ソードアート・オンライン 〜君と共に〜 (楽々亭)
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第1章 -剣技の世界-
プロローグ


初投稿です。
感想、ご指摘、誤字報告があればお待ちしております。


 2022年11月5日。

 長かった部活動の1日練習を終え、夕焼け色に染まった空を仰ぎながら、テニスバックを背負って帰り道を歩く。11月になってから、気温はぐっと冷え込み、冬の本格的な到来が近いことをそれとなく知らせていた。随分前から『地球は温暖化している』等とテレビやラジオといったメディアが報じてはいるが、冬が寒いのは今も昔も、そして何十年先も不変だろう。

 

(がんばれ太陽、負けるな太陽)

 

 寒空の下、倉崎悠人(くらさき ゆうと)は首に巻いたマフラーに顔をうずめることで、寒さに対する抵抗をそれとなく露わにし、心の内では太陽にエールを送りながら帰り道を歩いていた。

 

 悠人は車の往来が多い大通りから道を外し、竹やぶに囲まれた1本道に入った。

 この1本道には街灯がないため、夕方になると高く伸びた竹が日の光を遮ってしまい、少々薄暗い印象を受けるが、この道を行けば家までの距離を短縮できる。悠人が幼い頃は不気味に感じていたこの道も、中学に上がる頃にはなんとも思わなくなっていた。笹の葉が風に揺れる音ですら、今となっては心地良く感じていた。

 竹やぶを抜けて少し歩くと、15年間住んでいる我が家が見えてきた。家の扉の前に立つと、制服の左ポケットに手を突っ込み、鍵の擦れる音を鳴らしながら家の鍵を取り出した。鍵穴に鍵をさして90度回すと、扉の開く音がし、玄関に入る。靴を脱いでリビングへ入ると、ソファーに腰掛けてテレビを観ている母親の姿があった。

 

「ただいまー」

「おかえり。お風呂はもうすぐ湧くと思うから」

「わかった」

 

 テニスバックから水筒と空になった弁当箱を取り出し、台所で洗った後、2階の自室へ向かう。入浴の準備をしていると、風呂が湧いたのを知らせるピピっ、という機械音が1階から聞こえた。すぐさま浴室へ行き、身体を洗って湯船に浸かることで、今日1日の練習で疲弊しきった身体を癒す。

 風呂から出ると、着替えて再び2階の自室へ行き、机の上にあるPCを起動。ネットゲーム総合情報サイト《MMOトゥデイ》のとあるゲームの項目を開いた――――とはいっても、このサイトに載っている情報はβテスト時のもので、正式サービスはまだ稼動していない。その正式サービスが稼動するのは――。

 

(いよいよ明日か〜)

 

 2022年11月6日、つまり明日の午後1時から、世界初のVRMMORPG《ソードアート・オンライン》の正式サービスが開始されるというわけだ。

(仮想世界……。一体どんな感じなんだろう?)

 

 悠人がこのゲームで最も惹かれたのは《仮想世界での冒険》だった。

 今までのゲームは画面の向こう側にいる自分の分身ともいえるアバターを、手元のコントローラーで操作するのが主流だった。

 しかし、ソードアート・オンラインは《ナーヴギア》と呼ばれるヘッドギア型のVRマシンを装着し、自分の意識を仮想世界へと移すことで、現実世界で身体を動かすのと同じように街やフィールドを駆け、武器を握り、モンスターと戦うという新しいゲームのスタイルを生み出した。

 近年のVR技術は飛躍的な発展を遂げており、ゲーム業界へ本格的に参入するのもそう遠くない未来だと噂されていたが、それがとうとう現実のものとなるのだ。悠人に限らず、ソードアート・オンラインに期待を膨らませている人は数多くいるだろう。その証拠に、この事はテレビや雑誌で連日話題として取り上げている。

 そんな仮想世界の冒険を一足早く体験しようと、悠人は正式サービス開始前に行われたβテストに応募はしたが、残念ながらテスターにはなれなかった。元々1,000人という限られた枠であり、加えてその話題性から倍率はとんでもないものだっただろう。当選するだけでも運が良いが、販売開始から数分で完売してしまったネットでの購入が出来た悠人も、充分に運が良いといえる。

 購入することが出来て以降、家にいて時間があればこうして情報サイト《MMOトゥデイ》に載せられているβテスト時の情報を閲覧している。今の彼の気分を例えるのなら、遠足前の子供といったところだろう。

 

(まずはソードスキルを使えるようにしないと。こればっかりは実際にやってみないとわかんないしなあ。とりあえず始まりの町周辺のモンスターで経験値とコルを稼ぎつつ、練習するか。あと最初のスキルは――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、この時の彼はまだ何も知らなかった。

 いや、彼だけではない。

 彼を含めた約1万人のSAOプレイヤーは、この先自分達の身に何が起こるのかを、まだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 ――なぜならこの後世間を騒がせた《SAO事件》の始まりを知っていたのは――

 

 

 

 

 

 ――茅場晶彦、ただ1人だけなのだから――

 

 




そして、物語はアインクラッドへ


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第01話 始まりと終わり

いざ、アインクラッドへ!



 2022年11月6日、午後0時55分。

 時計の針が刻一刻と『その時』に近づいていく中、胸の中は期待で満たされていく。ソードアート・オンライン、通称SAOの正式サービス開始5分前となったため、悠人はこの日のために用意したといっても過言ではない、ヘッドギア型の民生用VRマシン《ナーヴギア》を頭に被った。

 ナーヴギアとSAOのソフトを1度に購入するのは、高校生の悠人にとって中々に大きな出費だ。しかし、販売本数限定1万本というゲームの購入に運良くこぎつけたので、これを逃す手はない。よって、小学生の頃から貯めていたお年玉貯金を切り崩したことで、しがない学生の彼にとって最大の課題であった資金面はなんとか解決できた。

 

(これで準備完了、っと……)

 

 ベッドに寝転がり、真っ白な天井を見つめながら、ゲーム開始となる午後1時になるのを静かに待つ。時間にすればたった5分だが、おそらくこれまでの人生で最も長く感じた5分間を越え、ナーヴギアの右端に表示されている時計が午後1時に変わった瞬間ーー。

 

「リンクスタート!」

 

 異世界に繋がる扉を開くための合言葉を唱えると、瞬く間に意識が現実世界から遠ざかった。

 自己診断のウィンドウが次々と開き、視界の右隅へと流れていく。続いて表示されたIDとパスワードを入力し、この日のためにあらかじめ作成しておいたキャラクター《Kaito》を選択し終えると、全ての準備が整った。

 

《Welcome to Sword Art Online!》

 

 仮想世界に訪れた事を歓迎するメッセージを一瞥し、瞬きした直後、目の前の景色は見慣れた自室の風景から別世界へと変わっていた。

 視線を下に向けると石造りの地面が広がり、足踏みをすればブーツの底から硬い質感が伝わってくる。周囲をぐるっと見渡すと、所々で淡い発光と共に次々と人が現れ、皆自分と同じ簡素な初期装備でキョロキョロと視線を忙しく走らせていた。降り立った場所の把握におおよそ10秒程度要した事で、カイトは自分が石の支柱に囲まれた大きな広場に立っていることを理解する。

 カイトが立っているのは、SAOにログインしたプレイヤーがまず最初に訪れる場所――通称《はじまりの街》――の中央広場。広場から見える景色はある程度限定されてしまうが、空を仰げば澄んだ青で染められた空が広がり、煌々と輝く太陽の光が建物に影を落としてコントラストを生み出している。

 そして広場を埋め尽くしている人々は美男美女という共通項を有しているが、各人の行動はてんでバラバラで興味深いものがあった。

 カイトと同じように周囲を見回している者。

 広場に現れるや否や、我先に駆け出して広場から出ようとする者。

 予めゲーム内で落ち合う約束をしていたであろう女性2人が、お互いの姿を見て楽しそうに話している光景。

 美男美女が一同に会する光景は兎も角、それ以外に関しては普段現実で見る景色と遜色ない。

 

「これが仮想世界……《浮遊城アインクラッド》……」

 

 プロモーションビデオで見た事はあるが、やはり平面で見るのと実際に見るのとでは受ける印象も感動も段違いだった。カイトは手をゆっくりと開いて閉じ、身体の動作確認をした後、いてもたってもいられずに仮想世界最初の1歩を踏み出した。

 

 第1層主街区《はじまりの街》の中央広場を抜けると、人の波でごった返す路上に出た。人混みを掻き分け、立ち並ぶNPCの店で回復アイテムをいくつか購入すると、手早く店をあとにする。本来なら他のプレイヤーのようにもう少しアイテムや武器を見たり、街の探索をしたいところだが、カイトは後でゆっくり見ればいいと割り切っていた。彼は真っ先にやろうと決めていた仮想世界での戦闘をいち早く体感すべく、街の出入り口へと一目散に向かう。

 街の入り口にそびえ立つ仰々しい城門をくぐると、地表面がうっすらと草で覆われたフィールドに出た。やはり多くのプレイヤーは未だ街の中にいるらしく、フィールドをどれだけ見回しても人影は1つもない。今は目に映る全てのものが物珍しいので、街中を探索すればその度に物色し、足を止めるプレイヤーがほとんどだろう。

 しかし、それは裏を返すと、ゲーム開始直後にフィールドへ繰り出すプレイヤーがほとんどいないということだ。時間が経てば他のプレイヤーも狩りに出始めるだろうが、人が少ない今の内に戦闘のカンを養うべく、カイトはフィールドの何処かにいる対象の索敵に勤しんだーーーーが、思いの外早く見つける事が出来た。それは、この世界最弱ともいえる、青い体毛のイノシシ型モンスター《フレンジーボア》だ。

 初心者の練習相手には打ってつけの青イノシシは、基本は非アクティブ型であるため、こちらから仕掛けない限り向かってくることはない。カイトは後ろから近付いて1撃加えると、攻撃を感知した青イノシシが足を踏み鳴らし、彼目掛けて突進を仕掛けてきた。

 しかし、事前情報で攻撃は直線軌道の突進のみとわかっているため、避けるのは容易く、すれ違いざまに側面へ1撃喰らわせる。それを何度か繰り返すと《フレンジーボア》のHPはゼロとなり、データの塊であるその体はポリゴン片となった。目の前に今の戦闘で獲得した経験値とコルが表示される。

 

「よしっ、次っ!」

 

 意気込んだカイトは、近くで新たに出現した《フレンジーボア》に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっかしーな。何でだ?」

 

 最初にいた場所から少しずつ移動し、カイトは現在西フィールドにいた。

 あれから何度か戦闘経験を詰み、慣れ始めたカイトはソードスキルを試してみようとするが、思い通りにスキルが立ち上がらず、困り果てていた。

 街にある初心者用のチュートリアルには、ソードスキルの使い方をレクチャーする内容が盛り込まれていたため、それを受けていればスキルの立ち上げ方法を習得出来ただろう。だが、生憎そういった類のものは受けずにフィールドへ出てしまったため、初心者の彼だけでは原因究明も務まらない。

 

 ほとんどのRPGでは味方を回復したり、モンスターに火や水といった属性攻撃のついた魔法と呼ばれる攻撃を行う《魔法使い》なる職業が存在するが、SAOはオンラインゲームにしては珍しく、魔法がない。その代わりに《ソードスキル》と呼ばれる、いわば必殺技のようなものが存在する。

 ソードスキルは一定のモーションを取るとシステムがそれを読み取り、システムのアシストを受けて予め決められた軌跡を描きながら自動で攻撃する、といったものだ。当然相手に与えるダメージ量は通常攻撃とソードスキルでは天地の差があり、このゲームで戦うためには必須といっていい技術だ。

 

 閑話休題

 

 どうしたものかと考えていると、カイトは遠くで2人のプレイヤーを視界の端に捉えた。何気なく様子を伺うと、どうやら赤髪の頭にバンダナを巻いているプレイヤーがイノシシの突進を受け、地面で横たわって悶えているようだった。

 すると傍らにいた勇者顔のプレイヤーが、地面から何かを拾って構えを作り出した。姿勢を保持してそのままでいると、手に持っている物体が赤い光を帯び、次の瞬間には右腕を勢いよく振り下ろした。

 

「…………っ!?」

 

 剛速球とも呼べる速さで投げられた物体がイノシシに直撃すると、モンスターのHPが微減する。その攻撃でイノシシは勇者顔のプレイヤーにむかって突進するが、手慣れた様子で剣を使い、突進を受け止めて軽くいなしていた。

 そして今度は先ほどまで横たわっていた赤髪バンダナのプレイヤーが剣を構えると、剣が光り出し、そのままイノシシにむかって斬撃を繰り出す。

 

(あれは……ソードスキルか!)

 

 どうやら赤髪バンダナのプレイヤーは初心者なのだろう。勇者顔のプレイヤーとは異なり、ソードスキルを《フレンジーボア》に当てて倒した時のリアクションが、どう見てもβテスト経験者のそれとは思えないほどのはしゃぎようだったからだ。

 一部始終を見ていたカイトは、二人のプレイヤーの元へ駆け寄って声をかけた。

 

「あの、すいません! 今二人が使ってたのって……ソードスキル、ですよね?」

「ん? そうだけど?」

「実はオレ、さっきからソードスキルの練習してるんだけど、中々上手くいかなくて……。コツを教えてくれませんか?」

「ああ、別に構わないよ。オレはキリト。それでこっちが――」

「クラインだ。よろしくな、にーちゃん!」

「カイトです。よろしく!」

 

 

 

 

 

 現実世界に昼と夜があるように、仮想世界にもそういった概念はある。時刻は午後5時をまわっており、青かった空と白い雲は夕日で赤く染め上げられ、太陽は地平線の彼方へ沈もうとしていた。

 勇者顏の男――キリトがくれたアドバイスのおかげで、カイトもソードスキルのコツを掴み、以前より戦闘がスムーズになった。この世界ならどんな素人であっても、ソードスキルさえ使えればキリトがお手本で見せたような、プロ野球のピッチャー並みの速さで物を投げる事だって容易に出来る。そして通常攻撃とソードスキルを使うのとでは、モンスターに与えるダメージ量で大きな差がある事に、カイトは身をもって体感した。

 

 青イノシシを練習相手に戦闘を繰り返し、たっぷりと鍛練を積んだ後、カイトが2人とフレンド登録を済ませる。するとここで、キリトが1つの案を提示してきた。

 

「それで、2人ともこの後どうする? もう少し先に行けばここより強いモンスターがいる場所があるけど、そこでレベル上げするか?」

「イノシシにも飽きてきたし、オレは行ってみたい」

「オレも! と言いたいとこだけどよ……実はピザの宅配を5時半に指定しててよ。そろそろ時間だから一旦落ちることにするわ!」

 

 地面に座っていたクラインはそういって立ち上がると、カイトとキリトに向き直り、握手を求めてきた。

 

「2人ともサンキューな。おかげで楽しかったぜ」

「また何かあったらメッセージでも飛ばしてくれ」

「じゃあな、クライン」

 

 順番に握手を交わすと3人は2人と1人に分かれる。カイトとキリトは別の狩り場へ行き、クラインは右手を上から下へ振ってメニューを立ち上げ、ログアウトしようとする……が――。

 

「あれ? ログアウトボタンがねぇぞ?」

 

 2人の後ろから、クラインが疑問の声をあげていた。その声に気が付いたキリトは、振り返ってクラインの疑問に反応する。

 

「そんなわけないだろ。よく探してみろって」

「……いや、やっぱ何処にもねぇぞ」

 

 そんな馬鹿なと思いつつ、カイトは右手を振ってメニューを開く。するとクラインの言う通り、ログアウトボタンが存在しなかった。

 

「確かに、ない」

 

 カイトは隣に立っているキリトを見ると、彼もメニューを開いて確認していた。その表情を見るに、彼もまた、ログアウトボタンがないらしい。カイトはすぐにGMコールをするものの、反応は一切なかった。

 

「まぁ、正式サービス初日だからバグもあるだろうよ。今頃GMは半泣きだろうけどな」

「クライン、そんな余裕でいいの? 時間、見てみなよ」

 

 そういってカイトは時計を指差す。時刻はまもなく5時半。クラインが指定したピザの宅配時間は5時半。つまり――。

 

「ああっ! お、俺のアンチョビピッツァとジンジャーエールがぁーーっ!」

 

 ――と、いうことになる。

 

「はあ〜、しょーがねぇ。ナーヴギアの回線を強制切断するしか」

「……無理だ」

 

 キリトがすぐに否定した。

 ナーヴギアのマニュアルに、回線の緊急切断方法は明記されていない。そして現実の体は一切動かすことが出来ないので、ナーヴギアを脱ぐ、あるいは電源を切るといった事は絶対に出来ない。自分以外の人にやってもらうのなら話は別だが……。

 しかし正式サービス初日といえど、ログアウト出来ないバグなど今後の運営に関わる大問題に発展しかねない大事だ。最悪の場合、プレイヤー全員を強制ログアウトさせる必要があるのに、今もなお、カイト達はSAO内にいる。GMコールによる呼び出しに反応しないのは、他にもこの事態に気付いたプレイヤー達から同じようにコールを受けていて、その対応に追われているという可能性が無きにしも非ずだ。

 だが、それなら運営がSAO内にいる全プレイヤーに対し、緊急アナウンスをするなどの対応ぐらいしてもいいと思うのだが、そういったアナウンスは今の所ない。

 不穏な空気が彼らの周りに立ち込め、心に焦りが出てきたその時、夕焼けの空に鐘の音が鳴り響く。おそらく運営からの緊急アナウンスだろうとホッとしたのも束の間、3人の身体を光が包んだ。

 

 

 

 

 

 目の前の景色が変わると、そこは《はじまりの街》の中央広場だった。どうやらカイト達だけでなく、他のプレイヤーも次々と中央広場に強制転移させられているらしい。あちこちで光が湧き、あっという間に広場は人で埋め尽くされた。

 

「なんなんだよ……一体……」

 

 中央広場にいるプレイヤーの数は相当のものだ。おそらくSAO内の全プレイヤーがこの場に集められているのだろう。カイトは前後左右を見渡した後に、ふと上を見上げる。

 すると、上空には《Warning》の文字が浮かんでいた。それは中央広場の上空に広がり、空を赤く染めた後、血のように赤い液体がドロリと流れ、ローブを着た目算で数十メートルの人型を形成する。

 しかし、ローブのフードの下は暗くて顔がよく見えない。漂う不気味な気配に、カイトは小さな戦慄を感じた。

 

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――この一言をキッカケに、SAOでの《日常》が始まり――

 

 ――現実世界の《日常》が、終わりを告げる――




感想、ご指摘、誤字報告お待ちしています。



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第02話 誓いとそれぞれの道

導入部分はサクサク行きます。



「私の世界……?」

 

 突如現れた、赤いローブを着た巨人の放った言葉。

 

 私の世界、とは?

 そして何者なのか?

 

 その答えは、ローブの巨人からの発言ですぐに判明した。

 

『私の名前は、茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる、唯一の存在だ』

 

 茅場晶彦。その人物の名は、ソードアート・オンラインの開発者張本人の名前だった。

 そしてこの直後、茅場が話した内容は、先ほどまでカイト達が疑問に思っていた事の答えでもあった。

 

『プレイヤー諸君の中には、ログアウトボタンがない事に気付いている者もいるだろう』

 

 茅場晶彦本人から、この事についての説明と謝罪があるのだろう。そう思って一安心し、カイトは胸を撫で下ろす。

 だが彼が次に言い放った言葉は、カイトの予想と反したものだった。

 

『これはバグではなく、ソードアート・オンライン本来の仕様である』

(……ログアウトできないのが……仕様? それじゃあまるで、ゲームの世界に閉じ込められたみたいじゃないか)

 

 カイトの疑問は正しい。

 仮想世界から自力で戻れる唯一の手段とも言える、ログアウトボタンがないのだ。それなら現実で家族にナーヴギアを外してもらうしかないではないか――――という考えを見抜いていたかのように、茅場晶彦は言葉を紡ぐ。

 

『よって諸君らによる自発的なログアウトは一切できない。また、外部によるナーヴギアの強制ログアウトも出来ない。もしも外部の人間の手によってナーヴギアが停止、あるいは取り外しが行われた場合……ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君らの脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 

 脳を破壊。それはつまり死ぬ、ということ。

 そして既に犠牲は出ていた。現実世界で家族や友人がナーヴギアの取り外しを試み、その結果死亡しているプレイヤーが少なからずいる、と。そしてその死亡者数は213人に及んでいるが、メディアの報道によりナーヴギアの取り外しによる危険は低いだろうというのが、茅場晶彦の見解だった。

 この話に実感を持たせるかのように、現実で報道されているであろうニュース映像が、茅場の周りに浮かびあがる。

 徐々に話が現実味を帯びていくが、ここまでで誰も声を荒らげる者はいない。

 だが、それはまだ理解が追い付いていないだけだ。プレイヤー達の心は風船に空気を吹き込むように、確実に気持ちの限界へと近付いていっている。

 

『しかし、充分に留意してもらいたい。今後ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。HPがゼロになった瞬間、諸君らのアバターは永久に消滅し、同時に…………諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』

 

 モンスターとの戦闘でHPがゼロになれば、仮想世界で死に、現実世界でも脳を焼き切られて死ぬ、ということ。他のネットゲームのように死んでも生き返る、などという事はない。茅場の言いたいことはそういうことだった。

 するとここで、カイトはゲーム雑誌に載っていた、茅場晶彦のインタビュー記事のある言葉を唐突に思い出す。

 

 ――これは、ゲームであっても遊びではない――

 これは紛うことなきゲームだ。この世界のカイトの身体を構成しているのは、水やタンパク質といった物質などではなく、このゲームのプログラムによって構成されたポリゴンでしかない。そしてこれから観る景色と遭遇するモンスター達は、現実世界では到底見ることの出来ないようなファンタジーに溢れたものばかりだろう。

 だがそんな別世界でも唯一共通しているのは、本物の《死》という概念だけ。これは決して《遊び》ではないのだ。

 カイトは茅場晶彦の言った言葉の意味が、今やっとわかった気がした。

 そしてプレイヤーがこの世界からログアウトするには、この《浮遊城アインクラッド》の第100層をクリアしなければいけない。それが現実世界に帰るたった一つの方法だった。

 

(無茶苦茶だ……)

 

 一度にたくさんの情報が頭に入ってきて、カイトは理解が追いつかない。βテストでは2ヶ月で8層までしか登れなかったらしいが、100層まで攻略しろというのだ。一体何年かかるのだろうか。

 

『それでは最後に、諸君のアイテムストレージに私からのささやかなプレゼントが用意してある。確認してくれたまえ』

 

 何の疑いもなく、言われたとおりにアイテムストレージの確認を行う。そこにあったのは……。

 

「手鏡?」

 

 アイテム名をタップし、オブジェクト化する。オブジェクト化された手鏡は手のひらサイズのもので、鏡には時間をかけて作成した自身のアバターが映し出されていた。

 これが一体何なんだ、とカイトが首を捻っていると、傍にいたクラインが声をあげた。

 

「うぉっ!」

 

 見ると、クラインのアバターが眩しい光の奔流に包まれていた。

 そしてそれはカイトもキリトも、この広場にいる全てのプレイヤーが同じ現象にあっていた。広場がいくつもの細かな光の粒子で包まれる。

 光が収まり、ゆっくりと目を開けて何が起こったのかを確認するが、景色は依然として中央広場だった。さっきのような強制転移ではないらしい。

 

「キリト、カイト、大丈夫か?」

「あぁ、大丈夫」

「こっちも大丈夫……」

 

 カイトは2人の立っていた場所に目を向け、無事を確かめる。しかしそこには、初対面の2人が立っているだけだった。

 1人は野武士のような顔立ちで、頭部に赤いバンダナを巻いている青年。もう1人は黒髪で体の線が細く、女性と見間違うような顔立ちをした少年だった。3人とも頭に疑問符を浮かべていると……。

 

「お前誰だよ!」

「なんで俺の顔が?」

「あんた男だったの!」

「17って嘘かよ!」

 

 疑問、動揺、そして驚愕。様々な感情を含んだ声が中央広場全体に響き渡る。

 

(まさか……)

 

 ゆっくりと、カイトは手にしている手鏡を覗く。そこにはさっきまで茶髪だった髪は黒くなり、いつも実年齢より下に見られ、昔よりは幾分マシになったが、今でもクラスメイトから『倉崎君って笑うとかわいいよね』と言われるような童顔の少年。手鏡に写っていたのは見間違えるはずもない、本来の倉崎悠人の顔だった。

 

「……てことは……キリトとクラインか!」

 

 自分に表れた現象は、状況から考えて他のプレイヤーにも表れているに違いない。そう考えたカイトは、今目の前にいる2人が今まで共に狩りをしていたキリト、クラインなのだと気付き、2人を指差す。

 

 その後、茅場晶彦はプレイヤーの健闘を祈って姿を消した。

 突然の出来事に混乱し、ただ静かに広場の上空を呆然と見上げていたプレイヤー達は、現実を受け入れたくない1人の少女が発した拒絶の声をキッカケに正気を取り戻す。正気となった彼らが次にしたことは、既に姿を消したゲームマスターに対する罵倒と懇願だった。

 

「ちょっと来い、クライン、カイト」

 

 そんな中キリトは2人の腕を掴み、広場を出る。その時カイトは雑踏の中、1人の少女が広場の外に向かって走っていくのをみた。

 

 

 

 

 

 中央広場から少し離れた路地裏でキリトは立ち止まり、振り返る。

 

「2人ともよく聞け。オレはすぐに次の村へ向かう。2人も一緒に来い」

 

 キリトの言っていることは、この先を見据えての話だった。

 この世界で生きていくには、自分自身の強化――――レベル上げが必須になるだろう。しかし、VRMMORPGのリソースは決まっているので、経験値も(コル)も限られてくる。そうなると《はじまりの街》周辺のモンスターは狩り尽くされるため、次の村へ拠点を移すのが良い、というものだった。

 確かにキリトの言うことは尤もだし、元βテスターなら村までの最短距離も把握しているだろう。しかし、元βテスターといえど、新規プレイヤー2人を抱えて安全にいけるのだろうか?

 答えはNoだ。いくら2ヶ月のアドバンテージを持つ元βテスターのキリトでも、せいぜい1人が限界だ。彼もその事はよくわかっている。しかし、数時間とはいえ共に狩りをした仲間であり、そんな2人を見捨てて先に行くなんてことはできなかった。

 

(お人好しだな、キリトは)

 

 カイトは彼の気持ちに気付いていた。なぜなら、もし自分が逆の立場でも、きっと彼と同じようにすると確信していたからだ。

 

「でもよお……オレは前のゲームでダチだった奴らと徹夜で並んで、このゲームを買ったんだ。あいつら、広場にいる筈なんだ。ここで置いていくわけにいかねえよ……」

 

 カイトは出会った時からクラインの気さくな性格でわかってはいたが、どうやら彼も中々に人が良いらしい。彼もキリトと同じように、仲間を見捨てる事ができないようだ。

 

「そうか……。カイトはどうする?」

「オレは……」

 

 ふと、先ほどの少女を思い出す。まだ場が混乱して間もないのに、自分達と同じように走り出した少女。しかし、彼女はカイト達が《はじまりの街》入り口方面に向かったのに対し、それとは逆方向に向かっていた。何か考えがあっての行動なのかもしれないが、あの時一瞬だけ見えた表情は、カイトにとってそういった類のものに見えなかった。

 

(……嫌な予感がする)

 

 それは、ただの直感でしかない。

 根拠がないと言われればそれまでだが、一度気になってしまえば考えずにはいられない。

 実際に自分の目で確かめなければならない。

 カイトは、唐突だがそんな衝動に駆られた。

 

「……ごめん。少し気になることがあって……それを確かめてから行きたいから、今は一緒に行けない」

「わかった……。じゃあ、何かあったらメッセージ飛ばしてくれ……。またな、クライン、カイト」

 

 そういってキリトは背を向ける。

 

「キリト、ストップ!」

 

 カイトの声にキリトは振り返る。

 

「今はまだオレもクラインも初心者だし、ここでバラバラになっちゃうけど……いつかきっとキリトに追いつくから! そしたら……また今日みたいに3人で狩りしよう!」

 

 それは誓い。別々の道を歩むことになる3人が、また1つの場所に集まれるようにと願いを込めた誓いだった。カイトは2人に対し、笑顔でそれを誓う。

 

「……あぁ、そうだな!」

「オレもまたお前らに会えるよう精進するぜ。……それはそうと2人とも、特にカイトは笑った時だけど、本当は案外かわいい顔してんじゃねぇか。結構好みだぜ」

「お前もその野武士ヅラのが10倍似合ってるよ」

「かわいいって言うな」

 

 3人が軽い笑みをこぼす。そして同時に背を向け、別々の道を走り出す。

 

 キリトは1人でも生き残れるよう、誰よりも強くなるために。

 クラインは仲間のために。

 カイトは名前も知らない1人の少女のために。

 

(オレも似たようなもんだな……)

 

 カイトが今からやろうとしていることは、キリト・クラインと大差ない。彼もまた、見て見ぬ振りができなかったのだ。

 

(杞憂で終わればいいけど……)

 

 沈みかけの太陽が路地裏に濃い影を落とす。

 暗く狭い路地裏を抜け、NPCの店が立ち並ぶ大通りに出ると、プレイヤーの影が1つもない大通りの真ん中を全力で走るために、カイトは右足に力を込めた。




次回、ヒロイン登場です。


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第03話 涙の理由と出発の朝

ヒロイン登場回です。



 カイトは半透明のウィンドウを展開し、メニューから《はじまりの街》の全体マップを表示する。ログインしてからすぐにフィールドへ出てしまったので、未だ未把握を意味するグレーアウトの部分が多いが、今はそれだけを頼りに大まかな方角へ走っていた。

 

 上にいけばいく程収束する形状をした、浮遊城・アインクラッド。その最下層に属する第1層主街区《はじまりの街》の面積は広大であり、街の端から端まで走ろうものなら、息があがってもおかしくない。ただしそれは現実で行った場合の話であり、肉体的疲労がない仮想世界ならその心配は無用だった。

 

 デスゲーム開始直後、中央広場から逃げるように飛び出した少女が何処にむかっていたのか、カイトにはわからない。ただ、ふと見えた少女の顔を思い出すと、カイトは言い様のない不安に駆られた。考えすぎなのかもしれなければ、キリトのように何か考えがあっての行動なのかもしれない。

 そんな一抹の不安を払拭するため、彼は足を前へと動かし続けた。

 

 

 

 

 

 カイトが辿り着いたのは、アインクラッドの最も外側である外周部分。ここにいるという確証などありはしないが、カイトは周囲に気を配りながら道なりに走る。

 

(考えすぎ、だったか?)

 

 そう思った矢先、カイトの前方30メートル先にある展望テラスに人影を見つける。その人影の後ろ姿は探していた少女で、誤ってアインクラッドの外に身を投げないように設置された柵に手をかけ、柵の向こう側にある雲海をじっと見ていた。

 カイトは少女のもとへ近付き、声をかけた。

 

「こんなところで何してるの?」

 

 雲海を眺めていた少女の顔が、声のした方向に向けられた。

 見た目はカイトと同い年ぐらい。耳にかかる黒のナチュラルショートで、スッとした鼻梁(びりょう)に小さな唇。『綺麗』よりも『可愛い』という表現のがしっくりくる、まだあどけなさを残した顔立ち。そしてその大きな黒い瞳は涙で潤んでいた。

 ほんの一瞬、中央広場から出るときに見えた少女の顔は苦渋に満ちていた。唇を固く結んで今にも泣き出しそうなその顔は、まるで自分の身に起こった出来事を認めたくないようだった。もしもカイトがキリト達と会わなかったら、あるいはキリトが腕を引っ張ってあの場から連れ出してくれなければ、カイトも彼女のような表情をしていたかもしれない。

 カイトの存在に気付いた少女は、右手で涙を拭った。

 

「……君こそ、こんなところで何してるの?」

「えーっと……こっちに用があったから、かな?」

 

 曖昧な答えに対して、少女はさらに問いかける。

 

「その用事はもう終わったの?」

「まだ、かな。それはそうとして、そんな所にいたら危ないよ?」

「……大丈夫だよ、柵の内側にいれば」

「ならいいんだけど……さっきまでの君を見てたら、まるでここから飛び降りそうな雰囲気だったからさ」

 

 ビクッと肩を動かし、少女は両目を見開いて驚愕の顔を露にした。カマをかけてみたが、カイトが考えていたことは的中していたようだ。

 彼女が手をかけている柵を越えれば、その先には広大な空と風に身を任せて自由に流れる雲しかない。デスゲームとなる前ならば、現実と遜色ないほどに再現されたこの絶景に感動しただろうが、この空にむかって一歩踏み出せば、その身体は万有引力の法則に従って下へ下へと進んでいく。その先に待つのは『死』だけだ。

 

「さっきの広場で茅場が言ってただろ? この世界でHPがゼロになったら、現実の世界でも死ぬって。やめといたほうがいい」

「でも……その言葉は嘘で、私達をこの世界に閉じ込めるための狂言かもしれないし……」

「……本当にそう思ってる?」

 

 少女はカイトの鋭い指摘に異を唱えず、目を伏せた。

 彼女自身、本気でそう思っているわけではない。茅場晶彦の話した内容が真実だという証拠も、嘘だという証拠も、この世界に囚われた時点で明らかにする方法などない…………いや、一つだけ方法がある。しかしそれは、HPがゼロになった時、自身のアバターがポリゴンの欠片となって消滅した時だけだ。

 

「茅場の言っていることが嘘であれ本当であれ、その可能性がある、ってことだけは頭に入れといたほうがいい。考える時間はあるんだし、結論を急ぐ必要はないよ」

「……そう……だね。そうなのかもね……」

 

 カイトの言葉を素直に聞き入れてくれたようで、少女は思いとどまってくれたようだ。最悪の事態を回避出来たことで、カイトの顔に安堵の様子がみられた。

 

「それじゃあ、オレはもう行くよ。暗くなってきたし、今夜はこの街にある適当な宿で寝泊まりするといい。じゃあね」

「あっ……待って!」

 

 その場を去ろうとした時、少女がカイトを呼び止めた。次に口にしたのは、彼女からの本日3度目となる質問だった。

 

「えっと…………宿って、どこにあるの?」

 

 

 

 

 

 2人のいた展望テラスから少し歩いた先で《INN》のマークの看板を見つけ、そこで宿をとることにした。

 茶色の屋根にアイボリー色の外壁、入り口は真新しい木製の扉。その扉を開けると、チリン、という鈴の音が宿屋に小さく響いた。

 入り口から入ると向かって右側にNPCの店主が立つカウンターがあり、左側には4つの丸テーブルのそれぞれに2つずつ椅子が置かれ、奥には暖炉が設けられていた。スペース自体は決して広くないが、変に着飾っておらず、暖かい雰囲気を醸し出している。外からみてもシンプルながら綺麗な印象を受けたが、中も負けず劣らずといったところだ。

 

(や、宿代足りるか?)

 

 カイトが危惧しているように、この宿屋は《はじまりの街》の中でいえば上位の部類に入る宿だ。しかし、ここは見た目とは裏腹に、必要となるコルが初期のプレイヤーの財布にも優しい低価格設定の、いわば『当たり』と呼ばれる宿だった。

 NPCの宿屋店主に話しかけて鍵を貰い、2階にあるそれぞれがとった部屋に向かう。カイトが部屋の前まで来ると、後ろをついてきていた少女が話しかけてきた。

 

「あの……少しだけ、お話してもいい? まだちょっと……1人になるのは心細くて……」

「……わかった。じゃあ……1階にテーブル席があったから、そこに行こう」

 

 2人は来た道を戻って階段を下り、1階に着くと、先程目にした4つの丸テーブルから1番近い席を選び、向かい合って座った。わずかな沈黙の後、少女が口を開く。

 

「さっきはありがとう。君がいなかったら、私は今頃この世界にいなかったかもしれない」

「どういたしまして。……あのさ、さっきは何で泣いてたの?」

 

 それはずっと疑問に思っていたことだった。SAOの感情表現はややオーバーであるが、それを差し引いたとしても、涙を流すのには理由がある。

 

「……いや、ごめん。初対面なのにあんまり突っ込んで聞くのはないよな。今言ったのは忘れて」

「ううん、大丈夫だよ。……えっと、あれは1度に色んなことが起こって、パニックになってたからっていうのもあるけど……私ね、目の前で人が……友達が死ぬところをみたの」

 

 彼女のいう友達とは、現実でも交流のある友人の事を言っているのだろう。その親しい友人が、目の前でポリゴン片となって消えていく瞬間をみた、というのだ。

 

「その子は元βテスターで、その子に誘われてこのソードアート・オンラインを買ったの。ネットゲームはよくわからないけど、なんだかすっごく楽しそうだったし、仮想世界っていうのにも興味があったから。それで……今日実際にやってみたら、まるで私の知らない別の世界に来たみたいで、ここが仮想空間だって信じられないくらいだった。それで……その友達と一緒にモンスターと闘って、その後に休憩してたら……突然……」

 

 その先の言葉は言わなかった。否、言えなかった。目の前で起きた友人の死を、まだ彼女は受け止めることができていなかった。

 

「その時は何が起きたのかわからなかったけど、さっきの広場の話で、その子はもういないんだってわかって……。その後たくさんの人達が叫んでるのを聞いて、その場にいるのが急に怖くなって、逃げ出したの。……私1人じゃどうしていいかわからなくて、この状況を受け止められなくて……そしたら自然と涙が溢れてきたの」

 

 彼女はゆっくりと自身の思いを吐露するが、次第にその声は弱々しいものになっていく。

 そんな彼女が懸命に絞り出した声を聴き漏らすまいと、カイトは黙って静かに聞いていた。

 

「ごめんね……一方的に話しちゃって……。でも、話したら少し気持ちが楽になったよ。ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デスゲーム開始から一晩が経ち、現在時刻は朝の6時半。セットしておいたアラームがけたたましく鳴り響いたため、カイトは目を覚ました。

 制服に着替えて学校に行く準備をしようと思ったのだが、いつもの自分の部屋とは違う光景を見て、昨日の出来事を思い出した。寝ぼけた頭が徐々に覚醒し、意識がはっきりしてくると、目の前で起こったのは夢ではないと再確認させられる。

 

(習慣って恐ろしいな。もう部活の朝練に行く必要なんてないのに……)

 

 ゆっくりと起き上がり、メニューから装備を選択して身に付ける。この世界の着替えは非常に簡略化されていて、ボタン一つで身なりを変えることができるのだ。 ベッドに腰掛けた状態で、昨晩寝る前に考えていた事を思い出す。

 

(女の子1人だけってのも物騒だし……一応聞いてみよう)

 

 この時間ならまだ起きていないかもしれないが、カイトは立ち上がり、ドアに向かって歩き出した。ドアを開けて廊下に出ると、少女の泊まっている隣の部屋の前に立つ。右手を軽く握ってノックをしようとすると、不意にドアが開いた。

 

「わっ!!! あ、お、お早う……」

「お、お早う。ごめん、驚かすつもりはなかったんだ。…………えっと、少しいい?」

「う、うん……えっと、どうぞ」

 

 少女はカイトを部屋に入れ、お互い適当な場所に座った。

 

「一応伝えとこうと思って。オレはこのゲームを攻略するために、前へ進もうと思うんだ。先に行って待ってる知り合いもいるし。……そのためにも、今から次の村へ向かうよ。そこで1つ提案なんだけど……もしよかったら一緒に来ない?」

 

 カイトの提案は、共にこのゲームを攻略しようというものだった。デスゲームとなった今、ソロでこのゲームに挑むのは危険が伴う。序盤は兎も角、この先攻略が進めば進むほど難易度は上がり、いずれはソロで対処するのが難しくなる事態も増えてくるだろう。

 しかし、複数人で行けば不足の事態にあったとしても、お互いが助け合うことでその危険を回避することができる。POTローテ、スイッチといった各種連携を始め、デバフ解除も容易になるだろう。つまり、生存率が上がるのだ。

 

「で、でも……街の外にはモンスターだっているし、戦って死んじゃうかもしれないんだよ。それならいっそ、安全な宿で助けを待つのが良いんじゃ……」

「……多分だけど、助けは来ない。1日経った今でもゲームの中にいるってことは、昨日広場で茅場が言ってた『ナーヴギアの取り外しは不可能』は本当だって事だ。勿論この事は今頃世間で注目されてるだろうから、今後何かしらの処置は取るんだろうけど……。でも、ここでいつ来るかわからない助けを待つよりも、前に進むのがいいと思うんだ。宿だってお金はかかるから、いつまでも閉じこもってられないし……」

「……そんな……こんなのってないよ。なんでこんな目に合わなくちゃいけないの?」

 

 少女にはまだ、身に振りかかった現実を受け止めれきていないようだった。カイトは冷静に話しているが、彼自身も気持ちは彼女と同じだ。彼女をこれ以上不安にさせないよう、気丈に振舞っているだけにすぎない。

 この世界にいるプレイヤーは皆、受けた影響に多少の差はあれど、誰もが同じ精神状態に陥っている。恐怖、困惑、絶望を感じ、頭の中はぐちゃぐちゃで整理がついていない者も多いだろう。比較的まともに見えたキリトでさえ、内心は違うかもしれない。

 

「もうイヤだよ……みんなに会いたいよ……」

 

 か細い声で少女が呟いた後、膝の上に置かれた手の甲をポツポツと水滴が濡らす。カイトが少女の顔を見ると、大きな瞳から大粒の涙が次々と溢れ出していた。

 『涙は女の武器』と言うが、一体誰が最初にそれを口にしたのか。カイトは少女の涙に心を揺さぶられ、庇護欲を掻き立てられる。当然少女は意図してやったわけではなく、これは彼女の本心からくる涙だ。

 カイトは立ち上がって少女のそばまで行くと、姿勢を低くして少女の手にそっと自分の手を重ねる。

 

「……わかった。じゃあ、オレが絶対に君を死なせないから。このゲームがクリアされるまで、何があっても君を死なせない」

 

 不安がる少女を少しでも安心させようと言った、カイトの言葉。それは嘘などではなく、彼女を放っておけないがゆえに放った言葉だった。

 その言葉に反応し、少女は俯いていた顔をゆっくりとあげ、未だ涙を流す瞳でカイトを見つめた……のだが、その視線はすぐに別のものへと向けられた。

 

「……何、これ?」

 

 少女の疑問は、目の前に表示されたハラスメント防止コードだった。この世界では異性に一定時間触れると、触れられた側にハラスメントコードが表示され、プレイヤーを強制的に監獄エリアへ送ることもできるのだ。

 少女の前に表示されているウィンドウは、カイトには一見して無機質な板に見えるため、彼は少女の疑問が一瞬何の事かわからなかった。しかし、ハラスメントコードの存在を知っていたことと、置かれている状況から奇跡的に何事かを察知して閃いたカイトは、光の速さで手を離す。

 

「…………っ!? ごめんっ! それはハラスメントコードって言って、異性に触られると出るやつなんだけど、別にオレはやましい気持ちだったわけじゃなくて、君に安心してほしかったからやっただけで。だから――」

「……ぷっ……あはは」

 

 カイトが必死に弁明していると、少女は突然吹き出して笑い出す。それはカイトが少女と出会って以降、初めて見る笑顔だった。

 

「あっ、ごめんね。なんか慌ててるのが可笑しくって。……でも、ありがとう。なんだか元気出てきた」

 

 そして少女は涙を拭う。

 

「なんだか良い人みたいだし、君なら信用できるかも。……えっと、私も一緒についていっていいですか?」

「も、勿論! ……じゃあ早速だけど、今からそっちにパーティーの申請をするから」

 

 パーティーの申請を出し、少女がそれを承諾する。完了したところで、カイトのHPバーの下にプレイヤーネームとHPバーが表示される。

 

「そういえばまだお互い名前も知らなかったな。よろしく、ユキ《Yuki》」

「えっ! なんで私の名前を知ってるの?」

「えっと、パーティーが結成されたから、自分のHPバーの他にもう一本あるだろ? そこにパーティーメンバーの名前があるから……」

 

 そう言われてユキはカイトの名前を確認する。

 

「カイト《Kaito》……君か。じゃあ改めてよろしくね、カイト!」

 

 ユキはそう言って、カイトにニッコリと微笑む。その笑顔は窓から指す光を浴びて、より一層輝いて見えた。

 

「よしっ、そうと決まればすぐに次の村へ行こう! 今なら1番乗りかもよ」

「いや、オレが知り合った元βテスターが昨日のうちに村に行ったから、1番ではないよ」

「じゃあ2番! それでカイトは3番ね!」

「なんでだよ!!」

 

 先程までとはうってかわって明るいユキ。きっとこれが本来の彼女の姿なのだろう。

 こうして2人は、部屋の外へと足を一歩踏み出した。



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第04話 助けた理由と照れ隠し

原作でいえば『はじまりの日』に値するお話です。



 《はじまりの街》を出てから道中でモンスターとの戦闘をこなし、ようやくカイトとユキは次の村である《ホルンカ》に着いた。いまだ大勢の人達がいる《はじまりの街》と対照的に、《ホルンカ》にはプレイヤーの人影が見当たらない。やはりHP0=現実の死、というのがネックになっているようだ。

 

「それで、これからどうするの?」

「うーん、まずはポーションとかの必要なアイテムを買って、武器屋を少しみよう。それで良さそうなのがあれば買う。そのあとにクエストを1つ受けたいんだ」

 

 2人はNPCの店でポーションを充分な量買い、武器屋をみる。そこで2人は初期装備より性能の良い皮の防具を購入し、ユキは《ビギナーダガー》を売却した後《ライトダガー》を購入し、その場をあとにした。

 

「それにしても良かったの? 私の武器だけ良いのにしちゃって」

「大丈夫。今から受ける、えっと…………クエスト名は忘れたけど、ある植物型モンスターの落とすアイテムをとってきて欲しい、って内容だったかな。そのクエストの報酬が片手剣なんだ。オレはそれを使うつもりだから、武器の更新はもう少し後だな」

「へぇ〜、詳しいんだね。……もしかして、カイトって元βテスター?」

「そうじゃないよ。SAOをやる何日も前から、βテストの情報が載ってるサイトを閲覧してたんだ。それで知ってるだけ」

「そうなんだ! ちゃんと覚えてるなんてすごいね」

「でも、うろ覚えだったり忘れてる情報がほとんどだから、あんまりアテにはできないよ」

 

 その言葉に嘘はなかった。

 クエスト《森の秘薬》を受ける民家の場所を曖昧に記憶していたため、2人は関係のない民家を数件訪問してしまう。さらにはうち1件が話の長いNPCの民家だったため、さらに余分な時間を費やす結果となってしまった。

 ようやく目当ての民家を探し当て、中に入ると、NPCが鍋をグツグツと煮込みながら中身をかき混ぜていた。NPCは入室した2人をみる。

 

「おはようございます、旅の剣士さん。お疲れでしょうけど、今は食べ物がないから食事を差し上げることができないの。お水しか出せませんが、ゆっくりしていって下さい」

 

 椅子に座ると2人の前に水が出されたため、喉の乾きを潤すためにそれを飲んだ。水を飲み干すと、ユキは鍋にじっと視線を注ぎ、思った事を口にした。

 

「食事は出せないって言ってたけど、それならあの鍋の中身はなんだろう?」

「……さぁ?」

 

 しばらくすると、部屋にある扉の奥から咳こむ声が聞こえた。すると、NPCの頭上に金色の『?』マークが表示される。クエスト開始の合図が出た事で、カイトは即座にNPCに話しかけた。

 

「どうしましたか?」

「旅の剣士さん、実は私の娘が……」

 

 NPCの話が長いので要約すると、娘が病気にかかってしまい、治すには《リトルネペントの胚珠》というアイテムが必要で、代わりにとってきて欲しい、という内容だった。そしてそれを渡せばクエスト達成となり、報酬の《アニールブレード》が手に入るらしい。

 クエストを受諾して民家を出ると、ユキが昨日のカイトの言葉を思い出す。

 

「今更だけど、昨日私と会った時に『用事がある』って言ってたよね。あれ、何だったの?」

「あ〜……あれは、その……ユキのことが気になって……」

「…………え?」

 

 予想外の回答にユキは思考が停止し、気の抜けた返事をするが、少しの間を置いて彼女の頬が紅く染まりだした。カイトはそんな彼女の反応をどう捉えればいいのか迷ったが、彼は自分の発言が言葉足らずだったとすぐに気が付いた。反省し、すぐさま発言の意味をしっかりと説明する。

 

「ちがう、ちがうぞ! そういう意味じゃない! オレが言いたかったのはその……実は昨日デスゲームが始まってすぐに、ユキが1人で広場を飛び出していったのをみてたんだよ。その時は、オレも元βテスターの奴に連れられて広場を抜け出してたんだけど、その後そいつに『一緒に来ないか?』って言われたんだ。正直……ホッとした。あの状況で誰かがそばにいてくれるってだけで……それだけで安心したんだ。それと同時に、ユキの姿を思い出したんだ。あの子は今1人ぼっちで……誰も周りに頼れる人がいなくて、不安なんじゃないかって。オレも同じ立場なら、きっとそう感じたから……」

 

 昨日の事を思い出し、言葉を選びながら話していると、だんだん真剣な表情になっていく。これは彼の嘘偽りない本心。今の話を聞いて、ユキはカイトが相手のことを思いやれる優しい人物なのだと感じた。

 

「そっか……カイトは優しいね」

「そんなんじゃない……見て見ぬ振りができなかっただけ……」

「それを優しいって言うんだよ」

 

 ユキのストレートな褒め言葉に、カイトは顔を背ける。そんなカイトの隣でユキは静かに微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「《リトルネペント》は普通のやつと花つきと……実つきの3種類がいて、今回のターゲットは花つき。それで注意しなきゃいけないのが、実つきの実は絶対に壊さないこと。実を壊しちゃうと、仲間を呼び集めちゃうからな」

「了解」

 

 狩りを始める前に、2人は自分たちのやることを確認した。

 今回の狩りの対象となる《リトルネペント》は3種類おり、そのうち実つきと呼ばれるモンスターが付けている実を壊すと、破裂音と強烈な匂いを放ち、周囲の《リトルネペント》を呼び寄せてしまう。1匹や2匹ならなんとかなるにしても、それ以上に多いと多勢に無勢、あっという間にやられてしまうだろう。

 そして今回のターゲットは花つきと呼ばれる個体で、この花つきがドロップする胚珠がクエスト達成に必要なアイテムなのだ。ドロップ率はかなり低く設定されているが、そこは粘り強くやるしかない。

 2人は《リトルネペント》の出現する森に到着し、そこから歩いて奥へと進むと、ユキが前方に何か落ちているのを見つけた。

 

「ねぇ、あれって」

 

 何だろう、と呟く前に、カシャン、という破砕音を響かせ、落ちていた物体はポリゴン片になった。2人はポカンとして、顔を見合わせる。

 

「……何も起きないね」

「何だったんだろうな……。まぁいっか、ここを拠点にして狩りをしよう。今から1匹連れてくるから、ここで待ってて」

「うん。気を付けてね……」

 

 不安げな顔で、ユキはカイトを静かに見送った。

 カイトがその場を離れると、スキルスロットに入れたばかりの《索敵》スキルを使い、周囲にモンスターがいないかを確認する。すると、1体のモンスターが付近にいたため、ゆっくり近付くと、それは《リトルネペント》だった。実も花もつけていない通常の個体だが、こうした通常個体を地道に狩っていけば、いずれ花つきも現れることだろう。

 カイトは足元に転がっていた石を拾い上げ、振りかぶって投げる。投げた石は《リトルネペント》に当たり、タゲがカイトに向いたため、カイトはそのままユキのいる場所まで戻った。

 《リトルネペント》は捕食植物のような頭で、口からはヨダレを垂らし、2本の蔦を使って器用に走ってくる。ユキの近くまで戻ると、カイトは《リトルネペント》に向き直り、戦闘体制にはいった。

 まず、タゲを取っているカイトが蔦の攻撃を避けつつ攻撃し、避けきれないものは剣で捌く。隙を見つけて片手剣単発ソードスキル《スラント》を叩き込んだ後《リトルネペント》がすぐに反撃に移ろうとするが、ユキとスイッチし、邪魔な蔦を切り落とした。すると《リトルネペント》はウツボを膨らませて腐食液を吐き出す予備動作を行った。

 

「避けろ!」

 

 間一髪でユキは腐食液を回避し、「やあっ!」という気合いの入った掛け声と共にソードスキルで攻撃し、ダメージを与える。さして多くない《リトルネペント》のHPバーは空になり、その身を爆散させ、目の前のウィンドウには《フレンジーボア》の時よりも多い経験値とコルが表示された。

 

「やった!」

「ナイス!」

 

 2人で行った戦闘の回数はそれほど多くはないが、見事なコンビネーションで《リトルネペント》を葬った。

 

「今の調子でガンガン行こう」

「うん!」

 

 

 

 

 

 その後の狩りも順調に進み、1匹ずつ、多くても2匹の《リトルネペント》を相手にして慎重に狩りを続ける。レベルアップのファンファーレが鳴り、2人ともレベル2に上がった。

 いったいどれだけ狩ったのだろう。ようやく花つきが現れ、目的のアイテム《リトルネペントの胚珠》を手に入れる。

 

「あとはこれを持って帰るだけだね」

「それじゃあ、村まで戻ろうか」

 

 帰ろうとした時、近くで何か破裂した音が聞こえた。すぐに「うわあああ!」という悲鳴が森に響き、片手剣と盾を装備した1人の男性プレイヤーがこちらにやってくる。意図的なMPKの可能性を考えたが、どうやらそうでもないらしい。駆け寄ってきた男の表情は、演技で作られたものなどではなかった。

 

「あんた達、頼む。助けてくれ!」

 

 おそらくこのプレイヤーが誤って実つきの実を割ってしまったのだろう。後ろから大量の《リトルネペント》が向かってきており、2人は今から逃げようにも遅かった。

 

「ユキ! 今のうちにポーションを。迎え撃つぞ!」

「うん!」

 

 ポーションでジワジワと体力を回復し、剣を構えて再び戦闘体制にはいる。今まで何匹と狩っていたため、動きが読める。1体ずつ確実に倒していった。

 すると群れの中にいる1匹が腐食液のモーションに入った。

 

「くるぞ!」

 

 カイトとユキはその場を離れて腐食液を回避する。

 しかし片手剣のプレイヤーは回避が間に合わなかったため、咄嗟に盾で腐食液をガードしたのだが、腐食液を受けると武器・防具の耐久値が大幅に削られてしまう。既に男の持つ盾は、今までの戦闘で限界に近かったのだろう。盾の耐久値はゼロになり、砕け散ってしまった。

 

「も、もうだめだ! き、君達、ごめん!」

 

 そう言うと男は離れた場所にある木の陰に隠れ、次の瞬間、男のカーソルが消えた。《リトルネペント》も一瞬動きを止める。突然の出来事に2人も戸惑う。

 

「な、なんで消えちゃったの?」

「……くっ、そ! ……ユキ、こうなったらしょうがない。2人でやろう!」

 

 しかし未だ《リトルネペント》は10匹以上いる。それらを2人で全て倒すのは厳しいと思ったが、動きを止めた《リトルネペント》は再び動きだし、男が消えた場所になだれ込む。何もない場所へ蔦の攻撃を繰り出すと、再び男が姿を現した。

 

「な、なんでだ! た、助けてくれーー!」

 

 男も応戦するが、死の恐怖から冷静さを既に失っており、剣をがむしゃらに振っていた。なにより《リトルネペント》の数が多い。あれでは持ちこたえれないだろう。

 

「待ってろ! 今行く!」

 

 しかしカイトの前に複数の《リトルネペント》が立ちはだかる。まるで男の元へは行かせない、とでもいうように。

 

「ユキ、援護頼む!」

「うん!」

 

 やることはさっきと変わらない。1体ずつ確実に倒すだけ。助けを求める男の元へ1秒でも早く駆けつけるため、これまでの戦闘で判明した弱点、捕食部分の付け根を最優先で攻撃する。最後の1匹を片付けたが、あと1歩遅かった。

 

「死にたくない! 死にたく――」

 

 それが男の最期の言葉だった。男の悲痛な願いも虚しく、その身体はポリゴン片となって砕け散る。カイトは目の前の男を救えなかったことに、悔しさと憤りを感じる。唇をかたく結び、剣を強く握りしめて男を葬った《リトルネペント》に向かっていった。

 

 

 

 

 

 最後の1匹を倒すと2人とも地面に座る。あの場にいた全てのモンスターを倒し終える頃には、2人とも精神的に疲労しており、危機を乗り越えたことで安心して集中力が切れてしまった。

 

「あの人……何で姿が見えなかったのに、見つかっちゃったんだろう……」

「……オレもあの時は疑問に思ったけど、思い出したよ。あれは《隠蔽(ハイディング)》スキルっていって、姿を消すスキルなんだ。……視覚に頼るモンスターには効果的だけど、《リトルネペント》は視覚でプレイヤーを認知してるわけじゃない。だから見つかったんだ」

 

 《リトルネペント》に限らず、多くの植物型モンスターは視覚に頼らないため、《隠蔽(ハイディング)》スキルはその意味を成さない。彼はそういった初歩的な情報を知らなかったのだろう。

 

「村に戻ろう。またさっきみたいな目にあいたくないよ」

「そう、だな。早く戻って休もう。でも……少し待って」

 

 カイトはゆっくりと立ち上がり、持ち主を失った片手剣を拾うと、男が死んだ場所の近くにある木に立て掛け、手を合わした。ユキもそれをみて同じように手を合わせる。

 

「……帰ろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 村に戻ると午前中とは違い、人の姿を何人か目撃する。彼らもこれから《森の秘薬》クエストを受けるのだろう。花つきを求めて乱獲が行われるのは容易に想像できた。

 民家に戻って胚珠を渡し、アニールブレードを受け取った。さらにクエストクリアボーナスで追加の経験値を獲得し、レベルアップのファンファーレが鳴り響く。外に出た2人は自分たちに頑張ったご褒美として、NPCレストランでの食事をとることにした。

 店に入り、お互い向かい合わせで席に着くと、メニュー表をみて注文をする。ほどなくしてカイトの前にはシチュー、ユキの前にはパスタが出された。カイトがシチューをスプーンですくって口にする。

 

「あの男の人、1人でここまで来たのかな?」

 

 パスタをフォークにクルクルと巻きつけながら、ユキが言った。

 

「他に誰もいなかったし、そうかもな。あくまで想像だけど、何もしないでジッと助けを待つのが嫌だったんじゃないか。何もしないよりも何かをしてこのゲームに抗いたかった、とか」

「私には……出来ないことだなぁ……。1人ぼっちでどうすればいいかわからなくて、もういっぱいいっぱいだったから……」

 

 昨日、ユキは1人でいることの恐怖を知っている。酷く、重くのしかかってくる絶望感。それは自分自身の中で循環して濃度を増し、さらに重くのしかかる。それに耐えきれなくなったからこそ、彼女はあの場を飛び出したのだ。

 

「でも……今私は1人じゃない。一緒に冒険して、こうして一緒にご飯を食べる人がいるから。……ありがとう、カイト」

 

 それは彼女の心からの感謝の言葉。自分のことを気にかけて助けてくれたことに対する、精一杯の『ありがとう』だった。そんな不意に向けられた自身への感謝と笑顔に、カイトは無言で顔を背ける。その仕草は今朝みたものと同じもの。

 

(もしかして、照れてる?)

 

 今朝は隣にいてユキとは反対方向に顔を背けたから気づかなかったが、カイトの頬はほんのり紅く染まっていた。



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第05話 攻略会議とはじめての友達

 2022年12月2日。

 デスゲームの開始から早くも1ヶ月が経過し、その間約2,000人のプレイヤーが命を落としていた。アインクラッド外周からの投身自殺や、モンスターとの戦闘によるものなどが主な理由だ。

 SAOのβテストでは2ヶ月で第8層まで到達したというが、現状では8層どころか未だに第1層の攻略もされていない。それは、このゲームが一度死んだら生き返らないデスゲームである、ということが最大の理由だった。戦闘での小さなミスや油断が死に直結する、そんな状況下ではプレイヤーは皆慎重にならざるを得ず、その結果が攻略速度の遅延を招いている。

 

 

 

 

 

 現在、カイトとユキの2人は第1層迷宮区近くの街《トールバーナ》に来ていた。この街の中心には噴水が設置され、その上部からは透き通るような水が絶えず湧き出ている。その噴水を取り囲むように、多くのプレイヤーがこの場所に集まっていたのには理由があった。

 今日この《トールバーナ》で、第1層攻略会議が開かれる。

 

 中心地から少し離れた場所に石でできたすり鉢上の野外劇場があり、第1層攻略会議はそこで行われる。そこには約40人ほどのプレイヤーが集まっており、石段に座って会議が始まるまでの間、各々が自由に過ごしていた。

集合時間より少し早く到着すると、その中にカイトがよく知っている人物がいた。

 

「キリト、久しぶり! 連絡がないから死んだと思ったぞ」

「何言ってんだ。フレンドリストを見ればそれぐらい一目瞭然だろ? そっちこそよく生きてたな、カイト」

 

 1ヶ月ぶりの再会に軽口を言い合いつつ喜ぶ2人だが、キリトは一瞬浮かない顔をした。

 そんな彼の様子を見てカイトは言葉をかけようとしたが、それよりも早く、彼の後ろからユキがひょこっと顔を出した。

 

「もしかして、前にカイトが言ってた元βテスターの人?」

「……あ、ああ、そうそう、元βテスターのキリトだ。キリト、紹介するよ。彼女はユキっていって、オレとコンビを組んでる。」

「よろしく、ユキ」

「よろしくね、キリト!」

 

 カイトの仲介で、2人は軽い挨拶を交わした。

 その直後、野外劇場全体に爽やかな風が吹いたため、2人のファーストコンタクトはそこで中断となった。

 

「はーーーーい!! それじゃあ、そろそろ始めさせてもらいまーーす!」

 

 野外劇場の中央に、1人のプレイヤーが立っていた。おそらくアイテムで染めたであろうシアン色の髪に、腕と肩と胸の部分に鎧を付けた盾持ち片手剣のプレイヤーだった。

 

「今日は、オレの呼びかけに集まってくれてありがとう。オレはディアベル。職業は……気持ち的に《ナイト》やってます!」

 

 SAOにジョブシステムはない。これは冗談だ。だがそのセンスある冗談はプレイヤーにウケ、笑いを誘う。掴みは上々、といったところか。

 

「……今のってどういうこと?」

「今のは――」

 

 ユキはネットゲームを今までやったことがなかったため、所々それらに関する知識が欠けている。戦闘に関わることや初歩的なものは初日に友達が教えてくれたみたいだが、それ以外のことはその都度カイトに尋ねていた。

 今回のディアベルの冗談は、ジョブシステムの存在しないSAOでは知る機会などない。カイトの説明が終わると、ディアベルがパーティーを組むよう促していた。

 

 カイトとユキのパーティーにキリトが加わる。他のプレイヤー達を見ると皆それぞれでパーティーを組んでいたが、その中で1人石段の端でまるで置物のように身動き1つしない、赤いローブを被ったプレイヤーがいた。

 キリトが近寄って声をかけて二言三言交わすと、パーティー申請を出す。ローブのプレイヤーが承諾し、パーティーメンバーに《Asuna》の名前が加わった。

 

「みんな、決まったかな。それじゃあ――」

「ちょお待ってんか!」

 

 野外劇場の最上段から関西弁の男が待ったをかける。ディアベルの声を遮ったのは、サボテン頭のプレイヤーだった。最上段から石段を1段ずつ跳ねて中央にいるディアベルの元へ辿り着く。そのプレイヤーはキバオウと名乗った。

 

「こん中に、全プレイヤーに対して詫びいれなあかん奴がおるはずや!」

 

 キバオウが言う『詫びいれなあかん奴』とは、元βテスターのことだった。

 キバオウ曰く、元βテスターがビギナーを見捨て、自分達だけはβテストの情報をもとにおいしい狩り場を独占し、そのせいでたくさんのプレイヤーが死んだ。今までのことを謝罪し、アイテムとコルを全て差し出さなければ、パーティーメンバーとして命は預けれない、というものだった。

 

 今の話を聞いて、カイトが手を上げる。

 

「キバオウさん、質問です。元βテスターの人達がみんなの前で謝って、アイテムとコルを出せば信用する、ってことですか?」

「そや! それがビギナーに対するケジメ、ちゅうもんやろ」

「それじゃあ元βテスターの人達はその後どうするんですか? アイテムもコルもなければ、とてもじゃないけどボスとは戦えない。今は少しでも戦力が欲しいんだから、自分達で戦力を削るようなことはしないのがいいと思います」

 

 カイトの言うことは尤もな意見だった。ディアベルが言っていたが、第1層を突破することで《はじまりの街》にいるプレイヤーにこのゲームはクリア出来る、ということを示さなければならない。レイドパーティーの上限48人に達していないこの状況で、共にフロアボス戦を戦う仲間を減らすなど愚の骨頂。

 

 カイトの意見にキバオウが言葉を詰まらせるが、すぐに口を開こうとした。しかしキバオウが発言する前に、最前列で座っていた男の手が上がる。

 

「発言いいか?」

 

 そのプレイヤーは立ち上がり、キバオウの前まで歩いて止まる。

 遠くからみてもわかる大きい身体に黒い肌と禿頭、背中には両手持ちの斧を背負ったその男はエギルと名乗った。エギルから感じる威圧感から、キバオウはたじろぐ。

 エギルは腰のポーチから1冊の本を取り出す。それは道具屋で無料配布しているガイドブックだった。そのガイドブックにはクエストの受け方やモンスターとの戦い方など、SAOの基礎知識をわかりやすくまとめたもので、これを持っていないものはいないほど広く普及していた。そしてこのガイドブックを作ったのは元βテスター達なのだが、そのことはあまり知られていなかったようで、周囲のプレイヤー達が驚く。

 

「情報は誰でも手に入れることができたのに、大勢のプレイヤーが死んだ。その失敗を踏まえて、『オレ達はどうボスに挑むべき』なのか。それがこの場で議論されると、オレは思っていたんだがな」

 

 キバオウはカイトに続き、エギルの言葉で場の空気が完全に変わったのを察知すると、少し不満そうに最前列の石段に座った。エギルはカイトをチラッと見ると微笑し、カイトは頭を下げる。エギルがもといた場所に戻って座った。

 

「ありがとう、カイト……」

「別にいいよ。万が一ここでキリトが抜けたら、戦力ダウンだからな」

 

 キリトが小声でカイトに礼を言う。

 ディアベルが攻略会議を再開した。するとディアベルもエギルと同じガイドブックを取り出し、こちらは最新版のガイドブックだった。ガイドブックを開いて読み上げる。

 

「ボスの情報だが……ボスの名は《イルファング・ザ・コボルド・ロード》。それと《ルイン・コボルド・センチネル》という取り巻きの2種類がいる。ボスの武器は斧と円盾(バックラー)を使い、4段あるHPバーの最後の段が赤くなると、曲刀カテゴリのタルワールに持ちかえ、攻撃パターンも変わる」

 

 ボスの情報を伝え終わると、ガイドブックを閉じる。

 

「この情報を踏まえて、明日のボス戦に挑もうと思う。あとは、パーティーメンバーと親睦を深めるなり、アイテムの補充をするなり、各自自由に過ごしてくれ。明日はこの街の入り口に10時集合だ。それでは、解散!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「時間もあることだし、明日はこのメンバーで戦うんだから、親睦会でもする?」

「私はいい。別に馴れ合うつもりはないから」

 

 カイトの提案をアスナは光の速さで切り捨てた。3人の横を通り抜け、そのまま何処かへ行ってしまう。

 

「あそこまでバッサリ切られるとさすがに凹む……」

「ドンマイ」

 

 カイトがガックリと項垂れると、彼の肩に手を置いてキリトが慰めの言葉をかけた。レイピアの剣先のように尖った一撃は、見事にカイトのクリティカルポイントを抉ったようだ。

 そんな2人をよそに、カイトの後ろにいたユキが正面に回り込んだ。

 

「アスナって女の子でしょ? きっと男の子がいるからちょっと警戒しちゃってるんだよ。この場合は女子同士で話すに限る! というわけで、アスナの所に行ってくるね」

 

 そう言ってユキは2人に手を振ると、アスナの後を追いかけた。ひとまず2人は同じ女性のユキに任せることにする。

 

「そういえば、彼女とはいつからコンビ組んでるんだ?」

「ゲームが始まって2日目から。知り合ったのは初日だけど」

「……もしかして、あの日言ってた気になることって、彼女のことか?」

「まぁ、そうだけど……」

「ふーん……」

 

 キリトはいたずらっ子が面白いネタを思いついた時のような、意味ありげな顔をカイトに向けた。

 

「……言っとくけど、キリトが考えてるようなことじゃないぞ。初日でキリトがオレとクラインを見捨てることが出来なかったように、オレもユキを見捨てることが出来なかった。それだけだよ」

「……まぁいいけど。ユキは元βテスター……じゃないんだよな? ビギナー2人だけのコンビで、よくここまで来れたな」

「ユキはデスゲーム開始前に元βテスターの友達に戦い方を教わってたらしいから、戦闘に問題はなかったし、オレは事前にネットでβテストの情報を調べてたからある程度の知識はあったんだ。まぁ戦い方に関しては誰かさんのおかげだよ」

 

 カイトは流し目で隣にいる少年を見た。目の前にいる少年こそが、その『誰かさん』なのだから。

 

「そりゃどーも。授業料取ろうか?」

「取ろうか? じゃないよ取るなよ。まったく、ガイドブックを無料で配布してる心優しい人もいるってのに」

「オレはそのガイドブックに金を払って買ったんだけど……」

「えっ……ドンマイ」

 

 今度はキリトが慰められる番だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスナの後を追ったユキは進んだ先の十字路で立ち止まり、前、右、左と順番に顔の向きを変えてアスナの姿を探した。すると左の道の先にローブを着たアスナの姿を確認する。

 

「アスナ!」

 

 遠くからしたユキの声に反応して足を止め、アスナは後ろを振り返った。

 

「……何?」

「ごめんね、急に呼び止めて。私、このゲームが始まってから自分以外の女の子と話す機会あんまりなくて、アスナに会えたのが嬉しいんだ。よかったらそこで座って話そうよ」

 

 そういってユキはすぐそこにある木製のベンチを指差すと、アスナの手を引いてベンチに腰掛ける。アスナはユキの隣に座った。

 

「そういえばなんでローブを着てるの?」

「……男の人に声を掛けられるのが嫌だから。あなたなら私の言ってる意味がわかるでしょ?」

「あー……なるほど」

 

 アスナの言いたいことをユキが察した。

 ユキはカイトとコンビを組んではいるが、常に一緒に行動しているというわけではない。それぞれ別々に、単独で行動することもある。そういう時に1人でいると男性プレイヤーに声を掛けられる、パーティーに誘われる、といったことがこれまで何度もあったのだ。そういった事が嫌で、アスナはローブを着ているのだろう。

 

「……それにしてもあなた、どうして私の名前を知ってるの?」

「え? 自分のHPバーの下を見て。そこにパーティーメンバーの名前があるから……あっ、顔は動かさずに、目線だけ動かして」

 

 言われた通りにアスナは確認する。そこには自分のHPバーの下に3本のバーが追加されており、上から順に名前を1つずつ読み上げる。

 

「キリト……カイト……ユキ……」

「そう! 私はユキ。よろしくね、アスナ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユキがアスナを追ってから少し時間が経ち、頃合いを見てカイトとキリトは2人と合流する。そして2人が見たのは、アスナとユキの女性2人がベンチで談笑している姿だった。

 

「この短時間で随分仲良くなったなぁ」

「あっ、2人とも来たんだ。ねえねえ新発見! さっきアスナにローブをとって顔をみせてもらったんだけど、すっごく美人さんだったよ」

「ちょ、ちょっとユキ!」

 

 表情はローブで見えないが、声の調子からして少し照れ臭そうにするアスナ。どうやら2人は打ち解けたようだ。

 

「そうだアスナ、よかったら私とフレンド登録しない?」

「フレンド登録?」

「そう。メッセージが送れたり、相手の現在地がわかったり、色々と便利だよ。どうかな?」

「……あなたがどうしても、って言うなら」

「本当! ありがとう。じゃあ早速送るね」

 

 ユキはアスナにフレンド申請を出し、アスナの目の前にウィンドウが表示される。アスナが《Yes》をタップすると、登録が完了した。

 

 この日アスナのフレンドリストに、この世界で最初の友達《Yuki》の名前が刻まれた。



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第06話 約束と第1層フロアボス戦

 2022年12月3日。

 

 攻略会議が行われた翌日の早朝、カイトは宿で装備とアイテムのチェックをしていた。βテスターでないカイトにとって、初めて戦うフロアボスとの戦闘は未知数だ。たとえボスの情報を知っていてもそれは変わらない。万全の体制で臨むため、昨晩から何度も何度もチェックをしていた。

 

(昨日のアレ……美味かったなぁ……)

 

 メニューを操作する手を止め、カイトは昨日の夕食で食べた黒パンを思い出す。いや、黒パンに関していえば一コルと安く、パサパサしていてお世辞にも美味しいとはいえない。正確には黒パンにつけたクリームのことだ。そのクリームはキリトが一つ前の村で受けれる《逆襲の雌牛》というクエストの報酬で手に入れたものだった。

 キリトは小さな小瓶をオブジェクト化し、蓋に触れて光った指先をそのまま黒パンにつける。すると黒パンに白いクリームが塗られるのだが、このクリームが今までNPCレストランで食べた物より断然美味しかったのだ。カイトもユキもその味に驚き、アスナに至っては誰よりも早く完食してしまった。

 

(そういえば《料理》スキルなんてのがあったな……)

 

 約1ヶ月ぶりに食べた美味しいと思える昨日のクリームの味を忘れられず、SAOのスキルの中に《料理》があったのを思い出す。

 

(スキルスロットに余裕ができたら取ってみるか……)

 

 流石にゲーム序盤では戦闘に関係のないスキルをとるような余裕はない。この先生き残り続けたのなら、その時は《料理》スキルを取ろうかと考えた。

 

 装備とアイテムのチェックを終え、あとは集合場所に向かうだけとなった。余った時間をどう過ごそうかと考えていると、ドアがノックされる。

 

「カイト、起きてる?」

 

 ドアの向こうからユキの声がした。返事をしてカイトはドアの前まで歩き、扉を開ける。

 

「少し早いけど、キリトとアスナに合流しない?」

「わかった。じゃあ行こう」

 

 カイトは部屋を出て、二人で階段を降りる。ユキの足が階段の踊り場で止まり、カイトがそれに気付いて後ろを向いた。

 

「……どうした?」

「うん……あのね……私、怖いんだ……」

 

 ユキの身体が微かに震える。不安を感じているのはカイトだけではない。この1ヶ月、初日を除いて明るく振舞っていた彼女だが、現実ではカイトとあまり年が変わらない女の子なのだ。

 

「今まではカイトがいてくれたから、何にも怖くなかった。もちろん今日も一緒だけど、やっぱりボスっていうぐらいだからすっごく強いんだよね? もし……万が一のことがあったらって思うと……。だからあの日、カイトが私を死なせないって言ってくれたように、私もカイトを絶対に死なせない」

 

 ユキはカイトの目を真っ直ぐ見据えてそう告げた。

 これがあの時、涙を浮かべながらこの浮遊上の外を眺めていた少女なのだろうか。あの触れれば脆く崩れ去ってしまいそうな、弱々しい姿をしていた彼女の姿はもういない。この1ヶ月のデスゲームが、ユキをここまで成長させていた。

 

「じゃあ……これはオレ達二人だけの約束だな」

「うん。……よしっ、キリト達と合流しよっか!」

 

 二人は階段を一番下まで駆け下りて、宿の扉を開けて外へ出る。二人は並んで歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第1層迷宮区の最上階、ボスの部屋の前に攻略会議にいた46人のプレイヤーが集結していた。先頭のディアベルが、プレイヤー全員を見渡して一言告げた。

 

「みんな、オレから言うことはたった一つだ。……勝とうぜ!」

 

 それはこの場のみんなが共通して抱いている思い。ディアベルの言葉に、自然と首が縦に動いた。

 ディアベルがボス部屋の扉に手をかけ、軽く前に押すと自然と扉が開く。中に入ると、暗い部屋の奥で玉座に座る巨大な影が瞳に映る。その影は閉じていた二つの赤い眼を開き、ゆっくりと立ち上がった。部屋が明るくなると、ボスの姿が明らかになる。

 右手に斧、左手に円盾(バックラー)を装備したこの層の守護者 《イルファング・ザ・コボルドロード》。そして身体を鎧で覆い、手には柄の先に鉄球を取り付けた武器を持つ、取り巻きの《ルイン・コボルド・センチネル》が現れる。

 ボスがプレイヤーに向かって走り、プレイヤー達もまた、ディアベルの「攻撃開始!」の合図で走り出す。先頭を走っていたキバオウのソードスキルと、センチネルのソードスキルがぶつかった。

 

 

 

 

 

 戦闘は順調に進んだ。各班それぞれの役割をこなし、ディアベルの的確な指示で少しずつボスのHPを削る。

 カイト達F隊も、取り巻きのセンチネルをボスと戦っているプレイヤー達に近づけないよう動いていた。基本的にはカイト・キリトの二人がセンチネルの攻撃を弾き、その隙をスイッチしたユキ・アスナが突く戦法をとる。

 ユキ・アスナはセンチネルに効果的なダメージを与えるため、兜と鎧の隙間を攻撃するが、特にアスナの技量がとてもビギナーのものとは思えなかった。センチネルの喉元を突く正確さ。そしてその際に放たれる細剣ソードスキルの基本技《リニアー》のスピードが凄まじく、剣先が見えないほどだ。

 

 そして突然、コボルド王が雄叫びを上げる。ボスのHPバーの最後の段が赤くなった証拠だ。ボスは持っていた斧と円盾(バックラー)を放り投げ、武器を持ち替える予兆をみせる。どうやら情報通りのようだ。

 

「下がれ! オレが出る!」

 

 今まで指揮をとっていたディアベルが前へ出る。キリトもカイトも、この行動に違和感を感じた。

 

(おかしい……この場合全員で攻撃するのがセオリーのはず……)

 

 前を見ていたディアベルの視線が一瞬だけキリト達に向けられ、キリトとカイトはそのことに気付く。ディアベルがソードスキルを立ち上げ、ボスに攻撃する準備をすると同時に、《イルファング・ザ・コボルドロード》が腰に差してある武器を引き抜いた。武器はガイドブックに載っていたタルワール……ではない。

 

「えっ! あれって……」

(野太刀! βテストと違う!)

 

 これに気付いたのはF隊の四人のみ。他の隊はちょうどボスの武器が隠れる角度にいるため、誰一人として気付かない。

 

「ダメだ! 全力で後ろに飛べ!!」

 

 βテストとは違う武器であることに対し、キリトは後ろに飛ぶよう指示するが、ディアベルにその声は届かない。ボスに攻撃するために突進するディアベルだが、ボスは高く跳躍し、柱を足場に使って天井付近を駆け巡る。その予想外の行動にディアベルはボスの動きを目で追うことしかできず、ボスの斬撃がディアベルの身体を切りつけた。

 

「うわあああああ!!!」

 

 ディアベルの身体が吹き飛ばされる。しかしそれだけで終わるほどコボルド王の攻撃は甘くなかった。ボスはディアベルに狙いを定めたまま、カタナスキル《浮舟》を発動せんとディアベルに迫る。本来なら《浮舟》による切り上げで宙を舞うはずだったが、ボスの攻撃は一人の片手剣使いによって防がれる。

 

「はああああああ!!」

 

片手剣単発ソードスキル《バーチカル》を、ボスの《浮舟》に向けて放つ。結果、ボスの《浮舟》からの連続コンボは失敗し、両者は互いに後退した。

 

「ディアベル! 生きてるか?」

「あぁ……なんとかね」

 

 ディアベルを救ったのはカイトだった。事前情報のタルワールと違うことを確認したカイトは最悪の事態を避けるため、ディアベルを切り裂く刃を誰よりも早く止めた。最初の一撃こそ間に合わなかったものの、《浮舟》を止めれたのは不幸中の幸いというやつだろう。

 

「指揮官がやられると戦線が瓦解する。一先ず回復してくれ。キリト、アスナ、ユキ。それまでこいつを抑えよう!」

「よし……手順はセンチネルと同じだ!」

「わかった」

「了解」

 

 ボスに向かって走り出す四人。そしてそれを迎え撃たんと、コボルド王が野太刀を腰に構えて姿勢を低くする。それを見たキリト・カイトは剣を構えた。

 

「カイト! オレが合図する。……今だ!」

 

 二人の片手剣突進技《レイジスパイク》と、ボスの居合技《辻風》が衝突する。ボスは仰け反ったために隙ができ、すかさずアスナ・ユキとスイッチする。二人がガラ空きになったボスの胴体に攻撃しようとした時、ボスが体制を立て直した。

 

「アスナ!」

「ユキ!」

 

 二人の声に反応し、アスナとユキはボスの袈裟斬りを間一髪で避けた。しかし野太刀がアスナのローブを掠め、すでにボロボロだったローブは耐久値をゼロにして消滅した。だが彼女達はそれに臆することなく、ソードスキルを立ち上げる。

 

「せああああああ!」

「やああああああ!」

 

 アスナの《シューティングスター》、ユキの《セイド・ピアース》がボスの身体を吹き飛ばす。

 そしてカイトとキリトはアスナの素顔を初めてみた。ハーフアップの腰まで伸びた栗色の髪と整った顔。ユキはアスナの素顔をみて「美人さん」と評していたが、まさにその通りだった。戦場に突如現れた一輪の花に一瞬見惚れてしまうが、すぐに頭を切り替える。

 

「次、行くぞ!」

 

 今度はキリトがボスの攻撃を弾き、素早くアスナが割って入ると腹部に突きを繰り出す。技後硬直で動けないアスナを庇うかのように、次はカイトが武器を弾き、控えていたユキが切りつける。

 ボスに目を向けると、野太刀が光を帯びていた。キリトが先行してソードスキルで相殺しようとするが、読みが外れて身体が吹き飛ばされる。

 上下にランダムで繰り出される、カタナスキル《幻月》。吹き飛ばされたキリトの身体はアスナを巻き込み、二人は地に伏す。するとボスが高く跳躍し、野太刀を上に構えて振り下ろそうとする。

 

「させ……るかああああああ!」

 

 ボスの着地前にカイトは片手剣突進技《ソニックリープ》でボスの右足を切りつけた。ボスは空中でバランスを崩し、《転倒》状態になる。これで少しの間、ボスは床を転げ回る事しか出来ない。

 

「全員、突撃ーーーーー!」

「うおおおおおーーーー!」

 

 回復したディアベルがこのチャンスを逃さんと総攻撃を指示し、プレイヤー達の様々なソードスキルがボスを襲う。

 だがボスも黙ってはいない。《転倒》状態から回復すると、野太刀を横に薙ぎ払うことでプレイヤーを吹き飛ばす。その吹き飛ばされたプレイヤー達の中から、自身にトドメを刺そうとする四つの影をボスの目が捉えた。その影を振り払わんと、野太刀を握る手に力を込めて思い切り振り下ろす。

 

 それが 《イルファング・ザ・コボルドロード》にとって最後の攻撃だった。

 カイトとユキの二人でボスの野太刀を弾く。

 アスナの突きでボスの手から武器が離れる。

 最早ボスの身体を守るものはなく、ガラ空きになった身体にキリトがトドメのソードスキルを繰り出した。

 

 片手剣二連撃ソードスキル《バーチカル・アーク》。

 ボスの右肩から入った剣は腹部を突き抜けると軌道を変え、左肩へと抜けていく。V字型に斬り裂かれた《イルファング・ザ・コボルド・ロード》の身体は光り輝き、爆散してポリゴン片となった。

 

 《Congratulations!!》

 

 目の前に勝利を告げるシステムウィンドウが表示されると、全員から歓喜の声が挙がった。

 カイトもホッとして一息つくと、ユキが肩を軽く叩いた。

 

「お疲れ様。やったね!」

「あぁ。なんか安心したら力抜けちゃったよ」

 

 二人の元へ大柄な身体の両手斧剣士、エギルが近寄ってきた。

 

「Congratulations!! 今回のMVPはあんた達四人のものだ」

「はは、ありがとう」

 

 労いの言葉に反応してエギルのいる方向を見ると、その後ろでキバオウがキリトの胸ぐらを掴んでいた。

 

「お前、自分が何したかわかっとんのか!」

 

 勝利の余韻に浸かっていたのも束の間、キバオウの言葉で場が静まりかえる。

 

「何のことだ?」

「とぼけんなや! ボスの武器がガイドブックとちごうてたのに、自分はボスの使う技知っとったやないか! お前ほんまはβテスターやろっ! あらかじめ伝えとったら、ディアベルはんが危険な目ぇにあうこともなかったんやぞ!」

 

 見かねたカイトが近寄り、キバオウの右腕を掴む。

 

「その辺にしときなよ。結果的に全員生き残れたんだから、それでいいだろ。それにこれはβテストじゃない。ボスの武器が変更されてたって、不思議じゃない筈だ」

 

 カイトの言葉に舌打ちをしてキバオウは腕を乱暴に放すが、その目は二人を睨みつけていた。

 

「彼らは何も悪くない。彼らがいたから、オレは今こうして生きているんだし、ボスに勝つことができたんだ。それに、オレが死にかけたのは自業自得だ。欲に目が眩んでLA(ラストアタック)ボーナスを取ろうとしたんだから」

 

 キバオウの後ろにディアベルが立っていた。今のディアベルの言葉に、キバオウが疑問をなげかける。

 

LA(ラストアタック)ボーナス? なんやそれ?」

「……ボスに最後の一撃を喰らわせたプレイヤーに贈られる、いわばボーナスアイテムだよ。フロアボスのLA(ラストアタック)ボーナスとなれば、強力なアイテムであるのは間違いないからね。オレは……元βテスターだから、その事を知っていたんだ」

「なっ……ディアベルはん、あんたβテスターやったんか!」

 

 ディアベルの発言に場が騒然とする。この場の誰もが、彼をβテスターだと思っていなかったのだ。

 

「みんな、すまなかった。騙すような真似をして。オレは……みんなに最低な行いをしてしまった……」

 

 深々と頭を下げるディアベル。そんなディアベルを、同じβテスターであるキリトが庇った。

 

「……あんたは最低でもなんでもないさ、ディアベル。オレもあんたと同じ元βテスターだが、オレはあの日《はじまりの街》を一人で抜け出したんだ。自分が生き残ることだけを考えて。だがあんたは他のプレイヤーを見捨てず、このボス戦でみんなを率いて戦ったじゃないか。立派に戦ったあんたを責めるなんてこと、誰にもできやしない」

 

 そう、ディアベルはキバオウの言うようなβテスターとは違う。彼は他の人達が出来なかったことを、やり遂げようとしたのだ。ビギナーを引き連れ、このゲームをクリアするための第一歩を踏み出すために、勇敢に戦った。彼は《はじまりの街》で待つプレイヤー達の希望になろうとしたのだ。

 

「……チッ。あーあ、なーんか白けてもうたわ」

 

 ディアベルが申し訳なさそうな顔をする。自分のことを信頼してくれていたキバオウを裏切るような真似をしたのが、彼の心に罪悪感を生んでいた。

 

「……何情けない顔しとんやっ! ディアベルはん、あんたはこのボス戦の指揮官や。最後までビシッとやり遂げるんが、ケジメちゅうもんやろ!」

 

 キバオウの言葉に、ディアベルは心が救われた。彼の中にディアベルを責める気持ちは既になかった。ディアベルがβテスターだろうが、そんなことはもうどうでも良くなっていたのだ。

 

「うまく収まったみたいね」

「私、ヒヤヒヤしちゃったよ」

 

 一触即発の場面から和やかな雰囲気に変わり、先程まで緊張していたアスナとユキの顔が緩む。

 

「そういえばキリト。さっき嘘ついてたろ?」

「は? 何のことだよ?」

「とぼけるなって。『自分が生き残ること"だけ"を考えて』って言ってただろ。もし本当にそうなら、オレとクラインを見捨てて飛び出してたはずなのに、そうしなかったじゃないか」

「……嘘は言ってないぞ。"《はじまりの街》を出てからは"自分が生き残ることだけを考えてたからな」

「はいはい……そういうことにしとくよ」

 

 

 

 

 

 ディアベルの判断でほとんどのプレイヤーはボス部屋を後にし、カイト・キリト・ユキ・アスナの四人で第2層のアクティベートへ向かった。上の層へ続く螺旋階段を、ひたすら登る。

 その後、アインクラッド第2層がアクティベートされ、第1層が攻略されたという情報が全プレイヤーに報じられた。

 この日を境に、アインクラッド攻略速度は加速度的に上昇する。

 



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第07話 『ごめん』と『ありがとう』

物語が二十五層まで飛びます。



「それでは、攻略会議を始めたいと思います」

 

 今回のフロアボス攻略で全体指揮を取るディアベルの声が、攻略会議の場である《MTD》のギルドハウスの一室に響き渡る。

 

 現在の最前線は第25層。第1層こそ攻略に1ヶ月かかったが、それ以降の攻略は順調に進み、当初は不可能に思われた百層攻略にも希望がみえはじめていた。そして『10層ごとに強力なボスが出現するのでは?』という予想もたてられたが杞憂に終わり、攻略組は初のクォーターポイントに挑むことになる。

 

 最前線の第25層は巨人族の巣窟だったため、ボスも巨人が予想された。偵察隊の報告により案の定巨人型モンスターだったのだが、その姿は20メートルをゆうに超える《アナイアレイト・オン・ザ・ギガンテス》という名のボス。

 浅黒く筋骨隆々とした身体、両手には戦斧(バトルアックス)を持ち、最大の特徴は《双頭》であるということだ。

 見た目のインパクトもさることながら、HPバーが五本もあることに加え、その太い腕から繰り出される戦槌(バトルアックス)の一振りは、壁戦士(タンク)でもHPをかなり持っていかれるほどだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第1層フロアボス戦以降、度々行動を共にする機会が多かったキリトは、いつしかカイトとユキのパーティーに加わっていた。以前はアスナを加えた四人だったが、アスナは現在とあるギルドに所属している。

 

 攻略会議を終えたカイト・キリト・ユキは、現在拠点にしている第22層のログハウス型の宿に戻っていた。

 22層は森林と湖に囲まれており、迷宮区を除いてモンスターが現れないため、わずか二日というハイスピードで攻略された場所でもある。攻略組にとっては張り合いのない場所とも言えるが、三人はこの長閑(のどか)な風景が気に入っていた。

 宿で夕食を済ませると、カイトは青のストライプパジャマ、キリトは黒いシャツとズボン、ユキは白いワンピースタイプのネグリジェに着替え、それぞれの部屋で就寝する。明日に控えたボス戦に備えて――。

 

 

 

 

 

 翌日、第25層のボス部屋の前に攻略組が集結していた。今回も《MTD》が最も多く人員を投入し、《聖竜連合》、《血盟騎士団》、その他小規模ギルドやソロと続いている。基本的にパーティーは同じギルド内の者同士で組み、ソロで動いてるプレイヤーやパーティーで動いてるカイト・キリト・ユキ等は一つにまとめられた。

 

「では、行きます!」

 

 ディアベルの掛け声でボス部屋の扉が開かれ、カイトは頭をボス戦に切り替えた。

 扉を開けると、部屋の奥に巨大な影があった。事前情報通り、双頭の巨人が今回のフロアボスだ。《アナイアレイト・オン・ザ・ギガンテス》は侵入者を確認すると、腰に差してある二本の戦斧(バトルアックス)を抜き、咆哮してこちらを威嚇する。

 

「戦闘開始!」

 

プレイヤーとボスが同時に走り出した。壁戦士(タンク)部隊が二手に分かれて先行し、左右からくるボスの攻撃を受け止める。重い鎧で身を固めた壁戦士(タンク)でさえ、盾で受けてもHPが注意域近くまで減少した。ボスの攻撃を受け止めている間に攻撃部隊(アタッカー)がボスに攻撃するのだが……

 

「下がれ!」

 

 ボスの足元を攻撃すると突然右足が上に持ち上げられた。誰かが叫んだが既に遅い。次の瞬間、右足が地面に叩きつけられ、大きな音と共に地面を揺らす。ボスの近くにいたプレイヤーは《行動不能(スタン)》状態になり、皆地面に手をついてしまって身動きがとれない。するとボスが右の戦斧(バトルアックス)を上に高く掲げて勢い良く振り下ろすと、目の前にいる無防備な壁戦士(タンク)六人の命を一瞬で葬った。

 

「嘘だろ……」

 

 カイトは小さく呟いた。

 カイトの装備は群青色のロングコートに片手剣という出で立ちだ。あんな重い一撃はカイトのような装甲の薄いプレイヤーなら掠っただけでも大ダメージは免れない。

 そして今度は左の戦斧(バトルアックス)を薙ぎ払うように振り回し、再びプレイヤーの砕ける音が聞こえた。カイト達は一度他の班とスイッチし、ボスの攻撃パターンを目に焼き付ける。

 

 そこでカイトは気付く。

 《アナイアレイト・オン・ザ・ギガンテス》の攻撃力の高さから、現在戦闘中の班は慎重に距離をとってやり過ごしているのだが、今は戦斧(バトルアックス)を振り回すだけで、あの足を地面に叩きつける攻撃をしてこない。もしかしたらあれはプレイヤーがボスの真下、もしくはその付近に来ると行う攻撃パターンなのではないかと仮説を立てる。あれは喰らえば間違いなくやられるが、利用すれば同時に大きなチャンスだ。カイトはディアベルの元へ向かった。

 

「ディアベル、一つ提案があるんだけどいいか?」

「……始まったばかりなのに、もう何かわかったのかい?」

 

 作戦は至ってシンプルだった。あのプレイヤーを《行動不能(スタン)》状態にする攻撃。それを利用させてもらうのだ。

 まずさっきと同じように壁戦士(タンク)がボスの攻撃を受け止め、攻撃部隊(アタッカー)がボスの足元へ行く。そしてボスはあの攻撃のために一度足を持ち上げるだろうが、その隙に軸足に一定量のダメージを与えれば《転倒》状態になるだろうと予測した。つまり先程のように後退しようとするのではなく、前進するのだ。そして《転倒》状態になったボスにソードスキルを使えば、ダメージを与えられるだろう。

 

「――てのはどう?」

「……うん、やってみよう」

 

 ディアベルが頷くと作戦を全員に伝え、開始した。

 

 壁戦士(タンク)戦斧(バトルアックス)を受け止め、攻撃部隊(アタッカー)が前へ走る。右足が上がり、振り下ろされる前に反対の軸足を叩くとボスは《転倒》し無防備になる。そこをそれぞれ持ちうる最高のソードスキルで攻撃した。ボスが立ち上がる際の余波でダメージが入ったが、戦斧(バトルアックス)の一撃よりはマシだろう。

 ボスの一撃が重いため油断するとHPが消し飛んでしまうが、ポーションと回復結晶を使って常にHPに気をつけていれば恐れることはない。あとは今の作戦をひたすらくりかえすだけだ。

 

(すごい……)

 

 ユキはカイトがディアベルの元へ駆けつけ、何か話しているのを見ていた。今の作戦を思いついたのはきっとカイトなのだろうと、ユキは直感する。

 

(私も負けてられない!)

 

 ユキは《ミスリルダガー》を持つ手に力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カイトの考案した作戦をルーチンワークのように続ける。《アナイアレイト・オン・ザ・ギガンテス》の攻撃力に圧倒される場面も多々あったが、五本あるHPバーも上から一本ずつ空になり、残すところ最後の一段となった。

 

「来るぞ! 全員警戒しろ!」

 

 ボスのHPバーの最後の段が赤く染まり、ディアベルが全員に注意喚起する。

 《アナイアレイト・オン・ザ・ギガンテス》が一瞬動きを止めると、ボス部屋全体を響かせるような雄叫びをあげる。すると、浅黒かった肌が爪先から頭部に向かって赤くなっていき、叫び終わると巨人の身体は全身が赤く染めあげられていた。

 ボスはHPが残り少なくなると、必ず何かしらの変化を起こす。それは武器の持ち替えやMobの出現など様々だ。そして状況から判断して今回のボスの変化は――。

 

「ステータス変化か……」

 

 ボスのステータス変化。それは経験上、攻撃・防御・敏捷の変化が考えられる。特に今回のボスは攻撃力が高めなので、これがさらに上昇したとなると――。

 

(場合によっては一撃必殺もあり得るな……)

 

 だが敵はもう虫の息。この戦いの終わりも間近だ。今までよりもさらに気を引き締め、ボスの一挙一動を見逃すまいとそれぞれが剣を握り直す。

 そして、先に動いたのはボスだった。

 《アナイアレイト・オン・ザ・ギガンテス》は深く膝を曲げると、部屋の天井にまで届くのではないかと思えるほどの跳躍をする。

 

「全員離れろ! 距離をとれ!」

 

 ボスは20メートル級の巨人。そんな巨体が高い場所から、全体重をかけて落下してくる。訪れたのは部屋に響く轟音と大きな揺れだった。そして運悪くボスの真下にいたプレイヤーは砕け散ったが、着地した際に響いた音で破砕音すら聞こえない。

 フロアにいるほぼ全員が《行動不能(スタン)》で動けないところに、ボスがさらなる追い打ちをかけるべく、戦斧(バトルアックス)を振り回して前後左右のプレイヤーを攻撃する。逃げ遅れてボスの周囲にいたプレイヤー達はなす術もなく、その身体をポリゴン片に変えた。

 

「う、うわああああ!」

「て、転移! 《はじまりの街》!」

「転移! 《タフト》!」

 

 目の前で起こった光景に恐怖し、一人、また一人と離脱するものが現れる。しかし、こんな状況でも諦めず『勝てる』と信じている者達がこの場には何人もいた。 身体の自由を取り戻したカイトはユキの元へ行く。

 

「ユキ。念の為きくけど、ここから逃げる気はないよな?」

 

 カイトの質問にユキはポカンと口を開け、ニッコリ笑うとカイトの頬を軽くつねる。

 

「あるわけないでしょ。わかっててそれをきく?」

「ほへんふぁるふぁっは、ふぁはひへ(ごめん悪かった、離して)」

 

 言われた通りにつねっていた手を離した。

 

「カイトを置いて逃げるなんてできないよ……。一緒に戦おう」

「……ありがとう」

 

 二人は頷き、ボスを倒すべく駆け出した。

 

 

 

 

 

 戦闘は難航した。戦線離脱による戦力の低下。《アナイアレイト・オン・ザ・ギガンテス》の圧倒的破壊力による死者の増加。HPは残り僅かなのに、慎重になるあまり決定打に欠ける。勝利という名のゴールが果てしなく長く感じられた。

 カイトのHPが注意域になり、回復するためユキとスイッチする。だがスイッチの直後、ボスが膝を曲げ、あの大ジャンプのモーションに入った。

 

「ユキ、下がれ!」

 

 ボスが跳躍し、着地と同時に地面が揺れる。誰もが身動きできない中、ボスがターゲットにしたプレイヤーはユキだった。

 左の戦斧(バトルアックス)を高く上げて、ユキを叩き潰さんと思いきり振り下ろす。

 

「させるかあああ!」

 

 少し離れた場所にいたカイトが敏捷値全開で走る。ボスの落下地点から離れていたカイトはその分《行動不能(スタン)》の時間も短かったようで、硬直がとけると駆け出していた。

 ユキを抱きかかえ、ボスから見て大きく右へ跳ぶ。攻撃は回避したが、戦斧(バトルアックス)が地面に当たった時に発生する余波で二人は吹き飛び、HPが削られる。

 とりあえずの危機は脱したが、まだボスはユキからタゲを外していない。今度は右の戦斧(バトルアックス)を高く掲げ、カイトもろともまとめて殺そうとする。

 

(死ぬ……のか……?)

 

 カイトがそう悟った時、すべての動きがスローモーションに見える。プレイヤーもボスの動きも、ゆっくりと時間が流れているようだ。そしてカイトは身体を動かさず、自身にまもなく振り下ろされる鉄の塊を、ただジッと見ていることしかできなかった。

 だが鉄の塊が振り下ろされることはなかった。二人の前を黒と白の剣士が通る。その影は《アナイアレイト・オン・ザ・ギガンテス》に突進し、鮮やかな剣技でボスに尻餅をつかせた。

 

「二人とも、急いで回復を!」

「オレ達で時間を稼ぐ、今のうちに!」

 

 アスナとキリトの声で、カイトの感じていたスローモーションの世界が元の速度で動き始めた。二人はキリトとアスナが作ってくれたチャンスを逃さないよう、回復結晶でHPを全快にする。ボスのHPをみると残り数ドット。カイトだけでなくこの場にいる全プレイヤーが、この戦いを終わらせるために総攻撃を仕掛ける。カイトも愛剣《ハウリーグ》を持ってボスに接近した。

 《アナイアレイト・オン・ザ・ギガンテス》の戦斧(バトルアックス)による攻撃は一撃が重いが動きは速くない。自身に向かってくる戦斧(バトルアックス)を右へ左へと避け、懐へ入ると他のプレイヤーと同じように、ボスにソードスキルを喰らわせる。

 

 片手剣三連撃ソードスキル《バーチカル・クエイト》

 カイトが放った青白い残光の三連撃はボスの身体に吸い込まれ、HPを根こそぎ削る。ボスの身体は眩しい光を放ち、最後にはポリゴン片となって爆散した。

 

 

 

 

 

 長かった戦いの後にあるのはいつもの勝利を喜ぶ声ではなく、生き残ることができたことによる安堵と、多くの仲間を失ったことによる悲しみの声だった。特に今回の攻略に大人数を投入した《MTD》の被害は尋常ではなく、リーダーのシンカーもディアベルも、その顔は悔しさで満ちている。

 

 カイトの目の前に初のLA(ラストアタック)ボーナス表示がされる。手に入れたアイテムの確認をしていると背中に軽い重みを感じ、振り向くとユキが背中にもたれかかっていた。

 

「死んじゃうかと思ったよ……ごめんねカイト、私のせいで」

 

 カイトの着ているコートの左袖を掴みながら、小さな声でそう呟く。

 

「……そこは『ごめん』じゃないだろ」

「うん……助けてくれてありがとう、カイト」

「どういたしまして」

 

 袖を掴んでいるユキの手の上に、カイトはそっと右手を重ねた。



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第08話 決意と分岐

今回は完全オリジナル?になります。



 攻略組に混乱をもたらした双頭の巨人との激戦から一夜明けた翌日、攻略組の組織図に大きな変化が見られた。

 それは《MTD》のゲーム攻略からの離脱。第25層のボス戦で多大な被害を受けた《MTD》は、『ゲーム攻略よりも下層の治安を優先』と大きく方針を変えた。

 《MTD》の最大の武器は、ギルドメンバーの多さだ。これまで、その人数の多さを活かした迷宮区のマッピングや情報収集力に助けられたことは、少なくない。しかし《MTD》が攻略から離れるため、そのしわ寄せが他の攻略組に今後くるだろう。シンカー達もそれがわかっており、攻略組の各ギルドやソロプレイヤーなどに直接会いにいって頭を下げていた。

 

 

 

 

 

 そのさらに翌日、第22層の宿で、カイト・キリト・ユキの3人は朝食をとっていた。パンを食べ、コーヒーを飲むカイトと、《Weekly Argo》に目をとおすキリト。ここまでは至っていつもの光景だが、カイトとキリトがユキに視線を移すと、そこにはパンを両手で持ち、目線をやや上にしてどこか遠い目をしているユキがいた。

 

「ユキ?」

「ん? 何?」

「いや、別に……」

 

 声をかければ反応は返ってくる。しかし、パンを一口食べるとまたすぐにボーッとしてしまう様子は、まるで「食べる」と「考える」を別々に行うよう脳が命令しているかのようだ。二日前の攻略戦が終わってからというもの、気が付くと彼女はこの調子である。

 

「何か考え事か?」

「ん……ちょっとね……。ねぇ二人共、今日人と会う約束してるから、ご飯食べ終わったら出かけるね」

「へー、誰と会うの?」

「突然ですが問題です。私は今日、一体誰と会うのでしょう?」

「ほんとに突然だな」

「ヒントは二人もよく知ってる人だよ…………はい、時間切れ!」

「答えさせる気ないだろっ!」

「兎に角、夕方には戻ると思うから、心配しないでね」

 

 そう言って、ユキは再び朝食のパンを食べ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食を食べ終わってからユキとは別行動となり、カイトとキリトは第23層に来ていた。

 転移門から出ると季節が春ということもあり、転移門広場を囲うように植えてある桜の木が満開に咲いていた。天へと伸びる無数の枝から咲いた花は時折吹く風によって散らし、桃色の花びらが場を鮮やかに彩る。現実となんら変わらない光景に目を奪われるが、すぐに主街区の入り口に向かって進んでいった。

 

 主街区の入り口付近にいるNPCからクエストを受注し、そのままフィールドへ出る。

 クエスト《蒼の巨石》は、NPCの娘が石のモンスターに攫われてしまったので助けにいって欲しい、という至って単純な内容だが、クエスト達成までの流れが非常に面倒くさい。

 まず今回討伐対象である石のモンスター《グランバ》を、湧きが収まるまで一定数倒さなければいけない。だがこのモンスターは全身石の鎧で覆われているため防御力が異常に高い。まともに戦えばかなり時間を要する。

 全て倒し終わると親玉の《キング・グランバ》との戦闘になるが、こちらも防御力の高さに加え、攻撃力もやや高く設定されている。全ての戦闘を終えるとNPCの娘を連れて帰る段取りになるのだが、道中襲ってくるモンスターから娘を守りながら街まで戻らなければならず、もし娘に設定されたHPがゼロになるとクエスト失敗となり、また最初から始めなければならない。

 このクエストの報酬は上質なインゴットで、二人はそれを目的にこのクエストを受注している。しかし手間とクリアにかかる時間を考えると、そのあまりの面倒臭さに敬遠する者が多く、クリアした者は数名と言われている。

 

 二人は主街区から東にあるゴツゴツした岩山を訪れていた。岩は銅成分を多く含んでいるため赤みを帯びており、所々で木や背丈の低い草が岩の表面を覆っている。

 足場の悪い岩山を登り、Y字型の分かれ道を右に進む。その先には高さ10メートル程の岩壁に挟まれた、幅10メートルの谷底が目の前に見えた。谷底を道なりに直進していくと、周りを岩壁に囲まれた円形上の場所に出る。そして一番奥の壁際には地面に横たわっている、今回の救出対象であるNPCがいた。

 

「ここか」

「そうみたいだな」

 

 その呟きを合図にしたかのように、岩壁の上から体長2メートルの人型モンスター《グランバ》三体がカイトとキリトの前に飛び降り、姿を現す。ドラム缶のような太い腕と胴体を持ち、全身に纏っている赤い石はその身を守る鎧と化している。人間で言う顔に当たる部分には二つの穴が空いており、その奥にはぼんやりと淡く光る眼光が覗いていた。

 二人は背中に背負っている剣を抜き、カイトが先行して一番前にいる《グランバ》に攻撃を仕掛けるため接近する。この手のモンスターは両手斧や両手剣といった火力の高い武器でいくのがセオリーだが、カイトは力で勝負するのではなく、技術で勝負しにいった。

 《グランバ》の右拳がカイトを叩き潰さんと思いきりふるわれる。しかしカイトにとっては難なく避けれるスピードだ。

 

「よっ、と」

 

 ヒラリと躱して右腕の、人間でいえば肘の関節を突きで狙う。カイトの狙いは各関節部分にある、石と石の間にある隙間だ。

 

「はぁっ!」

 

 吸い込まれるようにして剣が隙間を刺すと、ソードスキルでもないただの剣撃にも関わらず、HPが大きく削られた。

 《グランバ》の防御力は確かに高いのだが、それは石の鎧で覆われている部分に限った話。その下の皮膚は存外弱い。ただその皮膚を狙うには各関節にある剣一本がギリギリ入るわずかな隙間を正確に突かねばならず、少しズレれば石に弾かれてしまい、HPは数ドットしか減らないだろう。このモンスターを効率良く倒すには正確な技術を必要とする。

 肘の次は肩、膝と続けて攻撃し、ポリゴン片となった。すぐさま二体目が両手を組んで大きく振りかぶり、カイト目掛けて振り下ろす。これを避けて肘の関節を狙ったが、角度が悪く石に弾かれた。カイトはキリトとスイッチして一度後退すると、今朝の出来事を思い出す。

 

(ユキは今頃、誰と会ってるんだろう?)

