだ。

 

 唇を重ね合わせる度に巡ってくる、その先へ向かいたいという次なる渇望。その想いを体現するかのように自分のソレが苦しみ始めてくると、これを発散させたいという欲求から余計にラミアを求めて抱きしめてしまう。

 

 彼女の温もりを、自分は忘れることができなくなるのだろうか。

 キスを終えて、二人で暫し目を合わせていくこの空間。これによって、ようやく満たされたとも見受けられるラミアの微笑に自分はまた理性を失っていくのだが、それと同時に視界の隅に移った“その存在”に、一気に血の気が引いていく感覚を覚えながら声を出してしまったものだった。

 

「……メー!? 来てたの……!?」

 

 雨の中、二人分の傘を手に提げて佇んでいた私服姿のメー。共にして、彼女のからかうような悪戯な微笑みが、新ネタを手に入れたと言わんばかりの表情を生み出していて自分は複雑な心境となってしまう。

 

 こんな自分とは対照的に、ラミアは平然と振り返るなりメーへとその言葉を投げ掛けていったものだった。

 

「あー、どーも。もーいらっしゃったんですね??」

 

「なにさ~、雨の中私を呼んでおきながら、お二人さんはイチャイチャお楽しみタイムってこと? 私、やっぱりお邪魔だったかな~。傘だけ置いて先に帰ってるから、お二人さんは満足いくまで愛を育みなー?」

 

 メーを呼んでいたことを忘れていた……!

 すぐにも自分は、「いや、帰るとするよ!! メー、わざわざ来てくれて本当にありがとう!」と言いながらラミアを下ろしていく。その時にも彼女を小動物のように持ち上げたことで、ラミアは「うにゃー!!」と言いながら脇に下ろされていったものだった。

 

 メーの介入が無かったら、今頃はもっと取り返しのつかない所にまで至ってしまっていたのかもしれない。

 理性を失って事に及んでしまった自分自身に、反省しろと言わんばかりの罪悪感が圧し掛かってきた。一方で、純粋すぎる自分のソレは未だ猛ったままであったことから、不完全燃焼な気持ちでこの高ぶった心のやり場にたいへん困ってしまっていた。

 

 その間にも、この脇で交わされていたラミアとメーの会話。メーが「なんか良いの被ってるじゃん! なにこれ超カワイイ~!!」と言葉を掛けてきたものだったから、ラミアは若干と照れたサマで口を尖らせながら「ど、どーも……」と返答していく様子が展開されていたものだ。

 

 ともあれ、自分はメーにお礼を告げながら傘を差し、ラミアとメーの三人で雨降りの龍明を歩き出していったのであった。



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第15話 De Nouvelles beautés 《新たな美女》

 レストランの姿である、昼のle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の店内。そこで昼食を終えた自分が、空になった皿に手を合わせてひとり満腹感に浸っていた時のことだった。

 

 とても名残惜しい気持ちがよぎりながらも、内心で『ごちそうさまでした』と呟いていく自分。そして、店を去る前にユノへ一声かけておこうと思って自分は立ち上がったのだが、次の時にもそんなこちらの背後から、“陽気な声音の男性”が声を掛けてきたのだ。

 

「おうおうおう、随分とキレイに食べるじゃんかよ。粗暴で大雑把だった親父さんとはえれぇ違いなこった」

 

「え?」

 

 突然かけられたその言葉に、自分は思わず振り返って背後の人物を見遣っていく。

 だが、そんな動作を行っている間に“男性”はこちらの肩に手を乗せてくると、そのままポンポンと軽く叩きながらこちらの真横を通り抜けるように歩いていき、そして向かいの席に手を掛けては背もたれを引いていって、男性は当然のように腰を下ろして落ち着いてきたのだ。

 

 その背は百八十八くらいだろうか。かなりの長身でノッポなシルエットが特徴的なその男性は、頭部の七割が金髪のショートヘアーで、残る三割が黒髪の刈り上げというイカした髪型でサングラスをかけている。服装は灰色のスーツに黄色のYシャツというものであり、スーツは前を全開にしていて、Yシャツもまたボタンを三つほど外した非常にラフな着こなしが印象的だった。

 

 そんな彼は、三十代を思わせるイカした色気を放ちながらこちらに向き合ってくる。すると彼は、履いている焦げ茶色の革靴で脚を組み、テーブルの上で手を組みながらそう喋り出してきたものだった。

 

「親父さんは典型的な熱血漢タイプだったからよぉ、細かい気配りは全くできねぇし些細な変化なんかにも気が付きやしねぇ、マジもんの適当人間だったもんさ。そのクセして、体を張った調査で次々と事件を解決しちまうもんだからよ、今じゃあ知る人ぞ知る龍明のヒーローとして、その名が語り継がれているってもんよ」

 

「……あの、それってもしかして、柏島長喜(かしわじまちょうき)のことでしょうか……?」

 

 人生で数回しか会ったことのない親父の名前。それをおそるおそる訊ねてみると、こちらの問い掛けに対して男性は、無言で指を差しながらニッと笑みを浮かべてきたものだった。

 

 つまり、そういうことなのだろうか。何とも曖昧な反応に自分は困惑していく中、男性は手でテーブルをトントン叩きながらそれを促してくる。

 

「この店の連中から話を聞いているぜ。何でも、命を狙われているだとかで苦労しているみたいじゃねぇか。まぁ、ここで会ったのも何かの縁さ。ちょいとばかり、オレちゃんの相手になってくんねぇかい? なぁ? カンキちゃん」

 

「わ、わかりました……」

 

 全く存じ上げないパリピな雰囲気の男性。そんな彼の言葉に自分は流されるまま腰を下ろしていき、再びイスに座って彼と向かい合っていく。

 

 と、そんなやり取りを交わしている間に響き渡ってきた靴音。それが真っ直ぐこちらへ向かうようにコツコツ鳴らされると、次にもタキシード姿のユノが男性へとその言葉を投げ掛けてきたのだ。

 

「“オーナー”? こちらに顔を出すだなんて聞いていなかったわよ。一体何の用かしら」

 

「よぅ、ユノちゃん。そんな邪険そうな顔で見ないでくれよ。オレちゃんだって、れっきとした店の関係者なんだぜ? だからよぉ、ここは一つ手を取り合って、お互いに仲良くやっていこうや」

 

「貴方を毛嫌いしていたのは昔の話よ。尤も、今も好印象というわけではないものだけれど。それで、どういった用件でここに来たのかしら」

 

「もしかしてユノちゃん、まだ“現役時代”の時のちょっかいを根に持ってる? まー確かに、オレちゃん本気でユノちゃんに惚れちゃったモンだからさぁ、どーにかして性別の壁を越えられないかと張り切りすぎちゃったトコロも否めないけどよぉ……やっぱまだ、そこが許せないカンジ?」

 

「たとえ貴方の愚行を許したところで、私はこれからも貴方の人間性を信用することはないでしょうね。柏島オーナーと貴方は器が違うの。だから、彼の座を引き継いだからと言ってそこをはき違えないでちょうだい」

 

「おっと、恐ろしいくらいの嫌われようだ……。でも、そんなぷんすかユノちゃんもサイコーに可愛いぜ?」

 

「…………」

 

 傍から見ていても、ユノの言いたいことが何となく理解できた気がしたものだった。

 

 そんな彼は、外見と噛み合うポジティブ具合を見せてきたところでユノへとその説得を試みる。

 

「まぁまぁまぁ! オレちゃんとユノちゃんの話は今する必要ねぇんだわ。それよりもオレちゃん、今日は目の前にいるボーイに用があってここに来たワケよ」

 

「貴方と柏島くんに接点が無い以上、彼に近付くことは極力控えてもらえると助かるの。貴方という存在が、柏島オーナーの血を引き継いだ彼に悪影響をもたらしてしまう恐れがあるのだから」

 

「いやはや、すんげぇ言われようだぜ……」

 

 困ってみせる男性の様子に、ユノは軽く腕を組んだ佇まいで不機嫌そうな顔を見せていく。

 

 だが、次にも彼は困り眉でそれを口にしてきたのだ。

 

「だけどよぉ、ユノちゃん。オレちゃんがよ、“元相棒”の息子さんに会いに来ることの何がいけないのかね。柏島さんとは伊達に十年来の付き合いであるこのオレちゃんが、その息子さんの顔を見に来ることのどこがおかしいと言うのかな? ん?」

 

「…………」

 

「お、言い返せない様子だ。認めざるを得なくてムッとしてるユノちゃんも、サイコーに可愛いぜ」

 

「無駄口を叩いている暇があるのなら、貴方の言う用事をさっさと終わらせなさい」

 

「おっ、ユノ様からの許可が下りた。これでオレちゃん、堂々とカンキちゃんとお話しができるってワケだ」

 

「ただし、貴方が店を去るまで、私はここで見張らせてもらうとするわ。くれぐれも柏島くんに悪知恵を吹き込まないようにしてちょうだい」

 

「なんだ、そんなコトかい。柏島さんの息子さんとお話しができる上に、ユノちゃんからの熱烈な視線も堪能することができるなんて、オレちゃんこの店に来て良かった~!」

 

「…………」

 

 この時初めて、嫌悪感丸出しのユノの顔を見た気がする。

 

 二人の会話を前にして、汗を流しながら口を閉ざしていた自分。すると、向かい側の彼はユノへと向けていた視線をこちらに投げ掛けてくるなり、チャラくありながらも大人の落ち着いた声音でそれを喋り出してきたものだった。

 

「っつーワケで、改めまして自己紹介だ。オレちゃん、この店の二代目オーナーを担当している“荒巻(あらまき)”というモンだ。そんでもって以前までは、カンキちゃんの親父さんである柏島さんと同じ探偵事務所に所属していて、そこで柏島さんとバディを組んでいたっつーワケよ。その縁で、柏島さんが亡くなられた今では、このオレちゃんが二代目オーナーとしてこの店の経営に携わっているってワケ。まー、そーいうコトだからよ、そこんところよろしく」

 

「どうも……。よろしくお願いいたします……」

 

 荒巻と名乗ったその男性は、初代オーナーである親父が亡くなった後のle goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を引き継いだ、二代目オーナーであることを明かしてくる。これに自分はどこか懐疑的な目を向けてしまったものであるのだが、そんな彼の言葉にユノがツッコまなかったことから、この荒巻という男性はれっきとした店の関係者であることは確かだった。

 

 サングラスで自信あり気な笑みを見せてくる荒巻。その仕草も両手を広げて、少しだけ首を傾げたどこか特徴的なものであったから、自分は内心で「この店って、本当に変わった人しかいないな……」と呟きながら彼と握手を交わしていく。

 

 と、そんな荒巻とのやり取りを交わしている間にも、ユノは尻ポケットからスマートフォンを取り出していた。

 

 そして、着信なのだろうその画面を見るなり、彼女は「失礼」と言って自分らの脇でその通話に応答していく。

 

 ……そこで行われた、ユノの相槌。「えぇ」、「分かったわ」、「ありがとう」の端的な返答でその着信を切っていくと、ユノはすぐにもこちらへその言葉を投げ掛けてきたのだ。

 

「柏島くん、朗報よ。貴方の親戚である“蓼丸菜子(たでまるなこ)”ちゃんが龍明市内で発見されて、私が指揮する団体に保護されたとの連絡が入ったわ」

 

「え、本当ですか?」

 

 二週間ほど前に姿を消したという、親戚に位置する女子高校生の蓼丸菜子という人物。

 その子とは全くもって面識が無い自分であるのだが、その蓼丸菜子のお姉さんである“蓼丸ヒイロ”という人物とは、自分もユノも面識があるという世間の狭さを感じられたその一件。

 

 たった今、その件に進展が見られた。

 ユノが指揮する団体に保護されたという連絡によって、ユノは「私はこれから、彼女を迎えに行くつもりよ」とこちらに告げてくる。それに対して荒巻が「ん? 蓼丸って、あの蓼丸?」と、先日のレダのような反応でユノに訊ね掛けてきたものだったから、彼女はそれに対して「詳しい説明は追々するわ」と短く答えていく。

 

 そして、ユノはこちらへと「これから着替えてくるわ。柏島くんもエントランスで待っていてちょうだい。二人で現地へ向かうわよ」と告げるなり、踵を返してスタッフ室へと向かおうとする。

 

 だが、そんな彼女の背へと荒巻はその言葉で呼び止めていったのだ。

 

「おーい! ユノちゃーん! 客の目の前で堂々と職務放棄するってのかー!?」

 

「…………」

 

「と言っても、オレちゃんがオーナー権限を発動したところで止まるワケないもんなぁ!! だったらそんなユノちゃんに、オレちゃんからとっておきのプレゼントだ!!」

 

 荒巻の言葉で振り返るユノ。そんな彼女へと荒巻は何かを山なりに投げつけていくと、それを受け取ったユノは両手でキャッチしたそれを見るなり微笑を浮かべていく。

 

 それは、車のキーだった。おそらく荒巻が所有しているのだろうそれをユノは受け取っていくと、端的に「ありがとう」と言いながらスタッフ室へと駆け込んでいったものだった。

 

 彼女に言われたように、自分もまたエントランスで待機するべく席から立ち上がっていく。

 

 と、そうしてイスの背もたれに手を掛けた自分に対して、荒巻は「ちょっと待ちな」と声を掛けるなり悠々としたサマでそれを喋り出してきた。

 

「ユノちゃんから詳しい事情も場所も聞いていないモンなんだがよぉ、車のキーが必要になるってこたぁそれなりの距離を移動するってコトになるんだろうさ。そうなるとよ、カンキちゃんの命を狙う不届きな連中のシマに踏み入っちまう可能性が決して無きにしも非ずというワケよ。ここらはオレちゃん達の縄張りが故に軽度のストーカーで済んでいたその気配もよ、場所によっちゃあ武力行使でカンキちゃんを襲いに来る脅威へと変貌し得るっつーコトでちょいとアブねぇ遠征になるやもしれねぇ」

 

「えっと、つまり……俺はここに待機していた方が良いということでしょうか……?」

 

「それが可能なら、そうするのが一番さ。だが、ユノちゃんはその判断を下さなかった。ってこたぁつまり、その現場にカンキちゃんが必要不可欠ってコトなんだろうな。そーなると、カンキちゃんをわざわざ敵地へ送り出すのも忍びない。ってコトで、カンキちゃんのボディガードも必要になるな……」

 

 先ほどまでの陽気な調子とは裏腹に、顎に手をつけて真剣な声音でそれを呟き始めた荒巻。その彼を自分は暫し見つめるようにして様子をうかがっていると、次にも荒巻はふと目についた“ボーイ”へと呼び掛けていったのだ。

 

「んぉ。おぉーい、クリスー! ちょいと任務を任せたいんだがー!!」

 

 任務。という言葉で、すかさず視線を向けてきたそのボーイ。

 

 百八十一ほどの身長で、黒色のタキシードに白色のシャツというごく一般的なボーイの格好。しかし、無造作なショートヘアーはブライトピンクの暗めなピンク色であり、土器のような質感をうかがわせる灰色の肌と、暗めの赤い瞳に長めのまつ毛、そして中性的な顔立ちの容貌が何とも印象的なその彼。

 

 以前にも、少しだけ会話をしたことがあった人物だった。その時はラミアからもクリスと呼ばれていたことから、ボーイもまた彼女らと同じルールに則った源氏名で活動しているのだろう。

 

 そんなクリスは、左手にお盆を提げながらも任務という言葉に釣られて歩み寄ってきた。且つ、「どうも荒巻オーナー。それで任務って何かな」と穏やかながらも不敵な調子で訊ね掛けていくと、次にも荒巻はスタッフ室を指差しながらそれを指示していったのだ。

 

「あー、そこらの事情はオレちゃんもよく知らんからよぉ、カンキちゃんとユノちゃんから聞いてくれや。んで、その際にカンキちゃんの遠出が必要になったモンだから、カンキちゃんのボディガードとしてついていってくれや」

 

「それって僕が出向く必要はあるのかな。彼のボディガードならユノ一人で十分だと思うけど」

 

「そこをどうか頼むぜクリスちゃん……! これでカンキちゃんが事件に巻き込まれて死んじまったなんて言ったらよぉ、オレちゃん天国で柏島さんにシメられちまうぜ……! オレちゃん恩を仇で返したくなんかないからよ、今回の任務は銃の持ち出しを特別に許可してやる!」

 

「銃を? へぇ、悪くはないね。それで発砲の対象は、彼に仇なす敵対勢力という認識でいいのかな」

 

「あぁそうだ!! 何ならこの先、カンキちゃんが関わる任務全般に銃の使用を許可してやる!! オレちゃんの大盤振る舞い。コレに乗らない理由なんか無いと思うぜ!!」

 

「それはいいね。その護衛任務、ぜひとも僕にやらせてくれないかな。彼の傍につくだけで銃の使用と人殺しが許可されるだなんて、参加しない方が勿体無い。いいよ、それで僕はどのように行動したらいいのかな?」

 

「おぅし!! その意気だぜクリスちゃん! それならまずは、スタッフ室で私服に着替えてから、エントランスでユノちゃんと合流だ!!」

 

「オッケー。わかった」

 

 なんとも物騒な会話が展開されたものだった。そんな荒巻とクリスのやり取りに自分は、住んでいる世界が違うことを実感させられていく。

 

 とにかく、そうして自分はエントランスで二人と合流していくなり、クリスが同行することに渋々な様子のユノが運転する車に乗ることで、自分の親戚である蓼丸菜子が保護されたというその現地へ急行したのであった。

 

 

 

 

 

 上質でスポーティな白色の車。荒巻から借りたその車で移動する自分ら三人は、ユノの運転で目的地を目指していく。

 

 龍明の街中を走るこの車は、交通量の多い昼下がりの道路を真っ直ぐと突き進んでいた。その最中にも運転するユノの脇で、助手席に座る自分と、後部座席にいる私服姿のクリスが現地の到着を待ち続ける。

 

 初めて見る彼の私服は、ボロボロになったノースリーブの赤色ロングコートという際立つアウターを始めとして、灰色のシャツに黒色のダメージジーンズ、黒色のブーツにドクロの銀色ネックレスという個性が溢れたものとなっていた。

 

 と、背後のクリスの気配に自分は落ち着けずにいる中で、クリスは猫背の姿勢で何気なく喋り出してきたのだ。

 

「ユノが運転する車も悪くはないね。これでも君、免許証は持っていないんだろう。この運転技術、一体どこで培ってきたのかな。やっぱり現役時代の賜物?」

 

「余計な事を口にしないでちょうだい。柏島くんを不安がらせるような言葉は慎むようにしなさい」

 

 え、ユノさん免許証持ってないの?

 ぎょっとして、内心で呟きながら真横の彼女を見遣る自分。この視線にユノはルームミラーでクリスを睨みつけながら先のセリフを口にしたものだった。

 

 しかし、彼女の視線に対してクリスは不敵な微笑を見せていたものだ。加えて、ユノが見遣るルームミラーに視線を向けることで、睨みつける彼女と意図的に視線を合わせて笑みを浮かべている。

 

 これに、ユノはため息をついていった。

 共にして、赤信号で停止したこの車。そうしてブレーキを踏みながら複雑な心境の顔を見せていたユノであったのだが、そんな彼女へとクリスは喋り続けていく。

 

「そう言えば、君と行動を共にするのも随分と久しぶりな気がするよ。最後に君と任務を共にしたのはいつだったかな」

 

「貴方と行動を共にした記憶なんか無いわ。当時は、敵対組織に雇われていた“殺し屋”の貴方と、異なる組織に属していた私、それと探偵の柏島さんと荒巻のそれぞれの利害が一致したことによって、四人はたまたま共闘するハメになった。ただそれだけのことなんですもの」

 

「あれ、そうだったっけ。僕としては、散々と始末に苦しめられた君と一緒に戦うってなったあの展開に、胸を躍らせたものだったけれどね」

 

「勝手に言ってなさい」

 

「それで思い出したんだけどね、僕と君の決着っていつになったらつけられるのかな。今のところ、五分五分の引き分け勝負になっているよね。銃が通用する場面なら僕が君に致命傷を負わせたこともあったけれど、銃が封じられたら僕は君にコテンパンにされてしまう。そんな得手不得手な状況の中でお互いに殺し合ってさ、全身の骨が折れたり風穴が空いたりなんかして、そんな毎日がすごく楽しかったよね」

 

「独り相撲なら他所でやりなさい。私は今、柏島くんという護るべき対象がいるの。柏島くんを脅威から護るために、必要の無い闘争に身を投じている時間さえも惜しいのよ」

 

「うーん、つれないな。現役時代の君はもっと血気盛んで冷酷で、道を阻む者は必要以上に痛めつけて排除するその徹底的なスタンスに好感を持てていたんだけど」

 

「減らず口は程々にしなさい。柏島くんを不快にさせるだけよ」

 

 ただひたすらに嫌悪な雰囲気が充満していた。

 

 しかし、ユノとクリスの間には少なからずの接点がある様子もうかがえたことから、自分の知らない世界の中で二人は相まみえていたんだろうという察しはついたものだった。

 

 そうした二人の会話が延々と続く中、走行する車は蓼丸菜子が保護されたという現場に到着する。

 有料の駐車場に車を停めて、降りた三人で指定の場所へ向かっていく。その間にもこちらに引っ付くよう歩いていたクリスが周囲を見渡していると、かと思えばふらっと別方向へ歩き出して建物の陰を覗いていき、そして携えていた銃を躊躇なく発砲していく。

 

 それを何度か繰り返している中で、男性の悲鳴が聞こえてくる場面もあったものだった。

 これに自分は、龍明は犯罪の温床と呼ばれる所以を改めて体感していく。これにユノは「気にしないでちょうだい。大丈夫だから」と励ますように声を掛けてくれるものであったから、自分はユノに従うようにして目的地まで移動したものだ。

 

 そんなやり取りを繰り返している内に、自分らは目的地に到着した。

 集合場所に近付くなり、付近で待機していたスーツ姿のヤクザ達がこちらに接触を図ってきた。これに自分は怖気づくよう身構えてしまうのであったものだが、次にも彼らはかしこまりながらユノへとその言葉を掛けてきたのだ。

 

「姉御、遥々までご足労いただきありがとうございやす。例の嬢ちゃんは団地の奥で捕縛しておりやすんで、あっしが案内いたしやす。ささっ、姉御の連れもあっしについてきてくだせぇ」

 

 自分は思わず唖然として立ち尽くしてしまったものだった。

 

 その間にもユノは、彼らに対して「大した働きね。さすがよ。貴方達に頼んで正解だったわ」と言葉を掛けていく。そんな彼女の労わりをヤクザの連中が耳にしていくと、強面の彼らは皆揃って「いやぁ」とデレデレしてきたものだ。

 

 そんな彼らに案内されて、自分らは建物に挟まれた細い道を歩き出していく。この間にも自分は、ユノへと「あの、ここにいる皆さんってユノさんの知り合いなんですか?」と恐る恐る訊ね掛けてみると、この問い掛けに対して隣を歩いていたヤクザが誇らしげにそう反応してきたのだ。

 

「なんだぁ? 坊主は姉御の偉大さを知らずについてきたというのかい。カーッ! 解せねぇなぁ!! いいか坊主、その耳をかっぽじってよぉく聞いておけ! 姉御はな、我ら『銀嶺会(ぎんれいかい)』を関東一の“ヤクザ組織”へ導いたと言っても過言ではない、女という身分でありながらも若くして銀嶺会の発展に貢献なすった組織の功労者よ!! そんな姉御はな、現役時代に『龍明の女帝』と呼ばれて、多くのヤクザから恐れられながらも慕われる、俺達も憧れちまうほどのヤクザ界のトップスターだったわけだ!!」

 

「ユノさんが、ヤクザ組織の功労者……?」

 

 前を歩くユノの背へと、自分は視線を投げ掛ける。そんなこちらの視線を受けてユノは、隣のヤクザに「彼に余計な情報を与えないでちょうだい。それ以上と無駄口を叩いたらその舌を切り落とすわよ」と低い声音で睨みを利かせていく。

 

 これに対し、隣の彼は戦慄しながら「す、すみません……!!!」と慌てて頭を下げていったものだった。

 

 そんな会話を交わしていると、自分らは建物に囲われた団地へと踏み入れた。

 高くそびえ立つオンボロなビルに囲まれた、外界でありながらも閉鎖的なその空間。それに加え、数多くのヤクザが存在することで一層と狭く感じられたこの団地であるのだが、その空間のど真ん中とも言える地べたには、丈夫な縄で手足を縛られた一人の女の子がこちらを睨みつけながら座り込んでいたものだ。

 

 鼠色のブレザーに白色のシャツ、そして赤と白のチェック柄スカートという高校の制服姿。巻いている赤色のリボンはだらしなく緩めていて、シャツのボタンも三つほど開けていたことで白色のアンダーシャツが丸見えになっている。

 

 目つきの鋭さが、ガラの悪さを際立てていた。そして、ただひたすらに気に食わないといった調子の不機嫌な表情には、掠り傷や青あざといった痛々しい傷跡が残されているものであるのだが、その脱げかけた白色のルーズソックスに、腰丈程度の茶髪ロングヘアーという少女の姿は正に、今も自分の記憶の中で破天荒に暴れ回る“蓼丸ヒイロ”を彷彿とさせたものだった。

 

 あのヒイロ姉さんが、もう一人……?

 そんな錯覚さえも覚えてしまうほどの似通った雰囲気に、自分は食い入るように少女を眺めてしまっていた。この視線に対して少女は応戦するように殺意を交えた目を向けてきたものであったから、自分は申し訳なさで視線を逸らしながらも、隣で佇んでいたユノへと振り向いてその言葉を投げ掛けたものだった。

 

「ユノさん。どうやら間違いないみたいですね」

 

「えぇ、そうみたい。……彼女の顔のパーツや身に纏う雰囲気が、私の知るヒイロの面影ととても酷似しているわ」

 

「同感です。今こうして目の前にいる彼女は、顔から服装までの全てにおいて、俺の知るヒイロ姉さんの面影と一致しています。……姉妹でも、これほどまでに似るもんなんですね」

 

 自分にとって、これまでユノという人物は遥か彼方の途方に位置する崇高なる存在という印象を抱いてしまっていた。だが、ここに来て自分は初めて、ユノという人物を心で分かり合えたような感覚を覚えることができた気がした。

 

 と、そんなこちらの会話で出てきた「ヒイロ」という単語を耳にして、手足を縛られたその少女は睨みつけながらも疑念の表情でこちらへと喋りかけてきたのだ。

 

「なに、ヒイロ? アンタ達もなんなの? アンタ達もどうせ、『オマエのお姉ちゃんの居場所はどこだ』だとか言ってアタシを脅すつもりだったんでしょ。なら先に言っておくけれど、アタシだってお姉ちゃんの居場所なんか知らないんだからね」

 

 アンタ達もどうせ……?

 ふと引っ掛かった少女の言葉に、自分は疑問に思いながら彼女を見遣っていく。だが、その間にもユノはパンツの腰部分に挟んであった小型のナイフを取り出していくと、ユノはその動作を行いながら少女へと歩み寄り始めたものだった。

 

 これから拷問でもされるのだろうか。自身の危機を予感させる冷や汗を流したその少女。そんな少女へとユノはナイフを向けながら屈んでいくと、これによって身構えた少女の覚悟とは裏腹に、ユノは少女を縛る手足の縄をナイフで切断し始めていく。

 

 あまりにも呆気なく解放された。そうして拘束から解かれた今の状況に少女が呆気に取られて呆然とする中で、ユノは手に持つナイフをパンツの腰部分に戻していくなり、その手を胸の前に添えながら、穏やかな声音で優しくその言葉を掛けていったのだ。

 

「蓼丸菜子ちゃん。貴女の名を、貴女のお姉さんからそう聞き及んでいたものだわ。初めまして。私の名前はユノ。貴女のお姉さんからは、私の名前をよく妹に聞かせていたとうかがっていたものだったけれども、菜子ちゃんはユノという名前に聞き覚えはあるのかしら」

 

「え……? ユノ……? あー……まぁ、うん……。小学生くらいの時に、一応……」

 

「そう、それなら良かった。私が、そのユノよ。あとね、私の後ろには、貴女の身を案じた親戚の柏島歓喜くんが、貴女を探しにわざわざ馳せ参じてくれたものなのよ」

 

「柏島、歓喜……? あー……弄り甲斐があるって言ってお姉ちゃんが気に入ってた、なんか冴えない顔したあの男……」

 

「そう、その柏島くんよ」

 

 いや、その柏島くんって言われても何かちょっと……。内心でそうツッコみながら、自分は静かに汗を流したものだった。

 

 何はともあれ、自分らは行方不明となっていた蓼丸菜子を保護することができた。

 

 それからというもの、家に帰りたくないという菜子の意向から、ユノが身元を預かる方針で話が進んでいく。それを含めた親戚への報告も自分が全て担ったことによって、怒り出した親戚の説得に自分はかなりの労力を費やすこととなったのだ。

 

 その間にも菜子は、ユノと打ち解けて意気投合するなり自身の姉について熱心と語り出したものだった。

 

 破天荒な言動から始まり、口にした約束は必ず守り通す義理堅い一面や、兼部していた先々の部活動で様々な賞を受賞していた姉の行動力を、まるで自分のことのように自慢げに話していたその少女。そうして姉について語っている菜子の表情は活力に満ち溢れていて、かつ、無邪気な語り口と輝かせた黒色の瞳がまるで、姉のヒイロと瓜二つな印象を与えてくる。

 

 そんな菜子の姿を見て自分は、ヒイロと菜子は姉妹なんだなぁと改めて実感させられながら、今も記憶の中で暴れ回っているヒイロの姿と菜子の横顔を重ね合わせながらその少女を眺めていたものだった。

 

 ……のだが、その一方で暇を持て余していたクリスが、愛用する銃を取り出しては周囲のヤクザに向けて喧嘩を売り始めたために、自分は慌てながらユノへと駆け寄って、菜子と共に店に戻ることを提案したものであったのだ。



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第16話 Un frisson passionné 《熱烈なスリル》

 遡ること数時間前。龍明に爽やかな朝日が降り注ぐ、早朝の時刻で交わしたその会話。この日に部屋で泊まっていたメーと二人で朝食を終え、歯磨きを終えた後のルーティンとして自分はスマートフォンでニュースを流し見していた時のこと。

 

 部屋のベッドに腰を掛け、流れゆく記事に軽く目を通していくこの日課。住んでいる地域が犯罪の温床と呼ばれている無法地帯であるためか、龍明で暮らすにあたっては時として、事前の情報が生死を分ける場面も存在していた。

 

 その主な内容としては、ヤクザといった裏社会の組織が引き起こす抗争の有無が挙げられる。龍明におけるヤクザ同士の抗争は実にド派手であり、戦闘の規模によっては密売人から仕入れてきた違法の武器なんかも持ち込まれることから、何も知らずにその地帯へ踏み込んでしまうと、無関係な人間であろうとも容赦なく攻撃されてしまうのだ。

 

 そんな、日本らしからぬ事態が日常茶飯事なのがこの龍明。それでいて、龍明で暮らす以上はそれら命の危機に瀕しても自己責任という風潮が当たり前となっているために、抗争の鎮圧も諦めてしまっている警察の他に自分の身を守ってくれるのは、こうして流れてくる直近の情報の他に無いのが現状だった。

 

 自分の身は自分で守らなければならない。それが例え、裏社会に精通している心強いホステス達に守られているのだとしても……。

 

 ……何て意気込みながらニュースの記事に目を通していると、そんな自分の下へと私服姿のメーが歩いてくるなり、整えたばかりの服装でおもむろにこちらの右隣へ座り込んできたのだ。

 

 袖を持て余し、ダボダボに膨らんだシルエットの黒縁紺色マウンテンパーカーが特徴的。白色をベースとしたネイビー色の牛柄ワイドパンツと、白色のへそ出しタンクトップといういつもの服装で彼女はドカッと腰を下ろしてくると、次にもこちらの肩に左腕を回しながら寄り掛かってきて、ネイビー色の瞳を見せ付けるように見つめ出してくる。

 

 勝気な表情がメーのチャームポイントであるのだが、その表情でいつもからかわれていることから、自分は思わず身構えながら彼女と見つめ合ってしまう。そうしてちょっとだけ身体を引いたこちらの反応を前にして、メーはどこか気まずそうに視線を逸らしながらそれを切り出してきたのだ。

 

「あー、カンキ君。どう? 最近」

 

「え?」

 

 こんな曖昧な話し方のメーを初めて見た。

 いつもハキハキと喋る彼女のイメージが強かったがために、動揺混じりに内心で呟いたその言葉。これで自分は呆気にとられたかのような目を向けていくと、それに対してメーは空元気のような笑みを浮かべつつそれを喋り出してくる。

 

「あーっとね~……私これから同伴で出掛けるじゃん? でもさ、今日の同伴って夕方には終わる予定なんだよね」

 

「そうなんだ。今日は夜の仕事も無いみたいだし、ゆっくりできるね」

 

「まぁそうなんだけど? でもさぁ、せっかくこうして支度も整えたわけだしさ、どうせだから夜までお出掛けしていたいなっても思うわけじゃん?」

 

「なんか、メーにしては珍しい言い回しだね。俺を連れ回したいってことでいいのかな?」

 

「あは、まぁそうなんだけど? そうなんだけどー……?」

 

 どこかぎこちないメーの様子。からかう時なんかは下ネタなども恥ずかしがることなく口にする彼女にしては、やはりいつもとどこか違うサマを見せてくる。

 

 と、次にもメーはこちらの顔をうかがいながら、握りしめていた右手を差し出してきたものだ。

 

「ちょっとさー、試してみたいものがあってさ? ほら、前の同伴でも話したと思うけど、私って死ぬほど怖いくらいのスリルが大好きじゃん? だからさー私、“コレ”を着けて街中を歩いてみた時のスリルも体験してみたいなって、最近ずっと考えていたんだよね……?」

 

 終始、最後に疑問形な調子で喋るメーが差し出してきたその右手。彼女がその手を開いて見せてくると、そこで握りしめられていた“コレ”が正体を現してくる。

 

 ……なんだか湾曲した形が特徴的な、手のひらサイズでピンク色のその平たい物体。

 これを見た自分は首を傾げて、メーからそれを受け取っていく。そして何気なく眺めながら自分は、今も左腕を掛けてくる彼女へと訊ね掛けていった。

 

「これは何? シリコン? 手触りは良い感じなんだけど……」

 

「あはー……。カンキ君、そんなまじまじと見ないでくれるかな……?」

 

「え、どうして?」

 

「……ソレ、“ココ”に着けるやつだから」

 

 恥ずかしそうなメーが新鮮に感じていたその矢先で、彼女は気まずそうにしながら空いた右手を自身の股へ置いていく。

 

 ……それが何を意味するのか。今も手に持ってじっくり眺めていた湾曲と“ソコ”を考慮した上で、暫しと思考した末に自分の中で稲妻が迸った。

 

「い、いやいやいやいや!!! なんで。なんで急にコレを!?」

 

「な、なんなのさ!! い、いいじゃんか! そういうの使っても!!」

 

「別に否定はしてないし、発散のためなら良いと思うけど! でもなんで俺に渡すのかな!!」

 

「か、カンキ君にしか頼めないんだって! 大丈夫! ソレもう、何回か“試してある”から!!」

 

「試してあるの!? ソレを手渡す!?」

 

「あ、洗ってあるから汚くない!!! 汚くなんかない!!!」

 

「いやメーのは汚いなんて思わないけど!」

 

「なにそれ変態!!!」

 

 唐突に訪れた無情の首絞め。肩に掛けられていた左腕で自分は首を絞められると、思わず「ぐえぇっ」と声を出してメーから“ソレ”を取り上げられたものだった。

 

 

 

 

 

 ……それが、数時間前に起きたやり取りの一部分。

 そして現在。夕暮れ時の黄昏を帯びた龍明の駅前にて自分は、スマートフォンを片手に持った状態でメーとの待ち合わせ場所に佇んでいた。

 

 すぐにも、駅の方角から駆け寄ってくる足音が響いてくる。これに自分は振り返って確認していくと、そこからはいつもの勝気な瞳のメーが「おまたせ!」と快活に声を掛けてきたものだ。

 

 彼女から掛けられた言葉に対し、自分も「大丈夫、俺もついさっき来たところだから」と返していく。……のだが、その後にも二人の間に気まずい空気が漂ってしまい、それに触発されるよう視線を逸らし気味にしていたメーが、こちらの顔色をうかがうように切り出してきたのだ。

 

「……アプリ、入れてきた?」

 

「一応……」

 

 自分が手に持つスマートフォン。それを見たメーが唾を呑み込むようにゴクリと喉を鳴らしていく中で、自分は端末を操作してアプリを開いていく。

 

 ……そして、自分はメーの股を見遣りながらそんなことを訊ね掛けてしまった。

 

「……本当にやるの? 本気……?」

 

「な、何……!? カンキ君、相手になってくれるって言ったじゃん……!」

 

「俺も興味はあるもんだけど、やるのだとしても初っ端から街中って、万が一のことを考えるとヤバくないかな……」

 

「わ、私は体験したことのないスリルで今から楽しみにしてるけどねっ!!」

 

「ふーん……」

 

 ちょっと強気なサマを見せてきたメー。腕を組んで強がる様子に自分は彼女の股を見遣り続けていくと、巡ってきた好奇心のままにアプリのボタンをポチッと押してみたものだった。

 

 その瞬間、メーは「みゃあッ!!?」という変わった声を上げながら急ぎで内股になり始めた。

 

 帰宅途中の学生や社会人が振り向いてくるその光景。これにメーは平静を取り繕うようにスッと姿勢を正していくと、今も“可動している”のだろうソレで若干と焦りながら声を荒げてくる。

 

「ねぇちょっと!! 急にやるのは卑怯!!」

 

「でも、メーは“コレ”目的で俺を呼び出したんだよね」

 

「だ、だからってさぁ~……!」

 

 周囲の人目を気にする素振りの彼女。そんなメーのされるがままの様子を眺めていると、自分の中に存在する攻めの人格が次第と芽生え始めてきたことを自覚し始めていく。

 

 ……いつもからかってくるし、たまにはされる側の気持ちを味わわせてやろうかな。本人も満更でもなさそうだし。

 

「メー、スリル感じてる?」

 

「あ、あは、なんか、意外とイイかもって思えてきてる……。ねぇカンキ君、音とか聞こえてきてないかな? 大丈夫かな……?」

 

「音? どれどれ……」

 

 音を気にしているんだなぁ。と思いながら、手元のスマートフォンで遠隔用のアプリを操作していく自分。

 

 そして、強度を示すのだろうレバーを数値の高い方へ動かしていくと、次の瞬間にもメーは「わにゃあっ!?」と変わった声を上げながら、何かに焦るよう周囲を見渡しつつこちらに鋭い視線を投げ掛けてきたものだ。

 

「ななななんで強くしたの!? 絶対にわざとやってるでしょ!?」

 

「うーん、思ったより聞こえてこないな。もうちょっと強くしてみる?」

 

「聞こえてるの!! カンキ君の距離じゃそうかもだけど、私のとこだと震動する音がちょっとだけ聞こえぇっ」

 

 ビクッ。一瞬だけ痙攣したメーが言葉を止めていくと、そのまま彼女は力が抜けた足取りでこちらに寄ってくるなり肩に手を掛けるようにして寄り掛かってきた。

 

 それでいて、肩にぶつけるように顔を当ててくると、そのまま彼女は右手で口元を覆い隠しながら静かに息を荒くしていた。これに自分はメーの頭を撫でるようにしていくと、次にも彼女は首を横に振り始めたものであったから、そんなメーの反応を受けて自分はアプリのスイッチを切っていく。

 

 ……安易にチ〇コとかを口にするメーではあるものの、どうやら彼女にも羞恥心というものが存在するらしい。

 

 勝手な偏見ではあったものだが、メーやレダなんかは、快楽に入り浸る自分を通りすがりの人間に見られることで興奮するタイプかなと考えていた。しかし、彼女の今の様子を見るにメーはあからさまに恥ずかしがっている。

 

 つまり……彼女は今、スリルを体験していることになるのだろうか。だとすれば自分は、日頃と守ってくれている彼女へのお礼も兼ねてそのお手伝いを完遂しなければならない……?

 

「よしよし、恥ずかしかったね」

 

 未だ口元を押さえているメーへと、頭を撫でながらその言葉を投げ掛けていく。そうするとメーは言葉にならないこもった音で「~~~~ッ!!」と言いながら首を横に振ってきたため、自分はそんな彼女を見下ろしながらそれを提案していった。

 

「そういえば、同伴の後だからお腹空いているでしょ? 俺が奢るからさ、ちょっと早いけどこれからご飯でも食べにいかないかな? ファミレスでいい?」

 

「…………ッ」

 

 こくこく。無言でそう頷くメーの頭を撫でていくと、直にも彼女は頭を上げて口元の手を退けていく。

 

 その瞳には、夕日で反射するキラキラとした雫のようなものをうかがえた。

 メーが本気で恥じるその姿。想像さえできなかった彼女の意外な一面の爆発力に自分は高揚感が芽生え始めてくる。しかし同時にして、このお楽しみは取っておかなければという気持ちで何とか自分を落ち着けていくと、自分もまた平静を装うように「それじゃあ、近くのファミレスに向かおっか」とメーに声を掛けて、二人で歩き出したものであった。

 

 

 

 

 

 陽が落ち始めた夕暮れの時刻。自分らがそのファミレスに到着した瞬間から、自分らの後ろに続くよう次々と客が来店し始めたこの流れに乗じていく。

 

 そうして二人用の席に案内された自分は、向かい合うメーと一緒にメニューを眺めていた時のことだった。

 

 ふと、自分はスマートフォンを上着のポケットに忍ばせていく。そしてメーと二人で料理を決め、男性の店員を呼んで自分が二人分の注文を行っていくのだが……。

 

「四種類のチーズたっぷり和風ハンバーグと……あれ、メーが頼みたいやつってなんだったっけ」

 

 頬杖をついてオーダーの様子を眺めていたメーへと、自分は不意に話しを振っていった。これにメーは「なに? もう忘れちゃったの? カンキ君おじいちゃんじゃん」と勝気な瞳でからかい気味に言いながら、自分からメニューを受け取ってページをめくり出していく。

 

 と、彼女の意識がメニューに向いたところで自分は、ポケットに忍ばせたスマートフォンを操作してスイッチを入れていった。

 

 瞬間、メーは「ひぅっ」という引きつったような息遣いで驚き、脚をとじるようにしながらこちらへと鋭い視線を投げ掛けてきたものだ。

 

 一方で、隣にいる店員が不思議そうに彼女を見遣っていく。この視線にメーは歯を食いしばるようにしていくと、「あ、あは、しゃっくりが出ちゃった……かも?」とはぐらかすような調子で言葉を口にしながら、開いたメニューをこちらに差し出してそれをお願いしてきた。

 

「そ、そう!! これ!! これを頼みたかったの……!」

 

「どれのこと?」

 

「こ、これ!! これ!!」

 

「どれ? メーが頼んでもらえると助かるんだけど」

 

「ッ、~~~~っ!!」

 

 声にならない音を喉から出す彼女。もはや声を出すのも大変そうにしているメーは次第と頬を赤く染め上げていくと、しかし店員を待たせている現状に彼女は渋々といった様相でその注文を行い始めていく。

 

 そうしてメーが店員へと視線を投げ掛けたその頃合いを見計らい、自分は“ソレ”の震動を操作するレバーを指先の感覚で数値を引き上げていった。

 

 ……のだが、ポケットの中の端末がどうなっているかなんて自分もよく分かっていなかったがために、その数値がどれほど上がっていたのか、なども把握できていなかったものだ。

 

 それによって、レバーを動かした直後にもメーは声にならない甲高い音を喉で鳴らした。

 これに店員は、彼女をうかがうように首を傾げていく。しかし、こうして向けられた視線にメーは「な、なんでも、ないです……」と言って手で口元を押さえていくと、次にも彼女は息をちょっと荒くしながら、瞳をキラキラと潤ませたその様子で店員へとそのオーダーを行い始めたのだ。

 

「ち、チキン、南蛮、と……び、ビーフ、シチュー……ぁ、あとは、ほうれん草、の、ソテーを、お、お願いします……っ」

 

 座っている姿勢が尚更と、メーの好きなトコロに当たっているのだろうか。

 

 今にも泣き出しそうな彼女の顔を見て、店員は「ち、チキン南蛮とビーフシチュー、あとはほうれん草のソテーですね……?」と戸惑い気味に訊ね掛けていった。これにメーは無言でコクコク頷いていくと、店員は美人であるメーに見惚れるよう彼女の顔を気にする素振りを見せながらも、名残惜しい様子でこのテーブルから去っていく。

 

 店員がいなくなるや否や、メーはテーブルにうつ伏せになるような姿勢で快楽によがり始めた。

 自分が設定した震動も、どうやら最大に近しい強さだったらしい。賑わい出した周囲の環境がありながらも、テーブルを挟んだこの距離で“ソレ”の動作音がわずかに聞こえてくるその強さ。これには自分も内心で「やりすぎたかな……」と思って停止ボタンを押そうとするのだが、一方でメーは低姿勢のまま、口元を押さえた状態でじっと快楽に浸っていたものだ。

 

 そして、彼女は公共の場で最高潮に達する。

 フーッ、フーッ、と低く息を荒げるメー。顔も赤くして声を殺していた彼女であったものだが、次の瞬間にもメーは「ふッ」と短い音を鳴らして、下半身を主として数度に渡る痙攣を起こしていった。

 

 ……思わず、スイッチを切って様子をうかがった自分。そんな顔を覗き込むこちらへとメーは顔を上げてくると、次にも彼女は口元を覆い隠した状態でイタズラに笑みながらそう喋り出してきたのであった。

 

「……みんながいるとこで、気持ちよくなっちゃった……。これ、店員さんにバレてたかな……? もしバレてたら私、どう思われていたんだろ? ……あは。これ、イイ……。怖いってのとは違ったスリルがあって、最っ高にゾクゾクする……!」

 

 

 

 

 

 Sっ気を売りにしていたメーが、Mっ気のスリルに目覚めてしまったこの日の夜。

 ファミレスでの食事を終え、自分はこの左腕に絡みついて離れないメーと龍明の街中を歩いていた。

 

 一緒にアパートへ帰るその道中。人通りのある龍明の街道を歩いていると、メーは路地を見つけるなりこちらの腕を引いてそれを喋り出してくる。

 

「ねぇカンキ君、ちょっといいかな?」

 

「ん? どうしたのメー」

 

「ちょっとだけ。ね?」

 

 また何か企んでる。そんなことを思いながら自分はメーに路地へ連れていかれると、少々と入り組んだその細い道を突き進んで人目を払うなり、メーはこちらの首に両腕を回すようにして抱き付きながら、上目遣いで囁くようにそれをおねだりしてきたものだった。

 

「カンキ君に、最後にもっかいだけしてもらいたいなって思って」

 

「こりゃ完全にメーの方が変態だな」

 

「あは、勝手に言ってろ?」

 

 首を傾げ、勝気の瞳でおねだりの目配せを行ってくるメー。その自信に溢れた微笑みの表情を間近で目撃するなり、次にも自分の中の理性が音を立てて途切れたのを感じ取れてしまえた。

 

 ……ラミアと雨宿りした時のように、今、目の前にいるメーのことが欲しくて欲しくて堪らないこの感情。

 

 あの時は、傘を届けに来てくれたメーの介入によって熱を冷ますことができていた。

 しかし今は、人目の無い状況下に置かれている。こんな状態で自分の理性が、日頃から内側に秘めた欲望の抑止力になるはずがなく………。

 

 ……上着のポケットに入れていたスマートフォンで、メーの“ソレ”にスイッチを入れた。

 これによってメーは、周囲の目なども気にすることなく「あぁっ」と色っぽい悩ましい声を上げていく。

 

 だが、そうしてひとり快楽によがり始めたメーを見下ろしている内にも自分は、彼女を無意識と背後の壁に押し付けてしまったものだった。

 

 これには彼女も、「えっ?」と驚きの声を上げてこちらの顔を見上げてくる。しかし、そんなメーからの視線を気にすることもなく自分は壁に手をついていくと、壁ドンとなるシチュエーションの形でメーを押さえ付けていき、呆気にとられた顔を見せる彼女の股座(またぐら)に自分の右膝を挿し込んでいったのだ。

 

 直後にして響き渡った、メーの甘い声。共にして自分の膝には、今も可動する彼女の股の“震動”が伝ってくる。

 

 自分の膝を入れたことによって、尚更と密着した“ソレ”がメーの好きなトコで震え続けていく。その唐突な密着によって彼女は言葉にならない儚げな音を出していくのであるのだが、それと一緒に見せてきたメーの悩ましい顔を目にして自分は、ラミアの時にも吹っ切れてしまったこの感情と勢いのままで、悩ましい彼女の口を自分の唇で塞いでいったのだ。

 

 ……ラミアの時に行った、ついばむような短い口づけの繰り返し。だが、恍惚としたメーの表情を目撃したことで自分の欲望に一層もの火が点いて、彼女の口を塞ぐような深いキスでその唇を堪能していく。

 

 メーに声を上げさせない。その考えで行った彼女への口づけはメーに甘い悲鳴を上げさせず、そんな余裕も与えないほどにまで食らいつく執拗なキスとなって終始とその口を塞いでいた。

 

 ……路地の外から聞こえてくる、夜の外界の音。車や人が行き交う様々な雑音が小さく響いてくるこの二人だけの空間において、とうとうメーが二度目の最高潮を迎えることとなる。

 

 ポケットの中のスマートフォンを操作して、更に強くしたその振動。自分の膝にもよく伝わってくる激しい震えが、音としても聞こえてくるこの状況で、刺激され続けたメーはこちらのキスで口を塞がれた状態で痙攣を起こしていったものだった。

 

 共にして、彼女は崩れ落ちるようにへたり込んでいく。これを受けて自分は崩れ落ちるメーの身体を支えていくと、次にも彼女は恍惚とした表情で微笑んでいくなり、メーの方から近付く形でその日最後のキスを交わしたのであった。



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第17話 Mordez dans votre bonheur 《幸せを噛みしめて》

 夏を迎えた龍明の夕方。自分はとある高校の前で、“一人の女子生徒”と待ち合わせをしてあった。

 

 龍明高等学校。龍明の駅から歩いて十分ほどの場所にある公立の学校であり、龍明にある高校の中でも特に治安が悪い学校として有名だ。

 

 先日にも、この学校に通う一人の生徒が隠し持っていた銃を校内で発砲したとして逮捕されていたため、自分は「さすがは龍明高校……」という感想を抱きながら現地に訪れていた。

 

 ……かくいう自分も、この龍明高等学校を卒業した卒業生という身分。故にその手の事件もある意味で聞き慣れてしまっているがために、「なんだ、ただの発砲事件か」という謎の安堵で校門前の木陰に佇んでいたものだったが……。

 

 直にして、下校時刻となった学校からは大勢の学生達が姿を現してくる。

 鼠色のブレザーに白色のシャツ、赤と白のチェック柄ズボン兼スカートという制服姿の面々。そして、夏を迎えた時期であるために多くの生徒が腕まくりをしている様子を自分は眺めていると、その中に混じるよう歩いていた“その女子生徒”がこちらを発見するなり、ガラの悪い鋭い目つきで真っ直ぐとこちらへ歩み寄ってきた。

 

 右手に持つ学校の鞄を右肩に掛けるようにしつつ、左手をブレザーのポケットに突っ込んでいるその少女。ただひたすらに気に食わないといった調子の不機嫌な表情や、掠り傷や青あざといった顔面の痛々しい傷跡が未だ健在である。また、白色のルーズソックスに腰丈程度の茶髪ロングヘアーという身なりと、巻いてある赤色のリボンはだらしなく緩めていて、シャツのボタンも三つほど開けていたことで白色のアンダーシャツが丸見えになっている。

 

 そして、灰色の運動靴でこちらに歩み寄ってきたその少女。百六十二ほどの背丈であるその女子が見上げるようにしてこちらへガンを飛ばしてくると、黒色の瞳である少女の気迫に自分は気後れしてしまいながらもその言葉を掛けていく。

 

「どうもこんにちは、蓼丸(たでまる)菜子(なこ)ちゃん。こうして会うのは、先日以来かな。改めまして、俺は柏 島歓喜。親戚同士なんとかやっていこう。よろしくね」

 

 平常心を意識してそれを喋った自分。共にして手を差し伸べることで握手を求めていくのだが、これに対して少女こと蓼丸菜子は微動だにしない。

 

 それどころか、一層と鋭く睨まれてしまった。これに自分は、差し出した手の行き先に困るようにそれを後頭部にあてがいながら、気まずい空気の中で苦し紛れにそれを提案していく。

 

「あー……まぁとりあえず、歩きながら話そっか。菜子ちゃんの引っ越し先のアパートまで俺が案内するから、ついてきて」

 

 と言ってから、向かう方向へと歩き出した自分。

 ここは流れで押し切るしかない。という気概の下で自分は歩き始めていくのだが、そんな必死な自分とは裏腹に菜子は、無言でありながらもこちらの背中を追うようにちゃんとついてきてくれたものだった。

 

 

 

 

 

 見慣れた龍明の駅前を二人で歩くこの道中。自分は、目的地である菜子の新居を目指しながらも、繋ぎとしてその会話を切り出していく。

 

「初めて会ったあの日の帰り、ユノさんが運転する車の中で菜子ちゃん、今いる家を出たいって言ってたよね。あれから俺とユノさんで話し合ってさ、それじゃあ自分らで菜子ちゃんを預かろうって話になったことは把握しているんだよね?」

 

「…………」

 

「今、菜子ちゃんを預かっている親戚のお宅に、俺とユノさんが二人で訪ねていった話も聞かされているのかな。そこでユノさんが親戚の方々を説得してさ、なんとか自分らで菜子ちゃんを預かる運びになったものだから、多分これで心置きなく家出ができると思うんだ」

 

「…………」

 

 横に並ぶよう一緒に歩いていた隣の菜子は、終始ムスッとした不愛想な顔で前を見つめ続けていく。

 

 返事どころか、目も合わせてくれない。これに自分は言葉を選ぶように思考を巡らせて、思い付いた会話を片っ端から投げ掛けてみることにしたのだが……。

 

「あー……でも確かに、家出をしたくなる気持ちも分からなくはなかったよ。あちらのお宅の親父さんけっこう厳格な人だったから、血縁者でもない部外者のユノさんの話を最初はまともに聞いてくれなかったものだし。それを考えるとさ、菜子ちゃんは本当に毎日よくやっていたと思う。家に居ても気持ちが落ち着かなかったんじゃないかな。ちょっと同情しちゃったよ」

 

「…………」

 

「……あーっと、実は俺もさ、龍明高校の卒業生なんだ。だから、学校内の実態とかもよく知っているよ。いつ思い返してみても、ろくでもない学校だったことは覚えてる。あの学校を一言で言い表すならば、一丸となって強きを助け弱きを挫く、だろうね。だから、龍明高校に通っている間は毎日が命懸けだった記憶があるな。菜子ちゃんはー……その、自衛しているタイプかな。俺は群れていないと生き残れないタイプだったから、本当にダメなやつだった。そう考えると、菜子ちゃんはすごいよ」

 

「…………」

 

「えっと……こ、このあとさ、菜子ちゃんの新生活に備えて買い出しをしておこうって考えていたんだ。色々と必要だよね? お布団とかカーテンとか。あと、ユノさんと同棲する話にもなっているじゃん? ユノさんも今はご友人のお宅に住まわせてもらっているらしいけれど、この機会に菜子ちゃんと一緒に家を出るってさ。だから二人分の買い出しを済ませるのにちょうどいいと思っていたんだ。それと、賃貸契約の名義人になってくれた荒巻(あらまき)オーナーにもお礼を言いにいかないとだね」

 

「…………」

 

 貫かれた沈黙。

 無視とまではいかないのかもしれないものの、まるで空虚と会話しているかのような気分で自分は言葉を失ってしまう。

 

 なんか、自信を無くすなぁ……。

 ホステス達と関わるようになってから、コミュニケーション能力に勝手な自信を抱いていた自分。だが、よくよく考えてみれば彼女らは接待で食い繋いでいる対人のプロでもあるために、自分はこの時にも己の未熟さを改めて思い知らされたものだった。

 

 と、そうしてひとりしょげている間にも表通りから逸れるよう脇道へ曲がった自分ら。これによって人通りの少ない静寂の裏道を辿り始めていくと、自分はふと思いついたようにとある共通の話題を投げ掛けてみた。

 

「……菜子ちゃんのお姉さんには、よく絡まれていたもんだよ。蓼丸家と近かった親戚の家に俺が移り住んで以来、なんかやけに目をつけられていてね。それで事ある毎にヒイロ姉さんが家に上がり込んできてさ、人様の家なのに盛大な足音を立てながら俺に飛び付いてきてたもんだった」

 

 蓼丸ヒイロ。突如と失踪してしまった彼女の名を出してみると、実の妹である菜子は反応するようにこちらへ振り向いてくる。

 

 そして、ガラの悪い目つきはそのままに静かな声音で喋り出してきたのだ。

 

「アンタのこと、よく喋ってた。ゲームばかりしてて、構ってくれなかったのが気に食わなかったみたい。自分のことは眼中に無いんだなって思うと負けた気分になるって。だから、絶対に振り向かせてやるって意気込んでたのを、まだ小さかったアタシに話してくれてたのを覚えてる」

 

「うわぁ……ヒイロ姉さんらしい。物事が自分の思い通りにいかないと、思い通りになるまで絶対に諦めないんだよなあの人」

 

「アタシは、そんなお姉ちゃんも大好きだった」

 

 ふと、菜子はそのセリフを口にするなりハッと息を呑んでそっぽを向く。

 

 これに自分は、不思議に思って首を傾げながら訊ね掛けてみたものだ。

 

「? どうしたの? 何かあった?」

 

「……別に、なんでもない」

 

「もしかして俺、なんか良くないこと言っちゃったかな。だとしたらごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」

 

「別に。だからそんなんじゃないって」

 

 ちょっとイラついた様子でそう返してくる菜子。だが、視線を落として何かに迷う様相を見せてくると、次にも彼女はこちらの顔色をうかがう目でそれを切り出してきたのだ。

 

「……アンタもどうせ、内心でバカにしてるんでしょ」

 

「え?」

 

「お姉ちゃんが好きって、普通じゃないから。みんながそれをバカにしてくる。アタシが間違ってるんだ。だから、アンタも好きに嘲笑えばいい。ただ、そん時はアンタをぶっ殺す。親戚だろうと知ったこっちゃない。気に食わないヤツは力ずくでねじ伏せる。アタシも、お姉ちゃんのように」

 

 静かな声音に秘めた、怒りと切なさ。二つの感情が入り混じる複雑な音に自分は暫し黙りこくると、そんな彼女を見遣りながらも、優しく接するようにその言葉を掛けていった。

 

「菜子ちゃんは間違ってるって俺は思えないな。身内の人間が好きであることを、俺は特に変だとは思わない。俺からすればむしろ、それをバカにしてくる周りが変だなって思えてくるんだ。別にいいじゃんな、自分が誰を好きでいてもさ。まあ関係性によっては限度もあるけれど、それでもなお俺は菜子ちゃんのそういう一面は気にならないかな。力ずくでねじ伏せるのも、なんかもう別に良いと思う。だって、龍明ってそういう場所だし。俺も高校でそれを痛感させられたよ」

 

「…………」

 

 こちらの返答を耳にするなり、菜子はちょっと意外そうに眉を上げてこちらを眺め遣っていたものだ。

 

 そんな表情を向けられるような世の中に、なんだか憂いを感じてしまえる。ひとり内心で残念に思いながらも、自分は菜子と目を合わせながらそんなことを話していく。

 

「身内が好きであることを許容した上で、俺の持論に菜子ちゃんも疑問を抱いたようであるならば、俺もまた世間や菜子ちゃんとは別方向で間違った人間なのかもしれないね。自分の考えを普通だと思われない、世間の常識から外れた異端の変わり者。だとしたら、俺達は間違った人間仲間だな。お互いに、周囲から理解されない思考で生きている、変なヤツ仲間。今思えば、親戚の家に預けられてきた境遇なんかも、ちょっと似てると思わない? それも傍から見れば普通じゃないだろうし、だとしたら尚更、俺は菜子ちゃん寄りの人間なのかもしれないね」

 

 こちらの返答に対し、菜子は呆気にとられるような顔で見遣ってきた。

 ……否定から入らないその答え。信じられないといった顔を向けてくる彼女が返事に困る様子を見せてくると、次にも菜子は若干と笑みながらそれを口にしてきたのだ。

 

「ううん、アタシはアンタに同感するよ。つまり、アタシにとってアンタはなにも間違ったことを言っちゃいない。よく分かるんだ、アンタの言葉の意味がね」

 

「それじゃあ、俺は菜子ちゃんと同類の人間ってわけだ。まぁ、結果として仲間であることに代わりないね」

 

「ホント、この血筋は呪われてるでしょ」

 

「世間にとっての普通になれない呪いね」

 

 フッ、と笑うように鼻を鳴らした菜子。自分もまた、親父だったり蓼丸ヒイロだったりと思い当たる人物が脳裏に浮かび上がってきたことから、自分で言っておきながら思わず苦笑してしまう。

 

 尤も、この会話によって菜子とは打ち解けたような気がしたものだった。

 

 

 

 

 

 そうして、次第と菜子が会話に応じてくれるようになってきたこの関係性。途端にして話が弾むようになった彼女との会話を自分は楽しんでいると、その最中にも進めていた二人の足並みは目的地である菜子の新居に到着する。

 

 駐車場に踏み入れて、自分はその建物を見上げていった。

 ……うん、本当によく見慣れたアパートだ。それもそのはずで、自分が住んでいるアパートと全く同じ建物であるものだから……。

 

「ここが、菜子ちゃんの新しい家になるアパートだよ。既に話してある通り、俺もここに住んでいるんだ。あぁ、同じ部屋で住むってわけじゃないから安心して。ユノさんと部屋を探し始めた時、ちょうどタイミングよくこのアパートの部屋が空いたもんだったからね」

 

「ここ、ユノさんが務めてるってお店と近いんだよね。名前なんだっけ」

 

Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。ユノさんを始めとして、ちょっとワケありの人達を集めたキャバレーだよ。キャバレーと言っても昼はレストランをやっているから、その風変りな経営スタイルが人気の一つなのかもしれないね」

 

「ふーん」

 

 興味無さそうな相槌を打っていく菜子。だが、黒色の瞳でアパートを真っ直ぐと見つめるその視線はどこか、何か考えを巡らせているように思わせる。

 

 そんな彼女へと振り向きながら、自分は次の提案を投げ掛けた。

 

「取り敢えず、今日は場所の下見って感じだね。あとは、先ほども名前を教えたLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)にも案内するよ。ここから歩いて十五分くらいの場所なんだ。これからはユノさんに頼ることになるだろうから、ユノさんの職場も知っておかないとだし」

 

「ん、分かった」

 

 打ち解けてから、素っ気ない声音でありながらも素直に返事をしてくれるようになった菜子のそれ。何よりも、自分についてくるその姿が次第と小動物のような可憐さを感じられるようになっていたために、自分は先ほどまで抱いていた気まずさとは異なる、ちょっと意識してしまうやり辛さを胸に秘めながらも菜子をお店へ案内したものだった。

 

 

 

 そういうことで、お店の前まで訪れた自分と菜子。そこでは、従業員のホステスがキャスター付きの看板を店前に用意していたりなどの開店準備が行われていて、時間帯も夕暮れであるため特に忙しい様子から、顔を出すのはまた後日にしようという話を菜子と決めていく。

 

 で、次にどうするかという話になり、自分は引っ越しに備えて雑貨店で買い物を済ませておこうと当初の予定を提案した。すると彼女は、ガラの悪い目つきや着崩した服装のまま、とても素直な声音で「うん」と答えて頷いてきた。

 

 その道中、菜子を気遣う場面が数度と訪れる。

 彼女の真後ろから自転車が迫ってきた時にも、自分は思わず菜子の肩に手を回してしまいながらも、自身へ寄せるような形でそれを避けさせていく。これに菜子は若干だけ戸惑いを見せながらも、言い慣れない調子で「……ありがと」と小さく呟いてきた。

 

 また、道路と歩道の間に生じた段差においても、自分は「段差があるから気を付けて」とお節介を口にしてしまう。これに菜子は「……ん」と端的に答えてくるのだが、低い声音であったことから自分は内心で「余計だったかな……」と不安になりながら歩を進めたものだ。

 

 だが、凝りもせずに随所で手を差し伸べてしまったりと、自分はホステスと一緒に歩くノリで菜子に干渉してしまったものだった。これには、肩に掛けるよう右手で鞄を持ち、左手をブレザーのポケットに突っ込んでいた菜子が不思議そうな顔で見遣ってくる。その度に自分は「ご、ごめん」と謝りながら手を引っ込めて……というやり取りを何度も繰り返していた。

 

 これらの気遣いはすべて、ユノと同伴した際にも彼女から入念に仕込まれたエスコート術だった。しかし、いつ、どの場面でそれらを活用するべきなのかといった応用がまだまだ未熟であることを、この時にも身にしみるほど思い知らされる。

 

 ……そうして、龍明の駅前の雑貨店を二人で回っていき、買い物袋を提げた自分が次に菜子と向かったその場所が、行きつけのファミレスというもの。

 

 夕食も済ませようという話になったものの、この場所はメーと来た記憶が真新しい……。

 なんていう以前のプレイを思い出してしまいながら、扉を開けて菜子を中へ通していく。そして彼女をソファの席に勧めて腰を下ろしていくと、向かい合う形で菜子と顔を合わせながら自分は、首を傾げてそれを訊ねていった。

 

「本当にファミレスで良かったの? せっかくだから、お寿司とか焼肉とかでも問題なかったんだけど……」

 

「ん、いいの。アタシはファミレスで十分だから」

 

「ならいいんだけど……」

 

 高いご飯を奢らせてくるラミアと比べて、だいぶお財布に優しいお食事になりそうな予感。

 これに内心ホッとしながら、自分はメニューを開いて菜子へと見せていく。だが、そうしてメニューを差し出された菜子は次にもこのようなことを喋り出してきたのだ。

 

「……アンタさ、何を企んでるわけ?」

 

「え?」

 

 企む?

 思わぬ言葉に自分は唖然としてしまった。そんなこちらの様子に菜子は訝しげな目を向けながら喋り続けてくる。

 

「ぶっちゃけさ、アタシの身体が目当てなんでしょ。それか、油断させたところを拉致して不良の連中に売り渡すつもり?」

 

「え、なに。何の話……?」

 

「とぼけなくてもいいから。アンタもどうせ、どうやって女を犯すかしか考えてないクチなんでしょ。少なくとも、アタシに近寄ってきた男はみんなそーいう連中だった」

 

 警戒するような視線で、軽く腕を組みながら淡々と喋る彼女。その反応に自分は何が何だか分からずに困惑していくと、菜子は鼻でため息をつくようにしながら話を続けていった。

 

「どいつもこいつも、舐め腐った男共はみんな上っ面だけの紳士な態度でアタシを狙ってくる。アタシさ、そうやってなめられんの大嫌いなんだよね。だから最初に断わっておくけど、もしアタシとヤりたいなら“ホ別五十、ゴ有り”が最低条件。それが無理なら諦めて」

 

 けん制、とでも呼べるのだろうか。

 テーブルに両肘をつき、挑発的に睨みつけてくる菜子。その突き刺すような眼差しを受けて自分は暫しと圧倒されてしまったものであるが、これに対して残念に思う気持ちが無かったことから、困惑のままにその言葉を返していく。

 

「……いやいやいや。まぁ、俺も男である以上はそういった欲に駆られる時もあるけれどさ、さすがに菜子ちゃんのことをそんな目で見ることはできないよ」

 

「そうやってアタシに好印象を与えようとしているんでしょ。ハッ、見え透いた嘘。じゃなきゃ他人が、アタシに対してここまで優しくするわけないじゃん。バカじゃないの」

 

 ……あぁ、そういうことか。

 彼女の言葉を耳にして、自分は合点がいったような感覚で何となく悟っていった。

 

 それと同時に、尚更と自分は蓼丸菜子という少女のことを大事にしなければという想いに駆られていく。

 小さい頃にも、大好きだった姉が突如と失踪して大きなショックを受けたことだろう。それに加えて、姉の失踪をキッカケに家庭は崩壊。自身は親戚に預けられる形で両親と離れ離れになり、住んでいる地域も犯罪の温床と呼ばれるだけあって、日々、過酷な人間関係に晒され続けてきたのだろうか。

 

 成熟もしていない子供の内にそんな壮絶な経験をしてしまえば、他人を信用することができなくなるのも当然だった。だからこそ菜子は今も、自衛のためにこちらへけん制を掛けてきているのかもしれない。

 

 すべては、龍明という無法地帯を自分の力で生き永らえるために……。

 

「まぁ、俺に対する印象は菜子ちゃんの思うように任せるよ。それで、何を頼む?」

 

 自分はそんなことを企んでいない。今すぐにでも訴え掛けたいこの本音も、今の彼女には届かないことだろう。

 

 弁解を放棄した自分は、差し出してあったメニューをそのまま菜子へと寄せていく。これに対して彼女は僅かに眉を上げ、意外性を垣間見せながらもこちらを睨み続けていたものだ。

 

 尤も、そんな目の前の菜子を無視して、自分はメニュー表のページをめくっていく。そして目についたオムライスの写真を指差しながら、彼女の目を見てそれを問い掛けた。

 

「俺はこれを頼むつもりだけど、菜子ちゃんはどうする?」

 

「……なに、逆ギレしないの? ヤれないって分かって、黙って帰ったりとかしないの? それとも、そういう戦略? ハッ、新しいね」

 

 挑発的な声音で、菜子はそんな返事をしてくる。

 

 まぁ、だから何だという話ではあるのだが。

 

「キレる要素なんかどこにも無いし、黙って帰ったりしたらあんたの帰り道が危ないだろ。もう日が暮れてんだ、こんな時間にあんたを一人で歩かせるわけにはいかない」

 

「……なにそれ。アタシの心配なんかしてんの? そーいうの要らないんだけど」

 

「そっか、じゃあ一人でも帰れるか。安心した。……まぁどっちみち、俺はここで夕食を済ませるつもりだったからさ、今なら菜子ちゃんのご飯を奢ったりすることができるし、時間が遅くなっても俺が家まで送り届けることもできる。それらも踏まえてさ、良かったら一緒にご飯を食べていかないか。親戚のよしみとしてもさ」

 

「は?」

 

 その一瞬だけ、本気のトーンで怒りの聞き返しを行ってきた菜子。だが、今も自分が向けている真っ直ぐな目を彼女はじっと見据えてくると、どこか気に食わないサマを見せていきながらも不機嫌な眉間で「……まぁ、奢りなら付き合うけど……」と答えてきたのであった。

 

 

 

 料理が届くまで菜子は、脚を組んだ状態で両手をブレザーのポケットに突っ込みながら不機嫌そうに座っていた。だが、注文したオムライスが届いてそれを口にしていくなり、彼女は黙々とそれを食していって真っ先に平らげてしまう。

 

 ……めっちゃお腹減ってたんじゃん。

 内心で思ったこちらの視線に対して、ムスッとした表情で睨み返してくる菜子。これに自分はメニューを差し出していくと、「他になんか頼んでいいよ。ぜんぶ奢るから」と言葉を投げ掛けていった。

 

 と、自分からメニューを受け取った菜子は、不機嫌そうな顔でメニューを眺め遣るなり手羽先を指差していく。そうして注文した手羽先がテーブルに届くと、菜子はそれを黙々と食していってすぐにも完食してしまった。

 

 ……めっちゃ食べるじゃん。

 内心で思ったこちらの視線に対して、どこか物欲しげな目を向けてじっと見遣ってきた菜子。これに自分はメニューを差し出していくと、「他になんか頼む?」と言葉を投げ掛けていった。

 

 テーブルに届けられた、野菜のスープ。加えて、ドリンクバーのジュースだったりフライドポテトだったり、どんどんと追加オーダーがかさんでいく目の前の食い意地に自分は、内心で静かな焦りを感じていく。

 

 ……あれ? なんかめっちゃ食べるじゃんこの子……。

 店員が何度も皿を下げに来てくれるこの状況。終いにはパフェの写真に見惚れるような目を菜子は見せていくと、あの不愛想だった顔から一転として、瞳をキラキラ輝かせた困り眉でこちらを見遣ってきたものであったから、自分は内心で「あぁーいいよーどーぞどーぞ」と呟きながら何度も頷いていったものだった。

 

 こうしてテーブルに届けられた大きなパフェ。イチゴの乗った白色の至福に菜子は静かな高揚を抱いていくと、届く前から用意してあったスプーンを右手に彼女は、それをゆっくりと味わい出していく。

 

 不良系の女の子が、パフェに食いついていくその絵面。この光景だけでも謎のありがたみを感じてしまうギャップの要素に自分は癒されていると、なんだかほっこりとした気持ちで眺めるこの視界の中央にて、捉えていた目の前の少女が突然と涙をボロボロ零し始めたのだ。

 

 パフェを頬張りながら、その膨らませたほっぺに流した大粒の涙に自分は焦り出す。そして「だ、大丈夫!? 喉に詰まった!? 水あるよ!?」と急ぎでコップを差し出していくのだが、こちらの問い掛けに対して菜子は口いっぱいのパフェと共に、涙ぐんだ声音でそれを喋り出していったのであった。

 

「っ…………はじめで……ッ、はじめで……ッ、ごんなに、だれがにやざじぐざれだの……っ。……ッおねえぢゃん以外の、ひどがら、ごんな……っだいじにざれだごど……ッながっだ……っ。ぎょうッ……ずっど……ッずっどやざじぐざれでてッ……裏があるっで、ッ、だぐらんでるって、ッ、ずっど、ずっど、うだがっでだ……ッ!!! ごめんなざいッ……!! ごめんなざい……ッ!!! あだじ、いま……ッ、すっごぐ、ッ、幸ぜだっで思えでる……ッ!!! ぎょうまで生ぎでで良がっだ……ッ!!」



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第18話 Tomber dans l'obscurité 《闇に堕ちる》

 レストランの姿である昼のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。そこでいつものように昼食を終えた自分が、外に出ようとエントランスを歩いていた時のことだった。

 

 お見送りをしてくれていたホステスが、「またご来店くださいませ」と慣れた調子で口にしてくる。それと共に頭を下げてきたものであったから、自分も「また来ますね」と返しながら軽く会釈して、出口へと振り返っていくのだが……。

 

 そうして歩き出した自分の前からは、とあるのっぽの男性が店の扉を開けて入ってきた。

 百八十八くらいの背丈であるそのシルエット。彼は、頭部の七割が金髪のショートヘアーというもので、残る三割が黒髪の刈り上げというイカした髪型でサングラスをかけている。服装は灰色のスーツに黄色のYシャツというもので、スーツは前を全開にしていて、Yシャツもまたボタンを三つほど外した非常にラフな着こなしをしていたものだ。

 

 そんな彼は、三十代を思わせるイカした色気を放ちながら真ん前のこちらを見遣ってきた。すると、次の時にも彼は陽気に口角を吊り上げながら指を鳴らし、直後に両手の人差し指と親指を立ててビシッと指差しながらそれを喋り出してきたのである。

 

「んぉっ。よ~ぅカンキちゃん! ナーイスタイミーング!! ちょうどいいトコロだったぜ!」

 

「ど、どうも、荒巻(あらまき)オーナー」

 

 荒巻オーナー。以前にも少しだけお会いした人物であり、このレストラン&キャバレーLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の二代目オーナーを務めている。

 

 そんな彼は、以前にも龍明で活躍していたとされる探偵であり、自分の親父でもある柏島長喜という人物の元相棒という経歴の持ち主だった。その縁が故に今は亡き親父の店のオーナーを引き継いだ荒巻は、その責務を全うするために度々とこの店に顔を出しているみたいであるのだが……。

 

 外見のビジュアルと高身長に気後れする自分。こうして前方から掛かる存在感の圧に一歩だけ退きながら挨拶していくと、そんなこちらの返事と共に荒巻は歩き出し、こちらの肩に左腕を回してきてはぐるりと回り込むようにして寄り掛かってくる。

 

「な~ぁカンキちゃん、この後ってヒマかなぁ? もしもお時間があるのなら、ちょこ~っとだけオレちゃんの用事に付き合ってくれないもんかねぇ?」

 

「あ、荒巻オーナーの用事に、ですか? それ、俺に務まる用事なんでしょうか……?」

 

「あ~ぁダイジョブダイジョブ、そんな心配なんかしなくてもいいから。カンキちゃんはただ居てくれればイイだけのことよ。要は、立会人をしてくれりゃイイだけな話さ。だから、な? 頼むよ。少しだけオレちゃんに付き合ってくんねぇかい?」

 

「わ、わかりました……」

 

 唐突すぎる話に戸惑いを隠し切れない自分。だが、そんなこちらの返答に荒巻は「そ~か! そいつぁ良かった!! じゃ、オレちゃんと一緒に店の奥まで移動するぞ~」と陽気に喋っていくと、彼はこちらの肩に腕を掛けたまま歩き出すなり、自分は連行されるような形でエントランスの関係者専用トビラの廊下へ通されていく。

 

 その際にも、見送りをしてくれていたホステスに苦笑いされながら、出口とは反対方向の通路へ見送られたものだった。

 

 

 

 

 

 表の華々しい店内とは裏腹に、最低限の照明で照らされた静寂の関係者専用通路を歩いていく自分。奥にある突き当たりの壁が不気味に思えるその光景と、一本道の壁に所々と見受けられる扉というその様子が、店の裏側と呼ぶに相応しい雰囲気を醸し出している。

 

 その通路を荒巻と共に進んで、突き当たりに左へ曲がっていく。するとその先には両開きのドアが待ち構えており、荒巻はその扉を開け放つように開いていった。

 

 開かれた扉の先。最初に落ち着いた赤色の絨毯が視界に入ってくると、次には焦げ茶色の壁と、それに沿うよう設置された大量の本棚という空間に自分は迎え入れられる。

 

 共にして見受けられたのは、視界の左端へ寄せられた長テーブルに、空いた右側の空間にポツリと置かれたイスというその光景。そして、部屋の奥で存在感を放つ事務机という様子から、ここがオーナーの部屋であることを察することができたものだ。

 

 と、部屋の左端で密かに佇んでいた二人の人物と目が合っていく。

 それぞれ、私服姿のユノとクリスだった。ユノはいつもの黒色ライダースジャケットに赤色のシャツ、そして黒色のバイクパンツに膝丈までの黒いブーツという格好であり、クリスもまた、ボロボロになったノースリーブの赤色ロングコートに、灰色のシャツと黒色のダメージジーンズ、そして黒色のブーツにドクロの銀色ネックレスという個性が溢れたものとなっている。

 

 部屋に入ってきた双方を見遣る二人。それでいて、部屋に顔を出してきたこちらを見てユノが意外そうに声を掛けてきた。

 

「柏島くん?」

 

「ユノさん? どうも、こんにちは」

 

 軽く腕を組むように佇むユノ。その視線は奥の事務机へと歩いていく荒巻へと向けられるのだが、すぐにもこちらへ向き直ってはそのセリフを掛けていく。

 

「オーナーの身勝手な都合に巻き込まれてしまったのね。なんて可哀相なのかしら。連れてこられてしまった以上はせめて、私の隣にいてもらえると助かるわ。さぁ柏島くん、私の下にいらっしゃい」

 

「は、はぁ、わかりました」

 

 状況は呑み込めないものの、美麗なユノに優しく招かれたことで自分は意図せずとも彼女の隣まで歩み寄っていく。

 

 最中にも荒巻は、「ユノちゃんの、オレちゃんをぞんざいに扱うその態度。実はオレちゃんキライじゃないんだぜ」と陽気に口にして、事務机のイスに腰を掛けていった。これにユノはあからさまな嫌悪の表情を見せながら彼を見遣り、左隣に来たこちらの背に優しく左手を添えてくる。

 

 で、クリスはクリスで暇を持て余すように、拳銃の引き金部分に右手の人差し指を入れてクルクル回していたものだった。この光景にヒヤヒヤするような視線を向けていると、これに気が付いたユノがこちらを庇うようにしながらクリスへ言葉を投げ掛けていく。

 

「射程距離に柏島くんが存在する以上は、殺傷武器の扱いに厳重な注意を払いなさい。万が一の可能性で柏島くんを傷付けでもしたら、貴方もタダでは済まされないわよ」

 

「それならそれで、店の人間全員を敵に回した鬼ごっこをするのも悪くはないかもね。ただ、さすがの僕もそこは冷静に見極めているよ。何せ、発砲も人殺しも制限されている不自由極まりない今の暮らしにおいて、彼の護衛という任務でのみそれらが許可されている。ならば、僕としても彼に生き延びてもらわないと困るんだ」

 

「貴方の都合なんて訊いていないわ。今すぐにその武器をしまいなさい」

 

「ふふっ」

 

 ブライトピンクの無造作なショートヘアーで、土器のような質感である灰色の肌で不敵に微笑んだクリス。共にして、暗めの赤い瞳と長めのまつ毛、そして中性的な顔立ちの容貌で覗き込むようにこちらの顔を眺めてくると、彼は拳銃を腰に差しながら猫背で呟いていく。

 

「彼に巡っている柏島の血も“前のオーナー”に含まれるのであるならば、今この場に揃っている面子は店の最古参とも言える顔ぶれになるのかもしれないね。尤も、他の最古参メンバーは店を辞めたり殺されちゃったりして、初期の面子は僕達だけになっちゃったものだけれども」

 

 事務机のイスに座る荒巻が無言で眺めてくるその視線。また、隣で佇むユノがクリスを見遣りながらそれに反応を示していく。

 

「貴方も過去を重んじるだなんて。貴方にもまだ人の心が残っていたのね」

 

「僕は誰よりも人間臭く生きていると自負できるよ。あれが欲しい、これが欲しい。何を成し得たい、何を与えられたい。それを求めていて、それを求められていて、食べたい時に食べて、寝たい時に寝る。そうして付き纏う衝動に身を委ねた生活へと日々身を投じている僕のどこに人間らしくない要素なんかあるのだろうか。僕だって皆と同様に、この世界で生きていたいと願っている、至って普通の人間と代わりない無垢の存在なんだ。つまり、僕は人間さ。皆と一緒だよ。だから僕達、これからも仲良くしていこうね」

 

「……これは私が言葉を慎むべきだったわね」

 

 彼の返事を耳にして、ユノは頭を抱えるように俯いていった。

 

 と、そんな会話を交わしていると、次の時にも部屋の扉が三回ほどノックされていく。

 来客かな? 不思議に思う自分が音の方へと見遣る中、事務机にいる荒巻が「おぅ、入っていいぞー」と陽気な調子で答えていったのだ。

 

 そして彼の合図の後にも、扉の奥からは少女らしき声の「失礼します」という言葉が掛けられる。

 

 直後として、開かれた扉からは高校の制服姿である“少女”が入室してきた。

 

 ……菜子ちゃん? 自分は内心でそれを問い掛けていく。

 脇から注がれる三人からの視線。これに気が付いた菜子がこちら側を向いていくのだが、その真剣な眼差しはすぐにも部屋の奥の荒巻へと戻されていき、入室のマナー通りに扉を閉めてお辞儀を一つ、そしてイスの横まで歩いていっては立ち止まっていった。

 

 荒巻から何も知らされていない、蓼丸菜子の訪れ。だが、この雰囲気から見るにどうやら、いま行われているのはお店の採用面接のようにうかがえる。

 

 と、一連の流れを見ていた荒巻、これに「ほぉ~」と意外そうに声を漏らしながらも菜子へと喋りかけていった。

 

「第一印象は良しだな。んじゃまぁ、表社会における必要最低限のルールは身に付いているようだしよ、後はまぁいつもの自然体でよろしく」

 

「……自然体?」

 

 不思議そうに訊ね掛けていった菜子。これに対して荒巻は右手で頬杖をつきながら答えていったものだ。

 

「オレちゃんはな、別に表社会での礼儀を見ているワケじゃないのよ。ってのも、オレちゃんないしこの店が最も重要視している人材ってのはな、合格するためにわざわざ取り繕ってくるような、今日一日かぎりの律儀な姿を演じる偽善者なんかではないってコトなのよ」

 

「……え、っと、じゃあアタシは……?」

 

「余計な偽善なんか不要ってなこった。とりま座りな、菜子ちゃん」

 

「あ、うん……」

 

 困惑が垣間見える菜子ではあるが、荒巻からの催促によってイスに腰を掛けていった彼女。

 

 その最中にも、事務机にいる彼は資料の束を手に取って、ページをめくるようにパラパラと流し読みしていく。この間にも、圧し掛かるような静寂の空気が菜子に一層もの緊張をもたらしていく中で、資料から顔を上げた荒巻が手に持つそれを机に置いていくと、少女へと視線を投げ掛けながらそれを喋り出していったのだ。

 

「オレちゃんこれでも十年は探偵してたモンだからよ、実は既に素行調査として、菜子ちゃんのことを個人で調べ上げてあるのよねぇ」

 

「そう、なの……?」

 

「オレちゃん、手際がイイからなぁ~。んまぁそーいうことで、菜子ちゃんの評判だったり過去の素行だったりの、人から聞いたり、データとして残っているようなある程度の情報なんかは、既にオレちゃんの手元に揃ってるワケなのよ。つまり、本人から聞く必要がねぇってこったな」

 

 陽気な調子で口角を吊り上げながら話す荒巻。こうして彼はイスの背もたれに寄り掛かってはキキィッと音を鳴らしていくと、かと思えば上半身を前に倒していって、机に肘をつきながら菜子へと言葉を続けていった。

 

「っつーコトで、オレちゃんが知りたい情報は残るところ一つだけだな。そいつは一体なんだと思うかな? ん? 考えてみ」

 

「え、っと……?」

 

「答えはな、動機だ。動機ばかりはな、どんなに周辺をくまなく調査しようとも、本人から聞き出さねぇ限りはその真相に辿り着くことが叶わねぇ。そいつはな、本人にしか知り得ない情報なのよ。つまり、今のオレちゃんが欲しいと思っている菜子ちゃんの情報はただ一つ。菜子ちゃんが何故、この店のホステスになりたいと思ったのか、っつー動機だけなのよ。そいつだけを教えてくれるだけで今は十分だ。それでこの面接は終了さ」

 

 緊張感のある空気とは思えない陽気な調子で、面接における一連の流れを告げていく荒巻。これには菜子も唖然として暫し黙りこくってしまったものだ。

 

 そんな少女の様子に彼は、眉をひそめながら両手を持ち上げて、「お手上げ」のようなジェスチャーを見せてくる。この動作に菜子は尚更と困惑したようだったが、それでも真剣な眼差しで荒巻を見つめながら動機を喋り始めた。

 

「アタシがこの店で働きたいと思った理由。それは……このお店で働いていれば、失踪したお姉ちゃんに関する何かしらの情報が手に入るかもしれない、と考えたから……です」

 

「動機はお姉ちゃん、か。んま、予想通りだな。つまるところ菜子ちゃんは、数年前にも失踪した“蓼丸ヒイロ”を見つけ出すために、このお店を利用しようって魂胆でいるワケだ」

 

「まぁ大体そんなかんじ……です」

 

 不慣れな敬語を思わせる菜子の喋り。尤も、荒巻はそんな表社会の礼儀を気にする素振りなど見せず、ついていた肘で頬杖をつきながら思考に耽っていたものだ。

 

 と、思考する彼をうかがうように見ていた菜子を他所に、荒巻はボソボソと呟くようにそれを口にしてくる。

 

「ヒイロちゃんの行方に関する情報は未だ皆無ではあるモンだが、この店自体は裏と繋がりのある曰く付きの組織なモンだからな。現に、失踪した人間についての噂や情報なんかが勤務中に垂れ込んでくるこの環境は、人探しには打って付けだな。加えて、オレちゃんを始めとして、クリスちゃんやレダちゃんも彼女とある程度の面識があるモンだし、カンキちゃんは実の親戚で、ユノちゃんに関してはヒイロちゃんと“恋人関係”にあった。……店の環境に留まらず、ヒイロちゃんと関わりのあるメンツが都合良く揃いに揃ってんだ。よって、この店を選ぶ動機にはなり得るな」

 

 ……ん? 恋人関係?

 自分は思わず、真横にいるユノを見遣ってしまった。尤も、本人はこちらの視線になんて気付きやしない。

 

 いや、ヒイロ姉さんは同級生だったって聞いてはいたけれど。え?

 めちゃくちゃ気になる疑問を内心に巡らせていく自分。だが、次の時にも見受けられた目の前の動きに、自分は疑問をそっちのけに意識を前方へ向けていく。

 

 荒巻の呟きを耳にして、菜子は希望に満ちた瞳と声音で「じゃあ……!」と声を掛けていく。これに彼は「うむ」と頷いていくと、姿勢を正した至極真面目なその調子で荒巻はその合否を下していったのだ。

 

「菜子ちゃんの動機は、オレちゃんにもよくわかった!! その上で、この合否を言い渡そう!!! 菜子ちゃん! 君は“不合格”だ!!!」

 

「!! …………不合格?」

 

 期待からの唖然。一瞬、聞き間違えたのかという菜子の聞き返しに対しても、荒巻は容赦なく「あぁそうだ! 不合格だ!!」と追撃の如く言い渡してくる。

 

 これに対して、菜子は「な、なんで……!?」と思わず立ち上がりながら彼に問い掛けたものだ。

 

「ど、どうして!? どうしてアタシはここで働けないの!? ……せ、接客のスキルとか、そういう心配? だ、だったらアタシ、ここで働きながら頑張って身に付けていくから……!! そ、それに、アタシ……う、歌! 歌とか、ギターとか弾ける!! お姉ちゃんが昔やってて、アタシそれに憧れて、お姉ちゃんの真似して両方できるようになったんだよ!! たまに路上ライブとかやったりして、歌もギターも上手いって褒められたりしてた!! これきっと、キャバレーのショーでも活かせると思うの!! だから……!」

 

「悪いな、菜子ちゃん。オレちゃん、人間性も含めた菜子ちゃんのポテンシャルには、磨けば光るものを見出してはいるのよ。でも、違うんだな。問題はそこじゃないのよ」

 

 イスの背もたれに寄り掛かる荒巻。彼の返事に菜子は、「じゃあ、アタシの何がいけないの……!?」と感情的になりながら聞き返していく。

 

 それを耳にした荒巻は次にも、陽気な声音のままそれを口にしてきたのだ。

 

「そもそもとして、菜子ちゃんはウチの店で働く資格が無いのさ」

 

「し、資格……? それって、何の……? 勉強したりするもの……?」

 

「いんや、そーいう大真面目な資格なんかじゃないのよ」

 

 首を横に振る荒巻。その彼に菜子は、焦りを隠せない様子で「じゃあ、アタシの何が足りないの……!?」と訊ね掛けていく。

 

 すると、次の時にも荒巻は音を立てながら立ち上がった。

 イスの音と、床を力強く踏みつけた不意のそれ。これに菜子がビクッと身体を跳ね上がらせていくその中で、荒巻はスーツのポケットに両手を入れながら少女の下へと歩き出していく。

 

 先ほどまでの陽気さをうかがわせない、物々しい雰囲気を醸し出した彼の歩み。そうして荒巻は首を若干と傾げ、サングラスにその高身長で目の前の少女を圧倒するように立ち止まっていくと、次にも彼は低くした声音で脅すようにその言葉を口にしてきたのだ。

 

「あのな、菜子ちゃん。オレ達はな、お遊びでここにいるワケじゃねぇのよ」

 

「……あ、アタシだって、遊びと思ってここに来てないし……!」

 

「わかってるぜ。菜子ちゃんも本気だもんなぁ。大好きなお姉ちゃんを探すため、それに最も適した環境を見つけてきて、そんでもって未知の世界に臆することなくそこに飛び込んでいける菜子ちゃんの度胸ばかりは、オレも認めざるを得ないモンさ。だがよ……」

 

 右手でサングラスの位置を直す仕草を交える荒巻。その右手を再びポケットにしまっていくと、暫しと間を置いてから彼はそれを言い放っていったのだ。

 

「菜子ちゃん、君には“犯罪経歴”っつー資格がねぇのよ。そいつがねぇ限りはな、菜子ちゃんがどんなに意気込もうとも、オレは菜子ちゃんをこの店に迎え入れることは決してできねぇ。……カタギの人間をこの世界に招き入れるこたぁ、初代オーナーであって、オレの元相棒でもある柏島さんの理念に反するのよ」

 

「……なに。だったらじゃあ、アタシこれから事件を起こしてくる……!! それで、アタシはなにをすれば認められるの!? 窃盗!? 詐欺!? 暴行!? この際だから、なんでもしてやるから!!! ……もう、アタシには失うものがないの。だから、唯一大切だったお姉ちゃんを見つけるためなら、なんだってやってやる!!!」

 

 声を荒げる菜子は、昂った感情のままに荒巻へとそれを口にしていった。

 これを耳にした荒巻は、無言を貫いてその場に佇んでいく。これに菜子は冷や汗を流しつつも睨みつけていくと、しばらくして荒巻はこちら側へ視線を投げ遣るなり、猫背で手の爪を眺めていたクリスへと言葉を掛けていったのだ。

 

「クリスちゃん。今まで手を掛けてきた対象(ターゲット)の数を教えてくれないか」

 

 唐突に投げ掛けられた問い掛け。これにクリスは顔を上げて、不敵な喋りでそう答えていく。

 

「僕が“殺し屋”だった時の話だよね。だったら今でもよく覚えてるよ。引き金を引いてきたこの指がね、今までに殺してきた人達の表情を記憶しているんだ。だから、こうして手を眺めているとね、自然と脳裏によぎってくるんだよ。僕がこれまで殺してきた人達の顔が、脳みそから滲み出るようにつらつらと溢れ出してくる。……一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、二十一、三十三……八十一。僕がこれまで殺してきた人達の数は、八十一人だ」

 

「クリスちゃん、少なくとも三桁は殺ってるからな」

 

「あれ、そうなんだ。じゃあ他の殺された人達はどこに行っちゃったんだろう。とにかく、忘れられた人達は実に気の毒だったね。可哀相に。同情するよ」

 

 淡々とそれを語ったクリス。彼の言葉に菜子が引き気味な表情を見せていくその傍で、荒巻は佇んだ状態のまま喋り出していく。

 

「クリスちゃんもクリスちゃんだがよ、ユノちゃんも大概なモンだ。如何せんユノちゃんはな、犯罪の温床とも言われる龍明を拠点とした、関東一のヤクザ組織と呼ばれる“銀嶺会(ぎんれいかい)”っつー組織の若頭補佐まで上り詰めた極道だったモンだからな」

 

 荒巻の言葉に対して、ユノは無言を貫きながらその場に佇んでいた。

 しかし、その視線はどこか途方を見遣るようなものでもあった。まるで、菜子から目を逸らすかのように……。

 

 そんな彼女の反応にも構わず、荒巻は菜子へとそれを聞かせていく。

 

「元銀嶺会本部若頭補佐。あるいは、元銀嶺会直系葉山組組長。そいつがユノちゃんの経歴だ。それも、菜子ちゃんも通う龍明高等学校に入学直後、ヒイロちゃんの知り合いのツテでヤクザになったバリバリのろくでなしだな。そこから五年ほどで若頭補佐まで上り詰めたユノちゃんだが、そこに辿り着くまでにもいろんな業を背負ってきたモンだろうよ。何がとは言わねぇが噂じゃあ、燃やしたり埋めたり、溶かしたりバラしたりが上手かったらしいなぁ?」

 

 曰く付きの人間が辿り着くとされるこのお店。以前にもラミアから聞かされたその所以を、この時にも改めて思い知らされたものだった。

 

 荒巻の紹介に、ユノは沈黙を決め込んで一切と反応を示さない。

 それでいて、ユノとクリスの経歴に菜子が言葉を失っていると、その二人に気を取られている間にも荒巻は屈み出してきて、菜子に顔を近付けながらそれを告げていった。

 

「この二人が桁外れにヤベェだけではあるんだがよ、この店はな、そーいうどうしようもねぇろくでなしの罪人共が、罪を清算するべく身体を資本に汗を流す場所なんだよな。だから菜子ちゃん。この店で働くためにはよ……どんなことでも身体を張って、自分の罪を死ぬ気で清算するための犯罪経歴と覚悟が必要になるのさ」

 

「…………ッ」

 

 間近に迫った荒巻の顔。上から覆い被さるようにしてこの言葉を掛けてきた彼の圧に、菜子は泣きそうな顔を見せながらも踏ん張るようにその場でじっと堪えていく。

 

 そして、菜子は繕ったような強気の表情で「……アタシも、それくらい……!」と言ってみせた。

 この返答に荒巻、無言を貫いて佇んでいく。その前方からのプレッシャーに菜子は次第と唇を震わせて、両脚もガタガタとさせながら荒巻と向かい合っていたものだ。

 

 と、次にも荒巻はドスを利かせた声音で小さくそれを言い放つ。

 

「じゃあ、見せてもらおうじゃねぇか。お前の覚悟とやらをな」

 

 背筋を伸ばした荒巻。おもむろに右手を上げて「拳銃!」と言葉を口にしていく。

 これを聞いたクリスは、腰に差していた銃を取り出すなり荒巻へと投げつけていったのだ。

 

 これを何気なく受け取っていった荒巻。

 そして、手に持って構えたその銃口を、躊躇いなく菜子の額へと突き付けていく。

 

 引き金が引かれれば、瞬間にも自身は絶命する。

 直面した命の危機。これを前にして菜子は引きつるような息で後退っていくのだが、そうして離れようとした菜子の動きに合わせるよう荒巻は、彼女の額に銃口をピッタリくっ付けながら一緒に動いて全く離れない。

 

 引き金に掛けられた指。逃げることもかなわない目の前の現実。これに菜子が涙を滲ませていくと、それを見た荒巻は銃の構えを解いていくなり、それを軽く上に投げてから銃口部分を掴むようにしてキャッチして、持ち手の部分を少女へと差し出してきたのだ。

 

 一体、何が起きているというのか。眼前のやり取りを静かに見守るユノとクリスの脇で、菜子だけでなく自分も汗を流しながら、次にも荒巻が言い放ってきたその言葉に耳を傾けていく。

 

「菜子ちゃん。こいつを持ちな」

 

「ぇ、ッ……」

 

「早くしろ。こいつは試験だ」

 

「……は、はぃ……」

 

 伸ばした菜子の右手が、ガタガタと震えていた。その表情も極度に追い詰められた恐怖の念に囚われてしまっており、ボロボロに流した涙とぐしゃぐしゃにした顔で彼女は、荒巻から拳銃を受け取っていく。

 

 そうして菜子が拳銃を受け取ると、荒巻は淡々とした調子で「おう、これで銃刀法違反だな」と告げてきたものだった。これに菜子が余計と深刻な表情で泣き出していくと、そんな少女にもお構いなしといった具合に荒巻は、「そいつをオレに向けな」と菜子へ指示を出していく。

 

 これには菜子、「ぇ……?」と言葉の意味を理解できていない様子を見せていった。

 自分も同じ気持ちだった。しかし今は、遠目から見守ることしかできない状況でもあった。そのことから自分も静かに心臓を打ち鳴らして見守っていると、すぐにも菜子が荒巻の腹部へと拳銃を向けていくその光景が展開されていく。

 

 と、そうして菜子が拳銃を突き付けると、次にも荒巻はあろうことかそれを指示してきたのだ。

 

「これから十秒数える。オレがその十秒を数えている間に、菜子ちゃん、お前はそいつで“オレを撃て”」

 

「え…………?」

 

 尚更と言葉の意味が理解できない。

 呆然とした菜子の目。ありとあらゆる恐怖に染まったそれを荒巻へと向けている間にも、少女の視界の中では荒巻が容赦の無いカウントダウンを始め出したのだ。

 

「じゃあ数え始めるぞ~。十、九、八、七」

 

「え、なに、まって。やだ。やだ、やだやだやだ……!!!」

 

「六、五、四」

 

「やだ、やめて。やだやだおねがいやめて……!!!」

 

「三、二、一」

 

「やめて。やだ……やだやだやだやだ!!!」

 

「ゼロ」

 

 手を伸ばした荒巻。それが拳銃を持つ菜子の手に掴みかかり、引き金に引っ掛けられた少女の指を自ら弾いていく。

 

 

 

 直後、部屋中に銃声が響き渡った。

 発砲の衝撃で床を転げ回った菜子。彼女は悲鳴を上げ、制服姿であられもなく床でひっくり返っていくと、先の衝撃で手放した拳銃が床に落ちて滑っていく音と共にして少女は、泣き崩れるように身体を丸くして床に突っ伏してしまった。

 

 目の前の光景を目の当たりにして、自分は思わず菜子の下へと駆け出してしまう。

 すぐに駆け寄った自分が、大号泣する少女に手を添えていく。それを受けて菜子はこちらの懐に潜り込んでくると、言葉にならない声でギャンギャン泣きながらしがみ付いてきたものだ。

 

 号泣する少女の頭を撫でながら、抱きとめるようにした自分。同時に視界を荒巻の方へと向けていくと、そこには未だ立ち上る拳銃の煙と共にして、佇んだままの状態で穴の開いたシャツを捲った荒巻が、腹部の“それ”を取り出すなり実に呑気なサマで“それ”を眺めていた。

 

 ……それは、生々しい弾痕が刻まれた分厚い漫画の週刊誌。深々と穴を空けたそれが殺傷武器の威力を証明していくのだが、荒巻はその穴から弾を床に落としていくなり、その週刊誌を脇に挟みながら陽気な調子で菜子へと拍手を送ってきたのであった。

 

「銃刀法違反と、殺人未遂及び傷害罪! ウチからすればまだまだ軽度な犯罪ではあるモンだが、ウチで勤務するに十分値する程度の罪を、菜子ちゃんはたった数分で重ねることができてしまった!! よって、菜子ちゃんがLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の一員になることを、オーナーであるオレちゃんが直々に認めてやる!! おめでとう!!! これで晴れてより、菜子ちゃんもホステスの仲間入りだ! 菜子ちゃんの加入を心から歓迎するぞ! ようこそ、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)へ!!」



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第19話 Un embrasser passionné 《熱烈なハグ》

 夜の時刻も蒸し暑くなり始めた暗がりの龍明。まだ遅くはないその時間帯に自分はアパートの廊下を歩み進めていくと、自身の住む部屋とは異なる扉のインターホンを『ピンポーン』と鳴らしていった。

 

 今更にはなるが、自分が住んでいるこのアパートは九階もの階層で成り立つ大きな建物だった。とは言え、この住宅地を見渡せばそんなアパートは当然の如く見受けられ、そんな光景に自分は、龍明もまた都会の一部分なんだなと実感させられていく。

 

 それで、自身の住む部屋はこのアパートの七階に位置する高さにあった。かつ、今いる階層はその一つ下の六階であり、今まで全くもって縁の無かったその階層に訪れる緊張感を抱きながら、自分はその部屋のインターホンを押していく。

 

 と、直にも歩いてくる足音と震動。次に目の前の玄関扉が開かれていくと、そこからは制服姿の菜子が不愛想に顔を出してくるなり、それを口にし始めてきた。

 

「……なに? なんか用?」

 

 いつものように着崩した、不良スタイルのその少女。声も不機嫌そうではあるものの、それがデフォルトである菜子は上目遣いのような目でこちらを見遣っていた。

 

 少女の問い掛けに対して自分は、「こんばんは」と挨拶していく。これに菜子も「……こんばんは」と律儀に返してくれると、少女の後ろにある部屋の奥からは私服姿のユノが凛々しいサマで覗き込んできた。

 

 そしてユノは、軽く腕を組んだ余裕のある足取りでこちらへと歩き出してくる。その最中にも、奥の部屋や廊下に並べられた大量の段ボール箱を避けるようにしていきながら。

 

「柏島くん、いらっしゃい。せっかく貴方の方から出向いてもらえたというのに、私達の部屋の有様がこのようで本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだわ。片付けが済んでいない乱雑な部屋でごめんなさい」

 

「いやいやいや! そんな、だって今日の昼に引っ越しを終えられたばかりじゃないですか! それに、お二人だけでは片付けが大変かもしれないと思いまして、俺、片付けの手伝いをするつもりでこちらにお邪魔したようなものですから」

 

 と言って、自分は上着のポケットに入れていた軍手を取り出しながらユノへと喋っていく。

 これを耳にした彼女は、「ありがとう、柏島くん。けれども、大切なお客様である貴方の手を煩わせてしまっては、“私達”Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスは失格よ」とやんわり断ってきたものだ。

 

 気持ちは受け取っておく。そんな旨の一言を添えてきたユノの返答の後にも自分は、彼女のセリフでふと思い出したように菜子へと向いて、お祝いの言葉を掛けていくことにした。

 

「そうだそうだ。菜子ちゃん、お店のホステスになれて良かったね。おめでとう」

 

 玄関の脇に立っていた菜子。こちらの言葉に不意を突かれたよう一瞬だけ目を見開いていくと、次にも口を尖らせて「……ぁ、ありがと」と不慣れに呟いていく。

 

 先日にも一部始終を見届けた、菜子のホステス採用面接。裏組織ならではの過激なやり取りの末に働くことを認められた菜子は、あの後にも発注するタキシードのために採寸したりなどの、ホステスとして働く準備が着実に進められていたものだ。

 

 アルバイトという体ではあるものの、高校生という身分でキャバレーのホステスになれるその環境。これもある意味では龍明らしいという一言で納得できてしまえる無法地帯っぷりに、自分はここが本当に日本なのかを改めて疑っていく。

 

 と、玄関先で不愛想に照れていた菜子をユノと共に眺めていたその時のことだった。

 脇からコツコツと響いてきた複数の靴音に気が付き、自分がそちらへと振り向いていったこの瞬間。そこからは二つの人影が、彼女らの部屋を覗き込むようにして顔を出してきたのだ。

 

 それぞれ、病み系コーデのラミアと私服姿のメーだった。どちらも同伴の帰りなのだろう二人が興味津々に彼女らの部屋を覗き込んでいくと、以前にもあげた猫耳付きの黒色キャスケットを被るラミアが適当な調子でそれを喋り出していく。

 

「どーも、皆さんお疲れ様でーす。うはー、ホントにユノさんもいらっしゃいますねー。おかげさまでウチら、カンキさんのお部屋の定員オーバーを気にしなくとも良くなりましたから、これからも最寄りの宿屋として気兼ねなくコチラのアパートを利用できるってモンですねー。ナンでしたら、ウチもコチラに住みたいくらいですよホント」

 

 初対面のラミアとメーを前にして、菜子は華々しい彼女らにぎょっと驚いていった。

 

 且つ、ラミアの後ろで手を振っていたメーが、その仕草でユノに挨拶を済ませながらも菜子を見遣ってそれを喋り出していく。

 

「あー、なになに? もしかしてこの子が菜子ちゃん? あは、なんだめっちゃ可愛い! オーナーから聞いてるよー。菜子ちゃんもホステスになるんだよね? ってことは菜子ちゃんも犯罪者でしょ? ねぇねぇ菜子ちゃん、君は一体なにをしでかしてきたのかな~? ほら、お姉さんに教えてみ?」

 

 なんか、とても馴れ馴れしい奴。その内心がひと目で分かる菜子の表情を前にしてでも尚、メーは少女へとズカズカ踏み入ってはその頬を両手で摘まんでムニムニ伸ばしていたものだ。

 

 これには菜子、「な、なんだよっ!!! な、なめんじゃねぇよ!!」と凄みながら彼女の手を振り払っていく。しかし、メーは「え~いいじゃんいいじゃん!」と言いながら嫌がる菜子へと手を伸ばし、それを菜子が振り払ってという攻防を二人は玄関先で繰り広げていった。

 

 その間にもラミアは「ではでは早速お邪魔しまーす」と、さも当然のように部屋へと上がり込んでいく。

 

 厚底ブーツを脱ぎ捨てるようにして上がっていったラミアの存在に、菜子は「え、え!? なに、ちょっと。なにフツーに入ってんの!?」とさも当然の驚きを見せていったものだ。

 

 だが、この隙にメーの右腕が菜子の肩に掛けられていく。これに少女が驚いていると、すかさずメーもサンダルのようなヒールを脱ぎ散らかして部屋へと上がり込んでいき、廊下の脇に立つユノへと「私もお邪魔しま~す!」と一言かけてから、困惑する菜子を連れて部屋の奥へと向かっていったのだった。

 

 ……いや本当に、こんな状況に慣れてしまった自分が恐ろしい。

 思わず汗を流しながらも自分は、脱ぎ散らかされた彼女らの靴を綺麗に並べていく。そんな様子にユノは、「いつも彼女達の面倒を見てくれて、本当にありがとう。店を代表して、私から貴方へ感謝を表明させてもらうわ」と言葉を掛けられたものだったから、自分は「いえ、俺も皆さんに守ってもらっていますから」と返しながらユノと向き合ってそれを伝えていった。

 

「じゃあ、俺はこれで失礼いたします」

 

「あら、遠慮は必要ないわ。貴方は、私達にとって特別なお客様なんですもの。貴方の存在を傍で感じ取ることによって、彼女達はより一層もの安心感を抱きながら親睦を深めることができると思うのだけど」

 

「まぁ、俺も皆さんの輪に混ざりたい気持ちは山々なんですけど、今はホステスの皆さんだけで交流するべき時間だと考えておりますので、俺は一足先にお暇させていただきます。次の機会にでもご一緒させてください。……あと、今の今までずっと独りでいられる時間が無かったものですから、たまにはプライベートの時間を静かに過ごすのも悪くはないかなっても思ってます。なので、俺のことはお気になさらず」

 

「柏島くんの心遣いに痛み入るわ。夜中にラミアとメーが貴方の下へお邪魔しに行くかもしれないから、それまで柏島くんはひと時もの余暇を心行くまで存分に満喫してもらえると嬉しいわ」

 

「あぁいや、本当にありがとうございます。こちらこそ、ラミアとメーのことをよろしくお願いします」

 

 いや俺は保護者か。

 そんな風に自分自身へツッコミを入れながらも、この言葉を最後にして自分はユノと菜子の部屋を後にしたのであった。

 

 

 

 

 

 冷房をつけるべきかどうか。そんな些細な思考に耽る一人きりの部屋の中、自分はベッドに腰を掛けた状態でボーッと天井を眺め遣っていた。

 

 いざ一人になると、それはそれで寂しく思えてくる。いや、むしろ今までの生活が賑やかで退屈しなかっただけなのかもしれないが。

 

 ……何という意味の無い自問自答をひたすらと繰り返していく自分。こうしてプライベートの時間を浪費するように思考の中を駆け巡っていると、直にも洗面所の扉が開く音と共にひたひたと歩いてきた“彼女”へと視線を投げ掛けたものだ。

 

 風呂上りでホカホカな湯気を纏うレダの姿。バスタオルで髪を拭きながら歩いてきた彼女は、さも当然のように男物のYシャツを着用しながらこちらの前に現れる。

 

 ……というか、裾を余らせたそれ以外は全く身に付けていない。

 素肌の上から直で着られている自分のYシャツを傍から眺めるその心境と、加えて、下に一切と身に付けず、だぼだぼのYシャツをワンピースのように着用する解放的なレダの姿を見た自分は、汗を流しながら言葉を投げ掛けていく。

 

「……レダ、さすがに履いてるよね……?」

 

「あらぁ? うふふ、色欲を必死に誤魔化し続けているカンキ君でも、こういうのは気になっちゃうものなのねぇ? ……ねぇ~カンキ君。“この下”がどうなっているか、知・り・た・い?」

 

 と言って、レダはおもむろにYシャツの裾を摘まんでそれを上げ始めてきた。

 これには自分、すかさず「いやいやいやいや!!!」と手を振って彼女を静止させていった。尤も、こちらの反応にレダは獲物を捉えたかのような表情で「あらそう? ザンネ~ン」と勿体ぶるような調子で答えてきたものであったが。

 

 ……彼女のアプローチによって、既に悶々とし始めていた自分。実にご無沙汰だった欲望を理性で押さえ付けながらも、自分は気を紛らわすようにレダへとそれを訊ね掛けていった。

 

「レダはさ、みんなのところに合流しなくてもいいの?」

 

「みんなのところ~?」

 

「ユノさんと菜子ちゃんの部屋。今日引っ越してきたから、ラミアとメーはそこで歓迎会やら女子会やらしているんじゃないかな」

 

「ふ~ん、そうなの」

 

 とても興味無さそうな返答だった。

 それどころか、こちらが訊ね掛けている間にもひたひたと歩み寄ってきていた彼女。それでいて、先の興味無さげな返答後にもレダは欲情的な表情でこちらを見下ろしてくると、ベッドに座っているこちらの両脚に腰を下ろして乗りかかってきたのだ。

 

 反応せざるを得ない。自分は「ちょ、ちょちょちょちょ!!!」と言葉にならない困惑でレダを止めようとするものの、彼女はカフェの丸イスに座るかのように脚を揃えながら乗りかかってきたのだ。

 

 続いて、こちらの肩に腕を回すことで背もたれ代わりとしてくる。加えて、彼女が乗せた尻部分からは素肌の熱を感じ取れてしまったことから、やはり何も身に付けていないことが証明されたことで、尚更と自分は脆弱となった理性で思考がかき乱され始めていく。

 

 そんな弱点だらけのこちらの様子を、レダが気付いていないわけがなかった。

 腕を回して寄り掛かってきた彼女。そしてレダは褐色の肌に恍惚な赤味を頬に浮かべ、淡藤色(あわふじいろ)の薄く淡い青紫色の短いパッツンボブの、胸元辺りまで伸ばしたもみあげを揺らしつつ、こちらから見た彼女の、水色の右目とピンク色の左目というそのオッドアイを向けながら、魔性の微笑みでそれを喋り出してきたのだ。

 

「ねぇカンキ君~。今、わたし達って二人っきりよねぇ?」

 

「ま、まぁそうだけど……」

 

「それじゃあもう、夜のお部屋で男女が二人っきりになっちゃったらぁ~……ヤることはただ一つ、なんじゃないかしらぁ?」

 

「これはこれは……」

 

 もう、なんて返事をすればいいのか分からない……。

 レダが放つ色気のフェロモンが、男という生き物を狂わせる。彼女自身も男を堕とすことに長けたプロのヤり手であるために、自分は今も乗りかかられているレダの肉厚に高揚する形で、衝動に駆られるまま彼女の身体へ両腕を回していってしまい……。

 

 ……自身のYシャツを着るレダを抱きとめるようにしながら、自分は彼女の目を真っ直ぐと見つつそれを告げていく。

 

「ごめん、レダ……。俺としても、ラミアやメーからの誘惑もあって今も我慢できないくらいの気持ちでいるんだけど……今ここでレダと一線を越えちゃうと、お互いの関係性を理由にお誘いを断わってきたラミアやメーに申し訳が立たなくなっちゃうんだ……」

 

「んもぅ、カンキ君って律儀なオトコのコねぇ。でも、カンキ君のそういう義理堅いトコロ、わたしダイスキよ? ……強情なオトコほど、堕とし甲斐があるというものだわ。わたしの魅力に溺れた時のカンキ君の顔、楽しみにしているわね?」

 

 と言って、レダはこちらの頬に軽いキスを行ってきた。

 頬で跳ねるようなその弾力。共にして彼女の熱がこちらの理性を一層と狂わせてくるのだが、これによって自分が無意識と顔を赤らめていく最中にも、レダは脚を組みながらこちらに寄り掛かってそれを口にし始めてくる。

 

「それじゃあカンキ君、わたしとの同伴なら快く付き合ってくれるわよね?」

 

「同伴? ……あぁ、同伴ならいつでも。レダと同伴したいとも思っていたから、レダの都合が良い時に二人で出掛けに行きたいな」

 

 ちょっと久しぶりに思えてくる同伴の話。この返答に対してレダは「うふふ、もしもカンキ君に同伴も断られちゃっていたらぁ、わたしショックでお店辞めちゃっていたかも」と冗談めかしながら言葉を口にして、こちらの頬に自身の褐色の頬を擦り付けてくる。

 

 いつも意図的にくっ付けてくる豊満な乳然り、今も両脚に乗せてきている彼女の下半身然り、ラミアやメーにはなかった女性らしい弾力のある肉感を武器として活用してくるレダのアプローチ。

 

 これらから察するに、レダはボディタッチによって距離を縮めてくるタイプなんだなと把握していく。その中で自分は、彼女の冗談に「同伴は絶対にしよう。レダと会えなくなるのは俺も寂しいから」と返答していった。

 

 そんなこちらの返事に、レダは魔性ながらも満足げな笑みを見せて立ち上がっていく。

 かつ、ひたひたと部屋の中を歩き出していくと、次にも彼女は部屋の隅に置いてあった黒色のスーツケース……の隣に畳んであった黒色のコートを手にしながらそれを提案してきたのだ。

 

「そうと決まれば早速、同伴の予定を立てていきましょう? まだ夜も遅くないから、軽く夜道を散歩しながら考えない? 夏の夜に穏やかと吹きすさぶ、熱を帯びた夜風を浴びながら、ね? 大丈夫。何があってもカンキ君のことは、わたしが絶対に守ってあげるから」

 

 

 

 

 

 共に部屋を出た自分らは、軽く散歩する形で夜の住宅街へと歩き出していく。尤も、自分の隣を歩くレダの格好に自分は、命を狙われている以前の危機感を抱いてしまえたものだったが。

 

 それが、ボタンを留めた男物のぶかぶかYシャツに、黒色のコート。それと、申し分程度に身に付けた黒色のショーツに黒色のソックス、そしてモコモコとした黒色のブーツ……で以上となるその身なり。

 

 いや、夜とは言え街中を歩く格好なんかじゃない……。それどころか、こちらの命ではなくレダが狙われそうな彼女の大胆な服装に、自分は別の意味でハラハラしてしまう。まぁ、その格好を本人が全く気にしていないのも気掛かりではあるのだが。

 

 そんなこんなで、目的もなくアパートの周辺を適当にぶらぶら歩いていた自分とレダ。その間にもどこに行くかという同伴の目的地の候補をお互いに出し合っていくその中で、ふと辿り着いたひと気の無い小さな公園に立ち寄っては、滑り台やジャングルジムという遊具の脇にあるベンチに自分らは座っていく。

 

 この公園は、自分の住んでいるアパートの裏側に位置する場所にあり、部屋の窓から眺めた景色としては実に馴染み深い場所でもあったりする。そんな見慣れた空間の中で自分は、隣に腰を下ろしてきたレダの温もりある気配に安堵していくその最中にも、彼女は風呂上りの全身から汗を流しながら、服をはたはたとさせつつそれを喋り出してきたのだ。

 

「こんな時間なのに、意外と蒸すのねぇ~。今年は例年よりも暑くなるんじゃないかしらぁ。あ~ぁ、コート脱いじゃおっかなぁ~?」

 

「いやぁ、さすがにそれ脱いだらヤバいでしょ……」

 

「うふふ、わたしはむしろ脱ぎたい派のニンゲンよ? ……他のオトコとも、よくやっているの。こうして野外で露出してぇ、自分の恥ずかしいトコロを外に曝け出しながら歩くプレイだったりとか~、あとは、林の中だったりトイレの個室だったり、そういう物陰に二人で隠れながらぁ、近くの通行人にバレるかバレないかのギリギリの物音でぇ、同伴中のカレと獣のように盛り合う熱烈なプレイを、それはもうしょっちゅうしているものよ~?」

 

「……こりゃあ、油断してたら警察に捕まりそうだな。レダも俺も……」

 

 案の定とも言うべきレダの性癖。これまで偏見でしかなかったそのイメージも、彼女が自ら曝け出す形で現実を知ることになってしまった。

 

 で、レダは隣にいるこちらをジーッと見遣ってくるなり、魔性の笑みでからかうようにしながらそんなことを言い出してくる。

 

「ねぇカンキ君。温泉、とかどうかしら?」

 

「温泉? ……あ、あぁ、同伴の話か」

 

「んもぅ、プレイの内容でも想像しちゃったのかしら? うふふ、カンキ君がご所望なら、温泉でのプレイも相手になるわよ? あなたが枯れ果てて、干物のように干からびてしまうまで搾り取ってあ・げ・る」

 

「ぁー……なるほど……。それはまぁー……別の機会にー……」

 

 拒否できないのが、男の(さが)

 こちらの反応に、レダが舌なめずりを行ってくる。そんな彼女の仕草も相まって自分は再発するように悶々とし始めたものだったから、この気持ちから切り替えるべく自分は「じゃ、じゃあ旅館に行こっか!! 旅館なら温泉や料理も楽しめるし、レダもゆっくりできるから休暇のような感じになると思うし!!」と空元気に提案していった。

 

 それを耳にしたレダはと言うと、魔性とはまた異なる純粋な嬉しさからなる笑みで「あらぁ、それイイわね~。じゃあカンキ君との初同伴は旅館でけって~い」と答えてきたものだ。

 

 ……と、そうして公園のベンチでレダと会話をしていた時のこと。

 ふと、公園の外からは男性の声が響き始めてきた。それは数名で談笑しているようにも聞き取れる複数もの低い声であり、声の大きさからあまり気持ちの良くない印象を抱いてしまえる。

 

 その声の正体がすぐにも、公園沿いの道路から集団となって姿を現してきた。

 ヤンチャな髪型に、着崩したジャージという不逞(ふてい)の輩。それが八名ほどの集団で公園を目指して歩いていたものであったから、自分は露出度の高いレダの安全を最優先にすぐさま立ち上がっていった。

 

 そして自分は、「レダ、こっち」と言って彼女の手を取っていく。

 もう今すぐにも輩が公園に入ってくる。そこからなる余裕の無さでレダの手を強引に引いてしまい、これを受けて彼女はちょっと驚いた様子で「あっ」と声を出しながらも、自分と共に公園の奥へと移動したものだ。

 

 そんなレダの声が聞こえたのだろう。直後にも不逞の輩が、「今、エロい女の声がしなかったか?」と食いつきの良い反応で周囲を軽く散策し始めたのだ。

 

 この状況に自分は、懐にレダを隠すようにしながら木の陰で静かに様子をうかがっていく。

 研ぎ澄ましたこの神経。それもそのはずで、犯罪の温床と呼ばれるだけあるこの龍明においては、強姦の被害も日本の中で断トツの被害件数を誇ってしまっている。

 

 そういった事件を起こす人間の大体は吹っ切れており、素人目から見ても一目で分かる程度には堂々としたサマで獲物を探し求めているものだ。それもあってか、目に見えて怪しい人物、それも集団を相手に下がショーツだけのレダが見つかってしまうと最悪、彼女に辛い思いをさせかねないことになる。

 

 ……命を懸けてでも、守らなければ。

 緊張の中に巡る男気。だが、無力である自分にできることも所詮、たかが知れている。

 

 しかし、だからといってレダを守らない理由にはならない。彼女を守ろうとせずに、何が男だ。

 

 ……付近をくまなく歩き回る集団の気配。今も木の陰でじっと彼らの動向をうかがっていると、そんな自分の懐では何やらもぞもぞと蠢く感覚を覚え始めていって……。

 

 ……身に付けているYシャツのボタンを全部外し、あろうことか全開にし始めたレダ。これに自分はギョッと目ん玉をひん剥き、露わとなった豊満な谷間に興奮よりも焦燥を感じつつそれを小声で訊ね掛けていく。

 

「れ、れだっ、レダっ……っ?! え、なに、え、なに、なにやってんの……っ?!」

 

「あらぁ、ウフフ……なんて熱いシチュエーションなのかしらねぇ。身を挺してわたしを庇ってくれるカンキ君の、その必死な顔と密着した身体の温もり……こんなの、コーフンしないワケがないじゃない……」

 

「いやいやいや……っ! 今はそれどころじゃないんだって……っ!! じゃないと、レダが危険な目に遭わされかねないんだ……っ!」

 

「心配してくれてありがとう、カンキ君。でもね、ウフフ……わたし、ああいったオトコの集団を誘惑して、みんなから好き放題にされるプレイなんかも楽しんだりしているのよ?」

 

「え……?」

 

 木の陰で蠢くレダ。その木を背に彼女はこちらの肩へと両腕を回してくると、次にもレダは全開となった身体をくっ付けるようにこちらを抱き寄せてくる。

 

 共にして、息が掛かり合う距離で見つめ合った自分ら。この状況に自分は困惑していくその中で、レダは恍惚の表情で艶めかしい息遣いを耳元で行いながら、誘惑するようにそれを喋り出していったのだ。

 

「……ねぇ、カンキ君。あなたがさっき相手してくれなかったから、わたし今、ムラムラした気持ちを持て余しちゃってるの……」

 

「……待って、レダ。だからって彼らの下へ向かうのは危ない……」

 

「ウフフ……もうガマンできないかも……?」

 

「ダメだよ、レダ。ここでレダを送り出して万が一のことが起こりでもしたら、俺は男としてこの先ずっと後悔することになる……」

 

 彼女なら向かいかねない。その気持ちが先行することで自分は、一心のままにレダの身体を両腕で抱きしめていく。

 

 心臓を打ち鳴らした、必死な抱擁。これにレダが思惑通りとも言える魔性の微笑みを浮かべてくると、次にも彼女はオッドアイの瞳を光らせながら耳元でそれを囁いてきたのだ。

 

「それじゃあ、カンキ君。彼らの代わりにあなたが、わたしを満足させてちょうだい……?」

 

「俺が……今……?」

 

「えぇそうよ。カンキ君。今ここで、わたしのコーフンを満たしてちょうだいね……」

 

 肩に掛けられていたレダの両腕に引き寄せられるこの上半身。それに逆らうことなく自分は彼女に身を任せていくと、息が触れ合う距離にあった互いの唇が次第にも、惹かれ合うようにして柔らかく重なり合ったものだ。

 

 ……木の陰で交わされる口づけ。彼女のフェロモンを感じさせる肉感の香りが一層もの欲情を掻き立ててくる一方で、今も周囲を徘徊している集団に対する不快極まりないこの緊張が、今も唇を通じて全身に駆け巡る心地良い興奮に水を差してくる。

 

 ……快楽と恐れが入り混じったぐちゃぐちゃの感情。夢うつつな意識の中で中途覚醒を繰り返すかのような不快感が、非常にもどかしく思えてしまえるこの状況。

 

 だからこそ自分は、今もキスを交わしているレダという一人の女性を追い求めてしまった。

 その柔肌に食い込む両手。必死さが勝る余裕の無いキスがレダの唇を貪るように食らいついていき、自分はその感触を堪能するどころではない心境で目の前の彼女を食い漁っていく。

 

 もはや、思いやりの欠片も無い硬くて強引なキスだった。

 傍から見れば、自分があれほどと恐れていた強姦とやっていることが大差ないだろう。そして、こんな力ずくでねじ伏せるようなキスをしてしまっては、レダに愛想を尽かされて彼らの下へ向かわれてしまうかもしれない。

 

 ……ダメだ。そんなの、絶対に嫌だ。

 

 レダの身体に回していた両手を、彼女が身に付けているYシャツの中へと侵入させていく。それによって全開になっていたシャツが広がるようにめくれていくと、この時にも何も身に付けていない褐色の上半身が惜しげもなく露わとなっていった。

 

 豊満な乳と、女性らしい体つき。これに一層と興奮した自分が、レダの背を撫でまわすようにしながら抱き寄せてキスを続けていく。

 まさぐるようにして彼女の肉感を堪能する両手。その柔らかさに感化されるように自分の意識は唇へ注がれていくと、力んでいて硬かったその口元も今や、彼女の弾力ある唇に優しく吸い付いては粘着的に離れない、ねっとりとした口づけへと変貌していく。

 

 その間にも自分の懐には、豊かに実った二つの果実が物欲しげにあてがわれていた。

 もう、ソレを支えるものも、ソレを覆い隠すものも存在しない。これまでにも魅惑的に思わされてきた彼女の象徴に自分は手を添えていくと、それを手のひらで包み込むようにしながら持ち上げていき、しかし特に弱点であるソコを避けるようにしながら、暫し弄ぶように果実を愛でていく。

 

 と、それを手のひらで十分と堪能した自分ではあるのだが、一方としてレダはまだまだ物足りないと言わんばかりに物欲しげな瞳を挑発的に向けてきた。

 

 ……なら、敢えて避けてきたソコに触れてやろうか。

 挑発的な視線に対して、挑発し返すように見つめた自分。そして、果実の中でも特に神聖な部位へと人差し指を掛けていくことで、彼女の大切なトコロに直で触れていった、その直後のことであった。

 

 覚悟してくれよ。

 口づけをしたその状態で、目でそう訴え掛けた自分。これに対してレダもキスしたままコクリと頷いていくと、彼女の合図の下で自分がその指を動かし始めた。

 

 この瞬間に木の裏側から覗き込んできたその存在。

 

 猫耳の黒色キャスケット。同時にして適当な調子でその言葉を掛けられる。

 

「おやおや?? 楽しんでおられますねー??」

 

「ッっッッッ!?!?!?」

 

 からかうような顔のラミアを目撃して、自分は思わずギョッと目ん玉をひん剥いてしまった。

 共にして、木の裏側からはメー、ユノ、菜子が歩み寄ってくる。それでいてメーも弄りのネタが見つかったと言わんばかりにニヤけながら「ほほ~ん? これまた随分と楽しんでおられますなぁ??」と口にしてくるその脇で、こちらの様子を目撃した菜子が途端に顔を真っ赤にしながらそれを口にしてくる。

 

「んな、っ、な、ななななにやってんの……っ!!? な、ぇ……ぇ、えぇ?! や、ちょ、ほ、ホントに、ナニ、ぇ、ぇえっ……ッ?!」

 

 両手で顔を覆い隠し、その指の間からこちらの行為を覗き見してくる真っ赤な菜子。

 純粋無垢とも言えるのだろう不良少女にとって、なんとも刺激が強すぎる光景となってしまった。これに自分は助け船を求めるようにユノへと視線を投げ掛けていくのだが、そのユノは顎に右手を添え、凛々しいサマでありながらも見惚れるような視線でレダの裸体に釘付けとなっていたものだ。

 

 ダメだ、頼りにならない顔をしている!!!

 なお、この空気感で皆に見られている状況から、レダは悶々とした様子で「ぁん、イイわ……。カンキ君にメチャクチャにされてるわたしをもっと見てぇ……!!」とひとりよがり出していた。

 

 あ、収拾がつかない。その念と共にして思い出したこの立地に、自分は恐る恐ると後ろへ振り返っていく。

 

 ……するとそこには、自分も住んでいるアパートの窓がとてもよく見えていた。

 

 ここで自分は、この公園に来た時のことを思い出す。

 それは、『この公園は、自分の住んでいるアパートの裏側に位置する場所にあり、部屋の窓から眺めた景色としては実に馴染み深い場所でもあったりする』というもの。それを思い出した自分はこの時にも、悶々としていた自身の“ソレ”が一瞬にしてヒュッと縮こまったのであった。



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第20話 La tentation de la rose 《桃の誘惑》

 住宅地に響き渡るセミの声。風物詩とも言える音へと(いざな)われるように自分はアパートの玄関扉を開けていくと、次の時にも開かれた扉からは朝方の熱気が流れ込んできた。

 

 本格的な夏へと向かいつつある朝の龍明。突き刺すような日差しがこちらを迎えてくる中で自分は、後ろにいるレダと一緒に部屋を出てからその扉を閉ざしていく。

 

 夏を迎えたこの季節。隣で佇むレダは、常に大切に持ち歩いている黒色のスーツケースを片手に提げた状態で、いつもの黒色のコートのみを取り払った私服姿で同伴に臨んでいたものだ。

 

 紅鼠(べにねず)の赤みがかった、鼠色のノースリーブワンピース。華やかな白色のレースが入った黒色のサイハイソックスに、モコモコとした黒色のブーツというその格好。元からワンピースの絶対領域で通りすがる男達を魅了していた彼女であったものだが、この時の格好は袖なしワンピースという更なる露出が加わることによって、豊満な乳も組み合わさったたいへんお色気な姿で佇んでいる。

 

 褐色の肌と、水色とピンク色のオッドアイで魔性の笑みを浮かべていくレダ。一方で、風貌の印象とはまるで異なるスーツケースを提げた彼女へと自分は手を差し伸べていくと、レダは「あらぁ、エスコートしてくれるのねぇ? それじゃあ今日は、わたしの全てをカンキ君に委ねちゃおうかしら?」と、誘惑的な微笑で言葉を投げ掛けてきたのだ。

 

 どうしてこうも、彼女という存在に興奮を覚えてしまうのか。

 野蛮な思考で失礼かもしれないものの、どうしても男の(さが)が本能的に呼び覚まされるレダの魅力に、自分は自己嫌悪さえも抱いてしまえる。

 

 同時にして、先日にも野外で行った彼女との行為によって気持ちの余裕が生まれていたため、自分は「ぜんぶ俺に任せてくれていいから、今日はレダの息抜きになるような同伴にしようね」と返答しながらレダの手を取り、彼女を優しく手引きしながら二人で同伴先の旅館へと向かっていったのだった。

 

 

 

 

 

 バスでの移動を終えた自分らは、東京の中では珍しい田舎のような山の中に降り立った。

 

 登山スポットとして全国から親しまれているこの地域。龍明という淀んだ空気の街から脱出した自分らは、広大な駐車場を囲う森林の中で深呼吸を行っていく。

 

 他のバスに乗っていた観光客が、ツアーガイドに案内されていく目の前の光景。これによって本格的な遠出を実感させられた自分が胸を躍らせていくその中で、今も手を繋いで隣に佇んでいたレダがこちらの左腕に引っ付きながらそれを喋り出してきた。

 

「ねぇカンキ君、旅館に行く前に少しだけ寄り道していかないかしらぁ?」

 

「そうだね。せっかくだから周辺の観光地でも巡ってみよっか。調べてみた感じ、観光名所になっている神社が、ここから歩いて十分くらいのところにあるみたいなんだけど……」

 

 上着のポケットからスマートフォンを取り出して、自分は周辺の情報を確認していく。

 と、そんなこちらの身体へと左腕越しに抱き付いてきたレダ。このアプローチに自分が彼女へと振り向いていくと、何やら恍惚とした表情のレダが物欲しげにそれを言い出してきたのである。

 

「ウフフ……ねぇカンキ君、どこか茂みの中で“この間の続き”でもしてみない? こんな大自然の中で繋がり合えたらきっと、解放感でカンキ君もすごく気持ち良くなれるわよ~?」

 

「この間の続き。…………っ」

 

 脳裏によぎった夜の公園。そこで乳を放り出したレダと交わしたキスの様子。

 

 ……どんだけ欲を持て余している人なんだろう。

 汗を流しながら、内心でそれを呟いた自分。そんな彼女は現在も、こちらの左手の甲を自身の股に擦り付けるようにしてきており、この様子に自分は余った右腕でレダを軽く抱きしめつつそう言葉を掛けていく。

 

「……キスや愛撫くらいならできるけれど、取り敢えず観光で周辺を歩き回ってみないかな? それでも身体が疼いて我慢できないようなら、茂みの中で気持ちを鎮めるお手伝いをするからさ」

 

「ふ~ん、やけに肯定的なのね~? これ、あなたをからかうつもりで提案した冗談だったんだけれど、わたしの言葉を素直に受け取っちゃうだなんてカンキ君もオトコのコよねぇ?」

 

「何なら今すぐにでもレダを抱きたいし、レダの身体を貪り尽くしたい気持ちでいるよ。だから、ラミアやメーのお誘いを断っていなかったら、レダの誘惑で俺は今頃、こんなまともじゃいられなかったのかもしれないな……」

 

 彼女が自身の股へと擦り付けていた、こちらの左手の甲。自分はそれを不意にクルッと回してワンピースの中に入れていくと、伸ばした人差し指と薬指で“彼女”を撫で掛けていったものだ。

 

 これを受けてレダは、「あぁんっ」と公共の場で艶めかしい音色を奏でていく。

 幸いにも、近くに人はいなかった。しかし、これによってレダが更なる刺激を求めるおねだりの瞳を向けてきたものであったから、自分はそんな彼女の視線を遮るように右手をかざしつつも「さ、さぁ、早く観光に行こう……!」と言葉を掛けてレダと手を繋ぎ、そうして彼女をエスコートしながら二人で歩き出したのであった。

 

 

 

 

 

 バスの駐車場から十分程度と歩いたその距離に、大きな池が広がる観光名所の神社が存在していた。

 

 池に浮かぶよう点在する孤島のような足場と、それらを行き来することができる赤い橋がいくつも見受けられるその光景。こうして、点と点を結びつけるように連なった足場と橋が特徴であるこの神社にて、自分とレダは神社公認の屋台で『()』を買ってから池へと歩み寄っていく。

 

 透明な袋に入れられた、サクサクな感触のそれらを手に持つ自分ら。すると、池にいる鯉の大群が一つの塊となって地上のこちらへと寄ってきた。

 

 赤色や黄色、白色から黒色と様々な体色の鯉が、ヌルヌルとした集合体となって口を開けてくるこの光景。それを見た自分が「うお、集合体恐怖症にはキツいな……」と呟いていく傍らで、隣のレダは「わたしはむしろ、愛らしく思えてくるわ~」と口にしながら屈んで、それを喋り続けてきたものだ。

 

「ウフフ、みんながわたしを求めて我先にと集まってくる。本能に駆られるようにぞろぞろと押し寄せてくるこの光景が、わたしの身体を欲しがっている飢えた人間のオトコ達みたいでゾクゾクしてきちゃうわぁ」

 

 相変わらずだなぁ……。それを思いながら、レダと共に購入した麩を鯉に与えていく。

 

 その最中にも自分は、隣にいるレダの横顔をじっと見つめてしまっていた。

 今も恍惚とした表情で、満足な様子で鯉に餌付けしていくレダの姿。その褐色肌が彼女の魅力を引き立てる中で、これまで見てきた誘惑的な顔とは異なる、飾らない純粋な笑顔のようなものを今の彼女からうかがえたことにより、自分はそれに見惚れるようついついレダを眺め続けてしまう。

 

 で、この視線が彼女に気付かれていないワケもなく、クルッと振り向いてきたレダからそんな言葉を掛けられた。

 

「ウフフ、鯉じゃなくてわたしに見惚れちゃっていたのかしらぁ? いいわよ~? 存分にわたしのことを眺めてちょうだい? わたしの身体のいろ~んなトコロを隅々まで舐め回すように、カンキ君のその視線で、じっくり、たっぷりと、わたしのことを犯すようにしながら、好きなだけ……ね?」

 

「っ…………心頭滅却すれば火もまた涼し……」

 

 危なかった。油断していたら警察に捕まっていたかもしれない。

 

 夏の熱気に晒された空間の中、自分は冷静さを取り戻すべく無の境地へと入り込む。

 だが、そんなこちらへとレダが豊満な乳を擦り付けてきたことによって自分は、己の身体に嘘をつくこともできずに、彼女の思惑通りに生理現象を起こしてしまっていたものだった。

 

 

 

 場所は変わり、登山スポットであるこの一帯に築かれた牧場へと自分らは訪れる。

 登山客を中心として、観光客などでも賑わう解放的なこの空間。共にして見受けられた牧場には、牛や羊、そして馬などの様々な動物が放牧されており、それらに触れ合えるサービスなんかも行われているのがこの観光地の特徴だった。

 

 また、牧場近くのお店では、搾りたての牛乳を使用した濃厚ソフトクリームなども売られていた。

 休憩がてら、牧場を眺めながらスイーツを堪能しよう。その話に至った自分らは店に並んでソフトクリームを購入し、それぞれ自分はバニラ味、レダはチョコレート味という二色のスイーツを手に持ちながら、付近のベンチに腰を掛けていく。

 

 そして、二人で並びながら甘美な甘味を食していった。

 途中、自分らは味の感想を交わしつつ、他愛ない会話を和気藹々と行っていく。と、その最中にもレダがチョコレート味のソフトクリームに口を付けていくと、そんな彼女の口元に付いたクリームを見て自分はそれを指摘していった。

 

「レダ、ここにクリームついてるよ」

 

「あらぁ? そう? ウフフ」

 

 こちらの言葉に対して、ただ微笑むだけのレダ。

 

 それでいて、指摘の後にも彼女は物欲しげな視線でこちらを見遣ってきたものだ。

 一体なんだろう。それを思って自分は首を傾げていくのだが、こちらの様子にレダは、クリームのついている口元を指差しながら無言で何かを訴え掛けてくる。

 

 ……まさか、『取れ』って言ってる?

 一瞬だけ脳裏によぎったその言葉。これに自分が躊躇うような視線を向けてしまうその中で、察しがついたのだろうレダは少しだけ寂しそうな顔を見せてくるなり、痺れを切らしたようにプイッとそっぽを向いて、口元のクリームを自身の手で拭おうとしていった。

 

 いや、ここは男として堂々とするべきか。

 自分は「レダ」と名前を呼んでいく。これに彼女は何気なく振り向いてきたものであったから、それに合わせて自分は彼女の口元を左手で拭っていき、「付いてたよ」と言葉を掛けながら、指に取ったそのクリームを自分の口に持っていった。

 

 一連の流れを見ていたレダは、これに対して「一回目で気が付けたのは評価高いけれども、そこで躊躇っちゃったから減点して五十点ってトコロかしらねぇ」とからかうような微笑で採点を行ってきたものだ。これに自分も「うわぁ、辛口だなぁ」と口にしつつも、口内に残ったチョコレート味に思わず「その味も美味しいな」と言葉にして彼女のソフトクリームを凝視してしまう。

 

 これを受け、レダは自身のソフトクリームを見遣るなりそれを差し出してきた。

 

「もっと、しっかり食べてみる? いいわよ?」

 

「え、いいの? それじゃあ一口……」

 

「一口だけじゃなくてもいいわよ~? カンキ君が満足するまで、思う存分に食べちゃってちょうだい?」

 

「え? いやいやいや、そうなるとレダの分が無くなっちゃうけど」

 

「気にしなくてもいいわよ? カンキ君が口にした分だけ、わたしもカンキ君のソフトクリームをいただくから」

 

 と言って、こちらが手に持つソフトクリームを見遣ってくるレダ。

 なるほど、そういうことか。彼女の意図を把握してから、自分もまたこの手に持つソフトクリームを彼女に差し出していく。

 

 それによって、双方のソフトクリームをお互いに差し出し合いながら食べさせるという、ちょっと変わったシチュエーションになったのだ。

 

 これにはレダ、意外そうな顔を見せながらも恍惚とした表情でこちらの目を見つめてくる。そんな彼女の合図を汲み取って、自分から切り出すようにその言葉を掛けていった。

 

「これでフェアになるかな」

 

「ウフフ、それじゃあカンキ君が先攻でお願いね?」

 

「なんか、面白い食べ比べになったね。それじゃあお言葉に甘えて、いただきます……」

 

 はむっ。レダのチョコレート味を一口食べていく自分。

 これを見て、レダもまた「じゃあわたしも、カンキ君のソフトクリームいただきま~す」と誘惑的に喋るなり、こちらの目をじっと見据えながらバニラ味を食べていく。

 

 とても刺激的な食べ比べになった。

 思わず高揚感が巡ってくるこのシチュエーションに、自分もレダも頬を赤らめながらお互いのソフトクリームを順番で食べていく。尤も、この後にもレダが悪戯で余分に多く食べてきたものであったから、自分もそれを仕返したりといったやり取りが繰り広げられたのだが。

 

 

 

 

 

 思っていた以上に観光を楽しんだ自分らは、疼いていた欲望さえも忘れ去る濃密なデートを満喫していた。

 

 二人で「楽しかったねー」と会話を交わしながら、本来の目的地である旅館へと足を踏み入れていく自分ら。そうして到着したレトロな雰囲気のそこでチェックインを行っていくと、自分らは二人用の部屋に案内されるなり即行で浴衣に着替えたものだった。まぁ、目の前でおもむろに服を脱ぎ出したレダには驚かされたものであったが。

 

 こうして浴衣に着替えた自分らは、夕食までに温泉を済ませておこうという話から別行動をとることになる。

 男湯と女湯の境目で別れた自分ら。これにより自分のペースで温泉を心行くまま満喫していった自分は、身も心も洗われた心地良い気分のまま旅館の廊下を歩いていた。

 

 廊下の窓越しに存在する、趣のある和風チックな木々の空間。今も歩く木造建築の廊下には旅館特有の香りが漂っており、公共のスペースとして設けられている休憩所やエントランスには、家族連れやカップルの宿泊客が穏やかな面持ちで過ごしている。

 

 これらの要素に、自分はほっこりとした気持ちで廊下を歩き進めていた。……というところで、その道中にも自分は浴衣姿のレダを見つけていく。

 

 共にして、私服姿の見知らぬ男女へと詰め寄るその光景に、自分は不思議に思いながらそちらへ駆け寄っていく。

 ……いや、自分はすぐにもその足を速めていった。遠目からでも分かる程度には、女性の方がレダへと怒りを露わにしている様子でいたためだった。

 

 二人の脇で困惑する男性というそれらの構図を見て、自分は履いているスリッパの音を響かせながらそちらに近付いた。

 と、こちらの足音に気が付いた三人。そうして彼女らが振り返ってくると、次にもレダは駆け寄ってきたこちらの腕に抱き付いてくるなり、魔性の微笑みで片方の男性を見遣りながらその言葉を口にしていったのだ。

 

「ウフフ、ザンネンだけれど時間切れみたいねぇ? わたしのカレが来ちゃったから、今日はここまでにしておきましょう?」

 

 なんだ、どういう状況だこれ。

 自分は思わず「レダ、これはどういった集まりなの?」と訊ねていく。すると次の時にもレダは、「イイオトコがいたものだったから、カンキ君が来るまでにカノジョから寝取っちゃおっかなぁ~って思ってただけよ?」と返してきたものであったから、これを聞いた時にも自分は背筋が凍るような思いをしながら、急ぎ彼女の代わりにカップルへと頭を下げていった。

 

「ほ、本当に申し訳ありませんでした!!! ウチの連れがとんだご迷惑をお掛けしたことを、なんとお詫びしたらいいか……!!! い、行くよレダ! 部屋に戻るよ!!」

 

「ウフフ、それじゃあまたねぇお兄さ~ん。さっき教えたお店でわたし働いているから、またそこで会いましょ~?」

 

「レダ!!! 行くよ!!!」

 

 洗い流した全身の汗が、嫌な汗となって再び噴き出してきたこのやり取り。レダの手を引いて部屋へ連れ戻そうとするこちらとは反対に、レダは悪びれた様子もなく、魔性の微笑みを浮かべながら手を振って男性へと別れを告げていたものだ。

 

 

 

 そんなことがありつつも、自分はレダと共に部屋へ戻るなり会食場へと向かう支度を始めていく。

 

 浴衣姿で向かった大広間。畳のそこで自分らを含めた宿泊客と顔を合わせていくと、広間に並べられた自分達のお膳まで二人で移動してから腰を下ろし、そこである程度と客の顔ぶれが揃ったところで夕食の時刻を迎えていく。

 

 目の前に並ぶ、海鮮と山菜の懐石料理。一口サイズの小さくて綺麗な料理が見受けられるその光景に自分とレダは、料理の味や見栄えなどをレストランであるLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)と比較しながらその会話で盛り上がっていった。

 

 その際にも、隣に座るレダへと振り向いている時間が長かったことから、自分は彼女の食べている横顔をしょっちゅう目にしていたものだった。

 

 ……温泉を済ませたばかりの、浴衣姿のレダという新鮮なその姿。元から魅惑的に思えていた褐色の肌は、温泉の効果で一層とツヤツヤしていたことでその輝きに高揚感を抱いてしまえる。

 

 また、会食という大勢の目に晒されたこの場においては、お行儀の良い振る舞いを行っていたレダの様子に思わず意識が向いていく。

 

 手を添えながら食事を行うお上品なその横顔。この場においてはあの魔性の微笑みを垣間見せることが一切なく、むしろ純粋な微笑や驚き顔、そして可憐なサマでこちらをじっと見遣ってくる彼女の姿は、新鮮にさえ思えてくる。

 

 別人ですか?

 思わずそう訊ねたくなってしまうほどの、静かで品性のある女性として映っていた彼女の姿。こうしておしとやかな淑女の一面を見せてきたレダを目撃するなり自分は、白鳥(しらとり)レダというホステスが兼ね備えている素の魅力にようやく気が付き始めたものでもあった。

 

 ……あれ、可愛いぞ……?

 美人である認識は今も変わらずに、今そこに存在しているレダは一般的な振る舞いさえも魅力的に思えてくる善良な市民そのもの。それでいて、笑った顔は女優のように爽やかであり、微笑んだ顔は天使のように可憐であり、そして喜んだ顔は純粋無垢そのもの。

 

 下手すれば、こちらの姿でいるレダの方が好みかもしれない。

 本人には失礼になるかもしれないが、割と本気でそれを思い始めた自分がレダに見惚れてしまっていた時のことだった。

 

 箸を片手に、ボーッと彼女の横顔を眺めていく。と、その視線に気が付いたレダはこちらへと顔を寄せてくるなり、可憐な微笑みを浮かべながら耳元でそれを囁いてきたのだ。

 

「わたしのこと、本気で惚れてくれてもイイのよ? 何だったらこの同伴の後、二人で婚姻届でも出しに行っちゃおうかしら? な~んて」

 

 うっ。

 耳から行き届く、知能が蕩ける甘美の響き。これに、思わず脳内で最高潮を迎えた自分が脳内で快楽に浸っていると、そんなこちらの情けない様子にレダは一瞬だけ魔性の微笑みを見せてから、再びおしとやかな淑女となって夕食を堪能していたものだ。

 

 

 

 

 

 夕食を終えて、部屋に戻ってきた自分ら。既に敷かれていた布団に二人でゴロゴロと寝転がっていく中で、もう一度だけ温泉に行こうという話になったことから再び別行動を行っていき、それぞれ湯を堪能していく。

 

 尤も、先の件もあったことから自分は気持ち早めに温泉を後にしていたものだった。

 しばらくして女湯から出てきたレダと合流した自分。そして二人で部屋に戻っていくと、満腹で風呂上がりという寝るのに適した最高な条件が揃っていたことから、自分らは子供のように布団へ飛び込んで就寝の準備を進めていった。

 

 そうして、消灯した部屋の中で静寂に包まれたこの空間。自分はこの暗がりに覆われるなりすぐにも眠気で意識が無くなっていくのだが、その朦朧とした意識の中でふと、隣からもぞもぞという音が聞こえたことでそちらへ振り向いていくのだが……。

 

 ……その時にも、鼻先が触れ合う距離にまで迫っていたレダの顔。

 こっちの布団に入ってきてる……!? 思わず驚きで目を覚ました自分の様子にレダは、子供のような悪戯な笑みを浮かべてきたものだ。

 

 それに加えて、こちらの身体に手を伸ばしてきた彼女。そして、その手でこちらの横腹や背中、脚や股間などを撫で掛けながらそれを喋り出してくる。

 

「ねぇ~カンキ君、これで終わりじゃないわよねぇ? せっかく二人きりになれたんだから、もっと親密な交流を深めていきましょうよぉ?」

 

「レダ……ここは旅館だから、近隣の迷惑になりかねないって……!」

 

「んもぅ、そんな獣のような激しいコトをしなければいいだけじゃない」

 

 浴衣という防御力の低いこの服装に、レダの手が容易く侵入してきたこの状況。

 

 そして、興奮気味だったこちらの“ソレ”を直で撫で回しながら、彼女は囁くように言葉を掛けてきたのだ。

 

「カンキ君、今日の同伴はすっごく楽しかったわぁ。わたしも今までいろんなオトコと同伴してきたけれど、こんなに楽しいと思えた同伴はカンキ君が初めてかもしれないの」

 

「そ、そういうもん、なのかな……あっ、レダっ、そこはヤバい……っ」

 

「こんなにも楽しいと思える同伴だったんですもの? だから、わたしまだ眠りにつきたくなんかないのよ。……だって、ここですぐに眠っちゃったら、その分だけカンキ君と二人きりで過ごす時間が少なくなっちゃうでしょ……? 寂しいわ、そんなの。わたしはもっと、カンキ君と一緒に居たいだけなんだからぁ……」

 

「そ、それじゃあ、また……二人で同伴を、すれば、いい……っ」

 

 慣れた手つきで、“コチラ”を弄んでくるレダ。加えて耳元から掛けられたそれらのセリフに自分は、より一層ともたらされた刺激と快感によって息が荒くなり始めてしまう。

 

 すごく、やばい。もう、我慢できない。気持ち的な意味でも、感覚的な意味でも。

 最大限にまで高揚した気分が“ソレ”に反映されていく。かつ、それをレダは躊躇うことなく握りしめてくるものであったから、自分は今世紀最大のピンチに悶えるよう身体をうねらせながら、抵抗としてレダへとその手を伸ばしていった。

 

 そして、防御力の低い彼女の浴衣へと手を侵入させるなり、自分もまたレダへと直のお触りを行っていく。これを受けてレダは、こちらの耳元で「あぁんっ」と艶めかしい声音を悩ましく上げていったのだ。

 

 自分は自分で必死に声を堪えつつ、しかし限界を迎えつつあるこの状況において、精いっぱいの力を振り絞った余裕の無い反撃でレダの“ソレ”を弄んでいく。

 ……それにしても、羽毛のようにふかふかだ。敢えて残しておきながらも、”コレ”を前提とした手入れが隅々まで行き届いている辺りに、本職とも言える意識の高さをうかがえ……。

 

 ……あ、”ソコ”の手触りを意識したら、もう。

 

 静寂に包まれた暗がりの中、自分は堪らずレダへと抱き付いていく。

 そして、迎えた最高潮の時。以前にもメーに迎えさせたあの時の感覚を、今度はレダの手によって自分が達することに……。

 

「うっ、ッ……」

 

 ……脳内麻薬。共にして、下の感覚に違和感が生じていく。

 

 とうとう、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスとここまで至ってしまった。

 何も考えられない。この感覚で無気力に寝転がる自分の脇では、レダがもぞもぞと動いてはティッシュ箱を持ってきて、こちらの世話を最後まで焼いてくれていく。

 

 その間も彼女は、ボーッとするこちらの様子を恍惚とした表情で眺めていたものだった。

 ……次は、自分が……。口にすることができなかったこの言葉を最後にして、自分は力尽きるように深い眠りへとついてしまった。

 

 

 

 

 

 朝を迎えた時には既に、隣のレダが上半身を起こした状態でこちらの起床を眺め遣っていた。

 

 目を覚ましたこちらに対して彼女は、魔性の微笑みを浮かべながら「おはよう、カンキ君」とからかい気味に声を掛けてくる。

 

 これを受けて自分はすぐに身体を起こしていくと、次にもレダの肩へと腕を回していっては彼女を抱き寄せて、唐突なそれに「あっ」と端的な声を出したレダの口をキスで塞いでいった。

 

 ……二度と離さない。断固たる決意の下で行った力強い口づけ。これにレダは驚きで目を見開いていくのだが、しばらくして彼女もまた受け入れるように目を閉ざしていくと、こちらが動かす唇に合わせてレダもキスに集中することで、五分近いその時間の間ずっとその唇を重ね合わせていたものだ。

 

 融解するように、ほろっと離れた互いの唇。それと共に暫し二人で見つめ合っていくと、自分はレダを抱き寄せていた腕を優しく離していき、その後も暫し蕩けた表情を見せていた彼女を見遣りつつ、自分はその場で立ち上がりながら、彼女へとその言葉を投げ掛けていったのであった。

 

「……チェックアウトの前に、朝風呂に行っておこう。誰かさんのおかげで、もう一度だけ入り直すハメになったからね」



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第21話 être plongé dans l'obscurité 《闇に染まる》

 夜のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に訪れていた自分は、この日にも“新顔”としてデビューする新人ホステスを待っていた。

 

 最初の相手は自分がいい。

 先日から、緊張感を帯びた声音でそれを口にしていた“少女”。会う度に隠せないプレッシャーで圧し潰されそうになっていた彼女の様相は、敢えて乱した学生服からは想像できないほどの純粋な心をうかがえたものでもあった。

 

 そうして自分が二人用の席で待っていると、直にもコツコツと靴音を鳴らして近付いてきたその気配。これに自分は振り向いていくと、その視線の先には黒色のタキシードを身に纏った蓼丸菜子が立っていた。

 

 百六十二ほどの背丈である少女は、黄色のシャツを着てこちらに姿を現した。かつ、腰丈程度の茶髪ロングヘアーという見た目はそのままに、不良を気取る鋭利な顔つきがプレッシャーで歪みに歪んでいる。

 

 もっと、もっとリラックスして……! あと、自然な笑顔を……!

 思わず、内心でアドバイスを呟いてしまった自分。もはや応援さえしてしまえるその緊張感に、心の中で「大丈夫だから! 菜子ちゃんホステスに見えるから!」と声援を送りながらその少女に言葉を掛けていったものだ。

 

「や、やぁ、こんばんは」

 

「…………っ」

 

 あ、これ緊張しすぎて声を出せないでいるのかも。

 察しがついてしまえるほどの強張った顔。強張りすぎて、彫刻の女性像のように彫りの深い目元や口元で少女はこちらを見つめてくると、そこから微動だにしない様子から、自分は手で向かいの席を促しながらそれを口にしていく。

 

「まぁ……取り敢えず座る……?」

 

「…………っ」

 

 コクッ。

 首だけは縦に動かせた少女。これに自分は内心でホッとしながら彼女の動向を見守っていくと、そうして向かい合う形でイスに座った少女と、テーブルを挟んだこの状態で自分からそれらを先導していった。

 

「あー……まずは、どうも。改めまして、柏島歓喜です。……どう? 名乗れる?」

 

「…………っ」

 

「大丈夫。今日の相手は俺だから、自分のペースでゆっくりやっていこう。ね?」

 

「…………ッ」

 

「じゃあ、まずは飲み物でも飲もっか? ここでは、飲み物のことをドリンクって言ってるんだよ。主にお酒が多いんだけど、大丈夫、ソーダや烏龍茶とか、未成年でも飲めるドリンクもちゃんと揃っているから安心して頼んでね」

 

「…………うん」

 

 すごく硬い声音の返事。

 しかし、喋れるようになっただけでも大進歩だった。これに自分はドリンクのメニューを少女に差し出しながら「どれにする?」と問い掛けて、彼女もまた無言ながらも普通の水を指差したことで何とかやり取りを行っていく。……いや、それでも普通の水を頼む辺り、だいぶ余裕が無さそうではあるけれど。

 

 そして、彼女に合わせるように自分も水を頼む形でボーイを呼び、それらをオーダーしていった。

 客とホステスの両方が水を頼むだなんて、滅多に無いことだろう。このオーダーにボーイはとても不思議そうな顔を見せながらもスタッフ室へと戻っていき、これに自分はホッと一息つきながら少女へと向かい合って、穏やかな声音でそれを問い掛けてみた。

 

「どう? 少しは緊張ほぐれた?」

 

「…………ムリ」

 

「大丈夫だよ。今日は俺を相手に、この環境に少しずつ慣れていこうね」

 

「……うん」

 

 縮こまるような姿勢で座る菜子。そんな、見ているだけで守りたくなってくる不良少女に自分は頷く素振りを見せていきながら、すぐにも届いた水のコップを手に持って彼女へとそれを促していく。

 

「まずは乾杯でもしよ? ここのホステスになれたお祝い」

 

「……わかった」

 

 そう言って、水の入ったコップを手に持った少女。それでいて、恐る恐るといった視線を向けてくる彼女に自分からコップを差し出していくと、これに少女も応える形で少しだけコップを近付けて、カチンと音を鳴らしていく。

 

 甲高いガラスの音と共に、自分は「乾杯」と口にした。

 そして、緊張する少女もまた強張った口元で「……乾杯」と小さく言葉を返してくれたのだ。

 

 

 

 

 

 煌びやかな装飾と、色気づいた雰囲気を売りとする夜の世界。今も男性諸君の愉快げな笑い声が響いてくるこの空間において、自分はホステスとなった菜子に軽い雑談を持ち掛けていった。

 

「二週間程度の研修があったんだっけ。どうだった? ここでやっていけそう?」

 

「……なに、アタシのことなめてるの?」

 

「なめてないよ。心配してる。親戚としてもね」

 

「……ホント、そういうのいいから」

 

「何かあったら相談していいからね。俺もよくラミアやメーの愚痴を聞いてるから、遠慮はしないでいつでも頼って」

 

「……別に、アンタを頼らなくてもやっていけるし」

 

「そっか、それなら良かった。思ってたよりも余裕ありそうで安心したよ」

 

「え? あ、いや……」

 

 どこかもじもじした様子の菜子。これに自分が首を傾げて不思議に思っていく中で、彼女はムスッとした不機嫌そうな顔をしながらも上目遣いでそれを喋り出してきたものだ

 

「……もうちょっと心配してくれても、い、いいんじゃない……?」

 

「え? あー、ごめん……?」

 

「べ、別にアンタの心配なんかいらないけど……でも、なんかさ、その……き、気に掛けてもらえたら、う、嬉しい……とか……思ったりして……?」

 

「大丈夫? やっぱり緊張してる?」

 

「そ、そうじゃないっ!!! いやそうだけどっ!!! そうじゃないっ!!!」

 

 ??????

 自分、年頃の女の子と話すことには慣れていないなぁ……。と、内心で呟きながら「ごめんね」と謝っていく。そんなこちらの様子に菜子は「あ、謝らなくてもいいからっ!!」とそれはそれで突っ込まれたものだから、自分は頭を掻くようにしながらそれを訊ね掛けていった。

 

「……ところでさ、源氏名ってもう決まっていたりするの?」

 

「源氏名? ……あー、このお店で働いている時の名前のこと、だったよね?」

 

「そう。ラミアもメーもみんな本名じゃないように、このお店では専用の名前で働く決まりになっているらしいからね。だから、お店で本名を口にするのもなんか(はばか)られるし、源氏名が決まってるのならそっちで呼びたいんだけど、どうかな?」

 

「あ、だから名前呼んでくれなかったんだ……」

 

「ん?」

 

「な、なんでもないっ!!!」

 

 気難しい。

 再びムスッとして頬を膨らませた菜子。これに自分はまたしても首を傾げてしまうのだが、そんな流れを自ら変えるように少女からそれを喋り出していく。

 

「……まだ決まってない。源氏名」

 

「そっか。なら、ここで一緒に考えようか?」

 

「アンタと?」

 

「あー、でも俺に決められるのは嫌か……」

 

「え、別に……」

 

 思った以上に会話が進まない。

 お互いに何かやり辛そうな顔を見せていくこの空間。それでいて、お互いがお互いを期待してしまっているのだろうか、互いに目を見つめ合っては催促し合う状況が続いていく。

 

 無言の譲り合い。何やら駆け引きじみた流れになって、尚更と慎重になってしまう彼女とのやり取り。そんな気まずい時間が暫しと続いたものであったからなのか、これを外野で見ていたのだろう“タキシード姿のボーイ”がふらっと現れては、不敵な声音でありながらもまるで助け船の如くその言葉を掛けてきたのだ。

 

「心理戦の真っ最中? 青春してるね」

 

「あぁ、クリス」

 

 自分が彼の名前を口にして、菜子もそちらへと振り向いていく。

 共にして、少女は渋い表情を見せていったその相手。それもそのはずで、採用面接で散々と銃をチラつかせていた彼に対する印象は最悪とも言えたことだろう。

 

 尤も、少女の渋い顔もクリスは全く気にしない。それどころか、土器のような質感である灰色の肌で不敵に微笑みながら、暗めの赤い瞳と長めのまつ毛で菜子へとその言葉を投げ掛けていく。

 

「源氏名の付け方は研修で習ったハズだけど、果たしてそのルールは今も覚えているものかな?」

 

「な、なに? あ、アタシをバカにしてるワケ……っ?」

 

「君をバカにしたところで、僕に何の得があると言うのだろうか? 君という女王蜂を刺激したところで、君が使役する雄蜂の群れが襲いに来るわけではない。つまり君は無害なんだ。僕が求めるのは巨大化したハチの巣そのもの。そこからわらわらと飛び出してくる蜂の群れを予感することで初めて僕は、相手を刺激するために愚弄の言葉を口にするって心から決めているんだ。だから、変な言い掛かりはしないでくれるかな? さもないと、僕がユノに苦言を呈されるハメになってしまうからね」

 

「え、う、うーん……っ??」

 

 ドン引きとかの感情ではなく、ただただ困惑のままに眉をひそめていった菜子。

 すごくやり辛そうにする少女の様子に自分は、「クリスはバカにしてるわけじゃない……らしい……?」と付け加えていく。

 

 それを聞いた菜子が「そ、それならまぁ……」と戸惑った様相で答えていく最中にも、クリスは少女を不敵に見つめながらそれを喋り続けてきたものだ。

 

「“神話が由来であること”。それが、源氏名を付けるにあたってのルールだよ。それは神様本人だったり、神様が使っていた道具だったり、神様以外にも天使や悪魔、地名や怪物だったりの、“神話関連に登場する名詞”を由来にした源氏名を付ける決まりになっているんだ」

 

 あ、ちゃんと説明してくれるんだ。

 内心でそんなことを呟いていく自分。一方で、彼の説明にイマイチな反応を示した菜子が首を傾げながらそれをクリスへ問い掛けていく。

 

「それがよく分かんないんだけど……なに、神様は神様じゃないの?」

 

「君それ、カツ丼やホルモン焼き、チキン南蛮や生姜焼きのことをすべて肉料理と呼んでいるようなものだよ」

 

「え、えぇ、でもそれだってぜんぶ肉料理じゃん……。何がどう違うの……?」

 

 本気で悩ましく口にした菜子の返答。これにクリスは少女を指差しながらこちらへ向いてきて、不敵な声音で「彼女、すごく面白いね」と言葉を投げ掛けてきた。

 

 頼むから、菜子ちゃんに変なことしないでくれよ……。

 彼が纏う不穏さから、それを内心で切実に呟いた自分。と、これと共にしてクリスという名前に疑問が湧いた自分は、名前の話題からそんなことを彼へ訊ね掛けていった。

 

「名前の由来で思ったんだけど、クリスって名前はどんな名詞から来ているものなの? あー、ほら。クリスの名付け方がさ、彼女の名付けの参考になるかもしれないからさ」

 

 彼へと問い掛けたその言葉。これにクリスは不敵に笑みを浮かべていくと、しかし割とまともにそう答えてくれたものだった。

 

「“メルクリウス”。それが、僕の名前の由来だよ」

 

「メルクリウス?」

 

「盗賊や商人、科学や錬金術を守っていた神様。商業の神とも言えるかもね。他にも、アルファベットや天文学などの様々な知恵を人間に授けたとかも言われていたかな。あとは、ヘルメスって神様と同一視されているみたいだね。君的にも、ヘルメスって名前の方に馴染みがあるんじゃないのかな」

 

「あぁ、ヘルメスって名前ならよくゲームで使われているような……?」

 

「登場する神話が違えども、メルクリウスって名前はそのヘルメスって神様の別名って認識で良いと思うよ」

 

 すごく親切に教えてくれた。

 クリスの名前の由来に自分は、「なるほどなぁ……」と呟きながら頷いていく。一方で彼の説明を聞いていた菜子は、「アルファベットも天文学も人が作ったものでしょ? そもそもとして神様なんているわけないじゃん」と元も子もないことを口にした。

 

 これにクリスは、不敵な笑みを浮かべて少女を見遣っていく。

 ……彼を刺激したくないな。クリスの様子を見た自分はそんなことを思って、急ぐようにスマートフォンを取り出してから二人に割り込むようにそれを菜子へ手渡していった。

 

「と、とにかく!! 今は源氏名を考えていこうか!! ほら、神話に関するホームページを開いておいたから、ここから探してみてよ!!」

 

 自分から端末を受け取った菜子。手渡されたそれを持ちながら、少女は「ん、ありがと……」とお礼を口にしてその画面に注目し始める。

 

 暫しとページを流していった彼女の指。しかし、目につく名前がどれも独特な響きを持っていたことから、菜子は難しそうな顔をしながら眺め遣っていたものだ。

 

 そんな少女の様子を、自分とクリスが見守っていた時のこと。

 ふと、菜子の指がピタッと止まった。そして次にも少女は、画面を注目しながらそれを喋り出していったのだ。

 

「あ、これでいいかも。“アテーナー”、だって。戦いの女神とか書いてある。なにこれカッコいいじゃん」

 

 アテーナー?

 ヘルメスと同様に、どこかで聞いたことのある名前。それを耳にした自分もまた、食いつくように身を乗り出しながら菜子へと言葉を投げ掛けていく。

 

「アテーナーって、アテナと一緒かな」

 

「アテナって呼ばれたりもしてるみたい。芸術や工芸、戦いを司る? とか、なんかよく分かんないけど凄そうでいいじゃん。あと、アイギスって名前の盾とかも持ってるみたいだし、アルテミス? とか、ヘスティアー? とかいう女神とおんなじ処女神…………」

 

 ……口に出してから気が付いたその言葉に、菜子は一人で顔を赤く染めて黙りこくってしまった。

 

 とてつもなく恥ずかしい。そんなセリフが伝わってくる俯き。

 不良系の格好を好んでいながらも心は純粋なその様子に、自分も声を掛けにくいなと気まずく思って口を閉ざしてしまう。だが、恥ずかしがる菜子にもお構いなしなクリスは、少女を不敵に見遣りながらそれを喋り出していったものだ。

 

「アテーナーは、“ミネルヴァ”という神様と同一視されているみたいだね。ミネルヴァという神様も、知恵や工芸、そして戦いや魔術を司る戦争の女神として扱われているらしいよ」

 

 クリスの解説に菜子は、「ミネルヴァ?」と言葉を返して暫し考えを巡らせていく。

 

 そして直にも少女は、決心した表情でその顔を上げてきた。

 

「……決めた。アタシ、“ミネ”って名前でやっていく」

 

 定まったのだろう源氏名。これに自分は、「ミネ?」と聞き返していく。

 そして、菜子もまたこちらの疑問形と向かい合うように視線を真っ直ぐ向けてくると、次の時にも彼女は、一切の揺らぎを感じさせない真剣な眼差しでそれを説明してきたのだ。

 

「アタシ、お姉ちゃんのように強くて頼れる、真っ直ぐな存在でありたい。今までもそんな気持ちで生きてきたつもりだったんだけれど、この気持ちをこの先もずっと忘れないようにするためにさ、これからはこの気持ちを、自分の名前として名乗っていきたいなって思えたの。……強くて、頼りになって、安心できる存在。これって、戦争の神様と通ずるものがあると思わない? 少なくともアタシはそう思えた。だからアタシは、その神様の名前を借りることに決めた」

 

 ……菜子ちゃんの成長をひしひしと感じられた瞬間だった。

 思わず、成長したねと頭を撫でたくなってしまったこの感動。尤も、菜子とは実の親戚である故に、そう思えてしまっても何らおかしくはなかったことだろう。

 

 それでいて、少女の決意を脇で聞いていたクリスもまた、彼女へとその言葉を掛けてきたのだ。

 

「驚いたね。源氏名に決意を込めたホステスは、君が初めてなんじゃないかな。その心意気を僕は高く評価するよ、ミネ」

 

「もう、アンタのことも怖くなんか無いから。この名前に、お姉ちゃんの勇気が宿っているのを感じられるの。だからもう、拳銃を向けられたってそれを奪い取るくらいの覚悟でいるから、そこんとこよろしく」

 

「ふふっ、心強いね。君のようなボディーガードが増えたことは、柏島オーナーの息子さんとしても喜ばしいかぎりなんじゃないかな」

 

 流し目でこちらを見遣ってくるクリス。それを受けて自分は「ボディガードはともかく、彼女の成長を間近で見られたことは素直に嬉しいね」と返していった。

 

 こちらの言葉にミネは、「なめないでよ」と鋭くツッコんでくる。これには自分も「ご、ごめん」と謝罪していったその脇で、クリスはミネへと向きながらこの言葉を投げ掛けていったのであった。

 

「短期間で見違えるほどの進化を遂げたミネの姿勢に、僕は敬意を表するよ。これで後は、接客に慣れてもらうだけでみんなは安心するだろうね」

 

「う…………。せ、接客もこれから頑張るんだから……っ!!!」

 

 

 

 

 

 何はともあれ、この日にも菜子の源氏名が定まった。

 クリスのおかげとも言えるだろう、先までのやり取り。そんな彼が去った後にも自分は、ミネの接客の練習として閉店時間まで少女の相手を務め上げたものだった。

 

 そして迎えた、閉店の時刻。店の中の客もだいぶ減り、お店のスタッフも閉店準備に取り掛かり始めたこの空間の中で自分は、ミネの疲れ切った様子からその言葉を投げ掛けていく。

 

「ミネ、今日はもう閉店になるからここまでにしよう」

 

「ま……まだ……やれる……。まだ、やれるんだから…………っ」

 

 強気な顔を見せながらも、しかし疲労困憊といった具合にウトウトとした眼を向けてくる少女。振り子のように左右へ揺れるその身体も、既に体力の限界を思わせる。

 

 ミネの様子を見て自分は席を立ち、彼女に寄り添ってから肩を優しく叩いていく。

 それでいて、「今日は本当によく頑張ったから、あとはゆっくり休もうね」と声を掛けていきながら、自分は褒めるようにミネの頭を撫でていった。

 

 ……これによって少女は、こちらの懐に寄り掛かるなりそのまま眠りにつくよう目を瞑っていく。

 十分に頑張ったよ。今日はお疲れ様。その言葉を何度も呟いて、彼女へと聞かせていった自分。こうして初めての接客に全力を尽くしたミネを労わっていると、直にも無数の足音が響いてくるなり四人のホステスがこちらの様子を見に来たのだ。

 

 それぞれ、ラミアとメー、ユノとレダ。本日は全員が出勤していたこの店内にて、タキシード姿である面々が「お疲れ様」などの挨拶を投げ掛けてくる。

 

 これらに自分も会釈で反応していく中で、ユノが凛々しい微笑みでそれを喋り出してきた。

 

「柏島くん、今日は彼女の接客に付き合ってくれて本当にありがとう。意識が朦朧としてしまっている本人に代わって、私から感謝のお礼を述べさせてもらうわ」

 

「いえいえ、そんな。俺もミネに楽しませてもらいましたし、練習相手でも何でもいいので、またいつでもお呼びください。皆さんに命を守ってもらっている分、俺も皆さんのお手伝いに喜んで馳せ参じますから」

 

 ミネの頭を撫で続けながら、抱える彼女を見遣りつつその返答を行った自分。

 

 と、ミネという言葉にメーが「ミネ??」と聞き返してきたものであったから、そう言えば彼女らは知らないんだったと思った自分は、菜子に代わってその源氏名の説明を一通り済ませたものだった。

 

 その際にも、少女の決意も一緒に説明した自分。これには彼女らも感嘆するように「ほえー」、「ほほーん」、「へぇ~」、「さすがね」などの返答を飛び交わせたところで、直後にもこちらを目指す靴音が鳴り響いてくる。

 

 百八十八くらいの背丈であるそのシルエット。頭部の七割が金髪のショートヘアーで、残る三割が黒髪の刈り上げというイカした髪型でサングラスをかけているその男性は、灰色のスーツに黄色のYシャツという格好で陽気に言葉を投げ掛けてきたものだ。

 

「くぅ~!! なんて意識が高い健気な女の子なんだろうか!!! 他のみんなにもよぉ、ミネちゃんのような気高い意識を持ってもらえればよぉ、オレちゃんも経営に困ることなくラクができるってモンなんだけどなぁ~」

 

「あ、荒巻オーナー……」

 

 自分が口にした彼の名前。そんな彼の声に一同が振り返っていく中で、ラミア、メー、レダ、ユノの順で彼女らがそれらの言葉を荒巻へと返していく。

 

「あ、オーナーさんどーもー。言っておきますけど、ウチからしましたらオーナーさんが一番意識低く見えてるんで、先ほどのお言葉はもう一度、鏡と向かい合って呟かれた方がイイと思いますよ??」

 

「それ、オーナーが語っちゃう? 今まで散々女たらしをしてきたそのツラで、よくそんなことが言えるよね。私達は遊んでばかりのオーナーと違ってまともに商売してきてるんだから、オーナーはまず社員同士の比較じゃなくて、働かされている私達を敬うところから始めてもらいたいんだけど?」

 

「あらぁ、二人とも辛辣ねぇ~。みんなでこぞって痛めつけてしまったら、女の子が相手とはいえさすがのオーナーも萎えちゃうわよ? もしこれで勃起不全にでもなっちゃったら、オーナーの生き甲斐が無くなっちゃって可哀相だわ。……あら、ウフフ。ごめんなさい、オーナーはむしろ女の子からの罵倒で興奮するタイプだったかしら? じゃあやっぱり、遠慮は要らないわね」

 

「汚らわしいわ。即刻消えなさい」

 

 容赦が無さすぎる。

 怒涛のラッシュに、聞いている自分が萎えてきたホステスらの本音。だが、一方として言葉をぶつけられた荒巻は「ぐほぁッ!!! な、なんてパンチの利いたお出迎えなんだろうか……!!」と冗談めかした調子で喋り出し、満更でもない様子で大げさに仰け反ってみせていた。

 

 いや強すぎる。

 内心で呟いた自分。その光景に思わず変な汗も出てきたものであったのだが、かと思えば荒巻はスンッ……と無表情の直立になりながらそれを口にしてきたのだ。

 

「でだ。まずは、ミネちゃんのホステスデビューをお祝いするとしよう。おめでとう!!! うちの店に新しいスタッフが来てくれるのは、何だかんだで久々でな。それも、最近は不祥事やら事故やらで働き手が減少傾向にあったモンだからよぉ、オレちゃんスタッフが増えた久々の嬉しさに、デビューしたミネちゃんの様子を直々に拝みに来てしまったモンではあるんだが……」

 

 と、喋りながらも向けた視線の先には、こちらの懐で眠りにつく少女の姿が存在していた。

 

 疲れ切った彼女を見て、荒巻は顎に手を添えながら言葉を続けてくる。

 

「でもまぁやっぱり、カタギの人間にぁ“この世界”はちとハード過ぎるよなぁ~。それが、どんなに覚悟を決めていたとしてもだ。……ミネちゃんも過酷な環境を切り抜けてきた人生ハードモードの経験者とは言え、“こちら側”でしか生きられない(さが)を背負った“本物達”と比べてしまうとやはり、ミネちゃんも所詮は常人に過ぎないということなんだろうな」

 

 一体、何の話をしているんだろう。

 不思議に思った自分が、「それって、どういうことですか……?」と恐る恐る荒巻へ訊ね掛けていく。すると彼は淡々とした調子で、「ミネちゃんは幸福で肥え過ぎている。つまり、場違いの人間ってコトだな」と返してきたのだ。

 

 菜子ちゃんも、孤独や喪失といった様々な過去を経由してきた人間だ。しかし、そんな少女でさえも“幸福で肥えている”と言われるこの空間に、自分は戦慄を覚えたものだった。

 

 ……それじゃあ、ラミアやメー、レダやユノはどんな人生を歩んできたというのだろうか。

 改めて、“此処”がアンダーグラウンドの世界であることを思い知らされた気がした。これに自分は言葉を失っていくその中で、ふと荒巻はユノへとそれを喋り出していく。

 

「でだ、ユノちゃん。オレちゃんが此処に来たもう一つの理由がだな……」

 

「“新規スタッフの歓迎会”、でしょう?」

 

「さっすがユノちゃん!!! 我々Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)は、新規のスタッフを歓迎する心を大切にしてきているモンだからな!! じゃあやっぱ今回も、この恒例行事は欠かせないっしょ!!」

 

「えぇ、だから既に仮のスケジュールを組んであるわ。ここに軽くまとめてあるから、いま確認してちょうだい」

 

「さっすがだぜユノちゃぁん!!! いや、ユノ様様だなぁ!!」

 

「無駄口は不要よ。さっさと目を通しなさい」

 

 ユノから手渡された手帳。それを荒巻は指を鳴らしながら受け取っていくと、陽気な笑みを浮かべながら「ほっほ~い」と返答して目を通し始めていく。

 

 一方として、自分は彼女らの話についていくことができていなかった。

 新規のスタッフを歓迎する恒例行事? これを近くにいたラミアへと訊ね掛けていくと、ラミアは両手を身体の後ろにやった立ち姿のまま振り返りながら、いつもの適当な調子でそう説明してくれたのだ。

 

「あーハイ、そーです。ウチらのお店、新規のスタッフさんが入ってきた際には歓迎会をするってしきたりがありましてですね。カンタンに説明いたしますと、長期休暇が与えられた親睦会のようなイベント、って認識でよろしいでしょうねー」

 

「長期休暇が与えられた親睦会?」

 

「ハイ、そーです。コチラの歓迎会ではなんとですね、有給とは別に、出勤扱いとなる休暇が与えられるワケなんですよ。つまりですね、ウチらのお店では、『季節に応じたバカンスを、お給料を貰いながら堪能するコトができる』という夢のようなイベントが、新規スタッフ加入時にも催されるしきたりになっていたりするんですよねー」

 

「バカンスを満喫している間に給料が入るのか……控えめに言って神だな」

 

「そーです。神です」

 

 自分とラミアは二人で深々と頷いていった。

 ただ、そんな自分らへとメーが寄ってくると、佇んでいるラミアの肩に右腕を回して寄り掛かりながら、勝気な調子でボヤくようにそれを口にしてきたのだ。

 

「でもねぇ、その歓迎会に参加できるのって基本、上層部の連中だったり売り上げ上位のホステスだったりで、私達のような一般的なホステスは基本、歓迎会に参加させてもらえなかったりするんだよね~」

 

「その歓迎会ってやつは、人数制限がある感じなの?」

 

「人数制限っていうか、実力者だけに許された究極のご褒美、ってカンジ~。同行するメンバーなんてあみだくじで決めればいいじゃんって感じなのに、も~本当まぢやってらんない。あーあ、私も歓迎会に参加してみたいなぁ」

 

 と言いながら、ラミアに寄り掛かったメーはそのままこちらへと身体を倒してきた。

 

 ラミアと共にこちらへ乗りかかってきたメーに、自分は上半身で二人を受け止めるように腕を広げていく。

 それでいて、脇にいる寝ぼけまなこのミネも抱えるようにしながら、自分は三人のホステスを支えるようにしてその場に留まり続けていた時のことだった。

 

 スケジュールがまとめられているのだろう手帳から顔を上げた荒巻。そして彼がこちらへと向いてくると、今もわちゃわちゃしている団子状態の自分へと陽気にその言葉を掛けていったのであった。

 

「スケジュールに不都合は無し。よぉ~し!! っつーコトで決まりだな!! じゃあカンキちゃん。その調子で歓迎会でも、ホステス達の面倒は頼んだぜ!!!」

 

「え? は、え?? はい?? 歓迎会??? え、俺がですか??」

 

「ユノちゃんの推薦の下、歓迎会をマネジメントするマネージャー役として特別に、外部の人間であるカンキちゃんが選抜されたワケだ!!! っつーワケでカンキちゃん、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスのマネージャーとして、ここはひとつよろしく頼むわ!!」

 

「え、マネージャー?? マネージャー!? え、俺がですか!? あの、マジですか??」

 

「マジじゃなくて、マネジなっ」

 

「いやそうじゃなくって……!!!」



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第22話 Un service passionné 《熱烈なサービス》

 燦々と輝く太陽の下、一台の白い車が海沿いの道路を颯爽と駆け抜ける。

 

 そこに乗車する自分は、助手席に座って“彼女ら”の旅に同行していた。

 

 運転するユノを始めとしたいつもの面子。八人乗りのそれにはラミア、メー、レダ、ミネの四人が乗っており、特にラミアとメーの二人は真ん中の席で、高揚感のままに騒ぎながら他愛ない会話を行っていたものだった。

 

 この場にいる全員が夏服という、季節に合わせたその格好。それぞれ、ラミアは裾を結んだ赤と青のボーダーTシャツに紫の短パン、メーは白色のへそ出しショート丈トップスに七分丈で紺色のパンツ、レダはいつもの赤みがかった鼠色のノースリーブワンピースで、ミネは茶色のTシャツに青色のオーバーオールというファッションをしている。

 

 ユノも、いつもの赤色のシャツに黒色のバイクパンツという外見で、自分もまた黒と白とオレンジが入り乱れる半袖のアウターに白色のTシャツ、そして暗い青色のボトムスに腹部に巻き付けたベルトのような黒色のアクセサリーという一式をしていた。

 

 そんな一同は今、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の新規スタッフの歓迎会となる特別なイベントでバカンスに訪れていた。

 

 季節によって行き先が変化する、給料も発生する長期休暇。まるで夢のようなそのイベントに、マネージャーとして強制的に参加させられた自分も混じることによって、この日にもバカンスの初日を迎えていく。

 

 走る車の中では、真ん中の席で外の景色を撮影するラミアとメーが大はしゃぎ。ずっと窓に張り付いてスマートフォンを構えている彼女らの傍らには、後ろの席で逆ナンパの教えを説くレダとそれを聞いているミネという図が展開されている。

 

 各々が既に休暇を満喫しているその手前の席にて、助手席にいる自分は運転席のユノへとそれを話し始めていった。

 

「なんだか、見慣れたメンバーでのバカンスになりましたね。事前の話によれば、こちらの歓迎会はどうやら成果を出しているホステスが選ばれるとうかがっていたものなんですが……」

 

「えぇ、そうよ。売り上げの記録を鑑みて、ラミア、メー、白鳥レダ、そして私の四名が同行メンバーの候補に挙がったわ」

 

「なるほど。普段から俺と関わっているから……というわけではなく、お店での成果を考慮した上で選ばれたメンバーということなんですね。だとしたら、みんなって本当にすごいホステス達なんだな……」

 

 ひいきとかではなく、きちんと選考した上での今回の面子らしい。特にメーはこの歓迎会に参加してみたそうな様子だったため、選ばれた時の喜びようは凄まじいものでもあった。

 

 そんな、彼女らの努力に見合ったご褒美の景色が流れ往くこの中で、自分はユノへとそれを訊ね掛けていく。

 

「普段もこうして、ホステスの皆さんでお出掛けとかなされたりするんですか?」

 

「いいえ、こんな機会は滅多に無いわね。私達は罪人である以上、残る余生を全て社会の貢献に注ぎ込むつもりでLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に勤めているわ。それが私達なりの贖罪になるの。そういった関係上、普段の私達には贅沢なんて許されないわ」

 

「俺は部外者なんで、あまり偉そうなことは言えない立場にあるものですが……。もちろん、お店の信念や本人達の覚悟があることだと思います。ただ、ユノさん達も贖罪としてお店に尽くされていますから、たまにはこうした息抜きもいいんじゃないでしょうか」

 

「心遣いに感謝するわ。私から言えることは一つだけ。それは、柏島くん。貴方は、誰に対しても温もりを分け与えることができる青年であるということよ。日頃から、私達のようなろくでなしにも親身になってくれて、本当にありがとう」

 

「いえ、そんな。俺だって皆さんから命を守ってもらっていますから……」

 

 尤も、今も運転してくれているユノさんは無免許らしいが……。

 

 同乗している以上は、自分も同罪になるんだろうなぁ。なんという懸念を持ちながらも、同時にして“彼女ら”と親密になることは即ち、自分もまたアンダーグラウンドの世界の仲間入りを覚悟しなければならないことを自覚していく。

 

 そして、彼女らと共に歩む道を選んだのもまた自分だ。

 主に、彼女らの誘惑に負けて落ちたこの世界。色欲にまみれ、それを悦びとして覚えたこの身体は既に、彼女らがいない生活に恐怖さえも芽生えるようになってしまっている。

 

 自分はもう、彼女らを抜きにこの人生を歩むことはできない。

 ……結局は本能に抗えないということか。以前の生活からは想像できないほどの、性欲に侵食されたこの思考。だが、そんな堕落の道を歩き出した自身の運命に対して、不思議と後悔は湧いてこなかった。

 

 何故か納得してしまえるのだ。

 それは、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)をつくった親父の血筋を継いでいるように、自分もまた“こちら側”に招かれし人間なのかもしれない、なんて思えてしまっていたものだったから。

 

 

 

 

 

 夏と言えば海。満場一致の旅行先に皆が心を躍らせたそのビーチでは、休日の真っ昼間という時間帯から多くの客で賑わいを見せていた。

 

 透き通ったコバルトブルーの水面。波打つ景色に向かって駆け出していくラミア、メー、ミネの後ろ姿を見守りながら、自分はユノとレダに挟まれる形でその足をゆっくりと歩み進めていく。

 

 一同は皆、ビーチに相応しい水着姿に着替えていた。

 早速と浜辺で無邪気にはしゃぎ始めたラミアは紫と白のチェック柄Vネックタンキニという姿であり、メーは膨らみのあるモスグリーンのショートパンツに紺色のオフショルダービキニという格好をしている。

 

 また、ミネは大きなフリルとリボンが特徴的な白いビキニを着けていた。そして、レダはフリル付きの三角タイプ黒ビキニ、ユノはホルターネックの黒ビキニという双方きわめて露出度の高い格好で堂々と佇んでいたこの状況。

 

 特にその二人のプロポーションが際立っており、レダの女性らしい体つきは見る者を誘惑して、ユノの身体の黄金比は絵画の女神の如く完璧に整っている。

 

 なんだか、一緒に並んでいる自分が情けなく思えてくるほどの美女達だ……。

 それを証明するかのように、ラミアもメーも、そしてミネも美女と言える逸材であったことから、既に彼女らをナンパする男の集団なんかがちらほらとうかがえていたものでもあった。

 

 そんな、皆が声を掛けられている様子を横目に自分はビーチパラソルを地面に刺していき、折り畳みの椅子やシートなどといった彼女らの休める空間を用意してから、一足先に腰を下ろして彼女らを眺め遣っていく。

 

 それと共にして、ナンパされていたメーが護衛役としてこちらに戻ってきた。これにお互いが「お疲れ様~」と声を掛けていく中で、こうして自分らが落ち着いた頃には既に、他のホステス達は二手に分かれて各々の休暇を満喫していたのだ。

 

 それぞれ、波打ち際でビーチボールを打ち上げて遊んでいたラミアとミネ。それと、浜辺で男性を逆ナンパしていたレダ……と、一緒になって女性をナンパしていたユノというその構図。

 

 特に、本日の主役とも言えるだろうミネの動向を、自分は見守るように遠くから観察していった。

 

 

 

 

 

 海水浴を楽しむ人々に混ざり、ラミアとミネはビーチボールを交互にトスする娯楽を楽しんでいく。

 

 今まで満足に青春を堪能することができずにいたミネは、これまで見せてきた不機嫌そうな表情からは考えられないほどの、キラッキラしたハツラツな笑顔でビーチを駆け回っていたものだ。

 

 そんな少女に付き合うよう、ラミアはトスのやり方を教えながら「いきますよー」と適当な調子でビーチボールを打ち上げていく。これをミネは子犬のように無邪気に駆け回って追い掛けるのだが、空を見上げたところで燦々とした日差しが目に入り、これに目が眩んだミネは手をかざしてボールを海に落としてしまう。

 

 この一連の出来事に対しても、ミネは無邪気に笑ってみせていた。

 本当に楽しいんだろうなぁ。遠くから眺めていても分かるほどの、とびっきりの笑顔。内心で「菜子ちゃんってこんな顔もできるんだな……」なんて本名を呟いていく自分の視界の中では、ミネに駆け寄ったラミアが様子をうかがうようにそう喋りかけていった。

 

「ミネさーん。そろそろ泳いだりもしてみませんかー?? 浮き輪に乗ってプカプカ浮かぶのも乙なモノですよー」

 

「あぁそれいいね! やってみたい! アタシ、ホント夢だったんだ! 誰かと海に来ることがさ!! 今ホントに楽しい!! 生きてて良かった!!」

 

「まー、コチラは今まで頑張ってきたミネさんへのご褒美のようなモンですからねー。よく頑張ってきましたねー。エライエライ」

 

 自身より背が高いミネの頭に右手を伸ばし、少女の頭を撫でていくラミア。これにミネは反発する様子もなく微笑んでみせると、直にして「あぁ、じゃあボールを回収しなきゃ」と思い出すように付近へと視線を投げ掛けていく。

 

 ……だが、そこに落ちていたはずのボールは姿を消していたのだ。

 慌てるミネが「あれ、無い?」と付近を見渡していく。共にして、遠くにいる自分はボールが沖へと流されていくのを目撃していた。

 

 それもあってビーチパラソルのところから立ち上がり、これを伝えようと彼女らの下へ駆け寄ろうと走り出した時のことだった。

 

 流されたビーチボールの存在に気が付いたラミア。今もプカプカ浮きながら沖へ向かっていくそれを見つけると同時にして、その先で軽快に遊んでいた三名程度の男性の集団を彼女は発見する。

 

 とても爽やかで、中々にイケメンな彼らの存在感。これをラミアはボーッと眺めていくと、ふとその視線をミネへと戻してそれを問い掛けていったのだ。

 

「あの、ミネさん」

 

「え? なに? ボール見つかった!?」

 

「ミネさんって男性経験あります??」

 

「え?? …………えッ?!」

 

 突然どうしたの!?

 というセリフがうかがえる、ミネのギョッとした表情。共にして顔を赤らめてきたその様子から、ラミアは「あー、ナイんですねー」と口にしつつその言葉を喋り続けていく。

 

「ウチらの店で働く以上は、ミネさんにもお客さんの性のはけ口になってもらう必要がありますからねー。その関係上、未経験ですと先が思いやられるというモノですよ」

 

「え、ぁ、いや。でも、だって……し、仕方ないじゃんかッ!!! ど、どうせアタシは処女ですけどッ!? それが何ッ!? 悪い!?」

 

「あーいやいや、ワルくなんかありませんよ。ですけど、どーせなのでイマの内に男性諸君らの視線に慣れておきましょーか」

 

「え……?」

 

 顔を赤らめたままのミネが不思議に思っていったその矢先、ラミアは男性グループへと向かって、適当な調子で「あー、ボールが流されちゃいましたー」と言葉を投げ込んでいく。

 

 この声に、男性諸君は振り返ってきたものだ。

 それと共にしてちょうど、彼らの下に流されてきたビーチボール。この様子からある程度の察しがついた三名の彼らがミネ達に振り向いていく中で、声をかけ辛そうな顔をしていたミネの背後に回ったラミアは次の時にも、ミネの白いビキニへと手を伸ばしていったのだ。

 

 ミネの胸辺りに巡ったラミアの両手。そして瞬間にもラミアは、ミネのビキニのトップスを盛大に上へずらしていく……。

 

 コバルトブルーの光景に晒された上半身。同時にミネの絶叫が響き渡ると同時にして、少女は顔を真っ赤にしながら咄嗟に屈み込んでしまった。

 

 混乱する思考で、目をグルグルにしていたミネ。一方でラミアは、何事も無かったかのように見遣る男性諸君へと手を振っていくものであったから、ミネは怒りや呆れを通り越した困惑のままにラミアへとそれを喋り出していく。

 

「ななな、ななななななにすんの急にッ!!? なんでっ、なんでこんな酷いこと。み、みら、見られたっ、見られた……見られたじゃんかぁ……ッ!!!」

 

「ウチらはもー見せ慣れちゃっていますから、ウチで働くホステスとしてミネさんにも慣れてもらおうかと思いまして。それで、どーでした?? カッコイイお兄さん達に見てもらえた感想とかあったりします??」

 

「な、なっ、な……し、信じられない……ッ。さいあく、ホントに最悪。これじゃあもうお嫁にいけない……っ」

 

「まー、でしたらカンキさんに(めと)ってもらえばイイんじゃないでしょーか?? 親戚であれきっと、快く迎えてくださると思いますよー」

 

「そこでどうしてアイツの名前が出てくるのぉ……」

 

 涙目で見上げてくるミネに対し、ラミアは悪気の無いサマで適当にそう返してくる。

 

 挙句には、ラミアは「まーイイんじゃないですか。ミネさんの愛嬌あるオッパイがイケメン達の記憶に刻まれたんです。これで今夜からミネさんも、イケメン達のオカズの仲間入りですねー」と追撃を食らわせてきた。もちろんそれを耳にしたミネは声にならない絶叫を上げて、より一層と真っ赤にした顔を両手で隠しながら、暫しその場に留まっていたものだった。

 

 

 

 

 

 各々が海を満喫した後は、期間中に宿泊するホテルに移って荷物を置いていった自分達。そして夜の時刻を迎えたこの時にも、焦げ茶色を主としたシックな雰囲気の食事処で乾杯していった。

 

 川沿いの野外席にて、ラミア、メー、ユノ、レダ、ミネの五人の美女と食事していた自分。皆が私服姿で和気藹々と夕食を堪能する中で、ふとユノはおもむろに席を立つなりどこかへ歩き去るのを見送っていく。

 

 尤も、ミネはともかく残る三人は全く気にしない素振りで食事を進めていたものだ。

 これに自分とミネが目を合わせて、互いに抱いた不思議な思いを共有し合っていく。……つもりでいたのだが、ミネはミネでこちらと目を合わせるなり顔を赤らめて、口を尖らせた様相でプイッとそっぽを向いてしまった。

 

 あれ、自分ミネに変なことでも言っちゃったかな……。

 まるで心当たりがない。この不安が巡ってきた内心にちょっと気まずい空気が流れ出したところで、自分はこちらに戻ってきたユノの存在へと振り向いてその姿を確認していった。

 

 そんな彼女の傍には、見慣れない一人の女性が一緒に付き添っていた。

 しかしどこか面影を感じたことで自分は記憶の中を遡っていくと、直にもその女性は、ユノがビーチでナンパしていた人物であることを思い出していく。

 

 爽やかな白色のドレスを身に纏った、とても小柄なその女性。特にユノは百七十九という高身長を誇っているが故に、女性との身長差が歴然とも言えたことだろう。

 

 そんな女性と親しげに会話していたユノは、次の時にも左腕で女性を抱き寄せていった。

 かつ、右手で女性の手を優しく取っていくなり、身長差による覆い被さるような口づけを公衆の面前で披露してみせたのだ。

 

 これには思わず、周囲はざわついていった。

 ただでさえ人目を引くその美貌。女神の如きその存在感が常に周囲を釘付けにするユノという人物は、その凛々しく気高い風格から一転として、時には平然としたサマで大胆な行動を起こしてみせるのだ。

 

 目前の麗しき女性に、本人は我慢できなくなってしまったのかもしれない。

 自身の気持ちに素直な彼女は、その女性と名残惜しく別れるなりこちらのテーブルに戻ってきた。そして何事も無かったかのようにイスに腰を下ろしていくと、隣の席にいたレダからそんな言葉を掛けられていく。

 

「あらぁ、一夜限りのラブロマンスに突入しないだなんて、あなたらしくもないんじゃない?」

 

「私にも、自身に課せられた使命を優先する程度の理性は備わっているわ。このバカンス中は柏島くんと同室である以上、私は彼の命を最優先にする義務があるのですから」

 

「とか言っちゃって、あのコとは既に“済ませて”あるんでしょ~?」

 

「フフッ、貴女に隠し事は通用しないわね」

 

「どこで済ませたのかしらぁ? わたしもナンパしたオトコとシたいから、参考程度に聞かせてちょうだ~い?」

 

「ビーチの木陰とシャワールーム、トイレの個室にホテルの非常階段、あとは茂みや海の中で彼女と戯れたわ」

 

「うふふ、相変わらずの絶倫具合ねぇ? でも、まだまだ足りないんじゃないの~? カンキ君の面倒ならわたしが見ててあげるから、あなたはあなたで、せっかくの余暇を満喫してきたらどうなのかしら?」

 

「柏島くんを任せてばかりでは、私の面子が保てないわ。この休暇中は主に私が、彼の保護を受け持つと決めているのですから」

 

 テーブルに肘をついて艶やかに話すレダ。一方でユノは、脚を組んだ状態でシャツの胸ポケットから電子タバコを取り出していくと、それを咥えてからふかしていき、凛とした表情の口から煙を吐き出していく。

 

 その、凛々しいサマで行われた悠々とした姿。本格的なタバコではないにしろ、それを吸っている彼女の姿を目撃したことによって、ヤクザの経歴も持つ女帝の如き威厳を再認識させられたような気がしたものだ。

 

 それにしても、なんて大人な人物なんだ……。

 怖いとか、ろくでもないとかの次元を通り越した、かっこいいの一言に尽きるその存在感。男である自分でさえも憧れてしまうそのクールビューティな生き方に、思わず見惚れるような視線でユノというホステスを眺めてしまっていた。

 

 ……尤も、この数時間後にも、彼女とあんなことをしてしまうとは夢にも思っていなかったが。

 

 

 

 

 

 この日の夕食が済んだことで、ユノから現地解散を言い渡された面々はそれぞれのホテルの部屋へと引き返していく。

 

 その流れで自分もまた、ユノと同室という関係で彼女と共にホテルの部屋に戻ってきた。

 既に荷物が置いてあるこの室内。優しい照明に照らされたこの空間において自分は、ベッドに腰を掛けてスマートフォンを操作していたユノへとその言葉を投げ掛けていく。

 

「あの、先にシャワー使っちゃってもいいですか? すぐ済ませますんで」

 

「えぇ、構わないわ。柏島くんの心行くままに満喫してちょうだい」

 

「ありがとうございます」

 

 ユノと二人きりという空間は、いつになっても緊張してしまえる。

 そんな、拭えないプレッシャーに自分は逃げるように浴室へ駆け込んでいくと、身に纏っていた全ての衣類を脱いだその状態でシャワーの水を出し、お湯となったそれを頭から浴びながら、今日の思い出を脳裏によぎらせることで当時の満足感を噛みしめていく。

 

 今日も充実した一日だった。特に、ミネがすごく楽しそうにしていた姿がとても印象的だった。

 

 彼女が、あんなにも純粋で無邪気な笑顔を見せてくれるだなんて、思いもしていなかったな。……なんていう悦に浸っては、ひとり微笑を零していくこの空間。

 

 我ながら、不気味すぎる。これに自重するよう微笑を真顔に戻していくその最中に、次の時にも突如と、背後の扉がおもむろに開かれたのだ。

 

 これに自分は、素っ裸の状態で振り返っていく。それでいて自分は、あまりもの衝撃で思わず唖然としてしまったものだった。

 

 開かれた扉の先。そこには、躊躇いもなくヒタッと足を踏み入れてきたユノの姿が存在していた。

 

 しかも、彼女もまた全裸という格好でこちらの前に現れていた。これに自分は「え、あの、ちょっと」と困惑のあまりにドン引きしてしまうのだが、一方でユノはお構いなしと浴室に入ってきて、それも、いつもの分厚いポニーテールをほどいたロングヘアーの姿でそれを凛々しく喋り出してきたのだ。

 

「邪魔するわよ、柏島くん」

 

「え? あの、マジですか……??」

 

 既に数名のホステスと親密な関係になっていたことから、以前までの動揺は感じられなくなっていたこの現状。

 

 だが、今こうして相対しているのは、ユノという女神の如き美貌を持つたいへん恐れ多い存在。加えて、彼女もまた全裸であることからその黄金比の全身に目が行ってしまい、自分は不可抗力のままにソレを“直立”させてしまう。

 

 あの、絵画から出てこられました?? 人類が思い描く限りの理想に近しい究極のプロポーションが眩しすぎるんですが……??

 内心で訊ね掛けたその言葉。かつ、自分は「女神は存在したんだな……」と納得していくその中で、ユノは自らの裸を晒しながらもなお悠然としたサマでこちらへ歩み寄ってくる。

 

 そして彼女はあろうことか、その言葉を掛けてきたのだ。

 

「柏島くんのプライベートを邪魔することは(はばか)られると考えていたわ。けれども、深夜という時間帯に貴方から目を離すこともまた、些か不安が生じるというもの。ならば、シャワーも入浴も二人で同時に済ませてしまいましょう。そうすれば、私の憂いや懸念は綺麗に解決するわ」

 

「いやいやいや!! だからって声も掛けずに急に入ってくるのもちょっと違うと思うんですけど!?」

 

 彼女のぶっ飛び理論に思わず突っ込んでしまった。これにユノは「やっぱりお邪魔だったかしら。だとしたらごめんなさい」と言うなり、彼女は浴室から出ようと踵を返し始めていく。

 

 その瞬間にも巡ってきた、己の穢れた欲望。

 眼前の光景に自分は、「あ、いえ! 別に嫌というわけではないんで、ユノさんが気にしないのでございましたら俺は構いませんが……」と、本能に敗北する形でユノを引き留めてしまう。

 

 振り返る彼女と、今も自己主張が激しい己のソレというこの構図。これにユノは「それじゃあ、一緒に済ませてしまいましょう」と、ソレに対する嫌な素振りも見せずに凛々しいサマで答えてきたものであったから、自分は背徳感を抱いてしまいながらも「じゃあ、まぁ……どうぞ」とシャワーの半分を譲るように退いていったのだった。

 

 

 

 ……それにしても落ち着かない。気持ち的にも、身体的にも。

 一つのシャワーヘッドから出てくるお湯を、二人で被っていくこのシチュエーション。加えて、互いに全裸であるこの格好から、互いの素肌が触れ合っている現状にひどく興奮してしまっていた。

 

 しかも、ユノは男であるこちらの身体を全く気にしていない様子でもあった。

 同性に恋愛感情を抱くという彼女は、今までの経験から男の身体にも慣れていたのだろうか。尚更とユノという人物がよく分からなくなってきた自分が困惑気味に佇んでいく中で、ユノはこちらを抱き寄せるようにしながらそれを口にしてくる。

 

「柏島くん、お湯が掛かっていないわ。貴方の身体を冷やして風邪を引かせてしまったら、私は柏島オーナーに顔向けできなくなってしまう。さぁ、こちらにいらっしゃい」

 

「は、はい……」

 

 抱き寄せられると共にして、彼女の美乳がこちらに触れてくる。

 自分が百七十五という背丈で、ユノは百七十九というこの身長差。自分が彼女を見上げるその状況から、ユノの包容力も含めて自分は安心感と高揚感の狭間でもみくちゃにされていた。

 

 ……かつ、ちょっとした気の緩みから、自分が最も恐れていた不純な出来事が起こってしまう。

 今もそそり立つ己のソレ。興奮が収まらない状況に一層と猛ったモノが直立を続けていくと、ふと抱き寄せられた衝撃でソレがユノの下腹部に直撃してしまったのだ。

 

 これには、彼女も思わず下を向いて確認していく。

 

 ……背丈の関係上、第二の自分はユノの下半身をウロウロとうろついていた。

 何ならもう、既に限界が近い。しかし、女性一筋の彼女を穢すことは、本人に限らず、彼女と共に過ごした女性達を悲しませることにもなりかねないと考えて、それだけは絶対にできないと決意を抱いた自分は、理性を振り絞って必死に堪え続けていく。

 

 だが、そんなこちらの努力に対して、ユノはそれを口にし始めてきたのだ。

 

「私は女性しか愛せない(さが)にあって、男性との行為とは無縁の人生を送ってきたわ。けれども、私もまた人の子に過ぎないということかしら。男性との接点は無くとも、その身体については興味が尽きないと感じていたものよ」

 

「あの……それはどういう意味でしょうか……?」

 

 ガシッ!!!

 

 突如、ユノに象徴を掴まれた。

 

 あっ。あかん。

 内心で情けなく響かせた声。しかし彼女はそれをまじまじと眺めつつ、手加減するどころか、容赦しないと言わんばかりに手を動かし始めたのだ。

 

 滑らかな手。潤い帯びた肌。弾力のあるハリと柔らかな手のひら。

 ありとあらゆるすべての要素が、男を瞬殺する。それに加えて、こちらが静かに頑張っていることなど知らない彼女は、興味を持った現象に釘付けとなりながらそれを喋り出してきたものだ。

 

「へぇ、しっかりと強直するのね。人体に備わる筋肉の中でも特に、感触の変化が実感できる部位なんじゃないかしら。とても興味深いわね」

 

「ぁ、あの、だ、だからって、愛でるようにされると、俺、っ」

 

「柏島くん、この状態から(しぼ)ませることは可能なのかしら。できるならば、この現象の前後の変化を直で観察してみたいわ」

 

「ぁ、ッ、むりですッ」

 

「そうなのね。なるほど……。それじゃあもう少しだけ、この強直した肌触りを堪能してもいいかしら」

 

「ぁぁぁぁ、それはちょっとやばいですッ」

 

 もう、ダメかもしれない。

 彼女の下腹部とその周辺をうろつくソレ。コレを堪能されることでこちらまでもが高揚感に満たされていくと、何かに掴まりたい一心の下、自分は堪え切れない思いのままに両手を伸ばしてしまい、ユノの身体に回していっては軽く抱き付いてしまう。

 

 そして、視界に映った美乳と美顔を前にして、ソレの感覚も伴う自分は「ゆ、ユノさんっ、すみませんっ……!!!」と口にするなり最高潮を迎えてしまったのだ。

 

 ……溢れ出す脳内麻薬。共にして生じた罪悪感が、後戻りのできない後悔の念へと(いざな)う。

 目の前には、若干と驚いた顔を見せるユノの姿があった。それでいて、彼女の下には自分の成果がしっかりと残されてしまっている。

 

 やってしまった……。

 快楽に(まさ)った、背徳の念。これに自分は頭を抱えるようにして俯いていくのだが、ふと目の前の動きを感じたことで顔を上げてみたものだ。

 

 するとそこには、凛々しいサマで自身の手や指先を嗅いでいくユノの姿が映し出されていた。かと思えば次の瞬間にも彼女は、自身の手を興味深そうにペロッと舐め始めていく。

 

 これには思わず、「なにやってんですか!?」と声を荒げてユノの手を引っ張ってしまった。

 尤も、こちらの反応に対しても彼女は、ケロッとした表情で「知見を広げることは重要よ」と口にしてみせたものであったのだが……。



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第23話 Chuchotement du diable 《悪魔の囁き》

 引き続き行われていた、新規スタッフの歓迎会バカンス。初日にも、真夏に相応しい海を堪能した一同は、既に数日と経過していた現在において山のイベントも楽しんでいたものだった。

 

 清らかな河川の脇でバーベキューをしていた自分ら。燦々と降り注ぐ日差しに晒されたその空間にて、ホステス達は私服姿で水遊びや食事を満喫している。

 

 今も川では、裾を結んだ赤と青のボーダーTシャツに紫の短パンという格好のラミアが、茶色のTシャツに裾を捲った青色のオーバーオールのミネとそこら辺を駆け回っていた。共に裸足で無邪気にはしゃぐ彼女らを、赤色のシャツに黒色のバイクパンツという外見のユノが見守るように眺めている。

 

 そうして彼女らが遊ぶ様子を他所に、自分はバーベキューのコンロで肉や野菜などを焼いていた。

 煙を上げて美味を香らせる。山で遊ぶ時の醍醐味とも言える解放感あふれる食事の準備に自分は、額の汗を拭いながら睨めっこをするように網の上を凝視していく。

 

 と、そんなこちらの様子を見て、皿と箸を手に持ったメーが歩み寄ってきた。

 白色のへそ出しショート丈トップスに、七分丈で紺色のパンツというファッションの彼女。そして自前の快活さを引っ提げてやってきたメーは、勝気な瞳をコンロに向けながらそれを口にしてきた。

 

「ねぇねぇ、もう焼けた? もう焼けたよね? もう食べてもいいよね?」

 

「もう少しだけ待って。肉に火が通っているか確認するから」

 

「えー、やだやだもう待てない。あぁほら、これとかもうイイ感じじゃん! もーらい!!」

 

「あぁちょっと」

 

 自分が引き留める前にも、メーはコンロの上から肉を掻っ攫って口に放り込んでいく。

 タレも付けずに口にしたそのお肉。だが、メーは満足そうに「ん~~!!」と喉から声を出していくと、続けてもう一個の肉を取っていっては口へ投げ込んでいって、更にもう一個、肉を摘まんで食していく。

 

 いや、肉だけ食べるんかい。

 彼女の止まらない手を前にして自分は、しれっとタマネギやピーマンを寄せてみた。だが、メーの手はそれらを避けて肉へと伸ばされると、そのまま箸で摘まんでいっては遠慮なく口へ放り込んでいったものだ。

 

「メー、野菜もあるから食べてくれると嬉しいんだけど……」

 

「あは、イイじゃんイイじゃん。野菜はレダとか食べるでしょ。私は肉専門なトコあるから、そこんとこよろしく~」

 

「美味しく食べてくれるのは嬉しいんだけど、それじゃ栄養が偏るよ」

 

「バーベキューで栄養を気にするなんて野暮じゃない? あ、これもイケそうじゃん。いただき~」

 

 遠回しに食べてほしいことを伝えてみただけなんだけどなぁ……。

 内心でボソッと口にした言葉を胸に留め、自分は満足げなメーの顔を暫し眺めるように見遣っていた。

 

 すると、その視線が突き刺さる気配に彼女は反応を示していく。

 上目遣いで向けてきた瞳。今も頬張っている肉でメーは口をもごもごしていると、目が合ったこちらを見遣るなり彼女はニッと口角を吊り上げながらその言葉を口にしてきた。

 

「ね、カンキ君。“アレ”、してよ」

 

「アレ? ……え、マジで?」

 

「マジで。今やったら絶対キモチイイから」

 

 期待の眼差し。彼女からの催促を受けた自分は上着のポケットからスマートフォンを取り出していくと、今も向けられているメーの期待に応えるように端末を操作して、そのスイッチをオンにしていったのだ。

 

 途端にも響かせた、メーの「あっ」という甘い声。同時にして内股になるよう身を縮こまらせていくと、“ソコ”に伝い始めた震動に頬を赤く染めながらそれを喋り出してくる。

 

「あぁ~っ、ヤッバイ……ッ。すっご、あぁぁ~~…………」

 

「ちょうど他の客が出払っている時間みたいだけど、ホステスのみんなはいるからね。そこをちゃんと意識してもらえるといいかも」

 

「んなの、分かってるってば……ッ。わざと意識させないで……」

 

「余計に感じちゃう?」

 

「この、変態っ」

 

 勝気な調子とは裏腹に、強がる表情で微笑んでみせたメー。

 生意気な口を利くなら、もっと強くしちゃおうかな。そう思った自分がSっ気のままに震動の数値をいじろうとしたその時にも、ふとメーの後ろから忍び寄ってきた“彼女”の存在へと自分は視線を向けていった。

 

 次にも、敏感になっているメーの肩へと両手を乗せてきたレダの姿。これにメーが「みゃあっ!?」と相変わらずの変わった驚き声を上げていくと共にして、飛び跳ねるように驚いた彼女の耳元でレダはニヤつきながら囁き始めたのだ。

 

「あらぁ~、随分と楽しそうなことをしているじゃない? わたしも混ぜなさいよ」

 

「れ、れだ?! いやそんなっ」

 

「とぼけちゃってもムダよ~? わたしに隠し事は通用しないって、あなた達はよく知っているでしょう?」

 

 と言ってレダはメーの背後に引っ付くよう身体をくっ付けるなり、その右手を彼女の股へと伸ばして“ソレ”を思い切り掴んでいったのだ。

 

 背後から鷲掴みにされた“秘密の道具”。そして“ソコ”に押し当てられたメーは直後にも、「ぁあッ、ぁぁあっ!!!」と悲鳴のような甘い声を上げて痙攣し始めていく。

 

 や、やばすぎる……。

 思わず自分のも反応した目の前の光景。加えて、メーが快楽に浸りながら天を仰ぐ様子が一層とそそってくる中、今も押し当て続けるレダがメーの耳元でその言葉を囁き続けていく。

 

「あなたにこんな趣味があったなんて、わたし知らなかったわぁ。いつから味をしめたのかしら? カンキ君と出会ってから? そういえば、カレと出会った後からあなた、随分と色気づいたわよねぇ? 前までこういうことには興味無さそうにしていたし、同伴相手とのえっちにも満足できていなかったんでしょう? それが急に、“こんなモノ”を使うようになっちゃって。この数カ月でやらしくなったわねぇ本当に」

 

「な、なんなの急にっ……!? ちょ、っと。やめ、やめてッ」

 

「あらぁ、イケないわねぇ。そんな大声をあげちゃったら、みんなにバレちゃうかもしれないでしょ~? もしも、誰よりもバカンスを楽しみにしていたあなたが、出先でこんなモノを使って気持ちよくなっていた、なんて誰かに見つかりでもしちゃったら、あなたはもうこの先ずっと笑いものにされちゃうわよぉ?」

 

「ほ、ほんとにだめだってッ。ちょ、ほんとっ、マジでそれヤバイッ、ぁっ」

 

 小刻みの痙攣を繰り返すメー。彼女の身体が快感で悶える姿に自分が釘付けとなっていくこの状況にて、レダはこちらの様子をうかがうなりニヤッと魔性の笑みを一つ零して、メーへとそれを指示し始めていく。

 

「カレ、ここに来てからずっと働きっぱなしだったから、そろそろ誰かが労わってあげないといけないわよねぇ?」

 

「だ、だから、なにっ……!?」

 

「働いてくれたカレへの感謝として、お肉の一つでもお口にあーんしてあげなさいよ~?」

 

「それっ、レダがやればいいじゃ……んぅッ」

 

「カレは今、あなたに釘付けなのよ~? だったら、今のカンキ君を虜にしているあなたがしてあげるべきだと思うんだけどぉ?」

 

「わ、わかったからっ! わかったからっ、それやったら、コレやめてよッ!?」

 

 今も自身の股に手をあてがってくるレダへとその言葉を掛けるなり、メーは快楽に抗えない身体を引き摺るようにしながらコンロへと近付いて、ちょうど焼けていた肉を箸で掴んでこちらへと差し出してくる。

 

 そしてメーは、快感で歪ませた艶めかしい表情で「か、カンキ君っ、はやくッ、はやく!! あーんして! あーんして!!」と訴え掛けてきたのだ。

 

 一刻でも早く解放されたいメーと、そんな彼女を悪戯な視線で見遣るレダ。かつ、この二人のやり取りを間近で眺めていた上に、やけにSっ気がそそられるメーの、されるがままのその姿。

 

 これを目にした瞬間にも自分は、心の内に留めていた猛獣の如き本能に目覚めてしまった。

 自分はメーから差し出された肉を咥え、それを口の中でしっかりと味わっていく。これにメーは安堵したような顔を見せてホッとしていたその手前、自分は肉を飲み込むと共にして、メーへと一歩近付きながらこの言葉を掛けていった。

 

「……肉だけじゃなくて、メーもいただいちゃおうかな」

 

「え?」

 

 不思議と、以前までの躊躇いが生じなかったものだ。

 牙を剥くように口を開いた自分。そして次の時にも自分は、右手でメーの顎を摘まんで近寄せてから、肉に引き続いてその唇をいただいてしまう。

 

 唐突の口づけに、メーは唖然とした表情で見遣ってきた。それでいて、理解が追い付いた直後にも彼女は、困惑と快楽の狭間に置かれたことでグルグル目にし始めた。

 

 加えて、メーの“ソレ”を股に押し付ける力が更に強まっていくと、レダもまたこちらの様子に「あら~、肉食系」と魔性の微笑みでその言葉を口にするなり、“ソレ”を掴んでいる手をグッと押し上げてメーの好きなトコロに強く当てていったのだ。

 

 これによって、必要以上に“口”を刺激されたメー。両方から攻められたことで彼女は声にならない音を喉から出しながら痙攣を起こしていき、直にもメーは腰が砕けるようにその場に座り込んでしまったものだった。

 

 彼女の様子を見て、自分はスマートフォンを操作してスイッチを切っていく。

 共にしてレダはこちらへ近付いてくると、人差し指を唇に当てながら「わたしにもご褒美ちょうだい?」と艶やかな表情で口にしてきた。それを受けて自分は「ありがとね、レダ」と言葉を掛けていって、躊躇いもなく彼女とも口づけを交わしてから一息ついていく。

 

 ……そんな一連のやり取りが行われた直後のこと。いつの間にかコンロの近くまで来ていたミネが、皿とトングを持った状態で複雑な表情をしながらこの言葉を掛けてきたのであった。

 

「…………ねぇ、もらってもいいんだよね……?」

 

「あ、あぁ、いいよ……! もう焼けてるから、好きなの取ってもらっても構わないからね……!」

 

「…………ケダモノ」

 

「えっ」

 

 

 

 

 

 夜を迎えたこの時刻。スケジュール的にもこの日が最後となる休日の締め括りに、一同は付近の神社で開催される夏祭りに顔を出す運びとなった。

 

 森林に囲まれた山奥の神社にて、真っ直ぐと伸びる一本道に立ち並んだ屋台の光景。他、大量の提灯が吊るされた景色が夏の風物詩を物語るその中で、自分はユノと共に会場の入り口で“彼女ら”の合流を待ち続ける。

 

 けっこう時間かかってるなぁ。

 そんなことを思いつつ、自分が腕時計で時間を確認していたその最中のこと。ふと、メーの「お待たせー」という声が投げ掛けられたことによって自分は、ユノと共に声の方向へと振り向いていったものだ。

 

 すると、そうして向けた視線の先では、借り物の浴衣姿で歩み寄ってくるメー、レダ、ミネの三人がうかがえた。

 

 それぞれ、メーはイチョウの模様に藍色ベースの浴衣と白の帯、レダはアジサイの模様に黒色ベースの浴衣で青の帯、ミネは金魚の模様に黄色ベースの浴衣と水色の帯という外見でこちらと合流してくる。

 

 その三人がまた浴衣を綺麗に着こなしていたため、自分は見惚れるように視線を向けながら、反射的にこの言葉を三人へと投げ掛けてしまった。

 

「メーもレダもミネも、みんなすごく綺麗。タキシードも水着も浴衣も着こなせるなんて、さすがだよ」

 

 こちらのセリフを耳にして、メーはピースしながら「あは、そうでしょそうでしょ? やっぱ私達、何を着ても似合っちゃうんだな~これが」と言うなり勝気に微笑みかけてくる。

 

 レダもまた誘惑的な目で「ウフフ、もっとじっくり眺めてもらってもいいのよ~?」と言葉を口にしてくるその脇で、ミネは不愛想にそっぽを向きながら「……ありがと」と呟いてきたものだ。

 

 彼女らの浴衣姿に、ユノも「みんな、本当によく似合ってる。同じ店に勤める者として誇らしく思うわ」と、穏やかな微笑を交えながら凛々しいサマで賛辞を送っていく。

 

 一方で、自分はラミアの姿がうかがえなかったことから、周囲を見渡しつつ呟くように三人へと行方を訊ね掛けていった。

 

「ところでラミアの姿が見えないけど、みんなと一緒じゃなかったのかな」

 

 こちらの問い掛けに、メーが「あー大丈夫大丈夫! ラミアは着付けにちょっと時間が掛かっちゃってるだけだから、もうそろそろ来ると思うよー?」と気楽な調子で答えてきた時のことだった。

 

 メーの言葉と共にして、彼女らの後ろから「お待たせしましたー」と適当な調子が投げ掛けられると、直後にもその声と一緒にラミアが駆け寄るようにこちらとの合流を果たしてくる。

 

 紫と黒の幾何学模様をベースにした浴衣に黄色の帯を巻き付けた彼女の格好に、自分は見惚れるような視線を向けてラミアを見遣ってしまう。

 それを目にしたラミアは次の時にも、こちらと視線を合わせるなり悪戯な調子で訊ねながら歩み寄ってきたのだ。

 

「あれあれ?? カンキさんもしかして、ウチに見惚れちゃっていましたか??」

 

 これを受けて自分は、照れ隠し気味に「ら、ラミアもすごく似合ってる。ほんとに可愛いよ」とついつい答えてしまう。

 

 この反応にすかさずと、メーやレダがからかう視線を突き刺してきた。

 それを受けて自分は、気まずく思いながらそっぽを向いていく。だが、こちらの様子にラミアはとても満足げに微笑んでみせると、「まー、そーですよねー。知ってました。だってカンキさんは、このラミアちゃんにずっとメロメロでいますもんねー??」と、適当ながらも生意気な声音で返してきたのであった。

 

 

 

 

 

 会場のスピーカーから流れてくる笛の音楽と、人混みによって奏でられる愉快げな雑音が入り乱れたこの空間。今も流されている和風テイストの曲がお祭りの雰囲気を演出していくその中で、行き交う人々に混ざる自分達もまた、一つの集団となって屋台を巡っていた。

 

 特に、浴衣に着替えたメー、レダ、ミネは、目についた屋台を片っ端から漁るように顔を覗かせていたものだ。

 

 主に、たこ焼きやお好み焼きといった食べ物に反応を示すメーと、金魚掬いや射的という遊戯系に興味を示すミネ。あとは、屋台のオトコを物色するレダという、それぞれの方向性の違いが顕著となっていた彼女ら。

 

 今も、たこ焼きを頬張るメーが、味見として別のそれをミネに食べさせてあげていた。それでいて、この様子を見ていたレダがメーを誘惑するように同じことを要求してきたために、メーは渋々ながらもレダへとたこ焼きを差し出していくという光景が繰り広げられていく。

 

 尤も、こうしてメーはレダにもたこ焼きを食べさせようとするのだが、レダはレダで目についた男前の店主へと吸い寄せられていったことから、メーとミネがそれを慌てて追いかけて……という構図が目の前で展開されていたものだ。

 

 そんな、夏祭りを満喫する三人の様子を、自分とユノは後方から見守っていた。

 自分らは自分らで、無邪気にはしゃぐ三人を見遣りながら雑談を交わしていく。こんな自分らの様子もまるで保護者に見えていたものだろうが、ふと自分は振り返った先にいたラミアと目が合うなり、あの三人の輪に混ざらない彼女へと自分はそれを訊ね掛けていった。

 

「ラミア? どうしたの? ラミアもみんなと一緒に屋台巡りしないのか?」

 

 先頭を往く彼女らを指差しながら投げ掛けたこの言葉。これにユノも振り返ってくる中で、ラミアは一瞬だけ視線を逸らしながらも適当な調子でその返答を行ってきたのである。

 

「あー、ハイ。なんとイイますか、イマはイイんです」

 

「そう? じゃあ、俺とユノさんの三人でゆっくりと祭りを楽しんでいこうよ」

 

「あー。まー、それもそーなんですけどねー」

 

 どこかハッキリとしない彼女の様子。これに自分はどことなく違和感を覚えていくのだが、ラミアの反応を見たユノは彼女を見遣りながらそれを口にし始めてくる。

 

「いいわよ、ラミア。柏島くんを連れて、二人で軽く散策してきなさい」

 

「ですけど、バカンス中はユノさんがカレを護衛するおつもりだったんですよね??」

 

「私の代わりに、貴女が柏島くんを守ればいいだけの話よ。それに、このバカンスはホステスの慰労も兼ねているの。だから、貴女が望む憩いを私はできる限り容認したいと考えているわ。私は彼女達と行動しているから、柏島くんのことは貴女に任せたわよ。二人で過ごすバカンスのひと時を満喫していらっしゃい」

 

「あー、これはこれはお気遣いどーもです。じゃあお言葉に甘えまして、ちょっとだけカンキさんをお借りしていきますねー」

 

 そう言うなり、こちらの右腕に絡みついてきたラミア。そして彼女は上目遣いで甘えるような視線を向けながら、そのいたいけな容貌でこの言葉を掛けてきたのであった。

 

「それじゃーカンキさん、サクッとデートしてきましょーか」

 

「あぁ、いいよ。二人でこのお祭りを楽しんでいこっか。では、ユノさん。メーとレダ、ミネの方はよろしくお願いいたします」

 

 

 

 

 

 ラミアからのアプローチによって、バカンス最終日の祭りの夜を彼女と二人で過ごすことになったこの状況。ユノの許可を得て別行動となった自分らは歩き出していくと、人混みに紛れたことによってすぐにも二人きりになったものだった。

 

 ラミアの歩調に合わせながら歩き進めるこの道のり。その道中にもバカンスの感想や他愛ない会話を交わしていくことによって、自分とラミアは他人の目を気にしない二人きりの交流で親睦を深め合っていく。

 

 途中、ラミアは目についたわたあめをおねだりしてきた。かつ、それを作っているのだろう屋台を指差して、上目遣いでお願いしてくる彼女を目撃したものだったから、自分はラミアの思惑通りにわたあめを購入してはそれを彼女に手渡していく。

 

 これにラミアは、満足げな表情でわたあめを頬張るものであったから、自分は思わず見惚れるように彼女の横顔を眺めてしまっていた。

 

 そんな自分の視線に気が付いたラミア。

 急にクルッと振り向いてきたそれに自分が驚いていく中、彼女は目が合うなり悪戯な笑みを浮かべながら、反応を楽しむような表情でそれを口にしてきた。

 

「あー、またウチに見惚れていたんですかー?? カンキさんはどんだけラミアちゃんのコトが好きなんでしょーか??」

 

 まぁ、否定はできないけど……。

 からかってくる言葉を受けて、図星のような顔で見遣ったこちらの表情にラミアは一段とニヤニヤしていく。

 

 そんな、終始ラミアの手玉にされ続けるやり取りを交わしながら屋台巡りをしていた時のことだった。

 

 人混みから逸れるよう歩いていた自分らは、気付けばひと気の無い森林の小道に踏み入れていた。

 

 灯りも少なく、足場も砂利と段差の組み合わせであまりよろしくないその雰囲気。これに自分は、「いつの間にかこんなところに。なんだか暗くて危ない場所だから、来た道を引き返そっか」とラミアに提案していくのだが、彼女はそれを聞くなり一層と腕に抱き付きながら、どこか慌てた様子でそう返答してきたのだ。

 

「あの、もう少しだけ進んでみませんか??」

 

「え? まぁ、それは構わないけど……足元がよく見えないからラミアが転んだりしないかが心配で……」

 

「あー、まー、アレです。ウチならダイジョーブですから!! まーまー、ササッ、ホラホラ。早く行きましょーよー!!」

 

「わ、分かった分かった!」

 

 なんだろう。どこか焦っているようにも見えたものだったけど……。

 と、やけにグイグイ引っ張ってきたラミアに対してこれを思っていく自分。だが、この疑問を抱きながらも浴衣姿で積極的な彼女に身を委ねた自分は、彼女の引っ張る力に任せるがままその小道を歩き進めることにする。

 

 それにしても、一体どこに連れていこうとしているんだろう。

 不思議に思う気持ちを胸に秘めたまま、自分はしばらくと緩やかな上り坂を進んでいく暗がりの道中。

 

 そうして、ラミアに連れられること十分程度が経過しただろうか。

 しばらくと続いた上り坂が終わりを告げると共にして、視界には開けた平坦の地形がこちらを出迎えてきた。かつ、その空間には三つほどのベンチが設置されていたことに尚更と疑念を抱いていくその最中にも、上り終えた勢いのまま歩き進めたその先の景色に、自分は思わず感嘆の声を零すこととなったのだ。

 

 悠然たる森林を眺めることができる高台。そして、到着と同時に打ち上げられた、お祭り仕様のド派手な花火という目の前の絶景。

 

 開始時刻となったのだろう打ち上げ花火が、ちょうど目の前で上っていく。この、特大の花火を眺めることができる特等席に自分は見惚れるように佇んでいくその中で、直後にも破裂した花火の轟音に思わず耳を塞ぎながら、一緒になって耳を塞ぎ始めたラミアへと言葉を掛けていったものだ。

 

「すごいな!!! こりゃとんでもない穴場スポットだ!!! こんな眺めの良い場所、よく知ってたねラミア!!!」

 

「あーハイ!! 以前に同伴したお方がですねー、コチラの花火を製造している職人さんだったんですよー!! その際にですね、コチラの穴場を教えてもらったというワケなんです!!」

 

「さすがだよラミア!!! 俺、こんな高い場所で、こんな近くで花火を見たのは初めてだ!!!」

 

「喜んでいただけたなら、何よりですよー!! もー、カンキさんを連れ出すのにたいへん時間が掛かってしまいましたから、ショージキ間に合うか不安だったんですよねー!! ですけど、なんとか間に合って良かったです!! ただアレですね!! すっごくうるさいですね!! とりあえずベンチにでも座りましょーか!!」

 

「だね!!! そうしよう!!!」

 

 花火の轟音から、お互いに大声で交わしていくその会話。共にしてベンチの下へ歩み寄っていくと、ラミアと並ぶように腰を掛けるなり隣の彼女が身を乗り出すように振り向いてきたのだ。

 

 期待をうかがわせる眼差し。それと目が合った瞬間にも、俊敏な動作でこちらの膝に乗りかかってきたラミア。

 浴衣という格好で軽快な動きを繰り出してきた彼女に、自分は驚きながらも両手で彼女の身体を支えていく。そうして膝の上に乗るラミアと向かい合うような状態になっていくと、以前にもあったこのシチュエーションに自分はうかがうような声音で彼女に問い掛けていった。

 

「あの、ラミア?」

 

「ダイジョーブですよ。ダレもいませんから」

 

「いやでも、この状態じゃラミアは花火を見られないけど」

 

「あー、ハイ。まー、ウチは別にキョーミありませんからねー」

 

「相変わらず、花より団子だなぁ」

 

 言葉を返していくこちらの顔に、ラミアは両手を添えてくる。

 両方の頬に触れてきた、彼女の小さな両手。同時にしてこれに引き寄せられたものだったから、自分はそれに便乗するように顔を差し出していき、そして、以前までの躊躇いを忘却したその勢いのままにこちらからラミアの唇を奪っていったのだ。

 

 ……花火の轟音が鳴り響く中、夏の風物詩そっちのけで口づけに熱中していく自分とラミア。

 その音さえもフェードアウトしていった、二人だけのこの空間。その間もずっと、触れる唇同士で感触と温もりを共有し合っては、ついばむように咥えるキスを何度も繰り返すこのやり取りに一層もの深みへと沈んでいく。

 

 ラミアと一緒に雨宿りをしたあの日から、自分の中の何かが変わっていった。かつ、あれ以来にも自分は、他のホステスとも親密な関係を築いていくこととなる。

 

 そんなキッカケをもたらした人物こそ何物でもない、ラミアという存在によるものだった。

 思い返してみれば、彼女は悉くと自分の初めてをもたらしてくれていた。それは、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に訪れたあの日から続く、とても不思議な因果によるものとも考えられる。

 

 店で最初に話したのも彼女だったかもしれないし、最初にアパートの部屋に泊まり込んできたのもラミアだった。そこから始まったホステスとの半同居生活も元を辿ればラミアがもたらした結果であり、最初に同伴をしたのも彼女で、熱烈な行為を覚えるに至ったのもラミアのアプローチがあったからこそのもの。

 

 ラミアというホステスは、自分にあらゆる初めてをもたらしてくれていた。それが常識的に良いのか悪いのかは置いといて、少なくとも自分は、彼女と関わることによってこの人生が大きく変化したことを実感している。

 

 その予感は、次の時にも新たな形となって現れた。

 今も行われている熱烈な口づけ。花火に目もくれず唇で興奮を育んでいく行為の最中にも、触れ合う柔らかな感触が離れたその合間を縫うようにラミアが言葉を口にし始めてきた。

 

「カンキさん。ウチのコト、好きですか??」

 

「唐突だね、ラミア。どうしたの」

 

「イイですから、早く答えてください」

 

「好きだよ。これが恋愛感情によるものなのかは分からないけれどね」

 

「まー、ウチにガチ恋されちゃっても困りますからねー。職業柄、誠実なお付き合いなんてできませんし」

 

 会話の合間にもソフトなキスを交えていくやり取り。口づけを優先した途切れ途切れのそれをラミアと行っていく中で、彼女は一歩踏み込んだディープなキスでこちらの口を塞ぎながら、唇同士が触れ合ったその状態で柔らかなそれを擦り付けるように喋り出していく。

 

「ですけど、ウチのコトはもう、ただのお友達とは思えていないですよね??」

 

「正直な話、ラミアに限らず店のホステスが他の男とこういうことをしているって考えると、ちょっとだけ寂しく思えちゃう時もあったりするよ」

 

「それじゃあ、ウチのコトを独占しちゃいますか?? このラミアちゃんを、カンキさんのモノにしちゃいます??」

 

「ラミアは俺の物なんかじゃない。ラミアは飽くまでラミアだ」

 

「そーいうトコが頑固ですよねー、カンキさんは」

 

「俺ってあっさりしすぎなのかな」

 

「ウチらからしますと、カンキさんのようなおヒトは都合が良くて好印象ですよ」

 

「俺もそう思う。ラミア達とのこういう関係が一番しっくりくるんだ」

 

「奇遇ですねー。ウチもです」

 

 こちらの両肩に回してきたラミアの両手。そして彼女は抱き付くように引っ付いてくると、鼻先を擦り合わせた至近距離でこちらの瞳を見つめながらそう喋り出してくる。

 

「カンキさん。また同伴しませんか??」

 

「いいよ。今度はどこに行こっか」

 

「もっとラフなお出掛けがしてみたいです」

 

「じゃあ、適当に街中を散歩してみよっか」

 

「イイですねソレ。アタマを空っぽにして、なんにも考えないお出掛けをカンキさんとしたいです」

 

「そうしよう。お店に戻ったら、同伴の手続きをしないとね」

 

「つくづく思いますけど、カンキさんってホントに都合が良いお方ですよね」

 

「それが取り柄みたいなもんだからね」

 

 彼女の頭部に手を優しく添えて、ゆっくりと抱き寄せて口づけを行っていく。

 

 華やかな花火が空を彩る光景の中、自分とラミアは二人だけの世界に入り浸っていた。

 しばらくと続けられた熱烈な行為。恋人という関係ではないその間柄で、互いの性欲を満たし合うだけの接触が何よりも心地良いと思えてしまえたものだ。

 

 共にして、約束した次回の同伴において自分は、ラミアと更なる親睦を深めることとなる。

 友達の枠に収まり切らない、一線を越える行為。次回にも行われるラミアとの同伴では、それを今まで禁忌と考えてきた自分の常識を塗り替える、また新たなキッカケをもたらす出来事となるのであった。



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第24話 La tentation du violet 《紫の誘惑その2》

 全国に渡る夏の長期休暇が終わりを告げるであろうこの時期。お盆もとっくにすぎ、今もアパートの部屋で流れているテレビのニュースからは都心の混雑具合が報道されていく。

 

 それを傍らに外出の支度を行っていた自分は、同じく支度をしていたラミアと軽く会話を交わした後に、暫し部屋に佇んでボーッとテレビを眺め遣っていた。

 

 今も洗面所でおめかしをしているラミアを他所にして、今日にも同伴する彼女の準備を待っている自分。こうして暇を持て余すように壁に寄り掛かっていると、相変わらず自分のベッドを占領していた寝間着姿のメーが、髪をほどいたその姿でひたひたとこちらに歩み寄ってきたのだ。

 

 顔には、からかうようなニヤつきを貼り付けていた彼女。これを見て自分は「な、なに……?」と若干身構えながら訊ねると、メーはこちらの懐に潜り込むようにしながらそう喋り出してきた。

 

「ねぇねぇ、今日はお二人でどこにお出掛けするつもりなのかな~?」

 

「あー……それがさ、明確には決まってないんだよね」

 

「んん? 決まってないの?」

 

「そう。それ、同伴としてはどうなんだって話ではあるんだけども、とりあえず龍明の駅前を二人で散歩しようって話になっているんだ」

 

「へぇ?」

 

「何というかさ、この同伴の目的自体は敢えて決めなかったというか、出先で考えようみたいなノリで決めたとこあるから、どこにお出掛けするかを訊かれるとちょっと返答に困るというか……」

 

「ふふ~ん? んじゃ、もしかしたら朝帰りになる可能性もあるってことだよね~?」

 

「だ、だからその顔はなに……?」

 

 ニヤァ。一層とからかってくるような表情に自分が恐る恐ると訊ね掛けていくと、それを耳にしたメーは小声で「ジャーン!」と言いながら、寝間着のポケットから“小さな箱”を取り出してきたのだ。

 

 赤色でコンパクトなサイズの持ち歩きやすいそれ。だが、表記されていた0.01の文字が目に入るなり自分は、一瞬だけ「んんッ」と喉を鳴らしつつメーへと言葉を投げ掛けていく。

 

「いや、いやいやいや、さすがにそこまでは……ッ」

 

「コレ、私のオススメ。私のお気に」

 

「そ、そうなんだ?」

 

「いろんな種類を試してきた中でも、いっちばんナマに近い感覚でおせっせできる有能なアイテムとなっております」

 

「へぇ……。お値段は……?」

 

「こちらなんと、本日限りはタダとなっておりまーす」

 

 謎のノリで手渡された代物。「はい、どうぞ」というメーの言葉と共にそれを受け取っていった自分は、複雑な心境の目で彼女を見遣りつつそう返答していく。

 

「今日使うとは限らないんだけど、まぁ、ありがとうね……?」

 

「いいっていいって、そんな。あとは、そうだな~。ここだけの話、ラミアは正常位が好きって言ってたような気がするなぁ?」

 

「あ、あぁ、そうなんだ? ありがと……?」

 

「それと、奥よりはGスポ〇トが好きらしいから、入り口に近いお腹側を突っつく感じで腰を動かすといいかもね~?」

 

「へ、へぇ、そういうもんなんだ。ど、どうも……?」

 

 ひそひそ。今もなお洗面所にいるラミアに聞こえない小声でアドバイスしてくるメー。彼女の助言に自分も記憶の片隅に入れておこうと聞き入るその最中にも、メーは一歩踏み込んでくるなり口元に手をあてがいながらこれも伝えてきたのだ。

 

「ついでにだけど、私はバックで奥を突かれるのが大好きでーす。オマケで特別に教えてあげたんだから、これも覚えておいてくれると嬉しいな?」

 

「あー……そうなんだ、りょうかい。それってつまり、メーともそういうのを考えて良いってことだよね……?」

 

「そういうこと~」

 

 勝気な瞳で終始からかう調子だったメーは、最後に「んじゃ、今日の同伴頑張って!」と気さくに言葉を投げ掛けてからベッドに戻っていった。

 

 そして布団にくるまるなり、何事も無かったかのようにスマートフォンで音ゲーをし始めた彼女。この一連のやり取りの後にも、洗面所から出てきたラミアがひょっこり顔を出しながらそれを問い掛けてくる。

 

「カンキさーん、準備ができましたよー。そろそろ行けますかー??」

 

「あ、あぁ、行けるよ」

 

「はーい。じゃー同伴を開始しましょーかー」

 

 セリフと共に姿を現したラミアは、直にも身体の後ろに両手を回した佇まいで上目遣いを行ってきたものだ。

 

 ふわふわなカールがかけられたヴァイオレットカラーの長髪。光るヘアピンと、メイクやネイルをバッチリと決め込んだあどけない風貌の彼女は、黒色のパーカーから顔を出す白色のフードの上に同じく白色のアウターを着込んでおり、黒色と白色のチェック柄ミニスカートに黒色のルーズソックスといういつもの勝負服姿で地雷風の存在感を醸し出す。

 

 他にも、黒色の小さなショルダーバッグに、いつもの黒い厚底ブーツ。あとは、猫耳のついた黒色キャスケットがラミアの可憐さに拍車をかけていく。

 

 相変わらずその帽子が似合うなぁ。なんて思いながら彼女へと手を差し伸べる自分。これをラミアは手に取っていくと、共にして二人で玄関へと歩き出したことで、この日の同伴が開始されたものでもあった。

 

 それを後ろから眺めていたメーの視線にも、薄々と気が付いていた自分。

 帰ってきたら、今日の同伴の話題でまたからかわれるんだろうなぁ。と、そんな風に背後の視線を憂いに思う自分ではあったのだが、一方でこの内心のどこかでは弄ってくれるという期待さえも感じられてしまっていたものだ。

 

 

 

 

 

 夏の余韻とも言える残暑が漂う外界。これから秋に向かっていくのだろう季節の変わり目を体感させてくれる龍明の駅前にて、自分はラミアと手を繋ぎながら目的もなく歩き進んでいく。

 

 以前までは、何かしらの出掛ける目的が定まっていないと落ち着かない関係だった自分ら。しかし、直にも半年経過する半同居生活の中で互いの理解が深まった今の関係性だと、特にこれといった目的が決まっていなくても、ただ一緒に歩いているだけで楽しめるという領域に達していたのだ。

 

 何だか、老夫婦みたいな感覚だな。

 長年と連れ添った特別な存在。こんな感覚を抱きつつ歩み進めていくこの足は、直後にもラミアによって立ち止まることとなる。

 

 駅前付近にある屋台の出店を指差した彼女。共に「あっ!!」と興味津々な声音を上げながらそれを喋り出していく。

 

「カンキさん!! 見てください!! クレープですよ!! クレープ!!」

 

「あぁ本当だ。なんか一段と美味しそうに見えてくるね」

 

 何気無く返答する自分。だが、今も隣ではヴァイオレットカラーの瞳を輝かせたラミアがこちらをじっと見遣ってきている。

 

 なんともまぁ、無邪気で可憐な瞳なのでしょう。

 無言のおねだりを了承した自分は、「じゃあ、せっかくだし二人で食べよっか」と言葉を投げ掛けていく。それを耳にしたラミアはしめしめといった具合に微笑していくと、「そうしましょうよー!! もちろん、カンキさんの奢りでですよ!!」と言いながら、こちらの手を引っ張るように出店へと歩き出していったのだ。

 

 どうしてもラミアには甘くなってしまう自分。だが、出費以上に隣の彼女が喜んでいる顔を見られることが、何よりも嬉しく思えてしまっていた。

 

 こうしてラミアが、デラックスチョコレートクレープとなる大きなクレープを頼んできたものであったから、相変わらず他人の財布に優しくないなぁと思いつつ自分は小さなクレープを購入して店を後にしていく。

 

 それによって食べ歩き感覚で歩き出した龍明の駅前。二人で並んでクレープを食べながら目的もなく進んでいくその光景の中で、自分はふと思い浮かんできた些細な疑問をラミアへと投げ掛けていった。

 

「それにしても、ラミアって本当に甘い物が好きだよね」

 

 手を繋ぎながら歩くラミアへと振り向く自分。その視線に彼女も応えるよう向き合いながらこの言葉を口にしてきた。

 

「それがどうかしました??」

 

「いや、事ある毎に甘い物を食べているから、何となく思ったんだ。家でもご飯の代わりにクッキーを食べてたりするし、特にお仕事の後なんかは大量のチョコレートやマシュマロを頬張っていたりしてるよね」

 

「まー、言われてみればそーですねー。何と言いますか、純粋に甘い物が大好きなだけなんだと思いますけど、どちらかと言いますとこの世の中、甘い物を食べてないとやってられないと言いますか」

 

「なるほどね。ラミアなりのストレス発散方法でもあるってことか」

 

「そーいうコトになりますかね?? まー、そーいう事情があるワケなんで、カンキさん。ウチがこの先もホステスとして長く活動できるように、これからもこのラミアちゃんにたくさん貢いでやってくださいよ??」

 

「貢ぐって言い方よ」

 

「その分のお返しとしましてウチは、お菓子並に甘い甘―いひと時をカンキさんに提供いたします。なので、ね?? この条件でいかがなモノでしょーか??」

 

「実際に今も十分に甘いひと時を味わわせてもらっているし、確かにこんな時間を過ごせるんならラミアに貢ぎたくなっちゃうよね」

 

「ムッフッフ、毎度ありがとうございまーす。そーいうコトなんで、どーぞこれからもこのラミアちゃんをどーかごひいきにー」

 

 デラックスチョコレートクレープを片手に、適当な調子で無邪気に笑みを零していくラミア。その笑顔を見る度に自分は、恋人でもない彼女という存在に特別な感情を抱いてしまえたのだ。

 

 世間的に見れば、自分らはとても不可思議かつ不純な関係として映えているのかもしれない。だが、友達以上恋人未満というその関係の中で極めて恋人に近しい位置にあるであろう、性的な欲求を満たし合う仲というこの関係も、自分にとって満更でもなく思えていたこともまた事実。

 

 むしろ、相手が恋人ではない分、気持ち的に非常に気楽なものだった。

 友達感覚で接し合える距離感。お互いに性癖や欲求を晒し合ったフリーな関係。”彼女ら”の仕事上、時々は他の男に嫉妬してしまう場面はあるけれど、でも彼女らは別に自分の恋人じゃないしという自らへの言い聞かせによって納得できるのも、この関係性のメリットと言えるのかもしれない。

 

 尤も、特に自分は彼女らと半同居状態でもある立場なため、特別な関係として共に過ごすというシチュエーションよりかは、日常生活を共に過ごしていく場面が多いことで、互いに恋人のような関係を意識せずにいるとも考えられる。

 

 もはや、ルームシェアをしている親友。そんな感覚だった。まぁ、世間はこんな自分らのことを“セフレ”と呼ぶのだろうが、本人達はこうした関係も別に悪く思っていなかったりもするのだ。

 

 恋愛には満たない、親密な関係。互いの欲求を満たし合うだけの性的な繋がり。

 今の関係が、自分にとって何よりも心地良く感じられた。そしてそれは、彼女らもまた然り……。

 

 脳裏に巡っていた思考に浸る自分へと、隣を歩くラミアは首を傾げながら適当な調子で問い掛けてくる。

 

「あの、どうかしました??」

 

「あぁいや、なんでもない。ただ、何気ない日常をラミア達とこうして過ごせている今の環境が、なんだかいいなって感じていただけだから」

 

「?? なんですか急に??」

 

「あー、気を悪くさせちゃったならごめん……」

 

「別に?? ウチも、カンキさんのような都合の良いお方と出会えて良かったと思いますよ」

 

「俺からしても、ラミア達はきっと都合の良い人達なんだろうなぁ」

 

「つまり、ウチらは相性がイイってコトになりますねー」

 

 ぎゅっ。

 手を繋いでいた状態から、腕に抱き付いてきたラミア。それに自分は「うおっ」と声を出して驚いていく中で、彼女は特技の上目遣いでこちらを魅了しながら、同調した勢いで次のおねだりを行ってきたのであった。

 

「ではカンキさん。そんな相性バツグンなこのラミアちゃんに、タピオカジュースを奢るコトも厭わないですよね??」

 

 

 

 

 

 今回の同伴は、やけに出費が多い気がする。

 駅前の出店を巡る旅から、デパートの中へと移っていた現在の状況。今も手を繋ぎながらコーン付きのアイスクリームを食べているラミアと一緒に、自分も同じくアイスを口にしながら店内を歩き回っていく。

 

 若者が多く出入りしている店内の様子から、夏休み終盤の余暇を満喫している人々で溢れた周囲の光景。見渡すかぎり自分らよりも若いだろう男女のカップルが見受けられるその空間において、ラミアはこちらを見遣りながらそんなことを口にしてきた。

 

「ちぇ、なんだかカップルばっかりで気に食わないですねー」

 

「それ、俺らが言う?」

 

「別にウチらはそんなんではありませんよね??」

 

「まぁそうだけど……」

 

 何も間違ったことは言っていないはずなのに、ラミアの言葉を耳にした時にもちょっとだけショックに感じた自分。

 

 この心境に何かを悟ったのだろうラミア。次にも彼女は身を乗り出すようにしてこちらの顔を覗き込んでくると、悪戯な笑みを浮かべながらそれを訊ね掛けてきたものだ。

 

「あー、なんですかー?? もしかしてカンキさん、ラミアちゃんのコトを恋人として意識しちゃいました??」

 

「うぐっ。いやでも、別に俺じゃなくても、ここまで親密にされてもなおラミアに惚れない男ってのもあんまりいないと思うんだよね……」

 

「ははーん。つまり、ウチのコトが好きってコトなんですよね??」

 

「好きだよ。というか、バカンスの時にも同じようなこと答えたよね……?」

 

「カンキさんは解っておりませんねー。こーいうモノは、何回でも相手方に言わせたいモノなんですよー」

 

 猫耳キャスケットを被った小柄の彼女にからかわれる自分。これに自分は顔を赤く染めながらそっぽを向いたものだったから、ラミアは勝利宣言とも言えるだろう高らかな笑みを見せながら、暫しこちらを見遣り続けていたものだ。

 

 飽くまで、友達として好き。

 同じく彼女も抱いているであろうその好感。この距離感もまた堪らないと感じる自分が歩き進んでいく最中にも、ラミアはふと足を止めるなりエスカレーターを指差しながらそれを伝えてくる。

 

「あの、コスメを見てってもイイですか??」

 

「いいよ。もうじき夏も終わるから、秋の季節に合いそうなコスメを見たいんだよね」

 

「おやおや?? 随分とウチに詳しいですね?? これはラミアちゃん検定合格ですね」

 

「おかげさまでね。これで一級になれたかな」

 

「いえいえ、三級から準二級になったばかりですから、まだまだ気を緩めちゃダメですよー」

 

「あちゃー、こりゃまぁなんとも手厳しい検定だこと」

 

「というワケなんで、二級の受験料は今晩のご飯の代金となります」

 

「結局奢らせたいだけかい」

 

 繋いでいた手を離して、キャスケット越しにラミアの頭を撫でていく自分。それを受けて彼女は無邪気な笑みを零しながら二人でエスカレーターに乗っていき、上の階に上ってからラミアと共に化粧品コーナーを物色し始める。

 

 前にも彼女と訪れたことがあるこの空間も、やはり男という身では緊張を抱いてしまえる。

 

 その気持ちから来る周囲を見渡す視線が、とにかく落ち着かなかった自分。だが、こちらを気にすることのないラミアは付き添う自分を容赦なく引っ張るように連れ歩いてくると、今も店員さんの視線に気まずく思うこちらに構うことなく彼女は、手に取ったコスメの感想を片っ端からこちらへ投げ掛けてきたものだ。

 

 特に彼女は、ネイルについて様々なアドバイスを求めてきた。

 主に男性目線の感想を訊ね掛けてきたラミア。彼女の商売も男性客が多いことから、自分という都合の良い存在を上手く活用するようにこの言葉を掛けてくるのだ。

 

「コチラのネイルとかどーでしょう?? 宇宙をテーマにしているだけあって、メタリックで透明感のある銀色がとても際立っておりますけど、こういったネイルってオトコのヒトから見るとどう映るモンなんでしょーか?? カンキさん、何か感想とかありますか??」

 

「う、うーん。とても綺麗だなぁって印象は持ったりするし、銀色のネイルってなんだか新鮮にも感じられるから面白いなぁって思ったりするけれど……すごく正直な話、俺は相手のネイルをあんまり見ないから何とも言えないな……」

 

「……ホント、カンキさんってこーいうトコに無関心ですよね」

 

 ジト目。

 期待を下回る回答にテンションガタ落ちなラミア。そんな彼女の様子に自分は「ご、ごめん……」と謝っていくのだが、この言葉とは一方的にラミアはケロッとしながら「まー、そんなカンキさんを魅了できさえすれば、実質ウチの勝ちってトコありますもんねー」と言葉を口にしてくる。

 

 で、顔色をうかがうこちらの様子を逆手にとったラミアがクルッと振り向いてくるなり、必殺可憐な上目遣いを繰り出しながらこちらに寄りすがり、甘えるような声音で渾身のおねだりをかましてきたものだ。

 

「そこで相談なんですがー。カンキさんを絶対に後悔なんかさせないので、もしカンキさんがよろしければコチラ、ウチに買ってもらえないでしょうかー……??」

 

 あ、甘えてくるラミアの姿が眩しい……!!