 

 今朝の朝食時にユキが言っていた人と会う約束。その後追求することはなかったが、正直気にはなっていたのだ。

 

(25層攻略から変だけどそれと何か関係が? ……それとも誰かとパーティー組んでクエスト行くとか? でもそれならオレ達がいるし…………男か? だとすると考えられるのはクライン・エギル……ディアベル辺り……いやいや、確かにユキは親しみやすいから交流広いけど――)

「カイトっ!」

 

 そこまで考えて思考が中断された。もう一体の《グランバ》の左拳がカイトの身体を吹き飛ばしたのだ。考え事に集中しすぎて回避を怠ってしまった。

 

(ダメだダメだ。今は戦闘に集中しないと!)

 

 体制を立て直し、頭を振って石のモンスターに集中する。だがカイトの心にはまださっきの考えが引っかかり、言い表せない思いが渦巻いていた。

 

(なんだ、このモヤモヤした感じ……)

 

 

 

 

 

 延々と湧き続ける《グランバ》を倒すと、モンスターの湧きがピタリと止まる。おそらく規定討伐数に達したのだろう。最後の一体を葬り、ここからが本番と意気込む。ポーションを飲んで体力を全快にし、剣を構え直すと、大きな影が二人を覆う。

 見上げれば《グランバ》の倍以上の大きさを誇る巨体を持ち、青い石の鎧を全身に纏った《キング・グランバ》が岩壁から降ってきた。着地すると強い地響きと土煙を撒き散らし、HPバーが三本表示される。その頭にはキングの名に相応しい、黄金色に輝く王冠をのせていた。

 手順は先程と同じ――――といきたい所だが、関節の隙間は《グランバ》よりも狭く、レイピアやエストックでなければ攻撃できない。両肩にある大きな隙間なら片手剣でも突くことはできるが、如何せん位置が高い。なのでここからは正攻法で倒すことにした。

 

「カイト、右膝を集中攻撃して部分破壊(パーツブラスト)を狙うぞ!」

「オッケー!」

 

 硬い装甲をもつ特定のモンスターは、一点を集中して攻撃すると《部位破壊(パーツブラスト)》を引き起こす。これを行う事によって装甲の一部分が砕け散り、弱点とも言うべき急所をさらけ出すことになる。二人は今回それを狙うことにした。

 狙いは右膝一点。《キング・グランバ》から繰り出される右拳の正拳突きを左に避け、片手剣突進技のソードスキルを立ち上げるが、真っ直ぐ突き出された右腕は横に薙ぎ払われ、吹っ飛んだカイトは岩壁に叩きつけられる。《キング・グランバ》は倒れているカイトにその巨体を使って突進してきた。カイトは横に回避し、その際片手剣水平二連撃《ホリゾンタル・アーク》を放つ。

 

「やっぱ硬いな……」

「こればっかりは時間を掛けないとな」

 

 HPの減少は見受けられない。だが今は大ダメージを与えるための準備期間でしかない。焦らず、ゆっくりと深呼吸し、再び動き出した。

 

 

 

 

 

 いったいどれほどの時間を費やしたのだろう。ようやくその身に纏う石の鎧にヒビが入ると、音を立てて崩れ去り、鎧の下にある柔らかい皮膚を露出する。

 各々がソードスキルを喰らわせると先程とはうってかわり、HPが目にみえて減少する。ここまでくればあとは早い。ひたすら破壊した部位を叩くだけだ。

 攻撃するたびにガクンと減少するHP。そしてHPが赤く染まると変化がみられた。《キング・グランバ》が腕を地面と水平に持ち上げ、その場で独楽のように回転しだしたのだ。回転速度は増し、二人に向かって接近してくる。

 

「うおおおおお!?」

「いやいや無理無理!」

 

 高速回転した《キング・グランバ》から必死に逃げるカイトとキリト。攻撃など出来るわけもなく、ただひたすら逃げる。事前に情報を得ていたためこの行動を知ってはいたが、話に聞くのと実際に見るのでは受ける印象も全然違う。

 だがこれはプレイヤー側にとってチャンスでもあり、回転速度が少しずつ減少し始める。

 

「カイト、そろそろだ。タイミング合わせて行くぞ!」

「わかった!」

「……三……二……一……今!」

 

 回転が完全に停止した。ここから数秒間《キング・グランバ》の動きも完全に停止する。再び動き出す前に決着を着けたいカイトとキリトは、弱点を露出している右膝を切るために駆け出す。しかし、《キング・グランバ》はその場で地面に膝をついてしまったため、弱点部分が隠れる形になってしまった。

 

「キリト!」

「あぁ、わかってる!」

 

 前へ前へと動く足を止めることはせず、両者右足で踏み切って思いっきりジャンプした。その身を空中に投げ出し、それぞれ剣先を肩にある石と石の間の大きな隙間に向ける。

 

「うおおお!」

「はあああ!」

 

 気合の入った叫びとともに、二人の片手剣が敵の身体に深々と突き刺さる。HPが減少し、最後には空になって《キング・グランバ》の身体は爆散した。

 

「終わったーー!」

 

 数時間に及ぶ激戦の末、勝利したカイトは緊張状態から解放され、その場で大の字になって寝転がった。

 

「カイト」

「ん?」

 

 だがリラックスしたのも束の間、キリトの呼ぶ声に反応して視線を向けると、ある場所を指差していた。寝転がったまま顔をそちらに向けると、そこには未だ地面で横たわっているNPCがいた。

 

「あ……そうだった。……まだやる事あったんだっけ」

「そういうこと」

 

 クエストはまだ終わっていなかった。

 夕日が赤い岩山を照らして岩肌をさらに赤くする。カイトが起き上がって伸びをすると、メッセージを受信する音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無事にクエストを達成して22層の宿に戻る。ドアを開けて中に入ると、奥にあるテーブル席でユキが座っていた。ユキも二人の存在に気づき、手を振る。

 

「おかえり。遅かったね」

「うん。ちょっと面倒なクエストやってて。……ところで話って何?」

 

 さっき届いたメッセージはユキからだった。内容は簡潔に『話があるから宿で待ってるね』というもの。

 

「うん。私の泊まってる部屋で話そっか」

 

 ユキは席を立ち、二階へ続く階段を上り、カイトとキリトもそれに続く。部屋の前まで来ると扉を開け中に入り、部屋の中央に置いてあるテーブルを挟んで三人が椅子に座ると、ユキから話をきりだした。

 

「あのね、これは突然で戸惑うかもしれないけど……私、ギルドに入ろうと思ってるんだ」

「ギルドに?」

 

 ユキの話とはギルドに入りたい、というものだった。二人ともユキからギルドの話が出てくるとは思っていなかったので、少々驚く。

 

「どこのギルドに入るつもりなんだ? 《MTD》……はないか、攻略から離れたし」

「じゃあ《風林火山》とか?」

「あそこの人達はみんな良い人だけど……クラインさんが……」

 

 クラインはギルドメンバーからの信頼も厚く、男からすれば頼りになる兄貴分だ。しかしどうも彼は女性を相手にすると猛烈なアピールをするため、女性には若干引かれる部分がある。哀れ、クライン。

 

「じゃあ《聖竜連合》?」

「あそこはレアアイテムのためなら犯罪ギリギリの事もするでしょ? そういうのはイヤ」

 

 ユキは即座に否定した。たしかに《聖竜連合》はレアアイテムのためなら犯罪コードギリギリのこともする。見方を変えれば、そこまでしてこのゲームの攻略に力を入れているということになるのだが、ユキはそれを良しとは思っていない。

 

「てことは……《血盟騎士団》か」

 

 《血盟騎士団》。団長のヒースクリフを筆頭に副団長のアスナ、それ以外のギルドメンバーも実力者ばかりで《MTD》や《聖龍連合》程人数は多くないが、少数精鋭の攻略組ギルドだ。特に副団長のアスナは《閃光》と呼ばれ、その二つ名の通り、細剣から繰り出される突きを目で捉えるのは容易ではないほど速く、その実力も折り紙つきだ。

 

「うん。今日はアスナに話を聞きに行ってたんだ」

 

 ユキは今日、《血盟騎士団》に入るつもりでアスナに詳しいことを聞きに行ったのだ。会う約束をしていた相手がアスナだったと知って、カイトは無意識にホッとする。

 

「それにしても何で急に……」

「実を言うと、前から考えていたんだ。……ねえ、カイト。第1層のボス戦前にした約束、今でも覚えてる?」

「……忘れるわけないだろ」

 

 それは『お互いに相手を守れるよう、背中を預けれるくらいに強くなろう』といったもの。ユキがここまで頑張ってこれたのは、この約束が彼女を支えているといっても過言ではない。

 ちなみにキリトはその事を知らないので、一人だけ頭上に疑問符を浮かべる。

 

「最近、二人がどんどん私より先にいっちゃってる気がして、焦ってたの。それにこの前のボス戦でも私は足手まといになって、危うくカイトも死んじゃいそうだったし……」

「別に気にするなよ。それにユキは弱くなんかーー」

「カイトは優しいから、そう言ってくれるって思ってた……。でもね、今のままじゃいつかきっと、私は二人と並んで戦えなくなる気がするんだ……。勿論、これは私の我儘だって自覚はしてる。だけど守られてばっかりのままじゃ、私が納得できないの……」

 

 ユキはカイト達と背中を合わせて、対等な立場で一緒に戦いたいと思っている。だがユキは守られてばかりの自分が嫌で、そんな現状を変えたくてギルドに入ることを決意した。

 

「だからお願いします。私のためだと思って、二人から離れてギルドに入らせて下さい」

 

 ユキはそう言って二人に対し頭を下げる。カイトとキリトは顔を見合わせると、フッ、と小さく微笑んだ。

 

「もう決めた事なんだろ? だったらユキのやりたいようにすればいいさ」

「……二人共、怒ったりしてない?」

「怒るわけないだろ。むしろ何で怒るんだよ」

「でもまあ……少し寂しくはなるかな?」

 

 これまで一緒にいた仲間が一人減る。アスナの時もそうだったが、自分の進むべき道を見つけたのは仲間として応援したくなる反面、ほんのちょっぴり寂しく感じもする。

 

「まあ攻略組にいる以上、ボス戦なんかで嫌でも顔合わせするけどな」

「あ、酷い! 私に会うのが嫌なんだ!」

「例えばの話だ! た・と・え・ば!」

 

 そのやり取りを見ていたキリトが笑い、カイトとユキもつられて笑う。三人揃って冗談を言い合うのも、こうして笑い合うのも、今夜を境にしばらくはお預けだろう。

 

「じゃあ二人の了承も得たし、早速明日入団しに行くね!」

「ギルドを追い出されないように気を付けるんだぞ、ユキ」

「キリト酷いっ!」

 

 

 

 

 

 翌日、約5ヶ月もの間カイトの名前の下にあった《Yuki》の名前が消え、彼女は《血盟騎士団》に入団した。ゲーム開始当初からずっと一緒だった二人は別々の道を歩むことになったが、それは些細な分かれ道。二つに分かれたその道が、また一本に交わると信じて――。




特定部位の集中攻撃で発生する『部位破壊』は独自設定となります。

戦闘描写がいまいち自信ないorz

現在書き溜めの修正をしつつ投稿していますが、このあと投稿予定の本編二話+番外編二話分で一章終了の予定です。それまでは一話完結でサクサク進みます。

『書き溜めてるならサッサと投稿しろ!』なんて思う方もいる(いたらいいなあ……)でしょうけど、読み返すと気になる箇所が幾つも目についてしまって……

引き続き感想・ご指摘・誤字報告お待ちしていますm(_ _)m


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第09話 高邁な黒猫と気弱な黒猫

高邁(こうまい)=『志が高い』という意味で使わせてもらってます。

SAOで『黒猫』といえば、あの人達……



 2023年4月某日。

 

「カイト、今素材どれだけある?」

「えっと……《ライアー・ウルフ》の牙が32個、《ブルータル・ベア》の爪が25個、あとは――――だな。キリトは?」

「オレは――」

 

 現在二人は武器強化で必要な素材と、その片手間に受注したクエストで必要な素材を集めるため、最前線より10層以上も下層のフィールドにおりて狩りをしていた。最前線の攻略組である二人にとって、下層の狩りはたいした労力にはならない。

 

「なら、こんな所か」

「じゃあ早速戻って――」

「きゃあああ!」

 

 素材が溜まったのを確認してアイテムの整理をしていると、近くで人の悲鳴がした。反射的に《索敵》スキルを使うと、一箇所に複数のプレイヤー反応を確認する。少し前から多発しているオレンジプレイヤーによるPKかと予想し向かうが、二人が辿り着いた場所には複数のモンスターに囲まれている、五人のプレイヤーの姿だった。

 一言で言えば状況は最悪。五人は皆混乱していて戦闘どころではなかった。ある者は武器を無茶苦茶に振り回し、ある者は指示を出しているが纏まりがない。放っておけば死者が出るのは間違いないだろう。

 

「カイト!」

「あぁ」

 

 だからといって何もしないで見捨てるような、薄情者の二人ではない。二人は五人の手助けに入る。

 五人を襲っていたのは猪型の獣人モンスター《ドルファゴン》が六体。大きさは人間と変わらず、装備は鋼鉄の兜と鎧を着た片手棍のモンスターだ。《ドルファゴン》は索敵範囲の広さと好戦的な性質が特徴だが、この階層全体でみれば特別強くもなく、落ち着いて対処すれば苦戦するような相手ではない。草むらから飛び出し、二人が左右に分かれる。

 カイトの片手剣突進技《レイジスパイク》が、女性プレイヤーの近くにいた《ドルファゴン》の脇腹に直撃し、突き飛ばす。硬直が解けると右足にライトエフェクトが宿り、反時計回りに回転して体術単発ソードスキル《仙破(センバ)》による回し蹴りで、別の《ドルファゴン》を蹴り飛ばした。

 二人にかかってしまえば、殲滅するのにさほど時間はかからない。一息ついて五人に顔を向けると、突然の乱入者と出来事に唖然としている様子だ。

 

「あ、あの……」

 

 そんな中、助けた五人の内の一人、気の良さそうな青年が最初に声を出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、カイトとキリトは第11層主街区《タフト》にある宿に来ていた。昼間助けた五人は《月夜の黒猫団》というギルドのメンバーだったらしく、自分達を助けてくれたお礼がしたいと言い、二人を食事に誘ったのだ。

 五人と二人は豪華な食事が並べられた大きな長方形のテーブルを囲み、全員がグラスを手にしていた。

 

「我ら《月夜の黒猫団》と、命の恩人の二人に……乾杯!」

「乾杯!」

 

 上座に座るカイトとキリトに対し、二人から見て一番奥にいるダッカーがシャンパングラスを掲げた。《月夜の黒猫団》メンバーの手に持つ装飾の施された銀色のシャンパングラスがぶつかり、チンッ、と軽快な音をたてた後、五人は口々に感謝の言葉を述べた。

 今日二人があの場に居合わせたのは、単なる偶然に過ぎない。モンスターの索敵範囲に引っかかり、知らず知らずの内に複数のモンスターを引きつけてしまった《月夜の黒猫団》。冷静に対処すれば収めることもできたのだろうが、そういった状況に慣れていない彼らにとって、パニックになるのは当然といえた。放っておけば死者が出ていたであろう状況を変えてくれた二人には、《月夜の黒猫団》のメンバーはただ感謝するしかない。

 

「ところで、大変失礼だと思うんですけど、よかったらお二人のレベルを教えてもらえませんか?」

 

 黒猫団リーダーのケイタが二人にレベルを尋ねてきた。これがスキルの詮索ならば悪質なマナー違反と捉えられても仕方ないが、レベルを教えるぐらいならカイトは気にしない。

 

「レベルは……40ぐらいだよ。あとケイタ、敬語はなしで頼む」

 

 レベルを教える事自体は気にしない。気にしないのだが……果たして彼らはカイトのレベルを聞いて、どう感じるだろうか。

 

 通常プレイヤーが狩りをする場合、それぞれのレベルに合った狩場へ赴くのが普通である。このゲームで例えるなら、レベル30のプレイヤーは20層付近でレベル上げを行うのが通例だ。高レベルプレイヤーが下層、極端な話をすれば《はじまりの街》周辺でレベル上げをしているプレイヤーに混じって狩りをすれば、それは『荒らし』と呼ばれる悪質な非マナー行為である。

 勿論、素材収集などの例外はあるが、二人は黒猫団のメンバーに下層へ来た理由を話していない。なのにレベルだけを告げて彼らはどう捉えるか、一瞬カイトはレベルを教える事に躊躇する。だがここは正直に申告した。

 

「てことは……もしかして二人は攻略組?」

「あぁ、そうだよ」

 

 カイトの言葉に五人は驚きを隠せない。自分達中層のプレイヤーにとって、雲の上の存在である攻略組が目の前にいるのだから。

 彼らに限らず、一般的に攻略組というのは中層以下のプレイヤーに憧れや尊敬の念を抱かれることが多い。ゲーム攻略のために未踏破のフィールドや迷宮区を駆け、フロアボスに挑んでいるその姿は彼らには輝いて見えるようだ。

 

「攻略組……か。もしよかったら二人をギルドに誘おうかと思っていたんだけど、攻略組なら僕らのギルドは無理だね……」

 

 最前線で戦う攻略組と中層プレイヤーの一ギルドである自分達では、とてもじゃないが釣り合わない。昼間見た二人の実力からレベルは高いと予想はしていたが、まさか攻略組だとは思ってもいなかったようだ。

 

「じゃあ……じゃあさ、時間がある時で良いんだ。戦い方のレクチャーをしてくれないかな?」

「えっ?」

「こいつ、サチっていうんだけどさ」

 

 ケイタは隣にいるサチの頭に手を乗せた。

 

「うちのギルドは前衛できるのがテツオしかいなくて。サチを槍から盾持ち片手剣に転向させようと思うんだけど、どうも勝手がわからないみたいなんだ。二人は攻略組で片手剣を使うし、アドバイスを貰えたらいいなって思ったんだけど……。あと、図々しいのは承知でもう一つ頼みがあるんだ。サチだけじゃなく、僕を含めた他のメンバーも鍛えてほしいんだけど……たのむ!」

 

 ケイタの考えはごく自然なものだった。今まで接点の無かった攻略組が二人も目の前にいる。一度も死ぬことが許されないSAOにおいて、最前線で戦い生き抜いてきたことから、二人の戦闘技術の高さを悟り、この機会を逃す手はないと考えたのだろう。

 

「……ケイタ。少しキリトと話をさせてくれ」

 

 カイトはキリトの腕を掴み、黒猫団から距離をとるようにして奥へ引っ込んだ。

 

「で、どうする?」

「どうするって……オレは引き受けてもいいと思ってる」

「奇遇だな。オレもだ。昼間の戦い方を見てたら危なっかしくてしょうがない」

 

 アインクラッド全体でいえば、ケイタ達が苦戦していたのはまだまだ下層。そんな所で手間取っているようでは、もしこの先上に進むのなら生き残るのは難しい。

 

「それもあるけど……ちょっと想像してみたんだ」

「想像? 何を?」

「もし……もしこの先黒猫団のみんなが成長して将来攻略組に加入したら、ケイタ達の持つアットホームな雰囲気が、殺伐とした攻略組の空気を変えてくれるかもしれないって」

 

 最前線を歩み続ける攻略組には、中層以下のプレイヤーよりも格段に命の危険を伴う。特にクォーターポイントのボス戦で多大な犠牲者が出たため、以前よりも皆の緊張が高まり、ピリピリとしているのをキリトは感じとっていた。それゆえ思い立った考えだ。

 真面目な顔で話すキリトに対し、カイトは口元を緩ませる。

 

「……なんだよ」

「いや、ちゃんと考えてるんだなあ〜って思っただけだよ。やっぱりキリトは良い奴だな」

「五月蝿い。褒めても何も出ないぞ」

 

 一先ず話が纏まったので、二人はケイタ達の元へ戻った。

 

「ケイタの頼み、引き受けるよ。但しオレ達も攻略があるから付きっきりって訳にはいかないけど、それでもいいか?」

「本当に!? ありがとう、助かるよ!」

 

 二人の前向きな答えに喜ぶケイタ。

 翌日から二人の直接指導が始まった。

 

 

 

 

 

 それから二人は攻略の合間をぬって、黒猫団のコーチを務めるようになった。

 レベルは戦闘を重ねれば自然と上がるので問題ない。だが戦闘技術は独学でやるよりも、第三者の客観的な指導を受けるのが一番の近道だ。

 使うソードスキルの選択・スイッチのタイミング・メンバー内での自分の役割に仲間との連携など、覚えることは山程ある。ケイタに至ってはそれらに加えて全体の指揮を取ることがあるので、広い視野をもつのも必要になってくる。

 黒猫団のコーチを務めるようになってから約1ヶ月後、全員が順調にレベルを上げて、第20層にある《ひだまりの森》に出現するカマキリ型モンスター《キラー・マンティス》一体を相手に戦う黒猫団とカイト・キリトの姿があった。

 練習も兼ねてサチはいつもの槍装備ではなく、今日は盾持ち片手剣の装備。大きな盾で自分の身体を隠し、ジリジリと接近するのだが、モンスターの威嚇に怯んでしまう。《キラー・マンティス》の攻撃を盾で防ぎはするものの、とても戦闘とはいえない。

 

「サチ、一度さがろう」

 

 見かねたキリトが前に出てサチをさがらせ、キリトの剣がモンスターの鎌を切り落とす。もう一方の鎌による攻撃をキリトがタイミングよく武器で弾くことで、モンスターに隙ができた。

 

「テツオ、スイッチ!」

「おう!」

 

 キリトがテツオとスイッチし、テツオが片手棍のソードスキルで攻撃することで《キラー・マンティス》をポリゴン片に変える。それと同時にテツオのレベルも上がり、メンバーが駆け寄ってまるで自分のことのように喜び合った。そんな光景を見てキリトも微笑む。

 その後も黒猫団のメンバーと共に狩りをし、暗くなる前にきりあげて主街区に戻る。その道中、槍使いのササマルがこんなことを言い出した。

 

「なぁケイタ。そろそろサチの装備を新調しないか?」

「えっ!? い、いいよ。私は今のままで」

「何言ってんだよ。今のサチの装備じゃ少し心許ないだろ? それにキリトとカイトのおかげで上の層にも行けるようになったし、いい加減替え時じゃないか?」

 

 二人の指導を受けて以降、黒猫団がレベリングを行う階層は急激に上昇している。それに比べてメンバーの、特にサチの装備は未だ出会った頃のままだ。流石に今の装備ではそろそろ限界だろう。

 

「……うん、そうだな。サチ、攻略組の二人が指導してくれてるんだからきっとすぐ馴染むさ。みんなで上に行くためにも頑張ろうぜ!」

「う、うん……」

 

 言葉では()()肯定しているが、サチの表情は俯き浮かない顔をしている。そんな彼女の様子をカイトは見逃さない。

 

「そういえば二人に聞いてみたいんだけど、攻略組と僕たち中層プレイヤーとの差って何だと思う?」

 

 唐突にケイタがキリト・カイトに対して質問を投げかけ、それにキリトが即答する。

 

「一番の違いは……情報量の差かな。例えば、オレ達は効率の良い狩場を知っているからレベリング一つとっても全然違うと思う。最前線で戦うにはレベルが高くないと話にならないからね」

 

 この世界で死なないためにはより良いアイテム・装備を持つことも重要だが、その根幹には『情報』という名の目に見えない武器が関わってくる。

 レベルリングスポット・クエストの報酬・レアアイテム・迷宮区にあるトラップの位置など多岐に渡り、そういった情報を少しでも多く得るためにも、攻略組で情報屋との繋がりがないプレイヤーなどいない。攻略組の各ギルドもそれぞれお抱えの情報屋が必ずいるし、キリト達も贔屓(ひいき)にしている情報屋がいる。この世界において『知っている』と『知らない』は、そのまま『生』と『死』に直結するのだ。

 

「うん。僕もそう思うけど、それに加えて意思力っていうのも一つの要因だと思うんだ」

「意志力?」

「そう。僕らは安全な狩場で、自分達が生き残るためだけに戦っているけど、攻略組は全プレイヤーを現実へ帰すために危険な前線で戦っているだろ? そういった意志力の差だと、僕は思ってる。そして、いつか『守られる側』から『守る側』に僕はなりたいんだ」

 

 ケイタが『攻略組に追いつくことが目標』という今まで胸に秘めていた思いを二人に吐き出す。そのケイタが内に秘めた思いを初めて聞いた黒猫団のメンバーは、感銘を受けたようだ。ガシガシと頭を掻いて照れ隠しをするケイタを、後ろにいたダッカー達が茶化していた。

 

 

 

 

 

 全員が主街区に戻る頃には日が沈みかけ、薄暗くなり始めた街を街灯が明るく照らす。フィールドでの狩りから帰ってくる他のプレイヤー達も、武器を担ぎながら主街区の入り口にある門をくぐり抜ける。

 

「そうだ、ケイタ。今から少しだけサチにマンツーマンで片手剣の扱い方を教えようと思うから、ちょっとサチを連れて行くよ。サチ、いいかな?」

「えっ! ……う、うん……」

「わかった、頼むよ。僕らはいつもの宿にいるから」

 

 そう言ってカイトはサチを連れてケイタ達と別行動をとり、カイトが前を歩いてサチが後ろをついていく。どこに向かっているのかサチが疑問に思っていると、カイトはフィールドではなく、主街区内に流れる水路に沿った道を歩き出した。そして水路を挟んだ向こう側へ渡るためにある石造りの橋の中央まで歩き、立ち止まってサチに向き直る。

 

「ここまで来れば黒猫団のみんなに聞かれることもないと思う。サチ、突然だけど、今ここでサチの本音を聞かせてくれないか?」

「えっ?」

 

 サチはてっきり片手剣の特訓をすると思っていたため、予想外の出来事につい拍子抜けしたような声を出す。サチは首をかしげ、頭上に疑問符が浮かんでいるようだ。その様子が面白かったため、カイトはつい笑ってしまった。

 

「あはは、ごめんごめん。言い方が悪かったよ。サチは黒猫団のみんなと一緒にフィールドに出てモンスターと戦いたいのか、それとは別の考えがあるのか、思っていることを話してほしいんだ。マンツーマンうんぬんは連れ出すためのただの口実だからさ」

 

『サチは戦闘に向いていない』

 それはカイトが薄々感じていることだった。最初は人一倍臆病なだけかと思っていたが、あのモンスターと相対した時の怯えようは異常だ。彼女が槍をメインに使っていたのも、恐怖の対象であるモンスターと距離を取れるという考えか、あるいは無意識か……。

 カイトが聞きたい事を理解したサチは視線が下にいき、日が落ち始めた街と同じように若干顔も暗くなった。そしてゆっくりと自身の思いを吐露した。

 

「……私……本当は戦いたくない…………本当は逃げ出したい。死ぬのが怖くてたまらないの。……カイトは死ぬのが怖くないの?」

「……怖いよ。怖いに決まってる」

 

 この世界に閉じ込められてからもう半年が経った。デスゲーム開始当初程ではないが、今でもモンスターと相対すれば恐怖を感じる時がある。

 

「じゃあ……なんでそんなに強くいられるの?」

「簡単だよ。死ぬことに対する恐怖よりも、生きたいって思いのが強いからだよ」

 

 『生』と『死』。『(プラス)』と『(マイナス)』の性質を持つ相反する二つの感情を天秤にかけた時、思いの重さは生きる事への執着に傾く。ただ、それだけ――。

 

「それにある人と約束してるんだ。現実に戻るために、お互いの背中を守れるように強くあり続けようって。今頃迷宮区でマッピングなり、レベリングなりしてるかもなあ」

 

 カイトは冗談めいた口調で笑うが、サチの疑問には真っ直ぐな気持ちで答えた。サチが心の奥底に秘めていた思いを吐き出してくれた以上、カイトも自身の思っている考えを言葉で表現する。

 

「それに一緒にいた時間はそんなに多くないけど、黒猫団のみんなは仲間だと思ってる。オレが近くにいる内は、せっかく出来た仲間を死なせるような目に合わせない。だからサチは死なないし、死なせない」

「……本当に?」

「ウソは言わないよ」

「……ありがとう」

 

 カイトの言葉に両手で胸を押さえ、ニッコリと微笑むサチ。そしてその頬に一筋の涙が流れた。サチは涙を拭う。

 

「それにしてもカイトはすごいね。黒猫団のみんなは気付いていないのに」

「近くにいるからこそ、気付けない事だってあるよ」

 

 黒猫団は皆現実(リアル)の知り合いで構成されているので、それぞれの性格もよくわかっているだろう。サチが人より臆病な面を有しているのは彼らにとって周知の事実だが、一体何に怯えているのかまでは見えていなかった。

 

「さっきサチは戦いたくないって言ったけど、SAOは何も戦闘だけが生きる手段じゃないから、生産系のスキルで黒猫団をサポートするって手もあるよ。でも最終的にどうしたいかはサチの自由だ」

「私は……たしかに戦うのが怖いけど、もう少しだけ……もう少しだけ頑張ってみるよ。黒猫団のみんなと……一緒に」

「わかった。でも、もしその考えが変わってみんなに言いづらい時は、オレからも話すよ。サチがどんな選択をしても、きっとみんな受け入れてくるから」

「うん……ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒猫団と出会ってから早2ヶ月が経過した。最前線の主街区にいるカイトとキリトは、今からどこに行くかを話していた。

 

「今日は迷宮区のマッピングするぞ! キリト!」

「やけにやる気だな。どうした?」

「……『少し前からあなた達の姿を見る機会が減ったけど、何してるの? たまにはマッピングぐらい手伝いなさい!」と、ユキのフレンドメッセージを介してアスナからお叱りを受けた……」

「うわあ……」

 

 キリトが苦笑するとほぼ同時に、彼の元へメッセージが届く。通知アイコンをタップすると、送信者は黒猫団のダッカーだった。メッセージ内容をみたキリトの目が見開かれる。

 すぐさま彼の両手の指がせわしなくホロキーボードを叩き、メッセージを打って送信する。しかし返信が来ないため、彼は痺れを切らした。

 

「カイト、今すぐ27層の迷宮区に行くぞ」

「27層? なんで?」

「ダッカーからメッセージが届いたんだけど、どうやら黒猫団は今から27層の迷宮区へ行くらしい。……いや、返信がないってことはもう迷宮区に入ってる可能性が高い」

「……ちょっと待て。27層の迷宮区って言ったら……」

「ああ、トラップ多発地帯だ」

 

 黒猫団の成長は著しく、出会った当初に比べて皆頼もしくなった。しかし二人から見ればまだまだ拙い所もあるし、安全マージンを十分に確保しているとは言い難い。さらに同じ階層のフィールドダンジョンより高レベルモンスターが出現する迷宮区、しかも27層の迷宮区はトラップの数が多いのが懸念される。実際27層が最前線だった頃、攻略組も迷宮区のマッピングには四苦八苦していた。

 しかしそれは27層が最前線だった頃の話。攻略組が当時把握したトラップに()()()()、情報屋を通じて注意喚起及び対策が施されている。

 だが全てのトラップを把握したわけではなく、()()()()()()()()()()()()()()、あるいは()()()()()()()()()()()があるとすれば、危険なのは変わりない。

 黒猫団がこの事をどこまで把握しているかはわからないが、『念には念を』である。二人は転移門から移動して、27層迷宮区に向かった。

 

 

 

 

 

 二人は迷宮区に辿り着き、金属質の硬い壁に囲まれながら進んで行くと、前方に人影が見えた。ケイタを除いた黒猫団メンバーだ。

 背後からの音と声に振り返った彼らは、皆共通して『なぜここに?』という顔を浮かべた。

 

「二人共、どうしたの?」

「どうしたもこうしたもないよ。そっちこそ何で……」

「キリトに送ったメッセージの内容通りだよ。『ケイタはギルドホームを買いに行って、他は少し稼ぎに行くから宿には誰もいない。今日は27層の迷宮区に挑戦しに行く』って」

 

 サチの疑問にカイトが答え、カイトの疑問にテツオが答える。だがカイト達が聞きたいのはそこではない。

 

「違う、そうじゃない。何でいつもの狩場じゃなくて、上の迷宮区なんだ?」

「上なら下よりも短時間で稼げるだろ? ギルドホームを買うお金はあるけど残った分じゃ家具を買う余裕がないから、少しでも足しになればと思って」

 

 一先ず疑問は解決した。だがこの様子だと彼らは知らない。これまでの迷宮区と違い、この階層の迷宮区は最上階に近付けば近付く程、難易度が飛躍的に上がるのを。

 

「……事情はわかった。でもここは危険だ」

「何言ってるんだよ、キリト。オレ達だけでここまで来れたんだから、この先も楽勝だって」

「そういう問題じゃない。この迷宮区は――」

「おっ! 何だアレ?」

 

 キリトの言葉を遮るように、ダッカーが声を挙げた。彼が目をつけたのはT字路の壁。そこに手を触れると壁が変形し、隠し部屋に繋がる扉が現れた。

 

(隠し部屋!? こんな所に……)

 

 ダッカーが扉を開けると、隠し部屋の中央にはトレジャーボックスが未開封のまま鎮座していた。隠し部屋のトレジャーボックスという事で黒猫団の期待が高まり、中に何が入っているのか一目みようと駆け寄る。

 

「待っ」

 

 キリトの静止は彼らを止める事が出来なかった。開封されたトレジャーボックスの中身は何もない代わりに、部屋中にけたたましいアラーム音が鳴り響く。トラップ発動の合図だ。出入り口は閉まり、モンスターが部屋の四方から湧いてくる。

 

「みんな、脱出するんだ!」

 

 キリトの声に反応して全員が転移結晶を手にし、コマンドを叫ぶ。しかし、転移結晶が反応することはなかった。

 

結晶(クリスタル)が使えない……」

「《結晶(クリスタル)無効化エリア》か……」

 

 転移結晶による緊急脱出、瞬時にHPを回復する回復結晶や麻痺毒などを解除する解毒結晶といった、ありとあらゆる結晶アイテムを無効化する場所。それが《結晶(クリスタル)無効化エリア》だ。今まで遭遇して来なかったわけではないが、トラップで発動するタイプのものは黒猫団にとっても、二人にとっても初めてだった。

 カイトとキリトにとってこの層のモンスターは敵ではないが、ここまで数が多いと何とも言えない。さらにこの場には二人だけでなく、黒猫団のみんなもいるのだ。彼らではこのトラップを切り抜けるのは難しい。

 ざっと周囲を見回し、カイトは部屋の四隅のうちの一つに狙いを定めた。

 

「みんな! オレの後に続け!」

 

 カイトはモンスターを切り伏せて道を開く。その後ろを他のメンバーが続き、部屋の隅で固まると、黒猫団のみんなを背中にしてキリトと共に前へ出る。これなら少なくとも背中側は部屋の壁で守られるため、背後からの攻撃を心配する必要はない。

 

「サチ、ダッカー、テツオ、ササマルはそこで動くな。オレとキリトでこいつらを倒す。最低限、自分達の身を守ることだけ考えてくれ!」

「そんな! オレ達も戦うぞ!」

「みんなじゃこの数は無理だ! 行くぞ、キリト!」

「あぁ!」

 

 二人は剣を握り、目の前にいるモンスターの大群を上位ソードスキルで蹴散らす。終わりの見えないゴールを目指してただひたすら一匹、また一匹とモンスターをポリゴンに変え、このピンチを切り抜けるためだけに剣を振るった。

 途中シビレをきらした黒猫団が二人に加勢しようとしたが、カイトはそれを良しとせず、ただ『動くな!』としか言わなかった。普段は温厚なカイトがあまり見せないキツイ表情に黒猫団は萎縮し、動きを止める。

 いつしか耳障りなアラーム音も鳴り止み、部屋にいたモンスター達は跡形もなく消えていた。閉じていた扉も開き、危機を脱したことに安堵する。二人はその場で立ったまま脱力した。

 

「ふ、二人とも大丈夫?」

 

 サチがおそるおそる聞いてきた。その言葉に反応してキリトが振り返る。

 

「あぁ、大丈夫。そっちは?」

「オレ達は……大丈夫」

「みんなゴメン! オレがトレジャーボックスを開けたばっかりに……」

 

 ダッカーは頭を下げる。何も故意にやった訳ではないのだから、ダッカーがそこまで責任を感じる必要はない。しかし、彼の心がそれを許さなかった。

 

「いや、ダッカーのせいじゃないさ。この層の迷宮区はトラップ多発地帯だって言いそびれたこっちに非があるんだから」

「何はともあれ、みんな生きてるんだから良かった。それにしても焦ったよ」

 

 カイトはダッカーが責任を感じないように、軽く笑い飛ばす。

 結果的に皆生きているからよかったものの、あの時のカイトの顔は狂気に満ちていた。声を荒らげて叫び、自らを奮い立たせながらモンスターを蹴散らす様は、必死に生にすがりつく姿そのもの。あの絶体絶命の状況をひっくり返そうと抗う、一人のプレイヤーの姿だった。

 

「帰ろう。ケイタも待ってるだろうしさ!」

 

 だが今はもうその姿は見る影も無い。そこにはいつものあどけない笑顔を向けるカイトがいた。




黒猫団生存ルートでした。サチは今後も何らかの形で出番があります。

やたら説明文が多い気がしますが見逃して下さい。修正してたら自然と増えました。

次回は《MORE DEBAN》の《MORE》さん登場です。

引き続き感想・ご指摘・誤字報告、お待ちしています。


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第10話 剣と歌の贈り物

今回はヒロインを軸にした話になります。



 2023年12月、アインクラッドに2年目の冬がやってきた。

 肌を突き刺すような冷たい風で手がかじかみ、プレイヤーは無意識に両手を顔の前まで持ち上げると息を吐き出す。冬限定の薄い白に着色された吐息は冷えた手に当たり、しばしの温もりを感じさせた。

 1年前の今頃はデスゲームが開始され、1層が攻略されたばかりのときだったが、気付けばもうすでに半分近くまで攻略は進んでいた。

 

『まだ1年』

『もう1年』

『やっと1年』

 

 思う事は人それぞれだが、時間は着実に過ぎている。

 そして今年の冬も攻略組の面々は階層攻略に勤しむ……かと思いきや、12月に入ったあたりから各階層のNPCが非常に気になる情報を口にし、攻略組の興味はそちらに移っていた。

 

『12月24日の夜、大きなモミの木の下で《背教者ニコラス》が現れる』

 

 いわばクリスマスイベントのボス情報だった。

 ちなみにこうした季節ごとのイベントに沿った内容のクエストは、別段珍しくない。つい先日、ハロウィンになぞってアストラル系に分類される《ジャック・オー・ランタン》の姿をしたフラグMobが存在した例もある。

 そして今回のフラグMob《背教者ニコラス》は多くの財宝を手にしていると言われ、その中でも特に目を引く情報がとあるNPCによってもたらされた。

 

『ニコラスの持つ財宝の中には、死者の魂を呼び戻すことができるものがある』

 

 それは蘇生アイテムを示唆するものだった。一度HPがゼロになれば現実でも死ぬSAOで、唯一とも言える蘇生方法。

 この情報が出回り始めると、半信半疑になりつつも各ギルドや情報屋がこぞってニコラスの出現する場所を探し出すために躍起になっている。しかし、この広大なアインクラッドで『大きなモミの木』という情報だけでは一つに絞り込むことができず、その特定は難航していた。

 

「――ということで、目新しい情報は手に入っていません」

 

 そして攻略組のトップギルド《血盟騎士団》も、ニコラスの出現予測地点を特定できずにいた。

 現在《血盟騎士団》はクリスマスイベントのブリーフィングを、ヒースクリフの自宅の一室を借りて行っていた。以前はヒースクリフの自宅でも充分だったのだが、ここ最近は団員の数が増えたこともあって皆少々狭く感じるようだ。

 

「ねぇアレッシオ。ニコラスの現れるモミの木の候補って、あれから絞れた?」

 

 手を挙げて発言したのはアスナの隣にいる、白をベースにして赤い刺繍を施した血盟騎士団の制服に身を包む副団長補佐のユキだった。ショートヘアで好青年な印象を受ける両手剣使い、アレッシオに問いかける。

 

「あれから少し絞れましたけど、それでもまだ10箇所はありますよ」

「まぁまだ時間はあるんだ。じっくり考えればいいさ」

 

 ガハハと大口を開けて笑うのはガタイのいい斧戦士のゴドフリーだ。アレッシオの背中をバンバンと叩く。

 

「わかりました。アレッシオはそのまま情報収集を続けて下さい。それでは、以上で本日のブリーフィングを終わります」

 

 副団長のアスナの一言でブリーフィングが終わり、各自解散となった。アスナは椅子から立ち上がると隣にいるユキを見る。

 

「ユキ。今からリズの所に行こうと思うけど、一緒に行かない?」

「うん。ちょうどリズに頼みたい事があったから、私も行く!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第49層主街区《ミュージエン》の通りをアスナとユキの二人が歩く。この世界で数少ない女性プレイヤーで、かつ攻略組でも有名な二人だ。アスナの美貌もさることながら、ユキもアスナとは違った可愛らしさを持っている。二人が談笑している姿だけでも周囲の男性プレイヤー達の目を引くのには充分だった。

 通りを歩いていると、視線の先に赤いベンダーズ・カーペットの上に商品を置いて露店を開いている、見慣れた少女の姿があった。

 

「リズ! こんにちは!」

「おっ、ユキ! アスナ!」

 

 ユキが手を振って声をかけると、それに気付いたリズベットはメニュー操作をしていた手を止め、笑顔で手を振り返す。元々茶色だった髪はアスナに勧められ、染色アイテムでピンク色に染められている。今となってはトレードマークともいえるピンク色の髪の影響か、より一層彼女の笑顔が明るく見えた。

 

「今日はどうしたの? お二人さん」

「私は剣のメンテをお願いしに来たの。今からいいかな?」

「もっちろん!」

 

 アスナが腰の剣をリズに渡す。それを受け取ったリズが剣を研ぎ始める前に、ユキが話しかけた。

 

「ねぇ、リズ。アスナのメンテが終わったら、私のお願い聞いてくれない?」

「お安い御用よ。何?」

「あのね、オーダーメイドをお願いしたいんだ。カテゴリは片手用直剣で、リズの作れる最高の物を!」

「……片手用直剣? ユキの武器って短剣でしょ?」

 

 ユキはゲーム開始当初から短剣カテゴリの武器を愛用し、一度も変更していない。そんなユキが片手用直剣のオーダーメイドを注文する事に、リズは疑問を感じた。

 

「そうなんだけど、それは私が使うわけじゃないんだ。もうすぐクリスマスでしょ? プレゼントにどうかなと思って」

 

 その言葉を聞いたリズは少し考えた後に何かを察し、彼女が人をからかう時にする意地悪気な顔でユキを見る。

 

「ははーん、そういう事ね。何? 彼氏?」

「え? 違う違う」

「またまたぁ〜。洗いざらい話しちゃいなさいよ!」

「もう〜、違うってば」

 

 リズが茶化してユキが否定する。その応酬を一人近くで微笑みながらアスナは見守るが、これ以上リズが暴走しないよう、適当なタイミングでセーブをかける。

 

「ほらっ、リズ。その辺にしときなよ。ユキも困ってるでしょ?」

「う〜ん、しょうがない。また今度じっくり問い詰めるとしますか」

「本当に違うんだけどなぁ……」

 

 とりあえず話は終わり、持っていたアスナの剣を研磨する。ものの数分でメンテを終えたリズは、先程ユキが言っていたオーダーメイドに話を戻した。

 

「それでオーダーメイドなんだけど、実は他にも色々と注文入れてて、金属の在庫が残り少ないのよ」

「へぇー、そんなに忙しいんだ?」

「まあね。実は48層の《リンダース》で良い物件見つけてさ。水車がついてる家なんだけど、それが気に入っちゃって。その家を買うために今必死にお金を貯めてるんだ。おかげで仕事引き受けまくってるから、現実なら過労死しちゃうんじゃないかってぐらいよ」

 

 そう言ってリズは左手で右肩を押さえながら、右腕を大きく回した。ちなみに家の購入金額は300万コルだという。それだけのお金を貯めるのに、一体どれだけ掛かるのだろうか。

 

「オーダーメイドの話を持って来てくれるのは、あたしとしても有難いわ。だけどユキの分まで確保するのは難しいと思う」

「そっかあ……」

「そこで相談なんだけど、あたしの代わりに素材の調達に行ってくれない? もちろんその手間を取らせた分、お代は格安にしとくからさ!」

「本当に!? ありがとう、リズ。じゃあそれでお願い」

「そういう事なら私も手伝うよ、ユキ」

「ありがとう、アスナ」

 

 リズからレアインゴットが報酬であるクエストの詳細情報を聞き、今日はまだ時間に余裕があるということから、ユキとアスナは話が纏まると教えられた場所へと直行した。

 その数分後、二人と入れ違いでリズの元へ訪れた一人のプレイヤーがいたことを、ユキとアスナは知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クリスマスイベントを間近に控え、血盟騎士団も最後のブリーフィングを行うために、ヒースクリフの自宅に続々とメンバーが集まってくる。そんな部屋の片隅でソファに座り、黙々とメッセージを打つユキの姿があった。

 

「カイト君に連絡?」

「ひゃあっ!」

 

 メッセージを打ち終えたユキが送信ボタンを押すと、いつの間にか後ろにいたアスナが声をかけてきた。夢中になっていて気付かなかったため、ユキは素っ頓狂な声をあげる。

 

「あービックリした。アスナか〜」

「ごめんなさい。そこまで驚かれるとは思ってなくて。相手はカイト君?」

「うん。明日の夜に渡したい物があるから、会えないかな? って。あっ、勿論クリスマスイベントには間に合うようにするから」

「うん、わかった。……リズに頼んでた片手剣はもう出来たの?」

「さっき連絡があったよ。『出来たから時間のある時に取りに来て』って。ブリーフィング終わったら行くつもり」

「そっか〜。……ねぇ、どんな物か見たいから、私もこの後一緒に行っていい?」

「うん! アスナには協力してもらったからね」

 

 その後メンバーも集まった所で時間になり、ブリーフィングが始まった。前回と同様にアレッシオが報告を行う。

 

「それでは報告します。あれからさらに候補地を絞り込みましたが、それでもまだ3箇所あります。《迷いの森》、《ひだまりの森》、《アイビスの森》の三つです。これ以上は絞り込めませんでした」

 

 そう言ってどこか申し訳なさそうにするアレッシオに、アスナが労いの言葉をかけた。

 

「わかりました。お疲れ様です、アレッシオ。……ところでその3箇所のモミの木の映像はありますか?」

「はい、あります」

「では今から見せて下さい。そして、その映像を見た後に多数決を取ります。その最終結果で、明日私達が行く場所を決定します。いいですね?」

 

 アスナの言葉にその場の全員が頷き、アレッシオが《記録結晶》を取り出して3箇所それぞれの映像を見せた。全ての映像を見終わるとアスナが順番に候補地の名前をあげ、その場所にボスが現れると予想したメンバーが手を挙げる。

 

「……では多数決の結果《アイビスの森》に決定しました。今後この決定に変更はないと思ってください。……では通常の攻略に話を移します」

 

 その後は今後予定の迷宮区マッピングスケジュール、必要なアイテムの補充や配分を話し合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の夜7時、第49層主街区《ミュージエン》の中心部にイルミネーションでライトアップされた巨大なクリスマスツリーがあり、そのすぐそばにあるベンチにユキは腰掛け、カイトを待っていた。

 

 《ミュージエン》にあるNPCの各露店はクリスマス仕様に飾り付けされ、商品もトナカイのアクセサリーやサンタクロースの置物、ワインやフライドチキンが売られるなど、品揃えも普段と変わっていた。街中は友人知人、恋人同士で訪れている者が多く、皆白く雪化粧した巨大なクリスマスツリーを眺めていた。

 

 ユキは襟元にファーが付いた白のAラインコートを着ており、寒さでかじかんだ手を自信の吐く息で暖め、周囲をキョロキョロと見渡す。どうやらこのクリスマスツリーを目印に待ち合わせをしているのは自分だけではないらしく、他にも何人か一人で待っている人がいるようだ。

 そんな事を考えていると、前方に見慣れた人物がユキの元へ駆け寄ってくる。

 

「ゴメン、待った?」

「大丈夫。そんなに待ってないよ」

 

 カイトがユキの元まで来て右隣に腰掛ける。彼の様子を見るに、どうやら急いで来たようだ。

 

「……なんかいつもと違うな」

「うん。知り合いに《裁縫》スキルを持ってる人がいるから、作ってもらったんだ。……どうかな?」

「……似合ってるよ……うん」

「えへへ、そっかー」

 

 いつもの血盟騎士団の制服とは違う、この時期に合った可愛らしい服装のユキにドキッとしたカイト。少々ぶっきらぼうではあるが、彼の褒め言葉にユキははにかんだ。

 

「そ、それにしても、ここに着いたらあまりに人が多いからビックリしたよ。まさかイルミネーションまでしてあるとは思わなかった」

「私も。やっぱりクリスマスなだけあって、恋人同士で来ている人達もいっぱいいるみたいだし」

 

 『恋人』というワードにカイトだけでなく、発言者のユキまでハッとした。クリスマスの夜に男女が待ち合わせしているなんて、誰がどう見てもまるでこれからデートする恋人同士じゃないか、と。二人は合わせていた視線を外し、それぞれが頬をほんのり赤くして正反対の方角を見る。

 そしてオーダーメイドの話を持ち込んだ際に言われたリズの言葉が、彼女の脳裏をかすめる。

 

『何? 彼氏?』

(ち、ちがうちがう! カイトは友達! 別にそういうのじゃなくて――)

「……ところで渡したい物って何?」

「へ? ……あっ、そうそう。ちょっと待って」

 

 このぎこちない雰囲気を何とかしようと、カイトが話題を変えた。それに乗っかったユキが右手を振ってメニューを操作すると、カイトの前にトレード申請の表示がされた。

 

「《フロスト・パージ》?」

「そ! 知り合いの鍛冶屋の子に頼んで作ってもらったんだ」

「……ってことはオーダーメイド! 本当にもらっていいのか?」

「うん。そのために今日呼んだんだから。素材集めるのにアスナにも手伝ってもらったんだ」

「へぇ〜そっか。アスナにも礼を言っといてくれ。ユキ、ありがとう」

 

 カイトは心の底から嬉しく思い、満面の笑みでユキに感謝を伝えた。彼特有の可愛らしい笑顔に満足すると同時に、彼女の心の中を何かが満たす。

 

「実はオレもユキに渡したい物があったんだ。……はい」

 

 カイトの言葉で我にかえり、目の前に表示されたのはトレード申請。

 

「オレもよく世話になってる鍛冶屋に頼んで、短剣を作ってもらったんだ。これはその……オレからのクリスマスプレゼントって事で、受け取って欲しい」

「わぁ……嬉しい。ありがとう、カイト!」

 

 ユキもカイトと同じように笑顔でお礼を言う。しかしカイトはユキの笑顔を直視できずに顔を背け、左手で口元を覆った。

 

「どんなのか見ていい?」

「どうぞ。じゃあオレもいいかな?」

「どうぞどうぞ」

 

 二人はお互いが貰った武器を、早速オブジェクト化した。

 カイトの片手剣《フロスト・パージ》は、刀身が水色で二本の白いラインが入っており、剣の鍔と柄の先端に青い石が埋め込まれているデザインだった。手に持つと軽く、耐久値も申し分ないものだ。

 ユキの短剣《アングウェナン》は、刀身が透き通るような白で根元に金の装飾が施してあり、短剣にしては刀身がやや長い。そしてソードスキル使用時にクリティカルヒットの確率が上昇する、というおまけ付きだった。

 

「それにしても良い剣だな。この剣の作成者ってどんな人?」

「えっとね……親しみやすくて明るくて……よく最前線の主街区で露店を開いてるピンク髪の女の子」

「ピンク髪の鍛冶屋……それってもしかしてリズ?」

「えっ! 知ってるの?」

「知ってるも何も普段から世話になってるし、その短剣作ったのリズだし……」

 

 二人の視線がぶつかり、数秒の沈黙の後に同時に吹き出して笑いあった。まさか全く同じ鍛冶屋に剣の作成を依頼しているとは思ってもおらず、こんな偶然もあるのかとユキは感じた。

 

「そういえば血盟騎士団もイベントボスに挑戦するの?」

「そうだよ。メンバーみんなで集まって行くんだ。カイトもどこかに目星つけてるとか?」

「まぁね。……といっても目星つけたのはキリトだけどな。この後もキリトと行くつもり……と、ちょっと待っ……サチから?」

「サチ……さん?」

 

 不意にカイトの元へお知らせ通知が届いた。彼は通知アイコンをタップすると、《Gift Box From Sachi》の表示がされた。彼の口から出た相手は、名前からしておそらく女性であろう。ユキが聞いたことのない名前だった。

 

「あぁ、ユキは知らないよな。《月夜の黒猫団》っていうギルドに所属している中層プレイヤーの子なんだ。以前に色々と助けた事があって、それから今でも交流があるんだ」

 

 もう一度アイコンをタップすると、正八面体の形をした《メッセージ録音結晶》がカイトの左手にふわりと現れた。右手の人差し指で一番上の頂点に触れると、結晶が淡く光り、録音されたサチの声が流れ出す。

 

『メリークリスマス、カイト。今日はクリスマスということで、君に何かプレゼントを贈ろうと思ったんだけど中々浮かばなくて……。だから、日頃の感謝の言葉をこの結晶に込めて贈ろうと思います』

 

 録音された声は彼女なりに一生懸命考えた、聖夜の贈り物だった。彼女の言葉を一言一句聞き漏らすまいと、彼は耳を傾ける。

 

『あの日、カイトは黒猫団のみんなでさえ知らない私の気持ちを、君は気付いてくれたよね。あの時、私は今まで誰にも言えなかった思いを口にする事が出来て、少し気持ちが楽になったの。それに私が黒猫団のサポート役にまわってからも、君は何かと私の事を気に掛けてくれているよね。そんな君の優しさが、私はとっても嬉しいです。実を言うと……カイトが会いに来てくれるのを、私はいつも楽しみにしているんだよ』

 

 数秒の沈黙が流れる。カイトが首を傾げていると、再びメッセージが流れ出した。

 

『……えっと、それで……カイトは攻略で大変だと思うけど、そんな君を影で支えれるような存在に、いつかなれたら良いなって思います。……最後にもう一つのプレゼントとして、歌を歌うね。聴いてください』

 

 メッセージの後に続いたのは、サチの歌声。それはささやかなクリスマスプレゼントとして彼女の歌う『赤鼻のトナカイ』だった。二人は黙ってサチの澄んだ歌声に聞き入る。

 録音された声が全て再生されると放っていた淡い光が消え、結晶はその役目を終えた。

 

「ありがとう、サチ。後で何かお返ししないとな……」

 

 左手の中に収まっている結晶を見つめて呟くカイト。そして微笑しているその顔を横から覗くユキ。

 ユキは自身の心の中にモヤモヤとした思いがあるのを感じたが、一体その正体が何なのか、この時の彼女は言い表すことができなかった。

 

「……カイト、まだこの後時間ある?」

「ん? まだキリトとの待ち合わせには余裕があるけど?」

「じゃあ、少しこの街を見て回らない? お店もいつもと違うみたいだから、限定品なんてのもあるかもだし」

「そう、だな。それじゃあ少しだけ見て行こう」

 

 二人はベンチから立ち上がり、賑わっている露店へと向かう。ユキは心の中のモヤモヤを振り払うかのように明るく振る舞い、やがてそれはカイトと一緒に過ごすうちに自然と小さくなり、最後には消えていった。




ちょっとした裏話と補足

ヒロインがリズにオーダーメイドを頼んで立ち去った後、『入れ違いで来たプレイヤー』はオリ主です。その後、リズはお互いが誰にプレゼントするのか察しました。

《血盟騎士団》団員、アレッシオはオリキャラになります。

サチは主人公だけでなく、ちゃんとキリトにもプレゼントを贈ってます。勿論メッセージ内容は別ですが……

作中で明言していませんが、キリトとオリ主の向かった行き先は《迷いの森》です。蘇生アイテムがどうなったかは……この先の話でわかります。

感想、ご指摘、誤字報告お待ちしています。


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番外編第01話 永訣と邂逅

 2022年10月某日。

 夏の暑さもひっそりと影を潜め始め、季節は秋へ移り変わろうとしていた。

 日中の気温も30度を下回り、窓を開ければ心地よい秋風が肌を撫でる。夏に一働きしたエアコンも、来たる冬に備えて束の間の小休止に入った。

 秋の学校行事一大イベントの一つである文化祭を二日前に終えたかと思えば、次に来るのは学生なら逃れる事の出来ない中間テストが待っている。明日以降全ての部活動は活動を休止し、全校生徒は試験勉強のために帰宅。ここから試験が終わるまで、しばらくは普段よりも多くの時間を勉学に費やされるだろう。憂鬱な日々はすぐそこだ。

 そして試験週間を明日に控えた本日は日曜日。部活の午前練習を終えた綾瀬由紀(あやせ ゆき)は、とある友人の家へ遊びに来ていた。

 

「……と言うわけで、これが《ソードアート・オンライン》の簡単な説明」

 

 後日発売する世界初のVRMMORPG《ソードアート・オンライン》の概要をリビングで懇切丁寧に解説したのは、チェック柄のワンピースに身を包んだ笹宮舞(ささみや まい)

 長い髪を後ろで束ねたポニーテールに、Tシャツ短パンのラフな格好。肌の露出が多く、何かと成長期である彼女のこの姿を同級生の男子が目撃したのなら、目が釘付けになるのは間違いないだろう。

 

「はいっ、先生! 質問があります!」

 

 解説を終えた舞の向かい側に座る由紀が、右手を真っ直ぐ上に挙げた。

 

「はい、綾瀬君どうぞ」

 

 丸みのある赤フレームの眼鏡をクイっと上に持ち上げ、舞は芝居がかった口調で彼女に発言を促す。

 

「私はオンラインゲームどころか、そもそもゲーム自体あまりやった事がありません! そんな人でも大丈夫でしょうか?」

「心配ご無用! βテスターの私がみっちり指導します! 武器・アイテム・戦術指南、なんでもござれ!」

 

 《ソードアート・オンライン》は正式サービス前に、試験運転も兼ねたβテストを行っていた。発売元であるゲームメーカー《アーガス》はその試験運転に参加するテスター千人の募集をかけ、舞は運良く当選したため、《ソードアート・オンライン》のβテストを春から夏にかけての2ヶ月間体験していた。

 

「……とは言うものの、問題は買えるかどうかよね」

「予約はどこも埋まってるしね。舞はいいなあ、郵送で来るんでしょ?」

 

 それはβテスターの特権。βテスター千人はわざわざ購入する必要がなく、ソフト発売日に自宅まで郵送で送られてくる。よって初回出荷分の一万から千を引いた残りをβテスターでない人達がソフトの購入にこぎつけるには、店舗予約・ネットでの購入・発売日当日に並んで買うぐらいしか選択肢はない。

 

「そう。だから私は問題ないけど、由紀が発売日当日に買うのは難しいと思う。当日並んだところで買えないだろうし、最低でも三日前には並ばないと」

「でもそれだと平日だから、学校あるよね」

「うん。だからネットで買うって手段もあるけど、みんな一斉にアクセスするから回線が重くなるだろうし……」

 

 二人はどうしたものかと頭を捻る。学校をサボる訳にもいかないし、仮にサボって並んだとしても、中学生の自分達が深夜に出歩けば一発で警察に補導されるのは、火を見るよりも明らかだ。

 

「……舞、残念だけどやっぱり私は諦めるよ。ゲームは舞だけで楽しんで」

「ダメだよ! 由紀と一緒にやるの楽しみにしてるんだよ! 何か方法がある筈だって」

 

 しかし中学生の彼女達に出来る事は限られている。ここは一か八か、ネットの購入にかけてみるしかないと思った矢先――。

 

「ただいまー」

 

 玄関から扉の開閉音と人の声が聞こえた。廊下を歩く足音は真っ直ぐリビングに向かい、彼女達との距離を一歩ずつ縮める。そうしてリビングの扉が開くと、一人の男性が入ってきた。

 

「お邪魔してます。お兄さん」

「ああ、綾瀬ちゃん来てたんだ。いらっしゃい」

 

 帰宅を知らせた声の主は舞の実の兄である、笹宮和樹(かずき)だった。

 舞と八つ離れた和樹は現在大学四年生。生まれてから一度も染めたことの無い黒の髪。一見細身ではあるが、服の下には幼い頃から続けているスポーツで鍛えた肉体を持ち、今でも後輩にせがまれて大学の部活に顔を出す機会が多い。無事に内定先も決まり、来年の4月からは都内の商社に勤務するのが決まっている。

 

「何してるの?」

「SAO購入作戦会議」

「ああ、あのゲームか。後輩に舞の事話したら、すごい羨ましがってたぞ」

 

 和樹は迷うことなく台所へ行くと冷蔵庫を開け、中にあるお茶を取り出してマイカップに注ぐ。

 

「でも舞は買う必要ないんだろ?」

「私のじゃなくて、由紀の分だよ」

「……成る程、そのための会議か。で、結論は出たのか?」

「それがまだ。中学生には色々とハードルが……」

 

 そこで舞は言葉を切り、何か思いついた素振りをみせた。目の前にいる兄の顔をみて両の手を合わせ、一言……。

 

「かずにい、一生のお願い!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2022年11月6日、12時41分。

 由紀は自室のベッドに腰掛け、電話で舞とやり取りをしていた。彼女の隣には姉から借りたナーヴギアが置かれている。

 

「今度また改めて直接お礼を言うけど、今日ゲームが終わったら舞からお兄さんに言っといて」

『律儀だね〜由紀は』

 

 何とかして由紀は《ソードアート・オンライン》のソフトを入手することが出来た。結局発売日の数日前から店舗に並んで購入する方法がとられたのだが、並んだのは彼女達ではない。

 

「それにしても良かったの? 私のためなんかにあんな条件呑んで」

『いいっていいって! そりゃあ何言われるかわかんないから不安だけど、かずにいならそこまで無茶な要求はしないだろうし』

 

 実際に店舗に並んだのは舞の兄、和樹だった。

 中学生の二人と違い、大学生の和樹は単位をほとんど取得済みなので授業に出る必要性はない。彼に残されたのは卒業論文を書き上げる事だけだが、まだ時間に余裕があるので融通はきく。

 但し自分がやるわけでもないゲーム、しかも妹の友人がやるゲームの購入のためにそこまでやるのだから、彼はある条件を提示した。

 それは『並んだ日数分、舞になんでも命令できる権利』だ。和樹はソフト購入のために4日間並んだので、4回分の権利を有している。そしてその命令に拒否権はないというオマケ付き。

 

『むしろこんな条件で済んで良かったわよ。普通なら自分に何のメリットもないから断るのに、快く引き受けてくれたんだから』

「うぅ……なんだかどんどん二人に申し訳なくなってきた……」

『ほーらっ、気にしない気にしない! ……っと。そろそろ準備しないと』

 

 電話越しに舞の声を聞いた由紀が壁に掛けられた時計を見ると、時刻は正式サービス開始までもうすぐだった。

 

「本当だ。そろそろ切るね」

『オッケー。待ち合わせはさっき言った通りね』

「うん。じゃあまた後で」

 

 通話を終えると子機を元の場所に戻し、ナーヴギアを装着する。装着したままベッドに寝転がり、時間がくるまでは天井を見つめていた。

 

「リンクスタート!」

 

 ナーヴギアの時計表示が13時になると同時に、目を閉じて起動ワードを発した。瞼を下ろして暗くなった視界が白く染まり、自己診断ウィンドウが表示され、流れていく。予め作成しておいたアバターを選択すると、《Welcome to Sword Art Online!》の文字が表示された。

 

「わあ……」

 

 仮想世界に初めて訪れた第一声がそれだった。

 《ソードアート・オンライン》の世界に訪れた者が一番最初に現れるのが、ここ《はじまりの街》の中央広場。石畳が敷き詰められた広場の至る所から、来訪者があとを絶たない。

 

「そうだ、舞は……」

 

 周囲の景色に見とれていたが、ハッと我に返って予め決めていた待ち合わせ場所に向かう。……とはいっても、SAO初ダイブの彼女にしてみれば何処が何処だかわからないので、『スタート地点の大きな広場の中心』とだけ打ち合わせていた。

 次々現れるたくさんの人達を避けながら彼女が中心部へ行くと、金髪ポニーテールの女性プレイヤーがキョロキョロしながら立っていた。

 

「えっと……舞、だよね?」

 

 女性プレイヤーは自身のリアルネームを呼ばれて振り向いた。

 

「その名前で呼ぶって事は……」

「うん、私だよ」

 

 現実の姿と違うので自信はなかったが、反応からして待ち合わせていた友人で間違いなさそうだ。

 

「やっぱりそうか。ちなみにプレイヤーネームは?」

「ユキ、だよ」

 

 彼女のプレイヤーネーム、ユキを聞いた後、金髪ポニーテールのプレイヤーは彼女の耳元で周りに聞かれないよう、小さく呟く。

 

「えっと、ユキ。こういうネットゲームで現実の名前(リアルネーム)を口にするのはやめてね。ここで名前を呼ぶ時はプレイヤーネームで呼ぶように」

「あっ、そうなんだ。ごめんね」

「私がちゃんと言ってなかったのが悪いから、気にしないで。ちなみに私のプレイヤーネームはアンナだから」

 

 アンナはユキの耳元から顔を離した。

 

「さて、それじゃあ街を歩きながら色々説明してくね。それでそのままフィールドで実践練習しましょ」

「いきなり!? 大丈夫かな?」

「大丈夫だよ! この辺のモンスターは弱っちいから。行こっ!」

 

 二人は広場中央から歩き出し、《はじまりの街》の出入り口方向へと進んだ。

 

 

 

 

 

 道すがら通りがかるNPCショップに立ち寄り、アンナはアイテムや装備の買い方などの基本事項を、ビギナーであるユキに一つずつ教えていく。それが終わると今度はスキルについての説明をし、まず最初にこのゲームの要であるソードスキルを使えるようにするため、武器スキルを一つ習得させた。選んだのは手数が多いのが特徴の《短剣》スキルだった。

 そうこうしている内に《はじまりの街》の出入り口に到着する。出入り口の前には真っ直ぐな道があるが、そこから外れて東のフィールドへ向かった。

 この辺りは東西南北四つのフィールドが存在するが、どこも名前と方角が違うだけで出現するモンスターは一緒だ。この世界でおそらくほとんどのプレイヤーが最初に出くわすのが、青い体毛のイノシシ《フレンジーボア》である。

 

「イノシシだ」

「イノシシだよ」

 

 目の前には草原をウロウロする青イノシシの姿があった。彼女達には目もくれず、フィールドを好きなように歩き回り、時々止まって地面の匂いを嗅いでいた。《フレンジーボア》は非好戦型(ノンアクティブ)のモンスターなので、こちらから仕掛けない限りは何もしてこない。

 

「それじゃあまずは私がお手本を見せるね」

 

 アンナは曲刀カテゴリの武器を手に持ち、《フレンジーボア》に切りかかった。ダメージを受けた青イノシシはアンナに狙いを定め、足を踏み鳴らすと一直線に突進してくる。剣を水平にして突進を受け止め、押し返すともう一度切りつける。

 それの繰り返しを何回か続けると、最後にアンナは剣を肩に担ぎ、膝を軽く曲げて腰を落とす。すると剣にライトエフェクトが宿り、向かってきた青イノシシに曲刀基本ソードスキル《リーパー》を一閃、強烈な一撃をお見舞いする。残り少なかった《フレンジーボア》のHPバーは空になり、消滅した。

 

「……とまあ、こんな感じかな? イノシシは真っ直ぐ突っ込んでくるしか攻撃パターンはないから、避けようと思えば簡単に避けれるよ。それとソードスキルは初動モーションが大事だから、まずは構えを作る。そしてスキルが立ち上がるのを感じたら剣を思いっきり撃ち込むっ! て具合で」

「うーん……とりあえずやってみるね」

 

 新たに湧いた《フレンジーボア》を標的にし、ユキは背後から切りつけた。一度距離をとって様子を伺うと、先程と同じようにユキ目掛けて真っ直ぐ突っ込んでくる。とりあえず練習も兼ね、回避と突進を剣で受け止めることに集中した。馴れてくると今度は剣で切りつけ、アンナがお手本でみせたソードスキルをやってみる。

 剣を肩に担ぎ、膝を曲げて腰を落とすと、剣にライトエフェクトが――――宿らない。

 

「あっ」

 

 思わずアンナが声を漏らした。

 

「きゃあっ」

 

 結局ソードスキルは立ち上がらず、ユキは青イノシシの突進を受けてしまった。彼女は草の上を転がり、それをみた《フレンジーボア》は満足そうに背を向け、再びフィールドを歩き出した。

 

「いったぁ〜」

「いや、痛みは感じないから」

「……あっ、本当だ。つい」

 

 あれだけ強くぶつかったのに全く痛みがない。ユキは不思議そうに腹部をさする。

 

「さっきソードスキルが立ち上がらなかったけど、私とユキの武器は種類が違うから、初動モーションも違うんだ」

「それを早く言ってほしかったなぁ……」

「まぁこれも経験ということでご勘弁を」

 

 アンナは両手を合わせて謝った。

 

 

 

 

 

 そのまま実践練習は続いた。

 その後短剣ソードスキルの正しい初動モーションを教わり、ユキもコツを掴んでひとしきり楽しんだ後、二人は地面に座って景色を眺めていた。

 

「綺麗……」

「……そうだね」

 

 現実世界を反映しているため、夕方になれば日が沈む。楽しい時間が過ぎるのはあっという間だ。

 

「まだ実感が湧かないよ。これがゲームの世界だなんて」

「私も最初はそうだったよ。草も木も街並みも、全部現実と大差ない……ううん、むしろ今まで見たことのないものが溢れている分、こっちのが新鮮でいいかもね」

 

 そう言ってアンナは立ち上がり、大きく伸びをした。

 

「とりあえず、もうちょっとだけ遊ぼっか! 晩ご飯食べたらまたインするでしょ?」

「うん。だけどあんまり遅くまでは無理だよ?」

「夜更かしする気はないわよ。ほらっ」

 

 アンナは座っているユキに手を差し伸べた。ユキもそれに応じて手を伸ばし、彼女の手を掴もうとする。

 だが、その手を掴むことは叶わなかった。

 ガラスの割れるような音と共に、アンナの身体も砕け散る。ユキが伸ばした手は空をきった。

 

「えっ?」

 

 意味がわからなかった。ユキはアンナの手を掴む直前、コンマ数秒前に消えてしまったのだ。

 たった一人フィールドに取り残され、ユキは途方に暮れる。しかし昼間アンナに教えてもらったフレンドリストを思い出し、一個ずつ手順を踏んで辿り着く。するとフレンドリストに唯一登録されている《Anna》の文字が、グレーで表示されていた。

 

(たしか、この場合はログインしていないって事……)

 

 別の言い方をすれば、アンナはログアウトしたという事になる。だがログアウトはメニューから行なう筈なのに、先程の彼女はそんな素振りを全くみせていない。考えれば考えるほど意味がわからなくなる。

 そしてユキの思考を邪魔するように、低く重い鐘の音がフィールドに響き渡った。

 

「な、何?」

 

 考えが纏まる前にユキの身体は光に包まれ、景色が一変した。地面にうっすらと生えていた草はなくなり、代わりに石畳が敷かれていた。

 

(ここって……最初の場所……?)

 

 この世界に来て一番最初に立っていた中央広場。自分以外のプレイヤーも同じように広場に集まっている。

 そしてその一分後、茅場晶彦のデスゲーム宣言がなされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……ウソ……だって、言ってよ……)

 

 茅場のデスゲーム宣言に続き、ログアウト不可・HPゼロで死亡・現実と同じ容姿。そしてログアウト不可の状態にもかかわらず、ログアウト表記されていた友人《Anna》の文字。つまり茅場の言葉とこの状況を合わせて考えると、既に彼女はこの世界からも現実世界からも、永久退場しているということ。

 

(ウソ……。だって、さっきまで……一緒にいて……)

 

 突如、広場に轟く人々の声。この状況に納得のいかない大勢のプレイヤーが、ついさっきまでゲームマスターがいた空中に向かって抗議の声をあげたのだった。

 

(……イヤだ……怖い……怖いよっ!!)

 

 頼れる人も、行くアテもない。それでも彼女はこの状況に恐怖し、一刻も早くこの場から離れたかった。自然と足が動きだし、広場の外へと駆け出した。

 全力で走った。暗い道も明るい道も、路地裏も大通りも、ただただ無心で走った。自分が何処に進んでいるのかわからない。目的地などありはしない。彼女は自分の心に侵食してくる、ドス黒い何かを振り切るためだけに駆けていた。

 だがいかに広大な《はじまりの街》といえど、いつまでも進み続けれるわけではない。ユキはアインクラッドの外周部分に辿り着き、仕方なく足を止めた。

 彼女が辿り着いたのは、外周部分に設けられた展望スペース。アインクラッドの外、つまり空と空に浮かぶ雲海を眺めるために設けられた場所だった。現実で実際に見たのなら絶景ともいえる景色だが、今のユキにはどんなに美しくても心に響かない。彼女の心は、ポッカリと穴があいていた。

 展望テラスの柵に手をかけ、もっと間近で外を見る。それでも何も感じなかった。

 

 どれだけの時間が経ったのか。

 

 ボーッと外を眺めているうちに、自然と涙も溢れてきた。 様々な感情がユキの心を掻き乱す中、フッと脳裏に考えが浮かぶ。

 

(……ここから飛べば……元の世界に戻れるのかな……?)

 

 ログアウトボタンがないため、現実に戻る正規の手段は使えない。彼女が思いつく唯一の脱出方法は、それしか浮かばなかった。正常な思考を持っていれば、その考えに至っても実行には移さない。だが絶望がユキの背中を後押しする。

 元の世界に戻りたいという思いだけを胸にしまい、決意が固まりかけたその時だった。

 

「こんなところで何してるの?」

 

 

 

 

 

 ――不意に後ろからかけられた少年の声が――

 

 ――ユキの心を引き止めた――




ヒロイン視点からのSAO開始時です。終わり部分と第03話冒頭が繋がります。

元々この話を書く予定はありませんでしたが、三話のユキがした発言の内容一つ一つや状況から『一話分書けるんじゃない?』と思い、こうなりました。話の整合性はとれている筈……多分……。

次の話も番外編となります。それが終われば以前予告した通り、1章終了です。2章についての予告はまた次回にします。


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番外編第02話 Trick&Treat

 2023年10月31日。

 

「キリトー。そろそろ行こう」

「あぁ、今行く」

 

 時刻は午後3時。現在地点は43層の宿。二人は今日の日の入りと共に出現すると噂のハロウィン限定イベントボスを討伐するため、装備を整えて宿を出た。

 

「もう二度と行くことはないと思ってたんだけどなぁ……」

「オレも19層は久しぶりに行くよ」

 

 二人がこれから向かうのは第19層。プレイヤー達からは《ゴーストタウン》とも呼ばれている階層だ。

 この階層が開放された時、攻略組に限らず訪れた全プレイヤーが抱いた感想は『気味悪い……』だった。主街区・村・フィールド・迷宮区の全てに常時靄がかかっており、日中でも薄暗い印象を与える。《圏内》の建物は一つ残らず老朽化の跡が伺え、建物の破片が転がっているのも珍しくない。

 『見た目はともかく、流石に宿泊施設は……』という期待を見事に裏切り、ベッドシーツはボロボロ、部屋の隅には蜘蛛の巣がはってあり、床には穴が空いている。いかにも『出そう』な雰囲気を放っているため、この系統が苦手な人はおそらく宿に一泊すらできないだろう。

 

「心霊番組とかホラー映画は大丈夫だけど、オレあそこの雰囲気苦手。終わったらサッサと帰ろうな」

「長居するつもりはないから安心しろ」

 

 正直な所、カイトは19層へ行くのにあまり気乗りしない。だが今回は期間限定の特別クエスト、しかもハロウィンになぞっているのを考えれば今日一日しかチャンスはない。イベントボスを倒した際のドロップアイテムも、レアアイテムであるのは容易に想像できる。

 

「それにしても気になるのは報酬だよな。カイトはなんだと思う?」

「えー……ハロウィンっていえばお化けだろ? それにちなんで《隠蔽(ハイディング)》ボーナスがついた仮装衣装とか?」

 

 実はこのイベント、ドロップアイテムの内容について公言しているNPCが一人もいない。NPCから分かった情報はイベントボスの出現地点・大まかな強さ・姿だけ。あの《鼠のアルゴ》でさえ、今日までありとあらゆるフィールドを駆け回っても得られなかったのだ。なので一体何が出るかは、ドロップした人にしかわからない。

 

「まあ、何が出るかは後のお楽しみだな」

「そもそもドロップしなかったら楽しめないけどな」

 

 会話をしながら歩いていた二人はいつしか転移門広場に着き、19層主街区《ラーベルグ》の名を呼んで転移した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 19層主街区《ラーベルグ》に転移した二人は北のフィールドに向かった。

 フィールドに生えている木々は一本残らず枯れており、下は枯葉が敷き詰められているため地面が一切見えない。歩くたびに枯葉を踏みしめる音が響くが、それ以外の音は一切聞こえてこなかった。

 ちなみに今回のイベントボスだが、主街区を囲む東西南北それぞれのフィールドの中心部から出現する旨を、NPCが明言している。なので人数は四ヶ所に分散するため、ものすごく単純に考えて一ヶ所の参加人数は全体の四分の一。競争相手が少なくなるのは二人にとっても非常に有難かった。

 閑散としたフィールドを時折現れるアストラル系モンスターとの戦闘を交えながら進み、目的地周辺に来た所で、前方に無数の人影を発見した。

 

「《血盟騎士団》か」

 

 二人よりも早く訪れていたのは、白と赤を基調とした制服が特徴的な《血盟騎士団》の面々だった。皆ボス戦で顔を合わせるのでよく知っているメンツばかりだが、その中でも特に見知った人物が一人いた。

 

「あっ、カイト! キリト!」

 

 二人に気付いて右手を振っているのは、《血盟騎士団》副団長補佐のユキだった。男性団員に一言告げた後、二人の元へ駆け寄ってくる。

 

「久しぶり……でもないか。二人もここにしたんだね」

「うん。どこが良いかは最終的に運任せにした」

「運任せ?」

「ルーレットで決めた」

 

 ルーレットとはよくカジノで使われている、ボールの入るポケットに数字が記されていて、赤か黒、そして0の緑色がついたあのルーレットの事だ。これはカジノや賭け事が盛んな第七層のNPCショップで販売されている。プレイヤー間のちょっとした賭け事で使う場合もあれば、二人のように『困った時の運任せ』で使う場合もある。

 今回二人はルーレットを回して出た結果を、東西南北のフィールドに当てはめて行き先を決定した。

 

「《血盟騎士団》からの参加メンバーはこれだけなのか?」

 

 キリトがざっと見渡した感じだと、この場にいる団員の数は15人程度。本来の団員数を考えれば、些か少ないように感じた。

 

「ここ以外にも東に15人ぐらい待機してるよ。残りの二ヶ所は人数が足りないから諦めちゃった」

 

 現在《血盟騎士団》の団員数は30人弱。大々的な勧誘はせず、団長のヒースクリフが直に声をかけて勧誘するのが《血盟騎士団》のスタイルだ。そしてヒースクリフは誰かれ構わず誘うのではなく、しっかりとした実力と将来性を持った人物にしか声をかけない。そのため《聖竜連合》程人数は多くないが、その分質の高いプレイヤーが揃ったギルドと言える。

 

「ふーん。見た感じそちらさんの副団長はここにいないから、東のフィールドにいるみたいだな」

「……えーっと」

 

 キリトの言葉を聞いたユキの目が泳ぐ。明らかに戸惑っているのが伺えた。

 

「アスナは、その……急用があって来てないんだ」

「急用?」

 

 ユキはアスナが何故今回のイベントに参加していないのか、その理由を知っている。しかしアスナ自身がその理由を周囲にひた隠ししているため、本人のためにもここはなんとか誤魔化そうと試みた。

 

「一日限定のイベントよりも大事な用事って何だ?」

「えっと、その……」

 

 しかしキリトの更なる追求に対し上手い理由が浮かばず、ユキは言葉を詰まらせたが、思いもよらない助け舟がカイトから出された。

 

「やっぱ最強ギルドのサブリーダーともなると、やる事多いんだろうな。もしかして階層攻略に関する情報が入って、それに奔走してるとか?」

「そ、そう! それなの! 詳しくは言えないけど」

「あぁ、成る程。《攻略の鬼》からすればフロア攻略が最優先だろうしな」

 

 カイトの発言に便乗したおかげか、キリトも自己完結してくれた。ユキはホッとしたのと同時に、二人からは見えないよう後ろ手で拳を握って小さくガッツポーズをした。

 

 

 

 

 

 本日、10月31日の日の入りは午後5時ちょうど。そして現在時刻は4時59分。開始まで残り1分を切った。

 カイト達以外にもあの後《聖竜連合》のメンバーがこの場に加わった。時間がくるまで和やかに談笑していたプレイヤー達も、頭が戦闘モードに切り替わり武器を手にする。出現ポイントの予測は出来ていたが、流石にどこからどう出てくるのかまで知っている者はいない。上から降ってくるのか、下から出てくるのか。

 

 そして結果だけいえばそのどちらでもなかった。

 

 日の入りの時刻を迎えると突如身体に寒気が走り、体感温度が二、三度下がったような気がした。今まで無風状態だったフィールドには風が吹き始め、風は地面にある無数の枯葉を巻き上げながら一ヶ所に集まって竜巻を形成し出す。小さな竜巻はやがて大きくなり、巻き上げた枯葉を周囲に散らして爆散した。誰もが反射的に目を閉じ、腕を顔の前に持ってきてガードする。風が収まり、閉じた目をゆっくりと開けて竜巻があった場所を見ると、そこには一つの巨大な物体が鎮座していた。

 目・鼻・口の形に切り抜かれ、内側からぼんやりと淡い光を放つカボチャの頭。首から下はボロボロのローブで覆われ、足はなく宙にフワフワと浮いている。長い袖から覗く両手はそれぞれ白い手袋をつけ、右手には身の丈程の大きさを持つ幅広の両手剣《エクスキューショナー》を握っていた。

 ダランと腕を前にぶら下げて脱力していた身体を起こすと、HPバー四本に《ジャック・ザ・ヘッドハンティング》、別名《首狩りジャック》の名前が表示され、耳を(つんざ)く奇声をあげて場の空気を震わせた。

 

「う、うるさっ!」

「耳いてぇ!」

「――っ」

 

 甲高い声は脳内に響くかのようだ。誰もが咄嗟に掌で耳を塞ぎ、プレイヤーに擬似《行動不能(スタン)》状態を作り出す。そして奇声が止んだ瞬間、《首狩りジャック》は《エクスキューショナー》を両手で握りしめながら、プレイヤー達に突っ込んできた。

 

「があっ!」

「うわあっ!」

 

 防御姿勢どころか剣を構える事すらしていなかったため、《首狩りジャック》に一番近かったプレイヤー達は横に払われた剣に吹き飛ばされ、地面を無様に転がった。

 

「みんな、一旦落ち着こう! 焦らずやれば大丈夫だよ!」

 

 不意打ちによる動揺が広がる前に、ユキが皆を冷静にさせようと声を張る。

 

壁戦士(タンク)隊用意! まずはあの大きな剣を受け止めよう!」

 

 ユキの指示で重厚な盾を持った《血盟騎士団》の壁戦士(タンク)が前に並び、盾を身体の正面に構えて剣を受け止める準備に入った。

 再び巨大な剣が振るわれるが、屈強な壁戦士(タンク)達は一歩も後ずさることなく受け止めた。そして一瞬の隙を逃さぬように、後ろで控えていた剣士達が突っ込んで行く。

 

「はあっ!」

 

 その中には便乗して入ったカイトの姿もあった。黄緑色のライトエフェクトを引きながら繰り出す、片手剣上段突進技《ソニックリープ》が《首狩りジャック》の胴体部分を貫いた――――筈だった。

 

「?」

 

 カイトの剣は確かに刺さっている。剣先から根元まで深々とボロボロのローブを貫いているのだが、おかしなことに()()()()()()()()()

 

「うわっ!」

 

 ボスが左手でカイトを払い、地面に叩きつけた。叩きつけられた衝撃から立ち直って身体を起こすと、ボスは両手で剣を握り、真上に持ち上げて大きく振りかぶっていた。

 

「――って、うおぉ!」

 

 身体の向きを変えてボスに背を向けると、間髪入れずに右足で踏み切って前方に飛ぶ。その際ボスの剣が足のかかと部分を掠めてHPが減少したが、直撃するよりはマシだろう。間一髪助かった、といった所だろうか。

 

「何してるんだよカイト。技後硬直(ポストモーション)の時間を考えても、ボスの前にいすぎだったぞ。あの場合はすぐに後退しないと」

「ちょっと待て。流石にオレでもそれぐらいはわかってるぞ。……ただ、あいつにソードスキルを使った時、手応えが全然なかったんだよ」

 

 転がり込んだカイトにキリトが話しかけた。油断していたであろう彼に対して注意を促したが、どうも先の行動には何か理由があるようだ。

 

「それは一体どういう……」

「それがわかれば苦労しないよ。とりあえず手応えがないって事は、あのローブの下はダメージが通らないかもしれないって考えてよさそうだ」

 

 他のプレイヤーにもこの情報を広げるため、カイトは大きな声を出して伝える。それ以降、的は小さいが比較的狙いやすい高さにある手、もしくは位置は高いが的が大きいカボチャの頭を狙う方針で戦闘が進んだ。

 

 

 

 

 19層に出現するというのを踏まえれば少々手強い相手だったが、それでもせいぜい良くて30層後半クラスの強さ。攻略組のメンバーで押し切ればそこまで苦戦するような相手でもなかったため、30分弱で倒すことが出来た。

 そしてカイトが初撃で感じた『手応えがない』という理由はあっさりとわかった。

 ボスの纏っていたローブは耐久値が切れてしまい、戦闘の途中で崩れ去ったのだが、ローブの下は()()()()()()()のだ。つまり最初から胴体などなく、元々あるのはカボチャの頭と左右の手だけだったので、彼の初撃は何もない空中に向かって放ったようなもの。『ローブの下には身体がある』と勝手に認識し、ありもしない身体を脳内で補完していただけだった。

 

「いやったぁ!」

 

 LA(ラストアタック)を決めたユキが両手を上に突き出し、喜びを身体全体で表現している。《聖竜連合》のメンバーは悔しそうにしていたが、《血盟騎士団》の団員達はその光景を微笑ましそうに見守っていた。

 

「ユキさん! どんなアイテムがドロップしたんスか?」

「んー、ちょっと待ってね」

 

 団員に言われてユキはLA(ラストアタック)ボーナスの確認を行う。その他のプレイヤー達も何か良いアイテムがドロップしていないか、各々が確認作業に入った。何もなく落胆する者、まずまずといった顔をする者、お気に召すアイテムを手に入れて喜ぶ者など、その反応は様々だ。

 

「キリトは何か良いのあった?」

「何も。そっちは?」

「こんなのがあった」

 

 カイトはメニューを操作してアイテムをオブジェクト化すると、右手に《首狩りジャック》と同じような顔を模した小さなカボチャの提灯が現れた。

 

「名前は《魔除けの提灯》。効果はこれを持ってる間、使用者はアストラル系のモンスターに遭遇しなくなるらしい」

「アストラル系だけって……随分限定された効果だな」

「でもこの先そういう階層が出てきたら、フィールドや迷宮区の探索をする際に役立つぞ。それまでは日の目を見る機会はなさそうだけどな」

 

 そう言ってカイトは《魔除けの提灯》をアイテムストレージに格納した。

 

「さて、それじゃあ帰りますか」

「カイト、キリト」

 

 名前を呼ぶ声がしたので二人が振り向くと、ユキが後ろ手を組んで立っていた。他の団員達は先程までの位置と変わらない場所で仲間達と会話をしている。どうやら彼女が一人だけで来たようだ。

 

「何か良いの手に入った?」

「うーん……今はまだ使い所がないやつなら……。そっちは?」

「私はね、筋力値と敏捷値が上がるアイテムがドロップしてたよ。多分これがあのボスのLA(ラストアタック)ボーナスなんだと思う」

「へぇ……すごいな」

 

 このSAOではステータス、つまり筋力値や敏捷値はレベルを上げる以外だとアイテムで上昇させるしかない。そしてこのステータスを上げるアイテムというのは中々に重宝され、希少価値の高いものが多く、ほとんどがレアアイテムに分類されている。

 

「それで突然だけど、二人とも私の手が届く位置まで来て……ほら早く」

 

 言われるがままに動き、彼女の目の前まで来ると横に並んで立ち止まる。

 

「それじゃあ次は口を開けて。開けたらそのまま動かないでね」

 

 今度は口を開け、そのままの状態で固まった。するとユキは後ろにまわしていた両手を前に持ってきて、指先でつまんでいた何かを二人の口の中に入れた。

 

「はい、もういいよ」

 

 ユキのOKが出たので二人は口を閉じる。すると口の中に固形物が入っているのを感じとり、ほのかに甘さも認識できた。試しに噛んでみるとサクサクした食感と共に甘さが口の中全体に広がり、細かく噛み砕かれたそれを飲み込むと、二人の前にシステムウィンドウが表示された。それはステータスの上昇を知らせるものだった。

 

「実はステータスが上がるアイテムって、クッキーだったんだ。袋に沢山入ってたから後でギルドのみんなにも分けるけど、折角だし二人にお裾分け!」

 

 そして彼女はカイトとキリトの腕を掴み、顔を二人の耳元に近付けて――。

 

「みんなには内緒だよ」

 

 ――内緒話をするかのように、小声で一言だけ呟いた。

 

 言い終わると耳元から顔を離して二、三歩下がる。

 

「それじゃあ、またね!」

 

 ユキは再び団員達の元へと戻って行った。一瞬の出来事に唖然としたが、二人の間に流れた沈黙をカイトが先に破った。

 

「……キリト」

「……何だ?」

「オレ……少しドキッとした」

「あぁ……今のは……反則だろ……」

 

 火照った身体を冷ますため、《首狩りジャック》がもう一度出現するのを切に願う二人だった。




補足

・《首狩りジャック》が出現した北フィールド以外の他三つは、出現するボスもドロップアイテムも全く別になります。

・作中で擬似《行動不能》状態とありますが、簡単にいえば怯んだだけです。プレイヤーはその気になればしゃがんで攻撃を回避するぐらいは出来ました。

・《魔除けの提灯》の効果は実際のジャック・オー・ランタンを参考にしています。

これで一章終了です。次回から二章に入ります。
二章は独自設定が多いので、後書きで補足説明することが多いかもしれません。ご了承下さい。

次回は第二のクォーターポイントボス戦からになります。


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第2章 -流星の絆-
第11話 序章と第二のクォーターポイント


ここから第2章に入ります。
出だしは第50層フロアボス戦の直前となります。原作に沿って『金属製の仏像めいた多腕型ボス』でイメージしましたが、それ以外の名前等は独自のものです。



 クリスマスイベントから3日後の12月28日。第49層が攻略されてようやくアインクラッドのハーフポイントに到達し、ゲーム開始当初は不可能と考えられていた全階層攻略も徐々に現実味を増してきた。このペースで行けば早くて一年、遅くとも二年後には現実に帰れると、プレイヤー達の間で希望が見え始めていた。

 

 そしてさらに一週間後の1月4日、とうとう迷宮区最上階にあるボスの部屋を発見し、すぐに偵察部隊を結成してボスの偵察に向かった。

 

 ボス部屋はまるでお堂のような造りで、部屋の中央には金属製の仏像めいた多腕型ボスが鎮座していた。武器を何も持っていない分攻撃速度は早く、掌底打ちや貫手(ぬきて)による素手の攻撃を試みてくる。そして何より見た目に即して防御力がとてつもなく高い。仮に攻撃がクリティカルヒットしたとしてもボスのHP減少率は微々たるものらしく、今回のボス戦は長期戦が予想された。

 

 第50層ボス攻略会議で以上の情報が偵察隊のプレイヤーから報告される。そして今回のボス部屋は大人数を収容できるほど広くないらしく、第一陣と第二陣に分けて挑むことが決定された。

 第一陣にリンド率いる《聖竜連合》、クライン率いる《風林火山》とその他ソロ等がボス部屋で戦闘を開始する。

 続いて第二陣はヒースクリフ率いる《血盟騎士団》が控える。こちらは第一陣の戦闘状況をみて突入する手筈になっている。

 

 レイドリーダーを務める《聖竜連合》のギルドマスター・リンドが以前から《血盟騎士団》にライバル心を抱いているのは有名な話だ。今回のボス戦で《聖竜連合》含む第一陣だけでボスを倒し、『《聖竜連合》が攻略組最強ギルドの名を冠するに相応しい』というのを証明するための布陣でもあるようだ。

 

 翌日、ボス攻略に参加するプレイヤー達が迷宮区最上階にあるボス部屋の前へと集い、各自装備やアイテムの最終チェックを行う。カイトは早々に準備を終え、壁にもたれて座っていると、前から頭に赤いバンダナを巻いた侍姿のクラインが近寄ってきた。

 

「よぉ、カイト。今日もお互い生きて上に進もうぜ」

「オレのがクラインよりレベルが上だから、死ぬ可能性はそっちのが高いぞ」

「うるせっ。まぁ今回も頼りにしてるぜ、《掃除屋》」

 

 《掃除屋》。それはカイトの二つ名だった。

 以前第37層で昆虫型のフロアボスを相手にした時があったのだが、その時のボスはHPバーが赤くなると大量の卵を産み、『ボスの部屋にいるプレイヤーと同じ数だけMobを召喚する』というタイプのものだった。一時的に戦線は混乱したのだが、複数のモンスターを同時に相手するのを得意としているカイトにとって、数が異常に多いのを除けばやることはいつもと変わらない。瞬く間に複数のMobを相手取り、次々と葬っていったのだった。

 そしてボス戦終了後の《Weekly Argo》で『召喚されたMobの半分以上は彼一人で倒した』に加え、『第37層ボス戦で最も活躍したプレイヤー』と報じられて以降、自然と《掃除屋》の二つ名が定着したのだった。

 ちなみに実際の数はカイト自身数えていた訳でもないからわからず、この報道は本人曰く『アルゴの誇張表現』らしい。

 そしてクラインは、()()()()()()で《掃除屋》という言い方をした。

 

「いや、今回オレの出番はないだろ」

「わかんねぇぞ。もしかしたらMobでちっさい仏様が出てくるかもしれんだろ?」

「なんだそれ」

 

 クラインの冗談に思わず笑みがこぼれる。これはボス戦前の緊張をほぐすために行う、彼らなりのやり方だ。

 

 デスゲームが開始されたあの日、広場に戻ったクラインが自分と同じビギナーの仲間を引き連れ、攻略組に追いつくのは並大抵の努力ではなかったはずだ。そんなクラインが初めて攻略組の仲間入りを果たした時に言った言葉を、カイトは今でも覚えている。

 

『やっとおめぇら二人に追いついたぜ!』

 

 拳を前に突き出し、野武士ヅラの笑顔でそう告げたのだ。『やっと』という文字にすればたったの三文字にしかならない言葉だが、それだけで彼の今までの苦労を察し、目に見えない汗が彼の頬を伝うのが見えた。

 

 そしてクラインにとって初めてのフロアボス戦前に、肩に力が入っている彼を見兼ね、カイトは緊張をほぐす為に話を振った。

 

『クライン、何かこの場と関係ない事を考えてみなよ。クラインの興味がある話題とかさ』

 

 突然そう言われたクラインは考え込み、ある話題を口にする。

 

『カイト……おめぇは胸と尻、どっち派だ?』

 

 クラインの口から出た言葉はカイトにとって予想の斜め上をいくものだった。あまりに真面目な顔で聞いてきたので、カイトは吹き出し大笑いしてしまう。そんな彼の反応を見たクラインは『笑い事じゃねぇ! 大事な事だろ!』『いいか? まず……』と、あまりに熱く語り出し、たまたま近くにいたユキが若干引いてたのをクラインは知らない。

 それで緊張がほぐれたクラインはカイトに礼を言い、初のフロアボス戦で見事な活躍をした。それ以降ボス戦の前はくだらない話題や冗談を言い合い、お互いがリラックスするための習慣のようなものと化していた。

 

「まっ、おめぇを頼りにしてるのは本当だからよ。頼むぜ!」

「カイト、クラインさん」

 

 クラインの背中側から声がした。

 そこには血盟騎士団の白い制服に身を包み、先日カイトがプレゼントした《アングウェナン》を腰に差したユキが立っていた。

 

「今日のボス戦、二人は第一陣だよね? 無茶はしないでよ」

「わかってるよ。心配してくれてありがとう」

「特に今回は……25層以来のクォーターポイントだから……」

「あぁ……それもわかってる」

 

 二人にとっては忘れられないあの日の出来事。

 巨人に殺されていく仲間達。仮想世界独特であるプレイヤーの砕ける身体と破砕音。あの日幾度となく見た光景と聞いた音は、今でも生き残っている攻略組プレイヤーの脳裏に焼き付いている。

 そして何よりカイトとユキにとっては、初めて本当の『死』を覚悟した瞬間があった。二人の前に立ち、武器を高く掲げて振り下ろしの準備モーションに入る双頭の巨人。敵の動きはスロー再生をしているかのように(のろ)く感じても、身体はピクリとも反応しない。黒衣の剣士と白の閃光がいなければ、二人は25層最後の犠牲者になっていた未来も考えられた。

 

「私は偵察で実際に戦っているから分かるけど、本当に硬いからね。こっちの消耗が思ったより激しかったから、攻撃パターンを見極める事しか出来なかったけど……」

「それだけでもこっちとしては十分助かってるよ。情報なしで挑む事程怖いのはないから」

「違いねぇ。まぁなんにせよ、これでやっと半分だ。……なぁカイト、これが終わったらキリトも誘ってメシでもどうだ?」

「クライン、それ死亡フラグに聞こえるぞ」

「馬っ鹿野郎、現実(リアル)に戻るまでは死ねるかよ! ……そ、それで……ユ、ユキさんも良かったらメシ、どうですか?」

「へ? 私?」

 

 てっきり男同士でご飯を食べる約束なのかと思っていたユキだが、どうやらそうではないらしい。若干口ごもりながらもクラインは誘いをかけてみた。

 

「私も一緒でいいんですか?」

「も、勿論ですっ!」

「んー……」

 

 ユキは考える素振りをみせたが、すぐに表情は笑顔になった。

 

「わかりました。その代わり、美味しいレストランに連れてって下さいね!」

「よ、よっしゃあぁぁぁぁあ!!」

 

 クラインは天を仰ぎながらガッツポーズし、雄叫びをあげた。突然の声に周囲のプレイヤーはビクッと肩を動かし、何事かとクラインを見るが、当のクラインはそんな事気にもしていない。

 ユキは座っているカイトの隣に来ると、小さな声で話しかけた。

 

「クラインさんって面白い人だね。私、あの人の事ちょっと誤解してた」

「まぁ確かに面白い所もあるけど――――いや、やっぱいいや」

 

 その後喜びの余韻に浸りながらクラインは《風林火山》メンバーの元へ、ユキは《血盟騎士団》の元へ戻ると、すぐにリンドの士気を鼓舞する声が聞こえてきた。

 

「みんな! 偵察隊からの情報で知ってはいると思うが、今回のボスは強敵だ。あの忌まわしい25層のボスに続き、オレ達にとって第二の障害となるだろう!」

 

 リンドの言葉だけがボス部屋前の空間に響く。

 当時は異常なまでの攻略スピードによる弊害もあり、攻略組全体の平均レベルが心許(こころもと)なかった。だが今は違う。全員安全マージンを超えて十分なレベルでこの戦いに挑みにきた。油断は微塵もありはしない。

 

「だがオレ達は歩みを止める訳にいかない。厳しい戦いになると思うが、このメンバーなら勝てると信じている」

 

 リンドの言葉に頷き、それぞれが持つ剣に自然と力が入った。

 

「いいか! 全員生きて、この層を突破するぞ! 準備はいいか?」

 

 全員を眺め回したリンドが皆の表情を読み取った。誰もが闘志を(たぎ)らせているのがわかると背を向け、ボス部屋へ続く重厚な扉に手をかける。そして扉を押すとゆっくり開き、全開となった。

 

「戦闘……開始!」

 

 リンドの合図で第一陣が気迫に満ちた声をあげ、一斉に部屋の中へとなだれ込んだ。全員が部屋に入ると、それを待っていたかのように暗かった部屋にポツポツと明かりが灯り始める。部屋全体が明るくなると、奥で静かに挑戦者達を待ち受けていた不動の影が動き出し、そこで漸くボスの姿をハッキリと捉える事ができた。

 目の前にいたのは三面六臂(さんめんろっぴ)の巨大な仏像《アヴェストラル・ザ・アシュラロード》だった。その姿は後光が差しているかのように神々しいのだが、プレイヤー達にとってはその神々しさも自分達の行く手を阻む忌々しいオーラにしか見えない。三面全ての目がゆっくり開くと六本の腕を高く掲げ、それを合図に第50層ボス攻略が始まった。

 

 50層ボス戦では第一陣・第二陣共にレイド上限の48人をAからHの八パーティーに分け、A・B・C隊は攻撃特化型(ダメージディーラー)、D・E・F隊は壁戦士(タンク)で固まっている。残る二つ、G・H隊は臨機応変に動くことを求められる遊撃部隊であり、カイトはH隊に割り当てられた。

 臨機応変といっても、基本的な役割はA・B・C隊と同じように攻撃だ。ただし仲間の危機や不測の事態が起こった場合、リンドの全体指示がなければそちらを優先、あるいは自分の意思で自由に動く事を許されている。なので常に周囲に気を配り、広い視野と判断力を必要とされた。

 

 重装備で身を固めた《聖竜連合》の壁戦士(タンク)を前面に配置し、ボスの攻撃を受け止めている間、攻撃部隊(アタッカー)が側面から挟むようにして攻撃する手筈になっている。偵察の段階でも取られた、最早定番・定石となった方法だ。

 

 突っ込んでくるプレイヤーに対し、アシュラロードは高く掲げた腕を勢いよく振り下ろしてプレイヤーを襲う。腕一本につき防御力の高い壁戦士(タンク)数人を割り当て、固まって攻撃を受け止める。その間にボスのHPを削る役割を与えられたプレイヤー達が、左右に分かれて突っ込んだ。

 カイトが《フロスト・パージ》で片手剣三連撃ソードスキル《シャープネイル》を足の脛部分に喰らわせる。そしてこのソードスキルの『硬直時間が短い』という利点を活かし、ソードスキル同士を繋げるようにして、片手剣垂直四連撃ソードスキル《バーチカル・スクエア》を繰り出した。

 目線だけ動かしてボスのHPを一瞥して確認すると、確かに事前情報通り高い防御力をもっているのであろう。他の攻撃部隊(アタッカー)も各々のソードスキルを全てヒットさせたが、HPバーの減少率は予想していたより少なかった。

 

「いくらなんでも硬すぎだろっ!」

 

 カイトがそう突っ込まざるを得ないほどだった。

 そして突然、カイトの立っている場所が暗くなった。それはまるで上からの光が何かで遮られているかのように、彼を中心に影ができていたのだ。カイトが反射的にバックステップでその場を離れた次の瞬間、彼の立っていた場所はボスの掌が叩きつけられていた。あと一瞬遅ければペシャンコにされていただろう。

 

「し、死ぬかと思った……」

 

 間一髪で回避できた事に安堵したのも束の間、今度は貫手による突きが自身に迫る。ボスの指先が肩を掠めたが、ギリギリで回避に成功した。しかし、ボスの貫手は勢いを殺さず、カイトの後方にいたプレイヤー達に向かって直進していった。

 

「ぐわあぁぁぁぁぁあ!」

「く、くそっ!」

 

 貫手の攻撃で突き飛ばされた者や、直撃こそしなかったがフロアに着弾した際の衝撃で吹き飛ばされた者。カイトは床に転がっているプレイヤーの腕を掴み、一時的にだが部屋の後方へと後退した。

 

「早く回復を!」

「す、すまねぇ」

 

 倒れていたプレイヤーに回復するよう促すと、カイトはアシュラ王に視線を戻す。事前情報で聞いてはいたが、思ったよりも攻撃速度と次の動作に入るまでの時間が早かったため、頭の中で描いていたイメージとの誤差を修正。そして、他の攻略組も六本の腕を活かした手数の多さに苦戦しているようだ。

 しかし、まだボスの攻撃は続く。

 カイトが駆け寄ったプレイヤー以外にも床に転がっている者が数名おり、その者達に対してボスの正拳突きによる追撃がくる。何名かは壁戦士(タンク)の援護が間に合って凌げたが、1人だけ間に合わずに直撃し、吹き飛ばされてしまった。衝撃で宙に浮き、HPが命の危険を示す赤まで減少する。とどめを刺さんと宙に浮いたプレイヤーに向かって、再びボスは別の腕で正拳突きを繰り出した。

 

「エギル! アシスト頼む!」

「任せろっ!」

 

 宙に浮いているプレイヤーの1番近くにいたエギルと共にカイトも走り出し、フロアを強く蹴って高く跳躍した。それと同時にそれぞれがソードスキルを立ち上げると、システムアシストの恩恵を受けた2人の身体は、重力に従うことなく動く。

 正拳突きを繰り出している腕に向かって、片手剣上段突進技《ソニックリープ》と、両手斧上位単発重攻撃ソードスキル《ウォー・スマッシュ》の切り上げがヒットし、拳の軌道が逸れる。拳は吹き飛ばされたプレイヤーの頭上を通り、なんとか死なせずに済んだ。

 跳躍した2人が、ほぼ同時に着地する。

 

「ありがとな、エギル」

「礼はいらねえ。その代わりにこのボス戦でレアアイテムがドロップしたら、安く買い取らせてくれよ!」

「……相変わらず阿漕な商売してるな」

「おいおい、そこは『商魂たくましいな!』だろ」

 

 傍から見れば『戦闘中だぞ!』と叱られそうな光景だが、裏を返せばまだ心に余裕がある良い傾向だ。

 

「馬鹿やってないで行くぞ、2人とも」

 

 カイトとエギルの間をキリトが走り抜ける。先行した黒の剣士の影を追うように、2人も走り出した。

 

 

 

 

 

 アシュラロードの素手による攻撃が《聖竜連合》の壁戦士(タンク)を襲う。だが《聖竜連合》は攻略組を名乗るギルドだ。持ち前の防御力でボスの猛攻を耐え凌ぎ、盾でボスの攻撃を防いで仲間達にチャンスを作る。そうして得た好機を、壁戦士(タンク)の横から攻撃部隊(アタッカー)が飛び出し、着実にダメージを与えていった。

 

 そしてHPバーの1段目を削り切り、2段目の中程に差し掛かった頃、ある変化が起こった。

 まず1()()()の新しい攻撃パターンとして、素手を地面に叩きつける攻撃を行ってきた。それも1度や2度ではない。目の前にいる小さな虫けらを叩き潰すかのように、6本の腕を全て使い、プレイヤーの頭上から地面に向かって激しく叩きつけた。

 間髪入れずに行う連続攻撃のため、スイッチする余裕もなく、防御力に定評のある壁戦士(タンク)でさえHPを大きく削られる。だが5回ほど素手で叩きつけた後、通常攻撃にも関わらずボスの動きが止まった。これを見た全員が状況から、硬直時間を使用後に課せられる特殊攻撃と判断する。攻撃が止んだのを見計らい、ダメージを受けた壁戦士(タンク)が1度後退して回復しようとした、その時だった。

 新しい攻撃パターンの2()()()。アシュラ王の右腕1本が、橙色の輝きを放つ。動き出した右腕は後退し始めていたプレイヤー達に向かって真っ直ぐ進み、捉えた瞬間にすくい上げた。巻き込まれたプレイヤー達が、高々と宙を舞う。

 

(体術スキル!?)