 お金を払わされてばかりだというのに、全力で甘えてくる彼女を見てしまうと不思議と奢りたくなってしまうこの衝動。

 

 これには思わず、「ちょ、ちょっとお財布と相談させて……」と答えていった自分。

 

 だが、その返答にラミアは微笑を見せながらこう言葉を掛けてきた。

 

「ジョーダンですよ、ジョーダン。前々から思っておりましたけど、カンキさんってホント他人に甘いですよね?? 一周回ってちょっと心配になります」

 

「え、ごめん……?」

 

「謝らなくてもいいですから。まーウチはですね、お相手さんとのお食事など、そのお相手さんと一緒に何かをした時の代金だけ奢ってもらうコトに決めておりますから。なので、こういったジブンだけが使用する消耗品なんかはジブンで支払いますんで、そこんトコご安心くださいね」

 

「あぁ、そうなんだ……?」

 

「カンキさんとは関係の無いコスメなんかも奢らせていたら、それこそ貢がせてるみたいじゃないですか。ウチはそんなのイヤです。ジブンのコトは、ジブンで何とかしたいですからね」

 

 適当な調子でありながらも、芯を持った眼差しでそれを話してきたラミア。これを受けて自分は呆然とするように聞き入っていると、すぐにも彼女は踵を返すなり「じゃ、そーいうコトでコチラ買ってきまーす」と言ってカウンターへと走っていったのであった。

 

 

 

 

 

 ラミアとの同伴も、直に終わりを告げる夜の時刻。残暑が漂う夜の龍明にて、自分はお手洗いを済ませた足で待たせていたラミアの下へと駆け付けていく。

 

 そうして待ち合わせ場所である駅前の木へと近付いていくと、その時にも自分はラミアと会話する見知らぬ男性の姿を目撃した。

 

 黒色のハンチング帽子にサングラスという目の前の男性。男は焦げ茶色のアウターに黒色のパンツという格好でラミアと会話を交わしていくと、すぐにもポケットに手を突っ込みながら彼女から離れていったものだ。

 

 その様子をうかがいながらラミアへと歩み寄った自分。すると彼女は振り返りながらいつもの適当な調子でこの言葉を掛けてきた。

 

「あー、どーも。やっぱりオトコのヒトっておトイレ済ませるの早いですねー」

 

「あぁ、まぁね。それよりもラミア、さっきの人は?」

 

「なんでもありませんよー。カレ、芸能プロダクションのスカウトマンらしいです」

 

「スカウトマン? スカウトされたの?」

 

 訊ね掛けたこちらの言葉に、ラミアは「まー、そーですね」と淡々とした調子で答えてきた。

 その時にも、なんだか自分が誇らしく思えてしまったものだった。しかし、雰囲気からして契約という様子でもない彼女のサマに自分は再び訊ね掛けていく。

 

「すごいじゃんかラミア。それで返事はどうしたの?」

 

「モチロン、丁重にお断りしました」

 

「そうなんだ。でも大丈夫? 後悔とかない?」

 

「ありませんよ。ヒトから好かれるという点ではイマのお仕事とそんな変わらないんでしょうが、“表”でしか生きられないタレントさんとは違ってウチは、“裏”でしか生きていけないニンゲンなモノですからね」

 

 喋りながらも、どこか遠くを見遣っていくラミア。この彼女の横顔を自分はまじまじ眺めていると、ふとラミアはこちらへ振り返るなり手を取ってきて、かつ急に歩き出したことでこちらの手をグイッと引っ張りながらそれを口にしてくる。

 

「それよりもホラ、さっさと行きますよー」

 

「え? わ、分かった分かった! 分かったからそんな引っ張らないで!」

 

「ボサッとしてるカンキさんがワルいんです。ホラ、行きましょー」

 

 いや、行くにしたって一体どこに行くんだ?

 内心で抱いたその疑問。これを胸に秘めたままラミアに任せて歩き出した自分は、次の時にもこちらの腕に抱き付いてきた彼女と共に夜の龍明を巡り始めていく。

 

 二人で歩く夜の街並み。建ち並ぶビルの照明と看板の明かりが煌めくこの空間には、道を歩く人々と走る車が忙しなく行き交っている。

 

 特別な日でもない至っていつも通りの日常。また、大きなビルについた大型ディスプレイからは龍明で起きた事件を取り扱う報道が流れてくる中で、自分はラミアに連れられるままとある建物の前まで案内されていった。

 

 大通りから逸れた脇道。建物の間に挟まれた屋根付きのそこを二人で進んでいくこと数分経過して、ふと急に立ち止まったラミアの様子に自分もまた足を止めていく。

 

 そして、彼女が見遣っていた建物の入り口を見て、自分は静かに息を呑んでいった。

 ピンク色のネオンが眩しい看板と、料金表示された電子パネル。そして、目についた『AnAn・In』という文字が店の名前であることを理解していくと、今も立ち尽くすこちらへと振り向いてきたラミアにそう言葉を投げ掛けられたのだ。

 

「ココ、ウチのオススメです。今晩どーでしょーか??」

 

「あー……今晩どうかって、二人で泊まっていくってこと……?」

 

「とぼけちゃってもムダですよー。ココまで来たら、さすがのカンキさんでもわかっていらっしゃるクセに」

 

 こちらの上半身に体当たりするように抱き付いてきたラミア。

 

 それでいて、可憐な上目遣いを遺憾なく発揮しながら、こちらに甘えてくるような猫なで声でその言葉を口にしてくる。

 

「今さら先延ばしになんかできませんよ?? ココに来てしまった以上は、カンキさんにも腹括ってもらいますから、覚悟してくださいね??」

 

「……おっけ。分かった。分かった。大丈夫。もう、大丈夫。ただ、ちょっとだけ気持ちを整理させて……よし、もう問題ない。じゃあ入ろうか、ラミア」

 

「その意気です。往生際が良くて助かりますよ」

 

 腕ごと手を引いてくるラミアに促され、彼女と共に大人の空間へと踏み込んだ自分。

 開く自動ドアから一歩踏み入れていく未知の世界。その瞬間にも視界に入り込んできたのは、落ち着きのある黒色とピンク色で統一された高級感あふれるモダンなエントランスという光景だった。

 

 間違えて高級ホテルに入ってしまったのかと錯覚する、大人向けの目的で利用するとは思えないほどの華麗で上品なその内装。現代的とも言えるこの内部は一見するとカラオケ店を思わせるのだが、内装の壁や床はガラスのように透き通っていて、これらを歩いたり触ったりしてしまえばすぐにでも割れてしまいそうな繊細さをうかがわせる。

 

 まるで芸術品みたいだ。

 たかが大人向けのホテルと思って侮っていた。このエントランスに自分は緊張を超越した一種の感動さえも覚えていく中で、ラミアはこちらを連れながらトコトコと歩み進んで一つの大きなパネルの前で立ち止まっていく。

 

 それには、監視カメラの映像のようないくつもの写真が映し出されていた。

 写真の下には、部屋の番号と思しき数字が刻まれている。これを自分は脳死で見遣っていく脇で、ラミアは「じゃー、ココにしましょーか」とパネルの写真をタッチしてから『宿泊』となる選択肢を選び、そのまま付近のエレベーターへと歩き出していったのだ。

 

「カンキさん、コチラでーす」

 

「あぁ、分かった……」

 

 しかし、やっぱり場所が場所なだけに緊張は拭えない……。

 自分はこれから、ラミアと“そういう事”をするんだ。先ほどからこの思考がずっと脳裏に巡る中で、自分は到着した四階の狭い廊下をラミアと並びながら歩いていき、彼女が予約したのだろう部屋の前で足を止めていく。

 

 で、ラミアはそのドアノブを捻って開けていき、「どーぞー」と促す彼女に従うまま自分は部屋の中へと入っていった。

 

 最初から点いていた照明の下、自分は細い入り口を進んだその突き当たりへと顔を覗かせる。するとそこには、エントランスのモダンな雰囲気からは一転とした、シックで落ち着きのある空間が広がっていたのだ。

 

 壁や床は、落ち着いた黒色とピンク色の目に優しいボーダーとなっている。だが、店の入り口のような高級感からは一旦隔離された、ビジネスホテルを思わせる無難な雰囲気がまた心休まる空間を演出していた。尤も、部屋の中央にあったダブルベッドがこの店本来の目的を物語っていたものだが。

 

 営みのために用意されたそれへと歩み寄る自分。そしてラミアもまた黒色の小さなショルダーバッグを投げるようにベッドへ置いていくと、履いていた厚底ブーツも脱いで思い切りベッドの上に飛び乗りながらこちらへ喋りかけてきた。

 

「シャワールームもありますけど、カンキさんはどうします??」

 

「どうしようかな。ラミアのことを考えたら、今日の汗を洗い流した方がいいんだろうけど。ラミアは?」

 

「ウチは浴びません。汗は気になりますけど、それよりもメイクが落ちちゃうのがイヤですからねー」

 

「じゃあ、俺だけでも浴びた方がいい?」

 

「あー、じゃーもうそのままでイイですよ。汗臭いままくっ付くプレイもウチはキライじゃありませんから」

 

 へぇ、案外こういう感じなんだ……。

 入る前の印象とは異なる彼女の発言に、内心で汗を流していく自分。と、そんな自分が立ち尽くしていると、ラミアは適当な調子で「カンキさん、コチラに来てください」と言葉を投げ掛けてきた。

 

 彼女の言う通りに、自分も靴を脱いでベッドの上に乗り掛かっていく。

 そして、這うようにしてラミアへと近付いた。その瞬間だった。

 

 おもむろにこちらへ突撃してきたラミア。そして、自分の上着を引っ張るようにしながら彼女は仰向けに寝転んでいくと、この力に引っ張られた自分もまたラミアに覆い被さるように倒れてしまったものだ。

 

 あまりにも急であったのだが、彼女にぶつかるギリギリのところで両手をついていく。

 これによって、自分とラミアの顔が一気に近くなったこの現状。しかも、壁ドンならぬ床ドンのような姿勢になったことで一層と気持ちが高ぶってくると、この高揚感を更に刺激するかようにラミアは、甘くも切ない声音でその言葉を口にし始めてきたのだ。

 

「半年ほど前に初めてお誘いしてから、やっとここまで来ましたよね」

 

「……最初の同伴のこと、だよね。確かにあの日もラミアにお誘いを受けたもんだったけど……」

 

「カンキさんは強情すぎです。ウチ、カンキさんがこうして来てくれる日を、あの日からずっとお待ちしていたんですよ??」

 

「そうだったんだ。待たせてごめんね、ラミア」

 

 心からの謝罪を込めて、こちらから彼女の唇を奪っていく自分。

 ベッドに押さえ付けたラミアとキスを交わし、この唇で暫し彼女を堪能していく。その彼女もまたしっとりとした表情で目を瞑ってくると、ベッドについていたこちらの手を取って恋人繋ぎをしながらキスに応じ続けてきた。

 

 いつになっても、この高揚感に慣れやしない。

 下が疼いてきた本能からなる興奮。欲求も高まり、本番を目前にした現状から尚更と気分が昂ってくる。

 

 すると、こちらから溢れ出すフェロモンに反応するようラミアもまた頬を赤く染めながら、これまでに見せたことのない蕩けた顔つきを見せつつ、欲望を刺激してくる可憐で甘美な声音でその言葉を掛けてきたのだ。

 

「カンキさん。もう待ち切れないです。今日のために禁欲してきましたので、一刻でも早くカンキさんが欲しいです。なので、触ってください。愛でてください。好きなだけ舐めてください。ウチを、カンキさんの好きなように使ってください。今日のラミアちゃんは、カンキさんだけのモノなんですからね……??」

 

「長い間じれったい思いをさせて、本当にごめんね。それじゃあお言葉に甘えて、今日はラミアを存分に貸切るとするよ。ラミアをずっと待たせちゃった分、今日はたくさん満足させてあげるから」

 

「期待してもイイんですよね?? なら、さっさと始めましょーよ。ウチもう、ムリです。ガマンできません。早くメチャクチャにしてください……」

 

 彼女の服に手を掛けて、アウターから一着ずつ脱がし始めていく。

 この手がスカートに触れ、インナーに触れ、そして素肌に触れていく。こうして下着のみとなったラミアを抱き上げて、そんな彼女の目の前で自分もまた衣類を脱いでみせたことにより、互いに晒し合う状態となって向かい合っていった。

 

 もう、この欲望を押さえることは叶わない。

 理性を伴った高揚感。今も張り裂けそうなくらいに脈打つ心臓を抱え込んだ自分は、白のレースが大人びた印象を与える紫色のインナー姿の彼女をこの腕でしっかり抱きしめていく。

 

 そして、その小さな身体を大切にするように抱え込んでいくと、今も物欲しげな眼差しを向けていた彼女の期待に応えるように、本番前のディープキスを自分から行っていったのであった。

 

 

 

 

 

 この夜、ラミアとは甘く蕩け合う至福のひと時を過ごすこととなる。

 裸の付き合いとはよく言ったもので、言葉通りの状態でラミアと行為に及んだこの一夜は、自分にとって永遠に忘れられない特別な時間となったものだった。

 

 半年もの時間をかけて築き上げていった信頼関係。そこから来る距離感がまた、彼女と一つになれたという実感に拍車をかけてくれたのである。

 

 そんな彼女が見せてくれたあられもない姿がまた、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。

 全身をくまなく愛でていく過程でも切ない表情を見せていた彼女は、本番の行為によって悩ましい声音を上げ続ける非常に破廉恥なサマを披露してくれたのだ。

 

 それに加えて、事前にもメーから教えられていた彼女の好きなもので攻めていく。この知識が活かされることによって彼女が快楽に悶え続ける姿を終始眺めることができ、普段は絶対に見せない彼女の姿にそそられた自分もまた、彼女の快楽を優先した献身的な行為に浸っていった。

 

 惹かれるようにくっ付いたお互いの身体。性欲が織り成す関係性が両者の欲望を満たしていく中、自分らは尽きない欲望に身を任せ、数え切れないほどの行為の回数と様々なアプローチによって、夜遅くまで共に達し続けていく。

 

 それはもう、充実感と満足感に満たされた一夜になった。

 今でも、彼女と過ごしたあの時間が夢のように感じられる。尤も、彼女はまた応じると乗り気で言ってくれたため、それがいつになるかまでは未定であるものの、自分はこの時にも、より一層の深い闇へと落ちた気がしてしまえたものでもあった。

 

 まぁ、それでもいいか。それよりも今は、全身が悦びに満ちている。

 心が歓喜しているこの感覚に全てを委ねた自分は、既に疲労して眠りについてしまっていた彼女の隣に寝転がっていく。そして、裸体のままである彼女に寄り添うようにして、その小さくて可憐な身体を抱きしめるように腕を回していってから、自分もまた深い眠りへとついていったのであった。




 【chapter 3に続く…………】


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Chapter 3
第25話 Un abîme amical 《親身な深淵》


 秋を迎えた昼下がりの龍明。残暑も過ぎ去りつつある気候の中、自分は満たされた腹と共にLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を後にする。

 

 昼間に見せるレストランとしての姿のそこで昼食を済ませ、満足感を引っ提げながら店前の階段を上がっていった自分。すると、これを上り切ったところで店の裏口から出てきたのであろうレダが、黒色のコートに赤みがかった鼠色のワンピースといういつもの私服姿で「カンキく~ん」と艶やかに声を掛けてきたのだ。

 

 彼女の呼び掛けに応じて振り返っていく。そうして駆け寄ってきたレダに「あぁレダ、さっきぶり。仕事上がり?」と言葉を投げ掛けていくと、レダはいつもの黒色のスーツケースを提げながらこちらの左腕に抱き付いて、こう答えてきた。

 

「そうよぉ? せっかくだから、一緒に帰りましょう?」

 

「そうしよう。俺としても、誰かが傍に居てくれるとすごく安心するから」

 

「もちろんあなたの護衛も兼ねているけれど、個人的にもカンキ君に付きっ切りでいたいと思っていたからちょうど良かったわ~」

 

 さすがはレダ。オトコを意識させる言葉選びに余念がない。

 加えて、彼女が武器とする豊満な乳をぐりぐりくっ付けてきたものであったから、自分はいつものアプローチに慣れないまま頬を赤らめつつ、「とりあえず、歩き始めよっか」と言葉を掛けて歩き出すことにした。

 

 

 

 秋口の切ない風がそよそよと吹く私道。住宅に囲まれた閑静の空間をレダと二人で歩いていきながら、自分らは他愛ない話で談笑していく。

 

 その際にも見遣った隣の彼女。包み込まれるような優しい風に吹かれるレダの横顔は淑女そのものであり、褐色の肌と品位を感じさせる表情についつい見惚れてしまう。

 

 この視線に彼女は振り向いてくると、目が合った矢先にもレダから艶やかな声音で誘惑的に喋りかけられた。

 

「ウフフ、オンナを見る目に貪欲さが宿っているわぁ。最初はあんなにウブだったカンキ君が、今じゃわたし達ホステスの身体に目を光らせる立派な肉食動物になっちゃったわね~?」

 

「なんかそう言われると人聞き良くないな……。ラミアやメーもそうだけど、レダからも色気で攻め入られた男はこうなると思うよ……」

 

「あらぁ、そんなに褒められちゃったらわたし、カンキ君のことをもっともっと誘惑したくなっちゃうじゃない」

 

「褒めたつもりはー……まぁあるか。うん、あるな」

 

 毒されてきているなぁ……。

 人として堕落し続ける人生だが、快楽がもたらす幸福感に自分自身を納得させるよう言葉を呟いていく。

 

 この反応にレダは獲物を捉えたような舌なめずりを行っていくと、次の時にもこちらの身体を押してくるなり、道路の脇にある壁へと押さえ付けてきたのだ。

 

 そして、こちらの懐に潜り込んで顔を覗き込んでくるレダ。共にして胸も押し付けるようにその身体を急接近させてくると、その勢いのままこちらの首へと両腕を回していきながらそれを喋り出してきた。

 

「ウフフ……ねぇ~カンキ君、これからちょっとだけ寄り道していかないかしら?」

 

「……急にスイッチが入ったね。どこに寄り道していくの?」

 

「あら、訊ねるだなんてカンキ君も無粋なオトコねぇ」

 

「あー……ホテルってこと?」

 

「ねぇ、いいでしょう? ラミアと一線を越えたんだし、そろそろわたしの相手をシてくれてもいいんじゃないかしらぁ?」

 

「これはまたなんとも魅惑的な……」

 

 先日にも過ごしてしまった、あの甘美な快楽のひと時を思い出す。

 ラミアと致した男女の営みが、この身体に悦びという感覚を呼び覚ましてしまった。今も当時を思い出すだけで本能が疼き始めてくる状況に、自分は彼女の誘惑に乗る形で両手を伸ばしていってしまう。

 

 レダの女性らしい体つきをゆっくりと抱き寄せた自分。かつ、内心で「こんな時間に、こんなところでこんな事をしちゃダメなのに……」という葛藤を呟きつつも彼女を抱きしめて、今も眼前で艶やかながらも愛らしい表情でうっとり見遣ってくるレダへと言葉を投げ掛けていく。

 

「……メーが。まだメーのお誘いが残ってる……」

 

「それくらい大したことじゃないわよ。どうせメーともわたしともヤるんだから、だったらどんな順番でも構わないでしょう?」

 

「それはそうかもしれないけど……」

 

 ズイッと顔を近付けてきたレダ。共にして彼女から香るフェロモンが鼻をくすぐってきたことで、自分は理性を破壊される感覚を伴いながらゆっくりと彼女へ唇を近付けていった……。

 

 と、その時であった。

 遠くから真っ直ぐと聞こえてきた一つの駆け足。それが次第とこちら側に接近してくると、同時にして見知らぬ男性の声が掛けられていったのだ。

 

「し、白鳥(しらとり)ちゃんッ!!」

 

 急な呼び掛けで振り向いていく自分ら。特に、抱き寄せていたレダが機敏な動作でそちらへ振り向いていく。

 そこには、緑色のアウターに黒色のシャツ、そして灰色の寝間着のようなパンツという格好の男性が佇んでいた。彼は三十代くらいに見える容貌をしており、言葉は悪いかもしれないがどこか薄汚い印象をうかがわせる。

 

 それでもって彼は、息を切らした様子でゼーハーゼーハー呼吸しながらレダを見遣っていた。

 彼女の知り合いだろうか。不思議に思いながら眺める自分。一方、レダは冷静なサマでこちらから離れていくと、佇む彼に向かって真剣な声音でそれを訊ね掛けていったのだ。

 

「どうしたの? 何かあったの?」

 

「ハァ、ハァ……っ!!! よ、良かった。お店まで行ってたら間に合わなかったかもしれない……!!」

 

「大丈夫よ、落ち着いて。まずは呼吸をゆっくり整えて。そう、ゆっくりと息を吸って、吐いて」

 

 黒色のスーツケースを提げながら彼へと歩み寄るレダ。その彼女が手慣れたように慌てる男性を落ち着かせていくと、次にもレダは男性へとそれを問い掛けていった。

 

「食あたり? 暴行?」

 

「い、いやっ、それが分からないんだ……!! 急に橘さんがうずくまったと思ったら、ものすごい剣幕で腹痛を訴え掛けてきたんだ……っ!!」

 

「場所は? 案内して!」

 

「いつもの路地裏だ……! 頼む、早く橘さんを……!」

 

「分かってる!」

 

 会話と共に駆け出した男性とレダ。その様子に自分も雰囲気で駆け出しながら「お、俺にも何かできることはある?」と彼女に投げ掛けていくと、前を走るレダからは「とりあえず一緒についてきて!! もしかしたら手伝ってもらうかもしれないから!!」と、冗談抜きの真剣な声音で答えられたのだ。

 

 先までの艶めかしさの片鱗も感じさせない、目の前を見据えた真っ直ぐな眼。

 まるで別人とも言えるレダの雰囲気に自分は不思議に思っていく中で、男性の案内によって自分らは私道から外れたひと気の無い路地裏へと踏み入っていった。

 

 ボロボロになったビルとビルの隙間。そこに入るなり臭ってきたゴミ箱のそれに自分は鼻を摘まみながら突き進んでいくと、これを抜けるなり視界に広がった団地の一角にて、自分は龍明の実態をこの目で目撃することとなる。

 

 ブランコや滑り台などの遊具がある小さな公園。そこに張られたテントが複数と見受けられる空間の中には、ドラム缶風呂と思しき光景や今も煙る焚き火などの公園らしくない光景が展開されていた。

 

 その周囲には十名程度の男性が集まっており、皆が無精ひげを生やしていたり古びた衣類を身に纏ったりしている。そんな彼らは駆け付けたレダを見るなり、「良かった! 白鳥ちゃんだ!」や、「待っていたよ白鳥ちゃん!!」などの声を上げて一つのテントへと手で促していったのだ。

 

「この中に橘さんがいる!! すごく苦しそうにお腹を抱えているんだ!!」

 

 一人の男性が投げ掛けた言葉に、レダが「今すぐみるから!!」と即座に駆け込んでいく。

 自分もまた彼女に続くようにテントの中へ入っていくと、そこには薄い毛布の上でうめき声を上げる上半身裸の男性が、苦しそうに腹を押さえながら悶えている様子を目撃していった。

 

 すぐにも彼へと寄り添ったレダ。そして、提げていたスーツケースを地面に置いて、それを開いていく。

 

 開かれたスーツケースからは、薬品や絆創膏などのぎっしりと詰め込まれた医療用具がうかがえたものだ。

 中にはメスや注射器などの代物も入っており、レダはそこから聴診器を取り出しながらも苦しそうな男性へと言葉を投げ掛けていく。

 

「橘さん聞こえる!? 白鳥です!! 今からあなたの症状を診ますから、もう大丈夫ですからね!!」

 

 男性へと声を掛ける彼女の姿は、まるで医者そのものでもあった。

 手慣れた手つきで医療用具を使い分け、手際の良いそれらによって彼女は患者の容態を確認していく。

 

 そして直にもレダは、深刻そうな顔をしながらこちらへ振り向いてきて、この言葉を告げていったのだ。

 

「みんな今すぐ出ていって!! これから手術するから!!」

 

 しゅ、手術……?!

 呆気にとられた自分。一方で、周囲の男性達は聞き分けよく「あぁ分かった!」と返答していくと、一人の男性がこちらの肩に手を置きつつ「君も! さぁ行くよ!」と慌てながら声を掛けてきたのだ。

 

 これを受けて自分も「わかりました……!」と答えていくと、この時にも目が合ったレダの眼差しを一瞬だけ見つめてから、自分も急ぎでこのテントから出ていったのであった。

 

 

 

 

 

 あまりにも急すぎる展開で、脳の理解が追い付くまで少しもの時間を要した。

 テントの外でレダを待ち続ける自分ら。その間にも周囲の男性らと会話を交わした自分は、彼らがこの公園を拠点とするホームレスであることを把握していく。

 

 また、「柏島歓喜です」と名乗った際には、周囲の男性らは「柏島? 柏島って……あの柏島さんと関係ある?」と意味深に訊ね掛けてきたものだ。

 

 それを聞いてから、自分は父親である柏島長喜の名前を出して身分を明かしていった。すると彼らは「あぁ……! やっぱりそうなのか……!」と目を輝かせてくるなり、今は亡き親父の代わりとして彼らから感謝を告げられることとなった。

 

 話を聞くには、どうやら彼らは過去にも柏島長喜に救われたらしい。

 探偵として荒巻オーナーとバディを組んでいたという、こちらにとっては非常に接点の少ない謎多き身内。それでいて、自分が親戚に預けられて何気無い暮らしを送っている間にも、柏島長喜という男は社会の陰で様々な奮闘を繰り広げていたことを彼らから教えてもらった。

 

 以前にも親父に救われたという彼らは、元は大通りの路地裏で静かに過ごしていたホームレスだったらしい。だが、数年前にも『鳳凰不動産』という裏と繋がる表企業の人間にホームレス狩りと称されて襲われてから、その企業にしたくもない盗みや勧誘を強いられていたことを明かしてきた。

 

 そんなある日のこと、鳳凰不動産に労働を強いられる彼らの下に現れたのが、探偵の柏島長喜だった。彼もまた鳳凰不動産の行方を追っているということで相棒の荒巻と共に姿を現したらしいのだが、その彼らがホームレス達から話をうかがっているところに、武装した鳳凰不動産の連中が二人に襲い掛かったとのこと。

 

 銃や刀を携えた、凶暴な暴漢達。あからさまにまともな企業ではない連中にホームレス達が恐れおののく中、柏島長喜と荒巻のコンビはなんと武装した彼らを素手で撃退してしまったのだという。

 

 洗練された体術に成す術もなくコテンパンにされた鳳凰不動産の連中。相対する荒巻がくたびれた様子で息を切らしながら口元の血を拭っていく脇で、柏島長喜は威風堂々としたサマでこの場から去るよう連中に告げていったというのだ。

 

 ……なんだその話は。俺の親父ってそんなに強い人だったのか。

 身内の自分が知り得ない情報に、思わず耳を疑う表情で話を聞いていた。更には親父のやつ、あてのないホームレスを気の毒に思ったのか、以前に依頼の報酬でいただいたという持て余していたこの土地を、ホームレス達の避難場所として彼らに譲ったとのことだ。

 

 もはや武勇伝の域。語り継がれるに相応しい活躍を見せた親父をちょっとだけ誇らしく思う反面、親父の素性には一層もの謎のベールで覆われたような気もしてしまえて、余計に親父という存在がよく分からなくなってくる。

 

 そんな話をしていると、手術が行われていたテントからレダが出てきた。

 水色の頭巾やマスク、そしてエプロンという風貌の彼女。手袋もしているその格好で額の汗を拭いながらこちらに歩み寄ってくる中で、周囲のホームレス達はレダに集うよう駆け付けていく。

 

 そこで、男性の一人が「白鳥ちゃん! 橘さんは!?」と心配する言葉を掛けていったものだから、彼の問い掛けにレダは、頭巾やマスクを外しながら真剣な声音でそう答えてみせた。

 

「ひとまず安心して。大丈夫だから。経過観察次第ではあるけれど、とりあえず上手くいったわよ」

 

 レダの返答に、ホームレス達は「良かった……」と胸をなでおろしていった。この様子に彼女もまた安堵したサマを見せてから、彼らに病状の説明をし始めたものだ。

 

「橘さんはおそらく、十二(じゅうに)指腸(しちょう)潰瘍(かいよう)と思われるわ。これは、主にピロリ菌っていう幼い頃に感染する細菌によって発症する病気で、この細菌の影響で胃酸の分泌が過剰になってしまって、それが十二指腸という内臓にも流れ込むことでその壁の粘膜を溶かしてしまうという病気なの」

 

 自身の胃の辺りで手をグルグルさせながら説明するレダ。それでいて彼女は、周囲の面々を見渡すようにしながらそれを続けていく。

 

「特に橘さんの場合は深刻な状況で、『ものすごい剣幕で腹痛を訴えてきた』という様子から想像した通りに、橘さんの十二指腸には穴が空いていたのよ。これは流れ込んできた胃酸によって内臓が溶かされたことで開いた穴で、ここまで来てしまうと急いで手術する他にないわ」

 

「白鳥ちゃん……それでも橘さんは助かったんだよな……?」

 

「大丈夫。まぁ経過観察次第ってところはあるし、設備も整っていない野外で診断した結果だから、わたしの処置が正しかったかも分からないけれどね。何なら、橘さんの病気は十二指腸潰瘍じゃないかもしれない。それでも、橘さんの容態は一旦安定したわ」

 

「何が正しくて、何が正しくないのかなんておれ達にはサッパリだからなぁ。ただ、白鳥ちゃんが無事と言ってくれれば、おれ達は一安心といったところだよ……!」

 

 安堵の表情を見せてきたホームレス達。共にして彼らはレダを囲うようにしていき、仲間を救ってくれたお礼と日頃の感謝の言葉を掛けていったのだ。

 

 ホームレス達に囲まれたレダもまた、満更でもない顔で感謝の言葉を受け取っていく。そして彼女はこちらへ向いてくると、目が合うなり艶やかに笑い掛けながら歩み寄ってきたのであった。

 

「カンキ君も、来てくれてありがとう。結果的にただ待たせるだけになっちゃったけれども、いざという時の人手としてこれからもわたしに付き添ってくれると嬉しいわ」

 

 

 

 

 

 公園の入り口となる、路地裏のビルとビルの隙間。この真横で建物の壁に寄り掛かっていた自分が暫し夕方の空を眺めていると、隙間の小道からレダが現れた。

 

 すぐにも彼女は、「お待たせカンキく~ん」といつもの色気を伴った声音で言葉を掛けてくる。これに自分も「大丈夫だよ。それじゃあアパートに帰ろっか」と返しながら手を差し伸べたことで、レダは流し目混じりの誘惑的な視線を向けながら手を繋いできたものだ。

 

 こうして歩き出した自分ら。路地裏というひと気の無い空間を二人で歩く最中にも自分は、彼女がもう片方の手に提げているスーツケースを思い浮かべながらそれを喋り出していく。

 

「それにしても、まさかレダは“現役の医者”だったなんてね」

 

「そんな大層なものじゃないわよ~? わたしは“闇医者”。医者になる夢を叶えることができなかった、社会の掃き溜めを這いつくばる未練だらけの負け犬に過ぎないわ」

 

 自身を嘲笑するような笑みを浮かべたレダ。自虐ともとれる彼女のセリフに自分は「少なくとも、俺から見たレダは立派なお医者さんだよ」と答えていく。すると彼女はこちらへと振り向くなり意外そうな表情を見せてから、次にも微笑を零してそれを喋り出した。

 

「……ありがと、カンキ君。優しくされちゃうとわたし、なんだか濡れてきちゃうわぁ」

 

「あー……それは困ったなぁ……。早く帰って着替えないとね」

 

「ウフフ、涙で目元が濡れちゃうってイミよ? カンキく~ん。あなたは今、一体ナニを想像したのかしら~? やらしいわねぇ?」

 

「こりゃ一杯食わされたな」

 

 思わず苦笑い。そんなこちらの反応にレダがしてやったりな視線を向けてくると、繋いでいる手の力を少しだけ強くしながらも彼女は、路地裏の一本道を真っ直ぐと見遣りながらこれを話し始めてきたものだ。

 

「……わたしだって最初は、カンキ君のようなウブで純粋な人間だったわ。小さな頃から言われたことは必ずきちんとやってきていたし、年上の人間に対しては敬語を使ったりもしていて、学校に遅刻したことは一回もなかったし、宿題も一度も忘れずに提出したりなんかもしていた、とにかく真面目な優等生を気取った子供時代を過ごしたものよ」

 

「それってすごいね。俺なんか、さっき出てきた事柄の何もかもを真面目にできなかったもんだから、小さな頃から徹底して真面目なスタンスを貫き通せたレダは本当に、優れた人間性を持つ人だと思えるよ。どうりで医者にもなれたわけだ」

 

「あなたは、わたしを不真面目な人間だと思わないのねぇ」

 

「え、どうして?」

 

 今の話を聞いて、不真面目に思う要素なんてあったかな。

 思い当たる言葉が見つからない。この疑問に自分はレダへと振り向きながら訊ね掛けていくのだが、彼女はこちらの視線を受けてもなお目の前を見遣りながらそれを喋り出してくる。

 

「……見た目よ。わたしは幼い頃からずっと、見た目で判断されてきたわ。小学校に入った時点で胸の成長が始まっていたわたしは、常に周囲からそのことをいじられてきたのよ。それに加えて、この褐色肌が一層と性的な印象を与えてきたみたいで、本来なら守るべき立場にいる先生でさえ、わたしの身体を目当てに近付いてきたものだわ」

 

「……それって、他の周りの人達はレダのことを守ってくれなかったの?」

 

「守ってもらえるわけがなかったのよ。どうしてなのか、よくわかってる。それは、小学生でありながらも大人びたわたしの体つきが、周りに不真面目で不純なイメージを植え付けていたものだったから」

 

「不真面目ってそんな」

 

 確かに、自分から見てもレダという女性は、非常に魅惑的に思える人物であることは否めない。

 

 豊満な乳に、健康的な褐色肌。水色とピンクのオッドアイや女性らしい体格という彼女の身体的な要素の全てが、人間に備わる本能をどこかくすぐってくる。

 

 何だったら、自分だってレダの身体を魅力に思えて仕方が無いし、そんな彼女から放たれるフェロモンのような香りがまた、特に男という生物の理性を破壊しに掛かってくるのだ。

 

 他にも、欲情を誘う誘惑的な喋り方であったり、他者に対して親身になることができる彼女の性格が災いとなっているのだろうか。白鳥レダという女性が兼ね備えた、ありとあらゆるその要素が彼女の魅力であると同時にして、それらの要素がもたらした周囲への性的な影響力は実に計り知れない。

 

 幼い頃からそういった目で見られていたというレダ。彼女はこちらの手を握り締める力をより強くしながら、少し俯いた視線で再度と喋り始めていく。

 

「わたしはただ、世間的に真面目でありたかっただけなの。でも、わたしが真面目であればあるほど、周りはそれを『取り繕っている』と評価した。『あんな見た目をしてまともな人間であるわけがない』。『あれは男を知っている顔』。『その胸や太ももで遊んでいないなんて嘘に決まってる』。掛けられた言葉の数々には、身に覚えなんかなかった。だからわたしは必死にそれを否定し続けた。でも、“不真面目で不純な”わたしの意見なんて誰も信じやしなくって、周囲の勝手な言い掛かりでわたしは最終的に、社会の最底辺にまで追い込まれた」

 

 ……開けた路地裏の空間で立ち止まるレダ。沈んだ声音で俯く彼女を自分は見遣り続けていると、ふとレダは顔を上げてこちらと目を合わせながらそう言葉を続けていったのだ。

 

「でもね、そんな生活の中でたった一つだけ、わたしを認めてくれたものがあるのよ」

 

「それは一体なに?」

 

「わたしは小学生の頃、保健係って係を担当してたのだけど、授業の一環で山へハイキングしに行った時にね、クラスメートの一人がハチに刺されちゃったことがあったのよ」

 

 話の内容とは裏腹に、レダは嬉しそうにそれを話していく。だから、自分は彼女の話に「うんうん」と頷きながら、そう相槌を打っていった。

 

「それは危ないね。それから、その子はどうしたの?」

 

「あまりの痛みでギャンギャン泣いていたわぁ。だからわたし、保健係として自前で持ってきていた毒吸引器で、ハチの毒を抜いてあげたのよ」

 

「さすが保健係。その子もレダには感謝したんじゃないかな」

 

「えぇ、その子も泣きながらお礼を言ってくれたわ。でもね、当時のわたしにとって重要だったのは、その子から掛けられた感謝の言葉なんかじゃなかったの」

 

「他にも何かあったの?」

 

 相槌も兼ねた問い掛け。自分がそれを投げ掛けていくと、次の時にもレダは柔らかく微笑みながら、淑女と呼ぶに相応しき穏やかで気品のある表情を以てして、そう答えてきたのだ。

 

「……こんなわたしでも、誰かを助けることができるんだ。そんな、子供ながらの些細な実感。風当たりの強い学校生活の中で感じることができたこの感覚は後にも、わたしが医療の道を目指す際の一番のキッカケになったのよ」

 

「なるほど。レダが医者になったルーツは、そこから来ていたんだ」

 

「んもぅ、医者だなんて大層なものじゃないってば。……わたしは闇医者。大学の医学部で勉強に励んできただけだったのに、夢が目前に迫ったその時期に当時の彼氏に濡れ衣の罪を被せられたことで、学校側から退学を言い渡された人生の負け組。所詮わたしはオトコの性欲を満たすためだけに存在する意思を持ったラブドールで、世間の模範となる不純でふしだらな不真面目人間にすぎないのよ」

 

 それを語るレダの声音は、言葉の意味からは考えられないほどに明るく清々しいものであった。

 

 話の流れで彼女の経歴を知っていく。だが、彼女が背負う過去はどん底と呼ぶに相応しい希望の無い世界を描く物語となっており、ただ人として真面目に生きたいと願った彼女の末路に、自分は言葉にならない怒りのような感情がこみ上げていた。

 

 どうして、彼女のような真面目に生きようとする人間がそのような目に遭ってしまうのか。

 社会的な基礎を徹底した、行儀の良い誠実な姿勢。目標に向かって勉学に励むことができるひたむきな努力の積み重ね。彼女からうかがった話を聞く限りでは、彼女は責められるに値しない人間であるように自分は感じられてしまえるのだ。

 

 だからこそ、なぜ彼女のような人間が絶望を見なければならないのだろう。

 恵まれてほしい。どうか、幸せになってほしい。レダに対して沸々と湧いてきた複雑な感情に思考をめちゃくちゃにされ、感覚が暴走するあまりに涙腺が緩くなっていく。

 

 しかし、そんな自分の様子にレダは優しく微笑みかけてくると、次にも彼女はこちらに抱き付くなり両手を首の後ろへ回していき、そして自身の豊満な乳をこちらに押し当てながら囁くように喋り出してきた。

 

「ねぇカンキ君、わたしからお願いがあるの。わたしのお願い、聞いてくれる……?」

 

「ど、どうしたのレダ……?」

 

「ウフフ……大丈夫よぉ、そんな緊張しないで。ただわたしは、カンキ君に“褒められたい”だけなんだからぁ」

 

 自身の身体を、こちらの全身にめり込ませるように近付いてきたレダ。共にして背後の壁へ押し付けられていくと、回した両手でこの頭を抱き寄せるようにしてから、彼女の方からこちらの唇を奪ってきたのだ。

 

 唾液が混じり合う、濃厚な口づけ。貪るようなレダのアプローチに自分も応えるよう彼女の身体を抱きしめていき、それによって彼女の女性らしい体つきの全身が一層とめり込むように密着してくる。

 

 熱い抱擁を交わしている間にも、彼女の感触や温もりによって自分のソレは瞬く間に起き上がった。それを悟ったレダが脚でソコを押さえ付けてくるものだったから、自分は巡った興奮に息を漏らしながら彼女とのディープキスに専念していく。

 

 本当にこれで良かったのだろうか。湧き上がる疑問にイマイチ集中できないこちらに対して、レダは甘えるような上目遣いを見せながらその言葉を掛けてきた。

 

「カンキ君、わたしのことを褒めてちょうだい? ねぇ?」

 

「れ、レダ……。今までよく頑張ってきたね。生きていてとても苦しい毎日だっただろうに、目標に向かってひたむきに努力を続けることができたレダは本当にすごいよ……」

 

「あらぁ、嬉しいことを言ってくれるじゃない。んぅ、でもカンキ君、わたしが求めている褒め言葉はちょっと違うわぁ」

 

 魔性の微笑みを垣間見せながら、出した舌で挑発的に誘惑してくるレダ。

 これに自分は、彼女の舌を咥えるようにしてキスの続きを行っていった。それでもって自分は彼女の頭部を右手で押さえ付けるようにして、暫しとしゃぶりつくキスを堪能してからその言葉を掛けていく。

 

「でも、レダ。今の話を聞いたあとに身体のことを褒めるのも……」

 

「気にしないでカンキ君。体つきのことをあなたから褒められると、すごく興奮して仕方が無くなっちゃうのよ……。だから、ねぇ? お願いカンキ君……」

 

「……分かった。それじゃあ遠慮なくレダを味わうとするよ……」

 

 こちらから抱き寄せるようにして、彼女の身体を持ち上げるように抱きあげた。

 そのアプローチにレダは「あぁんっ」と艶めかしい声音を上げていく。これによって一層と気分が高揚した自分は頬を赤らめていくと、彼女を抱き寄せながらキス混じりにその言葉を浴びせていったのだ。

 

「今のレダ、すごくえろい顔をしてる。身体は俺の好みだし、服も似合っていてすごく可愛いよ」

 

「うふふ……っ。ねぇカンキ君。もっとちょうだい……?」

 

「レダから、えろい匂いがしてくる。レダを近くに抱き寄せただけで、俺の身体が反応しちゃうくらいに良い匂いだよ。あと、声も最高に興奮する……。そんな誘惑的な声で誘われたら、俺じゃなくてもみんなレダの虜になっちゃうかもしれない……」

 

「いいわぁ、その調子……っ。なんだか、わたしも全身が熱くなってきちゃった……」

 

 うっとりとしたレダの眼差し。彼女の蕩けたような目を見た時にも自分は、先の言葉責めからレダの“ある特徴”を察していく。

 

 ……おそらくだが、レダという人物は“褒められることで興奮するタイプ”の人間なのかもしれない。

 “承認欲求”、と言い換えた方が分かりやすいか。レダは、自身の身体が他人に認められることで性的な興奮を覚える傾向にあると考えられる。

 

 それは、日頃から豊満な乳をくっ付けてくる彼女からのアプローチを始めとして、以前にも交わした夜の公園での会話にて、自ら男集団を誘惑して複数を相手にする行為であったり、集団をダシにすることで柏島歓喜というオトコに自身を満足させるよう持ち掛けたりといった言動の数々が目立っていた。

 

 コンプレックスでもあっただろう自身の乳を強調する行為。自身の身体が、男集団に求められる満足感。そして、自身の身体が魅惑的であることを認識した上で、目の前のオトコにそれを触らせて興奮してもらおうとする挑発的な行為。

 

 それらすべて、承認欲求から来ていると考えることもできなくはない。

 彼女の過去からしても、律儀で礼儀正しく真面目な生徒であった彼女が褒められた場面は多くなかったことだろう。きっとその過去も関係していそうに見える。

 

 ……で、あるならば。今も“褒められたい”と口にする彼女の欲求を満たすためにも、自分は彼女のために全力を尽くさなければならない。

 

 レダの全身を両手で撫で回し、隅から隅まで愛撫し始めた自分。この巡り出した両手に彼女は瞳を潤ませていくと、レダは舌をだらしなく垂らしたそのサマで、この感触を欲しがるようにこちらを見遣り続けてくる。

 

 ……おあずけにされた子犬みたいで、愛らしい。

 全身にゾクゾクっと駆け上った高揚感。それに自分が我慢できないと言わんばかりにレダの頭を撫でていくと、次にも自分は無意識にも自身のパンツのベルトを緩め始めていって、彼女の瞳へと無言の承諾を投げ掛けていく。

 

 本能がレダを欲していて仕方が無い。

 疼く下の様子に、目で力強く訴え掛けてくるこちらのサマ。これによって自身は求められていると悟ったレダが何度も頷きながらくっ付いてきたものだったから、自分は了解を得たと認識するなりひと気の無い野外で及ぶ行為へと洒落込んでいく……。

 

 ……つもりでいたその時のことだった。

 

 ハッとした目を見せたレダ。直後にも彼女は真剣な眼差しで即座に振り返るなり、この言葉を上げていったのだ。

 

「ッ、誰なのッ!!?」

 

 …………。

 漂う静寂。彼女の声が虚しく消えたこの空間において、レダは周囲をくまなく捜索するよう見渡していく。

 

 彼女は元から、相手の隠し事を見抜いたり尾行の存在に気が付いたりなど、非常に鋭い感覚を持ち合わせていた。このことから自分も急いでベルトを締めていく中で、今も警戒するレダへと言葉を掛けていく。

 

「俺の命を狙ってるっていう連中……?」

 

「いえ、分かんない……。でもなんか、一瞬だけ“見られていた”ような気がしたから……!」

 

「とりあえず、この場から離れよう。アパートまで走って戻れば、レダが感じ取った視線を振り切れるかもしれない」

 

「え、えぇ、そうしましょう……っ!」

 

 冷や汗を流すレダの手を取った自分。これによって振り向いてきた彼女へと自分は頷いてみせると、レダもまたコクリと頷く動作を見せてから、二人で一斉に駆け出すなりその場を後にしたのであった。

 

 

 

 

 

 …………無人となった路地裏を映し出すモニター。この映像が照明となっている暗がりの空間にて、イスを軋ませる音が鳴り響く。

 

 寄り掛かった体重で背もたれが曲がり、しかし、それを気にすることなく天井を仰いでいったその人物。

 

 それは、モニターを乗せているテーブルに両脚をかけてくつろいでいくと、次にも“彼女”は頭の後ろに両手をやりながら流暢な方言でそれを呟いていったのだ。

 

「思った以上の鋭さやなー。こないに些細な気配にも勘付くなんて、そこらに生息しとる野生動物も持ち合わせとらん察知能力やろ。“紫のカノジョ”なんかウチの監視に全く気付かへんまま”カレ”とのエッチに夢中になっとったっちゅうのに、”闇医者のカノジョ”はウチの監視の目を悉く避けていくルートを選ぶもんやから、ほんま追跡に苦労しかないわー」

 

 言葉の意味とは裏腹に、気楽で快活な声音で喋っていく彼女。

 その後にも、テーブルの上にぎっしりと積まれた大量のモニターという光景を前にして、彼女は身を起こすように立ち上がっていく。そして暗がりの空間の中で首の骨を鳴らしながら軽く肩をほぐしていくと、彼女はモニターの前から歩き去りながらこの言葉を呟いたのであった。

 

「それにしても、ハッキングした映像で逐一とカレを追っていくのも、なんか地道っちゅうか単調っちゅうかー。ようやっとここまで来たんやさかい、せやったら後は、ウチが直々に出向いてカレと接触するとしようやないか。まぁそれやったら、いっそのことLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスにでもなってまうか!! こないに人目もつかない部屋にずっと閉じこもっとったら、せっかくのウチのナイスバディも宝の持ち腐れになってまうしなー!!」



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第26話 De Nouvelles beautés 《新たな美女その2》

 夜のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)でキャバレーを満喫していた自分。今日はミネの接客の練習相手としてお呼ばれしたことで、自分はこの日、お店の閉店までこの空間に滞在していた。

 

 黒色のタキシードという気品あふれる店の制服。それに身を包んだミネは、イメージカラーなのだろう黄色のシャツも着こんだその格好で自分の接待に臨んでくる。

 

 今回で二回目になるミネの接客だが、初日のガチガチな緊張感を目の当たりにした自分としては、既に何度か回数を重ねてきた彼女のこなれた様子に安堵したものだ。

 

 強いて言うならば、不良少女であるミネのムスッとした不愛想な表情が、ちょっとだけ気になったくらいか。尤も、取り繕う素振りも見せない堂々としたその自然体こそが、ミネの個性や魅力になっていたのかもしれないが。

 

 それでいて、現役の女子高生という売り文句からミネの人気はまずまずだという。特に、アルバイトとして加入したばかりのホステスとしては、とてもうまくやれているらしい。

 

 これを本人から聞いた自分は、実の親戚として誇らしく思えた。しかし、この気持ちが表情に表れていたらしく、ちょっとだけ自慢げにニヤついたこちらの反応にミネは、今も二人用の丸テーブルを挟んで向かい合うこの状態でキレ気味に言葉を投げ掛けてきたのだ。

 

「な、なんなのその顔……っ!! 今アタシのことをからかったでしょ……っ!?」

 

「いやいやそんな。慣れない環境の中で上手くやっていけてるんだなって思ってさ。菜子ちゃ……じゃなくてミネの初日を相手した身として、日頃からたくましく成長しているんだなぁってしみじみ思っただけだから気にしないでね」

 

「なっ……! だ、だからそういうのが……ッ!!! ッ、アンタってホントさぁ……!」

 

 怒りたいけど怒れない。

 複雑な心境で歪ませた表情とは裏腹に、受け取った言葉に頬を赤らめていく彼女。これにギリギリと歯ぎしりするようなサマを見せてくると、次にもミネは口を尖らせながらそっぽを向きつつ、ちょっとだけ縮こまった様子でそう喋り出してきた。

 

「…………まぁでも、成長はしてる、のかな……。ちょっとずつだけど、前に進めてる感じはする……。これも、さ。たぶんだけど、最初にアンタが相手してくれたおかげ、かもだし。だから、その……ッありがと……。アタシの相手をしてくれて……」

 

 胸の内にある自分の気持ちを言語化するべく、それを探りながら小さく喋るミネ。少女の健気な様子を前にして自分は思わず、『あっ護らねば』と思えてしまった。

 

 不良を気取る女の子が、頑張って素直な気持ちを喋ろうとするその姿。それに親心のようなものも芽生えた自分は、「俺で良ければ、いつでも相手になるからね」と、親戚のお兄さん目線でそんな返答を行っていく。

 

 そんなもんだから、こちらの反応にミネは再び「だ、だからさぁ……っ!!! その、なに、よくわかんないけどアンタ、アタシのことなめてるでしょっ!?」と逆ギレをかましてきたものだった。

 

 これには自分も、声を荒げる彼女をなだめるべく平謝りしていった。

 両手で「落ち着いて」と軽く振っていくこちらのサインに、ミネは照れ隠し的な頬の赤みで不機嫌な表情を見せてくる。その彼女の様子に自分はホッとしながら深々とイスに座っていくと、そんなこちらのやり取りを見計らうように、他所からタキシード姿のラミアが歩み寄ってきたのだ。

 

 あからさまにニヤニヤした顔。ラミアのそれにミネがカーッと顔を赤くしながら目を見開いていくその脇で、閉店準備をしていたラミアは片手に箒を持ちながら言葉を掛けてくる。

 

「どーも、カンキさんにミネさん。今日もお勤めご苦労様でーす。それにしましても、相変わらずの仲の良さですねー。遠目から見ていても、お二人さんの仲睦まじい様子がよくわかりましたよー」

 

 と、ミネを直視しながら口にしたラミア。

 確信犯とも言えるラミアのそれに、ミネは「仲睦まじい……?! アタシが、コイツと……!?」と言葉を発しながらこちらを指差してくる。しかし、直後にも差した指を引っ込めながら「あ、ごめん……」と口にした彼女は、自身の行いに落ち込むようしょんぼりとしたサマで俯いてしまったのだ。

 

 何というか、色々と複雑な時期なんだなぁ。

 そう思いながら、自分は「いいよいいよ、気にしないで」と返していく。それから自分はラミアへと向いて「ラミアも今日一日お疲れ様」と口にすると、ラミアはニッと笑みを零しながらそれを伝えてきたものだ。

 

「あーハイ、お疲れ様でーす。それはそれとしてですね、カンキさんにお呼びがかかっておりますよー」

 

「俺に?」

 

「そーです。アチラにいらっしゃる荒巻オーナーからですねー」

 

 店の奥へと手で促したラミア。それを自分とミネが視線で追っていくと、そこには荒巻を始めとして、ユノ、メー、レダという面々が集まっていた。

 

 真剣な話というよりは、和やかな雰囲気が見て取れる談笑の様子。ユノだけが荒巻に対して微妙な表情を向けていくその光景に、自分は「俺に何の用なんだろう」と言いながら立ち上がってそちらへ向かい出していく。

 

 それと共に、ラミアとミネがついてきた。

 一緒に歩いていくその最中、ラミアはこちらに引っ付くような距離で足並みを揃えてくる。これにミネは不思議そうな視線を暫し送っていたものであったのだが、直にもハッとするなり彼女は一人で顔を真っ赤に染めていった。

 

 何というか、見ていて飽きない少女だなぁ。

 とても呑気な感想を内心で抱いていく自分。それとはまた別にラミアは、ミネの様子にからかうような視線を向けつつそれを訊ね掛けていく。

 

「おや?? おやおや?? ミネさんどーかされましたかー??」

 

「えっ? あ、いやっ、別になんでもないけどっ……」

 

「んー?? そう仰られる割にはミネさん、なんでもあるようにうかがえますよ?? まるで、ウチとカンキさんという組み合わせに反応なされたように見えましたけど、一体ナニを想像なされたんでしょうかー??」

 

「へっ、ッ。ぁ、いや、だって。だって、さ。その……」

 

「あー、心配には及びませんよ?? “あの夜”カンキさんは、ウチのコトをとっても優しく扱ってくれましたからねー」

 

「ッ……そ、そうなん、だ……っ? へ、へぇ……ッ」

 

「ココだけの話ですけど、カンキさんは舌の使い方がとってもお上手でした。その滑らかな温もりでウチのいろんな場所をたっくさん愛撫してくれましてねー、それはもう天にも昇る気持ちを堪能したモンですよ」

 

「ぇッ、ぁ、ぇっ……へ、へーぇ……し、舌で……っ、舌で…………。う、ぅぅ……」

 

 脳内に流れてきたであろう濃密な光景に、純真な心を持つミネは呂律の回らない調子で顔を真っ赤にしてしまった。

 

 想像しなければ良かった。そんな、自滅したと言わんばかりの気弱な声。恥ずかしいあまりにふにゃふにゃになったミネが目をグルグルにして俯いていくと、ラミアはすぐにも「あーすみません、ミネさんの反応が可愛らしくってついからかっちゃいました」と慰めるように彼女の頭を撫でていく。

 

 まぁ、無理もない……。

 ミネは、自分がラミアと“致した”ことを聞いていたのだろう。そんな存在が二人揃って自身の真横で並んでいるのだから、耐性が無い人間にとっては意識せざるを得ない状況であることもまた確か……なのかもしれない。

 

 そんなミネは、ものすごく恥ずかしそうにそっぽを向いていった。それに対してラミアは適当な調子で謝りつつも、女同士のノリでミネに抱き付きながら彼女の頭を撫で続けていたものだ。

 

 このやり取りを交わしていく内にも、自分らは荒巻らの下に到着した。

 合流したこちらに、荒巻、ユノ、メー、レダが振り向いてくる。そしてホステスらがそれぞれの調子で「お疲れ様」と挨拶を口にしてくる中、荒巻はこちらと目が合うなり指をパチンッと鳴らしながら突拍子もなくそれを訊ね掛けてきたのだ。

 

「よーぅカンキちゃん!! 突然ではあるんだけどよぉ? ちょいとばかしオレちゃん達の話に付き合ってくんねぇかな?」

 

「えぇ、皆さんのお力になれるのならば是非……?」

 

「そうかいそうかい!! そいつぁ助かるぜ!!」

 

 普段通りの陽気な調子で荒巻は喋っていくと、同時にして彼はこちらの肩に左腕を掛けてくるなり、口元に手をあてがいながら耳元でそれを問い掛けてくる。

 

「なぁカンキちゃん……オマエさんも好きだよなぁ? バニーガール……」

 

「え? バニーガール……??」

 

 あまりにも唐突すぎる同意を求められ、自分は堪らず呆然としてしまった。

 この様子に、ユノは鼻でため息をつきながら荒巻へと言葉を投げ掛ける。

 

「オーナー、柏島くんを困らせないでちょうだい。彼は私達にとって最も大切なお客様よ。彼を困らせることそれ即ち店の恥であることを知りなさい」

 

「んまぁいいじゃねぇかこれくらいよぉ? ってなこった。ななっ、カンキちゃん。やっぱオマエさんもバニーガールが好きだろ? なぁ??」

 

「そ、そうですねー……何と言いますか、嫌いではない、です……?」

 

「だろぉ?? やっぱ男って生き物はバニーガールに魅了されるようにできてる生き物なんだよなぁ!!!」

 

 途端にしてハイテンションになった荒巻。彼の言葉に尚更と状況を呑み込めずにいた自分が首を傾げていくと、こちらの様子にメーがそう説明してくれたのだ。

 

「あは、案の定困っててほんとウケる。あのねカンキ君、私達は今、お店でやる次の企画について話し合っていたところだったんだよ」

 

「お店でやる次の企画? あー……そういえば前に、シャンパンフェスとかやってたっけ?」

 

「そーそー! そんなかんじで、店では定期的にちょっとしたイベントを開催したりしててさ。今も、次はどんなイベントをしようかーって談義をしてたところだったんだよね」

 

「なるほど。……ん? でもそれじゃあ、それとバニーガールってどんな関係が……?」

 

 尚更とよくわからなくなった。

 顎に手を添えながら天井を見遣った自分。これに対してレダがそう答えてきたものだった。

 

「次のイベントでね、一時的にわたし達の衣装を変えてみない? って話が出てきたのよ~」

 

「一時的にホステスの衣装を変える? えっと、それってつまり……そのイベント期間中はタキシードじゃない格好で接客するってことなのかな……?」

 

「ウフフ、呑み込みが早くて助かるわぁ。そう、わたし達の衣装を一時的にタキシード以外のものにしてみないかって案が出てきて、これにみんなが賛成したからその内容について考えていたところだったのよ」

 

 レダの説明に「なるほど」と納得した自分。

 と、直後にも再びこちらの肩に左腕を掛けてきた荒巻。その百八十八の高身長からなる身体が圧し掛かってきた衝撃に思わずフラついていく中で、荒巻は陽気な調子でひたすらに同意を求め続けてくる。

 

「まぁそういう話なモンだからよぉ、なぁカンキちゃん、オマエさんもみんなのバニーガール姿を拝んでみたいと思わないモンかね??」

 

「な、なるほど……みんなのバニーガール姿、ですか……」

 

 荒巻にそそのかされるように周囲の面々を見遣っていく自分。

 ……あーーー、見てみたいかもー……。美女が揃う光景に心が揺らいだ自分は静かにその日を楽しみに思えてしまえたものだった。尤も、こちらの視線を受けたミネは、軽蔑するような目を向けて「……最低」と呟いてきたものでもあったが。

 

 また、こちらの真横では確信めいた表情でニッと笑んでみせた荒巻。そんな彼に対してユノはジッとした目を向けていくと、しかし寛容的な声音で凛々しくそれを口にし始めてくる。

 

「……バニーガールは有力な候補の一つでしょうね。衣装の雰囲気と、キャバレーという色気を伴う店の形態と噛み合っているところが評価できるわ。尤も、これを提案したのがオーナーであることに不本意極まりなく思うものだけれども」

 

「ふっふっふ……。オレちゃんだってなぁ、伊達にキャバレーのオーナーをやっているわけじゃないのよユノちゃん」

 

「貴方の場合は店の利益やお客の反応を鑑みての提案ではなくて、ただ単純に自分が見たいから提案しただけに過ぎないでしょう。勝手なエゴを持ち出しておきながら何を得意げになっているの。寝言は寝てからいいなさい」

 

「ぐほぁっ!! なんてパンチの利いた返答なんだ……っ!! この容赦ない辛辣さがまた、オレちゃん最高に堪らない……ッ!!」

 

「…………」

 

 オーバーリアクションで仰け反りながら先のセリフを口にした荒巻。それにユノが冷ややかな視線を向けて心から蔑んでいくと、彼女はすぐにも切り替えるように目を瞑ってからこちらへ振り返り、凛々しいサマでそう訊ね掛けてきたのだ。

 

「それで、柏島くん。オーナーの提案とはまた別にして、貴方からも意見をうかがいたいと思っていたのだけれども、もし柏島くんが良ければ今この場で貴方の意見を求めてもいいかしら?」

 

「あハイ、俺の意見ですか。そうですね……お店の利益やお客の反応ですか……」

 

「どんなものでも構わないわ。柏島くんは来店するお客様の立場にあるものだから、私達のような店の従業員にはできない、客目線の柔軟かつニーズに合った発想なんかが思い浮かんでくるかもしれないわね」

 

 そ、そう言われるとプレッシャーになるんですけど……。

 これを悪気なく、純粋な期待の面持ちで訊ね掛けてくるユノであるからこそ、自分は余計に緊張を伴いながら真剣に思考を巡らせたものだ。

 

 ……皆からの視線が注がれる中、暫し思考に耽って無難な返答を考えていく。

 と、ここで自分は周囲の顔色をうかがうようにしながら恐る恐る言葉を口にした。

 

「……お店の雰囲気に合うかは分かりませんが、メイド服とかどうでしょうか……?」

 

 メイド服という提案に、ラミアとメーが食い付きの良い反応を見せてきた。レダなんかは「あらぁカンキ君、そういうのがお好みなのかしらぁ?」と新しい玩具を見つけたかのような眼差しを向けてきて、ミネは「……アンタ、そういう趣味あるの?」と引き気味な調子でうかがってくる。

 

 これ、何が正解だったんだろ……。

 悶々とする内心の中、ユノは数回と頷いてからそれを問い掛けてくる。

 

「柏島くん、もし貴方が良ければなのだけど、その案を出すに至った理由や経緯なんかも説明してもらえるかしら? もちろん、言語化できる範囲で構わないわ。こういうものはフィーリングも重要ですもの」

 

「一応、説明はできます。まず、キャバレーなどのお店に訪れるお客様は主に、可愛い女の子に接待してもらいたい方々だったりすると思うんです。それで、そういう方々ってきっと、人と会話したいという気持ちであったり、人と楽しく過ごしたいって願望があると思うんですね。で、人間その考えに至る時って大体が寂しい気持ちの時であったり、心が疲れてしまっている時だと思うんです。主に俺がそうだったんですけど」

 

「えぇ、続けてちょうだい」

 

「あぁハイ。それでですね……そんな、気持ち的にもしんどくて、なんだか疲れちゃったなぁって思った時にメイド服の可愛い女の子に出迎えてもらえたら、なんだか嬉しいなって。そう思えただけ……です」

 

「ふむ」

 

「まぁ、これでは実質メイド喫茶のようなものになってしまうかもしれません。ですが、お酒が飲めたりショーを楽しめるメイド喫茶と考えますとそれはそれで珍しい形態かと思えますし、普段はタキシード姿でビシッと決めているホステスさん達が可憐なメイド服を着ているっていうギャップなんかも、俺のような常連客からしたら最高だなって思います。やっぱこう、新鮮さも欲しくなってきますよね」

 

 無難な返答はできたのかな。ひとまずの安堵でホッと一息をついていく自分。

 で、こちらの提案を聞いていたユノがひとり頷きながらメモ帳につらつらと文字を記入していくと、しばらくして彼女は顔を上げながら凛々しいサマでそうお礼を述べてきたものだ。

 

「来店客の立場から見た視点と、現実的な仮装の提案。それに、他企業との差別化点や、個人の主観を交えた一客としての率直な感想。……いいわね。これくらい本人の意図が明確になっていると、採用した際のイメージがつきやすくてとても助かるわ。柏島くんのような返答を期待していたのよ。さすがは柏島オーナーの息子さんね」

 

 と言いながら、ユノは荒巻を見遣っていく。その視線に対して荒巻は陽気にニヤつきながら手を振ってきたものであったから、ユノは頭痛を伴うかのように頭を押さえる仕草を交えてから再びこちらに向き直ってきた。

 

「柏島くんの提案も、候補の一つとして検討するわ。急なお願いだったにも関わらず、オーナーのお手本になるような回答をしてくれて本当にありがとう。おかげさまで助かったわ」

 

 オーナーのお手本に、の部分だけ強調しながら感謝を伝えてきたユノ。

 尤も、彼女の言葉に続くよう口を開いた荒巻は、「そいつぁ名案だなぁカンキちゃん!! だったらよぉ、いっそのことバニーガールとメイド服の両方を採用しちまえばいいんじゃねーか!?」と得意げに喋り出してきたものだったから、ユノは諦めたような調子で「……検討するわ」の一言を告げたのであった。

 

 

 

 

 

 業務終わりのLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)は、とても穏やかな空気に包まれていた。

 

 仮装するイベントの話の後にも、今日の業務で起きた出来事なんかを皆で交わし合う和気藹々としたその空間。他のホステス達も通り際に会話に参加してきたりなどの和んだ様子を自分は見ていると、ふとレダの表情が変化したことに気が付いていく。

 

 共にして、周囲を見渡すような素振りを見せた彼女。これに自分が「レダ、どうしたの?」と訊ね掛けていくと、次にもレダは真剣な声音でそう喋り出してきたのだ。

 

「……知らない靴音。ねぇ、誰の足音……!?」

 

 どこか焦りさえもうかがわせたレダの反応に、皆が彼女に注目した時のことだった。

 エントランスに繋がる廊下から響いてきた、カツカツというヒールのような靴の音。それへと一同が振り返った頃には、“その人物”は既にこちらの近くにまで歩み寄っていたものだ。

 

 それは、ヒール込みで百六十八ほどの身長である女性。活気に溢れた活発的な表情が印象に残る彼女は緑色のキャップを被っており、活力でキラキラさせながら見開いた黒色の目と、膝丈まで伸ばしたミルクティーベージュの長髪を低い位置で結んだツインテールにしてあるその容貌。

 

 服装は、膨らみのある緑色のパーカーをだらしなく着こなすことで肩を出しており、へそ出しで背中の開いた黒色のキャミソールを着用している。また、青色のホットパンツのボタンを敢えて開けておくことで黄色のショーツをチラ見せする大胆なコーデをしており、薄い黄色のヒールサンダルと、首に掛けた緑色のヘッドフォンというその外見でこちらに姿を現してきていた。

 

 右手には大きめのタブレットを持ったその佇まい。そして直にも彼女は流暢な方言でそう喋り出してきた。

 

「いやぁ~、実際に来てみるとめっちゃ派手な内装やねー!! どこを見渡してもギラッギラしとんのがまたザ・キャバレーってカンジやなぁ!!」

 

 挨拶代わり、とも言えるのだろうか。それを口にしながらニカッと笑んで左手を振ってきた彼女。その素性の知れない人物に、ラミアとメーがこちらと遮るよう自分の目の前まで歩いてくる。

 

 こちらの命を狙う刺客かもしれない。この警戒からレダもまた注視する様子を見せていき、ユノは付近のホステスへと目配せを行っていく。ミネも不審に思う素振りで首を傾げていく一方で、荒巻は彼女のくびれに「ほほぉ……」と注目していたものだったから、これにユノは呆れた表情を見せた後に侵入してきた彼女へと言葉を投げ掛けていった。

 

「お嬢さん、もしもお客様としてご来店なさったのでございましたら、生憎ですが本日の営業は終了したため後日改めてお越しいただけますと幸いです。しかし、お嬢さんの目的がそれ以外であるのならば……店内の警備や監視カメラの目を潜り抜けてここまで辿り着いた貴女という存在を、我々は侵入者と見なさざるを得ないことになるわ」

 

 丁寧な対応を交えながらも、凛々しいサマから繰り出される威圧の眼差し。声も低いユノのそれに、女性は繕ったような仰天を行いながらこう返答してきたのだ。

 

「おーおー、なんやおっそろしい!! その迫り来る気迫、さすがは“龍明の女帝”って言われとっただけはあるなぁ。せやけど、そんな目で見んとってなー。ウチは別に、みんなが思うほどの怪しいモノやないで!!」

 

 龍明の女帝。この言葉にユノは一層と警戒する目を向けていく。

 尤も、その女性はユノからの鋭利な視線を気にすることもなく、むしろ右手に持っていたタブレットを操作しながらそう話し始めてきたものだ。

 

「ただなぁ、ウチのような“ハッカー”に容易く侵入されるようなザル警備の自分らがいけないんちゃうか? 特に自分ら、裏の連中に目をつけられとるのに、コンピューター関連のセキュリティがごっつ甘いで。まぁウチにかかればどないなコンピューターも簡単にハッキングできるけどな。それにしてもこんなセキュリティじゃ、自分らが“知られたない思う連中”にも情報が筒抜けになるで」

 

 活発的でありながらも淡々と喋る彼女は、何気ないサマでそのタブレットの画面をこちらに見せてくる。

 

 そこには、店内の様子を映し出した複数の映像が流れていた。その色合いが若干とモノクロ調であることだったり、今も自分らと謎の女性が映し出されている様子から鑑みて、この映像はLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に設置された監視カメラのものであることがうかがえる。

 

 そのリアルタイムの映像が、彼女が持つタブレットの画面に収まっていたのだ。

 これに一同が息を呑んでいく。そんなこちらの反応に女性は得意げな表情を浮かべていくと、次にも彼女はユノを見遣りながら言葉を投げ掛けてきた。

 

「どうや? ウチのハッキング能力、中々やろ? できることはハッキングだけやないで。ウチはITにも強いから、接客だけやのうてエンジニアも担当できると思うねん」

 

「……実践も兼ねることによって、自身の能力も証明していく。貴女の主張で、ここに訪れた大方の意図は汲み取れたわ。貴女、この店の従業員になることを希望しているのでしょう」

 

「あぁ大体そんなかんじや!! 自分、呑み込みが早くて助かるわぁ!!」

 

 彼女の返答に警戒の視線を向け続けるユノ。だが、その彼女は眩しいほどのニカッとした笑顔を見せながら指を差してくると、見せていたタブレットを下ろしながら帽子の位置を直す仕草を交えつつその言葉を口にしてみせる。

 

「ハッキングのついでになぁ、この店のコンピューターに記録されていたデータを全部抜き取ったりもしたんや。ほんでそのデータを一通り拝見してみたら、この店におけるスタッフの採用条件が、犯罪経歴があることとか書いてあるやんか。それやったら、ウチも犯罪ができることを証明せぇへんといけないやん? せやから、ハッキングっちゅうウチの十八番でアピールしてみたんや。どうや? ウチもこれで合格やろ? ウチもこの店の従業員になれるやろ? な??」

 

「待ちなさい。貴女、今、店のコンピューターに記録されていたデータを“全部抜き取った”と、そう言ったわね?」

 

 彼女のアピールなんて二の次。それ以上に聞き捨てならない言葉を耳にしたユノが、凛々しいサマでありながらも真剣な声音で彼女へと問い掛けたものだ。

 

 これに対してハッカーの彼女は、「そうやでー」と軽い調子で答えながらそう喋り出してくる。

 

「いやぁー、採用試験の参考にと思うて、つい拝見してもうた! ほんなら、この店に勤める自分らの知られたない個人情報がぎょうさんと載っとったりしとってなぁ。自分らの濃厚な経歴にほんま仰天したでー。この店、元銀嶺会直系葉山組組長やった女帝のネーチャンがおったり、三桁は確実に殺っとる一流の殺し屋ボーイなんかもおったりするし、ほんで、かの柏島長喜の息子となる“カレ”っちゅう存在も関わっとるときた。特にウチ、柏島長喜の息子っちゅうカレにごっつ興味を惹かれたわぁ」

 

 そう言って、こちらを真っ直ぐと見つめてきた彼女。

 目が合った。そう思った直後にも、ラミアとメーが守るように立ち塞がってくる。これにハッカーの彼女は冗談めいた調子で「ごめんてごめんて!」と笑い飛ばしていくと、すぐにもユノを見遣りつつ話を戻してきた。

 

「ほんで、ウチも採用になるやろ? そこんところ、どないなっとる? 次は契約書でも書かされるんか?」

 

「犯罪経歴や技術は申し分ないでしょうね。これで接客もこなせるのであるならば、即戦力も期待できるでしょう」

 

「やったら、ウチもこの店の従業員にー」

 

「でも、貴女という存在は未だに得体が知れないわ。我々はまず、対象の素行調査を不備なく済ませた上で採用面接を行うという慎重な手順を踏んでいるの。その素行調査を済ませていない素性の知れない人間を即決で採用するわけにはいかない。それは、雇用する我々にとっての多大なリスクになり得るからよ」

 

 ハッカーの彼女から寄せられる期待の眼差しに反して、冷静な声音でその説明を行っていったユノ。そんな彼女の隣では荒巻が腕を組みながら「うんうん」と頷いていたものだ。

 

 こりゃもう、どっちがお店のオーナーなのか分からないな……。

 内心で汗を流した自分。だが、ユノの説明にハッカーの彼女は、失望感に満たされた残念そうな表情を見せながらユノとの会話に臨んでいく。

 

「なんや、すぐホステスになれるわけとちゃうんか。オマケに、素行調査とやらも必要ときた。まぁ、自分らの店の方針は理解したで。やけど、素行調査は絶対にさせられへん」

 

「素行調査を拒む限りは、貴女をLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に迎え入れることはできないわ。それとして、貴女が素行調査を拒む理由をうかがってもいいかしら?」

 

「そんなん、ウチの正体が知れたらそれこそ、自分らはウチのことを目の仇にしてくるからや」

 

「それじゃあ尚更、貴女という存在を迎え入れるわけにはいかないわね」

 

 突き放すように言い切ったユノ。それを前にしてハッカーの彼女は『困ったなぁ……』と言わんばかりの顔をしてみせると、ふと何かを閃いたように目を見開いてくるなり、ユノの顔色をうかがいながらそれを喋り出してきたのだ。

 

「……なぁ自分。今、自分らがどんな立場に立たされとるか自覚あるんかいな?」

 

「…………」

 

「おっ、イタいとこ突かれた顔をしたな? せやで、ウチは今、“自分らの機密情報”を掌握しとるんやで? せやから、今ここでウチを門前払いしたらどうなるかわかっとんのか?」

 

「脅迫しても無駄よ。貴女は既に籠の鳥。貴女に逃げ道なんて用意されていないわ」

 

「素直に返すつもりもないっちゅうことやな。なら好都合。実はなぁ、ウチのアクセスが一時間途絶えた瞬間にも、自分らの情報がネットの海に放流されるプログラムを仕組んであるんや。あー、無暗に解除を試みようとするのはやめとき。間違ったパスワードを一度でも打ち込むと、その瞬間にも放流される仕組みになっとるし、パスワードを吐かせるべくどんな拷問を仕掛けてもウチは絶対に口を割らへん。だって、一時間耐え凌ぎさえすればウチの勝ちやさかい、どんな生き地獄を見せられたとこでウチの勝ち逃げ確定や」

 

 ……あれ、実はお店の危機だったりする……?

 裏社会と通ずる店の実態。それを人質のように振りかざされた今の状況に自分は、最大のピンチを感じ取っていく。

 

 もちろんこの危機感を抱いていたのは自分だけではなく、ラミアやメー、レダやミネ。また、周囲で様子をうかがうホステス達や、荒巻やユノまでも冷や汗を流していたその様子から容易に察することができたものだ。

 

 四方八方から注がれた突き刺さる視線。だが、それらに囲まれてもなおハッカーの彼女は確信めいた笑顔を見せてくると、次の時にも余裕ある佇まいでユノを見遣りながら、左手の人差し指を立てつつその言葉を投げ掛けてきたのであった。

 

「ウチからの条件は一つだけや。それは、今この場でウチをホステスとして雇用すること。ほしたらウチ、自分らの機密情報を返したる。だって、身内を苦しめるわけにはいかへんからなぁ。それに、ITに強いスタッフも新規で加わるんやで。ハッキングもできて、接客もできる。なぁ? バリバリの二刀流で心強いことこの上ないやろ? 今日の仕打ちの罰として、ウチのことをバシバシ使てもうてもかまへん。せやさかい、どうかウチをココで働かせてもらえへんか? なぁ、頼むで自分~」



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第27話 Un ange vif 《快活な天使》

 業務終わりの深夜の時刻。自分は私服姿のレダと共にLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の前で佇んでいると、店の裏側から駆け寄ってくる一人の人物に気が付いていく。

 

 カツカツとヒールの靴音を鳴らしながら、両腕を広げながらこちらへ真っ直ぐ駆け付けてくる“彼女”。

 

 それは、ヒール込みで百六十八ほどの身長である女性。活気に溢れた活発的な表情が印象に残る彼女は緑色のキャップを被っており、活力でキラキラさせながら見開いた黒色の目と、膝丈まで伸ばしたミルクティーベージュの長髪を低い位置で結んだツインテールにしてあるその容貌。

 

 服装は、膨らみのある緑色のパーカーをだらしなく着こなすことで肩を出しており、へそ出しで背中の開いた黒色のキャミソールを着用している。また、青色のホットパンツのボタンを敢えて開けておくことで黄色のショーツをチラ見せする大胆なコーデをしており、薄い黄色のヒールサンダルと、首に掛けた緑色のヘッドフォンというその外見でこちらに駆け寄っていた。

 

 彼女はすぐにも、流暢な方言の訛りで「ニーチャァーーーンッ!!!」と叫んできた。

 声を上げながら盛大に飛び込んでくる彼女。これを受けてレダが盾になるようこちらの目の前に立ち塞がってくると、同時にして抱き付いた柔らかな感触に目の前の彼女は「あれ?」と言葉を零しながら喋り出してきた。

 

「なんでやねん!! なんでウチの邪魔をすんねん!!」

 

 耳元で騒ぐ彼女を引き剥がすレダ。その動作の最中にも呆れと不信が混ざった表情で「あなたをカンキ君に近付けるわけにはいかないからよ」と答えていき、今もこちらへ手を伸ばしてくる彼女の「そないに警戒せんとってやー!! なぁーー! ニーチャーン!!」という言葉を無視するようにレダは、彼女を他所へと退けていく。

 

 このやり取りの途中にも、店の裏側から私服姿のユノが凛々しいサマで歩いてきた。

 軽く腕を組んだ様子で、やり取りを見遣っていく。そのユノが合流してきたところで、方言の彼女は活気に満ちた調子でそれを喋り始めたものだ。

 

「ほんで、この後はどないすんねん。ニーチャンの自宅に直行か!? ならウチも行くー!!」

 

 乗り気な彼女に相反して、レダが「あなたをカンキ君の部屋に上がらせるわけにはいかないわよ」と突き放すように返していく。

 

 まぁ、彼女が素性の知れないハッカーである以上は、自分としても接触は避けたいし……。

 という内心が表情として表れてしまう自分の反応も含めて、冷たくあしらわれた彼女は「なんでやぁ!!」ととても悲しそうな顔を見せてきた。

 

 だが、一方でユノは冷静な声音でその言葉を口にしてくる。

 

「構わないわ。彼女を柏島くんの部屋に案内することを許可するわ」

 

 ユノの回答に、レダは「ちょっとユノさん、どうして!?」と即座に反応していく。これにユノはレダを見遣っていくと、その視線をすぐに方言の彼女へと向けながらそれを口にしてきたのだ。

 

「我々が柏島くんの住所をはぐらかしたところで、彼女は既に彼の住所くらい把握しているでしょうから」

 

 ユノの言葉に、方言の彼女は「なんや、そないなことか」と口にしながらそう喋り出してくる。

 

「そんなん当たり前やんか。ニーチャンの住所くらいウチも知っとるで。ここから歩いて十五分くらいの距離にあるアパートのことやろ? 基本この道を真っ直ぐ歩いてくだけやしな。あー、せやけど時間に関してはまちまちっちゅうとこか。女帝のネーチャンの歩くペースやと約十二分くらい、闇医者のネーチャンのペースやと十八分くらいか? んまぁ、心配には及ばへん。ウチも一人で行けるもんやさかい、置いてかれたところでウチ一人でニーチャンの部屋まで辿り着けるからな!!」

 

 はっはっは!! と笑い飛ばす彼女。これにレダが頭を抱えながら「……尚更と心配になってきた」と呟いたものだ。

 

 そんな会話を交わしていると、店の裏からはそれぞれ私服姿のラミア、メー、制服姿のミネが歩いてきた。

 業務終わりの店の前。そこに皆が集い、各々で「お疲れ様」と挨拶を口にしてくる。その彼女らが合流してきた直後には、店の裏からもう一人、ボーイのクリスが私服姿で音も無く現れてきた。

 

 ボロボロになったノースリーブの赤色ロングコートに、灰色のシャツと黒色のダメージジーンズ、そして黒色のブーツにドクロの銀色ネックレスという彼の格好。ブライトピンクの無造作なショートヘアーで、土器のような質感である灰色の肌と猫背気味の様子で姿を見せてきたその脇で、方言の彼女は満面の笑みを浮かべながらそれを喋り出してきた。

 

「全員大集合やなぁ!!! ほんで、明日は急遽閉店ときた!! そんなら、今日は徹夜で遊ぶ他ないやろ!! なぁニーチャン!」

 

 え?

 思わず振り返る自分の反応と、ニコニコな彼女の傍で頭を抱えるレダ。共にしてレダが「誰のせいで店を一日閉めることになったと思ってるの……」と呟いていく中で、ユノもまた淡々とした調子でそう口にしてくる。

 

「サイバー攻撃を受けて、明日はセキュリティを増強するべく表に出せない業者を呼ぶ手筈になっているわ。システムの脆弱性が露呈した以上、然るべき措置を早急に取らなければ、我々は再び危機に晒されることになりかねない。明日の臨時休業もやむを得ないということね」

 

 じっ、と方言の彼女を見遣るユノ。その視線に対しても方言の彼女は「ウチのおかげで自分らの弱点が分かったんやろ? なら、ウチに感謝せぇ? なぁ、ニーチャンもそう思うやろ?」と、困ったようなサマを見せながらこちらに投げ掛けてくる。

 

 いや、そう言われても……。

 ただただ困ってしまった自分。そんなこちらの反応にレダが助け船のように喋り出してきた。

 

「あのねぇ、そもそもとしてあなたがサイバー攻撃なんかを仕掛けなければ良かっただけの話なの。おまけにわたし達の裏の情報を人質みたいにして脅してきて、それでもなお穏便に済まされている現状に感謝くらいしなさいよ?」

 

 怒りも込めたレダの言葉。尤も、方言の彼女は笑いながらそう答えてきたものだ。

 

「あっはっは!!! せやから、ウチのアクセスが途絶えたら自分らの情報がネットに放流されるっちゅう脅しはブラフやったって説明したやろー? むしろウチ、単身で敵陣に乗り込んだ状況でよくあんな切り返しを思い付いたと自画自賛しとんねんでぇ!! ……まぁ、女帝のネーチャンはブラフやってことに気が付いとったみたいやけどなぁ」

 

 方言の彼女がユノを見遣っていく。これにユノは凛々しい調子で「えぇ、目の動きに違和感を覚えたから、ブラフであることは薄々と感じ取っていたわ」と返答した。

 

 だが、続けて「けれども、万が一の事態を考慮した末に、貴女の要求を吞むことにしたのよ」と付け加えてくる。これに方言の彼女がやっぱりな~という表情を見せてくる中で、ふとラミアがそれを口にしてきた

 

「それにしましても、クリスさんがいらっしゃらない日で良かったですねー。もしもカレの出勤日でしたらアナタ、ブラフをかましてる間にも容赦なく撃たれていたと思いますよ??」

 

 ラミアの言葉で、既に帰ろうとしていたクリスが「呼んだ?」と不敵な声音で振り返ってきた。

 

 猫背で赤色の瞳を向けてくる彼。続けてクリスは不敵に笑みを浮かべながらそう喋り出してくる。

 

「当時の話は聞いているよ。とても楽しそうな空間だったみたいだね。僕も混ざりたかったな。出勤していない日をこんなにも悔やむことになるなんて思ってもみなかったよ」

 

 方言の彼女を見据えた視線。それにユノがため息を交えつつ「貴方が現場に居合わせていなかったことは不幸中の幸いね」と呟いたものだったから、クリスはユノを見遣りながらそう言葉を口にしてきたものだ。

 

「僕らは常に罪を背負いながら生きている人間だ。負い目があるからこそ発覚を恐れなければならない立場にいる。そんな僕らにとっての敗北は、各々が背負う罪を外部の人間に知られることだと思うんだ。つまり、その彼女に罪を知られた僕らは完全敗北したも同然。僕らは既に負けている以上、ブラフであれどのようなプログラムが仕組まれていようとも、だったら彼女が何発目の鉛玉で絶命するかの観察に勤しんだ方が有意義だと思わないかな?」

 

 あぁ、クリスが居合わせていたら問答無用で撃っていたな……。

 自分が抱いた確信は、方言の彼女も同様だった。これに彼女は「なんや自分、末恐ろしいやつやなぁ……」と口にしていくと、これにクリスは不敵な調子で「君のそのへそに、どれほどの鉛玉を詰め込めるかを試してみたかったよ。だから、いつでも敵に回っていいからね。そうすれば拳銃の使用が許可されるからさ」と答えたものだから、その返答に方言の彼女はドン引きする表情を見せていった。

 

 尤も、彼女はその表情をケロッと変えていくなりそう提案してきたものだが。

 

「んまぁそないなことは別にええわ!! で、明日は店が臨時休業やさかい、せやったらこれからパーッと夜遊びでもしようやないか!! なぁニーチャン!」

 

「そこでどうして俺に訊いてくるんだ……?」

 

 やけにこちらにこだわる方言の彼女に、ツッコミの形で答えていった自分。その返答に気分良くした彼女が笑顔を向けてくるものだったから、レダが警戒するようにこちらへと引っ付いて護衛に徹底し始めてくる。

 

 で、周囲の薄っぺらい反応に思った返答を得られなかった方言の彼女は、上着のポケットからタブレットを取り出しながらこう脅してきたのだ。

 

「へへっ、誰も乗り気になれへんのなら、自分ら、イヤでもウチに付き合うてもらうで」

 

 一体何をするつもりだ?

 彼女の動向に、レダが「ちょっとあなた、何をするつもり?」と睨みを利かせながら訊ねていく。だが、方言の彼女は「別に?? ま、ニーチャンがウチの夜遊びに付き合うてくれるんなら、何もせんといてやるわ」と口にしてくるなり、物欲しげな瞳でこちらをジーッと眺めてきたものだ。

 

 ……これでまた店の機密情報を抜き取られたら大変だ。

 彼女の脅しに、自分は「分かった。遊びに付き合うから、店に手を掛けないでほしい」と伝えていった。

 

 これにレダが振り返っていく最中にも、方言の彼女は「やったー!!! じゃあ駅前に行こー!!」と盛大に喜び始めると、直後にもこちらをうかがうことなく龍明の駅前の方へと駆け出してしまったのだ。

 

 今の自分らは、完全に彼女の術中にはまっていた。

 取り敢えず、彼女についていくしかない。これに自分は周囲へ「……勝手に決めちゃってごめん」と謝罪していくと、ユノは「いいえ、これは私達の弱みが招いた結果に過ぎないわ。だから柏島くん、貴方が自責の念に駆られる必要は無いの」と答えながら歩き出していく。

 

 続いてレダが、「大丈夫よ、わたし達がカンキ君を守ってあげるから」と言いながら、方言の彼女の後を追うように歩を進め出していく。

 

 その後ろからはラミアが歩いてくるなり、いつもの適当な調子で「まー、ウチらはいつ死んでもイイような覚悟の中で生きてるんで、あまりお気になさらずー」と口にして通り過ぎていき、そしてメーが勝気な表情で「私はあのコのこと気に入ったよ。なんか面白そうだからね」とウインクを一つ見せてからこちらを追い越して歩いていった。

 

 後ろでは、残されたミネが不安そうな表情でこちらを見つめていた。

 共にして自分らの背後では、クリスが背を向けて逆方向へ歩き出していく。それを見て自分が「クリスはどうする?」と訊ねてみたのだが、彼は不敵な調子で「人を撃てない余興には興味が無いからね。僕はこれでお暇するよ」と答えて歩き去ってしまったものだ。

 

 ……再びミネと目が合っていく。

 今日の業務で、既に疲労困憊な雰囲気だった少女。だが、強気な表情をつくってこちらへ駆け寄ってくると、「あ、アタシだってホステスの一人だし……っ!」と口にして、こちらの手を取ってから「だから心配なんか要らないから! それよりもほら、さっさと行こ」と言葉を掛けて駆け出していったのであった。

 

 

 

 

 

 ボウリングのピンが薙ぎ倒される爽快な音。これが一階の空間に響き渡る中で、吹き抜けとなっている二階ではビリヤードの甲高い弾ける音が鳴らされていた。

 

 二十四時間営業の遊技場に訪れていた自分らは、そこでビリヤードを嗜んでいた。

 方言の彼女を中心として、主にユノ、ラミア、メーの四人がビリヤードの台を囲っていく。その様子を近くの席で眺めていた自分は、今も左隣で付きっ切りに守ってくれているレダと、右隣でウトウトしているミネという二人に挟まれていた。

 

 特に、ミネは仕事の疲れでほぼ寝てしまっていた。ウトウトしながらこちらに寄り掛かってきて、そのまま眠り切れないサマでぼんやりしていく少女。自分はそんなミネの頭を撫でながら眠ることを催促していく最中にも、ユノがキューで玉を突いた音を聞いてそちらへ意識を向けていく。

 

 お手本のように爽やかな甲高い音。これが響き渡ると三つの玉がポケットに落ちていったことで、方言の彼女はとても悔しそうにしながら喋り出したものだ。

 

「うあっちゃー!! まんまとスゴ技を決められてもうた!! 女帝のネーチャンほんま容赦ないで!!」

 

 快活に喋る彼女は、満面の笑みでそれを口にしていった。

 この言葉にユノは、凛々しいサマを崩すことなく自身のターンを継続していく。また、その脇ではラミアが「さっきからユノさんばっかり入れてるじゃないですかー!! 大人げないですよー!!」と不満そうに眉をひそめていた。

 

 メーもユノのプレイに釘付けとなっていた空間の中で、方言の彼女はこちらへと向きながらこう言葉を投げ掛けてきた。

 

「なぁなぁニーチャン!! ニーチャンもビリヤードやろうやぁ!!」

 

「俺? ……いいのかな?」

 

 自分を指差しながら答えたそれ。この呟きに対して彼女は「ええに決まっとるやろ! はよ来てぇ!」と楽しそうに手を振ってくるのだが、如何せん睨みを利かせる隣の護衛によって自分にも躊躇いが生じていたものだった。

 

 ……まぁ、この誘いを断ったら断ったでまた脅されそうだし……。

 内心でそれを思って、自分はレダへと「じゃあ、俺もちょっと行ってくるよ」と伝えていく。これにレダは「無理に期待に応えなくてもいいわよ」と不機嫌そうに引き留めてきたのだが、自分は「まぁ大丈夫、ユノさん達も居てくれてるし」と返してから、寄り掛かっていたミネをレダに任せて自分はビリヤードの台へと向かっていった。

 

 任せたミネの頭に、レダの乳が乗せられていく。これに少女がうなされるような悩ましい表情で眠る様子を背にしてから、自分はビリヤード組に合流する形で歩み寄っていく。

 

 それと共にして、ラミアが「じゃーウチ休憩しますんで、代わりによろしくお願いしまーす」と言いながらキューを手渡してきた。

 

 また、これを自分は受け取っていく最中には、メーがからかうような表情で「カンキ君ビリヤードできる? 私が手取り足取り教えてあげよっか?」と口にしてきた。それに対しても自分は、「友人と時々やってたから、一通りのやり方は身に付いているよ」と答えてメーの思惑に乗らない形で台に寄っていく。

 

 そんな彼女らと会話していくこちらの様子を、方言の彼女は遠目からじっと眺めていた。

 その眼差しはどこか、穏やかで落ち着いたような雰囲気のもの。これは決して、待ち遠しいとか期待しているとかの活発さをうかがわせなくて、むしろ今まで見せてきていた快活さとは相反する何かを宿していたことから、その優しく向けられた視線に自分は違和感を覚えて仕方がなかった。

 

 で、その彼女のことを、ユノも観察するようにじっと見遣っていたものだ。

 ユノさんも、あの視線に何か思うところがあるのだろうか。既にキューを構えて玉を狙い定めている間にも、ふとよぎった疑問に自分は気を取られていく。

 

 尤も、そうして隙を晒していたものだったから、悪戯で忍び寄ってきたメーによって手に持つキューを後ろから押されてしまい、それがコツンッと最弱の力で玉に触れたことによって、自分の出番が呆気なく終わってしまったものでもあったが……。

 

 

 

 

 

 気が付けば、自分は方言の彼女と楽しく卓球をしてしまっていた。

 互いに汗を流す自分ら。今も相対する彼女はとても楽しそうに振る舞っていく様子を見せていて、サーブをするべくその姿勢を低くしながらこちらをじっと見据えてくる。

 

 ……それにしても、彼女は運動もできるというのか。

 ハッキングの技術を持っていることから、勝手な先入観で彼女はインドア派だと決めつけていた。しかし、外見の快活さは裏切ることなく、抜群なスタイルの良さにも納得できる機敏な動きで卓球に勤しんでいたものだ。

 

 で、結果的にこの試合は僅差で負けてしまった。

 白熱したムードに、隣の台で見ていたラミアとメーが「おー」と声を出していく。で、台を挟んだ向こう側では方言の彼女が飛び跳ねながら喜んでいて、心から嬉しいんだなと見て取れる彼女の姿に負けた自分が嬉しくなってしまう。

 

 ……なんだろう。彼女を見ていると、不思議と穏やかな気持ちになってくる。

 本当に、自分と遊ぶことを楽しんでいるんだろうな。そう思わされる彼女の様子に自分が見惚れるような視線を向けていく中で、方言の彼女は周囲からの監視の目を無視するようにこちらへ駆け寄ってきてその左手を差し出してきた。

 

 そして、快活さに溢れた満面の笑みでそう言葉を投げ掛けてくる。

 

「ごっつ楽しかったわぁ!!! またウチとやろうな、ニーチャン!!」

 

 ニッコニコの笑み。だが、すぐにも遮ってきたメーに「はーい、カンキ君へのお触りは禁止されてまーす」と言われながら彼女は引き剥がされていく。

 

 これに対して、方言の彼女は「なんでやぁ!!!」と本気で悲しむ顔を見せてきた。

 ……まぁ、店の人間全員を脅しにかけた以上は仕方ないよなぁ。なんて内心で言葉を呟いていきながら、自分は慰めるように彼女へとそう喋りかけていく。

 

「俺も楽しかったよ。またやろうね。えっと……」

 

 ……あれ、そう言えば名前を聞いていなかった。

 今日の研修で、たぶん源氏名は決まっていそうだけど。そう思った自分が言葉を詰まらせていくと、方言の彼女がメーの肩越しに顔を出しながらその言葉を掛けてきたものだ。

 

「源氏名は“シュラ”や!! 武器の“トリシューラ”から来とるから、そこんところよろしゅうな!!」

 

「シュラね。教えてくれてありがとう」

 

 神話が由来であること。そのルールに則った彼女の源氏名を耳にして、自分は方言の彼女もといシュラとの親交を深めることができた気がした。

 

 

 

 

 

 夜が明け始めたその時刻。明るくなってきた外の様子に自分らは遊技場を後にしていくと、人通りの少ない龍明の駅前を集団で歩いていく最中にもシュラはそれを喋り出してきた。

 

「あー、ウチはこっちやさかい、ここでお別れやぁ」

 

 名残惜しそうな調子で口にした言葉。共にして彼女だけが駅の方へと歩き出していくと、かと思えば踵を返してこちらに振り向いてきて、両手を身体の後ろに回したその佇まいで健気に見つめてきたものだ。

 

 シュラの視線を受けて、自分は「シュラは電車?」と訊ね掛けていく。それに対して彼女は「そうやでー」と答えながら喋り続けてきた。

 

「本当やったら、ウチもニーチャンの部屋に上がりたい気持ちでいっぱいなんや。やけどウチ、まだ信用ないからニーチャンと一緒に居られへん。せやからウチ、今日からホステスとして頑張るつもりやさかい、ウチのことを少しずつ認めていってくれるとめっちゃ嬉しいわ!!」

 

 ニッ!! と笑みながら伝えてきたその言葉。同時にして、この時にもシュラが見せてきた天真爛漫なその笑顔に、自分は嘘偽りない本音を感じ取れた気がした。

 

 彼女は心から、自分という存在の傍に居たがっている。その時ばかりはちょっと自意識過剰だったかなと思えた自分であったものだが、シュラの微笑みを見たユノは凛とした佇まいでシュラへとその言葉を掛けていったのだ。

 

「貴女の素性については、未だ不明瞭な点があることに代わりないわ。ただ、研修に取り組む姿勢や周囲への掛け合いなどの様子を見ている分には、貴女からは(よこしま)な企てを感じられないわね」

 

「そんなん当たり前や! ウチが自分らを脅したのも、そうでもせな自分らの店のホステスになれへんかったからや! ウチの身分じゃ仕方がなかったことやねん。せやさかい、自分らに牙を剥くのもあれが最初で最後。あの時にお披露目したウチのハッキングの技術、これからは自分らのために発揮するつもりでおるから、ウチのことをガンガン使てもうてもかまへんからな!! それが、ウチなりのケジメやねん!!」

 

「貴女の覚悟はよくわかったわ。尤も、今この場で意思表明をせずとも、荒巻オーナーの素性調査によって貴女の正体が判明しつつあるものだから、貴女という存在の有無は既に然したる問題ではないのだけれども」

 

「な、なんや自分、もうそないにウチの正体を突き止めてあるんか……」

 

「えぇ、オーナーの報告を聞いた時には耳を疑ったわ。でも、そうして耳を疑う事実であったからこそ、貴女の強硬手段にも納得がいったものよ。貴女の正体をあの場で知っただけでは、確実にただでは帰していなかったでしょうからね」

 

「まぁ、そうなるわなぁ……。っちゅうかあのオーナーのニーチャン、短期間でウチの身元を特定する程度には優秀やったんやな……。さすが、あの柏島長喜の相棒やっただけはあるなぁ……」

 

 会話の雰囲気的に、シュラという人物に対する警戒はだいぶ薄れた印象を受ける。

 それでもレダが未だに睨みを利かせていく中で、ユノは割と寛容的な声音でシュラへ「そういうことだから、身内にかけた迷惑の清算なんてものは考えなくても結構よ」と言い渡していったものだ。

 

 まぁ、ユノがここまで言うのならシュラという人物は無害なのかな。そう思えた自分は彼女へと、「今日は難しいかもしれないけれど、もう少しだけ時間が経ったら今度、俺の部屋に上がっていってよ」と言葉を掛けていく。

 

 すると、これを聞いたシュラは途端にパーッと表情を明るくして、かと思えばその喜びを抑えるように控えめな微笑みを見せてからこう答えてきたのであった。

 

「……! ……せやな、今度そうするわ! ありがとぉニーチャン!! 次はニーチャンの部屋に上がり込むさかいに、お泊まりで遊べるカードゲームやらをぎょうさんと持ち込んでお邪魔するとするわ!! ニーチャンの部屋に上がるのがほんまに今から楽しみやぁ!! ウチ、これをモチベーションにホステスを頑張るとするで!! へへっ」



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第28話 Désirs partagés 《欲望の共有》

 ラミアの帰り、なんだか遅いなぁ。

 

 ボーッとした意識で部屋の天井を見遣る自分。『夕方には帰りまーす』という連絡をもらってから数時間は経過して、既に夜を迎えていたこの時刻。

 

 メーやレダが夜勤で部屋にいない今、自分は一人でベッドに腰を掛けている状況だった。

 普段なら、同伴から帰ってきたラミアと二人で他愛ない話をしながらテレビを観ていたことだろう。そんな、彼女らと過ごす時間が日常となっていた自分にとって、ラミアが帰ってこない現在の状況に不安や寂しさが巡り出してくる。

 

 ……大丈夫かな、ラミア。

 本気で心配に思った自分が、スマートフォンを手に持って彼女へ電話を掛けようとした時のことだった。

 

 ガチャッ。という扉が開く音と共に、ラミアの「ただいま戻りましたー」という声が玄関から聞こえてくる。

 

 これを聞いて、自分は言葉を返しながら飛び出すように玄関まで歩み寄ったものだ。

 

「おかえりラミア! 大丈夫!? 無事!? 何ともない!?」

 

 抱えていた心配を口走っていく。

 これに対して、玄関で佇んでいた地雷風コーデのラミアがキョトンとしていくと、首を傾げながら「?? どーかされました??」と答えてきたものであったから、自分はちょっと気まずく思いながら「な、なんでもない……」と言葉を返す他になかった。

 

 それから、ラミアが提げていた黒色の小さなショルダーバッグを代わりに預かって、二人で部屋へと戻っていく。

 

 何はともあれ、彼女は無事に帰ってきた。洗面所で手を洗うラミアを想いながら内心で安堵した自分が、ベッドの脇に佇んで意識を遠のかせていく。そうして安心感のままに暫しボーッとしていると、歩いてきたラミアがこちらの顔色をうかがうようにその言葉を掛けてきたのだ。

 

「あの、カンキさん。ちょっとイイですか??」

 

「ん? どうしたの?」

 

「今ってお時間あります??」

 

「あるけれど、何かあったの?」

 

 話しながら歩いてきたラミアを見遣っていく。その視線に彼女は目を合わせてくると、普段通りの適当な調子でそれを持ち掛けてきたのだ。

 

「そーですか。なら、今からウチとえっちとかできます??」

 

「え?? あ、えっち?? え? 今から??」

 

「そーです。今からです」

 

 あまりにも急なお誘いに、一瞬ばかり思考停止した自分。

 尤も、別に嫌というわけではなかった。ただただラミアからのお誘いに困惑してしまいながら「で、できるよ?」と答えていくと、彼女は柔らかく微笑みながら「ありがとうございます。じゃー早速えっちしましょー」と言ってベッドに寝転がっていった。

 

 地雷風コーデで、黒色の猫耳キャスケットを被った幼げなその姿。スカートである格好で無防備に寝転がったラミアの、大人びた白いショーツが見える光景に自分の気持ちは昂り出していく。

 

 それにしても、唐突に行為へ突入することになるなんて思わなかった。

 しかも、部屋でするのは初めてだ。以前のホテルとは違う空間に未だ戸惑いが隠せない自分であるものの、近くのタンスからゴムを取り出して、メーから貰ったそれをベッドに置きながらラミアへと覆い被さっていく。

 

 こうして、目の前で寝転がる彼女のいたいけながらの色気を目の当たりにしていくと、次にも自分から顔を近付けながらラミアへとその言葉を掛けていった。

 

「帰ってきてすぐだけど、休まなくても大丈夫?」

 

「お気遣いどーも。ウチのコトでしたらヘーキですので、カンキさんの思うままにしてください。できたらでイイですけど、ウチを満足させてもらえますと嬉しいです」

 

「わかった。それじゃあラミアが満足できるように、ラミアの好きなトコロをたくさん可愛がるようにするからね」

 

「ハイ、存分に可愛がっちゃってください」

 

 彼女の上着に手を掛けながら交わしていく会話。その間にもラミアの服を一着ずつ脱がしていくと、上下共にインナー姿となった彼女をベッドに押さえ付けるようにその両手首を掴んでから、自分はラミアの唇を奪うように優しく口づけを行っていったのであった。

 

 

 

 

 

 手で入念にほぐしていき、湿り気を伴った彼女の“クチ”にキスを行っていく。

 とても柔らかくて、舌で撫で掛けるだけで幸福感に満たされた。尤も、独特な香りも鼻をくすぐってくるものでもあったが、それすらも愛おしく思えてしまえる。

 

 こちらのアプローチによって、仰向けでいる全裸のラミアはベッドの布団を握り締めるようにしていた。

 力んだ全身がよく分かる。緊張と快楽が入り混じる彼女の反応に自分は尚更と舌を駆使していくと、少ししてラミアは甘い声と共に痙攣を起こしていった。

 

 ……可愛い。もっと見たい。もっと欲しい。

 息を荒げる彼女の顔へと近付いて、“下”を可愛がっていた口でキスを行っていく。これに彼女も応えるように食い付いてくるものだったから、自分もまた猛った“モノ”を彼女のに押し当てながら、入り口を探すように腰を動かしたものだ。

 

 既にゴムは着けてある。あとは再び一つになるだけ。

 ……彼女の聖域に進入する自分。同時にして全身に訪れた快楽の悦びを受け止めてから、自分は彼女の快楽を最優先にゆっくりと動き始めていった。

 

 ベッドの軋む音が響く空間。共にして、こちらが動く度に甘い声で鳴き始めたラミアの様子。

 そんな彼女の顔をじっと見遣りながら、自分は“先端”の感覚で彼女の好きなトコロを刺激していった。すると、投げ掛けていたこちらの視線を感じ取るようにラミアも見つめてくるなり、適当な調子でありながらも蕩けた瞳でそう喋り出してきたのだ。

 

「カンキさん、っ、ソコ、イイです。っ続けてください」

 

「ココが好きなんだ。わかった、続けるね」

 

「っ、あの。帰ってきてすぐにお願いして、すみませんでした」

 

「えっちのこと? 気にしなくてもいいよ。むしろ、ラミアとはまたシたいなって思ってたくらいだったから」

 

「そーですか。それなら別にイイです、ぁっ」

 

 悶えながら声を出してくるラミアが、その一突きでとても気持ちよさそうによがっていく。

 

 だが、その快楽に浸ることなくもう一度こちらと見つめ合ってくると、こちらの目をじっと見据えながらその話をしてきたのだ。

 

「……今日、同伴先で契約外のプレイを強要させられました」

 

「契約外の? それって違反だよね」

 

「そーです。違反です。お相手さんはお一人だけという契約だったんですけど、お相手さんが同伴先に仲間を呼んでおりまして」

 

「……まさか、その連中もラミアを?」

 

「輪姦されました」

 

 彼女の言葉で、動かしていた腰が止まってしまう。

 だが、ラミアの「続けてください」という言葉を耳にして、自分は行為を再開しながらそう喋り出していった。

 

「酷い連中だな」

 

「まー、ウチらもソレを覚悟でこの商売してるんで、その辺は割り切っておりますよ。輪姦なんてたまーにありますし、イマに限ったハナシでもないので」

 

「それでも、酷いものは酷いよ。お店にはそのことを伝えたの?」

 

「ハイ、そのやり取りで帰宅が遅くなってしまいました。ご心配をおかけしたみたいで、申し訳ないです」

 

「心配するのは当然のことだよ。それも、ラミアの意思に反する行為を強要されたんだ。ただただ怒りが湧いてくる」

 

 沸々と煮え滾ってきたこの感情。しかし、それが今の行為にも表れてしまっていたのだろう、ラミアの「もうちょっと弱くしてもらえます??」というお願いで自分は冷静さを取り戻していく。

 

 で、彼女の話を聞いた上で自分はそれを問い掛けていった。

 

「でもそれじゃあ尚更、“これ”をしていても大丈夫なの……? 股とか今も痛まない? やっぱり今日は止めておいた方が良かったんじゃ……」

 

「いえいえ、今日のような出来事があったからこそ、帰ったらカンキさんにお願いしようと考えていたんです」

 

「?」

 

 と、その時にもラミアは上半身を起こしてこちらに抱き付いてきた。

 

 彼女が動いたことにより、一層と奥に突き刺さる“モノ”。これによって双方が悶えるように悩ましい声を上げていくと、ラミアはそれに浸りながらも両腕でこちらを強く抱きしめてきて、甘い吐息を交えながら耳元でそう呟いてきたのだ。

 

「ナカの感覚を、カンキさんので上書きしたかったんです」

 

 鼓膜に優しく響いてきた、甘美で背徳的な彼女の声音。

 一瞬にして脳細胞が弾け飛んだ。あまりもの破壊力で思わず思考停止するこちらへと、ラミアは容赦なく言葉を続けてくる。

 

「今日、いろんなオトコの“モノ”を突っ込まれて思ったんですけどね、やっぱりカンキさんの“カタチ”が一番、ウチのナカに合ってるんですよねー」

 

「ぁ、へぇ~……。そ、そうなん、だ……?」

 

「長さも太さもちょーど良くって、ウチの好みです。そう考えますと、ウチとカンキさんの相性ってサイコーにイイんじゃないですか??」

 

「そ、そうかもしれないね……?」

 

 こんなアプローチの仕方はずるいって。

 内心でそれを呟く自分に対して、ラミアはいつもの適当な調子で先のような言葉を口にしてきたものだ。

 

 だからこそ、高揚感が最高潮に達しつつある自分が“モノ”を更に強直させていくと、次にも自分は抑え切れない衝動のままに彼女の身体を抱きしめていき、懐にいる小さき存在を大事にするように抱え込んでしまった。

 

 もう、抑えが利かない……。

 本能が彼女を求めている。理性や知能が伴わない、元から人間に備わる欲求に駆られるまま彼女を抱きしめていく。

 

 そんなこちらの様子にラミアはしてやったりな表情を浮かべてくると、彼女はそのまま両手と両脚でこちらの身体にしっかり抱き付きながら、自身の前面を押し当てるようにしつつ耳元でそう呟いてきたのであった。

 

「遠慮なんて要らないですよ?? 今日のラミアちゃんは、カンキさんのモノです。なので、カンキさんの好きなように使っちゃってくださいね?? 愛でるなり犯すなり、ぜーんぶカンキさんの自由なんですから。……貪らなくてもイイんですか?? ラミアちゃんがこんなに寛容的なのはイマだけですよ?? さ、カンキさんの男前な姿をしっかりと見せてください。ウチ、期待してますからね」

 

 

 

 

 

 小鳥のさえずりを耳にして、途絶えていた意識がふと覚醒する。

 

 ガバッと上半身を起こしていくと、ベッド近くのカーテンからは朝の日差しが零れていた。

 ……退けた布団と、隣で眠る全裸のラミア。仰向けでスヤスヤと眠る彼女を見てから自分も裸であることに気が付いて、昨夜にも長時間に及ぶ行為に励んでいたことを思い出していく。

 

 いつも泊まりに来るメーもレダも、あの夜には帰ってこなかった。いや、元から同伴で留守にすることを聞いていたため、ラミアと二人きりになることは承知の上であったものだが。

 

 ……それにしても、“モノ”が痛い。

 ラミアのリップサービスによって本能が常に掻き立てられ、欲望に従うまま酷使してしまった我が息子。それが朝特有の直立をしていたこともあってなのか、今も張っているソレがジンジンと痛む感覚に暫し頭を抱えてしまう。

 

 だが、それ以上に隣の彼女が気になって仕方が無かった。

 全裸の姿で、無防備に眠っている仰向けのラミア。それも、こちらが起き上がった際に退けられた布団によって、その全貌が晒されている。

 

 ……いつ見ても、何度見ても興奮してしまう。

 思わず舐め回すように凝視してしまった自分を恥じていきながらも、しかし本能に抗えないと言わんばかりに彼女の下腹部を見遣っていく。そうして視界の中央に据えられた“カノジョ”を見つめていくと、次の時にも自分は無意識にもそちらへ手を伸ばしてしまっていた。

 

 本当に綺麗だ。商売で使っているとは思えないほどに。

 昨夜にもたくさん愛でた”カノジョ”に触れていく。尤も、本人は眠っているために許可なく触ることは禁忌に等しい行為であっただろうが。

 

 で、何気なく指先で弾力を楽しんでいると、その触れられている感覚でラミアは脚を閉ざしてきた。

 眠り続けている無意識の動作。共にして彼女の「んぅー……」という声が零れてくると、ラミアはそのまま横向きになってしまう。

 

 だが、自分は好奇心から彼女を転がすようにうつ伏せにしていって、こうして露わとなった彼女の尻を見るなりついつい撫で掛けてしまったものだった。

 

 ……ハリとツヤがあって、撫でているだけでご利益がありそう。

 あぁ、自分は変わってしまった。彼女らと出会う前の貞操観念なんて既に塵と化していたことだろう。

 

 そんなことを思いながらずっと撫で掛けていたものだったから、触れている感触を心地良く感じている最中にも「……ナニしてるんですか」という訝しげな声を掛けられてしまった。

 

 ジト目で見遣ってくるラミアに、自分は尻から手を離して「……ごめん」と謝っていく。

 だが、この謝罪に彼女はニッと笑みを見せてくると、次の時にも誘惑するような表情でそう問いかけてきたのだ。

 

「寝起きの朝えっちでもシます??」

 

「え?」

 

「第二ラウンドですよ、第二ラウンド。どーです??」

 

 思わず息子が反応した一方で、自分は呆然とした視線を彼女に送ってしまっていた。

 そんなこちらの反応に、ラミアは仰向けになりながらも適当な調子で「お昼のシフトまでに間に合えばイイので、それまで二回戦でもシましょーよ」と言葉を掛けてきた。

 

 それを聞いたものだったから、自分は無意識にも彼女に覆い被さってしまっていた。

 乗り気であるこちらに、ラミアもしてやったりな顔を見せていく。で、彼女が枕元にあったゴムの箱へと手を伸ばして中から取り出そうとした時に、ふとそう喋り出してきたのだ。

 

「ありゃ、空ですねー」

 

「え、マジで?」

 

「マジです。もうありません」

 

 空になった箱を逆さまにして見せてきたラミア。これを受けて自分は息子と共に萎えていくと、こちらの様子に彼女は挑戦的な瞳を向けながらこう問いかけてくる。

 

「それじゃー、ナマでシます??」

 

「えっ」

 

 いやさすがにそれは。

 そう思った自分が、「いやいやそれはさすがにマズいって」と答えていく。しかし、提案してきた本人はこちらの拒否に対してそう言葉を返してきたものだ。

 

「ウチはかまいませんよ?? 同伴先でもよくシてますから。終わった後にお薬を飲めばヘーキですからねー」

 

「いやいやいや、それでも少なからずと身体に負荷が掛かるかもしれないし、やっぱり万が一のことを考えるとナマは……」

 

「ふーん?? じゃーやめます??」

 

 うっ。

 やめたいかと問われると、それはそれで……。という内心が表情となって表れたこちらの反応。これにラミアがからかうような視線を向けてくると、次にも彼女は両腕を上げて上半身の無防備を晒していき、両脚も広げてあられもない姿を見せながら挑発的に訊ね掛けてきたのだ。

 

「責任くらい、カンキさんなら取れますよね?? ……万が一デキちゃったとしましても、カンキさんならウチのコトを幸せにしてくれますよね……??」

 

 プツンッ。

 悩殺。理性の途切れる音が脳内に響き渡っていくと、直後にも自分は捕食者の如くラミアへと食らい付いてしまっていた。

 

 

 

 

 

 昼下がりの時刻になり、ふぅっと一息ついていく自分。

 部屋の窓を全て開けっ払ったその状態で、ベランダには布団やシーツといった寝具を干してある。そのどれもが汗といった類で濡れてしまっていたために、ラミアがレストランのシフトで部屋を出た後にも慌ててそれらを洗濯したものだ。

 

 すっかり秋となった龍明の空気が流れ込んでくる。この、どこか切ない優しさを帯びた風にそよそよと吹かれていると、不意を突くように『ピンポーン』とインターホンが鳴らされた。

 

 一体誰だろう。

 インターホンを鳴らされること自体が久しぶりな気がする。そう思いながら映像を見ていくと、そこには私服姿のミネが複雑な様相で佇んでいるのを確認できた。

 

 茶色のシャツに、青色のオーバーオール。無難な私服に身を包んだ彼女の訪れに自分は意外に思いながらも、「はーい」と声に出して玄関の扉を開けていく。

 

 すると、扉が開くなりミネは一瞬だけ目を見開いて驚き、かと思えば一人で不機嫌そうにしながら「……上がっていい?」と訊ね掛けてきた。

 

 どうしたんだろう。それを問い掛ける前にも、「いいよ。上がって上がって」とミネを玄関に招き入れていく。

 そうして彼女を部屋に上がらせていくと、今も開けっ払っている部屋に踏み入るなりミネは、鼻を摘まみながら不審に思う声音でそれを喋り出していったのだ。

 

「うっ、え、なに……このにおい……」

 

「え?」

 

 いやまさか。自分が振り返った時にも周囲を見渡していた彼女の様子に、自分はものすごく申し訳なく思いながらそう伝えていく。

 

「あー……やっぱ臭う?」

 

「やっぱ、って……。なに、これ……え、なに、ホント。く、臭い……よく知らないけどなんかすごく臭い……。なにこれ……」

 

「まぁ、ちょっと。あー……ごめんね」

 

「なに、アンタの部屋ってこんなに臭いの? こんな部屋にみんな泊まってんの……?」

 

「いやいやいや違う違う違う。その、このにおいは多分、今だけ。まぁ、ラミアと、その……ね」

 

「ぇ…………」

 

 ドン引き。言葉にせずとも伝わってきたミネの表情に、自分は目を逸らして暫し口を噤んでしまった。

 

 ……すごく気まずい。ただただ沈黙が続く空間に自分が話し出せずにいた中で、ミネは不快感を露わにしながらも、こちらをうかがうように訊ね掛けてきたものだ。

 

「……ね、ねぇ。これが、さ……そ、“そういう”におい、なの……?」

 

「そ、そういう……?」

 

「だ、だからさ……! えっと……っ、せ、せっ……」

 

「セ〇クス……?」

 

「っ!? ッちょっと……! な、なんでそう、簡単に言うの……!! あ、ぁ、ァタシだって、そ、それくらい、言え、言える、のに」

 

 その四文字を耳にして、ミネは一気に顔を赤くしながら怒ってきた。

 

 恥ずかしい。言わずもがな伝わってくる少女の隠し切れない焦燥。どこか強がるようでありながらも、しかし羞恥が生じているのだろう挙動不審な慌て方に、ミネは動揺する自分自身に怒るような苛立ちを見せていた。

 

 と、こちらと目が合った少女は、次にも気の抜けた表情を見せてくるなりカーッと顔を真っ赤にして、両手で自身の顔を覆い隠して俯いてしまう。

 

 ……やっぱり、見ていて飽きないなぁ。

 同時にして『護りたい……』なんて思うミネの動作に、ほっこりした気持ちで眺めていた自分。こうして向けられていた視線を受けて、ミネは指の間から目を覗かせてくると、今も真っ赤にしたその顔で不機嫌そうにそう呟いてきたものだった。

 

「…………ホントに最低。ケダモノか何かでしょ……」

 

 

 

 

 

 暫しと気まずい時間を過ごした後、落ち着きを取り戻した不良少女は、こちらから差し出されたコップを受け取ってリンゴジュースを飲んでいく。

 

 二人で座り、背の低いテーブルで向かい合ったこの状況。窓は全開になったままの清涼感に染まったこの空間において、自分はミネへとそれを訊ね掛けていった。

 

「それでなんだけど、ミネが一人でここに来るのも珍しいよね。何かあったの?」

 

 訊いてみたこちらの言葉に、ミネは口ごもるように視線を下げていく。だが、直にも再び向かい合ってくると、彼女はこちらの顔色をうかがうような目でそれを喋り出してきた。

 

「……ね、ねぇ。あのさ……」

 

「大丈夫、無理して話さなくてもいいよ。もう少しゆっくりしてからにする?」

 

「う、ううん! 大丈夫っ言えるから!」

 

「わかった。それで、どうしたの?」

 

「ぁ、えっとね。……あ、アンタに頼みたいことがあって、さ……」

 

 自分の気持ちを素直に言うことの難しさ。

 目があちこちに泳いでいくミネのことを、ゆっくりと待っていく。そうして彼女のペースに任せていると、ミネはこちらの顔を覗き込むような視線でそれを喋り続けてきた。

 

「……ど、同伴のことで、相談があるんだけど……」

 

「同伴? あぁ、ミネにもとうとう同伴の話が出てきたの? アルバイトとしてホステスになってから毎日頑張ってたもんね。おめでとう」

 

「ぁ、ありがと……。い、いやいやそうじゃなくて!」

 

「そうじゃない?」

 

「いやそうなんだけど!! ちょっと待って!!」

 

「あぁごめん!」

 

 ミネはとても繊細な女の子だ。ちょっと焦らせ過ぎたかもしれない。

 反省反省。慌てて口を噤んだ自分にミネは申し訳なさそうな顔を見せながらも、恐る恐るといった様子でそう喋り出してくる。

 

「……同伴のこと、なんだけど、さ。その……あ、アンタにさ、ぁ、アタシの最初の相手になって、もらえないかな、なんて……?」

 

「ミネの初同伴の相手を、俺が担当する感じかな?」

 

 こちらの確認に、ミネは「そう!」と健気な調子で答えてきた。

 ミネの最初の接客相手も、自分が担当した。今回はその同伴バージョンとも言うべきか。

 

 彼女からうかがった話に自分は躊躇うこともなく「いいよ」と快諾した。

 すると彼女はちょっと意外そうな顔を見せてきて、次にも安堵したように一息ついていく。尤も、これを弱味として悟られないよう彼女はすぐにも不機嫌な表情を繕ってきたものだったが。

 

 で、ミネは両膝を抱えるような座り方になって、ムスッとしながらそれを喋り出してきたものだ。

 

「で、さ。同伴するための手続きとかは教えてもらったんだけどさ、同伴先の決め方とかはお客様と話し合いながら決めるって教えられて、それがイマイチよく分かんないままなんだよね……」

 

「そんなに難しく考えなくてもいいんだよ。主に、お客様が希望したデートコースを一緒に巡ったりするだけだから」

 

「お客様が希望したデートコース……。えっと、じゃあ、今回の場合だと……アンタがアタシのお客様になる、ってことでいいんだよね?」

 

「そうだね。基本的な流れとしては、利用するお客側が『一緒に野球観戦をしたい!』という目的だったり、『お食事だけでもご一緒したい』といった要望をホステスに提示していって、その内容をホステスが承諾することで同伴の契約が成立する。って流れになる……らしい」

 

「らしい?」

 

「いや、俺の場合はホステスと話し合ってから行き先を決めたりしていたもんだったから、こちらから一方的に要望を提示してそれを承諾してもらうって流れはしたことがなかったんだよね。まぁ、そういうパターンもあるよっていう認識程度に覚えておいて」

 

「ふーん」

 

 ラミアとの一回目の同伴では、二人で話し合った末に水族館に行くことになった流れであることは覚えている。

 ユノとの同伴では、彼女からの提案によって龍明の駅前でデート。メーとの同伴に関しては、メーが「東京タワーに行きたい!」と言ったところから話が進んでいった。

 

 で、レダとの同伴は穏やかな話し合いで旅館に行くことが決定した。

 どれも懐かしく思えてくる。Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステス達と過ごした濃密な日々が脳裏に流れてきたことで、自分は感慨深い気持ちになってしまった。そんなこちらの様子にミネが首を傾げてきたものでもあったから、自分は我に返ってから改めて喋り出していく。

 

「それでさ、ミネの行きたいところとかがあれば、俺はそれに合わせられるけど。どこか、ミネの行きたい場所ってあるかな?」

 

「ねぇ、それアタシに聞く? 同伴のルール的に、アタシがアンタの要望に合わせるんでしょ?」

 

「あー、まぁそうなんだけどね。いや、一緒にお出掛けするんなら、二人で行き先を決めたいなって思って」

 

「それってもう同伴じゃなくない?」

 

「あはは、こりゃもう同伴って名目でただデートしてるだけだよね。まぁ似たようなもんでしょ」

 

「で、デート……」

 

 乙女心とも言えるのだろうか。少しだけでも刺激を伴った言葉を耳にしたミネは、途端に耳を赤くして俯いていく。

 

 彼女の様子を見て、自分は「あー……まぁ、普通のお出掛けだから。ね……?」とフォローするように言葉を掛けていく。それに対してミネは「別に気にしてないけど……」とそっぽを向きながら答えてくると、そこから暫しもの沈黙を挟んでから、ミネはムスッとした顔でそれを提案してきた。

 

「……じゃあ、遊園地」

 

「遊園地?」

 

「……行きたい。最後に行ったの、お姉ちゃんが居た時だったから……」

 

 蓼丸ヒイロとの思い出の場所、か。

 彼女の存在は他人事じゃない。久々に出てきたその名前に、破天荒な親戚のお姉さんという認識を持つ自分は何度も頷きながらそう言葉を返していく。

 

「……わかった。それじゃあ同伴で遊園地に行こう。俺がヒイロ姉さんの代わりになれるとは思えないけれど、俺なりにミネが満足できるよう頑張ってエスコートするからさ、初めての同伴、思いっきり楽しもうね」

 

「あ、うん。あ、ありがと……?」

 

 親戚のお兄さんを意識しすぎたか。先の言葉にちょっとだけ自分で恥ずかしくなってしまいながらも、ミネとの同伴という新たな予定が決まったことに充実感で満たされたものでもあった。

 

 次はミネとの同伴。純情な不良少女と遊園地を巡ることになるだろう。



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第29話 La tentation du jaune 《黄の誘惑》

 快晴となった空を見て、天気の心配が無くなった。

 

 ミネとの同伴当日を迎えたこの朝。部屋の窓から眺める晴れやかな青空を見て、自分は内心でホッと息をついていく。

 

 本当に良かった。本人は表に出さないよう平静を取り繕っていたものだったが、ミネ自身は遊園地に行くことをすごく楽しみにしていた様子であったため、自分としても当日の悪天候が何よりの懸念点として心配してしまっていた。

 

 既に晴れやかとなったこの気持ちに、自分は自然と笑顔がこぼれていた。そんなこちらを見た寝間着姿のメーが、ベッドに寝転がった状態で言葉を投げ掛けてきた。

 

「見事な快晴だねー。ミネちゃん、今日をすっごく楽しみにしてたみたいだったから良かったよ」

 

「ね。予報じゃあ降水確率五十パーセントとか言われてたから、それがもう不安で不安で仕方無かったんだ……」

 

「ミネちゃん、毎日のように遊園地のことを話したりしてて、ほんとに楽しみにしてたのが私達にも伝わってきてたからねー。これの何が面白いって、本人はそのワクワクを上手く隠し通せてると思い込んでるところ。不良っぽい態度で例のお姉さんの真似をしているんだろうけど、中身はほんとに純粋な女の子だよねぇ」

 

 と、捲れたシャツから腹とへそを出しながら喋るメー。片手には音ゲーを起動させたスマートフォンを持っていて、髪も解いたその長髪で勝気な表情を見せてくる。

 

 まぁ、確かにミネは純粋無垢な女の子だな……。と、メーを見てそう思った自分が彼女へと視線を投げ掛けていると、洗面所の方からは寝間着姿のラミアが歯磨きをしながら歩いてきてそれを喋り出してくる。

 

「責任重大ですよーカンキさん。あれほど楽しみになさっていたミネさんの期待を、カンキさんは背負っているんですからねー」

 

「いやいや……そんな急にプレッシャーを掛けないで……」

 

「プレッシャーと言いますか、同伴に慣れてきたカンキさんに今一度と適度な緊張感を持ってもらいたいだけです。如何せんミネさんは、ホステスとして初の同伴に臨む新人さんなんですから」

 

「あー、確かにそうだね。同伴に慣れたあまりにミネへの配慮が欠けてしまったら、ミネが可哀相だ。ありがとうラミア。俺も初心に戻って、今日の同伴に臨むとするよ」

 

「まーそもそもとしまして、これだけホステスの立場で物事を考えられるお客さんもカンキさんくらいですからね。そんな、ホステスを道具のように扱う輩とは全然違うカンキさんが最初の相手というのも、ウチとしましては実践経験的に不安に思ったりするワケなんですけど」

 

「なんか、複雑な問題だね……」

 

 ホステスという職業も、苦労が絶えないんだな……。

 お勤めご苦労様ですと内心で呟いていく自分の脇で、上半身を起き上がらせたメーがあぐらをかきつつ勝気な目で言葉を掛けてくる。

 

「カンキくんー。今日の同伴で私達のミネちゃんを失望させたら、私達が許さないぞー?」

 

「なんか思い出したようにプレッシャーをかけてきたな……」

 

「ミネちゃんは私達にとって弄り甲斐のある有望な後輩なんだぞ! だから、今回の同伴でお店辞めるなんて言ったらカンキくんのこと許さないからなー?」

 

「有望の基準が弄りやすさってのがね……」

 

 見ていて飽きない、という点では同感だけども。という思いと共にして、歯磨きをしているラミアが適当な調子で「本人の意思とは裏腹に、ミネさんは生粋の愛され体質ですからねー」と言ってくる。

 

 こんな会話をしていると、不意を突くように部屋のインターホンが鳴らされた。

 響き渡ったそれを受けて、玄関先の映像を確認する自分。そうして映し出されたミネの姿を見てから、自分はラミアとメーに言葉を告げながら玄関へと歩き出していった。

 

「ミネが来たから、俺は行くよ。ラミアは昼からのシフト頑張ってね。メーはせっかくの休日だからしっかり休んで。じゃ、そういうことでまた」

 

 

 

 

 

 ラミアとメーに見送られながら、自分は玄関の扉を開いてミネとの合流を果たしていく。

 

 インターホンを鳴らした少女が玄関先で佇んでいたその様子。だが、そこでこちらを待っていたミネの姿は、普段着とは異なるコーディネートが施されていた。

 

 白色のジャンパーに、襟付きの黄色いニットベスト。白色のミニスカートに膝丈までの白色ブーツというその格好。また、提げている茶色のショルダーバッグは学校の鞄の要領で肩に掛けており、両手をジャンパーのポケットに突っ込んだ佇まいでこちらを見遣っている。

 

 いつもの不機嫌そうな表情も、むしろチャームポイントと言えただろう。扉を閉めて少女を向かい合った自分はミネの格好を見て、その言葉を掛けていった。

 

「ミネ、とてもよく似合ってる」

 

「っ! だ、だから何……! わ、悪い!? アタシがこういう格好してちゃ……!」

 

「悪くなんかないよ。むしろ、ミネの新しい一面を見ることができて嬉しく思ってるよ」

 

「っっ……!!」

 

 不愉快そうな表情を作ろうとしながらも、恥ずかしさが滲み出た顔の歪みで赤面していくミネ。そしてプイッとそっぽを向いて暫し沈黙していくのだが、次にも少女はこちらの顔をうかがうように視線だけを投げ掛けながら喋り出していく。

 

「……行くなら早くいこ。遊べる時間が減っちゃうから……」

 

「そうだね。ここで立ち話するよりも、歩きながら話そっか」

 

「……うん」

 

 ムスッとしながらも、素直に頷いてくるミネ。そうして自分が歩き出していくと、ふと少女は「っ、ねぇ!」と唐突に呼び止めてきた。

 

 振り返るこちらへと、ミネは気まずそうな目で話してくる。

 

「……今日は、その。……で、デート、みたいなもん、でしょ……? 一応……」

 

「まぁ、名目としては同伴という(てい)だけど、二人で話し合って決めたりした予定だから実質デートとも言えるかも?」

 

「……じゃあ、さ。今日のアタシは、その。ほ、ホステスとしてのアタシじゃなくって、普段のアタシとして見てくれると、う、嬉しいな、って……」

 

「??」

 

 最初は、少女の言葉の意味を理解することができなかった。しかし、ホステスとしての自分じゃない、普段の自分を見てもらいたいという意図から、自分なりに意味を解釈してその言葉を掛けていった。

 

「分かった。それじゃあ今日は、ミネじゃなくて蓼丸菜子とお出掛けする感覚でやっていくとするよ。そういうわけで行こうか、菜子(なこ)ちゃん」

 

「! ……うん!」

 

 いま目の前にいる少女は、ホステスのミネではなく親戚の蓼丸菜子だ。

 こちらから差し出した手を取った菜子は、本人の意図しない満面の笑顔に満ちていた。だからこそ自分はこの娘を守りたいと思えてしまったものだし、これから望む同伴兼デートにおいても、少女が満足できるお出掛けにしたいとも誓えたものだった。

 

 

 

 

 

 目的地に到着した現在でも、快晴の天気は健在となっていた。

 

 晴れやかな青空の下、活気と感動で賑わう遊園地の入り口まで訪れた自分と菜子。さながら夢の国とも呼べるだろうアトラクションに富んだテーマパークを前にして、隣の少女は瞳を輝かせながら歩いていた。

 

 最も信頼していた姉の失踪以来、ずっと孤独感と戦ってきた子だ。だから、年相応の遊びに憧れていたのであろう菜子の様子に、自分が先導する形で共に遊園地へ入っていく。

 

 今も目の前に広がる、ファンタジー世界に迷い込んだかのような建物や花壇の光景。流れる音楽もファンシーで可愛らしくも夢と希望を与えてくれるような明るい曲調であり、それらに迎え入れられた菜子は思わず感極まって硬直してしまっていた。

 

 あ、泣きそうなのを我慢しているのかな。傍から見て感じた少女の様相に、自分は菜子のペースに合わせる形で遊園地を巡っていった。

 

 メリーゴーランドやジェットコースターなどの豊富なアトラクションが稼働している景色を脇に、自分らは遊園地の空間を楽しむように園内を歩き進めていく。その間にも菜子が指差したものについての話を行ったり、園内を歩いているマスコットキャラクターとの写真撮影なども行ったりして、自分と菜子は大いに遊園地を楽しんでいた。

 

 そうして巡っている内にも、自分と菜子は無意識にも手を繋いで歩いていたものだ。正確には、人混みに呑まれてはぐれないようにという意味合いを兼ねた手繋ぎであったのだが、それにしては自然な流れで繋いだ手であり、これに気が付いた自分はふと急に意識してしまって見遣ってしまう。

 

 で、この視線に菜子は視線を下ろしていくと、ようやくと気付いた自分らの手に少女は目を真ん丸にしながら赤面していった。

 

 ……ファンシーな遊園地の中、二人の間に気まずい空気が流れ始める。だが、次にも菜子は取り繕った不愉快そうな顔でこちらを見遣ってくると、歯を食いしばりながら頬は赤らめたままのその表情で、視線を逸らしながらボソッとそれを喋ってきたものだった。

 

「…………で、デート、だもんね。そうだよ、だって、これはデートなんだもん……っ」

 

「……自分に言い聞かせてる?」

 

「う、うっさいなっ!!!」

 

 グイッ、と引っ張られた手。突然の力に自分は体勢を崩すようによろけていくと、そんなこちらにお構いなしといった具合に菜子は歩き出して振り返ってくる。

 

「い、いこ!!! まだアトラクションに乗ってないもん!!! こんなことで時間を無駄になんかできないしっ!!! 早くして!!」

 

「お、おっけおっけ!! わかったから引っ張らないで!!」

 

 菜子ちゃん、意外と力が強いんだよなぁ……。

 青年の図体をも引っ張る腕力に、内心で呟きながら少女に追い付く自分。それと共に二人で歩き始めていき、目についたメリーゴーランドの列に並んで順番を待っていた時のことだった。

 

 二十分待ちの行列で佇む自分らが、あともう少しでメリーゴーランドに乗れそうだというその場面。マップを手に持つ自分が、次はどのアトラクションに行こうかと話している最中にも、その少女の顔色が急に悪くなっていたことに気が付いていく。

 

 浮かない表情というよりは、何かを我慢しているかのようなやつれた感じの顔。これを見て自分は「だ、大丈夫……?」と声を投げ掛けていくと、こちらの声に菜子は青白い顔でそれを喋り出してきたのだ。

 

「き、気持ち悪い……っ」

 

「え、気持ち悪い? だ、大丈夫!? 具合悪くなっちゃった!?」

 

「は、吐きそうかも……っ」

 

「まずいな……! 急いで救護室に向かおう!! 歩けそう!?」

 

「でも、せっかくここまで並んだのに……」

 

「菜子ちゃんの体調が最優先だって!! 別に、また列に並べばいいだけだし、何なら後日また此処に来ればいいだけなんだから、今は菜子ちゃん最優先で動くよ!」

 

「うぅ……っ」

 

 やつれた表情で眉をひそめる菜子の手を引き、自分は列から抜け出して少女と園内を駆け回っていく。

 

 それから無事に救護室へとありつけた自分らは、菜子の体調が落ち着くまで暫しそこに滞在することとなったのだ。

 

 

 

 

 

 昼下がりの遊園地にて、レストランのテラス席で遅めの昼食をとっていた自分と菜子。二人でカレーライスを頼んでいたこの状況で、菜子は申し訳なさそうな顔をしながら俯いていた。

 

 食が進んでいない様子から、自分は顔色をうかがうように菜子へと訊ね掛けていく。

 

「大丈夫? まだ体調が良くなっていないなら、遠慮せずに言って?」

 

「う、ううん。もう平気、大丈夫だから……」

 

 とても落ち込んでしまった少女に、自分は少し間を置いてから話し出していく。

 

「まぁ、ひとまず何ともなくて安心したよ。体調を崩した原因が、“遊園地が楽しみすぎたから”っていうことも解ったもんだし、ちょっと張り切りすぎちゃったかもしれないけれども、これから一つずつゆっくり楽しんでいけばいいだけの話だからさ」

 

「…………アタシ、ホントにダサいよね……」

 

「ダサくなんかないよ。経緯としては楽しみすぎて体調を崩したってものだったけれど、高揚感から来る緊張で吐き気を催したって話だったから、緊張で吐き気がするなんて誰にでも当てはまる事柄なんだし、気にしなくても大丈夫な事だと俺は思うよ」

 

「…………ありがと」

 

 ボソッと呟くように口にしたその言葉。少女からのそれに自分は微笑んでみせると、菜子は顔を上げてくるなりこちらの目を見据えながらそれを喋り始めてくる。

 

「……こんなに色々してくれてるのに、それでもアンタ呼びなのは失礼だよね」

 

「菜子ちゃんが呼びたいように呼んでくれればいいよ。そこは強要させたくないから」

 

「そういうとこ、ホントにズルい」

 

「え、ズルいこと言ったかな……。気を悪くしたのなら、ごめん」

 

「……別に」

 

 口を尖らせて、そっぽを向いた菜子。少女の様子に自分は頭を抱えていく中で、菜子が再び向き直ってきてそれを話し出してくる。

 

「……柏島、だよね。苗字」

 

「そうだね。柏島」

 

「じゃあ、カッシー」

 

「カッシー?」

 

「ニックネーム。いい?」

 

「いいね、カッシー。どこかのご当地マスコットキャラクターの名前みたいで気に入ったよ」

 

「なにそれ。変なの」

 

 その時にも、菜子は呆れたサマでフフッと微笑んでみせた。

 

 不良っぽい見た目の少女が見せた、心からの純粋な笑み。これまでにも、不愛想な表情にもどこか愛らしさをうかがわせていた少女の表情だったが、今この時にも見せてきた菜子の笑みは、天真爛漫とも言える穢れ無き生粋の笑顔であったとも言えた。

 

 菜子ちゃん、そういう顔もできるんだ。

 呆れ気味に眉をひそめながらも、自然に吊り上げた口角と柔らかい微笑み。それはまるで清純を司る精霊が降臨したかのような清く美しいものであり、可憐でありながらも健気な振る舞いのように見えて尊く思えてしまえる。

 

 少女の表情に見惚れるような視線を送ってしまっていた自分。そんなこちらの視線に、菜子は頬杖をつきながら不機嫌そうに「……何?」と言葉を投げ掛けてくる。

 

 それに対して自分は「いや、今の菜子ちゃんすごく可愛かった」と、素直な感想を口走ってしまった。すると菜子は一瞬だけポカンと呆気にとられるなり、すぐにも不愉快そうな顔を繕って「なにそれ。なめないで」と静かな怒りを込めた低音ボイスで言葉を返してきたものであった。

 

 

 

 

 

 それからというもの、体調が回復した菜子は吹っ切れたように大はしゃぎで遊園地を巡っていた。

 

 先ほど乗れなかったメリーゴーランドを楽しんだ自分らは、その足でジェットコースターやウォータースライダーへと赴いた。そこで菜子と一緒になって声を上げたりなど自分も大はしゃぎでアトラクションを楽しんでいく中で、自分は菜子との距離感が縮まったことを実感していく。

 

 また、中央のハンドルで回転するコーヒーカップでは、自分と菜子は全力でそれを回していた。おそらく周囲で一番回転していただろうそれに乗っていた自分らは、しばらく動けなくなるほどのめまいで従業員に心配されてしまったものだ。

 

 続けて赴いたお化け屋敷では、菜子が終始と悲鳴を上げながらこちらに引っ付いてきた。その際にも少女は不愛想を取り繕う余裕もなく、ずっと泣きそうな顔でこちらを見遣ったりしていた。

 

 また、遊園地の中で行われるショーを菜子と一緒に眺めていき、踊っているキャラクターに興味津々な少女を写真に収めたりなどしてこのひと時を存分に楽しんでいった。

 

 そして、夕暮れを迎えた時刻。沈み始めた夕日を背景に観覧車に乗っていた自分らは、ようやく落ち着いたと言わんばかりに疲労感を滲ませながらも、頂点から拝む景色に見惚れていた時のこと。

 

 あとは、お土産を見て帰るだけかな。そう思いながら景色を眺めているこちらへと、向かい側に座る菜子が微笑混じりに言葉を投げ掛けてくる。

 

「あーあ、毎日がこんなに楽しければいいのに。また明日からいつものつまんない日常が始まっちゃう。こんなに楽しい時間がずっと続けばいいのになぁ」

 

「たまに遊びに来るからこそ楽しめている、とも考えられるかもよ」

 

「カッシーってポジティブだよね。生きてて苦しいとか思ってなさそう」

 

「ポジティブに考えないとやってられない時もあるからね」

 

「ふーん。まぁいいけど」

 

 だいぶ柔らかい対応を取るようになった菜子の調子に、自分はちょっと新鮮に感じて少女の方へと向いていく。

 

 で、そこに映っていたのはおもむろに脚を開いて座っていた菜子の姿だった。少女はミニスカートという勝負服をしていたために、自分は指差しながら指摘していく。

 

「菜子ちゃん。脚」

 

「え? ……あっ」

 

 サッと脚を閉じていく菜子。共にスカートも押さえるようにして、赤面しながら上目遣いでこちらを見遣ってくる。

 

「……見えた?」

 

「ちょっとだけ」

 

「…………サイアク。お嫁にいけない……っ」

 

「大丈夫だよ。これから意識していけばいいって」

 

「…………」

 

 気まずいというよりは、ちょっと悶々とする空間であったことは否めない。

 

 心なしか、高揚感を覚えてしまった。

 尤も、相手は親戚の高校生。この気持ちに自分が気恥ずかしくなってしまって視線を逸らしてしまったその中で、菜子はとても穏やかな声音でそれを喋り出してきたのだ。

 

「……この服ね、ユノさんと一緒に見に行って買ってきたんだ」

 

「ユノさんと一緒に見てきたんだ。あの安心感は尋常じゃないよね」

 

「わかる。すっごく不安に思うことも、ユノさんと一緒だとできる気がしてくる。服選びだってそうだったんだ。アタシ、コーディネートとかに疎くて、同伴の時の服装に悩んじゃってた。でも、そんな時にユノさんが付きっ切りになって一緒に考えてくれて、一緒に見に行ってくれて、親切にアドバイスしてくれてた」

 

 頂点にいた地点から、段々と下がり始めた観覧車。同時にして夕日も沈んできた暗闇を二人で迎えていきながら、それを背景に菜子は喋り続けていく。

 

「……カッシーは知ってた? ユノさん、お姉ちゃんと付き合ってたんだって」

 

「詳しくは知らなかったけど、そうらしいよね」

 

「でもね、ユノさんとお姉ちゃんの関係、なんか変だったんだよ」

 

「変だった?」

 

「付き合っては別れてを数え切れないほど繰り返したんだって」

 

「確かに、世間的にはあまり聞かない付き合い方だね」

 

「ね。お互いに他の人と付き合っては、そこと別れたらまた二人で付き合い始めて、で、また別れたらお互いに違う人と付き合い始めて、またそこで別れたら二人で付き合って……ってことを繰り返してたみたい」

 

「なんというか、互いを信頼しているからこそできる自由な付き合い方だよね」

 

「お姉ちゃんは男の人と付き合ったりしてて、ユノさんはその時からビアンに目覚めてたから女の人と付き合ったりしてたみたい。てか、ユノさんがビアンに気付いたのはお姉ちゃんの影響だったらしいし」

 

「ヒイロ姉さん、周囲へ与える影響が本当に大きい人だったなぁ。まぁ、良い意味でも悪い意味でも……」

 

 菜子と共通する話題に耽る自分ら。だが、そこで菜子は俯き気味にそう話し出してくる。

 

「……アタシは、そんなお姉ちゃんのことが大好きだった。ろくでなしの両親とは違ってお姉ちゃんは誰よりも義理堅くって、行動力や発想力が豊かで、小さかったアタシをずっとずっと楽しませてくれてた。アタシにとって唯一の家族とも言える存在だったから、アタシ、お姉ちゃんのようになりたいと思って、お姉ちゃんを目標に頑張って生きてきたんだ」

 

 ……震え始めた少女の両手。共にして肩も震わせていくと、次にも菜子は大粒の涙をボロボロと零していった。

 

「っ……お姉ちゃ、ん。お姉ちゃんっ……会いたいよ……っ。何処に行っちゃったの……っ。アタシを置いてかないでよ……っ」

 

「菜子ちゃん……」

 

 静かに少女の傍に移動する自分。そして号泣する少女の背をさするようにしながら、暫しと菜子を慰めていったのであった。

 

 

 

 

 

 虫の声が心地良い夜の龍明。閑静な住宅街を歩き進める自分は、眠りについた菜子をおぶった状態でアパートへの帰宅を果たしていく。

 

 そして、菜子が住む部屋のインターホンを鳴らしていった。

 間もなくして、扉が開かれていく。すると、いつもの私服姿であるユノが穏やかな笑みを見せながらこちらを迎え入れてくれたのだ。

 

「お疲れ様、柏島くん。彼女に代わって私から、心からの敬意と感謝を貴方へ送るわ。最後まで彼女の面倒を見てくれて本当にありがとう」

 

「いえ、親戚としての義務を果たしたまでです。菜子ちゃんをベッドまで運びましょうか?」

 

「貴方に手を煩わせるつもりは毛頭ないけれども、せっかくだから貴方のご厚意に甘えようかしら」

 

「遠慮は要りませんよ。では、少しだけお邪魔します。……そうだ、皆さんにお土産も買って参りましたので、ユノさんにもお渡しいたします」

 

 尤も、土産の袋も手に提げていたために、自分は手間取りながら彼女らの部屋に上がったものだ。

 

 初めて踏み入る二人暮らしの部屋。ピンク色のカーペットや水色のカーテンという可愛らしい女の子の部屋であるその内装もきっと、菜子の好みで選んだものなのだろう。

 

 それらを横目に自分は菜子をベッドに寝かせて、ユノへと一礼してからそそくさと退散していく。だが、そうして玄関まで来た自分の背へと、ユノはその言葉を投げ掛けてきたのだ。

 

「柏島くん」

 

「はい、なんでしょうか」

 

「貴方に大変不便を掛けてしまうかもしれないけれども、もしも貴方の余裕が許してくれるのであるならば、これからも菜子ちゃんの世話と面倒を一任してもいいかしら」

 

 その申し訳なさそうな表情も、凛々しく華麗に思えてくるユノという存在。相変わらず女神みたいな人だなぁという内心を抱きながらも、自分は即答するようにそう言葉を返していった。

 

「元からそのつもりでいました。菜子ちゃんは、俺にとっても数少ない身内の一人ですから。似たような境遇に置かれた親戚として、俺は菜子ちゃんの支えに全力を尽くしたいと考えています」

 

「心強いわね。さすがは柏島オーナーの息子さん。私にも手伝えることがあったら、遠慮なく声を掛けてちょうだい。私にとっても、彼女は特別な存在。……心から愛した人の妹さんでもあるのだから」

 

「むしろ、ユノさんに頼りっぱなしになってしまうかもしれません。まぁ、あれです。二人で菜子ちゃんを支えていきましょう」

 

「ありがとう、柏島くん。貴方という存在と巡り会わせてくれたこの運命に、心から感謝しなければならないわね」

 

「菜子ちゃんやヒイロ姉さん、そして俺の親父といった関係者との接点がありまくりですからね。ここまで来るともはや必然とも言えるかもしれません」

 

 この時にも、自分もLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の一員であることを自覚した。

 

 明日からはまた、命を狙われるいつもの日常が始まる。しかし自分は、この理不尽で無情な世界を生き抜いてみせると改めて決意した。

 

 これも全ては、ミネというホステスに。そして、菜子という一人の少女に人としての幸せを感じてもらいたいと願ったものであったから……。



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第30話 L'obéissance ou la mort 《服従か死か》

 男性客の団体が愉快げに笑うLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の店内。

 

 夜の煌びやかな世界に、今日も訪れていた自分。それでもって、いつもの二人用の席でホステスを待ちながら水を飲んでいると、ふとドタドタ響き渡ってきた足音と共にして活発的な女性の声が投げ掛けられてきた。

 

「ニーチャァーーーンッ!!!」

 

 思わず振り返る自分。だが、その時には既に接近を果たしていた彼女は、次の時にも衝突する勢いでこちらに突っ込んできた。

 

 眼前の突撃に反して、上半身に巡ってきた衝撃は「むぎゅうっ」という熱烈なハグ。だが、抱きしめる力が強すぎる故に自分は「ぅげぇッ」と声を上げていくと、彼女はハッとしながら力を弱めて、流暢な方言でそれを喋ってくる。

 

「ああぁすまんなぁニーチャン!! ウチ、ニーチャンに会いたいっちゅう気持ちが抑え切れんくて、思わず突っ込んでもうたわぁ」

 

「しゅ、シュラ……! だよね……!? 名前……っ」

 

「せやでぇ!!! ウチのこと覚えててくれてありがとぉ!!! これは再会の喜びのハグやぁ!!」

 

 方言混じりでありながらも、甘えるような声音でギュッと抱きしめてくるシュラ。その経緯はハッキングによる脅しが発端ではあったものだが、今では彼女もLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に勤めるホステスの一員としてタキシードを身に纏っていた。

 

 黒色の正装に、緑色のシャツというイメージカラー。その身長はヒール無しで百六十三ほどのものであり、活力でキラキラさせながら見開いた黒色の目と、膝丈まで伸ばしたミルクティーベージュの長髪を低い位置で結んだツインテールが特徴的だ。

 

 以前にも店で問題を起こした彼女は、悪びれることもなく自身の頬をこちらの頬に擦り付けていた。そのあまりにも近すぎる距離感に自分は困惑していく中で、くっ付いていたシュラは引っ張られるように離れていく。

 

 そんな彼女の後ろには、襟を掴んで引き剥がしたタキシード姿のレダが佇んでいた。表情も呆れ気味とも言える困り顔でシュラを見遣っていると、直にもレダは息を切らした様子でシュラと会話を行っていく。

 

「ちょ、っと……!! 待ちなさいって……っ! ハァ、ハァ……っ、ねぇ、カンキ君との接触は禁止……!! まだあなたの疑いが晴れたわけじゃないんだから、いい加減に自重してちょうだい……っ!!」

 

「なんでやぁぁああ!!! なんでそないにウチを邪険に扱うんやぁ!!!」

 

「あなたの第一印象が最悪だったからよっ……!! ただでさえカンキ君は命を狙われているんだから、彼を不安がらせるようなことは控えてほしいんだってば……っ!」

 

「ぐぬぬぬぬぬぅ……」

 

 ぷくーっと膨らませたシュラの頬。だが、レダは揺るぎない断固たる意志で怒りの顔を見せ付けてきたことから、シュラは諦めたようにしょんぼりしながら向かいの席に座っていった。

 

 で、これに対してもレダから「なにしれっとカンキ君の接待をしようとしてるのよ」と突っ込まれる。それを受けてシュラは「ウチだってホステスなんやし、お客さんの接待をするのは当たり前やろ?」とケロッとした顔で答えていく。

 

 返ってきた言葉に、レダは頭を抱えながら「……じゃあ、わたしも付き添うから、そこで大人しくしていなさい」と言って他のテーブルから席を持ってきた。

 

 なお、レダの言動にシュラは不満そうな顔をしながら「闇医者のネーチャン過保護すぎんかー?」と口にしてくる。これを聞いたレダは、疲れた表情をしながら「あなた、自分の立場くらい認識したらどうなの?」と言ってイスを置いていたものだ。

 

 

 

 

 

 それから時間が経過して、場面は閉店した深夜の店前へと移っていく。

 

 Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の入り口付近で、他のホステスと会話を行っていた自分。三名の彼女らと軽い談笑を交わしていき、龍明の駅を目指して歩き出した彼女らへと手を振っていくのだが、ふと背後の気配に自分は何気なく振り返っていったものだ。

 

 すると、店の裏側から駆け付けてきた私服姿のシュラが、活力に満ち溢れた明るい顔で「ニーチャァーーーンッ!!!」と言葉を投げ掛けてきた。

 

 緑色のキャップを被っていて、だらしなく着こなした膨らみのある肩出し緑色パーカーと、へそ出しで背中の開いた黒色のキャミソール。ボタンを外して黄色のショーツをチラ見せさせた青色のホットパンツという大胆なコーデで、薄い黄色のヒールサンダルと、首に掛けた緑色のヘッドフォン、そして左手に携えたiPadという一式で彼女は真っ直ぐとこちらを目指してくる。

 

 うわ、また突っ込んできた。眼前の勢いに自分は思わず身構えていくのだが、直後にもシュラの背後からはレダの手が伸びてきて、彼女は襟を掴まれたことでその動きを急停止していった。

 

 引き留められたことで、両手と両脚をシャカシャカさせながらその場でジタバタしていたシュラ。そんな彼女に私服姿のレダが呆れ気味にため息をついていくと、こちらへと歩み寄りながらシュラへと言葉を掛けていった。

 

「あなた、カンキ君のことを相当気に入っているみたいだけど、だからって性懲りもなくずっと同じことを繰り返されたら、わたし達やカンキ君はただ困るだけなのよ……!」

 

「なんでやぁぁああ!!! もうそろそろウチのこと許してくれてもええやろぉ!? なぁぁ頼むでほんまぁ!!」

 

「誰もがあなたを信用していない以上、まだあなたのことを許せるわけがないじゃない」

 

「そんなぁ!!! 闇医者のネーチャンの意地悪ーーーっ!!!」

 

「いちいち闇医者って言わないでちょうだい!!」

 

 もはや見慣れてしまったそのコンビ。シュラの暴走を食い止めるレダという光景が日常にも思えてきた自分が汗を流していく中で、彼女らの下には凛々しいサマのユノが歩み寄ってくる。

 

 この気配に、レダとシュラは二人で振り向いていった。

 共にして、ユノからは「二人共、今日はお疲れ様」と言葉を掛けられる。その労わりに二人も「お疲れ様です」、「お疲れさーん!」と返事を行っていき、ユノは続けてこちらへと振り向いて微笑を浮かべてきたものだ。

 

「柏島くん。今日も私達を最後まで見守ってくれて、本当にありがとう」

 

「いえ、今日も楽しい夜を過ごさせてもらいましたので、むしろこちらがお礼を述べたいくらいですよ」

 

「貴方という大切なお客様にそう言っていただけることに、私達はこの上ない喜びを見出すことができるの。他に代え難いこの至高なる感情、光栄の限りだわ」

 

 穏やかな調子で、胸に右手を添えながらそれを口にしたユノ。これにシュラは首を傾げて「女帝のネーチャンの言葉、ウチにはようわからんわぁ」と口出ししたものだったから、レダは慌てるように「余計なこと言わないの」と言ってシュラを引っ張っていく。

 

 このやり取りを横目に、ユノはこちらへと訊ね掛けてきた。

 

「わずかながらの感謝の形として、今宵も貴方を部屋まで送らせてもらいたいのだけど、いいかしら?」

 

「お疲れのところすみません。今日もよろしくお願いします」

 

「気にしないでちょうだい。貴方という尊い命を守るためであるならば、私はこの命に代えてでも貴方を守護してみせるから」

 

 あ、相変わらずの重さだ……。

 いつものユノ節に、自分は言葉を詰まらせるようにしていく。だが、その脇ではシュラがまた「なんや、女帝のネーチャンはニーチャンに心酔してるんか??」と口出ししてきたものであったから、これにレダがまたしても「だから余計なことは言わないで」と焦り気味にシュラを引っ張ったものだ。

 

 尤も、シュラを気にする素振りなどは全く見せないユノ。しかし、次にも口にしたシュラの言葉には、ユノも反応を示すこととなる。

 

「んでんで、これからニーチャンのアパートに行くんか?? ならウチもついてくわぁ!!! な、な! そろそろええやろニーチャン!!」

 

 これにはレダ、「なに言ってるの。あなたはダメに決まってるじゃない」と言い聞かせていく。これにシュラは不服そうな顔で見つめ返していくのだが、一方でユノの「いいわよ」という快諾にレダは思わず言葉を投げ掛けていった。

 

「ちょっとユノさん!? あなたまで何を言ってるの!? こんな得体の知れない危険な人物を、カンキ君の部屋に上げるわけにはいかないわ!!」

 

「えぇ、多少の素性は既に判明しているものであるけれども、依然として得体が知れないことに代わりないわね」

 

「素性とかはわたし達は聞かされてないから何とも言えないけれど、だからって、どうしてシュラをカンキ君の部屋に上げるというの!?」

 

「理由は後々わかるわ。そういうことだから、彼女を彼の部屋に上げる代わりとして、私と貴女で柏島くんを付きっ切りで護衛する。いいわね?」

 

「っ……」

 

 こちらの身を本気で案じてくれているからこそ、レダはユノの提案に暫しと歯を食いしばるような表情を見せていた。

 

 まぁ、脇では大喜びではしゃぐシュラがいたものだ。これによってレダは渋々といった具合に「……えぇ、いいわよ」とユノの提案を受け入れていく。それでユノが凛々しいサマで「ありがとうレダ。それじゃあ、行きましょう」とアパートの方向へ歩き出していくと、彼女に続くようにレダとシュラは歩き始めていった。

 

 シュラの、「ニーチャンの部屋に邪魔するの、ウチめっちゃ楽しみにしとったんやぁ!」という言葉に対して、レダは突き放すように「調子に乗らないでちょうだい」と言っていく。と、今もそんなやり取りが交わされているその後ろにて、部屋の主を差し置いて勝手に話が進んでいた現状に自分は、ただただ頭を掻きながら彼女らの後を追っていたものだ。

 

 

 

 

 

 店から徒歩で十五分の道のり。その短時間が故に最寄りの宿として使われてきた自分のアパートに、三名のホステスを招き入れていく。

 

 特に、自分の部屋に上がりたいと言っていたシュラは、キラキラと目を輝かせながら「うわぁ!!! ニーチャンの部屋ぁ!!!」と大声を上げていき、履いていたヒールサンダルを脱ぎ捨てるようにして駆け込んでいったものだ。

 

 彼女の落ち着かない行動に、ついてきたレダはやれやれといった具合の顔でその様子を見遣っていく。で、ユノもまた凛々しいサマでこちらへと「お邪魔します」の言葉を掛けてくるのだが、次の時にもシュラは部屋のど真ん中でパーカーを脱ぎ捨てたかと思えば、あろうことかホットパンツにも手を掛けてそれを下げ始めていったのだ。

 

 彼女の行いに、自分は思わず焦りながら「いやいやいやいや!!! ちょっとちょっと!!」と声を掛けていく。これにシュラは不思議そうに振り返ってくると、黄色のショーツで半ケツを見せてきた脱ぎ掛けの姿でそう喋り出してきた。

 

「なんや? ニーチャンどないした?」

 

「いやいや……どうしたも何も、人の部屋でいきなり脱ぎ出すのはちょっと……」

 

「なんや、そないなことか。ええやん別に、他のホステスもここで着替えたりするやろ?」

 

「それはそうだけど、知り合ったばかりの男の前で急に脱ぎ出すのも女性としてデリカシーが無いというかさ……」

 

「せやけど、相手がニーチャンならウチは気にせんよ? 何ならウチ、家じゃあバリバリの裸族やねん。これがウチにとってのフツーや、フツー」

 

「だとしても、せめて初日だけは控えてもらえると嬉しいんだけどなぁ……」

 

「なんやぁニーチャン、ノリ悪いなぁ。ええやんか別にぃ。ウチとニーチャンの仲やろ?? なぁ? ニーチャンもウチのナイスバディ見たいやろ?? なぁなぁ~」

 

 半ケツ状態で快活に喋るシュラを見て、レダは腕組みをしながら「ここはカンキ君の部屋なんだから、カンキくんに従いなさいよ。じゃないと力ずくで追い出すわよ」と辛辣な言葉を投げ掛けていく。これにシュラが渋い顔をしつつ「ぐうぅっ、しゃあないなぁ……」と返答していく中で、自分はレダを見遣りつつ脳裏にとある光景を思い浮かべていた。

 

 ……無断で人のシャツを借りて、素っ裸の状態でそれを着用していたレダの姿。おまけに彼女は誘惑的な視線を向けてくると、それの裾を捲り上げることで黒色のショーツを見せ付けて、鼻血を噴くこちらの反応を楽しんでいたものだ。

 

 また、アパートの裏にある夜の公園で、野外プレイも行ったことがあるその記憶。これがよぎってくる最中にもレダがシュラを咎める様子が眼前で繰り広げられていたものだったから、自分は内心で「いや、レダもレダで人のことは言えないから……」とツッコミを入れていく。

 

 で、彼女らのやり取りを見ていたユノが、クールビューティな面持ちでそれを口にしてきた。

 

「彼が特別な存在である以上、自身の全てを曝け出してでも彼に熱烈なアピールを行いたい気持ちは十分に理解できるわ。けれども、シュラ。貴女には太陽のようにハツラツとした貴女独自の魅力があるのだから、性欲を煽る方法ではなくて持ち前の人間性で誘惑した方が、柏島くんからしても貴女の姿がより美しく映えて、彼を心から虜にすることができるでしょうね」

 

「????? ……女帝のネーチャンが言う言葉の意味はウチにはよぉ分からへんけど、まるで普段のウチの方が魅力的やって褒められとる気ぃするから、せやったら女帝のネーチャンの言う通りにいつものウチでニーチャンをメロメロにするわ!!」

 

 と、脱ぎ掛けのホットパンツをキュッと上げて振り返ってきたシュラ。そして太陽のように眩しい笑みでニッと笑んでみせたものだったから、彼女の微笑みに自分は堪らずと見惚れるようにして頬を赤らめてしまった。……尤も、ユノの説得を耳にして、自分はとある光景を脳裏に浮かべていたものでもあったが。

 

 それは、ミネの歓迎会で遠出したホテルの浴室で、シャワーを浴びていた自分の下に姿を現した全裸のユノ。それでいて、物珍しげなこちらの“モノ”を弄りに弄って最高潮の射出を行わせてきた上に、自身の下腹部にかかった“ソレ”を指に取って、あろうことか興味本位で舐めとることで味まで確認してきた彼女のその行動。

 

 ……ユノさん、貴女も大概ですからね。

 彼女を見遣る自分の視線は、無意識とジト目になってしまっていた。だが、そんなこちらの内心など彼女らは知る由もなく、ユノの説得で服を着たシュラが落ち着きを取り戻したところで、自分らは小腹を満たすために夜中の小さな宴会を開いていくこととなる。

 

 

 

 

 

 背の低いテーブルに広げられたピザとチューハイの缶。龍明の中でも指折りの美女が揃うLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスも、夜分遅くにこのような食事を行うことに自分は意外性と親近感で満たされる。

 

 で、部屋に充満したアルコールのにおいと、程よく酔った三名のホステスが他愛ない話を行う空間に滞在していた自分は、自分一人だけが酔っていないその中で三人の話に耳を傾けていた時のことだった。

 

 あぐらをかいているシュラや、正座でいるレダと、ベッドに寄り掛かる形で右膝を立てた姿勢のユノを眺めていく。そうしてほろ酔いの彼女らを見遣っていく最中にも、ユノはシュラへとその言葉を掛けていったのだ。

 

「ところで、シュラ。今この場にいる面々は、貴女にとっても実に好都合なメンツだと思うのだけど、そろそろ話してみたらどうなのかしら」

 

「んぁぁー、なんやぁ? 好都合??? 何の話??」

 

「今は、自身の素性を語るに相応しい状況ということよ。特に、柏島くんとレダ、そして私というこのメンツは、貴女の正体を詳しく知るに適した人物達であるでしょうから」

 

 唐突とぶっ込んできたユノの言葉を耳にして、シュラは一瞬にして酔いが覚めたように目を見開いてユノを見遣っていく。そして彼女は「あちゃー」といった具合に天井を仰いでいくと、少し間を置いてから視線を戻してそのようなことを喋り出したのだ。

 

「なんや、ウチをニーチャンの部屋に招き入れたのは、これを喋らすのが狙いやったってことなんか」

 

「今の貴女は、袋の中のネズミ。店のサイバーセキュリティも強化された以上は、得意のハッキングを用いた方便も既に通用しないわよ」

 

「前にハッキングで抜き取った情報も、一部がガセのデータになっとってどれが本物のデータか見分けつかなかったしなぁ……してやったりと思っとったウチが恥ずかしいくらいや。……で、それにしたって自分、オーナーのニーチャンの調査でウチの素性くらい調べ尽くしとるんやろ? せやったら今更ウチの話を聞いても意味ないやろ」

 

「それを本人の口から聞かせてもらいたいのよ。私達が集めた情報は、周辺地域で見聞きしただけの推測にすぎない曖昧な領域のもの。しかしその情報が本人の口から語られることによって、それはれっきとした真相へと変貌する。せっかく荒巻オーナーが苦労して集めてきた情報なんですもの。答え合わせくらいさせてもらえないと、彼の労力が報われないわ」

 

「せやからってわざわざ、当時の関係者で囲った環境で本人に白状させるのも中々にエグいで自分。やけど、まぁしゃあないなぁ。ウチとしても、懐疑的な視線を向けられ続けるのは不本意やしな~」

 

 と言って、チラッとレダを見遣るシュラ。この目にレダは不信な視線を返していくと、シュラは観念したように自身の素性を喋り始めていったのだ。

 

「最初に断言しておくけどなぁ、まずウチは自分らに敵意は無いで? それを念頭に置いてから聞いてもらいたいんやけどな。まぁ、言ってしまえばウチは、『鳳凰不動産』っちゅう組織から送られてきたスパイ的な人間っちゅうとこやな」

 

 鳳凰不動産?

 以前にも聞いたことがある。それを思った自分は、先日にも公園で出会ったホームレス達の姿を脳裏に浮かべてその時の場面を思い出していく。

 

 そこで説明されたのは、『鳳凰不動産』という企業と繋がりを持つホームレス狩りに襲われていた時期があったという内容の話だった。だが、同時期にて鳳凰不動産を追っているという探偵の柏島長喜が姿を現して、彼は相棒だった荒巻と共に、そのホームレス狩りを撃退してホームレス達に安寧をもたらしたという。

 

 ホームレス達から聞いた話と照らし合わせると、今もシュラが言っていた鳳凰不動産という組織は間違いなく、危険を孕んだただならぬ組織であることがうかがえる。だからこそ自分は、そんな企業からスパイとして送り込まれてきたと白状したシュラに、驚きを隠せずにいたものだ。

 

 そんな彼女に自分以上の反応を見せてきたのが、レダだった。彼女はすぐにも怒りを露わにして立ち上がっていくと、拳を握り締めながらシュラを睨みつけていく。

 

「鳳凰不動産……!! っ、あなた、鳳凰不動産の一員なの……!? この、ッ、あの時はよくも、わたしの仲間達を散々な目に遭わせてくれたわねッ!!」

 

「ちょい待ちぃ!!! 確かにウチは鳳凰不動産に所属しとったけど、ウチはエンジニアとして本部で働かされとったもんやさかい、ウチは自分らに暴行なんかしとらんで!!!」

 

「関係者である以上は同罪よ!!! 彼らは、学校と家を追い出されたわたしという存在を邪険せずに受け入れてくれた、命の恩人とも言える大切な人達なのよ!! ホームレス狩りに襲われた時だって、あの人達は身を挺してわたしのことを庇ってくれたんだから!!! そんな大切な人達を襲ったホームレス狩りとグルだったあなたのことを、わたしは絶対に許さないッ!!!」

 

 激昂のままにシュラへと言葉を浴びせていくレダへと、ユノは冷静な声音で「そこまでにしなさい」と口にする。これにレダは口を噤んでユノを見遣っていくと、歯をギリギリと噛みしめながらもゆっくりとその場に腰を下ろして座っていった。

 

 これにはシュラも、申し訳なさそうな顔を浮かべて暫し俯いていく。その間もレダから鋭利な視線を注がれていくと、シュラは意を決したように顔を上げてそれを喋り始めたのだ。

 

「ウチが自分らに接触したのは、鳳凰不動産に指示されてスパイとして送り込まれたからや。せやけどウチはな、スパイとか鳳凰不動産とか、そないなことは別にどうでもええと考えとる。ウチは今まで、生まれてきた環境を理由に仕方なく連中のエンジニアとして働かされとったんやけどな、最初から最後までウチ、鳳凰不動産っちゅう組織にはついていけへんなと思っとった」

 

 シュラのセリフに、レダは静かな声音で「あなたの言い方じゃあまるで、鳳凰不動産を辞めたような口ぶりに聞こえるんですけど?」と口を挟んでいく。これにシュラは力強く頷いていくと、次にも「ウチはそのつもりでおる」と答えてきたのだ。

 

 彼女の返答に、レダは未だ懐疑的な視線を送り続けていく。だが、シュラはレダの反応を受け入れながらも真剣な眼差しで喋り続けていった。

 

「スパイとして自分らの店に送られたもんやけどな、ウチは元からスパイの仕事をこなすつもりなんて微塵にもあらへんかった。むしろな、この仕事は鳳凰不動産から抜け駆けするのに都合がええとも思っとる。ウチはもう、鳳凰不動産っちゅう金と権威と復讐しか頭に無い、人を傷付けんと気が済まない連中のやり方に懲り懲りなんや」

 

 自分が静かに話を聞いていく傍らで、ユノはシュラへと「一つ訊ねたいのだけれども、貴女が指示された諜報活動の内容をうかがってもいいかしら」と訊いていく。

 

 これに対してシュラは、ユノへと向きながらそれを話し出していった。

 

「ウチに指示された活動の内容は、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のデータベースに保管されとる機密情報の収集や。ほんなら、ハッキングすればええだけやんと思うやろが、面倒な仕事を増やしたくない思うてウチ、ハッキングが得意っちゅうことは連中に明かしとらんくてな。まぁせやから、こうしてスパイとして現地に送り込まれたっちゅうワケやな。で、問題はな、できたらでええと言って指示されたもう一つの活動があるんやけど……」

 

 そう言って、こちらへと向いてくるシュラ。彼女と目が合った自分が首を傾げていくと、シュラは真っ直ぐとこちらを見据えながらそれを口にしていったのだ。

 

「……それがな、柏島長喜の息子である柏島歓喜の誘拐っちゅうものやねん」

 

「え……?」

 

 誘拐……?

 しかも、俺? という驚きのままに唖然としてしまう自分。これにユノは鼻でため息をつきながらそう喋り始めていった。

 

「既にこの世を去った柏島オーナーへの報復、といったところかしら。誘拐という指示から見るに、まず誘拐した柏島くんをダシにすることで、柏島オーナーが建てたLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)という遺物を自分達の気が済むまで傷物にしてから、柏島くんを餌に誘い出した我々を始末するという陰湿な算段でも企てていそうね」

 

「ビンゴやで、女帝のネーチャン。柏島長喜っちゅう報復の対象が姿を消した今でもな、連中は鳳凰不動産っちゅう組織を一度破滅へと追いやったその元凶の幻影を盲目的に追い続けとる。元は連中の自業自得と言えどもな、連中の逆恨み的な執念は日に日に増している一方なんやで。特に、柏島長喜の活動に協力した元相棒のニーチャンと、女帝のネーチャン。それと、あの殺し屋のニーチャンに、蓼丸ヒイロっちゅうウチにはよぉ分からんネーチャンと、ついでで闇医者のネーチャンが抹殺対象になっとる」

 

 蓼丸ヒイロ……?

 鳳凰不動産が追い続けている親父の協力者リストに、蓼丸ヒイロの名前も載っているのか。そんな意外性のある名前に意識が持っていかれていると、次にもユノは胸ポケットから電子タバコを取り出して吸い始めていき、煙を吐きながら凛々しいサマでシュラへと言葉を掛けていった。

 

「集めた情報を基に荒巻オーナーが立てた、鳳凰不動産の諜報員という仮説と一致するわね。いいわ、シュラ。貴女の動機が真実であることを認めると共にして、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスとして我々の組織に正式に所属することを許すわ」

 

「ほ、ほんまか!? 助かるでぇ女帝のネーチャァンっ!!」

 

「ただ、一つだけ条件があるわよ」

 

 口からゆっくりと煙を吐き出すユノ。同時にして向けられた冷徹な視線は彼女の色白な肌よりも冷たく、恐ろしい。

 

 瞳の奥に宿らせた、氷よりも凍てついた水晶体の不気味な輝き。その、眼光だけで人を殺せるんじゃないかというおぞましい威厳を孕んだそれに、目にしたシュラは凍り付いた表情で音もなく姿勢を正していく。

 

 そして、かしこまったシュラを視界の中央に捉えていったユノは、次の時にも静かな声音で彼女へとそれを提示していったのだ。

 

「シュラ。貴女はこれからも、鳳凰不動産との接触を継続しなさい」

 

「ほ、鳳凰不動産との、接触の継続……?」

 

「えぇ、そうよ。それが、我々の仲間として貴女を認めてあげられる唯一の条件。シュラ、二重スパイとしてLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に貢献しなさい。そうでなければ、命は無いわ。さぁ、条件を呑むか呑まないか、今この場で決断してちょうだい」

 

「うわぁぁー……服従するか死ぬかの二択ってことやなぁー……。まぁ、ウチもとっくに腹を括っとるんや。せやからウチの返答は服従の一択やで。二重スパイ? やってやろうやないか!!」

 

 心なしか、ちょっとだけ声が震えていたシュラ。だが、覚悟を伴ったその返答にユノは再度と電子タバコを吸っていくと、ふぅっと煙混じりの息をつきながらシュラへとその言葉を掛けていったのであった。

 

「貴女の覚悟、しかとこの目で見届けさせてもらったわ。我々にとっても因縁深き敵組織の鳳凰不動産。そこに属していた人間である以上は、我々としても相応の条件を呑んでもらわないと信用できないというものよ。同時にして、この二重スパイを完遂したその時こそは、私達、特にレダを始めとしたホームレス達に対する貴女なりのケジメにもなるの。だから、シュラ。私達と共に、鳳凰不動産と戦いましょう。今も見守ってくださっている柏島オーナーに、心から安心して眠ってもらうためにも、ね」



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第31話 Dansons 《レッツ・ダンス》

 近場に用があるだけだから、一人でも大丈夫だろう。昼のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を後にした自分がそれを思い、単独で龍明の駅前へと赴いた時の出来事だった。

 

 目的地が思ったよりも路地裏であり、建物と建物の間に挟まれるような狭い道を一人で歩いていた自分。この時から若干と視線らしき何かを感じていたものであったのだが、ふと背後から空き缶の転がる音が響き渡ったことによって、自分は確信と共にそちらへ振り返っていく。

 

 すると、隅にあった脇道からは一人の男が姿を現してきた。彼はこちらを上回る筋肉質な体格をしており、濃い緑色のタンクトップに黒色のパンツという如何にもゴロツキな見た目をしてこちらへと歩いてくる。

 

 また、彼は右手に鉄パイプを持っていた。それを左手に打ち付けるようにしながらこちらを見遣ってくると、スキンヘッドの頭部で開き直った顔をしながら鉄パイプを振り上げて、おもむろにこちらへと襲い掛かってきたのだ。

 

 しまった。俺の命を狙っているという連中か……!?

 いや、シュラのように俺の誘拐を目論んでいる鳳凰不動産の人間か……? という真相は二の次にして、自分は唐突な出来事に半ば頭を真っ白にしながら腕で防御する姿勢をとっていく。

 

 だが、直後にも視界の右端から生えるように飛び出してきた銃口と共にして、この左耳には不敵に囁く男性の声が奏でられてきた。

 

「動かないでね」

 

 え?

 瞬間、右耳には特大の発砲音が轟いた。これには思わず叫び上げた自分だったが、それ以上に悲惨だったのが目の前にいた暴漢の有様というもの。

 

 彼から見た右胸を撃ち抜かれたその男性。そこには、今まで映画でしか見たことがなかった生々しい赤黒い穴が開けられており、着弾と同時に男性は野太い悲鳴を上げてその場に倒れ込むと、激痛のままに地面をのたうち回りながらもこちらに対して助けを乞い始めてきたのだ。

 

 ……目撃するには、あまりにもショッキングな光景だった。目にした眼前の様子に自分は呆然と佇んでいくのだが、発砲した男性はと言うと今もこちらの左肩に手を乗せながら乗り出すように顔を出してきて、そして、この右肩越しに拳銃を構え続けながら不敵にそう喋り続けてくる。

 

「店から尾行してきて正解だったよ。君という特上の餌が単独で龍明の街を徘徊するんだ。これを好機として見逃さない強欲な人間が現れることは想像するに容易かったものだからね、僕は餌を狙う捕食者を狩猟する狩人ごっこをするために、わざわざ気配を殺しながら君の後をついてきていたんだ」

 

「く、クリス……?」

 

 背後に存在していた、私服姿のクリス。殺し屋として三桁の対象を排除してきたらしい彼は不敵に笑みながらそれを口にしていくと、次にも猫背の姿勢で倒れた男性の下へと歩み寄って、その左脚を持ち上げながらこちらへと振り向いてそう訊ね掛けてくる。

 

「彼に用事ある? 訊きたいこととかあったら、今の内に申し出てね」

 

「いや……特にはないけど……」

 

「そう? じゃあもう、彼は用済みだね」

 

 こちらの返答に、クリスは踵を返すように歩き出していった。そして彼は男性を引き摺りながら路地裏の死角へと向かっていき、曲がった道の角で姿を消していく。

 

 ……あー、あの場合って鳳凰不動産の人間かどうかを聞いておけば良かったのかな。

 今更と至ったこの発想も、非日常に不慣れな自分からしたらすぐに思い至らない質問内容だ。ただ、これを思ってクリスを呼び止めようとした自分が一歩踏み出したその瞬間にも、路地裏の死角からは三発の銃声が響き出したのだ。

 

 思わず足を止めていく自分。同時にして聞こえてきた絶叫は断末魔とも言える悲痛なものであり、リアルなそれに自分は静かな恐怖心でただただその場に留まってしまう。

 

 直にも、拳銃を片手に持つクリスが歩いてきた。彼は何事も無かったかのような平然とした顔でこちらへと歩み寄ってくると、近くで目が合うなりクリスは不敵に微笑みながらそう呟いてきた。

 

「日頃から疑問に思っていることなんだけれども、人間って本当にか弱い生き物だよね。どうしてなのかな? 知性の発達には著しい進化があったんだろうけれど、一方で肉体の方は強靭とはとても言い難い。それが非常に惜しいなと思えてくるんだ。だって肉体も進化していれば、もしかしたら数発程度の銃弾は耐えられた未来もあったかもしれないからね。いや、そうであってほしかったな」

 

「…………と、とにかく、守ってくれてありがとう……」

 

「うーん、ちょっと違うかな。むしろ僕の方から、君に礼を言わせてほしい。いつもありがとう。君という存在のおかげで僕は、明確な正当性を以てして人を撃つことができるんだ。つまり君は、僕の生き甲斐でもあるんだよ。だからこれからも君は、僕に極上の生を実感させ続けてもらえると嬉しいな」

 

 こちらの右肩に手を置いて、不敵な微笑と共にして歩き去ろうとするクリス。だが、次にも「あ」と端的に声を出していくと、彼は振り返りながらその言葉を掛けてきた。

 

「これから荒巻オーナーと会う予定があるんだけど、君も来る?」

 

「え、荒巻オーナーと?」

 

「探偵のお仕事のお手伝い。駅前のカフェで落ち合う予定なんだ。君もどうかな」

 

 自分が行ってもいい内容なのだろうか。それを疑問に思いながらも、しかし好奇心という誘惑には勝てずに「じゃあ、クリスが言うならついていこうかな」と答えていく。

 

 その返答にクリスは「決まりだね、それじゃ行こっか」と言って歩き出したものだったから、自分はその後をついていく形で暫しクリスとの二人行動を共にしたのであった。

 

 

 

 

 

 クリスと肩を並べて歩く龍明の街中。昼過ぎの雑多な人混みを掻き分けるその足取りは、無意識にも怖いもの知らずな力強いものとなっていた。

 

 ユノと同等の安心感。その方向性は違えども、彼がついてくれているだけで百人力という気持ちになれたのもまた事実。そんな感じで自分はクリスを頼りにしながら歩いていると、直にも隣の彼は喫茶店のテラス席を指差しながらそれを喋り出していったのだ。

 

「待ち合わせ場所が見えてきたよ。ただ、どうやら先客がいるようだね」

 

「先客?」

 

 何のことだろう。そう思って自分は、クリスの指先を辿るように視線を投げ掛けていく。すると、喫茶店のテラス席にて荒巻と談笑するメーの姿を確認することができた。

 

 二人とも私服姿であるその様子。だが、荒巻はゆったりとした薄い黄色のVネックシャツに、ストリート系の柄が特徴的な鈍い黄色のフード付きアウター。そして灰色のワイドパンツに白色のシューズというラフな格好でメーと会話をしていたものだ。

 

 首に掛けている紐のような黒いネックレスと、常備しているサングラスも相まって、彼は一層とヤンチャな雰囲気に包まれていた。これに自分は荒巻を見据えながらテラス席へと歩み寄っていくと、クリスと共に姿を現したこちらを見て荒巻とメーが言葉を投げ掛けてきた。

 

「よーぅクリスちゃん!! ……と、カンキちゃぁん? なんだなんだ、話に聞いてねぇサプライズゲストまで連れてきちまってよぉ。まーなんだ、取り敢えず座んなお二人さん」

 

「やっほークリス。それとカンキ君も。お邪魔してま~す」

 

 椅子に座ることを催促してくれた荒巻と、勝気な笑みでこちらに手を振ってくるメー。二人に迎え入れられる形で自分はクリスと椅子に座っていくと、クリスは不敵な声音のまま荒巻へとそれを訊ね掛けていった。

 

「この様子じゃあ、今日の依頼は既に済ませてありそうだね」

 

「ご名答! クリスちゃんの到着を待つべくオレちゃんここで優雅に紅茶を嗜んでいたらよぉ、同伴帰りのメーちゃんが偶然通りかかったってワケなのよ。で、ついでだからメーちゃんに今日の依頼を手伝ってもらって、今に至るってこった。だから、すまねぇなぁクリスちゃん。声を掛けておいてアレなんだが、完全な無駄足にさせちまった」

 

「バッティングセンターに勤める従業員の素行調査だったかな。違和感無く現場に潜入するための人選として、僕じゃなくメーを選んだのは正解じゃないかな」

 

「んま、おかげさんでメーちゃんとの恋人ごっこもできて? オレちゃん大満足!! っつーことでメーちゃん、次もまたお手伝い頼むぜ?」

 

 陽気な調子でニッと笑んでみせた荒巻。これにメーは冗談気味に「オーナーと恋人ごっこ? 本気でそう思ってるんならマジでウケるんだけど」と言ってからタピオカジュースを啜っていく。その返答に荒巻は眉をひそめながらお手上げのジェスチャーでこちらに振り向いてきたものであったから、自分は何と返したらいいか分からずにただただ汗を流してしまった。

 

 で、クリスはクリスで店員を呼びつけて「パンケーキ一つ」と注文を行っていく。この自由な空間もLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の人間らしいなと内心で思いつつ静観を決め込んでいると、ふとメーは思い出したように荒巻へとそう訊ね掛けていった。

 

「ねぇオーナー、それで私の約束は忘れたなんて言わないよね?」

 

「あぁ? 約束?」

 

「あーほら、やっぱり忘れてるー! バッセン行く前に言ったじゃん! オーナーのお手伝いをする代わりに、後でダンスの練習に付き合ってってさぁ!」

 

「あ、あぁーぁ。ぁ~……、そうだった。っけか?」

 

「オーナーさ~、なんか最近忘れっぽくない? もう歳だよ。おじいちゃんだよ」

 

「お、おいおい勘弁してくれよォ!! オレちゃんまだまだ三十代だぜ!? おじいちゃん呼びはまだ早ェっての!!」

 

「はいはいそうですか~荒巻おじいちゃん」

 

「うっはぁ!! 約束をちょこ~っと忘れていただけでこの仕打ちだぜ!! メーちゃんはホント容赦ねェなぁおい」

 

 尤も、言葉とは裏腹に荒巻はものすごく嬉しそうな顔をしていたものだ。

 

 そのやり取りを聞いていて、自分は「ダンスの練習?」と口にする。それを聞いたメーはこちらに振り向いてくると、勝気な瞳を向けながらそれを説明してくれた。

 

「そ、ダンスの練習~。今度、キャバレーのステージで踊ることになったからさぁ。それで今から練習してるってわけ」

 

「あぁ、そういうことか。いやそれにしても、お店のショーはいつ見てもクオリティが高くて毎回ビックリさせられてるよ。みんなの演技力や歌唱力とかがその道のプロみたいで、俺、キャバレーなのにショーの新作が楽しみで顔を出しに行く時だってあるもん」

 

「ちょ、ちょっとさぁ……今からハードル上げないでもらえる?」

 

「あ、あぁ、ごめん」

 

 ついつい喋ってしまった。

 目にするショーのクオリティに、思わず口走った感動でメーにプレッシャーを与えてしまう。これに自分は慌てて口を閉ざしていく脇では、荒巻が腕組みをしながら「店のホステスはオレちゃんが育てた……」と言いながら頷いていく。

 

 が、これにメーが「ホステスを直々に育ててるのはユノさんだけどねー」と忖度の無いツッコミをかましていった。その返答に荒巻は眉をひそめながらお手上げのジェスチャーでこちらに振り向いてきたものであったから、自分は何と返したらいいか分からずにただただ汗を流してしまった。

 

 で、クリスはクリスで注文したパンケーキを静かに食べていく。

 これらの様子を前にして、いや本当に自由な人達だな……という内心を呟いた自分。まぁ、それも一旦置いといて、自分は気になっていた先ほどの話題を掘り返すように、メーへと食い気味にそれを訊ね掛けた。

 

「それでさ、メーのダンスの練習、俺もついていっていいかな?」

 

 興味本位の問い掛けに、メーは明るい表情で「あ、カンキ君も来る? いいよ! 何なら一緒に踊ろ?」と返答してくれた。

 

 その時にも彼女が見せてきた、パァッと広がる晴れやかなその笑顔。不意にも見せられたそれを前にして自分は思わず見惚れるように見つめてしまい、また、シュラのような太陽の如き快活さとは異なる方向の、宝石のように煌びやかな微笑みについつい胸をドキドキさせてしまう。

 

 で、このわずかながらの動揺を悟ったのだろうメーは、次の時にもからかうような視線を向けてニッと悪戯に笑んでみせたものだった。

 

 ……あー、やば。惚れそう。

 陥落寸前の感想文を内心で述べた自分。そんなこちらの反応に彼女はしてやったりな顔で見つめてくると、とても満足げな様子でドヤ顔をしてきたものでもあった。

 

 

 

 

 

 スプレーで落書きされたコンクリートがとてもよく目立つ、ストリート系ご用達の広大なその広場。まるで龍明の治安を反映したかのような雰囲気の悪さに、他地域からやってきた人間はこの付近に近寄ろうとは思わないことだろう。

 

 今もヤンチャなストリート系の男女が団体で会話を行っている光景と、広場に設けられた凸凹の地形でスケートボードを嗜む男達の様子がうかがえる。この空間に訪れた自分らも踊りやすい平坦な場所を確保していくと、荒巻とメーは準備運動を始めたりなど各々がのびのびと過ごしていたものだ。

 

 そんな二人に、自分も混ざるように軽いストレッチを行った。また、この近くではクリスも脱力気味な体操で身体をほぐしていく様子が確認でき、割と念入りに身体を動かしている光景から彼も一緒にやるのかなと思いながら自分はストレッチを終えていく。

 

 今も他所から流れてくるアップテンポな洋楽を耳にして、他の場所でも陽気なゴロツキ達がストリートダンスを楽しんでいる様子を横目で感じていた自分。この空気にどこか気分が高揚してきたその中で、荒巻はスマートフォンを片手に紐のネックレスを外しながらメーへと話し掛けていった。

 

「メーちゃん。いつものようにオレちゃんちょいとばかし準備運動すっからよ、この身体がきちんと温まるまで、華麗に踊るオレちゃんのことをしっかりその目に焼き付けておけよ?」

 

「とか何とか言ってさ、結局はカッコよく踊る自分を女の子に見てもらいたいだけでしょー?」

 

「へっ! むしろそれ以外の理由なんかね~よ。男ってのはなァ、自分のカッコいい姿を女の子に見てもらうことに悦びを覚える生き物なのさ」

 

「はいはい。ま、オーナーのダンスは私大好きだから、せっかくだし最後まで見届けてあげる。ただ、私の指導は忘れないでよ?」

 

「わーってるわーってるゥ!!! ッしゃあ!!! メーちゃんを惚れさせちまうオレちゃんの全力ダンス、いっちょぶちかましてやるかァ!!!」

 

 ノリノリなサマで軽く跳ねていく荒巻。共にしてスマートフォンから軽快なアップテンポの洋楽を流していくと、それを付近に置いた次の時にも荒巻は、指を差す動作をキッカケにして突如と鮮やかな動きで踊り始めたのだ。

 

 途端にして、力の緩急を活用した激しくも芸術的なキレを披露し始めた荒巻の姿。メリハリのある動作は熟練の域に達していることを認識させ、激しく荒々しい動作から突然と停止してポーズを決めていく様子は、極端な静と動が生み出す対極的な表現を美しく体現している。

 

 ロックダンスというジャンルに分類される荒巻のダンスは、手首を巻き上げる動きのトゥエル、腕を身体の前で停止させるロック、指を差す動きのポイントや、横にパンチを打つような動きのペイシングなど、ロックダンスの代表的な技をふんだんに詰め込んだ、お手本に忠実である故か綺麗にまとまった踊りを表現していた。

 

 体幹から指先まで意識が行き届いた身体の使い方。力を入れる部分と、力を抜く部分を理解して繰り出す彼の動きには異次元という言葉が相応しい。

 

 荒巻のロックダンスが始まった途端にも注がれた、周囲からの視線。そうしてオーディエンスを味方につけた荒巻は心の底からの笑みを浮かべていくと、キックする動作やステップする動作を交えたダンスで自身の世界を展開していき、そして一分ほど踊ったところでピタッと動作を止めて、メーへと微笑みかけていったのだ。

 

 大の大人が繰り出した、息切れを交えた渾身のドヤ顔。だが、今回ばかりはメーも素直に拍手を送りながら「いいよー、今のオーナー超カッコいいよ~」と言葉を掛けていくと、これに彼は気分を良くしながらも、ふと傍にいたクリスへと視線を投げ掛けるなりその掛け声を行ってきた。

 

「ハァ、ハァ、ッ、カモン!! クリスちゃん!!」

 

「だろうね。そのつもりでいたから準備は済ませてあるよ」

 

 そう言ってクリスは着用していたノースリーブのロングコートを脱ぎ捨てると、退いた荒巻の立っていた場所へと歩いていくなりおもむろに軽いステップを刻み始めていく。

 

 脱力的な面持ちとは裏腹に、きびきびとした動作で足を前後左右に出すステップを披露したクリス。そこから一定の動作とリズムで足技を繰り広げ、次第と身体全体を使って大きく左右に動き出してから、次にも彼は勢いに任せて地面に手をついていき、そこから屈んだ状態で素早く足を動かす技を披露し始めた。

 

 屈んだ姿勢のまま、交互に出した足で横に弧を描くようステップを刻み出した彼のダンス。それはブレイクダンスと呼ぶに相応しいアクロバティックなものであり、躍動感に溢れたその身体は次にも側転するように跳ね上がると、背中や肩を地面につけていってから、跳ねた勢いのまま開脚した脚の遠心力で豪快に回転し始めたのだ。

 

 まさかの、クリスも踊ることができるという新たな一面の目撃。しかもゴリゴリにド派手なブレイクダンス。

 驚きのあまりに言葉を失う自分。それでいて、この脇では既に知っていたのだろうメーが「うはー、さすがだねー」と言いながらワクワクした表情でその様子を眺めており、踊っている彼はと言うと回転する勢いのまま足を折りたたんだ異なる技へと繋いで自身の世界を展開し続けていく。

 

 そして、身体全体で両脚を持ち上げながら、両手と側頭部を地面についてピタッと動作を止める〆の技で最後を決めていったクリス。彼の不敵な存在感も相まって一連のダンスを目撃したオーディエンスがその独特な世界に引き込まれていくと、一気に空間を掌握した荒巻とクリスは互いに微笑を見せながら力強い握手を交わしていった。

 

 

 

 

 

 熱気が冷めてきた広場の空間。ウォーミングアップを完了した荒巻は未だ噴き出す汗をタオルで拭いながら、佇むメーへと言葉を投げ掛けていく。

 

「ふふふ、ふはははははッ!!! オレちゃん今日も絶好調ッ!!! だからメーちゃん、今日は存分にこのオレちゃんを頼ってもらってもかまわないぜ??」

 

「いやー、さすがにダンスする時のオーナーには悪態つけないなぁ~。オーナーを唯一スゴイって思える場面でもあるから、不本意ながらもダンスに関してはオーナーのことを頼りにするね」

 

「おうおう!! なんつーか、言葉の節々に棘があるような気がしなくもねェが、この当たりが強い感じがまた最高に堪らねェからヨシ!!! っつーことでメーちゃんの特訓、さっそく始めていこうじゃねーか」

 

 ホステス達は基本的に荒巻への当たりが強いものだけれど、何だかんだで噛み合った掛け合いはしているんだよなぁ。

 

 そんなことを内心で呟いていく自分であったのだが、こうして呆然とするように突っ立っているこちらを荒巻は見遣ってくると、ニッと笑みながらも得意げな表情でそう言葉を掛けてきたものだ。

 

「カンキちゃんも、オレちゃんの雄姿を見届けてくれただろう? どうよ、オレちゃんの華麗なるダンステク。オレちゃんのオーナーの威厳が最高に炸裂していただろう??」

 

「正直ビックリしました。荒巻オーナーやクリスの洗練された動きはプロと見間違えるレベルでしたよ」

 

「だろう?? ッカー!!! 野郎にもモテちまうなんて、オレちゃんってばホント罪な男だぜ」

 

 前髪を掻き上げる動作を交えて、荒巻は清々しい面持ちを見せてくる。一方で二人のダンスを目撃した自分はと言うと、今も一向に冷めやらない胸の内の高揚感に突き動かされるようにして、何かを探すかのよう自然と周囲を見渡してしまっていた。

 

 現在もどこからか聞こえてくる、電子的な音が特徴的なダンスミュージック。その、自然とリズムを取りたくなってくるテンポを耳にしていると、次にも自分は無意識にも両脚を前後に出していくステップを刻んでいた。

 

 両足がハの字と逆ハの字を繰り返す動作。それが身体に染み込んでいたからこそ流れるように自然と行うことができていて、且つ、突如と動き出したこちらを見遣る荒巻からはそんな言葉が掛けられたものでもあった。

 

「おぅ? なんだカンキちゃん、やけに軽快なステップを踏めるじゃねぇか。動きからしてもカンキちゃん、さては経験者だな?」

 

「経験者といいますか、現在進行形で嗜んでいる現役勢といいますか。すみません、俺も少しだけ踊らせてください。ちょっともう、我慢できそうにないです」

 

 度々と他の団体と出掛けたりしていたその理由。自分もまたその芸術に惚れ込んでいたからこそ、目の前でその情熱を見せ付けられてしまうとついつい触発されてしまうのだ。

 

 曲の始まりと同時にして跳躍したこの身体。そして着地と同時に地面の上を滑るようにして繰り出していく鮮やかなステップ。ノリノリなリズムに合わせてアドリブで行う不規則な足の動きは、先ほどのハの字を繰り返すステップであったり、歩くような動作で水平に滑るランニングマンといった足技を駆使して自分の世界を展開し始めていく。

 

 そこから即席で横に回転していき、膝を持ち上げるように両脚を曲げてハの字を作り出しながら軟体生物のような動きでステップを行っていく。この間も高揚感に身を任せるようにして両腕を振っていき、時に両腕を交差したり回したり、両手で髪を掻き上げるような動作であったりなどの軽快な動きを交えて表現に彩りを与えていくのだ。

 

 自分が踊っているダンスは、シャッフルダンスと呼ばれるものだった。最近は動画投稿アプリで流行り出したことで若者に注目されるようになったこのダンスは、音楽に合わせて高速のステップを踏んでいくことで、流れるような軽快さや鮮やかさを表現するジャンルとなっている。

 

 荒巻の踊っていた、静と動のメリハリが特徴的なロックダンス。クリスの踊っていた、アクロバティックで豪快なブレイクダンスとはまた異なる世界を築き上げていく。この動作に荒巻とメーが「おぉー」と感嘆の言葉を零していき、クリスもまた地面に座った姿勢で不敵な視線を向けながら、こちらの様子を眺めていたものだ。

 

 自分も、周囲のオーディエンスの視線を身に纏うことでこの世界に浸っていく。そして、芸術を全身で体現するこの爽快感に全てを委ねると、最後に十八番であるムーンウォークからのスピンで最後を決めていった。

 

 ……あぁー、やーばい。最っ高に堪らない。

 脳内麻薬とも言える爽快感と、やり切った達成感で暫し放心状態となった自分。そんなこちらへとメーが駆け寄ってくると、こちらに飛び付くようにしてこの肩に右腕を掛けてきながら、彼女は煌めくような瞳でそう言葉を口にしてきた。

 

「なになになに、カンキ君もダンスできるのヤバすぎでしょ!! ねぇ、どうして今までこの特技のことを教えてくれなかったのさ~?」

 

「え、いや、わざわざ言う必要は無かったから……」

 

「ありまくりだし!! だってカンキ君のダンス、今ネットでめっちゃ流行ってるやつだもん!! しかも、動画で見てたようなやつと同じくらいスゴかった!! ねー、それ私も踊れるようになりたーい! 今度カンキ君のダンスも教えて~!!」

 

 メーはイマドキな女の子が故に、流行りのものに敏感な反応を示してくる。これに荒巻は眉をひそめながら「っくぅ~ッ!! やっぱナウでヤングな若者の流行はリサーチしとかねェとモテねぇか……ッ!!」とひとり悔やんでいく。

 

 それからというもの、彼は合間を縫ってはシャッフルダンスの動画を漁ったりなどして研究し始めていたものであった。

 

 

 

 

 

 メーのダンス練習も終わり、夕方に差し掛かりつつあったその時刻。だが、せっかく珍しいメンツで集まったもんだから少し遊ぼうぜという話の下、自分は現在も一同と行動を共にしていた。

 

 荒巻が乗ってきた車に搭乗し、四人で遊技場に訪れる。特にクリスが混じっているというこのメンツでやってきた遊技場においては、メーの独壇場であるボウリングや、射撃の腕で右に出る者はいないクリスのダーツ無双に、自分と荒巻で互いに励まし合いながら彼女らへと食い下がっていたものだ。

 

 そして、おそらく皆が互角だろうビリヤードでは白熱の勝負が繰り広げられたりした。これには自分と荒巻も対抗できることの喜びに二人で打ち震えたりした中で、何だかんだで自分は、荒巻とクリスというあまり縁の無かった人物達との交流や共通点が増えていたことに気が付いていく。

 

 奇跡的にもダンスという繋がりを見出した後から、心なしか会話が増えていたような気がした。気持ち的にもどこか荷が下りたような余裕も生まれたような感じがして、自分は積極的に荒巻やクリスに話しかけたりなどしていたかもしれない。

 

 尤も、クリスは他人との交流に関心は無さそうだった。それでも彼は声を掛ければちゃんと受け答えはしてくれて、その対応にも自分はどこか救われていたところがあるのかもしれない。

 

 ……ホステス以外の人間とも、少しだけ距離が近付けたのだろうか。そんな充実感に満たされたこの一日も、最後に立ち寄った居酒屋で終わりを告げようとしていた。

 

 夜になったその時刻に、今日の締め括りとして乾杯を交わしていった居酒屋の店内。男性陣が烏龍茶を頼んでいく中でメーだけがビールを飲んでいくその空間では、こちらの趣味に関する話題なんかもちょっとだけ出てきたりした。

 

 既に酔いが回っていた隣のメーが、こちらに寄り掛かりながら「他になんかやってることとかあんのー?」と訊いてくる。それに対して「ダンスの他には、パルクールもやってるかな」と答えたりして、双方ともSNS上で知り合った仲間達と自由気ままに取り組んでいることを話していった。

 

 それを聞いたメーが、お酒でふにゃふにゃになりながら「え~、いいなぁ~」と呟いてきた。これを聞いた自分が「今度メーも来る? みんなゲームやアニメ好きのオタクなもんだから、メーも話が合うかもしれない」と答えていくと、彼女は目を輝かせながら「え!! 行きたーい!!!」と言って乗り気な姿勢を示してきたりもした。

 

 今日という日は、趣味の関係でとても充実した時間を送ることができた気がした。

 共にしてLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の人間達との距離感をより縮められたことに嬉しく思えた自分であったのだが、反面として自分も、一層と裏社会に馴染んできてしまっているような感じもしてしまえたことから、果たしてこれは良いことなのだろうかと複雑に思ったりもしてしまう。

 

 尤も、この憂いは酔い潰れたメーを運ぶ際に吹き飛んでいった。

 荒巻の車でアパート前まで送ってもらった自分ら。そしてメーをおぶった自分は、今も背中から香ってくるアルコールのにおいに「お酒臭いなぁ……」と内心で呟きながらも、メーをベッドまで運んで寝かせてあげて、そのまま自分も力尽きるように床で眠ってしまったものだった。



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第32話 Un strip passionné 《熱烈なストリップ》

 夕食時の時刻にて、自分は聖なる行為に励んでいた。

 

 今も鳴り響く、ベッドが軋む音。肉を打ち付ける動作を一定の間隔で繰り返していくその中で、自分の“モノ”を受け入れていたラミアは蕩けたような表情で浸っていく。

 

 仰向けに寝転がる彼女と、正常の体勢で向かい合うこの行い。共に衣類を纏わない自然体を晒していきながら、自分らは快感を共有していくのだ。

 

 また、手を繋ぎ合わせていたことによって、一層と一つになっていた実感が湧いてくる。ここから来る意識が情欲を掻き立てる結果となって、自分は動きを速めながらラミアへとその言葉を掛けていった。

 

「ラミア、ッ、出る」

 

「イイですよっ。キてくださいっ」

 

 ゴム製の道具を着けていない、そのままの状態。だが、快楽に抗うこともままならず自分は「うっ」と端的に声を出していくと、瞬間にも解放感を彼女の中へとぶちまけた。

 

 痙攣する全身。特に下腹部辺りの“モノ”が打ち震えるその振動が、内部へと招き入れていたラミアに最後の快楽をもたらしていく。

 

 本人曰く、内部にぶちまけられたその温もりは全く感じられないとのこと。ただ、“出口”から溢れ出す液体の感覚には興奮するのだとか。

 

 尤も、この日は挿し込んだ体勢のまま、暫し抱き合っていたものだ。

 抱き上げるようにして、両腕で彼女の華奢な身体を寄せていく。そして、現在も繋がり合った状態のまま、ラミアを大事に抱え込むようにしながら口づけを行っていった。

 

 こちらのアプローチに、彼女もまたうっとりとした瞳で応えてくる。そうして互いについばむようなキスを交わしていき、最後にその柔らかい温もりを帯びた感覚を、名残惜しく交えていったものでもあった。

 

 

 

 

 

 場所は浴室に代わり、流れるシャワーの音が反響してくる。

 

 浴槽に浸かっていた自分が呆然と天井を見上げている間にも、隣のラミアはシャワーで全身をまんべんなく洗い流していた。

 

 特別な仲というわけではない彼女と、入浴を共にするこの状況。以前までの貞操観念であれば自分から願い下げしていたのだろうが、今では何の疑念も持たずにラミアとの入浴を共にしていて、むしろ交代の手間も省ける分これが当然になりつつもあった。

 

 入浴に限らず、最近は彼女との行為も増えてきているなぁ。

 なんて、そんなことを呆然と思いながら天井を眺め遣っている最中にも、隣でシャワーを浴びていたラミアからその言葉を投げ掛けられた。

 

「カンキさん、ちょっと出しすぎです。無限に出てきてずっとウチの内股が気持ち悪いんですけど、どーしてくれるんですか??」

 

「あー……ごめん。なんか今日はやけに興奮したというか、久しぶりに出し尽くして空っぽになったというか……?」

 

「とかなんとか言ってますけど、こんなんじゃウチ冗談抜きでホントに孕みますよ?? そーしたらカンキさん、責任取れるんでしょーねー??」

 

「ゴム無しで誘ってくるラミアの破壊力に、つい……」

 

「ホント、カンキさんっていつになってもチョロいですねー。ま、子供がデキちゃった際には責任持ってウチのコトを(めと)ってもらいますから、その時はよろしくお願いしますよー??」

 

 言葉の意味とは裏腹に、危機感の無い適当な調子でそれを喋るラミア。で、彼女はシャワーの水を止めていくと、そのまま浴槽へと足を入れてきた。

 

 こちらと向かい合うように、それでいて佇んできたラミアの姿。この視界を遮るようにしてきた彼女の裸体が目の前に映り込むと、同時にしてラミアの“花弁”が間近に迫った今の状況に自分は堪らず“モノ”を反応させてしまう。

 

 その様子に、ラミアはしてやったりな顔を見せていく。そして彼女は腰を下ろして湯に浸かっていくと、次にも“モノ”の裏側に“花弁”をくっ付けながら、こちらに乗りかかるような状態で寄り掛かってきた。

 

 行為が終わっても尚、ラミアのアプローチは凄まじい。この圧倒的な威力を前にして、自分は彼女の身体を抱き留めながらそれを喋り出していった。

 

「やばいってラミア。俺またその気になっちゃうって」

 

「それで思ったんですけど、カンキさんも中々に絶倫ですよね。それとも、ウチのナカじゃ満足できませんか??」

 

「いやいやいやいや。満足してる。毎回すっごく幸せな気持ちになってるから。ただ、俺の“コレ”がちょっと元気すぎるだけなのかも?」

 

「ま、ウチとしましては相手に困らなくて都合がイイんですけどねー。ウチも性欲が尽きないモンなんで、その点でもカラダの相性はサイコーですよね。そーいうワケですから、またウチの相手をお願いしますよ??」

 

「相手なら、いくらでも喜んで」

 

 流れる動作でキスを行う自分。目の前の唇に吸い寄せられたこちらの行動に、ラミアも恍惚とした表情をしながらキスをやり返してきた。

 

 浴槽の中で、抱き合いながら端的な口づけを繰り返していく。そんな時間は至福のひと時と言うに等しくて、自分の中における生き甲斐となっていたことも確かだろう。

 

 身体だけで繋がり合う存在。自分の欲望だけを満たし合う、どこか距離感のある関係。こうした付き合い方も悪くないと思い始めていたからこそ、翌日にも交わした“親戚”とのやり取りに余計な背徳感を抱いてしまえたものでもあった。

 

 

 

 

 

 昼下がりの時刻。世間が祝日で賑わう中、自分は休日を堪能するように部屋でスマートフォンを操作していく。

 

 ベッドに座ってぼんやりしていると、不意にもインターホンが鳴らされた。これに自分は立ち上がり、玄関先の映像を確認してから扉を開けて訪問者を迎え入れていく。

 

 玄関先に佇んでいたのは、制服姿のミネだった。鞄を右肩に掛けたスタイルで、両手をブレザーのポケットに突っ込んだ様子の少女は、不機嫌そうな顔を見せながらもこちらの顔色をうかがうように喋り出してくる。

 

「……ねぇ、上がっていい?」

 

「いいよ、全然大丈夫。確か今日は振替の登校日だったんだっけ? でも学校帰りに訪ねてくるのも珍しいね。何かあった?」

 

「別に、何にも。ただ、学校が早く終わったから暇だっただけ」

 

「そっか。まぁまぁ上がって上がって」

 

「……ありがと」

 

 どこか素直になれない様子もミネらしく、そんな少女の在り方に癒しさえ感じてしまう。

 

 尤も、実の親戚である以上は頼れるお兄さんとしての振る舞いを意識していた。このことから自分はミネをエスコートするように部屋へと案内し、背の低いテーブルの付近で腰を下ろした少女へと、りんごジュースの入ったコップを手渡していく。

 

 それを受け取り、飲んでいくミネ。この間にも自分はスナック菓子といった類を用意しながら向かい側に座っていくと、「好きに摘まんでいいからね」と少女に声を掛けてから再度とそう訊ね掛けていった。

 

「学校で何かあった? 俺で良ければ話を聞くよ」

 

「ん、別にそんなんじゃないよ。爆破予告があったから帰されただけ」

 

「なんだ、爆破予告か。それなら大丈夫そうだね」

 

 軽く受け答えしてしまっているが、自分も同じ高校に通っていたからこそ納得できる部分もある。まぁ、自分が在学中に一回だけ本当に爆発した時があったものだが……。

 

 ミネの返答に、自分は「早く帰れてラッキーだったね」と口にする。それに対して少女は「うん」と端的に答えてから、こちらの顔をまじまじと見つめつつそう喋り出してきたのだ。

 

「カッシーってさ、勉強できる?」

 

「うっ。ちょっと自信無いな……。ちなみに教科は何?」

 

「数学Ⅰ」

 

「う、うーん……問題次第って感じ……?」

 

「ふーん。なんか頼りない」

 

「う」

 

 力不足を実感した。

 

 目が細くなった自分は、冷や汗を流しつつ「と、取り敢えず問題次第かな……。今ここで見ようか?」と訊ね掛けていく。これにミネは「じゃ、見てもらおっかな」と口にしてから鞄を漁り出して、教科書やノートをテーブルに置いていった。

 

 

 

 勉学に取り組むこと数時間。陽が落ち始めた夕方の時刻となり、自分らは休憩として背を伸ばしていく。

 

 勉強を教えるどころか、一緒になって問題を解いていた。ミネが教わりたかった部分に関しては一緒になって解き方を考えたり、お互いに気付いた所を共有し合うというそのスタイルは、家庭教師というより同級生の勉強会と似ていたかもしれない。

 

 尤も、このノリにミネも満更ではない様子で取り組んでいたものだったから、結果オーライとも言えるか。

 

 おかわりのりんごジュースを持ってきた自分に、ミネは不愛想に「ありがと」と口にしていく。これに自分は「いいよ。勉強も頑張ったんだし、好きなだけ飲んだり食べたりして」とテーブルの上のスナック菓子を手で促しながら答えていった。

 

 それを目にして、少女は何か意味を含ませたように「うん」と頷いていく。そしてベッドに腰を掛けて落ち着いたこちらを気にするようにチラ見してくると、ミネはうかがうような視線でこれを訊ね掛けてきたのだ。

 

「……カッシー。今いい?」

 

「どうしたの? 違うお菓子が食べたい?」

 

「ううん、そういうわけじゃなくて」

 

「?」

 

「……またシた? ラミアと……」

 

「え」

 

 昨晩の行為を思い出して、自分は気まずい気持ちになりながら答えていく。

 

「あ、あー……うん。まぁ。ちょっとまた、ね」

 

「ふーん……そうなんだ」

 

「へ、部屋、また臭う?」

 

「別に。でもなんか、そんな感じがしたから」

 

「女の子の勘というか、察知能力というか、とにかくそういうのは侮れないなぁ……」

 

 ベッドのシーツなどは洗ったし、換気もして部屋の掃除もした。これで他のホステスを不快にさせないだろうと思っていたものだったが、女性は不思議とそういうところに気付けてしまうのがさすがの一言。

 

 で、そうして口を噤んでいた自分をミネは見遣っていくと、次にも喋り辛そうにしながらその言葉を投げ掛けてきたのだ。

 

「……カッシーはさ。その……他の人とも、こ、こういうこと、したりしてんの……?」

 

「こういうこと?」

 

「え、えっと。その。……え、えっち、っていうか……せ、セ〇クス……?」

 

「あー……いや、ラミアと何回かって程度だけど……どうしたの急に?」

 

「ぅ、ううんっ。……う、うー……ん」

 

 何かに悩んでいる?

 首を傾げながら、少女を待つ。その様子を静かに眺めていく最中にも、ミネはひとり顔を赤くしながらこちらへと喋り出してくる。

 

「……か、カッシーはさ。あ、アタシのこと、どう見てたりする……?」

 

「どう見てる? そうだなぁ……まぁ、似たような境遇に立たされた親戚とか?」

 

「そ、そうじゃなくて。ち、違うの。もっとこう、ほら……。い、異性として? っていうか……」

 

「異性として?」

 

 制服のスカートを両手でギュッと握りしめるミネ。どこかじれったさを感じさせる少女に自分は思考を巡らせつつ、思い浮かんだ印象を口にしていった。

 

「ちょっと強がりなところが可愛い女の子」

 

「え?」

 

「ミネのことを異性として見るなら、そんな感じなんだけど。この答えもちょっと違う?」

 

「ち、違うっていうか、う、うぅ……そうじゃないの……」

 

「これも違うか。それじゃああとは……」

 

「ね、ねぇカッシー」

 

 急な呼び掛けに、ミネへと振り向いた。

 

 と、そこには立ち上がっていた少女と目が合っていく。

 スカートを握り締めたまま、もどかしく思う表情でこちらをじっと見つめてくるミネの姿。その様子に自分は「ど、どうしたの?」と訊ね掛けていくのだが、こちらの返答を無視してミネは突如とスカートをめくり上げてきたのだ。

 

 バッ!! と視界に映し出された二色のショーツ。白色の水玉模様が可憐な黄色のそれを目にして自分は呆然とすると、ミネは目をぐるぐるにして顔を真っ赤にしながらも、緊張か何かで声を震わせながら喋り出してきた。

 

「ぁ、ァァァ、ァタシのことはっ、こ、ここ、こういう目で見れないのっ!?」

 

「こ、こういう目?? ちょっとちょっと菜子ちゃん! 見えちゃってる見えちゃってる!!」

 

「は、ハァッ!? み、見せてんだよバカッ!!!!」

 

 なんか逆ギレされた……。

 目に見える羞恥を滲ませたミネの顔。そして唐突的な行動に思わず少女を本名で呼んでしまう。

 

 あまりにも急なことで、理解が追い付かない。これに自分が頭を悩ませていく中で、ミネは噛みしめるようにしながらもそれらを喋り続けていく。

 

「あ、アタシも、みんなのように見られたいの……っ!! し、親戚とか、身内とか、そんなのじゃなくって、アタシも一人の女としてカッシーに認められて、その、そ、そういう目で見てもらえるようになって、ぉ、大人の付き合いみたいなのをしてみたいの……っ!!」

 

「そ、そういう目?? 大人の付き合い……??」

 

「だ、だから……っ。も、もう少し、こう。ぁ、アタシのことは、や、やらしい目で見てほしいっていうか……っ!!」

 

「や、やらしい目で見てほしい!?」

 

「あぁぁもうっ!!! アタシもよく分かんないのッ!!!」

 

「お、落ち着いて菜子ちゃん!!」

 

 本人も相当テンパっていた。少女の様子に自分はなだめるように言葉を掛けていきながらも、脳内ではミネの意図を汲むべく自分なりの解釈を進めていく。

 

 ミネの行動は未だに分からないことだらけなものの、本人の意思で下着を見せていたことは理解できた。そんな、目に見える情報からある程度と考えをまとめてから、自分はミネへとそう声を掛けていく。

 

「……分かった。菜子ちゃん。もう大丈夫だから。まずは息を整えよう。ね?」

 

「ッ…………」

 

 スカートはたくし上げたまま、ミネはフーッ、フーッと興奮気味に息をついていく。そうして少しずつ落ち着きを取り戻していったところで、自分は改めて少女の下着と向き合いながら喋り出した。

 

「……菜子ちゃん、こういうの履くんだね……?」

 

「わ、悪いっ!?」

 

「悪くなんかないよ。むしろ、らしい?」

 

「ら、らしっ、ッ、ば、バカにしてんのっ!?」

 

「バカになんかしてないよ。見た瞬間ちょっとドキッとしたというか、こう、少しだけムラッとしたというか……?」

 

「っ…………」

 

 なんだか攻撃的な表情を見せてくるミネだったものの、こちらの返答に少女は無言を貫いて見遣り続けてくる。

 

 かと思えば、ミネは懐疑的な目でそう訊ね掛けてきた。

 

「……少しだけなの?」

 

「え?」

 

「……少ししか、興奮しなかったの……? アタシに色気が無いから……?」

 

「あーいや、うーん」

 

 立場としては親戚であるものだったから、敢えて言葉を選んでいるところもあったというか。

 

 内心で理由を述べつつも、暫し思考に耽る自分。そんな様子を少女に見守られていくと、自分はちょっと挑戦的にこれを口にしてみた。

 

「……正直な話、立った」

 

「た、った」

 

「そう。立った。“ココ”」

 

 指を差す。下腹部を。

 

 もっと言えば、それよりもう少し下の部位。共にしてわずかながらと膨れ上がった“ソレ”にミネはギョッとした目を見せるのだが、直後にも頬を赤らめながらそんなことを口にしてくる。

 

「……ねぇカッシー」

 

「どうしたの?」

 

「…………カッシーがイケるんなら、つ、使ってもいい、けど……?」

 

 使ってもいい?

 目の前の光景を見遣って、自分は「あー……」と察してから答えていく。

 

「……それじゃあ、お言葉に甘えようかな。最後に確認だけど、本当にいいんだよね?」

 

「っ、い、いいってば!! さ、さっさと済ませてよ……っ。アタシの気が変わらない内に……」

 

「それにしても、割とすぐに済んじゃうかもしれないな」

 

「そ、それって、どういう意味……?」

 

「今、菜子ちゃんに対してすごい興奮してるってこと」

 

 ティッシュの箱を引っ張ってきて、パンツのベルトを緩めていく。そしてインナーもずらして“ソレ”を露出させていくと、次にも強直した“モノ”が自己主張を始めていった。

 

 これを目にしたミネは、顔を真っ赤にして目を逸らしていく。だが、意識的には非常に気になるのだろう“本物”を前にして、少女はチラチラと視線を投げ掛けていたものだ。

 

 ……まさか、身内の女の子とこんなことをするなんて。

 背徳感に苛まれ、さすがにこれでいいのかという疑問から自分の中に葛藤が生じていく。だが、壊れた貞操観念が自制の意味をまるで成さず、自分は欲望に忠実となった獣へと成り果てることで躊躇せず“その行為”へと走ってしまうのだ。

 

 誘ってきたのは向こうだから。そんな冤罪切符を掲げるようにして。

 

 数枚のティッシュで包んだ自分。そして視線を上げてミネのショーツを見遣っていくと、それに釘付けとなるように手を動かしていく。

 

 ……迸る快感。それが電流のように先から駆け巡ってくる。この感覚に身を任せるがまま自分は運動を続けていくのだが、佇んでいるミネもまたこの行為を食い入るように眺めていたものだ。

 

 顔を真っ赤に染めて、目を見開きながら恐る恐ると。自身に備わる人間としての(さが)が目の前の光景に興味を持ってしまい、少女は未知の領域に動揺を隠し切れない様子でコチラを凝視し続けていく。

 

 と、そんなミネの布地が、次第と滲み始めていた。

 高揚する気持ちはお互い様か。これに一層と興奮を覚えた自分が、自覚させるように少女へと言葉を投げ掛けていく。

 

「菜子ちゃん。濡れ始めてる」

 

「え? ……ッや、やだ。み、見ないで……っ」

 

「それは無理。可愛いからもっと見たい」

 

「な、なんでそうなるのッ!!! 変態ッ!!! バカ!!!」

 

「でも、みんなのように見られたいんだよね? なら、これくらい我慢できるようにならないと、みんなのようにはなれないよ?」

 

 親戚とかではなく、一人の女として認められて、そういう目で見てもらえるようになりたい。先ほどのミネの主張を口にしたことで、少女は「うぐっ」と口を噤んでから悔しそうに俯いてしまった。

 

 そのやり取りを介したことによって、ミネの布地は一層と湿り気を帯びていく。これに自分は内心で「可愛いな……」と興奮を覚えると共にして、訊ね掛けるように少女へと言葉を掛けていった。

 

「それにしても、どうして急に俺のことを誘ったの? 同伴も始まったんだし、他の男性客が相手でも良かったんじゃないかな? むしろ、身内の俺だと尚更気まずくない……?」

 

「ッ…………」

 

 羞恥とはまた別の、思い詰めるような浮かない表情。これに自分は暫し黙っていると、直にも顔を上げたミネからその言葉が返ってくる。

 

「……カッシーが良かったの」

 

「俺?」

 

「そ。アタシの“初めて”は、カッシーがいい……」

 

「初めて……」

 

 純潔を保つ少女は、こちらを真っ直ぐと見つめながら喋り出してくる。

 

「アンタのことだから、どうせ親戚を理由にアタシとの“そういう行為”を断ろうとするでしょ? でも、アタシはカッシーがいいの。アタシはこの初めてを、カッシーにあげたいって考えてた。だから、これはそのための事前準備っていうか……まぁ、そんなかんじ」

 

「…………菜子ちゃんはそれでいいの? そういうのは、大切なパートナーにあげた方がいいと思うんだけど」

 

「いいよ、別に。どうせそういう人はできないし。それに、アタシもこれから、みんなみたいに同伴先でえっちをするようになるからさ。だったらこの初めては見ず知らずのお客さんにじゃなくって、自分のことを理解してくれて、なんかやけに寄り添ってくれる親戚のお兄さんに捧げた方がさ、なんか良い気してこない?」

 

 気恥ずかしさを振り払った、素の喋りと表情でそれを説明したミネ。これが少女の本意であることが伝わってきたからこそ、自分は言葉を失うようにミネを見遣っていた。

 

 共にして、柔らかく微笑んでみせたミネ。ずっと強がりの不愛想な顔を見せ続けていた少女の、ふとした気の緩みから表れた穏やかなそれを目撃して、瞬間にも自分は巡った高揚感によって最高潮へと達してしまう。

 

「うっ。出るっ」

 

「えっ」

 

 “モノ”から飛び出した生命の種。それがティッシュにぶちまけられると同時にして、分泌された脳内麻薬が快楽と疲労感をもたらしてくる。

 

 あまりにも急な絶頂に、ミネは若干と引き気味にその光景を眺めていた。

 ……まるで、時間が停止したかのような静寂だった。だが、今も脈打つ“モノ”に自分は出し切るような思いで神経を送っていき、そしてふぅっと息をつきながら、用済みとなったティッシュを退けてミネへと話し掛けていく。

 

「…………あー、その。ご馳走様でした……」

 

「……ねぇ。アタシの話、聞いてた?」

 

「大丈夫、聞いてた。その話で達したっていうか……」

 

「なにそれ。意味わかんない」

 

 呆れというか、軽蔑というか。だが、仕方なさそうな表情でミネは苦笑したものだったから、自分も申し訳なく思いながら悪びれたように少女と向かい合っていたものだ。

 

 ……背徳的な行為によって、ミネとの距離感がまた縮まった気がした。尤も、この関係は世間的に見るに、非常にイレギュラーなものであることに代わりないだろうが。

 

 で、これに自分は罪深さを実感していた最中にも、ミネはこちらをうかがうような視線を向けながらこれを訊ねてくる。

 

「……カッシー。それ、さ」

 

「ん?」

 

 少女が指差す先へと視線を投げ掛ける。……のだが、そうして目についたのが、今もこちらが手に持っている用済みのティッシュというもの。

 

 あぁ、早く捨てないと。そう思って自分は立ち上がっていくのだが、一方でミネは少し慌てながらそんなことを言い出してきたのだ。

 

「あ、カッシー。待って」

 

「どうしたの?」

 

「あ、ううん。いや、えっと…………ちょっとだけ貸して……?」

 

「え? これのこと?」

 

 手に持っていたティッシュを差し出す自分。するとミネは一瞬だけ引き気味に退いて様子見し始めていくのだが、そこから恐る恐るといった具合に手を伸ばしていくと、少女はソレを指で摘まむように持ってから、手探りな感じに両手でティッシュを開いていき、中を眺め出していく。

 

 ……え、何をやってるの?

 本気で疑問に思ったこちらの視線に構わず、ミネは次第と食い入るようにティッシュを観察し始めた。

 

 まるでゲテモノを手に取ったかのような歪な表情。言葉にせずとも「うえぇ……」という擬音が目に見える少女の顔に自分も複雑な視線を向けてしまうのだが、ティッシュを眺めている本人はむしろ段々と顔を近付けていきながら、もはやとり憑かれたかのように“中身”に夢中となっていた。

 

 そして、あろうことか“ソレ”を嗅ぎ出していった。

 直後にも「うぇっ」と声を出して、顔を遠ざけるミネ。だが、すかさずもう一回と顔を近付けていった少女は、またしても「うぅっ」と不快そうな表情で顔を引いていく。

 

 ……まぁ、女の子は女の子で気になるんだなぁ……。

 自身には備わっていない機能に対する興味で納得した自分。だが、“ソレ”をずっと眺められる身としても気恥ずかしくなってきたため、少しして自分はミネからティッシュを取り上げて、「もうちょっとだけ……!」と静止する少女を振り切って処理したものであった。



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第33話 Une belle femme est une bête 《美女が野獣》

 業務終わりのLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。閉店を迎えたその空間に、自分は関係者として残っていた。

 

 今日は男性客で大盛況だったなぁ。

 そんな感想を思いながら歩み進めていくこの店内。そして、今も円のようになって会話をしていたホステス達へと労わりの言葉を掛けていった。

 

「みんな、お疲れ様。今日は特にお客さんが多かったね」

 

 こちらの言葉に反応を示したホステス達。それぞれ、ラミア、メー、レダ、ミネ、シュラの五名が同時に振り返ってくる中で、自分は彼女らの“バニーガール姿”についつい見惚れるような視線を送ってしまう。

 

 期間限定の特別衣装。以前にも衣装の提案を持ち掛けられた際に、オーナーの荒巻と一緒になって出した案の一つ。

 

 自分が提案したメイド服も、次のキャンペーンで披露されるらしい。だが、取り敢えず今回はバニーガール姿での接待キャンペーンが始まっていたものだ。

 

 黒色で統一された、扇情的なボディスーツにウサギ耳のヘアバンド、網タイツにハイヒールという格好。ウサギの尻尾を模した白い飾りも付いている他に、ミネはバニーコートを着用することで露出をある程度と抑えている。

 

 それでも皆から感じられる性的な印象を前にして、大人の世界に慣れつつあった自分でさえ目のやり場に困ってしまっていた。

 

 確かにこれは、男性客も増えるわけだ。納得せざるを得ない彼女らの色気に圧倒される最中にも、彼女らはそれぞれの調子でこちらへと「お疲れ様ー」の挨拶を返してくる。

 

 かと思えば、今がチャンスと言わんばかりにシュラが「ニーチャァーーーンッ!!!」と言いながら飛び掛かってきた。

 

 尤も、彼女はすぐにも「待ちなさい」とレダに腕を掴まれて、飛び掛かりを阻止されていく。だが、シュラはレダに掴まれたままの状態でもがくようにしていきながら、快活な調子でそれを喋り出してきたものでもあった。

 

「ニーチャン見て見て!! ウチのバニーガール姿ッ!! どや、健康的なプロポーションとアダルティなバニーちゃん衣装で、さすがのニーチャンもウチにメロメロになったやろ!!」

 

 平均以上のバストサイズに、日頃から筋トレしているのだろう適度な筋肉が実に美しい。そんなシュラの、大人の色気というよりは快活なアスリート系の体つきに、自分も「普段の私服姿でもそうだけど、シュラの身体は美ボディと言うに相応しいものがあるよね」と素直に答えていく。

 

 この返答に、シュラは天真爛漫に微笑みながらそれを口にした。

 

「せやろ、せやろ!? やっぱニーチャンは見る目あるなぁ!!! もうなぁ、そこらのニーチャン達はみーんな、闇医者のネーチャンのどスケベボディに夢中になっとってなぁ。ウチ、男っちゅう生き物の浅はかさに失望しとったとこなんや。ほーんま、あないに品の無い身体の何がええのか、ウチには理解できひんわぁ」

 

 と、次にも掴まれている腕を握り締められたシュラは、「あいだだだだだ」と痛がっていく。

 本人が真後ろにいたその状況。すかさずレダは、威圧的な口ぶりで「品の無い身体で悪かったわねぇ??? わたしだって好きでこんな身体をしているわけじゃないのよ~??」とシュラに迫っていく。

 

 同時にして、その動作で揺れた豊満な乳に自分は複雑な心境を持ってしまった。だが、そうして何気なく耳にしたレダの言葉にふと、傍に立っていたラミアとミネが二人して俯きながら落ち込んでいく。

 

 そして二人はどんよりとした重い空気を立ち込めながら、それぞれ自身の控えめな胸に手を添えつつそれらを喋り出していった。

 

「なんですかコレ。なんなんですかコレ。なんで、どーして、こんなに惨めな思いをしながら働かないといけないんですか。なにがバニーガールキャンペーンですか。こんなのもはや差別ですよホント……」

 

「アタシ、こんなに虚しい気持ちになったのは初めてかもしれない……。もうこれ、ただの生き恥だよ……。そりゃあ、小さい方が好きって言ってくれるお客さんもいたけれどさ。違うんだよ。そうじゃないんだよ……」

 

 ものすごく深刻そうな表情をして俯く二人に、声を掛けようにもちょうどいい言葉が見当たらないことで自分は苦笑いを浮かべるしかない。

 

 で、この自分へとさり気無くすり寄ってきたメーは、四人の中間とも言えるプロポーションで余裕の表情を浮かべながら、こちらの肩に腕を掛けつつそれを訊ね掛けてくる。

 

「ねぇねぇカンキ君、このあと暇だったりする?」

 

「このあと? まぁ、あとは帰って寝るだけだから、ある意味で暇と言えるかも?」

 

「だったらさ、このあとカラオケにでも行かない? オールしてパーッと歌おうよ!」

 

「大忙しだった業務の後に、よくカラオケに行けるね……。俺は平気なんだけど、メーは休まなくて大丈夫なの?」

 

「あは、だいじょーぶだいじょーぶ。んま、ダメそうなら向こうで寝るからご心配なく~」

 

「そ、そう……?」

 

 まぁ、本人が大丈夫ならいいか。そう思いながら、メーのカラオケに付き添うことに決めた自分。

 

 その話が聞こえてきたのだろうシュラは、「ニーチャンらカラオケ行くんか!? ならウチもついてくわ!!!」と疲れ知らずの大声を出してきて、これにレダは耳を塞ぎながらも「カンキ君が行くなら、わたしも同行しようかしら」と反応してくる。

 

 また、ラミアも「あー、じゃーウチも。明日はシフトも同伴もありませんし」とついで感覚で答えてきて、ミネも「あ、アタシも行っていい?」とこちらを見つめながら反応を示してきた。

 

 なんか、一気に大所帯になったなぁ……。と、そんなことを思っている間にも、傍からはユノが歩いてきた。

 

 彼女もまたバニーコートを羽織ったバニーガール姿でこちらの前に現れてきて、次にもユノは「みんな、今日はお疲れ様」と凛々しく挨拶を掛けてくる。

 

 これに一同が「お疲れ様でーす」と返答を行っていく中で、メーは彼女へと「これから私達、カンキ君を連れてカラオケに行くんですけど。ユノさんもどうですかー?」と訊ね掛けていった。

 

 これにユノは、「素敵なお誘いね。ぜひとも同行させてもらえるかしら」と答えたことで、さらにもう一人メンバーが増えたものだ。

 

 合計七名。その内、男は一名という圧倒的な男女比のお出掛け。尤も、その状況は初めてではなかった故に、自分は疑念を抱くこともなく、着替えてきた私服姿の彼女らと一緒に龍明の駅前まで移動したのであった。

 

 

 

 

 

 深夜帯のカラオケルーム。到着していた個室にて、自分はホステスの香りで満たされた空気に包まれながら彼女らの歌声を堪能していく。

 

 今もノリノリで歌っているラミアは、両手でマイクを持ちながらJ-POPを熱唱している。次にメーが自身の世界に浸るようにアニメ主題歌を歌っていき、レダは一昔前のバラード系の歌を好んで歌っていく。

 

 また、ユノは力強くも透き通るような歌声で女性歌手の歌を熱唱し、ミネは男性アイドルグループの歌を不慣れな調子で歌っていた。

 

 みんな違って、みんないい。特に、ラミアとメーとユノは立ち上がって歌う本気度に圧倒されたものだ。

 

 そんな空間の中、自分の隣に座っていたシュラは一曲も歌うことなく合いの手を入れていた。

 思い付きで言葉を連ねて盛り上げていく彼女。その様子に自分はシュラへと訊ね掛けてみた。

 

「シュラは歌わなくていいの?」

 

 この問い掛けに、シュラは「あぁまぁ、ウチは聞き専なとこあるからなぁ。誰かが歌っとる声を聴くのが好きやねん」と答えてくる。

 

 その後にも、彼女はこちらに寄り掛かるようにしながら快活的にそう喋り続けてきた。

 

「もしかして自分、ウチのこと気ぃ遣うてくれたんか? ほんなら、ありがとぉニーチャン!! こないな気遣いされてもうたらウチ、ニーチャンのこともっと好きになってまうわぁ~!」

 

「ま、まぁ、シュラが満足してくれているのなら安心したよ……」

 

 すりすりと頬をくっ付けてくるシュラ。そのアプローチに、自分を挟んだ反対側にいたミネがちょっと複雑な顔を見せていく。

 

 で、その間にもちょっとノリノリな歌を歌っていたレダの間奏に反応したシュラ。バラードではない曲調を聞きつけるや否や、彼女は口元に手をあてがいながらそのリズムに合わせて「なんや、闇医者のネーチャンには珍しい曲やないか!! よっ! 太もも・ケツでか・おっぱいネーチャーン!!!」と合いの手を入れていく。

 

 これを受けて、すぐさま「はっ倒すわよ!?」というレダのツッコミが返ってきた。それを聞いてシュラは面白可笑しく大笑いしていくと、かと思えば閃いたように立ち上がりながら喋り出してくる。

 

「あっ、ウチ喉乾いとったの忘れとったわ! なぁニーチャーン、一緒にドリンクサーバー行こぉ~」

 

「あぁ、飲み放題だもんね。えっと……」

 

 自分は、確認の視線をユノへと送っていく。これにすぐ気が付いたユノはミネを見遣っていき、アイコンタクトを受けて少女はコップを手に持ちながら立ち上がってきた。

 

「あ、アタシも行くっ。アタシも喉乾いたから」

 

「ほんなら、高校生のジョーチャンも一緒に行こか。良かったなぁニーチャン? どこ行ってもウチとホステスのネーチャン達に挟まれて、タマゴならぬ女子(おなご)サンドイッチ状態や。せやからニーチャン、今の内にウチらのハーレムを満喫しておきぃ? なぁ?」

 

「ハーレムはともかくとして、みんなと一緒にいられる時間は大切にしているつもりだよ。飲み物を取りに行くなら早く行こう。ミネの順番になっちゃうから」

 

 今、こうしてホステス達と一緒に過ごせる時間も有限だろう。

 殺伐とした裏社会に属している彼女らは、いつその姿を消してしまってもおかしくない。だからこそ、ラミア、メー、ユノ、レダ、ミネ、シュラというメンツと平穏に過ごせる今の時間がとても愛おしく思えてくるのだ。

 

 ……彼女らと出会えて、本当に良かった。それを思いながら、コップを持ってミネとシュラの二人と部屋を出た自分らが、ドリンクサーバーへと向かっていた時のこと。

 

 何気無く進めていたその足。だが、次にもシュラに往く手を手で遮られていくと、これに足を止めた自分とミネへと、シュラはそれを口にしていく。

 

「ストップや」

 

「シュラ? どうしたの?」

 

「……この話し声。鳳凰不動産の連中や」

 

 鳳凰不動産。

 自分の誘拐を目論み、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の人間を抹殺する執念にとり憑かれた裏組織の名前を耳にして、自分は息を呑むようにしながらシュラへと訊ね掛けていく。

 

「……知り合い、だよね?」

 

「せやで。聞き慣れた声や。……ニーチャンはここで待っとき。ジョーチャンは、ニーチャンから離れへんように。ええな?」

 

「ねぇ待って。アタシよく分からないんだけど、鳳凰不動産ってCMでもやってる有名な不動産会社のことだよね? それ、そんなに危ない組織だったの?」

 

 鳳凰不動産の裏の顔を知らされていないミネにとっては、疑問に思うのも無理もない話だった。

 

 自分は、「あとで話すから」と言いながらミネを連れて廊下の曲がり角へと姿を隠していく。その間にもシュラは声のする方へと歩み進めていくと、ドリンクサーバーの手前なのだろうその地点にて、二名の男性へと声を掛けていったのだ。

 

「なんや、自分らもおったんか? お疲れさーん」

 

 快活な調子で明るく喋り掛けるシュラへと、男性の一人が「お、なんだお前か」と返答していく。これにシュラは「こないな場所で何しとるんや。さてはサボりやな自分ら??」と冗談っぽく振る舞っていくと、もう一人の男性がシュラとその会話を繰り広げていった。

 

「ふざけるのも大概にしろ。見ての通り業務終わりだ、業務終わり。本日分の工作もきちんと終わらせて、時間が余ったもんだからここに寄り道しているだけだ。そういうてめぇこそ、ここで何をしている。“活動”の真っ只中だろ?」

 

「アホぉ。ウチも業務終わりや。そんで今はな、店の連中と親睦を深め合っとる真っ最中や。ほんま、濃密な時間を過ごしとるでぇ? 自分らには想像つかへんような、ぐっちょぐちょでねっちょねちょな女だらけの世界をなぁ?」

 

 どこか卑猥に感じる彼女の声音に、男性の一人が「やっぱりあれか。女同士でもアレコレするのか?」と食い気味に訊ねてくる。だが、もう一人の男性が「そんなことはどうでもいい」と切り捨てていくと、シュラへとそれを喋り出していったのだ。

 

「“活動”の内容を忘れたわけじゃねぇだろ。お前が最も優先するべきは、その女共が目を光らせている“男”にある。そいつさえ連れ出しちまえば、それでてめぇの活動も終わりだ。どうせ今もそいつは女共に紛れて守られているんだろ。なら、さっさと誘惑してここに連れ出してこいよ。それでてめぇの任務も終わりだ」

 

「なぁ自分、ウチがどないにナイスバディでそこらの男をイチコロにできるからと言うてもな、ウチはまだ参入したばかりのバリバリの新人なんやで? そないな新人が初っ端から店の生命線の男を誘惑しとったら、怪しいにも程があるわ。こういうのはなぁ、時間をかけて信頼関係を築いていくのが大切なんや。なぁ自分ら、会社に入ったばかりの女公務員が社長を誘惑しとる場面を想像しぃ。一発でハニートラップやって分かるやろ?」

 

 シュラの言葉に、聞いていた片方の男性は「あぁ確かに……! お前って頭良いよな!」と答えていく。だが、もう片方の男性はため息をつきながら「そんなことは分かっている」と口にしていくと、次にもシュラへとそう喋り出してきた。

 

「だがな、あまり時間はかけていられないぞ。社長の思想も、そう遠くない内に実現する。だが、それまでに未だLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)が健在とあれば、送り出されたてめぇは捨て駒として、連中もろとも処分されるだけだ」

 

「なんや自分、ウチの心配をしてくれとるんか?? せやったら、余計なお世話やで。ウチがどないな立場におる人間か、自分らも分かっとるやろ?」

 

「それを承知の上で言っている」

 

 僅かながらの間を挟んで、男は喋り続けてくる。

 

「これは忠告だ。今回ばかりは、社長も本気でてめぇの排除を考えている」

 

「あのなぁ、脅し文句で女を言いなりにさせようっちゅう魂胆はDV男と何も変わらんで?」

 

「なら、このまま時間をかけてのうのうと親睦を深めていればいい。そうして平和ボケしている間にも、社長はてめぇの暗殺を手配するだろう」

 

「…………」

 

「これまでは権威に物を言わせて高みの見物をしていたんだろうが、もう、てめぇに安泰の二文字が残されていねぇことを自覚しろ。そういうわけだ。死にたくなければ、一刻でも早く対象(ターゲット)を連れ出してこい。それが、今のてめぇに残された唯一の道だ。よく肝に銘じておけ」

 

 盗み聞きしているだけでも、シュラの沈黙が伝わってくる。この様子に自分はミネを守るように抱え込みながら意識を向けていると、次には片方の男が不安そうな声音でシュラへと言葉を投げ掛けていった。

 

「お、おれは、お前に死んでもらいたくはない、かな……? ま、またさ、一緒にお出掛けとかしたいし……」

 

「自分はほんま、ウチのことが好きやなぁ。いつもありがとぉな」

 

「いや、まぁ。男として、女に寄り添ってあげるのは当然というか……?」

 

「そないに心配せんでも、ウチはウチでなんとかするで。ま、そういうわけやからまた、自分らのとこに顔を出すさかい。そん時は自分、ウチとデートでもしよな? な?」

 

「そ、そうだね!」

 

 そんな会話が繰り広げられていると、聞くに堪えないを言わんばかりにもう片方の男から大きなため息がつかれていく。そして「もういい。行くぞ」の言葉と共に遠のく足音が響き渡ったことで、シュラと話していた男も「また連絡とかするから。じゃあまた……!」と彼女へと一言告げて、その足音を遠のかせていった。

 

 暫しと漂う静寂の後、シュラのため息が聞こえてくると共にして靴音を鳴らしながらこちらへと顔を覗かせてくる。

 

「もうええで。大丈夫や」

 

「シュラ、今の話……」

 

「気にせんといてや。ただ、これでよぉく分かったやろ」

 

 ドリンクサーバーの方を見遣りながら、呟くように口にしたシュラの言葉。その視線はどこか遠くを見つめるようにしていきながらも、何かを見据えるように真っ直ぐと向けながら、彼女は自身に言い聞かせるようにそれを口にしたのであった。

 

「……ウチには、あまり時間が残されとらんことをな」

 

 

 

 

 

 ドリンクサーバーから戻ってきた自分らは、部屋に入って席へと腰を下ろしていく。その様子にユノが何かをうかがう視線を向けていたものであったから、察しが良い人だなぁと思って自分が話を切り出そうとした時のことだった。

 

 立ち上がって歌っていたラミアの背後に回ってくるメー。かと思えば彼女はラミアの身体に両手を伸ばしていき、その右手を短パンに突っ込みながらそう喋り出していく。

 

「うへへぇ。ほれほれ、手〇ンカラオケ~」

 

「うひゃあッ!? ちょちょちょ、ッ何するんですか!?」

 

 不意打ちで珍しく驚きの声を上げたラミア。そんな彼女にお構いなしとメーは右手を蠢かせていき、ラミアの股辺りをゴソゴソとさせていく。

 

 瞬間に巡ってきた日常の空間に、自分は先までの緊張が蒸発するように眼前の光景を見遣ってしまっていた。かつ、こちらの視線にメーがからかい気味な目を見せてきて、彼女はラミアへの意地悪を続けながら耳元でそれを口にしていく。

 

「ほほぉ?? ちゃんとお手入れが行き届いておりますなぁ?? 誰ととは言わないけど? 最近はやけにハッスルする機会が多いもんだから? さすがにラミアちゃんも気合い入れて、毎日サボらずに清潔感を保っているってとこなのかなぁ??」

 

「あのですね。ウチはメーさんと違いまして、いつどんな時でも身体のケアに手を抜いたコトはありませんから」

 

「あは、ラミアってデリケートゾーンのケアには特に力を入れてるもんね~。でもやっぱりあれじゃない? 見てくれる人がすぐ近くにいるってのも、最近のモチベーションになっているんじゃないのかな~?」

 

 と言って、メーはニヤニヤした顔でこちらを見つめてくる。

 

 もう、分かってて言ってるじゃん……。

 非常に気まずい。この気持ちですごくやりようの無い思いに苛まれた自分。だが、そうしてメーが隙を晒した直後にも、ラミアもラミアでその左手をメーのワイドパンツに突っ込んでもぞもぞと動かし始めていく。

 

 これを受けてメーは、「んみゃあっ?!?」という相変わらずの個性的な悲鳴を上げていった。で、一転攻勢と言わんばかりにラミアが喋り出していく。

 

「なーにが手〇ンカラオケですか!! ウチの順番を台無しにしたその罪をしっかり償ってもらいますから、覚悟してくださいよ!!」

 

「んはぁっ、待って。あっ、ん……ラミア、ちょいちょいちょいたんまたんま!!!」

 

「はい?? 電気あんま?? ならお望み通り電気あんまをしてやりましょーかー??」

 

「は、はぁぁ!!? なんで、どう聞いたらそんな聞き間違ぁあんっっ」

 

 振り返ってきたラミアの右膝がメーの股間にぶっ込まれて、それをブルブル震わせながらメーを壁に押し付けていくというラミアのワイルドな反撃。

 

 いや、男の目の前でなんちゅう戯れをしているんだ……。

 という今更感もある感想を抱きながらそんな光景を眺め遣っていると、二人のやり取りを見ていたユノが凛々しいサマでそれを喋り出してきたのだ。

 

「ラミア、メー。柏島くんの前ではしたないわよ。相手を辱めるのならば、きちんと筋を通した上で辱めなさい。その方が見栄えが美しいわ」

 

 何を言ってるんだこの人は。

 

 時々、ユノという人物のことが分からなくなる。

 内心で冷や汗をかいていく自分をほっぽり出して、ユノの言葉にラミアとメーが互いを見つめ遣る。で、ラミアの視線を受けていたメーが思いついたようにそんなことを提案していったのだ。

 

「じゃあこうしよ! どっちの方がカラオケ採点の点数が高いかで勝負といこう! これに負けた方は、罰ゲームとしてみんなの前で手〇ンカラオケをお披露目ってことで! どう?」

 

 どうしてそうなった。

 ツッコミが追い付かない上に、メーの提案にラミアは「受けて立ちますよ!! 日頃からメーさんに振り回されっぱなしでロクな目に遭ってませんからね。ココで一回、メーさんには痛い目に遭ってもらいます」と、何故か喧嘩腰で承認したことに尚更と疑問が浮かび上がってくる。

 

 そのやり取りが交わされると、今度はユノの目つきが鋭くなった。そして、彼女からその宣告がなされていくのだ。

 

「決まりね。それなら貴女達の罰ゲーム、この私が担当させてもらうわ」

 

 何を言ってるんだこの人は。

 

 しかも、ユノの言葉にラミアとメーが二人して「えっ」と反応して表情が固まっていく。

 

 途端にして伝い出した緊張感。それが一体なにを意味するのかは、知る由もない。

 

 で、脚を組んで座っていたユノは、隣で優雅に紅茶を飲んでいたレダへとその命令を下していく。

 

「レダ。貴女も参加しなさい」

 

「ぶっっ!!?」

 

 思わず噴き出したレダ。共にして彼女は「な、なんで関係無いわたしもですか!?」とやけに本気で焦りながら返答していくのだが、これに対してもユノ、「ダークホースが存在する勝負事の方が面白いでしょう? もしもレダが一位となった暁には、ラミアとメーの双方に罰ゲームを受けてもらいましょう」と言葉を返してラミアとメーを見遣っていったものだ。

 

 しれっととんでもないルールが追加されて、一気に戦慄したラミアとメー。加えて、巻き込まれたレダも呆れた顔をしながら「わたしは元々関係無いんですから、最下位になっても罰ゲーム無しでお願いしますね……」と言って、マイクを手に持つなりスタンバイ状態に入っていった。

 

 

 

 

 

 それから繰り広げられた歌合戦は、必死さが伝わってくる非常に力んだ空気内で行われた。

 

 何故かピリピリとしてくる三人の声。それを受けて自分とミネ、シュラは黙ったまま勝負の行方を見届けていく……。

 

 そして、レダが歌い終わった後の採点結果。既にラミアが九十点、メーが九十一点という点数が出ていた中での、結果は……?

 

 九十五点。

 ダークホースは全てを掻っ攫っていった。この結果に、ラミアとメーが膝から崩れ落ちていく。

 

 で、共にして立ち上がったユノの音に二人は「ひっ」と言いながら顔を上げていくと、その視線の先に映っていた美麗なる悪魔はにっこりと微笑みながら、その言葉を口にしていったのだ。

 

「さぁ、まずは最下位のラミアから罰ゲームを遂行しましょうか」

 

「あ……あ……は、はい……っ」

 

 

 

 流れ出したJ-POPの明るい曲調が、どこか憂いを感じさせるラミアの表情と相反していて非常にミスマッチだ。

 

 しかし、それほどまでにして恐れることがあるのだろうか?

 疑問に思い続けていた自分が首を傾げながら見遣る視線の先では、背後に立たれたユノの存在にとてつもない緊張を帯びたラミアの姿が映し出されている。

 

 自身の両肩に置かれた、ユノの両手。その滑らかな温もりにラミアは顔を青白くさせながらマイクを構えていくと、平静を繕ったいつもの声音で彼女は歌い始めていった。

 

 ノリノリで、可愛げもあるラミアの様子。これに自分は魅了されるように眺めている最中にも、ユノの右手がラミアの短パンへと侵入していって、蠢き出していく。

 

 と、次の瞬間にもラミアはマイク越しに、聞いたこともない大きな嬌声を上げて縮こまっていったのだ。

 

 思わず唖然とした自分。これは両隣のミネやシュラも同様の反応。

 だが今も目の前には、人前であることを忘れたかのように淫らに喘ぎ続けるラミアの姿があり、その快楽をもたらしていた張本人はものすごくうっとりとした恍惚な表情をして彼女を愛撫し続けていく。

 

 ……何が起こっているというんだ?

 自分との行為では聞いたこともない、全身の感覚が悲鳴を上げるかのような狂いに狂いもだえるラミアの様子。もはや立つこともままならず彼女は体勢を崩していくのだが、ユノはそれを左腕で抱えることで支えていき、その右手でラミアのを悦ばせていくのだ。

 

 もう、歌うこともまともにできない。これにはラミアも、「ゆ、許してっ、お願いしますっ」と命乞いのような言葉を頑張って口に出していくのだが、それらも喘ぎ声によって途切れ途切れとなって喋り切ることができずにいる。

 

 そして、ラミアの入れた曲が終わる頃には、彼女の変わり果てた姿が床に転がっていた。

 イキ果てた……いや、疲れ果てたとも言える……? とにかく、そこには無惨にも果てたラミアが痙攣しながら床に転がっていて、そんな彼女をお姫様抱っこの要領で大事そうに抱え込んだユノは、そのままラミアをイスに寝かせてからメーへと向いていく。

 

 死刑宣告。視線から伝ってきた、謎の緊張感。これにメーがゾッとした絶望的な顔を見せていく中で、ユノはいつもの凛々しさでは隠し切れないほどの愉悦そうな表情で手を差し伸べていったのだ。

 

「次は貴女の番ね。さぁ、メー。いらっしゃい……」

 

「あ……あ……ぁ……」

 

 

 

 直後にも響き渡った、絶叫に近い嬌声。

 防音室でも外に漏れているんじゃないかというメーの喘ぎ声が鳴り響くその空間に、自分は両隣のミネとシュラの二人と怯えるように眼前の光景を眺めていく。

 

 そして、曲が終わると同時にして倒れ込んだメー。全身の痙攣が止まらないだけでなく、股部分の湿り気が洪水のようになっていた様子から、言葉にし得ないほどの快楽が襲い掛かってきたことが容易に想像できる。

 

 で、未だ低い声で「おっ、おっ……」と悶えるメーを大事そうに抱え込んだユノは、彼女をイスに座らせてふぅっと息をついていった。……その視線を、レダへと向けていきながら。

 

 獲物を捉えたかのような鋭い眼光。対して、捕食者に捉えられたか弱き小動物の眼差しで、レダは恐る恐ると言葉を投げ掛けていく。

 

「…………あのぉ、ユノさぁん……? わたし最初に断わっていたハズ、よねぇ~……?」

 

「えぇ、そうね。元々関係の無かった貴女には、如何なる結果であろうとも罰ゲームは生じない」

 

「そ、そうよねぇ~……。あー良かった。ちゃんと覚えてくれていたようで……」

 

「だから、罰ゲームとは別にして貴女を堪能させてもらうとするわ」

 

「え? あの。ユノさぁ~ん……?」

 

「レダ。私の掌で乱れ咲きなさい」

 

 ザ・ビューティフルビースト。美女が野獣とはよく言ったものだ。

 

 ミネとシュラの三人で縮こまるようにして、怯えるようにユノの暴走を見守っていた自分。そうしている間にもまた一人、彼女の神の手によって召されていったのであった。



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第34話 jouer à faire semblant 《ごっこ遊び》

 昼のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で昼食を終えた自分が、店を出てアパートへと歩き出した時のことだった。

 

 ふと、後ろから「そこのお兄さん」と声を掛けられる。これに自分は振り返っていくと、そこに立っていたのは三十代ほどの男性というもの。

 

 緑色のアウターに黒色のシャツ、そして灰色の寝間着のようなパンツという格好の彼が、こちらの顔を見遣ってくる。そして「あぁやっぱりそうだ。柏島さんの息子さん……!」と言葉を口にしたものであったから、自分も思い出したように訊ね掛けていった。

 

「あぁ、どうも。えっと、レダのお知り合いの……」

 

「はっはっは、そんな気を遣わなくてもいいよ。白鳥ちゃんのお世話になっているホームレスのおじさん。そういう認識で構わない」

 

「いや、ですが……」

 

「いいのさいいのさ」

 

 そう言いながら、こちらへ歩み寄ってきた彼。共にして、彼はこちらを眺めながら喋り続けてくる。

 

「君はぁ、名前は何だったかな……」

 

「歓喜です」

 

「あぁそうだった。歓喜くんだ」

 

「レダでしたら、確か少し前に店を出ましたが……」

 

「そうみたいだね。おれもお店の子に尋ねて、入れ違いになったことを知ったばかりだよ」

 

 朗らかに喋る男性に、自分は相槌のように頷いていく。続けて男性は「白鳥ちゃんはきっと今頃、公園でホームレス達の診察をしているだろう。良ければ歓喜くんも顔を出していかないかな?」と訊いてきたことから、自分は誘いに乗ることで男性と共に公園へと赴いていった。

 

 

 

 

 

 裏路地のビルとビルの隙間。まるで秘密基地に通じるような細道を抜けていき、そこに広がっていた遊具や無数のテントという光景を目の当たりにする。

 

 久々に来た気がする。その感覚と同時にして視界に入ってきたのは、今もホーレムスの男性達を聴診器で診察するレダの姿だった。

 

 裏返しにした瓶ケースに座る男性を診終えて、「もういいですよ~」と艶やかな声音で呼び掛ける彼女へと歩み寄っていく。この足音にレダは聴診器を外しながら振り向いてくると、自分であることを確認次第に彼女は艶めかしくも明るい表情で迎え入れてくれたのだ。

 

「あらぁ、カンキくぅ~ん!! 来てくれたのねぇ。嬉しいわぁ」

 

「やぁレダ、さっきぶり。偶然、お店の前でこちらの方と出会って、同行させてもらったんだ」

 

 隣の男性を手で促しながら返答するこちらに、レダは「うふふ、それじゃあせっかくだから、カンキ君の診察でもしちゃおうかしらぁ?」と冗談っぽく口にしてくる。これに自分が返答に困っていくと、彼女はからかうような視線で笑んできたものだ。

 

 そんなやり取りを交えながら、自分はしばらくの間この公園に滞在した。そして一時間程度と居座ってから公園を後にして、レダと共に龍明の駅前を目指して移動していた最中の場面に移る。

 

 黒色のスーツケースを提げるレダと歩む道のり。街中の表通りが見えてきたこの住宅街の道中で、隣を歩いていた彼女からその言葉を掛けられた。

 

「みんなの相手をしてくれてありがとう、カンキ君」

 

「そんな、お礼を言われるようなことはしてないよ。むしろ親父本人じゃないことを申し訳なく思うばかりだ」

 

「いいえ、柏島オーナーに息子さんがいらっしゃったってだけでも、カレに救われた身からすれば十分に喜ばしく思えるものなのよ~? だからこれからも定期的に、みんなのところに顔を出してくれると嬉しいわぁ」

 

「そう言ってもらえると、俺としても救われたような気持ちになるよ」

 

 親父である柏島長喜に救われたというホームレスの人々。彼らからは丁重なおもてなしをされたりしていて、自分はその当人ではないことから来る罪悪感で複雑な気持ちを抱いてしまっていた。だからなのだろうか、レダは気を利かせるようにこの言葉を掛けてくれたのかもしれない。

 

 で、そんな彼女は間を置いてから再び喋り出してくる。

 

「それにしても、未だに信じられないわぁ。まさかカレに息子さんがいらっしゃっただなんて」

 

「公園の皆さんもやけに驚いていた様子だったけど、俺の親父ってそんなに子供がいるような雰囲気の人には見えなかったのかな?」

 

「う~ん、何て言うのかしらぁ。まぁお子さんがいらっしゃってもおかしくはない年齢って印象だったけれど~……」

 

 左手の人差し指を唇にあてがいながら、何か悩むように思考していくレダ。

 

 言葉を選んでいる? ような、どこか慎重な彼女の様子。これに自分は不思議に思っていくと、直にもレダはこちらの顔色をうかがうようにしながらそれを口にし始めた。

 

「この話、わたしから説明していいものなのかは分からないのだけれど。まぁ、あなたのお父さんはその、いわゆる“両性愛者”とも言える人物だったことは確かねぇ」

 

 バイセクシュアルとも言えるか。

 親父の在り方を耳にして、自分は特に何も思うことなく「へぇ、そうだったんだ」と答えていく。この反応にレダは気の緩んだ視線を投げ掛けてくると、和やかな調子でそう話し続けてきた。

 

「本当に、あなたのお父さんは色気に溢れる人物だったわぁ。男性的でありながらも女性的で、粗暴でありながらも美しくて、人情に溢れながらも熱血的だったその姿がね、今でもすごく印象に残ってる。本当に、とても綺麗な人だった」

 

「綺麗だった、か。そう言われると尚更、当時の親父に会ってみたかったと思えちゃうな」

 

「うふふ、本当に素敵な人だったわよぉ。これ、息子さんに直接話すような内容じゃないでしょうけれど、わたし本当にね、カレに一目惚れしちゃっていたのよぉ。だからわたし、猛烈にアタックして必死にカレを振り向かせるようにしたんだけれどね、結果的にはフラれちゃった。その時にはもう、カレは子供を持つ既婚者だったのよ」

 

 なんだか、ものすごく生々しい失恋話を聞かされた気がする。

 

 これに自分は暫し返答を考えてから、「えっと……ついでにそれ、いつくらいの話?」と訊ねてみる。それを聞いたレダは「うーん、五年くらい前かしらぁ?」と答えてきたことで、自分は内心で「あぁ確かに、五年前ならとっくに俺も生まれているよなぁ」と納得していく。

 

 と、そうしている間にもレダは天を仰ぎながら「あ~あ」と声を出していくと、途端に憂いの表情を浮かべながらボヤくようにそれを喋り出してきた。

 

「まずいわぁ。非常にまずい。あれからもう五年も経っていただなんて、信じられない。このままじゃあわたし、独身のまま三十路を迎えちゃうわぁ……」

 

「……一応確認として、レダの今の年齢とか尋ねてみても……?」

 

「あらぁ、なにぃ? レディに年齢を訊くのはご法度よ~?」

 

「あー……いや。ごめん……」

 

「うふふ、冗談よ。気を遣って、話を繋げようとしてくれたのよね~? カンキ君のそういうところ、わたし大好きよ?」

 

 むにゅっ。レダがくっ付いてきたことで、豊満な乳が腕にめり込んでくる。

 

 この感触に、自分は慣れることなくつい赤面してしまった。そんな反応にレダはからかうような視線を向けつつも、艶やかな声音でそれを口にしてくる。

 

「今年で二十七よ。あなたのお父さんに告白したのは、二十二の時。年齢的にもちょうど、当時の彼氏に濡れ衣を着せられて大学を追い出された後かしら。それで、退学する羽目になったわたしに両親が激昂して、そのあと勘当されたわたしは文無しのホームレスになった……」

 

「なるほど。その成り立ちによって、ホームレスの人達や親父と出会うことになったってわけか……」

 

 話の流れから、レダがホームレスの人達と親しげにしていた理由を知る。これにどこか納得がいったように自分は頷いていくと、レダは少しだけ微笑んでから、話を切り替えるようにその言葉を口にしていった。

 

「……そう言えばわたし、まだ昼食を済ませていなかったわねぇ。ねぇカンキ君、もう少しだけわたしの話し相手になってもらえないかしら~? あとでたぁ~っぷりお礼をしてあげるから。ねぇ?」

 

 

 

 

 

 先の言葉通り、確かに自分はお腹いっぱいになるほどのお礼をしてもらえたものだ。

 

 龍明の駅前にて、フライドチキンを販売する店舗のテーブル席で食事を行う自分とレダ。今も向かい側でフライドチキンを頬張る彼女を眺めながら、自分は奢ってもらったクレープをもぐもぐと食べていく。

 

 美人を眺めながらデザートを食す。

 なんだか、一粒で二度おいしいな。ふとそんなことを脳裏によぎらせていた中で、自分は目についたフライドチキンの骨を見てそれを呟いていった。

 

「肉のひと欠片も残ってない……。魚の骨とか見て前々から思っていたけれど、レダってすごく綺麗に食べるよね」

 

 わずかながらの肉さえも残されていないフライドチキンのそれ。これには感嘆を零してしまうこちらの反応に、レダは微笑しながら答えてくる。

 

「うふふ、ホームレス時代の賜物かしらねぇ。何だか、こういうものは残さずに食べたくなっちゃうのよ」

 

「すごく良いと思う。俺もそれを心掛けて食べているけれど、それでも肉が残っちゃったりするからさ」

 

「それは勿体無いわよカンキ君。残すくらいなら今度、その部分をわたしにちょうだいな? 余るくらいなら、残りはわたしが綺麗に食べ切ってあげる」

 

「え、いやいや、でもさすがに人の食べ残しを渡すのもちょっと……」

 

「食べ物を求めてゴミ箱を漁っていたくらいですもの。もう、誰かの食べ残しくらい何にも気にならないわよ」

 

 何気無く喋るレダが、手に持っていた新しいフライドチキンをこちらに差し出してくる。これに自分が首を傾げていくのだが、直にも彼女が味見を促していたことに察しがついて、自分はそれを一口噛り付いていく。

 

 で、その口を付けた部分へと、レダは何の躊躇いもなく噛り付いていった。

 

 加えて、どこか肉をしゃぶるようにしながら艶やかな視線でこちらを見遣ってくる彼女。包み込むような舌使いで骨を艶めかしく舐めていき、向けられていた誘惑的な眼差しも相まって自分が照れ臭くなっていくと、レダは悪戯な笑みを浮かべながらそう喋り出してきたものだ。

 

「あなたもまだまだウブねぇ? そういう初心なオトコのコ、わたしの大好物よぉ?」

 

「……参ったなぁ。レダには敵いそうにないや」

 

 色々な経験の差を見せつけられたような気がした。

 

 照れ混じりに返答したこちらへと、レダは勝ち誇るように微笑み掛けてくる。だが、彼女の笑みが次第と薄れていくと、ふと他所へと視線を投げ遣るなりその先を凝視し始めていく。

 

 彼女のそれを追って、自分も見遣っていった。すると、視線の先には子供と歩く母親という光景が広がっており、親子なのだろうその様子を、レダは暫し呆然と眺めていたのだ。

 

 ……何か思うところがあるのだろうか。そうして自分が疑問を思い浮かべていたところで場面は移っていく。

 

 レダと二人で歩く龍明の街中。昼下がりの外界を歩いていると、隣のレダからそんな言葉を投げ掛けられる。

 

「ねぇカンキ君」

 

「どうしたの?」

 

「手、繋いでもいいかしら?」

 

 なんだか急にしおらしい雰囲気となったレダを見て、自分はそのギャップに内心ちょっとドキッとさせながらも返答していく。

 

「いいよ、大丈夫。手を繋ごっか」

 

「えぇ、ありがと」

 

 ……日頃の誘惑的なボディタッチからは想像できないほどの、控えめに伸ばしてきたレダの左手。

 

 それは甘えるように、こちらの右手や右腕の表面を滑っていた。そうしてするすると表面を伝っていた彼女の左手を取って握りしめていくと、これによって生じた熱と弾力に自分は胸が弾んでいき、今一度とレダの手を握り締めていってから、彼女の温もりを大切にするように手を繋いでいく。

 

 逆光となった自分らのシルエットが、黒く繋がり合って一つとなっている。共にして、同じ方向へと歩んでいく足並みもより一層の一体感を思わせる光景の中で、自分は無意識にもその言葉を呟いてしまっていた。

 

「俺が親父だったら、どれほど良かったことか」

 

「そんなこと無いわよ。カンキ君だって、わたしからすれば魅力的な人物よ」

 

「……ありがとう、レダ」

 

 ふと、繋いでいた彼女の左手にぎゅぅっと握りしめられていく。この柔らかな温もりに自分はレダへと振り向いていく中で、この投げ掛けた視線は遠方のカップルを眺めていたレダの様子を確認する。

 

 直にも、遠くを見遣る彼女から言葉が掛けられた。

 

「わたし達、カップルみたいに見えるかしら」

 

「きっとそう見えるかもね。手を繋いで歩いているところとか、それっぽいし」

 

「そうよね。きっとそうよ。わたしも周りからすれば、日常を謳歌する普通のオンナに見えるでしょうし」

 

 ……ぎりぎりと力み始めるレダの手。次第と力が強くなってきた彼女の左手を、自分は包み込むように優しく握っていく。

 

 これを受けて、レダはこちらへと振り返ってきた。

 ……足を止めて、暫し見つめ合う沈黙の空間。そうして互いに視線を交えてから、自分は健気な表情を浮かべていた彼女へとその言葉を口にしていく。

 

「……俺じゃあ役不足かもしれないけれど。それでもレダの気持ちが少しでも満たされるのであるのなら……どうか今日だけでも、レダの望みを俺に叶えさせてもらえないかな?」

 

「……? わたしの望みを、カンキ君に叶えさせてもらう……?」

 

「あ、あぁ、ごめん。なんか、言葉にしようとしたら難しくて……」

 

 なんとも、遠回しな言い方になってしまった。

 

 頭で思い描いた光景が、イマイチ具体的に説明できない。そんな、思考が詰まったような感覚に自分は返答に困っていくのだが、さすがは直感の鋭いレダ、彼女はすぐにも理解したようにこちらをまじまじと見つめてきてから、そう訊ね掛けてくる。

 

「今日だけわたしのリクエストに応えてくれる、って解釈でいいのかしら~?」

 

「そう! そんなかんじ……!」

 

 何となくは伝わっていたのだろう言葉の意味に、自分は安堵するように一息ついていく。その様子にレダもまた鼻で息をつくようにすると、こちらを真っ直ぐと見つめながら、どこか懐かしいものを見るような眼差しでそれを喋り出してきた。

 

「それじゃあ~……うふふ。カンキ君には今日一日だけ、わたしの恋人にでもなってもらおうかしらぁ?」

 

「俺に務まるのなら、喜んで」

 

「そうは言うけれど、果たしてあなたに“カレ”の代わりが務まるものかなぁ~?」

 

「うっ、それは……自信無いな……」

 

「うふふ、冗談よ~」

 

 少しだけでも慰めになるかと思って提案してはみたものの、かえって気を遣わせてしまっただけなのかもしれない。

 

 からかうような視線を向けてくる彼女に、自分は苦笑いを見せていく。だが、彼女は次にもニッと笑みを浮かべてくると、こちらの懐に潜り込むようにしながら、上目遣いと誘惑的な声音のコンボでそう言い迫ってきた。

 

「さ~ぁ、早くしないと今日が終わってしまうわぁ。せっかくの期間限定イベントなんですもの。わたし達の恋人ごっこ、余す事なく堪能するわよ? ほ~ら、行くわよダーリン」

 

「ダーリン……!? それってもはや恋人じゃなくて夫婦じゃ……」

 

「少なくとも、わたしは“カレ”のことをそう認識していたわ。それで、あなたは今日その“カレ”に成り切るつもりでいるんでしょう? だったら、これくらい呼ばせてちょうだいな。ねぇ?」

 

「っ……!」

 

 ダーリンはさすがに破壊力が高すぎて、けっこう動揺してしまった……。

 

 レダの未練とも言えるだろうその心残りを解消できればいいな。自分はそれを、軽い気持ちで考えてしまっていたのかもしれない。だが、一方で本人は満更でもなさそうな笑顔を見せてくると、早速といった具合にこちらの手を引いて行動を促してきた。

 

 ……自分がより親父に近付くことができれば、レダの未練も少しは和らぐのだろうか。思い付きのようによぎってきたその思考は、後にも身体を本格的に鍛えるキッカケになっていく。

 

 また、この日にも自分は親父という存在を強く意識し始めたことによって、今日を境にして探偵や経営の勉強にも着手し始めたものでもあった。

 

 

 

 

 

 夫婦らしいことは何だろう。それをレダと話した結果、二人で公園をお散歩するという結論に至ってその芝生を踏みしめていく自分ら。

 

 秋を知らせる茶色の景色に、緩やかな上り坂という地形を共に歩んでいく。その間も彼女とは常に手を繋ぎながら、他愛ない会話でのどかな時間を過ごしていたものだ。

 

 本日限定で定着したレダのダーリン呼びに、次第と違和感が無くなってきた自分。それでいて彼女もまた、心なしか色気を抑えた清楚な美人妻の面持ちで微笑んでくる。

 

 何気無い日常とも言えるこの時間を、レダはとても楽しそうに満喫していた。

 最愛の夫と思い込んだ相手に寄り添い、まるで以前からそのような関係であったかのように振る舞ってくる彼女の姿。ダーリン呼びで甘えてくるべったりなレダのアプローチから、そのロールプレイに入り浸っていることがうかがえる。

 

 ……いや、違う。もしかしたら彼女は、現在(いま)を“本物”と認識していたのかもしれない。

 

 これまで送ってきた日々こそが、彼女にとっての“偽物”だったとも言えるだろう。

 ……裏社会でしか生きることのできない運命に招かれた、悲劇のヒロイン。自分はこの時にも、レダという平穏なる日常を追い求めし人物に心から同情した。

 

 同時にして、彼女を“偽物”から解放したいとも願えたのだ。

 

 どうか、レダには幸せになってもらいたい……。

 これとまったく同じ思想を、過去の親父もきっと抱いたことだろう。だからこそ親父は、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)という悲劇のヒロイン達が救われるべき居場所を築き上げたのかもしれない。

 

 その真意は定かではないものだが、自分にはそう思えて仕方が無かった。“彼”の血を継いだ、実の息子として……。

 

 

 

 

 

 夕暮れの龍明を歩く、二つの人影。デパートで買い物を終えた袋を左手に提げる自分は、今も右手で彼女と手を繋いで帰路を辿っていた。

 

 表通りから外れた、住宅街へと続く道。直にもLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の店前を通り過ぎ、もはや習慣ともなっている歩き慣れたその小道をレダと一緒に進んでいく。

 

 袋の音が今日を過ごした時間の結果となり、コツコツと鳴らされる靴音はどこか虚しく鳴り響く。その夕日も二人の影を地面に映していくのだが、それは間もなく夜の暗闇に呑み込まれていった。

 

 ……レダとのお出掛けも、終幕へと向かっていた。

 偽りの夫婦は目の前を見遣り続け、ただ歩を進めていく。そうして静寂の空間を踏みしめるように歩いていると、次にも隣のレダからその言葉が投げ掛けられてきた。

 

「今日はありがとう、カンキ君。あなたのおかげで、わたしの心残りは解消された気がするのよ」

 

「レダの役に立てたのなら、光栄の限りだよ」

 

 レダへと振り向いていく自分。だが、真っ直ぐを見つめる彼女の横顔に、自分はすぐにも正面を見遣っていく。

 

 それとすれ違うように、レダが振り向いてきたような気配が感じられた。だが、それもすぐに真正面へと向けられていくと、彼女は続けてそう喋り出してきたものだ。

 

「……まるで、夢を見ていたかのようなひと時だった。何でしょうね。わたしがこれまでに描き続けてきた人生の、その一部分が叶ったかのようなこの幸福感……。今日過ごしてきた、たった数時間のこの出来事が、未だに白昼夢と思えてしまえる程度には充実していたように感じられるの」

 

「レダ……」

 

 足を止めた彼女に合わせて、自分も立ち止まっていく。そうして自分はレダと自然に向かい合っていくと、次にも彼女は視線を交えながら、健気で儚く、されども穏やかな微笑を浮かべながら柔らかくその言葉を伝えてくる。

 

「カンキ君。今日、最後のリクエストを聞いてもらえるかしら?」

 

「いいよ。何でも言って」

 

 ぎゅっ、と握りしめ合う互いの手。共にしてレダは、こちらをまじまじと見つめながらそれを口にしてきた。

 

「わたしとキスしてほしいの。いいかしら……?」

 

「断る理由なんかないよ。キスをしよう、レダ」

 

 繋いでいた手を離して、この右手を彼女の背へと回していく。そうして日没を迎えた暗闇の小道を背景に、こちらから近付く形でレダへと口づけを行っていった。

 

 唇を重ね合わせた瞬間にも点き始めた、小道に連なる無数の照明灯。それは手前から灯り、奥へと向かって次々と光り出す光景をバックにして、自分はレダを抱き寄せるようにしながら、今も交わし合う温もりを味わうようにキスへと専念する。

 

 レダの弾力ある唇が吸い付いて離れない。互いに惹かれ合う、引力に逆らうこともままならない不可抗力を実感しながら行ったこの日の口付けは、熱く、強く、そして長くもありながら、どこか儚げな虚しいか弱さを感じさせる。

 

 ……叶うことの無かった自身の恋を、その息子で疑似的に満たしているのだろうか。いや、今も体験している束の間の平穏を名残惜しく思っているのかもしれない。

 

 色々と思うところがあるのだろう、複雑な想いが唇から伝わってくる。自分はそれを全て受け止めるようにしてキスを終えていくと、五分近くと重ね合わせていた温もりで互いに蕩けるような瞳を見せていきながら、次にも一緒になって微笑んで、今日という日を締め括ったのであった。



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第35話 mauvaise fille 《悪いお姉さん》

 昼下がりの時刻。電車から降りて龍明の駅に足を着けた自分は、同行していたラミアとメーの二人と一緒に駅ナカを歩いていく。

 

 地雷風ファッションのラミアと、私服姿のメー。つい先ほどまでその二人と遠出していたことで、自分はくたくたな表情で二人に振り回されていた。

 

 というのも、自分達はSNSで知り合った仲間達との交流会に参加してきたばかりだったのだ。

 

 以前にも披露したダンスの他にも、平行してパルクールも行うという自由奔放な活動が特徴的なその集まり。この話を飲み屋で口にして以来、メーが事ある毎に興味を示していた。

 

 そういうことで、彼女を連れて交流会に顔を出してきたのが先ほどまでの流れ。尤も、この話を耳にしたラミアもまた、同伴を兼ねて同行したいと希望したことでついてきたものでもあったが。

 

 で、既にダンスとパルクールで体力を消耗していた自分は、早く帰りたいという気持ちで両隣の彼女らへと言葉を掛けていく。

 

「俺、ちょっともう足が限界なんだけど……そろそろアパートに戻らないかな……?」

 

 二人の機嫌をうかがうようにする自分。これに対してラミアとメーは、ちょっと不満げにそれぞれ返答してきた。

 

「えー、もう帰るんですかー?? ウチ、せっかく気合い入れておめかししてきたモンですから、もー少し人目に触れる場所を歩きたいです」

 

「私もまだまだ遊び足りないかな~。せっかくこうして三人でお出掛けしてるんだしさぁ、もっとこう、他にも色々楽しんでからにしない?」

 

「そーですよ。ホラ、アチラのゲーセンコーナーにプリクラとかありますよ?? ウチらでプリ撮るのとかどーでしょーか??」

 

「あは、いいじゃん! ラミア、ナイスアイデア! ねぇカンキ君ほら頑張って。これからプリ撮ってクレーンゲームと音ゲーやるよ!!」

 

 二人に手や腕を引っ張られ、自分は思わず「ま、マジでぇ……?」と気が抜けたような声を出してしまう。

 

 何とも複雑な気持ちだった。疲労による早く帰りたい気持ちと、二人の美女に挟まれている幸福感の狭間に置かれたこの状況。

 

 満更でもないけど、勘弁してほしい……。

 今でもラミアとメーの二人から、甘えるような声音で「行こー」と迫られる。これを受けて自分は己に鞭を打つように重い足取りで彼女らに連行されると、狭い個室に三人でぎゅうぎゅう詰めになりながら、若者ご用達の機械で写真を撮っていった。

 

 疲れたという気持ちが先行しながらも、とても充実としたひと時を過ごせたとも感じられる。まぁ、そこに写っていた自分の死んだような表情に、ラミアとメーは二人して愉快げに大笑いしながら終始ネタにしてきたものでもあったが。

 

 それらもすごく楽しいと思えたゲーセンコーナーでのやり取り。この後もクレーンゲームなり音ゲーなりを堪能すると、彼女らは満足したようにこちらを気遣い、じゃあアパートに帰ろうという話になって出口を目指し始めた。

 

 駅ナカを三人で並んで歩く今の状況。左右の二人に挟まれながら進むその中で、ラミアが適当な調子で何気なく喋り出してくる。

 

「あーあ、楽しい時間ってすぐに過ぎちゃいますねー。今日は特にあっという間に感じられました。またお出掛けのご予定ができましたら、ウチをメンバーに加えてくださいよー??」

 

「楽しんでくれたようで何よりだよ。元は同伴のノルマ目的で参加した外出だったと思うけど、こうして満足してくれている姿を見て、俺としてもなんか安心したよ」

 

「ホント、カンキさんってウチらに都合のイイお方ですよね。おかげさまで、楽しい思いをしながら同伴のノルマも達成できて、一石二鳥ですよ」

 

 ご機嫌なラミアとは正反対に、同伴という言葉が出てきてからちょっと固い表情を見せ始めたメー。それをラミアと二人で見遣っていくと、こちらの視線にメーは焦ったような顔を向けながら喋り出してくる。

 

「あ、あは~……。やばぁ~……。私、今月分の同伴ノルマ全っ然満たしてない……」

 

 なんか、毎月それを聞いている気がする……。という感覚で自分は苦笑いして、ラミアはラミアでメーへとその会話を交わしていく。

 

「またですか?? メーさん結局、先月のノルマも達成できなくてお給料下げられてたじゃないですか。そろそろ危機感を持ちませんと、割と冗談じゃないハナシでクビになりかねないですよ??」

 

「い、いやぁ……分かってるんだけど。頭では分かっているんだけど。でもなんか、ねぇ? なんか、行動が伴わないっていうの……?」

 

「ウチも時には我慢しながら同伴しているんですよ?? なのでメーさんにも頑張ってもらわないと、ウチとしても困るんですよ。……ココだけのハナシですけど、ウチ、メーさんに同伴するコトを促すよう何度もユノさんにお願いされているんですから。これ以上と、何の関係も無いウチに必要の無い重荷を背負わせないでください」

 

「う、うはぁ……それ初耳。ごめん、マジでごめん……」

 

 本気で申し訳なく思っているのだろうメーの困り顔。だが、気持ち的にはどうしても乗り気になれない様子にもうかがえた。

 

 以前メーとの同伴を行った時も、ノルマ達成がギリギリ間に合わないという話が発端になっていた気がする。

 

 それを思い出して、自分はメーへとその言葉を掛けていった。

 

「俺で良ければ同伴のお手伝いとかするから、気兼ねなく声を掛けてよ。また東京タワーにでも行く?」

 

「え!? また手伝ってくれるの!? やったぁ! さっすがカンキ君! じゃあじゃあ、残りのノルマ全部カンキ君に付き合ってもらおっかな~?」

 

「え、いやさすがにそれは営業のシステム的に問題があるんじゃないかな……?」

 

「いいっていいって。誰にもバレなきゃいいだけの話だし」

 

 しめしめと言わんばかりのあくどい顔で喋るメー。そんな彼女に対してラミアはジト目を向けていたものだったから、その視線にメーははぐらかすように視線を背けていった。

 

 ……と、そうして逸らした視線で、メーは何かを見つけるような素振りを見せていく。だがこの時には特に喋ることもなく、メーは誤魔化すような苦笑いで済ませていたものだ。

 

 しかし、駅ナカの出口に差し掛かったところで、メーはふとそんなことを切り出してくる。

 

「あ、あぁ! そう言えば私、ちょっと忘れてたことあったかも!! 私それ見てくるから、二人は先に帰っててよ!! そういうわけだから、私はまた! じゃね!!」

 

 そう言って、ピューンッと逃げるように駅ナカへと走り出したメー。彼女の急な言動に自分が呆気に取られていく中で、ラミアは暫し眺めてからそれを口にした。

 

「ありゃウソですね」

 

「嘘? 何が?」

 

「デタラメですよ、デタラメ。忘れてたコトなんて元からナイんですよ」

 

「え? じゃあメーはどうして戻っていったのかな……?」

 

「~~……ッ」

 

 ん~、と思考を巡らせるラミアの様子。かと思えば彼女は閃いたようにして、こちらへと振り向いてきた。

 

「メーさんの後を追いましょー」

 

「え? えぇ? なに、そんな切羽詰まった事態だったりする?」

 

「いえ?? メーさんのご様子から、そんなワケがありませんけど??」

 

「??? それでも後を追うの?」

 

「そーです。だって、その方が面白そうじゃないですか」

 

 にぎっ、とこちらの手を取ってくるラミア。そして猫耳の黒色キャスケットを被った彼女が天真爛漫に微笑み掛けてきたものだったから、自分はその健気な可憐さに心を打たれるような衝撃を受けながら返答を行っていった。

 

「じゃ、じゃあメーを尾行してみようか……?」

 

「ハイ、じゃーそうと決まればさっそく行動です。ホラ、行きますよーカンキさん」

 

 グイグイと手を引っ張ってくるラミアにそそのかされて、自分は駆け出すように来た道を引き返し始めた。

 

 この時にも見せてきた、ラミアの楽しげなその表情。彼女も日常を堪能しているんだなという印象を抱いていくと、自分もまたこういうのも悪くないのかなという気持ちでその歩を進めていったのだった。

 

 

 

 

 

 メーを追跡し、駅ナカを巡る自分とラミア。さながら探偵の尾行っぽい今の状況に、本職を味わっているような気分になる。

 

 ラミアと一緒に駅の柱から顔を覗かせて、メーの動向を見守っていたその最中。メーは何かを探すように周囲を見渡していくと、直にも彼女は真っ直ぐと通路の脇へ向かっていった。

 

 一体なにをしているんだろう。そう思いながらメーを観察していると、次の時にも彼女は佇んでいた男の子へと話し掛けていく。

 

 通路の途中で泣きじゃくっていた、小学生くらいのその少年。緑色のシャツに茶色の短パンという格好の彼へと声を掛けたメーは中腰になっていくと、次にも持ち前の勝気な明るさで慰めるような素振りを見せ始めた。

 

 迷子の男の子かな?

 ひと目で確信できた少年を見て、自分は「メー、何をしているんだろう」と呟いていく。すると、顔を出す自分のその真下から顔を覗かせていたラミアが、納得といった具合にそれを口にしてきたのだ。

 

「なるほどー、そーいうコトでしたか。なんともまー、メーさんらしいですね」

 

「何か分かったの?」

 

 次にも、少年の手を取って二人で歩き始めたメー達。

 短時間で打ち解けたんだなぁという感想に至るその光景だったのだが、ふと自分はメーの様子に違和感を抱いたことでそれを呟いていった。

 

「……なんかメー、すごく嬉しそう……?」

 

 勝気な表情に、恍惚とした頬の赤みがうかがえる。眼差しもどこか肉食動物のような鋭いものを感じさせたことから、自分は懐疑的に首を傾げていく。

 

 と、次にもラミアはそれを説明し始めた。

 

「カンキさんはご存じないんですか?? メーさん、小さいオトコのコが大好きなんですよ??」

 

「へぇ、そうだったんだ。なるほど、それで迷子っぽい少年を放っておけなくて駆け付けたってことなんだな……」

 

「カンキさんの仰る正当な理由でしたら、親御さんも安心できたんでしょうねー」

 

「?」

 

「どーやら『大好き』のイミを履き違えていらっしゃるみたいなんで教えますけれど、メーさんのオトコのコ好きはなにも、母性本能から来る愛情的なスキではないってコトです」

 

「ん、んん? えっと……?」

 

 少年の手を引いて、二人で歩き出していく彼女らの背中を見守りながら交わしたこの会話。おそらく、その先にある飲食店に向かっているのだろう動向を眺めていく中で、ラミアも歩き出しながらそれを口にしてくる。

 

「追いますよ。カレの貞操がどうなってしまうのか、その一部始終を見届けましょー」

 

「え、貞操??」

 

「メーさんの異名をご存じないようなので説明しますけど、メーさんは所謂ショタコンというモノでございまして、特に小さなオトコのコの“未発達な”のが大好物なんですよ」

 

「え。……あー」

 

「そんなメーさんに付けられたあだ名がですね…………」

 

 不気味なほどにまで冷たい空気が流れ出したこの空間。共にしてラミアは恐る恐るとこちらを見据えてくると、陰りによる彫りの深いその表情で、雷が落ちる効果音を伴いながら、シリアスにそれを言い放ってきたのだ。

 

「…………“ショタ喰いのメー”」

 

「ショタ喰いのメー……ッ!!!!」

 

 …………。

 

 いや、それただの不審者では?

 冷静になって考えると、ただヤバイだけのお姉さんでは? よぎった疑念に自分が唖然としていく最中にも、ラミアは「早く行きますよー」と声を掛けながら歩き始めたことによって、自分も我に返ったように動き出していった。

 

 

 

 

 

 駅ナカのハンバーガーショップに到着し、その入り口で待ち合わせを装いながら佇む自分とラミア。そうして何食わぬ顔をしながら店内を覗き込んでいき、イートインスペースで食事を行うメー達の様子をうかがっていく。

 

 覗いた先には、隣に並ぶ形でハンバーガーなどを食べているメーと少年の姿があった。二人は打ち解けたように会話を行っており、とても楽しそうにしている。

 

 一見すると、迷子の少年を保護した優しいお姉さんという組み合わせに見えたその光景。加えて、ここは犯罪の温床として悪名高い龍明という地域であることから、無垢な少年を犯罪から守ったとして、本来であればメーは讃えられるべきだったのかもしれない。

 

 だが、遠目からでも分かる程度には、今のメーは恍惚としたアブない表情を見せていた。

 

 赤らめた頬は獲物に対する欲情を想起させ、悶々としたフェロモンを解き放つ様子がひと目でうかがえてしまえる。尤も、自分がメーを見慣れていたからという要素はあるのかもしれないが、少年が狙われていることもまた事実であるため、自分は気を抜かずに彼女を見張るように眺めていた。

 

 直にも、彼女らの話し声が聞こえてくる。

 

「ハンバーガー美味しい! ありがとうお姉ちゃん!」

 

「いいのいいの~。このことは、たかし君のママには内緒だからね?」

 

「分かった!」

 

 少年はたかし君って言うんだな。得られた情報を脳みそへインプットしていく最中にも、視界の中央では少年の頭を撫でるメーが映されている。

 

 本当に小さい男の子が好きなんだなぁ。と思わせる彼女の動作を凝視しながら、再び二人の会話へと耳を傾けていった。

 

「ねぇ、お姉ちゃんって良い人?」

 

「んー? 良い人~?」

 

「知らない人についていっちゃいけないよってママ言ってたけど、ママがどっか行っちゃって迷子になったから……」

 

「ん~? んー、そうだなぁ~。私は、ママが近くにいない時のたかし君を守るお姉さんだから、まぁ良い人なんじゃないかなぁ?」

 

「じゃあ、お姉ちゃんは良い人でいいの?」

 

「そう! 私は良い人だよ~!」

 

 いや悪い人だよ。

 

 内心でツッコミを入れつつも、引き続きメー達の会話に意識を向けていく。

 

「ママはどこに行っちゃったのか、たかし君わかるかな?」

 

「分かんない。いつの間にかいなかった」

 

「ふぅん。ママとはぐれる前にさ、たかし君一人で歩いたりしてたのかな?」

 

「おもちゃのコーナー探してた。ママずっと服見ててつまんなかったんだもん」

 

「はは~ん、暇を持て余して単独行動しちゃったパターンのやつね。それじゃあママが見てた服のところに行けば会えるんじゃないかな?」

 

「ううん、もういなかった。どっか行っちゃった」

 

「あらら、これは完全に迷子ですなぁ」

 

 とても危機感の無い声音で喋るメーは、少年を愛でるように撫で続けながら思考を巡らせていく。

 

 そして、しばらくした後にも彼女は少年へとそれを話していった。

 

「じゃ、ご飯を食べたらお姉さんと一緒にママを探そっか」

 

「うん! お姉ちゃんと一緒がいい!」

 

「おぉ~そうかそうか! たかし君にそう言ってもらえて、お姉さんとっても嬉しいぞぉ~」

 

 勝気でハキハキとした喋りが、小さな子にも安心感を与えるのだろうか。

 

 既に懐いていた少年を愛でるようにわしゃわしゃと撫でていくメー。そしてポテトを食べさせてあげたりと少年にぞっこんな様子を見せてから、食事を終えるなりメーは少年と手を繋ぎながら駅ナカを歩き出していった。

 

 それを尾行する自分とラミア。途中にも姿を隠しつつ、ラミアとは「なんだか俺達、探偵みたいだね」という他愛ない会話を交わしていく。

 

 そうして、メーを尾けること三十分ほど経過した頃だろうか。ふとメーが足を止めたことで自分らは慌てて柱の陰に移動していくと、メーは中腰になって少年の目の高さに合わせながら言葉を投げ掛けたのだ。

 

「私ちょっとおトイレに行ってきてもいいかな?」

 

「うん。いいよ」

 

「ありがと、たかし君。……あーでも、ちょっと不安だなぁ」

 

 ……なんか、わざとっぽい言い回し?

 

 違和感のある喋り方をするメーに首を傾げてしまう自分。だが、こちらに見張られていることに気が付いていないのだろうメーは、とうとうその手段に出てきたのだ。

 

「たかし君を一人にしちゃうのはちょっと心配だから、たかし君、お姉さんと一緒におトイレ入ろっか」

 

「え? でも女子トイレは入っちゃいけない……」

 

「今だけ特別。お姉さんが一緒だから大丈夫だぞ?」

 

「……じゃあ、入る……」

 

「よしよし、たかし君はすぐに決断できてえらいね~」

 

 少年の頭を撫でるメーは、そのまま彼を連れて女性用のトイレへと入っていった。これを見送る形で目撃した自分らは、柱の陰から姿を現しつつ言葉を交えていく。

 

「えっと……ラミア、これからどうする?」

 

「まー、このまま尾行を続ける以上は待つしかありませんよねー。あるイミで探偵っぽいんじゃないですか?? 不倫の対象(ターゲット)がラブホテルから出てくるのを待つみたいな、そんなカンジのシチュエーションです」

 

「やっぱそうなるよなぁ……」

 

 探偵の勉強をし始めた身として、何ともまぁ実践的な経験を積んでいる真っ只中とも言えるか……?

 

 女性用トイレを張り込むという状況に、憂いや恥じらいとは異なる複雑な心境になっていく自分。その間にもラミアが現場から離れるように歩き出したことから、いつ出てくるかも分からないメーを待つために、付近で暫し身を隠し続けていたものだ

 

 

 

 

 

 二十分ほど経過した頃、周囲の目を掻い潜るようにメーと少年が現れた。

 

 監視している自分らを除き、赤外線センサーのように行き交う他者の視線をすり抜けるメーの動きはさすがのもの。そうして何食わぬ顔で女性用トイレから出てくると、共にして恥ずかしそうな顔をした少年へと彼女は喋り掛けていく。

 

「ほら、大丈夫だったでしょ?」

 

「で、でも……」

 

「気にしない気にしない。ただ、このことは私とたかし君だけの秘密だから、ママには絶対にナ~イショ。いいね?」

 

「……う、うん」

 

 メーが口元で立てたその人差し指が、少年と二人の秘密を示していく。それを自分らは陰から眺めていると、ラミアは察したように適当な調子でそれを口にしてきた。

 

「あー、間違いありません。アレは確実に“しゃぶり”ましたね」

 

「しゃぶり……って……」

 

「決まってるじゃないですか。おち〇ち〇ですよ」

 

「いや、わざわざ口に出さなくていいから……」

 

 こらこら。という諦め気味のツッコミを内心で入れていく最中にも、ラミアはそう喋り続けてくる。

 

「それにしましても、また一人とメーさんにテイスティングされてしまいましたねー。つい先ほどまでピュアだったアチラのショタも、こーしてオトナの世界を知ってしまったワケです。いやー、龍明ってホントに末恐ろしい街ですよ」

 

「犯罪の温床とはよく言ったものだな……」

 

 なんかもう、人が危険に晒されていなければ平和なのかなという感覚を持ってしまえるのがこの街だった。

 

 これによって自分は、変な汗を流しながら周囲へと意識を向けていく。と、その時にも目に入った一人の人物を目撃するなり、自分は「もしかして……」と呟きながら咄嗟にそちらへ駆け出してしまった。

 

 急に動き出したこちらへと、ラミアは「どうしたんですか??」と言いながらついてくる。それに対して自分は目の前を指差しながら、それを説明した。

 

「何かを探しているような素振りの女性がいたんだ。もしかしたら、あのたかし君って子の親御さんかもしれない!」

 

 可憐な瞳を向けながら、懸命とついてきていたラミアが眉を上げていく。そして自分は前方へと意識を向けていくと、白色のシャツに水色のジーンズという格好の三十代ほどの主婦らしい人物へと駆け寄って、急ぎで声を掛けていった。

 

「あの、もしかしてたかし君を探していますか?」

 

「え? は、はい……! うちのたかしをご存じなんですか……!?」

 

「彼でしたら今、トイレ前で女性に保護してもらっています。緑色のシャツに茶色の短パンの格好をした男の子ですよね」

 

「は、はい! そうです! と、トイレ前ですね!? ありがとうございます……!」

 

 居場所を聞き次第にも、血相を変えてそちらへ駆け出していく主婦の方。彼女が急ぎで走り出したその背を見送ると、次にも息を切らしたラミアがヘトヘトになりながら、ぶつかるようにこちらへ寄り掛かってきた。

 

 そんな彼女へと、「急に走り出してごめんね」と言いながら頭を撫でていく。これにラミアはむぎゅっと抱き付くようにしがみ付いてきたものだったから、自分はしばらく彼女の頭を撫で続けてその機嫌を取っていった。

 

 

 

 

 

 自分らがトイレの前に戻ってくると、そこには主婦が少年を大事そうに抱き抱える光景が目に入ってきた。

 

 迷子の息子さんと合流できて良かった。それに安堵する自分は、ラミアと共に付近の柱へと身を隠して様子をうかがっていく。

 

 で、親子の隣にいたメーも、どこか気まずい表情をしながらお礼の言葉を受け取っていた。

 

 親御さんとしては何よりも、息子の無事が確認できただけでも救いだったことだろう。ここが龍明という、人身取引も行われる地域であるからこその光景とも言えたのかもしれない。

 

 今も親御さんから掛けられるお礼の言葉に、メーははぐらかすような相槌で答えていく。次に少年からも「お姉ちゃんありがとう!」と感謝を告げられて、尚更と募った罪悪感で彼女はとても居辛そうにしていたものだ。

 

 と、穏やかな空気に包まれたこの空間の中で、ふと主婦の女性はメーへとそれを訊ね掛けていく。

 

「本当にありがとうございました!! たかしのことを教えてくれた“お友達さん”にも、私の代わりにお礼を伝えてあげてください……!」

 

「へ? お友達さん?」

 

「はい。あの、そうですよね……? あなたと同じくらいの年齢の、二人の男女の方々からたかしのことをうかがいましたので……」

 

 あれ、これマズいのでは……?

 

 すぐさま、この場から離れようとした自分とラミア。だが、直後にも振り向いてきたメーと目が合ったことによって、自分らは迸った寒気と共にギクッと反応してしまった。

 

 

 

 

 

 駅ナカを後にして、龍明の駅前を三人で歩いていた現在の様子。一段落した自分らがアパートを目指して帰宅するその最中にも、一緒にいたメーが喋り出してきた。

 

「私そんなに疑われるようなこと言ったかなー……。そりゃあ独りぼっちのショタがいたもんだったから、保護しなきゃ~って思って適当な理由で二人と別れたりしたけどさぁ」

 

 まぁ、実際にそれで疑われるようなことをしていたからなぁ……。

 

 ボーッとそんなことを思っていく自分。一方、話を聞いていたラミアが改めてといった具合にメーへと釘を刺してくる。

 

「あの、それよりもメーさん、同伴はどーするんですか。そのハナシの途中でメーさん抜け出してましたけど、こんなコトをしてる間も同伴ノルマは待ってくれませんからね」

 

「う、うゎああぁぁぁ!!!! お、思い出させないで!!! ど、同伴のノルマだけは……ッえ、同伴のノルマどうしよ!!!」

 

 ラミアの言葉を耳にして、急に頭を抱えたメーが本気で焦りながらこちらを見遣ってくる。

 

 その視線が実に、助けを訴え掛けてくる必死なものであったから、自分はメーをなだめるようにしながら言葉を掛けていった。

 

「大丈夫だよメー! 俺も手伝うから大丈夫だよ! また同伴しよう。前みたいに本格的なお出掛けじゃなくても大丈夫だから、ノルマのために明日から少しだけ頑張ってみようよ。ね?」

 

「う、うあぁあ、カンキ君ありがと~……! もうこの際だから贅沢なんか言ってらんないし、適当にビアガーデンとかに行ってノルマ達成だけしちゃいたいよぉ~……」

 

「なんか、しれっと人の金でビール飲もうとしてない?」

 

 こちらのツッコミに、すぐにも「あれ、バレた?」と言わんばかりのテヘペロを見せてきたメー。その様子を見て自分は、安堵と共にただただ汗を流してしまった。

 

 何はともあれ、この後は特に何事もなく三人で帰宅した。

 それと、話の流れでメーと同伴することになった自分は、彼女と話し合うことでお出掛けの日程を決めていく。これによってメーの同伴日時が確定し、あとはその日を迎えるだけという状態になった。

 

 次はメーとの同伴だ。それも、ラミアに続く濃厚な夜の予感がする同伴になることだろう……。



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第36話 La tentation du bleu foncé 《紺の誘惑その2》

 真昼のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に顔を出し、ホステス達と軽く会話を交わしてから店前の入り口付近で待ち合わせていく。そうして佇むこちらの真横では今も、主婦やサラリーマンといった人達が頻繁に店の出入りを行っていた。

 

 邪魔にならないよう、ちょっと距離を置いた場所からその様子を眺めていく。

 ちょうど書き入れ時とも言える現在の時刻だが、それにしても来店客の往来が著しい。それも、自分がこの店を知った当時よりもだいぶお客が増えていたことから、キャバレーだけではないレストランとしてのLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)も世間的に注目され始めていたことは確かだろう。

 

 それ故に、ここ数カ月のホステス達はとても忙しそうにしていた。

 増えるシフトと出勤日。休みが減ったことに加えて、他と比べて過酷な同伴が彼女達の体力や神経をすり減らしていく。

 

 このことから、店の大繁盛に反して一部のホステス達は「勘弁してほしい」という悲鳴を上げていた。特にラミアやミネが大変そうにしていて、ラミアに関してはアパートに帰ってくるなり死んだような表情でベッドに直行する日々が続いている。

 

 ミネも、日中の学業と夜間のアルバイトというハードスケジュールをこなしていたものだ。尤も、少女の傍にはユノがいてくれているため、ミネのケアはそちらに任せてしまっている。むしろその方がいいのかもしれないが。

 

 他のホステス達も忙しそうに勤めていく中で、一人だけ無尽蔵な体力でへっちゃらな顔をしていたホステスがいた。その彼女は今も昼間のシフトをこなしていくと、この後にも控えていた自分との同伴に臨むべく店の裏口から姿を現してきたのだ。

 

 私服姿のメーが、勝気な瞳で「やっほー!」と言いながら駆け寄ってくる。これに自分は振り返りつつ返事を行っていった。

 

「やぁ、メー。お疲れ様」

 

「カンキ君もお疲れ様ー。そしておまた~」

 

 疲れ知らずなメーは余裕そうな表情を見せながら、周囲の男性客にも手を振って存在感をアピールしていく。それから彼女はこちらに向き直ってくると、早速といった具合にその言葉を掛けてきた。

 

「じゃ、ササッとそこらを同伴してから、ビアガーデンにでも行ってビール飲みまくろ~! おー!」

 

「メーは本当にビールが好きだね」

 

「当たり前じゃん? 女だからビールは飲まないって誰が決めたことかね。私だってビールが大好きなんだよ!! んま、そういうわけで今夜のビール代はカンキ君持ちね」

 

「どういうわけでそうなるかな……元からそのつもりだったけどさ」

 

「あは、カンキ君は都合が良くって助かるねぇ~。ささっ、ほらほら同伴するよ! 私についてきたまえ~」

 

 今日の激務をこなしてもなお、いつも以上にテンションの高い様子でこちらの手を引っ張ってくるメーに圧倒されてしまう。

 

 だが、次にも自分は思い出したようにメーへとそれを訊ね掛けていった。

 

「ところでメー、ちゃんと着けてきた?」

 

「んー? 何を?」

 

「“メーの好きなやつ”」

 

 と言って、握っていたスマートフォンをワンタップしていく自分。

 

 直後、メーは甲高い「んみゃぁ!!?」という変わった悲鳴を上げていくと同時にして、縮こまるように内股となっていった。

 

 ……迸る電流。唐突にもたらされた“震動”に、メーは思わず赤面しながら周囲を見遣っていく。

 

 もちろんそこには、往来する客が無数と存在していた。この光景からメーは誤魔化すように笑ってみせ、かと思えばこちらの手をギチギチと握りしめるなり、龍明の駅前に向かって全力疾走で逃げるように駆け出した。

 

 走り出した彼女に合わせて、自分も駆け出していく。それと共に、恥じらいで涙目の状態だったメーとそんな会話を交わしていった。

 

「~~~~ッ!!!! あり得ないんだけど!!!! ホントあり得ないんだけどっ!!!! なんで今やるの!? カンキ君最ッ低!! 最低最低最低最低!!!」

 

「ごめんごめん! ちゃんと着けてきたのかなって確認のつもりだったんだ!」

 

「だからって! だからってあんな人前でやらなくてもいいでしょッ~~!!!」

 

「でもメーは興奮したでしょ!? 違う!?」

 

「そ、れは!! ッ、ぅぅ……!」

 

 段々と緩やかになった駆け足と、途端にふにゃふにゃとなった弱々しい声音。そして二人で立ち止まり、メーは唸るようでありながらも満更でもないような声を出しながら振り返ってくると、次にも彼女はどこか物欲しそうな目を向けつつ、屈辱や恥辱が混じった困り顔でそれを口にしてきたのであった。

 

「ッ…………まぁ、久しぶりだからってのもあると思うんだけどさ……うん。まぁ、ぶっちゃけね……今の、すっごく興奮した……っ」

 

 

 

 

 

 メーとの同伴が開始して、早々と龍明の駅前にあるゲームセンターで店内を巡っていた自分ら。特別なことをやりたがらないメーがいつものお出掛けを所望していたことから、同伴という名目で至って普通のお出掛けを楽しんでいた。

 

 まぁ、同伴だというのに何故かホステスのメーに振り回されていたものだ。それが彼女らしいと言えば彼女らしいのだが。

 

 そんなメーは今、自分の目の前で音ゲーに熱中していた。

 お客をほっぽり出して、縦長な画面の筐体と向かい合っていく彼女の背中。本当にただのお出掛けとなったこの同伴だったが、自分としては満更でもなかったため、とても穏やかな気持ちで彼女の元気な姿を眺めていたものだ。

 

 で、目まぐるしいゲーム画面を前にして、両手を素早く動かしてそれに食らい付いていくメー。そしてクリアした喜びで彼女は勝気に微笑みながらこちらへ振り返ってきた。

 

「あは!! 見てたカンキ君!? クリアできちゃった!!! これ、今の環境の最高難易度の曲!!! あはぁ~嬉しい!! やったやった!!」

 

「見ていて全く目が追い付かなかったし、流れてくるマーカーもたくさんありすぎて何が何だか分からなかった……。あれについていけるメーの技術が凄まじく思えてくるよ」

 

「えへ、えへへへへ。いやぁ~努力の賜物ってやつですなぁ~。ゲームってホントにいいよね。頑張った分の成果が目に見える形で表れるんだもん。こういうところも含めて私、ゲームって大好きだな~!」

 

「あれ、でも最高難易度をクリアしちゃったってことは、もうそれ以上難しいやつはないってことになるのかな? だとしたらもう、やることが無くなっちゃったんじゃない?」

 

「そんなことはないよ。ゲームスピードを上げたりフルコンを目指したり、まだまだやることはたくさんあるんだから!」

 

 すごく楽しそうに話すメーが、キラキラとした瞳で微笑みながらゲームの画面を進めていく。

 

 その後は、休憩と言って棒付きのアイスを持ってきた彼女と一緒に、ゲームセンターの中を適当にうろついたりもした。

 

 クレーンゲームが大量に並ぶ、ファンシーでありながらもメカニックなこの空間。そこの景品であるクマのぬいぐるみなんかを見てメーが「これ、ラミア好きそ~」などといった言葉を零していく脇で、自分はふとゲーム好きの彼女へとそれを訊ね掛けたりしたものだ。

 

「メーって本当にゲーム好きだよね」

 

「ん~? そうだけど~? 変とか言わないよね?」

 

「変なんて言わないよ。ただ、ゲーマーのホステスはメー以外にいないもんだから、ちょっと珍しく思っただけかな」

 

「ゲームやってるホステスは他にもいるよ? 最近だとシュラもゲーマーっぷり発揮してたりして、同類見っけ~なんて思ったりもしたけどさー。んま、あの店だと私が一番ゲームしてるんじゃないかな?」

 

「楽しめる趣味があることは、とても素敵なことだと思う。ただ、さっきもメーがプレイしてるところを見てて思ったんだけど、メーって部屋でもスマホで音ゲーやったりしてるもんだからさ、飽きが来たりしないのかなってちょっと気になったりもしたかな」

 

 自分が話している間にも、クマのぬいぐるみが景品になっているクレーンゲームにコインを入れ始めていたメー。そしてアームを操作しながら、先の言葉に反応するよう返答してくる。

 

「まぁ、同じことばかりやってると飽きは来ちゃうよね~。だけど、なんだろ。私の場合は飽きるとか飽きないとか、そういう遊戯的な視点でゲームを見てるわけじゃないって言うのかな~」

 

「遊戯的な視点で見てるわけじゃない?」

 

「うん。なんだろうね。言葉にするのちょっと難しいんだけど、生き甲斐って言うのかな? それだとなんか大げさに聞こえてくるけどさ、私にとって音ゲーは、退屈で仕方のない人生を誤魔化すためのツール……みたいなものなのかもしれないよね」

 

 何とも曖昧な喋り方を行いつつも、メーは紫色のクマのぬいぐるみを押し出すようにして落とし口に落としていく。これによって彼女は取り出し口に落下してきたぬいぐるみを拾い上げていくと、それを両手に持ってぬいぐるみの腕を動かすようにしながら、先ほどの続きを話してきた。

 

「音ゲーって、絶え間なくマーカーが降ってくるでしょ? あのスピード感とか忙しさが、私的にすごくスリルがあって好きなんだ」

 

「スリルか。それを聞いて納得した。メーはスリルが大好きだもんね」

 

「そ。他にもアクションゲームとか対戦ゲームとか、ホラーゲームとか色々あるけどさー、そこら辺の操作性とか駆け引きとか恐怖演出とかのスリルはちょっと違くってね。なんだろ、音ゲーは競技性とか無い代わりに、他のゲーム以上にミスできない緊張感みたいなのをリアルタイムで感じられてさ、そのドキドキ感が私にとっての生き甲斐になってるって言うのかな? まぁそんな感じ」

 

 画面に流れてきたマーカーを、正確に入力していく操作性。だが、至って単純な遊び方とは裏腹に、疾走感のあるゲームスピードが一気に緊張感を与えてくるのだろう。

 

 メーは、その緊張感に生を見出しているようだった。

 まぁ、彼女は命がかかっている状況というスリルに興奮を覚えるほどの人間でもある。特に、東京タワーの透明なパネルの上で跳ねたりしていたあの姿は、今でも鮮明と脳裏に焼き付いているくらいに衝撃的なものでもあった。

 

 ……ドキドキと脈打つ心臓の鼓動に魅入られたホステス。そんな彼女の一面を再認識したことで、自分はメーという人物をより深く知ることができた気がした。

 

 と、そうして自分の中で納得したように佇んでいると、ふとメーは手に持っていた紫色のぬいぐるみをこちらに近付けながら、ちょっと裏声にしながらそのように喋り出してくる。

 

「あー、あー。コホン……『どーも、カンキさんの大好きなラミアちゃんです』」

 

「……え? あ、それラミアの真似?」

 

「『そーですよー。そーいうワケなのでカンキさん、今夜も失神しちゃうくらいの激しいえっちをしましょーねー』」

 

「いやいやいやいや外で何言ってんの!!! というか、ラミアとはそんな激しいことしてないから!」

 

 焦り気味にメーを静止させる自分。この慌てた様子に彼女はからかうような目で悪戯に笑んできたものであったから、自分は周囲を気にしながらも、メーに振り回されている感覚で変な汗を流してしまっていた。

 

 

 

 

 

 ゲームセンターを後にして、メーと一緒にデパートを巡ったりした今回の同伴。それは前回にも行った二回目のラミアとの同伴のように、デートに最適な特定の場所というシチュエーションには至らない、どちらかと言うと日常的なお出掛けに近しい穏やかな時間を過ごしたものだった。

 

 しかし、熱烈なスリルを追い求めし彼女はこの日常に飽き足らないようでもあった。

 デパートの中を歩いている間も、隣でチラチラとこちらをうかがってくるメー。その物欲しげな視線を分かっていたからこそ、自分は敢えて彼女の要望に応えないでいく。

 

 で、痺れを切らしたようにこちらの右腕にくっ付いてきたメーが、ちょっと口を尖らせながらそれを口にしてきた。

 

「ねぇぇカンキ君~……」

 

「ん? どうしたの?」

 

「どうしたのってさぁ~……ちょっと、ねぇ……」

 

「ハッキリ言ってくれないと分からないなー」

 

「うぐぅ……ッだからさぁ……!」

 

 スリルを求めている割には、恥じらいが勝るらしい彼女。今も“要求”を頑張って眼差しで伝えようとしているその努力が、かえって自分を興奮させてくる。

 

 ……おあずけされた犬みたいで可愛い。

 彼女の不機嫌そうな顔を見て、自分は右腕を上げてみせた。この動きにメーはちょっと期待感混じりのドキドキした顔をしてきたものだったから、自分は焦らすようにしながら右手に持っていたスマートフォンをゆっくりと彼女に向けていって、そのまま画面をタップしていく……。

 

 カシャッ。

 

 切られたシャッター音に、メーは呆気にとられた表情を浮かべてきた。

 次にも、我慢の限界と言わんばかりに「ねぇぇちょっとぉ!!!」と言い迫ってきた。この反応に「いい顔の写真が撮れたよ。見る?」と言葉を掛けていくと、メーは見るからにそうじゃないというもどかしい顔でこちらを凝視してくる。

 

 で、メーはいじけるように「見ない!!!」と答えてきた。

 一連の反応が、愛おしく思えてくる。これに自分が興奮を覚えてゾクゾクしたものだったから、こちらから「意地悪してごめんね。これはお詫び」と言葉を掛けて、画面のボタンをタップしていった。

 

 瞬間、隣からは「にゃあぁっ!!?」という変わった声が上がってきた。

 いや猫か。内心でツッコミを入れながら、今も恥辱にまみれた顔で内股になっていた彼女を抱き抱えるようにして姿勢を正していく。その間も周囲から視線を向けられていたことから、メーは唐突に訪れた“快楽”も相まって、暫しの間“好みの部位”に迸る震動に翻弄されていた様子だった。

 

 尤も、このあと自分はメーを無理やり歩かせるプレイを強要した。この提案に彼女は絶望じみた顔を向けてくるのだが、主導権はすべてこちらに託されている。

 

 快楽に耐えるだけで精一杯だった彼女の耳元で、「じゃあ、こんな店のど真ん中でイキ果ててみる?」と囁いてみると、メーは一層もの興奮が生じたようで「おっ……」と低い声音で喘ぎ始めていく。

 

 その反応に自分も掻き立てられたことで、「じゃあ、イートインスペースまで頑張って歩いてみようか」と言葉を投げ掛けてから、今も震動する“玩具”を身に付けさせた彼女を歩き回らせたものだった。

 

 

 

 

 

 強烈なスリルを堪能したメーは、満足気な様子でビアガーデンを所望した。

 陽が落ちた龍明を一望できる十二階ビルの屋上。犯罪で淀み切った空気も地元ならではという認識で屋上に到着すると、ビンテージな雰囲気のイスやテーブルが特徴的なこの会場で自分とメーは乾杯を行っていく。

 

 ジョッキを打ち鳴らした自分らが、「今日はお疲れ様でした」という挨拶を交えて烏龍茶やビールをいただいていく。そしてピザやロースト肉、トマトがメインのサラダというオシャレな食事を堪能していく中で、今もビールを片手にメーが勝気な瞳を向けながら喋り出してきた。

 

「フツーにお出掛けしただけなのに、豪華なご飯やビールもいただけるなんてサイコ~!! 同伴が毎回こんなんだったら私も自分からやる気になるのになぁ~」

 

「まぁ、普段こういう同伴ができないなら、せめて俺との同伴ではこういうことをしていければいいのかな」

 

「する!! また同伴する!! じゃあ次はいつ同伴しよっか? 明後日とかどう? どう!? 今度はアニメグッズがいっぱい置いてあるオタクご用達のお店にでも行こうよ!!」

 

「けっこうハイペースだな……」

 

 果たしてそれはノルマが迫っているからなのか、はたまた自分を都合良く利用しているだけなのか。

 

 どちらにしろ、メーと過ごす時間は嫌ではない。

 烏龍茶を飲みながら料理を頬張り、彼女と他愛ない会話で盛り上がっていく夜の時間。その何気ない日常的な同伴も終わりを告げ、それじゃあアパートに帰ろうということで龍明の駅前を歩き始めた時のことだった。

 

 人通りのある駅前の柱に、ビールをたくさん飲んだメーがふにゃふにゃになった様子で寄り掛かっていく。もはや見慣れた光景でもある彼女のそれに、自分は「メー、歩ける?」と声を掛けていくと、メーは酔いで顔を真っ赤にしながらそう答えてきた。

 

「むぇ、らめぇ……あらし、ぇ、ああれる……」

 

「こりゃダメだな……」

 

 またおぶっていくか?

 前の同伴でも、酔い潰れた彼女を背負って近くのビジネスホテルに宿泊したことがあった。尤も、あの時は酔い潰れること上等だったメーが事前に予約していたからできたことでもあったが。

 

 ……さすがに、酔った女の子をホテルに連れ込むのは気が引けるなぁ。

 彼女をおぶってアパートまで帰ろう。そう決断した自分が、「メー、背負ってアパートに戻るから、俺の背中に寄り掛かって」と言葉を掛けていく。

 

 だが、次にも彼女から返ってきた言葉は、こういうものだった。

 

「……えっちしたい」

 

「え?」

 

 とろんっとした瞳で、ふにゃふにゃになった勝気の顔で喋り出してきたメー。そのまま近付いたこちらに両手を伸ばして弱々しく服を握り締めてくると、彼女は酒のにおいを放ちながら言葉を続けてきた。

 

「カンキ君、えっちしようよー……」

 

「なんだ、普通に喋れるんだ……」

 

「ねぇぇ~……」

 

「また今度ね。前も同じ理由で断っちゃったけど、やっぱり酔ってる女の子に手を出す事は気が引けるから」

 

 なだめるようにメーの頭を撫でて、自分は背負って帰ることを伝えていく。だが、彼女は駄々こねるように帰宅を拒否して、そう訴え掛けてくるのだ。

 

「やーだ!! やーだぁ!!! 今日はカンキ君とえっちする!! カンキ君とえっちするまで私帰らないから!!!」

 

「いやいやちょっと、声でかいって」

 

「じゃあ朝まで付き合ってよ!! 今日はえっちするまで帰らないんだから!!!」

 

「わ、分かった分かった! 分かったから声のボリューム抑えて!」

 

 周囲の視線が鋭く突き刺さっている気がする。

 見渡すのが怖くなってきた自分が、ほぼ脅されるようにしてメーの要求を呑んでいく。これに彼女はからかうような表情を見せてくると、酔ったその足取りでこちらの右腕に抱き付きながら、ふにゃふにゃな声音で「あは、それじゃあさっそくレッツゴ~」と言って歩き出したのだった。

 

 

 

 しばらく歩くこと数分。自分らは表通りを少し歩き進めてから、脇に続く路地を通っていく。

 

 そして、メーの立ち止まる動作を合図にして、自分は真横にあった建物へと意識を向けていった。

 

 石造りのような壁の模様が特徴的な、全体的に四角い箱のようなそれ。看板には『まあ、そういうワケで』という文字が書いてあって、おそらくこれがお店の名前なのだろうと察していく。

 

 ……というか、本当に来てしまった。

 さすがに酔った女の子には手を出したくない。取り敢えず部屋に入ってから、適当な理由をつけて行為をお預けにして、メーを早く眠らせよう……。

 

 頭の中で一連の流れを用意しておいてから、自分はメーの手を引いて建物に入っていく。そうして踏み入れた大人の世界は、以前にもラミアと訪れた施設とはまた異なる雰囲気を放っていた。

 

 入口の石造りの模様が、そのまま壁や床となっている内装。付近には、部屋を選ぶための監視カメラの映像のようなモニターが用意されているのだが、目についたのはそれだけではない。

 

 まず真っ先に注目したのは、数台と並んだガシャポンマシンだった。

 え? こんなところにガチャが? という疑問にすべてを持っていかれた自分だったものの、その中身が女性用下着のランジェリーであったり、大人の玩具だったりといったラインナップであったことから、色々と察しがついて一旦後回しにしていった。

 

 他にも、飲料水を売っている自動販売機や、自由に持っていっていいのだろう入浴剤やお菓子が大量に置かれたコーナー。加えて、大人向けの雑誌やCDなんかも用意されている豊富な情報量に、自分は困惑を交えながらもモニターへと近付いていった。……また別の機会に利用しようという、淡い期待を抱きながら。

 

 『まあ、そういうワケで』、メーを部屋まで連れてきた自分はホッと一息つきながらその内装へと意識を向けていく。

 

 遊び心に溢れたフロントとは打って変わり、優しい明かりが心を穏やかにしてくれるシンプルでモダンなその個室。それは白色や黒色を始めとして、淡くて優しい黄色の光などがこちらを快くお迎えしてくれる。

 

 洗面所の、なんか石のようにツルツルしたやつといい、改めてここが宿泊施設であることを思い知らされる。目的がいかがわしいことを除けば、ここも立派なホテルであることに違いないのだ。

 

 そうして立ち尽くしている自分だったものだが、一方でメーはベッドに飛び込むなりそのまま微動だにしなくなる。彼女の様子に自分は「眠ったかな……?」と思いながら静かにそちらへ近付いていくと、次にもメーは顔を上げるなりこちらの右手を掴みながらそれを喋り出してきた。

 

「早くシよ~? ねぇカンキ君~、お願い~」

 

「あ、あぁ、そうだね。ただ、ちょっとだけ待っててくれないかな? お手洗いとか色々済ませたいし……」

 

 メーが寝るまでの時間を稼がないと……。

 自分は思いつきの理由を口にして、彼女の手を振り解こうとする。しかし、これに対してメーは鋭い眼差しを向けてくると、赤味を帯びた頬で悪戯に微笑みながら、掴んでいたこちらの手を自身のワイドパンツの中へと入れていったのだ。

 

 ズボッと侵入した自分の手。共にして雑木林が茂る彼女の聖域に触れていくと、彼女のショーツの内側なのだろうその手触りに思わず動揺しながら呟いてしまった。

 

「……メー、パンツの中がすごいカピカピになってる」

 

「…………今日、一日中ずっと焦らされてきてさぁ、それでパンツの中濡らさないでいられる人なんかフツーいるわけないじゃん。……私のココをメチャクチャにしてくれたその責任、最後まで取ってくれないと許さないぞ?」

 

 挑戦的な眼。ニッと笑みを浮かべている勝気な表情。

 赤らめた頬と、長いまつ毛。そして酒の香りを漂わせながらも、メスのフェロモンを放つ彼女の存在感。

 

 …………あっやばい。

 プツンッ、という理性が途切れる音を久々に聞いた気がする。そして、それを自覚すると同時に巡ってきた抑え切れないほどの衝動が、自分にオスの本能をもたらしてくるのだ。

 

 次の時にも、自分は食らい付くようなキスをメーに行っていた。

 ベッドに押し倒した彼女の唇を貪り尽くしていく。この、本能に従うまま行った性欲の限りのアプローチに、M気質のあるメーは蕩けるような瞳をしながら、抵抗を見せることなく眼前の獣を受け入れていく。

 

 酒の香りが、一層もの高揚感を掻き立ててくる。鼻に残り続けるそれさえも味わうように口づけを行っていく中で、自分はメーの服を少しずつ脱がしていき、彼女をインナーのみの姿へと変えてから一歩引いてその全容を視認していった。

 

 日常的な黒色の上下。着飾らないデザインがかえってそそられるメーを見てから、自分はこの右手を彼女の下腹部へと伸ばしていって、そして、今も“ソコ”に仕込んである“玩具”を押し付けるように手を添えていく。

 

 ぐりぐりと加わる感触に、メーは甘い声音を出しながら悶え始めた。

 すぐにも手に伝わってきた、生温かいものを伴った彼女の湿り気。黒色のインナーが一段と黒くなる光景を目の当たりにして自分は、自分の中のオスが完全に覚醒した感覚と共にしてメーへと覆い被さっていったのだった。

 

 

 

 

 

 この夜、獣のようなひと時を過ごしたものだ。

 

 穏やかかつ確実に気持ち良い行為を求めるラミアとは違って、メーはとにかくM気質で襲われるような激しさを求めるアプローチが目立っていた。

 

 そのため自分は、これまでにないほどの力強さと速さで、裸となった彼女の最深部をノックし続ける行為に浸っていく。

 

 これに加えて、彼女は以前にも『バックでされるのが好き』と言っていたことを思い出す。尤も、その頃には既に、自分は彼女の両腕を掴むようにして後ろから激しいアプローチを行っていたものでもあったが。

 

 肉が肉を打ち鳴らす鈍い音と、液体が摩擦で擦れるねちっこい音が絶え間なく響き渡るこの空間。それらに混じるよう彼女の低い喘ぎ声が端的に何度も聞こえてくる中で、濡れやすいのだろう“カノジョ”からは頻繁に噴き出す音も鳴らされていた。

 

 透明な雨が降り注ぎ、それを肌で受け止めながら終始と行為に及んでいった熱帯の一夜。

 

 今、この全身が悦びに満ちている。

 心が歓喜している感覚に全てを委ねた自分は、既に疲労して眠りについてしまっていた彼女の隣に寝転がっていく。そして、裸体のままである彼女に寄り添うようにして、その程よい肉付きの身体を抱きしめるように腕を回していってから、自分もまた深い眠りへとついていったのであった。




 【chapter 4に続く…………】


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Chapter 4
第37話 Les inconnus 《得体が知れない者達》


 頭上に広がる曇天模様。流れ込む冷気が冬の到来を知らせて、直に迫った年の暮れを実感させてくる。

 

 休日の昼間である現在。龍明の駅前にいた自分とシュラは、二人で上着のポケットに手を突っ込みながら歩いていた。

 

 駅の敷地内にある広場で待つミネを目指す自分ら。足が疲れたということから少女をベンチで休ませて、自分はシュラの用事に付き合う形で二十分程度と広場から離れていた。

 

 で、彼女の用事が済んだことからミネとの合流を目指していくその傍ら。自分は冷え込んできた季節に合わせたオレンジと黒のダウンジャケットを着込んでいる中で、シュラは出会った当時と全く変わらない露出だらけの私服姿で隣を歩いていたものだ。

 

 だらしなく着用した緑色のパーカーは両肩を出していて、黒のキャミソールと青のホットパンツという格好でへそやくびれ、生足を見せびらかしている。そのホットパンツも相変わらず前を全開にしていたことから黄色のショーツがチラ見えしており、見る分には刺激的ながらも軽快な印象を受けたものなのだが……。

 

 ……いや、さすがに寒いでしょ……。

 至極当然な感想を抱きながら、隣のシュラを見遣っていく自分。この視線を受けて彼女は振り向いてくるのだが、口元や肩をガタガタ震わせたサマで、縮こまるようにしながらも強がるようにそう喋り出してきた。

 

「な、なななんやぁニーチャァンッ……。そそそないなあ熱い視線で凝視されれるとウチ、ニニニーチャンのことをもももっとい意識してまううやなないかッ……」

 

「いや、熱い視線というよりは心配してる視線なんだけど……」

 

 やっぱり大丈夫じゃなかったシュラの様子に変な汗を流してしまう自分。そんな彼女に見かねて自分はダウンジャケットを脱いでいくと、下に着ていた長袖の白いシャツ姿になりながら、パーカーを寄越すよう手で催促を行いつつ言葉を掛けていく。

 

「ほら、そのパーカー脱いでこれ着て。じゃないとシュラ、風邪ひいちゃうよ」

 

「な、なんやぁニーチャン、そないなことしたらニーチャンが風邪ひいてまうやないか。そないなことになったらウチ、女帝のネーチャンにしばかれるで」

 

「けど、シュラも体を資本に働いているんだし、俺よりもシュラの方がよっぽど忙しい激務をこなしているんだから、その分体を労わってもらわないと俺も気が気じゃないよ。ほら、早く着て。シュラに風邪をひかせるわけにはいかない」

 

「に、ニーチャァン……ッ!! ウチ、ニーチャンの神対応で今、めっちゃ嬉しい気持ちになったわぁ……!!! ニーチャンの優しさが身体の芯にまで染み渡って、もうこの気持ちだけで今年の冬を越せそうな気がするで……ッ!!!」

 

「あー……まぁ一応これ着ておいてくれるかな?」

 

 ちょっと大げさな喜びを見せつつも、こちらの意図を汲んだシュラはパーカーを脱いでこちらに手渡してきた。

 

 彼女のそれを受け取った後に自分はダウンジャケットを渡していき、シュラがそれを着込んで「ふぅ~……」と温もりで一息ついていく。その、快活で健康的な肌を持つ彼女の横顔をしっかり確認してから、自分は受け取ったパーカーを腕に掛けつつシュラへとそんなことを訊ね掛けていった。

 

「それにしても、急に肌寒くなったもんだね。冬が来たんだなってしみじみと実感するよ。龍明はこのくらいの時期になると一気に冷え込んでくるもんだけどさ、シュラの格好からして、関西とかの方はこの時期ってまだまだ寒くならない感じなのかな?」

 

 喋っている間にも、口からは白い息が出始めていた大気中の気温。さすがにアウター無しでは寒くて仕方が無いという具合だったのだが、次にもシュラから飛び出してきた言葉に自分は一時的に寒さを忘れることとなる。

 

「関西? そないなことウチに訊かれても困るわ」

 

「え? あれ? いや、でもそれ関西の方言だよね?」

 

「せやな。せやけどウチ、関西出身やないで」

 

「え??」

 

「もっと言うとな、ウチ“此処”出身やねん。何なら、東京から出たこともないで。生粋の龍明市民や」

 

「え、ええぇ……??」

 

 じゃあその喋り方は一体……????

 

 告げられた新事実に、思わず思考停止してしまった。この様子にシュラは心から不思議そうな表情で首を傾げてきたものだったから、尚更と彼女の素性を謎に思えてしまえる。

 

 そんな話をしている内にも、自分らはミネのいる広場に到着していた。

 休日ということで、多くの家族が行き交う憩いの場。かと思われたが、どちらかと言うと不良のたまり場のようになっている、若くてヤンチャな印象を受ける少年少女が見られたその光景。

 

 家族連れの御一行は、龍明の駅前という屈指の無法地帯を避けることだろう。それは、身内に危険が降りかかる可能性を考慮してのことなのかもしれないが、それ以上に龍明の学生は子供の教育にとても悪いケースが多いため、ほとんどのご家庭は龍明の駅前を避けて子供との外出に勤しむ。

 

 で、馬のようなオブジェや踏み散らかされた花壇、ゴミが溜まったベンチという光景が広がるこの場所にて、自分とシュラは目の前の有様を見慣れたように周囲を見渡していった。

 

 ミネはどこにいるかな。二人でうろつくようにして歩を進めていくその最中、シュラから「ニーチャン、おったで」という言葉を掛けられたことで自分はそちらへ振り向いていく。

 

 そうして投げ掛けた視線の先では、同伴にも着てきた勝負服姿のミネが四名ほどの少年と話している様子がうかがえた。

 

 同年代とも言えるだろう彼らは、黒色のレザージャケットや青色のジーンズ、ダボッとしたサルエルパンツやドクロマークのキャップといった、見るからにヤンチャな格好をしてミネと会話を行っている。そんな彼らを相手するミネは、どこかやり辛そうな表情を浮かべておりながらも、しかし揉め事のような雰囲気ではない様子で言葉を交わし合っていたようだ。

 

 なんだろう、ナンパかな?

 むしろ同学年? とも言える若さを放つ集団を視界に捉えながら、自分はシュラを連れてそちらへ歩き出していく。この靴音で一同が振り向いてくると、目が合ったミネがこちらに駆け寄りながらその言葉を掛けてきた。

 

「カッシー、シュラ。おかえり」

 

「ただいま。えっと、そっちの男子達は?」

 

「ん、気にしないで。クラスメートだから大丈夫」

 

 何気無い喋り方ではあるものの、ミネはどこか彼らから隠れるような立ち位置で佇んでいく。

 

 少女の様子に自分は「そうか、クラスメートか」と答えてから、彼らを見遣りつつそう話し掛けていった。

 

「話を邪魔したならごめんね。俺ら、彼女と合流する約束があったんだ。これから三人で出掛ける用事があるもんだから、これで失礼するけどいいかな?」

 

「あ、うっす。全然いいっす、全然。おれらも蓼丸のことを引き留めてすんませんっした。こっちは大丈夫なんで、三人で楽しんできてくだせぇ」

 

 ……なんか、腰が低い?

 

 気のせいかな。と思いつつも、自分はミネの肩に腕を回しながら「それじゃあ行こうか」と言って踵を返していく。その際にも視線をシュラへと投げ掛けて立ち去ることを無言で告げていき、これにニッと微笑したシュラは去り際に彼らへとその言葉を残していった。

 

「悪いなぁ、自分らのマドモアゼルを取り上げるようなことをしてなぁ。やけどこのジョーチャン、ウチらの大切な“家族”でもあんねん。せやさかい自分ら、今日のとこはこれで堪忍してな」

 

 家族。多少は大げさな表現だったかもしれないものの、ミネ本人はこの言葉にちょっとだけ嬉しそうな顔を見せていた。

 

 シュラのセリフに、彼らが何度も軽く会釈するようにしながら「う、うっす。大丈夫っす」と返答してくる。それを最後に自分らは広場から離れていくと、少し歩いた先の駅前でミネがそのように切り出してきたのだ。

 

「……ありがと。ちょっと大変だったから、助かった……」

 

 疲れたような声音のミネに対して、自分は「まぁ、何ともないみたいで良かったよ」と言葉を投げ掛けていく。

 

 一方で、シュラはニヤニヤとした表情で少女の後ろから寄り掛かりつつ、女子特有の距離の近さで頭をくっ付けながらそれを訊ね掛けた。

 

「なんやなんや自分、えらくモテとったやないか~? 普段は平凡なJKアピールをしときながら、その裏じゃ男子達を虜にしとってぇ、さては自分、相当抜け目ないなぁ?」

 

「え、えぇ。違うよ、それは勘違い。絶対に無いって」

 

「アッハハハ!!! 謙遜すんなや~!! 自分でも解っとるんやろ? あれ、ウチ結構モテるんとちゃうか? ってなぁ」

 

「だから、それは本当に無いって! だってアタシ、前までアイツらに散々いじめられてたんだもん」

 

 ミネの言葉を耳にして、自分とシュラは真面目な面持ちで少女を見遣っていった。

 

 向けられた視線に、ミネはちょっと気まずそうな顔を見せていく。だが、自分達に打ち解けてくれた素直さから、少女は次にもそのことを話してくれたのだ。

 

「今でも忘れられないよ。アイツらとは小学校からの付き合いになるんだけど、その頃からアタシのことを困らせて遊んでた。アイツらに物を隠されることなんかいつものことだったし、大人の目が無い時はよく集団で殴られたり蹴られたりしてた。それで、中学に上がってからは陰口でアタシの悪いイメージを周囲に植えつけていって、校舎裏ではナイフやアイスピックで脅されて金を巻き上げられたこともあったんだよ……」

 

「……なんやそれ。犬のフンよりも価値が無い胸糞悪い連中やな」

 

「アタシも抵抗してアイツらと散々殴り合いの喧嘩をしてきたから、それで大人の男を素手で殴り倒せるようになったりもしたんだけど。でも基本アイツらには良い印象なんか全く無くって、むしろアタシの学校生活を台無しにした元凶だから憎く思えて仕方がなかったんだけどさ。……なんかよく分からないんだけど、いつからか急に態度が変わってアタシに手を出さなくなってきたんだよね……」

 

 そういう連中に限って、そんなことがあるのか?

 ミネの疑問に、同じく不思議に思った自分が「何か、心当たりは無いの?」と尋ねてみる。だが、これに少女は「うーん……どうだろ」と悩ましく答えて首を傾げたことから、自分とシュラもお互いに視線を合わせるようにしていく。

 

 と、そこでミネはあることを口にしてきた。

 

「そう言えば……アイツらが手を出してこなくなったのが確か、半年前くらいだったかな……? 夏休みに入る直前みたいなとこで、急に味方面してくるようになったのがすごく気持ち悪かったのを覚えてるから」

 

「半年前? と言うと……時期的にちょうど俺とミネが出会ったりした頃か」

 

「そうかも。そんくらい」

 

 その頃に一体、何が起こったとでも言うのだろうか。

 

 ミネに危害が加えられなくなったのは喜ばしい限りであるのだが。しかし、彼らの動機が不明瞭であることもまた確か。

 

 ……このことをユノさんに相談でもしてみるか?

 内心で色々と考えを巡らせている間にも、自分の脇ではシュラがミネに抱き付いて、「辛い思いをする中で、ほんまよう頑張ったなぁ」と少女の頭を撫でる様子が繰り広げられていく。

 

 まるで妹を労わるかのようなシュラの慰めに、ミネはちょっと困惑したサマで撫でられていた。で、次にもシュラは急に姿勢を正してくると、ミネの手を取りながらそれを切り出していったのだ。

 

「よし、決めたわ!!! ウチ、ジョーチャンに『幸せぇ~!』思うてもらいたい!! せやさかい自分ら、これからジョーチャンの大好物をたらふく食えるバイキングの店にでも行くで!!! ジョーチャン今なに食べたい!?」

 

「え、ええぇ?? ね、ねぇちょっと待って急すぎない?」

 

「ええから!!! 今なに食べたい!? ほなら持ち帰りでもええ!! せやさかい遠慮せずウチに言うてみ!! な?」

 

「っ…………じゃあ、ケーキ……」

 

「ケーキ!!! ええなぁ!! ほならニーチャン、寄り道するで!!! ウチが全額持つさかい、ウチがコンビニからお金下ろしとる間にニーチャン達は店探しを頼むわ!!」

 

 爆速で進み始めた会話の内容に、自分はついていくのが精いっぱいといった調子で「え? あ、あぁ……!」と相槌を打つことしかままならない。

 

 で、返答を聞くことなくコンビニへ駆け出していたシュラは、こちらへ振り返りながら「ええか! ケーキバイキングや!! ほな、頼んだで~!!」という大声を響かせて、その忙しない様子のまま走り去ってしまったものだった。

 

 ……何というか、嵐のような人だよなぁ。

 取り残された自分とミネが、ポカンと唖然しながら暫し立ち尽くす。だが、困ったなぁという思いで少女と目が合うと、直にもお互いに苦笑が巡ってきて、次にも二人でスマートフォンを見ながらケーキバイキングの店を探し始めたのであった。

 

 

 

 

 

 事前の予約が無くとも利用できるお店があって助かった。

 宝石のようにキラキラと光る、可愛らしくて甘美なスイーツの数々。既に取り終えたそれらが皿に並んでいる光景は、この世における至福のひと時をもたらしてくれる。

 

 ホテル内の一角で営業しているスイーツ専門店。高級感を醸し出す内装に囲まれた中で、自分らのテーブルの上に広がった多彩なケーキの数々にミネは瞳を光らせていく。

 

 いつもの取り繕ったような不愛想も忘却した眼差し。どれを食べようか迷う視線と、今すぐに食べたいとうずうずしている様子が純粋無垢を思わせる。そんな少女に寄り添うよう隣に座っていたシュラがミネを見遣っていくと、穏やかな視線を投げ掛けながらそれを口にしていった。

 

「遠慮なんか要らへんから、好きなだけ食べやジョーチャン。なんやったら追加で新しいケーキを持ってきてもええし、それ含めて残った分は全部持ち帰るさかい、今はジョーチャンが食べたい思うたケーキを存分に堪能するとええわ」

 

「わぁ、すごい……っ夢みたい……! ……でも、持ち帰るのって個数毎に別料金かかるでしょ……?」

 

「んなもん気にせんでええって。せやから、はよ食べや。な?」

 

「あ、ありがと……!! それじゃあ……いただきます!」

 

 透明なピンク色のナパージュが可愛らしいケーキを取って、それをフォークで食べ始めたミネ。そうしてスイーツを口に入れた瞬間にも、少女は左手で頬を押さえながら、幸せの絶頂とも言える蕩け顔で満足げに堪能し始めた。

 

 ミネってこんな顔もするんだなぁ。

 落ちそうな頬っぺたを持ち上げているような動作。これに内心でそう思いながらも、自分は少女の食事をまじまじと眺めていく。

 

 で、その最中にも穏やかな面持ちのシュラがこちらを見遣ってくると、次はこちらへと言葉を投げ掛けてきた。

 

「ニーチャンも遠慮なんかせんで、ぎょうさん食べや。何せ今日はウチの奢りやからな!」

 

「あぁ、そうするよ。ありがとうシュラ。……ただ、懐的に大丈夫なの? バイキングは安くなんかないからさ」

 

 女性に奢らせてしまうのも、ちょっと気が引けてしまうところがある。

 それを思って、ついつい確認してしまったこちらの問い掛け。これに対してシュラは微笑してくると、「そないなこと気にせんでもええって」と返答してから次にもそう喋り続けてきたのだ。

 

「んまぁ、ウチのこと気に掛けてくれてありがとなぁニーチャン。やけど、ウチの心配なら要らへんよ。如何せんウチ、ホステスとは別にちょっとした副業もしておって、そこでたんまり稼いどるからなぁ」

 

「副業?」

 

「せや、副業。……ここだけの話な、ウチ、その界隈でけっこうな有名人なんやで??」

 

「へぇ、そうなんだ。どんな副業なんだろう。ちょっと気になるなぁ」

 

 ハッキングの技術に長けたシュラのことだから、その知識を活かしたコンピューター関連の副業でもしているのかな。

 

 すぐに思い付いた予想を脳裏に浮かべながら、自分は目の前でiPadを弄り出したシュラを見遣っていく。その彼女が端末を見つめながら「ニーチャンのチャットに送信しといたで」と教えてくれたものだったから、シュラの言葉通りに自分はSNSを開いて彼女との会話画面を開いていく。のだが……。

 

 ……そこに届いていたURLを見て、あまりにも予想外すぎる文字列から自分は暫し唖然としてしまったのだ。

 

 それは、世界規模で展開される大手のアダルト動画サイト。大人向けの動画を自由に投稿できるサイトの名前を三度見ほどしてから、自分はうかがうようにシュラへと訊ね掛けていく。

 

「えっと……シュラ、送るURLを間違えたりしてないかな……?」

 

「? 別になんも間違っとらんで?? それがどないした??」

 

「いやでも、これ、アダルトサイトでは……?」

 

「そうやで?? ニーチャンもオトコなら知っとるやろ??」

 

「ま、まぁ、利用したこともあるけどさ……」

 

 どうやら、URLは間違っていないようだった。

 

 本人の確認を取り次第に、自分はURLを開いてその内容に目を通し始めていく。

 個人のチャンネルと思われるそのページ。ここでは、アカウントのアイコンや投稿された動画などが表示されているのだが、そのアイコンがとても見慣れた人物の黒マスク姿であることが容易に分かってしまえて……。

 

「…………これ、もしかしてシュラ?」

 

「おぉ!! ニーチャン察しがええなぁ!!! せやで、それウチのアカウントやねん。どうや?? ウチのアダルティなナイスバディ、猛烈に炸裂しとるやろ!!」

 

 動画のプレビューで流れてきた、健康的な裸体の女性が一人行為に浸るその様子。ソロプレイの動画で埋め尽くされた投稿履歴が目立つアカウントであり、それらの中には生配信とも思われるだろう長時間の動画も混ざっていて、再生回数も動画によっては六桁などに到達している。

 

 ……いや、一人行為の動画で七桁に達しているものも見受けられた。

 

「なるほど……副業って“コレ”のことだったのか……」

 

「なんやニーチャン、そないな顔をして。今も世界を虜にするウチのえっちぃ姿が見放題なんやで?? それも、目の前にはご本人降臨済みや。せやから、もぉ少し喜んでもらえるとウチは嬉しく思うんやけどなぁ~」

 

「いや、ずっとシュラに魅力を感じていたから、正直に告白するとやっぱり嬉しい気持ちは否めないところがあるよ。ただ、食事中に見るべきじゃなかったかなって思って……」

 

「あぁぁ!! それもそうやな!!! 気が利かのうてすまんかったニーチャン!!! どーしてもニーチャンにウチのこと知ってもらいたい思うて、つい先走ってもうたわ!!!」

 

 今もプレビューで流れている、玩具を使用して快楽を得ている卑猥な映像。動画のつくり自体は、明るいハイライトがとても綺麗であり、映っている個室も清潔感が溢れるもこもことした女子の部屋というもの。如何せんそのモデルの身体がしなやかなボディラインを象っており、モザイク処理によって大切なトコロはぼやけているのだが……。

 

 ……まぁ食事中であることも確かなので、このことに関してシュラは両手を合わせ、本気で謝りながら必死に頭を下げていた。

 

 これに対して、自分はなだめるようにしながら「大丈夫だよ」と許していく。それを受けて彼女はパーッとした表情で安堵のサマを見せていくと、次にもなんだかすごく嬉しそうな顔をしながら思い付いたように言葉を口にしてきた。

 

「ほんまか!? ありがとぉニーチャン!!! あ、せっかくの機会やからニーチャンにお願いしたいんやけど、気が向いた時にでもニーチャン、ウチの動画再生してくれへんかな??」

 

「動画を? それは構わないけど、なんか俺に見られるのってシュラとしては気まずくない……?」

 

「そないなことあらへんって!!! むしろな、ニーチャンにならウチの裸舐め回すようにぎょうさん見てもらいたい思うとるし、何なら毎日オカズにされたいとも思うとるくらいなんやけど……ニーチャン的にはどないやろ? やっぱあかん、かな……?」

 

「いやいや、シュラが気にしないならまぁ。それじゃあ目を通させてもらおうかな……?」

 

「ほんまか!? ありがとぉぉニーチャァン!!! んまぁ、動画広告の収益で稼がせてもうてるから、ニーチャンにそのお手伝いをしてもらえたら嬉しいなぁとも思っとったんや」

 

「あーそういうことか。これがシュラのご飯に繋がるのなら、喜んで再生させてもらうよ」

 

「ほんまか!!! うはぁ!! ほんま、ニーチャンには感謝してもしきれへんなぁ!!! こないに寛容やとウチ、ニーチャンのこともっともっと好きになってまうわぁ~!!!」

 

 なんというか、シュラは思ったことをそのまま口に出すタイプなのかな……とも思えてきた。

 

 シュラという人物のことが、少しずつ分かってきた気がする。心なしか感じられた進展に自分の中で納得しながら、この時間はミネとシュラの二人と甘美なひと時を過ごしたものであった。

 

 

 

 

 

 ケーキバイキングを終え、手に提げた持ち帰りのスイーツの袋と共にアパートを目指す一向。その道中でもミネとシュラがガールズトークに勤しんでいたのだが、ふとミネは真剣な表情を見せていくと、ちょっとカクカクとした動作でこちらに振り返りながらそれを告げてきた。

 

「……あの。えっと……と、トイレ……っ!!!」

 

「え? あーっと……ちょうどいい、あそこにコンビニがあるから行っておいで」

 

「あ、ありがとカッシー……! い、行ってくる!!!」

 

 けっこう切羽詰まってる。内心でそう思った時には既に、高速で建物に駆け込んでいたミネの姿。

 

 確かに、ケーキすごいいっぱい食べていたもんなぁ。ミネは大食いでもあるから、異次元のような胃袋で料金以上のスイーツを平らげていたものだったけれど……。

 

 それを心の中で呟きながら、シュラに「近くで待とっか」と伝えて二人でそちらに歩み寄っていく。で、その最中にも彼女は思いついたようにしながら「あ、せやったらウチ、軽く晩酌のおつまみセット買ってくるわ!!」と言って、その足でコンビニへと入っていった。

 

 自分は入り口で待機していよう。それを思って、監視カメラの前にあるガードパイプに腰を掛けて空を見遣っていく。そうして視界に広がった曇天模様を眺めていると、ふと、ひしひしと迫り来るような気配を感じられたのだ。

 

 すぐさま、気配の方向へと視線を投げ掛ける。すると、その先から真っ直ぐとこちらを目指してきた“中高生くらいの人物”が、男女の区別もつかない中性的な声音で喋り掛けてきたのだ。

 

「やぁどうも。こんにちは、お兄さん」

 

「どうも。……えっと、君は?」

 

 百六十二くらいの背丈である人物。黒色のキャップを深く被っていることから、その目元が隠れてしまっている。

 

 幼い容貌を思わせる顔の輪郭と、雪のように色白な柔肌。それ以上に特徴的だったのが、ガラス細工のように透き通った銀色のショートヘアーというものであり、それのもみあげが胸元辺りにまで伸びている。

 

 人物の全体像はと言うと、着ているアウターは腕部分が膨れ上がった黒色と灰色のスタジャンに、前を開けているそこからは水色のTシャツと、ジャラジャラと首にさげたチェーンのようなネックレス。また、身に付けている膝丈までの黒い短パンはメンズものであり、しかし防寒の黒色タイツからうかがえる細身の脚が、どこか女々しさを思わせる。

 

 他、黒色と水色の運動靴に、腰にもジャラジャラとつけたチェーンのアクセサリー。後は、左手の五本指すべてに銀色の指輪が嵌められていたりなどなど、ヤンチャなストリート系という印象をうかがわせる風貌の人物が、いきなりこちらに声を掛けてきたのだ。

 

 加えて、その喋り方はどこか仰々しい。いや、貴族風の喋り方とでも言えるのだろうか。放たれている雰囲気も王子様を想起させ、余計に中性的な印象を与えてくることから目の前の人物が計り知れなくなる。

 

 だが、その人物が歩いてきた先を見て、自分はある程度と情報を得ることができた。

 先ほどにも出会った、ミネのクラスメートという四名の男子達。ついさっき顔を合わせたメンツと目が合ったことから、向こうは腰の低い感じに会釈を行ってくる。

 

 投げ掛けていた視線を彼らから戻していって、再び目の前の人物へと向けていく。そんな一連の動作を見ていた目の前の人物は、次にもキャップのツバを右手で摘まむようにしながら喋り出してきた。

 

「急にすまないね。ボクの仲間が、キミ達に無礼を働いていなかったかだけを確認したくてね。その真偽は本人達からうかがった方がより正確だと考えたんだ」

 

「特にこれといったことはされていないよ。ただ、俺の連れが彼らに良くない印象を持っている」

 

「蓼丸菜子のことだね」

 

 ミネもとい、菜子を知っている人物。返ってきた言葉に自分は一瞬だけ口を噤んでから、次はこちらから問い掛けていく。

 

「君は菜子ちゃんのクラスメート?」

 

「あぁそうさ。尤も、彼女とはそれほど面識も無い、飽くまで同じクラスの生徒という程度の関係性であるのだけどね」

 

「率直に聞くけれど、君も菜子ちゃんをいじめていた連中の一人なのか?」

 

「ボクが菜子を? それは誤解さ。ボクは、やられたらやり返すのを信条としているのだけどね、その中で菜子に因縁を吹っ掛けられたことは一度として無いな。つまり、ボクは菜子に対して”報復”を行ったことなんか一度も無い。これは本当のことさ。そもそもとしてボクと菜子は、入学してから全く会話を交わしたことがないからね。向こうがボクを避けていることも含めて、ボク達はほぼ赤の他人のような関係性なのさ」

 

「…………」

 

 喋り方も相まって、それが真実かどうかの区別がつきにくい。

 

 だが、ここで疑ったところで何も進展しないだろう。そう考えた自分は「まぁ、分かったよ」と答えていくと、この返答に目の前の人物は「理解してくれてありがとう。キミの寛大な姿勢に、心から感謝するよ」と、どこかで聞いたようなお礼を告げられた。

 

 すぐにも、その人物は踵を返すようにしていく。そして直後にも、こちらへ振り返るようにしながらそのセリフを放ってきたのだ。

 

「キミと話ができて本当に良かった。また後日、キミの下に顔を出すとしよう。その時はもっと、周りのみんなと一緒に踏み込んだ話ができるといいな。そういうことだから、日を改めてまた会おうじゃないか。キミもそれでいいかな? “柏島長喜の息子さん”」

 

「……ッ!?」

 

 その言葉を耳にして、咄嗟に立ち上がって警戒した自分。そして、既に仲間の彼らへと向かって歩き出していたその人物の背を見遣りながら、自分は途端に巡ってきた緊張感に冷や汗を流し始めていった。

 

 ……俺の親父の名前を出してきた。それも、俺が柏島長喜の息子であることも認知している……。

 

 鳳凰不動産か? それともまた別の裏組織か?

 巡る疑念が一層と、背を向けて歩き去る得体の知れない存在を捉え続けていく。そうして深追いせず自分はただ立ち尽くしている間にも、“それ”は待たせていた仲間と共にこの場を後にして、ゆっくりとその姿を消していった。

 

 ……自分が知らない間にも、柏島歓喜という存在は今、現在進行形で裏の社会に知れ渡り続けている。

 

 それを改めて実感すると共にして、あのような素性の知れない人物が、再びこちらの前に現れることを宣告してきた恐怖感に苛まれた。

 

 これに自分は、身の毛がよだつ思いをしていく。しかし、こちらの思いとは裏腹に運命というものは実に数奇なもので、この宣告からそう遠くない内にも自分は再び、“あの人物”と出会うこととなったのだ。



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第38話 De Nouvelles beautés 《新たな美女その3》

 煌びやかな照明の下、今宵のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)も多くの客で賑わっている。その空間に混じる当事者の自分もまた、接待してくれていたタキシード姿のメーと他愛ない会話を交わしていたものだ。

 

 ラミアやユノと同様に、半年以上もの付き合いとなった彼女。しかし話は尽きることなく、中身の無いやり取りで互いに笑い合ったりなどすることで、お客以上の親密な関係を築いていたのかなと思えていた。

 

 そんなメーと話していく中で、微笑を見せていた彼女は一呼吸置くように「はぁ~」と口にしてから喋り出してきた。

 

「いやぁ~、それにしてもあれですなー。やっぱりカンキ君が相手だと気楽にやれるから、束の間の休息って感じでお仕事って実感が湧いてこないんだよね~。所謂ボーナスステージってやつ?」

 

「うーん、それって良いことなのかな……?」

 

「良いことでしょ。だって、いつもしてるようなお話しをしてるだけでお給料が発生するんだもん。そんなんだから、カンキ君の接客は取り合いみたいになってるんだよ? 主にラミアとかレダとか、いつもの面子とね」

 

「裏でそんなことになってたの? 嬉しいような、ちょっと複雑に思えてくるというか」

 

 そりゃあ、気の知れた知人と会話しているだけで給料が発生するなら喜んで飛び付くよな。

 

 彼女達の気持ちがよく分かるなぁと、内心でひとり頷いていく自分。その間もメーへと視線を向けていると、次にも彼女は急にこちらをうかがう瞳を見せてくるなり、勝気でありながらもしおらしいサマでそれを訊ね掛けてきたのだ。

 

「……ねぇカンキ君」

 

「メー、どうしたの?」

 

「あー……あは、いやぁなんでも? たださぁ~……また付き合ってくれると嬉しいなぁ? なんて思っていたり?」

 

「同伴? 一応、今月分のノルマは達成できたんだよね?」

 

「それは先月の話だってば」

 

「え? あぁそうか。あの日は月末とかで、今は既に月を跨いでたか」

 

 メーと夜を共にした、あの日の同伴。彼女の言葉によって当時の記憶が巡ってくると、脳裏で再生されたメーのあられもない姿を思い出すなり、自分はちょっとだけ気まずくなって俯いてしまった。

 

 こちらの反応に、メーもまた苦笑いで誤魔化してくる。だが、様子を見るような互いの視線が合わさったことで暫し見つめ合っていくと、次にも熱を帯びた声音でメーからそれを話し始めたものだった。

 

「……あは、ちょっと何なのその目。んも~、カンキ君のえっち」

 

「え、俺?? むしろ、酒で酔っ払いながら誘ってきたメーの方がエロいと思うんだけど」

 

「だぁぁあああ!!!! その話はダメだって!! 禁止カード!! ズルい!!!」

 

「メーから誘ってきたのに、あの夜はずっと俺に責められてばっかりだったよね。所謂、誘い受けってやつかな?」

 

「んなぁぁああぁ!!!! ねぇちょっと待ってよカンキ君それ恥ずいからダメだって~……」

 

 苦笑交じりの返答だったが、メーは満更でもなさそうな表情でちょっと恥ずかしそうにしながら言葉を続けてくる。

 

「……控えめに言ってね、最っ高に気持ち良かった。いつものえっちとは全然違くって、あの日はすっごい興奮しちゃってたなぁ」

 

「自分でもちょっとやりすぎかなって思うくらいに襲ったもんだけど、あれで興奮してたんならメーはやっぱりMなのかもしれないね」

 

「正直、それ自覚し始めてるトコある。まだ信じられない部分はあるし、私にいじられるのが大好きっていうM気質なお客の相手が多かったから、なんかされる側は慣れないところもあるっていうかさぁ」

 

「まぁこれから慣れていけばいいんじゃないかな」

 

「それ、遠回しに私のこと求めてくれてる?」

 

「メーが嫌じゃなければね」

 

「ふーん? じゃあまた、私の同伴に付き合ってもらおっかなぁ~?」

 

 テーブルに肘をつき、手に頭を乗せて勝気な笑みを見せてきたメー。彼女の様子に自分も微笑を浮かべてから、ふとそれを訊ね掛けていく。

 

「あのあと朝にもシたけれどさ、あれってやっぱ、メー的には不快に思ったりしたもんなのかな……?」

 

「あー、寝起きの私に興奮して襲ってきたやつのこと? 別に? むしろすっごい興奮したから特に気にしてないけど?」

 

「そっか、それなら良かった。いやね、寝起きのメーがやけにエロく感じられてつい」

 

「あれ、朝なのに夜の時よりも激しくてマジ笑っちゃった。でも私もね、『カンキ君、私のこと本気で孕ませに来てる……』って考え始めちゃったりもしたんだよね。だから私もあの時すっごく気持ちよくなってきちゃって、今もあれ思い出すだけでお股疼いたりしてくるんだよ? ……あぁそうそう。あの時はごめんね。噴いちゃったやつ、目に入ったりしたよね?」

 

「あぁ全然、気にしなくてもいいよ。ただ本当に噴水みたいになってたね」

 

「私、噴きやすい体質なんだよね~。それが悩みでもあるんだけどさー、相手からはむしろ興奮するって言われてるから、これって良いのか悪いのか……」

 

 もはや、このような会話をすることにも抵抗が無くなってしまった自分。

 半年前の自分にこのことを説明しても、絶対に信じてもらえないだろうなぁ。と、心の呟きを交えながらメーとお喋りに興じていた時のことだった。

 

 せかせかと歩み寄ってきたボーイが、メーへとハンドサインを送って彼女に耳打ちを行っていく。これにメーは「おっけー」と言ってからボーイはこちらへと一礼し、足早にこの場を去っていった。

 

 続いて、メーは椅子から腰を上げながらこちらへと言葉を掛けてくる。

 

「ごめんねカンキ君、指名が入ったからそっち行ってくる」

 

「大丈夫だよ。頑張ってきて」

 

「はいはーい。さ~てと、ちょっくら頑張ってきますかぁ~。それじゃあねカンキ君、また後で」

 

「また後で」

 

 手を振ってきたメーへと手を振り返して、これに勝気な表情で笑んでみせた彼女は背を向けてから、他のテーブルへと歩き出していった。

 

 メーを見送った自分は、一息つくように烏龍茶を飲んでいく。そのコップをテーブルに置いてからふぅっと息をついていき、次に店内を見渡すことで今も接客に勤しむホステス達へと内心でエールを送っていく。

 

 だが、直後にも自分の下に“ある人物”が訪れた。

 

 それは、あまりにも唐突だった。

 どこからともなく感じられた人の気配。これに違和感を覚えると同時にして、こちらへと歩み寄ってくる一つの存在が目についた。

 

 百六十二くらいの背丈である人物。黒色のキャップを深く被っていることから、その目元が隠れてしまっている。

 

 幼い容貌を思わせる顔の輪郭と、雪のように色白な柔肌。それ以上に特徴的だったのが、ガラス細工のように透き通った銀色のショートヘアーというものであり、それのもみあげが胸元辺りにまで伸びている。

 

 着ているアウターは腕部分が膨れ上がった黒色と灰色のスタジャンに、前を開けているそこからは水色のTシャツと、ジャラジャラと首にさげたチェーンのようなネックレス。身に付けている膝丈までの黒い短パンはメンズものであり、しかし防寒の黒色タイツからうかがえる細身の脚が、どこか女々しさを思わせる。

 

 他、黒色と水色の運動靴に、腰にもジャラジャラとつけたチェーンのアクセサリー。後は、左手の五本指すべてに銀色の指輪が嵌められていたりなどなど、ヤンチャなストリート系という印象をうかがわせる風貌の人物……。

 

 ……以前、コンビニの前で接触してきた存在だ。

 こちらのことを『柏島長喜の息子さん』と呼んできた、自分の正体を知る不敵な人物。未だ計り知れない眼前のそれに自分が警戒を強めていくと、その存在はこちらにお構いなしといった具合に中性的な声音で喋り出してきたのだ。

 

「やぁ、こんばんは。とても楽しそうに会話をしていたね。彼女とはどんな話をしていたのかな?」

 

「…………っ」

 

 明らかな緊張感が相手にも伝わっていたのだろう。ジリジリとするこちらにその存在は足を止めていくのだが、次にもこのテーブルに腰を掛けながら言葉を投げ掛けてきたのだ。

 

「大丈夫さ、そんな露骨に警戒しないでくれ。ボクはキミに対して敵意など持ち合わせていない。友好的なんだ。少なくとも今はね」

 

「……そういうところが胡散臭いんだけどな」

 

「やっぱりキミもそう思うのかい? うーん、困ったものだな。よく周囲からそのような言葉を掛けられるのだが、ボクにはまるで心当たりが無くてね。どうしたものか」

 

「それで、何しに来たんだ? 少なくともここはあんたの席じゃないはずだ」

 

 テーブルに座ってきたその存在を見上げる形となった今の状況。そうして向けたこの視線からは、帽子のツバで隠れていた相手の目元がしっかりと見えていた。

 

 水晶のように透き通った、清涼感のある水色の瞳。宝石の如く輝くその球体は、美しいがあまりに向いている方向の景色を鮮明に反射していた。

 

 向かい合う自分の顔が、その水色の瞳にしっかりと映し出されている。

 まるで鏡だ。濁りなく反射してくるそこには、緊張と恐怖に染まる自分自身を確認することができた。だからこそ余計に動揺したこちらの様子を見て、その存在は付け入るように言葉をぶつけてきた。

 

「そんなつれないことを言わないでくれよ。先日にもボクは伝えたはずだ。『また後日、キミの下に顔を出すとしよう。その時はもっと、周りのみんなと一緒に踏み込んだ話ができるといいな。そういうことだから、日を改めてまた会おうじゃないか』と。あの日に交わした会話の内容は、一語一句違わずに覚えているよ」

 

「そんなに会話の内容を覚えているのなら、俺がまだそれに同意していないことも覚えているんじゃないのか?」

 

「キミの返事を待っていたら、時間切れになってしまうかもしれないからね。少々と強引なやり口になってしまったものだが、どうか許してくれ。ボクには、キミとの親睦を深める時間も残されていなかった。今はそれほどまでに、一刻を争う状況なんだ」

 

「……何の話をしているんだ?」

 

 次の時にも、こちらへ接近する別の靴音がコツコツと鳴り響いてきた。

 

 店内で聞き慣れた、床で反響するように伝う音。これだけで悠々とした人柄を想起させてくると、直後にもそうして歩み寄ってきたタキシード姿のユノが言葉を掛けてきたのだ。

 

「他のお客様の迷惑になる行為は固く禁じております。今すぐに元の席へお戻りください」

 

 凛とした声音に、自分と相手がユノへと振り向いていく。

 

 かと思えば、テーブルに座るその存在は感極まったようにそう喋り出していったのだ。

 

「あぁ……! ユノ……!! 久しぶりだね……っ!! 三年ぶりとも言えるだろうか……! キミに会いたかったよ……!」

 

「ここは貴方が来るべき場所ではないわ。代金は私が肩代わりするから、即刻去りなさい」

 

「久方ぶりの再会だと言うのに、そんな冷たい態度でボクのことを突き放さないでくれよ……! ボクはずっと、キミに会いたいと思っていたんだ……!!」

 

 どこか仰々しく喋る相手に対して、ユノは目を細めながら威圧のオーラを放っていく。

 

 ユノさんの知り合いなんだろうか。そう思って自分は眺めていると、ユノに続いてその後ろからはスーツ姿の荒巻がのこのこと歩いてきたのだ。

 

 前を開けっ払ったスタイルで、物珍しげな視線をサングラス越しに向けながら彼も話し出していく。

 

「おぉ? なんだなんだ。揉め事かと思って顔を出してみりゃあ、とんだサプライズゲストがお目見えになってるじゃねぇか」

 

 ズボンのポケットに手を突っ込んだオーナーの彼を見て、テーブルに座っていた相手は身を乗り出すようにしながら荒巻との会話に臨んでいく。

 

「やぁ! 会うのは久しぶりだね荒巻!!」

 

「おう、オマエさんにも色々と世話になったな。……だが、オマエさんがこの店に来てるっつーのは、ちとオレちゃんにとって不都合とも言えるもんよ。ってことで悪いが、さっさと出てってくれねぇか? 世間話なら表で付き合うからよ」

 

「荒巻までそんなつれないことを言わないでくれよ。ボクはこのお店に用があって来たんだ」

 

「この店に用って……オイオイオイ待ってくれや、だからっつってオマエさんがこんなとこにいるとな、万が一これを“オヤジさん”に知られた時がおっかねぇ。娘の教育に悪いとか因縁吹っ掛けられて店を物理的に潰されたりしたら敵わねぇんだからよぉ」

 

「むしろその逆さ。オヤジはボクを“この店に預けたがっている”」

 

「んあ?? 預けるだぁ??」

 

 後頭部を掻くようにする荒巻。これを聞いていたユノが軽く腕を組みながら相手を見遣っていくと、冷たいというよりは淡々とした調子でそれを訊ね掛けていったものだ。

 

「どんな理由があろうとも、貴方はカタギとしてこの店に関わるべきではないわ。……それとは別にして、“貴方のお父さん”は何故この店に愛娘を預けようとしているのかを伺ってもいいかしら」

 

「その様子だとキミ達、“銀嶺会”の近況に相当疎いらしいね。いいよ、そこの説明から始めようじゃないか」

 

 銀嶺会?

 龍明を拠点にして活動を行っている、関東一のヤクザ組織。突然と出てきた組織の名前に意識が向いていくと同時にして、ユノという人物が元銀嶺会本部若頭補佐という経歴を持っていたことを思い出した。

 

 自身の組も持っていた彼女は、表情を険しくしながらテーブルに座る人物を見遣っていく。その隣で荒巻も直視するように佇んでいた。

 

 ……あれ? というかユノさん、今、この人物に対して“愛娘”という言葉を使った……?

 

「銀嶺会は近々、抗争を起こすつもりでいるんだ。ユノなら何度か経験しているだろう? 龍明の街中で火炎瓶やダイナマイトとかを投げ合うあの派手な戦いのことをさ」

 

「銃火器も使用されて、お互いの勢力に多数の死者をもたらすろくでもない争いよ。この抗争の影響で龍明の悪名が全国に広まったようなものだけれども、今年もそれを引き起こすつもりでいるのね」

 

「ユノが去った後の銀嶺会は、目に見えて弱体化してしまったからね。だからこの三年間は、それを好機と見た多数の裏組織が銀嶺会を潰すべく躍起になっている。その影響でどうしても抗争の回数が増えてしまうんだ」

 

「私のことはともかくとして、例年通りとも言える争い事でしょう。ならば、貴女がこの店に預けられる理由との関連性を感じられないわ」

 

「で、ここからが本題だ。ユノ、こうしてボクが預けられるに至った経緯はね、その今回の抗争相手にあるのさ」

 

「だからとは言え、銀嶺会でしょう? 関東一の巨大な勢力を相手にして、貴女の身柄が預けられるほどの脅威をもたらす組織だなんてそれこそ…………。……っ」

 

「気が付いたみたいだね。そうさ、銀嶺会が今回かち合う相手は、例の“鳳凰不動産”さ」

 

 答え合わせと言わんばかりの返答を耳にして、自分らは一斉に表情を変えて深刻な視線を向けていった。

 

 鳳凰不動産も、裏組織と繋がりを持っているなどの話を何度か聞いていた。それでいて、現在進行形で俺はその鳳凰不動産に狙われている身分でもある。

 

 加えて、柏島長喜の息子である自分を拉致する計画で、実際にシュラがこの店に送り込まれていた。そういった今現在でも因縁のある組織の名前に緊張感が漂い始めていくと、この空気に銀髪の少女は清涼感ある笑みを浮かべながら喋り続けてくる。

 

「ユノと荒巻が知る通りに、柏島長喜の活躍を以てしてもなお、鳳凰不動産は懲りずに未だ龍明の支配を目論み続けている。むしろ、彼に邪魔されたことによる復讐心で、一層と勢力を増した様子だ。それで、ボクら銀嶺会も彼らとは以前から争い続けているものだけれどね、でも最近はその勢いが急激に増していて、とても手が付けられない状況に置かれている。何なら、正直いつ銀嶺会本部が落とされてもおかしくない圧倒的劣勢に立たされているとも言えるね」

 

 極道でもない、一般企業としての面を持つ鳳凰不動産。だが、その裏では関東一のヤクザ組織をも追い詰めるほどの力を持っているだなんて、これほど恐ろしい話はそうそうない。

 

 圧倒的な劣勢とも言える少女の説明を聞いて、荒巻がそれを問い掛けていく。

 

「っつってもよぉ、パワーダウンしたとはいえ銀嶺会もこの三年間は上手くやっていけてたもんじゃねぇか。それがよ、次の抗争で急に。それも、よりにもよってユノちゃんのいる場所に“組長の娘”が預けられる話が出てくるなんてよ、それこそオレちゃん裏を勘ぐっちまうね。要は、とにかくこの店に入り浸って、その間にあーだこーだと促すことでユノちゃんを銀嶺会へ連れ戻そうって魂胆でいるんだろ?? 銀嶺会がなめられるようになったのも、ユノちゃんが組織を去ってからだもんなぁ?」

 

「もちろん、ユノが銀嶺会に戻ってきてくれるなら大歓迎さ!! あの時は仕方なかったとはいえ、オヤジはユノに破門を言い渡したことにしばらく落ち込んでいた様子だったよ。惜しい人材を失ったってね。だからユノ、この際だからぜひとも銀嶺会に戻ってきてくれないかな? そしてもう一度、銀嶺会にあの頃の輝きと活力をもたらしてもらいたい!!」

 

 熱烈に語る少女は、仰々しい言動でユノへと右手を伸ばしていった。

 

 その左手を胸に当てた、まるで映画などで見かける愛の告白のワンシーンのようなそれ。ロマンチックというか大げさというか、演者のような少女は清涼感あふれる存在感でヘッドハントを行うのだが、これを受けてユノは「嫌よ」と即答したものであった。

 

 ユノの返事に、少女はガクッと肩を落としながら残念がっていく。そんなユーモアを交えながらも少女はキャップの位置を直すようにしていくと、再び顔を上げながら仕切り直すように喋り出していった。

 

「まぁあれだよ、今回の目的は本当にユノのヘッドハントではないことは理解してもらえるかな。何だったら、ボクのオヤジに直接問い合わせてもいいくらいだ。それくらいオヤジは本気で、ボクの身を案じてくれている。……荒巻なら解ってくれるだろう? 以前にも大規模な抗争が勃発した際に、オヤジは目の仇にしていた柏島長喜にボクを預けた。あれも三年くらい前の出来事だったかな」

 

「結局、銀嶺会だけじゃあどうにもならなくなっちまったあの抗争だな。当時の本部若頭が頭から血を流しながら探偵事務所に駆け込んできやがって、そこで救援要請された柏島さんとオレちゃんと、破門させられて行き場が無かったユノちゃんの三人で加勢に加わったあの戦闘だ。そこでユノちゃんに差し向けられた殺し屋のクリスちゃんも依頼主に見捨てられて、それからこっち側についたことでしばらく四人で行動してたモンだったな……」

 

「ボクの推測に過ぎないけれどね、今回の抗争はおそらく、その三年前のよりも熾烈な争いになりそうな予感がするんだ。何せ、前回と違って今回の銀嶺会は、龍明に留まらず関東中の傘下のヤクザに参加を呼び掛けているからだ。そんな、もはや戦争とも言えるだろう争いが直に龍明で繰り広げられる可能性がある中で、オヤジはボクの安全を最優先にして色々と考えてくれたんだ」

 

「そこで下した決断が、三年前の抗争の劣勢をたった四人でひっくり返した、オレちゃんユノちゃんクリスちゃんのレジェンズに預けるっつーモノだったワケか……」

 

 しれっと、とんでもない会話が展開されていたような気がした。

 

 三年前にも起こったという大規模な抗争。これは自分の記憶に留まらず、日本で起きた大事件として記録に残された、歴史的な出来事の一つでもあった。

 

 当時も龍明に住んでいた自分は、避難勧告によってシェルター付きの公民館に誘導されたことがある。その時点では最初こそ、『いつものヤクザ同士の抗争なんだからここまでするのは大げさだろう』と高を括っていたものだ。

 

 しかし、いざ開戦となると状況は一転。それは戦争とまるで違わない戦闘音が絶えない抗争となり、銃火器の発砲音や爆発音がそこら中で響き渡った空間において、当時は本気で死ぬ覚悟をしながらその数時間を過ごしたものでもあった。

 

 警察も介入できないほどの激しい抗争。歴史に刻まれたその事件は『龍明抗争』と名付けられて、中学校の歴史の教科書に載せられているらしい。

 

 今回こうして立ち会った会話の内容は、おそらく学校の教科書にも載っていないものだった。それでいて、たった四人の人間が劣勢をひっくり返しただなんて事実も、未だ事件を掘り返し続けるニュースでも一切報道されていない。

 

 ……しかも、その四人のメンツの内の三人がこの店に集結していて、残る一人に関しては自分の父親…………。

 

 運が良いのか悪いのか分からない。願わくば、自分はその因果と無関係であってほしい……。

 

 段々と憂いに思い始めてきた自分。その間にも目の前では三人の会話は進められていて、最初は否定的だったユノも次第と眉をひそませて仕方なさそうな雰囲気を醸し出してきたことから、荒巻は後頭部を掻く動作を交えつつそれを言い渡してきたのだ。

 

「ったく、しゃあねぇな~……。事実、この店を建てるにあたって銀嶺のオヤジさんから多少もの資金援助を受けちまったモンだしよぉ。それが諸々のお礼としての金だったとしても、そのおかげで開業できた以上は愛娘さんの保護くらいはしてやらねぇとかねぇ……」

 

「本当かい!? それは助かるよ!! あぁ、このことをオヤジに伝えてあげたらきっと安心してくれる!! これでようやく、オヤジは目の前の仕事に集中できるハズだ!! ユノ、荒巻。ボクという存在を受け入れてくれて本当にありがとう! 二人の世話になる以上は、感謝の意として精いっぱい働かせてもらうからね!!」

 

「あー……いや、盛り上がってるところ済まねぇが、従業員にするかどうかはまた別だ。如何せんウチは曰く付きの人間だけを受け入れるアンダーグラウンドの世界でな……」

 

「犯罪経歴が必要なんだろう? ならば問題無いさ。これでもボクは喧嘩に自信があるからね。他校の不良達とたくさん喧嘩をしてきて、たくさん病院に送ってきたんだ!! だから、相手の骨を折ることは常だったし、時には鼻の穴を一つにしてあげたり、戦利品の金でプラスチック爆弾を作ってそれを連中の溜まり場に投げつけてやったこともあるんだよ!! あとは、みんなに習って相手に“エンコ”を詰めさせたりもしてるんだ! 全部、自分達から仕掛けてきたケジメをつけてもらうためにね!」

 

「…………こりゃ一次面接は通過だな」

 

 やれやれ、といった調子で両手を上げた荒巻。向けられた視線にユノが困り顔を見せてくる中で、彼女はテーブルに座る少女を見遣りながらそれを口にしていく。

 

「貴女の雇用は即断できないけれども、貴女の身柄を預かることであれば私も荒巻オーナーも容認するわ。現時点では飽くまで、優先すべきお客様として私達は貴女という存在を受け入れる。それでいいわね?」

 

「十分さ! あぁ、こうして再びユノと同じ屋根の下で過ごせる日々をボクは夢見ていた。幼きボクの憧れでもあったキミと、また不変なる日常を共にできるこの幸せ。……もしかしたらボクは、この時まで運命の女神に生かされ続けていたのかもしれない」

 

「大げさね。私が銀嶺会に所属していた頃から、貴女はすぐ周囲の影響を受ける人間だったわ。今の喋り方もきっとそれによるものなんでしょうけれど、相手をする立場から言わせれば貴女の仰々しい物言いは些か奇抜な印象を受けるわね。もう少し標準的な喋り方を取り入れなさい」

 

 預かることを同意してもなお否定的な視線がうかがえたユノだったものの、その表情からは懐かしさが伝わってきた。言葉や表情とは裏腹に、ユノとしてはこの少女のことを放っておけない様子であることが理解できる。

 

 ……ただ、周囲の影響を受けやすいという点においては一つだけ気になったことがあった。

 

 その仰々しい物言い。多分それ、少なからずユノさんの影響を受けているものだと思うんだ……。

 

 

 

 

 

 閉店時間となり、一足先にLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)から出た自分と銀髪の少女。時刻は深夜であるにも関わらず、少女はこのあと実家である“銀嶺会本部”に戻るということで、自分はその見送りに出てきたようなものだった。

 

 本部そのものが自身の家というのも、ちょっと複雑なものだろう。なので、自宅は別にないのかを問い掛けたりしてみたのだが、少女からの返答は「いつの間にか本部と自宅が融合していた」というものだったため、その歳からヤクザ社会と隣り合わせだなんて大変そうだなと同情さえしてしまっていた。

 

 尤も、本人はその環境を楽しんでいる様子でもあった。喧嘩などの物騒な話を楽しげに話す少女に自分が変な汗を流しながら聞いていく中で、少女は満足したのだろう一息をついていくとそんなことを喋り出してくる。

 

「さて、それじゃあボクはそろそろ実家に帰るとしようかな。遅くまでボクの話に付き合ってくれたキミに、心からの感謝を送らせてもらいたい。柏島歓喜、今日はどうもありがとう! キミと過ごした時間はとても楽しかったよ!」

 

「お礼までは大丈夫だよ。俺としても未知の世界を知ることができて、正直ちょっと面白く感じたりしたところもあるし」

 

「本当かい!? あはは、そう言ってもらえると嬉しいなぁ! また、キミが喜びそうな喧嘩の話を作って持ってくるとするよ!!」

 

「あー……いや、俺のために作らなくてもいいからね……?」

 

 仰々しくありながらも、喜びに満ちたその声音はいたいけな純粋さを垣間見せていく。今も軽快に微笑してみせた少女は愉快げにこちらを見遣ってくると、少女は被っていたキャップを取り除くようにしてから、バラついた前髪を流すように首を振りつつ自身の素顔を晒してきたのだ。

 

 幼い容貌を思わせる顔の輪郭。雪のように色白な柔肌。ガラス細工のように透き通った銀色のショートヘアーと、胸元辺りにまで伸ばしたもみあげ。そこまでは先ほどと変わらない特徴であったのだが、キャップを取り払った少女の素顔は声に違わぬ中性的なものであり、男とも女とも見て取れる非常に凛々しい雰囲気が印象的だった。

 

 また、水晶のように透き通った清涼感のある水色の瞳は宝石のように輝いていて、美しいがあまりに少女が向いている方向の景色を鏡のように反射していた。

 

 向かい合う自分の顔が、その水色の瞳にしっかりと映し出されている。だが、先ほどとは違って打ち解けた安堵の顔が反射されていたことから、自分は自分に対して安心してしまえたものでもあった。

 

 改めて、帽子を取った少女と向かい合っていく。これによって暫し少女と目を合わせていくと、次にも少女はクールでありながらも無邪気に笑んで、その言葉を掛けてきた。

 

「柏島歓喜。ボク達はきっと、それなりに長い付き合いになるだろうね。しかし、キミから見たボクの姿はおそらく、ヤクザ組織の令嬢として映っていることだろう。だが、どうか心配しないでもらいたい。ボクは敵ではない存在に対して義理堅く在りたいと心から願っている。だからボクはキミに対して、敬意を持って親密な関係を築き上げていきたいと思っているんだ」

 

「まぁ、最初の印象こそは良くなかったけれど、ユノさんや荒巻オーナーとの親しさを見ていたらその疑いも少しは晴れたかな。それに今の所は、あんた自身は悪い人格の持ち主ではなさそうだなとも思ってるよ。……喧嘩が好きなことは除いてね」

 

「変に不安を煽ってしまったようであるのならば、謝罪したい。すまなかった。けれど、ボクという存在はきっと、キミの護衛に一役買うことだろう。そう自負できる程度には、この腕っぷしに自信があるんだ。何なら武器の扱いもある程度と心得ている! だから柏島歓喜、ボクのことを存分に頼ってもらっても構わないからね! 何せボクも、れっきとしたユノ達の仲間の一員なのだから!」

 

「んー……でもまだ、ホステス採用の合否発表はされていないからなぁ……」

 

「そんな細かいことは気にしないでくれよ!! せっかくボク、ホステスになるつもりで源氏名まで考えてきたと言うのに!!」

 

「源氏名まで?」

 

 けっこう気合い入っているなぁ。というか、店に訪れた時には既にホステスになる気満々だったのか……。

 

 色々と巡る疑問はあるものの、少女を呼ぶために源氏名だけでも知っておきたい。そう考えた自分は「良かったらその源氏名、俺に聞かせてもらえる?」と訊ねてみると、次にも少女は待ってましたと言わんばかりのウキウキとした様子で、高らかに宣言するように自身の源氏名を口にしたのであった。

 

「よくぞ聞いてくれたね!! いいだろう! では、第二のボクともなるその源氏名を、ユノ達よりも先にキミに教えようじゃないか!!! ……ズバリ、“ノア”だッ!! 言わずもがなではあるだろうけれども、ノアの方舟(はこぶね)が由来になっている! ボクは、家族を乗せて天空を駆ける雄大な存在になりたい。その願いを込めて、自身をノアと名付けた。さぁ、ボクの想いを心で感じ取ってくれたまえ! 柏島歓喜。今日からキミも、ボクの家族だ」



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第39話 Les sept beautés 《七人の美女達》

 深夜のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の店前。この日の営業も無事に終了したことで、自分は一足先に外で彼女らを待ち続けていく。

 

 すぐにも店の裏から、オーバーオールの上に灰色のマウンテンパーカーを羽織った私服姿のミネがトコトコと歩いてきた。

 

 少女の隣には、“特別なお客様”であるノアの姿もうかがえる。そのノアはとても親しげな様子でミネに喋り掛けていたのだが、一方でミネはとてもやり辛そうな微妙な表情を浮かべていて、足早に真っ直ぐとこちらを目指していたものだ。

 

 銀嶺会の組長の愛娘という素性を持つノア。加えて、その少女はミネと同じ高校に通うクラスメートでもある。

 

 同じ学校の人間が、反社会的な夜の店で顔を合わせるだなんて、これほど気まずいシチュエーションは無いことだろう。尤も、ヤクザの世界に染まっていたノアはこの状況に何の疑問も抱くことなく、ミネに親しく話し掛けていたものでもあったが。

 

 既に視線で助けを求めていたミネを見て、自分は「二人とも、今日はお疲れ様」と呼び掛けたことでノアの意識をこちらに向けていく。これにノアが清涼感ある笑みを浮かべてくると、ミネと共に歩み寄りながら貴族風の喋り方で自分へと話し掛けてきたのだ。

 

「やぁ柏島歓喜、さっきぶりだね! 労わりの言葉は隣の蓼丸菜子に掛けてあげてくれ!」

 

「ノア。この店では一応、彼女はミネという名前でやっているから」

 

「あぁ、そうだった! ボクとしたことがうっかり本名を口走ってしまったようだ。すまない、ミネ。キミのプライバシーを脅かすような真似をしてしまったボクのことをどうか許してほしい」

 

 中性的な声音と、透き通るような存在感が、その口調に謎の“らしさ”を思わせる。

 ホステス採用の合否が未だ出ていないノアだが、彼女はお客として席に座っていただけでも周囲の女性客から注目されていた。その中性的な顔立ちと透明感ある雰囲気が、女性客の感心を引くのかもしれない。

 

 で、ミネに仰々しく謝罪の言葉を掛けたノアに対して、ミネは眉をひそませながらちょっと視線を外してそう喋り出していく。

 

「う、うん。別にいいから。大丈夫。……たださ、“銀嶺さん”。アタシと関わっても、特に面白いことなんか何も無いと思うんだけど……」

 

「ミネ、そんな卑下しないでくれよ。実を言うとね、ボクは入学当初からキミという存在に強く惹かれていた部分があったのさ。何としてでもミネという人物をボクのグループに招き入れ、保護下に置いて面倒を見てあげたい。その想いはね、日を追う毎に段々と強くなっていたものだ。尤も、本人であるキミからは常に避けられていたものだったから、なかなか声を掛けられずにいたのだけれどね」

 

「銀嶺さんはいじめをしないタイプだってことは、何となく分かってたけれどさ……。でも銀嶺さんはスクールカースト最上位の人間だし、アタシ、銀嶺さんが面倒見てるグループの連中にずっと酷い目に遭わされてきたからさ。やっぱりちょっと近付けないっていうか。なんていうか、銀嶺さんとお話しするのは気持ち的に難しいよ。色々と……」

 

「そのことは、本当にすまないと思っている。キミが、ボクの仲間からいじめを受けていることをもっと早く知ることができれば良かったと後悔しているよ。そもそもとしてボクは、“報復”の信念を掲げて連中を率いていた。だから、自ら他者を傷付けに行く行為はタブーだと常日頃から論じてはいたのだが……それも、ボクの認識が甘かっただけのようだった」

 

「なんかもう、別にいいよ……。いじめ自体は銀嶺さんと出会う前から続いてたことだったし、それに多分これからは一緒に働くことになるだろうから、仕事仲間としてやっていければそれでいいからさ……」

 

「……許しがたい心境の中で寛大な言葉を掛けてくれるミネという存在に、ボクは心からの敬意を表したいと思っているよ」

 

「そういうのはいいってば。てかさ、アタシ、銀嶺さんからは特に酷いことされてないもん。だからそこで割り切れるトコがあるっていうか……とにかく、アタシのことは気にしないで。そういうことだから、この話はこれでおしまいにしよ」

 

「ミネ……」

 

 まだまだ言いたい。そんな言葉を呑み込むような顔で、視線だけを投げ掛けるノア。銀髪の少女から向けられたそれをミネは意識するように無視していく中で、ノアは穏やかな調子でその話を切り出してきたのだ。

 

「蓼丸ヒイロ。キミのお姉さんのことは、ボクもよく知っているよ」

 

「……お姉ちゃんのこと、知ってるの?」

 

「彼女はよく、ユノの様子を見るために銀嶺会を出入りしていたものだからね。本当に、彼女という存在は規格外の一言に尽きる。だって普通、関係者でもない一般人が何食わぬ顔でヤクザの本部を出入りすると思うかい? おかげさまで、蓼丸ヒイロという人間は銀嶺会の中で有名になったものさ。今でも彼女という存在は、組織内の奇妙な都市伝説として語り継がれているものだよ」

 

 すっごく簡単に想像できるなぁー……。きっと、大量に麩菓子を詰め込んだ袋を引っ提げて、道行くヤクザに喧嘩代わりのジャンケンを吹っ掛けていっては、自分に勝った相手には景品としてそれを手渡しながらユノさんの下へと向かっていたことだろう……。

 

 という、彼女を知る人間からすれば容易く脳裏に浮かべられる光景に、実の親戚である自分が納得できてしまう。それでいて実の妹であるミネはちょっとだけ嬉しそうな顔を見せてくると、ノアもまた清涼感ある笑みでミネと向かい合いながら話を続けてきた。

 

「彼女は本当に不思議な人物だったものさ。特に、関東一のヤクザ組織にも臆さない勇敢な……いや、とても無謀な勇気を持ち合わせていて、やると決めたことは絶対に最後までやり遂げる力強い意思……いや、信念を曲げたがらない頑固な思考回路が印象的だった。彼女の解決方法が基本的に豪快でね、時にはヤクザに拳を振るうことも厭わない顧みずな姿勢は、反面教師として多くの学びを得られたよ。しかし、とても不思議なものでね。彼女という存在が心から笑ってみせると、その相手がヤクザであろうとも周囲の人間は皆つられて笑顔になってしまうんだ」

 

「……アタシのお姉ちゃん像と解釈一致する……」

 

「実際にボクがこの目で見てきた事実を述べたまでのことだよ。蓼丸ヒイロという人間は、純粋で、破天荒で、そして奇天烈だ。暴れ回る姿は怒れる龍をも想起させたものだったが、皆と打ち解け合った姿は愛嬌の化身とも言える可愛げに満ちていた。そんな愛され体質も含めて、彼女はカリスマ性に溢れた人間だ。だからね、ボクはユノに憧れると共にして、蓼丸ヒイロという人間もリスペクトしながら生きてきたのさ」

 

 ノアの話に聞き入っていたミネ。その瞳は宝石のようにキラキラと光らせていて、唯一の家族に対する特別な気持ちを募らせていたことに違いない。

 

 その話をしていると、コツコツという靴音を奏でながら私服姿のユノが歩いてきた。黒色のコートを身に纏った凛々しい彼女が、軽く腕を組んだサマで話に混じってくる。

 

「貴女は、銀嶺会に訪問してきたヒイロにだいぶ懐いていた様子だったわね。時には彼女を街に駆り出して、出先で随分と無茶をしてきた悪友のような関係性にも見えたものだけれども」

 

「やぁユノ! そうだね。何せヒイロは多方面からのヘイトを酷く買っていた人間でもあったものだから、彼女についていくだけでお手軽に喧嘩へ有り付くことができたんだ! それ以外でもボクは、ヒイロにたくさん面倒を見てもらったよ」

 

「ヒイロが銀嶺会に訪れた際には、真っ先に彼女へ飛び付いていた貴女の姿もまるで昨日のことのよう。あれから五年もの歳月が経過しているというのに、時の流れを実感させないほどにまで、ヒイロという存在は常に鮮明と、私達の記憶の中で生き続けているのでしょうね」

 

 懐かしむ瞳で、呟くように口にしたユノのセリフ。ぼんやりとした眼差しが彼女らしくない懐古を思わせたものだったから、自分は内心で「ユノさんもこういう顔をするんだなぁ」と考えながら話に聞き入ったりしていた。

 

 そうして会話をしていると、続けて店の裏から出てきた私服姿のラミアとメー、少し遅れてレダが合流してきた。それぞれ、黒色のボアジャケットや膨らみのあるアイボリーのマウンテンパーカー、白衣を黒色にしたようなコートといった冬物を身に付けてこちらに顔を見せてくる。

 

 皆が各々の調子で「お疲れ様でーす」と口にして、自分らも「お疲れ様」と言葉を投げ掛けていく。ノアも既に顔合わせを済ませていたためなのか、このメンツに自然と馴染むようにホステスらへと挨拶を行っていたものだ。

 

 で、更に店の裏から私服姿のシュラが駆け寄ってきた。さすがに深緑のロングパーカーを着ていた様子だったが、開けっ払ったそこからはへそ出しの黒いトップスにいつものホットパンツが見えていて、やはり露出が多い。

 

 そんな彼女は、有り余った元気を放出するように「ニーチャァーーーン!!!」と言いながらこちら目掛けて突っ走ってくる。もはやいつもの光景であるシュラに自分は受け入れるように両手を広げていくのだが、寸前まで来た時にもシュラは、途端に方向を変えるなり佇むユノへと背後から突っ込んでいったのだ。

 

「と思わせてぇ~……隙ありや女帝のネーチャン!!!」

 

 伸ばされた両手。ユノの脇の下を通り抜けたそれらは次の時にも、あろうことか彼女の乳をガッシリと鷲掴みにしていく。

 

 いやそれはさすがに、おいたが過ぎる……!!!!

 命の危機すら感じてしまえたシュラの行動に、一同が瞬間的にヒヤッとした視線を投げ掛けた。だが、直後にも響いたユノの声音を耳にして、その寒気すらも吹き飛ぶほどの唖然を皆が迎えることになる。

 

 自身の胸を揉みしだいてきた両手。この感触がもたらされると同時にして、あの凛々しいユノが蕩けるように艶めかしく「あんっ」と喘ぎ声を上げていったのだ。

 

 表情も威厳あるサマから一転して、快楽に浸り出した悩ましいものを垣間見せていく。これには思わず悪戯したシュラすらもビクッと驚いてから目を点にして、様子をうかがうように彼女を見遣っていくのだが……。

 

 ……振り向いてきたユノと目が合うシュラ。その時にも合わさった視線の先にて、飢えた野獣の眼光と、恍惚とした表情で頬を不敵に赤らめた捕食者を前にして、シュラは咄嗟に手を離しながら弁解し始めていった。

 

「ちょ、ちょお待ってぇ!!! そ、そないに敏感な反応をするなんて思っとらへんかったんや……!!! だって女帝のネーチャン今日、酔っ払ったオトコの客に乳揉まれたっちゅうのに、その時のネーチャンこないな反応せんで豚を見るような眼で威圧していたやないか……!!! せやからてっきりおっぱいじゃ感じない思うて、せやったらちょこ~っとだけイタズラしてみよう思うただけやったんやけどぉ……」

 

「あのように野蛮で粗暴な男性客の温もりでは、私の気持ちは昂りもしないわ。けれども、その感触が乙女の柔肌によってもたらされたものであれば話は別。……貴女が悪いのよ、シュラ。貴女が私を、その気にさせた。ただそれだけの話なの」

 

「ちょ、ちょお待ってぇ……! ウチまだレズの経験はあらへ……ッ」

 

 影のように伸びた女帝の手が、うろたえる獲物を捕らえて引き寄せていく。

 

 高揚した猛獣に抗うこともままならない。

 なんて命知らずな行為に走ったのだろうと一同が見守るその中で、次にも店前ではシュラの「アッーーー!!!」という天にも昇る淫らな断末魔が響き渡ったものであった。

 

 

 

 

 

 店前での戯れが済んでから、自分らは仕事終わりの和気藹々とした雰囲気でアパートを目指していた。

 

 深夜の道中も、集団で歩いていれば何も怖くなかった。それどころか、ユノ、ラミア、メー、レダ、ミネ、シュラ、ノアという七人のホステス達と歩くその道のりは、怖いものなしとも言える心強ささえも感じてしまえていた。

 

 帰路を辿り、無事に到着したいつものアパート。本来であればここでユノとミネの二人と別れるのだが、何故だか今日は自分の部屋に上がる話となっていたことで扉の前までついてきている。

 

 というか、こんな大所帯を招き入れること自体が初めてだった。

 部屋、絶対に入り切らないだろ……。という不安が巡る中、自分が鍵を開ける前にもラミアが合鍵を使って扉を開いていき、勝手に入っていく始末。そこからメーやレダ、シュラが躊躇いもなくぞろぞろと入っていき、既に玄関が靴で埋め尽くされた状況の中で、自分はユノとミネ、ノアに「どうぞ」と手で入室を催促していった。

 

 で、彼女ら三人も招き入れたこの部屋は、ホステスでぎゅうぎゅう詰めになった余裕の無い光景を展開していく。

 

 さすがにすごい状態だな……。と、内心で呟きながら廊下で佇む自分。各々が上着を脱いだりバッグからスマートフォンを取り出したり、座って休憩したり会話を交わしたりと様々な様子が繰り広げられていたその中で、ノアが廊下のキッチンに興味を示したようにそちらへ歩み寄っていくと、流れるように設備の確認をし始めたのだ。

 

 冷蔵庫の中も確認して、ホステス用の大量のお酒などが詰め込まれたそれを一通り把握していく。これに少女は納得したように頷いていくと、こちらに振り向いてくるなりそれをおもむろに提案してきた。

 

「基本的な調理器具や調味料は揃っていて、冷蔵庫の中にはカット野菜や中華麺なんかが入っている。なぁ柏島歓喜。キミが良ければ、みんなの夜食をボクに作らせてもらえないかな?」

 

「え? あぁいいよ、大丈夫。むしろお願いしちゃってもいいかな?」

 

「もちろんさ! ボクに任せてくれたまえよ。これでもボクはね、幼い頃からオヤジのために毎日お手製の料理を振る舞ってあげていたんだ。だから腕には自信があるんだよ!」

 

「本当? だとしたら尚更と助かる……! 俺もたまにしていたんだけど、最近ちょっと面倒になっていて材料を余らせていたんだ。冷蔵庫の中にあるやつ全部使ってもらっても構わないから、今日も激務をこなしてきた彼女達に美味しい夜食を振る舞ってあげてほしいな」

 

「彼女らを労わる夜食か。いいね。俄然、やる気が出てきたよ! もちろんキミの分も作ってあげるから、ボクの料理を楽しみにしてくれたまえ!」

 

「ありがとう、ノア」

 

 ノアは料理ができるらしい。

 Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステス達は、ユノを除いてあまり料理を得意としない人達で占めていた。そのほとんどがインスタント系を手料理と主張する程度には疎かったりしていて、自分が彼女らに料理を振る舞う機会が大半だったかもしれない。

 

 まぁ、昼夜のシフトに接客や同伴などでみんな忙しいから、料理を行うための時間や気力が残らないのだろう。その中でミネは、ユノから料理を教わったりなどして着実に腕を上げつつあったものだ。

 

 そこに現れた、ノアという新星。既に手際良くキッチンを使用していたことから、何の心配も要らないなと思った自分は邪魔にならないよう部屋に移動していく。

 

 その部屋がもう、ホステスでごった返しになっていた。

 ギリギリ皆が入り切るか。というのもあってその空間には余裕の文字なんか無く、メーとシュラはベッドの上であぐらをかきながら、床でストーブを占領するラミアやミネと会話を行ったりしている。

 

 彼女らの横で、呆れたような顔をして前方の光景を眺めるレダと、そんな彼女に苦笑を見せつつ何か言葉を投げ掛けるユノ。この何気無い日常の景色を見渡したことで、自分は一時(いっとき)もの平穏を感じられたような気がしてしまえた。

 

 ……Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステス達と過ごす日々。熾烈な裏社会と繋がりがある故に、永遠と続くことはないだろうこの尊きひと時の空間。

 

 最初に関わったユノを始めとして、ラミア、メー、レダ、ミネ、シュラ、そしてノアの七名とは、それなりに長い付き合いになる予感がした。

 

 しばらくは、この七名と過ごす日常を送ることになることだろう。また、将来的にも新たなホステスが増える機会があるのだろうが、それは当分先にもなりそうな予感がする。

 

 今は、七人のヒロイン達と過ごす日々を大切にしていこう。

 心の内で静かに決心した自分。その間にも前方ではレダが、ラミアとメーの二人へとその言葉を投げ掛けていく。

 

「それじゃあ、わたし先にお風呂入らせてもらうわよ」

 

「あー!! レダさん抜け駆けズルイです!! お部屋冷えてるからってお風呂を使うのは反則ですよー!!」

 

「そうだそうだー! レダ、お風呂とかいうチートアイテムの独占は禁じ手だぞー!」

 

「あなた達ねぇ……ストーブや布団を占領しながら言わないでちょうだい。それに、順番的に今日はわたしが最初の日なんだから文句言わないで」

 

「ですけど、なんか今日はヒトが多いですよ?? ですから、入るならさっさと出てきてくださいね。みんな入れなくなってしまいますから」

 

 ラミアの言葉を耳にして、レダは見渡すようにしながら「え、もしかして此処にいるみんなお風呂使うの……?」と口にする。

 

 ここでユノが、「私やミネは自室で済ませられるから気にしないでちょうだい。ノアもこちらの浴室を使用すれば問題ないでしょう」とフォローを入れてくる。これに安心したような様相を見せたレダだったが、そこでシュラがベッドから立ち上がってレダへと歩き出しながらそう喋り出してきたのだ。

 

「やけど、一人一人律儀に入っとったらラチ明かへんわ。闇医者のネーチャン、ネーチャンと一緒にウチも入るでー!!」

 

「え? は? ねぇちょっとどういうこと」

 

「なんか組長のジョーチャンがご飯作ってくれとるらしいしなぁ。ウチ腹空いとるし、その前にササッとお風呂だけ済ませときたいんや。な?」

 

「な? って……だからってわたしとシュラが一緒に入る必要は無いでしょ?」

 

「んなこと、ええからええから! ほら行くでネーチャン! これもハダカの付き合いっちゅうもんや!」

 

「だから、ねぇちょっと!」

 

 気さくな笑みを浮かべたシュラに引っ張られていくレダ。若干の抵抗を見せつつもそのまま浴室へと連れていかれたレダを皆で見送り、その間も洗面所から聞こえてくる二人のやり取りに耳を傾けていく。

 

「ちょおネーチャン狭いってぇ! そないなおっぱいしとるから余計に場所食うんや!」

 

「仕方ないでしょう!? それを言ったらあなただって大概じゃない!!」

 

「なんやネーチャン、ウチのこと褒めてくれとるんか? いやぁ照れるわぁ~」

 

「あぁもう!! なんでわたしがシュラと一緒にお風呂入らないといけないのよ!?」

 

 ガチャンッと浴室の扉が開かれる音。それが閉まってからも壁を挟んだ向こう側からは、二人のやり取りがしばらくと絶えずに聞こえていたものであった。

 

 

 

 

 

 この部屋に私物を持ち込んでいるラミア、メー、レダ、シュラの四人が、風呂上がりの寝間着姿でホカホカしながら夜食を待ち望んでいく。

 

 直にも、焼きそばが盛られた大きな皿を持つノアが、「お待たせ!」と言いながらテーブルにそれを置いてきた。

 

 ツヤのある茶色の麺。カット野菜やベーコンがふんだんに使用された贅沢さと、ふりかけられた黒コショウや青のりというアクセントが見る者に元気を分け与えてくれる。

 

 有り合わせの材料で、プロが作ったような焼きそばを生み出してくれたノアの腕前。口に入れずとも既にモリモリ元気が湧いてくるスタミナ炒めを目の前にして、一同は食い入るようにそれを見つめて腹を鳴らしていった。

 

 夜食で食べるには勿体無い。普通に夕食としてガッツリ食べたいと思えるほどの想定外なクオリティに、仕事を頑張った皆に食べてもらおうと考えていた自分さえも箸を伸ばしたくなってくる。

 

 で、もう我慢できないといった具合にメーがノアへと訊ね掛けていった。

 

「え、やば!! なんかめちゃ美味そうなんだけど!! ね、これ食べていいんだよね!? いいんだよね!?」

 

「あぁもちろんさ! 四人前だから少々と物足りないかもしれないが、皆で分け合って存分に堪能してもらえると嬉しいな!」

 

「うはぁ!!! やったぁ!! いただきまーす!!」

 

 メーが小皿に焼きそばを盛り出した様子を皮切りにして、ラミア、レダ、ミネ、シュラも目を輝かせながらこぞって群がっていく。そして皆が「美味しい!!!!」と口を揃えて絶賛し、お世辞抜きの言葉通りに焼きそばはみるみると減少していった。

 

 自分の料理を取り合うような食い付きに、ノアは得意げな表情をしながら鼻を擦っていく。その脇では、少女が褒められたことにちょっと誇らしげなユノの様子もうかがえたりもした。尤も、焼きそばはホステス達があっという間に平らげてしまったため、自分の分は残されていなかったものなのだが。

 

 ……正直、ちょっと食べてみたかったな。

 皆を眺めながら、内心で呟いていく自分。そんなこちらに気が付いたのか、ノアはこちらへ歩み寄りながらその言葉を掛けてくれたのだ。

 

「そんな顔をしないでくれたまえ、柏島歓喜。次はキミのために腕を振るってみせるから、次回を期待してもらえると嬉しいな」

 

「あぁ、ありがとうノア。……えっと、料理を振る舞ってくれる云々で思い出したんだけど、ノアもこれからは此処に泊まる感じになるんだっけ?」

 

 そう言えば、お店に預けられたノアは寝泊まりとかどうするのだろう。

 この疑問自体は、ユノがノアを預かる意向を固めた際にもその場で話し合われたりしていた。その時にも、この部屋に泊まり込みになるのかどうかの話が出たりしていたものなのだが……。

 

 そんなこちらの急な問い掛けに対して、ノアはニッと笑みながらそう返答してくる。

 

「あぁ、そのことについてなんだけどね。ユノやミネと話し合った結果として、店に預けられている期間中は彼女達の部屋で寝泊まりすることに決まったんだ。とはいえ、同じ屋根の下の住人であることに代わりはない。だから、これからはボクもこちらに訪問して、夜食なり朝食なり、いろんな料理を振る舞ってみせるつもりでいるよ!」

 

「確かに、言われてみれば同じ屋根の下だよな……。まぁあれだよ、料理以外のことでも気軽に顔を出してもらって構わないからさ。お互いに色々と大変な時期だと思うけれど、しばらくの間はよろしくね、ノア」

 

「あぁ! 改めてよろしく頼むよ、柏島歓喜」

 

 透き通るような存在感で、清涼感ある微笑で応えてくれたノア。その涼しげなサマがまた、この少女の魅力とも言えたことだろう。

 

 

 

 

 

 夜食も済んで、後は寝るだけとなったこの日の夜。だいぶ遅い時間までお邪魔していたからということで、ユノ、ミネ、ノアは自身らの部屋へと戻るべくこの場を後にしていった。

 

 玄関先で彼女らを見送った自分が、扉を閉めて部屋に引き返していく。そうして視界に広がった四人のホステスの様子と共にして、これから展開される本編のオマケ的なやり取りに身を投じていくこととなる。

 

 ベッドの上でうつ伏せになりながらテレビを観ていたラミアと、彼女の上に乗り掛かるように寝転がっていたメー。テーブルの脇で静かにチューハイを嗜むレダと、あぐらで床に座るシュラが一緒になってテレビを眺めていた彼女らの日常的な光景。

 

 ……この人達ほんと、自宅のようにくつろいでいるな……。

 部屋の中も、心なしかホステスの香りで満たされているような気がした。一方で、『ここ、俺の部屋なんだけどなぁ』という思いを募らせていきながらも、自分は「お布団出すから、テーブルとかどけてもらえるかな?」と言葉を掛けていく。

 

 これを聞いたレダが、こちらに向いてくるなり艶やかな表情を浮かべてきた。そして、まるで獲物を捉えたような眼差しを投げ掛けてくると、彼女はおもむろに立ち上がってからこちらに歩み寄りつつそう喋り出してきたものだった。

 

「ウフフ、ねぇカンキく~ん。今日は同じお布団で一緒に寝ましょうよ~? その方がお布団の準備の手間も省けて楽チンよぉ~?」

 

 チューハイを片手に、酔っ払っていたレダは絡むようにこちらへ抱き付いてきてから、意図的に豊満な乳を押し付けてこちらの了承を促してくる。

 

 自身の身体を埋め込むようにして、魅惑的な肉厚でむぎゅうと悩殺してきた彼女のアプローチ。それは、香るアルコールの匂いが余計に煩悩を掻き立ててくる強烈な攻撃ではあったものの、レダの言葉を耳にしたシュラが横槍を入れるようにすぐさま食い付いてくる。

 

「なんや、そんならウチもニーチャンと一緒に寝るで!! 三人でぎゅうぎゅう詰めなって、ニーチャンを女子(おなご)サンドイッチにしようや!!」

 

「ちょっと、なんでそこであんたが乗ってくるのよ。あんたも入ってきたら布団がもっと狭くなるじゃない。というか女子(おなご)サンドイッチって何よ、下品な響きね」

 

「そないな冷たい目を向けんとくれや! それになぁ自分、寝るスペースが無いから言うて、こないに夜遅い時間にウチだけ家に帰らせるのも中々に酷な話やと思わんか??」

 

「わたしは構わないわよ? 今日はあなたの泊まる番じゃないじゃない」

 

「ウチだけハブとか絶対イヤやぁぁぁぁああ!!! そんで仮に根性で家帰ってきた言うても、家じゃあオ〇ニーくらいしかやるコトあらへんもん! せやったらウチもニーチャンの部屋でみんなと楽しく過ごしたいんやぁーーー!!!」

 

 こらこら。

 内心でなだめるように呟いた自分。これにはレダも、迷惑そうな顔をしながら「わ、分かったから少し静かにしてちょうだい……!」と口にしていく。

 

 で、そんな彼女らの会話を耳に挟んだラミアは、ふと思いついたようにシュラへと喋り掛けていった。

 

「あの、オ〇ニーで思い出したんですけど、シュラさんオ〇ニー配信で稼いでいるらしいじゃないですか。それ実際どのくらい稼げたりしているんですか??」

 

 こらこら、そんな軽率に口にする言葉じゃないって。

 乙女達が躊躇いも無くはしたない言葉を連呼する様子に、変な汗さえ流してしまった自分。だがこちらにお構いなしとシュラは返答を行っていく。

 

「お? 気になるんか自分?? せやねぇ~……動画の広告とか生配信中の投げ銭、あとはチップなんかが収入に繋がってくるんやけどなぁ。まぁザッと計算しただけでも……ウチの場合は最低でも月に百五十は稼いどるのかなぁ?」

 

 月に百五十……!?

 思わぬ額に、一同がシュラを見遣っていく。特にラミアは本気で驚いたように口をあんぐりしながら言葉を返していった。

 

「ひゃ、百五十ですか!? もうそちらを本業にしてもイイくらいじゃないですか!! と言いますか、余裕で暮らせますよねソレ。なんでわざわざこんな仕事してるんですかアナタ」

 

「いやいやウチがホステスやっとるのは収入目的やないから。それに、そないに驚くことでもあらへんで。これでもウチの稼ぎは周りより少ないくらいやからなぁ」

 

「えー、オ〇ニー配信ってそんなに稼げるモンなんですか……」

 

「自分も気になるんか?」

 

「当たり前ですよそんなの。だってオ〇ニーするだけでお金を稼げるんですよ?? こんなのやらない方がバカみたいじゃないですか」

 

「せやったら紫のネーチャンも配信するか?? ネーチャンの身体もごっつ需要あると思うからなぁ、ネーチャンもきっと、ぎょうさん稼げると思うで!!!」

 

「シュラさんがそう仰るのならば確実ですね。いやホント、オトコのオカズになるだけでお金が稼げるなんてイイ時代になったモンですねー」

 

 観ていたテレビを放置して、手に持ったスマートフォンをたぷたぷと操作していくラミア。完全に乗り気となった彼女が端末に食いついていく一方で、ラミアに乗りかかるように寝転がっていたメーがシュラへと訊ね掛けていく。

 

「聞いてて思ったんだけどさ、じゃあその稼いだお金ってシュラはどうしてるの? せっかくそんな大金があるんならさ~、私に何かお高いアクセを買ってくれたりてもいいんじゃないかな~? とか思ったりして~」

 

「言うてもウチ、稼いだ金はほとんど募金につぎ込んどるからあまり手元に残っとらんで?」

 

「え? 募金?」

 

「そうやで、募金や」

 

「なんで? せっかくたくさん稼いでるのに」

 

「ウチ、飽くまで好きでオ〇ニー配信しとるだけやさかい、ぎょうさん金貯め込んだところで明確な使い道とかあらへんしなぁ。せやったら、この余らせた金を必要としとる他の連中に使うてもろた方が無駄にならなくてええやろ?? 金の使い方っちゅうか、本来の在り方っちゅうか、そないなカンジにな」

 

「ははぁ~……。シュラの考え、立派すぎか……? 卑しいおねだりをした自分が恥ずく思えてくるレベルの聖人っぷりだわ……」

 

「言うても、やっとることはただのオ〇ニーやけどな!!!」

 

 募金という使用用途を聞いて、メーは悟ったような顔をしてラミアに寄り掛かっていく。これにむぎゅうと押し潰されたラミアが適当に「うにゃー」と声を出していく中で、シュラはレダへと向いてくるなり快活な調子でそう言葉を投げ掛けたのだ。

 

「んま、そういうことやからウチも今日はニーチャンと一緒に寝るで!! な!? ええやろ!? な!?」

 

「……全く関係の無い話題だったのに、募金してるなんて聞かされたらどうしてこうも許せる気持ちになっちゃうのかしらねぇ……」

 

「あっははは!!! 闇医者のネーチャンほんまチョロいなぁ!! ま、そういうことやからニーチャンはよ布団出そー! ニーチャン抱き枕にしてイイ夢見るでー!!」

 

 太陽のように明るい満面の笑みを浮かべて立ち上がったシュラ。彼女はそのまま押し入れに直行すると、その戸を開いて布団を引き出し始めていった。

 

 その間にもベッドの方では、メーがラミアに寄り掛かりながら「どんなオ〇ニーしてくー?」とはしたない問い掛けを行ったりなどしていて、何というか彼女らの日常を覗き見したような気分のひと時を過ごしたものだった。

 

 本当に何気無い日常の様子。これに充実感を覚えながら、自分もまた渋々とした表情のレダと共に就寝の準備へと取り掛かったのであった。



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第40話 Respecter le rouge 《赤を尊重する》

 昼頃の龍明。この日はゲームセンターに立ち寄っており、自分はお手洗いを済ませたその足で同伴者の下へと歩を進めていく。

 

 電脳的な騒音が響く空間の中、建物の奥にある薄暗いエリアへと踏み入れた自分。そして数多の音ゲーが立ち並ぶその場所を真っ直ぐ歩いていき、直にも同伴者が待っている一つの筐体に辿り着いた。

 

 縦長の画面と、足元にある台のようなパネル。このゲームは、楽曲に合わせて流れてくる無数ものマーカーを、足元のパネルでタイミング良く踏みながらクリアを目指すという、身体全体を使って動き回る非常にアグレッシブなゲームとなっている。

 

 簡単に言ってしまえば、これは音楽に合わせてダンスをするゲームだった。その遊び方も、基本は画面に指定されたパネルの位置に足を置いてしまえばいいだけだったので、足を動かすその過程でプレイヤーはダンスを踊っているかのような動きをアレンジで加えることができる。

 

 なので、このゲームに集うプレイヤーはダンス経験者が多かったことだろう。もちろん、自分も現役の趣味としてダンスを嗜んでいるため、こちらのゲームセンターに遊びに来た際にはこの音ゲーを存分に楽しんだりしていたものだ。

 

 ただ、今回は非常に張り合いのある人物が同伴者だった。

 今も目の前で踊るそのプレイヤーは、余裕を含んだ脱力気味の動きでパネルを踏んでいた。しかしその動きの一つ一つにキレがあり、迷いと無駄の無いステップでそのリズムを刻んでいく。

 

 若干と猫背気味なその姿勢も、力を抜いたそのスタイルと絶妙に合っていて不敵な印象を与えてきた。だが、身長が高いためか動きの小ささはあまり気にならず、華奢な体格もむしろ脱力した動きのメリハリとマッチしている。

 

 ダンスが上手く、しかしどこか人として危ない雰囲気を匂わせる。迂闊に近付けないそのオーラに通りかかった三人組の女性が見惚れていくその脇で、自分はちょうど踊り終えた“彼”へと言葉を投げ掛けていった。

 

「クリス、おまたせ」

 

「ちゃんと無事に戻ってこられたね。時間が掛かっていたから、どこかに連れて行かれちゃったかなって思っていたよ」

 

「ちょっと長くなっちゃって。それよりも、さすがクリスだよ。タイミング良くマーカーを踏まないといけない特有のルールで、このゲームはダンス経験者でもけっこうぎこちない動きになったりするんだけど。でも、今日初めてプレイしたとは思えない動きだった」

 

「これ、中々楽しいよね。君の命を狙う連中目的でついてきたというのに、想定外の好奇心と出会うことになるとは思わなかったな。君についてきて正解だったよ」

 

「喜んでもらえたなら何より。いやそれにしてもクリスのダンスはカッコいいな……俺もブレイクダンス練習してみようかな……」

 

 ダンスという共通の話題で、クリスとの距離感がだいぶ縮まっていた。

 以前は顔見知りという程度の認識だった彼だが、今では店でもたまに会話を交わす程度にはクリスとのやり取りが増えている。彼もこちらに対して嫌な顔をせず淡々と付き合ってくれるため、クリスという人物からは律儀な一面をうかがえたものだ。

 

 集団を好まないだけで、遊びに誘ってみれば意外と彼はついてきてくれる。今回も、自分が一人で駅前まで行くからという体で同行してくれたものだったが、ここの店に寄ろうというこちらの提案に対しても彼は一切と拒否することがないため、そこが若者に人気なアイスクリームのお店であろうと、彼は意外と最後まで付き合ってくれたりする。

 

 そんな義理堅い姿勢の彼と会話を交わしながら、自分らはしばらくそのダンスゲームを楽しんでいた。

 

 時には、一つのパネルに二人で乗って同時に踊ったりなど、男友達と過ごす充実したひと時を満喫していく。こうして冬なのに二人で心地良い汗を流していき、休憩を提案したこちらに対して拒否することもなく頷いたクリスと共に移動してから、付近の椅子に腰を掛けて両脚を休めていく。

 

 その際に、二人で自販機のアイスを食べていた。

 自分がバニラの棒付きアイスを頬張り、クリスは隣でチョコミントの棒付きアイスを口にしていく。この間にも自分らは先ほどのダンスゲームについて色々と会話を交わしていると、ふとクリスは不敵な眼差しをこちらに向けながらそれを喋り出してきたのだ。

 

「ところで、君は既に気が付いているものかな?」

 

「え? 何に?」

 

「“彼女”の存在さ」

 

 不敵に笑みを浮かべ、アイスを一口かじっていく。そして猫背気味な姿勢でこちらに振り向いてくると、クリスはこちらの顔を覗き込むようにしながら、不気味なほどに真っ直ぐな瞳で捉えつつ言葉を続けてきた。

 

「君がよく知る人物が、ずっとこの店に滞在しているようだ。どうやら“彼女”は何かに熱中しているらしい。僕らの存在にも気が付かないその様子、とてもらしくないね。それほどまでに、目の前の事柄に集中しているんだろうか」

 

「え? それってホステスのこと? ゲームセンターにずっといる……? いやでもメーは今日昼のシフトで店にいるはずだし……」

 

「顔を出してみたらどうかな。もしかしたら、君という存在が彼女に心の余裕をもたらすかもしれない」

 

 ……誰だろう。気になった自分は、彼女がどこにいるかをクリスに問い掛けていく。そして彼に案内されるままゲームセンターの中を歩いていくと、直にも見えてきた格闘ゲームのコーナーにて、意外な“彼女”と出くわすことになった。

 

 一台の筐体にできた人だかり。周囲のゲーマーを集めるその存在に自分は目を凝らしていくと、そこの椅子に腰を掛けている一人の女性が、レバーを片手に画面と向き合っている様子がうかがえた。

 

 セーターのような黒色のふわふわトップスと、赤と黒のチェック柄ロングスカートというそのコーディネート。黒色のテーラードジャケットを羽織るように着こなしているその姿はクールビューティーの一言に尽き、黒色のローファーに赤色の靴下という組み合わせと、肩に掛けた黒色のカバンに黒縁の伊達メガネという格好が見た者の意識を掻っ攫っていく。

 

 百七十九の背丈に、腰辺りまで伸ばした分厚い白色ポニーテール。そして、凛とした横顔と女帝が如く気高き風格を醸し出したそのお姿を見て、自分は思わず目先の光景にそう呟いてしまったものだった。

 

「……え、ユノさん!?」

 

 ギャラリーに囲まれたプレイヤーの正体に、驚きを隠せなかった自分。この声が聞こえたのだろうかユノはチラリとこちらを見て、すぐに画面へと視線を戻してからその腰を上げて真っ直ぐと歩み寄ってくる。

 

 女神の化身とも呼べるだろうその容貌は、性別に関係なくあらゆる人物を魅了する。今も、歩く姿のみで周囲の視線を奪っていく彼女が悠々と歩み寄ってくると、次にもこちらへと手を差し伸べ、凛とした表情と声音で言葉を投げ掛けてきた。

 

「奇遇ね、柏島くん。私の心には今、貴方との邂逅を果たせたことに対する心底からの喜びで満ち溢れているわ。さぁ、私達の運命に乾杯でもしましょう」

 

「ど、どうも……ちょっと大げさですけど……」

 

 炸裂したユノ節に、頬を引きつらせながら答えていく自分。これに対しても彼女は凛々しき表情を崩すことなく真摯に向かい合ってくるのだが、この隣に存在していた不敵な気配に、ユノはすぐさまそちらへと振り向きながら喋り出していく。

 

「クリス、柏島くんに迷惑を被るような所業は慎んでいるでしょうね」

 

「君は実に懐疑的だね。それほどまでに僕のことが信用ならないのかな?」

 

「貴方が柏島くんに同行する理由だなんて、たかが知れているわ。柏島くんを命の危機に晒すような真似を働きでもしたら、如何なる理由であろうともこの私が許さないことを心得ておきなさい」

 

「フフ、そうだね。気を付けるよ」

 

 ……やっぱり、この二人が顔を合わせるとこういう空気になっちゃうよなぁ……。

 不敵な笑みと視線でユノを挑発するクリス。どこかからかうような遊戯的な含みを持たせるそれに彼女は渋い顔を見せていく中で、すぐにも切り替えるようにこちらへと向いてユノは凛々しく喋り始めていく。

 

「ところで、柏島くんは格闘ゲームを嗜むかしら」

 

「え、格闘ゲームですか?」

 

 ユノさんの口から、格闘ゲーム……。

 

 耳にする日が来るとは思わなかった。これに一瞬だけ呆気にとられながらも、自分は頷きつつそう返答していく。

 

「あ、はい。まぁ多少は……。それこそ、ユノさんがプレイされていたタイトルでありましたら、自分それなりに心得はありますので……」

 

「さすがね柏島くん。話が早くて助かるわ。そこで唐突で申し訳ないのだけれども、もし貴方が良ければ今からでも、この私にゲームのノウハウをご教授願えるものかしら」

 

「え、はい。それは全然構わないのですが……なんか意外です。ユノさんが格闘ゲームをプレイされるなんて」

 

 隣からは、実に興味深そうな視線が注がれている。

 クリスの面白げな眼差しにユノが不愉快そうな顔で応えていきながらも、こちらに対しては誠実な姿勢でそう会話を続けてきたものだ。

 

「数カ月ほど前から男性との同伴も開始していて、そのお付き合いでゲームに触れる機会があったのよ」

 

「あ、男性との同伴も開始されていたんですね。それなら納得です。ゲームセンターに同伴となると、やはりそういう機会もあると思いますからね」

 

 もちろん、女性も格闘ゲームはプレイすることだろう。しかし、界隈の人口で言えば男性が圧倒的に多いこともまた事実。

 

 自分は返答しながら頷いていき、理解を示していく。だが、隣に佇んでいたクリスが途端にニヤッと笑み始めると、ユノの顔を覗き込むような不敵な視線を投げ掛けながら、彼女の内心を見透かすようにそれを喋り始めてきた。

 

「さしずめ、その同伴相手にコテンパンにされたんだろうね。君は極度の負けず嫌いだ。そこから考えるに、当時の彼から『ユノのような完璧人間でも、上手くできないものがあるんだね』といった旨の言葉でも掛けられたのだと僕は予想しよう。どうかな? 合ってる?」

 

「…………」

 

 非常に不愉快な表情を見せてきたユノ。ムスッとした頬がとても分かりやすい。

 

 大方、図星のようだった。

 ユノが負けず嫌いであることは、前回の彼女との同伴で行ったホッケー対決で十分に思い知らされたものでもあった。そのことから、負けたままでは終われないというユノの意外な性格を、自分も身を以て理解することができる。

 

 クリスの詮索から、ユノが格闘ゲームにのめり込んでいる理由が明確になった。それでいて、経験者の自分に指導を求めてきたその勤勉な姿勢もまた、実践の中で急速に学んでいく彼女らしい提案のようにも思えてくる。

 

「俺でよろしければ、いくらでもお付き合いしますよ。ただ、ユノさんの成長速度でございましたら、たぶん今日だけで俺よりも上達すると思いますが……」

 

「数カ月に渡る取り組みで、想定よりも多くの技術や知識、そして経験が求められることを実感させられたわ。だから柏島くんにはきっと、継続的な教授を願うことになるでしょう。授業料であれば賃金でも物品でも、身体でも、柏島くんが望む形式で支払ってみせるから、どうか私を鍛え上げてもらいたいの」

 

「まぁ授業料はともかくとして、ユノさんが高みを目指すそのお手伝いができるのならば、俺は喜んで助力しますから。教えられる範囲でお教えしますので、その同伴相手を見返してやりましょう」

 

「ありがとう柏島くん。柏島オーナーの血は、世代を超えてもなお私に多大な影響を及ぼしてくれる。私はその影響力に、幾度となく救われてきた。柏島の血から授かったこの御恩を、私は生涯かけても忘れることはないでしょう」

 

 スケールがデカいなぁ……。

 段々と慣れてきたユノ節を、無心に近い感情で聞き取りながら「では、台が空き次第に二人でプレイしましょうか」と彼女に提案を投げ掛けていく。

 

 で、そのやり取りの最中にも隣の気配が動き始めたものだったから、自分は歩き出していたクリスへとそれを訊ね掛けていった。

 

「クリス。良かったらクリスもやってみないかな? もしかしたら格闘ゲームもハマるかも」

 

「僕は遠慮しておこうかな。ユノが悪戦苦闘する姿はぜひとも見物してみたいものだけどね」

 

「それじゃあ、近くで見てる?」

 

「いや、僕は一足先にお暇させてもらうとするよ。君は気にせず、ユノとの時間を堪能してくれればそれでいいのさ」

 

 ユノをチラ見するクリス。その視線で彼女の不愉快そうな顔を捉えてから、彼は不敵な表情のまま出口を目指して歩き始めていった。

 

 クリスの背に、自分は手を伸ばしながら「あ、クリス」と呼び止めようとする。だが、真っ直ぐと出口を目指す彼の背を止めることなく見送ると、去っていったクリスを名残惜しく眺めるこちらへとユノはその言葉を掛けてきた。

 

「……柏島くんへの気遣いはさることながら、彼のような人間があのような顔をするだなんて意外ね」

 

「えっと、それはどういう……?」

 

「言うなれば、彼は孤高の一匹狼を謳歌する人間。群れを忌避して、単独こそ至高とする干渉を好まない性質の持ち主よ。けれども、貴方に対して向けていた先ほどまでの彼の表情は、これまで私達に見せてきた表情のどれにも当て嵌まることはないでしょうね」

 

「……それは、つまり……?」

 

「私にも定かではないものだけれども、彼はもしかしたら貴方のことを友人として見ているのかもしれない。それも、生涯初めての友として。そうでなくとも、先の彼の表情は決して消極的な感情によるものではない。彼との付き合いが長いこの私が、それを保証してみせるわ」

 

「生涯初めての友……」

 

 まぁ、確かに人付き合いを好んでいるようには見えない人だけど……。

 ユノの推測に、自分は戸惑い混じりに出口を見遣っていく。そうやって呆然と佇んでいると、次にも自分はユノに優しく抱き寄せられ、こちらの身を護るかのように抱え込んできてから、身長の高さ故に見下ろすような視線で凛々しくそう喋り出してきたのであった。

 

「さぁ、柏島くん。久方ぶりに過ごす私とのプライベートな時間を共に楽しみましょう。前回の同伴と同様、貴方のエスコートに期待しているわ」

 

 

 

 

 

 クリスと別れてから、自分はユノと過ごす濃密なひと時を堪能することとなる。

 

 突発的な、ユノとの同伴。疑似的なデートとまではいかない形式ではあるものの、半年以上の付き合いであることからお互いに気心の知れたやり取りでその時間を過ごしたものだった。

 

 彼女と最初に遊んだこのゲームセンターにおいては、まずユノとの約束通りに彼女との格闘ゲームに臨んでいく。

 

 ユノが来るや否や、彼女に惹かれた多くのプレイヤー達が瞬く間に周囲へ集い始めた。数カ月と通う内に常連となっていたユノに対して、現地の人々は荒野の戦場に降臨した麗しき女神としてユノを崇め(たてまつ)っていたものだ。

 

 ファンを率いてプレイした彼女とのゲームは、新鮮でありながらも緊張感が勝る重圧な時間になったことは確かだろう。向こうから聞こえてくるユノを応援する人々のそれは、もはや盤外戦とも言えたかもしれない。

 

 で、自分が感じた内容などをユノに伝え、しばらくは彼女がプレイする様子などを眺めたりもしていた。その際にもユノの傍で彼女の頑張りを観戦していたものであったのだが、この間にも尽きることなく投げ掛けられていた周囲からのアドバイスは、自分の出る幕が無いほどの実践的な知識ばかりで、自分の手助けは不要に等しかったかもしれない。

 

 結局、ユノさんの助けになることはできなかった。

 彼女とゲームセンターを出て、ユノからはゲームに付き合ってくれたお礼を述べられる。これに対して自分は複雑な思いからなる返答を行っていく最中にも、彼女は凛々しいサマでそれを提案してきた。

 

「この際ですから、日頃の謝礼として貴方には甘美なひと時を過ごしてもらいたいと私は考えているわ。先の指導による授業料も含め、貴方が望むありとあらゆる切望の数々を、私の財力が許す限りに叶えてみせるから、今現在において貴方が望む心からの希望を、遠慮なくこの私に申してみてちょうだい」

 

「い、いやいやいやそんな大げさな……!」

 

「大げさなんかではないわ。これも全ては柏島オーナーの息子さんであるが故の奉仕。彼の遺伝子を継ぐ有望なる血族に対して、私はただ眷属が如くその望みを叶えるべく働きかけるまでのことよ」

 

「いやでも、う、うーん…………」

 

 正直、かなり返答に困る。

 

 ユノ節によって遠回しとなった言い方だが、要は日頃の感謝として何か奢らせてほしい……といった旨の内容になるのだろうか。彼女の言葉を意訳した自分は急ぎで思考すると、そう言えばお昼ご飯を食べていないことに気が付いて、咄嗟にそれをお願いしてみたものだ。

 

「じゃ、じゃあ……何か美味しい物が食べたいです!」

 

「美味しい物ね。それでしたら~……」

 

 あ、でもやばい。これじゃあとんでもない高級料理を提案してきそう。

 

 友達に奢ってもらう感覚で投げ掛けた自分の言葉。しかし彼女の気前をいち早くと思い出した自分は慌てるように遮っていった。

 

「お、俺、ラーメン!! ラーメンが食べたいです!! それも今猛烈に、割かしリーズナブルないつものラーメン屋に行きたい気分です!!!」

 

「リーズナブルなラーメン屋?」

 

「あハイ!! 高くても税込み八百円程度のお値段で食べられる、非常に馴染み深く思えてくる行きつけのラーメン屋に行きたい気分だなぁ!!!」

 

 なんか、焦るがあまりにものすごく具体的な内容になってしまった。

 

 まくし立てるように早口となったこちらの希望に、ユノは唖然とした顔でこちらを眺め遣ってくる。しかしすぐにも切り替えた彼女は凛と微笑みながら返答を行ってきた。

 

「それが柏島くんの希望であるならば、私は貴方の期待に沿えるよう全力で応えるまでのことよ。柏島くんの行きつけのラーメン屋へ案内してちょうだい。私個人としても、貴方がどのような店舗を好んでいるのか、興味があるわ」

 

「それなら、自分がよく友達と訪れているラーメン屋に案内しますよ。ここから歩きで十五分ほどの場所にあります」

 

「承知したわ。それじゃあ柏島くん、お店までのエスコートをお願いしましょうか」

 

 そう言って、朗らかに笑んでみせたユノがこちらへ手を差し伸べてくる。

 

 ……他のホステス達と過ごしてきた日頃の成果を発揮する時か。

 試験のような気持ちで、彼女の手を取った自分。そしてユノへと手で促しながら「では、参りましょう。付近は段差が多いので足元にお気を付けてください」と一言添えてから、自分はユノという淑女を案内して龍明の街中を巡り出していった。

 

 

 

 

 

 ユノと過ごしたこの一日も、瞬く間に夕暮れ時を迎えることとなる。

 

 ゲームセンターを出た後、ラーメン屋に訪れた自分らはそこで遅めの昼食を済ませていった。この際に一つ驚いたのが、ユノが店一番の辛さを誇るトウガラシ増し増しの激辛ラーメンをオーダーしたことだ。

 

 カウンター席の隣で最恐と謳われるそれを注文し、どこか上機嫌なサマでラーメンを待っていたユノ。そんな彼女に対して自分は大丈夫なのかを問い掛けてみると、ユノは清々しい顔で「辛い物が好物なの。特にトウガラシ系統のヒリヒリとした辛味が私の好みとも言えるでしょうね」と答えてみせて、テーブルに出された真紅のラーメンに高揚感を抱いていた様子だった。

 

 左耳付近の髪に左手を添え、気高き女帝の凛々しい顔ではふはふとラーメンを口にしていく。その額に汗を流し、それでもなお崩れない涼しげな表情と、とても満足げに辛味を堪能する彼女の横顔は生涯記憶に残り続けるほどの印象を覚えたものでもある。

 

 店を出た後は、帰りに買い物をしてからアパートに戻ろうという話になったことで、自分はユノと二人でスーパーマーケットに向かうこととなった。

 

 以前の同伴でも、デパ地下で買い物を済ませてからアパートに戻った記憶が蘇ってくる。その当時と似た流れで立ち寄ったスーパーマーケットで、自分はユノと何気無い会話を行いながら買い物を済ませていき、キャバレーの仕事を終えたホステス達を労われる程度のおつまみなどを袋に引っ提げながら、自分らはアパートを目指して歩き出していた。

 

 既に陽が落ち始めていたその時刻。冬であることから尚更と暗くなるペースが速い薄暗がりの街中において、自分はふと目についた商店街の一角に注目しながら、そちらへと指を差しつつ隣のユノへと言葉を投げ掛けていった。

 

「あの、ユノさん。あちらで福引が行われているみたいです」

 

「えぇ、どうやらそうみたいね」

 

「先ほどのスーパーマーケットで、レシートと一緒についてきた福引券がありますから、よかったらあれだけ引いていきませんか? せっかく手元にあるわけですし」

 

「かまわないわよ。私は柏島くんの意向に付き従う。ただそれだけですもの」

 

 柔らかく笑んできたユノの返答に、自分は「じゃあ向かいましょうか」とユノをエスコートしながら福引のコーナーへと歩み寄っていく。そうして、ちょうど列が途切れた頃合いに到達した自分らは手元の福引券を手渡していき、ハンドベルを手に持つ担当の男性に促されたことで抽選機を回すことになったのだが……。

 

 流れで自分が回すことになっていた現在の状況。しかし、自分は思いついたようにユノへとそれを催促していった。

 

「あの、ユノさんが引いてみてください」

 

「私が、かしら」

 

 完全に油断していたのだろうか。ちょっと意外そうな顔を見せてきたユノが、僅かながらに見開きながらこちらを見遣ってくる。

 

 それでいて、ハンドベルを持つ五十代ほどの男性も「お姉さん! どうぞどうぞ引いていってください!!」と食い気味に言葉を掛けてきたことによって、ユノは流れに従うまま「えぇ、それじゃあお言葉に甘えて」と言って抽選機を回し始めていった。

 

 尤も、皆の視線は彼女に向いていたものだ。

 見惚れるように注いでいた、周囲の注目。だからなのか、ユノに言われるまでその場の皆は、抽選機から出てきた赤色の玉に気付くことができずにいた。

 

 赤色の玉は……二等。

 途端にして鳴り響いたハンドベルの音。共にして担当の男性から「よっ二等です!! おめでとうございます!!! お姉さん、二等が当たりましたよぉ!!!」と言葉が掛けられると、次にも景品なのだろう“そのぬいぐるみ”がユノへと手渡されたのだ。

 

 それは、青色の体色と白色のお腹が実にチャーミングなペンギンのぬいぐるみだった。全体的に真ん丸なボディと、小さな手と足がとても可愛らしい、ふわふわでもちもちな感触の可愛いぬいぐるみ。

 

 だが、特筆すべきはその大きさだった。

 真正面から見たら、この自分の上半身が丸々と隠れてしまうそれの全長。もちろんユノの上半身もぬいぐるみで隠れてしまい、からがらと見えている彼女の頭部が何ともシュールな光景を生み出していく。

 

 直にも、ぬいぐるみの腹をギュッと抱きしめて顔を覗かせてきたユノ。この光景もまた、凛々しい女性が可愛らしいぬいぐるみを大事そうに抱え込んでいるというシチュエーションを生んでいたことから、自分を含めて周囲の人間はそのギャップに悶えたことだろう。

 

 担当の男性に見送られ、アパートを目指して歩き出した自分とユノ。その間もユノはずっとペンギンのぬいぐるみを抱きしめていたものだったから、道行く人々の視線を掻っ攫っていたことはまず間違いない。

 

 この状況には、さすがにユノもちょっと気まずそうな顔を見せていく。しかし、ぬいぐるみ自体は気に入っていたようで、これに対して彼女は一切と恥じることはなく、視線に慣れてからはむしろ堂々とした風格でそれを大切に抱きしめていた。

 

 表通りから逸れて、アパートまで続く一本道に出てきた自分達。それでもって、すぐにもこの道の脇にはLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)が見えてくることから、自分はキャバレー開店前の皆にぬいぐるみを見せようとユノに提案したことで、彼女はそれを承諾して二人で店に立ち寄ったものでもあった。

 

 無論、巨大なぬいぐるみを抱えるユノという構図は、見慣れない勝負服姿も相まって、店で控えていたホステス達から実に大好評だったことは言うまでもないだろう。



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第41話 Personne abominable 《憎まれ役》

 夕暮れの時刻、キャバレーに相応しき煌びやかな照明が灯されたLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の店内。その開店時刻が間近に迫る最中にも、開店前にお邪魔していた自分の下へと一人のホステスが駆け付けてきた。

 

 いつもの席に座り、業務の内容を確認するホステスらを眺めていた自分。この視線の先では、タキシード姿のユノが凛々しいサマで一同へと活を入れており、そこに加わるラミアやミネが同じくタキシード姿で佇んでいる。

 

 と、開店前準備に取り掛かり始めたホステスらがばらけるように動き始めたその時、“ある少女”が銀嶺の如き銀髪を揺らしながら真っ直ぐとこちらへ駆け寄ってきて、中性的な声音でそれを喋り掛けてきたのだ。

 

「やぁ柏島歓喜! なぁ、どうだい? この衣装、ボクに似合っているものかな!」

 

 貴族風の喋り方が特徴的である、王子様のように透き通る清々しさが印象的なその少女。彼女は自身に“ノア”という源氏名を名付け、仮の名前としてこちらに接してきたものであったのだが……。

 

 自分と同じくして、特別なお客様として扱われていた少女の姿を見つめていく。そうして今も眼前に佇む彼女が身に付けていたタキシード服を見て、自分は頷きながらそう答えていった。

 

「やぁノア。ノアのタキシード姿、とてもよく似合っているよ。それにしても、ホステスになれて本当に良かったね。おめでとう」

 

「キミからの直々の祝言、身に余る光栄とはこの事を言うのかもしれないね! それはそれとして、ボクのイメージカラーとして水色のシャツが支給されたんだ。どうだい? ボクに似合っているものかな?」

 

 ユノに影響されてなのだろう独特な言い回しで喋るノアだが、今も褒めてほしいと言わんばかりに得意げな顔をしながらシャツを強調してくるその様子は、年相応とも言うべきだろうか。

 

 現役の高校生である少女は、タキシードから覗かせた水色のシャツの襟を摘まみながらこちらに見せつけてくる。そんなノアの衣装を見ながら「一番ノアらしい色だね。ノアのイメージにピッタリだ」と返答していくと、次にも少女は気取った王子様フェイスから一転として、一瞬だけニマッと素の笑みを垣間見せてから再び涼しげにそれを喋り出してきた。

 

「あはは、そうかそうか! キミがそう断言してくれるのであるならば確実だね! ……柏島歓喜のおかげで、ボクの闘志が段々と燃え滾ってきたよ。より一層と自信が湧いてきた。さて、今日からボクがこの店のナンバーワンだ。今の気持ちならば、相手がユノであろうとも負ける気がしない。そういうわけで、喧嘩以外でもボクが最強であることを証明してみせるからさ。だから、柏島歓喜。キミには、この店で繰り広げられるボクの快進撃を、最も近い特等席で見守ってもらえると嬉しいんだ」

 

 清涼感のある声音と、透明感のある柔らかい微笑み。加えて、自信に満ち溢れた力強い眼光で不敵に口角を吊り上げてくると、次にも少女はこちらへと紳士的に手を差し伸べながらそれを要求してきたのだ。

 

 ……な、なんかカッコ良く見えてくるぞ。

 男さえも惚れさせるたくましさ。喧嘩上等な威勢の良さがまた、パワフルに突き進む屈強さをうかがわせる。

 

 さすがは、極道の組長の娘。ミステリアスな雰囲気からは想像もできないほどの喧嘩好きな一面と、そこから来る自信家な性格がまた、ノアという少女を形作る一つの個なのかもしれない。

 

 透明感のある微笑でこちらを魅了するノア。そんな少女が存在感をアピールしていると、その後ろからタキシード姿のミネがちょっと不機嫌そうな顔で歩み寄ってきた。

 

 イメージカラーである黄色のシャツを着用し、だいぶホステスらしい凛としたシルエットが目立っていた少女。だが、同じ学校に通う同学年の言葉に何か言いたげな顔をしながら歩いてくると、ノアへとその言葉を掛けていったのだ。

 

「なんか、やけに気合い入ってんじゃん」

 

「やぁミネ! そりゃあ当たり前なものさ! だってこの日から、ボクの新たなる挑戦が始まろうとしているのだからね! 新天地に臨むということであるのならば、もちろん、その頂点を目指したいと思うものだろう?」

 

「うーん、アタシにはその感覚ちょっとよく分かんないかも。でも、たださ……別にそれを宣言する相手はカッシーじゃなくても良くない?」

 

 ムスッとした頬と目つきで、不機嫌そうに喋るミネ。少女の言葉にノアは考えを巡らせるように口を噤んでいくと、次にも愉快げに「あっははは!!」と大笑いしながらミネへとそれを返していった。

 

「っははは、ふふ。ふぅ……っふふふ。いやいやごめんよミネ。そうだね。これはボクが悪かった。だってこれでは、この店にとって最も大切なお客様である柏島歓喜を、ボクが独り占めしてしまっているように見えるだろうからね!」

 

「は、ハァ……!? 別に……別に、それでいいんじゃない? だってカッシーは誰のものってワケでもないんだし……」

 

「そういうものなのかい? それじゃあこれからは、彼の注目をボクが独占してしまっても良いということだね?」

 

「ッ、別に、そんなこと、カッシーが勝手に決めることでしょ……。まぁ、カッシーは八方美人だから、どうせ一人にこだわらないでみんなに気を配るだけだろうけど……」

 

 と言って、不機嫌な顔をしながらこちらに視線を投げ掛けたミネ。かと思えば少女は気に食わないと言わんばかりの表情を露骨に見せ始めて、しかし真っ直ぐと見つめる瞳が、なんだか助けを求めるようにこちらをしっかり捉えてくる。

 

 ……これに自分は、何て声を掛けようかと悩んでいく。そうして思考を巡らせるこちらの脇で、ノアはテーブルに腰を掛けながら透明感ある微笑みでミネへと喋り出していった。

 

「意地悪をしてしまってすまなかった、ミネ。キミの反応が中々に面白くて、ついついからかってしまう。だが、それも少々と度が過ぎてしまったのかもしれないね。だって柏島歓喜という存在は、キミにとって魂の救世主のようなものだろうから。云わば心の拠り所を与えてくれた彼に対して、感謝などの特別な感情を持つキミからすると、そんな彼が誘惑などで弄ばれるその姿を快く思わないだろうからね」

 

「なっ、ッ、だ……だから何なの!!? か、感謝の一つくらいして何か悪い……!? てか、そういうことをわざわざ言葉にしてくるとこも意地悪で、アタシからすれば悪趣味に見えてくるんですけど……!!」

 

 気恥ずかしい。そんな気持ちがとてもよく伝わってくるミネの怒り方。

 自身の気持ちを隠すかのようにノアへと怒鳴っていくその傍ら、少女二人のやり取りを好機とばかりに“彼女の右手”はこちらの肩へ伸ばされてきた。

 

 この右肩に乗せられた、褐色の肌が艶めかしいその手。それの温もりに自分は振り返っていくのだが、その振り返った方とは逆の左肩から伝わってきた柔らかい感触に、自分の心臓は一瞬だけ飛び跳ねていく。

 

 服越しからでもよくわかる、たわわに実った乳袋。これまでにも当てられてきたからこそ理解できたこの感触に「え?」と言葉を零していく最中にも、無防備となっていたこの左耳には欲情を誘うレダの甘い囁き声が響いてきた。

 

「隙だらけねぇ~、カンキ君。そんなに不注意だと、敵にも、わたしにも襲われちゃうわよ~?」

 

「れ、レダ?」

 

 左へと振り向いた自分。その瞬間にも待ち伏せていたレダの唇が、こちらの唇を鮮やかに奪い去っていく。

 

 刹那に塞がれた口と、身体の芯から火照り始める人肌の感触。瞬く間にキスされたこちらの様子にミネとノアが振り返ってくる中で、自分は私服姿のレダと短くありながらも濃厚なキスを交わしてからそれを訊ね掛けていった。

 

「……急でビックリした。レダ、今日はオフだったよね? どうしたの?」

 

「ウフフ、暇を持て余しちゃったからカンキ君を誘惑して遊ぼうと思ったのよ~。そうしたら部屋にあなたがいないんですもの。だ・か・ら、ここにいると思ってお迎えに来ちゃった」

 

 紅鼠(べにねず)の赤みがかった鼠色ワンピースに巻かれた、黒色のウエストベルト。それ以外は、華やかな白色のレースが入った黒色のサイハイソックスに、モコモコとした黒色のブーツと、白衣を黒色にしたようなコートといういつもの服装。彼女はウエストベルトで強調された豊満な乳を見せ付けるように屈んでくると、褐色肌の微笑みで妖艶な雰囲気を醸し出しながらそのセリフを口にしたものだ。

 

 彼女の誘惑に思わずソコが疼いた自分。同時にして、付近からはミネの不愉快極まりない視線が投げ掛けられていたものであったのだが、レダは少女を煽るように向かい側の席に腰を掛けていくと、傍にいたノアを含むようにそれを口にしていった。

 

「そういうことだから、お子ちゃま達は自分達のお仕事だけに専念してちょうだ~い? 大丈夫、あなた達の代わりにわたしが、カンキ君のことを虜にしてあげるから。それも、カンキ君が二度と他のオンナに目移りできなくなるような、とびっきりに熱々で、濃密で、甘々なオトナの夜を過ごしてみせるから……」

 

 ボディとフェロモンで容易く男を堕とす存在。同業者としてこの上ない強敵に、ミネは言葉にならない怒りを沸々と浮かび上がらせて、ノアは一層と気合いが入った自信に満ちた表情を見せてきた。

 

 共にして、あと数分で開店時間ということから持ち場に戻ることになった二人。少女達はレダを敵視するように背を向けて、ノアは「じゃあ行ってくるとするよ。またあとで!」と清々しく、ミネは「……カッシーの変態」とご機嫌斜めな表情で歩き出していった。

 

 二人に対して、自分は「ミネ、ノア。今日も応援しているよ。頑張って」とささやかなエールを送っていった。そうしてタキシード姿のホステス達を見送ってから、自分は向かいの席にいたレダへと視線を投げ掛けながらそれを訊ね掛けていく。

 

「えっと……それで、どうする? アパートに戻る?」

 

「ウフフ、カンキ君がノリ気であるのなら今すぐにでも帰りましょう? ……でも、そうねぇ」

 

 左手で頬杖をつき、店内を見渡していくレダ。彼女が暫しと眺めるその視線を無言でうかがっていくと、次にもレダはこちらへ振り向き、フッと笑みを浮かべながらそれを口にしてきた。

 

「そう言えば、この店をお客様として利用したことは一度も無いわねぇ。せっかくの機会でもあるから、今日はカンキ君と一緒にお客様ごっこでもしてみようかしらぁ」

 

「レダもお客として此処に居てみる? もしかしたら、今までに見えなかった景色が見られるかもしれないもんね。それが今後の活動で役立つようなアイデアに繋がれば尚更良いと思うし」

 

「ウフフ、こういうのもたまには悪くないでしょう。そういうことだから、今日はわたしとカンキ君のカップルでお店を訪問しました~って設定でよろしくね?」

 

「ま、まぁそういうことで……」

 

 以前にも夫婦ごっこみたいなことをやったしなぁ……。

 レダからダーリンと言われていたことを思い出して、それも悪い気がしなかったことからカップルという設定も容認できてしまえたこの内心。また彼女と過ごせる時間を喜ばしく思いながらも、他のホステスに喧嘩を売るレダの行動に少しばかりと不安が募っていたこともまた事実だった。

 

 

 

 

 

 時間は経過して、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)はキャバレーとして多くの客で賑わっていた。

 

 主に会社帰りのサラリーマンという客層が目立つその中で、ユノが接客する席には仕事終わりのOLが見受けられる。そうしてホステス達が各々の方針や個性を活かしながら客と談笑する光景を、自分はレダと一緒に眺めていたものだった。

 

 つい先ほどまでは、別のホステスがこちらの席を担当してくれていた。だが、そのホステスが指名されたことで彼女はこの席から離れてしまい、自分達は現在ホステス待ちの状況に置かれていた。

 

 尤も、プライベートではあるもののレダがついてくれていたため、店側もそれを把握してか従業員を他のテーブルに回していたものだ。

 

 それもそのはずで、本日の営業も大いに繁盛して多忙を極めていた。

 実質的な何でも屋として、ホステスを借りることができる。そんな店のシステムの都合上、出勤できる従業員がどうしても不足してしまうらしい。これによって本日はメーとシュラを含む多くのホステスが同伴に駆り出されていて、店では一人のホステスが複数人を相手するという場面が見受けられていた。

 

 みんな忙しそうだな……。

 その笑顔の裏にある疲労を、毎日のようにアパートの部屋で見る自分。時には死んだように眠る彼女らの素顔を知る一方で、今の状況に対して心の中で労わりの言葉を掛けることしかできない自分にもどかしさを感じてしまう。

 

 これが表情に表れていたのだろうか。ふとこちらに向いてきたレダが、頬杖をついたサマで淡々と喋り掛けてきた。

 

「カンキ君がそんな顔をしなくてもいいのよ? 此処は主に、社会復帰の見込みがある罪人が何かしらのキッカケで引き寄せられてきて、自分の過去を清算するためにあらゆる奉仕を尽くすべく汗を流す場所なのよ。こんなに忙しい労働だって、今までに経験してきた修羅場と比べれば序の口な方でしょう。だから、あなたがそんな顔をしないでちょうだい。わたし達に同情という言葉は要らないのよ」

 

「社会的に見れば、確かにそうなのかもしれないけど。でもやっぱり俺は、此処の人達と共にした時間がそれなりに長かったりするものだから、どうしてもみんなのことを知人の一人として見ることしかできなくて、みんな大変そうだなって、労わりとして俺に何かできないかなって、そんなことばかり考えちゃうもんだよね」

 

「わたしが懸念しているのは、それによってあなたが疲れてしまうことにあるの。みんなのためを想ってくれるその気持ちは、わたし達にとって身に余るほどの温もりでもあって、素直に嬉しく思えるものであることは確かよ。ただ、それによってあなたが不幸を被れば、それはわたし達の責任にもなるの。みんなに迷惑を掛けたくなんかないでしょう? なら、あまりこの店の従業員に肩入れしない方がいいわよ」

 

「俺の身を案じてくれてありがとう。でも、これが俺の性分なのかもしれない。責任云々はこの店の共通認識であるのかもしれないけれども、もし俺に万が一の事が起こっても、それはみんなの責任なんかじゃない。……ってことにしたいんだけどなぁ」

 

 こちらの言葉を耳にして、レダは頬杖をついたその状態で素っ気ない視線を向けてきた。

 彼女にしては珍しく、妖艶さの欠片もうかがわせない。どこか冷めたような瞳もしていて、さぞこんな自分のことを愚かしく思っていたことだろう。

 

 暫しして、レダは鼻でため息をついていく。そしておもむろに立ち上がっていくと、次にも彼女はそれを提案してきたのだ。

 

「ちょっと思い出したことがあって、少しだけ控室に寄りたいのよ。カンキ君、あなたを一人にするわけにもいかないし、これからわたしと一緒に来てくれないかしら~?」

 

「……いかがわしいことのお誘いじゃないよね?」

 

「違うわよぉ。衣装。わたしのタキシードを取りに行きたいの。今着ているやつをクリーニングに出したいなぁって思ったのよ。意外とかさばるから、荷物持ちがいてくれると助かるんだけどぉ~?」

 

「なるほど、荷物持ちね。それなら喜んでついていくよ。俺にできることなら手伝いたいからさ」

 

「ウフフ、カンキ君ならそう言ってくれると思ったわぁ」

 

 こちらへ歩み寄り、妖艶に笑んでみせたレダ。彼女は獲物を捉えるような瞳で誘惑的に視線を投げ掛けてくると、テーブルにソッと添えた右手を滑らかに動かしつつ、しかしどこか卑猥な印象を与える指の動きでこちらへと手を差し伸べてきた。

 

 

 

 控室に向かうべく、レダと共に店内を歩き出した自分。

 その際にも、彼女は周囲に見せ付けるようこちらの手を引いて先導してくれていた。これによって周囲からやけに注目を集めてしまい、自分は何か思われそうだなと、そんな不安を少し抱いてしまいながらもレダのあとをついていく。

 

 と、真っ直ぐ控室を目指していた進路の先にて、凹型の業務用ソファで接客を行っていたラミアのテーブルを通り過ぎる。……かと思いきやレダはそこで足を止めて、振り返るなりそのテーブルで談笑を交わしていた六名ほどのサラリーマンのグループへと、欲情を煽る声音で喋り掛けていったのだ。

 

「あらぁ、随分と楽しそうにしているじゃな~い? 何のお話しをしていたのかしらぁ?」

 

 レダの声に、一同が振り向いてくる。この視線を受けてなのか、次にもレダは近くに座っていた一人の男性の背後へと回り込み、直後にも彼の背中にその豊満な乳を擦り付けながら、男性の頬を右手で艶やかに撫で掛けつつ言葉を続けてきた。

 

「自分の娘さんくらいの女の子とお話しすることも楽しいのでしょうけれども、やっぱりお父さん達も立派なオトナなんですから、こういう男女の色欲でしか得られない刺激なんかも時には欲しくなったりするんじゃな~い?」

 

 背中のたわわな感触に、男性は気恥ずかしさから俯いてしまった。

 この誘惑を前にして、ラミアが「あのー、ちょっとレダさーん。今日はオフなんですから、ウチのお客を取らないでくれますー??」と若干キレ気味に呼び掛けていく。これに対してレダは意地悪な微笑を見せてくると、自身の乳袋を一層と擦り付けていきながら、男性の耳元で艶やかに囁いてみせたのだ。

 

「ウフフ……あなた、さては童貞でしょう? 反応とか雰囲気とか、あと匂いで何となぁく、わかっちゃうのよねぇ。……ねぇお兄さん。次に来店してくれた時にぃ、もしわたしのことを指名してくれたらぁ~……わたし、同伴先でしてあげちゃおうかな~? お兄さんの、筆おろし。……ウフフ、どう? 約束してくれる~?」

 

 ウブなオトコが好物と言うだけあって、レダは直感で発見した獲物へとかぶり付くようそれらの言葉を浴びせていく。この耐え切ることなど不可能に等しい刺激的な誘惑に男性は、顔を赤らめながらも控えめな声で「ぁ、ハイ……まぁ、じゃあ、指名します……次……」と言って、更に俯いてしまった。

 

 レダの誘惑に、周囲の男性陣もノリ気な様子を見せていく。そうしてセクハラまがいの言葉が飛び交うレダの領域があっという間に出来上がったことによって、この場を支配していたラミアは敵対する眼差しを彼女に向けながらそれを喋り始めた。

 

「ちょっとレダさん。お客の横領はウチの売上に影響出るんでやめてください。アレですね。他人のお客を、ご自慢のおカラダで誘惑するコトでしか、ごジブンのお得意様を集められないなんて、レダさんもとんだヘタレさんになっちゃったモンですねー。こーいうモノは人間性で真っ向勝負するモンですよ??」

 

「あらごめんなさぁい、ちょっと大人げなかったかしらぁ? ウフフ、わたしも罪深いオンナになっちゃったわねぇ。男性諸君を魅了することしかできないカラダだなんて、あーあ、日常的にいかがわしい目を向けられて本当、困っちゃ~う」

 

 屈んでいた姿勢を持ち上げて、乳をユサッと意図的に揺らしながら佇み始めたレダ。その表情は優越感に浸っており、彼女の様子にラミアは余計にその額へ血管を浮かばせていく。

 

 だが、敵対心丸出しなラミアを他所にして、次にもレダは先ほどの男性の両肩に両手を乗せながら、再度と屈んで目の高さを合わせ、囁くというよりは周囲に聞こえるような声でそれを喋り出していったのだ。

 

「でもねぇ、抱き心地の良さで言ったら、あのコもわたしに劣ってなんかいないわよぉ? そりゃあ出るべき場所は出ていないけれども、あのコはこのお店で一番とも言えるほど自分磨きに徹している、根は真面目なタイプなの。だから、お肌はツヤツヤで若々しいし、スタイルも幼げを売りにした合法ロリ体型だし、お胸は控えめだけど乳首の色は薄いピンク色でとても綺麗だし、やっぱり一番は“アソコ”の清潔感でしょうねぇ。同伴でいつ誰に見られてもいいようにって、ラミアはカラダのケアを欠かしたことが一度も無い律儀なホステスなんだから。まぁ、もちろんわたしが一番でしょうけれども、男性諸君、良かったらラミアの相手もしてあげてちょうだいねぇ?」

 

 考える間もなくスラスラと言葉を述べてきたレダのプレゼン。ラミアを理解しているからこその自然な売り込みを急にぶっ込んできた彼女の行為に、自分もラミアも呆然といった表情でただただレダのことを見遣ってしまう。

 

 で、レダのプレゼンを耳にしてからか、男性陣の意識は次第とラミアに向かい始めていく。特に合法ロリ体型という言葉は彼らに背徳的な刺激を与えたらしく、ラミアとの同伴を望む声が次々と挙がり出していた。

 

 その様子を外野で眺めていたレダは、最後にウブな男性へと「あなたからの指名、待ってるわよ」の一言を残してから、待たせていた自分を連れて存在感を消すよう音も無く控室へと歩き出していった。

 

 後日になって聞いた話では、この日で一番の売上を記録したのがラミアだったとのこと。それを聞いて真っ先と思い浮かんだ場面が、先にも交わされたレダとのやり取りだった。

 

 そうして控室に到着した自分らは、レダが持ってきたタキシード入りのガーメントケースだけを持って会場へと引き返していく。その道中でも、見渡すばかりのテーブルで接客が行われていく光景を目にしながら進んでいくと、そこで通りすがろうとした女性客の集まるテーブルの真横まで来て、レダはまたしても足を止めていった。

 

 女性客を専門とするユノのテーブルには、凹型の業務用ソファに五名程度のOLというキャバレーとしては珍しい景色が広がっていた。そこには、女帝の如き威厳ある美しいホステスから与えられる安心感で癒されようという、知る人ぞ知る癒しスポットとして常連の女性客が並んでいたものだ。

 

 この日も、ユノの凛々しくありながらも親身となって聞き役に徹してくれる接客態度に、女性客はお酒の入ったコップを片手に笑ったり、泣いたり、時には怒ったりなんかもしていた。それは主として、職場や家庭などで蓄積した鬱憤をユノに聞いてもらい、それに対してユノは女性客に共感し、労わりの言葉を投げ掛けてから、今の気分に合った飲み物を勧めたり、時には頭を撫でたりなどして絶対的な安心感をもたらしていくというもの。

 

 女性客が抱く日頃の不満と真正面から向かい合ってくれるその姿勢が、女性客にとっての救いになっていたことだろう。常に店内売上の上位を独占するユノの商売方法は、そうして客に寄り添うスタイルで成り立っていたこともまた事実。

 

 そんなユノのテーブルでレダが立ち止まり、自分は内心で「また何かするつもりなのかな……」という不安を呟いていく。そして、予想通りとも言うべきかレダはその席に近付いていくと、コップを手に持って泣いていた女性客と、彼女の隣に座るユノへと言葉を投げ掛けていったのだ。

 

「ユノさんも大変ねぇ。今日もずっと相談に付き合わされて、さぞお疲れでしょう~? そんな商売で売上一位を出し続けていても、こんな、愚痴を延々と聞かされる毎日なんかを送っていたら、いずれはあなたが病んでしまうかもしれないわねぇ。そうしたらもう、あなたはこのお店で大好きな一位でいられなくなるでしょうに。身を削ってまで、よくやるわよ。本当に」

 

「レダ。それが私に対する労わりの言葉であるのならば、道徳に沿った意味合いを含む言葉を選びなさい。敢えて毒を孕んだその物言いは、耳にした第三者にあらぬ誤解を持たせることになるわ」

 

「ウフフ、いいわねぇ大人気のホステスさんは。心にも余裕がある分、こうして要らない説教も垂れてくるんだから」

 

 どこか憎まれ口な調子で喋るレダは、その視線をユノから隣の女性客へと向けていく。

 泣いていた彼女は、レダのことを快く思わない目で見ていたものだ。しかしレダはお構いなしと言わんばかりに、妖艶ながらも悪だくみをするような表情で言葉を投げ掛けていった。

 

「聞こえてきたわよぉ? 何やら気になるお相手がいらっしゃるのだとか。……でも、お出掛けにお誘いする勇気を出せない自分に嫌気が差して、自己嫌悪に陥っているみたいじゃない。まぁ当然よねぇ。誘えないだけで泣き出しちゃうほどの奥手なその性格、あなたは正真正銘の臆病者よ」

 

 人格が変わったかのように、女性客へと攻撃し始めたレダ。これにユノが「レダ、口を慎みなさい」と鋭い調子で注意を行ってくるのだが、そうして横から口を出してきたユノへと向いたレダは次の瞬間にも、ソファに座る彼女へと後ろから覆い被さり、そしてあろうことか客の目の前でユノの唇を奪ってみせたのだ。

 

 ユノの顔を手で無理やり持ち上げて、強引に絡めた舌で上を向かせた女帝の口をこじ開けていく。ユノはユノでレダの熱烈なアプローチに応えるようそのキスに興じていき、二人は客の目の前でありながらも、液体が交わる音を響かせる濃密な口づけを交わしていったものだ。

 

 暫しと続いた、ホステス同士の官能的な接吻。加えて、ユノのシャツへと手を伸ばしたレダは赤色のそれのボタンをゆっくりと外していき、ユノの黒色のレースのインナーへと手を突っ込んでから、何の躊躇いもなく彼女の乳を揉みしだき出す。

 

 あまりにも唐突な出来事を前にして、周囲の女性客は理解が追い付かないと言わんばかりに、ただただ眼前の光景を見守る他なかった。

 

 しばらくして、共に満足したのだろう二人の唇がゆっくりと離れ出していく。

 二人の間には、双方を繋ぐ唾液の糸が引いていた。それが照明の輝きによってキラキラと光を帯びていた中で、恍惚とした表情のユノがレダに対し、凛々しくありながらも声量を抑え込んだ調子でその言葉を口にしていった。

 

「……レダ、場所を弁えなさい」

 

「ウフフ。とても引き締まっていて、ハリと弾力のある柔らかな唇……。ユノさんとのキスは心地良くって、わたし大好きよ~。そういうわけで、ご馳走様」

 

 女帝に引けを取らないとも言うべきか。レダの行為に周囲はちょっとだけ彼女の見る目を変えていくのだが、一人だけ、レダの行いに穏やかじゃない様相の人物が存在していた。

 

 ユノの隣に座っている、先ほどまで泣いていたその女性客。レダに辛辣な言葉を掛けられた彼女は魂が抜けたような表情で硬直してしまっており、そんな女性客を見遣ったレダは彼女の肩に手を置きつつ、淡々とした調子でそれを喋り出していった。

 

「奥手な自分に嫌気が差す気持ちくらい、わたしにもよく分かるわよ。けれども、自分がそうして行動を躊躇っている間も、時間や相手はあなたのことを待ってくれているわけじゃない。勇気が出せずに踏み出せないでいる間にも、あなたが想う相手はもしかしたら、他の誰かと結ばれるかもしれないのよ。だから、後になって後悔するくらいならば今、この時だけでも勇気を出して、その相手を遊びに誘ってみてもいいんじゃないの……って、わたしは思うけれどね」

 

 レダから掛けられたその言葉と、真っ直ぐ向かい合っていった女性客。彼女は瞬きすらも忘れたその意識でレダを直視していくのだが、レダは言いたいことを言い終えると共にして置いていた手を彼女の肩から離していき、淡泊な表情のままユノのいるテーブルから歩き去っていく。

 

 レダはすぐにも、少し遠くで待っていたこちらと合流して「さぁ、戻りましょう?」と艶やかに喋り出してきた。これに自分も「わ、わかった」と返事をしてから、彼女と一緒に自分達の席へと向かっていった。

 

 その間にも、後ろの席からはユノを同伴に誘う女性客の声が聞こえてきたものだ。

 

 

 

 

 

 一連の出来事を介しながら、自分らの席に戻ってきた自分とレダ。持ってきたガーメントケースを脇に置き、二人で椅子に腰を掛けてから一息ついて落ち着いていく。

 

 ……こうして一段落した空気になったところで、自分はレダへとそれを話し掛けてみた。

 

「レダ、自分を悪者として仕立て上げなくてもいいんじゃないかな」

 

「……ウフフ、何のことかしら?」

 

 こちらに向いてきたレダが、不敵に微笑んでくる。その目つきや口元が艶やかに色気を放ってくる中で、自分は一連の出来事で思ったことを言葉にしていった。

 

「相手を敢えて煽ったりしているのって、その相手を後押しするためにやっていることなんだよね。それをわざわざ遠回しな手段でやっているのを見ていてさ、そんな、代わりにレダが嫌われるようなことは別にしなくてもいいんじゃないのかなって、俺は思っちゃったんだけど……」

 

「その役が、わたしにお似合いなだけなのよ。わたしは憎まれ役。このカラダで嫉妬を向けられて、身に覚えのない恨みを買って評判を下げられるだけの負のオンナ。周囲はわたしという存在のことを、疎ましく、そして気に食わなく思っていたでしょうね。……誰かのためを思って起こした行動も、見た目が不純だからって理由で感謝どころかあらぬ疑いをかけられてきた。前にもそんなことをカンキ君に話したりしたけれど、わたしのこれまでの人生はね、憎まれ役というレッテルによって成り立っていたものだったのよ」

 

「だからって、そんな卑下しなくても……」

 

「卑下? 違うわよ。事実よ、事実。少なくとも、これまで生きてきた中ではそのような経験しかしてこなかったから、それ以外の手段や方法なんか知らないし、今の状況から変わろうとも思えない。いえ……もう、変われないのよ。わたしはこの先も憎まれ役として生きていく。そう、相場が決まっているのよ。世間じゃあね」

 

 嘲笑混じりに喋るレダは、一通りと喋った後に視線を逸らして口を噤んでいく。その際にも見せた虚しげな表情の横顔がやけに印象的だったことから、自分はそこから暫しと考えを巡らせた後に、唐突でありながらも彼女へとそれを提案してみたのだ。

 

「レダ、同伴しない?」

 

「同伴? ウフフ、カンキ君から誘ってくれるだなんて、なんだか珍しいじゃな~い?」

 

「レダと二人だけで過ごす時間が欲しくなっちゃってさ」

 

「ウフフ、そう? それじゃあ~……しましょっか、同伴。カンキ君はどんなアプローチで夜のお誘いをしてくれるのかしらぁ。カンキ君のデートプランが今から楽しみだわ~」

 

「まぁ……レダがその気でいてくれるのなら、そのつもりでどこかお出掛けしよっか」

 

 艶やかに話すレダを見て、自分は改めて彼女を大切にしようと決心した。

 

 レダが楽しいと思える場所に連れていってあげよう。レダが満足できるような何かを体験させてあげよう。彼女の要求にはできる範囲で応えてあげたいし、それで彼女が笑ってくれれば自分としても喜ばしく思えてくる。

 

 自分に何ができるかなんて分からない。ただ、自分から手を差し伸べたことによって、もしかしたらレダは何かを発見できるかもしれない。そんな可能性に賭けてみたいなと思った時には既に、自分から同伴のお誘いをしてしまっていた。

 

 久方ぶりとなる、レダとの同伴。その提案をしてからというもの、自分とレダは何処に出掛けるかなどの話し合いで、この日の夜を過ごしたものだった。

 

 次回はレダとの同伴だ。それも、メーに続く濃厚な夜の予感がする同伴になることだろう……。



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第42話 La tentation de la rose 《桃の誘惑その2》

 夕食時となった夜の時刻。これから夜行バスに乗って出掛ける予定があったため、自分はアパートの自室にてトートショルダーバッグに携帯品などを入れて荷造りを進めていき、それの準備が一段落した段階で「ふぅ……」と一息つきながらその場でボーッとしていた。

 

 自分の後ろには、ベッドに寝転がりながらスマートフォンを操作している寝間着姿のラミアがいる。同伴関連の相手と連絡を取り合う彼女が真顔でそれと向かい合っていく中で、ふと玄関扉の開く音で自分とラミアはそちらへ振り向いていった。

 

 直にも姿を現したのは、いつもの私服姿であるレダだった。黒色のスーツケースとビニール袋を提げた彼女が艶やかな表情と共にこちらへ歩み寄ってくると、荷造りを終えていた自分に対してそのような言葉を投げ掛けてきたものだ。

 

「カンキ君お待たせぇ~。時間ギリギリでごめんなさいねぇ」

 

「全然大丈夫だよ。まだバス停まで歩きで向かえる程度の時間だから、ゆっくりやっていこ」

 

「ウフフ、ありがとうカンキ君。それにしても本当、同伴までに間に合って良かったぁ。ホームレスの患者さんに重度の病気が見つかって、やむなく緊急手術をしていて遅くなっちゃったのよ~。あぁこれね、診察が長引いちゃったお詫び。コンビニで軽食を買ってきたから、行きのバスの中で食べていきましょ~?」

 

「さも当たり前のように話してるけど、今しれっととんでもないこと言ったよね」

 

 闇医者である彼女ならではの理由とも言えるだろうか。

 それはともかく、自分は「夕食も買ってきてくれてありがとう」とレダにお礼を言ってから、準備してあったバッグへと手を掛けていく。だが、そんなこちらの姿を眺めていた彼女は、次の時にも魔性の微笑みを浮かべながらそう呟いてきた。

 

「ウフフ……あとは、カンキ君の最終チェックだけね」

 

「え?」

 

 振り向いた時には既に、こちらへの接近を果たしていたレダ。そして彼女はおもむろにこちらへ抱き付いてくると、そのまま顔をこの首元に埋めていき、そこのニオイを嗅ぎ始めてきたのだ。

 

 急に抱き付かれ、更には体臭を嗅がれている。唐突と巡ってきた呆然と羞恥の気持ちに自分が混乱していくその中で、レダはどことなく喘ぐような声音を出しながら、味わうかのようにただただこちらのニオイを嗅ぎ続けていく。

 

 首筋を辿るように鼻を沿わせ、更には肩や鎖骨辺りも堪能する。そして彼女は艶やかに笑みながら顔を上げてくると、鼻先が触れ合うようなその距離で、メスのフェロモンを醸し出した魅惑のオーラを放ちながら喋り出してきた。

 

「合格よぉ~、カンキ君。よくこの日まで禁欲できました。傍には魅力的なホステス達がいっぱいいる中で、えらいわぁ」

 

「に、ニオイで分かるの……?」

 

「確信は無いけれどねぇ。強いて言えば、勘よ。オンナのカン」

 

「これは侮れないな……。レダに言われた通り、確かに同伴の約束をしたあの日から“そういった行為”は控えてあったけれど……」

 

「ウフフ、自分でも“済ませなかった”の、えらいわねぇ。あなたのそういう誠実なところ、わたしだ~いすき」

 

 色気を伴って微笑んだレダは、言葉を終えると共にしてこちらへ軽いキスを行ってくる。そのソフトな接触に自分も応じるよう唇を重ね合わせたこの脇で、ラミアがジト目で眺めつつそう口を挟んできたものだ。

 

「ホント、レダさんって余計なコトをしてくれますよねー。おかげさまでウチ、ココ数日は溜まった鬱憤をカンキさんで晴らすコトができなかったんですからね。いくらウチがエッチをお誘いしても、アタマのお固いカンキさんは『レダとの約束ダカラー』の一点張りで断ってきてたんですよ?? せっかくコチラから誘ってあげていたというのに、ホント困ったモンですよ全く」

 

「あらぁ、そうだったの~。ウフフ、ラミアの誘惑にも負けずにわたしの約束を優先してくれたの、とっても嬉しいわぁ。それじゃあわたし、約束を守れた誠実なカンキ君のために、今回の同伴は特別に有料オプションを無料でサービスしてあげちゃおうかしらぁ」

 

 こちらの頬を掬うように両手をあてがってきたレダ。今にも“捕食”してきそうな彼女の色気に自分が困惑を示していく最中にも、ベッドに寝転がっていたラミアは適当な調子でその言葉を口にしてくる。

 

「それで、お二方はココで欲情しててイイんですかねー。夜行バスのお時間、そろそろだと思いますけど」

 

 そう言えば、そうだった……!