 

 体術単発ソードスキル《浮雲(ウキグモ)》。

 プレイヤーが使用する場合はいわゆるアッパーの動きになる。しかし、アシュラロードが使うと自分よりも身体の小さいプレイヤーに対して放つため、どうしてもアッパーには見えず、ただ掌で地面をすくったようにしか見えない。

 そして偵察隊からはボスが体術スキルを使用するという事実を、この場の誰も聞いた覚えはなかった。

 

(HPの減少率? それとも時間経過が発生条件か? ……いや、それよりもアレは……マズイ!)

 

 《浮雲(ウキグモ)》自体に懸念する程の威力はないが、このソードスキルを使用する場合、その狙いは別にある。

 《浮雲(ウキグモ)》は硬直時間が短いのに加え、当てた敵を宙に浮かせる効果を持つ。そして次の攻撃に繋げるのが、このソードスキルを使用する本来の目的だ。つまり、()()()()()()()()を意味していた。

 アシュラ王は肘を曲げて4本の腕を少し後ろに引き、人差し指と中指の2本を立てる剣訣指(けんけつし)の構えを取る。指先が光を帯びると、空中に放り出されてなす術がないプレイヤー達に向かって、腕を勢いよく突き出した。

 

 体術単発ソードスキル《球突(キュウトツ)》。

 同じ単発ソードスキルの《閃打(センダ)》とは比にならない威力と貫通性能に加え、クリティカルヒットの発生確率が高い体術専用ソードスキル。《球突(キュウトツ)》をまともに喰らったプレイヤーの内、2人は指先で貫かれたまま貫通継続ダメージによって砕け散り、残りは地面に着地する前に消滅した。

 

「あいつ、体術スキルを使うのか……」

 

 カイトの隣にいたキリトがポツリと呟く。

 順調かと思われたボス戦でとうとう戦死者が出てしまった。ポリゴン片となったプレイヤーを見て周囲に動揺が走る。

 

「うろたえるな! 壁戦士(タンク)を二重に配置してPOT(ポーション)ローテでまわす! D・E・F隊はこまめにスイッチを繰り返して回復! HPは常に安全域(グリーンゾーン)維持を心掛けろ!」

 

 全体指揮を取るリンドの指示がプレイヤー全体に行き渡る。変化する状況に即対応し、的確な指示を飛ばす彼の手腕にカイトは感服した。SAO最強プレイヤーといわれるヒースクリフと、美貌と実力を兼ね備えたアスナの二人がどうしても目立ってしまうが、彼もまた、攻略組トッププレイヤーの一人なのだ。

 

「A・B・C隊に加え、G・H隊も隙あらばどんどん行け! 仲間を死なせたくなかったら一撃でも多くダメージを与えろ!」

『おう!!!!』

 

 ボス部屋にいる全プレイヤーが、リンドの指揮に呼応する。

 アシュラ・ロードの攻撃に対抗するため、《聖竜連合》の壁戦士(タンク)は腰を低くして盾を構えた。先程と同じように頭上からの叩きつけによる連続攻撃。これを全て耐えると、ボスの動きが停止した。

 普段後方から彼らを見る機会が多い者たちにとって、今回ほどその後ろ姿を頼もしいと思ったことはない。攻撃を受けて尚微動だにしない彼らは、まさに攻略組にとっての『最強の盾』と呼ぶに相応しい。

 

「今だ! いけ!」

『うおぉぉぉぉぉお!』

 

 そして『最強の矛』の役目を担う攻撃特化型(ダメージディーラー)が攻撃に耐え忍んだ壁戦士(タンク)に代わって、各自の持つ最適なソードスキルを叩き込む。

 カイトもアシュラ・ロードに剣技をふるうため、青白い残光を放つソードスキルを発動した。

 

 

 

 

 

 そしてこの後、彼らは思い知る。

 

 これは『本当の戦い』の序章にすぎないということを――。




ボスが使用した《球突》はジャンプで連載していた某格闘漫画から拾ってきました。

今回ちょっとずつ他のキャラにもスポットを当てたので、気のせいかいつもよりカイトの影が薄い……?


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第12話 乱入と混乱

「D隊! 右からの攻撃に注意しろっ! F隊は二手に分かれてD・E隊のフォローに回れ!」

 

 リンドの指揮でF隊が2人ずつに分かれ、D・E隊の助太刀に入る。

 あれ以降ボスの攻撃パターンに変化はない。各隊もボスの動きに慣れ、各々柔軟に対応していた。

 

「スイッチ準備! …………今だっ!」

「うおぉぉぉお!」

「どりゃあぁぁぁあ!」

 

 攻撃部隊(アタッカー)がスイッチし、アシュラロードにソードスキルを喰らわせる。たとえ防御力が高くても、それはHPが『減りづらい』だけであって『減らない』訳ではない。《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルでもない限り、HPの減少を止めることなど出来はしなかった。

 

「最初はどうなるもんかと思ったが、このまま案外あっさりいけそうだな」

「油断するなよ、クライン。そうやって余裕かましてる奴が真っ先に殺られるってオチはよくあるからな」

「何言ってんだ。(おとこ)クライン、侍たる者は敵前で気を緩めるなんて真似、絶対にしねえよ!」

 

 攻撃を加えた後に壁戦士(タンク)とスイッチし、今は一時後退中のカイトとクライン。2人は次の攻撃に備えてボスの隙を伺っていた。

 死者こそ出てしまっているが、それ以外は順調といえた。各自HPの管理は徹底しているし、何かあったとしても、G・H隊のフォローが早いおかげで危機的状況に陥る前に対処し、戦線は非常に安定している。

 

「全隊スイッチ準備! 今の攻撃が止み次第、もう一度突撃するぞ!」

 

 リンドの指示が再び飛ぶ。フロアにいる全プレイヤーの意識は目の前のボスだけに集中し、僅かな挙動を一つも見逃さない。耳に入るのは武器がボスの身体とぶつかる音、リンドの指揮だけ。

 

「了解!」

「――っ――――」

「了解…………んっ?」

 

 彼らは前方のボスだけに全神経を集中していた。倒すべき敵が目の前にいるのだから当然である。なので、ボス部屋入り口付近で待機している第二陣《血盟騎士団》の注意を促す声が、彼らの耳にうまく入らなかった。空耳だろう、と聞き流してしまう程に。

 

「なぁ、今声が――」

 

 次の瞬間、ボス部屋中に轟音が響く。音の発生源は部屋の後方、さらに言えば天井からだった。天井からフロアへと破片を撒き散らすが、すぐに破片はポリゴン片となって消失。それと同時に上から降ってきたのは、1体の仏像だった。

 現れたのは一面二臂で茶褐色の巨躯、中世的な顔立ちの仏像型ボス。右手には五鈷杵(ごこしょ)型のヴァジュラを所有し、着地の瞬間周囲に雷撃エフェクトを放って登場した。モンスターの頭上に、《ヴリトラハン・ザ・インドラ》の名前と、アシュラ王と同じ5本分のHPバーが表示される。

 

「もう1体……」

 

 もう1体のボスが参入したことで、プレイヤーに動揺が走る。

 過去にもフロアボス戦でボスを2体相手にした事があったが、正直今回その可能性はあってほしくなかったと誰もが感じていた。いや、そもそも最初からその可能性を視野に入れていなかった。心の中で小さな絶望の種が生まれる。

 

 そして、その絶望をさらに大きくさせる出来事が、続けて起こった。

 

 《ヴリトラハン・ザ・インドラ》が出現した天井の穴から、人より少し大きい4体の仏像型モンスターが降ってきた。それぞれ姿形は同じだが、刀・片手剣・槍・棍棒といった具合に、皆異なる武器を手に持った《ザ・ガーディアンズ》という名のモンスター達。こちらはHPバーが3本表示された。

 

「おいおい、マジかよ……」

 

 クラインに限らず、誰もが目の前で起こっている状況に思考がついていかない。

 ここは第50層、第2のクォーターポイント。25層と同じように、何かが起こると予想はしていた。しかし戦闘が順調に進むにつれ、誰もが心の何処かで淡い期待をしていたのだ。『これ以上何も起こらなければいいのに』と。

 

 だが、実際は違う。

 予想は裏切らず、期待だけを見事に裏切った。

 

 部屋の中央で2体のフロアボスと4体のMobに挟まれ、どれを相手にすれば良いのか、その判断に誰もが迷う。全体指揮を執るリンドも、討伐隊をどう分散すべきなのか、その判断と指示が咄嗟に出来なかった。

 そしてその迷いを、ボス達は見逃さない。

 インドラが動き出した。部屋の中央で右往左往しているプレイヤーの集団に突っ込み、右手に持っているヴァジュラを思い切り振り下ろす。

 

「固まるなっ! 散れ!」

 

 突然の行動に戸惑いながらもリンドの声に反応し、ヴァジュラ自体は皆反射的に回避した。直撃した者は1人もいない。しかし、それだけでは不十分だった。

 

「――っが!?」

「ぐあっ!」

 

 プレイヤーを狙ったヴァジュラはそのまま床に叩きつけられると、ボスの出現時と同じ雷撃エフェクトが着弾点を中心に走る。周囲にいたプレイヤーはHPが少しだけ減少した。だが、問題はそこではない。

 

(麻痺!?)

 

 ダメージを受けた者は、状態異常の中で最も避けたい麻痺状態に陥る。HPバーが黄色く点滅し、プレイヤーは力なく膝から崩れ落ちた。

 そこへガーディアンズの4体が武器を手に、追撃を試みる。それぞれが倒れているプレイヤーを切り裂き、突き、叩く。動けない者は抵抗することすら出来ず、安全域(グリーンゾーン)だった筈のHPが瞬く間に注意域(イエローゾーン)危険域(レッドゾーン)と下がり、最期にはその身をポリゴン片にして爆散した。

 最期の言葉は聞こえなかった。聞こえたのはガラスの破砕音のみ。

 

「う、うわあぁぁぁあ!」

「て、転移! 《パナレーゼ》!」

「転移! 《ミーシェ》!」

 

 麻痺状態になった無抵抗のプレイヤーを容赦無く襲う。そんな光景を見た者達が1人、また1人と恐怖し、転移結晶によって緊急脱出。だが誰もそれを咎めることはしない。寧ろそれは身の危険を本能が感じ取った、純粋な反応だからだ。

 

「キリト!」

 

 ヴァジュラの範囲攻撃を喰らいながらもただ1人、()()()()()()()()()()()カイトが、動けないキリトの元へ行き、アイテムポーチから解毒結晶を取り出した。

 

「キュア!」

「くっ……ありがとう、カイト」

 

 解毒結晶をキリトの背中に当ててコマンドを叫ぶと、麻痺状態が解除された。それを確認すると、すぐさま麻痺で動けない他のプレイヤーへ駆けつける。

 遊撃の役目を負っているG隊とカイト以外のH隊は、ガーディアンズに狙われたプレイヤーを庇っているため、現時点で彼が行うべき行動は倒れている仲間の救助が最優先と判断した。キリトは麻痺状態になりはしたが、HPはさほど問題視するほどではない。動けるようになったらあとは自力でなんとかしてもらう。ヴァジュラの攻撃を喰らった犠牲者1人や2人ではなかった。

 今度は《風林火山》リーダーのクラインの元へ行き、麻痺状態を解除しようとしたのだが――。

 

「カイト……逃げろ……」

 

 ――彼の隣で解毒結晶を取り出した時、インドラが目前に迫っていた。ヴァジュラを振りかぶり、今まさにクラインとカイトの2人をまとめて始末しようとしていた。

 

「くっそ!」

 

 解毒していては2人ともヴァジュラの打撃を直撃し、大ダメージが予想される。それならばいっその事ソードスキルで立ち向かい、完全に弾く、あるいは防げなくとも軌道を逸らし、ダメージを最小限に抑えるのが得策だとカイトは判断した。

 一先ずクラインの解毒は後回しにし、片手剣のソードスキルを立ち上げてヴァジュラを迎撃しようとする。

 

 しかし、その必要はなくなった。

 

 2人の前に赤を基調とした鎧に剣と十字盾を持った、《血盟騎士団》団長のヒースクリフが颯爽と現れたからだ。

 ヒースクリフは2人を庇うように立ち、身体の正面に十字盾を構えたのだが、不思議なことに盾がライトエフェクトを帯びていた。

 神聖剣中位不動防御型ソードスキル《パッシブ・ガードナー》とヴァジュラが衝突し、雷撃エフェクトが発生。しかしヒースクリフは麻痺状態にならず、技後硬直(ポストモーション)が解けると、あろうことか盾でヴァジュラを押し返し、盾を地面と水平にして打突攻撃を繰り出した。

 インドラが盾の打突によるノックバックでフラついている所に、ヒースクリフは垂直切りと水平切りで十字を描く、神聖剣中位二連重攻撃ソードスキル《ハルブレッグ・ディスカトール》で追撃した。

 この世界は現実世界のように、質量で力の大きさが決まるわけではない。そうだと分かってはいるものの、インドラの巨躯が尻餅をつく姿に、助けられた2人は思わず唖然とした。

 

「す、すげぇ……」

「………………」

 

 クラインは感嘆の声を漏らし、カイトはポカンと口を開けて言葉が出てこない。2人が驚くのも無理はなかった。

 まず十字盾がライトエフェクトを纏い、ソードスキルを発動したこと。

 SAOには《盾》スキルというものが存在し、これは盾を装備している者ならば必ずと言っていい程スキルスロットを埋めている必修スキルである。防御力の上昇・被ダメージの軽減・その他のステータス補正といった恩恵を受けるが、武器カテゴリーに属しない盾がソードスキルを発動するのはあり得ない――――にも関わらず、ヒースクリフの十字盾はソードスキル特有のライトエフェクトを発したのだ。

 次に、盾でボスを攻撃したこと。

 SAOでは片手剣や両手剣をはじめとする武器で攻撃すると、敵にダメージを与えることが出来る。だが防具カテゴリーに属する盾で殴ったとしても、ノックバックの発生が起きるだけでダメージの発生はない。しかしカイトは確かに見たのだ。ヒースクリフがボスを盾で殴った際、敵のHPが僅かながら減少したのを。

 最後に盾の剣技を含め、インドラを突き飛ばしたソードスキル。アインクラッドに閉じ込められて約1年2ヶ月経つが、一度も見た事がない初見のソードスキルだった。

 

「ふむ……どうやら間に合ったようだね」

 

 美しく響くテノール声が、カイトの鼓膜を震わせる。振り返ったヒースクリフは涼しげな顔で2人を見た。

 

「……あっ――キュア!」

 

 呆気に取られていたカイトは、左手に握っていた解毒結晶でクラインの麻痺を解除した。クラインの身体が自由を取り戻す。

 

「なんだよ……今のは……」

「……人前で使うのは初めてだね。私の奥の手ともいえるエクストラスキル《神聖剣》だ。……いや、正確にはユニークスキルと表現するのが正しいかな?」

 

 ユニークスキル。

 それはエクストラスキルのように、一定条件を満たした者だけが習得できる特別なスキルの事だが、ユニークスキルはエクストラスキルと決定的な相違点がある。それはゲーム内で『たった1人にしか発現しないスキル』だということだ。つまりこの《神聖剣》と呼ばれるスキルは、SAOでヒースクリフにのみ使用を許されたスキルだった。

 

「このような状況では、私も出し惜しみはしない。全力でいかせてもらう。……さて、私がここに来たのは理由がある。カイト君に頼みがあったからだ」

「頼み事……?」

「新たな敵の出現と大量の離脱者が出た結果、今や戦線は完全に瓦解した。我がギルドの団員達には既に伝えてあるが、《血盟騎士団》は今から戦線を立て直すために動く。アスナ君達にはこの場で討伐隊の再編成を、私とカイト君はその時間を稼ぐため、新たなボスと4体の取り巻きを引き付ける」

「はあっ?!」

 

 カイトの代わりにクラインが声をあげた。ヒースクリフが言った事の解釈を間違えていなければ、たったの2人で今から5体ものモンスターを相手にすると言いたいらしい。

 

「正確には私1人でボスを、カイト君には取り巻きの相手をしてもらいたい」

「ふ、ふっざけんな! 自分が何言ってるかわかってんのか!?」

「無論だ。私はまだ耄碌(もうろく)するほど年を取った覚えはないからね。以前の37層の実績を踏まえ、彼が最も適性だと判断した」

「てめぇはこいつを殺す気か!」

 

 クラインがヒースクリフの胸ぐらを掴むため、右腕を伸ばしたが、その腕をカイトが掴んで静止させる。

 

「……何分だ? 何分保たせればいい?」

「お、おいっ! カイト!」

「とりあえずは5分といった所だ。それ以上は私も要求しない。討伐隊の再編成がされれば、私と君の元へはすぐに救援が来る手筈になっている」

 

 カイトはヒースクリフの頼みを断らず、引き受ける姿勢をみせた。

 

「わかった。やってみる」

「それならオレも」

「いや、クラインは他のメンバーの救援に行ってくれ」

「で、でもよぉ」

「気持ちだけ有難く貰うよ。俺は大丈夫だから」

 

 現在のボス部屋は混沌としていた。

 麻痺状態で未だ動けない者、ボスと取り巻きの攻撃から庇う他のメンバー、そして依然として猛威を振るうアシュラ・ロードに手を焼いている者達。なにより強力な敵の出現に恐れをなし、転移結晶で離脱したプレイヤーが多すぎたため、圧倒的な人員不足に陥っていた。入り口で控えていた第二陣を加えても、ギリギリといったところだろう。

 そういった物理的影響もさることながら、心理的影響も大きい。

 離脱者はともかく、死者が多数出てしまったのが問題だった。目の前で仲間が死ぬ瞬間を見るのは、どうあってもプレイヤーの精神(メンタル)にショックを与える。その相手が親しい者ならば尚更だ。初期から攻略組として参加しているプレイヤーでさえ、微塵も動揺しない訳ではない。

 クラインも一ギルドのリーダーとして、仲間の安否が心配である筈だ。今の所ギルドメンバーに死者は出ていないが、刻一刻と変化する状況では1分後の未来も読めない。

 VRワールドとはいえ、今彼らが動かしている身体と精神は密接に連結している。彼の手助けはカイトとしても非常に有難いが、心に不安を抱えたまま武器を振るって欲しくはなかった。

 

「ヒースクリフの言ったように、5分は保たせる。その間にクラインは皆と一緒に戦線の安定を図ってくれ。やらなきゃいけない事は山程あるんだから、今この時間ですら惜しいくらいだ」

「…………」

 

 クラインの顔は、判断に迷っていた。ギルドメンバーの安否も気掛かりだが、目の前の友人を置いてこの場を任せるのも嫌だと、はっきり彼の顔には出ていたのだ。

 

「兎に角、多対一は慣れっこだから心配しないでくれ。5分ぐらいなら耐えられるさ。それに俺のためを思うなら、早く討伐隊の再編成をして、1秒でも早く駆けつけてきてくれよ。……だから早く行け」

「……わかった。おめぇがそこまで言うなら、そうする。すぐに助太刀に行くからな!」

 

 クラインはカイトに背を向けて走り出した。彼の言葉を信じて、必ず助けに戻ると心に誓って。

 

「……さて、と。まずはタゲ取りからか……。それにしても、こんな作戦をよくアスナが許したな」

「アスナ君もだが、ユキ君にも最後まで反対されたよ」

「そっか……」

「では行こう。私がボスを引きつけている間に、君は取り巻きを頼んだよ」

「了解」

 

 《聖騎士》と《掃除屋》が駆ける。

 ヒースクリフはボスとボスに相対していたプレイヤーの間へと入るように割り込み、盾でプレイヤーを庇う。そして先程と同じように《神聖剣》のソードスキルで立ち向かった。

 その隙にカイトは取り巻き4体のタゲを取るため、アイテムストレージから4つのアイテムをオブジェクト化した。それは見た目が泥団子のような物だった。

 

「……ふっ! ……だあっ! ……やあっ! ……せいっ!」

 

 泥団子は4体のガーディアンズの身体に命中。当たった瞬間泥団子は割れ、嫌な臭気を放つ。泥団子の正体は肥やし玉だった。

 通常敵モンスターの憎悪値(ヘイト)を自身に向けさせるには、攻撃を加えて上昇させるか専用のスキルが必要になる。それ以外で手っ取り早く憎悪値(ヘイト)を上昇させてモンスターの意識を自分に向けさせるのが、この肥やし玉アイテムだ。

 肥やし玉の臭気にあてられ、4体のガーディアンズはカイトにタゲを変更した。それを確認した彼はアシュラ王とインドラから距離を取るため、周囲に誰もいない部屋の隅へと誘導する。

 

(……とは言ったものの……正直5分でもキツイ……)

 

 今から戦う相手は、37層で殲滅したMobとはおそらくレベルが違う。その時のMobは数が多かったが、ステータス自体はそこまで脅威ではなかった。しかしあの時と違い『数』は少ない分、『質』の高い敵であるのは間違いなかった。

 

(……あれだけ堂々と明言したんだ。やれるだけやってやるさ)

 

 部屋の隅に来たところで立ち止まり、敵に向けていた背中を反転させて振り返る。

 

 誰の助けも来ない5分間、たった一人の戦いが始まろうとしていた。




ボスの名前はヒンドゥー教に出てくる神様の『インドラ』ですが、仏教で出てくる『帝釈天』の姿をイメージして書いてます。名前は違いますが、両者は同一神です。

取り巻き四体は帝釈天に仕える四天王(持国天・増長天・広目天・毘沙門天)をイメージしています。

解毒結晶を使用する際のコマンドが不明だったので、取り敢えずは『キュア』で代用します。



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第13話 孤軍奮闘と獅子奮迅

今回主人公が複数の取り巻きと戦いますが、敵の名前と姿はどれも同じ設定のため、武器の種類を設けて区別しています。



 カイトは静かに目を閉じた。視界を強制的にシャットダウンし、余計な情報が入ってこないようにする。

 目を閉じた彼が次にしたのは、心を落ち着かせる事。焦りや不安は身体の動きと剣を鈍らせ、恐怖をはじめとする負の感情は視野を狭める。それは1年以上の時間、常に死と隣り合わせだったこの生活で、彼が経験から得た一種の答えだった。

 ボスに劣るとはいえ、クォーターポイントのMobを一人で4体も同時に相手するなど、正気の沙汰ではない。我ながらよくこんな危険な役目を引き受けたものだと、どうかしていると思いはすれど、カイトは後悔していなかった。これは誰かがやらなければいけない事なのだから。

 息を大きく吸って吐き出し、閉じていた目を開けて前を見据える。数メートル先にいるのは4体の仏像型モンスター《ザ・ガーディアンズ》。今から約5分間、この仏像達を相手に生き残るのが、カイトの勝利条件。

 

(5分……か……)

 

 ヒースクリフは確かに5分、言い換えれば300秒引きつけろと言った。だが、それはあくまで目安。たった一人で行う戦闘時間がそれ以上になるかそれ以下になるかは、アスナが部隊を編成し、自分のもとへ駆けつけてくれるまでの時間によって左右される。

 

(頼んだぞ、アスナ)

 

 本人のいない所で、ポツリと心の中だけで呟いた。

 頭を切り替えて戦闘準備に入る。クリスマスプレゼントとして貰った《フロスト・パージ》の剣先を地面スレスレまで下げ、剣を前にして半身の姿勢で構えをとった。それからカイトが動き出したのは2秒後。《ザ・ガーディアンズ》もカイトに反応して動き出した。

 一番近かった片手剣・ガーディアンが垂直切りで切りかかるが、カイトはスピードを緩める事なく、流れるような動きで横に回避。そのまま直進し、頭を下げて股下をくぐり抜けると、身体を反転させ、片手剣・ガーディアンの背中に体術二連撃ソードスキル《ダブル・ブロウ》を放つ。ガラ空きの背中に正拳突きの二連撃ソードスキルを喰らったため、片手剣・ガーディアンはノックバックで前のめりになった。

 

「次っ!」

 

 敵がバランスを崩したという結果だけ見られれば、その後で倒れたかどうかはどうでも良かった。身体を180度回転させて視線を再び前に戻すと、刀・ガーディアンの薙ぎ、剣道でいう逆胴がカイトに迫っていた。身体の左側を守るため、咄嗟に右手の剣を垂直に立てて防御姿勢をとるが、剣と剣がぶつかると、カイトは勢いがのった刀の斬撃に押されてしまう。想像以上の衝撃だった。

 

「――っ!」

 

 カイトは力負けした。敵の刀は斜め上に振り抜く左切上げでカイトをすくい上げ、彼の身体は空中へと高く放り出される。

 

「――っうおぉぉぉお!?」

 

 現在の彼は空を飛んでいる――――と言うと聞こえは良いが、正確には身体のバランスを崩して宙を舞っていた。それはカイトの筋力値で到底飛ぶことのできないような、そんな高さだった。

 空中でなんとか体勢を立て直し、着地の準備に入ろうとしたが、敵はどうもせっかちらしい。槍と棍棒をそれぞれ持ったガーディアン2体が下で待ち構え、空中にいるカイト目掛けて突き攻撃を放ってきた。

 

(マズイっ!)

 

 このままでは着地前に攻撃を喰らい、ダメージが入ってしまう。出来ることなら回避したい。

 だが、地に足をつけていない状態では、背中に翅の生えた妖精でも生えていない限り、完璧に避けるのは不可能。武器で弾く手を思いつくが、槍と棍棒は微妙に突き攻撃のタイミングがズレている。攻撃を同時に武器防御(パリイ)は論外。片方を武器防御(パリイ)しても、もう片方の迎撃は間に合わない。どちらにせよダメージは免れなかった。

 

(……いや、まだだ!)

 

 頭に閃いた一つの案。理論上は可能だが、実際にやった事はないし、そもそも宙に浮いた状態で発動出来るのか自信がない。

 

(一か八か……やるしか、ない!)

 

 なりふり構っている場合ではなかった。閃いた案をすぐさま実行に移し、今まで何度やったかわからない、あるソードスキルの構えをとる。

 一応SAOのシステム上、初動モーションさえ取れればソードスキルは発動可能の筈。そしてどうやら宙に浮いた状態でも問題ないらしく、モーションをとったことで剣にライトエフェクトが宿り、光り出した。それはシステムがソードスキルの発動を承認した証。

 

「いっ……けえーーーー!」

 

 黄緑色のライトエフェクトを発しながら繰り出したのは、片手剣上段突進技《ソニックリープ》。

 本来なら万有引力の法則に従って自然落下する筈だったが、システムアシストにより、カイトの身体は《ソニックリープ》による剣の動きに引っ張られる。その結果、発動地点から斜め上に上昇し、ガーディアン2体が放った槍と棍棒の突き攻撃を空中にいながら回避した。

 

「――っと」

 

 ぶっつけ本番の策が功を奏し、回避後は2体のガーディアンを背にしてそのまま落下、着地した。着地した際の衝撃でHPバーが若干減少する。

 しかし予期せぬ発見をしたことで、カイトは無意識に笑みを浮かべていた。

 

(吹っ飛ばされて正解だったな)

 

 彼は好き好んで宙を舞ったわけではないが、そのおかげで偶然実証出来た事以外にもう一つ、有意義な情報を得た。

 それは自分と敵4体の位置・距離感を、僅かな時間とはいえ上空から見れたということ。

 人間の視界は草食動物と違い、眼が前についているために左右120度までしか対応出来ない。よって平面上では真横から背後にかけての状況を把握する場合、実際に顔を動かすか、音や気配を感じ取って対処するしかない。だが、カイトはテレビの中継ヘリが上空から街の様子を映すように、上から見下ろすことで、自分を取り巻く周囲の全体像を一瞬の内に把握する事が出来た。

 着地した彼の立ち位置は、右前方に刀・ガーディアン、左前方に片手剣・ガーディアン、後方に槍と棍棒のガーディアン2体、これらを頂点にして出来た図形のほぼ真ん中。簡潔にいえば、囲まれている状態だった。

 敵4体が同時にスタートし、カイトに向かって突っ込んできた。包囲網が徐々に狭まる。

 

(……2……いや、3……)

 

 上空から見た景色を元に立ち位置を微調整する。カイトは着地点から3歩後退し、《フロスト・パージ》を肩の高さまで持ち上げて後ろに引く。剣にコバルトグリーンのライトエフェクトが宿り、敵を迎え撃つ準備に入った。

 四体の敵がそれぞれソードスキルを発動してカイトに切りかかる瞬間、右足を軸にしてその場で回転する、片手剣重範囲技《アイシッド・リボルバー》の回転切りで4体分の攻撃を同時に弾いた。

 

「ふっ」

 

 短く息を吐いて前にダッシュ。武器防御(パリイ)した事により、ガーディアンズは通常よりも長い硬直時間が課せられている。このチャンスを逃さぬよう、カイトは前方で仰け反っている刀・ガーディアンの顔面目掛けて飛びかかり、左手を後ろに引いて構えた。

 

「さっきのお返し……だっ!」

 

 カイトが左手で繰り出したのは、体術二連撃ソードスキル《ダブル・ブロウ》。

 先程思いっきり飛ばされたお礼、もといお返しの意味を込めて、顔を一発……どころか二発殴った。

 《ダブル・ブロウ》発動後は後ろに倒れこむ刀・ガーディアンの横を通り抜け、包囲網から脱出。更なる追撃が可能だったかもしれないが、今のカイトの役目は敵のHPを削るのではなく、時間を稼ぐこと。よって出来る限り無茶はせず、余裕を持った行動を心掛けていた。役目を果たせないどころか、最悪自分がやられてしまっては元も子もない。

 

「ふぅ……」

 

 包囲網から抜け出して距離をとると、身を翻して再び敵を視界に収めた。息を吐き、肩の力を抜き――。

 

(……よしっ!)

 

 ――緩めた気をもう一度引き締めた。

 剣を持つ手に力を込め、ガーディアンズに向かって駆ける。時間稼ぎが役目とはいうものの、受け身に回る気は毛頭無かった。

 転倒した刀・ガーディアンの隣にいる片手剣・ガーディアンがカイトに向き直り、彼の首を刈り取るように、片手剣水平単発ソードスキル《ホリゾンタル》を発動。

 

「くっ――」

 

 これは姿勢を低くすることで回避し、敵の背後に回り込むと、片手剣水平二連撃ソードスキル《ホリゾンタル・アーク》を両膝の裏側に喰らわせた。膝かっくんの要領で、片手剣・ガーディアンは体勢を崩す。

 

「――って、うお!」

 

 カイトが次の相手へ視線を移すために振り返ると、棍棒が床から50センチ上を移動し、彼の足を払おうとしていた。反射的に跳躍し、足払いは回避したが――。

 

「しまっ――」

 

 ――カイトはまんまと罠にハマってしまった。

 まるでタイミングを図っていたかのように、跳躍したカイト目掛け、両手槍単発ソードスキル《レイトスピアー》が迫る。両手槍の基本ソードスキルより射程は短い分、踏み込んで体重を乗せながら放つため、威力が大きい突きのソードスキルだ。

 足払いに意識を持っていかれ、かつ死角からの攻撃。気付いた時には武器防御(パリイ)や回避の選択肢はなく、ただその身で攻撃を受けるのみだった。

 

「――ぐっ!」

 

 カイトの胸部分に《レイトスピアー》がヒットする。衝撃で突き飛ばされ、床を転がり、壁に激突した事で止まった。倒れた身体を起き上がらせる。

 

(さっきといい、今といい……良いコンビネーションだな……くそっ!)

 

 内心で皮肉を交えながら、舌打ちをした。

 今のでHPバーが注意域(イエローゾーン)に突入した。本来なら回復したい所だが、そんな隙を与える程、ガーディアンズは優しい思考を持ち合わせていない。彼らがシステムに与えられた使命は『プレイヤーのHPを削る事』なのだから。

 

(場所が悪い! ……一旦ここから離れないと)

 

 カイトの背中側には壁があり、後退して距離をとることは出来ない。逃げ道は前方、もしくは左右のどちらかしかなかった。

 そして考える時間は与えられなかった。

 刀・ガーディアンが跳躍し、上段から垂直に振り下ろす、カタナ上位単発重攻撃ソードスキル《狼牙》でカイトに切りかかる。これを大きく左に避けると、今度は片手剣・ガーディアンが刺突技で攻撃してきた。

 

「だあぁぁぁあ!」

 

 カイトは前進すると同時に、敵の剣の腹を殴るようにして、右から左への水平切りを繰り出す。真っ直ぐカイトの身体を狙っていた刺突は軌道を逸らされ、彼の左肩を掠める程度に終わった。

 ガーディアン2体の間を抜けると、今度は先程見事なコンビネーションで彼を突き飛ばした敵2体が立ち塞がった。

 またしても棍棒・ガーディアンによる足払い攻撃がくる。

 

「二度も――」

 

 カイトは走りながら前に跳躍して回避したが、今回はある構えをしながらの跳躍だった。

 

「――同じ手は――」

 

 そして狙ったかのように、再び《レイトスピアー》がカイトに迫る。

 

「――喰らうかっ!」

 

 彼のとった規定モーションでソードスキルが立ち上がり、片手剣突進技《レイジスパイク》が発動した。ただしこれは迎撃用ではなく、回避するためのもの。狙う進行方向は敵の足元。

 

「はあっ!」

 

 《ソニックリープ》の時と同じように、カイトの身体が《レイジスパイク》に引っ張られる。敵の足元へ向かって直進し、《レイトスピアー》はカイトに当たらず空を切った。

 カイトはそのまま滑り込み、敵4体を背にして走る。次々に迫ってきた剣戟の暴風雨を抜け、追い込まれていた状態をなんとか切り抜けた。

 走りながらアイテムポーチに手を伸ばし、ポーションを取ると口に含む。視界の端にあるHPバーがジワジワと回復し出した。

 

(よしっ! なんとかこれで――)

 

 しかし、安心するのはまだ早かった。

 カイトの耳に入ってきたのは、ソードスキルが立ち上がる際に出るサウンド。背中からは寒気のする嫌な気配。危機を脱した事に安堵し、その油断から敵を前にして背を向けたのがマズかった。

 

「――がっ!?」

 

 突如カイトを襲ったのは、背中からの強烈な衝撃。手に持っていたポーションを手放し、前に押し出された身体は床を滑る。

 彼を襲ったのは、片手剣・ガーディアンの繰り出した基本突進技《レイジスパイク》。片手剣・ガーディアンは、ソードスキルでもない刺突の軌道を逸らされただけだったので、硬直時間は発生せず、すぐに次の行動に移れた。その結果背を向けて走るカイトに対し、突進技で奇襲をかけることに成功したのだった。

 

「なに……が……」

 

 そんな事だとはつゆ知らず、何が起こったのかカイトは理解出来ていない。ただ、回復していたHPバーが再び注意域(イエローゾーン)に入ったことから、何かしらの攻撃を喰らったのだけは理解できた。

 カイトは立ち上がろうとするが、上手く身体が動かない。それに加えて背中に感じる不快感が、さらに彼を苛立たせる。

 

「く、そ……」

 

 懸命に身体を起こそうとするカイトを、大きな影が包み込んだ。顔を上げると目の前には4体のガーディアンズが立ち並び、地に伏しているカイトを見下ろしていた。

 

(マズイ……今喰らったら――)

 

 HPは残り半分を切っている。動けないこの状況で4体分の攻撃を一度に受けようものなら、命の残量は瞬く間にゼロになるだろう。

 

(死ね……るか……よ)

 

 死の恐怖を感じながらも、心の中で必死に抵抗する。だが彼の死を拒否する思いを、システムは汲み取ろうとしない。ガーディアンズは無情にもそれぞれ武器を持つ手を持ち上げた。その時――。

 

「おりゃあっ!」

「はあぁぁあ!」

 

 ――倒れているカイトの前に、赤い鎧を身に纏った侍姿のプレイヤー達が飛び込んできた。《風林火山》のメンバーがカイトを守るため、ガーディアンズにソードスキルを浴びせたのだ。

 

「大丈夫か!?」

「クライン……か」

 

 ガーディアンズの対応を仲間に任せ、クラインが倒れているカイトに駆け寄って彼の身体を起こす。どうやら部隊編成と救援が間に合ったようだ。

 

「わりぃ、助けるのが遅れちまった」

「いや、助かったよ。もう少しで死ぬ所だった。……この礼はいつか必ず――」

「精神的に! ってか?」

 

 クラインがカイトの言いたいことを先回りした。野武士ヅラのドヤ顔が少々鼻についたが、遅れて笑いが込み上げ、カイトは少しだけ吹き出し――。

 

「あぁ、その通りだよ!」

 

 ――口角をあげ、かわいらしい笑顔で肯定した。

 

 

 

 

 

 カイトの元へ援護に来てガーディアンズと戦闘中なのは、《風林火山》と《血盟騎士団》のメンバーが少数。しかし、カイトが今まで苦労していたのが嘘のように、戦闘は安定し出した。

 4体それぞれに割り当てられたプレイヤー達が敵を切り崩し、HPを削る。クラインと起き上がったカイトも加わったため、ガーディアンズの殲滅にそう時間は掛からなかった。1体ずつポリゴン片に変え、最後まで生き残っていた敵はカイトがトドメを刺した。

 次にボスと戦闘中のプレイヤーに合流しようと思ったが、いつの間にかアシュラ王は姿を消し、インドラの残りHPは赤く染まっていた。討伐は時間の問題だと考えていたが、その時は訪れた。

 

 ――ギィガガガガガガガガァ!

 

 恐らくそれがボスにとって、断末魔の叫びだったのだろう。高い音を響かせたボスは光りだし、その身は細かく砕かれ、爆散した。

 ボス部屋に訪れた静寂。それを破ったのは、プレイヤー達の歓喜に沸く声だった。

 クォーターポイントのボスに相応しい強さを持ち、数々のアクシデントに見舞われた。それでも困難を乗り越えて生き残り、皆がお互いを称え合う。目の前に表示された獲得経験値とコルが、どうでも良くなるぐらいに。

 

「どうだぁ、カイト! 死亡フラグなんざ、ポッキリ折ってやったぜ!」

「はいはい、次もその調子で頼むよ」

 

 それは彼らにも言えた事。お互いに拳を握って軽くぶつけ、健闘を称えあっていた。

 

「カイト君」

 

 ふと後方から名前を呼ばれたので振り返ると、アスナが立っていた。その隣にはユキもいる。

 

「私達《血盟騎士団》を含めたここにいる全プレイヤーが、あなたの働きで救われました。《血盟騎士団》副団長アスナより、心からの感謝とお礼を申し上げます」

 

 凛とした態度と言動、そしてお手本のようなお辞儀は美しかった。アスナのような美人がすれば、それはなお際立つ。こういった動作一つ一つから、育ちの良さがみてとれた。

 

「確かに受け取りました。……でもアスナ、そういうのは肩が凝りそうだから、いつも通りで頼むよ」

「そう? じゃあお言葉に甘えて、次からはそうさせて貰うね。本当にありがとう」

 

 アスナは短く礼は言うと踵を返し、団員達の元へと戻っていく。だが一緒に来たユキはアスナを見送り、その場から一歩も動かなかった。

 

「……ユキはアスナについて行かなくていいのか?」

「ん? 一応この後集まるけど、それが終わったら各自自由なの。だから、その……もしよかったら、一緒に上へ行かない?」

「あぁ、いいよ。じゃあオレは待ってるから」

「――っ、うん! 先に行ったりしないでよ! クラインさん、この後のご飯楽しみにしてますね!」

 

 ユキもアスナと同様に、団員が集まっている場所へと向かう。

 

「微笑ましいねぇ」

「何が?」

 

 クラインは顎に手を添え、走り去った少女と隣にいる少年を交互に見る。彼の言葉と仕草に対し、カイトは不思議そうな顔を浮かべた。

 

「……いや、なんでもねぇよ。年長者は若者達の今後を見守ろうって話だ」

「曖昧でわかんないんだけど」

「いつか分かる時が来るさ」

「答えになってないし」

 

 その言葉の真意を理解できる時は、まだまだ先のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 攻略組の面々は上層へと続く道を歩き、51層の主街区に入ると転移門広場へと向かう。各階層を繋げる転移門のアクティベートは、ラストアタックを取ったプレイヤーがすると暗黙の了解で決まっているため、今回は《黒の剣士》ことキリトがアクティベートを行う手筈になっていた。

 エギルはこの後、攻略組と新しく開通した51層に来るであろうプレイヤー達を相手に商売するため、露店を開く準備に取り掛かった。

 

「さぁて、さっきのボス戦でドロップしたアイテムで一儲けするぜ」

「……銭ゲバ」

「おいおい、人聞きの悪い事言うなよ」

「あはは」

 

 カイトとエギルのやり取りを聞いてユキが笑っていると、キリトがアクティベートを終える。

 

「よし、これで――」

 

 ――ゴーン、ゴーン

 

 突然、キリトの言葉を遮るように、腹の底まで響くような重い鐘の音が鳴る。忘れることが出来ないこの音は、始まりの日に聞いた鐘の音と同じものだった。

 音が鳴り止み、今度は無機質な女性のアナウンスが、アインクラッド全土に響き渡った。

 

『第51層転移門のアクティベートを確認しました。これより、緊急イベントクエストを開始致します』

 

 




当初の予定より長くなってしまいましたが、50層フロアボス戦終了です。
次回から緊急イベントクエスト開始となります。


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第14話 決戦準備と暗躍する影

毎度の事ながらいいタイトルが浮かばない……


『只今より、緊急イベントクエスト《星夜祭》の概要を説明致します』

 

 急遽アインクラッドに響いたアナウンスに、攻略組一同は騒然とする。51層転移門のアクティベートをした直後に発生したのを考えれば、それこそがこの状況を生み出した引き金なのだろうと、誰もが結論づけた。

 

『今から2時間15分後の日没と同時に、12体の《ホロスコープス》がアインクラッド第1層から第50層の中で、それぞれランダムに出現します。各《ホロスコープス》は最初に出現した階層のフロアボスを参照に、ステータスを決定します』

 

 つまり第1層に出現すれば《イルファング・ザ・コボルド・ロード》と、第50層に出現すれば《アヴェストラル・ザ・アシュラ・ロード》と同等の強さを持つボスとなる。

 

『但し、イベント期間が一夜明ける毎に、《ホロスコープス》のステータスが階層一つ分上昇しますのでご注意下さい』

 

 つまり、単純に考えてイベント開始当初から最短で1ヶ月強、最長で3ヶ月弱もすれば、アインクラッド第100層のフロアボスと同等の強さになるということ。

 

『《ホロスコープス》は転移門の利用が可能です。それに加え、《ホロスコープス》が滞在する階層の全域で、圏内の犯罪防止(アンチクリミナル)コードが解除されます』

 

 主街区や村は『圏内』設定により、デュエルを除けばHPが減ることもなく、窃盗・強盗の類は一切出来ない。それが解除されてしまえば、オレンジプレイヤー達による圏内PK、あるいは犯罪行為が横行するかもしれない。

 

『また、イベント中は全プレイヤーのHPを可視化させて頂きます。以上で緊急イベントクエスト《星夜祭》の概要、及びその説明を終わります。それでは、皆様のご健闘とご活躍をお祈りします』

 

 淡々としたアナウンスが途切れ、辺りは静寂に包まれる。死闘を終えたばかりで心身共に疲弊し、皆完全に不意をつかれてしまった。

 突然のイベントに誰もが呆然としていると、ヒースクリフが最初に声を発した。

 

「全員、すぐに装備とアイテム類を整えよ! 一時間後、この場所で臨時攻略会議を開く!」

 

 その言葉で全員が我に返り、各自が準備に取り掛かった。

 ある者はNPCの店でアイテムを補充し、ある者は行きつけの鍛冶屋にメッセージを送る。その後転移門から続々と職人プレイヤーが現れ、すぐに鍛冶職人達の前に列ができ、30分としないうちに転移門広場は人で溢れた。一人ずつ順番に鍛冶職人が武器の研磨を行い、50層ボス戦の戦いで減少した耐久値を回復させていく。

 各プレイヤーは前代未聞の緊急クエストに備えるための準備をし、ヒースクリフの言った一時間が経過した。攻略組が転移門広場に集合する。

 

「さて、急なことで諸君らも戸惑っているだろうから、まずは情報の整理といこう。アスナ君」

「はい。ですがその前に――」

 

 アスナが言葉を繋ごうとした時、転移門から複数のプレイヤーが転移してきた。それは攻略組の者達からすれば、懐かしい顔ぶれであった。

 

「すみません! 遅れてしまいましたか?」

 

 転移門から現れたのは、かつて攻略組で最大規模を誇ったギルド《MTD》幹部のシンカー・ディアベル・ユリエール・キバオウの四人だった。

 

「いえ、大丈夫です。まだ始める前でしたので。……さて、みなさん既にお分かりかと思いますが、今回は《MTD》の方々にも協力していただくため、私が要請をしました。よろしくお願いします。……それではみなさん、メニューからクエスト受注欄を開いて下さい。今回のクエストが項目に追加されていると思います。そこでクエストを選択すると詳細が表示されますので、確認して下さい」

 

 アスナに言われ、全員が同じ操作をする。そこにはアスナの言う通り、クエストの詳細が確認できた。

 まずはイベントボスについてだった。12体いる《ホロスコープス》の名前が上から順に、《ザ・アリウス》、《ザ・タウルス》、《ザ・ゲミニ》と続き、最後に《ザ・ピスケス》で終わっている。そしてボスの名前の右に『――層、――』とあり、今は何も表示されていない。

 そこから先は犯罪防止(アンチクリミナル)コードの解除や全プレイヤーのHP可視化など、クエストに関する注意事項などが書き連ねられていた。順番に確認していった後、今後の具体的な動きについて話し合う。

 

「ボスの出現地点はランダムとありますが、基本的には1層から25層を《MTD》のみなさんに、26層から50層を私達攻略組で担当します。私達の部隊構成は戦力を考えて後ほど細かく指示しますが、《MTD》の方達はシンカーさんの指示に従って動いて頂きます。ボスの出現が下層に偏った場合は問題ありませんが、極端に上層へ偏った場合は《MTD》の精鋭のみ派遣してもらいます」

 

 流石にフロア攻略で何度も全体指揮を取っているだけあって、アスナの進行は非常にスムーズだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イベント開始まで5分を切った。

 臨時攻略会議を終えると、各部隊毎に転移門で予め決めた層に移動する。転移門は《回廊結晶》のように大人数を一度に転移出来ないので、51層で固まったままでは、イベント開始時にスムーズに移動が出来ない。なので最初から各層に散り、イベントの開始を待つことにした。

 

 第25層主街区《グランバート》。

 転移門を中心にして民家が建ち並び、碁盤の目のように整頓された道のため、まず迷うことはないと言われている街だ。

 《グランバート》最大の特徴は、主街区を囲うように建てられた巨大な城壁。高さは30メートルをゆうに超え、街の外の景色は城壁があるため、見ることが出来ない。主街区から見ることが出来る景色は、街の上にある空だけだ。

 この層は巨人族の巣窟となっており、フィールドや迷宮区には人間の背丈をゆうに超える巨人族モンスターがうろついている。そのため、城壁に守られながら人々は壁の内側で生活している、という設定らしい。

 

 そしてこの街にある転移門広場に、ディアベルとキバオウ率いる《MTD》の精鋭達が集結していた。

 

 《MTD》は25層ボス戦以来、ギルド内で《復帰派》と《支援派》の二つにプレイヤーの役割を分けている。

 《復帰派》はかつて攻略からドロップアウトしてしまったが、もう一度攻略組として復帰するのを希望する者達のことだ。今回《MTD》担当階層の戦闘は、主に彼らが行うことになった。こちらはディアベルやキバオウが所属している。

 一方《支援派》とは、攻略よりもプレイヤー間の相互補助を主な活動にしている者達のことだ。彼らは今回、情報伝達、物資補給といった裏方に回ることが取り決められた。こちらはシンカーやユリエールが所属している。

 

「みんな、準備はいいかな?」

 

 シアン色の髪をした盾持ち片手剣士のディアベルが、彼の率いるレイドパーティーのメンバーを見渡して問いかけた。

 

「オレ達は攻略から離れはしたが、諦めた訳じゃない。また最前線で戦えるように力をつけてきた筈だ。この戦いで、以前のオレ達とは違うってことを証明しよう!」

「おぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」

 

 《MTD》メンバーの声が主街区を囲む城壁によって反響し、街中に響く。その雄叫びは巨人にも負けないほどだった。

 

 ――――イベント開始まで残り4分――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第30層主街区《マテリア》。

 30層はフィールドに背の高い木々が生い茂る、まるでジャングルのような階層だ。この階層の建物は全て木造建築で、気候は南米のように暑く、時には予期せぬスコールに見舞われることもある。

 

「暑い……」

「でも、生き返る……」

「味が少し薄いのが難点だけどな」

 

 そして主街区や各村には《クリープの実》にストローを挿して飲む、《クリープジュース》という名の、見た目ココナッツジュースのような物が、名物として売られていた。これは一定時間、体感温度を下げる効果がある。

 30層についた頃にはまだ少し時間に余裕があったので、カイト・キリト・エギルの三人は転移門広場の近くにある店に向かった。店の屋外カウンターで三人は《クリープジュース》を立ち飲みしながら、イベントの開始を待っていた。

 『最前線付近の上層では、討伐隊の人数を多く配置』そして『中層には攻撃特化型(ダメージディーラー)や攻守バランスのとれたプレイヤーを少数配置し、短期で決着をつけ、すぐに上層で戦っているプレイヤーと合流する』というのが今回の作戦だ。

 攻略組トップクラスの実力を持つ《黒の剣士》キリト、安定した戦闘が売りの《掃除屋》カイト、商人でありながら、攻略組のパワーファイターで一目置かれているエギル。彼らは《ホロスコープス》が中層に現れた場合に備え、待機していた。

 

「そういえばキリト、さっきのボス戦でラストアタック取ったんだろ? どんなアイテムがドロップしたんだ?」

 

 《クリープジュース》に挿してあるストローから口を離し、カイトは疑問を投げかけた。

 

「あぁ。さっきエギルに鑑定してもらったけど、性能は魔剣クラスの片手剣だったよ。ただ要求筋力値が高いから、今はまだ使えそうにないな」

「魔剣クラス!? ……でもクォーターポイントのラストアタックだと、それぐらいあってもおかしくないか。にしても片手剣か……いいなぁ……。今度リズにもう一本作ってもらおうかなぁ……」

「おいおいカイト。お前ついこの間、ユキに()()貰ったばかりじゃねえか」

 

 そう言ってエギルが指差したのは、カイトが背中に背負っている《フロスト・パージ》だった。

 

「いや、勿論予備でもう一本作ってもらおうかな、って事だよ。こいつは、その……オレにとって大事な物……だし……」

「照れてる」

「照れてるな」

 

 話の途中でつい、カイトはクリスマスの出来事を思い出し、頬が朱に染まる。

 待ち合わせをして、プレゼント交換をして、挙げ句の果てにはイルミネーションで彩られた街を二人で歩く。それは他人から見れば、デートそのものだっただろう。

 

「照れてないっ! 兎に角、これはユキがプレゼントしてくれた大事な物だから、オレにとってこいつの代わりはない! 絶対!」

「おっ、今度は惚気たぞ」

「惚気たな」

 

 カイトは顔を赤くしながら反論したが、うっかり余計な事まで口走ってしまった。

 

「の・ろ・け・て・ないっ! その前に惚気るの意味が違うだろっ! あれは付き合ってる相手との仲を得意気に話す事だっ! オレとユキはそもそも付き合ってないし、別にす…………そういう感情はないっ!」

「なんか今、間がなかったか?」

「何を言い直したんだろうなぁ」

「〜〜〜〜〜〜っ!」

 

 喋れば喋る程、自分を追い込んでいく。『墓穴を掘る』とはまさにこの事。

 カウンターに顔を伏せ、口を固く閉じたカイトは、開始時刻まで一切喋らなかった。

 

 ――――イベント開始まで残り3分――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第36層主街区《ホスリート》。

 主街区の至る場所で煙突が立ち並び、そこから白い煙のようなものが、空に向かって昇っていく。煙突から出るそれは、工場から排出されるような有害物質の類ではなく、ただの湯気。そしてその湯気の発生源は、街の各施設にある温泉だ。

 ここ36層の街と村の宿には必ず温泉があるのが特徴で、特に主街区の《ホスリート》は温泉の数と種類が豊富なことから、通称《温泉街》とも呼ばれる。

 高い煙突と入り口にあるのれんをシンボルとする温泉宿もあれば、宿泊は出来ない日帰り施設だが、宿よりも温泉と設備の種類が豊富なスーパー銭湯もある。

 36層が開通し、《ホスリート》を初めて見た時のアスナとユキはとても嬉しそうだったらしく、今でもこの街には二人にリズベットを加えた三人で訪れる事が多い。

 そしてここには《血盟騎士団》のユキを筆頭とした、六人のパーティーが配置された。両手剣使いのアレッシオとレイモンド、盾持ち片手剣士のラザレフとモーガン、槍使いのエリックだ。

 

「それじゃあみんな、準備はいい? 今回は私がこのパーティーの指揮を取るから、よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

 

 返事をしたのは真面目な性格のアレッシオだ。

 見た目が10代後半の彼だが、落ち着いていて大人びた雰囲気を醸し出している。

 

「ところでユキさん。少し前から剣が変わったみたいッスけど、それどうしたんスか?」

 

 そう言って尋ねたのは、軽い口調が特徴のモーガンだ。見た目は中肉中背だが、《血盟騎士団》では屈強な壁戦士(タンク)である。

 

「これ? クリスマスにカイトから貰ったの!」

「なにぃ! 《掃除屋》の野郎、俺達を差し置いてなにやってやがる!」

「俺の嫁に手を出すなーー!」

 

 最初に抗議の声を挙げたのがレイモンド、次がエリックである。普段からお調子者の二人は、《血盟騎士団》きってのムードメーカーだ。

 ちなみに二人のこの発言は、ギルド内では恒例ともいえる、彼らなりの冗談である。

 

「お二人はこんな時でもブレませんねぇ」

 

 呆れつつもどこか楽しそうなのは、この中で最年長のラザレフだ。

 リアルで教師をしている彼は、誰に対しても優しく接してくれる。普段から紳士的な態度の彼を、頼りにしている団員も多い。

 

 ユキのパーティーは終始和やかな空気を保ちつつ、その時を待つのであった。

 

 ――――イベント開始まで残り2分――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第47層主街区《フローリア》。

 別名《フラワーガーデン》とも呼ばれるこの層はその名の通り、辺り一面花だらけの層である。主街区のみならず、フィールドダンジョンでさえ至る所に花が咲き、赤・青・黄色といった様々な色の花達が場を鮮やかに彩る。攻略された今となっては観光地化しており、恋人同士で訪れるデートスポットとなっていた。

 そんな美しい景観の中、凛とした佇まいでいるのは《血盟騎士団》副団長のアスナだ。ギルドの白い制服に身を包み、時折吹くそよ風が彼女の長い栗色の髪を撫でる。ここには彼女の指揮の下、《血盟騎士団》団員が三パーティー分集っていた。

 

「みなさんご存知の通り、先程のボス戦で死傷者が多数出た事に加え、ボスの出現地点が分散するため、通常のボス戦よりも少ない人数で挑まなければなりません。中層担当のプレイヤー達がボスを倒し次第こちらに合流する手筈になっていますが、不測の事態も考えられます。なので最初から救援はアテにするのでなく、私達だけで倒すぐらいのつもりでいきましょう」

「おぉーーーー!」

 

 アスナの士気に、その場にいた団員全員が応えた。

 

 ――――イベント開始まで残り1分――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここで時間を少しだけ遡る。

 それはイベントを知らせるアナウンスが、アインクラッド全土に響き渡った直後の事。場所はおそらくSAOプレイヤーのほとんどが知らない安全地帯の洞窟。

 基本的に攻略組はレベリングスポットと迷宮区、中層プレイヤーはそれに加えてサブダンジョンぐらいしか訪れないため、アインクラッドにはどうしても未踏破地帯が存在する。

 そして洞窟の内部には、複数のプレイヤーがいた。

 通常、プレイヤーの頭上にはカーソルが示されており、ほとんどのプレイヤーはグリーンのカーソルを表示している。だが、この洞窟内にいるプレイヤーのカーソルは、ほとんどがオレンジ色を示していた。

 

 『オレンジは犯罪者の証』

 

 それは盗みや傷害といったシステム上の犯罪を行うことで、カーソルがグリーンからオレンジに変わる。一概にそうと言い切れないが、カーソルがオレンジというだけで一般プレイヤーからは忌み嫌われる存在である。しかし、ここにいる彼らにとってはそんな事気にも留める必要のない、ごくごく普通の事。

 

「何? 何? 今の? すっげぇ面白そうじゃん!」

 

 はしゃいでいるのは頭陀袋のような黒いマスクを被った男。その反応はまるで、思いもよらない形でおもちゃをプレゼントされた子供のようだ。

 

「茅場、も、粋な、計らい、を、する、ものだ、な」

 

 言葉を短く切りながら話すのは、赤の逆十字を彩ったフードマントを纏った男。髑髏を模したマスクの奥にある、アイテムでカスタマイズされた二つの赤い眼が不気味に光る。

 

「あっ、どうせなら殺した人間に点数つけて遊ぼうぜ。一人につき20点、攻略組ならプラス30点、二つ名持ちの有名人はプラス50点、ってな具合にさぁ。どうだ、ザザ」

 

 耳を疑うような言葉が、頭陀袋の男・ジョニー・ブラックの口から発せられた。このデスゲームで最も行ってはいけない、PKもとい殺人を、彼は自分の趣味のように語る。そこには罪の意識など微塵も感じさせない。

 そしてジョニー・ブラックが話しかけた髑髏マスクは、《赤眼のザザ》と呼ばれる凄腕のエストック使い。彼らは一般的なオレンジギルドよりも凶悪な快楽殺人集団のレッドギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》、通称ラフコフの幹部だ。

 レッドギルドと言うが、システム上はオレンジ判定だ。しかし彼らは一般的なオレンジギルドとは違う事を誇張するかのように、自らをレッドギルドと呼び、一般プレイヤーからもそう呼ばれている。

 

「いい、暇つぶし、には、なりそう、だな」

「だろだろ! ヘッドもどうっすかぁ?」

 

 ジョニー・ブラックがヘッドと呼ぶ人物は5メートル程離れた場所にいた。身長は高くポンチョで身を包み、フードを深く被っているその姿からは、隠しきれない不気味なオーラを放っている。

 

「折角茅場が用意してくれた祭りだ。俺達でスパイスを加えて、盛大に盛り上げてやろうじゃないか」

 

 ポンチョの人物こそ、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》リーダーのPoH(プー)。キャラネームこそユーモラスな名前だが、彼はこのアインクラッドで最も恐れられていると言っても過言ではない、冷酷非道の殺人鬼だ。PoHは類稀な殺しの才能と自身の持つカリスマ性を活かし、レッドの素質を持つプレイヤー達を集ってラフコフを結成した。

 PoHの艶やかな美声が洞窟内に響くと、ラフコフメンバーは彼の言葉にニヤリと不気味な笑みを浮かべた。

 

 ――誰にも知られず、悟られず、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》は動き出す――




オレンジプレイヤーが圏内に侵入を試みる場合《門番》によって追い返されますが、『圏内設定解除中はその限りではない』という独自設定の元に話を進めさせて頂きます。


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第15話 開戦と負け犬達の健闘劇

 アインクラッドは日没を迎え、夜になると同時に、緊急イベントクエスト《星夜祭》が始まった。

 頭を切り替えたカイトは、開始と同時にクエスト欄でボスのいる階層をチェックする。

 

『ザ・アリウス、第12層《災禍の遺跡》』

『ザ・タウルス、第25層《エルム草原》』

『ザ・ゲミニ、第40層《リムル湖》』

『ザ・カンケル、第16層《イェーグリム鉱山》』

『ザ・レオ、第30層《フラムジャングル》』

『ザ・ヴィルゴ、第47層《思い出の丘》』

『ザ・リブラ、第24層《カルロの森》』

『ザ・スコルピウス、第50層《アルゲード》』

『ザ・サギッタリウス、第44層《バルフィック河》』

『ザ・カプリコルヌス、第3層《迷い霧の森》』

『ザ・アクアリウス、第28層《狼ヶ原》』

『ザ・ピスケス、第35層《ミーシェ》』

 

 各《ホロスコープス》の名前の隣には滞在階層が、そしてさらにその隣には主街区、あるいはフィールドダンジョンの名前が表示されている。おそらくイベントボスの現在地だろう。

 そしてカイト達のいる30層に《ザ・レオ》が出現していた。

 

「キリト! エギル!」

「あぁ、わかってる」

「よしっ、行くぜ!」

 

 三人は《マテリア》を飛び出し、30層の東にあるフィールドダンジョン《フラムジャングル》へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユキのパーティーは待機していた階層の一つ下に出現した《ザ・ピスケス》と対峙していた。

 転移門で移動した先には、全身を青い鱗で覆った体長5メートル程の巨大な魚が、35層主街区《ミーシェ》の道の地面スレスレを浮遊していた。鱗は日の光を反射してキラキラと輝き、口には鋭く尖った歯が見え隠れする。

 

「まさかいきなり主街区とはな……」

「こちらから行く手間が省けたと思いましょう」

 

 アレッシオに限らず、他のメンバーも似たような感想を抱いていた。てっきりイベントボスは迷宮区やフィールドからのスタートだと思い込んでいたからだ。だがラザレフの言うとおり、わざわざ索敵する必要が無い分、プレイヤー側にとってはある意味好都合だろう。

 

「三枚におろして刺身にしてやるぜ!」

 

 レイモンドが背中に背負った両手剣を抜刀した。

 

「やってやるッスよ〜」

「串刺しにしてやらあ!」

 

 モーガンとエリックもそれぞれが武器を構える。

 

「まずは様子見だよ。ラザレフ、モーガン、お願い!」

 

 ユキの指揮で盾持ち戦士の二人が盾を構えて前に出ると、ピスケスが突進を仕掛けてきた。盾で受け止めた二人は少々押されはしたが、なんとか踏ん張った。その後ろからアレッシオが飛び出し、ピスケスの側面に両手剣垂直三連撃ソードスキル《ハーバレック》を放つと、HPがガクッと減少した。

 

「図体のわりに軽い攻撃ッスね」

「防御もたいしたことない。これなら六人で充分だ」

 

 第一線で活躍する攻略組にとって、35層クラスでは最早相手にならないようだ。

 

「ラザレフとモーガンはそのままタゲ取りお願い。みんなで側面から攻撃するよ!」

『おうっ!』

 

 ユキの呼び掛けに五人の声が重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 47層のフィールドダンジョン《思い出の丘》へと通じる石造りの一本道をアスナ達が進んでいく。

 この道に出現する植物型モンスターは47という階層に比例しない強さであり、攻略組の手に掛かればあっという間に葬り去ることができる。苦戦することなく先へ先へと進むと、アスナ達の進行方向から一つの影が見えた。

 その正体は肌が透き通るように白く、真っ白な服に身を包み、金属製の胸当てをつけた女剣士だった。黄金色の髪をなびかせながら堂々とした面持ちで歩き、アスナ達の元へ一歩ずつ近づいてくる。その女剣士はアインクラッドの全女性プレイヤーの中で、五本の指に入る美しさを持つと言われているアスナに負けず劣らずの容姿をもっており、《血盟騎士団》の団員達が思わず見惚れてしまう程だ。

 しかし、彼女はプレイヤーなどでは断じてない。女剣士の頭上には四本のHPバーと名前が表示されていた。

 

《ザ・ヴィルゴ》。

 

 それこそが女剣士の名前であり、大きさはプレイヤーと変わらない人型だが、紛れもなく12体いる《ホロスコープス》の一体だ。

 

「戦闘準備!」

 

 アスナが叫ぶと、団員達は剣を構えた。

 ヴィルゴはアスナ達との距離が10メートル離れた場所で歩みを止める。右手を後ろに回し腰に差してある短剣を抜く。膝を少し曲げて姿勢を低くし、剣を身体の前に構えた。どうやら戦闘体制に入ったようだ。

 睨み合う両者。先に動いたのはヴィルゴだった。

 その手に持つ短剣がライトエフェクトを纏うと、10メートルの距離が一瞬にして縮まった。

 

「ぐあっ!」

 

 アスナの左にいた男性団員が声を上げた。彼がヴィルゴの繰り出した短剣中位突進技《ラピットバイト》で吹き飛ばされたからだ。

 アスナは出が早く隙の少ない細剣基本ソードスキル《リニアー》を、すぐ横にいるボスに向けて放つ。《ラピットバイト》によって課せられた短い硬直時間から解放されたボスは、こちらも出が早く隙の少ない短剣基本ソードスキル《スラッシュ》で《リニアー》に対抗した。剣と剣がぶつかり、ボスに隙が生じる。

 アスナが作った隙を逃すまいと、別の男性団員が片手剣のソードスキルを発動。剣先がヴィルゴを完全に捉えたかにみえたが、肩と肩にかかった黄金色の髪を掠めた所で、ボスはその場から後退して距離を取る。直撃には至らなかった。

 

(手強そうね……でも……)

 

 それでも、アスナの顔に焦りは微塵もない。

 

「私の親友ほどじゃないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディアベル・キバオウの率いる《MTD》のメンバーは、30分掛けて25層のフィールドダンジョン《エルム草原》に辿り着いた。数は少ないが所々に枝が細く高い木が立ち、草丈の低い植物が地面をうっすらと覆っている。視界を邪魔する遮蔽物がほとんど無いので、非常に見渡しがいい。

 現在確認されているフィールドダンジョンの中で最も広く、さらにモンスターの湧きが比較的早い事で有名なため、他のプレイヤーとモンスターの取り合いにならず、効率的なレベリングスポットであるのは最前線だった頃から今に至るまで変わらない。いつもなら中層プレイヤーがレベル上げのために戦闘を行っている姿があるが、今日に限って言えばそんな光景は見られなかった。

 

「静かだな……」

 

 ディアベル達以外にプレイヤーの姿は見当たらない。それどころか、いつもならそこら中で湧く巨人型モンスターに一度も遭遇していない。システム上の都合なのか、普段なら見ることのできない異様な光景に、ディアベル達の心の中にある不安と緊張が増す。

 一歩ずつ警戒を怠ることなく《エルム草原》を進む。未だ発見には至ってないが、《ザ・タウルス》がこのフィールドにいるのは間違いなかった。

 

「ディ、ディアベル隊長! 右! 右です!」

 

 《MTD》メンバーの誰かが右を見るよう促し、ディアベルだけでなくメンバー全員が視線を移す。彼らの瞳に映ったのは遥か彼方というほどでもないが、やや離れた所にいる巨大な物体だった。プレイヤーの数倍の大きさを誇る巨躯を持つそれは、二本の足を動かし、猛スピードで接近する。

 

「全員、構え!」

 

 全体指揮官のディアベルが発した声で各々の装備に手をかける。急接近するそれはディアベル達から数十メートル離れた場所で高く跳躍し、ディアベル達の頭上を飛び越えた。斜め45度に放ったボールのようにアーチ型曲線の軌道を描き、着地すると地鳴りと地響き、そして土煙が舞う。背中を向けていたそれは180度向き直り、黒い眼でプレイヤーを睨みつけた。

 

《ザ・タウルス》。

 

 藍色の鎧と兜で上半身と黒い角の生えた頭部を覆い、背中に背負っているのは身の丈ほどもある巨大な斧。鎧の下に見え隠れする筋骨粒々とした琥珀色の身体は、パワフルな印象を与えるには充分すぎる程で、その姿はギリシャ神話に出てくるミノタウロスのようだ。

 鼻息を荒くして偶蹄類(ぐうているい)特有の(ひづめ)で地ならしをすると、鼓膜を震わせるどころか破けるのではないかという程の雄叫びを上げた。

 

 ――ブモオォォォォォォォォォオ!!!

 

 これは只の雄叫びではない。かと言ってプレイヤーを威嚇するためでもない。

 その正体はモンスター、さらに言えばフロアボス級のモンスターが持つボス専用スキル《咆哮》。これは攻撃型のモンスターが自身のステータス上昇のために使用するスキルだ。

 ビリビリと肌に空気の振動が伝わる程の叫びを終えると、腰を膝の高さまで落とし、黒い角にエメラルドグリーンの光が宿る。姿勢を低くしたまま両腕を広げ、角をプレイヤーに向けて突進してきた。

 

「ソードスキルか……壁戦士(タンク)A隊、前へ!」

 

 重厚な鎧を着た壁戦士(タンク)A隊が横一列に並び、盾を構える。タウルスの角と盾がぶつかり、壁戦士(タンク)隊の位置が若干後方へ押されてしまったが、耐えれない程ではなかった。

 現実世界なら大型トラックが勢いよく突っ込んでくるのを大の大人数名が正面から止めるに等しい行為で、本来なら轢き殺されてもおかしくない。しかしここは仮想世界、ゲームの中。この世界ではプレイヤーのステータスがものをいい、ステータスが高ければ自分の身体よりも大きなモンスターを剣一本で吹き飛ばす事も出来るし、受け止める事だって可能だ。

 そして一人では困難でも、複数人で行うことだって出来る。タウルスの突進を受け止め、ソードスキルを使用したことでボスに硬直時間が訪れる。

 

「オフェンスA・B隊、今だ!」

 

 そしてその隙を見逃す程、ディアベルは甘くない。

 

「うおぉぉぉぉぉお!」

 

 《MTD》のオフェンス隊がソードスキルを発動させて攻撃を繰り出す。ボスのステータスはかつて《MTD》を苦しめた25層ボスと同等だが、《MTD》のメンバーは違う。いつか攻略組に戻れるようにと日々鍛錬をつんできたその剣技は、ボスのHPをガクッと削った。

 硬直から解けたタウルスに対し、壁戦士(タンク)A隊は《威嚇》スキルで憎悪値(ヘイト)を上げ、タゲを取り続ける。タウルスはその太い腕を大きく振りかぶり、右、左、右と拳を連打することで、壁戦士(タンク)A隊のHPがジワジワと減少した。

 

「タンクB隊、準備せぇ! スイッチや!」

 

 キバオウの指示で壁戦士(タンク)B隊がA隊の後ろで待機し、隙を見てスイッチする。HPの減少した壁戦士(タンク)A隊はそれぞれがポーションを口にし、回復に務めた。視界の端にあるHPの残量がゆっくりと上昇した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘開始から30分が経過した。

 タウルスに着実にダメージを与えることでHPは減少の一途を辿っていく。しかしHPが一段減少する毎に《咆哮》スキルでボスはステータスの上昇を図り、残り一段となる頃にはボスの突進を受け止めるのがギリギリになっていた。それに加えて未だに背負っている斧、ボスにとっての伝家の宝刀は抜かずじまいだ。

 

「うらぁぁぁあ!」

 

 オフェンスB隊に混じり、キバオウが片手剣三連撃ソードスキル《シャープネイル》でダメージを与えた瞬間、タウルスのHPが赤く染まった。

 するとボスは雄叫びを上げて鼻息を荒くし、全身に力を入れてその場で踏ん張り、身に付けていた鎧にヒビが入る。ヒビは鎧全体に広がり、最後には砕け散った。砕けた鎧の下にはさっきよりも膨れあがった筋肉が姿を現し、心なしか身体全体が一段と大きく見える。そして今まで抜くことのなかった背中の斧に手をかけ、ゆっくりと引き抜いた。

 

「おそらく今までのようにはいかない。ここからは壁戦士(タンク)A・B両隊で攻撃を受けるぞ!」

「おうっ!」

 

 ステータスアップと両手斧による大幅な攻撃力上昇を予想したディアベルが指示を飛ばす。壁戦士(タンク)をこれまでの二倍配置して、攻撃を受け止める作戦に出た。

 斧を両手で握って構えたタウルスは、壁戦士(タンク)隊に向けて斧の横薙ぎを振るった。

 

「ぐ……ぐあぁぁぁぁぁあ!」

 

 その威力は想像以上だった。タウルスの横薙ぎはいとも簡単に《MTD》の壁戦士(タンク)隊を吹き飛ばし、HPを注意域(イエローゾーン)にまで減少させた。しかもこれはソードスキルではなく、ただの斬撃だった。

 

「う……あ……」

 

 そしてこれを見た《MTD》メンバーの頭に、忘れようにも忘れられない、25層フロアボス戦の光景がフラッシュバックした。双頭の巨人が武器を振り回し、その圧倒的火力でもって自分達の仲間を葬っていくその情景を。

 

「うわあぁぁぁぁあ!」

 

 あの時以来に感じた死の恐怖がふつふつと込み上げ、それに耐えきれなくなったプレイヤー達が叫ぶ。彼らの心に負った心的外傷(トラウマ)は、未だに癒えてはいなかった。

 

「こ、こんな所で死にたくねぇ!」

「む、無理だろ! こんな……こんな化け物相手に!」

 

 不安や恐怖といった負の感情は周囲に伝染していく。戦場は阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図と化した。戦線が完全に崩壊するのは、誰の目から見ても明らかだった。

 

「くっ……みんな、落ち着くんだ!」

 

 一刻も早く体制を立て直したいディアベルだが、そんな彼の言葉が恐怖に支配されたプレイヤー達に届くことはなかった。

 

「て、転移――」

 

 この場から逃げ出すため、転移結晶で離脱しようとする者が現れる。

 しかし、戦線が安定するのを悠長に待っている事も、戦意をなくして逃げる臆病者に対して見て見ぬ振りをするような事も、ボスはしない。

 転移結晶で離脱しようとするプレイヤーに反応したタウルスは狙いを定め、そのプレイヤーを斧で薙ぐ。だがそんなボスの前に、一人の男が立ちはだかった。

 

「うらあぁぁぁぁぁあ!」

 

 サボテン頭が特徴のキバオウが、剣でボスの攻撃を防いで仲間を守ろうとする。だが複数の壁戦士(タンク)ですら防げなかった攻撃を、キバオウ一人で防げる筈もない。案の定キバオウは吹き飛ばされ、転移結晶で離脱しようとしたプレイヤーを巻き込む。その結果、離脱しようとしたプレイヤーの転移がキャンセルされた。

 

「キバオウさん!」

 

 すぐにディアベルが駆けつけるが、大ダメージを負ったキバオウは立ち上がらずに地面に伏せていた。HPが危険域(レッドゾーン)にまで減っているのを確認したディアベルが、回復結晶を取り出す。

 

「ヒール! キバオウさん、どうしてあんな無茶を……」

 

 回復結晶でHPが全回復したキバオウは、伏せていた身体を持ち上げた。

 

「自分らは……こんのアホ牛に、負けるわけにはいかへんからや」

 

 キバオウは武器を握る手に力を込める。

 

「ディアベルはん、言うてたやないですか。『この戦いで前とは違うことを証明する』って。ワイも……おんなじ気持ちや。あれからどんなに力をつけても、レベルを上げても、心はあの日から一歩も前に進んでへんやないですか! このデカブツを倒すんは、自分らの止まった時間を動かすのに必要なことなんや!」

 

 キバオウはゆっくり立ち上がろうとする。

 

「自分らは危険な最前線から逃げた臆病もん、負け犬や。《MTD》の方針を変えるように提言したのはワイやけど、心の中で葛藤はあったし、そんな自分を情けないとも思った。それでも、そんなワイでも――」

 

 キバオウは立ち上がり、眼前の猛牛を睨みつける。

 

「――負け犬には……負け犬なりの意地っちゅうもんがあるんや!」

「キバオウさん……」

 

 あの日以来《MTD》は下層の治安維持優先を掲げており、シンカー達の働きもあってその目的は十分に達成されている。

 だがキバオウに限らず、他の《MTD》メンバーは薄々思っていた。『これは攻略から離れるための言い訳……大義名分なのではないか?』と……。本当は怖かったのだ。ボスが、モンスターが、仲間が砕け散る姿を見るのが。

 そしてそんな臆病な自分達を払拭して再スタートをするためにも、この戦いで勝つことが必須だと、ディアベルだけでなくキバオウも考えていたのだ。

 

「……あぁ、キバオウさんの言う通りだ……全員聞いてくれ!」

 

 ディアベルが次の指示を出すために大声で呼びかける。ボスは今でも猛威を振るい、待ってくれる様子はない。時は刻一刻を争う。

 

「自分の身の危険を感じたらすぐに離脱してくれて構わない。後で咎めるようなことも絶対にしない。だが……この戦いから目を背けるような事だけはしないでくれ!」

 

 先ほどのキバオウの行動と言葉に加え、ディアベルの指揮で全員が冷静さを取り戻す。彼らの心にもう恐怖はない。

 

「まずボスの攻撃だが、盾で防げないなら剣で弾く。敵が力でねじ伏せようとするなら、こっちも力で迎え撃とう! オフェンス隊、前へ!」

 

 その合図で両手剣や両手斧を持った屈強な戦士達が前に出る。

 

「ソードスキルで奴の斧を跳ね返すんだ! その後に他のメンバーで突撃するぞ!」

「おうっ!」

 

 全員の声が重なり合うと、タウルスが大きく振りかぶり、ソードスキルを立ち上げた。両手斧上位重単発ソードスキル《グランド・ディストラクト》が《MTD》のオフェンス隊に向けて叩きつけられる。

 

「おらぁぁぁぁぁあ!」

「うおぉぉぉぉぉお!」

 

 気合の入った声とともに繰り出したそれぞれのソードスキルが、ボスの放った《グランド・ディストラクト》とぶつかる。剣と剣のぶつかる音が響いた次の瞬間、ボスの斧は弾き返されて身体が仰け反った。

 

「突撃ーー!」

 

 ガラ空きになったタウルスの腹に数多のソードスキルが繰り出される。HPの減少が止まることはなく、タウルスの身体は爆散し、細かなポリゴン片に変えたのだった。




前話から登場した《血盟騎士団》団員のレイモンド・ラザレフ・モーガン・エリックはオリキャラとなります。
モーガンは番外編第02話において、こっそりセリフだけの登場をしています。口調に「〜ッス」という特徴があるので、すぐに分かると思います。

イベントボスの名前はラテン語で統一しています。

原作では何かと悪い火種を撒いて良い印象を与えないキバオウですが、「彼は彼なりの信念を持っている」というのを少しだけですが表してみた回でした。せめて二次小説の中だけでもいい格好させないと……。


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第16話 激突と死闘の三重奏(前編)

 少女は暗く深い《フラムジャングル》の奥底を走っていた。

 視界に映るのは人の背丈から数十メートルの高さがある熱帯性の植物が、うっそうと生い茂っている光景。ついさっきまで降っていた雨は止み、葉からは雨水が雫となって地面に落下する。この層では突然雨が降り、そして止むというのは日常風景。だが現実世界の熱帯雨林を再現したスコールの発生は、プレイヤーにとって害悪でしかない。

 一つは地面のぬかるみ。

 スコールによる大量の雨はフィールドの地面を容易に緩くし、場所によっては水たまりも発生する。そういった所ではプレイヤーの足は取られやすく、《転倒》発生率が高く設定されている。戦闘中に足を滑らせて体制を崩せば、その一瞬が命取りになることだってありえるのだ。

 それに加えて音の阻害。

 スコールの発生による雨の音は凄まじく、至近距離の会話でさえ全く聴こえない程だ。モンスターの鳴き声も、プレイヤー自信の足音さえも。よってプレイヤー間で言われている、モンスター特有のSEを聴き分けるシステム外スキル《聴音》は、スコールの間は全く機能しないといっていい。なので《索敵》スキルを持っていないプレイヤーはモンスターの接近に全く気付くことができず、『いつの間にか攻撃されていた』といわれても何ら不思議ではない。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 だから少女は気付かなかった。すぐそこまでモンスターが接近していることに。

 だが、少女の相棒は気付いていた。何もないように見える草むらに向かって、必死に威嚇の声をあげていた。

 それでも少女は気付かなかった。相棒の異変に気付いた時には、既に遅かった。彼女の視線の数メートル先には鋭い爪と牙を持ち、立派なたてがみを備えた百獣の王の姿を模したモンスター《ザ・レオ》が佇んでいた。

 緊急脱出用の転移結晶は一つだけ持っている。だが至近距離では転移が完了する前に襲われる危険もあるし、そうなってしまえば否が応でも戦闘になる。しかし、少女には30層フロアボスクラスを相手に一人で戦うなど出来ず、勝てる見込みは薄い。そこで少女は少しでもレオから離れるために、逃げる事を選択した。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 しかし《ザ・レオ》は追ってくる。せっかく見つけた一人と一匹の獲物を、みすみす逃すつもりはないようだ。

 

「ハァ……ハァ……あっ!」

 

 追いかけてくるレオの姿を走りながら振り返って確認したのがまずかった。少女はぬかるんだ地面に足をとられ、転倒する。地面に伏していると、背後から嫌な気配と声を感じた。

 

 ――グルルルル……

 

 もう後ろを振り返るまでもなかった。声からして敵はすぐそこ。狩られる側の立場にたったことで恐怖が生まれる。

 だが怯える少女もとい主を守るため、少女の相棒であり、友達でもある一匹の小さな水色の竜が、レオに精一杯の威嚇をした。

 

『きゅるるるるる!』

「ピ、ピナ! ダメ! 逃げて!」

 

 ピナという名の水色の小竜《フェザーリドラ》の戦闘ステータスは決して高くはない。30層フロアボスクラスのレオを相手に戦えるわけがないのは自明の理。少女の願いも虚しく、百獣の王はピナに向かって飛びかかった。

 

「ピナーーーー!!」

 

 主を守るため、威嚇を続けるピナに手を伸ばす少女。だがその手はピナには届かない。この世界で少女にとって、心の支えであるピナの死は免れなかった。

 ただしそれは彼らがいなかったら、の話だが――。

 

「はあぁぁぁぁあ!」

 

 少女の目の前を黒い影が横切ると、牽制用に放った片手剣突進技《レイジスパイク》がレオにヒットした。強烈なノックバックにより、レオは大きく後方へとはね飛ばされる。

 少女とピナを助けたのは全身黒づくめの片手剣使い。背中を向けているために少女からは顔が見えないが、背丈が大きいわけでもなく、身体の線も細い。その正体は攻略組トッププレイヤーの《黒の剣士》ことキリトだった。

 ボスのタゲを取ったキリトが、少女の側から離れるように移動を始めた。

 

「大丈夫か?」

 

 そしてキリト以外にもう一人のプレイヤー、青いロングコートを着たカイトが、しゃがんで少女の様子を伺っていた。その間にピナが少女の頭に乗る。

 

「は、はい。大丈夫です」

「なら良かった。えっと……」

「あ、えっと、私はシリカっていいます。それで、この子はピナです」

『きゅるっ!』

「よろしく、シリカ、ピナ。オレはカイト、今戦ってるのはキリトだ。あいつはオレ達が相手するから、今すぐここから離れて安全な場所に避難してくれ。エギル、行くぞ!」

「おうっ!」

 

 カイトはエギルと共にキリトのあとを追う。あっという間の出来事にポカンとしていると、ツインテールがトレードマークの少女シリカは、ハッと我に返った。

 

「助けてくれたお礼……言い忘れちゃった……」

 

 しかし安心したのも束の間、シリカの元には再び危機が迫っていた。そして今度はピナでさえその気配に気付くことは出来なかった。なぜならそれはピナの持つ索敵能力を上回る《隠蔽(ハイディング)》スキルの持ち主達だったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カイト達がシリカを助けたのとほぼ同時刻、ユキ達は37層の主街区でピスケスと戦闘していたのだが……。

 

「あの野郎、また逃げやがった! これで何回目だよ!」

「13回目です」

「アレッシオ、数えてるんスか!?」

 

 一ヶ所で長時間の戦闘は行わず、頻繁にピスケスは主街区内を移動していた。一定時間ごとに移動を繰り返し、さらにHPバーが一段減るごとに転移門で階層を一つずつ上に昇っていく。おかげでユキ達は走ってばかりで、レイモンドが不満を口にするのもわからなくない一行だった。

 彷徨っていたかと思えば、転移門へと向かうピスケス。HPバーは残り一段となったため、転移門による階層移動はこれで最後となる筈だ。

 転移門に辿り着き、ピスケスは転移を開始する。ボスが転移した後、ユキ達もあとを追って転移した。

 そして38層主街区の転移門広場で、一同は待ち構えていたピスケスと再び戦闘を開始する。

 

「ブレス来るよ! みんな避けて!」

 

 モーションからブレス攻撃を予測し、ユキは全員に回避を促す。すぐにその場を離れると、ボスの口からオリーブグリーンのブレス攻撃が繰り出された。濁った色と嫌な臭気が漂う。

 このボスで最も注意しなければいけないのが、このブレス攻撃だ。まともに受けるとダメージこそ大したことないが、一時的な筋力値・敏捷値のダウンに加え、金属製装備の耐久値を大幅に削る《腐食毒》効果がある。

 

「やあぁぁぁあ!」

 

 ユキがブレスを避けた後、短剣二連撃ソードスキル《クロス・エッジ》で斬りつけ、ステップを踏んだ後、続けて短剣中位三連撃ソードスキル《トライ・ピアース》をボスの側面に喰らわせる。ピスケスがユキに対して噛みつき攻撃を行うが、《軽業》スキルを使ってバク転することにより、優雅に躱した。

 

「相変わらず動きの一つ一つが綺麗ですね」

「ありがとう、ラザレフ」

「ユキちゃん、やっぱりオレと結婚してくだ」

「ごめんなさい」

「切り捨て御免! ありがとうございます!」

「アレッシオ、エリックが振られるのってこれで何回目ッスか?」

「……6回目」

 

 終わりが見え始めているせいか、メンバーにも余裕が出てきたようだ。

 だがそんな余裕は直ぐに消し飛んだ。その原因はボスではなく、一人のプレイヤーによってもたらされる。

 

「Wow、随分楽しそうじゃないか。俺も混ぜてくれよ」

 

 背後から聞こえた声に、ユキはゾクっと背筋を凍らせた。

 振り返った先にいたのはポンチョで身を包んだプレイヤー。深く被ったフードからわずかに見える口元は不気味な笑みを浮かべ、右手には大型のダガーを持ってぶら下げている。そこにいたのは最凶最悪のレッドギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》のリーダー、PoHだった。

 

「PoH……なんでここに……」

 

 『圏内』解除を好機とみたオレンジプレイヤーの介入を、全く予想していなかったわけではない。ユキが驚いたのはラフコフリーダーのPoHという大物が、まさか自分達の所に現れるなんて思いもしなかったからだ。

 

「なあに、茅場晶彦が折角用意してくれた舞台だ。わざわざ開発者が準備してくれたのに、この世界の演者であるプレイヤーの俺達が参加しないってのは、無粋な行いだと思わねえか? ……にしても、まさか偶然来た所に《血盟騎士団》の連中がいるとはなぁ……」

 

 言葉の最後で、フードの奥にある口元がさらに歪むのが見えた。『中々面白い獲物に会えた』とでも言わんばかりの……。

 ユキはこの時、PoHの考えが自然と読めてしまった。それ故、咄嗟に身体が反応し、PoHに向かって切りかかる。

 ユキの動きに反応して、PoHはダランとぶら下げていた右手の《鬼喰包丁(オーガ・チョッパー)》を水平にして剣を受け止めた。

 

「Wow、挨拶がわりにしては強烈だな」

 

 不意な攻撃を受けて尚、彼の様子と言動は依然涼しげなままだった。脱力していたかのような姿勢は、既に臨戦態勢だったのだ。

 ユキは後ろに跳んで後退し、パーティーメンバー全員に聞こえる声で決意を伝える。

 

「……みんな、私がPoHと戦って引きつける! だから、その間にボスを倒して!」

「なっ!? ユキさん、危険すぎます」

「このまま私達がボスを倒すのを黙って待ってくれるわけないだろうし……これは誰かがやらなきゃいけない事なんだよ」

「なら僕も――」

「ううん、私一人で大丈夫だよ。アレッシオに指揮は任せるね。……PoH、場所を変えてもいいかな?」

「Huh、別に構わねえぜ。後ろの連中が気になってこっちに集中出来ないんじゃ、俺がつまらんからなぁ……」

 

 PoHの言葉を聞くとユキは踵を返す。

 

(みんなを巻き込むわけにはいかない……)

 

 主街区の奥へと駆けると、その後ろをPohが追蹤(ついじゅう)する。

 

「ユキさん!」

「アレッシオ! あぶねえ!」

 

 余所見をしていたアレッシオは、ピスケスのブレスモーションを見逃していた。そのため、ボスの口から吐き出されたブレスを直撃し、彼の身体が蝕まれる。

 

「くっ……そっ……」

 

 筋力値と敏捷値のダウンに加え、装備していた両手剣の耐久値が削られ、武器はポリゴン片となって砕けた。すぐさま予備の剣を実体化させている所に、レイモンドが駆け寄ってアレッシオをなだめる。

 

「落ち着けアレッシオ。気持ちはわかるけど、今はこいつを倒すのに集中するぞ」

「でも、相手はあのPoHだ。一筋縄じゃ――」

 

 その後のアレッシオの言葉を、ラザレフが紡いだ。

 

「いかないでしょうね。ですが忘れましたか? 犯罪防止(アンチクリミナル)コードの解除はイベントボスが生存している間のみ。つまり他のボスがこの階層に乱入でもしない限り、私達が一秒でも早くこいつを倒すのと彼女を助ける事は、同義になるんです」

 

 現在はイベントボスの影響で、犯罪防止(アンチクリミナル)コードの設定は解除されている。そのため主街区にいてもHPは減少するが、ボスを倒しさえすれば、主街区は再びシステムの圏内設定に守られる。

 この場合ピスケスを倒せば、離れていながらユキを助ける事が出来るのだ。

 

「……わかりました。まずはこいつを倒すことに集中します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 47層フィールドダンジョン《思い出の丘》。アスナ達は未だにヴィルゴとの戦闘を繰り広げていた。

 戦闘が長引いている理由は敵が素早いからというのもあるが、何より動きが読めないのだ。右、左、右と小刻みにステップを踏んでプレイヤーに動きを読まれないようにし、一瞬の隙を突いてソードスキルを叩き込む、まさに『蝶のように舞い、蜂のように刺す』を体現している。そしてそれはモンスター特有のアルゴリズムに従った一定の決まった動きではなく、毎回微妙に間合いやリズムを変えて動いており、アスナ達はまるでプレイヤーと戦っているような感覚に陥っていた。

 さらに、ヴィルゴはHPバーが一段減るごとに武器を換装していく。最初は短剣を装備していたが、三段目に入った時はレイピア、二段目に突入した今は曲刀を使っており、換装すると動きも変化するので、行動パターンが非常に読みづらい相手だ。故にメンバーはヴィルゴの放つソードスキル発動後の硬直時間を狙ってダメージを与えていった。

 

「せやあっ!」

 

 曲刀中位三連撃ソードスキル《オーバル・クレセント》の技後硬直(ポストモーション)を狙って、アスナの細剣中位四連撃ソードスキル《カドラプル・ペイン》が稲妻のように宙を裂き、ヴィルゴの腹部にヒットする。

 ヴィルゴが後退するのと同時に、アスナも他の団員と場所を入れ替えて後退する。減少したHPを回復するため、ポーションを口にした時だった。

 

「ぐあっ」

「おいっ、どうし――がっ」

 

 アスナの耳に団員の声が聞こえたが、明らかにおかしい。視線を後方に向けると、その場で動けなくなっている団員達の姿があった。

 動けなくなっている団員の首の後ろには、一本のピックが刺さっていた。状況からみて、ピックには麻痺毒が塗ってあるのだろう。周囲に他のプレイヤーの姿はないが、おそらく《隠蔽》スキルで姿を消しつつピックを投げているのだと、アスナは予測した。

 そうしている間にも、新たに麻痺状態となる団員が現れる。しかし、アスナはピックの刺さり方から犯人のいる方向と場所に目星をつけ、そこ目掛けて走った。

 

「――そこっ!」

 

 犯人がいるであろう場所に向かって剣を突き出す。アスナは手応えを感じ取れなかったが、そのすぐそばでプレイヤーが姿を現した。

 

「なかなか、勘が、鋭い、じゃ、ないか、《閃光》」

 

 スゥっと姿を現したのは、髑髏マスクに赤い眼をした《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》幹部のザザだった。

 

「ラフコフが何の用?」

「そう、恐い、顔を、するな、《閃光》。俺は、今、遊び、の、最中だ。今頃、他の、ラフコフ、メンバーも、各層で、遊んで、いる、だろう」

「……コソコソ隠れながら人の身体でダーツの真似事ですか? それも不意打ちで動けなくするなんて、随分と悪趣味ですね」

「フッ、そう、怒る、こと、でも、ない、だろう」

「私達の邪魔をするというのであれば……容赦はしません」

 

 剣先をザザに向けて構えをとる。ザザも同じように、右手に持つエストックの剣先をアスナに向けた。

 

「この場にいる団員全員でボスの相手をして下さい。私一人で……この男の相手をします」

「しかし副団長!」

「これは副団長命令です。指示に従いなさい」

 

 背後にいる団員を一瞥する。その眼光と言葉からは、有無を言わせない威圧感があった。

 

「……わかりました」

 

 アスナは男性団員がヴィルゴと戦闘中のパーティーがいる場所へと戻ったのを確認し、ザザに視線を戻す。

 

「あなたを監獄送りに出来る良い機会ね」

「やれる、もの、なら、やって、みろ」

 

 次の瞬間二人の姿は消え、剣と剣がぶつかった際の金属音だけが響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シリカとピナを助けてから約30分後、カイト・キリト・エギルの三人による攻撃の嵐でレオはHPを減らし続け、残りはHPバー最終段のレッドゾーンに差し掛かっていた。

 カイトが《フロスト・パージ》にペールブルーのライトエフェクトを纏わせると、片手剣突進技《レイジスパイク》を発動してレオの側面を攻撃する。しかし、HPを削り切ることができず、一ドットだけ残して生き永らえた。

 

「ごめん、ミスした」

「大丈夫。あと一撃で終わりだ」

 

 だが、この三人の誰もレオのトドメをさすことはできなかった。なぜなら、茂みから突如現れた持ち主不明のナイフが、レオの眉間に命中したことでHPをゼロにし、ポリゴン片となって爆散したからだ。

 そして今度は三人目掛けて、茂みからナイフが投げられた。それぞれの武器でナイフを弾き落とす。

 

「誰だ!」

 

 キリトが叫ぶと、茂みから頭陀袋の男《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》幹部のジョニー・ブラックが現れた。

 

「ジョニー・ブラック……」

「ハロー! ごきげんいかがですかぁ、《黒の剣士》、《掃除屋》……もう一人は知らねっ」

 

 ジョニー・ブラックはそう言うと、三人に向かってナイフを持った右手を振る。

 

「しっかし俺ってばラッキーだなぁ。たまたま見つけた相手が攻略組ときたもんだ。これで一気に点数稼げるじゃん」

「……まーた何か企んでるな」

 

 嬉々とした様子で話すジョニー・ブラックに対して、警戒しながらも呆れた様子のカイト。ラフコフの思いつくことにロクなものがないのを、彼はよく知っている。

 

「俺様考案のちょっとしたゲームさ。一人殺せば20点、攻略組ならさらにプラス30点、二つ名持ちならさらにプラス50点、ってな具合のな」

「……イかれてやがる……」

 

 ラフコフの危険性は知っていたが、始めて対面するエギルにはジョニー・ブラックの考えが全く理解できなかった。いや、エギルでなくとも正常な思考と良識の持ち主には、ジョニー・ブラックの考えは理解できないだろう。レッドプレイヤーの考えは、同じレッドプレイヤーにしかわからない。

 

「まさか、あんた一人でオレ達攻略組三人を相手にする……って訳じゃないよな?」

 

 キリトの言葉に口元を歪ませると、左手を軽く上に挙げる。すると、ジョニー・ブラックの後ろから部下と思わしき八人のプレイヤーが現れた。

 

「勿論、俺以外にもいるよ。けど全員で斬りかかって殺すだけなんて、つまんないんだよね〜」

「……何かあるみたいな口ぶりだな」

 

 ジョニー・ブラックはただ単に人を殺すだけでは飽き足らず、自身の思いついた『ゲーム』で楽しんでから殺すのを特徴とする。

 

「さっすが《掃除屋》、わかってるじゃん! 当然ルールを設けることにする。それは――」

 

 ジョニー・ブラックが左手の人差し指を立てると、その指先はカイト達を指す。

 

「――お前達三人は一切の反撃を禁止する、ってこと」

「なっ!」

「一方的にやられてろって事かよ!」

 

 キリトとエギルは彼の言葉に耳を疑った。ラフコフを複数相手にして反撃はするな、と。もし素直に応じたとしたら、カイト達の出来ることは回避するか、剣で防ぐかの二択しかない。

 

「……こっちが素直に『わかった』って言うとでも思ってるのか?」

「まあ、普通は言わないだろうな。でもさっ、でもさっ……これならどう?」

 

 今度は左手で指を鳴らす。すると、また茂みからラフコフメンバー二人が現れた。しかし、一人は引き連れた少女の首元にナイフを突きつけ、もう一人は捕縛用ロープで縛った小竜を抱えていた。

 

「シリカ! ピナ!」

「カイトさん……ごめんなさい……」

『きゅるう……』

 

 目の前にいるのはどう見ても人質となっているシリカとピナ。さらに言えば彼女のHPはレッドゾーン。つまりジョニー・ブラックが言いたいのは――。

 

「さっきも言った通り、反撃は禁止。もし、しようものならこいつらを殺す。……なあに、心配するなって。大人しくいたぶられてれば、ちゃ〜んとこいつらは解放するからさっ! うっわ、俺ってば超優しくねっ!?」

 

 当然シリカ達を人質に取られた今、カイト達に拒否権はない。

 

「さあ、三人は人質に取られたか弱い少女の命と自分達の命、どちらを優先するのか!? この危機を乗り越える事ができるのか!? 名付けて『第二回、どっちの命を取るんですかゲ〜ム』開催。ちなみに、第一回でリンチされてた奴は自分の命を優先させました〜。人質になってた奴の絶望に満ちた顔を眺めて、最後はちゃ〜んとルールに従って殺しといたよ」

「ひっ!」

 

 その言葉を聞いてシリカは小さな悲鳴を上げると、瞳に涙を浮かべてしゃくり上げた。

 

「大丈夫だ、シリカ。絶対助けるから」

 

 不安がるシリカを少しでも安心させようと、カイトは慰めの言葉を発した。

 

「そんな事言ってても、結局最後は自分を優先するのが人間ってもんでしょ? その言葉に嘘はないか、これからの行動で示してくれよ〜? それじゃあ――」

 

 一瞬の沈黙の後、ジョニー・ブラックが開戦の合図を告げた。

 

「――イッツ・ショ〜ウ・タ〜イム」




スコールによる弊害は独自設定です。

《鬼喰包丁》は《友切包丁》を手に入れる前に使用していた、名剣クラスの武器という設定です。

ラフコフ三人はクセ、もとい個性が強いなぁ……。


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第17話 激突と死闘の三重奏(後編)

今回はいつもより少し長くなります。


 石畳が敷き詰められた主街区の道を、二つの影が疾走する。転移門広場から主街区の入り組んだ道に入り、右、左、左、右とジグザグに進んでいく。

 イベントボスの侵入によって犯罪防止(アンチクリミナル)コードが解除されている今、普段よりも人の姿は少ないが、それでも一般プレイヤーの姿が全くないわけではない。ユキは無関係な人を巻き込むのを避けるため、なるべく人通りの少ない場所を選ぶようにしていた。

 選んだ場所は主街区の端にある路地裏。周囲にはNPCの店もなく、宿が一軒あるのみ。ここなら誰も来ることはないだろうと考え、今まで動かしていた足を止める。

 腰に差した《アングウェナン》を抜き、後ろを振り返ると、暗い路地裏で月明かりに照らされているPoHが立っていた。

 ユキの後ろで常に一定の距離を保ち、迷わず追蹤したことから、少なくともユキと同等以上のスピードを持っているらしい。振り切るのは不可能と悟った。

 誰もいない静かな路地裏で大型ダガーを持ち、PoHの格好も相まって、その姿はまさに殺人鬼そのもの。例えるとすれば、十九世紀にイギリスでその名を馳せた切り裂きジャックといった所だろうか。

 

「地味な場所だな……」

 

 PoHはダガーの峰で肩を叩きながら、ポツリと呟いた。

 

「華やかな所が良かった? あなたにはここがピッタリだと思うけど」

「Huh、俺を前にしてよくそんな口がきけるな。中々肝が座ってるらしい」

 

 明らかな挑発。

 両者の間にピリピリとした空気が張り詰める。

 

「まぁ、あながち間違っちゃいねえがな。俺みたいな日陰者はここで充分だ。だが、お前はいいのか?」

「……何が?」

「こんな人の来ないような場所じゃ、あんたの仲間どころか、赤の他人にも自分の最期を刻みつけることなく死んでいくんだぜ?」

 

 目には目を、歯には歯を。PoHは挑発に対して挑発で返した。

 

「まだ何も始まってないのに、もう勝負は決まったみたいな言い方はやめて。……それに、私は死なない。みんなが待ってるから」

「……まあいい。折角そっちの考えにのってこんな場所まで来てやったんだ。少しは楽しませてくれよ」

 

 つま先で石畳をトントン、と叩く。

 フードからわずかに覗く口元を歪め、PoHが笑った。

 

「イッツ・ショウ・タイム」

 

 この世界最凶の男が、牙を剥く。

 先に動いたのはユキだった。《アングウェナン》にオレンジのライトエフェクトを纏わせ、短剣上位突進技《アーリー・スピルド》で先制攻撃を狙った。中位突進技の《ラピットバイト》より攻撃速度が速く移動距離も長いので、離れた敵との間合いを一気に詰めるのに重宝されるソードスキルだ。

 PoHとの距離を瞬く間に縮め、切っ先は身体の中心へと向かう。

 だがPoHも黙って立っているわけではなく、真横にスライドする。しかし、それだけではソードスキルを完全に避ける事は不可能。なので、短剣水平単発ソードスキル《スラッシュアーツ》の切り払いを、自身に迫る《アングウェナン》の腹部分に向かってタイミング良く放つ。

 結果、ユキの突進技は軌道を逸らされ、PoHの横を素通りする形で回避された。

 

(――っ!)

 

 ユキは《アーリー・スピルド》による高速の突進に対し、剣の腹を正確にソードスキルで狙って躱したことに驚いていた。たった一回剣を交えただけで、PoHの持つ技術の高さが伺える。

 ユキは体制を立て直してPoHに向き直ると、今度はPoHが動いた。

 

「次はこっちから行く」

 

 PoHがユキに接近し、右手に持つ大型ダガー《鬼喰包丁(オーガ・チョッパー)》による左から右への水平切りで肩を狙う。ユキは姿勢を低くすることでこれを回避するが、右に振り抜かれたダガーは勢いを殺すことなく、相手の左肩から右胴へ切りつける袈裟斬りの軌道に変わる。咄嗟にバックステップで距離を取るが、わずかに反応が遅れたために、左肩を掠めた。

 そしてPoHの攻撃はまだ続く。

 先刻のユキと同じようにダガーはオレンジに輝き、短剣上位突進技《アーリー・スピルド》を繰り出す。

 

「くっ……」

 

 至近距離からの上位突進技を回避するのは不可能とみて、ユキは少しでもダメージを減らすための行動に出た。

 

「やあっ!」

 

 PoHのように、短剣水平単発ソードスキル《スラッシュアーツ》で剣の軌道を逸らすため、剣の腹部分を狙う。だが、PoHのようにはいかなかった。

 

「きゃっ――」

 

 ユキのソードスキルは当たらず、PoHのソードスキルだけが命中した。腹部に当たり、突き飛ばされ、赤いダメージエフェクトと不快感が発生。HPがガクッと減少する。

 石畳を転げ回るが、両手をついて飛び上がり、姿勢を直す。

 

「さっきのお返しだ。諦めずに何とかしようとするその心意気だけは認めてやる」

「……あなたに褒められても嬉しくない」

「素直じゃねえな。まあせいぜい死なないよう足掻いて足掻いて……足掻き続けな」

 

 PoHの猛攻は続く。

 横薙ぎ、振り下ろし、足払いと攻撃の手を緩めない。ユキも剣で斬り結び、時には回避することで渡り合う。お互いがお互いの隙を探り、時には切り、時には突く。両者一つもクリーンヒットはなく、小さなダメージの蓄積によってHPは減少していった。

 

 PoHの繰り出した首を狙った水平切りに対して、ユキは腰を落として剣で受けるーーのではなく、接触する瞬間垂直に立てていた短剣を斜めに傾けることで、《鬼喰包丁(オーガ・チョッパー)》は《アングウェナン》の刃を滑る。PoHの水平切りは大きく振り抜かれ、ガラ空きになった腹目掛けて短剣単発ソードスキル《セイド・ピアース》で突く。

 

「はあっ!」

 

 精一杯の力で放った突きはPoHに命中した……筈だった。

 

「えっ」

 

 PoHが目の前から忽然と姿を消した。

 否、ユキの頭上を前かがみに飛び越えた。一瞬で視界からいなくなったために、ユキにはまるで消えたように見えたのだ。

 

「惜しかったな」

 

 視界の外へ逃げたPoHは《セイド・ピアース》を回避しつつ、ユキの背中から肩にかけて切りつける。

 

「あ、ぐっ……」

 

 この戦闘で二度目のクリーンヒット。またしてもHPが減少した。

 

「Hey、もう終わりか? まだこんなもんじゃねえだろ?」

 

 明らかな安い挑発。幼い少女なら自身の力不足に苛立ち始め、のってくると思っていた。だがPoHは彼女を見誤っていた。ユキは毅然とした態度を崩さずに振り返り、真っ直ぐPoHを見据える。

 

「これぐらいで揺さぶられるような弱者ではない、か……。じゃなきゃこっちも殺りがいが――」

 

 言葉を言いきる前にユキは動いた。

 

「やああっ!」

 

 自身の持つ敏捷値を限界まで引き出し、高速の連撃。斬りつけ、突き、時にはフェイントを交えてPoHに襲いかかり、剣がぶつかるたびに火花が散る。

 それは止まることを知らず、一つ一つのモーションに切れ目が無い、流れるような動き。まるで流麗な剣舞を見ているかのようだった。

 だがそれでもPoHの身体に剣は届かず、ユキの攻撃は全て剣で捌かれる。ここまでくるとモチベーションの維持も難しいだろうが、それでも彼女は諦めなかった。

 

「チッ……」

 

 激しいラッシュにPoHも思わず舌打ちする。カウンターを喰らわせる機会を伺ってはいても攻撃の手が休まる事はなく、防戦一方の状況に苛立ちを覚え始めた。

 しかしそれはユキも同じ。『ここまでやってなぜ届かない』という歯がゆい思いが焦りを募らせる。そんな焦りのせいなのか、モーションが今までよりもやや大振りになった。PoHはこのチャンスを見逃さない。

 PoHは一歩前進して距離を詰めると、振り下ろされる筈だった右腕の手首を左手の甲で受け止め、すかさず《鬼喰包丁(オーガ・チョッパー)》を勢い良く前に突き出した。ユキは後方に突き飛ばされ、HPが危険域(レッドゾーン)寸前まで減少する。

 飛ばされながらも空中で身体をねじる。地面に手をつくことで転倒するのを回避し、最後は両足で着地した。

 

「次はなんだ? それとも手詰まりか?」

 

 両手をダランとぶら下げる一見すると無防備な体制だが、殺気が空気中を、肌を、そして神経を通して伝わってくる。たとえ構えていなくとも意識は戦闘から外れていない。今の状態で斬り込んでもさっきと同じ事の繰り返しだと、ユキは悟った。

 命の残量にチラリと目をやるとあまり余裕のある状態ではない。彼女が次に取った行動は、敵に背中を向けて走ることだった。

 

「なんだ? 今度は鬼ごっこか」

 

 当然PoHが獲物を逃がすわけもなく、全速力で走る少女を全力で追いかける。

 この世界ではステータスの差は絶対であり、下の者が上の者に勝てる道理は決してない。敏捷値でPoHはユキの上をいっているのか、二人の距離はどんどん縮んでいく。

 そして二人が駆ける路地裏の一本道の先に待っていたのは、高くそびえる赤レンガの壁だった。横に抜ける道はなく、逃げ場はない。行き止まりだ。

 二人の距離は5メートルも離れておらず、捕まるのは時間の問題だった。

 

「チェックメイトだ」

 

 本来なら行き止まりの場合、文字通り行き場がないのだから歩みを止めるものだ。しかしユキの足は止まる様子がない。流石のPoHも違和感を覚えた。

 

(一体何を……)

 

 そう思っていると、ユキが前方の壁に向かって跳躍した。空中で水泳のクイックターンのように身体を小さく丸めて回転すると、行き止まりの壁に両足をつけて膝を深く曲げる。それと同時にソードスキルを立ち上げ、壁を蹴った際の反動とソードスキルによるシステムアシストの加速を利用してPoHに突進する。

 

「せやああああ!」

 

 これまでよりもさらに速い短剣上位突進技《アーリー・スピルド》が、標的目掛けて吸い込まれるように進んでいく。

 

「がっ――」

 

 短剣がPoHの身体を完全に捉え、剣でガードするのも避けるのも出来ずに大きく吹き飛ばされた。それと同時にクリティカルヒットの文字が浮かぶ。だがユキが着地するのと同時に、PoHがアクロバットな動きで姿勢を整えると――。

 

「Suck……遊びは終わりだ」

 

 ――そう呟いたPoHの姿が消えた。

 次の瞬間ユキの身体に衝撃が走り、突き飛ばされて背中から赤レンガの壁に叩きつけられた後、地面に倒れる。

 何が起こったのか理解出来ず、地面に伏した状態で顔を上げると、つい今までユキのいた場所にPoHが立っていた。彼の反撃をユキは目で追うことができなかった。

 

(まさか……今まで本気じゃなかったの……?)