 

 ハッと目を覚ますように立ち上がる自分。レダもこちらに合わせて立ち上がると、自分らは準備を済ませてあった荷物を身に付けながら、ラミアへとそれを頼んでいった。

 

「それじゃあラミア、ちょっとレダと遠出してくるよ。明日も向こうで夜行バスに乗って帰ってくるから、ここに戻ってくるのは明後日になる予定かな」

 

「ホーイ。ま、どーせ“お泊まり”するでしょーから、お二人ともコチラは気にせずご自由にどーぞ」

 

「お泊まりはまだ分からないけれど、予定としてはそんな感じってことで。じゃあ行ってくるね。ここはよろしく、ラミア」

 

 トートショルダーバッグを掛け、レダと一緒に玄関へ歩き出していく。そんなこちらの背を寝転がりながら見送るラミアの視線を受けながら、自分はレダと共に龍明のバス停留所へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 発進したバスの中。乗客達が静かに会話を交わすその空間にて、自分もレダとのささやかなやり取りを交わしていく。

 

 窓側に座る彼女が、コンビニで買ってきたというおにぎりを取り出してこちらへ差し出してくる。既に包装を解いてあったそれを見て自分は受け取ろうとするのだが、ふとレダは思いついたようにおにぎりを引っ込めていくと、次にもこちらへ身体を寄せながら、控えめな声量で艶やかにそう喋り出してきた。

 

「ウフフ……はい、ダーリン。あーん……」

 

「れ、レダ」

 

「いいからぁ。ほらぁ、あーん」

 

「ぁ、あーん……」

 

 復活したダーリン呼びに不意を突かれ、ここがバスの中ということも相まってか動揺してしまった自分。しかし、それがレダの要求であるならば応じていきたいという思いの下に、自分は彼女との夫婦ごっこに興じるようレダとの熱々なコミュニケーションを図っていったものだ。

 

 夜行バスに揺られながら眠りにつき、朝方になって目的地に到着した自分ら。季節が冬であることからその外界は冷え込んでおり、加えて、ここが都会ではない田舎町であることから余計と気温が低く感じられてしまう。

 

 ここは、特筆する点が無いごく一般的な団地だった。言うなれば周囲に見受けられる集合住宅とゆとりのある敷地が特徴とも言える地域であり、通路に沿って植えられた緑と、遊具が整えられた公園が生活環境の豊かさをうかがわせる。

 

 また、都会では無縁とも言えるだろう雄大な山を遠くに確認できた。それは深緑と浅緑の二色が交わっており、浅緑の部分からは人影と思われる動きが見て取れる。これらの点から、この地域は龍明では味わえない新鮮さや解放感を堪能することができ、後述する要素も含めて、澄み切った空気というものを楽しめる空間であることを感じていく。

 

 そんな自分らは現在、学校の校庭に佇んでいた。

 ここは小学校だ。しかし、バスに留まらず付近には軽トラなどの車も見受けられ、その上、関係者と思われる人々が周辺でせっせと屋台を準備する様子などもうかがえる。

 

 今日、ここで冬祭りが行われるのだ。つい今まで乗ってきた夜行バスはそのお祭りのために運行されていたものであり、自分らも今日この冬祭りに参加するべく、そのバスを利用してこの地に訪れたというもの。

 

 そうしてバスから降りた自分達を迎え入れてくれたのは、身体の節々まで染み渡る極悪な冷気だった。

 

 田舎町の凍えるような寒さに、自分は思わず両肩を押さえるようにしながら震えていく。だが、続けてバスから降りてきたレダはワンピース姿でありながらも寒がる様子を全く見せず、さすがにコートは羽織っていたものだが、それでも厚着しているこちらをからかうような視線を投げ掛けながら、彼女はこちらへ寄り添いつつそう喋り出してきた。

 

「あらあらぁ、この程度で震えあがっちゃうの~? ダーリンってば軟弱ぅ」

 

「い、いやいやいや、むしろレダはなんで平気なの……?」

 

「ん~? これくらいどうって事ないでしょう? まぁ強いて言えばホームレス生活で寒さに慣れたから? それか~……ウフフ、わたしの身体にはそれなりに脂肪がついているから、とかかしらねぇ?」

 

 と言って、レダはこれ見よがしに豊満な乳を擦り付けてくる。

 

 他の人達が周囲にいる公然の中、自分は慌てるように「れ、レダ、ちょっと周辺を散歩しよう! あ、歩けばきっと俺も温かくなると思うから!」と提案を持ち掛けた。それを耳にしたレダは艶やかに笑ってみせると、直後にもこちらの耳元に口を近付けながらそれを囁いてきたのだ。

 

「う~ん……散歩も別に悪くないけれど~、それとは別にもっと簡単に身体が温まる方法があるわよぉ? ほら、二人で愛情を育む行為とか……」

 

「そうやってまた、ナチュラルに誘ってくる……。それも非常に魅力的なお誘いではあるけれど、せっかく遠出したんだから今は景色を楽しむために散歩がしたいな。……ね? そうしよ?」

 

「あぁん、おあずけだなんてダーリンってばドSぅ」

 

「ちょ、ちょっと、他の人がいるから……っ!」

 

 レダの甘い声が、周囲の視線を集めてくる。これに自分は慌てるように歩き出していくと共にして、繋いだ手を引いて彼女を連れ出すようにしながら、暫しレダと一緒に町の中を軽く散策したものだった。

 

 

 

 

 

 レダとの散歩によって、早朝の冷気も次第と心地良く感じ始めてきた頃合い。初めて訪れた地に対する理解も深まってきたその時には、同伴の目的であった冬祭りが開催の兆しを見せていく。

 

 今回のお祭りは、午前から始まる催し物だった。特に、この地域の、この季節の昼頃にやってくる寒波がお祭りの醍醐味になるらしく、内容は後述するものの自分らはその物珍しさによって今回の同伴先を決めたものでもあった。

 

 時間は過ぎ、小学校の近くにあった商店街へ足を運んでいく自分ら。すると、そこでは既に地元の人々と思われるラフな格好の人混みで溢れかえっており、この通路に張り出された冬祭りのペナントや、立ち並んだ屋台や商店の数々。また、白装束の女性が地元の滝をPRする看板を手に持って佇んでいる様子などがうかがえた。

 

 自分らの目的はまさに、この商店街の奥で流れる滝にあった。しかし、せっかくなので出店を回りながら向かおうかという話になり、自分はレダと手を繋ぎながら、ふらっと巡るようにその通りを進み始めていく。

 

 都会とは異なる、開放的な空気感。特に、学校や団地が近いからか小中学生の小さな子供が多く見受けられ、その様子からこの冬祭りは、賑わいというよりも和気藹々とした親しげなものを感じられたものだった。

 

 華やかというよりは、エネルギッシュな印象だ。通りすがる子供達を横目で見送りながら内心で抱いていくそれ。周囲の活発さに自分も元気が貰えるなぁと心の中で思っていくその傍らでは、向けられていた不特定多数の視線が、隣のレダに集まっていたことにも薄々と気が付いていく……。

 

 ……艶やかに歩く姿と、挑発的な色気を放つ存在。特にオスの本能を刺激してくる彼女の容貌は、子供であっても思わず惹かれてしまうことだろう。

 

 珍しさと見惚れ、そしてふしだらな視線。レダに魅了された人々が彼女に注目するその中で、レダはそれに慣れた様相でむしろ得意げになりながら、見せ付けるようにこちらの手を握り締めつつ、かと思えば一つの屋台を指差すなり唐突とそれを言い放ってきたのだ。

 

「あらぁ、見てぇカンキ君! “ちんちん焼き”ですって~!!」

 

「え、えっ。ち、ちん……?!」

 

 人通りの多い商店街で何言ってんの!?

 驚きのあまりに声も出なかった自分。TPOも弁えない発言に思わずギョッとした目で隣の彼女を見遣ってしまったのだが、レダの言う通りに自分もそちらへ視線を投げ掛けていくと、確かにそこには『ちんちん焼き』と書かれた屋台が眼前に存在していて……。

 

 ……マジだった。

 信じられないという気持ちのまま、この足は自然と『ちんちん焼き』の前で立ち止まっていく。同時にしてレダと共に眺めたその屋台にて、扱われていた食べ物に対して良いのか悪いのかよく分からない安心感さえも抱いてしまえたものだ。

 

 その見た目は、言ってしまえばたこ焼きのような形をしたお菓子だった。真ん丸とした球体がオトコの“金的”を彷彿とさせるものの、そこから香ってくる匂いは焼き菓子そのものでこちらの食欲を煽ってくる。この、どうしても名前に引っ張られてしまう第一印象に自分は言い知れない感情を芽生えさせてしまうのだが、その脇ではレダが意気揚々としたサマで店主のおじさんとこのような会話を交わしていた。

 

「おじさまぁ、この『ちんちん焼き』ってどんな食べ物なのかしらぁ~?」

 

「ぉ、おほぉぅ、こりゃ思い切ったお嬢さんだ。こいつぁまぁ、ベビーカステラのようなもんだよ。人形焼って知ってるかなお嬢さん。これは、その人形焼の餡が無いバージョン。まぁ丸くなったカステラみたいなおやつだよ」

 

「へぇ、それを『ちんちん焼き』って言うのねぇ。ウフフ、名前が名前ですから、やっぱり男子にウケが良かったりするんじゃないかしらぁ?」

 

「そりゃもう! こぞって『ちんちん焼き』を連呼する輩で大盛況ですわ! 年齢も年齢なもんで、子供たちはみんなそういうのが好きみたいでねぇ。こうして屋台を出しちまえば、面白半分でバンバン買ってくれますわ。おかげさんで、この地元の名物みたいにもなっててねぇ……どうだいお嬢さん。お嬢さんも『ちんちん焼き』いかがかい」

 

「ウフフ……おじさまの『ちんちん焼き』、とても魅力的に見えてきちゃった。それじゃあおじさまぁ、この『ちんちん焼き』、十五個入りのやつを見繕ってもらえるかしらぁ」

 

「毎度ぉ!! 十五個入りは四百円ね!! ついでに二個、オマケしておくよ!! ……お嬢さんからの『ちんちん焼き』一丁ぉぉぉぉ!!!!」

 

 飽くまでこれは正式な焼き菓子の名前であり、それ以外の意味は無い。つまり、これは決していかがわしい単語ではないため、伏字にする必要も無い……はずなのだ。

 

 レダはレダで、敢えて商品名を強調するようにそれを口にしていたものだ。もちろんこのやり取りは周囲にも聞こえており、特に男性や男子が聞き耳を立てながら、どこか背徳的なものを見る目でレダに注目していた様子だった。

 

 何はともあれ、焼きたての『ちんちん焼き』を頂いた自分らは、十七個のそれが詰められた袋を受け取りながら店主にお礼を伝えていく。そうして立ち去る際にもレダは、「おじさまの『ちんちん焼き』、口の中でしっかり味わいながらいただくわね~」と爆弾のような置き土産を残したことによって、おじさまはたいへんよろこばれているようにもうかがえた。

 

 そんなこんなで、購入した焼き菓子をつまみながら商店街を歩き進めていく自分ら。どうしてもネーミングに意識が向いてしまう食べ物ではあったが、お味自体は控えめな甘さで食べやすく、口に入れやすい真ん丸なフォルムと、焼き菓子のふわふわ感がまさに、ながら歩きに持ってこいな代物でもあった。

 

 歩きながらつまむのに最適なおやつで、けっこうイケる。やはり第一印象だけで決めつけるのは良くないなと改めて思いながらレダと一緒に『ちんちん焼き』を堪能し、気付けば自分らは当初の目的だったその観光スポットに到着していた。

 

 商店街の通りを抜け、奥に続く道を進むにつれて周囲の景色は団地から渓谷へと変化していく。段々と広がり始めた緑は苔のように茂り出し、それが草木となってびっしりと生え出していた。それは高いもので膝くらいまで伸びたものも存在しており、そんな豊かな自然による植生がこちらを迎え入れてくると同時にして、地面も水気を帯びた土となり、色も黒色に近い茶色となって、次第と脇に渓流が流れ出してくる。

 

 渓谷のど真ん中。最深部とも言える場所を歩く自分とレダは、直にも目の前に見えてきた壮大な滝を目撃して感嘆を零していった。

 

 爆音を立てて水飛沫を散らす滝。高さ八十メートルほどから落ちてくるそれは、階段のような形状を象って川と合流する。段々となった滝はその過程で本来の威力を損なっており、滝つぼに近しい場所にある浅瀬には、地元の人間による監視の元で多くの人々が集まっていた。

 

 中には、一緒のバスに乗ってきた乗客と思しき人物らも見受けられたその団体。彼らはみんなして白装束を身に纏い、頭上から降り注ぐ滝に打たれては悶絶に近い表情でその極寒を堪能していく。

 

 これこそが、この冬祭りの醍醐味とも言える行事だった。

 真冬の滝に打たれ、その冷え切った清らかなる水で穢れを除き去る。特に、この地域の、この季節の昼頃に流れてくる渓谷の冷風が、滝で汚れを落とした清らかな身体に金運を授けてくれると言うのだ。

 

 過去には、これで宝くじが当たった人もいたらしい。そこからこのお祭りは次第と知名度が広がり始めて、今では専用の夜行バスを走らせる程度には全国に普及したとのこと。

 

 お出掛け先をレダと一緒に調べていく中で、たまたま見つけた冬祭りの口コミに興味が惹かれていく。次にも、真冬なのに滝に打たれて、更には冷たい風も浴びるのかと会話が弾んだ自分らは、じゃあ同伴でここに行ってみようという話になって今に至るというわけだった。

 

 そんなわけで、観光客も体験できる滝行に自分らもさっそく参加した。

 二人で白装束に着替え、一緒になって滝へ向かっていく。その際にもレダと手を握りながら共に浅瀬へと足を入れ、そして恐る恐ると滝に身を突っ込んで、痛いほどの極寒に思わず彼女と震え上がったものだった。

 

 二人で歯を鳴らし、繋いだ手が離れる勢いでガタガタ震えながら暫し滝を浴びていく。そして係員に滝から出るよう促され、最後に吹きすさぶ渓谷の風を全身に浴びてから、ガンガンにつけられたストーブの前で二人、白装束のまま暫しうずくまっていった。

 

 周囲にも、やはりと言うべきか顔を真っ青にした観光客が見受けられた。それはレダも例外に漏れず、彼女はこちらの僅かな体温さえも貪るように抱き付いてくるなり、そのままじっと、身体を震わせながらべったりと密着してきていた。

 

 ……なんか、木にくっ付くコアラみたいで可愛いな。

 ふとよぎってきた思いを内心で呟いていく自分。その最中にも、レダは更なる体温を求めるようにより一層とこちらに抱き付きながら、震える口元で弱々しくそれを喋り出してきた。

 

「ささ、さすがにここの寒さはほ骨身みにここたええるわねね……」

 

「れ、レダでもこの寒さはダメだったか……」

 

「わ、わわたしをなんんだとお思ってるのよよ……」

 

「俺はだいぶマシになってきたから、体温を分けてあげるよ。ほら、おいで」

 

「ん……っ」

 

 むぎゅうっ。二人で抱き合って身を寄せ合うこの空間。その際にもレダの魅惑な肉つきがこちらの全身に密着し、湿った白装束越しでありながらも彼女の女性的な温もりが自分の肌に伝わってくる。

 

 ……あー、ヤバいなぁ。

 レダからのお願いにより、この日まで禁欲を行ってきた自分の肉体。だが、彼女の身体を肌身で感じたことによって、この身体はオスの本能を段々と思い出すかのように自我を持ち始めていく。

 

 ……レダを頂きたい。彼女を襲いたい……。

 悶々と、沸々と湧き出した情欲。主に下半身へと集中し始めた意識と共にして、そんなこちらの欲情を察したのだろうレダが、耳元で囁くようにそれを口にしてきたのだ。

 

「ウフフ……カンキ君、急にオス臭くなってきたぁ。あなた、わたしとのハグで興奮しちゃったんでしょう?」

 

「……やっぱり女の人って鋭いなぁ」

 

「フフッ……ウフフッ、ニオイがどんどん強くなってくる。アフフ……んもぅ、カンキ君ったらわたしで興奮しちゃって……すっごく可愛い……」

 

「…………ッ」

 

 今にも“下”が爆発しそうだった。

 耐え難いほどの切ない感覚。今すぐにも抜き取ってほしい男の(さが)に自分が息苦しさを感じていく中で、レダは鼻先をこちらの頬に擦り付けながら、そのニオイを堪能するように、そして魔性の笑みで口角を吊り上げながらそれを口にしてみせたのだった。

 

「今日まで我慢できたご褒美……。これからカンキ君には、絶頂してしまうほどの心地良いひと時をプレゼントしてあげる……」

 

「…………っ」

 

 

 

 

 

 私服に着替え、お祭りから抜け出すようにひと気の無い路地へと移っていく自分ら。住宅街でもあるそこを更に走り抜けていくと、次にも廃墟のように静まり返った小川の流れる団地に辿り着いた。

 

 川の両側に生い茂る緑。それぞれの脇には道路が伸びており、そして道路に沿うように、住んでいる気配を感じられない住宅の数々が見受けられた。川の傍には萎びた木々が枝垂れるように存在していて、真冬の冷気の通り道とも言えるだろう冷え切った空気感が、もの寂しさを演出している。

 

 川のせせらぎが心地良く、かつ二人だけに等しいこの空間。自分は周囲を確認次第に手を引っ張って連れてきたレダを付近の壁に押し当てていくと、その荒々しい行為に期待の眼差しを送る彼女の誘惑にそそのかされるまま、彼女のワンピースの中に両手を突っ込んで、それを思い切りたくし上げることで彼女の下半身を盛大に露出させていく。

 

 ……黒色の、レースのショーツ。細かな花柄がレダの妖艶さを際立たせ、女性らしい肉付きの下半身に自分は興奮を覚えるまま、彼女の尻や脚、背中を撫で回していく。それに伴いレダからキスを迫られ、自分は彼女の希望に応えるようその唇を貪るように塞ぎ、喰らうように深く、長く、そして熱烈とした口づけを行った。

 

 無理やりと、強引に迫られるやり口に次第と息を荒げ始めたレダ。承認欲求とも言えるだろう自身を必要としてくれるアプローチに、彼女は性的な満足感を見出しているようだ。

 

 閑静の住宅街に響き渡る、二人の唾液が入り混じる音。短く、こもっていて、湿り気を帯びながら何度も繰り返されるねちっこいそれに自分もレダも熱中し、互いに身体をまさぐり、敏感な部位を撫で掛け、愛でて、愛して、共に濡らしていく。

 

 生理現象として溢れ出してきた欲情の証。特に、下半身を露出させたレダの変化は目に見えて著しく、布から零すほどの染みと雫に自分は尚更と欲情を掻き立てられ、昼間の時刻から彼女との行為に没頭してしまう。

 

 そんな最中にも、レダはこちらと目を合わせていた視線を他所へと向けていく。それから彼女は、こちらを一層と抱きしめるよう両腕に力を加えてくると、次にもこの身を抱き寄せながら、耳元で囁くように背後の状況を教えてくれたのだ。

 

「ねぇカンキ君。ギャラリーがいるわよ……」

 

「うそ。全然気が付かなかった……」

 

「建設業の業者さんっぽいオトコの人達。三人とも、わたし達のことをヤラしい目で見ているわ。手にスマホも持ってるから、もしかしたらわたし達、撮られちゃうかも……」

 

「さすがに昼だと野外でも目立っちゃうな……。前にも公園でシたように、やっぱりこういうのは夜にし……っ」

 

 他者の目を気にするこちらの唇を、レダは抱き寄せるようにして塞いでくる。その言葉を遮るように交わしてきた彼女のキスに自分は呆然とも言える様相で向かい合っていくと、思わず黙りこくったこちらに対してレダは上目遣いを行いながらそれを口にしてきた。

 

「ギャラリーが居てくれると、なおさら興奮しちゃうわ。でも、今日だけは……わたしはカンキ君に独り占めにされたい気分なのかもしれない……」

 

「……場所、変える?」

 

「えぇ、そうしましょう?」

 

「本当にそれでいい? 後ろの人達に、レダのあられもないエロい姿を見てもらわなくてもいいの?」

 

「いつもなら撮影も大歓迎なんだけど……でも、今日はカンキ君だけに見てもらいたいの。ねぇお願い? 早くわたしのことを連れ去って……」

 

「分かった。それなら俺は、レダの期待に応えてみせるよ」

 

 たくし上げていたワンピースを下げて、彼女の頭を撫でていく。その後に覆い被さるようなキスをこちらから行ってからレダの手を取り、彼女をこの場から連れ去るように自分は歩き出していった。

 

 

 

 

 

 この昼、レダとは愛し合うような激しい愛情を育むひと時を過ごすこととなる。

 

 いつもは周囲に向けていたホテルへの関心も、この日は意識が向くことなく部屋へと直行した。

 田舎町に設けられた大人向けの休憩サービス。閉められた赤色のカーテンと黒色の絨毯に、縦長に広い閉鎖的な空間が特徴的なその個室。そこに自分らは通されると、扉を閉めた瞬間にも互いの情欲が解き放たれるようにして彼女と抱き合い、自分はレダを扉に押し付けるようにしながらキスを行った。

 

 そして、ベッドに行く間もなく彼女の服を剥ぎ取るように脱がしていく。

 女性らしい体つきに、豊満な乳と肉付きの良い尻と脚。至福の抱き心地を誇る彼女に喰らいつくよう全身を愛でていき、“ソコ”に茂っていて、髪色と同色でもある整えられた淡藤色(あわふじいろ)の薄く淡い青紫色の密林を愛しながら、自分は片脚を持ち上げた彼女との行為に浸っていく。

 

 飢えた猛獣の如くがっつき、道具も着けない無責任な前後の運動でレダに快楽を与え続ける。これに彼女は乳を揺らしながら喘ぎで応えていくと、自分は辛抱堪らんという思いの下に彼女を抱き抱え、一つになった状態でベッドへと運んでいってからそこにドカッと寝転がらせ、そして仰向けとなった彼女に覆い被さる力ずくなプレイを行っていった。

 

 絶対に子供を宿らせてやる。そんな力強い意思を感じさせる、種を付けるかのような圧し掛かり。昼間から汗を流した自分らは、今も外で行われている行事など一切お構いなしに二人だけの時間を大切に過ごしたものだった。

 

 時は流れ、場面は夜行バスの中へと移る。この時にも帰路を辿る車内の中では、自分とレダは共に疲れたような、干からびたような、しかしツヤツヤとなったサマで隣同士に座っていた。

 

 この夜、窓側に座るレダはずっと眠りについたままだった。とても満足した表情で、片手をお腹にあてがいながら、心地良く寝息を立てて眠っている。

 

 そんな彼女の寝顔を見て、自分もまた心が歓喜している感覚に全てを委ねながら深い眠りについていったのであった。



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第43話 Profitez de l'air frais 《シャバの空気を楽しむ》

 年に一度のクリスマス。それは、大切な人と一緒に過ごす、聖なる夜の特別な記念日。

 

 柔らかな雪が地上に降り注ぐ外界。龍明の街は赤と緑で着飾られ、この日ばかりは治安を無視して多くの人々が出歩き出す。普段は淀んだ空気が漂うこの地域も、クリスマスの季節になると男女の若者で溢れかえるのだ。

 

 そんな自分はこの日も、夜のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を最後まで堪能していった。

 煌びやかな装飾が施されたクリスマスツリーに、山積みにされたシャンパンのグラス。鳴らされたクラッカーの紙吹雪が祝杯の名残を感じさせ、それを清掃するホステス達は閉店後の後片付けに追われていた。

 

 今日はクリスマスと言えども、彼女達は通常通りに深夜まで働き詰めとなっていた。その姿を終始と見守っていた自分は後片付けに手を貸して、最後に彼女らはこちらへお礼を伝えてくるなりと、疲れた様相と共に控室へと歩き出していく。

 

 今日もお疲れ様です。何度も口にした言葉が内心で反響し続ける自分の胸。そうして自分はホステス達を見送っていた中で、次にもこちらへ駆け寄ってきた一つの足音へと振り向いていった。

 

 すぐにも目に入ったのは、こちらを目指して真っ直ぐと駆け付けていたシュラの姿。直後にも目が合うなり、彼女はタキシードを身に纏った服装で、膝丈まで伸ばしたミルクティーベージュの長髪を低い位置で結んだツインテールを揺らしながらそれを呼び掛けてきた。

 

「ニーチャァーーーーンッッッ!!!!」

 

 佇んでいたこちらへと、容赦の無いダイブをかましてきたシュラ。目の前から飛び付いてきた彼女に自分は「うおっ!?」と声を上げながらも、その健康的な身体を抱き留めるようにして迎え入れていく。

 

 数歩と引き下がった自分は、懐に顔を埋めてきたシュラの頭を撫でていった。すると、彼女は快活な表情で顔を上げながら、とても満足そうな様子で喋り出してきたものだ。

 

「ニーチャぁン、会いたかったでぇ……!! ウチ、ニーチャンと一分一秒でも離れてもうたら、寂しさのあまりに軽率に爆発してまうわぁ……!!!」

 

「そ、それは大変だね……。でも、夕方まで一緒だったからそんな久しぶりって状況でもないと思うけど……」

 

「せやけど、今日はクリスマスやないか!! そんな特別な日にアホほど忙しい仕事を入れられてみぃ!!! ウチらが発情したニーチャンらを相手しとる間にも、外の連中は愛するパートナーとアホほどどえらいエッチをしとるんやで!? そんなん、センチメンタルな気分の一つや二つくらいなるやろ?? なぁ??」

 

「まぁ、どえらいエッチかどうかはさておいて……確かにクリスマスの日もお仕事っていうのは憂鬱になるよね」

 

「せやろぉ?? やっぱニーチャンなら分かってもらえると思うたわぁ……! せやから、ニーチャン。今日のお勤め頑張ったウチのこと褒めてぇな!!! な!!」

 

 と言い、この胸元に顔を擦り付けながらお願いしてきたシュラ。

 ……なんか、久しぶりに帰ってきたご主人様をお迎えする犬みたいだな。内心で抱いた感想と共にして、自分はちょっとだけシュラにトキメキを覚えながら彼女の頭を撫でていった。

 

「よしよし、今日もよく頑張ったねシュラ」

 

「へへへっ……えへへへへへ…………っ。ニーチャン……ニーチャン……グヘヘヘヘヘっ……」

 

 ……大丈夫かな。相当疲れたのかな。

 ちょっとアブない感じで喜び始めたシュラを見て、冷や汗を流しながら彼女を抱き留めるようにした自分。その最中にもこの意識は他に歩み寄ってきたホステスへと向いていき、次にもシュラに続くよう合流してきたタキシード姿のメーとも会話を交わしたものだった。

 

「あぁ、メー。今日もお疲れ様」

 

「あーい、カンキ君もおっつー。それにしても、相変わらずのシュラの懐き具合だねー。もしかして前世で兄弟だったとか、割とそんなのあったりするんじゃない?」

 

「かなぁ。もし本当にシュラと何らかの繋がりがあったなら、それはそれでなんだかロマンチックだね」

 

「ま、さっきは兄弟って言ったけど、今の様子から見るにどっちかって言うとペットと飼い主って感じかな~?」

 

 小悪魔のように微笑むメーを脇にして、顔を上げたシュラが「ほんなら、ニーチャンの前世はポチって名前だったかもしれへんなぁ」と言葉を口にしてくる。

 

 それを聞いた自分は「いや俺が飼われる側なのか」と呟いていく中で、メーは思い出したように話し出してきた。

 

「あぁそうそう。それでシュラ、最後に軽くミーティングするってオーナー言ってたから早く来て」

 

「ぅえーーー、そないなもんウチがおらんくてもできるやろ。ウチはここでニーチャンの護衛しとるから、ミーティングはジブンらで勝手に済ませといてやー」

 

「これ連帯責任でみんな待たされるんだからさー、なるはやで来てくれないと困るんだよねー」

 

 困ると言う割には、勝気な笑みを浮かべながら返答したメー。そんな深刻でもない雰囲気を出しながら彼女は頭を掻いていくと、次にもメーはこちらへと歩み寄ってくるなり、シュラを引き剥がすようにこちらを引っ張りながらそう言葉を続けていった。

 

「そういうわけだから、カンキ君は私が没収しま~す。はいじゃ、オーナーんとこに行くよーカンキ君」

 

「え? あ、あぁ」

 

 言われるまま歩き出した自分と、こちらを引っ張るメー。オーナーが待つという方向へと二人で向かい始めると同時にして、置いていかれたシュラは慌てるような声音で「う、ウチからニーチャンを取り上げるっちゅう残酷な仕打ち、ジブン鬼かいな!!! ま、待ってやぁニーチャァン!!!」と言いながらこちらを追い掛けてきた。

 

 そうして、メーは思惑通りに彼女をオーナーの下へと連行していった。ついでに、釣り餌にしたニーチャンも一緒に連れていくように……。

 

 

 

 

 

 会場を少し歩いた先にて、店の従業員らが集合していた。ホステスもボーイもタキシード姿でそこに佇んでおり、彼女らが見遣る先にはスーツ姿の荒巻が何かを喋り出していく。

 

 常備しているサングラスがイカした彼。風貌もキャバレーを仕切るそれであり、いつもの飄々とした雰囲気を醸し出さないオーナーらしさを一同に見せていきながら、荒巻は何かを言い切っていった。

 

 そうすると、集まっていた従業員達は解放されたようにその場から散り始めた。各々が談笑を交わしながら控室に向かっていくその様子を遠目に、自分らはそこに残っていたメンツと合流するよう歩み寄っていく。

 

 少しして、こちらの足音に気が付いた一同。オーナーとしてこの場を仕切る荒巻を始めとして、ユノやラミア、レダやミネ、そしてノアやクリスといういつもの顔ぶれが振り向いてくる。そうしてメーとシュラが連れてきたこちらを見てホステス達が挨拶を口にしてくると、次にも荒巻がニッと陽気に笑みながら言葉を投げ掛けてきた。

 

「よーぅ、カンキちゃん!! 世間じゃクリスマスを謳歌してるっつーこんな時期にも、わざわざこんな薄汚れたアンダーグラウンドの世界に顔を出してもらっちまってすまないねぇ。カンキちゃんを見てるとオレちゃん、なんだかカンキちゃんの人生を狂わせちまったみたいで申し訳なく思えてきちまうぜ」

 

「いえそんな。俺はそういう血筋にあったってだけの話ですから、誰のせいってわけではありませんよ」

 

「つまり、これも運命だったってことか?? その割り切りの良さ、つくづく親父さん似で思わず面影を感じちまうねぇ」

 

 飄々としながらも、懐かしむような声音で喋る荒巻。続けてユノが凛々しいサマで「柏島くんが存命する限りは、柏島オーナーの魂も健在ということでしょう。彼に世話になったこれまでのご恩は、柏島くんを通じて返していくべきでしょうね」と口にした。

 

 なんだか真面目な空気になった店の中。かと思えば、荒巻はその場にいるホステスへと酒の席を誘い始めたものだった。

 

「っつーことでよぉ、いきなりにはなっちまうんだが~……ホステスの誰かさんでよぉ、オレちゃんの酒の席に付き合ってくれる心も美人なお姉ちゃん、ここにいねぇモンかなぁ??? オマエさんら、どうせ一緒に過ごす恋人なんかいねぇだろ?? なら、このクリスマスはよぉ、オーナーであるオレちゃんと一緒に酒を酌み交わして、しっぽりと、それでいて熱々な歓談を交わし合うっつー有意義な時間を過ごすべきだと思うんだけどよぉ……その辺どう思うよ?? オマエさんら」

 

 プレイボーイ丸出しの露骨な誘惑。色気は十分に伴っている荒巻はものすごく自信あり気なサマでホステスらを誘うのだが、ユノとラミア、メーとレダ、ミネとシュラに、ノアというその場の彼女らは突き放すように言葉を返していく。

 

「それ以上そのくだらない寝言をのうのうと垂れるのであるならば、この蹴りで路地裏に寝かしつけてあげましょうか」

 

「あー、ちょっとオーナーさんは下心が見え見えなんでパスでお願いしまーす」

 

「あは、オーナー冗談上手くなった? マジでウケるんだけど」

 

「ウフフ……オーナーの挑戦的なその姿勢だけは、素直に認めてあげる。その姿勢だけは、ね?」

 

「アタシは、うーん……今日は早く帰りたいかな」

 

「何言うとんねんジブンは。ウチはニーチャンと熱々の聖夜を過ごすんや。ウチらの邪魔せんといて」

 

「ボクが荒巻と対等な立場にあると、キミはそう勘違いをしているみたいだね。悪いけれど、ボクはホステスになったからって心まで荒巻に下ったわけではないよ。その辺を履き違えないでくれるかな」

 

 みんな容赦が無さ過ぎる。

 

 怒涛の返答に、荒巻は石化するように硬直した。

 あまりにも辛辣な言葉の数々。それは、自分だったら人生に絶望するレベルで挫ける勢いの刺々しい言葉達であったものだが、一方で言われた本人はどこか満足そうに笑みながら、ひそめた眉でこちらに向いて『お手上げ』のジェスチャーを見せてくる。

 

 ……けっこう余裕ありそうだな。

 洗練された心構えに、自分は汗を流しながらただただ見遣ってしまった。尤も、これによって彼と目が合うなり、荒巻は良い釣り針を見つけたかのようにこちらへとズカズカ歩み寄ってくると、次にもこの肩に自身の右腕を掛けながら、得意げに、それでいて拗ねるような調子でそれを喋り出してきたものだ。

 

「あーそうかいそうかい!!! じゃー仕方ねぇなぁ!!! だーれもオレちゃんに付き合ってくれねぇんならよぉ!! オレちゃんこれから、カンキちゃんと二人だけで飲みに行っちまうもんねーだ!!!」

 

「え、俺ですか……!?」

 

 見せつけるように絡んできた荒巻と、そちらへ振り向く自分。そんなこちらもお構いなしに胸を張る荒巻と、連れ出す宣言に食いついたシュラが会話を交わしていく。

 

「ちょお待ちぃや!!! ニーチャンはウチと一緒にクリスマスを過ごすんや!! ヒトのニーチャン勝手に取らんといて!!!」

 

「いいや!!! オレちゃんもう決めたもんねー!!! オレちゃんこれからカンキちゃんと酒飲むからよぉ、オレちゃんの誘いを断ったオマエさんらは、断った同士でクリスマスの夜を楽しんでおきな!!!」

 

「アホかいな!!! ニーチャンのおらへんクリスマスなんか、ルーが無いカレーライスみたいなモンや!! 白米だけじゃ味気ないやろ!!! はよニーチャン返して!!!」

 

「オーナー権限発動ッ!!!! シュラちゃんはもう、オレちゃんの決定には逆らえないッ」

 

「あぁァーーーーッッ!!!! ずるいでほんま!!! そんなん権限の濫用やぁ!!!」

 

 さ、騒がしい。

 本気で怒るシュラに対して、意地悪な微笑で彼女をからかう荒巻。二人の様子にユノが鼻でため息をついていくと、軽く腕を組んだその佇まいで荒巻へと言葉を掛けていった。

 

「オーナー、これから酒の席を手配するとでも言うのかしら。今宵は年に一度の聖誕祭。宴会の席など今さら手筈のしようがないでしょう」

 

「フッフッフ……実はな、既に手配済みなのだよユノちゃん。オレちゃん、今宵のクリスマスを誰かと飲み明かすこと前提に、事前に宴会の席を押さえてあったのさ」

 

「団体で訪れることを前提に、じゃないでしょうね。そうだとしたらお店側が不憫で仕方がないわ」

 

「いやいや! ちゃぁんとご厚意に預かってますっての!! そこの店主、以前にも柏島さんが受けた依頼の依頼主でなぁ。んで、柏島さんが亡くなった後も色々と気にかけてくれててよ、今日も、柏島さんに世話になったお礼も兼ねてっつーことで、特別にオレちゃん達専用の席を残しておいてくれたってワケなのよ」

 

「……柏島さんの、元依頼人?」

 

 なんか、流れ変わったな。

 親父の名前を耳にして、荒巻への当たり方が和らぎ始めたユノ。直後にも彼女は間髪入れずにそんな返答を行っていった。

 

「……そうね。せっかくと賜った柏島さんへの恩義を無下にするわけにはいかないわ。それが店主さんからのご厚意であるのならば、その宴会に私も参加させなさい。Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を代表する者として、直々にお礼を伝えなければならないものですから」

 

「ほい来たぁ!!! ユノちゃん一丁!! っつーことでオマエさんらぁ! これでオレちゃんの下には、カンキちゃんとユノちゃんの二人がついたことになるがぁ?? このメンツを見て、考えを改めた輩はあと何人いるかなぁ???」

 

 周囲のホステスへと向けて、煽るよう得意げに喋り始めた荒巻。目の前の状況に対して、残る一同は平然としたサマで顔を合わせていくと、再度と荒巻へ向いていくなり、ラミアとメー、レダとミネ、シュラとノアは先までの辛辣さをうかがわせない調子でそれぞれ言葉を口にしていった。

 

「まー、今日はクリスマスですからねー。せっかくなので、ウチも参加しまーす」

 

「なんか面白そうだから、私も参加しよっかな~。あとビールもたくさん飲めそうだし!」

 

「ウフフ。カンキ君が行くのなら、わたしもついていこうかしらぁ」

 

「ん、みんなが行くならアタシも行こっかな」

 

「ウチはニーチャンについてくで!!! ニーチャンの居る場所にシュラ在りや!!」

 

「ボクも、ユノとの宴席を共にしたいな! もちろん、柏島歓喜の護衛も兼ねてね!」

 

 圧倒的手のひら返し。

 ドリルのように回転する手のひらに、荒巻はしてやったりな笑みを浮かべながら「よーぅし!!! これでメンバーは揃ったな!!」と言ってみせる。彼の言葉にユノだけが不満そうな表情を見せていく中で、自分は荒巻に連行されるような形で歩き出していった。

 

 ……のだが、自分はふと視界に入ったクリスの姿を見て、反射的に彼へとその声を掛けていく。

 

「クリス、良かったらクリスも来ないかな? せっかくの特別な日だし、みんなと時間を共にしてみるのも悪くないかもしれないよ」

 

 まぁでも断られるかな。確信に近い内心が自分の中で呟かれる。だが、こちらの予想とは裏腹にクリスは不敵な調子でこんな返答を行ってきた。

 

「それじゃあ、僕も同席してみようか」

 

「え? あぁ、良かった! なんか新鮮だよ、クリスも一緒に来てくれるのは」

 

「そうだね。宴会なんて僕の性分に合わないからね。でも不思議なことに、今日ばかりは周りと過ごす時間に悪い気がしてこない。どうしてだろうね? うん、本当に不思議だな。フフッ」

 

 こちらを真っ直ぐ見据えながらも、どこか言葉を探すような喋り方で不気味に喋ってみせたクリス。彼の様子に、自分は頷きながら「もしかしたら、向こうで何か分かるかもね。とにかく、思い立ったが吉日だよ!」と答えていき、こちらの返しにクリスもまた無言の視線を投げ掛け続けていたものだった。

 

 

 

 

 

 龍明の駅前にある居酒屋。団体用の座敷に通された自分らは、焼き鳥や刺身、揚げ物や枝豆などの豪勢な夜食のフルコースと向かい合っていく

 

 そして、皆の手には握りしめられたジョッキがそれぞれ一つずつ。ビールやチューハイ、烏龍茶などの様々な飲み物が注がれたそれを一同で掲げながら、あぐらをかいて座るスーツ姿の荒巻が乾杯前の挨拶を口にしていった。

 

「えー、まぁここでオーナーのオレちゃんから一言。っつっても、みんな今年もよく頑張りましたっつーことで、ホイ! お疲れさんの乾杯だ!! かんぱーい!!!」

 

 あまりにも適当だった。

 荒巻の乾杯の音頭に、テーブルを挟んだ向かい側に座る私服姿のラミアが「ちょっとオーナーさん、それじゃークリスマス感なんてあったモンじゃないですよ。それに今年はまだ残ってますし、忘年会ですかコレ」とダメ出しを食らわせていく。

 

 彼女の言葉に、荒巻は「まぁまぁ、細けぇこたぁ気にすんな」と能天気に返答した。そして、ゴリ押すように「そんなわけで、かんぱーい!!!」と声を上げ、彼に続いて皆がジョッキを上げて乾杯を交わしていった。

 

 席の一番奥側で烏龍茶をいただく自分。この左隣にはシュラがおり、ニーチャン呼びを連呼しながら料理の味についての実況などを行っていく。自分の向かい側には同じく奥側に座るクリスがいて、彼の右隣にはビールをがぶ飲みするメーがいたものだ。

 

 シュラとメーの隣には、それぞれラミアと荒巻。そのラミアの隣にはミネと続いてノアが座っていて、荒巻の隣にもレダと続いてユノが座っていた。

 

 皆が和気藹々と談笑を交わし合う中で、自分は周囲の様子を見渡していく。

 座敷の入り口のところでは、男性の店主と会話するユノの姿が見られた。彼女の美貌を前にして店主が照れ混じりに何度も会釈を繰り返していく脇で、ノアは隣で料理を頬張るミネへとそれを喋り掛けていく。

 

「み、ミネ。キミ、そんな一気に詰め込んで大丈夫なのかい? さすがにその量は胃袋がビックリしてしまうと思うんだが……」

 

「? 別にヘーキだけど。いつものことだし」

 

「そ、そうなんだ……いやそれならいいのさ。ただ、ちょっと意外だったよ。普段、学校で見るキミからはあまり考えられない姿でね。ミネ、実はけっこう大食いなんだね」

 

「なに、悪い?」

 

「悪くはないさ! いやでも、あれだな。大食いに関しては、さすがのボクもミネには勝てそうにないかもしれないな……キミの食べっぷりを間近で眺めていると、ちょっと自信が湧いてこない」

 

「へぇ、なんか珍しいじゃん。弱気になるの。まぁ、大食い勝負ならいつでも受けて立ってあげる。生憎とアタシ、まだまだいっぱい食べられるから」

 

「うーん、ミネを少し侮っていたな……。勝負を申し込む前に、まずは胃袋を大きくしなければならないか……」

 

 初対面の際は気まずい空気が流れていた二人だが、今となっては普通に会話を交わす同業者としてのやり取りを行っていたものだ。

 

 少女らの向かい側では、ユノと会話していた店主がレダに誘惑されていた。ユノの後ろから顔を出した彼女による、豊満な乳を寄せながら前屈みになって行われる艶やかなその喋り。思わず店主がガン見した視線にレダがひとり興奮を覚える中で、ユノは「公共の場で色目を使うのは控えなさい」と口にして、レダを自身の後ろへと退かしていく様子がうかがえた。

 

 そんなホステス達の傍らでは、ラミアと荒巻による口喧嘩が行われていた。

 

 荒巻が取ろうとしたエビフライをラミアが取ったとして、また、ラミアが取ろうとした唐揚げを荒巻が取ったとして、互いに指を差し合いながら色々と言葉を交わしている。

 

 そうして、労働に勤しんだホステスを労わるべきだと主張するラミアと、自身を雇ってくれているオーナーを尊重するべきだと主張する荒巻の双方がぶつかっていくその脇では、既に泥酔していたメーが隣のクリスに寄り掛かり、静かに迷惑そうにする彼へと酔っ払いの絡みを行っていたものだった。

 

 ……なんか、カオスな状況だな。

 一人一人の個性が強い分、それが集合するととんでもないことになる。ある意味で雰囲気が良いとも言えるかもしれない宴会の空間に、自分はどこかほっこりするような気持ちで目の前の光景を眺めていた。

 

 で、自分の隣に座るシュラは、こちらにしか興味が無いと言わんばかりに言葉を投げ掛けてくる。

 

「ニーチャン、しっかり食べとるか? せっかくのクリスマスパーティーやさかい、食べられるだけ食べとかな損やで??」

 

「あぁ、大丈夫だよシュラ。シュラもしっかり食べてる? 俺のことを気にしてくれるのは嬉しいんだけど、俺としてはシュラが料理を堪能できているかが気になってさ」

 

「ウチは、ニーチャンと一緒にメシ食えるだけで大満足やねん!! ニーチャン、食べたいもんあったら教えてな。ニーチャンの届かへんやつは、ウチが取ったるから!!」

 

「あ、ありがとうシュラ」

 

 太陽のように微笑むシュラを見て、自分はちょっとだけ言葉に詰まりながらお礼を伝えていく。そうして自分を慕ってくれている彼女と会話をしていると、次の時にも向かいの席にいるクリスからささやかなヘルプが投げ掛けられてきた。

 

「ちょうどいい。君に一つ訊きたいことがあるんだ。僕はこれまで、だる絡みしてきた酔っ払いに対して、銃弾を撃ち込むことでそのトラブルを解決してきた。だけど、今回は拳銃の使用を制限されてしまっている。この場合、君ならどのようにしてだる絡みから切り抜けるものかな? ぜひともご教授願いたいね」

 

「あー…………」

 

 肩に腕を掛けられて、アルコールのにおいを放ちながら寄り掛かってくる隣のメー。彼女はビールが入ったジョッキを片手に持ちながら、ふにゃふにゃになったサマで言葉にならない声を出していく。

 

 彼女も周りに引けをとらない容貌の持ち主だったものの、メーに顔を近付けられたクリスはものすごく厄介そうな表情を見せていた。そんな彼の困り顔を目撃するのは初めてだったため、自分は返答に困りながら、ただただ汗を流して彼の静かなる奮闘を見守っていたものでもあった……。

 

 

 

 

 

 数時間と経過して、直に夜明けを迎えるだろう時刻となった今現在。スノードームのように雪が舞う店の外にて、宴会を終えた自分らは会計を終えると同時に二次会の会場について話し合っていた。

 

 特に、クリスマス明けの本日はLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)が休業日となっていたため、ホステスらは三次会まで、下手したら四次会まで盛大に遊ぶつもりで会話をしていた。そして、当然の如く最後まで付き合わされそうになっていた自分を他所にして、クリスはこちらを囮にするかの如く、逃げるように一足先と帰っていった。

 

 荒巻も、二次会で切り上げないと探偵業に支障が出ると言って、あまり乗り気ではない様子を見せていた。そんな風にして、元気を持て余したホステスらに男性陣が苦笑いで向かい合っていくその中で、適度に酔いしれたレダが頬を赤らめながらそれを口にしてきた。

 

「あらごめんなさい、わたしちょっと催してきちゃったかもぉ~。二次会の前にぃ、お手洗い、だけ済ませてきちゃってもいいかしらぁ?」

 

 狙いすましたように、こちらを見遣ってくるレダ。お手洗いを強調する言い方に自分は思わず意識をしてしまいながらも、彼女へと「あぁ、ここで待ってるよ」と返答を行ってからレダを見送っていく。

 

 で、酔い潰れたメーに肩を貸していたラミアも、「じゃー、ウチはメーさんをそこら辺で吐かせてきますねー」と言ってから、メーを引き摺るように路地裏へと歩き去っていった。

 

 散り散りとなり始めたホステス達。シュラも思い付いたように「せやったら、ウチもお手洗い行ってくるわ!!」と言って走り出し、そしてノアも「じゃあ、ボクも少しだけ済ませてこようかな」と口にしてから、レダやシュラを追うようにこの場から姿を消していく。

 

 

 

 しばらくして、レダやシュラ、ラミアやメーが帰ってきた。

 

 しかし、ノアだけはすぐに戻ってこなかったのだ。まるで、お手洗いだけではない所用へと赴いていたかの如く……。

 

 

 

 

 

 払暁の薄明り。宵闇の名残が煉瓦の足場を青色に染め上げて、(きた)る明け方の予感を知らせていく。

 

 舞い散る粉雪を掻き分けて、銀髪の少女は街中を颯爽と駆け抜けた。

 背後に存在する彼女らの視線を振り切るように気配を殺し、走らせた足には迷いを感じさせない。消灯した街の中を少女はウサギのように跳ねるよう突っ切っていくと、次第と足元に差した自身の人影を引き連れて、少女はひと気の無い路地へと進入していった。

 

 チキンとタバコの残り香が入り混じる一本道。加えて、廃棄されたゴミ袋から鮮度の良い生臭さが放たれるそこを辿っていくことで、銀髪の少女は次第と薄暗がりの細道へと踏み入れていく。

 

 この瞬間にも少女は、暗喩として敷かれていた最後の警告を振り切ったのだ。

 直後にも、周囲から気配を放ち始めた複数もの存在感。それらはどこからともなくと少女を取り囲んで見張り始めるのだが、そうして醸し出されたドス黒い殺気は、一転して敬意や温厚の淡い暖色へと変貌し、次にも一人の黒服の男性がすかさず少女へと駆け寄るなり、彼はその頭を下げ、両膝に両手を乗せるような独特な中腰の礼を行いながら喋り出していった。

 

「お嬢。長時間に渡る勤務、ご苦労様でございやす」

 

「あぁ、別にこれくらい大したことは無いよ。後半はみんなと駄弁っていただけだったからね。キミ達こそ、夜通し働き続けて疲れただろう。ボクの名義でこの場からの撤収を命ずるよ。みんな、今日も頑張ったね。無事に帰ることができた暁には、ゆっくりと身を休めてくれたまえ」

 

「撤収の命、承知いたしやした。直ちに周辺のモノへ伝えて参りやす」

 

「最後まですまないね。あともう少しだけ、どうか頼んだよ」

 

 黒服を従えるような調子で喋る少女は、走り去っていった男性の背を見送るようにしてから歩み出していく。その間も、周囲では殺した気配の数々が音も無く路地を行き交う中で、銀髪の少女は僅かながらと薄明りが射し込んだ建物の隙間へと近付くなり、そこにひとり佇んでいた存在へと言葉を投げ掛けていった。

 

「どうだい、久方ぶりのシャバの空気は。実に爽快なものだろう。特に、冷え切った極寒の早朝で行う深呼吸は、器官の隅々まで凍り付く感覚が巡ってきて非常に気持ちが良いものだ」

 

 透明感のある中性的な声音で喋る少女を傍らに、佇む存在はアウターのポケットに両手を突っ込んだ状態で隣の少女へと振り向いていく。

 

 それは、百七十ほどの背丈を持つ人物だった。外見の特徴としては、ふわっと扇状に広がる腰丈程度の茶髪ロングヘアーがその人間のシルエットを象っており、加えて、黒色の帽子を深く被ることによって目元を隠したスタイルと、黒色の分厚いジャンパーのようなアウターに、そこから覗き込む白色のシャツ、そして青色のダメージジーンズに白色の運動靴という格好がそれの風貌を生み出していく。

 

 至ってシンプルなストリート系ファッション。しかし、その人物から醸し出されるオーラは機関車が如くパワフルであり、今にも発車しそうなほどに有り余った活力が溢れ出している。現に、少女を見遣る視線は力強く、今すぐにも叫び上げながら街中へと走り出しそうな制御不能の不安定さが、もどかしさとして周囲に滲み出てしまっている。

 

 少女の言葉を耳にした人物はニッと鋭く笑んでみせ、右手でキャップのつばを持ち上げながら薄明りの街中を眺めていった。この際に差した明かりがその人物の“膨らんだ胸”を照らしていくと、次にも少女と相対する存在は落ち着いた女性の声で、しかし無邪気で強気な調子も孕みながら冗談めかすように喋り出したのだ。

 

「ったくよ、厳重な部屋ん中に押し込まれて三千里ってとこか? 命の安全を保障に、ありとあらゆる自由と行動が制限されちまったこの生活を、アタシはあと何年続けなきゃなんねぇんだか。こりゃ筋肉どころか生殖機能も衰えちまうよ。あーあ、せっかく青春を捧げて搾精テクニックを磨き上げてきたっつーのにさ。これじゃあ、龍明に住む男共の精巣すっからかん大作戦の遂行予定日が大幅に繰り下げになっちまうじゃんかよ。……ん? 繰り下げ? 繰りは、クリ。つまりクリちゃんで、要するにマンちゃんとも言える。で、下げは言葉通りに下げで……あ? じゃあつまりアタシ、このままだと下げ〇ンってことになるんじゃ……!!?」

 

「キミの言動は、この数年じゃまるで変化しないね。いや変わらないキミのその個性にボクは強く惹かれたんだ。ボクは、そんなキミ達のような破天荒な大人に憧れる。そして、その思いは今でも変わらないよ」

 

「おうおう、それならもっとアタシに憧れてもいいんだぜ? 何なら惚れてみる? 恋してみる? それか、歪んだ愛情の証として殺し合いでもしてみようか? ……あ、てか今からタイマンしない? アタシとアンタのガチンコ勝負だ。んま、お互いにチ〇コついてねぇけどな!! そうなるとこれ、ガチンコ勝負じゃなくてガバマ〇コ勝負になっちゃうかな?? なんちゃって、あっははは!!!」

 

 一人で大盛り上がりする女性を相手に、銀髪の少女は清涼感ある微笑みを浮かべながら彼女と並び立っていく。そして、光が差し始めた明け方の龍明へと視線を投げ掛けると、少女は女性に対して、顔色をうかがうようにそれを訊ね掛けたものだった。

 

「本当に、会わなくてもいいんだね? この日を逃したら、下手したら二度と“彼女達”と再会できなくなる可能性だってあるはずだ」

 

「あぁー、いいっていいって。そん時はそん時だろ。まぁ、ただでさえアタシは特別狙われてんだから、尚更と“アイツら”にアタシとの余計な接点を作るわけにいかないでしょ」

 

「キミを知る人物達は皆、キミに会いたがっている様子だった。それでも顔を出さなくてもいいのかい?」

 

「いいんだって。巻き込みたくないんだよねぇ、アタシの勝手な都合にさ」

 

「そうか。いやキミがそれで納得しているなら、別にいいんだ」

 

 女性との会話を介して、少し寂しそうな表情を浮かべたのは少女の方だった。

 

 アウターのポケットに両手を突っ込み、建物の壁に寄り掛かる女性へと向き直る少女。その何か言いたげな視線に女性が「まだなんか用あんの?」と問い掛けると、少女は暫し思考を巡らせるようにしてから、声のボリュームを下げつつその再確認を行い始めた。

 

「ユノはまだ、未練を絶ち切れていない様子だった。荒巻とレダもキミの行方を探っているし、あの柏島歓喜も、突如と失踪したキミという存在を未だ気にかけているようでもあった。でも、やはりとも言うべきだろうか。彼らの中で一番不憫な思いをしているのは間違いなく、キミの“妹さん”だろうね」

 

「…………」

 

「本当に、いいんだね? キミがシャバに出られる時期は、クリスマスのように地上がカタギで溢れかえるほんの僅かな期間に限られる。これでまたキミは、身を隠すために厳重な監視による屋内生活へと戻ることになるけれど、そうしてキミが部屋で過ごしている間にも、もしかしたらユノやミネ……いや、キミの“元愛人”や“実の妹”が、鳳凰不動産といった敵対組織に始末される可能性だって考えられるわけだ」

 

「それこそ、そん時はそん時だろ。人間、死ぬ時は死ぬしよ。ま、裏社会に自分から足突っ込んだ以上は、ユノも菜子も死ぬ時は自業自得だ。もちろん、アタシもアンタも他人事なんかじゃねぇからな」

 

「随分と分かったような口を利くじゃないか。歴だけで言ったら、ボクはキミの先輩にあたる程度にはこの世界を渡り歩いてきたつもりだけどね」

 

「いやいや、経歴とか上下関係とかマジでどうでもいいし。この世界でどんなに偉かろうが、結局アタシらは所詮、孕ませるか子供を産むかくらいしか役割がない脊椎動物の一環に過ぎねぇからな。だったらさぁ、もっとこう、そういう常識とか概念とかをぶち壊しちまう勢いでこの世を生きた方がさ、なんか絶対に楽しいとアタシは思ったりするわけなんだよ」

 

「キミは常識に囚われなさ過ぎなのが問題なのだけどね。でも、そういうキミの姿勢こそがボクの憧れそのものでもある。……キミの意思を尊重しよう。そして、いずれかは再び……太陽の下をキミと一緒に歩き回りたいものさ」

 

「そうそう。そうしてアタシを現世に解き放つべく、獅子奮迅の活躍を果たしてくれたまえよ~銀嶺のお嬢さま。無事にアタシを解放した暁には、このアタシが世の男と暴力、あと金と龍明その他諸々を悉く掌握してしんぜよう~」

 

 言葉の全てに含んだいい加減な調子も、この人物にとっては当たり前に過ぎなかったのかもしれない。

 

 気だるそうに首を傾げながら、夜明けの光に背くよう路地へと歩き出した女性。そんな彼女の背を少女は真っ直ぐ見据えていく中で、二人は最後にこのような会話を交わしていったのであった。

 

「堪能するのはシャバの空気だけでいいのかい? そろそろ部屋に戻る時間だ。最後に悔いが無いようにしてもらえると、匿う身としてはたいへんありがたいのだけどね」

 

「あ~、いいって。もうないもうない。今日はだいじょーぶ。陰からこ~っそり覗いてきたから、それで十分だっての。まぁそれにしても、近所のあのガキは一丁前にハーレムなんか築いて生意気に成長していたもんだし、ユノはなんか一段と綺麗になってたような気がするなぁ。でも、やっぱり一番は菜子の成長した姿かな。妹の成長を生きて見れただけでも今日の収穫は上々。それだけで得した一日になったって感じだよ」

 

「キミが、また彼女達を抱きしめることができる日を迎えられるよう、ボクも全力で戦い抜いてみせるよ。だから、どうか……キミにも最後まで諦めないでいてもらいたい。きっと、キミが望む未来も、そう遠くない内に叶うハズだろうから。今はそれを信じて、明日への希望を胸に前へ進み続けようじゃないか。……なぁ、そうだろう? “ヒイロ”」



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第44話 Dans un laps de temps limité 《限られた時間の中で》

 爽やかな雪景色と、清々しい年の始まり。元旦を迎えた龍明には現在、透き通るような空気感が巡っていた。

 

 昼前の日差しで目を覚まし、床に敷いていた布団から上半身を起こしていく。だが、昨夜の晩酌で飲みすぎた代償として、深刻な二日酔いに悩まされていた。

 

 年越しをホステスのみんなと過ごせた喜び。アウトローな裏社会に身を置いた彼女らと無事に新年を迎えることができた安心感が、自分の気の緩みに繋がったとも言える。

 

 ガンガンに響く頭を押さえ、ボーッとする意識のまま暫し部屋の中を見渡した。

 もぬけの殻となった自分の部屋。先ほどまで一緒に過ごしていた、ラミア、メー、ユノ、レダ、ミネ、シュラ、ノアの七人の姿が見えない。それもそのはずであり、ホステス達には休む暇も与えられず、稼ぎ時ということで新年から、同伴の予定がぎっしりと詰め込まれていたものだ。

 

 多忙なスケジュールに、同情してしまう。そんなことを思いながら少しずつ思考を整理した自分は、直ぐにも同情とは何だったのかと言わんばかりに再び寝転がっていった。

 

 ……と、そうして横になった時のことだ。

 ガチャッと玄関の扉が開かれていく。この音と共にして、玄関からはシュラの声が聞こえてきた。

 

「ニーチャン帰ったでー。まだ寝とるー?」

 

「ぁぁ……シュラ。今起きたとこ……」

 

 コンビニのビニール袋を提げて部屋にあがってきたシュラ。緑色のオフショルニットで相変わらず露出していた両肩と、それとは反対に、彼女には珍しくゆったりとした青色のデニムパンツという、脚を出していないコーデがこちらの目を引いていく。

 

 腰のヒモを結ぶタイプのパンツを着用し、緑色のキャップを被っていた彼女が、快活に微笑んでくる。そして提げていたビニール袋を持ち上げるようにしながら、それを喋り出してきた。

 

「おはよーニーチャン! コンビニでご飯買うてきたで! ツナマヨのサンドイッチに鮭のおにぎり、あとはからあげとかそこら辺の見繕ってきたわぁ」

 

「ありがとう、シュラ。あれ、でもシュラは今日、同伴じゃなかったっけ?」

 

「んぁ? ちゃうで? 昨日も言うたやんか。ウチは今日、同伴入れんかったって」

 

「そうだった……っけ。ごめん、忘れてた」

 

「ええってええって、そないに気にするもんでもあらへんよ」

 

 と言って、ビニール袋をベッドに置きながら、体を起こしていたこちらと向かい合うように乗りかかってくる。

 

 おもむろに圧し掛かられ、「ぐぉっ」と息が抜ける音を出す。これにシュラは太陽のように笑んでくると、両手を床についてこちらへ寄り掛かり、この懐に頬ずりをする仕草を交えながら言葉を続けてきた。

 

「ニーチャぁン。ウチ、今日はニーチャンと一緒に居るために敢えて予定空けといたんや。せやから今日のウチは一日中、ニーチャンの傍で付きっ切りやでぇ」

 

「そうだったんだ。せっかくの元旦だし、一緒にゆっくりしよう」

 

「なぁなぁニーチャぁン。ゆっくりするのもええけど、ウチ、ニーチャンと一緒に初詣行きたいわぁ。なぁ今から行こぉ」

 

「いいね。ただ、もうちょっとだけ休ませてもらえるかな……? 二日酔いっぽくて、具合悪いんだ」

 

 犬のように甘えてくるシュラを退けながら、横になっていく自分。これに彼女はついてくるよう覆い被さるように身体を倒し、そのまま密着してじっと引っ付いてくる。

 

 だが、表情はどこか不満げだった。直にもシュラから喋り出してくる。

 

「えぇー、ニーチャンなんでよりにもよって二日酔いなん?? 酒を自制できるニーチャンが二日酔いなんてありえへんもん」

 

「ちょっと羽目を外しちゃったのかも。ごめんねシュラ、せっかく休みを取ってもらったのに」

 

「せやったら、さっさと薬飲んで治しぃや。ウチには時間が限られてんねん、もたもたしとったらウチの休暇が終わってまうわぁ」

 

「そうするけど、今はもうちょっとだけ寝かせてほしい……」

 

 ムーッと頬を膨らませるシュラを前に、自分は瞼を閉じて眠りの体勢へと移行した。

 

 気持ちも完全に昼寝のそれ。加えて、シュラの体温が掛け布団のように心地良かったことから、沈むように次第と薄れていく意識に身を任せ、自分はゆっくりと眠りについていった。

 

 ……つもりだった。

 

 ごそごそ。腹の上で這うように移動するシュラの感触。

 なんだか忙しなく動き始めた彼女の感覚に気を取られていく自分。それも、心なしかデニムの感触がアイマスクのようになっており、彼女のオフショルニットの感触が自分の腰辺りに伝わっている気がする……。

 

 と思っていた次の瞬間、寝間着として着用していた自分のスウェットが、彼女の手によって勢いよくずり下ろされていったのだ。

 

 股間部分がスーッとする感覚。それも、ただのスーッではない。完全に“ソレ”が解き放たれた解放感のスーッである。

 

 元気よく起き上がったもう一人の自分に、思わず目を開けた。そうすると目の前の視界にはデニムの股間部分が映り込んできて、それに二度目の衝撃を受けていく。

 

 シュラの丘がドアップに映る光景と共にして、元気に起き上がった“ソレ”に頬ずりと思われる行為を致してきたシュラ。彼女の健康的で柔らかな頬が先端から根本まで伝う中、自分は困惑混じりの声音で言葉を投げ掛けていく。

 

「しゅ、シュラ……!!」

 

「ニーチャンの、おニーチャン…………。ニーチャン……ニーチャン……」

 

「シュラ! シュラ……!! ちょっと、ちょっと!!」

 

 反射的に、彼女のお尻を軽く叩きながら呼び掛けた。だが、シュラは頬ずりを止めるどころか、少しずつ昂ってきた興奮で荒げた吐息を、優しく、包み込むように、何度も何度もソレに吹き掛けてくる。

 

 彼女の心臓の鼓動が、腰辺りにしっかりと伝わってきた。この状況に何度もシュラのお尻を叩いて呼び掛けたものの、これでは埒が明かないと察した自分は次の強硬手段を講じたものだ。

 

 今も目の前にある、彼女の丘。デニムパンツではあるものの、その先の想像を掻き立てる魅惑的なそれをじっと見遣ってから、自分は己の顔面をぶつけるようにそちらへ突っ込ませていく。そして、彼女の大切な場所と思われる箇所へと食らいつき、その部分のデニムを優しく咥えてから、思い切りと引っ張っていった。

 

 これにはさすがに、シュラは頬を離すように顔を上げた。尤も、快活な彼女が上げた、「ひぁんっ」という艶めかしい声音も伴われたものだったが。

 

 今まで冗談でも聞いたことがなかったシュラの声に、心臓が跳ね上がるような高揚感を覚えた自分。その感情が自分のソレにもムクムクと影響を与えただろうが、彼女は今、それどころではない。

 

 咥えたデニムを少し引っ張り、そして離していく。これによってデニムパンツは引っ張られた輪ゴムのように戻っていき、パツンッという衝撃が彼女の丘に直で伝わっていく。この直撃でシュラは「ぁんっ」という更なる甘い声を上げると、まるで腰が抜けるようにしてその股をドカッとこの顔面に落としてきた。

 

 項垂れるように倒れ込んだシュラ。現在もそそり立つソレを横目に力無く伏せる彼女へと、自分は呼び掛けていく。

 

「シュラ、気が済んだ?」

 

「…………」

 

「このまま退かないのなら、まだ続けるけど。どうする? 退く?」

 

「…………」

 

 無言ではあったものの、首を横に振る動作が伝わってくる。

 

 ……ならば、お望み通りにするまでだ。

 彼女の股間越しに、「それじゃあ、シュラが退くまで続けるから。そのつもりでいてね」と声を掛けていく。そして容赦なく両手で彼女のお尻を鷲掴みにしてから、この口元に押し当てるように引き寄せて、シュラの“ソコ”へと舌を伸ばしていった。

 

 デニムの硬い舌触り。だが、心なしか女性のフェロモンと思しき独特なモノが香ってくる。今もボトムスにかぶりつくよう口を動かす自分は、もはや悪戯の範疇を越えたその先の行為の気分でシュラに舐めかけていたものだ。

 

 受け身のシュラもまた、先ほどまでの快活なサマから一転として、まるで萎縮したように大人しくなってこちらにしがみついてきている。まるで意識を自身のソコに集中させているかのような。柔らかな熱を帯びた感触を自ら求めるかのような。この行為を始めてからというもの、彼女の股は一層とこちらに近付いたような気がする。

 

 彼女の気持ちに応え、自分は口を今よりも広げて、大きな一口で咥えるようにして彼女のソコへとかぶりついた。

 口全体で、彼女の聖域を包み込む。お尻を掴む両手にも力が入り、もっと引き寄せて、がっついて。何度も、何度も、味わうように、咀嚼するように、口を開いては閉じてを繰り返す。

 

 次第と、湿気を帯び始めたシュラのデニムパンツ。これは果たして自分の唾液によるものなのか、それとも別のものなのかは分からない。ただ、昂った気持ちに素直になり、自分はひたすらとシュラを堪能するのみだ。

 

 ……段々と、愛おしく思えてきた。

 妹のようであり、犬のようでもある属性を持つホステスにトキメキを覚え始めた自分。この高揚感に身を委ねて口を動かすこと数分、直にも腰を上下に動かしてきたシュラは小刻みに吐息を漏らしていき、そして全身に力を入れてしがみつきながら、数度に渡る痙攣を起こしていった。

 

 ギンギンとそそり立つソレに髪を擦り付けるシュラ。声は抑えているものの、かすかに聞こえてくる「ぁ、ぁ」という甘い声が彼女の快楽を想起させてくる。

 

 伸ばしていた舌を離し、そこにこもるよう漂っていたフェロモンで自分は頬を赤く染めていく。そうしてずっと眺めていたい光景を直視しながらも、頃合いを見た自分はデニムパンツ越しにその言葉を投げ掛けた。

 

「まだ退かないかな? これ以上退かないようなら、俺も本能的に加減ができなくなるけれど、それでもいい?」

 

「ニーチャン…………ッ。分かった、分かったから。……退く。退くわ。今から退くから堪忍してっ……」

 

「うむ、よろしい」

 

 頭の代わりにお尻を撫でていく自分。これにシュラは一瞬だけ腰を浮かせて反応し、そうして浮き上がった腰を持った自分は、そのまま脇へと彼女の身体を退けていく。

 

 ゴロンッと仰向けになり、左腕で目を隠すように転がったシュラ。荒くした息で呼吸を行う彼女へと視線を投げ掛けて、めくれたオフショルニットから覗く腹へと手を伸ばしてから、犬を撫でるかのようにわしゃわしゃと撫で掛ける。

 

 これにシュラは陽気な笑みを浮かべていくと、隠していた目でこちらを見遣り、ニッと笑いながら快活な声音で喋り出してきた。

 

「ちょお、ニーチャンやめてぇや。そないにサービスされてもうたらウチ、もっとその気になってまうわぁ」

 

「違うの? 急にズボンを下げてきたもんだから、てっきりその気なのかと思っていたよ」

 

「ちゃうてぇ、あれはただの出来心やったんやって。……まぁでも、ニーチャンがええならウチはいつでもええよ? 気持ちも、身体も、ニーチャンを受け止める準備の方はいつでも万端や」

 

「するならいずれね。せめて二日酔いになってない日がいいな。その方が俺としても、シュラに集中できるから」

 

 前屈みになって、シュラへと顔を近付けながら言葉を口にした自分。これを見たシュラは一瞬だけ唖然とする表情を見せてから、次にもプフッと堪え切れない笑いと共にそんな返答を行ってくる。

 

「ウチに集中できる?? すまし顔で何言うとんねんジブン。ほんま、ニーチャンにそないな言葉は似合わへんわぁ。これも全部、ホステスのネーチャンらで女慣れした影響っちゅうことかいな?? なぁ、どうなんや」

 

「さぁ、どうだろうね」

 

「なんやそれ。このヤリ〇ンが」

 

「こらこら、女の子がそんな言葉使わないの」

 

 じゃれつくように絡まり合い、冗談を交えた言葉で和やかに会話する自分ら。そうしてしばらく穏やかな時間を過ごしたところで、自分は二日酔いの薬を飲んだ後に支度をして初詣へと駆り出されたものだった。

 

 

 

 

 

 カーペットが如く降り積もった雪を踏み、足跡を付けながら龍明の駅前まで移動する自分とシュラ。ここから電車に乗って神社へと向かうその道中では、駅前で同伴中のメーとたまたま出くわしていく。

 

 紺色のコートと、アイボリー色のマフラーで身を包んだ冬服のメー。サラリーマンのような男性と一緒に歩くその道すがら、こちらに気が付いた彼女は勝気に微笑みながらピースを行ってくる。

 

 仕事に勤しむメーを見て、手を振る動作で応えた自分。そうして歩き去るメーの背中を見送ってから駅へと向かい、シュラと共に神社のある町へと移動を終える。

 

 視界一面に広がる人の海。初詣でごった返す人混みを前にして、自分はシュラと手を繋ぎながら、掻き分けるように人混みを進んでいく。

 

 その最中にも、同伴中のレダと目が合ったものだった。

 腕に刺繍を入れた筋肉質の男性にくっついているレダ。彼女は誘惑するような声音で会話を行っていく最中、目が合ったこちらに対して艶やかな微笑を浮かべながら手を振ってくる。

 

 レダに対しても、手を振り返す動作で応えていった自分。そうしてすれ違うようにレダと離れてから、隣にいたシュラと「ホステスといっぱい出会うねー」といった他愛ない会話を交わしたりしていた。

 

 本当に、いつもお疲れ様です。

 多忙なホステスに対する、せめてもの労り。この内心は今夜にでも言葉にして、本人達に伝えてあげよう。

 

 ……それなら、神様には『Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の人達が無事に、そして健やかに過ごせる一年にしてほしい』とお願いでもしようか。

 

 ……といった具合に、彼女らへと抱いた感情は参拝にも反映されたものだ。

 鳥居をくぐり、大蛇のように続く列をシュラと一緒に並んでいく。そして神社の前まで移り、自分らの番となった二人は、参拝の手順に従ってお祈りし、静かに願いを込めていく。

 

 これにて初詣というミッションは完了し、やり切った気持ちで神社を後にした自分とシュラ。そこで、せっかく遠出したんだから少し遊んでいこうという話になり、自分らはしばらく神社前の広場をうろつくことになった。

 

 手を繋ぎ、その握りしめた手を軽く前後に振りながら歩いていく。少し凍える気温の中、シュラの快活な温もりが常に伝わってくる柔らかな安心感が、とても心地良く感じられたものだ。

 

 二人で白い息を吐き、ここぞとばかりに展開された屋台の数々を見て回る。そこで見かけた、たこ焼きやお好み焼き、焼きそばやイカ焼きといった温かい食べ物や、神社のお守りや地域名物の石などが売られている屋台を見て回るその最中にも、上機嫌な様子のシュラは太陽のように微笑みながらそれを喋り掛けてきた。

 

「なぁなぁニーチャン!! ニーチャンはお参りで何をお願いしたん? ニーチャンの願い事、ウチめっちゃ気になるわぁ」

 

「そうは言うけれど、初詣の願い事は人に喋らない方が良いみたいだから、敢えて秘密にするね」

 

「えーーー、ええやろ別にー。そないなもん迷信に決まっとるやさかい、ウチに教えてくれてもええやんかー」

 

「どんだけ俺の願い事を知りたいんだ……」

 

「ええやんかぁ。ニーチャンのことは何でも知りたいお年頃なんやー」

 

 拗ねるような言い方とは裏腹に、ものすごいご機嫌な彼女に自分は汗を流しながら苦笑いしていく。そんな中で、シュラはふと目についたテント張りの建物を指差しながら声を上げていった。

 

「あ!!! ニーチャンおみくじ!!!」

 

「俺はおみくじじゃないよ」

 

「ニーチャンあそこ、おみくじやっとるで!! 行こぉ!!!」

 

「いいね、行こ行こ」

 

 駆け出したシュラに合わせて自分も走り出し、二人で快活に駆け抜けながらおみくじ所に立ち寄った。

 

 人が群がるその様子と、ちょうど順番が空いたタイミングの良さ。建物の前で、おみくじの紙を持つ人々が和気藹々とするサマを他所にして、自分とシュラは並ぶことなく料金を支払っておみくじを引いていく。

 

 筒のようなおみくじの箱。それを自分達で振っていき、細い穴から丸まった紙を落としていく。それを二人分行い、金棒のような形をして出てきた紙を受け取っておみくじ所を離れてから、自分とシュラはいっせーのでそれを開いて中を確認したものだ。

 

 結果は…………『小吉』。

 

 まぁ、可もなく不可もなく。ちょっと可寄りの良い結果であろうその文字に、自分はホッと息をつきながら胸を撫で下ろした。

 

 で、隣のシュラも結果はどうだったんだろうと思い、自分はチラッと目で追うように彼女の手元へと視線を投げ掛けるのだが……。

 

 そこには、呆然と佇むシュラの横顔と、手元からわずかに見えた『大凶』の文字。

 共にして彼女は、隣で振り向く動作を風で感じ取ったのだろうか、手元のそれを隠すようにしながら慌てて振り向いてきて、誤魔化すような調子で喋り出してきた。

 

「に、ニーチャン!!! どうやった!? 結果!!」

 

「え? あ、あぁ。まぁまぁだった、かな?」

 

「そ、そーか!! それなら良かったなぁ!!! あぁほんま良かった良かった!!! ニーチャンは日頃の行いがええやろうし、きっと神様はそれを見てくれとるんやろうなぁ!! ニーチャン今年はツイとるで。あぁほんまツイとるよ。根拠はあらへんけど今年のニーチャンも安泰や!!」

 

「そ、そうだね……?」

 

「あぁせや!! ウチ腹減ったわぁ!! なんか屋台いろいろあったやろ! そっち行こか!!」

 

「あれ、でもさっきご飯を食べ……」

 

「ええから!!! おやつや、おやつ!!」

 

 こちらの手を取り、逃げ出すように駆け出したシュラ。彼女に引っ張られた自分も思わず駆け出していき、神社前の広場を二人で颯爽と駆け抜けていく。

 

 だが、こちらを握りしめるシュラの手はとても力強かった。

 絶対にこの手を離さない。そんな意思を感じ取れる握力。たとえどんな災難に見舞われようとも、この手だけは絶対に離したくないという決意をどこか思わせる。

 

 ……Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)と敵対する、鳳凰不動産という組織を実質的に裏切った身分。いつ、どんな時に排除されるかも分からない不安定な日々を送る彼女の焦りを、この時にも感じ取れたような気がしてしまえた。

 

 

 

 

 

 公共の丸テーブルと、向かい合うよう設置された二つのイス。そこに腰を掛ける自分とシュラは、完食した焼きそばやイカ焼きのパックをテーブルに置きながら「ごちそうさまでした」と挨拶を口にする。

 

 おやつにしてはボリューミーだったものの、やはり美味しい物はついつい食べてしまえる。それでも少々と食べ過ぎたため、自分は胃を抱えるような前屈みの姿勢で食休みをしていると、不意にもシュラはこれを喋り出してきたのだ。

 

「なぁニーチャン。ウチと同伴しよ?」

 

「随分と急だね」

 

「ええやんか。今しかできひんかもしれんし。な?? ええやろ?」

 

「いいよ。同伴しようか」

 

 快い返事を聞いたシュラは、パァッと晴れ渡るような笑顔を浮かべてきた。

 心なしか、尻尾を振っているようにも見えてしまえる。それほど喜びを表に出してきた彼女の反応に自分まで嬉しくなってくる中で、シュラは乗り出すようにテーブルに肘をつきながらその言葉を口にしてきた。

 

「せやったらウチ、ニーチャンとショートクルーズに行きたいわぁ!!」

 

「ショートクルーズ?」

 

「一日だけの船旅や。数日掛けて旅するクルーズ旅行やのうて、一日の内に行って帰ってする短めのやつ!」

 

「へぇ、そんなのがあるんだ。いいね、ショートクルーズに行こう。……ただ、今から予約とかすると、結構先にならない?」

 

 こちらの疑問に対して、シュラはチッチッチッと指を振ってから得意げに喋り出してくる。

 

「甘いなぁニーチャン。ウチのこと見くびってもろては困るわぁ」

 

「いや、見くびってはいないけれど……」

 

「実はなぁ、ウチ、ニーチャンと同伴すること前提で、既に二名様で予約してあんねん」

 

「めちゃくちゃ手際良いな……。これ断られてたらどうしてたの?」

 

「ニーチャンがホステスのお誘いを断るわけないやん。せやろ?」

 

「まぁ、それもそうだね」

 

 脳死に近い納得で返答した自分。これにシュラは満足そうな笑みを浮かべてくると、次にもずいっと近付くように顔を寄せてきた。

 

 肩を出したオフショルニット。その胸元がチラ見えする、計算された角度。

 豊かな谷間と、それを包む灰色のスポーツブラが非常に魅惑的だった。そうして急に誘惑された自分が困惑気味に見遣っていく中で、シュラはしてやったりに口角を上げ、かと思えばしんみりとした声音でその言葉を口にしてくる。

 

「ニーチャン、ウチとも楽しいことをいっぱいしよぉな? ウチ、ニーチャンとの思い出をたっくさん作りたいねん。……それが今しかできひんからこそ、時間が許してくれる限りウチは、ニーチャンの傍に居たいと思っとる。せやからニーチャン……ウチともぎょうさん遊んでくれると、ウチ幸せやねん」

 

 思い残すことが無いように、今しかできないことをしておきたい。

 

 万が一の事態があり得るからこそ、シュラの言葉に重みを感じ取れてしまえた。だからこそ自分は彼女と真っ直ぐ向かい合い、彼女の目を見つめながら返答を行っていく。

 

「俺としても、この先もずっとシュラと一緒に居られたらいいなと思っているよ。ただ、どんな人間であれ、生きている限りは何が起こるか分からないからね。だから、お互いに悔いが残らないように、遊べる内にたくさん遊んで、一緒に居られる内はずっと、一緒に居よう」

 

「……ニーチャン」

 

 じっと見遣る彼女の眼。目元が震え、素で涙腺が緩んでいるのがうかがえる。

 自分は、顔を近付けていたシュラの頭を撫でていった。優しく、慰めるように、温もりと愛情を込めて頭を撫でていく。これを受けてシュラはおねだりするように頭を差し出してくると、とても穏やかな表情をした彼女はしばらくの間、堪能するように頭を撫でられていたものだ。



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第45話 La tentation du vert 《緑の誘惑》

 シュラとの同伴当日。…………の、数日前の出来事。

 

 Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で昼食を済ませた自分。空になった皿を前にナプキンで口を拭い、それじゃあ店を出るかと腰を持ち上げようとした時のことだった。

 

 コツコツという足音を立てながら、タブレットを手に持つタキシード姿のユノが歩み寄ってきた。彼女はいつも出口まで見送ってくれるため、今日もそのためにわざわざ来てくれたのかと自分は軽く会釈を行っていく。だが、そうして目が合った彼女は凛々しく微笑んでくると、次にもそれを喋り出してきたのだ。

 

「今日のお食事はいかがだったかしら。今回のメニューも柏島くんの口に合ってくれたのならば幸いよ。……ところで、少しだけ時間をいただけるかしら」

 

「あはい、いいですよ」

 

 こちらの返答を聞き、ユノは「ありがとう、柏島くん。そんなに時間は取らせないわ」と口にしながら柔らかく笑みを浮かべてくる。それから向かいの席に座ろうとしたため、自分は皿を端へ退けつつ彼女の様子をうかがった。

 

 イスに腰を下ろしたユノは、持っていたタブレットをテーブルに置いてくる。共にして、端末を操作しながらとある相談を持ち掛けてきた。

 

「ホステスの同伴予定をまとめたスケジュール表を確認していて、少々気掛かりに思う点を見つけたの。貴方も既に察しはついているでしょうけれども、シュラとの同伴に関して、こちらから少しばかり相談したい話があるの」

 

 そう言って、スケジュール表を映したタブレットの画面を見せてくるユノ。自分はそれを覗き込んでいくと、そこにはシュラの名前の欄の、その同伴相手の名前の欄に『ニーチャン!!』と記入されている様子が確認できた。

 

 自分はそれを見て、「はい、シュラと同伴する予定がありますが、何か不備でもありましたか……?」と恐る恐る尋ね掛けていく。この問い掛けに対してユノは、些か真剣な眼差しで話し出してきた。

 

「不備ではなく、不安、かしら。シュラというホステスの身元確認を店側で済ませてある以上、彼女も紛う事なきLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の一員であることは私が保証するわ。ただ、彼女は元鳳凰不動産の人間。それも、本来であればスパイとして送られてきた、敵勢力の諜報員。私個人としてもシュラという人間を信頼している一方で、やはり万が一の事態を考慮した際には、どうしても貴方とシュラを二人だけにする場面に、不安を拭い切れない部分があることもまた事実」

 

「やっぱりそうですよね……。前回も初詣で少しばかり遠出はしましたが、今回は海まで赴く関係上、龍明からかなり離れますからね。ホステスの皆さんの目が届かない場所に、シュラと二人でお出掛けというのも、ユノさん達からしたら不安しかありませんよね……」

 

 まぁ、憂いに思うのは当然だろう。

 鳳凰不動産は、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を目の敵にしている反社会的勢力の一つ。特に自分は、彼らに拉致されかねない状況下に置かれているため、そこから送られてきたシュラと二人きりになる状況というものは、普通に考えれば危険極まりないことだっただろう。

 

 自分もそれを承知していたからこそ、ユノの顔色をうかがうように「では、同伴の予定は取り消しにしますか……?」と尋ね掛けていく。だが、彼女からの返答はこういった内容のものだったのだ。

 

「いえ、その必要は無いわ。シュラは貴方という人間に執着とも言える好意を寄せている人間であり、柏島くんとしても彼女との同伴は前向きに考えていることでしょう。ですから私としても、貴方達の楽しみを奪い去る形で予定を取り消すつもりなど毛頭無いわ」

 

「えっと……では、俺はどうしたらいいでしょうか……?」

 

「柏島くんは、普段通りシュラとのお出掛けを満喫してちょうだい。その代わりとして、同伴当日、私も変装した姿で乗船するわ。貴方達の邪魔をしないよう尾行する形で、こっそりと、ね」

 

 

 

 

 

 汽笛と共に出航した大型の客船。真上まで見上げてしまえる巨大な船体は、汽笛の音も相まってか豪快な存在感を放ちながら海へと駆り出されていく。

 

 シュラとの同伴当日。朝方から出航した客船は、東京湾を遊覧する観光を目的に海上を巡り出す。

 その姿は、ずっしりと構えた要塞の如き安心感を与え、されど施された優雅な装飾と丸みを帯びたフォルムの形状がまた、堅苦しさを絶妙に相殺する、気品溢れる豪胆さを演出していた。

 

 波打つ海上に揺られ、甲板にいた乗客が喜びの声を上げながら写真を撮ったりなどする光景。その間にも客船はゆっくり、のらりくらりとした航路を辿る一方で、大海を掻き分ける力強い前進が心強くも思えてくる。

 

 朝日を浴びながら甲板の手すりに掴まる自分とシュラは、そこから眺めた一面の海の景色に感嘆の声を出していった。

 雄大かつ無限なる青の大自然。命が誕生し、全ての生物における始まりの場所とも言えるだろうこの海原は、ある意味では自分達の実家であるとも表現できるのかもしれない。

 

 凍えていながらも澄んだ潮風が流れ込んでくる。若干と強風でもあるそれに、シュラは被っていたキャップを手で押さえていく中、自分も隣にいた彼女の頭を抱き寄せるようにしたことで、二人でシュラの帽子を守っていく。

 

 で、流れでくっ付いた自分らは、そのまま肩を抱き寄せるようにもして密着しながら景色を眺めていった。

 

 気持ち、こちらの頭も寄せることで、コツンと頭部の側面も合わせていく超密着。そこから、自分が着ている余裕あるパーカーで覆い被さるようにして、シュラが着ていたオフショルニットの両肩を潮風から守っていく。

 

 一連の動作を交えてから、この胸元でこちらへ振り向いてきたシュラが快活に微笑んでくる。かと思えばシュラは、「ニーチャンの身体、温かくてええわぁ」と言って身を委ねるよう寄り掛かってきたため、自分もシュラの肩に腕を回して、二人でくっ付いた状態で海上の景色を眺めていたものだ。

 

 さすがに、ウミネコといった鳥の姿はうかがえなかった。尤も、シュラというホステスと一緒に客船を満喫しているという実感こそが、何よりの至福であることは確かでもあったが。

 

 彼女の帽子が飛ばされないよう自分が手で押さえつけ、身を寄せ合うように頭を傾けていく。こうして船体に揺られながら真冬の海を眺めていたところで、シュラは穏やかな表情でそれを喋り出してきた。

 

「ほんま、たまにはこないなお出掛けも乙でええもんやなぁ。ニーチャンと二人っきりで海を楽しめるショートクルーズの旅……。なんちゅうんか、龍明では絶対に体験できひんスッキリ爽やかな空気感がな、潮風の寒さと一緒に身に染みてきて、それが幸福感っちゅうか、至福のひと時っちゅうんか。とにかく、そっから溢れ出る充実感がごっつ気持ちええねん!!」

 

「本当にそう思うよ。……実を言うとね、俺は正直、事故の可能性も考えちゃってか、船に乗ることにちょっとだけ抵抗があったりしてたんだ。でも、この雄大な景色を間近で見られる貴重な体験の他に、船内には海底が見えるガラス張りのレストランとか、船の一番高い場所で満喫できる混浴の大浴場とか、いろんな設備が用意されているもんだからね。記念として一緒に写真を撮るだけでも楽しいのに、それに加えて船内の設備も充実しているのを知ってからは、今では一日だけしかここで過ごせないことにもどかしささえ感じちゃったりしているよ」

 

「せやったら、またウチと来ればええだけの話やろ?? あぁせや、今度はホステスのネーチャンらも誘って、三泊四日の慰安旅行でも計画しようや!!! なぁ、どやどや、ナイスでグッドな提案やろ!? な!?」

 

「ぜひともそうしたい気持ちは山々だけど、さすがに一泊二日でも結構な値が張るからなぁ……。レダやノア、ユノさん辺りはついてきてくれそうだけど、節約をしているラミアやメー、ミネとかは来てくれなさそうかも」

 

「それをニーチャンが説得してみんなを連れてくるんやろ?? 全員ニーチャンのえっちなテクニックで落として言いなりにすればええだけの話やし、慰安旅行はこれで決まったも同然やな!!!」

 

 と言って、シュラは左手を持ち上げてくるなり、中指と薬指の二本を高速で曲げたり伸ばしたりするジェスチャーを行ってきた。

 

 公共の場で繰り出してきた彼女のハンドサインに、自分は「こらこら」とシュラの頭を撫でながらゆっくり手を下ろさせていく。これにシュラはとても満足げに微笑みながらも悪びれない様子で「えへへッ」と口にしてきたから、自分はちょっとだけ先が思いやられる気持ちになりつつ、ふと他所へと視線を投げ掛けていった。

 

 ……たま~に感じられる、鋭くも熱い視線。

 何となく投げ掛けた視線の先。同じく甲板に立ち、手すりに寄り掛かるようにしながら悠々と電子タバコを嗜むその人物。

 

 羽織っている黒色のもふもふコートに、トップスインスタイルの白色ブラウス。そして、脚のラインが浮き上がる黒色の裾スリット入りワイドパンツに、スリットから覗く艶めかしい色白の肌を際立たせた黒色のブーツというその風貌。

 

 加えて、ブラウスのボタンは二つ開いていることから美しきバストが強調されており、それ以前にも掛けているサングラスが似合いすぎていたことから無駄にオーラを放ってしまっている。そして、電子タバコを片手に口から煙を吐く佇まいが、キケンな香りを醸し出しながらも興味をそそる、正体不明の魅惑的な人物という印象を作り上げてしまっていた。

 

 …………変装とは一体……?

 

 心底からの疑問。たまにチラッと見遣ってくる“彼女”の視線がまた、本気で空気に溶け込んでいる様子を感じさせてしまう。

 

 ……バレるのも時間の問題だろうなぁ。

 内心と共に焦りの汗を流してしまった自分。そんなこちらの様子にシュラは見上げるようにしながら「ニーチャンどしたん? なんやええ景色でも見つけたんか!?」とノリノリで振り向こうとしたものだったから、自分は慌てて誤魔化すようにシュラをこちらへ振り向かせ、なるべく“彼女”が視界に入らない位置へとシュラを移しながら、記念の写真を撮ろうなどと提案したりしたものだ。

 

 

 

 

 

 それからというもの、自分はシュラと共に過ごすショートクルーズの旅を存分に楽しんだ。

 

 海を背景に、彼女とのツーショットを写真に収めていく。主に、自撮りのような角度で映り込んだり、時には他の乗客に撮影を頼んだりして、二人と過ごした思い出をデータとしてしっかりと残していった自分達。

 

 甲板での時間を満喫した自分らは、小腹が空いたということで船内に設けられたレストランへと足を運んだ。

 

 キャバレーであるLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)みたいに煌びやかとした空間。だが、華やかさとは異なる、上品で落ち着いた高貴な煌めきが特徴的だ。

 

 尤も、この空間の最大の特徴は、壁一面がガラス張りになっている内装とも言えただろう。

 アクアリウムのように広がる、壁一面の水中模様。船底とも言える場所に設けられたこの空間は、今も進行する客船に合わせて流れ往く水中の有様を生み出しており、それは決してCGによるプロジェクションマッピングなどの映像ではない本物の海底そのものを映し出している。

 

 泳ぎ回る魚達は群れを成し、揺らめく海藻は水流に身を任せていく。その、生命の神秘に満ち溢れていながらも、まるで深淵に吞み込まれるような恐怖感も伴う光景を前にして、自分らは水族館などでは味わえないリアルな水中体験に感嘆の声を漏らしたりした。

 

 この現代に、こんな構造の客船などあり得るだろうか。

 夢が詰め込まれた理想的な設備に思わず胸が高鳴ったものだが、驚くべき要素はそれだけではない。このショートクルーズの醍醐味の一つとして、なんと、アクアリウムのようなこの空間で食事も行えるサービスが提供されているというのだ。

 

 バーカウンターやビリヤード台が設置された、落ち着いた雰囲気のレストラン。モダンな香りも漂うこの空間では、壁一面に広がる海の中を眺めながら、ちょっとだけ豪華な海鮮料理を堪能することができるというもの。

 

 今回頂いたのは、東京湾で捕れたという伊勢海老の活け造り。丸々一匹を使用したそれは美味でありながらも値が張ったため、自分らは二人で一匹を分ける形で頂いた。

 

 豪華な食事を終え、満腹ではないにしろ満足した自分とシュラ。二人で「美味しかったねー」と感想を伝え合っていくその最中にも、次に行こうと決めていた客船の一番高い位置にある大浴場へと足を運んでいた。

 

 海を展望できる高さと、心地良い湯も満喫できる極楽な空間。混浴風呂であるためタオルを身に着けながら利用するこの設備には、上品で煌びやかな灯りの他、大理石の床やリゾートを彷彿とさせる植林なども見受けられていく。

 

 加えて、ラベンダーのアロマが高級感を醸し出してくるこの空間を、自分とシュラもタオルを身にまといながら心行くまで堪能した。

 

 湯に浸かりながら海の景色を眺める、極上のひと時。この世のしがらみ全てから解放されたかのような快適さが、現代で疲労した心や身体を癒してくれる。

 

 シュラと二人で寄り添い、湯の中で手を繋ぎながらそのひと時を味わっていく。そうして温まった身体は真冬の潮風さえも心地良く感じさせ、風呂を後にしてから再び訪れた甲板の上においては、まるでドッグランに連れてきてもらった犬のように駆け回ったりなどして、自分らは共に過ごす二人だけの時間を存分に楽しんだものだった。

 

 

 

 

 

 楽しいと思える時間ほど、あっという間に過ぎ去っていく。

 

 食事や大浴場の他にも、船内で行われたトークショーだったり、内蔵されていたフィットネスジムで軽く運動を行ったりなどの、様々なイベントや設備でショートクルーズを満喫した自分達。

 

 移動中の船内なんかでは、ふと視界に入った尾行中の“彼女”が、他の女性客を口説き落としている場面などにも出くわしていく。それを見た自分は、内心で「ナンパしてる……」と思いながらも通りすがったりして、各々が船内で過ごす時間を大切にしていたものだ。

 

 こうして、直にも下船の時刻が迫ってきた。

 もうじき船を降りるからということで、船内の物販コーナーを見て回っていた自分とシュラ。落ち着いたクラシックの音楽が流れる部屋の中、自分は饅頭の入った箱を手に取りながら彼女へと話し掛けていく。

 

「みんなに買っていくお土産、なかなか決まらないもんだね。どれも魅力的で、俺だけじゃ選び切れないよ。シュラだったらさ、ホステスの仕事終わりとかにどんなものを差し入れしてくれたら嬉しいとか、あったりするもんかな?」

 

 そう言って、喋りながら隣に振り向く自分。だが、そこには隣にいたはずのシュラの姿が見えなかったことから、自分は不思議に思いながらも周囲を見渡した。

 

 わずかながらによぎった嫌な予感。だが、その不安はすぐにも振り払われていく。

 付近のぬいぐるみコーナーで、何かを抱え込んだ彼女の背中。そしてこちらへ振り返ってくると、シュラは子供のように天真爛漫に微笑みながら、黄色いエイの巨大なぬいぐるみを抱き抱えた状態で駆け寄ってきた。

 

「ニーチャンニーチャン!!! エイや!! エイエイ!!!」

 

「あはは、そうだね。見るからにエイだ。いや、これマンタかな?」

 

「別にどっちでもええやろ。それよりもウチ、これ気に入ったわぁ! せやからもう決めた!! この子、絶対に買って帰るで!! そんでニーチャンの部屋に飾っとく!!」

 

「俺の部屋に置くんかい」

 

「ええやろ。ニーチャンの部屋は、ウチの部屋や。そんでもってな、ニーチャンを抱き枕にしながらな、ウチとニーチャンの間にこの子を挟んでイイ夢見るんや~!!!」

 

 心からの喜びで可憐に喋るシュラは、そう言いながらエイのヒレを持ってこちらをペシペシ叩いてくる。その間も「エイ、エイエイ!!」と声に出していたものだったから、自分は苦笑いをしながらもシュラの頭を撫でていった。

 

「わかった、それじゃあその子を買って帰ろうか。みんなへのお土産は……まぁ、乗り場のターミナルにある売店でも覗いていけばいいかな」

 

「イェーイ!!! エイやエイ!! 空前絶後のダイナミックエイエイ祭りの開催や!!!」

 

「あっははは、なんだそれ」

 

 勢いで喋るシュラの頭を撫でていき、彼女を一旦落ち着かせていく。それからエイのぬいぐるみを購入し、それを入れた袋を自分が持ちながら、もう一度だけシュラと一緒に甲板へ訪れた。

 

 ……沈みかけの夕日を目にして、途端に虚しさがよぎり出す。

 

 視界には、自分らが降りる港が見えていた。

 この、夢のような時間も終わりを告げようとしている。それを実感するだけで自分は憂鬱に思い始め、目前にした現実についつい顔をしかめてしまっていたことだろう。

 

 だが、それ以上に悲しげな様子を見せていたのは、隣にいたシュラの方だった。

 あれほど快活な笑顔を見せていた彼女は、今では泣き出しそうな顔をしながら俯いていた。この様子に自分は「シュラ?」と言葉を投げ掛けていくのだが、彼女からの返事は無い。

 

 ……次にも、シュラは無言でこちらに抱き付いてきた。

 ドンッと体当たりするようにぶつかり、そのままこちらの両腕ごと強く抱き締めてくる彼女。シュラのそれに自分は様子をうかがう視線を投げ掛けていると、直にもそっぽを向くように海を見遣った彼女は、呟くようにその言葉を口にし始めたのだ。

 

「なぁニーチャン。…………このままウチと一緒に、ホステスのネーチャンらも知らん場所に移り住まへん?」

 

「……シュラ?」

 

Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の人間も、鳳凰不動産の人間も。ウチらの親族や友人も、誰も知らへんような場所に移り住むんや。そんで、ウチとニーチャンは本当の家族になって、誰にも狙われへん平穏な人生を、穏やかに、朗らかに、そして来るべき最期の時まで一緒に過ごしていく。……どうや、そないな未来も悪くないとは思わへん? ウチはアリやと思うんやけど、ニーチャン的にはどう思う?」

 

 顔を擦り付けるようにしながら、こちらを見上げてくるシュラ。

 その瞳は光り輝いていて、それでいて虚しい視線を送り付けている。彼女の眼差しは訴え掛けるように力強く、こちらに淡い期待を抱き、頷いてほしそうにじっと見つめてきていた。

 

 ……包み隠すことのない本心。

 同意してほしい。必死になって訴え掛けるシュラの瞳を前にして、自分は何て返答をすればいいのかの最適解を考え続けてしまう。

 

 そんなこちらを察してなのだろうか。次にもシュラは、フッと鼻で笑うようにしながら喋り出してきた。

 

「……冗談や。今の言葉、本気にせんといて」

 

「…………」

 

「ニーチャンがそないな顔をする必要はあらへん。大丈夫やって、ウチは今でも十分幸せや。ニーチャンと一緒に居られる。それだけでウチは、今までの人生が報われたような気分になれるんやからな」

 

 しみじみと言葉を口にしながら、ゆっくりと離れていくシュラ。そして向かい合う形でじっと見つめてきた彼女を暫し眺めてから、次はこちらからシュラを抱き締めていった。

 

 離さない。何があっても、自分からは絶対に。

 手に持つ袋が擦れる音。共にして、抱き抱えるように強く抱き締めたこちらの抱擁に、シュラは一瞬だけ驚きながらも温もりを受け入れてくれたものだ。

 

 冷たい潮風が吹き抜ける空間。しかし、シュラの体温がこの身体を、心まで温めてくれる。

 少しして、シュラもお返しするように抱き締めてきた。そうして、夕暮れの甲板の上にて、自分とシュラは互いに離れないように、力強く、愛情を込めながら抱き締め合っていった。

 

 

 

 

 

 夢の時間は終わり、自分らは船着き場に着いた客船から降りていく。

 

 またここを利用しよう。そして今度は、ホステスのみんなと一緒に来よう。それをシュラと強く約束しながら客船を後にして、その足でお土産を買うために、自分達はターミナルの売店に立ち寄っていた。

 

 エイのぬいぐるみが入った袋を片手に、二人で店内を巡っていく。そして大福やカスタードケーキ、羊羹などの甘い物を中心に見繕い、袋を両手に提げながら電車に乗って、龍明の街に戻ってくる。

 

 磯が香る潮風の爽やかな匂いから一転とした、黄色く淀んだ空気が全体に漂う市街地。だが、この光景に不思議と実家のような安心感を抱きながら見慣れた道を辿り、いつも来ているLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の店前を横切って、その小道を歩み進めていく。

 

 いつもの日常。帰ってきた景観を眺めながら歩いていくその道中、隣にいたシュラは思い返すように喋り始めてきた。

 

「あ~ぁ、またいつものホステス生活に後戻りかいな。別にホステスが嫌っちゅうわけやないけど、立場が立場やしなぁ。……あ~ぁ、ずっと船ん中に居たかった。なんなら、あの船を丸ごとジャックして、ウチとニーチャンと、女帝のネーチャンの三人で龍明からバックれんのもアリだったかもしれへんなぁ」

 

「しれっと恐ろしいこと口にするじゃん。……ん?」

 

 三人……?

 耳にした単語に遅れて気が付いた自分。こちらの反応にシュラは振り向いてくると、平然とした顔でそう言葉を続けてきたものだ。

 

「せやろ? 後ろからついてきとったの、女帝のネーチャンやろ」

 

「もしかして気付いてたの?」

 

「もしかしても何も、あないなオーラ醸し出しとる人間、女帝のネーチャン以外におらへんやろ。あないな存在感、嫌でも目に付くわ」

 

「あぁ……まぁそうだよね。俺もそれは思ったかも」

 

「しかもネーチャン、ウチらが龍明の駅に戻ってきたのをちゃんと見届けてから、船でナンパしたジョーチャンをホテルにお持ち帰りしとったしな。結局、女帝のネーチャンは何しに来とったん? ニーチャンなんか知っとる??」

 

「え、お持ち帰りってなにそれ。なんか俺よりも詳しくない……?」

 

 というか、俺の護衛はどうしたんですか……。

 最強の用心棒がいつの間にか離脱していた事実を知り、急に心許ない気持ちに苛まれた自分。そんな、肉欲に負けた“彼女”に汗を流していく最中にも、隣にいたシュラはこちらに肩をくっ付けながら、上目遣いを交えた健気な言葉でそれを口にしてきたのであった。

 

「そないな顔せんといてや。大丈夫やってニーチャン。だってニーチャンの傍には、ウチがついとるからな!!! ……ウチがおる限り、ニーチャンには誰にも手出しさせんで。ウチも女帝のネーチャン同様に、れっきとしたLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の一員なんやしな!!!」



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第46話 Désir et violet 《欲望と紫》

 夜の龍明。明かりをつけたアパートの自室にて、自分は静かなひと時を一人で過ごしていく。

 

 誰もいない今こそがチャンスだ。この好機を逃すまいと部屋の清掃に取り組んでいた自分は、ベッドの周りから、浴室やトイレまで、とにかく部屋の隅々を綺麗に清掃してから一息ついて佇んでいた。

 

 ホステスのみんなに、快適に過ごしてもらえるような部屋にしたい。特に、多忙を極める彼女らが安心して休めるような空間を第一に意識し、ホステス達がよく使用する道具の棚の整理整頓から、モバイルバッテリーの充電といった家電の管理までを一通りと済ませておいた今の状況。

 

 最後に、生理用品といった代物の在庫も確認してから、自分は「ふぅ」と息をついて暫しその場に佇んでいた。そうして、ボーッとした半ば放心状態の意識で廊下にある台所を眺め続けていると、気が付いた時には身体が勝手に動いていて、そこの清掃も始めてしまっていたものだ。

 

 最近になって、料理を得意とするノアもホステスの仲間に加わった。その関係でちょくちょくと顔を出しに来る彼女は、時には泊まり込みで手料理を振る舞ってくれたりすることから、自分もホステスらもたいへんありがたみを感じながらそれを頂いたりしている。

 

 そんなノアにも、心地良く台所を使ってもらえたら嬉しいな。こんなことを脳裏によぎらせながら手を動かしていると、気付けば目の前には既にピカピカとなった台所が誕生していた。

 

 今日はここも清掃するつもりはなかったんだけどな……。

 内心で呟きつつ、後頭部を掻くようにして眺めていた自分。尤も、別に後悔などはしていないし、むしろ心が清々しい気持ちで満たされている。

 

 一通りはやり切っただろうか。それを思いながら部屋の中を見渡していると、間もなくとして、ガチャッという玄関の鍵が開かれる音が響き渡ってきた。

 

 もう、そんな時間か。そう思いながら時計を見たものの、時間は二十一時頃と未だホステスの勤務時間真っ只中のそれであり、今もみんなが頑張って接客しているであろう状況に自分は首を傾げながら玄関を見遣っていく。

 

 そして、すぐにも開かれた扉。共にして、疲れ切った顔をしたラミアの「ただいま戻りました~……」という声が聞こえてきて、地雷系コーデを身に纏う彼女は佇んでいたこちらを死んだ目で見つめてきたものだ。

 

 すっごい疲れてる……。

 一目で分かる疲労の具合に、自分は「おかえり。バッグ持つよ」と言ってラミアが提げていたトートバッグを受け取っていく。そのあとラミアは厚底ブーツを脱ぎ散らかし、フラフラとした足取りでベッドに直行し、倒れ込んだ。

 

 ボフッ。突っ伏すように寝転がったラミアへと歩み寄る自分。彼女はスカート姿であるにも関わらず、躊躇いなしにそれをめくりあげながら倒れていたため、自分はその裾を引っ張ってショーツが見えないようにしつつ、バッグも脇に置きながらそれを喋り掛けていった。

 

「今日もお疲れ様。仕事、途中で切り上げてきた?」

 

「ぁー……いえ、違います。ウチ、さっきまで同伴でしたから」

 

「あぁ、店でのお勤めではなかったんだ」

 

「まー、そーなんですけど。でもさっきまで店におりまして」

 

「ん? えーっと?」

 

 どういうことだ?

 首を傾げて考える自分。それを横目にラミアは、微動だにしない突っ伏したままの姿勢で喋り続けてくる。

 

「まー、いろいろあったんですよ。同伴先で」

 

「……また契約外の輪姦を強要されたとか、そういう問題事?」

 

「あーいえ、今回は輪姦されてませんけど、たぶんそれ以上にヤバかったですね。何せ警察沙汰になりましたし、夜通し事情聴取も受けまして、その足で店に行って報告やら確認やらいろいろとやってました。で、気付いたらこんな時間です」

 

「警察沙汰って相当だね。大丈夫だったの? 良かったら話聞こうか?」

 

「そーですね。そーいう気分ではありますけど、その前にちょっと済ませないといけないコトもありますから」

 

 もんぞ……といった具合にゆっくり起き上がったラミア。そして呆然とした眼で暫し天井を見つめてから、こちらに向くなり彼女はそんなことを言い出してきた。

 

「あの、カンキさんってムダ毛処理したコトあります??」

 

「ムダ毛処理? まぁ、心得はあるけど……」

 

「それって、“vio”の方も心得があるって意味合いで受け取ってもイイですか??」

 

「vio……? vioって、所謂デリケートゾーンってことだよね。まぁそっちの方も、知識は一応……?」

 

「そーですか」

 

 今にも倒れそうなラミア。死んだ目でこちらの顔をまじまじと見つめ続けてきて、かと思えば彼女は平然とした調子でそれを言い放ってきたものだ。

 

「ウチ、今日、vioのムダ毛処理を行う予定日なんですけど、こんなカンジでちょっとムリそうですからね。なのでカンキさん、ウチのvioのムダ毛、代わりに処理してくれません??」

 

「え? …………え?」

 

 vioのムダ毛処理の代行……??

 

 理解が追い付かない。この時ばかりはさすがに、思わず二度も聞き返してしまっていた。

 

 

 

 

 

 暖房をつけた浴室の中。上半身裸になった自分は、必要な道具を入れた桶を手に持って屈み込んでいく。

 

 目の前には、浴槽の縁に座る全裸のラミアが存在していた。彼女は恥ずかしげもなく脚を開いており、自身の聖域をこちらに晒していたものだ。

 

 ……いたいけな風貌に見合った、どこか幼げで可憐な“ソレ”。見るだけで本能を掻き立てられる光景を目前にして、自分は“息子”を反応させていく。

 

 だが、今回の目玉はその周囲の状況にあったことだろう。

 聖域に顔を覗かせた、いくらかの茂み。森林というよりは雑草に近しい状態の“それ”は、彼女の髪色であるヴァイオレットカラーを伴ってフサフサと存在している。

 

 これがまた生々しく、かつ余計に興奮を煽られた。

 ……当然ではあるけれども、やっぱりラミアの“ソコ”にも周期的に出てくるんだよな。内心で抱いた感想をゴクリと呑み込みながら桶に手を入れて、そこから取り出した顔用電気シェーバーとヒートカッター、そして保湿クリームといった道具を用意してから、ラミアへと話しかけていく。

 

「使う道具は、この三つだけでいいんだっけ?」

 

「あハイ、ひとまずそれでイイですよ。本来ならもっと道具を使いますけど、まーカンキさんにしてもらう分にはソレだけで十分ですから。取り敢えず今日の内に済ませておきたいんです。近々の同伴でお披露目するお約束になってますから」

 

「手直しとか、いつでもしてもらっていいからね。……正直、上手くできる自信があまり無くって……」

 

「そんな深く考えず、適当でイイですよー。お肌さえ傷付けなければオッケーです。如何せんココは、ウチの第二の心臓みたいな場所ですからね。ココの清潔さが、ラミアちゃんというホステスの売りにもなっていますから、その辺だけ心得てくだされば別にどうしてもらってもイイです」

 

「…………なんだろう、それを聞いたら余計に緊張してきたな」

 

 第二の心臓だなんて、プレッシャー……。

 シェーバーを持つ手が震え始めた自分。今も展開される目の前の眼福な聖域の光景が、途端にして命を懸けた試練の闘技場に見えてきてしまう。

 

 ……つい、睨みつけるようにまじまじと見つめてしまう自分。この様子にラミアは適当な調子で「ナニじっと見てるんですか。イマはそーいう時間じゃないですよ??」と急かしてくるものだったから、自分は「ど、どうやろうか、脳内シミュレーションしてたんだ」と言い訳しながら唾を飲み込み、手に持つシェーバーをゆっくりソコへ近付け始めていった。

 

 柔らかく、温かくて、魅惑的。左手を添えた際の肌触りで、心臓がちょっとだけ飛び跳ねるような感覚を覚えていく。

 

 ガラスの彫刻を触る時よりも繊細な手つきで、高価な腕時計を身に着ける時よりも慎重な心持ちで処理を行い始めた自分。そのために近付けた顔はほぼ彼女の股に埋まっており、こちらの息がかかるのだろうか、ラミアはちょっとだけくすぐったそうにしながらもこの様子を見守っている。

 

 “それら”の一つ一つを見分けるように目を凝らし、この柔肌に傷をつけないよう丁寧な手つきで作業を進めていた自分。もはや、先ほどまでの高揚感はどこへ行ったのやら。覚えていた本能的な興奮も、今では綱渡りをしている時のような危機的な興奮となって、心臓を強く打ち鳴らしている。

 

 ……真剣な眼差しを注ぐ男。傍から見れば、女性のソコをこんなにも真面目に凝視する男だなんて変質者以外の何者でもないだろう。

 

 少しずつラミアのムダを削ぎ落としていく自分が、全神経をソコに注いでいくその最中。ラミアは暇を持て余したように両足をクリクリ回しながら、両手を縁についた姿勢でそう喋り出してきたものだ。

 

「同伴で起きたコト、お話ししてもイイですか??」

 

「あぁ、いいよ。けっこう集中しちゃってるから、所々聴き取れない部分もあるかもしれないけれど」

 

「別にかまいませんよー。そんな大したコトでもありませんから。ただ、同伴相手のお宅にお邪魔した際に、強盗に襲われただけですから」

 

「え?」

 

 開口一番の言葉で顔を上げた自分。だが、その内容とは裏腹にラミアは適当な調子で話を続けていく。

 

「その日、女性客の方と初めて同伴したんですよ。そのお方、雑誌のライターさんだとかで。なんか取材を兼ねてウチから話をうかがいたいから、出版社のお仲間さんも呼んで、ライターさんのお部屋でお酒でも飲みながらお話ししましょーみたいなコトになりまして、夜、そちらにお邪魔してたんですよね」

 

「それって、何人ぐらいで飲んだの? 男の人はいなかったの?」

 

「全員で四人くらいでしょーか?? ウチも入れて五人とかでしたが、皆さん女性の方でした。で、ちょーどカンキさんのお部屋くらいの広さの個室でして、ソコでぎゅうぎゅうになりながら、ホステス稼業のアレコレをいろいろ訊ねられていたんですよねー」

 

 足をばたつかせるようにしながら、何ともお気楽なサマで話をするラミア。その間も自分は作業に戻り、慎重な手つきで彼女の聖域に触れながら相槌を打っていく。

 

「今のところは、まだ平和的だね。話を聞いてる感じだと、その人達とは上手くいってるように感じるかな」

 

「そーですよ。集まった皆さんはイイヒト達でした」

 

「あ、じゃあそこに強盗は紛れていなかったんだ」

 

「ハイ。だってその強盗、お邪魔していたお部屋のタンスの中に隠れていましたから」

 

「え、こわ!!!」

 

 思わず声を上げながら見上げた自分。こちらの様子に、ラミアは冷静な声音で「カンキさん、手が止まってます」と指摘してきたものだったから、自分は平謝りしながら作業に戻っていく。

 

「それって、ライターさんが留守にしている時に侵入したってことなのかな」

 

「まー、そんなカンジみたいですね。ライターさんも女性ですから、カノジョの下着やらを物色していたタイミングでウチらが帰ってきたと。そんな経緯でタンスの中に隠れていたみたいですが、たまたまタンスを開ける機会ができちゃいまして。それでタンスを開けたら、中から鉈を持ったオトコの強盗が飛び出してきたと」

 

「いやいやいや、すごい淡々と話してるけど普通に怖いから、それ」

 

「言っても、ココ龍明ですよ?? 龍明なら別にこんなコト当たり前じゃないですか」

 

「う、うーん……? まぁ、他所の地域と比べると、不法侵入とかの話はよく聞くかもしれないけれど……」

 

 今に限った話ではなく、強盗が押し入ってきたという話自体は割とよく耳にする。尤も、その耳にする話というものは盗人の類ではなく、どちらかと言うとヤクザやマフィアだったりするのだが……。

 

 どちらにせよ、龍明という地域の治安を再認識させられる。自分は今もラミアのソコを凝視しながらも、段々と出てきた余裕の心持ちで喋り出していく。

 

「それで、そこからどうなったの? 男の俺でもめちゃくちゃ怖いと思える出来事なんだけど」

 

「あハイ、タンスを開けたライターさんが人質にされちゃいまして、強盗はそのまま逃げるために玄関まで歩き始めたんですよね。こう、鉈をライターさんの首に向けながら、『動いたらコロスぞー』と、そんなカンジに。あと、財布やスマートフォン、その他諸々の金品を差し出すよう脅されまして、ウチらはソレに従う他ありませんでした」

 

「人質にとるだけじゃなく、金品まで要求してくるの余計に恐ろしいな……。よく無事に生きて帰ってきてくれたよ。……それで、ラミアも強盗に色々と差し出したりしたんだよね」

 

「一応、そーですね。ただ、ウチはそんな状況なんかにも慣れていましたから、皆さんが怖がる中でウチもソレを装いながらも、静かに反撃のチャンスをうかがってました」

 

「いや強すぎだろ」

 

 思わず素の声が出た。

 次第と茂みが伐採されてきたラミアの聖域。こちらにも神経を注ぎながら、自分はラミアへと尋ね掛けていく。

 

「……それで、どうなったの?」

 

「ちゃんと隙を見せてくれましたよ。強盗に慣れてなかったんでしょーね。アチラもけっこう焦ってるカンジが伝わってきていましたので、その強盗が玄関を背にしてお部屋の廊下を進み始めた時に、ウチ、その玄関扉めがけて呼び掛けていったんです」

 

「呼び掛けた? 悲鳴とかを聞いて駆け付けてくれた隣人さんとかが居たのかな」

 

「いえ、カンキさんです」

 

「え、俺ぇ????」

 

 急に自分が話に出てきた。

 思わず素の声を出しながら顔を上げていく。だが、こちらの様子にラミアは再び「カンキさん、手が止まってます」と指摘してきたものだったから、自分は平謝りしながら作業に戻っていく。

 

「……え、それでどうしたの?」

 

「玄関に向かって、カンキさんへと呼び掛けました。『あ、カンキさん。ちょうどイイところに来てくれました!!』と。もちろんブラフです。ですけど、強盗のヒト、その呼び掛けでものすごく慌てながら後ろの玄関へ振り返ったモノですから、その隙にウチは強盗に飛び掛かってスタンガンを食らわせてやりました」

 

「ゆ、勇猛果敢……!!」

 

「それから、人質にされていたライターさんを解放しまして、倒れた強盗に何回もスタンガンを食らわせてから、カレから奪った鉈で動きを抑制しつつ、お部屋の方々に通報の電話を指示しました。で、正当防衛を装って鉈で強盗を何回か切り付けてから、持ってきてもらったガムテープで両足と両手を縛りあげて、さらに無理やり開かせた強盗の両目に防犯用の催涙スプレーを三十秒くらい浴びせてから、突っ伏した状態にさせた強盗に馬乗りになって、髪を鉈で部分的に削ぎ落とすことでそれなりの屈辱を与えてやりました」

 

「お、おぉ? おお、……おおぉ??」

 

 あれ、おかしいな。なんか段々とラミアの方が野蛮に聞こえてきたぞ……?

 

 それら全て、いつもの適当な調子で平然と語るものだったから、自分はゆっくりと首を傾げながら彼女を見上げていった。すると、ラミアはこちらに目を合わせてくるなり、思い出すように「あ、そーいえば写真も撮ってやりましたから、後で見ます??」と口にしてきたため、自分は困惑のまま「あぁ、じゃあせっかくだから……」と返答してしまった。

 

 ……事情聴取が長引いた理由って、それが一番の原因だったのでは?

 自分は現場に居なかったから、憶測でしか話せない。が、駆け付けた警察からすれば、その状況だけ見たらラミアが強盗だと思われても何らおかしくないのでは? という疑念も生まれ始めてくる。もちろん周囲の証言から真の強盗が判明するだろうが、それにしては報復が凄まじい……。

 

 勇敢なラミアに感服しつつも、「そんな状況にも慣れていた」と口にしていた彼女の言葉に納得がいってしまう。とはいえ、ラミアも女性であることに代わりはないため、自分は彼女へと労りの言葉を投げ掛けていった。

 

「慣れてるとは言っても、下手すれば命も危ない状況でよくそれだけ動けるね。俺だったらそんな勇気が出ないかもしれない。ラミアの勇敢な行動が、ライターさん達を救ったとも言えるからさ。まずは、本当にお疲れ様。こんなに頑張っても何も無いだなんて報われないだろうし、代わりとして俺が今度、ラミアの好きな甘い物をたくさん買ってくるとでもしようか」

 

 軽率に口にした、安易な労りの言葉。これを耳にしたラミアは途端に目を光らせると、言い逃れができぬようすかさずとそれを喋り出してくる。

 

「ホントですか!? じゃーアレです!! デパートとかで、とにかくいろんなスイーツをたくさん買ってきて、ココでスイーツバイキングをしたいです!! もちろん、カンキさんの奢りですよね!! コレは、命を張ったウチに対する相応な対価の報酬というコトでイイんですよね!? そーいうコトですモンね!! ね!!」

 

「お、おおぉ……! まぁ、そういうことになるかな……?」

 

「やったーーー!!!! 命、懸けてみるモンですねー!! やっぱご褒美があってこそのお仕事ですから、これくらいの報酬は用意されていないと、人生やってられないモノですよホント」

 

 急に上機嫌となったラミアは、全裸の状態で両足を振りながら喜びを表していく。

 

 やっぱり、ラミアも女性であることに代わりはない。どんなに勇敢で、どんなに強かろうとも、ラミアもまた可憐な乙女の一人であり、守るべき対象の一人でもある。だからこそ、守られる側の自分としてもラミアという人物を大切にしたいと思えてくるものだし、こうして喜んでくれるラミアの姿が、愛おしくさえ思えてくる。

 

 ……まぁ、スイーツバイキングの費用という出費も、いつも自分を守ってくれている彼女への報酬だと思えば安い……はず。

 それか、ユノさんに相談でもしてみようかな……。何という思いを脳裏によぎらせながら、自分は引き続き繊細な伐採の作業に取り掛かっていったものだった。

 

 

 

 

 

 十分くらいの作業だっただろうか。かかりっぱなしの暖房で汗を流していた自分は、額のそれを腕で拭いつつ一息つくように背筋を伸ばした。

 

 ……茂みが無くなり、滑らかな曲線が美しいラミアの聖域が現れる。

 ふわふわとした肉感と、手触りも見た目も良い表面の肌。非常にデリケートな部分であるだけに細心の注意を払いながら伐採を終え、自分は我ながら綺麗にできたと自負しながらラミアへと言葉を投げ掛けた。

 

「ふぅ……こんなものでいいかな。どう?」

 

「まー、イイんじゃないですか?? 初めての割には手際良く剃っていただけましたし、ウチとしても満足のいく出来です」

 

「良かった。それを聞いて安心したよ」

 

 心からの安堵。この安心感で気が緩んだのか、次にも自分は目についていた“ソコ”を凝視してしまう。

 

 ……それにしても、本当に綺麗だな。

 商売道具だなんて言わせたくない程に、ラミアのソコは神聖に思えるほど美しく、素晴らしい。身体を重ねたメーとレダもケアを怠らずにいたものだが、特にラミアのは綺麗であり、見る者を本能的に魅了してくる。

 

 ……やばいなぁ。我慢できないかもしれない。

 間近で見続けてきた、メスの誘惑。これに、思い出したように悶々としていく自分を見て、ラミアはからかうような調子でそれを言い出してくる。

 

「どーされました?? そんなにラミアちゃんの“ココ”が気になります??」

 

「…………」

 

「すごく苦しそうなカオをしてますよ?? イマにもガマンできなさそうな、余裕の無い表情です。ホント、オトコのヒトってそーいうトコロが大変そうですよねー」

 

 浴槽の縁に手を置いて、悪戯な視線で見下ろしてくるラミアの姿。

 ……そんな言葉を掛けられてしまっては、余計に我慢できなくなる。自分は吸い寄せられるように彼女のソレへと顔を近付けていき、鼻先が触れるだろう距離まで迫っていく。そして、可憐なソレをまじまじと見つめていってから、自分は欲望に負けるように舌を伸ばして、触れ始めていった。

 

 この行為を拒否することもなく、こちらを受け入れてくれたラミア。与えられる温もりに興じるよう彼女はその場に留まり続け、舌先の感触を堪能していく。

 

 滑らかな舌触り。羽のような柔らかさの肉感。香ってくる独特なにおい。

 全てにおいて、オスの本能を掻き立ててくる。自分は暫しラミアを堪能してから顔を上げ、そこから舌を這わせるように、彼女の腹、へそ、胸、首を伝っていく。そして、口に到達した頃には無意識に彼女の華奢な身体を抱き寄せており、自分もラミアも暫し見つめ合ってから、互いに引き寄せられるように口付けを行っていった。

 

 

 

 

 

 いつの間にか移行していた、行為のフェーズ。

 既に繋がり合っていた自分らは、肉を打ち付ける音を浴室に響かせていく。そこでの快楽を二人で共有し合ってからは、自分は一つになったままのラミアを抱き抱えて浴室を後にし、その状態で部屋の中を歩き回ってから、ベッドに腰を掛けていく。

 

 座った状態で両手を後ろにつき、腰だけで突き上げる動作を行った自分。これにラミアは聞いたこともない甘美な声を出したものだったから、余計に興奮を覚えたことでしばらくこの体位での行為に浸り続けていたものだ。

 

 それからというもの、自分はベッドに寝かせたラミアと、ありとあらゆる体位での行為に勤しんだ。

 

 ラミアを仰向けにさせ、横に向かせ、うつ伏せになってもらい、脚を開かせたり閉じさせたり、片脚を上げさせたり、抱き抱えて二人で丸くなったりなどなど。時には彼女の下半身を持ち上げたりして、実に様々なアプローチで自分はラミアに尽くしていく。

 

 その最中、ベッドに倒れ込んで仰向けになったラミアを見て、自分はがっつくように両手を伸ばしてから、彼女の控えめなバストを堪能するように触れたりもした。

 

 大きいだけが魅力じゃない。平坦なそれもまた滑らかであり、温もりを帯びながらも、弾力とは異なる、羽毛に触れるかのような肌の手触りがなんとも心地良い。特に、ケアを徹底しているラミアだからこその肌触りなのかもしれないが、これに自分は一段と興奮を覚えながら彼女の胸部に指を這わせていき、その平坦に浮かび上がる桃色を丁重に取り扱い、輪をなぞって、時には咥えたりもする。

 

 一連の溺愛を終え、一つになった状態でラミアの前髪を手で退けていく。こうして一息ついていく途中にも、蕩けた表情で頬を赤く染めていたラミアは、こちらをうかがうような視線を投げ掛けつつそれを喋り出してきた。

 

「……カンキさん?? ナニ勝手に休んでるんですか。早く動いてください。まさか、これで終わりってワケじゃないですよね」

 

「ちょっとだけ休憩中。その間に、今のラミアをしっかり目に焼き付けておこうと思ってね」

 

「なんでですか。ウチのコトは別にイイですから、さっさと気持ち良くさせてください」

 

「あはは、本当に可愛いな」

 

 見惚れるような視線を向けていく自分。こちらの様子にラミアは眉をひそめていくのだが、そんな彼女の反応を余計に愛おしく思いながら、自分はそれを喋り続けていった。

 

「ラミア、可愛いよ。すごく可愛い。今のラミアも、いつものラミアも、どんなラミアもひたすらに可愛いなと、心からそう思えて仕方が無いんだ」

 

「急にどーしました?? カンキさん、腰を振りすぎておかしくなっちゃいました??」

 

「あぁ、おかしくなっちゃったかも。ただただラミアのことが愛おしく思えてきちゃって、自分でもどうしようもなくてね」

 

「ふーん、そーですか。……まー、カンキさんにそう思っていただけるコトは、そんなワルい気はしませんけどねー」

 

「ラミア。好きだ。ラミアのことが好きだ。大好きだ」

 

「あらら、だいぶ出来上がっちゃってますねこれは。イイですよー、カンキさん。イマのラミアちゃんは、カンキさんだけのモノですから。なので、カンキさんの気が済むまで、思う存分にラミアちゃんのコトを堪能しちゃってください。あ、ウチのコトを気持ち良くさせてくれるコト前提で、ですから。その辺はどーかお忘れなく」

 

「もちろん、そのつもりでラミアのことを堪能させてもらうよ。さぁ、続きをしようか」

 

 ラミアの頭を愛でるように撫でてから、彼女の腰に両手を添えていく。そして再び運動を開始して、二人だけの快楽へと溺れていくのだ。

 

 ラミアは、とにかく自分が気持ち良ければ何でも良いタイプの女性だ。自身の身体で相手方に気持ち良くなってもらうというよりは、自身を気持ち良くしてくれるパートナーを好む傾向にあり、彼女は行為までのムードや、行為中の掛け合いなどには一切のこだわりを持っておらず、ただひたすらと、自身に快感をもたらしてくれる一方的なプレイを求めてくる。

 

 ただし、決して乱暴に扱ってはいけない。激しくというよりは穏やかに、されど絶え間なく快感を与え続けてほしいと願うラミアは、蕩け合う熱烈とした行為よりも、作業のように、淡々とした行為を望む傾向にあった。差し詰め、男性寄りの欲求を持つ女性、とも言えるだろうか。

 

 また、彼女は気分屋だ。いくらその体位が気持ち良かろうとも、ずっと同じ体位だと彼女は飽きてしまう。だから、一定の間隔で体位を変えていき、彼女に奉仕する心持ちで行為に臨んでいくと、彼女は終始と快楽による甘い声音を上げていき、蕩けるような表情を見せ続けてくれるのだ。

 

 いたいけで可憐な女性。その小柄な体格もまた、非常にそそられる。

 体中の敏感な部位をこねくり回し、大好きなのだと言うGスポ〇トを中心に彼女の中をノックしていく。こうして、一般的とされる体位を網羅するよう一通りとこなしてから、最後に向かい合った正常の体位で繋がり合い、自分はフィニッシュに向けて全意識を集中させた運動を行い始めた。

 

 ベッドが軋む音と、湿気を伴いながら肉同士がぶつかり合う音。加えて、甘美な声音を上げるラミアの声が混じるそれらの音に包まれた空間の中で、自分はそろそろと上ってきた限界に表情を歪ませながら言葉を投げ掛けていく。

 

「ら、ラミア……っ。そろそろ、来るかもしれない……っ」

 

「かまいませんよ……!! カンキさんなら、ナマでも気にしませんから……っ!! カンキさんのイイ時に、いつでも来てください……ッ」

 

「ラミア……っ!」

 

 彼女と手を繋ぎ、覆い被さる形で最後の追い込みをかけていく自分。加速し始めた運動が彼女の好きな部分を高速で刺激させていき、これにラミアは全身を痙攣させながら、甲高い嬌声を上げて天を仰いでいく。

 

 その彼女の姿を見届けてから、自分も内なる欲求を解き放つように溜まった快楽を噴き出していった。

 

 熱を帯び、どくどくと脈打つ肉の管。そこから自分の全てを捧げるよう彼女に熱意を注ぎ込み、溢れんばかりの欲望で彼女の中を満たしていく。

 

 彼女の小さな身体の、その更に小さな命の空間を埋め尽くした自分のそれ。自分で出した熱意が自分自身に伝わってくるそれの感覚と、空っぽになったタンクが未だ虚しく熱意を送り出そうとする感覚が、自分に疲労感と充実感をもたらしてきた。

 

 ……自分史上、最も多い量を噴射した。

 さぞ、干からびた様相を浮かべていたことだろう。自分は力尽きるように項垂れていく中で、ラミアも息を荒げながら抱き寄せるようにこちらへと両手を伸ばし、こちらを受け止めてくる。そうして華奢な身体に抱き留められた自分は暫し彼女の体温に包まれて、少し復活した自分は顔を上げて彼女と見つめ合ってから、今も繋がり合ったその状態で、互いに惹かれ合うように仕上げの口付けを交わし合ったのだった。



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第47話 Je deviendrais anxieux 《不安になっちゃうから》

 夕方を迎えつつある龍明の外界。寒さは一層と増していく冬季の寒波に晒されながら、自分は龍明高等学校の校門前でホステス達を待っていた。

 

 少し距離を置いた、敷地外の植林の木陰。下校時間である故に、制服姿の生徒達が学校から出てくる様子をまじまじと眺めていく。

 懐かしいな。自分もここを卒業した身として、感慨深い気持ちに浸り始めたこの感情。だが、そんなこちらの思いとは別にして、目の前を往く生徒達は皆、自分という存在を避けるように歩いていたものだ。

 

 近付いてはならない雰囲気。そういった恐れを感じさせる、冷ややか且つ控えめな視線を浴びせてくる彼らの様子。おもむろに避けられている光景を目の当たりにして、自分は「まぁそりゃそうだろうな」と思いながら周囲へと視線を投げ掛けると、それと共にして、何気なく視界に入った一人の男性と目が合うなり、胸元を開けた黒いスーツ姿の彼は濃い髭と刈り上げの容貌で穏やかに話し出してきた。

 

「兄ちゃん、どないしたんや。そないにヤクザの護衛が不満かいな。念を押しとくがな、我々ぁ組長の送迎や護衛の任務に長けた、守りの精鋭隊や。要は、ボディーガードのプロっちゅうとこやな。そないなわけで、敵襲なんぞの余計な心配はせんでもええんやからな。……兄ちゃんの不信は、我々の不信にも繋がること、よぉく覚えとき。せやさかい、お互い心を許していこうや。な?」

 

「ど、どうも……心から頼りにしております……」

 

 普通に話しかけられるだけで心臓がバクバクする、緊迫としたドス黒い重圧に染まるこの空間。

 今も会話した男性が他所へと向く様子の周辺では、こちらを囲うように佇むもう二名の男性らが存在していた。彼らもまた白色や濃い赤色のスーツ姿というスタイルで、周囲に威圧を放ちながらこちらを守ってくれていたのだ。

 

 どうして、こうなってしまったのか。

 事の発端は、ノアによる迅速な手配の結果とも言えるだろう。そもそもとして今日、自分に話があると言うミネに呼び出されたことから始まったのだが、しかし自分一人で龍明を歩き回るのは、拉致や襲撃の可能性を鑑みて危険極まりないという話に至った。

 

 ホステス達も多忙が故に手が離せない状況にあり、護衛役がついてくれない人手不足に陥った自分。そこでノアは急遽、“銀嶺会”の一員にこちらの送迎を命令し、召集を受けた三名の“本職さん達”が、外出中の自分を守る話になったことで、このような状況になってしまっていた。

 

 ……いやいや、それにしても気まずすぎる……。

 三人のヤクザに囲まれて、傍から見た自分の立ち位置にさぞ疑念を抱くだろうこのシチュエーション。中に混じってる男一人だけが一般的な冬服を纏っている様子から、只者ではない雰囲気を醸し出していてむしろ余計に目立ってしまっている。

 

 だが、ノアから下された、『ボクとユノの大事な客だから、八百万の高値がつけられたダイヤモンドのジュエリーよりも丁重に扱ってくれ』という命令により、彼らは殺気を引っ込めた佇まいでこちらの護衛に命を懸けてくれていたものだった。

 

 ……ミネ、早く来てくれないかなぁ。遠い目を学校に向けながら、内心で呟いていく自分。その想いが届いたのだろうか、直にも学校の校門からは、制服姿のミネとノアが肩を並べながら真っ直ぐと歩いてきた。

 

 それぞれ、黄色のマフラーと水色のマフラーを首に巻いた少女達。……と、彼女らの後ろには人相の悪い五名ほどの男子生徒がついてきている。すぐにも少年らを連れたホステス達が合流してくると、次にも自身の胸に手を添えたノアが、中世的な声音で仰々しくも爽やかに喋り出してきた。

 

「やぁ、柏島歓喜。随分と待たせてしまってすまないね!」

 

「二人とも、今日も学校お疲れ様。……えっと、それで護衛の方々はどうする感じかな……?」

 

「無論、この場から引き上げてもらうさ。そういうわけでキミ達、柏島歓喜の護衛の命はこれにて完遂だ。急に呼び出してすまなかったね。けれども、キミ達のおかげで、カレの日常は無事守られた。ボクはキミ達プロの働きに感謝を、そして、心からの敬意を表するよ。後で、ボクの方から“オヤジ”に褒美の件を話しておくから、今回の報酬はぜひとも期待しておいてくれ!」

 

 ノアがそれを清々しいサマで言い放つと、護衛の三名は揃って頭を深々と下げ始めた。それから、内の一人が「へい、承知しやした。お嬢」と口にしていくと、これにノアは満足するように頷きながらも、続けて彼らへとそんなことを喋り出してくる。

 

「そうそう。本部に戻るついでに、もう一件引き受けてもらえるかな。銀嶺会に入りたいと志願する、五名の有望な学生を連れてきたんだ。皆、喧嘩慣れしているから即戦力になってくれるはずだよ。……もう間もなくと勃発するだろう鳳凰不動産との抗争も控えている今、カレらには銀嶺会の礼儀や作法を徹底的に叩き込んでくれると実に助かるな」

 

「新入りの件、承知(つかまつ)っております。お嬢が直々に見込んだ新入りです、さぞ銀嶺会に貢献してくれることでしょう。……新入りのガキ共は我々が引き受けるため、お嬢は引き続き貴重な学生生活に専念なさってください」

 

「あぁ、ありがとう。キミ達のような頼れる自慢の家族を持つことができて、ボクは本当に嬉しく思うよ」

 

 ガラス細工のように透き通った銀色のショートヘアーを揺らし、爽やかに微笑するノア。少女の透明感ある存在感がまた不可思議な風格を醸し出していく中で、少女に一礼したヤクザの男性達は荒々しい声音で男子生徒らを呼び付け、一気に殺意を振り撒きながら団体を連れてこの場から歩き去っていった。

 

 ……こうしてまたヤクザが増えて、銀嶺会という組織が発展していくんだなぁ。

 もはや、しみじみと思えてしまえた目の前の出来事。立ち会って良かったのかどうかも分からないそれに呆然とする自分の脇からは、右手に持つ鞄を肩に掛けたミネが、いつもの不機嫌そうな表情でこちらへと言葉を投げ掛けてくる。

 

「……ごめんね、カッシー。急に呼び出したりなんかして」

 

「いいよそんな。全然大丈夫だから。それで、話があるみたいだけど、一体どうしたの?」

 

「あぁうん、いや、そんな大層な話じゃないから、身構えなくても平気なんだけど。ただちょっと……カッシーに相談したいなって、思っただけだったから……」

 

「分かった。ミネの助けになれるのならば、喜んで相談に乗るからね」

 

「だから、そんな大層な話なんかじゃないから……!」

 

 ちょっと慌てるように口にするミネ。どこか気まずそうに振る舞う少女に自分は微笑みかけていくその最中にも、こちらの視界に入るよう横からひょっこり顔を出してきたノアが喋り始めてくる。

 

「まぁ、学校前で立ち話も何だろう? せっかくだから、どこかで軽食を取りながら話をするとでもしようか!」

 

「え? あ、ノアも一緒についてくる感じ?」

 

「もちろんだとも!! ボクだけ仲間外れだなんて寂しいじゃないか!」

 

 さも当然といった具合に返答したノアだが、彼女を見遣るミネの視線はナイフのように鋭く尖っている。それを受けてもなお、ノアは「それじゃあ、どこで食事をしようか! そう言えば、近くの喫茶店で季節限定のパフェのフェアが開催されているらしいんだ!」とノリノリで話し出してきたものだったから、少女の様子にミネはため息をつきながらも、ちょっと不機嫌そうにそれを口にしてきた。

 

「ねぇ、ほんとについてくる気なの? アタシ、カッシーと二人だけで話がしたいって、学校で何回も伝えたじゃん」

 

「そんなにボクが一緒ではダメなのかい? 今のボクはね、キミ達と価値ある憩いのひと時を共にしたいという貪欲な欲求に駆られてしまっているんだ。そんな、人間の精神力ではとても耐え難いであろう苦痛が如き羨望を引き摺ったまま、ボクに大人しく帰路を辿れとキミは言うのかい? まるでボクを突き放すかのようなその宣告は、些か残酷な仕打ちであるとボクは思えてしまうわけなのだよ」

 

「何それ……。今朝からずっと、そんな調子でアタシについてこようとするじゃん……。何なのそれ、ホント意味分かんない。……なんかもう……いいや……。面倒くさいし……」

 

「それはつまり、ボクもついていって良いということだね!? ボクも仲間に入れてくれるという解釈でいいんだね!? そうなんだろう!?」

 

「あぁぁぁぁもういいからっ!!! もうそれでいいから……っ!!」

 

「あぁ、ありがとうミネ!! その寛容なる心持ちによって、ボクという一人の人間は孤立せずに済んだのさ!! キミはボクの救世主だ! ありがとう、ミネ! ボクの心からなる感謝をどうか、キミに贈らせてほしい!!」

 

「あぁはいはい分かったから……。ハァ……」

 

 不機嫌を越えた、諦観の表情。思考停止に近しいやつれた顔のミネへと抱き付いたノアは、自身の頬をミネの頬にくっ付けてスリスリしていく。

 

 ……まぁ、二人の間で話がまとまったのなら、別にいいのかな。

 特に口出しもせずに眺めていた自分は、取り敢えず「えっと、じゃあパフェのフェアをやってるっていう喫茶店に移ろうか……?」と二人に提案する。これにミネとノアが同意したことから、自分は二人の女子高校生を連れて龍明内の喫茶店へと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 よくあるオシャレな喫茶店の店内。運ばれてきたイチゴのチョコレートパフェに気分を良くしたノアは、とてもウキウキとした表情でそれを受け取ってから、堪能するように食し始めていく。

 

 テーブルを挟んだ向かい側に、二人並んで座っていたミネとノア。今もノアが頬に手を添えつつパフェを味わっていたその脇で、ミネは不機嫌そうな様相で脚を組み、ブレザーに両手を突っ込んだその姿でこちらと向き合ってくる。

 

 自分とミネはパフェを頼まず、飲み物だけを頂いていた現状。自分はそのカップを持って紅茶を一口啜ってから、ミネと視線を合わせてそれを尋ね掛けていった。

 

「それで、相談があるんだよね。ここでもできる話? それか、アパートに戻ってから話をする?」

 

「ここでも平気。大丈夫」

 

「そっか」

 

「…………」

 

「…………」

 

 …………。

 急に巡り出した、沈黙の空間。目の前には厳しい表情をしたミネが存在しており、何やら話を切り出せずにいたようだ。

 

 自分自身と闘っているかのような、葛藤に苛まれた顔。そこに加わる気まずい感情が、余計に少女を追い込んでしまっているのだろう。何にせよ、ミネの様子からしてこちらから切り出した方がいいなと感じた自分は、会話のキッカケとなる一言を掛けるために口を開いていくのだが……。

 

 それとほぼ同時にして、パフェを食べていたノアが何気無いサマでそんなことを喋り出してきた。

 

「う~ん……!! 美味だ。実に美味だね! 身体の芯にまで行き渡るチョコアイスとイチゴの冷たい甘味がまた、冬の季節ならではの清涼感となって体内に駆け巡ってくるよ!! あぁ、ボクはなんて幸せな人間なのだろうか! 願うならば、この甘美なるひと時を永劫に味わい続けていたいものだね……っ!!」

 

 いつもの爽やかな表情でありながらも、意気揚々とした声音が少女の高揚を表している。普段は見せない年相応の姿に自分とミネが振り向いていく中で、ノアはミネへと向くなりパフェを掬ったスプーンを差し出しながら喋り続けてくる。

 

「ミネも一口どうだい? ボクの欲求を満たしてくれる甘美なるひと時をぜひ、キミとも共有し合いたい!」

 

「え、えぇ? あ、アタシは別にいいってば……」

 

「いいから! ほら、ボクにその可愛らしい小さなお口を開いてみせてくれ!」

 

「な、なにそれ……ちょ、ちょっと」

 

 ずいずいっ、と迫るノアに気圧(けお)されたミネ。その際に開かれたほんのわずかな口の隙間へとノアはスプーンを突っ込んでいくと、勢いのままに突っ込まれたそれにミネは驚きで見開きながらも、口内に広がる甘美なる甘味に次第と落ち着きを取り戻していく。

 

 ……もぐもぐとパフェを味わうミネ。そして、ゴクンとそれを呑み込むと、少女は不機嫌そうにムスッとしながらも、尖らせた口でボソッと「……まぁ、美味しいんじゃない?」と言葉を口にしてきた。

 

 ミネの反応に、ものすごく満足そうな顔を見せたノア。晴れ晴れとした満面の笑みを浮かべて少女は微笑むと、次にもノアはミネをうかがうような視線で、穏やかにそれを尋ね掛けていったのだ。

 

「それでミネ、キミは柏島歓喜に相談があると言っていたね。甘美なるスイーツによって、少しはその緊張が解れたのではないかな? ならば次は、その胸に秘めた心の突っかかりを柏島歓喜に曝け出してみようじゃないか。大丈夫さ。不安に思うことはなに一つ無い。カレならば、ミネのあらゆる姿を受け止めてくれる。キミもそれを承知しているからこそ、カレに相談を持ち掛けたのだろう? ほら、あとはその一歩を踏み出すだけだ。キミならできる」

 

「…………っ」

 

 清涼感ある声音に、清々しい表情でその言葉を掛けられたミネ。少女は暫し俯くように視線を伏せていくと、すぐにも勇気を振り絞るようにこちらへと顔を上げて、それを喋り出してきた。

 

「……カッシー。……話があるの。でも、ホントに些細な相談事だから、そんな本気にならないで。ただ、思ったことだけを教えてくれればいいからさ……」

 

「あぁ、いいよ。大丈夫」

 

 見守るようにミネを見遣り、ゆっくりと頷いた自分。こちらの反応を見たミネは少しだけ安堵したように微笑むと、どこか気まずそうな面持ちでありながらもその相談を持ち掛けてきたものだ。

 

「……アタシ、告白されたんだよね」

 

「告白? それは、学校でってこと? それともお店?」

 

「学校。まぁ、クラスメートの男子なんだけど。最近、少しだけ話すようになっててさ。それで向こうから、その……教室で、告られた」

 

「いいね。青春って感じで、なんだか羨ましいよ。……それで、ミネはどのように返答したの?」

 

「んっとね……そのことで、カッシーにちょっと相談したいなって思ってさ」

 

 もじもじと、そわそわと、落ち着かない様子のミネは少しだけ視線を逸らしてから、こちらへと向き直ってくる。

 

「…………ねぇカッシー。アタシ、何て返事したら良いと思う?」

 

「え? あ、返答の仕方ってこと? はいか、いいえのどちらかで答えた方が良いと思うけど……?」

 

「そうじゃなくって。んー……何て言うんだろ。アタシもよく分かってないんだけど、今、返事は保留にしてあって。その……そいつと付き合った方が良いのかどうか、なんかよく分かんなくなっちゃって……」

 

 困惑に近い声音で、眉をひそめ始めたミネ。少女の悩みに自分はしばらく思考を巡らせてから、アドバイスするようにそう返答していく。

 

「返事に関しては、ミネが率直に思った方で良いと思うよ。付き合うのも良し、断っても良し。そのどちらを選ぶかは、俺じゃなくてミネが決めるべきだと思う。それを踏まえた上で俺から少しアドバイスをすると、余程そのお相手さんのことが嫌じゃなければ、取り敢えず付き合ってみても良いんじゃないかなとは思うかな。それが人生経験になることはもちろんだろうし、せっかく今しか経験できない学生生活の、それも高校生という一番青春できるんじゃないかという大切な時期をミネは過ごしているわけだから、この際に経験できることは前向きに、とことん経験してみるのも一つの手なんじゃないかな……なんて、俺は思ったかな」

 

 まぁ、無難な返答はできたのかな。

 内心でホッと一息ついていく自分。この気持ちと共にミネを見つめていくのだが、こちらの返答を耳にしたミネは次第と表情を曇らせ始めると、次にもこちらをうかがうような目で、どこか切なそうな声音でこの言葉を口にしてきたのだ。

 

「…………カッシーはさ、アタシが他の男と付き合うことを否定しないの?」

 

「え?」

 

「……ううん、何でもない。ごめん」

 

 ……もしかして、地雷を踏んだ?

 女心が分からない。そこから来る焦りが内心に巡り、自分は嫌な汗を流しながらミネを見遣っていく。で、ミネはミネで沈んだ顔をしながら俯いてしまったものだったから、この重圧的な空気感を前にして、自分は軌道修正を図る余裕を失ってしまっていた。

 

 ……どうしようもない。

 行き渡る沈黙は圧し掛かり、この空気が続けば続くほど、一層と重みは増していく。そうして自分とミネは共に俯くように視線を下げていく中で、一人だけ、この空気感の中でも平然としたサマでパフェを食べ進める人物がいたものだ。

 

 もぐもぐと口を動かすノア。少女は深刻さもうかがわせない普段通りの様相で視線を投げ掛けていると、ふと、何の前触れもなく、唐突にそれをミネへと喋り出してきた。

 

「どうやら、駆け引きは失敗してしまったようだね。まぁ、それも当然だろう。何せカレという人間は、それに応じるほどの情念を持ち合わせてなどいないものだからね。それは、非常に割り切った考えの持ち主であると言えるだろうし、感情的というよりは客観的な視点で物事を捉えることができる人間……と称することもできるだろう」

 

「…………なに、何なの。何が言いたいわけ?」

 

「要は、遠回しな言い方では、カレに真意を伝えることができないということさ。それが何を意味するか、分かるかい?」

 

 睨みつけるようなミネの視線に対して、ノアは平然としたサマで向かい合っていく。この、少女らで火花を散らすようなそれを、自分は気まずい面持ちで眺めていると、次にもノアはこちらへ視線を投げ掛けるなり、清々しい様相でこんなことを喋り始めてきたのだ。

 

「柏島歓喜。ミネは最近、キミという存在を“あるもの”に利用しているらしい。それは一体、何だと思うかな?」

 

「え? あるもの……? いや、急にそう聞かれても……えっと、そうだなぁ。学校の課題で出される作文の題材とか、ゲーム内のニックネームでカッシーって名前を使ったりとか?」

 

「オ〇ニーさ」

 

 ドドン!!!!

 躊躇いも無いカミングアウト。圧し掛かっていた空気感は一瞬にして身軽となり、むしろ凍てつく極寒の地が如く場が凍り付く。

 

 あまりにも唐突で、理解が追い付かない。全てを置き去りにされたかのような面持ちでポカーンとする自分は、空っぽになった思考でノアを見つめてしまっていた。

 

 ……次第にも理解が追い付いたミネが、じわじわと顔を真っ赤に染め始めていく。

 両目はグルグルと渦を巻き、沸騰し始めた脳みそが蒸気を噴出する。そして、わなわなと震え出した両肩と共にして、ミネは錯乱した状態で慌てて喋り出していった。

 

「ぇ、ぁ。……え、ちょっと。え? ……いや、なんで? なん……ま、まって。カッシー待って。違うの。待って、ねぇ。お願いだから。てか、なんで。アンタどうしてそんなこと知ってんの……ッ!!? だってアタシ、こんなこと話したりなんかしてないし!!!」

 

「いや? ボクはミネから直々に聞いたものだよ?」

 

「は??? いやなんで。は? いや、知らないんだけどそんなの」

 

「それもそうだろうね。だって、あの時のキミはひどく酔っ払ってしまっていたから、これは喋った記憶も残らないだろうなとボクは確信したものだよ」

 

「よ、酔っ払って??? アタシが??? いつ??」

 

「数日前、ホステスの仕事でひどく疲労したキミは、深夜の帰宅時に冷蔵庫内の缶チューハイを誤って飲んでしまったんだよ。その時のキミは、『このぶどうジュースなんかやけに苦いけれど、この苦味がむしろクセになって美味しいかも』と言いながら、ボクが止める間もなく一気飲みしてしまった。それで、度数七%の慣れないアルコールでたちまち酔っ払ったキミは、普段から抱いていた不満や不安の数々を、愚痴るようにボクへと話し始めてきたのさ」

 

「は、はぁ……???」

 

「その内容には、このような話も混じっていた。それは、『カッシーが同伴に誘ってくれない』という、カレへの不信から来た、極度の不安を孕んだミネにとっての深刻な悩み事だ。その時のキミは、最も信頼しているのだろうカレから同伴に誘われないことに対して、自分は見限られてしまったのではないか。自分は周りのホステスよりも魅力が無いから、見向きもされなくなってしまったのではないか。などなど、とにかく柏島歓喜という人物に対して募らせた本音の不安を、ボクに赤裸々と曝け出してくれたものだったよ」

 

「え…………?」

 

 放心に近い顔をして、思考停止した脳みそでノアを見遣るミネ。そんな少女の様子をうかがうこともなく、ノアは淡々と言葉を続けてきた。

 

「その時に聞いたのさ。一人でいる時間なんかには、そこから来る寂しさを紛らわすためにカレをオカズにしてしまっている、と。普段はイケメンアイドルグループの男の子と致しているシチュエーションを妄想するものだが、同伴に誘われない不安から、ここ最近は柏島歓喜との行為を妄想して、自分でも信じられないほど激しく擦ってしまっている、と……」

 

「わ、わぁーーーーーー!!!! わーーーー!!!! 分かったから!!! 分かったからもうやめて!!!」

 

「で、致した後にも、カレをオカズに使ってしまった罪悪感で一層と自己嫌悪に陥ってしまうと……」

 

「もういいから!!!!」

 

 止まらないノアを静止するべく、少女に飛び掛かるよう力ずくで口を塞いだミネ。これにノアは満足そうに眉をキリッとさせていく中で、ミネに顔面を鷲掴みにされながらもこちらへと視線を投げ掛けて、清々しく喋り出してくる。

 

「どうだい、柏島歓喜。これだけハッキリとモノを言えば、さすがのキミでも、カノジョが伝えたかったであろうその真意を汲み取ることができたんじゃないのかな?」

 

「え、えっと……? つまりミネは、俺に構ってもらいたい……って感じでいいのかな?」

 

「まぁ、そんな認識でもいいだろう。敢えて告白という話題を持ち出してきたカノジョではあるものだが、この行動はキミという、最も信頼している人物との絆を再確認するための試みであったことを理解してもらえれば、ひとまずそれでいいものさ」

 

 ドヤ顔のように得意げな表情を見せたノアに対して、ミネは真っ赤にした顔で「なにその、アタシの全てを分かってるかのような物言い!! すっごくムカつくんですけど!!」と必死に声を荒げていく。だが、姿勢を直すために自分がほんのわずかな動きを見せた途端にも、ミネはその動きにピクッと反応するなり、グルグルにした目で機敏にこちらを見遣ってきたものだった。

 

 恥ずかしさのあまりに爆発してしまいそう。引きつらせた頬から伝わってくる、極限まで高まった少女の羞恥。複雑に入り混じった感情からミネは声を出せずにいたようであり、緊張を孕みながらただただ訴え掛けてくる真っ直ぐな瞳と自分は向かい合いながら、尋ね掛けるようにそれを提案していく。

 

「……ミネ。今までミネの気持ちを汲み取れずにいて、本当にごめん。俺はいつもミネのことも気にしているもんだし、かけがえのない大切な親戚として、俺はずっと、ミネのことを特別に思い続けているよ」

 

「な、なに。なんなの急に。だ、だから何なの……!? お、ぉォ、ォカズにしてたことの何が悪いのッ!!? なにがいけないって言うのッ!!? この変態!!」

 

「何も悪くなんかないよ。だからミネ、良かったら俺と同伴してくれないかな」

 

 穏やかに言葉を掛けた自分。こちらの提案を耳にしたミネは、次にも唖然とした顔をしながら、次第と抜けていく力で両手をゆっくり下ろし始めていく。

 

 ノアから離れた少女の両手。それでいて、今にも泣き出しそうな目元の痙攣を伴いながら、ミネは複雑な心境によって無言で俯いてしまう。そんな少女の様子を見てからというもの、自分はテーブルから身を乗り出すように右手を伸ばしていき、この手をミネの頭に優しく乗せていってから、そこから慰めるように自分は、少女の頭をゆっくり撫で始めていった。

 

 ……撫でる手に身を委ね、頭を揺らしていくミネの姿。不機嫌そうに頬を膨らませた少女は、鋭い視線をこちらに投げ掛けながらも、それとは相反する心境で、素直に頭を撫でさせてくれたものだ。

 

 複雑で気難しい、純真なる乙女。こちらの手に心地良ささえ覚えていたのだろうミネは、ねだるような視線をこちらに向け続けてくる。そんな少女の期待に応えるべく自分もなでなでに興じることによって、ミネが抱きし不安の種を摘み取ることができたような気がした。

 

 ……素直になれない不愛想な表情で落ち着いたミネ。ムスッとしながらもその場に収まった少女の様子に、ノアもやり切った表情を見せながら、ミネの背にそっと手を添えていく。

 

 こうして自分らになだめられたミネは、取り戻した平常心で直にも微笑を見せてきた。

 良かった。心から安堵した自分が、同伴の内容について切り出していく。それからは、自分とミネはその内容を二人で話し合い、結果、家デートという形でまったりとした同伴をしようという方向性でそれを定めていった。

 

 次回はミネとの同伴だ。それも、レダに続く濃厚な昼の予感がする同伴になることだろう……。



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第48話 La tentation du jaune 《黄の誘惑その2》

 冷え込む龍明の朝。春が迫りつつある季節の、目に突き刺さる眩い朝日がアパートの部屋に射し込んでくる。

 

 晴れやかとした天候の下、朝日を背に自分は部屋の片付けに勤しんでいた。

 散らかっていたホステス達の寝間着を拾い集め、畳んだそれらを部屋の隅にあるサイドワゴンに移していく。そうして、ベッドの上や床などに脱ぎ散らかされたラミアやメー、レダやシュラの衣類をそれぞれまとめながら置いていく中で、ちょうどラミアの物と思われる紫色のショーツを手に持っていた時にも、膨らみのあるネイビー色のマウンテンパーカーを着用する冬服姿のメーがその言葉を投げ掛けてきた。

 

「あぁ待ってカンキ君、それたぶん洗うやつかも?」

 

「え、洗うやつも脱ぎ散らかしてあるの……? せめて洗濯カゴに入れておいてほしいんだけどなぁ……」

 

「あーごめん、私いま適当なコト言った。本当は私も分かんない。まーでも、女の私生活ってそういうとこあるからさー、とりまカゴに入れちゃいな。……はは~ん。それか、あれだなー。敢えて使用済みを、カンキ君の目に見える場所に置いておいたって線も考えられるかもなぁ~?」

 

「? わざわざ、何のために?」

 

「決まってるでしょ~。カンキ君に“使ってもらうため”」

 

「…………ミネとの同伴を控えているから、あまり意識させないでもらえるかな? ……その、我慢できなくなるから」

 

「あは、ゴメーン」

 

 してやったりな、悪戯な笑み。完全にメーの思う壺となった自分は少しだけムラッとさせながらも、手に持つショーツを洗濯カゴに移すべく洗面所へと歩き出していく。

 

 と、それとほぼ同時にして、目の前の廊下からは冬服姿のレダが歩いてきた。

 冬という季節に着こなす、黒色のワンピースとアイボリーのニットのアウター。艶やかに歩いてきた彼女と思いがけず鉢合わせになると、次にもレダは色気を伴った魔性の笑みでこちらへと喋り出してきたものだ。

 

「あらぁ、カンキ君。……さてはあなた、もう既に興奮しているでしょう? 今もよぉく感じるわよぉ。あなたから香ってくる、隠し切れないほどのとびっきり強めなオスのニオイ。ミネとの同伴前に、こんなに獣みたいなオス臭い匂いを放っちゃって。高校生相手に欲情でもしてしまったのかしらぁ? カンキ君もオトコのコねぇ」

 

「いやいやいや! この気持ちはまた別件のやつだから、ミネに興奮は誤解だって……!」

 

「冗談よぉ? 冗談。分かってるわよ、そんなことくらい。今も香ってくるラミアのニオイで察しがつくもの。もう、ホンキで焦っちゃって。本当に可愛いんだから」

 

 感覚が鋭いレダに一瞬で見抜かれた高揚感。これには思わず羞恥を感じざるを得なくて、自分は俯き気味に照れてしまう。

 

 そんなやり取りを交わしてから、レダは上半身を逸らすようにしてこちらから顔を出しつつ、奥にいたメーへと声を掛けていった。

 

「メー、待たせてごめんなさぁい。身支度が済んだから、いつでも行けるわよ~」

 

「あーい。んじゃあ私達はお邪魔にならないよう、さっさとここから出ていきますかっ」

 

 勝気な調子で喋るメーは背伸びしながら歩き出し、彼女に続いてレダも玄関に向かうよう歩み出していく。その二人の姿に自分は申し訳ない気持ちを抱きながら、それを口にしていった。

 

「せっかくお昼のシフトまで時間があるのに、部屋でゆっくりできなくさせてごめんね」

 

 家デートという名目で、ミネとの同伴の予定が入っていた自分。そして、その同伴はこの部屋で行われるため、今日、泊まっていたメーとレダは、そんな自分らの邪魔にならないよう気を遣って、これから二人で外出する用事を入れてくれていた。

 

 とは言え、予定に関して二人はほぼノープランだったこともまた事実。そのため、これは本当にただ気を遣ってくれただけの外出でもあったのだ。

 

 朝から準備をしてくれたメーとレダに感謝を抱きつつ、頭を掻きながら言葉を口にした自分。これにメーは「いいっていいって、そんなこと気にしない気にしな~い」と気楽な調子で答えてくるのだが、それを喋りながらこちらの真横を通り過ぎたところで、彼女はふと思い出したように振り返ってから駆け寄ってきた。

 

「あ、そうそう忘れてた。カンキ君ちょっと。スマホ貸~して」

 

「スマホ? いいけど、何に使うの?」

 

「いいじゃんいいじゃん。変なことには使わないからさぁ~。ね?」

 

 メーのことだから、ちょっとだけろくなことにならなさそうな気がする……。

 

 何となくよぎってきた、嫌な予感。だが、自分は渋ることもなくポケットにしまってあった端末を取り出して、それをメーに手渡していく。そうして彼女はスマホを受け取るなり勝手に操作し始めていき、この様子を他所にして、レダはレダでメーへと歩み寄りながら、艶やかにその話を持ち掛けていった。

 

「メー、シフトまでけっこう時間が余っているものですから、駅前に足を運んで適当な色男でも見繕いましょう? わたしとメーの好みのオトコを、一人でも、二人でも適当に引っ掛けて、そこら辺のホテルで軽めの運動でも済ませちゃいましょうよぉ」

 

「ん~? だったら私ショタが良いなぁ。手頃な思春期のガキンチョでも拉致ってきてさ、私とレダでその子の性癖をどんどん開拓しまくる覚醒プレイでもしない?」

 

「あら、そう言われると、たまにはコドモの相手も良い気がしてきたわね。それじゃあ今日は、保健体育の野外授業ということでちょうどいいオトコのコを賄うとでもしましょうか。……ウフフ、発育途中の身体だなんて、メーと一緒の時くらいにしかお目にかかれないものですから、なんだか新鮮に思えてきて急にアソコが疼いてきちゃったわぁ。メー、わたしもうガマンできないかも。早く手頃なショタのコを探しに行きましょう? そして、わたしとメーでそのコの先っぽから根本までの全てをしゃぶり尽くしましょうよ~」

 

 何という会話をしているんだこの二人は……。

 さすがは犯罪の温床。龍明の恐ろしさを間近で体感する自分の目の前では、今もこちらのスマホを操作するメーが佇んでいる。かと思えば、彼女は「できた!」と声を上げながらこちらへと端末を返していき、その際にもニヤニヤした勝気な笑みを零しながらそれを口にしてきた。

 

「はいおっけー、ありがとーカンキ君」

 

「あぁうん。何か調べものでもしてたの?」

 

「調べものっていうか、私イチオシの映画を登録しておいただけっていうか」

 

「映画を登録?」

 

 そう言って返された端末には、ストリーミングのサービスである動画サイトの画面が映し出されていた。

 

 サイトの名前である、『Amazing Prime』の文字。普段からよく使うそれを目にした自分は、今も画面に映っている『愛玩』という実写映画のタイトルを眺めながら、メーへと尋ね掛けていく。

 

「メー、これは?」

 

「ここ最近で私が一番オススメしている映画だよ? 若き男女の純愛を描いている作品なんだけど、ドロドロでゲロ重で、だけど二人の淡くて複雑な恋心がついついクセになっちゃう、ちょっとビターでほんのりえっちな大人のラブストーリーって感じの映画かなぁ。同伴で観るにはハードル高いかもだけど、見応えは十分あると思うからさぁ、良かったらミネと一緒に楽しんでくれたまえ~」

 

「へぇ、メーのオススメか。恋愛ものには疎かったから、こうしてオススメしてくれると本当に助かるよ。ありがとう、メー。ミネと一緒に観てみるよ」

 

「ほいほーい! 帰ってきたら感想聞かせてねー。んじゃ、そういうことで私達は行きますか~」

 

 もう、既に一仕事を終えたかのような雰囲気を出しながら、メーはやり切った満足げな表情で玄関へと歩き出していく。

 

 その彼女に続いてレダもそちらへ向かい出していき、レダはこちらに振り返るようにしながらも、「ウフフ、それじゃあ行ってくるとするわ。カンキ君はわたし達のことを気にせずに、ミネと二人だけで過ごす時間を堪能してちょうだいね?」と口にしてから、玄関へと歩き去っていった。

 

 そんな二人の背を見送りながらも、自分は「二人とも、色々とありがとう! メーとレダも気を付けて行ってきて!」と言って、スマホを持つ手を軽く振っていく。そうして部屋を後にした彼女らを見送ってからというもの、自分はそう言えばと持ったままのラミアのショーツに気が付いて、それから、直にも部屋に来てくれるミネのことを思い出してから、自分は少女を残念がらせないように再び掃除へ取り掛かったものだった。

 

 

 

 

 

 時刻は昼前。昼食をとるにはちょっとだけ早い、午前の時間帯。近所から香ってくるカレーライスのそれに腹を空かせる中で、ふと部屋のインターホンが鳴らされた。

 

 すぐにも駆け付けて、玄関扉を開けていく。そうして目の前に佇むミネと向かい合いながら、自分はその言葉を掛けていった。

 

「いらっしゃい、ミネ」

 

「ん」

 

 白色のフード付きコートに、襟付きの黄色いニットベスト。白色のミニスカートに膝丈までの白色ブーツというその格好は、少女の勝負服として馴染みがあった。また、提げている茶色のショルダーバッグは学校の鞄の要領で肩に掛けており、首に巻いた黄色のマフラーと、両手をコートのポケットに突っ込んだ佇まいでミネはこちらを見つめている。

 

 不機嫌そうな表情は相変わらずで、鋭くも様子をうかがう視線を向けていた。そんな少女の訴え掛けに自分はうっかりしていたと言わんばかりに息を呑んでから、やり直すようにもう一度その言葉を投げ掛けていく。

 

「あぁ、いらっしゃい。菜子ちゃん」

 

「ん……。お邪魔します……」

 

 視線を逸らし、ちょっと口を尖らせながら喋る菜子。少女を招き入れるように自分は扉を開いていくのだが、そんなこちらへと菜子はそれを口にし始める。

 

「ねぇ、カッシー。その……お、おやつとか、足りてたりする?」

 

「おやつ? あぁ、まぁそれなりに買い足しておいたけど……」

 

 と、少し答えてから自分は口を止め、言い直すように再びそれを喋り出していく。

 

「……でも、ちょっとスナック菓子系で偏りが出ちゃったかもしれないから、チョコレートとか、そこら辺のを買い足してもいいかもね。今日はせっかくの同伴だし、贅沢しちゃおうか」

 

「ん、カッシーがそう言うなら、まぁ……」

 

「それに、菜子ちゃんのその姿を周りの人達に見せびらかしたいし」

 

「そ、そういうのはいいから……っ! ねぇ、行くなら早く行こ……!」

 

 張り切って着込んだ、渾身のコーディネート。せっかく身に着けたのだから、ちょっとだけ人目でお披露目したい。

 

 菜子の思考を読み、こちらから提案したこの言葉。少女の性格に沿ったエスコートを何よりも重要視していた自分は、既に出掛ける準備も済ませてあった今の格好で外に出て、手際よく玄関の鍵をしめていく。

 

 そして、自分から手を差し伸べながら、「同伴だし、手でも繋ごうか?」と言葉を掛けていった。

 

 こちらの問い掛けに対し、菜子はちょっとだけ複雑そうな顔をしながらも、「……カッシーが言うなら、じゃあ……」と言って、コートのポケットに入れていた手を出してくる。その純情なる可憐な手を取り、自分は「ありがとう。それじゃあ、軽くお散歩でもしながらコンビニにでも行こうか」と伝えてから、少女を優しく導くようにして歩き出していった。

 

 

 

 

 

 龍明の町中を軽く歩き回り、菜子という自慢のホステスを見せびらかしてから自宅に戻ってくる。それから、手に提げたビニール袋をベッドに置き、自分と菜子は家デートという名目で同伴を開始したものだ。

 

 テーブルの上に大量の菓子を用意し、スマートフォンのアプリで遊びに興じていく自分ら。ダウンロードした将棋やオセロ、ソーシャルゲームなどを緩めのノリでプレイしていくその時間は、まるで小学生に戻ったかのような気分だ。

 

 二人で童心を思い出し、大人げなく笑い合いながら菓子を摘まんでいく。そんな流れを暫し堪能していくと、次には菜子の最近の愚痴や悩みを聞く場面へと移行していった。

 

 不満げな表情をする菜子が、菓子を頬張りながら不機嫌そうに話す姿。その見た目がちょっと面白く、なんだか可愛いなとも思いながら少女の愚痴を傾聴する自分。

 

 時には、菜子の口元についた菓子を手で拭ったりなんかもした。こちらの行為に菜子は不愉快そうな顔を見せてくるのだが、それは直にも照れ臭さの赤面へと変化して、小さい声でボソッと「……ありがと」なんて言葉も口にしてくる。

 

 菜子の仕草や、何気ない言動。その数々に萌えというものを感じてしまった自分は、内なる静かな興奮を抑えながら、それを隠すように菜子と接していたものだ。

 

 ……親戚という実の身内に対しても、このような感情を抱いてしまう自分が嫌になる。だが、この自己嫌悪とは裏腹に、蓼丸菜子という一人の少女に、淡い気持ちを抱いてしまっていたこともまた事実。

 

 ダメだ、柏島歓喜。相手は親戚の女の子で、それもいたいけな女子高校生だ。このような(よこしま)な目で、護るべき身内を見てしまってはいけない。独占だなんて以ての外だ。彼女には彼女の人生がある。俺はそれを、親戚のお兄さんとして遠目で見守るべきなのだ。

 

 何としてでも堪えろ、柏島歓喜……ッ!!

 オスの本能へと言い聞かせる自分。そんな葛藤に苛まれている最中にも、女の子座りをしている菜子は、こちらの顔を覗き込むようにしながらそのセリフを投げ掛けてきた。

 

「カッシー? どうしたの?」

 

「あ、いや。何でもないよ!」

 

「そう? なんか苦しそうにしてたから、どうしたのかなって」

 

「大丈夫、大丈夫! えっと、それで今は何の話をしてたんだっけ」

 

「え? お店であったウザい事を話してたんだけど。やっぱ話聞いてなかったんじゃん。なんか、今日のカッシーは、カッシーらしくない。平気なフリでもして、ホントは具合悪いんでしょ」

 

 そう言って菜子は、平然としたサマで顔を近付けてくるなり、自身の額をこちらの額へとくっ付けてきた。

 

 ……少女の温もりが伝ってくる。この何気無い行為に、自分は不意を突かれたように心臓の鼓動を早くさせていくのだが、それは本人もまた同じ思いだったらしく、自身の行動に今となって気が付いてから、菜子は機敏な動作でこちらから離れつつ顔を赤く染めていく。

 

 ……ものすごく、気まずい空気が流れ出した空間。それも、二人で黙りこくったこの状況に余計と気まずさが圧し掛かり、互いに遠慮して言い出せず、暫し無言を貫いてしまう。

 

 チクタクと刻む時計の針の音だけが響き渡る部屋の中。同時にして、内心に湧き上がっていた菜子に対する欲情で一層と俯いた自分だったのだが、意外にもこの状況で喋り出してきたのは、菜子の方だったのだ。

 

「……そ、その。い、今は冬だから……か、風邪でもひいたのかなって、心配に思っただけで……っ! こ、これで意識されても、ァ、アタシが困るだけだからやめてよ……っ!」

 

「あ、あぁ、だ、大丈夫だから落ち着いて……!」

 

「だ、大丈夫だから……? ……やっぱりカッシー、アタシのことなんかどうだっていいんだ……っ」

 

「あ! いやいやいや!! 今のはそういう意味で言ったわけじゃなくて!!」

 

 ふ、複雑ーーーーッ!!!!

 内心で叫び上げながら、菜子を慰めるように背中をさすった自分。そんなやり取りも交えながらも、落ち着きを取り戻した菜子と再び同伴を楽しむため、自分は思い出したように少女へとその提案を持ち掛けていった。

 

「そう言えば、メーから映画をオススメされたんだ。恋愛ものらしいんだけど、菜子ちゃんは恋愛ものって好き?」

 

「ん、まぁ。カッシーが観るならアタシも観る」

 

「じゃあ、モニターに繋いで観よっか。メーが言うには、ちょっとドロドロとした内容らしいんだけど、見応えがあるから良かったら観てって勧めてくれたんだ。気分が悪くなったら、お菓子を食べたり別のことをしよう」

 

「うん、そうしよ」

 

 流れを変えるための話題として、非常に役立った。

 メーから勧めてくれた映画を思い出し、早速と活用させてもらった。そのままスマートフォンの画面をモニターに映し出してから、自分らはお菓子を用意した万全の状態で鑑賞会へと臨んでいく。

 

 表示された、『愛玩』のタイトル名。名前からして少々と不吉な予感がするその映画は、メーの言う通り、非常に濃厚かつ欲望に塗れたハードな恋愛ものの映画だったと言えるだろう。

 

 主人公の青年と、高校生の女の子が恋に落ちる物語。だが、プレイボーイな青年と、一途な女の子の気持ちはなかなか嚙み合わず、衝突というよりは、想いのすれ違いで二人は苦悩してしまう。

 

 二人が恋に落ちてから、双方の日常が崩れ始めていく生々しさ。青年は一層と肉欲に溺れ、女の子は青年に対する寂しさを紛らわすために、身体を売り始める。そうして二人は意図的に距離を置きながらも、その気持ちはやはり惹かれ合っており、この葛藤によって二人は、まるで引き寄せ合うようにどんどんと落ちぶれていく…………。

 

 …………思った以上にゲロ重な内容だった。

 終始と暗い雰囲気で、常にマイナスな言動が目立つ本作品。出だしから不穏な空気が漂っていたことから察しがついたものの、これは明らかに同伴で観るようなものではない。

 

 あまりの気まずさに、自分は中断を持ち掛けるべく菜子へと振り向いていく。だが、そうして振り向いた先には、手に持つお菓子を食べることもなく、食い入るように映画に熱中していた菜子の姿がそこにあった。

 

 ……今までに見たこともない、真剣な表情だ。

 まさか、こんなにハマってくれるだなんて思わなかった。少女の様子から、さすがはメーだなと自分は女性の感性に感心すると共にして、余計な口を出さないよう、静かにお菓子を摘まみながらその映画へと意識を向けていく。

 

 今も映像の中では、素直になれない自分自身にひどく落ち込む女の子が映し出されていた。青年に伝えたい気持ちはたくさんあるはずなのに、緊張や恐怖、プライドなどの様々な要因から面と向かい合って喋ることができず、最後まで相槌のみを打って彼と別れてしまうシーン。

 

 女の子は、涙をボロボロと零していた。その姿がただただ痛ましく、しかし守ってあげたくなってしまう。

 なんだか、やけにリアルに感じてしまえる女の子の演技に、自分まで胸が苦しくなってきてしまった。しかし、この苦しみこそが、あの映像の女の子が抱く気持ちそのものなのかもしれない。

 

 ……世の中は広いな。もはや、悟りの領域に至った自分は、息を呑むようにしながら映画の終盤を見守っていく。

 

 だが、ここに来て一つの問題が発生してしまったのだ。

 

 最終的に、青年と女の子が和解して結ばれた場面。色々な困難に苦悩しながらも、それぞれが試練を乗り越えた末に迎えた感動のクライマックスシーンなのだろうが、如何せんその場所が大人のホテルであり、ピンク色に包まれた空間の中、男女はディープなキスを交わすや否や、流れる動作で行為へと至り始めたのだ。

 

 そのシーンがまた、モザイクの無い完全無修正のそれであり、お互いに曝け出した聖域を獣のように貪り合いながら、肉欲に身を任せて二人だけのひと時に浸っていく。

 

 喰らい、飲み込み、咥えて、吸い尽くす。えっちなシーンはあると聞いていたが、まさかこれほどまでのがっつりな本番があるだなんて、さすがに聞いてなかった……!!

 

 ガビーン、とショックを受ける自分が、恐る恐ると横を振り向いていく。するとそこには、クッションを抱き抱えた菜子が顔を真っ赤にしながら、しかし見開いた目でしっかりと行為を見守る様子がうかがえた。

 

 今にも鼻血を出してしまいそうな、火山のように赤い高揚感。目を逸らしたくても逸らせない少女の気持ちがよく伝わってくる中で、その行為を終えた映像にはエンドロールが流れ出していく。

 

 ……最後に凄まじい爆弾を投げ入れられた気分だ。ふぅっと一息ついてから、自分は顔色をうかがうようにしながら菜子へと言葉を投げ掛けた。

 

「い、いろいろとすごい映画だったね……! でも、さすがはメーがオススメしてくれただけはあったかな……? 重めのストーリーだったけど、何だかんだで最後まで観ちゃったな……!」

 

 口元が引きつっていただろうそれに対し、菜子は目も合わせずに無言で頷いていく。だが、それからしばらくして、少女は横目で見るように若干だけ視線を動かしてから、次にも慎重な声音でそれを尋ね掛けてきたのだ。

 

「…………ねぇ、カッシー。覚えてる、かな」

 

「え? 覚えてるって……?」

 

「……『アタシの“初めて”は、カッシーがいい』。けっこう前に、ここでアタシがパンツ見せつけたの、覚えてる? その時に言った言葉なんだけど……」

 

「あ、あぁー……。菜子ちゃんが見せてくれたそれを“使わせてもらった”の、覚えてるよ。そっか、その時に……」

 

 フラッシュバックとして蘇ってきた一場面。

 そこでは、この部屋で制服のスカートをたくし上げた菜子が、『この“初めて”は見ず知らずのお客さんにじゃなくって、自分のことを理解してくれて、なんかやけに寄り添ってくれる親戚のお兄さんに捧げた方がさ、なんか良い気してこない?』と喋る姿が映し出されていた。

 

 場面は現在に戻り、脳裏の光景から目の前の菜子へと意識を向けた自分は、確認としてそれをうかがい始めていく。

 

「……本当に俺でいいんだね? 今しか決められない、とても大切なことだよ」

 

「いいんだってば。だって今日は……そういうつもりで来たんだし」

 

 そう言ってミネは、クッションを退けてから履いているスカートをたくし上げてきた。

 黄色のショーツは可愛らしく、しかしシルクな質感が菜子の年齢と相まって、余計に興奮を煽ってくる。その、年相応なショーツを目にしてからというもの、自分は一気に昂ってきた感情と共にして、菜子をゆっくり抱き寄せるようにしながら、最後にそれを尋ね掛けていったのだ。

 

「分かった。……菜子ちゃんの初めてを良い思い出にするために、俺、精一杯頑張るからね。……まだお昼だけど、ベッド、行こうか」

 

「うん……。その……よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 この昼、ミネというホステスとは初々しくも熱烈なひと時を過ごすこととなる。

 

 自室のベッドの上にて、緊張でガチガチに固まった少女を優しく扱いながら、初めてだというキスをゆっくりと交わし合う。その不慣れな様子がまたこちらをそそる中で、焦らしながら脱がせた衣類を傍に置き、少女の未成熟な身体をインナー越しに愛でながら、暫し緩めのムードを楽しんだ。

 

 触れることで、次第と湿気を帯びてきた菜子の“ソコ”。控えめな胸部も愛おしく、興奮気味に剥ぎ取るよう脱がせたそこからは、黒色を伴ったジャングルが現れる。

 

 一切と手が加えられていない天然物のそれが、かえってオスの本能を掻き立ててきた。

 独特に香るフェロモンで高揚し、ベッドに寝かせた菜子と、ねっとりとした長めのキスを交わし続けていく。そして、いよいよそそり立つ自分を少女のにくっ付けてから、自分は「痛かったら言ってね」と優しく声を掛け、少女の聖域へと進入させていった。

 

 ……こちらの身体を強く抱き締める少女。共にして張り裂けるような絶叫を上げ始めた少女は、上半身を反りながら声を殺すように悶絶していく。そんな菜子を必死に抱き留めた自分は、頭も撫でて、「大丈夫だよ」と何度も言葉を掛けて菜子を落ち着けようとするのだが、菜子は痛みのあまりにボロボロと涙を零し始め、嗚咽を漏らしながら、こちらをずっと力強く抱き締めてきたものだ。

 

 熱い抱擁を交わし、少女の痛みに寄り添う自分。引き抜くことも提案したのだが、菜子がそれを拒否して、このままでいてほしいと懇願してくる。その想いを尊重し、自分はひたすらと少女を抱き留めて、少女もまたこちらを求めるよう強く、強く、強く抱き締めて、キスをせがんでくる。

 

 次第と慣れてきたのだろうか、初めての進入に平静を取り戻し始めた菜子。それからは時々と腰を動かしてみたりはするのだが、どうやら少女はまったりとしたスローな行為を好む傾向にあるらしく、繋がった状態で抱き合いながらのキスを所望することが多かった。

 

 少女の意向に沿い、自分は動かない行為を十分に堪能した。

 あっという間に夕暮れ時を迎えたその時刻。向かい合ったまま、未だに入れたままの状態で横になる自分と菜子は、冬という季節で汗だくになるほどの情熱を共有し合った充実感から、共に睡魔に見舞われる。

 

 頭を撫で、今日という日を頑張って乗り切った少女をたくさん褒めた自分。この言葉に気分を良くした菜子は自然と微笑んでみせると、次にもまるで力が抜けたかのように少女は眠りについてしまった。

 

 そんな少女の寝顔を見てから、自分もまた心が歓喜する感覚に全てを委ねながら深い眠りについていったのであった。




 【Chapter 5に続く…………】


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Chapter 5
第49話 Une nouvelle beautés ? 《新たな美女?》


 陽気な日差しが春を告げる、初春の季節。むしろ真冬よりも冷え込む大気に晒されながら、自分はいつものようにLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)へと足を運んでいた。

 

 顔を出すついでに、昼食もいただいていこう。

 そんなことを思いながら、開店前の店に訪れる。そうして店前のホステスと軽く会話を交わした後に、特別に店の中へと招かれた自分は階段を下りてその扉を開いていった。

 

 ……初めてこの店に入ってから、もうすぐ一年か。

 感慨深い気持ちと共に扉を通過し、視線の先にあるエントランスのカウンターを見遣っていく自分。するとそこには、ラフなスーツ姿の荒巻と、タキシード姿のクリスという男性陣に加えて、もう一人、オレンジ色のシャツを着こなした、黒色のタキシード姿の見慣れない女性が親しげに会話を行っていた。

 

 百六十四ほどの背丈であるその女性。美貌はさることながら、大人の落ち着いた雰囲気と、おっとりと、それでいて、しっかりとした佇まいがこちらの目を引いていく。また、ミカンのようなオレンジ色の瞳と、女性から見て左側に結った、同色のサイドテールが特徴的であり、そんな大人びた色気と、無邪気な可憐さの双方を両立した彼女の存在感に、自分は思わず惹かれるようにそちらへと歩み寄っていったものだ。

 

 こちらから声を掛けるまでもなく、足音で三人が振り向いてくる。そして荒巻はサングラス越しの笑みを浮かべながら、陽気な調子でその言葉を投げ掛けてきた。

 

「よーぅ!! カンキちゃぁん!! グッドタイミングだぜ! ちょうど良い所に来てくれた!!」

 

「どうも、こんにちは。荒巻オーナーと、クリスと……えっと、そちらの方は?」

 

「おうおう、それを今から説明してやるつもりだったから焦んなさんな。いや気持ちは分かるぜぇ? 何せこの、ユノちゃんにも負けず劣らずの圧倒的美貌! 男子諸君なら気になっちまうこと間違い無しの大人の色気は、この世に存在するオトコというオトコのハートを無意識に虜としてしまうことだろう!」

 

 大げさに喋り出した荒巻のそれに対して、女性は打ち明けたようなサマで苦笑しながら、穏やかな声音でそうツッコミを入れていく。

 

「ちょっとヤダなぁ荒巻さん。そんなこと言われるとハードル上がっちゃうのでやめてくれませんか?」

 

「ハードルが上がるぅ??? 今更なにを言いなすってんだ。オマエさんだって“元ホステス”だろうがよ。それも、ユノちゃんと肩を並べて売り上げていた、この店の稼ぎ頭だったLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)二大ホステスのオンナだぜ? そんな子が店に戻ってきてくれたとありゃあ、オレちゃんこの機会にオマエさんを大々的に売り出して、ガッポリ儲けさせてもらうつもりでいるんだからな!」

 

「え!? ホステスとして売り出すって、それ話と全然違うじゃないですか!? 私は飽くまで事務員として復帰しただけで、ホステス稼業までは担当しないって話でここに戻ってきたんですけど!」

 

「いやいやいや、オマエさんのような人材を事務員に留めておくのは、さすがに贅沢っつーモンよ。如何せん、オマエさんは創業時から店を支えてくれた“最初期メンバーの一人”だ。柏島さんも亡くなられた今、生き残った最初期メンバーはオレちゃんとクリスちゃん、ユノちゃんに、オマエさんの四人だけ。そんなカンジでオマエさんは、経験も豊富で強くてニューゲームな逸材っつーワケだからよ、人員が足りない時の臨時のホステスとしても、キッチリ仕事をこなしてもらう。んまぁ、そういうことでよろしく頼むぜ?」

 

「は、はいぃ?! そんなの聞いてませんけどぉ!?」

 

 ガビビーンッ。という効果音が聞こえてくる、衝撃が迸る白目の表情。

 意外と表情が豊かなんだなぁ。なんていう印象を抱きながら、自分はそれを尋ね掛けていった。

 

「あの、最初期メンバーと聞こえてきたのですが……」

 

「おうおう、置いてけぼりにしてすまねぇなカンキちゃん。ま、詳しい話は追々するとして、取り敢えず今は紹介だけでも済ませちまうか。じゃねぇと、気が休まらねぇだろ? こんな美人さんと初対面のままだなんてな!」

 

 置いといて、と両手で空気を他所へ置くようなジェスチャーを交えた荒巻。彼の調子に女性は呆れ気味のため息をついていくのだが、そこから気分を入れ替えるように息を吸うと、改めてこちらへと振り返るなり彼女は、シャキッとした表情で、握りしめた右手を胸にあてがいながらそれを喋り出してきた。

 

「あー……はい。そんなわけで、荒巻さんからご紹介を(あずか)りました。そうですねぇ……荒巻さんの言う通り、私は最初期のメンバーとして、ここでホステスとして働いていた時期があったりしました。で、ちょっとワケあってここに戻ることとなりまして、当時の源氏名でもある“ハオマ”って名前で、事務員としてまた、こちらで働くこととなりました。そういうわけですから、しばらくはまた、こちらでお世話になります。事務員としてカウンターなんかで作業してたりすると思いますから、私ともそれなりのお付き合いになるのかなぁ~……とも思います。ま、そんな感じによろしくお願いしますね。柏島歓喜さん」

 

 割と明るめな調子でそれを口にしながら、手を差し伸べてきたハオマという女性。彼女の言葉に自分は、「ど、どうも……」と返答しながら握手を行っていき、挨拶を済ませてからというもの、ハオマは困ったように苦笑しながら、冗談めかすようにそんなことを喋り出してくる。

 

「いやぁー、まさか柏島さんに息子さんがいただなんて、考えもしなかったですよ~。柏島さんの性格からして、息子さんを荒事に巻き込みたくないが故に私には話さなかったのかと思いますけど、それにしても、こんなご立派な息子さんをお持ちになられて……。あれ、なんか私、初対面なのに何故か親心が芽生えてきちゃった……。まぁ本当に、苦労も多かったでしょうに、よくここまで成長して……頑張ったねぇ。えらいねぇ」

 

 急に涙ぐみ始めたハオマの様子に、自分は彼女に振り回されるように焦ってしまう。

 

 何というか、色々と豊かな人だなぁ……。

 感情然り、表情然り。また、失礼ながらも彼女の胸なんかを見ながら、そんなことを考えてしまった自分。

 

 で、こちらとはまた別に、荒巻は悪戯にニタニタ笑みながら「お?? ご立派な息子とな??」と言葉を口にしてくる。これに対してハオマはすかさず彼の横腹に肘を入れていき、けっこう容赦の無いそれに荒巻は「グホォッ」と声を漏らしながらうずくまっていった。

 

 まぁ、気の知れた仲なんだな。という印象を抱くやり取りを目の当たりにするその脇では、終始と不敵に佇むクリスが存在していた。そんな彼へと自分は視線を投げ掛けていくと、こちらに気が付いた彼はこのような言葉を口にし始める。

 

「余計な情報となってしまうだろうけれど、君も他人事ではない以上は知っておく必要があるだろう。というのもね、そこにいるハオマという女性もまた、シュラと同様に“元鳳凰不動産の人間”だった人物なんだよ」

 

「え? 鳳凰不動産の……?」

 

 不吉な名前を耳にして、思わず身構えた自分。これにハオマは少し表情を曇らせて、荒巻は頭を抱えながら「いや、マジで余計な情報だな」と口にする。

 

 だが、クリスはこちらに真っ直ぐ視線を向けたまま、不敵な笑みと共にそれを喋り続けていった。

 

「でも安心して。ハオマは既に、鳳凰不動産とは決別した身分にある人間だ。いや、むしろ彼女は、鳳凰不動産に命を狙われた。いつも通りに仕事をしていたその最中、あらぬ疑惑を吹っ掛けられて、彼女は組織に追われる身となったんだ」

 

「……それで、どうなったの?」

 

「何かを察したのだろう彼女は、組織に目をつけられる前から既に逃亡していたみたいでね。彼女はありとあらゆる全てを一夜の内に投げ出して、なんとか鳳凰不動産から一時的に逃げ切った。だが、龍明という土地は、彼らにとって庭のようなもの。見つかるのも時間の問題だっただろう。そんな中で途方に暮れていた彼女は、幸運にもある人物と出くわした」

 

「……それが、柏島長喜……?」

 

「いや、荒巻オーナーだ」

 

 え?

 これまでの流れでは、皆が柏島長喜という人物に助けられていた。だが、ここに来て急に飛び出してきた名前に自分は呆気に取られていく中で、荒巻は得意げに鼻を擦りながらも自慢げにそれを喋り出してくる。

 

「懐かしいねぇ、オレちゃんとハオマちゃんの出会い。あの日オレちゃん、ワンナイトラブを共にする素敵なレディを求めて繁華街の路地裏をうろついていたのよ。そこでばったりと出くわしたのが、泥だらけのスーツ姿で泣きじゃくっていたハオマちゃんだった。そんな変わり果てた姿のレディをオレちゃんは放っておくこともできず、身分を明かした上で彼女から話をうかがって、彼女が鳳凰不動産に狙われていることを知った」

 

 遠い目を天井に向けた荒巻。彼の横では、過去を顧みるような表情を浮かべるハオマが静かに佇んでいて、その様相がまた、当時の余裕の無さをうかがわせてくる。

 

 しんみりとした空気。それをもたらしたクリスは、不敵な声音で言葉を続けてくる。

 

「柏島長喜も、鳳凰不動産を追っていたからね。そこで荒巻オーナーはハオマを探偵事務所へと連れて帰り、しばらくはそこで匿っていた。らしい」

 

「らしい?」

 

「この話は、事件が収束した後に君のお父さんから聞いたものだからね。その場に居合わせていなかった僕が、詳しい状況を知る由も無いのさ。……むしろ僕はその時、鳳凰不動産に雇われた殺し屋として、ハオマの行方を探っていた。彼女の悲鳴と血飛沫を求めて、地面に残った獲物の残り香を嗅ぐ獣のように、血眼にしながらね」

 

「……クリスも当事者だったんだな。そっち側の立場で」

 

 色々と情報が入り組んできた。

 尤も、先のクリスの表現に意識が向いたのであろうハオマは、露骨に嫌悪する顔を見せながらクリスへと喋り出してくる。

 

「クリスくん……。お節介かもしれないけど、やっぱりそういうのは人前でやめた方が良いと私は思う……」

 

「君はいつになってもお節介だな。それほどまでに年下の世話焼きが好きなのかい?」

 

「世話焼きとか、そういう問題じゃなくって! ……あぁでも、クリスくんみたいな手の掛かる子って、正直ちょっとキュンとしちゃうかも」

 

「どうやら、店を離れてもなおハオマはハオマのままのようだ」

 

 その何気無いやり取りがまた、いつもの日常らしく平然と行われていく。

 

 既に周囲と馴染みがある、ハオマという人物。クリスとも普通に会話していくその最中にも、荒巻は悪戯にニタニタ笑みながら「お?? 母性本能か?? さっすが、オレちゃんと同じ三十路のオンナ!」と言葉を口にしてくる。これに対してハオマはすかさず彼の横腹に肘を入れていき、けっこう容赦の無いそれに荒巻は「グホォッ」と声を漏らしながらうずくまっていった。

 

 というか、しれっとハオマさんの大まかな歳を知ってしまったんだが……。

 女性の禁忌に触れた自分が、冷や汗のような緊張感を帯びながらも彼女の顔色をうかがっていく。と、そんなこちらの気掛かりも全く気にしない荒巻は、姿勢を直すなりふと思い出したように腕時計を確認してから、「げっ」と口元を引きつらせながらそれを口にし始めたものだ。

 

「ヤッベ!! 久しぶりに会ったハオマちゃんと楽しくお喋りしていたら、もう開店時間になっちまうじゃねーか!!! 開店前に済ませねぇといけねぇ店ん中の用事があったのに、やっちまった!!! ……おいクリスちゃん! オマエさんも、そろそろ業務に戻れ! 客が入ってくるぞ!!」

 

 急に慌ただしくなり始めた状況に、自分は置いていかれるようにただただ佇んでいく。そんなこちらにお構いなしと動き始めた荒巻とクリスに続いて、ハオマも事務員としてカウンターへと向かい出していくのだが、荒巻は関係者以外立ち入り禁止の扉へと手を掛けながらも、振り返るようにしてハオマへとこの言葉を投げ掛けていったのだ。

 

「あぁそうだハオマちゃん! 一応、契約では今日から業務っつーコトになってるが、オマエさん今日は別に事務作業しなくてもいいからな!!」

 

「え?? あの、それってもしかして即日解雇の宣告でしょうか……!?」

 

「ち、違う違うッ!!! さすがに初日から現場で働けってのも酷な話だろうからよ! オレちゃん、ホワイト企業の理念っつーモンを掲げているからな。久しぶりに戻ってきた店の雰囲気に慣れる期間っつーコトで、今日は業務の代わりに、レストランやキャバレーを好きなように堪能していってもらいてぇのよ!」

 

「え!! それってもちろん、今日のお給料は出ますよね!?」

 

「もちろんって、がめついなオマエさん……。いやまぁ、出すけどよぉ……」

 

「わぁぁ!!! 美味しいお料理が食べられて、可愛い女の子ともお話しができてお金も貰えるだなんて、本当にホワイト企業ですね!! お店の立ち位置的にはブラックそのものなのに!!」

 

「う、うるせぇやい!!!! とにかく! 今日は久しぶりのLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を存分に堪能していってくれや! そんで、当時の感覚を思い出してもらって、その分たんまりと稼いでもらうかんな!!」

 

「あぁーーー!!! やっぱりそれ目的ですか!! 荒巻さん、女だけじゃなくてお金にまで強欲になったんですね!! 失望しました!」

 

「店のオーナーなんだから、それくらい考えるのは当たり前だろ!!!」

 

 子供のように騒ぎながらやり取りを行う荒巻とハオマ。これには周囲のホステスも汗を流して見守る中で、荒巻はこちらへと視線を投げ掛けながらそれを伝えてくる。

 

「っつーコトで、カンキちゃん! 悪いが、そのオンナの一日世話係を頼まれてくれねぇかい!?」

 

「え、え? 世話係ですか?」

 

「てか、頼む!! 面倒見た分の給料なら出すから!! じゃあ、後は任せた!!!」

 

 バタンッ。

 関係者しか入れない扉を勢いよく閉めて、その姿を消した荒巻。既にこの場を去っていたクリスの姿も見えないことから、自分は初対面である女性共々、取り残されるように二人きりとなってしまった。

 

 ……き、気まずい。

 周囲とはだいぶ気が知れていたハオマだが、自分は親父以外での接点が無いために、まずどのような話から切り出していくかを考え始めた。しかし、必死なこちらとは相反して、ハオマはケロッとした様子で何気無く話し掛けてきたものだ。

 

「カンキくんも、お給料が貰えるみたいで良かったですね! これで私とカンキくん、ほぼ働かずしてお金ゲットです! やったやった!」

 

「え? あ、そうですね……?」

 

「それで、カンキくんは今日一日、私の世話係ということみたいなので、良ければ私にお店の中の案内でもしてください。このお店に戻ってきたの、一年半ぶり? とかなので、だいぶ雰囲気とか、ホステスさんとか変わっているかもしれませんし。そこら辺なんかもお話ししていただけると嬉しいなー、なんて思います!」

 

「は、はぁ。分かりました……」

 

 適応力というか、何というか……。

 咄嗟の状況の変化にも混乱せず、むしろ適応する形で気持ちをすぐに切り替えることができる彼女のメンタル。

 

 ……さすがは、最初期のメンバーとしてホステスをやっていただけはある、かも?