 

 今までとは違うPoHの動きは、油断していたとはいえ目で追うことができなかった。おそらくあの一瞬だけはPoHも本気で来たのだろう。

 

「Huh……興醒めだ」

 

 だがあれだけの衝撃を喰らいながらもユキのHPは一ドットも減少しておらず、注意域(イエローゾーン)のまま。つまりこれは圏内設定が発動し、システムによって彼女は守られたという証。そしてユキのパーティーメンバーがイベントボスを討伐した証でもある。

 

(みんな、やってくれたんだ……)

 

 間一髪で助かった事に安堵したユキを、PoHが見下ろす。

 

「自分の運の良さに感謝するんだな……。転移、《はじまりの街》」

 

 PoHは転移結晶を取り出し、コマンドを唱えてその場をあとにする。激闘を繰り広げていたかと思えば一転、辺りは静寂に包まれた。

 誰もいなくなった路地裏の角で呆然と座り込んでいること約5分、ピスケスとの戦闘を終えたアレッシオ達五人が駆けつけた。

 

「ユキさん、大丈夫ですか!」

 

 声を掛けられてハッと我に返る。俯いていた顔を上げ、いつもの笑顔で五人を見た。

 

「うん、大丈夫。みんなお疲れ様!」

「PoHは? あの野郎は何処に行きました?」

「《はじまりの街》に転移したみたい。でも今追っても別の所に逃げちゃってるかも……。ごめんね」

「いやいや、気にしないで下さいッス。それよりもユキさんが生きてて良かったッス」

「全くもってその通りですね。みなさん心配してたんですよ」

「そうそう。それにアレッシオが――モガッ?!」

「エリック少し黙ろうか」

 

 アレッシオがエリックの口を両手で塞ぎ、エリックがジタバタともがく。

 

「と、とにかく! 僕らは早く上層のメンバーと合流しましょう」

 

 アレッシオの言うとおり、当初の作戦は中層に出現したボスは短期決戦で撃破。その後、他の《血盟騎士団》のパーティーに合流して加勢する手筈になっている。

 五人が歩き始めるが、ふと後ろを振り返るとユキはいまだに路地の角で地面に座り込んでいる。疑問に感じたアレッシオが踵を返してユキに近付いた。

 

「どうしました?」

「……ごめん。その……腰が抜けちゃって……誰か肩を貸して欲しいなあ、なんて」

 

 最凶最悪のプレイヤーとの戦闘を終えたユキは緊張状態から解き放たれ、安心した結果腰を抜かしてしまった。いくら攻略組の一員といっても、中身はまだまだ子供なのだ。

 

「はいっ! それならオレが――」

「エリックは下心がありそうだから、他の人でお願い」

「ちょっ、触られたくない的なっ!? それ、オレ達にとってはご褒美ですよ?!」

『お前(あなた)と一緒にするなっ(しないで下さい)!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 照りつける太陽と青空の下、地面を彩るのは小さな花達。時折吹く風によって花びらが宙を舞い、空間的が彩られる。

 

 ――キンッ

 

 47層のフィールドダンジョン《思い出の丘》で、《血盟騎士団》はヴィルゴとの戦闘を続けている。

 

 ――キンッ、キンッ

 

 そして戦闘中の《血盟騎士団》の後ろでは二人の剣士がぶつかり合い、剣と剣の擦れる音が空気を震わせる。

 ぶつかり合うのはレイピアとエストック。どちらも相手を『突く』という行為に秀でた武器である。しかし、似たような武器でも重量はエストックのがレイピアよりも軽量であるため、同じ性能の武器ならエストックに軍杯が上がるというのが通説だ。

 そして二人の武器性能に大差はなく、それだけでみればザザの有利だ。しかし、プレイヤースキルの話は別問題である。

 

(この、女っ……)

 

 ザザが突きを繰り出すと、アスナも突きで応戦。レイピアの剣先で正確にエストックの先を当てる技量にザザも度肝を抜かれる。アスナの持ち味は剣速に加え、この針の穴を通すような正確さ。

 

「せいっ!」

 

 そして当初は拮抗していたかにみえた両者の間で徐々に差が出始め、それは頭上に表示されたHPバーが物語っていた。

 アスナのHPは未だ安全域(グリーンゾーン)なのに対し、ザザのHPは注意域(イエローゾーン)に突入している。いくらザザが『高』速の剣技を用いたとしても、『光』速の剣技をもつアスナには適わない。《閃光》の名は伊達ではなかった。

 

「はあっ!」

 

 右肩を狙った突きをアスナは切り上げで弾くと同時に、ザザの懐へ侵入する。するとレイピアがライトエフェクトによって輝き出す。

 

「せやぁぁぁあ!」

 

 中段突き三回、往復の切り払いに続いて斜め切り上げ、最後に上段突き二回。アスナが装備するレイピアで上位に属する、細剣上位八連撃ソードスキル《スター・スプラッシュ》がヒットした。

 ザザのHPがこれまでよりも大きく減少し、二人の間にあった差はさらに大きなものとなった。

 

「大人しく監獄エリアに入るのをお薦めします。そうすれば命までは奪いません」

 

 勝敗は完全に決し、地べたに伏すザザをアスナが見下ろす。ザザにとってこれほどの屈辱は初めてであり、ギュッと唇を噛みしめた。

 

「《閃光》、次は、必ず、殺すっ!」

 

 ザザが取り出したのはボタン式の爆弾。

 スイッチを入れて放り投げると、アスナはバックステップで距離を取る。瞬く間に爆発し、爆発地点を中心に白い煙が舞い上がった。煙がはれて視界がクリアになると、先程までいたザザの姿は見当たらない。おそらく《隠蔽》スキルを使って逃亡したのだろう。《索敵》スキルを鍛えていないアスナに、ザザの追跡は不可能だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって30層のフィールドダンジョン《フラムジャングル》。こちらは防戦一方、その一言に尽きた。

 カイト・キリト・エギル各人がそれぞれ三人のプレイヤーを相手にひたすら剣撃の嵐に耐えている。一本の剣で三本の剣を防ぐのは不可能なので、時折回避も織り交ぜてはいるが、HPの減少は止められない。

 

(趣味悪いな、クソッ!)

 

 ラフコフメンバーは一度もソードスキルを使用していない。どうも彼らはソードスキルを使わずにじっくりゆっくりいたぶり、三人の誰かがシビレを切らすのを待っているようだ。

 

「ほらほら〜、やられっぱなしじゃ嫌だろ? やり返してもいいんだぜ〜?」

 

 人の神経を逆撫でするような言動に舌打ちをしたくなる。だがグッと堪えて彼らは耐えていた。

 

「カイトさん……」

 

 手を出すわけにはいかない。もしも出したのなら、すぐに人質となっているシリカの喉元にあてているナイフで彼女の喉を裂き、HPはゼロになるだろう。それだけは何としても避けたかった。

 

「それにしてもよく耐えるねぇ。そんなにあのおチビちゃんを助けたいの? いい加減諦めて自分の心配をしろって」

 

 カイトを含め、パーティーメンバーであるキリト・エギル両名のHPは注意域(イエローゾーン)に入っており、危険域(レッドゾーン)になるのも時間の問題。そろそろ我慢の限界だろうと、ジョニー・ブラックは感じていた。

 

「ぐわぁぁぁ!」

「エギル!」

 

 エギルがラフコフの攻撃をモロに喰らう。そのせいでとうとうHPが危険域(レッドゾーン)に突入した。

 

(私のせいで……)

 

 シリカは自分のせいで三人を巻き込んでいることに対し、心苦しい思いでいっぱいだった。元はと言えばカイト達に助けられた後、すぐに転移結晶で離脱していたら、自分がこんなところにいなければ……。

 

(どうしよう、どうしたら……)

 

 だが『たられば』を言っていても仕方がない。こんな自分でも何か役に立てることはないかと、シリカは考えを巡らせる。

 敵は11人。内9人はカイト達と戦闘中で、残り2人はシリカとピナを人質に武器を突き立てている。カイト達は下手に動けないし、ピナは拘束されているうえに口輪を装着させられているので、ヒールブレスもバブルブレスも使えない。

 

 そもそも人質がいなければカイト達がここまでおされるなどないはずだ。この状況を打開するには、人質であるシリカが動けば何か変わるかもしれない。

 だが同時に不安でもあった。彼女はあと一撃喰らえばこの世界から永久退場するだろう。『自分が死ぬかもしれない』という恐怖が彼女の頭をよぎる。

 

(それでも……私がやらなきゃ……)

 

 幸いにもシリカの装備は奪われていない。襲撃はあっという間だったため、ガタガタと肩を震わせて抵抗する素振りも見せなかった事から、ラフコフメンバーは彼女をすぐに殺せる準備だけして人質とした。見た目が子供というのもあって、油断もしただろう。

 シリカは決意を固める。ナイフを向けているラフコフプレイヤーはいたぶられているカイト達を下卑た笑みを浮かべながら見ており、既にシリカに意識を割いていない。チャンスはここしかなかった。

 シリカは腰に差した短剣を素早く引き抜き、ラフコフの右手の手首を突き刺した。

 

「なっ!?」

 

 驚いた拍子でナイフが首元から離れると懐から抜け出し、180度ターンして振り返った後、短剣を思い切り振り下ろして相手の右手首を切り落とす。切り落とされた部位は地面に落下すると、ポリゴン片となって爆散した。

 

「こ、このガキっ!」

「きゃあぁぁぁぁぁぁあ!」

 

 ピナを捕らえていたラフコフプレイヤーが異変に気付き、毒ナイフでシリカに襲いかかる。たまらずシリカは目を瞑り、悲鳴をあげた。

 

「よくやった、シリカ」

 

 声と同時にヒュンッ、という風切り音が聞こえた。身体を強張らせて目を瞑っているシリカは何が起きたのかわかっていない。だが一つだけ言えるのは、いつまで経っても何も起きないという事。おそるおそる目を開けると、ラフコフ二人が地面に倒れる瞬間が目に飛び込んできた。

 唖然としていると背中側から回復結晶のコマンドが聞こえ、シリカのHPが一気に満タンになった。

 

「ありがとな、シリカ」

 

 声の主はカイトだった。シリカは状況の変化についていけていない。

 

「い、一体何が?」

「説明は後でするか……らっ!」

 

 カイトは腰のホルダーにあるピックを指の側面で挟みながら三本抜く。エギルに襲いかかっているラフコフ三人に向かって、投剣ソードスキル《トリプルシュート》でピックを投げる。三本それぞれが命中するとHPが黄色く点滅し、膝から崩れ落ちて地面に倒れた。

 

(麻痺!?)

 

 シリカは理解した。そして今まで気付かなかったが、目の前で倒れているラフコフも麻痺状態になっている。

 

(盾を持たない片手剣使い、それに麻痺毒のピック……)

 

 実際に会ったことはないが、特徴ぐらいはシリカも知っていたし、知り合いから話も聞いたことがあった。一時期中層に蔓延(はびこ)っていたオレンジギルドを次々と壊滅させ、監獄送りにしたプレイヤーがいる、と。

 

「もしかして……カイトさんは()()《掃除屋》ですか?」

「あー……シリカにとっては()()()()()()のが馴染み深いか……。どういう風に伝わってるかは知らないけど、多分シリカの知ってる情報は色々と尾ひれついてるよ」

 

 以前カイトは意図せずオレンジプレイヤーと頻繁に遭遇し、その都度監獄送りにした経緯がある。その光景を見たプレイヤーが伝言ゲームのように他のプレイヤーへ話したことで噂が広がり、中層以下のプレイヤー達にとって《掃除屋》は『オレンジから自分達を守ってくれるヒーロー』という、少々美化された意味合いで広まってしまった。

 

「そいつらしばらく動けない筈だから、安心して。さてと……」

 

 カイトはピナの元へ駆け寄り、ピナを拘束しているロープと口輪を外す。自由になったピナはシリカの胸に飛び込んだ。

 

『きゅるるるっ』

「ピナ! よかった……。あの、ありがとうございます」

「どういたしまして。それじゃあキリトに加勢――っと。その必要はなさそうだな」

 

 人質さえいなければ怖いものはない。キリト達は水を得た魚のように遠慮なくその実力を発揮し、ラフコフ勢を圧倒する。ジョニー・ブラックを除いた他二名は、エギルが取り押さえた。

 

「あとはお前だけだな、ジョニー・ブラック」

「……ちぇっ、まさかそのおチビちゃんのせいでゲームが台無しになるなんて思わなかったよ。まあ次会う時は別の面白いゲームを用意して殺しに行くから、楽しみにしてな」

「……次なんてない。お前を見逃すわけないだろう?」

「だろうね〜。だからさ……こうするんだ…………よっ!」

 

 ジョニー・ブラックが掌サイズの物体を宙に投げる。物体は突然空中で強烈な閃光と音を発し、その結果キリト達は目と耳を封じられた。

 その正体は主にモンスターやPKから逃れる際に使用するアイテム《スタングレネード》だった。

 

「くっ!」

 

 スタングレネードは相手の目と耳を数秒間封じる以外に、一定時間《索敵》スキルを使用不可状態にする目的もある。よって目と耳が回復したとしても、高度な《隠蔽(ハイディング)》スキルを持つジョニー・ブラック相手に、《索敵》スキルなしでは追跡も出来ない。視界が鮮明になる頃には、既にジョニー・ブラックの姿はなかった。

 

「逃がしたか……」

「それよりも全員無事で何よりだ。シリカも無事だしな」

「あ、あのみなさん、本当にすいませんでした。私のせいで……」

 

 シリカは自分のせいで皆を危険な目に合わせたことに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

「君が気にすることじゃないよ。それにシリカが勇気を出してくれたおかげでカイトも動けたし、助かることができたんだ」

 

 もしもあのままだったら三人は今頃死んでいたかもしれない。それどころか、シリカもあの後殺されていた可能性が高い。彼女の行動が、この場にいる全員の命運を分けたのだ。

 

「念のためシリカは安全な場所までオレ達と一緒に行こう。で……こいつらはどうする?」

 

 『こいつら』とは、カイトの麻痺ピックで動けなくなっているラフコフだ。流石に数が多すぎるので全員運ぶのは不可能だし、かといってオレンジプレイヤーをこのまま放置するわけにもいかなかった。

 どうしたものかと途方に暮れていると、カイトがすぐに解決策を提案する。

 

「回廊結晶で監獄エリアに送ろう。出口が設定済みのをちょうど一つ持ってるし」

 

 結晶アイテムはその利便性から今だに高価な代物だが、その中でも現段階においてモンスタードロップでしか入手できず、自由に転移場所を設定できる回廊結晶は非常に貴重なアイテムだ。その貴重なアイテムを惜しげもなくカイトは差し出す。

 

「やけに準備がいいじゃねーか」

「ほら、『備えあれば憂いなし』って言うだろ? オレンジと遭遇するなんてオレにとっては別に珍しくないから、それ用に一個は常備してるんだよ……。まあ、シンカーが協力してくれてるから出来るんだけどな。……コリドー・オープン!」

 

 カイトがコマンドを唱えると目の前に光の渦が発生し、ラフコフメンバーは監獄エリアへ送られることとなった。




前半の戦闘で息切れ……アスナの描写が少ないのはそのせいです。やってしまったorz

PoHが膝をつく姿が想像できず、その一方でザザがコテンパンにやられました。彼は犠牲になったのだ……。

カイトの二つ名には『対集団特化』と『オレンジ狩り』の二つの意味合いを持たせました。『オレンジ狩り』はそのままの意味ですが、『対集団特化』は別の本質があります。後に明らかにしますが、ヒントになりそうな描写は今後も載せていく予定です。

2章も終盤に差し掛かりました。予定ではあと2話+番外編1話で締めくくるつもりです。


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第18話 犠牲と犠牲

タイトルで使われている漢字は同一ですが、読みは違います。答えはあとがきで。



 《はじまりの街》に雨が降り始めた。

 いつもなら上を見上げると星が瞬いている夜空は分厚い雲に覆われており、そこから降る無数の雫が髪と肌を濡らす。

 季節が冬、加えて夜というのもあり、冷気が肌をチクチクと刺激する。雨の影響で体感温度はさらに下がるが、今はそんな事を気にしている者は一人もいない。

 

 クエスト欄にある計12体のイベントボスの内、11体の名前はグレーに変色し、横線が刻まれている。イレギュラーな事態も起こりはしたが、中層のプレイヤーで有志を募って参加する者達も現れたおかげで、順調に事が運ばれたといえた。今回のイベントを無事に終える事が出来る――――かと思われた。

 

 ――カシャンッ

 

 また一つ、この世界にきてから最も聞きたくない特有の破砕音が響く。

 

「ちっくしょう! 何人殺れば気が済むんだよ、こいつはっ!」

「全員HPは常にグリーンを維持しろ! 油断するとあっという間にやられるぞ!」

「さっさとくたばりやがれっ!」

「うおぉぉぉぉぉぉお!」

 

 全てのプレイヤーにとって忌々しい記憶を嫌でも蘇らせる《はじまりの街》の中央広場。ここは今、決戦の場となっていた。

 場には様々な怒号が飛び交う。死の危険を感じながらも彼らがこの場に留まっているのは『勝ちたい』と『生きたい』という思いだけ。

 

 現在彼らが対峙しているのは最後の一体であるサソリ型のモンスター《ザ・スコルピウス》。体表は銀色で金属と見間違う程の硬さを持ち、HPバーが一段減るごとに脱皮することでその強度を増している。

 最大の特徴は右の大きな鋏と尻尾の先端についている毒針。鋏自体は左右一つずつあるのだが、右側の鋏が左の倍はあろうかと思える程に巨大なのだ。

 そして尻尾の毒針による攻撃を喰らえばたちまち《猛毒》状態となり、プレイヤーのHPを根こそぎ奪わんとする。厄介な事に耐毒ポーションを飲んでいたとしても、毒を完全に防ぐことは出来なかった。

 

「アイテムのストックが切れた方は後退して下さい!」

 

 攻守共に高レベルでバランスのとれたスコルピウスとの戦闘で、各プレイヤーのポーション類・結晶類の消費が激しい。なので50層クラスのイベントボスを相手にできない《MTD》や、有志で集まったプレイヤー全員が後方支援にまわり、物資の補充に務めている。

 中央広場につながる道はサイズ上の問題でボスは侵入できないので、仮の安全地帯としてそこで待機し、《MTD》の幹部クラスも率先して攻略組のサポートをしていた。

 プレイヤーの実力に関係なく、皆何かしらの形で戦闘に参加している。SAO始まって以来の大規模戦闘、いわば『総力戦』だった。

 

「ありがとう、サチ」

「ううん、私にはこれぐらいしかできないから。……気を付けてね」

 

 アイテム補充のために一度後退したカイトは、黒猫団のサチからアイテムを受け取り、短く礼を述べると再び広場の中央に向かった。

 

壁戦士(タンク)隊用意!」

 

 アスナの指示で《血盟騎士団》の精鋭達が盾を構えた。

 スコルピウスが勢いよく振り下ろした巨大な鋏を盾で受け止めると、攻撃部隊(アタッカー)が前に出る。

 

「来ます!」

 

 アレッシオが叫ぶ。

 毒蠍の尾が後ろに仰け反り、溜めを作るとライトエフェクトが宿る。尾によるソードスキルの前兆だ。アレッシオ・レイモンド・エリックが迎撃体制を取る。

 

『うおぉぉぉぉお!』

 

 アレッシオとレイモンドの両手剣上位単発重攻撃ソードスキル《グランセル》と、エリックの両手槍上位単発重攻撃ソードスキル《バニッシュ・フィール》が、突き出された尾に命中し、弾かれ、大きく仰け反る。

 

「スイッチ!」

『はあぁぁぁぁあ!』

 

 アレッシオの後ろに控えていたキリト達が各々の持つ最高のソードスキルをスコルピウスに叩き込む。キンッ、という甲高い音がいくつも鳴り、火花が散った。

 仰け反りから回復したスコルピウスは半回転すると同時に尻尾を水平に振り、プレイヤーを蹴散らした。

 

「うわあっ!」

 

 太い尾の攻撃は盾持ちの重厚な戦士達を容易く蹴散らす。攻撃を回避できたのは身軽な剣士だけだった。

 

「ラザレフ! モーガン!」

 

 ユキのパーティーメンバーである盾持ち戦士の二人は、尾の攻撃を受け止めたが堪えきれずに吹き飛ばされる。二人のHPは注意域(イエローゾーン)を割って危険域(レッドゾーン)まで減少した。

 慌てたユキが二人に駆け寄り、回復結晶を持ってコマンドを唱える。

 

「ヒール!」

 

 まずはモーガンのHPを全快にし、続いてラザレフのHPを回復させた。ひとまずの危機を脱したことに、ユキはホッと胸を撫で下ろす。

 

「ありがとッス、ユキさん」

「助けていただいた事に感謝します。……ですが、私達の回復アイテムはまだストックがあります。私達に使うよりも、どうか自分自身を護るため、いざという時のために大切にとっておいて下さい」

「その『いざという時』が今だから使ったんだよ。私は大丈夫だから、気にしないで」

 

 ユキはまるで子供に諭すように、穏やかな口調でそう告げた。

 

「ユキ!」

 

 聞き慣れたカイトの声が鼓膜を震わせる。彼は二つの回復結晶をユキに差し出していた。

 

「この二人に使った分だ。これでプラマイゼロだろ?」

「でも、それだとカイトの分が減っちゃうよ」

「ついさっき後退して補充したばかりだから大丈夫。十分あるから、そっちこそ気にするな」

 

 ユキの手を取ると回復結晶をやや強引に渡した。視線をボスに戻すと、未だに猛威を振るっているスコルピウスの姿が目に入る。HPバーは最後の一段に入っているが、脱皮を繰り返してより強固になったボスの体表はいわば鉄壁の盾。360度、上下左右、どこにも隙などありはしない。

 

 ――カシャンッ

 

 無残にもまた一人、サソリの餌食になったプレイヤーが増える。身体を構成するポリゴンは空中で霧散してキラキラと輝きを放ち、仮想世界の空気に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 雨は穏やかに降り続ける。

 スコルピウスのHPはレッドゾーンに突入しているが、ただでさえ戦闘に参加できるプレイヤーが多くないのに、死者ばかりが増えていく。

 そしてまた一人、犠牲者が増えようとしていた。

 

 「しまっ――」

 

 一瞬の隙をつかれ、《ザ・スコルピウス》の巨大な鋏がレイモンドの身体を捕らえた。

 

「離せっ! このっ!」

 

 捕らえられた際に武器を手放してしまったレイモンドは、鋏で高々と持ち上げられる。身体を動かしたり体術スキルを駆使してなんとか抜け出そうとするが、スコルピウスはビクともせず、ガッチリ掴んだままだ。

 

「レイモンドっ!」

 

 近くにいたエリックが真っ先に飛び出し、槍を右上から左下、左上から右下へとクロスさせた後に、描いたバツの字の中心を突く両手槍中位三連撃ソードスキル《クロスバー・スピルム》で、レイモンドの救出を試みる。

 

 だが死の宣告はレイモンドの抵抗も、エリックの助けも撥ね退け、問答無用で告げられた。

 

 緩く開いていた鋏は、ガキンッ、という高い金属音と共に完全に閉じられた。それによってレイモンドの身体は上半身と下半身に分断され、残っていたHPが一気にゼロへと向かう。

 

「――ちっくしょう」

 

 彼は死を悟った。

 その言葉を最期に、彼はポリゴン片となってその身を散らす。

 この戦いで《血盟騎士団》最初の犠牲者となった彼の死が、団員達の網膜に強く焼きつく。

 その中でも仲が良く、何かと連れ添っていた彼ら二人にとって、それはとてつもない衝撃だった。

 

「うそッス……こんなの……」

 

 モーガンは目を見開き、ありえないとでも言わんばかりの表情のまま膝から崩れ落ちた。

 

「ふっ……ふっざけんなあぁぁあ!」

 

 エリックは親友の命を奪ったサソリの化け物に怒号を浴びせ、怒りと憎しみを刃に乗せて飛びかかる。

 だがいくら声を荒らげても、いくら友のためを思っても、絶対的力量差の前に服従するしかない。ここはゲームの世界であっても、漫画の世界ではない。仲間を失った事を引き金に、内に秘めた力が目覚めるわけでもない。

 状況は変わらない――――いや、むしろ悪化の一途を辿る。

 

(どうする……どうしたら…………)

 

 現状を劇的に変える一手を打つ必要はない。ただ少しだけ、天秤を傾けることができる一手を打てればそれでいい。

 カイトは無意識に右手を振ってメニューを立ち上げる。なぜそうしたかはわからない。だが、そこにヒントがあるかもしれないと心の何処かでそう感じたのだ。

 

(考えろ……何か……何かないか…………)

 

 藁にもすがる思いで目を走らせ、自身の持つスキルと現在所有するアイテム、そして装備をチェックする。どれも見慣れた名前が目に映るが、その中で一つ、彼の目に止まったものがあった。

 

(『性能は魔剣クラスの片手剣だったよ。ただ要求筋力値が高いから、今はまだ使えないな』)

 

 そして数時間前に聞いたキリトの言葉を、ふと思い出す。

 彼は50層のLA(ラストアタック)ボーナスで魔剣クラスの片手剣を手に入れたが、筋力値が足りないので装備出来ないと嘆いていた。

 閃きと同時に辺りを見回し、まず最初にカイトは自身の最も信頼するプレイヤーに近付き、声をかける。

 

「ユキ、頼む。協力して欲しい事が――」

 

 振り返ったユキを見て、カイトは言葉を詰まらせた。ユキは瞳に涙を溜め、必死に泣くまいと堪えているのが伺えたからだ。

 

「……ごめん。仲間がいなくなったばかりで辛いよな。他の人をあた――」

 

 カイトが立ち去ろうとすると、彼女は左手で彼の腕を掴み、引き止める。

 

「ううん……私は大丈夫。何?」

「大丈夫って……今泣いてただろ?」

「泣いてないよ…………ほらっ!」

 

 掴んでいた手を離して顔を拭うが、彼女の瞳は未だ潤んだままだった。

 

「……そうだな、オレの見間違いだ、うん……。それで……勝手なお願いだけど、ユキの力を借りたい。一応他のパーティーメンバーに少し離れる事を伝えといてほしい」

「わかった」

 

 ユキは近くにいたパーティーメンバーに二言三言、言葉を交わす。

 

「キリトっ!」

 

 その間にカイトはキリトの名を呼んだ。何事かと名を呼ばれたキリトが視線を移すと、『ちょっと来い!』の叫びと一緒に大きく手招きしている。意味がわからないが、この状況で意味のない行動でないのは確かだった。一時後退し、カイトの元へ集合する。

 

「まずはキリトに聞きたい事がある。50層のラストアタックで手に入れた剣の要求筋力値と、キリト自身のステータス数値を正確に教えて欲しい。こんな状況だから、マナー違反云々のクレームがあれば後にしてくれ」

「……わかった。まずオレのステータスは――」

 

 そう言って彼はカイトの知りたい情報を教えた。数値を耳にしたカイトは暗算で大まかな数値を計算し、数秒の沈黙の後、再び話を切り出した。

 

「……やっぱキリトが適任だな。それじゃあ、こいつを受け取ってくれ」

 

 そう言って目の前に表示されたのはトレード申請の表示。そこにはキリトが見たことのない名前の装備があった。

 

「……これは?」

「そいつは25層フロアボスのLA(ラストアタック)ボーナスで手に入れたアイテムだ。装備すれば敏捷値の25パーセントが筋力値に変換される」

「なっ!」

「に、25パーセント!?」

「そう。そいつがあれば、50層LA(ラストアタック)の片手剣が装備できるんじゃないか?」

 

 要求筋力値が高くて装備出来ないのなら、不足分をアイテムで補整すればいい。はじき出した計算結果から、このレアアイテムの効果で十分補えるとカイトは考えた。

 

「それを装備すれば一撃が重くなる分、動きが普段よりもノロくなる。オレの戦い方は回避主体の手数で勝負だから、あんまり使わなかったんだ。ついさっきまで存在すら忘れてたよ」

「確かにこれならいけるけど……いいのか? こんなレアアイテムをオレに」

「貸・す・だ・け・だっ! 後でちゃんと返せよ」

「だ、だよな」

 

 キリトは渡された装備をオブジェクト化すると、右手首に黄金色の腕輪が出現する。腕輪には細かな装飾が施され、赤い宝石が等間隔で四つ埋め込まれていた。

 続けて装備中の剣をストレージに格納し、50層のLA(ラストアタック)ボーナスで手に入れた剣をオブジェクト化する。それは鍔が独特の形状をした、刀身から柄まで黒に統一されている片手剣《エリュシデータ》だった。

 

「それと注意がいるのが、敏捷値の25パーセントを筋力値に持っていかれるわけだから、当然さっき言ったみたいに動きが遅くなる。装備すれば体感で嫌でもわかるけど、いつもなら避けれる攻撃が避けれないなんてザラだ。元々武器防御主体のキリトならオレほど問題視することはないだろうけどな……。そして本題だけど、キリトには今回防御も回避も考えず、攻撃だけに集中してほしい」

「攻撃だけに集中って……そんな事したらキリトの憎悪値(ヘイト)が上がって……」

「わかってる。その代わりにオレとユキがキリトに向かってくる攻撃を全部武器防御(パリィ)で防ぐ、いわゆる護衛の役割を担うんだ。勿論隙があれば攻撃するけど、優先順位はキリトのサポート。ダメージディーラーのキリトが集中して攻撃できるように、オレ達で支える。……それでいいかな?」

「うん」

「……わかった、それでいこう。……本当に全部任せるからな」

「一ドットも減らさせやしないから、安心しろ。……行くぞっ!」

 

 そう言うとカイトが先行し、ユキとキリトもそれに続く。

 突入直後、タイミング良く他の部隊が武器防御(パリィ)したことで、スコルピウスにノックバックが発生していた。他のプレイヤーに混じってボスに攻撃する。

 体制を立て直したスコルピウスが左の鋏で眼前のプレイヤー達を捕らえようとする。ほとんどのプレイヤーは後退するが、一人だけ気にも留めずにソードスキルを放つ者がいた。

 

「馬鹿っ、下がれ!」

 

 誰かが叫んだ忠告を無視して武器を振るい続ける。なぜなら彼――キリトには『後退する』という選択肢は必要なかったからだ。

 

「はあっ!」

 

 キリトを護るかのように、カイトが空中で鋏を上に弾く。だがスコルピウスの攻撃はそれだけで終わらず、尾の毒針が一直線に怒涛の連撃を繰り出すキリトの身体目掛けて進む。

 

「やあっ!」

 

 その進行を阻むのは白い影。ユキのライトエフェクトを帯びた刀身が光の軌跡を描き、毒針の軌道が大きく逸らされた。

 その隙をついたカイトはライトエフェクトを剣に纏わせ、剣を垂直に振り下ろす。それを追加で二回行い、縦三本のラインを描いた。片手剣三連撃ソードスキル《シャープネイル》がスコルピウスの硬質な身体に獣の爪痕を刻みつけ、真っ赤なエフェクトがダメージを与えた事を知らせた。

 スキル後の硬直時間から解放されると、今度は右の巨大な鋏が憎悪値(ヘイト)が上昇し続けるキリト目掛け、斜めに振り下ろされる。ユキと共に迎撃体制を取るが、その必要はなくなった。

 

 ――ガキンッ

 

 そこには巨大な十字盾一つで鋏を受け止め、彼らを護った《聖騎士》ヒースクリフの姿があった。

 そして右手で握っている剣が紅いライトエフェクトを纏う。

 

「ふっ!」

 

 ヒースクリフが反撃に出た。

 短く息を吐き出して放った突き――――神聖剣上位単発重攻撃ソードスキル《アドミック・ディスカテーション》は、スコルピウスを突き飛ばすのに充分な威力だった。

 思わね援軍により、三人はポカンと呆気にとられる。

 

「あ、ありがとうございます、団長」

「なに、礼を述べる必要はいらんよ。君達の勇姿に魅せられて、つい手が出てしまった。それに……」

「……?」

「魅せられたのは、どうやら私だけではないようだ」

 

 ヒースクリフが視線を後方に移す。つられて見やると、他のプレイヤー達の闘志も昂ぶっているのが見てとれる。それぞれの瞳には、メラメラと炎が宿ったようだった。

 

「……ヒースクリフ。あのデカイ鋏を任せてもいいか?」

「構わんよ」

「頼んだ……」

「カイトっ! ユキっ!」

「ああっ!」

「うんっ!」

 

 四人は駆け出し、後ろにいる攻略組も後に続いた。

 

 

 

 

 

 個々の持つありったけの力で敵に抗う。長い時間をかけて削った敵のHPは、もう残りわずかといったところだ。

 雨が勢いを増す中、キリトはカイト・ユキにヒースクリフを加えた三人による最強の盾のおかげで、HPは全く動いていない。数々の上位ソードスキルや《片手剣》と《体術》の複合技など、連続攻撃の嵐は見る者を圧倒する。

 

「全員、突撃ーーーーーー!」

『おぉぉぉぉぉお!!』

 

 ヒースクリフの号令で皆がスコルピウスに切りかかる。

 そして毒蠍は全員に突撃される前に、尾による連続攻撃を繰り出す。モーションと今までのパターンから出方を予測し、ユキが応戦した。

 

 一・二撃目は上下の切りつけ。どちらもユキは弾く。

 

 三・四撃目は左右の切りつけ。再び彼女は切り結ぶ。

 

 五撃目で左から右への払いを予測したユキは、再び剣で弾こうとした。だが尾は軌道を急激に変更したため、彼女の剣は大きく空振りした。ボスが尾を素早く後ろに引くと、ライトエフェクトが宿る。

 ソードスキルの立ち上げと発動はコンマ数秒。アスナの《リニアー》のような鋭い突きが、ユキの身体目掛けて一直線に貫こうとした。

 

 刹那、ボスのソードスキルがユキに届く直前、彼女の脇腹に不快感が走り、ノックバックの発生で真横に大きく突き飛ばされた。服に汚れエフェクトをつけながら濡れた石造りの地面を転げ回り、次第に勢いが殺されて静止する。

 彼女は自分の身に何が起こったのかわからず、地面に伏して俯いている。一つわかっているのは、ボスのソードスキルは喰らっていないということ。視界の端にあるHPは少しばかり削れているが、ソードスキルをまともに喰らえばこの程度では済まない筈だからだ。

 下を向いていた顔が段々と上にあがり、つい数秒前まで実際に自分が立っていた場所、正確にはその上空を見た。

 彼女の顔は徐々に歪む。驚愕・恐怖・後悔、そして絶望といった様々な感情がひしめき合い、ユキの精神を埋め尽くす。

 

「……いや…………」

 

 ようやく出た声は蚊の鳴くように小さく、誰の耳にも届かないような弱々しいものだった。

 ()の身体は尾の巨大な毒針が腹部から背中にかけて貫通し、宙吊り状態となっている。まともに、無防備に喰らったであろうソードスキルの威力を、可視化されたHPの減り具合が物語っていた。

 さらに身体が貫かれていることで貫通継続ダメージが発生。それに加えてバッドステータスの一種《猛毒》がHPの減少を手助けしていた。

 

 攻略組の突撃により、スコルピウスは巨大な銀色の体躯を全てポリゴン片に変え、四散する。それによって彼の身体も宙吊り状態から解放され、宙に投げ出されることで真下へと落下を始めた。

 ユキは我に返って身体を起こし、彼を受け止めるために落下地点へ疾走する。

 

 だが、その行動は全くの無意味なものだった。

 

 彼の身体はユキに受け止められる直前、空中で残り一ドットのHPを空にし、音をたててその身を散らす。

 その光景を見たユキは足を止め、力なく膝から崩れ落ちた。

 

「……いや、だよ…………」

 

 その呟きとほぼ同時に、落下地点でカランっ、と乾いた音を立てた物があった。それは持ち主を失った片手剣《フロスト・パージ》。ユキがクリスマスプレゼントとして、カイトに贈ったものだった。

 

「いやあぁぁぁぁぁぁあ!!!!」

 

 少女の叫びが広場に木霊する。

 

 雨は、依然として止む気配がない。




タイトルの読みは『ぎせい』と『いけにえ』でした。

知らぬ間に残り一体となっていますが、『討伐は平行して行なっていたので手付かずの奴が残ってた』ということです。最初は50層に出現したボスが転移門で1層へ移動し、そのまま中央広場で戦闘という背景になってます。あそこならそこそこ広いし、戦うのは問題ない……ないよね?

ちゃっかりサチが登場。勿論、他の黒猫団メンバーもいます。彼らは有志で集まってくれたプレイヤーです。

七話でカイトのラストアタックボーナス獲得をサラッと描写しましたが、やっと回収できた……といっても使ったのはキリトですが、ここで彼に《エリュシデータ》を使わせたいがための展開でした。二十五層にちなんで二十五パーセントにしましたが、やりすぎたか……?

カイト死にました。自分でフラグ立ててたからなぁ……。
この後の展開は次の話までお待ちください。


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第19話 悲しい事と嬉しい事

今回はいつもより少し短いです。



 最後の一体を葬ったことで、緊急イベントクエスト《星夜祭》の終了を知らせる鐘の音が鳴る。各プレイヤーの前にシステムウィンドウが表示され、獲得した経験値・コル・ドロップアイテムがまとめて与えられた。

 しかし、彼女にとっては鐘の音もウィンドウの表示も、最早どうでもよかった。

 

 ――残り10秒――

 

「あ……ああ……」

 

 悲鳴を広場に響かせたユキの声は小さく、細く収束していった。地面に座り込み、深く項垂(うなだ)れている彼女に声をかける者はいない。否、かけることが出来ない。何より悲しみを抱いているのは彼女に限った話ではない。

 

 ――残り9秒――

 

 今回の戦いで多くのプレイヤーがその身を散らし、数ヶ月以上の時を共に過ごした仲間がこの世界から永久退場してしまったのだ。

 そうでない者でさえ、安心して緊張の糸が切れ、そこにドッと疲れが押し寄せる。戦いは終わったというのに、歓喜の声をあげる者は一人だっていなかった。

 

 ――残り8秒――

 

「こんなの……嬉しくないよ…………」

 

 『彼は私を助けてくれた』

 本当なら死んでいたのは彼女だった。共に旅立ったあの日にした約束を果たすため、身を挺して庇ってくれた。

 

 ――残り7秒――

 

 しかし、もう既に彼はいない。仮想世界からも現実世界からも退場し、彼の笑った顔や怒った顔、些細な仕草やクセを見ることも、声を聞くことも出来はしない。

 

 ――残り6秒――

 

 『もっと話したかった。もっと一緒にいたかった』

 心に大きな穴があく。後悔が募ると同時に、デスゲームが始まった日に感じたものと同じ大きさの絶望が、あいた穴に入り込んで膨張を続ける。

 

「私の……」

 

 ――残り5秒――

 

「大事な人を……」

 

 ――残り4秒――

 

「返してよ……」

 

 ユキの瞳からは大粒の涙が溢れ、頬を伝うと落下して地面を濡らす。肩を震わせるユキの姿を後ろから見たアスナは、彼女にどう言葉をかければいいのかわからなかった。

 

 ――残り3秒――

 

 静寂に包まれた中央広場で唯一響く足音。小さかった音は次第に大きくなり、地面に伏して肩を落としているユキの近くまで来た。

 

 ――残り2秒――

 

 顔を上げると赤バンダナに侍姿のクラインが立っていた。右手で握り拳を作り、腕を肩の高さまで持ち上げる。瞳に溜め込まれ、溢れんばかりの涙のせいで視界がボヤけているが、拳の中に小さな結晶アイテムとおぼしき物が握られていた。

 

 ――残り1秒――

 

「蘇生! カイト!」

 

 クラインの声に反応し、拳の中にある結晶アイテムが輝き出した。エメラルドグリーンの光が小さな粒子に変換され、吸い込まれるようにカイトの立っていた場所へと向かう。上から下へ雪のように舞い落ちると光の粒子が凝集し始め、地面に近い場所を起点にして人の姿を形作っていった。

 最初に足を始めとする下半身から上半身へと続き、最後に頭が再構成される。そうして現れたのは、死の淵から蘇ったカイトの姿だった。彼は閉じていた眼を開け、キョロキョロと辺りを見回す。

 

「……あれ? オレ、死んだんじゃ――」

 

 言葉を言い終わるよりも早く、カイトに何かがぶつかった。その衝撃で身体がフラついたが、その場で踏ん張って堪える。顔を右に向けると、カイトの右腕に抱きついて顔をうずめるユキの姿があった。

 

「はぁっ!? ユキ?! えっ!? ちょっ!」

 

 死んだと思ったらなぜか生き返り、生き返ったらユキに抱きつかれるという突然の出来事の連続に思考が追いつかず、脳の処理速度を完全にオーバーしてしまった。カイトの顔は熟れたリンゴのように赤くなり、動揺から言葉が(ども)る。

 

「……よかった……本当によかった……」

 

 涙まじりの声で発したのは、心の底から安堵した彼女の気持ちだった。

 彼女にとってこの世界で二人目となる大切な人の死。その存在が戻ってきたのを確認するかのように、彼女は咄嗟に、そして無意識に、カイトを強く抱きしめた。

 そんな彼女を無下に引き離す事も出来ず、緊張しつつもされるがままのカイトは、空いている左手の指で照れ臭そうに頬をかいた。

 

「どうだ? 三途の川から戻ってきた気分は?」

 

 二人に近寄ってきたキリトが問いかけた。

 

「悪くはない……かな……。そっか、クラインが蘇生アイテムをオレに使ってくれたのか……」

 

 蘇生アイテムとはつい先日、クリスマス限定のフラグMob《背教者ニコラス》を討伐した際にドロップした《還魂の聖晶石》の事だ。キリトはドロップした《還魂の聖晶石》をより有意義に使ってくれる人物と確信して、クラインに直接手渡していた。

 

「でもクライン……本当に良かったのか?」

「何がだよ?」

「てっきりギルドメンバーにもしもの事があったら、使うもんだと思ったんだけど……」

「いいってことよ。ウチの連中は鍛えてるからな! 悪運の強い奴ばかりだから、ちょっとやそっとじゃ死にやしねぇよ! それに、元々これはキリトのもんだ。きっとこいつも同じ事をしただろうさ」

 

 隣にいるキリトの頭を少々乱暴にガシガシと撫でる。キリトが迷惑そうな目でジッと見るが、そんなのはお構いなしの様子だ。

 

「それと、いくらステータスが強くても中身はまだまだ子供なんだよ。なんでも自分達で解決しようとするな」

 

 諭すような彼の口調から真剣さが伝わってくる。

 50層のボス戦も《ザ・スコルピウス》との戦闘も、自分達の力で勝利への活路を切り開く事ができれば、あるいはそのためのキッカケを作れればと思い、自らの身を危険に晒しながら挑んできた。

 結果的に彼らは今回も生き残れたが、そんな無茶がいつまで保つのかはわからない。現に死にかけたのだから。

 

「大人に頼るのは子供の特権、子供に頼られるのは大人の特権だ。お前らはもっとオレ達を頼れ」

 

 そう言ってニカッ、と笑う。

 普段は親しみやすいくせに、時折相手を思い、的を得た発言をする。

 

(敵わないなぁ……)

 

 思わず、クスッと笑ってしまった。

 こんな彼だからこそ、《風林火山》のメンバーはクラインについてきているのだろう。

 

「ありがとう……」

 

 カイトは彼に対し、感謝せずにはいられなかった。

 

 そんな彼らとは逆に喜びを微塵も感じられず、行き場の無い怒りや哀しみを何処にぶつければいいかわからない者達がいた。

 

「畜生……何でレイモンドなんだよ……」

 

 この世界で出会った友の死を嘆き、哀しみに明けくれる《血盟騎士団》メンバー達。

 その中でただ一人、毅然とした姿勢を崩さずに佇む聖騎士の姿があった。

 

「たしかに彼に関しては残念な結果となってしまった。クライン君のように蘇生アイテムがあれば状況は変わっていたかもしれないが、それでも彼の蘇生は間に合ったか微妙な所だろう」

「……団長、どういうことですか?」

 

 アスナがヒースクリフに問う。彼は顎に手を当て、少しだけ考える素振りをみせた。

 

「クライン君が蘇生のために急いでいた様子からして、時間制限があるのだろう。おそらくアバターが消滅してからナーヴギアの脳破壊シークエンスが発動するまで、せいぜい10秒程度だ。熾烈極まるあの戦場で限られた時間の中、焦らずにストレージからアイテムを取り出して彼の名を呼ぶのは、中々に難しいと私は思うがね」

 

 ヒースクリフの評価は非常に厳しいものだった。言い換えれば『どちらにせよ、結果は変わらない』と言っているようなものなのだから。

 

「だが全ては憶測にすぎん。団員達の中で誰も蘇生アイテムを持っていなかったのだから、結果が変わることはない。我々に出来るのはレイモンド君の死を無駄にしないためにも、歩み続けるだけだ」

 

 淡々とした口調だが、不思議とヒースクリフが発するだけで団員達の心が奮い立たされる。これは彼のカリスマ性あってのものだろう。

 そして自分の所属するギルドの団長が発した声は耳に入らず、ユキは未だカイトの右腕に顔をうずめたまま、離れる様子がない。

 

「ゴメンな、心配かけて」

「……うん……すっごく心配した」

「それで、さ……そろそろ離れて欲しいな〜、なんて」

 

 ユキはうずめていた顔を上げ、潤んだ瞳による至近距離からの上目遣いで一言。

 

「やだ……」

 

 その仕草と声のトーンは、収まりかけていたカイトの頬を赤く染め上げるのに十分過ぎる威力を発揮した。左手で口元を隠し、顔を背ける。

 

(い、今のはヤバイ……)

 

 SAO特有の過剰な感情表現によって、彼の心情が顔全体に表れる。オーバーヒート寸前だ。

 ユキに至っては無自覚のため、小首を傾げてキョトンとした。

 

「ほら、周りの目も気になるし……」

 

 カイトが視線を周囲に泳がせる。つられて彼女も周りを見ると、近くにいるプレイヤー達の注目を二人で浴びており、それに気付いたユキは密着していた身体を離し、ほんの少しだけ距離をとった。

 無意識とはいえ、異性に抱きついていた事実にふつふつと羞恥心が込み上げてくる。カイトの顔に負けず劣らず、ユキの顔もたちまち赤く染まっていった。

 

(な、何か話題……)

 

 この状況を誤魔化すために、ユキは思考を巡らせる。

 そして考えた結果――。

 

「そ、そもそも何であんな危ないことしたの?! 今回は運が良かったけど、もしかしたら死んじゃってたかもしれないんだよ!」

「あ、あのままだとユキが危険だったから助けたんだろっ!」

「だからって女の子を蹴り飛ばすなんて乱暴だよっ!」

「非常事態だったし、ああするしか方法が思いつかなかったんだよ! それにオレが助けなかったらボスの攻撃をモロに喰らってただろ!」

「べ、別に……そんなことないもんっ! ちゃ、ちゃんと対応できたよっ!」

「嘘だっ! その顔は絶対嘘だっ!」

 

 ――誤魔化すために振った話が、なぜか口喧嘩に発展した。

 

「何言ってるんですか、ユキさん。あなたもあのPoHと一対一で戦うなんて危険な真似してたじゃないですか」

「はあっ!? PoHってまさか、ラフコフの?!」

「? それ以外に誰がいるんです?」

 

 そして二人の口撃が続く中、アレッシオが更なる燃料を追加した。カイトは彼の言葉を聞き逃さず、アレッシオを見た後に再びユキに視線を戻す。

 

「PoHとタイマンって何考えてるんだよ! そっちこそ危ないことしてるじゃんか!」

「それはしょうがないのっ! 放っておいたらボスとの戦闘を邪魔されて誰かが犠牲になってたかもしれないし、引きつけ役が必要だったの!」

「だからって――――」

「それは――――」

 

 二人の口撃はさらにヒートアップし、もう手が付けられない状態だった。

 

「キリトっ!」

「アスナっ!」

「えっ!?」

「何っ?!」

 

 周りもやれやれといった具合で呆れていたが、急に名前で指名されたキリトとアスナは驚いて声をあげる。

 

「ユキのが悪いよなっ?!」

「カイトのが悪いよねっ?!」

「え、え〜っと……」

 

 キリトはどちらに味方していいかわからず返答に困っていたが、二人の問いかけをアスナが一喝した。

 

「どっちもどっち……ですっ!」

 

 その一言でその場は一先ず終息し、二人とも借りてきた猫のように大人しくなる。

 

 《はじまりの街》上空を覆っていた分厚い雲は霧散し、いつの間にか肌を刺すように冷たい雨は止んでいた。

 曇天が晴れてクリアになった仮想の夜空に冬の星座が瞬き、剣士達の長かった戦いは幕を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し流れ、場所を移す。

 《星夜祭》の終了から二日が経過し、とある階層・とある家の一室。彼は自分専用の部屋にある椅子に座り、顎に手を添えて考え事をしていた。机上(きじょう)に設置してあるランプシェードの傘から漏れる光が、彼の顔を照らす。

 今回の戦いで初となるお披露目だったが、デビュー戦としては上出来といえた。攻略組のみならず、最後は普段目にすることのない中層以下のプレイヤーにも、強烈な印象を抱かせる事に成功した。

 その一方で、少々やりすぎたと感じる所もある。《ザ・スコルピウス》の最初に出現する地点が五十層というのは()()()()()()だが、攻略組の死者数が予想以上に多かった。

 

(今後に支障をきたすかもしれない……)

 

 予想される階層攻略の遅れは兎も角、本気で攻略に挑むプレイヤーの数が減りすぎるのは正直良くはない。

 道はまだ半ば。まだ見ぬ第三のクォーターポイントも控えており、こちらでも死者が多数でるのは容易に想像できた。アレを相手にするのは攻略組とはいえど、苦戦は必須である。

 プレイヤーには第100層の《紅玉宮》まで到達してもらう必要がある。ゲームはエンディングを迎えることで、初めて一作品として完結するのだ。それがこの世界を創造した彼の密かな、もう一つの目的。

 

(予定より早くなってしまうが、致し方ない……)

 

 彼は()()を縦に振ってシステムメニューを起動する。指先で一つずつタップし、とある項目が表示された。

 その項目の全てとはいかないが、この世界では神にも等しい権利を行使し、いくつかがロック状態からアンロック状態になった。これで時期が来れば、おのずと条件を満たした者の目に触れる事になる。

 どう動くかは授けられた者次第だが、少なくともゲームをより盛り上げるきっかけにはなるだろう。

 

(さぁ、ゲームはようやく折り返しだ。残り50層、存分に楽しんでもらおう)

 

 全てがシナリオ通りではつまらない。彼も過干渉するつもりはないが、時にはスパイスを加える必要もあるだろう。

 彼が水面(みなも)に投じた一つの石は、一体どんな波紋を、どんな波を生み出すのか。

 

 それは彼にもわからない。




見事生還を果たしました。一応主人公な訳ですし……というかこれしか展開が浮かびませんでした。

次回は番外編です。
2章は戦闘ばかりだったので、日常回を挟んでこの章を締めくくってから3章に移ります。チョコっとお待ち下さい。


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番外編第03話 甘い想いと苦い思い

日常回となります。いつもより長いです。



 2024年2月14日。

 現在のアインクラッドは冬真っ只中。

 各階層毎で天気の違いはあれど、季節感だけはどこも統一されていた。

 場所によっては雪が降り積もることで街もフィールドも白い化粧が施され、この時期限定の趣ある銀世界を観ることができる。その代わりにプレイヤーが外を出歩く際は防寒具の着用が必須となり、無ければ冬の寒さを直に肌で感じてしまうだろう。

 だが、今日だけは違った。

 アインクラッドにいる大多数の女性プレイヤーは、冬の寒さに負けず劣らず、むしろ跳ね返してしまう程の熱意を持って14日を迎えていた。

 そしてそれは彼女にも言えた事。

 

「よ〜し、やるぞ〜!」

 

 最前線の主街区にある一軒のレストランから、やる気に満ちた声が聞こえた。

 

 本日、2月14日はバレンタインデー。女性が男性に愛の告白を兼ねてチョコレートを贈る日だが、今年のバレンタインデーは全プレイヤーを対象とした特殊イベントが用意されていた。

 

『バレンタインデーにチョコを渡し、一ヶ月後のホワイトデーでそのお返しをした男女それぞれには、特別にステータスポイントが割り振られる』

 

 これだけ聞くと非常においしい報酬だが、いくつかの厳しい条件があった。

 

『自作限定』

『女性から男性へ、男性から女性へ直接手渡しすること』

『二人以上に贈ってはいけない』

 

 SAOにいるプレイヤーの男女比は男性側に傾いている。そのため全プレイヤーがこのイベントの恩恵を受けられないのは明白であり、中には女性プレイヤーと接点すらない男性陣もいることだろう。

 これら条件がネックとなり、貰うアテのない男性陣のほとんどは早々に諦め、指を咥えて眺めるしかなくなったという。

 

 話を戻して、場所は先程のレストラン。

 正確にはその厨房だが、そこには白地に青い水玉模様の可愛らしいエプロンを着用し、チョコレート作りに励むユキの姿があった。その近くに柄は違えど同じくエプロン姿のアスナが、ユキの作業を見守っている。

 

「折角なんだから、アスナも作ればいいのに」

「う〜ん……報酬は魅力的だけど、そもそも私はあげたいと思う程好きな人がいないからなぁ〜」

「ア、アスナ? 何度も言ってるけど、私は別にそういうのじゃなくて……助けてくれたり優しくしてくれたり……ちょっとだけ……本当にちょっとだけ良いなぁとは思うけど……ただ日頃の感謝の気持ちを込めて贈ろうと思っただけで……」

「ソッカーーソウイエバソウダッタネーー」

「言葉に心が込もってないよっ!?」

 

 アスナがこうしていじるのは何度目だろうか。バレンタインデーのイベント情報が出回ってからは、ずっとこの調子である。

 

「でもバレンタインにチョコを渡すのって、つまりそういう事でしょ? それに今回は実質一人にしかあげられないんだし」

「それは、ほら、義理チョコって可能性も……」

「え〜? この場合はどう考えても本命だよ。往生際が悪いなぁ〜」

「ア〜〜ス〜〜ナ〜〜ッ!!!!」

 

 アスナが追撃を試み、ユキにとっての痛い所を的確に突く。これ以上反論の言い回しが閃かなかった彼女は、頬を赤くして恨めしそうな目で友人の名を呼ぶことしかできなかった。

 

「フフ、ごめんね。ユキの反応が面白くて、つい。リズの気持ちがちょっとだけわかるかも」

「もう、やめてよ。リズ一人でさえ手に負えないのに、そこにアスナまで加わったらどうしようもないよ」

「まぁ、それも今日までだから。ほらっ、早く作っちゃおう!」

 

 アスナに促されて止まっていた手を再度動かす。それから間もなくしてチョコレートが完成したのだった。

 

「出来た〜っ!」

「お疲れ様!」

 

 完成したと同時に二人はハイタッチを交わした。

 完成したのはピンポン球と同サイズの丸いチョコで、上から白いパウダーがまぶしてある。それが合計で10個あり、区分けしてある箱の中に入れられてラッピングされた。

 

「あとは渡すだけだね」

「うん」

 

 右手の指を二本揃えて縦に振り下ろし、メニュー画面を開く。そこからメッセージを素早く打って送信すると、5分と経たずに返信が届いた。

 

「なんか今から用事が入っているらしくて、会えるのは夕方からだって」

「それだとだいぶ時間があるわね……。ギルドハウスにでも行く?」

「う〜ん、そうしよっかな」

 

 ユキはラッピングされたチョコをストレージにしまい、二人で厨房を出る。エプロン姿からギルドの制服に着替え、その場をあとにした。

 

 

 

 

 

 最前線より下層に降り立った二人は、転移門広場から《血盟騎士団》のギルドハウスに向かって歩き出した。移動中もチラホラと女性プレイヤーがその手にチョコを持っているのが見受けられるが、彼女達もこれから誰かに渡すのだろう。

 目的地に到着したアスナが入り口の扉を開けると、ギルドハウスには三人の団員達がいた。

 

「副団長、ユキさん。お帰りなさい」

「お帰りッス」

 

 入室した二人に挨拶したのは、奥のスペースに設置してあるソファーに座り、テーブルを挟んでチェスをしているアレッシオとモーガンだった。一瞬だけ顔を二人に向けたモーガンはチェス盤に視線を戻し、『うーん』と深く唸りながら考えている。それに対してアレッシオは涼しそうな顔をしていた。

 

「おや? ユキさんは今日用事があるのでは?」

 

 リビングの椅子に腰掛け、机の上にある書類に目を通していたラザレフが問いかけた。今日はギルドの活動がオフのため、全員が私服姿だった。

 

「夕方からになっちゃった。まだ時間があるから、アスナがギルドハウスに行かない? って」

「そうでしたか。ところで、上手く作れましたか?」

「うん! ……ほらっ!」

 

 作ったばかりのチョコをオブジェクト化させ、ラザレフに見せた。

 

「おぉ、とても美味しそうですね。これなら彼も喜ぶでしょう」

「ユキもすっごい張り切ってたしね。だって本め――」

「ストーーーーップ!」

 

 ユキは慌ててアスナの口を塞ぐ。

 二人の楽しそうな様子を見て、ラザレフは静かに微笑む。それはまるで仲の良い姉妹のやり取りを見守る父親のようだ。

 

「話は変わりますが、お二人に今後の攻略スケジュールでご相談があります。時間はよろしいですか?」

 

 『攻略』という言葉にアスナが反応した。一瞬で顔が真剣そのものになり、『副団長モード』のスイッチが入ったのだ。

 

「わかりました。それでは別室で話しましょう」

 

 アスナは一番近くの空いている部屋に入り、その後ろに机の上にある書類を纏めて持ったラザレフが続く。ユキは手に持っているチョコをストレージに仕舞わずテーブルの上に置き、二人と同じように部屋へ向かう。

 

 ラザレフの相談自体は約10分で終わったのだが、このわずかな時間に事件が起きた。

 

 攻略の相談が終わった三人は、扉を開けて部屋を出た。ラザレフは二階へ行くために書類を見ながら階段を上り、アスナはチェスをしているアレッシオとモーガンの状況を覗きに二人の元へ行く。

 そしてユキは先程机に置いたチョコを取るためにテーブルへ向かう。しかし近付いた所で、ある異変に気付いた。

 

「あれ? 私のチョコは?」

 

 テーブルに置いてあった筈のチョコが見当たらず、疑問の声をあげた。無意識にストレージへ格納したのかもしれないと思い、メニューを開いて確認するが、チョコは何処にもなかった。

 

「誰かここに置いてあったチョコ知らない?」

 

 ユキの声でその場にいた全員が反応した。

 ラザレフは階段の途中で足を止め、ナイトの駒を今まさに動かそうとしていたアレッシオと、チェス盤に視線を落としていたモーガンとアスナが振り返る。最初に声を発したのはアスナだった。

 

「アイテムストレージにしまったんじゃないの?」

「ううん、確認したけどなかったの。それに、確かテーブルの上に置いた筈なんだ」

 

 ユキはチョコを置いたであろう場所を指差す。しかしそこには何もなく、そもそもテーブルの上に物は一つも置いていなかった。

 

「耐久値が切れてしまった、という可能性はありませんか?」

「それはありえないよ。ラッピングされれば耐久値の減少が抑えられるから。そもそもさっき作ったばかりだから、10分ぐらいじゃなくなったりしないもん」

 

 階段を降りて一階に来たラザレフが別の可能性を提示したが、それもユキは否定した。

 通常アイテム類をストレージから出して放置すると耐久値が減少し、終いには消滅する仕様となっている。

 だが剣を収める鞘のように、チョコはラッピングされると耐久値の減少が抑えられ、通常よりも消滅しづらくなるのだ。まして一日中放置していたのなら兎も角、10分程度ではチョコが消滅する程の減少はありえない。

 

「アレッシオとモーガンは知らない?」

「僕はチェスに集中してたのでわかりません。そもそも席を離れていませんし」

「オレも同じッス」

 

 どうやら二人とも心当たりがないらしい。そうなると、一体チョコはどこに消えたのだろうか……。

 

「これは事件ですね……」

 

 ラザレフが顎に手を添えて怪訝そうな顔を浮かべた。

 

「ど、どうしようアスナ!」

「落ち着いて。まずは状況の整理からしましょう。……えっと、ユキがラザレフにチョコを見せていたのは私も覚えているわ。そして私達三人は別室に移動する際、ユキはテーブルにチョコを置いて移動した。その後話が終わって部屋から出てきたら、テーブルに置いてあった筈のチョコがなくなっていた、ってことでいいかしら?」

「う、うん……」

 

 攻略とは一切関係ないが、親友の一大事にアスナの『副団長モード』は再びスイッチが入った。今まで起こった出来事を順番に確認していく。

 

「次は考えられる可能性を一つずつ消去していきましょう。……ところで二人に聞きたいんだけど、あなた達はいつからここにいるの? 誰か他の団員が入って来たりしなかった?」

 

 真剣な面持ちのまま、アスナはアレッシオとモーガンに鋭く視線を走らせて尋ねた。

 

「昼頃からいましたけど、僕達以外は誰もいませんでした。副団長達が来る少し前にラザレフさんが来ましたが、それ以外には誰も来てませんよ。それにチェスに集中していたといっても、流石に誰か入って来たのを見逃す程ではないので」

「そうッスね。第一、ここからだと玄関が丸見えッスから」

 

 二人がチェスをしていたのは玄関の直線上にある部屋だ。幾らこっそり入ったとしても、その人物の姿を見逃すのはまずあり得ない。《隠蔽》系統のスキルを使えば話は別だが、わざわざギルドハウスに入るのにスキルを使う意味はない。

 

「耐久値の減少に伴う消滅の線は薄いから、勝手に消えたわけではない。つまり誰かが持ち去ったのが、可能性として一番濃厚ね」

 

 ストレージ内のアイテム所有権は5分で設定されている。持ち主の手を5分以上離れれば、システムは『所有権を放棄した』とみなし、誰かがとっても盗難扱いにはならない。

 つまりユキがチョコをテーブルに置いた事で持ち主の手を離れ、かつ5分以上そのままの状態だったので、誰かが持ち去るのはシステム上不可能ではない。

 

「そして誰も来ていないのなら……容疑者は一気に絞れるわ」

「つまり今このギルドハウスにいる誰かが犯人……ということですか?」

「な、なんか物騒になってきたね」

 

 アスナの素人探偵顔負けの雰囲気も合わさって場の空気が一気に重くなり、静寂に包まれる。ユキは生唾をゴクリと飲み込んだ。

 

「その前に私達三人はチョコがなくなったであろう十分間、別室にずっといたのだから除外。そうなると、犯人はアレッシオとモーガンのどちらかね」

「ちょ、ちょっと待って下さいッス、副団長! 幾らなんでもそれは――」

「わかっています。私も好きであなた達を疑っている訳ではありません。ですが1パーセントでも可能性がある限り、それがゼロになるまでは容疑の対象です」

 

 アスナは毅然とした態度で答えた。

 彼女はユキがどんな想いでチョコ作りに励んでいたのかを、その目で直に見て知っている。気持ちの込もった物を相手に渡す前に誰かが持ち去ったのならば、一生懸命作っていた彼女の行為は無駄になる。それだけは何としても避けたかった。

 

「それにさっきはあなた達のどちらか、と言ったけど、両方が犯人の可能性もあるのよ」

「どういう事です?」

 

 アレッシオの頭上に疑問符が浮かんだ。

 

「二人で口裏を合わせている、ということです。所有権の切れたチョコをコッソリとって、二人で分けて食べた可能性もあります。数は10個あったから、丁度二人で割り切れるでしょう?」

「……なるほど」

 

 アレッシオはアスナの言いたいことがわかったようだ。本人も不本意ではあるだろうが、現状最も疑わしいのは自分達なので、それ以上何も言わなかった。

 

「も、もうやめよう。二人がそんな事する筈ないよ。それに元々は置きっ放しにした私が悪いんだし」

「でも、このままじゃ全部台無しになっちゃうのよ。せめてどこにあるかだけでもわかれば……」

 

 ユキはこれ以上二人を疑いたくなかった。諦めようとするが、アスナはいまいち納得がいかない。

 しかし、ラザレフがハッとした顔で何かを思いついた。

 

「アレッシオ。先程『自分達が来た時は誰もいなかった』と言いましたが、それは全ての部屋を一つずつ、誰もいないか確認しましたか?」

「えっ? いやそこまでは……静かだったので誰もいないと感じただけです」

「なるほど。それなら新しい可能性が浮かんできますね」

 

 彼が何を言いたいのか、皆はよくわからなかった。

 ただ一人、アスナを除いて。

 

「つまり、アレッシオ達よりも先にギルドハウスへ来ていた人がいて、その人物はまだ私達の前に一度も姿を現していない誰かだということね。そうなると、この家にある部屋のどれかにいる筈だわ」

「流石副団長、ご理解が早いです。部屋を一つずつ確認するのもいいですが、もっと簡単な方法でいきましょう。副団長の権限で、ギルドハウスの入退室記録を閲覧してもらえますか?」

 

 ギルドハウスに限らず、全ての住居には『入退室記録』というものがある。

 これはその住居の出入り口を通る際、システムが通ったプレイヤー名と時間を自動的に記録する機能の事だ。

 プレイヤー個人で所有する家なら持ち主に、ギルドで所有する家ならギルドマスターとギルドマスターが権限の行使を許可した者にしか与えられない機能である。

 アスナはギルドメニューを開いて『入退室記録』を閲覧し出した。新しいものから順に遡っていく。

 

「……アレッシオの前に既に一人来ているわね。そしてその人物はまだ退室記録がないわ」

「だ、誰なんスか? その人物って?」

「それは――」

 

 ――ガチャッ

 

 アスナの言葉を遮るかのように、扉の開く音がした。

 扉の開いた部屋はアレッシオ達がチェスをしていたスペースから丁度死角になる部屋。そこから出てきたのは《血盟騎士団》の槍使い、エリックだった。

 

「あれ? 副団長にユキちゃん、ラザレフも来てたんですね」

 

 ひょっこり顔を出したエリックは笑いかけるが、目の前にいる五人の注目を一斉に浴びているのに気付き、すぐに困惑した表情を浮かべた。

 

「な、何かあったの?」

「……エリック、一つだけ聞きたいことがあります。ここのテーブルに置いてあったチョコを知りませんか?」

 

 アスナが険しい表情で彼に詰問するが、そんな彼女とは裏腹にエリックは満面の笑みで答える。

 

「あぁ、あれですね。副団長、ご馳走様です!」

「……はい?」

「あんな美味しいチョコ食ったの久しぶりでしたよ。やっぱ《料理》スキル上げている人の作るやつは一味違いますね。あの丸いチョコ自体はほろ苦いけど、上にまぶしてあったパウダーのおかげでほんのり甘くて、そのバランスが絶妙でした!」

 

 エリックが味の感想を述べているが、今の彼女達にはそれよりも確認したい大事な事がある。

 

「あなたの感想はともかく、食べたんですね?」

「食べましたよ。本当に美味かったから、あっという間になくなっちゃいましたよ」

「……はい?」

 

 アスナは思わず聞き返した。その声には隠しきれない怒気を含んでおり、エリック以外の男性陣は直感的に感じてしまった。『こいつ死んだな』と。

 

「……エリック。い、一体いつからいたんだ? そ、それにいつ部屋から出てきたんだ? 僕達は気付かなかったけど……」

 

 アスナの放つ黒いオーラに怯えつつ、アレッシオが問いかけた。

 

「朝からいたぞ。ただ誰もいなかったから空き部屋で寝てたんだよ。起きて部屋から出たら二人がゲームで盛り上がってたし、邪魔しちゃ悪いと思って部屋に戻ろうとしたんだ。そしたらテーブルにチョコが置いてあるのに気付いて、腹も空いてたから部屋に戻って味わってたんだよ」

(あぁ、多分あの時だ……)

 

 彼には心当たりがあった。

 チェスの決着がつき、モーガンが負けた悔しさから『もう一回! もう一回ッス!』とせがんできた時があったのだ。彼の言うゲームで盛り上がっていた時とは、おそらくそれの事だろう。

 アスナの黒いオーラは増大し、それを感じとっているアレッシオはさらに怯え、ラザレフは呆れて溜め息をつく。

 

「エリック、実は――」

 

 モーガンはエリックのそばに近寄って、耳元で小さく事情を話した。すると彼の顔はみるみるうちに歪み、血の気が引いていく。彼の心情は最早語るまでもない。

 

 ――グスッ

 

 鼻を(すす)る音が聞こえた。

 ただ黙って静かにエリックの話に耳を傾けていたユキは、とうとう限界を迎えてしまったのだ。彼女の涙腺は決壊し、瞳からは真珠のような涙がポロポロと頬を流れていく。制服の裾をギュッと握って堪えていたのだろうが、その抵抗は無駄に終わった。

 

「辛かったね……よしよし」

 

 見兼ねたアスナが両腕をユキの背中に回し、優しく抱きしめる。

 ユキも同じようにアスナの背中に腕を回すと、彼女の胸の中で我慢していた涙を吐き出した。

 

「謝れっ!」

「謝るッス!」

「謝りなさいっ!」

「すいませんでしたーーーー!!!!」

 

 アスナの《リニアー》に匹敵するほどのスピードでエリックは正座し、両手を床につけ、めり込むのではないかという程の勢いで頭を下げる。

 これが日本人の持つ伝統芸、またの名を謝罪の最終奥義『土下座』である。

 

 しばらくしてユキは泣き止み、調子も少し落ち着いてきた所でこの後どうするか話し合った。

 

「あの〜、ちょっと思ったんスけど、もう一度作るってのは出来ないんスか?」

「……残念だけどそれは出来ないのよ。今日限定で女性プレイヤーはチョコを作る際、《料理》スキルの有無に関係なく味が保証されるわ。でも、それが適用されるのは一回だけなの」

 

 特殊イベントにある『男性一人のみ』という条件のためか、美味しいチョコを作れるのはたったの一回きり。作る事自体は可能だが、ユキは《料理》スキルを取得していないため、何が出来るかわからない。

 

「ユキさんが自分で同じのを作るのは無理……と。今から《料理》スキルを上げた所で付け焼き刃だし……」

「副団長が代わりに作るという手もありますが……それでは意味がないですよね」

「……うん」

 

 色々と案を出してはいるが、中々良いのが浮かばない。何よりユキ本人が納得しなければ、どんな名案でも起用されることはない。

 

「……みんなありがとう。もう時間だし、行かないと」

「どうするの?」

「直接会って謝る……。用意できなくてゴメンね、って」

「……途中まで私も行くわ。いい?」

「……うん」

 

 深く気持ちの沈んだユキと一緒に、アスナはギルドハウスを出る。その足取りは重く、後ろ姿は見ている側が辛くなる程のものだった。

 パタン、と静かに扉が閉まる音は、彼女の気持ちを表しているかのよう。二人を見送った三人は、今回の騒動を引き起こした張本人に視線を移した。

 

「それで、いつまでやってるんスか?」

 

 彼らの前には土下座状態から微動だにせず、現在も頭を床につけているエリックの姿があった。

 

「許してもらえるまで……。それよりもさっきから罪悪感が上昇しっぱなしなんだ。戒めのためにも誰か踏んでください。足裏でぐりぐりして下さい」

『気持ち悪いから嫌(です)』

 

 三人の心から拒絶する声が、綺麗に重なった。

 

 

 

 

 

 転移門広場までユキとアスナはトボトボと歩いていく。ユキの落ち込みようが想像以上のため、道中慰めの言葉を何度もかけるが、返事には覇気がなく上の空状態だ。結局彼女の様子は変わらず、とうとう転移門に到着してしまった。

 

「カイト君との用事が終わったら、一緒にご飯でも食べよ。私はギルドハウスで待っているから」

「うん、わかった」

 

 笑顔を絞り出して右手を力なく振ったユキはそのまま転移門に向かい、光に包まれて転移していった。

 

 転移した先は47層主街区《フローリア》。

 元々デートスポットとして有名な階層だが、今日がバレンタインデーというのもあっていつもより多くの恋人達が訪れていた。腕を組んで歩いている者もいれば、ベンチに腰掛けてくっつき、女性が男性の肩に頭を預けて寄り添っている者もいる。

 恋人達の恋心にあてられて火をつけられたかのように、夕陽が普段よりも赤く染め上がっている気さえした。

 

(し、しまった……ここがデートスポットだって忘れてた……)

 

 何の考えもなしに待ち合わせ場所をここに指定したが、周りにいるのは見た所恋人同士の男女のみ。今更ながら別の場所にすればよかったと後悔の念がこみ上げる。

 

「おっ、来た」

 

 転移門の側にある柱に背を預け、纏っているコートのポケットに手を突っ込んでいるカイトがいた。ユキに気付くと柱から背を離して足早に彼女へと近付き、内緒話をするように小さな声でボヤく。

 

「よりによって何でここなんだよ。待ってる間すっごい居心地悪かったぞ」

 

 周囲に漂うピンク色の空気にあてられてどうにも落ち着かない。この場に男一人で待ち続けるのは彼にとって苦行であった。

 待っている間、周りのプレイヤーは彼をチラッと見てコソコソと話をしており、カイトはそれが気になって仕方なかった。

 ちなみに悪口や小馬鹿にされているわけではなく、彼の童顔を見て『中学生ぐらいかなぁ』という程度の内容である。現実なら高校生なのだが……。

 

「あはは……ごめんね」

「……何かあった? 元気ないけど」

 

 出来る限りの笑顔で返したつもりだったが、それでもまだ本調子には及ばない。彼女の異変をすぐに察知し、怪訝そうな顔をして問いただした。

 

「ううん、大丈夫。……それで、渡したい物なんだけど」

「そうそう! メッセージ来た時は驚いたよ。まさか貰えるとは思ってなかったからさっ! やけに自信ありげだったし、どんなのが出来たか見せてよ」

 

 カイトの顔が一気に明るくなり、右手を開いてユキの前に差し出した。

 彼にとって『今日一日で最も楽しみにしていたイベント』といっても過言ではない。表情から、それが容易に読み取れた。

 何事もなかったら堂々と彼に渡し、『美味しい』という最高の褒め言葉を貰って和やかな雰囲気になる未来もあり得ただろう。しかし、そのためのキーアイテムは既になくなっている。カイトの笑顔が眩しければ眩しい程、ユキにとっては辛い気持ちが増長した。

 

「――ごめんなさいっ!」

「……へ?」

 

 だが、ない物はやはりない。差し出された手に対して彼女がとった行動は、素直に謝ること。急に頭を下げられるという予想外の行動に、カイトは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

 

「作るには作ったんだけど……ギルドの団員で食べちゃった人がいて……だから、渡したくても渡せないの……」

 

 俯きながら簡潔に事情を説明する。これ以上、どうしようもないのだ。また来年……も、この世界にいるとは想像したくないが、もしもいるのならば一年後を待つ他ない。

 わずかな沈黙が流れる。ユキは俯いたままで顔をあげようとしない。期待させてしまった分申し訳なく思い、正面にいる少年の顔を見ることができなかった。

 

「……ユキ」

 

 カイトは差し出した右手を引っ込めずに、彼女の左手へと伸ばして掴む。今度はユキにとって予想外の行動だった。

 

「えぇっ!? なななな何!?」

「ないなら作ろう。すぐそこにキッチンを貸してくれる宿があるから、そこを使おう」

「え、でも――」

「いいからいいから」

 

 カイトは左手を掴んだまま彼女の手を引き、歩き出した。ユキもされるがままに歩き、彼の背中を見た後、握られている手に視線を移す。強すぎず弱すぎず、丁度いい力でしっかりと掴んでいる彼の手は温かく感じ、自然と頬が緩んでしまう。

 システムが彼女の目の前にハラスメントコードを表示するが、ユキはそれを迷わずキャンセルした。

 

 

 

 

 

「私、《料理》スキル持ってないよ?」

「いいからいいから」

 

 宿についた二人はキッチンを借り、言われるがままにユキはエプロンを着てチョコ作りを開始した。カイトは何をしているかというと、彼女の側で作っている姿を眺めている。

 さほど時間は掛からずにチョコは完成し、二人の前に置かれた箱の中には6個のチョコが並んでいた。最初に作ったもの程見た目は良いと言えず、所々でヒビが入っている。

 だが、問題は見た目よりも味。《料理》スキル未習得のユキが作ったチョコは、どんな味がするのか未知の領域だ。こればかりは想像ができない。

 

「食べるのはいいんだけど……というか本当に食べるの?」

「当たり前だろ。それじゃあ、頂きます」

 

 箱の中にあるチョコに手を伸ばし、一つ取って口に運ぶ。舌に触れ、咀嚼し、口の中にユキの作ったチョコの味が広がる。

 その結果、ビデオカメラの再生を一時停止したかのように、カイトの動きがピタリと止まった。時間にして二・三秒。彼の反応からして味は――――言うまでもなかった。

 

「ほ、ほらっ! 美味しくないでしょ? これで終わり! もう片付けるから」

「……いや、全部食べる」

「い、いいよそんな。無理しなくても……」

 

 箱を手にとってまた一つチョコを口に運ぶ。一つ終われば次、また次へと指先を伸ばして食べていった。

 ユキの静止も聞かず、黙々とチョコを食べ続ける。箱の中にあった6個のチョコは、あっという間にカイトの腹の中へと収まった。

 

「ご馳走様」

「全部食べちゃった……。美味しくなかったでしょ?」

「確かに美味しくはないな」

「うっ……分かってはいるけど、改めて言われると凹む……」

 

 わざわざ確認するまでもないが、最初に口へ入れた時の反応でわかってはいた。それでも実際口に出して言われると、中々にショックはある。ユキは肩をガックリと落とした。

 

「確かに味は美味しくないよ。でも不味くはなかった」

「どういう事……?」

「えっと……ユキはさ、作る前から美味しくないのができるって分かってただろ?」

「そりゃあ、まぁ……」

「この世界はシステムの影響で全てが決まるから、《料理》スキルを持っていない人はどう足掻いても『美味しい』っていう味を伝えるのは無理だ。でも……『人の気持ち』だけは、いくらシステムでも遮断出来ないんじゃないかな?」

 

 カイトは言葉を紡いでいく。

 

「なんていうかさ……誰かの為に作るって事は、自然と気持ちが込もってると思うんだ。オレはユキから『気持ちの込もったチョコを貰う事』が楽しみであった訳で、味や見た目なんかは二の次だ。『美味しいチョコを食べさせたい』っていうユキの気持ちはしっかりと受け取れたから、オレは満足してるよ」

 

 カイトの言葉に反応し、トクン、と心が小さく脈を打つ。それはユキの中で、とある異変が起き始めた証拠。

 

「ユキのエプロン姿なんてレアなものも見れたしな」

「……ぷっ! それぐらいいつでも見せてあげるよ」

 

 本心なのか冗談なのかはわからないが、彼の言葉に思わず吹き出してしまった。

 会話を重ねるごとに、沈んでいた気持ちが徐々に浮き上がっていく。そしてそれはずっと心の奥底に仕舞い込んでいた感情を連れて、彼女の心の表層へと誘導していった。

 そして次に発した言葉が、決定打となる。

 

「それにユキが一生懸命なにかに取り組んでるとこ、オレは結構好きだぞ」

「……え?」

 

 一拍の間をおいて思わず聞き返した。

 ゆっくりと浮上していた想いはカイトの言葉をキッカケに、速度を上げる。急浮上した想いはスピードを緩めることなく、心の表層に到達するとそのまま突き破り、内面に留めることが出来ないレベルに達した。そのしるしに、ユキの顔に変化が訪れた。

 

「――っ! ち、ちがっ! 好きっていうのは友達としてっていうか――」

 

 ユキの変化と自分が発した言葉を振り返ったことで、すぐさま訂正しようとする。

 だが彼女はカイトが全部言い切るのを待ってくれる程の精神的余裕を、既に持ち合わせていなかった。

 

「て、てててて転移《――――》」

「はぁ!? ちょ、ちょっと待っ――」

 

 動揺しつつも今までで一番早くメニュー操作をし、ユキが取り出したのは転移結晶。転移門のある主街区にいるのだから使う必要はないのだが、彼女は一刻も早くこの場から消え去りたかった。

 オブジェクト化するとコマンドと転移先の主街区名を唱え、緊急離脱。一瞬で姿を消した。

 ユキがいなくなった事で、カイトは一人ポツンと取り残された。騒がしかった場は静かになり、耳に入るのはNPCの足音だけ。

 

「……何なんだ? ……でも、助かった……」

 

 キッチンから出ると近くの赤い椅子に座り、紅潮した頬を――――正確には口元を手の甲で隠す。周囲に人はいないので誰かが見ているわけでもないが、クセでそうせざるを得なかった。

 

(慣れない事はするもんじゃないな……超恥ずかしい……)

 

 元気のないユキを見て咄嗟に思い付いた案。そして励ましの言葉。放った言葉の数々は本心からのものだが、『意識してやると照れくさい』という発見と共に、最後の言葉は彼にとって失言だった。只今反省中である。

 

(でもまぁ……良かったんだよな、これで)

 

 とんだハプニングはあれど、最後にユキは笑ってくれた。元々それが狙いだったのだから、カイトの企みは大成功といえるだろう。

 

(……ダメだ、そろそろ限界……)

 

 右手の指二本を揃えて縦に振り、アイテム欄をタップ。現れたのはこれまたユキと同じく、転移結晶だった。

 

「転、移……《アルゲード》」

 

 

 

 

 

 第50層主街区《アルゲード》。

 カイトは雑然とした街の入り組んだ道を、フラフラとおぼつかない足取りで進む。通りすぎる人を右に左に避け、目的地である怪しげな雑貨店に辿り着いた。

 木製の古びた扉を開けると、中にはよく見知った二人の人物がいた。

 

「よう、カイト。ちゃんとユキからお目当ての物は貰えたから」

「あぁ……とびっきり気持ちの込もった物を食べてきたよ……」

 

 カウンターの向こう側から気さくに話しかけてきたのは、雑貨店の店主・エギル。50層が開放されてさほど間をおかずに、自分の店を構えてしまったというのだから驚きだ。一体それまでの商売で得た儲けを、どれだけ溜め込んでいたのだろうか。

 

「オレも貰えるなら欲しかったよ。いいよな、カイトは」

 

 もう一人はカウンター席に座って頬杖をついてるキリトだった。

 本人は冷やかしのつもりで言ったのだが、今のカイトには反応する余裕があまりない。

 

「お、おいおい、どうしちまったんだ? 顔色が悪いぞ」

 

 カイトの様子がおかしい事にエギルは気付く。

 顔面蒼白で今の彼からは活力が感じられず、身体の軸が定まっていないのか若干左右にフラついている。まさしく今にも倒れそう、というよりも――。

 

「……すまん。……もう……無、理……」

 

 ――ドサッ

 

 ――倒れた。

 見えない糸にでも引っ張られたかのように、彼は床にゆっくりと崩れ落ちた。その光景を目撃したキリトとエギルが駆け寄り、彼の肩を揺する。

 

「お、おい! いきなりどうしたんだよ!?」

「新種のバッドステータスか?!」

(……ち、が…………)

 

 彼の否定は声なき声として終わった。そこでカイトの意識は完全に途絶え、目覚めたのは丸一日経過してからだったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユキの転移先はギルドハウスのある階層。転移したと同時に歩き出し、寄り道せず真っ直ぐギルドハウスへと向かう。すると玄関の前でアスナが座って外を眺めていた。

 

「おかえり」

 

 暗がりの中、アスナは街灯に照らされている見慣れた影に気付き、声をかけた。それはついさっき見送った友人の姿だが、顔がやや下を向いている。

 女の勘、というものなのだろう。何かあったのではと直感した。

 ユキはゆっくりとした足取りでアスナに近付くと、彼女に抱きつく。

 

「どうかしたの? ――って、顔真っ赤! 耳まで赤いよ!?」

 

 抱きつかれる寸前にハッキリ言い切れる程、SAOの感情表現も相まって、ユキの顔はこれまで以上に赤面していたのがわかった。頭から湯気が出ていてもおかしくないぐらいだ。

 

「どうしよう、アスナ……」

「えっ! 何があったの? まさか喧嘩でもしたんじゃ――」

「違うの。そうじゃなくて……私、わかっちゃった」

 

 そのままの姿勢で、彼女はアスナの耳元でポツリと呟く。

 

「今までも『そうなのかな?』って思ってたけど、勘違いだって否定し続けてた」

「………………」

 

 出会ってから1年と3ヶ月。

 パーティーを組んで同じ時間を共有し、自分の未熟さをなんとかしたくてギルドに入った。

 一緒にいた時も、離れてからも、何処かで彼との接点を無意識に探していた。

 

「でも……もう無理だよ」

「…………うん」

 

 芽が出たのはいつ頃だろうか。

 それは今でもわからないが、二つだけわかっている事があった。

 きっかけを与えられたのはクリスマス。意識し出したのは、彼がこの世界から一度消え去った時。

 

「無視……できないよ」

「……うん」

 

 少しずつ、少しずつ……関わっていくたびに癒され、励まされ、笑わされ、回数を重ねることで想いは大きく成長していく。

 やがて成長して膨れ上がった気持ちは否定され、心の奥底に仕舞い込んだ。

 しかし、()()()()は存在の主張をやめなかった。

 『私はここにいる』と、叫び続けるのをやめなかった。

 そして皮肉にも、()()()()を生み出した張本人の何気ない一言によって、それは呼び起こされる。

 以前よりもさらに成長した状態で、再び彼女の前に姿を現したのだった。

 

「私ね……」

「うん」

 

 気付いてしまった。気付かされてしまった。

 そうなってしまっては、もう見て見ぬ振りなどできはしない。

 

「カイトが――」

 

 そしてとうとう、これまで絶対口に出して言わなかった、たった二文字の言葉を呟いた。

 

「――好き」

 

 それは目を逸らし続けていた自分の気持ちと向き合い、一歩前進した証拠でもあった。




ギルドハウスの入退室記録は独自設定です。
また、《料理》スキル未習得者の作成した物を一度に食べ過ぎると意識不明になるのも独自設定です。

色々と詰め込みすぎて文章量はいつもより多くなりましたが、そのわりにスラスラと展開のイメージができました。しばらく日常回はご無沙汰だったので飢えてたのかもしれません。
二章は戦闘ばかりで固い印象だったので、今回の番外編で多少はマイルドになった筈です。

3章はカイトと原作ヒロイン三人との絡みを個別に扱います。


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第3章 -花と星と太陽の記憶-
第20話 竜なき竜使いと生命の花(前編)


3章はSAOヒロインズに焦点を当てていきます。
一人目はシリカです。



 2024年2月下旬。

 新年早々に行われた激闘から、早くも2ヶ月が経とうとしていた。

 ハーフポイントのフロアボス戦と緊急イベントによって攻略組の数は減少。当初懸念されていた攻略速度の遅延は現実のものとなり、攻略組の面々は頭を悩ませる。

 現在の最前線は54層。そこの転移門広場でカイト・キリトの二人は今日の狩りを終え、宿に戻る所だった。

 

「それで、今日のメニューはどうする?」

「シェフのおまかせで頼む」

 

 キリトの言う『シェフ』とは、カイトのことだ。彼は以前からスキルスロットに余裕ができたら《料理》スキルを取得しようと考えていた。そして《料理》スキルを習得してから、朝・昼・夜の三食は全てカイトが作る事になっている。

 

「作る側からすれば、それが一番困るん――」

 

 カイトの元にメッセージの受信を知らせる通知音が鳴り、言葉を途中で切る。アイコンをタップして差出人を確認した。

 

「ごめん、アルゴからメッセージが来た」

 

 内容を確認したカイトは険しい顔つきになった。彼女から送られてくるメッセージの内容は大抵決まっている。

 

「またオレンジ絡みか?」

 

 中層以下は最前線と異なり、オレンジプレイヤーの絡んだトラブルがあとを絶たない。恐喝・強盗・最悪の場合殺人などの事件が、今もアインクラッドのどこかで発生している。

 そういったトラブルの解決依頼が情報屋のアルゴを仲介役として挟み、カイトに伝えられる事も珍しくない。その影響からか、《掃除屋》の名前は広がるばかりだ。

 

「正解。アルゴはこの近くにいるみたいだけど……」

 

 キリトの問いに返答しつつ、返信のメッセージを作成。送信ボタンをタップしてから五分と経たず、見慣れた姿が二人の前に現れた。

 

「お〜い。カー坊、キー坊!」

 

 真正面から二人の名を呼ぶ女性の声が聞こえる。頭に被ったフードから覗く金褐色の巻き毛。そして彼女曰く、両頬に描かれたチャームポイントである三本線のヒゲペイント。彼女こそがアインクラッドでも凄腕の情報屋《鼠のアルゴ》だ。

 

「急に悪いナ、カー坊。この後何か予定でもあったカ?」

「いや、特にないよ。……悪いなキリト、今日のシェフのおまかせはなしだ」

「ちょ、ちょっと待てカイト! それだとオレの夕飯はどうなるんだ?!」

 

 娯楽の少ないSAOでは食事ぐらいしか楽しみがない。食い意地の張っているキリトにとってみれば、NPCレストランよりも美味しい料理を作れるスキル保持者がいなくなるのは、死活問題に等しかった。

 

「うーん、そうだな……NPCのレストランで済ませてくれ。それか依頼の手伝いをしてくれるなら、夕飯はいつも通りオレが作るぞ」

「任せろっ! それで内容はっ?!」

敵討(かたきう)ちだ。仲間を殺したオレンジを、回廊結晶で牢獄に入れてほしいって内容。依頼者は《シルバーフラグス》っていう中層ギルドのリーダーらしい」

「そういうことダ。依頼者から監獄エリアに設定済みの回廊結晶を預かってル。先に渡しとくヨ。……それと、今オネーサンが追加の情報を送るからちょっと待ってナ」

 

 カイトに回廊結晶を渡したアルゴはホロキーボードを起動し、慣れた手つきで素早く情報を打ち込む。

 しかしアルゴが情報をカイトに送信する前に、新しいメッセージの通知音が鳴った。

 

「シリカ……?」

 

 送信者は2ヶ月前に偶然助けたビーストテイマーの少女、シリカだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人はアルゴと別れた後、第35層主街区《ミーシェ》に転移する。

 転移門広場に到着すると、すぐ側にある石段に座って俯いているツインテールの少女・シリカの姿があった。だが2ヶ月前にはいた筈のシリカの相棒、彼女がビーストテイマーと呼ばれるキッカケとなった《フェザーリドラ》のピナの姿だけは、どこを探しても見当たらない。

 

「シリカ」

「あ……カイトさん、キリトさん……」

 

 名を呼ばれたシリカは俯いていた顔を上げた。シリカの反応は弱々しく、力がこもっていない。二人を見た彼女は涙を浮かべ、声を絞り出した。

 

「ピナが……ピナが……」

「……取り敢えず落ち着こう、シリカ。そして何があったか、一から順に話してくれないかな?」

 

 キリトが促すと、シリカは涙を拭ってポツポツと語り始めた。

 

「……はい。……私、普段よく他の方達からパーティーに誘われるんです。それで今日もパーティーを組んで《迷いの森》で狩りをしていました。だけど、その中の一人とアイテムの分配で揉めてしまって……私が怒ってパーティーを抜けた後、一人でフィールドを突破しようとしたんです。でも私にはまだ《迷いの森》を一人で抜けるには力不足だったみたいで……モンスターと遭遇してピンチになった時、ピナが……私を庇って……それで…………」

 

 それが彼女の側にピナがいない理由だった。

 本来モンスターは単調なアルゴリズムしか持っておらず、プレイヤーにテイミングされている使い魔だとしてもそれは変わらない。使い魔が主人を守るために身を呈して助けるというのは、にわかには信じ難いが非常に高度なことなのだ。

 

「……私、ピナがいなくなった瞬間は頭が真っ白になりました。でも、ピナが折角命を張って助けてくれた事を無駄にしたくなくて……なんとか主街区まで辿り着く事が出来て、カイトさんにメッセージを送ったんです」

 

 全てを話すとシリカは座っていた石段から立ち上がり、二人に向き直った。

 

「攻略組のお二人なら、ピナを生き返らせる手掛かりを何か知りませんか? もしご存知なら、どうか教えてください! お願いします!」

 

 シリカは深く頭を下げて懇願する。カイトとキリトは顔を見合わせると頷き合い、目の前の少女に視線を戻した。

 

「わかった。オレ達で良ければ協力するよ」

「あ、ありがとうございます!」

「但しオレは別の用事があるんだ。だからピナの件はキリトに頼みたいんだけど……いいか?」

「ああ、任せろ。一先ずここは人が多いから、場所を変えよう。あとシリカ、ピナが死んだ時に何かアイテムがなかったか?」

「はい。あります」

 

 シリカはメニューを操作してアイテムをオブジェクト化すると、彼女の手に一枚の羽が現れた。

 

「良かった。それは使い魔蘇生に絶対必要な《心》アイテムなんだ。それさえあればピナの蘇生は可能だよ。それと――」

 

 キリトが右手を振って操作をし出した。するとシリカの前にトレード申請画面が表示され、ダガー・アーマー・ブレザー・ブーツやベルトといった装備類の名前が次々と連なっていく。

 

「ピナの蘇生手段は確かにあるけど、それはここよりも上層にあるんだ。だからこれでレベルの不足分を補って、道中はオレがサポートしよう」

「すみません。色々とお世話になりっぱなしで。あの、何かお礼を」

「別にいい……いや、やっぱ貰っとこう。シリカ、夕飯はこれから?」

「はい、そうですけど?」

「じゃあ材料費だけ貰おう。それでカイトに今夜の食事を――」

「あら、シリカじゃない」

 

 唐突に聞こえたのは女性の声だった。

 カイト・キリトの正面、シリカの後ろにいたのは槍を携えた赤髪の女性。年齢は若く大人の色気を醸し出しており、一言で言えば『大人のお姉さん』だ。線の細さと女性にしては高い身長から、彼女のスタイルの良さが伺える。

 

「ロザリアさん……」

「まさか森を一人で抜けれるなんてね……よかったじゃない」

 

 ロザリアと呼ばれた女性の言葉に抑揚はなく、シリカの無事を喜ぶ事も安堵している様子も伺えない。むしろどうでもいいとさえ感じられる。

 普通同じパーティーを組んでいた者が途中で別れ、その後無事を確認する事が出来たのならこんな心のない反応はしない。つまりロザリアにとって、シリカの生死はどうでもよかったのだろう。

 

「……そういえばあのトカゲが見当たらないわね。どうしちゃったの?」

 

 シリカにとって今最も触れてほしくない話題を出した。

 使い魔はアイテムと違い、ステレージに収納する事など出来はしない。《飼い慣らし(テイミング)》スキルが一定以上あれば多少主人から距離を取れるが、基本的には常に主人の周りに寄り添って行動を共にする存在なのだ。それはビーストテイマーでない一般プレイヤーにも広く知れ渡っている情報、いわば常識。その使い魔が見当たらないのなら、その答えはたった一つしかない。ロザリアはわからないのではなく、わかっていながら聞いている。

 

「ピナは死にました……でも、私が絶対生き返らせます!」

 

 今までよりも一段と口調に力がこもる。それだけシリカにとってピナという存在は大きなものなのだ。

 

「ふうん……でもどうやって?」

「それは……」

「おっと、そこまでだ」

 

 シリカの言葉を遮るようにキリトが割り込み、手で彼女を制する。カイトもシリカの隣に並び立った。

 

「そこから先は有料だ。知りたかったら情報屋に聞いてくれ」

「あんた達誰? ……ああ、そういうことね。どうせこの子にたらしこまれたんでしょ?」

 

 ロザリアは交互に二人へ視線を移すが、彼ら自信を見るのではなく、二人の装備を見ていた。装備を見ることで二人がどの程度のレベルなのか値踏みしているようだ。

 

「残念ながら違うよ。兎に角、オレ達はピナを蘇生させるレアアイテムの存在を知っている。だから明日の今頃には、ピナが元気に飛び回る姿を見れると思うよ」

 

 カイトの発した『レアアイテム』という単語にロザリアの眉がピクリと動いたのを、彼らは見逃さなかった。

 

「へえ……じゃあ私はトカゲが無事に生き返るのを祈ってるわ。そのレアアイテムが誰かに横取りされないよう、気を付けてね」

「ご忠告ありがとう。肝に銘じとくよ……行こう、二人とも」

 

 シリカが二人の後ろについていく形でロザリアの横を通り過ぎ、転移門広場から主街区に建ち並ぶ建物へと向かう。

 シリカが通り過ぎた後ロザリアは振り返り、その口元を僅かに歪ませる。最上の獲物から極上の獲物に変化したことに喜びを感じ、内に秘めた感情を隠すことが出来なかった。

 

 

 

 

 2月も終わりに差し掛かり、徐々に日中の時間が長くなってはいるが、それでも太陽は足早に沈んでいく。35層主街区《ミーシェ》にある白い壁と赤い屋根の牧歌的印象を受ける街並みにも、ポツポツと灯りがともり始めた。

 三人は主街区にある、若い姉妹のNPCが経営する一軒の宿に向かった。扉を開ければ姉妹の声が重なり、旅の剣士達を出迎える。

 

「キッチンを使わせて欲しいんだけど」

 

 そう言ってカイトが姉妹の長女にコルを出し、長女は両手で受け皿を作ってそれを受け取る。

 

「ありがとうございます、旅の剣士様。それでは奥の扉が入り口になっていますので、そこからお入り下さい」

 

 コルを受け取った長女は左手で奥を指差し、三人を促す。そこには金色のドアノブに木製の扉があり、『Kitchen』の立て札が掛けられていた。

 

 アインクラッドでプレイヤーが調理する場合、携帯調理セット、宿もしくはプレイヤーが購入できる家の調理設備を使う場合に限定される。

 携帯調理セットはいわゆるキャンプセットだ。小さな鍋・フライパン・バーナーにナイフ等といった必要最小限の器具一式を指す。これさえあれば凝った料理は出来なくとも、トースト・BBQ・肉や魚や野菜を炒める簡単な調理は可能だ。当然カイトも所有している。

 そしてもう一つの調理設備を備えた建物は、各主街区や村に最低でも一軒存在し、宿の場合はNPCに一定のコルを支払えば設備の利用が可能となっている。さらに携帯調理セットと違い設備が充実しているので、少々凝った料理も可能だ。プレイヤーホームを持っていないカイトからすれば、このシステムは非常に使い勝手がいいと言えた。

 カイトが扉に手をかけて開けると、そこは少々手狭ながらも案の定調理器具が一通り揃っているキッチンだった。フライパン・鍋・オーブン、さらには釜まで常備されている。

 

「すごい……こんな所があるなんて、私知らなかったです」

「色々置いてあるんだな」

「オレもここは初めて利用するけど、まさか釜まであるとは思わなかった……」

 

 中に入った三人それぞれが抱いた感想を口にすると、後ろからNPC姉妹の次女の声が聞こえた。

 

「ここにあるものはご自由に使っていただいて構いません。食材も少しばかりなら提供できますので、必要であればお申し付け下さい。それでは失礼します」

 

 ぺこりとお辞儀をした後、ドアノブに手をかけて扉を閉める。キッチンに取り残された三人はその場で立ち尽くした。

 

「……さて、ここから先はシェフに任せるか。シリカ、何か食べたい物があったらカイトにリクエストしてみるといいぞ」

「いいんですか!? じゃあ、えっと……私、パスタが食べたいです」

 

 シリカのリクエストであるパスタの種類から、カイトは一つだけ候補を挙げた。

 

「パスタか……魚貝類を使ったやつでもいいか?」

「はい! お願いします!」

「よし、任せろ!」

「じゃあシリカ、オレ達は邪魔だからあそこのカウンターに行こう。そこからなら、カイトの作ってる様子も見れるぞ」

 

 キリトとシリカはキッチンに入った扉から出て右に曲がり、カウンター席へ移動する。ここのカウンター席はキッチンから直接料理を受け取り、そのまま食事が出来るようになっているため、料理を作る様子が直に見れるのだ。

 シリカが席に着く頃には、既にカイトは水色のエプロン姿になっていた。

 

「私《料理》スキル持ってる人の作る料理、初めて食べます」

「そもそも《料理》スキルを選ぶ物好きが珍しいからな」

「……ほほう、キリトは夕飯抜きをご所望か。そうかそうか」

「いやいや、カイトは別だぞ! オレが普段から美味しい物を食べれるのはカイトのおかげだからな! 感謝しきれないぐらいだぞ、うん!」

 

 うっかり口を滑らせたキリトの必死の弁明を、カウンターの向こう側から呆れた目で見るカイト。そしてキリトの必死な様子を、シリカは隣で小さく笑う。それはピナを失って落ち込んで以降初めて見せる笑顔だった。

 

 キリトの掌返しにため息をついて呆れつつ、カイトは調理を開始。

 まずは各食材をアイテムストレージからオブジェクト化し、現実(リアル)で例えるなら貝・にんにく・パセリ・トマト・チーズ・バジルに似た食材を順に並べる。包丁を食材の上で振ると、一瞬にして各食材がバラバラになった。

 鍋を二つ用意し、一つは水を張って麺を茹で、もう一つは別の料理で使うソースを作るためにとっておく。バラバラにした食材の内、いくつかはフライパンに投入。茹で上がった麺もフライパンに投入し、火にかける。あとは時間がくるまで放っておくだけだ。

 SAOの料理は調理手順が簡略化されているため、現実のようないくつもの行程を挟む必要がない。良くいえば簡単便利、悪くいえば味気ないといえる。

 そうこうしているうちにセットしたタイマーが鳴る。茹で上がった麺に調味料を加えて味をよく絡ませ、最後に三枚の皿に均等に盛り付ける。トッピングで刻んだパセリを加えれば完成だ。

 

「はい、召し上がれ」

 

 カウンター越しから二人の目の前に出されたのは、貝と麺が絡んだパスタだった。湯気とともに立ち昇るオリーブオイルとにんにくの風味が鼻孔を刺激し、食欲をそそる。

 

「いただきます」

 

 一緒に出されたフォークを手にとって麺をクルクルと巻きつける。口に運んで食べると、魚介の旨味が口の中全体に拡がった。

 思わずシリカは目を見開き、ゴクンと飲み込んだ後に一言。

 

「すっごくおいしいですっ!」

「そう言ってもらえると作った甲斐があるよ」

 

 料理の感想を聞いたカイトは微笑むが、彼は自分の食べる分にはまだ手をつけず、代わりに白い生地を円状に伸ばしていた。

 

「それは何を作ってるんですか?」

「ああ、折角釜があるからピザでも焼こうかと」

「ピザっ!」

 

 カイトの言葉に反応し、口元にパセリをつけたキリトが椅子から急に立ち上がる。

 

「ま、まさかこの世界でピザが食べれるなんて……」

「落ち着けキリト。そして座って口元を拭け」

 

 カイトは伸ばした生地に鍋で煮込んで作ったソースを塗り、その上に刻んだ食材をのせてトッピングする。あとは余熱を加えておいた釜に生地を入れて待つだけだ。

 出来上がったのはイタリア料理の一つ、マルゲリータのようなピザだった。

 ピザカッターで切り分けて食べると、パリッとした生地にチーズとトマト風味の酸味が絶妙にマッチし、バジル風の香りも良い引き立て役になっている。

 あまりの美味しさに、シリカの表情がさらに緩む。空いている左手で頬を押さえた。

 

「こんなに美味しい物、久しぶりに食べた気がします」

「……やっぱ美味しいって言ってもらえると嬉しいな。でもほぼ毎日作っているのに、久しぶりに聞くのは何でだろう?」

 

 カイトは目を細めてキリトを見た。

 

「……オレは口に出さないだけで、ちゃんと毎日思ってるぞ」

「そういうのは声に出して言えっ!」

 

 

 

 

 

 

 三人が食事を摂り終えて満腹になると、そのまま二階の宿をとってシリカの部屋に集合した。彼女に明日の段取りを説明するためだ。

 それぞれがテーブルを囲んで椅子に腰掛け、キリトが常時持ち歩いている立体地図アイテム《ミラージュ・スフィア》を机に置いて起動させる。すると立体映像が47層の詳細な地理を映し出した。

 わあっ、とシリカが幻想的な映像に魅せられて感嘆の声を漏らす。どうやら《ミラージュ・スフィア》は彼女にとって初見のようだ。

 

「もしかして、これが47層ですか?」

「そう。まずここが主街区の《フローリア》で、こっちが使い魔蘇生アイテムがある《思い出の丘》だ。ここからこう行く途中に橋があるんだけど、その先は一本道だから迷う心配はない。モンスターもそこまで強くないから、シリカなら充分倒せると思う」

 

 キリトは映し出された47層の立体映像を指差し、明日に通る予定の道を確認する。彼が懇切丁寧に説明している途中、カイトが扉の向こう側にいる気配に気付いた。キリトも気付いているがあえてまだ何も言わず、二人はアイコンタクトをとる。

 

「そして《思い出の丘》を進んで行くと、ビーストテイマーがいる時にしか咲かない《プネウマの花》があるんだけど、それが今回目的の蘇生アイテム――」

 

 そこまで言うとキリトは説明を途中で切り、あたかもたった今気付いたかのように振る舞った。

 

「誰だっ!」

 

 扉に向かって一直線に進み、勢いよく開ける。廊下には誰もいなかったが、階段を駆け下りる音だけが耳に入った。

 

「ど、どうしたんですか? キリトさん」

「オレ達の会話を盗み聞きしていた奴らがいたんだよ」

「《聞き耳》スキルなんて珍しいもの上げてるなあ」

 

 通常部屋の中の会話を聞こうと思ってもシステムの障壁に阻まれるため、必ずノックをしなければ会話は聞こえない。だが《聞き耳》スキルとなれば話は別だ。

 本来なら迷宮区などで探索する際に使う索敵系スキルなのだが、今となってはオレンジプレイヤー御用達スキルの代名詞となってしまった。このスキルを上げていればわざわざノックをしなくても、部屋の中の会話が丸聞こえになってしまうのだ。尤も《索敵》スキルを上げているプレイヤーには、すぐに気付かれてしまうのだが。

 

「さっきにしても今にしても、これだけわかりやすく餌をまいたんだ。明日は確実に釣れるだろうな」

「探す手間が省けて大助かりだよ。まさか向こうから来てくれるなんて」

「ええっと、一体どういう……」

 

 一人置いてきぼりのシリカは頭上に疑問符を浮かべる。事情を知らない彼女が二人の会話内容をいまいち理解出来ないのも、当然と言えた。

 

「……シリカ、転移門広場にいた時にオレが『別の用事がある』って言ってたのを覚えてる?」

「はい。だから明日は私とキリトさんで《思い出の丘》に行くんですよね?」

「いや、明日はオレも同行するよ。シリカが《プネウマの花》を取りに行くのとオレの用事は、最終的に一つに重なるから。理由は――」

 