 今も無邪気に微笑み、「さ、行きましょうー!」と先陣を切って歩き出したハオマ。そんな、逆に自身が案内する勢いで進み始めた彼女に置いていかれた自分は、追い付くために慌てて駆け出しながらも、ハオマと過ごす日常のひと時へと臨んだものだった。

 

 

 

 

 

 レストランLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)が開店し、主婦やサラリーマンを主とした客層で賑わい始めたこの空間。お昼らしい落ち着いた白色の照明と、キャバレーとしての煌びやかな装飾が独自の雰囲気を演出する中で、自分はいつもの二人用の席で、ハオマと向かい合いながら食事を楽しんでいた。

 

 前菜を味わい、メインの料理が運ばれてくる。その運んできた人物がちょうどボーイのクリスでもあったため、自分とハオマは気楽な気分で彼を迎えた。

 

 コトンッとテーブルに置かれた二人分の皿。それらには、分厚くも色濃い赤身と、十分に火が通った、焼き目の皮が食欲をそそるマグロのステーキが乗せられている。

 

 添えられたベビーリーフの緑色と、ワサビの緑色が爽やかさを演出しつつ、パプリカの赤やオレンジ、塩コショウのスパイシーな香りなどが伝わって、視覚や嗅覚で十分と楽しませてもらえる一品。

 

 これはもう、味覚的にも間違いないだろう。そう確信さえしてしまえる贅沢な品を前にして、自分とハオマは食い入るように見惚れていた。そんな自分らの傍らでは、クリスは不敵ながらも機械的な調子でそれを名乗り上げていく。

 

「マグロのステーキ、以下省略でございます」

 

 いや略すんかい。

 もう分かってるでしょ? という身内のノリが伝わってくる手抜き。尤も、自分やハオマはこれを全く気にもせず、もう、目の前の品ばかりに気を取られて、「いただきます!」と言葉を口にしながら間髪入れずに頬張っていったものだ。

 

 そして、二人で美味の唸り声をあげていった。

 今日からの新メニュー。マグロのステーキと聞いて、居ても立っても居られずに開店前に顔を出してしまっただけはある。もはや店の関係者としてではなく、店の一ファンとしてその一品を堪能する自分は、思わず舌鼓を打ちながら無心となってそれを食していた。

 

 で、ハオマもまた女の子らしく控えめに両手を上げながら悶えていた。

 素の性格で可愛げのある人なんだなぁ。という印象を抱く、彼女の素振り。若々しいとも言えるし、純粋に可愛いとも言えるだろうハオマのそれを見たクリスは次の時にも、至って平然としたいつもの不敵な調子でこれを喋り出してくる。

 

「ハオマ、君はそろそろ年相応の反応を意識して身に付けた方が良いと僕は思うんだけどね」

 

「ふーんだ。別にいいもーん。周りからどう思われようと、私はせめて心はピュアでいたいんだしー」

 

「君がそれで良いのなら、別に構わないのだけどね」

 

「え、押してダメなら引いてみろってやつかな……? なんかそうやってすぐ肯定されちゃうと、それはそれで不安になるんだけど……」

 

「そうだね。やっぱり君はそのままでもいいな。側だけ取り繕ったところで、その純情なる内面は誤魔化し切れないだろう」

 

「え、え? 何それ? え、どういうこと? クリスくんの言うこと、私たまに分かんなくなっちゃう……! もしかしてこれが、若者、ってこと……!?」

 

「フフッ」

 

 なんか、クリス。ちょっと楽しそう。

 不敵とは異なる、面白げな口角の上げ方で笑んでみせたクリス。彼の様子を自分は意外に思っていく中で、彼はふと少し前屈みになって自分らのテーブルに近付くと、囁くように抑えた声でハオマへとそれを尋ね掛けていったのだ。

 

「オーナーから聞いたよ。君は再び命を狙われるようになって、この店に避難してきたみたいだね。対象の排除ならば、僕は君の力になれるかもしれない」

 

「は、排除って……。さすがにそこまでしてもらうつもりは無かったんだけど……」

 

「そっか。じゃあ、僕はボーイとしてのお手伝いでしか、君に助力できそうにないね」

 

「そんなことはないよ!! クリスくんから学べることも、私からすればまだまだ山ほどあるんだから!!」

 

「へぇ、僕には見当つかないな。例えばどんなものかな?」

 

「えっとね…………そう、博識系のやつ! クリスくん物知りだから、いろんなことを教えてくれるよね! ほら、前にも教えてくれた、『その脱皮したヘビの皮が、何日くらい経過しているかの見分け方』、みたいな。そんなカンジの!」

 

「前に教えたやつだね。あれ、僕が思いつきの言葉を羅列しただけの適当な説明だったんだけどな」

 

「え、ウソ!!? この前まで働いてたラーメン店で特技として自慢しちゃったんだけど!!?」

 

「さて、どこから指摘するべきかな」

 

 この二人の組み合わせの場合、おそらく、ストッパーがいないと永遠にこのようなやり取りが続いていく。

 クリスとハオマの掛け合いに、もはや料理どころじゃないものを感じていく自分。だが、それ以上に気になった言葉が出てきたものだったから、自分はハオマへとそれを尋ね掛けていった。

 

「ハオマさん。先ほど、再び命を狙われるようになった、とクリスが仰っていましたけれど、それって本当ですか……?」

 

 こちらの問い掛けに対し、ハオマは少しばかり真剣な眼差しを向けながら答えてくる。

 

「そうですね。……あ、カンキくんもタメで喋っていい?」

 

「え? あ、はい。いいですよ」

 

「おっけー! ……あー、コホン。で、そうだね。前に命を狙われた際の事件は、カンキくんのお父様である柏島さんが解決してくれたから、それでここ数年は安泰ではあったんだけど……この数ヶ月でまた、鳳凰不動産と名乗る人達に尾行されたり、嫌がらせを受けたり、時には勤めていたラーメン店にも被害が及ぶようにもなっちゃって。数日前には店内で傷害事件。全部、私絡みの件だったから、責任を取る形というか、周りに迷惑を掛けないようにってことで、私は勤めていたそのお店を辞めたんだよね。で、そのことを荒巻さんに相談したら、『それじゃあ、ウチ来ちゃいなYO!』って感じで、ここに戻ってきた……ってカンジかなぁ?」

 

「この数ヶ月……。なるほど……」

 

 この数ヶ月というと、ちょうど銀嶺会と鳳凰不動産の睨み合いが加速し、いつ抗争が起きてもおかしくないという不安定な時期に差し掛かった頃とも言えるだろう。

 

 彼女も元は鳳凰不動産の人間。それでいて、その組織と敵対するLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)という店にも身を置いたこれまでの経緯から、彼女は組織の裏切り者として今再び狙われるようになったのも、何らおかしな話ではないはずだ。

 

 話を聞く限りでは、ハオマという人物の立ち位置と、自分の立ち位置はかなり酷似している。

 自分も、拉致や殺害される危険性と常に隣り合わせにいる。そこから考えるに、自分とハオマは互いに外部からの脅威に晒されており、そんな自分らは揃って、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に守られている状況に置かれていた。

 

 ……似た者同士として、彼女と支え合わないといけないな。

 今も目の前では、クリスとハオマが先ほどのようなやり取りを交わしていた。そんな彼女の横顔を自分は暫し眺めるようにしていると、直にもクリスは業務に戻るということで席を離れ、彼を見送るために手を振るハオマと二人きりになる。

 

 で、向き直ってきたハオマが「これ、本当に美味しいね~」と幸せそうに喋ったりなどしていた最中にも、自分はちょっと割り込むような形でその言葉を口にしていった。

 

「ハオマさん。このお食事が済んだ後、お店の案内をいたしますよ。俺は店の人間ではありませんけれど、関係者としておそらく全ての部屋に入ったことはあります。なので、案内できるところは案内して、説明できるものは知っている限り説明いたします。……ハオマさん、二人で頑張って生き延びましょう。命を狙われても挫けずにしぶとく生き残り続けて、そして、鳳凰不動産にギャフンと言わせてやるんです。それが、俺達にできる、俺達なりの仕返しになると思いますので」

 

「おぉ、なんか改まっちゃって。カンキくんも可愛いなぁ」

 

「え?」

 

「それじゃあ、カンキくんのお言葉に甘えて、お店の隅々まで案内してもらお~。あ、でもそれだと年上のお姉さん……いや、おばさん? まぁ、年長者としての面子が立たないから、私が分からないものはカンキくんが教えて、で、カンキくんも知らないようなものは私が教える、みたいな感じで、相互に教え合っていければいいよね! そういうわけで、カンキくんの言う通り、二人で支え合いながらしぶとく生き延びていこー。おー!」

 

「そ、そうですね。ぉ、おー!」

 

 なんか、対話している感覚で言うと、どのホステスよりも若々しいものを感じられてしまうハオマという人物。そのフレッシュさこそが彼女の個性でもあり、話していて癒される部分でもあることだろう。

 

 ホステスというよりは、事務員としてこれからお付き合いしていく新たな美女。自分はこの後にも食事を終えるなり、ハオマを連れて一日中、店内を案内して回った。

 

 そして、キャバレーが開店する夕暮れの時刻になった際には、同じ席で二人向かい合いながら乾杯を交わし、酒を嗜みながら、接待するホステス達との会話に勤しんだりもしたものだ。

 

 ハオマと過ごした、店内での充実としたひと時。そして彼女はこれからも、荒巻やクリスのような立ち位置でその姿を見せてくれることだろう。



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第50話 Désir et bleu foncé 《欲望と紺》

 レストランのLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)から出てきた自分は、真昼の日光を全身に浴びながら、満腹感のままに青空を仰いでいった。

 

 段々と陽気な温もりを帯び始めたその光。季節も出会いと別れの時期を予感し、世間では新生活に向けての忙しない様子が目立っていく。

 

 この店に来てから、おおよそ一年が経過した。

 初めて来店し、キャバレーも兼ねた煌びやかな大人のレストランに圧倒されたあの感動から一年。そこから自室にユノが来訪し、ラミア、メー、レダと出会うことで、自分は肉欲にまみれた裏社会の深淵へと一歩踏み込むこととなる。

 

 親父が死に、身に覚えの無い因縁をつけられたことで自分も狙われるようになった日々。無縁だった脅威に晒された恐怖で毎日を怯えながら過ごしつつも、この恐怖心を和ませるようにホステスと共にしたひと時の数々は、自分にとってかけがえのない時間になっていたこともまた事実。

 

 今となっては、彼女らと出会えたこの運命に感謝さえしてしまっている。

 危機感が無いと言えば、それまでだろう。だが、自分はホステス達の思惑にまんまと乗せられるように彼女らの虜となってしまい、もう、彼女らのいない生活が考えられない程度には、自分はLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステス達に依存し切っていた。

 

 ……悪い事が降りかかると、同時にしてそれ相応の良い事も降りかかってくるんだなぁ。

 悟ったように内心で呟き、自分は店を後にしたその足でアパートへと向かい始めていく。そうして歩き出した自分が、春の陽気でボーッとした意識のまま道を辿り出していくと、直後にもどこからともなくと、メーの声でそう呼び掛けられていったのだ。

 

「カンキくーん!! おーい!!」

 

 お店で忘れ物でもしたのだろうか。でもメーは今日、仕事は休みのはず……。

 今日、初めて聞いた彼女の声に、自分は辺りを見渡していく。すると、直にも後ろから来た白色の乗用車が自分の真横で停車するなり、運転席に座っていた私服姿のメーが、サングラスを頭の上に着けたその状態で、開いた窓から覗き込むようにしながら勝気に喋り掛けてきた。

 

「あは、私を探す動きが挙動不審すぎてめっちゃウケるんだけど~」

 

「め、メー??? まさか、車に乗って来るとは思わなかった……」

 

「なに、そんなに意外?」

 

「意外も何も、メーが車を運転できるだなんて初めて知ったよ。というか、その車は……?」

 

「この車は借り物~。てか、話してなかったっけ? 私が“運び屋をしてた”こと」

 

「え、運び屋?」

 

 運び屋。あまり良い印象は持たれないだろう、裏の配達人を指し示す言葉に自分は唖然としてしまう。

 

 で、こちらの反応を見たメーは、天井を仰ぎながら「あー、そっか。カンキくんには喋ってなかったかー」と言葉を口にする。それから彼女は何事も無かったかのように、切り替えるようにこちらへ振り向いてくると、次にも左手の親指で助手席を指しながらこう尋ね掛けてきたものだ。

 

「ま、せっかくこうして会ったんだからさ~、カンキ君もちょっとだけ付き合ってってよ」

 

「付き合うって?」

 

「決まってるじゃん。ドライブだよ、ドライブ」

 

 

 

 

 

 訪れた春を全身で迎える、車の窓を全て開け放った解放的なドライブ。場所は黄色く淀んだ都会の中から一転として、緑色の山々を一望できる岬の有料道路へと移っていた。

 

 整備された道路は鮮やかな灰色で彩られ、若干と霧がかかった晴天の景色には、悠然と佇む富士山の姿も垣間見える。そうして、今まさに色濃い緑で染まる山道を突っ切るこの車は、霧をもぶち破る勢いでなだらかに走行していたものだ。

 

 ポップな音楽を掛けた車内にて、メーはハンドルを握りしめながら、全ストレスを発散するように腹の底から「あーーーーーーっ!!!!」と大声を上げていく。その表情は実に満天の笑顔であり、天真爛漫とドライブを楽しむ彼女の様子は、まるで子供に戻ったかのようにハツラツとしていた。

 

 メーって、こんな顔もするんだ。

 今まで、勝気で、悪戯で、小悪魔のような微笑みを見せ続けていた彼女。だが、こうして隣に存在していたメーは、相手をからかうようなそれではなく、しがらみから解放された純真からなる笑顔を見せてくれているようにも感じられた。

 

 アクセルを踏み、疾走感ある風を浴びてマウンテンパーカーをなびかせる彼女。そんなメーの横顔を眺めていると、次にもメーは心から微笑んだままそれを喋り出してきた。

 

「あっははは!!! やっぱこれだよ、これこれ!! こういうのが私、大好きなんだ!! ね、カンキ君もドライブ楽しめてる!? 楽しいよね!! ドライブって!!!」

 

「そうだね! 今まで車は何気無く乗ってきたもんだったけど、こうしてメーと一緒にするドライブは格別だ! 俺も今、すごく楽しめてる! まるで子供に戻ったかのように、心からそう思えるよ!」

 

「だよね!! さっすがカンキ君、私が見込んだだけはあるぅ!!」

 

 流しているポップな音楽にノっていたメー。首を左右に揺らしながら鼻歌を歌い、ご機嫌な様子で道路を辿りながらも彼女はそんなことを喋り出してくる。

 

「ねぇカンキ君。さっき言ってた運び屋のこと、聞きたかったりするー?」

 

「まぁ、気になるっちゃ気になるよ。でも、他人の過去はあまり詮索したくないから、メーの気が向いた時にでも話してもらえると嬉しいな、って思う程度かな」

 

「んー、じゃあ今話そうかな~。私がまさにそういう気分だし、たぶん、今しか話す機会が無さそうだからね~」

 

「それって、どういう意味?」

 

「あぁいやいや、そんな深い意味は無いって! お仕事が忙しい中でそんな話をするのも気が重いから、今がちょうどいいタイミングだなーって思っただけ! それに、私も伊達に裏社会を渡り歩いてないから、実は、いつ始末されてもおかしくない立場でもあるんだよねー」

 

 気分の良い調子で、そのような話をし始めたメー。彼女のそれに自分は真剣な面持ちを向けていく中で、本人はお気楽な声音で言葉を続けてくる。

 

「私に何かあった時は、カンキ君、君が語り草となるのだよ。……と、いうわけで、これから語るのは、とある一般的な家庭で生まれた、至ってフツーな女の子の物語。特にこれといった不自由のないフツーの家庭環境で育ち、家族や友人に愛されながら生きていた一人の女の子が、突如とその平穏な人生を投げ出すなり波乱を追い求めて、周りの愛情を悉くと踏みにじってみせた、なんとも稚拙で自分勝手なお話だよ」

 

 軽快な音楽が鳴らされる車内にて、語るように喋り出したメーのそれが入り混じった。

 

 彼女の言葉は、すぐにも音楽で上書きされるように掻き消されていく。この余韻にどこか虚しさを覚えた自分の視線を受けながらも、メーは前方を真っ直ぐと捉えた眼差しで、何気無いサマを見せながら自身の過去を語り出していったのだ。

 

「両親は、アパレル業界の大手に務めるエリート男女。裕福と言うには程遠い生活だったかもしれないけれど、生きていく中でこれといった不自由はしたことがなかったかな。で、私には歳の近いアニキもいた。アニキは文武両道のテンプレみたいな学級委員で、女子にもモテモテで、私の自慢のアニキだったのだ~」

 

 気楽に話すメー。顧みるような眼を正面に向けながら、話を続けてくる。

 

「家庭の環境も悪くなくて、新築の一軒家に住める程度には恵まれていたかな。で、私共々、家族は健康体そのもので、世間で基本とされる生活習慣をとにかく徹底する、模範となる善良な市民だっただろうねー。そんなかんじで、まず健康においては風邪すらもひいたことが無かったし、幼稚園や保育園、小学校なんかでも私は周囲の人間や環境に恵まれていて、常に囲まれては取り合いをされる程度に、私は引っ張りだこの人気者だったのだ」

 

 人気者だった理由は、何となく分かる気がする。少なくとも自分にとっては。

 

 こんな、可愛くてノリが良い子が学校とかにいたのなら、自分はきっと惚れていたことだろう。そう、しみじみと思う言葉を胸に秘め、静かにメーの語り草へと耳を傾けていく。

 

「勉強はちょこ~っと苦手だったけど、その分アニキに教えてもらうことができたから、私は悪びれることなく何度もアニキのお世話になったよ。あと、運動は得意だったかな~。身体を動かすことに関しては、男子も顔負けな才能を発揮してみせたのだ。運動会でもリレーのアンカーに選ばれて、一位になったこともあるよ。だから、中学校でも部活の引き込みで引っ張りだこだった。陸上部、野球部、サッカー部、テニス部、バスケ部。いろんな運動系の部活から、茶道部とかの文化系にも誘われたかなぁ」

 

「すごいね。それで、メーはどの部活に入ったの?」

 

「それなんだけどね、結局どこにも入らなかった。所謂、帰宅部ってやつ」

 

 そうなんだ。

 言葉にすることができなかった返答。だが、こちらの面持ちで返事を察したのだろうメーは、こちらを待つことなく話を続けてくる。

 

「私の人生は間違いなく、順風満帆だったね。中学校では彼氏ができて、私を彼女にした彼はものすごく羨ましがられてた。親も会社の社長になって家庭はより豊かになったし、アニキは超難関の高校に受かって、そこでも優秀な成績を収めて周りからすごい期待されていた。そんな風に私の周囲はとても恵まれていて、私自身も健康や容姿に恵まれているよなぁって実感できる程度には、私の人生、けっこう上手くいっていたと思うんだよねぇ。……少なくとも、中学を卒業するくらいの時期までは」

 

 声のトーンを少し下げ、目も細めた彼女。今も運転する彼女が投げ掛ける、正面へと向けた真っ直ぐな視線を自分は横から眺めながら、次にもメーが口にしてきた言葉へと耳を傾けていく。

 

「高校受験の時期になって、私はアニキとは別の高校を目指すことにした。私の学力じゃあとても入れそうになかったからね。そこで、初めてとも言うべき、挫折のようなものを味わって。そこから、なんだろう……物心ついた時から、今までずっとどこかで突っかかっていた、不満、のようなものを自覚するようになったんだ」

 

「不満? ……その正体は何なのか、判明したの?」

 

「したよ。私の中に突っかかる、その不満のようなものの正体。それはね……“退屈”、というものだった」

 

「退屈……?」

 

 彼女の顔色をうかがう自分。そうして投げ掛けられた視線を、メーは一切と意に介さずに話を続けてくる。

 

「つまんなかったんだよね。生きていてさ。恵まれた環境、恵まれた人間関係。不自由の無い暮らしに、平凡ながらも華やかな毎日。周りからすれば、羨ましい、贅沢だと言えるその生活を、私はただただ、本当に、心から、心底からつまらないと感じてしまえて仕方が無かった」

 

「つまらないと感じて仕方が無い……?」

 

「ね? 私って、本物のバカでしょ? こんだけ、溢れんばかりの輝かしいものを与えられておきながらさ、当の本人はそれを与えられることに飽きてしまって、駄々をこねてんだ。……いや、違うなぁ。恵まれた環境に飽きたんじゃなくて、私は物心ついた時から、その恵まれた環境そのものに嫌気が差していたんだ」

 

 改めて自覚するように言い直したメー。声音も本気であり、彼女は次第と真剣な眼差しを正面に真っ直ぐ向けながら喋り続けてくる。

 

「それでもきっと周りは、『そんなに恵まれておきながら、贅沢を言うな』と口にするだろうね。でもね……言われた当の本人としては、本気でその贅沢を求めていなかったもんだからさぁ。なんか、世の中って噛み合わないことだらけだよね。……そんな感じで私は、退屈という停滞の感情を自覚してからというもの、中学校を卒業する間近の時期に、男との夜遊びやチキンレース、博打やヤクなんかの刺激的な反社会的行動にどっぷりとハマっちゃったんだ」

 

 たった二、三行程度の言葉の羅列に、自分は思わず息を呑んでしまった。

 

 赤裸々と語るメーを見て、唖然とした視線を投げ掛けてしまう。この痛いほど突き刺さるそれを彼女は横目で受け止めながら、堂々としたサマで語っていく。

 

「言うまでもなく、家を追い出されたよ。ヤクでヘロヘロになった私を、親は玄関扉ごと蹴り飛ばして追い出した。玄関から覗くアニキの、とても哀しそうな目は今でも覚えてる。中学校の卒業式にも出ることはなかった。当時の彼氏とも自然消滅したし、高校の入学も取り消しになった。そんな感じで、退屈を自覚してからのスピード感は凄まじくって、私はあっという間に恵まれた全てのものを失ったんだよね」

 

 なだらかな坂を下る車。風も心なしか穏やかになり、先ほどまでの爽やかな心地良さを感じられない。

 

 一瞬にして、感じていたものを全て失った。

 まるで、当時のメーのように。自分は他人事とは思えない面持ちで彼女を見遣る中、メーは気持ちを切り替えるように少し声を高くしながらそれを喋り出してくる。

 

「家を追い出されて、私は当時の悪友に誘われるまま反社会的な組織に所属したよ。それしか生きる術が無かったからね。そこで、ヤクなんかの非合法な取引の手伝いとか、あとは適当に身体を売ったりなんかして、朝昼夕、三食分のご飯は食べられる程度のお金を稼ぐ生活をしていたかな。でも……そんな非道的な行いの手伝いをし続けながらも、私の中にある『退屈と思う気持ち』は、日に日に増していくばかりだった」

 

 ……彼女なりの苦悩、と言ったところだろう。

 それに共感までいかずとも、『退屈という感情に心を支配されてしまっていた』という彼女の苦悩は理解するべきなのかもしれない。自分はそんなことを思いながら彼女の言葉を静かに聞いていくのだが、ふとメーは次にもしれっとしたサマを見せ始めていくと、当初の勝気な声音でそれを喋り出してきたのだ。

 

「そんな感じに、退屈な気持ちでクソのような生活を送っていたある日、私はその組織で一つの仕事を任された」

 

「一つの仕事?」

 

「そ。それが『運び屋』だった、ってワケなんだよね~」

 

 どこかウキウキとした調子で話し出したメー。今も運転しながら、次第と元気を取り戻すように続きを喋っていく。

 

「バレちゃいけないヤクを積んで、警察の目を誤魔化しながらその包囲網を搔い潜る圧倒的スリル……! その頃の私は既に免許も取れる年齢になっていて、まぁ偽造した免許証を使って、当日は一人で車に乗って出発したわけよ。そうしたら、なんの。バレちゃいけない非合法なブツを抱えながら街中を走るその緊張感……! 途中で出くわす警察の検問や、警察犬といった監視の目の数々。それらをすべて欺いて、目的地へと無事にブツを運び届けた時の達成感……!! ……ヤバいね。私は一発目の運び屋のお仕事で、このスリルに魅了されちゃったんだ……!!!」

 

 意気揚々とした表情で喋るメー。彼女の横顔を見た時にも、自分は初めてメーと同伴した際の記憶を脳裏に思い浮かべていった。

 

 

 

 フラッシュバックした、当時の記憶。そこでは、東京タワーで同伴する自分とメーの会話が映し出されていく。

 

『私は高いとこ大好きだよ!! あー、いーや、高いとこっていうか~……こう、落ちたら死ぬ!! っていうスリル? が大好きなのかな?』

 

『死ぬっていうスリル?』

 

『そう!! だって、ここから落ちたら絶対死ぬじゃん!? そう考えるとさ……なんかすごくゾクゾクしてこない!? このゾクゾク感が私、大好きなんだよね!』

 

 

 

 意識は現在に戻り、場面は今も走行する車の中へと移っていく。

 

 ……そう言えば、二回目の同伴の時なんかもメーは、『音ゲーって、絶え間なくマーカーが降ってくるでしょ? あのスピード感とか忙しさが、私的にすごくスリルがあって好きなんだ』と喋ってくれていた。

 

 この瞬間にも、自分はメーという人物を深く知ることができたような気がした。

 彼女は物心ついた時から、失敗できない場面にて発生する極度のスリルでしか退屈を紛らわせない(さが)を背負ってしまった。それは生まれつきという先天性なものではなく、後天性として発現した彼女の“個性”とも言えるだろう。

 

 これを、哀れに思ってはいけないのかもしれない。だが、彼女の性を知ってしまった時にも自分は、一瞬ながらもメーを『可哀想だ』と思えてしまったのだ。

 

 ……不要かもしれない罪悪感に苛まれる自分。だが、それと同時にして、曰くつきの悪女達が辿り着くLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に、メーが訪れるに至った経緯の一部を知ることもできたものだ。

 

 これまで、何気無く関わってきたそのホステス。だが、出会って一周年を迎えるその時期になって、ようやく自分は、彼女に対する理解をより深めることができたような気もした。

 

 

 

 

 

 見晴らしの良い岬の有料道路から下り、場所は龍明に戻ってその公道を走行していた自分ら。渋滞気味である都内の道路において、赤信号で一時停止させた車の中でメーは、退屈そうに背もたれに寄り掛かりつつこちらへ振り向き、小悪魔風な視線でじーっと見つめ遣ってくる。

 

 暇で暇でしょうがない。それが伝わってくる、尖らせた口先。だが、不機嫌というよりは、まるで玩具を見つけたかのような眼差しを向けてくる彼女のそれに、自分は様子をうかがうようにしながら尋ね掛けていく。

 

「俺の顔に何かついてる?」

 

「ん~? んー……そうじゃないんだけどさぁ」

 

「? 歯切れ悪いね。ずっと運転しっぱなしだったから、疲れちゃった?」

 

「いやー、そういうわけでもないんだよねぇ」

 

 周囲からは、他の車に対してのクラクションが鳴らされている。この、進まない渋滞の中で両手を後頭部に回したメーは、どこか悶々としながらも落ち着かないサマで周囲に視線を逸らしていき、そこからしばらく何かを考えるようにしてから、ハンドルに寄り掛かりつつ、オトコを落とす魅惑的な微笑みでそれを口にし始めてきたのだ。

 

「ねぇカンキ君。この後も暇だったりする?」

 

「え? まぁ、そうだね。あとはアパートに帰るだけだから。でも、他にどこか寄る用事とかあるのなら、俺も手伝いとかでついていけるよ」

 

「ふーん、そう。それじゃあ~……お言葉に甘えて。カンキ君にはちょ~っとだけ、私の“休憩”に付き合ってもらおっかなぁ?」

 

 

 

 

 

 『まあ、そういうワケで』。

 以前にも訪れたことがある、大人向けの休憩施設。設備や道具が揃えられた個室の中において、自分は現在、全裸の状態で本能のままに腰を動かしていた。

 

 軋むベッドの音がギシギシと床を伝い、今も自分の“息子”は、同じく全裸である四つん這いのメーの“肉壺”を激しく突いていく。その、全身で打ち付けるようにして彼女の最奥を目指す運動を繰り返していると、直にもメーは低い嬌声を唸るよう出しながら、“ソコ”から大量の快楽を噴き出し、それを夕立のようにビシャビシャと音を立ててから項垂れるように突っ伏していった。

 

 互いに興奮で息を荒げ、共にして疲労で深く呼吸を行っていく。特にメーは余韻の快楽で痙攣を繰り返していて、低い声で何度も身体を反りながら、未だ残る快感に悶え続けている。そんな彼女の腰から手を離した自分は、変わり果てたメーの姿を堪能するように暫し眺めていくと、次にも再び“息子”を肉壺へとあてがっていき、彼女の両腕を掴んでからその上半身を持ち上げるようにして運動を再開していった。

 

 本能に従うまま、最深部で子種を待つ命の空間を揺さぶっていく。勢いよく突き上げるように直々と振動を加えていくそれに、メーは天井を仰ぎながら低く喘いでみせるものだったから、自分は彼女の姿に一層の興奮を覚え、全力を尽くすようにメーの好きなトコロを高速でノックし続けた。

 

 あられもない姿を晒し、だらしない声を出しながら腹の底で喘ぐメー。既に何度も達した快感が全身に駆け巡っているのだろうか、彼女の敏感な部分は全てそそり立ち、ビンビンに張ったそれらで全身の悦びを表現してみせていたものだ。

 

 メーは、普段の小悪魔な素振りからSっ気を匂わせつつも、その実は極度のドM気質の持ち主だった。それは行為による快楽に限定されるものの、彼女は自身を無理やり犯してくるアプローチを好む傾向にあり、自身が攻めとなって相手のよがり狂う姿を眺めるよりも、自身が受けとなって、ただひたすらに相手に滅茶苦茶にしてもらうプレイを求めてくる。

 

 とはいえ、あまりにも過激な暴力はさすがにNGだ。首絞めから始まり、殴る蹴るといった物理的に痛めつける行為は本人から拒否されている。拘束や目隠しであれば、痛めつけない範囲での行為を彼女は許可していて、許容範囲内の攻めであれば、彼女は独特な低めの嬌声を上げつつ、終始と快楽による痙攣であられもない姿を見せてくれるだろう。

 

 また、彼女は後ろから攻められる行為を好んでいた。バックの体位が代表的であろうそれは、一番好きな場所である“奥”に届きやすいからという理由によって、常にそこを荒々しく、高速で、的確に、一定のリズムでノックしてくれる運動を求めてくる。

 

 平均より少し上の背丈を持ち、艶めかしいくびれや脚を持つ女性。胸も程よく発達していて、運動によって揺れるそれらはこちらの気持ちを一層と昂らせてくれる。

 

 掴んでいた両腕を離し、この両腕で組み付くようにメーの両肩をホールドした自分。そして、より接近した身体で小刻みの激しい運動を繰り出し、完全に身動きを封じられたメーはスパンの早い低い嬌声と共にして、大量の快楽を噴き出していった。

 

 メーとの行為は、とにかく水浸しになる。

 体内の水分が全て無くなるんじゃないか。組み付きを解いた瞬間にもうずくまったメーによる噴水を浴びながら、自分はそんな心配をよぎらせていく。だが、この光景がまた男として堪らなく興奮を覚え、悦びを体現してくれる彼女に一層と尽くしたくなって仕方が無くなるのだ。

 

 次にも、喘ぎ声を出しながらベッドを這い出したメー。その弱々しくなった声音で「ちょ、ちょっと……休憩……ッ」と口にしたものだったから、自分はそうして離れ往く彼女の両脚をおもむろに掴んで、ズリズリとこちらへ引き寄せていく。

 

 これに驚きの声を上げたメー。直後にも、肉壺に触れたこちらの手に甲高い嬌声を上げ始め、その手で彼女の敏感な表面を十分に愛でてから、指を奥へ侵入させることで彼女の中を荒々しく掘り進めていった。

 

 うつ伏せになった彼女のソコを、ほじくり返すように指を動かしていく。粘り気のある湿気を伴い、続々と溢れ出すそれを泡立たせる勢いで行ったこの運動は、「ちょ、ちょっと、カンキ君ッ」と声に出して慌てる彼女を無理やり快楽で悶えさせていき、絶え間の無い到達で再度と噴水を引き起こさせたものだ。

 

 ……メーから分泌された温もりを、己の全身に塗りたくるようにした自分。

 二人して息を荒げ、暗黙の了解で束の間の休息を挟んでいく。その間にも自分はそそり立つ“モノ”を手に持ち、それをムチのようにしならせ、メーの尻を軽く打ち付けながらこの言葉を口にしていった。

 

「メー。俺よりも先に、勝手に休もうとしちゃダメだよ」

 

「ぁ、あひ……っ。だ、って。このままじゃ私、おかしくなっちゃいそうだったから……ッ」

 

「そんなにお望みなら、今日はこれで切り上げるけど? どうする?」

 

「やだぁ……! もっと、もっと欲しい……ッ。でも、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけでもいいから休ませて……っ!」

 

「メーが休んだら、俺のコレが萎えちゃうよ? 今が一番気持ち良い時だと思うけど。それでもいいの?」

 

「ぅ~……。今日のカンキ君、イジワルすぎ~……」

 

「……あー、ちょっとやり過ぎた……?」

 

「ううん……。イイ。すっごくイイ……。だからお願い、やめないで。今日はカンキ君にイジメられたい。なんか今日は、ずっとこうして、カンキ君に滅茶苦茶にされていたいの……!」

 

「分かった。それじゃあお望み通り、今日はメーのことをとことんイジメてあげるから。……ついてこれなくなっても、構わず続けるからさ。だから、メー……覚悟してくれよ」

 

 今更もう、本能に抗うことはできない。

 欲に飢えた獣となって再び彼女の腰に両手を添えた自分が、近付けた“息子”の先端を肉壺へと押し当てていく。だが、欲望のままに侵入しようと腰を動かした時にも、メーは首を横に振りながらその言葉を口にしてきたのだ。

 

「か、カンキ君……ッ、待って。そこじゃなくって……ッ! お、お尻に……!!」

 

「お、お尻……?」

 

「そうッ、お尻……!! お尻にも欲しい……!!! お願い……!」

 

「でも、お尻はさすがに問題が……」

 

「大丈夫だから……ッ!! 開発なら、自分で済ませてあるから……っ! 浣腸もして、綺麗にしてあるし……! でも、実物は初めてだから……!!」

 

「……メーのお尻の初めてを、俺が貰ってもいいの?」

 

「いいよ……。私のお尻の初めて、カンキ君にあげる……。だから、早くちょうだい……!」

 

 位置をずらし、出口とも言えるだろう異なる部位へと近付けていく。

 ……大丈夫なのかな。さすがに巡ってきた不安に息を呑んだが、一方で湧いてきた興味からそう躊躇うことなく先端を触れさせた自分は、直にも彼女の様子をうかがうようにしながらも、ゆっくりと、慎重に“ソレ”へと侵入させていった。

 

 ……なんだか、不思議な感覚だ。

 狭くて、窮屈な肉壁の通路。しかし、既に開発を済ませているからなのだろうか、本来は出すための器官であるその空間は、意外にもすんなりと自分のを受け入れてくれたものだった。

 

 で、これを求めたメーの方はと言うと、侵入から直ぐにもカエルの鳴き声のような低い唸り声を上げ始めていた。そして何度も首を横に振りながら右手でベッドを軽く叩きつつ、耐えるような、それでいて悶えるような、なんとも言葉にし難い有様で鼻息を荒げる様子を見せてくる。

 

 お互いに少しずつ慣らしていき、そして次第と運動をし始めた。これによって、今までに味わったことのない閉鎖感に興奮を覚え始めた自分は、割とすぐにも上ってきた快楽の兆しと共にして、メーを覆うように身体を前に倒し、彼女の両手に重ね合わせるようにそれらを握りながらこの言葉を伝えていく。

 

「メー……っ! メーのお尻、すごく良いよ……! メーのお尻にこれを出したい……っ!! いや、もう無理だ。お尻に出すぞ……!」

 

「ぉ、おぉっ……! んぅぅぅぅ……~~~~ッ!」

 

 コクコク。ベッドに顔を埋め、喉から高い音を鳴らすように唸りながら何度も頷いてみせたメー。そんな彼女の許可をしっかり確認してから、自分はもう我慢できないと、全てを振り絞るように溜まった快楽を噴き出していく。

 

 熱を帯び、どくどくと脈打つ肉の管。そこから自分の全てを捧げるよう彼女に熱意を注ぎ込み、溢れんばかりの欲望で彼女の中を満たしていく。

 

 ……この前のラミアと同等の、自分史上もっとも多い量を噴射した。

 メーのお尻を蹂躙し、彼女の身体と快楽を支配してみせた達成感。これに自分は気力ごと出し尽くしたように彼女の背中へと圧し掛かり、布団のように覆い被さりながら、前面で彼女の体温を感じ取っていく。

 

 ……今も出口で繋がり続ける自分とメー。溢れ出したオスの快楽が彼女の入口にも伝うその中で、自分とメーは共に微笑み合い、そこでついばむような軽いキスを何度も交わしながら、お互いの体温を交換し合うように暫しそのひと時を堪能したものだった。



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第51話 Apprenez à connaître votre père 《父親を知る》

 終業時刻となり、本日の営業を終えたキャバレーのLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。深夜でもシャンデリアが灯る煌びやかな空間の中、自分はいつもの席から立ち上がろうと背もたれに手を掛けていく。

 

 何気無く振り向いていった、背後の様子。するとそこでは、音も無く忍び寄っていたのだろうタキシード姿のシュラが、こちらと目が合うなりビクッとして立ち止まるサマを見せてきた。

 

 ジリッ…………。

 猫を彷彿とさせる瞳と、飛び掛かろうと身構えたその姿勢でこちらと向かい合うシュラ。共にして謎の緊張感が漂い始めていたことで、自分もまた空気を読むように息を呑んで彼女の様子をうかがっていく。

 

 心なしか、シュラの尻には喜びでフリフリする犬の尻尾のようなものが見えた気がした。そんな属性も兼ね備えた彼女と暫し見つめ合っていると、直にも空気に耐えられなくなったシュラは、端的に「ニーチャンッ!」と声を出しながら、猫のように飛び掛かってきたものだ。

 

 真正面から彼女を抱き留め、よしよしと頭を撫でていく。これにシュラは一層と機嫌を良くしたのだろうか、次にも彼女は甘えるような表情で、こちらの懐に頬を擦り付けながらそう喋り出してきた。

 

「ニーチャァン、ニーチャァン。今日も頑張って乗り切ったウチのこと、ぎょうさん褒めてや~」

 

「よしよし、今日もたくさん頑張ったね。えらいよ、シュラ」

 

「えへへ……っ。ニーチャン……ニーチャン……」

 

 表情や仕草には出さないものの、シュラは疲れていると途端に甘えん坊になる……ような気がする。

 

 あと、頑張った自分への褒め言葉も求めてくる。

 段々と分かってきた、シュラというホステスの性格。彼女の傾向に合わせて、自分も期待に応えるよう言葉を掛けながら頭を撫でていく。すると、シュラはこの胸の中で溶けるように寄り掛かり、今にも眠ってしまうんじゃないかと思わせるくらいの脱力具合で、こちらに身を委ねてくるのだ。

 

 うっとりとした顔で、自分に抱かれていたシュラ。彼女はそんなひと時を暫し堪能すると、充電が完了したかのように再び動き始め、こちらの手を無邪気に取りながらエントランスのある通路を指差していった。

 

「せやった。ニーチャン、今日はあっちで仕事終わりのミーティングをしたんや。今ならたぶん、出勤してたいつメンのホステスとか、あとはオーナーなんかもおると思うで」

 

「今日は珍しく、いつものみんなが勢揃いしていたもんね。荒巻オーナーもいるのなら、挨拶を兼ねてちょっとだけ顔を出しに行こうかな」

 

 本日の営業では、ユノから始まり、ノアまでのいつものホステスが全員出揃うという珍しい光景が展開されていた。その代わりに他のホステスが同伴などで出払っていたため、今日の切り盛りはその七人を中心にして行われていたものだ。

 

 彼女らの他にも、クリスや荒巻という面子に、先日にも出戻りの形で再就職したハオマという従業員兼臨時ホステスの女性が居たことで、各々は業務なり私用なりで姿を見せてくれていた。

 

 今まで出会ってきた人物らが大集合。そして皆がエントランスに集まっているということだったので、自分はシュラに案内してもらう形で、彼女と共にそちらへと向かい始めていく。

 

 道中では、シュラは悪戯に左手を伸ばして、「ニーチャンのオニーチャン」と言いながらこちらの“モノ”を握りしめるように触れてきた。それを「こらこら」と反応して手を退けるなどのやり取りなんかを交えながら、自分は到着したエントランスの光景を遠目から眺め遣っていく。

 

 エントランスのカウンター前。本日の業務を終えた八名の従業員と一名のオーナーが、それぞれ和気藹々と談笑している光景。主に、ラミアとノアで何かを話していたり、メーとの会話で顔を赤らめるミネの姿や、レダとクリス、荒巻の三名で穏やかに会話を交わすサマなどが見受けられる。

 

 その中で、カウンターに両肘をついたタキシード姿のユノは、オレンジ色のシャツに黒色のタキシードを纏うハオマへと、凛々しくも身を乗り出すようにしながらその言葉を投げ掛けていた。

 

「ハオマさん。今宵の貴女も、マリーゴールドの花の如く実にお美しい。その柔和な人柄と、艶やかな大人の美を兼ね揃えた貴女という存在は、刺激を追い求めし来店客に留まらず、私という一人の個をも魅了して、虜としてしまうのです」

 

 百六十四ほどの背丈であるその女性ハオマ。美貌はさることながら、大人の落ち着いた雰囲気と、おっとりと、しっかりとした佇まいに、ミカンのようなオレンジ色の瞳と、彼女から見て左側に結った、同色のサイドテールが特徴的な従業員だ。

 

 色気と可憐さを両立した年長者の彼女が気圧(けお)される中、ユノはユノで胸ポケットから造花である赤色の薔薇を取り出しつつ、生まれ持ってのイケメン顔でハオマへと言葉を掛け続けていく。

 

「貴女の帰りを心から待ち望んでおりました。今、こうして再び貴女と相見えることができたこの喜びは、言葉などの上辺の表現では形容できないほどの感極まる光栄に満ち足りていて、それは今も私の明日を照らす希望の光として、シャンデリアの如き恍惚な煌めきを伴いながら輝いているのです。……さぁ、私達の再会を祝し、乾杯を交わしましょう。そして願うならば、貴女という麗しき女性と過ごす情熱的な一夜を、私は心より所望するわ……」

 

「ちょ、ちょっとちょっと!? ユノちゃん落ち着いてっ!! あ、相変わらず顔が良い……じゃなくって! 私はユノちゃんのことも理解しているつもりではあるけれど、よ、夜のお供なら、わざわざ私のようなおばさんなんかじゃなくって、もっとこう、周りにいる若い子の方が絶対に良いと思うよ!!?」

 

「いいえ、今宵の晩餐はハオマさんが相手でなければいけません。私の内なる渇望が、ハオマさんという女性を心から欲しているのですから……」

 

 凛としたサマを繕っているつもりなのだろうが、今のユノは澄ましたようなイケメン顔で猛獣が如き眼光を放ちながらハオマを見つめていたものだ。

 

 肉欲が溢れ出てしまっている。

 ハオマという獲物を見据えた一匹の女帝が、欲望に掻き立てられるようにグイグイと迫っていく。この様子に、傍で見ていたラミアは呆れ気味に「ちょっとユノさん、発情するなら他所でしてくださいよー」と口にして、レダもまた何気無い様相で「すごいメスの匂い。性欲を限界まで溜め込んでいたのねぇ」なんて口にしていった。

 

 まぁ、よく見受けられる光景でもあった。

 シュラを連れて、自分も合流するように顔を出していく。そんなこちらの足音で皆は振り向いてくると、一同はそれぞれの「お疲れ様」を口にして、快く迎え入れてくれた。これに自分も「皆さんもお疲れ様です」と挨拶を伝えていく中で、ふと腕を組んで佇んでいたクリスが、不敵な調子でそれを喋り出してくる。

 

「フフッ、これで当時の役者が全員揃ったとも言えるのかな」

 

 彼の言葉に、ユノは姿勢を直しながら向き直っていく。その表情は真剣そのものであり、また、クリスに対する遺憾などの感情も読み取れた。

 

 直にも、彼女は返答するように言葉を口にする。

 

「クリス、貴方が独断で物事を語ることに、私は不吉なる予感を抱いてしまえて仕方が無いわ。特に、柏島くんという特別なお客様も立ち会っている以上は、あまり余計な事を口にしないよう発言には細心の注意を払いなさい」

 

「君って本当に、僕に対する信頼が無いよね」

 

「当たり前でしょう? 常日頃の言動を顧みなさい」

 

「そう警戒しないでほしいな。ただ、ここに揃ったメンバーが奇しくも、“過去の最終決戦で居合わせたメンツと一緒だった”なと、そう思っただけだからさ。まぁ、中には当時の本人ではなく、その血筋による因果によって引き寄せられた別人だったりも混じっているけどね」

 

 と言って、こちらを見遣ってきたクリス。彼の言葉に、ユノは頭を抱えるようにしながらため息をついていくその脇で、荒巻は右手を顎につけながらも感慨深そうにこれを口にし始めてくる。

 

「んま、クリスちゃんの言いたいことは分からなくもねぇ。如何せん、鳳凰不動産とのケリをつけに行こうとした柏島さんにお供する形で、オレちゃん達はその仲間として一緒に戦ったモンだからな。……当時は、鳳凰不動産に協力する三つの異なる組織も存在していて、そいつら皆、共通の目的を持って動いていた。だからオレちゃん達もまた、四つのグループに分かれて、それぞれが、その組織らの野望を食い止めるべく殴り込みを仕掛けたモンだ」

 

 荒巻が話す最中にも、ミネがこちらに歩み寄ってくる。そしてさり気無くこの右腕に抱き付くようにくっ付いてきたものだったから、自分もまたもう片方の手で少女の頭を撫でていった。

 

 で、荒巻は自身の顎を撫でるように指を動かしていく。そこから天井を仰ぐような視線を投げ掛け、その詳しい過去の出来事を呟くように説明し始めたのだ。

 

「あの日、ブラッディムーンと呼ばれる、科学でも説明がつかない異様な自然現象が起きたことで話題になったな。それも、記録的豪雨の大雨が降り注ぐ曇り空の中で、まるで血のように赤黒く染まった満月が雲越しに光り輝いていた。……不吉な予感を告げるかのようなその現象は、世間の関心を悉く搔っ攫っていったな。だが……世間が空に夢中となっていたその裏で、龍明の街中では、柏島さんの最終決戦が繰り広げられていたのよ」

 

 ブラッディムーン。これは、自分の記憶にも未だ鮮明と残る、とても不可思議な印象を受ける現象だった。

 

 豪雨の曇天で輝く深紅の月。夜の龍明に浮かび上がっていたその光景を、自分も窓から眺めた記憶がある。同時にして、ブラッディムーンが見られたその日の夜、銀嶺会と所属不明の組織が龍明市内で激しい抗争を起こしていたことを後日知ることとなった。

 

 事実は小説よりも奇なり。当時の話題を思い出すように、これらを脳裏によぎらせた自分。それの頃合いを見るかのように、荒巻は説明を続けてくる。

 

「当時、鳳凰不動産は三つの他組織と協力関係にあった。それぞれ、鳳凰不動産と親しい間柄にあったスーパーゼネコンの会社と、人身取引を主とする裏社会の巨大な組織、そして、当時の銀嶺会を裏切った元本家若頭が率いる自警団。この三つの組織と、まぁ……日本の乗っ取りを計画していた鳳凰不動産はその日、最終工程として海外のギャングやマフィアを日本に呼び込もうとしていたんだ。で、それを食い止めるべく、オレちゃん達は四つのグループに分かれて、それぞれの組織の下へと殴り込みを仕掛けた」

 

 もはや、別次元の話だ。

 現実で起きた実話を聞かされている気になれない、とんでもない情報の数々。膨大なそれらに自分は困惑気味に耳を傾けていく中で、荒巻は話を進めてくる。

 

「当時、柏島さんの下に集って彼の計画に協力したのが、オレちゃんとユノちゃん、鳳凰不動産に捨てられたクリスちゃんと、ホームレスをしていたレダちゃん、それと、当時から銀嶺会の看板娘として奔走していたノアちゃんの計五名。オレちゃん達は銀嶺会やその他様々な組織から人員を借りて、オレちゃんはノアちゃんと共に銀嶺会を裏切った元本家若頭の下へ、ユノちゃんは人身取引の裏社会組織へ、クリスちゃんとレダちゃんは本件の参謀だったスーパーゼネコンの幹部の下へ、そして柏島さんは単独で鳳凰不動産の下へと殴り込んだ」

 

 壮大なスケールで展開されたのだろう一件。世間ではそれほど注目もされなかった陰の救世主達の武勇伝に、引き続き意識を向けていく。

 

「それぞれ、オレちゃんとノアちゃんは龍明の市街地ど真ん中へ、ユノちゃんは裏組織の拠点である地下の廃坑へ、クリスちゃんとレダちゃんはゼネコン会社の幹部が身を潜めていた建築途中のビルへ、そして柏島さんは鳳凰不動産本部のビルへと駆け付けた。そこでオレちゃん達は全身全霊の命懸けの死闘を繰り広げたモンなんだが、今、名前が挙がらなかった残りのメンツとは、その現場で出会うこととなったモンだ」

 

 ミネはともかく、まだラミア、メー、シュラ、ハオマの名前が出ていない。彼女らの姿を見渡すように確認しながらも、荒巻の言葉へと耳を傾ける。

 

「まず、オレちゃんとノアちゃんが向かった龍明の市街地。そこには、鳳凰不動産関連の影響で抗争に巻き込まれていた顔見知りのハオマちゃんがいた。もう、既にオレちゃん達は出会ってあったからな。そこで、豪雨の中、オレちゃんはノアちゃんと共にハオマちゃんを守りながらも、銀嶺会元若頭とサシで殺り合って、オレちゃんが何とか勝利した。ユノちゃんが向かった裏組織の拠点には、連中に捕まって奴隷として働かされていたラミアちゃんとメーちゃんが存在していてよ、その組織の親方はユノちゃんがぶっ飛ばしたことで、ラミアちゃんとメーちゃんはユノちゃんの手によって救出されたんだ」

 

 壮絶な経験の数々。ラミアもメーも、ハオマも俯き気味に視線を背けてくる中で、荒巻はその説明を続けていった。

 

「クリスちゃんとレダちゃんのところでは、特に誰かと出会うことはなかったみたいだな。それ以上に、クリスちゃんとゼネコン幹部による銃撃戦が激しかったみてぇだし、最後は、レダちゃんが持ち込んだ爆弾で幹部ごとそのビルをド派手に爆破したらしい。そして、柏島さんが単独で殴り込んだ鳳凰不動産本部。そこでは、当時から不動産に不満を持っていた従業員のシュラちゃんが、現地で柏島さんに手を貸したとのこった。主に、ドローンや監視カメラを駆使した道案内的なサポートを務めたらしい。んだが……これ、シュラちゃんから聞いてオレちゃんも初めて知ったんだが、実は、単身で殴り込んだ柏島さんの下には、シュラちゃんの他にももう一人、現地で合流した柏島さんの極秘の仲間がついてきていたらしいんだ」

 

「……それって、誰なんですか?」

 

「ヒイロちゃんだよ」

 

 突然の姉の名前に、ミネが反応を示していく。

 ユノも、複雑な表情をしながら荒巻の話を聞いていたものだ。しかし、彼女らの反応を意に介さず、彼は話を続けてくる。

 

「当時は、二年ほど行方不明として扱われていた、突如と失踪したヒイロちゃんが柏島さんの下に合流していた。彼女は一体どこから現れた? 何故、ヒイロちゃんはユノちゃんの下から姿を消して、柏島さんだけには姿を見せていた? その真相は未だ定かじゃねぇがよ、まぁとにかく! 鳳凰不動産本部に殴り込んだ柏島さんのトコには、サポート役のシュラちゃんと、柏島さんと一緒に大暴れしたヒイロちゃんの二人がついていたんだ。それで柏島さんは、二人の協力を受けながらビルの屋上で当時の鳳凰不動産社長と対峙。赤い月の下、豪雨が降りしきる激闘の末にヤツを倒し、柏島さんはその因縁にケリをつけた……」

 

 当の本人ではないけれど、その血族でもある自分とミネも含めれば、確かにこの場に居合わせたメンツは当時の最終決戦のそれと同じであると言えたかもしれない。

 

 新たに知ることができた、自分の親父が巻き起こしたトンデモ過去話の一つ。特に、自分の知らないところで、親父はそのような激闘を繰り広げていたということを知ってからというもの、自分は生涯で数回しか会うことが無かった父親に対する不信感が、少しではあるものの払拭されたような気もした。

 

 

 

 

 

 ……空間に漂う沈黙。皆が口を閉ざして神妙な顔つきになっている中で、荒巻は両手でパチンと甲高い音を打ち鳴らしてから、その両手をパーにしながら表にし、オチをつけるように陽気な声音でそれを口にした。

 

「と、いうワケで、鳳凰不動産が企んでいた野望を柏島さんが見事打ち砕き、そんなオレちゃん達の陰ながらの活躍があってこその、今の日本ってコトなのよ! で、今こうして集まっている顔ぶれは、その当時の武勇伝に登場した主要人物達だったモンだから、クリスちゃんがそれに反応を示したってワケ」

 

「……なんだか、流れるようにとんでもない話を聞かされたような気がします。とにかく、ありがとうございました。……その。皆さんもそうなんですけど、やっぱり俺の親父って、すごい人だったんですね」

 

「そうだぜぇ?? 何せあの人は、善良なる市民達や、極悪なる蛮族共、更には野良猫さえも惹き付ける圧倒的カリスマ性に溢れていたモンだったからなぁ。良くも悪くも、柏島さんという人間は磁力のように生物を惹き付ける存在だった。オレちゃんは今でも、柏島さんを越える天才肌は見たことがないね」

 

 ニッと笑みを浮かべ、顎に手を添えながら他所を見遣っていく荒巻。懐かしむように向けた視線の脇では、凛々しく佇むユノがこちらへと向き直りながら喋り出してくる。

 

「この際ですから、柏島オーナーのお話もしましょうか。まだ、私が銀嶺会に所属していた頃、彼と交わした何気無いやり取りの中で印象に残っている話があるのよ」

 

「では、せっかくなのでお聴きしたいです。俺、未だに親父のことを全然知らないもんですから」

 

「いいわよ。柏島くんが望むのならば、私は仰せのままにそれを成すまでのこと」

 

 右手を胸に添え、軽い一礼と共にして凛々しく微笑んだユノ。彼女の美麗さに意識を持っていかれそうになったが、次にも語り出したユノの話が始まるなり、自分はそちらへと耳を傾けていった。

 

 

 

 

 

 時は遡ること六年前。龍明の繁華街にて、ピンク色と水色のネオン管で『KISS ME』と描かれた一軒のバーで“彼”と会話を交わした。

 

 モダンな雰囲気の店内は落ち着いており、大人のムードを演出している。ただ、この日はバーカウンターに手下を引き連れた“銀嶺会の人間”が訪れていたため、店の人間や周囲の客も含めて、どことなくしめやかな空気も漂っていた。

 

 着崩した黒色のスーツに、ボタンを三つ開けた赤色のシャツ。その女性は、赤色の薔薇の刺繍が入った黒の下着を覗かせながら一杯のウイスキーを嗜んでおり、そんな彼女の傍には、三名ほどのスーツ姿の同業者が、座るなり佇むなりで付き従っていた。

 

 直にも、店の扉が開かれる。そこから入ってきた二名の男性はおもむろに女性の隣まで歩み寄ってくると、至って平然としたサマでその席に座り、マスターに「いつものを二人分」とオーダーしていった。

 

 “穏やかな彼”を挟んで、その隣に座ったチャラい男。チャラい男は、いつもの灰色のスーツにサングラスという厳つい外見をしながらも、美女を発見したニヤニヤと共に女性を舐め回すように何度も見遣っていた。しかし、隣に美女が居てもなお彼女を横目に平然と座る“穏やかな彼”は、何気無いサマで電子タバコを吸い、ふぅっと口から煙を出して一息ついていくのみだった。

 

 百八十二ほどの背丈を持ち、毛先が跳ねるようなウェーブがかかった黒色のウルフカット。その前髪で左目を隠しており、また、その服装は黒色のコートに、トップスアウトスタイルの灰色のYシャツ、黒色のボトムスに黒色のブーツという彩りの無い一式を身に纏っている。だが、それでもなお彼という存在は鮮やかであり、大人の色気を醸し出した色男であったことには違いなかったものだ。

 

 ……ほのかに頬を染める赤色のチークに、瞼に煌めく黒色のアイシャドウ。暗い赤色の口紅は艶めかしく、元から長いまつ毛と真珠のような黒い瞳、そして天然の整った顔立ちに一層もの華やかさを演出している。

 

 男らしい骨格で、しかし女々しくも美しいご尊顔。同性のみを愛するその女性も、さすがに彼という存在にはどこか惹かれるものを感じていたことから、普段は男性など問答無用に引き剥がす彼女でさえも彼の接近を許してしまい、そして、探偵稼業を営む彼からの質問攻めを浴びるというやり取りを常日頃から交わしていた。

 

 未だ、サングラスの男が卑しい視線で眺め遣ってくるその中で、化粧を施した“彼”は低い声で、されど女性的な口調で、隣に座る銀嶺会所属の女性へと喋り掛けていく。

 

「二日ほど前、龍明の郊外にある田んぼの中から、一人の男性の死体が見つかった。死体に外傷は無く、一見すると薬物を投与してから自ら命を絶った溺死体に見えるでしょう。けれども、私に調査を依頼してきた依頼主の妻は、これは他殺であることを強調し、また、犯人は銀嶺会に所属するヤクザであることを指摘してきた」

 

「……私が殺った。と言ったら、貴方はどうするのかしら」

 

「いくらなんでも、それは無いでしょう。だって、もし貴女が始末したのならば、証拠となる死体の一つも残らないはず。少なくとも、犯人は貴女じゃないわ」

 

「それじゃあ、私にその犯人を炙り出せと言うのかしら。家族とも言える身内を差し出せと、ヤクザである私にそうお願いでもするの?」

 

「本当なら、力ずくでそうさせたいところなのよね。けれども、男性だったらともかく、さすがに女性に手をあげるわけにはいかないわ」

 

「随分となめられたものね。私の実力くらい、知っているでしょう?」

 

「そうね。“葉山組組長”となってもなお私に一歩及ばない、まだまだ半人前の小娘ってところかしら」

 

「…………」

 

 目で殺すように睨みつけた女性。だが、隣の彼は動じるサマを見せず、ただただ電子タバコを味わうように吸ってから、それを尋ね掛けていく。

 

「貴女、タバコって吸う?」

 

「いいえ。せめて内臓は正常でありたいの」

 

「殊勝な心掛けね。でも、それじゃあ身内に示しがつかないんじゃない?」

 

「余計なお世話よ」

 

「決して安全とは言い切れないけれども、電子タバコなら普通のタバコよりも綺麗なままでいられるわよ。見た目もさることながら、葉巻のようにしてそれを吸う姿というものは、上下関係が重要視される世界でも有利に働くんじゃないかしら」

 

「それ、アドバイスのつもり? 貴方が私に助言を与えるだなんて、どういう風の吹き回し?」

 

「そうねぇ、強いて言えば……親心、かしら」

 

「親心?」

 

 不愉快そうに眉をひそめた女性。そんな彼女を横目にマスターからグラスを受け取った彼は、青色のそれを一口啜ってから息をついていく。

 

 と、次の時にも、バーの従業員が出入りする扉が力強く開かれた。

 バァンッ!!! という落ち着いた雰囲気には似合わぬ豪快な物音。共にして、そこから出てきた百七十ほどの背丈を持つ女性は、ふわっと扇状に広がる腰丈程度の茶髪ロングヘアーを揺らしつつも、ミルクティー色のワンショルニットに水色のジーンズというラフな格好で、一本のボトルを抱え込みながら、無邪気な調子で喋り出してきたものだ。

 

「うっひょーーー!!!! やっぱイイ酒眠ってんじゃーーん!!! なんでこれを最初から出さねぇんだよ~!! 出してくれりゃあアタシ、ヤクザの金でしこたま飲んでやったのにぃ~!!!」

 

 場にいる人間すべての視線を掻っ攫う存在感。女性はそれを担ぎながらカウンターを飛び越えると、その勢いでイスにドカッと着席しながら、ボトルの口を持って振り回し始めていく。

 

 彼女の蛮行に、奥から飛び出してきた店の従業員が「お客様、困ります!!」と言いながら深刻そうに駆け付けた。だが、女性は静止の声も聞かずに「とぅっ」と手刀でビンごとボトルの口を割っていくと、これによって手から血を流しながらも目についたグラスに透明な酒を注ぎ、それを滑らせる形で銀嶺会の女性の目の前へとグラスを渡していった。

 

 いつもの蛮行に、平然としたサマでそちらを見遣っていく一同。これに荒々しい女性はもう一本のグラスに酒を注ぎながら豪快に笑ってみせると、注いだグラスを手に持って、掲げるようにしながらその声を上げてきたのだ。

 

「あっはっはっは!!! 見ろよ“ユノ”! この酒お高いだけあって、めちゃめちゃ透き通ってんぜぇ!!! これ、なんて種類の酒なんだろうな!? ま、アルコールであることに代わりねぇから、何でもいっか!!」

 

「“ヒイロ”、カタギの貴女がヤクザ以上の横暴さを見せつけてしまうと、私達の立場が無くなるわ。できるだけ控えてちょうだい」

 

「おっ、悪ぃ悪ぃ。生憎とこれが性分でね」

 

「私よりも余程、貴女の方がヤクザに向いていると思うのよ」

 

「は??? それマジで言ってんの?? ヤだよ。な~にがオヤジじゃい、な~にがアニキじゃい。アタシはな、義理とか人情とかっつー家族ごっこのしがらみに囚われたくなんかないのよ。アタシは、アタシの世界を作る!!! ヒイロワールドだ!! アタシこそが至高、アタシこそが全ての世界だぜ!!! ……あー、でもカンペキなのもつまんねぇな。やっぱ一般人としてみんなを驚かせ続けた方が、アタシの生き方的に正しいような気がするのよ。っつーか、そうなんだよ。あ?? どゆこと??」

 

「もう、自分で言って、自分で分からなくなっているじゃない」

 

 脊髄で喋るかのような横暴な彼女に対して、ヤクザの女性は苦笑しつつも心からの満面な笑みを浮かべながらそれを言ってみせた。

 

 彼女と共にする時間が、本当に楽しくて仕方が無い。そのような様子をうかがわせる女性の横顔をチラ見した探偵の彼なのだが、その視線に気が付いた横暴な彼女が指を差しつつ言葉を口にする。

 

「あー!!! おい、お前!! そこのお前!!! えーーーっとぉ……名前何だっけ。柏餅だっけ?」

 

「柏島よ」

 

「あぁそう! 柏島!! お前さぁ、事ある毎に“ユノ”に突っかかってるみたいだけどさぁ、ユノはアタシの女なんだかんな!! いくらアタシがどんなにドぐされな男とセ〇クス三昧であろうがよ、ユノっつー女は未来永劫とアタシの女なんだから、そこんとこ弁えた上でアタシに許可とってからユノに話しかけてくんねぇかな~~~~???」

 

「はいはい、分かったわ。それで、葉山組組長さんとお話しする許可を今もらえないかしら?」

 

「えーーー、ヤだよ面倒くさい」

 

「ホント、乙女心って複雑よねぇ」

 

 もはや、慣れているかのようにその一言を呟いてみせた彼。

 ため息交じりに鼻を鳴らし、隣に座っていた相方の男と苦笑していく。その中で何かがバーを滑る音が響いてきたため、これに二人は振り返ると共に自身らの手元を確認した。

 

 横から流れてきた、二人分のグラス。中に注がれた酒が波打つそれを見ると同時にして、すべてにおいて横暴な彼女はピースの要領で三本指を立てながら、無邪気に微笑みつつそれを口にしてきた。

 

「実際問題、誰の酒とか、誰の女とか、細けぇこたぁホントどうでもいいんだよな~。アタシは、やりたいと思ったことは心行くまでやり込んで、欲しいと思ったモンは確実に手に入れるまで絶対に諦めねぇ。その結果、こうして酒も女も物にしたってモンよ! ……生きるって素晴らしいことだよなぁ、えぇ?? なぁなぁ、柏餅の旦那もそう思わね??」

 

「柏島よ。ホント、貴女は心から自分の人生を謳歌しているようね。そこまで実直に、自分に正直に、自分に素直になれるその心意気は、なんだか羨ましいとさえ思えてくるわ。……貴女は天才肌なんだから、節度さえ弁えていればきっと、世間で英雄的な扱いでもされていたでしょうに、勿体無い」

 

「あぁ?? ンなもんなりたかねぇよ。誰かに崇拝されている時点で、他人に縛られた人生が確定してるじゃねぇか。そんなのイヤだね。アタシっつー人間は、アタシだけのモンだ。……それと、ユノの物。あと、天才肌っつーのはよぉ、たぶんアタシじゃなくて、アンタのことを言うんじゃねぇのかな」

 

「あら、私かしら?」

 

「あぁ。まぁ理由なんぞ知らん。てか、物事を決めるのに理由なんかいらねぇんだよな。なんか、気持ちでそう思ったから、そうなんだよ。つまり、そーいうこと」

 

「へぇ、貴女が彼女さん以外の他人を認めるだなんて、珍しいこともあるのね。ウフフ、貴女に褒められたこと、なんだか光栄に思えるわ」

 

「あん?? なんか癪に障る言い方だな……。ンなことよりアレだ! せっかくこうして集まってんだからよ、四人で乾杯でもしようぜ~」

 

「えぇ、そうしましょうか。そうでもしないと、このお酒の代金を割り勘にできないから、ね」

 

 グラスを手に持ち、彼女らを見遣りながら掲げた彼。それに続いて他の三人もグラスを手に持っていくと、打ち鳴らすことはない無音の乾杯を交わした後に、四人はそれを静かに口にしていったのであった。



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第52話 Sortez avec moi ! 《ボクとお出掛けをしよう!》

「柏島歓喜!! ボクと同伴してもらえないだろうか!!」

 

 夜のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に響き渡った、王子の求婚が如きノアのアプローチ。席に座るこちらへと、床に右膝を着きながら仰々しく右手を差し伸べた少女を前にして、自分は唖然とするようにノアを見遣ってしまう。

 

 水色のシャツに黒色のタキシードという格好。それに加えて、元から中性的な顔立ちや声音が宝塚を彷彿とさせる少女の雰囲気に、あちこちから影響を受けたのだろう独特な喋りが印象に残る。そうして掛けられた透明感ある凛々しい声に自分は言葉を失っていると、次にもノアは立ち上がりつつも、取り繕った苦悩の表情で大げさに喋り続けてきた。

 

「あぁ、それ以上の言葉は要らないよ! キミならば、ボクの期待に応じてくれるだろうと心から信じていた! 嬉しいよ。ボクという存在が、キミのような崇高なる血族の人間に認められたこの事実が。さぁ、こうして共に外出する契りを交わした今、次は同伴の詳しい内容をボクと一緒に考えようじゃないか!!」

 

「いや、まだ何も言ってないけど……」

 

「案ずるな!! ボクとキミの仲だろう!! 大丈夫さ。安全性ならボクがついている時点で十分に保障されている。それに、現役女子高校生のボクと共にする合法的休息はきっと、心安らぐ束の間のひと時となること請け合いだろう。キミもそう思わないかい? なぁ、そうだろう柏島歓喜。そうだと頷いてみせてくれ!」

 

「まぁ、そうかもしれない……?」

 

 少女に流されるまま、首を傾げながら答えた自分。だが、この返答にイマイチ納得しなかったのか、次にもノアは少しだけ寂しそうな顔をしてから、なんとも悩ましい表情をしつつ、仰々しくも控えめに両腕を広げながら天井を仰いで言葉を続けてくる。

 

「……それか、ボクでは役不足かい? ヤクザの娘では、キミという柏島の血を受け継ぎし気高い一族のお眼鏡にかなわないということなのだろうか?」

 

「え、いや、そういうわけでは……」

 

「確かにボクのプロポーションは控えめだ。スリーサイズは、バスト七十四、ウエスト五十五、ヒップ七十八。色気が伴っているかと問われると、ボク自身も決して安易に頷くことはできない数字の羅列だろう。加えて、ミネはバスト七十、ウエスト六十、ヒップ八十八の、一部を除いて年相応のムチムチな体つきをしていることから魅惑的に思えるかもしれないし、さらには、ユノのバスト八十九、ウエスト五十四、ヒップ八十七の黄金比には到底敵わない上に、レダのバスト九十九、ウエスト六十三、ヒップ九十三の爆裂ボインボイン体系のようなエッチさも無いかもしれない……っ!!」

 

「いや、あの……」

 

「だがっ!!! ここは人柄で勝負だ! ボクは色気では他のホステスに勝てないかもしれないが、誰よりも人情的で、義理堅く、友好的だと自負している!! その、アクティブな性格でキミという一人の男性を心で魅了し、そして挙句には恋愛的感情を抱かせるほどの猛烈な好意を抱かせてみせると約束しようっ!! それならば異存は無いだろう!! ということで、さぁ!! ボクと同伴しよう!!!」

 

 バッ!!

 左手を胸の前にやり、右手を鮮やかに差し伸べたノア。高貴かつ自信満々に並べた言葉の数々に、内心の「決まった……!」というセリフが聞こえてくるような少女のサマを目にする。これに、自分は心の中で「断ったら、なんだか可哀想だな……」と呟いていくと、顔色をうかがうようにしながらも自分は頷きつつそれを伝えていった。

 

「分かった。それじゃあ同伴しよっか」

 

「本当かい!!? 恩に着るよ柏島歓喜っ!! ハッハッハ、これでボクはミネよりも先に今月分のノルマを達成できる!! 今回の勝負、ボクが貰ったも同然だな!」

 

「え? ノルマ?」

 

 途端にして、活気に溢れた少女。水を得た魚が如くノアは渾身のドヤ顔を見せてくると、次にも少女は、フンスッといった鼻の穴が広がった豊かな表情を浮かべながらそれを説明し始めてきたのだ。

 

「知らなかったのかい? 柏島歓喜。キミと同伴するとね、普段のポイントに加えて、柏島ポイントとなるボーナスポイントが貰えるのさ!」

 

「え、そうなの? 知らなかった……」

 

 だから皆、やけに俺と同伴したがるのだろうか……?

 今までの彼女らのアプローチに納得さえしてしまった自分と、これまでの彼女らの好意に疑心暗鬼となった複雑な心境。尤も、彼女らの喜んでくれていた姿から、きっとそれ目的だけではなかったと信じたいのだが……。

 

 一年経って、ようやくと知った店のシステム。これに自分が呆然とするように言葉を失っていた中で、ノアはウキウキとしたサマで年相応の喜びを見せながら、かと思えば直後に思い出したように少女はそれを口にし始める。

 

「そういうワケで、柏島歓喜! 後日、ボクと同伴するにあたっての、何処へ外出するかの相談をしよう!! キミが望むならば、密会や逢瀬(おうせ)という形でその時間を設けてもいい! ただし、ボクは今勤務中なものだからね、ボクと共にする有意義な時間は一旦お預けとさせてもらうよ。しかしその分、プライベートではずっとキミの傍についてみせるから、その時にはキミに、同伴先の候補をできれば十個ほど考えてもらって、ボクに提案してもらうつもりだ!! 無論、ボクはその倍、二十個考えてみせるから、その提案し合ったプランを二人で厳選し、同伴の一日の日程に組み込めるだけ組み込んでいこうじゃないか!!」

 

「え?? え??? てか、待って。ノア、俺の接客をするためにここに来たんじゃないの?」

 

「じゃあ、柏島歓喜! また数時間後に会おう! キミとの会話が俄然楽しくなってきたよ! それじゃあまたねっ!!」

 

 ピューン。

 コミカルな効果音を伴いながら、離脱するように走り去ったノア。その、行動力があるというか、どこか忙しないというか、仰々しく喋るサマとは裏腹にアクティブな一面を見せてくる少女のそれに、自分は終始置いていかれる形でこの会話を終えたものだった。

 

 

 

 

 

 それからというもの、自分は事ある毎にノアと会話を交わすこととなる。

 

 昼のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で昼食を堪能する自分。本日は定番のカルボナーラで蕩けるようなひと時を味わっていたところで、ふと視界の隅から顔を覗かせたタキシード姿のノアと目が合った。

 

 ひょっこりと現れて、宝石のような水色の瞳を向けながら期待に満ちた表情を見せてくる少女。キリッとした顔がまた無言で訴え掛けてきたものだったから、自分は一旦フォークを置きつつノアへと話し掛けた。

 

「えっと、同伴のことだよね?」

 

「柏島歓喜、まさかボクの思考が読めるのかい!? さすがは柏島の血を受け継ぎし崇高なる血族! 言葉を介さずとも相手の意図をハッキリと汲み取り、更には尊重することもできるお手本のような気遣いに感動した……!! ボクはキミの感受性に驚かされると共にして、改めて柏島という人間の偉大さを再認識したものだよ!!」

 

「まぁ……何となく分かっただけだから……」

 

「それで、同伴についてなのだがー……」

 

 ノアによる、自身を中心とした会話のテンポにも次第と慣れてきた自分。言葉を遮られてもなお少女を受け入れるように口を噤んでいき、今もワクワクした様子で胸ポケットから紙を取り出したノアと、同伴の予定についてしばらく話し込んだものだった。

 

 

 

 別の日。夜の自宅を一人で過ごしていたところに、インターホンが鳴らされる。

 映像を確認してみると、そこには両手で鍋を持つ三角巾とエプロン姿のノアがいた。これに自分は慌てて扉を開けていくと、そうして向かい合うなり少女は、自信満々な表情を見せながら鍋を持ち上げるようにして、こう喋り出してきたのだ。

 

「柏島歓喜!! 今晩の夕食でお困りかな!?」

 

「え? あぁ確かに、もうそんな時間か」

 

「その反応はつまり、困っている、ってコトだね!? ならばボクが、今晩のキミの面倒を見るとしよう!!」

 

 ちゃんとミトンを着けた両手で、蓋付きの鍋を持ち上げてくるノア。そこからはカレーのスパイシーな香りが流れ込んでいて、食欲をそそるそれに自分は感化されるよう、魅了されるままに尋ね掛けていった。

 

「それってカレーだよね? まさか、わざわざ持ってきてくれたの……?」

 

「遠慮することはないさ! 心配に思う必要もない! 部屋は違えど、ボク達は同じ屋根の下で生活する住人であり、言ってしまえば同居人で、つまり家族のようなものだからね!! 家族は互いに支え合ってこそだろう? さぁ、夕食に困っていた柏島歓喜に、ボクのカレーを恵んであげよう! 気が済むまでたんと食べてくれ!」

 

「あぁ、ありがとう?? あまりにも急でビックリしちゃったけれど、正直すごく嬉しいよ。……あぁ、それ重いでしょ。俺が持つから、ノアは先に部屋に上がってて」

 

「むむっ、ボクをなめないでくれるかな。ボクはれっきとした女の子ではあるけれど、伊達にヤクザの娘をやってるワケではないことを忘れないでもらいたいな」

 

「いやいや、そういうつもりで言ったわけじゃないんだけど……それじゃあ、部屋の中まで運んでもらえるかな?」

 

「それくらいお安い御用さ!! それと、部屋に上がったら同伴の予定を考えようね!」

 

 たぶん、それ目的の接触だったんだろうなぁ。

 内心でそれを思いつつも、快く迎えるように「そうだね。とりあえず入って入って」と言ってノアを部屋に迎えていく。そうしてノア特製の絶品カレーをいただきながら、自分らは同伴の予定についてしばらく話し合ったものだった。

 

 

 

 別の日。ちょっとしたサークルの仲間達と外出していたその先で、ノアから電話がかかってきた。

 

 休日ではあったものの、振替の登校日ということで学校に行っていた少女。しかし、時刻はちょうど下校のそれでもあったため、駅でスマートフォンを取り出した自分は周囲に待ってもらいながら、その着信に応答していく。

 

「ノア? どうしたの?」

 

『柏島歓喜!! 今、どこにいるかな!?』

 

「え? 今はちょっと他の街に出掛けちゃっているんだけど、もうそろそろ龍明に向かう電車に乗るところだったかな」

 

『龍明行きの電車に! つまりキミは、直にも龍明の駅で降りるということだ!』

 

「まぁ、そうなるね……?」

 

『分かった! ありがとう! それじゃあまたねっ!!』

 

「え? あちょっ」

 

 ブツッ。

 切られた電話に、自分は呆然とする。それと共にして、一体何だったんだろうという思いをずっと抱えながら周囲の人間と電車に乗り、直にも龍明の駅に到着してその出口を目指していた時のことだった。

 

 改札を抜けて、サークルの人間と談笑しながら歩いていた自分。その最中にも何気無く視界に入った、腕を組んで柱に寄り掛かる制服姿の美少女へと、自分は何となく視線を投げ掛けていく。

 

 ……ガラス細工のように透き通った銀色のショートヘアー。その時にも、胸元辺りまで伸ばしたもみあげも特徴的である少女の、真っ直ぐでキリッとした眼差しと目が合った。

 

 右肩に掛けていた鞄から察するに、下校したその足で駅に来たのだろう。少女の姿に自分は驚きを隠すことができず、思わず声に出して少女を呼び掛けてしまったものだ。

 

「え? の、ノア!?」

 

「やぁ、柏島歓喜。随分と楽しそうだね。キミが他人と笑い合っているその姿、正直、ちょっとだけ嫉妬しちゃうな」

 

 中性的な顔立ちの、堂々とした顔つきで言葉を口にしたノア。共にしてこちらへ歩み寄ってくると、少女はこの右腕を掴むなり、周囲の人間から引き剥がすように引っ張ってくる。ノアのそれに自分は困惑気味に身を委ねていると、次にも少女はサークルの集まりへとそれを言い放っていったのだ。

 

「すまないね、ボクのオトコが世話になったようだ。あぁ、なに。カレとは別に、特別な関係にあるわけではないのだけどね、ボクは今、カレに用があってここまで迎えに来たのさ。そういうことだから、この先のカレのエスコートはボクに任せてくれたまえ」

 

「ノア。ちょっと……」

 

 ぎゅっ。

 両手でこちらの腕を握りしめ、心なしか頭もくっ付けるようにそれを傾げながら、上目遣いで見遣ってくる。その、今までに見たこともない可憐な乙女アピールを仕掛けてきたノアを前にして、自分は思わずときめいた気持ちのままに、周囲の人間へとそれを伝えてしまった。

 

「……ご、ごめんねみんな。そう言えば、人を待たせていたのを忘れてたみたい。ま、また。またこっちに顔を出すから! 今日は、俺は一足先に上がらせてもらうとするよ! それじゃ……!」

 

 グイグイと引っ張られた腕。ノアが他所へと歩き出したその力に従うまま自分も歩き出し、気まずい面持ちで手を振りつつノアに連行されていく。

 

 駅の中をしばらく歩き、完全にサークルと離れた自分。これにノアは満足そうな顔を見せてくると共にして、腕に引っ付いたその状態で、どこか甘えるような声音で、しかし不機嫌とも見て取れる様相で言葉を口にしてくる。

 

「ダメじゃないか、柏島歓喜。ホステスの監視を付けずに他の街へ出掛けてしまうだなんて、不用心にも程があるよ」

 

「やっぱだめだったかな。周りに人が居てくれているからと思って、今までもこうしてサークル仲間とお出掛けはしてきたんだけど……」

 

「キミを狙う連中も決してバカじゃない。今は、ボク達お店の人間が睨みを利かせているから連中は迂闊に手を出せないでいるだけで、ここは龍明じゃないから狙われない、安心、ってワケではないことも自覚してもらいたいんだ」

 

「心配させてごめんね、ノア。心配をかけたお詫びに何か奢るからさ」

 

 迂闊に口にした、いつもの奢る文句。事ある毎にホステスへと伝えては、調子に乗られて財布が寂しくなるそれを癖のように繰り出してしまったことで、自分は「あっ」と思って少女を見遣っていく。

 

 時すでに遅し。この言葉にノアもまた身を乗り出すように反応を示してくると、次にも少女は小さくピョンピョン跳ねながらそれを口にしてきた。

 

「本当かい!? 同伴の話で会いにきたものだったけれども、キミ、ボクが小腹を空かせていたことにも気が付いて食事を提案できるだなんて、とんだ気配り上手だね!! オンナの些細な変化にも気が付けるオトコはモテるよ! さすがの対応だ、柏島歓喜!」

 

「あーいや、これは完全に偶然だったというか……なんか、まぁいいか」

 

 表情は一転として、キラキラと輝かせた目でこちらを見遣ってきたノア。未だ腕に引っ付いたままの少女に自分は汗を流してしまいながらも、「それじゃあ、ノアの行きたい場所に行こうか」と言葉を掛けたことで、自分らは夕暮れの龍明を巡ることとなったものだ。

 

 

 

 

 

 ノアとの同伴を約束してから数日が経過した。

 もう間もなくと、少女との同伴予定日となる。だが、その内容はと言うと一向に何をするかが定まっておらず、毎日のようにプランを出し合っては話し合ってという繰り返しの日々を送ってしまっていた。

 

 昼のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の出口で、ノアを待つ自分。直にも店の裏から私服姿の少女がひょっこり現れて、自信に満ち溢れた表情で近付いてくる。

 

 久しぶりに見たその私服。腕部分が膨れ上がった黒色と灰色のスタジャンに、前を開けているそこからは水色のTシャツと、ジャラジャラと首にさげたチェーンのようなネックレスが覗いている。身に付けている膝丈までの黒い短パンはメンズものであり、しかし防寒の黒色タイツからうかがえる細身の脚が、どこか女々しさを思わせる。

 

 他、黒色と水色の運動靴に、腰にもジャラジャラと着けたチェーンのアクセサリー。後は、左手の五本指すべてに銀色の指輪が嵌められているそのファッションは、ヤンチャなストリート系を彷彿とさせた。

 

 一見すると、年頃の男の子と思わせる格好。初めて会った際の印象もこの一式だったことから、自分は感慨深い気持ちになりながらもノアへと言葉を投げ掛けた。

 

「ノア、今日もお疲れ様。男性客にも女性客にも人気で、レストランスタッフでも引っ張りだこな一日だったね」

 

「ふふん、ボクにかかればこれくらいお茶の子さいさいだよ。ボクも伊達にホステスやっているワケじゃないんだ。日に日に増えていくボクのファンは老若男女、多岐に渡っていて、そんな性別や年齢を限定しない守備範囲の広さを、ボクは売りにしているのさ。場所も限定しないよ。自宅でも出先でも、山でも海でも何処でもオッケー。他のホステスが気乗りしない昆虫採取の同伴もボクならば喜んでご一緒するし、何なら海外でのバカンスもドンと来いなのさ」

 

「本当、ノアってアクティブだよね。元気な女の子って一緒に居てくれるだけで楽しい気持ちになれるから、ノアを指名する人やファンになる人が増えていくのも、なんだか納得がいくなぁ」

 

「まるで他人事のように話しているけれども、キミだって例外じゃないことを自覚したらどうなんだい?」

 

 ニマッ。口角を上げた微笑みで覗き込み、上目遣いで見遣ってくるノア。そして、鏡のように反射する瞳をこちらに向けながら、少女は決め台詞のようにそれを口にしていった。

 

「ボクのファン第一号。それは、紛うことなき柏島歓喜、キミだろう?」

 

「え?」

 

「そうだろう? そう言ってくれよ」

 

「あぁ、そうだね」

 

「だろう? つまりキミは、ボクらの護衛対象であると同時にして、ボクにとっては、最初にファンとなってくれた記念すべき人間であるということでもあるんだ。これが何を意味するか、分かるかい?」

 

「えっと……?」

 

「特別に、何でもしてあげる。ということだ。……キミが望むならば、ボクはこの身体を捧げることだって厭わないのさ……」

 

 仰々しい物言いから一転して、急に艶めかしい声音を出して寄り添ってきたノア。

 こ、こんなこともできるの……!? 内心で抱いた動揺が、ついつい表情となって表れてしまう。そんなこちらの様子にノアはドヤ顔を見せてくると、次にも腕に絡みついて引っ張り始め、歩き出しながらもそれを口にした。

 

「柏島歓喜。同伴の予行練習をしよう。これからキミは、ボクとデートする。より良い同伴にするためにも、本番に備えてボクと一緒にそこら辺を散歩してみよう。……キミに拒否権は無いよ。だって……たった今、ボクがそう決めたのだから」

 

 リードしてくれる安心感。どこかユノに似たものを感じさせたためか、自分は流されるままに「……は、はい」と答えてしまう。この返答に少女は気分を良くしたように満足げに頷いていくと、仰々しくも凛々しい声音で「それじゃあ、行こうか。ボクに全て任せてくれていいからね」と言い、ノアはこちらをエスコートするように歩き出したのだった。

 

 

 

 昼下がりの路地を歩いていた自分ら。向かう先は特に決まっておらず、行き当たりばったりに進んだ結果、二人は中央の水路が真っ直ぐと伸びる桜並木の道路に辿り着く。

 

 普段は来ない方向の道路。近くに住んでいるのに、全く馴染みの無い景色に新鮮味が生まれてくる。

 昼下がりの穏やかな時刻に散歩する老人や、脇道で会話する主婦達という日常的な光景が展開されているその空間。今も静かな風によって桜の花吹雪が舞う中で、隣を歩いていたノアが同伴についての話題を切り出してきた。

 

「春の風物詩か。ボクとキミの同伴は、お花見でもいいのかもしれないね。今のところの有力候補だと、ケーキバイキング、釣り堀、カラオケ、登山、映画、肝試し、ショッピング、ボルダリング、美術館、シュノーケリング、エトセトラ、エトセトラというプランが挙がっていたものだけれど、意外とこういう身近な自然を満喫する時間も有意義に思えてきて、尚更と同伴で何をするか悩んでしまうものだね」

 

「なんか、所々と疑問に思う案も混じってはいるけれど……ちょうど桜の季節だし、綺麗な花を見に行くお出掛けなんかも良さそうだよね」

 

 二人で交互に出し合ったプラン。前者が自分で後者がノアという繰り返しで提案した出先の数々だが、このどれを同伴に取り入れるかは未だ定まっていない。

 

 この散歩の行き先も含めて、ノアと過ごす時間の大半は行き当たりばったりなような気がした。計画性が無いと言えばそれまでかもしれないが、ノアとのお出掛けは、行動力が旺盛で、柔軟性に富んだ新しいことだらけのお出掛けが楽しめると考えれば、人によっては響きが良く聞こえてくるかもしれない。

 

 これもきっと、ヒイロの影響による『型に囚われない生き方』を真似た結果なのだろうか。何にせよ、自分は計画性の無い、揺蕩(たゆた)うようなお出掛けも苦にならない性質(たち)だったため、ノアとのお出掛けを素直に楽しめているところもあった。

 

 と、そんなことを思っていると、ふとノアは見上げるようにしながら、唐突にこんなことを尋ね掛けてきたのだ。

 

「柏島歓喜」

 

「どうしたの?」

 

「キミは、ボクのことが好きかい?」

 

 え?

 あまりにも急な質問。思わず呆気にとられるように暫し思考停止する中で、ノアは真っ直ぐとした眼差しでこちらを見つめ続けてくる。

 

 ……宝石のようなその瞳には、反射する自分の顔が映っていた。

 とても綺麗で、透き通るような透明感のある少女。抱いた印象を胸に、自分はようやくと思考を働かせてからその返答を繰り出していく。

 

「……恋愛的に好きかと言うと、まだそういった距離感じゃないかもしれない。けれど、人としてなら好きかもしれない……?」

 

「今はそれで十分さ。ただ、そうだね……。もっとこう、キミが照れ臭そうにして、でも勇気を振り絞るように胸を張って、ハッキリと『好きだっ!!!!』と言ってもらえる返答を勝手に期待していたものだったからね。正直、先のキミの返事にはちょっとだけ納得がいかないな」

 

「一目惚れならまだしも、俺達はさすがに出会ってからまだ間もないからね。でも、急にどうしたの? 俺に好きって言ってもらっても、特に得るものなんて無いと思うけど」

 

 何気無く口にしてしまったその言葉。声に出してから、ちょっとマズかったかなと若干後悔してしまう。

 

 だが、こちらの不安とは裏腹に、ノアは清々しい声音でそう喋り出してきた。

 

「柏島歓喜には、人類の国宝とも言えるだろう父親がいた。そんなキミには、他に家族と呼べる人物はいたりするものなのかな?」

 

「家族か。そうだなぁ……母親が幼い時にいなくなっちゃって、それから親父も家を出たっきり、全く帰ってこなくって。俺には兄弟と言える人もいなかったから、家族と言える人物は親父だけだったのかな。……んまぁ、それもつい最近までの話だけどね」

 

「兄弟もいなかったのか。いや、ボクも一人っ子である故に、キミほどではないだろうがその寂しさは多少と共感することはできるかもしれない」

 

 なんだか、しめやかな雰囲気で喋り出したノア。どこか真面目に話す少女の言葉を自分は口を噤んで聞いていると、次にもノアはこちらへ振り向きながらも、年相応の乙女の顔を見せながらそれを言い出してきたのだ。

 

「ならば、柏島歓喜。ボクのことを、妹だと思ってくれてもいいよ」

 

「え? 妹??」

 

「何なら、姉でもいい!!」

 

「え! 姉!?」

 

「ははっ、冗談だ。半分ね」

 

「半分……!?」

 

 終始、振り回されるように返答してしまう。

 こちらの反応に、ノアは面白おかしく微笑していたものだ。そんな少女の微笑むサマに自分もつられて笑っていき、お互いに微笑んだ後にもノアからその言葉を掛けられる。

 

「本音を話してしまうとね、ボクは兄弟と言える存在が欲しかったんだ。家族も、今はオヤジしかいなくて、そのオヤジも常に仕事で手一杯で、ボクにかまってくれやしない。……家族の愛情を受けられない寂しさは、たとえボクのような人間でも身に応える。だから、柏島歓喜。ほぼ同じ境遇にいるキミとは仲良く手を取り合って、そして、まるで本物の家族であるかのように、キミと共にこの先の人生を歩んでみたいなと、ふと、そう思えてしまったのさ」

 

「これは、遠回しの告白……ってわけではないんだよね?」

 

「キミが望むならば、告白として言い直してもいいんだよ?」

 

「お、おおう……めっちゃ堂々としてる……。まぁ、何て言うか……俺としては、とても魅力的な提案ではあったもんだけどさ……これで安易に頷いてヤクザの世界に引き込まれるのもちょっと怖いから、ひとまず返事は保留ということで、ここはひとつ……」

 

「あっははは、キミらしい返答だな。曖昧にしてさり気無く断ってみせたようにもうかがえるが、確かに相手はヤクザの娘、カタギの人間からすれば警戒するのも必然だろう。大丈夫さ、そう無理強いはしない。別に、ヤクザに引き込むつもりもなかったさ。ただ……」

 

 ちょっと俯くようにして、口を噤む少女。ノアの様子に自分は心配に思っていると、少女は再び顔を上げ、こちらへと真っ直ぐ目を合わせながらそれを口にしてきた。

 

「……キミと共に歩む人生というのも、悪い気はしないなと思えただけなんだ。キミと過ごす時間は、ボクが想像していた以上にとても心地良く、それでいて、楽しい。……義兄弟としても、生涯のパートナーとしても、どのような形でもいい。ただ、何かしらの形式でキミと結ばれる未来に少しだけ、淡い期待を抱いてしまっただけなんだ」

 

 清々しい表情で、されど切ない声音でそれを言い切ったノア。少女の言葉を聞いた瞬間にも自分は、ノアという一人のホステスに対して一瞬ながらも純情な好意をよぎらせてしまったものだった。

 

 ……この手でノアを幸せにする未来。それも案外、悪くないのかもしれない。

 ちょっとだけそう思わせた少女のアプローチに自分は、相手がヤクザの娘であることを忘れて本気でときめいてしまった。そんなこちらの心情が表情なりで表れていたのだろうか、次にもノアは初めて見せる照れ臭そうな顔をしながらも、真っ直ぐと投げ掛けた視線で清々しくそれを口にしてきたのであった。

 

「あっははは……っ! なんだか、ボクらしくないね……!! 段々恥ずかしくなってきてしまったよ……! ……柏島歓喜。ボクにとってキミは、家族のようなものなのさ。それが何を意味するか、分かるかい? つまり、キミには……ボクの“アニキ”として、大事な妹分を楽しませる義務があるということだ!! さぁ、同伴のプランについて再び話し合おう! 二人だけで過ごす時間を、より有意義なものとするためにね!」



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第53話 La tentation du bleu clair 《水の誘惑》

 晴天の低山にこだまする、多種に渡る鳥のさえずり。様々な鳴き声が入り乱れる山の中において、自分とノアは息をひそめながら共に双眼鏡を構えていく。

 

 ……見上げた先にある、木の枝の上。そこには小ぶりで丸っこくも、くちばしに向かって若干と尖りのある頭部が特徴的な暗緑色の鳥が存在していた。

 

 枝の上をぴょこぴょこと跳ねるように移動する、小さな生き物。その鳴き声は「チヨ、チヨ、チヨ、チヨ、ピィー」という雛のように甲高くも鋭く響き渡る音であり、その特徴を頼りに鳴き声の主を探していた身として、ようやく見つけたという思いの下でその鳥を眺めていく。

 

 若葉色の緑に囲まれた大自然。低山と言えども植物に囲まれたその空間は、普段テレビなどで目にするジャングルのそれと大して変わらない。そんな、方向感覚も失ってしまうほどの見通しの悪い森の中で、自分は今も隣にいるノアへと言葉を掛けていった。

 

「あれが、センダイムシクイって鳥かな。夏鳥と言われているらしいけれど、今年は例年よりもだいぶ早い時期に日本に渡ってきたとかで、その界隈で話題になっていた鳥だね。……まさか見つけられるだなんて思わなかった。珍しい鳥ってわけではないみたいだけど、いざ実物を目にすると、こう、感動するね……!」

 

 意外とノリノリで楽しめていた自分は、少しだけ興奮気味にそれらを口にしていく。これに私服姿のノアはこちらへ振り向きつつ、双眼鏡を下げながらも清々しい調子で喋り出してきた。

 

「柏島歓喜、キミがボクとの同伴を楽しめているようで何よりだよ。今だからキミに打ち明けられるが、“この提案”を耳にしたキミは、最初こそは苦虫を噛み潰したような顔を見せたものだったから、正直それが気掛かりになって、ボクは今の今まであまり同伴に集中できていなかったんだ」

 

「いや、まさか同伴当日になって『バードウォッチングに行こう!!』と言われるなんて思ってなかったからね……。ごめんね、ノア。否定的な意味でそんな顔をしたわけではないんだけど……」

 

「気にしないでくれたまえ。こうしてキミが、ボクとの同伴を楽しんでいる。その事実こそがボクにとっての報酬であり、喜びでもあるんだ。さぁ、お喋りはここまでにして、バードウォッチングに勤しもうじゃないか! 二人だけで過ごす大自然の空間だ。ボクとキミだけの世界を、心行くまで満喫するとしよう」

 

 透明感ある微笑みで、柔らかいスマイルを浮かべたノア。時折と見せてくる少女の乙女な一面に、自分は心臓が跳ね上がるようなときめきを迸らせてしまっていた。

 

 

 

 

 

 ノアとの同伴当日。自分はこの日、今朝になって少女が唐突に提案したバードウォッチングへと駆り出されていた。

 

 前日まで候補に挙げていたプランは、全てボツとなった本日の同伴。本当に行き当たりばったりというか、思い付きを最優先とする自由なお出掛けに、自分は振り回される形で現地入りを果たしていたものだ。

 

 適当な店で双眼鏡を見繕い、それらしい山があるだろう場所を目指して適当に電車やバスを乗り継いできた長旅。そのためか、此処が一体何県であるかなどもろくに把握などしておらず、しかも、完全にひと気の無い大自然へと迂闊に踏み入れてしまっていたため、後にも自分らはそのツケを払うかのように、同伴とは思えないとある災難に見舞われることとなったのだ。

 

 

 

 

 

 ……根っこが張り巡らされた、不安定な足場を渡り歩く自分ら。道なき道を切り開くように二人で足並みを揃えていた中で、次第と開けてきた視界に希望を見出していく。

 

 サラサラと音を立てる川のそれに、自分とノアは二人して駆け出しながら川辺に踏み入れた。

 先までの晴天が嘘であるような、重苦しい曇天が広がる空模様。太陽の位置も分からない怪しい雲行きの中、自分は川を見つけた安心感でその場に座り込みつつ、頭を抱えるようにしながら改めて今の状況に思い悩んでいった。

 

 ……まさか、バードウォッチングで遭難になるとは……。

 帰り道が分からなくなり、完全に山の中で迷ってしまった自分とノア。安易に踏み入れた大自然の環境は想像以上に過酷なものであり、自然をなめた軽装で来たからか十分な備えも無い状態で、山の中を彷徨う羽目になってしまった。

 

 帰るべき方角自体は、西の方角であることをノアが記憶していた。だが、二人のスマートフォンにはコンパスとなるアプリが入っておらず、また、太陽の位置で方角を確認しようにも、それすらも覆い隠す曇天によって、完全に方向感覚を失うこととなった現状。

 

 通信は圏外。インターネットで現在位置を調べることもできず、大自然の中で途方に暮れていた自分。絶望的状況に気持ちが荒み出した自分はムシャクシャするように頭を掻き毟っていくのだが、一方でノアは軽快な足取りで川の水をチェックするなり、それを手で掬いながらこちらへと言葉を投げ掛けてきたのだ。

 

「柏島歓喜!! この水は安全そうだ! まずは、水分を確保できただけでも救いだと信じよう!! ……帰る手段よりも、まずは生き延びる手段だ。大丈夫さ、ボクとキミは共に生きて帰る。いや、ボクはこの命に代えてでも、絶対にキミを生かしてみせるからね!」

 

「ありがとう、ノア。ノアが居てくれるだけでも、だいぶ気持ちが落ち着いてくるよ」

 

「元はと言えば、これはボクの失態なのさ。些細な悩みにばかり気を取られてしまって、意識を周りに向けることができていなかったボクがいけないんだ。……そもそもとして、ボクがバードウォッチングを提案しなければこんなことにも……。思いつきで行動するばかりではダメなことを、この身を以て思い知らされたものだよ……」

 

 しょんぼりとしたノアへと歩み寄って、少女の肩を軽く叩くようにして慰める。こちらの行為にノアは少しだけ元気を取り戻したようにニッと笑んでみせ、そんな少女と水分補給を行ってから、今後のことを話し合ったものだ。

 

 明日の天気予報によれば、全国的に晴れとなるらしい。そのことから、取り敢えず今日は迂闊に動き回るのを控え、明日の早朝に出てきた太陽の位置から西の方角を判断して、確実に来た道を戻るプランで行こうという方針で定まった二人の意向。

 

 これによって、本日はこの川辺で一夜を過ごすことに決めた自分ら。持ち物はスマートフォンと財布、双眼鏡や紙の図鑑くらいしかない本当の軽装での野宿を覚悟すると共にして、ノアは遭難であるにも関わらず、どこか活き活きとした様子で工作に取り組み出していく。

 

 山の中から持ってきた木の枝と、丈夫な植物のツタとそのトゲで釣り竿を作ってしまった少女。手際の良さから自分は尋ね掛けていくと、ノアは「実は、本格的なサバイバルをしている動画を漁るのが趣味でね!!」と、得意げな表情で答えながらそれを手渡してくる。

 

 で、それで今夜の食料を確保しておいてくれ! と託してくると、次にも少女はウサギのように跳ねるよう川辺の石をぴょこぴょこ渡り歩きながら、付近の森林で木を折り始め、それを骨組みにすることで簡易的な小屋のようなものを作り始めたのだ。

 

 さ、さすがの行動力……!

 手練れとは言えないが、むしろこの状況を楽しむように、鼻歌を歌いながら拠点を作り出した少女の姿。活き活きどころか、まるでキャンプに来たのかのような気楽さすらもうかがえるノアの様子に、自分はどこか心の余裕を持ち始めると共にして、直にも前向きとなった心持ちで任された食材集めに専念していった。

 

 ……とは言え、魚の食いつきが悪かったことから、大した成果を得られずに夕暮れを迎えてしまったその時刻。

 

 黄昏の金色が上空を染め上げて、次第と周囲に暗がりをもたらしていく。暗くなり始めた様子に、自分は一匹だけ釣り上げた魚を持ちながらノアの下へ戻っていくと、そこには木の骨組みと、葉っぱで作った屋根が特徴である、半分だけ出来上がった断面のような簡易的な小屋が完成していた。

 

 二人が寝転がるだけでも精一杯な、とても狭苦しいその空間。だが、雨をしのげる程度には余分に設けられた葉っぱの屋根が少女の努力をうかがわせ、自分は思わず感嘆の声を漏らしながらそれを喋り出していく。

 

「す、すごい……。この短時間で、こんなに立派な拠点を作れるなんて……!」

 

 拠点の中で、膝を抱えるように丸くなっていたノア。こちらの声に少女は反応して振り向いてくると、次にも立ち上がってこちらへと駆け寄りながら、渾身のドヤ顔で得意げにそう言葉を返してきた。

 

「ふふん、ボクにかかればこれくらいお茶の子さいさいだよ! それでもこれは、まだまだ納得のいかない妥協まみれの未完成品でね。もっと時間に猶予があれば、もっと本格的な拠点を作れたと思うんだ!! あぁ、これならばもっと早めに遭難しておけばよかったな……!」

 

「いや、どちらにしてもそれは勘弁だけど……」

 

「それで、柏島歓喜の方はどうだい? 十分な成果は得られたかな?」

 

 ギクッ。

 あまり触れられたくない話題に、自分は渋々といった具合に一匹の魚を差し出していく。

 

 ……ヤマメと思われる、茶色の体色と黒色の縞々が特徴的なその魚。ちょうど握りしめられるくらいの大きさではあるその食料だが、二人分の食事というには些か物足りない成果に、自分は申し訳無さから目を逸らしてしまう。

 

 だが、一方としてノアは、とても大喜びするように仰々しく驚いてみせながら、そんな言葉を掛けてくれたのだ。

 

「すごいじゃないか!!! 柏島歓喜、まさかその釣り竿で本当に魚を釣り上げてしまったのかい!? ボクの処女作であるそれで魚を釣り上げてくれたキミの偉業に、なんだかボクが心から誇らしく思えてくるよ!!」

 

「いや、でも一匹だけだから……」

 

「一匹いるじゃないか!! すごいぞ柏島歓喜! さすがはボクが見込んだ逸材だ! 柏島の血族だけに非ず、キミ自身が秘めしポテンシャルを存分に発揮してくれたこの成果を、ボクは心から敬意を表するよ!! ありがとう!!」

 

「あ、あはは……。そう言ってもらえると、なんか、ちょっとだけ救われたような気がするな……」

 

「ちょっとどころではないさ! キミが釣り上げてくれたこの魚によって、ボク達の命が救われるんだ!! さぁ、キミの成果で贅沢な夕食を作ろう! 今宵の晩餐は、自然の恩恵によってもたらされた慈悲なる水の恵み。その命に感謝して、二人で大切にいただこうじゃないか」

 

 謡うように言葉を口にして、仰々しく、高らかに声を上げながら空を仰ぐノア。だが、少女が見上げるそれは瞬く間に暗くなり、完全に夜を迎えつつある今の状況に自分は恐る恐る尋ね掛けていった。

 

「えっと……それでなんだけど、ノア。この魚を焼いたりする火はどうする……?」

 

 完全に忘れていた。

 迂闊だった。今更と後悔しても遅い火の確保に、自分は再びどん底に叩き落されたかのような絶望を味わっていく。だが、こちらの不安に対してノアは、フフンと鼻を鳴らしながらも、自慢げに自身の尻ポケットから“それ”を取り出してきたものだ。

 

「案ずるな、柏島歓喜。キミを不安がらせないために敢えて黙っていたんだが、実はね、ボクはライターとなる火の恵みを持ち合わせているのさ」

 

「え、用意が良いな!! ……え? なんでそんなもの持ち歩いてるの?」

 

「キミも見たことが無いかい? アニキ分などが口に咥えたタバコに、子分がライターなんかで火を点ける場面を。ボクもそれに(なら)って、常にライターを持ち歩いているんだ。ボクも伊達にヤクザの娘をやっていないからね。オヤジがなめられないよう、ボクもお嬢として相応となる示しを大切にしているのさ」

 

 何というか、少女には少女のこだわりがあるみたいだった。

 とにかく、火の問題は解決した。直ぐにもノアは集めた木の枝に火を点けて、自分はもたらされた灯りの有難みに感謝しながら、魚を枝で刺して焚火へとかざしていく。

 

 一匹の命に火を通し、それを囲うように自分とノアは焚火で温まっていった。

 夜になってからというもの、周囲の気温は一気に下がっていた。桜も舞うその季節であるにも関わらず、凍えるような寒さで震え始めていたこの身体に、ノアが用意してくれた焚火の温もりがじんわりと染み込んでくる。

 

 ……大自然に囲まれた、想定外の過酷な同伴。だが、ノアのおかげで意外と充実感のあるひと時を送れていた自分は、そんな少女と寄り添いながら一匹の魚を二人で分け合って食べたことで、腹ではなく心が満たされる夕食をいただいたものだった。

 

 

 

 

 

 食事を終え、ノアが作ってくれた小さな拠点で身を寄せ合っていた自分ら。

 パチパチと音を立てた焚火の仄かな灯りに照らされて、それでも冷え込む夜の気温に対し、互いの体温で暖を取るようにしていく二人。今も、地面に敷いた葉っぱを布団の代わりにしてこの日を何とかしのごうとしていたのだが、そんな最中にもノアとこんなやり取りを交わしていた。

 

 睡眠をとるべく、二人で横になっていく自分とノア。拠点に収まるよう二人で丸くなりながら寝転がったのだが、ふと少女はこちらに背を向けると、次にも穏やかな声音でそれをおねだりしてきたのだ。

 

「柏島歓喜。後ろからギュウッとしてくれ」

 

「ギュウ? 抱き付いても大丈夫なの?」

 

「今はそんなことを気にしている場合じゃないだろう? 尤も、危機的な場面に瀕していなくとも、ボクは柏島歓喜に抱かれることは大歓迎だけどね」

 

「しれっと、とんでもないこと言ってくるんだよなぁ……。それじゃあ、まぁ……お言葉に甘えて」

 

「あぁ、ギュウッとしてくれ。なるべく二人で温もりを共有し合えるように、しっかりと、力強く、熱烈にね……!」

 

 むぎゅうっ……。

 後ろから抱き付く形で、少女の小さな身体に腕を回した自分。こうして抱き枕の要領でノアを抱き締めていくと、直にもこれによって得られた体温で充実とした余裕が生まれ始め、自分も、ノアも、互いのそれを意識するように、一層と密着するよう身体をくっ付け合ったものだ。

 

 ……少女の後頭部に頭を寄せていく。これにノアは照れ臭そうに微笑しながらも、ちょっと恥ずかしそうにその言葉を口にした。

 

「柏島歓喜。その、あれだ。……ボク、臭くないかい?」

 

「臭い? どうして?」

 

「まぁ……拠点を作る際に汗をかいてしまったんだ。その……ボクの汗臭いニオイで、キミに不快な思いをさせたくなくてね……」

 

「全然気にならないよ。いつものノアの、なんかこう、無機質な感じの香りがする」

 

 正直に言ってしまえば、ちょっとだけ汗臭かった。

 頭皮や肩から香ってくる少女のそれに、自分は心に留めながら感じていく。だが、別に不快な気持ちになることなんか一切なくて、むしろ、頑張った証でもあるその香りに、どこか安心感を抱いていた自分がそこにいた。

 

 いや、満足感……?

 これ以上は、自分が変態になりそうだからやめておこう。思考を停止した自分はただただノアのそれを受け入れつつ瞼を閉じていき、安心するように穏やかな呼吸を行っていく。そうして朝の太陽を待つべく心を無にしていると、次にもノアはこちらの回した腕に手を添えながら、呟くようにこれを喋り出してきたのだ。

 

「……温かいな。キミと共にする時間は、心から安らげる。これからは、毎晩のようにキミの部屋へお邪魔して、一緒に寝るのもアリなのかもしれないね」

 

「そうしたら、お布団の場所の取り合いが一層と激しくなりそうだな。ほぼ住み着いてるようなラミアやメー、レダやシュラの四人がさ、常日頃から寝る場所を巡った戦いを繰り広げているもんだから、そこにノアも加わったら部屋が更にすごいことになりそうだ」

 

「あっははは、愉快でいいじゃないか! ……本当に、いいな。楽しいよ、毎日が。ヤクザの世界だけが、ボクの居場所だと思っていたはずなのに。店に来てから、ボクの世界は開けるように広く、そして、明るくなった」

 

「ノアの生き方に、新しい可能性が生まれたってことだね。人生はまだまだこれからだ」

 

「そうだね。ボクの人生はまだ、序章すら迎えていなかったということなのかもしれない。……ようやくと立つことができたスタート地点だ。未だ計り知れない雄大なるこの世界において、ボクはどのような素晴らしい景色を眺めることができるのだろう。今にも控えた、未知なる出会いの数々が心から楽しみで仕方がないよ」

 

 悟るような、それでいて静かに高揚した調子で、穏やかにそれを喋ったノア。これに自分は、回していた手で少女をあやすよう優しく叩きかけていく。

 

 直にも、少女からは寝息が聞こえてきた。

 いつもの平然さは取り繕っていただけで、裏では相当疲れていたんだろうな。少女の苦労を労わるように、自分は小さな声で「お疲れ様、ノア」と口にする。そして自分も次第と巡ってきた睡魔に意識を委ねると、一瞬にして暗くなった視界と共に深い眠りへと(いざな)われたのであった。

 

 

 

 

 

 まず、結論だけ言ってしまえば、自分達は無事に生還することができた。

 翌日の早朝にも、ノアから叩き起こされることで目にした朝の日差し。川が流れ往く先の地平線から射し込んだそれに自分は急ぎ立ち上がっていくと、顔を覗かせた太陽の球体を二人で迎え入れるように佇みながら、次にもノアとハイタッチを交わしたものだった。

 

 太陽は東から出てくる。ということはつまり、その反対方向が西の方角だ。

 帰るべき方角がハッキリと分かった。直ぐにも身支度を済ませた自分らは駆け出すように川の上流を目指し始め、そしてしばらく走ること三十分ほどだろうか、山の入口とも言えるバス停乗り場に到着した瞬間にも、自分らは生還を果たした安心感でホッと深い息をつきながら共に喜び合い、既に感慨深い気持ちに浸りながらバスの到着を待ち始めた。

 

 そして、乗り継いだ電車の中。龍明行のそれの中で隣同士のイスに座る自分とノアはこのような会話を交わしていく。

 

「ノア、当初の目的からはだいぶ外れてしまったもんだけどさ、何だかんだで充実とした同伴になったような気はするんだ。……実を言うとさ、あのサバイバル生活、ちょっとだけ楽しかったなって、今だからこそそう思っちゃったりするんだよね」

 

「それは本当かい!? この際だからボクも打ち明けるとね、柏島歓喜と過ごした昨日のひと時に、ボクも充実感とも言える心が満たされるものを感じてしまえていたんだ! 嬉しいなぁ。キミと感性を分かち合えるこの喜び。まさに、計画性の無さが生んだ悲劇! ならぬ、奇跡だね! ……強いて言えば、あの場にドラム缶でも落ちていれば完璧だったかな」

 

「ドラム缶風呂か! いいねそれ! ロマン溢れるなぁ。やってみたかったかも……」

 

「ふふっ、どうやらボクとキミの波長はとてもよく似ているみたいだ。なぁ柏島歓喜。キミが望むなら、よければまたボクと遭難してくれないものかな?」

 

「いや、さすがにそれはちょっと……」

 

「ははっ、冗談さ。半分ね」

 

「半分は本気だったかぁ~……」

 

 何気無いやり取りを交わし、二人で寄り添い合いながら電車に揺られていた自分ら。この汚れ切った服装は周囲のひと目を引き付けてしまいながらも、龍明に到着した安心感から自分とノアは、心から安堵するように弱った笑みを見せ合ったものでもあった。

 

 

 

 

 

 ……その後というもの、駅で待っていた私服姿のユノの、鬼のような形相で腕を組みながら堂々と佇む威圧的なそれを前に、自分らは血の気が引く感覚を覚えたものだ。

 

 今までに見せたことのない、真剣があまりに彫りが深くなった顔。目の下のくまが彼女の心配を想起させ、それは連絡がつかなくなったこちらに対して抱いた、極度の緊張感による形跡とも言えたことだろう。

 

 ずかずかと歩み寄るユノが、こちらに対しては表面だけ繕ったような微笑で、「柏島くんの御身が無事で、本当に、心から安心したわ。……運命の悪戯で死する者も存在するこの世界において、こうして生きて帰ることができた極小の奇跡に私も感謝しなければならないわね」と口にしてくる。

 

 それから彼女はノアを見遣るなり、不気味なほどに低い声で、今にも喰らいつきそうな鬼の顔をしながら「ノア。元凶である貴女に話があるわ。拒否は認めない。私と共に来なさい」と言い、彼女はゆっくりと踵を返して店へと向かい始めた。

 

 ……一瞬だけ。一瞬だけ、当時の葉山組組長の顔が出てきたような気がする。

 全身の感覚が警告を促してくる身体の震え。目にしたそれに自分は石のように固まって動けなくなってしまうのだが、今もその先では、助けを乞うようにこちらへと眼差しを投げ掛ける、弱々しい表情のノアがユノに連れていかれていた。

 

 さすがに、放ってはおけないな……。

 この後にも、自分はユノに同行の許可を貰ってから、その当事者として少女の傍についた。それからしばらくの間、落雷に怯える子犬のような状態のノアに自分は寄り添い続けたものでもあった。



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第54話 Crocs cachés, orange carnivore 《隠し持った牙、肉食の橙》

 昼のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で食事を終えた自分が、通路を抜けてエントランスに踏み入れていく。そうして、真っ直ぐとした足取りで出口を目指していたその最中にも、奥のカウンターにいたタキシード姿のハオマから、このような言葉を掛けられた。

 

「あ、カンキくん! おーい! こっちこっち!」

 

「え? あぁ、ハオマさん。どうかされましたか?」

 

 無邪気に手を振って呼び掛ける彼女のそれに、自分は尋ねながら歩み寄っていく。その間にもハオマからは、ニヘラ~と微笑むサマで「あーいや、見かけたから呼んでみただけだよー」と言葉を掛けられたことから、自分はちょっと癒された気持ちになりながら「そ、そうですか……」と返答したものだ。

 

 彼女曰く、『私はLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の中だと最年長になるんだよね~』とのこと。以前のやり取りでも三十路であることが明かされた彼女だが、それでもなおハオマという女性と会話をしていると、どのホステスよりも若々しいものを感じ取れてしまって仕方が無い。

 

 ハオマの下へと歩み寄り、カウンター越しに向かい合っていった自分。今もほわほわとした天真爛漫な笑顔を浮かべる彼女に見惚れるよう視線を向けていると、次にも彼女は口を三角形のようにしてハッとしながら、急にキリッとした表情でそれを問いかけてきた。

 

「カンキくん、これでお帰りになられますかな!?」

 

「まぁ、そうですね。俺に何か御用でしょうか?」

 

「はい、御用です! このあとヒマなら、私のお昼ご飯に付き合ってもらえると嬉しいな~とか思ったりして!」

 

「お昼ご飯、ですか」

 

「お昼ご飯です! 私、これでお仕事上がるんだけど、一人で食事するのも寂しいなぁ~と思って、カンキくんを誘ってみました! どうかな、私とのお昼ご飯!」

 

 キリリッ。気楽な敬語でハキハキと喋るハオマの勢いに押されるように、自分は快く頷いていく。

 

「俺でよろしければ、ぜひご一緒させてください。ただ、俺は先ほどこちらで食事を済ませてしまいましたので、話し相手くらいにしかなれないと思いますが……」

 

「あぁいいっていいって、だいじょーぶ! 心配ナッシング! 一緒に居てくれるだけで嬉しいから気にしないで! それじゃ、着替えだけ済ませてくるからね!」

 

「分かりました。ゆっくりで構いませんから」

 

「おぉ、お気遣いどうもです! それじゃお言葉に甘えまして、このハオマ、ゆっくりと着替えて参ります!」

 

 ビシッと敬礼を行ったハオマ。彼女の様子に自分が汗を流していく間にも、彼女は「それじゃあ、ちょっとだけ失礼しますっ」と言いながらこの場を後にして、関係者以外立ち入り禁止の扉を開いてその姿を消していった。

 

 閉じられた扉の音と、その先へと響かせた彼女の靴音。遠ざかるそれに何気無く耳を澄ませていた自分はこの時にも、彼女から感じ取れるギャップの要素に萌えのようなものを抱いてしまっていたものだ。

 

 

 

 

 

 店の前で待つこと十分ほど経過しただろうか。スマートフォンで周辺のオシャレなカフェなどを探す自分がそれに熱中していると、店の裏からはヒールの靴音を鳴らすハオマが駆け寄ってきた。

 

 そう言えば、私服姿のハオマは初めて見るかも。初見であるラフな姿に自分は心をときめかせながら振り向いていくと、そこには想像以上に若々しく映える彼女の姿が視界に入ってきた。

 

 ジレという、ベージュ色でミドル丈のアウター版ベストに、ドレスのような質感の白色ブラウス。そして、暗めの赤いクロップドパンツに黒色のハイヒールという、非常に大人びたスリムなシルエットが、健全な色気を放ってくるその格好。

 

 一目にして、自分は熱いものを心に覚えた。

 

 ……あれ、可愛い……? いや、カッコいい……? いや、綺麗……?

 思考が困惑する、ハオマの柔和な存在感。灰色の手提げバッグを持つ彼女がカツカツとヒールを鳴らしながら歩み寄ってくると、さすがはホステスと言うべきか動揺するこちらを瞬時に見抜き、ハオマは一気に距離を詰めるように顔をこちらへ近付けながら、無邪気に微笑んでみせたのだ。

 

「おまたせ~カンキくん。……むむ! その顔、もしや私に惚れてしまったかな!?」

 

「え? まぁ、そうですね。今、けっこう、相当、かなりキてます。惚れそうです。惚れかけてます。もう少しで惚れゲージがマックスになりそうです」

 

「おほー、最近の若者はゲージって言葉を使うんだぁ。なんかゲームみたい。勉強になるなぁ。……で、そのゲージ、あとどれくらいで満タンになりそう?」

 

「完全に落としにかかってますよね……? そうですね……男という生き物は本当にチョロいので、あとは一緒にお食事をして、距離感が自然と縮まってしまったらもう、完全にハオマさんに恋してしまいそうな勢いですよ」

 

「むむむっ、もう一息ってとこだね! ならお姉さん、ホステス経験者としてもうひと踏ん張りの本気を見せてあげちゃおうかな! カンキくんに告ぐ!! 今の内に、私に貢ぐお金を用意しておきたまえー!!」

 

 いや、なんだこの会話は。

 腕の袖を捲る仕草を交え、ハオマはやけに張り切った様子で気合いを入れ出していく。彼女の豊かな言動に余計と魅了される中で、ハオマは次にも無邪気に笑い掛けながら手を差し伸べて、日向(ひなた)のように柔らかな温もりを帯びた声音で、そう(いざな)ってきたものだった。

 

「それにしても、カンキくんも物好きだねぇ~。こんなおばさんに惚れちゃうとかさぁ。さっきのも、ただのリップサービスとかだったりする? それならそれで嬉しいけどね。私もまだまだ若い男の子に口説かれちゃうくらいには現役かぁって思えるし! ……さぁさぁ! 口説き合いは一旦置いといて、今は一緒にご飯を食べに行くぞ~!! 私もうお腹ペコペコ。だから、このハオマ。今だけオンナを忘れて、お昼からガッツリ大盛りでいかせてもらいますっ!!! カンキくん!! 私オススメのしゃぶしゃぶ専門店にいざ、レッツラゴーだー!!」

 

 

 

 

 

 仕切りで区切られた席の並び。中央に鍋が置かれたテーブルで向かい合う自分とハオマは、タレや野菜、薬味などを用意した万全な状態でお肉を迎えていく。

 

 運ばれてきた、豚のロースやバラ肉、牛カルビの生肉。本能的に食欲をそそるそれらに自分らは目を輝かせていくと、鍋の中で二つに分けられたそれぞれの空間で、一緒にお肉をしゃぶしゃぶして堪能していった。

 

 ハオマから教えてもらった、ポン酢と刻みオクラを合わせたダブルコンボ。これに悶えるよう声を漏らす自分が美味に浸っていると、次にもハオマから無邪気にその言葉を掛けられた。

 

「おぉ~! 良い食べっぷり! カンキくんほんとに良い顔して食べるねぇ! ……あぁぁ~、いいなぁ。男の子がお肉を美味しそうに食べてる姿って、どうしてこんなに可愛く見えるんだろう」

 

「なんだか、食べてる様子をまじまじと見られるのはちょっと恥ずかしいですね……」

 

「ああぁそうだよね!! ごめんね!! お姉さんに気にせず、どんどん食べて食べて!!」

 

 熱い視線を向けてくるハオマに対し、ちょっと照れ臭そうにそう口にした自分。これに彼女は慌てて手で催促してくるのだが、再び食事に集中し始めた自分へと、再度と投げ掛けられた温かい眼差しがやはり気になってしまい……。

 

 ……チラッ。上目で確認する自分。これによって彼女と目が合っていくと、今度はハオマの方が申し訳無さそうに苦笑いを浮かべつつ、それでも彼女は頬杖をついたその姿で、食事を行うこちらをまじまじと見遣り続けてきたものだ。

 

 他人が食事している様子を眺めるのが好きなんだろうか。

 向けられた眼差しはまるで、実家に帰ってきた息子の食事を見守るお袋のよう。ハオマの柔和な微笑みがそれを思わせて、今もうっとりとした目で見遣る彼女の様子に、自分は食べ辛さと気恥ずかしさの両方を感じてしまう。

 

 ……それにしても、ハオマさんも美人さんだなぁ。

 ついつい、何気無く眺めてしまった彼女の顔。そうしてお互いに視線を合わせていくと、直にも柔らかく微笑んできたハオマが、ゆっくりと首を傾げながらも無邪気にその言葉を投げ掛けてきた。

 

「あはは……ほんとに、私のことは気にしなくていいからね。何なら、今日は私の奢りにしてあげる! だからその分、カンキくんの食べてる姿をしばらく眺めさせてもらえないかなぁ? ……可愛い男の子が美味しそうにお肉を頬張る姿がね、私にとっての大好物みたいなものなんだ。そういうワケだから、お願い! お金は払うから、どうか仕事終わりの私に癒しと尊さをお恵みください!!」

 

 途端に、両手を合わせて頭を下げてきたハオマ。

 なんともまぁ、彼女の思考は読みにくい……。そう思いながらも自分は、これが彼女のためになるならばと考えた末に、「奢りはともかくとして、俺の食事している姿でよろしければ、まぁ……」と答えていく。

 

 すると、ハオマは盛大に両手を上げながら「え!! ほんとにいいの!? え、やった。ありがとう! ヤッター!!! 神様ーッ!!!」と全身で喜びを表してきたため、自分は内心で「世の中にはいろんな人がいるなぁ」と悟るように思いながら、しばらくと食事を行うサマをハオマに見せ続けたものでもあった。

 

 

 

 

 

 お腹いっぱいだったにも関わらず、意外とたくさん食べてしまえたしゃぶしゃぶ。支払いはハオマのお世話になってしまったため、自分はお礼を述べながら彼女と共に店を後にする。

 

 で、これで解散かと思いきや、このあともヒマならちょっと寄り道しない? とハオマに提案されたものだった。これに自分は快く頷いたことで、この日にもハオマとは同伴のようなひと時を過ごすこととなる。

 

 ダーツやビリヤード、ボウリングやローラースケートなどの様々な施設が用意された遊技場。二人きりの親睦会という名目で訪れたエンターテインメント空間において、自分らは夜になるまで大人げなく存分にはっちゃけたものだ。

 

 過去にホステスを経験しただけはあって、同伴者とも言えるだろうこちらをリードしてみせたハオマのエスコート。それは、喉は乾いていないか、お手洗いは平気かなどの些細な気遣いをはじめとして、彼女は柔和な雰囲気でこちらの手を優しく引きながら店まで連れていき、年上としての責任感からか、受付から何までのすべてを自ら引き受けていく積極的な姿勢が目立っていく。

 

 そして、店内においては子供のようにはしゃぐ姿を見せてきた彼女。ダーツではへっぴり腰で投擲する様子が可愛く見えてきて、ビリヤードでは手に持つキューでこちらを小突いてきたりと軽いノリを披露してくる。ボウリングでは、片手で持っていたボールの重量に振り回されるようにフラついていたり、ローラースケートにおいては恐怖と興奮の悲鳴を上げながら、共に滑るこちらにリードされる形で楽しんでいた様子だった。

 

 とにかく大はしゃぎだったハオマは、休憩としてイスに座っていたこちらへと小走りで駆け寄りながら、ニッコニコの笑顔で買ってきたスポーツドリンクを差し出してくる。それを受け取っていくと、彼女も「どっこいしょ」と言いながら隣に座ってきて、無邪気に微笑みながら「楽しいね~!」と話し掛けてくれるのだ。

 

 ホステスとしてのリップサービスなどではなく、どんな人間との交流も心から楽しめるタイプの人なんだなと思わされた彼女の調子。良い意味でも悪い意味でもお気楽で健気な彼女は子供のような素直さを持ち合わせており、背を伸ばして頑張る姿は頼りになる反面、かえって守りたくなる場面も所々と見受けられる。

 

 子供のまま成長した大人。これでは響きが悪く聞こえてしまうかもしれないが、それだけハオマという女性は健気で明るい乙女であるとも言える。そんな、自らも言うように店の年長者という立場でありながらも、取り繕わないありのままの自分で勝負する彼女の姿勢から、自分は次第にもハオマという女性に心が惹かれ始めていたような気がした。

 

 ……さすが、ユノさんと並ぶ実力者だっただけはある。

 自分がこの人を守らねば……。女性としての強さと、女性としての弱さを両方曝け出した彼女という存在に、男として謎の使命感を抱いてしまう。そうして彼女の横顔に見惚れるよう視線を投げ掛けている間にも、ハオマはどこかうずうずとした様子で周囲を見渡しながら、「カンキくんも楽しめてるー?」なんて尋ね掛けてきたものだ。

 

 ニヘラ~と笑うハオマから、小動物のような心温まるものを感じていく。これに少しだけ頬を赤く染めてしまった自分は、照れ隠しのように視線を逸らしながらも「そ、そうですね。ハオマさんとの同伴、めちゃめちゃ楽しめています」とそんなことを口走ってしまった。

 

 それを耳にしたハオマは、微笑しながらこの言葉を口にしてくる。

 

「あはは、同伴かぁ~。懐かしいなぁ。私もこうして、いろんな人とお出掛けしたりしたっけなぁ。今でもそう言ってもらえると、私もまだまだ現役だな~って思えたりしてくるよー」

 

「あぁいや、その。これは同伴ではありませんでしたね。すみません、錯覚しました」

 

「別に謝ることはないよ! むしろ、カンキくんに『俺、同伴してる!』と錯覚させることができたのは、ホステスをやっていた身として普通に嬉しかったというか、自信になったっていうか。まぁそんな感じで、イヤだなんて思ってないからね! ……えへへ、あとで荒巻さんに追加のお給料でもせびってみようかな~。カンキくんと同伴してきました! ボーナスください! って! それでほんとにお金出たらどうするー? 二人で焼肉にでも行っちゃおっか~!」

 

「いいですねそれ。頼りにしてますよ、お姉さま」

 

「お、おねえさま……っっ!!!! カンキくん、私の扱い方が分かってきたみたいだね。おぬしもワルよのぉ~」

 

 そう言って、肘でこちらを小突いてきたハオマ。表情も非常に豊かであり、衝撃を受けた白目のガビーンッという顔から、ジト~っとしたニヤけた細目の芸当も行ってきたりと実に多種多様。

 

 見ていて飽きない彼女の様子に、自分は微笑しながら応えたものだった。そうして自分らはエンターテインメント空間で色々な遊戯を満喫していき、夕暮れを迎えた時刻になってからというもの、店を出た足でそのままカラオケ店にも立ち寄ったりもした。

 

 そこでは、女児向けアニメの主題歌などを熱唱するハオマの姿を見ることができた。

 何となくテレビで観たそのアニメが、とても面白く感じられたそう。これをキッカケに女児向けアニメにハマったハオマは、今では歴代ヒロインの変身シーンのポージングやセリフを全て覚えたりなどの、マニアックな知識を披露したりしながら、関連する歌を歌ったりしていた。

 

 大人げなく、全身全霊でキラキラとした夢のある歌詞を熱唱する彼女。ここまで振り切っているとかえって清々しく、自分もハオマの勢いに乗るように合いの手を入れたりなどして、ハオマとのカラオケは盛り上がりをみせたものだ。

 

 こちらも全力を尽くした、ハオマとのお出掛け。彼女も息切れするほどに疲れ切った様子で共にカラオケ店を後にし、それじゃあそろそろお開きにしようかという話が出た時にも、自分はハオマとこのようなやり取りを交わすこととなる。

 

 ……喉も枯れてしまった。二人で夜の龍明を歩く中で、心底からの充実感が巡ってくる心地良い疲労に浸るようそんなことを思っていく。こうして暫し会話を交わすことのない静かな空気が漂うのだが、次にもハオマは朗らかな顔をしながら、やんわりとした調子でそれを喋り出してきた。

 

「今日はたっくさん楽しいことをしたね~! いやぁ、年甲斐もなく久しぶりにはっちゃけて、なんかカンキくんに恥ずかしい姿を見られちゃった気がするよ~」

 

「そんなことはありませんよ、ハオマさん。楽しむことに年齢は関係ありませんから、俺でよろしければまたご一緒させてください。そして、ハオマさんの楽しそうなところを俺に見せてください」

 

「あんな姿を見ても引かないなんて、寛容だね~カンキくんは。……そんなこと言われちゃったら、年下の男の子なのにちょっと意識しちゃうじゃんかぁ」

 

 急に、どことなく色気を伴った声音で、勿体ぶるように口にしてきたハオマのそれ。彼女の言葉に自分は「え?」と振り返っていくと、その瞬間にもハオマに身体を押され、ちょうど通り過ぎようとした横道へと引きずり込まれてしまったのだ。

 

 ひと気の無い路地裏に踏み入れた自分ら。今もハオマに連れられるようにその道を進んでいくと、しばらく進んだところで彼女は立ち止まり、こちらを壁に押し当てながら急接近してくる。

 

 一体、何がなんだか。現在の状況に困惑した自分が言葉を投げ掛けようと、口を開いていく。だが、次にもこちらの襟を両手で掴んできたハオマに引き寄せられると、その開きかけた口は彼女の唇によって塞がれ、唐突な口付けを交わし合うこととなったのだ。

 

 ……非常に手慣れた、ハオマのテクニック。咀嚼するようなキスは惹かれ合うように離れることがなく、一定の間隔を刻む彼女の濃厚なそれによって、オスの本能が心底から掻き立てられていく。

 

 これまでに感じたことのない高揚感。急激に上がった心拍数で沸騰しそうになった脳みそが、こちらの思考を奪い去る。

 

 何て、天にも昇るような気持ち良いキスなのだろう。

 場数を踏んだ熟練のテクニックは一瞬にしてこちらのハートを虜にし、もう、ハオマという性的な女性にしか意識が向かなくなる。そんな、彼女の突発的なアプローチによって骨抜きにされていく中で、直にも互いの唇は名残惜しむように離れ出し、今も目の前で艶めかしい視線を向けてくるハオマと向かい合った自分は、ただただ呆然と佇んでしまう。

 

 ……もっと、してくれないものだろうか。

 無意識にも、ねだるような視線を投げ掛けていた自分。こちらの様子にハオマは意地悪するように微笑んでみせると、次にも彼女は襟を優しく引っ張りながら、大人のフェロモンを醸し出す恍惚な表情でそれを言ってみせたのだ。

 

「あまり、私をその気にさせない方がいいよ? 私、カンキくんのような、可愛いと思わせてくれる男の子が大好物だから……」

 

「……ハオマさん?」

 

「もっと欲しそうな目をしちゃって、子犬みたいで愛らしいなぁ。そんなに、さっきのキスが気持ち良かった? そう思ってくれていたら嬉しいなぁ。だって、カンキくんのような若い男の子を夢中にさせるために、男を落とすテクニックを頑張って磨いてきたんだもん。……私だってあのお店のホステスだったから、男の落とし方くらい心得ているんだよ?」

 

 香ってきたメスのフェロモン。彼女の年齢がそれを一層と醸し出し、発情期特有の魅惑な色気を演出してくる。

 

 柔らかい雰囲気で癒しを与えてくれる人だ。そんな認識を大いに覆す肉食の姿を目の当たりにして、自分は未だ追い付かない思考でハオマを見遣り続けていく。その間にも彼女は再び唇を近付けてきたものだったから、今度は自分から迎えるようにこちらから接近し、ハオマの妖美なそれを咥えるようにして熱烈なキスを交わし合っていった。

 

 こちらから抱き寄せて、発情した年上の女性を包み込んでいく。そして抱き抱えるようにしてディープな口付けを行っていき、必死に食らいつくように彼女の唇に執着して、それを貪るようにしながら、自分はその牙を隠し持った妖艶なる女豹との行為に浸っていったのであった。

 

 

 

 

 

 完全に陽が落ち、夜の時刻を迎えた帰り道を辿る自分ら。アパートに到着すると、初めて招き入れるハオマというお客様へと手で入室を促しながら、自分は玄関扉を開けていった。

 

 共にして、奥からは二名のホステスが顔を出してきた。それぞれ、ラミアとレダ。二人とも寝間着姿の完全なラフの状態でこちらを迎えてくるのだが、思わぬ客人にラミアとレダはちょっと驚きつつも、先輩であるハオマを歓迎して部屋へと招き入れていく。

 

 ……ここ、俺の部屋なんだけどな。

 とても久しぶりに抱いたような気がするその言葉。これを思いながら自分も部屋に入り、扉を閉めて鍵をかけていくのだが、その最中にも顔を覗かせたラミアがそんなことを口にしてきたのだ。

 

「あれ、カンキさん。腰のベルト緩んでますよ??」

 

「え? ベルト?」

 

 ラミアの言葉を耳にして、視線を下げていく自分。するとそこには、だらしなく垂れ下がったベルトがウミヘビのようにぷらぷらと揺れており……。

 

 ……一瞬だけ、心臓をキュゥッと引き締めた自分。これにラミアは首を傾げながら、ジト目でそれを伝えてくる。

 

「ハオマさんから少しだけお話をうかがいましたよー。なんでも、お二人さんでデートをキメてきたみたいじゃないですかー。ズルいですよ、ホント。ウチらが大変な思いをして働いている間、お二人さんはイチャイチャとお出掛けを楽しむなんてー」

 

「ごめんごめん。俺、ハオマさんとは出会ったばかりだったから、今日のお出掛けは親睦会も兼ねてのものだったんだよ」

 

「ふーん?? まー、別にイイですけど。……それよりもですよ。まさか、ハオマさんとのおデート中、ずっとそのベルトでそこらを歩き回ってたんですか?? だとしたら、滅茶苦茶ダサいですよカンキさん。そんなんじゃ、カンキさんの部屋に泊まり込んでるウチらの面目が立たないじゃないですか。ウチらの面子を保つためにも、もっとしっかりしてくださいよ??」

 

「分かった、次からは気を付けるよ。……いや本当、ベルトをこんなにしてダサかったな俺」

 

 ぷらぷらと垂れ下がるベルトを眺めながら、呟くように口にした一言。何気無いそれを聞くまでもなく、言いたいことを言い終えたラミアが部屋へと戻っていく光景を横目にして、自分はベルトを眺めながらも先ほどまでの行為を思い返してしまっていた。

 

 ……ヘビの行為が如く、路地裏で絡み合った自分とハオマ。そこでは、子種を産み付けんとばかりに接近した男女が身体を寄せ合い、全身からフェロモンを出し合いながらも濃厚なキスに没頭する構図が展開されていく。

 

 それは、白熱するあまりに本番直前にまで至ってしまっていた。

 ベルトを外し、履物を下げた自分。これを見たハオマも求めるように自らクロップドパンツを下げると、セクシーな青色のショーツに指を掛けて、自身の聖域を晒してきたものだ。

 

 露わとなった、オレンジ色の密林。手入れが行き届いた三角形に、年齢による熱を帯びたそれが一層もの興奮を煽ってきたことで、自分は本能のままにそそり立つ“モノ”を彼女の“入口”に押し当てていく。だが、そうして彼女の太ももの隙間を抜けるように数回と運動を行い始めた時にも、来た道からは一人の男性の声が響き渡ってきたのだ。

 

 急に聞こえてきたそれに、二人で我に返るようハッとする。共にして急ぎで物陰に身を隠していき、先まで自分らがいた場所で酔っ払いの男性が嘔吐し始めたそれを耳にする中で、自分とハオマは共に向かい合いながら、二人で気まずく視線を逸らしたものだった。

 

 ……あのまま行為を続けていたら、もしかしたら取り返しのつかない事態になっていたかもしれない。

 道具も着用しない無責任かつ衝動的なそれに、今となっては反省ばかりが巡ってくる。だが、一方でハオマのテクニックで骨抜きにされていたことから、できるならば、あの続きをしたいなと心のどこかで願ってしまってもいた。

 

 ……さすが、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の稼ぎ頭だっただけはある。思い出しただけで鼻血が出そうになった自分は慌てて鼻を抑えていき、今も脳みそが沸騰する感覚で静かに悶えながらも、ティッシュを使用するべく部屋へと足を運んでいく。それからというもの、ハオマが今日ここに泊まっていく話になったことから、自分は居合わせたホステス共々、最大限のおもてなしを提供するべくお客である彼女に尽くしたものであった。



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第55話 Un affichage passionné 《熱烈なディスプレイ》

 夜の龍明。ひとり穏やかな時間を過ごしていた中で、この沈黙を破るかのように玄関扉が開かれた。

 

 鍵を開け、勢いよく部屋に入ってきたシュラ。共にして、快活な声音でそれを口にしてくる。

 

「ニーチャンただいまーーーッ!!! 夜這いしに来たでーーー!!!」

 

「おかえり、シュラ。あと、その言葉はできるだけ扉を閉めた後に喋ってくれないかな?」

 

 こんなやり取りに慣れてしまった自分が恐ろしい。

 全く動じることなく、平然と歩き出しながら彼女を迎えていく。そうして玄関まで迎えに行くと、そこには緑色のキャップを被り、だらしなく着こなした膨らみのある緑色の肩出しパーカーと、へそ出しで背中の開いた黒色のキャミソールに、黄色のショーツをチラ見せする、ボタンが開いた青色のホットパンツという大胆な私服姿で佇んでいたものだ。

 

 久しぶりに見る、シュラの私服。首に掛けた緑色のヘッドフォンがヤンチャな印象を演出してくるその格好で、彼女は薄い黄色のヒールサンダルを脱ぎ散らかしながらこちらへと駆け寄ってくる。そして、「ニーチャン、ぎゅうー!」と言いながら飛び掛かるなり、勢いをつけて飛び込んできたシュラを全身で受け止め、その場で横に一回転しながら彼女を抱き締めていった。

 

 懐に潜り込み、頬を擦りつけながら「ニーチャン……ニーチャン……」と甘えてくるシュラ。いつものそれに自分も頭を撫でることで応えていくと、彼女はニヘヘと微笑みながら心地良さそうに収まってきた。

 

 普段であれば、これで元気を取り戻したシュラが再始動と共に快活なサマで振る舞ってくる。だが、今日に関しては一段と甘えん坊な様子であり、自分が不思議に思って見下ろしていた最中にも、顔を上げてきた彼女と目が合うなりそんなことをねだられたのだ。

 

「ニーチャン、チュー」

 

「チュウ?」

 

「せや! ニーチャン、チュー!」

 

 太陽のように微笑み、口付けをおねだりしてきたシュラ。共にして彼女は目を瞑ると、こちらの返答を待つことなく乙女の表情を浮かべながら、こちらの唇を静かに待ち始めた。

 

 途端にして、健康的な色気を醸し出してきたシュラのアプローチ。今も待ち望む彼女の様子に自分は少しだけ興奮を覚えていくと、次にも優しく抱き寄せるようにしてシュラを近付けてから、包み込むような柔らかい口付けをこちらから行っていった。

 

 ……もしかしたら、シュラとのキスは初めてだったかもしれない。

 彼女とのファーストキスは、あまりにも自然な空気感によるものだった。その口付けも、欲情的と言うよりは挨拶のような軽やかなものであり、互いの唇の表面で跳ね合うような軽快な接吻を、数回に渡って繰り返していく。

 

 心地良いとは別の、元気が出てくる魔法のおまじない。脳に直接、栄養素を注入させられたかのような幸福感が巡り出す感覚を覚えていくその中で、軽快に唇を離した自分らは共に見つめ合い、照れるというよりは二人で分け合ったそれを確かめ合うように、頬を赤く染めながら微笑んだものだ。

 

 軽く抱き合い、頬をくっ付け合っていく自分とシュラ。そうして二人の挨拶を終えていくと、次にもシュラはハッとしながらこちらを離れ、廊下の冷蔵庫へと駆け寄りながらそれを口にし始めてきた。

 

「せや! 宅配の荷物、受け取ってもろてありがとぉ! お昼に、急に連絡して堪忍な」

 

「いいよいいよ。一応、万が一のことを考えてってことで、部屋にいたメーが受け取ってくれたんだ。……それにしても、この部屋宛てに荷物が届くってことにも驚いたけど、それ以上にその荷物が生ものだったことにビックリしたよ」

 

 自分が喋っている間にも、シュラは冷凍庫から箱を取り出して、そのまま部屋のテーブルへと運んでいく。これに自分も歩み寄っていくと、シュラは持ってきたカッターで箱に切り込みを入れて、おもむろにそれを開けていったのだ。

 

 溜まった冷気が噴出し、白いモヤの奥からは無数の食料品が姿を現してくる。だが、その正体を知ってからというもの、自分は感極まる静かな驚きで思わず唖然としてしまったものだった。

 

 ……透明な袋に包まれた、大量の品々。それぞれ、既にカットされた状態の色鮮やかなピンク色のズワイガニに、艶やかな赤色が集結したイクラ醬油漬。更には、瑞々しい黄色のバフンウニが詰められたパックなどの、豪華な海鮮達が姿を現してくる。

 

 高級食材として名を連ねる豪華なラインナップを目にして、自分は理解が追い付いた瞬間にも目が飛び出そうな勢いで驚いてしまった。そんなこちらの反応にシュラは機嫌を良くすると、彼女は快活な声音でそう説明し始めてきた。

 

「どや、すごいやろ! 全部、ウチの金で買うた一級品やで!! せやけど、この量ウチだけじゃ食べきれへんと思うたからな。ニーチャンらにも手伝ってもらおうと思うて、宅配先をココにしたんや。事前に言うの忘れとったわぁ、すまんなぁニーチャン」

 

「え、いやいや! え、別にそれはいいんだけど。え、どうして。なんで、急にこんな高級品を大量買いしたの……?」

 

「んまぁ、何て言うんやろ。正確に言うとなぁ、買うたというよりもお礼でもろたんや。ニーチャンも聞いたことあらへん? ふるさと納税ってやつや」

 

「あぁ、ふるさと納税! とすると、これはその返礼品ってやつか! 納得!」

 

「せや! そゆこと!」

 

 こちらの納得に、とびっきりの笑顔を浮かべながら指をパチンッと鳴らしてきたシュラ。快活に微笑む彼女のそれを内心で可愛いと思いながらも、自分は届いた品々を間近で眺めながら喋っていく。

 

「すごいなぁ。話には聞いていたけれど、実際に届いてみると思った以上に量が多くてビックリだよ。でも、急にどうしたの? ふるさと納税をやってみようって思い立ったの?」

 

 箱を覗き込むこちらの懐に潜り込んできたシュラ。懐いた飼い犬のようにくっ付いてきた彼女は、両腕の間からひょっこり顔を出しながら喋り出してくる。

 

「ウチ、前に副業しとること話したやろ? オ〇ニー配信でガッポリ稼いどるって」

 

「そうだね。アダルトサイトで動画を投稿したり、生配信したりしてるよね。俺も一人で部屋にいる時なんかにシュラのアカウントを覗いたりしてるよ。ランキングにも載ったりしてて、すごい人気あるよね」

 

「ニーチャン、ウチの動画確認してくれとるんか!! めっちゃ嬉しいわぁ! ありがとぉ!! ……で、ほんで稼いだ金は募金なんかに使っとるとか話したと思うんやけど、覚えとる?」

 

「覚えてる。お金を本当に必要としている人達に使ってもらうために、収益なんかで稼いだほぼ全額のお金を募金してるって。月に百五十とか稼いでるんだっけね。それで、一緒にいたラミアが驚いてたような記憶があるよ」

 

「せやせや! なんちゅうか、それこそが金の本来の在り方っちゅうんか? とにかく、ウチはウチの幸せのために金を使うんやなくて、その分の金で本当に困っとる人達に使うてもろた方がええなと思っとるんや。……で、その人助けの延長線っちゅうことで、ふるさと納税にも挑戦してみたんや。ほしたら、こないに豪華なお礼がついてきよった!! 稼いだ金で人助けができる上に、お礼としてウマい飯が届けられる! ほしたらその飯でニーチャンらが喜んでくれるやろ? もう、幸せの永久機関や!!!」

 

 意気揚々と語るシュラの考えに、自分は「そこまで考えているなんて、さすがだよシュラ」と言葉を口にしながら彼女の頭を撫でていく。そうすると、シュラは無邪気に微笑みながら懐でうっとりするように寄り掛かってきたものだったから、自分は彼女を受け止めるようにして抱き抱えながら、後ろのベッドに寄り掛かっていった。

 

 飼い犬を愛でるように、彼女の頭や腹をわしゃわしゃしながらじゃれていく。これにシュラは背伸びをしながらキャッキャと喜んでくるものだったから、自分はより一層と愛でるように彼女のあちこちを撫でていき、心行くまで存分に戯れた。

 

 今も自分は、頬を指で(つつ)いてムニムニと彼女の弾力を楽しんでいく。そんなこちらの戯れに、シュラは全身をうねうねしながら喜びを見せてきた中で、自分は頬を優しく摘まんで引っ張りながらそれを話し出していく。

 

「シュラ。俺のことも含めて、いつも周りの人達を大切に想ってくれてありがとね。でも、これでシュラが疲れちゃったら元も子もないからさ。たまには自分にご褒美を買ってあげたりして、自分のことも大切にしてあげてほしいな」

 

「なんや、ニーチャン。ウチのことを気遣ってくれとるんか? めっちゃ嬉しいわぁ……! そないに優しい言葉を掛けられてもうたらウチ、もっとニーチャンのことが好きになってまう……! ニーチャン……好きやぁ。大好きやぁ。ウチ、ニーチャンが好きすぎて軽率に爆発してまうわぁ……っ!!!」

 

「爆発まではしなくてもいいけど……。俺もシュラのためになることをしてあげたいからさ、何か要望があれば俺に言ってよ。そうしたら、できる範囲でシュラに尽くしてみせるから」

 

 頬をムニムニしながら喋る自分。これにシュラは一瞬だけ思考停止した唖然の表情を見せてくると、次にも即座に思い付いたのだろうそれを伝えてきたものだった。

 

「っ、せやったらニーチャン。ウチ、ニーチャンに生オ〇ニー見てもらいたい!!!」

 

「え? 生オ〇ニー??」

 

「せや!! 動画や配信なんかの形式やない、正真正銘ガチの生オ〇ニーや!!!」

 

「が、ガチの生オ〇ニー……??」

 

 言葉通り、自分が致しているところを見てもらいたいということなのだろう。

 すぐに思い付いた要望が、まさかの変態的趣向に基づくものとは……。個人の性癖は決して否定しないものの、いざ自分がその立場に立たされるとさすがに複雑に思えてきてしまう。

 

 自分から言い出した以上は、彼女の希望に沿ってあげたい。そこから自分は、念のため「えっと、シュラのオ〇ニーを見届ければいいんだよね……?」と尋ね掛けていくと、これに対して彼女は、パァッとした明るい表情で「せやで!!!」と返してきたものであったから、自分は今から心臓をドキドキさせて、なんだか気恥ずかしく思い始めてしまっていた。

 

 ……一応、互いの大事なところを求め合うオーラルな行為自体は、シュラとも経験済みだ。

 初詣に行った日、二人で股の聖域に口を近付け合ったあの場面を思い出し、当時の昂りが巡り出してくる。この羞恥が顔に出ていたのだろうか、ちょっとだけ視線を逸らしたこちらの様子にシュラは悪戯に微笑みかけてくると、次にも彼女は快活ながらも恍惚とした表情で、甘い声を出しながらこれを口にしてきたのだ。

 

「なぁ、ニーチャン……。ウチの大事なトコが、ヒクヒクしながらぎょうさん悦んどるところ、ニーチャンにナマで見てもらいたいんや。……ぶっちゃけるとな、動画撮る時なんか、ニーチャンに見てもらっとるトコを想像しながら収録しとるんやで? ウチ、ニーチャンに見られとるシチュをオカズにしてガッポリ稼いどるんや。せやさかい、今まで頑張ったご褒美っちゅうことで、ウチの今までの妄想を現実にしてくれへんかな……? これからも、その金で高級な飯ぎょうさん食べさせたるから。お願い、ニーチャン……」

 

 鼓膜に優しく響く、甘美なる猫なで声。小動物のように瞳をキラキラさせたシュラのそれを目にしてからというもの、自分はその時に巡ってきた高揚感に静かな興奮を覚え始めていた。

 

 興味が無いと言えば、それは嘘になる。

 シュラが一人で致している姿を生で見てみたい。自分のことを妄想しながら、一人で快楽に浸っていく彼女の淫らな様子を見届けてあげたい。脳裏によぎる欲望がそう訴え掛け、悶々とよぎるこの思考に支配されてしまう。そうして、今もおねだりしてくるシュラの頬に両手を添えていくと、次にも自分は淀みない調子でハッキリとそう答えてみせたのであった。

 

「……別に、シュラが一人でシているところを見たくないわけじゃないんだ。むしろ、気になるよ。すごく気になる。そして願うなら、実際にお目にかかりたい。……今度、見せてくれないかな。俺に見られながら気持ち良くなっている、シュラの恥ずかしい姿をさ」

 

 

 

 

 

 後日、自分は上機嫌なシュラと共に龍明の街へと赴いた。

 春の陽気が暖かな、雲一つ無い晴天の下。昼の街を行き交う人々に揉まれながら歩き進める自分らは、手を繋いだ状態でデートのようなお出掛けを楽しんでいく。

 

 本来の目的は、今も私服姿のシュラが右肩に掛けている、クリーム色のトートバッグの中に入れられていた。そこに詰め込まれた撮影用の機材と、ゴロゴロと音を立てる大量の“大人用玩具”の数々が、中身を知るこちらに生々しいものを感じさせてくる。

 

 ……中は見えていないものの、これで外を歩くのは恥ずかしくないのかな。

 軽快な笑顔で、ルンルンと繋いだ手を振るシュラの姿。左利きである彼女の手を取ってそれに委ねていた自分が、ちょっと気まずい表情で彼女の横顔を眺めていたその最中。二人で何気無く表通りの歩道を歩いていると、次にも見知らぬ男性からこの声を掛けられたのだ。

 

「あの、もしかして“トリシュラさん”っすか?」

 

 掛けられた声の主へと、二人で振り向いていく。するとそこには、黒色のニット帽にロゴだらけのパーカーという風貌の、十代後半と思われるストリート系の金髪男性が佇んでいたのを確認できた。

 

 自分の隣にいるシュラを眺める男性。これに彼女は繋いでいた手を離し、彼へと歩み寄りながら快活に返事を行っていく。

 

「お! なんや、ジブンもウチのこと分かるんかいな!! その呼び方からして、ジブンも動画を観たクチやろ? せやろ?」

 

「その声、その喋り方。やっぱトリシュラさんなんすね! うわぁ、すげぇ美人……。マスクあっても綺麗な人だなって思ってたんっすよ。あ、おれ、モナカ王チョンボっす。いつも配信でコメントしてる」

 

「ジブンがチョンボかいな!! 毎度おおきに!! えらい古参が来てくれはったなぁ。ウチのチャンネルの登録者数がまだ二桁くらいの頃から、ジブン配信観に来てくれとったやろ。ほんまおおきにな! せや、視聴者サービスっちゅうことで、特別にハグしたる!! いつも“お供”にしとった娘の生ハグや。宝物にしぃや!」

 

 互いを知る仲なのだろう、打ち解けたような空気で会話する二人。そしてシュラは、露出の多い私服姿で彼をおもむろに抱き締めていくと、彼はとても幸せそうな顔をしながら「ど、どうもっす……!」とお礼を述べていった。

 

 これに、気分を良くするシュラ。だが、ハグを終えた彼はこちらへ視線を投げ掛けてくると、ちょっと顔色をうかがうようにシュラへとそれを尋ね掛けたものだ。

 

「っす。こちらの方は、トリシュラさんの彼氏さんっすか。……そりゃ、トリシュラさんにも彼氏くらい居るっすよね」

 

「カレシ? ちゃうで? こっちのは、ウチのニーチャンや」

 

 え?

 いつもの呼び方ではあったものの、ナチュラルにその言葉を口にしてきたものだったから、自分は一瞬だけ唖然としながらも機転を利かすように「どうも、兄です……」と喋り出していく。

 

 これを耳にしたシュラは、パァッと晴れやかな表情を見せてきた。で、目の前の彼もまた、なんだか安心した様子で「そ、そうだったんすね!! お兄さんなんすか!!」と明るく返答してくる。

 

 トリシュラ。彼の言うその名前は、アダルト動画サイト上におけるシュラのユーザーネームでもあった。トリシュラという名前で活動を行う彼女のそれは、今やそのサイトにおける人気配信者として名を馳せている。

 

 それにしても、マスクをして顔を隠していてもなお顔バレするんだなぁ。

 今も、彼と親しげに会話するシュラを眺めながらそう思った自分。その間にもシュラは、自身がLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で働いていることを彼に伝えていき、指名してくれれば特別なサービスもしてあげるといった宣伝も行っていた。これに彼は嬉しそうにしながら最後に握手を交わしていくと、満足そうにシュラと別れてから、どこか浮かれた足取りで歩き去ったものだった。

 

 彼の背を見送るシュラ。太陽が如く明るい声音で、「毎度おおきに~!! “息子さん”の世話もほどほどにな~!!」とお礼を告げていく彼女を自分は見遣っていると、すぐにも彼女はこちらへと振り返るなり腕に抱き付いてきて、こちらに身を委ねながらそれを口にしてきた。

 

「待たせたなぁニーチャン。プロフィールに龍明在住って書いとるから、たまにあるねんな。ウチがトリシュラやって気付いたファンが、声掛けてくるっちゅうこと」

 

「いいよいいよ、気にしないで。それにしても、シュラが世界的にデビューしているなんて、なんか俺が誇らしく思えてくるよ。……まぁ、内容が内容だけどさ」

 

「ニーチャンは、ウチがこないな活動しとることに不満持ったりせぇへんの? 不純やー! 汚らわしいー! みたいなこと、思ったりせぇへん?」

 

「うーん、その人にはその人の人生があるから、犯罪でもない限りは、他人の趣味に対して特に何か思ったりはしないかな。ただ、あれだね。こうして一緒にいる女の子がヤラシイ目で見られると、ちょっとだけ気になったりするかもしれないな」

 

 シュラを抱き寄せるようにして、抱え込んでいく自分。これにシュラは意外そうな顔を見せてくると、次にも彼女は穏やかに微笑みながら、こちらに寄り掛かりつつ安心した声音でそれを喋り出してきた。

 

「サッパリしとるニーチャンが、そないにウチのこと思うてくれるの、めっちゃ嬉しいわぁ。……アカンなぁ。ニーチャンに優しくされてもうたらウチ、子宮やクリちゃんが疼いてきてしゃあないわぁ。ニーチャン、はよホテルいこぉ。ウチの恥ずかしいトコ、ニーチャンにぎょうさん見てもらいたくなってしもたわ」

 

 

 

 

 

 シュラに導かれるまま、昼間から来店した大人の休憩施設。高級感あふれる上品な金色のエントランスに、漂うピンク色のムードが大人の世界を演出してくる中で、自分らは受付カウンターにいたスーツ姿の男性とやり取りを交わし、部屋の鍵を借りてから、二人は意気揚々と個室へ向かい出していく。

 

 一直線に伸びる、宮殿のような金色の廊下。敷かれた絨毯や壁のペナントは赤色と黄色の豪華な二色で統一されていて、まるでアラジンのような世界観を彷彿とさせてくる。それをシュラと共に歩み進めていくと、直にも到着した個室の扉を開いた自分らは、二人揃ってその中へと踏み入れていった。

 

 部屋に入った瞬間にもこちらを出迎えた、黄色と白色の二色で彩られた豪勢なその内装。石の床は天井を反射するほどピカピカに磨かれており、花柄の白い壁紙が高潔さをうかがわせてくる。

 

 中でも一番の目玉と言えたのは、部屋の奥にあった大きなまん丸のベッドだろうか。羽毛のような純白のそれは二人で寝るのに十分なスペースが確保されており、また、それを覆うように閉めることができる透明なカーテンが、一層と王室のような印象を強めてくる。

 

 アダルトサイトに載せる動画の撮影を行うため、今日は奮発して良いホテルに来てしまった。リッチな気持ちで訪れたそれに、自分は圧倒されるようにしばらく周囲を眺め遣ってしまう。そうして自分が足止めを食らっている間にも、シュラは慣れたサマでベッドに乗り掛かり、提げていたトートバッグを下ろしてから、彼女はおもむろにその中の道具を取り出し始めていった。

 

 撮影用のカメラや三脚、黒色のマスクやピンマイク。他、プレイで使用するマッサージ器具やピンク色のバイブレーターだったり、男の“ソレ”を模した玩具や胸の吸引器など、シュラは多種多様な道具を次から次へと取り出しては、それらをベッドの上に並べていく。

 

 ……なんか、中々にエグい光景だな。

 替えの際どい黒下着や、汗拭きシートも並べていく様子。この調子で彼女はそれらの道具を取り出していくと、次にもシュラはカメラの準備を行いながら、こちらへとそう喋り掛けてきたものだ。

 

「一応、ウチはカレシいない設定でやっとんねん。設定っちゅうか、ほんまにおらんのやけどな。せやけど、万が一、ニーチャンが映り込んだら勘違いされるかもしれへんから、ニーチャンはカメラの映らんトコで、なるべく物音を立てんように、ウチの撮影現場を見守っててほしいんや」

 

「分かった。まぁ、シュラと向かい合う形で、カメラの外にいればいいかな。ベッドの上に居てもいいかな? なるべく、近い距離でシュラを眺めたいからさ」

 

「もー、ニーチャンのえっちー。そないなこと言われたら、余計に興奮してまうやんか。もう、今履いとるパンツが既にぐしょぐしょやねん。持ってきたパンツに着替えんと、最初からぐっしょり濡れた状態でオ〇ニーする羽目になってまうわ」

 

「それもいいんじゃないかな。何なら、着替えるところから撮影する?」

 

「着替えから撮影かいな! それもええかもなぁ! 着替えシーンを入れるのは、今まで思い付かへんかった! ……オトコの視点はほんま参考になるわぁ。さすがは変態ニーチャンやな」

 

「それ、褒められてるのかどうか分かんないな……」

 

 汗を流しながら、複雑な表情で返答した自分。その間にも準備を進めていたシュラは、カメラを装着した脚立を片手に「っしゃあ!! ほな今から撮影するで~!!」と宣言するなり、彼女はその私服姿による“一人行為”を開始していった。

 

 

 

 

 

 …………粘り気のある湿気を伴った、指で水を掻き分ける音。今も高速で運動する彼女の左手が“空洞内”を刺激していくと、マスクを着けていた彼女は間もなくとして、小動物のような甲高い鳴き声を発しながら、自身の腰を持ち上げるほどの強い痙攣によって達していった。

 

 ……その様子を捉えるカメラ越しに、彼女の変わり果てた姿を見届けていく自分。元から高まっていた内なる興奮は肥大するように全身を駆け巡り、撮影開始時点から、自分の“息子”はずっと背伸びし続けてしまう。

 

 ギンギンに膨張させた男の本能。まるで、おあずけを食らっているかのようなもどかしさ。

 今も目の前では、全裸となった食べ頃の彼女が快楽に浸り続けていた。それも、彼女は自身でマッサージ器具の振動を押し当て始め、好きなポイントを的確に揉み解すことでちょっと大げさに声を上げていたものだ。

 

 映えのため、その嬌声には演技も混じっていた。だが、普段見せている太陽が如く快活なサマとは一転とした、小動物の鳴き声のような耳に響く甲高いその声は、男の本能をくすぐってくると同時にして、彼女を知る者として今までに聞いたことがない可愛らしい声音に、一層もの興奮を覚えてしまう。

 

 キャンキャンと、子犬が吠えるような鋭い音。この嬌声を上げながら快楽に浸る姿がオスの欲求を掻き立て、今すぐに彼女へと飛び込んで愛でたくなるその愛らしい様子を前に、自分は辛抱堪らんという思いのまま、ついつい己の下半身へと手を伸ばしてしまう。

 

 ……音を立てないよう、慎重な手つきでベルトを緩めていく。そして、ゆっくりと下ろした履物から“ソレ”を取り出していくと、自分は膨張したソレに手を掛けて、控えめな動作で運動をし始めた。

 

 一瞬にして、脳天に快楽が分泌された感覚。つんざくような快感が全身に行き渡るそれに自分はひとり痺れていると、直にもこちらに気が付いたシュラは暫しこの様子を眺めてから、付近にあった男性の“ソレ”を模した玩具を手に取るなり、己の“中”へと突っ込み始めたのだ。

 

 彼女の視線は、こちらに釘付けとなっていた。瞳にはハートのような模様もうかがえるそれに自分も運動を速めていくと、次にも共に向かい合ったその状態で、互いに自ら満たし合うという光景が展開されていく。

 

 摩擦の音が一層と速まり、水を掻き分ける音も一段と激しくなる。既に飛沫を描きながら水浸しとなったベッドと、機材にも付着していた彼女の聖なる“それ”がうかがえるこの空間において、自分は今もこちらに見せつけてくる彼女の姿に極限の興奮を覚えたまま、フィニッシュに備えた追い込みを行い始めていった。

 

 もしかしたら、擦る音が入っていたかもしれない。

 だが、もう我慢できない。荒げた息を抑え、我慢に我慢を重ねた自分が苦悶の表情で彼女を見遣っていく。その必死な視線を向けられた彼女もまた脚を開いてあられもない姿を晒してくると、玩具の出し入れを速めると共にして、マスクをずらしつつ間隔の短い甲高い喘ぎ声を出しながら、シュラは絶叫するようにその言葉を口にしていったのだ。

 

「に、ニーチャ……ぁん。ウチ、嬉しいっ。ニーチャンが、ウチを使うてくれとるのっ。もっと、ウチのこと見てほしいねんっ。ウチの全てを、ウチの全部を、ニーチャンに知ってもらいたいんやっ。……ニーチャン。ニーチャぁん。ウチ、ニーチャンのことが好きっ。好きやねんっ。好きぃ。大好きやぁぁ。せやから、一緒にいこぉ。ウチと一緒にぃ。ウチと一緒にぃぃぃっ!!!!」

 

 キャンッ。甲高い声と同時にして、詰まった水が一気に噴き出した眼前の光景。

 こちらへ降り掛かった噴水は、人肌の温もりを帯びていた。それも、盛大な勢いによる飛距離を伴っていたために、まるでバケツの水を被せられたかのような感覚で、自分は彼女の快楽を体中に浴びていく。

 

 また、カメラのレンズに飛沫が飛び、彼女を捉えていたその画面は覆い隠されてしまっていた。その上、果てた彼女の痙攣がベッドを揺らし、この振動によって三脚ごとカメラが倒れてしまう。

 

 横になり、ベッドにめり込んだカメラ。これによって画面が黒一色に染まっていくと、映らなくなったそれの脇を通り抜けるように、自分もまた溜めに溜め込んだ欲望を思い切り噴射していったものだ。

 

 全てを出し切るように、全身の筋肉で噴き出した生命の熱。空を切る鈍い水の音を部屋に響き渡らせて、それをベッドの上に大量と撒き散らしては、自分は果てるようにうなだれていく。

 

 ……荒げた息による、肩で行った必死の呼吸。その最中にも、内心では「やってしまった」という焦燥からなる緊張感が巡ってきており、暫しとその状態で呼吸を整えてから、自分は恐る恐ると視線を持ち上げていく。

 

 ……そこには、白濁の熱を浴びた仰向けの彼女が存在していた。

 腹やへそ、胸や首筋、そして顔に飛散した白色の一直線。とんでもない飛距離を噴射した“それ”をまじまじと見つめていく中で、疲れ果てて寝転がっていた彼女は直にも“それ”を左手でなぞりながら、とても幸せそうに微笑してみせたのだ。

 

 拭き取ることはなく、浴びたそのままの状態で暫し天井を仰ぐシュラ。そして、寝息のように穏やかな呼吸を行いながら、彼女は呟くようなしっとりとした声音でそれを口にしてきた。

 

「…………ウチに付き合うてくれてありがとぉな、ニーチャン。ウチ、ニーチャンの熱に包まれて、今めっちゃ幸せやぁ。……またシようね、ニーチャン。見せ合いでも、本番でも。うちと一緒に、気持ち良いこと、シよ……」

 

 ……その時だけ、シュラの喋り方に変化が見られた。

 彼女の果てた姿に、自分は無言で頷いていく。それを見届けたシュラは力なく微笑んでいくと、彼女はそのまま眠りにつくように、静かに目を瞑っていった。

 

 ベッドの上では、粘り気のある透明な液体と、ドロドロとした白濁の液体の二つが入り混じっていた。この光景を目にした自分は改めて先の見せ合いを思い出し、その余韻に浸るような気持ちを抱きながら、眠りについた彼女の傍まで移動したものであった。

 

 

 

 後日、シュラは一部分を編集したその動画をサイトに投稿。シュラの熱情的な行為とセリフはブラコン動画として瞬く間に人気を博し、それで得た収益によって、アパートの自宅には再び高級な返礼品が届けられた。



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第56話 L'impératrice parle 《女帝はかく語りき》

 夜の時刻。アパートの自室において、自分はラミアとの“営み”に励んでいた。

 

 天井に灯る照明の下、ベッドを激しく揺らしながら運動を行っていく。そうして肉を打ち付ける音を響かせていると、直にも正常の向かい合う体位で快楽によがっていた全裸のラミアが、全身の緊張と共にして快感の痙攣を引き起こしていった。

 

 抑え切れずに漏れてしまった彼女の嬌声に、自分は一層もの興奮を覚えていく。それ故か、今も最高潮に達する彼女が呼吸を荒くしていたその最中にも、自分は行為を止めるどころか更なる運動を働きかけてしまった。

 

 幾度と身体を重ね合わせてきたその回数と、既に二時間にも及ぶ運動によって、彼女の身体を本能で理解しつつあった。そこから来た勘が続行を即決すると、次にも最深部を目指した深々と突き刺さる一撃のそれらによって、ラミアを更なる快楽へと(いざな)っていく。

 

 速度を緩める代わりに、突き当たりまで進行したこちらの“モノ”。全身に巡っていた快楽に、追加で上乗せするよう与えられたこの刺激によって、ラミアは収まらぬ快楽に無意識と身体を反りながらそれを叫んでみせたものだ。

 

「あっ、ああぁぁっ、カンキさんっ。ヤバいですッ。ソレ、ヤバいですっっ」

 

 両手で鷲掴みにした、彼女の華奢な腰。無心で運動を行う自分の様子に、彼女はこちらに届かない自身の両手を必死にバタつかせていく。

 

 もう止まれない。心臓に火が点いたような、本能からなる衝動が自分を突き動かしてくる。そして、速度を速めるとほぼ同時にして、己に溜め込んだ欲望を余すことなく、彼女の最深部へと吐き出していった。

 

 彼女の内部で響き渡る、細い管から噴き出した鈍い音。

 全身の筋肉が引き締まり、全力を振り絞って植え付けていく。そうして己の欲望を全て出し切っていくと、自分は力尽きたように目の前の彼女へとうなだれて、今も恍惚な表情で天井を仰ぐラミアの身体へとゆっくり圧し掛かっていった。

 

 力尽きたこちらを、抱擁で受け止めてきたラミア。彼女は未だ収まらぬ荒い呼吸で見下ろしていきながら、子種を捧げたこちらをあやすように背中をトントンと叩いてくる。

 

 共に果ててもなお、繋がり合っていたその状態。今も入口からはドクドクと熱が溢れ出してくる状況の中で、直にも起き上がった自分は小さな身体のラミアを抱き抱えていくと、次にも二人して汗だくだったその姿で、熱烈なハグを交わしていった。

 

 ……自然な流れで口付けを行い、ベッドの上でくっつき合う男女が欲望を共有し合っていく。そうして熱気とニオイがこもった空間で互いの唇を堪能していたのだが、その最中にも突如として、おもむろに玄関扉の鍵が開けられたのだ。

 

 ギクッ。思わず身体が跳ね上がる自分。ラミアは特にこれといった反応を見せずに玄関へと視線を投げ掛けていく中で、その先からは勝気なメーの声が響いてきた。

 

「たっだいま~!! メー様の帰還だぞー。部屋にいる皆の衆、この私を歓迎したまえ~! …………んぉ、このニオイは~……」

 

 スンスン、と鼻を鳴らすメー。そして、途端にもドタドタと部屋へ上がり込んでくるなり、目撃した光景に猫のような目をした私服姿の彼女は、玩具を見つけたかのような面白げな表情を見せながらそれを口にしてくる。

 

「おや? おやおやおやおや?? これはこれは、お楽しみの真っ最中でしたかな?? 私、お邪魔だったかなー? あは、ごめんあそばせ~」

 

 ププッと笑みを含めた、悪戯に頬を膨らませたメーのからかう視線。これに、全裸だった自分は焦燥で「ま、待ってくれメー!! これは、その」と何故か誤魔化そうとしてしまう。

 

 で、同じく全裸だったラミアは、今も股から熱を溢れさせながらも平然としたサマで、脇に佇むメーとそんな会話を交わしていった。

 

「お気になさらずー。イマ、ちょーど終わったトコですから」

 

「ほぉーん? そうー? 遠慮なんかしなくてもいいのに~。……それで、どうだったよ。今日もカンキ君絶好調だった?」

 

「絶好調どころか、ゲキヤバでした。カンキさん、ウチのコト知り尽くしてきてますね。伊達に回数をこなしてませんけど、セ〇クスレスどころか、する度にウチの満足感が増してきてるような気がします。こんなお手軽に、お家で性欲を発散できるのはホントに助かりますからねー。カンキさん、また次もお願いしますよー」

 

「へぇ、辛口なラミアがこんなに絶賛するなんて、カンキ君やるじゃーん。……ねね、せっかくだから次は私の相手してよ。今日は特別に、私の尻も使わせて進ぜよう~」

 

 そう言って、メーは小悪魔風な視線を向けながらこちらの身体を揺すってきた。

 彼女のアプローチに、自分は疲労を引き摺りながらも「それじゃあ、お言葉に甘えて」と答えていく。それから抱え込んだラミアをベッドに下ろしていき、“モノ”に垂れていた“熱”をティッシュで拭き取ってから、既にベッドの上でマウンテンパーカーを脱ぎ始めていたメーを迎えるべくこの両腕を伸ばしていく。

 

 ……だが、そうして自分もノリ気でメーを抱こうとした時のことだった。

 

「っ……あれ。ちょっと待って。なんか、痛ッ……」

 

 自分の声だ。

 無意識に呟いていた、その言葉。急に迸った痛みでそれを口にしていくと、直にも自分は下半身に走り出した痛みでうずくまってしまう。

 

 こちらの様子に、タオルで額や股を拭っていたラミアと、服を脱ぎ掛けていたメーから疑問の視線を投げ掛けられた。だが、向けられた彼女らの心配にも気が回らないほどに、自分はこの夜、“モノ”に駆け巡るジンジンとした痛みに悩まされたのである。

 

 

 

 

 

 翌日。昼の龍明において、アパートに戻ってきたレダが神妙な顔つきで自室に上がってきた。

 自分らの連絡を受けて、駆け付けてくれた闇医者の彼女。私服姿でホームレスの健康診断を行っていたレダは、黒色のスーツケースを片手に、いつもの艶やかなオーラを醸し出さない真面目な面持ちでこちらへと歩み寄ってきたものだ。

 

 ラミアとメーは、仕事のシフトで部屋を出てしまっていた。そのことから一人残された自分は、未だ迸るモノの痛みでベッドに横たわっていたその中で、レダはベッドに腰を掛けながらこちらに手を添えつつ、優しく言葉を投げ掛けてくる。

 

「カンキ君、お待たせぇ。容態はどうかしら。これからじっくり診てあげるから、わたしに色々と詳しく教えてちょうだい?」

 

「あぁ、レダ。わざわざ来てくれてありがとう……」

 

 優しく付き添ってくれたレダの温もりに支えられながら、自分はモノに走る痛みについて説明し始めていく。

 

 事の経緯を聞き、それに何やら確信めいたものを抱いた彼女。次に実物を診るためにこちらのモノを取り出していくと、彼女はソレを入念に観察し、機能の様子を確認しながら、その艶めかしい手つきで男の欲を駆り立て始めていき……。

 

 ……激痛を伴いながら立ち上がった我が息子に、自分は悶え苦しみながらも快楽に浸り出していく。且つ、心なしか、手のひらではない柔らかな人肌の感触を覚え始めていくと、ソレは直にも息のような立ち込める熱気に包み込まれると共にして、なんだか歯のようなカルシウムの硬さを感じ取り、先から根本まで彼女の温もりに覆われていく。

 

 あれ? なんか、思っていた処置と全然違う……。

 激痛と快楽の狭間に迷い込んだ自分。痛いけど気持ち良いという傍からすると誤解を招きかねない状況に、自分はパンクした思考で訳も分からずに“発射”してしまった。

 

 これに、レダは色っぽい調子で「んっ……」と声を漏らしてくる。その脇で発散した自分が天に召される意識で呆然とする中、彼女は啜る音を立てながらモノの“熱”を拭き取ると同時にして、ゴクリと喉を鳴らしながらそれを喋り出してきたのだ。

 

「んぅ~っ……ご馳走様。診察料もしっかり頂いたことですし……カンキく~ん、一通りの診察であなたの症状がよぉく分かったわよ~」

 

「い、今もすごく痛い……っ。これ、何かの病気とかかな……」

 

「そんな大層なものじゃないわ。単刀直入に言ってしまえば、“エッチのしすぎ”よ」

 

「え、えっちのしすぎぃ……??」

 

 思わず、上半身を起こしながらレダへと尋ね返していく。これに彼女は舌なめずりを行いながら、艶やかに微笑みつつ返答してきた。

 

「陰茎の血管が膨張することによって引き起こされた炎症ねぇ。要は、勃起のさせすぎ。主にオ〇ニーのしすぎなんかで見られる症状よ。……そんな心配しなくても平気よ。大丈夫、休ませてあげれば自然と治るものだから。そういうわけで、カンキ君。一日でも早く治したいのなら、しばらくはおチ〇ポの使用は禁止。休肝日ならぬ、休チン日を設けましょう。いい? 分かったわね?」

 

「あ、あぁ、分かった。診てくれて本当にありがとうレダ、助かったよ。……それにしても、休チン日か……」

 

 発散した直後であるにも関わらず、彼女のセリフで既に欲が溜まりつつあった自分。

 だが、痛みを引き起こすに至った経緯に心当たりがありすぎた……。そのことから自分は、レダから病状を聞いた後にも禁欲を心から誓ったものでもあった。

 

 この先も、ホステス達と特別な時間を過ごすために必要となる期間だ。周囲からの誘惑は依然として凄まじいものの、これで万が一の事が起こってモノが機能しなくなってしまえば、それこそ永遠に後悔することとなる。

 

 レダに診てもらって以来、自分は禁欲することをホステスらに伝え、改善のためにも一同には同意してもらう運びとなった。これによって自分は、欲情とは無縁の生活をしばらく送ることになるだろうと、この時ばかりはそう思っていたのだが…………。

 

 

 

 

 

 禁欲生活を開始して、数日ほどが経過したある日の休日。だいぶ痛みが引いたモノに自分は安堵しつつ、昼下がりの自室でひとりベッドに寝転がりながらボーッとしていると、ふとインターホンが鳴らされた。

 

 起き上がり、玄関先の映像を確認していく。するとそこには、私服姿のユノが佇んでいたのだ。

 

 どうしたんだろう。それを思って、すぐさま玄関へと駆け付けて扉を開いていく。そうして、軽く腕を組んだ凛々しい佇まいの彼女と向かい合っていくと、次にも華麗に微笑んでみせたユノからそのような言葉を掛けられた。

 

「こんにちは、柏島くん。急にごめんなさい。連絡もせずに訪ね掛けてしまって」

 

「いえ、そんな。迷惑だなんて思いませんよ。よろしければ上がっていきますか?」

 

「えぇ、そうさせてもらうわ。私が貴方の下を訪ねた理由は正に、そのことについてだったの」

 

「理由、ですか」

 

 玄関に並べられた、自分だけの靴。他のホステスのそれらが見受けられないその様子をユノは目で追うように確認してから、再びこちらへと言葉を投げ掛けてくる。

 

「ここでお世話になっている彼女達は本日、同伴やシフトといった仕事の関連で一日中と出払うことになってしまったわ。しかし、貴方を一人にしてしまうのは些か不安が残る。そこで、今日は私が泊まり込みで、柏島くんの警護にあたる予定よ。それに伴い、私がこちらに滞在する許可を貴方から頂けないものかしら。もちろん、貴方がプライベートの時間を何よりも優先したいのであるならば、私はその意思を尊重して、貴方の目に映らない異なる場所で警護にあたらせてもらうとするけれども」

 

「いえ、とても心強く思います。ぜひ泊まっていってください。お食事などは作らなければ用意できませんが、清掃はしてあるので快適に過ごせる環境だとは思います……」

 

「ありがとう、柏島くん。貴方の、如何なる存在をも受け入れる寛容なるその姿勢は、お父様譲りといったところかしらね。……私という極道上がりのろくでなしをも許容する貴方の懐の広さに、感服の念を。そして同時に、言葉では表し得ないほどの絶大なる感謝の思いをどうか、貴方へと贈らせてもらいたい。ありがとう。私はまた、柏島という偉大なる血族に救われた」

 

 な、なんともまぁ、お堅い……。

 一連のユノ節を耳にして、自分は汗を流しながらも「取り敢えず、どうぞ。上がっていってください……」と言って入室を促していく。これを受けたユノは安心したように凛と微笑んでから、次にも「お邪魔します」と挨拶を口にしつつ玄関に上がり、脱いだブーツを綺麗に並べてから部屋へと歩み進めていった。

 

 今日は、ユノと二人だけで一日を過ごすこととなる。

 改めて気が付いた今の状況に、途端に絶大な安心感が巡り始めてくる。普段の彼女らも傍についていてくれるだけで随分と心強いのだが、如何せん皆、中々に性的で魅力的だ。

 

 一方で、女神のような美貌を放つユノではあるものの、彼女は男性に興味を持たない以上は誘惑してくることもないだろう。その思いから来る安堵で、自分は内心ホッと息をつきながらユノを眺めていく。

 

 部屋に上がり、おもむろに中央で佇んだ彼女。そして、着用していた黒色のライダースジャケットを脱いで近くのハンガーへと掛けていき、更には赤色のYシャツに手を掛けて、それをおもむろにボタンを外し始めていくのだが…………?

 

 ……彼女の動作によって、シャツの内側からブワッと巻き起こされたメスのフェロモンの香り。心地良くも脳みそを蕩けさせる、大人な色気のそれが振り撒かれると同時にして、彼女は平然としたサマでシャツを脱ぎ終えていくと、その下からは赤色の薔薇の刺繍が魅惑的な、黒色のレースのインナーが姿を現してきたのだ。

 

 って、なんか脱ぎ始めてるーーーー!!!?

 ギャグマンガが如く目玉が飛び出した自分は、慌てて彼女に駆け寄りながら言葉を投げ掛けていく。

 

「ゆ、ユノさん!!? あの、ちょっと。いくら何でもその格好は、俺にとって刺激が……っ」

 

「あら、ごめんなさい。本日の気温は初夏と同等らしく、衣類の中の蒸れが気になってしまったの。少しだけ、放熱させてもらえないものかしら」

 

「まぁ、それならば構いませんけど……」

 

 暑がっている女性に対して、むやみに服を着ていろだなんて強制できない。

 自分は、ホッと一息つくように佇んでいく。その間も目の前では彼女の着替えは続いており、腰のベルトを緩め始めたユノはそのままバイクパンツのボトムスをおもむろに脱ぎ始めて…………?

 

 って、なにやってんのこの人ーーーー!!!?

 次に露わとなった、同じく赤色の薔薇の刺繍が魅惑的な黒いレースのインナー。完全にショーツを披露してきた彼女がバイクパンツも脱ぎ切っていく様子に、自分は彼女の顔色をうかがうようにしながら恐る恐ると尋ね掛けていった。

 

「ユ、ユノさん!!? あの、ユノさん!!?」

 

「季節外れの暑さによって、早くも熱中症を引き起こした患者が急増していると報道されていたわ。柏島くんも、こまめな水分補給を忘れずに。必要があれば、半袖などの夏用の衣類に着替えるなどの臨機応変な立ち回りを意識してちょうだい。柏島オーナーの世話になった身として、貴方という柏島の後継者を熱中症にさせるわけにはいかない。いえ、私が命に代えてもそれを阻止してみせるわ」

 

「いえ、その。いや、お気遣いありがとうございます。しかし、ユノさんのその格好が……」

 

 インナーのみの姿となったユノの風貌。だが、彼女は凛々しいサマで振り返ってくると、ちょっとだけ困り顔を見せながらそれを喋り出してくる。

 

「ごめんなさい。汗による蒸した体臭で、不快な思いをさせてしまったかしら。……やはり、殿方の前では衣類を身に着けておくべきなのでしょう」

 

 と言って、既に畳んでベッドに置いてあったシャツに手を掛けていくユノ。だが、別に今の彼女の姿が嫌だというわけではなく、むしろ眼福とさえ思えてしまっていた自分は、また別の慌て具合でこのような言葉を口にしてしまったものだ。

 

「ああああぁいえいえいえいえ!!! そのままでも全然大丈夫ですっ! 臭いも気になりませんっ! むしろ、これで服を着込んだユノさんが熱中症になられても大変ですからねっ! そちらの格好が過ごしやすいのでしたら、そのままでも俺は一向に構いませんよっ!」

 

「あら、柏島くんからの手厚い気遣いを無下にするわけにはいかないわね。ならば、私は貴方の気遣いに応えてみせるまでのこと。本日はこの格好で過ごさせてもらうとするわ。貴方の厚意に、心からの感謝を。どうもありがとう」

 

 男の本能には抗えない。それがたとえ、卑しい欲望に付き纏われようとも。

 下着姿で徘徊し始めた女神を眺めつつ、自分は己に対する嫌気を通り越した一種の悟りを開いていく。そうして男の欲求に負けた自分はこの日にも、黄金比の女体で歩き回るユノとその一日を過ごすこととなったのだ。

 

 

 

 

 

 それからというもの、自分は男の本能を掻き立てられる様々なハプニングに見舞われる。

 

 下着姿となった女神様。色白な肌に浮かび上がる黒色のそれらは非常にアダルトな魅力を放っており、この組み合わせで既に欲望がそそり立ってしまう。だが、こちらと世間話を交わしていた彼女は、談笑で微笑みつつも部屋の中で佇むと、ふとそのような行動を取り始めていった。

 

 汗のニオイが気掛かりなのだろうか。体臭が気になる彼女は軽やかに右腕を上げていき、何気無いサマで自身の脇へと鼻を近付けて、そこのニオイを確認していく。この、鼻を鳴らすユノの仕草に自分は唖然としていると、彼女は続けて自身の身体に両手を這わせ、そこらからニオイを回収するかのように滑らかな手つきで触れつつも、その度に手のニオイを入念に嗅ぐことで己の体臭をチェックしていたものだ。

 

 ……なんでだろう。この人が行う動作の全てが色っぽく見えてくる。

 肉付きの良い、魅惑の色気を売りとするレダとは異なる方向性のそれ。佇む姿はミロのヴィーナスを彷彿とさせ、まるで彼女の存在そのものが芸術であるかのように神々しい。

 

 いや、ユノに限らずホステスの皆が、芸術が如く綺麗で可愛く、美しい。しかし、ユノから放たれる色気は周囲に当て嵌まらぬ異次元なものをうかがわせてくるものだったから、彼女という存在は本当に、人間が生み出した奇跡とも呼べたのかもしれない。

 

 ショーツに指を掛け、それをパツンッと軽く弾いて音を立てるユノ。引き締まったくびれや脚で彼女は堂々と佇んでいると、次にもユノは時計を確認するなり、こちらへとその提案を投げ掛けてきた。

 

「柏島くん、昼食は済ませてあるのかしら」

 

「いえ、そう言えばまだでしたね」

 

「それは聞き捨てならないわね。貴方を飢えで苦しませるわけにはいかないわ。腹の虫が悲鳴を上げ、心の栄養を失った感情が、己の貧困に嘆くがあまりに精神を蝕み始めるその前に、この私が、柏島くんへと捧げるお手製のランチを用意いたしましょう。キッチンを借りてもいいかしら」

 

「色々と大げさではありますが……ユノさんの手料理、ぜひとも頂きたいです! お手を煩わせてすみません。よろしくお願いします」

 

「手を煩わせるだなんて、とんでもない。これは私からの、真心を込めた誠意として受け取ってもらえると嬉しいわ」

 

 フフッと微笑し、キッチンへと歩き出したユノ。その先で彼女は、目についた白色のエプロンへと手を伸ばし、それを何気無いサマで身に着けていくのだが……。

 

 ……次にも目の前では、下着姿でエプロンという構図が爆誕してしまった。

 あ、これはだめなやつだ。最強の組み合わせに、もはや包み隠さない恍惚の眼差しを投げ掛ける自分。だが、本人は自身の格好を一切と気にすることはなく、その姿で冷蔵庫の中を確認してから、普段通りの調子で料理を開始していったのだ。

 

 思わず、一部始終を眺めてしまっていた自分。その間にも、彼女は簡単に五目チャーハンを作ってくれたことで、これを口にした自分は欲情が吹き飛ぶほどの美味を味わったものでもある。

 

 喜ぶこちらの反応に、ユノは安堵したサマを見せながらエプロンを脱いでいく。それからも自分は、彼女の行動にいちいちムラムラと、そしてヒヤヒヤともさせられた。

 

 ベランダに干してあった布団を取り込もう。そんな話が出た時は、こちらの手を煩わせるわけにはいかないとして、ユノは即座にそれへと取り掛かり始めていった。下着姿で。

 

 恥ずかしげもなく、その格好でベランダに出た彼女。もはや露出狂と変わらぬそれに自分が焦っていくその最中にも、彼女はユノ節を炸裂させながら平然とした凛々しい様相で布団を取り込んでいた。

 

 また、インターホンが鳴らされた時も、彼女が率先してそれに対応していった。下着姿で。

 玄関扉が開けられるなり、配達のお兄さんが驚きの声を上げていく。それも当然な上に、対応する女性が圧倒的美女だったため、お兄さんは終始しどろもどろな調子で喋っていた。

 

 で、扉を閉めて荷物を運んできたユノ。依然として凛々しい彼女が、生ものが入ったそれを抱えながら置き場を尋ねてくるのだが、それを冷凍庫に入れてもらってからというもの、自分はさすがにユノのシャツを手に持ちながら歩み寄り、彼女へとそれを勧めていったものだ。

 

「すんません、ユノさん。やっぱりシャツは着ましょう。その……部屋が急に冷え込みでもして、風邪でも引いてしまったら大変ですからね」

 

 無難な文句を述べることで、彼女には快く納得してもらった。そして自分はシャツを手渡して、彼女にそれを着てもらうのだが……。

 そうして誕生したのが、下着姿に開けっ払った赤色のYシャツという、またしても欲を掻き立ててくる構図だった。

 

 加えて、その格好で平然と歩き回るユノが、温かい飲み物を入れたカップを持ってきたり、警護としてこちらに身をくっ付けたりなどしてくる。それら一連の行為から、自分は休ませていた“モノ”が張り詰めるように元気になってしまい、先日の痛みが段々と蒸し返してくる感覚にも苛まれてしまっていた。

 

 ……だが、それでもなお自分は男だ。彼女という存在そのものが身体に悪いことを了承しつつも、自分は謎の勿体無い精神から、ついついユノをそのままにしてしまっていた。そして、この調子のまま時刻は夜を迎えることとなり……。

 

 

 

 

 

 ……二人で床に座り、バラエティ番組を視聴していた日常的な光景。ただ、彼女が着ていたそのシャツが、隣にいるこちらの肩にも掛けられていたことから、まるで恋人のように二人でシャツを羽織ったその状態で、共にするひと時を過ごしていた。

 

 未だ下着姿のユノは、右膝を立てた勇ましい姿勢で電子タバコを吸っている。一方で、隣にいた自分はまるで縮こまるように正座で座っていたためか、もはや、どっちが彼氏なのか分からない光景が生まれていた。

 

 凛々しい表情で一服する彼女。艶やかな横顔は大人の顔立ちを一層と際立たせ、本当に、頼りになる姉御として視界に映っている。

 

 と、その時にも給湯器から、電子メロディーの『お風呂が沸きました』という音声が流れてきた。

 入浴できる。自分はユノへと振り向きながら、「お風呂が沸きましたね。ユノさん先に入られますか?」と尋ね掛けていく。すると、テレビに映っていた女優に見惚れていた彼女がこちらへ向いてくるなり、平然としたサマでそれを口にしてきたのだ。

 

「私が、柏島くんを差し置いて一番風呂だなんて恐れ多いわね。それに、入浴は溺れる危険性も孕んでいるものですから、万が一の可能性を鑑みた際にも、貴方を一人で入浴させるわけにはいかないわ。柏島くん、私と共に入浴しましょう」

 

 ドキッ。ちょっとだけ期待していた彼女のセリフに、自分は否定することなく「で、では、一緒に入りましょうか……」と答えていった。

 

 随分と前だが、ユノとは以前にもシャワーを共にしたことがある。

 去年の夏、旅行先で彼女に“モノ”をしごかれた。女性との経験しかない故か、男性の“ソレ”を初めて見たというユノは、興味本位からなる生理現象の観察に勤しんでいたものである。

 

 そのことから、自分は既に心の準備が済んだ状態で、彼女との入浴に臨むことができた。

 湯気が立ち上り、充満したそれに包まれた極楽の空間。狭い浴槽の中、向かい合う形で湯に浸かった自分らは、膝を折りたたんだその姿勢で入浴を共にしていく。

 

 タオルで髪を束ねたユノが、縁に肘をつきながら心地良さそうな表情を見せてくる。だが、向かい合う自分の視界には黄金比からなる彼女の裸体が映り込んでいたため、ギンギンに反り立たせた“息子”を伴いながら暫し視線が釘付けとなってしまっていた。

 

 ……きちんと、すべて剃ってある。

 ナニがとは言わない感想。ムダ毛ひとつ無い美麗な人体に感動すらも覚えていくその中で、凛々しいサマで視線を投げ掛けてきたユノから、その言葉を掛けられた。

 

「柏島くん。いつも、本当にありがとう。この私から改めて、貴方に感謝を申し上げたいの」

 

「どうされたんですか? むしろ今は、俺が感謝をしなければならない立場だと思いますが……」

 

 裸体に意識が向きつつ、彼女と目を合わせながら応えていく自分。そんなこちらに対して、ユノは言葉を続けてきた。

 

「ラミア、メー、レダ、ミネ、シュラ、ノア。貴方はいつも、我々ホステスの面倒を見てくれている。……程度に差はあれども、彼女達は皆、人道から逸れた所業を働きし、悪名を轟かせる罪人達であることに代わりはないわ。そんな彼女達の制御など、常人にはとても務まるはずもない。けれども、貴方はそれを一年に渡って見事やってのけてみせた。世の男性が彼女達に振り回されていくその中で、柏島くん、貴方は本当に、彼女達と上手くやることができているの」

 

 思ったよりも真面目な話を振られたことで、自分は欲望を拭い切った神妙な面持ちでユノと向かい合っていく。

 

 彼女もまた、穏やかながらも真剣な声音で言葉を口にしてきていた。それを聞いた自分は静かに頷いてから、思ったことそのままの言葉を並べた返答を行っていく。

 

「皆さん、それぞれが個性の強い方々ですからね。でも、俺はホステスの皆さんと過ごす時間、大好きですよ。ユノさんも含め、ホステスの皆さんと……いえ、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)という店と出会えて、本当に良かったです。これもきっと、親父から託された何かしらの運命だったんでしょうかね」

 

 冗談めかすように、それを口にしていく自分。こちらの言葉にユノは微笑しながら「そうかもしれないわね」と返答してくると、次にも彼女は凛々しいサマで、急にそんなことを喋り出してきたのだ。

 

「それとは別にして、柏島くん。ところで貴方は、彼女達をきちんと満足させてあげられているものかしら」

 

「満足させてあげられているか、ですか?」

 

「彼女達の面倒を見る者として、彼女達の管理は貴方の務めとも言えるでしょう。特に、我々人間に付き纏う性の衝動は、柏島くんにとっても無縁とは言い切れないものじゃないかしら」

 

「えっと……?」

 

「満足、させてあげられているのかしら。貴方を取り囲む彼女達の性欲を、貴方はきちんと満たしてあげられているのかどうか。私はそれを、唯一の気掛かりとして懸念しているの」

 

 性欲を、満たしてあげられているかどうか……?

 突如と振られた話題に、自分は呆気にとられるようにユノを見つめていく。これに彼女はおもむろに右手を伸ばしてくると、こちらの右手を取るなり、次の瞬間にも、躊躇いもなく自身の胸へと押し当てていったのだ。

 

 彼女の滑らかな弾力と、聖なる突起の感触が手のひらに伝ってくる。これには思わず、一瞬だけ身体を跳ねさせながら驚いた自分だったのだが、そんな、ユノにお触りというバチさえも当たりそうな行為に興奮混じりの鼓動を速めていく中で、ユノは凛々しいサマで微笑みつつも、少しだけ首を傾げた魅惑の視線でこの言葉を続けてきた。

 

「貴方が、彼女達の欲求を満たしてあげられているかどうか。今度、私が直々にテストしましょう」

 

「え、え……!? て、テストですか……??」

 

「すぐには実現できないでしょうけれども、今現在と引き起こされている様々な事態に一旦の区切りがついた際には、柏島くん、貴方が私を抱きなさい」

 

「だ、抱く……ッ!? 俺が、ユノさんを……!?」

 

「ただし、挿入を除いた前戯のみの行為といたしましょう。本来ならば、私も柏島くんに“オンナ”を捧げるべきでしょうけれども、ごめんなさい、そればかりは私の(さが)がどうしても受け入れられずにいるの」

 

「ぃ、ぃえいえっ。そんな。えっと。もう、十分ですって色々と……!!」

 

 なんだか、流されるままに“行為”の約束を決められた。

 突然の誘いに、うろたえるように自分はしどろもどろな返答を行っていく。その最中にもユノは、自身の胸へとあてがっていたこちらの右手を下方向へ移し始めると、次にもあろうことか自らの“ソコ”を触らせてきたのだ。

 

 ……オスを排他した、禁断の聖域。柔軟な丘がこちらの指を受け入れて、谷へと続くその“入口”が男の接触を許可してくる。

 

 瞬間にも巡ってきた高揚感と、指に伝う繊細な感触が、こちらの意識を全て奪い去っていった。

 なんだ、これ。一体なにが起こっているというんだ。歓喜に満ちた感情と、女神に招かれた困惑の感情が入り混じる。今も指先に伝う聖なる温柔に心臓をバクバク鼓動させていると、こちらの様子にお構いなしといった具合にユノは凛々しいサマでそれを言ってみせたものだ。

 

「柏島くん。深呼吸。肩の力を抜いて、神経を指先に集中させなさい。そして、リラックスした状態で、いつものように、彼女達を愛でる感覚で、今、私のことを慰めてみてもらえないかしら」

 

「ぇ、ぁ。な、慰めですか。は、はい。分かりました……?」

 

 一方通行な彼女の勢いにつられるよう、引きつるような息遣いで返答する自分。そして彼女に言われるまま、恐れ多くも自分は指先へと神経を巡らせると、そこから繰り出した丁寧な手つきによって、あのユノの聖域を愛で始めていったのだ。

 

 ……表面の神聖なる部位を重点的に、女性の神秘に触れていく。この指使いにユノは少しだけこそばゆそうな表情を見せてくると、共にしてフフッと微笑しながらも、彼女は見守るかのような優しい眼差しでこれを口にしてきたのであった。

 

「フフッ、アフフ……。えぇ、貴方の実力はよく分かったわ。リラックスできていない様子から、これが本来の技術ではないことは確かでしょうね。それを加味してもせいぜい、妥協点、といったところかしら」

 

「ご、ご期待に沿えなくてすみません……」

 

「謝ることはないわ。しかし、私を満足させるには些か物足りないのもまた事実。……柏島くん。性欲の発散は心身のコンディションに深く影響を及ぼすものであり、貴方の技術によって、我々ホステスのポテンシャルはさらに引き出されるといっても過言ではないわ。だから、精進なさい。私達は所詮、罪に(まみ)れた傷だらけの原石。しかし、貴方が技術を磨けば磨くほどに、我々は光り輝く宝石ともなり得るのよ」

 

 

 

 

 

 この夜、自分は天国に招かれたかのような体験をした。

 女神の聖域に踏み入れ、極楽と快楽が入り混じる至高の満足感を得られたひと時。人類には早すぎた刺激的すぎる体験によって、自分はこの上ない幸福に包まれたものでもある。

 

 風呂を上がってからというもの、暑いからという理由で衣類を身に着けなかった裸体のユノと、同じベッドで就寝した。護衛という目的でこちらに身を寄せた彼女に抱かれ、自分は全身の神経を活性化させながらも、彼女に守られている安心感からすぐ眠りへと(いざな)われる。

 

 とても幸せな時間だった。ただ、その代償とも言うべきだろうか。ユノと共にした夜の後にも、“モノ”の痛みが再発したことによって、翌日にも自分は周りのホステス達からこっぴどく叱られるハメにもなってしまった。



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第57話 Ensemble, nous allons au-delà 《共に彼方へ》

 桜の季節が過ぎ、新生活の始まりを告げるピンク色は葉桜へと姿を変えていく。

 

 昼下がりの時刻にて、龍明高等学校の前でミネとノアを待っていた自分。彼女らは今日、下校が早いということから、夜のシフト前に少し遊んでいこうという話になったらしく、自分はそれにお呼ばれする形でこちらに訪れていた。

 

 既に、制服姿のノアが自分と合流していた現在。いつもの透明感ある仰々しい物言いでこちらと他愛ない会話を行っていると、直にも校門からは制服姿のミネが歩いてきた。

 

 鞄を肩に掛け、ブレザーのポケットに両手を突っ込んだヤンキースタイルの少女。いつもの不機嫌そうな表情でこちらを確認するなり、ミネは真っ直ぐとその歩みを進めてくる。

 

 だが、そんなミネの隣には、見慣れない“一人の女子生徒”が存在していた。

 ミネに歩調を合わせる女子生徒。同じく学校の制服を身に纏うその少女は、ミネが目指すこちらへと視線を投げ掛けてきた。

 

 背丈は、百七十三くらいだろうか。隣のミネを凌駕するその身長の女子生徒は、腰辺りまで伸ばした、大和撫子を彷彿とさせるストレートの黒髪ロングと、光源が如く眩い光を放ち、歩いたところに残像の軌跡を残すほどの濃厚なピンク色の瞳が特徴的だった。

 

 闇夜のそよ風を体現したかのような、とても物静かで不気味なほどに落ち着いた風貌。一目にして、喜怒哀楽の感情を表に出さないポーカーフェイスであることが理解できる、おしとやかでガードが固そうな印象を与えてくるその有様。

 

 一見すると、図書館で静かに本を読んでおりそうな、清楚なお嬢様という印象を与えてくる美少女だった。そんな、ミネと行動を共にする……というよりは、ミネについてくる女子生徒に自分は意識を向けていると、直にも二人はこちらと合流を果たし、ノアも含めた三名の女子高校生に囲まれた自分は、見渡すようにしながらその言葉を口にしていった。

 

「みんな、今日もお疲れ様。……ミネ、遊びに誘ってくれてありがとう。だけど、この集まりに俺が混ざってもいいもんなのかな」

 

 さすがに、ちょっと申し訳無く思えてくる。

 女子生徒達に混ざる男性という絵面も、傍からしたら不審に思えてしまうだろう。そこから来る恐縮な心情でそれを尋ね掛けていくのだが、これに対してミネは不機嫌そうに「ん、別に」と返してきた。

 

 ミネの「別に」は、ほぼ肯定と捉えていい。このことから、自分は安堵したように息をついていく。だが、そうしてミネと会話を交わした時にも、隣にいた女子生徒はおもむろに動き出すなり、こちらとミネを遮るようにしてこの視界に入ってきたのだ。

 

 まるで、ミネを守るかのような動作だった。

 自分とミネの間に立ち、感情の無い眼差しでこちらと向かい合う少女。どこか人形みたいな印象も受ける女子生徒に自分は困惑していると、次にも背後のミネが顔を出しながら、焦った様子でこれを喋り出してきた。

 

「ちょっと、“友仁(ともに)さん”……! この人は大丈夫、無害だから……!」

 

 そう言って、女子生徒のブレザーの裾を引っ張っていくミネ。その訴えによって女子生徒は一瞬だけミネへと視線を投げ掛けるのだが、それは再びこちらへと向けられると、次にも女子生徒はどこか儚さを感じさせる物静かな調子で喋り始めていったのだ。

 

「不純。危ないわ」

 

「この人は……う、うーん。まぁ不純と言えば不純だけどさ、でも悪い人なんかじゃないから大丈夫なんだってば……!」

 

「蓼丸さんの知り合い?」

 

「知り合いっていうか、親戚。アタシにとって、すごく大切な人。だから大丈夫。そんなに警戒しなくてもいいから……!」

 

「親戚。大切な人……?」

 

「え? ……あ、いや。大切な人って……まぁ、確かにそうは言ったけどさ……っ」

 

 口にしてから、自身の言葉で恥ずかしがり始めたミネ。

 モヤモヤするような、照れ隠しのような。じんわりと頬を赤くした少女が視線を逸らしていく中で、女子生徒はこちらと真っ直ぐ向き合うと、次にも儚さを含めた調子でこれを口にしてきたのだ。

 

友仁(ともに)彼方(かなた)

 

「え?」

 

「友仁彼方。私の名前」

 

「あぁ、どうも……? 柏島歓喜です……?」

 

「柏島歓喜。蓼丸さんの親戚。大切な人」

 

「まぁ、そういうことになるのかな」

 

「私の恋敵」

 

「え、恋敵!!?」

 

 爆発的なカミングアウト。思わず驚愕したこちらの反応を一切と気にしない、女子生徒こと友仁彼方。あまりにも急な展開にミネもポカーンとした唖然の表情を見せてくる中で、彼方は無感情にこちらへと言葉を続けてくる。

 

「私はバイです」

 

「え?」

 

「私はバイです」

 

「え、えっと……。ほうほう……?」

 

「蓼丸さんに一目惚れしました」

 

「な、なるほど……?」

 

「彼女を私にください」

 

「え?」

 

「彼女を私にください」

 

「えっと……」

 

 い、今までに無いアプローチで迫ってくる少女だ……。

 彼方に圧倒される自分は、ずっと言葉を詰まらせながら相槌を打っていく。その様子にミネが、彼方の顔色をうかがうように覗き込みながらも話し出してきた。

 

「ちょっと、ちょっと待って友仁さん……! あの告白、ホンキのやつだったの……!? え、てかアタシ……?! なんでまた、急に……」

 

「私は蓼丸さんに救われた」

 

「救われたって……まぁ確かに、友仁さんがリンチされてたトコに割って入ったけどさぁ……」

 

「蓼丸さんは私を守ってくれた」

 

「守る……んまぁ、守った、のかな……? 友仁さんが可哀想で見てらんなくって、アタシがアイツらをボコっただけだったけど……」

 

「蓼丸さんに惚れました」

 

「即堕ちっ!!? スピード感ヤバくない……ッ!?」

 

 ガビーンッとしながら白目でツッコんだミネ。しかし、それでもなお彼方は依然として無感情な様相のまま、静かにコクリと頷くことで肯定を示してきたものでもあった。

 

 なんだか、また新しい人が増えたな……。

 内心で呟いた自分が、ここからどう言葉を切り出そうか悩んでいく。そうして思考を巡らせていると、助け舟とも言うべきだろうか、この様子をずっと脇で眺めていたノアがようやくと、清々しい調子でそれを切り出してくれたものでもあった。

 

「いいね、友仁彼方! 以前からキミの存在は認知していたものだったけれど、蓼丸菜子との会話の中で、ボクはすこぶるキミに興味が湧き始めてきた!! 友仁彼方。もしキミが良ければ、ボクらと共に来ないかい? 勉学から解放されし放課後の甘美なるひと時にぜひ、キミを招き入れたい!! ……ここで立ち話も何だろう。柏島歓喜、蓼丸菜子。ここは一旦、場所を変えようじゃないか。そうだな……駅前のクレープ専門店に立ち寄るのはどうかな? そこではどうやら、季節限定のバナナフェアをやっているみたいでね……」

 

 

 

 

 

 場面は変わり、龍明の駅前まで移動を終えていた自分ら。友仁彼方という女子生徒を加えた四人でその店に立ち寄ると、ポップな店内で席についたそのメンツで、クレープを手に持ちながら向かい合っていた。

 

 自分の隣に座るノア。それでいて、テーブルを挟んだ向こう側に座る、ミネと彼方。今もノアが満足そうにクレープを頬張る様子を傍らに、自分もクレープを口にしながらも、移動中にうかがっていた話に返答するように彼方へと喋り掛けていった。

 

「なるほど。それじゃあ友仁さんは、今回のクラス替えで菜子ちゃん達と同じクラスになった、クラスメートなんだね」

 

 こちらの言葉に対して、彼方はクレープを片手に無感情な様相でコクリと頷いてくる。

 

 本人からうかがっていた、ミネに惚れるに至った事の経緯。尤も、経緯と言っても少女らの出会いそのものは、本当にまだ間もないものでもあったようだ。

 

 学年が上がる際に、ミネ達の間ではクラス替えがあった。それをキッカケに彼方はミネとノアの二人と同じクラスになり、特にミネは席も近かったことから、会話をする機会にも恵まれていたらしい。だが、本人曰く自身がミネに惚れることとなったのは、クラス替えから間もない頃に遭遇した、八名ほどの同学年男子らによる校内のリンチ事件なのだという。

 

 以前から、彼方に対して不満を抱いていたという男子生徒ら。まず彼方自身が優秀な生徒であり、身長は平均よりも高く、成績は優秀で生徒会の委員も務めていたことから、先生らにもひいきされるその真面目さを標的にされたのだそうだ。

 

 出る杭は打たれる。優秀が故に災難に見舞われた、不運で気の毒な少女。だが、そうして降り掛かった災難から救ってくれた人物こそが、たまたま現場に居合わせたミネだったのだ。

 

 ミネは、学校内で恐れられる程度にはその悪名を轟かせていた。常に不機嫌なサマでノア以外の生徒を寄せ付けずにいた少女は、持ち前の腕っぷしで彼方を襲う男子生徒らを悉く蹂躙。後に、校長直々に呼び出しを食らうほどの大暴れをかましたミネの活躍によって、彼方は全治一週間程度の怪我で済んだのだそう。

 

 彼方の働きかけもあり、先生達からの説教は軽く済んだというミネ。それでいて、この一件によって彼方は、当時の暴君っぷりを発揮したミネの雄姿に一目惚れ。以来、クラスメートという機会に恵まれた少女は、まるでジンベエザメにくっ付いてくる小魚が如くミネと行動を共にするようになったのだという。

 

 恋情を抱く際には、相手の性別を問わない自身の性質。それを自覚する少女は、今も無感情にクレープを口いっぱい頬張りながら、さり気無い様子でミネへとすり寄っていく。これに気が付いたミネはちょっとやり辛そうな表情で視線を逸らしつつも、彼方を拒否することなくその場に留まりながら喋り出していった。

 

「まぁ、友仁さんに好意を寄せられること自体は、別に悪い気はしないんだけどさ……。なんか、何て言うの……? ホントにアタシで大丈夫? って思っちゃって、友仁さんのことがすっごい不安になってくる、って言うのかな……」

 

 呟くように口にしたミネの言葉。それに対して彼方は、物静かながらも平然とした調子で「つまり両想い?」と尋ね掛けたものだったから、ミネは汗を流しながらも彼方とそのような会話を繰り広げていく。

 

「いやいや、いくら何でもそうはならないでしょ……」

 

「蓼丸さんは私が嫌い?」

 

「別に、嫌いって言ってるワケでもないんだけどさ……」

 

「蓼丸さんには他に好きな人がいる?」

 

「好きな人……?? いや、別にいないけど……」

 

「柏島さんのことが好き?」

 

「は??? なんでそこでカッシーが出てくるの。意味わかんないんですけど」

 

 突如と出てきたこちらの名前に、ミネはものすごく不機嫌そうな顔をしながら語気を強めてそれを口にした。

 

 共にしてミネは、こちらを見遣るなり不愉快そうに眉をひそめてくる。そんな少女の反応に自分も困惑気味な視線を向けていくと、直にもミネは不安そうな顔をしながら「あ、いや。そ、そういう意味じゃなくて。ご、ごめん……」と申し訳無さそうに謝ってきたものだったから、自分はついつい焦りつつも「気にしないで」と返答したりしていった。

 

 で、このやり取りを眺めていた彼方もまた、まるで刃物を突き立てるかのような鋭い視線をこちらに投げ掛けてくる。その気配に気が付いた自分が向かい合っていくと、次にも彼方はそれを喋り出してきたのだ。

 

「カッシー」

 

「え? あ、俺?」

 

「ニックネーム。親密の証」

 

「まぁ、そうとも言えるかも……?」

 

「ずるい」

 

「え」

 

 グリンッと首を曲げてミネを見遣った彼方。心なしかボキッと骨が折れる音も聞こえてきたそれにミネはギョッと驚いていくのだが、彼方は意に介することもなく無感情に言葉を続けてくる。

 

「ニックネーム。私にも欲しい」

 

「え、えぇぇぇ……??? そんな急に言われても……」

 

「トモニン。どうかしら。似合う?」

 

「う、うーん……? でもアタシ、友仁さんは友仁さんって呼びたいかも……?」

 

「この苗字が私に似合ってる? 嬉しいわ。ありがとう」

 

「え? う、うん……」

 

「私と付き合ってください」

 

「いやいやいや!! だからってどうしてそうなるのッ!!!」

 

 なんだろう。少女らのやり取りをずっと眺めていられる気がする。

 彼方に振り回される形で、声にならない声を上げながらツッコんでいくミネ。そんな、とても個性的なクラスメートに恵まれたミネの様子を遠目で眺めていた最中にも、ノアはノアでいつの間にか席を立っており、追加のクレープをオーダーして取ってきたその様子で、少女は清々しくこちらへと言葉を投げ掛けてきた。

 

「柏島歓喜。カノジョはとてもユニークな人物だね! ボクは友仁彼方という儚き宵闇の化身をますます気に入り始めてきたよ!」

 

「まぁ、ノアは喜んでくれたようで何より……なのかな?」

 

「そこで、柏島歓喜。この後の話についてなんだが、カノジョを連れてゲームセンターに立ち寄ってみないかな? カノジョとの親睦を深めるには打って付けの場所だろう? ここに居合わせたついでだ。キミもボクらと一緒に、友仁彼方との友情を育もうじゃないか」

 

「そう言ってくれるのなら、そうしようかな……? でもこれ、俺も一緒に居て良いもんなのかな……。うーん、どうなんだろうか……」

 

 

 

 

 

 とか考えている間にも、その場のノリに流されるまま、自分は気が付いたら少女らを連れてゲームセンターに来てしまっていた。

 絵面からして、やはりアウトとも言えるこの構図。そうして、三名の女子高校生に囲まれる一人の男性という状況のまま来店した自分は、今も愉快な騒音を奏でる店内において、様々な場面に出くわすこととなる。

 

 ミネを中心に行動を行っていた自分達。その間も彼方は突き刺すような視線をこちらに向け続けていたことで、見張ってくるようなそれに自分は気まずい気持ちを抱いてしまう。

 

 やっぱり、自分達女子高校生の中に男が混じってくるのは、あまり快く思わなかったか……。判断をミスった自分がそのような後悔に苛まれていた最中にも、目の前ではクレーンゲームにコインを入れ始めていくミネの姿が映し出されていた。

 

 少女の目的は、まん丸で小太りな白いウサギのぬいぐるみ。抱き抱えられる程度には大きいサイズのそれにミネは心惹かれたように吸い寄せられていくと、少女は前屈みになるほどの真剣なサマで、乗り出すような姿勢でそのゲームに臨んでいたものだ。

 

 何としてでも、あのぬいぐるみが欲しい。ミネの、狩る者としての鋭い眼光が光るその中で、そんな少女の真後ろに立った彼方は暫しその背を見下ろすなり、直後にも彼方は無感情なサマで、その場でおもむろにしゃがみ始めていったのだ。

 

 自身のスカートを浮かび上がらせるほどの勢いで、バッとしゃがんでミネのスカートの中を覗いた彼方。これにミネは不意を突かれるように驚くと、次にも左手でスカートを押さえながらも、彼方とそのようなやり取りを交わし始めた。

 

「え??? ちょ、っと。友仁さん?!」

 

「白とオレンジの縞々」

 

「は?? ちょ待って。てか説明すなッ!!!」

 

「意外な趣味。可愛らしい。好き」

 

「は、はぁぁ!!? か、可愛いとか別にそんなんじゃないしっ!!」

 

「蓼丸さんの下着を見た。……つまり、結婚?」

 

「だから、飛躍しすぎなんだってば!!! てか覗くなぁッ!!!」

 

 今も動き続ける、クレーンゲームのアームの音。それはぬいぐるみに到達する前に下へ伸び始め、空を掴んで虚しく上がっていく。

 

 前後で起こる別々の現象に、ミネはてんやわんやとした様子でそれぞれの物事にあたっていた。そんな慌ただしい少女の光景に自分が呆気にとられている間にも、場面は太鼓のゲームをプレイするノアの様子へと移っていく。

 

 まるでプロが如く、目にも留まらぬ速度でバチをドコドコと太鼓に打ち付けていたノア。ゲームの画面も、赤と青の二色が重なり合った訳も分からない譜面が超高速で流れていく中で、それに食らいつくノアの技術に自分があんぐりと口を開いていく。

 

 え、めっちゃ上手いやん……。

 内心で感嘆する、自分の言葉。そして画面はリザルトへと移行し、ふぅっと一息ついたノアがバチを下ろしていくと、自分と同じくゲームプレイを眺めていたミネが、ちょっと引き気味にノアへとその言葉を掛けていった。

 

「銀嶺さん。アンタ、ゲームとかやるタイプだったの? なんか色々と凄すぎて、見ててワケ分かんなかったんだけど……」

 

「アッハハハ! どうだ、すごいだろう!? ゲームセンターには日頃から通っていたものだったから、ボクにかかれば一通りのアーケードゲームなんてお茶の子さいさいだよ! ……というのもね、お嬢のお(もり)としてよく組員に連れてきてもらっていたんだ。毎日のように通い詰め、エレクトロニクスな遊戯に囲まれる日々。その過程でボクは、不本意にもこの太鼓のゲームを極めてしまったのさ」

 

「不本意って言ってるけど、がっつりハマってんじゃんそれ。でも、ふーん……なんか意外。こういう特技があるのって、なんか、ちょっとだけカッコイイかも」

 

「ハハッ、そうだろう! これでボクも、蓼丸菜子のハートを鷲掴みにしてしまったかな!?」

 

 自身の胸に手を当てて、仰々しい物言いで華麗に振る舞ってみせるノア。これにミネが「いや、別に……」と本気の否定を口にしていくのだが、ノアの視線は次にも、ミネの隣にいた彼方へと向けられて……。

 

 ……チラッ。挑戦的なその視線を受けて、彼方は無感情なサマで歩き出していく。そして少女は無言でバチを握っていくと、筐体にコインを入れながらミネへと振り返り、物静かにそれを喋り出していったのだ。

 

「蓼丸さん」

 

「ん、なに? てか、友仁さんもこういうのするの?」

 

「私に惚れて」

 

「は???」

 

「カッコ良いところ。見せるから」

 

「あぁ、うん……。うん……?」

 

 突然の言葉に、ミネは首を傾げながらも頷いていく。これを横目に彼方は太鼓のゲームと向かい合っていくと、次にも少女は全意識を集中させた真剣な眼差しを向けていき……?

 

 ……悉くと映し出されたMISSの文字。手の動きだけは高速だったそれは、圧倒的低評価を叩き出して即座にゲームが終了する。

 

 異なる意味で呆気にとられた自分。これに彼方は無感情なサマでバチを戻していくと、直後にも少女はミネへと振り返るなり、渾身のガッツポーズを決めながらそれを喋り出していったのだ。

 

「私、頑張った。蓼丸さん、私カッコ良かった?」

 

「え??? う、うん……? まぁ、カッコ良かったんじゃない……? 多分……」

 

「そっか。……ふふっ、良かった」

 

 

 

 

 

 ゲームセンターを満喫した自分らは、店を後にしてから暫し龍明の表通りを散歩した。

 陽が落ち始めた夕方の時刻。段々と日が延びてきた季節の外界を四人で歩き進めるその中で、自分は何やら思い詰めるように俯いていた彼方の様子が気になってしまう。

 

 少女の様子に、自分は「友仁さん、どうしたの? 体調でも悪い?」と尋ね掛けていく。すると彼方は、顔を上げながらも無感情なサマでこう答えてきたのだ。

 

「柏島さん」

 

「なに?」

 

「貴方にお訊ねしたいことがあります」

 

「あぁ、いいよ。どうしたの?」

 

「貴方は蓼丸さんのことが好きですか?」

 

「え?」

 

 彼方の問い掛けに、真っ先に反応したのはミネだった。

 どこか焦った様子で、「ちょっと友仁さん、なに訊いてんの……?!」と言葉を口にする。だが、彼方はミネの言葉を無視するようにこちらをまじまじと見つめてきたものだったから、自分は困りつつもそのように返答していった。

 

「その好きが、恋愛的なものなのかどうか、にもよるよね。俺はまぁ、菜子ちゃんのことは親戚として好きだよ。恋をしているか……というと、うーん、自分でも分かんないな……」

 

「貴方は恋敵ではない?」

 

「多分、違うと思うけど……」

 

「蓼丸さんと親しくなされた経験はありますか?」

 

「え」

 

 親しくなされた経験……? それを聞いた時にも自分は、ミネとの“行為”を脳裏によぎらせてしまった。

 

 少女の“初めて”を担い、責任を持って相手を務めた最近の記憶。他のホステスと比べて随分と小さかった“入口”がまた生々しく、思い出すだけで興奮が巡ってくるそれに自分はついつい視線を逸らしてしまう。

 

 こちらの反応で、察しがついたのだろうか。ミネでさえ、眉をひそませながら小声で「ちょっと、カッシー」と言葉を投げ掛けてくる中で、彼方は無感情でありながらも強めた眼差しを向けてくるなり、物静かな調子でそれを口にしてきた。

 

「柏島さん。貴方は私の敵です」

 

「その、敵というわけでは……」

 

「私も男性との経験がございます」

 

「え?」

 

「皆さんは身体目的の接触でした。そして用済みとなった私は捨てられました。私はとても傷付きました」

 

「それは……」

 

「しかし、蓼丸さんは身を挺して私を守ってくださいました」

 

「う、うん……」

 

「蓼丸さんはこれまでのパートナーとは違います。私は蓼丸さんに惚れました」

 

「確かに、菜子ちゃんは勇敢な女の子だと思うよ……?」

 

「蓼丸さんをお譲りください」

 

「え?」

 

「私が蓼丸さんを幸せにしてみせます」

 

 足を止め、直後にも直角のお辞儀を繰り出してきた彼方。少女の言動に、自分とミネは唖然とした視線を投げ掛けてしまう。

 

 三人の様子を脇で眺める、平然としたノアの佇まい。まるで見守るかのようなノアの視線を受けた彼方は頭を上げてくると、直後にも少女はミネの腕を掴むなり、真横にあった路地裏へと通ずる脇道に足を踏み入れ、そこから真っ直ぐと、全力疾走で駆け出していったのだ。

 

 突然どうした??

 あまりにも突拍子の無い行動に、自分は思考停止した視線で二人の背を眺めてしまう。その間にもミネは、「ちょ、ちょっと……っ?!」と声を上げながら彼方に引っ張られていったことから、自分もまた少女らを追い掛けるために、即座に走り出していく。

 

 自分の後を、ウサギのようにぴょこぴょことした足取りでついてきたノア。どこかウキウキとしたサマが、まるで他人事であることをうかがわせてきたものだったが、そんなノアの様子に意識を向ける余裕も無かった自分は、路地裏を駆け抜ける彼方をとにかく追い掛けて、しばらくもの時間を走り続けた。

 

 そうして、ひと気の無い見知らぬ路地裏に連れてこられた一同。建物と建物に挟まれ、人が二人並んで歩くこともできないその閉鎖的な空間で彼方は立ち止まる。

 

 これに、連れてこられたミネはキレ気味に「ちょっと何なの……!?」と問い掛けていった。すると次にも彼方は、追い付いてきたこちらの姿を捉えつつも、ミネに対して無感情な調子でそれを口にしてきたのだ。

 

「柏島さんと私。どちらかを選んでほしいの」

 

「は、はぁ……!? 選ぶって、なに。どういうこと……? なんか、意味分かんないんだけど……っ」

 

「どちらの方が蓼丸さんを幸せにすることができるか。蓼丸さんには幸せを選ぶ権利があるわ」

 

「どっちの方が幸せにできるか……?? そんなの、アタシが知ったこっちゃなっ……」

 

 ちゅ。

 刹那の接近により、彼方によって唇を奪われたミネ。あまりにも唐突な行為にミネは困惑混じりの驚きを見せてくる中で、彼方は手慣れた動作でミネの両手首を掴んでいき、そのまま勢いに任せてミネを壁に押し当てていく。

 

 身長差による、覆い被さるようなディープな口付け。百合の花が咲き誇る光景に自分は置いてけぼりを食らうような視線を投げ掛けていると、しばらくと彼方に頂かれたミネは抵抗を見せながらも、次第と恍惚とした表情を浮かべながら、上の空といった具合の眼差しで彼方を見つめ始めていく。

 

 ……若々しい唇が重なり合い、唾液の音を二人で鳴らし合った本格的なそれ。経験者なだけはあるテクニックで意中の相手を骨抜きにした彼方は直にも、ゆっくりと唇を離しては見下ろすようにしてミネを眺め遣っていく。これにミネは脱力したように天を仰いでいき、壁に項垂れるように後頭部をつけていきながら、次にもうんざりしたような調子で喋り出してきた。

 

「っ……ホント、意味分かんない……っ。なんで、アタシがこんな……」

 

「蓼丸さん。私は貴女が好きです。幸せにしてみせます」

 

「は、はぁぁ……っ??? だから、それが意味分かんないって言って……」

 

 ミネが喋る途中にも、機敏な動作でミネから離れ出した彼方。瞳に宿る濃厚なピンク色の、その残像を空間に残しながら行われたそれと共にして、少女はこちらへと視線を投げ掛けながら、無感情な様相で喋り出してくる。

 

「柏島さん。次は貴方の番です」

 

「え? 俺?」

 

「蓼丸さんには判断してもらいます。私と貴方、どちらが自分を幸せにしてもらえるかどうかを」

 

「え、ええぇ……?」

 

 一体、何が起こっているというんだ……?

 状況がイマイチ呑み込めずにいた自分。しかし、こちらの背後から顔を覗かせてきたノアが、なんだか面白げに微笑しながらその説明を行ってきたのだ。

 

「柏島歓喜。どうやらカノジョは本気みたいだね。これが何を意味するか、分かるかい? ずばり……友仁彼方は意中の存在を賭けて、キミに勝負を申し込んできたのさ! ……さぁ、キミがこれまでに培ってきた経験の見せ所だよ! 柏島歓喜、その男気を存分とボクらに見せてくれたまえ!!」

 

「いやいや、なんでそんなにノリノリなの……」

 

 呆れるようにツッコんだこちらの言葉に、ノアはキリッとした眼差しで応えてくる。そんな少女の反応に自分は困惑混じりに視線を戻していくと、今も投げ掛けられていた彼方からの眼差しを受けながらも、自分はミネの下へと歩み寄り、壁ドンとも言えるシチュで少女に覆い被さりながらその言葉を口にしていった。

 

「何が何だかよく分からないけれど、なんか、こうしないといけない雰囲気みたいだから……。菜子ちゃん、俺のことも受け入れてくれるよね?」

 

「は、はぁ……っ? ちょっと、カッシーまで何言って……っ」

 

 ちゅ。

 言葉を遮り、半ば強引に口付けを行っていく。これにミネは喉から鳴らすような甲高い音を出しながらも、抵抗は一切と見せない様子でこちらとのキスに臨んでくれたものだった。

 

 少女の顎に手を添えて、それを持ち上げるようにしながら重ね合わせた互いの唇。ミネのそれは弾力こそ無いものの、その控えめな肉付きがかえってそそることから、自分は次第と昂ってきた興奮のままにミネの唇を堪能し、段々とギアを上げるようにその熱意を剥き出しにし始めていく。

 

 最初は軽めだった、双方の唇で跳ね合うような口付け。しかし、こちらからのアプローチで咥え込むような大胆なそれを行い出していくと、直にもミネの口を塞ぐようながっつくキスへと変貌し、唾液の音に留まらない、口と口の隙間から奏でられる卑しい音が路地裏に響き渡り始めた。

 

 ……恍惚とした表情のミネ。自身の両手を胸の前にやり、乙女のような格好でこちらの唇を受け入れてくる。直にも少女の脚には透明な液体が伝い出していき、その光景を眺めていた彼方は無感情ながらも、ただただ物静かに、じっと、佇んでいたものだ。

 

 ……数分に渡るキスを終えて、名残惜しむように離したこちらの唇。行為の終わりにミネは続きを求めるような眼差しを向けてくる中で、自分は少女の脚に伝っていた液体を指で掬い、粘り気のあるそれを本人にまじまじと見せつけながらこの言葉を口にしていく。

 

「菜子ちゃん、俺に応えてくれてありがとう。こうして自分の気持ちを形にして、俺にしっかりと示してくれたことが本当に嬉しく思えるんだ」

 

「っっ…………。ホント、バッカじゃないの……ッ!?」

 

 カァーッと顔を真っ赤にして、必死な様相で視線を逸らしていったミネ。少女の反応に自分が微笑んでいくその脇では、こちらへと歩み寄る彼方の靴音が響いてくる。

 

 そして、彼方はこちらを優しく押し退けた。

 向けられた、真っ直ぐな眼差し。次にも彼方からはこの言葉を掛けられる。

 

「私にもできます」

 

「できる、って……?」

 

「蓼丸さんを魅了できるのは貴方だけではありません。今からそれを証明してみせます」

 

 無感情でありながらも、どこか焦りを思わせる機敏な動作でミネへと覆い被さった彼方。このアプローチにミネは「は……っ?? え、ちょ」と声を上げるのだが、その言葉を遮るように彼方は再度、その口付けをミネに行っていったのだ。

 

 両手でミネの頭部を押さえつけ、こちらへと引き寄せるようにした真正面からのキス。どこか必死なアプローチで肉食が如くがっつく彼方のそれに、ミネは溺れるような声を出しながら、上辺の抵抗を見せていく。

 

 それからというもの、自分と彼方で交互にキスを繰り返すという謎の勝負が始まってしまった。

 対象とされたミネは、ふやけたような表情でこちら側の静止を求めてくる。だが、その度に壁ドンされてはキスされたミネは、もはや抵抗することもなく諦観気味に双方を受け入れてきたものだ。

 

 しばらくと続いた、ミネに対する熱烈なアプローチの数々。ミネの足元がぐしょぐしょになってもなお止まることがなかったこの行為ではあるが、それに加えて、面白半分に参加を表明したノアの参戦もあったことから、この日にもミネは、三名の男女から代わりばんこのキスを迫られるというプレイに見舞われた。

 

 バイであることをカミングアウトし、ミネに恋情を寄せた女子高校生、友仁彼方。彼女との交流は今だけに留まらず、こちらを恋敵認定してきた彼方とは今後とも、何かしらの付き合いで自分と関わり続けることとなるだろう。



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第58話 Désir et rose 《欲望と桃》

 眠すぎて起きることができない。

 アパートの自室にて、開けっ払ったカーテンから射し込む日差しを鬱陶しいと感じていく。そうして、今も床に敷いた布団で横になっていた自分は、掛け布団を頭に被せることでその光を遮断したのだが……。

 

 廊下から歩いてくる一つの足音。共にして、私服姿のレダが呆れた調子で言葉を投げ掛けてきた。

 

「ちょっと、カンキ君。いい加減に起きなさ~い? もうお昼になるわよぉ?」

 

「んむぉ…………もう少しだけ寝かせて……」

 

「もう少しって、あなたねぇ……。確かに昨日、ホステスの勤務が長引いて、みんなで夜遅くに帰ってきたものだったけど。だからと言ってお昼まで寝ていたら、あなたの生活リズムが崩れちゃうわよ? 働いていたホステスがきちんとしてて、あなたがこんな様子じゃあ、だらしないにも程があるわよ」

 

「て、手厳しい……」

 

 レダに叱られ、自分は己を奮い立たせるように上半身を起き上がらせていく。そのゆっくりとした動きに、彼女は息をつきながら部屋の中を歩き出すと、次にも窓を開けたり布団を直したりといった動作を交えながら、レダはこの言葉を口にし始めてきた。

 

「起きたら洗顔、それから朝食をとる! 朝食というか、もう昼食ね。とにかくご飯を食べなさい。そのあとは歯磨きをして、寝間着から着替えなさい。着替えた後は軽くストレッチでもするなり散歩するなりして身体を動かすこと。散歩をする時は、あなた一人じゃ危ないからわたしも付き添うわ。……ちょっとカンキ君、まだ布団から出てないの? そんなにだらしないと、ホステスのみんなから嫌われちゃうわよ?」

 

 きびきびと動くレダに視線を投げ掛けられ、自分はボーッとした状態で彼女と向き合っていく。これにレダは疑問を抱くように首を傾げてくるのだが、彼女の様子に自分は、未だ覚醒し切っていない意識でそんなことを呟いてしまったのだ。

 

「…………お母さん」

 

「はい??」

 

「レダ……お母さんみたい」

 

「お、おか……っ?!」

 

 喜んでいいのか、怒るべきなのか。入り混じる感情に複雑そうな反応を示してきたレダが、石化するようにピシッと硬直してこちらを眺めてくる。その反応を見た自分の意識は一気に覚醒し、咄嗟にも、弁解とも言うべき慌て具合でそれを説明した。

 

「あ、いや……! 何て言うのかな。俺、幼い頃から母親がいなかったもんだから、もし今も母親が居てくれたのだとしたら、こんなやり取りでもしていたのかなって……なんか、今、何となくそんなことを思っちゃったんだよね……!」

 

 むしろ、この弁解によって一層と気まずい空気を作ってしまったかもしれない。

 幼い頃に突如と消えた存在。そこからなる、欠けた日常を想起させる一場面を先のやり取りで見出した自分に対して、レダは言葉を失うように暫し佇んでいく。

 

 それ以上のことは言わず、返答に困っていた様子のレダ。これに自分は謝ろうと口を開いていくのだが、次にも彼女からはそのような言葉を掛けられたのだ。

 

「……別にね、イヤだって思ったわけじゃないのよ? それどころか、何でしょうねぇ……言うほど悪い気はしなかった? って言うのかしら。……とにかく、早く起きなさい! そのお布団も干したいから、早く退いてくれないと困るのよ」

 

「…………お母さん……」

 

「いいから早く退きなさい!!」

 

 

 

 

 

 絶好のお出掛け日和である快晴の龍明。鳥のさえずりが心地良いその空間において、自分とレダは運動を兼ねた散歩を行っていた。

 

 二人でアパートを後にして、何気無く手を繋ぎながら歩いてきた道のり。住宅街を突っ切ることで桜並木の道路に出てくると、既に葉桜となった若葉色の光景を二人で眺めていきながら、その道のりの途中にあった公園に立ち寄っていたものだ。

 

 滑り台やジャングルジムなどの遊具が備えられた、至ってポピュラーな公共の場。今も五名ほどの男子達が広場で遊んでいる光景を他所にして、自分とレダはベンチに座って休憩を挟んでいった。

 

 自販機で買ったペットボトルを彼女に手渡し、それのフタを開けて飲んでいくレダ。そんな彼女の横顔をまじまじと眺めている間にも、自分は内心でこのような心情を抱いてしまう。

 

 ……こうして見ると、レダって本当に綺麗な人だな。

 いつもの艶やかさが勝る印象とは裏腹に、何気無いサマで過ごす彼女は実に美麗な淑女だった。決して、珍しく綺麗だと思ったわけではないものだが、現在は色気を前面に出した通常の立ち振る舞いとは異なって、健康的な褐色肌が織り成すその横顔が、健気さともうかがわせる可憐な一面を醸し出しているようにも感じられたのだ。

 

 第一印象が淫魔として映る、白鳥レダという存在。しかし、日常を共にする中で自分は、彼女の淑女らしい側面を随所で目撃しているような気がする。

 

 ……内面よりも意識が向いてしまう、彼女の魅惑的な体つき。バスト九十九という豊満なスタイルは、オスの本能を揺さぶってくる。だが、彼女自身は己の身体にコンプレックスを抱いており、実際、そこから来る不純な印象によって、レダは過去にも壮絶な災難に見舞われてきた。

 

 望みもせず向けられた、ケダモノ達の視線。レダという存在そのものが、男の食欲をそそってくる。

 自分も例外ではない。今も横から眺める彼女の体つきに、どうしても意識が向いて仕方が無かった。そんなこちらの視線を感じ取ったのだろうか、口からペットボトルを離した彼女がジト目でそれを指摘してきたものだ。

 

「カンキく~ん? やらしいことでも考えてるの~? そのエッチな視線、わたしにバレバレよ~?」

 

「ご、ごめん。つい」

 

「ウフフ、いいわよ別に。もう慣れているもの、セクハラな視線を向けられることくらいねぇ」

 

「本当に申し訳ない……」

 

 本人はそんな本気で言っていないのだろう。こちらの反応にレダは艶やかな微笑を見せてくると、彼女は丈の短いワンピースで誘惑的に脚を組み、少し首を傾げた色っぽい仕草でこちらを見遣りつつ、豊満な胸を突き出すようにしながらそれを喋り出してきた。

 

「ごめんなさい、ちょっとイジワルし過ぎちゃったかしらぁ。そんな真に受けないでちょうだい? 大丈夫。カンキ君になら、どれだけ見られても気にならないから。……それどころか、わたしも意識しちゃうかも? ムラムラしたカンキ君に、たくさん見られちゃってる……ってね。だから、カンキ君。わたしのこと、遠慮せずにもぉっと見てちょうだい……? あなたから注がれる熱烈な視線で、わたしもその気になっちゃうから……」

 

「……レダ、ここは外だから……」

 

「ウフフ。周りのホステスとたくさんの経験を積んできたのに、反応はずっとウブのままよねぇ。本当に、カンキ君って可愛いわぁ」

 

 欲情的な息遣いで、こちらに顔を近付けてきたレダ。彼女から香ってくるフェロモンが一層もの欲を掻き立ててくる中で、今にもレダの唇がこの頬に触れようとした、その時であった。

 

 前方から、ボールが跳ねる音が聞こえてくる。これに自分らは視線を投げ掛けていくと、それと同時にして視界の中央からはサッカーボールが迫ってきて……。

 

 ぶつかる。

 身の危険を感じて、思わず目を瞑ろうとした自分。だが、それよりも前に褐色の右手がこちらの視界を遮ると、直後にもこの顔面に飛んできたサッカーボールは、その右手によって間一髪と防がれた。

 

 肉を打つ鈍い音が響き渡り、これに自分は唖然としたサマで暫し放心してしまう。だが、その間にもボールを持った手が視界の外へ引っ込んでいくと、次にも隣で立ち上がったレダが数歩と歩き出すなり、先ほど受け止めたサッカーボールを抱えながら、すぐさま駆け寄ってきた三名ほどの男子達へと言葉を投げ掛けていったのだ。

 

「ちょっとあんた達~!! 周りをよく見てからボールを蹴りなさい!! 他の人に当たったら危ないでしょう!?」

 

 軽く叱りつけたレダの声に、男子達は揃って「ごめんなさい!」と謝罪を述べてくる。それから彼女は、手放したサッカーボールを軽く蹴りつけることで少年達へと返していった。

 

 コートやワンピースをなびかせて、割と正確なシュートでボールを渡していく。これに少年達はお礼の言葉を口にするのだが、去り際にも彼らは無邪気な調子でこのような会話を行っていたものだ。

 

「なぁなぁ! あの人おっぱいすっげぇデカかったなッ!!!」

 

「あぁ! ボインボインしてた!! チョー揉みてぇー!!」

 

「パンツも見えそうだったけど見えなかった。おまえら見えた?」

 

 悪意の無い明るい喋り声。これにレダは複雑な顔を見せながら、呆れたように「まったくもう……」と呟いていく。それから、踵を返すようにこちらへ戻ってくると、レダは自分の隣に腰を下ろしながらそう苦笑してみせた。

 

「本当に、子供って正直。それも男子だから余計に手が掛かるわね。……あんまり良い気分にはなれないけれど、でも……こういうのも案外、悪くは無いのかもしれないわねぇ」

 

「こういうの?」

 

「子供を持つ、ってこと。まぁ、大好きな人と結婚して、その人と子供を授かって、育児に苦労するでしょうけれど、その苦労も幸せの内の一つなのかしらって。健気な子供達を見ていると、そんなことを思っちゃうのよねぇ」

 

 そよそよと吹く、心地の良い春の風。胸元まで伸ばしたもみあげを揺らすレダは、それを手で掻き上げる仕草を交えながらこちらへ尋ね掛けてくる。

 

「カンキ君は、結婚願望とかあるのかしら?」

 

「結婚かぁ……。俺もそういう年齢ではあるけれど、なんだか自分とは無縁のような話に思えてきちゃうなぁ」

 

「奇遇ね~。わたしもそう。結婚には憧れるけれど、自分とは程遠いもののように思えてきちゃって、やっぱり無理かなぁって諦めちゃったりする」

 

「レダなら、良いお嫁さんになれると思うよ」

 

「あらぁ、どうして?」

 

「面倒見が良いし、誰にでも気遣いができて、教養もある。他人に優しくすることができるし、時には他人を叱ることもできるし、あとは性格と顔も良くて、何よりも人としてすごく頼りになる。恋人としても、妻としても、これほど心強く思える女性って滅多にいないんじゃないかな。……レダは、良いお嫁さんになれるよ。少なくとも、男の俺から見たら、そう思ったんだ」

 

 何気無く説明してしまったこれらの言葉。喋り終えてから自分はハッとするように隣へ振り向いていくと、そこには呆気にとられたような表情でこちらを見遣るレダが存在していた。

 

 ……何か、マズいことでも言ってしまったかな。

 内心でメチャクチャ不安になった自分。だが、こちらの憂いとは裏腹に、次にもレダは微笑しながらそう喋り出してきた。

 

「ウフフ、フフ……アッハハハ。よくそんなこと、本人の前で恥ずかしがらずに言えるわねぇ。ホステスをたくさん口説いてきたからかしらぁ~? 随分と大胆なオトコになったわね、カンキ君」

 

「あ、あぁ……。いや、その」

 

「今、恥ずかしがらなくてもいいじゃない。本当に、可愛い子」

 

 そう言ってレダは、満更でもない様子でこちらの背をバシバシ叩いてきた。

 彼女から加えられた振動で、自分は誤魔化すような笑みを浮かべながら視線を逸らしていく。それから自分用のペットボトルを手に持って、気まずさを晴らすかのように、それのキャップを開けてから喉に流し込むようにして飲み物を口にしていった。

 

 ……我ながら、一体何に焦っているんだろう。

 自分の行動に、自分自身が疑問を抱いていく。だが、そうして意図的な沈黙の時間を設けていたその最中にも、未だこちらへ視線を投げ掛けていたレダは次にも、穏やかな調子で、おもむろにその言葉を口にしてきたのだ。

 

「それならカンキ君、わたしと結婚しましょうか?」

 

「ブフォッ!!?」

 

 お決まりのような定番の反応。空中に虹を描いた飛沫を飛ばす中で、自分はむせながら答えていく。

 

「ゴホッ、ゴホッ……ゲホッ!!! ……れ、れだ。急に何言って」

 

「割と本気だけど? カンキ君的にはどうかしら? 事故物件だけど、あなたにとっては悪くないんじゃない~? ……答え、ここで聞かせてくれる?」

 

 からかうような視線を投げ掛けてくるレダ。膝についた両肘で、その両手に顎を乗せたあざといポージングでこちらを見遣る彼女に、自分はときめきを覚えながらもひとまずそう返していった。

 

「れ、レダが良いのなら……っ。で、でも、あれだな。やっぱりこういうのは、もっとこう。お互いの人生のためにも、せめてもう少しだけ考える時間が欲しい……かも?」

 

「ウフフ、あなたって本当に面白い反応をするわよねぇ。見ていて飽きないわぁ」

 

「その本人は割と本気なんだけどね……」

 

「そこが良いんじゃない。あなたのそういうところ、わたし、素直に大好きよ?」

 

 ああああぁぁぁぁ…………可愛い……。

 本心から惚れてしまう、レダというその女性。今も褐色肌で艶やかに微笑む彼女に、自分は先の提案を真剣に検討し始めてしまってもいた。

 

 ……と、彼女の言葉に乱されるようこの先の将来を考え出していたその中で、レダは視線を前方の公園へと投げ掛けながらも、落ち着いた声音でそう喋り出してくる。

 

「偶然なのか、必然なのか。本当に、生きている中でこのような奇跡を実感する日が来るだなんて、思いもしなかった」

 

「奇跡……?」

 

「あなたのことよ、カンキ君。……一体何の因果かしらねぇ。わたしがこうして本気で結婚を考えた時、最初にその相手に選んだのも柏島の血族だった」

 

「……柏島長喜。俺の親父か」

 

「そう。本気で彼に惚れていたわたしは、ホームレスという身分でありながらも、ついつい、彼と共にする未来を思い描いてしまっていたものよ」

 

 投げ掛けた視線はそのままに、レダはしめやかに言葉を続けてくる。

 

「……既に彼が結婚して、あなたという子供も授かっていただなんて露知らず。バイでもあった彼が男性と二人で歩いていれば、わたしは物陰で勝手に嫉妬してしまって。依頼人の女性から話をうかがっているその姿を見ただけでも、わたしは勝手に発狂してしまいそうなほどに、気持ちが滅茶苦茶になってしまった。当時、彼の相棒だった荒巻オーナーに対しても、彼が羨ましくて羨ましくて仕方が無くって、そんなこと彼は知らずにわたしを口説いてくるものだったから、その度についつい手が出てしまいそうになったりして。……当時のわたしは本当に、柏島オーナーにぞっこんだったわぁ」

 

 今だからこそ語れる、過去の話。それを、意中の相手だった人間の息子に語っているというシチュエーションがまた、言葉にし得ない感慨深さを与えてくるのかもしれない。

 

 遠くを見遣るレダの眼差しは、地平線のその先を捉えていた。

 もう、あの頃の純粋な恋心は取り戻せない。それは、医者を夢見た学生生活の崩壊だけに留まらず、意中の人間が既婚だった現実まで突き付けられ、まるで見放されるようにどん底へと突き落とされた彼女の心労は、自分なんかには想像することができないだろう。

 

 ……レダという女性を幸せにしてあげたい。

 自分にできることは、一体何だろう。ただ守られることしかできずにいた自分の立場を情けなく思えてしまうその中で、自分は思い立ったようにレダへと言葉を掛けていく。

 

「……俺は、とても親父のようにはなれない。親父の武勇伝を聞かされてから、尚更とそう思えて仕方が無かった。でも……それでも俺は、何としてでもレダの心を満たしてあげたいと思えてくるんだ」

 

 こちらの言葉に対し、レダは軽く視線を投げ掛けながら尋ね掛けてきた。

 

「じゃあ訊ねるけれど、今のわたしに対して、あなたには一体何ができるのかしら?」

 

「それは……」

 

 ……つい、答えに詰まってしまう。

 答えたいのに答えられない自分の無力さ。レダの問い掛けによって再認識させられた現実に、悔しく思えて俯いてしまう。しかし、こちらの反応を見守るように眺めていたレダは、次にもこちらへ手を差し伸べながら、穏やかにそう喋り出してきたのだ。

 

「そんなに思い詰める必要は無いわよ。だって、今のあなたにも、わたしに対してしてあげられることはあるんですもの」

 

「…………?」

 

「わたしという一人の女性に寄り添うこと。それなら、あなたにだってできるでしょう?」

 

 伸ばした手で、こちらの身体を抱き寄せてきたレダ。最初に豊満な乳に迎えられた彼女の温もりは、次第と腕、頭、胴体と続いてこちらを包み込んでくる。

 

 ……温かい。レダの香りに包まれた自分は、自然と目を瞑ってしまう。この反応に彼女は優しく微笑んでくると、こちらへと頭をくっ付けたその状態で、囁くような声音で、言い聞かせるようにそれを喋り続けてきた。

 

「柏島長喜は歴史的にも偉大な人物で、わたしが心から惚れた意中の存在でもあった。けれど、あなたはその息子だからと言って、無理に彼のようになろうとはしなくてもいいの。だって、カンキ君。あなたは、あなたなんだから。柏島長喜は飽くまで柏島長喜なのであって、その息子の柏島歓喜は、柏島歓喜であることに代わりない。あなたは飽くまでも、それ以上にも、それ以下にもならないの。……馬鹿にしているわけじゃないのよ。むしろ、その逆。カンキ君。あなたには、あなたにしかない魅力がある。そしてわたしは……いえ、我々ホステスは、あなたのそんな魅力に、心から惹かれているのよ」

 

「……レダ」

 

「お父さんと違って、自分は何もできないだなんて思わないで。あなたには、あなたにしかできないことがあって、それはわたしという存在を、心から支えてくれている。……カンキ君。どうかこれからも、わたしの傍に付き添ってくれないものかしら。わたしはあなたのことを、柏島長喜の息子さんとしてではなく、柏島歓喜という一人の男性として見てる。だからあなたも……白鳥レダという一人の女性のことを、柏島長喜の息子としてではなく、柏島歓喜という一人の男性視点で見てくれないかしら。そうしてもらえると、わたし、とっても嬉しいかも」

 

 自身の頬を、こちらの頬にくっ付けてきたレダ。互いの柔らかな部位が触れ合う心地良さが、滲むように伝わってくる。

 

 ……レダの包容力に、自分は魅了というよりも安心感を抱き始めていた。

 ユノとは異なる安心感。それは女神の守護による物理的な安心感ではなく、女神の加護を授かったかのような、精神的な安心感によるもの。

 

 ずっと、レダとこうしていたい。包み込んでくる彼女の温もりに穏やかな心情でそれを思い、自分はゆっくりと顔を上げながら、それを口にしていく。

 

「レダ、結婚の件だけど……」

 

「お互いの人生のためにも、もう少しだけ考える時間が欲しい。自分でそう言ったんでしょう? なら自分の発言に責任持って、もう少し冷静に考えなさいな」

 

「……ごめん」

 

「ウフフ、わたしもイジワルしちゃってごめんなさい。これも全部、あなたの反応が面白いのがいけないのよ~?」

 

 妖艶に微笑んでみせ、悪戯にこちらを見下ろしてきたレダ。いつも通りとも言えるだろう彼女とのやり取りに、自分は安堵しながらもそれを切り出したのであった。

 

「……レダ、このあと時間空いてる?」

 

「えぇ、今日はお休みですから、いくらでも。……あなたからの“お誘い”だなんて、珍しいこともあるのねぇ」

 

「ダメ、かな……?」

 

「ダメなわけないじゃない。だって、わたしから言ったんですもの。これからも、わたしの傍に付き添ってくれないか、って……ウフフ」

 

 

 

 

 

 十階建ての大きな宿泊施設。その内の八階にある一室を借りた自分とレダは、真昼の景色に一切と目もくれることなく、カーテンを閉め切った薄暗い空間の中で熱情を共有し合っていた。

 

 夜景を売りにした、ロマンチックなひと時をコンセプトとした大人の休憩所。大きな窓の傍にある大きなソファやベッドなどが、景観を背景にした特別なムードを演出している。しかし、自分らは入室早々から絡まり合ったため、出入口付近の壁にもたれかかるような形で肉を打ち付け合っていた。

 

 服も脱がずにいる、着衣の行為。ワンピースだったレダの左脚を上げ、晒した“肉壺”めがけて自分の“ソレ”を突き出していく。既に潤滑となっていた彼女の“聖域”は容易くこちらを受け入れて、初っ端から加減の無い激しい運動に対しても、レダは痛みどころか快楽を見出して艶めかしい嬌声を上げていた。

 

 一心不乱に腰を振る自分。レダの左足には、脱がした黒色のショーツが掛かったままになっている。

 己の意思では止まることができない。今も“息子”は悦びに浸っており、自慢げに背を伸ばした直立の姿勢によって、彼女の命の空間とも呼べるだろう最深部をノックし続けていく。

 

 他ホステスと比べて、肉付きが良いレダの身体。温もりと色気を帯びた至高の肉感は瞬く間にオスの欲望を満たしていき、直にも自分は放出を目的に一層と運動を速めていった。

 

 だが、そうしてフィニッシュを目指し始めたこちらの様子に、レダは水を差すように両腕を回してくる。そこから抱き寄せるようにしてこちらの運動を止めてきた彼女は、熱烈なキスをねだるなり自らその唇を近付けてきて、静止した空間の中でディープなそれを交わし合ったものだ。

 

 メスの本能が、こちらの“モノ”を貪らんとギュウギュウに締め付けてくる。その締まりの良さに自分が天にも昇る快感を覚えていく最中にも、レダは口付けを交えた艶やかな息遣いで、その言葉を口にしてきた。

 

「カンキ君……っ。わたしのナカ、気持ち良い……?」

 

「すごく気持ち良いよ。もう、今すぐにでも出したいくらいに……っ」

 

「ウフフ……ダ~メ。まだお楽しみはこれからなんですもの。……ねぇ~カンキ君、わたしの身体ってすごくエッチかしらぁ?」

 

「すごくどころじゃないよ。とんでもないくらいエッチだ。……好きだ。レダの身体が好きで好きで堪らない。もっと欲しい。レダの、最高の抱き心地をもっと堪能したい。そしてずっと、こうしていたい。レダの身体を抱き締めて、レダの体温をずっと感じながら、レダのおっぱいをたくさん眺めて、レダの表情にも興奮して、レダの身体に触れながら、レダの大切な場所と繋がっていたい……っ」

 

「わぉ、とんでもないアプローチ……っ。そんなに刺激的な言葉を並べられちゃったら、わたし、今よりもっと興奮しちゃうかも……」

 

 彼女の言葉通りとも言うべきか、こちらを受け入れる“肉壺”が、“モノ”を締め上げるように奥へ奥へと引き締まっていく。これに自分は悶えるよう声を漏らしていくと、レダは恍惚とした表情で、全身からフェロモンを醸し出した凄絶(せいぜつ)な色気を伴いながら、こちらを抱き寄せるようにして抱っこをおねだりしてきたものだ。

 

 レダは、行為において何よりもムードを大切にするタイプの女性だ。相手との行為であれば、攻めや受けから始まり、緩めから激しめなどの、ありとあらゆるアプローチに対応するオールラウンダーな性質を兼ね備える彼女。だが、彼女は自身の極上の肉感を提供する代わりとして、主に言葉などを用いたロールプレイを相手に求めてくる傾向にあった。

 

 行為による物理的な快楽も、彼女にとっての好物であることに代わりない。しかし、それを上回る更なる大好物として好んでいたプレイが、相手を愛人や夫などに見立てた、仮想のシチュエーションからなる対象との掛け合いというものだった。

 

 行為中に交わす、相手との刺激的な言葉のキャッチボールに興奮を見出す彼女。それは、以前にも夫婦ごっこと称するお出掛けなどに楽しみを見出していた本人にとって、最も快感を得られる手段でもあったのだろう。そうして彼女から投げ掛けられる期待に見事応えてみせ、加えて、彼女の体つきや魅力についてのセクハラ(まが)いな発言を少々大げさに述べていくと、耳から入ってきたそれらの言葉によって彼女は、この上ない快感で蕩けるような表情を見せてくれるのだ。

 

 ムードを重視とした、間接的な愛情表現を好む肉食の淫魔。褐色の肌にたわわな乳が、無意識とオスの欲望を掻き立ててくる。それらから繰り出される彼女からの誘惑に勝る男など存在するはずもなく、魅了されたオスは瞬く間に子種を搾り取られてしまう。

 

 立った状態で行っていた行為から一転して、繋がり合ったままレダを抱え込んだことで、場所を移しながらの運動を行った自分。その際に彼女の両脚に腕を通すことで、M字のような開脚の格好でレダをベッドまで運んだものだった。

 

 何をやらせても、どんな格好でも色っぽい。すべてにおいて欲情を仰ぐレダという存在に興奮が高まった自分は、ベッドに寝かせた彼女へと覆い被さるようにしてキスを交わしていき、そこから首筋、胸、へそ、下腹部と移動しながらの軽い口付けを行ってから、直にも到達したレダの“肉壺”に触れていく。

 

 快感によって充血した、ふっくらとした肉感の“ソコ”。既に準備も万全な、受け入れ態勢の湿り気を伴ったソコに自分は口を近付けていくと、次にも唇を埋めるようにしてレダの“聖域”を堪能し始めていった。

 

 堪らず、彼女の中で咀嚼する自分。潤いさえも貪る勢いでレダを食すこちらの行為に、彼女は演技ではない本気の声音を上げて身体を仰け反らせていく。

 

 ……愛おしい。レダという女性が堪らなく大好きだ。

 こちらの好意が伝わってくれていたら嬉しいな。内心で抱いた恍惚の念と共に身体を起こした自分は、そのまま食い散らかした彼女のソコに自分の“息子”をあてがいつつ、今も快楽の余韻で悶えるレダの両手首を掴んでいく。それから一気に顔の距離を近付けてレダに迫ると、彼女は不意を突かれたように驚いた、意外そうに唖然とした表情を見せてきた。

 

 見開いた眼差しが、余計に愛おしい。これに自分はゴクリと息を呑みながらも、レダの両手首を握る力を少し強めてから、彼女の身動きを完全に封じたその状態で言葉を口にしていった。

 

「……よし。俺、決めた」

 

「な、何をかしら……?」

 

「これからレダを孕ませる」

 

「へ……っ?」

 

「だから、レダもそのつもりでいてほしい。いいね?」

 

「……は、はい……っ。お手柔らかに……っ」

 

 ビキビキとそそり立った自分のソレ。背を伸ばしたソレが彼女の聖域に触れることで、自分の興奮は一層と昂り出していく。

 

 そして、自分は再びレダへと進入し始めた。

 瞬間にもこちらを迎え入れた、極上な温もりでソレを抱き抱えるレダの聖域。熱烈なほどの締め付けによりすぐさま達した自分が、発射を我慢しながらも脳天に電流を迸らせていく。

 

 ……まだダメだ。彼女の奥に到達していない。今ここで欲望を放出してしまうと、レダの命の空間に子種が届かないかもしれない。

 

 絶対に、孕ませる。揺るぎない断固たる意思で欲を堪えた自分は、次の時にも、我慢によって限界まで引き締まった全身の筋肉からなる、理性が飛んだ猛烈な勢いによる激しい上下運動を繰り出していった。

 

 何としてでも植え付けてやる。圧し掛かるようなプレスの運動は、レダの身体を容赦なく打ち付けていく。この力ずくな行為に彼女は悲鳴のような嬌声を上げていくと、レダもまた我慢を忘却した本能からなる声を雄叫びのように響かせて、獣のようなプレイに恍惚とした表情で天井を仰ぎ始めていたものだ。

 

 殴り付けるかのような、肉を打つ音。湿り気を伴った鈍い音が部屋中に轟いて、ベッドもいつ折れてもおかしくないほど軋み続けていく。

 

 これまで史上、一番とも言える激しい行為だった。

 血に飢えた猛獣が淫魔を襲う構図。欲望にそそのかされ、歯止めが利かなくなった猛獣が淫魔を貪るその光景は、傍から見れば犯罪を想起させること間違いない。

 

 しかし、襲われる側の淫魔は至極ご満悦な様子だった。

 圧迫される状況の中で、彼女はこちらの身体に両腕を回して抱き留めてくる。一方で両脚は快楽のままにピンと伸ばしており、この行為を後ろから覗いた際にはWのような形を描いていたことだろう。

 

 それでもなお、彼女はこちらを求め続けてきた。

 乱暴かつ本能的な行為に快楽を見出していた彼女。その様子に自分が極限までの昂りを覚えていく中で、次にもレダとはこのようなやり取りを交わしたものだった。

 

「レダ……っ!!! これでレダに子供ができたら……っ、俺達、結婚しよう……っ!!」

 

「えぇッ、いいわよ……っ! 子供ができたら、ッ、結婚しましょうっ……!!」

 

「結婚が決まったら……みんなにお祝いしてもらおう……! その際には、レダは綺麗なウエディングドレスを身に纏って……俺と一緒に、高級ホテルで豪華な結婚式を挙げるんだ……っ!!」

 

「ウエディングドレス……っ。一度でいいから着てみたかった……! わたしの憧れだった……!! 街中にあるドレスのショーケースを見て……ずっと、着てみたいなって思ってたの……っっ!!」

 

「着られるよ……! レダなら着られる……! 俺がそれを実現させてやるから……っ!!」

 

「カンキ君……っ子供の名前。子供の名前はどうしましょう……っ」

 

「あとで、一緒に考えような……! 男の子と、女の子……二人分の名前を考えよう……っ」

 

「わたし、子供……四人、四人欲しい……っ!!」

 

「分かった。それじゃあ四人産むためにも……健康に気を遣った生活を送らないとね……っ」

 

 ロールプレイなどではなく、本気で語り合う自分とレダ。二人で抱き締め合ったそれにひと段落がつくと同時にして、自分は限界まで差し迫った己が欲望を、レダの中へと吐き出すよう一気に噴出させていった。

 

 熱を帯び、どくどくと脈打つ肉の管。そこから自分の全てを捧げるよう彼女に熱意を注ぎ込み、溢れんばかりの欲望で彼女の中を満たしていく。

 

 ……ラミアとメーに続き、自分史上もっとも多い量を噴射した。

 出すと共にして、レダの肉壺からは熱意が溢れ出してくる。そうして、最深部に達していたはずの管から即座に溢れ出た自分のそれを実感すると、次にも彼女の頬を手で撫で掛けていき、それに力無く微笑んだレダに続いて、自分も微笑を浮かべたものだった。

 

 結果から言ってしまうと、今回の行為で子供を授かることはできなかった。

 しかし、彼女との関係を再確認することもできた自分は、そこから来る充実感から倒れ込むようにして力尽きてしまった。

 

 下に居たレダが、落ちてきたこちらの身体を抱き留めてくる。そして、豊満な乳が触れる彼女の温もりに包まれながらも、自分とレダは暫し抱擁を交わした後に、共にして深い眠りについたのであった。



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第59話 Je ne veux pas avoir de regrets 《悔いが残らないように》

 夜のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を堪能した自分が、通路を抜けてエントランスに踏み入れていく。そうして、真っ直ぐとした足取りで出口を目指していたその最中にも、奥のカウンターにいたタキシード姿のハオマから、このような言葉を掛けられた。

 

「あ、カンキくん! おーい! こっちこっち!」

 

「え? あぁ、ハオマさん。どうかされましたか?」

 

 無邪気に手を振って呼び掛ける彼女のそれに、自分は尋ねながら歩み寄っていく。その間にもハオマからは、ニヘラ~と微笑むサマで「あーいや、見かけたから呼んでみただけだよー」と言葉を掛けられたことから、自分はちょっと癒された気持ちになりながら「そ、そうですか……」と返答したものだ。

 

 なんか、この前も同じやり取りを交わしたような気がする。

 そんなことを思いながらハオマの下へと歩み寄り、カウンター越しに向かい合っていった自分。今もほわほわとした天真爛漫な笑顔を浮かべる彼女に見惚れるよう視線を向けていると、次の瞬間にもこちら目掛けて駆け寄ってくる忙しない足音が他所から聞こえてきて……。

 

 アメフト並みのタックルでこちらの脇腹に突っ込んできたシュラ。タキシード姿の彼女が「ニーチャぁーーーーン!!!!」という声を上げながら行ってきた豪快なそれに、自分はその場で横に二回転ほどしながら、シュラを抱き留めていく。

 

 人力メリーゴーランド。視界が高速で三百六十度の景色を見渡し、思わず目を回しながらも感覚で彼女の頭を撫でていく自分。その間にも、これにシュラはうっとりとした顔で懐に埋まりながら、「ニーチャン……ニーチャン……」といつものように甘えてきたものでもあった。

 

 今日も相当疲れたんだろうな。彼女の苦労がうかがえる、甘えモードのシュラ。せめて彼女の癒しになろうと自分がそれに応えていく中で、この様子を傍で眺めていたハオマがそう喋り出してきたのだ。

 

「わぁ~、すごい懐いてるねー。今はシュラちゃんって名前だっけ? 鳳凰不動産に居た時は、こんなデレデレな姿を誰にも見せなかったものだから、なんだか意外に思えてきちゃうなぁ~」

 

 そう言えば、シュラもハオマも鳳凰不動産から来た人間だったな。

 思い出した彼女らの経歴を、内心で呟いていく自分。今もほわほわとした調子で何気無く口にしてきたハオマのそれだったが、彼女の言葉にシュラは顔を上げてくると、次にもどこかやり辛そうな表情を浮かべながら、シュラは口を尖らせた様相で、ハオマとはこのようなやり取りを交わしていった。

 

「う、うっす……。どうもっす……」

 

「そんな、苦手意識をモロに出さないでよっ!!! 確かに私達は鳳凰不動産から来た裏切り者同士だけど、だからってそんな露骨に気まずそうにしないでぇっ!!」

 

「せやけど、普通に考えてウチらの立場普通に危ういで? 何せ、二人で同じ組織を抜けた挙句に、二人してLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)っちゅう因縁の仇に寝返っとるんや。……確か、事務員のネーチャンはなんか疑いをかけられて、急に追放されたとかやったな。んでウチはスパイとして潜り込んで、そのままココに住み着いてしもた。どないな経緯があれ、ウチら揃って重罪を犯した以上はアチラさんも黙っとらんやろ。ウチら捕まったら、即焼却炉行きやで?」

 

「うへぇ~……本当に焼却炉で燃やしてきそうなのがあの会社の怖いところだよねぇ~……。表じゃあ普通の不動産って感じの会社だったけど、裏では工作とか裏取引とかしてて、私達もそういうのに加担させられたのが懐かしいよねぇ……」

 

「ほんま、酷い職場だったで。黙秘は当然として、工作の加担を断った際には、秘密を知ったっちゅうことで焼却炉送りや。……ここは龍明やさかい、どないな犯罪が起こっても何も驚かへん。せやけど、全国に店舗を出しとる名の知れた不動産がバリバリのブラックだったんや。ウチ、あの環境を知ってから企業っちゅうもんを信用できなくなったわ」

 

「私もね、なんか、外に工作の情報を横流しした~とか言い掛かりをつけられたみたいなんだよねぇ。なんかイヤな気配を感じて、私は捕まる前に逃げ出しちゃったんだけど。でもさー、私ホントに何もしてないんだよ!? ただ普通に事務員としてデータ管理してただけなんだよ!? もう、ブラック企業で真面目に勤めてただけだったのに、どうしてこんな目に遭わされなきゃいけないのかなー!! 今まで勤めてきた苦労が仇で返されて、さすがの私も怒っちゃったよ! プンプンッ」

 

 本人は本気で怒っているのだろうが、その当人の柔和な雰囲気によって本気度がイマイチ伝わってこない。

 

 眉をひそめて、頬を膨らませながら怒りを表現してくるハオマ。だが、彼女の様子を傍らにシュラは穏やかなサマを見せてくると、彼女はこちらに引っ付いた状態のまま、この懐に頬を擦り付けながらそう喋り出してきた。

 

「やけど、結果的にはこれで良かったんちゃうか? どないな形でも、あの真っ黒な企業から離れられたおかげで、事務員のネーチャンは天職とも呼べるホステスに辿り着いて、ウチはこうしてニーチャンと一緒になることができた。……鳳凰不動産を裏切った以上は、ウチらのこの先の気苦労も、ほんまに凄まじいもんやと思うで。それも、想像を絶する命懸けの戦いになるんやと思う。せやからこそ、一分でも一秒でも、今の生活を今の内に余すことなく心から堪能しておくんや。ウチはな、ここに来て正解だったと思うで」

 

 懐に擦り付けていた頬を段々と上げていき、首を伝って頭部に到達したシュラの頬が、こちらの頬を擦り付けてくる。

 

 そして、彼女はこちらを抱き寄せるようにして、勢いのままにしれっと口付けを行ってきた。

 もう離さへん。彼女の心情が汲み取れる、咥え込むような熱烈なそれ。シュラの熱に絆された自分は彼女の期待に応えるようその身体に両腕を回していき、抱き抱えるようにして暫しものキスを堪能した。

 

 シュラと一緒にいると、心も体も元気になってくる。そうして、彼女に感化されるように明るい気分を蓄えた自分は次第と唇を離していくと、そのあとに二人で見つめ合いながらも、自分は名残惜しむようなゆっくりとした動きで彼女との距離を空けていく。

 

 ……もっと、してくれへんの?

 シュラの言葉が聞こえてくるような、おねだりする潤いの瞳。子犬みたいに健気なそれを見てからというもの、自分は彼女のアンコールに応えるよう再び顔を近付けていくのだが……。

 

 コツコツと聞こえてきた、こちらへ歩み寄る二人分の靴音。直にもタキシード姿で現れたメーとユノがこちらを発見するなり、メーは玩具を見つけたかのような目を見せながら、からかうような調子で喋り掛けてきたものだ。

 

「やほー、カンキ君~。今日もお疲れちゃ~……おやぁ?? おやおやおやおや?? おほっ、カンキ君またしてもお取込み中だったかなぁ?? ラミアに続いて、シュラとまでお楽しみしちゃって。カンキ君ってばホント、プレイボーイよのぉ~???」

 

 にじりにじりとすり寄ってきて、自分とシュラの周囲をグルグルと回るメー。こちらの顔を覗き込む視線に自分が返答に困っていると、すぐにも歩いてきたユノが助け舟を出してくる。

 

「メー、柏島くんをからかうのはやめなさい。彼は大切なお客様よ。彼の扱いは、八百万の高値がつけられたダイヤモンドのジュエリーよりも丁重でなければならないわ」

 

「ほいほーい、了解でーす。……そういうことで、カンキ君。シュラとのちゅっちゅを存分に楽しんだら、次は仕事終わりのメー様とたっぷりちゅっちゅするぞ?」

 

 そう言い、シュラを手で退けながらメーが視界に入り込んでくる。これにシュラが「何するんや! ニーチャンはウチとお楽しみしとったんや。邪魔せんといて!!」と言いながらメーを退かそうとしたものだったから、次にも二人は目の前でじゃれるような揉め合いを展開していった。

 

 二人の様子に、鼻で息をつくユノ。ハオマはボケ~ッとした表情で「若いっていいなぁ~……」と言葉を口にしていくその中で、ユノはメーとシュラを無視するようにこちらへと言葉を投げ掛けてきた。

 

「柏島くん。このあとの予定についてなのだけど、貴方が許可してくれるのならば、今夜は私もそちらにお邪魔しても良いものかしら?」

 

「お部屋にですよね? 構いませんよ。大歓迎です。……ですけど、ユノさんがいらっしゃるのも珍しいですね。どうされましたか?」

 

「私事にはなってしまうのだけど、今宵は人肌恋しい気分なの。今夜はミネもノアも同伴で出てしまっているものですから、貴方の部屋にお邪魔することを思案していたのよ」

 

「なるほど。部屋にいらしてくれるのは大歓迎なので、ぜひとも今夜は泊まっていってください」

 

「ありがとう、柏島くん。……孤独に苛まれ、断崖に立たされた窮地の私へと差し伸べる救いの手。時間や場所を一切問うことなく、私という愚者であろうとも慈悲なる救済をもたらす貴方という存在に、心からの感謝を捧げたいわ。柏島くん、本当にありがとう」

 

 お、おおう……。

 炸裂したユノ節に言葉を失っていく自分。そんなこちらの様子にお構いなしとユノが手を差し伸べてくるのだが、未だシュラと揉みくちゃになっていたメーが横やりを入れるように口出ししてくる。

 

「ユノさん、今日お客さんの女の子にフラれちゃったんだもんね。好きな男の人ができたってことで、そっちに移られちゃってさ。それで寂しい気持ちになっちゃったんでしょ? ユノさん、分かりやすく悲しい顔してたもんね~」

 

「メー、貴女が私の寂しさを埋めてくれてもいいのよ? 何なら今宵、柏島くんの部屋で私に抱かれてもいいのだけど」

 

「ひぇっ……!!! そんなことされたら私、疲れで一日中動けなくなるんだけど……! ユノさんの何がヤバいって、ユノさんとヤったら体中の水分が無くなって天日干しみたいに干からびちゃうし、キス跡も全身について同伴先でめっちゃ困ることになるし、ユノさんとシた後って他の男じゃイきにくくなるから商売的にも影響出てひたすらにマズいんだってば……!!」

 

 焦りながらも、律儀に説明してくれたな……。饒舌な分、ユノという人物の凄まじさを理解しているということなのだろう。

 

 というか、人の部屋で勝手に盛らないでもらえるかな……。

 ただただ汗を流しながら、彼女らのやり取りを眺めていた自分。そんなこちらの真横からは、いつの間にか歩み寄っていたハオマがこちらに向かって、キリッとしたサマでそう言葉を投げ掛けてくる。

 

「あの! 私もみんなについてっていいですか!? なんだか楽しそうだし!!」

 

「あはい、いいですよ。ハオマさんも大歓迎です。ぜひともいらしてください」

 

「え、嘘。本当に!? こんなおばさんもみんなに加わっていいの!? やったー!!! ……えへへ、これで私も若者の仲間入りだね~」

 

「いやいや、ハオマさんもまだまだお若いですって……」

 

「おやおやまぁまぁカンキ君。ほんと、お上手ですことっ。おほほ~」

 

 バシバシッ。左手を口元に添えながら、右手でこちらの背中を叩いてくるハオマ。

 あちこちでいろんなことが起きていて、とにかく忙しないよこの空間……。そんな風に、切実に巡らせたその言葉を内心で抱いていきながらも、自分はこちらから言い出す形で彼女らに帰宅を促したものだった。

 

 

 

 

 

 場所はアパートの自室に移り、部屋に帰ってきた一同でお疲れ様の乾杯を交わしていく。

 自分とユノ、シュラやハオマがチューハイを頂いていき、メーのみは缶ビールをグビグビと飲み進める光景。テーブルの上にはパック寿司が広げられており、慰労の晩餐会といった具合に彼女らは食事と談笑の両方を楽しんでいた。

 

 酒の香りとメスのフェロモンが充満したピンク色の空間。魅惑とも言えるそれらにあてられることで、自分の酔いはどことなく加速していたような気がした。

 

 ……色々と刺激が強すぎて、なんだか眩暈までしてきたな。

 頭がクラクラするような朦朧さを伴いながらも、メーやシュラの愚痴に相槌を打っていく自分。これに彼女らはご満悦なサマを見せてきた中で、缶チューハイを片手に持ったハオマがこちらに寄り掛かると、彼女はベロベロに酔った調子で、唐突にこちらの匂いを嗅ぎながらそれを喋り出してきた。

 

「うぇへへへへぇ~~…………ッスゥゥゥゥ。っんぅ~~……カンキ君、男の子のニオイするぅ~……」

 

「え、ええぇ……まぁ男ですから、そりゃあ……」

 

「立ち込める男気の香りぃ~……ムンムンする筋肉のむさくてたくましいニオイ大好きぃ~……。ねぇカンキ君~……このあとハオマお姉さんとぉ~……“この前の続き”、してみな~い??」

 

「ええぇ、この前の続きですか……?」

 

 先日にも、路地裏で交わした彼女との熱烈な行為。互いの聖域を晒し合い、着衣した立ちの状態で本番寸前に至った大人のひと時。

 

 こちらの反応に対して、ハオマは泥酔しながらもどこか誘惑する声音で、「私ねぇ~……あのあとカンキ君のこと、たっくさん考えちゃったんだぁ~」と答えてくる。それに自分は昂るものを感じながらも「あの、せめてそういう話はみんながいないところで……」とやんわり断っていくのだが、ハオマの言葉に誰よりも反応を示してきたのは、自分ではなくシュラの方だったものだ。

 

 直後にも、真横から盛大にタックルをかましてきたシュラ。これに自分とハオマが二人でよろける中で、シュラは泥酔で顔を真っ赤にしながらも、酔いの勢いに任せた必死な様相で喋り出してくる。

 

「ニーチャァァン?!! ニーーチャアァーーン??! ジブンまさか、事務員のネーチャンともヤったんか!!? なぁぁニーチャンどないやねん!? 正直に白状しぃ!!!」

 

「お、落ち着いてシュラ……! ハオマさんとはまだそこまで行ってなっ……」

 

「まだ!!? っちゅうことは事務員のネーチャンともヤるつもりなんかワレェ!!! ……今までずぅぅぅっと我慢しとったけど、この際だからハッキリ物申したるッ!!! ニーチャンなぁ!! ウチっちゅう存在が居りながら、こないに付きっ切りなウチのコト差し置いて他のネーチャンらとエッチするの、ほんま許さへんでッ!!! ニーチャンなァ。この落とし前、どうつけるっちゅうんや!? なァ!?? こないに傍に、ニーチャンでオ〇ニーするエッチでド変態なオンナがおるっちゅうのにッ!! なァ!!?」

 

「こ、怖い怖い!! シュラなんか怖い!!」

 

 シュラ、酔うと凶暴になるタイプの人間だ……!

 自身の頭部をこちらの頬にグリグリ押し付けてくるシュラ。これに自分がもごもごと言葉を喉に詰まらせていくその最中にも、ハオマはハオマでニヘラ~とした無邪気なサマでそのようなことを口にし始めていく。

 

「そ~だぁ、前からずっと気になってたんだけどさぁ~、シュラちゃんって不動産にいる時から『オニーチャン』って人を探してたよねぇ~。あれから何年くらい経ったか忘れちゃったけど、シュラちゃんのオニーチャン、今もまだ見つかってないのぉ~?」

 

 え?

 突拍子の無い問い掛け。だが、自分としては初耳となる情報を聞いて、思わずシュラと共にピタッと止まっていく。

 

 一瞬だけ、三人の間の空気が凍り付いたかのような静寂に包まれた。それからしばらくして、シュラは理解と同時に酔いが醒めたように見開いていくと、次にも彼女は目を逸らしながらそれを喋り出してきた。

 

「じ、ジブン、なしてそないな昔の話覚えてんねんッ!? ……そないな話、今更どうでもええやろが」

 

「あれ? てことはまだ見つかってないんだ。心配だねー、オニーチャンのこと。……う~ん? それか、シュラちゃんの言うオニーチャンって、実はカンキ君だったりするのかな~??」

 

「っ…………」

 

 どこか、言葉を詰まらせるように息を呑み込むシュラ。

 いや、でも自分には妹なんていないぞ? 一人っ子である自分は不思議に思いつつも、シュラを見遣っていく。それでいて、この視線が痛いほど突き刺さったのだろうか、シュラはちょっとだけこちらから距離を置いてくると、次第と彼女は口を尖らせながらそう返答を行ってきたのだ。

 

「……ウチには兄弟なんておらへんよ。せやけど、隣におるニーチャンは正真正銘、ウチのニーチャンなんや。……まぁ、なんや。ヤクザで言うアニキみたいなモンやと思うてもろてええ……」

 

「ふ~ん? そうなんだぁ~。シュラちゃん、オニーチャン見つかるといいねぇ~。……ちょっとカンキ君聞いてよ~。シュラちゃん、不動産にいた時ね、監視カメラをこまめにチェックして、オニーチャンって人を探し続けていたんだよ~。お仕事がお休みの日でもねぇ、私と一緒にお出掛けしてる時も、監視カメラをハッキングしてオニーチャンを探したりしててね、シュラちゃんって健気で一途だよねぇ。本当に可愛いなぁぁ~」

 

「ちょぉ、余計なこと言わんといて!!! ほんま、事務員のネーチャンには関係あらへんから!!」

 

 どこか焦った様子で、ハオマへと返答するシュラ。これにハオマもキョトンとした表情でシュラを見遣ってくるのだが、次にもこちらの空気を読むことなく、いつの間にかベッドに寝転がっていたメーが泥酔した調子でこれを口にしてきた。

 

「ふにゃ……シュラぁ~~……。あんたぁ、まらカンキ君とヤっれないのぉ~?」

 

「な、なんや突然……っ! っちゅうか、運び屋のネーチャンにはそないなこと関係あらへんやろっ!! 余計なお世話っちゅうやつや!!」

 

「あはぁ~。れもれもぉ、ホスれスの中らとシュラが一番カンキ君ラブ勢じゃ~ん? そんな子がろ~してカンキ君とエッチしないのか、ちょっとらけ気になってたんらよねぇ~」

 

 ベッドの布団に顔を埋めたメーは、アルコールで顔を真っ赤にしながらも、あざとい小悪魔な視線をこちらに送りながらそれを喋ってくる。これにシュラは、眉をひそめながら「そないなこと言われても、だって……」と言葉を濁らすように答えたものだったから、自分はそれを不思議に思い、つい、彼女のことを見遣ってしまう。

 

 ……こちらの視線に、戸惑いのような表情で困り果てたシュラ。彼女の反応に自分は「シュラ……?」と声を掛けるのだが、それに対してもシュラは「に、ニーチャンは気にせんといて……!」と言い、彼女には珍しくこちらを突き放すような仕草で拒否を示してきた。

 

 酒も完全に抜け切ったような、シュラの焦燥混じりの横顔。

 ……ベッドの上では、寝転がるメーに音も無く近付くユノの姿。直にも、ユノは肉食動物が獲物を捕らえるかの如くメーに覆い被さっていくと、直後にも捕食されたメーは「んみゃあぁ!!?」という奇声を発しながら、敢え無く服を脱がされ始めていったものだ。

 

 尤も、彼女らの戯れに目もくれることなく、自分はシュラを眺め続けていく。その視線に負けたとも言うべきだろうか、次第と彼女はこちらへ振り向いてくるなり、ちょっと気まずそうにした健気な上目遣いでそのようなことを問い掛けてきたのだ。

 

「……ニーチャン。ウチな、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に入ってニーチャンに付きっ切りになってから、ずっと気になってたことがあんねん」

 

「どうしたの? 何か悩みがあるのなら、俺に話してくれてもいいんだよ?」

 

「……ありがとぉ、ニーチャン。……ほなら、率直に訊くんやけど。もし仮に、ウチがニーチャンとエッチしたい言うたら……ニーチャンも、ウチとエッチしたいって、そう思うてくれるんかなって……。前々からな、そないなことをちょっとだけ気にしとったんや……」

 

 先にも話は出ていたものの、いざ本人から訊ねられるとドキドキしてしまう。

 ……シュラとのエッチ。今までにも彼女とのオーラルな行為や裸を見てきた身として、その先に至りたいという思いが日に日に強くなっていた自分。しかし、本人の誘惑的な言葉とは相反して、彼女自身はこちらとの本番行為を気掛かりに思うサマを見せてきていた。

 

 ここは素直に返事する場面だろう。彼女の問い掛けに自分は頷いてから、思いのままにそう答えていった。

 

「……シュラが良いのなら、そうしてみたいかな。今まで見てきたシュラの姿が、俺にとってすごく魅力的に映っていたんだ。だから……もしもシュラとエッチできるのならば、正直な話、してみたいな。そして、シュラとも幸せを共有し合ってみたい。……なんて、今のシュラの言葉を聞いて、俺はそんなことを思ったかな……?」

 

「…………っ、そうやったんやな。ニーチャンも、ウチとシたいっちゅう気持ち、あんねんな」

 

 その瞬間にも垣間見せてきた、巡る安堵で見開いた、非常に晴れ晴れとしたシュラの表情。まるで、胸の内に秘めていたのだろう不安が全て取り払われたかのような、曇り切っていた顔つきが一気に晴れ渡った快晴が如き明るいそれ。

 

 だが、直後にも彼女は感極まるあまりに泣きそうな表情を見せてくると、次にも乙女のように上ずった声音でその返答を行ってきたのだ。

 

「そうやったんやな……。ニーチャン、ウチとシたいっちゅう気持ち、あったんやな。……なんやろな。なんやろ……。なんか、めっちゃ嬉しいわぁ……っ。ウチもようやっと、ニーチャンに認められたような気がする。せやから……もうな、包み隠さず、ウチの本音をぶちまけたる。…………エッチしたい。ずっと我慢しとったけど。ウチ、ニーチャンとエッチしたくって、ずっと、ウズウズしとった……ッ。せやさかい、ニーチャンをオカズにオ〇ニーして。それを録画して。ウチで見返すことで満足した気になっとった……!! せやけど、せやけど……もう……ッ」

 

 ……私服のホットパンツの、股部分を両手で鷲掴みにして震え始めるシュラ。次にも彼女は唐突に涙をボロボロ零し始めていくと、呆気にとられる自分とハオマに見守られながら、シュラは打ち明けるかのようにその言葉を続けてきたのだ。

 

「ッ……ウチは、ニーチャンとエッチがしたいねん……!!! ニーチャンのことを思うとな、“ココ”が疼いて疼いてしゃあないんや……っ!! せやけど、ニーチャンはニーチャンで色々と忙しくしとるから、この気持ちをずっと我慢して、これをオカズにウチで処理し続けとった。けど……もう我慢できへんのや……! ウチがこないにして我慢しとる間にも、ニーチャンは他のネーチャンらと気持ち良くなっとって。そないな話を聞く度に、悔しく思うて、ウチな、ほんまに頭おかしくなりそうやった……ッ!!!」

 

「……シュラ?」

 

「ニーチャぁン……ッ。ウチの一生のお願いやぁ……! ウチのこと……抱いてほしいねん。ウチの裏切りが不動産の連中にバレて、ウチが始末されるより前に。一夜だけでもええから、ウチ、ニーチャンと愛し合いたいんや……っ!!! どないに大げさや思われてドン引かれてもええ……っ! そんだけな、ウチ、ニーチャンに全てを懸けて生きてきたんや……ッ!!! せやから……お願いやニーチャン。ウチの命に懸けて、どぉか、このお願いだけは聞いてもらえんかな……ッ!!!」

 

「わ、分かった! シュラ、俺とエッチしよう。そして、二人だけで過ごした尊い時間を、俺とシュラだけの思い出として、永遠に二人の記憶に刻み込もう。……一生の宝物になるように。二人でたくさん愛し合おう。だから、もう大丈夫だよ……。シュラにどんな悩み事があろうとも、俺はずっと、シュラの味方であり続けるからな……」

 

「うぅっ……。ニーチャン…………」

 

 感極まるシュラを抱き留めて、力強い抱擁を行う自分。これにシュラも両腕を回してくることで、二人は思い出を作る約束を固く結んでいった。

 

 彼女には、彼女なりの事情があったのだろう。その内容自体は知る由もないが、こうして自分自身をだいぶ追い詰めるほどの、真剣で、深刻な悩みであったことは確かだ。

 

 ピンク色の空間で繰り広げられた、兄妹愛? のような熱いやり取り。これに自分は真剣にシュラと向き合っていたその中で、こちらの様子を眺めていたハオマはどこからかハンカチを取り出しつつ、「ブェエエェンッ!!! イイハナシダナァ~~~ッッ」と謎の号泣をかましていく。

 

 で、ベッドの方はベッドの方で、捕食者の眼光で乙女の聖域を貪る半裸状態のユノと、全裸にされた挙句に、大切な部位を執拗に刺激されていたメーの喘ぎ声や噴水の音が響き渡っていた。

 

 ……いや、何なんだこの状況は……。

 カオス極まっている……。一つの個室内で展開される情報量の多さに、もはや困惑してしまった自分。その状況下でもなお自分はシュラと同伴の約束を交わしていくと、未だ二人の美女が人のベッドで盛りまくる様子の傍らで、良い同伴場所があると提案を持ち掛けてきたハオマも加えた三人で、同伴の話し合いを進めたものでもあった。

 

 次回はシュラとの同伴だ。それも、ミネに続く濃厚な夜の予感がする同伴になることだろう……。



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第60話 La tentation du vert 《緑の誘惑その2》

 シュラとの同伴当日。支度を終えた自分がアパートの自室を歩き進めていく中で、今も部屋の床に広げられた布団には寝間着姿のシュラが眠っていた。

 

 緑色のゆったりとしたそれに身を包む彼女。口を開き、いつものツインテールではない膝丈まで伸ばしたミルクティーベージュの長髪を床に散らかしながら、布団からはみ出した様子で熟睡している。

 

 だらしない姿も可愛げと言えるだろうか。そんなシュラの様子に、自分は平然としたサマで近付いてから、彼女を揺すりつつ言葉を掛けていった。

 

「シュラー。そろそろ起きられそうー?」

 

「んにぁぁ……ニーチャ……っ」

 

 本日に至るまで、今日の同伴を心から楽しみにしていたシュラ。しかし、眠気には勝てないといった様子で、彼女は寝ぼけた声音で呟きながらも再び眠りについてしまう。

 

 お疲れのところ申し訳ない。でも、今日の同伴先であるお祭りが直にも開始時刻となるため、自分は彼女が起きない様子を念入りに確認した後、「起きないなら悪戯するよー」と声を掛けながら、シュラの足元まで移動していく。

 

 こちらの言葉に対して、彼女は返答なし。むしろ、敢えて黙り込んでいるようにもうかがえたために、自分はそれを本人の了解と認識した上で、彼女の両脚へと手を伸ばしていった。

 

 屈んだ姿勢で、自分の頭部を彼女の股へ滑り込ませる。それから一直線に突っ切るよう真っ直ぐと正面を目指していき、今も視界の中央に移っていたシュラの“ソコ”に鼻を近付けてから、その先端で“カノジョ”を擦り始めていく。

 

 これに、シュラは喉で鳴らすように「んっ……」と音を漏らしてきた。

 同時にして、ビクッと跳ね上がる身体。それに自分は気分が高揚すると、鼻による呼吸をソコで何度か行った後に、口を近付けてはおもむろにかぶりついたものだ。

 

 歯を立てて、アイスバーをかじるような一口一口を味わう咀嚼。他ホステスも口を揃えて求めてくる一定のリズムを意識して、それに乱れが生じないよう繊細な間隔で“カノジョ”を食していく。こうして、及んだ行為に対してシュラは両脚を広げてくると、次第にも彼女は左腕を目元に被せていき、頬も若干と赤く染めながら、小動物の鳴き声のような甲高い声を漏らし続けてきた。

 

 ……いっそのこと、今日は一日中“コレ”でもいいんじゃないかな。

 脳裏によぎってきた欲求に、ついついそんなことを考えてしまう。だが、理性が勝った自分は自ら煩悩を振り払うように首を横に振っていくと、次にも口による吸引を行い始め、彼女の“部位”を服越しにピンポイントで刺激していった。

 

 今も香ってくる、独特なシュラの香りに集中したい。

 目を瞑った自分が、首を横に振りながら吸引を続けていく。そして段々と腰が浮いてきたシュラはその息遣いを荒くしていくと、彼女はもう間もなくと瞬間的に腰を跳ね上げるなり、キャンッという子犬のような鳴き声を発しながら数度に渡る痙攣を引き起こした。

 

 ……引きつるような荒い息と共に、虚ろな目で天井を仰ぐシュラ。恍惚とした紅色の頬で、表情を隠すように口元を左手で覆う彼女の様子を、自分は覆い被さるように覗き込んでいく。

 

 目が合った彼女。視線を逸らして、どこか期待を思わせるしおらしい雰囲気で大人しくなる。そんなシュラの頭を愛でるように撫でながら、自分は穏やかな調子でその挨拶を口にしたものだった。

 

「おはよう、シュラ。今日の目覚まし時計は効果覿面(てきめん)だったかな?」

 

「ニーチャンおはよー。……ニーチャンの自家製目覚まし、朝っぱらからごっつ効いたわぁ。おかげさまで、おめめもアソコもガン開きやねん。せやから、これからは目覚ましニーチャンに頼もうかな? こないに色んな意味で気持ち良く起きられるんや。せやさかい、今後はウチの専属目覚まし係として起こしてや。な? それくらいええやろ? ニーチャン……っ」

 

 

 

 

 

 龍明の駅で電車に乗り、十分ほどそれに揺られる自分とシュラ。それから電車を降り、郊外とも言える町並みを五分ほど歩き進めると、直にも間隔を空けた植林や巨大な湖などが特徴的である、広大な緑の公園が見えてきた。

 

 春の季節に相応しき、穏やかな陽だまりが降り注ぐ若葉色の公園。ここでは現在、公園全体を使用した大規模のフリーマーケットが開催されており、一般的な市民達による古物市を中心として、まるで祭りのような賑わいを見せるそこには大量の屋台が張り巡らされていた。

 

 古着や小物、家具やフィギュアを始めとして、揚げたてのから揚げや地元の饅頭、更には射的の屋台なども見受けられた光景。もはや、フリーマーケットだけには収まらない大賑わいのそこに訪れた自分らは、二人で手を繋いだ状態で、続々と集まる人波に呑まれるかのように公園へと踏み入れたものだ。

 

 フリーマーケットならではの、一般的とされる代物からコレクターズアイテムまで、ありとあらゆる使い古された品々が並ぶその眺め。そんな、野外で行われたジャンルを問わない古物大集結に、自分は年甲斐も無くはしゃぐようにあちこちを見て回っていく。

 

 さぞ、シュラを連れ回してしまったことだろう。だが、その本人は一切と難儀を見せることなく、むしろアクティブに活動するこちらに食らいつくように、彼女は終始と手を繋いだ状態で付き合ってくれたものでもあった。

 

 恋人とのお出掛けというよりは、兄妹での外出という心持ちで臨んだ今回の同伴。アパートを出た時からずっとくっ付いてくるシュラの姿も、彼氏に寄り添うガールフレンドというよりはお散歩中の子犬に近かったかもしれない。

 

 ……それだと、兄妹での外出ではなくペットとの散歩になってしまうだろうか?

 何という、くだらない思考を脳裏に巡らせながらもシュラとのお出掛けを満喫していく自分。そうした様子で、いつもの雰囲気で自分らは会話を行いつつ公園の中を歩いていると、ふと周囲に響き渡ってきたマイク越しのこもった音と共にして、小芝居風に喋るアニメチックな男性の声が聞こえてきたのだ。

 

『くっ……! さすがは我が宿敵、一筋縄ではいかないな……っ! だがしかし! 今ここには、俺を応援してくれる大勢の皆がついている!! さぁ、諸君よ! 今一度、俺に熱いエールを送ってほしい! 皆の応援が、ヤリスギルンジャーのパワーとなるんだ!!』

 

 数多の本場を渡り歩いてきたのだろう、熟練の声音使い。仰々しくも空間に透き通る華麗な男性のそれは、直にも『うおおおおおお!!』という勇ましい声を上げていくのだが、しかし、直後にも『ぐはぁっ!!』という悲鳴を上げるなり、ドカッという倒れる音を響かせた。

 

 お、大ピンチじゃん。

 無関心にも近しい内心の一言。それを呟きながら声のする方向を見遣っていくと、そこには設置された舞台上で今現在も激闘を繰り広げる、赤色スーツのヒーローと、マントを羽織った怪人という構図がうかがえた。

 

 舞台の上には、『過激戦隊ヤリスギルンジャー』と書かれた看板が掛けられている。それを自分が確認している間にも、舞台の前では健気な子供達は「負けないでー!!」と必死な声を上げており、そんな彼らの後ろでは、親御さんと思われる大人達が中腰でスマートフォンを構えながら、必死な形相で自身の子供を撮影していたものだ。

 

 微笑ましい光景だなぁ。思わず微笑が溢れてくる光景に、自分は癒しを感じていく。そうして何気無くキャラクターショーを眺めていたのだが、今も目の前で這いつくばる瀕死のヒーローに子供達がエールを投げ掛けていくその中で、隣にいたシュラもまた、子供達に混ざりながらそんなことを叫び出していったのだ。

 

「ちょぉ、ヒーローのニーチャン!! なに、そないなみっともない姿晒しとんねんっ!! ヒーローのニーチャンがボコボコにメッタ打ちされて、おどれ、ジブンの姿を見た子供達に申し訳が立たんと思わへんのかッ!? ……ニーチャンはそないなトコで終わるようなオトコやないやろっ!? わざわざ正体隠して、全力で体張ってまでして子供達を守ろうとした、みんなのヒーローなんやろっ!? せやったら、立てェッ!!! 立つんやァヒーローのニーチャァンッ!!!!」

 

 え、どうした急に。

 繋いでいた手を離し、舞台へ駆け寄っては両手を口元にあてがって叫び始めたシュラ。そんな、子供達に混ざって本気の応援を投げ掛け始めた彼女に、自分は思わずポカーンとしながら、ただただその様子を遠目で見守ってしまう。

 

 シュラの全力エールに、周囲の子供達は感化されるよう一層もの声援を送り始めた。これにはヒーローも怪人も「え?」といった感じに思わず客席へ振り向いてくるのだが、彼女の声によって一段と高まったボルテージによるサービスなのだろうか、次にも怪人は観客へと向きながらも、両腕を広げた堂々としたサマでそのセリフを口にしてきた。

 

「フハハハハ!! 貴様達がどれだけ応援しようとも、ヤリスギルンジャーはもう負けたも同然よ!! ……この時を以てして、ヤリスギルンジャーは敗北した。であれば、次は地球を支配してやろう。まずは手下でも増やそうか。我が(しもべ)達よ! 観客席にいる子供達を、この舞台の上まで連れ去ってこい!!」

 

 おどろおどろしい声音で指示を出すと共にして、舞台の裏から出てきた数名の全身黒タイツ達が観客席へと駆け込んでいく。続いて彼らは数名の子供達を手で招き、これに選ばれた子供達は嬉しそうに駆け寄っては舞台の上へと連れていかれるのだが、ある一人の黒タイツは誰にしようか仰々しいサマで悩む姿を見せてくるなり、彼はあろうことか、子供達に紛れ込んでいたシュラを指差していったのだ。

 

 マジかよ。そう思った時には既に、シュラはノリノリな様子で黒タイツに舞台上へ連れられていく。

 

 連れてこられる最中にも、彼女は「うわぁ~~~っ!! 捕まってしもたぁ!! 助けてヤリスギルンジャー!!!」と声を上げながら子供達に混ざり込んでいたものだ。そうしてギュウギュウとなった舞台の隅にシュラも押し込まれると、彼女は一緒に連れてこられた子供達を抱えるように両腕を広げていき、彼らを守るように包み込みながらも、シュラはなんとアドリブで怪人とそのようなやり取りを交わしていった。

 

「勝手な私利私欲で子供達に手ェ出すなんて、ジブンほんまにろくでもないヤツやな!! そないにして地球を支配したいんか!?」

 

「当たり前だろう。それこそが我が使命だからだ。……それにしても、我に口答えするとは、何とも愚かな人間よ。地球を支配する前に、まずは貴様達には痛い目を見てもらうとでもしようか」

 

「う、うわぁ~~~!!! このままじゃあウチらもやられてまうでぇ!! なんちゅうこっちゃあ!! ……せやったら、みんな! ウチらも応援で対抗するで!! みんなでヤリスギルンジャーを応援して、ウチらのヒーローを復活させるんやっ!! いくでみんな! せーのっ! 頑張れぇーっ!! ヤリスギルンジャーっ!!」

 

 マイクを着けずとも周囲に響き渡る、シュラの晴れやかとした明るい声音。彼女の掛け声に続いて舞台に上がっていた子供達も「頑張れー!!」と声を出していくと、彼らの声援に感化されるように、観客席の子供達も一斉にヒーローを応援し始めたのだ。

 

 一丸となってヒーローを鼓舞した空間。これを受けて、倒れていたヒーローは空気を読むように「とうっ!!」と起き上がっていくと、軽快な動作で復活した英雄に皆が「うおー!!!」と歓声を上げ、ヒーローもまた応えるようにポージングを決めながらセリフを口にしてくる。

 

「ありがとうみんな!! みんなの応援のおかげで、俺は復活することができたぞ! しかも、倒れる前よりも更にパワーアップすることができた!! みんながくれたこの力で、一緒に敵を倒そう!! 最後にありったけの応援を頼む! さぁみんな、行くぞ!!」

 

 プロの対応力とも言うべきか。決めポーズと共に清々しい調子でセリフを言い放つと、次にもヒーローは皆の応援を背負い、怪人へと駆け出しては体術による怒涛の連続攻撃を繰り出していったのだ。

 

 空振りする演技と共に発生した、強烈な打撃音とピカピカ光り出した舞台の装置。それが一発、二発、三発、五発、十発、二十発、三十発と繰り出されることで形勢は逆転。怪人は何度もぶたれる演技で悲鳴を上げながらその場でよろけてみせると、トドメである必殺技のヤリスギパンチを食らうことによって、怪人は豪快に吹っ飛ぶ演技と共に敢え無く倒された。

 

 いや、正義のヒーローだからって殴りすぎだろ。

 あまりのオーバーキルに、内心でツッコんでいく自分。尤も、今も目の前では舞台上で右腕を掲げて栄光の勝利をアピールするヒーローと、彼の隣で子供達と一緒に喜ぶシュラの姿という光景に、なんだかほっこりとした気分にもなれたものだった。

 

 

 

 

 

 キャラクターショーは終わりを告げ、静けさを取り戻した祭りの空間には再び、フリーマーケットによる賑わいの活気がもたらされていく。

 ショーの舞台から離れ、少し歩いた先にある広場に移動していた自分達。屋台も無い完全に開けた自由スペースで他愛ない日常を過ごしていた今現在において、自分は今も目の前で六名ほどの子供達に囲まれるシュラの様子を眺めていた。

 

 男の子四人と、女の子二人。どちらも小学生くらいである彼らは、快活に対応するシュラを取り合いながら彼女との交流を楽しんでいく。そんな、何とも微笑ましい光景を眺めている最中にも、自分は自分で彼らの親御さんと穏やかな調子でこのような会話を行ったりしていた。

 

「あらまぁ、それにしても本当に面倒見が良い彼女さんだこと。あなたのお名前、歓喜君でしたっけねぇ。あなた、本当に良い彼女さんに恵まれたわね~」

 

「あぁいえ……何と言いますか。シュラは彼女というよりは、妹……でしょうか」

 

「妹さん! 良い妹さんねぇ本当に! あまりにもお似合いだったものですから、彼女さんかと思っちゃったわぁ!」

 

「いえいえ、まぁ自分達は割と仲が良い方だとは思いますからね」

 

「本当に、良い妹さんをお持ちになられたわねぇ~。やっぱりお兄さんとしても、自慢の妹さんでしょう?」

 

「そうですね。シュラは俺にとって、かけがえのない家族ですよ」

 

 一人っ子だからだろうか。自分でそれを口にした後にも、家族という言葉で自ら切ない気持ちになってしまった。

 シュラという身内が居てくれたら、自分の人生は一体どのようなものになっていたんだろう。そんなことを脳裏によぎらせてしまいながらも、意識は眼前の彼女へと向けていく。

 

 子供達に振り回されながらも、嫌な顔を見せることなく全員を捌き切るように接していくシュラの様子。露出度の多い私服ではあったものだが、そこから来る健康的な快活さがむしろ、彼女の好印象に繋がっていたのかもしれない。

 

 今も、両腕を両方から引っ張られるシュラが、「そないに引っ張られてもうたら、腕ちぎれてまうわぁ~!!」と冗談めかした調子で言葉を口にしていく。その最中にも背後から潜り込んできた少年にホットパンツを掴まれていくと、それに対してもシュラはユーモアに、「ちょぉ!! ズボンまで引っ張らんといて!! 脱げたらウチ、パンツ丸見えになってまうわ~!」と反応を示していたものだ。

 

 こうしたのどかなやり取りを交わしている最中にも、一人の少年が彼女の正面から歩み寄ってくるなり、彼は周辺から摘んできたのだろう公園の白い花をシュラへと差し出していった。

 

 これに、シュラや周囲の子供達が見遣っていく。そして次にも、花を差し出した少年がもじもじとした様子で言葉を口にし始めた。

 

「しゅ、シュラお姉ちゃん……っ。シュラお姉ちゃんのことが……好きになりました……」

 

 おぉ。大胆。

 眺める自分が、彼の勇気に内心で感嘆してしまう。それを受けたシュラは朗らかに微笑んでいくと、彼女は腕などに掴まっていた子供達を優しく下ろしながら屈んでいき、次に少年と目線を合わせながら、明るい調子でそう答えていく。

 

「ウチのこと、好きになってくれたんやな? 自分の素直な気持ちを、正直に相手に伝えることができるその根性、ウチ、気に入ったで。……プレゼント、ありがとぉなぁ。キミの気持ち、確かに受け取ったで」

 

 そう言い、少年から花を受け取ったシュラ。これに少年は恥ずかしそうに身体を左右に揺すっていく中で、シュラは彼の頭を優しく撫でながら言葉を続けてくる。

 

「せやったら、まずは大人になるっちゅうトコから始めへんとなぁ。せやかて、そないに難しいコトやあらへんで。まずは、お父さんお母さんの言うことを聞いて、お友達と元気いっぱいに遊びまくるんや。ほんで、好き嫌いせぇへんでご飯をぎょうさん食べて身体を大きくしてからな、勉強も頑張って、頭も良くしような。そうしてキミが大人になった時、こうしてまたウチに告白してほしいねん。ほしたらウチ、キミのお嫁さんになったるわ。それでええな?」

 

「……シュラお姉ちゃん……」

 

 少年へと差し出した左手。シュラはその小指を立てていくと、続けて彼女は「シュラお姉ちゃんとの約束や。ええな? 立派な大人になるんやで」と言い聞かせてから、少年と指切りげんまんを交わしたのであった。

 

 

 

 時間は経過して、夕方を迎えつつあったその時刻。帰宅する子供達へと手を振っていくシュラと肩を並べていた自分は、現在も別れの挨拶を大声で叫ぶ彼女に微笑ましいものを感じながら、去り行く彼らの背を見届けるなり彼女と向かい合っていく。

 

 同じくして、シュラもまたこちらと向き合ってきた。それでいて、彼女は先までの快活なサマからは一転として、どこかしおらしい乙女の表情を浮かべていきながら、こちらの顔色をうかがうような視線でその言葉を口にしてくる。

 

「……ニーチャン、今日はありがとぉな。ウチ、今日の同伴めっちゃ大満足やったわぁ」

 

「すごく楽しそうにしてたもんね。良かったよ、シュラに満足してもらえる同伴にすることができて」

 

「……ニーチャン。ほんでだけど、一番大事なコト、忘れてへんよな。……今日の本命やと言えるっちゅうか。ウチと約束したモノっちゅうか」

 

 ここに来て、急に恥じらう様子を見せてきたシュラ。

 今までに見せたことがない、頬を赤く染めた表情でもじもじとすり寄ってくる彼女のそれ。次にもシュラは穏やかにピトッとくっ付いてくると、寄り掛かるようにして暫しと沈黙を貫いてきた彼女のアプローチに、自分はシュラを受け止めるように抱き締めながらそう答えていった。

 

「……まだ、二人で愛し合ってないもんな。どうする? ご飯を食べてからにする? それとも、もう直行する?」

 

「……直行する。ご飯はホテルで済ませればええし……」

 

「分かった。それじゃあ調べておいたホテルに向かおっか。途中でコンビニにでも寄って、ご飯とか必要なものを買い足していこう」

 

「買うのはご飯だけで十分や。……ゴムなんか要らへん。ウチはナマのニーチャンがええ」

 

「……もし、子供ができたらどうする?」

 

「ほしたら、ウチとニーチャンは本当の家族になるだけや。ウチはそれでもええねん」

 

「分かった。……じゃあ、ホテルに向かおうか」

 

「…………うん」

 

 抱き締めたシュラに顔を埋めるようにして、彼女の頭部に口付けをする。それをした瞬間にも、抱き締めていた腕には彼女の心臓の鼓動がドクドクと響き渡ってきたものだったから、既に昂りつつある気分の高揚に自分も興奮を抱きながら、直にもシュラと手を繋ぎ直すことで、黄昏に染まった公園の中を二人で歩き出していったのだ。

 

 

 

 

 

 電車に乗って龍明に戻り、見慣れた街の中を巡っていく自分ら。

 立ち寄ったコンビニでおにぎりなどの軽食を購入し、その足で表通りの脇道に逸れていく。そうして陽が暮れた暗闇の中を少し歩き進めていき、直にも年季のあるアパートのような建物の前まで来てから、付近に佇む無人の販売機へと二人で歩み寄っていった。

 

 二人で話し合いながら、販売機のボタンを押して紙幣を入れていく。すると、販売機の取り出し口から鍵が出てきたため、それを取り出した自分とシュラは、鍵に付いたタグに記載されている番号の部屋へと移動して、彼女と共に入室した。

 

 玄関で明かりを点け、部屋の中を見渡していく。

 大人が二人入るだけで精一杯となる狭い空間。しかし、軋むことのない木製の床と、茨のような模様が特徴である壁紙がステレオタイプな高級感を演出し、また、柔らかい光で落ち着ける天井の照明と、部屋にある白色のダブルベッドが、気取ることのない、ちょっとした日常の中での贅沢を思わせてくる。

 

 外装のオンボロさからは想像できないほどの綺麗な部屋。だが、ホテルと呼ぶには些かラフであるその空間は、今までに見ないタイプの雰囲気を醸し出していた。そうして新鮮さを吟味するように部屋を隅々まで見て回る自分であったものだが、その間にもシュラはベッドに腰を掛けていき、こっちに来るようせがむ言葉を投げ掛けてくる。

 

 彼女に呼ばれ、自分もベッドへと腰を掛けていく。そうするとシュラはその場から移動し、こちらの膝の間に収まりながらおにぎりを食べ始めたものだったから、自分は苦笑しながらもシュラを抱えるようにして軽食をとり始めた。

 

 二人だけの空間の中で、今日の出来事を振り返るように会話を交わしていく自分ら。まるで自宅に居るかのような穏やかな調子で祭りの感想を述べ合い、また、子供達と過ごしたひと時に、シュラは天真爛漫な微笑を見せてくる。

 

 持ち前の明るい性格は、老若男女問わず彼女を惹き付けることだろう。シュラが楽しそうに話すその様子に自分も微笑を見せながらも、彼女を一層と抱き抱えるようにしてシュラという女性の温もりを堪能する。これにシュラは冗談めかして「ちょぉニーチャン、ご飯の最中にガッツかんといてや~」と言葉を口にしたのだが、それからというもの彼女自身が次第とそんな気持ちになってしまったのか、次にもシュラは思い出すようにしおらしい表情を浮かべながら、眉をひそめたその顔で喋り出してきたのだ。

 

「……そないにニーチャンにくっ付かれると、ウチ、我慢できなくなってまうわぁ。……ニーチャンには分からへんやろうけど、ウチ今なぁ、アソコが疼いて疼いてしゃあないねん。はよニーチャンが欲しい~言うてウチのこと急かしてきてなぁ、ご飯食べとるウチに構わず、ずっとおねだりしてきて落ち着かんのや」

 

「そうなんだ。それじゃあ焦らしちゃった分だけ、後でシュラのアソコをたくさん慰めてあげないとね」

 

「んも~、ニーチャンのえっちー」

 

「ごめんごめん。シュラのアソコが正直で可愛かったから、つい」

 

 互いに冗談めかした調子で、戯れるように笑い合っていく。だが、それから二人してスンッと笑みを消していくと、先の会話で生じた羞恥と欲求によって、気まずさからか双方共に暫し黙りこくってしまった。

 

 ……シュラと致したい。向こうも多分、そう思ってくれている。

 言い出すのが気恥ずかしいというわけではなく、果たして本当にシュラと至ってしまってもいいのかという、不安が勝る自分の内心。だが、彼女とのやり取りで一気に昂ったこの気持ちに鞭を入れていくと、次にも自分は勇気を振り絞るようにこの問い掛けを行ったのであった。

 

「…………あまりさ、シュラのアソコに意地悪したくないからさ。その……おねだり通り、そろそろご褒美を与えてあげてもいいんじゃないかな……?」

 

「そないに遠回しな言い方せんでもええって。……かえって意識してもぉて、もっと興奮してまうわ……」

 

「我慢しなくてもいいんだよ。もう、ここまで来ちゃったんだから、今さら後戻りしたらシュラのアソコを残念がらせることになる。そんなのさ、その気になって切なくなっちゃってるシュラのアソコが可哀想だもん」

 

「せやから、その台詞回しがイジワルなんやって……ッ。……そないな前戯はもうええから、はよ本番シよぉ。ニーチャンの言葉責めでとっくにトロトロやねん。替えのパンツも持ってきてへんから、さっさと済ませるモン済ませてパンツの被害減らさんとアカンでほんまに。……ニーチャン。そのな……一応、お手柔らかによろしゅうな……?」

 

 

 

 

 

 この夜、シュラというホステスとはじゃれ合うようでありながらも欲情的なひと時を過ごすこととなる。

 

 彼女の服の上から行った、手や舌による入念な下準備。敏感とされる部位を堪能するように刺激を加えていくこちらのアプローチは、今も“モノ”を欲しがっていたシュラにとって、様々な意味でもどかしく思っていたことだろう。

 

 行為によってもたらされた快楽で、常に落ち着かない様子で身体を捻じ曲げていく彼女の姿。だいぶ動き続けるシュラの動作は忙しなく、しかし、それだけ耐え難い快楽で悶えているという解釈がこちらの気持ちを一層と昂らせたことで、直にも自分が我慢できなくなって思わず“モノ”を取り出していく。

 

 それからというもの、彼女は捕食者へと豹変した。

 堂々たる仁王立ちの“オニーチャン”に、シュラは目をハートのようにした恍惚な眼差しを向けてくる。これに自分が「シュラ……?」と問い掛けていくのだが、彼女は無心に衣類を脱ぎ捨てるなり、次にも獲物を捕らえるが如くこちらへ飛び掛かってきては、シュラは押し倒したこちらに馬乗りとなって漠然と見下ろしてきた。

 

 荒い息遣いに、全身から醸し出す濃厚なメスのフェロモン。脳天に分泌された快楽で脳みそが溶かされたかのような、体中から発する熱気が視認できるかのような極度の興奮を伴った彼女は、今も半ば放心状態で自身の腰を振り続けており、そうして自ら刺激することで一度達しておいてから、快楽の痙攣と同時にして、彼女は自家発電で発生させた“ソコ”の湿気を利用することで、こちらの“モノ”を躊躇うことなく入れてきたのだ。

 

 これまでの行為では無かった、男の“モノ”を玩具として扱うかのような力ずくのアプローチ。彼女が自身で打ち付ける腰は部屋を揺するほど非常に激しく、また、シュラの暴力的な行為に対して、自分は快楽の絶頂と蹂躙による支配の狭間に置かれたことで、ありとあらゆる感情を滅茶苦茶に掻き乱されていく。

 

 自分が受け身となり、男性が女性にリードを託した熱情的な一夜。今も見上げるとそこには、平均よりも大きいサイズのバストを揺らしながらも、健康的な体つきと、小動物の鳴き声のような甲高い嬌声で「ニーチャンッ……ニーチャンッ……!!!」と連呼する彼女の姿が見えており、こうして自分からは動かず、玩具のように扱われながらも絶景を眺める行為というものを堪能したものだった。

 

 彼女との行為を終えて、ずっと自ら動き続けていたシュラは疲弊した様子でベッドに寝転がる。そんな裸の彼女に膝枕をしていた自分もまた全裸であり、今も蹂躙されていた“モノ”が、まるで付き添うかのように寝転がる彼女の頬に触れていた。

 

 シュラから求めてきた、“オニーチャン”との添い寝。まだまだ半分だけ背を伸ばしたソレに彼女は自身の頬を擦り付け、甘える子猫のようにソレを堪能しながらも、次第と巡ってきた睡魔でシュラは瞼を閉ざし始めていく。

 

 今日はよく頑張ったね。彼女に優しい言葉を投げ掛けながら、頭を撫でていく。それにシュラは穏やかな微笑を浮かべていくと、直にも彼女は“モノ”と向かい合うようにくっ付きながら、とても静かな寝息を立て始めた。

 

 そんな彼女の寝顔に、自分もまた心が歓喜する感覚に全てを委ねながら、彼女の寝顔をしばらく眺め続けたものであった。




 【Chapter 6に続く…………】


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Chapter 6
第61話 agitation 《不穏》


 驚くほど何気無い、至っていつも通りの平穏な日常。この日も昼食のために、自分は開店前のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)へと顔を出していた。

 

 もうじき夏を迎える、日差しが眩しい快晴の下。顔パスで入店した自分がエントランスへと踏み入れていくと、すぐにも奥のカウンターでは四名ほどの人物が会話を交わしていた。

 

 内の三人は、タキシード姿のラミアとメー、スーツ姿の荒巻というもの。だが、残る一人に関しては、全く見知らぬ“少年”が三人に混じって会話を行っていたのだ。

 

 百六十一くらいの背丈である、その人物。深々と被った灰色のキャスケットで目元を隠した彼は、スリムな顎の骨格や、キャスケットのツバを右手で摘まむようにしたその佇まいも相まって、どこか他人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。

 

 帽子からわずかにはみ出した、乙女色の黄みを含んだ淡い赤の髪。ショートヘアーというよりは、帽子の中でまとめ上げているような髪の毛のはみ出し具合に、ついつい意識が向いてしまう。

 

 服装は、下から開くタイプのストリート風な灰色パーカーを着用しており、それを半分だけ開けることで華奢なくびれやへそを出していた。他、下に着ている黄色のショート丈トップスに、ポケットがたくさん付いた、くすんだ緑色のストリート系ボトムス。後は灰色の運動靴に黒色のチョーカーというファッションで佇むその彼は、直にもこちらに気付いて振り返ってくる。

 

 少年の視線により、他の三人もこちらを見遣ってきた。それでいて、今も歩み寄る自分を迎えるように、荒巻は陽気な表情で、しかし神妙な声音で言葉を投げ掛けてくる。

 

「よぅ、カンキちゃん。今日もお疲れさん。いつもホステスの面倒を見てくれてサンキューなっ」

 

「どうも、こんにちは。今日は一人の客として来ただけですから、面倒だなんて大層なものではありませんよ」

 

「ホント、カンキちゃんは謙虚な姿勢を忘れねぇなぁ。どこぞの強欲なホステス共と違って、カンキちゃんは人間性がデキているぜ。どこぞの、強欲な、ホステス共と違って、なァ??」

 

 チラァッ。流し込むようなねっとりとした視線を、ラミアとメーに投げ掛ける荒巻。これにメーは、からかうような調子で「どこぞのヤリ〇ンプレイボーイなサングラスおじさんよりも謙虚だと思うけどね~?」と口にしたことで、荒巻は頭を掻く仕草で眉をひそめながら、こちらを見遣ってきた。

 

 いや、反応に困るんですけど……。

 内心で困惑する自分。そんな他愛ないやり取りを交わしてから、荒巻は両腕を組みつつ、仕切り直すようにこれを喋り出してきた。

 

「それにしても、グッドタイミングだぜカンキちゃん。ちょうど、オマエさんも他人事じゃねェ大切な話をしていたトコだったんだ。っつーワケだからよ、ちょっとだけオレちゃん達の話に加わっていけ。な?」

 

「大切な話ですか。最近は銀嶺会と鳳凰不動産の抗争とかもありますからね」

 

「まさに大切な話っつーのは、それのことだ。……避難の準備を進めておけよ。もう間もなくと、ヤツらは戦争をおっぱじめるつもりでいるぜ」

 

 荒巻の言葉を耳にして、途端にもこの背筋には寒気が迸る。

 ……とうとう、始まるんだ。現代の日本とは思えない、あらゆる暴力を行使する本気の殺し合い。以前にも彼らによって引き起こされた抗争は『龍明抗争』と名付けられ、今でも歴史の教科書で扱われる程度には、日本で起きた大事件として記録されている。

 

 避難勧告によって、シェルター付きの公民館に誘導されたこともある当時の体験。外では銃火器による発砲音や、爆弾などによる爆発音などが絶え間なく響き渡り、まるで戦争と代わりない状況に自分は本気で死を覚悟したこともあった。

 

 その、第二次となる抗争が、もう間もなくと引き起こされる。

 ホステスらと過ごした平和な時間が、今にも恋しくなってくるほどの絶望感。それに加えて、自分は銀嶺会の相手である鳳凰不動産から狙われている身分でもあるため、彼らはこの争いに紛れて、こちらを強奪しに襲撃してくる恐れもある。

 

 そのことから、最近は護衛であるホステスを二人つけてもらったりなどして、守りを強化してもらっていた。

 これは他人事なんかじゃない。自分は唾を飲み込むようにしながら喉を鳴らしていき、荒巻と向かい合っていく。そんなこちらの反応に荒巻も、事の重大さを理解してもらえたことによる頷きを何度か行っていくと、次にも彼は少年へと向きながらそれを話し出していった。

 

「もう察しはついているだろうがよ、このあんちゃんが、例のカンキちゃんだ。あの、柏島長喜の実の息子さんで、今、鳳凰不動産や“骸ノ市(むくろのいち)”に狙われてるっつー、オレちゃん達の要のような存在。カンキちゃんが捕まったら最後、カンキちゃんをダシに使われたオレちゃん達は、金や土地、資産や権限を根こそぎ搾り取られて、ヤツらは“前の社長”の仇としてオレちゃん達を散々拷問した挙句、身ぐるみに留まらず皮や肉を剥いで八つ裂きにしてからその臓器を売り飛ばすだろうよ。こいつぁ、何の比喩でもない。ヤツらは、一般的に残虐とされる行為を容易く行える連中だ。何なら、最初から焼却炉で消し炭にしてもらえた方がマシかもしれねェくれぇにな」

 

 物騒なワードが飛び交う、荒巻の説明。これだけでも自分はしかめっ面となってしまったのだが、一つ、気になる言葉が聞こえてきたために、思わずそれを荒巻へと訊ね掛けてしまう。

 

「あの、“骸ノ市”とは何ですか……? 俺、それ初めて聞きますけど……」

 

 こちらへと向いてきた荒巻。彼は腕を組んだ姿勢のまま説明を始めてくる。

 

「骸ノ市。こいつは裏社会に蔓延る巨大な組織でよォ、んま、言っちまえば人身取引を商売とするグループの名前さ。ヤツらのスローガンは、『骨になっても働ける人間の販売』。肉が無くなり、骨だけになったとしても働ける奴隷を売りますよ、という意気込みを大々的に掲げた、日本屈指の巨大な奴隷貿易を運営する組織って認識でいいぜ」

 

「じ、人身取引、ですか……?」

 

 とても、日本にあるとは思えない組織だ。

 裏社会には、そんな外道じみた連中まで存在していたのか。という驚きが込み上げつつも、同時にして、龍明では人身取引も行われているという噂が、実は本当だったことによる絶句が、こちらの思考を暫し停止させてくる。

 

 呆然と佇むこちらの様子に、荒巻は頭を掻く仕草を交えていく。そして、次にも彼の代わりとして、ラミアが説明の続きを行ってきたのだ。

 

「骸ノ市はですね、女性を主とした身よりの無い日本人から、様々な理由で行く当てが無くなった不法滞在者といった人々を拉致して売り物とする、正真正銘、極悪非道な組織です。カレらの商売の特徴としましては、まず、どこからか拾ってきたオンナや子供を、組織内で協力しながら育てます。お次に売り物となるカノジョらの品質を上げるべく、カレらはストレスや負荷をかける意味での、それ相応の最低限の食事や寝床を与え、そして拾ってきたヒト達に、“奴隷として売るための教育”を施すんです」

 

「売るために育てるとか……なんだかそれって……」

 

「まー、所謂“家畜”のようなモノですよね。ウチらはより高値が付く“高級品”として扱われるべく、カレらが組んだプログラムに沿って、一日を過ごしていきます。言葉の響きは良く聞こえるかもしれませんけど、要は、奴隷として一人前になる修行を強いられるんです。恫喝はモチロンのコトですけど、言うコトを聞かなければ“教育”として身体に思い知らされます。言うコトを聞いても、カレらの期待に応えられなければ“お仕置き”です。教育の内容はご想像にお任せしますけど、性暴力なんて当たり前ですし、カレらの糞便を食べさせられたり、裸で街の中を歩かされたり、時には射撃訓練の的にされたりもします。モチロンですけど、撃ち出される弾は実弾です。ビー玉なんかではありません」

 

 想像を絶する彼らの非道に、自分は絶句を通り越した無の感情でラミアの説明を聞いていた。

 

 世の中に、そんな組織が存在するだなんて。

 人道から遥かに逸れた行いに、胸糞悪いどころではない悶々とした面持ちでラミアと向かい合っていく。だが、それを説明した彼女は淡々とした表情のままであったため、自分は恐る恐るといった視線を投げ掛けながら訊ね掛けた。

 

「……でも、商売として売り出す人間を、そんな荒っぽく扱ってしまってもいいものなのかな……?」

 

「イイんですよ。カレら曰く、『奴隷というモノは、手先の器用さや奉仕の術なんかより、胆力が必要だ』とのコトですから。身近なモノで例えますと、体罰を主体とした教育とも言えるんでしょうかねー。とにかくまずは暴力で言い聞かせて、そこで培われた胆力や体力、丈夫な体や、恐怖に慣れた精神などで、そのニンゲンの、売り物としての価値を定めます」

 

「…………っ」

 

「次に、暴力による教育の中で身に付いた奉仕能力を売りにします。主に、洗い物や洗濯といった日常的なお仕事から、ご主人様を疑う余地の無い忠誠心であったり、夜のお供といった性奴隷としての心得などなど。そういった、より“高品質な奴隷”を作るための教育が組織内で行われておりまして、十分に教育が行き届いた又は価値が無いとして見放されたニンゲンは、成熟を迎えたという(てい)で商品として市場に売り出されます。カノジョらを購入する客層は主に、国内外を問わない富裕層であったり、海外のマフィアやギャングなどでしょーか。……売れれば奴隷。売れなければ“処分”。強制される日々の中、商品としての価値を高めなければならない生活を強いられる苦行。生きている心地なんてしませんよホントに」

 

 一連の説明を終えて、ラミアは気分悪そうに眉をひそめながら視線を途方へ投げ遣っていく。彼女の様子に、自分も壮絶な実態に渋い表情をしてしまいながらも、ふと気になった疑問点を問い掛けた。

 

「あれ……。今、話を聞いていて思ったんだけど。ラミア、さっき『ウチら』って言った……?」

 

「ッ……」

 

 説明の最初に口にしてきた、ラミアの言葉。これを訊ねた瞬間にも、ラミアの隣にいたメーが視線を逸らすように気まずい面持ちを見せていき、荒巻の傍にいた少年もまた、身に着けていたキャスケットのツバを持って、それを一層と深く被っていく。

 

 荒巻は、腕を組んだまま見守るように無言を貫いてくる。この空気に自分はやらかしたと思いながらラミアを見遣っていくと、次にも彼女は複雑な様相でそれを喋り出してきた。

 

「……ウチとメーさん、それと、そちらにいらっしゃるコの三名は、骸ノ市出身の元奴隷です」

 

「…………ッ」

 

「カンキさんが、そんなカオをする必要ありませんよ。ただ……特にウチは、骸ノ市で長年育った身と言いますか。物心つく前の幼い頃に攫われた、ほぼ骸ノ市が実家とも言えるほどの奴隷歴ですからね。クチを滑らせたウチもウチですけど、できるなら、あまり反応してもらいたくはありませんでした。特に、カンキさんには……」

 

 次第にも、悲しげな表情へと変えていくラミアの様子。これに自分は「ラミア……」と言葉を掛けていくのだが、彼女は無言の視線でこちらに静止を訴え掛けてくると、次にもラミアは真っ直ぐとした眼差しで、且つ、顧みるような静かな声音で喋り続けてくる。

 

「……長年と過酷な労働を強いられる中で、ウチは今現在に至る実年齢を忘れてしまいましたし、本当の誕生日も忘れてしまいました。親のカオも今となっては思い出せませんし、思い出そうとしても、骸ノ市でウチの教育を担当した調教師のカオしか浮かんできません。そしてウチは、幼い頃から性奴隷の調教を施されて、また、幼げない体つきやアソコの締まりなどの、カラダの具合を骸ノ市のニンゲンに気に入られたコトから、ウチは売り物としてではなく、骸ノ市に所属する慰安婦として長年働かされておりました」

 

「……慰安婦」

 

「今では、骸ノ市で培われた知識や技術が、コチラのお店における何でも屋の奉仕で役に立っておりまして。コレは一体、何の皮肉なんでしょーね。……まー、労働環境や人付き合いには雲泥の差がありますけど。ただ、ウチという存在は特に、性奴隷として、慰安婦として生まれてきたかのようなトコがありますから。そーいう星の下で生まれた以上は、長年の教育によって施された奴隷としての使命を果たすまでですよ」

 

 どこか、諦めたかのような眼差し。光の無い、希望を見出せない彼女の眼は、今までを不自由無く暮らしてきた自分に深く突き刺さってくる。

 

 ラミアは、想像を絶する過去を持つホステスだった。しかも、彼女の人生を破壊した組織は今も、裏社会の闇に姿を潜めている。

 

 それでいて、自分もまたヤツらに狙われている身分でもあった。

 である以上は、自分も決して他人事なんかではない。そうしてラミアの話に真剣と向かい合う自分が、彼女に掛ける言葉を探していたその最中にも、今度はメーが喋り出してきた。

 

「私が初めてラミアと出会ったのも、骸ノ市だったんだ。私もね、運び屋として骸ノ市にブツを配達した際に、秘密を知ったとかいう言い掛かりをつけられてヤツらに捕まったんだよね。で、そのまま性奴隷の教育としていろんな酷いことをされてきたんだけど、その中で私は、ラミアとその子に出会った」

 

 その子。メーの言葉と共に自分の意識は、今も無言で佇んでいる少年へと向いていく。

 

 こちらの反応に構わず、メーは説明を続けてきた。

 

「私が捕まっていたのは数ヶ月程度の期間だけだったんだけど、ラミアはもう、十何年もこの環境に居るかもしれないってことを知ってさ。私、ラミアの人生に同情しちゃって、当時は思わずもらい泣きしちゃった。……本当に、酷い場所だったんだよ。私達のような奴隷には人権なんて無い場所で、食事や寝床は与えられていたけれど、それも飽くまで商品にするための品質管理に過ぎないものだった。栄養の無いカビたようなパンに、トイレの水かと思うくらいに臭う飲み物。掃き溜めのような生活環境で、毎日のように犯されてさ。その数ヶ月だけでも私は気が狂いそうなほど苦しかったのに……ラミアはここに、ずっと閉じ込められていたんだって考えたら……さ……っ」

 

 話している内にも、涙ぐんできたメー。彼女の背にラミアは手を添えていき、優しく慰めていく。

 

 当時の過酷さをうかがわせる彼女らの様子。しかし、メーは涙ぐみながらも話を続けてきた。

 

「っ……そんな私達の下に、ユノさんが現れたんだよね。前にもオーナーが話してくれた、柏島オーナーが鳳凰不動産と決着をつけた時のあれ。不動産の社長が三つの組織と手を組んでいて、柏島オーナー達が四つのグループに分かれてカチ込みをかけたっていう話。その時に、不動産の社長に加担していた骸ノ市の制圧を担当したのがユノさんだった。ユノさんが率いる集団が、当時の骸ノ市が拠点にしていた廃坑を制圧して、ユノさんはユノさんで、組織を仕切っていた親分を倒してくれた。それで私とラミアは解放されて、しばらくはユノさんに面倒見てもらってからLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を紹介してもらって、ラミアと一緒に此処に来たんだ」

 

「そんな経緯があったんだ……」

 

 Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に加わるキッカケとなった出来事。店に辿り着いた二人のホステスの事情を知り、自分は彼女らに同情してしまう。

 

 しかし、それでは脇にいる少年はどうしたのだろうという疑問から、そのようなことをメーに問い掛けていった。

 

「それじゃあ、こっちにいる彼もメー達と一緒に……?」

 

「ううん……。その子は、ユノさんがカチ込みする前に売られちゃって、既に骸ノ市からいなくなってた。でもね、その売られた先でも色々とあったみたいで、最終的には骸ノ市を調査する探偵さんに拾われたんだ。……今でもその子は探偵さんに面倒を見てもらっていて、しかもその探偵さんは荒巻オーナーと同じ事務所の後輩? とかだから、大丈夫、安心できる人。それで今日、骸ノ市も今回の抗争に関わるかもしれないって情報を知らせに、此処に来てくれてたんだよ」

 

「そういうことだったのか……」

 

 視線を少年に投げ掛けるのだが、彼は一切と目もくれない。ただただ寡黙に、クールに佇む少年の姿に自分は視線をゆっくり逸らしていく中で、荒巻がこちらへと喋り出してきた。

 

「とにかくだ。今回、銀嶺会と鳳凰不動産の抗争に、骸ノ市が介入してくる可能性が示唆された。だが、ヤツらの動向がイマイチと不安定でな。っつーのも……さっきの話にも出てきた、骸ノ市を調べるオレちゃんの後輩ちゃん曰く、ヤツらは鳳凰不動産に加担している様子が無い、と言うんだ。……骸ノ市の野郎共は、第三勢力として抗争に乱入をかましてくる可能性もある。そうとなりゃァ、龍明市街では三つ巴の戦争が勃発して、更なる波乱が起こるかもしれねェ。つまり……カンキちゃん。オマエさんは、抗争に便乗して迫り来る、鳳凰不動産以外の連中にも狙われかねねェって話なのよ」

 

「…………俺、その時になったら、一体どうすればいいんでしょうか」

 

 鳳凰不動産と骸ノ市。シュラやハオマ、ラミアやメーを追い詰めた、非道なる人間集団。彼らの目的がそれぞれ別にあれども、自分の身が狙われることに代わりない。

 

 末恐ろしい現実を前にして、呟くようにその言葉を口にした自分。これに対して荒巻はニッと笑みを浮かべながら、こちらへと歩み寄ってきては肩を優しく叩いてくる。

 

「んまっ、オレちゃん達はカンキちゃんの防衛に精を出すさ。それが今のオレちゃんらの使命とも言えるだろうし、天国から見守ってくれている柏島オーナーへの恩返しにもなるってモンよ。……そう心配なさんな。いや、まぁ危機感を持ってくれるのはありがたいコトなんだけどよ。オレちゃん達は、命に代えてもオマエさんを守り切る。だから、カンキちゃん……オマエは、オレ達のことを信じてくれ。いいな」

 

「……はい。ありがとうございます」

 

「いいってコトよ。オマエさんも居てこその、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)だぜ? こんなアンダーグラウンドの連中と一緒にされんのも不本意だろうけどよォ、オレちゃん達は、カンキちゃんのコトをれっきとした店の一員として快く迎え入れているのさ」

 

「不本意だなんて、そんな」

 

 むしろ、店の一員として受け入れられていることを、嬉しく思ってしまった自分。こちらの反応に、荒巻は陰鬱とした空気を振り払うかのような微笑を見せてくると、次にも彼はこの肩をトントンと叩いて慰めつつ、それから陽気な調子で、ラミアとメーへとその指示を送ったものだった。

 

「ラミアちゃん! メーちゃん! もう間もなくと開店時間だ! 直にも客が入ってくるぜぇ。今は気持ちを前に! 直進に! 真ん前だけを見据えて、目の前の業務をこなすことだけを考えるんだ! Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を選んでくれたお客様に、最上級のおもてなしを。心から満足してもらい、また、この店でしか味わえない幸福感を提供するために。今はただ、目の前にあるこなすべき役割にしっかり勤めていけよ! まずは、気分の切り替えとして、こちらの柏島様をお席に案内して差し上げろ。さっ、仕事だ仕事! ラミアちゃんとメーちゃんで、カンキちゃんに夢のような至福のひと時を提供してあげなさぁいっ」

 

 

 

 

 

 ラミアとメーにホールへと案内された自分は、いつもの席に座ってオーダーした料理を待ち続けていく。

 

 既に客が入り始め、早くも盛況な様子を見せてくる店内の空気。上品な賑わいに包まれるこの空間の中、自分は気長な心持ちでボーッとしていると、ふと、フラッと姿を現したラミアがトコトコとこちらへ歩み寄ってくるなり、適当な調子で淡々とそれを訊ね掛けてきたのだ。

 

「カンキさん。イマ、ちょっとだけイイですか??」

 

「あぁ、ラミア。どうしたの? 何かあった?」

 

「そーいうワケではありませんけどね。強いて言えば、カンキさん成分を摂りに来ました。なので、ちょこっとだけウチに付き合ってもらいますよー」

 

「いいよ、大丈夫」

 

 ラミアの何気無い言葉に頷いていく自分。そんなこちらの返答を聞くことなく彼女は向かいの席に腰を掛けていくと、次にもラミアはちょっと気まずそうに、しかしそれを隠そうとする繕ったかのような平然とした調子で、こう訊ね掛けてきた。

 

「率直に訊きますけど、カンキさん、ウチに失望しましたよね??」

 

「え? 失望?」

 

「先ほどのおハナシですよ。ウチが慰安婦として働いていたコトです」

 

「あぁ……骸ノ市のことか。それで、失望って?」

 

 本気で分からない。こちらの様子にラミアは一瞬だけ眉をひそめながらも、そう喋り続けてくる。

 

「決まってるじゃないですか。今まで関わっていたオンナのコが、そーいう経験をしていたんですよ。こんなの、オトコなら失望くらいして、スキだった気持ちも冷めますよね??」

 

「いや、ラミアの言う事に心当たりが無いんだけど」

 

「と言いますと??」

 

「ラミアの過去が何であれ、俺はラミアに失望なんかしなかったし、むしろ、ラミアの事を守ってあげたい、ラミアを幸せにしてあげたいって、そう思えた。ラミアは過酷な労働を強いられてきた、被害者側なんだ。そんな女の子に対して、勝手に失望したりなんかしないよ。……俺にできることがあるなら、何でも言って。ラミアのためにできることならば、どんなことでもしてみせるから」

 

 意識せずに口にした言葉の羅列。これを耳にしたラミアはちょっとだけ意外そうなサマを見せてくると、少し間を置いてからその返答を行ってくる。

 

「それ、ホンキで言ってます?? ジブンがどんなに恥ずかしいセリフを吐いたのか、自覚くらいしてますよね??」

 

「そのつもりだよ。俺はそう思った、ってことを率直に伝えただけだから」

 

 真っ直ぐと向かい合い、彼女に真意を伝えていく。これを受けて、ラミアは視線を逸らしながら静かに「ふーん……」と呟いていくと、彼女は控えめな動作で何度か頷きつつ、どこか噛みしめるような雰囲気で暫しの沈黙を貫いてから、次にもラミアはニッと笑みながらも上目遣いでその返答を行ってきたのだ。

 

「カンキさんって、生粋のお人好しですよね。そーいうトコ、気に食わないです」

 

「え? あぁ、ごめん……」

 

「いえ?? 責めてるワケじゃないですよ?? ……その、他人に無関心なくらいにサッパリとした態度、ウチはキライじゃないです。むしろ、その優しさを、その愛想を、ウチ以外の他のホステスにも振り撒いているコトに対して、気に食わないなーと思っただけですから」

 

「え? あ、あぁ……。ごめん……」

 

「別にイイですよー。この、みんなのアイドルラミアちゃんに免じて、カンキさんの生意気な態度を特別に許して差し上げます。ただ、その代わりとしましてー……カンキさん。その優しさを、これからもこのラミアちゃんに振り撒いてあげてください。そして、ウチのご機嫌をとって、ウチの気分を良くしてください。そしてそして、これからも……ウチのコト、気にかけてくださいね。それが条件です。イイですね??」

 

「それなら、お安い御用だよ。そんなの、条件にもならないくらい当然なことだから、もっと難しい要求をしてもらってもいいくらいだ。とにかく、これからもよろしくね、ラミア」

 

「ホント、カンキさんってそーいうトコ鈍感ですよね。無自覚ってコワイですねー」

 

 言葉の刺々しさとは裏腹に、ラミアはとても満足そうに微笑みながら頬杖をついてくる。彼女の様子に自分も微笑を浮かべてしまう中で、いつの間にか近付いていたメーが、面白げな表情をしながらこちらに横槍を入れてきた。

 

「おや? 公衆の面前で惚気話なんて良いご身分ですなぁ?? 居合わせたついでに、この私も混ぜてもらっちゃおっかなぁ~?」

 

「惚気話って……メーは俺をからかいたいだけだよね?」

 

「あは、バレた? よく分かってんじゃーん。伊達に長い付き合いしてないねー?」

 

 小悪魔な笑みを浮かべ、ラミアへと近付くメー。そうしてラミアの肩に右腕を掛けたメーがそのまま寄り掛かり、これにラミアは平然としたサマを見せながらも二人はその会話を行っていく。

 

「そーいえばですけど、ウチらで秘湯巡りしましょーってハナシあったじゃないですか。それにカンキさんも誘うのはどーでしょーか??」

 

「あーね? 二人揃ってたから、私もちょうどそれを切り出そうかなって思ってたんだよね~。いやぁ~、やっぱ私とラミアって気が合うねぇ。相思相愛って言うのかな? 考えることも似ていて、私達は良いコンビですなぁ」

 

「そーやって、メーさんは勝手なコトばかり言いますよね。まー、ウチとしても異論はありませんけど」

 

「だよね~。そんな私達のコンビに挟まれるカンキ君は幸せ者よのぉ? こんな美人コンビを独占できて、しかも、心も体も思うがままにできるその権利。やっぱり選ばれた血筋の人間は一味違いますな~」

 

 ニヤニヤ。終始とからかうような調子で喋り続けるメーに、自分は汗を流してしまいながらも反応する。

 

「権利はともかくとして……秘湯巡り? ってのは二人で巡ってきても良いんじゃないかな。俺がいるからって、そんな気を遣ってもらわなくても大丈夫だよ」

 

「ねぇカンキ君。それマジで言ってんの? せっかくの美女達からのお誘いなのにさ、女の私からしても、その返事は勿体無いと思うんだけどな~。それか、遠慮でもしてる? あは、だったらその必要は無い無い。……私達と巡る秘湯の旅。こんなに魅力的なお誘い、これ以上の贅沢は他に存在しないとは思わないもんかね? こんな機会、二度と巡ってこないかもよ? それでもいいのかな? ん? 後悔しない?」

 

「そ、そんなに迫られると、やっぱりちょっと、参加してみたくなっちゃうな……」

 

「はいじゃあ決まり~! カンキ君も参加ってことで、今のいざこざが落ち着いたら三人で秘湯巡りするぞ~!」

 

 半ば強引に決められたような予定。しかし、悪い気なんか全くしない魅惑的なお誘いに、自分は苦笑いを交えながら頷いていく。

 

 それでいて、ラミアもまた微笑しながら「これじゃー、余計に死ねなくなりましたねー。旅行をモチベーションに、ウチも頑張って生き残るしかありませんね」と言葉を口にする。これにメーは、勝気に微笑みながら「そうだぞ~? カンキ君と一緒に旅行する予定を生き甲斐に、お互いに生き延びようではないか~」と冗談めかした調子で返答したことで、ラミアは呆れ気味に笑みながらも、いつもの適当な調子で「そーですねー」と答えたものであった。



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第62話 Désir et jaune 《欲望と黄》

 昼下がりの龍明。休日である憩いの休息をひとり部屋で満喫していた最中にも、不意を突くようにインターホンが鳴らされる。

 

 誰だろう。確認するためにその映像を覗き込む自分。するとそこには、玄関先で不機嫌そうに佇む制服姿のミネがいた。

 

 右手に持つ鞄を肩に掛け、左手をブレザーのポケットに入れた不良スタイル。口を尖らせた様相に自分は足早に駆け付けて扉を開けていき、少女を迎え入れていく。

 

 開かれた扉と共に、こちらを見遣ってくるミネ。そんな、何気無いサマを向けてきた少女へと自分から言葉を投げ掛けた。

 

「いらっしゃい、菜子ちゃん。どうしたの? 何かあった?」

 

「ん、別に。何も無いけど、悪い?」

 

「悪くなんかないよ。せっかくだから上がっていって。お菓子もあるから、お仕事前に休んでいってよ」

 

「ん……カッシーが言うなら、じゃあ」

 

 ちょっと視線を逸らしながら、玄関に入ってきたミネ。そうして少女を迎えながら扉を閉めていく自分の懐で、ミネは不機嫌そうに言葉を続けてくる。

 

「あと、今日はお仕事無いから」

 

「そうなんだ。それじゃあこの後はゆっくりできるね。何ならここに泊まってく? 今日は同伴でみんな出払う予定になってるから、誰も帰ってこないんだ」

 

「カッシー、一人だけになるの?」

 

「そう。だから、護衛としてユノさんが来てくれる予定にはなっていたんだ」

 

「ふーん。……まぁ、カッシーがアタシに居てもらいたいんなら、ユノさんの代わりに泊まってあげてもいいけど……」

 

「それじゃあ、泊まっていってほしいな。ユノさんにはこちらから連絡しておくよ。今日は一緒にゆっくりしようね、菜子ちゃん」

 

「ん……」

 

 ぶっきらぼうに相槌を打つミネは、靴を脱いでひたひたと部屋に上がっていく。続いて、少女についていくように自分も部屋へと戻っていき、ミネがベッドにドカッと腰を掛けていく姿を脇にして、自分はスマートフォンでユノへとメッセージを入力し始めた。

 

 ミネが泊まることを入力する傍らで、ミネは何やらジッとした真っ直ぐな視線を、こちらに投げ掛けていたような気がした。これに自分は構わずとメッセージを入力し終え、ふぅっとひと段落するように少女へと振り向いていくのだが……。

 

 投げ掛けた視線の先。いつの間にか部屋の中央に立っていたミネが、どこかもじもじとした落ち着かない様子で佇んでいる。

 スカートの裾を掴んだ右手。自信なさげに俯いた視線。頬も赤いような、青いような、なんだか葛藤のようなものに苛まれていたその表情。少女の姿に自分は「菜子ちゃん?」と問い掛けていくと、次にもミネは石化するようにピシッと硬直しながら、視線だけをしどろもどろと忙しなく動かしつつこう喋り出してきた。

 

「っ…………カ、ッシー」

 

「どうしたの? 大丈夫だよ、ゆっくり話してみて」

 

「……分かってるってば、そんなこと。分かってるから……っ」

 

 次第にも、キュウッと縮こまる少女の身体。同時にして顔色がカァーッと赤色に染まったミネの様子から、自分は内心で「エッチなことでも考えているのかな」と察していく。

 

 こういうところは大胆だよな……。

 最近、ミネという少女のことが何となく分かってきた。このことから、自分はなだめるように優しく「そっか。何かあったらいつでも呼んでね」と言って、手元のスマートフォンへと視線を向けていく。

 

 それにミネは「うん……」と端的に答え、自分は暫しとスマートフォンを操作するフリで少女を待ち続けた。

 ……二分ほどの時間が経過した頃だろうか。ずっと佇んでいたミネが僅かに動く気配を感じると共にして、少女からはこの言葉を掛けられていく。

 

「……カッシー」

 

 ミネの声で振り返っていく自分。ふと投げ遣った視線が少女を捉えると、そこには自らスカートをたくし上げたミネの姿が映し出されていた。

 

 顔を真っ赤に染め、左手で口元を隠しながら目を逸らすミネ。今も少女が羞恥に苛まれる中で、自分の意識は、ミネが履いている大人びた白いレースのショーツに向いていた。

 

 新品と思われる真新しい質感と、どこか着慣れていないショーツのみが浮いた雰囲気。一歩、大人の階段を上った少女なりの背伸びに自分はムラッと興奮すると、今も爆発してしまいそうなほどに顔を真っ赤にしたミネへと、その言葉を投げ掛けていった。

 

「それ、もしかして新しいパンツ?」

 

「っ……そうだけど。なに、悪い?」

 

「悪くなんかないよ。むしろ、似合ってる。すごく似合ってる。可愛いよ」

 

「はぁ?? 可愛いって……何それ。可愛いとかさ、まるで子供みたいじゃん……」

 

「ちゃんと、大人っぽい意味で可愛いんだよ。菜子ちゃんの反応も相まって尚更ね」

 

「は……?? なにそれ……意味分かんない……っ」

 

 喋る内に、自信なさげなフニャフニャな声音になり始めたミネ。その間にもこちらから歩み寄るように近付いたことで、少女は数歩と引き下がってしまいながらも、構わずと距離を詰めてきたこちらを受け入れるようにミネは立ち止まっていく。

 

 ミネの新しいショーツを、この目に焼き付けておきたい。

 視線を合わせるように屈み、間近で絶景を眺めていく自分。これにミネは泣きそうな潤いを目に溜め込んでいくのだが、一方で自分は、意地悪をするように少女へとそれらを尋ね掛け始めたものだった。

 

「とても似合ってるよ、菜子ちゃん。こんなに可愛くて菜子ちゃんに似合うパンツ、よく見つけてきたね。いつ買ったの?」

 

「っっ…………先週。ユノさんとノアの三人で、買いに行った……」

 

「へぇ、心強い二人と一緒に見てきたんだ。これは自分で選んだの?」

 

「まぁ……。ユノさんも、ノアも、とても似合ってるって……言ってくれてたけど……」

 

「その通りだと思うよ。センス良いね、菜子ちゃん。こんなの見せられちゃったら、どんな男もイチコロだよ。……今も履いてるってことは、今日も学校に着ていったってことなのかな?」

 

「っ! なに、悪い……!?」

 

「悪くないよ。菜子ちゃんも大人になったね」

 

「ぱ、パンツなんかでそんなこと判断しないでよっ……!!」

 

 会話を交わすにつれて、段々と内股になり始めたミネ。一層と左手で顔を覆い隠した少女の様子に更なる興奮を覚えていく中で、自分は制御が利かなくなった欲望のままに、我ながら変態チックなことを言い出してしまう。

 

「菜子ちゃん。せっかくの大人びた菜子ちゃんを、もっと近くで見てみたい。……もっと近付いてもいいかな?」

 

 この両手を、少女の腰や膝の裏にあてがいながら口にした言葉。自分でも何を言っているんだと困惑気味に暴走してしまうのだが、これにミネは暫しもの沈黙を漂わせた後に、割と満更でもなさそうなサマでそう返答してきたのだ。

 

「……っアタシは、別に……。カッシーがそうしたいなら、まぁ……そうさせてあげてもいい、けど……?」

 

「いいんだ? ありがとう菜子ちゃん。それじゃあお言葉に甘えて……」

 

 快い返答を聞き、躊躇いなく吸い寄せられるように近付けた顔。すぐにも鼻先を少女の“ソコ”へとくっ付けていくと、特に敏感となる“豆”をくすぐるように、左右に首を振って鼻先を擦り付けながら新しいショーツを堪能する。

 

 ……次第と香ってきた、興奮によって醸し出されたメスのフェロモン。

 満更ではないどころか、少女はおねだりするように魅惑的な匂いを放ってきた。そんなミネの生理的なアプローチに一層の昂りを覚えた自分は、少女の“入口”を包み込むように口を近付けつつ、しかし舌が触れるか触れないかの瀬戸際で焦らしながら、ミネの様子をうかがっていく。

 

 舌を伸ばした瞬間こそは、目を細めながらも意識するようにグッと力を入れてきた少女。だが、息のみがかかり、中々に触れてこない舌をもどかしく感じ始めたのだろうか。ミネは次第と不満げな様子と、今も羞恥によって歪ませた何とも複雑な表情を見せてきたものだった。

 

 ……内股の少女。“ソコ”の部分には、新品のショーツにじんわりと広がり始めた湿り気の跡。

 純白のそれには、一切とお手入れするつもりのない天然の黒いジャングルがうかがえる。これらの情報が男の本能をゾクゾクと掻き立ててくると、次にも自分は辛抱堪らんといった具合に、ミネのソコへと齧り付いていった。

 

 焦らしに焦らされ、切ないが故に己を濡らして待ち続けていたミネ。そして、餌に食い付く魚が如くとうとう貪り始めたこちらの姿に、少女は物理的な快感と、誘い受けとなるシチュエーションの双方で悶え出していく。

 

 ミネとはしばらくご無沙汰だった。久しぶりの少女に、自分は新品のショーツに容赦の無い咀嚼を繰り返す。これにミネは「んっ……」と堪え切れない嬌声を何度も鳴らしながら、未だにスカートをたくし上げたその姿勢で、食らいつくこちらの様子を眺め続けてくる。

 

 ……そろそろ、奥に控えた“アワビ”も食べたいな。

 純白からはみ出した黒色のちりちり。それが一層もの興奮を掻き立ててきて、自分は咥える形でショーツを横にずらしていく。そうしてお目見えとなった少女の“アワビ”と対面し、自分は躊躇いなくソコへと齧り付いて、溜まっていた“出汁”を一気に啜っていく。

 

 この行為に、ミネは左手で顔を隠しながら「ちょっと。カッシー……っ!」と声を出し、次にも喘ぎ声と共にして、少女は快楽で腰を振り始めた。

 

 うねるような上下の腰使い。嬌声を伴う、無意識かつ魅惑的な動作。少女の素直な気持ちを受け取るように、自分はしばらくと口による行為を続けていき、段々と堪え切れなくなったミネは両手をこちらの頭に乗せながら、加えられる快楽にただただ悶えていく。

 

 自分もまた、両手を少女の尻へと滑り込ませ、ショーツを掴んだり、その中へ入れたりなどのアプローチを行いながら口による奉仕を続けていく。そうして暫しと出汁の多い“アワビ”を堪能すると、次にもミネは「ぁ、あ、待って。くる。くるっ……!」と呟くように声を出しながら、直後、少女は腰を前に突き出すような激しい到達を迎えたのだ。

 

 腰をビクつかせる度に口から漏れる、快楽で上ずったミネの甘美な声音。生理的な現象であるそれらの動作を何度か行った少女は、腰が抜けたようにその場で崩れ落ちていく。そんなミネを自分は急いで抱き留めていくと、まるで姫を救った王子のような構図で、自分はしばらく少女のことを眺め続けていった。

 

 ……めくれたスカートと、少女の脚に伝う透明な液体。刺激を加えていた“入口部分”では今も、噴射とまではいかないせせらぎのような洪水が起こっており、所謂、失禁というものによって部屋は少女で満たされ始めていたものだ。

 

 これにミネは、とてつもなく恥ずかしいと言わんばかりの様相を浮かべながらも、そのまま深刻な声音で「ごめんね。ごめんね……」と呟きつつ、両手で顔を覆い隠していく。

 

 いや、可愛すぎるだろ……。

 失禁による部屋の汚れよりも、少女の動作による萌えが勝った自分の内心。共にして自分は慰めるように「気にしないで。後で掃除すればいいだけだから。それよりも菜子ちゃん、よく頑張ったね。えらいえらい」と言葉を投げ掛けたことで、ミネは無言を貫きながらも、コクコクと頷いてみせたのである。

 

 

 

 

 

 ミネと一緒に部屋を軽く掃除し、それからご飯を食べに行こうという話が出た。この際に少女は「ステーキが食べたい」と申し出たことで、自分らはちょっと贅沢をするために二人で龍明の駅前へと向かい始めていく。

 

 アパートを出る前に、ミネ達の部屋にも立ち寄った。

 先ほどの行為で少女の新調したショーツが汚れてしまったため、それを着替えたいということでミネは下着のみを履き替えてきた。そうして制服姿のままである少女と共にアパートを後にして、今も駅前にあるお店を目指すその道中にも、表通りに出る前の小道にてミネからその言葉を掛けられた。

 

「ねぇカッシー」

 

「どうしたの?」

 

「……やっぱなんでもない」

 

 不機嫌そうにそう言い、ミネはそっぽを向いてしまう。しかし、どこかもどかしく思う様相に自分は「何かあったら、遠慮せずに何でも言ってね」とフォローを入れていくと、次にも少女は不愛想に、しかし、こちらの顔色をうかがうような視線でこれを話し出してきたのだ

 

「……今日のパンツさ。……どうだっ、た……?」

 

「さっきの白いやつだよね。今思い返してみても、やっぱり可愛かったよ。大人びた菜子ちゃんの新たな一面って感じで、とても興奮した。菜子ちゃんの真骨頂とも言えるかもね」

 

「なにそれ。ちょっと大げさすぎない? ……カッシー変態じゃん」

 

「まだ、さっきの興奮が残っちゃってるのかも。それくらい、今日の菜子ちゃんは魅力的だった。いつも魅力的だけどね」

 

「そういうのいいから。変態」

 

 不機嫌に喋る様子とは裏腹に、満更でもなさそうな様相でやり取りを行ってくるミネ。少女は返答の後に少しだけ口を噤んでいくと、次にもこちらをチラッと見遣りながら、訊ね掛けるように喋り出してきた。

 

「…………あの、さ。さっきのパンツだけど……。同じようなの、一応、二種類買ってあってさ……」

 

「二種類?」

 

「うん……。白色と、黄色……」

 

 ミネはスカートの裾を自ら手で掴み、それをおもむろにたくし上げてくる。

 ヒラッと見えた、先のレースなそれを黄色にしたショーツ。今も着用し、少女のイメージカラーである下着を目にしてからというもの、自分は心臓が飛び跳ねるような衝撃を受けながらもガン見して答えていく。

 

「すごい……。似合ってる……」

 

「ん、ありがと……」

 

「菜子ちゃん。この一年でとても成長したね」

 

「は? どうしたの急に。意味分かんないんですけど」

 

「可愛いよ」

 

「うるさい」

 

 たくし上げていたスカートを下げて、目の前を見遣りながら歩くミネ。もっとショーツを眺めていたかった自分は、名残惜しむ面持ちのまま前方へと視線を戻していくのだが、こちらのフェロモンを感じ取ったのだろうか、ミネは不愛想な声音ながらもそのようなことを口にし始める。

 

「……今のパンツもさ。見たいんなら、まぁ……後で見せてあげなくもない、けど……?」

 

「いいの?」

 

「いいよ。カッシーなら特別。ただ、代わりにステーキ奢って。言っとくけど、アタシのパンツはタダじゃないから」

 

「安いもんだよ、それくらい。……あー、待って。でも菜子ちゃんの食べる量を考えたら、ちょっと高くなるかも……?」

 

「なにそれ。ステーキよりもアタシのパンツの方が安いの? なんかムカつくから、やっぱ見せてあげない」

 

「あああぁぁごめんごめん!!! ウソウソウソ!! ちょっと口滑らせただけだから!!」

 

「どうしたの。急に必死じゃん。笑えるんだけど」

 

 フッと鼻を鳴らして微笑したミネ。そのあとにも少女は、不愛想ながらも穏やかな声音で「冗談。ちゃんと見せてあげるから大丈夫」と口にしたことで、自分は心なしか安堵するように、割と本気でホッと息をついてしまったものでもあった。

 

 

 

 

 

 駅前にあるステーキの専門店に訪れた自分とミネ。案内された席に座り、メニューやグラムを伝えていくと、少しして自分らの下には注文したステーキが届けられた。

 

 鉄板の上で踊る肉汁と、食欲をそそる焦げ目の茶色。添えられたコーンやブロッコリーが鮮やかな彩りを与えてくるものの、主役であるメインの、堂々とした肉肉しい風格が実に輝かしい。この悠然たる食の王者に自分とミネは目を光らせると、「頂きます」の挨拶と共にして二人で齧り付くようにステーキを堪能し始めた。

 

 う、美味いっ……! 幸せだ……!!

 味覚が喜ぶ至福の味。自分の中に存在する猛獣が全身に駆け巡る感覚。この感動をミネと一緒に分かち合いながらバクバクと食べ進めていく中で、しばらくしてミネは他愛ない会話としてこれを喋り出してきたものだ。

 

「……カッシー。そのさ……いつもありがと」

 

「こちらこそ、いつも一緒に居てくれてありがとね」

 

「うん……。……変に思わないんだ? 急にお礼言われたりしてさ」

 

「思わないよ。菜子ちゃんからお礼を言われるの、嬉しかったし」

 

「ふーん。まぁ……アタシも、その……嬉しかった、かな。何気無く返事してくれたこととかさ。……カッシーのそういうトコに、アタシ、けっこう救われてるのかも」

 

 ニマッ。少女にしては珍しく、素直な微笑でそう答えてくる。

 ミネの反応に、自分はちょっと意外に見開いてしまった。それでいて、反応の新鮮さから自分は余計に嬉しくなったことで、今度はこちらから話し掛けるように言葉を投げ掛けていく。

 

「最近、学校はどう? ノアも傍に居てくれているみたいだけど、友仁さんとかともうまくやれてる?」

 

「友仁さんは相変わらず、アタシにべったりだよ。ノアも、うん。いつも通り。ただ、アタシがいかがわしいお店で働いてるってウワサが広がってさ、周りの見る目がちょっと変わったくらいかな」

 

「それって大丈夫なの? いかがわしいことには代わりないけどさ……それがいじめのキッカケになったりとかしない?」

 

「平気。てか、アタシもそれを覚悟の上であのお店に入ったんだし、気にしないで。いじめも心配しなくていいよ。騒ぎ立てたヤツらはみんなぶっ潰してやるから」

 

「……そういうとこ、お姉さんに似てるなぁってつくづく思うよ」

 

「ホントに? そうなんだ。ふーん……」

 

 何だか嬉しそう。ねっとりと口角を吊り上げたミネの反応に、自分は内心でそれを思っていく。

 

 で、ミネはミネで、そんなことを話し出してきた。

 

「ただね、いかがわしいお店のウワサで、一回、男子に絡まれたことがあったんだよね。ま、そん時はホントに力ずくで分からせてから、特別サービスとして口止めもしてやったけど」

 

「特別サービス?」

 

「そ。バリバリヤンキーのソイツ、ボコボコにされた後に『先生にチクってやる』とかほざいてたから、ソイツの“アレ”、手と口で抜いてやった」

 

「あー……。何と言うか、したたかになったね、菜子ちゃん」

 

「その後がさ、もっとウケるんだよ? 何てったってソイツ、アタシにサービスしてもらってからさ、何を勘違いしたのか、数日後にアタシにコクってきたんだよね。アタシの口で情けなくイってから、どこかよそよそしいカンジはしてたんだけど。なんか、急に優しくなったし、ちょっと思わせぶりな態度も取ってきてたし」

 

「それで、菜子ちゃんはどんな返事をしたの?」

 

「フってやった。当たり前じゃん。すごい悲しそうなカオしてたけど、だから何ってカンジ。アタシのテクニックで盛大に勘違いして、ホンキで惚れちゃったみたいでさぁ。ホント、マジ、そん時はめっちゃウケた」

 

 ステーキをもぐもぐと食しながら、達観したサマでそれを語るミネ。少女の様子に蓼丸ヒイロの面影を感じた自分は、懐かしささえも抱きながら相槌と一緒に頷いていく。

 

 これに気分を良くしたのだろうミネは、鼻を高くするようにフフンと笑んでみせる。そして少女は珍しく愛想良く振る舞うと共にして、自信に満ち溢れた渾身の表情でその言葉を口にしてきたものでもあった。

 

「何だったらさ、今日このあとシてあげよっか? アタシの生まれ変わったテクニック、カッシーにもお披露目したいし。この前までの、恥ずかしさでテンパるアタシはもういないってこと、カッシーに思い知らせてやるんだから」

 

 

 

 

 

 先ほどまでの威勢はどこへ行ったのだろうか。

 アパートに戻り、二人で向かい合うようベッドに座る自分ら。制服姿のミネは女の子座りでこちらと向かい合ってくると、少女は先までの自信満々な様子から一転として、頬を膨らませ、目をグルグルさせながら、顔を真っ赤に染めた様相で目の前に存在していた。

 

 ……本当に、いちいち可愛いなぁ。

 ずっと眺めていられる。内心で意地悪したくなる気持ちが芽生えてくる中で、自分はミネをなだめるように言葉を投げ掛けていく。

 

「そんなに緊張しなくてもいいからね。菜子ちゃんの初めても担当した相手なんだから、気楽にやっていこう」

 

「は、ハァぁッ!!? き、きき気楽って。ァ、アタシだって気が楽だしっ?! なな、なめないでよねっ!? っってかさぁ!! 自分が年上だからって?? そんなマウント取ってきてさぁ?? 恥ずかしくないのっっ!!? ねぇ。そういうのってあんまり良くないかなぁーってアタシ思うんだけど?? そこんところどうなんですかー、カッシーさーんっっ??」

 

 すっごい饒舌だ……。

 緊張に緊張を塗りたくった、ド緊張によるハイパー混乱状態。ミネの様子に自分は汗を流しながらも、警戒させないようゆっくりと両腕を広げながら喋り掛けていく。

 

「取り敢えず、まずはハグかな。俺からハグをしようか?」

 

「はい?? 何それ。アタシのことなめてんのっ?? まずはハグから、次にキス。そんなの当たり前なんですけどーっ?? まさかアタシにそんなこともできないとか思ってるワケ? ホント、意味分かんないっっ」

 

「ハグの次にキス。それが菜子ちゃんの好きな順番なんだね。それじゃあ、ハグとキスをしよっか」

 

「は……っ???」

 

 迫るこちらに、気圧されるようじりじりと退くミネ。しかし、逃がすまいと自分は優しく少女を抱き締めていくと、これによって少女は、一瞬だけ毛を逆立てるような反応を見せながらも、先ほどまで見せていた反抗的な態度をみるみると落ち着かせていった。

 

 ……制服のミネを抱き抱え、背中を優しく叩いていく。このアプローチにミネは、こちらにも伝わるほどの鼓動をバクバクと響かせたものだったから、自分は少女をなだめるように頭を撫でつつ、直にもうっとりとした表情になったミネの唇を、愛情を込めた滑らかなキスで優しく奪い去っていったのだ。

 

 

 

 この日、新調したショーツに留まらず、自分はミネそのものを頂いた。

 既に夜を迎えた時刻において、新しい下着も存分に堪能した自分。制服のスカートをめくり上げた少女の姿に興奮を覚えつつ、両脚に挟まれる形でミネを味わっていく。この、鼻先や香り、舌や味覚で年頃の少女を貪るアプローチに、ミネは“ソコ”を湿らせ始めたものだったから、黄色のレースであるその質感に自分は一層と昂りつつも、十分に味わった柔らかい“アワビ”から口を離し、そのまま少女に覆い被さっていった。

 

 ……着衣の状態で致そう。こちらの思惑を感じ取ったミネは、真っ赤にした顔を両手で隠すような動作を見せてきた。そんな少女に尚更と悶々した自分は、ボロンッと取り出した“モノ”をミネのソレにあてがいながら、壁ドンならぬ床ドンのような状態で端的に訊ね掛けていく。

 

「菜子ちゃん。もういいよね? 俺、お昼の時からずっと我慢してたんだ」

 

「か、カッシー……。なんか、すごい顔してるけど……?」

 

「いいよね? 俺の“コイツ”が、菜子ちゃんのことをずっと欲しがってんだ」

 

「え? ま、まぁ……ぃ、いい、よ……? カッシーなら、特別に……」

 

「ありがとう。菜子ちゃん、好きだよ」

 

「はい?? 急に何……っ」

 

 ちゅ。

 言葉を遮るキス。これにミネは「んぅ」と喉を鳴らすように声を出し、両手をベッドに投げ出していく。

 

 続けて、自分は擦り付けたモノを少女に侵入させていった。

 他のホステスと比べても、だいぶ小さくて窮屈な入口。入れるだけでも精一杯であるソレをギチギチに詰め込むこちらの力技に、ミネはキス越しの唸り声を上げながら悶え始めていく。

 

 もしかしたら、ちょっと痛かったのかもしれない。

 しかし、自分も止まることができない。欲求に素直となった己の身体はミネに構わず侵入を続けていき、そして、根本まで完全に入り切った強引な行為と共にして、自分は蕩けるような眼差しを少女に向けつつその言葉を投げ掛けていく。

 

「菜子ちゃん。菜子ちゃんの中、すごく気持ち良いよ。菜子ちゃんも、俺で気持ち良くなれていると嬉しいな」

 

「か、カッシー……! ちょ、っと。キッツぃ……!!」

 

「そっか。可愛いよ、菜子ちゃん」

 

「だっ、バカ……っ!! カッシー待って、ホントにキツいんだってば」

 

「可愛いって言う度に引き締まるの、本当に可愛いな。菜子ちゃんはどうしてこんなに可愛いんだろうね」

 

「は、はぁァ!? だから、待っ……!!」

 

 むぎゅう。

 温もりを帯びた優しい抱擁で無理やり黙らせて、自分は少女の頭を撫でながらもその額に口付けを行っていく。こちらの一方的なアプローチにミネは抵抗を見せながらも、言動とは裏腹に押し退けようとしない様子から、少女もこちらを受け入れてくれているのだと悟ることができたものだ。

 

 ミネは、繋がり合った状態でじっくりと行為に浸るのが大好きな女性だ。モノに突かれる快感も少女は求めたりするものだが、どちらかと言うと、今のように繋がった状態でハグやキスを行う、スローな行為を好む傾向にある。

 

 快楽を共有するというよりは、互いの温もりを身体の芯でゆっくりと感じ取り、それによって生じた甘くてねちっこい戯れに興奮を覚えるのだろう。実際にミネは、運動を行わないキスのみのアプローチで数回に渡る痙攣を引き起こしたり、また、ハグをしながら耳元で言葉を囁くと、少女は顔を赤らめながらも次第と声を震わせて、自滅するように一人で達してしまいながら、時には透明混じりの色合いである失禁をしてしまったりする。

 

 少女の特徴はそれだけではない。先述した耳元での囁きに類似するものとして、ミネは言葉責めに至極弱い性質の持ち主だ。特に、「可愛い」という言葉には敏感であり、既に試しているように「可愛い」と口にするだけで“聖域”の締まりはグンッと良くなり、少女もはぐらかすように否定する言葉を羅列しながらも、身体は正直なのだろうその反応で見事、こちらの期待に応えてくれるのだ。

 

 今も、“モノ”を抱き抱えるように締め上げたミネの“アワビ”。口が小さいソレの包容力は非常に凄まじく、元から密室が如く圧迫する感覚によって、絶妙な居心地の良さを感じさせてくれたそれは、ミネの興奮により一気に狭まることで一層もの快楽をもたらしてくれる。

 

 可愛いをメインに据えた、耳元で囁く甘い言葉責め。どんなに少女からキツく当たられようとも、挫けることなく褒め殺しの猛襲でミネの気持ちを高ぶらせていく。そしてとうとう、“モノ”を締め付けてくる力が極限にまで強まってくるのだが、頃合いだろうと少女の最深部で噴射しようとした自分は次の時にも、下半身に生じた違和感で思わずミネの身体を力強く抱き締めてしまったのだ。

 

 っ……キツすぎて、出せない……!?

 少女の興奮により、極度の圧迫が通り道を塞いでくる。それどころか、根本から先端までの全域をギュウギュウに締め上げられた“モノ”は、意図しない寸止めによる痛みを発症してこちらの意識を掻っ攫ってきた。

 

 ……何という名器。いや……もはや凶器……!!!!

 喧嘩の強さが、そのまま“アワビ”の締め付けに直結したかのような凶暴性……! これに自分が苦しむように息を漏らしていく中で、ミネはちょっと心配そうな表情をしながら声を掛けてくる。

 

「カッシー? ねぇ、大丈夫……?」

 

「あ、あぁ……っ! 大丈夫だよ……!」

 

「カオ、引きつってるけど」

 

「あぁ……っ。まぁ、ちょっと菜子ちゃんの締め付けが良すぎちゃって……」

 

「それ、褒めてる……?」

 

「褒めてる褒めてるっ!! すっごく気持ち良いよっ! 菜子ちゃんのナカ、本当に、最高……! 何ならもう、ナカに出しちゃおうかな……? なんて……っ」

 

 ミネを心配させまいと、精一杯の笑顔でそんなことを口走った自分。それでいて、少女の顔色をうかがいながらも冗談めかした言葉を喋っていくのだが、なんとこの言葉を真に受けてしまったミネは、次にも顔を真っ赤に染めるなり、暫し考え込むように視線を逸らしてからその返答を行ってきたのだ。

 

「ッ…………ナカ、出したいの?」

 

「え? あぁ、うん。そうだね……?」

 

「……いいよ」

 

「え?」

 

「カッシーならいいよ。特別」

 

 むぎゅうっと優しく抱き締めてきたミネ。回してきた両腕でこちらを寄せるように抱え込んでくると、両脚もまた回してくるなり繋がり合うこちらの腰をがっちりホールドして、少女は真っ直ぐな眼差しで見つめ出してくる。

 

 いつもの不機嫌そうな様相からは考えられないほどの、純粋な期待を寄せた眼。心なしか微笑むような少女の様子に、自分は想定外とも言える「え?」の言葉を零しながらミネと向かい合った。

 

 ……男ならば、この場を退くわけにはいかない。

 使命感に駆られ、自分は腹を括るように少女を抱き締めていく。そうしてゆったりとした動作のハグにミネは照れ臭そうな顔を見せてくると、続けて少女はどこからか覚えてきたあざとい視線で、しかし不慣れな調子でそれを口にしてみせた。

 

「カッシーなら、別にイヤじゃないよ。むしろ……イイかも、って思えるかな。まぁ、ナマは初めてだけどさ。カッシーなら責任くらい取ってくれるもんね。……アタシ、これでもカッシーのこと信頼してるんだよ? 今まで、他の人に期待なんかしないで生きてきたアタシが、こんなに絶大な信頼を寄せてあげてんだからさ。この期待、絶対に裏切らないでよ? ま、カッシーなら大丈夫だろうけど」

 

 鼻先が擦れるくらいの距離感で投げ掛けられた、自身の想いを打ち明けた至極素直なその言葉。これまで共に過ごしてきた生活の中、胸に抱き続けてきたのであろう日頃の気持ちを急に伝えられたことで、自分は今日一番の興奮を覚えると共に、少女を抱き締めつつその返答を行っていった。

 

「……あぁ、分かった。菜子ちゃんももう大人だから、万が一のことも十分に考えられる年齢だ。だから……今日のエッチで子供ができた際には、俺が責任を持って菜子ちゃんを(めと)る」

 

「はい言った。約束だよ? カッシー。もう後に引けないから、そこんトコよろしく」

 

 腰に回していた両脚に力を入れたミネ。これにより、少女も本気であることを自分は悟ると同時にして、次にも二人は優しく抱き締め合いながら口付けを交わしていった。

 

 肉厚の薄い、若々しい唇が触れる感触。ミネというホステスから与えられる温もりに全身の神経が悦びを覚え、この感覚は次第と“モノ”へと伝わって、一層もの肥大を促してくる。

 

 ギンギンに張り詰めた、オスのシンボル。それがメスのシンボルを埋め尽くし、命の空間と呼べるだろう最深部にキスを行って、その入り口に触れた状態のまま静止する。共にして自分らは熱烈とも言えるねちっこい口付けを交わし合い、舌も絡ませた本格的な大人のキスを行いながら、二人でオスの噴射を待ち始めた。

 

 狙いは定めた。既に、目標の入口に触れている。

 あとは、これをミネの最深部に注ぎ込むだけだ。女子高生である少女に無責任な行為を働こうとする意志を固め、自分はフィニッシュに向けて少女を抱き抱えていく。それからキスをやめ、少女の耳元に口を近付けてから、自分は最後の仕上げと言わんばかりにこのセリフを口にしていった。

 

「菜子ちゃん。可愛いよ」

 

「可愛くなんかないってば」

 

「菜子ちゃんがどんなに否定しようとも、俺は可愛いって言い続けるよ。だって、本当のことだからね」

 

「そういうの、ホントにズルいからやめて」

 

「菜子ちゃん。可愛いよ。愛してる」

 

「ホント、カッシーのバカ……」

 

 搾り上げるほどの強力な締め付け。ここぞとばかりに締め上げてきたミネの“アワビ”を受けて、自分はこれを待っていたかの如く、巡ってきた快楽のままに次の瞬間にも内なる本能を噴出していった。

 

 熱を帯び、どくどくと脈打つ肉の管。そこから自分の全てを捧げるよう彼女に熱意を注ぎ込み、溢れんばかりの欲望で彼女の中を満たしていく。

 

 ……ラミア、メー、そしてレダに続いて、自分史上もっとも多い量を噴射した。

 

 再び、少女の初めてを頂いてしまった。その、尊うべき可憐な体験の第一人者を全うした自分は、中身が空っぽになるほどの噴射によって燃え尽きるように少女へと乗り掛かり、この身体はミネによって迎え入れられるように受け止められていく。

 

 今もミネの入口からは、白濁のオスが溢れ出していた。この、流れ出てくる感覚にミネは、敏感な部位で不思議な感触を覚えているなどの感想を口にしながらもキスをねだってくる。これに自分は応えるよう少女と口付けを交わしていくと、最後に、横になりながらも向かい合ったその姿勢で、自分とミネは愛し合う恋人のように甘い余韻を堪能したのであった。



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第63話 Un approche passionné 《熱烈なアプローチ》

「柏島歓喜!! ボクのことをエッチな目で見てくれないか!?」

 

 夜の自宅にて、テレビを観ていた自分の下へと仁王立ちするノア。少女は風呂上がりのタオル姿で胸を張りながら佇むと、仰々しい調子で喋りながらこちらの意識を掻っ攫ったものだった。

 

 ポカーン。呆気にとられた自分が、座った姿勢でノアを見遣っていく。そんなこちらの反応に少女はウムッと頷いていくと、次にも大げさな身振り手振りでそれを口にし始めてくる。

 

「あぁ、柏島歓喜! そんなに熱烈な視線をボクに向けないでくれたまえ! 確かに、ボクのパーフェクトボディがあまりにも刺激が強く、思わず言葉を失い、股間を充血させながらボクという健気な現役JKを邪な目で見遣ってしまうものだろう! しかし、安心してほしい! ボクはキミという柏島の血を受け継ぎし神聖なる血族に対し、この身を捧げる覚悟でキミの前に現れた!! よって、柏島歓喜。キミは今宵、ボクというメインディッシュを存分に堪能してくれても良いのだよ!」

 

「いやいや、興奮よりも驚きで言葉を失っているだけだから。……というか、え? なんでノアがここにいるの? どうして俺の部屋のお風呂を使ってたの? てか、いつからこの部屋にいたの……?」

 

「あぁ、突き刺さる……っ! 柏島歓喜の熱い視線が、ボクの全身に深く、深く、とても深く突き刺さってくる……! ボクは今、カレに邪な目を向けられているのだ! ……待って! ダメだよ、ノア! 未成年が故の純正なる乙女の裸体を、大人の男性に気安く曝け出してはいけないんだ! いや、いいのさ! 内なるボクよ! カレの名は柏島歓喜。カレは、かの女神ユノが存在を認めた、国宝よりも丁重に扱われなければならない柏島の名を継ぐ者! そんな、正に現世のアダムとも呼べるだろうカレに対して誠意を示すべく、ボクはこうして、我が身を捧げる誠実さを自ら体現しなければならないのさ!!」

 

 なんか始まった……。

 歌劇のような、演じる素振りで己との対話を開始したノア。少女のイマイチ掴み切れない透明感に未だ翻弄される自分は、少女に対して複雑な視線を投げ掛けてしまう。

 

 ノアという少女のことは、まだまだ分からないな……。

 内心で呟きつつ、自身の世界に入り浸った少女を眺めていく自分。この視線にノアは両手で己の身体を抱き締めるようにしていくと、次にも仰々しい様子のまま、少女は言葉を続けてきた。

 

「そうだ! 柏島歓喜!! もっと! もっとボクのことを! エッチな目で見てほしい!! キミから注がれる熱い視線こそがボクを高みへと導いてくれるんだ!! さぁ!! ボクに! 眩しいほどのエッチな眼差しを! 注いでくれたまえ!!! ……あぁそうだ柏島歓喜、せっかくお邪魔しているものだから、キミにボクお手製の晩ご飯を作ってあげようじゃないか。キッチンを借りてもいいかな?」

 

「急に素に戻るじゃん……」

 

 スンッ。

 先までの歌劇を忘却したかのような、急に冷静となった少女の様子。この、人格ごと入れ替わるような切り替えに自分は汗を流してしまいながらも、ノアの提案に対して「あ、あぁ、それじゃあノアお手製の晩ご飯、頂こうかな……?」と返答したことで、少女はニパァッと健気な子犬が如く晴れやかな笑みを浮かべながら、とても嬉しそうに頷いてきたものだった。

 

 

 

 

 

 冷蔵庫の中に入っていた余り物で、お手製の激ウマ焼きそばを作ってくれたノア。十八番とも言えるのだろう料理に自分は、頬を手で押さえながらそれを味わっていくと、少女もまた美味で悶えるこちらの様子に満足げな微笑を零してきた。

 

 小さな丸テーブルに肘をつく、水色の寝間着に身を包んだノア。今も食事を行うこちらに対して、穏やかな様相で眺めてくる。そんな少女の、束の間とも言える年相応の様子に自分はちょっとだけ見惚れてしまうのだが、少女の透明感ある可憐な魅惑を振り払うようにしながら、こちらから問い掛ける形でその言葉を投げ掛けていった。

 

「それでなんだけど、ノア。急に『エッチな目で見てくれ』って、一体どうしたの? お店で何かあった?」

 

 何気無く訊ね掛けたこれに対し、ノアは待ってましたと言わんばかりにキリッと表情を変えていく。それから仰々しい声音で「よくぞ訊いてくれたね!」と返答してくると、続けてこう説明してきたのだ。

 

「時は遡ること、三日ほど前だろうか。ボクはホステスとしてLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の職務を全うしていたその最中に、事件は起きた……っ」

 

「事件?」

 

「ボクが対応していたお客さんは、大の女好きである資産家だった。カレの金遣いはボクから見ても実に豪快でね、カレは『とりあえず生で』の感覚でシャンパンを頼むほどの、大金持ちだったのさ」

 

「うんうん。それで?」

 

「先にも口にした様に、カレは大の女好きだ。それも、一目でオトコを虜にするような、魅惑的で濃厚なフェロモンを放つ、とびっきりのメスを好む人物だった。カレという人間は実に分かりやすくてね。特にカレは目に見えて、レダをひいきして指名し続けていた。しかし、その日はレダが他のお客を接客していてね、カレの下には、ボクが充てられたんだ」

 

「うんうん」

 

「それで、ボクがカレの下に赴くだろう。そしたらカレ、何て言ったと思う? 『キミのような子供はお呼びじゃないよ。せめて、もっとこう、出るトコを出してから来てくれないかな?』だってさ……」

 

 男性の真似とも言える、声を野太くしたノアの調子。かと思えば途端に少女はシュンッと落ち込み始め、分かりやすく沈んだ気分で、言葉を続けてくる。

 

「……ボクだって、そんなこと分かっているのさ。しかし、世の中には代え難い現実もあるだろう? ボクはその日、言い知れない悲愴に打ちひしがれた。その日の業務にも集中できず、ずっと、何気無い言葉を脳裏によぎらせて、そればかりに意識が向いてしまう。結局、ボクは大した売り上げを出せず終いとなってしまい、傍から見てもボクの様子がイマイチ冴えないように見えていたことから、ユノにも何かあったのかを訊ねられる程度には、メンタルがボロボロになってしまった……」

 

「ノア……」

 

 いつも、演じるようでありながらも飄々と振る舞う不思議な少女。だが、ノアも人間である以上は時に傷付き、悲しむのだ。

 

 自分は、ノアに寄り添うよう見つめていく。この眼差しにノアは眉をひそめながら微笑を見せてくると、次にも自身に呆れるような調子で言葉を口にしてきた。

 

「ボクらしくない話をしてしまったね。これではボクのイメージダウンとなってしまうだろう。けれども……今だけはどうか、ボクの弱みをキミに晒したい。そして、願うならば……キミに慰めてもらいたいのだ。できるだけ、ボクが喜びそうな言葉でね。だから、見繕ってもらえないものかな。嘆きと喜びの狭間で彷徨うボクを、正しき道へと導くために。一人の少女を救済する、アダムから賜れた感激の言葉を」

 

 仰々しい調子とは裏腹に、表情はとても弱っていたノアの様子。日頃の苦労が今になって圧し掛かってきたのだろう少女の姿に、自分は最大限の敬意を込めて鼓舞の返答を行った。

 

「見繕うも何も、俺は最初から本気で言わせてもらうよ。……ノア、いつもよく頑張れていると俺は思うよ。傍で見守っているからこそ、こう断言できるんだ。まずは、自信を持って。ノアはホステスとして十分に魅力があるよ。水晶のように透明な存在感はノアのれっきとした武器だと言えるし、ノアのちょっと不思議なところも、かえって愛嬌があって俺は大好きだ。体つきは確かに色々と控えめかもしれないけれども、人間の魅力は内面にあると思ってる」

 

「……柏島歓喜」

 

「まぁ、何というか……セクハラにはなるかもしれないけれども、俺はノアの体つき、大好きだよ。とにかく、あれだ。今は気分が落ち込んじゃって仕方が無いかもしれないけれど、少なくとも俺は、ノアのことを魅惑的に思えるし、場合によってはちょっとムラッとしたりする。俺はノアのことを異性として意識しているよ。そして、お客様の中にも、ノアに本気で恋してる人もいると思う。てか、絶対にいる。だから、気持ちが少し落ち着いた頃にでも、少しだけ、自意識過剰でもいいから自信を持ってみて。その自信は、強がりとかプライドによるものなんかじゃなくて、れっきとした本物の確信だからさ」

 

 ちょっと大げさすぎたかな。

 内心で不安になった自分は、ノアの顔色をうかがうように見遣っていく。だが、こちらの不安とは相対して、少女は言葉を聞くにつれて次第と見開いていった表情で、今ではどこか晴れやかな爽快感さえもうかがわせる、キラキラとした鏡のような反射する瞳でこちらを見つめていたものだ。

 

 姿勢も、少しだけシャキッと伸びたかもしれない。ノアの、透明感ある活気が戻ってきた様子に自分は安堵を抱いていくと同時にして、次にも少女は胸に右手をあてがいながら、華麗なる動作でこの言葉を口にしていった。

 

「やっぱり……やっぱりそうだろうね!! フハハハハハ! あぁ、ボクったら何て情けないことか。キミがこんなにもボクを想ってくれているのに、当の本人はどうしてこんな、弱気になってしまっていたんだろう!! 今となっては不思議に思えて仕方が無いよ!! ……ありがとう、柏島歓喜。キミは低迷した一ホステスを、言葉のみで救済してみせた。その巧みな褒め殺しテクニックこそが、きっと、ボクらLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスを心身ともに支えているのだろうね。今、こうして身を以て、キミの存在を改めて実感することができた。ありがとう、本当にありがとう。おかげさまで、元気がモリモリ出てきたよ!」

 

 うんうん。やっぱりこのノアが、一番ノアらしくて好きだ。

 溢れ出る自尊心で満たされた、自信に満ち溢れた少女の有様。復活したノアの活気に自分は微笑を零していき、少女の元気な表情に感化されるように、こちらもまた湧き上がってきた明るい気持ちのまま何度か頷いていった。

 

 で、こちらの言葉で元気を取り戻したノアは、ふと我に返るかのように遠くを見遣っていく。それから記憶を巡らせるように内なる脳裏へと意識を向けていくと、次にも少女は興味からなる問い掛けを行ってきたのだ。

 

「……それでだ、柏島歓喜。今キミは、ボクのことを異性として意識していると口にしたね。それ、本当なのかい?」

 

「え? まぁ、嘘ではないかな……?」

 

「では、お世辞ではない言葉通りの意味であると解釈していいんだね。……つまり、キミはボクに対して好意を抱いているということだ?」

 

「好意……そうとも言えるかもしれない?」

 

「ということは、だ。キミは、ボクに首ったけということだね!?」

 

「ど、どうしたの突然……?」

 

 テーブルに身を乗り出しながら、それを訊ね掛けてきたノアのアプローチ。これに自分は困惑気味に返答していく中で、少女は少女で仰々しくもどこか困惑を交えたサマで言葉を続けてくる。

 

「いやなに、アハハ。ボク、柏島歓喜に好かれていると実感してから、何だかやけに気分が高揚してしまって仕方が無いんだ。何だろうね、この気持ちは。おかしいな……っ! ……フフッ、フフフ……。あぁ、嬉しいなぁ……すごく嬉しいぞ……! だってボクは、周囲のホステスと比べても様々な経験が浅くて、虚勢を張ってばかりいる、ただの強がりな凡人だ。どんなに個性を演出しようともボクは、経験豊富で、且つそれぞれが独自の魅力を持つカノジョらに中々敵わない。正直、ホステスになってからは、毎日のようにそれを不安に思えてしまっていた」

 

「ノア……」

 

「ミネ、ユノ、レダ。カノジョらだって、キミからすれば個々が魅力の塊だと言えるだろう? 対象はカノジョらだけに留まらない。ラミアだって、バスト六十八、ウエスト五十二、ヒップ七十三の可憐なる体型を武器として商売しているし、メーだって、バスト八十二、ウエスト五十八、ヒップ八十三という無難だからこその女性の魅力を個性として上手く利用している。シュラも、バスト九十、ウエスト五十、ヒップ八十五というスポーティで快活な健康ホステスとして人気急上昇中だ。そんなカノジョらと比べると、ボクは……何も無いんじゃないかって、度々と不安に苛まれてしまう……」

 

 もしかして、全ホステスのスリーサイズを把握しているのか……?

 内心にちょっとだけよぎってきた困惑。しかし、この思考はすぐにも、ノアが抱きし日頃の悩みによる同情で振り払われていく。

 

 ノアはこれまで、王子様のように爽やかなキャラを演出してきた。だが、その実はとても健気で、繊細で、年相応の不安を常日頃と抱える、至って純粋な少女の一人に過ぎなかったのだ。

 

 他者の影響を受けやすいというノアの特性も、もしかしたらこの内面から来るものだったのかもしれない。ユノを真似することによって自身の自尊心を高め、蓼丸ヒイロを真似することによって強い自分を演出していた。いや、そうであると信じ込んできた。

 

 実際に少女は、学校において自分がヤクザの娘であることを何よりも重要視していた。それも、龍明において最強の名を冠する銀嶺会の会長を親に持つという立場から、自分もまたその威厳を、面子を最重要視しており、少女はその印象を守るためにライターを持ち歩いたりしていた。

 

 ……ノアという女の子は、虚勢とまではいかずとも、上辺の印象によって本来の自身を隠し続けていたのかもしれない。本当は弱い自分を曝け出したくない。相手になめられたくない。相手に負けたくない。そこから来るプレッシャーを常に抱え続けながら、今日この日まで生きてきたのだろうか。

 

 しかし、ずっと孤独で戦い続けてきた少女は、この時にも限界を迎えてしまった。

 とても弱ったような表情と声音。いつもの仰々しい調子も、どこか不調とも言えるように覚束ない。そんなノアと自分は正面から向かい合っていく中で、少女はこちらを見遣るなり、眉をひそめた弱々しい様相でこんなお願いをしてきたのだ。

 

「柏島歓喜。キミにお願いがある。……ボクの、このような姿を知る者はおそらく、キミだけだと思う。ユノなんかは薄々と気付いていそうではあるけれど、カノジョもきっと、ボクのことをキミに託している節があるのだと思うんだ。そんなボクのことを……どうか、慰めてもらえないものだろうか……?」

 

「いいよ。できる範囲ならば、ノアの希望に沿ってみせるからね」

 

 拒否する意味もない。自分は快く頷いて、ノアを受け入れていく。こちらの反応に少女はパァッと明るい表情を見せてくると、次にも和やかな微笑と共にその言葉を口にしてきた。

 

「……キミにはいつも助けられているような気がするよ。どうしてだろうか、キミならばボクのことを甘やかしてくれると確信さえしてしまっていた。……ボクはもう、柏島歓喜がいないと生きていけないのかもしれないな」

 

 

 

 

 

 食事を終え、床に座ってベッドに寄り掛かった自分の下へとノアは歩み寄ってくる。それから少女は寝間着姿で屈んでくると、背を向けた状態であぐらになったこちらの膝に乗り掛かり、それから寄り掛かっては見上げるようにしてこちらと顔を合わせてきた。

 

 透き通る存在感と、幼げさえうかがわせる童顔の少女。鏡のように反射する瞳には自分の顔も映っており、今もノアに見惚れるような、浮かれたような表情が嫌でも視界に入ってくる。

 

 ……邪な目で見てはいけない。自分の顔に、思わず首を横に振りながら脳裏の欲望を抑え込む。それからノアと向かい合い、じっと、純粋無垢な眼差しを向けてくる少女の頭を撫でながら、甘やかすようにこちらから言葉を投げ掛けていった。

 

「ノア、やっぱりノアは十分に魅力的だよ。いつもの王子様チックなノアも素敵だけど、今、こうして見つめ合っているだけでも、ノアの可憐な顔についつい見惚れちゃうよ」

 

「フフッ、そうかな? ありがとう、柏島歓喜。キミの言葉はどうも甘美かつ刺激的であり、ボクの荒んだ心が瞬く間に浄化されていくよ……」

 

「本当のことを伝えただけだよ。これならもっと自信を持っていい。ノアは、他のホステスにはない清涼感がすごく魅力的だね。顔が可愛いのは勿論のことだけど、ノアの女の子らしい健気な雰囲気が普段とのギャップになっていて、それがもう、男として堪らないくらいにそそられる……」

 

「アッハハハ。柏島歓喜も、ボクの喋りと同じように大げさだね。……なぁ、柏島歓喜。キミから見たボクは、大人の魅力があるのかい? ボクは……エッチなのかな……?」

 

「エッチだよ。すごくエッチだ……」

 

 見上げていたノアの髪に、顔を埋めていく自分。そして少女の頭部にキスを行ってから、その華奢な身体に両腕を回して抱き締めていく。

 

 あぐらをかいていた脚を開いて、ノアを全身で受け止めるように抱き抱える。これに少女は微笑しながらも照れ臭そうに俯いていくと、ノアはそのまましっぽりとした様相で、静かな面持ちでこちらに抱かれていた。

 

 ……ノア特有の、形容し難い無機質な香り。フェロモンとは全く異なる不可思議な少女の匂いに魅力さえ感じながら、自分はむぎゅうっとノアを抱き締めて、その柔らかな温もりを堪能していく。このアプローチにノアはずっと俯くように収まっていたのだが、こうして暫し少女と穏やかな時間を過ごしていると、次にも少女はこちらの右手を取って、自身の胸へと押し当てていったのだ。

 

 突然の行為に、自分は心臓を跳ねさせる。だが、そうして触れたノアの心臓は、こちら以上にバクバクと速めた鼓動を伴っていたことから、自分は思わず少女へとその言葉を投げ掛けてしまった。

 

「ノア? すごくドキドキしてるよ?」

 

「…………そうだね。ボクの身体、さっきから何かがおかしいんだ。柏島歓喜に抱き締められてから、ボクの身体は骨の髄までポカポカと温かくなってしまって、心臓も速まって、心無しか頭も真っ白だ。……アハハ、何だろうね。この気持ちは……。これじゃあまるで、柏島歓喜のことが大好きな人みたいじゃないか……っ」

 

 そう言われると、こちらまで意識してしまうなぁ……。

 ノアの言葉に興奮を覚えた自分もまた、鼓動を速めながら一層と力強くハグしてしまう。この行為に少女は恥ずかしそうに微笑んでみせたものだったから、自分は興奮のままにそんな返事を行っていった。

 

「そう言ってもらえると嬉しいな。ノアに好きになってもらえるだなんて、俺はとんだ幸せ者だよ」

 

「柏島歓喜。キミは本当に、相手の機嫌を取るのが上手いね。そんなことを言われてしまうと、ボクは余計にキミを意識してしまう……」

 

「どんどん意識してもらっていいからね。その分だけ俺も、ノアのことを意識しちゃうから」

 

 むぎゅうぅ……。

 やんわりと強く抱き締めていくアプローチに、ノアは一層と心臓の鼓動を速めていく。それでいて、少女は色白な頬をほのかに赤く染めていくと、ノアは次にも掴んでいたこちらの手を自身の寝間着の中へと滑り込ませるなり、神秘に包まれた己の柔肌を触らせてきたのだ。

 

 ふにっと触れるノアの上半身。へそや腹を滑らかに伝うこの手のひらは、次第にも少女の胸部に到達する。そこで触れた、控えめながらも柔らかな感触に、聖なる部位でコリコリに固めた“ソレ”と巡り合った自分は、その欲情的な熱に絆されるように興奮を高めながらそれを訊ね掛けていった。

 

「ノア……? 俺に触らせてもいいの……?」

 

「当たり前じゃないか。ボクはホステスになったその瞬間から、キミという崇高なる血筋に全てを捧げるつもりで毎日を過ごしてきたんだ。そして、ようやくとも言えるだろうか。……ボクの神聖なる乙女を、キミに捧げる時がきた。どうか受け取ってほしい。これがボクなりの……誠意だ」

 

 もう片方の手も取って、自身の胸部にあてがっていくノア。こうして、両手で抱えるように少女の乳を包み込んだ自分は、今も手のひらに伝わってくるコリコリなソレに意識を注ぎ、ノアの望み通りに、揉みしだくような動作でその両手を動かし始めた。

 

 手で掬える脂肪は少ないものの、こちらの温もりを求めんと反り立った敏感な部位が、自己主張を強めてくる。その期待に応えるべく自分は人差し指と中指を交互に動かす運動を行っていくと、そうして撫で掛けたコリコリとした部位は一層と硬直し、優しく愛撫するこちらのアプローチにノアもまた段々と息を荒げながら、ピクピクと全身を痙攣させて悶え始めていった。

 

 ……“ココ”が好きなんだろうな。これまでの経験から何となく察しがついた、ノアの弱点。それも、他ホステスよりもだいぶ敏感である様子から、おそらく少女は“自身で開発してある”と推測できてしまった。

 

 次第にも、ビクンッと身体を跳ね上げるようにして痙攣を起こし出したノアの姿。息を漏らすような嬌声も堪らず零し始めた少女は、上を向いたり、下を向いたりと落ち着かない様子で鋭い快楽を味わっていく。

 

 可愛い……。ノアも、こんな姿を見せてくれるんだ……。

 内心で抱いた、少女に対する恍惚とした感想。ただでさえ意識してしまっていた少女への好意が余計に増していき、この感覚が一層もの興奮を煽ってくることで、自分はノアの頭部に顔を埋めながら、暫しと健気な乳を蹂躙し続けていく。

 

 ……辛抱堪らん。もっとノアの気持ちを昂らせてあげたい。

 好奇心からなる興味。自分は開いていた両脚をノアの両脚に掛けていき、そこからゆっくりと開くことで少女の股を広げていった。

 

 清涼感あふれる少女をご開帳。寝間着ではあったものだが、こちらの行為にノアは恥ずかしそうな様子を見せてくると、次にも少女は声を震わせながら、俯いたその状態で喋り出してきた。

 

「か、柏島歓喜……っ。やめてくれ……っ。これではボク、オトコにふしだらなオンナみたいで、とても恥ずかしい……!」

 

「大丈夫だよ、ノア。ノアの恥ずかしがる姿、とても可愛いよ」

 

「と、とても可愛い……!? そんなワケがないだろう……っ。あ、あぁ……恥ずかしいよ……。ボクのこんな姿、他のホステスや学校の連中、ヤクザのみんなにも見せられない……っ!! ボクがこんな格好をしていては……ボクがこんな顔をしていては……っ。ボクがこんな、恥ずかしいことをしていては示しがつかないというのに……っ!」

 

 働きかける両手の指が、コリコリとしたソレを刺激し続けていく。これにノアはビクンッと身体を跳ね上げて達していくと、瞬間にも少女は、今までに聞かせたことのない甲高い嬌声で「あんっ」と喘ぎ、数度に渡る、間隔を空けた痙攣を引き起こして天井を仰いでいった。

 

 自分が恥ずかしい姿をしてしまっている。自分の印象を損なうような、他の人には見せられない恥辱に塗れた状況に興奮してしまったのだろうか。

 

 ちょっとだけ、ノアという少女の性質を理解できたような気がする。意外な発見と共に自分は指の運動を止め、両手を乳に添えたまま、ノアを抱き留めるように抱え込んでいく。このアプローチに少女は未だ悶える息遣いで涙目にしていくと、脚を広げた恥ずかしい姿のまま、ノアはどこか切ない声音でこれを喋り出してきたのだ。

 

「っ……柏島歓喜。こんなに淫らなボクのことを、どうか許しておくれ……。そして、もし許されるのであるならば……もう少しだけ、ボクに快楽をもたらしてもらえないものだろうか……っ。キミの指が、キミの言葉が、キミの趣向が……ボクの淫らな側面を心から掻き立ててくれるんだ……! もっと、キミが欲しい……っ。どうか、心身ともに弱ってしまったこのボクを、キミの手によって慰めてもらえないだろうか……っ!!」

 

 叫ぶまではいかないものの、腹から絞り出すように発してきた少女の要求。恥辱で震わせた声でそれを口にしてきたノアは、途方へと向けた虚ろな眼差しで上半身を反りながら、まるで乳を突き出すようにこちらを求め始めてきた。

 

 ……自分の愛撫が慰めになるのなら、本人が満足するまで、喜んで最後まで付き合ってあげよう。

 自分も、ノアの力になれるんだ。巡ってきた希望に自分は、「分かった。ノアが満足するまで、ずっと、こうしててあげるから。今日は好きなだけ、俺に恥ずかしい姿を見せてもらえると嬉しいな……」と伝えてから、指の運動を再開させていく。

 

 それからというもの、指の腹で撫で掛ける行為に対してノアは、自身の格好や有様を恥じながらも、没頭するように最後まで悶え続けたものでもあった。



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第64話 Désir et vert 《欲望と緑》

 何気無く目を覚ました、龍明の朝。ボヤけた意識で瞼を持ち上げていくと、開いて早々と視界には寝間着姿のシュラの顔がドアップで映り込んできた。

 

 いつも結んでいるツインテールを解いており、膝丈まである超ロングヘアーのそれを無造作に流した彼女の姿。緑色の寝間着に身を包み、こちらの寝顔を間近で眺めていたのだろうシュラは太陽が如く明るい微笑を浮かべながら、にじりにじりと近付いて言葉を掛けてくる。

 

「ニーチャン、おはよー」

 

「あぁ、おはようシュラ。もしかして、俺の寝顔を見ていたの?」

 

「せやで? ニーチャンの寝顔をオカズにして、ニーチャンの手でアソコ擦っとった」

 

「どうりで、手が勝手に動いてると思った」

 

「起こしてもぉたかな。ごめんなぁニーチャン」

 

「いいよ。キスしてくれたら許してあげる」

 

「ほな、寝起きのチューで勘弁してな」

 

 ちゅ。

 互いに惹かれ合うように交わした、軽めの口付け。双方の唇で跳ねるよう交えたキスで火が点いていくと、次にもこちらから迫る形で、シュラと熱烈な口付けを交わしていった。

 

 こちらに身を任せ、されるがままで唇を捧げるシュラ。彼女はうっとりとした表情で目を瞑り、感覚を全て口先へと注ぐことで与えられる温もりを堪能していたものだ。シュラの様子に自分も抱え込むようにしていくと、布団の中で二人は汗だくになるほどの熱い抱擁を交わし、朝早くからベッドを汗まみれにしてしまう情熱的なキスにより、二人で苦笑しながらもそんな会話を交わしていった。

 

「……お布団、洗わないとだね。ここで他のみんなも寝るだろうし、朝からやるべきことが増えちゃったな」

 

「せやったら、今からエッチしよぉ? どうせ布団が汚れとるんやさかい、洗う前に豪快な寝起きエッチでもキメとかへん?」

 

「賛成、と言いたいところだけど、今日はちょっと出掛けないといけない用事があるから一旦保留でいいかな。朝から疲れちゃうと後々困るし」

 

「むーっ、ニーチャンのケチぃ。どうせ護衛でウチも付き添うんやから、そないなこと気にせんでも平気やってばー」

 

「鳳凰不動産や骸ノ市に狙われている以上は気が抜けないからね。エッチは用事を済ませた後にしよう。それでいいね?」

 

 骸ノ市。人身取引を商売とする、龍明に蔓延る裏社会の巨大な組織。

 特に、ラミアやメーと因縁のある組織からも狙われている以上は、決して気を抜くことができない状況に置かれていた。そのことから、ホステスらはより厳重な態勢で自分のことを守ってくれてはいたのだが……。

 

 彼女らにも仕事がある故に、こうして一人しか護衛につくことができない状況というのも少なくはなかった。

 そこで、ユノが提示した一つの打開策を講じる場面がやってきた。これを実践するためにも、まずはシャワーを浴びるなりして身体の状況をリセットしなければならない。

 

 ごねるシュラをなだめるようにして、自分は布団から起き上がっていく。これにシュラも続けて起き上がっていき、彼女がついてくる形で自分らは浴室へと向かっていった。

 

 そして、さも当然のように二人でシャワーを浴びていく。

 共に全裸となった状態で、向かい合うようにお湯に打たれていく。その間もシュラとは他愛ないやり取りを交えながら、互いにボディタッチを行ってひと時を楽しんだ。

 

 尤も、シュラは我慢できないと言わんばかりに、充血した“ソレ”を左手で握りしめてきたものだ。そうして前後に擦る運動を行いながらこちらの顔色をうかがって、得意げに微笑みながら上目遣いで甘い声を出してくる。

 

「ニーチャンの“オニーチャン”……こないに元気になっとるけど、ほんまに毒素抜かなくてもええんか? オニーチャン、出したくて出したくてしゃあないと言わんばかりに、ごっつ苦しそうやで……?」

 

「シュラ……っ。すごく上手だ……。そんなにされると我慢できなくなるよ……っ」

 

「せやったら、ウチの手で一発いっとくか? いつでもええで。とびっきり濃厚なの期待しとるから……」

 

「でも、今出したら……この後のエッチでシュラに注ぐ分が無くなっちゃうから……」

 

「ウチに注ぐ?」

 

「そう。シュラの中にたっぷり流し込む分がね」

 

「ニーチャン……ッ」

 

 ピクッと止まった彼女の左手。そして“オニーチャン”を優しく撫で掛けたシュラはこちらに近付いてくると、身を預けるように寄り掛かりながら懐に埋まり、むぎゅーっと力強いハグを行いつつそれを口にしてくる。

 

「そないなこと言われたらウチ、もっと我慢できんくなる……! ここでもええから、今、ナカに欲しい……! ウチ、ニーチャンを迎え入れたい……! お願いやぁニーチャン……ウチの中にニーチャン欲しいねん……!」

 

「よしよし、もう少しだけ我慢しようね。今の内に熟成させておくから、用事が終わったらとびっきり濃厚なのをシュラの中に注いであげる」

 

「そないに意地悪なこと言わんといて……ッ。余計に興奮してまうから……! ニーチャン……ニーチャン……ッ」

 

「シュラ……。好きだよ……」

 

 “オニーチャン”を握りしめたまま、うずうずと落ち着かない様子で顔を懐に擦り付けてくるシュラ。そんな彼女を抱き留めるようにしていくと、一緒にシャワーを浴びていくその空間の中で、自分はシュラを納得させるように甘くねちっこいキスを交えたものだった。

 

 

 

 

 

 二人でシャワーを浴びたことで、むしろ余計に汗をかいてしまった。

 そんな、本末転倒な状態のまま着替えを行っていくのだが、その間もシュラのおねだりによって、黄色のショーツを履かせたり、黒色のキャミソールを着させてあげたりなどの着せ替えプレイを強要されながらも、自分は自分でユノから受け取った服装へと着替えて鏡の前に立っていく。

 

 ……黒色のジャンパーに、白色のシャツ。黒色のジーンズに、ありきたりなサングラス。

 ユノからは、『目立たないようにするべく、印象に残らない服装による変装を施してから外出してもらいたい。』と言われていた。これは探偵も実際に行っている変装テクニックの一つらしく、黒や白などの無難な色合いのジャンパーなどを、店から数種類と支給してもらったものだ。

 

 以前にも、ユノにコーディネートしてもらった服装から一新した身なり。これに違和感を抱きながらもサングラスを掛けて、私服姿のシュラと一緒にアパートから出ていく。

 

 彼女と手を繋ぎながら歩く龍明の駅前。心なしか向けられる視線も少なくなった実感に、自分は内心で「効果てきめんか?」と呟きながら歩みを進めていくのだが、その最中にも隣を歩いていたシュラはこちらを見遣るなり、ブフッと噴き出しながらそんなことを喋り出してきた。

 

「ププッ、ウププ……ッ!! に、ニーチャンッ……サングラス、ほんま似合わんなぁ……!!」

 

「いやいや、それはもう仕方ないでしょ……」

 

「しゃあないのは分かっとるけど……せやからって……ッププ、プ。っハハハハッ!!!」

 

「堪え切れなくて、すごい笑い方になってるけど……」

 

 愉快げに笑うシュラの反応に、汗を流してしまう自分。

 まぁ、大ウケしているシュラも可愛いからいいか。何て言う感想を抱きながらも、自分は周囲を見渡すような視線を投げ掛けながらこれを口にしていく。

 

「だいぶ目立たなくはなっていそうだけど、店のホステスと一緒に歩いている姿なんかでバレたりしないものかな」

 

「せやったら、平気やろ。だってウチらホステスは、同伴でいろんなオトコとぎょうさん出掛けとるからな。今のニーチャンがニーチャンやってバレてなかったら、今のウチらの様子も『あぁ、あのシュラっちゅうビッチオンナ、今日も客と同伴しとるなぁ』程度にしか思われへんやろ。サングラスを用意したのも多分、素顔を隠してそう思わせるためのものやろな」

 

「なるほど。……てか、それを分かっていながらサングラスのことをイジったのか……?」

 

「当たり前やん。だってニーチャン、ほんまサングラス似合わへんもん!!」

 

 えぇ……。

 今も笑いを堪えるように喋るシュラの様子に、自分は複雑な心境を抱いてしまえた。

 

 やっぱり、荒巻オーナーのような色男じゃないとサングラスは着こなせないか……。

 意外と引き摺っていた自分は、身体を鍛えようかなと心のどこかで思っていく。その最中にも、シュラはシュラで手を引っ張るようにして目的地へ導いてくれたものだったから、自分は彼女に案内されるような形で用事を済ませたものであった。

 

 

 

 

 

 用事が済み、寄り道で焼肉店に訪れていた自分とシュラ。特にシュラは、出先でずっと「腹減った~!!」と駄々こねるように口にしていたことから、彼女を鎮めるためにも急ぎで駆け込んだものだ。

 

 店に入るなり、シュラが率先して準備を済ませていく。そうして活発な行動力を発揮した彼女によるテキパキとした手際により、来店してすぐにも肉を焼き始めていくと、残る肉の火加減は自分が担当することで、焼き上がったそれらはシュラへと集中するように手渡されていった。

 

 渡された肉に、目を輝かせるシュラ。それから太陽のように明るい満面な笑みで「ニーチャンありがとぉ!!!」と言葉を口にすると、彼女は届けられた白米と一緒に肉を頬張り、満足げな様子で焼肉を堪能した。

 

 もう、シュラのご機嫌な顔だけでお腹いっぱいになれる。

 たくさん食べる女の子は本当に素敵だ。内心によぎる癒しの感情に、ひとりほっこりとしながらシュラに見惚れる自分。そんなこちらの視線に気が付いたシュラはニッコリと微笑んでくると、口元にご飯粒を付けながら、快活な声音でそれを喋り出してきた。

 

「ニーチャン、いつもウチの面倒見てくれてありがとぉな!」

 

「こちらこそ。いつも俺を守ってくれてありがとう。護衛的にも気持ち的にも、シュラにはたくさん助けられているよ」

 

「ウチも、ニーチャンがおるからこそ頑張れるんや! ニーチャンはウチの生き甲斐やねん。せやから、ニーチャンのためと思えば何でも頑張れる! ……どないに危険なことでも、命を懸けてニーチャンを助けるからな! せやさかい、ニーチャンには安心して生きてもらいたいねん」

 

「ありがとう。でも、それでシュラがいなくなったら俺は自分に責任を感じることになっちゃうよ。だから、一緒に生き永らえよう。とても過酷な道のりになるかもしれないけれども、どんな境遇にあろうとも俺達は一緒だ」

 

 切なる思いを込めた返答に、シュラは一瞬だけ目を丸くした様子でこちらを見遣ってきた。

 ……思考が追い付いたのだろう彼女は、微笑しながら頷いてくる。その反応に自分も頷くことで心を通わせていき、なんだか照れ臭いような気持ちになりながらも向かい合っていく。これにシュラは安心したように焼肉を食べ始めていくと、次にも彼女はもぐもぐと口を動かしながら、キラキラとした眼差しで喋り出してきた。

 

「ニーチャン。もしもの話やけど、もしウチがニーチャンの妹やったって発覚したら、ニーチャンどないに思う?」

 

「え? シュラが妹だったら?」

 

 唐突な質問に唖然としてしまったが、そこから考え込むように思考を巡らせながら答えていく。

 

「そうだなぁ……。まずは嬉しいって思うかな。あーでも、そうなると身内と“致した”ことになるし……そう考えると、ちょっと複雑にも思えるな……」

 

「なんや、それの何が問題やねん」

 

「いやいやいや、世間的には禁忌とも言える行為じゃん……?」

 

「禁忌でもええやん。ウチはそないな周りの常識なんか気にせぇへん。大好きなニーチャンとぎょうさん愛し合えた。その事実がウチにとって重要なんや」

 

「何というか、禁断の恋……って感じ?」

 

「禁断の恋……ええ響きやなぁ!! 恋っちゅうか、一心同体って気持ちっちゅうか……。もうこの際だから何でもええわ! とにかく、ウチはニーチャンのことが好きで好きでしゃあないんや!! せやからな、ニーチャンがほんまのニーチャンになっても、ウチは今のままの関係でいたいっちゅうか。ウチはニーチャンとどないな関係になろうとも、この先もずっと愛し合いたい。それくらいニーチャンのことが好きやねん!」

 

「なんか、面と向かい合って言われると照れちゃうな……」

 

「せやったら、ニーチャンの頭が噴火するまで続けよか? ウチはいくらでも構へんで」

 

 ニヤニヤ。平気そうに見遣ってくるシュラのしてやったり顔に、自分は顔を赤く染めつつ「シュラには敵わないなぁ」と返答していく。これにシュラは満足げに微笑んでくると、かと思えば顔色をうかがうような視線を向け、しおらしい声音でそれを喋り出してきた。

 

「……ニーチャン。ウチ、生きている内にニーチャンと会えて、ほんま嬉しかったわ。ウチの夢が叶った今、ウチにはもう悔いはあらへん」

 

「シュラに何かあった時、俺には悔いが残るよ。……シュラとはこの先もずっと一緒に居たい。前にショートクルーズで同伴した時、シュラは言ってくれたよね。俺とシュラは本当の家族になって、誰にも狙われない平穏な人生を、穏やかに、朗らかに、そして来るべき最期の時まで一緒に過ごしていく。そんな未来も悪くないんじゃないか? って。だから、これからもこうして一緒にご飯を食べたり、笑い合ったりしよう。な?」

 

 言い聞かせるような調子になってしまったが、シュラの言葉にどこか許せないような思いも巡ってきたことにより、自分は説得するようにそれを口にしていった。

 

 こちらの言葉を耳にして、シュラは瞳に潤いをよぎらせていく。それから彼女は噛みしめるように頷いてくると、振り切るように声を振り絞りながら「せやな……っ! ウチとニーチャンは最期まで一緒!! ニーチャンの居る場所にシュラ在りや!!」と快活に微笑んでみせたものだった。

 

 

 

 

 

 焼肉店を出た後も、シュラと手を繋ぎながら龍明の街中を歩き出した自分。彼女と過ごすかけがえのないひと時を満喫するように談笑し、絡まってくるシュラを抱き留めるように横に回転しながら歩を進めていく。

 

 とても歩きにくい道のりを辿り、気が付けば自分らは大人の宿泊施設の前に来ていた。

 年季のあるアパートのような建物。以前にも、シュラと初めて一つになった際に利用した質素な施設を前にして、自販機から排出された鍵を手にしながら、彼女と共に個室へ入っていく。

 

 大人が二人入るだけで精一杯となる狭い空間。木製の床と、茨のような模様が特徴である壁紙がステレオタイプな高級感を演出し、柔らかい光で落ち着ける天井の照明と、部屋にある白色のダブルベッドが、気取ることのない、ちょっとした日常の中での贅沢を思わせてくる。

 

 もしかしたら、あの日と全く同じ部屋だったかもしれない。

 見覚えのある風景を何となく見遣っていく最中にも、シュラは飛び込むようにベッドへダイブをかましていく。そこで彼女は年甲斐もなくゴロゴロと転がっていくと、ツインテールを全身に巻き付けたその姿で、キャッキャとはしゃぐように喜びながらこちらへ声を掛けてきた。

 

「ニーチャンニーチャンっ!! ほな早速、食後の運動するで!! ウチとニーチャンはこれから愛し合うんやっ!!! 誰にも邪魔されへん、二人きりの特別な時間やで!」

 

「もちろん、そのつもりだよ。ただ、お手洗いだけ済ませてきていいかな」

 

「しゃあないなぁ。ニーチャンが戻ってくるまで、ウチ自分でいじって待っとるから。ウチのこと焦らさんといてや」

 

「分かった。俺が戻ってくるまで、手を止めないでいてね」

 

 これはフリなのかな。言葉通り早く戻ってきた方がいいのか、敢えて遅れて戻ってきた方がいいのか……。

 

 内心に巡る疑問を抱きながら、自分はトイレに入っていく。そこで暫し考えに耽るよう悩んだ末に、敢えて後者を選んだことで耳を澄ませながらシュラの様子をうかがったものだ。

 

 ……微かに聞こえてくる、シュラの甘い声。ずっとこちらを呼ぶ声が一層もの興奮を煽ってきたことから、自分は悶々とした気持ちで用を足したものでもあった。

 

 

 

 それからというもの、焦らしに焦らしたシュラを心行くまで存分に頂いた。

 衣類を身に纏ったまま、ベッドの上で絡みつくような熱いハグを交わした自分ら。特に、シュラは飛び付くように抱き付いていたことから、この身体に両手と両脚を回された大好き全開ホールドでハグを行っていたものだ。

 

 彼女を迎え入れるよう、パーカーの隙間に両手を滑り込ませて抱き締める自分。そこで離れることのないねちっこいキスを交わし合い、お互いに昂ってきたところで、シュラに脱がされるよう自分は裸になっていく。

 

 ボロンッと顔を出した“オニーチャン”を見て、シュラは真っ先に飛び付いてきた。

 瞳には輝かせたハートのようなものを浮かばせており、彼女は“オニーチャン”を愛でるように吟味しながら、両手と口で愛を表現してくる。そんなシュラのテクニックに翻弄されるよう自分が喘いでいく中で、シュラは満足そうにこちらの様子をうかがいながら、暫しと“オニーチャン”との戯れを楽しんでいた。

 

 口いっぱいに頬張った、大好きの形。絡まる舌や唾液の感触や温もりに包まれて、至福と愉悦を浴びるように堪能する。彼女からもたらされるそれらに蕩けるような快楽が脳天を貫く最中にも、ふと彼女に押し倒されるや否や、パーカーやキャミソール、ホットパンツなどを脱ぎ散らかすなり、シュラは黄色のショーツ一枚の姿になって乗り掛かってきた。

 

 バスト九十を揺らし、顔面に“カノジョ”を押し付けてくるシュラ。それから腰を前後に振ることでこちらの口に擦り付けてくると、シュラは天井を仰いだ姿勢で、発情した犬が如く“好きな箇所”を刺激し始めたのだ。

 

 熱烈な自家発電。興奮と共に香るメスのフェロモンが余計に気持ちを昂らせ、こちらを挑発してくるニオイで理性が奪われたことで、運動するシュラの両脚に組み付く形で彼女を静止させ、口元の“ソレ”へと(かぶ)り付いていく。

 

 こちらの行為に、シュラは躊躇いのない嬌声を上げていく。それも、まるで求めていたかのように押し付けてきたものだったから、自分もまた彼女の期待に応えるよう咀嚼していき、味覚や嗅覚に鋭い神経を注ぎながらシュラを存分に味わっていった。

 

 シュラは、自身が主導権を握るプレイを好む女性だ。ラミアやメーといった受け身のホステス達とは違って、シュラは自身から動くことを主にした能動的な行為を大いに好む傾向にあり、まるで相手を“玩具”に見立てたような、相手という存在を利用する形で快楽を得る行為を重視する様子がうかがえる。

 

 ドSとは異なり、相手とは常に対等であるプレイを好ましく思うシュラの趣向。彼女としては玩具で遊ぶ感覚なのだろうその行為は、一人で快楽によがる姿に興奮を覚えながらも、受けに徹する姿勢を強いられる関係上、人によってはもどかしく思えるだろうし、人によってはご褒美とも捉えるかもしれない。特に、相手にリードされたい男性とは相性の良いホステスとも言えるだろう。

 

 また、彼女は行為中、非常によく喋る。巡る快楽に身を任せ、無意識にも発してしまっている「ニーチャン……っニーチャン……!!」という色っぽい声が実に愛らしい。それだけに留まらず、子犬のような甲高い鳴き声で喘ぐ甘い響きをはじめとして、「ニーチャンの息、ごっつ気持ちええわぁ……っ!」であったり、「もっとウチのクリちゃんにしゃぶりついてやぁ……っ!」であったり、「ニーチャン……好きやねん、めっちゃ好きやねん……っ!!」だったりと、とにかくレパートリーが豊富。

 

 それら全て、日頃の快活さからはうかがえない艶やかな声音から繰り出されるため、ギャップも相まって余計に意識してしまえる。だからこそ、彼女の期待に応えたいという欲求に駆られることにより、こちらもまた“玩具”では得られない愛情を込めた行為で刺激することで、彼女は狂い悶えるような快楽の仰け反りで悦びを表現してくれるのだ。

 

 こちらの行為で腰を上げ、ぐしょぐしょになったショーツを自ら剥ぎ取ったシュラ。ヒートアップしたのだろう興奮は荒い息遣いとなり、顔も真っ赤にした欲情の化身となった彼女は“オニーチャン”に跨っていく。それから仰向けになったこちらを押さえつけるように両手をついてくると、シュラは容赦なく聖域に“オニーチャン”を突っ込むなり、自身を慰めるように激しい上下を繰り出してきた。

 

 自前の玩具で満たすかのような、非常に慣れた滑らかな腰使い。自身の恥ずかしい姿を撮影し、それを動画サイトに載せているだけはあるのか、シュラは己を満たすことに貪欲であり、この“カタチ”に合った強弱をつけることで自らの好みを探り出してくる。

 

 そんなシュラのアプローチに、自分はもたらされる快感に声を漏らしてしまっていた。

 すごく、上手だ……! 内心によぎる感想が、快楽によって上書きされていく。そうして、フッと消えていく言葉の数々で余裕の無さを実感していくその最中にも、今もキャンキャンと鳴き声のような喘ぎ声を上げていくシュラが、こちらを見下ろしながらも絶え絶えとなった声音で喋り掛けてきたのだ。

 

「ニーチャぁン……っ!!! ニーチャンの形、めっちゃええわぁ……!! ニーチャンの身体も……ニーチャンのニオイも……全部、全部、クセになってまう……っ! 好きやねん。好きやねんニーチャン……! ずっとずっとずっとずっと、これからも一生、ウチと一緒に居ような……っ!」

 

「あぁ、シュラ……! 何があろうとも、俺達はずっと一緒だ……。どんな苦難も俺達なら乗り越えられる……!」

 

「せやったら……っ証明してぇ……! ウチとニーチャンがずっと一緒に居られる証が欲しい……っ!!」

 

「手を……手を繋ごう……! 離れ離れにならないよう、生きている限りずっと、この手を繋いでいよう……!」

 

「ニーチャン……っ!! ニーチャン……っ!!!」

 

 腰は止まらず、むしろ次第に加速し始めたシュラの運動。加速につれて一層と彼女の奥に到達した“オニーチャン”は、シュラの最深部を何度もノックしていく。これに二人で悶えるよう情けない声を出していく中で、自分は求めるように両手を差し出し、それに応じるようシュラもこちらに乗せていた両手を突き出すことで、互いの両手は惹かれ合うように繋がられて、一つになっていく。

 

 シュラの愛情を受け止めるように、指を絡めて彼女の体重を支える自分。こちらの支えによってシュラは寄り掛かるように体重を掛けてくると、次にも容赦の無い激しい運動を繰り出すなり、彼女は“内部”の空気ごと打ち付けるような甲高い肉の音を打ち鳴らしながら、深々と突き刺さる“オニーチャン”の快楽によって全身が仰け反るほどの痙攣を引き起こしていったのだ。

 

 ……天井へと向けた、激しくも情けない彼女の抑揚。手を繋ぐこちらにも振動が伝わってくる猛烈な痙攣を伴って、シュラは喉から鳴らす切ない声を響き渡らせていく。

 

 それから、脱力するように仰け反ったシュラの身体。繋いだ手で何とか彼女の上半身を支えていくのだが、項垂れるように力尽きたシュラの変わり果てた姿に、自分は心配さえも抱きながら様子をうかがっていく。

 

 脳天に駆け巡る鋭い快楽によって、この時だけ廃人へと化してしまったシュラ。豊かな乳も放り出すように天井を仰ぐ彼女の姿を見て、自分はふと脳裏によぎらせた好奇心と共に、次にも深々と突き刺す渾身の突き上げを繰り出してしまったのだ。

 

 不意を突く一撃。脱力した身体に響いた、最深部をノックする衝撃。これによってシュラは甲高くも情けない声を出したものだったから、そこから巡ってきた欲求に駆られるように、今度はこちらが動く形で激しく突き上げる運動を行い出していった。

 

 肉を打ち付ける音に混じって、一定の間隔で刻むシュラの嬌声が実に心地良い。

 繋いだ手はそのままに、脱力したシュラの弱点を的確に刺激するよう力強い一撃を何度も繰り出した自分。そんなこちらのアプローチに、彼女は叫ぶように「ちょぉ、待ってぇッ!!!」と口にしながらも、与えられる快楽にキャンキャン悶えながら喋り出してきたものだ。

 

「やめぇッ、ニーチャンッ。アカンでほんまにッ。そないなことされたらウチ、おかしくなってまうッ。アカンてほんまッ。やめぇやぁッ。やめっ、やめ……やめてぇニーチャンッッ。おかしくなるッッ。おかしくなるッッ!!! ほんとにおかしくなるって、壊れちゃうぅッッ!!!」

 

「シュラっ……!!! いつもの方言は……どうした……!! そんなに余裕が無いのか……!!」

 

「そ、そんなこと……っそないなこと……言ってらんないからぁッっ。ぁ、ぁあぁ、いぐッ、いグっ……!!! っ~~~~~!!!!」

 

 もはや、涙目にもなっていたシュラの様相。絶え絶えになった声音で全身の肉を震わせるほどの痙攣を伴った彼女は、絶頂によって更なる仰け反りを披露しながらも、その勢いで後ろへと倒れ始めていく。

 

 シュラの様子に、繋いだ手を引っ張って何とか彼女を支えた自分。こうして互いの上半身が離れ合うような体勢になっていくと、自分もまたシュラを追い掛けるように上半身を持ち上げていき、その勢いに身を任せるまま彼女へと覆い被さることで、シュラをベッドに押し倒す形で優位を取っていく。

 

 形勢逆転。瞬く間に攻勢へと転じたこちらのアプローチに、シュラは唖然と快楽が入り混じる蕩けた様相でこちらと向かい合ってくる。そんな彼女の、快活ながらもあられもない姿に極限の興奮を覚えた自分は、今も両脚を広げながら健気に見遣ってくるシュラの両手首を掴んで引っ張っていくことで、その体勢による全身全霊の運動を加えたものだった。

 

 フィニッシュに向けた、怒涛の追い込み。欲望に全てを委ねた、貪るように強引なプレイ。

 引き締まるシュラの“聖域”に絞られて、自分は既に限界まで蓄えた快感を放出せんと、激しい運動を繰り返していく。この貪欲なまでの行為に、シュラは甲高い嬌声を上げながらも、すごく幸せそうに微笑しながら喋り掛けてきた。

 

「ニーチャぁンッ。ニーチャぁンッ。ニーチャンが欲しいッ。ニーチャンが欲しいねんッ。ウチの中に、ニーチャンのたっぷり注いでほしいッ。ニーチャンと一緒に生きた証が欲しいねんッ。ウチは、ニーチャンと一緒に居られて幸せやったって。いつ、どないな時でも思い返せるようにッ」

 

「分かった……! シュラの中に、俺の全てを注ぎ込むから。どうか、受け取ってほしい。俺が生きた証を。俺とシュラが一緒に過ごした証を。溢れ出るくらい、シュラの中に注ぎ込むから……!!」

 

「嬉しいッ、嬉しわぁッ。もう、いつ死んでもええくらい、ウチは今、ごっつ幸せやねんッ。……大事にするで。ニーチャンがぎょうさんと入れてくれた、ニーチャンの子種……ッ。一生モンの宝物にするで。ニーチャンの愛の形……ウチに注いでくれた、ウチだけの宝物……ッ」

 

「もう、限界だ……っ。シュラ!! 残さず全部、受け取ってくれ……っ!!」

 

「ニーチャン……ニーチャン……ッ。ニーチャン、ニーチャン、ニーチャンッ、ニーチャン……ッ!!!!」

 

 愛おしい。胸の内に巡る感情を爆発させるように、全身の筋肉を引き締めて一点に神経を集中させていく。そうして蓄えた快楽を放出するように下半身を突き出していくと、彼女のお望み通りとも言うべきか、直後にも己の魂を捧げんばかりの勢いで内なる本能を噴出していった。

 

 熱を帯び、どくどくと脈打つ肉の管。そこから自分の全てを捧げるよう彼女に熱意を注ぎ込み、溢れんばかりの欲望で彼女の中を満たしていく。

 

 ……ラミア、メー、レダやミネに続いて、自分史上もっとも多い量を噴射した。

 

 部屋中に響き渡った、鈍くこもるような噴射の音。管を勢いよく巡った水分のそれをシュラの内部へ注いだことで、下半身の筋肉に激痛が迸るほどのパワーを以てして、自分は見事、彼女の希望に応えてみせたのだ。

 

 一滴も零さないよう、“オニーチャン”で蓋をしながらシュラを抱き寄せていく。そんなこちらの行為に、彼女は朦朧とした表情で向かい合ってきたものだったから、疲れ切ったシュラへと自分の全てを注いだことを伝えていき、今はゆっくりと休むよう催促を行っていく。この気遣いにシュラは快活ながらも力無く微笑んでみせると、次第にも閉ざした瞼と共にして、彼女は安堵するように、この懐で眠りについたものであった。



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第65話 Au-delà de l'au-delà 《彼方の先へ》

 お昼前の龍明。レストランのシフトがあるラミアと一緒にLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)へ訪れた自分は、店先で清掃の作業を行っていた二名ほどのホステスと軽く談笑を交わしていた。

 

 ラミアは先に店の裏口へと向かい、店先に残った三名で他愛ない会話を行っていく。それでいて、自分も(ほうき)を手にして葉っぱなどを払いながらホステスらの手伝いに精を出し、彼女らにお礼を言われてから、そろそろミーティングがあるからと口にしたホステスらの背を見送るように、自分は入口前の階段を下っていく二人を眺め遣っていった。

 

 ……自分も顔を出しに行くか。そう思い立ち、箒を手にした状態でLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)へと向いていく。そうして一歩を踏み出した瞬間にも、ふと巡ってきた人の気配に、自分は何気無くそちらへと視線を投げ掛けていったものだ。

 

 足音を立てない、静寂なる足取り。こちらに向かって真っ直ぐと歩いてきた“長身の少女”は、瞳に浮かべた濃厚なピンク色の輝きを残像として来た道に残しながら、こちらの手前で立ち止まっては無口に向かい合ってくる。

 

 百七十三くらいの背丈で、腰辺りまで伸ばした、大和撫子を彷彿とさせるストレートの黒髪ロングが実に美麗だ。且つ、先述したように光源が如く眩い光を放ち、歩いたところに残像の軌跡を残すほどの濃厚なピンク色の瞳が少女の特徴とも言えるだろう。

 

 服装は、ジップアップで丈が短い、光沢感のある黒色のアウターに、至って無難な黒色のブラウス、黒色でスタイリッシュなスキニーパンツに、ヒールのような黒色のブーツという軽快な着こなしが印象的だった。

 

 闇夜のそよ風を体現したかのような、とても物静かで不気味なほどに落ち着いた風貌。一目にして、喜怒哀楽の感情を表に出さないポーカーフェイスであることが理解できる、おしとやかでガードが固そうな印象を与えてくるその有様。

 

 清楚なお嬢様。しかし、その裏に秘めた猛き恋情を自分はよく知っている。

 友仁(ともに)彼方(かなた)。ミネとノアのクラスメートであり、ミネに一目惚れをしたというバイの女子生徒。久しくも思える少女との再会に、自分は唖然とするように向かい合いながらも、そうして目が合った少女から投げ掛けられる敵視の鋭い視線に戸惑いつつ、こちらから言葉を掛けていったものだ。

 

「やぁ、友仁さん。奇遇だね、こんにちは」

 

「こんにちは」

 

 通り抜けたかまいたちが如く、鋭利で静かなその調子。宵闇に紛れるよう黒髪を風でなびかせながら、彼方は気配を殺した佇まいで言葉を続けてくる。

 

「柏島さん。貴方にお訊ねしたいことがあります」

 

「どうしたの?」

 

「貴方は、こちらのレストラン&キャバレーLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の従業員ですか?」

 

「え?」

 

「こちらの従業員の方ですか?」

 

 一歩も近付かず、しかし静けさからなる圧力がひしひしと圧し掛かる……!

 

 静寂に秘めた重圧に自分は圧倒されながらも、店を見遣りつつそう返答を行っていく。

 

「いや……従業員ってわけではないけれど、ちょっとした事情があって懇意にしてもらっているんだ」

 

「懇意。それをお訊ねしてもよろしいでしょうか?」

 

「多分、聞かない方が良いと思う。余計に気になるだけかもしれないけれど、これだけは迂闊に説明できないんだ」

 

 じゃないと、全く関係の無い友仁さんを今の騒動に巻き込んでしまうかもしれない。

 

 それだけは絶対に避けなければならない。

 断固たる意志で向かい合っていく自分。そんなこちらに対して、真っ直ぐな視線で何かを察したのだろう彼方は、多少は不満そうに視線を逸らしながらもこんなことを口にし始めてくる。

 

「そうですか。分かりました。話は変わりますが、こちらのお店に蓼丸さんが勤めているという噂を聞きました」

 

「それって、どこで?」

 

「学校です。どうやら銀嶺さんもこちらを出入りしているとのことですが」

 

「飽くまで噂なんだよね。なら、本人達に訊いてみたらどうかな」

 

 高校生がキャバレーで働いているなんて、世間一般からすれば大問題だろう。

 とはいえ、ここは犯罪の温床と呼ばれる龍明。もはや言わずと知れた日本屈指の無法地帯というだけはあって、ここで教師を務める大人達も、生徒達のバイト先に関しては深入りせずに黙認していたものだ。

 

 如何せん、自分達にも思い当たる節があるのだろう。

 言わないのではなく、言えないでいる。下手に藪をつついて自身のボロを掘り返されるわけにはいかないものだから。龍明とはそういう街であり、日頃から犯罪が横行するが故の暗黙のルールも存在する。

 

 だからこそ、ミネやノアはLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で働くことができていた。

 

 来店客の中には、学校関係者もいるのだろう。それは先生方には留まらず、未成年であるませた生徒達も同様だ……。

 

Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)について、俺に答えられることは一つも無いよ。俺は懇意にしてもらっているだけのお客だからね」

 

「蓼丸さんへの配慮に関しては、貴方に好印象を持ちました。ただ、貴方は未成年に淫行を働く犯罪者の一人に過ぎません。彼女と同じ立場に居る者として、貴方の言葉は素直に受け取り難いです」

 

「これは、俺が無暗に答えられる問題じゃないからね。菜子ちゃんはれっきとした俺の親戚なんだ。身内を守るためにも、彼女のプライバシーに関する質問には答えられないよ」

 

 同意があったとはいえ、俺も犯罪者の仲間入りをしているんだよな……。

 改めて思い知らされた現実に、気後れするように思い詰める自分。こちらの反応に彼方はナイフのような突き刺す視線を向けてくる中で、ふと、横からユノの声が投げ掛けられてきた。

 

「菜子ちゃんだったら、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の正式なホステスとして働いてもらっているわよ」

 

 彼女の声に、自分と彼方は向いていく。

 店の裏口から姿を現した、私服姿のユノ。軽く腕を組んだ様子でコツコツ靴音を立てながら歩いてきて、こちらの脇に移ってきては凛々しく佇んでくる。

 

 現れたユノに、彼方は微動だにしない様相で向かい合ってくる。そして少女は、ユノへと言葉を投げ掛けていった。

 

「貴女はオーナーですか?」

 

「いいえ。オーナーではないけれど、オーナー代理のような立場で店の指揮を執らせてもらっているわ。名前はユノ。よろしく、素敵なお嬢様」

 

「友仁彼方。私の名前」

 

「友仁さん。貴女のことは、菜子ちゃんから少しだけ話をうかがっているわ。いつも彼女の傍についてくれて、ありがとう。こんなにお上品で華麗な同級生を持つことができた菜子ちゃんは、とんだ幸せ者ね」

 

「お世辞は結構です」

 

 突き放すような彼方の言葉に、ユノは恍惚とした眼差しを向けながら微笑してくる。

 

 あ、本気で狙っている目だ。

 というか、高校生も“対象”になるんだな……。という内心を抱きつつも、彼方へと歩き出したユノの背を見遣っていく自分。そうして、女帝の風格を醸し出した彼女の接近に彼方は数歩と引き下がっていくのだが、そんな少女との距離を詰めたユノは直後にも、右膝を地面につけながら右手を差し伸べて、左手を胸に添えながらこのようなことを口にし始めた。

 

「友仁さん。貴女とお会いすることができて、光栄の限りだわ。菜子ちゃんから話をうかがった時から、私は友仁さんという麗しく且つおしとやかな淑女に対して、多大なる興味をこの胸に抱き続けてきた……」

 

「? 口説いているのですか?」

 

「えぇ、そうよ。菜子ちゃんの目に狂いは無かった。友仁さん、貴女は何て素敵な女性なのでしょう。是非ともこの私に、貴女と過ごす憩いなるひと時を恵んでもらえると嬉しいのだけれども。この後の予定が空いているようであれば、私にエスコートさせてもらえないものかしら。貴女という上品な淑女に見合う素晴らしいデートコースの数々を、どうか、私に案内させてもらいたいの」

 

 あぁ、こりゃもう手遅れだ。

 

 こうなったユノは誰にも止められない。

 神から授けられた天性の美貌を振り撒き、眼前の女子高生を口説き始めたユノの姿。美人ともイケメンとも見て取れる必殺の魅力で彼方にアタックを仕掛けるのだが、その相手はと言うと、一回だけ視線を逸らしてからこのように返答してみせる。

 

「ごめんなさい。私には蓼丸さんがいますから」

 

 いや、付き合っているわけではないでしょ……?

 とにかく、敢え無く撃沈したユノ。これに彼女は平然とした微笑みを浮かべながらも、とても重い腰を上げるようにゆっくりと立ち上がり、手を差し伸べつつ言葉を口にしていく。

 

「菜子ちゃんを一途に想うその姿勢。私は改めて、友仁さんという淑女に感服したわ。納得せざるを得ないわね。貴女の揺るぎない黄金なる意思に乾杯を。そして、貴女共々、友仁さんのような素敵な女性に慕われる菜子ちゃんに、どうか幸あれ……」

 

「一つお訊ねしてもよろしいでしょうか?」

 

「えぇ、構わないわよ」

 

 切り替えはや。

 個性と個性が正面衝突。互いに引けを取らないぶつかり合いに、自分は置いてけぼりを食らってしまう。そうして彼女らのやり取りを眺めていると、次にも彼方は感情を伴わない無表情の視線でユノへと訊ね掛けていった。

 

「貴女もまた、私と同等であるとお見受けします。そんな貴女に疑問を抱きました」

 

「気兼ねなく訊いてちょうだい。友仁さんからの質問であればどんな内容でも受け付けましょう」

 

「では、遠慮なく。ユノさん、貴女は蓼丸さんとどのような関係にあるのですか? 返答によっては恋敵と判断します」

 

 彼方も彼方でブレないな……。

 感情までもぶつかり出した目の前の光景。これにユノは、凛々しいサマでそう答えていく。

 

「とても良い質問ね。まずは安心してちょうだい。私という人間は決して、貴女の恋敵とはなり得ない」

 

「その根拠は何ですか?」

 

「菜子ちゃんは、私の恋人の妹にあたる人物。面識は無かったが故にその出会いこそは比較的最近なものではあったけれども、私が心から愛した彼女が守ろうとした、菜子ちゃんという脆くも淡い無垢なる存在は、明確な恋愛対象としてではなく、命を賭すに値する守るべき対象として、今もこの目に映っているものですから」

 

「恋人の妹? ……つまり、貴女の彼女さんは、私のお義姉さん?」

 

「えぇ。そして貴女のお義姉さんの恋人が、私。に、なるでしょうね」

 

 なんともまぁ、複雑だ……。

 外野がとやかく口を出す問題ではないと思い、お口にチャックをして静かに聞いていた自分。こうして空気に徹していた自分の目の前では今も、ユノと彼方による会話が展開されていく。

 

「友仁さん、これで納得してもらえたかしら。私は、貴女の恋敵とはなり得ない。私や菜子ちゃんを取り巻く事態は実に複雑であって、貴女のお義姉さんにあたる私の恋人が行方を晦ました関係で、私は現在、妹の菜子ちゃんを預かる形で彼女と一緒に暮らしている。それが、今に至るまでの経緯と言えるでしょう」

 

「貴女は蓼丸さんの味方であると、そう認識してよろしいのですね?」

 

「間違いないわ。この命と名誉に誓って、そう断言してみせましょう」

 

「…………」

 

「友仁さん?」

 

「ごめんなさい。私は貴女に対して、とんだ無礼を働いたようです」

 

「無礼だなんてとんでもない。きっと誰しもが、想いを寄せる存在の傍に、ライバルとなり得る人間がついていたら気掛かりとなるでしょう。私はその不安や懐疑を取り払ったまでのこと。そしてこれからは、私と友仁さんで菜子ちゃんを守るのよ。そうすればもう、あの子は安泰でしょう」

 

「蓼丸さん……妹さんは私が幸せにします。彼女を私にお譲りくださいませんか」

 

「自身を想ってくれる存在が、こんなにも身近に寄り添ってくれている。とても心強いものね。さぁ、友仁さん。心を通わせた者同士として、まずは二人きりでお食事にでも」

 

「それは遠慮します」

 

 和解なのかコントなのか、よく分からない会話が繰り広げられている……。

 というか、菜子ちゃんが友仁さんの恋人前提で話が進んでいるけれど、本人がこれを聞いたらどんな反応をするんだろう……。という内心を胸に留めつつも、ふとこちらへ振り返ってきたユノと目が合っていく。

 

 それから、凛々しいサマで歩み寄ってきた彼女。差し伸べた右手で、こちらが手に持っていた箒をさり気無く受け取っていきながらも、ユノはこちらの肩に左手を乗せる動作の中で彼方へとその言葉を掛けていった。

 

「ならば、是非ともLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に立ち寄ってもらえないものかしら。貴女も知るこちらの彼は、我々にとって最上級となる特別なお客様。彼と共にするお食事であれば、店が、或いは私が代金を負担するものですから、友仁さんも気兼ねなくお食事を楽しむことができるでしょう」

 

「柏島さんが特別なお客様ですか。……恋敵である以上、彼とは馴れあうつもりもございませんけど」

 

「貴女にとっても、実に魅惑的なお誘いであることは確かでしょう。如何せんこれは、菜子ちゃんが働く仕事場の環境を直で目視する絶好の機会。それも、店が懇意にしている特別なお客様も同席する関係上、常連客の視点から映る、日頃の店の様子やホステスの情報などを直々にうかがうことも可能でしょうね。……想い人を取り巻く店や人間関係を知りたがる貴女にとって、これほどまでに都合の良い条件は他にないとは考えられないかしら。二度も巡ってこないかもしれないこのチャンス、逃すわけにはいかないわよ」

 

「しかし……」

 

「推測に過ぎないけれども、菜子ちゃんが人生において最も時間を共にしてきた人間は、おそらく彼と言えるかもしれないわね。我々ホステスらをも凌ぐそれまでの過程は、外部からの干渉さえも受け付けないほどの友情……或いは愛情を育んできたことでしょう。そんな想い人が、これまで目にしてきたであろう同じ景色を巡るその最中にも、意中の人間を虜にする彼の弱点などが自ずと見えてくるかもしれない」

 

「…………」

 

 この時に初めて、彼方は目を細めてきた。

 思うところはあるものの、利用できるものは利用し尽くしてやろうか。そんな、貪らんとする捕食者のような目。

 

 ……まるで、地上の獲物を捉えた猛禽類のような、ピンク色の光源を光らせた狩人の眼差し。決心も固まったのだろう彼方は、音も無くこちらへ歩み寄ってくると、無感情が故の静けさを纏った喋り方ではあるものの、どこかけん制するような細目でその言葉を口にしてきたものであった。

 

「昼食はこちらで頂くのですよね。なら、私もご一緒させてもらいます。勝利するためには敵の偵察も不可欠。蓼丸さんの関心を貴方から引き剥がすべく、本日の会食で恋敵である貴方の過ごし方を観察させてもらいます」

 

「いやいやいや、恋敵ではないとは思うけれど……まぁ、せっかくの機会だからね。和やかにお食事ができると嬉しい……かな」

 

「余裕綽々ですか。私もなめられたものです」

 

「いや、そういう意図は別に無いんだけど……」

 

 喋る度に、ナイフのように突き刺さる視線が向けられる。

 

 ユノさんの焚き付けも相まってか、かなりキツい戦いになるかもしれない……。

 本気で敵視されている圧力に気後れしてしまいながらも、店へと歩き出したユノと共に歩き出していく自分。そして、自分もまた「まぁ、取り敢えずお店に入ろっか」と声を掛けていくことで、彼方は無表情ながらも不服そうなオーラを放ちつつ、三人でLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の店内へと足を運んだものだった。

 

 

 

 

 

 ユノの案内の下、店内へと招き入れられた自分と彼方。既に開店前のミーティングも済み、スタッフらが店内に配置されていくその様子を背景にして、自分らは特別なお客として一足先に二人用の席へと腰を掛けていった。

 

 彼方と向かい合う形で座った、いつもの席。普段とは異なる謎の緊張感がひしひしと空間に流れ込んでくるその中で、開店後にも昼休憩と思われる大人達が着々と席に案内され始めていく。

 

 サラリーマンの団体から、OLや主婦までの、偏りが無い男女の比率。オーダーを承るホステスらも、キャバレーの時とは異なる落ち着いた大人の対応で取り組んでいく様子に、レストラン時の営業は至って健全かつ一般的な、それでいて、ちょっとだけ贅沢な気持ちになれる豪華な内装に囲まれた料理店、という印象を受ける内部の光景が際立っていたことだろう。

 

 夜に営業されるキャバレーの雰囲気を全くうかがわせない、健全な大人のレストラン。いかがわしい雰囲気などは一切と目につかない周囲の様子に、彼方は無表情ながらも意外そうに見渡しつつ、呟くように喋り出してくる。

 

「学校で耳にした噂では、従業員は身体も売っていると聞きました。しかし、現時点ではそのような素振りすらもうかがえません」

 

「そうだね。お昼に営業されるレストランの業態自体は、健全そのものだよ。Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の営業は三年ほど前から開始されていて、ここ一年においては、贅沢な雰囲気で楽しめるリーズナブルなレストランとして、一気に知名度が上がった感じはするかな」

 

「同意します。メニューも一通りと拝見させて頂きましたが、価格は周辺の料理店と比べても比較的にお手頃なものであり、正直、度肝を抜かれました」

 

「俺も最初はそうだったなぁ。煌びやかで豪華な内装からは考えられないほどのお手頃な価格で、味にも量にも満足できるちょうど良いボリュームの料理が運ばれてくるんだ。一緒に来た連れと驚きながら話していたけどさ、よくよく考えてみると、お店の内装自体はキャバレーの会場をそのまま流用しているだけなんだよね」

 

「キャバレーの会場をそのまま流用ですか。なるほど……」

 

 意外と、こちらの言葉を素直に聞き入れてくれた彼方の姿勢に、自分が静かに驚かされてしまう。

 

 今も横顔を晒す彼方のそれ。清楚で頭脳明晰な優等生タイプの容貌がまた、見る者に上品な印象を与えてくれる。

 

 友仁彼方。他のホステスにも劣らない、とても個性的でありながらも魅力的な人物だ。

 思わず、見惚れるように投げ掛けていた視線。これに彼方は素っ気なく振り向いてくると、無感情な声音で鋭く言葉を突き付けてくる。

 

「セクハラです」

 

「え? あぁ、ごめん……」

 

「とても悔しいです」

 

「え? 悔しい?」

 

「こうして貴方は、蓼丸さんの顔も眺めてきたのでしょう。それを思うと、胸が苦しくなってきます」

 

「ご、ごめん……」

 

「謝らないでください。私は貴方に絶対負けない。蓼丸さんは私が貰い受けますから」

 

「う、うん……」

 

 どんな返答を行っても、全部が地雷になりそうでちょっと怖い……。

 ミネとは異なる方向で、なんとも繊細な人物だなぁ。という内心を抱きながら視線を逸らしていく。この気まずい空気に胸の内で「誰か助けて……」とヘルプを送っていくと、直にも自ら料理を運んできたユノが姿を現して、左手に持った銀のお盆から料理の皿をテーブルに移しながら、凛々しい声音でそれを述べてきたものだ。

 

「お待たせいたしました。スズキのポワレ、焦がしバターとキノコソース添え。でございます」

 

 二人分の皿が差し出され、目にしたお洒落な料理に自分と彼方は覗き込むように見惚れていく。

 

 カリッと香ばしく焼き上げられた、大きな白身魚の切り身。焦がしバターのまろやかな風味が既に匂いとして鼻に伝ってくる中で、添えられたキノコとネギが見た目的にもアクセントを加えてくる。

 

 大きな切り身が文句無しのボリュームであり、カリカリッとした焼き目とふんだんに使用されたキノコが食欲をそそってくる。また、付け合わせとしてついてきた別の丸いカップの中には、甘い香りを放つリンゴのポワレが盛り付けられており、ミントの葉が添えられたそれは食後のデザートとして甘美な誘惑を放っていたものだ。

 

 お昼の休憩でここに訪れていた場合、果たして時間以内に食べきれるものだろうか。

 そんな不安さえもよぎってくるほどの贅沢な見栄えに、自分は唾を呑むように喉を鳴らしてフォークを手にしていく。向かいに座る彼方もまた、ハッとするようにフォークを手にしていくと、恐る恐るといった様子で白身魚を口へと運んでいき、お上品に咥えたそれをパクッと食してから、ピンク色の瞳を思わず見開いてみせた。

 

 どうやら、お気に召したらしい。

 無反応に近しい表情で、食べ進めていく少女の様子。これに自分が安堵するように息をついていく脇で、ユノも他から持ってきたイスに腰を下ろしながら喋り出してきた。

 

「柏島くん、今日からの新作メニューを是非とも堪能していってちょうだい」

 

「やっぱり新作でしたか! 見たことのない料理名でしたから、もうワクワクしながら心待ちにしていましたよ……!」

 

「喜んでもらえたようで何よりだわ。それに、今回の新メニューは菜子ちゃんが考案したものでもあるのよ」

 

「なるほど、だからデザートも一緒についてきているんですね。なんだか菜子ちゃんらしいなぁ」

 

 こちらの会話に、彼方が顔を上げてくる。そして食い付くように、ユノへと喋り出してきた。

 

「蓼丸さんが考案されたんですか?」

 

「えぇ、そうよ。彼女はメニューの開発にも積極的で、数ヶ月の格闘の末に彼女は、採用されるに至る念願の新メニューを見事発明してみせた。このメニューは、菜子ちゃんの努力の結晶とも言えるでしょうね」

 

「さすが蓼丸さん……。お嫁にしたい……」

 

 もはや、ナチュラルに口から出てきたその言葉にも、驚くことはなくなった。

 

 なんだか、丸め込む形で彼方を店に招き入れたユノではあったものだが、もしかしたらこれを彼方に食べさせるために説き伏せたのだろうか。

 

 内心によぎる憶測。新メニューをもぐもぐと堪能しながら思っていくその中で、今も目の前ではユノと彼方による会話が展開されていた。

 

 私服姿である故に、今日はオフなのだろうユノ。こちらに混じる形でテーブルに両肘を置いた彼女は、凛とした表情で両手に顎を乗せつつ、彼方との会話に臨んでいく。それらの光景から、彼方が次第とユノに打ち解け始めていた様子もうかがうことができたことから、改めてユノの真の目的を理解できたような気がした。

 

 彼方という、日頃から思い悩む年頃の少女を救済したかったのだろうか。

 女性に親身であるユノの親切心とも言えるのかもしれない。はたまた、同性に恋情を抱く(さが)にシンパシーでも感じたか。何にせよ、ユノと会話する彼方の表情はみるみると穏やかになり、無感情ではあるものの、先までのツンとした尖った声音は次第にもうかがえなくなったものだった。

 

 そして、いつの間にか恋愛相談になっていた空間。思い悩む彼方の深刻な相談に、ユノは親身となって向かい合っていく。更に話は過去に遡り、これまでに付き合ってきた男性の元恋人に対する不満などを愚痴る彼方のこれに、ユノもまた真剣な眼差しで向き合っていたものだったから、この場面にひとり残された自分は、気まずい面持ちでそのひと時を静かに過ごしたものでもあった……。

 

 

 

 

 

 時間が経ち、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の出口から出てきた自分ら三人。自分とユノに見送られる形で背を向けた彼方は、去り際の挨拶を口にして駅へと歩き出していくのだが、少しして少女は振り返ってくると、無感情ながらも穏やかな調子で、ユノへとその言葉を投げ掛けたのだ。

 

「本日はありがとうございました。また、こちらに来店してもよろしいですか?」

 

「えぇ、いつでも来てちょうだい。学校であらぬ疑惑を掛けられないよう、昼の時間帯に顔を出してもらえるだけでも結構よ」

 

「お気遣いありがとうございます。貴女のような方が蓼丸さんの傍についていることに、安心感さえも覚えます。……またお邪魔します。ありがとうございました」

 

「気を付けて帰ってちょうだい。友仁さん、貴女の来店を心待ちにしているわ」

 

 軽く腕を組んだその右手を、小ぶりの動作で振っていくユノ。その悠々とした佇まいに彼方は一礼を行っていき、そして駅を目指して歩き去っていった。

 

 少女の背を共に見送る自分。しばらくして彼方の姿が見えなくなると、自分は安堵するように息をつきながらユノへと話し掛けていった。

 

「ありがとうございました。正直、ユノさんにはだいぶ救われました」

 

「とても有意義な時間だったわ。……私の内なる使命に基づいた、私なりの正義を遂行したまでのこと。この行為によって柏島くんの心も救われたのであるならば、本日の行為にはれっきとした意味があったのでしょうね」

 

「えっと、まぁ、そうですね? とにかく、ありがとうございました」

 

 ユノ節を軽く流し、お礼を伝えて礼をする自分。こちらの行動に、ユノはこの顔を上げてもらうよう、両手で優しく持ち上げるように添えてくると、次にも名残惜しそうな声音でそんなことを口にしてきたのだ。

 

「友仁彼方さん。彼女は逸材ね。彼女から同意を得られれば、どうか是非とも、彼方さんをLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に迎え入れたいものね」

 

「え? 友仁さんをホステスに、ですか?」

 

「最有力候補として、彼女の名を記憶しておきましょう。何かしらの縁によって我々が結ばれた際には、彼女をスカウトしてみたい。……こんなにも近くに、ホステスに適した人材が眠っていただなんて、気付きもしなかった。今日の交流も果たして、偶然によるものか、はたまた必然によるものか。真相が定かではない運命に互いが導かれた今、この奇跡的な出会いを実りあるものにしたい。いえ、してみせたい。いえ、そうであってほしいものね」

 

「? ?? ???? そうですね」

 

 まぁ、要は友仁彼方という人物が気に入ったのだろう。

 

 あの少女も、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスとなり得るのだろうか。そんな未来があるのなら、それはそれで少し気になってしまうものだが……。

 

 何であれ、友仁彼方という人物との交流はまだまだ続きそうな予感がした。特に、本日の出来事が一つのターニングポイントとなるのならば、きっと良い方向で物事が進みそうな気もしてしまえたものでもあった。




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第66話 Porteuse de la mort 《死をもたらす者》

 深夜のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。キャバレーの営業は終わり、店の従業員もほぼ全員が退散したであろう物静かなエントランスに、自分はひとり佇んでいく。

 

 先までの賑わいが、まるで嘘のよう。広大な空間の奥には受付カウンターがあり、周囲には地下である室内を支える柱がいくつか見受けられる。そして、今も煌々と照らすシャンデリアの下、なんだか夜の世界を独占しているような気分になっていたこちらへと、一人のホステスが歩いてきた。

 

 私服姿のレダ。淫魔が如き微笑を浮かべ、艶やかな視線を投げ掛けながら、彼女は色っぽい声音で言葉を掛けてきたものだ。

 

「カンキ君おまたせぇ~。私のこと、ずっと一人で待っていてくれたのかしらぁ~?」

 

「やぁ、レダ。今日もお疲れ様。レダや他のみんなを待っていたんだけど、こんなにひと気の無いエントランスもちょっと珍しかったから、何となくここでボーッとしていたんだよね」

 

「さながら、賢者タイムみたいにかしらぁ」

 

「こらこら、まだ外だよ」

 

 歩み寄ってきたレダへとツッコミを入れるように、ビシッと右手を出していく。これにレダは愉快げに「うふふ」と微笑んでみせると、豊満な乳を擦り付けるように接近し、こちらの右手を手に取りながら、何の躊躇いもなくそれをワンピースの中へと滑り込ませてきた。

 

 触れたショーツの感触に、未だ慣れない興奮が心臓を跳ね上げる。しかし抵抗はしないこちらの様子にレダは一層と乳を擦り付けてくると、それによる上下の摩擦を伴いながらも、ショーツの内部へと誘われたこの右手が彼女の“密林”に迷い込んでいった。

 

 シャリ……という乾燥した音が指を伝い、しかし、羽毛のようにフワッとした弾力が実に欲情的だ。

 ずっと触っていたい。意識が全てレダの“密林”に吸われていき、巡ってきた欲望が下半身に集中し始める。そんな、骨抜きにされたこちらの様子に、レダはお触りを催促する視線を投げ掛けてきたものだったから、自分は期待に応えるよう右手で満遍なく質感を堪能し、“密林”を摘まんだり撫で掛けたりしながら、レダを抱き寄せつつ囁くように感想を口にしていった。

 

「もしかして、“形”変えた?」

 

「ウフフ、大正解。自然な形のまま整えたナチュラルってやつから、丸みのある逆三角形のトライアングルってやつに変えてみたの。どうかしらぁ、新しい私の触り心地は……」

 

「最高だよ……。このままずっと、レダの“ここ”を愛でていたい。……触っていると、無意識に想像もしちゃうな。実際に見たらどうなっているんだろう。生やしているレダのことを考えるの、俺、大好きなんだ……」

 

「何なら、このあと二人でホテルにでも寄っちゃおうかしらぁ? 大丈夫よ、気配に敏感な私がついていれば、他のホステスがいなくても平気。新しくなった私を心行くまで抱ける大チャンスよ~?」

 

「ひ、一人では抗えない誘惑だ……っ。レダが欲しい……。レダの“ここ”を直で眺めたい。この目でしっかりと焼き付けておきたい……っ。でも、ダメだ……。ここで待つと他のみんなに伝えた以上は、その約束を破るわけにもいかない……」

 

「抜け駆け、しちゃいましょうよ~? 私の“ココ”も、カンキ君の決断を待ち望んでいるんだからぁ。……おっぱいも唇も、脇もへそもお尻も太ももも好きなように独占できる、とびっきりに熱々な一夜がカンキ君を待ってくれているんだから……」

 

「ぅ……。せめて、この“形”だけでも手で覚えて、一人で想像しながら自分で済ませるから……今日のところはそれでひとつ……」

 

「あぁんっ。そんなことを言われちゃったら、もっとその気になっちゃう……っ。カンキ君のおててに、私の“形”が覚えられちゃうのぉ……。今もがっつくように撫でているくせに、その気にさせたレディーを放置するだなんて、重罪よ?」

 

「レダ……っ」

 

 もう我慢できない。爆発した本能がレダを力ずくで抱き寄せて、その勢いで彼女の唇を奪い去っていく。この無理やりな行為で興奮したのだろうレダもまた、応じるようにして彼女から唇や舌を絡め始めたものだったから、静寂のエントランスの中央において、自分らは熱烈で深々とした口付けの生々しい音を響き渡らせてしまっていた。

 

 彼女の口と温もりと、彼女の“形”を余すことなく記憶していく。このシチュエーションに燃えたレダも自ら求めるようだらしなくも艶やかな表情でキスに臨んでいくその最中、こもった湿気の音を伴った口付けが落ち着きを取り戻した瞬間にも、背後からは私服姿のメーが顔を覗かせてきて……。

 

 ギョッと驚いた自分と、幻滅するような目をしたレダの両方から注目されたメー。彼女は面白おかしそうにニヤけながらこちらの肩へと右腕を掛けてきて、それから寄り掛かるようにこちらにぴっとりくっ付きながら、小悪魔風にからかう勝気な声音でそう喋り出してきたものだ。

 

「破廉恥警察のメー様だぞ~? キャバレーのエントランスにて、公然の乱れを察知したであります。ダメだよ~二人とも~。こんなひと目のつく場所でイチャコラなんてしていたら、このメー様が逮捕しちゃうぞっ??」

 

 と言って、この身体をレダから引き剥がしたメー。

 まるで、我が物とするような強奪。そこから軽いキスをこちらの頬に行い、悪戯に微笑む勝気な表情で魅了してきたものだったから、自分は瞬く間にメーへと心変わりするよう意識がそちらへ向いてしまい、「メー……」と呟きながら彼女の身体を抱き寄せていく。

 

 ……メーとの唇が触れ合おうとする。この光景にレダは残念がる調子で「ちょっとぉ~! せっかく良い所だったのに~」と言葉を掛けてくるのだが、そうしてメーともキスをしようと双方の唇が触れた瞬間にも、次は通りすがった地雷風コーデの私服ラミアからその言葉を投げ掛けられてきた。

 

「ホント、どこでも発情期ですねー皆さん。ウチは別にイイんですけど、せめてアパートに帰ってからにしませんか?? 仕事場からさっさと退散しましょーよ」

 

 呆れたように喋るラミアに、メーもレダも表情で「それもそうか」と答えていく。これに自分は欲情した二人から解放され、しかし持て余した情欲が切なくも思える今の気分に、内心で「部屋の中でメーとレダを抱こう」とか考えながら歩み出していく。

 

 と、その時にも察知した気配で後ろへと振り向いた自分。

 そこには、ホステスらと同じくして私服姿で帰ろうとしていたクリスの姿があった。彼はこちらの状況に目もくれず、不敵な空気はそのままに猫背の姿勢で入り口へと向かっている。

 

 その彼を見てからというもの、自分は反射的に彼へとそんなことを訊ね掛けていったのだ。

 

「やぁ、クリス。今日もお仕事お疲れ様。この後さ、良かったら俺の部屋にでも寄ってみない?」

 

「僕を部屋に招き入れると? 君、面白い発想をするね。僕も想定していなかった言葉を掛けてくれたその意外性に、ちょっとだけ面白そうだなとさえ思わされたものだよ」

 

「泊まっていけるスペースも一応あるから、良かったらみんなで仕事終わりの小さな慰労会でもしてみないか? みんなと過ごす夜遅い時間って、きっと楽しいと思うんだ」

 

 他者との交流とは疎遠であるクリスだが、最近はこちらから誘えば、それが大所帯であっても彼はついてきてくれるようになった。

 

 人を寄せ付けない雰囲気とは裏腹に、人付き合いはきちんとこなせるクリスという人物。こちらの言葉に彼は不敵に笑みながら左手を顎に添え、途方を眺めつつその場で暫し考え込む様子を見せてきてから、チラリと流した視線でこちらを捉えながらそう返事をしてくれたものだ。

 

「興味が無い、と言ったら嘘になるね。人間である以上は好奇心も大事にしてみたいな。……いいね。君の部屋に招かれてみよう。ただ、酒に酔いしれたホステス達があまりにもうるさいようであれば、その時点で僕は退出する。生憎と、泥酔したメーに振り回されてからは、彼女らに関する面倒事は勘弁願いたいと心に誓いさえしたものだからね」

 

 

 

 

 

 帰ってきたいつものアパート。ラミアが扉を開いていき、彼女に続いてメーとレダが部屋へと入っていく。その様子はさながら、我が家に帰ってこられたかのような安堵がうかがえて、自分は内心で「ここ、俺の部屋なんだけどなぁ」と呟きながらクリスへと手で催促していった。

 

「どうぞどうぞ。ちょっと狭いかもしれないけれど」

 

「気にしなくていいよ。僕は僕で自由に過ごさせてもらうさ」

 

「何なら今日、泊まってく?」

 

「それは勘弁願いたいね。僕は一人じゃないと寝付けないんだ」

 

「そうなんだ。無理強いはしないから大丈夫。まぁまぁ、上がって上がって」

 

「フフッ、お邪魔するよ」

 

 部屋に入る際、クリスは後方を気にするような素振りを見せてきた。

 

 追手がいないか、気にしてくれているのかな。そんなことを思っていく自分の視界を横切るように、玄関へと踏み入っていくクリス。彼を部屋に招き入れてから、自分は扉を閉めて鍵をかけ、それからクリスを案内するように二人で部屋へと向かっていくと、そこには既にプライベートな気分で過ごすホステスらの姿がうかがえた。

 

 テレビのリモコンを手に持つラミアと、片手にビール缶を持つメーがチャンネル争奪戦を繰り広げていく。この様子にレダはため息をつきながらコートを脱ぎ、それをベッドの上に置きながら、ワンピースをはたはたさせて放熱を行っていた。

 

 クリスには、適当に座るよう声を掛けていく自分。これにレダが彼を案内するように言葉を投げ掛けていき、その間に自分は脱ぎ捨てられたレダのコートを付近のハンガーに掛けたりなどしていった。

 

 背の低いテーブルには、チューハイといったアルコールが用意されている。この空間に囲まれる中、クリスは壁に寄り掛かるように座りながら、見渡すようにして部屋の中を眺めていき、それからレダに手渡された麦茶のペットボトルを受け取ることで、彼はそれを口にしたものだ。

 

 今も、テレビの前で言い合いをするラミアとメー。一旦、彼女らは放っておいた自分はクリスの傍に腰を下ろし、騒がしい空間に誤魔化すような苦笑いを見せながらも、くつろいでもらえるよう何とか気に掛けることで、クリスと過ごす暫しものひと時を送っていった。

 

 気を利かせたレダがおつまみなんかを持ってきて、それを皿の上に出していく。すると、その音に反応を見せたのはラミアとメーであり、今度はおつまみの取り合いを開始した二人。ある意味で日常的な光景とも言えるだろうそれに自分は、クリスに「まぁ、あまり気にしないで……」とフォローを入れていくと、彼もまた不敵に微笑しながらも淡々とした声音でそう返答してくれたのだ。

 

「僕にこそ、気を遣わなくても結構だよ。この空間こそが君の癒しなのだろうし、僕はそれを煩わしく思ったり、咎めるつもりもない。面倒事が僕に降り掛かりさえしなければいいのさ。そういうわけで、君は彼女らと過ごすいつも通りの時間を大切にしてくれればそれでいい」

 

 クリスも案外と、寛容的だよなぁ。

 内心に抱いた感想を呟きつつ、「そっか。ありがとう」と答える自分。だが、この話を他所で聞いていたレダは、片手に持つチューハイの缶を軽く振りながら、どこか呆れるような声音でクリスへと喋り掛けていった。

 

「他人と関わることがまず面倒なんでしょう? 私からすれば、そんなあなたがどうしてカンキ君の部屋についてきたのか、イマイチ理解できずにいるのよねぇ」

 

「人間は、協調性を主とした集団でしか生きることができない生物。僕もその例外に漏れず、時として集団の空間に身を置くことで孤独感をある程度と軽減できるのさ」

 

「孤独感、ねぇ~……。なんか意外だわぁ。あのクリスが協調性って言葉を使うなんて、昔だったら絶対にあり得ない」

 

「君は僕を何だと思っているのかな」

 

「狂人。それしか無いわよ。普通、七十階の高さから飛び降りるバカなんていないでしょ?」

 

「柏島長喜の最終決戦のあれだね。建設中のビルに爆弾を仕掛けたのは君だったから、君も同罪だよ?」

 

「だからって、仕掛けた本人達が現場に残っている状況で爆発なんてさせないでしょ! あなた、ただでさえ体中に弾丸を食らってて死ぬ直前だったじゃないの」

 

「あぁ、そうだね。……あの戦闘は楽しかったなぁ。忖度の無い明確な殺意が僕を真っ直ぐ捉えていて、ビルの柱に身を隠しながら銃撃で応戦した命懸けの攻防が忘れられないね……! 僕の瞼の裏には、今もその場面がこびりついていてね。ひとり静かに過ごす暗闇の中、目を瞑って、当時の景色やニオイを全神経に巡らせながら行う手淫は、当時の駆け引きに通ずるあの、全身の性感帯に行き届くような興奮が脳髄にまで上ってきて、実に格別なんだ」

 

「うっわ……。さすがに私でもドン引きよ、それ……」

 

「特に、君をかばった際に、この右手に受けた二発の銃弾の衝撃。右手を使用する度に古傷が疼く後遺症に悩まされていたものだけれど、行為の際にはむしろ、その刺激が最高に堪らないのさ」

 

「私、性癖の寛大さには自信あったけれど……さすがにクリスのそれは本気で最悪な気分になるわよ……」

 

「加えて、七十階から脱出する際に使用した、落下してきたクレーン車があったね。ひっくり返って、窓際に沿って落ちてきたあれのフックめがけて、君を担いだ僕は外へと飛び出した。そして、フックに掴まってからはクレーン車と共に落下したけれど、フックに括りつけられていたワイヤーをターザンのような要領で揺らしていって、その勢いを利用して、地面から海に落下地点を逸らしたことによって、僕と君は衝撃を流す入水姿勢で無事、海に着水した」

 

「話だけでも頭おかしくなってくるのに、本当に経験したことなのが馬鹿みたい……。あの時はさすがに、私もあなたも死んだと確信していたわよ……。まず、ワイヤーの摩擦であなた、擦り減った手のひらから骨が丸見えになっていたじゃない。入水する際も、私に衝撃がいかないように庇ってくれたこともあって、全身の骨が粉砕する致命傷まで負って……」

 

「いいよね。体中の骨が、内部で粉々に粉砕するあの感覚……。まるで、袋を開ける前のスナック菓子をクシャクシャと潰していくかのような快感……。直後の激痛にはさすがに嘔吐を繰り返したものだったけど、摩擦で手の肉が擦り減ったことで、内部に残っていた二発の弾丸を取り除くこともできた」

 

「私を銃撃から庇ってくれたアレのことよね……」

 

「それに、後遺症で当時の摩擦を度々と思い出すんだ。その度に耐え難い激痛がこの右手に迸るんだけど、僕はこの痛みの訪れが日々待ち遠しくて仕方がない。……あぁ、早く来てくれないかな。火花を散らしながら、摩擦で肉が削ぎ落とされる刹那的痛覚が伴うこの右手で、僕の生殖器官をしごいてあげたい。そして、僕自身に実感させるんだ。この痛覚と摩擦によって生じた子種が存在することを。それらは全て、僕の体内によって生まれ出でることを」

 

「…………」

 

 ガチのドン引き。あの、男なら誰でも食べてしまうレダが、クリスに対しては欲情するどころか死んだ目を向けてしまっている。

 

 一方で、クリスの話を聞いていたラミアとメーは、おつまみであるスルメやビーフジャーキーをモシャモシャ食べながら、平然としたサマで彼と向かい合っていた。

 

 クリスらの話を疑わないところがまた、彼女らが生きてきた世界の熾烈さをうかがわせる……のか?

 自分だけが置いてけぼりをくらう中で、メーは缶ビールをグイッと飲んでいき、ラミアはいつもの適当な調子でクリスへと質問を投げ掛けたものだ。

 

「イマの話で思ったんですけど、クリスさんもフツーにオ〇ニーするんですね。クリスさんって、“そーいうの”とは無縁に感じていたので、なんだか意外です」

 

 え、そこ?

 今の話でツッコむべき箇所の違いに、自分はギョッとした目でラミアを見遣っていく。その間にも、クリスはラミアへとその返答を行っていった。

 

「人間である以上は、欲求という本能には抗えないものだ。君達もそうであるように、僕もごくごく一般的な欲求をこの身に感じて、それを解消するべく行為に浸ることだってある」

 

「そーですよね。クリスさんもヒトですから、そりゃ性欲くらいありますよねー。ソレとは別に、イマの発言は立派なセクハラですよ??」

 

 と、何も気にしていない適当なサマで口にするラミア。相変わらずスルメをモリモリ食べている様子にクリスは不敵に「フフッ」とだけ答える中で、次はメーが酔っ払った調子でそんなことを口にし始めてくる。

 

「うぃー……。あのさぁ~、ずぅ~~~っと前から気になってたんだけどさぁ~……。クリスってホント、女の子に関心無いよねぇ……。そんなんじゃキミぃ、彼女できないぞぉ? そのままちん〇んしごいてるだけの人生でいいのかぁ? 何だったらぁ、ふひひ……私が“筆下ろし”、してあげよっかなぁ??」

 

 下品すぎる。色々と。

 アルコールで顔を真っ赤にしたメーが、テーブルに寝転がるようなだらしない姿勢でクリスへと言い寄っていく。これにレダが、眉をひそめながら「クリスとはやめときなさいよ……」と、彼女にしては珍しい反応でメーへと言葉を掛けていくのだが、一方でクリスはと言うと、不敵な笑みはそのままに、誰を見ることもない視線でそう返答を行ってきたのだ。

 

「面白い提案だね。でも残念だ。僕にはもう、下ろせる筆は存在しない」

 

 つまり?

 彼の返答にラミアとレダが意外そうに見開いて、メーは食い付くように身を乗り出しながら彼へと喋り出してくる。

 

「へ?? てことは!? うっそでしょ!!? アッハハハハハハ!!! え~~~~、クリスがぁ!? あのクリスがぁ~~~!!? マぁジィィ~~~ッ??? やば、めっちゃウケるんだけどッ!!! え、いつ? いつ“卒業”したの!? 相手は誰!? ホステスの誰か!?」

 

「柏島長喜と出くわす以前だったかな。相当前だろうね、“彼女”と出会ったのは」

 

「うっはぁ!!! あのクリスが彼女とか言ってる!! マジでウケるんだけどッ!! え、え、その子って今どこにいるの? 会いたい会いたい会いたい会いたい!! チョー見たいんだけど!!」

 

「少なくとも、メー。キミには彼女の下に案内はできないかな」

 

「え~~~、なんでぇ。いいじゃんかぁケチぃ。なに、そんなに会わせたくないの? 別に私、ちょっかい出しに行くわけじゃないんだよ? それか、あれ? もしかして恥ずかしかったりするぅ~?? だとしたらウケるんだけど!!」

 

「彼女はもう、“此処”にはいないんだ。僕がこの手で殺したからね」

 

 淡々と語る彼の言葉に、一瞬にして部屋の中は静まり返った。

 

 爆笑していた表情のまま硬直したメー。そんな彼女と向かい合うように視線を投げ掛けたクリスは、不敵に笑みながらもそれを語り出す。

 

「彼女から依頼されたんだ。殺し屋の僕に、自分を守ってくれと。彼女はあろうことか、この僕に護衛の依頼を持ち掛けてきてね。殺し以外の仕事は引き受けるつもりが無かったから、僕はそれをすぐに断った。だけどね、それでも彼女は僕に縋りつき、なけなしの大金をはたいてまでして、僕を雇おうとした。そんな彼女の懇願……いや、見苦しいほどにまで生に執着する必死な有様を見て、僕は不思議と彼女に気を許してしまい、試しに護衛の依頼を受けてみることにしたんだ」

 

 クリスの掠れるような声音と、俯きながらもどこか遠くを見つめるようなその眼差し。深紅の瞳は血のような輝きを放ちながら、彼は話を続けてくる。

 

「結果として、依頼を引き受けて正解だったよ。彼女はどうやら命を狙われていたみたいでね、彼女の追手が次から次へと押し寄せてきた。……入れ食い状態で楽しかったなぁ。僕には彼女の護衛という明確な目的があったから、僕は気兼ねなく追手を撃つことができたんだ。おかげさまで、僕はたくさん銃を使うことができた。躊躇いもなく、周囲の目も気にすることなく。僕は依頼されたという(てい)で、追手に銃口を向けて、その引き金を引くことができたんだ」

 

 淡々と語りながらも、右手を拳銃のような形にしていくクリス。しかし、その手を力無く膝の上に落としていくと、彼は不敵に笑みながらもそれを語り出してくる。

 

「数週間に渡る、長期の依頼だった。その間ずっと、僕は彼女を抱え込むようにして、日本のあちこちを渡り歩いたよ。……だから、なんだろうね。共にする時間が増えていくにつれて、彼女は次第と僕に好意を寄せ始め、恋情を抱き、そして、生涯のパートナーとして嫁ぎたいとまで言い出した。僕にはその気が無かったものだから、せめて彼女の機嫌をとるために、僕はその場しのぎとして、何度か彼女と身体を重ね合った」

 

 不敵な調子はそのままに、口を止めてくるクリス。彼の様子をうかがうように一同が視線を投げ掛けていく中で、クリスは一息置いてから話を続けてきたものだ。

 

「結果として、僕は彼女を守り切ることができなかった。最終的に流れ着いた龍明という街において、あまりにも強大な力を有する裏の組織が立ち塞がってきたんだ。……僕へと撃ち出された弾丸が左腕を掠って、庇っていた彼女の左胸に着弾してしまった。致命傷だったよ。治療しようにも龍明にはあてがなくて、僕は彼女を抱え込んだまま、追ってくる組織から逃げるように街中を走り回った」

 

 目撃したわけでもないのに、脳裏にはその情景が思い浮かんでくる。

 お姫様抱っこの要領で、女性を抱えながら必死に駆け回るクリスの姿。夜を迎えた龍明には暗闇が落ち始め、ひと気の無い路地裏の、ビルの一角にある外階段の途中に身を隠した彼は、抱え込んだ女性を壁に寄り掛からせて、容態を確認していった。

 

 ……彼女の口から溢れ出る流血。どくどくと流れるそれは左胸にもうかがえて、もはや生存は見込めないであろう絶望的な状況に、クリスは彼女をゆっくりと抱き寄せながら向かい合っていく。

 

 女性の顔は見えない。しかし、彼を真っ直ぐと見つめていたことだけはよく分かる。そんな情景の最中にも、クリスは言葉を続けてきた。

 

「彼女の傷は性質(たち)が悪くてね、緩やかな激痛に悶え苦しんでいた。僕から見ても、その様子は痛ましく思えたな。そんな僕が様子を気にしていると、彼女はそれを提案してきた。……せめて、僕の手によって死を迎えたい、と。僕の手で、楽に殺してほしい、と」

 

 膝に置いていた右手を持ち上げたクリス。その右手は未だ拳銃の形を維持しており、まるで構えるかのように“それ”を前方へ突き出しながら、彼は話を続けてくる。

 

「僕にそんな義理は無かったからね。僕は断ったよ。今から闇医者を探してくるから、ここで待っていてほしいと、そう伝えてね。でも……彼女は僕のことをよく理解していた。彼女は最後に、依頼してきたんだ。『私を殺してほしい』、とね。……僕は殺し屋だ。引き受けた依頼通りに対象を抹殺する、殺しを生業(なりわい)とする人間。僕はその依頼を引き受けて、目の前に存在する“対象”へと銃口を向けた。その際に彼女は、この依頼の報酬となる言葉を述べてきたよ。最後に、今まで守ってきてくれた恩人に対する、『ありがとう』、という言葉をね。そして、彼女からの“報酬”を受け取った僕は、眉間を捉えたその拳銃の引き金を引いたんだ」

 

 持ち上げていた右手をゆっくりと下げたクリス。淡々とした調子はそのままに、彼は不敵に「フフッ」と笑みながらそれを喋り出してくる。

 

「せっかく部屋に招いてくれたのに、空気の読めない話をして悪かったね。僕はこれでお(いとま)でもしようか」

 

 そう言って、音も無く立ち上がったクリス。彼の動作に自分も反射的に立ち上がり、「じゃあ、玄関先までお見送りするよ……!」と口にすることで、彼と一緒に玄関先まで移動したものだった。

 

 

 

 

 

 扉を開き、深夜の龍明へと踏み出す自分ら。クリスのお見送りとして一緒に外に出た自分は、クリスへと「また、いつでもここに寄ってよ。歓迎するからさ」と言葉を掛けていくのだが、これに対してクリスは暫し無言のまま周囲を眺め遣っていくと、次にもそれを喋り出してきたのだ。

 

「前々から思っていたけれど、君って危機感が無いよね」

 

「危機感もなにも、クリスは仲間であって友人でもあるからさ。殺し屋……でもあるけれど、俺は、クリスとは普通に接していきたいって思ってるんだ」

 

「なるほど。お人好しとは君のような人間を言い表すために生まれたんだろうね。まぁ、僕が言う『危機感が無い』という言葉の意味は、殺し屋とも気安く接触する君の身を案じてのものではないことは伝えておこうかな」

 

「えっと、それって……?」

 

 彼の顔色をうかがうような視線を投げ掛ける自分。そんなこちらの眼差しに対して、彼は不敵に微笑みながらそれを告げてくる。

 

「“君は狙われている”。今、この時も。どこかから、その銃口を向けられている」

 

「え……?」

 

「情報が入ってきたんだ。僕も知っている殺し屋の一人が鳳凰不動産に雇われて、君の身柄を狙っている」

 

「え……。今も狙っているって……でも、気配に敏感なレダは何も言ってこなかった……」

 

「レダも気が付けないでいるのさ。気配を消すことに関してなら、“彼女”の右に出る者はいないだろう。……監視カメラ越しの視線にさえ気付けるレダでさえ、“彼女”の気配は感じ取れない。それは僕も例外ではないし、多分、野生の動物でさえ、“彼女”の姿を捉えるまでその存在を察知することはできない。かもね」

 

 首を傾げるようにして、不敵に笑みながら言い切ったクリス。それから彼は踵を返すように振り返り、「気が向いたら、ここに寄らせてもらうよ。それじゃあね」と言葉を口にしてから、淡々とした足取りで歩き出していった。

 

 ……今も狙われている? この瞬間も、こちらの様子をうかがっているとでも言うのか……?

 謎が残るクリスの言葉に、自分は不安に思いながらも周囲を軽く見渡していく。それから、寒気を感じたために急ぎで玄関へと引き返し、扉を閉めてから鍵をかけて、それを入念に確認してから部屋へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 覗き込んだスコープから、“対象”の姿が消え去った。

 構えたスナイパーライフルから顔を上げ、数十メートルも離れた途方のアパートを眺め遣る存在。“彼女”はそのまま立ち上がっていくと、百七十五はあるだろう高身長の背を真っ直ぐと伸ばし、今も吹きすさぶ建物の屋上の、その風に晒されるように、腰辺りにまで伸ばした深紅の長髪をなびかせた。

 

 ……トップスインスタイルの、白色の襟付きブラウスに、赤色と黒色のチェック柄ミニスカート。上下を繋ぐ黒色のバックルベルトに、白色のルーズソックスとミルクティー色のシューズというその格好で佇む女性。

 

 今もその背は、宵闇の龍明に溶け込むように実在していた。

 それは、気配を殺し、音を絶ち、空気に扮した質量を伴わない存在感。目立つはずの深紅の長髪が、風と一体化するようになびかれるその中で、スナイパーライフルを持つ“彼女”は龍明と同化するように、虚無を纏いながら月の光を浴びていたものだ。



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第67話 Fais-moi l'amour ! 《ボクと愛を育もう!》

【前書き】

 あけましておめでとうございます。今年も『俺のハーレムはワル女子だらけ』をよろしくお願いいたします。


 夕方の龍明。鳴り響く下校のチャイムを前にして、自分は私服姿のシュラとハオマの二人と一緒に、龍明高等学校の校門付近で佇んでいた。

 

 直にも、下校する生徒達が姿を見せ始めた。彼らは何気無い日常を謳歌するよう歩を進めていき、中にはシュラとハオマに見惚れる素振りも交えながら、各々は学校を後にしていく。

 

 特に、若い男の子が大好きだというハオマは、まるで大量のご馳走を見送るかのような恍惚の表情を浮かべていたものだ。

 回転寿司において、レーンを流れていくお寿司を眺めるかのような視線。持ち前のフワフワとした朗らかな雰囲気が醸し出されているものの、真っ直ぐな眼差しの奥に秘めた内なる欲求はきっと、獲物を品定めするかの如く牙を剥いていたに違いない。

 

 そんなハオマが、思わず「年頃の男の子がいっぱい……。みんな若々しくて、新鮮で、美味しそう……うへ……うへへへ……」と言葉を漏らしていく。これにシュラはジト目を向けながらもハオマへと喋り出していった。

 

「事務員のネーチャン、ここは堪え時やで。今ここで手ェ出したら、もれなくお縄になるからな……。抗争も控えとる今パクられたら、サツと裏で繋がっとるかもしれん鳳凰不動産の連中に、牢屋ん中で粛清されかねないんやからな……」

 

「わ、分かってるよ……っ!! わ、私だって、これでもお店の最年長なんだから……! みんなのお手本になれるよう、我慢の一つや二つくらいどうってことないからね……っ!」

 

「ウチからしたらむしろ、事務員のネーチャンがホステスん中でも断トツで不安やねん……」

 

「だ、大丈夫だって!! こ、こんなに入れ食いフィーバーな男の子達が目の前にいても、せめて視線でよぉ~~しよしよしよしって気持ちで撫で掛けるだけに留めるからっ!! ……ぁ、あの子、すごい筋肉……。身体おっきいし男気ムンムンしてるし……はわぁ、今ドキの高校生ってしゅごぃ……。ぁ、……やだ、子宮の奥がピクピクしてきてムズムズしてきちゃっ……ッ、じゅるり。ッハ、よ、よだれっっ」

 

「ホンマに大丈夫なんか…………? 事務員のネーチャン連れてきたの、間違いやったんやないかこれ……?」

 

 顔がめちゃくちゃ良いだけに、色々と残念な有様を晒すハオマ。今も袖で口元を拭う彼女の様子に年下のシュラが汗を流しながら見遣る中で、自分は校門からこちらへと歩いてくる三人の女子生徒に意識が向いていった。

 

 制服姿のミネ、ノア、そして彼方。歩いてきた少女らが合流してくると、先頭にいたミネが不機嫌そうな調子で「お待たせ」と言葉を投げ掛けてきたものだ。これに自分は「今日もお疲れ様」と返していく最中にも、彼方の姿を見たシュラが興味深そうに喋り出してくる。

 

「ほぉ~、ジブンが友仁っちゅうジョーチャンやな? 店ん中でウワサになっとるで。蓼丸のジョーチャンにお熱な同級生がおるってな。あぁ、ウチはシュラっていうんや。よろしゅうな。……それにしても背ぇ高いなぁジブン、ウチも見上げんと顔が見えへんわぁ」

 

 百七十三という背丈は伊達ではなく、ユノを除けば女性陣の中で彼方が最も背が高かった。

 とはいえ、彼方はカタギの人間。少女は宵闇の化身が如く無感情の視線でシュラを見遣り、揺らめく濃いピンク色の瞳を光らせながら、表情ひとつ変えずに返答を行ってくる。

 

「噂をしてもらう分には構いません。貴女も蓼丸さんが狙いですか?」

 

「ちゃうちゃう、ウチはニーチャンにぞっこんなんや。そっちのジョーチャンはくれたるから、そないに敵意剥き出しにせんといて」

 

「? ニーチャン?」

 

 こちらへと向いてくる彼方。その無感情な目に自分はちょっとだけ気圧されるように向かい合い、その間にもシュラがそれを説明し始めた。

 

「せやで。ウチとニーチャンは兄妹だと思うてもろてええからな。そないなわけで、よろしゅうな!」

 

「そうですか。よろしくお願いします」

 

 なんか、流れでシュラと兄妹設定になった。

 特に口出ししない自分が眺めているその脇では、ミネがぶっきらぼうな調子で「自己紹介はここでする必要無いでしょ。デパートに向かいながら話さない?」と提案したことで、一同はそれに頷く形で歩き出していく。

 

 この団体に彼方もついてくるのだが、少女はちょっとだけ表情を明るくしながらも、しかし眉をひそめた様子でミネへとそれを訊ね掛けたものだった。

 

「蓼丸さん。蓼丸さんからのお誘いはとても嬉しかったわ。けれど、蓼丸さんが勤めるお店のパーティーに、どうして私が招待されたのかが分からない」

 

「ん、あまり気にしなくてもいいから。なんか、ユノさんが『友仁さんを誘って』って言ってたから、言われた通りに声を掛けただけだし」

 

「ありがとう蓼丸さん。蓼丸さんが傍に私を置いてくれるその気持ちはすごく嬉しい。でも、自分が場違いのようにも思えて気まずいわ」

 

「いいんだってば。お店の人達はみんな、余計な事は言わない人達だから安心して。もし万が一なんか言ってきても、アタシがそいつ直々にぶっ飛ばして黙らせるから」

 

「蓼丸さん……。カッコいい……」

 

「えぇ……? カッコいいって言われても、うーん……」

 

「好きです。付き合ってください」

 

「ぅ、うーん……ひ、ひとまず返事は保留で……」

 

 さり気無い動作で、ミネの左腕に引っ付いた彼方。少女のアプローチにミネが困ったサマを浮かべていく光景を眺めながらも、自分は隣を歩いていたノアへとそれを喋り掛けていく。

 

「それにしても、急遽、夜のキャバレーが休業になったから、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の会場を使ってみんなでパーティーをしようって話になるのもすごいよね。店の関係者だけで集まって、みんなで食べ物を持ち寄って楽しもうっていう提案をオーナーからされるなんて、まるで考えもしなかったよ」

 

「しかし、提案者である当の本人は多忙につき欠席ときた。きっと、“戦い”に備えての準備として休業を設けたんだろうね。何にせよ、本日の業務が免除された以上、もたらされた束の間の平穏を利用しない手はない。それも、店の厨房のみに留まらず、会場の全てを使い切る勢いで、ド派手に、豪快に楽しもうじゃないか! これは英気を養うに十分な交流となるだろうし、“(きた)るべき時”に悔いが残らないよう、身内同士を勇気づける我らなりの激励ともなるだろうね」

 

 胸に右手を添え、語るように喋るノア。透明感ある中性的な声音で口にした言葉の裏には、今にも始まりかねない『龍明抗争』の可能性を考慮した意味合いが含まれていたことだろう。

 

 ……明日にも自分達は死んでいるかもしれない。

 自身らが置かれた状況を理解しているからこそ、後悔が残らないよう今を生きていく。表面では一般的な暮らしや仕事で日常を装っているものだが、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に辿り着いた人間達は皆、今この時も命懸けで戦っているのだ。

 

 そして、鳳凰不動産や骸ノ市に狙われている自分も例外ではない。

 

 

 

 今夜のパーティーのため、複数のグループに分かれて外に駆り出されていた自分達。他にもラミア、メー、レダ、クリスの四人で何か買い物をしているのだろうし、ユノは現在、荒巻と行動を共にすることで“抗争”に向けた準備に取り組んでいる。

 

 他のホステス達やボーイ達も各々で何かを用意しているだろうから、自分の護衛も兼ねた、ミネ、シュラ、ノア、ハオマのグループも、そろそろ買い出しを済ませて店に向かわなければならない。

 

 今も前方では、愉快げに絡むシュラと煩わしそうにする彼方、そんな彼女らに囲まれる困り顔のミネという三人がわちゃわちゃと戯れていた。

 

 この光景をハオマは見守るような視線で眺めていく中で、この隣を歩いていたノアは前方のやり取りに加わることなく、どこか落ち着かない様子で歩いていたものだ。

 

 自分の右側を歩く少女は、迷子になった左手の置き場に困らせていた。それは、こちらへ近付けるとそれは引き返し、しかしまたこちらへ近付いては、ササッと素早く引っ込めていく。

 

 時々、何かを掴もうと手は開かれるのだが、それはすぐにも閉じてしまって引き戻してしまう。この、一部分だけが忙しなく動く様子を不思議に思ったことで、こちらから問い掛ける形でノアへと喋り出していった。

 

「ノア? 大丈夫? 何かあった?」

 

「あ、あぁ!! 柏島歓喜! 別に、どうってことはないさ! ちょっとだけ、ボクの中に巡る内なる優柔不断な一面が、ボクの意思に反発するよう勝手に指示を送り出してきてしまってね……!」

 

「うーん……? とにかく、なんかあったらすぐ誰かに言ってね。相談に乗ることなら、俺にも務まるかもしれないし。な?」

 

「あぁ、そうだな……! ありがとう、柏島歓喜……! キミに対する重度な期待を上回るそれら優しき言葉の数々に、ボクの胸の内は天使の翼が授けられたかのように軽くなる。キミから差し伸べられるその手が神々しくさえ見えてくるよ。ボクは本当に、男には恵まれたな……っ」

 

 軽快に喋る様子とは裏腹に、どこか誤魔化すような印象を受けるノアの喋り。少女の落ち着かないサマに自分はイマイチ把握し切れないことから首を傾げていくのだが、次にもこちらの話に介入するように、見守っていたハオマが歩み寄りながらその言葉を掛けてきたのだ。

 

「ノアちゃん! もっと仕事とプライベートを割り切ってみよ~! もちろん、カンキ君を守ることが私達の最重要任務でもあるけどさ、何かあっても何とか対応できる戦力や人数はいるんだから、今は一緒にカンキ君とのお出掛けを心から楽しんでいこうよ!」

 

「は、ハオマ……」

 

「あはは~……おばさん余計なお節介だったかなぁ。でもでも! 抗争や銀嶺会のことがプレッシャーになっていても大丈夫だから! このハオマさん、約束してあげる! そういうワケでぇ~……カンキ君。ノアちゃんの手、握ってあげて」

 

 急に振られたことで、自分は「え?」と返事してしまいながらも、言われるままノアの左手を優しく取っていく。

 

 生気を思わせない色白の肌は、色味とは相反して非常にきめ細かい質感を伴っていた。

 例えるなら、水晶だろうか。工芸品を扱うように慎重な手つきでノアの手を取っていくと、これに少女は意外そうに見開きながらも、満更でもなさそうに相手から手を繋いでくれたものだった。

 

 ハオマにそそのかされて、二人で手を繋いだこの道のり。ノアの手をしっかり掴んで、自分はエスコートするように少女へとそれを話し出していく。

 

「ノア。気付けなくてごめんね」

 

「柏島歓喜……! キミは、手を繋いでみたいというボクの、心底なる欲求を察してくれたというわけなのかいっ……!?」

 

「ノアが今歩いている方は、車道側だ。俺のような男が車道側を歩かないといけないのにね。初歩的な部分を忘れていて申し訳無かった。この際だから、場所を入れ替えてからも手を繋いでデパートに向かおうか」

 

「…………。もう、全くもってその通りだよ。ようやく気が付いたと言うのかい? こんな初歩的なエスコートの知識も抜け落ちてしまっているのに、これではボクのエスコートなんてとても務まりそうにないね」

 

「う、耳が痛いな……」

 

「いや、責めているわけではないんだ。ただ、ボクの気持ちを理解してくれようとしたその姿勢こそは、ボクにとって好印象だったよ。……さぁ、柏島歓喜。このボクをエスコートする権利をキミに与えようじゃないか! 見事ボクを納得させるエスコートができた暁には、現役JKのボクによる天使の口付けを賜ってみせよう!」

 

「おお、それを聞いたら俄然やる気が出てきたよ。ノアのキスがご褒美なんて、これは頑張るしかないな」

 

 立ち位置を入れ替えて、ギュッと強く手を繋ぐ自分とノア。その時にもノアとハオマの距離が近くなったことで、ノアはハオマへとその言葉を掛けていく。

 

「ハオマ。ありがとう。キミの気配りのおかげで、ボクは思い描いていた理想の絵図を実現することができた」

 

「ん~? なんのことかなぁ~。とにかく、めでたしめでたしって感じ? なら、良かった良かった~」

 

「アハハ、決めるべき場所できちんと決めてくるハオマという人物には恐れ入るよ」

 

 それを口にしてから、ノアはこちらの手を引くように前方へと駆け出し始めた。

 

 え? 俺がリードするんじゃなかったの?

 内心に巡った疑問を自覚する前にも、いつの間にか走らされていたこの両脚。それも、けっこう容赦の無い速度でノアが駆け始めたものだったから、自分は唐突な激しい運動に振り回される形で目の前の三人に合流した。

 

 余計にわちゃわちゃとし始めた集団。話はややこしくなり、ミネを囲うライバルが増えた彼方の、無感情な威圧が余計と目立ち出したその光景を、ハオマは遠目から見守るように眺めていたものだ。

 

 そして、軽く両腕を組みながら鼻でため息を一つ。ふぅっと言って大気に溶け込むそれに目もくれない彼女は、妖艶な大人の雰囲気を醸し出しながらもにんまりと笑んで、そう呟いていったのであった。

 

「眩しいほどの輝かしい青春だなぁ。ノアちゃんもやっぱり女の子で、しかも、どのホステスよりも乙女なのかも。……些細で気にも留めない場面なんかじゃ王子様なのに、本当に大事な所でひよっちゃうのがまた愛おしくっていいねぇ~。年上のお節介なお姉さんとして、背中を押してあげたくなっちゃうなっ!」

 

 

 

 

 

 場面はデパートの中に移り、自分らは食品売り場を見て回っていた。

 カゴのカートを押すシュラと、シュラについていくミネ……についてくる彼方。彼女らの後を追う形で自分とノア、ハオマが他愛ない会話を交わし合う中で、シュラとミネもまたこんな話を行っていく。

 

「お肉にお刺身、ピザにメロン……っ!! ええなぁええなぁ……! 並んどるだけで眼福やぁ……! どれも魅力的やさかい、全部買うてやろうか思うくらい美味そうやなぁ……!」

 

「……今日はパーティーだもんね。少しぐらい、高そうなの買っても許される……よね?」

 

「今日の出費は店の経費から出るさかい、バレへん程度に高級な食材でも混ぜたろ!! これでなんか言われたら、『同級生のジョーチャンっちゅう客へのおもてなしや』でも言うとけばええやろ!」

 

「なんか、友仁さんに対して謎の罪悪感……」

 

 迷いの無い手つきで、牛肉をカゴにわんさか入れ始めたシュラ。これを眺めるミネが複雑な表情を見せていく脇で、彼方は無感情に少女へと話し掛けていく。

 

「本当に調理もしないで食材を持ち寄るだけなのね」

 

「あぁうん、まぁね。アタシ達、こういうトコは結構雑っていうか。きっちりしてる人もいるけど、基本的にその場のノリで決める自由人が多いから」

 

「蓼丸さんはストレス無い?」

 

「ストレスは無いよ。アタシ的には気が楽。でも、ちゃんとしてる友仁さんからしたら、アタシらってホントに不真面目かも」

 

「不真面目な蓼丸さんも素敵。どこへでもついていくわ」

 

「あぁ、うん……。ありがと……?」

 

 返答に困るミネが眉をひそめていく。これに対して彼方は構う事なくミネに引っ付いていく光景の手前、シュラが刺身のパックを手に持ちながら二人へと声を掛けていく。

 

「ジョーチャンらも遠慮なんかせんで、食べたい思うたモン全部カゴん中に入れていきや。今日だけやで、女帝のネーチャンがこないに寛容なのもなぁ。ウチらも何があるか分からへんもんやから、贅沢できる内に贅沢しとくで!」

 

「シュラは遠慮しなさすぎでしょ……。牛肉のパックだけで山積みになってるじゃん……」

 

「ええんやってええんやって!! 根拠はあらへんけど大丈夫やって!! ッへへ、こないに牛肉あったら、どないな料理でも作れるんやないか? ビーフシチューやローストビーフ、しゃぶしゃぶなんかもできるなぁ! あぁ~~もう今から楽しみやねん!! 銀嶺のジョーチャンも厨房で腕を振る舞う言うて張り切ってくれとるからな! ジョーチャンの手に掛かった牛肉は悉く絶品料理に生まれ変わること請け合いや!!」

 

「まぁ、ノアが料理してくれるんなら安心できるよね。……なんか悔しいけど」

 

 ボソッと呟くように言葉を口にするミネ。そうして唇を尖らせるようにした少女を彼方は見遣っていくと、無感情ながらも首を傾げてそれを訊ね掛けていった。

 

「銀嶺さんのこと? 彼女は料理が得意?」

 

「そっか、友仁さんは知らなかったよね。アイツ、料理の腕はピカイチなんだよ。意外だよね」

 

 苦笑いしつつも、確信めいた声音で喋るミネ。少女の様子に彼方はじっと視線を投げ掛けていくと、心無しかムッとした顔つきでミネとの会話を続けたものだ。

 

「…………」

 

「友仁さん?」

 

「料理ができる銀嶺さんが好き?」

 

「え? いやいや、う~ん……。まぁ、キライじゃないけど……」

 

「蓼丸さんは、銀嶺さんのことが好き?」

 

「えぇ、それは飛躍しすぎ。別に恋してる意味での好き嫌いじゃないからっ……」

 

「私も料理できる」

 

「え? ホント? でもなんか、全然意外じゃないかも。友仁さんはなに作れるの?」

 

「……冷凍ギョーザと、カップヌードル」

 

 瞬間、隣でカートを押していたシュラが「ブフッ!!!」と盛大に噴き出した。

 ミネから目を逸らす彼方がまた、哀愁を漂わせていたものだった。これにミネが返答に困りながらもシュラの背中を力強く叩いていき、シュラはシュラで痛がりながらも、「だってぇ!! だってぇッへへッ!!!」とツボにハマった様子で暫し笑いこけていた。

 

 ……何とも愉快げに絡む三人を、後ろから眺めていた自分。平和を感じさせる日常の一コマにほっこりとした気持ちでそれを見ていると、傍についていたノアもそちらへ視線を投げ掛けつつ、しみじみとした調子で喋り出してきたのだ。

 

「柏島歓喜。ボクはこの店に預けられて正解だったと、心から思うことができるんだ。最初こそは、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に預けると言い出したオヤジに反発したものだったけどね、今思えば、オヤジはこの事態を機に、ボクをカタギの世界へ送り出してくれたのかもと、そう思えるようになってきたんだ」

 

「オヤジさんにとって、ノアは愛する一人娘だろうからね。オヤジさんの気持ち的には、娘には極道という道を歩んでほしくなかったのかなって、一般人の俺からするとそう推測しちゃうものだよ」

 

「オヤジの組は、ボクの実家と同等さ。それは今でも変わらない考え方だし、そんな"家族達"と一緒にボクも前線で戦いたいと、今も心の奥底で懇願しているものだよ。しかし……ボクはワガママばかり言ってられないのかもしれない。オヤジは、ボクの身を案じたからこそ荒巻に預けた。極道にとって、借りを作るということは、メンツを潰すことにも繋がるからね。メンツこそが極道の在り方であって、我々の全てでもあるのさ。特に、会長という立場の人間は絶対になめられてはいけない。だけど、それでもオヤジは頭を下げてまでして、ボクを荒巻に預けたんだ」

 

「俺が言えた義理じゃないとは思うけれど、きっと“家族のみんな”もオヤジさんの判断に納得してくれていると思うよ。見た目こそは娘をひいきする親御さんに見えるかもしれないけれど、ノアは組の人間を家族として大切に想っている、立派な組織の一員なんだ。それも、お年頃の可愛い女の子ときた。そんなノアが傷付く姿を、家族のみんなは見たくないんじゃないかな」

 

「そう……だろうか?」

 

「そうだと思うよ。みんな、ノアには傷付いてほしくなんかないんだ。だからこそ、みんなは納得してくれていると俺は信じたい。苦悩の末に選んだであろう会長さんの判断によって、むしろ自分達の“親父”の印象が良くなった方にね。……メンツは潰れてなんかいないよ。ノアが守られることで、オヤジさんの威厳が保たれている。今はそう信じてみよう」

 

 極道の世界を知りもしないため、推測でしか説得することができずにいた自分。

 だが、こちらの言葉にノアは次第と表情を明るくしていくと、次にも少女は苦笑しながらもコクリと頷いてみせて、困ったように眉間にシワを寄せながらもそう返答を行ってきたものだ。

 

「……そうだね。ありがとう、柏島歓喜。ボクはいつになっても、キミの言葉に救われているな。キミが口にする言葉の数々が、ボクにとってすごく心地が良い。その意味に根拠や真実が含まれていなくても、ボクは不思議とキミの言葉に納得してしまえて、安心してしまえる。どうしてだろうね。キミに慰めてもらえると、ボクの胸が軽くなるんだ」

 

「ノア……」

 

「……いつもありがとう、柏島歓喜。ボクはもう、キミ無しでは生きていけない身体になってしまったかもしれない。キミから賜れる言の葉に最大限もの敬意を。そして……親愛なる存在に、心からの誠意を表したい」

 

 右手を自身の胸に添えて、貴族のような華麗な佇まいでそれらを口にしたノア。しかし、自身が述べた言葉を自覚した少女は次にも、色白の頬をポッと赤く染めながら、ボフッと頭を沸騰させるように爆発させつつ、先のセリフを誤魔化すように両手をブンブン振りながら早口でそれを喋り出してきた。

 

「ち、違うぞ柏島歓喜ッ!!! い、ぃや、違うことはないものだがっ。決して、そのだなっ。ボクの言葉で何かしらの語弊を招いたようであれば、そのっ、か、勘違いをしてもらいたくはないのであって……。いや、別にそれは勘違いというワケでもないのだがっ!!!」

 

「の、ノア……?」

 

 突然どうした?

 内心で訊ねつつ首を傾げた自分の反応に、今までずっと傍で眺めていたハオマがノアへと歩き出していく。それから少女の後ろにくっ付いて両手を肩に乗せていくと、ハオマは穏やかな面持ちでそれを説明してきたのだ。

 

「ノアちゃんは、自分の気持ちを上手く言葉にできずにいるだけだもんね~?」

 

「ハオマ……っ? このボクが、自分の気持ちを上手く言葉にできずにいる、とは一体……?」

 

「今までその気持ちを、一度も知ることなくここまで来ちゃったのかなってこと。恋しちゃったのかどうかは分かんないけど、その気持ちは多分ね、『カンキ君のことが好きで好きで仕方無い』って感情なんだと私は思うんだ~」

 

「す、好き……? このボクが、柏島歓喜のことを……?」

 

「ムフフ……良い顔してるね! そんなノアちゃんにクエスチョン。こんなにドキドキした経験は、今までにあるかな~? 記憶の隅々まで遡って思い出してみよ~!」

 

「っ……。初めてコンバットナイフを人間に突き立てた時の感情に似ているような気がするが……。もしかしてこれが…………恋、なのか……ッ?!」

 

「うーん、さすがにそのドキドキはちょっと違うかなぁ……」

 

 アハハ~……と朗らかに苦笑いするハオマの様子と、頬を赤く染めて両手を胸にあてがいながら口を尖がらせたノアの姿が微笑ましい。そんな彼女らにほっこりさせられながらも、こちらからの注目を浴びつつハオマとノアは会話を続けていく。

 

「でもねぇ、ノアちゃん。そのノアちゃんの感情と、今の『カンキ君大好き~』って感情は、実は似ているところがあるのかもしれないね?」

 

「似ているところ……? ハオマ、どうかボクのことを焦らさないでくれ。今もボクの胸の中では抑え切れないほどの鼓動が脈打っていて、ボクに対して何かを訴え掛けてきてすごくうるさいんだ……っ!」

 

「うんうん! それそれ! ノアちゃんのそのドキドキは多分、ナイフを突き立てた~って時にもなっていたと思うんだけど。経験豊富な年長者の私から見たら、それはね、『知らないことに対する恐怖』によるものだと思うんだよ~」

 

「知らないことに対する、恐怖…………? ボクが、柏島歓喜に怯えていると……?」

 

「んまぁ、そういうことになるのかな? でもでも! 悪い意味なんかじゃなくってね。むしろ、良い意味で、ノアちゃんは怖がっているの。……恋のように、胸に熱く滾る抑え切れないほどの淡い感情。まだまだ若いノアちゃんだけど、その気持ちを経験するにはちょっと遅かったのかもしれないから、理性や知識が伴って、大人に近付いた今になって初めて経験する新しい気持ちの芽生えに、もしかしたらノアちゃんの潜在的な部分が怖がっちゃっているのかもしれないねぇ~。って、このハオマさんは思うわけですよ!!」

 

 ノアの後ろから両手を伸ばしたハオマは、その両腕を下げていってノアの両手を掴んでいく。そうしてゆりかごのように揺れ始めたハオマのそれにつられるよう、ノアも前後にフラフラ身体を揺らしながら、こちらをまじまじと見つめてくる。

 

 ……上辺の強がりで塗りたくった、その奥で眩く光る無垢の瞳。乙女が乙女である所以を自覚し始めたその淡い瞬間に立ち会う中で、ノアは暫しこちらと見つめ合ってから、透明感ある面持ちで、されど自信に満ちたハキハキとした声音でそう言葉を伝えてきたものだった。

 

「柏島歓喜!! …………ボクはおそらく、キミに恋をしてしまっているらしい! キミと見つめ合っていると、胸の奥の鼓動が一層と速まり始めて、ボクの身体が芯からポカポカと温まり出してくる。……自覚できないこの、むず痒くて、どこか切ない胸の感覚。ボクはこれを、キミとの交流によって、無意識と育んできたのだろう」

 

「……ノア」

 

「柏島歓喜! ……どうか、助けてくれないか? 胸の奥がムズムズとしてしまって、どうも落ち着かないんだっ! キミに見つめられると心が温まり、しかし、意識してもらえない現実に切なくも思えてきてしまえるっ! そんなボクのことを、キミが良ければぜひ、救ってもらえないものだろうかっ!?」

 

 ハオマの両腕を優しく解いたノアが、こちらを真っ直ぐ見つめながら歩み寄ってくる。

 右手を胸にあてがい、左手は緊張でピンと張っている。その歩みは乙女さながらの前のめりなものであり、可憐で年相応な愛嬌ある顔が迫る光景に、自分は気圧されるように後ずさりしながらも向かい合っていくその最中にも、ノアはノアで言葉を熱心に続けてきたものだ。

 

「……柏島歓喜。ボクは、この感情の正体を知りたいんだ。もしかしたら、この未体験となる世界の広さを知ることこそが、オヤジがボクをLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に送り出した真の理由でもあるかもしれない! ボクは今……大人のレディを知りつつある成長真っ盛りの時期なんだろう!! そして!!! ……ボクは、愛、というものを、キミで……柏島歓喜で感じようとしている……っ」

 

「……なんだか、聞いている俺が恥ずかしくなってきちゃったな」

 

「フハハッ、同士よ。ボクも今、熱烈なるアプローチによって、体中の穴という穴から火が吹き出そうなほど恥ずかしい思いをしているよ……!」

 

「っ……ノアの、穴という穴……」

 

「ふふ……フフフ……っ。柏島歓喜が……ボクのことを意識してくれると……こんなにも嬉しくて嬉しくて……心が弾む……っ。世間のカップルは、このような高揚感を伴いながらひと時を一緒に過ごしているのだろうか……。知りたい……知りたい……知ってみたいぞ……! この、ドロドロに溶けそうなほどに灼熱な、胸の内の正体を……ッ!!!」

 

 な、なんだか変にスイッチが入ってしまった……?

 こちらの懐に飛び込むように接近してきたノア。そして、制服姿の少女はスカートがめくり上がる勢いで姿勢を下げていくと、そのまま左膝を床に着けていき、少女は右手でこちらの右手を取りながら、左手を胸にあてがいつつ渾身なるイケメン顔でそれを誘ってきたのであった。

 

「柏島歓喜。ボクと同伴してくれないか!? これは、ボクから捧げる誠意の形さ。ボクはキミを、そしてキミはボクに心身ともに寄り添っていき、二人の関係性によって生じる感情の正体を二人で育んでみせるんだ。……あぁ、恥ずかしいよ。すごく恥ずかしい……! ほっぺたが真っ赤なリンゴになってしまいそうなほどに、熱が顔中に迸っている……っ!! さぁ、柏島歓喜。ボクと愛し合おう。楽園(エデン)に招かれしアダムとイヴが如く、ボクらはそのひと時において、命運を共にするパートナーとなるのさ!」



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第68話 La tentation du bleu clair 《水の誘惑その2》

 昼のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。レストランの営業が開始されてから一時間ほど経過しただろうその時には、既に満席となる程度には席が埋まっていたものだった。

 

 店のホステスらが忙しそうに行き交う光景の中、いつもの席でボーッとしながら“少女”を待っていた自分。暫し意識を途方へ投げ掛けていると、直にも一つの足音を伴いながら制服姿のノアが歩いてきた。

 

 平然とした透明感の様相。心なしか自信を思わせるキリッとした表情でこちらの席へ歩み寄ってくると、次にもその右手に乗せていた銀色のお盆から、一枚の皿をテーブルに移しながらそれを口にしてきた。

 

「柏島歓喜!! 長らくと待たせてしまったね!! Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の充実した厨房の調理器具や食材、調味料その他エトセトラエトセトラを存分に活用した、ボクお手製の賄いカルボナーラだ!」

 

 言葉と共にして、コトンッとテーブルに置かれた皿。

 こんがりベーコンと半熟の目玉焼きが乗せられたスパゲッティ。ツヤツヤな白色のソースを絡めるように和えたそれらには黒コショウが振り掛けられており、匂いだけで味が伝わってくる滑らかなチーズの香りがまた、舌だけでなく鼻までも喜ばせてくる。

 

 こんなに豪華な料理が賄い……?