 ふと現在時刻が目に入った。夜も更けてきたことだし、明日に備えるが良いだろう。

 

「――今日はもう遅いし、明日の道中で話すよ」




『特定の宿屋では調理場を借りる事が出来る』のは、独自設定です。

作中で出たパスタはボンゴレをイメージしています。今回はシリカがいたのでカイトはあえて鷹の爪(のようなもの)を入れませんでした。


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第21話 竜なき竜使いと生命の花(後編)

 寝る前にセットしておいたアラームが鳴り響き、カイトは目をこすって起き上がった。

 現在時刻は6時30分を回る前。まだ日が差し始めたばかりのために窓の外は少しだけ暗いが、数分もすれば十分な明るさになるだろう。

 外から聞こえる鳥の鳴き声を聞きながら、指先一つでパジャマからあっという間に私服に着替える。部屋を出て一階に下り、昨日と変わらない笑顔で挨拶してきたNPCに対して、カイトも昨日と変わらない台詞を口にした。

 

「キッチンを使わせて欲しいんだけど」

 

 それから間もなくしてシリカが起床した。部屋から廊下に出て階段に差し掛かる頃には、一階から漂うほのかに甘い匂いに食欲をそそられる。

 シリカが昨日食事をしたカウンターからひょっこり顔を出すと、卵液をたっぷり吸ったパンをフライパンで焼いているカイトの姿があった。

 

「おはようございます、カイトさん」

「おはよう、シリカ。もうすぐ出来るから、そこで待ってて」

 

 ちょうど片面を焼き終えたパンをひっくり返している所だった。カウンターに設置された椅子に座り、昨日と同じエプロン姿のカイトを見ながらシリカが話しかけた。

 

「昨日も思ったんですけど、カイトさんってエプロン姿が似合いますね」

「そうかな? そんな事言われたの初めてだよ」

「料理も出来るし、女子力高いですね」

「これはスキルのおかげだけどな。……それよりシリカ。男に『女子力高い』はどうかと思うぞ」

 

 そうこうしている内にパンの両面に焼き色がついた。皿に盛った後でコルク栓をした小さな小瓶を取り出し、中に入っている粉末をパンの上から少量かけた。

 出された品は焼き色をつけたフレンチトーストだった。フレンチトーストと一緒にナイフとフォークも添えられ、その隣に紅茶も一緒に出された。

 

「わあ、美味しそう。……ん? この匂いは……シナモン、ですか?」

「正解。さっきの小瓶の中身はモナの実から作ったんだけど、シナモンシュガーに味と香りが近いやつなんだ。粉砂糖代わりに上にまぶしてみた」

 

 ――等と話していると、全身黒一色のキリトが階段を下りて二人の元へやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食を食べ終えて身支度を整えたら、三人は転移門を利用して47層主街区《フローリア》、別名《フラワーガーデン》に転移した。

 

「わあっ、綺麗……」

 

 転移してシリカが最初に口にした感想がそれだった。

 辺り一面様々な色の花で彩られた光景に目を奪われ、感嘆の声を漏らす。中層レベルのシリカが最前線に近いこの階層に来る機会は今までなかったため、彼女には非常に新鮮だった。

 近くの花を間近で見るため、腰を落としてしゃがみ込む。SAOのシステムで再現された花の香りを楽しんでいると、花の蜜を吸っていた蝶が舞い、動きを追っていく内に視界が遠くまで広がった。

 チラホラと確認できるのは男女ペアで仲良く歩くプレイヤー達。ここ《フラワーガーデン》は花の都として有名なため、恋人同士で訪れる定番のデートスポットになっている。安全な圏内に咲いている花を眺めながら散歩するだけで、恋人達は充分にデートを楽しめるのだ。

 

「シリカ?」

 

 名を呼ばれて振り返ると、シリカとの距離10センチの位置でしゃがみ、彼女の顔を覗き込むキリトの姿があった。

 シリカは未だ異性と付き合った事がなく、恋愛経験に乏しい。そんな彼女からしてみれば、キリトの顔が至近距離にあるというただそれだけで緊張し、心臓が早鐘を打つ。そしてシリカの精神状態を感じ取ったシステムが、彼女の頬を紅潮させた。

 

「シリカ、どうした?」

「い、いえ! 何でもありません! 行きましょう!」

 

 熱くなった頬を誤魔化すために、立ち上がって膝を払う。

 キリトもカイトもそんなシリカの心情を察する事が出来ず、二人とも顔を見合わせて首を傾けた。

 

 

 

 

 

 三人でフィールドダンジョン《思い出の丘》へ向かう一本道の道中、カイトが話すと約束した事情を語り出す。

 

「シリカ。昨日言ってた《プネウマの花》獲得にオレも同伴する理由の前に、今オレ個人が受けてる依頼について話すよ。まず昨日シリカからメッセージを貰う前に、あるギルドからとあるオレンジギルドを牢獄に入れてほしいって依頼があったんだ。最初はシリカの元へ行って話を聞いた後、オレンジギルドの居場所を突き止めようとしたんだけど、途中でその必要がなくなったんだ。何せ目の前にその探しているオレンジギルド、しかもリーダーの女性が現れたんだから……」

「えっ?! それってもしかして……」

「シリカが今頭に思い浮かべた人だよ。ロザリアさんはオレンジギルド《タイタンズハンド》のリーダーだ」

「ええっ!?」

 

 シリカが昨日パーティーを組んでいたロザリアは、犯罪者の集うギルドのリーダーだった。しかしここで、彼女の頭に一つの疑問が生まれる。

 

「で、でも。ロザリアさんのカーソルはグリーンでしたよ?」

 

 ロザリアの頭上に示されていたカーソルはグリーン、つまりシステム的に犯罪行為を働いていないのを表していた。しかし高度なプログラムを有するカーディナルでも、彼女の精神が『オレンジ』に染まっているかどうかまでは判別出来ない。

 

「確かにあの人はグリーンだ。でもオレンジギルドだからって全員がオレンジになる必要性は何処にもないよ。おそらく彼女はグリーンを装って獲物に近付き、フィールドに出た所で仲間のオレンジに襲わせるんだろう。これはオレンジの使う常套手段だ」

 

 カーソルがオレンジの場合、他の一般プレイヤーから警戒されて近付く事も出来ない。だがグリーンであれば、プレイヤーは何の疑いも持たずに彼女を迎え入れるだろう。そしてフィールドに誘い込み、頃合いを見計らって潜んでいた仲間に襲わせ、自分は手を汚す事なく、カーソルの色を変える事なく再び他の獲物に狙いを定める。最早これは犯罪者達に広く知れ渡っているやり口だ。

 

「だからオレは彼女とその仲間達を一網打尽にするために、通常ビーストテイマーにしか手に入らない《プネウマの花》の存在を匂わせたんだ。《プネウマの花》はレアアイテムだから高値で取引されるし、オレンジが狙うには充分な理由になる」

 

 そして隣にいたキリトが話を付け加える。

 

「昨日オレが蘇生アイテムを取りに行く段取りを説明してた時、急に扉に向かって行っただろ? あれは《索敵》スキルが扉の向こう側で誰かいるのを感じ取ったからなんだ。おそらくロザリアさんの手下だと思う。本当はとっくに気付いていたんだけど、あえて情報を漏らす事でより確実に奴らが網にかかるよう仕向けたんだ」

「だからこの後シリカが《プネウマの花》を手に入れれば、奴らは十中八九、花を目当てに襲ってくる筈だ」

「そんな……」

 

 衝撃の事実にシリカは驚愕した。そして全ての説明を終えた後、カイトは立ち止まって頭を下げる。

 

「本当にごめん、シリカを囮に使うような真似をして。ちなみにキリトはオレの考えに協力してくれただけだから、悪いのは全部オレなんだ。だけど安心してほしい。オレ達は何があっても絶対に君を守るし、ピナも助ける」

 

 カイトはこの誘導を思いついた時、シリカとピナに対して少なからず罪悪感を感じていた。

 

「頭を上げてください、カイトさん」

 

 言われた通りに頭を上げると、シリカは柔らかい表情でカイトを見ていた。

 

「私は別に怒ってませんよ。むしろピナを助けるために、ここまで協力してくれて感謝しています」

「それでもオレは……」

「謝られている側がいいって言ってるんですから、気にしないで下さい。その代わりさっき言った『何があっても守る』って約束は、ちゃんと守って下さいね」

 

 両手を後ろに回して腰の辺りで指を絡ませ、頭を少しだけ傾けて微笑む。シリカがするその仕草は非常に可愛らしい印象を受けた。

 

「さあ、行きましょう。カイトさん、キリトさん」

 

 シリカは回れ右して前を向き、歩き出す。だが、ものの数メートルで突如出現した植物型モンスターに足をとられ、宙吊り状態となってしまった。

 

「きゃあぁぁぁあ!」

 

 その際に彼女の装備している丈の短いスカートがめくれ上がるが、咄嗟に手で押さえる。それは突然のハプニングにも関わらず、女性として無意識に行った防衛行為だった。

 この階層に出現する植物型モンスターは普段、花に擬態している。そのためシステム上は『周囲に生えている花の一つ』と認識されているので、オブジェクトと同じ扱いを受けている。流石に景色と同じ判定を受けているモンスターには、《索敵》スキルも機能しない。だからカイトもキリトも反応できなかったのだ。

 モンスターの頭部はピンク色の大きな実の形をしており、そこから何本もの(つる)が生えて身体を支えていた。

 

「ひっ!」

 

 シリカを吊り上げたモンスターが大きく口を開けると、彼女は小さな悲鳴を漏らす。そして動揺したシリカは腰に差してある短剣を抜き、無茶苦茶に振り回し始めた。

 

「助けて! 助けて! 見ないで助けて!」

「いや、見ないで助けるのは……」

「流石に無理、かな……」

 

 キリトは顔を左手で覆い、カイトはシリカが視界から外れるように顔を逸らす。

 いくら高レベルの二人でも、目を閉じてしまっては敵との距離感を掴めない。『心の眼で見ろ! 気配を感じとれ!』と言われたとしても、生憎二人にそんな修行を受けた覚えはない。

 シリカは依然としてパニック状態のまま剣を振り回している。このままでは埒があかないので、彼女の要望を完全に呑む事は出来ないが、極力視線を上に向けないようにして救出に向かう。

 

「カイト、頼む」

「ああ」

 

 短い会話を交わすと背中の剣を抜いて先にカイトが駆け出し、シリカを見ないよう意識してモンスターを一撃で葬り去る。モンスターが消滅するとシリカは宙に投げ出されて重力に従い落下するが、落下地点で待ち構えていたキリトが彼女の身体を受け止めた。

 

「大丈夫?」

「あ、ありがとうございま――」

 

 キリトがシリカを受け止めると、自然とお姫様抱っこの状態となった。加えて再びキリトの顔が至近距離に迫り、シリカの顔が熱くなる。

 

「も、もう大丈夫です! 降ろして下さい!」

「あ、あぁ」

 

 言われたキリトは彼女を足の裏から順に地面へとつけ、ゆっくり降ろした。

 

「でも、その……見ました?」

 

 そこは女性として気になるとこなのだろう。彼女は交互に二人を見る。

 

「……いや、見てない」

「……同じく」

 

 言葉では否定しているが、二人とも顔を明後日の方角に向けている。シリカにはその反応が答えとなった。

 

「うう、やっぱり見られたんですね……」

 

 シリカはスカートを押さえて頬を赤く染める。どうにかこの雰囲気を変えようと、カイトは話題を振った。

 

「と、兎に角! ここはもうフィールドだから今みたいにモンスターも出てくるし、シリカの経験値稼ぎも兼ねて積極的に倒して行こう! オレとキリトが隙を作るから、トドメはシリカが刺してくれ!」

「わ、わかりました。頑張ります!」

 

 

 

 

 

 その後はモンスターとの戦闘を順調にこなし、シリカのレベルが一つ上がってファンファーレが鳴る。戦い方も危なげなく無茶をする事がないので、二人は最低限のフォローで事足りた。自分の力量をきちんと把握している人の動きだが、所々であと一歩踏み込みが欲しい時がある。

 

 良い言い方をすれば堅実、悪い言い方をすれば消極的。

 

 最前線に限らず、この世界を生き抜くためには時に思い切った行動も必要になってくる。

 シリカとスイッチした直後に、カイトは頭の中でぼんやりと彼女を客観的に評価していた。一方スイッチして前に出たシリカはそんなカイトの考えに気付くわけもなく、短剣三連撃ソードスキル《トライ・ピアース》でモンスターを消し去った。

 

「そう言えばさ、なんでシリカはオレを頼ってくれたの? 勿論、攻略組だから何か知ってるかもってのもあるだろうけど……まだ一回しか会ってない人間を信用するって、中々出来ないよ?」

 

 三人は2ヶ月前のイベントで会って以来、今回が久しぶりの再開である。メッセージのやり取り程度はしていたが、頻繁というわけでもない。

 だがシリカにとってたった一回の出会いは、非常に密の濃い出会いだった。

 

「だってカイトさんとキリトさんは二ヶ月前のあの時、私とピナを二度も助けてくれましたよね。特に二度目は自分達の命も危険だったのに……。初対面の私を命懸けで助けてくれたお二人を、信用出来ない訳ないじゃないですか!」

 

 彼女にとって二人を信用する理由は、それだけで十分だったらしい。

 

「だからお二人は良い人だって、優しい人だってわかってました」

 

 シリカの邪気のない笑顔が二人に向けられた。キリトは彼女の言葉に一言「ありがとう」と応えるが、カイトはそうではなかった。

 

「どうしたんですか? カイトさん」

 

 彼は口元を手の甲で押さえていた。ほのかに顔も紅い。

 

「気にしないでくれ、シリカ。こいつのクセみたいなもんだ。ただの照れ隠しだよ」

「そうなんですか。……カイトさんって可愛らしい一面があるんですね」

「かわいくないっ!」

 

 和やかな会話を交えて進んで行くと、目的地に到着した。《思い出の丘》中心にある岩の上に《プネウマの花》は咲くのだが、それは使い魔を失ったビーストテイマーが近付かなければ意味がない。

 なのでカイト達は念のためにシリカを先に行かせようと考えたが、その考えはわざわざ口にするまでもなかった。

 (はや)る気持ちを抑えることが出来ず、自ら駆け足で岩に近付いく。すると何もなかった岩の上で映像を早送りしているかのように、芽が出て茎を伸ばし、蕾をつけると、白い花弁をつけた花が咲いた。

 シリカは手を伸ばし、茎の部分をつまむと折れて《プネウマの花》を獲得する。

 

「良かった……これでピナにまた会える……」

 

 目的の物を手に入れて、ピナに再開できる喜びを感じて、彼女はホッと胸を撫で下ろした。

 

「おめでとう、シリカ。でも喜ぶのは早いぞ」

「そうだな。すぐに生き返らせたいかもしれないけど、それは安全な主街区に戻ってからにしよう。フィールドでまたモンスターに襲われたら元も子もないからな」

「わかりました。ピナ……待っててね」

 

 《プネウマの花》を手に入れた後は元来た道を戻るだけだ。行きと同じようにモンスターを蹴散らし、シリカの気持ちを汲んで足早に進んで行く。

 前方に小川の流れる橋が見えてきた。ここまで来れば主街区までそう距離はない。まだロザリア達は姿を現さないが、そろそろだろうとあたりをつける。

 

「シリカ。おそらくロザリオが何処かで仲間を引き連れて待ち伏せしている可能性が高い。カイトに任せておけば心配ないだろうけど、一応オレの後ろにいてくれ」

「はい、わかりました」

「……なんて言ってたらいたぞ。……そこに隠れている人! 出てこいよ!」

 

 橋の上に差し掛かるところでカイトの《索敵》スキルがプレイヤー反応を捉えた。橋を渡り切った先にある木の陰からロザリアが姿をみせる。

 

「あたしの隠蔽(ハイディング)を見破るなんて、中々高い《索敵》スキルを持ってるみたいね、剣士さん」

「あなたに褒められても嬉しくないよ。オレンジギルド《タイタンズハンド》リーダーのロザリアさん」

 

 カイトの言葉にピクッと眉をひそめる。『なんでそれを知っている』とでも言いたげな顔だった。

 

「へえ、あたしの事を調べたの? こんな可愛いファンがいたなんて、お姉さん嬉しいわ」

「かわいい言うなっ! ……それはそうと、あんたの狙いはシリカだろ? ……いや、正確には《プネウマの花》か」

「あら、そこまで知ってるなら話は早いわね。大人しく《プネウマの花》を渡してもらえる? 怖い思いはしたくないでしょう?」

 

 そう言ってロザリアが指を鳴らして合図すると、木陰からグリーン一人、オレンジ六人で構成された計七人のプレイヤーが姿を現した。全員がロザリアの周りに集まり、不敵な笑みを浮かべてカイト達を見る。

 

「……最終確認だ、ロザリアさん。つい最近、《シルバーフラグス》ってギルドを襲ったよな? そしてリーダー以外のメンバーを全員殺した。それで間違いないかな?」

「ああ、あの連中ね。それがどうかした?」

 

 カイトの質問に対し、人を殺していながら悪びれる様子は微塵もない。自身の赤髪を指先で弄りながら、ロザリアは平然と答えた。

 

「……人を殺したことについて、何か思う事はない? さらに言えば、残された《シルバーフラグス》のリーダーの気持ちを考えた事はある?」

「別に。何にも思わないし、考えた事もないわよ。第一ここで死んだところで本当に死ぬかなんて、証拠がないからわからないし」

「……わかった。それだけ聞ければ充分だ」

 

 ロザリアに改心の余地があれば救いもあったが、どうやらその様子はない。仮にあったとしても依頼内容に背く事をするつもりはない。ただほんの少しだけ、淡い期待があっただけだ。

 

「あんた達には少しだけ痛い目をみてもらうよ」

 

 一歩ずつロザリア達に歩み寄り、橋の中央に来た辺りで背中の剣――――ではなく、腰のホルダーに差してあるピックを一本取り出した。

 カイトの行動の意図を理解出来ないロザリアが訝しむ。

 

「……なんのつもり?」

「剣を振るまでもないだけだよ。これ一本あれば充分だ」

「……大人をなめんじゃないよっ! あんた達、やっちまいなっ!」

 

 ロザリアの指示で彼女の仲間達が一斉に襲いかかる。

 一番前のオレンジがカイト目掛けて垂直に剣を振り下ろすが、彼は身体を横にスライドして回避する。すれ違いざまにオレンジの頸動脈をピックの先で引っ掻くと、そのプレイヤーは力なく地面に倒れ込んだ。

 その次も、そのまた次も同じような事の繰り返し。ただし、襲ってきた中に唯一いたグリーンカーソルのプレイヤーの攻撃だけは、わざと切られた後にピックで引っ掻いた。

 あっという間に倒れた七人のプレイヤー達。こうなるのは予想外だったのか、ロザリアの顔に先程までの余裕はもう見受けられなくなっていた。

 

「麻痺!?」

「麻痺毒がオレンジだけの十八番(おはこ)だと思ってたなら、それは大間違いだよ」

 

 倒れた仲間達を見て、ロザリアもカイトが何をしたか察したようだ。そしてカイトの後ろで倒れている仲間が、彼の正体に気付く。

 

「ロザリア……さん。こいつ、攻略組の……《掃除屋》だ。……こんな事が出来るのは……《掃除屋》しか……いない」

「!?」

 

 オレンジプレイヤーからすればカイトの存在は自分達の天敵。プレイヤーネームは知らなくとも、二つ名ならば知らない筈がない。

 ロザリアの顔に焦りが伺える。彼女は今頃気付いたのだ。自分達は『狩る側』ではなく、『狩られる側』だったのだと――。

 

「オレは今回《シルバーフラグス》のリーダーから、あんた達を牢獄に入れるよう依頼を受けている。そしてこれは依頼主から預かった、出口が監獄エリアに設定されている回廊結晶だ」

 

 そう言ってカイトが腰のアイテムポーチから取り出したのは、結晶アイテムの中でも一回りサイズが大きいといわれる回廊結晶だった。

 

「こいつで全員牢屋に送らせてもらう」

「グ、グリーンのあたしを傷つければ、あんたがオレンジになるよっ! それでもいいのかい!?」

「言葉にさっきまでの余裕がなくなってるよ、ロザリアさん」

 

 そしてカイトは右足に力を込め、身体が前傾姿勢になると姿を消した。この場にいたプレイヤーでその姿を視認出来たのはキリトだけだろう。一瞬でロザリアとの間合いを詰め、彼女の眼球数センチ先に、ピックの先端を寸止めの要領で突きつけた。

 

「ひっ……」

「別に一日や二日、オレンジになったところでどうってことないし、《カルマ回復》クエストを受ければいいだけの話だ。……できれば穏便に終わらせたいから、大人しくしてくれるかな?」

 

 ロザリアが持っていた武器から手を離したのが、カイトの問いに対する答えとなった。




シリカ回後半でした。今回はほぼ原作準拠の内容となりましたが、以降はオリジナルの話を多く含んだ内容にする予定です。
次回はアスナに焦点を置いた話になります。


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第22話 決闘と刹那(前編)

アスナ回の前編です。
原作の断片的な情報を元に構成しました。



 2024年3月上旬。

 オレンジギルド《タイタンズハンド》の壊滅とピナの蘇生から早くも二週間が経過し、現在の最前線は第56層。そして56層の一画にある小さな村《パニ》で攻略会議が開かれていた。

 《パニ》には大人数が収容出来る洞窟があり、この中に設置されている巨大な机を攻略組の名だたるプレイヤー達が取り囲んでいた。そして数十人のプレイヤーが一堂に会していながら、洞窟内は静寂に包まれている。誰も口を開くことはせず、聞こえるのは壁戦士(タンク)が身に纏っている鎧の擦れる音だけ。

 皆は考えているのだ。今自分達の前に立ちはだかっている障害に、どう対処すればいいのか、を。

 

 その障害とは、56層フィールドボス《ジオクロウラー》。正体は爬虫類、さらに言えばカメレオン型のモンスターだった。

 現在判明しているのはボスの姿と攻撃パターン。見た目は大きく、丸く突き出した目は顔の横についているため、ほぼ360度死角はない。四本の足にはそれぞれ鋭い鉤爪(かぎづめ)を備え、伸縮自在の長い舌による攻撃は素早く、鞭のようにしなる。

 厄介なのは体色の変化に伴うステータス変化。通常は緑色だが、一定時間ごとに赤・黄・黒とランダムに変化することで与ダメージの増加、敏捷性の上昇、体表の硬質化に伴う被ダメージの減少といった変化が生じる。

 トリッキーな特性とその強さからフロアボスに匹敵するとまで囁かれており、このフィールドボスの影響で攻略組は現在足踏み状態となっていた。

 

 誰も妙案を出すことなく、ただいたずらに時間が過ぎていくかと思われた。だが会議の沈黙を最初に破ったのは、常に攻略に対し全力を注ぐ、一人の女性が発した声だった。

 

「フィールドボスを、村の中に誘い込みます!」

 

 その案にこの場の誰もが、大なり小なり驚きの声を漏らす。

 実際のところその作戦は実現不可能というわけでもない。各階層に出現する中ボス的位置づけのフィールドボスは、出現地点から大きく動かないタイプと長距離を移動できるタイプの二種類が存在する。《ジオクロウラー》は後者のタイプだ。

 後者のフィールドボスが街や村といった圏内に侵入した場合、一時的にではあるが犯罪防止(アンチクリミナル)コードが解除される。そしてフィールドボスが圏内で暴れると怪獣映画のように建物も破壊されるが、フィールドボス討伐後は何事もなかったかのように全て元通りに戻る。その辺りは流石ゲームといったところだろう。

 

「ちょっと待ってくれ!」

 

 しかしこの奇抜な発想の発案者《血盟騎士団》副団長のアスナが提示した作戦を、《黒の剣士》キリトが待ったをかけた。

 

「村の人達はどうなる! それだとボスの攻撃に巻き込まれるぞ!」

「それが狙いです。ボスがNPCを殺している間に私達で攻撃し、殲滅します」

 

 つまり『NPCを囮に使う』と言っているのだ。

 

「NPCはただのオブジェクトじゃない。彼らは――」

「生きている、とでも言いたいんですか? あれはオブジェクトです。常に決まった動作を繰り返し、消滅してもまた元に戻ります」

 

 アスナの主張はあながち間違っていない。

 彼らNPCはSAOのシステム上で動かされているプログラムの一種に過ぎない。道を歩けば一定の歩幅で決められたルートを寸分たがわず歩き、話しかければ誰に対しても同じ言葉と動作で反応する。

 そしてプレイヤーとNPCをわかつ、決定的な違いがある。

 

「姿は私達となんら変わりません。ですが、あれに『意思』はありません」

「……それでもオレはその意見に賛同できない」

 

 アスナの主張を全く理解できないわけではない。それでもキリトは首を縦に振ろうとしなかった。

 

(またか……)

 

 同じように会議に参加しているカイトが、心の中でそう呟いた。

 この二人の意見が対立するのは、何も今日に限った話ではない。過去にも幾度となくぶつかり、その数を両手で数えるには指が足りないほどだ。

 アスナの意見は非常に合理的な判断と言えるが、キリトの意見もカイトはわからなくなかった。たとえ頭で『NPCはプログラム』と理解していても、自分達と同じ人間の姿をした彼らが傷つくのは見ていられない。

 『物』として認識するか『人』として認識するか。小さくも大きい、それだけの違い。

 

(揉めて意見が纏まらないのも嫌だし、ここは――)

 

 不穏な空気が洞窟内に漂う中、カイトの右手が頭上に挙がった。

 

「……何ですか?」

「いや……このままだと方針が定まらないし、いっその事決闘(デュエル)で決めるのはどうかな、って。二人で戦って勝った側の意見を尊重する、っていうのはどう?」

 

 カイトの意見はわりとポピュラーなものだった。

 プレイヤー間の揉め事を解決する手段の一つとして、決闘(デュエル)システムを使うのは珍しくない。

 ここは剣技の世界。『自分の意見を通したければ剣で示せ』は、プレイヤーに広く知れ渡っている共通認識の一つだ。

 

「わかりました。私はそれで構いません」

「オレも。むしろそっちのがシンプルで良い」

 

 両者の同意により、攻略組トッププレイヤーである二人、《閃光》と《黒の剣士》の対戦が決定した。

 

 

 

 

 

 狭い洞窟内で戦う訳にもいかないので、一先ずは全員外に出る。

 草の絨毯を敷いた大地の上でキリトとアスナは互いに距離をとり、会議に参加していた攻略組プレイヤーは二人を取り囲むようにして円を作り、観戦する。攻略組の、しかも上位に位置するプレイヤー二人の戦いだ。全員が期待の眼差しを二人に向けた。

 アスナからキリトに決闘(デュエル)の申請を出して申請画面が表示されると、キリトの指は迷わず《初撃決着モード》を選択した。これで『最初に強攻撃がヒットする』か『HPが半分になる』まで勝敗はつかない。

 システムが二人の決闘(デュエル)を認め、60秒のカウントが始まった。1秒ずつ減少する数字を横目に、アスナは腰の、キリトは背中の剣を抜く。

 

「あんたとは一度手合わせしてみたかったんだ」

「私は今までこれっぽっちも思った事はありません」

「……そこは乗っかれよ」

「なんで私があなたに合わせなきゃいけないんですか?」

 

 開戦前から火花を散らす両者は剣を構えた。

 キリトは腰を落として剣先を地面スレスレまで下げる。アスナは身体を横向きにし、レイピアを胸の高さで地面と水平になるよう持ち上げた。

 

 ……3……2……1……。

 

 開始の合図が鳴ると同時に、キリトとアスナは利き足に力を込める。

 

 二人の物理的距離は一気に縮まり、最初の間合いなど無いようなものだった。どちらも速さは五分五分――――と思いきや、スピードはわずかにアスナが(まさ)っていた。

 先制攻撃はアスナ。敏捷性に優れた彼女の鋭い突きがキリトの左肩を狙うが、キリトは持ち前の反応速度で回避しつつ、反撃に転じる。

 右から左への横一閃に振られた剣がアスナの脇腹を捉えたかにみえたが、彼女は自身に迫る刃から逃れるようにサイドステップで躱した。キリトの剣は空振りし、何もない空を切って振り抜く。

 一時的にキリトの攻撃範囲外へと逃れたアスナが右腕を身体に引きつけると、剣にライトエフェクトが宿る。

 それを見たキリトはアスナのソードスキルに対抗するため、自身の剣にライトエフェクトを纏わせると、手首を返して迎撃体制に入った。

 

「やあっ!」

「はっ!」

 

 両肩と首の三点を突く細剣三連撃ソードスキル《フィリアル・ティアー》と、切り口が獣の爪痕を描く片手剣三連撃ソードスキル《シャープネイル》がぶつかった。

 剣と剣の衝突によって発生したノックバックを利用して両者は後退し、二人の間には再び距離が生まれた。アスナは凛とした表情を崩さず、キリトは口角を上げて微笑を浮かべる。

 

 時間にしてみればたったの数秒であった。

 両者が僅かな時間で交わしたのは、相手の目の動きを始めとする一挙一動に加え、剣の軌道とソードスキルの読み合いといった高次元の駆け引き。相手の体勢から次に予測される何通りものパターンを頭の中で瞬時にシミュレーションし、可能性の低いものを切り捨てて絞り込む。そうして得た回答に対し、最も適切な動きを決定・実行した。

 二人の実力は現時点でほぼ拮抗しており、あとは一年以上の歳月を経て培った経験を信じるしかない。

 そして高レベルプレイヤー同士の決闘(デュエル)というものは、僅かに生じた隙が勝敗の天秤を傾ける大きな要因になるのだ。

 

 そしてそれは二人にもいえた事。決着の時は意外に呆気なく、一瞬だった。

 

 二人のHPがジワジワと削られ、どちらも半分に差し掛かろうとしている時、キリトがアスナに突進。そして攻撃範囲内に入る直前、ほんの一瞬だけ彼の左手が後ろにまわる。その手の動きはまるで背中に隠し持っていた()()()()()()で、アスナに切りかかろうとしているようだった。

 それに気付いたアスナはキリトが左手を思い切り振るのと同時に、彼の出鼻を(くじ)きつつ剣を弾くため、持っているであろう剣の位置を予測してレイピアを突き出す。それは彼女が1年以上にわたって身体に染み付いた、剣士としての直感と反射行動だった。

 しかし、突き出された剣は無情にも空を切った。それは当然と言える結果。何故ならば彼は()()()()()()()()()()()()()()、いわばフェイントだったのだから。

 キリトは『引っ掛かった』と言わんばかりの意地の悪い笑みを浮かべ、右手の剣でアスナの身体を切る。それが、彼と彼女の勝敗を決する一手となった。

 システムがキリトを勝者と認めて《WINNER》の判定を下すと、周囲のプレイヤーから感嘆の声が漏れる。キリトは軽く息を吐いて剣を右に払い、背中の鞘に収めた。

 

 

 

 

 

 攻略会議を終え、翌日にフィールドボスの討伐を行う事が決定。各プレイヤーはその場で解散し、それぞれで夜までの残り時間を過ごす。

 

「迫真の演技だったな」

 

 会議を行った洞窟から一緒に出る時、カイトがキリトに話しかけた。演技とはつまり、先程アスナと戦った際にみせた左手の動作の事だ。

 

「手が馴染んでるからかな? 違和感なくやれたよ」

 

 そう言ってキリトは左手を閉じて開き、掌を見つめた。

 二人は少し前から迷宮区に篭り、スキルの熟練度上げを目的にひたすら狩りを繰り返している。迷宮区の隅で黙々と狩りをして、街には戻らずに安全地帯でテントを張り、キャンプをする。それを大量に抱え込んだアイテムが底を尽きる寸前まで行った。

 

「キリト!」

 

 名を呼ばれたキリトが振り返る。エギルが小走りで駆け寄ってきた。

 

「さっきの決闘(デュエル)は中々の名勝負だったぜ! ……それはそうと、また今日もやったなぁ。どうしてお前とアスナはいつもああなんだ?」

 

 エギルは両手を腰にあて、白い歯をみせて笑いながら問いかけた。

 

「きっと馬が合わないんだよ」

「……というかキリトが極端に目立つだけで、アスナは他の奴に対してもキツイ感じだけどな」

 

 事実、アスナが誰に対しても厳しい態度をとるのは、今に始まった事ではなかった。

 ヒースクリフの立ち上げた《血盟騎士団》に入団する以前からその片鱗はあった。だがギルド入団以降、責任ある立場に抜擢された彼女は、自分にも他人にも厳しい性格が存分に発揮された。

 ギルドで部下を引き連れて迷宮区のマッピングに(いそ)しみ、ボス部屋が発見されれば偵察隊の編成、攻略会議からのボス討伐を全て彼女主導の元に進行するのも、場合によっては少なくない。

 彼女に意見しようものなら、まるで教師が生徒の生活態度に、上司が部下の仕事ぶりに点数をつけるかのように、厳しい目で評価を下す。

 そして他者に対する厳しい目は、同じようにそのまま自分自身にも向けていた。

 攻略に関わる事以外の時間はほとんど彼女自身の強化、レベリングにあてられている。マッピングの合間に出来る隙間時間を使って、最前線の迷宮区に一人で篭る事もあった。

 

「はっは、違いねぇ。だけどキリト。今日の決闘(デュエル)がキッカケで、今よりもっとアスナに敵視されるんじゃないか?」

 

 エギルが冗談半分で言った。

 

「他人事だと思ってるだろ……」

 

 決闘(デュエル)直後、敗北したアスナは不服そうな顔でじっとキリトをみていたのだ。剣を二本持って戦うなどあり得ない話で、デメリットこそあれどメリットはない。冷静に考えればそれぐらいわかりそうなのだが、キリトの動作がハッタリとは思えない程に迫力があったのだ。

 負けた事に対する悔しさと、勝負に熱くなりすぎて冷静さを欠いた自分自身の両方に、憤りを感じていたのかもしれない。

 

「まぁなんにせよ、お前達二人はもう少し歩み寄れ。会議の度にあんなんじゃこっちとしても心配だ……。じゃあまた明日な」

 

 エギルは右手を挙げ、二人に背を向けて去っていった。

 

「良かったな。当分の課題が出来て」

「お前も他人事だと思ってるだろ……」

 

 カイトの言葉に反応し、キリトはすかさず恨めしそうな顔を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の午前10時になる5分前。ジオクロウラー討伐のため、攻略組のメンバーが集合場所となった《パニ》の村へ一堂に会する。時計の長針が一番上をさす頃、全体指揮をとるアスナの声が響いた。

 

「皆さん、時間になりました。只今よりフィールドボス討伐に向かいます」

 

 アスナの先導で討伐隊がフィールドに出向くその直前、彼女は真後ろにある村の入り口へ向かって歩くため、身体の向きを変える。そんなほんの一瞬の事だった。

 

(――ん?)

 

 カイトは背をみせるわずかな時間に垣間見えた、アスナの表情を訝しむ。

 

「どうした?」

 

 眉間に皺を寄せて不思議そうな顔をしているカイトが一向に歩き出さない。その様子をみたキリトが、思わず尋ねてきた。

 

「今、アスナが――」

 

 何かを言いかけるが、途中で言葉を切った。コンマ数秒の出来事だったために確信は持てず、気のせいだという可能性もあった。

 

「――いや、何でもない」

 

 キリトはそんな彼の様子をみて首を傾げたが、それ以上問い詰める事はしない。二人は並んで歩き、カイトは遠くにいるアスナの背中を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘開始から14分が経過した。

 

「やあっ!」

 

 アスナのレイピアによる華麗な剣技がジオクロウラーの眉間にヒットし、同時にフィールドボスが怯む。

 間を作らずに畳み掛けるのはプレイヤー達のソードスキル。青・黄・橙・緑といった多彩なライトエフェクトを散らしながら、フィールドボスのHPが削られる。

 

(う〜ん、やっぱ勘違いだったか?)

 

 現在カイトは後方でポーションを口にし、HPの回復に努めている。ジワジワと上昇を続ける命の残量を横目に、前方で大活躍するアスナを観察していた。

 違和感を感じたのは討伐に出発する時のみ。それ以降は別段おかしな様子もなく、いつも通りのアスナがそこにはいた。

 全体指揮を怠らず常時周囲を見渡し、自身も戦闘へ積極的に参加する。『完璧』『非の打ち所がない』という表現は全プレイヤーの中でヒースクリフが最も相応しいが、彼がいなければアスナに当てはまる言葉なのではないかと思うぐらいだ。

 

(完璧すぎてむしろ怖いくらいだけど……)

 

 ポーションによってカイトのHPが満タンになり、中身の無くなった容器が割れる。カイト以外の待機組も再度突入するための準備に入る――――と同時に、戦闘開始から15分が経過した。

 そこで一つの変化が訪れる。

 

 ――シャアァァァァァア!

 

 今まで鳴き声をあげなかったジオクロウラーが初めて鳴いたのだ。

 眼球がギョロギョロとせわしなく動き、口を大きく開けて威嚇の姿勢をとる。その変貌ぶりに思わずプレイヤー達は身構えた。

 それに加えてもう一つの変化。それは――。

 

(――えっ?)

 

 ――ジオクロウラーの体色が徐々に薄くなっていった。

 非常に濃い深緑の身体が段々薄くなり、鮮やかなミントグリーンへと変化していく。見間違いではないかと目を擦るが、目の前で起きているのはありのままの現象だ。

 そして体色がある程度薄くなると、今度は身体の輪郭までもがボヤけていく。その進行は止まらず、最後には――。

 

「……消えた……?」

 

 ――56層フィールドボス・ジオクロウラーは、忽然とその姿を消したのだった。




原作の56層フィールドボス《ジオクロウラー》の名前は判明していますが、姿形や能力がわかりませんでした。なので名前から推測して爬虫類を元にイメージしたオリジナルとなります。

フィールドボスの移動可能範囲は独自解釈です。
また、フィールドボスが圏内に侵入した場合、圏内設定が一時的に解除されるのは独自設定です。

フィールドボスの霊圧が……消えた……?
詳細は次回で。


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第23話 決闘と刹那(後編)

アスナ回後編です。



「どうなってんだよ……」

 

 たった今まで目の前に鎮座していたジオクロウラーが、忽然と姿を消してしまった。それはまるで煙が空気中に霧散するかのように、音もなくスッと静かに消えてしまったのだ。流石にこれは想定外だったらしく、呆気にとられているプレイヤーが多い。

 今まで遭遇した例は一度たりともなかったが、フィールドボスが途中で離脱した可能性も考えられる。一定時間内に倒さなければいけない条件付きのタイプの相手ではないか、と。

 

「ぐあっ!」

 

 しかしその可能性は即座に、完全に否定された。

 前線にいたプレイヤーの一人が、見えない何かによって急に後方へと飛ばされたからだ。それを合図に他のプレイヤーも次々と同じような目に合っていく。

 一見すると不可思議な現象だが、察しのいいプレイヤー達がこの状況から導き出す答えは一つ。

 

 ジオクロウラーは今も尚、自分達の目の前に変わらず存在している。

 ただ、姿が見えないという変化を除いて。

 

 おそらくはジオクロウラーの有する能力『体色変化』を応用した光学迷彩。人間は五感――――特に視覚で物事のほとんどを認識するので、姿が見えないというのはこの上なく厄介である。

 そしてジオクロウラーはプレイヤー達が自身の姿を視認出来ず、戸惑っているのをいいことにやりたい放題だ。

 またしても見えない何か――舌による攻撃だろう――による薙ぎ払い攻撃が前線のプレイヤーを襲う。横一閃に繰り出されたであろう薙ぎは、容赦なく攻略組の精鋭達を吹き飛ばした。そして視認できないがゆえに敵の攻撃を回避できるタイミングも図れず、アスナも他のプレイヤーと同じように飛ばされた。

 

「アスナ!」

 

 アスナが後方で待機していたカイトの近くまで飛ばされた。反射的に剣でガードを試みたようだが、完全に構える前にやられたらしく、HPが減少して黄色く染まる。

 

「ヒール!」

 

 カイトはアスナに駆け寄り、彼女の隣で回復結晶のコマンドを叫ぶ。彼女のHPは一瞬で全快したが、攻撃をモロに喰らったため、アスナはフラつきながら立ち上がる。

 

「アスナ、一旦下がれ。待機していた連中はみんな突入準備が出来てる。時間を稼ぐから、その間にこいつの対策を考えてくれ」

 

 カイトはポーションを取り出して口に含む。そんな彼をアスナは一瞥した。

 

「これは所詮ゲームだ。ゲームってのは大抵公平さ(フェアネス)を貫いている。あのボスは一見厄介でも、必ず突破口や倒すためのヒントがある筈だ」

「……わかったわ。じゃあ私が得た情報を一つだけ。離れているとわかりづらいんだけど、間近で見るとボスのいるであろう場所の景色が少しだけボヤけているの。それだけ頭に入れておけば、戦う上で役立てられるかも」

「わかった。情報ありがとな」

 

 これで一先ずの方針は決定した。

 アスナが戦線を立て直すために指示をとばす。ジオクロウラーを討伐するために役立つ情報を更に引き出すため、カイトを含む待機組が突撃した。

 

 

 

 

 

 結果的に、フィールドボスは討伐された。

 『一定ダメージを与えれば透明化を解除できる』ことと、『透明化状態へと移行する間にソードスキルを喰らわせればキャンセルが可能』という2つの情報を主軸に、討伐は恙無(つつがな)く終了した。

 また1つ障害を乗り越えたことで、皆一様に肩の力を抜く。カイトも「ふうっ」と短く息を吐き出して視線の先にいるアスナの横顔を見やると、彼女の背中側から近付く少女がいた。

 

「お疲れ様、アスナ! かっこ良かったよ!」

「ユキ、お疲れ様」

 

 ニッコリ笑いながら(ねぎら)いの言葉をかけたのはユキだった。名を呼ばれたアスナはそれに対し、同じように笑って返す。相変わらずこの2人は仲が良い。それは良いのだが――。

 

(…………)

 

 それはほんの一瞬の出来事。別に意識してた訳ではなく、偶然視界の中に映り込んで目を引いただけの話。

 攻略組トップギルド《血盟騎士団》、そのナンバー2に在籍する副団長・《閃光》のアスナ。『この世界に負けたくない』という思いを胸に、己を磨いて攻略組トッププレイヤーであり続ける彼女の実力は折り紙つきだ。彼女本来の素質もそうだが、日々努力する才能もそれを手助けしている要因の1つだろう。

 この世界ではレベルの高さが全てを物語る。彼女の実力と普段の毅然とした振る舞いのせいで忘れがちだが、現実では年端もいかぬ思春期の女の子だ。精神的に強い部類であろう彼女にも、そろそろ限界の兆しが見え始めていた。そしてそれは彼女の意思とは裏腹に、無意識に表情で表れる。

 1度目は疑惑や勘違いで済まされるが、2度も同じ物を見てしまっては確定事項だ。指摘せざるを得ず、見過ごすわけにもいかない。

 仲良さようにする2人の少女の元へ、自然とカイトは歩み寄った。

 

「アスナ」

「……どうしたの? カイト君」

 

 戦闘終了後の2人目となる呼びかけだが、声のトーンは1人目ほどの明るさはない。声をかけた人物の表情の真剣さも合わさって、アスナとユキも真剣な表情になった。

 

「少しの間でいいから、攻略活動を休め」

「は?」

 

 予想外の突飛な話に、アスナは思わず間抜けな声で聞き返した。直立不動のまま、口をポカンと開けている。

 

「いきなり何を?」

「カイト、どういう事?」

 

 今度は隣にいたユキも一緒に聞き返した。

 

「自覚しているかどうかは知らないけど、アスナは最近頑張りすぎなんだよ。あんまり根詰めすぎるのも良くないぞ」

「何を言ってるの? 私達が1層分上に進むほど、現実に帰るのが早くなるのよ。頑張るのは当たり前です。ただでさえ以前より攻略速度が遅延しているのに、これ以上悠長に待っている余裕はないの。現実の身体がいつまで保つかもわからないし――」

 

 50層フロアボス戦に加え、続けて発生した緊急イベントによる大量の死者と攻略離脱者。25層の時と似たような事態に陥り、階層攻略の速度は大幅にダウンした。

 そして仮想の肉体は衰えることを知らないが、現実の肉体は違う。今頃病院のベッドで寝たきり状態であろう身体がどこまで保つのか、それは誰にもわからない。タイマー表示は存在しないが、タイムリミットは確かに存在する。

 それ故の焦り。1日でも、1時間でも、1分でも早く上に昇りつめるため、彼女はただひたすらに剣を振るう。

 

「それにちゃんとオフは頂いています」

「まさかとは思うけど、オフの日も迷宮区でレベリングしている訳じゃないよな?」

 

 半ば冗談のつもりで言ったのだが、その言葉にアスナは固まった。

 

「……た、たまにです。たまに」

「アスナ、嘘は良くないよ」

 

 一瞬の間をおいてアスナは答えたが、彼女の様子と友人の言葉から察するに、たまにではないらしい。隣にいるユキもやや呆れ気味だ。

 そして周囲のプレイヤーも徐々に彼らの様子がおかしい事に気付き始め、注目が集まる。

 

「心配してくれるのはありがたいけど、私は大丈夫だから」

「大丈夫そうに見えなかったから言ったんだけど」

 

 アスナは強引に話を終わらそうとしたが、それでもカイトは譲らない。

 

「はぁ……わかったよ。じゃあこうしよう」

 

 ため息をついたカイトが右手でシステムメニューの操作をし始めた。指先が迷うことなくウィンドウをタップすると、やがてアスナの前に半透明の画面が表示される。それはつい先日、アスナがキリトにしたのと同じ内容のもの。

 

「私に決闘(デュエル)の申し込みなんて、どういうつもり?」

 

 彼女の目の前に表れたのは決闘(デュエル)の申請画面だった。

 

「オレが勝ったらアスナは攻略を少しでいいから休め」

「少しってどれぐらい?」

「そうだなぁ……とりあえず1週間ぐらい」

「1週間!? そんな条件呑める訳ないでしょ! あなた私の話聞いてた?」

 

 アスナは『あり得ない!』とでも言わんばかりの顔で即座に否定した。1日でも無駄にできないと考えている彼女からすれば、1週間も攻略から外れろというのは論外である。

 だが流石のカイトも1週間という要求が通るとは思っていない。少し考える素振りを見せ、次に放った言葉が彼の本命だった。

 

「そうかぁ。う〜ん……じゃあ、2日だけ!」

 

 アスナの前に右手を出すと、指を二本立ててVサインの形を作る。

 

「2日……」

「その代わり、アスナが勝てばそっちの言う事をなんでもきくよ。それならどうだ?」

 

 1週間などという馬鹿げた要求からマシなレベルになったと感じたのだろう。『それぐらいならいいかもしれない』と納得しかけるが、それでも彼女にとって2日はまだ長すぎた。いまいち条件を受け入れる決心が着かない。

 

(もう一押しだな)

 

 しかしそんなアスナの様子から手応えを感じたカイトは、ダメ押しとばかりに先日キリトと行った決闘(デュエル)の話を持ち出し、彼女を挑発してみた。

 

「まぁアスナは昨日キリトに負けたばかりだし、『2日続けて黒星つける』なんて悔しい思いをしたくないよな。うん、無理なら無理でいいぞ」

 

 そんなカイトの言葉に反応し、アスナの眉間にシワが寄る。ムッとした表情の彼女が、彼の誘いに乗ってきた。

 

「私は負けませんっ! この勝負、受けて立ちます!」

「わ、わかった」

 

 キリトとの勝負を引き合いに出したのはどうやら正解だったらしい。目論見通りアッサリと誘いに乗ってきたのだが、想像以上の気迫でアスナが前に詰め寄り、カイトとの物理的距離がグッと縮まる。

 怒った顔とはいえ、SAOの全女性プレイヤーの中で五指に入る美貌を持つ彼女の顔が、鼻先20センチの至近距離に迫る。思わずドキッとし、言葉の出だしが(ども)ってしまった。

 その隣でユキはオロオロとしながら、交互に2人の顔を見比べる。

 

「私が勝ったら、カイト君には《血盟騎士団》に入団してもらいます!」

「それだとこっちの要求と割りに合わない気が――」

「なんでも良いって言ったのは君だよ?」

(うっ――)

 

 怒った顔から一瞬で笑顔に切り替わるが、目が全く笑っていない。それが余計に怖かった。

 

「2人とも離れるっ!」

 

 これ以上我慢できなかったユキが2人の間に割って入り、両者の肩に触れて距離をとらせた。

 

「ここはフィールドだし、圏内村まで移動しましょう」

 

 それだけ告げるとアスナはジト目でカイトを睨み、フンッ、と鼻を鳴らして背を向けると歩き出した。

 キリトとの決闘(デュエル)の件はどうも藪蛇(やぶへび)だったらしく、少しやりすぎたようだ。カイトもまさか怒るとは思っていなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決闘(デュエル)のために2人は《パニ》の開けた場所まで移動する。そんな2人を見物しようと、攻略組のみならず、偶然村に立ち寄っていたプレイヤーも何事かと集まり出した。

 

「《閃光》と《掃除屋》の決闘(デュエル)だとよ」

「《黒の剣士》の次は《掃除屋》かよ。こりゃ面白そうだな」

「アスナ、頑張れー!」

 

 自然と人だかりができ、人の集まりはさらに人を呼ぶ。小さな村の1ヶ所に人が大勢集まると、心なしかいつもよりさらに狭く感じた。人が多すぎてよく見えないせいなのか、村にある2階建ての建物の窓から顔を出して観戦しようとするプレイヤーもいる。

 

「私が勝ったらカイト君は《血盟騎士団》に入団。カイト君が勝ったら私は攻略活動のお休みをもらう、でいい?」

「あぁ」

 

 アスナはカイトの出した決闘(デュエル)申請を受諾。内容は勿論《初撃決着モード》だ。システムに承認され、開始までのカウントダウンが始まった。

 両者共に武器を抜く。カイトは剣を前に、アスナは剣先を対戦相手に向けた状態で後ろへと剣を引き、半身(はんみ)になって構えた。

 2人の集中力を削がないための配慮なのか、カウントが始まってからはギャラリーの喋り声がなくなり、嘘のように場は静まりかえった。耳に入るのは着々と進むカウントの音のみ。

 残り10秒を切り、開始合図を待つ。

 

 ……5……4……3……。

 

 カイトは左足を少しだけ後ろにずらして重心を下げると、剣を肩に担いだ。

 

 2……1……。

 

 開始の合図が鳴る。

 それと同時にカイトは黄緑色のライトエフェクトを、アスナは水色のライトエフェクトを剣に纏わせ、ビュンッ、と風を切りながら突進する。どちらも考えている事は一致していた。

 

 《初撃で決める!》

 

 片手剣上段突進技《ソニックリープ》と細剣突進技《シューティングスター》。

 システムアシストの恩恵を受けた2人の身体は高速で動き、瞬く間に間合いを詰める。動きだしもソードスキルの発動もほぼ同時。おそらくコンマ数秒の違いもないだろう。あとはどちらがより速く剣を相手の身体に届かせるかが、勝敗を決する要因となる。

 そういった意味では、アスナに分があるといえた。彼女の剣速は目で追うことも難しく、並のプレイヤーの場合突き技が放たれたと認識してから動いては、回避も防御も間に合わない程だからだ。

 無論、それはカイトも十分理解している。なので、彼はほんの少しだけ勝つための工夫をした。

 

「ふっ!」

 

 普段よりも踏み込み1歩分だけ、カイトは《ソニックリープ》のモーションを開始。アスナよりも速く技を始動した。

 しかし、踏み込みが1歩分足りないため、彼女の右半身寄りに向かっていく剣の先は本当ならアスナに届かない。だが、今回はこれで良かった。彼が繰り出したソードスキルの軌道上に、()()()()()()()()1()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()筈だからだ。

 アスナは違和感を感じつつも、カイトの《ソニックリープ》に少し遅れて《シューティングスター》を繰り出す。後方に引いていた右腕は前に引っ張られ、カイトの左肩目掛けて突き進む。

 その時になって、彼女はようやく彼の意図を理解した。

 《シューティングスター》によって前に突き出される自身の右腕が、まるで()()()()()()()()()()かのように、《ソニックリープ》の軌道上へ滑り込んでいく。このままでは右手首から先が切り落とされてしまうだろう。

 だからといって、1度繰り出したソードスキルのキャンセルをする訳にはいかない。ならば答えは1つ、前進あるのみ。

 

(――届けっ!)

 

 ソードスキルのアシストを阻害しないように、アスナは意識して腕をさらに前へと突き出す。

 両者のソードスキルがお互いの身体に喰い込み、ダメージが発生してHPが減少。加えてノックバックが発生したことで吹き飛び、どちらも地面を転げ回った。

 その様子を観戦していたギャラリーから『おおっ!』という声が漏れる。それは状況から考えて、勝敗が決したと確信したからだ。

 カイトの《ソニックリープ》によってアスナの()()()()()がなくなっており、部位欠損状態になっているのを示していた。彼女の5メートル前方に切り落とされた部位が地面に落下し、消滅。その場に残ったのは彼女のレイピアのみだった。

 しかし、実際の結果は皆の想像と異なっていた。そしてその結果は誰もが予想出来ず、『システム上はあり得るが、狙って出来る事ではない』と囁かれている現象。

 

 《DRAW》――――つまり引き分け。

 

『引き分けぇ!?』

 

 叫ばずにはいられず、誰もが目を疑う。

 これはつまり《初撃決着モード》勝利条件の1つである、強攻撃のヒット――この場合、両者のソードスキルがコンマ1秒の狂いもなく、同時に当たった証。

 

「はぁ〜……引き分けなんてあるんだな」

 

 カイトは立ち上がり、剣を背中の鞘に収める。無機質に表示されている結果を眺めた後、落ちているレイピアを拾って尻餅をついたままのアスナに近付く。

 

「やっぱアスナは強いな」

 

 カイトはそう言うと、空いている左手をアスナに差し出した。

 

「……当然です」

 

 アスナも同じように左手を出してカイトの手を掴むと、彼にグッと引っ張られながら立ち上がる。レイピアを受け取り、腰の鞘に収めた所で、周囲から拍手が沸き起こった。2人の健闘を讃えているのだろう。

 

「それで、引き分けの場合はどうするの?」

「あぁ、そっか。流石にこのパターンは考えてなかったからなぁ」

 

 どちらかが勝った場合しか考えていなかったため、カイトは頭を捻る。

 

「ならこうしましょう。カイト君は《血盟騎士団》に1日仮入団、私は1日だけ余分にお休みを貰えるよう団長に掛け合ってみるわ。それでどうかな?」

「まぁそれが丁度良い落とし所か。それでいこう」

「ちなみにギルドが気に入ったら、そのまま入団しちゃってもいいからね」

「ちゃっかりしてるなぁ……」

 

 決闘(デュエル)前のアスナは何処へやら。固かった表情が柔らかくなり、心なしか話し方もくだけている。

 そしてアスナの抜け目なさに、カイトは思わずクスリと笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前代未聞の結末を迎えた決闘(デュエル)から、早くも3日が経過した。

 ヒースクリフから快くアスナの特別休暇許可を頂戴したが、決闘(デュエル)の翌日が丁度ギルド内のオフだったので、その次の日にアスナは攻略から完全に離れて身体を休めた。

 そしてそのさらに翌日、今度はカイトが約束を守る番となり、1日だけ《血盟騎士団》のメンバーとして活動に参加する事となった。

 入団といっても正式なメンバーではないので、実際に制服を着るわけではない。服装の違いから1人だけ少々浮いてしまうのは否めないが、気にしていたのは最初だけだった。

 

「はっ!」

 

 現在のカイトは《血盟騎士団》メンバーと共に、昼過ぎに発見した迷宮区のマッピングに励んでいる。マッピング途中に遭遇したモンスターとの戦闘を重ねる度に、服装の不一致などどうでもよくなっていった。

 

「スイッチ!」

「はいっ!」

 

 武器防御(パリイ)で《ハイリザードマン》の片手斧を弾くと、カイトと入れ替わりでユキが前に出る。ガラ空きになった腹部目掛け、短剣2連撃ソードスキル《クロス・エッジ》で切りつけた。

 体勢を立て直した《ハイリザードマン》が武器を上段に構えて垂直に振り下ろすが、左にスライドして回避すると同時に側面へと回り込み、通常攻撃で2回切りつける。それがトドメとなり、モンスターは断末魔の叫びをあげて消滅した。

 

「カイト!」

「ん」

 

 ユキは振り返って後方のカイトに向き直り、左手を頭の高さまで挙げた。カイトも同じ動作をすると、2人はハイタッチを交わす。

 

「なんだか懐かしいね!」

「だな。なんかあの頃に戻ったみたいだ。それにしても、ユキは楽しそうだな」

「カイトは楽しくないの?」

「そりゃまぁ、楽しい……です」

「えへへ、でしょー?」

 

 2人の周囲にはほんのりと和やかな空間が形成され、独自の世界を作り出す。一応彼らの現在地点は最前線の迷宮区という危険な場所だが、そんな事はお構いなしといった様子だ。

 

「僕達の存在、忘れられてません?」

仲睦(なかむつ)まじいのは良いことです」

「誰か壁! 壁持ってこいっ!」

「壁はないから殴るならモンスター殴って下さいッス」

 

 当然迷宮区に2人だけでマッピングしに来ている訳ではなく、他のギルドメンバーも参加している。しかし会話が弾むとつい、お互いがお互いしか視界に入ってこないだけなのだ。

 

「滅多にない機会だから、きっと嬉しいのよ。2人共やるべきことはきちんとやってるし、今回だけは大目に見ましょ!」

 

 アスナにしては珍しく寛大な対応だった。生き生きとしている友人の気持ちに水をさすのは無粋だと思ったのだろう。

 それに彼女の言うとおり、戦闘や他者との連携、カイトに関しては移動中の《索敵》スキルを用いた周囲への警戒も行っているが、どれも怠っている訳ではない。友人の恋心を知っている身としては、応援したい気持ちがあるので、アスナは2人をそっと見守ることにした。

 

 

 

 

 

「ねぇ、カイト。そういえば何で決闘(デュエル)であんな条件を出したの?」

 

 集団の最後尾で索敵をしているカイトの真横に並び、ユキは疑問を投げかけた。

 

「あんなって?」

「ほら、アスナに『攻略を休め』って言ってたでしょ? 突然あんな事言うのは、何か理由があるんじゃない?」

 

 彼の思考が読めなかったユキからすれば、それは唐突な言葉だった。

 「アスナは根詰めすぎ」と言っていたが、そう感じた何かしらの理由があるはずだ。

 

「アスナが疲れてたから、かな」

「疲れてた?」

「ほんの一瞬だけど、疲れきったような顔を見ちゃったんだよ。それも2回。いつもビシッとしてるアスナのそんな顔見たら、心配するだろ」

 

 隣にいるユキから視線を外すと、前方にいるアスナの背中に移した。

 

「きっとアスナは誰よりもゲーム攻略を望んでる。だからこそ攻略に必死なんだろうけど、あのまま突っ走ってたら、いつか限界がくるんじゃないかと思ってさ。その兆候みたいなのを2回も見たから、つい口に出したんだ。……まぁ、お節介と言われればそれまでだけどな」

「……カイトは変わらないね」

 

 前を見続けるカイトの横顔を眺めながら、ユキはボソッと呟いた。出会った時から、彼は微塵も変わらない。あの時も、今も、きっとこれからも。

 カイトの前に立ちはだかるようにしてユキは回り込み、向かい合ってジッと目を見つめる。

 

「カイトのそういう所――」

「……?」

「――ううん、何でもない!」

「途中で切ると気になるだろ」

「内緒!」

 

 言いかけた言葉をグッと飲み込んだ。この気持ちを伝えるのは、今ではない。

 

(今はまだ我慢しよう。でも、いつかは――)

 

 彼女が彼とこうしていられるのも残り数時間。今は、今だけは、この時間を大切にしようと心に誓った。




フィールドボスが完全におまけ扱い。デュエルがメインとなりました。

デュエル前にカイトが行った手法は、心理学でいう「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」でした。「相手が断るような過大要求をした後、それより小さい要求を提示すると通常よりも受け入れやすくなる」というものです。実際にやって上手くいくかは、その人の手腕にもよりますが……。

カイトがデュエル開始3秒前に構えを変えたのは、システム外スキル《先読み》でアスナの姿勢から出方を予測し、それに合わせて変更したためです。
また、デュエル後にアスナが妥協案で提示した『 仮入団』は『体験入団』と同義ですが、これは今回限りの例外でした。普段の《血盟騎士団》はそういった制度を採用していません。

次回はリズベットに焦点をおいた話となります。


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第24話 思いの形と心の距離(前編)

 2024年、3月下旬。

 冬の寒さはひっそりと身を潜め始め、春の暖かさを含んだ陽射しが主街区《リンダース》に降り注ぐ。主街区内には小川が通っているため、水の流れる音が鼓膜に響き、街を歩く彼女の心をより一層穏やかな気持ちにさせた。

 川の流れは街の随所に設置されている水車を回し、一定の速度で回り続ける。その内の一つ、目的地である水車の付いた家が見えてきた。

 石造りの橋を渡ると立ち止まり、家の全体像を眺められる位置でジッとする。

 

(マイホームか……いいなぁ……)

 

 ここには何度か来ているが、彼女は毎回同じ事を考えていた。

 この家の持ち主は48層がアクティベートされて以降、ただひたすら鍛治の仕事に明け暮れていたのは、つい最近の話だ。勿論今でも鍛治職人として仕事に明け暮れてはいるが、仕事量の多さが違う。所持金が家の金額に到底及ばなかったため、武器の強化・研磨・オーダーメイドの作成などなど、1コルでも早く目標に到達するために朝から晩まで仕事、仕事、仕事。家の購入金額300万コルが貯まるのに三ヶ月近くを要したが、それだけここを気に入ってたのだろう。

 最前線で階層攻略を続けている彼女にも、懐に多少の余裕はある。元々浪費家でもないため、出るペースよりも入るペースのが上回っているからだ。安い物件なら即購入出来るが、この先ゲームが攻略されるまで長く使う家なら妥協はしたくない。

 

(やっぱりお風呂は広いのが欲しいなぁ……家具も揃えて内装も可愛く――)

 

 まだ見ぬマイホームのコーディネートを頭で思い描くと、想像力が掻き立てられて次々とアイディアが浮かんでくる。

 そこでハッと我に返った。ここへは脳内コーディネートをしにきた訳ではない。歩を進めて眼前に佇む友人の自宅兼武具店入り口の前に立ち、ドアノブを回して扉を開けると、ベルの音が店内に響く。

 中に入るとショーケースに入った武器や壁に立て掛けられている武器の数々が目に映り、片手用直剣・細剣・斧・曲刀・槍や盾など、取り扱っている種類は幅広い。手にとって使ってみるとわかるが、どれも品質は保証されたプレイヤーメイドの業物だ。

 

(いない……)

 

 武器の姿はこれでもかという程だが、人の姿は何処にも見当たらない。朝早くに来たため、どうやら彼女が本日のお客さん第一号のようだ。

 お客さんの姿は兎も角、店主の姿もここにはない――――といっても、その場合は大抵奥の工房で作業をしているパターンが多いのだが、案の定そうだった。

 店の奥にある扉が開き、出てきたのは紅色の上着に同色のフレアスカート、その上に白いドレスエプロンを着た少女だった。一般的な鍛治職人が着ている地味な服装ではなく、やや派手な部類だろう。彼女の特徴でもあるピンク色の髪にも合っている。

 

「リズベット武具店へようこそ――って、ユキ! いらっしゃい!」

 

 元気一杯の声で店の店主・リズベットは来店の挨拶をするが、誰が来たのかわかると営業スマイルではなく、素の笑顔をユキに向けた。

 

「おはよう、リズ」

「おはよっ! こんな朝からどうしたの?」

「ふふん、実はね――」

 

 リズの問いかけに対し、ユキは肩幅に足を開いて仁王立ちで一言。

 

「――遊びに来た!」

 

 どうやらお客さん第一号としてではなく、友人第一号として来たようだ。

 

「そんな事だろうと思ったわよ。そこの椅子に座って」

 

 リズは店のカウンター席を指差し、友人に座るよう促す。ユキが木製の椅子に座ると、リズは彼女の前に紅茶の入ったティーカップを差し出した。

 

「ありがとう」

「どういたしまして」

 

 リズはユキの向かい側に座り、自分専用のカップに紅茶を注ぐ。お互いに一口飲むと、ホッと一息ついた。

 

「アスナは一緒じゃないんだ?」

「うん。なんか用事があるんだって」

「ふーん……ユキがこうしてここにいるって事は、ギルドの攻略は休み?」

「そう。アスナはいないし、他の団員もそれぞれ予定があるし、どうしようかなぁ〜って考えてたら、リズのお店に行こう! ってなったの」

「……ユキ」

 

 リズはそこで呆れ顔を浮かべた。「やれやれ」という心の声が聞こえてくるかのように。

 

「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、そこはあたしじゃなくて、()()()と遊びに行く方が有意義じゃないの〜?」

「えぇ!? で、でも突然誘ったら迷惑だし、むこうにも予定があるだろうし……」

 

 リズによって話の内容が急に向きを変えられた。

 それによってユキは落ち着きをなくし、ソワソワとし出す。反応としては非常にわかりやすい。

 

「あんた達は攻略以外で会う機会はそんなにないでしょ? だったら今日みたいな日に約束を取り付けるとかして、積極的に行かなきゃ!」

「う〜ん……やっぱりそれぐらいしないとダメなのかな」

「でも、まぁ今日は――」

 

 不意にリズは言葉を切る。彼女の頭に突如として、ある考えが閃いたからだ。時間を見ると、ほんの少しだけ余裕があるのを確認する。リズの顔が思わずニヤけてしまった。

 

「リ、リズ?」

 

 そんな彼女の企みなどわかるわけもなく、リズの怪しい表情にユキは不安を感じずにいられない。

 

「ねぇユキ、折角だから店に出て接客してみない?」

「え? 私そういうのした事ないよ?」

「いいのいいの。お客さんが来たら笑顔で『いらっしゃいませー!』って言ってくれるだけで十分だから。やった事ないなら、ちょうどいい機会じゃない?」

 

 リズのように店を持って常日頃から接客に努めていないので、勝手はイマイチわからない。だが実際に注文を取ったりする訳でもなく、来店したプレイヤーを出迎えるだけでいいという。さほど難しくはなさそうだ。

 

「……うん、それなら私にも出来るかも。やってみるよ!」

「よしっ! そうと決まれば着替えて着替えて!」

 

 ユキの了承を得るとリズは椅子から立ち上がり、手招きして工房に続く扉へと向かう。ユキと一緒に工房へ入って扉を後ろ手に閉めると、彼女のための服装をトレード申請で渡した。

 渡された服装を受け取ったユキはすぐさま装備を変更する。着替えは一瞬で終わり、現れたのはリズが現在着ているものと同じデザインの服だった。違う所があるとすればリズは長袖なのに対し、ユキには袖がなく、肩・鎖骨、果てには胸元まで露出している所。

 靴もリズのようなロングブーツではなく、(かかと)に太いヒールのついたキャメル色の革製オックスフォードシューズ。スカートの丈は膝上で短いが、ぎりぎり見えないライン。ニーソックスはないため、裾からスラッと伸びる白い生足には否が応でも目を引かれてしまう。

 

「なんか……リズのより露出度が高い気がするんだけど……足もスースーするし」

「大丈夫大丈夫! 今日だけだし、サービスだと思えば――」

「こんな格好じゃ私が落ち着かないよ! 恥ずかしいよ!」

 

 思っていた格好と違っていたため、抗議の声を荒らげた。

 するとタイミングが良いのか悪いのか、店舗の入り口から来店を知らせるドアベルの音が響く。今度こそ正真正銘、本日のお客さん第一号だ。

 

「ほらっ、誰か店に来たみたいだし、そのままいっちゃえいっちゃえ!」

 

 現在の格好に羞恥心を(あら)わにするユキの背中を、リズは両手で押す。『まずは試しにやってみよう』というリズのサインだろう。

 

「ニッコリ笑顔で『いらっしゃいませ! リズベット武具店へようこそ!』だけでいいから」

「〜〜〜〜っわかった! わかりました! やるから押さないで!」

 

 観念したユキは扉の前に立ち、深く、深く深呼吸。それを二度繰り返すと、決意を固めてドアノブを握り、扉を開いた。

 恥ずかしい気持ちを今だけ押し殺し、武器が展示されている店舗スペースに一歩踏み出す。おそらく工房のドアから出てきた人物に反応して、お客さんは視線をそちらに移しただろう。そう考えるととてもじゃないが、来店客の反応をみる事が出来ず、目線はやや下向きになった。

 だが、これはリズから任された一つの仕事。彼女の期待に応えるため、与えられた役割を果たさなければならない。

 扉が閉まると姿勢を正し、右手の甲に左手を重ね、手を前で組んだ。そして言われた通り、ニッコリと笑顔で来店の挨拶をする。

 

「いらっしゃいませ! リズベット武具店へようこそ!」

 

 完璧だった。

 挨拶を噛むことなく、元気良くハキハキとした口調で言えた。自分で見ることは出来ないが、おそらく笑顔は作れているだろう。ユキは自分自身に満点をあげたかった。

 

「ユキ?」

 

 耳に入ってきたのは聞き慣れた声。目の前にいるのは見慣れた人物。

 

「カ、カイト! なんでここに!?」

 

 そこにいたのは見知った人物。

 偶然か必然か。思いもよらない場所で出会えたのは、つい二週間前にアスナと決闘(デュエル)をしたカイトだった。

 リズベット武具店の工房から予想外の人物が登場したことに驚き、彼の目が点になる。だがそんな驚きを上書きしてしまう程のインパクトを、今のユキは持ち合わせていた。

 

「そっちこそなんで? というよりその格好……」

 

 カイトは目の前にいる少女の姿に、目が釘付けとなる。視線が足元を出発点にしてゆっくりと上へ上昇した。

 そんな彼の反応で、ユキは忘れかけていた自分の格好を思い出した。右手で胸元を隠し、左手でスカートの裾を押さえると、羞恥心がフツフツと再熱する。

 

「……ぷっ……ぐふっ……」

 

 ユキの後方から声が漏れる。

 振り返った先にいたのは開いた扉の隙間からひょっこり顔を出し、二人の様子を伺っているリズだった。両手で口元を押さえて笑い声を漏らさないようにしていたらしいが、無理だったらしい。堪えきれなかった分の声が指の隙間から漏れ、顔は小刻みに震えていた。

 

「リ、リ〜〜〜〜ズ〜〜〜〜ッ!」

 

 どうやら彼女はリズの策略で嵌められたようだ。少しの怒りと恥ずかしさの混じった声が、リズベット武具店に虚しく響き渡る。

 

 

 

 

 

「ごめんごめん、悪かったって……ぷくく……」

「……リズなんてもう知らない」

 

 あの後工房に入ってギルドの制服に着替えたユキは、先の出来事ですっかり(へそ)を曲げてしまった。現在は立った状態で腕を組み、不機嫌な態度をこれでもかと(あら)わにしている。

 そんなご機嫌ナナメの彼女をリズがなだめ、その様子を友人第二号のカイトは椅子に座り、呆れ顔で眺めていた。主にリズに対してだけだが。

 カイトは自分に出された紅茶を飲むため、目の前にあるティーカップに手を伸ばし、中の紅茶を口に含む。

 

「来るって知ってたなら教えてくれても良かったのに」

「いや〜あたしの中にある遊び心が勝っちゃったみたい。ところでカイト、ユキの生足を見た感想は?」

「ぶふぉおっ!」

「リズっ!」

 

 カイトは口の中にあった紅茶を盛大に吹き出し、思わず咳き込んでしまう。

 一方のユキはリズの両肩を掴み、前後に大きく揺さぶっていた。そんな二人の反応が可笑しかったらしく、リズは御構い無しにお腹を押さえて大笑いしていた。

 

「ケホッ、ケホッ……と、ところでユキは何でここに?」

 

 ひとまず話を逸らすため、カイトは話題の方向転換を試みた。格好は兎も角、来て彼女を見た時からずっと疑問に思っていたのだ。

 

「私はオフだから遊びに来ただけで……さっきのは自分で選んだ服じゃないからねっ! リズに渡されて、そのまま流れで――」

「わかってるよ。最初ユキにしては珍しいチョイスだと思ったけど、二人のやりとりを見てなんとなく察したから」

 

 パーティーを組んでいた当時も彼女がギルドに入団して以降も私服姿を見る機会はあったので、ユキの趣向をカイトは大まかに理解しているつもりだ。

 彼女は服に関していえば白や明るめの色合いを好む傾向にあり、暗い色や赤といった派手な色を好んで選ぶ事はほとんどない。

 

「そういうカイトこそ、何でリズのお店に?」

「オレは頼まれごとがあったから、この時間に待ち合わせてただけだよ」

「頼まれごと?」

「『インゴットの調達に行きたいから、フィールドへ同行して欲しい』ってメッセージが届いたんだよ」

 

 リズは鍛冶屋であるが、武器を作成する際に必要なインゴットは基本自分で調達している。彼女は鍛冶屋であると同時にメイス使いであり、中層以下で戦闘する分にはソロでも問題ないレベルだ。しかし、少し前からフィールドの探索も少々物騒になってきていた。

 その原因は犯罪者のオレンジプレイヤーにあった。フィールドに素材を採集しに出向いた鍛冶職人が殺されるという事件が多発し、大多数の職人プレイヤーは素材調達を自粛。リズのように戦闘が出来るプレイヤーも同様であり、そのせいで一時期は市場に流通するインゴットの相場が大幅に上がる時もあった。

 といっても『自粛』とは一人で無闇に出向かない事を指し、他のプレイヤーとパーティーを組んで行くのは問題ない。自分の代わりに取ってきてもらうよう頼むのもありだが、素材やクエストによっては予期せぬ所で《鍛冶》スキルがないと手に入らない時も少なからず存在する。なので職人自らが素材の調達をする場合、戦闘が出来るパーティーに入れてもらい、フィールドに赴くといったやり方が定着しつつあった。

 

「そういうこと! 素材の調達に行きたいけど、何かと物騒でしょ? だからカイトに予め協力してくれるように頼んでたのよ。元々今日は店を閉めとくつもりだったし」

「……それなのにあの仕打ち? 益々(ますます)リズが意地悪に思えてきた……」

「あはは……」

 

 ユキのジト目に対してリズはあさっての方向を向き、乾いた笑いで誤魔化した。

 

「えーっと……一応確認だけど、行くのは51層でよかったよな?」

「それで合ってるわ。あと、呼んだのはもう一つ理由があるのよ」

「何それ?」

「借金の返済よ。この前オーダーメイドの依頼で纏まったお金が入ったから、カイトに借りた残りの分は今日で返すわ」

 

 借金というのは、リズが家を買う際に借りたお金の事だ。

 300万コルという果てしない金額を貯めるため、鍛冶屋の仕事を懸命にこなしていたが、彼女は自分以外にも家の購入を狙っているプレイヤーがいるのを知ってしまったのだ。

 なので家の購入にいち早くこぎつけるため、彼女は知り合いに頼み込んで借金をしていた。お金を借りた相手の内、彼もその一人だ。

 リズからのトレード申請により、カイトは彼女に貸した残りのコルを全額受け取った。

 

「結構早かったな。もっと掛かると思ったのに」

「こういうのは早いに越したことないし、キッチリしないとね。お金が原因で関係が(こじ)れたりするなんて、あたしは嫌よ」

 

 左手をヒラヒラと横に振ってさも当たり前のように言ってのけるが、これは彼女だからこそ出てくる言葉だ。リズのこういった真面目な性格は、仕事にも出ていた。

 例えば《鍛治》スキルを持っている者が一定の間研磨すれば、誰でも簡単に剣の耐久値を回復させる事ぐらいは出来る。そのため、職人によっては流れ作業のように淡々と行う者も少なからず存在する。

 だが、リズは単純作業の研磨でさえ毎回真剣な面持ちで取り組み、決して手を抜く事はしない。勿論剣の作成時も同様で、ハンマーでインゴットを打ち付ける時に見せる彼女は、まるで一回打つ度に心を込めるようだ。

 仕事に妥協しない彼女だからこそ皆に信頼され、良い剣が出来る。もしかすると、彼女は職人クラス――――鍛治屋になるべくしてなったのかもしれない。

 

「それで話を戻すけど、51層の東にある鉱山に行きたいのよ。そこなら上質なインゴットが取れるし」

「あぁ、あそこか。たしかトラップ多発地帯らしいけど、大丈夫か?」

 

 今回の目的地・51層の東にある《ウルグ鉱山》は、トラップの数が多いことで知られている。現段階で命に関わる悪質なトラップは確認されていないが、未発見のトラップがあるかもしれない。27層迷宮区にあった隠し扉のように……。

 

「大丈夫よ。あそこには以前行ったことがあるし、初めてって訳でもないから」

「それなら行ったことないオレよりは詳しいな。それじゃあ行くか。――っと、その前に、ユキはどうしたい?」

「へ?」

「オレとリズはこれから素材採集に行くけど、一緒に来るか? 折角のオフだから、無理にとは――」

「行く! 行きます! 行きたいです!」

「じゃあ決まりだな」

 

 この後の予定も特にない上に、気心知れた相手からの誘いを断る理由がない。彼女はカイトの言葉に被せるようにして、行く意思を伝えた。

 

「ありがとね、ユキ。あたしとしては攻略組の二人が一緒だと心強いわ」

「そう言ってもらえると私も嬉しいよ。51層の鉱山もそうだけど、リズと一緒にフィールド行くのも初めてだし、なんだか新鮮かも」

「そう言えばそうね。この前の温泉みたいなのはあるけど、一緒に狩りは何気に初だわ。じゃあ今度はアスナも誘って行く?」

「おぉ、良いね! 帰ったらアスナにも伝えとくよ」

 

 いつの間にやらユキの機嫌も戻っている。どうやら先の出来事は見た目ほど怒っていなかったらしい。

 

「ユキ、リズ。早速転移門まで行こう」

 

 椅子から立ち上がったカイトは二人に促す。それを聞いたユキとリズは装備を整え、三人一緒に店をあとにした。

 扉が閉まると、今まで明るく賑やかだった店内が暗く静まり返る。

 展示されている武器の数々は佇んだまま黙って見送り、店主達の帰りを待つのであった。




リズベット武具店の日常編。次話でフィールドダンジョンに赴きます。


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第25話 思いの形と心の距離(後編)

 51層の東にある小さな村《ユーグエル》。ボロボロの家屋が建ち並んだこの村を一言で言い表すのなら、『これといった特徴がない村』だ。

 村にあるのはNPCの家と数件の宿屋のみ。アイテムや武器を取り扱っている店が存在しないため、そういったものの補充は別の村や街で済ませてから来る必要がある。非常に不便な場所であり、好んで訪れるプレイヤーはほとんどいない。

 この村に来る理由としては、近場のフィールドダンジョン《ウルグ鉱山》へ向かう際に通過するだけか、仕方なく宿をとって身体を休めるための『休憩地点』という認識が広がっていた。故にただでさえ存在感が薄いのだが、そんな村の存在感をさらに薄くするものがあった。

 

「でかっ」

「大きいねぇ」

 

 少年少女を驚かせたのは、中腹の一部分に穴が空いている巨大な山だった。遠くからでもその存在を主張するかのような大きさを誇る《ウルグ鉱山》は、近場の村から眺めると圧巻の一言に尽きる。攻略組であるカイトとユキの二人は基本的に階層攻略を優先するため、各階層にあるフィールドダンジョンの存在は知ってても、行ったことのない場所が意外と多い。

 

(ふもと)に山の中へ続く洞窟があるのよ。素材は洞窟内で取れるんだけど、道が枝分かれしてて迷いやすいから、二人ともはぐれないように注意して」

「了解」

「わかった。洞窟の案内はリズに任せるね」

 

 

 

 

 

 山の麓まで辿り着いた三人を出迎えたのは、土壁をごっそり削りとって穴を空けたかのような印象を受ける、巨大な洞窟の入り口だった。推定で高さ15メートル・幅20メートルの大きな穴は、25層のフィールドに出現する巨人型モンスターでさえ丸呑みにしてしまう程だ。

 入り口付近は別だが、中に入ると薄暗くてひんやりと涼しかった。視界で確認できるのはせいぜい10メートル先までなので、初見だと完全に手探りでの移動となる。洞窟の外から中へと風が通り、空気が動いているのを肌で感じた。

 ゴツゴツした石壁のトンネルを進むと少し開けた場所に出る。その先にはリズの言うとおり、道が三本に枝分かれしていた。

 

「こっちよ」

 

 リズは迷うことなく右の道を指差すとそのまま歩き出し、後ろの二人もそれに続く。

 

「ねぇ、リズ。リズが欲しいインゴットってどれくらい歩いた所で取れるの?」

「う〜ん……だいたい4時間くらいかな」

「結構歩くんだな」

「まあね。この洞窟は上へ登るように繋がっているんだけど、奥に進めば進む程、レア度の高いインゴットが手に入るのよ」

「……という事は、今私達は山の頂上に向かって進んでいるようなものなんだね」

 

 などど話していると、平坦だった道が緩やかな上り坂へと変化していた。上に向かっている証拠だろう。

 そして上り坂の途中でモンスターと遭遇する。出現したのは、長い尻尾の先が光っているのが特徴の蝙蝠(こうもり)型モンスター《ランタンバット》一体だった。

 三人それぞれが武器を手に取るが、普段から戦闘の機会が多く、場数を踏んでいるカイトとユキは反応が早い。リズよりもワンテンポ早く剣を構えた。

 

「一体だけか……オレとユキでHPを削るから、リズがトドメをさしてくれ」

「わかった」

「オッケー。任せて!」

 

 

 

 

 

 進めば進むほど出現するモンスターも強くなり、湧きの数も増える。だが最前線よりも下層のダンジョンで遅れをとるカイトとユキではない。

 戦闘を交えつつ、歩き始めて3時間弱が経過した。長い道のりではあったが、おそらく目的地まであと少しといった所だろう。

 

「やあっ!」

 

 短剣中位突進技《ラピットバイト》が、二体いるランタンバットの内の一体に命中。ノックバックが発生し、ランタンバットが怯んだ。

 

「リズ! お願い!」

「オッケー」

 

 残りHPがわずかのランタンバット目掛け、リズはメイスを振りかぶった。助走で勢いをつけ、思い切り振り下ろす。

 だがリズの攻撃が当たる直前、ランタンバットは急浮上してこれを回避。リズ渾身の一撃は惜しくも空振りに終わった。

 リズは空振ると勢いを殺せず、そのまま前へと転がり、金属で出来た洞窟の壁に激突した。その時、右手に握っていたメイスも一緒に壁に叩きつける。

 

 ――キンッ

 

(えっ?)

 

 メイスが洞窟の壁に当たった瞬間、彼女の耳が甲高い音を捉えた。それは金属と金属が接触した時に奏でる特有のもので、彼女にとっては何百何千と数え切れないほど聞いてきた心地よい音。

 思わず四つん這いの状態で顔を壁に向け、左手で壁面を摩る。これといって何の変哲もない洞窟の壁。触れば指先にゴツゴツとした感触が伝わる。

 そして彼女は違和感の正体が気になるあまり、現在戦闘中ということを忘れてしまっていた。無防備に背を向けているリズに対して、ランタンバットは急降下からの噛みつき攻撃に入る。

 

「あぐっ……」

 

 リズの肩口にランタンバットにの牙が食い込み、ダメージが入る。噛みつきから吸血攻撃のコンボに入ろうとした。

 

「リズっ!」

 

 カイトがランタンバットを剣で突くと、リズの肩で砕けて散る。そしてもう一体から彼女を守るようにして背を向けた。

 

「ボーッとしてると危ないぞ」

「ご、ごめん……頭切り替えるわ」

 

 ソードスキルを使用したわけでもないので、技後硬直(ポストモーション)の影響で動けなかったのではない。ただ数秒の間、意識を別のものに取られていただけ。それがなければ回避もできたはずだった。リズにしてはらしくないミスである。

 

「はぁっ!」

 

 もう一体いたランタンバットのタゲを取っていたユキが、翼目掛けて切り上げを繰り出す。右の翼を切り落とし、片翼をもがれて地に落ちた。

 その隙にカイトの背中側にいたリズが飛び出し、メイスを左下に構えて疾走する。

 

「はあぁぁぁあ!」

 

 メイスにグリーンのライトエフェクトを纏わせて放つのは、メイス中位突進技《ブースト・インパクト》。急加速した身体はモンスターとの距離を縮め、地面スレスレを移動するメイスの先端がランタンバットに直撃した瞬間、右上に向かって思い切り振り抜いた。上に打ち上げられたランタンバットは空中でポリゴン粒子となり、四散する。

 

「ふう〜」

 

 一先ずモンスターは全て倒し、リズはホッと一息ついた。

 

「お疲れ。……なぁリズ、さっきのは何だったんだ?」

 

 リズの後ろから背中の鞘に剣をしまったカイトが話しかけた。リズのとった奇妙な行動の事を指しているのだろう。その様子を見ていなかったユキは彼の言っている意味がわからず、キョトンとしながら剣を腰の鞘にしまう。

 

「あぁ、ごめん。この部分の壁にぶつかった時、変な音がしたのよ」

「変な音?」

「うん。なんていうか、ハンマーでインゴットを叩く時の音に似てて……」

 

 リズはゆっくりと問題の壁に近づき、手でそっと撫でる。そして手に持ったメイスで軽く叩いた。

 

 ――キーンッ

 

 リズほど聞き慣れている訳ではない二人だが、確かにインゴットを叩いた時特有の音が、さして広くない洞窟内に共鳴する。そして通常なら表示される筈のウィンドウが出てこない。

 

「この壁、《破壊不能オブジェクト》じゃないのか」

 

 通常、この洞窟の壁や街の中に存在する建物や樹木といったオブジェクト類は、《破壊不能オブジェクト》と呼ばれている。『破壊不能』という文字の通り『壊せない』のだ。

 プレイヤーの装備する武器や防具、使用するアイテム類には『耐久値』が設定されている。これらは殴る・斬る・貫くといった具合に衝撃を加えれば『耐久値』は加速度的に減少、終いには消滅する仕様となっているが、《破壊不能オブジェクト》は別だ。

 《破壊不能オブジェクト》はそもそも『耐久値』が設定されていない。衝撃を加えられると紫色のシステムエフェクトに阻まれ、《Immortal Object》の表示がなされる。

 本来ならフィールドダンジョン――――今回の場合洞窟の壁だが、リズがやったようにメイスで叩けばシステムエフェクトが表れる筈なのに、そうはならない。つまり――。

 

「これ、壊せるのか……。てことは、何かあるな」

 

 カイトはリズの隣に並び、同じように壁を手で触る。そんな彼にユキが問いかけた。

 

 ――キンッ

 

「トレジャーボックスかな?」

「かもな。でも、そうじゃない可能性もある」

 

 カイトは以前、27層の迷宮区にあった隠し扉を《月夜の黒猫団》と共に発見し、そこでトラップに掛かった苦い思い出がある。あの時は流石の彼も肝をひやした。

 

 ――キーーンッ

 

「で、リズはさっきから何やってるんだ?」

 

 リズは先ほどからメイスで壁を叩いている。ただし同じ場所ばかりではなく、横に平行移動して立ち位置と叩く場所を変えている。響く音に耳を傾け、何かを探っているようだ。

 

「音が……違うのよ」

「違う? 音が?」

「うん。場所によって微妙に音の高さが違うの」

 

 ――キンッ……キンッ

 

 リズは位置を変えて二回連続で叩き、音を鳴らした。

 

「ねっ?」

「いや、『ねっ?』って言われても……。ユキはわかる?」

「うーん……わかんない」

 

 リズの言う『音の高さの違い』が二人にはいまいちわからない。決して二人の耳が悪いわけでも、リズの耳が絶対音感を持ち合わせている訳でもない。おそらく鍛治職人である彼女にとって深く染み付いている音だからこそ、その微妙な違いがわかるのだろう。

 再び音の違いを頼りに壁を探り出したリズだが、ある一点でリズの表情が変わった。

 

「ここね」

 

 最初の地点から3メートル左にずれた所で立ち止まる。その顔には強い確信が伺えた。

 

「なんでそう思うの?」

「インゴットを叩いて剣が出来る瞬間の音に、ここが一番近いから……かな」

 

 鍛治職人がインゴットから剣を生成する場合、必ずハンマーで何度か叩く必要がある。『何度か』というのは、正確に何回打つか決まっていないからだ。

 リズを含めた鍛治プレイヤーがインゴットを叩く時、最も重視するのが『音』。彼女達は良い剣が出来る瞬間に発せられる『特有の音』に耳をそばだて、その時がきたら手を止める。叩く回数が多い、あるいは少ないと良い剣は生まれないからであり、一般のプレイヤーでは聞き分けが出来ないらしい。

 彼女が『ここ!』と確信した根拠は、その特有の音を耳が捉えたから。こればかりはカイトもユキもさっぱりわからないので、リズの経験からくる勘を信用することにした。

 

 ――キンッ、キンッ、キンッ

 

 リズはメイスを握る手に力を込め、連続で一点を集中して殴打する。洞窟内に木霊する音を聞きながら、カイトとユキは後方から静かに彼女を見守った。

 10回、20回、30回と手を止めることなく続けると、壁面にヒビが入り始めた。そしてリズがメイス単発重攻撃ソードスキル《ウォーハンド・ストライク》を放った時、変化が訪れる。

 硬い壁がクッキーのようにボロボロと崩れ落ち、現れたのは縦2メートル・横1メートル・奥行き1メートルの小さなエレベーター並みに狭い空間。トレジャーボックスがあるわけでも、隠し扉が設置してあるわけでもなかった。その代わりといってはなんだが、空間の地面には直径1メートルの丸い大きな穴が空いている。

 

「これ絶対何かあるよね」

 

 三人は揃って目の前に出現した穴を覗き込む。穴の中には何もなく、ただただ暗闇が続くのみ。深淵を覗き込めば深淵が彼ら三人を覗き返した。

 何処かに繋がっているのか、あるいは期待させるだけさせて結局はただのトラップか。

 

「どうする?」

 

 リズが二人に意見を求めると、膝を揃えた状態でしゃがんでいたユキと、膝に手をついて中腰で穴を覗いていたカイトはそれぞれの意見を述べる。

 

「私は大丈夫だと思う。トラップにしては隠し方が凝りすぎだから、別の場所に通じてる隠しルートじゃないかな?」

「オレは気乗りしないなぁ……リズは?」

 

 今度はカイトがリズに意見を求めた。

 

「あたしは……行ってみたい。ここが鉱山っていうのを考えると、この先にレアなインゴットが手に入るかもしれないし」

「二対一。決まりだね、カイト!」

「……しょうがないか」

 

 カイトは中腰の状態から背筋を真っ直ぐにし、大きく伸びをした後、アイテムポーチから転移結晶を取り出した。

 

「じゃあ一番最初にオレが行くから、次に来る人は少し間隔をあけて穴に飛び込んでくれ。それと、念の為に転移結晶の準備も忘れないように。身の危険を感じたら直ぐに離脱すること」

『了解!』

 

 そう言ってカイトが穴の前に立ち、下を見れば黒い空間が彼を出迎えた。真っ暗で中がどうなっているのか全く見えないため、不安がないと言えば嘘である。しかし女子二人を前にしてそんな情けない態度を見せるわけにはいかない。躊躇せず、ひと思いに飛び込んだ。

 真っ直ぐに落下したのは最初だけだった。穴の内部は徐々に斜め方向へと傾き、感覚的にはまるでウォータースライダーのように滑り落ちていく。ただし、速度的にはジェットコースターと表現した方が近いが……。

 右カーブ、左カーブ、時には緩やかな上昇と降下を繰り返す。いつまで続くのかと思い始めた時、足元の遙か先で小さな光の円が見えた。

 

(出口か!)

 

 光の円は徐々に大きくなり、束の間のアトラクション気分は終わりを告げる。真っ暗だった景色は一瞬で変わり、カイトは勢いを殺すことなく眩しいほどに明るい部屋へと放り出された。

 

「どわあぁぁぁあ!」

 

 猛スピードで投げ出されたカイトは不安定な姿勢で着地すると、時折バウンドを交えながら地面を転げ回る。スピードは緩まることを知らず、彼の身体が止まったのは壁に激突した時だった。

 

「〜〜〜〜〜〜っ!」

 

 頭と背中を特に強打した為にHPが減少し、猛烈な不快感を感じて思わずその場で悶えた。痛覚を遮断されていなければこんなものでは済まされないだろう。

 頭の不快感はまだ残っている状態だが、彼は左手で後頭部を押さえつつ、その場でゆっくりと立ち上がった。自分が今どんな場所にいるのかを確認するためだ。

 そうしてカイトが目にしたのは、彼の予想と想像を超えた光景だった。

 

「すごっ……」

 

 視界に飛び込んできたのは『美しい』の一言に尽きる光景。

 天井からはつらら状に垂れ下がった銀白色の結晶が、さらに地面からも同じような結晶がいくつも生えており、キラキラと光り輝いていた。これらはおそらく、つるはしを使えばインゴットが採集出来るのだろう。

 加えてその結晶群の奥の方には大きな穴が空いており、そこから太陽の光が差し込んでいる。差し込む太陽の光を結晶同士が鏡のように反射しているため、より一層輝いて見えた。カイトがこの空間に出た直後、『眩しい』と感じたのはこのためだろう。

 

「〜〜〜〜〜〜」

 

 目の前に広がる光景をみて呆気に取られていると、何処からか声が聞こえた。声の発生源は地面から2メートル程の高さにある丸い穴。これはついさっき、カイトが出てきた穴である。

 彼はこの空間に着いて以降、一歩も動いていない。穴とカイトの位置は直線上で結ばれるため、もしも誰かが彼のように猛スピードで穴から出てきたら――。

 

「――っやば」

「きゃあぁぁぁあ!」

 

 ――衝突は免れない。

 (つんざ)くような悲鳴を轟かせながら、ユキがカイト目掛けて突っ込む。気付いた時には既に遅く、彼の身体を図らずもクッション代わりにすることで壁への衝突を免れた。その代償としてカイトは再び壁に激突する。

 

「――わぷっ」

「――ごふっ!」

 

 二人の身体が衝突したことで、両者共にHPが減少した。ただし衝突とは別にカイトは再び壁に頭をぶつけたので、追加ダメージが発生。またしても不快感が走り、頭を抱えた。

 カイトの身体に覆いかぶさるような体勢から、ユキは上半身を起こして馬乗り状態になった。

 

「ご、ごめんね」

「だ、大丈夫。……それより早くどいてくれ。重いから」

 

 彼の言葉を聞いたユキがムッとした表情に変化した。両手をカイトの頬に伸ばしてつまみ、そのまま横に思いっきり引っ張る。

 

「女の子に『重い』は禁句! そもそも私重くないもんっ!」

「わふぁった、わふぁりまふぃた! おふぉくなふぃふぁら、ふぁふぁくふぉいふぇくふぇ! (わかった、わかりました! 重くないから、早くどいてくれ!)」

 

 ユキはそそくさとカイトの上からどき、制服のスカートを払う。上半身を起こしたカイトは両頬を摩り、いつの間にか注意域(イエローゾーン)に突入していたHPを回復するため、ポーションを取り出して口に含んだ。

 

 その後リズも無事に? 到着し、女性陣二人は目の前の光景をみてカイトのように呆気に取られた。ポカンとした二人の横顔を見て、カイトは思わず笑ってしまう。

 そして緊張がとけてホッとしたからだろうか。急に彼のお腹に空腹感が湧き上がってきた。

 

「二人とも、腹減ってない?」

「……うん、お腹空いた」

「そういえば、もう昼過ぎよね」

「丁度良いし、昼飯にするか」

 

 カイトはその場で腰を下ろし、メニューを起動。取り出したのは横に長い入れ物で、開けると中に入っていたのはギッシリ詰め込まれたバケットサンドだった。

 突如現れた食欲をそそる食べ物に、二人の目が引きつけられる。

 

「全部で三種類あるから、好きなのとってくれ」

「おいしそ〜。頂きます!」

「い、頂きます」

 

 各人一つずつ取り、頬張る。食べた途端、野菜風味の甘みが口の中全体に広がった。あまりの美味しさに、思わず二人は目を見開く。

 

「すっごい美味しいよ! これどこで売ってるの?」

「売ってないぞ。朝、宿を出る前に作ってきたから」

「へ?」

「何? あんたまさか《料理》スキル持ってるの?」

「うん。一層の頃に食べたクリームの味が忘れられなくて、つい」

「はぁ〜、まさかアスナ以外にもいたとはねぇ〜。なんか意外な特技って感じだわ」

「前会った子には似合ってるって言われたぞ。特技といえば、早口言葉なんかも得意だな」

「それは地味過ぎ」

「…………」

 

 自作の物だとわかった瞬間、何故かユキは黙り込んでしまった。カイトとリズの掛け合いの応酬をよそに、手に持ったバケットサンドをジッと見つめる。

 

「どうした?」

「ううん……ちょっと悔しいだけ。でもこれだけ美味しいと、毎日食べてたいなぁ……」

 

 そう言ってユキは再びバケットサンドを食べ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「二人とも、今日はありがとねっ」

 

 隠し部屋にあった《パーライト・インゴット》を大量に採集し、一行は《リンダース》へと戻ってきた。現時点で採集されるインゴットの中では高ランクの代物というのもあり、リズは大満足な様子だ。

 

「ユキなんて本当はオフだったのに」

「ううん、大丈夫。それにいつもリズにはお世話になってるし、これぐらい問題ないよ」

 

 遊びに来たつもりが思いがけず素材の採集に出向く事となったが、ユキにとっては友人との貴重な冒険となった。これもオフの過ごし方の一つである。

 

「あっ、カイト! あんたに渡したい物があるから、ちょっと店に来て」

「あー……うん、わかった」

 

 リズの手招きに誘われて、カイトが彼女の後ろについて行く。

 

「ユキ、本当にありがと。今度はアスナも誘って行こう。じゃあね」

「うん……またね」

 

 いつもの明るい調子のリズに対し、ユキはどこか物言いたげな様子である。しかしそれに気付くことはなく、二人と一人に分かれて転移門広場で解散となった。

 《リンダース》内のリズベット武具店に帰ると、リズは迷わず工房の中へと向かう。それから間もなくして彼女は店頭に戻り、カイトにとっての必需品ともいえる武器を持ってきた。

 

「ほらっ、新しいやつ」

「……ありがとな」

 

 手渡されたのはスローイング・ピック。ただしただのピックではなく、先端に麻痺毒を付加している特注品だ。

 

「悪いな、いつも」

「本当にそう思っているなら、さっさとこいつを使わなくていいような世界にあんたがしなさい」

 

 状態異常を引き起こす効果を持つ武器というのは、一般的にはあまり浸透していない。その原因は《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》をはじめとする犯罪者プレイヤーの影響が大きく関与している。

 オレンジプレイヤーによるPKが多発した頃、状態異常ーー特に麻痺毒を付加した武器で自由を奪ってから殺す、といった手法が頻繁に行われていた。それまでモンスターとの戦闘をより円滑にこなすための手段が、プレイヤーを殺すために悪用されてしまったのだ。

 その結果、いつしか麻痺毒の武器は『犯罪者が使うもの』という印象が広く定着した。一般プレイヤーも職人プレイヤーも、そういった武器を持つ・作るということを敬遠するようになってしまったのだ。

 

「……それだけ?」

「何よ?」

「いや、毎回なんだかんだ言っても作ってはくれるけど、前はもっと色々不満とか言ってきただろ?」

 

 そして鍛冶屋リズベットも、かつてはその内の一人。

 初めて製作の依頼を持ってきた時、彼女は問答無用で切り捨て、作ることを頑なに拒否。事情を聞いて何度も懇願されたことで最終的には折れたが、それでも渋々といった感じだ。

 毎回ピックを渡す時の愚痴は一つや二つなど当たり前だが、今日はやけに大人しくあっさりとしている。流石に違和感を感じずにはいられない。

 

「別に……。ちょっと考えを改めただけよ」

「ふーん。何かあったのか?」

「『一生懸命誰かのために作ったものには、自然と気持ちがこもる』だっけ?」

 

 カイトの眉がピクッと反応する。その言葉には覚えがあるからだ。

 

「な、なんでそれを?」

「聞いたからに決まってるでしょ? 勿論言われた本人から」

 

 つい1ヶ月半前の事であり、あの日は彼にとって色々と印象に残る出来事が多かった。忘れるわけもない。

 

「あたしはこれまでたくさんの人の剣を打ってきたから、あんたの言った事がよく分かるのよ。あたしは『あたしの作った剣がその人のために、糧になるように』って気持ちを込めて打ってる。当然、それにもね」

 

 リズはカイトに渡したピックを指差した。

 

「だけどこれからは別の気持ちも込めとくから」

「別の?」

「『人を(おとし)めるためじゃなく、人を生かすため。そしてあんた自身を護るため』ってね。その思いを踏みにじるような行為をしたら、店の敷居は一生(また)がせないから」

 

 一般には敬遠されがちな麻痺毒だが、これはそんな物とは違う。鍛冶屋リズベットが特別な思いをのせた特注品であり、オレンジプレイヤーのように人を殺すためではなく、人を生かし、救うための物。

 

「……リズってたまにカッコイイよな」

「それ、女の子には褒め言葉じゃないわよ」

 

 

 

 

 

 リズからの思いを込めたピックを腰のホルダーに差し、リズベット武具店をあとにする。《リンダース》の転移門広場に辿り着くと、てっきりホームタウンへ帰ったと思っていたユキが、石段に腰掛けていた。

 ボーッとしていたかと思えばハッと我に返り、頭を横に振る。腕を組み、何やら考え事をするが、再び頭が留守になった。以下ループ。

 

(面白い……)

 

 コロコロと変わる表情と仕草は傍から見ると可笑しな光景だが、知り合いでもない人間からすれば奇妙な行動に見えるだろう。

 

(リズの言うとおり積極的、積極的に)

「ユキ」

「ひゃいっ!?」

 

 驚かせるつもりはなかったが、考え事に夢中だったのだろう。カイトが目の前で声をかけるまで全く気付いていない様子だった。思わず声が裏返る。

 

「お、おかえりなさい」

「ただいま――――じゃなくて! 先に帰ったんじゃなかったのか?」

「え? え〜っと」

 

 目が泳ぎ、困惑顔になる。まるで言う決心の踏ん切りをつけようとしているかのようだ。

 

「まぁいいや。丁度ユキに話したい事があったから」

「――! それっ! 私も話したい事があって……あっ、そっちからどうぞ!」

 

 話のきっかけを頭で模索していると、思わぬ助け舟が出された。パァッと顔が明るくなる。

 一方、今度は逆にカイトが困惑顔になった。こちらも言う決心をつけようとしているかのようだ。

 

「あのさ……今日の昼に食べたアレ、美味かったか?」

「お昼……バケットサンドのこと? 美味しかったよ」

「なら良いんだけどさ。その、バケットサンドに限った話じゃないけど……また作ろうか?」

「それは嬉しいけど、今度はいつリズと素材採集行けるかわかんないよ?」

「いや、そうじゃなくて」

 

 彼の言いたい事とは少々違う方向に受け取ってしまったようだ。照れ臭そうにしながら、カイトは一つの提案を持ち出した。

 

「もし良かったら、たまにでいいから一緒にご飯でもどうかなって。料理はこっちで作るから」

 

 彼の提案に対し、ユキはポカンと口をあけた。照れ臭そうな表情のままで、カイトは斜め上を見る。

 

「ほらっ、ユキがギルドに入ってから攻略ぐらいでしか会う機会ないし……。そっちがオフの日とか、空いた時間を使って――」

「こ、こちらこそお願いします!」

 

 ユキが歩幅一歩分だけ前に詰め寄る。そうする事で彼との距離が縮まった。

 

「私も同じ事考えていて、良い機会だし言ってみようかなって。ほらっ、『毎日お味噌汁を作って下さい』みたいな」

 

 ユキの自覚なき爆弾発言が投下された。

 カイトの顔はみるみるうちに赤くなり、手の甲で口元を隠す。

 

「……それ、意味わかってる?」

「へ?」

「滅茶苦茶古臭い言い回しだけど、プロポーズの言葉だぞ……」

 

 どこで覚えたのかは知らないが、言葉に含まれている意味までは知らなかったらしい。今となっては死語――――どころか、化石級の言い回しだ。

 自身が発した言葉の意味を理解し、正面にいる少年と同じように表情が変化する。

 

「ち、ちがっ! ちがうよ! それぐらい美味しかったからまた一緒に食べたいってだけで! 別に深い意味は……。と、取り敢えず次に会う予定を今決めちゃおう! えっと、ギルドのスケジュールは――」

 

 ユキは赤面状態で落ち着かない様子のまま、メニュー操作をして予定の確認をし出した。そして誤魔化しで始めた操作に夢中になっていたために、向かいの彼がはにかみながら微笑んでいたのを、彼女は知る由もなかった。




フィールドダンジョンを訪れる前、遠くから鉱山を見た描写で『中腹の一部分に穴が空いている巨大な山』とありますが、三人が見つけた隠し部屋の場所はこの穴の部分になります。陽の光はこの穴から差し込んでいました。
作中で出てきた《パーライト・インゴット》は真珠岩(別名:太陽石)をイメージしています。

『毎日味噌汁〜』なんて言い回しを間違った意味で彼女に教えたのは一体誰なのか?
それは次回の番外編で明らかに!


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番外編第04話 イタズラ心と羞恥心

時系列は23話のカイトVSアスナのデュエル翌日です。



「いやっほ〜う! 貸し切り貸し切り〜!」

「リズさん! 走っちゃダメですよ!」

「転んだら危ないでしょ!」

「入る前に身体流さなきゃダメだよ!」

 

 はしゃいでいるリズを制した声の持ち主は、シリカ・アスナ・ユキの三人。

 彼女達の視界をわずかばかり遮る白い湯気の発生源は、数種類の温泉。薬湯・ジャグジー・ユニットバスなどがあり、外へと繋がる出入り口を抜ければ天然の露天風呂に浸かることも出来る。別室にはサウナも常備され、専用の服を着れば入れる岩盤浴といった設備も充実していた。

 現在四人は36層主街区《ホスリート》、通称《温泉街》の東側にある日帰り入浴施設の銭湯に来ていた。今日はギルドのオフを利用してアスナとユキはリズを誘い、誘われたリズがさらにシリカを誘った結果、四人で銭湯に行くこととなったのだ。

 時刻は朝の九時であり、彼女達以外にはまだ誰も来ていない様子だ。広い浴場が事実上の貸し切り状態となっているため、リズのテンションが上がるのも無理はない。というよりもリズ一人が突出しているだけで、他三人も少なからずワクワクしているのだ。

 四人ともがタオルを巻くことなく、その身に布を一切纏っていない姿で大浴場に足を踏み入れた。絹のように白く艶やかな裸体を泡まみれにして洗い、それが終わるといよいよ入浴となる。一番大きな浴槽に足先からスッと湯に触れ、下から上へと身体を沈めて肩まで湯に浸かる。

 

『はぁ〜』

 

 聞いただけでリラックスしているとわかる声が重なり、大浴場に響いた。現実(リアル)ほどではないが、湯に浸かったことでジワジワと身体に温かさが伝わる。日頃の疲れが湯に溶けて流れていくようだ。

 

「ここに来るのも久しぶりね」

「私達もリズも色々と忙しかったからねぇ〜」

「最後に三人で来たのって……三ヶ月前? うへぇ、もうそんなに経つのか」

 

 50層以降の攻略速度遅延で焦りを感じたアスナ達は攻略に専念し、リズはというと家を買うための資金集めで仕事に没頭。お互いに中々時間を取れずにいたが、最近になって少し余裕が出てきた。

 ちなみに今日の《血盟騎士団》は完全にオフ扱いだが、とある事情でアスナは明日も少々強引にオフを取らされている。不本意ではあるが、約束は約束だ。

 

「リズさんに誘われて来たらびっくりしましたよ。まさか攻略組のお二人と一緒なんて」

 

 リズを仲介にして来たシリカは、誰が来るのか直前まで知らされていなかったようだ。

 

「黙ってた方が驚きも増すでしょ? なんてったって最前線で活躍する女子二人だし」

「アスナは兎も角、私は活躍するほどの事はしてないよ」

「謙遜することないわよ、ユキ。あなたのおかげで私もすごく助かってるから」

「え〜、そうかな?」

 

 謙遜ではなく本心で言ったつもりなのだが、褒められて嬉しくない筈がない。ユキは照れ臭そうにはにかんだ。

 

「そういえばシリカってカイトと面識があるんだって。意外じゃない!?」

「え? そうなの?」

 

 中層で活動するシリカのようなプレイヤーが、主に最前線で動く攻略組と関われる機会はほとんどない。カイトは何かと中層に降りることが多いのでわからなくもないが、『面識がある』というくらいだから、何かしらの縁があったのだろうとユキは思った。

 

「はい。以前カイトさんに三回も助けて頂いたことがあるんです。あの時出会わなかったら、私もピナもこの世界にいなかったかもしれません」

 

 シリカは自身の頭上で居心地良さそうに乗っているピナの頭を撫で、懐かしむように話した。そんな彼女を見たアスナが問いかける。

 

「シリカちゃんから見て、カイト君はどう映ったの?」

「えっと……強くて優しいお兄ちゃんです!」

「――と、シリカが言っていますが……何か思う事はありますか? ユキさん?」

「何でそこで私に振るの?!」

(あっ、始まった……)

 

 華麗なパスを放ったリズの意図をアスナは察した。

 ここからしばらくはリズのターンである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、女性陣のいる《ホスリート》東側とは反対の西に位置する銭湯入り口では――。

 

「クシュンッ!」

「うおっ!?」

 

 ――カイトが盛大にクシャミをしていた。隣にいたキリトに加え、クラインとエギルもビクッと反応する。

 

「大丈夫か?」

「うん。……誰か噂でもしてんのかな?」

「もしかするとオレンジプレイヤーかもなぁ」

「勘弁してくれ」

 

 こちらの一行も温泉目当てに訪れたようだ。

 入り口から入ってすぐの所で若い女性NPC相手にそれぞれ受付を済ますが、他の三人とは異なり、カイトだけなぜかNPCから鍵を一つ受け取っていた。脱衣スペースに向かう途中、それを見ていたエギルが問う。

 

「なぁカイト。さっきNPCから貰った鍵だが、あれは一体何なんだ?」

「これか?」

 

 カイトは鍵についている銀色のリングに人差し指を通し、クルクルと回している。

 

「これは別室に通じる鍵だよ」

「別室?」

「ここの大浴場には《開かずの間》って言われている扉があるんだけど、その扉を開けるための鍵さ。扉の向こうには《温泉街》唯一の風呂があるんだよ」

 

 脱衣スペースについた一行はメニュー操作をし、浴場に入る準備をする。着替え終わった四人がカイトを先頭にして、大浴場の中へと続く扉を開けた。

 かけ湯をした後に身体を洗うスペースへ移動し、木製の風呂椅子に座ってそれぞれ身体を洗う。

 

「受付のNPCから受注できるクエストをクリアすると、それ以降はさっきみたいに鍵が毎回手渡されるんだ。()()()()()()()良いことあるし、来たらいつも入るようにしてる」

「そんなのがあったのか。……なぁ、オレも入っていいか?」

 

 右隣にいるクラインが興味ありそうに聞いてきた。

 

「それは止めといた方が――」

「別にいいんじゃないか?」

 

 今度は左隣にいるキリトの発言だが、彼の口元が僅かに歪む。何かイタズラ紛いの事を企んでいる顔だ。

 

「『唯一』なんて言われたら興味が沸くのは当然だ。鍵さえ開ければ誰でも入れるし、入るだけなら問題ないだろ?」

「おっ、キリトはわかってるじゃねぇか! いいよな、カイト?」

「……わかったよ。もし溺れたら助けてやるからな」

「なあに言ってんだ。風呂で溺れるかよ!」

 

 特殊クエストをクリアしたプレイヤーにしか入れない、《温泉街》唯一の風呂。そんなレア物の風呂に入れるとあって楽しみなのか、クラインは鼻歌を歌い出す。

 

「……おい、キリト。何考えてんだよ」

「大丈夫だ。カイトがいるから問題ない」

「いや、まぁそうだけど」

 

 そして二人がコソコソと会話しているのを、鼻歌交じりで上機嫌のクラインは知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえばバレンタインの時に起こった出来事をまだ聞いてないわね。一体何があったのよ?」

 

 現在もお風呂に浸かりながらお喋りをする女性四人組だが、内容は完全に恋バナへと移行していた。話の主役は現在進行形で恋する乙女のユキになっており、リズは自身の知らないエピソードを彼女に聞く。

 

「えっと、実は――」

 

 ユキは手始めにギルド内で《チョコレート事件》と呼ばれている(くだん)の内容を話した。うっかり机に置いたチョコを、団員が勝手に食べてしまったという話だ。

 

「あの時は悲しかったなぁ……。でも、アスナがまるで自分の事のように怒ってくれてたのは嬉しかったよ」

「ユキが頑張っていたのを間近で見ていたからね。流石にあれは怒るわよ」

 

 犯人がわかった時のアスナの放つ雰囲気は、 他の団員も畏怖を抱く程だった。内側に抑えきれなかった憤怒の感情を外側へ漏らし、周囲の人間に寒気をもたらしたほどだ。

 

「その後にまた新しく作ったんだけど、《料理》スキルを持ってない私がやっても美味しくないのが出来るに決まってるでしょ? でも作ったのを全部食べてくれて」

 

 その時の情景が自然と頭に浮かぶ。実際に食べたわけではないのでわからないが、彼の反応で大体の察しはついていた。当時は隣で慌てていたが、その様子は客観的に見れば可笑しな光景だっただろう。

 

「それで、『一生懸命作ってくれた物には気持ちが込もるから、不味い訳がない』って言ってくれたんだ。あと、その……」

 

 ここで少し言い淀んで間を置く。下を向いて紅潮し、無意識に顔がほころんだ。

 

「『一生懸命何かに取り組む姿が好きだ』って」

「うわぁ……ご馳走様」

「そ、それって告白されたって事ですか?!」

 

 その時の甘い空気を想像したリズは半分呆れ顔で呟き、シリカは前のめりになって話の続きを聞きたがっていた。まだまだ幼いが、シリカも女の子だ。この手の話に興味を抱かずにはいられず、キラキラとした瞳で話の続きを待ちわびている。

 

「ち、ちがうよ! 『友達として』って言ってたし! だから私の一方的な片思いで――」

「フフッ」

 

 ユキは右手を顔の前で横に振り、慌てて否定した。

 あの日、顔を真っ赤にして戻ってきたユキの赤面状態は一向に引かず、様子が落ち着くまでアスナは側にいた。最近でこそ以前と変わらずにカイトと接してはいるが、意識し始めて一週間ぐらいは顔を見ることも話をすることも出来ないような重症だったのだ。

 当時の様子を端から見れば避けているようにも映っただろうが、彼と対面して赤鬼状態となるのを防ぐために考えた苦肉の策である。

 アスナはその様子を思い出すと、今でもつい笑ってしまう。勿論良い意味で、だが。

 そしてそんなユキのため、リズは彼女なりのアドバイスをした。

 

「ああいうタイプはきっと推しに弱いだろうから、自分をアピールするようにしたら?」

「アピールかぁ……例えば?」

「そうね……色気とか」

 

 ユキの顔に向けられていたリズの視線が下がる。顔から鎖骨の下辺りにある、先端にピンク色の突起がついた双丘をジッと見つめ、ニヤニヤとからかいの目を向けた。

 リズの視線が何処にいっているのかを察知したユキは、咄嗟に両腕を胸の前にもってきて隠す。

 

「そ、そんなマジマジと見ないでよ!」

「え〜、女同士だからいいじゃん。……そうだ、折角だ・か・ら――」

「リ、リズ? 何をするつもり?」

 

 リズの目が怪しげに光り、両手がいやらしく、忙しく動き出した。湯の中をスーッと静かに移動してユキに近付く。

 そのいやらしい手つきに恐怖と嫌な予感を感じ、ユキの表情が思わず引きつってしまう。

 そして開戦の火蓋が切って落とされた。

 

「――抜き打ち検査開始〜〜!」

「わわっ!」

 

 その言葉と同時にリズは両手を突き出し、ユキの胸へと真っ直ぐ伸ばす。

 一方のユキはリズの魔の手から逃れるため、急いで回れ右して距離をとろうとしたが、出だしが遅かったために呆気なく捕まってしまった。リズに対して背を向けたため、彼女の腕が背中側から脇の下を通り、そのまま掌でユキの胸を捉えて覆う。

 

「ひゃんっ!」

「スキンシップだと思って。リラックス、リラックス!」

 

 リズはユキの身体を自身のもとへ引き寄せ、彼女の胸に触れる。荒々しくするのではなく、優しくマッサージするようにして全体を刺激し、適度な快感を与えて揉みほぐした。

 

「大き過ぎず小さ過ぎない、掌に収まるお椀型ね。揉み心地も悪くないし、形も整ってて綺麗。女の私からみても美乳だわ」

「リ、リズ……やめ……くすぐったい……」

「良い身体してますなぁ、お嬢さん」

「ちょ、ちょっと待っ」

「さて、つ・ぎ・は――」

 

 ユキの声を無視し、検査という名のセクハラは続く。リズの発する声のトーンがまた一段と怪しくなった。

 胸を揉みほぐしていた手が、指先でのフェザータッチにシフトチェンジした。五本の指先が胸の表面に触れるか触れないかの距離を保ち、そっと優しく、ゆっくりと肌を撫でる。それが終わると、リズは再び胸全体をマッサージし出した。

 

「ひあっ……んんっ……んあ……ダメ、だって」

「むうっ、なかなか良い反応ね」

 

 ダメージを受けた際に生じる『不快感』とは対極に位置する不思議な感覚が、ユキの胸を出発点にして電流のように身体中を駆け巡る。

 抵抗しようにもリズの腕が身体の前でクロスし、右手で左の乳房を、左手で右の乳房を弄りつつがっちりとホールドしているため、逃げ出す事も出来ない状態だった。完全にされるがままとなっている。

 

「ア、アスナさん。あれは止めさせるのがいいんじゃ……」

「そ、そうね。……リズ! いい加減にしなさい!」

 

 シリカに促され、アスナは厳しめに注意した。

 

「え〜、もうちょっとだけ。意外とクセになるというか」

「ユキも嫌がってるでしょ! や・め・な・さ・い!」

「……ちぇ〜。じゃあ今日の所はここまでにするか〜」

 

 怒られたリズはユキの身体を固定していた腕を緩め、彼女を解放した。

 しかし自由を取り戻したユキは次の瞬間、右手に力を込めて拳にライトエフェクトを宿す。リズに背中を向けていた状態からクルッと半度回転すると同時に、下からすくい上げるようにして彼女の顎をアッパーで殴打。

 

 体術単発ソードスキル《浮雲(ウキグモ)》。

 《浮雲》で相手を打ち上げる高さは筋力値に依存するが、腕を振る速度は敏捷値に依存する。そのため敏捷寄りにステータスを振っているユキの腕をリズは目で追うことが出来ず、彼女からしてみれば一体何が起こったのか理解できなかった。

 浴槽の湯を巻き込んだ水しぶきを上げ、アッパーカットで打ち上げられたリズの身体は射角の高い放物線を描きながら宙を舞う。放物線の頂点に到達すると落下し始め、そのまま着水。水面に叩きつけられる音と一緒に着水点の湯が弾け、その後リズの身体は仰向けの状態でプカプカと水面に浮かんできた。

 アスナとシリカはリズを追っていた視線をゆっくりユキに移す。彼女は立ち上がったまま左手で胸を隠し、右手は拳を握ったまま上に高く上げていた。

 その表情には怒りと羞恥が入り乱れ、目にはうっすらと涙が見える。辱めを受けたことで無意識に行ったのは彼女なりの抵抗だが、それは唯一で強烈な一撃だった。

 

「リズの…………バカっ!!!!」

 

 大浴場に響く大きな声で不満をぶつけ、逃げるようにして浴槽から出る。そのまま足を止めることなく、露天風呂へ続く扉を開けて外に出た。

 

「リズ、少しやり過ぎたみたいね」

「自業自得です」

『きゅるるる』

 

 目を回して意識が朦朧としているリズの耳に、二人と一匹の声は届いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カイト! 早速さっき言ってた秘湯に案内してくれよ!」

 

 入浴前に身体を洗い終え、クラインがカイトに呼びかけた。誰が聞いても声が弾んでいるのがよくわかる。

 

「あー……うん、ちょっと待ってくれ」

 

 渋っているカイトだが、彼は別に秘湯を独占したいという訳ではなく、純粋にクラインの身を案じているのだ。

 しかしキリトの言った『カイトがいるから大丈夫』の言葉に嘘はない。確かにこの場でクラインの身に何か起こったとしても、カイトさえいれば救出は可能だ。ただクラインは既に入る気満々なので、今更湯の特徴を伝える事も『やっぱなし』とも言えない空気になってしまった。

 

 《開かずの間》と呼ばれる部屋は、大浴場の一番奥に設けられた通路の先に存在する。木製の扉で部屋の中は見えないようになっていた。

 鍵を差し込んで回すと、ガチャっと扉の開いた音がする。重厚感のある扉を開いたその先には、部屋の真ん中に縦横三メートル程の正方形で囲まれた浴槽が存在していた。そして浴槽内には黄色がかった湯が張ってある。

 

「おっ、これが噂のやつか。んじゃ早速――」

 

 クラインは湯に浸かるため、浴槽に向かって歩き出す。カイトはこの先起こる未来を予見し、後ろで待機していた。キリトとエギルは扉の外で様子を伺う。

 クラインの足が持ち上げられ、湯に触れる。その瞬間、カイトの思っていた通りの出来事が起こった。

 

「――んが!?」

 

 クラインの身体が自由を失い、身体が硬直したまま前のめりになって浴槽に飛び込んだ。バシャンと音を立て、彼はうつ伏せのままプカプカと水面に浮かぶ。

 カイトはクラインを救出するために秘湯に入り、浮かんでいる彼の身体を抱えて浴槽の外に連れ出した。

 

「クライン、今更で遅いだろうけどゴメン」

 

 クラインは浴槽の外に出た今でも動きが鈍い。というより、ほとんど身体の自由がきかないといったかんじだ。

 それもそのはず、彼のHPバーには状態異常を示すアイコンが点滅していた。

 

「なん……なんだよ……この風呂は……?」

「電気風呂だよ、麻痺効果付きのな。この部屋だけ圏内設定が解除されてるんだよ」

 

 目を凝らして湯を見ると、時々水面がパチパチと放電していた。

 

「この風呂に入るための鍵を取得するクエストってのは、《耐麻痺》スキルを持っていないと受注出来ない特殊クエストなんだよ」

 

 条件を満たさないと受けられないクエストは数多く存在するが、これはプレイヤーの取得スキルに反応して発生するタイプのものだった。36層の開通直後に訪れた時は何もなかったが、カイトが《耐麻痺》スキルをスキルスロットに埋めて以降たまたま訪れると、不意にクエストが発生。この事から発生条件がスキルだと予想した。

 《耐麻痺》スキルは麻痺攻撃を受けることでスキル熟練度が上昇する。そのため、この電気風呂はカイトにとって浸かるだけでスキル熟練度が上がる、うってつけの風呂なのだ。

 無論、スキル未保持者のプレイヤーはクラインのように、湯に触れるだけで身動きが取れなくなる。幸い麻痺状態になれどHPは減らない仕様となっているが、助けてもらわなければ最悪の場合、ゲームクリアまでそのままだ。カイトも熟練度が低かった頃は苦労したが、一定値を超えた辺りから平気になり、今となっては平然と浸かれている。

 

「なるほど、これはまさしくカイト専用だな」

 

 エギルが頭を掻きながら大口を開けて笑った。

 

「悪いな、クライン。実をいうとオレは知ってて薦めた」

 

 キリトの言葉を聞く限りは多少申し訳なさそうだが、顔は笑っていた。

 

「この後行く狩りで得たコルはクラインに渡すから、それで許してくれ」

 

 カイトは顔の前で両手を合わせ、謝罪の意思を示す。

 それらに対し、クラインは一つだけ要求を突きつけた。

 

「どうでも、いいから……誰か、早く……解毒してくれ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(うぅ……リズの大馬鹿……)

 

 大浴場から外の露天風呂へ逃げ込み、湯に浸かって小さく丸まっているユキが心の中でそう呟いた。

 露天風呂自体は屋外スペースの2分の1を占め、周りを石で囲まれており、雨が降っても大丈夫なように屋根が設置されている。外の景色を眺めるのは叶わないが、その代わりに屋外スペース残り二分の一には小さな庭園が用意されていた。

 庭園といっても自然なものではなく、石や砂を用いて山水の風景を表現する枯山水(かれさんすい)だ。地面には水の代わりにケイ酸を主成分とした白砂が敷かれ、所々には山の如く鎮座する大きめの石が置かれている。石の周りにはグルグルと円が渦巻き、白砂の表面に描かれた紋様は水の流れを表現していた。

 ユキが湯に浸かってジッとしていると、奥から湯の動く音が聞こえた。音に反応して発生源に視線を向けると、人影が見える。気付かなかったが、どうも先客がいたらしい。

 その人影は徐々にユキとの距離を縮め、ハッキリと顔がわかるまで近づいてきた。

 

「ア、アルゴさん!?」

「オォ、誰かと思えばユーちゃんだったカ」

 

 先客は情報屋のアルゴだった。

 普段はその身に纏っているローブのせいでわからないが、女性特有の丸みを帯びた身体を露わにし、肌は白く線も細い。

 

「いつからいたんですか? 私達が一番乗りだと思ってたのに」

「ン〜、1時間ぐらい前からかナ? オレっちはずっと露天風呂(ここ)にいたから、ユーちゃんが来てたなんて気付かなかったヨ。ところで、私()って事は他にも誰かいるのカ?」

「はい。アスナとリズと、シリカちゃんっていう子も来てます」

「アーちゃん達もいるのカ。それはまた賑やかで結構だナ」

 

 にゃハハハ、というアルゴ独特の軽快な笑い声が響く。

 

「アルゴさんもここにはよく来るんですか?」

「ここはオレっちお気に入りの場所だからナ。朝早くに来ると独り占めできるんだヨ」

 

 アルゴは枯山水に視線を向けた。

 人工的に作られた庭園とはいえ、砂と石だけで自然を表現した優雅で風流な景色には趣を感じずにいられない。芸術的感性に疎い者でも、シンプルながら奥深い光景に目を奪われるのは必須だろう。

 

「それとここの近くに中々美味い料理が食べられる店があってナ。そこと合わせて来るのがオレっちの密かな楽しみなんダ」

「へー」

「ちなみに今の情報は500コルだヨ」

「お金取るんですか?!」

 

 『売れる情報は何でも売る』がアルゴの信条だ。とはいえ、自分から聞いた訳でもないのに料金が発生するのには、さすがにユキも理不尽だと感じた。

 

「にゃハハハ、冗談だヨ」

「アルゴさんが言うと冗談に聞こえないんですけど……」

「別にどの店とは言ってないし、こんな抽象的かつ曖昧な情報で金を取る気はないサ。その代わりに少しだけ有意義な情報を……これはオネーサンからのサービスだヨ」

 

 アルゴはユキに近付き、耳元でそっと囁いた。

 

「もしも今後手作り料理を作る男が現れたら、そいつに『毎日味噌汁をつくってくレ』って言ってごらン」

「なんですか、それ?」

「ただの比喩的な物言いダ。要は毎日食べても飽きないくらい美味いっていう、一種の褒め言葉だナ」

「へぇ。……でもSAOで《料理》スキル――――しかも男の人で上げているのは少なそうだし、使うのはまだまだ先になりそうですね。それこそ現実(リアル)に戻ってからじゃないと」

「まぁちょっとした知識として頭にとどめておいてくレ。それじゃあオレっちは先に出るヨ」

 

 アルゴは露天風呂から出て軽く手を振ると、ユキもそれに対して手を振り返す。

 

(カー坊の顔が目に浮かぶナ。にゃハハハ!)

 

 背を向けたアルゴの心中が顔に出るが、それをユキが見るのは叶わない。

 アルゴが静かに()いた種は約二週間後、仕掛けた張本人のいない所で芽を出すのであった。




章タイトルに合わせた結果、シリカとリズベットは既に面識がある設定となっています。

50層フロアボス戦でただ一人、カイトだけが麻痺攻撃を喰らわなかったのは《耐麻痺》スキルを習得していたからです。電気風呂発見以降は頻繁に利用したため、50層の時点でかなり高い熟練度に達しています。

前話の味噌汁発言を吹き込んだ犯人はアルゴでした。

3章小ネタ
章タイトルの花・星・太陽は順番に、シリカ・アスナ・リズベットに対応しています。これは個人的に思う三人のイメージに照らし合わせてみました。
そして各話の後編で登場する蘇生アイテム・ソードスキル・素材アイテムも、順番通り章タイトルに即してあります。

3章の番外編が終わりましたので、例に漏れず次話から四章です。
とある事情でカイトとユキが久しぶりにコンビを組みます。


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第4章 -圏内事件の裏事件-
第26話 発端と不意打ち


今回は4章のプロローグ的な話となります。



 2024年4月3日。

 第50層主街区《アルゲード》からほど近いフィールドで、鬼ごっこをしている二人のプレイヤーがいた。

 『鬼ごっこ』というと聞こえはいいが、この二人は遊んでいるわけではない。それぞれの理由は違えど、自身の命運を分ける大事な行いである。特に追いかけられているプレイヤーに関していえば、文字通り命がかかっているのだから。

 

「ハァ……ハァ……ちっくしょう……」

 

 追いかけられている男性プレイヤーは走りながら悪態をつく。だが後ろを振り返ることはしない。敵との距離を正確に知るたった一瞬の行為は、現時点では愚行だと分かりきっているからだ。

 

(死にたくねぇ……死にたくねぇよ……)

 

 足音が近づいて来ると共に、死の恐怖も増大する。

 男は顔を歪め、涙をうっすらと浮かべながら走り続けた。

 凹凸(おうとつ)が激しく遮蔽物の多い道を真っ直ぐ、時には左右に曲がって撹乱する。彼は持てる限りの敏捷力をブーストして疾走していた。

 

(あんな奴らに関わること自体、間違ってたんだ!)

 

 最初は些細な興味本位だった。

 アインクラッド中で知らない者はいないと断言できるほど有名な、とあるギルド。彼はそのギルドのメンバー()()()

 『だった』。つまり過去形ということは、今の彼はギルドメンバーではない。彼は脱退申請を出す時に酷くビクビクとしていたが、意外にもギルドマスターは快く脱退許可をしてくれた。あまりの呆気なさに拍子抜けし、気の緩みきっただらしのない顔をさらけ出すほどに。

 しかし彼は現在、かつての仲間に追われている。目的は言うまでもなく、命。

 

(街に辿り着けさえすれば……)

 

 現在地点は《アルゲード》の東に位置するフィールド。幸いにもモンスターとの遭遇は一度もない。仮に遭遇していたとすれば『トレイン』と呼ばれる非マナー行為が発生していただろうが、そんな事は御構い無しだ。

 そしてとうとう、彼の人生の中で最も必死になった『鬼ごっこ』は幕を閉じようとしていた。

 

(あぁ……)

 

 これまで彼のしわくちゃだった顔が安堵した。

 視線の彼方には主街区の姿。静かに佇む街の影は、彼の帰りを待ち望んでいるかのよう。後方で聞こえていた耳障りな足音も、いつの間にかなくなっている。

 

(勝った! 俺は逃げ切ったんだ!)

 

 ここまで来ればあとは道の真ん中を突っ切り、主街区の中へと飛び込めばいい。システムに守られた圏内ならば、いくら奴らでも手出しはできないと確信しているからだ。

 

(街についたらしばらくは身を隠す。足取りが掴めないようにしねぇと)

 

 他の事を考える余裕が生まれたその時、前方に見える木の影から一人のプレイヤーが現れた。黒いローブを羽織ってフードを深く被り、全力疾走する彼の進行を遮るかのように、フラフラと走路に出てきたのだった。

 

(何処のどいつか知らねぇが……)

 

 男は背中の斧に手をかけて引き抜くと、肩に担ぎながら黒ローブに突っ込む。

 

「邪魔だどけえぇぇぇえ!」

 

 男は担いだ斧を両手で持ち、黒ローブに近付くと斧を振る。地面と水平になるようにして振るった斧は、黒ローブの首ギリギリの所に狙いを定めた。

 彼の持つ両手斧は威力も高く、人体の急所に設定されている首を刈れば最悪の場合死に至る。しかし殺すつもりはない。いつもなら問答無用で攻撃するが、今殺してしまえば主街区に入れなくなるからだ。

 男の予定ではちょっと驚かす程度にとどめ、何事もなかったかのように再び主街区へ走るだけだった。

 

 しかしそれは実行されず、あくまで予定として終わる。

 

 黒ローブはしゃがんで姿勢を低くすると、左手に隠し持っていた短剣で男の足を刈る。右足を切断された男はバランスを崩して転倒。斧もその際に手放してしまった。

 

「くそったれ! 何すん……だ……よ……」

 

 地面に這いつくばっている男は顔を上げて上半身を起こし、背中側にいる黒ローブを睨みつけた。だがフードの下に隠れていた物を見たとき、忘れかけていた恐怖が蘇る。

 フードの下にあったのは白い仮面。模様として描かれている両目から頬を伝った赤い線は、まるで目から流れる赤い血の涙のようだった。仮面の口元は頬まで裂けそうなほど笑っているが、そこから僅かに見える素顔の口元は真一文字に結ばれている。そして本人は一切喋らず、只々地面に伏している男を見下ろしていた。

 

「てめぇ……まさかラフコフの野郎か……?」

 

 男の言動に答える気はないらしく、無視して剣を持ち上げ、切っ先を下にして振り下ろした。

 

 足の部位欠損でまともに動けない男をいたぶる事1分弱。一仕事終えた仮面のプレイヤーは剣をしまい、その場で静かに佇む。

 そしてその仕事ぶりを最初から最後まで見ていた一人のプレイヤーが、音もなく突然現れた。

 

「Huh、とりあえず出だしは成功したようだな」

 

 鼓膜を震わせる艶やかな美声の持ち主。フードを目深に被ったポンチョの男、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》リーダーのPoHがそこにいた。

 

「俺も暇じゃない。わかっているとは思うが当初の予定通り、一回限りだ」

 

 仮面のプレイヤーは頷くと、ローブの袖から紙を一枚取り出した。取り出した紙はその場に投げ捨て、ヒラヒラと宙を舞って地面に落ちる。仮面のプレイヤーはそのままPoHの横を通り過ぎ、再びフィールドの奥底へと消えていった。

 しんと静まり返ったフィールドの片隅で、PoHは遠くにある主街区を見やる。

 

「イッツ・ショウ・タイム……と、いこうじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少しだけ移ろい、2024年4月11日。

 現在の最前線は第59層。アクティベートして間もない新しい階層であり、主街区の《ダナク》は田舎町を思わせる風景だった。

 《ダナク》には赤い屋根の建物が建ち並び、其処彼処(そこかしこ)に風車が設置されていた。長閑(のどか)な牧場を思わせるように緑も多いため、目の保養になる。

 圏内にある一本道は両脇を白いペンキで塗られた木製の柵で囲まれ、柵の向こう側には草木が生い茂っていた。季節が春という事もあって日中は暖かく、気象条件さえ整えばそよ風が肌を優しく撫でるため、絶好の昼寝日和となる。

 そんな《ダナク》の一画にある緑のカーペットが敷かれた木の下で、二人のプレイヤーが胡座(あぐら)をかいて座っていた。

 

「眠い……」

 

 カイトは頭がボーッとした状態で目を閉じ、身体がユラユラと左右に揺れる。隣にいたもう一人のプレイヤー・キリトは胡座状態から手足を伸ばし、草の上に寝転がった。

 

「オレは寝る。こんな日は横にならなきゃ勿体無い」

「あっ! ズルイぞキリト!」

「カイトも横になればいいじゃないか」

「圏内だから安全とは限らないって知ってるだろ」

 

 基本的に圏内設定が施されている街や村でHPが減少することはまずない。ただし、過去に発生した眠っている相手に《完全決着モード》で決闘(デュエル)を申し込み、一方的に攻撃する『睡眠PK』というやり口は別だ。うっかり眠ってしまってそんな事を行うプレイヤーが現れれば、まさしく『永眠』してしまうだろう。

 そんな事など関係ないとでも言うように、キリトは両手を頭の後ろで組み、完全に寝る体制へと入った。

 

「何してるの、あなた達」

 

 キリトは頭上からの、カイトは斜め後方からの声に反応した。

 現れたのは手を腰にあて、仁王立ちで二人に鋭い眼光を向けるアスナだった。表情からはご立腹なのが伺える。

 

「なんだ、あんたか」

 

 キリトは寝転がりながらアスナを一瞥すると、興味なさそうにして再び目を閉じる。その態度がアスナをさらに苛立たせた。

 

「なんだじゃないでしょ。攻略組のみんなが迷宮区にこもっている時に、何で呑気に昼寝なんかしてるのよ。大層な御身分ですね」

 

 不満と皮肉を交えた口調が、キリトに対して向けられた。一方のキリトはそんな事お構いなしといった様子だ。

 そして隣にいるカイトに睡魔が再来し、彼の瞼が重くなる。

 

「アスナ、丁度良い所に。あとは……頼、む……」

 

 それだけ言ってカイトは草の上に寝転がり、陽の光と風を感じながら眠りにつく。ものの数秒で眠りにつき、口を半開きにした状態で寝顔を晒した。

 

「頼むって……はぁ……あなた達ねーー」

「そいつは寝かせてやってくれないか?」

 

 アスナが今一度文句の一つでもぶつけようとした所、キリトが待ったをかけた。

 

「最近何かと忙しかったから、あんまり寝てないみたいなんだ。そっとしておいてくれ」

「忙しいって……まさか、まだ人助け紛いの事をしているの?」

 

 《掃除屋》として名を馳せる彼の元には様々な依頼が寄せられる――といってもほとんどはオレンジ関係ばかりで、ギルドの壊滅・捕縛や個人的な敵討ちが主だった内容となっている。稀に《MTD》の治安部隊から強力要請を受ける時もあった。

 

「別にしちゃいけないとまでは言わないけど、少しは断ればいいのに」

「断れないんじゃなくて、断らないんだよ」

 

 キリトは体制を変えないまま、喋り出した。

 

「折角自分を頼って訪ねてきた人を、無下にはできないんだとさ。それにカイトを頼ってくるのはほとんどが中層以下のプレイヤーだ。犯罪者に殺された仲間の仇を取ろうにも、情報を買い揃える金や力でねじ伏せる十分なレベルもない人達ばかりさ。きっとそんな人達にとって、最後の拠り所なんだよ」

 

 キリトは顔を横に向け、隣で寝ているカイトの横顔を見た。が、すぐに寝入る姿勢に戻る。

 

「百歩譲って彼は良いとしても、あなたまで昼寝しているのはどういうこと?」

「今日はアインクラッドで最高の気象設定だからだよ。暖かくて風も気持ちいいし、あんたも寝てみればわかる筈だ」

 

 天気なんて今まで気にしたことのない彼女からすれば、意味がわからなかった。だが目の前で寝ている二人の顔を見ると、まんざら嘘でもないように思える。

 周囲を見渡してふっと上を見上げると、側に生えている樹木が彼女に影を落とし、葉と葉の隙間から木漏れ日がさす。眩しくて光を遮るように手をかざすと、掌に暖かな熱を感じた。

 そして次の瞬間、光風(こうふう)が吹き抜けてアスナの髪が静かになびく。今まで意識していなかったものがハッキリと感じ取れた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 アスナと分かれて数十分が経過。一向に戻ってこないのを心配したユキは、フレンドリストで分かる彼女の現在地に歩を進めていた。どうやら《ダナク》内のとある場所にいるらしく、位置情報は全く動かない。一体何をしているのかと疑問に思っていたが、それはあっさりと解決した。

 樹木の下で川の字を描き、横になっている三人のプレイヤー。まさかと思いながらアスナの現在地を確認すると、完全に一致している。

 案の定そこには陽の光を全身に浴びながら、気持ち良さそうに寝ているアスナの姿があった。

 

(珍しい)

 

 ユキは今まで昼寝をしているアスナを見たことがない。そもそも昼寝をする時間帯、攻略組は迷宮区のマッピングなどに勤しんでいるため、昼寝自体しない。

 そしてその隣には見知った二人、キリト・カイトも同じようにスヤスヤと気持ち良さそうに寝ている姿があった。

 三人の寝顔を眺めながらユキがカイトの左脇に来ると、足を揃えてその場にしゃがむ。

 

(か、かわいい!)

 

 無防備な仰向け状態でいる彼の寝顔は、年不相応の童顔をさらに幼く感じさせる。風がカイトの前髪を静かに揺らした。

 彼の寝顔をジッと眺めて観察していると、ふとある考えが彼女の頭に浮かび、それを実行に移した。

 

(そーっと、そーっと……)

 

 しゃがんだままカイトの頭が届く位置まで近付き、細い腕を伸ばして右手で彼の頭に触れる。そして頭のてっぺんから前髪にかけ、髪の流れに沿うように二回、三回と起こさないように優しく撫で始めた。ついつい頬がほころぶ。

 

(それにしても、よく寝てるなぁ……)

 

 起こさないように配慮してはいるが、起きる気配が微塵も感じられない。それをいいことに頭を撫でる動作を止めて、人差し指で頬を軽く突つき始めた。それでも彼は目を覚まさない。

 段々面白くなってきた彼女は突つくのを止め、今度は人差し指と中指の二本を揃えて円を描くように頬を撫でる。

 

(次は――)

 

 これの次は何をしようと考えていると、不意にカイトの身体が寝返りをうって横向きに変わった。ユキのいる方向に寝返ったため、当然の事ながら顔の向きも変わるのだが、その際に頬を撫でていたユキの指にカイトの唇が触れる。

 指先を通じて柔らかい感触が伝わる。どちらも意図した訳ではないが、思いがけずユキは指にキスされる形となってしまった。

 

「――――っ!?」

 

 ビックリしたユキは咄嗟に手を引き、それと同時に尻餅をつく。

 そっとキスされた指先を見つめると、少し遅れて顔が熱くなるのを感じた。

 

「……んあ」

 

 閉じていたカイトの目が開き、寝ぼけた声を発しながら起き上がった。しかし頭はまだ覚醒していないため、眠た気な目をこすってからゆっくりと周囲を見回した。すると左手側に指先をじっと見つめているユキの姿を捉える。

 

「ユキ……なんで……?」

「えっ!? な、何?」

 

 寝る前にはいなかった少女が自分の隣にいるのだから、寝ぼけた頭でもそれぐらいの疑問は抱けた。そして追加の疑問が二つ。

 

「手がどうかしたのか? ……それに顔、赤いぞ?」

「何でもない! 何でもないから気にしないで!」

 

 右手を後ろにまわして隠し、左手を大きく振ってまくしたてることで誤魔化した。

 そして隣で寝ていたキリトも起き上がり、腕を空に向かって伸ばしながら大きく伸びをした。

 

「あー……うおっ!?」

 

 彼が驚きの声をあげたのは、隣で寝ている可憐な少女が原因だった。

 

「まさか本当に寝るとは」

「なんだ、結局アスナも昼寝タイムか」

「えっ、今頃気付いたの?」

「――って、ユキ? いつの間に」

「ついさっきだよ。アスナが全然帰ってこないんだもん。心配で見にきたら、まさかこんな事になっているなんて思いもしなかったよ」

 

 ユキはキリトから睡眠中のアスナに視線を移すと、穏やかな表情の彼女を微笑ましく見つめた。カイトもアスナの寝顔を見て和んでいると、表情が一瞬で険しくなり、気が引き締まる出来事が起こる。

 それはアルゴから送られたフレンドメッセージ。大まかな内容は見るまでもないので開かずとも予想は出来るが、おそらく新しい依頼だろう。それでも通知アイコンをタップして中身を開いたのは、詳細な内容を閲覧するためだった。

 

『カー坊、オレっちとデートしよう!』

「はぁっ!?」

「ど、どうしたカイト」

「しー。おっきい声出したらアスナが起きちゃうよ」

「ご、ごめん」

 

 予想の斜め上をいく内容につい大声を出してしまう。アルゴの意図がわからず、混乱しながらどう返信しようか迷っていると、すぐに追加でメッセージが届いた。

 

『にゃハハハ、ビックリしたカ? 冗談はさておき……昨日の今日で悪いが、またカー坊宛てに依頼が届いたゾ。詳細なんだがメッセージじゃなく、直接会って話がしたイ。30分後に41層の《インベル》まで来てくレ。場所は――――』

 

 アルゴからのメッセージに目を通し、『わかった。すぐ行く』と簡潔に返信して立ち上がる。

 

「キリト。またアルゴからデートの呼び出しが来たから行ってくる」

「は? ……あぁ、わかった。気を付けろよ」

「デ、デート!?」

 

 キリトにとってはいつもの事なので、『アルゴ』の名前で全てを察した。しかし言い回しがマズかったため、ユキにはあらぬ誤解を招いてしまう。

 

「カイト、アルゴさんとデートしに行くの?!」

「いや、そういう意味じゃなくて……オレ宛ての依頼が来てるから呼び出し喰らっただけだよ」

「あ……あぁ、そういうことね」

 

 ユキはカイトの言葉でやっと理解した。今から行くのは文字通りのデートではなく、彼が個人的に行っている活動の事だ。

 アルゴのような《情報屋》と同じように、カイトの活動も一種の職業のようなものとして認知されてきている。ユキも話にはよく聞いているが、実際にその目で彼の活動内容を見たことは一度もない。故に彼女が発した言葉は興味本位からくるものだった。

 

「ねぇ、普段どういうことをしているのか興味があるから、私も一緒に行っていい? 」

「いいけど、アスナはどうするんだよ?」

「え、えっと……」

 

 アスナはいまだに夢世界(ユメセカイ)へのダイブを続けており、置いてきぼりにすれば睡眠PKに遭遇する可能性もある。無理に起こすのも悪い気がするし、かといって自然に起きるのを待っていればいつになるかわからない。

 

「ユキ、行っていいぞ。オレがガードしとくから」

「本当!? ありがとう。それじゃあ、アスナはキリトにお任せします!」

「あぁ、確かに任されました」

 

 ユキは短く礼を述べると、カイトの隣50センチの位置に立つ。近すぎず遠すぎない、二人にとって丁度良い距離感を保ちながら、転移門に向かって歩き出した。



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第27話 頑固者と分からず屋

 アルゴの急な呼び出しに応じ、カイトはユキと一緒に59層主街区《ダナク》から41層主街区《インベル》に降り立った。

 41層主街区は人呼んで《クラフタータウン》。中層の中でも様々なスキルを持つ職人ギルドやプレイヤーが多く存在し、《インベル》に店を構えている人も多い。一番の理由は素材の入手経路が多岐に渡り、かつ容易だということだ。

 生産系スキルを使うにはそれに適した素材が必要となる。《料理》スキルなら食材、《木工》スキルなら木材、《裁縫》スキルなら生地などだ。そういった各生産系スキルに必要なアイテムを、この《インベル》を中心とした東西南北のフィールドで手軽に入手可能というのが魅力となっている。

 

 二人は転移門広場から主街区の大通りに向かう。道中の両脇には職人達の店が軒を並べ、店頭には彼らが腕を振るって作った至高の逸品が並べられていた。

 向こう側の景色が見える程透き通った透明なコップは《ガラス細工》スキル、鍛治職人が使いそうな道具は《木工》スキル、テーブル・ソファ・ベッドは《家具作成》スキルによる物だろう。

 

「綺麗……」

 

 そして多くの店が建ち並ぶ中、ユキは思わず立ち止まってショーウィンドウに飾られている品に目を奪われた。両膝に手をおいて前屈みで眺めていたのは、小さな宝石が埋め込まれている指輪だった。おそらく《宝飾加工》スキルによるものだろう。宝石は小指の先に乗せられる程小さいが、内に秘めた輝きはそのサイズに収まりきっていない。

 

「ユキ! おいてくぞ〜」

「あっ、待って」

 

 名を呼ばれて止めていた足を再度前に動かす。カイトの隣まで駆け足で近寄り、追いついたら彼と同じペースで歩き出した。

 

 

 

 

 

 二人が向かった先は《白月亭(しろつきてい)》という宿。ここがアルゴの指定してきた場所で、会う部屋は二階の一番奥にある一室だった。

 軋む音を響かせながら階段を一段ずつのぼり、狭い廊下を直進。指定された部屋の前まで行くとノックを三回。すぐに扉は開かれた。

 

「よくきたな、カー坊。入りなヨ」

 

 部屋の中からアルゴに手招きされ、カイトは入室する。ユキも彼についていくように入ると、そこでようやくアルゴが彼女の存在に気付いた。

 

「アリャ? ユーちゃんも一緒なのカ?」

「どんな事やってるか興味があるんだってさ。物好きだよな」

「なんダ、せっかくカー坊が二人きりで甘い時間を過ごそうって言ってくれたの二。オネーサン残念だヨ」

 

 目を伏せて残念そうな顔をしたアルゴは、最後にため息のオマケもつけた。ユキの眉がピクッとつり上がる。

 思わぬ所でカイトの《超感覚(ハイパーセンス)》が働き、後ろからヒリヒリと背中を焼く黒いオーラを察知した。アバターが冷や汗をダラダラと流し、ブリキ人形のようにぎこちなく首と腰を回して振り返る。彼の後ろにいる人物は目元・口元ともに笑っているが、表情とオーラの不一致は寧ろカイトの恐怖心を煽るだけだった。

 

「……カイト、どういうこと?」

「違うって! これはアルゴの冗談だから!」

「必死に否定してると益々怪しいなぁ」

「いや、だから――」

 

 満面の笑みで詰問する彼女の誤解を解くため、カイトは弁明の言葉を並べたて始めた。そんな二人のやり取りを向かい側で黙って眺めていたアルゴが、突然笑い出す。ユキが不思議そうな顔でアルゴを見た。

 

「イヤ〜、ユーちゃんの反応はいつも新鮮だナ! オネーサン嬉しいヨ」

 

 場を引っ掻き回すのは、アルゴの『趣味』と言っても過言ではない。彼女の扱いもとい付き合い方に十分な経験値を積んでいる人物からしてみれば、これは挨拶代わりのようなものだ。ただし、慣れない者にしてみれば嘘か真かの判別がつかないため、彼女特有のジョークを全て真に受けてしまう。

 

「もしかして私、遊ばれてた?」

「こいつの言う事にいちいち付き合ってたら身が保たないぞ」

 

 にゃハハハ、という軽快な笑いと満面の笑み。アルゴの言葉でやっとユキも気付いてくれたようだ。そしてそんな光景を椅子に座ったままアルゴの後ろで眺め、口元に手を添えながらクスクスと上品に笑っている人物がいた。

 

「仲がよろしいんですね」

 

 それは華奢な女剣士。肩を通り越して腰まで伸びた黒髪、大きな猫目に整った鼻梁と細い唇は、間違いなく美人と言い切れる。

 身丈の短いレザージャケットの前を閉めてはいるが、セクシーなヘソと胸元は隠しきれていない。腰の右側には曲刀を携え、全身黒で統一された装備を見たカイトの感想は「《黒の剣士》女バージョン」だった。

 

(綺麗な人だなぁ……)

 

 儚げな和風美人の印象を抱かせるイリスに、カイトは思わず見惚れてしまう。えも言われぬ年上お姉さんに対する憧れに加え、清楚と気品を匂わせる雰囲気にあてられてしまえば、彼でなくても忘我の表情を顔に浮かべることだろう。

 そんな彼の表情から心情を察知したユキの顔に霧がかかり、横目でカイトを見やった。しかしあえて何もせず、言わず、ただただ黙って大人しくする。

 

「依頼主の内の一人、イリスこと、イーちゃんだヨ」

 

 紹介された人物・イリスは立ち上がり、二人に対して軽く会釈をした。カイトとユキも会釈をした後、お互いに自己紹介を済ませる。そしてユキの名をきいたイリスがこんな問いかけをした。

 

「あの、あなたはもしかして《舞姫》じゃ……?」

「え? あー、なんかそう呼ばれているみたいですね」

「やはりそうでしたか。攻略組が二人も協力してくれるなんて、心強いです」

 

 この場にいる人物の紹介が済んだ所で、さして広くもない部屋に椅子を並べ、丸テーブルを囲うようにして座る。そこでアルゴの中にあるスイッチがオンになったらしく、《情報屋》としての真剣な顔つきになった。

 

「今から話すことはオレっちも小耳に挟む程度には聞いていたが、今回の依頼を聞いてこれから本格的に調べ始める段階ダ。まずはオレっちの知ってる範囲で話すゾ」

「あぁ、頼む」

 

 カイトに促され、アルゴは一度軽く息を吸って吐く。そこから話が始まった。

 

「オレっちの聞いた噂は今から1週間ぐらい前の4月5日、22層主街区《コラル》の南フィールドでプレイヤーがPKされたっていう話だっタ。それだけならオレンジプレイヤーが起こしたPK事件の一つで話は終わるんだが、奇妙な点が二つあるんダ」

「奇妙?」

 

 カイトの疑問に対してアルゴは頷き、右手を出して人差し指を一本立てる。

 

「まず一つ目は、『PKした後にその場である物を残したこと』だヨ」

「ある物ってなんですか?」

 

 今度はユキからの疑問だった。アルゴは指を立てたまま、顔をユキに向けて答える。

 

「オレっち作成のガイドペーパーを、PKしたプレイヤーがその場に放り投げたらしイ」

 

 アルゴが作成しているガイドペーパーとは、階層の些細な情報を纏めたものだ。各階層毎の道具屋に委託し、主街区転移門広場で無料配布している。

 アルゴはデスゲーム開始直後、自身の持つ情報を纏めたガイドブックを発行し、無料でプレイヤー達に配布していた。それ以降も新しい階層が開通すれば、その度に彼女は似たようなものを発行している。

 しかし1層の頃はビギナーのために配慮した内容――――例えばクエストの受注方法やソードスキルの使い方などを多く載せていた。そのため少々厚めの文庫本サイズとなっていたが、今では情報屋の仕事に支障が出ない程度の内容となっているため、ペラペラの紙と同じ厚さになっている。アルゴ曰く『金を取れないような情報が載っている只の紙切れ』らしい。

 ただ、下層からきた初見のプレイヤーにはありがたいらしく、今でもそこそこの需要を維持している。

 

「実際にそいつが持ってた実物はあるのか?」

「流石に入手出来ていないヨ。タダ、それは59層のガイドペーパーだったと聞いていル」

「59層……」

 

 59層といえば、つい最近アクティベートされたばかりの階層だ。カイトが先ほどまで昼寝をしていた場所でもある。

 

「それにしても、そんな噂が流れているってことは目撃者がいたんですよね?」

「ソウ。ユーちゃんの言うとおり、実際に現場を間近でみたプレイヤーがいたんだヨ。ケド、それが奇妙な点の二つ目に繋がるんダ」

 

 アルゴは顔の横で指を二本立てた。

 

「現場に居合わせたのはしがないウッドクラフターだっタ。何処かに隠れてやり過ごそうとしたんだが、物音を立てたせいで気付かれたんだそーダ。慌てて逃げようとしたケド、ビビって尻餅をついてしまって殺されるのを覚悟したらしイ。ダガ、PKした奴はそいつを見逃してその場を去っていったんだとサ」

「ふーん……そういう時って普通は『見られたから殺す』っていうのがドラマでありがちな展開だよな。なんでそうしなかったんだ?」

「そればっかりは犯人じゃないと何とも言えんヨ。オレっちにはわかんないネ。知りたかったら直接会って問いただしてみればどうダ?」

 

 両の掌を上に向け、頭を横に振ってわからないことを表現していた。

 アルゴの入手できる情報は主観的・客観的事実に基づくものだけであり、プレイヤーの心理面までは流石の彼女でも立ち入ることはできない。

 

「ちなみにそいつの特徴は黒いローブを羽織っている事と、顔に白い仮面を被っているということダ。……それとあくまで目撃者の視点からみた感想だが、かなりの手練れらしイ」

「仮面か……漫画に出てくる殺人鬼みたいだな」

「そんな悠長なもんじゃないゾ。こっちは本当に実在する殺人鬼だからナ。事実、そいつに殺されたのは一人だけじゃなイ」

 

 アルゴは真剣な面持ちを崩すことなく、話を続ける。

 

「今回の依頼主であるイーちゃんは、そいつ――《仮面の男》と呼ばれるプレイヤーに仲間を殺されたんダ。それも殺されたのは昨日の朝方、現場は36層主街区の《ホスリート》北フィールドだヨ」

「今度は36層か……それで、他にわかっている事は?」

「サア?」

「さあ?」

 

 疑問符の応酬。イリスを除いた全員がそれぞれ首を傾げた。

 

「悪いけどオレっちが知ってるのはここまでだヨ。それ以上の事はまだ聞いていないし、調べてもいなイ」

「なんだよ、らしくないな。《情報屋》の名前が泣くぞ」

「五月蝿いナ。依頼人が直接会って話がしたいっていうからそれ以上は何も言ってこなかったし、こっちも聞かなかっただけだヨ。こっから先はイーちゃんに聞いてくレ……と言いたいところだが、実はイーちゃんの連れもここに来る予定なんダ。それまでちょいと待っててくれヨ」

「すいません、今日は別行動をとっていたので。お二人にお伝えした集合時間に間に合うよう言ったのですが……」

 

 そう言ったイリスの視線が動き、現在時刻を確認する。カイトとユキも時間を見ると、集合時間はとっくに過ぎてしまっていた。

 

「まあ、もう少しここで待っていよう。それはそうとして……ユキ、そろそろギルドに戻ったらどうだ?」

「え?」

「え?」

 

 カイトは今回、ユキが興味本位の見学みたいなつもりで来たものだと思っていた。しかし彼女はそういうつもりではなかったらしい。いきなりギルド本部に戻るよう言われた意味がわかっていない様子だった。

 

「なんで?」

「なんでって……イリスさんの連れが来て話が終われば、その先はオレ個人の活動だし、大まかに何やってるかはわかっただろ? オレが普段どんな事をやっているか知りたいだけじゃなかったのか?」

「う〜ん、最初はそのつもりだったけど……この際だから私も手伝うよ」

 

 腕を前にして拳を握る。表情からはやる気が満ち溢れているのがわかった。だがそれと対照的にカイトの顔に雲がかかる。

 

「アルゴの話聞いてた?」

「勿論」

「今から関わるのは人を平気でPKする相手だぞ?」

「そうみたいだね」

「ユキは今から何をするんだ?」

「カイトのお手伝いをします」

「……しょうがないな、もう一回言うぞ。アルゴの話――」

「だから聞いてたよ?」

「いーや、聞いてない。というかわかってない」

 

 カイトは呆れ顔で首を横に振った。

 

「こいつはおそらくPKの常習犯だ。今の話の中で少なくとも二人、それにもっと多くのプレイヤーを殺している可能性が高い。悪いこと言わないから、この件は聞かなかったことにして攻略活動に戻ってくれ。あとはオレで何とかするから」

「もしかして心配してくれてるの? それは嬉しいけど、私は大丈夫だよ」

「――えぇい! もどかしい!」

 

 カイトは勢いよく椅子から立ち上がった。

 

「相手の目的も実力も未知数で不安要素がたくさんあるんだっ! 危険かもしれないからユキはギルドに戻れっ!」

 

 遅れてユキも同じように立ち上がる。

 

「こんな話聞いて見過ごすわけにはいかないでしょっ! カイトだって危険なんだし! ……それにいくら相手の実力がわからないっていっても、私は攻略組の()()()()だよ! 問題ありません!」

(ユーちゃん、それを言うなら『()()()()』じゃなくて『()()()』――)

 

 柄にもなくアルゴがツッコミを入れようとしたが、心の中で呟く程度にとどめた。とてもじゃないが、今の二人の間に茶々を入れる隙はない。

 

「頑固者!」

「分からず屋!」

 

 二人の口撃戦はその後も続く。両者とも一向に譲る気配をみせず、アルゴとイリスは既に空気と化していた。

 最初はこの状況をどうしたものかと考えながら眺めていたアルゴも、すぐに諦めたらしく、ストレージから飲み物を取り出してくつろぐ始末。一方のイリスは二人をなだめたいのだろうが、オロオロするだけで何もしない――というより、どうすればいいのかわからないらしい。

 

「い、いいんですか、アルゴさん? お二人を止めないと」

「放っておけばいいサ。只の痴話喧嘩だから、気にする必要はなイ。イーちゃん、ホットミルクでよかったかイ?」

「え……は、はい。頂きます」

 

 暖かいミルクがイリスの前に差し出される。カップをソーサーから持ち上げて一口飲むと、彼女の心に癒しをもたらし、ほっと一息つく。

 アルゴとイリスが時間をかけてちょっとずつミルクを飲み、五杯目に差し掛かろうとした時だった。二人の口撃は徐々に落ち着きを取り戻し、ようやく決着がつこうとしていた。

 

「ギルドの攻略はどうするんだよ?」

「レベル上げノルマはないから、問題ないよ。それとカイト一人だけで取り組むよりも、私と二人なら何かあっても対処できる場合が多いでしょ? 二人で支えあえばいいんだし」

「……アルゴ、イリスさん。なんとか言ってやってくれ」

「ン〜、オネーサン的にユーちゃんの申し出はありがたいんだけどナ〜」

「わ、私はご本人にお任せします」

 

 援軍を呼んだつもりだったが、どうやら余計な事をしてしまったらしい。

 アルゴとしてもカイト一人に任せるより、強力な助っ人がいてくれれば安心できる。普段は彼一人に任せっぱなしだが、今回はどうもきな臭い気配がするのを《鼠》の嗅覚が感じとっていた。この場にカイトの味方をする者はいない。

 

「すぐに終わるかもしれないし、長引くかもしれない。危険かもしれないし、そうじゃないかもしれない。そんな不透明な状況の中にギルドメンバーを放り込むなんて、ヒースクリフは許してくれるか? 攻略とは関係ないことに貴重な人員を割いてくれるのか?」

「う〜ん……ちょっと待ってて」

 

 彼は最後の抵抗、もとい切り札を使う。所属ギルドの団長・ヒースクリフが止めてくれさえすれば、いくら頑固な彼女でも流石に大人しく言うことを聞いてくれるだろう――――と、高を括ったのが間違いだった。

 ユキは即座にホロキーボードを起動し、現在の状況を簡潔にまとめたメッセージをヒースクリフに送信する。返事は五分後に届いた。

 

『状況は把握した。私としては、一日でも早い彼の攻略活動復帰を望んでいる。なので彼と共に協力するのを任務扱いとし、事件の早期解決に励んでくれ給へ。団員達には私から説明しておこう』

(ちくしょうっ、そうきたかー!)

 

 止めるどころか、むしろ後押しされてしまったのだ。

 ユキがメッセージを読み上げるとカイトはガックリと肩を落とし、一方のユキは勝ち誇ったような顔をしている。《聖騎士》殿からも要請されてしまっては、最早言い返す気力はおきなかった。

 カイトは両手を肩の高さまで上げ、お手上げのポーズをとる。

 

「――わかった、降参(リザイン)だ。じゃあ一先ずは、この件が終わるまでコンビを組もう」

 

 カイトからパーティー申請を出し、ユキがそれを受諾。見慣れた彼女の名前が、自身のHPバーの下に追加された。

 

「それじゃあ暫くの間、よろしくね!」

「あぁ、よろしく」

 

 純粋に彼と彼女二人だけのパーティーが、1年以上の間を空けて久しぶりに復活した。そして――。

 

 ――コンッ、コンッ、コンッ

 

 ――来客が訪れたのを示唆する音が部屋に響く。ここに訪れる人物は限定されているため、アルゴは迷いなく扉に向かい、ドアノブに手をかけた。




――という訳でコンビ復活です。
『キリトとアスナが圏内事件を追っている一方、カイトとユキが別の事件を捜査する』というコンセプトになっています。

ユキの二つ名の意味はもう少し後になります。


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第28話 秋空と短兵急

 扉一枚を挟んで廊下に立っていたのは、一人の男性プレイヤーだった。

 紺色の和装スーツを着た長身で細身の男。アイテムで染めた赤い髪、きりっとした眼と彫りが深い顔が特徴で、背中には両手剣を背負っていた。はっきりいってイケメンに分類される男の第一声は、待ち合わせに遅れたことに対する謝罪の言葉だった。

 

「すまない! 遅れてしまった!」

 

 男の様子からして、ここまで走ってきたことが伺えた――といっても、現実と違って仮想の肉体は本当の意味で息が上がることはないのだが。

 

「問題ないヨ。ちょっとした余興がみれて退屈はしなかったからネ。とりあえず座りなヨ」

 

 男性プレイヤーは何のことかわかっていない様子だったが、言われた通りにアルゴが用意した椅子に腰掛ける。

 

「さっき言ってたイーちゃんの連れ、ジュリウスだヨ」

「ジュリウスだ。……ところで――」

 

 ジュリウスはカイトの隣で座っているユキを見た。彼に言わせれば無関係な人物がこの場にいるようなものであり、先程まで繰り広げていた押し問答を聞いていなければ事情を飲み込めないだろう。

 

「あぁ、今回協力してくれる事になった《血盟騎士団》の――」

「やっぱり!」

 

 興奮気味の彼が椅子から立ち上がり、丸テーブルに手をついて前のめりになった。

 

「俺、ヒースクリフさんの大ファンでさ! 今はまだ力不足だけど、いつか《血盟騎士団》に入団したいと思ってるんだよね」

「そ、そうなんですか……」

「まさかこんな所で攻略組トップギルドの人と繋がりが持てるなんて、感激だなぁ〜」

 

 丸テーブルから手を放すと、右手を差し出して握手をせがんできた。ユキも手を出して握手をすると、ジュリウスは両手で包むようにして彼女の手を握る。それを見ていたカイトの眉間に縦じわが寄る。

 

「ジュリウス、止めなさい。彼女も困っているでしょう? すいません、彼は攻略組の方達に憧れているので、つい」

 

 隣で座っていたイリスがジュリウスを制した。服の裾を掴んで軽く引っ張り、制止の信号を発する。それに気付いたジュリウスは再び腰を下ろしたが、未だ興奮冷めやらぬ状態だった。

 

「オホン……それじゃあ揃った事だし、話してもらおうかナ?」

 

 咳払いを一つ。

 アルゴの一言でフラットな空気が一変し、静まる。

 

「あぁ。その前に二人共《仮面の男》については知っているのか?」

「はい、さっきアルゴから聞きました。もっと言えば、ジュリウスさん達の仲間が昨日そいつに殺された事までは」

「……そっか、それなら少し説明の手間が省けるな」

 

 『殺された』というカイトの発言で二人は一瞬悲しげな表情を見せたが、ジュリウスはすぐに気持ちを切り替えた。

 

「俺とイリスと殺された仲間――ヘンリーはこのゲームが始まってからずっと一緒でさ、今まで中層から最前線付近の上層を中心に生活していたんだ。いつか三人で攻略組を目指そうって。……でも昨日の朝、いつものように主街区からフィールドへ出向いた直後、あいつ――《仮面の男》が現れたんだ」

 

 隣に座っているイリスは太ももの上で拳を強く握った。ジュリウスは話を続ける。

 

「《仮面の男》は真っ先にヘンリーを狙って殺しにかかった。当然俺達二人は助けるために動いたが、手も足も出なかったよ。三人同時に相手してるにも関わらず、《仮面の男》は赤子の手を捻るようにいなしやがったんだ……あの瞬間ほど自分の力不足を呪った時はないね……。そうして俺達はなす術もなく、ヘンリーは殺されたんだ」

 

 唇を真一文字に結び、怒りを露わにする。歯ぎしりが聞こえてきそうなほどだった。イリスも右手の親指の爪を噛み、悔しさを隠すことなく仕草で表していた。

 

「情けない話だが、今の俺達では逆立ちしたって奴に勝てやしない。だから力を貸して欲しい。奴を牢獄に入れてくれ!」

 

 悲痛な面持ちで年下のカイトに頼み事をする彼の姿から、本気度が伺える。長年連れ添った友の運命を捻じ曲げられず、その悔しさを憎き対象にぶつけて解消することも叶わない。

 

「……事情はわかりました。断るつもりはないから安心して下さい。ただ、幾つか質問があります」

「あぁ、なんでも聞いてくれ」

「まず《仮面の男》が使ってた装備を知りたい。武器とか、防具とか」

「武器は短剣を使ってたな。切られてもなんともなかったから、刃に毒は塗ってない筈だ。それと防具は……イリス、何かわかるか?」

 

 ジュリウスは不意に隣のイリスへ話を振った。

 

「いいえ、わからないわ。真っ黒なローブを羽織ってたから、その下にある装備は全く見えなかったもの。ただプレートアーマーといった重い装備を着けていることはないわね。動きが軽やかだったから、革製の装備か軽金属装備かもしれない」

「それだけわかれば十分です。じゃあ次の質問ですけど、殺したあとに何か残していきませんでしたか?」

「あるよ。紙切れを一枚、その場に投げ捨てていったんだ。ちょっと待ってくれ」

 

 そう言ってメニュー操作をして現れたのは、事前に聞いていたアルゴ製のガイドペーパーだった。それを机の上に差し出し、カイト達に見えるよう向きを整えると、ユキがすかさず聞いてきた。

 

「これって実際の物ですよね?」

「そうだよ。何かの手掛かりになると思って、ストレージにしまっておいたんだ」

「……アルゴ、何かおかしな所はないか?」

 

 製作者なら小さな違いでも気付きやすい。そう思ったカイトがアルゴに意見を求めたが、期待した答えは返ってこなかった。

 

「……イヤ、何か細工を施したような形跡はないナ。オレっちが書いた情報と一字一句一緒だし、それに――」

 

 アルゴはガイドペーパーを頭上に掲げ、部屋の天井に設置されている電球にかざす。すると透かした紙の右隅に見慣れない三本ヒゲのマークが浮き出てきた。

 

「このマークが出てくるって事は、こいつの製作者は間違いなくオレっちダ。こいつは誰かがオレっちの真似事をしてデタラメな情報を拡散しないように施した、一目で《鼠》製だと分かる特別なマークだからナ」

「お前そんな事してたのか。随分用意周到だな」

「《情報屋》は信用が命だからナ〜。以前オレっちの名を語ってデマを拡散した不届き者もいた事だし、それ用の対策も兼ねているんだヨ」

 

 とりあえず紙に細工がないとわかり、机の上に戻す。

 

「今度は41層のか…………というかこの階層じゃん」

「はい。実はこの後、手掛かりになりそうな物がないかを調べてほしいんです。《仮面の男》は殺しを働いた後に必ず、このガイドペーパーを残していくと聞きました。もしかしたら何か意味があるかもしれませんし、この41層でヒントが見つかる可能性だって……勿論私達も手伝います!」

 

 元々は集まって話をした後、移動による時間のロスを少しでも減らすために、集合場所を41層に指定したらしい。

 そして遅れた理由は調査範囲を少しでも狭めるため、昨日の夕方から今朝にかけ、主街区全体を手分けして二人で調べていたらしい。1層の《はじまりの街》程ではないが、41層の主街区も十分広い筈だ。

 

「主街区は一通り調べました。なのでこれから別の場所――他の圏内村で聞き込み等の調査をしようと思っているんですが、いいでしょうか?」

「オレとユキはいいけど、二人は大丈夫ですか? 少し休むべきじゃ?」

「いいえ、やらせて下さい。私達はいてもたってもいられないんです。全て任せっきりにする訳にはいきません」

 

 何もしないでジッとしているのではなく、何かをして一矢報いたいと思っているのだろう。イリスの口調からは強い意思が感じとれた。

 

「カイト、本人がこう言っているんだし」

「……まぁ、調べるだけなら。……じゃあ最後の質問です。35層で被害にあったと言ってましたけど、普段からその付近の階層で活動を?」

「いや、昨日は強化素材の採集を目的に行っただけで、普段はもっと上の階層だ。最近は主に50層で狩りをしている」

 

 現在の最前線は59層。50層で戦えるだけのレベルがあるということは、安全マージンを十分に取っているとするならレベル60は堅い。実力的には中層でも上の、準攻略組クラスだろう。その三人を相手にできるということは、《仮面の男》は攻略組クラスの実力を持っているのが伺える。

 

「わかりました。《仮面の男》に繋がる手掛かりはそのガイドペーパーだけですし、それを頼りに調べましょう。何かのヒントかもしれないし……。とりあえずまだ日が暮れるまで時間もあるから、隣の圏内村に行きますか?」

「よし、善は急げだ。早速行こう――――っとその前に、よかったらこの機会にフレンド登録してくれないか?」

 

 ジュリウスがそういってカイトに話を持ち出し、快く了承した。登録を済ませたジュンは満足げな顔で礼を述べ、部屋から出る。

 

「それじゃあよろしくね、《掃除屋》さん」

 

 イリスはカイトの手をとると、両手で包み込むようにして握りしめた。大きな瞳と美しい美貌に魅せられ、カイトは直視できずに視線を外す。

 

「い、いやいや、お礼をいうのは早いですよ。それにその呼び方は慣れていないんで、ネーム呼び捨てでもいいです!」

「そう? じゃあカイト君って呼ばせてもらうわね」

「……イリスさん、そろそろ手を離してもいいんじゃないんですか? カイトが困ってます」

「あっ、ごめんなさい。つい」

 

 ユキの物言いでイリスはいつまでもカイトの手を握っていることに気付き、手を離す。そして部屋の扉へと向かっていたジュリウスの後ろについていくように、彼女も身を翻して部屋の外に出た。

 

「じゃあアルゴ、情報収集は任せた。こっちもこっちで調べるから」

「アイヨ。何か進展があればメッセージを飛ばすから、そっちも何かわかったら飛ばしてくレ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カイト達は独自に調査するため、アルゴと別行動を開始。現在四人は主街区の《インベル》から東フィールドに出て、隣村へと移動していた。

 ジュリウスとイリスが先頭を歩き、カイトとユキは二人の少し後ろをついて歩く。

 

「カイトってさ、イリスさんみたいな人がタイプなの?」

「突然なに?」

 

 前を歩く二人には聞こえないように、ユキが不可解な質問内容をカイトに投げかけた。意図が理解できず、カイトは質問に質問で返してしまう。

 

「だってイリスさんの事ず〜っと見てるし」

「そりゃあ、ただでさえアインクラッドは女性プレイヤーが少ないのに、あんな綺麗な人だったら誰でも見惚れるだろ? しかも清楚で上品だし、きっと現実(リアル)は良い家のお嬢様だろうな〜」

「……何よ、デレデレしちゃって」

「……なんで怒ってるの?」

「怒ってないもん!」

 

 感情が昂ぶったせいか、ユキは大声をあげる。前を歩いていた二人の背中がビクッと動き、何事かと振り返った。

 

「どうしたんだ? 急に大声だして」

「もしかして喧嘩ですか?」

「い、いえ。気にしないで下さい」

「…………」

 

 ユキは膨れっ面でそっぽを向いてしまった。彼女の心中を理解できない他三人からすれば、何が彼女を不機嫌にさせているのかわからないのも無理はない。少なくともユキの反応がおかしくなったのはカイトとの会話からであるのは間違いなかった。

 

「なぁ、もしオレが何か気に障るような事を言ったんなら謝るよ」

「……ううん、別にそういう訳じゃないから。気にしないで」

 

 ユキが何に対して怒っているのかわからず、カイトは頭を捻る。

 一方のユキは自身の醜い嫉妬心に似た感情から八つ当たりしてしまったことで、自己嫌悪に陥っていた。

 確かにイリスは美人だ。同性のユキからみてもそう思うのだから、異性であれば当然に同様の感想を抱くだろう。頭ではそうわかっていても、実際に本人から口にだして言われ、つい口調が強くなってしまった。

 

(私はあんな風になれないだろうなぁ)

 

 言葉遣いは丁寧で大人しく、品の良さがごく自然に出てしまっている。カイトが『お嬢様』と評したのは言い得て妙だ。

 

「ねぇ、もう一個聞いてもいい?」

「今度は何?」

「カイトは髪が長い女の子ってどう思う? 例えばイリスさんぐらいの長さとか」

「そうだな……嫌いじゃないよ。大人っぽくて良いと思う」

「ふ〜ん」

 

 カイトの意見を聞いたユキが毛先をいじる。

 SAOは髪の色をアイテムで変えることはできるが、髪の長さは変えられない。故にプレイヤーの髪は散髪する必要性がないので楽といえば楽だ。しかし、髪を伸ばしたいと思っている人には不便に感じる時もある。例えば、今の彼女とか――。

 そして毛先をいじりだしたユキをみて、カイトは一つだけ彼女の考えがわかった。

 

「髪、伸ばしたいの?」

「う〜ん、まだわかんない。現実(リアル)に戻ったら伸ばしてみようかなぁ」

「別に無理に伸ばさなくていいんじゃないか? ユキはユキだろ? そのままでいいよ」

「そのまま?」

「今の髪型だって十分似合ってるぞ、ってこと」

 

 毛先をいじっていた手を止め、隣にいるカイトに視線を移した。「そのままでいい」という言葉が不思議と心に響き、胸の高鳴りで鼓動が早まる。顔の向きを再び前に戻した。

 

「そっか……エヘヘ」

 

 顔が自然とほころび、とろけるような甘い笑顏を抑えられなかった。そんな彼女のころころと変化する表情を眺め、またもや彼は不思議そうな顔を浮かべる。頭上にクエスチョンマークが表われてもおかしくないほどに。

 

(機嫌が戻った……本当に訳がわからん)

 

 ついさっきまで不機嫌だった顔が180度変化する。モンスターの動きやプレイヤーの動きは読めても、乙女心は未だ完全には読めなかった。たとえ気心知れた彼女でもそれは変わらず、対モンスター・プレイヤー戦闘の経験値は高くても、そういった事にはまだまだ修練が必要そうだ。

 

(女心はさっぱり――)

 

 などと考えていると、カイトがモンスターの襲撃に備えて展開していた《索敵》スキルに反応がみられた。ただし捉えたのはモンスターではなく、プレイヤーの反応が一つ。歩んでいた足をとめた。

 

「どうしたの?」

「誰か来る……」

 

 《索敵》スキルを上げていない他三人は何が何やらわかっていない。立ち止まってカイトを見ると、前方を真っ直ぐ見据えていた。つられて全員が視線を前に移す。

 反応は彼らを出迎えるかのように、進行方向からだった。物陰から姿を現したプレイヤーはカイトが数パーセントの可能性を考えていた、今探している最も会いたいが会いたくない人物――――《仮面の男》だった。

 外見は事前情報通り、真っ黒なローブを羽織って白い仮面をつけている。ローブの右袖から覗くのは鮮やかな藍色をした短剣カテゴリーの武器。そして最も目を引いたのは、HPバーの上に存在するギルドアイコン。

 

「《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》……」

 

 それはアインクラッド最凶最悪の殺人ギルド《笑う棺桶《ラフィン・コフィン》》に所属している証だった。

 《仮面の男》は四人の前に立ったまま、一言も発せずに沈黙を貫く。それだけで背中にゾクリとした寒気が走った。

 

「あ、あの人がそうです!」

 

 イリスは《仮面の男》を指差し、震える声でそう告げる。

 カイトとユキの二人はジュリウスとイリスの前に立って剣を引き抜くと、彼らを守るようにして《仮面の男》と相対した。

 

「……二人とも、ここは私達に任せて逃げて下さい。転移結晶は持ってますよね?」

「なっ! 君達を置いていけっていうのか!?」

「あいつとの実力差は身をもって体感したんでしょう? だからここは大人しく――」

 

 カイトの言葉が最後まで紡がれる前に、《仮面の男》が突如動き出す。

 真っ直ぐユキに突進して右から左への水平切りを繰り出すが、彼女は剣で受け止める。その一瞬の隙をカイトが突くが、《仮面の男》は後ろに跳んで即座に距離をとった。剣先はHPを削るには至らず、ローブを掠める程度で終わる。

 

「早く! 今のうちに!」

「わ、わかった」

 

 カイトとユキは《仮面の男》との距離を詰めるために前進。対して相手も迎え撃つかのように突っ込んできた。

 カイトに促された二人は腰のアイテムポーチから転移結晶を取り出し、転移の準備をする。しかし敵はそれを良しとしなかった。

 カイトの片手剣基本突進技《レイジスパイク》とユキの短剣基本突進技《エルムバイト》が始動する直前、《仮面の男》は二人を飛び越えるようにして跳躍。気付いた時には既にソードスキルが始動し、キャンセルできない絶妙なタイミングで回避された。

 二人を飛び越えた《仮面の男》は()()()()()()()()()、ジュリウスとイリスの転移を阻止するため、隠し持っていたナイフを二本投げる。転移を開始していた二人の身体に深々と刺さり、脱出はあえなくキャンセルされた。

 それに加え、投げナイフの内一本の毒々しい色をした方がジュリウスの首筋に当たり、ナイフに付加されていた麻痺毒が彼の身体の自由を奪う。

 

「く……っそ!」

 

 短い技後硬直から解放された二人は身を翻し、二人の救出を試みるために走る。だが、彼らの足元で敵が残した置き土産が作動した。

 

「うわっ!?」

「きゃあっ!?」

 

 足元で炸裂したのは周囲の景色を霞ませるほどの強い閃光。

 鼓膜に響くのは聴力を奪うほどの大音響。

 その正体は《スタングレネード》。

 死角からの眩い光と音に対応できず、二人の視力と聴力を一時的にではあるが奪う。目と耳を奪われた二人は周囲の状況を知る術を失い、頭を抱えてその場に立ち尽くした。

 スタングレネードが炸裂する直前に確認できたのは、ジュリウスが麻痺に陥る姿。

 麻痺状態の彼を痛めつけているのか。

 あるいはイリスが彼を庇って交戦中なのか。

 はたまた三人の手助けを封じ、イリスの殺害を試みているのか。

 カイト達が現状を把握することは叶わない。

 

(クソッ、まだか――)

 

 スタングレネードの効果は合計で一律10秒に設定されている。だがこの緊迫した状況では10秒という時間はあまりに長く、目の見えない・耳の聞こえない状態で突っ込んだ所で何の役にも立ちはしない。カイトとユキの二人はその場で状態異常の回復を待つしか出来なかった。

 

 ――カシャンッ

 

 スタングレネードの効果が切れ始めるタイミングを図ったかのように、聞き慣れた破砕音が響く。白んだ景色が徐々に色を取り戻し、嫌な予感が外れていることを祈って前方を見渡した。

 ジュリウスは地面に伏して存命しているが、イリスの姿が何処にも見当たらない。代わりに映ったのはキラキラと輝くポリゴン片であり、その二つの事象だけで彼らはイリスの運命を悟った。




補足
今作のスタングレネードはプレイヤーの感覚麻痺時間が6秒、そこから自然回復で感覚の完全回復が4秒、合計10秒となっています。なので自然回復中の間は視覚・聴覚共に働き始めてはいるので、周囲の状況を『なんとなく』は掴める状態です。

やっと話が動き出した……。
4章の展開はこんな感じでスローペースとなります。


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第29話 模索と推測

「イリスさん……」

「クソッ!」

 

 呆然とするユキを横目に、カイトは《仮面の男》目掛けて突進した。

 《仮面の男》は地面に伏して動けなくなっているジュリウスを見下ろし、まるで彼を観察するかのようにジッとしている。今はまだ手出ししていないようだが、ジュリウスは抵抗することも出来ない状態だ。放っておけば殺されると考えるのは当然の思考だった。

 《仮面の男》はローブの裾から紙を一枚取り出し、ジュリウスの頭上に落とす。それが終わると振り返り、背後から突進してきたカイトの剣をいなしつつ、カウンターで彼の腹に膝蹴りを喰わらした。

 

「――――うぐっ!?」

 

 腹部に走る鈍重な不快感に顔を歪め、強烈なノックバックで吹き飛ばされる。なんとか体勢を立て直して前を見ると、《仮面の男》は背中を向けて逃亡を図ろうとしていた。

 

「ユキ、ジュリウスさんを頼む! オレはあいつを追う!」

「え! ちょ、ちょっと待っ――」

 

 彼女の返答を聞いている暇もなければ、ここで逃がすつもりも毛頭ない。敵の背中を見失わないように、足場に気を付けて追跡を開始した。

 現在のフィールドは地面に大きな石が至る所で転がっており、人間大の石もゴロゴロしている。足場も決して良いとはいえないが、《仮面の男》はそれらをものともせず、軽やかな足取りでフィールドを疾走していた。おそらく《軽業》スキルの熟練度が高いのだろう。

 

「逃がすかっ!」

 

 カイトも負けじと懸命に後を追う。腰のホルダーからピックを一本抜き取り、逃亡者の背中目掛け、腕の振りをアンダースローに近い形で放った。

 しかし《仮面の男》は走りながら姿勢を低くすることでこれを回避。ピックは頭上を虚しく通過する。まるで背中に目でもついているかのような動きだった。

 そして突如、走っている最中の風とシステムによって引き起こされた風で、《仮面の男》の羽織っているローブがなびく。その結果、ほんの一瞬だけ左手にとある物を握っているのを、カイトの目が捉えた。

 

(スタングレネード!)

 

 《仮面の男》は握っているスタングレネードをその場に落とす。炸裂してしまえば、追跡出来なくなるのは必須だろう。

 そこで炸裂前の破壊を試みるため、剣を構えてソードスキルを発動。

 片手剣上段突進技《ソニックリープ》でカイトの身体が加速し、地面に落ちているスタングレネード目掛け、剣を思いっきり振り下ろした。

 振り下ろされた剣は正確に掌サイズのスタングレネードを捉え、耐久値が瞬く間に減少。ソードスキルの一撃で一気に耐久値を奪われたため消滅し、炸裂前の破壊に成功した。

 だがスタングレネードは一つと限らない。その可能性までは考慮していなかった。

 

(やばっ!)

 

 破壊したスタングレネードの数メートル前方にもう一つ。《仮面の男》は一つだけではなく、二つのスタングレネードを忍ばせていた。

 カイトが気付いたと同時に炸裂。咄嗟に目を瞑り、視力を奪われるのだけは死守。しかし、フィールドに響き渡る大音響を防ぐことは叶わなかった。

 

(――っく)

 

 足を止め、身体がフラつき、カイトには短い《行動遅延(ディレイ)》が課せられる。システムによって発生した高い耳鳴りにも似た音のせいで、自分の足音さえ聞こえない。

 両目を開けた時には既に《仮面の男》の姿はなく、敵の策略に嵌って逃亡を許してしまった。

 

 

 

 

 

 《仮面の男》の逃亡を許してしまい、追跡を断念。カイトは来た道を引き返し、ユキとジュリウスがいる場所まで戻った。

 物陰からの音に反応してユキの顔が警戒色を強めたが、現れた人物を見てホッと脱力する。構えた剣を鞘に収め、戻ってきたカイトに駆け寄った。

 

「ごめん、逃がし――」

「バカッ!」

 

 彼女の第一声は彼を罵倒する言葉……ではなく――。

 

「?」

「いきなり飛び出すなんて、無茶しないで」

 

 ――彼の身を案じての言葉だった。

 

「あのまま逃がす訳にはいかないだろ? ジュリウスさんを放っておく訳にもいかないしさ」

「そうだけど……」

「オレの事はどうでもいいよ。それよりジュリウスさんは?」

 

 ユキは無言で視線を別方向へと移すが、その先には地面に伏したまま項垂(うなだ)れているジュリウスの姿があった。両手を地面につけ、四つん這いの状態でその場から一歩も動いていない。

 ハッキリとは聞こえないが、声と共に混じる鼻を啜る音だけで彼の心中を察した。昨日と今日、2日続けて二人の仲間を失ったのだ。肩は小刻みに震え、悲しみの感情がその身に収まりきっていない。見ている側がいたたまれなくなる程だ。

 

「解毒はしたけど、さっきからずっとああなの」

「無理もない、よな」

 

 カイトはジュリウスの元へ歩み寄り、手を伸ばして声をかけようとする。だが開きかけた口は止まり、彼の声が発せられることはなかった。こんな時、自分はどんな慰めの言葉をかければいいのか分からなかったからだ。

 

「ジュリウスさん……すいません」

 

 なので考えた末に出た言葉は、自分の無力さを嘆く意味も込めた謝罪だった。

 

「オレ達がいたのに、イリスさんを助ける事が出来なかった。本当にすいません……」

「すいません、だって?」

 

 そんなカイトの言葉を受け、ジュリウスの声色が変化した。彼は顔を上げると急に立ち上がり、カイトの胸ぐらを掴んで行き場のない怒りを吐き捨てるかのようにブチまける。

 

「謝って済む事か! 攻略組が二人もいて、何いいようにやられてるんだよ! 俺があんたに頼んだのは奴を牢獄にブチ込む事だ。……それなのに、こんな……」

 

 勢いのあった罵声がしぼみ、収束していく。

 

「あいつはもう、帰ってこない……」

 

 カイトの胸ぐらを掴んでいた腕が声に比例して徐々に力をなくし、ジュリウスは再び項垂れる。消えたイリスの姿をみることは、もう叶うことのない幻想と化した。

 彼のやっている事は八つ当たりであり、見苦しい行いだとは本人も自覚している。それでも、内に溜まった感情を誰かにぶつけなければ気が済まない。

 そんな彼にカイトは何も言えず、掴まれている腕を払い抜けもしない。ただ黙って彼の感情を受け入れるための捌け口になる事だけが、今の自分にできる唯一の償いだと感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気持ちが沈んだ状態のまま、三人は再び主街区に戻ってきた。

 時刻は黄昏時へと移行しつつあり、狩りや素材の採集を終えたプレイヤー達が街へぞろぞろと戻ってきていた。口々に聞こえてくるのは、今日の成果をお互いに報告する職人の話し声。内容は今日1日の儲けた額や生産素材収穫の有り無しなど、《クラフタータウン》と呼ばれるに相応しい光景だった。

 そんな和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気とは異質の空気を纏いながら、カイト達はつい数時間前に集合した宿へと足を運ぶ。今日の所は調査を打ち切り、明日に備えて早めに休むこととなった。

 そして街に戻るまでの道中から宿につくまで、ずっと閉じていたジュリウスの口が開いた。

 

「その、二人とも……さっきはすまなかった。格好悪い姿を見せてしまって」

「別にそんな事――」

 

 ――ない、というカイトの言葉を切るように、ジュリウスが言葉を上から被せる。

 

「いや、そんな事あるさ。振り返ってみるとさっきのはどうかと思うよ。別にカイト君が悪い訳じゃないのに、君にあたるのは筋違いだ。二人の指示に従って、すぐさま転移結晶で離脱するべきだったよ」

 

 彼の口調は先程までとはうってかわって、穏やかなものに変化していた。

 

「すぐには無理だけど、できるだけ早く立ち直れるようにするよ。明日からまた、協力してくれるか?」

「あぁ、勿論」

「トーゼンですよ」

「……そうだ、ジュリウスさん。よかったら夕飯一緒に食べませんか? 明日に備えて腹ごしらえしないと」

「いや、遠慮しとくよ。今日はもう休みたい気分なんだ。一人に……してくれないか?」

「……わかりました」

 

 NPCから部屋の鍵を貰ったジュリウスは、今夜泊まる部屋へと続く階段をのぼる。その後ろ姿を、カイトとユキは見送った。

 そしてジュリウスの姿が見えなくなってから、カイトの隣にいたユキが話しかけた。

 

「それで、私達はどうしよっか?」

「とりあえず、どっかのNPCレストランでメシにするか。今は食材の手持ちが全然ないから、作りたくても作れないし」

「それなら行ってみたい場所があるんだけど、いいかな?」

「いいよ。何処?」

「えっとね、35層にある《風見鶏亭》っていう所。そこのチーズケーキが美味しいって評判だから、一度行ってみたくて」

「わかった。じゃあそこで夕飯食べた後は、宿に戻って作戦会議でもするか」

 

 カイトは両腕を天に向かって高く伸ばし、大きく伸びをした。

 

「ジュリウスさんは……どうする?」

「一人になりたいって言ってたし、今日はそっとしておこう」

 

 

 

 

 

 食事を終えた二人は宿へ戻り、カイトのとった部屋に集まった。こじんまりとした部屋に入ると、カイトは背もたれのついた椅子に座り、ユキはベッドの上に腰掛ける。

 

「ユキはさ、あいつと対峙してどう思った?」

 

 『あいつ』が誰かは言うまでもない。

 ユキは腕を前に組んで「う〜ん」と唸る。自分の抱いた印象を言葉にするため、考えをまとめているようだ。

 

「なんていうか……動きに迷いがなかった、かな。私達に突っ込んで剣を振った時もそうだし、人を殺そうとするのに躊躇しない人だと思う。それに私達を足止めした方法も……悔しいけど、上手かったし」

 

 敵を褒めるのは本意でないが、そう言わざるを得ないほど見事だった。スタングレネードを落とした事に気付かせず、二人の死角になるような場所で起動させる。それをさも当たり前のように行えたのは、手慣れている証拠だろう。

 

「それにしても、なんでガイドペーパーを残していくんだろう?」

「これか」

 

 カイトがアイテムストレージから取り出したのは、彼女が口にしたガイドペーパー。今回も話にあった通り、例に漏れることなく残していったのだ。

 

「今度は14層か。これまた随分低層だな」

 

 手に現れたのは14層のガイドペーパーが一枚。頭上に掲げて眺めたあと、ユキに渡すために差し出した。渡されたユキも同じように眺めるが、別段変わった所はなさそうだ。

 

「これってきっと何か意味があるんだよね?」

「そうだとオレは睨んでる。これはあいつにとって何かの意味合い――――法則性があると思うんだ」

「法則性?」

「ルールとか、メッセージとか。今は閃きもしないけどな」

 

 カイトの言葉にユキは頭を捻らせて考えるが、すぐに匙を投げた。

 

「それと奇妙な点が二つあるんだよ。こっちもさっきから考えてるんだけど、いまいち納得のいく答えが見つからなくてさ」

「奇妙? 何が?」

 

 カイトは目の前に設置されているテーブルに頬杖をつき、頭を捻らせる。ガイドペーパーの謎もそうだが、《仮面の男》と対峙した結果生まれた新たな疑問が、彼の脳裏から離れずに引っかかっていた。

 

「一つは『なんでイリスさんの殺害をした後、すぐにジュリウスさんを殺しにかからなかったのか?』だ。あいつがイリスさんを殺した後、動けないジュリウスさんを眺めていた時間があっただろ? もしその時間を使えば、身動き出来ないあの人を殺すことだって出来たかもしれない」

 

 攻略組の二人をいなした事実から、《仮面の男》のステータスは攻略組クラスの数値を誇っているのが伺える。それだけの実力があるのなら、二人をまとめて殺害するのも不可能ではないと読んでいた。

 

「でも、それを言うならもっとおかしな所があるよ? ジュリウスさん達は前日に遭遇して仲間の人を殺されたって言ってたけど、なんでその時に三人全員が一度に殺されなかったのかな?」

「実は頭に引っ掛かってる疑問の二つ目が、それなんだよ」

 

 カイトは背もたれにもたれかかり、天を仰いだ。

 一つ目の疑問と被るが、なぜ一度に複数を手にかけようとしないのか。これはカイトが先程発言した『《仮面の男》独自の法則性』なのかもしれない。

 ユキは思考を巡らせるが、考えても考えても理由がわからず、直接本人に質問したい気持ちになった。腰掛けた状態からゆっくりと横に倒れ、ベッドの上で横向きになる。

 

「う〜、全然わかんないよ」

「まぁそれは後回しにしよう。ガイドペーパーの意味を考えるのが近道な気がするし」

 

 二人は姿勢をそのままにして潜考する。

 

「階層の数字に意味があるんじゃないかな?」

「数字……か」

 

 彼女から出た一つの説。カイトは階層の数字について考察することにした。

 

「36、41、14……1週間前のも入れると22と59もか」

「暗号……かな?」

「暗号?」

「よくあるでしょ? 数字を……別の物に置き換えると……ちゃんとした……意味に……なるって……」

 

 数字を他の文字に変換すると意味の通ったメッセージになる、ということだろう。アルファベットや日本語の50音、あるいはそれ以外の何か。

 

(アルファベットじゃ文字数が足りないけど、日本語なら濁音と半濁音を足せばなんとかなるな。階層の順番通りにいくなら……に、ず……や、ら、せ……。これだけじゃ意味がわからないし)

 

 頭の中で数字を変換し、組み立てて文章になるか試してみる。だが判明しているのが五文字しかないため、これだけでは意味があるとは思えなかった。仮に並べ替えたとしても、何かの固有名詞になりそうな気配はない。

 

(そもそも不明瞭なんだよなぁ。情報も足りないし、アルゴからの連絡を待つしかないか……)

 

 そこでカイトの元にメッセージが届く。まさかタイミング良くアルゴからの連絡が入ったのかと少し期待したが、差出人はアルゴではなくキリトからだった。

 

『今日の夕方、57層にある《マーテン》の中でPKが起こった。暫くアスナと組んで事件の解決に尽力するから、少しの間だけ前線を離れるよ。そっちはそっちで頑張ってくれ。P.S ユキにもよろしく』

 

 メッセージに目を通して閉じる。事件というワードに一瞬だけ反応したが、57層の夕方はおそらくカイト達が《仮面の男》と対峙していた時だろう。無関係だと思いはしたが、念の為返信で質問してみた。

 

『わかった。ところでそれって黒ローブに仮面のプレイヤーが関係してたりする?』

『いや、断言は出来ない。プレイヤーの格好とか、ハッキリとした姿を目撃した人物がいないんだ。辛うじて一人いるけど、人影をみたっていうレベルでしかないし』

『そっか。……ちなみに使われた武器はわかるか?』

『《ギルティソーン》っていう短槍(ショートスピア)だ。それがどうかしたか?』

『いや、何でもない。オレも暫くは前線から離れると思う。無茶するなよ』

『お互いにな』

 

 キリトが捜査している事件で使用された武器は短槍(ショートスピア)。一方のカイト達が追っている人物の得物は短剣(ダガー)。全くの別物だとわかり、関係性はないと判断した。

 メッセージを閉じ、再び自分達の関わっている事件について思案する。閃くことなく、ただただ時間だけがイタズラに過ぎていくばかり。

 言葉を発することなく無言で思考を巡らせているため、部屋の中は物音一つ立たないほどに静かだった。まるでこの部屋には自分一人しかいないと錯覚するほどに。

 そこで眼前のベッドで横になっている少女が、いつしか一言も話さずにいると気付く。ふと彼女をみれば、目を閉じて身動き一つせず、スヤスヤと横向きのまま夢の中へと旅立っていた。滅多に拝めないユキの寝顔を眺めていると、自然と頬がほころんでしまう。

 椅子から立ち上がると彼女を起こさないようにそっと近付き、左手を頭に伸ばす。サラサラとした黒髪の表面を柔らかく包むようにして掌を被せ、少女の寝顔を微笑みながら見つめていた。

 

(ちょっと待て。これ、ヤバイんじゃ――)

 

 寝顔を眺めている最中、カイトは重大な事実に気付いてしまった。

 現在二人のいる部屋はカイトがとった宿部屋であり、ユキのとった部屋は別にある。圏内ではプレイヤーを無理矢理動かすのは出来ないし、寝ている彼女を起こすのも気が引ける。現実で同じ状況に陥ったのなら、泊まっている部屋を変えればいいだけの話だがーー。

 

(ですよねー)

 

 ユキのとった宿部屋が開けられるか念の為に確認した所、扉は開かなかった。

 宿の扉はデフォルト設定のままだと、パーティーメンバー解除可となっている。しかし勝手に入って来られないよう設定し直せば、その限りではない。ユキのとった部屋に入る権限を、カイトは持ち合わせていないのだ。

 仕方なく元の部屋に戻り、今夜は何処で寝ようか考え出した。部屋に一つしかないシングルベッドでユキは寝ているが、ふと空いたスペースに目を向ける。

 

(いや、待てよ……。ユキはベッドの端で寝てるから、反対側の隅っこで寝ればなんとか――)

「……ん」

 

 そんな彼の打開案を打ち崩すかの如く、ユキは大きく寝返りをうつ。その結果、横向きから仰向けになったユキの身体は小さなシングルベッドの大部分を占領し、部屋の主が寝るスペースは完全になくなってしまった。

 そして寝返りをうった事で、彼女は無防備に全身を(さら)け出す。

 膝上のミニスカートとニーソックスの間から覗く、スラッとした太もも。

 上半身に緩い曲線を生み出している、柔らかな膨らみ。

 ノースリーブのために露出している、白く細い肩。

 夢の中を気持ち良さそうに旅している、愛くるしい寝顔。

 それら視覚的刺激の全てが、カイトの理性をゼロにしようと働きかける――。

 

(――っ! いやいや待て待て!)

 

 ――が、彼の持つ鋼の精神が抑え込んだ。

 カイトは椅子に戻ってユキに背を向けるようにして座ると、両目を閉じ、目から入る情報をシャットダウンした。

 

(大丈夫。これぐらいなんとも)

「ん……ん〜……んっう……」

 

 視界は完全に封鎖したが、今度は耳に訴えかける波状攻撃が繰り出された。寝言を聞いただけで彼女の姿が脳内で再生されてしまうため、カイトは両手で耳を塞ぎ、即座に対応してみせる。

 

(鎮まれ、鎮まれ煩悩〜〜!)

 

 その日の夜、カイトは自分自身の中に潜む敵と、熾烈な戦いを繰り広げていた。

 

 

 

 

 

 日付も変わり、時刻は朝を迎える。

 機械の電源を入れたかのように、ユキの意識が覚醒し、ベッドから起き上がった。

 

「……へあ?」

 

 昨晩はカイトと共に事件について、話し合いと推測をしていたのまでは覚えていた。だがベッドで横になってからの記憶が、彼女にはない。

 

(――あっ。私、あのまま寝ちゃったんだ)

 

 彼女の姿は《血盟騎士団》の制服を着たままだ。自分の姿と最後の記憶を辿った結果、ベッドで一晩中寝てしまったのだろうと結論づけた。

 ベッドから足を出して床につけると、両腕を広げて立ち上がる。すると背もたれに身体を預けながら椅子に座り、ユキに背を向けたまま微動だにしないカイトがいた。

 ユキは後ろ手を組んでカイトの前に回り込むと、そこには座ったままの状態で眠りについている彼の顔があった。

 

(そっか……。私がベッドで寝てたから……)

 

 宿部屋の解錠権限やベッドの占拠など、あらゆる状況から、なぜ彼が椅子で眠っているのかを察した。

 そして彼もユキと同じように、眠りから覚めて両目がゆっくりと開く。

 

「おはよっ、カイト」

「……ん、おはよう。ふあ〜」

「ごめんね。私が寝ちゃったから、こんな所で」

「……あぁ、気にしないでくれ」

 

 眠りから覚めはしたが、まだ若干の睡魔が残っているのだろう。眠たげな目を擦り、声は気だるげな様子だった。

 

「それにしても、昨晩のカイトは紳士だったみたいだね?」

「……はい?」

「だって、その……私の身体、なんともないみたいだし……」

 

 麻痺で身体がうまく動かせない者や、今回のように眠っている相手の指を勝手に動かし、メニューを操作することは可能だ。それを利用してシステムの深い所にある倫理コード設定を解除し、女性に対するハラスメント行為を行うことも出来る。オレンジプレイヤーの中には、こうした卑劣な行いをする人物が少なくない。

 現時点ではあまりおおっぴらになっていないが、女性プレイヤーには己の貞操を守るための知識として、知っている者も少なからずいる。ユキの発言はその事を暗に示しているのだろう。

 そして常日頃オレンジプレイヤーを相手に活動する機会が多い彼も、その手法は犯罪者が好んで使う、一種の常套手段として耳に入ってはいた。

 

「……――っ! ア、アホか! それは一番やっちゃいけない事だろ!」

 

 頭を抱え、ないない絶対ない、と呟く彼の姿でホッと一息。そんな彼を見たユキの脳裏に、ある考えが閃いた。

 カイトが余所見をしている内に、ユキは右手の人差し指と中指を揃え、指先を自分の唇につける。そうして口付けした指先を、彼の頬に軽く押し付けた。

 口付けされた指先が触れることで、カイトの頬を窪ませる。

 

「なに?」

「昨日のお返しと、紳士な対応をしたカイトに贈る、ちょっとしたサービス……かな?」

「これが? ……というか昨日のお返しって? 何かしたっけ?」

「わからなくていーのです」

 

 頬に指を押し付けたまま、ユキがはにかむ。その理由がわからず、カイトは不思議そうにするしかなかった。




スタングレネードを前話みたくまともに喰らうと、行動停止状態に陥りますが、閃光は目を瞑る、音響は防音アイテムを使うなどすれば未然に防げます。
ちなみに閃光だけ喰らうと周囲の光景を認識出来なくなる《盲目》、音響だけ喰らうと短時間《行動遅延》のバッドステータスが課せられ、二つ合わせることで長い行動停止になる独自設定です。


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第30話 舞姫と流麗な剣舞

 調査開始から一夜明け、時刻は朝の9時。カイト・ユキは宿部屋から廊下に出て、ジュリウスの泊まっている部屋まで向かう。

 同じ階にある階段に一番近い部屋の前で止まり、扉を三回ノックした。しかし、部屋の中から反応はない。

 

「ジュリウスさん?」

 

 ノックをすれば声は聞こえている筈だ。二人は首を傾げて顔を見合わせる。

 もう一度呼びかけるために息を吸い込んだ時、ガチャッ、というドアノブの回る音が聞こえた。

 

「あぁ……お早う」

 

 扉の向こうには昨日と同じように、和装スーツに身を包んだジュリウスがいた。

 

「まだ着替えてなかったから、出るのが遅れたよ。悪いね」

「いえ、大丈夫です。……今日の方針について話をしたいんですけど、いいですか?」

「構わないよ。さあ、入ってくれ」

 

 手招きされるがままに二人は入室した。

 ジュリウスは部屋の中央に設置されている赤のイージーチェアに腰掛けるが、カイト達は立ったままで話を進めようとする。

 

「まず今日の動きなんですけど、オレとユキは14層のフィールドに向かいます。ジュリウスさんはここで待機して下さい。ジュリウスさん達三人の内二人が連続で殺害されているのを考えると、次にあなたが狙われても不思議じゃない」

「そりゃあ、まぁ……そうだよな……」

「だから今日はオレ達に任せて休んでて下さい。それと、さっきここで待機とは言いましたけど、圏内から出さえしなければ自由にしてもらって構わないので」

「……あぁ、わかった。それじゃあ、二人に任せたよ」

 

 片手でこめかみを押さえて目元を隠し、俯きつつ覇気のない声で了承する。落胆したジュリウスを部屋に残し、カイトとユキの二人はその場を離れて再び廊下へ出た。

 この時の彼の様子から、二人はジュリウスが仲間を立て続けに失ったため、酷くショックを受けているものだと感じ、同情すらしていた。

 しかし部屋の扉を占める直前、振り返って隙間から中を伺っていれば、その印象は払拭されてガラッと変わっていたことだろう。

 

 なぜなら僅かに見える彼の口元が――――酷く歪んでいたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人が向かった第14層は気温が年中穏やかで、乾季と雨季がハッキリ分かれているのが特徴の階層。そして転移門で移動した主街区は《ジャックバーン》と呼ばれる街だった。

 数ヶ月ぶりに降りたった14層の転移門広場から、カイトは迷わずフィールドへ出る門の方向に歩を進めた。ユキはそんな彼の後ろを慌ててついて行く。

 

「……ねぇ、そろそろ説明してくれてもいいんじゃない?」

 

 ユキは隣に並び、不満げな眼差しと声で訴えた。

 一緒に行動しているパートナーなのに、彼女は今後の目的及び行動内容を明確に知らされていない。頬を膨らまている彼女の様子が子供っぽく映り、カイトはクスッと笑みをこぼす。

 

「悪い、そういえばまだ何も話してなかったな。……実はさっき、アルゴからメッセージで追加の情報が入ったんだ。22層の《コラル》で事件があった翌日、残されたガイドペーパー通りに59層でプレイヤーがPKされてた。場所は《ダナク》の北フィールド、プレイヤーはディックっていう盾持ち剣士らしい。そして翌日の4月7日には、39層主街区《エルムガルド》の東で短剣使いのエリスがPKされた。これも《ダナク》に残された手掛かり通り。……それでちょっと思い付いたことがあるんだ」

 

 それは追加情報とわかっている事実を整理した結果閃いて生まれた、一つの仮説だった。

 

「これからの動きなんだけど、主街区周辺のフィールドを中心に調査しようと思ってる」

「どうして?」

「手持ちの情報だけで判断すると、事件の被害者はみんな、主街区周辺にあるフィールドで殺害されているからだよ」

 

 犯行現場は《コラル》の南、《ダナク》の北、《エルムガルド》の東、《ホスリート》の北、《インベル》の東。いずれも主街区を中心としたフィールドで、犯行は行われていた。

 

「本当だ!」

「それとガイドペーパーの件だけど、あれは次の殺害現場を予告する役割を担っていると思う。現場に残したガイドペーパーの階層と次の犯行現場が一致しているのを、オレは到底偶然と思えない」

 

 《コラル》の時は59層、《ダナク》の時は39層、《ホスリート》の時は41層。どちらも次の現場を予言するかのように、ピタリと一致している。

 そして今回現場に残されたガイドペーパーの示す階層は、彼らが降り立った14層。故に《ジャックバーン》の四方を囲むフィールドの何処かに《仮面の男》は現れるだろうと、カイトは推論をたてた。

 

「ただ何処に現れるのかまではわかんないから、アナログな方法だけど、足を使って索敵しよう」

「わかった」

 

 

 

 

 

 二人がフィールドに出てから、時間だけがイタズラに過ぎようとしていた。

 主街区を出てからは周りを反時計回りで捜索し、既に一周以上終えている。地面を覆う枯れ草と所々に生えている枝の細い樹木の景色に、いい加減嫌気が差し始めていた。

 身を隠せるような大きい障害物はないため、人影があればすぐ目につく場所である。探す側としては手間が省けるのでその点に関しては助かるのだが、如何せん寂しい色しかないフィールドに加え、探し人が現れる気配は一向にない。長時間見栄えのない同じような景色のエリアを歩くのは、脳にとっても退屈なことこの上なかった。

 西フィールドにエリア移動してから10分が経ち、索敵開始当初は軽やかだった足取りが次第に重く感じる。

 

「……あれだけ偉そうに講釈垂れて、ハズレだったらごめん。今度なにか奢るよ」

「う〜ん……でも私は聞いてて納得できたし、いい線いってると思うけどなぁ」

 

 目に見えた成果が出ないことに焦りを感じ、カイトは自身の推理に対して疑問を抱きつつあった。

 

(何か見落としたか? ……けど前提がそもそも間違っている可能性も――――)

 

 今一度、彼は頭の中で自身の考えを反芻する。

 

(アルゴの事だからちゃんと裏を取っているだろうし、依頼人の二人がくれた情報も大丈夫な筈だ。そもそも依頼しといて嘘をつくメリットがない)

 

 推論の否定材料が思い浮かばず、現時点では穴がないように思えた。

 そんな中、集中して思案していた彼の意識が《索敵》スキルによって呼び起こされる。《索敵》が捉えたのはプレイヤーの反応。そしてそれは、彼らが時間と労力をかけて探し続けているプレイヤーだった。

 

「ユキ、奢るのはなしだ。どうやら間違っていなかったらしい」

 

 手を彼女の前に出して制する。

 堂々とフィールドにある安全地帯の一画で佇む探し人の姿を、ユキも遠目で確認できた。彼女の表情は警戒心を強め、腰の短剣にゆっくりと手を伸ばす。

 二人との距離は50メートル程度。探し人――《仮面の男》――は丁度二人に背を向けている状態であり、様子を見る限りは気付いていないようだ。

 

「二手に分かれよう」

 

 ユキが囁くような声で提案した。それに対してカイトは頷く。

 

「じゃあオレは右から、ユキは左から。まずはオレがピックで牽制するから、それを合図にユキが飛び込む。ピックが当たったらそのまま奴を押さえつけてくれ。万が一外した場合でも、相手はオレに意識を向ける筈だ。できるだけ死角から仕掛けて向こうの動揺を誘ってほしい」

「了解」

 

 ユキは大きく回り込むようにして近くにあった木の陰に隠れ、様子を伺う。幹の太くない木ではあるが、人一人分ならなんとか身を隠すことはできた。カイトも同じように木の陰へ素早く移動し、幹に背中をつける。

 

(なんかやってる事がオレンジみたいだな……)

 

 客観的に考えれば、彼らのやっていることはオレンジプレイヤーのPKと大差ない。もしもこの場で《MTD》のメンバーと居合わし、ぱっと見の状況だけで判断されれば、真っ先に検挙する相手はカイト達だろう。

 

(悪く思うなよ)

 

 カイトは腰のホルダーに手を伸ばし、リズベット武具店特製のピックを一本抜き取った。木の陰から半分だけ身体を出すと、右手を肩に担ぐような形でソードスキルの予備動作(プレモーション)をとる。システムに検知された結果光を帯び、普段から使い慣れているピックを標的目掛けて放った。

 投剣ソードスキルの基本技《シングルシュート》。滑らかな動作とは裏腹に、ピックは猛スピードで《仮面の男》の肩へ向かって一直線に進む。それを合図にして、反対側で待機していたユキが飛び出した。

 ピックは狙い通りに対象を捉える。麻痺毒の影響により敵はその場で力なく膝から倒れ、それを確認したユキが結晶アイテムで解毒しないように動きを完全に封じる――――筈だった。

 

(麻痺にならない!?)

 

 ピックは正確に敵の肩に刺さっているが、状態異常変化は見受けられない。直立不動で平然と立ったままだ。

 カイトのように状態異常耐性スキルを習得しているのか、あるいは耐毒ポーションを予め使用していたのか。どちらかはわからないが、前者は兎も角()()()()()()

 このパターンは予想外だったが、ユキはすぐさまプランA案を破棄し、プランB案へ移行。

 しかし、ピックが射出された方角からそちらに気が向くだろうと考えていた当初の予想を裏切り、《仮面の男》は背を向けたまま、何もせずに動かない。その理由は、ユキが敵との距離を十メートルまで詰め寄った所で判明した。

 

「きゃあぁぁぁあ!」

 

 彼女は足に細い糸のようなものが引っかかったと感じた次の瞬間、鉄球が散弾銃の如く扇状の範囲に解き放たれ、彼女の身体を容赦無く襲う。

 その正体は発見できないよう、フィールド上に上手く隠されていたクレイモア。《罠作成》スキルの熟練度が九百を越えないと作れない代物で、滅多に出回らないが、仮に市場に出れば間違いなく高値で取引されるレア物だ。

 ゲーム仕様に調整されているため、有効加害距離は現実の10分の1に設定されている。それでも威力は申し分なく、スキル熟練度が完全習得(コンプリート)間近でようやく解放されるのも納得だ。直撃したユキのHPが瞬く間に注意域(イエローゾーン)に突入した。

 

(なんで……)

 

 罠の設置は敵が待ち構えていたと同義。そしてもし耐毒ポーションを使用していたのだとすれば、《仮面の男》は奇襲を予期し、それに備えて準備していたということになる。

 カイトは木陰から飛び出すが、そこで《仮面の男》は振り返って顔をカイトに真っ直ぐ向ける。白い仮面の下にある眼光が鋭く光り、笑い顔に見えるよう切り抜かれた面の口の奥にある、本物の口元が二タッとねばつく笑みを浮かべた。

 

(まさか、読まれてた!)

 

 敵は襲来を知っていた。垣間見えた余裕の表情がそれを物語っている。

 《仮面の男》の周囲には、罠が張り巡らされている可能性が高い――――そう睨んだカイトは敵への攻撃よりも先に、ダメージを負ったユキを優先した。しかしそんな彼の行く手を阻むように、《仮面の男》が立ちはだかる。

 左手に持った藍色の短剣を袖からチラつかせ、右手には握り拳大の石。ダランとぶら下げていた右腕を振り上げ、下手投げでカイトの顔面に石を放った。

 石はカイトの鼻先目掛けて正確に飛んでくるが、ソードスキルでもない投擲は容易く避けられる。顔を咄嗟に傾けて最小限の動きで回避したが、敵の狙いは石を当てることではなく、()()()()()()()()()()()()()()()

 

(――っな!?)