 思わず、「うお、すげぇ……」と感嘆してしまった自分。こちらの反応にノアは渾身のドヤ顔でフフンと鼻を鳴らしてくると、向かい側の席に同じようなスパゲッティを置きながら、少女はその席に座っていく。

 

 ノアの分なのだろうそれにも意識が向いていく中で、自分はフォークを用意しながらそれを訊ね掛けていった。

 

「厨房の手伝いはもういいの? せっかく午前中に学校が終わったのに、制服のままキッチンに呼ばれる程度にはレストランの方が忙しかったんだよね?」

 

「あぁ、それならば安心してくれたまえ! ボクの役目は、臨時のコックがやってくるまでの助太刀。そのカレは二十分ほど前に合流してくれたものだったから、ボクはそれとは別に、持て余した余裕を賄い飯の調理に注ぎ込んだまでなのさ」

 

 自身の胸に右手を添え、高らかに語るよう仰々しく振る舞うノア。その高尚な態度からは圧倒的な自信が溢れていて、これがノアのチャームポイントでもあったものだ。

 

 ……制服の姿で店の厨房に立つ女の子って、なんだかカッコいいな。

 ノアの様子を脳内で描き、内心で憧れに近しいものを抱いていく。それを脳裏に留めながらも自分は「それじゃあ、早速頂いちゃおうかな」と口にすると、ノアもまたフォークを手に持ち、手を合わせながらそれを喋り出してくる。

 

「柏島歓喜。決して忘れてはならないよ。本日のボクとの同伴は、“既に始まっているんだ”。キミにはそれを念頭に置いてもらいながら、ボクの賄い飯を味わってもらいたい」

 

「如何せん、いつ抗争が始まってもおかしくない時期だから、外にお出掛けはさすがに危ないもんな。……最初こそ、ハオマさんに『Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で同伴するのはどう?』って提案された時は驚いたけどね。あまりにも身近すぎて、この店を同伴先にするだなんて思い付きもしなかったよ」

 

「普段は、朝焼けにさえずる小鳥が如き温和な雰囲気のカノジョだが、ハオマはこの道のプロでもあるからね。経験から来る閃きにはボクも学べることがたくさんある。今回のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を同伴先にするという発想も、カノジョならではの提案だったとも言えるだろう。……さて、話はこれくらいにして、そろそろカルボナーラを頂こう。温かい内に召し上がってもらえると、ボクとしても嬉しい限りさ」

 

「それもそうだね」

 

 何気無い会話を交えつつ、二人で微笑しながら「頂きます」と挨拶してカルボナーラを頂いていく。

 

 話にも出ていたように、今日はLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)でノアとの同伴が行われる。その景色自体は非常に見慣れた様子であったものだが、これから体験するであろう事柄に関しては、いろんな意味で未知に溢れていた。

 

 本日はノアとの同伴だ。それも、シュラに続く濃厚な昼の予感がする同伴になることだろう……。

 

 

 

 

 

 ノアと共にする食事は、実に穏やかな時間が流れたものだった。

 自信に満ち溢れた、高貴な喋りで世間話を行う少女。食事中も口をもぐもぐ動かしながら絶え間なく喋り続けており、左手を胸元にあてがいながら繰り出されるそれら言葉の数々に、自分は終始、うんうんと頷き続けていた。

 

 そうして食事を終え、二人で手を合わせて「ご馳走様」と挨拶を口にしていく。それからノアは無言のまま暫しその場に留まり続けていくと、次にも少女は何かを言い出そうと口を開き、しかし言葉が喉に引っ掛かったのであろうそのままの表情で、ひとり静かに俯いたりしていた。

 

 ……もしかして、乙女の一面が出てきてる?

 ボクと愛し合おう。先日にも告白が如く伝えられたノアからの言葉。本日の同伴に繋がるキッカケとなったやり取りだが、その際にも知った、少女から寄せられた恋情に近しい好意の存在によって、自分もどこか意識するように気恥ずかしく頬を赤らめてしまったものだ。

 

 愛、というものをキミで感じようとしている。

 ノアから言われたセリフが脳内で反響し、同時にして視界に映る少女の恥じらう姿に余計と意識してしまう。だが、ここは男らしくどっしり構えようという心意気でノアと向かい合っていくと、次第にもノアは色白の頬に火照りの赤みを浮かばせながら、こちらの顔色をうかがうようにそれを訊ね掛けてきた。

 

「柏島歓喜っ! ……その、あれだ。実はだね……サプライズとして、食後のデザートも用意してあるんだ……! この日のために、念入りに用意してきた絶品のデザートさ。きっとキミなら気に入ってくれると思う。いや、絶対にメロメロにしてみせる! だから……この後にでもそれを召し上がってもらえると、ボクとしては天にも昇るほどの幸福に満たされるのだが……」

 

「あ、あぁ! 食後のデザートか! しかも、今日のために用意してきたサプライズ! ノアのお手製デザートかな。なんだかすごく嬉しいな! ノアがこんな自信満々に勧めてくれるんだ。もう、今から期待してもいいんだよね?」

 

 寄せられた好意に、自分も慣れないためか緊張したように食い気味な返答をしてしまう。

 この、互いに恥ずかしさをぶつけ合うやり取りに、二人で誤魔化すような苦笑を見せながら向かい合っていくと、ノアはノアで明るく振る舞うように、「き、期待してもらっても全然構わないよ! ……ハードルが上がったことに少しだけ心許なさを感じてしまえるけれども、キミならばきっと、受け入れてくれると信じているからね……!」という返答を行ってきたのだ。

 

 ……ノアにしては、だいぶ弱気に見えるのは気のせいだろうか。

 王子様気質の気取った喋りが独特な、仰々しいほどに溢れ出る自尊心。それこそがノアという人物の特徴であり、チャームポイントでもあったためなのか、こんなにも躊躇いを感じさせる少女の姿にこちらの調子が狂ってしまう。

 

 ともあれ、ノアが用意してくれたという食後のデザートを楽しみに、席に座った状態で静かに胸を弾ませた自分。今もお盆に皿を回収し始めたノアを視線で追っていたものだが、こちらの期待の眼差しに対して、ノアは華麗な佇まいと共に左手を差し伸べながらそれを口にしてきたのだ。

 

「さぁ、それじゃあ柏島歓喜、食後のデザートを用意してある部屋へと移動しようか」

 

「え? あれ? ここで食べるんじゃないの?」

 

 認識の食い違い。

 早速と巡ってきた沈黙に、お互いが黙りこくっていく。それからノアはハッとするようにその言葉を付け加えてきたものだ。

 

「すまない! キミに重要な部分を伝えるのを忘れてしまっていたようだ! 実はそのデザートは、我々ホステスの控室に用意してあってだね。少々ワケありなもので、お客であるキミには本当に申し訳ないものだが、部屋の移動をお願いしたいんだ」

 

「あぁ、そういうことか。……控室に用意してあるってのは何だろうな。取り敢えず、ノアの言う通りに移動しようか」

 

 彼女らの控室でしか召し上がれない食後のデザート。この、いまいちピンと来ない意外性がまた、ノアらしいサプライズ……か?

 

 とにかく、ノアについていけば何の問題も無い。それを思いながら腰を持ち上げていき、それからノアにさり気無く手を繋がれてから、自分らは今も盛況であるレストランLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホールを横断したものであった。

 

 

 

 

 

 移動を終えて、自分は入口の仕切りから覗き込むようにしながら“罪の花園”へと訪れた。

 

 エントランスやホールの裏側にある、禁断かつ禁忌のプライベート空間。その光景は主として、壁沿いに用意されたいくつもの鏡と、鏡を利用するための個別の机。それら付近にはホステスの私物が置かれており、化粧品の数々といった道具が片付けもされずに散らかっていたものだ。

 

 部屋の中央には、四つほどの横長のテーブルが置かれていた。

 白色で、傷だらけな年季ある机。その上には主に、流行りのゲーム機や充電中のスマートフォンなどが不用心にほっぽり出されており、中には、既に貴重品がはみ出している誰かの鞄であったり、あろうことか“マッサージ器”だったり、“男の立派なソレの玩具”といった代物が放り出されたりもしていた。

 

 風景こそ、キャバクラの控室かなんかのごく一般的な雰囲気だったことだろう。しかし、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のそれは所々と穢れており、女の子だけが活動するお部屋という理想に塗れた期待から一転として、生々しいリアルの実情をこれほどまでかとぶつけられた眼前の光景に、自分は一周回って「みんならしい控室だなぁ」という感想を抱くに至ってしまった。

 

 部屋の奥には、キャバレーの営業中に使用するステージの衣装などが、ハンガーに掛けられていた。

 それは男装系のスーツから、貴族風のドレスまで実に様々。ステージ上の演技やダンスなどで使用されるそれら大中小の衣類達は、壁から壁までぎっちりと詰め込まれるように並んでいる。ホステス達はそれらを着回す形で日々のステージに臨んでいき、素人によるショーとは思えないクオリティを以てして、客を感動の渦へと誘っていた。

 

 ……罪を抱えながらも、アンダーグラウンドの世界で必死に生き永らえる彼女達。危険な香りを放ちながら、艶やかに妖しく舞い踊る姿は妖艶そのもの。そうした、アブないが故にその深淵を覗き見したいという誘惑に駆られた一般人が、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)という罪の味の虜となって、接客からショー、そして食事にまで心を奪われてしまうのだ。

 

 龍明だからこそ成り立つビジネスだよなぁ。という内心を胸に秘めながら、ノアに誘われるまま控室に踏み入っていく自分。そこでノアに「後ろを向いていてくれないかい?」と言われたことから、自分は少女の言葉のまま後ろを向いて暫し待たされた。

 

 ……この背後では、何やら衣類が擦れる音が響き出してくる。

 皆目見当がつかないな。そう思いながらも目についていた、視線の先にある横に長い半開きのクローゼット。ちょうどこの身体も収納できそうな高さもあるそれの内部には、人が二人分だけ入れそうな空間ができている。

 

 ああいうのを見ちゃうと、何故だか入ってみたくなるよなぁ。

 男ならではの冒険心だろうか。これにささやかながらもワクワクとした気持ちを抱いていたその時、後ろにいたノアに「柏島歓喜! もう大丈夫だ! 振り向いてもらっても構わないよ!」と声を掛けられたことによって、自分はサプライズのデザートに更なるワクワクを伴いながら振り返っていった。

 

 くるっ。期待と共に投げ掛けた視線。それと同時にして視界に映ったのは、テーブルに乗り掛かったノアが、着ていた制服のシャツを半分開きながら艶めかしく座る姿だった。

 

 ほわぁん。あのSEが自然と脳裏に流れてくる。

 既に脱いであった白色のアンダーシャツはテーブルにほっぽり出されており、脇を見せつけるように上げられた両腕の後ろには、指に絡めてあるのだろう水色のブラジャーが下がっている。

 

 両脚は横へ伸ばしており、右脚を持ち上げたセクシーな角度と制服のスカートが、一層もの背徳感を醸し出してくる。そして、仕上げにノアは練習してきたのだろう上目遣いからなる、絶妙な角度が織り成す艶やかな色っぽい表情によって、透明感を伴った可憐な眼差し攻撃を繰り出してきたのだ。

 

 な、なんて可愛さだ……! 水晶が如くミステリアスなその雰囲気が売りである少女が、大人のクールさを全面に押し出したアプローチ……! 銀嶺のように真白の神秘を纏うその少女はまさに、不可思議という言葉を体現した白銀の天使……!! そんな少女が自ら露出して男を誘惑する行為と、垣間見せてきた度重なる羞恥の仕草、そして色白の柔肌を曝け出し、胸部の“神秘”が見えそうな際どい格好が最高に普段とのギャップになっている……!!!!

 

 …………で、どうして急に脱ぎ出した!?

 興奮よりも驚愕が勝る目の前の状況に、自分は半ばガビーンッと衝撃を受けながら硬直した。だが、そんなこちらにお構いなしといった具合に、ノアはその言葉を続けてくる。

 

「食後のデザート。それは、このボク自身のことさ!! 柏島歓喜!! さぁ! この、ノアという甘味に溢れた甘美なるスイーツを、好きなように味わいたまえっ!! さぁ!! さぁっ!!!」

 

 切ない表情と共にして、押し付けるような勢いでアピールを行ってきたノア。脇を見せつけるようにバァーンッ!!! と繰り出したポージングは、もはや神々しいとまで言えてしまい、そんな少女のある意味で仰々しい様子に、自分は呆気にとられるように見遣り続けてしまっていた。

 

 ……途端にして巡ってきた沈黙。互いに暫し動じない空気感の中、ノアは恐る恐るとこちらへ視線を投げ掛けながら、すごくしょんぼりとした顔と声音でそれを口にしてくる。

 

「……柏島歓喜。もしかしてボクって、そんなに魅力が無いのかな……」

 

「い、いやいやいやいや!!! そんなことはないって!! エッチだよノア!! とんでもないくらいの爆発的な色気が漂っているよ!! ……ただ、あまりにも唐突すぎたから、それでちょっと驚いちゃっていただけというか」

 

 すかさずフォローを入れて、すごく悲しげな表情をしていたノアの機嫌を取っていく。これにノアは直ぐにもキリッと表情を引き締めていくと、次にもはだけた胸に右手をあてがい、自信満々といった具合にそれを喋り出してきた。

 

「そうか! そんなに今のボクがエッチに見えるか!! アッハハハ!! それならば良かった、本当に安心したよ! ……今日という日のために、男の好みというものを研究してきた甲斐があった! 柏島歓喜。キミに、ボクという特上の一品を召し上がってもらうためにね!」

 

「なんというか、ノアってけっこう積極的だよね……」

 

 制服のシャツからチラチラとうかがえる胸に意識が向きつつ、呟くようにそれを口にする。こちらの反応にノアはフフンと鼻を鳴らすものの、ふと控室の隅にある衣装の類へと視線を投げ掛けるなり、「なるほど」といった感じに右手を顎に添えながら、そんなことを喋り出してきたものだ。

 

「ふむ……現役JKの制服姿による背徳感を味わってもらうのも乙というものだろう。しかし、せっかくこうして色々な衣装が用意されているんだ。柏島歓喜、キミはボクにどれを着てもらいたいかな?」

 

「え? いやでも、そもそもとしてステージの衣装を無断で使用するのはマズいんじゃないかな……」

 

「案ずるな! 大丈夫さ、心配など不要に等しいものだろう。如何せん、ボクが衣装を身に纏うのも、柏島歓喜、キミのために他ならない。最も優先されるべき特別な客であるキミが望むのならば、少なくともユノは寛容な心持ちによって許してくれるだろう」

 

「あのユノさんのことを考えると、マジであり得そうなのがまた……」

 

 というか、まさか俺好みの衣装に着替えて“誘惑しよう”としている……?

 よぎってきた良からぬ予感に、自分が冷や汗を流してしまう。だが、ノアははだけたままの姿で身軽にテーブルを下りていくと、スタタタと軽快に横長のハンガーラックへと駆け寄って、漁るようにそれらを手で掻き分け始めたのだ。

 

 ……まぁ、ノアの気が済むまでやらせておいて、最後に「制服姿のままが一番だよ」と声を掛けてあげれば何とかなるかな。

 内心でセリフまで考えておいてから、自分も重い足取りで少女の下へと歩み寄っていく。その最中にも、テーブルに放置されたノアのブラジャーについ目が行ってしまうのだが、邪念を振り払うように頭を横に振ってから、少女のいるハンガーラックへと向かっていった。

 

 当たり前ではあるけれど、ノアも身に着けているんだよな……。という感想が脳裏にチラついて、次第と興奮が芽生え始めたこの身体。“生理的な現象”もちょっとだけ及んできた自分自身にモヤモヤしていたその間にも、ノアはノアで男性の貴公子を模した気品のある衣装を手にしながら、何気無いサマでそれを喋り出してくる。

 

「そうだな……。柏島歓喜、いま最もアツい衣装と言えば、この男装系の衣装だろうか。現在、夜のキャバレーで『ガリヴァー旅行記』を原典にしたショーを上演していることは、キミも知っているだろう。主人公のレミュエル・ガリヴァーを演じるミネがこれを身に纏ってステージに立っているものだが、カノジョとボクは身長や肩幅が似ているために、ボクもこれを身に着けることができるはずなんだ」

 

「今やっているショーのやつだね。かの天空の城のアニメの題名は、この『ガリヴァー旅行記』に出てくる空島のラピュータから影響を受けている……みたいな話があるんだっけな。まぁ、いま上演しているお話は、小人の国で奮闘するガリヴァーの冒険譚ではあるけれど、回数を重ねる毎に上手くなっていくミネの演技がまた、見ていてワクワクしてくるんだよな……!」

 

「カノジョは舞台上で試行錯誤を繰り返すタイプの人間だからね。その日の公演が終わった後も練習場に残って、演技の練習も兼ねたひとり反省会をしているものだよ」

 

「ミネは努力家だからね。他にも、レダが演じている小人の国の王様は鬼気迫るものを感じさせて恐怖すらも覚えるし、モブの小人を演じるメーとシュラはアドリブでやりたい放題してるし、それで本気で困惑しているミネの反応がまた面白いんだよな……。あと、ラミアのナレーションもいいよね。ニュースのキャスターみたいにすごく丁寧な口調で喋ってくれるのに、演者がふざけた時にたまに見せてくる冷めた対応が、今までとの温度差で笑っちゃうんだよね」

 

「違いない。特に、メーとシュラは本当に気が合うんだろうね。カノジョ達の絡みは、ボクらホステスから見ても奇々怪々で笑わせられるよ。まぁ、ヒヤヒヤさせられる場面の方が多いけれどね。……柏島歓喜。ホステス達のことを隅々まで見てくれているその観察眼こそは、ボクとしても嬉しく思うわけさ。しかし今は、ボクと同伴している最中でもあるんだよ? そこは気を利かせて、原典『月と六ペンス』において天才画家のチャールズ・ストリックランドと、歌においてはセンターでボーカルを務めた主役のボクを褒めるべきだと思うんだ」

 

 訴え掛けるような力強い声音で、そのようなことを言われてしまった。

 今もはだけた胸に左手をあてがい、眼差しから承認欲求が伝わってくるノアのアピール。透明感からなる少女の訴えに、自分は申し訳無さを感じながら「ご、ごめんごめん」と謝りつつ、ノアの頭を撫で掛けながらそう感想を直で伝えたものだ。

 

「ノアの演技も最高だった。ストリックランドの自分勝手な振る舞いと、芸術の魂に取り憑かれたかのような演技が逆に恐ろしくも感じたよ。まるで、本人が目の前にいるかのような、演技の上手さとはまた別の、悪魔に魂を売ったかのようなあの臨場感は、日頃から誰かに影響を受けて、それを自分のものにしてみているノアにしかできない芸当だと思う。歌もすごく上手くてビックリした。普段とのギャップはさることながら、アイドルのようにキラキラした曲調で歌って踊るノアの姿は、誰よりも輝いていたよ」

 

「フフ……。フフフッ……。いいね……! 完璧だよ。パーフェクトだ……。ボクが欲しかった言葉を、キミは一語一句、間違えることなく全て表現してみせた……! キミの褒め殺し口説き文句は、ボクらアンダーグラウンドに落ちた女の荒んだ心を浄化してみせて、生きる希望さえももたらし、心臓の遥か奥底にこびり付いた切り傷さえ、言葉で癒してくれる……」

 

 ミネの衣装をハンガーラックに戻しつつ、ノアは心臓を押さえるように両手を胸元へと移していく。それから少女は鏡のような瞳に潤いを浮かべながら、透き通った雰囲気で、柔らかい微笑を見せながら言葉を続けてきた。

 

「……なんて心地良いのだろう。キミの言葉は本当に、ボクの心を満たしてくれるんだ」

 

「ノア……?」

 

「あぁ、ドキドキする……。キミに褒められたという事実がボクの意識を掻っ攫い、胸によぎる不安を取り払って、空っぽにしてくれる。その器にキミの優しさが注がれることによって、ボクはキミから賜った温もりで心まで温かくなるんだ。……寄せていた期待は好意へと変化して、その好意は次第と、本意となる。これが、恋、というものなのだろうか……? なぁ、柏島歓喜。ボクはキミに対して、恋情を患ってしまったのだろうか……? 教えてほしい……この、火傷しそうなほどにぐつぐつと煮え滾る熱の正体を……っ!!」

 

 あ、暴走し始めた。

 確信したノアの様子と共にして、少女はこちらの右手を取るなり、はだけた胸部へと引き寄せていく。そうしてシャツの内側へと滑り込ませたこちらの手を、自身の“神秘”に触れさせていくと、その瞬間にも日頃の“開発”で敏感となったソコの接触により、ノアは不意にも甘い声音で「はぁん」と喘いでみせたのだ。

 

 ……以前にも、手のひらで存分に転がした“神秘”の突起。指でも摘まみ、その腹でいたぶり、撫で掛けて弄んだ少女の清らかな部位。再び触れたソレに自分も心臓の鼓動を速めていく中で、ノアから受けたアプローチによって自分は、理性の糸がプツンッと途切れるように左手でノアの身体を抱き寄せていった。

 

 右手は、まさぐるように少女の“神秘”を揉みしだく。その、控えめながらも滑らかな柔肌は、まるで吸い付くようにこちらの手を快く迎え入れてくれて、加えて、小さな“輪”のわずかな感触が余計に欲情を駆り立ててきたことで、自分は我慢できないと言わんばかりに、ノアの後頭部に左手を添えていった。

 

 ……このまま、キスでもしちゃおうか。

 こちらの思惑に、薄々と勘付いたのだろうノア。“本番”どころかキスさえしたことがなかった少女を前にして、こちらからアプローチするようにこの口をノアへと近付けていって…………という、その瞬間だった。

 

 ガチャッ。開かれた控室の扉と、そこから聞こえてきた二人のホステスの喋り声。いつものメンツではないそれらの声に自分は、はだけた姿のノアを急ぎで抱き抱えながら、反射的に周囲を見渡してしまう。

 

 この時にも、自分は“ある隠れ場所”を見つけてしまった。

 後ろを向いていてほしい。そうノアに言われた時にも目についていた、横に長い半開きのクローゼット。ちょうど自分が入れそうな高さもあるそれの内部には、人が二人分だけ入れそうな空間ができている。

 

 ああいうのを見ちゃうと、何故だか入ってみたくなるよなぁ。

 男ならではの冒険心だろうか。……とか何とか考えていたそれを見てからというもの、自分はノアをお姫様抱っこの要領で抱え、急いでそのクローゼットの中へと入り、内側から扉を閉めてから、ノアを下ろして抱き締めていった。

 

 直後にも聞こえてきた、ホステスらが不思議がる疑問の声。音が聞こえたような気がした、といった話を二人で繰り広げるその間にも、自分は抱き締めていたノアを見下ろしていく。

 

 ……するとそこには、シャツが全開になったノアが、頬を真っ赤に染めながらこちらの身体に寄り添う姿が見受けられたものだった。

 

 こんな姿、他の人に見られたくない。面子を気にするノアにとって、自身の羞恥的な有様は何よりも致命的だと考えていたことだろう。

 こちらのお触り以上に、心臓の鼓動を速めていた少女の様子。この調子から、即座に身を隠して正解だったことを直感で悟っていくのだが……。

 

 ……抱き締めていたこちらの腕を解き、この右手を取ってきたノア。直後にも少女は、何の躊躇いもなくそれをスカートの中へと滑り込ませていき、至って自然な動作と共にして、男性の手を自身のショーツの中へと招き入れてみせたのだ。

 

 な、何をしているんだ……!?

 隠れているが故に、声は出せない。その代わりとなる視線でノアへと問い掛けていくのだが、次にも右手に伝わってきた感触に、自分は生理現象を余計に加速させてしまう。

 

 ……水晶のようにツルツルとした、滑るように滑らかな柔肌。もちもちとした肉感はまさに少女の“神秘そのもの”であり、また、“ソレ”を覆うように巡らされた湿り気は、独特な粘り気を伴ってもいた。

 

 肌触りからして、“草原”の存在を一切と感じられない。

 隅々まで行き届いた、几帳面なほどのデリケートなお手入れ。指で擦りつければ、ピカピカとなった食器のような音さえ出そうなくらいにツルツルな柔肌に、自分は思わず小声で「……ノア?」と訊ね掛けてしまう。

 

 見下ろした視界には、暗がりでありながらもスカート越しのショーツがうかがえた。

 白色の布地に、水色の水玉模様。ノアらしいと言えばノアらしいその柄に意識が向いていく中で、少女は切なそうな眼差しでこちらと向かい合いながら、その左手でこちらの“ソレ”を撫で掛けてくる。

 

 …………つまり、そういうことなんだな? “此処”でも大丈夫だというサインなんだな……!?

 

 バレるかバレないかの瀬戸際。もれなく名誉の損失というチキンレースに対して、自分は最終確認の視線をノアへと送っていく。

 

 その答えは……多分、イエスだった。

 履物のチャックを下げて、トランクスの間からボロンッと“モノ”を取り出すノア。既に最大限もの本領を発揮していた“息子”に、少女は一瞬だけ引きつった声を出していくのだが、それからノアは“息子”を容赦なく鷲掴みにするなり、自身の下腹部へと押し当てて、こちらの目をジッと見遣ってきたのだ。

 

 ……心も身体も、準備はできているということか。

 少女からの訴え掛けに、自分は無言で頷いてからその華奢な身体を抱き締めていく。それから両手で掬うように少女の尻を掴んでいき、そこから持ち上げるように高さを調節していってから、今も“息子”を、自身の“神秘”に触れさせるノアの期待に応えるべく、二人はクローゼットの中という場所で“行為”に及んでいったのだ。

 

 

 

 

 

 この昼、ノアというホステスとは緊張感と隣り合わせのひと時を過ごすこととなる。

 

 今もクローゼットの外から聞こえてくる、他のホステスらの話し声。休憩で入ってきた彼女らの他愛ない談笑を傍らにして、自分は立ち上がった姿勢のまま、そそり立つ“息子”をノアへと侵入させ始めた。

 

 ショーツも履いたままの少女を尻から持ち上げて、そこからゆっくり下ろすようにして“聖域”に収まっていく。そうして、音を立てないよう細心の注意を払うのだが、ノアから溢れ出してくる“熱情”が湿気の摩擦音をわずかに響かせたものだったから、自分らは互いに違う意味で心臓をドキドキさせながら、結合部の“合体”を進めたものだ。

 

 ノアにも力を入れてもらい、少女の体重を極限まで減らして結合を続けていく。そして、“息子”が少女の最深部にまで到達すると、二人で向かい合っては静かに苦笑し合い、初めて一つになれた記念を祝すかのように、同時にして自分はノアとの初キスも済ませていった。

 

 ……最強のヤクザ組織『銀嶺会』会長の一人娘に手を出してしまった。

 これを知られた瞬間にも、自分はどんな無残な方法で消されることになるのだろうか。という恐怖に苛まれる一方で、あの透明感からなるボーイッシュなノアの“神秘”に包み込まれた快楽が、“息子”を通じて全身に巡り巡ってくる。

 

 それでいて、満更でもない様子のノアもまた、うっとりとした蕩ける瞼でこちらのキスに没頭していたものだった。

 少女からしたら自分は、恋情かもしれない淡い気持ちを抱くに至った気になる相手。胸に秘めるその想いが一体なんなのか、その正体を知るべくこの“行為”に走ったのだろう大胆なお誘いがまた、意外性な意味でノアらしいとも思えてくる。

 

 少女と過ごすひと時はいつも、想定外なものばかりだ。

 共にしてきたこれまでの時間が、現在のシチュエーションに一層もの興奮を与えてくる。そうして愛しくさえ思えてくる、水晶が如く透き通りながらも非常に脆い存在を、自分は一生大切にする心持ちで力強く抱き締めたものだ。

 

 この抱擁に、ノアはゆっくりと瞼を閉じて唇の温もりに集中し始めた。

 談笑が響く外界の傍。薄い扉を挟んだ暗闇の中、自分とノアは二人だけの世界に入り浸っていく。そのひと時は優に一時間は超えたのだが、外のホステスらが控室を後にするまでの間、自分らは一切と離れることなく、ずっと繋がり合った状態で、互いの温もりを交わし続けていたものであった。



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第69話 Le calme avant la tempête 《嵐の前の静けさ》

 夜のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。営業時間中であるはずのエントランスにおいて、自分は出された椅子に腰を掛けた状態でそこに滞在していた。

 

 恐ろしいほどに静まり返った店の中。ホールからも一切の物音が生じておらず、ひと気もわずかながらにしか存在していない。

 この周囲に配置された、限られた人物達。それぞれ、付近の柱に寄り掛かるようにして、天井を仰ぎながらタバコを吸っているスーツ姿の荒巻と、この向かい側で佇む私服姿のノア。そして、ノアの隣で不安そうな面持ちで俯く私服姿のハオマという三名が、エントランスに留まっている。

 

 直にも、関係者以外立ち入り禁止の扉が開かれる。その音に一同が振り向いていくと、そこからは私服姿のユノとクリスが現れた。

 真っ直ぐとこちらへ歩み寄っていき、合流を果たしたその二人。共にしてユノは荒巻へとこれを伝えていく。

 

「周囲の状況に異変無し。ただし、早急に柏島くんの身柄を移した方がいいでしょうね」

 

「違いねェ。銀嶺会連中との合流ついでに、カンキちゃんを“隠れ家”へと連れていってくれや」

 

「やはり、ノアとハオマさんも隠れ家で匿った方がいいのでは?」

 

「そいつはダメだぜユノちゃん。もちろん、お二人さんの命を蔑ろにしているワケじゃねぇ。だが、隠れ家は絶対に見つかってはならねェ最後の砦。そこに泊まる人間は最低限の数に留めとかねェと、備蓄的にキツいわ、万が一の際に集団だと逃げにくくなるわで、追加でお二人さんも匿うのはあまり得策じゃねぇ。だから、隠れ家に移すのは、最も敵に渡ってはならない最重要人物のカンキちゃんのみに留めておく」

 

「理解はしているわ。けれども、“抗争”が始まってまず最初に狙われるであろう場所は間違いなく、このLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。……最も危険な場所になり得るこの店で、ノアとハオマさんを匿うというのは些か心許なく感じてしまえるのよ」

 

「だからこそのオレちゃんだろ。今は出払っているがよ、ミネちゃんも一緒に此処に残って、ノアちゃんとハオマちゃんの護衛にあたるつもりでもいるしな。……んま、そんなミネちゃんも含めて、ホステス達を心配に思う気持ちはよく分かるぜ。オレちゃんとしても、せっかくのイイオンナ達を戦場に立たせたくはねェし、傷付けさせはしたくもねェし、キケンな目に遭わせたくもねェ。だからこそ、こういう時にオレちゃんのようなイイオトコが命張るんだろ」

 

「……誠に遺憾ではあるけれど、貴方の戦闘力が申し分ないことは事実。全盛期の柏島オーナーさえも凌ぎ、私が認知し得る限りで最も戦闘に秀でた才能を持つ貴方の能力は、私も認めざるを得ない側面があるわ」

 

「遺憾に思われているところがまた、最高にゾクゾクするねぇ……。認めたくないのに渋々と認めなければならず、それにモヤモヤしちゃっているユノちゃんのもどかしそ~な表情がまた、最高に堪らねェな」

 

「ここは素直に認めましょうか。そのような寝言をほざく程度の余裕が貴方に存在することを」

 

「いいじゃないの~、これくらいよぉ。如何せん、こいつが最後の会話になる可能性だってあるんだからな」

 

「そこらの有象無象に対して、貴方に限ってそうはなり得ないでしょう?」

 

「ヘッ」

 

 どこか得意げに微笑する荒巻。ユノとのやり取りを終えて彼はこちらに向いてくると、タバコを片手にその説明を行ってきたものだ。

 

「っつーワケで、カンキちゃん。これからしばらくの間、オレちゃんが用意した隠れ家に身を潜めてもらうつもりだからよ。数日か数週間か、目途は立っていねェが、少しだけ窮屈な思いをしてもらうことになるんで、そこんとこヨロシクな」

 

「はい……。俺のために、ありがとうございます……」

 

「んな、お礼を言われるほどのことなんざやってねェよ。鳳凰不動産か骸ノ市の連中にオマエさんが捕まっちまえば最後、根こそぎ奪われるだろう遺産として継がれた財産や権利なんかで、この店やオレちゃんらの身柄なんざどうとでもできちまうからな。……まぁよ、それでも一番はオマエさんのためを想ってやっているんだぜ。そもそもとしてオマエさんは、オレちゃんらアンダーグラウンドとは全く無縁だったカタギの身。そんな、潔白に等しい善良な市民を裏社会の騒動に巻き込んじまってよ、こいつぁオレちゃん達の責任でもあるモンなのさ」

 

「巻き込んだだなんてそんな。……これは、血縁が引き寄せた必然だと、俺はそう思ってます」

 

「どちらにせよ、オマエさんは本来“この世界”に居てはいけねェ人間なんだ。そんなカタギの自由を奪っただけでなく、その命さえも奪っちまったらとうとう、オレちゃん達は人間を語る資格すら無くなる。……要は、こちらはこちらで責任を感じちまっているってコトなのよ。今はどうか、それで納得してくれや。な?」

 

 陽気な調子で話す荒巻だが、彼の声音は本気そのもの。装いこそは至って普通の日常を醸し出しているものだったが、荒巻でさえ隠し切れない命懸けの緊張感が今も、真剣な声音となって伝わってきてしまうのだ。

 

 間近となった龍明抗争の勃発。縄張りを争うかの如く睨み合い続けてきた銀嶺会と鳳凰不動産は、ここに来て双方の我慢が限界を迎えるかのように、龍明を舞台とした大規模な抗争を引き起こそうとしていた。

 

 既に事例があるこの戦争は、日本中に震撼をもたらした歴史を持っている。

 龍明の市民には避難勧告が出されており、多くの人間が他の地域ないし地下シェルター、その他諸々の安全な場所へと逃げ込んでいた。この勧告の影響もあってか本日の営業は臨時休業となっており、今日からしばらくの間、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)は短期間の閉店を挟む予定となっている。

 

 ……尤も、勧告による閉店は表向きの理由であり、一番の理由は『無関係のお客様を騒動に巻き込みたくないから』というものだった。

 

 敵対する鳳凰不動産や骸ノ市はどちらも、柏島歓喜という憎き仇の息子を狙っている。そして、この人間を普段から匿っているLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)が真っ先に狙われることは想像するに容易く、その関係でこの身柄は、荒巻が別に用意してくれた他の建物へと移される運びになっていた。

 

 隠れ家においては、世話役兼護衛役としてラミアがついてきてくれる。しかし、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)には銀嶺会から預けられた会長の一人娘ノアと、元鳳凰不動産の従業員で戦闘力皆無なハオマという、他にも守るべき人物らが存在していたことから、彼女らもまた、危険に晒すわけにはいかない護衛対象として慎重に扱っていたものだ。

 

 ……日本全国に店舗を展開する鳳凰不動産の監視の目は、対象の高飛びすらも許さない。むしろ、銀嶺会が幅を利かせる龍明に留まっていた方が賢明な程に、鳳凰不動産という組織は脅威を孕んでいた。

 

 また、自分が隠れ家となる場所へと移される理由に、いざという時の保険というものがあった。

 Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)が真っ先に狙われることは明白。だからこそ、この店に敵の戦力を集中させることにより、隠れ家の存在から気を逸らすという目的ないし、抗争が終息するまでの時間を稼ごうという荒巻の狙いがあった。

 

 自分が隠れ家に移されるのは、万が一にも荒巻やミネといった防衛組が死んだ際の保険だった。

 他に移せる場所が無い関係でLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に匿われるノアとハオマも、彼らの犠牲となり得るだろう。しかし、飽くまでも柏島歓喜の死守こそが重要であるとのことから、ノアもハオマもそれに納得する形で、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に残ることを選択してくれた。

 

 ……それにしても、とうとう龍明抗争が再び勃発してしまうのか。

 以前にも体験した、壮絶な外界の戦闘音。日本とは思えない銃火器や爆弾の音が鳴り響くあの地獄を、再び繰り返す日がやってきたことに憂いがよぎってくる。

 

 どうなるか分からない不安。圧し掛かってきた極限の恐怖に、沈むよう俯いていくこちらのことを見遣ってくる荒巻は、暫しサングラス越しに視線を投げ掛けてからそれを喋り出してきた。

 

「もうそろそろ移動した方がいいかもな。カンキちゃん、立てそうか?」

 

「はい……。大丈夫です……」

 

 重い腰を持ち上げて、ゆっくりとした動作で立ち上がっていく。こちらの様子にノアやハオマが不安げに見遣ってくる中で、荒巻は腕時計を確認してから、周辺にいる一同に向かってそう言葉を続けてきた。

 

「んじゃ、最後に今の状況を軽く説明していくぞー。……まず、銀嶺会と鳳凰不動産の連中による龍明抗争は、明日にも始まることだろうよ。こいつぁ現時点で、『第二次龍明抗争』と呼ばれてるとか呼ばれてないとか。んまぁ、名称は別にいいんだ。問題は、今回の騒動において我々は、絶対に死守しなければならない護衛対象がいる、ということだな」

 

 自分を始めとして、ユノやクリス、ノアやハオマが荒巻に注目していく。

 

「勝利条件は、騒動終了までにカンキちゃんを守り通すこと。この際、誰が何人死のうが関係ねェ。オレちゃんも含めてな。とにかく、カンキちゃんさえ守り切ることができれば上々、全員で生き残ることができたら万々歳って感じだな。んで、敗北条件は、カンキちゃんの身柄が鳳凰不動産や骸ノ市の連中に渡ること。特に、骸ノ市は今回の騒動に便乗して、紛れ込むようにカンキちゃんを攫いに来る可能性が非常に高い。だから、この場に居ねぇメンツにも、既にこう伝えてあるもんさ。『もしカンキちゃんの下に連中が迫ってきた場合には、差し違える覚悟で彼を守りにいけ』……てな」

 

 この場にいないメンツ。ラミアを始めとした、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に勤めるホステスやボーイのことだろう。

 

「今ここに居ねぇメンバーには、外で色々と準備を進めてもらっている。主に、カンキちゃんの護衛や安全確保、逃走経路の確保や、いざという時の足止めに必要な障害物などなど、可能な限りの仕込みを用意してくれているハズだ。それも、総動員でな。……ただ、ユノちゃんとクリスちゃん、それとレダちゃんにはこれから、銀嶺会の連中と合流してもらう手筈になっている。このお三方には、銀嶺会勢力に加わって一緒に戦ってもらう予定だからな。前提として、この抗争は銀嶺会に勝ってもらわねェとならねぇ。そのために、こちらからも人員を貸し出すことに決めたっつーワケだ。主に、ユノちゃんとクリスちゃんは前線で戦う戦闘員として、レダちゃんは現地の伝令係として奔走してもらう運びになっているな」

 

 つまり、ユノとレダとクリスの三人は、こちらの護衛にあたらない。

 本当にマズい状況の場合に限り、気配に敏感なレダをこちらに寄越してもらう話になっている。それ以外の場合は、非常用の移動手段として車を用意してあるメーと、小型の無線機で交信ができるシュラなどが常時、それぞれ異なる場所で待機という形で護りに就いてくれていた。

 

 皆が配置につき、準備も滞りなく進んだことだろう。そんな彼女らによる最後の仕込みは、敵勢力に悟られぬよう、護衛対象を隠れ家まで運ぶことだった。

 

 車を運転するユノの下へと歩み出していく自分。そうして数歩と進んでいくと、脇に立っていたノアが不安な面持ちでこう言葉を掛けてくれた。

 

「柏島歓喜……っ。ボクも本来であれば、キミのために命を捧げる覚悟で戦いたかった。しかし、ボクは今回、此処で大人しくキミの無事を祈ることしかできない。それこそが、オヤジがボクを此処に預けた所以でもあるからだ」

 

「ノア、気持ちだけでもすごく嬉しいよ。この騒動が落ち着いたら、また同伴で山にでも行こう。今度は遭難しない程度にさ」

 

「あぁ……! 前回はバードウォッチングだったから、次はどうしようか……! キャンプにしようかな。それとも山釣りにしようかな……!」

 

 今からソワソワし始めたノアの頭を撫でて、少女の期待に応えていく。これにノアは嬉しそうに目を瞑りながら手のひらの温もりを感じ取っていく中で、ハオマもこちらへと歩み寄るなり、その言葉を投げ掛けてきた。

 

「カンキくん!」

 

「は、はい!」

 

「今度、私とも同伴しようね! 絶対だよ!」

 

「そ、そうですね! ハオマさんとも是非、お時間を共にしてみたいです!」

 

「そうだよ! その意気だよ! だから、絶対に生き残ろうね……! 私との約束だよ! ウソついたらハリセンボン呑ませるからね!」

 

「っ、それだけは勘弁願いたいですね……!」

 

 ハオマのペースに合わせるよう、ちょっと張り合うように胸を張っていく自分。こちらの反応に、彼女もまたムンッ! と気合いを入れてくると、真面目な様相でキリリッとした表情をハオマは見せてくれたものだった。

 

 店に残る二人との会話を終え、直にもユノから「柏島くん。彼女達との別れは非常に惜しいでしょうけれども、そろそろ目的地に向かわなければならないわ」と言葉を掛けられる。これに自分は頷いて答えていくと、手を振るノアとハオマ、そして佇む荒巻に見送られるように歩き出し、関係者以外立ち入り禁止の扉の先にある裏口から、店の外に出たものであった。

 

 

 

 

 

 龍明の道路を走る白色の車。今もライトを点けながら走行する車をいくらか見かけたが、やはりとも言うべきか数は少なく、大半の人間は避難なり済ませていたことだろう。

 

 ユノが運転するそれの後部座席には、自分とクリスが乗っている。今も縮こまるように座る自分が、内心で「もしかして、既に尾けられているんじゃないか」とおどおどしながら周囲の景色にばかり意識が向いてしまう中で、ルームミラーを見遣るユノからその言葉を掛けられた。

 

「柏島くん、安心してちょうだい。現在、銀嶺会が各地から召集したヤクザを集結させて、鳳凰不動産にけん制を仕掛けている頃合いでしょう。相手方からしても、一切の隙をも見せられない極限の緊張が続いているはず。とても私達にリソースを割ける状況ではないから、彼らの追手を懸念する必要は無いわ」

 

「ですが、骸ノ市が追ってきている可能性もあるかなと……」

 

「それもおそらく、心配しなくてもいいわ。尾行の可能性も無きにしも非ず。しかし、彼らは慎重派である故に、車で追跡するような表沙汰となる行動は基本的にとらないはず。彼らの常套手段は、影が如く這い寄り、音も無く対象を確保する迅速なる人攫い。彼らは、対象に姿を見せることなく拉致を遂行する、闇から伸びる魔の手のような存在。決して表の世界に姿は現さないその性質から、車による追跡というあからさまな手段は講じないでしょうね」

 

「それはそれで怖いんですが……」

 

 なんか、余計に不安になってきた……。

 そんな連中に狙われているという実感が巡ってきたことで、ルームミラーに映る自分の顔色がみるみると真っ青になっていく。これにユノが「車酔いでもしてしまったかしら」と訊ね掛けてくる中で、隣にいたクリスが不敵に笑みながら喋り出してきた。

 

「久しぶりの戦争だね。明日にも多くの穢れた血が龍明に流れ出して、その血を啜った龍明はより血生臭く成長する」

 

 これに対して、ユノは鋭い調子で「何が言いたいの?」と返答を行っていく。そんな彼女の言葉にクリスはフフッと微笑すると、今度は横にいるこちらに向きながらそれを問い掛けてきた。

 

「結末を知る由も無い以上、過剰な期待を抱かせたいわけではないことを留意してもらおうかな。その上で訊いてみたいんだけど、君、この騒動が終わった後に何が食べたかったりする?」

 

「え? 何が食べたい? えーっと……なんだろう」

 

 あまりにも唐突な質問に、普段は即答できそうなそれに思わず頭を悩ませてしまう。

 これに、ユノがルームミラー越しに複雑な心境の視線をクリスへと向けていく。だが、彼はその視線を無視しながら、何を考えているのか分からない不敵な眼差しを、ジッと、こちらへ向け続けてきたものだ。

 

 しばらく考えてみたのだが、結局なにも思い浮かばなかった。

 どう答えよう。いつの間にか、どう返事するかの内容を考え出していた自分が「うーん……」と唸る中で、クリスは顔を覗き込むような前屈みになりながらも、不敵な笑みでそう言葉を口にし始める。

 

「キムチ鍋」

 

「え??」

 

「どう? キムチ鍋とか」

 

「え? え? あ、あぁ……良いと思うよ?」

 

「じゃあ、今度食べに行こうよ」

 

「え?」

 

「僕が一人でキムチ鍋を食べに行く姿とか、思い浮かばないでしょ? 僕もそれは同じでね、一人で外食をするという未来が視えずにいるんだ」

 

「そ、そうなんだ……?」

 

「だから、君の手で僕の現在(いま)と未来を紡いでくれないものかな。ノアやハオマとも遊ぶ約束をして、今から忙しくなる予定が入っているところに申し訳ないけれどさ」

 

「そんなことはないよ……! キムチ鍋だよね? 食べに行こうよ! あぁそうさ、一緒に食べに行こうよ。キムチ鍋」

 

 半ば、流されるままにこのような返答を行った自分。こちらの言葉にクリスはフッと微笑してみせると、その視線をルームミラーへと向けながらユノへと訊ね掛けていく。

 

「ユノ、君は辛い物が好きだったね。なら、どう? 一緒に来る?」

 

「一体何なの? 貴方が食事に誘うだなんて、どういう風の吹き回しなのかしら」

 

「フフッ」

 

 どうやら本気で困惑したのであろうユノ。ルームミラーを通して疑り深い視線を投げ掛けた彼女は、暫し考え込むように思案した後にも、そのような返事を行った。

 

「……いいでしょう。柏島くんを貴方ひとりに任せるには、あまりにも心許ないわ。如何なるお誘いであれ、貴方の私用に柏島くんが巻き込まれるのであるのならば、私もそれに同行せざるを得ない」

 

「決まったね。何なら、オーナーも誘おうか?」

 

 狙いすましたかのようなクリスの眼差し。これに対して、期待通りとも言えるだろうユノのうんざり顔を見た彼は、何もかも思い通りと言わんばかりの不敵な微笑みを浮かべてくる。

 

 尤も、クリスの提案にユノは表情を渋らせながらも、「好きにしてちょうだい。貴方が提案したプランであるからには、提案者である貴方の意向に従うまでのことよ」と答えてみせたものだ。

 

 ユノの返答に、どこか満足そうな顔で不敵に微笑したクリス。その視線は次にもこちらへ投げ掛けられ、その深紅の眼差しと共に彼はこの言葉を口にしてきたのであった。

 

「とても不安になっちゃう出来事や言葉があまりにも多くって、カタギの君はそれだけでも気疲れしちゃうよね。でも、何度も死の淵に立ってみた身からすればさ、このくらいのピンチなら案外どうにかなるもんだったりするんだよ。そんな僕から、実に僕らしくない言葉を今から君に送ってみようかな。……『希望を忘れずに』。なんかヤバいなぁって思ったらさ、“キムチ鍋”を思い出してみてね。僕との約束だよ」

 

 

 

 

 

 場所は道路からその脇道に移り、照明も点かない暗がりの路地をユノの車が進んでいく。その間にも、隣のクリスが拳銃に弾を詰め始めていたことから、自分は全身の神経を周辺へ送り出すようにして、外界にある気配を探り出したりしていた。

 

 どこかに追手が隠れているかもしれない。そんな不安がずっと胸にぐるぐる巡り続けていたからか、知らずの内にも気疲れを起こしてヘトヘトになってしまう。

 

 もう……色々とキツいよ……。

 内心で弱気な言葉が反響する。それが姿勢となって表れるように、次第にもうずくまるよう丸まってしまった自分が、懐の暗闇に頭を埋めるよう暫し沈黙していた時のことだった。

 

 不意にも、運転するユノから「柏島くん、目的地が見えてきたわよ」と声を掛けられた。彼女の言葉にガバッと起きた自分が、目を凝らすように真っ直ぐ見遣っていくと……。

 

 路地一帯に広がる、廃墟になったビルの群れ。ひと気どころか生命の気配すらもうかがえないこの光景は、例えるならば『荒廃した建築物のジャングル』とでも言えただろうか。

 

 道端に、倒れた鉄柱なんかも見受けられる無法地帯。だいぶ前から人間は撤退したのだろうその空間において、こちらの車へと手を振る一人の可憐な女の子が存在していた。

 

 地雷風コーデを身に纏った、私服姿のラミアだった。

 被っている猫耳キャスケットを見ると、なんだかすごく安心してしまえる。そんないたいけな風貌とは裏腹に肝が据わっているラミアを見つけてからは、ユノは彼女の近くに車を停めて、ラミアと合流するようこちらに伝えてくる。

 

 これに従って自分は車を降りていくと、すぐにもラミアの下へと駆け寄ってから、運転席のユノへと感謝の言葉を掛けていった。

 

「ユノさん! ありがとうございました……! ユノさんもクリスも、どうかお気を付けて……!」

 

「ありがとう、柏島くん。運命が私達を見放していないようであるのならば、また後日、引力によって引き合わされるかのような自然な再会を果たすといたしましょう。……ラミア、柏島くんのことを頼んだわよ」

 

 ユノ節から一転として、真剣な声音でラミアへと言葉を掛けるユノ。これにラミアは適当な調子で「まー、できる限りはやってみますよー」と返答したことで、ユノは微笑しながらも頷いてから、車を走らせて即座にこの場から去っていった。

 

 ……廃墟のビルから通り抜けてくる、もの寂しげな風の音。魂が抜けていくかのような感覚さえ覚える悲しき物音と共にして、ラミアは真後ろにあったオンボロのビルへと歩き出しながらそれを伝えてくる。

 

「そーいうワケですから、アチラの四階くらいのトコにあるお部屋が、今日からしばらくの間お世話になる拠点です。先に言っておきますけど、贅沢なんてできるワケがないので過度な期待はしないようにお願いします」

 

「もう、命が保障されるならどんなに質素な生活でも耐えられるよ……」

 

 寂れた土地をラミアと共に歩き進めて、金属の臭いがギンギンに鼻をつんざく外階段を上ってから扉を開いていく。そうしてオープンドアした視界の先では、事務所として使われていたのだろう横に広い空間がこちらを迎え入れてきた。

 

 置かれた事務机の並びなどが、廃れる以前の仕事風景を思い起こさせる。それがそのまま取り残された寂しげな景色を脇にして、壁よりの一角に設置された真新しめな簡易ベッドの存在が、とにかく周囲から浮いていたものだ。

 

 枕元に置かれた、大量の缶詰の山。水分の入ったペットボトルも置かれている他、小さな冷蔵庫も用意されていたことから最低限の居住はできそうだった。

 

 コンセントが使われていることから、電気は使えるのだろう。そう思いながら眺めている最中にも、ラミアからは適当な調子で簡単に説明されていく。

 

「まず、電気自体は通るようになっていますけど、基本的に照明は使用しませんのでそのつもりでいてください。避難勧告が出されている中で、こんな廃墟に新しく人が住み始めただなんて、ほぼ居場所をバラすようなモノですからね。で、食料は二人分で合わせて二週間分ほどあります。ですけど、抗争がいつまで長引くか見当もつきませんし、物資の補給で駆け付けたメーさんが尾けられてしまっても終わりですから、その辺のリスクを負わないためにも物資の補給は無し。一日一食を覚悟してイマある分を召し上がるコトとなります。貴重なお食事ですから、ちゃんと味わってくださいよ??」

 

「あぁ、分かった……」

 

 ラミアの説明を聞きながらも、もう既に限界を迎えていた身体が簡易ベッドを欲しがってそちらへ直行する。そしてギシッと音を立てながらも、敷かれていたシーツに癒しを感じていくと、ラミアもまた狭い簡易ベッドに乗り掛かり、こちらを押し退けるようにしながら寝転がってきた。

 

 す、少しでも動いたら落ちてしまう……。

 余裕の無さに、思わず振り向いた自分。すると、その先にはゼロ距離のラミアの顔が視界いっぱいに映し出されたため、自分はちょっとだけドキッとしながら、つい見惚れてしまうような視線で彼女を見遣ってしまう。

 

 で、そんな幼げな眼差しで、しかし大人びた風貌でこちらを見つめるラミアは、こちらの様子に一瞬だけ呆れたような表情を見せながらも、いつもの調子でそう喋り出してきたものだ。

 

「ウチも一緒にココで寝ますから、狭いのはご愛敬というコトでお願いします。我慢してくださいねー。コレも生き残るためですから」

 

「あ、あぁ。いや、別に嫌じゃないから全然平気だよ」

 

「まー、カンキさんならそーでしょうねー。と言いますか、そーでないと困りますよ。ウチと一緒に寝るコトに慣れておいて良かったですねー。その時は大体お互いに裸だったりしますけど、まー、コレはコレでワルくはないシチュエーションです」

 

「あぁ、だね。……ラミアが一緒に居てくれて、本当に良かった。ラミアが居てくれると、とにかく心強くてさ……なんだか急に眠くなってきた……」

 

 不意に訪れた極度の眠気。余分な広さがいつもと異なる感覚をもたらすのだが、くっ付いてきたラミアの温もりを感じてからは、周囲の環境なんて心底どうでもよくなってきた。

 

 適当かつ淡々とした彼女に、至って自然な流れでぎゅっと抱き締められていく。そして今も眠りに落ちようとするこちらの意識へと、耳から流し込むようにして、ラミアはそれを囁いてみせたのだ。

 

「まだ抗争は始まっていませんし、今日はもう安心してさっさと寝ちゃいましょー。明日からが本番ではありますけど、カンキさんは基本的に、ウチと一緒にココに引きこもっているだけでイイんです。……カンキさんのコトですから、それでも色々と考えちゃうのかもしれませんけど、その不安はウチができる範囲で払拭してみますから。まー、無事に銀嶺会勝利で終わるよう、お祈りしながら二人で生き永らえましょ」

 

「あぁ……そうだね……。ほんとうに……そのとおりだ…………」

 

 ラミアの声が心地良い。

 一番長く一緒にいるホステスだから、だろうか。ラミアという存在がとても心強く思えてきて、それからは包み込まれるような優しさに甘えるよう、自分はあっという間に眠りについてしまう。

 

 こうして自分は、寄り添うラミアと共に最初の一日目を隠れ家で過ごしていく。だが、翌日にも自分らは、遠くで響き渡ったダイナマイトの爆発音で目を覚ましたものであった。

 

 

 

 

 

 開戦を告げる轟音。この瞬間にも、龍明の市街地において『第二次龍明抗争』が開始された。

 

 銀嶺会と鳳凰不動産による、長きに渡る因縁の衝突。人間同士による血みどろな縄張り争いは街全体を巻き込み、築き上げてきた文化や建物を瞬く間に塵へと変える。

 

 警察ですら介入できない、大規模な勢力同士のぶつかり合い。方や不動産の名前すら隠した、世間的には無名である実質的な暴力団が今、銀嶺会という最強のヤクザ組織と戦争をおっぱじめたのだ。

 

 

 

 ……遠方の戦闘音が、わずかながらに聞こえてくる。

 絶えず響いてくるそれらは振動となり、今いる建物の床や壁を小刻みに揺すってくる。これに怯えるようベッドの上で丸くなるこちらの様子に、ラミアは落ち着かせるように寄り添い、背をさすってくれたり、「大丈夫ですよー」と言葉を掛けたりしてくれていた。

 

 来る日も来る日も缶詰の食事を行い、電気の無い暗がりの中で、ラミアと二人きりで過ごしていく。その間も彼女とは他愛ない会話を交わし、時には慰められ、共に眠りにつく日々を送っていた。

 

 風呂に入れない分、ボディシートでお互いの身体を拭き合ったりもした。その流れでラミアとは“行為”に至ったりもして、彼女はこちらの恐怖心を取り払う努力を、徹底的に施してくれたものでもあった。

 

 そんな日々を過ごすこと、一週間が経過した頃だろうか。

 血筋による運命(さだめ)が決められている以上、それに抗うことは敵わず。不安を抱きつつも抗争の終息を切に願うこちらの下には今も、不穏とされる存在達が気配を殺しながら迫っていた。




【注意書き】

 第70話~第71話において、暴力的な表現が含まれる描写を行う予定です。

 極力オブラートに包むものの、中にはゴアな表現であったり、ヒロイン達に対する物理的または性的な暴力の描写も含まれるかと思います。

 そのため、『人体欠損といった刺激の強い描写が苦手』な方や、『ヒロイン達の可哀想な姿を見たくない』という方は、第72話までお話を飛ばしていただけますと幸いです。


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第70話 Seconde conflit Ryumei 《第二次龍明抗争 前編》

【注意書き】

 第70話~第71話において、暴力的な表現が含まれる描写を行う予定です。

 極力オブラートに包むものの、中にはゴアな表現であったり、ヒロイン達に対する物理的または性的な暴力の描写も含まれるかと思います。

 そのため、『人体欠損といった刺激の強い描写が苦手』な方や、『ヒロイン達の可哀想な姿を見たくない』という方は、第72話までお話を飛ばしていただけますと幸いです。


 曇り空が不穏である昼の時刻。寂れた廃墟の中において自分は、ラミアと共にする時間を噛みしめるように日々を過ごしていた。

 

 第二次龍明抗争が開戦し、ここ数日は昼夜問わずに銃声や爆発音が聞こえ続けている。たまに混じる男性の絶叫が一層もの生々しさを知らしめてくるのだが、その度にラミアがベッドにいるこちらに寄り添ってくれては、適当な調子で「ウチがついてますから、大丈夫ですからねー」と落ち着けてくれたものでもあった。

 

 可憐ながらも度胸がある彼女に支えられることで、自分は今も何とか正気を保つことができている。そうしてこちらの不安を取り払ってくれるラミアに日頃から感謝し、彼女と一緒にいられるこのひと時を心から大事にするように、自分はラミアの言葉に頷きながら、その小さな身体を抱き寄せた。

 

 ……彼女の声が、彼女の温もりが、彼女の存在が、現状における唯一の癒しだ。

 抱き寄せられたラミアは、抵抗することなくこの懐に収まっていく。それから彼女は身を寄せるように頭をこちらの肩に乗せてくると、そこにじっと留まりながら、この不安に寄り添うよう穏やかに言葉を口にしてきた。

 

「大丈夫ですよ。また、今までのような日常が戻ってきますから」

 

「でも……ここまで聞こえてくるほどの戦争をしているんだ……。こんな派手な戦いをされたら、街も、人も、絶対に無事では済まされないよ……」

 

「まー、まず無傷で終わるだなんて思いもしませんけどね。ただ、ウチらに関しましてでしたら、皆さんはなんやかんやあってLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に辿り着くことができた、云わば選ばれしヒト達ですからねー。この悪運こそが、ウチらの一番の長所だったりもします。だから大丈夫ですよ、カンキさん。また皆さんとお会いできますよ」

 

「そう、だといいな……。そうであってほしい……。一人でも欠けてほしくなんかない……誰も、いなくならないでほしい……」

 

 ラミア、メー、ユノ、レダ、ミネ、シュラ、ノア。クリス、荒巻、ハオマ。

 これまで一緒に過ごしてきた、ホステス達を始めとするLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の仲間達。皆が裏社会で生きる、決して褒められた存在ではないことを認識した上で、いつからか自分は、そんな皆のことをかけがえのない人達として、心から大切に思っていたらしい。

 

 誰も消えてほしくなんかない。

 降り掛かる不幸に怯え、頭を抱えるようにしてふさぎ込んでしまう。この様子にラミアは背中をさする形で気持ちをなだめようとしてくれるのだが、次の時にもラミアの右耳に着いていたイヤホン型の無線機から、機械混じりのシュラの声が響いてきたのだ。

 

『紫のネーチャン、そこにおるか?』

 

「はい、どーかしました??」

 

『覚悟を決める時が来たで。“骸ノ市と思しき連中”のお出ましや』

 

 自分も同じ無線機を右耳に着けていたことから、シュラの同じ言葉が耳に入ってきた。

 共にしてラミアはため息をつきながら立ち上がっていくと、平然としたサマで「分かりました。引き続き、メーさんのバックアップもお願いします」とシュラに伝えてから、ラミアはこちらへと振り向きつつその言葉を続けてくる。

 

「周辺の監視カメラで見張っていたシュラさんからの通達です。どーやら、ウチらの隠れ家がバレたみたいですね」

 

「ヤバいな……っ。早く逃げよう……!! この部屋に、裏口へ続く隠し階段があるんだよね……!? なら早く行こう、ラミア……っ」

 

 もう、今にも泣き出しそうな程に極限な気持ちとなった自分。この訴えと共にラミアの身体を揺すっていくのだが、彼女は一歩も動かないどころか、真剣な面持ちでこちらと真っ直ぐ向かい合いながら、非常に落ち着いた声音でそれを伝えてきたのだ。

 

「ウチとはココまでです。ウチはコチラで骸ノ市の連中を引き留めますので、その隙にカンキさんは裏口の階段で一階まで下りて、すぐ到着すると思われるメーさんの車に乗って逃げてください」

 

「でも、それじゃあラミアがっ……」

 

「イイんですよ。この時のための、ウチなんですから」

 

 そう言って、ラミアはこちらの身体をゆっくり押し出してきた。

 

 優しくも、突き放されたそれを受けて、自分は説得しようと言葉を言い掛ける。だが、それでもなお真っ直ぐ見つめてくるラミアの覚悟を前にして、自分はその眼差しに納得させられながらも、恐る恐ると彼女へそれを訊ね掛けていった。

 

「…………ラミア。生きて帰ってくる……よね?」

 

「善処はしてみます。ですけど、元々ウチらのようなニンゲンはロクな死に方しないので、あまり期待はしないでください」

 

「なら、一緒に逃げようっ……」

 

「イイから、早く行ってください。カンキさんが捕まったら、ソレこそウチらの最期なんですから。だから、お願いします。Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の皆さんのためにも」

 

「っ…………」

 

 こんなにもやるせない別れになるなんて、思いもしなかった。

 

 時間が無い。巡ってきた焦燥に、自分はラミアを置いて駆け出していく。そうして部屋の隅にあった、壁に擬態した隠し扉を押して開いていくと、最後にラミアへと振り向いて、彼女の顔を確認していった。

 

 こちらと向かい合い、微笑しながら無言で頷いてみせたラミア。送り出す視線に自分は悲しみのあまりに涙を溜めながらも、感情を振り切るように扉を閉めてから、音を立てないよう慎重な足取りで閉鎖的な内階段を下り始めていった。

 

 

 

 

 

 内階段を下り切って、脇の扉を開いて外に出ていく。

 今までいた建物の裏側。振り返って数十歩の地点に道路があり、自分はそちらへ駆け出した。

 

 すると、タイミングを見計らうように一台の白い車が目の前で停車してきたのだ。

 開かれた車の窓。奥には、運転席に座るメーが「早く乗って!」とこちらを急かしてくる。その言葉のままに自分は助手席に乗り込んでいくと、メーはアクセルを踏み込んで即座に走り出したものだった。

 

 シートベルトを着けながら、自分はメーへとそれを訊ね掛けてしまう。

 

「メー……! ラミアは、ラミアはどうすればいい……!?」

 

 こちらの問い掛けに、メーは苦悶に等しい表情を浮かべながらそう答えてくる。

 

「ごめん、カンキ君……。私にはとても答えられない。私もカンキ君と同じ気持ちだけど、今は自分が捕まらないことを最優先に考えて……」

 

「でも……」

 

「いいから。お願い。ラミアのことは後。抗争が終わり次第、ユノさんと話し合うから……っ」

 

 喋る最中にも、涙ぐんだメー。彼女の返答に自分は絶望するよう俯くその中で、周囲の景色は次第にも見慣れた街中へと移り変わっていった。

 

 走行する車を滅多に見かけない、恐ろしいほどに静まり返った龍明の市街地。まるで荒廃したかのような静けさに不気味な印象を抱きながらも、自分は後ろを走る数台の車に意識が向いていく。

 

 同じくして、サイドミラーを確認したメー。そしてほぼ同時のタイミングで、自分とメーが装着していた無線機からシュラの声が響き渡ってくる。

 

『運び屋のネーチャンの車、確認したで。既に尾けられとるみたいやな』

 

「あの車って、鳳凰不動産? 骸ノ市?」

 

『車だけやと判断つかへんわ。せやけど、高画質のカメラで一瞬だけ捉えた運転手の服装が、なんや、タンクトップ? のような身軽なモン身に着けとったような気もするで』

 

「だったら、骸ノ市かなぁ。鳳凰不動産は一応スーツとか身に着けて活動しているし、骸ノ市のあいつらは清潔感なんて気にしない輩ばかりだから」

 

『せやけど、連中は姿無き人攫いやろ? そないな連中が、車っちゅう姿丸見えな手段で来るんかいな』

 

「それだけ、向こうもなりふり構ってらんないってことじゃないの?」

 

『どないする? 後ろの連中スピード上げてきとるで』

 

「なら、振り切るまででしょ!」

 

 交差点に差し掛かった道。それを見据えたメーがギアに左手を置いていくと、次にも大声でこちらへと警告を促してきたのだ。

 

「カンキ君ッ!! 掴まってて!!」

 

「え!? どこに!?」

 

「どっかに!!!」

 

 交差点に進入したその瞬間だった。ギアを操作したメーは思い切りハンドルを切ったことで、彼女はまるで映画のワンシーンのようなドリフトを披露し始めたのだ。

 

 タイヤが擦れる甲高い音が響き渡り、U字を描いた軌跡に火花が散っていく。その間もメーは手慣れたハンドル捌きで交差点を曲がっていくと、反対車線に入るなりハンドルを手早く戻し、通常の運転へと切り替わると同時にしてアクセル全開で直線を爆走し始めた。

 

 車内のエンジンが悲鳴を上げるほどの全速力。急加速したメーの車は、反対車線にいる数台の車を一気に振り切っていく。

 

 身体がシートに押し付けられるほどの猛スピード。フルスロットル全開なメーの走りは瞬く間に後方の車を置き去りにするのだが、直ぐにも向かい側から逆走してくる三台ほどの黒い車が、メーの車めがけて突っ込んでくる景色がうかがえたものだ。

 

 それに対しても、メーはすかさずハンドルを切ることでドリフトを伴った左折を行っていく。この、慣性を置き去りにするような猛スピードのそれに自分の身体が持っていかれる中で、メーはその先にあるいくつもの曲がり角においても、荒々しくも正確なドリフトで曲がりながら、後方の追手を振り切るようジグザグに走行し始めたのだ。

 

 見慣れた龍明の道路を、無法な程に爆走している。

 他の車がいないからこそのドライビングテクニックだ。しかし、それだけこちらの居場所もバレやすく、いくら後方の車を振り切っても、次から次へと異なる車がこちらを追い掛けてくる。

 

 キリがない。そう判断したのだろうメーはハンドルを極限まで切り、ドリフトによる左折を終えながらも決死な声音でそれを口にし始めた。

 

「カンキ君ッ!! この道をもう一回左に曲がって、その後にもう一回右に曲がって狭い路地裏の中に入るから、そうしたらカンキ君はこの車をすぐ降りてもらえるかな!!」

 

「え?! 車を降りる……ッ?!」

 

「大丈夫だから!! これでもLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)にだいぶ近いところまで来てるから、後は自分の足で店に向かって!!!」

 

「でも、メーは!? メーはどうするんだ!?」

 

「私は囮になる! 連中はカンキ君がこの車に乗り続けていると思うだろうから、そのまま後ろのしつこい奴らを連れてなるべく遠ざける!!!」

 

 でも、それだとメーまで危険な目に遭うんじゃ……!?

 そう言葉を口にしようとした時にも、メーはそれを遮るかのように「喋らないで!! 舌噛むから!!」と忠告してくる。その瞬間にも豪快なドリフトで左折し、すぐに右折することで建物と建物の隙間である細い路地裏へと進入してから、その場で急ブレーキをかけつつこちらへ振り向いてきた。

 

「行って!!! 早く!!」

 

「メー……!!」

 

「お願い早く!!!」

 

 早くしないと追い付かれる。そんなメーの切羽詰まった声に急かされるまま、自分は考える暇さえも与えられずに車から追い出された。

 

 扉を閉めて、窓が開いたその隙間から彼女と向かい合っていく。そうしてメーと目が合っていくと、次にも彼女は繕ったようなとびっきりの笑顔を浮かべながら、空元気が混じったとても勝気な声音でその言葉を告げてきたのだ。

 

「カンキ君!! 楽しかったよ!!! この世でもあの世でも、私達はズッ友だから!!! ……じゃあね!! 元気でいなよ!!」

 

 口早に済ませた、別れの言葉。こちらの返答を聞くまでもなくアクセルを踏み込んだメーは、タイヤが空回りする音と共にして颯爽と走り出してしまった。

 

 すぐに右折して、車道に合流したであろう音。そこからドリフトを織り交ぜた爆音を立てて走り去った直後にも、猛スピードで道路を走り抜ける数台の車の音が、メーを追うように真っ直ぐ突っ切ったものだった。

 

 ……ラミアに続いて、メーとも別れてしまった。

 短時間に失った二人の存在。これに込み上げてきた激しい悲しみで歯を食いしばるこちらへと、シュラが無線機でそう言葉を掛けてくる。

 

『ニーチャン……気持ちはよぉ分かるけど、今は立ち止まっとる場合やないで。Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)までウチが案内したるから、はよ他のみんなと合流せなニーチャンがキケンや』

 

「っ…………分かってる、分かってはいるんだ……」

 

『紫のネーチャンも、運び屋のネーチャンも、覚悟の上でニーチャンをここまで送り届けてくれたんや。そないなネーチャンらの覚悟を無駄にせんよう、今は前に進む他あらへん。……ネーチャンらの覚悟があってこその、今のニーチャンや。せめて今だけでも、二人の気持ちに応えたってな』

 

「あぁ……っ、そうだ……っ。ラミア、メー…………っ!」

 

 涙を拭い、重い足取りで振り返ってからその一歩を踏み出していく。そうして路地裏の更に細い道を辿り、シュラの案内でひと目のつかないその道を進んでいくこと十分くらい経過した頃だろうか。

 

 縦長に伸びた外の光。それに飛び込むよう急ぎで道を抜けていくと、次にも自分は非常に馴染みのある店前の道路に出ることができた。

 

 歩き慣れた光景だ。内心で思うと同時にして、周囲を見渡していく。そして直ぐ見つかったLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の看板を目にしてからというもの、自分はすかさず駆け出してその階段を下り、見慣れた扉を全力で開いて“安息の地”へと帰ってきた。

 

 ……はずだった。

 

 

 

 

 

 外界の光が店内に射し、その瞬間にも照らされた足元の物体に意識が向いていく。

 

 見知らぬ男性。スーツ姿で仰向けに倒れるそれを見てからというもの、視界に広がった想像を絶する光景を目の当たりにした。

 

 エントランス中に転がる、大量の男性達。ほとんどがスーツを身に纏い、気を失う程度の様相で力無く倒れ込んでいたものだ。

 

 それらに紛れるよう、床に両手をついて息を荒げていた勝負服のミネ。更に奥では、受付カウンターに腰を掛けて一服している荒巻の様子がうかがえた。

 

 射した光に、二人が振り向いてくる。直後にもミネは喜びに満ちた明るい表情を見せて、感極まった声音で「カッシー!!!」と叫びながら駆け寄ってきた。

 

 倒れる障害物を飛び越えながら、勢いのままに抱き付いてくる。これを受けて自分はその場で横に一回転しながら少女を抱き留めていき、再会の喜びを分かち合う抱擁を交わしたものだ。

 

 そんなこちらの様子を、静かに眺めていく荒巻。サングラス越しの視線を受けながらも、自分はミネと一緒に歩き出しては荒巻へと言葉を投げ掛けていった。

 

「オーナー! これは一体……」

 

「よーぅ、カンキちゃん。まずはご苦労さん。よくここまで無事に戻ってこられたな」

 

「これも全て……ラミアとメーとシュラのおかげです」

 

「シュラちゃんから、粗方の成り行きは聞いているぜ。色々と思うトコがあるだろうが、今はオマエさんの身柄が最優先だ。すぐに割り切れはしねェだろうけどよ、この抗争が終わるまでは自分を優先に物事を考えて行動してくれや」

 

 普段よりも静かな調子で喋る荒巻。吸っていたタバコをカウンターの灰皿へ移していくと、次にも彼は「よっ」と足をつき、カウンターに乗せていた二つの武器を手にして歩き出してきた。

 

 両手に装着する、トンファーという打撃武器。白色のそれを手に持って、T字型の持ち手で器用にクルクルと回しながら荒巻はこちらへ歩み寄ってくる。そうして彼とも再会を分かち合うハグでもするのかなと待っていると、直にも彼はこちらの真横を通り過ぎては、慣れた様子でトンファーを回しつつも、ミネに対してそれを告げてきたものだ。

 

「ミネちゃん。オマエさんはカンキちゃんについてやってくれ。オレちゃんの部屋にある“秘密の隠し通路”は覚えているな?」

 

「え? 覚えてるけど……」

 

「なら上出来よ。……ここで突っ立っている場合じゃねェぞ。既に“次の来店客”がお出ましだ」

 

 荒巻の言葉と共にして、店の扉が開かれた。

 ……外の光を背に、ぞろぞろと数を連れて歩いてきた何十名もの男性達。ほとんどがスーツ姿を身に纏うその光景に、自分は彼らを“鳳凰不動産”の人間であることを認識する。

 

 皆がナイフやバット、刀といった武器を所持していた。これに血の気が引いていく思いをよぎらせていく中で、ミネは持参していたのだろう足元の金属バットを拾い上げながら身構えていく。

 

「も、もう次のが来たの!? ペース早いって……っ!!」

 

 既にヘトヘトであるミネが、疲れを滲ませた表情で呆れながら喋っていく。だが、そんな少女を荒巻は左腕で静止していくと、ミネに構えを解かせながらそれを口にしてきたのだ。

 

「シュラちゃんから連絡があったのよ。連中の反応からして、おそらくカンキちゃんの行方が知れ渡っているらしいってな。そんなモンで、カンキちゃん捕獲隊が大量に動員されて、その連中が既に裏口にも回ってカンキちゃんを出待ちしていやがる。つまり、オレちゃん達は鳳凰不動産に包囲されちまったってコトなんよな」

 

「それって……今までで一番ヤバい状況じゃない……!? 確かにオーナー意外と強くてビックリしたけど……だからってこの人数、アタシ達だけで何とかなるの……?」

 

「だから、ミネちゃん。オマエさんはカンキちゃんを連れて、オレちゃんの部屋にある秘密の隠し通路からここを脱出するのさ」

 

「でも、それだとオーナーがっ……」

 

 トンファーを装備した荒巻が、ゆっくりとこちらへ振り返ってくる。

 ……サングラスの隙間から覗いた、深海のように落ち着いた深い青色の瞳。力強い輝きを放つそれと、ハッキリとした勇ましい目つきで彼はこちらを見遣りつつ、ニッと陽気に笑みながら言葉を続けてきたものだ。

 

「これぐれェの喧嘩、柏島さんと駆け巡った修羅場と比べりゃァ甘っちょろいモンだぜ。これでも腕が鈍っちまっている方なんだけどよ、あれぐれェのゴミ掃除ならオレ一人でも十分だろうさ」

 

「ほ、ホントにイイの? それなら、カッシー連れていくけど……」

 

「おう、任せとけ。その代わりに、菜子。オレがコッチで頑張る分、オマエにも柏島さんの息子のために命張ってもらうぜ」

 

「……うん、分かった。アタシ、カッシーを守るから!」

 

「おう、その意気だ! ……ソイツはな、オレの第二の心臓のようなモンなんだよ。ソイツを今、オマエに託したぜ。ヒイロちゃんの妹さん」

 

 瞬間にも、振りかぶられていた相手の刀。空気を読むことなく接近していたその人物は、一切の躊躇いもなくその鋭利な陰りを荒巻へと振り下ろしていったものだ。

 

 だが、次にも自分は荒巻の真髄を見せつけられた。

 こちらに視線を向けたままの荒巻が、身に着けたトンファーで死角からの刀攻撃を防いでいく。それから刃の甲高い振動が音となって響き渡ると同時にして、荒巻は巧みに扱うトンファーで相手の刀を弾き、それから隙を晒した頭部に二発ほどの殴打を食らわせた後に、急所である喉元をトンファーの先端で突くことで、瞬く間に相手を倒してしまったのだ。

 

 泡を吹いて倒れ込む男性。白目を剥いて敢え無く転がるそれに目もくれないまま、荒巻は敵が群がる店の入り口へと歩み出していく。

 

 外界の光で陰りとなった黒き集団。次々と横並びになっていくそれらの光景を他所にして、ミネはこちらの手を引っ張りながらそれを伝えてきた。

 

「カッシー! こっち! オーナーの部屋に行くよ!」

 

「あ、あぁ……!」

 

 ミネに引っ張られる形で、関係者以外立ち入り禁止の扉へと向かい始めた自分。その間も背後では荒巻の戦闘音が響いてきたことから、最後にもトンファーで攻防一体の戦いを繰り広げる彼の姿を見送るようにして、自分はミネと共に照明の無い専用通路を駆け抜けていったのだ。

 

 

 

 

 

 不気味なほどに静まり返った一本道を辿り、その先にある突き当たりを左に曲がって両開きの扉を開けていく。

 

 開かれた扉の先。落ち着いた赤色の絨毯が視界に入ってくると、次には焦げ茶色の壁と、それに沿うよう設置された大量の本棚という空間に自分は迎え入れられる。

 部屋の奥の事務机に、中央の長テーブル。ミネの面接以来となる久々の部屋に懐かしさを抱きながらも、その立ち並ぶ本棚の一つへと駆け寄るミネへとついていって、自分は少女の様子をうかがっていく。

 

 本棚を力いっぱいに引っ張り出したミネ。そうして後ろの壁が見えてくる程度に本棚を退けていくと、その壁にあった凹みのようなものへと少女は手を掛けていき、横へスライドするように力を加えていく。

 

 すると、次にもその壁はガチャンッと音を立てるなり、脇の壁へと収納されるよう部分的に横へ開き出したのだ。

 

 ちょうどこちらの身長くらいの高さである穴。奥へと続く暗がりに自分は「これが、秘密の隠し通路……」と呟いていく中で、ミネは「いこ! カッシー!」と声を掛けながらそちらへと駆け出したものだ。

 

 言われるまま、ミネの後をついていく。

 地下防空壕のような通路だ。そんな印象を受ける直線の道を走り続けること五分くらいして、結構な距離は稼げたであろうその終点とも呼べるハシゴが目の前に現れた。

 

 それを上っていくミネについていく形で、自分もハシゴを上り始めていく。そこで突き当たった天井をミネはノックしていくと、直にも頭上では何かが押し退けられる音が響き出し、次にそこが蓋のようにパカッと開いてから、地上で待機していたのだろうレダが手を差し伸べてきたのだ。

 

 いつの間にか合流を果たしていた彼女。それでいて、本当にマズい状況に限り寄越される予定だったレダの姿により、自分は本気で窮地に立たされていることを認識させられる。

 

 すぐにも、地上に出たミネの次にレダが「カンキ君!!」と呼び掛けながら手を差し伸べてきた。

 彼女の手を取り、地上に引き上げられる自分。そこは裏路地とも言える人目の無い空間であり、押し退けたのだろうゴミ箱が脇にある様子の中、レダがこちらの手を引きながらそう喋り出してきたものだ。

 

「すぐに追手が来るから!! わたしと一緒に行くわよ!!」

 

「あぁ、分かった……! でも、どこへ逃げればいいんだ……!?」

 

 訊ね掛ける最中にも、既に駆け出していたレダ。それに引っ張られる自分と、金属バットを携えたミネがついていく形で路地裏を駆け巡っていく。

 

 途中にも、そう遠くない場所から足音のようなものが聞こえてきていた。

 きっと、鳳凰不動産か。いや、骸ノ市という可能性もある。どちらにせよ極限の状況にまで追い詰められた立場に戦慄するこちらへと、レダはそう言葉を返してきた。

 

「これから、銀嶺会の拠点に向かう! そこもいつ襲撃されるか分からない危険な場所だけれども、もう、そこ以上に安全な場所が無くなっちゃったから、銀嶺会で匿ってもらう運びになったのよ!」

 

 レダが説明する最中にも、脇道から突如と飛び掛かってきたスーツ姿の男。それがこちら目掛けて両手を伸ばしてくるのだが、掴みかかるという瞬間にも彼の顔面には金属バットがぶち込まれた。

 

 頭蓋骨ごと振り抜く、非常に生々しい鈍い音。共にしてミネが立ち塞がっていくのだが、その少女の先には十数名ものスーツ姿の男達が存在しており、狭い路地裏の空間で、我先にと押し退けるようにミネへと襲い掛かってきたのだ。

 

 振り向くことのないレダに手を引かれながらも、自分は思わず「ミネッ!!!」と叫んでしまう。だが、少女はこちらに目もくれないで「先に行って!!」と返答し、直後にもなだれ込んできた男達の手を凌ぐよう金属バットで応戦し始めた。

 

 一人、また一人と減っていくホステス達。今まで時間を共にしてきた彼女達が消えゆく光景に、自分は喪失と後悔の念に苛まれる。

 しかし、今も全速力で駆け抜けるレダがそれを許さなかった。彼女もまた噛みしめるような力んだ調子で、必死な声音で喋り出してくる。

 

「振り向いちゃだめ……! カンキ君、あなただけは生き残らないとだめなの……!」

 

「でも……っ! みんなを犠牲にして生き残った俺なんかの命に……ッ!! こんなにしてまで守られるに等しい価値なんて本当にあるのか……っ?!」

 

「わたし達、穢れた罪人の命は……! あなたの命の重みに匹敵すらしないのよ……ッ!!! あなたという存在は、柏島さんが遺してくれた希望なの……! あなたには、わたし達の命を乗り越えてまで生き延びてもらわないといけない……! そうじゃなきゃ……あの人が命を張ってまで取り戻した日常が……! あの人が、本当に守ろうとした……大切な大切な、心から大事に想っていた息子さんの人生が……失われてしまう……っ!!」

 

「結局それも、俺が親父と血が繋がっているからってだけの理由だろ……ッ!!! だったら……だったら……! 賢明に生きているみんなの命の方が大切だろ……!!! ……頼む。レダ……レダだけでも俺と一緒に生き残ってくれ……! 俺と一緒に、最後まで来てほしいんだ……! お願い、レダ。頼むよ……っ!!!」

 

 悲愴のあまりに、レダに強く当たってしまった。

 どうしようもない悲しみが胸に溢れ出してくる。この感情は爆発するように彼女へと訴え掛けるのだが、その間にもレダはアウターのポケットから防犯用のネットランチャーを取り出し、次にも押し殺すような低い声音で、言い聞かせるようにそれを伝えてきたのだ。

 

「ッ…………。カンキ君、前を見てちょうだい。もう三分ほど走った先に、はみ出るようにダストボックスが置かれた左へ続く道が見えてくるはず。そのゴミ箱を退けて、下にある蓋を開いて中のハシゴを下りていってほしいの。そこは下水道に繋がっていて、それを道なりに進んでいけば銀嶺会の拠点すぐ近くの場所に出ることができるわ……」

 

「近道か……! なら、一緒に入ろう! レダも一緒に……!!」

 

「カンキ君、それは約束できないわ……」

 

「え……?」

 

 ネットランチャーを握りしめるレダ。彼女の返答に力の抜けた声を出していくこちらを他所に、レダは耳に着けた無線機でシュラとそのようなやり取りを交わし始めた。

 

「監視カメラの方はどうなっているかしら!?」

 

『やっぱアカンわ。この道のカメラはほとんど壊されとる……! 死角からやられたんか? やけど、ウチの目があるのに、どうやってバレずに壊せたんや……!?』

 

「骸ノ市にかかれば、監視カメラを探り当てるところから、姿も映らずにカメラを処理することも容易いんでしょうね」

 

『現地におる闇医者のネーチャン的には、周囲は今どう映っとるんや!?』

 

「映るっていうか、飽くまで気配による感覚に過ぎないけど。既にわたし達は大勢に囲われているわね。でも、その大勢で何か揉め事を起こしているみたい。たぶん、カンキ君を追う中で出くわした鳳凰不動産と骸ノ市が衝突しているのかも」

 

『せやったら、その騒ぎに便乗してニーチャンを目的地に連れていけそうやな!』

 

「少なくとも、彼だけは届けるつもり。……ダストボックスの手前にある、右に続く道の角。そこに、大勢と思われる気配がわたし達を待ち伏せている。わたしは彼らの気を引くつもりだから、シュラ……カンキ君の誘導は頼んだわよ」

 

『……分かったで。ネーチャンの覚悟、無駄になんかせぇへん』

 

 ……一体、何の話をしているんだ?

 

 悪寒が全身に駆け巡る二人の会話。それを終えたレダが引いていたこちらの手を前へ出していくと、並走するようなその状態で、レダは繋いでいた手を離してこちらの背に添えながら、静かな調子でそれを告げてきたのだ。

 

「次の右に曲がる道に、人がたくさん隠れてる。わたしはその待ち伏せている人達を押さえるから、あなたはわたしに構わず、ダストボックスを退けて下水道に入ってちょうだい」

 

「ッ…………」

 

 やはり、こうなってしまうのか……。

 悔やむように俯くこちらへと、レダは背に添えた手のひらを力強く押し当てながら穏やかに喋り続けてくる。

 

「そんなに落ち込まないの。他にホステスがいるんだから、その子達の相手をしてあげてちょうだいな。……カンキ君。血の繋がりは関係無く、あなたは一人の男性としてとっても素敵なオトコだったわよ。その調子で、他の子の面倒も見てあげなさい? いいわね?」

 

 間もなく、人が待ち伏せているという右の曲がり角に差し掛かる。その瞬間にもレダに「さぁ行って!!」と背を押され、この勢いによって自分は一心不乱にダストボックスへと駆け出していった。

 

 ……すぐ後ろから聞こえてくる、ネットランチャーによる発射音。共にして複数の男性の声が響いてくるのだが、同時にして掴みかかられたのだろうレダの声も路地裏に響き渡った。

 

 あまりにも無力な自分が情けない。オーナーのように戦えたら、こうして仲間達を見捨てる必要もなかったのだろうか。

 

 非力を恨み、そんな自分に嫌気が差してくる。しかし、彼女達の覚悟を背負いし今、この自分が生き残ることこそ命を張ってくれた彼女達への報いともなるのだろう。

 

 ……生き残らなければ。皆の想いを無駄にしないように。

 

 眼前のダストボックスへと飛び掛かっていく自分。(すが)りつくよう張り付いたそれに両手を掛け、全ての気力を振り絞るように横へ押し退けていく。

 

 ……下水道へと続く蓋。埋め込まれた取っ手を目にして、自分はそちらへ真っ直ぐ手を伸ばして掴み取ろうとした。

 

 だが、直前にも視界を埋め尽くした人影に、心臓が飛び跳ねるような感覚を覚えていく。

 

 その瞬間、自分は何者かに真横からバットで殴られたのだ。

 

 

 

 

 

 …………斬首された際に残る意識とは、こういうことを言うのだろうか。

 

 力無く転がった視界。首は確かに繋がっているものの、その視界には小汚い男達に取り押さえられたレダの姿が映し出されている。

 

 ……直にも巡ってきた、頭部の鈍い痛み。共にして温かな液体も感じ取れたことから、自分は我ながら冷静にも、それが流血であることを認識する。

 

 朦朧とするボヤけた感覚と、耳の奥で響く耳鳴り。周囲の音が聞き取れないほどのそれに苛まれる中で、次第と戻ってきた聴覚には木製バットを持つ男の声が響いてきた。

 

「気配に敏感なホステスがいるとは聞いてたが~……おれ達は人攫いを生業(なりわい)にする集団さぁ……。そいつがどんなに気配を感じ取ろうがよぉ~……その気配自体を消すことくらいなら、おれ達にとってお茶の子さいさいなんだよなぁ~……?」

 

 ねっとりと喋る男が、こちらの髪を鷲掴みにして持ち上げてくる。

 嫌でも視界に入った男の顔。まるで骸骨のように彫が深いやつれた顔面と、黒いシミがついたスキンヘッド。そして、瞼が無いんじゃないかと言わんばかりに見開いたガン開きの眼が実にあからさまだ。

 

 汚れた黄色のタンクトップと、泥だらけの灰色カーゴパンツ。瘦せ細った身体とは対照的にありったけのパワーが込められたバットのスイングは、男性を無力化するに十分な威力を伴っていた。

 

 直にも、意識が薄れ始めていく。そんなこちらへと、男は仲間なのだろう集団を後ろに連れながらそれを話し出してきたものだ。

 

「今日は最高に気分が良いからよぉ~……特別に色々とお喋りしてやるよぉ……。せっかく銀嶺会に匿ってもらえると思ったのによぉ~……残念、だったなぁ~……? それもそのはずでよぉ~……。ここまで連れてきてくれた、誠実な女共とは違うありきたりなホステスさんがよぉ……おれ達に拷問された挙句、あっさりとこの隠し通路のことを喋っちまったのさぁ……」

 

 男は掴んでいた髪を離し、この頭を血だまりにボチャッと落としていく。

 

「あとは、ここで気配を殺して待つだけでいいよなぁ~……? 最後の最後に、ついてなかったなぁ~……? でも、安心してくれよぉ……? その秘密を喋っちまった女はぁ、とっくに“処分”しておいたからなぁ~……? 今頃“バラまかれて”、カラスの餌になっているか、タンポポに混じって野良犬のションベンでもかけられているんじゃないのかなぁ~……?」

 

「ッ…………」

 

 男はこちらの視界を覗き込み、長い舌を出してヘビのようにうねらせる。そして彼は顔を上げていくと、レダを押さえ込む男の集団へと向くなり、先までの気色悪い調子からは想像できないほどの鋭い声音でそれを端的に告げていったのだ。

 

「その女は上玉だ。“教育”すれば高く売れる。殺さない程度に弱らせてから連れていけ。手段は任せる。まずは存分に“可愛がって”やれ」

 

 男の指示に、周囲の人間は「へい」と答えてからレダを連行し始めた。

 

 この視界から姿を消すまで、彼女は力いっぱい抗っていた。だが、こちらを心配する悲痛な叫びを最後に、レダは男達に連れ去られてしまったのだ。

 

 ……何もかもが絶望的だった。

 今も耳の無線機からは、こちらを呼び掛けるシュラの声が聞こえてくる。彼女もまた喉が張り裂けんばかりの悲痛な声を出しながら物音を立てて、次第にも駆け出すような音を最後に、繋がったままの通信からは気配が無くなった。

 

 直にも、右脚が持ち上げられた。そして、この身体が引き摺られていく。

 

 動かない。言う事が聞かない。視界も暗くなってきた。

 レダと同様に連れていかれる己が身体。地面に擦り付けられる痛みで皮膚が悲鳴を上げる中、自分は心身ともに巡ってきたショックがあまりに目を見開いたまま失神してしまったのだ。



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第71話 Seconde conflit Ryumei 《第二次龍明抗争 後編》

【注意書き】

 第70話~第71話において、暴力的な表現が含まれる描写を行う予定です。

 極力オブラートに包むものの、中にはゴアな表現であったり、ヒロイン達に対する物理的または性的な暴力の描写も含まれるかと思います。

 そのため、『人体欠損といった刺激の強い描写が苦手』な方や、『ヒロイン達の可哀想な姿を見たくない』という方は、第72話までお話を飛ばしていただけますと幸いです。


 ビルの内階段を上る人物。“彼女”は大気に擬態するか如く存在感を消しており、確かに“実在する”ことの証明として、シューズの足音のみを響かせていた。

 

 トップスインスタイルの、白色の襟付きブラウスに、赤色と黒色のチェック柄ミニスカート。その上下を繋ぐ黒色のバックルベルトに、白色のルーズソックスとミルクティー色のシューズという格好。百七十五はあるだろう高身長の背を真っ直ぐと伸ばし、腰辺りにまで伸ばした深紅の長髪を揺らしている。

 

 その左手には、スナイパーライフルのケースが提げられていた。そんな、長さを伴った荷物を淡々と運ぶ最中にも、右手で耳にあてていたスマートフォンからは男の声が漏れてくる。

 

『偵察班から連絡があり、“柏島の息子”が骸ノ市の手に渡ったとのことだ。大方、“代理社長”の想定内であり、そして連中は彼を連れて、例の団地へ移動中ときた。……代理社長が今に至る経緯を全て予測した上で、“おまえ”には団地を一望できるビルの屋上へと向かってもらっている。代理社長の筋書き通りで行けば、“おまえ”にはこの後、その屋上で“対象(ターゲット)”を始末してもらうこととなるだろう』

 

 男の声のみが響き、それを耳にする彼女は一言も喋らない。そうして無言を貫く存在へと、男は言葉を続けていく。

 

『骸ノ市という、表の世界に姿を現さぬ闇の住民。その司令塔でもある幹部を地上に引き摺り出すため、柏島の息子を餌にして経過を観察していた。所々、手柄に目が眩んだ我々の部下がしゃしゃり出たものでもあったが、結果として代理社長のプラン通りに事が進行している。残るは、久方ぶりに現れた骸ノ市の幹部を始末し、奴らの権威を失脚させれば、直に組織は自然消滅、我々の競合相手はまた一つと姿を消すことだろう。……その、総仕上げとなる最後の任務を、おまえに託したのだ。雇われ兵であろうと、失敗は許されないぞ』

 

 念を押すように伝えられたその言葉。しかし、それでもなお彼女は返答の一つすら口にしなかった。

 

 沈黙で返ってきたそれに、男は唸るように言葉を詰まらせながら通話を切っていく。これと共にしてビルの最上階に到着した彼女は、その壁に空けられた四角い穴を確認次第にも、提げていたケースからスナイパーライフルの部品を取り出して、黙々と組み立て始めたものだ。

 

 顔を知る術は無い。そうして誰にも素性を明かさぬ彼女は屈みながら銃を構え、空けられた穴に銃身を通していく。それから彼女はスコープを覗いていき、その先に広がっていた“光景”を淡々と眺め遣った。

 

 

 

 

 

 …………パッ、と視界に景色が広がり始めた。

 

 見開いたまま失神していたこの意識が、突如と戻ってくる。共にして視界に入った光景は、凹状の建物に囲まれた団地というものであった。

 

 開けた場所からは、龍明の街並みを一望することができたものだ。そのことから、この場所は周囲よりも高い位置にあることがうかがえる。それら街並みに混じるいくつもの高層ビルもうかがえる光景の中で、自分は突然、頭を力強く踏みつけられたのだ。

 

 い、痛い……ッ!!!

 先にも流血した記憶が蘇る。その痛みが思い出す形で降り掛かってくる最中にも、あのやつれたスキンヘッドの男にそう言葉を掛けられた。

 

「呑気にも居眠りしやがってなぁ~……ただでさえ英雄気取りのご身分である上に、自分の状況を理解していねェそのツラがまた最高に気に食わねェなぁ~……?」

 

 何のことだか、さっぱり分からない……。

 仰向けになっていたこちらの身体へと、男は手を突き出してくる。それからこの胸倉を乱暴に掴んでくると、その勢いで上半身を起こさせながら男は“それ”を仰いできたのだ。

 

「あまり時間は掛けない方が良いと思うぜぇ~……? その方が、お互いのためになるってもんさぁ~……? なぁ……? おまえもそう思わねェもんかなぁ~……? じゃなけりゃぁ、“大切な彼女”がどんなに酷い目に遭わされるか、分かったもんじゃねェからなぁ~……?」

 

 ねっとりと喋りながらも、男は軽く首を振ってそちらを見るよう促してくる。その動作に自分はそちらへ向いていくと、次にも信じたくもない悲惨な光景が広がっていたのだ。

 

 そこには、うつ伏せに倒れ込むラミアがいた。しかし、ボロボロになるまで殴られたのだろう青あざだらけの彼女には、更なる仕打ちが施されている。

 

 両手の爪が全て剥がされ、剥き出しとなった血だらけのそれ。口はホチキスの針で塞がれており、右手には大きな釘が刺されていた。

 

 血と涙が混じる、液体だらけの顔面。地面に繋がれた右手からは今も血が流れ出ており、こちらを見遣る彼女は痛みのあまりに苦悶の表情を浮かべている。

 

 ラミアの付近には、骸ノ市の一味だろう数名の男性らと、ハンマーと釘を手に持って待機する男が存在していた。

 青色のシャツに、黒色のカーゴパンツという大男。彼はラミアの左手を踏ん付けながらこちらを見下しており、釘をチラつかせながら薄ら笑いを浮かべている。

 

 拷問だ。スキンヘッドの男が先にも口にしていた、情報を吐かせるための残虐な手段。

 ラミアを人質に、柏島の息子である自分から何かを問いただそうとしているのだろう。そうして察しがついたこちらの反応に、スキンヘッドの男は喉仏まで伸びる長い舌を出しながら喋り出してきた。

 

「柏島長喜ぃ~……。全てはあの男によって、おれ達は狂わされたのさぁ……。あの日、白髪の女を寄越すことで阻止してきた、あと一歩の悲願。流れ込んできた海外のマフィアを相手によぉ~……武器や国籍、臓器や奴隷を売って稼いでやろうというビジネスの成功を、寸前のところでおじゃんにしてきやがったなぁ~……。こいつはぁ、その連帯責任ってことなんだよ……。……洗いざらい吐いてもらおうかぁ~……? あと一歩のところで他人の時間と人生を滅茶苦茶にしやがった、あの身勝手な無責任男のよぉ……。あれが持つ、金や権利その他諸々がまとめられた、遺産の保管場所やその在処についてよぉ~……!」

 

 力んだ男の表情。次にも彼はこちらの顔面を思い切り蹴り飛ばし、血を噴き出しながら暗転した視界に心臓の鼓動が速まっていく。

 

 身体が転がるほどの力が加えられていた。この様子に、口を開けずにいるラミアが喉で呼び掛けてくる。だが、彼女もまた左手を強く踏まれていき、これを受けて投げ遣った自分の視線を遮るよう、スキンヘッドの男が顔を出してきた。

 

「あの嬢ちゃんもよぉ……元はと言えばおれ達の所有物だったわけなんだよなぁ~……? それも、このおれが直々に、あの嬢ちゃんに“教育”を施してやってたわけだ……。おれは親身になって世話してあげたんだぜぇ~……? それが嬢ちゃんのためになると思ってなぁ~……。だけど、嬢ちゃんはあの日の騒ぎに便乗して、骸ノ市から逃げ出した……。恩を仇で返すとはまさに、このことを言うんだろうなぁ~……?」

 

「恩……? さっきからふざけるなよ……っ!!!」

 

 黙って聞いていれば、親父やラミアのことを好き放題に言いやがって。

 怒りが頂点に達した自分が、それを露わにして反論していく。だが、こちらの反応に男は言葉よりも先に足が飛び出し、こちらの顔面を蹴り飛ばして地面に激しく打ち付けてから、そこからこの右脚を掴むなり、背負い投げの要領でこの身体を持ち上げては地面に力強く叩き付けてきたのだ。

 

 興奮混じりの男の高い声が響き渡る。共にして自分は鼻や口、額から大量に血を流しながらも、顔を上げた先にいるラミアの身を案じて視線を投げ掛けていった。

 

 だが、この視界を上から覗き込むようにスキンヘッドの男が喋り出してくる。

 

「おまえの父親がしでかした罪は、こんなんじゃ済まされねェことをよく覚えとけよぉ……。他人が汗水流して費やした数多の労力をぉ……勝手な正義感で滅茶苦茶にしたおまえの父親が全ての発端なんだぜぇ~……!! 人攫いにも人生や人権があるんだよなぁぁ……。それを全部ぶち壊しやがって……!! よくもここまで人を追い込んでくれたなぁ……ッ!!! こうして社会の底辺に落ちぶれたのも全てぇ……!! 全部全部全部全部全部全部全部全部おまえのクソオヤジのせいなんだよぉッ……!!!!」

 

 覗き込んだ頭のまま、こちらの髪を鷲掴みにしてきた男。それから何度もこの顔面を地面に叩き付け、気が済むまで打ち付けた後にこの後頭部を思い切り蹴り飛ばしてくる。

 

 既に鼻が折れていたことだろう。痛みがあまりに逆に痛覚が鈍くなってきた感覚が、顔を中心に広がり出してくる。しかし、痛がるこちらの様子に男はツバを吐き捨ててくると、屈んできてはこの頬を何度も軽く叩き付け、冷めた調子でそれを訊ね掛け出したのだ。

 

「散々と恨みはあるもんだけどよぉ……おれ、優しいから。おまえのこと、殺さないでおいてやるよ……。だから、吐け。クソオヤジの遺産を全部、骸ノ市に寄越しな。そうすれば、可愛い可愛い彼女ちゃんも殺さないでおいてやる。売り物にはするけどよ。別におれは殺さねェから、約束通りだもんな? ……早く洗いざらい吐かないとぉ、お次は彼女ちゃんの左手が使い物にならなくなっちゃうぞぉ~?」

 

「ッ……!!」

 

 ラミアだけはダメだ。

 顔を上げて、彼女を見遣る自分。だが、傍にいた大男がラミアの左手を蹴り飛ばして地面に打ち付けていくと、持っていた釘を構え、ハンマーを持ち上げながらこちらを薄ら笑いで眺め遣ってきたのだ。

 

 ……喋らなくては。親父の遺産の保管場所を……。

 

 ……遺産の、在処を…………?

 

 ……待てよ。そもそもとして俺は……。

 

「……知らない。俺は、知らない……!」

 

 こちらの返答に、スキンヘッドの男が大男へとアイコンタクトを取っていく。

 

 共にして、大男はハンマーを振り下ろした。この動作に自分は、声を荒げるようにしてそれを訴え掛けていく。

 

「待ってくれ!!! そのっ、知って……知って……ッ!!」

 

 大男の動作は停止した。だが、ハッキリとしないこちらの言葉に、スキンヘッドの男が怒りを露わにしながら「なめてんのかこのガキがァッ!!!!」と髪を乱暴に鷲掴みにしてきたものだ。

 

 それから、可動範囲ギリギリまで首が持ち上げられていく。これに喉の皮膚までも裂けて血が流れ出したのだが、スキンヘッドの男はまくし立てるようにそれを口にしてきたのだ。

 

「不便無い暮らしで脳みそ腐り切っちまったのかァこのゴミムシがァァッ!!! てめェのような人間を見ていると腹の奥底から苛立ちがぐつぐつと煮え滾ってくる!!!! おれを不快にさせやがって、このゾウリムシ以下の出来損ない単細胞生物がァッ!!! おまえのような存在がこの世をダメにすることを自覚していねェみてぇだなぁ!? そういう人をなめ切った態度が嫌われること、さては理解していねェなてめェ!!!!」

 

 怒りに任せるがままに、男は怒号とツバを浴びせてくる。それから、投げ捨てるようにこちらの髪を離してくると、男は突如とねっとりとした喋りで“ある真実”を語り始めたのだ。

 

「おまえなぁ~……。さては、おれ達がオヤジさんを“殺した”と思ってんだろ……? それは違うよぉ~……? いくら何でも、勝手に決め付けて無実の人間を疑うクセは直そうなぁ~……?」

 

「……?! 殺された……? 親父が……?」

 

 そんなハズはない。少なくとも自分には、親父の死は“病死”と伝えられていた。

 

 どういうことなんだ……?

 疑問ばかりが思い浮かぶその内心は、相手方にも伝わったらしい。こちらの放心に近しい表情にスキンヘッドの男は眉をひそめていくと、次にも男は手を叩いて大爆笑しながらそれを告げてきたのだ。

 

「ぴャッハッハッハッハ!!!! マジかよこいつッ!!! 親ぁ殺された上にウソ吹き込まれてんの可哀想すぎだってのぉッ……!!!」

 

「……?? …………????」

 

「なら、誰も傷付けねェ親切なおれから教えてやるよ……。おまえのオヤジさん、柏島長喜はなぁ……“殺された”んだよ。あれだけ英雄だとか言って持ち上げられといてよぉ……最期はやけにあっさりと殺されたらしいじゃんなぁ~……?」

 

「……そんな。でも、みんなが病気で亡くなったって……!」

 

「今まで心から信じてきた人達み~んなに騙されちゃって、実はきみも結構、可哀想なんだね~……? ちょ~っとだけ同情しちゃうなぁ~……?」

 

 わざとらしい調子でそれを口にしながらも、スキンヘッドの男はさも意味ありげにラミアへと振り向いていく。

 

 目が合うなり、彼女は深刻な様子で気まずそうに視線を逸らしていった。その反応に、自分は確信と共に呆然とするよう見遣っていく中で、スキンヘッドの男はこちらの視界に入り込むよう覗き込みながら、それを提案してきたのだ。

 

「おれ達はさぁ、そういう裏切られた人間の集まりみたいなとこあるからさぁ、同じような立場にいるきみにもぉ、すこ~しだけ仲間意識が芽生えてきちゃうんだよねぇ~……? ……柏島長喜の遺産のアレコレを聞き出したら、もうここで直々に鳳凰不動産へ高く売り付けてやろうかと考えていたんだけど。気が変わったよ。今、遺産の在処を素直に教えてくれたら~……特別待遇で、骸ノ市に招待してあげようかぁ? そこではいろんな女の子を好きなようにできて、そう悪くはない条件だと思うんだけどなぁ~……? どうだぁ? 揃って嘘ついてきた連中なんかと一緒にいるよりも、この提案に乗っかって毎日気持ち良い思いできた方が、断然お得だと思うんだけどなぁ~……?」

 

 急に優しい振る舞いを見せ、こちらへ手を差し伸べてきたスキンヘッド。彼のお誘いに乗る気持ちなど微塵にも無かったものだが、親父の死の真相で未だ思考がパンクしていた自分は、ノーを即答できずに暫しその場で固まってしまっていた。

 

 

 

 

 

 ビルの屋上でスナイパーライフルを構える彼女。今も覗き込むスコープには、拡大された“青年”が映し出されている。

 

 彼の手前にあたる場所には、風通しの良い小屋が佇んでいた。その小屋越しに団地の状況を確認していく彼女だが、小屋の屋根の陰にあたる場所に留まり続けている“対象(ターゲット)”の存在に、彼女は静かなる怒りを滲ませていた。

 

 動き回る“それ”は、小屋の隙間から脚などをうろつかせていた。それは時折と屈んでみせたりするのだが、それでも胸や頭部が屋根に隠れたりなどしていて、とても急所を狙えずにいる様子でもあった。

 

 そして、青年を蹴り飛ばし、背負い投げなどして痛めつけていく。これによって青年の位置がずれ、対象(ターゲット)も屋根の陰から移動していくのだが……。

 

 ……上半身が出てきた瞬間にも、対象(ターゲット)は屈んで屋根に隠れてしまった。

 あとちょっと、“顔を前に出してくれたら……”。そんなもどかしさに、彼女は思わずビルの壁を殴り付けていく。それでも静かに銃を構えていた彼女は、奇跡的な確率で訪れるであろう、ゼロではないわずかながらの可能性で成り立つ“その一瞬(チャンス)”を見逃すまいとして、神経を切らすことなく常にそれを注ぎ続けていたものだった。

 

 

 

 

 

 親父の遺産。それが、自分を攫ってまでして聞き出したかった情報か。

 

 あいつからは愛されてなんかいない。そう決め付けて親父を毛嫌いしていた関係上、相続の手続きを始めとしたあれこれには全く触れてこなかった。もっと言ってしまえば、自分が親父という存在を忘れたいがために、その膨大な遺産を適当に分割して友人らに渡してしまおうかと、本気でそう考えたりしたこともあったものだ。

 

 親父のことがどうでも良かったから、そんな人間の遺産なんか引き継いだって意味なんか無い。何だったら興味すら無い。……と、最初の俺は、そんな断固たる決意を抱いてしまっていた。だが、これまでの話からするに、どうやら親父の遺産には金や家具といった財産の他にも、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の経営権や、ホームレスの居場所として彼らに提供している公園の所有権などの権利も多く含まれているらしいのだ。

 

 骸ノ市は、それらを主とした柏島長喜の遺産を狙っている。その遺産を本人から聞き出して搾り取るためにこの身体が必要になり、これが用済みになったら、他にこの人間を欲しがっている鳳凰不動産に高額で売り付けてやろうという一連の流れが、奴らの算段なのだろう。

 

 で、あるからには、自分がここで殺される可能性は低い。むしろここで考えるべきは、ラミアの無事だった。

 

 ……右手を貫通した釘。流した血は赤黒く変色して釘と一体化しかけている。その口もホチキスの針で塞がれており、上下の唇を繋ぎ合わせる鋭利な光沢が、たまに日光でチラついたりしている。

 

 殴打された顔のあざや、股付近に用意されているコンプレッサーも非常に悪趣味だ。剥がされた両手の爪も周囲に転がっていて、この場で拷問に遭わされていたことを生々しく告げてくる。

 

 その上に、柏島の息子さんには“嘘”をついていたという事実をバラされた。

 心身ともにズタボロとなった痛ましいラミアの姿。だが、彼女は苦悶で表情を歪ませるよりも、嘘をついていたことによる罪悪感からか、潜在的な意識によって、こちらと目を合わせることを避けるようになってしまっていた。

 

 ……だからと言って、死なせるわけにはいかない。

 

 根本的な解決とはならないが、先日にも自分は、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の人間から魔法のおまじないを授かっていた。

 

 ……とても現実的ではない神頼み。だが、試す他に無いだろう。

 

 車の中。脳裏に“彼”の声がよぎってくる。怯えるこちらを落ち着けるために、気を遣ってからかその言葉を託してくれたのだ。

 

 ……『希望を忘れずに』。これで助かるという根拠は無いが、今の自分にできる最後のお祈り。これは、ヤバいなぁとなった際に思い出すべきだと告げられた、類稀(たぐいまれ)なる救済へと全てを賭けた究極の運ゲーだ……!!!!

 

 

 

「…………べ」

 

 うつ伏せで倒れる自分が、それをボソッと呟いていく。これにスキンヘッドの男は勝ち誇った笑みで「よく聞こえなかったなぁ~……? もう一回喋ってくれないかなぁ~……?」と“顔を近付けてきた”。

 

 そんな男の希望に沿い、自分はそれを復唱する。

 

「……ち。……べ」

 

 ラミアの傍にいる大男が、彼女の左手に釘を置き始める。その間にもスキンヘッドの男は「なにかなぁ~……? もうちょっとだけ、声を大きくして喋ってみようか~……?」と口にしながら、彼は聴き取るべく、開けた団地で倒れ込むこちらの耳へと、“更に顔を近付けていった”。

 

 今まで全身が隠れていた屋根の陰から、ゆっくりと顔を出していく男。そこで彼は、耳に手をあてがいながらこちらの言葉を待ち始めたために、自分は最後に、振り絞るように“おまじない”を口にし始めたのだ…………。

 

 

 

「…………ちなべ」

 

「ちなべ? ほう~……遺産関連の何かを保管している場所の名前かなぁ~……? その調子でお願いねぇ~……?」

 

「…………むちなべ」

 

「むち、なべ。ふぅん~……イマイチ、ピンと来ないねぇ~……。あまり人を待たせるのは良くないよぉ~……? 次で遺産に関することをハッキリ言い切らなかったらぁ~……彼女ちゃんの左手と、あとついでに両目も無くしちゃうからぁ~……そのつもりでお願いねぇ~……?」

 

「…………」

 

「そういうわけでぇ~……。さぁ~……はい、ど~ぞ」

 

「“キムチ鍋”」

 

 ?!

 

 この言葉が出た瞬間、その場の一同は思わずビクッとして硬直した。特にスキンヘッドの男は内心で、「やっぱり聞き間違いじゃねェ……!! この状況で何故“キムチ鍋”だ……!? 果たしてこの言葉に意味があるのか? それとも、何かを示す隠語のようなものなのか……!?」などと言葉を巡らせながら、小屋の陰から頭部を出した状態で、暫しその場に留まってしまっていた。

 

 だが、それに構わず自分はエビのように反りながら顔を上げ、直後にも雄叫びを上げるかが如く全力全開で“クリスとの約束”を連呼してみせたものだ。

 

「キムチ鍋!!!!! キムチ鍋ェ!!!! キムチ鍋。キムチ鍋キムチ鍋……キムチ鍋ェェェェエエエェェッッッ!!!!!」

 

 なぜ、この状況で『キムチ鍋』を連呼する……?

 

 なぜ、この状況下で気狂ったように『キムチ鍋』と叫んだ……?

 

 同じ人間が故に、あまりにも想定外かつ奇天烈な現象を前にして皆は一瞬だけでもその思考が停止した。それはラミア然り、大男然り、そして……スキンヘッドの男もまた然り……!

 

 キラッ。ビルの屋上と思しき場所が、光を反射する。

 

 この頭上を通過した、空を切る“何か”。と、次の瞬間にも、隣にいたスキンヘッドの男からは割れたスイカが如き“赤黒い爆発”が発生し、生き物である以上は不快極まりない血肉の音と共にして、彼の身体は吹き飛ばされていったのだ。

 

 ……何が起こったのか分からない。それを理解するべく向けた視線の先には、目撃してはならない“凄惨”な光景が広がっていた。

 

 対人間用とは思えない“弾丸”。それによって、落とした花瓶のように張り裂けた痕跡と、そこの内容物を全て地面に撒き散らした“物体”と“液体”のオンパレードが、一気に不快感を込み上げさせてくる。

 

 出る。思わず口を押さえた自分。だが、その間にも周囲においては、待機していた骸ノ市の人間らが気狂ったようにどよめいては慌て始め、皆が半ばパニック状態で団地から逃げ出していた。

 

 それは、ラミアを押さえ付けていた大男も例外ではない。彼も狙撃の方角を理解したように“ビル”を見遣り、急ぎで物陰となる路地裏へと駆け出した。……と思われた。

 

 踏ん付けていたラミアの左手から、足を持ち上げていく。その足でラミアの身体を乗り越えようと、次の一歩を踏み込もうと足を持ち上げたその時にも、ラミアは跳ね上がるように思い切り身体を突き出したことによって、大男の足は彼女の背に突っ掛かって盛大に転倒していったのだ。

 

 持っていた釘とハンマーを投げ出して、男はすぐさま立ち上がって走り出そうとする。

 だが、その立ち上がる動作を読まれていたのだろう。身体を持ち上げた瞬間にも大男の後頭部に“狙撃”が命中し、彼も敢え無く区別のつかない有様となって“内容物”をぶちまけながら倒れ込んだ。

 

 的となった無残な光景を、ラミアは平然としたサマで直視していく。それからというもの、真横から駆け寄ってくる足音にラミアは振り向いていき、その先で涙をボロボロと流しながら駆け寄ってきたこちらの姿を、彼女は安堵するようにひそめた眉で迎え入れてくれたものだった。

 

 ……とても、痛ましい姿だ……。早く、早く彼女を解放しなければ……!

 

「ッ、ラミア……!! ラミア……! ラミア……待ってろっ……。今、今助けてやるから……ッ!!! 今助けてやるからッ……!!!」

 

 右手に刺さった釘も、一刻でも早く取り除きたい。だが、最初は呼吸に関する口だろうと判断した自分は、すぐさま周囲を見渡しては使用されたのだろうホチキスを発見し、それを急いで拾いに行って、ラミアの口に着けられた針を慎重に取り除いてみせた。

 

 刺さっていた部分からは気泡のような血が膨れ上がり、せっかくの可憐な唇に穴が空いたその容貌に、自分は苦痛で顔を歪ませてしまった。

 

 次にも、右手の釘を何とかしなければならない。

 ホチキスを投げ捨てて、周辺に落ちていたバールを手に持ってラミアへと駆け付けていく。それから釘にバールを引っ掛け、ラミアに引き抜く旨を伝えた後にも、自分は見るに堪えない光景を直視しながら、ラミアの無事を祈りつつバールによる釘抜きを開始していった。

 

 この際にも、ラミアは聞いたこともない絶叫を上げながら、右手に走る激痛に耐えていたものだ。

 彼女の悲痛な声に、自分は「早く……早く抜けてくれ……!!」と必死な思いでバールを引いていく。その末に釘が取り除かれ、ぽたぽたと流れ出る血を振り払うように釘とバールを投げ遣ってから、自分はうつ伏せのラミアを抱き留めるように抱え込み、その時にも自分のアウターを一心不乱に引っ張っては千切り取って、その布をラミアの痛ましい右手へと何度もぐるぐる巻き付けては圧迫させてという行為を何度か繰り返した。

 

 ……服だった布が何重にも巻き付けられ、次第にも右手の出血は止まりつつあったことだろう。

 一通りの手当を行い、それから自分は感情のままにラミアを抱き抱えていく。この、とても力強かったかもしれない抱擁にラミアは収まるよう丸くなったものだから、そんな彼女の頭や腰に手を添えて、自分はひたすらと涙を流しながら、彼女の生きている姿に何度も何度も言葉を呟き続けた。

 

「ラミア……ッラミア……ッ!! ラミア……、痛かったよな……っ。苦しかったよな……っ。ごめんラミアっ……! こんな思いをさせたくなんかなかったのに……っ!!」

 

 溢れ出る唇の血で、とても喋り辛そうにするラミア。だが、彼女は左手でこちらの涙を掬ってくると、衰弱したその弱々しい表情で、今にも事切れそうなか細い声音で、そう返答してくれたものだった。

 

「……ンキさ……。……丈夫、……って。ウチは……悟、して……から」

 

「ダメだラミア死なないでくれ……っ! 今すぐ誰か……どこか……手当てできる場所まで連れていくから……!!」

 

「イイ……ですって。ホラ……喋るコトも、できるよーに……なってきましたし……」

 

 唇から溢れ出す血で溺れるラミア。彼女はその度に咳払いで血を吐き出し、その弱々しくも芯のある可憐な微笑みで、適当な調子でそれを話し出してきた。

 

「……また、お会いできましたね……。ショージキ、期待してませんでした……。でも……骸ノ市に殺されるのは……ウチらしい最期と言えば最期でしたから……。常日頃からそう思い込んで……今日まで、いつ死んでもイイよーな覚悟で……毎日を過ごしていたモンですよ……」

 

 だが、喋るにつれて声を震わせてきたラミア。同時にして彼女も涙を溜め込むと、それは一気にブワッと溢れさせながら言葉を続けてくる。

 

「ッ……ですけど。カンキさんのお姿を……ッ。Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の皆さんのお姿を思い浮かべたら……ウチ、急に死ぬコトが怖くなってきちゃったんです…………ッ!! ウチももっと、皆さんと一緒に居たかった……っ! いつものタキシードを着て……店のヒト達と笑い合って……疲れるけどやりがいのあるお仕事をこなしてきた、今までの日々が……ずっと……ずっと頭の中でグルグル回り続けて……!! そんな、何気無くって、愛おしいほどの毎日をもう送れなくなるコトを、悲しく思えてきちゃったんです…………ッ!!」

 

 鼻水までも流して、顔面をグショグショに汚したラミアの姿。そんな彼女を大事にするよう抱き留めていき、その間も自分は「俺達はずっと一緒だ……! みんなで生き残って、またいつもの日常を送っていこう……!」と、ラミアに言い聞かせるように言葉を繰り返したものだった。

 

 

 

 …………臓器や流血、骨の破片などがぶちまかれた凄惨な光景。その中でラミアを抱き留めていたこちらの下へ、シュラが慌てて駆け付けてきた。

 

 一人でここに乗り込むつもりだったのだろう。拳銃やコンバットナイフといった殺傷力のある武器をガッチガチに携えてきた彼女は、この光景に一瞬だけポカーンとしながらもこの身柄を確保してくれた。

 

 それから、十分くらいしてからだろうか。直にも抗争の終わりを告げる連絡をユノから貰い、無事、銀嶺会が鳳凰不動産を退ける形で戦いが収束したことを知る。これを受けてシュラは銀嶺会に増援を要請。ユノという元銀嶺会本部若頭補佐が有志を集めた結果、未だ彼女を姉御として慕う数十名の組員が、柏島歓喜を始めとしたホステス達の回収に乗り切ってくれたものだった。

 

 自分とラミアは回収され、シュラやユノは監視カメラを主とした情報源を頼りにホステスらの回収に臨んでいく。

 

 特に、柏島歓喜を運んでくれたメー、レダ、ミネの三名の身元を急ぎで捜索してくれた。その結果、瀕死ではあるものの三名の生存を確認することができたのだ。

 

 自分らが回収された団地の付近では、ダストボックスの中に捨てられていたレダを発見した。彼女の衣類はズタボロで、体中を乱暴に扱われた痕跡と、全身に渡って付着していた男性の精液が事の凄惨さを物語っていたという。股からも血の赤色と別の白色が流れ出していて、異臭にまみれた変わり果てた姿を前に、ヤクザ達も吐き気を催したらしい。最終的に、合流したシュラがそのレダを抱き締めて、労いの言葉を掛けながら、レダのメンタル回復などに努めてくれた。

 

 龍明の外れでは、車同士の衝突による事故が発生していた。それを聞きつけたユノが現場に駆け付けると、そこには一台の白い車が、横から突っ込まれた黒色の車によって運転席がぺしゃんこに潰されていたのだという。その勢いで反対側の建物の壁にも激突。白い車の助手席まで突っ込んでいた黒色の車を持ち上げると、その下からは重傷のメーが見つかった。特に、頭部から流れ出る多量の出血と、衝突によって捻じ曲がった右腕と外れた右肩、そして挟まれていた右脚の骨折といった大怪我が見受けられたことで、メーは保険証を持たないことから闇医者の下へと緊急搬送されていった。

 

 そして、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の付近では未だ勇猛に金属バットを振るうミネの姿があった。全身の打撲で青あざや切り傷だらけとなった少女は白目を剥いており、足取りもフラフラで覚束ないその状態でありながらも、回収に来たヤクザへと襲い掛かったのだという。現地のヤクザは声を揃えて「気を失いながら訳も分からず戦っている」、「とんだ根性のある嬢ちゃんだ」と言葉を口にして、意識を失っていたミネは暫しの間、ヤクザを相手に対等かそれ以上の実力で暴れ回ったらしい。そうしてヤクザが手こずっていたところで、直にも少女は事切れたかのように突如とその場に倒れ込んだ。その際にもミネは、完全に気を失う最後の時まで、「守らなきゃ……」と呟き続けていたのだと言う。

 

 

 

 

 

 ただでは済まされなかった、第二次龍明抗争。多くの人間が凄惨な場面と直面し、絶望を植え付けられたことだろう。その中で、これだけの店の仲間達が生き残ったというのは、もはや奇跡に等しいとも言えるのかもしれない。

 

 しかし、不幸にも骸ノ市によって絶たれた命も存在した。

 鳳凰不動産の手によっても、数名に渡る店の人間が死傷していた。加えて、銀嶺会陣営にも多大な犠牲者が出た今回の抗争は、誰も幸せになることのない結末を迎えて終息したのであった。



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第72話 Un nouveau pas en avant 《新たな一歩を踏み出す》

 第二次龍明抗争の終息から、早くも三日が経過した。

 Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)では、生存したスタッフ達が店内の清掃に勤しんでいたものだ。その中で、一部の従業員とその関係者にオーナーからの召集がかかったことで、関係者にあたる自分は、他に呼ばれた皆と共にホールの一角に集まっていた。

 

 いつもの席に座る自分が、周囲を見渡していく。

 付近には、黒色のマスクと手袋を身に着けたラミアに、主に右半身が包帯で固定された痛ましい姿のメー。顔や脚に絆創膏やシップを貼ったミネや、深刻そうに俯くシュラの姿などが見受けられた。

 

 また、ノアやハオマ、荒巻やクリスが集まっていた。そうして、各々がいつもの服装で椅子に座るなり佇むなりして残りのメンバーを待ち続ける中で、エントランスに続く通路から歩いてきたレダが、真っ直ぐとこちらへ近付きながらその言葉を掛けてきた。

 

「おまたせぇ~。ミーティングに間に合って良かったわぁ~」

 

「レダ、おかえり。……それで、検査の結果はどうだった?」

 

 恐る恐ると訊ね掛けたその言葉に、レダは手に持っていた検査キットを見せながら答えてくる。

 

「今の時点では陰性。けれど、レ◯プされてまだ三日しか経っていないから、妊娠の可能性は十分にあるでしょうねぇ」

 

「……そうか」

 

「あなたがそんな顔をしないでちょうだい。……ウフフ、そりゃあねぇ~……このタイミングの妊娠じゃあ、カンキ君との子供かどうか分かんなくなっちゃったのが、確かに問題ではあるでしょうけどねぇ?」

 

「ま、まぁ……ひとまず今は様子見って感じなのかな……」

 

 人前でも容赦の無いレダの言葉に、自分は冷や汗を流しながら返答していく。

 

 尤も、それに反応できるほどの余裕が一同に無かったことも確かだった。

 ラミアやメー、ミネは心身ともにダメージが大きく、会話するのに精いっぱいなほど彼女らは弱り切っていた。シュラやノア、ハオマは三人の世話に付きっ切りであり、クリスは敢えてこちらには触れずに途方を眺めていて、荒巻はサングラス越しの深刻そうな表情で俯いていたものだ。

 

 ホールには、せっせと清掃に取り掛かっていくホステスやボーイが見受けられる。彼女らの忙しない様子を背景にしばらく待っていると、直にも凛々しい足取りのユノが合流してきた。

 

 召集されたメンバーが、ここに集った。一同がユノへと振り返っていく中で、彼女は荒巻へとそれを喋り出していく。

 

「オーナー、犠牲となった従業員の人数と身元を確認できたわ」

 

「……その中に、身寄りが今も健在である従業員は何人いるモンかね」

 

「犠牲となった人数は四名。内の三名が天涯孤独で、残る一名は高齢の祖母と二人暮らしだったとのことよ」

 

「そうか……。……詫びを入れに行かねェとな」

 

「私も同行しましょうか」

 

「すまねェな、ユノちゃん」

 

 額に右手をあて、悔やむよう歯を食いしばる荒巻。その様子をユノは神妙な面持ちで見遣っていく中で、荒巻は気持ちを切り替えるように顔を上げては、集まった一同へとそれを話し出したのだ。

 

「……お疲れのところすまねェが、一応、直々に共有しておきてェ話があるモンでよ、こうしてわざわざ集まってもらうことに決めたんだ。まずは、お疲れさん。冗談抜きで命懸けな戦争の中、よくこれだけのメンツが生き残ってくれたモンだ。伊達に修羅場を潜り抜けてねェだけあって、オマエさんらの悪運の強さにオレちゃん改めて驚かされたモンだぜ」

 

 喋りは陽気だが、落ち着いた声音でそれを口にする荒巻。これを一同は静かに聞き入れていく最中にも、荒巻は言葉を続けてくる。

 

「ここに集められたメンバーは、銀嶺会を始めとした、鳳凰不動産や骸ノ市、そして過去の柏島さんの決戦なんかと密接な関係にある、従業員の中でも特に今回の件と深い関わりのあるメンツに出向いてもらったワケだ。情報を共有する理由には主に、オマエさんらがカンキちゃんの護衛にあたってもらう主要メンバーであることや、前述した組織と因縁があり、連中の今後の動向なんかを頭の隅に入れてもらうためという目的がある。決して他人事じゃねェことを念頭に置いてもらった上で、オレちゃんからの報告を聞いてもらいたい」

 

 腕を組んだ荒巻が、辺りを見渡していく。その視線と皆が向かい合う様子に彼は頷いていくと、次にも真剣な調子でその報告を行い始めた。

 

「今回の第二次龍明抗争は、実質的に鳳凰不動産の勝利で終わった。云わば、試合に勝って勝負に負けたってヤツだな。何故、抗争に勝利した銀嶺会が負け扱いなのか。そいつァ、鳳凰不動産の真の狙いは銀嶺会との縄張り争いなんかじゃなく、この抗争の騒ぎを聞きつけて姿を現した“骸ノ市の幹部の暗殺”が目的だったからだ」

 

 居合わせていたメンバーは、薄々と気が付いていたのだろう。唯一、ハオマだけが「え……?」と唖然していた様子を他所にして、荒巻は続けてくる。

 

「鳳凰不動産と骸ノ市は、以前にも共闘関係にあった組織連中だ。だが、柏島さんが鳳凰不動産の前社長との決着をつけて以来、ヤツらはいがみ合っていたみたいだな。そこで鳳凰不動産は、邪魔になった骸ノ市という組織を潰すべく、銀嶺会とカンキちゃんを出しに使うことでその目論見を遂行したんだろう。案の定、銀嶺会と抗争を起こすことで骸ノ市の幹部が地上に出向き、柏島さんの遺産を狙ってカンキちゃんを攫ってみせた。……全て、鳳凰不動産の筋書き通りに物事が進んだのさ。少なくともこいつが、オレちゃんとユノちゃん、それと、オレちゃんの後輩で骸ノ市を追い続けていた探偵の三人で出した見解だな」

 

 荒巻の報告に、鳳凰不動産から寝返ってきたシュラやハオマが複雑な表情を見せてくる。だが、荒巻は構わずとその言葉を続けてきた。

 

「突然、鳳凰不動産が戦線から退き始めただろう。あまりにも急に抗争を切り上げた連中の行動に、銀嶺会も度肝を抜かれたらしい。だが、その退き始めたタイミングがまさに、カンキちゃんを攫った幹部が始末された時刻と一致していた。それだから、カンキちゃんが何者かによる狙撃を受けてからものの十分程度で、抗争があっさりと終了したのさ。……また、今回の抗争において、鳳凰不動産は人員も武装も最小限に留めていた。それでも全力の銀嶺会と拮抗していたモンだからな。きっと本気の連中だったら間違いなく、銀嶺会は敗北していただろうよ」

 

 それを聞き、ノアは「そんなことは……!!」とまで口にしてから言葉を止めていく。それから少女は悔しそうに歯ぎしりしながらも、言い返せないとばかりに黙りこくってしまった。

 

 ……銀嶺会の会長も、それを見越して愛娘を預けたのだろうか。真相は定かではないが、そんなノアを前にして荒巻はやり辛そうに後頭部を掻きながらも、再開するように一同へとそれを口にしていった。

 

「オレちゃんらの想像以上に、鳳凰不動産は力を蓄えていやがる。そんで、ここから連中がどのような行動を起こしてくるか全く予測がつかん。アチラさんが幸運にも頭脳派の人間を取り入れたのかどうかは知らんが、奴らは確実に以前よりも賢くなっていて、この先も常に、オレちゃん達の想像を遥かに上回ってくるだろうよ。だからこそ、現時点での情報を共有しておきたかったんだ。……んま、オレちゃんからは以上だな。他、なんか質問とか、聞きてェことがある人はいるモンかね」

 

 サッと流すように訊ね掛けたその言葉。これに皆が沈黙を貫いていくのだが、その間もある一つの視線が、ジッと、こちらへ注がれていたものだ。

 

 ……訊ね掛けた荒巻からの視線だった。

 無言で訴え掛けてくる、「聞きたいことがあるだろ?」というサングラス越しの鋭い眼差し。これに自分は少しだけ躊躇ってしまうものの、訊くなら今が絶好かという思い切りの下で、今も見つめ遣る彼と向き合いながらそれを問い掛けていったのだ。

 

「……じゃあ、俺からいいですか?」

 

「おう。ドンと来い、カンキちゃん」

 

「なら、遠慮なく。……骸ノ市の幹部と思しき人間から、俺の親父は病死ではなく、“何者かに殺害されたこと”を知らされました。それって、本当のことなんでしょうか……?」

 

 皆がこちらへと視線を投げ掛けてくる。これに荒巻も暫し無言を貫いた後に、そのような返答を行ってきた。

 

「…………やっぱ、嘘ってつくモンじゃねェなぁ」

 

「ですけど、皆さんのことですから……意味のある嘘、だったんですよね……?」

 

「……そんな隠すことでもねェんだがよ。ただ、カタギだったオマエさんに、裏社会の人間にオヤジさんが殺されたことを伝えるのも少々(はばか)られてな。それで万が一にもオマエさんが復讐を考えでもしたらよ、最悪、オマエさんまでも裏社会のいざこざに首を突っ込んじまうかもしれねェと考えたんだ。……柏島さんが命を懸けて守ろうとした大切な息子さんなんだ。それもあってよ、どうしてもオマエさんを巻き込みたくはなかったのよ。当時はな。だが、今はもう立派な関係者だ。なら……隠し通す理由も必要ねェよな」

 

「正直に打ち明けてくださり、ありがとうございます……。……言葉通り、親父は殺害されたんですね」

 

 病死と殺人では、死の意味が全く異なってくる。

 

 自分にこんな思いをさせないために、店の人達は嘘を貫き通してくれたのだろう。

 周囲から受けていた一種の思いやりを実感しながらも、やはり身内が殺されたとなれば気持ちは変わってくる。それから自分は決心していくと、次にも荒巻へと、訊ねようかどうかずっと悩み続けていた“その質問”を投げ掛けることに決めたのだ。

 

「……俺の親父を殺した犯人は、一体“誰”なんですか?」

 

「…………」

 

 復讐を考えてほしくない。彼らの気持ちを承知した上で、自分は真相を知りたくなった。

 

 どうか、教えてください。

 内心で呟いたその言葉が、表情か、眼差しか、何かしらの想いで伝わったのだろう。直にも荒巻は気まずそうに視線を他所へ遣っていくと、それから再びこちらと向き直りながら、静かな声音でその返答を行ってきた。

 

「……こいつはオレちゃんよりも、柏島さんの最期に居合わせたノアちゃんから話を聞いた方がいいだろうな」

 

「ノア……?」

 

 共にして、少女がこちらと向かい合ってくる。

 

 いずれ、真相を明かす時が来ると心構えをしてあったのだろうか。ノアは気まずそうな表情でこちらと向き合いながらも、顔色をうかがうような視線でそれを話し出してきた。

 

「柏島長喜が、鳳凰不動産の前社長と決着をつけた話は覚えているものかな。その決着から年月が経ち……ちょうど、キミが柏島長喜の訃報を知らされた、その一週間ほど前の時期に……“事件”が起きた」

 

 顧みるような声音。一同が耳を傾ける状況の中、ノアは言葉を続けてくる。

 

「諸悪の根源である前社長を柏島長喜が倒したことによって、鳳凰不動産はクリーンな会社へ生まれ変わった……と思われていた。実際はその裏で、当時の狂信的な残党達が柏島長喜への復讐を企てていたらしくてね。前社長の敵討ちとして、柏島長喜が殺害されたその日に、年月をかけた入念な復讐の計画を実行してみせたんだ」

 

「敵討ち……」

 

「まず、それに巻き込まれたのが……決着の後も多くの組織から狙われ続けていた、蓼丸ヒイロだった。ユノ達の前から既に失踪していたカノジョだったけれど、鳳凰不動産の手によってヒイロは、その頃になって本格的に連中に追い詰められることとなったんだ。そんなカノジョが最終的に頼ったのが、柏島長喜という英雄的探偵だった。でも、ヒイロが柏島長喜を頼ることも、鳳凰不動産は既に見越していたんだよ」

 

「……ヒイロ姉さんは、親父を釣るための餌にされたんだ。……この前の俺のように」

 

 親父を殺した手口と同じそれに、ノアは控えめに頷きながら話を続けてくる。

 

「龍明に訪れた、せっかくの安息の日々だったからね。柏島長喜はその当時、たまたま休暇で事務所にいなかった荒巻を呼び戻すことを躊躇って、ヒイロの保護をカレ一人で請け負うことにしたんだ。だが、鳳凰不動産の作戦は柏島長喜とヒイロの体力を着実に消耗させ、餌とされたヒイロ共々、カレは絶体絶命の状況下に追い込まれた」

 

「でも、それじゃあノアはどうやって現場に居合わせたんだ……?」

 

「実は、ボクはヒイロに呼び出されていたんだよ。その頃、高校生になる妹へのプレゼントをカノジョは見繕っていてね。ヒイロから、『アタシの代わりにコイツ渡しておいてくれねぇか』って、妹と同じ高校に入るボクへとそれを渡す手筈になっていたんだ。それでボクは、カノジョと落ち合うために約束した場所へと向かっていた。でも、その道中でヒイロから連絡を受けたんだ。『柏島の旦那がヤバいから、助けに来てくれ』って」

 

 ノアの話に、ミネは真剣な目で聞き入っていた。そんな少女の様子に、ノアはとても申し訳無さそうな表情を浮かべながらも、当時の話を続けていく。

 

「ヒイロと合流した時には、カノジョは何発もの弾丸を受けて瀕死の状態だったんだ。あんなに強くて頼れる、嵐が如き無敵の存在だったあのヒイロが、体中から血を流しながら項垂れて、柏島長喜に肩を担がれながら移動していた。……ボクも協力して、二人と一緒に追手からの激しい追撃を何とか凌いだものだったよ。でも……ヒイロの怪我がどんどん酷くなっていって、カノジョはもう、死に絶えそうだった。柏島長喜も脚や肩に弾丸を受けて、二人はとても移動できる状態ではなくなって……最終的にボクは、カレからヒイロを託されたんだ」

 

 ……当時の情景が、不思議と思い浮かんでくる。

 

 そこは、建物に囲われた狭い団地だった。建物の背も高く、ひと気も無い。周辺からは追手の足音が響き渡っていて、三人は団地の中で袋小路となっていた。

 

 血だらけとなったヒイロを、ノアへと差し出した親父。その情景と共にして、ノアは話を続けてくる。

 

「ヒイロは基本的に、他人に頼るようなタイプの人間じゃなかった。でも、その日だけは……どうしても死ねなかったんだよ。大切な妹へ、何とかしてプレゼントを渡してやりたいという目的があったから。だからカノジョはその日……柏島長喜を頼った。おそらく、ヒイロがカレに頼るだろうそのタイミングを、カノジョの動向を見張り続けていた鳳凰不動産も承知していたことだろう」

 

 ヒイロを託されたノアが、親父へと問い掛けていく。『柏島長喜。キミは一体どうするつもりなんだ?』……。

 

 両手の指で数え切れる程度にしか出会ったことのない彼の微笑みが、自然と思い浮かんでくる。そんな、メイクを施した妖艶なる容貌を持つ彼は、ヒイロを託したノアを突き放すようにしながらも、付近にあった大量の藁の山を指差しながら、そう指示したのだ。……『あの中に隠れていてちょうだい。後は私が上手くやってみせるから』。

 

「瀕死のヒイロを託したボクの身体を、柏島長喜は近くの物陰に隠したんだ。それからカレは堂々と佇んで、復讐に駆られた鳳凰不動産の連中と対峙した」

 

「……それで、親父はどうしたんだ?」

 

「カレは逃げも隠れもせず、ボクらを遠くへ逃がした旨を伝えて両腕を開いてみせた。その言葉もブラフであることを相手方に問われると、カレはしてやったりな得意げな微笑みを浮かべながら、堂々とその返答をしていったんだ。……『疑うのなら、ここ一帯を探してみてもいいわよ。けれど、私が今こうしている間にも、目撃者である彼女達は着実と遠くへ逃げ延びて、今回の事態を、この騒動の首謀者を、関係者へと伝えるでしょうね。……今も私の話をうかうか聞いていていいのかしら? 早くしないと、貴方の正体がバラされちゃうわよ? 私はね、将来的に貴方が負けることを確信しているからこそ、彼女達に全てを託した上で、こうして堂々と喋ることができているのよ』……とね」

 

「…………そのあと、親父は……?」

 

 ヒイロを肩で担ぎながらも、藁の山から様子を覗き込むノア。そこには拳銃を構えた集団に囲まれる親父が存在しており、親父は彼らの先頭に立つ男性と向かい合いながら、先の会話を交わしていた。

 

 その言葉に、激昂するよう引き金を引いていく男。瞬間にも銃声が響き渡り、眉間を撃ち抜かれた親父は敢え無く地面に倒れ込んだのだ。

 

「…………柏島長喜は、ボクとヒイロを庇って死んだんだ。倒れたカレの身体へと、首謀者であるオトコは念入りに何度も何度も銃弾を浴びせ続けて、気が済んだのだろうオトコはそれからにも、遠くへ逃げたと信じ込んだボクらの捜索へと切り出した」

 

「…………」

 

「……柏島長喜の口車に乗せられたオトコは、集団を引き連れてその場を後にした。カレは最後まで、心理戦で鳳凰不動産に勝利してみせた。しかし……その損失があまりにも大きすぎた……ッ!! ボクは…………柏島長喜を見殺しにしてしまったんだ……っ! カレの覚悟を無駄にしないため、ボクは必死な思いでヒイロを銀嶺会本部まで連れて帰った……。それでもボクは……カレを見殺しにした後悔がずっと、この胸に残ってしまっている……! ボクもあの時、物陰から飛び出して相手方の気を引けば良かったんだ……!! それなのに……それなのに……っ」

 

 肩を震わせ、目元に溜め込んだ涙をボロボロと零し始めたノア。当時の後悔が未だ残るそれに少女が号泣し始めると、当時の相棒だった荒巻もまた目元を押さえるように俯いていく。

 

 ……かける言葉も見つからず、自分はノアを慰めようにも少女を眺めることしかできずにいた。

 涙が止まらないノアが、両手で口元を隠すように嗚咽を漏らしていく。それから少女は、こちらに対して「ごめんよ……柏島歓喜……。ボクのせいで……っボクのせいで……!」と謝り続けたものだったから、自分は何とかしてその罪悪感を取り除くべく、“その言葉”を掛けていったのだが……。

 

「ノア……。別に、ノアが悪いんじゃないんだ……。親父もきっと、ノアに後悔させたくて身代わりになったわけじゃないんだからさ……。悪いのは……その首謀者ってやつなんだ。……親父を殺された息子として、その首謀者の正体だけは知っておきたい。ノアは、そいつのことを知っているんだろ? なら、せめて……その人物についてだけは、隠し事無しで教えてくれないものかな……?」

 

「…………ッ」

 

 この言葉に、どのような意味があったのかは分からない。しかし、こちらの問い掛けに、瞬間にもノアは息を引きつるような音を立てながら泣き止んだのだ。

 

 同時にして見開いた目が震え、まるで停止ボタンでも押したかのようにピタッと硬直する少女。その尋常じゃない様子に自分は「……ノア?」と訊ね掛けていくのだが、ノアは暫し思考した後に、声を震わせながらそれを喋り出してくる……。

 

「……その正体は、本当に一部の人間にしか教えていないんだ……。ボクと荒巻と、ユノとクリスの四人だけ……。でも、今じゃあここにいる全員が当事者なんだ……。みんなには、知る権利がある……。だから……その正体についてはいずれ、他のみんなにも話さなきゃとは、ボクも思っていたんだよ……」

 

「何かを恐れているみたいだけど、そんなに秘密にしなければならない人物なの?」

 

「…………っ」

 

 こちらの問いに、ノアは同意を求めるような視線を他所へと投げ掛けていく。

 

 少女が向けたその視線。この先には、荒巻、ユノ、クリスの三名が佇んでいた。

 三名は無言で頷いて、ノアにそれを許可していく。これを受けて少女は両手を下げながらこちらと向き直ってくると、直後にも不安な眼差しで一瞬だけ“メー”を見遣ってから、再びこちらへと向いて、その首謀者と呼ばれる親父殺しの犯人を明かしたのだ。

 

「…………“雌羊(めひつじ)斗織(とおり)”。前社長が不在である今の鳳凰不動産を統率する、代理社長と呼ばれる有望な若手社員だ……」

 

「雌羊……斗織……」

 

 親父の仇。その名を記憶に刻み込むよう口にする中で、それを聞いた瞬間にもメーは血の気が引いた顔色で、信じられないといった具合に声を震わせながらノアへと訊ね掛けていったのだ。

 

「……雌羊、斗織……?」

 

「あぁ、そうさ……。間違いないよ。“カレ”は若くして鳳凰不動産を率いるカリスマであり……当時の作戦を画策し、自らその手で引き金を引いてみせた、柏島長喜の仇でもあるんだ……」

 

「…………うそ。だって、それ……私の“アニキ”なんだけど……っ?」

 

 メーの……アニキ……?

 

 振り向く視界が、スローモーションに流れ往くその感覚。とても信じ難い現実を知らされたことにより、特に自分とメーは、どん底に突き落とされるかのような絶望感を味わった。

 

 ……メーのアニキについては、以前にも彼女から話をうかがったことがある。

 メーとドライブを楽しんだ際にも、彼女は自慢のアニキについて語っていたものだ。今でもメーのセリフを思い出せる。当時、彼女は『私には歳の近いアニキもいた。アニキは文武両道のテンプレみたいな学級委員で、女子にもモテモテで、私の自慢のアニキだったのだ~』と、『アニキは超難関の高校に受かって、そこでも優秀な成績を収めて周りからすごい期待されていた』と、メーはまるで自分のことのように喜びながら、それを説明してくれていた。

 

 メーは本当に、アニキという人物を信頼していたらしい。

 しかし、今となっては知人の親を殺した罪を被り、裏社会に負けず劣らずな組織『鳳凰不動産』を率いる代理社長というポジションに就いている。それを知らされたメーはゆっくりとこちらへ向いてくると、次第にも目を潤ませて、直後にも遣りようのない感情を爆発させながら、その包帯だらけの痛ましい姿で頭を下げ始めたのだ。

 

「ッ……ごめんなさい!!!! ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさいッごめんなさい……っ!!! 私のアニキが……私のアニキがオーナーを殺したなんて……!!! カンキ君のお父さんを殺したなんてッ……カンキ君ごめんなさいっ……!! ごめんなさい、ごめんなさい……っっ」

 

「メー……!!! 待ってくれ!! 落ち着いて!! メーは何も悪くない! そりゃあ、お兄さんについては色々と思うところはあるけれど……! メーは悪くないんだから。メーは何も悪いことなんてしてない!! だからそんなに謝らないでっ……」

 

「それでも、雌羊斗織は私のアニキなの……ッ!!! こうなったのも全部、私のせいなんだ……っ!!! 私がグレて、家族の仲を悪くしたから……っ!! ごめんなさい……みんな、ごめんなさぃ…………ッ」

 

 こうなることが分かっていた。こうしてメーが責任を強く感じてしまうからこそ、ユノや荒巻、クリスやノアは真実を口にしなかったのだろう。

 

 骨折した身体で、何度も何度も頭を下げてくるメー。その様子にラミアが彼女の背に手を添えてなだめていくのだが、それでもメーは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、こちらへの謝罪をずっと口にし続けたものであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……迎えた初夏の季節。早朝の時刻に訪れた霊園には爽やかな気候の風が流れており、降り注ぐ日差しは人肌を撫で掛けるように優しい温もりを帯びている。

 

 万全の管理体制からなるその区域は、設けられた芝生の空間にある立派な植林であったり、霊園を一望しながらも快適に移動できる、石造りで緩やかな通路が用意されていたりなど、弔いの地において魂の癒しともなる真心の空間が広がっていたものだ。

 

 その霊園にある、一つの墓石の前で手を合わせていく自分。石碑には『柏島長喜』と刻まれており、親父が眠る墓であることが一目瞭然だった。

 

 この後ろにはユノを始めとして、ラミア、メー、レダ、ミネ、シュラ、ノアといったメンツが、今も手を合わせる自分のことを神妙な面持ちで眺め遣っている。

 

 ……喋りたいことが山ほどとあり、どれから報告をすればいいのか分からない。しかし、これだけは絶対に伝えたいという決心の表明を控えていたため、自分は手を合わせたまま顔を上げ、目の前にいる“親父”へと、それを喋り始めたのだ。

 

「……遅くなってごめん。親父が死んでから一年と数ヶ月経って……俺、やっと初めてお墓参りしに来たもんだよ。でも、親父からしたらさ、まさか息子がお参りにくるだなんて思いもしていなかったと思うんだ。……実のところはさ、つい最近まではそんな気持ちだった。親父は、まともに息子を愛さずに死んでいった無責任な男だ。って、よく知りもしないで、そんな捻くれた気持ちで毎日を生きていたもんだよ」

 

 話しかけていくこちらの背を、ホステス一同は静かに見守っていく。

 

「……探偵をやって、たくさんの人達を助けてきた親父なら、この時点でもう、ある程度の察しはついているかもしれない。……なぁ見てよ、親父。知っている顔が多いでしょ。みんな、俺の“仲間”なんだ。失いたくなんかない、かけがえのない、大切な、大切な仲間達だ。この広大な世界の中で、俺はあろうことか、親父が命を懸けて守った龍明という小さな小さな街の中で、親父も知っている人達と一緒に過ごす人生を、心から楽しんでいるんだよ」

 

 この時に俺は初めて、親父に対して笑いかけることができたのかもしれない。

 佇む“親父”からは返事が無い。しかし、その無言を返事と受け取った自分は、既に固めていた決心と共にして、目の前の親父へとその宣言を行ったのだ。

 

「親父が命張って打ち破ってくれたその野望。今、それが再び力を取り戻そうとしているんだ。それでいて……親父。俺は親父を殺した犯人を知っている。でも、慌てないで。俺は、親父の復讐を考えているわけじゃないことを、最初に分かってもらいたいんだ。じゃあ、犯人を知って、俺は何を考えたのか……今からそれを少しだけ喋るから、どうか、最後まで聞いてくれると嬉しいな」

 

 合わせていた両手をゆっくりと下ろし、背を伸ばして姿勢を正しながら親父と向かい合っていく。

 

「俺は、この街で共に過ごすみんなとの生活を守りたい。ちょっとトラブルの多い街だけどさ、その中で笑い合って、ご飯を食べて、子供のように寝て、時には遊びに出掛けるんだ。ありきたりでしょ? 俺は、そんな平穏な生活を、親父もよく知るみんなと送っていきたい。でも……鳳凰不動産という大きな大きな敵が現れて、この日常もいつ、奴らに壊されてしまうかが不安に思えて仕方が無いんだ」

 

 踵を上げ、膝を着けつつ正座のような姿勢で座りながら、両手を膝の上に置いて親父と向かい合う自分。今も朝日の柔らかな光が降り注ぎ、それが親父の石碑に射し込む様子を真っ直ぐと見つめながら、自分は言葉を続けていく。

 

「だから……俺も戦うよ。さっきも言ったように、これは復讐のためなんかじゃない。これは、みんなと人生を共にするために……俺達の日常を取り戻すために戦う覚悟なんだ。……俺も激しい戦いに巻き込まれるんじゃないか。そう心配するかもしれない。でも、俺の気持ちも、みんなの気持ちも一緒なんだ。みんなで一緒に、平和に暮らしていきたい。そのために俺も、親父を心配させない範囲で戦ってみせるからさ。親父にはどうか……“此処”で見守っていてもらいたいんだ。立派に育った息子のことを。そして……親父が作ったLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で今も頑張っている、お店の人達みんなのことを……!」

 

 決心と共に立ち上がり、お墓を見下ろしていく自分。それから、瞼でチカチカッと光った日差しに一瞬だけ眩むような感覚を覚えてから、自分はお墓の真上にある大空を仰いでいった。

 

 ……青く、無限に広がる初夏の空。余韻として残る朝焼けが淡い色となって浮かぶ中、後ろにいたホステス達もみな大空を仰いで、“親父”を見つめていった。

 

 穏やかに吹く風になびかれて。過ごしやすい気候に恵まれた今日という日。決意を表明するに、これほどまで都合の良いタイミングは他に無かったことだろう。

 これもきっと、そういう巡り合わせだったのかもしれない。親父の血筋によって引き合わされた、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)という環境と巡り合えたその奇跡。その運命。その必然……。

 

 ……打倒、鳳凰不動産。親父の仇である、雌羊斗織代理社長。

 親父が守ったこの街を、次は俺が守ります。頼れる仲間達と一丸になって、親父が安心して見守ることができる龍明を取り戻します。

 

 なので、どうか……祈っていてください。息子の安永と、仲間達の幸福を。みんなで安心して歩める、俺達が迎えし未来の結末を……!

 

 優しく吹きすさぶ風。お参りをしてからというもの、上空から霊園に降ってきたその流れは、あたかも狙ったかのように自分達のいる通りにのみ吹き抜けてくる。

 

 自分の髪を揺らすその風は、心なしか頭を撫で掛けられているような感覚を覚えたものだ。

 それは自分だけではない。ユノやラミア、メーやレダ、ミネやシュラ、そしてノアの髪もなびかせて、どこか撫で掛ける風の流れを伴いながら、一同の隙間を通り抜けていく。

 

 ……全員でその風を見送ってから、自分は“親父”についていくように歩き出した。

 今、この胸の中に溢れんばかりの勇気が湧いてくる。まるで加護を受けたかのような、力が漲り、臆することのない精神力が、この身体を自然と前へ前へと押し出してくれている。

 

 ありがとう、親父。俺なりに頑張ってみるよ。

 歩き出したこちらに続くよう、ホステスの皆も決心した表情と共に歩み出してくる。そうして心強い仲間達と共に平穏な日常を取り戻すべく、自分もまた決意を胸に新たな一歩を踏み出したのであった。

 

 

 

 

 Chapter 7

 【俺のハーレムはワル女子だらけ 新章】に続く…………。

 




【あとがき】

 お世話になっております。作者の祐。です。

 昨年の1月28日に投稿した、第1話『le goût du péché《罪の味》』。何気無く投稿してみたそのお話から、もうじき一年が経過しようとしています。

 この一年で強く実感したのは、『作品というものは読者様によって支えられている』というものでした。

 自分で言うのも何ですが、こちらの作品は小説投稿サイトにおいて“かなりイレギュラー”な内容の物語なのかなぁと思います。主に、『ハーレムなのにラブコメしてないじゃん』とか、『ヒロイン達が他の男とヤりまくってんだけど』などなど。流行りのジャンルから考えると、あからさまに反感を買いまくりそうな内容をメインコンテンツとして連載してきたものです。

 それ故に、かなり人を選ぶ作品なのだろうなと自覚しています。その中で、意外にも多くの方々の目に留まる機会なども頂いたことによって、創作活動6年目の自分史上、最も多くの人達に読んでもらえた作品となりました。

 物語が一つの区切りを迎えたため、ここに深く感謝の意を表します。ここまでご愛読くださり、誠にありがとうございました。本作品を楽しみに頂けている読者様の支えがあったからこその今なのだと、心より存じております。

 話は変わり、本編はChapter 7へと突入します。
 第1話を書いてから二週間ほどで、Chapter 12までのプロットを頭の中で立てました。プラスで考えていた後日談も、今となってはChapter 13以降の話として改めてプロットを立て直したことで、そこから大雑把に換算するに、現在は物語全体の約三分の一の所まで来たことになります。

 当初の予定であれば、折り返し地点とも言えるだろう現在の進行度。そしてChapter 7からは【俺のハーレムはワル女子だらけ 新章】として、主人公とヒロイン達の新しい物語が始まります。

 血筋、因縁、野望。日常系とは思えないほどに物騒な世界観ではありますが、もうしばらく本作品にお付き合い頂けますと大変嬉しく存じます。そして、彼らの結末を見届けてもらえましたら、作者冥利に尽きるばかりです。

 改めまして、ここまでご愛読くださり誠にありがとうございました。引き続き、【俺のハーレムはワル女子だらけ】をよろしくお願いいたします。
                     祐。


 (Twitterのアカウントあるよ!→@Yu_o297)


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Chapter 7【俺のハーレムはワル女子だらけ 新章】
第73話 De Nouvelles beautés 《新たな美女その4》


 瞬く間に夏が過ぎ、日本は初秋を迎え入れていく。

 

 残暑と言える熱は無く、かと言って涼しくも無い真昼の気候。しかし既に、どこか寂れた風が吹く季節の訪れを痛感してからは、この心に一種の虚しさを感じられたものだった。

 

 内部を改装中のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)から出た自分は、店前の階段を上って道路に出る。それからすぐにも裏口からは靴音が聞こえてきて、次にも地雷風コーデのラミアが歩いてきた。

 

 黒色のマスクを着け、黒色の手袋を着用したその姿。フライドチキンの紙袋を手に持つ少女は可憐にこちらへ振り向いてくると、そのまま軽快な足取りで歩み寄りながら言葉を掛けてきた。

 

「おまたせしましたー。んじゃー、さっさと帰りましょー」

 

「そうだね。部屋でメーが待ってる。治りかけとはいえ、骨折した足でご飯の準備とかさせたくないからね」

 

 今こうしている間にも、メーからはご飯をねだる催促の連絡がひっきりなしに掛かってきていた。

 鳴り止まない彼女からの通知に、自分は苦笑しながらそれを話していく。これにラミアは、「まー、メーさんなら少しくらい待たせても大丈夫ですよー」と適当に返答しながらも先に歩き出したことで、自分もそれに並ぶように歩み始めていった。

 

 ……第二次龍明抗争から、二カ月くらいは経っただろうか。

 龍明の街に大きな傷跡を残したその戦い。それはLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)も例外ではなく、店のみにならず従業員もその犠牲となったものだ。

 

 誰も幸せになることのない戦いから数ヶ月。攻め入ってきた鳳凰不動産の手によってボロボロとなったLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)は、これを機に店内を少し綺麗にしようという話になったことで、長期間に渡る改装へと踏み切った。これにより、レストランとしても、キャバレーとしてもしばらく店を畳んだことで、従業員達は各々で穏やかな日常を送っていたものでもあった。

 

 とはいえ、彼女らにとってLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)は最後の拠り所でもある。それ故に、営業をしていないにも関わらず店は彼女らの溜まり場となっており、改装中の工事現場を勝手に出入りしながら、談笑するなりショーの練習をするなり、自由に過ごしていたものだった。

 

 今日も、店に訪れていたユノと荒巻、クリスの三人がエントランスで話し込んでいた。尤も、この三人はLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を支える最古参組でもあるため、別に集まっていても何らおかしくはないのだが。

 

 そんなこんなで、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の夏はバタバタしている内に過ぎ去ってしまった。

 みんなの水着姿、ちょっとだけ見てみたかったな……。何という、平和ボケした思考に耽る自分。これに意識を遠くへ投げ掛けている間にも、隣のラミアはマスクをずらしながら手に持つフライドチキンを食べ始めていた。

 

 ハムスターのように食事する彼女の姿に、自分はそう喋り出していく。

 

「いいの持ってきたね」

 

「オーナーの手土産、余っていたので貰ってきちゃいました。カンキさんの分はありませんよー」

 

「いいよいいよ、気にせず食べて」

 

 そう促しながらも、自分はラミアの唇へと意識を向けていった。

 

 ……未だに残る、痛ましい傷跡。だいぶ修復されてきた彼女のそれに、自分は続けて話しかけていく。

 

「やっぱり、傷跡は残っちゃうか……」

 

「致し方ありませんよー。むしろ、コレでもだいぶ良くなった方ですから。……レダさんの治療と、ノアさんの栄養満点なお食事の賜物ですねー。おかげさまで、いつもよりも傷の回復が早く感じられます」

 

「そうだね。専門的な二人がついてくれて本当に良かった。あとはゆっくり時間をかけて治していこう」

 

 こちらが喋っている間にも、もぐもぐとフライドチキンを食していくラミア。そんな彼女の唇を眺めていると、次第にも自分はちょっとした欲求が巡り始めてきて……。

 

「ラミア」

 

「はい?」

 

 呼び掛けに応じて振り向いた彼女の顎に、右手を添えていく。共にして二人で立ち止まり、こちらがじっと目線を投げ掛けていくと、それを受けてラミアは何かを悟ったように目を瞑ってから、“こちら”を待ち始めたものだ。

 

 ……高鳴る高揚感は、いつになっても慣れないな。

 内心に言葉をよぎらせながらも、自分は顔を近付けていく。それからギリギリの距離で寸止めしながらラミアの顔を見つめていき、彼女のいたいけな容貌に更なる興奮を覚えながら、その唇をゆっくりと近付けていった。

 

 ちゅ。

 表面と表面が触れ合う、とてもソフトな口付け。傷跡が残る今でも、彼女の跳ねるような弾力に自分は心臓の鼓動を速めながら、名残惜しく唇を離していく。

 

 ……目を開いてきたラミアに、ジッと見据えられていく。その暫しもの沈黙が余韻となって幸福感に満たされる中で、ラミアは男を落とす上目遣いで、適当ながらも甘い声音でそれを訊ね掛けてきた。

 

「もうイイんですか??」

 

「あぁ、ひとまずはね……」

 

「そーですか。……お食事中の女性にキスを迫るのも、些か非常識だとウチは思うんですけど??」

 

「あー……ごめん。つい」

 

「まー、ウチは別にイイんですけどねー。それよりも、ホラ。さっさと帰りますよー」

 

 素っ気ない調子ではあるものの、ラミアは微笑しながら歩き出していく。そんな彼女の様子に、自分は見惚れるような視線を送りながら彼女と共に歩み出していった。

 

 ……他に代え難い、平穏ながらの何気無い充実感だ。

 恵まれた晴天の下、初秋の風に吹かれながら、通い慣れた道を辿っていく。その道中も非常に馴染みがあり、踏みしめたコンクリートの感触に閑静な住宅街の光景、視界の隅で点在する電柱に、その脇でうずくまっている深緑のドレス姿の女性。

 

 至って変哲の無い日常だ。代わり映えの無い、狂おしいほどに愛おしいこのありふれた平穏の日々。自分はこのひと時が大好きだ。この日常を、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステス達と一緒に過ごしていきたい。ただ、それだけを切に願うばかりだ。

 

 …………待てよ。うずくまっている女性?

 

 よぎってきた疑問と同時にして、自分は逆再生するかのような足取りで来た道を引き返していく。

 この動きに合わせてきたラミアもまた、何気無く思いながらも同時に気が付いたのだろうか。そうして二人で一緒になって引き返していくと、そこには確かに、電柱の隣で丸くなるようにうずくまる女性が存在していた。

 

 膝を抱えて、顔を埋めるその姿。ティアラのような柄の薄い黄色のヘアバンドに、ツヤのある茶色のショートヘアーが高貴さをうかがわせる。その、貴族を彷彿とさせる雰囲気をまるで体現するかのような深緑のドレス……のようなワンピースに、茶色のストッキング、そして焦げ茶色で編み上げのニーハイブーツという格好が実に印象的だ。

 

 両手に着けた、お姫様のような白色の手袋。何よりも、うずくまっているにも関わらずそれなりに大きい背格好が、おとぎ話に出てくる外国の姫君を連想させてくる。

 

 ……声、掛けた方がいいのかな。

 隣へ振り向き、アイコンタクトで訊ね掛けていく自分。これにラミアも目を合わせてくるのだが、彼女は首を傾げて対応を決めかねている様子でもあった。

 

 と、次の瞬間にも女性はガバッと顔を上げてみせた。

 これには、自分らはビクッと驚きながら見遣ってしまう。しかし、そこで向かい合った女性の容貌を目にしてからというもの、彼女のそれに一種の納得感さえも巡ってしまえたものだった。

 

 宝石の翡翠が如く鮮やかな、深緑の半透明な瞳。ハーフを思わせる顔立ちがクールであり、化粧を纏わぬそのスッピン顔で華々しいオーラを放っている。

 美麗。この二文字が擬人化でもしたかのような麗しさだった。そのあまりもの美しさに恐縮さえしてしまいながらも、自分は眩い存在を見遣るよう瞼を閉じ掛けながらそれを訊ね掛けていった。

 

「あ、あの……? ここでどうされたんですか……?」

 

 そもそもとして、日本語が通じるのかな。

 もしかしたら、本当に外国のお姫様かもしれない。そんな不安もよぎらせながら言葉を投げ掛けた自分だったものだが、これを聞いた女性は首を傾げながら暫しこちらと見つめ合うなり、次にもあどけないサマで両手を合わせながら、しっかりとした日本語でその返答を行ってきたのだ。

 

「まぁ! もう到着なされたんですか! (わたくし)ったら、旅の疲れからか少々うたた寝をしてしまっていたみたい!」

 

「え? 到着?」

 

「はい! 先ほど申しましたお店に到着なされたんですよね! ところで、近くにお店がうかがえないのですが、私が指定したお店はどちらにあるのでしょう?」

 

 そう言って、周辺をキョロキョロし始めた女性。これには自分とラミアは唖然とするようポカーンと立ち尽くしていく。

 

 で、未だに自身の状況を理解していないのか、女性はものすごく不思議そうに首を傾げながら、濁りの無い至って純粋な瞳でそれを訊ね掛けてくる。

 

「あら? 運転手さん、タクシーはどうされたんでしょうか?」

 

「え? タクシー??」

 

「あら? よくよく見てみますと、運転手さんもしかして若返られました?」

 

「え??」

 

 何が何だか分からない。そんな、状況を呑み込めずにいるこちらの様子に女性は「うーん……?」と目を細めてくると、次にもパァッと晴れやかな表情を浮かべながら、『なるほど!』といった具合に両手をポンッと打ち付けながらそれを口にしてきたのだ。

 

「あぁそうでした! 私、目的地付近まで来たタイミングで、敢えてタクシーを降りたことを忘れておりました! あたかも徒歩で出向いたように見せ掛けて、サプラ~イズって驚かせようと閃いたのです! しかし、道中の長旅で疲れてしまったのでしょうか。お店まで向かう道のりで急に眠気が訪れてしまい、それでついついこちらで眠ってしまった……のでしょうか?」

 

「いや、疑問形で仰られても……」

 

 もしかして、関わってはいけないタイプの人だったか?

 引き下がれないところまで来てしまったことに、後悔が巡り出してくる。そんな内心に誤魔化すよう苦笑していくこちらに対して、女性は天真爛漫な笑みを浮かべながら、あろうことかこのようなことを言い出してきたものだ。

 

「ここでクイズで~す!」

 

「え?! なに……?!」

 

「問題。私は一体、何のお店へ向かおうとしていたのでしょうか?」

 

「え……??」

 

「ひと眠りしたら、お店の名前を忘れてしまいました~」

 

「え…………」

 

 誰か助けて。

 今すぐにでもLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に駆け込みたい。この思いばかりが募ってくるこちらへと、女性は真っ直ぐな眼差しを向け続けてくる。だが、自分の内心には「でも声を掛けたのは俺だし、せめてお店の名前を思い出すお手伝いはした方がいいかな……」という気持ちが巡ってきたことから、自らを説得するように内心の言葉を噛みしめつつ、恐る恐るとそれを訊ね掛けていった。

 

「あの……まぁ、俺でよろしければ、そのお店とやらの名前を思い出すお手伝いをしますけど……?」

 

「まぁ! 本当ですか! かたじけのぅござる~!」

 

 この人の何が怖いって、先ほどから一切の躊躇いもなくそれらの言葉を口にしていることなんだよな……。

 

 と、困り眉で女性を見遣る自分。隣にいるラミアもまた、内心で「とんでもないヒトにお声掛けしましたね……」と思っていたことだろうその複雑な表情をこちらに向けていたのだが、先の言葉と共にして女性はガバッと立ち上がっていくと、瞬間にもその姿に自分らはギョッと目玉をひん剥きながら、見上げるようにして驚愕してしまったのだ。

 

 で、でかぁっ!!?

 百九十一はあるだろう、今までに見たことがないその身長。日本なら尚更お目にかかる機会が滅多に無いかもしれない彼女の背丈に、自分らは圧倒されるように言葉を失ってしまう。

 

 ドレスのようにゆったりとしたワンピースで全容が掴めずにいたが、まさかこんなに背が高かったなんて……!

 侮っていた。いや別に見くびっていたわけではないけど! とかなんとか内心で言葉が交錯する間にも、女性は指先をくっ付けるように両手を柔らかく合わせながら佇んで、そう喋り続けてくる。

 

「まずは何からなされますか? カツ丼でもご注文されますか?」

 

「いやここは取調室じゃないから……。取り敢えず、そのお店に関連しそうな単語や表現などを教えてください。曖昧でもいいので、まずはそれっぽいところから思い出してみましょう」

 

 長丁場になりそうだなぁ。

 そんなことを思いながら、女性にそのような提案を持ち掛けてみる。これに女性は「関連しそうな単語や表現……」と呟きつつ視線で天を仰いでいくと、次にもおおらかな調子でこのような言葉を繰り出してきたものだった。

 

「ひとつ、今でも覚えていることがございまして~。それがですね、とても背徳的な印象を受けるフランス語……! という感想でした」

 

「背徳的な印象を受けるフランス語……。フランス語というあたりがまた、第一印象として喫茶店などのお洒落なお店を想像できますね」

 

「まぁ、喫茶店! 喫茶店? いえ~、確かそのお店はレストランだったような~?」

 

「レストランですか……。フランス語でレストラン、となるとだいぶ絞られてくるような」

 

「そうでした! あとは、キャバレーとなる大人の娯楽も営業なされているのだとか! 一体どういうお店なのでしょう? 私、今から楽しみで仕方ありません!」

 

「ん? それってもしや…………」

 

 隣にいるラミアもまた、目を細めながらも何かに勘付いた様子だ。

 だが、本人に確認してみるまでは分からない。それを思いながらも自分は女性と向かい合っていくと、次にも彼女をうかがうような視線を投げ掛けながら、ほぼほぼ確定していたその“お店”の名前を念のために訊ね掛けてみたものであった。

 

「……その探されているお店の名前って、もしかしてLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)……だったりしますか?」

 

 

 

 

 

 少し前に歩いた道を辿り、店前の階段を下りて正面扉を開いていく。そうして視界に広がったフェンスやブルーシートだらけのエントランスに踏み入っていくと、その中央で話し込んでいたユノ、クリス、荒巻の三名が視線を投げ掛けてきた。

 

 特に、ユノと荒巻が不思議そうに見遣ってきたものだ。それもそのはずで、自分らが連れてきた高身長の女性が珍しく映っていたのだろう。

 

 思わずサングラスの位置を直した荒巻。それから、呆気にとられながらも見惚れるような眼差しで彼は訊ね掛けてくる。

 

「おうおうおうおう。カンキちゃんにラミアちゃん、二人仲良くお家に帰ったと思ったら、こりゃまた色々とスゴいお嬢さんを連れてきたな……」

 

「あの、こちらの女性がLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に用事があると仰っていたのですが……皆さんのお知り合いの方でしょうか?」

 

 こちらの問い掛けに、荒巻は「いや、存じ上げねェな」と首を横に振る。だが、その麗しき美貌は確かなものであったため、彼は食い入るように狙いを定めていたものだ。

 

 クリスは無反応。相変わらず、不敵な眼差しでこちらを迎え入れてくれている。で、残るユノはと言うと、お客である女性の顔を、じっと、真っ直ぐと見つめ続けていたものだった。

 

 ユノさんの“対象”なのかな?

 そんなことを思いながら、女性を連れた自分とラミアが三名の下へと歩み寄っていく。その最中にも女性は店内を見渡すように眺め遣り、左手を胸元に添えながら、今も聞こえてくる工事の音に対して「まぁ! とっても賑やかで楽しいお店ですね~!」とウキウキしながらその言葉を口にした。

 

 これには思わず、自分が「いやいや、工事中なだけなんで……」とツッコんでいく。それを受けて女性は、キョトンとした瞳でこちらを見遣ったり……などの光景が繰り広げられていく中で、次にも女性をずっと眺め遣っていたユノが、うかがうような調子で女性へと“それ”を訊ね掛けていったのだ。

 

「……貴女、“ヴィクトリア”?」

 

 ユノの問いに、女性が機敏な反応を示していく。同時にして彼女はユノの顔を見つめていくと、“ヴィクトリア”と呼ばれた女性は次第にも両手を合わせながら、感極まる表情で駆け出しつつその返答を行ってきた。

 

「まぁ……! やはりお姉様なのですね……! お久しゅうございます~!」

 

「えぇ、随分と久方ぶりであることは確かなのだけど……どうして貴女がここへ? 付き添いの者は? 貴女、一人なの?」

 

 どうやら知り合いらしいその雰囲気。ユノが訊ね掛けていく途中にもヴィクトリアという女性は彼女へと駆け寄っていき、そこから対格差による抱擁を行ったことから、ユノは衝撃で思わず体勢を崩しながらも彼女を受け止めたものだった。

 

 再会を喜ぶように、ユノを包み込んでいくヴィクトリア。ドレスのようなワンピースが尚更と面積を占めていたことで、あのユノの姿が呑み込まれるように見えにくくなる。そんな様子を脇にして、荒巻は荒巻で「オレちゃん、この先の人生において女性を見上げる日がまた来るだなんて夢にも思わなかったぜ……」なんて呟いたりなど、目の前は何とも言い知れない光景に溢れていた。

 

 百八十八の荒巻からすれば、まさか身長を追い抜かれるだなんて思わなかったことだろう。

 で、この状況に置いていかれている自分とラミアが眼前のそれを呆然と見遣っていく中で、ユノはヴィクトリアに対してそのような問い掛けを行っていった。

 

「再会を祝す抱擁も歓迎ではあるけれど……ヴィクトリア、貴女まさか一人でここまで来たと言うの? “キャシャラト”はどうしたのかしら? 貴女が外界に姿を現している以上、世話役の彼がうかがえないのはあまりにも異常よ」

 

「それならばご安心くださいませ! この度このヴィクトリアは、キャシャラトから単身の外出を許可された次第なのでございます!」

 

「彼が単身の外出を許可? そんなの断じてあり得ない。彼が貴女を野放しにするだなんて、余程の事情が無い限りは決して考えられないわ」

 

 何かしらの事情が垣間見えてくる二人のやり取り。加えて、それを聞いていたクリスが不敵に「その、余程の事情があったからこそ、君の知り合いがここに来たんじゃないのかな?」と言葉を口にしたことで、ユノは一瞬ながらも呆気にとられるような表情を見せてきた。

 

 ここは、変に首を突っ込むべきじゃないんだろう。それを思いながらも、先の言葉がついつい気になってしまった自分はユノへと訊ね掛けていく。

 

「その……二人が仰られているキャシャラトとは一体?」

 

「キャシャラトは、マッコウクジラの英語名という認識で構わないわ。……彼女の家に仕える者には、動物をモチーフとした二つ名が与えられる仕組みになっているの。このLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で例えるならば、源氏名のようなものよ。そうして、キャシャラトと名付けられたその人物もまた、この子の世話役として配属されていた熟練の執事。彼は常に監視の目を絶やすことなく、一切の妥協や油断も許すことのない、令嬢の世話役に打って付けである厳格ながらも面倒見の良い完璧主義な初老の男性なの」

 

「そうだったんですね……。ところでなんですけど、ユノさん、彼女の事情にけっこうお詳しいみたいですが……?」

 

 何気無く訊ね掛けたその問いに、ユノはわずかに見開きながらも「えぇ、そうね」と認めてきた。共にして、不敵な笑みを浮かべるクリスがこちらへと喋り掛けてくる。

 

「ユノはスーパーゼネコンの“令嬢”だったからね。そこの彼女もきっと、その繋がりによるものなんじゃないかな」

 

「え? ゼネコン?」

 

 ゼネコン。云わば建築企業を指す言葉であり、その建築企業の中でも特に莫大な売り上げを誇る企業をゼネコンと呼ぶ……らしい。

 

 そこにスーパーと名が付くと、売り上げや技術は更に伸びていく。スーパーゼネコンというレベルまで来てしまえば、その会社名は新聞やテレビのCMなどで言わずと知れた有名どころとなり、もはや知らない人の方が少ないという程度には世間に馴染みのある存在となっていたことだろう。

 

 クリスが言うには、ユノはそのスーパーゼネコンの令嬢だったとのことだ。そんな彼の言葉にユノは鋭い調子で「余計なことを口にしないでちょうだい」と怒っていく。だが、直後にも彼女は冷静さを取り戻すなり、鼻でため息をつくようにしながら「いえ、柏島くんには話すべきでしょうね」と観念するように口にして、抱擁していたヴィクトリアを離しつつそれを喋り出してきたのだ。

 

「“葉山グループ”という名に、聞き覚えはあるものかしら」

 

「葉山グループ……もう、幼い頃から馴染みのある名前ですよ。子供向けの番組なんかでもしょっちゅうCMが流れたりしていましたからね。世間でも、知らない人の方が少ないんじゃないでしょうか。……え、まさか」

 

「大手総合建設会社『葉山グループ』は、私の父親が社長を務める日本有数のスーパーゼネコン。同時にして父親は資産家でもあり、私はそこの令嬢として育てられていたものよ」

 

 今ここでユノの出生を知るとは思ってもおらず、自分はさぞ呆気にとられたような顔をしていたことだろう。

 

 驚きのあまりに、隣にいるラミアへと「ラミアは知ってたの?」と訊ね掛けていく。これにラミアは適当な調子で「ほんのちょっとだけ聞いた程度ですから、詳しくは知りませんけどねー」と答えていく中で、ユノは傍にいたヴィクトリアの手を取りながら説明を続けてきた。

 

「せっかくだから、彼女の紹介を済ませてしまいましょうか。……彼女の名は、“霹靂(へきれき)ヴィクトリア”。日本屈指の財閥『霹靂(へきれき)一家』の令嬢であり、日本人とフランス人のハーフ。そして、おそらく日本で最も裕福な家庭で育てられた人物とも言えるでしょう。私の父親が社長を務める葉山グループは、彼女の財閥、霹靂一家が独占する企業の一つでもあって、その関係で私とヴィクトリアは度重なる交流の機会に恵まれていたものよ」

 

 ユノの紹介と共にして、霹靂一家の令嬢“霹靂ヴィクトリア”はドレスのように両手でワンピースを持ち上げながら、とても優雅な身振りでお辞儀をしてみせた。

 

 ユノ共々、なんて美しい人物なのだろう……。

 二人が並ぶ姿は神々しく、二人がいる空間だけ世界が違うように見えてくる。心なしか、彼女らの足元には白色の百合の花が咲き乱れているようにも見えてしまい、そんな異次元じみた空間に自分が息を呑んでいく脇で、クリスがこちらへ向きながらそれも説明し始めた。

 

「ところで君は、以前にオーナーが説明してくれた柏島長喜の決戦の話を覚えているかな」

 

「親父の決戦の話?」

 

「『当時、鳳凰不動産には三つの他組織と協力関係にあった』。どう? その続き思い出せる?」

 

「えっと……」

 

 話してくれた時期的には、ハオマがLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に戻ってきたというタイミングだったか。過去の決戦に深く関わりを持つメンツがエントランスに集まったその時にも、荒巻は確かそのような説明をしてくれた記憶を、自分はじんわりと思い出していく……。

 

 

 

『当時、鳳凰不動産は三つの他組織と協力関係にあった。それぞれ、鳳凰不動産と親しい間柄にあった“スーパーゼネコンの企業”と、人身取引を主とする裏社会の巨大な組織、そして、当時の銀嶺会を裏切った元本家若頭が率いる自警団』

 

 

 

「そうだ。鳳凰不動産と協力関係にあった組織で、スーパーゼネコンの企業って出てきたような……?」

 

 引き出した記憶のままに、自分は言葉を口にする。だが、そうして喋ってから理解した自分は、直後にも嫌な予感と共に「もしかして、そのスーパーゼネコンって……」と口にすると、これにクリスは不敵な微笑を浮かべながらそう答えてきたものだ。

 

「当たり。葉山グループのことだよ。あろうことか、ユノの身内が鳳凰不動産と協力関係にあってね。最終決戦の当日、敵方の参謀でもあった葉山グループの幹部の打倒を、僕とレダが任された」

 

「この前、俺の部屋で話してくれたやつかな。落下してきたクレーン車のワイヤーにぶら下がって、レダと一緒に爆発する七十階のビルから脱出したっていう映画みたいな戦いのあれ……」

 

 建設途中のビルの中で繰り広げた銃撃戦。クリスが言うには、その時の相手が葉山グループに属する人間だったとのことだ。

 

 葉山グループは、親父と敵対したことのある組織。そうなると、葉山グループという存在は自分にとっても他人事とは思えなくなってくる。

 途端に巡ってきた、警戒するようにじりじりとしたこの感情。特に、先日の第二次龍明抗争では、鳳凰不動産と元協力関係にあった骸ノ市という他組織も乱入をかましてきたことから、もしかしたらこの先、葉山グループとも対峙するのかもしれないという予感に苛まれていく。

 

 新たな敵の存在、か。

 鳳凰不動産にありつくまで、どれだけの強大な敵が現れるのだろう。考えれば考えるだけ途方に思えてくるそれに自分が憂いに感じていく最中にも、目の前ではヴィクトリアとクリスによるそんな会話が展開されていた。

 

「貴方様は~……まぁ、やっぱりそうですね! 以前、屋敷内に貼り出されていた手配書の殿方とお顔がそっくり!」

 

「へぇ、それは光栄だね。これで僕も晴れて有名人の仲間入りかな」

 

「まぁ! 名が知れ渡るほどの著名人なのでございますね! お会いできて光栄ですわ!」

 

「せっかくだから、サインでもいる?」

 

「サイン! なんて親切なジェントルマンなのでしょう! もしやこれが、世間が口々にする『神対応』というもの……! それではご厚意に与って……私の左手袋にサインをお願いいたします! 『霹靂ヴィクトリア』と、お書きくださいませ~!」

 

「これってむしろ、僕の名前を書くもんじゃないかな。あと、霹靂って漢字を書くの大変だからヴィクトリアだけでいい?」

 

 いつの間にかペンを持っていたクリスと、何の疑いもなく左手を差し出していくヴィクトリア。そんな様子に、ユノは彼女を引き剥がすようにしながら、クリスに向かって「いい加減にしてもらえないかしら」と怒りを露わにしていく。

 

 これに、クリスは「フフッ」と不敵に微笑むといういつものやり取りが繰り広げられるのだが、一方でヴィクトリアは不思議そうに首を傾げていたために、これらの様子にユノは頭を抱えたものだった。

 

 そんなやり取りを交わした後にも、ユノは呆れるようなため息をつきながらも話を戻すようにヴィクトリアへと訊ね掛けていく。

 

「本題へと戻るけれど、ヴィクトリア……貴女はどうして単身で外出をしているものなのかしら。キャシャラトからはどのような説明があったの。……龍明という街は、貴女のような財閥の令嬢が一人で来るような所じゃない。説明できる範囲で教えてちょうだい。霹靂一家では一体、何が起こっているというの?」

 

 ヴィクトリアの両腕を優しく掴むようにして問い掛けていくユノ。

 本気で心配をしている、凛々しくありながらも真剣なトーンのそれ。これと向かい合うヴィクトリアはちょっとだけ驚くように見開いてくると、次にも穏やかな調子のままにそう答えてきたのだ。

 

「キャシャラトは、お姉様に伝言するよう一つのメッセージを私に託してきました」

 

「伝言?」

 

「はい。……『目が離せない状況である故に、何卒宜しくお願い致します』と」

 

 聞いた限りでは、いまいち内容が掴み切れないそれ。だが、ここで疑問が思い浮かんだのだろう荒巻が、腕を組んだその佇まいでユノへと言葉を投げ掛けていく。

 

「何卒宜しくお願い致します。の部分は、ヴィクトリアちゃんのことを指し示しているんだろうよ。だが、『目が離せない状況』っつー部分が引っ掛かるな。まるで、明言するのを避けているかのような口調だ。……ユノちゃん、その霹靂一家とは事前にも、意思疎通できるような合言葉でも打ち合わせてあんのかね?」

 

「いえ。キャシャラトと取り決めた合言葉なんて、記憶にある限りでは存在し得ない。けれど……キャシャラトは考えも無しに意味深な発言などしない、非常に抜け目の無い男。彼が口にする、目が離せない状況、というものを考察するならば……ひとつだけ、私に心当たりがあるわ」

 

「そいつァなんだ」

 

「“監視されている”。キャシャラトが目を離せずにいるのではなく、キャシャラトを含めた“霹靂一家の動向に目を離せずにいる状況”が、そこにあるということ。彼の言う『目が離せない』という言葉はなにも、霹靂一家を指し示すものではないということなのでしょう」

 

「……つまり、葉山グループか。霹靂一家の会話を盗み聞きできる環境が整っていて、且つ、霹靂一家の隙を虎視眈々と狙っている。その不穏なモンを察知した世話役が、令嬢に被害が及ばないようヴィクトリアちゃんを密かにこちらへ寄越した……と考えるのがスジだろうな」

 

 言い切るような、迷いの無い荒巻の調子。これにユノは深刻そうな表情を見せながらも、コクリと頷いては俯いた。

 

 彼女の様子に、荒巻は後頭部を掻く仕草を見せながら「やっぱ動き出したか……。鳳凰不動産は、かつての同胞でもある骸ノ市に牙を剥いたんだ。であるからには、葉山グループも連中に警戒して、いざという時に迎え撃てるような準備くらいするよなぁ」と口にする。

 

 それから、ユノは荒巻へとアイコンタクトらしき視線を向けていく。これに荒巻が静かながらも大きく頷いてみせると、共にしてユノはヴィクトリアへとその言葉を掛けていったのだ。

 

「ヴィクトリア。しばらくは私と一緒に暮らしましょう」

 

 あまりにも急な提案。しかし、これにヴィクトリアは感極まる表情で返答してくる。

 

「まぁ!! お姉様との同居がとうとう許されるのですか!? 私、幼き日々からお姉様と過ごす平凡な庶民的生活というものに憧れを抱いておりまして……! お姉様からのお誘い、光栄の限りでございます! では、近況報告も兼ねて、キャシャラトに一報を入れてきますね~!」

 

「そのことに関してなのだけど……ヴィクトリア。貴女はしばらく、ご実家への連絡を控えてもらえないものかしら」

 

「しかし、それではキャシャラトやお父様、お母様が私の身を案じて、家で所有する捜索用のヘリコプターを百機ほど飛ばしてしまわれるかと……!」

 

「ご実家への報告は……私に任せてもらえないかしら。これは……そう。貴女が日頃から憧れを寄せていた庶民風の暮らしを、一層と忠実に再現するための一工夫のようなもの。より臨場感のある庶民の暮らしを体験できるようそのリアリティを保つため、まずは裕福な生活やそれに触れる事柄を断ち切るところから始めましょうか」

 

 まるで、年下の親戚や妹をあやすかのような、喋りながら言葉を探していくその調子。

 おそらくユノは、霹靂一家への連絡手段を持っていない。だが、葉山グループという魔の手が迫るその環境へとヴィクトリアを近付けさせないために、ユノはその場しのぎの言葉で彼女を説得しているのだろう。

 

 キャシャラトという人物が、ヴィクトリアという女性を危険から遠ざけたのだ。

 自身の親が、裏社会の活動に加担しているという現実を背負いしユノ。そんな、精神的な負担にも繋がっているであろう状況下に置かれてもなお、彼女は霹靂一家から託されしヴィクトリアを守るべく、新たな護衛対象をこの店に迎え入れようとしていた。

 

 ユノの説得にヴィクトリアは、「なるほど~……? さすがはお姉様でございます!」と疑う余地も無く頷いてくれた。

 本音を言えば、ちょっとだけ不安が残ってしまう彼女の反応。それでもユノは柔らかく笑んでみせると、次にもヴィクトリアの背に手を添えながら、周辺の人物らへとその言葉を投げ掛けたのであった。

 

「急になってしまってごめんなさい。だけど、事態が事態ですから、ひとまずは彼女の滞在を了承してもらえないものかしら。そういうことで、この場にいる一同へと告げましょう。……この時を以てして、霹靂ヴィクトリアの身柄を一時的にLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で保護します。保護の形態や宿泊に関してはこれから店の人間達と話し合うものの、この場にいる人間は彼女の存在を認知し、また、彼女の保護を他の従業員へと速やかに知らせてもらえると助かるわ」



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第74話 Juniors et assistants 《後輩と助手》

 【連載一周年!】

 引き続き、『俺のハーレムはワル女子だらけ』をよろしくお願い致します。


 完全に秋を迎えた昼間の龍明。周囲は季節の茶色に染まり始め、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に続く道路にはもの寂しい風が吹き抜ける。

 

 取り戻しつつある龍明の日常には、親子連れといった歩行者も見受けられた。

 子供を挟んで手を繋ぐ夫婦。微笑ましい彼らの光景を見送るようにしながらも、自分は隣を歩く存在へと意識を向けていく。そうして隣に視線を投げ掛けると、そこには左腕で松葉杖をつきながら足並みを揃えるメーの姿が映し出された。

 

 右半身を骨折した、包帯だらけのなんとも痛ましい姿。だが、本人はケロッとした様子で目を合わせてくると、次にも勝気に微笑しながら喋り出してきた。

 

「そんな心配しなくっても大丈夫だってば~! メー様はね、これくらいの怪我でも絶対に挫けない強靭な心の持ち味なのだよ~?」

 

「だからと言って、骨折した女の子を一人で歩かせるわけにはいかないからね。久しぶりに顔を出すLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)なんだ、その道中で何かあったらお店のみんなが責任を感じちゃうだろうしさ」

 

「みんなのことを考えてくれているんだね。さっすがカンキ君、私の忠実な家来なだけはあるね~」

 

「でもやっぱり一番は、メーの身体が心配だからついてきたってトコはあるよ。メーの家来……も悪くはないけど、どちらかと言うと、『ズッ友』、としての意味合いで俺は考えていたかな」

 

 ズッ友。以前にも彼女が口にしたその言葉に、メーは一瞬だけ唖然とした表情を見せてくる。それから自分が苦笑していくと、こちらの反応に彼女は照れ臭そうな微笑を浮かべたものだった。

 

 第二次龍明抗争で、こちらを逃がすための囮となってくれた勇敢なる彼女。命こそは助かったもののその代償は実に大きく、メーはアパートの部屋にて数ヶ月に渡る療養生活を送る羽目となっていた。

 

 彼女は身を挺して守ってくれたため、自分はその恩を返すべくこの数ヶ月は付きっ切りでメーの看病に勤しんでいた。その間の生活は不自由でありながらも笑顔に溢れており、彼女としてもどこか充実とした様子でそのひと時を送っていたものだ。

 

 部屋のベッドを独占したメーは、事ある毎にこちらを呼んでみせた。

 ある時は、「カンキ君ご飯!」とこちらを呼び付けたメー。それに対して自分が「俺はご飯じゃないよ」と返答していくと、彼女はとても満足げにニィッと悪戯な笑みを見せてくる。

 

 ある時は、「カンキ君トイレ!」とこちらを呼び付けたメー。それに対して自分が「俺はトイレじゃないよ」と返答していくと、彼女はとても満足げにニィッと悪戯な笑みを見せてきた。

 

 そしてある時は……メーの後ろに座り、抱き寄せながら“彼女の栗”を指で転がした。

 寝間着のカーゴパンツに右手を入れて、ショーツの中へと滑り込ませたこちらのアプローチ。そこから“前の口”を入念に可愛がっていき、次第にも中指や薬指を“口”に進入させていく。この動作にメーは堪え切れない甘い声を出しながら天井を仰ぐものだから、自分は持て余した左手で彼女の乳を弄んだりもした。

 

 二日や三日に一度のペースで致していた行為。彼女は気分になると「性処理担当大臣~!」と呼び付けたものだったから、それを合図に自分は手や口などを清潔にしてから、メーの“発散”のお手伝いに励んだりした。

 

 日によっては、ラミアやレダ、シュラといったホステス達が傍にいた環境。それでも彼女らはベッドの様子を一切と気にすることなく、平然としたサマでテレビを観たり会話をしたりしていた。そんなホステスらに構うことなくメーは部屋中に喘ぎ声を響かせて、時には“前の口”で快楽を噴き出したり、“後ろの穴”が中指で(ほぐ)された際にはだらしない低い声で悶えたりしていた。

 

 怪我を負いながらも、共に過ごした日々はかけがえのない時間となった数ヶ月。むしろ、これほどまでにメーとゆっくりできた日など、今までに無かった。だからこそ、自分とメーは二人で過ごす療養生活に充実感を見出し、それは共通認識となって、それらひと時を大切に過ごしてきたものだ。

 

 そして本日、久方ぶりとなるメーの外出に付き添っていた自分。目的地はLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)であり、片道十五分程度のそこを目指し、穏やかな雰囲気でその道中を二人で辿っていく。結果的に時間こそは三十分くらい掛かったが、当初の予定通りにLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に到着した自分らは、今も改装工事の真っ只中である店内へ顔を出すべく、店前の階段を下りて正面扉を開いていった。

 

 

 

 

 

 メーに合わせて、ゆっくりとした動作で扉を開いていく。そうして改装工事中のエントランスへと意識を向けていくと、その先では受付カウンターの前で会話を行う三名の人物がうかがえた。

 

 内の一名は、私服姿で朗らかに会話するハオマの姿が見えている。だが、あとの二名に関しては馴染みの無い男性と少年というコンビだったこともあり、自分は不思議に思いながらメーと一緒にそちらへ歩を進めていった。

 

 途中、三名がこちらへ振り向いてくる。この時にも、男性と少年の外見に意識を向けたものだ。

 男性の方は、百八十三ほどの背丈を持つ長身だった。容貌としては、ヴィジュアル系を思わせる、毛先の艶や刺々しさが特徴的である黒髪のショートヘアーに、レダのような褐色肌が印象的だ。また振り向いた瞬間にもオーラとして溢れ出た自信と、それらが織り成す長いまつ毛や力強い黒色の瞳、そして目の周囲にある“くま”のような黒色のラインがミュージシャンを彷彿とさせた。

 

 服装もまた、非常に個性的なものだった。

 肩の部分のみを空けたオープンショルダーの、黒色のトップス。その上には着崩すあまりに両腕の関節までずり落ちた黒色のアウターに、ヤンチャにぶかぶかとさせた黒色のサルエルパンツと黒色のブーツという一式がまた、黒統一による陰りが如き無難さを相殺する、非常に派手な外見を演出してみせている。

 

 顔や肩から見える褐色が、男から見ても実にセクシー極まりない。日頃から鍛えているのだろうパンパンだが華奢な筋肉がまた、大人びたとは異なる方向性の色気を放っていたものだ。

 

 おまけに、自信に満ち溢れたイケメンときた。これには堪らず、隣にいたメーが釘付けとなりながら男性の顔を見つめていき、小声で「なにあのイケメンやばー。骨折してなきゃお持ち帰りされてみたかったかも~……」と、割と本気で惜しむ言葉を口にしていく。

 

 一方、男性の隣にいた少年の姿に、自分は以前にも出会ったことがある既視感を伴いながらも、改めてその容貌に意識を向けていった。

 百六十一くらいの背丈である、その人物。深々と被った灰色のキャスケットで目元を隠した彼は、スリムな顎の骨格や、キャスケットのツバを右手で摘まむようにしたその佇まいも相まって、どこか他人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。

 

 帽子からわずかにはみ出した、乙女色の黄みを含んだ淡い赤の髪。ショートヘアーというよりは、帽子の中でまとめ上げているような髪の毛のはみ出し具合に、ついつい意識が向いてしまう。

 

 服装は、下から開くタイプのストリート風な灰色パーカーを着用しており、それを半分だけ開けることで華奢なくびれやへそを出していた。他、下に着ている黄色のショート丈トップスに、ポケットがたくさん付いた、くすんだ緑色のストリート系ボトムス。後は灰色の運動靴に黒色のチョーカーというファッションがスタイリッシュでありながらも、これによって自分は、やはり以前にも出会ったことがある確信を抱くに至ったものだ。

 

 骸ノ市の存在を初めて知った場面において、その組織と深い関係を持つ人物達として、当時その場にいたラミアとメー、それとこの少年が呼び掛けられていた。

 

 結局、少年は一言も喋ることなくLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を後にしてしまったものだ。しかし、本日は以前ほどの警戒心を見せることなく、刃物のように鋭い瞳だがこちらと向かい合ってくれていた。

 

 前回はキャスケットのツバで見えなかった、少年の目。髪の色と同様に、乙女色の黄みを含んだ淡い赤色のそれを細めながらこちらを見遣ってくるその中で、少年にも気が付いたメーは気楽な調子でその名前を呼び掛けてみせる。

 

「やほー! “ミズキ”いらっしゃ~い。ここに来てたんだ~、奇遇だね~! ……あは、こんな姿でのお出迎えになってごめ~ん」

 

 メーの、悪戯じみた勝気な笑顔。骸ノ市に捕まっていた際にも交流があったのだろうそれに、ミズキと呼ばれた少年はキャスケットのツバで目元を隠しながらも、小さく端的な声音で「あぁ」と返答してみせる。

 

 初めて耳にした少年の声音は、なんとも中性的だった。

 声の特徴で言うと、ノアのような性別の判断が付きにくい調子。だが、若干と低めに喋ることを意識しているのだろう浅めの低音ボイスに、自分がどこか不思議に思っていくその中で、メーは松葉杖を見せつけながらミズキとの会話に勤しんでいく。

 

「ねぇ見てよミズキ~。これ骸ノ市にやられた~。マジ最悪って感じでゲロ萎え~……」

 

「相変わらずの汚い言葉遣いだな。黙ってりゃ顔は良いんだからよ、もう少し良識と品格を弁えりゃ、此処で働く以外の勤め口ぐらい簡単に見つかるだろうよ」

 

「いいのよいいのよ。ミズキには絶対にそう思えないんだろうけど、私としちゃ今の仕事は天職のようなもんだからね~。これが包み隠さない本来のメー様の姿だし? むしろ、猫を被らず素のノリでお仕事ができるこのLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)ってお店に巡り合えて~、ホンット~に良かったぁ!! ってカ~ンジ!」

 

「ふん。おまえが納得してんなら別になんも言わねぇよ」

 

 二人の会話からするに、ミズキという少年はだいぶ尖った口調で喋る人物であることがうかがえる。

 

 そうして、メーとミズキの再会に意識を向けていく最中にも、間髪入れずにズカズカと歩み寄ってきた男性の存在にこちらはギョッと驚いてしまう。

 

 で、見下げるような視線で歩み寄ってきた彼はフッと口角を上げていくと、次にも男性は両腕を上げては頂点でピタッと動きを止め、そこから一気に腕を振り下ろしては堂々と胸元や両腕を開いてこちらを迎え入れてくる、何とも鮮やかな動作を繰り広げてきたものだった。

 

 一連の動作の後には心なしか、男性の周囲には何か言い知れない自信満々なオーラが漂い出してきた。そんな彼の様子に自分は、内心で「なんかまた、個性的な人が出てきたな……」なんて呟いていくと、ちょっとだけ引いてしまっているこちらに対して男性は、この工事中のエントランスにも反響するような、非常にハキハキとした大声でそれを喋り出してきたのだ。

 

「諸君!!! ご機嫌は如何かな!!! 私は今! 猛烈に! 最高に気分が高揚している!!! 理由だと? そんなもの決まっているではないか!! 今この時にも、私が尊敬してやまない“先輩”の店が生まれ変わろうとしているんだ!!! この歴史的瞬間に立ち会えて、感動しない輩など存在しないだろう!!! なぁそうとは思わないか諸君らよ!?」

 

 ……なんか濃い人が出てきたなぁ。

 勇ましい大声に鼓膜が悲鳴を上げていく中、切実な面持ちでそんなことを内心に呟いていく。この光景と共にしてメーは顔を背けるようにしながらも、眉をひそめた表情で男性へとそれを訊ね掛けていった。

 

「ちょっ、ビックリしたぁ……。なんか第一印象とだいぶ違くない? 実は熱血系なカンジ? それはそれでギャップ的にアリだけどさぁ~……」

 

 イケメンに甘いメー。そんな彼女の言葉を聞き、男性はその場で横に回転するようグルンッとメーへと向きながら答えてくる。

 

「実は熱血系??? あぁ!! それはもしかしなくても“先輩”のことだな!!!」

 

「へ? 先輩?」

 

「そうだ先輩だ!!! 諸君らがオーナーという呼称で慕う“荒巻さん”のことだよ!!! 彼はクールとユーモアを兼ね備えたタフなナイスガイ! だがしかし!!! そのサングラスの奥に秘めた情熱は人一倍と燃え滾り! 探偵としての矜持とオーナーとしての覚悟を胸に今は亡き相方の意思を受け継ぐ、過酷な宿命に立ち向かいし孤高の戦士とも言えるだろう!!! ……皆が口を揃えて彼のユニークな生き様を面白がる! しかし!! 私は先輩の生き様に心底から惚れた!!! その強さに! そのたくましさに! その雄姿に! 私はとてもとてもとてもとてもとぉぉ~~~っても感動してしまったのだ!!!」

 

 とにかく声が大きく、身振りも激しい。喋っている間も男性は広げた腕に力を込めていき、声を上げる度にその衝撃で両腕が上がっては下げてを繰り返していく。そうして吠えるような調子で感動を語っていくと、次にも彼は右手を胸に添えながら、突然キリッとしたヴィジュアル系の鋭い微笑で自己紹介をし始めたのだ。

 

「今気付いたが、ところで私は諸君らと初対面だったね。ならば!!! 先輩を慕う者同士この感動を分かち合うべく、まずは自己紹介でもしていこうか!!! 私の名は“羅生院(らしょういん)”!!! 荒巻さんが所属する探偵事務所に勤める、正真正銘、れっきとした純正なる彼の後輩だ!!!」

 

 ずっと腹の底から繰り出される声音と共にして、羅生院と名乗った男性は次にも両腕を広げて神々しい佇まいで自己紹介してみせた。

 

 これに対し、「ヴィクトリアに続いて、新しい人が続けてやってくるなぁ……」という印象を抱いた自分。だが、羅生院の自己紹介を受けた時にもこの脳裏には、以前にも荒巻が口にしていたそれらの言葉がふとよぎってくる。

 

 

 

『今回、銀嶺会と鳳凰不動産の抗争に、骸ノ市が介入してくる可能性が示唆された。だが、ヤツらの動向がイマイチと不安定でな。っつーのも……さっきの話にも出てきた、骸ノ市を調べる“オレちゃんの後輩ちゃん”曰く、ヤツらは鳳凰不動産に加担している様子が無い、と言うんだ』

 

『……全て、鳳凰不動産の筋書き通りに物事が進んだのさ。少なくともこいつが、オレちゃんとユノちゃん、それと、“オレちゃんの後輩”で骸ノ市を追い続けていた探偵の三人で出した見解だな』

 

 

 

 そう言えば、骸ノ市の話題が出る度にオーナーが『後輩』という言葉を使っていたような……?

 

 前々から聞いていたからか、薄らぼんやりではあったものの納得していく自分。それから羅生院と向かい合っていき、こちらから訊ねる形でそれを問い掛けてみた。

 

「あの、オーナーからは『骸ノ市を追い続けている後輩の探偵』という人物のことをうかがっていたのですが……もしかして、あなたのことでしょうか?」

 

 この問い掛けに羅生院は、誇らしげな表情を一層と強くしたのであろう、パァッ、としたとびっきりの喜びを見せながらそう答えてくる。

 

「先輩が、私のことを話してくれていたのか……!!! なんという光栄の至り……!!! あの先輩が私という存在を認めてくださったその心遣いに、感極まるばかりだ……!!!」

 

 なんか、テンションを高くしたユノさんみたいな喋りだな。

 冷静に感じた印象を胸に留めながらも、羅生院を見遣っていく。その間にもメーは理解したように「あ~」と頷いていくと、彼女は羅生院へとそれも問い掛けたものだった。

 

「それじゃあ、骸ノ市で売り払われたミズキを助けてくれたのもお兄さんってこと?」

 

 メーの言葉を耳にして、自分はまたしても脳裏に過去の情景を思い浮かべていく。

 

 それは、当時のラミアとメーが口にしたセリフだったような……。

 

 

 

『……ウチとメーさん、それと、そちらにいらっしゃるコの三名は、骸ノ市出身の元奴隷です』

 

『その子は、ユノさんがカチ込みする前に売られちゃって、既に骸ノ市からいなくなってた。でもね、その売られた先でも色々とあったみたいで、最終的には骸ノ市を調査する探偵さんに拾われたんだ。……今でもその子は探偵さんに面倒を見てもらっていて、しかもその探偵さんは荒巻オーナーと同じ事務所の後輩? とかだから、大丈夫、安心できる人』

 

 

 

 第二次龍明抗争が起こる前、このエントランスに訪れていた少年。無口な彼も交えたその会話において、骸ノ市で売られた少年の行方についてメーが話をしてくれていた。

 

 その少年こそが、ミズキのことだった。

 羅生院の隣で静かに佇むクールな姿。右手でキャスケットのツバを摘まみ、それを下げて目元を隠している少年の姿を見遣る最中にも、羅生院とメーが会話を行っていく。

 

「まさしく!!! ミズキという人物は、同情するのも心苦しいほどに冷酷な境遇に晒されていた、忌まわしき宿命に翻弄されし不憫な子だった。私がミズキと巡り合えたのも偶然に過ぎない。しかし……ミズキを保護できて本当に良かったと思っている。この子が提供してくれた情報を頼りに骸ノ市の調査を進めることができたものだし、何よりも……身に覚えの無い不幸を被る罪無き子供を救うことができたんだ。……骸ノ市の毒牙から救出した現在、ミズキなりに幸せだと思える人生を歩んでもらえるよう私は常に最善の限りを尽くしていてね、今ではこの子が望んだが故に、唯一無二の助手として私の仕事を手伝ってもらっているんだ」

 

「へぇ……! そうだったんだ……! 良かったねミズキ! 骸ノ市に捕まっていた頃の姿を知っているからさ……あんなに自分の境遇に悲観して、泣くことも耐え忍びながら、必死に歯を食いしばって生きてきたあの生活から解放されて……今は納得のいく自分らしい普通の人生を歩めているみたいで……本当に良かった……ッ」

 

 他人に共感しやすいメーが、ミズキへの同情で目を潤ませていく。これに少年は、キャスケットのツバで目元を隠しながらも「……余計なお世話だ」と口にするのだが、その声音からはどこか戸惑いのようなものを感じさせながら、少年は遣りようの無い感情があまりにそっぽを向いてしまった。

 

 名前や姿だけは、以前から登場していたミズキと羅生院。その二人が今になって現れた状況に、なんだか感慨深いものさえ抱いていく。

 

 その中で、こちらの様子をずっと眺めていたハオマがもらい泣きしながらも朗らかに喋り出してきた。

 

「ぅぇん……っぐすん……なんてイイハナシぃ……!! ズビンッぴえん…………ハッ! それはそうとですよ! 既に荒巻さんからお話をうかがっておりましてね。カンキ君、メーちゃん。実はこちらのミズキ君に、このLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で働いてもらう運びになったわけなのですよ!! やったね!!」

 

 あまりにも唐突な発表に、自分とメーは揃って「え?」と声を出していく。この反応にハオマはポカーンとした面持ちで「へ?」と返してくるものだったから、羅生院がフォローに入るようにそれを説明してくれた。

 

「私とミズキは以前から、骸ノ市を追い続けていた。私に関しては、十数年もの歳月をかけてその行方や実態を専門的に扱ってきたものだったがね。しかし、先日の第二次龍明抗争によって、骸ノ市はほぼ崩壊寸前のところまで衰退した。今や鳳凰不動産が勢力を増しつつある危機的状況下に置かれているわけだが、同じく脅威を孕んでいた骸ノ市が既に警察の手で終焉を迎えつつあるものだからね。私とミズキの使命は今現在、着実に果たされつつあるとも言えるだろう」

 

「な、なるほど……?」

 

「そこで、我々には余裕が生まれてきた。余裕といっても、他の調査にあたる意味での余裕なんだがね。それで、私も先輩のお手伝いとして鳳凰不動産及び、それと同等の力を持つであろう悪が蔓延る葉山グループの調査へと乗り出そうとしている。尤も、私は先輩から独立して、単独での調査に臨んでいくつもりだ。……そこでだ!!! その調査にあたって、我々は連携や連絡を取るための手段が必要となってくる。もちろん、スマートフォンなどを使ってもいいのだけどね。だが、ハッキングなどによって調査結果のデータや会話の内容などを敵方に知られてしまっては非常にマズい。そこで先輩は閃いた!!! ならば、口頭によるやり取りを行えばいいじゃない、と!!!」

 

「ほ、ほうほう……?」

 

「そのやり取りをするにあたって、私と先輩を繋ぐ中継点となる存在が必要となる。ここでミズキの出番というわけだ!!! ミズキには私と先輩の下を行き来してもらい、双方から得た情報を運ぶ任務に就いてもらう予定でいる!!! 云わば、情報の運び屋とも称せるだろうか。そして!!! その膨大なる情報を運ぶミズキが滞在する拠点として、こちらのLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)が選ばれた」

 

「確かに、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)は比較的安全な拠点だとは思いますが……わざわざ、ここじゃなくても良いような気が……?」

 

 ふとした疑問を口にするこちらに対し、ハオマが補足するよう言葉を付け足してくる。

 

「それがね、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)は今、絶体絶命の危機に瀕しているのですよ……!」

 

「え……?」

 

「圧倒的、従業員不足……ッッ!!!! みんな怪我とかしちゃって、働ける従業員が一気に減っちゃってねー……。でもでも、改装はもうじき終わる予定だし、それに合わせてリニューアルオープンの出血大サービスイベントも控えているものだから、とにかく我々には人手が必要とされているワケです!!」

 

「な、なるほど。それで、彼には中継点と従業員を兼任してもらおうという話なんですね……?」

 

「そうそう! 話が早くて助かるよー!! そういうことでミズキ君には、クリス君のようなボーイとしてここで働いてもらう予定でーす! 仲間が増えるよ! やったねーパフパフ!! それと、人手不足だから私もホステスとして駆り出されます! カンキ君に指名されたら、お姉さんたっくさんサービスしちゃうから! 私のこといっぱい指名してね? 約束だよっ!? ……あぁそうだっ! あとねあとね! ヴィクトリアちゃんにもホステスとして働いてもらうことになったから、カンキ君バックアップよろしくね!!」

 

 え。

 瞬間にも巡ってきたこの感情は、寒気を催す不安からなるものだった。

 

 先日にも邂逅した、日本屈指の財閥『霹靂一家』のご令嬢。日本で最も裕福な家庭で育てられたという彼女は本来、保護対象として匿われているはずなのだが……?

 

 という考えが巡ってくると同時にして、ヴィクトリアにも頼らなければならないほどの人手不足に直面しているという店側の必死さも伝わってきてしまう……。

 

 なんだか、一気に心配になってきた。

 先の見えないLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の行方。とにもかくにも、リニューアルを控えたレストラン&キャバレーにはこうして、新たなメンバーであるヴィクトリアとミズキの二人が加わることとなったのだ。

 

 

 

 

 

 改築工事も行われ、新メンバーも加わったLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。人手不足や鳳凰不動産といった心配事がまだまだ多い現状だが、心機一転と言わんばかりに新たな風が吹いてきたことを実感する。

 

 新しく出会った羅生院という人物とも、今後は交流する機会に恵まれることだろう。

 今も右手を腰に当てた堂々とした佇まいで、自信満々な微笑みを浮かべる羅生院。褐色肌のヴィジュアル系男子は次にも頷いてみせると、彼は踵を返すようにしながら一同へとその言葉を掛けてきた。

 

「期待と覚悟に満ち、活気に溢れたサマはまさに人間が宿せし奇跡の賜物だ! さすがは先輩が集めた人員なだけはある!!! かの柏島先輩の相方として各地を奔走した先輩が、直々に見定めて配属した洗練されし面々だ。安定した実績に安心の実力、そしてアンダーグラウンドなりに人間の生き様を謳歌するLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の人間であれば、私の助手ミズキを託しても何ら問題はないだろう!!!」

 

 とても誇らしげにそれを喋り、出口へと歩き出した羅生院。共にしてハオマが「そろそろ調査に行かれますか?」と訊ね掛けていく脇で、佇んでいたミズキは突如と彼の下へと駆け出しては右腕を伸ばしていく。

 

 まるで、心から焦るような動作だった。

 直ぐにも羅生院のアウターを掴んだミズキ。そうして彼の足を止めた少年は、低く小さい声音でありながらも不安げに言葉を口にしてくる。

 

「兄さん……」

 

「大丈夫さミズキ。先輩が直々に厳選した、こだわりある由緒正しき従業員達なんだ。経緯は何であれ、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に務める彼女達とは境遇が似ているだろう。……大丈夫だ。これは、いずれ大人になって独立するだろうミズキにとって、絶好となる機会。親離れ……というと言葉のニュアンスは少々異なってくるだろうが、先輩の店で過ごす日々はきっと、将来のミズキにとってより良いものとなるだろうからね!」

 

「やだ……。置いていかないで……。もう、独りになんかなりたくない……」

 

「案ずるな。ミズキは独りじゃない。この店には、多くの仲間達がいるのだからな」

 

「おれが信じられるのは兄さんだけなんだ……!」

 

 両手で羅生院のアウターに掴まり、決して離そうとしないミズキの意思。これに羅生院は優しく微笑みかけていくと、少年が被るキャスケット越しに頭を撫でながら、彼は言い聞かせるようにそれを口にした。

 

「離れ離れになったとしても、ミズキは未来永劫と私の助手であり続ける。どれだけの距離が離れようともその事実は覆ることはなく、互いの共通認識として、精神的にずっと繋がり続けるんだ。……調査が一段落した際には、その都度ここに顔を出しに来る。それまでは独り立ちの練習として、先輩の店でミズキなりに努力してみてくれ。そうして成長したミズキの姿を私に見せてもらいたいんだ。そしてどうか、私にそれを言わせてほしい。『一人の力でよく、ここまで頑張ってこられたね』、と」

 

「兄さん……」

 

 これまでのクールな面持ちから一転として、不安に苛まれた儚げな声音で返答したミズキ。少年の反応に羅生院は眉をひそめながら頭を撫でていくと、彼は最後にミズキの肩を優しく叩き、「寂しくなったら、電話をしてくれていい! そこに私の姿は見えずとも、私は常に、ミズキを傍で見守っているからな!」と言葉を口にして、少年の手をゆっくりと離しながら出口へと歩き出していった。

 

 去り際に、右手を掲げてさよならの合図を送ってくる羅生院。こうして離れ往く彼の背をまじまじと見つめていたミズキは、次第と見えなくなった扉越しの羅生院を見つめるようにして、その場で虚しく立ち尽くしていたものだ。

 

 キャスケットのツバを摘まみ、俯いていく少年。そんなミズキへとメーとハオマが歩み寄っては、なだめるように言葉を掛けていった。

 

 

 

 ……改装工事は直に終わる。あとはヴィクトリアとミズキの源氏名といった手続きが済めば、リニューアルしたLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の準備は万全となるだろう……!



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第75話 Vers la réouverture 《再開に向けて》

 工事を終えたLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。細かな傷や汚れが綺麗に取り払われたその空間は、以前と比べて一層もの煌びやかな輝きを取り戻したようにもうかがえる。

 

 特に、第二次龍明抗争でズタボロとなったエントランスは、抗争前までその雰囲気を醸し出していた『アブない世界の入口』感を取り戻すことに成功していた。

 赤色のフロアに、黒色の柱。刺激的な二色が織り成す妖しくも魅惑的な空間は、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の持ち味とも言えるだろう。覗くなと言われたら余計に覗きたくなる、カリギュラ効果が働くアンダーグラウンドのその世界は、タキシードを身に纏うスタッフ達の存在によって更に引き立てられていたものだ。

 

 尤も、現在はまだリニューアルオープン前。間近と迫った開店を控えた今、綺麗になって生まれ変わったホールに自分はお邪魔していた。

 

 いつも座っていたその席も、新調されて艶を放っている。感触も真新しい角張で少々慣れないものの、まるで初めて来店した時のような新鮮味も体験できて悪くはない。

 

 そうして二人用の席に座っていた自分だったが、この場には現在、自分を除く三名の人物らが居合わせていたものだった。

 オーバーオールの私服姿であるミネと、いつもの露出多めな私服姿のシュラ。そして、荒巻の後輩こと探偵の羅生院から預けられたボーイ、ミズキの三名だ。それぞれ、自分とミズキはテーブルを挟んで向かい合い、椅子を持ってきたミネがその横に座っている。それでいてシュラは、こちらが今も座る椅子の、後ろにできたスペースに無理やり割り込む形で、一つの椅子を二人で座っているような状況を生み出していた。

 

 サンダルブーツを脱ぎ、「だいしゅき」と言わんばかりのホールドでこちらにくっ付くシュラ。そんな彼女がこちらの背にバスト九十の乳をくっ付けて、この左肩に顎をぐりぐり押し付けながらそれを喋り出してくる。

 

「なぁなぁニーチャぁン……ウチめっちゃヒマやねん~。新しくなった店内も一通り見て回ったんやから、もぉここにおる必要もあらへんやろ? せやったら、ウチと遊びに行こぉ? ウチ、クレープ食べたい気分やぁ~。ニーチャンと一緒に、おんなじクレープをシェアしながら堪能してな? ウチとラブちゅっちゅして愛を育むねん。ほんでロマンチックな映画を一緒に観てからな? そないな気分になったウチらは二人きりのお部屋で愛情を確かめ合うんや。なぁ? 完璧なプランやと思わへん? せやからニーチャン~、ウチとお出掛けしよぉやぁ~」

 

 シュラの言葉によって、本能を掻き立てられた自分。これにちょっとだけムラッとしていく中で、向かい合うミズキは脚を組んだその姿勢で、被るキャスケットのツバを右手で摘まんで目元を隠しながらクールにそれを口にしてくる。

 

「改めて思ったんだけどよ……ここにいる人間、男女問わずに下劣すぎないか? この店には、おまえらのような人間しかいないのかよ」

 

 まぁ、お下品ではあるよね……。

 なんていう内心を抱きながらも、自分は苦笑いするしか他になかった。そんな自分の周囲では、シュラがケロッとした様子で「せやで? ウチらに貞操観念っちゅう言葉はあらへんからな。どないなことも、ヤりたいと思うた時に即実行! それがウチらのモットーやねん」と返していき、ミネに関しては反応することなく、スマートフォンをたぷたぷ操作し続けていたものだ。

 

 シュラの言葉に、ミズキは呆れたように鼻でため息をつく。それから、シュラとそのような会話を展開した。

 

「おまえらにも事情はあるんだろうが、それでもあまり自分の身体を粗末に扱うんじゃねぇよ。ストレスとか依存症とかもあるんだろうけどよ、だからっつって軽率に身体を売っていたら、いつかは取り返しのつかない事態に見舞われたってなんもおかしくないんだからな」

 

「アッハッハッハ!!! ウチのこと気遣ってくれてありがとぉな! せやけど、そないな心配なら別に要らんで! 何せなぁ? ウチの身体は水分とニーチャン成分でできとるからな! ニーチャンから受けた愛情で腹が満たされて、ニーチャンが掛けてくれる優しさで栄養が分泌される。そんで、ニーチャンの温もりで幸福感が得られてな、ニーチャンの声でストレスが吹き飛ぶんや!!」

 

「なんだそれ……意味分からねぇよ……」

 

「ニーチャンのキスがウチの朝飯になるんやで。ほんで、ニーチャンっちゅう存在がウチの生き甲斐そのものやねん。……そん中でも特に、ヤクみたいに最高にキマるのがな、ニーチャンの精子がウチの腹ん中に入ってきた時や。口からでも“下”からでも、どちらからでもかまへん。ニーチャンからたっぷりと注がれたニーチャンの遺伝子がな、ウチの身体の一部になるっちゅうその実感がもぉ最高に堪らへんのや……っ!!! それがウチにとっての幸せやねん。どないに言われようとも、これだけは絶対に譲れへん」

 

「話をしているだけで頭がおかしくなりそうだ……。ほんとに同じ人間か? ……何なんだよこれ。てか、何なんだよここ……。何でおれ、こんなところに預けられたんだ……。兄さん…………」

 

 自分はとっくに慣れてしまっていたものだが、第三者からすれば至極ごもっともな反応だろう……。

 

 助けてほしい。そんな切なる懇願が瞳となって表れているミズキ。クールなのに途方を見遣る虚ろな目は、もはや同情に値する。

 ホームシックのように寂しげな声音で呟くミズキの様子に、ミネが反応を示してくる。今まで何気無く操作していたスマートフォンから顔を上げた少女は、いつもの不機嫌なサマでありながらも、空になったミズキのコップを見てからそれを喋り出してきたものだ。

 

「ねぇ、なんか飲む? アタシ、代わりに持ってくるけど」

 

「……悪いが、今はそういう気分じゃねぇ」

 

「そ。ならいいけど」

 

 と言って、スマートフォンへと視線を戻していくミネ。そんな少女にミズキは暫し視線を投げ遣ると、真っ直ぐとした眼差しで今度はミズキが喋り出してきた。

 

「おれからすれば、おまえは割とまともに見えるんだよな。おまえのような人間がなんで、どうしてこんなとこに居るんだよ」

 

「まぁ、ワケあってここにいるってカンジ。でも、少なくともアタシは、周りみたいに来るべくしてここに流れ着いたってワケじゃないから」

 

「どういうことなんだ?」

 

「アタシは本来、ここにいるべき人間じゃないってこと。みんなのように外で罪を犯したワケじゃないし、みんなのような波乱万丈な人生を歩んできたワケでもない。ただ、縁があってここに居させてもらっているだけ。その、縁があってここに居るって点で言うなら、アタシとアンタ、あとはそこにいるカッシーなんかは似た者同士なんじゃないの? 知らないけど」

 

 どこか適当に喋るものの、割と真面目にミズキと向かい合いながら言葉を口にしたミネ。それから少女が再びスマートフォンへと視線を戻していく傍らで、ミズキはキャスケットのツバを摘まみながらこちらへと言葉を投げ掛けてきた。

 

「……おまえ、柏島長喜の息子なんだってな」

 

「そうだね。それは俺の親父だ。指で数えられる程度しか会ったことないけどね」

 

「ふぅん……。先日の抗争といい、おまえもおまえなりに苦労しているみたいだな」

 

「みんなほどじゃないとはいえ、命やら身柄やらが狙われたりで常に気持ちが落ち着かないもんだよ」

 

「そのご身分で、呑気に女とデートか?」

 

「まぁ、束の間の休息……ということでここは一つ……」

 

 ミズキからすれば、周囲の人間のほとんどは知らない人物達だ。

 ラミアやメーという旧友がいるとはいえ、これからはLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で働く立場でもある。だからこそミズキは今、彼なりに情報収集を行っている真っ最中といったところか。

 

 羅生院という、唯一信じられる人間と離れ離れになった現状。奴隷として売られた過去を持つが故に、頼りにしていた大切な存在と切り離された上に未知なる世界へと放り込まれたその心境は、計り知れないほどの不安に苛まれていても何らおかしくない。

 

 ちょっと鋭利な喋りが特徴的でもあったが、ミズキは自分なりにこの店に馴染もうと努力しているのかもしれない。

 なら、彼の助けになれるよう俺も頑張らないとな。と、そう内心で決意して勝手に張り切り出した自分。そこで、今度はこちらからミズキに他愛ない質問でもしてみようと口を開いたその時、エントランスへと続く通路から歩いてきた私服姿のレダが、こちらのグループへと声を掛けてきたのだ。

 

「ミネ~、シュラ~! ユノさんから召集かかったから、エントランスに集合しなさ~い!」

 

 艶やかながらも、しっかりとした声音。共にして歩み寄ってくるレダの存在に、ミネは無難に「んー」と答え、シュラはガッカリした様子で「えぇ~、ウチおらんくても何とかならへん?」とブーブー言いながらも、抱き付いていたこちらから離れてサンダルブーツを履き出した。

 

 シュラの返答に、レダはジト目で「あなたも必要だから呼んでいるんでしょう?」と口にする。その間にもエントランスへと向かい出したミネが、こちらへと「カッシー、ちょっと行ってくるね」と声を掛けてきて、これに続けてシュラも「しゃあないから行ってくるわぁ。待っとってなぁニーチャン」と言いながら歩き出し、二人はエントランスへと向かっていった。

 

 で、二人を呼びに来たレダもまた、途端に捕食者の眼差しでこちらを見遣りながら喋り出してくる。

 

「うふふ……ねぇカンキくぅん? ちなみにだけど、このあとって予定は空いていたりするかしらぁ?」

 

「え? あー……行くかどうかはともかく、シュラからも遊びのお誘いは受けていたんだよね」

 

「あらぁ、一歩遅かったかしら。でもぉ~……そんなお誘い、後で断っちゃいなさい。……ねぇ、見て? わたしの身体……。シュラのようなスポーティな身体もいいのかもしれないけれど、あなたもオトコだったら、肉食系らしくガッツリとボリューミーな身体を食べたいと思うでしょう?」

 

 バスト九十九を強調するかのように前屈みとなり、ばるんっと実った乳を両腕で挟んできたレダ。その男殺しの誘惑に自分は生理的な現象を働かせ始める中で、未だ慣れない興奮に若干と焦りながらも、何故か向かい側のミズキへと話を振ってしまう。

 

「うっ……確かに、男なら誰もがレダに魅力を感じると思う……! かく言う俺も、レダのお誘いで既に中々キてるから……! ……な、なぁミズキ! ミズキもそう思わないかな!」

 

「は? おれ?」

 

 突然、話を振られたことに驚くミズキ。思わず見開いたその反応に自分が照れ隠しで苦笑していくその中で、ふとレダがそんなことを口にしてきたのだ。

 

「今までも、わたし達とはいろ~んなことをたぁ~っくさん経験してきているのに、カンキ君はずっとウブなままのオトコのコよねぇ。そういうところ、弄り甲斐があって大好きよぉ~? ただ……その子に話題を振って誤魔化そうとしても、たぶん無駄だと思うわよ」

 

「え?」

 

「わたしはこれで初対面だから、最初から断言はできないのだけどね。でも……知り合いのラミアとメー以外にもきっと、周りのホステス達は既に“その子の生き方”について薄々と気が付いているんじゃないのかしら。まぁ、ハオマさんを除いてってカンジだけどねぇ」

 

「な、何のこと? レダ、今何の話してる?」

 

 何が何だかさっぱり分からない。

 こちらの反応に、レダは妖しくもはぐらかす調子で「うふふ」と微笑んでみせる。それからミズキへと振り向いてみせると、最後にそんな会話を交わしてから彼女はこの場を去ったものだった。

 

「わたし達にはオンナの勘ってものがあるけれど、カンキ君にはその直感が備わっていないものよ。だから、カレに伝えたい言葉や気持ちがあるのなら、その時はハッキリと物申しなさい? それが、カレと上手く付き合っていくコツよ。分かった?」

 

「…………余計なお世話だ」

 

 

 

 

 

 レダが去り、ミネとシュラもいなくなった二人用の席。こうして残された自分は顔を上げていくと、そこには向かい合うミズキと二人きりという空間が広がっていて……。

 

 ……どうしよう。なんだかものすごく気まずい。

 ミズキに声を掛けた方がいいのだろうか。それともこのまま静寂を貫いていた方がいいのだろうか。そうして、今も腕を組んで静かに俯く少年を見遣りながら考えを巡らせていく中で、ふと耳には一つの靴音が響き出してくる。

 

 真っ直ぐとこちらへ向かってくるそれ。足取りから既におっとりとした性格がうかがえる調子に自分は振り向いていくと、視線の先からは高身長である一人の令嬢が姿を見せてきたものだった。

 

 霹靂(へきれき)ヴィクトリア。百九十一の身長である彼女は、ティアラのような柄の薄い黄色のヘアバンドに、ツヤのある茶色のショートヘアー。貴族を彷彿とさせる深緑のドレスのようなワンピースに、茶色のストッキング、そして焦げ茶色で編み上げのニーハイブーツという格好が実に印象的だ。

 

 両手に着けた、お姫様のような白色の手袋。宝石の翡翠が如く鮮やかな、深緑の半透明な瞳。ハーフを思わせる顔立ちがクールであり、化粧を纏わぬそのスッピン顔で華々しいオーラを放っている。

 

 両手を前に、高貴な佇まいで現れたヴィクトリア。彼女の身長に、ミズキが思わずキャスケットのツバを上げるくらいの静かな驚きを見せてきた中で、ヴィクトリアは上品な香水の香りを漂わせながら、おっとりとしたサマで喋り出してきた。

 

「ごきげんよう、カンキ様」

 

「あぁ、霹靂さん。ここに来ていたんですね」

 

「こほん。……カンキ様。(わたくし)は友人として、貴方様との対等な関係を所望します。ですから、今後は友人という関係らしく砕けた口調で喋ってもらえますと、私は大変嬉しく思えるのです」

 

 左手を胸の前にやり、柔らかくありながらも真剣な眼差しで口にしたヴィクトリア。彼女の要求に自分は、かしこまるよう背筋を伸ばしながら改めてそう喋り出していく。

 

「あ、あぁ……! えっと……こんにちは、ヴィクトリア!」

 

「はい! こんにちは! うふふ……これぞまさしく! これが……私が長年と夢見た、対等な友人関係……! このような関係性、創作物に留まらず、まさかこの世に実在するとは思いもしませんでした! ……前略。お父様、お母様。空から見ておられますか? このヴィクトリアには、お姉様以来となる『友』ができました。私は今日も元気いっぱいです。草々」

 

 いやいや、ご両親はご健在でしょう……。

 

 ユノ節とは異なる、ちょっと個性的な調子を持つヴィクトリア。現在も店の天井を眺めるようにして、その先の空を見遣り続ける彼女の様子に、自分は汗を流しながら内心でツッコんでしまう。

 

 で、そんなヴィクトリアを見たミズキは、テーブルに乗り出すようにしながらこちらへ問い掛けてきた。

 

「おい……あいつもホステスなのか? この店、ほんとに大丈夫なのかよ?」

 

「いや、彼女は俺と同じ特別なお客様として扱われていてね、ユノさんが身柄を保護しているちょっとワケありの女性客なんだ」

 

 ひそひそと話す傍らに、この会話に気付いたヴィクトリアが何気無い声音で言葉を挟んでくる。

 

「カンキ様。お話はうかがっておられませんか? このヴィクトリア、お姉様からの許可を得て正式にホステスとして働くようになりました~」

 

「え?」

 

 一瞬だけ、頭が真っ白になる驚きが脳内を埋め尽くす。だが、先日にもその旨をハオマから聞いていたため、自分はそれを思い出してから頷いていった。

 

「そういえば、圧倒的人手不足だからってハオマさんが言っていたような……」

 

Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の加入自体は、私がお姉様に志願しました。そして、私の加入をお姉様がお認めになられたのです」

 

「ヴィクトリアが? でもなんだろ、それだとユノさんは絶対に反対してきそうな気が……」

 

「左様です。当初こそ、お姉様からは『貴女には務まらない』というお言葉を頂きました。なのでこのヴィクトリア……ホステスの皆さまから、ホステスの矜持というものを直々にご教授頂きまして、そこから得られた知見を基に接客やショーの自主練習を行い、その熱量をお姉様に認めてもらう形で正式な加入を許可してくださったのでございます!」

 

 何だかんだで最終的には、ホステスになることをユノさんから認めてもらえたのか。

 話を聞く限りでは、実はヴィクトリアという人材はLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)を救う逸材ともなり得るのかもしれない。と思わせてくれる。だからこそ自分は、本気で驚きながらも色々と訊ね掛けてみたものだ。

 

「それはすごいな……! 誰からホステスのマナーを教わったりしたの?」

 

「まず、最初に私に協力してくださったのがミネ様でした。私、お姉様やカンキ様と同じアパートでお世話になっておりまして、ミネ様とは同室ということもあり、ミネ様からは常に気に掛けて頂いておりました。そこで、会話の成り行きでそれとなくホステスの矜持を訊ねてみたところ、ミネ様は真摯な対応で私に知識や作法をご教授くださったのです。そこにノア様が現れ、ノア様から聞き付けたというラミア様やメー様、レダ様やシュラ様といった現役ホステスの方々が、お姉様の目を盗んでは私の元に駆け付けてくれました!」

 

「ん? ……ん~?」

 

 いつメンだからこそ、よく分かる。彼女らが持つ小悪魔的な好奇心を。

 

 なんか、ちょっと不穏な流れになってきたな。

 胸がざわつき始める、微かな心配。そんなこちらを他所にヴィクトリアは話を続けてくる。

 

「皆さまから知恵を賜り、私は学ばせて頂いたテクニックを実践するべくLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に通い詰めました。そこで私は、接客からショーまでの、ホステスの務めとなる作法や技能などを一通りとこなしていく内に、私を探されていたお姉様が私の本気を目にして、ホステスとなる許可を頂いたのです」

 

「なるほどなるほど…………待てよ。探されていた?」

 

 え、常にユノさんの目が届く場所で保護されているんじゃなかったの? という疑問の下、自分は問い掛けていく。

 

「ヴィクトリアはその時、ユノさんと一緒じゃなかったの?」

 

「左様でございます! このヴィクトリア、お姉様には秘密でLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に通い詰め、ホステスの矜持を陰ながら磨き上げてきた所存です!」

 

「待って待って。通い詰めるって、それじゃあ誰がヴィクトリアをここに連れてきてくれたの?」

 

「誰が、でございますか? 私一人でしたけれど」

 

「一人でここに通っていたのッ!?」

 

 さすがにそれは危ないって!!

 

 魔の手が差し迫っている身分とは思えない行動に、驚きで声を上げてしまう。尤も、こちらの反応とは相反してヴィクトリアは満面な笑みで喋り続けてきたものだ。

 

「左様です! 工事中というLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の店内ではございましたが、通路自体は設けられていてホールの出入りも難なくこなせました。ですから、お客様やテーブルなどを想定した空間の中、皆さまから教授頂いた作法などを繰り返し再現し続けていき、ショーの練習に関しましても、ブルーシートが敷かれておりましたがその上で舞踊の振り付けを練習することで、来るべき時に備えて日々の鍛錬に尽くして参りました!」

 

「いやいやいやいや!! 工事中のホールにはテーブルとかも無かったけれど、そこにあることを想像しながら接客の練習とかしていたの!?」

 

「ビンゴ~! 大当たりでございます~! 所謂、イメージトレーニングと言えるのでしょうか? それとも、シャドウボクシング? ……! 現代風に言うなれば、エア接客とも称せるかもしれません~! あとはですね……たま~にではございましたが、居合わせた工事現場のおじさまに空気椅子をして頂くことで、私の接客の練習にお付き合い頂いた時もございました! 疑似的なシーンを再現できたこともあり、私にとっても実りある経験になったかと思われます!」

 

 ダメだ。ヴィクトリアについていける気がしない。

 

 次元の先を往くであろう彼女の発想や行動力に、自分は唖然としたサマでヴィクトリアを見遣ってしまう。これを脇で聞いていたミズキも、目で「こいつ大丈夫か?」という言葉を語っており、それら二人から眼差しを向けられていたヴィクトリアは両手を合わせつつ、高貴な微笑みで言葉を続けてきた。

 

「そんなある日にです。私がLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)でエア接客を行っていると、なんとお姉様が様子を見にいらしてくださいました。そこで私は、お姉様に鍛錬の成果を披露しようと張り切っていたのですけれど、お姉様はえらく焦った面持ちで私を見遣りながら、そう仰られたのです。『貴女、それほどまでに本気で考えているの?』と。なので私はこう答えました」

 

「……何て答えたの?」

 

「『然り!!!!』」

 

 ユノは、ヴィクトリアの努力や熱量を認めてホステスに迎えたわけではない。むしろ、ホステスとして認めなければ“彼女の暴走”が収まらないと考えて、ユノはきっと頭を抱えながら苦渋の決断を下したのだろう。

 

 千切れた手綱を残して歩き去る暴れ馬。何故だかそんな光景が思い浮かんだ自分が呆然とヴィクトリアを見遣っている間にも、彼女はテーブルの上にあった二つの空いたグラスを発見してそれを訊ね掛けてきた。

 

「ところで、お二方のコップが空となっているように見受けられるので、私が代わりにドリンクをお持ちいたしましょう。ご所望はございますか? 私にお任せ頂ければ、直ちにドリンクバーにて、コーラとメロンソーダをブレンドしたヴィクトリアオリジナルドリンクをお作りいたします~!」

 

 いや、この人なら本気でやりかねない。

 謎に迫られる焦燥を抱きながら、自分は慌てるように「み、水で! 水でお願い!!」と答えていく。これにミズキも続くよう「おれもそれでいい……!」と返答していくと、ヴィクトリアは高貴ながらもとても満足そうに「かしこまりました~!」と口にして、二人分のグラスを持ってこの席を離れていった。

 

 ……何とも言えない気持ちが胸に残り続けている。それはミズキも同じだったらしく、次にも彼とそのような会話を交わしたものだった。

 

「……なぁおい。この店、ほんとに大丈夫なんだろうな……?」

 

「…………ちょっと、分からなくなってきたかも」

 

 

 

 

 

 少しして、コップを手に持つヴィクトリアが戻ってきた。

 彼女は楽しそうな笑みで「おまたせしました~!」と口にしながら、自分らの手前にそれらを置いてくる。これに自分とミズキはヴィクトリアをうかがうような視線でお礼を伝えていくのだが、次にも彼女は、指先を合わせるように両手を合わせながら、ふとそんなことを言い出してきたものだ。

 

「そうでした! このヴィクトリア、カンキ様が確実に喜ぶ特上リップサービスというものも賜りまして! よろしければ、無料のサービスとして提供させてもらってもよろしいでしょうか~?」

 

「え? 俺が喜ぶ特上リップサービス?」

 

 今までの流れからして、どうしても身構えてしまうヴィクトリアの提案。けれど正直、美女からのリップサービスが控えていると思うと、男としてついドキドキしてしまう。

 

 囁くような甘い声で名前を呼んでくれるのだろうか。それとも高貴な風貌から色っぽい声を出してくれるのだろうか。はたまた、淑女であるヴィクトリアから罵倒されるという変化球で攻めてくるのかな。

 

 様々な可能性に、ちょっとだけ楽しみにも思えてきた自分。ヴィクトリアのそれに対しても「それじゃあ、せっかくだから聞かせてもらおうかな」と答えながらコップを手に取っていく。

 

 向かい合うミズキも、呆れたような目をこちらに向けながらコップを手にして飲み始める。そうして二人で水を口に含み始めたその時にも、ヴィクトリアはおっとりとした声音で「承りました~! リップサービス一丁~!」と言いながら、直後にも気品が溢れる微笑みで、復唱するように“爆弾”を投下してきたのだ。

 

「こほん。あーあー、んっんっ……では、参ります! ……令嬢パ〇パンま〇こが生〇メ特濃ザ〇メン中〇しおち〇ぽセ〇クスでイクぅ~!」

 

 ブーーーーーーーーーッ!!!!

 

 ミズキと共に、口の中に含んだ水を盛大に噴き出した。

 思わずむせかえるミズキを傍らに、キョトンとしたヴィクトリアは「どうかされました?」と訊いてくる。そんなものだから、ミズキが苦しそうにしながら「ど、どうかされました? じゃねぇよ!!!」とツッコんだ後にも、こちらからヴィクトリアへと訊ね掛けていった。

 

「ヴィ、ヴィクトリア!! それは……それは誰から教えてもらったやつなんだ……!?」

 

「はい~、こちらはメー様とレダ様、シュラ様のお三方から教授頂きました~」

 

 あのエロ女トリオ……っ!!!!