 

 手品などでも使われる技術――――視線誘導(ミスディレクション)

 今回《仮面の男》は顔に投げた石に注意を引きつけることで、『間合いを詰めるための時間稼ぎ』と『カイトの回避行動を遅らせるため』に利用した。

 カイトが視線を戻した時には、短剣基本突進技《エルムバイト》が繰り出され、剣の切っ先がまたもや顔面に迫る。

 

(――くっ)

 

 剣での武器防御(パリィ)は間に合わないと判断し、回避行動を選択。傾けていた顔をさらに傾け、腰を捻って身体を無理矢理にでも曲げた。

 しかしその努力虚しく、ソードスキルが右目に当たってカイトの身体を突き飛ばす。後ろに勢いよく倒れて転がり、倒れてしまう。手を地面について立ち上がると敵に視線を向けるが、視界の半分が黒く染まっていた。

 

(やばっ、距離感が掴めない……)

 

 強烈な閃光を受ける、あるいはプレイヤーの目が部位欠損を起こすことで発生する、状態異常《盲目(ブラインドネス)》。カイトは右目にソードスキルを喰らったため、欠損状態に陥り、視野の右半分だけが完全に見えなくなってしまった。部位欠損が回復するまでの約3分間、彼はこの悪条件で戦闘を続けなければならない。

 

 そしてこれを好機とみた《仮面の男》は猛攻を開始した。

 

 視界の半分が見えないのを利用し、敵は死角となる彼の右目側に回り込む。

 斬撃に対してカイトは懸命に切り結ぶが、片目が見えないというのは想像以上にハンデが大きかった。剣でガードしたつもりが位置を見誤り、敵の短剣が身体に喰い込むことでHPがジワジワと削られていく。反撃に転じても距離感を上手く掴めないせいか、思い通りの剣筋を描けない。

 

(マズっ……HPが……)

 

 左目だけで視認できる景色が紅色に染まり始めた。彼をこの世に繋ぎ止める無機質な色つき棒が、緑から黄色、黄色から赤へと変色し、長さも短く変形する。

 こうしてカイトのHPは着実に減少の一途を辿るが、それを彼女は良しとしなかった。

 

「やあっ!」

 

 空になったポーションを投げ捨て、ユキが繰り出した体術単発ソードスキル《閃打(センダ)》による拳が、《仮面の男》のわき腹を殴打した。意識の外にいた彼女の奇襲をモロに受け、敵は一時後退する。

 

「カイト、早く回復! それが終わったらジッとしてその場で待機! 私が時間を稼ぐから!」

 

 カイトの返事を聞く前に、ユキは駆け出した。

 ノックバックで飛ばされた《仮面の男》は左手に持った短剣で彼女を迎え撃つため、ソードスキルを発動。短剣単発ソードスキル《セイド・ピアース》によって左腕が勢いよく突き出される。

 しかし彼女も黙ってやられる訳ではなく、敵の頭上を前方宙返りで飛び越えて回避。《軽業》スキルを習得しているからこそできる芸当だ。

 そして着地した瞬間に《舞踏》スキルを発動。地に足がつくと同時に身体を180度回転させ、流れるような動きで敵の背中を水平切りで切りつける。その後、バックステップで一時後退した。

 

「昨日のお返しだよ。私はスタングレネードなんて便利なアイテムは持ってないから、これで我慢してね」

 

 《仮面の男》がユキに向き直ると右手親指の爪を噛む。彼女の皮肉めいた発言が癪に触ったのだろう。肌を刺すような怒りが空気を媒介にして、ひしひしと伝わってきた。

 しかし敵の機嫌などどうでもいいとばかりに、ユキは果敢に突っ込んでいく。

 

「はあっ!」

 

 気合の込もった声を合図にして始まったのは、怒涛の連撃。威力の低い短剣で戦うには、手数で圧倒するのが手っ取り早い。

 だが敵もユキと同じ短剣使いなので、そんな彼女の思考は火を見るよりも明らかである。ユキの連撃に対抗し、負けず劣らずの斬撃数で切り結ぶ。両者は一歩も譲らない。

 

 そして突如、ユキは勝負に出た。

 

 短剣基本ソードスキル《スラッシュ》による袈裟斬りを繰り出す。だが刀身の短い短剣の場合、ソードスキルが読まれてしまえば連撃技でもない限り、他の武器と違って避けるのは容易い。ソードスキルを読んだ敵もこれをチャンスと考え、彼女の剣が届かない距離に後退し、その後突進技で突き飛ばそうと考えた。

 これが他のプレイヤーなら突進技を避けられずに直撃しただろうが、彼女の場合は一味違う。あえて威力の低い基本ソードスキルを選択したのは、わざと隙を作って誘い込むためであり、ここからが彼女の本領発揮だった。

 基本ソードスキルの技後硬直(ポストモーション)はあってないようなもの。硬直が解けると《舞踏》スキルの動きを使い、技と技の繋ぎに利用する。

 左足を軸にして反時計回りに回転しつつ、右足にライトエフェクトを纏わせ、体術単発ソードスキル《仙破》の蹴りを間髪入れずに放つ。鋭い蹴りが突進技を繰り出した剣の腹を捉えると、発動しかかっていた敵のソードスキルがキャンセルされた。

 

「まだだよ」

 

 蹴りの勢いを殺さずにもう半回転し、敵に背を向けて両足を地につけたユキが呟く。

 背を向けた状態から背面宙返りで跳び上がると、《仮面の男》の頭上を越えて背後をとった。着地して十字を描くように背中を切りつけた時、敵が振り返りながら、短剣水平単発ソードスキル《スラッシュアーツ》でユキの首を刈り取りにかかる。

 だがソードスキルの発動を読んだ彼女は身体を深く沈め、髪の毛一本を犠牲にして回避。沈めた身体を《舞踏》スキルのアシストで浮き上がらせ、それと同時に拳を握り、ガラ空きの腹部に体術単発ソードスキル《閃打》を叩き込んだ。

 

「すご……」

 

 目にも留まらぬ一方的な剣技と体技に、カイトは無意識に感嘆の声を漏らす。

 PoHとの戦闘で敗戦したのをキッカケに、ユキは自身の戦闘スタイルを発展させられないかと思案した。その結果得た答えが、今の彼女である。

 《短剣》や《体術》攻撃の間を《舞踏》スキルで繋ぎ、《軽業》スキルで回避も兼ねた立ち位置の変更を交え、相手を撹乱。ソードスキルを使用する場合は技後硬直(ポストモーション)の短い単発系を優先で使用するため、片手剣と体術の複合技《メテオブレイク》ほど一撃の威力は大きくない。

 しかしそこは『手数で勝負』。加えて集中力が持続する限り止まない攻撃の嵐は、必然的に反撃の機会を少なくするというメリットがあった。

 

 三種以上の異なるスキルを組み合わせて繋げる、システム外スキル《結合(ユニオン)》。

 

ユキの場合は《短剣》・《体術》・《舞踏》・《軽業》という四つのスキルを状況に応じて使い分ける。『攻撃は最大の防御』を体現した彼女独自の戦闘スタイルは、《剣舞(ソードダンス)》とも呼ばれていた。

 その姿は流麗な剣舞を見ていると錯覚する程に美しく、これを由来に彼女は《舞姫》と評されている。

 

(オレの出番はもう無さそうだな……)

 

 どちらが優勢なのかは言うまでもなく明らかだった。回復したユキのHPは依然として安全域(グリーンゾーン)のまま、一方《仮面の男》は既に注意域(イエローゾーン)に突入している。あともう少し追い詰めたら降伏を促すだけだった。

 しかし不測の事態というのは、事が順調に進んでいる時こそ起こりうるものだ。それを示すかの如く、カイトの《索敵》スキルがプレイヤー反応を捉えた。

 

(誰だ? まさか新手!?)

 

 プレイヤー反応は真っ直ぐカイト達の戦場に向かってくる。狭まっている視界で確認できた人影は、この場所に来る筈のないプレイヤーだった。

 

「うあぁぁぁぁあ!」

 

 叫びながら剣を構え、《仮面の男》とユキの二人に突進していくのは、圏内から出ないよう言い聞かせた筈のジュリウスだった。

 《剣舞(ソードダンス)》中のユキも視界の端にジュリウスが映ったことで、微小ながら困惑する。そしてユキの視線が一瞬ジュリウスに逸れたのを、《仮面の男》は見逃さない。

 腰に差してあった麻痺ナイフを右手で引き抜き、人体の中で狙いやすく、的の大きい胴体を狙う。ユキは咄嗟に《軽業》スキルで跳び上がりの回避行動をとったが、右足を掠めたせいで身体の力が抜け、両足で着地できず地に落ちた。

 

「ユキ!」

 

 瞬時に『ユキが殺される』と感じたカイトの予想に反し、《仮面の男》は大きく跳んで後退。落ち着いた場所は、()()()()()()()()()()()()だった。

 

「ヘンリーとイリスの仇だ!」

 

 重い両手剣を上段に構え、ソードスキルの初動モーションを開始。オレンジの光が煌き、利き足に力を込めて大地を蹴る。カイトは彼が放とうとしているソードスキルを理解した。

 

「やめろ!」

 

 カイトの制止も虚しく、ジュリウスは両手剣上位上段突進技《アバランシュ》を発動した。

 その突進力と両手剣特有の重さから繰り出される一撃は大きく、短剣装備では受けることもままならないだろう。仮に反撃するなら一度回避し、その直後にする必要があるが、突進によって一気に距離を作り、反撃の機会を与えないという優秀なソードスキルだ。

 怒りに身を任せながらも冷静に判断したつもりだろうが、今回の場合は悪手以外の何物でもない。敵の立ち位置を考えれば突進技は使うべきでないのだが、彼はユキが先程陥った罠の存在を知らないため、どうしようもなかった。

 

「ぐあぁぁぁあ!」

 

 カイトの頭で想像した未来が現実となった。

 ジュリウスの《アバランシュ》が敵に迫る直前、設置してあった別のクレイモアが炸裂する。罠の発動でジュリウスはダメージを受け、HPが一気に危険域(レッドゾーン)まで減少した。

 そして目の前に捧げられた死にかけの獲物を逃す程、敵も甘くはない。突進技の影響で自ら近づいてくるジュリウスの鳩尾(みぞおち)を、体術単発ソードスキル《エンブレイザー》が貫く。黄色い閃光と共に貫き手がジュリウスの身体を貫通し、残り僅かなHPを削り切った。

 

「な、ん――」

 

 ジュリウスの言葉は小さくかき消え、死に際に驚愕した表情を浮かべる。それが最後の姿だった。

 

 ――カシャン

 

 ジュリウスの身体が爆散すると細かいポリゴン片と化し、仮想世界の空気に溶けて消える。その光景を目に焼きつけることしか、今の二人にはできなかった。

 

「……なんだよ」

 

 弱々しい声の中には、静かな怒気を含む。思わず剣を握る手に力が込もった。

 

「お前は一体……何がしたいんだよっ!」

 

 そう叫ばずにはいられない。理不尽に人の命を奪う仮面の道化に怒りを感じ、カイトは片目だけで睨む。

 そんなカイトを無視し、やるべき事を終えた《仮面の男》は例に漏れずガイドペーパーを残す。そしてこの場に用はもう無いらしく、身を翻して即座に立ち去ろうとした。

 

「――――っ!」

 

 カイトは条件反射でしゃがんでいた身体を浮かせて後を追おうとするが、右の足元に転がっていた石に気付かず、躓いて転倒。次に身体を起こした時、既に敵の姿は何処にも見当たらなかった。

 残された二人はこれ以上何も出来ず、只々無力な己を嘆く。カイトは地面の土を(えぐ)るようにして拳を握り、振り上げて思い切り地に叩きつける事しか出来なかった。




補足
システム外スキル《結合》は、オリジナルのシステム外スキルとなります。一言で言えば、キリトが新生ALOで使う《剣技連携》の難易度をグッと下げたものだと考えて下さい。
《剣技連携》との相違点は、『スキル後の硬直は別のソードスキルで上書きキャンセルしておらず、しっかり受けている事』。ただし硬直時間の短い下位単発ソードスキルのみを使用するため、技後硬直を受けているといっても気になるレベルではないです。硬直が解けてから次のスキルを繋げる間の時間は、コンマ数秒が推奨。そうしないと流れるような動きにならないので。

某バスケ漫画のように姿を消す目的で使用してませんが、ミスディレクションもある意味システム外スキル……なのか?


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第31話 気付きと閃き

 カイトは呆然と、窓際の席から景色を眺めていた。

 現在二人はNPCレストランで遅めの昼食をとっているが、目の前に置かれているクリームシチューの量は中々減る様子がない。それもそのはず、利き手で握ったスプーンが役目を果たしたのは、両者共に片手で数えられる程しかないからだ。

 依頼人を二人とも失うという最悪の結果が、二人の気持ちを深く沈める。それでも不思議とお腹は減るのでこうしてレストランに入ったが、食事が出された途端に食欲はどこかに消え失せてしまった。

 スプーンを置いてテーブルに頬杖をついているカイトの向かい側で、ユキは俯いたままジッと動かない。幸いにも周りにプレイヤーはいないが、客観的にみれば別れ話を持ちかける手前、あるいは持ちかけられた男女のような重い雰囲気だった。

 

「はぁ……」

 

 溜め息を一つ。

 昨日の今頃は、まさかこんな事になるなど想像もしていなかった。話を聞いた時は不可解な点が多いと思いはすれど、また今まで通りに解決して終わりだと、そう信じてやまなかった。

 しかし、現実は残酷にして残忍。『助けを求められたヒーローが悪者を退治して人々を救う』という理想の英雄像は、所詮テレビや漫画の中にしか存在しない偶像だと、深く思い知らされてしまったのだ。

 

 ――もしかしたら自分は(おご)っていたのかもしれない――

 

 そんな考えが頭をよぎる。

 そして直接的に彼が悪いとは言えないが、時間が経てば経つほど、二人の未来を奪ったのは自分のせいだと思い込んでしまっていた。

 卑屈な考えはブーメランのように戻ってきて卑屈さを増し、外の景色もカイトの心模様を表しているのか、天気はどんよりとした曇天だった。これが晴れなら多少は救われるのだが、雲が散る気配はなく、鉛色は濃度を増していく。このまま雨でも降るかのようだ。

 チラッと前方のユキに視線を向けると、彼女は依然として俯いたままだった。俯き姿勢のために目元はよく見えないが、その様子から心情は察するまでもない。昨日知り合ったばかりとはいえ、人の身が砕け散る際の光景と音は決して心地よいものではなく、SAO開始からまもなく1年半が経過する今でも、それは変わらない。

 

「……よしっ!」

 

 ユキが不意に俯いていた顔を上げたかと思えば、彼女は両手で自分の頬を二回叩く。叩いた頬を押さえながら目を瞑り、開眼してテーブルに置いてあったスプーンを握ると、食べかけのシチューを食べ始めた。

 

「今の何?」

「ふぇ?」

 

 スプーンですくったブロッコリーを口に運ぶ途中で一時停止したが、再び動いて口に含み、咀嚼。呑み込んだ後でカイトの疑問に答えた。

 

「今のはね、『もう落ち込むのは止め!』って自分の中で区切りをつけたの。気持ちを切り替えてまた頑張るために、喝を入れたって感じかな? それにまだ終わった訳じゃないしね」

 

 握っているスプーンをシチューに沈め、ユキは言葉を紡ぐ。

 

「二人は確かに救えなかったけど、きっとあの人はまた同じ事を繰り返すよ。これ以上無駄な犠牲者が出ないように、私達が止めないと。……そのためにもまずはお腹一杯にして、それからもう一度考えて備えよう。ねっ?」

「……前向きなんだな、ユキは」

 

 彼女の言うとおり、まだ事件はおわっていない。今後被害に遭う人達を未然に救うためにも、自分達が動かずして誰が動くのか。カイトは目の前で起きた出来事に気を取られ、未来にまでは目を向けていなかった。もし一人だけでこの件に関わっていたのなら、彼はその事に自力で気付かなかっただろう。

 

 ――二人で支えあえばいい――

 

 ()しくもこの件に関わった当初のユキが発した通り、戦闘面でも心理面でも、知らず知らずの内に彼女に支えてもらっていた。

 

「……それじゃあユキの言うとおり、まずは腹ごしらえから始めるか」

「うん! それでは早速一口どうぞ。はい、アーン」

 

 ユキはスプーンに一口大の人参をのせると、テーブルに身を乗り出し、カイトの前に差し出した。

 

「い、いいって。自分のを食べるから」

「まぁまぁ、そう遠慮なさらずに。早く早く!」

「じゃ、じゃあ……頂きます」

 

 急かされたカイトは目の前の人参にかぶりつき、よく噛んで呑み込んだ。

 

「美味しい?」

「……うん」

 

 カイトは視線をユキから逸らしてぶっきらぼうに答えるが、別に不満があるわけではない。ただほんのちょっとの照れ隠しであり、本心は満更でもなかった。

 

「じゃあもう一個。はい、アーン」

 

 ユキはもう一度、同じように人参を差し出す。逸らしていた視線を今一度彼女に向け、再び人参にかぶりつく。そしてユキは自分のシチューにある最後の人参をスプーンにのせ、いつでも差し出されるように待機していた。

 

「その調子でもう一つ」

「……ちょっと待て。さっきから人参しか食べてないぞ」

 

 カイトの言葉を聞いたユキが固まる。彼女のシチューには他の野菜もゴロゴロ入っているのに、その中で人参を集中してカイトに食べさせるのには違和感を感じた。

 

「……人参美味しいでしょ?」

「そうだな。でも最後のはユキが食べなよ。もしくれるんなら他のにしてくれ」

「いやいや、遠慮しなくていいんだよ?」

「……もしかして……人参嫌いなのか?」

 

 固まっていたユキの身体が動き出したが、錆びたロボットのようにぎこちない。顔だけを動かして窓の外を見た。

 

「ソ、ソンナコトナイヨ」

「目を逸らすな。こっちを見ろ」

「こ、こここれが嘘をついてる目に、み、みえる?」

「ものすっごく泳いでるな」

「……あ〜〜、もうっ!! 嫌いなものは嫌いなの!! しょうがないでしょ!!」

「開き直るなっ!」

 

 これ以上は誤魔化しきれないと判断し、案外あっさりと白状した。

 

「まったく。上手いこと人を利用しやがって。ちゃんと食べるまでは、店から出ちゃダメだぞ」

「うぅ……アスナもカイトも厳しいよ。《料理》スキル持ちはみんなこうなの?」

「好き嫌いしないのは当たり前だ。スキルは関係ない。……それじゃあまずはオレから二個提供するから、そこから始めようか」

「プラマイゼロになっちゃうじゃん! 鬼っ! 悪魔っ! 人でなしっ!」

「なんとでも。ほら、アーン」

 

 カイトからスプーンに乗った人参を提供され、泣く泣くユキは口に入れて食べる。ふとカイトが窓の外を見ると、先程までの天気が嘘のように変化していた。

 

 

 

 

 

 時間をかけて完食したユキを連れ、レストランを出る。好天の下で転移門広場に向かう道中、二人はこれまでの情報整理を始めた。

 

「とりあえず現場に残したガイドペーパーの階層――――それも主街区周辺の何処かが、次の殺害現場を予告してるって説で確定っぽいな」

「うん。アルゴさんの情報を合わせてもちゃんと一致してるし、これは間違いないと思う。そうなると今度は53層の《ケプロス》周辺だね」

「あぁ、ひとまずガイドペーパーの意味はわかった。その代わりに新しい問題が一つ増えたけどな」

「ジュリウスさん……だよね?」

 

 安全な圏内で大人しくするようにお願いしたジュリウスが、何故か現場に乱入してきた事。居場所を突き止めた方法は、フレンド登録の追跡機能を利用したと容易に想像できる。しかし、わざわざ現場に足を運んだ意味がわからなかった。当時の言動からして仲間の仇を取りに出向いたのだろうが、彼は敵に対して手も足も出ないのは重々承知している筈だ。

 

「圏内にいるよう頼んだ時は『わかった』って言ってたのに、なんで?」

「あれじゃまるで殺されにきたようなもんだ。まぁ……実際に殺されたんだけどさ」

 

 カイトのフレンドリストに乗っている《ジュリウス》の名前もそれを証明している。彼の名前は通常のゲームでいうログアウト状態になっているからだ。つまり、プレイヤーネーム《ジュリウス》は既にこの世界から退場済みであった。

 

(それもそうだけど、あれは……どこかで一度見たような気が……)

 

 ジュリウスの不可解な行動もそうだが、敵のとった動作の一つが彼の脳裏に焼きつき、頭から離れない。カイトは《仮面の男》について既視感を抱いていた――いや、既視感ではない。彼は()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

(何処だ、何処で見た? まだ最近の筈……――っ!)

 

 ふっと抱いた疑問が自己解決したまさにその時、彼の元に一通のメッセージが届く。差出人は《鼠のアルゴ》からだった。

 

「アルゴから……追加の情報だな。えっと、内容は……新たに判明した過去の殺害場所と被害者の名前だ。4月4日に33層《ブルックス》の西フィールドで槍使いのベティ、4月8日に四17層《フローリア》の西フィールドでメイス使いのフランク、4月9日に25層《グランバート》の南フィールドで片手棍使いのゴードンって人達が被害者らしい」

「調べてるのはアルゴさんだけど、なんか芋づる式に色んな事がわかってくるね」

「まぁ犯行予告をしてるからな。それを元に調べれば繋がっていくだろうし、きっとアルゴもそうやって――」

 

 カイトの歩んでいた足が止まり、言葉が途切れた。

 偶然か必然か、自身の発した言葉をきっかけにして考え込む。

 

「どうしたの?」

 

 急に立ち止まった彼に何事かと問いかけてみるも、その問いに対しての反応はない。カイトは今、頭の中だけで手元の情報を整理して纏め、順番通りに並べて検証しているのだ。他の事に意識を割く余裕はない。

 

「……法則性。そうだ、法則性だ! あいつは独自のルールに従って、文字通りガイドペーパーを利用して殺害予告をしたんだ!」

 

 バラバラだったピースが閃きによって一つずつはまり、彼の眼前にとある答えを導き出す。

 

「ねぇ、カイト。一体何がわかったの?」

「えっと実は……って、何だあれ?」

 

 歩を進めていくうちに到着していた転移門広場で、人だかりが出来ていた。どうやら人々はある場所を中心に円を描いており、何かを取り囲んでいるらしい。ギャラリーに紛れて何事か様子を伺うと、円の中心には二人のプレイヤーが対峙していた。そして頭上には見慣れたカウントが表示されている。

 

決闘(デュエル)か)

 

 カイトとユキがちょうど来た時、開始の合図が鳴った。

 決闘(デュエル)中のプレイヤーは両手斧と両手剣、どちらも攻撃重視の武器を使っており、(はた)からみれば両者の実力は互角といった所だ。しかし時間が経つにつれて両手剣使いが押されだし、HPが半分に迫ってきていた。

 

(こりゃ結果はみえたかな)

 

 カイトを含めた周りのプレイヤーも皆そう感じ始めていたが、決着は非常に珍しい結末を迎えることになる。

 押されていた両手剣使いが最後の賭けなのか、はたまた苦し紛れの悪足掻きなのか、ソードスキルを発動した。対戦相手も正面から迎え撃つため、同様にソードスキルを発動。二人の単発剣技が衝突するが、優勢だった斧使いの武器が真っ二つに割れ、硬質な音をたてて消滅した。

 

 システム外スキル《武器破壊(アームブラスト)

 

 武器の脆弱部位へソードスキルを当てれば可能とされている高等技術。武器を失った相手に対して、戦術的・心理的にも侮れない効果を発揮するが、針の穴を通す正確無比な技術を必要とするため、意図的に使える者はそうそういない。カイトの知る限り、実践レベルで使用できる人物は一人いるが、この場にいるのは別のプレイヤーだ。まさか他にもいたのかと感心しかけたが、どうやらそうではないらしい。

 これは決闘(デュエル)中の二人にとっても予想外だったらしく、どちらも目を見開いて驚いていた。意図的に行ったわけではないため、《武器破壊(アームブラスト)》ではなく、不慮の事故ということで《武器破壊(デストラクション)》と表現するのが正しいだろう。

 武器を失ったプレイヤーは慌てて予備の武器を取り出そうとするが、我に返った両手剣のプレイヤーが縦に一閃。それが勝敗を分かつ一振りとなり、《WINNER》表示が出ると、ギャラリーから歓声が上がる。

 

「うわぁ〜、なんかすっごく珍しいのが見れたね!」

 

 ウキウキした声色でユキが話しかける一方、カイトはまたしても深刻な顔で考え事をしていた。口元を手で覆い隠し、小声で何かを呟いている。

 

「武器破壊……そうか! ……でも……いや、あり得なくはない、か? …………」

 

 小さすぎて隣にいるユキでも聞き取りづらい声だが、彼の頭は現在全神経を集中し、思考の海に身を沈めていた。海底に沈んだパズルのピースをかき集め、一つずつあてはめていくことで、事件の全容が明らかになりつつなる――――が、あと一歩確信が得られない。

 

(いや、大丈夫。あそこならきっと――)

 

 ならばその目で紛れもない事実を突きつける、一欠片の嘘もない真っ白な真実を確かめればいい。それがわかれば、疑問は解消される。

 

「ユキ、行こう」

「行くって何処へ?」

「それは――――」

 

 カイトの告げた行き先は、ユキにとって予想外の場所だった。




作中の『人参』は、『味や見た目が限りなく近い物』という解釈でお願いします。

次回は説明回です。


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第32話 論理と推理

説明回です。ちゃんと伝えられているか不安でしょうがない……。


 カイトがユキを連れて向かった先は《はじまりの街》に存在する最も巨大な建造物《黒鉄宮》。そして用があるのはここに入ってすぐの場所に設置されている、SAOプレイヤー全員の名が刻まれた巨大な石碑《生命の碑》だった。

 

「カイト、何でいきなり《黒鉄宮》に行こうって言い出したの?」

「……ここに来れば何もかも、全部わかるからだよ」

 

 二人は約一万人のプレイヤーネームが刻まれた石碑の前に立つ。βテスト時代はHPがゼロになったプレイヤーの復活場所であったが、デスゲームと化した今では巨大な墓石にしか映らない。所々で名前の上には横線が引かれているが、これはその名前の持ち主がもういない事を示している。そして《生命の碑》の前にはまだ置かれて間もないであろう、死者へと手向けられた花束があった。

 

「まずガイドペーパーの殺害予告だけど、あれは次の現場をオレ達が考えていたより明確に、そして()()()()示していたんだ」

「えっと……どういうこと?」

 

 何の事かさっぱりわかっていないユキのために、カイトが一から説明し出した。

 

「まず殺害場所を日付に沿って4月4日から並べると、《ブルックス》の西・《コラル》の南・《ダナク》の北・《エルムガルド》の東・《フローリア》の西・《グランバート》の南・《ホスリート》の北・《インベル》の東・《ジャックバーン》の西になる。何か気付いた事はない?」

「……もしかして、四つの方角が順番にサイクルしてる?」

「あぁ。主街区周辺にある四方のフィールドの何処でPKが行われるかを明示、これが一つ目の法則性。そして二つ目の法則性だけど、それは主街区の名前にヒントがあったんだ。英字にすればすぐわかると思う」

 

 言われたユキは頭の中で主街区の名前を一つずつ英字に変換した。

 

 《ブルックス》=Brooks

 《コラル》=Coral

 《ダナク》=Danak

 《エルムガルド》=Elm-garde

 《フローリア》=Floria

 《グランバート》=Grand-bart

 《ホスリート》=Hothreit

 《インベル》=Invel

 《ジャックバーン》=Jack-barn

 

 変換していくうちに『まさか』という思いがよぎるが、全て終える頃には確信に変わっていた。

 

「わかった! 主街区名の頭文字(イニシャル)()()ファ()()()()()()()()()()()()()!」

「そう。アルファベットの『A』が抜けているのを差し引いても、これは順番を考慮して意図的に場所を選んでいたんだろう。ただ、もし『A』から始まる主街区で既にPKが行われているとしたら、それはおそらく――」

「50層の《アルゲード》だね」

 

 ユキが言葉を紡ぐと、カイトは軽く頷いた。これが二つ目の法則性である。

 しかし、この法則性は何も主街区に限った話ではない。

 

「そしてこれはプレイヤーネームにも適用されていたんだ。例えば――」

 

 カイトは目の前にある《生命の碑》に歩み寄り、『D』の欄からとある名前を指でなぞりながら探す。

 

「《ダナク》でPKされたのはDick(ディック)、イニシャルが『D』から始まるネームだ。……ここからさらに《エルムガルド》でEllis(エリス)、《フローリア》でFrank(フランク)、《グランバート》でGordon(ゴードン)と続くけど、PKされた人達は皆主街区とプレイヤーネームのイニシャルが一致している。これは偶然なんかじゃない」

 

 カイトは石碑を指先でなぞりながら移動する。

 

「そして今日『J』のイニシャルを持つジュリウスさんがPKされた。オレ達が知っている被害者の名前は、イニシャルに『A』と『C』がつく人を除いた8人。でも石碑を眺めながら一つずつ照合していくと、オレ達が知っている8人のプレイヤーネームの内、何故かある人物だけPKされた筈なのに横線が引かれていない。その人物こそ、一連の事件を引き起こした主犯格だ。それは――」

 

 カイトはイニシャルに『I』を持つプレイヤーネーム欄の中から、ほんの少しの間、自分達も関わった人物の名前を探し出して指差す。ユキは自らの目を疑うが、それは紛れもない事実だった。

 

「イリス、さん……」

 

 その人物は今回の事件解決を依頼した依頼人、イリスだった。彼女の名前には死亡した事を示す線が引かれていない。

 

「そんな……なんで? ……でも待って、あり得ないよ! だってあの人は私達の前で殺されたんだよ!」

 

 そんなユキに対し、カイトはかぶりを振った。

 

「いや、イリスさんは殺されたように見えただけで、実際の所はそうじゃない。そもそもオレ達はあの時スタングレネードで目をやられてたから、ハッキリと死んだ瞬間は見ていない。ただ微かに聞こえたガラスの割れるような音と、僅かに見えたポリゴン片だけで判断したにすぎないだろ?」

「それならどうやって……」

 

 ――カシャンッ

 

 二人が話している最中、聞き慣れた破砕音が響く。発生源は《生命の碑》の前に置かれた花束の一つ。どうやら耐久値がゼロになったため、消滅したらしい。

 そしてカイトは消滅した花束があった場所を指差した。タイミング良く具体例が提供されたのなら、分かりやすく説明するにはもってこいだ。

 

「あれだよ。プレイヤーの死亡エフェクトと、アイテム類の消滅エフェクトはよく似ている。おそらくイリスさんはあらかじめ耐久値を削っておいた防具が消滅する瞬間を狙って、転移結晶で離脱。そうやってあたかも死んだように見せた彼女はその場から姿を消し、残るのは消滅エフェクトのみ。あの状況のオレ達からすれば、死んだように見えるのも無理はないさ」

 

 この考えが浮かんだのはついさっき、広場で行われた決闘(デュエル)中の武器破壊。これで消滅した武器を見たのがキッカケだった。

 

「でも《仮面の()》だよ!? ……それにイリスさんは確かに敵と対峙してたし、これじゃあイリスさんが二人いる事になっちゃうよ? 何でイリスさんが犯人なの?」

 

 疑問、疑問、また疑問。ユキはカイトに詰め寄り、彼の両肩に触れると前後に大きく揺する。

 

「お、落ち着けユキ! えっと……まずユキが今言った一つ目の疑問だけど、そもそもなんで男だって断言されてるんだ? ローブで身体のラインは見えないし、顔も仮面で覆っているからわからないのに」

「え? だってそれはアルゴさんがそう言って――」

「そう、オレ達は《仮面の男》っていう呼び名をアルゴから聞いた。でもアルゴ自身『小耳に挟む程度に聞いた』って言ってたから、人伝(ひとづて)にその呼び名を聞いたに過ぎない。つまりアルゴですら会って確認したわけじゃないのに、性別が男だと錯覚している。……そしてそう思い込んだまま伝えられたから、犯人は男だとオレ達の頭に刷り込まれてしまったんだ。……勿論、これはアルゴが悪いわけじゃないけどね」

 

 ここでカイトは一呼吸おく。

 

「そしてこれは犯人のイリスさんが自ら流した呼び名だと、オレは睨んでる。格好からは判別出来ない性別を呼び名に織り交ぜ、噂を流すことで女性である自分を容疑から逸らす――――いわば心理的誘導だ。そして極めつけはさっき説明した死亡偽装。あれでイリスさんが死んだと思い込んだオレ達は、二重の心理トリックによって、あの人を無意識に容疑者から完全除外してしまったんだ」

 

 ついつい早口でまくしたてるようになってしまう。カイトは一度言葉を切り、渇いた喉を潤すため、生唾を飲み込んだ。

 

「そして二つ目の疑問に答える前に聞くけど、ユキはイリスさんの利き手がどっちかわかる?」

「き、利き手? え〜っと……」

 

 遠い過去の事を思い出すように、ユキは頭の中にある記憶を呼び起こす。しかし余程インパクトがない限り、あって間もない人物の利き手をハッキリ覚えている筈がない。

 

「左……いや、右? そもそもあの人が何か物を持ったりした時なんてあったっけ?」

「流石にオレもそこまでは覚えてないけど……」

「じゃあカイトは利き手がどっちかわかるの?」

「……イリスさんは左利きだ。出会った時、腰の横に差してある曲刀の位置が右だったからな」

 

 背中や後ろ腰に剣鞘を持つのなら、利き手で取り出しやすいよう、剣鞘の口を利き手側に備えるだろう。だが腰の横に持つ場合、利き手と逆側の腰に備える筈だ。仮に右利きが腰の右側に鞘を備えたとしたら、いざという時に剣を取り出しづらいだろう。

 

「オレ達は二回敵と会ったけど、一回目は協力者、二回目はイリスさんだろうな。剣を持つ手が最初は右手、次会った時は左手だったから」

「……ちょっと待って。まさか利き手の違いだけでイリスさんだってわかったの?」

「まさか。癖だよ、癖。イリスさんと会った時、右手親指の爪を噛む癖があるのを覚えていてさ。二回目に敵と遭遇してユキが挑発した時、全く同じ癖が出たんだよ。利き手は兎も角、癖まで同じ人なんてそうそういないだろ? これに気付いた時、『もしかして……』って考えが浮かんだんだ」

 

 ユキはまたしても頭を捻る。一生懸命思い返してみるが、そんな人の些細な癖まで彼女は覚えていなかった。

 

「でもその時はまだ、イリスさんが死んでいると思い込んでた時だ。普通のゲームならまだしも、やり直しがきかないSAOじゃ死者が生者をPKなんて出来っこない……つまり矛盾が生じる。でも武器破壊をみて偽装トリックを思いついた時、イリスさんの生存が確認できさえすれば、オレの考えた仮説は実証されると思って《黒鉄宮(ここ)》に来たんだ。死なずに生きていたのなら、どうしてオレ達の前に姿を現さない?」

 

 問われたユキは考え込み、カイトは彼女の回答を待つ。そしてユキは自分の出した答えを大人しい声で告げた。

 

「……私達が死んだと思い込んでいるから。そしてそう思い込んでいるままの方が都合がいい、から。単独行動もしやすいだろうし、先回りして罠を仕掛ける余裕もできる」

「ま、そんなとこだろうな」

「じゃあ一緒にいる間、ラフコフのギルドアイコンが表示されていなかったのは……《潜伏》スキルを使ってたんだね」

 

 《隠蔽》スキルの派生機能(モディファイ)の一つ、《潜伏》スキル。所属ギルドのアイコンを隠してスパイの真似事――――諜報活動を行う際に活用出来るスキルだ。情報屋のスキルリストに一応載ってはいるが、これを意図的に上げている者はそういない。

 

「じゃあジュリウスさんは? 《生命の碑》だと横線が引かれているから、本当に殺されちゃったみたいだし……仲間、ではないよね?」

「それはオレもハッキリと断言出来ないけど、一時的に協力させられていたのかもしれない。ただ、きっと本人も自分がPKされるなんて思いもしなかっただろうね」

 

 一通りカイトは話し終え、ふうっ、と一息つく。頭を働かせすぎたせいか、少々疲れてしまったようだ。

 

「とりあえず次の現場は《ケプロス》の南だ。明日の朝一でそこに向かおう」

 

 二人は《生命の碑》に背を向け、その場をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今夜は53層で宿をとることになり、夕食を食べ終えた二人はそれぞれの部屋に戻る。時刻は既に午後11時をまわっており、カイトはラフな格好でベッドに身を任せていた。両手を広げて大の字になり、ボンヤリと天井をみつめていると、ジワジワと睡魔が襲ってくる。重みを増す瞼に抵抗せず、意識が遠くにいきかけたその時、扉をノックする音で目を覚ました。

 ベッドから身体と沈みかけた意識を起こし、眠た気な目を擦りながらドアを開ける。てっきり隣部屋の少女かと思いきや、そこには見知らぬ男性プレイヤーが立っていた。

 

(誰?)

 

 鎧を着たガタイのいいプレイヤーは、カイトに折り畳まれた一枚の紙を手渡した。

 

「これ、渡せって頼まれたから」

 

 カイトは紙を受け取り、広げると中に文字が書かれていた。文面を読んだ彼の顔は険しくなり、『頼まれた』らしい男に厳しく問い詰める。

 

「これ! これは誰から受け取った?!」

「し、知らねぇよ。フードを目深に被ってたから顔はわかんねぇし。ついさっきまでそこにいたけど……」

 

 男はそう言って廊下の先を指差した。カイトは短く礼を述べると疾走し、階段を一階まで駆けて宿を飛び出す。宿の前で暗くなった周囲を見渡すが、そこにお目当ての人影は見当たらなかった。

 踵を返して再び宿に戻ると、先程の男が階段をゆっくり降りてくる。そんな男の前にカイトは立ちはだかり、無理矢理足を止めさせた。

 

「あんたに訊きたい事がある」

「な、なんだよ。何も知らねぇっていっただろ」

「頼み事をした人物についてじゃない。見ず知らずの人間にいきなり頼まれ事をされて、どうしてそれを引き受けたんだ? 怪しいとは思わなかったの?」

「そりゃあ最初は意味わかんねぇから疑ったさ。でも引き受けてくれるなら10万コルくれるって言われたんだよ」

 

 10万コルは大金だ。男は金で釣られたらしい。

 

「紙切れ一枚渡すだけで10万だぜ!? そんなのやるに決まってるだろ! ……ただまぁ、結局金の話は半分嘘だったけどな」

「半分?」

「あぁ。この話を受けてくれるなら、前金として2万コルを渡すって言われたんだ。それで引き受けると本当に2万くれたから、とりあえず信用してみたんだよ。俺があんたに紙を渡す瞬間をちゃんと確認したら、階段脇に残りの金を詰めた袋を置いとく手筈だったんだが……金は置いてなかったよ」

「あぁ、それで半分……」

 

 そこでふと、ある考えが浮かんだ。

 

(もしかして、ジュリウスさんも似たような手口で……)

 

 

 

 

 

 

 一度部屋に戻ったカイトは、電灯の点いた部屋の中でメニューを操作し、すぐに出掛ける準備を始める。今から出向くのは戦場であり、敵も目的達成のために本気でカイトを殺しにくるだろう。武装・アイテム・スキル欄をチェックし終えると、廊下に出る。

 隣室の前を横切る時、立ち止まって扉を見つめる。一枚の板切れを挟んだ向こう側には、今頃明日に備えて早めにベッドで就寝した少女の姿があるだろう。

 彼女はカイトがこんな時間に出掛けるなど教えられていない。彼はユキを危険な目から遠ざけるため、敢えて何も話さなかった。

 

(後で言ったら怒るだろうなぁ……)

 

 最低でも小言の二つや三つは言われるだろうが、そこは甘んじて受ける覚悟だった。それだけで済めば安いものである。

 廊下に設置された電球が淡く光り、足元を照らす。一歩ずつ踏みしめて階段を降りると、プレイヤーに反応して何処からともなくNPCが出現した。玄関の受付前で手を揃え、頭を下げると決まり文句でカイトを見送る。

 

「いってらっしゃいませ」

 

 玄関のドアノブに手をかけた状態でカイトは振り返ると、NPCは頭を上げてニッコリと微笑んでいた。

 

「いってきます」

 

 彼も同じように微笑んで挨拶を交わし、宿を出る。春先のヒンヤリとした夜の空気が、彼の肌を刺激した。

 

 

 

 

 

 第53層主街区《ケプロス》、通称《水の都》。

 主街区を始めとする53層は水辺が多い――というより川が多い。主街区内の各所に噴水が設置されており、湧き出た水は街中に張り巡らされた水路を通ってフィールドへ流れる。フィールドに流れた水流はいくつもの川を形成し、ダンジョンや迷宮区にもその存在を示していた。そしてそれらはやがて地下に染み込んで水脈を作り、再び街に戻ると汲み上げられて循環する。

 故に階層の至る所で清流のせせらぎを嫌でも耳にするのだが、今のカイトにとっては非常に有難かった。水が流れる際に発する音は彼の心を鎮め、戦闘前であるにも関わらず、気持ちが不気味なほど落ち着いている。

 

(たしかここら辺に――)

 

 カイトが向かった先は、紙に指定されていた南フィールドのとある場所。そこは見渡しの良い開けた場所で、例に漏れず、近くに川が流れている。

 そしてそこには彼を呼び出した人物が堂々と立ち、彼の到着を出迎えるかのようだった。カイトが立ち止まると、両者の間には20メートル程の空間が生まれる。

 

「仮面は被らなくていいのか?」

「……君は全て知ったみたいだからね。もう正体を隠す必要がないよ」

 

 今回の事件を引き起こした張本人、巷で《仮面の男》と呼ばれているプレイヤーが、その象徴である仮面を外した状態でそこにいた。

 

「さて、それじゃあこんな時間に呼び出した理由を教えてもらおうかな?」

 

 カイトは右手を腰にあて、そのプレイヤーの名を呼ぶ。

 

「ねぇ? イリスさん」

 

 そこにいたのは一度死んだと思い込んでいた女性、イリスが佇んでいた。




補足
その他の被害者
ベティ=Betty、ヘンリー=Henry、ジュリウス=Julius
ちなみにイリスの綴りは『Iris』となります。

《隠蔽》の派生機能である《潜伏》スキルは独自設定です。

トリックについては複雑なのを思いつく頭がないので、それ以外の心理トリックや犯行の法則性でアレンジを加えました。これで目を瞑って欲しいなぁ……と。


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第33話 生かす事と殺す事

 街灯のないフィールドを月明かりが照らす。

 対峙する両者の間にはピリピリとした空気が張り詰めていた。一見すると脱力した状態に見えるが、意識は眼前に佇む己の敵に向けたまま、緊張の糸を緩めることはしない。相手が剣に手を伸ばせば、いつでも抜けるよう準備していた。

 そして二人を取り巻く空気とは真逆の、フワフワとした軽い口調でイリスが話を切り出す。

 

「君の事を少し見誤ってたよ。中々鋭い洞察力を持ってるみたいね」

「……ヒントはあったし、手掛かりを集めたのはアルゴだ。それらを纏めて考えたら、運良く閃いただけだよ。……それにしても、何で知ってるんだよ?」

「ラフコフお抱えの情報屋を使ってるからね。君達二人の行動は全部把握しているよ? 君の《索敵》スキルは結構高いみたいだけど、《隠密行動》スキルと《忍び足》スキルを完全習得(コンプリート)した人までは見破れないでしょう?」

 

 口元に手を添えて静かに笑う。

 会話も行動も全て筒抜け。どうやら気付かぬうちに、監視兼伝令役がずっと二人に張り付いていたらしい。

 カイトの《索敵》スキル熟練度は980である。壁の向こう側にいる人数を把握できる程に高いが、完全習得(コンプリート)までには至っていない。なので彼女のいう情報屋の存在を感知する事が、彼には出来なかった。

 

「随分気楽に話してくれるんだな。何? もう観念したの?」

「まさか。今から死ぬ人に話しても問題ないと思っただけよ。なんなら他の質問にも答えてあげる。でもその前に――」

 

 イリスの左手が後ろ腰に指してある短剣へと伸びる。それを見たカイトも背中の剣に手を伸ばし、戦闘準備に入った。

 

「口でのお喋りも良いけど…………まずは剣でお話ししようよ!」

 

 刹那、イリスが腰の短剣を引き抜いて駆け出し、距離を詰めにきた。カイトは背中の剣を抜いて構えると、戦闘態勢に移る。

 初撃の頭部を狙った水平切りをカイトはしゃがむことで回避し、手に持った剣で下段からの切り上げを繰り出す。だがイリスは即座に剣の軌道を変え、切り上げを短剣で上から抑え込んだ。しかしステータスの差ゆえか、カイトの剣がジワジワと彼女の身体に迫る。仕方なくイリスは斜め右後ろに飛び退き、一時後退を図った。

 

「逃がすか」

 

 今度はカイトから距離を詰める。バックステップで左右にテンポ良く後退するイリスを追うが、突如彼女は今迄よりも大きく飛び退いた。ふっと口元が緩むのをカイトの目が捉えた時、彼の足元から奇襲がかけられる。

 

「――――っ!」

 

 右足が地面に接地した瞬間、強烈な爆音と爆風が彼の身体を襲った。HPの減少と共に身体は吹き飛ばされ、草の上の絨毯に背中から勢いよくダイブする。

 

「アハハ。敵が呼び出した場所なんだから、罠の可能性ぐらい考慮しとこうよ。前の戦いでなんとなく予想はついてたでしょう?」

 

 天を仰ぐカイトの姿を嘲笑うかのように、イリスは小馬鹿にした表情と口調で見下す。

 彼を吹き飛ばしたのは埋設式爆風地雷の一種。一定の圧がかかると起爆し、爆風で相手にダメージを与える代物だった。大きさは小さくカモフラージュしてあったため、存在に気付けなかったのもあるが、彼女がその場所まで誘導していたことに直前までわからなかった。

 ただ衝撃と威力は比例していないらしく、HPは余裕で安全域(グリーンゾーン)を維持している。カイトはゆっくりと立ち上がった。

 

「……ジュリウスさんは金で雇ったのか? ……殺す必要はなかったんじゃないか?」

「早速質問? いいよいいよ、わかんない事は何でも訊いて。……そうね。君の言うとおり、彼は金で雇ったプレイヤーよ。前金と後払いを合わせた30万コルをチラつかせたら、すぐ話にのってきたわ。ただ『殺す必要があったのか?』と言われれば、答えは当然Yesよ」

 

 イリスは短剣を手の中で回して遊び始めた。

 

「当初の予定だと、彼には『《ジャックバーン》の西フィールドまで君達二人を誘導し、その後死亡偽装で離脱。成功したら報酬を渡す』って伝えてあったわ。つまり、彼は死亡偽装トリックのカラクリを知ってたのよ。もしかしたら報酬を受け取った後で君達に話す可能性もあったし、最悪それをネタに私を揺すって金をせびろうとしてきたかもしれないわね。……それに彼は君の現在地を私に知らせるもう一人の監視役として、フレンド登録もさせていた。もしもカイト君がなにかの拍子でフレンドリストを見た時、ジュリウスの名前が生存を示していたらおかしいでしょう? どのみち殺す必要性があったのよ」

 

 さも当然のようにイリスは淡々と話す。どうやらジュリウスは殺される直前まで、自分もターゲットの一人とは思っていなかったのだろう。

 

「この素敵なショーを、私のためだけに考えてくれた物語綴(ストーリーテラー)はPoHなの。そしてこれは私の幹部昇格を兼ねた、一度きりのチャンスでもあるわ。だから私のためを思って、尊い犠牲になってちょうだい。ねぇ、Kaito(カイト)君?」

「……やっぱ最初からオレ狙いだったのか」

 

 両手を広げてニッコリと微笑むイリスだが、表情とは裏腹に発言内容は穏やかでない。

 そして11番目のターゲットとなる『K』のイニシャルを持つプレイヤー。彼女は最初から、カイトに狙いを定めて接触してきた。

 

「まあね。君に限らず、順を追ったターゲットは予め『ラフコフにとって害悪なプレイヤーを優先』って決めてあるの。カイト君は下っ端とはいえ、ラフコフメンバーを牢獄送りにした経緯もあるし……」

 

 広げていた両手を下ろし、左手を前に伸ばす。短剣を手の中で回転させ、切っ先をカイトに向けた。

 

「少し余計な事まで喋りすぎちゃったかな? それじゃあ……再開しようか」

 

 イリスが膝を曲げて腰を低くすると、次の瞬間には風を切るかの如く駆け出していた。剣を後ろに引き、一瞬見失ってしまう程の速さを秘めた短剣単発ソードスキル《セイド・ピアース》による突き攻撃が、カイトの顔目掛けて一直線に伸びる。煌めく剣閃が湿気った空気を切り裂いた。

 以前の戦闘で味わった《盲目(ブラインドネス)》による防戦一方の状況が、彼の脳裏にフラッシュバックした。反射的に顔を逸らすことで頬を掠める程度に留めるが、イリスは突きで精一杯伸ばした腕を即座に引き戻し、次の《セイド・ピアース》を放つための予備動作(プレモーション)に入る。それが怒涛の連続攻撃開始の合図だった。

 顔・首筋・肩といった上半身に剣閃を散らし、いくつもの光線が光っては消え、光っては消えを繰り返す。それはイリスの左手を起点にして流れる、数多の流星群のよう。直接的なヒットは一つもないが、カイトの身体には剣が肌を掠めた事を示す、いくつものダメージエフェクトが表れていた。

 

「くっ」

 

 イリスの猛攻から逃れるため、カイトは大きくバックステップで離脱――――と同時に、剣を引いて構えをとった。当然彼女は後を追うが、開いた距離を突進技で瞬時に詰めようとする。

 イリスの短剣基本突進技《エルムバイト》の発動時にカイトの足が着地。ワンテンポ遅れて繰り出した片手剣基本突進技《レイジスパイク》により、切っ先同士が引かれ合うように吸い込まれ、接触。ペールブルーとペールアイリスの剣が衝突して甲高い音を響かせると、両者共に弾かれた衝撃で仰け反り、胴体がガラ空きになった。

 衝撃から立ち直ったカイトは剣を上段から振り下ろし、イリスは中段からの薙ぎ払いで応戦。剣戟は鍔迫り合いに移行するが、カイトがジリジリと押し返す。

 

「力比べは君に分があるみたいだね。……でも――」

 

 イリスの手首からふっと力が抜け、短剣の角度が斜めに傾く。カイトの片手剣が彼女の剣の刀身を滑り、軌道がイリスの右脇を通った。

 前のめりになったカイトの身体――――首筋目掛けてカウンター気味に水平切りを繰り出す。右総頸動脈を狙った剣は彼の首筋を掻き切り、赤いダメージエフェクトが散った。

 そしてイリスはカイトと横並びになった次の瞬間、彼の身体を突き飛ばすようにタックルをかます。タックルによって押し出されたカイトの身体は真横に移動したが、再び仕掛けてあった罠によって爆風が彼を襲う。いよいよHPが半分を切った。

 ダメージを喰らって吹き飛ばされながらも、カイトは腰のホルダーからピックを取り出し、彼女目掛けて投擲。しかし肩口に刺さったピックは狙い通りの役目を果たさず、微量にHPを削る程度の役目しか果たさなかった。

 

「無駄よ。君と殺し合うんだから、耐毒ポーションは当然摂取済み。小細工なしで来なさい」

「……だったらそっちこそ小細工なしでこいよ。こんなんじゃ、ここら辺一帯でおちおち散歩も出来ないぞ」

「都合の良い事を言うようだけど、そこは目を瞑ってほしいわね。君とまともに殺り合ったら、実力差が出るのは自明の理。それを少しでも埋めるために、こっちも色々と工夫しているのよ」

 

 イリスは肩に刺さったピックを鬱陶しそうに引き抜き、地面に投げ捨てた。

 

「死亡偽装もその一つ。目の前で人が死ぬ光景は、多かれ少なかれ人の精神面に影響を及ぼすわ。特にあなたみたいな気の優しいお子ちゃまは。……君の心に揺さぶりをかけられればって思ったけど、どうもそっちはあまり意味をなさなかったみたいね」

 

 これまでの戦闘から彼女の実力は高いことが伺えるが、『念には念を』なのだろう。SAOの最前線で戦うプレイヤーをより確実に殺傷するため、彼女なりの工夫を凝らしているらしい。

 

「それでもこっちは効果アリ、って感じみたいね。どう? 何処に潜んでいるのかわからないっていうのも、中々気が散るものでしょう?」

 

 イリスの仕掛けた地雷はカイトにダメージを与える役目もあるが、本質は別。やはり、こちらも精神面に作用させるのが目的だった。

 トラップは敵に気付かれないよう忍ばせるのが一般的だが、それは仕掛けたのが一つや二つといった少数の場合だ。彼女が選んだステージは広さも申し分なく、多数のトラップを仕込むにはうってつけの場所だった。敢えてまだ多くのトラップがあるのをそれとなく悟らせることで、カイトの行動範囲を自然と狭める。起爆直後は歴戦の猛者でも必ず一瞬は怯み、隙を与えてしまうものだ。

 幸いにもイリスは未だその隙を狙って追撃をかましてはいないが、頃合いをみて一気に畳み掛ける可能性が無きにしも非ず。彼は自分から動いて下手にチャンスを与えるよりも、イリスが動くのを待って戦うのを選んだ。

 

「それにしても気のせいかな? さっきから全然殺る気が感じられないんだけど」

「……依頼内容は『牢獄に入れてくれ』だ。あんたを殺すのが目的じゃない」

「律儀だね」

 

 呆れ顔でイリスは苦笑する。

 

「でもすぐにそんな余裕はなくなるよ」

 

 表情が一変し、険しくなった。

 イリスが右手で自身の黒いロングスカートを払うと、彼女の白い太ももが露わになる。カイトは思わず目を引かれるが、その対象は太ももではなく、太ももに巻きつけられたピックホルダーだった。

 右手でホルダーからピックを抜くと疾走し、走りながら牽制でカイトの胴体目掛けて投擲する。投げられたピックをカイトは剣の腹で弾いて防ぎ、すぐにイリスを迎え撃つ体制に入った。

 弾き、防ぎ、いなし、そして躱す。剣と剣がぶつかる度に音を散らし、相手の剣だけでなく、手の動き・姿勢・視線から次の動作を予測して動く。純粋な剣技の応酬ともなれば力の天秤はカイトに傾き、イリスの身体を掠めてHPを削る。彼女の命をギリギリまで追い込み、自ら投降するように仕向けるしかないと考えた。

 

「はあぁぁぁぁあ!」

「やあぁぁぁぁあ!」

 

 しかし悲しいかな。現実はそう甘くはなく、簡単にはいかない。イリスはややおされているものの、なんとかカイトと切り結ぶ程度に善戦していた。故に彼女のHPを削るのは容易ではない。

 そしてあろうことか、イリスは隙をみつけて反撃にも転ずる。短剣使用者が得意とする連続攻撃の中にフェイントも交え、カイトが引っかかった所で腕を切り裂く。部位欠損とまではいかなかったが、腕の中を異物が通過した感覚が走り、彼は顔を歪めた。

 

「――――っ」

 

 この一撃によって半分をきってからも減少を続けたカイトのHPが、イリスよりも先に危険域(レッドゾーン)へ突入してしまった。そしてイリスが右手の指先を彼の喉元に突きつける。そこにはキラリと光るものがあった。

 

「チェックメイトよ」

 

 掌で覆うようにして持っていたのは、先程と同じピック。彼女は太もものホルダーからピックを抜き取った際、牽制用に使った一本とは別にもう一本隠し持っていた。

 

「奥の手はここぞという時に使う物。先端には最高級の猛毒が塗ってあるけど、君の赤く染まったHPなら何秒で空に出来るかな? 勿論、ポーションも結晶アイテムも使わせるつもりはないわ」

 

 麻痺毒ならまだしも、HPを削るタイプの毒を防ぐ《耐毒》スキルをカイトは持ち合わせていない。喉元からわずか数センチの位置にある細いピックだけで、不動の姿勢を強いられた。

 

「いい子ね。じゃあ剣をその場に落として、両手を上げてもらえる?」

 

 ニッコリと微笑むイリスの言う通りにし、カイトは右手に握った剣を力なく地面に落とす。そして両手を頭と同じ高さに上げ、無防備な状態となった。

 

「中々手強かったけど、これが『人を殺すための戦い方』と『人を生かすための戦い方』の絶対的な差。君の甘ちゃんなやり方じゃ、有象無象のオレンジ共に通用したとしても、ラフコフのプレイヤーには通用しないの」

「……そう言われて『はい、そうですね』なーんて素直に受け入れる気はないから」

「この後に及んで強情ね」

「ユキの頑固さが伝染(うつ)ったのかも」

 

 まるで追い込まれていると感じさせないような余裕。

 冗談めかして話すカイトの態度には恐怖も焦りもなく、イリスは敵ながら肝の据わりように感心してしまった。

 

「初めて会った時にも思ったけど、カイト君は本当に面白いわ」

 

 クスクスと静かに上品な笑みをこぼす。それは嘘や作り笑いではなく、本心からくる正直な言葉と表情だった。

 

「それにしても強いな、イリスさんは。ラフコフなのが勿体無いぐらいだよ」

「あら、現役の攻略組にそう言ってもらえるなんて光栄ね。昔から地道にコツコツやるのは嫌いじゃないから、この世界で生き抜くためなら何でもやったわ」

「……これもその一つ?」

 

 イリスの目を見つめたまま、カイトは毅然とした態度を崩さない。そんな彼に負けじと、イリスも見つめ返した。

 

「……えぇ、そうよ。私はあの人に――PoHに救われたの。あの人のためならなんだってするわ」

「へぇ……まさか殺人ギルドのリーダーに、人助けの過去があったなんてね。《情報屋》が知ったら面白いネタとして扱いそうだ」

「……言い方に語弊があったわね。PoHが行ったのはあなたの考えるようなものじゃないわ」

 

 イリスは懐かしむように、己の半生を語り出す。

 

「私はね、今まで両親の敷いたレールの上をなぞっていくだけの、つまらない人生を送ってきたの。当時はそれが最高で最善の選択だと、信じてやまなかった。……でも、いい加減疲れてきちゃってね。毎日勉強して、レッスンを受けて……そんな娯楽を挟む余地が一切なかった日常の息抜きにと思って、SAOを手に入れたわ。まさかあの時はこんな事になると思わなかったけど……」

 

 淡々と語る彼女の話に、カイトはつい聞き入ってしまう。彼女が歩んできた道のりの一片を、彼は今垣間見ていた。

 

「最初の1ヶ月はずっと《はじまりの街》に篭る生活をしてたけど、所持金が底を尽き始めたから、仕方なくフィールドに出たの。それから暫くして一人の男性プレイヤーと出会って、ゲームの知識に乏しい私のために、彼は色んな事を教えてくれた。……少なくとも良いコンビだと、()()思っていたわ」

 

 ここにきてイリスの顔が曇る。表情と言動から、この先彼女が語る内容の大筋をカイトは察した。一言で表すのなら、それはおそらく、彼女の信頼を裏切る行為。

 

「ラフコフ結成を大々的に行った3ヶ月前、いつものように迷宮区で彼と狩りをしていたわ。そして人気の少ない奥の安全地帯で休もうとした時、不意に私の身体はバランスを崩してその場に倒れたの。一体何が起こったのかわからなかったけど、答えは簡単だった。……背後にいた彼が、私の足を刈りとったのよ」

 

 足を切断することによる部位欠損は、ペナルティーとしてプレイヤーの移動制限が発生する。イリスのいう『彼』の狙いは、足を使った逃走手段を封じることだったのだろう。

 

「死ぬ一歩手前までHPを削られた私は、装備の全解除を強要されたわ。私はその時になってようやく気付いたの。彼の中に潜んでいた、獰猛な野獣の姿を……一体いつからいたのか、今となっては検討もつかないけどね」

 

 イリスの顔にかかっていた雲が濃さを増す。彼女の持つピックが小刻みに震え出した。

 

「必死の懇願を彼は受け入れてくれなかった。死にたくない一心で仕方なく、私は女性としての辱めを受ける決心をしたの。そんな絶望的状況に陥ろうとした時、現れたのがPoHよ」

 

 話を静かに聞いていたカイトの心に、ある感情と考えが芽生え始めた。

 

「――といっても、最初はPKに使う獲物としてしか見ていなかったらしいけど。……PoHが彼を痛めつけている最中、私の中にはフツフツと憎悪が湧き上がっていたわ。今までの信頼を一瞬にして踏みにじった彼を、私は許す事が出来ず、気付いた時にはダガーを彼の胸元へ突き立てていたの。それが私の初めて犯した殺人の瞬間……そしてそれを見たPoHが、私の中にあるオレンジの才覚を見出した」

 

 数ヶ月に渡る思い出を、ほんの僅かな時間に見えた卑しい感情が、それらを上書きしてしまう。信頼を築くのは時間が掛かり難しい一方、崩すのは一瞬で容易い。

 信じていた人からの裏切りが、彼女の奥底にある黒い感情を呼び起こす引き金だった。

 

「PoHはこの世界で生き抜くための術を知っていると直感したわ。私はそれを学ぶために、彼の後をずっとついて行っている。……私は知りたい。彼が考えている事と見ている景色を、彼と同じ目線で知りたいの」

 

 回顧を終え、力のこもった眼差しを向ける。

 ピックを持つ手の震えは止まり、左手のダガーもカイトの首筋へ添える。

 武器は既に手放しており、両手は掌をイリスに向けてタネも仕掛けもないことを主張。

 それでも尚、彼の表情は崩れない。

 それが彼女を苛立たせた。

 

「――ッ、何よ……なんなのよ! あなた自分の状況わかってるの?! 君の命は、最早私の匙加減一つでどうとでもなるのよ! 右でも左でも、ちょっと手を動かせばあっという間にゲームオーバー……死ぬのよ、怖くないの?!」

 

 これまで平静を保ってきたイリスが、初めてカイトを罵倒して感情をぶつける。

 そんな彼女の疑問を無視し、彼はこれまでの話から判明した、一つの結論を突きつけた。

 

「……少し考えてたんだけど、イリスさんは悪人に向いてないよ」

「どういう――」

 

 意味がわからず訊き返したイリスの言葉を遮り、カイトは口を開いた。

 

「ヒール」

 

 ()()()()()()()()()()()()()彼が唱えたコマンドは、瞬時にHPを赤から緑へ変色させ、バーの端まで全快させた。



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第34話 不一致と一致

 イリスは思わず目を見開いた。

 従来のRPGなら必ず備わっている《魔法》という概念、それを極力排除したのがSAOだ。そんなSAOで数少ない魔法とも呼べる手段の一つ、結晶アイテム。ポーションのように時間経過で回復するのではなく、瞬時にHPを全快にする回復結晶は、イリス自身何度も世話になった。なので結晶アイテムをオブジェクト化し、手に持ってコマンドを唱えなければ、その効果を発揮することは叶わないのも重々承知している。

 だからこそ、理解できなかった。両の掌を開いて首筋に刃を添えられている少年は、アイテムをオブジェクト化する余裕などない。だがしかし、彼のHPは間違いなく紅蓮から新緑に変化している。

 彼女の頭は目の前で起きた現象の説明が出来ず、混乱状態になっていた。内から生まれた動揺は表情となって表れる。

 そうして生まれた隙を逃さず、カイトはイリスの袖と襟元を掴んだ。背負い投げの要領で投げ飛ばすと、彼女の身体は束の間の空中散歩を謳歌する。

 

(あれは一体……)

 

 宙に舞っている彼女は疑問を抱いたまま、カイトを見据える。すると投げ飛ばされる際に刺さったのであろう、彼の腕にはイリスの持っていたピックがあった。彼は今間違いなく《毒》状態に陥り、HPが減少し続けているだろう。

 

「キュア」

 

 しかしそれすらも、カイトはアイテムを使用せずに解毒する。益々意味がわからないまま、イリスは空中で身を翻し、華麗に着地した。

 

「何よ、それ……?」

 

 ポツリと呟く。

 死亡偽装のように、彼も何らかの方法で、『結晶アイテムを使う素振りを見せずに回復する』というトリックの類を行っていると予想した。

 

「一体どんな仕掛けを?」

「タネも仕掛けもないよ。イリスさんがやったような大それたトリックでもない」

 

 地面に落とした愛剣を拾いつつ、イリスの疑問に答える。

 

「ただのエクストラスキルだよ」

 

 特定条件下で習得できるエクストラスキルはこれまで多く発見され、情報屋のスキルリストにも公開されている。しかし結晶アイテムを使わず、瞬時に回復・解毒を可能にするエクストラスキルなど、イリスは聞いたことがなかった。

 

「そんなスキル、知らないわよ」

「だろうね。オレもスキルリストに出るまでは知らなかったし、自分以外で習得している人を聞いたことないから。名前と効果はご想像にお任せしま……すっ!」

 

 気合いの入った声と共にダッシュ。

 イリスは彼を迎え撃つため、剣を後ろに引いて構えを作るが、一時は困惑した表情に再び余裕が生まれる。ある一点に視線をチラリと注いだ。

 急加速したカイトがイリスに迫る10メートル手前、その地点で彼は大きく跳躍し、彼女の頭上を飛び越える。突然の行動でイリスは呆気にとられながらも振り返り、カイト目掛けて剣を突き出した。

 イリスに背中を向ける形で着地したカイトは、時計回りで振り向き、下段からの切り上げを繰り出す。突き出されたイリスの剣を下からすくい上げ、弾き、切り返して袈裟の軌道で彼女を切りつけた。

 

「――っ」

 

 身体に走る不快感を堪え、イリスは上段から切りつける。

 だが、カイトは右手で振り抜いた片手剣を左手に持ち替え、右手で拳を握った。握った拳の甲を使い、イリスの左手首に向かって裏拳をかますと、彼女の腕が再び弾かれ、身体が仰け反る。

 胴体がガラ空きになったイリスが防御姿勢を取る前に、カイトは握った拳をそのままにして振りかぶる。赤い燐光を纏った拳で、体術単発ソードスキル《閃打》を腹部目掛けて叩き込んだ。

 

「かはっ――」

 

 胃液が逆流する感覚を感じながら、彼女は後方へと飛ばされる。地面を転がって先ほどカイトが跳躍した手前までくると、自ら仕掛けておいた地雷が作動し、追加ダメージが発生した。爆発の威力をモロに受け、HPが減少。危険域(レッドゾーン)間近となった。

 

「ゲホッ、ゲホッ…………やってくれるじゃない……」

 

 地面に這いつくばり、命の残量が少なくなっているにも関わらず、闘志は衰える気配がない。鋭い眼差しでカイトを睨みつけた。

 

「さっき跳んだのは、トラップを回避するためだったのね……。でも、どうしてわかったの?」

 

 カイトは左手の片手剣を右に持ち替え、切っ先をイリスに向ける。

 そして空いた手の指先を一本立て、目元に当てて指し示した。

 

「『目は口ほどにものを言う』ってね」

「……あぁ、そういうこと」

 

 跳躍の前に動いたイリスの視線。それは地面のある一点に熱く向けられており、これに気付いたカイトはトラップの可能性を考慮して跳躍したのだった。読みはどうやら当たっていたらしい。

 そして立場は完全に逆転していた。

 質問者は回答者に、回答者は質問者に。

 劣勢だった者は優勢に、優勢だった者は劣勢に。

 

「…………」

 

 カイトは切っ先をイリスに向けたまま、彼女を遠くから見下ろす。

 対するイリスは這いつくばった状態から立ち上がろうと、腕に力を込めて身体を起こす。

 立ち上がった彼女は左手に剣を、右手に回復結晶を握り、コマンドを唱えてHPを全快にした。イリスの戦意は失われておらず、その行動は戦闘続行を意味する。

 

「もう止めなよ……。これ以上やっても、きっと同じ事の繰り返しだ。……というかオレは兎も角、そっちは回復アイテムの数に限りがあるから、長引けばこっちが優位になる。これ以上は不毛だよ」

「……何をもう勝った気でいるの? 私はまだ負けてない」

 

 イリスの言葉を聞き、カイトは深くため息をついて肩を落とす。

 そして彼は構えを解いて己の武器を左右に払い、背中の鞘にそっと納めた。

 

「イリスさん、どうしてそこまでオレに執着するんだ?」

「……決まっているでしょう? あなたのような強者を殺せば、私はまた一歩PoHに近付けると――」

「建前はいい。オレが聞きたいのはイリスさんの本心だ」

 

 雰囲気が変わり、ジッと見据えたその先の答えを待ち望む。

 問われたイリスは押し黙り、沈黙が続いたが、彼女の言葉を引き出すため、カイトはさらに言葉を紡いだ。

 

「さっきの思い出話を聞いてて思ったんだけどさ……オレとユキの関係を、昔の自分に重ね合わせたんじゃないかな? って」

 

 イリスの表情を伺う事は出来ない。だが、この時彼女の中では、針の先で刺すような痛みを感じていた。

 正面から突き刺す言葉の数々は、今の彼女にとって、剣で切られるよりも不快感を催すもの。故にカイトの視線から逃れるようにして、イリスは顔を横に背ける。

 

「なんでも訊けって言ったのはそっちだ。……逃げるな」

 

 顔を逸らしているイリスは、カイトの方向を直視出来ずにいた。なので、彼女は顔の向きをそのままに、言葉だけを彼に返す。

 

「――そうよ……えぇ、そうよ! 私はね、あなた達二人を見て嫉妬したのよ! 仲が良くて、信頼して支え合って、笑ったり怒ったり出来て! まるであの頃の私と彼を見ているようで、キラキラと眩しくて、私にもこんな未来があったのかもって思えた――――羨ましかった……」

 

 両腕をクロスさせ、自分を抱くようにして前屈みになる。

 顔を俯かせ、心の奥底に溜め込んだ真っ黒な感情を、全て言葉に変換して吐き出した。

 

「メインターゲットのあなたは隅々まで調べたわ。武器や戦闘スタイル、人間関係まで色々とね。……だから()()の存在と関係は知っていたわ。……知った時はチクっとする痛みがあったけど、実際に会ったら……もっと痛くなった。昔の私と似てるのに、何かが違う。どうして彼女はこんなにも恵まれて、幸せそうなのに……私は不幸なのか、って。……だから形は違うけど、君を殺すことで彼女にも絶望してもらおうと考えた……」

 

 当初の攻め立てるような勢いはなくなり、声は緩やかに収束する。

 イリスの肩が小刻みに震え出した。

 

「……でも、出来なかった。私のやっている事は所詮八つ当たりでしかなくて……それに気付いたら、自分が酷く惨めに思えてならなかった。……でも、惨めだろうとなんだろうと、私は先に進むしか道がないの!」

 

 前屈みの姿勢から背筋を伸ばし、ダガーの切っ先をカイトに向ける。今度こそは逸らさずに彼を直視するが、視線の先で佇むカイトの目は、どこか穏やかな印象を受けた。

 

「やっぱり、イリスさんは悪人になれないよ」

「……さっきもそんな事を言ってたわね。どういう意味よ?」

「……オレンジプレイヤーと関わってると、人の黒い部分を否が応でも見る機会が多くてさ。それで感じるのが『進んで他人を(おとし)める行為は、自分の価値を下げている』っていうのに気付いてない奴ばかりなんだ」

 

 デスゲームが始まって以降、『死』という概念がグッと身近に感じる世界へ急に放り出され、戸惑い、恐怖し、絶望の淵に立たされたプレイヤーは大勢いる。現に初期で耐えきれなくなった者は、早々に自ら命を散らしているのだから。

 しかしそんな状況を脱しようと、多くのプレイヤーがその身を奮い立たせて立ち上がり、解放の日を迎えるために剣を握っている。人に限らず、生物は環境に順応していくもの。蒼穹に浮かぶ鋼鉄の城から抜け出すため、皆努力しているのだ。

 だが誰しもそうである訳ではなく、現実世界でイジメ・恐喝・盗み・殺人を犯す者がいるように、仮想世界でも人を貶めて一種の喜びを感じる者がいる。上位の者に対しては妬み、下位の者に対しては優越感を味わうため、傍からみても気持ちの良い行為では決してない。

 そしてそうした行いは、客観的にみた人としての――――自らの価値を下げている、という事に気付かない者ばかりだった。

 

「でも、イリスさんは違う。自分のやろうとした事を振り返って、自己嫌悪するだけの余裕がまだある。そういう人は救いがあるし、まだ染まりきってないから抜け出せる。……もしも一人で抜け出す勇気がないなら、オレも協力するから」

 

 左手を前に伸ばし、手を差し出した。二人の距離は腕一本分だけ縮む。

 つい先ほどまで剣を交え、醜い感情を乗せた刃で奪い・壊そうとした相手から掛けられたのは、救済の言葉。イリスは目を見開いて呆然の体を晒す。

 ふっ、と彼女の口元と肩の力が抜けた。これまで強張っていた顔が緩み、初めて無邪気な微笑みをみせる。

 

「……ありがとう。でもね――」

 

 微笑みは一転、侘しげな顔に変化した。

 

「――私は、もう……後には引けないの。そっち側には……戻れない」

 

 月明かりに照らされた哀愁漂わせるその表情を、美しいと感じたのは何故だろう。

 『儚い』という言葉がここまで似合う女性を、カイトはこれまで見た事がない。そんな能天気な考えが、ふっと頭に浮かんだ。

 そんな彼とは対照的に、イリスは表情を今一度引き締める。まるで何か覚悟を決めたかのようだった。戦闘はまだ、終わっていない。

 

「はあぁぁぁぁあ!!!!」

 

 オレンジ色のライトエフェクトを纏った彼女の剣が繰り出すのは、短剣上位突進技《アーリー・スピルド》。二人の間に合った距離を数秒で埋め、アシストで得た推進力を剣に上乗せした一撃が、カイトの胸に吸い込まれていく。

 《アーリー・スピルド》の優れた点は、全突進系ソードスキルの中で最速のスピードを誇っていることだ。定かではないが、おそらく短剣という軽量武器所以の利点だろう。

 

「――がっ!」

 

 剣を納めてしまっている彼は回避や防御をする暇もなく、彼女渾身の一撃をその身に喰らう。突き飛ばされた身体を空中で捻り、両手を地面につけて体勢を整える。カイトの減少したHPは、回復コマンドを叫ぶことで全快した。

 説得に応じる様子のない彼女に言葉は通用しない。ならばカイトの取れる手段は、ギリギリまで追い詰めてイリスの心を折るしかなかった。

 

「だあっ!」

「はあっ!」

 

 二つの煌めく剣閃が、薄暗いフィールドに彩りを与える。

 切って切られてを繰り返す両者にダメージエフェクトが散り、隙をみて回復。HPは減少と増加を繰り返し、永遠に続くのではないかと思えてしまうほど、二人は長時間切り結んでいた。

 だが、終わらない戦いなどない。決着はカイトがイリスに忠告した通りの状況(シチュエーション)となる。

 とうとうイリスの所持していた回復アイテムが底を尽き、彼女の頬を冷や汗が流れる。攻撃よりも防御を重視する戦闘スタイルに切り替わり、ポーチからアイテムを取り出す様子を見せなくなった事で、カイトはイリスの抱えた事情を察した。

 

「もういいだろ? 勝負はついたし、これ以上続けてもそれは勇敢なんかじゃない。只の蛮勇だ」

「――五月蝿いっ!」

 

 叫び声をあげたイリスは大きく跳び退く。

 逃亡を図るかと思えば跳び退いた先で立ち止まり、太もものホルダーからピックを取り出した。先端が毒々しい色をしたピックをジッと見つめ出す。

 

「……そういえば、耐毒ポーションの効果がもう切れてるわね」

 

 そう告げた次の瞬間、イリスは手に持った毒効果付きのピックで自身の肩を突き刺す。当然、ポーションの効果が切れた彼女に毒を防ぐ手立てはなく、残り少ないHPは毒の影響で減少を始めた。

 

「なっ!? 馬鹿っ! 死ぬ気か?!」

「えぇ、そうよ。普通にやっても私に勝ちの目はなさそうだから、これを最後の勝負にしましょうか……。私を助ける事が出来れば、『殺さずに勝つ』信念を貫き通した君の勝ち。死ねば信念を守り通せなかった君の負け――つまり私の勝ちよ」

 

 イリスのHPはそうこうしているうちにも減少し続ける。回復は出来ずとも解毒手段はあるかもしれないし、罠の可能性もある。だが、そんな事を考えている余裕はない。

 

(『死ねば私の勝ち』?)

 

 カイトは剣を納める代わりにピックを手に持ち、彼女に接近する。

 

(そんなの『どっちも負け』だろうがっ!!)

 

 剣をその場に落として両手を広げ、待ち構えるイリスに手を伸ばす。

 

(解毒……いや、この場合は――)

 

 左手で彼女に触れると、まくしたてるようにコマンドを唱えた。

 

「ヒール!」

 

 イリスに触れながら回復コマンドを唱えた結果、彼女の命は再び緑に染まった。それは死の危機を脱したと同義。

 カイトは彼女の身動きを封じるため、右手のピックをイリスの腹部に突き立てる。彼女のHPバーは黄色く点滅し出し、麻痺状態が新しく追加されたため、膝から力なく崩れ落ちた。

 

「…………ぶはあっ!」

 

 安心したカイトは息を吐き出し、緊張から解放された影響で全身の力が抜ける。両手と尻餅をついて地面に座り込み、ホッと一息ついてポーションを口にした。

 幕引きは呆気なく、だが静かに迎える形で終極する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どういうこと?」

「イヤ、エット……」

 

 決戦から一夜明け、カイトが宿へ戻る頃には朝を迎えていた。

 現在、彼はユキの宿部屋にあるベッドに腰掛けている。両手をグーの形にして膝の上に置き、居心地悪そうに身体はいつもより縮こまっていた。その姿はまるで借りてきた猫のようだ。

 一方そんなカイトの真正面には、両手を腰にあてて仁王立ちとなり、非常に穏やかな笑顔を向けているユキの姿があった。後方には窓が設置してあるため、差し込む陽光が後光のように彼女を照らしている。

 穏やかな表情も相まって外面は菩薩の如く見えるが、カイトにはそう感じられなかった。ありえない話だが、彼の目にはユキの後ろに夜叉が映っていたのだ。

 

「イリスさんに呼び出されたから、夜の間は戦ってた、と」

「はい……」

「だけどカイトは教えてくれなかったから、その間私は何にも知らずにスヤスヤ眠っていた、と」

「はい……」

「私達は今、コンビを組んでいるんだよね?」

「その通りです……」

「だったら教えてくれても良かったんじゃないかなぁ? そのためにコンビを組んだ訳でもあるんだし」

 

 ユキが一言発する度に、カイトの心には大きな矢が刺さった。

 

「カイト」

「はい……」

 

 ユキに名を呼ばれるが、どうにも顔を直視出来ず、床板に視線を注ぐ。

 はぁ、というため息が聞こえると、彼女の足が動き、カイトの元へゆっくりと近寄ってきた。反射的に目を瞑る。

 何をされるのか、何を言われるのか冷や汗を垂れ流しながら待ち構えていると、カイトの身体は優しく包まれる感覚に陥った。恐る恐る目を開ければ、ユキは彼の背中に両腕を回して抱きしめていた。

 

「無事で良かった。カイトの身に何かあったら、私どうにかなっちゃいそうだよ」

「……大袈裟だな」

「大袈裟なんかじゃないよ」

 

 密着していた身体を少しだけ離し、二人の距離はゼロから鼻先15センチに開いた。両肩に手を置き、ユキは至近距離から真っ直ぐカイトの目をみつめる。

 

「何にも言わなかったのは、私を巻き込まないためにしてくれたんだよね? カイトのそういう人思いで優しい所、良いと思う。そんなカイトが私は大好きだよ。……でも、あんまり自己犠牲が過ぎるのも、どうかと思うなぁ」

 

 二人の距離が再び縮まると、今度はおでことおでこが触れ合い、密着した。鼻先は1センチもない距離で囁く。

 

「前にクラインさんが言ってたでしょ? 『もっと周りを頼れ!』って。私はあの人みたいに大人じゃないけど、もっと私のことを頼って……ね?」

 

 そう言ってユキはつけていたおでこを離し、また少しだけ距離をとる。

 

「一人で解決しようとする癖、まだ直ってないよ。これからは直すように!」

 

 右手の人差し指を立て、カイトの鼻先をポチッと押した。

 

「……わかったよ」

 

 クスッと笑みをこぼしながら、カイトは了承の意を込めた返事を返す。ユキも同じように笑顔で返してくる――と同時に、彼の心は暖かい気持ちで満たされた。

 

「よしっ、じゃあ反省会はお終い! 朝ご飯にしよっ!」

 

 ユキは部屋の扉方向に向き直る。部屋で食事をとるのは出来なくもないが、一階まで降りれば食堂が設置されており、少しのコルでそこそこの朝食を頂けるのであれば、そちらの方が断然お得だ。

 だがそんなユキの進行に、カイトは待ったをかけた。

 

「ユキ、あのさ――」

「ん? どうしたの?」

「――いや、やっぱ何でもない」

「? 何か訊きたいことでもあるの? もしそうなら、遠慮しなくていいよ」

 

 一度出かけた言葉を飲み込んだが、引き止めたのがマズかった。中途半端に止めたせいでユキは気に掛けてしまい、カイトが何を言いたかったのかを催促する。そして彼女は彼が次に言う言葉を、律儀に待っている様子だった。しまった、と脳内で後悔する。

 

「あの、さ……さっきユキが言ってた事なんだけど――」

「うん?」

「――その、『大好き』っていうのは……どういう……」

 

 意味なんだ? と繋げようとしたが、照れ臭そうにして声に詰まる。

 ユキはというと、どうやら無意識に発していたようで、指摘されてはじめてそれに気付いたらしい。みるみる内に顔が熟した林檎のように赤くなる。

 顔を右手で隠し、左手を前に突き出す。なんでもないと身振り手振りで主張するが、言動からは焦りがありありと伝わってきた。

 

「ち、ちちちちがっ!? 優しい所が好きってだけで、別にカイトの事が好きなわけじゃ……いや、好きだけど――――あぁ、もうっ! わ、私先に行ってるから!」

 

 指の隙間から覗く顔を真っ赤に染めたまま、彼女は踵を返してドアノブに手をかける。本人にとってこの場にとどまり続けるのは耐え切れないため、羞恥心から逃れるように立ち去ろうとした。何時ぞやのように転移結晶で離脱しない分、成長したといえるだろう。

 

「――っ! 待て! 逃げるな!」

 

 しかし逃亡しようとする彼女の腕をとり、それ以上歩を進めないよう引き止める。彼はまだ、彼が欲している答えを聞いていない。

 彼女の顔はカイトから見えないが、微かに見える頬と耳の色は依然として薄まる気配がなかった。むしろ数秒前よりも酷くなっている気さえする。

 そこでふと、彼は今、そしてイリスに言った自分の言葉を反芻した。

 

(『逃げるな』か……。今まで逃げてた奴がよく言うよ……)

 

 ボンヤリとではあるが、彼女の気持ちが他の人と自分に向けているもので差異があることに、薄々気付いてはいた。

 しかしそれを今まで問うことはせず、あえてそのまま放置していた。『もっと近付きたい』という誰しも抱く淡い恋心は、前へ出ないよう無意識にブレーキをかける。それは万が一にもこの関係を自ら壊すのは不本意であり、それだけ今の距離感は居心地が良いものだったからだ。

 しかし――。

 

(もう……逃げない!)

 

 ――内にずっと秘めていた恋慕の感情。

 それを今、少年は口にする決心を固めた。




スキルについては後々説明を入れます。

次の番外編は時間を飛ばして3ヶ月後の話です。


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番外編第05話 夏のひとときと繋がる想い

 青い空、白い雲。青い海、白い砂浜。

 天上に掲げられた丸い球体の発する光と熱が、カイトの肌をジリジリと焼く。上からだけならまだしも、足元に敷かれた白砂(はくさ)が光と熱を反射しているため、鉄板の上に立っているかのような感覚に陥っていた。つまり――。

 

「暑い……」

 

 ――ということだ。

 本日は7月20日。日本が定めた国内の祝日でいうなら、『海の日』である。

 そして今日から約一週間前、アインクラッドで唯一海が存在する階層にて行われるイベント――《ビーチバレー大会》――の情報を、各階層のNPCが口々に宣伝し始めた。おそらく『少しでも有志が募れば』という配慮だろう。

 

「それにしても、人多すぎじゃあ……」

「ざっと見積もっても、こりゃ100人はくだらねぇな」

 

 黒地に黄色い斑点の海パンを履いたカイトの隣に経つのは、赤い海パンと彼にとって必須アイテムともいえるバンダナを頭に巻いた、ギルド《風林火山》リーダー・クラインだ。彼は今日開催されるイベントにおいて、カイトのパートナーを務めることになっている。

 

「にしてもよお、何でおめぇはオレを誘ってくれたんだ? 男女関係ねぇなら、あの子でも務まるはずだろ?」

「先約がいたんだよ。……とりあえず、エントリーだけしてくる」

「おぉ、任せたぜ! それじゃあ始まるまで、オレは水着美女を探す旅に出るわ! 開始までには戻るからよ!」

 

 右手を上げ、後ろ向きで大手を振るクラインの背中を見送ると、カイトは砂浜に設置された受付へと歩を進めた。

 白の簡易テントから伸びる列は、広い砂浜に巨大な蛇を描く。そして列の最後尾に並び始めて数分、見知った人物二人が受付から出てきた。

 一緒に出てきたのはキリトとアスナ。キリトは普段からなにかと黒を好んで使うが、海に来てもブレることはなかった。黒い海パンに黒のビーチサンダルの出で立ちを見たカイトに「あぁ、やっぱりキリトはキリトだ」と、妙な安心感さえ抱かせる。

 そしてその隣にいるアスナだが、彼女は歩くだけで海岸にいる男性プレイヤーの目を釘付けにする魔力を備えていた。

 白をベースにして輪郭に赤いラインが入っているビキニを着用しており、腰には白いパレオを巻いている。髪型はいつものハーフアップだが、花の髪飾りを栗色の髪につけていた。彼女が持つ美貌とスタイルに加え、《血盟騎士団》をイメージさせる水着が、彼女の魅力をより一層引き立たせる。

 これが彼女一人だけなら、間違いなくナンパ目的の声を掛けられていただろう。しかしアスナは隣にいるキリトと仲良さげに談笑しているため、周りの男性プレイヤーは指を咥えて遠くからみるだけにとどめていた。

 

(相変わらず仲良いな)

 

 カイトとユキが奔走している時同じくして起こっていた『圏内事件』を、キリトとアスナは二人で解決に導いていた。その一件を境に、アスナはなにかとキリトへのアプローチを辛抱強く続けている。その努力もあって少しづつ二人の距離は近付いているが、アスナの望む結果が出るのはまだ先かもしれない。その証拠に、並んで歩く二人の間には心の距離を表すような空間ができていた。

 

(アスナ、頑張れ。キリトは手強いぞ)

 

 育った環境がそうさせているのか、元々彼が持つ性格なのかはわからないが、キリトは人付き合いを不得手としている。そんな彼が親しげにアスナと会話しているということは、それだけ気を許している――――心を開いている証拠だ。

 カイトは小さくなっていく二人の後ろ姿を眺めつつ、一人の少女が胸に抱いた淡い恋心を、密かに応援するのであった。

 

 

 

 

 

 ようやく順番がまわってきたカイトは、NPCの水着お姉さん相手に受付を済ませて白テントから出る。イベント開始までにはまだ時間に余裕があり、どうしたものかと思案した。一応海の家を模したNPCレストランがあるにはあるが、朝食からそう時間は経っていないために食欲はない。

 そこでふと、数百メートル離れた先にある賑やかな露店の集団が目にとまった。

 

「暇潰しには丁度いいか」

 

 今回のイベントに便乗した様々な商人・職人プレイヤーが、新規の顧客を獲得プラス売り上げの確保をしようと集まっていた。あらかじめプレイヤー間で取り決めでもしたのだろうが、露店スペースは皆平等で理路整然としている。

 露店群に近付くと、最初は《血盟騎士団》の店。ギルドの経理係で体格が太い……もとい大きいダイゼンは、赤いベンダーズ・カーペットの上に商品を並べていた。必需品のポーションや結晶を始めとする幅広い商品を取り扱っており、彼は呼び掛けを行いながら販売している。チラッと見た感じでは欲しいと思う物はなかったため、カイトはそのまま素通りして奥へと進んだ。

 水着姿で品定めをする人混みを掻き分けていくうちに、筋骨隆々としたガタイの良い黒人プレイヤーを発見する。案の定というか、期待を裏切らないというか、実を言うと、露店の群れを見た時真っ先にカイトの頭で浮かんだのは、彼が商売をする姿。それは脳の奥底に刷り込まれ、ほとんど条件反射に近かった。

 

「やっぱりいたか」

「おぉ、カイトじゃねーか」

 

 胡座をかいて客の到来を待ちわびているエギルが、カイトの存在に気付く。黒い身体と禿頭には、うっすらと汗が光っていた。

 

「今日は儲かりそうか?」

「あぁ。この後もプレイヤーの数はどんどん増えるだろうし、それなりの儲けは期待できそうだ。少なくとも『来て損した』なんてのは無いだろうな」

 

 まだイベント開始までには時間があり、露店も開いてそう間がないのだろう。彼にとってはこれからが勝負だ。

 

「今日はユキと一緒に参加するのか?」

「いや。誘おうと思って声を掛けたら、リズに先越されてたんだ。だからクラインと一緒に参加するつもり」

「……そのクラインは何処か行っちまったのか? 姿が見当たらねえが」

「水着美女を探す旅に出た」

「はっはっ、あの野郎は相変わらずだな!」

 

 大口を開けてエギルは笑うが、むしろそうでなくてはクラインじゃない。彼もまた、キリトと同じようにブレなかった。

 

「それはそうと、何か買ってけ! 今日は装飾品の種類をいつもより多めに取り扱ってるから、気に入ったのがあれば即断即決で買えよ。種類は多くてもそれぞれの数に限りがあるから、余所行って戻ってきた時にはもう売り切れてるかもしれんからな!」

「煽るな」

 

 ――と言いつつ、カイトはしゃがんで商品の物色を開始。

 展示されている装飾品は、どれもカイトにとって初見の物ばかりだった。玉状にした緑柱玉を使っているネックレス・菫色に輝くイヤリング・琥珀を用いたブレスレットなど、お洒落のためや補助効果付与を目的としたアイテムが取り揃えてあった。一つずつ詳細な情報を確認していくが、お目に叶う代物はない。装飾品以外にも日常的に使うポーションや結晶アイテム、あるいは素材アイテムなども置いてあるが、補充するほど困ってはいなかった。

 

「う〜ん、欲しいと思うのはないかな」

「まぁそう言わずによ。折角なら、ユキのプレゼントにどうだ?」

「プレゼント……」

 

 エギルに促され、自然とプレゼント選びに頭が切り替わる。どうせあげるのなら喜んでほしいので、選ぶのも真剣になり、先ほどよりも吟味する時間が長くなった。

 

「……よしっ、じゃあこれ買う!」

「あいよ! 毎度あり!」

 

 悩んだ挙句、ブレスレットを一つだけ購入することに決めた。コルとアイテムの受け渡しを完了すると、カイトは立ち上がる。

 

「また頼むぜ!」

 

 手をあげて愛嬌のある笑顔をカイトに向けると、彼も同様の仕草で返す。その場から離れるようにして歩くこと20メートル、何かに気付いたようにして急に立ち止まった。

 

(しまった……。ペースに乗せられた……)

 

 後ろを振り返って離れたエギルの姿をみれば、既に別の客を相手に商売をしているところだった。見た目と仕草だけで判断するなら気の弱そうな男性プレイヤーで、エギルの軽快な商売トークに丸め込まれる未来が容易に想像できる。そんな新たな犠牲者になるであろう彼のために、カイトは心の中で合掌した。

 

 

 

 

 

「あら? あんたも来てたんだ」

「リズも来てたのか」

 

 エギルの開いている露店からそう離れていない場所で、鍛治士リズベットがボトムにスカートのついたAラインの水着で露店を開いていた。水着姿を除けば、最前線の街でベンダーズ・カーペットを使って商売をしていたあの頃のようだ。命名するとしたら《リズベット武具店・海の日出張Ver》といった感じだろう。

 

「カイトさん、お久しぶりです」

『きゅるう』

「ありゃ? シリカとピナも来てるんだ。久しぶり」

 

 中層を活動拠点にしているため滅多に会わないが、シリカと使い魔のピナも一緒だった。シリカはピンク色の花柄が可愛らしいワンピースタイプで、腰にはフリルがついている水着を着用している。ピナはいつもの指定席――――シリカの頭上で翼を休めていた。

 

「シリカもイベントに参加するのか?」

「いいえ。私はリズさんのお店で呼び込み役を頼まれただけです」

「……適任だな」

「でしょ? やっぱあんたもそう思う?」

「ふえ?」

 

 今回のイベントは様々な階層からプレイヤーが集まってくるのが予想される。中層でアイドル的存在のシリカなら、噂を聞きつけ、彼女目当てに訪れる客も多いだろう。

 そして実際に普段ならまず拝めないシリカの水着姿を一目みようと、周囲には男性プレイヤーがチラホラと集まっていた。『悲しいな ロリコン多き 夏の海』と、カイトもつい心の中で一句読んでしまう。

 仮に彼女の事を知らなくても、頭に乗った《フェザーリドラ》に否が応でも目を引かれてしまうので、自然と人が集まってしまう仕組みだ。策士リズベット、戦略勝ちである。

 

「にしても、ユキは一緒じゃないのか? リズと約束してるって聞いてたけど」

「あぁ、あの子も呼び込み役でお願いしたんだけど、今は他の店をみてまわってるわよ。もう帰ってくるかも――」

「ただいま!」

「――噂をすれば……」

 

 カイトの右側から聞き慣れた声がし、そこにはツーピースでセパレート水着姿のユキがいた。

 トップは白地に桔梗色のボーダーラインが入った水着で胸を覆い、アンダーはショートパンツタイプのものだが、ワンポイントとして黄色いリボンが添えられている。そして頭には薄い刈安色をした麦わら帽子を被っていた。

 

「あっ、カイト来てくれたんだ!」

「――おぉ……」

 

 身体のラインがはっきりと見える水着に、思わず感嘆の声が漏れてしまう。自己主張の強すぎず弱すぎない胸・くびれた腰・絹のような肌、といった各所に視線が向けられ、どこを見れば良いのかわからなくなってしまった。

 

「なに? もしかして見惚れちゃったの?」

 

 そんなカイトの反応を受け、ユキがニヤニヤと冗談っぽく茶化し出す。ムキになって返してくるか、視線を逸らして誤魔化すかを予想したユキだったが、それに対してカイトがした反応はどちらでもなかった。

 

「いや、えっと……その……うん。すごく似合ってる……可愛いぞ」

 

 彼女の目をジッと見つめ、思ったことを包み隠さず素直に告げる。少々照れ臭そうに頬が紅潮しているが、それでもそう言わずにはいられない程、彼にはユキの姿が魅力的に映っていたのだ。

 

「えっ!? あ…………あり……がと」

 

 そして彼からの真剣な眼差しと気持ちを受け、ユキはもらい赤面してしまう。麦わら帽子を傾けてツバで朱に染まった顔を隠すと、二人の間にはフワフワとした柔らかい空間が形成された。両者互いに沈黙してしまう。

 

「……ちょっとあんた達。そういうのは余所でやってくんない?」

「いいなぁ……羨ましいです……」

 

 呆れ顔のリズと羨望の眼差しを向けるシリカ。周囲とは異質の空気にあてられた二人だが、その反応はそれぞれで異なる。

 

「と、ところでユキは一日中リズの手伝いなのか?」

「う、うん。今日はそのつもり。でもたまにお店を抜けて、そっちの様子も観戦するよ」

 

 リズとシリカの一言でハッと我に帰り、場の雰囲気を一度リセットするため、カイトは話題の路線を変更。ユキも上手く乗っかってくれたため、形成された空気の発生は止まり、霧散して消えた。

 

「……まぁ仲が良いに越したことはないけどね。それよりもカイト、いい加減戻った方がいいんじゃない? そろそろ開始時刻でしょ?」

「え? ……………うおわっ! 本当だ! それじゃあオレ急ぐから、もう戻るわ!」

 

 リズの言うとおり開始時刻はもう間もなくであり、5分を切っていた。慌てたカイトは踵を返し、もときた道を戻るため、人混みを掻き分けながら雑踏の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クライン。お前なぁ〜……」

「わ、悪いとは思ってんだぞ……」

 

 イベントは多くの参加者が募ったのもあり、大いに盛り上がって閉会した。参加者とは別に観戦する者や露天商も多かったため、ビーチはプレイヤーの波で溢れる程だった。

 イベントを終えた後、カイト達は祝勝会を近場で開いている海の家で行っている。キリト・アスナは隣同士で食事を取りつつ談笑し、ユキ・シリカはピナの翼を撫でながらお喋りを楽しみ、エギル・リズは商売を営む者同士独特の会話で盛り上がっていた。だがカイトは現在空いているカウンター席で、大会中のペアだったクラインと共に絶賛反省会中である。

 

「もう少しでキリアスチームに勝てそうだったのに……。それにしても……アスナとネット越しで対面した時、やたらクラインのミスが多かったのは気のせいか?」

「そ、それはおめぇ、しょうがねぇだろ。あのアスナさんが水着姿で目と鼻の先にいるんだぜ! 見るなっつうのは無理な話じゃねぇか! それにーー」

「それに?」

 

 クラインが必死に弁明している最中、ふと言葉が途切れた。数秒の間をおき、彼の顔がだらしなく緩む。カイトは思わずギョッとした。

 

「いいか、カイト。よ〜く考えて想像してみろ!」

 

 クラインは不意にカイトと肩を組み始め、内緒話をするかのように、彼の発する声のトーンがグッと小さくなる。

 

「な、なにをだよ」

「水着姿のアスナさんがキリトからのトスでスパイクを打つとか、オレかおめぇの攻撃をブロックをする時、当然ジャンプするだろ? その時によ……胸がな、動くんだよ……」

「…………」

 

 真剣な表情と話す内容のレベルが不一致すぎて、カイトは二の句が継げずに絶句した。

 

「アスナさんの水着姿を見られただけでも、オレは手を合わせて拝みてぇぐらいだ。だがよ、神様ってのは本当にいるんだと信じたくなるようなご褒美だったぜ。可憐な美少女が砂浜を飛び跳ねるたびに、オレの視線はアスナさんに釘付けだ。あんなのがあったら、ボールよりも彼女に目がいくのは当たり前ーーーー」

「寺に篭って煩悩削ってこいっっ!! こんの大馬鹿野郎ーーーー!!」

「どわっはあぁぁ!!」

 

 至近距離からカイト渾身のグーパンチが炸裂。クラインの腹にヒットした瞬間、拳をライフルのように捻って回転させ、威力を増大させる。圏内であるためHPの減少はないが、クラインは殴り飛ばされたことでカウンター席から転げ落ちてしまった。

 

「え、ちょ、ちょっとクラインさん! えぇ〜〜〜〜!?」

 

 いつの間にやらカイトの近くに来ていたユキが驚きの声をあげ、状況が掴めずにオロオロと混乱し出していた。

 床に転がったクラインを《風林火山》のメンバーが介抱するが、先のカイトが発した声――――主に『煩悩』の部分で、何故クラインを殴ったのかおおよそ察したのだろう。「ウチのリーダーがまたやっちまいましたか……。ご迷惑おかけします」と、目が語っていた。

 

「え? い、いいの? クラインさん放っといて」

「さっきのはクラインを戒めるためにやったようなもんだから」

「えっと、どういう……?」

「聞かないほうがいいぞ」

「……なんだかよくわからないけど、隣座るよ?」

 

 ユキは一言告げると、空いているカイトの隣に向かう。

 カウンター席に座ると、彼女はNPCに飲み物を注文した。そこから程なくして冷えたグレープフルーツ風味のジュースが運ばれてきたので、ストローに口をつけて喉を潤す。

 

「カイト達惜しかったねー。もう少しで優勝だったのに」

「あとちょっとだったんだけどな〜。そっちは盛況だった?」

「うん。一杯人が集まってくれたから、リズも喜んでたよ。お礼に今度剣を作ってくれる約束もしたし。……それでちょっと相談なんだけど、カイトに貰った剣をインゴットに変えて、新しい剣を作る心材にしたいんだけど……いいかな?」

「いいもなにも、あれはユキにプレゼントした物だから、どうするかはユキの自由だ。……にしても、剣か。オレも新しいのを作りたいと思ってたから、一緒に行っていいか?」

「もっちろん!」

 

 強化を繰り返して長く使ってきた二人の剣だが、少しずつ限界が見え始めていた。新しい剣の作成依頼をリズにしようと考えていたので、タイミングとしては丁度いいのかもしれない。なによりあの頃と違い、今度はマスタースミスとなったリズが剣を作るのだ。まだ見ぬ業物に、期待値は膨れ上がる。

 

「そうだ、プレゼントといえば――」

 

 そこでふと言葉を区切り、少しばかりの沈黙。隣の少女は不思議そうに顔を覗き込む。

 

「あのさ……ちょっと外出ない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風が気持ちいいね〜」

 

 海の家から外へ出ると、二人は誰もいない夜の砂浜へ足を踏み入れる。賑やかな祝勝会会場を背にして離れるように歩くと、人の声が消えた代わりに波の音がよく聴こえた。

 適当な場所まで歩くと、カイトは波打ち際で腰を下ろす。それを見たユキも彼にならって砂浜に座り込んだ。

 カイトはメニューを立ち上げてストレージからアイテムを選択し、昼間に買ったブレスレットをトレード申請でユキに渡す。彼女の前には見慣れないアイテム名が表示された。

 

「今日ユキと会う前にエギルの店で買ったんだ。それ、ユキへのプレゼント」

「え? え? いいの?! 見ていい?」

「あぁ、いいぞ」

 

 トレード申請を受諾して受け取った彼女は、即座にアイテム名をタップしてオブジェクト化。琥珀色に輝くリングがユキの右手首に現れると、彼女は腕を持ち上げてブレスレットを見上げる。お気に召したかどうかは……言うまでもなかった。

 

「綺麗……。ありがとね、カイト! すっごく嬉しい!」

 

 ユキが彼に顔を向けると、甘くて無垢な笑顔で感謝を伝えた。

 

「でも貰ってばかりじゃ悪いなぁ……。お返ししたいけど、今は何もあげられそうなのがないし」

「……いや、大丈夫。それで、さ……ちょっと伝えておきたい事があって」

「うん?」

 

 カイトは照れ臭そうにし、髪をくしゃっ、と握り締めて赤面した。

 いざとなるとあと一歩が踏み込めず、たった一言が喉元で詰まって胸の中に逆流する。決意してから幾度か二人きりの機会はあったが、一体何度この感覚を経験しただろう。想いを伝えるというのは、彼が想像していた以上に大変な事だと心底思い知らされた。

 だが今日は違う。切り出そうとして話を逸らすような状況でも、そんな雰囲気でもない。隣の少女は彼が発する言葉は何か、今もじっと待ち続けている。

 

「ユキはさ、4月に起こったPK事件の事、まだ覚えてる?」

「勿論。覚えてるよ」

「じゃあさ、事件が解決した日の朝にユキが口走った内容は? その……す、好きがどうとか」

「えっと……それは……」

 

 カイトが何の事を言っているのか分かったのだろう。彼女がつい漏らしてしまった、あの言葉の話だ。

 

「あの時は結局必要以上に追求しなかったけど、実は……実は凄い嬉しかったんだ。その、オレも……同じだから……」

「…………」

 

 返答はない。

 ユキが今どんな顔をしているのか、それを見ることはしないーーーというより、見ることが出来ない。視線を横から感じるため、きっと彼女は少年が発した告白の意味を待っているだろう。

 

「いつからなのか自分でもわからないけど、無邪気で、子供っぽい一面があって、時々頑固で、でも一緒にいると暖かくて…………そんなユキに惹かれてたんだ。……だから、ずっとユキの事が――」

 

 そこでようやく、カイトはユキと目を合わせて気持ちを伝えるため、彼女に視線を向けた。しかし、そこには彼の予想外の反応を――――瞳から真珠のような涙を流しているユキがいた。

 

「――はっ!? ちょ、なんで泣くんだよ!?」

「え? あ、あれ? おかしいな。なんで……だろ?」

 

 ポロポロと零れる涙は頬を伝い、地面に落下すると砂浜に吸収されていく。無意識のうちに流れた雫はとどまることを知らず、次から次へと溢れ出していた。そしてそんなユキの様子を見たカイトは訳がわからず、慌てふためき出した。

 

「だ、大丈夫か? もしかして何か傷付けるような事言った? えっと……と、とりあえず落ちつけ。深呼吸、深呼吸しろ。ヒッ、ヒッ、フーって。……あっ、違う。これ妊婦さんのだ」

「……ぐす……ぷっ……くふっ……くく……あはははは! ごめん、我慢出来ない!」

 

 そんなカイトの様子が笑いのツボに入ったのか、ユキは両手でお腹を押さえ、砂浜に寝て笑い転げる。静かな浜辺に彼女の笑い声が響いた。

 

「そ、そんな笑う事ないだろ! こっちは真剣に心配したのに」

「ぷぷ……ぷくく……ご、ごめんね。慌てっぷりが可笑しくて、つい……。ぷっ……」

 

 ゆっくりと身体を起こして砂を払い、指先で両目の雫を拭う。涙はいつの間にか止まっていた。

 

「初めて会った頃にもこんな感じの出来事があったよね。宿で泣いた私の手を握ったらハラスメントコードが出て、カイトったらすっごく慌てちゃってさ」

「……あぁ〜、なんかそんなような事あったなぁ。それにしても、よく覚えてるな?」

「……忘れる訳ないよ」

 

 賑やかになった海岸が一変、二人が沈黙することで再び静寂が訪れる。

 

「……続き」

「は?」

「告白の続き、まだ私聞いてない」

「えっと、後でっていうのは」

「ダメ。……いま」

 

 体育座りの体勢からさらに膝を曲げてコンパクトにたたみ、膝の上にほんのり赤く染まった頬をのせて微笑する。

 

「――いま、ききたい」

「……あー、はい。わかりました」

 

 照れ臭そうに頭を掻き、身体の向きを想い人に向ける。今度は目を逸らさず、真っ直ぐ瞳を見つめて。

 

「オレは……ユキの事が好きだ」

「……最後のとこだけ、もう一回」

「ユキが好きだ……」

「……もう一回」

「好きだ」

「もう一回」

「ちょっと待て。何回言わせる気だ」

「何回でも。何回聞いても、きっと飽きることはないから」

 

 エヘヘ、という照れ笑いをユキは隠すことなくカイトにみせる。

 言わされる身にもなれ、という不満が少なからずあったが、不思議と彼女の笑顔はそんな気をどこかに追いやってしまった。

 

「それじゃあ、私もお返事しないとね。……目、瞑って」

 

 ユキの顔が急に引き締まる。

 まさか……、という淡い期待を抱いてカイトは目を瞑った。彼の身体は無駄に緊張し、つい力が入ってしまう。

 そんなカイトにユキが接近すると、彼は彼女が顔のすぐ真横まで近付いているのを感じとった。肌と肌が触れ合うまでに近付いたユキは耳元まで口を寄せ、囁くような声で呟く。

 

「私もカイトが好き。……ううん、大好きだよ」

 

 カイトは耳元から至近距離で捉えた声にドキッとすると、彼女の気配が顔から離れた気がした。すると今度は鼻を摘ままれる感覚を彼の身体が捉えた。

 

「フガッ!?」

「あはは。キスされると思った? 残念でしたー」

 

 鼻を摘まんだまま、ユキはイタズラっぽい笑顔を向ける。そんな彼女を見たカイトはそこで初めて罠に嵌められたとわかり、ユキの小悪魔的一面を垣間見ることとなった。それと同時にまんまとやられた悔しさ半分、期待通りじゃなくて残念な気持ちが半分くらい、彼の心を満たす。

 カイトは鼻を摘まんでいるユキの腕をとり、優しく引き離した。

 