 無垢な淑女にとんでもない言葉を覚えさせているホステスらに、怒りとは異なる呆れの感情が沸々と滾ってくる。その間にも、ヴィクトリアが安堵したように「喜んで頂けたようで何よりです」と言葉を口にしたものだったから、自分は釘を刺すように「そのリップサービスは絶対に他人にやっちゃダメなやつだから!!」と強く伝えていった。

 

 これに、ヴィクトリアは気品が溢れる表情で「心配は要らぬでござる。こちらはカンキ様専用のリップサービスということで賜ったため、たとえ身内の人間であろうとも口にはいたしません。約束は破らない。幼い頃から言い聞かせられてきたお父様からの教えです。モーマンタイ、モーマンタイ」と答えてくる。そんな調子だったものだから、自分も当時のユノと同様に頭を抱えるようにして、ヴィクトリアの未来を案じてしまった。

 

 ……こんなやり取りの中で、ヴィクトリアはふとミズキへ振り向いてくる。それに少年は迷惑そうに「な、なんだよ……」と口にしていくと、ヴィクトリアはハーフならではのクールな面持ちで不思議そうにそれを訊ね始めたのだ。

 

「私とあなた様は、初対面でしょうか?」

 

「だ、だから何だってんだ……。おれのことなんて気にすんじゃねぇよ」

 

「そうでありましたら、まずは自己紹介ですね。私の源氏名は“ヴィクトリア”。本名からそのまま頂戴した名ではございますが、こちらの名前自体が勝利を司る女神ヴィクトリアが由来となっているため、正式な源氏名として名乗り続けることといたしました。……戦いの勝利を象徴する、女神ヴィクトリア。私もその加護を(あずか)り、目前の障害や挑戦に挫けぬ不屈の心と、試練を乗り越えた先にもたらされる勝利の暁を信じて、目標に向かって真っ直ぐと突き進めるような人間になりたいというその想いが、こちらの源氏名に込められております。以後、お見知りおきを」

 

 おっとりとした声音で、真面目に自己紹介を行ったヴィクトリア。名を改めることもなく、今後もヴィクトリアとしてLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に加入した彼女は、ワンピースを両手で持ち上げては華麗なお辞儀を行うことで、ミズキへの挨拶を済ませていった。

 

 一転として令嬢らしい振る舞いを見せてきたヴィクトリアの様子に、ミズキはとてもやり辛そうな表情を浮かべながらも「お、おう……。まぁ、よろしくな」と返答する。共にしてミズキもまた、キャスケットのツバを持ち上げるようにしながら、ヴィクトリアへと自己紹介を行ったのだ。

 

「おれもボーイとして働く以上、一応、源氏名は考えてきたんだ。……“イザナ”って言うんだけどよ」

 

「まぁ、イザナ様ですね! 風貌と相まって、とても頼りになりそうな源氏名でございます!」

 

「なりそうって何だよ……。まぁんなことはいいとして、一応おれらは同期でもあるからな。その……よろしく頼む。あと、由来とかまでは考えてねぇから、あまり名前の意味を探るんじゃねぇぞ」

 

 そう言って、ミズキ改めイザナはこちらへ向いてくる。

 

「ミズキでもイザナでも、呼ぶ時はどっちでもいい。おれからすれば、大した問題じゃねぇからな」

 

「本名も源氏名も、それぞれに想いが込められている大切なものだよ。とにかく、店の人間としてこれからは源氏名で呼ばせてもらうことにするから。よろしく、イザナ」

 

「おう。……あと、勘違いしてるみたいだけどな。ミズキも別におれの本名じゃねぇからな」

 

「え?」

 

 なんだか、とてもワケありな予感がする。

 あまり深入りはせずに、今は目の前にいるイザナを歓迎するよう向かい合っていく自分。そんなこちらに少年は気だるげな様子を見せてから、キャスケットのツバを摘まんで下げて、目元を隠していった。

 

 この日にも、ヴィクトリアとイザナという新たなキャストを迎え入れることができた。そして後日、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)はリニューアルオープンとして営業を再開した。

 

 来店、会話、同伴。また、いつもの日常が戻ってくる。こうして、新しいメンバーを加えたLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)が今、生まれ変わって再始動する……!



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第76話 Désir et bleu clair 《欲望と水》

 紅葉し始めた龍明の街。いつもの駅前でバスに乗り、三時間ほどかけて到着した登山口の駐車場に自分は降り立っていく。

 

 雲が泳ぐ晴天の下、多くの車が停まる広大な敷地と、駐車場を囲うように並ぶ建物の数々。主に登山客が訪れるその観光名所は登山コースといった山の案内から始まり、一昔前の街並みを楽しめる通りや、食事処や土産のコーナー、植物園といった様々な施設が見受けられた。

 

 山の歴史を学べる博物館と、その前に佇んでいる、ミノムシに手足が生えたようなマスコットキャラクター。今もそれが家族連れの団体へと手招きしていく光景を何となく眺めていると、次にもバスから降りてきた私服姿のノアが声を掛けてきた。

 

「あぁ! なんて鮮やかな紅葉の景色なのだろうか! 麓を観光するだけでも丸一日潰れてしまいそうなくらいに美しい光景なのに、ボク達はこれからゴンドラに乗って山頂付近まで移動してから、秋の風物詩を物語る大自然のキャンプを堪能する予定になっている!! 一泊二日で泊まり込むそのひと時を、柏島歓喜と共にすることができるこの喜び……! あぁ、ボクはこの昂る気持ちを一体、どう表現すれば良いのだろうか……!?」

 

 ストリート系のファッションをしたノアが、謳うように熱弁しながら持ち上げた右拳を震わせていく。その様子を自分は苦笑しながら見遣っていく中で、少女はこちらへ振り向きながら右手を差し伸べ、甘いマスクからなる中性的な声音で言葉を続けてきた。

 

「柏島歓喜!! ボクは改めて、キミと同伴できて良かったと思っているよ! ……抗争前に交わした約束を果たすことができたんだ。今も生き永らえ、キミと喜びや感動を分かち合える現在(いま)という恵まれし運命に、ボクは心からの安堵を抱きながら本日の同伴に臨むことができている。ありがとう、柏島歓喜。こうしてキミと一緒にお出掛けすることができて、本当に良かった……!」

 

「何だか締め括りみたいな雰囲気が出てるけど、むしろ同伴はこれからだからね。……俺も、ノアと同伴する約束を守れて本当に良かったと思ってる。だから、今回の同伴は精いっぱい楽しもうな!」

 

「あぁ!! 前回の遭難した同伴も中々にスリリングで楽しむことができたからね! キミと一緒ならば、本日のキャンプツアーも忘れられないひと時になること請け合いさ!!」

 

「いや、前回の遭難した同伴はさすがにハラハラしかしなかったけどね……」

 

 バードウォッチングと言って、二人で山にお出掛けした前回の同伴。初となるノアとの外出で非常にアクティブな体験になるだろうと予感していたものだったが、アクティブどころか命懸けのサバイバルになるとは当時は思いもしていなかった。

 

 あれ以来、ノアの行動に対してユノは厳重な注意を払うようになった。

 ノアがこちらを連れ出そうとした際には、必ず他の者も同行させることで少女の行動を監視したりなど、しばらくはノアと二人きりでお出掛けという機会に恵まれなかったものだ。ノアもそれを承知した上で、自分らはデートとまではいかない外出を楽しんだりしていたのだが、つい先日になってとうとう、十分な反省がうかがえるという理由で、ノアは二人きりのお出掛けが許された。

 

 自分もノアも、いつ死んでしまっても何らおかしくない状況にある。特にノアは、自らの命を捧げる覚悟を以てしてこちらを守ってくれていた。

 今回の赦しは、そんな日々に対して悔いが残らぬよう過ごしてもらいたいというユノの気持ちが込められていたのだろう。前回の件を深く反省していたノアの様子も鑑みて、ユノはようやくと二人きりでの外出及び同伴を許可し、本日も自分らのことを快く送り出してくれたものだった。

 

 ただ、個人でキャンプへ出向くのではなく、専門的な人間が案内してくれるツアーなどの形式でキャンプをしてくるようユノは念を押してきた。これをノアは快諾し、自分とノアの二人でどんなキャンプをしようか話し合いながら予約を取ることで、今に至る。

 

 お互いに念願でもある、久方ぶりの同伴。バスの前で佇むこちらへとノアはさり気無くすり寄ってくると、次にも少女はこの左手を取るなり、王子様が如き甘いマスクの自信満々な表情から一転して、年相応の乙女チックなしおらしいサマで頬を赤らめながら喋り出してきた。

 

「ここで立ち話をしていても何だろう? さぁ、柏島歓喜っ……ボクと一緒に、集合予定となっているゴンドラ乗り場へ赴こうじゃないかっ……」

 

「え?? あ、うん……。そうだね……?」

 

 声音はそのままに、乙女な一面を発動したノア。今まで困惑混じりに照れていたはずのそれが、今回はしどろもどろになるどころか照れながら平常運転を維持してみせている。

 

 デレデレな調子で、普段通りの王子様口調で喋るノア。共にして手を繋いだ少女が歩き始めたものだから自分もそれに合わせて歩き出していき、そうして足並みを揃えたこちらへとノアは言葉を続けてくる。

 

「なぁ柏島歓喜っ……。傍から見たボクらはきっと、恋人同士のように映っていることだろうっ……」

 

「そ、そうかもしれないね……?」

 

「キミとしては、ボクとはそういう関係で見られるのは嫌なものかなっ……?」

 

「そんなことはないよ……!! 何だったら、めちゃくちゃ嬉しいくらいだ」

 

「そうか……! そうかそうかっ……フフフ。ボクが良きパートナーであることに、キミは何の躊躇いを持たずにいると思っていいんだねっ……! それはつまりっ、キミはこの瞬間だけでも、ボクのことを愛人として迎え入れてくれたと解釈しても良いのだろうっ……?」

 

 もはや、恥ずかしいというには堂々としたサマでそれらを口にし始めたノア。

 

 まさか羞恥を克服したとでも言うのか。

 患っていた強い感情に振り回されず、まるで当然といったサマで話し続けてきたノアの調子。得意げな表情で頬を赤らめてきた少女は依然としてその足を進めていき、周囲へと自慢するかのように人前で手を繋いでみせながら、到着したゴンドラ乗り場でも迫るようにこちらへと好意を伝え続けてくる。

 

 段階を踏むように、着実に自身の恋情を打ち明け始めていたノア。もう、未知だった淡い気持ちに動揺することもなく、むしろその甘酸っぱい感情を武器として扱うように一気に距離を詰めてきた少女の大胆さには、その対象としても実に驚かされたものだった。

 

 それ以前にも、バスの中で既にノアからのアタックは開始されていた。

 ノアがお手製のおにぎりを作ってくれており、きちんと包みで渡されたそれら二つを受け取りつつ、お礼を口にした自分。これに対してもノアは乙女を発動し、頬を赤らめながらも右手を胸にあてがいながら誇らしげに「お礼など不要さっ……! これは、キミに対する誠実な想いを形にしただけに過ぎないからねっ……! なに、所謂『愛妻弁当』というものだよっ……!」と返答してみせていた。

 

 何気無く流してしまった少女のアプローチだったが、ノアの行動力が体現したかのような積極性はこの先でも遺憾なく発揮されていく。

 

 ゴンドラに乗り込んだ自分らは、案内役やツアー客と共に揺られながら山の上を渡っていく。その紅葉で紅くなり始めた秋の風物詩を眺めていく最中にも、ふと目についたのだろう双子のような同じ高さの山を見て、ノアがそんなことを口にしたものだ。

 

「柏島歓喜っ……! あの奥にある山を見てくれっ。まるで、今も寄り添うボクらみたいじゃないかっ……? ボクらはいずれ永遠の誓いを交わし合い、お揃いの指輪でも着けるのだろうかっ……今から楽しみだなっ」

 

 元から自分の世界に入り浸る傾向があるノアだけど、そこに恋情が合わさるととんでもない化学反応を引き起こすんだな……。

 

 とか内心で思っている間にも、ノアの言葉を聞いていたツアー客のおばあさん達は微笑みながら「あらまぁ」と言って、こちらを温かい目で見遣ってきた。そんな視線を受けて自分は苦笑いを浮かべてしまいながらも、ノアには「あ~……そうかもしれないね~……?」と無難に返答することでゴンドラの旅を乗り切っていく。

 

 ゴンドラを乗り終えて、頂上付近に到着した自分達。ウサギのようにぴょこぴょことした足取りのノアと一緒に五分ほどの徒歩で案内されていくと、その先に広がっていた光景に自分とノアは思わず感嘆を零していった。

 

 一面の紅葉と、青空を映し出すほどに透き通った鏡のような湖。雲の白色が混じる透明な水面は紅葉の鮮やかな色合いも含むことで、秋という季節を一層と感じさせる華やかな紅の湖を演出していた。

 

 湖の付近には、現地のスタッフによって既に用意されていたテントの数々がうかがえる。更にはバーベキューセットや焚き火台などといったキャンプの醍醐味も揃っていたことから、至れり尽くせりな光景に心が躍り始めていたものだ。

 

 誰でも気楽に参加できるツアーなだけはあってか、自前で必要な物が特に指定されていない今回の旅。それは料理で使用する食材から、寝袋や着替えなども既に用意してくれている好待遇のプランであったため、自分とノアはスマートフォンや財布以外を持たないほぼ手ぶらに近い状態でこちらに訪れていた。

 

 今も目の前に広がる湖を傍らに、自分らが泊まるテントへと案内されていく。そうして張られた布の住宅を自分は眺めていると、案内役が去っていったそのタイミングで乙女なノアがこんなことを言い出してきた。

 

「柏島歓喜っ……。ここが今日の、ボクらの愛の巣みたいだねっ……」

 

「愛の巣って……。さすがにここで“する”のは、周りにバレそうだからマズいと思うけど……」

 

「声を出さなければ大丈夫さっ……。今日ボクはここで、柏島歓喜と二人きりで愛を育むんだっ……。今夜はどのような愛の形を見せてくれるのだろうかっ……今から楽しみだなぁっ……!」

 

 内股になって、ムズムズとした様子のノア。そしてワクワクした面持ちのままテントへと入っていく少女の背を見送ってから、自分は内心で「参ったなぁ……」と呟きながら頭を掻いて立ち尽くしてしまった。

 

 ……ノアはもう、こちらに対して明確な“好意”を抱いてくれていると考えていいのかもしれない。

 周囲には、結婚について冗談半分で考え合ったレダであったり、こちらを義理の兄のように慕ってくるシュラのような距離が近いホステスがいたものだ。しかし、彼女らはいずれも恋情というよりは友情からなる好意を向けてきており、そんな自分らは所謂『友達以上恋人未満』という関係性でバランス良く成り立っていた。

 

 だが、ノアに至っては友情よりも恋情が(まさ)っていると思われる。

 つまりは、そういうことなのだ。こればかりは男として心からありがたいと思えた反面、その肝心の相手が日本屈指の極道組織を率いる銀嶺会トップの愛娘。この現実を前にして、果たして素直に喜んでいいのかどうか分からずにいた自分は、現在も少女から寄せられる淡い感情に複雑な気持ちを抱くことで、同伴中もずっとそれについて悩み続けてしまっていたものだった。

 

 少女の真意を、相手方である自分は中々受け止められずにいる。この一方的な状況を恋愛と言えるかどうかはともかくとして、自分は今、ノアという好意的なホステスと過ごすひと時を大事にしていきたいとは考えていた。

 

 自由時間となったキャンプ地において、周囲がバーベキューや撮影会などで盛り上がっていく中、ウサギのようにぴょこぴょことした足取りで付近の木へと駆け寄ったノア。その様子を見守るように歩きで追い掛けていく自分の視界には、屈んでは木の根元に注目し始めた少女の背が映し出されていく。

 

 歩きでゆっくりと追い付いた頃には、既に拾っていた“キノコ”をまじまじと見つめていたノア。しっかりとした茎にふっくらとした先端のそれを少女は暫し見つめていくと、次にもノアは口を尖らせた真剣な眼差しで、ふと閃いたようにその言葉を言い放ってきたものだ。

 

「…………! “柏島歓喜”……っ!」

 

「こらこら」

 

 手を乗せるように、ペシッと少女の頭を優しく叩いていく。これにノアは反応を示すなり、キノコを“息子”に近付けて見比べようとしてきたものだったから、自分はそれを取り上げるようにしてノアから預かった。

 

 

 

 

 

 バスを降りてからは、乙女なノアに振り回されっぱなしだった自分。しかし、キャンプ場に到着してからは持ち前の甘いマスクで、ノアは周辺にいるツアー客との交流にも勤しんだものだ。

 

 バーベキューの準備に手間取っていた、四名ほどの若い男性グループ。その様子を放っておけなかったのだろうか、次にもそちらに顔を出したノアがボーイッシュな活気で手助けに入っていくと、そのミステリアスな存在感で瞬く間に男性らを惹き付けては、あっという間に打ち解けて問題事も解決してしまった。

 

 わずかな時間で、手懐けたように指揮したノア。その中性的な存在は女々しくもたくましく、初見では性別もあやふやであったことだろう。しかし、ノアを女性と知って一層と魅了された男性らがノアを口説いていく中で、少女は慣れた調子でお誘いを断っては次なる団体の下へとぴょこぴょこ移っていった。

 

 少女が辿り着いた先には、焚き火を使用して飯ごうや鍋を温めている父親と娘の親子が存在した。そこでは、五歳ほどのぐずった娘が帰りたいと言って父親に泣きついており、父親は父親で焚き火を見ながら娘の相手を行ったりなど、とても忙しそうな様子を見せている。

 

 そこに、ノアは助っ人として顔を出してきた。

 積極的な姿勢で娘へと優しく話し掛けていくノア。その不思議な喋りがアニメのキャラクターみたいで面白かったのか、ノアが話し掛けるなり娘は機嫌を直したように泣き止んだ。これに父親がお礼を伝えてくる中で、ノアは焚き火でカレーライスを作っていることを知り、且つ、父親が料理に慣れていないという話をうかがってからというもの、ノアは自信満々に手助けを名乗り出てその手伝いへと取り掛かり出したのだ。

 

 ノアの裁量により、野菜や肉が手早く処理されて鍋の中へと入れられていく。それから味見も行っては付近で焼肉を行う他の団体へと顔を出し、そこからカレーライスに見合った調味料などを借りることで必要な材料を見繕い、ノアは自身の納得がいくカレーライスを完成させた。

 

 そのカレーライスは、親子に大好評だった。

 胸を張り、得意げに喋るノア。そんな少女らの下へと、先にも顔を出した他の団体がスパイシーな香りにつられて訪れてきたことで、ノアは皆に振る舞うようにそのカレーライスを渡し始めたのだ。

 

 意識せずとも、周囲を巻き込むノアという影響力。少女が持つ健気な活力は老若男女を魅了して、一つの輪を作り上げていく。

 皆を家族だと謳い、今だけの関係も大切に扱うノアの様子。少女の背景にはヤクザ組織の文化が根付いていたものだったが、ノアという人間に関して言えば、その仲間想いな後天性の性格はプラスの方向に働いていたことだろう。

 

 ツアーのスタッフとも打ち解けたノアは、気付けばキャンプ場を奔走する人気者となっていた。

 そんな様子を遠くから眺めていく自分。個人的には同伴という(てい)でお出掛けしたものだったから、せっかくだしノアと一緒に居たいという気持ちも芽生えてくる一方で、今も笑顔に溢れた少女の活気ある様子を見ていると、まるで自分の事のようについつい嬉しくなってきてしまう

 

 環境などのしがらみに囚われず、ただ楽しそうに過ごしているノアをずっと見ていたい。

 うら若き、恋する乙女。華やかな人生を謳歌する少女の生き様を前にして、自分もまた改めてノアに魅了されるようその様子を見守ったものだった。

 

 

 

 

 

 時が流れ、夜を迎えた現在時刻。

 

 立てられた木製の柱には、照明が括り付けられていた。それがキャンプ場に複数とうかがえており、安全を確保するには十分の明かりが灯っている。

 

 夜ならではの遊びとして、焚き火を囲いながら談笑やトランプに耽るツアー客。スタッフらもお疲れな様子でミーティングを行い、その脇では望遠鏡で天体観測を行うマニアな客も見受けられたものだった。

 

 そんな空間の中、自分はテントの前で呆然と佇んでいると、あちこち行き交っていたノアが息を切らしながら駆け寄ってきた。

 少女との同伴であるお出掛けだが、むしろ一緒にいる時間の方が少なかったな。それを思いながらも「おかえり、ノア」と迎えていくと、ノアは汗だくとなった健康的な笑みを浮かべつつ、ちょっと心配する調子で喋り出してきた。

 

「柏島歓喜! すまなかった! ボクとしたことがうっかり、キミのことを放置してしまったよ!」

 

「いいよいいよ、気にしないで。俺としても、ノアが活躍する姿を見ていて何だか気持ち良かったからさ」

 

「しかし、ボクはキミの護衛を放棄したとも言えるだろう……! あぁ、またユノに怒られてしまう……! またしてもキミと二人きりで過ごす穏やかなひと時を制限されてしまったらどうしよう……っ」

 

「まぁ、結果的にこうして無事でいるからさ。今からそれを意識していければ、たぶん大丈夫……なハズだよ。周囲のために頑張ったその話を正直に伝えれば、ユノさんもきっと納得してくれると俺は思っているし」

 

「柏島歓喜……」

 

 心配や不安が巡るのだろう複雑な表情を見せたノア。だが、少しして納得するよう頷いてくると、次にも少女はそれを言い出してくる。

 

「そこで、キミに一つ頼みたいことがあるんだ」

 

「どうしたの?」

 

「それはだな……。その、何て言うのかな……」

 

「?」

 

「っ……ふ、付近に共用のお手洗いが設置されているのは知っているだろうか?」

 

「あぁ、キャンプするお客のために設けられた共用トイレね。俺も利用させてもらったよ」

 

「しかしだな……今現在、少々混み合っているようで、空きそうな気配が微塵にもうかがえなくてね……」

 

「あー、そろそろ就寝する人達も出始めるだろうから、ちょうど今が一番混む時間かもね」

 

 しかしそうなると、利用したくても利用できない場面が出てくるということだよな。

 

 内心で何となく思い、そうなったら大変だなぁと他人事のような感想を抱いていく自分。だが、その手前では今も内股になってもじもじとするノアの様子がうかがえて……。

 

「……っ柏島歓喜」

 

「え、まさか」

 

「っ…………キミを一人にするわけにはいかない! だから……っだから! このノア、恥を忍んで頭を下げるとするよ! その、つ、ついてきてくれないだろうか……! ……ひと目の無い場所までっ!」

 

「ま、マジか……っ」

 

 遠回しに、自然界に解き放つ行為の実行を知らせてきた少女のお誘いに、自分は思わず唖然としてしまった。

 

 だが、これでノアのダムが決壊してしまったら、それこそ大惨事となってしまう。

 取り敢えず、自分は周囲の視線をうかがいながらノアの背に手を添えていく。それから誰も見ていない隙を見計らって少女を暗がりの山の中へ連れていくと、二人は明かりの無い不安定な地面を早歩きで巡り出したものだった。

 

 そう言えば、懐中電灯が支給されていたな。

 ふと思い出した自分が、上着のポケットから照明を取り出していく。それで目の前を照らしながら暫し歩き進めていくと、ちょうどキャンプ場の陰になりそうな大木を見つけたことで、自分はそちらへノアを移してから言葉を掛けていった。

 

「ひとまず、ここで済ませちゃおうか。ウェットティッシュはある?」

 

「く、配られた物がボクの手元にあるから、心配には及ばないさ……っ」

 

「おっし。それじゃあ……あれだ。俺は適当に見張っているから、今の内に済ませちゃって」

 

「柏島歓喜……。本当にすまない。キミをこんな穢れた雑用に付き合わせてしまうだなんて」

 

「いいからいいから」

 

「ついでにだが、安心してもらいたい。ボクが今催しているのは……小さい方なんだ」

 

「そ、それも……それもいいから!」

 

 懐中電灯を手に持って、ノアから背を向けるように佇んだ自分。直後にも背後からは衣類を脱ぐ音が聞こえ始め、一緒に脱いだのだろうパンツとショーツを大木の根本に置く音と共にして、少女のしゃがんでいく気配が伝わってくる。

 

 ……なんでだろう。どうして俺も緊張しているんだろうな。

 女性の“用”に付き添うという行為に、言い知れない羞恥が巡ってくる。今も不思議とドキドキさせた心臓が静寂の空間でドックンドックン音を立てていく中で、この脳裏には紳士にあるまじき(よこしま)な思考がよぎり出していたものだった。

 

 ……そんな、“小さい方”と言われると……ちょっとだけ気になっちゃうよなぁ。

 背徳的な行為だからこそ、ついつい意識してしまう。現に、耳を澄ませていた自分も確かに存在しており、その相手がミステリアスなノアであるという事実が一層と、男の本能をくすぐってきた。

 

 ……見張りもしているし、ちょっとくらいなら……いいかな……?

 ほんの、ほんのチラ見程度。視界の隅っこだけだから。そう思いつつ、バレないよう顔を少しだけノアの方向へゆっくりと動かしていき、本当に一瞬だけ、視界の隅っこで少女の姿を収めようと視線を向けていく……。

 

 ……だが、やはりとも言うべきか。顔を上げていたノアと目が合ってしまった。

 何なら、こちらをずっと見つめていたのだろう少女。今も下半身を丸出しにしてしゃがむノアの姿が映ると同時にして、自分は目が合った驚きで思わずこの身体を少女へと向けながら退いてしまい……。

 

 完璧に見てしまったこちらの反応に、ノアはしどろもどろに言葉を口にしながら、必死に誤魔化すよう両手をバタつかせてきた。だが、その動作でバランスを崩した少女はしゃがんだ姿勢のまま後ろへすってんころりんと転んでしまったことによって、自分もまた咄嗟にそちらへ駆け出しては、反射的に伸ばした両腕をノアの背に回すことで少女の身体を何とか受け止めたものだった。

 

 その際に、自分は懐中電灯を落としてしまったらしい。

 眩いほどの照明が、二人の下へ向けられる。これに自分が目を閉じ掛けていく中で、転んだ勢いでおっぴろげたノアの両脚と、その照明の中央にて最も明るく照らされていたであろう少女の“聖域”からは、直後にも上向きの蛇口を捻ったかのような“聖水”が流れ出してしまったのだ。

 

 ……空を切る清涼な音と、地面の葉に打ち付けられる水の音。

 もう止まらない。両脚を全開にした姿勢のノアは、羞恥のあまりに両手で顔を覆い隠してしまう。その間も“排泄”は収まらず、今までずっと我慢してきた分のありったけが放出されていた。

 

 これには自分も、放心に近しい面持ちで見守ることしかできずにいた。

 何よりも面子を大事にする少女。だが、今この瞬間においては、これまでの人生で一番とも言えるだろう恥辱を晒したことだろう。

 

 両手で隠した顔からは、喉なのか口なのか分からない「きゅぅ~……っ」という空気の抜けるような音が聞こえてきた。そんな、共にして顔を真っ赤にした少女の様子を前にして、自分は不本意ながらも相当な興奮を覚えてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 直にも、“聖水”の勢いは収まった。

 ……地面に落ちた懐中電灯は、残酷にも微動だにせず少女の“聖域”を照らし続けていく。このショッキングな現実に身体が動かずにいたのだろう少女の様子をうかがいつつも、自分は恐る恐ると優しく言葉を投げ掛けていった。

 

「……ノア。もう、大丈夫そうかな……?」

 

「…………っ」

 

「えっと、ウェットティッシュで拭こうか……?」

 

「…………っ」

 

 コクコク。無言で頷いてきた少女の反応を確認してから、自分は付近に置かれていたウェットティッシュの袋へと手を伸ばしていく。

 

 手にした袋から、湿った布を抜き取った。それから自分は少女の“聖域”へと手を伸ばし、水晶が如くツルツルとした“表面”と、幼ささえ感じさせるふっくらとした“丘”へと触れることで、その布で水滴を拭き取り出していく。

 

 ……この暗がりでもなお、細部まで行き届いた少女のケアを視認できた。

 一切の妥協を感じさせない、非常にデリケートな部位のお手入れ。その色白の肌がまた健康的な背徳感を漂わせ、本質は健気である乙女な柔肌の、前から後ろに渡る股全体をウェットティッシュで拭い続けたものだった。

 

 その間も、少女は両手で顔を隠し続けていた。

 少女の様子に、自分は「ごめんね」と謝罪の言葉を掛けていく。これに対して少女はコクコクと頷いてみせたことから、自分は安堵した心持ちで“聖域”の清掃を終えていくのだが……。

 

 清潔となった“聖域”から手を離し、ウェットティッシュをひとまず地面に置いていく。それから自分は滾る本能のままに頬を赤らめていくと、次にも無意識と伸びたこの手のひらで、清らかとなった少女の“聖域”を撫で掛けてしまったのだ。

 

 瞬間、少女は身体をビクッとさせながらも、艶めかしく「ぁんっ」と喘いでみせた。

 本当に、こういうところが可愛らしい……。そんな内心が生まれ出でるに至ったノアに対する欲情が、一層と手の運動を活性化させていく。こうして本能に駆られた感情のままに繊細な柔肌を入念に愛でていくと、間もなくとして顔を出した“突起”を目にして、自分は待ってましたと言わんばかりに触れてから指の腹で転がすように可愛がってしまう。

 

 ノアは、良くも悪くも常にアクティブなタイプの女性だ。少女との行為において最も特徴的とも言えたのが、その場所は常にベッドの上ではないということだろうか。それは外出先のクローゼットの中であったり、キャンプ場から離れた森林地帯といった、主に寝床以外を中心とした非常に背徳的なシチュエーションにおける行為がほとんどの割合を占めている。

 

 ムードで気持ちを高め合ってから至るのではなく、思い立ったら即行動という突発的に発生するイベントとして考えた方がいいだろう。それも、場所を問わないある意味での行動力や柔軟性が仇となり、出先の建物内でゆっくり休んでいようが野外を歩いていようが、いつ如何なる時でも少女に食われる可能性を孕んでいる。尤も、そんなリスクを意に介さないマニアックな嗜好の持ち主であれば、少女との相性は抜群とも言えるのかもしれない。

 

 また、少女は非常に自身の面子を気に掛けている。特に知人といった少女を知る人間に対しては、自身の情けない無様な姿は見せられないというプライドが常に存在しており、そんな自身のあられもない格好を見られたくないという一種の恐怖心が働き過ぎるがあまりに、少女は結果的に一層もの性的な興奮を覚えてしまう傾向がある。そのためか、『快楽に敗北したこの姿を見られるかもしれない』という可能性が存在する限り、少女は自滅するように、勝手に快楽で狂い悶えてしまうのだ。

 

 行為を致すにあたって、相手方には自身のあられもない姿を見られてしまうものだ。それを意識するだけでも興奮を覚えるノアは、こちらから手を出さずとも勝手に胸部の“突起”をそそり立たせ、少女は「こんな無様なボクの姿を見ないでくれ……っ」と口にしながらも、その身体は快感に飢えるよう次なるアプローチを待ち望んでくる。

 

 見られたくないけれど、続けてほしい。そんな葛藤に板挟みとなった少女の脳みそは常に沸騰し、本人は無意識にも物欲しげな眼差しでおねだりしてしまう。そんな、ある意味で複雑なお年頃とも言える少女の有様はオスの本能を掻き立てるに十分であり、これに魅了されたオスは堪え切れない欲情を伴いながら、中性的な振る舞いによって王子様のようなイメージが定着した少女のことを、己が猛々しい“息子”の蹂躙によって滅茶苦茶にしてしまいたくなるのだ。

 

 十分に可愛がった“聖域”は悦びの涙を流し始め、粘り気のあるそれを両脚に滴らせながら少女は起き上がる。共にして自分は懐中電灯を拾い上げては照明を消していくと、完全に暗闇で染まったその空間において、大木に手をつかせた少女の身体を背後から抱き締めていった。

 

 下半身を露出した、情けない少女の姿。自分は下から両手を伸ばすことで、今も少女が着用する上着の中へとそれらを忍び込ませてから、少女が日頃から開発している控えめな胸部の“突起”を堪能し始めていく。

 

 これだけでも、少女は仰け反るほどの快楽で呻き出していた。

 想像以上の反応が、最高に堪らない。そうして乙女の柔肌に吸い付くよう両手も全身もその華奢な身体にくっ付けていき、次にもチャックの隙間から“息子”をボロンッと取り出すや否や、迎える準備が整った潤いの“聖域”へと進入させたのだ。

 

 粘液が擦れる音を響かせながら、背後から一体化する自分。その最中にも少女は快感によって全身を痙攣させながら仰け反ったものだったから、自分は胸部を包み込むように掴んでいた両手の運動はそのままに、腕に力を加えることで少女を持ち上げるようにしながら“息子”を奥まで詰め込んでいった。

 

 ……キャンプ場から聞こえてくる、笑い混じりの話し声。一同が交流に励む中、その物音を聞きながら自分は腰の運動を開始する。

 ゆっくりと、ゆっくりと、“内部”の側面に先端を擦り付けるようなアプローチ。両手による“突起”の撫で掛けを継続しながら行われたこちらの行為に反応して、少女は必死に声を抑えるような、低く呻きながらも堪え切れない甘い声を出し続けてくる。

 

 次第にも、少女の身体を“息子”だけで持ち上げるような力強さで運動し始めた自分。その、何度も深く突き刺さる上に身体まで持ち上げられる感覚に、少女は思わず夜空に向かって腹の底から嬌声を上げ始めたのだ。

 

 中性的で、透明感のある存在。今、その少女が“息子”によって分からされている。

 ゾクゾクと巡ってきた興奮に、自分は少女の首筋に鼻を付けていく。それから日中の活動で汗をかいた少女のニオイを嗅ぎながら、手や腰の運動はそのままに言葉を投げ掛けていった。

 

「ノア……っ。全部、ノアが悪いんだからな……っ。バスに乗っている時からずっと、俺をその気にさせといてきてさ……っ。いざここに着いたら、急に俺のことを放置して他の人達と仲良くするんだもん……っ」

 

「うぁっ、ごめんよっ……柏島歓喜っ……! どうかっ、偉大なる柏島の血を継ぎしっ……キミという存在の護衛をっ……目先の感情に囚われるがあまりにっ……己が使命を軽々と放棄してしまったっ……この罪深きボクのことをっ……どうか許してもらえないだろうかっ……ぁん」

 

「別に、怒っているわけじゃないんだ……っ。率先して人助けをするノアの姿は、本当に輝いて見えていた……っ。これが、ノアの本質なんだなと心から思えたし、そんなノアの姿は誰よりも気高くて、そして……誇らしかった……っ」

 

「や、やめてくれっ! こんな恥晒しのボクに情けをかけないでくれっ……! これではボクはっ、尚更と自分を不甲斐なく思えてきてしまうっ……!」

 

「もう十分に情けないよ、ノア……。こんなに汗臭くなって、ノアともあろう人間が何てだらしない……」

 

「ぁぁ……あぁぁぁっ……やめてくれ柏島歓喜ッ……そんな言われ方をされるとッ……ボクはボクでいられなくなってしまっ……」

 

 言葉を遮るように、深々と突き刺さる一撃を叩き込んだ。

 銃声が如く、甲高い肉の音が響き渡った。これを受けた瞬間にも少女は悲鳴のような喘ぎ声を出していき、直後にも大木に振り掛ける勢いで失禁し始めたのだ。

 

 こちらの履物にもかかった、少女の“聖水”。そのあられもない醜態を晒したことによって、少女は自身に幻滅するよう声を震わせながら喋り出してくる。

 

「ぁぁぁ……ぁぁぁぁぁ……っ!! 柏島歓喜ぃ……。柏島歓喜ぃ……!」

 

「まだ出し切ってなかったのかな? おしっこすることも我慢して、たくさんの人達を助けて回っていたんだね。えらいよ、ノア……」

 

「あぁぁやめてくれ本当に頼むからぁっ……! ボクは自分という醜い存在が恥ずかしくて堪らないっ……! こんな見苦しい姿を曝け出して、何が銀嶺会トップの娘だっ……! オヤジぃ……! ユノぉ……! こんなボクでごめんなさいっ……こんな、オトコの“モノ”に負けるような恥晒しのボクで本当にごめんなさいっ……!!」

 

「ノアは恥晒しなんかじゃないよ。ノア、これはね、俺に対して心を許してくれているという確たる証拠なんだ」

 

「ッ……柏島歓喜に、心を許している証拠っ……?」

 

「そうだよ。ノアが俺のことを信頼してくれているからこそ……ノアが俺のことを、大好きでいてくれているからこそ……今のノアは我慢もせずに、自分の全てを曝け出してくれているんだ。大好きな人に対して、隠し事せずに、包み隠さず、本当の自分を見せてくれている。そんなノアの“誠意”に、俺は今、すごく嬉しいと思えているんだよ」

 

「っ……これが、“誠意”っ……? ぅぅ……柏島歓喜……」

 

「ノアの本気、俺にしっかり伝わったよ。だから、もっと見せてくれないかな……? ノアの誠意を……ノアが心から満足してくれている、あられもない本当の姿をさ……」

 

 もう、我慢の限界だ。

 腰の運動は、大胆な一突きの繰り返しから小刻みへと変化する。それと共にして絶え間の無い快楽が巡り出したノアは小刻みの喘ぎ声を出し始め、こちらに全てを委ねるかのように全身の身体を脱力してみせた。

 

 ありがとう、ノア。俺のことを信じてくれて。

 ありがとう、ノア。俺のことを好きになってくれて。

 

 与えてもらった恋情のお返しとして、己が意識を“息子”へと集中させた自分。それに伴い腰の運動は次第と激しくなっていき、既に待ち構えている“子種”が今か今かと押し寄せてくる。

 

 暗闇の中、様々な汁が飛び散っていく。そして、もう限界だと言わんばかりに内なる欲求を解き放つよう我慢を緩めていくと、同時にして最後の汁が快楽となって噴き出していった。

 

 熱を帯び、どくどくと脈打つ肉の管。そこから自分の全てを捧げるよう少女に熱意を注ぎ込み、溢れんばかりの欲望で少女の中を満たしていく。

 

 ……ラミア、メー、レダやミネ、そしてシュラに続いて、自分史上もっとも多い量を噴射した。

 佇んだ状態の“出入り口”から、すぐにも白の快楽が溢れ出してくる。共にして、最深部への注入を終えてすぐにも引き抜くと、直後にも独特な臭いを放つ白色の塊がドロッと零れ出してきた。

 

 熱烈な行為は終了し、一気に力が抜けたノアの身体。そんな少女の崩れ落ちる様子に自分はすぐさま距離を詰めて受け止めていくと、ノアは今までに見せたことのないボーッとした表情で、魂が抜けたかのような面持ちで暫し頭上の夜空を眺め続けたのだ。

 

 心ここにあらず。自分は心配するようにノアへと言葉を掛けていくと、次にも少女は力無い有様で微笑んでみせた。それに安堵した自分は背後から優しくハグを行っていき、それから振り向いてきたノアと運動後の柔らかい口付けを交わし合っていくと、最後にも静寂に包まれた野外の暗闇の中、ノアと愛の言葉を囁き合いながら二人きりで過ごすひと時を暫し堪能したものであった。



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第77話 La chasse 《ハンティング》

 リニューアルオープンした夜のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。以前までの輝きを取り戻した現在のホールには、罪の味に魅了された男女の客で賑わいを見せていた。

 

 盛況である大人の世界。酒と女に溺れたアダルトな光景を前にして、自分はいつもの席でホステスを待ち続けていく。

 

 見渡すと、周辺の席には今も接客するタキシード姿のいつメンがうかがえた。特に本日の営業はフルメンバーで出動していたためか、ホステスを待っている間にも度々と、マスクや手袋を外したラミアやユノ、レダやミネに、シュラやノアといった顔ぶれが、こちらの様子を見に顔を出してくれたものだった。

 

 ボーイのクリスも、仕事をサボりにちょっとだけこちらの席に立ち寄ってきた。彼とも一言二言と会話を交わしたりする中で、クリスは接客中のユノから無言の視線を向けられては何食わぬ顔で業務に戻ったりなど、今も視界に広がる光景は実に、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)らしい有様を映し出していたことだろう。

 

 そんな自分が席で待っていると、直にも担当してくれるホステスが歩み寄ってきた。

 二人分の足音が聞こえてきて、耳にしたそれへと振り向いていく。すると視線の先からはタキシード姿のハオマと、同じくタキシードを身に纏ったヴィクトリアが姿を現していた。

 

 橙色のシャツを着るハオマに、鮮やかな緑色である翠色(すいしょく)のシャツを着るヴィクトリア。その百九十一の背丈に合わせたタキシードも発注してもらい、ティアラのような柄の薄い黄色のヘアバンドを着けた、ツヤのある茶色のショートヘアーで彼女は業務に徹していた。

 

 尤も、ヴィクトリアという人物は、一人にするには少々危なっかしくもあった。その貴族風な風貌にフワフワとした人当たりのいい性格も、この裏社会ではむしろマイナスに働いてしまうだろうその様子は、言うなれば『世間知らず』と称することができたのかもしれない。

 

 そのため、新人であるヴィクトリアが接客にあたる際には、誰か一人は傍にホステスが付くよう彼女らは指示を受けていた。そして本日の当番はハオマだったらしく、ハオマもまた小動物のような朗らかなオーラで喋り掛けてきたものだ。

 

「カンキ君おまたせー! 待たせちゃってごめんね! ちょっとヴィクトリアちゃんに接客のアレコレを教えていたら、けっこう遅くなっちゃった! ……ぁあのねあのね!! 別に、相手はカンキ君だし少しくらい待たせても大丈夫かなぁ~とか、これっぽっちも思っていなかったからねッ!?」

 

 あ、これは思っていたな。

 

 内心で冷静にツッコみながら、自分は「いえ、お気になさらず」と答えていく。その間にもヴィクトリアは椅子を持ってくると、次にも大人っぽいタキシード姿で、裕福な実家で躾けられたのだろうサマになる優美なお辞儀を行ってきた。

 

「ごきげんよう、カンキ様。今宵は楽しい夜を共に過ごしましょう」

 

「そう言えば、ヴィクトリアの接待は初めてかも。なんだか、すごく新鮮で楽しみになってきたな……! 今日はよろしくね、ヴィクトリア」

 

「はい! このヴィクトリア、カンキ様に満足していただくためにも、最高のおもてなしやひと時を提供できるよう尽力いたす所存でございます」

 

 と言って、最後にヴィクトリアは品のある穏やかな声音で「マジ卍~」と言葉を付け加えてきた。

 

 一気に不安になってきたこちらの様相を他所にして、ヴィクトリアの一言に一切とツッコまないハオマはニッコニコでそう喋り出してくる。

 

「カンキ君カンキ君! 前にも話したと思うけど、今回から私も事務員じゃなくてホステスとして働くことになったから、私のこともよろしくね!! こんなおばさんで良ければじゃんじゃん指名しちゃって!! 最年長として、まだまだ周りに負けていられないし!」

 

「え、えぇ、よろしくお願いします。あと、ハオマさんは全然現役でイケますんで、そんな卑下なさらなくてもいいかと思います……」

 

「あらやだもぉ~!! カンキ君ったら、お上手だことぉ~。オホホ~」

 

 特有の、空を軽く叩くような手の素振り。これに自分が汗を流しながら見遣る最中にも、ヴィクトリアは向かい側の席に座りつつ、お上品なサマで手を叩いてボーイを呼んでみせていく。

 

 すぐにも、タキシード姿のボーイがやってきた。

 一体なにをするつもりなんだろう。途端に巡ってきた悪寒と共に視線を注いでいきながらも、自分はヴィクトリアとボーイの会話へと意識を向けていく。

 

「ウーロンハイをお願いします」

 

「ウーロンハイですね。かしこまりました」

 

「ウーロンハイを、メロンソーダで割ってください」

 

「ウーロンハイを、メロンソーダで……え?」

 

「ヴィクトリアオリジナルブレンドを、カンキ様に提供いたします。(わたくし)が思考錯誤した上で厳選した最上級の組み合わせです。割合は、ウーロンハイを3、メロンソーダを7でお願いいたします」

 

「しょ、承知しました……?」

 

 すぐにもボーイを困らせ始めたヴィクトリアのそれ。彼も内心で「本当にそれでいいの?」という目をこちらに向けてきたものだったから、自分は慌てながらヴィクトリアへと言葉を投げ掛けていった。

 

「ま、待って待ってヴィクトリア!! そんな強引に決めちゃダメだって!! ドリンクはお客さんに選んでもらうことを前提にして、まずはお客さんに寄り添うよう軽くでも会話を交わしてから、自分を気に入ってくれたであろうそのタイミングでさり気無くドリンクをおねだりしなきゃ!!」

 

「まぁ! カンキ様、ホステスの心得をご存じなのですね!」

 

「え? いやまぁ、ずっと通ってはいるから……って、そうじゃなくて!」

 

 なんで俺が焦っているんだろう。

 冷静にそんなことを思いながらも、ヴィクトリアに伝わるよう言葉を思考し始める自分。その脇ではハオマがボーイへと「ごめんねー。また後で呼ぶかもだから、ひとまず他のテーブルをあたってもらってもいい~?」と声を掛けていく。これに彼は困惑気味に頷きながらも歩き去っていく中で、ハオマも席に座りながらヴィクトリアへとその指導を行っていった。

 

「ヴィクトリアちゃん。カンキ君も言ったように、ドリンクはお客様に選んでもらうものなんだよー? だから、まずはお客様と仲良くお話しをしていって、会話の流れでそれとなくメニューを手渡していく。それから全力で媚を売って相手の機嫌を取ってから、なるべくお高めなドリンクを頼んでもらえるよう渾身のおねだりをかまして売り上げを稼いでいくのが定石だよ?」

 

 いやいやいやいや、あながち間違いじゃないのかもしれないけれど言い方よ……。

 

 店の稼ぎ頭と言われていた程の実力を持つハオマ。彼女からとんでもない発言が出てきたことで、圧倒されるよう呆然と二人を見遣っていく自分。これに対してヴィクトリアは「渾身のおねだり……! つまり……日本の伝統芸能である“ドゲザ”をするべきでしょうか?」と訊ね掛けたことから、ハオマは涙目で大笑いしながら「ブァッハハハ!!! すごく面白いけどちょっと違うよぉ~ッ!!」と腹を抱え始めたことで、何故か自分がひとり頭を抱えてしまったものだった。

 

 こんな光景を繰り広げる二人用席の様子に、こちらへ歩み寄る一つの足音が聞こえてくる。自分はそちらへ振り向いていくと、そこにはタキシード姿に白色のシャツを着たボーイのイザナが佇んでいた。

 

 ミズキという名で呼ばれていた少年。いつものキャスケットの代わりに、スタッフ用の黒いキャップを被る彼がそのツバで目元を隠しながら、乙女色の黄みを含んだ淡い赤の髪を帽子の中でまとめ上げた風貌と、なんだかこちらを哀れむような視線で喋り出してくる。

 

「随分と苦労してるみたいだな」

 

「あぁ、イザナ。ちょうど良かった……」

 

「近くを通っただけだ。悪いが、おれは面倒事に深入りしないからな」

 

「まあまあ、ちょっとだけでもいいから俺の傍に居てくれない?」

 

「生憎と、おれには業務があるんでね」

 

「うぉォん……」

 

 イザナからも見放された。

 言葉にならない音を口から出していく自分。その間にも手前では、イザナに挨拶するハオマとヴィクトリアの姿が映し出されており、彼女らに対しても彼は端的に「あぁ」と口にして歩き去ろうとした。

 

 と、その時にもまた別方向から駆け寄ってくる足音が聞こえ始める。それに自分が気付いた時には、タキシード姿であるメーが正面から突っ込むようにこちらの輪に混ざってきたのだ。

 

 痛ましい骨折から数ヶ月。安静な治療の末に骨が回復した彼女は、病み上がりとは思えない程の元気なサマで勝気に喋り出してくる。

 

「ほいほ~い皆の衆ー!! 何やら楽しそうにしてんじゃ~ん? そんな皆の下に、完全復活したメー様が来てあげたぞー??」

 

 そう言いながら、イザナの肩に左腕を掛けて寄り掛かっていく。そうして体重を掛けられたイザナがよろけていく脇で、メーは間髪入れずに一同へとそれを伝えてきた。

 

「今日のお仕事が終わったら、ここにいる全員はエントランスに集合~! ヴィクトリアとイザナの歓迎会やるから、今日は皆で夜通し焼肉食いまくるぞーッ!!」

 

 耳元で大声を上げられたイザナが、迷惑そうに顔を背けながらも「お、おい。本人の了解も無しに勝手なこと決めんじゃねぇよ! てか焼肉っておまえが食べたいだけだろそれ!」と律儀な返答を行っていく。それに対してメーはイザナの顔に頬を擦り付けながら「良いではないか良いではないか~。そういうわけで皆よろしくぅ!」と伝え終えると、彼女はすぐさま駆け出してはお客のいる別のテーブルへと移っていったのだ。

 

 思わず眉をひそめたイザナが立ち尽くす中で、ハオマとヴィクトリアは和気藹々と歓迎会に喜んでいた。その話題で盛り上がるホステスらにイザナがため息をついていくその光景もまた、新たなLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の日常を映しているようでほっこりしたものだった。

 

 

 

 

 

 業務が終わり、エントランスに集合した顔ぶれが揃って店を出た。

 直にも、最後に鍵を閉め終えた私服姿のユノが合流してくる。そうして本日の歓迎会に参加するメンバーが集まると、次にも店前で待っていた一同は龍明の駅前を目指して歩き出していった。

 

 本日の面子は、ラミアとメーという傷が完治した二人を始めとして、レダにミネ、シュラにノア、ハオマやヴィクトリアに、イザナと自分という顔ぶれ。そうしてユノを先頭に歩き出したメンバーは皆、仕事終わりとは思えない元気な様子で、和気藹々と談笑を交わしながら街中を歩き進めていく。

 

 主に、先頭を往くユノとレダが、興味本位でフラフラと道を逸れていくヴィクトリアの軌道を修正していき、その後ろでラミアとメーとミネがスマートフォンを見せ合いながらSNSの写真を眺め合ったりして、更に後ろではシュラとノアに引っ付かれた自分が歩きにくい足取りで何とか前へ進んでいく。そして最後尾では、ハオマとイザナが店についての会話を行っていく光景が展開されていたりと、主に美人が集合した大勢の団体は周囲の人目を大いに引いたものだった。

 

 その中で、今も自分はシュラとノアに取り合いをされていた。

 両腕にそれぞれが引っ付いて、引っ張り合ってくる。この板挟みに「ちょっと、シュラ……ノア……!」と声を掛けていくのだが、二人はこちらを気にせずいがみ合うように言葉を交わしていた。

 

「なぁなぁ銀嶺のジョーチャン、ジョーチャンまだニーチャンを独り占めする気なんか? もぉ十分ニーチャン堪能したやろ? せやから、ええ加減ウチにニーチャンよこしぃや!」

 

「悪いが、たとえ相手がシュラであろうとも、ボクはカレを譲るつもりは毛頭ないのさ。……ボクは心に決めたんだ。(きた)るべきその未来に、柏島歓喜を銀嶺家のフィアンセに迎えることをね」

 

「フィアンセって……ジブン、ヤクザの家系やないか!! おいワレ、ニーチャンをヤクザに引き込むつもりなんか!? そないなこと、ウチは絶対に認めへんからなッ!!!」

 

「これはボクとカレの問題なんだ。部外者であるキミは口出し無用で頼むよ? そういうことで、柏島歓喜っ……誰にも干渉されない永久の愛をボクと一緒に育もうじゃないかっ……!」

 

 必死な形相でこちらの右腕を引いてくるシュラに対して、瞳にハートを浮かべた乙女のノアが、うっとりとした様相でこちらの左腕に引っ付いてくる。

 

 なんか、色々と複雑な関係になってきてしまった……。

 惚れてくれたノアの好意はありがたいものの、シュラの気持ちも汲み取りたいジレンマ。片方しか選べない究極の選択に答えを出せずにいた自分が困り果てていく間にも、シュラは懸命な顔でこちらを全力で引っ張っていき、ノアもまた引っ付いたまま抵抗することでズブズブの地獄な空気が生み出されていく。

 

 そんな様子に、前にいるラミアやメー、ミネが振り向いてくる。続けてラミアが適当な調子で「カンキさんを取り合うのは別にイイですけど、痴話喧嘩なら他所でやってくださいよー??」と喋り出していき、メーは「あは、マジでウケるんだけど。カンキ君モッテモテ~」と言いながら面白半分にスマートフォンを向けて写真を撮ってくる。更にはミネがボソッと「選べないクセに女たらし。カッシーの変態……」と口にしてきたことから、ホステスらに向けられた様々な要素に頭が真っ白になってしまった。

 

 で、こちらに気を遣ったレダが、呆れた様相で「ちょっとあんた達、前を見ながら歩きなさ~い?」と注意し始めてくる。これに反応したヴィクトリアが「まぁ! これが本物の“シュラバ”!! (わたくし)テレビでしか拝見したことがなかったので、本物を見ることができて感動しました~!」と悪気の無い調子で喋り出してきたものだったから、その隣にいたユノは鼻でため息をつきながらも、シュラとノアへと「貴方達、柏島くんを困らせないでちょうだい。彼に対する無礼は店の恥であることを心得なさい」と喝を入れてきたことで、二人はしょんぼりしながらこの両腕を離していった。

 

 後ろからは、イザナの「何やってんだおまえら……」という困惑気味の呆れ声が聞こえてくる。これに自分が苦笑していく中で、イザナと共に最後尾にいたハオマは、日常を見守るとても穏やかな眼差しで眼前の光景を眺め遣っていたものだ。

 

 

 

 

 

 それからしばらく歩を進めて、駅前にある焼肉店に到着した自分ら。真夜中でも営業しているそこに入っていくと、遅い時刻にも関わらず盛況である光景に混じるよう、一同で座敷の席へと上がり込んだ。

 

 そして、ビールやお茶などが入ったジョッキやコップを打ち鳴らし、皆と乾杯を交わし合った。

 ようこそ、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)へ。ヴィクトリアとイザナを歓迎する今宵の宴は盛り上がり、慰労会も兼ねた集まりは焼肉を添えて一層と白熱する。

 

 喜び、おどけて、愚痴り合う。団体に混ざる男の目も気にせずに喋くるホステス達は、下品な言葉や笑い声を盛大に響かせた。主にラミアやメー、レダやシュラが豪快に盛り上がっていき、これに苦笑するミネやノアが巻き込まれていく。そんな彼女らの会話に眉をひそめるユノが微笑して、言葉の意味を理解できないヴィクトリアがポカーンとしながら首を傾げていた。

 

 酒が入ったやり取りに、引き気味であるイザナが途方を見遣っていく。そんな少年に同情できる自分も苦笑いしながら他所へと視線を投げ掛ける中で、内心では「せっかくだからクリスも来れば良かったのになぁ」と、誘いを断ってきた彼の姿を思い浮かべながら烏龍茶を啜っていった。

 

 その最中にも、ミネとノアがサラダバーへ向かうために席を立った。

 ラミアやメーも皿を持って駆け出していき、駆け出した二人に対してレダが注意しながらも、彼女はそのままヴィクトリアのお手洗いに付き添っていく。そうした彼女らの動きを見てからというもの、それじゃあ自分もサラダバーに向かおうかなと思い立ったところで、ユノが付き添うべく立ち上がったその瞬間にも、ふとハオマが名乗り出てきたのだ。

 

「ユノちゃん! 私がカンキ君の付き添いをするよ! ずっと座りっぱなしで腰が疲れちゃってね~……腰をゆっくり伸ばしながら、カンキ君と一緒にぶらぶら~っとサラダバー見てくるよ~」

 

 朗らかに笑みながら口にしたハオマのそれに、ユノは凛々しいサマで「では、よろしくお願いします」と敬語で答えてくる。そうして年上の女性を敬う彼女の返答にハオマは「ラジャ!!」と口にすると、一応シラフであるハオマと一緒に、自分はサラダバーへと赴いた。

 

 

 

 皿を手に持ち、席から少し歩いた先にあるサラダバーのコーナーを見て回る自分ら。今も目の前には焼肉に合うサッパリとした野菜から、柑橘系の果物まで用意された色鮮やかな光景が広がっており、全て無料で頂ける瑞々(みずみず)しい新鮮なそれらを目にしてからというもの、付き添いで来てくれたハオマの方が子供のようにはしゃいでしまう。

 

 最年長とは思えない、天真爛漫な微笑み。その瞳を輝かせながらこちらの腕を引いてきた彼女は足早にサラダバーを一通り確認していき、二周目になってようやくトングを手に取って野菜を皿に盛り出していく。そんなハオマに勧められるよう自分の皿にも彼女セレクトのサンチュやレモンが乗せられていく中で、キャッキャと喜んでいたハオマはふと、思い出したように落ち着きながら喋り出してきた。

 

「ねぇカンキ君、最近どう?」

 

「え? えっと……」

 

「色々と楽しめているかなぁって。ほら、ちょっと大変な時期があったりしたからさ、なんかカンキ君のことが急に気になっちゃって」

 

「最近というのは、お店とか、ホステスと過ごす日々のことについてですかね。それについてでしたら、今も充実とした毎日を過ごせているなぁと実感できていますよ。みんなと一緒に居られる今の時間は、この俺にとっての生き甲斐のようなものですから」

 

「そっかそっかぁ~、生き甲斐かぁ~。カンキ君にそう思ってもらえていたら、なんか安心してくるなぁ~」

 

 のほほんと喋るハオマが、トングでオレンジを取っていく。それを見て自分も「俺もそれ欲しいです」と口を出していくと、彼女は子供のように明るく反応しながら振り向いてきて、微笑しながら快くこちらの分のオレンジを取ってくれたものだった。

 

 ミカンのようなオレンジ色の瞳と、彼女から見て左側に結った同色のサイドテール。

 橙色は、ハオマのイメージカラーだ。そんなことを内心で思いながらオレンジを眺めていると、次にも大人の雰囲気を醸し出し始めた彼女から言葉を掛けられた。

 

「なにかあっても、全部一人で抱え込もうとしないでね? カンキ君の傍には、助けてくれる人がたくさんいるんだから。そのことを忘れないで。もちろん、私もお役に立てそうならドンドン力になるからね!」

 

「お気遣いいただきありがとうございます。……そうですね。この際ですから正直にぶっちゃけてしまいますと、最近はシュラとノアの仲をちょっと気にしておりまして」

 

「シュラちゃんとノアちゃん?」

 

「その……自分で言うのも何ですが、最近、俺のことで二人の仲が悪くなったように見えるんですよね……」

 

 先にも交わしていた、シュラとノアの言い合い。二人の気持ちをどうにかして汲めないか考えていたものだったが、これに対してハオマは、落ち着いた声音でその返答をしてくれた。

 

「シュラちゃんとノアちゃんなら平気だよ? カンキ君が気にするほど二人は不仲じゃないと思う。今日も控室で普通にお話ししてるところを見たし、心配は要らないと思うなぁ」

 

「そうなんですか? それなら良かった……」

 

「うんうん! 今日も控室で、カンキ君にどんだけエッチな奉仕をしてあげたかの自慢勝負で盛り上がっていたから平気平気! 大丈夫大丈夫!」

 

「そ、それはそれで……どうなんでしょうか……?」

 

 まぁ、ある意味でLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスらしい会話かもしれない。

 

 内心でそれを思いながらも、苦笑と共に汗を流してしまう自分。こちらの反応にハオマは小動物のような柔らかさで健気に笑いかけてくると、次にも彼女は、今までの子供らしい調子からは考えられないほどのしっかりとした声音でそれを話し出してきたものだ。

 

「カンキ君、いつもみんなのことを見てくれてありがとね」

 

「え?」

 

「カンキ君にとって、みんなはそれなりに長く一緒に居る女の子達だから、カンキ君の中にはもしかしたら、特別に意識している意中の子がいるのかもしれないよね。でも、カンキ君はそんな本心とは別にして、みんなに対して、平等に……均等になるように、同じ分だけの愛情を注ぎながら接してくれている。そんな、誰かをひいきしない、一人だけを特別扱いしないその中立的な立ち回りに、周りの女の子達は救われているところがあるんじゃないのかなぁ」

 

「でもやっぱり、こういう関係はいずれハッキリとさせるべきですよね。これじゃあ俺、みんなに対して良い顔をしているだけの、女たらしのろくでなし男になっちゃいますから……」

 

「まぁ、世間的に見るとそうかもしれないよね。でもでも、少なくともLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)にいる女の子達にとっては、カンキ君のような人って居てくれるだけでもけっこう有難かったりするんだよ?」

 

「けっこう有難い、ですか?」

 

「あまり、底辺って言葉は使いたくないんだけどね……そうして、“落ちるところまで落ちちゃった自分のこと『も』気に掛けてくれている”、っていうのが、みんなにとって重要なことだと私は思うんだ。……私達からするとね、カンキ君って男の子はさ、『ホステス達を対等に見てくれている心優しい八方美人』って印象で映っているんだよ? 八方美人って言葉自体は、あんまり良い意味では使われないものだけど、カンキ君っていう人はそれだけ、社会から見放された私達のこともきちんと気に掛けてくれる存在でもあるんだよね。例えるなら~……私達にとっての、オアシスのようなものかなぁ」

 

「オアシス、ですか」

 

「荒れ果てた薄暗い荒野の中で、潤いや輝きを与えてくれる平等で特別な存在。オアシスが誰かの所有物じゃないように、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の女の子達から見たカンキ君っていう一人の男性は、別に誰の物というワケでもなく、それでいて、自分達の近くになくてはならない本当に重要な、資源のような存在なんだ。……心の渇きを潤して、欲を満たしてくれる必要不可欠な存在。みんなが利用できて、みんながシェアできる光り輝くランタンのような人物がカンキ君ってワケだね」

 

「これじゃあ本当に、俺ってただ都合の良いだけの男ですね」

 

「遠回しな言い方になっちゃったけれど、意味としてはそんなカンジかも。でも、今の扱われ方もカンキ君的には、意外と満更でもないんじゃないかな?」

 

「普段であれば、あまり快くは思わないです。でも……なんででしょうね。Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のみんなになら、都合良く扱われても別にいいのかなって、不思議とそう思えてきちゃうんです」

 

「何だかんだで分け隔てなく関わってくれるから、みんなカンキ君に心を寄せてくれるんじゃないかなぁ? それに、カンキ君が自分達に与えてくれた希望の分だけ、みんなは同伴とか身体とか、何かしらの奉仕で感謝を形にして返してくれているものだから、それで結果的に信頼関係が出来上がって、カンキ君は都合が良いだけの男じゃなくなった……。ってカンジなのかもね? ……今はもう、みんなもカンキ君のことを大事な仲間だと思ってくれているよ。そんなみんなのことを、日頃から気に掛けてくれてありがとねって、なんか、急にお礼を言いたくなっちゃった」

 

 改めて思うと、我ながらLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステス達とは本当に、とても不思議な関係になったものだ。

 

 不純とされる行為から始まり、今では互いに信頼を寄せ合える仲となった彼女達。それは、表の社会ではまず築けぬであろう関係性で成り立つ非常に奇妙な繋がりであり、決して褒められはしないものの、だからこそ通じ合えたフィーリングで紡がれた信頼の糸は特別に強固でもあった。

 

 果たして素直に喜んでいいものなのだろうか。とても複雑な感情に苛まれて俯いた自分が、皿に盛られたサンチュやオレンジを見遣っていく。その虚ろな意識で現在(いま)の人生を顧みていた最中にも、ハオマはこちらにすり寄るよう身体をくっ付けながら、先までの朗らかさをうかがえない艶やかな上目遣いで、それを口にし始めた。

 

「ねぇカンキ君? 私にもさ、お礼……させてもらえないかな?」

 

「お礼、ですか?」

 

「そう。私もそろそろ、日頃の感謝を形にしないといけないかなぁって思ってさ?」

 

「えっと……一応お訊ねしますが、その感謝は一体どのような形で果たされるものなんでしょうか……?」

 

「そうだなぁ~。カンキ君は何がい~い? 甘いケーキをたっくさん食べられるケーキバイキング? 搾りたての生ジュースが飲める果物園へのお出掛け? それとも……“あの夜”からずっとおあずけにされていた、カンキ君が堪らず興奮しちゃう私の“カラダ”とか、どうかな……?」

 

 途端にして全身を駆け巡ってきたのは、野獣に目をつけられたことを確信した身震いするほどの悪寒と、眼前の色気に対する極度の欲情。

 

 目を細め、唇の肉感が浮き彫りとなる艶めかしい顔つき。まるで別人格と入れ替わるようにハオマという女性からメスのフェロモンが溢れ出し、先ほどまで小動物の皮を被っていた人物が、瞬く間に狩る者へと変貌を遂げた彼女からの“誘惑”に晒されることによって、自分は不可抗力に近しい意識の芽生えと共に、抵抗もままならずに生理的な現象を働かせてしまった。

 

 ……Crocs cachés, orange carnivore(隠し持った牙、肉食の橙)

 彼女の本質を直に触れ、魅了と畏怖が同時に襲い掛かる身体。自由が利かなくなったそれへと彼女は遠慮なく手を這わせてくると、こちらが身に着ける衣類越しの肌を滑らかに撫で掛けながら、ハオマは舌なめずりを行いつつ、熱のこもった吐息と共にその言葉を口にしてみせる。

 

「カンキ君の身体……すっごく熟成してて美味しそう……っ。前とは比べ物にならないほど男らしいニオイを放ってて……公共の場なのに私が我慢できなくなっちゃうなぁ。……ああぁぁぁ~~~。最ッッ高。今すぐに食べたい。今すぐにしゃぶりつきたい。若くて新鮮な男の子。知能のある今が食べ頃な成人の男の子が、まるで犬みたいに元気に“発情”して私のことを欲しがってくれている……!」

 

「は、ハオマさん……っ!?」

 

「外にいるのに、健気に欲しがっておねだりしちゃってる姿が本当に可愛いなぁぁ……。いっそのこと、みんなに黙ってカンキ君を秘密で飼い慣らしちゃおうかな……っ? そうしたらどうしよう。どんな芸を覚えさせようかなぁ。どんな教育方針で“躾けて”あげようかなぁぁ。はああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~ッッ。悩むなぁ。悩んじゃうなぁぁぁ。お姉さん、困っちゃう~~~」

 

 な、なんだか非常にマズいスイッチが入っている気がする……!!!!

 

 もはや、命の危機さえ感じ取れたハオマからの圧。オスという生物を震え上がらせる彼女のオーラに圧倒されていると、直後にも歩み寄ってくる足音と共にして、サラダバーを見て回っていたラミアとメーが顔を出してきた。

 

「あー、カンキさん達もいらしてたんですねー。もーホント困ったモノでして、皆さん、酔っ払ったメーさんの世話を全部ウチに押し付けてくるんですから。せっかくの食べ放題なのに食べるコトに集中できなくて、ホントに参ったモンですよ全く……」

 

「んにゃあ……私ぁまだまだ酔っとりませんぞラミア警部殿ぉ~っ! ささっ、お次はビールに合うおつまみ探しの旅に出ますぞぉ~! ラミア隊長に続けぇ~~! ひっく」

 

 と言って、皿を手に持つラミアの肩へと寄り掛かったメー。その衝撃と共にラミアが不満げに目をジッと細めていく中で、彼女は何気無いサマでハオマへと喋り掛けていく。

 

「ちょうどイイところにハオマさんもおられますし、ココはひとつ、最年長としてウチの助け舟に来ていただける、心優しい先輩の一人や二人、都合良くこの場におられないモンですかねー?? ……チラッ」

 

「わー、なんだかラミアちゃんも苦労してるねー。……よっし!! ここは先輩のハオマさんに任せなさ~い! 私がメーちゃんの面倒を見るから、ラミアちゃん代わりにカンキ君の傍についていてあげて!!」

 

 ……あれ。さっきまでの捕食者は一体どこへ……?!

 

 まるで何事も無かったかのように、ケロッといつもの小動物に戻ったハオマ。全くのいつも通りである朗らかでフワフワした雰囲気に、ラミアが不安に思いながらもメーを託していく脇で、自分はついさっきまでの鬼気迫る圧力から敢え無く解放されたことで、思わず困惑のままに首を傾げながらハオマの背を見遣ってしまっていた。

 

 そんなこちらの視線に気が付いたのだろうか、背を向けていたハオマが振り返るように顔を向けてくる。そして、最後にも彼女は片目だけウインクをしたあどけない仕草を見せながら、子供っぽくも明るい調子で、こちらへとその言葉を伝えてきたのであった。

 

「お返事、待ってるからね! 私はいつでもいいから、考えてもらえると嬉しいな!! ハオマさん、首をキリンみたいに長くして待ってるから!! ……それじゃあ行こっかぁメーちゃん。せっかくだから私も一緒におつまみ選んで、今日はガッツリ飲んじゃうぞぉ~!!」

 

 おーっ!! というハオマの掛け声に、メーもまた酔っ払った調子で「ウェーイ! その意気ですぜ三十路の姉御ぉ~っ!!」と共鳴したものだったから、これにハオマは慌てて「ちょちょちょっとッ!! 公共の場で年齢バラすのやめて~っ!!!」と騒ぐように困り果てながら、なんとも愉快げな様子で歩き去っていった。

 

 ……彼女が言っていたお返事。それはつまり、同伴のお誘い、ということなのだろう。

 おそらく次回は、正式にホステスとなったハオマとの同伴になる。そしてきっと、同伴先では肉食の獣に貪り尽くされることとなるのかもしれない。

 

 ……覚悟、決める時が来たか。

 ひとり、すぅっと深呼吸を行うことで精神を落ち着かせていく自分。それを達観した様相で行ったものだったから、隣にいたラミアは不審なものを見るような目を向けつつ、「おひとりでナニやってるんですか??」と冷静にツッコんできたものでもあった。



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第78話 La tentation du orange 《橙の誘惑》

 本日は快晴。絶好の同伴日和。

 

 休日に相応しい、絵に描いたような晴れの日。龍明の駅前には自分ら以外にも多くの人々が行き交っており、主に家族連れが見受けられる平和な光景が広がっていたものだ。

 

 犯罪の温床と言われながらも、幸せを育む愛の形。活力に満ちた、キラキラとした光景に見惚れるよう周囲を眺めていく中で、自分もまた隣を歩くハオマと共に駅前の広場を歩き進めていた。

 

 鼻歌を歌う、上機嫌な私服姿のハオマ。彼女は繋いだ手をブンブン振りながら足並みを揃え、柔和な笑顔を無意識に振り撒きながら、まるで子供のように喋くるそんな様子に自分は苦笑してしまう。

 

 尤も、彼女はジレというベージュ色でミドル丈のアウター版ベストに、ドレスのような質感の白色ブラウス。そして、暗めの赤いクロップドパンツに黒色のハイヒールという、非常に大人びたスリムなシルエットの格好をしており、灰色の手提げバッグも含めれば、外見だけで言えば健全な色気を放ってくる『頼りになる綺麗なお姉さん』という雰囲気を醸し出していた。

 

 だが、その中身は驚くほどに童心そのもの。身に纏う大人のお姉さんオーラを全力でぶち壊す天真爛漫な動作と、お出掛けを本気で楽しんでいるのだろう健気で明るい喋り方が、頼りになるというよりも守りたくなる、どこか放っておけない有様を晒していた。

 

 手提げのバッグを振り回し、非常に回る舌に翻弄されていく自分。そのガトリングトークが絶え間なく降り掛かってくるのだが、さすがはLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスなだけはあり、やはりハオマも圧倒的な美貌を誇る故か、喋くる彼女からのアプローチも疲れるどころか、愛おしく思えてきてしまえるのは男の(さが)だろう。

 

 とは言うものの、話の半分以上は記憶できずにいた、膨大な量に及ぶ話題の数々。店のことからプライベートの事情まで、とことん詰め込んでくるハオマの話に次第と意識が遠のき始めた最中にも、今のところ相槌を打つことしかしていなかったこちらへと、彼女は顔を覗き込むようにして訊ね掛けてきた。

 

「ねぇねぇカンキ君カンキ君。今日の同伴は、私が考えてきたプランで進めてもいいんだよね?」

 

「え? あぁ、そうですね。話し合いの時、ハオマさんが自分で予定を立てたいと仰られておりましたから、俺もそのつもりで来ていました」

 

「そっかそっか! 良かったぁ~! こういうのって、ちょっとした認識のすれ違いで喧嘩しちゃったりするものでしょ? だから前の日に確認しておこ~って思ってたんだけど、カンキ君との同伴が楽しみすぎちゃって、ついつい確認するの忘れてたんだよね~。失敗失敗、エヘヘ」

 

 そう言い、ニヘラ~と微笑んでくるハオマ。

 木漏れ日のように暖かく、羽毛のように柔らかな人柄。年上とは思えない愛嬌がこの人のチャームポイントであり、幼稚な一面はあるものの、一緒に居てくれるだけで心がポカポカと温まってくる。

 

 ハオマさんの顔を見るだけで、冬の寒さも乗り切れそうだなぁ。

 なんていう言葉を胸に抱き、彼女の笑顔に絆された自分。共にして繋いでいた手をこちらからギュッと握りしめながら、愛でるような視線を彼女へ投げ掛けつつ返答を行っていく。

 

「大丈夫ですよ。ハオマさんが考えてくれた予定であれば、どんな内容でも俺は安心してついていけますから」

 

「わぁ~、カンキ君はなんてイイ子なんだろうぅ~っ……!! ホント、真っ直ぐ育ったねぇ。色々と辛い事があっただろうに、真面目な男の子に育ってくれて、おばさん感激だよぉ~……っ」

 

 心なしか、涙を流すようなナミナミのエフェクトがうかがえる。

 感受性が豊かと言うべきか。心から寄り添ってくれるものの、あまりにも親身になりすぎて当事者のような心持ちで接してくるハオマ。その純粋さもまた彼女の特徴として魅力に感じる反面で、返答に困った自分は苦笑を浮かべるしかなかった。

 

 ……よく自分のことを卑下するけれど、やっぱり最年長って肩書が気になっているのかな。

 ふとよぎってきた疑問と共に、ハオマへと向けていく視線。そこから、先の言葉を脳裏に思い浮かべながらも、何となくそんなことを口にしてしまったのだ。

 

「年齢は詳しく存じておりませんが……俺から見たら、ハオマさんという方はとても綺麗でお若く、一個人としても、そして異性としても魅力的に映っております。……ハオマさんは美しく、十分に素敵な女性ですよ。なので、もっと自信を持ってください。俺は、ハオマさんのことが好きです。大好きです」

 

 声に出してから、言葉の意味を遅れて理解した自分。直後にも恥ずかしさが巡ってきたことから、自分は頬を赤く染めてしまいながらも、誤魔化すように「あ、いえ。その、すみません……」と反射的に謝罪してしまう。

 

 で、先の言葉を耳にしたハオマはと言うと、一瞬だけその眼に淡い気持ちの煌めきを迸らせてから、すぐにも何故か彼女も慌てながら、上ずった声音で「い、いいよいいよっ!! 大丈夫っ!! むしろ、ありがとねカンキ君!! すっごく嬉しかった……!」と返してくれたのだ。

 

 瞬間的にうかがえた、ハオマの心情。同時にしてフェロモンのような独特の香りも立ち込めたことで、彼女からは少なからずの性的興奮を感じ取れたものだった。

 

 ……大人びた美麗の皮と、純粋なる童心を持つホステス。だが、その本質は“草食動物を狩る獣”であり、対象が若ければ若いほど、彼女の本能は激しく煽られる。

 

 今も彼女の内側には、揺らめく炎が如き熱情が滾っているのかもしれない。

 あの夜、あの路地裏にて交わした彼女とのひと時を、自分は未だ忘れることができずにいた。それは、彼女に“味見”された挙句に容易く挑発され、理性よりも先に“息子”が顔を出し、本能のままにハオマの熟れた“入口”と太ももに擦り付けた、挿入寸前にまで至った未遂の記憶。

 

 ……ずっと、ずっと焦らされ続けてきた。自分の心には現在も、今日の同伴であの続きができるのかもしれないという期待が巡り続けており、まだ部屋を出たばかりの現時点で、いつ誘ってくれるのだろうという気が気でない心情を抱いてしまっていたものだ。

 

 あの続きがしたい。ハオマさんの熱を感じたい。思考を支配する欲求ばかりが先行し、この色欲を振り払うよう自分は頭を横に振りながら、この熱を秋の風で冷まそうと必死になっていく。

 

 だからこそ、気が付けなかったのかもしれない。今もこの隣において、こちらの悶々とした様子に静かなる興奮を覚えては、淡くも見開いた眼光を向け続けていた“捕食者”の存在に…………。

 

 

 

 

 

 本日のプランを考えてきたというハオマに案内され、しばらくは龍明の街中を歩き回っていく。そうして、あまり来慣れない居酒屋だらけの狭い通りを進んでいくと、直にもハオマが指を差してきた一つのアンティークな店へと意識を向けていった。

 

 扉に着けられた鈴と、海外の映画に出てきそうな西洋風のバー。看板には『オイスターバー』と書かれており、主に生貝を堪能できそうな雰囲気を醸し出すその店へと、自分はハオマに手を引かれるまま(いざな)われていく。

 

 そして、案の定とも言うべきだろうか。自分はそこで、ハオマと共に生牡蠣を味わった。

 テレビでしか見たことがなかった、殻がついたままの生貝。ちょっとグロテスクにも思える見た目とは裏腹に、不思議と魅入られるその新鮮な高級食材を、付け合わせのレモンと一緒に頂いた至福のひと時。

 

 牡蠣が乗せられた銀色の皿には、キンッキンに冷えた氷も敷かれていた。そのことから、都内でも鮮度はそのままに、本場の味と、テレビの世界でよく見かけたが故の憧れに満たされた幸福感を伴いながら、ハオマと二人で貪るように食事を堪能したものだ。

 

 その際にも、ハオマからは「牡蠣にはね、亜鉛がたっくさん詰まっているんだよ!! だからカンキ君。今日はこのハオマさんが奢ってあげるから、遠慮せずにいっぱい食べちゃって!!」と勧めてくれたことから、自分は言葉通りに遠慮せず、憧れの味を口いっぱいに頬張っていった。

 

 腹を満たし、満足感が巡ってくる。それから店を出て快晴の青空を眺めながら余韻に浸っていると、この勢いで自分はハオマに手を引かれていき、次に見慣れたデパートへと赴いては、隣接する映画館に入って恋愛ものの映画を観たものだ。

 

 年上のお姉さんと、年下のボーイフレンドの恋愛を描く、ピュアでハートフルな甘酸っぱい物語。観ているだけで、腹の中の生牡蠣が踊り出すほどの胃もたれを起こす、純愛に満ちた歳の差ラブストーリー。しかし、途中に挟まる不穏な気配が最悪を予感させ、後にボーイフレンドに発覚した病気と、余命が宣告されてからの展開は怒涛の勢いであり、思い出作りとして各地に出掛ける男女のサマが実に切なく映し出されていく。

 

 腹の中で踊っていた生牡蠣も黙り出し、最後が分かり切っているからこその深刻な物語だが見入ってしまう。そして最終的にボーイフレンドがいなくなり、彼と過ごした日々を噛みしめながら前を向く年上お姉さんの姿で、その映画は幕を閉じた。

 

 隣に座っていたハオマが、洪水のように涙と鼻水を流していた。そのぐしゃぐしゃになった様相も想定済みだった自分は彼女をなだめていき、更には映画館のスタッフまでも駆け付けてくる程度には、自分らはしばらく席に留まっていた。それだけ物事に移入できる感受性こそ彼女の長所でもあるため、映画館を出てもなお泣き続けていたハオマを連れながら、自分はデパートの中を歩き回ってはソフトクリームを買い、彼女とそれを食べたりしてハオマの気持ちが静まるのを待ったりしたものだ。

 

 で、落ち着いた彼女が次に提示してきたプランというものが、まさにこのデパート内でのショッピングだった。

 尤も、その目的がランジェリー選びだったため、女性ものの下着が並ぶ鮮やかな光景へと招かれた。そこでは、他のホステスらが身に着けている様子で見慣れていたはずのそれらに対して、自分はついつい赤面して俯いてしまいながらも、最後までハオマの買い物に付き添ったりしていた。

 

 無邪気に振る舞うハオマが、レースの黒い一式と、同種の白い一式の二つを手に持ってこちらへ見せてくる。これに自分がドキドキと心臓の鼓動を速めていく最中にも、彼女はこちらの様子を深々と見つめるようにしながら、まるで反応をうかがうような目でそう訊ね掛けてきた。

 

「ねぇねぇカンキ君。黒色と白色、どっちが私に似合うかなぁ~……?」

 

 本当に、外見に関しては美麗なお姉さんだからなぁ……。

 声音も色っぽくして、こちらの顔を覗き込むようにしながら投げ掛けてきた問い。加えて、子供っぽく悪戯な視線を向けながら、得意げな表情でじりじりと近付いてくる彼女のアプローチに、自分は一層と興奮を覚えながら控えめに答えていく。

 

「ど、どっちもお似合いだと思います……っ。強いて言えば白色かもしれませんけれど、実際に着用している姿を見てみないことには、断言できそうにありません……」

 

「なら、試着室で見せてあげよっか……?」

 

「…………はい。お願いします」

 

 しおらしくなってしまったこちらの反応に、ハオマはどことなくゾクゾクっとした効果音を発してきた気がする。

 

 自分は今、心なしか普段よりも異性の存在を意識してしまっている……。

 ふと巡ってきた思考に、この時こそは「いや、気のせいか」と言葉を振り払っていく。だが、後にハオマのプランが入念な下調べによる計画的なものであったこと……もっと言えば、“捕食対象を肥えさせるための下準備”であったことを、自分はアパートの自室で知らされることとなったのだ。

 

 

 

 

 

 本日の同伴は、愛嬌のある年上のお姉さんと赴いた普通のお出掛けとして、何事もなく乗り切った。

 帰宅時には夕暮れ時であり、ハオマが買い物した紙袋の荷物を自分が持ちながら、彼女をアパートの自室へと招き入れていく。そうしてハオマが部屋に上がり込み、自分もテーブルや座布団などを用意してから、道中で買ってきたスルメやジャーキーを取り出して、冷蔵庫からチューハイを持ってきて彼女へと手渡した。

 

 缶を開け、爽快な音を二人で立てながらお疲れ様の乾杯を交わしていく。そして二人でグイッとアルコールを摂取していくと、次第にもおつまみを口にしながら彼女とそのような会話を交わしたものだった。

 

「ハオマさん、今日はありがとうございました。食事から娯楽、さらにはショッピングまで一緒に楽しむことができて、俺としては大満足の同伴になりました」

 

「あはは~、いいのいいの! 私もみんなの先輩らしく、ホステスとして良い所を見せておかなきゃだからねぇ~。……ムッフフフ。私の目論見通りなら、カンキ君はこれでハオマさんにメロメロずっきゅん、大ゾッコン!! この先、カンキ君からの指名は全部、私が独占することになっちゃうかなぁ~!?」

 

「みんなを指名したい気持ちは大いにありますけど、こんなに気持ちの良い接待で付きっ切りになられたら、男としてハオマさんを意識せざるを得なくなりますからね。……ハオマさんという素敵な女性に出会えた奇跡に、乾杯でもしましょうか」

 

「あ! 今のちょっとユノちゃん味ある言い方! ユノちゃん節、伝染した?」

 

「え。ど、どうでしょうかそれは……」

 

 というか、ユノさん節という言葉はみんなに共通しているんだ。

 

 呆気にとられながらも、他愛ない会話を交わしていく自分ら。チューハイを飲むスピードも心なしかペースが速く、ハオマに関して言えば三本目の缶を開け出したくらいだ。

 

 これにより、段々とベロベロに酔い始めたハオマ。途端にしてふにゃぁ~……と崩れるようにテーブルに項垂れた彼女が、缶を片手に呂律の回らない調子で喋ってくる。

 

「んなぁぁ~……カンキ君、きょぉは一人らけらもんねぇ……。寂しいねぇ……きょぉは私もここに泊まってあげるから……さいごのさいごまで、同伴をガンガン楽しんでいこぉねぇ~……っ!!!」

 

「もうベロベロじゃないですか。無理なさらずに、今日はもうお休みください」

 

 本日はホステスの皆が同伴で部屋に帰ってこないため、護衛としてハオマが傍についてくれる約束にはなっていた。

 

 が、守ってくれる当の本人がこの有様では、むしろ自分が護衛に回る側かもしれないなぁ。

 という内心が巡りつつも、今もテーブルに頭を転がすよう夢見心地なハオマを眺めていく自分。その顔は本当に恵まれた美貌に溢れていたものだったから、余計にこの人の扱い方に困ってしまうと呆れ半分に苦笑して、自分は彼女をベッドに寝かせるべく歩み寄っていった。

 

 その際にも、自分は警戒を解いて油断し切っていたのかもしれない。

 ハオマへと近付いて、「寝るならベッドで寝ますよ。それか顔落としますか?」と声を掛けながら屈んでいく。だが、そうして顔を近付けた瞬間にも、ハオマは見計らったように見開くなり、躊躇いの無い素早い動作で、瞬く間にこちらの唇を奪ってみせたのだ。

 

 ちゅう……っ。

 こちらの背に手を添えて、瞬間的でありながらも完璧な距離感でディープな口付けを行ってくるハオマ。その魅惑な唇を重ねられたことで、気持ちが昂り始めた自分は腰を抜かしていくと、次第にも彼女は前のめりとなって急接近し、更には舌まで捻じ込んできたアプローチに自分はされるがままとなってしまう。

 

 狙った獲物を確実に仕留めんとする、断固たる思いの力強い吸い付き。舌も加わることで生々しい感触が口内に広がり出し、あまりにも急な行為に最初こそは嫌悪感に満たされていく。

 

 だが、それ以上にハオマのキスは欲情的だった。

 男を知る、場数を踏んだ熟練の技。彼女に撫で掛けられる自分の舌は性感帯となって徐々に開発されていき、困惑を押し退けるほどの積極性と、唇に伝う柔和な感触が、まるで上下関係を刷り込むかのような、誰が(あるじ)であるかを知らしめるような、そんな支配的に包み込まれる温もりを帯びていたものだ。

 

 ……ダメだ。俺は“この人”に敵わない……!

 たった一度のキスで、立場を“分からされた”。次にも自分は蕩けたような表情で彼女から口を離していくと、そこに映っていたのは淡い煌めきを宿す、発情するがあまりに欲求を全面に押し出してきたメスのハオマがこちらを見遣ってきて、この服従した“対象”の様子に彼女は満足そうに微笑しながら、ゆっくりと舌なめずりを行って、確保するように両手で優しく抱き留めてきたのだ……。

 

 

 

 成す術もなく、自分は服を脱がされた。

 履物を下ろされて、ボロンッと現れた“息子”へと鼻を近付けるハオマ。その、色気にあてられて直立した“モノ”のニオイを彼女は堪能し始めていくと、何の躊躇いもなくそこに舌を這わせていき、ハオマは“モノ”を手で握りしめながら、先端や裏側、袋などなど男の急所を余すことなく味わい出してきた。

 

 もう、既に限界だ……っ。

 我慢して堪えるこちらの様子に、ゾクゾクっと一層もの興奮を覚えていくハオマ。そのまま彼女も本能に駆られるまま衣類を脱ぎ出して、身に着けていた青色の下着も脱ぎ捨てることで、平均以上となるたわわな乳と、綺麗に整えられた洗練されし“橙色の密林”を晒しながら、こちらの肩へと両腕を掛けてきては、上目遣いで耳元へと顔を近付けつつ、囁くように艶めかしい声音で喋り掛けてきたのだ。

 

「今日の同伴……どうだった?」

 

「ぁ……最高、でした。もう、本当に……。また、お願いします……」

 

「あはは、もう締め括りに入っちゃうの? まだまだ同伴は続くと思ったのに。……ね、どうする? ここでお開きにしちゃう?」

 

「いえ、そんなっ。……もっと、欲しいです。俺、ハオマさんのことが、ずっとずっと欲しくって……」

 

「この欲しがりさん。普段は真面目クンなのに、同伴中も本当は頭の中で、スケベでエッチなことばかりプカプカ思い浮かべていたんでしょ? ……恥ずかしがらなくてもいいんだよ~? それだけカンキ君は、私に期待してくれていたってことだもんね? なら……その期待通りになるような、甘くて蕩けちゃうくらいの大人の夜……今から経験してみよっか?」

 

「……はい。よろしくお願いします……」

 

「うむ、素直でよろしい。……“あの夜”の続き、シようね?」

 

 ……俺はもう、ハオマという女性に首輪を着けられてしまったのかもしれない。

 

 言いなりのように、頷くことしかできずにいた自分。こちらの反応にハオマは卑しいほどの微笑を披露してみせると、次にもこの両肩に手を滑らせていきながら、焦らしてくるボディタッチでこちらの興奮を仰ぎつつ、彼女は人差し指でこの顎を持ち上げるようにしてから、フェロモンをムンムンと放出するメスの顔でベッドへと(いざな)ってきた……。

 

 

 

 

 

 今まで、どれだけの若い男達を食べてきたのだろう。

 ベッドの上にて、ハオマに全身を愛撫されていた自分。手慣れたそれは男の敏感なポイントを完全に熟知しており、両手を這わせ、舌で舐めかけるアプローチに堪らず骨抜きにされていく。

 

 オスの肌を味わい、オスのニオイを堪能し、オスのフェロモンを貪る獣。まさに淫獣とは彼女のことであり、ハオマは普段の温厚で柔和な存在感からは考えられないほどの積極性で、柏島歓喜という一人の男を喰らっていた。

 

 骨についた肉まで食べ尽くす勢いだ。

 この首筋に喰らい付き、男の胸に吸い付いて、脇を責めてくる。続けて腹筋に齧り付いてはヘソを舐め回し、鼠径部(そけいぶ)を愛でる流れで、足裏も隅々まで頂いてくるハオマの食事。そんな、男という生き物を余すことなく愉しむ彼女に押されるまま、自分はこれまでの行為で感じたことのない、責められる立場の悦びを体験してしまえたものだった。

 

 ……たまには、こういうのもいいかもしれない。

 快楽に晒されて、呆然とした意識で天井を見遣りながら言葉をよぎらせる。その、極度の高揚で知能が溶け始めたこちらの様子に、ハオマは火照った頬で微笑を浮かべてくると、次にも彼女は大きな口でこちらの“息子”を咥え込み、空気を含んだ唾液の淫らな音を立てながら、ハオマは容赦の無い上下の運動を施してきた。

 

 快楽のあまりに、思わず跳ね上がったこの身体。これにより、脳天から指先までの、全身の先端という先端まで行き届いた快感が電流のように流れ込んだことで、自分は情けない声を出しながら、汗だくとなった有様で廃人のように虚ろとなってしまう。

 

 尤も、彼女はまだまだ本気を出していなかったのかもしれない。

 “モノ”から口を離し、仰向けに寝転がってみせたハオマ。共にして「カンキ君」と呼び付けてきたものだったから、天井に向けていた視線をそちらへ投げ掛けていく。

 

 するとそこには、M字のように両脚を立て、両手で自身の“熟した聖域”を開きながら堂々と見せ付けてくる、非常に挑発的なハオマの姿がうかがえたのだ。

 

 瞬間にも、わずかながらと脳内に存在していた理性の糸が、プツンッと音を立てて切れていく。

 誘ってきたのは彼女からだ。自分は決して悪くない。まるでそう言い聞かせる自分の内心と連動するように、無意識にもハオマに覆い被さっていたこの身体。そして猛々しくそそり立たせた“息子”を躊躇いなく突っ込んでいくと、尋ねることなく“聖域”に進入してきたこちらの“息子”にハオマはわざとらしく甘い声を出してきたものだったから、彼女からの更なる挑発に一層もの興奮を覚えながらも自分は、本能に駆られるまま力強い高速の運動で打ち付け始めてしまったのだ。

 

 性欲に支配された暴れ猿。下品で卑しく、自分勝手で乱暴なその行為。自己嫌悪を巡らせながらも、止まらない腰が快楽を貪欲に求め続けてしまう。そうして自分は、ベッドを激しく軋ませるほどの勢いでハオマの“肉壺”に出し入れしていくのだが、この強引なアプローチに対して彼女は嫌悪どころか満足そうな笑みを浮かべており、且つ、余裕を含んだ眼差しをこちらに向けながら、今も目の前で必死になっている欲情のオスに対してそのような言葉を投げ掛けてきたのだ。

 

「あはは、カンキ君すごいがっつくねぇ~っ! 普段は草食系だけど、ベッドの上だと肉食系になるタイプかな?? いいねいいね……その一生懸命な顔、最ッッ高にそそられる……っ。遠慮なんかしないでお姉さんにたくさん甘えちゃっていいからね。ほらほら、頑張れ頑張れ~」

 

 おそらく自分は、強すぎる性欲によって鬼のような形相をしてしまっていたかもしれない。しかし、そんな乱暴なアプローチで攻め立てるこちらに対してハオマは、年上のお姉さんらしくリードするような言葉を掛けてきた。

 

 部屋中に漂う、こもるように熟れたメスのフェロモンの香り。だが、味わう肉感は他のホステスとまるで変わらず、外見だけに留まらない彼女の若々しさに自分は一層と魅了されてしまう。

 

 まるで、禁断の果実を食したような気分だった。

 もう、自分はハオマという女性を手放すことなどできないだろう。中毒とも言える年上の味を知り、また、リードしてもらえる安心感を覚えたこの身体は、身も心も全て委ねるようにハオマの虜となって、彼女へと快楽を捧げ続けるピストンマシーンと化していく。

 

 まさに、罪の味だった。稼ぎ頭と謳われた所以を身体で思い知ると共にして、自分は迎えた絶頂のまま、彼女の最深部にて容赦の無い噴射をかましていった。

 

 自制など利かない、不可抗力の働き。出すというよりも漏れる形で“息子”が子種を吐き出して、力んだ下半身は痙攣しながら筋肉痛を引き起こす。その遺伝子をハオマへと注いだ自分は絶え絶えの息遣いで情けなく唸ってから、直にも欲望を出し尽くした反動で無気力に項垂れた。

 

 ……ハオマさんの中に、出してしまった。

 既に慣れていた行為だが、彼女とのまぐわいは今日が初めてだった。そんな初日に濃厚な子種を注いでしまった罪悪感に呆然としていく中で、ハオマはどこか物足りなさそうに首を傾げながら訊ね掛けてくる。

 

「大丈夫? ちょっと無理しちゃった?」

 

「い、いえ…………心配には及びません。ただ、その……すみませんでした」

 

「なになに、どうしたの?」

 

「……許可も無く、中に出してしまいました。他のホステスとはいつも、事前にも話し合ってから出すものなので……」

 

「あぁ~いいのいいの! 気にしないで! これくらいなら平気だってば!! へっちゃらだよ~!!」

 

 まるで意に介さない様子で、朗らかに喋るハオマ。だが、次にも彼女はこちらの顔をうかがうようにその言葉を続けてきたものだ。

 

「それで……もう終わりかな? カンキ君は若いんだし、まだまだ満足できてないんじゃない?」

 

「……ぶっちゃけ、あと二発か三発はイケるかと思います」

 

「わぉ!! 元気いっぱいだね!! いやぁ~、若さを感じられていいねいいね~。……それなら、もう少しだけ付き合ってもらっちゃおうかなぁ~」

 

 途端にも、艶やかな声音へと変貌したハオマの喋り。同時にして彼女は勢いよく上半身を起こしてくると、その勢いのままこちらに抱き付いてはベッドに押し倒し、繋がり合ったその状態で、自分はハオマに両手を押さえ付けられながらその言葉を掛けられたのだ。

 

「……あふふ。今日、カンキ君が元気いっぱいになれるような予定を立てておいて正解だったかも」

 

「げ、元気いっぱいに、ですか……?」

 

「そうだよ~? ……牡蠣に入っている栄養素の亜鉛はね、男の子の精子をたっくさん作る働きがあるんだよ? それでまずカンキ君に精力をつけてもらってから、恋愛ものの映画で気分を高めてもらって、更にランジェリーを一緒に見てもらうことで、カンキ君には特別にエッチな気分になってもらったんだ~。最後の方なんか、ずっと顔を赤くしていたもんね? 私、気付いてたんだよ? ランジェリーを見ている間、カンキ君はずっと勃起させてたこととかさ……」

 

「そ、それは……っ」

 

「あふふ。もしかして、恥ずかしがってるのかな? っっ……可っ愛いなぁぁぁ。はぁぁぁ……カンキ君ホンっトに可愛い。こんなに可愛くて健気な男の子を独占できて、滅茶苦茶になるくらい好き放題しても許される世界にいるなんてっ……もう、もう……最ッッ高に堪んないよぉ……っっ!!! ゾクゾクしちゃうっ……!!!」

 

 本能に理性を奪われた淫獣。ハイライトが消えた彼女の瞳には、薄らぼんやりとハートマークがうかがえる。

 天井の照明を遮りながら近付けてきた顔。それは陰りに染まりながらも高揚で赤みを帯びており、今もムンムンと放つフェロモンのオーラと、じりじりと迫る淫靡(いんび)の表情が、彼女の欲情を余すことなく演出していたものだ。

 

 ……しかし、さすがに鬼気迫るものも感じられてしまう。

 飢餓した獣が、獲物を捕らえた図。これに次第と恐怖心が芽生え始めたその時には既に、色々と手遅れであったことは言うまでもない。

 

 ズイッと迫ってきたハオマに、自分は圧倒されるよう顔を逸らしてしまう。だが、本能に忠実となっていた彼女はこちらの反応を気にすることなく体重を掛けてくると、主に自身の“肉壺”を押し付けるように圧し掛かってきたそれと共にして、“ナカ”の筋肉を引き締めては緩めてを繰り返してきたのだ。

 

 下の口で、本当の意味で“息子”を食べ始めてきた。

 咀嚼するような“肉壺”の運動に、自分は思わずオスの喘ぎ声を奏でてしまう。この反応に更なる高揚を覚えたのだろうハオマは舌なめずりを行いながら、こちらの耳元に顔を近付けては甘い声音でそう囁いてくる。

 

「カンキ君っ、カンキ君っ。ほらほら、意識して。根本から先っぽまで、感覚を研ぎ澄ましてみて。ほら……ぱくぱく、ぱくぱく……っ。もぐもぐ、もぐもぐ……っ」

 

「ぅぁ、は、ハオマさんっ……!!!!」

 

「いいぃねぇ~~っ。カンキ君もそんなカオができるなんて、感動しちゃったよぉ。じゃあ次は、乳首で感じてみよっか? 大丈夫だよぉ、怖くないからねぇ~~」

 

 敏感となった五感から常に刺激が送られて、次第と脳内はピンク色に染まり出していく。

 快楽に支配され、何も考えられなくなってきた。これにより自分は服従の形で精神的に無力化させられると、それからもろくな抵抗も許されいまま、成す術もなくハオマに身体を弄られ続けたことによって、この時にも甘美かつ情熱的である、獣に支配されし長い長い一夜を迎えることとなったのだ……。

 

 

 

 

 

 その後、自分はハオマに骨までしゃぶり尽くされた。

 ハオマがリードする形で続行された行為。彼女が動くことで自分の“息子”は半強制的に働かされ続け、一発目から間もなくとして、二発、三発、そして四発、五発と、タンクの隅々まで余すことなく自分は子種を搾り取られていく。

 

 この“捕食”は夜通し行われ、気付けば時刻は早朝を迎えていた。

 太陽が昇り、小鳥のさえずりが外から聞こえ出す。だが、その鳴き声に混じるよう自分の掠れた喘ぎ声も部屋中に響き渡っており、もはやそのしわがれた声は、様々な体位や愛撫によって精気を吸い取られたことによる、悲痛な悲鳴として聞こえていたものだろう。

 

 それでもなお、ハオマは満足せずに捕食を続けてきた。そんなものだから、直にも自分は死を予感する冗談抜きの失神を引き起こしたことで、オスのノックアウトと共にして彼女の捕食はようやく終わりを遂げたのだ。

 

 次にも意識を取り戻すと、目の前には本気で心配するレダとシュラの顔が映り込んだ。

 二人でこちらの顔を覗き込み、目を覚ました様子に二人は心から安堵してくる。また、この腕には点滴が打たれていたことにより、彼女らが心配するに至った事の深刻さを、静かに察することができたものだった。

 

 ……こうして自分は、ハオマとも身体で繋がり合う関係となった。

 本来であれば、男として喜ばしく思える場面だった。しかし、彼女に関して言えばその現実は非常に過酷なものであり、彼女と行為を致す以上は、時として想像を絶する代償が付き纏うことを思い知らされる羽目にもなったのだ。

 

 特に、この一週間は風邪もひいてしまったことで、自分はホステスらに看病されるほどの体調不良に陥ってしまう。そうして自室で点滴を打ちながら天井を眺める日々を過ごすこととなり、いろんな意味で相手が悪かったとは言え、やはり女性に対して安易に手を出すべきではないなと、常識的にひどく反省する機会になったりしたものでもあった。

 

 なお、ハオマは後にもホステス達にこっぴどく叱られた。



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第79話 Enveloppé dans de vapeur 《湯けむりに包まれて》

 宵闇に染まる、深夜の時刻。大自然の山々に囲まれた、見晴らしの良い奥地のそこは、秘境と呼ぶに相応しい雄大な秋の景色を展開している。

 

 漆黒の大空に浮かぶ満月と、マントのようになびく白い空気の流れ。標高が高い故に肌寒い風が音を立てながら吹き抜ける空間の中、わずかに平地となった高台には一つの人工物が設けられていた。

 

 解放的な大自然において唯一と手を加えられた、木製の縁で囲われた小さな温泉。真夜中の自然界に紛れ込むよう湯気を立てるそれと、新しいお湯が流れ出てくるチューブが何食わぬ顔で存在する光景がシュールで面白い。そんな、あたかも大自然の一部であるかのようにやすらぎの湯を沸かす秘湯へと自分は近付いていくと、既に衣類を脱ぎ切った全裸の姿で、熱々の湯を手で掬ってはその温もりに癒されたものだった。

 

 ……そもそもとして、どういった経緯でこんな状況になっていたのか。それは、第二次龍明抗争以前にも交わした“二人との約束”がキッカケとなっていた。

 

 

 

 

 

 骸ノ市という裏組織の存在を知らされたその日、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホールで自分は、ラミアとメーの二人と会話を交えていた。

 

 そこで彼女らの間では、二人で秘湯巡りでもしようという話が出ていたらしく、この話題が上がるや否や、こちらに対してメーは勝気な笑みと共にそう言葉を口にしてきた。

 

『はいじゃあ決まり~! カンキ君も参加ってことで、今のいざこざが落ち着いたら三人で秘湯巡りするぞ~!』

 

 

 

 一旦ではあるが、いざこざが落ち着いた現在の状況。これを機にお出掛けしておこうという話が先日にも上がったことで、自分は休暇を貰ったラミアとメーの二人と共に県外へと遊びに出掛けたものだった。

 

 これが、今に至るまでの経緯。そうして、秘湯と呼ばれていた山奥の無人温泉でひとり突っ立っていると、直にもこちらの下へと、同じく全裸である髪を解いたメーが駆け寄ってくる。

 

「カンキ君おまた~!!」

 

「ちょっと熱いかもしれないけれど、とても良い湯加減だよ。……それにしても、よくこんな場所見つけてきたね」

 

「あは、同伴したお客から教えてもらったのだよ~。その人、温泉の界隈で有名なマニアらしくってさ~、この二泊三日の秘湯巡りで回ってきた温泉も全部、そのお客が厳選したマニアイチオシスポットだったんだ~」

 

「どうりで、どこも満足できる温泉だったわけだよ。……いやまさか、秘湯巡りを二泊三日でするだなんて思ってもいなかったもんだけど」

 

「あれ、言ってなかったっけ?」

 

「お誘いを受けた時は言われてなかったかな」

 

「まぁそんな時もあるよね~。カンキ君ドンマイ。……あ、ラミアも来た来た」

 

 真夜中の暗がりで、すっぽんぽんの男女が秘湯の前で談笑する光景。傍から見れば不審だったことに違いなかっただろうが、そんな男女の下にもう一人、全裸の女性が遅れて合流してきた。

 

 すっぽんぽんのラミアが、何気無い視線を投げ掛けながら適当な調子で喋り出してくる。

 

「なんで目の前に温泉があるのに入ってないんですか?? ただでさえ山の上で冷え込むんですから、とっとと入ったらイイじゃないですか」

 

 そう言いながらも、何だかんだでラミアも立ち止まってはこちらを見遣ってくる。これに自分は「ちょっとメーと話し込んでてね。あと、ラミアも待ってたんだ」と返答していくと、彼女は不思議そうに首を傾げながらも、「それでまたカゼでも引いたらどーするんですか?? 今度はウチらのせいにされたら堪ったモンじゃないですよ」と返してきたものだったから、自分は軽く謝りながら早速と温泉に入っていった。

 

 大自然の秘湯を囲う木製の縁は、水を吸って木こりの香りを醸し出している。これに心地良さを覚えながら温泉の底に足を着き、膝ほどまで浸かったその状態で、二人へと手を伸ばすことで彼女らを迎え入れていく。

 

 このエスコートに、ラミアとメーは共に手を取って一緒に秘湯に入ってきた。

 こちらの何気無い動作に、ラミアが「どーも」とお礼を口にしながらお湯に浸かっていく。一方でメーは「あっつァッ!!!」と声を上げながら跳ねるような素振りを見せてきたことで、これに自分は苦笑しながらも彼女を招き入れたものだった。

 

 秘湯を泳ぐようにして全身で浸かっていくラミアと、下半身を熱に慣らすように上半身で風を浴びていたメー。そんな二人の様子を見守るようにしながら自分も肩までお湯に浸かっていく中で、極楽な露天の湯に癒されながら自分は喋り出していった。

 

「秘湯と言っても、この二日間で巡ってきた温泉はどこも、旅館とかの形式で人が管理していたものだったけどさ。三人旅のトリを飾る最後のここは、話で聞いていた通りに完全に無人でビックリしたよ」

 

 今現在も、周囲を警戒することなく三人で裸を見せ合っていたこの状況。既に見慣れていたとしても、秘湯の雫が垂れる二人の裸体に少なからずの興奮を覚えていく自分の手前で、縁に腰を掛けたメーが勝気なサマで返事を行ってくる。

 

「前々から思ってたんだよね~。この三人でドライブできる口実ないかな~ってさぁ。そこで、この無人の温泉の話を聞いたもんだったからさ~、『おっこれは使える!』と思って、二人を誘うためにお客からオススメのスポットを根こそぎ聞き出してきたんだよ~」

 

「元は俺達とのドライブが目的だったんだね。だから、一つ一つの温泉が絶妙に遠かったのか……」

 

「いやぁ、せっかくだから親しい身内同士でドライブしたいじゃ~ん? 私が運転する車で、誰かと一緒に旅をしてみたかったわけなのよ。んで結果、こうして龍明を飛び出して県外までお出掛けすることができた! しかも、ラミアとカンキ君の二人と一緒にね! あ~あ、楽しかったなぁこの二日間。次は何を口実にして二人を連れ出そうかな~」

 

 旅の締め括りとなる温泉を堪能し、天を仰ぎながら次のプランを考え出したメー。彼女の様子にラミアは、「まー、ウチとしてもワルい旅ではありませんでしたし、都合が合えばまたご一緒したいモンですねー」と満更でもない返答を行っていき、自分もそれに頷く形で同意したものだった。

 

 ……本当に、良い思い出になったな。

 しみじみと、内心でそんなことを思っていく。そう考えてしまうのもきっと、先日まで痛ましい怪我を負っていた二人と共に、心行くまで満足できる、自由で楽しい旅の時間を過ごすことができたからなのかもしれない。

 

 彼女らと過ごせる時間が、この先もずっと続けばいいのにな。

 切なる願いを胸に秘めながらも、次第と熱くなってきた身体で自分は無意識に立ち上がっていく。そうして身体を冷ますように秋の風を浴びていく中で、メーはこちらへと視線を向けるなり、ネコのような目をしながら悪戯に言葉を投げ掛けてきた。

 

「おやぁ?? カンキ君、今日も元気に“立って”おりますなぁ??」

 

「ん?」

 

 言われるまでもなく、自分は下を向いて確認していく。

 案の定、そこにはビンビンに張り詰めた“息子”が自己主張を強めていたものだ。この、いつになっても元気いっぱいな第二の自分に、思わず苦笑しながら返事を行っていった。

 

「身体はいつでも正直者だよな。解放感ある大自然の秘湯でゆっくりくつろげる上にさ、視界にはラミアとメーの裸も映っているんだ。これで興奮できなければ男じゃないよ。不可抗力、不可抗力」

 

「あは、何気に今までの温泉には混浴って無かったもんね~。この二日間も、カンキ君だけは男湯で別だったから、言われてみると一緒にいるのはなんか新鮮かも」

 

 そう言いながら、縁に腰を掛けていたメーが思い立ったようにこちらへ駆け寄ってきた。

 じゃぶじゃぶと水面を揺らし、この波打つ湯を顔で浴びたラミアが退くように縁へと移動する。そんなラミアの様子を脇に、メーは悪戯な笑みを勝気に浮かべながら近付いてくると、その右手の人差し指で“息子”をツンッと突っついてから、煌びやかな微笑と共に何気無い調子で喋り出してきた。

 

「や~ん、裸で向かい合う男女に何も起きないハズもなく~!」

 

「さては、俺のこと誘ってるな?」

 

「すぐそうやってエッチな解釈してくる~。もー、これだから男は~」

 

「はは、よいではないか、よいではないか」

 

 メーと絡むと、彼女のノリにつられるよう自分の喋りが変わる気がする。

 

 彼女の手や腰を掴み、逃がさないよう押さえつける自分。この行為に、メーは笑いながら冗談で嫌がってみせたものだったから、そうして背を向けてきた彼女の股下へと自分は“息子”を滑り込ませていっては、彼女の“ソコ”と太ももの肉厚に一層と興奮を覚えながらも、前後の運動でメーをからかい始めていく。

 

 本気の行為というよりは、じゃれ合いの行為。元の、身体で繋がり合う関係性から、冗談の域がどうしても下ネタ寄りになっていくこのお遊びにメーと二人でキャッキャ戯れていると、次にも眉をひそめたラミアが、適当な調子でその言葉を挟んできた。

 

「せっかく遠出までしておいて、結局やるコトはソレですか?? これじゃー、いつもと変わらないじゃないですか」

 

 指摘を受けながらも、自分とメーは悪びれない調子で「ごめんごめん」と謝っていく。で、その最中にもメーはラミアの下へと歩み寄ってき、その華奢な身体へと両腕を回しては、なだめるように抱き締めたりしていった。

 

 自分もまた、メーの腰を両手で掴みながら「軽く済ませるだけだから。ね?」とラミアに言葉を投げ掛ける。これによって、ラミアはジトッとした細い目を見せながらも「まー、別にイイですけど」と返してきたものだったから、自分は今もラミアを抱き締めるメーの後ろから“息子”を近付けて、ちょうどこちらへ突き出していた彼女の股に先端をくっ付けながら訊ね掛けていった。

 

「メー。前と後ろ、どっちがいい?」

 

「んー……骨折してたから、どっちもだいぶご無沙汰にしてるんだよねぇ。本当は景気良くどっちもキメておきたいところなんだけど、とりま今日は後ろにしよっかな?」

 

「後ろね、了解。急に入れちゃっても大丈夫?」

 

「久しぶりすぎてちょっとお尻がビックリするかもだけど、療養中もカンキ君に指でほぐしてもらってたから多分平気」

 

「じゃあ、慣らすように少しずつ入れていくからね」

 

 ラミアに抱き付いたまま、お尻を突き出してくるメー。彼女の“ソレ”を丁重に扱うよう自分は注意を払いながら“息子”をくっ付けて、そこからゆっくりと、捻じ込むように進入させていく。

 

 ぬちぬちぬち……と、排泄を主とした器官に異物を咥えさせた自分。瞬間にもメーは開発の行き届いた“ソコ”の感覚で低い声を出し始め、人間としてだらしなく、何とも情けない声音を上げながら“コチラ”を歓迎してくれた。

 

 メーとの本番行為は久しぶりだ。これに悦びの高揚を帯びながら自分は声を掛けていく。

 

「どう……? 痛くない……?」

 

「ぉ、んぉ。……う、うん。まだヘーキっ」

 

「そうか、良かった。……あぁ、やっぱメーのお尻はイイな……っ。最高だ」

 

「カンキ君っ、ぉ……もっと奥、もっと奥……んぉっ」

 

「もっと奥がいいの? そうだな……じゃあ、交換条件にしよう。メー、俺はメーのお尻が大好きだ。俺は、メーのお尻を俺の物にしたいと思ってる。だから……俺以外の男にお尻を使わせないことを約束してくれたら、奥まで入れてあげてもいいよ。どう?」

 

「いい……っ。それでいいから……っ! 私のケツ、カンキ君の物にしてもいいから……!! ねぇお願い……今チョー気持ち良いのキてるから、早く……っ!!」

 

「交渉成立だね。今日から、メーのお尻は俺の物ってことでよろしく」

 

 同意を確認次第にも、自分は“息子”を根本まで深々と突き刺した。

 出すための器官に、すっぽりと収まった自分のソレ。共にして“息子”には直腸の壁が擦れ始め、ちょうどこの裏側にあるだろう子宮の、その入口付近にあるとされる一般的な性感帯の位置を確認してから、自分はそこを中心に、短い間隔の抜き差しを繰り返していった。

 

 “前”でするよりも、緩やか且つ丁寧なそれ。突くというよりも先端で撫で掛けるような、擦らせるイメージで腰を前後に動かしていく。これがメーの好きな部分にダイレクトに伝わったのか、直にも彼女は天を仰ぎながら痙攣し始めると、噴きやすい体質なのか“下の口”からは快楽を大量に放出するなり、何とも情けない低めの声音を奏でてみせたのだ。

 

 縁に座るラミアを抱き締める力が強くなり、そんな彼女の身体に寄り掛かるよう必死に喘ぐメー。そして間もなくと彼女は頂点に達し、全身が跳ね上がるほどの痙攣を伴っては、“息子”が抜けるほどの勢いで腰を抜かしていく。

 

 秘湯の水飛沫を上げ、興奮で息を荒げながらラミアにすり寄ったメー。これにラミアは呆れるような顔をしながら言葉を投げ掛けた。

 

「前々から気になってたんですけど、メーさんもー少しキレイな声出せないんですか?? メーさんの喘ぎ声、オンナのウチからしても下品で汚く思えてしょうがないです」

 

「んぉぉっ……。おほ……っ、ぉぁあ~……もう無理ぃ。けつあな最高すぎてマジ卍ぃ……」

 

「あの、ウチのハナシ聞いてます??」

 

 湯に浸るメーの背中をさするラミア。そんなラミアへとメーはおもむろに接近していくと、次にもラミアは不意を突かれる形でメーに唇を奪われた。

 

 ホステス同士の熱い口付け。これに自分は見惚れるよう暫し眺めていく中で、次第にも自然と唇が離れた彼女らは見つめ合いながらも、呆れたような様相のラミアがそう喋り出してきた。

 

「……ホント、仕方の無いヒトですね」

 

「あは、でもキスには応じてくれるんだ?」

 

「同性からのキスは基本的に受け付けてませんけどね。今回は、相手がメーさんだったから特別に応じてあげただけですよー」

 

「ありがと、ラミア。ラミアのそういうサービス精神、私大好きだよ」

 

 なんだか急に、百合の花が咲き始めた。

 尊く感じ始めた純白の空間に、自分が段々と場違いのように思えてくる。そんな内心を抱きながら無言で空気に徹していたのだが、次にもメーはラミアへと「せっかくだし、ラミアもヤっとく?」の言葉を投げ掛けたことで、二人の意識はこちらへと向いてきたものだった。

 

 これに、ラミアは「イマはそーいう気分じゃないです」と一度は断ってくる。だが、自分もついつい「ラミアもさ、たまには野外でしてみない?」と声を掛けたことで、彼女は一瞬だけため息をつきながらも、適当な調子で「まー、さっさと済ませてくださるのなら別にイイですけど」と返してくれた。

 

 その間にも、メーはラミアの後ろへと回りながら縁に腰を掛けていく。この時にもラミアの華奢な身体を持ち上げて、自身の股の間にラミアを置くことで背後から彼女を抱き締めながら、メーはこちらへと視線を向けつつ「カンキ君もおいでおいで」と呼び掛けてきた。

 

 尤も、直後にラミアから「せめて、そのおち〇ち〇は一回洗い流してください」と付け加えられたことで、自分は洗浄のために秘湯の外へと追いやられたものだった。

 

 メーがラミアに理由を訊ねたのだが、これに対してラミアは「他人の尻穴に突っ込んだおち〇ち〇を入れたいと思います??」という返答をかましてくる。それを聞いたメーが「なにそれー。私のけつあなが汚いみたいに言わないでよ~」と言うのだが、ラミアは「メーさんに限らず、尻穴は汚いに決まってるじゃないですか」と冷静なツッコミを入れたりなどする、実に遠慮の無い会話が繰り広げられていたものだ。

 

 そんなこんなで、元気な“息子”を綺麗にした自分は再び湯に浸かりながら、水面を掻き分けるようにしてラミア達の下へと歩み寄っていく。

 

 縁に座る二人のホステス。双方が何気無い視線を向けてくるのだが、次にもメーが手前にいるラミアの股へと両手を伸ばすなり、ラミアに両脚を開かせてから、その“下の口”をおもむろに開いて見せ付けてきたのだ。

 

 ビンッと張り詰める“息子”を近付けた自分。そして彼女らへと密着するように接近してから、ラミアへと「入れるよ?」という声を掛けていく。それに頷いてきた彼女の了解を確認次第にも、自分はラミアへと“息子”を進入させていった。

 

 秘湯の湯けむりが立ち込めて、白いモヤがこちらの行為を隠してくる。共にして、湯の温度に心地良さを覚えながらゆっくり腰を動かしていくと、水面(みなも)を揺らすこの運動に、ラミアは無意識に甘い声を出し始めた。

 

 後ろからラミアに抱き付くメー。その彼女へと自分は両手を伸ばして、ラミアとメーの二人を抱き留めるようにしながら運動を続けていく。これにメーは面白がるような悪戯な視線を送りながらも、どこか恍惚とした表情で静かに行為を見守っていき、ラミアはメーに抱き留められながら、自分らに挟まれたその状態で夢見心地の蕩ける表情を浮かべていた。

 

 ……刺激的でありながらも、奇妙な関係による不思議な安心感が巡ってくる謎のシチュエーション。

 ラミアからすれば、今回の抜き差しは快感的に微妙だったのかもしれない。いつもは締まるはずの“口”が締まらないその様子に自分は焦りを覚えていくものの、どちらかと言うと、自分とメーの温もりに包み込まれた現在の状況に、ラミアは快楽以上の満足感を得ていたのだろうとも考えられた。

 

 彼女の、満更でもなさそうに目を瞑る表情から、「まー、ワルくはないんじゃないですか??」というセリフが聞こえてくる。これに自分は、一層とラミアに密着することで奥深くに差し込みつつ、彼女の顔を覗き込むように眼差しを向けながらその言葉を掛けていった。

 

「ラミア、メー。生きててくれて、本当にありがとう」

 

「ん……なんですか急に」

 

「あの時はもう、永遠のお別れになるんじゃないかと思ってた。だから、無事とは言えずともこうして生き延びてくれたことが、俺は本当に嬉しかったんだ」

 

 後ろのメーにも視線を投げ掛けて、悪戯に微笑む彼女と頷き合っていく。それからラミアへと視線を戻してから、腰の運動を継続しつつ言葉を続けていった。

 

「……ラミアはさ、俺から見れば小柄で華奢な女の子だけど、度胸の据わり方に関しては俺よりもずっとたくましかったからさ、俺は常日頃から、ラミアのことをすごく頼りにしていたんだ。だからこそ、あの日、ラミアが涙を流しながら『死ぬコトが怖くなってきた』ことを教えてくれた時にさ、俺、ラミアは怖いもの知らずの人間なんだって、ずっと、そう勘違いしてたことにようやく気付かされたんだよ」

 

「んっ、んっ……。あの、そー思うのはカンキさんの勝手ですけどっ、よりにもよって、どーしてメーさんのいるトコでそのコトを話すんですか……っ」

 

「俺、実はあの日以来、オーナーやユノさん達から護身術とか教わっていてさ、身体も欠かさずに鍛えているから、これでも前よりたくましくなったし、戦う術なんかも少しずつ身に付けてきてるんだ。……俺、これからはラミアも守れるように強くなるから。だから……ラミア。これからは俺も、ラミアのことを守ってみせるから。ラミアが怖がる必要も無いくらいに、男として頼もしくなるって約束するから……っ!!」

 

「んっ……。ぁん……っ。そーいうコトは……っ実現できる程度の実力を身に付けてから口にしてください……っ。ウチからすれば……カンキさんはまだまだ頼りないんですから……っ」

 

 と、容赦の無い辛辣さで返答してきたラミア。しかし、こちらの言葉を耳にしてから彼女の息遣いは次第と荒くなり始め、“下の口”の締まりも徐々に強くなり出していた。

 

 たとえ身体が快楽を感じていなくとも、心の繋がりによって気持ちが満たされることがある。

 身体ではなく、気持ちが昂り始めたのだろうラミア。それは直にも身体へと影響を及ぼしたらしく、その頬には火照った紅色を浮き立たせ、胸部の“突起”もピンと張り出して、“下の口”は透明のよだれを垂らし出していた。

 

 運動は加速することなく、“ナカ”を味わうように緩やかな前後を繰り返す。その中で自分はメーを抱き寄せる両手に力を加えながら、荒げた息と共にラミアへとそのアプローチを続けていった。

 

「ラミア……っ。聞いてくれ……」

 

「最初からっ、聞いてますよっ。……それで、なんでしょーかっ」

 

「ラミア。好きだ……!」

 

「っ……カンキさんのお気持ちは、とっくの前から知ってます」

 

「ラミアは、俺のことって好きなのかな……?」

 

「さー、どーでしょーねー……っ。まー……キライじゃないですよ……っ」

 

「ありがとう、ラミア……! 俺はこれからもずっと、ラミアのことを好きでい続けるからな……! ……っ、出る!」

 

 もう限界だ。

 脳裏に巡った、快楽の電流。痺れるほどに迸る感覚の暴走と同時にして、自分はメーの背中を力強く抱き寄せながら、最後の振り絞りとしてラミアの最深部に子種を放出した。

 

 下半身の筋肉が引き締まり、その力んだ全身がラミアの身体へと寄せられていく。そうして、自分とメーの二人にぎゅうぎゅうに挟まれたラミアは天を仰いでいくと、今も“ナカ”にオスを流し込まれながら、彼女は蕩けた眼差しで、真夜中の大空を虚ろに眺め続けたものだった。

 

 ……ドク、ドクっと脈打つ“息子”。全力を振り絞って植え付けた自分が果てていく手前で、勝気に微笑むメーがからかう調子で「精が出ますなぁ」と口にしてくる。これに自分は、枯れた微笑で「本当に、言葉通りだよ」と答えていきながら、目の前にあったメーの唇に吸い寄せられるようにして彼女と口付けを交わしていった。

 

 粘着するような、熱烈でねちっこいキス。卑しい音を立てるそれを、耳元で奏でられたラミアが放心した眼差しで視線を投げ掛けてくる中で、今も湯けむりに包まれた大自然の秘湯では、親しげに絡む男女の影が蠢いていたものであった。

 

 

 

 

 

 数日に渡る、白昼夢のような幸せのひと時。それを過ごした今、既に待ち構えている非情な現実への回帰が憂いに思えて仕方がない。

 

 こんなに楽しくて、幸せに思える時間をLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のみんなと送っていきたい。外部からの脅威に晒されず、アンダーグラウンドの世界なりに平和な日々を、いつも顔を合わせるメンツと一緒に過ごせる未来を、自分は心から望み続けてしまう。

 

 そんな切なる願いを抱きながらも、自分は今、メーが運転する車で龍明への帰路を辿っていた。

 夜明けを迎えた、薄暗くも爽やかな空気の外界。日の出も始まらない早朝の時刻に高速道路を走行していたこの車では、夜通しで秘湯を楽しんだ一同が目の下にクマを作りながら沈黙を貫き続けていたものだ。

 

 ……さすがに、ラミアとメーでも疲れるか。

 長旅ともなった休暇に、自分は睡魔に抗うよう何とか意識を保ちながら後部座席でウトウトしていく。その最中にも、助手席に座るラミアは地雷風コーデの勝負服姿で呆然と外の景色を眺め遣っており、ずっと運転係を務めるメーも暇を持て余したように口を尖らせながらハンドルを握り続けている。

 

 特別なことなど起こらない、変哲の無い道のり。この平穏に心が救われる思いさえ感じられるその中で、ふと閃いたように顔を上げたメーが自分とラミアへ提案を投げ掛けてくる。

 

「私、お腹減った~。どっかサービスエリアに寄ってっていい?」

 

 メーの後ろにいた自分が、助手席を挟んだ中央の空間から顔を覗かせながら、「でも、この時間に営業している店ってあるもんかな?」と返答していく。これに対してラミアは、「この先にでしたら、二十四時間営業のフードコートで有名なサービスエリアがありますけど」と口にしたことで、自分は「へぇ~」と初耳の情報に相槌を打ちながら、メーへと言葉を掛けていった。

 

「それじゃあ、そこに寄ろうか。メーの休憩にもなるし、三人で朝食を摂るとしよう」

 

「ほいキタ、賛成~。あと十分くらいで到着っぽいから、寝るなら今の内に寝ておけよ~?」

 

「え、今寝ておくの?」

 

「じゃないと、龍明まで残り一時間の道のりの途中で二人とも寝ちゃうでしょ? そしたら私の話し相手がいなくなってつまんないじゃ~ん」

 

「そういうことね。それじゃあ、俺はその一時間に備えて仮眠でも取っておくかな」

 

「どんだけ眠かろうと、龍明に着くまで、私の話し相手として地獄まで付き合ってもらうからなぁ~? そのつもりで休んでおきたまえ??」

 

「うお……これは険しい戦いになりそうだな」

 

 特筆する箇所も無い、なんてことのない会話だった。

 

 サービスエリアに着き、車から降りた三人でフードコートを目指していく。そこでラーメンなどを頼むことで熱々のコテコテな朝食を頂きながら、徹夜してもなお平常運転の二人と、味や旅の感想といった他愛ない会話を交わして再び車に乗り込んだ。

 

 高速道路の追い越し車線を突っ切るメーの車。車内ではポップな音楽が掛けられて、メーがノリノリで首を振りながら運転を行っていく。その脇では、ラミアがスマートフォンをたぷたぷ操作しながらも唸り出し、今も連絡を取っているのだろう次の同伴相手への返事の内容で、自分とメーの二人に相談を持ち掛けてきたりなど、龍明を目指す帰路の道中においても、眠気を感じる余裕が無いほどの話題や話で盛り上がっていたものだ。

 

 そして、直にも龍明に入るという一直線の道路。ここに差し掛かった瞬間にも、メーが「んにゃぁ~~……」という気が抜ける声を上げながら喋り出してきた。

 

「あぁ~~……ついに戻ってきてしまわれた。また代わり映えの無いいつもの生活が始まるのかぁー……。う~……ヤダヤダヤダヤダ、もっとお出掛けしてたいよぉ~!」

 

 子供のように駄々こねるメーに、自分は苦笑してしまう。で、運転席の隣にいたラミアが適当な調子で反応してくると、次にもラミアとメーは至って他愛ない日常会話を繰り広げていった。

 

「まー、住み慣れたお家に帰ってきたよーなモンですよねー。明日からまた、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)とカンキさんのお宅を往復する生活の始まりです」

 

「でも結局、同伴とかで他の男の家にお泊まりとかするから、我が家にいる実感が全然湧いてこなくて気持ちが休まらないぃ~……」

 

「それはもー、仕事柄仕方無いじゃないですか。ならメーさん、そんなにイヤならお店辞めます??」

 

「えー、それもヤだー。今のお仕事、楽しくて大好きだも~ん」

 

「周りと比べて、環境や待遇はイイ方ですからねー。余程の理由が無ければ、留まるのが賢明でしょーね」

 

「でもさー、ぶっちゃけた話、いつ潰れるか分からんくない?」

 

「言えてますね。裏組織にカチコミされたり、爆弾とか仕掛けられてても不思議じゃない状況ですし。ウチも、その辺は覚悟しながらお勤めしてますよ」

 

「もし本当にさ、今の店無くなっちゃったらどうする? ラミア、他に行くアテあるの?」

 

「ナイです。奴隷生活で長年の人生を棒に振って、年齢も実名も忘れたカタギのニンゲンが表社会で生き残れる未来が視えません。拾われた先のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)がウチにとっての実家のよーなモンですから、ショージキなトコロ、歌舞伎町でパパ活か、風俗で働く以外の選択肢はナイように思えますよねー」

 

「ならさ、オーナーのいる探偵事務所に雇ってもらうとか、どう?」

 

「ソレ、本気で言ってます?? 一応ですけど、オーナーのいる探偵事務所って政治家とか弁護士が利用するくらいの大手ですからね」

 

「そこはあれだよ。コネで入れてもらえばいいじゃん?」

 

「そーいう問題じゃないですよ。信用を売りにする会社で、ウチのよーな素性が知れないニンゲンを雇うリスクが計り知れませんからね」

 

「いや真面目か。でもそれじゃあラミアはどうするの? カンキ君に養ってもらう?」

 

「イマのトコロは、その予定です。メーさんは、お店が無くなった時はどーします??」

 

「私は、どうしようかなぁ。ゲーセンの店員にでもなろっかな~」

 

「イイんじゃないですか?? メーさんがゲーセンで働いていても不思議に思いませんし」

 

「マジ? あは、んじゃあ本気で考えちゃおうかな? 運び屋とかしかやってこなかったし、カタギの仕事にも憧れてたんだよね~」

 

「その言い方ですと、イマの仕事が裏稼業みたいじゃないですかー」

 

「実際そうじゃん? 非合法でバリバリ体売ってるし。何なら殺し屋もいるし」

 

「考えてみたらそーですね。なら、味変で表の仕事に就いてみるのもイイ気分転換になるんじゃないですか??」

 

「ま、飽くまで今の店が潰れた場合の話だからね? Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)が残ってる限り、私はホステスとして生きていくつもりでいるから」

 

「ウチもそのつもりです。ただ、明日にも木っ端微塵に吹き飛んでいる可能性も十分考えられますからね」

 

「これが割と冗談じゃないのマジでウケる。もう履歴書とか用意しておいた方がいいかな? この時ってさ、職歴に運び屋って書いた方がいいのかな?」

 

「テキトーに運送会社の名前でも書いといたらイイんじゃないですか??」

 

「ぶはっ!!! ウケる」

 

 何ともまぁ、彼女らの会話が続く続く。

 

 時折、何気無い調子で物騒な話題を持ち出してきたり、まるで当然のようにラミアを養う方向性になっていたりと、色々とツッコミどころがうかがえる二人のそれ。この、住んでいる次元が全く異なる会話に自分は耳を傾けていると、かと思えば急に二人がこちらへ話を振ってきたりなど、長距離の車内においても自分は飽きの来ない平穏なひと時を満喫したものだった。

 

 そうこうしている内に、間もなくとして我々の車は『龍明』と書かれた案内標識を通り抜けていく。これによって龍明に戻ってきた自分達は再び、物騒ながらも日常的ないつもの生活へと臨んでいくのであった。



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第80話 Le rouge parle 《赤はかく語りき》

 昼間のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。キャバレーの煌びやかな照明の下、サラリーマンやOLといった大人の来店客で賑わう、華やかさと落ち着きを両立したアンダーグラウンドのレストラン。

 

 リニューアルオープンしてから、一層とお客が増えた気がするなぁ。と、その内心を抱きながらいつもの席で周囲を眺めていく自分。そんな、気の緩んだ安心感と共にこの日もLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の昼食を満喫していると、こちらへ歩み寄ってくる靴音を響かせながら、タキシード姿のユノが声を掛けてきた。

 

「柏島くん。少しだけお時間を頂けるかしら」

 

 銀のお盆を右手に抱え、凛々しいサマで姿を現した彼女。本日も女神が如くお美しい美貌に、自分は眩い輝きを見遣るよう一瞬だけ手をかざしながら返答を行っていく。

 

「あ、はい。どうかされましたか?」

 

「プライベートに関する、個人的な小話を貴方と交わしたいと考えているの。もし貴方が許してくれるのであるならば、その貴重な時間をどうか、ほんの僅かでもこの私に恵んでもらえないものかしら」

 

「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。ユノさんとの会話であれば、俺は一時間でも二時間でも、一日でも時間を割くことができますから」

 

 少々大げさな問い掛けに対し、少々大げさな言葉で答えていく自分。これにユノは安堵するよう微笑してみせると、次にも「ありがとう。貴方の寛大な対応に心からの感謝を」と口にしてから、その話を切り出してきた。

 

「以前にも、柏島くんの部屋のお風呂場で交わしたテストの件を、貴方は覚えているものかしら」

 

「以前にも、俺の部屋のお風呂場で交わしたテストの件……?」

 

 えっと、何だっけ……?

 最初こそは、彼女の言葉にピンと来なくて考え込んだ自分。しかし、記憶を遡るにつれて次第と思い出してきた光景と共にして、ユノの言う“テストの件”に関する一場面を思い出したものだった。

 

 

 

 

 

 同伴でホステス達が留守にした自室。自分を護衛する人員が出払っていたことから、ユノが泊まり込みで部屋に訪れたその日の出来事を脳裏に浮かべていく。

 

 湯気が立ち上り、充満したそれに包まれた極楽の空間。狭い浴槽の中、向かい合う形で湯に浸かった自分らは、膝を折りたたんだその姿勢で入浴を共にしていると、会話を交わしていく中でユノの口から、そのような言葉が飛び出してきた。

 

『貴方が、彼女達の欲求を満たしてあげられているかどうか。今度、私が直々にテストしましょう』

 

 

 

 女帝はかく語りき。

 全裸のユノと向かい合い、流れで彼女の“神域”にも触れた過去のそれ。黄金比からなる色白の“丘”は興奮よりも恐れ多さを覚えてしまい、結局、彼女を満足させられず終いだった行為を思い出してから、自分はLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で顔を真っ赤にしながらも受け答えを行っていく。

 

「ぁ、ああぁ!! はい!! あの、覚えてますっ!! その、あの時はすみませんでした!!」

 

「? 柏島くんが謝るに至る動機に心当たりが無いわ。……それでなのだけど、抗争も終息した今現在、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の近況は安泰に近しい実に平穏な日々が維持されていることでしょう。この機会に、柏島くんが我々ホステス達を満足させてあげられているかどうか……人間の本能からなる欲求を満たし、解消と共に適切に処理できる、ホステスに見合った献身的な紳士であるかどうかのテストを施行したいと私は考えているのだけれど。貴方の都合は如何なものかしら」

 

 要は、自分がホステスの性処理を担当できる人材かどうかを見極めたい。ということらしい。

 

 周囲の女性達を心配し、自身は同性のみを恋愛対象とする(さが)を抱えしユノという一ホステス。だが、可愛がる周りのホステス達のためならば、自身が身体を張ることも厭わないその姿勢は頼もしささえ感じられてしまう。

 

 ……挿入を除いた、前戯のみの行為といたしましょう。

 以前に掛けられたセリフを思い出しながらも、こうして再び巡ってきた、ユノの身体に触れることが許される機会に気分が高揚してしまう。そんな、男として辛抱堪らん彼女の黄金比を透視するように全身のタキシードを見遣ってから、自分は照れを隠すように口元を右手で押さえながら返答したものであった。

 

「そうですね……。基本的には、夜ならばいつでも都合を合わせられるかと思います。なので、ユノさんのご都合がよろしい時にでも、その……ご一緒できればなと……っ」

 

「ありがとう。私の希望を快諾し、一方的に与えられし望みをも受け入れる貴方の寛容な心に、私はどれほどと救われたものでしょう。……柏島くんを長らくと待たせるつもりは毛頭ないわ。では、近々とまぐわいを交わすといたしましょうか。その際には、二段階の形式でテストを行う関係上、もう一名、私は適材となるホステスを見繕い次第に貴方へ声を掛けるでしょうから、柏島くんもそのつもりで待っていてもらえると助かるわ」

 

「はい、分かりました。…………ん? え、二段階の形式? もう一名……?」

 

 

 

 

 

 そう長らくと待たされることもなく、ほんの二日程度でユノとの約束が果たされる。

 

 同じアパートの別の部屋。この日にも自分はユノの部屋に招かれたことで、緊張を伴いながらそちらにお邪魔した。そして、一体どんな流れからか、自分はいつの間にか、彼女らが普段使いしているのだろうベッドの上で正座になって待機していた。

 

 手前には、軽く腕を組んで凛々しく佇む私服姿のユノの姿。彼女は何かに納得するようひとり頷いていくと、次にもそう言葉を口にしてきた。

 

「清潔な格好に、活力に満ちた面持ち。爪も切ってあって、実に好印象。女性は物ではなく人であり、一個人としてその幸福は約束されるべきよ。……事前の準備に不足無し。現時点では文句無しの合格点。次は実技の方を確認したいから、まずは当事者としての視点ではなく、第三者からの視点で柏島くんのエスコートを拝見したいものね」

 

 真面目な面持ちで喋るユノの言葉に、自分は「は、はぁ」と顔色をうかがう視線を向けながら相槌を打っていく。それから自分の隣を見遣るように首を曲げていくと、同じくベッドの上で正座になっていた制服姿のミネが、不機嫌と困惑が混じる様相でこちらと目を合わせながら喋り出してきた。

 

「……それで、なに。アタシはカッシーの相手をするために呼ばれたってことなの?」

 

「まぁ、そういうことになるのかな……?」

 

「なにそれ。アタシは実験台ってワケ?」

 

「実験台だなんてそんな。……どちらかと言うと、スパーリング?」

 

「スパーリングって……公開練習の相手ってコトでしょ? どっちみちなんか、利用されてるみたいで良い気がしないんですけど」

 

 いつもの雰囲気ではなく、本気で不機嫌そうなミネの様子に自分が焦りを感じてしまう。

 

「ごめんね、本当に。でも、どうしてもミネ……いや、菜子ちゃんが必要だったんだ」

 

「なんでアタシなの? 他に人いたじゃん。別にアタシじゃなくても良くない?」

 

「ユノさん曰く、『行為における好みの傾向が、今回のテストに都合が良い』ってことらしいからさ。他にホステスはたくさんいたけれど、どうしても菜子ちゃんじゃないといけなかったんだ。……多分」

 

「なにそれ、イミ分かんない。……んまぁ、何て言うの。こう……頼ってもらえるのは別に嫌じゃないけど……?」

 

「菜子ちゃんは、俺と“実技”するの嫌だったかな……?」

 

「ち、ちがッ。……ッ別に! それは……嫌、じゃない。けど……っ」

 

 途端にして、しおらしくなって口を尖らせ始めたミネ。少女はこちらから視線を逸らしながらも、どことなく満更でもなさそうな声音でそう答えて、恥ずかしそうに黙りこくってしまった。

 

 それで、この状況から一体どうすればいいんだ。

 説明が色々と足りないテストの内容に、自分は助けを求めるようユノへと訊ね掛けていく。そこで「あの、俺達は次にどうすればいいのでしょうか……?」と問い掛けてみたのだが、彼女から言い渡された答えはこのようなものだった。

 

「既にテストは始まっているわよ。貴方の交流が如何なムードを作り上げるのか。貴方の積極性や貴方の展開力。相手を引き込む雰囲気づくりや咄嗟のアドリブなど、主に、私の主観に基づいた様々な観点から、今現在も相応の評価をつけているものよ」

 

「マジですか……。もう始まってたんですか……」

 

 ならばせめて、開始を宣言してもらいたかったんですけど……。

 

 という内心を胸によぎらせながらも、自分は既に始まっているというテストに一層もの緊張を巡らせながら、今も困惑混じりにこちらへ視線を投げ掛けるミネへと向き直っていく。

 

 ……まぁ、そういうことみたいだから。

 アイコンタクトで、黙々と伝えていく自分。この、同じような困惑を抱いているこちらの状況を察してくれたのだろうミネが、不機嫌そうながらも受け入れるようにコクリと頷いてみせたことにより、自分は少女の意思を確認するよう無言でミネへとすり寄ってから、その両肩を優しく両手で抱き寄せつつ、互いにドキドキしてくる至近距離で見つめ合ったのだった。

 

 

 

 空気が変わり、自分とミネは二人きりの世界に入り浸るよう意識し合っていく。

 

 今まで不愛想に眉間を歪ませていた少女。しかし、行為を始めると途端にミネは顔を赤らめて、強がるような表情を維持しながらも、ムスッとした顔でこちらの目をまじまじと見つめてくる。

 

 早く来ないのかな……。そう思わせる、期待の眼差し。そんな少女の期待を受け止めて、こちらからゆっくりと唇を近付けては、ギリギリまで焦らしに焦らした末の軽いキスから交わしていく。

 

 ちゅ。

 少女の薄い肉感で、何度も跳ねるように繰り返す口付け。数回と交わしたそれで気分を盛り上げた自分は、そこからミネの身体を抱き寄せるようにして深々としたキスを行ったことで、唾液が交じり合う粘着質な音をわざと立てながら、二十分近くによる愛撫で少女をとことん可愛がってみせた。

 

 その間もずっと、静かに佇んで見守っていたユノ。一切と視線を逸らさない真っ直ぐなそれを受け続け、自分は未だプレッシャーを抱えながらもミネの制服を少しずつ脱がし始めていく。

 

 ……黄色のジュニアブラジャーに、同色のスタンダードなショーツ。ミネをその二枚だけの姿にして、優しくベッドに寝かせていく。それからショーツ越しに手や口で少女の“アワビ”を愛でていき、布に染み付く粘液の雰囲気と共にショーツを脱がすことで、生まれたままの“黒色のジャングル”が姿を現した。

 

 毛深い“ソレ”も、菜子ちゃんだと愛嬌あるなぁ。

 とか言う言葉を飲み込み、内心で済ませたその感想。この間にも自分は寝転がる少女に覆い被さるよう身体を倒していき、ミネの両脚をM字に開かせた状態で接近していく。そうして少女の脚に自分の両脚を引っ掛けて、後ろから見ればご開帳となっていた“アワビ”の状態に、ミネは本気で焦るように恥ずかしがりながら言葉を掛けてきた。

 

「え、ちょっと。ねぇねぇねぇ待って。これっ、は、恥ずいからっ!」

 

「菜子ちゃんはこういうプレイは初めて?」

 

「そういう問題じゃなくって!! てか何でカッシーは服着たままなの!?」

 

「今日はこういうスタイルで行こうかなって考えてたんだ」

 

「は、は?? なにそれ。これじゃアタシだけ脱いで、恥ずかしい人みたいじゃん!」

 

「ダメなの? その方が菜子ちゃんも興奮するでしょ? 特に今日は、“ギャラリー”もいるんだからさ……」

 

 力は抜いてあるものの、迫るこちらに対してミネは両手で押し退けようとしてくる。この抵抗に一切と動じない自分が少女に接近していくと、次にもミネの口をキスで塞ぎながら、身に着けていたブラジャーも取り払うことで少女のみを全裸にしてみせた。

 

 控えめな胸元を両手で隠してくるミネ。少女の何気無い仕草を目にして、自分は火が点いたように限界まで気分を高揚させながらも、この衝動をなんとか自制しつつ、極限まで恥ずかしがる顔真っ赤なミネへと口付けを続けていった。

 

 その際に、まるで行為の出し入れを行うように腰をカクカクと動かしていく自分。これによって、自分が着けているボトムスの股間部分がミネの“アワビ”を擦り始め、固くもある布部分の感触に、少女は最初こそ驚いて身体を跳ね上げながらも、次第と巡ってきた“ソコ”の快楽に息を荒げ出してくる。

 

 ミネを大切にするように、全身を包み込むよう抱擁する。ねっとりとしたキスを継続しながらのこれに、胸を隠したままのミネは複雑な表情で目を瞑っていき、今も全身に駆け巡る快楽と温もりに少女はキス越しの喘ぎ声を出し始めた。

 

 可愛い。すごく可愛い。とっても可愛い。最高に可愛い。

 いつも声にする言葉責めを、胸の内で復唱する自分。この、無言で行われる熱烈な行為にミネはもどかしそうな視線で見遣ってくると、次にも緩んだキスの隙間を縫うように少女はそれを問い掛けてきた。

 

「ねぇカッシー……。今日は言ってくれないの……?」

 

「どうしたの? 何か欲しくなっちゃった?」

 

「欲しくって、別にそんなんじゃないけど……っ」

 

「じゃあ、何が不満なのかな?」

 

「っ……バカ。カッシーの意地悪」

 

「ごめんごめん。そんな菜子ちゃんも可愛いよ……」

 

「ホントに最低……っ。ズルいよそんなの……っ」

 

 胸を隠していた処女の両手を自分は解くように退かしていき、その手を恋人のように繋ぎながらベッドに押し付けていく。共にして露わとなった少女の胸部に最高潮の興奮を覚えた自分は、恍惚とした眼差しでミネという一人の女性の有様を存分に眺めてから、左右にある胸の“突起”を順番にバランス良くついばみ、それから衣類越しの全身を密着させるようにして、再び深々とした情熱的なキスを交わしていったのだ。

 

 涙目のミネを可愛がり、主に唇の表面を責める口付けで少女を満足させていく。そして、ずっと動かし続けていた腰の運動にミネが痙攣し始めると、それでもなお“ソコ”が擦れる感覚を伴いながら、少女は天井を仰いで、敢え無くと快楽の波に吞み込まれてしまった。

 

 控えめな喘ぎ声と、涙混じりの悩ましい表情。股間を中心にビクンビクンと跳ねるその身体を抱き留めて、M字で開脚したその姿でミネは幸福に達していく。

 

 背中が反るほどの快楽に、少女はこちらを押し退けるように手を伸ばして暫し快感に浸り出す。その余韻で、悩ましくも満更ではない顔を見せながらベッドに寝転がる少女を抱き締めていくと、ミネも応えるように両腕と両脚をこちらに絡ませてから、静かなる力強い抱擁を交わしたものだった。

 

 むぎゅう……っと交わしていくお互いの温もり。数分間に及ぶ深々とした抱擁で互いに満足し合い、次第にも抱擁を解いて自分は身体を起こしながら、今も脇に佇むユノへと振り向いてその言葉を掛けていく。

 

「こんな感じでどうでしょうか……?」

 

「十分よ。立ち会わせてくれて、どうもありがとう。おかげさまで、柏島くんの紳士的なエスコートを客観的な視点で観察することができたわ」

 

「それで、現時点では合格でしょうか……?」

 

「合格ラインには達しているわね。ただし、それは飽くまでも客観的に見た点数に過ぎないわ。次は、当事者として柏島くんのエスコートを体験してみる必要がある。そういうことで、柏島くん。これから私を抱きなさい」

 

「わ、分かりました……」

 

 これから私を抱きなさい。というのも、中々にパワーワードだよな……。

 内心で、困惑を交えた言葉を呟いていく自分。その間にもユノは凛々しいサマでベッドへ歩み寄ってくるのだが、今も息を切らしながら寝転がるミネを眺め遣るなり、ユノは釘付けになるような、うっとりとした視線で、そんなことを言い出してきたのだ。

 

「けれど……そうね。せっかくと快楽に身を委ね、安心感からなる気兼ねの無い絶頂の甘い蜜が溢れ出しているのですもの。……花が咲き乱れ、幸福の印が花弁を満たす至福の余韻。煌びやかと雫の光を反射するめしべを、外界に晒したまま自然乾燥させてしまうのも些か無粋というもの。非常に勿体無いわ。柏島くん、この私に少しだけもの猶予を貰えるかしら」

 

 と言って、ちょうど退いた自分の居た位置に移動してくるユノ。

 ベッドに乗り掛かり、今も布団の肌触りに落ち着きを取り戻しつつあったミネへと近付いた彼女。そしてユノは姿勢を下げていくと、次にもミネの“アワビ”へと顔を近付けるなり、躊躇いもなく口付けを行ってきたのだ。

 

 耳元の髪を手で掻き上げながら、少女の“アワビ”に舌をつけたユノ。その神々しいほどの美貌でミネの“ソレ”を味わい始めると、触れた柔らかい感触にミネは驚きの声を上げ、直後にも今までに聞いたことの無い嬌声を響かせながら、粘度が高いユノの“アプローチ”に少女は甲高く悶え始めたものだった。

 

 一定のリズムで舌を動かし、ミネの“突起”を愛でていく。これによってじゃぶじゃぶと溢れ出した“快楽”にユノは恍惚とした表情を見せていき、今も零れてくる“快楽”をユノは舌で掬い上げ、時には“アワビ”を一口でしゃぶりつき、咀嚼する動作で少女の“肉感”を心行くまで存分に堪能し続ける。

 

 まるで、食事を行っているかのような光景だった。

 うっとりとした眼差しのユノが、大胆ながらも繊細な舌使いでミネのあらゆるを貪っていく。この何気無い食事シーンは元から放つ色気も合わさることによって背徳感を醸し出し、また、女神が如き存在から繰り出されるテクニックにミネは口元を押さえながら声を堪えていくのだが、文字通りの神業を前にして少女は次第と両手で顔を隠すなり、初耳となる、鼓膜をつんざく端的な高音を奏でながら、ミネは水鉄砲のような“快楽”を一気に噴き出してみせたのだ。

 

 空気を迸る水滴の音。共にして顔面に降りかかったユノは目を瞑って顔を逸らしていくのだが、これに嫌悪感を見せるどころか、口元の雫を舌で拭い、頬や眉間についたミネの“快楽”も指で拭き取りながら、余さず口へと運んで舐め取った。

 

 ベッドがびしょびしょになり、ユノの私服もずぶ濡れとなる。しかし、ユノは自身の状況を気にすることなく顔を上げていくと、女々しく座る姿勢で落ち着きながら、今も自らの噴射に驚きつつある興奮状態のミネへとそんな言葉を掛けていった。

 

「菜子ちゃん。最近、塩分を過剰に摂ったでしょう?」

 

「ふぇっ……? ……今日のお昼、ラーメン屋の醬油ラーメン三杯食べたけど……っ」

 

「菜子ちゃんのことでしょうから、律儀にスープまで飲み干していると推測できるけれど、塩分の過剰摂取は肌荒れに繋がって、ニキビなどを引き起こす要因ともなり得るわ。ラーメンが美味しいことは私も認めるけれども、容貌を売りとする客商売である以上は、美容のため、偏りの無い、バランスの良い食事を心掛けなさい」

 

「ご、ごめんなさいっ……! でもなんで、どうして分かったの……?」

 

 上半身を起こしながら、ユノへと訊ね掛けるミネ。少女の問いに、ユノは指についた“雫”を舐め取りながら答えてくる。

 

「“味”よ」

 

「“味”……? うそ、“ソレ”の味で分かるの……!?」

 

「分泌される体液も、食事によって得られた栄養素から形成されるものですから。ただ、“分泌液”でどの栄養素を摂取したかを言い当てられるのは、私のみが持つ個性のようでもあるらしいわ。私自身もれっきとした根拠を以てして、成分を的確に区別しているわけではないの。……これは感覚的なもの。私の直感が、“この味”が『塩分』であることを教えてくれる。だから今回、貴女の偏った食事に気が付くことができた。ただそれだけよ」

 

「なにそれ……っ、イミ分かんない……っ」

 

 本気の困惑で声を震わせるミネ。同時にして、少女は顔を真っ赤にしながら“快楽”で濡れた股を手で隠していった。

 

 ……というか、元から大食いとは言え昼間に醬油ラーメンを三杯も食べるのもすごいな。

 なんていう内心が巡る自分の脳裏。これに汗を流しながらミネを見遣っていく中で、ベッドから退いたユノがその場でおもむろに服を脱ぎ出すなり、下着のみとなったその姿で、ベッドの上にいるこちらへと振り向いてきた。

 

 赤色の薔薇の刺繍が入った、黒色のレースの上下。

 刺激的で、魅惑的な色合いのインナー。ユノらしい一式に自分とミネが見惚れていく手前で、ユノは躊躇いもなくブラジャーを取って黄金比の乳を放り出し、ショーツにも手を掛けてずり下げることで、女神の“神域”を余すことなく晒してきたものだ。

 

 加えて、ショーツから露わになった“神域”には、透明な糸が引いていた。

 発展途上である同性の“食事”によって、彼女も既に気分を高めつつあったのだろう。脱ぎ払った下着を捨てるように放り投げたユノは歩き出し、羞恥もなくベッドに乗り掛かってこちらへ近付いてくる。その、誰に対して裸を見せても恥ずかしがらない、周囲の目を一切と気にしない彼女が容赦なく踏み入ってくると、ベッドに両手と両膝をついたその姿勢で、乳をぶら下げた前屈みの状態でこちらへ言葉を投げ掛けてきた。

 

「次は、当事者から見た貴方のエスコートを体験させてもらうといたしましょう。……当初の予定では、行為の導入から開始するつもりでいたものだけれど、私が既に興奮状態である以上は無駄な手順を省いて、貴方の技術から見ていくとしましょうか」

 

 こちらの返答を待つことなく、ユノは濡らした“神域”から雫を垂らしながらミネの下へと寄っていく。そして上半身を起こした少女へと「菜子ちゃん。貴女の、天使の羽が如き純白な羽毛のような膝を枕にしてもいいかしら」と問い掛けることで、雰囲気に流されるままミネは了承。女の子座りとなったミネの膝へとユノは頭を乗せて寝転がっていき、こちらへと足を向けては恥じらいもなく淡々としたサマで両脚を開いてくると、次にもユノは堂々と“ソコ”を見せ付けながらそれを喋り出してきた。

 

「さぁ、柏島くん。今宵、私は貴方の女として、この身体を捧げるわ。貴方が望むならば口付けに応じ、貴方が望むならばこの乳房を与え、貴方が望むならばこの“入口”への進入を許可しましょう」

 

 大人びた肉感は、ホステス共通の“丘や谷”を象っている。だが、天からもたらされた女神の柔肌は健康的なハリとツヤを“神域”に宿らせており、一方で粘液を伴った透明な“快楽”が人間味を演出することで、今も目の前で展開されるユノの“ソコ”はまるで、神話を描く絵画が如き神々しい神秘に溢れていたものだ。

 

 まさに、人類の奇跡だ。

 シワやシミの無い、手入れが行き届いたまっさらな平原。質感はマシュマロのようでいて、姿かたちをくっきりと映し出す瑞々しさが実に生物的。この、“奇跡”を目の当たりにした自分は食い入るように凝視しながら近付いていき、本能に駆られるまま、ついついそちらへと手を伸ばしていくその最中にも、自分はハッと我に返るよう見開きながらユノへと訊ね掛けていった。

 

「あの……既に一度触れている身として、今更こちらを訊ねるのも野暮かとは思われますが……俺の行為、恋人のヒイロ姉さんから怒られたりしませんかね……?」

 

「私には想い人が存在する以上、他者に貞操を捧げる行いは裏切りに繋がり、不貞の極みであることは確実。しかし、相手は柏島の血筋を受け継ぎし聖なる子孫。ならば、私の心の内にて今も生き続ける“彼女”はきっと、貴方へと施す献身には目を瞑ってくれると信じているわ。……尤も、当時は恋人という関係でありながらも、“彼女”は気負うことなく私以外の人間とも行為を働いていた。その不誠実の借りを返すという意味でも、“彼女”が失踪したこの数年は、私も数多の女性とまぐわいを交わしていたものよ」

 

「まぁ、本人達がそれで納得なされているのなら、俺からは何も言いません」

 

「柏島くんが気負う必要は無いの。ただ……私は寂しさを紛らわしたいだけなのかもしれない。他の女性達でも埋めることのできなかった、この胸に空いた空虚の穴を、身近なホステス達の手や、柏島の血筋による温もりを以てして満たしてみせようと、そう躍起になっているだけとも言えるわね」

 

「それだけ、ユノさんにとってヒイロ姉さんという存在は、ユノさんの心を満たしてくれる唯一無二のお方だったんですよ。……俺なんかがヒイロ姉さんの代わりになれるとは思いませんが、せめて、その寂しさを紛らわすだけのお手伝いを、やれるだけやってみせます。なので今は、過去の記憶や現在の気持ちなど、ご自身の中に存在しておられるヒイロ姉さんの像に意識を向けられてください。後はこちらで、気持ち良くしますから」

 

 ユノの“神域”に軽く触れ、彼女から溢れ出た“快楽”の雫を指に纏いながら答えていく。この返答にユノは微笑を見せてくると、凛々しくも優しい声音で「周囲のホステスが、貴方に身を委ねる理由を心で理解することができた気がする。いつでもいいわ、貴方のペースで始めてちょうだい」と声を掛け、彼女はリラックスするように天井を仰いでいった。

 

 ……恐れ多くも、欲情だけは募ってくる。

 叶うならば、“息子”を入れてみたかった。そんな無念がよぎってくる内心を抱えながら指を進入させ、既に迎える準備が整った“神域”の内部を手探りで突き進む。その瞬間にも、ユノの“神域”が心地の良い引き締まりによってこの指を包み込んできたことから、子種を搾り取らんとするちょうどいい加減のそれを指に受けながらも、自分は一層と「間違いなく、今までで一番とも言える名器だ。“息子”を入れたら、すごく気持ち良さそうだな……」と心の中でボヤきながら指を動かし始めたものだ。

 

 手探りとはいえ、これまで七名のホステスを知ってきた身でもある。彼女らと交わした経験は確実に糧となって実力に繋がっており、この日の自分は特に、自然に身に付いた知識や技術を上手く活かし切れていたと、胸を張ってそう豪語できる程度には自信を持つことができていた。

 

 この自信は、行為にも形となって表れ始める。

 進入した指が、ユノの好みに触れていたのだろうか。直にも女神の化身とも言える彼女は少しずつ声を漏らし始め、どこかくすぐったいようなサマで、爽やかに微笑しながら身体をうねらせてくる。

 

 この人、悶える姿まで余裕があるんだな

 羞恥という感情が欠け、常に女帝の風格を醸し出すホステス。だが、その本質は恋する乙女と同義であり、失恋に近しい最愛の想い人との別れを経由することで、彼女は内心で深く傷付きながらもその悲しみをひた隠しにする、悲劇のヒロインと呼ぶに等しい人物でもあった。

 

 時には命懸けの過酷な戦闘を交えつつ、消息を絶ったパートナーの帰りを待ち続ける女性。ユノの様子はさながら、家の前で首輪を繋がれた犬に等しく、慕っていたご主人の帰りをユノはただ切実に願っているだけに過ぎないのだ。

 

 ユノという人物は決して、絶対強者というわけではなかった。

 悶える姿の様子を見て、自分は挿入する指を一本増やしていく。これによって全身を巡る快感が増加したことで、ユノは次第と背中を反るように身体を持ち上げ始めていた。

 

 自分の技術は、彼女にも通用する。そして、この技術によって彼女の寂しさを少しでも紛らわすことができるのかもしれない。

 視えてきた希望を抱き、自分は色白に浮き出たピンク色の“突起”を舌で包み込んでいった。そこから加えられる温もりや感触がユノの息遣いを荒げさせていき、喘ぐ代わりに、口に含んだような「ふふっ、あふふ」というこそばゆそうな声を上げながら、彼女は快楽に浸ってくれたものだ。

 

 その中で、ユノはミネの顔を見上げていく。

 少女の膝に頭を乗せ、今も快楽で悶える自身を眺め遣ってくる目の前の視線。ミネはとても意外そうに見開きながらユノの表情を眺めていく中で、ユノはミネへと両手を伸ばすなり、少女の首へと両腕を掛けながら、自身へ引き寄せるようにしてそれを喋り出してきた。

 

「あふっ、うふふ……っ。あっ、ん。本当に……そっくり。姉妹というだけはあって、顔の輪郭や、眉毛の位置、鼻の高さまでほとんど一緒……。特に、ご機嫌な時の菜子ちゃんの明るい表情は……高校生の頃のヒイロと瓜二つで……っ、まるで、ヒイロが二人いるみたいな感覚になってしまうわ……っ」

 

「あ、アタシが……? お姉ちゃんみたい……?」

 

「えぇ、そうよ。貴女は正真正銘、蓼丸の血を継ぐ者……っ。……ヒイロ。あぁ、ヒイロ……そこに居たのね。ずっと、ずっと……探していたんだから……っ」

 

 ある時を境にして、“神域”からは大量の“快楽”が溢れ出してきた。

 ユノの“それ”は、粘液を伴いながらも砂のようにサラサラとしており、指に付着することなく雫となって垂れ落ちることから、とても不思議な感触を体験させてくれた。そんな彼女の“快楽”に構わずと指を動かし続ける自分の前では、ユノはぼんやりとした様子でミネと見つめ合いながらも、どこか遠い場所を見遣るような眼差しでひとり、言葉を呟いてきたのだ。

 

「やっと見つけた……っ。今までどこに行っていたの……? 貴女はいつも、何も言わずに飛び出していって、何食わぬ顔でしれっと戻ってくるんだから……。本当に自由奔放で、誰よりも自分勝手な人……っ。んっ、ぁ……あんっ。んもう、これ以上……私を心配させないでちょうだい……っ。……お願い。もっと、顔をよく見せて……んっ、その顔を……もっと近くで……じっくりと……見たいわ……っ」

 

 ミネの首に掛けていた両腕を離し、両手で少女の頬を包み込むユノ。その瞳を潤ませたユノの表情にミネは無言で顔を近付けていくと、彼女らの鼻先が触れ合うのではないかというその至近距離で二人は見つめ合い、直にもユノがクスッと呆れたように微笑みながら、帰還を待ち続けていた“パートナー”の面影へと言葉を続けた。

 

「会いたかった……っ。会いたかったわ……っ。ッ、ヒイロ……っ貴女に、ずっと、会いたいと思ってた……! 何も言わずに、今は私のことをどうか、見ていてほしいの……っ。……これは、一生のお願いにしてもいい……。子供っぽいでしょうけれども……今だけでもいいから、どうか、私のことを見て……っ。もう、目を離さないで……っ。そして、誓ってちょうだい。……霧で霞んだ、この先の見えない不安定な人生において、私というパートナーの手を、永久に手放さないことを……!」

 

 きゅぅ~……っと、一段と締まり出した“神域”の抱擁。こちらの指を男の“モノ”と錯覚したのだろうか、ユノの感情が高まるにつれて“ナカ”は意思を持つように指をしごき始め、今にも遺伝子を欲しがるがあまりに、指を奥へ奥へと押し遣ってくる。そんな彼女の“名器”に、自分は本気の驚きでペースを乱されながらも、ユノの不安を取り除くべく好きな部分の刺激を続けていった。

 

 そろそろ限界といったところか。ミネと見つめ合うユノは途端に背中を持ち上げ始めると、ミネの肩に再び自身の両腕を掛けては少女をその場に固定し、“最後の時”までずっと見つめ合えるように、凛々しくも切ない美麗な表情でミネに視線を送り続けていく。これに少女は見惚れながらも使命感のように至近距離を維持していき、時にはユノと軽めのキスを交わしたりといったサービスも施すことで、ユノの気分上昇に一役買ってくれたものだった。

 

 そして、ユノの“ナカ”にある性感帯のGスポ〇トに指を付けた自分は、一度は顔を上げてミネとアイコンタクトをとっていく。そこで少女の方のタイミングも見計らってから、自分は最後の追い込みと言わんばかりに指で“ソコ”を刺激したことにより、直後にもユノは凛々しさとは程遠い控えめな嬌声を奏で始め、達した際の清々しく恍惚な表情と共にして、“神域”からは大量の“快楽”を控えめに噴き出してみせたのだ。

 

 ユノが達した時の、跳ね上げた腰の勢いで指が抜けていく。その抜けた瞬間の開放感も快感となって全身に巡ったのか、あの女帝と呼ばれた気高く凛々しい女性のユノが、麗しい表情で微笑しながらも、次にも艶かしく甘い声音を上げながら何度も痙攣を繰り返してみせた。

 

 ……まさか、あのユノさんが悶え狂うだなんて。

 新鮮というか、信じられないというか。そんな思いが巡る中で、自分は自分で彼女の“神域”から溢れ出した“快楽”を浴びていき、それでも不思議と不快にならない面持ちのままユノの方へと意識を向けていった。

 

 そこでは、興奮で荒げた息を抑えるように静かな呼吸を行う全裸のユノと、彼女を未だに膝枕するミネの二人がうかがえた。そのミネがユノを心配するように見遣っていく中で、ユノはミネの膝枕に深々と寝付きながらも、最後はいつもの凛々しい調子で、少女とそのような会話を交わしたものであった。

 

「菜子ちゃん、私用に付き合わせてしまってごめんなさい。貴女の貴重な時間を拝借してまで行う行為が自分語りだなんて、とんだ醜態を晒してしまったものだわ」

 

「別に、気にしなくてもいいのに……。……アタシのこと、お姉ちゃんだと見立てて色々と喋ってくれてたんだよね……? だったら、正直な話、ちょっと嬉しかったりする。なんか……アタシも、お姉ちゃんに近付けたような気がするから」

 

「ありがとう、菜子ちゃん。……他人(ひと)の姉を奪い去りながらも、寂しかった、会いたかったとの言葉を羅列する盗人の有様はさぞ、虫のいい話に聞こえたことでしょう。事実として、ヒイロに会いたがっているであろう最も身近な人物として、実の妹である菜子ちゃんの名が真っ先に挙がるでしょうから……」

 

「アタシ、お姉ちゃんを勝手に連れ出した挙句に失踪させたユノさんのこと、今でも許してないから。だけど……まぁ、ユノさんは人生の先輩としてって言うか、お姉ちゃんの同級生とか恋人とか、今までもそういう立場で、アタシにいろんなことを教えてくれたりもしたからさ……。そこにはまぁ……感謝、してる、かな。……一応ね」

 

「ふふっ、慈愛心とはまさに、このことを指し示す言葉なのかしら。……ヒイロが帰ってきた暁には、私と菜子ちゃんは義兄弟になる可能性もゼロではないのよ」

 

「それってさ、アタシのお姉ちゃんがもう一人増えるってことだよね? ……ユノさんがお姉ちゃん、か。……まぁ、人としてカッコいいし、戦っても最強だし、何よりも綺麗だから、その……思ってたほど、悪くはない、のかも?」

 

「嬉しいわ。ヒイロが帰ってきたら、合法的で立派な私達の一軒家を建てて、そこで私達三人で、平穏に暮らすといたしましょうか」

 

「悪くないんじゃない? アタシは別に反対しないから、二人で話し合って決めてよ。お姉ちゃんは絶対、反対すると思うけど」

 

「うふふ、同感よ。私もそれを今現在、ヒイロをどう説得するかの場面を脳内で思い描いていたものよ。ヒイロは、同じ場所に一日も留まれないほどの旺盛な好奇心の持ち主ですから」

 

「分かる! お出掛けする時はすっごく心強いのに、家にいる間はメチャクチャ駄々こねて迷惑なの!! ……話してて思ったけど、やっぱりお姉ちゃんに相応しいパートナーはユノさんしかいないのかも。早くお姉ちゃんを見つけて、アタシ達で無理やりでも引き戻そうね!」

 

「えぇ、それが最善ね。そして……ふふっ、勝手にいなくなったヒイロを、私と菜子ちゃんの二人でたっぷりと叱りつけてあげるとしましょうか」



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第81話 Les ennemis continuent de croître 《敵は増え続ける》

 昼前のLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)。レストランとして開店を控えた店のエントランスにおいて、自分は極度の緊張を帯びながら戦闘の構えを取っていた。

 

 空手とボクシングの中間とも言えるだろう、型に嵌らない独自の構え。その格好で佇む自分の先には、余裕な面持ちでこちらを見遣るラフな姿の荒巻が存在している。

 

 ゆったりとした薄い黄色のVネックシャツに、ストリート系の柄が特徴的なオリーブカーキのフード付きアウター。そして灰色のワイドパンツや白色のシューズ、首に掛けている紐のような黒いネックレスに、常備しているサングラスというラフなファッションに身を包んだ彼。加えて、オリーブカーキのニット帽で一層ものチャラい雰囲気を醸し出す荒巻はニッと笑みを見せてくると、次にもゆっくりと左腕を下げ、その肘を直角に曲げたスタイルで戦闘の構えを取りながらそれを喋り出してきた。

 

「いつでも始めていいぜ、カンキちゃん。今日から人目が気になる場所で、いつものようにのびのびとできねェだろうがよ、実戦ともなりゃそんな贅沢も言ってらんねェもんよ。これも経験の一つとして、割り切ってくれや」

 

「慣れない環境で、変に緊張しているところもありますが……気持ちでは、最初からそのつもりでいます」

 

「おう、そうでなくちゃな! ……んじゃ、始めようや。カモン、カンキちゃん!!」

 

 エントランスの中央で、一触即発の雰囲気を漂わせる自分と荒巻。尤も、その脇では業務を進めるタキシード姿のホステス達が普通に行き交っており、近くの柱には私服姿のクリスがそれに寄り掛かり、座り込んだ姿勢でこちらの様子を眺めていた。

 

 間もなくとして、こちらから攻めるように駆け出す自分。そして数ヶ月と鍛えに鍛え抜いてきたジャブを繰り出すと、それは荒巻の眉間を確実に捉えて……。

 

 ……ヒットを確信した瞬間にも、それを難なく避けた荒巻が一歩、後ずさっていく。これに自分は、畳みかけるよう続けて拳を繰り出していくのだが、左右を織り交ぜたインファイトが悉く見切られては荒巻に避けられて、手応えを感じたかと思えば、それは彼が腕で防いだ受け流しによるものだったりと、中々に拳を食らわせることができない。

 

 何なら、まだ荒巻に一度も攻撃をクリーンヒットさせたことがなかった。

 第二次龍明抗争後、荒巻やユノといったLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の戦える人間から格闘術を教わってきた自分。打倒すべき存在の出現から、自分でも戦えるようになりたいという意識が芽生えたことにより、誰かを守れる程度には強くなるべく、鍛錬や筋トレを欠かすことなく日々の努力に励んできたものだった。

 

 その成果は、筋肉や動きとなって確実に表れている。しかし、実践練習ではまだまだ先人達に追い付けず、今も当たらない攻撃を繰り返していく中で荒巻は余裕綽々とその言葉をかましてきた。

 

「動きが固いぜカンキちゃん!! 周りの目が気になるんだろうが、集中できてねェのが相手からも筒抜けだ。……それか、あれか? みんなの前でオレちゃんを倒しちまったら申し訳ねェとか考えてんのか? だったら安心しな! 今のカンキちゃんじゃあ、どんなに全力を出したところでオレちゃんには勝てねェからな!!」

 

 揺るぎない事実ではあるものの、彼のセリフはこちらの集中力を一層と高めてくれた。

 

 意地に近い感情で、次々と左右の拳を繰り出していく。その動作の中でよぎった直感がジャブとなって放たれるのだが、この攻撃に合わせるよう荒巻もジャブを打ち込んできたことにより、洗練された素早いその左拳は、カウンターという形で瞬く間にこちらの顔面を捉えてきた。

 

 直撃するという、その間際。ほんの数ミリもの間隔を残して引き戻された荒巻のジャブに、自分は思わず動きを止めて怯んでしまう。これに彼はニッと笑みながら「パンチする時はもっと脇を引き締めな。重心は基本的に身体の中央! 今のカンキちゃんのパンチはすっとろい上にブレブレだぜ。おかげで隙だらけだ」と軽く言葉を掛けてきたことで、自分は意識を改めながら再度とジャブを仕掛けることで訓練を継続した。

 

 戦闘するこちらの様子を、柱に寄り掛かって無言で眺めるクリス。彼の反対方向からは私服姿のレダが歩いてきて、腕を組みながら見守ってくる。

 

 そして、二十分程度の時間が経過したところで荒巻からストップがかかった。

 今日はここまで。彼の合図と共にして、汗だくになった自分はヘトヘトになりながらその場に崩れ落ちていく。そんな様子に荒巻は平然としたサマで見下ろしていきながら、腰に両手をついた姿で声を掛けてきた。

 

「おう、お疲れちゃん。今日は朝からランニングに筋トレもやって、その上で実践練習もやったから、だいぶ追い込んだ方だろうよ。よく頑張ったな、上出来だぜ」

 

「ど、どうも……ッ。ハァ、ハァ……ありがとうございました……ッ」

 

 もうダメ、動けない。

 直にもオープンする店内で、一人だけ息を切らしていく自分。これで俯くようにして動けずにいると、足音と共にしてコップを持ったレダが歩み寄ってきた。

 

 水が入ったそれを、彼女から手渡される。その艶やかな笑みと一緒に掛けてくれた「お疲れ様、カンキ君。頑張る姿、見惚れちゃうくらいカッコ良かったわよぉ?」という言葉に元気を貰いながら、自分はお礼を口にして水を一気飲みしていった。

 

 疲労し切ったこちらの姿を、穏やかな面持ちで眺めてくるレダ。それから彼女は、視線を荒巻へと投げ掛けながら喋り出していった。

 

「それにしても、“ここ”で訓練だなんて随分と珍しいじゃな~い? ホームレスの健康診断へ向かう道中なんかで、あなた達が団地で訓練している様子はよく見かけていたけれど、急にお店で訓練だなんてどうかしたのかしら?」

 

「いやぁ、なんつーかな。先日な、オレちゃんとカンキちゃんの訓練を喧嘩だと勘違いした通行人に通報されちまってよぉ。そこで面倒な事になったからな、んじゃあこれからはLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で訓練するかぁって話になって、仕方なく場所を変えたってワケなのよ」

 

「そういうこと。災難だったわねぇ? まぁ、カッコいいカンキ君が簡単に見られるようになったから、わたしとしてはむしろ好都合なのだけど」

 

「そうだ!! それでレダちゃん! オレちゃんへの労いは!? カンキちゃんの分の水しか用意されてねェように見えるんだが、オレちゃんには水を渡してくれねェのかよ!?」

 

「なに寝ぼけたこと言ってるのかしらぁ? オーナーはカンキ君をいじめていただけでしょう? これじゃあカンキ君がいたたまれないじゃない。弱いものいじめを受けるカンキ君に優しくして、何か文句でも?」

 

「く、くぅぅ~~~ッ!!! 何だこの……試合に勝って勝負に負けた感……ッ!!! オレちゃんも、レダちゃんから水を手渡される人生を歩みたかったァ……!! が、レダちゃんから粗末な扱いを受ける仕打ちもかえってご褒美だから、これはこれでアリなのが何とも悩ましいモンだぜェ……ッ!!!」

 

「はぁ?? 寝言を言うなら、わたしに寝かしつけられてからにしてちょうだいな?」

 

 本気でドスを利かせた声音で、その言葉を口にしたレダ。同時にして右手の拳を握りしめてきた辺りに、彼女のガチな様子がうかがえる。

 

 ホステス達から掛けられる辛辣な言葉の数々も、荒巻からすれば全てご褒美へと変換されていく。そんな、ある意味で無敵な彼の性質にレダが呆れるように息をついていく中、開店前にも関わらずLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の正面扉がおもむろに開かれた。

 

 地上の光が入ってくる光景に、一同が振り向いていく。するとそこには、私服姿のユノと、彼女の隣にはもう一名、荒巻の後輩である探偵仲間の男性が姿を見せてきたものだった。

 

 羅生院(らしょういん)という名の人物。百八十三ほどの背丈を持つ長身である彼は、ヴィジュアル系を思わせる、毛先の艶や刺々しさが特徴的である黒髪のショートヘアーに、レダのような健康的な褐色肌が印象的だ。また、オーラとして溢れ出る自信と、それらが織り成す長いまつ毛や力強い黒色の瞳、そして目の周囲にある“くま”のような黒色のラインがミュージシャンを彷彿とさせてくる。

 

 肩の部分のみを空けたオープンショルダーの、黒色のトップス。その上には、着崩すあまりに両腕の関節までずり落ちた黒色のアウターに、ヤンチャにぶかぶかとさせた黒色のサルエルパンツと黒色のブーツという一式が、黒統一による陰りの無難さを相殺する、暗いだけなのに非常に派手なシルエットを演出してみせている。

 

 長年と骸ノ市を調べ続けてきた探偵であり、その調査の最中にミズキもといイザナを保護した兄貴分。ボーイのイザナが唯一と心を開いている存在でもあり、荒巻の後輩で且つ、荒巻を『先輩』と呼んで狂信的に慕っていたりなど、部分的に盲目的な一面をうかがえさせる場面はあるものの、信頼するには十分な人物でもあった。

 

 久々に見た彼の姿だが、これに荒巻は厄介そうに「うおっ……」と思わず声を漏らしてくる。直後にも羅生院はハキハキとした大声で「あぁ!!! 先輩!!! 今日もそのサングラス、最高にお似合いですよッ!!!」と呼び掛けてきたことで、隣にいたユノが片耳を塞ぎながら喋り出してきた。

 

「定時連絡として訪れた彼と、外で偶然出会ったの。本日はイザナが休暇のため、オーナーの下へ直接足を運びに来たらしいのだけど……」

 

 と、ユノが喋っている最中にも、羅生院は堂々と両腕を広げながら、エントランスに留まらない奥のホールまで響く大声で言葉を続けてくる。

 

「先輩!!! まさか私の訪れを予感して、私を迎えるべくこちらに待機してくださっていたのでしょうか!!? ……あぁ、答えなくとも結構です!!! 先輩を気遣わせてしまう己の未熟さに、反吐どころか血反吐もドバドバ出て参りますが、憧れの先輩を前にして嘆かわしき自戒に浸るなど、まさに愚の骨頂とも言えるだろうッ!!! さぁ先輩!!! 久方ぶりの再会です!! 本日は我々に与えられし時間の許される限りに、密度の濃い実りある報告会を行いましょう!!! 巡り合わせというものは実に奇怪かつ奇跡的であり、偶然を装いし必然の名の下で成り立っているッ!! 先輩の活動に栄光あれ!! バンザーイッ!!!」

 

 改めて思ったけれど、やっぱり騒がしいなこの人は……。

 

 誰もが認めるイケメンなだけはあって、顔で全て許されているような人物。そんな羅生院は反射的に荒巻へと駆け出してみせたのだが、その勢いに押されてなのか荒巻もまた思わずその場から逃げ出すなり、ホールを目指して一目散に走り去ってしまったものだった。

 

 荒巻の後を追うように、羅生院は「待ってください先輩!!! もしや、後輩の追跡力を試すテストか何かでしょうか!!? だとしたら任せてください!!! 私は高校の陸上部で全国大会に出場して、大学生の時は箱根駅伝で花の二区を任された程度の脚力自慢なんですよ!!!」と騒ぎ立てながら、荒巻を追ってホールへと駆け付けていく。この、台風の後のような静けさがエントランスに漂うと同時にして、歩み寄ってきたユノがこちらへと申し訳無さそうに声を掛けてきた。

 

「その、ごめんなさい。柏島くんには不安因子の無い、平穏なるひと時を過ごしてもらいたいと私は心から願っていたものだけれど、災いの訪れというものは実に予測がつかないものね。どのような事情があれども、事業で提携する関係者がいらっしゃった以上は、お引き取り頂くわけにもいかず、案内せざるを得ないものなのよ」

 

「いえ、ご心配なく……」

 

 眉間にシワを寄せて、本当に申し訳無さそうにしているユノの表情に同情さえしてしまう。その間にもホールから全力疾走してきた荒巻が息を切らした様子で戻ってくると、彼の到着と同時にして追い付いてきた羅生院が、風を纏いし颯爽とした明るい表情でこちらへと向きながら、自信たっぷりに両腕を広げるその動作と共に喋り出してきた。

 

「おっと!! 君は先輩と相棒を組んでいた柏島先輩の息子さんだな!!? ……一年半もの長き期間が空いてしまったものだが、それでもどうか私からも弔わせてもらいたい。お悔やみ申し上げます。柏島先輩からも、尾行や交渉などといった探偵のノウハウを教わった身分でもあるからな。そうした貴重な機会を恵んで頂き、後輩の育成にも自ら進んで取り組んでくださった柏島先輩という人物に対しては、私は今現在においても伝え切れないほどの圧倒的感謝を抱き、そして何よりも……誇りに思っている。彼は、私から見ても先輩に劣らぬほどのカリスマ性に富んでいた、類稀なる素質の持ち主だった。私もささやかながらではあるが、彼の仕事が少しでも楽になるよう、柏島先輩へと舞い込んできた骸ノ市関連の仕事は率先して引き受けさせてもらったものだよ」

 

「親父とも交流があったんですね。きっと、俺よりも深く関わったことだろうと思います。そんな人物から、これほどの尊敬を寄せられているんです。今となっては、自慢の父親だったと胸を張れますよ。とても勇敢な人間だったんでしょうね」

 

 これの何が悔しいって、血縁者でありながらも、自分が一番、親父について何も知らないことだった。

 

 羅生院の、先までのやかましさから一転とした真面目ムードに、自分は気後れしながらも答えていく。それから背後の足音が響き出してくると、歩いてきたクリスがその猫背の姿勢で、不敵に笑みながら一同へと言葉を投げ掛けてきた。

 

「会話をするなら、龍明の駅前へ向かいながらにでもしようか? 僕ね、柏島の息子さんと食事をする約束があるんだ」

 

 姿勢からか、皆の顔を覗き込むような視線で口にするクリス。これに自分は「そうだった! 抗争の前に約束したもんね! いやぁ、約束を生きて果たせて本当に良かったよ」と答えていく中で、クリスはユノと荒巻、レダに羅生院という順番で次々と声を掛け始めたものだ。

 

「ユノ。君もついてくるって約束だったね? 念を押しておくけれど、別に僕一人でも平気だよ?」

 

「そういう、人の心情を見通した上での駆け引き染みた(よこしま)な問い掛けが、一層もの不安を煽り、貴方に対する信頼を虚無へと還すのよ。尤も、貴方は私の性質を理解した上で、性悪な言葉を投げ掛けているんでしょうけれど」

 

「つまり、ユノも参加ってことだね。それで、オーナーも来るでしょ?」

 

「話は聞いてたぜ。オマエさんが飯に誘うなんてよ、とんだ神の気まぐれもあったモンだ。面白そうだし、まだ探偵として調査に出掛ける時間でもねェ。喜んで付き合わせてもらうとするさ」

 

「これでオーナーも参加。レダはどうする? 君はこういう大人数の集まりは避ける傾向にあるよね? なら訊ねるまでもないかな?」

 

「ちょっと、な~んかそんな言われ方をすると、クリスの手のひらで踊らされているカンジがして不愉快に聞こえるんだけどぉ~? ……んまぁ、興味が無いわけでもないし、疲れ切ったカンキ君をイジる……いえ、労う目的でついていこうかしらぁ」

 

「オーケー。それで、羅生院ももちろん来るね?」

 

「そこに先輩がいるのなら、私も敬意を持って喜んで馳せ参じるとしよう!!! ……食事はともかくとして、君達には重要な調査結果の報告を持ってきたものだからね。居合わせたメンバーも実に都合が良いため、道中でそれをお披露目といこうじゃないか」

 

「決まったね。予定よりだいぶ大所帯になっちゃったけれど、君さえ問題なければ今すぐに向かうとでもしようか」

 

 そう言い、こちらへと振り向いてきたクリス。

 彼からの言葉を受けて、自分は「大丈夫だよ。一回、親父の決着に同行した古参メンバーで食事に行ってみたいと思っていたし、羅生院さんとも話をしてみたかったんだ」と答えていく。それを聞いたクリスは不敵に笑みを浮かべると、次にも正面口を向きながら指を差し、早速と駅前を目指すことを告げてきたものだった。

 

 

 

 

 

 レストラン『Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)』が営業開始したであろう真昼間の時刻。晴れた天気の太陽に照らされながら、自分達は龍明の街中を歩み進めていく。

 

 主に社会人が見受けられる街の光景。皆が忙しそうに行き交う人混みに紛れながら、自分らも目的地を目指していくその道中、羅生院はかしこまった声音で荒巻へとその確認を取り始めた。

 

「先輩。調査結果の報告を始めてもよろしいですか?」

 

「おうよ。ここなら“都合が良い”からな。機密事項ではあるが、人目を気にせず報告してくれや」

 

「了解しました」

 

 なんだか、羅生院と意味深な会話を交わした荒巻。二人の様子に一同が意識を向けていく中、羅生院は早速、この場にいる自分らへと報告を行い出した。

 

「まずは、簡潔に結論から述べるとしよう。……先輩の睨んだ通りだった。諸君らのLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)には確かに、“骸ノ市のスパイが紛れ込んでいた”」

 

 Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に、骸ノ市のスパイが……!?

 

 ただならぬ報告に、自分は言葉を失いながら羅生院を見遣っていく。そんなこちらの反応とは裏腹に、ユノやレダ、クリスはこれといった驚きを見せることなく沈黙を貫いていたものだ。

 

 暗黙の了解。この無反応を返答と受け取った羅生院が言葉を続けてくる。

 

「その人物は、この数ヶ月の間にボーイとして採用された新人だ。身長は百八十、くすんだ青髪の男であり、後ろで結ったショートヘアーが特徴的だな。彼は容姿が端麗であり、人当たりの良さも相まってか、主に女性客やホステスから人気を博していることだろう。しかし、彼の正体は壊滅状態にある骸ノ市の残党であり、私が尾行した様子から、彼は明確な目的を以てしてLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に紛れ込んでいる。……彼の目的は、柏島歓喜、君の拉致だ」

 

「俺、ですか……?」

 

「心当たりはあるだろう? 柏島長喜の遺産だよ。どうやら残党共は性懲りもなく柏島先輩の遺産を狙っているみたいでね、警察の目を搔い潜って逃げ延びた彼らはこの数ヶ月間、組織とは関係のない個人的な利益を得るべく、遺産の在処を問いただすために、君を拉致する隙を闇の中から虎視眈々とうかがっているのだよ」

 

 抗争が一息ついて、平穏な日々を送れていると信じ込んでいた。しかし、この平和は“店の人間による護衛やけん制”があったからこそもたらされていたものであることを思い知らされ、自分は恥ずかしい勘違いと共にして、絶句するように羅生院を見遣ってしまっていた。

 

 それと同時にして、ふとした疑問がよぎったことでそれを訊ね掛けたものだ。

 

「あの……それって、相手に悟られてはいけない重要な情報ですよね。そんな大切な報告をなぜ街中で……?」

 

 これは、相手方にバレてはならない情報なのでは?

 自分の不安よりも、店の心配が勝った羅生院の報告。だが、こちらの問い掛けを遮るように彼は立てた人差し指を口元へ持ってくると、シーッというジェスチャーで静止を訴え掛けてきた。それを見た自分が口を噤んでいくと、次にも荒巻が小声で説明し始めたのだ。

 

「全部、オレちゃんの指示によるモンだぜ。……おそらくだがよ、骸ノ市の残党共は今もオレちゃん達を“監視している”。さっきまでの会話も、連中は耳の穴をよ~くかっぽじってから盗み聞きしてたモンだろうよ」

 

「では何故、敢えて調査結果の報告を……?」

 

「連中を焦らせるためだ。オレちゃん達には、手の内は全てお見通しなのよってことをヤツらに知らせてやったワケなのさ。そこから、焦った連中の出方をうかがうためにな。……鳳凰不動産や葉山グループの件もあるからな。骸ノ市とは一刻でも早くケリをつけてェワケなのよ。だからオレちゃん、ここで勝負に出た。相手さんにプレッシャーを与えて、余裕を奪って判断をミスらせる作戦だ。本来なら、今の調子でさも本気で欺いているつもりでいりゃァいいだけなのによ、心理状況的に、これでヤツらはほぼ間違いなく、何かしらのアクションを起こさざるを得なくなった」

 

「なるほど……敢えて報告結果を聞かせる作戦は、間接的に相手を動かすための手段だったんですね」

 

「んま、大体そんなカンジだな。だけど、まぁ……この瞬間にも連中は、一層と死に物狂いでカンキちゃんを攫いに来ることにもなるだろうからよ。結果的に、危険度が一気に跳ね上がっちまったようなモンだが、それだけ連中を炙り出して、一気に片付ける機会ができたとも考えられるワケだ。そんなワケで~……オマエさんにはしばらくの間、危機感を持ってもらうことになっちまうんだけどよ。オレちゃん達に協力してもらえるとマジで助かるぜ。……いつも巻き込んじまって、本当にすまねェな」

 

「むしろ俺は、命を懸けて護衛してくださる皆さんに感謝をしなければならない立場ですから。いつもありがとうございます。俺も、前みたいにそう易々と拉致されないよう、一段と警戒しながら過ごしていくつもりです」

 

 自分と荒巻が会話を交わしている間にも、気配に敏感なレダが「オーナーの狙い通りねぇ。今、建物の物陰から、急いでスマホを取り出すような空気の流れを感じたわ」と、低い声音で呟いていく。その言葉に羅生院はパァッと表情を明るくするや否や、腹から出した大声で「おぉ!!! さすがは先輩だ!!! 敵方の心理状況をも掌握する巧みな戦略は正に天下一品っ……」と喋り出したものだったから、これに荒巻は大慌てで動き出すなり、咄嗟のヘッドロックをかますことで羅生院を無理やり黙らせたりなど、どこか愉快な光景も繰り広げられた。

 

 尤も、荒巻から力尽くで口止めされた羅生院は、崇拝する彼に締められながらも喜んだ様子で「むぐぐッ、んごごごごごッッ先輩直々のヘッドロックァァァァァアア!!!!」と、呑み込んだ言葉を腹で響かせるように喋り出してくる。これに荒巻が「余計なことを喋るんじゃねェ!!!」と必死な声音で言い聞かせていく様子の中、まるで興味無さそうに前方を見遣っていたクリスは何かを見つけたようにひとり歩き出すと、音も無くこの団体を静かに抜け出してしまったのだ。

 

 彼の気配にいち早くと気が付いたユノが、「クリス、柏島くんを置いて何処へ向かうつもりなの?」と鋭い調子で問い掛けていく。そんな彼女の言葉に一同が振り向いてくる光景を背に、クリスは足を止めることなく暫し真っ直ぐと歩き進めると、次にも彼は、その先の道端にある街灯の傍で佇んでいた一人の“女性”へと近付くなり、あの彼から声を掛けていったのだ。

 

「あれ、やっぱりそうだ。珍しいなぁ、“表”にいるなんてキミらしくないね?」

 

 クリスの声掛けに、振り返ってくるその人物。

 百七十五ほどの背丈を持つ、こちらとほぼ同じ目の高さである女性。腰辺りまで伸ばした、血濡れた深紅の長髪をなびかせながら振り向いた彼女は、血色の悪い真っ白な肌と、深淵へと(いざな)うが如くグルグルに渦巻いた螺旋の黒い瞳が何とも特徴的だ。

 

 服装は、袖へ向かうにつれて膨らんでくるボリューム袖の白いブラウスに、一部分が黒色の布地になった、赤色と黒色のヴィジュアル系チェック柄ミニスカート。また、血色の悪い色白の生足と同化するような白色のシューズに、頭蓋骨が撃ち抜かれたようなドクロ型の黒いポシェットが過激的だった。加えて、目の下が黒ずんだ濃いめの黒いアイシャドウが、彼女に近寄り難い、どこかおっかない雰囲気を見事に演出している。

 

 接近した者の命を刈り取るような、相手を殺す勢いの鋭い眼差し。吸い込んでくるような螺旋の瞳が不可思議な印象を与えてくる容姿と、目に見えて不愉快そうな不愛想な様相に自分が怯んでいく中で、クリスは動じることのない不敵な笑みを浮かべながら喋り続けていく。

 

「久しぶり。元気にしてた? 君の活躍は聞いていたけれど、こうして顔を合わせるのは数年ぶりかな」

 

「…………」

 

「“仕事”の方はどう? 上手くやれてる? 聞いている感じだと順調そうに見えるけど、君からしたらきっと、代わり映えの無い日々でさぞ退屈に思っていることだろうね」

 

「…………」

 

「やっぱり“表”だと声は出せない? 君は実に慎重派だよね。そんな君がどうしたことか、一人でお出掛けを楽しんでいる。それとも、あれかな。一般人に紛れながら、次の仕事場の視察でもしてたのかな?」

 

 クリスの問い掛けに、血色の悪い彼女はドス黒い殺意のオーラを醸し出しながら彼を睨み付けたものだった。

 

 クリスが会話している間にも、一同が後ろから追い付いてくる。そうしてぞろぞろとやってきた団体へと彼女は視線を投げ掛けていく脇で、クリスはおもむろにそれを提案してきた。

 

「時間があるなら、一緒にご飯でも食べる? これから食事をするんだ。僕の案内でね。……どう? 変わったでしょ。君からすれば、とても考えられない光景かもしれない」

 

「…………」

 

「僕の“思い出の味”を、食べてもらおうと思っていたんだ。この言葉に、君はピンと来る? それを今からね、“彼”に振る舞おうとしていたところだったんだよ」

 

 と言って、クリスは振り返るようにこちらを見遣ってきた。

 彼に続いて、こちらを眺め遣ってくる女性。そうして目が合うなり、途端にしてゾワッと背筋が凍りついた自分は、反射的とも言える感覚で無意識に目を逸らしてしまった。

 

 何だろう、この嫌な感じ。“彼女”と向かい合っているだけで、死に晒されているような気分になる。

 

 この感覚は、共に居合わせた一同も感じ取っていたらしい。

 自分だけに留まらず、レダや荒巻、羅生院などがおもむろに嫌悪する様子で彼女の行動をうかがっていた。また、女性には目が無いユノでさえも、いつもの恍惚とした悦びの表情を見せずに佇んでおり、まるで見定めるかのような真っ直ぐな目で彼女の顔を凝視していたものだ。

 

 一瞬にして、凍てつく空気へと変化した空間。

 地獄の最果てとも呼べるだろう、死を連想する不吉な極寒。裏社会を詳しく知らない自分でさえも、目の前にいる“彼女”とは決して関わってはならないことを悟っていたその中で、クリスは特に不思議がることもなく彼女へと視線を戻しながら、不敵な調子で会話を続けてきた。

 

「遠くから眺めているだけじゃ、疎外感で押し潰されそうになるでしょ? たまには仲間に入ってみるのも、良い気分転換になるんじゃないかな? もしも“仕事”で潜入が必要になった場合も、今回の同行による経験がもしかしたら活きてくる可能性もある。ね? そう考えると魅力的でしょ。フフッ」

 

「…………」

 

 こくり。

 視線を途方へ向けながらも、頷く様子で答えてみせた彼女の動作。その反応にクリスは「決まりだね」と口にしていくと、次にも警戒するユノへと振り向きながらそれを伝えてきたのであった。

 

「んとね、心配ならいらないよ。彼女は“仕事柄”、人目を避けたがる傾向にあるんだ。特に、周囲からの注目を浴びるような物事は、潜在的な性格の面でも酷く嫌っている。一種の職業病だね。だから、見張ってさえいれば彼女は何もしてこないよ。いや、何もできないとも言えるかな。……どう? 僕と一緒で扱いやすいでしょ? この分かりやすさこそが、“僕達の売り”なんだ」

 

 

 

 

 

 謎の女性も団体に加えたことで、自分らは巡ってきた緊張感に一切もの気の緩みも許されなくなる。そんな、淀みに淀んだ地獄のような沈黙の重圧に自分が圧し潰されそうになる中で、クリスの案内によって一同は、駅前にある大きな直営店に到着した。

 

 瓦の屋根が雰囲気を演出する、鍋の専門店。現在は秋ではあるものの、徐々に冷え込み始めた季節の流れから、鍋で冬を先取りするのも悪くはないだろう。そんなノリで荒巻が先頭になって入店し、皆でお座敷へと招かれることで腰を下ろしていく。

 

 一番奥に自分が押し込まれ、隣には護衛としてユノがついてくる。その、身体も触れ合うようなくらいの至近距離でくっ付いてきた彼女のアプローチに、良い匂いも相まって自分は最初こそドキドキしてしまったのだが、テーブルを挟んだ向かいにはレダと荒巻、羅生院が座り、こちらを遮るよう座ったユノの隣には、クリスと女性の二人が腰を下ろしてきたものだった。

 

 入店し、ここに案内されるまでの間にも、こちらへ寄り掛かってきたレダが疲弊した声音で「気配に敏感な体質の影響だからなのか知らないけれど、わたし……あのオンナの、何て言うの……? 気配……だか、雰囲気だかで……急に胸が、胸糞悪いような不快感でいっぱいになっちゃって……すごく苦しいの」と、割と深刻そうな調子で伝えてきたことから、彼女の気だるそうな様子に自分がレダの身体を支えつつ、エスコートするようにお座敷へ連れていったりもしていた。

 

 荒巻や羅生院も、二人で声を潜めた会話を行っている様子だった。しかし、彼らの声は最小限のボリュームに抑え込まれており、それでもなお、時折と反応を示す彼女による、けん制とも読み取れる殺意の眼が二人の男を黙らせることで、彼らは探偵としての顔を見せながら思考を巡らせていたものだ。

 

 そして何よりも、ユノが血色の悪い女性と話したがらない。

 こちらへと寄り添い、時には手をこの腰に回しながら、いつでも動けるよう、いつでも庇えるよう常に張り詰めた威圧を女性へと放ち続けていたユノ。たまに、ふとした無難な問い掛けを投げ掛けたりと、探りを入れる様子を見せていたのだが、これに女性は一言も発することなく、身振りも見せずに沈黙を貫き通していた。

 

 一人の女性が加わってからの緊張感が、自分の精神を極度にすり減らしてくる。そして気付けばオーダーされた料理が運ばれてきて、置かれた鍋の蓋が開けられると、そこにはグツグツと煮込まれる、真っ赤なスープが辛味と食欲をそそる大本命のキムチ鍋が姿を現してきた。

 

 キムチ鍋。キムチ鍋……。キムチ鍋……?

 グツグツと煮え滾る、真っ赤な水面。沸騰した湯が、豚肉や白菜といった豪華な食べ物を踊らせるその光景を目にしてからというもの、自分は脳裏によぎらせた“当時の様子”を思い出していく。

 

 鈍く、鈍く、鈍感なほどにゆっくりとした速度で、じんわりと浮かび上がってきた景色。そうして自分の脳内には、薄らぼんやりと現れ始めた“骸ノ市によるラミア拷問の舞台”と、その前後で交わした記憶の一部が蘇ってきたのだ……。

 

 

 

『……希望を忘れずに。なんかヤバいなぁって思ったらさ、“キムチ鍋”を思い出してみてね。僕との約束だよ』

 

 

 

『次で遺産に関することをハッキリ言い切らなかったらぁ~……彼女ちゃんの左手と、あとついでに両目も無くしちゃうからぁ~……そのつもりでお願いねぇ~……?』

 

『…………』

 

『そういうわけでぇ~……。さぁ~……はい、ど~ぞ』

 

『“キムチ鍋”』

 

 

 

『キムチ鍋!!!!! キムチ鍋ェ!!!! キムチ鍋。キムチ鍋キムチ鍋……キムチ鍋ェェェェエエエェェッッッ!!!!!』

 

 

 

 

 

 …………うっ。

 身体の異変と共にして、思わず口元を押さえてしまった自分。顔色も真っ青になっていたことだろうその変化に、ユノとレダは気付くと同時にして必死な声音で呼び掛けてきた。

 

 だが、過去の記憶に囚われた意識は周囲の音を拾わない。それどころか、目の前にある真っ赤な光景が、当時の凄惨な現場を鮮明と思い起こさせてくるのだ。

 

 『対人間用とは思えない“弾丸”。それによって、落とした花瓶のように張り裂けた痕跡と、そこの内容物を全て地面に撒き散らした“物体”と“液体”のオンパレード』

 

 紅く、沸々と浮き上がる気泡がラミアの唇に空いた穴を思い起こさせ、そこから脳裏に響き出したラミアの激痛からなる悲鳴や、視界において一向と止まる気配の無い右手の流血の光景が、記憶に刻まれし、永遠に忘れることのない極限の嫌悪となって脳内を埋め尽くしてくる。

 

 ……あの時を、思い出す。どこからか狙撃してきたのだろう一発の弾丸が、骸ノ市の幹部の頭部に命中して、原型を崩していった。

 

 全身の震えが止まらない。この様子にユノが必死にこちらの名前を呼び掛けては、激昂のあまりに美貌を捨て、今までに見せたことのない鬼のような形相で隣のクリスへと振り向いていく。だが、彼はいつもの不敵な笑みを浮かべることもなく、彼にしては珍しいほどの冷めた視線でこちらを見据えながら、不敵とは程遠い真面目な低い声音でそれを喋り出してきたものだった。

 

「以前に招待してもらった君の部屋。その時の僕は何を思ったんだろうか、今まで誰にも話したことのなかった過去話を、レダも含めた部屋の者達へと語ったものだったよ。……その時に、殺し屋の僕に“護衛”の依頼をしてきた女性の話をしたことは、君って今でも覚えているものかな?」

 

 クリスが護衛した女性……。

 殺し屋の彼は、その女性を抱え込むようにして日本のあちこちを歩き回ることになった。そうして共に過ごす時間が長引いてきた中で、女性はクリスに心から惚れ込んでしまい、彼の最愛のパートナーになることをせがんできた。

 

 クリスはそれを拒み、代わりとして身体を重ね合わせることで女性の機嫌を取ったりしていたとのこと。だが、最終的に流れ着いた龍明という街で、クリスは女性を守り切ることが叶わず致命傷を負わせてしまう。

 

 自分はもう助からないと悟ったのだろう女性。彼女は最後に『私を殺してほしい』という内容でクリスに依頼を行うことで、殺しを生業(なりわい)とする彼の信念を説得。助ける方向性で、わずかながらの可能性を探していたクリスの考えを改めさせた女性の言葉を胸に、クリスは銃口を女性に向けてから、一発の弾丸でその苦しみから解放してあげたのだという。

 

 

 

『その際に彼女は、この依頼の報酬となる言葉を述べてきたよ。最後に、今まで守ってきてくれた恩人に対する、『ありがとう』、という言葉をね。そして、彼女からの“報酬”を受け取った僕は、眉間を捉えたその拳銃の引き金を引いたんだ』

 

 

 

「僕が彼女を連れて龍明に流れ着いた時、彼女は腹を空かせていた。だから僕は、何となく目についたお店へ連れていってあげたんだ。長らくの逃亡生活で弱っていた彼女は、その店の料理を口にすると、飛ばしたスープで服を汚しながらね、病み付きになるピリ辛の味にとても喜んでくれたものだったよ」

 

「……クリス。その店って」

 

 自分は、胸によぎってきた“彼を知りたい”という強い感情によって、トラウマの記憶を上書きするように吐き気を打ち消していく。そんなこちらの問い掛けにクリスは「フフッ」と軽く微笑すると、不敵な声音で“それ”を指差しながら、過去話の続きを教えてくれた。

 

「命を狙われて、先の見えない未来で疲れ切った彼女に、希望をもたらしてくれた“キムチ鍋”。……『希望を忘れずに』。僕との約束を忘れているのなら、それはそれで構わないけれど、この店の、この料理には僕の思い入れが詰まっていてね。それを、友人とも言える君に、一度でもいいから食べてもらいたかったんだ」

 

「…………なるほど。確かに、その話をしてもらってからは……なんか段々と、キムチ鍋が大丈夫に思えてきたかも」

 

 完全に引っ込んでいた吐き気に、口元を押さえていた両手を下ろしていく自分。この様子にユノや周囲の人間が安堵するように一息つき、当時の話を聞いていたレダもまた、「もう、いちいち心配させないでちょうだい……!! あなたが今日したかったでしょう本当の目的が、“赤い物に対するカンキ君のトラウマの克服”だったことは分かったのだけれど……それにしても、こう、もう少しやり方ってものがあるでしょう?」と、安心半分呆れ半分といった調子で言葉を口にしてきたものだ。

 

 何はともあれ、自分はキムチ鍋に対する恐怖心は少しだけでも薄れたかと思われる。

 

 熱々の内に頂こう。流れでその話になった一同が、グツグツと煮え滾る鍋をつつきながら昼食を楽しんだ。この昼食にありつくまでが実に長い一日となったわけだが、結果的に平穏な雰囲気で外食が終わりそうだったことから、自分もホッと一安心のため息をつきながらも、キムチの辛味が効いた、身体からポカポカしてくるスパイシーな鍋を堪能することができていた。

 

 ……尤も、自分は変哲のない食事の途中、談笑する一同の喋り声に紛れるよう静かに交わされた、クリスと血色の悪い女性の会話を偶然にも聞き取ってしまう。

 

 神妙な面持ちのユノが、荒巻と羅生院の二人とこの先について真剣な会議を行っていくその傍ら。自分が内心で、「クリス達はどんな話をするんだろう」という興味本位で耳を傾けていくと、直後にもクリスから喋り始める形で、隣の女性へとその言葉を掛けていったのであった。

 

「どう? 楽しめてる? みんなとする食事も乙なものでしょ?」

 

「…………」

 

「さっきの僕の過去話もどうだった? 闇で生きる者としては眩しいくらいの感動エピソードだったよね? 君からの感想も聞いてみたいな。ねぇ、どうだった?」

 

「…………」

 

「じゃあ、聞き方を変えようか。……龍明に流れ込んできた“余所者を始末できた栄光”は、如何なものだったかな。快感だった? それとも、達成感あった? 尤も、その“対象(ターゲット)”には逃げられて、最終的にはトドメをさせず終いで任務が終了して、半端な成果でまとまった報酬金を手にすることもできず、不完全燃焼な気持ちで苛立ちに満ちていたことは想像するに容易い」

 

「…………」

 

「僕も殺し屋だ。殺しを生業にしている以上は、身内の命を他人から奪われても文句は言わないし、怒ったりもしないかな。ただ、僕と君の関係は実に、不思議な縁で成り立っているとも考えられる。だって……殺し屋でありながらも護衛の依頼で龍明に流れ着いた僕と、“そんな僕の護衛対象に致命傷を負わせた君”が今、同じ席に座って、お互いにとって対象(ターゲット)だったあの彼女も食した思い入れのキムチ鍋を、こうして一緒につついているのだからね」



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第82話 Soeur 《妹》

 自室のベッドで目覚めた早朝。ボヤけた意識で天井を眺め遣っていくその中で、隣から感じられる間近な気配へと振り向いていく。

 

 首を動かすと、すぐにも灰色でスポーティな下着姿のシュラと目が合った。

 膝丈まである超ロングヘアー。いつもはツインテールにしているそれを(ほど)いた、ラフな見た目の彼女。今も向けている快活な瞳を捉えていくと、自分は「おはよう、シュラ」と言葉を投げ掛けながら、彼女を優しく抱き締めていった。

 

 こちらの抱擁を迎えてくるシュラ。彼女も心地良さそうな表情と共に「ニーチャン、おはよー」と答えてくると、抱き合う形で互いの熱をしばらく堪能していき、肌を露出したシュラの首筋に鼻を添わせたりなど、朝から本能をくすぐるシュラ成分を摂取したものだった。

 

 布団の中で心行くまでむぎゅうして、下着姿でくっ付いてくるシュラ。それから彼女に甘い瞳で見つめられていき、おねだりするようなアプローチに魅入られた自分は、誘惑に負けるように口付けを行っていく。こうしてシュラと過ごす濃密なひと時を過ごしていくと、直にも巡ってきた眠気で天井を仰ぎながら、自分はそれを彼女へと伝えていった。

 

「シュラ、もうひと眠りしていい?」

 

「イヤや。ニーチャンと話せへん時間が苦痛でしゃあないねん。ニーチャンお願い、ウチに構うてやぁ」

 

「少し寝るだけでもダメかな……?」

 

「うー……イヤやぁ~……。ニーチャンとイチャイチャしながらお話ししたい気分やねん~……」

 

 頬を膨らませて、こちらの腕に絡みついてくるシュラ。彼女の様子に、自分は不思議に思いながらそれを訊ね掛けてみた。

 

「どうしたの? 今日は特に甘えん坊さんだね。何かあったの?」

 

 その問い掛けを耳にしたシュラは、こちらに対していじらしい視線を向けてくる。その潤いを帯びた目に自分が首を傾げていく中で、彼女は拗ねるように低い声音でボソッと「……なんでもあらへん」と答えながらくっ付いてきて、それからシュラは小動物のように顔を擦り付けてくると、次にも思い立ったように身体を起こしては、寝転がるこちらの上に乗り掛かってきたのだ。

 

 掛けていた布団を退けて、こちらの顔に跨るよう腰を下ろしてくる。そして姿勢を下げてうつ伏せになっていくと、互いの股が目の前にある体位で、シュラはおもむろにこちらの履物をずらして“息子”を取り出してきた。

 

 寝起きの生理現象。本人より先に起床していた“ソレ”はボロンッと元気に背を伸ばし、その勢いで自身の鼻先に接触したシュラはビクンッと身体を跳ねさせながらも、“息子”を愛でるように握りしめながら、それを上下に動かす運動で甘えてきたものであった。

 

 掻き立てられる本能と、視界いっぱいに映る彼女の“ソコ”。スポーティなインナーがかえって欲求を煽られ、くっきりと形を象る“割れ目”に自分は見惚れながら、彼女の腰を両手で掴んで引き寄せていく。そして鼻先を擦り付けることで香りを堪能し、舌を伸ばすことで直々に触れ始めたこちらの行為を受けて、シュラは甘い声を漏らしながら敏感な反応を示してきた。

 

 直立した“息子”を一口で呑み込んだシュラ。躊躇いの無い彼女の行為は“息子”に極上の悦びをもたらして、ビクビクッとそそり立った“ソレ”を、シュラは手と口によるアプローチで丹念に刺激を与えてくる。そして、間もなくと自分は限界を迎えると、目の前にある彼女の“ソコ”に顔を埋めながら、達すると同時にして「うっ」と声を出し、溜め込んだエネルギーを早朝から一気に放出してしまった。

 

 噴き出した白濁の子種を全て、口の中で受け止めたシュラ。これに嫌悪の表情を見せることなく、口から溢れ出る白濁をもぐもぐすることで暫し味わっていく彼女。直にも、飲み込んでいるのだろう喉の音を何度も鳴らし始めると、シュラは“息子”にも付着した子種を舐め取ってから、お掃除を済ませたピカピカの“息子”に納得するよう頷いてみせた。

 

 鼻先から香ってくる、かぐわしいメスのフェロモン。神経が焼けるような感覚に自分がボーッと意識を遠のかせていく中で、“息子”を舌でご奉仕したシュラは満足そうな様相でこちらの上から下りてきて、次にせがむような調子で、この身体を両手で揺すりながら言葉を投げ掛けてきた。

 

「ニーチャン起きてぇ。はよ起きんと、一分おきにニーチャンの“オニーチャン”抜いてくで」

 

「そ、それはそれで魅力的ではあるけれど……シュラをもどかしい気持ちにさせたまま放置しちゃうのも可哀想だしな……。分かった、起きるよ。ごめんね、放っておいちゃってさ」

 

 仕方ない。そう思いながら身体を起こした自分が、シュラへと振り向いていく。

 

 だが、その動作の途中にも既に飛び付いていたシュラが抱き付いてくると、この懐に顔を埋めながら、喜びに満ちた明るい声音で「ほんまか!! 嬉しいわぁ!! ニーチャぁン!!! ニーチャン好きやぁ。ごっつ好きやねん~!! 子宮から手ぇ出るくらいニーチャンのこと大好きなんやぁ~!!!」と甘えてきたものであったから、自分は彼女の勢いに苦笑してしまいながらも、その頭を撫でることでシュラの気持ちを正面から受け止めたものでもあった。

 

 

 

 

 

 シュラに起こされてからというもの、食事やシャワーから始まり、濡れた髪の乾かし合いや、着せ替え人形のように服を着せ合ったりなどなど、この日の午前中は甘えん坊なシュラからべったりとアプローチされる時間を一緒に過ごした。

 

 普段と比べて、一段と人懐っこい犬のように「くぅ~ん」とすり寄ってくるシュラ。私服姿になっても行動はまるで変わらず、髪の途中で結ったツインテールを揺らしながら、彼女はこちらの腕や胴体にくっ付いて、顔を埋めて落ち着いていく。

 

 どこに行っても彼女がついてくるため、歩く際にはシュラと足並みを揃えながら部屋の中を右往左往したものだ。

 

 いや、それにしても今日は甘えたがりだな……。

 この数日で何かあったのだろうか。そんな深読みをしてしまう、シュラのべったりとした様子。これに自分が疑問を抱きながら部屋の中央に佇んだところで、ベッドに置いてあった自分のスマートフォンが着信を受け取った。

 

 シュラに動くことを伝えながら、のそのそと端末を手に取っていく。それから画面を確認し、相手がミネであることに気が付いてから、「振替で今日は登校日になってるし、今って授業中の時間だよな……」と呟きつつ応答した。

 

 電話越しのミネの声。教室なのだろう聞き慣れた雑音が後ろでガヤガヤ響いてくる空間の中、ミネが変わりない調子で喋り出してくる。

 

『カッシー。急に電話してごめんね』

 

「いいよいいよ。それでどうしたの?」

 

『今日、午後の授業無くなったから遊ぼ』

 

「あぁうん、それは構わないけれど……また授業無くなったんだね」

 

『抗争があったから、学校の予定が不規則になってる。昼のシフトがある日に振替とかで登校日になったりするから、ホントに最悪』

 

「龍明抗争の影響で、学校に限らず色んな会社やお店が振り回されているよね。こればかりはユノさんと相談しながらやっていくしかないのかも」

 

『分かってるけどさ……前日にもなって、振替で授業するとか連絡してくる学校も学校だと思わない?』

 

「あはは……災難続きで大変だね……。今、電話してきたってことは、もう帰るとこ?」

 

『あぁうん、そう。カッシー今ヒマ?』

 

「予定は空いてるよ。夜の仕事の時間まで、どこか遊びに行く?」

 

『遊ぶっていうか、ちょっと話したいことがあるっていうか……。あぁ、ノアもいるから。一緒に来るつもりでよろしく』

 

「おっけー。こっちは今シュラがいるから、四人で軽くお出掛けしよっか」

 

 というやり取りを終えて、電話を切っていく。それを隣で聞いていたシュラは、顔を上げて「学生は学生で大変そうやなぁ」と口にしながらハグをしてきたため、自分も「そうだね」と答えながらシュラを抱き締めて、その流れで熱烈な口付けを交わしたものだった。

 

 

 

 

 

 急遽と決まった午後の予定。自分はシュラと共に龍明高等学校へと向かい、既に校門付近の木陰で待っていた制服姿のミネとノアの二人と合流する。

 

 最近になって、恋という未知なる世界を知ったノア。尤も、学生の目が届く場所では、さすがにノアは気高き銀嶺会の娘として悠々と振る舞っていた様子だった。

 

 いつもの王子様チックな喋りで、意気揚々とカースト最上位の生活を語り始めた少女。主に、友達を増やそうにも怖がられてしまって、みんな離れていってしまうというノア特有の悩みを自分らに打ち明けながらも、一同は駅前にあるクレープ専門店へと足を運んでいく。

 

 何気無い会話を交わし、また、下校が早まった生徒達もこぞって集まっているクレープ専門店に来店した自分らではあるが、爽やかな露出が目立つシュラや一般人男性の俺が混じることによって、どこか場違い感を醸し出しながらも席に案内されていく。

 

 そうして、ファミリーレストランのような内装をした、学生だらけの青春的な空間に身を置いた自分。その際にも、何だか肩身が狭い思いで席に座っていくこの傍らでは、迷うことなく隣に座ってきたシュラにべったりとくっ付かれながらも、彼女は店員に対して、いつもの方言で軽快とオーダーを済ませていく様子を見せてくる。

 

 また、向かい側の席に座る、ミネとノア。二人もクラスメートとして無難なやり取りを交わしていた。主に、ミネが不規則な学校の日程について愚痴を喋っていったり、隣のクラスの不良男子が、女子の目の前では分かりやすくカッコつけててめちゃ笑えない~? などといった、如何にもっぽい会話をノアに話していき、ノアはノアで「むしろカレは、人目という同調圧力の束縛に縛られぬ、人間が人間であることを心から望みし、型に囚われない真なる自由を謳歌する人物なのだろうね」などと、どこか共感するような調子で答えたことでミネが言葉を失ったりと、特筆する点の無い至極穏やかな光景が広がっていたものだ。

 

 時間が少し経過して、四人が頼んだクレープが届けられてくる。

 スカスカになったパフェの容器みたいなものに入れられて、四人分のそれらがテーブルに置かれていく様子。そもそもとしてクレープ専門店などに訪れる機会がなく、周囲を眺めると、皆はそれぞれ談笑したり、テーブルに勉強関連の本や道具などを並べている光景など、まさに青春の真っ只中とも言える非常にフレッシュで甘酸っぱい、健気な若さに溢れた世界を確認することができた。

 

 いいなぁ。俺も戻れるのなら、学生生活をもう一度経験してみたいな。

 という内心をよぎらせながらも頂いたイチゴクレープ。その食べ方もまた、クレープが届けられるのと一緒に運ばれてきた専用の紙を、下から入れるようにして本体を包み込み、そこから持ち上げるようにして容器から取り出してから口へ運んでいく……という形式の慣れない一連の流れも、現役JKのミネやノアから教わりながら食していくひと時は実に新鮮だった。

 

 食べる際にも、ミネとノアの二人からは「クレープ食べるの下手すぎ~」と、それぞれの調子でからかわれた自分。これに苦笑いしながらも、食べ方を教授いただこうと会話を交わしていたその最中のことだった。

 

 シュラは、どんな風にしてクレープを食べているのだろう。それが気になった自分が、何気無い調子で隣にいるシュラの方を見遣っていく。しかし、そこで目にした彼女の表情によって、一瞬にして平穏なひと時が崩れ往く音が聞こえてきたのだ。

 

 ……左手で持ったスマートフォン。画面に映るメールの文章に目を通していた彼女の顔は、極度の緊張があまりに真っ青となっている。

 シュラの様子に、自分は「……シュラ?」と言葉を掛けていく。これにミネやノアも振り向いて視線を向けていくのだが、直にもシュラはハッするように顔を上げ、誤魔化すように乾いた笑いを見せてくると、次にも慌てた様相でそう言葉を口にしてきた。

 

「や、な、なんでもあらへんよ?? なんでもあらへん!! 大丈夫や。大丈夫……。大丈夫やから、これもいつも通りのこと……もう、分かり切ってたことなんやからな……ッ」

 

「シュラ……?」

 

「ごめんなぁニーチャン!! JKのジョーチャンらも、ほんまスマン!! ちょいとばかしウチ席外すわ!! 電話かけなアカン大事な用事ができてしもぉてな! すぐ戻ってくるから!! ウチのこと心配せんでもええからな!!」

 

 ぎこちない喋りに、バタバタとした動作。

 シュラにしては珍しい慌てた様子に、ミネもノアも、不思議に思う面持ちでシュラを眺め遣った。そんな二人からの視線を気にすることなくシュラはこちらへ向いてくると、「ニーチャン。すぐ戻ってくる。すぐ戻ってくるから待っとって……!」と、何か思わせぶりな言葉を繰り返してから、シュラはスマートフォンを片手に急ぎで店の外へと出てしまった。

 

 ……どうしたんだろう。心配だな……。

 走っていった通路を暫し見つめてしまい、シュラの身を案じてしまう自分。そうして、走り去った彼女の名残を大事にするよう隣の席に手を置いていく中で、ミネはミネで、こちらの顔色をうかがうような視線で、それを訊ね掛けてきたものだった。

 

「カッシー。その……今、いい?」

 

「菜子ちゃんもどうしたの?」

 

 こちらの返答に、ミネは浮かない表情を見せてくる。これにノアも神妙な顔つきで見遣ってくる中、ミネは最近の心配事について話し出してきた。

 

「カッシーはさ、友仁(ともに)さんと会ってないよね?」

 

「友仁さん?」

 

 友仁彼方。ミネとノアの同級生であり、バイであることを話してくれた優秀な女子生徒。久方ぶりとなる少女の名に自分が聞き返していくと、ミネは不安で眉をひそめながらそれを喋り始めてくる。

 

「抗争の後から、友仁さんと一度も会えてないの。学校に来てなくて、連絡も取れなくて……。アタシからの連絡なんて、数秒で既読が付くくらい返事が早いのに、そんな友仁さんがこの数ヶ月、ずっと音沙汰無しでいるからさ……」

 

「それは心配だね……。俺も、友仁さんとは会っていないよ。最後に会ったのは龍明抗争の前。臨時休業したLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)で、みんなでパーティーした時かな」

 

「やっぱそうだよね、アタシとノアもそうだもん。……ずっとくっ付かれているのも、正直ちょっと微妙に思っていたんだけどさ。でも……いざ居ないとなると、アタシ、すごく不安に思えてきて……。探偵のオーナーに相談した方がいいのかなって思う気持ちがあるんだけど、もしかしたら、友仁さんが自分の意思で学校に来ていないのかなって考えもあって……そうなると、アタシが一方的に連絡するのも気が引けるし……。ねぇカッシー。アタシ、どうしたらいいんだろう」

 

 自分のことのように、深刻な様子で俯いていくミネ。ノアも同級生として親しみがある分、こちらへと向いては「抗争に巻き込まれた可能性も考え得る以上、現時点で友仁彼方の行方は闇の中さ」と、真面目な面持ちで言葉を付け加えてきたことから、自分もまた考え込みながらノアと会話を交わしたものだ。

 

「既に数ヶ月の期間、連絡が取れていなくて、学校にも来ていないんだね。そうなると学校の単位とかが問題になってくるだろうけれど……今までの友仁さんの様子とか、学校生活とかを考慮するに、もちろん問題事もあったりしたもんだけど、菜子ちゃんやノアと一緒に楽しく過ごせていた様子も含めて考えて、不登校の可能性は無くなりそうだよね。……となると、家庭の事情とか、環境の変化とか。それこそ、抗争に巻き込まれて入院していたりとか、どちらかと言うと、何かしらの外的な要因が理由になっているように思えてくるかな。何であれ、友仁さんの単位も心配だよ」

 

「抗争の影響で、学校は未だ混乱状態にある。不規則な振替などでまばらな日程が続く関係上、授業のペースなどは他校と比べてだいぶ遅れをとっていることだろう。ただ、友仁彼方からすれば、この事態は幸いとも言うべきかな。数ヶ月の欠席が続いているカノジョだが、元々から無欠席を維持していた秀才だ。現時点でもギリギリだとは推測できるが、単位に関しては心配いらないだろうね」

 

「それじゃあ、みんなと一緒に進級できるか。後は、友仁さん本人が今、どのような状態にあるのか。……あまり他人のプライベートに介入するのも良くないとは思うけれど、抗争があった以上は万が一の事もある。最悪の場合も考えたら、友人としてせめて、友仁さんのためにしてあげられることを、しておきたいよね。俺としては、オーナーに相談してみてもいいんじゃないかなって思ったりはするかな。ユノさんでもいいかもしれない。ユノさんは、友仁さんのことを特に気に掛けていたみたいだったし」

 

 無難な返答になってしまったかもしれない。だが、背中を押してくれたのだろうこちらの言葉に、ミネは少しだけ明るい表情を取り戻しながら「……ありがとう。カッシー」とお礼を口にしてきた。

 

 それにしても、友仁さんが心配だな……。

 自分も関わりがある以上、少女の行方が気になってしまう。これに思い悩むよう思考していく最中にも、席を立っていたシュラが駆け足で戻ってきた。

 

 明るい調子で、「おまたせぇ!! ……なんや、えらい重い空気になっとるなぁ」と喋るシュラ。彼女の言葉に一同が先ほどの説明を行っていき、それにシュラも理解したように頷きながら腰を下ろしていく様子を、自分は真横で何気無く眺めていく。

 

 いつもの、太陽が如き快活な調子で振る舞うシュラの姿。しかし、彼女の様子に自分はどこか違和感を覚えてしまっていたのもまた事実だった。

 

 その違和感の正体は、間もなくと本人から明かされることとなる。

 

 

 

 

 

 クレープ専門店の後も、駅前をぶらつくようにお出掛けを楽しんだ自分ら。早い事にも時刻は夕方を迎えていき、キャバレーLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の営業も迫りつつあった。

 

 ミネも、シュラも、ノアも、みんなが出勤予定であるこの日。今も、公園で子供のようにはしゃいでいた一同が、そろそろLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に向かうことを考え始めた、その時の出来事だった。

 

 秋の紅に染まった、自然に溢れた公園の木々。夕暮れの黄昏がもの寂しげな雰囲気を醸し出し、次第と冷たい風を吹き付けてきた憩いの空間。これに制服のスカートを揺らしたミネとノアは、二人で咄嗟にこちらを見遣ってきて、ミネは赤面しつつも低い声音で「……見た?」と訊ねてきたり、ノアは瞳にハートを浮かべながら「なんて悪戯心に満ちた風なのだろうか。これでは、ボクが意識せずとも柏島歓喜を誘惑してしまうじゃないかっ……。ついでだから教えるが、今日のボクのパンツは白と水色の縞々さっ……」と喋り、何だか期待するような視線を送ってきたりしていたものだ。

 

 ノアの言葉に、ミネがジト目を向けながら「前々から気になってたんだけど……アンタ、いつからカッシーのこと好きになったの?」と、どこか複雑そうな声音で訊いていく光景。これにノアが高らかに謳うよう返答していく中で、自分はシュラの姿が見えないことから周囲を見渡していく。

 

 投げ掛けた視線の先。黄昏によってもたらされた地面の陰り。若葉色の芝生が黒色に染まりつつある光景と、こちらに背を向け、空を見上げながら呆然と佇むシュラの姿。彼女の様子に自分が「シュラー。そろそろLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に向かうぞー」と言葉を掛けていくと、シュラはゆっくりとこちらへ振り返ってきてから、意を決したような様相と共にして、それを喋り出してきたのだ。

 

「ニーチャン!!! ……話があんねん」

 

「シュラ?」

 

 距離が空いた状態から、彼女が数歩とこちらへ歩み寄ってくる。しかし、シュラは少し離れた距離で立ち止まると、彼女は今までに見せたことのない険しい表情を浮かべながら、真っ直ぐな眼で言葉を続けてきた。

 

「…………ウチ。鳳凰不動産、クビになったわ」

 

「え?」

 

 ミネとノアが振り向いてくる様子を背景に、シュラは続けてくる。

 

「鳳凰不動産代理社長が、直々に電話を掛けてきよった」

 

「代理社長って……雌羊(めひつじ)斗織(とおり)……!?」

 

「せや。ニーチャンのトーチャンの仇からな、電話越しで解雇を言い渡されたんや」

 

 先ほどクレープ専門店で席を立ったのは、その電話をするためだったのか。

 

 内心で納得しながらも、こちらからシュラへ問い掛けていく。

 

「シュラは、鳳凰不動産のスパイとしてLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に派遣されていたんだよな? でも、それで解雇となったら……」

 

「代理社長はな、ハナからウチが寝返ることを確信しとった。せやけど、それを見越してウチを派遣したらしいわ。……Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)の人間共々、不慮の事故を装ってウチを一緒に始末するためや言うとったな」

 

「シュラを始末するため……?」

 

「代理社長は、ウチのことが邪魔で仕方無かったんや。……ウチは過去、柏島長喜に加担した裏切者やねん。それが、代理社長にバレとった。せやから、ウチの始末を目的としてLe goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)に送り込んどったらしいんやけど、計画の進行具合からしてもう、ウチの報告も必要無くなった言うて、ウチのこと本格的に切り捨ててきよったわ」

 

 不穏な言葉が次々と出てくる様子に、自分は言葉を失うようにただただシュラを見つめてしまう。そんなこちらと真っ直ぐ向かい合っていた彼女は、次にも真剣な眼差しでそれを喋り出してきたものだった。

 

「……ウチはもう、鳳凰不動産の人間やあらへん。ウチもホステスのネーチャンらと同様に、命を狙われるだけの存在となってもうた。せやから……今まで、仮にも鳳凰不動産の人間やからと隠し続けとった“秘密”を、ニーチャンに全部明かしたいと思うとる」

 

「秘密……?」

 

 どこか生き急ぐようなシュラを前にして、訊ねることしかできずにいた自分。それでも構わずシュラはこちらの返答に頷いてから、その場で深呼吸を挟んだ後に、芯のある声音で“秘密”を明かしてきた。

 

「……ウチの本名は、“鳳凰(ほうおう)(あかね)”。鳳凰不動産を設立した社長で、今では前社長と言われとる諸悪の根源の……“実の娘”やねん」

 

 前社長。生前の親父と激突し、親父がその手で打ち倒したとされる人物。親父が前社長を負かしたことで日本が救われたことから、Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)では一連の事件の黒幕として扱っていたものだ。

 

 その人物の娘であることを明かしたシュラに、自分も、居合わせたミネとノアも、絶句するように立ち尽くしていく。この様子にシュラは一息置いてくると、返答の無い様子から彼女は言葉を続けてきた。

 

「ニーチャン。前々から気にならんかったか? ニーチャンのカーチャンは、どこに行ってしもうたんやろなぁ、と……」

 

「俺の母さん……? そりゃあ、まぁ。俺がすごく小さい頃から、急にいなくなっちゃったって聞かされていたから……顔も声も覚えていないけれど、その理由を知れるんなら、知ってみたいかな。……でも、どうして急に、俺の母さんのことを訊くんだ?」

 

「ウチも、“ニーチャンと同じ母体から生まれた人間”やからや」

 

「え…………」

 

 ゾッとして降り掛かってきた、全身の血の気が引いていく感覚。青ざめた様相のこちらに構うことなくシュラは続けてくる。

 

「ニーチャンのトーチャンである柏島長喜が、我が子のニーチャンを放置してまで鳳凰不動産っちゅう組織を追い続けた理由。それはなにも、日本を救いたいからっちゅうアニメや漫画に出てくるヒーローのような綺麗事からやないで。柏島長喜はな、もっと個人的な目的で鳳凰不動産を長年と追い続けていたんや。日本を救ったっちゅう成果は飽くまでも、その個人的な目的を果たすための通り道でしかなかったんよ」

 

「…………」

 

「柏島長喜が、鳳凰不動産を追い続けた理由。それはな、“愛する妻を取り戻すため”やったんや。……ニーチャンが生まれて間もない頃、ニーチャンのカーチャンは、骸ノ市によって攫われた。ほんで、元から探偵やった柏島長喜が骸ノ市を調査していくその過程で、自分の妻が鳳凰不動産の社長に売り払われたことを知るんや。全てはそこから始まったんや……柏島長喜による、長年に渡る鳳凰不動産の追走劇がな」

 

 親父が、鳳凰不動産の前社長と戦った理由。今まで、親父の行動に意味を見出せずにいた自分が聞き入っていく中で、シュラはその真実を語り続けてくる。

 

「柏島長喜が妻の行方を捜している最中、鳳凰不動産の前社長は購入した“奴隷”を孕ませた。“奴隷”はこれに従うしか無く、腹を痛めてまでしてな、頑張って頑張って、踏ん張りに踏ん張って、気合いと努力の末に、望まない子供を産み落としてみせたんや。……自分の命と引き換えにな」

 

「それって……」

 

「柏島長喜が真相に辿り着いた頃には、愛する妻はとっくに死んでおった。それも、へその緒がついた状態で、掃き溜めのゴミ捨て場に放棄されるっちゅう惨たらしい扱いを受けてな。……相棒だったオーナーが、ウチだけに教えてくれたで。オーナーも当時、現場に居合わせたらしいんやけどな、そん時の柏島長喜は怒るに怒れず、泣くにも泣けず、悔やもうにも悔やめず。ただただ、間に合わなかった自分をひたすらに責め立てて、絶望に打ちひしがれとったってな」

 

「…………」

 

「ほして、前社長と“奴隷”の間で産み落とされた子供だけは、何事も無かったかのように育て上げられたんや。……その子供こそが、ウチやねん。ウチは……前社長と、柏島長喜の妻の間から生まれた子供。せやから…………ウチとニーチャンは、『異父兄弟』っちゅうことになるな」

 

 同じ母親から生まれた、異なる父親を持つ兄弟。

 

 シュラが、こちらを兄のように慕ってくる様子。親父が、自分を放置してまで何かを追い続けた意味。幼い頃に消えた母親。そして、柏島長喜と鳳凰不動産前社長との決着。

 

 これまでに語られてきた『なぜ?』の全てに、合点がいったような気がした。

 親父はきっと、取り戻したかったのかもしれない。生まれてきた子供と、愛する妻の三人と一緒に暮らす幸せや日常を。だが、現実は惨く残酷なものであり、取り返したいと願った妻は死んでしまい、鳳凰不動産に固執するがあまりに息子を長年と放置してしまった。

 

 その結果、彼は鳳凰不動産前社長とケリをつけることで日本を救ってみせた。しかし、偉大なる功績と、知る人ぞ知る名声を得てもなお、柏島長喜の心には、全てを失ったままの空虚が残り続けていたものだろう。

 

 鳳凰不動産との決着がついても、柏島長喜は組織の残党などに狙われる可能性を考慮して、息子の下には帰らなかった。その末に、蓼丸ヒイロを餌にした誘導作戦におびき寄せられた柏島長喜は、“敵討ち”として鳳凰不動産代理社長の雌羊斗織に殺害された……。

 

 輪廻という言葉が当て嵌まる、悲劇の無限ループ。復讐心は巡りに巡り、それは善悪を問わずに繰り返されていく。この現実と直面した自分は言い知れない心境となり、言葉にできない悔しさやもどかしさ、なぜ? どうして? という疑問ばかりが脳裏に浮かび上がるやるせなさのようなものを感じてしまうことで、何かに悲観するよう脱力気味に俯いてしまった。

 

 ……どうして、親父が苦労しなければならないのか。どうして、純粋な悪意に振り回されないといけなかったのか。

 これじゃあ、親父が報われないじゃないか。そう内心で嘆く自分が佇んでいると、すぐにもシュラがこちらへと歩み寄ってきて、顔色をうかがうような視線を向けながらそう喋り出してくる。

 

「……ニーチャン。ウチのこと、鳳凰不動産の連中や思うて、思いっきり殴り飛ばしたらええ」

 

「…………どういうことだよ」

 

「ウチは、柏島長喜の人生を奪った血筋の人間やねん。血を継いでいる限り、ウチも同罪や。せやからウチのことを、カーチャンを殺した前社長やと思うて、好きなだけタコ殴りにすればええ。実際、ついさっきまで鳳凰不動産におった人間でもあるからな。代理社長の代わりとしても、殺すなり、犯すなり、ニーチャンの気が済むまで痛め付けてもろてええから……っ」

 

 次第と涙ぐみ始めたシュラ。目からボロボロと大粒の涙を零す彼女は申し訳無さそうに言葉を口にして、それから左頬を突き出すようにして喋り続けてくる。

 

「ウチは……っ忌み子やねん……。日本を貶めるような人間の遺伝子を継いだ、邪悪な血が混じった、この世にとっての異物なんや……っ。ウチのような存在が、ウチのトーチャンのような人間を生み出して……トーチャンのような存在が、純粋な信仰心で、邪悪な遺志を受け継ぐ代理社長のような人間を作り出してまう……っ。せやから、この遺伝子は絶対に許されへん、この世にあってはならないモノなんや……っ」

 

「…………」

 

「同じ遺伝子を持つ以上はな、トーチャンの罪は、ウチの罪でもあんねん。やから、ニーチャンにはウチを殺すだけの資格はある。……ずっと隠しとって、ほんまにごめん。ウチがやっていたことは、自分を騙し続けて、自分の罪から逃れようと必死になっとっただけなんや。でも……生まれの家でもある鳳凰不動産からクビを言い渡されて、ウチ、ニーチャンに本当のことを打ち明ける覚悟ができたんや。もう、ウチには何もあらへん。後悔も無いわ。自分なりに、この人生は精一杯生きた。どうせ不動産の刺客に殺されるんやさかい、ほんならニーチャンの手で全てを終わらせたい……」

 

 どこか自棄になっているようなシュラの言葉。悲しみを浮かべた切ない目で他所を見遣り、全てを託すように佇んだ彼女は、頬を差し出したままの状態でじっと、こちらのアクションを待ち続けていた。

 

 ……母さんの仇。親父の人生を狂わせた人間の娘。

 無意識と持ち上がった右手。これにシュラはビクッと跳ね上がるような反応を見せてくる。この様子に見守っていたミネも思わず「カッシー……!」と呼び掛けてくる空間の中、自分は右手を持ち上げたまま暫し留まって、次にもそれをシュラへと伸ばしてから、彼女の身体を力強く抱き寄せていった。

 

 もう離さない。心の奥底から湧き上がる信念の下、シュラを抱き締めていく。この抱擁に彼女は戸惑った様子で「ニーチャン……?」と訊ね掛けてきたものだったから、自分は一層とシュラを抱き締めながらそれを喋り出していった。

 

「馬鹿なこと言わないでくれよ……。誰がシュラを殺すかよ……」

 

「に、ニーチャン……?」

 

「俺の親父のこと。シュラの親父さんのこと。俺達の母さんのこと。全部、話してくれてありがとう。今日の話は、シュラなりに勇気がいることだっただろ。……正直な話、俺だって思うところはあるよ。両親が殺されてるんだ。許せない気持ちだってあるし、怒りだって湧いてくる。だけどさ……シュラ、あんたは何も悪くないだろ……! なんで自分ばかり責め立てるんだ……! シュラは優しい人間だってこと、俺は本当によく知っている。でも、だからって他人の罪まで自分が背負おうとしてんじゃねぇよ……!!」

 

「ニーチャン……っ」

 

「今の話を聞いて、俺はむしろ嬉しく思った部分もあるんだ。……両親がいなくなって、俺はもう完全に孤独だと思っていた。でも、親父は違えども……同じ遺伝子を持つ“妹”が、まだこの世に残されていたんだよ……! 俺、本当に独りだと思ってた。だから……血の繋がった兄妹がいるって分かった時、俺はすごく……すごく、救われたような気持ちにもなれたんだ……っ」

 

 両腕でシュラの身体を抱き締めて、互いの上半身がめり込む勢いで圧迫する。同時にして、先の言葉でシュラはリミッターが外れたように涙を流し始めると、彼女は顔面が崩れる勢いで号泣しながらも、応えるように抱き返してから、その言葉を伝えてきたのだ。

 

「ニーチャン……っニーチャン……っ。ほんまごめん……っほんまにごめんなぁ……っ!!」

 

「謝らないで。シュラは何も悪くない。むしろ、俺の下に来てくれてありがとう……。残された最後の家族を、俺は絶対に死なせたりなんかしない……! 俺、兄としてシュラのことを守るからな……っ! これからも二人で一緒に生き延びて……この先は正真正銘、血の繋がり合った兄妹として……幸せな人生を送っていこう……っ!! 約束だからな……ッ!!!」

 

「うぅっ、うぅぅ……っ。……名前、呼んで。ウチの……“私”の名前……っ」

 

「あぁ。……茜。ありがとう、茜。俺達は兄妹だ。誰が何を言おうとも、俺は茜の兄で、茜は俺の妹だ。絶対に守る。これからも大切にする。だから、一緒に生き延びよう。これからもずっと一緒だからな、茜……」

 

「お兄ちゃん……っありがとう……。大好きだよ、お兄ちゃん……っ」

 

 この時になって初めて、シュラとは心から通じ合えた気がした。

 

 愛情を込めた抱擁を交わし合い、互いの温もりを分かち合っていく自分とシュラ。まるで生き別れの身内と再会したかのような感動が巡ってくる内心と、そんな“妹”を守りたいという想いの訪れによって、自分は家族と共に過ごす人生というものを、初めて体感できたような気がしてしまえたものだ。

 

 Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)のホステスとしても、それでいて妹としても守りたいと、心からそう願うことができたシュラという家族の存在。彼女のカミングアウトは、自己を高めるにおいてこの先にも、非常に強力な作用を促すであろ多大な影響を及ぼすこととなる。

 

 母親の遺伝子を共有する者同士として、これからは共に歩んでいくことになるのだろう。この瞬間にも自分は、胸に抱えた唯一の家族に永遠の幸せを誓い、そして……これ以上と身内を失わないよう、柏島の血を継ぐ人間として一層の覚悟が巡ってきたものでもあった。



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