「変な期待持たせるなよ」

「ごめんね。緊張してるカイトが可愛くって、つい意地悪したくなっちゃった」

「かわいい言うな!」

 

 緊張の空気がガラッと変化し、二人はいつもの調子で会話する。和やかで、暖かくて、微笑ましい空気は彼と彼女独自の空間であり、誰にも邪魔されることはない。

 

「はぁ……。とりあえず話は済んだし、みんなの所に戻るか?」

「え〜? 折角だから、もう少し二人っきりでいようよ〜」

「…………しょうがないな」

「やった!」

 

 カイトはニヤついた顔を隠すため、彼女のいる側と真逆の方向を向く。

 一方のユキは嬉しそうな顔を隠すことなく、彼の横顔をジッと見つめる。

 祝勝会がお開きになり、いなくなった二人をキリトとアスナが探しに出たのは、それから間もなくの事であった。

 




これにて4章終了です。当初の予定よりも長引いてしまいました。
次の5章は時間を進めて74層を舞台にします。


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第5章 -星屑の剣舞-
第35話 可視と不可視の彩り


 SAO正式サービス開始から、早くも2年が経過しようとしていた。

 現在の最前線は第74層。攻略組の努力もあって、確実に1層ずつ、浮遊城の頂きへと昇っていく。これまでのフロアボス戦でも犠牲者の有る無しこそあれ、残すところはあと4分の1にまで迫り、当初は不可能に思われていた100層攻略も現実味を帯びてきた。

 しかし70層を超えた辺りからモンスターのアルゴリズムに変化が表れ、階層攻略は今までよりも若干の難易度を上げて難航する。第1層攻略のように1ヶ月を要する、とまではいかないが、階層攻略に掛かる期間が2週間はザラにある状態となっていた。最短で3日、遅くとも1週間で上に進んでいたあの頃が、まるで夢のように感じられる。

 

 再び表れた、主な攻略速度遅延の原因は二つ。

 

 一つは攻略組の人数。

 最前線で戦う攻略組は、どのプレイヤーよりも多くの危険が付き纏う。フロアボス戦を始め、迷宮区・フィールドの探索中に起きる事故や油断、8月に行われた《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》討伐戦などで命を落とした者も多い。場合によっては何かしらの事情で親しい間柄だった友を失い、ショックで戦意を失くした結果、自ら中層へ身を移すプレイヤーすらいる。

 そういった理由で攻略活動に心血を注ぐ剣士達が減るのだが、中層から最前線へ積極的に加わるプレイヤーはほとんどいない。故にゲーム攻略を目指す者が補充されることは稀で、大方減少の一途を辿っていた。

 

 もう一つはモチベーションの維持。

 ゲーム開始当初と比べ、躍起になって攻略に励むプレイヤーの数が目に見えて減っていた。主たる要因は、仮想世界に()()()()()てしまっているということ。2年もの歳月をゲームの中で過ごしている弊害故か、いつしか仮想は彼らにとっての現実にすり替わりつつあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第74層迷宮区。

 迷宮区のマッピングは滞りなく進行しており、今日明日中にはボスの部屋が存在する地点を特定できる段階まできている。

 そして現実離れした異界感溢れる景色の中、ウネウネと走る一本の白い道を歩き、モンスターと遭遇して剣を交える二人の剣士がいた。

 

 ――キシャアッ

 

 二人の前に立ち塞がるのは、トカゲの姿をした二足歩行のモンスター《リザードマンロード》。足の先・尻尾の先から頭までの大部分を深緑色の鱗で覆われ、深紅の眼をギラつかせながら長い舌を出し入れしている。頭と胸部には防具を装着し、右手には剣先が湾曲した曲刀、左手にはバックラーを装備してプレイヤーの排除を試みていた。

 

「ふっ!」

 

 眼前に迫った曲刀の先端が胸に迫るが、《黒ドラゴンの革》を使用した黒衣の体防具《ブラックウィルム・コート》をなびかせつつ、回避。

 第1層フロアボス戦のラストアタックボーナスで得た《コート・オブ・ミッドナイト》から数えて四代目となる、彼の二つ名を象徴した黒いロングコート。カリスマお針子の手によって作成された一級品の装備は、今日も《黒の剣士》キリトの身を守る。

 そして右手に持つのは要求筋力値の高さ故、手に入れてから長いこと日の光を浴びなかった剣。それはアイテムストレージの奥底で埃を被っていた、魔剣クラスの性能を持つ《エリュシデータ》。漆黒の剣と《リザードマンロード》が放ったお互いのソードスキルが衝突し、両者に隙が出来る。

 

「スイッチ!」

 

 キリトが叫ぶと、彼の後ろからもう一つの影が割り込んできた。

 第71層のラストアタックボーナスで得た、全状態異常耐性値を急激に底上げする《ベヒモス・コート》。鮮やかな紺藍色をした革製防具をはためかせながら、ソードスキルを発動した。

 

「はあっ!」

 

 マスタースミスになったリズベット特製の片手用直剣《グラスゴーム》が放つのは、片手剣水平四連撃ソードスキル《ホリゾンタル・スクエア》。

 四回に渡る連続攻撃の後、剣に纏った水色の燐光が正方形の軌跡を描きながら消散。カイトは《リザードマン・ロード》に四撃目を叩き込むと同時に背面へ回り込み、技後硬直を課せられた。

 大ダメージを喰らった《リザードマンロード》はしぶとく生存する。時計周りに反転し、カイト目掛けて上段から曲刀を振り下ろした。

 

「せやあっ!」

 

 だがカイトに向き直るということは、反対側にいるキリトに背を向けると同義。待機していたキリトはガラ空きになった《リザードマンロード》の背中に向け、片手剣三連撃ソードスキル《シャープネイル》でHPを削りにかかる。

 背中に獣の爪痕を刻みつけると、《リザードマンロード》が天を仰いだ。その姿が淡く光り、その場で消滅エフェクトを散らすと、データの塊はポリゴン片に細分化され、跡形もなく消え去ってしまった。

 

「ふ〜……」

 

 緊張の一戦を終え、ホッと一息。二人は剣を背中の鞘に納めた。

 同じ階層だとしても、フィールドと迷宮区では出現するモンスターのレベルが違う。迷宮区のモンスターは難敵であり、SAOで推奨されている安全マージンのレベルでも手こずるのは間違いなく、二人もついつい肩に力が入ってしまった。

 

「なんか良いのドロップしたか?」

「ん〜……大した物はないな」

 

 カイトは表示された半透明のウィンドウを眺め、アイテム名をチェック。戦果は特別良いわけではないらしく、通常ドロップの皮と鱗だった。

 

「もう少し先までマッピングするか。そろそろボス部屋も発見できるだろ」

 

 マッピングデータを見ながら、キリトが喋る。

 彼らが所有するデータで埋まっていないのは、迷宮区の中でも最奥部だけとなっていた。運が良ければこのまま発見し、明日には偵察隊の派遣も可能だと考える。

 赤字で特殊な紋様が描かれている岩の間を抜け、安全エリアに辿り着くと、その先には左右二手に分かれる道があった。おそらくどちらかはボスの部屋へと続く道であり、確率は2分の1だ。

 

「せーの! で指差すぞ」

「あぁ。せー……のっ!」

 

 カイトは左へ続く道を、キリトは右へ続く道を同時に指差した。意見は分かれてしまったが、こういった場合、二人の間ではある取り決めがなされている。

 

「今回も勝たせてもらうぞ」

「この前のはマグレの部類だろ。それに、どう考えても勝率はオレのが上だし」

「五月蝿い。マグレでも勝ちは勝ちだ。その黒い剣、叩き折るくらいのつもりでいくから」

 

 カイトからキリトへ決闘(デュエル)の申請を出すと、キリトが承諾して成立。真っ白い材質不明の床石を歩いて距離をとり、広い安全エリアの上空で60秒のカウントダウンが始まる。60秒という長いようで短い待機時間中、両者は早々に剣を構えた。構えとよく知ったお互いの思考から、相手の出方を――――腹を探り合う。

 開始の合図が鳴り響き、二人の剣士は駆け出した。システムのジャッジは、それから約1分後に下される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迷宮区の探索から帰還し、カイトとキリトが向かった先は、50層主街区《アルゲード》の一画。中華風の下町をイメージした雑多な道を迷うことなく突き進んだ先には、通い慣れた《エギル雑貨店》が佇む。

 二人は店の店主・エギルとカウンター越しに対面し、獲得したアイテムを売り払っている最中だった。

 

「毎度。また頼むぜ」

 

 キリト・カイトとエギルの値段交渉は双方合意の上で成立し、二人のアイテムストレージが少しだけ軽くなった。だが――。

 

「エギル……前から疑問だったんだけど、まさか他の奴に対してもこんな感じなのか?」

「『安く仕入れて安く提供する』が、うちのモットーだからな」

「前者は極端、後者は怪しさ全開。次来るまでにそのモットーは別のに書き換えとけ」

 

 エギルに売り払ったアイテムの売却額が相場よりも明らかに安く、カイトは不満の一つでも漏らさなければ気が済まなかった。

 

「お得意様なんだから、たまには優遇してくれよ」

「常連はなにもお前達だけじゃないからな。二人だけ特別扱いしたら、他の常連客に示しがつかねえだろ?」

 

 半ば強引に押し切られたとはいえ、カイト達は合意したのだから、交渉はエギルの中で既に終了しているらしい。再度値段設定をする気はないようだ。

 

「そうか……。じゃあしょうがない。キリト、例の物を」

「はいはい」

 

 呼ばれたキリトがストレージに格納されている、とあるアイテムをエギルに見せた。一体何かと不思議そうな顔でエギルが覗き込むと、表情が一変。驚愕の顔でアイテム名を読み上げ、指差した。

 

「ラ、《ラグー・ラビットの肉》……だと。すげえ……まさかS級食材をこの目で拝める日がくるとは……」

 

 料理をする際に必要な食材には、それぞれの持つ味・入手難度・調理難度を総合し、それに見合ったランクがつけられている。このランクが高ければ高いほど美味といわれ、《ラグー・ラビットの肉》は食材ランクの最高峰――――S級食材と呼ばれる超レアアイテムなのだ。

 この超お宝アイテムに巡り会えたのは、迷宮区から帰る途中のフィールドだった。主街区に帰るため、うっそうと生い茂る緑の空間を歩いていると、二人の《索敵》スキルがモンスターの反応を捉える。偶然捉えたのは、S級食材の素材元となる灰色ウサギ、《ラグー・ラビット》。このモンスターは非常に高い索敵能力を持っているため、接近すれば手の届く範囲へ入る前に間違いなく逃走する。しかも逃げ足が速いというおまけ付きのため、倒す方法はSAOで数少ない遠距離攻撃で仕留めるのが最も効果的とされていた。遭遇するだけでも極めて幸運なのだが、悟られずに仕留めるのも難しい点が、《ラグー・ラビットの肉》入手難度を飛躍させている最大の要因である。

 キリトがピックを構えて仕留めにかかるが、カイトも念の為にピックを用意して構える。だが、その心配は結果的に不要だった。ソードスキルを宿したキリトのピックが吸い込まれるようにして見事命中し、食材アイテムの入手に成功したのだった。

 これがもしキリト一人だけなら、折角手に入れたS級食材の味を堪能することなく、泣く泣く市場かエギルに売り捌く所だっただろう。しかし運が良いことに《料理》スキルを――――しかも熟練度が完全習得(コンプリート)まで達している人物がここにはいた。

 

「ほぼ毎日、朝昼晩と作り続けた甲斐があった……。今日ほどスキル上げしといて良かったと思う日はないぐらいだ……と、いう訳でエギル。調理した肉を一口お裾分けするから、値段をもうちょい勉強してくれ」

「カイト……お前まさか、最初からそのつもりで……」

「奥の手は最後まで取っておくものだぞ」

 

 カイトは腕を組み、カウンター台に背中を預けるようにもたれかかると、エギルをチラッと見やる。彼の回答を待っている様子だった。

 

「わ、わかった。じゃあさっきの金額にもう2,000コル上乗せする。それでどうだ?」

「いや、まだだ。まだ上げられるだろ?」

 

 ニヤニヤ顏で値段交渉を再開したカイトを、キリトはやや呆れ顔で眺めていた。

 そしていつの間にか来店していた少女が、キリトの肩に軽くタッチして呼び掛ける。

 

「キリト君」

 

 この場に似合わない澄んだ声で名を呼ばれ、キリトは振り返る。そこには騎士団の制服を着た三人のプレイヤーが立っており、そのうちの二人はよく見知った人物――アスナとユキがいた。

 

「二人とも奇遇だな。こんなゴミ溜めに来るなんて」

「次のボス戦が近いし、二人の顔を見にきたのよ」

「キリト……ゴミ溜めは流石に言い過ぎな気が……」

 

 幸いにもエギルはカイトとの交渉に応じているため、キリトの失言を聞いていない。なので代わりにユキが突っ込んだ。

 

「ところで、カイト君は一体何をしてるの?」

「あぁ、あれはアイテム売却の値段交渉をしてるんだ。《ラグー・ラビットの肉》を交渉材料にして、価格の上乗せを――」

『《ラグー・ラビット》!!』

 

 突如、アスナとユキの顔がキリトの眼前に迫る。

 二人の食いつきを見たキリトの顔には、しまった! という文字が浮かんだ。不用意にS級食材の話を漏らせば、大抵の人は似たような反応が返ってくる。それは本人もわかっていた筈なのだが、うっかり口が滑ってしまった。

 そして二人の発した声の大きさで、交渉中の二人もようやく彼女達の存在に気付く。

 

「おぉ、いらっしゃい!」

「ユキ、アスナ、こんにちは。どうしたんだ? 大声出して」

「『どうした?』じゃないよ!」

「《ラグー・ラビットの肉》を手に入れたんですって!?」

「……キリトさん?」

「ははは……」

 

 カイトが目を細めてキリトを睨む。

 そんなキリトに出来ることは、目線を逸らし、乾いた笑いで場を誤魔化すしか方法がなかった。

 そんなやり取りを横目に、女性陣はアイコンタクトで意思疎通をとる。

 

「カイト」

 

 アイコンタクトを終えたユキがカイトに近寄り、彼の両手をとって包み込んだ。胸の高さまで持ち上げると、至近距離から彼の瞳を真っ直ぐ見つめる。

 

「お願い。私達にも食べさせて」

「え? え〜っと……」

「カイトの作った料理が食べたいの。お願い……」

 

 心なしか、ユキの瞳がウルウルし出した。

 その状態のまま、ユキの身体が徐々に接近する。彼女に見つめられて耐えきれなくなったカイトは、わりと呆気なく降参してしまった。

 

「〜〜〜〜っわかった! 二人にもご馳走する!」

「本当!? やったあ! カイト大好き!!」

 

 了承を得た途端に手を離し、両手を広げて満面の笑みで彼に抱きつく。思わぬご褒美にカイトは赤面するが、その様子をキリトは先ほどの彼同様、目を細めて睨んでいた。睨まれた人物はそれに気付き、視線を明後日の方角へ逸らす。

 どうにもカイトはユキに甘い所があるらしく、あっさり了承した事に不満を感じたらしい。一人分の量が減るのだから、当然といえば当然だろう。

 そして嬉しさのあまり、衝動で抱きついたユキが我に返った。カイトと同じように頬を朱色に染め、慌てて離れることで距離をとる。人前でくっついたりするのは恥ずかしいようだ。

 

「ア、アスナ。交渉成立しました!」

「やったね!」

 

 振り返ったユキはアスナの元へ駆け寄り、二人は両手でハイタッチを交わす。交わした掌をそのまま合わせ、二人とも笑顔を浮かべながら小さく跳びはねた。

 ひとしきり喜んだ後、アスナはカイトに一つの提案を出す。

 

「よかったら私の家に行きましょう。一通りの調理器具は揃っているから、不自由はない筈よ」

「お待ち下さい、アスナ様」

 

 入口付近で沈黙して立っていた男が待ったをかける。

 長い髪を後ろで束ねた長身で痩せ型のプレイヤーは、カイトとキリトにとって初見のプレイヤーだった。アスナとユキ同様、騎士団の制服を着用しているため、彼も《血盟騎士団》の一員なのだろう。

 

「このような連中をご自宅に招き入れるのは、賛同しかねます。今一度お考え直して下さい」

「あら、私の家に誰を招待するかは私の勝手よ?」

「ですが、このような素性のわからない者達は――」

「彼らは私とユキの友人で、よく知った仲です。あなたは知らないだろうけど、二人は素性も実力も確かよ? クラディール」

 

 アスナは少々ウンザリした様子で、護衛の男・クラディールの意見を切り伏せる。

 クラディールはフロアボス戦の経験があまりないため、必然的に二人と顔を合わせる機会も少ない。彼にしてみれば、確かに『素性がわからない怪しい二人組』に映るだろう。

 

「……この話はもうお終い。今日の護衛任務はもう結構です。お疲れ様でした。……行こっ、みんな」

 

 アスナが強引に話を終わらせると、そそくさとクラディールの横を通って外に出る。彼女の後ろをユキ・キリト・カイトの順に追いかけ、《エギル雑貨店》を立ち去って行った。

 

 

 

 

 

 第61層主街区《セルムブルグ》。

 階層面積の大部分を湖畔が占め、湖の上に浮かぶ城塞都市が61層の主街区だ。

 中心部には高くそびえる古城が佇み、街全体が白練(しろねり)の花崗岩を材質とした美しい街並みを特徴としている。暗い色の割合が多い《アルゲード》に対し、《セルムブルグ》は真逆の明るい色が大部分を占めているため、見栄えも良い。

 街並みも中々なのだが、周囲の景色も評価が高かった。太陽光が湖面に反射してキラキラと輝けば美しさに感嘆の声を漏らし、黄昏時になれば階層全体を橙色に染め、もの寂しげな印象の中に趣を感じさせる。時間帯毎に全く違う顔を見せるのは、ゲーム開発者達の粋な計らい、といったところだろうか。

 現在アクティベートされている全階層中、住みたい街上位に入るであろう主街区なのだが、売りに出されているプレイヤーホームはさほど埋まっていない。それもそのはず、街にある家はどれをとっても値段が高く、おいそれと手出しできる金額ではないのだ。なので『住みたいけど住めない街』という矛盾したキャッチコピーを貼られた場所でもあった。

 しかし、そんな《セルムブルグ》にマイホームを持つ猛者が、なんとこの場に二人もいる。

 一人はユキ。そしてもう一人は今回食事の場を快く提供してくれたアスナだった。

 そしてアスナに招かれたキリトとカイトは、初めて彼女の家を訪れる。

 

「それで、メニューはどうするんだ?」

「そうだな……アスナ、なんかいい案ないか?」

「そうね……どうせならシチューにしましょう。ラグー、つまり煮込むっていうぐらいだし」

「はいっ! 私、シチューがいいですっ!」

 

 女子二人の意見にこれといった異論はないため、夕飯のメニューがシチューに決定した。当初はカイトがメインを担当するつもりだったが、アスナも《料理》スキルを完全習得(コンプリート)していると聞き、予定を変更。シチューと付け合わせのサラダをアスナが担当し、自家製のパンをカイトが担当することにした。

 アスナは日頃から使っている包丁を取り出し、バットにオブジェクト化した《ラグー・ラビットの肉》を置く。大きな塊肉の上に包丁をかざして一振りすると、細分化されて大きめの肉片に変化した。食材の上に包丁を掲げて振るだけなので、キリト曰く「現実(リアル)よりも楽そうでいいな」という感想なのだが、二人にとっては違うらしい。

 

『むしろ簡略化しすぎて味気ない』

「さいですか……」

 

 細かくした食材を全てモスグリーンの鍋に入れ、蓋をしてオーブンに入れる。タイマーをセットして時間がくれば、自然と出来上がっている仕組みだ。

 待っている間、アスナはサラダの調理を開始。一方カイトは生地を練り終え、発酵させている最中だった。

 

「私、食器の準備してくるね」

「うん、お願い」

 

 ユキが棚から食器を取り出し、テーブルに並べ始める。手持ち無沙汰なキリトも手伝い、あっという間に白い皿がテーブルを埋め尽くした。二人に出来るのはせいぜいここまでなので、再び本日の料理長と副料理長の作業を見学し始める。

 それからほどなくして料理は完成し、調理台にメインディッシュの入った熱々の鍋を置いた。四人が鍋を囲んで担当のアスナが蓋を開けると、その瞬間に湯気が立ち昇る。

 

 最初は嗅覚。

 蓋を開けたと同時に解き放たれた香りの爆弾は、その場にいた全員の鼻孔をこれでもかと刺激する。香りは味への期待値を高める大事な指標だ。

 

 間髪入れず、次は視覚。

 濃いブラウン色の海にはゴロゴロと大きく色鮮やかな野菜達が漂い、肉の旨味が溶けたシチューが、これでもかと染み込んでいるのがわかった。シチューもさることながら、気のせいかメインである大粒の肉が輝いてさえ見える。

 

 最後に味覚。

 皿に盛られたシチューが卓上に並ぶと、まずは手を合わせて感謝の意を示した。銀の匙をとり、シチューと肉をすくって口へと運ぶ。

 シチューの味を四人は見誤っていた。溶けていたのは肉の旨味だけではなく、野菜の旨味も溶けていたのだ。溶けて混ざり合うことで生まれた旨味を含むシチューを、煮込んで柔らかくなった肉が再吸収し、味は更なる高みへと昇りつめる。

 四人の感想は言わずもがな『美味い』だが、それ以上に感じた事を言葉にして一斉に言い表した。

 

『生きてて良かった〜』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カイト達が《ラグー・ラビットの肉》を堪能している頃。ある男を除いたSAOプレイヤーの知らないところで、とある出来事が起こっていた。

 その男は自室で珈琲に似た物を飲みながら、目の前で複数表示されている半透明のウィンドウを眺めている。そこにはせわしなく文字列が凄まじい勢いで流れているが、それはシステムへ侵入しようとしている病原菌を、《カーディナル》に備わっているアンチウイルスプログラムが排除している様子だった。

 

(無駄な事を……)

 

 男は表情を変えず、焦る様子を一切見せていない。それもそのはず、この世界の秩序を守るために作られた《カーディナル》は内外部問わず、全てのシステムエラーを排除するよう設定されており、男の手を借りずとも問題は全て解決してくれる

優秀なプログラムだ。そして案の定、侵入を試みた病原菌は《カーディナル》に敗れてしまった。

 

 

 

 

 

「くそっ!」

 

 とある会社のとある一室。眼鏡をかけた細身の男性は、机に向かって拳を叩きつけ、不満を露わにしていた。

 

「茅場……晶彦……」

 

 彼にしてみれば『目の上のタンコブ』とでもいうのだろうか。同じ研究者でありながら彼よりも遥かに優秀で、常に嫉妬の対象としてみていた。

 

「アンタはいっつもそうだ……いつもいつも……僕の邪魔ばかり……」

 

 SAOサーバーのルーターに細工を施してはいるが、いつクリアされるかわからないゲームをただ待つのではなく、こうして彼自らアプローチを試みることもあった。

 だが、結果はいつも同じ。カーディナルシステムは突破出来ず、まるで格の違いを見せつけられているかのように腹立たしかった。

 

「次だ……次こそは……」

 

 結局この時のアプローチは彼の思い通りにいかなかったが、この行いは一見完璧な《カーディナル》でさえ気付かないバグを生み出すキッカケを作ることとなる。

 




食材アイテムのランク決定要因は独自解釈です。

キリトが74層時点で身に付けている《ブラックウィルム・コート》の名称に加えて『四代目の体防具』『カリスマお針子(アシュレイ)が作成』といった設定は、原作者が出していた同人誌から引用しています。

キリトVSカイトのデュエル結果は次話の迷宮区探索でわかります。今回選ばなかった側の道を進む予定ですので。

今回はタイトルで『彩り』とあるように、文章中の各所に意識して色の名前をたくさん連ねてみましたが、特に意味はありません。ただの遊び心です。


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第36話 手と手

 

 セットしておいたアラームがけたたましく鳴り響き、音で頭を揺さぶられた彼女は目を覚ました。

 自室の寝室でボーッと仰向けのまま天井を仰いでいると、上に持ち上げられた瞼が重みを増し、再び光を遮断しようとする。だが襲ってくる眠気に抵抗し、姿勢をうつ伏せに変えて枕に顔をうずめた。

 

「ん〜〜〜〜…………」

 

 それでも睡魔は襲ってくる。

 いっそのこと受け入れて二度寝でもしようかと考えたが、今日は朝から迷宮区の探索が予定に入っているのだ。もしも寝過ごして他の三人に迷惑でもかけようものなら、申し訳が立たない。彼女は意を決した。

 

「――っ!」

 

 少しだけ反動をつけてうずめていた顔を枕から離し、寝具から勢いよく起き上がる。身体にかかっていたタオルケットが肩から落ちると、そこには白いネグリジェ姿のユキがいた。

 起き上がって最初にしたのは着替えることだった――――とは言っても、メニューから指先一本で全身の装備が切り替わるのだから、ものの数秒で着替えは完了する。一瞬だけユキは下着姿を露わにするが、ここは彼女の自宅であり、この場にいるのは彼女だけ。なんの気兼ねもなく、ギルドの制服に身を包んだ。

 

「お腹空いた……」

 

 リビングに設置してある木目の美しいテーブルに、白パン・サラダ・ミルクを用意し、席に着くと手を合わせて食事を取り始める。

 

「いただきます」

 

 フォークでサラダボウルに盛られた野菜を突き刺して口に運ぶと、味覚再生エンジンが野菜の味を再現した。しかし、食事内容はいつもと変わらないのに、今日は妙に得も言われぬ物足りなさを感じてしまう。それは昨夜の《ラグー・ラビットの肉》を使用したシチューに原因があった。

 一晩経ったというのに、彼女の舌は初めて食したS級食材の味をしっかりと覚えていたのだ。おそらくもう二度と味わう機会など訪れないため、脳が無意識に記憶をしっかりと刻みつけたのかもしれない。思わぬ所で極上肉の弊害が出てしまった。

 

「ご馳走様でした」

 

 皿が空くと手を合わせ、誰にでもなく食事の終了を告げるが、もう一杯分だけミルクを注いで一息ついた。

 ふと、右手首にあるブレスレットへ目を移す。琥珀色に光るそれは、少し前に彼からプレゼントしてもらって以来、ほぼ毎日装備するようにしていた。腰に差した銀白色の短剣《カルンウェナン》に加え、身につけることで彼女はこの世界で生き抜くための勇気を与えられている、そんな気さえしていた。想い人の顔を浮かべると、思わず頬がほころんでしまう。

 時刻を確認すると、単独で集合場所へ向かうには少し早いが、アスナの家に寄り道して行くには丁度いい時間だ。身支度は既に整えてあるので、あとは部屋の電気を消し、玄関の扉を開けるだけで事足りた。

 

 アスナの自宅は同じ主街区内なのでさほど離れてはいないが、転移門広場に向かうことを考えると少々遠回りになる。家から両サイドを住宅に挟まれたレンガ詰めの道を歩くと、昨夜もお世話になった目当ての一軒家が見えてきた。

 モスグリーンの塗装を施された木製扉の前に立つと、チャイム代わりに設置されている黄銅で出来た鈴を鳴らす。音が鳴れば家の主に来客を知らせる役割を担っているのだが、待てど暮らせど扉の向こう側にいるはずのアスナは顔を出さない。念の為もう一度鳴らしてみるが、結果は一度目と何も変わらなかった。

 

(……あれ?)

 

 こんな時はフレンドリストを見るに限る。疑問はすぐに解決した。

 

(アスナ早いなぁ〜)

 

 アスナの現在地は74層の街《カームデット》を示していた。どうやら早々に家を出ていたらしい。

 『キリトに早く会いたいが為』などという都合のいい解釈をして自己解決するが、実際は家の前にいた彼女の護衛という名のストーカーから、猛スピードで逃げただけだった。そんなアスナの気苦労をユキが知るのは、《カームデット》に降り立ってからである。

 

 

 

 

 

 アスナの通った道筋を沿うようにして、ユキも転移門広場から《カームデット》へ向かう。到着した彼女の眼前で最初に映ったのは、何人かの人だかりだった。ただし、もう祭り事は終わったかのように人々は散っていき、人の小さな集まりはすぐさま霧散していった。

 

「おっ! ユキ、遅いぞ〜」

 

 転移した彼女に気付いたカイトが声を掛ける。少し離れてキリトとアスナもいるのだが、どこか様子がおかしくみえた。

 

「みんなが早いんだよ〜。待ち合わせの時間までまだ余裕なのに」

「あぁ、そういう意味じゃなくて。もう少し早ければ面白いものが観れたのに、って意味だよ」

「面白いもの?」

「キリトがアスナの護衛と決闘(デュエル)してたんだよ」

 

 護衛とはつまり、両手剣使いのクラディールだ。ギルドの中ではまだ新しいメンバーに分類される彼だが、最強ギルドに所属できるぐらいなので、レベルも実力も申し分ない。あえて問題点を指摘するのなら、規律と振る舞いを過剰に重視する頭の固い性格だろう。

 

「なんでキリトとクラディールが?」

「そいつが『アスナの護衛』っていう名目で朝から家の前にいたんだと。で、たった今キリトが決闘(デュエル)に勝って追っ払ったんだ」

「い、家まで? 朝から?」

 

 ユキは思わず身震いし、鳥肌が立った。

 護衛といっても、流石に家まで押し掛けるのは任務の範囲に含まれていない。《血盟騎士団》の護衛任務に変質者的側面は一切なく、それはあくまでクラディール個人が行った行為だ。クラディールの特徴に『振る舞いを重視』とあったが、どうやら《血盟騎士団》としての振る舞いであって、彼個人の行為には適用されないらしい。

 

「それはちょっと……」

「うん。男のオレでもビックリした」

「ア、アスナは大丈夫?」

 

 ユキはカイトの背中側にいるアスナに呼び掛ける。

 

「うん。大丈夫」

「一応団長に報告した方がいいんじゃない?」

「えぇ。それと決闘(デュエル)の件も含めて報告するつもり。……ごめんね、余計な心配かけて」

「ううん、気にしなくていいよ」

 

 少し疲れた様子のアスナだったが、いつもの調子に戻ったようだ。同じギルドの団員を前にしていたというのもあり、気を張っていたのかもしれない。

 

「……さて! それじゃあキリト君、さっき君が言った通り、今日はお言葉に甘えて息抜きさせてもらうわね。フォワードよろしく!」

「なっ!?」

 

 ギョッとするキリトをよそに、アスナは彼の肩を軽く叩いた。

 

「それじゃあ、今日は男の子二人に頑張ってもらおう〜!」

「ユキまで?!」

「……ていうかナチュラルに巻き添え喰らったんだけど」

「明日は私達がやってあげるから! ねー?」

「ねー?」

『えぇ〜〜〜〜!?』

 

 男二人の叫びは届かず、アスナとユキは肩を並べて迷宮区へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第74層迷宮区。

 前日のマッピング作業が功を奏し、四人は迷宮区の最奥部までを最短ルートで突き進む。さらにパーティーメンバーに二人が加わった事で戦闘は安定感を増し、最前線の迷宮区にも関わらず、危なげなく探索は進行していった。

 そして当初の予定よりも早く、昨日キリトとカイトが決闘(デュエル)をした安全地帯へと辿り着いた。今日はまだ四人の誰も行ったことのない未開の道、左側の通路を選択して進む――――が……。

 

「またか……」

 

 四人が行き着いた先にあったのは、またしても二手に分かれる道だった。マップを確認してもこの先はどう繋がっているのか検討がつかず、実際に進んでみなければわからない。

 

「四人もいるんだから、二人一組になって進むか? このメンバーならどのペアになっても問題ないだろ」

「そうするか。じゃあ何で決める? コイントス? それともジャンケン? ……ルーレットって手もあるな」

 

 男性二人の意見で左右に分断する流れになったが、これをチャンスとみた女性二人は目で合図を交わす。すかさずユキはカイトの着ているコートの裾を掴んだ。

 

「それなら私はカイトと一緒に行くから、キリトはアスナと一緒に行くといいよ」

「そうね。じゃあキリト君、私達はこっちの道を行きましょう!」

「え? お、おう」

 

 キリトに有無を言わせる間も無くアスナが彼を誘導し、言われるがままに彼女が指差した方向へと共に進み始める。その途中でアスナは振り返ると、ユキは声には出さず、「頑張れ」と口の形を作って伝えた。声はなくともユキの伝えたい言葉を理解したらしく、アスナも同様に「ありがとう」を口の動きだけで伝え返す。

 黒と白という見た目が真逆の二人は、キリトがマップデータを展開し、アスナがその一歩後ろをついていく形で歩き出す。

 

「さあ! 私達も行こっ!」

 

 二人の後ろ姿を見送ったユキとカイトは、もう片方の道を進み出した。

 

「……今のってアスナをキリトと一緒にするため?」

「あれ? バレてたんだ?」

「うん、まあ。……恋のキューピッドも大変だな」

「ありゃ? アスナの気持ちも知ってるんだ?」

「ここ半年ぐらい、やたらアスナがキリトと約束を取りつけるためのアプローチが続いてたからな。そうだろうな〜とはずっと思ってた」

 

 普段からキリトと共に行動しているカイトからすれば、その変化に気付くのは容易だった。なにより、「アスナに呼ばれた」「アスナと約束がある」「アスナに会ってくる」などなど、それほど交友関係が広くないキリトの会う人物のうち、アスナ率がここ半年で急上昇している。彼の言葉や状況から察するに、アスナが会う頻度を意図的に高めているのは明らかだった。客観的にみても違和感を感じるのは道理だろう。

 

「ふ〜ん……私のは全然わかんなかったのに?」

「じ、自分のは別だろ。まさかそんな風に想ってくれてるなんて……その、考えたことなかったし」

 

 ただしそれは他の人の場合だけ。自分の事となれば急激に視野が狭くなる傾向にあるようだ。

 はぁ、というため息を漏らしたユキは少しだけ間を置くと、何かを思い出したかのようにクスッと笑みをこぼす。

 

「まぁ……今となってはそれも良い思い出、なのかな。……ねぇ、カイト」

「ん?」

 

 隣から聞こえるはずの声が後方からした。振り返ってみればユキは足を止めてやや俯き、右手をカイトに向けて差し出している。

 

「手……繋ごう」

 

 それは二人きりの時限定で発動する彼女なりの甘え方であり、愛情表現。慣れというのは恐ろしいもので、最初の頃は照れ臭そうにそれとなく要求していたものが、今では真正面から言えるようになった。ただし『言う』のが平気になっただけで、照れ臭そうにする仕草だけは変わらない。

 

「……わかっているだろうけど、ここは迷宮区だぞ? しかも下層じゃなくて最前線の」

「勿論わかってるよ。だから、その、モンスターがポップしてない時だけでいいから」

「…………」

 

 彼女の提示した要求に対し、沈黙するカイト。どうすべきか迷っている様子だった。

 二人が黙ってしまったことで、場の空気が静まり返る――――が、すぐに沈黙は破られた。

 それは突如出現した骸骨剣士のモンスター《デモニッシュ・サーバント》のせいだった。2メートルを超える身長と高い筋力パラメータが特徴で、片手持ちの長剣と金属製の円盾(バックラー)を装備している。この骸骨剣士に限った話ではないが、生憎モンスターに場の空気を読む能力はない。

 モンスターの出現に伴い、二人の顔に緊張感が走った。カイトは《グラスゴーム》を、ユキは《カルンウェナン》を抜いて構えると、《デモニッシュ・サーバント》が自身から最も近いカイトを標的に定め、切りかかってきた。

 中段からの切り払いに対し、カイトは下段からの切り上げで剣を弾く。剣を弾いた流れで逆袈裟斬りに切り替えるが、《デモニッシュ・サーバント》は左手に持った盾で彼の剣を防いだ――――と同時に、上段から振り下ろす単発ソードスキルでカイトの左肩を切りつけようとした。

 しかし、上から下へと真っ直ぐ振り下ろされた剣は空を切る。ソードスキルを読んだカイトはサイドステップで躱し、モンスターの側面を横切って背中へ回り込んだ。

 

「ふっ!」

 

 ガラ空きの背中に放つのは、片手剣垂直四連撃ソードスキル《バーチカル・スクエア》。

 青白い残光と共に放たれた四連撃はその面に正方形の軌跡を描き、拡がりながら消散。敵に与えるダメージが大きい反面、技後の隙も大きいソードスキルであるため、硬直の解けた《デモニッシュ・サーバント》にとっては反撃のチャンスである。すかさず振り向きながらの袈裟斬りで切りかかった。

 しかしカイトは発生した隙を埋めるため、《片手剣》と《体術》の複合技である《メテオブレイク》に繋げる。モンスターの攻撃を避けつつ反撃に転じ、反時計回りで一回転すると、剣を思いきり横に薙いだ。

 

「はあっ!」

 

 モンスターの右肩から左肩に突き抜ける水平切りを繰り出すと、さらに空いた隙をタックルからの切りつけ、さらにもう一度同じ動作の連続攻撃で埋めた。その結果、《デモニッシュ・サーバント》は連続攻撃による大ダメージで仰け反り、後ろによろけてしまう。この好機を逃さずさらなる追撃をかますため、カイトはその役目を待機していたユキに任せた。

 

「せいっ!」

 

 藍色の燐光を纏った剣が放つのは、短剣上位六連撃ソードスキル《ラディアル・レイド》。

 逆三角形の頂点――この場合は両肩と腰――を正確に突き、左右の切り上げを一回ずつ、最後は剣を逆手に持って身体を分断するかのような垂直切りでフィニッシュを飾る。

 強攻撃に次ぐ強攻撃。姿勢の保持を許さぬまま、よろけた骸骨剣士の背面に見舞った剣技は全弾命中し、クリティカルダメージを与えた。反撃と回避をする暇も与えない高速の六連撃はきっちりモンスターのHPを削り切り、出現から時間を掛けずに、《デモニッシュ・サーバント》は呆気なく散ってしまうのだった。

 剣を収めた二人は真っ先にハイタッチを交わす。パンッ、と乾いた音が、静寂に包まれた迷宮区内に響き渡った。

 それが終わると、カイトは掲げていた左手を腰の高さまで落とし、ユキに差し出す。

 

「……モンスターがポップしてない間だけだぞ。戦闘になったらすぐ離すからな」

「――うんっ!」

 

 ユキは差し出された左手を手に取り、手を繋いだ。その状態をキープしつつ、二人は迷宮区の奥へと進んでいく。

 

 

 

 

 

 結局奥までマッピングした二人だったが、ボスの部屋に辿り着くことなく、行き止まりばかり。この様子だと、どうやらキリトとアスナが当たりを引いたとみて間違いなさそうだ。

 一度引いた線をなぞるようにして引き返し、キリト達と分かれた分岐点まで戻ってきた。そこからさらに戻って安全地帯に向かおうとしたのだが、二人の耳が近場で行われている戦闘音を捉える。

 慎重に探りながら接近すると、そこにあったのは、キリト・アスナに《風林火山》の一団が混じって戦闘を繰り広げている光景だった。

 そしてモンスターとの戦闘が終わったのを見計らい、集団に近付いて声を掛ける。

 

「《風林火山》も来てたんだな」

「ん? ――――おぉ! 誰かと思ったらカイトじゃ……ねぇ……か……」

「どうした?」

 

 カイトの姿を見たクラインが急に固まる。正確にはその隣にいる少女と繋がっている、ある一点を見て固まっていた。

 

「おめぇ……何手なんか繋いでるんだよ」

「――――っ!」

 

 カイトもそうだが、隣のユキも指摘されたことで咄嗟に手を離した。お互いに真逆の方向に顔を背けるが、すぐに視線は隣の人物へと戻る。しかし、目と目がぶつかると頬を赤らめ、再び顔を背けるのであった。

 

「〜〜〜〜ちっくしょう! なんだなんだぁ、その反応は!? 甘酸っぱい青春か!? 純か! ピュアっピュアか!」

「う、ううう五月蝿い! 手ぇ繋ぐのがそんな悪いか! とやかく言われる筋合いはないだろ!」

「開き直ってんじゃねぇ! 迷宮区はてめぇのデートのためにあるわけじゃねぇんだぞ!! …………くそぅ。カイトといいキリトといい、何でオレには春が来ねえんだよ〜〜〜〜!」

 

 頭を抱えて天を仰いだクラインの叫びが、虚しく木霊する。

 

「なんでそこでオレの名前が……? ていうかそれどころじゃ無いだろ、クライン」

「――はっ! そうだっ。おいカイト、もしかすると、ちっとマズい事になるかもしんねぇぞ」

「マズい事?」

 

 キリトの言葉で我を取り戻したクラインが、途端に真剣な表情に変わった。

 

「ついさっき部下を引き連れた《MTD》のコーバッツと出くわして、マッピングデータを提供しろっつうもんだから、キリトが渡したんだよ。そしたらあいつ、ボスの部屋に向かって進んで行っちまったんだ」

「ボスの部屋!? まだ偵察隊も派遣してないのに、いくらなんでも無茶だろ!」

「いや、あくまでそっち方向に向かったってだけで、本当に挑みにいったかはわかんねぇよ。もしかしたら部屋を覗いて帰っちまったかもしんねぇしよ……」

 

 《MTD》はかつて、クォーターボス戦で甚大な被害を(こうむ)った過去がある。無論あれから時は過ぎているため、傷は癒えているかもしれないが、流石にあの惨状を忘れたわけではないだろう。

 

「《MTD》の人数は?」

「ざっと見た感じだと、四パーティーってところだ。ただ、コーバッツの引き連れた部下達は全員疲労困憊(ひろうこんぱい)だったから、その状態と人数でボスに挑むなんてことはしない――――と、思いたいがな」

 

 ディアベルをはじめとする《MTD》所属のプレイヤーの中には、攻略活動復帰を目指して力をつけている者は多い。現にディアベル自身は攻略組の平均と遜色ないレベルまで到達しており、最前線復帰もそう遠くないだろうと噂されていた。

 そしてコーバッツはディアベルと同じように攻略活動復帰を強く望むプレイヤーの一人であり、迷宮区の奥まで進行できた事実から、レベルはそれなりにあると予想される。

 しかしクラインとキリトの話を聞く限りでは、偵察にせよ本討伐にせよ、とてもじゃないがフロアボスに挑む万全な状態ではないと感じた。部下の疲労困憊具合を実際に見ていないカイトは正確に判断出来ないが、フロアボスを相手にする場合は準備に準備を重ね、そこでやっと万全といえるのだ。ボスの姿・攻撃パターンといった事前情報は言うまでもないが、肉体的疲労がないSAOにおいて、精神の疲弊は注意が散漫する原因となるのをコーバッツが理解しているか否か、それは本人に問いたださなければわからない。

 

「だから念の為にコーバッツさん達が無茶していないか、私達で確認しに行こうって話になったの」

 

 思い過ごしならばそれに越したことはないが、キリトとアスナは妙な胸騒ぎを感じたのだろう。杞憂で終わってほしいと願っているに違いない。

 だが、その胸騒ぎは最悪な形で実現することとなった。

 

「うわあぁぁぁぁぁあ!!!!」

 

 悲痛な叫びが鼓膜を震わせる。

 一体何処からなのか、誰が発したのか、そんな事は考えるまでもない。叫び声にいち早く反応したキリトとアスナは顔を見合わせると、瞬く間にダッシュ。その後ろをカイトとユキ、《風林火山》が追従する。

 二人を追いかけていると、その先には74層フロアボスの部屋に続く巨大な入り口があった。おかしな点があるとするならば、本来は閉まっている筈の扉が全開になっているということ。それはすなわち――そうなのだろう。

 

 先頭を走っていた二人に少し遅れて、カイト達はボス部屋入り口に到着。部屋と迷宮区の境目で立ち止まり、目の前で起こっている事実をその目に刻み込む。

 部屋の中は床一面が淡く・青く輝き、円形を描いている床の外周部分から生える燭台からは、群青色に燃える炎を灯していた。室内はそこまで広くないので、せいぜい一レイド分のプレイヤーしか入れないだろう。

 そして部屋の入り口付近でカイト達に背を向け、床に伏している《MTD》のメンバーを見下ろす影がそこにはいた。その影は入り口で様子を伺うカイト達に気付いたかのように、ゆっくりと振り返ってその姿を彼らに見せつける。

 

 頭には極太のねじれた角を生やし、その顔は山羊そのもの。筋骨隆々とした体躯は燭台の炎と同じ群青色をしており、右手に持つのは所有者の身の丈ほどもある巨大な斬馬刀。見た目からして筋力値の高さが伺える。

 視線を上半身から下半身へと移せば、腰から足先まで紺色の体毛に覆われていた。腰付近から生えた長い尾は先がコブラの頭を模しており、まるでそれ自体にも意思があるかのように、カイト達を真っ直ぐ見据えている。

 それこそが第74層フロアボス《ザ・グリームアイズ》。二足歩行の悪魔型モンスターはその名の通り、青白く輝いた瞳を持ち、新たな挑戦者を睨みつけることで出迎えた。

 一方フロアボスの前で《MTD》は膝をついており、既に満身創痍といった様子だ。

 

「何してるんだ! 早く転移結晶を使え!」

 

 部屋の出入り口はコーバッツ達から見た場合、フロアボスを挟んだ向かい側にあった。重量のある鎧を着たままボスの横を通り抜けようとすれば、間違いなく大剣で一刀両断されるだろう。こういった場合は転移結晶で緊急離脱するのが定石だが、それをしない理由はこの部屋に施されている悪質なトラップが原因だった。

 

「ダメだ! 転移結晶が使えない!」

 

 これまでも迷宮区で幾度となく遭遇してきた《結晶無効化エリア》。攻略を行う際に避けては通れないトラップだが、フロアボス部屋全体にこのトラップが適用されている事例は、これまで一度たりともなかった。結晶アイテムが使えないというだけでプレイヤー側の負担は増え、ボス攻略の難易度は飛躍的に上がる。

 

「結晶が使えないなら、私達で退路を開くしかないよ!」

 

 ユキの言うように、緊急離脱が出来ないのならば他の方法――部屋の出入り口から足を使って脱出するしかない。フロアボスは自身の守護する部屋の外に出ることはないので、迷宮区に戻れば一先ずは安心できる。《MTD》のメンバーでは自力で退路は開けそうにないので、カイト達が協力してその役目を担うしかない。

 

「よしっ! キリト、アスナ、ユキ、オレの四人でボスのタゲ取りだ。こまめにスイッチしながら引き付けるぞ。その間に《風林火山》があいつらを誘導して部屋の外に連れ出してくれ。HPがヤバくなったら、オレが回復させる」

「了解…………って、ちょっと待って! 最後のはどういう意味?」

「説明は後だ! 行く……ぞ……」

 

 カイトは目を疑った。

 先ほど自分達を睨みつけていたグリームアイズが近付いてきていた。まだ攻撃して憎悪値(ヘイト)を高めていないので、ボスの意識がカイト達に向くことなどあり得ない。なによりまだ部屋の中へ一歩も踏み出していないのに、だ。

 ジリジリと距離を詰める巨体に圧倒され、思わずカイト達も部屋から遠ざかるように後退する。だがグリームアイズは見えない壁に行く手を阻まれたかのように、部屋の入り口で立ち止まった。

 

「……は、はは。何だぁ、こいつ。ビビらせやがって」

 

 緊張の解けたクラインは笑い飛ばすが、彼の額には冷や汗が流れていた。

 

「そ、そうだよ。フロアボスがこっち側に来るわけないのに……」

 

 当たり前の事だが、ユキは周知の事実を確認するかのように呟いた。

 

「でもこれ、ちょっとおかしいわよ」

 

 部屋の中にいる《MTD》に背を向けて鎮座するボスに対し、アスナは違和感を感じた。

 

「なにかのバグか?」

 

 キリトは構えを少しだけ崩し、疑問を声に出す。

 

「それにしても、これじゃあ尚更救出が難しいぞ」

 

 ボスの行動に対する異様さよりも、これによって生じる問題点がカイト達の頭を悩ませる。

 

 だがこの後ボスの取った行動が、彼らの頭を更に悩ませた。

 それはフリーズしていたグリームアイズが再び動き出したのだが、背を向けて引き返すのではなく、足を持ち上げて前進を試み出したのだ。

 驚愕する一同を余所に、グリームアイズは境界の彼方を超えて一歩踏み出した。

 




前回行われたキリトVSカイトの結果はキリトの勝ちでした。デュエルの結果、キリトの選択した右の道を進行しましたが何もなかったため、今回はまだ見ぬ左の道を進んだ、という経緯になっています。

グリームアイズがボス部屋から出ちゃいました。ここから先は原作と分岐します。

それと活動報告で今後の重要なお知らせがあります。


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第37話 悪魔と死神

 

 フロアボスの存在意義とは何か。

 それはずばり『浮遊上の(いただき)を目指す剣士達の妨害』だ。

 上層へと続く迷宮区の最奥を守護する役目を与えられた、各階層につき一体しかいない超がつく程の難敵。システムによって定められた役目を全うするため、フロアボスは一歩たりとも部屋の外に出てはならない。

 

 だがしかし、グリームアイズはその鉄則を破る。

 

 約2年もの間、円形状の部屋に息を潜めて閉じこもっていたその巨体は、境界線を悠々と超えて部屋の外気を吸い込む。迷宮区に流れる冷気を含んだ空気を吸い込むと、生暖かい呼気に変換して口から漏れた。

 

「おいおい、こんなの聞いてねぇぞ!」

「それはこの場にいる全員が思っている事だぞ」

 

 予想外の事態に驚きつつも、皆はそれぞれの武器を握って構える。

 

「一先ずはさっきカイトが言った通りの作戦でいこう。四人でタゲ取りしつつ、《風林火山》が奥にいるコーバッツ達の救援だ」

『了解!』

 

 キリトに呼応し、全員の声が重なった。

 グリームアイズは眼前で固まる冒険者の集団に向け、右手に持った斬馬刀を掲げて振り下ろす。それを合図に《風林火山》は二チームに分かれて左右に散り、大剣を受け止める役議は黒と紺藍の影が担った。

 

「くっ――」

「おっも!」

 

 キリトとカイトを叩き斬らんと振るわれた剣は、これまでのフロアボス中最高クラスの重みを持った一撃だった。それはグリームアイズの筋力値が高いことを示唆し、受け止めている最中も二人のHPはジワジワと減少する。

 しかし二人が懸命に剣を受け止めたことで、グリームアイズの動きは静止し、その隙を狙ってクラインら《風林火山》はボスの横をすり抜ける。だがグリームアイズの尻尾――――コブラの頭がクラインに噛みつこうと、大口を開けて藍色の液が(したた)る毒牙を剥いた。

 

「てえいっ!」

 

 アスナの放った《リニアー》が速く・正確にコブラの頭を捉え、クラインのガードに成功。一瞬で間合いを詰めた白い閃光の剣技に、彼は思わず見惚れてしまう。

 

「クラインさん! 行ってください!」

「す、すまねぇアスナさん!」

 

 アスナはクラインに背中を向けながら促す。

 クラインもまた、アスナに背中を向け、彼女にボスの相手を任せた。

 

「ユキっ、頼む!」

「了解!」

 

 《風林火山》がグリームアイズの横を通り過ぎたのを見計らい、キリトが合図を出す。聞きつけたユキは単発系ソードスキルを使用して斬馬刀を上方に弾き、圧迫に耐えていた二人を解放すると、三人はボスから距離をとった。そこに遅れてアスナも加わる。

 

「ヒール!」

 

 カイトは結晶アイテムを使わずに回復コマンドを唱え、半分以下になっていた自身のHPを全快にした。そして空いている左手でキリトの背中に触れ、もう一度回復コマンドを唱える。

 

「ヒール!」

 

 カイトと同様に削れていたキリトのHPが全快した。だが奇妙な事にキリトのHPが回復したかと思えば、今しがた全快した筈のカイトは再び命の残量を黄色く染め上げる。

 カイトはアイテムポーチから素早く高ランクのポーションを取り出し、容器内の真っ赤な液体を口に含んだ。口内に甘酸っぱい不思議な味が広がり、彼は今一度全快に努める。

 

「え? え?」

「何? どういう事?」

 

 あっけらかんとしているキリトとは別に、アスナとユキは目の前で起きている現象に驚きを隠せない。二人は増減を繰り返すカイトのHP変動に目が釘付けとなった。

 

「二人もHPが減って危なくなったら、今みたいな感じで回復させるから」

「う、うん…………いや、そうじゃなくて! どうして回復結晶を使わずに回復出来たの?」

「……二人は信用出来るからバラすけど、《治療術》っていうエクストラスキル――――いや、もしかしたらユニークスキルかもしれないな……。兎に角、それの効果だよ。キ……ヒースクリフみたいな戦闘特化のスキルとは違うけど、衛生兵なら務まる筈だ。ちなみにこれ、他言無用でお願い」

 

 そう言ってカイトは人差し指を立てて口元に添えた。

 習得に一定の条件を課し、それを満たすことで得られる《エクストラスキル》。その中でも習得者が一人しかいないと言われているのが《ユニークスキル》と呼ばれるものだ。ユニークスキルを取得したのは現時点でヒースクリフしか判明していないが、《治療術》なるものがユニークスキルだとすると、彼は新たなスキル保持者(ホルダー)ということになる。

 約半年前、スキルリストに突如出現してからは地道に熟練度を上げ、これまで幾度となく使用してきた。当初はスキルの少々面倒な特性に頭を悩ませ、「便利なのか便利じゃないのかわからん!」という感想を抱いていたが、今では存分に使いこなしている。ただし使いこなしていると言っても、面倒な特性に付き合っているのは変わらない。現に今がそうだからだ。

 スキルを秘匿していたのは出現条件が定かではないのと、下手に騒がれないようにするため。しかしヒースクリフのような目立つスキルと違い、彼のスキルはよく見ていないと結晶アイテムを使用する仕草と大差ない。そして人というのは案外他人を見ないもので、特にボス戦のような大人数が混在する場合はそれが顕著に表れる。故にカイトは今まで堂々と、しかしコッソリとスキルを使用していたのだった。

 

「……私、そんなスキル持ってるなんて初めて聞いたよ?」

「だって言ってないし……。ていうかみんなが気付いていないだけで、今までのボス戦とかでも何度か使ってるんだけどなぁ。56層フィールドボス戦の時も、アスナに一回使ったぞ」

「えっ?! うそっ!」

 

 突然のカミングアウトに対し、アスナはつい視線をボスから外してカイトを見やった。

 その一瞬の隙をつきにきたのか、はたまた偶然なのか。グリームアイズは剣を両手で持つと後ろに引き、地面と水平にして突き攻撃の構えをとった。

 

「来るぞ!」

 

 重量感を感じさせる肉厚の剣が風の切る音を響かせ、一直線にアスナ達へと迫る。だがキリトの叫び声に反応した一同は瞬時に飛び退き、これを回避。つい数秒前まで自分達のいた地面が抉れ、白い土煙に似た演出が発生した。

 突きで精一杯伸ばされた腕は、手元に引き戻すまで時間を要する。その間に紅白の影二つは左右に分かれ、グリームアイズの両脇腹を通常攻撃で同時に切りつけた。ダメージが入ったのを示す赤いエフェクトを散らせるが、それは微々たるもの。青眼の悪魔は平然としていた。

 ダメージを与えたことでタゲは二人に移り、グリームアイズは右足を軸にしてその場で半回転。そのまま右手の大剣で薙ぎ払い攻撃を繰り出す。

 アスナとユキはガードするが、斬馬刀の餌食となり、迷宮区のオブジェクトに叩きつけられた。

 

「あぐっ」

「――――っ」

 

 アスナは背中から、ユキは右肩から衝突し、ぶつかった部位からじわっと不快感が広がる。叩きつけられた際の衝撃ですぐには身体を動かす事が出来ないため、ボスにとっては格好の的も同然。剣を上に持ち上げて垂直に振り下ろした。

 

『させるかっ!』

 

 キリトとカイトの声が重なる。

 振り下ろされる剣の軌道上に二人が立ち塞がり、倒れて身動きの取れないアスナとユキを庇うため、再び受け止めにかかった。剣は二人に届くことなく、一刀両断されるのはなんとか阻止する。

 

「カイト! 同時に弾くぞ!」

「了解! 3、2、1――」

 

 合図を出すと剣に力を込め、上方へ押し上げる。そうすることで上から押さえつける圧迫感から解放されたのだが、惜しくもボスの身体を仰け反らせるような弾き防御(パリング)とはならなかった。一閃を防がれたグリームアイズの攻撃はこれだけで終わらず、別の攻撃モーションに切り替える。牙と牙の隙間から薄い藍色の瘴気が漏れるそのパターンは初見だが、これまでの経験から大方の予想がついた。

 

(ブレス攻撃!?)

 

 おそらく特殊攻撃が付与されたブレス攻撃だろう。咄嗟の判断で二人とも飛び退くが、グリームアイズの放ったブレスは攻撃範囲が広く、かつ本来の戦場であるボス部屋よりも狭い迷宮区の通路では、逃げ場など無きに等しい。

 

「やばっ――」

 

 瘴気は瞬く間に真っ白な床石を覆い尽くし、飛び退いた二人どころか、自由を取り戻しつつあったアスナとユキにも絡みつく。その結果生じた弊害は、プレイヤーの行動を制限する阻害効果(デバフ)――――《行動不能(スタン)》だった。

 カイトは《ベヒモス・コート》の耐性値上昇ボーナスのおかげで難を逃れたが、他三人は膝から崩れ落ちて地面に伏せる。攻撃を受けてしまったため、彼らにはここから3秒間のペナルティーが課せられた。

 そしてグリームアイズにとっては運良く、キリト達にとっては運悪く、動けない三人は一ヶ所に固まって倒れている。三人纏めて剣の餌食にするのが非常に容易な、いわゆるバッドポジションだった。

 当然ボスもこれを好機とみて、動かない的に狙いを定める。そんなグリームアイズの選択した行動は、剣を両手で持って行う大上段の振り下ろしだった。

 

「やらせない!」

 

 彼がやらずして誰がやるというのか。カイトは身動きの取れない三人を庇うようにして立ちはだかる。

 剣の腹を殴って軌道を逸らす方法もあるが、振りの速い剣撃にタイミングを合わせるのはシビアなため却下。よって力を込めた斬馬刀の上段垂直切りに対して彼がとった行動は、剣を水平にして受けの構えを作ることだった。

 あわよくば弾き防御(パリング)――――といきたい所だが、受けるだけで精一杯の状況だ。さらにキリトと一緒に受けた時でさえ重いと感じた一撃のため、一人では上からズシっとかかる重みに耐えきれない。

 

(こんのっ――――馬鹿力っ!!)

 

 カイトは圧迫感におされて片膝をつく。それでもなんとか踏ん張っているのは、彼なりの意地というもの。

 そして彼は3秒間、奇跡的に耐えることが出来た。

 

「やあっ!」

 

 行動不能(スタン)から復帰したユキがソードスキルで斬馬刀を弾く。弾いた事でグリームアイズに大きな隙を生じさせ、ユキの脇を漆黒の剣士がすり抜けた。その手に持つ剣に光を宿して――。

 

「はあぁぁぁぁあ!!」

 

 片手剣上位単発重攻撃ソードスキル《ヴォーパル・ストライク》。

 ジェットエンジンのような耳を(つんざ)く音と、赤い光芒の演出。この二つと共に放たれた《エリュシデータ》による強力な突きが、グリームアイズの腹部中心へと吸い込まれるようにして正確に突かれた。

 

 ――グオォォォォオ!!

 

 ノーガード状態で喰らった上位ソードスキルがクリーンヒットし、流石のグリームアイズも雄叫びをあげずにはいられない。まるで苦痛でも感じているかのような叫びが轟いたのは、今までで最もダメージが大きかったからだろう。HPが目に見えて減少した。

 術後の硬直から解放されたキリトは即座に後退し、他三人と合流。一方のボスは距離をとったキリトに反応し、ブレス攻撃のモーションに入った。四人の位置では先ほどの二の舞になってしまうと予想されるので、大きく跳び退くために全員が膝を曲げる――――まさにその時だった。

 

「イッツ・ショウ・タイム」

 

 どこからか聞こえたのは、異質なイントネーションを含んだ艶やかな美声。

 緊迫したこの状況下でもハッキリと耳に残ったその言葉は、殺戮ショー開幕の合図。

 この場にいる敵は、なにもフロアボスだけではなかったらしい。

 

 距離をとろうとした四人のうち、ユキの右膝にスローイング・ピックが刺さる。ブレス攻撃を喰らう前にも関わらず、彼女はまたしても膝から崩れ落ちてしまったのだが、最悪な事にパーティーメンバー《Yuki》のHPバー周囲が緑色の点滅を繰り返し、行動不能(スタン)よりも厄介な《麻痺》のデバフアイコンが点灯していた。

 

「ユキッ!」

 

 跳躍に成功した他三人は回避出来たが、その場に残されたユキはボスのブレス攻撃が直撃。しかしブレスをはじめとする間接的攻撃はプレイヤーの動きを阻害するのが主な目的であるため、ダメージに関してはさほど懸念する必要はない。問題はブレス後に繰り出される大剣の一撃だった。

 瘴気を撒き散らした後のグリームアイズは例に漏れず、剣で目の前のプレイヤーを潰しにかかる。今度は右手一本で剣を持ち、真っ直ぐ突きを繰り出した。

 

「――――っ!」

 

 地に足がついた状態で、キリトは体重を前にかける。利き足に力を込めてコンマ数秒踏ん張ると、彼の身体は超加速してユキの救助に向かった。

 

「でやぁぁぁあ!!」

 

 《エリュシデータ》を逆手に持ち替えて突き出された斬馬刀の腹に添えると、力の限り、大剣の軌道を横方向へずらしにかかった。擦れ合う二本の剣は甲高い音と紅蓮の火花を散らし、彼女を殺す意志と生かす意志がぶつかる。

 突き出された大剣は床石に接触すると、轟音と土煙が舞った。煙がはれると、そこには自身の身体を貫こうとする剣から目を逸らしているユキがいた。そしてグリームアイズの剣はそんな彼女の横に逸れており、それはキリトの生かす意志が勝利したことを意味する。

 

「キュア!」

 

 カイトは素早くユキに駆け寄り、手で彼女の右肩に触れると解毒コマンドを唱えた。正体不明のスローイング・ピックによってもたらされた麻痺は取り除かれ、ユキの身体は今一度自由を取り戻す。

 

「ユキ、大丈夫?」

「うん……なんとか……」

 

 同じように駆け寄ったアスナが、ユキの身を案じて声をかけた。

 だがカイトはユキの身を案ずるよりも、彼女に危機をもたらした元凶の特定に注意を注ぐ。そして彼の索敵が捉えた反応は、グリームアイズの後方からだった。

 離れた場所から四人を伺う影が一つ。ポンチョに身を包んでフードを深く被っているため、カイトの位置から顔を見ることは叶わないが、姿が視認できればそれで充分だった。

 

「PoH……」

 

 憤りを込めて、そのプレイヤーの名を呟く。

 フロアボスと比較して立ち位置の距離は遠いにも関わらず、眼前のグリームアイズに負けず劣らずの威圧感を放っている。モンスターの最大脅威がフロアボスだとすれば、プレイヤーの最大脅威はPoHという存在そのもの。

 

「惜しかったなぁ……。もう少しでそこの女が真っ二つになれたのに」

「お前……!」

 

 ユキの自由を奪ったピックの持ち主は《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》創設者ーーPoH。彼はあろうことか、フロアボスを利用したMPKで彼女を殺そうとしたのだった。キリトの助けが間に合わなければ、ユキは上半身と下半身に分断されていた可能性もあり得ただろう。

 

「にしてもまぁ……こいつは中々……」

 

 そういってPoHはグリームアイズを見上げながら、一歩、また一歩と自らフロアボスに近付いていった。

 するとこれまでカイト達と向き合って対峙していたグリームアイズが、ダメージを与えていないPoHへと標的を変更した。キリトから背面に佇むPoHに視線を移し、大剣を彼に対して振るいだす。

 

「What?」

 

 PoHもこの現象には疑問を抱かずにいられない。グリームアイズは従来のフロアボスとアルゴリズムが違いすぎる。

 

「……鬱陶しい」

 

 剣で受けることはせず、ただひたすらグリームアイズの大剣を避け続ける。右、左と軽やかなステップを踏んで回避するが、流石にノーダメージという訳にはいかないようだ。所々で身体を掠め、ダメージエフェクトがチラつく。

 一方先ほどまでボスの相手をしていたキリトは一時後退し、カイト達と共に様子を伺っていたところ、彼の《索敵》スキルがプレイヤー反応を捉えた。それはゆっくりとこちらに向かってくる少人数の集団で、ボス攻略でも度々顔を合わす機会の多い、最近前線に加わったギルドの一団だった。

 

「お、おいっ! 何だアレ!?」

 

 集団の一人が異変に気付き、驚く。迷宮区の道中で山羊の頭をした定冠詞付きのモンスターがいるのだから、誰だって驚くに決まっている。他のメンバーも皆似たような反応だった。

 そしてグリームアイズの攻撃を紙一重で躱し続けるPoHも、そんな一団の声に気付いて彼らを一瞬だけ見やる。フードの奥から覗く口元が嘲笑に歪んだ次の瞬間、彼のとった行動は身を翻してギルドの一団へ突っ込む事だった。

 現在ボスが標的にしているPoHが動けば、当然彼の後を追うようにしてついてくる。PoHの正体に気付いていない一団は、ポンチョ男よりもその後ろにいる巨大なモンスターへと視線が映り、巨体が急接近する光景に恐怖を駆り立てられる。

 

「うわぁぁぁぁあ! 何だコイツ!?」

「馬鹿野郎! こっちに来るんじゃねぇ!」

 

 厄介なものをなすりつけてくるポンチョ男に対し、悪態をつかずにいられない。 ユキの時とやり方は異なるが、これも立派なMPKに値する。通常のゲームでも決して推奨されない非マナー行為であり、この世界では意図的に行ってはいけない行為の一つだ。

 グリームアイズはその巨体に不釣り合いな速度で移動し、PoHとの距離はすぐに縮まる。距離を詰めると片手で剣を担ぎ、両手剣の突進技《アバランシュ》によく似た軌道で上段から斬馬刀を振り下ろした。狙いは当然PoHだ。

 しかし、ここまではグリームアイズを誘導したPoHの思惑通り。魔剣クラスの性能を持つ大型ダガー《友切包丁(メイト・チョッパー)》がオレンジ色の輝きを放つと、彼はすぐさま身体を反転させ、ソードスキルを発動。短剣上位突進技《アーリー・スピルド》で急加速したPoHは、グリームアイズに向かって一直線に突き進む――――が、彼の狙いはボスではなく、その股下に空いた空間だった。

 

 ソードスキルを使用したPoHの狙いは、攻撃の回避とボスからの離脱を平行して行う事。彼のソードスキル発動からコンマ数秒遅れで斬馬刀が地面を抉り、股下をくぐり抜けたPoHはグリームアイズから一気に距離を取ることに成功した。離脱後に課せられた硬直が解けると、彼は置き去りにしたボスの動向を伺う。

 

「畜生! ふざけんなあっ!」

「全員距離を取れ! 隙をみて離脱――――がっ!」

「ぐあぁぁぁあ!!」

 

 グリームアイズはPoHに向けていた敵意を、運悪く遭遇した一団へと移す。一団の様は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 

「Huh、なるほど……。そういう事か……」

 

 その様子を見た彼は納得する。74層フロアボス《ザ・グリームアイズ》の持つ異様な性質を見抜き、確信したようだ。

 それはおそらく『自身との物理的距離が近いプレイヤーを優先的に狙う』ということ。ボスのタゲがPoHに移行した時は、対峙していたキリトよりも近くまで接近してしまったから。タゲが外れた時は上位突進技で瞬時に距離を広げたため、最も近くにいた運のない一団に移行したのだろう。

 

「――ダメ…………」

 

 そして余裕綽々のPoHとは裏腹に、放っておけば死人が出るであろう集団の状況を、アスナは良しとしない。右手で握った《ランベントライト》に手の震えが伝わる。

 

「ダメェーーーーーー!!!!」

 

 彼女は拒絶の声を荒らげながら、無意識に駆け出した。グリームアイズとの距離は十分、助走も十分過ぎるほど。細剣最上位ソードスキル《フラッシング・ペネトレイター》を放つ条件は揃っていた。

 ミスがあるとするならば一つだけ。アスナはグリームアイズを見据えるあまり、すぐそこで佇むPoHの存在を視界から外してしまっていた。アスナがPoHの存在を捉えた時、体術単発ソードスキル《仙破》の鋭い回し蹴りを見舞われ、彼女の身体は元の方向へと蹴り飛ばされてしまった。

 

「く……」

 

 地面を転げた彼女は腹部の不快感に耐え、顔を上げて敵を睨みつけた。

 

「この先は通行止めだ。ショーの邪魔なんて野暮な真似、紳士淑女なら慎むもんだぜ?」

 

 彼は邪悪な笑みを絶やさない。さも愉しそうに、さも嬉しそうに言うその様子には狂気さえ感じてしまう。

 

「PoHーーーーーー!!!!」

 

 怒りを露わにしたキリトが強行突破を試みた。だがPoHも甘くはない。

 突撃する《黒の剣士》と、行く手を阻む《死神》。両者の剣が激しく衝突し、鍔迫り合いのまま、至近距離からの睨み合いへ移行した。

 そんな二人をよそに、取り残されたカイトがアスナの肩に軽く手を置いた。

 

「アスナ、一旦落ち着け! らしくないぞ!」

「でも……このままじゃ……」

「それはオレもわかってる……。だから役割をハッキリ分担しよう。オレとユキの二人でPoHを相手して道を切り拓くから、その隙にキリトとアスナはボスの元へ向かって相手をしてくれ。《風林火山》にも援護を頼んでみる。それと――――」

「馬っ鹿野郎!! 死ぬ気か!!」

 

 ボス部屋入り口からクラインの怒号が聞こえた。振り返れば声の矛先は《MTD》所属のコーバッツに対してであり、クラインは彼の腕を掴んで進行を阻んでいた。

 

「我々は《はじまりの街》で救援を待つ一般プレイヤーのため、一日でも早い解放を望んでいる! キバオウ殿から特命を承ってここまで赴いたというのに、何もせず帰れというのか!」

「てめぇはもうちっとばかし、周りを見て考えやがれってんだ! 仲間も疲弊しきっているし、そんな状態でいっても無駄死にするだけだろうがよ!」

 

 クラインの言葉についカッとなり、コーバッツは彼の腕を振り払う。

 

「私の部下達は、この程度で音を上げるような軟弱者ではないっ! 全員、立て!」

 

 コーバッツの厳しい号令を受け、彼の部下達はフラフラと足取りおぼつかなく立ち上がる。だが、既に限界を過ぎていたのだろう。直立出来ずに膝をつく者が続出した。

 

「この腰抜け共が!! 貴様らはそれでも《MTD》の一員か!? 立て! 立つんだーーーー!!」

「まだわかんねぇのか!?」

 

 コーバッツの身勝手な言動にクラインは我慢出来ず、彼の羽織っているマントの肩布を掴み、声を荒らげながら手元に引き寄せる。

 

「てめぇの受けた特命とやらが何かは知らねぇし、興味もねぇ。……だがこの世界にいる限り、何よりも優先されるのは人の命であって……それ以外は二の次、三の次なんだよ! あんたがこいつらの上官って事は、信頼してついてくる部下の命を預かった、責任ある立場なんだ! その事を見失わず、もう一度よく考えやがれ、コーバッツ()()!!」

 

 クラインの言葉に熱がこもり、『中佐』の部分を強調する。

 常日頃からギルドの長として仲間の事を第一に考える彼だからこそ、コーバッツの考えが許せなかった。中央広場で途方に暮れる仲間を連れ、攻略組に加入出来るほどまで力をつけつつ、これまで一度もギルド内で死者を出していない。お調子者の一面もありはすれど、こういった芯の部分がギルドメンバーだけではなく、キリトやカイトを始めとした多数のプレイヤーから人望を得ている源だろう。

 

「クライン」

 

 そんな熱くなっているクラインの腕を、カイトが掴む。この状況を打破するためには、()()()()が必要だった。

 

「今、向こうでボスに追いやられている連中がいる。クライン達には立て続けで悪いけど、キリト達と一緒に《風林火山》も救援に行ってくれ。それと――――」

 

 カイトは出来るだけ簡潔に告げると、今度はコーバッツに向き直った。

 

「コーバッツ。あんたにはこの状況を今すぐ攻略組に伝える役目を頼みたい。転移結晶でここから離脱した後、《血盟騎士団》と《聖竜連合》の本部に向かって討伐隊の部隊編成を要請してくれ。大至急だ」

「しかし我々は――――」

「一分一秒でも惜しいんだ! 時間がないから早くしてくれ!!」

 

 カイトは語気を強め、コーバッツの言葉を押さえつけた。

 

「今この場で頼めるのはあんたしかいないんだ……。一応伝えはしたし、これ以上構っている暇はないから、オレ達は行く……。クライン、頼む」

「……あぁ。――――っし、おめぇら! もう一働きすんぞっ!」

『おぉっ!!』

 

 クラインを始めとした《風林火山》の野太い声が重なる。

 約2年間デスゲームを経験してきた彼らにとって、初となる異例のフロアボス戦。

 開戦の火蓋は、切って落とされた。

 





作中でカイトが明言しましたが、56層フィールドボス戦……今作で言えば3章の22話・23話で予め伏線を張らせていただきました。別々に読むと違和感を感じずに流しがちですが、今回判明したスキルの特徴に着目し、22話終盤から23話冒頭のフィールドボス戦を繋げて注意深く読むと、おかしな点がある仕様になっています。それでも分かりづらいですが……。

ちなみに現在判明しているカイトのエクストラスキルの効果は……
・自分及び他者のHPを全快できる
・自分及び他者にかかった阻害効果(麻痺など)を除去できる

ここまでは結晶アイテムとの類似点です。ですが……
・他者のHPを全快する場合、自身のHPを削る形で回復させる

……というのが、結晶アイテムとの相違点です。
ユキにかけられた状態異常を除去した際は何もありませんでしたが、それはちゃんとした理由のある『例外』となっています。


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第38話 二人の誓いと一人の決断

 コーバッツの返答を聞かず、カイトは自身がやるべきことをやるために、再び戦場へと足先を変える。

 先ほどまでいたグリームアイズの姿は、既に見当たらない。巻き込まれた集団は離脱したのか、はたまた迷宮区の入り口方面へと向かってジリジリと後退していっったのか。確認する術を持たない彼に出来ることは、彼らが今もこの世界の何処かで存命しているのを祈るだけ。

 

「ユキ、アスナ」

 

 待機させていた2人の少女に駆け寄る。

 本当ならアスナはキリトの元へ駆けつけたかっただろう。カイトも出来ることならそうさせたい。だが取り乱した彼女を落ち着かせるため、彼はユキを傍につけ、平静さを取り戻すための時間を設けた。キリトに負担を強いる形になってしまったが、後々の事を考えて必要だったと割り切るしかない。

 

「ボスは――――グリームアイズは何処に?」

「あの人達を追いかけて、奥に行っちゃった……」

「……わかった。こっちも準備が出来たから、タイミングを見計らってキリトとスイッチする。足止めしている間に、みんなでボスを追ってくれ。まさかとは思うけど……あいつはこのまま街に行くかもしれない」

「ちょっと待って! それじゃあまるで――」

「あぁ、あの時みたいだ」

 

 忘れもしないハーフポイント戦の後、急遽発生した死闘。激闘に次ぐ激闘は彼らの精神をすり減らし、最後の戦いには多くの命がその身を散らした。安全だと思われていた圏内での戦闘により、巻き添えを喰らった顔と名前を知らないプレイヤーもいる。グリームアイズが一体何処を目指して進んでいるのか定かではないが、悲劇の再生は十分考えられた。

 

「あくまで想像でしかないけど、放っておいて良いことは一つもない。これ以上の混乱を防ぐために、奴の進行を少しでもいいから遅らせてくれ。ただ、本当にやばくなったら離脱してくれよ」

「……わかったわ」

 

 静かな闘志をその瞳に宿し、アスナは力強く頷いた。

 

「それとユキ。――――って作戦でいくから、よろしく」

「うん、わかった」

 

 了解を得られたのなら、開戦の合図は彼が作る。そう決めていた。

 利き足で地を蹴って前へ飛び出し、剣技の応酬を繰り返している2人のプレイヤーに割り込む。

 

「キリト、下がれ!」

 

 距離の開いた瞬間を狙い、PoHに切りかかる。簡単に避けられたが、そうやすやすと傷をつけさせてくれる程、甘い男でないのは承知の上。選手交代出来れば上出来だ。

 

「今度はお前か? 少しは楽しませてくれよ」

「楽しむ余裕があればいいけどな」

 

 すかさずホルダーのピックを一本取り出し、フードの奥に隠れているPoHの顔目掛けて投擲。システムに頼らない手動の攻撃は鈍く、PoHにしてみれば避けるのは容易く、朝飯前だ。

 難なく避けて視線を敵意剥き出しの少年に向ければ、いつしかソードスキルを発動して眼前に迫っていた。それはかつて、カイトがイリスにやられたのと全く同じ手口――――視線誘導(ミスディレクション)

 

「Wow!」

 

 珍しくPoHが本心から驚きの声をあげた。

 投擲したピックに注目を浴びせ、わずかな隙を狙い、片手剣突進技《レイジスパイク》で間合いを詰める。相手によっては敵がわずかながら瞬間移動したように見えるその手法で、カイトは一太刀を浴びせにかかる。

 

「――50点だ」

 

 しかし、それでは彼に剣を届かせることは出来ない。

 PoHは身体を捻ることで頭部への剣技を回避。フードを掠める程度に終わり、2人はすれ違って位置を逆転させる。

 

「狙いは悪くないが、挙動のタイミングが少し遅いな」

「ご教授どーも。……でも、オレはあんたを切るためにやった訳じゃないぞ」

 

 切り込み隊長を請け負った彼が真っ先に行なったのは、PoHの気を引き付けること。これが狙いの1つ目。

 普通にPoHの横を通り過ぎようとしても、先刻アスナがやられたように進行を防いで邪魔されるのがオチだろう。ならば第一段階としてピックの投擲で視線を逸らし、第二段階でカイト自身が囮になることによって、彼の注意を完全に引きつける。キリト・アスナ・《風林火山》の移動を苦もなく行うのに閃いたのが、それだった。

 現に彼の目論見通り事は進み、いつの間にかキリト達は移動を開始してグリームアイズの後を追うように走っていた。

 

「Oh……こいつは一本取られちまったな!」

 

 頭を押さえて天を仰ぐPoHは、何処か愉しそうな様子を感じさせる。

 

「――だが…………俺は通行止めと言ったんだぜ?」

 

 声色は急激に変化した。

 感情の欠片を一片も感じ取らせないような冷たい口調は、その変わり様も相まって、ゾクリと背筋に寒気が走る。

 

「勝手に通っていいと誰が言ったんだ?」

 

 刹那、銀色に輝く小さな物体が、PoHの左手を起点にして飛来した。

 大きく振り上げた手から放つのは、投剣ソードスキル《トリプルシュート》。

 指の側面で挟んだ3本のピックは通過した一団へと進み、背中に刺さろうと真っ直ぐ飛んでいく。3本のピックはそれぞれ別のプレイヤーを捉え、進行を妨害しようとした。

 だがピックが刺さる直前、乾いた金属音を響かせて落下したのは3本ではなく、合計で6本のピック。3本は当然PoHが投げたものだが、残りは一体誰のものなのか。最早言うまでもないだろう。

 PoHと同様にカイトは左手を振り上げた状態のまま、地に転がっている凶器を見やる。その後、彼は再びPoHに向き直った。

 

「邪魔していいなんて誰が言ったんだ?」

 

 (ほとばし)る敵意を隠す素振りも見せず、空気を媒介にしてPoHの肌に伝わる。

 PoHは殺しをするのであって、殺し合いを望んでいる訳ではない。しかし、ラフコフが殲滅されてからグリーンで大人しく日陰で過ごしてきた彼にとって、目の前にいるのは久方ぶりに心躍らせる獲物だった。

 

「……OK。あいつらが消える瞬間を見れないのは残念だが、ここは我慢してやる」

 

 狂気の笑みを浮かばせたPoHの口元が歪む。

 そんな彼の聴覚が、背面から忍び寄る足音をキャッチした。

 反射的に身体を横方向へ移動すると、彼が立っていた位置で垂直方向の剣筋が描かれた。PoHはその場で回転すると、《友切包丁(メイト・チョッパー)》の柄頭(つかがしら)で奇襲をかけてきた少女の頭部を殴りにかかる。

 奇襲をかけた少女――――ユキは伏せることで身体を沈め、柄頭の殴打を回避。上から下へと振り抜いた銀白色の短剣は、下段からの切り上げに軌道を変え、その挙動に反応したPoHは手首を返し、横に振り抜いた剣で切り結んだ。

 奇襲が失敗したユキは深追いせず、大きく後退して一時離脱すると、カイトの隣に並ぶ。

 

「ごめんね。折角チャンスを作ってくれたのに」

「いや、ユキが気にすることじゃないよ。むしろここはあいつを褒めるべきだ」

 

 視線誘導(ミスディレクション)を行ったもう一つの目的は、背後からの奇襲。

 意識をカイトに向けさせていたにも関わらず、即座に背後からの攻撃を避けた事に関しては、悔しいが認めざるを得なかった。

 はみ出し者の犯罪者集団を纏め上げていたカリスマ性もさることながら、その実力の高さに魅せられたプレイヤーも多くいたことだろう。それと同時に、彼が攻略組にいないことがひどく惜しまれる。

 

「2対1か……。随分卑怯な真似をするじゃねぇか」

「オレ達が卑怯なら、あんたは卑怯で愚劣だよ」

 

 しかし、それは叶わぬ願いというもの。殺意の込もった刃でためらうことなく人を切るその存在は、放っておけばさらなる波紋を呼び起こす脅威になりえるだろう。

 

「大人しく牢獄に入れ。仲間も待ってるぞ」

「Huh、俺はブタ箱に入る気はねぇ。とりあえず……今は今を愉しむことに専念しようじゃねぇか」

 

 右手に携えた巨大なダガーを持ち上げ、背の部分で肩を軽く叩く。

 そんなPoHの様子を見た2人は、密かに心で誓いを立てていた。

 『絶対に一泡吹かせてやる!』と――。

 

「イッツ・ショウ・タイム」

 

 最前線の迷宮区。その最奥部。

 死神は息を吹き返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨大な2枚扉と3人のプレイヤーを背に、キリト達は来た道をなぞるようにして疾走していた。

 右へ左へと緩い曲線を描く道の先からは、グリームアイズの低く唸るような咆哮が響き、それに交じってプレイヤーの悲痛な叫びが鼓膜を震わせる。聴覚だけでしか得られない惨劇を思わせる情報源は、実際に視認するまでは考えうる最悪のイメージしか生まない。否が応にもキリト達の表情に焦燥の色が浮かんだ。

 

「お願い……間に合って……」

 

 囁くような呟きは《閃光》の切なる願い。霞んでいるわずかばかりの希望を頼りに、一団が存命しているという最良の未来を信じる事だけが、今の彼女の足を動かす唯一の理由だった。

 そうこうしているうちに、現時点で最大の脅威である悪魔の後ろ姿を捉える。グリームアイズは道のど真ん中を占領し、今もなおギルドの一団に対して悠然と猛威を振るっていた。ボスからすれば進行を妨げるちっぽけな存在だが、彼らは生き残るため、そして危機に瀕した仲間の窮地を救うためと、それぞれがそれぞれの理由を抱いて剣を振るっている。

 しかし悲しいかな、グリームアイズが繰り出す剣撃の嵐は止む気配を見せず、転移して離脱する暇もない。最大の理由はここが広いボス部屋ではなく、狭い迷宮区の道であることがネックとなっていた。

 フロアボス戦の舞台となるボス部屋は形と大きさに違いがあれど、基本的には大人数を収容できる程の広さを誇っている。なので前後左右に十分なスペースを確保してさえいれば、敵の攻撃に対しての逃げ道は多岐に渡るだろう。

 だが現在の戦場は狭い一本道。グリームアイズの体躯は道を遮り、横薙ぎを繰り出せば前方の敵全てを容赦無く切り伏せる。広範囲のブレス攻撃も瘴気が道全体に充満してしまうため、プレイヤーが攻撃を回避する場合は後方へ跳び退くしか選択肢がない。なので必然的にジリジリと後ろへ、後ろへと追いやられてしまう。

 

「クライン。オレとアスナで切り込むから、《風林火山》で彼らを退避させてくれ!」

「わかった! すぐに合流すっから、死ぬんじゃねぇぞ!」

「言われなくてもそのつもりだ……アスナッ!!」

「はいっ!」

 

 駆けるアスナはスピードを緩めることなく跳躍すると、エメラルドグリーンの光が凝縮。細剣中位4連撃ソードスキル《アイソレック》による高速の突きが、グリームアイズの背中にダメージを与える。

 それによってグリームアイズの標的は彼女に移り、青い眼で未だ空中のアスナを睨みつけた。振り向きざまに繰り出した横薙ぎで、彼女の体勢を崩しにかかる。

 しかし、アスナの表情に驚きや焦りといった様子は見受けられない。硬直を課せられた身体に鈍重な一撃が見舞われる未来は、《閃光》に勝るとも劣らない速度で割り込む黒い影が書き換えた。

 

 片手剣上段突進技《ソニックリープ》。

 片手用直剣《エリュシデータ》の黒い形状(フォルム)を包む光は黄緑色。初期で修得できる下位ソードスキルであるために威力は高くないが、平面だけでなく上方向にも使用できるのが特徴だ。

 グリームアイズの横に薙ぐ大剣をキリトが弾き返し、アスナに喰い込むのを阻止する。加えてお手本のようなパリィで敵が仰け反り、発生する一瞬の硬直が成功報酬として支払われた。

 空中を舞ったアスナは硬直から解放され、着地と同時に次の一手を繰り出す予備動作(プレモーション)を開始。膝を深く曲げて左右にステップを踏み、リズムを作って剣技を繰り出す。

 

 細剣上位8連撃ソードスキル《スター・スプラッシュ》。

 親友が魂を込めて作成した《ランベントライト》に宿すのは純白の燐光。連続8回に渡るハイレベル剣技を終える頃には、グリームアイズは身体をよろめかせて1歩、2歩と後退していた。

 アスナの放つ華麗な剣技は人を惹きつける。本人の容姿も要因の一端を握っているが、狙った場所を寸分違わず突く正確無比の技量は、キリトも舌を巻くほどだ。

 2人の猛攻を横目に、《風林火山》はボスの真横を通過する。精神をすり減らし、地面で倒れているプレイヤーに肩を貸して、安全な場所まで避難する段取りを始めた。

 

「大丈夫か?」

「す、すまねぇ……」

 

 《風林火山》の救援に安堵し、助かった、と皆が呟く。グリームアイズの注意をキリト達が引いている今のうちに、素早く距離をとって彼らを転移結晶で離脱させなければならない。自力で動ける者には協力してもらい、彼らの撤退は滞りなく進行する。

 その様子をグリームアイズ越しに見届けたアスナは、ホッと一息ついて胸を撫で下ろした。

 だが、敵から目を逸らすのは戦闘時に推奨されない行為の1つ。彼女の気持ちもわからなくはないが、ボスを目の前にして注意を別に移し替えるのは間違っていた。

 

「アスナッ!!」

 

 キリトの発した、自身の名を叫ぶ声で我に返る。

 眼前に迫るのは、真っ直ぐ突き出されたグリームアイズの左拳。気付いた時には既に手遅れであり、アスナの視界の大部分を覆う程に接近していたため、彼女にはどうすることも出来なかった。

 

「――――っ!!」

 

 勢いよく突き出された拳はアスナの身体を殴打し、後方へと飛ばす。

 地を滑るようにして転がり、ようやく止まると身体を起こそうとする――が、全身を包むようにして不快感が走っているため、今の彼女には顔を歪めてボスを睨むことしか出来なかった。

 そしてアスナの睨みなど気にもとめず、グリームアイズは剣を構える。大きく振りかぶるとオレンジのライトエフェクトが大剣に宿り、彼女を袈裟斬りで叩き潰さんとした。

 

 両手剣上位単発重攻撃ソードスキル《グランセル》。

 プレイヤーが行う場合は両手で剣を持って行うのだが、グリームアイズは《グランセル》を右の剛腕で勢いよく繰り出す。

 うずくまるアスナを見兼ねてキリトは飛び出すが、今からソードスキルの初動モーションを作って迎撃していては遅すぎる。

 

(間に合えっ!!)

 

 彼は自身の持つ敏捷値を限界までブーストし、アスナの身体を抱きかかえてその場を素早く離れる。彼が離れた直後に鈍く重い大音響が響き、スモークをたいたような煙が辺り一帯を白く染め上げた。

 アスナが剛剣の餌食となることだけは回避出来たが、それだけだと合格点とはいかない。両手剣特有の重量を活かした至近距離から放つ渾身の一撃は、直撃せずとも着弾点からの余波で吹き飛ばす威力を誇っていた。空気が振動することで言いようのない圧力が発生し、肌を刺激する。

 

「くっ!」

「きゃっ!」

 

 体勢を崩したキリトは転倒し、アスナは彼の上に覆いかぶさるような状態となった。ソードスキルを使用したグリームアイズには、今頃硬直時間が課せられている筈。ならば1度下がってこの状況をリセットするには今しかない。アスナはキリトに被さっているその身を起こす。

 

「キリト君! 今のうち……に……」

 

 アスナが言葉を詰まらせたのは、視界の端にあるパーティーメンバーの1人、キリトのHPバーが赤くなっているのが原因だった。グリームアイズの拳とソードスキルの余波を喰らったアスナに対し、キリトは余波しか喰らっていない筈。常識的に考えて被ダメージ総量はアスナが上回っているのに、HPの減少率はキリトが上だった。

 

「どういう……」

 

 その答えはキリトの両足が示していた。

 彼はソードスキルの余波に巻き込まれて転倒したのではない。()()()()()()()()()()()()()に、転倒したのだ。そしてキリトの両足首から先が綺麗に切断されており、足を使った移動が不可能であるのを示すバッドステータスが課せられる。彼は自力の歩行による移動が出来ない状態となっていた。

 フロアボスの放つ単発重攻撃ソードスキルとその余波、追加で部位欠損ダメージが加われば、幾ら彼でも命の危機に瀕しない訳がない。

 

「そんな……こんなのって……。いや、まだよ! キリト君、転移結晶ですぐに離脱を――」

 

 突如、2人を覆い隠すような黒い影が迫る。

 硬直から解放されたグリームアイズは、再び剣を握りしめて刃を振るう準備をしていた。標的は勿論、キリトとアスナだ。

 

「アスナ! 君は早く逃げろ!」

「ダメ! このままじゃキリト君が……」

 

 この場から跳び退けば、アスナは一先ず危険から回避できるだろう。だがそれは動けないキリトを見捨てて逃げることであり、そうすればグリームアイズの剣が彼の身体に喰い込むのは間違いない。このまま転移結晶でキリトが離脱するにしても、おそらく転移完了前に殺られるのがオチだ。

 

「なら……私が君を守る!」

 

 彼女が取る選択肢は1つ。迷いや躊躇は微塵もない。キリトが無事に転移完了するまでの間、彼女自身がグリームアイズの攻撃を防ぐ盾になればいい。決意を固めたアスナはボスと向き合った。

 

「ダメだ! それだとアスナが……」

 

 彼女1人だけでは、キリトを守りながらフロアボスと渡り合える訳がない。仮に離脱を決心したキリトが無事に転移したとしても、1人取り残されたアスナの負担が重くなるだけ。迷宮区に出現するモンスターと違い、フロアボスは1人で相手出来る程軟弱ではない。故にキリトはアスナの決意を良しとしなかった。

 アスナはキリトを守るため、キリトはアスナの身を案じてお互い1歩も引こうとはしない。そんな2人のやり取りに終止符を打つため、グリームアイズは剣を上段に構えると、先ほどと同じ《グランセル》で纏めて(ほふ)る準備をした。

 

「キリトォォォォオ!!」

 

 赤い鎧を纏った侍姿の青年が、カタナ上位単発重攻撃ソードスキル《狼牙》で、グリームアイズの背後から奇襲をかけた。

 下段に構えた刀を上段に切り替え、跳躍しながら垂直に振り下ろす。山吹色のライトエフェクトがボスの背中に直線の軌跡を描き、2人に降りかかるであろう災厄を未然に防いだ。

 無事に離脱した一団を見送り、《風林火山》はキリトとアスナの援護にまわる。そこで真っ先に跳び出したのは、デスゲーム初日に出会った情の厚い男――クラインだった。

 

「キリト! アスナさん! ここはオレたちに任せなっ!!」

 

 彼は自身が創設したギルドのメンバー達と共に、グリームアイズを引き付ける役目を担う。ボスは葬り損ねた2人よりも、処刑執行を邪魔したクラインに目を向けた。

 

「良かった……本当に……」

 

 今度こそ危機を脱し、アスナは心の底から安堵した。だが、それはクライン達に移り変わっただけに過ぎないため、本当の意味での安息ではない。

 

「私、クラインさん達の加勢に行ってくる。キリト君は回復するまで待ってて!」

 

 キリトに一言告げると、アスナは身を翻して荒くれ者の怪物が勝手気儘(かってきまま)に暴れる戦地へ赴く。本当なら逃げ出したいであろう心を叱咤し、命の恩人達を危険から救うため、《閃光》は駆け出した。

 1人残されたキリトは匍匐前進(ほふくぜんしん)の要領で安全な場所まで移動し、最初にすべき事として体力の回復を行った。ボスの注意が向いていない今なら焦る必要もないため、高品質なポーションを取り出して中身を口に含んだ。真っ赤に染まっていた視界は本来の色を取り戻し、HPは緩やかに回復し始める。

 出来ることなら部位欠損も治したいところだが、欠損ダメージを回復するレアアイテムが手持ちにはないため、そちらは仕方なく自然回復を待った。

 

(どうする……?)

 

 現状は最悪だ。

 巻き込まれたギルドの一団全員かはわからないが、彼らの離脱援助には成功したと言っていいだろう。だがその次の問題、自分達の離脱が困難を極めていた。

 ボスが繰り出す数多の攻撃は、幅の狭い道だとそのほとんどが射程圏内に入ってしまうため、休む暇もない。こまめにスイッチしてなんとか全員命を繋いでいるが、グリームアイズの攻撃力が高いためにHPの減少が早く、回復アイテムの消費が激しい。

 そしてただでさえ人数が少ないのに、転移結晶で離脱しようものなら、残ったメンバーは確実に負担を強いられるだろう。故に離脱するという選択肢は、あってないようなものだった。

 

(――使うしかない……)

 

 迷っている場合ではなかった。

 

 生意気な自分をいつも気に掛けてくれる侍。

 死神を相手に命のチップを自ら賭けた掃除屋(スイーパー)と剣舞姫。

 自分を庇うようにして悪魔の前に立った戦乙女(ヴァルキリー)

 皆のため、自分には何が出来るのか。

 答えは1つ。

 

 それは、第74層フロアボス《ザ・グリームアイズ》を討伐すること。

 そのために彼が取るべき選択は――――。

 




次回「黒と白の剣乱舞」


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第39話 黒と白の剣乱舞

 

 身体の芯まで響くような重低音を発し、雷鳴の如き悪魔の雄叫びは恐怖を駆り立てる。

 最前線で活躍し続けるアスナ達にとっては最早聞き慣れたものだが、かといって聞いて気分が良くなる効能はない。普段からフロアボスと対峙する機会のない攻略組以外のプレイヤーがこれを耳にしたのなら、間違いなく気圧されて足が竦む。これはフロアボス(クラス)のモンスターが持つ専売特許といっても過言ではなかった。

 各階層を守護し、絶対的覇者でもあるフロアボスの持つこの特権は、おそらくゲーム開発陣が用意した演出の一つなのだろう。扉を開けた先にいる未知のモンスターには、強者に相応しいインパクトが求められる。だからこそ、第1層フロアボス《イルファング・ザ・コボルドロード》から第74層フロアボス《ザ・グリームアイズ》に至るまで、その権利を放棄した例外は一つもいなかった。

 今更雄叫び一つで気圧される軟弱な胆力を、アスナは既に持ち合わせていない。それもそのはず、約2年という歳月の中で実に70体近くの怪物を相手にしてきたのだから、否が応でも鍛えられてしまったからだ。仮想の作り物だとしても、デスゲーム下における異形の化け物を前に凛とした姿勢を崩さず佇むその様は、どう見ても一介の女子高生とは思えない。宿に篭っていたあの頃の自分が未来の自分を見たのなら、きっと腰を抜かして驚くだろう。そんな考えがふと、アスナの脳裏をよぎった。

 

「おめぇら、ぜってぇ一人で先に逝くんじゃねぇぞ!」

『おうっ!』

 

 《風林火山》一同の声が綺麗に重なる。

 アスナは今、一人ではない。ギルドという枠組みは違えど、彼女の傍にはこれまで幾度となく激戦をくぐり抜けてきた、志の同じ仲間がいる。彼らが一緒に戦ってくれるのならば、アスナに怖いものはない。

 ……とはいえ離脱するタイミングが中々図れずにいたアスナ達は、少しずつだが、確実に後ろへ、後ろへと追いやられていく。最初のスタート地点ともいえるボス部屋からは大分遠ざかってしまい、部位欠損で身動きの取れないキリトと分かれた場所も、今となっては遥か彼方。カイトが《血盟騎士団》と《聖竜連合》に討伐隊を編成するよう伝言を任せたコーバッツがあれからどう動いたか、それが気掛かりであった。

 

「にしても、コーバッツの野郎がちゃんと要請してくれてればいいんだがなぁ……」

「……勿論それに越したことはないですけど、私達が優先すべきはこの場からの即時撤退です。一人ずつ順番に離脱しましょう」

「それなら、アスナさんが先に――」

「いいえ。私はキリト君と合流したらカイト君とユキの救援に行くので、最後まで残って切り抜けます。なので《風林火山》の皆さんから先に離脱して下さい。……大丈夫。こう見えて私、悪運は強いんですよ? 今週のラッキーカラーは黒ですから、キリト君に運を分けてもらってますし」

 

 にっこりと笑顔で受け答えするアスナからは不安を感じられず、(むし)ろ彼女なりの冗談を交える様子には余裕を感じてしまう。それは心からの言葉なのか、あるいは心配を掛けさせまいという彼女なりの気遣いなのか。問いただしてみたい気もするが、きっと吐露することはないだろう。クラインは密かに確信していた。

 

 限られた人員とアイテムを駆使して離脱の機会を伺っているうちに、一行はいつの間にやら拓けた場所――――安全地帯まで辿り着いていた。ボス部屋程の広さを有している訳ではないが、迷宮区の狭苦しい道よりは大分マシだ。グリームアイズの攻撃に対するアスナ達の行動パターンも、いくつか選択肢の幅が広がるだろう。

 そして安全地帯に侵入すると同時にグリームアイズが天を仰ぎ、連ねた牙の隙間から藍色の瘴気が漏れ出した。これまでに何度も見た、行動不能(スタン)効果を誘発するブレス攻撃の予備動作だ。各人の眼がその行動を捉えると、皆一様に回避行動をとってその場を素早く離れる。

 跳び退いて誰もいなくなった場所に向かって薄い藍色がかった瘴気が放たれたが、先程まで狭い道幅を覆い尽くしていた瘴気の影は何処にもなく、グリームアイズの目の前だけにブレスが充満する。広いスペースを存分に活かしたアスナ達の回避行動も様々で、側面に回り込む者や背面に回り込む者もいた。全員がバッドステータスを負うことなく終え、アスナはボス戦と遜色ない強い口調で指示をとばす。

 

「皆さん! ひとまずボスとの戦闘はここを拠点に行いますが、離脱出来るチャンスがあればすぐに転移して下さい! タイミングは各自の判断に任せます!」

 

 歴戦の名将直々の指揮だ。背く者は一人としていない。

 現状は皆が四方八方に散っているため、グリームアイズを囲うように円を描いていた。背面に立つ《風林火山》のメンバー数人を先に離脱させるべく、正面から左右にずれたポジションで敵を見据えるアスナとクラインがタゲを取る、というのが最も無難な方法だろう。

 ボスの背後にいるメンバーにクラインが離脱を促し、彼はアスナと共に注意を引き付けるため、駆け出す。

 機動力とレイピアのスピードを重視するアスナと、技のキレに重きを置くクライン。どちらもステータスは敏捷値を優先して割り振っているため、筋力パラメータが相当に高いグリームアイズの斬撃は、通常の剣撃で行うパリィが通用しない。剣でパリィしようとしても、接触した瞬間に押し返されてしまうからだ。実際にクラインは斬馬刀の横薙ぎを刀で受けた際、1秒たりとも踏みとどまれずに払われてしまった。

 故に斬馬刀が振るわれた時、アスナとクラインが取るべきは回避かソードスキルを使用したパリィ。パリィの場合はスイッチで硬直時間をカバーし、イケると判断すれば攻めればいい。ただし目的はあくまで離脱であるため、深追いは禁物だ。

 

 ブレス攻撃後の硬直から解放されたグリームアイズは、次の手を打ちに掛かる。身体の動きから攻撃パターンを割り出すため、アスナとクラインはボスの一挙一動を見逃すまいと集中した。

 熱い目力を向けられながら、グリームアイズは構えを作る。斬馬刀を両手で持ち、地面と水平になるよう保ったまま目一杯後ろに引くと、剣に光が凝集し始める。それはここに来て初めて見せるソードスキルだった。

 

 両手剣重範囲技《ライウォーブ》。

 斬馬刀を水平360度に払うことで周囲の敵を一網打尽に吹き飛ばす、両手剣ソードスキル唯一の重範囲技。システムアシストに引っ張られた悪魔の巨体は優雅に回転し、自身を取り囲むプレイヤー達を巨大な剣で薙ぎ払う。

 全員が散った際、偶然にもグリームアイズを包囲する陣形になったのがマズかったらしい。ボスのAIは囲まれたと判別したため、纏めて蹴散らすのに効率的なソードスキルを選択したのだった。

 

「くっ――――!」

「ぐあぁぁぁぁあ!!!!」

 

 突如繰り出した範囲技の威力は絶大だった。挙動を観察していたアスナをはじめとする数人のメンバーは難を逃れたが、転移結晶で離脱を図った者は無防備に重い剣の一撃を喰らう。転移結晶のコマンドを唱えて街に移動する際、使用者は光に包まれるが、すぐに転移が完了する訳ではない。わずかではあるがタイムラグが存在し、その瞬間を運悪く攻撃されてしまったのだ。

 攻撃を受けたプレイヤーは転移がキャンセルされ、HPが大きく削られる。地面に倒れると結晶アイテムを取りこぼし、ダメージの大きさ故に全身を不快感が襲った。グリームアイズは硬直が解けると振り返り、倒れたプレイヤーに狙いを定めて一刀両断しようと試みる。

 

「せやあぁぁぁぁあ!!!!」

 

 振り下ろされる筈だった右腕目掛け、宙を舞いながら横に一閃。アスナはグリームアイズの横をすり抜けると同時に細剣の単発ソードスキルで攻撃し、ボスを怯ませて攻撃をキャンセルさせた。優美に跳び上がった彼女は両足を柔らかく地面に接地させて着地し、グリームアイズに向き直る。

 レイピアに纏ったソードスキルの残光がアスナの周りで煌めくと、長い栗色の髪と赤と白で構成されたギルドの制服に光が絡みついた。その姿を「美しい」と形容せずになんと言い表せば良いのだろうか。片時も気を緩めてはいけない緊迫した状況にも関わらず、《風林火山》一同は戦場で佇む戦乙女(ヴァルキリー)に見惚れてしまう。

 

「私が時間を稼ぎます! 早く離脱して下さい!」

 

 アスナの張り上げた声で皆は我に返った。

 彼女が窮地を救ったプレイヤーは落とした転移結晶を拾い、アスナに感謝の言葉を一言告げて離脱した。

 まずは一人……だが、まだ一人だ。

 アスナが喰らわせたソードスキルでは、グリームアイズのHPを削るのに十分な威力を発揮しない。しかしタゲを彼女に移すのには十分すぎる役目を果たしたため、青白く輝いている双眸(そうぼう)は真っ直ぐアスナを捉えていた。ボスからしてみれば華奢な身体で無謀にも歯向かう愚者、とでも映っているのだろうか。データの塊にそこまで考える高度なプログラムは組み込まれていないだろうが、彼女を試すかの如く、牙を剥き出しにして恐怖を煽り、騒々しい雄叫びで聴覚と肌を刺激する。

 

 ――グオォォォオ!!

 

 そんな威嚇にも似た行いに物怖じする事はなく、アスナの毅然とした佇まいが崩れることはなかった。

 レイピアを握る右手に今一度力を込め、轟く叫びを切り伏せるかのように剣を払う。それはキリトが剣を鞘に収める際に行う癖と瓜二つで、服の色も姿も武器も違えど、クラインにはアスナとキリトが重なって見えた。当然この場に《黒の剣士》はいないが、姿は見えずとも、アスナは今も心の中でキリトと共に肩を並べて戦っている。

 剣を払ったのはグリームアイズの叫びが耳障りであったため、それを切り伏せたいという心の表れが、動作として無意識に出てしまったからだ。何かにつけてパーティーを組み、キリトと行動を共にする機会を多く取るようになってから、知らず知らずの内に感化されてしまったらしい。そしてアスナもこの動きはキリトがよくやるものだと気付いたため、ほんの一瞬だけ頬が緩んだ。

 

(罪作りだなぁ……キリト君は……)

 

 仮初めの世界で生きる意味を見出す切っ掛けを生み出し、時には衝突し、時には助け合うことで絆は深まっていく。

 

『アスナは変わったね』

 

 アスナが以前ユキに言われた言葉。勿論これは良い意味で、だ。

 一部友人を除いて何者も近付けさせず、尖った針山を周囲に張り巡らせ、常に一定の距離を設けることで自分を守ってきた。そんな刺々しい態度のアスナを軟化させたのは、間違いなくキリトだろう。本人は無意識かもしれないが、些細な種火は少女の心に火をつけ、次第に大きくなって惹きつけた。そして今や彼の癖を無意識に真似てしまうぐらい、骨抜きにされてしまったのだ。

 

 攻略組トッププレイヤー《黒の剣士》不在の穴を埋めるに相応しい戦い方をしよう――――という誓いを胸に抱き、アスナは皆が無事に生き残るための時間稼ぎを決行する。

 そんなアスナの誓いを汲み取って試すかの如く、グリームアイズが戦闘続行の合図を打ち鳴らした。

 初撃は右からの薙ぎ払い。彼女の胴体よりもずっと太い剣は豪快に風を切り裂き、音を鳴らして接近。悪魔型モンスターの風貌が合わさることでかなりの迫力を感じてしまう。

 盾でも装備していれば迷わず受けて剣の進行を止めたくなるだろうが、生憎アスナは盾装備を所持していない。彼女の主武器(メインアーム)である細剣は片手持ちの武器であるため、盾を持とうと思えば持てなくもないが、敢えてそれをしないのはレイピアのスピードが落ちるのを嫌っているからだ。それは彼女の持ち味を殺すと同義であり、デメリットはあってもメリットはない。

 そんな彼女がグリームアイズの攻撃に対して選択したのは、剣よりも姿勢を低くすること。豪剣の一撃は虚しく空を切り、アスナの頭上を通過する。通過した際にシステムが風を引き起こすと、彼女の長く美しい髪を揺らした。

 

「――――っ!」

 

 風を切る音に掻き消されながらも、アスナは短く息を吐き出し、利き足に体重をかけると疾駆する。そんな彼女を近付けまいと、グリームアイズは剣を完全には振り切らずに切り返し、再度横に薙いだ。これには流石のアスナも予想外だったらしく、目を丸くして驚きを露わにする。今まで両手剣を使うモンスターやフロアボスとは幾度となく剣を交えたが、グリームアイズはそれらとは異なり、従来の動きとは違うカスタマイズが施されているようだ。

 予想外の行動に驚きはしたが、対応出来るのかと問われれば《Yes》だ。アスナは浮き上がらせた身体を再び沈め、切り返された剣をもう一度回避する。移動速度を緩める事はせず、足元まで一直線に駆け抜けて股下をくぐり、通過する際は申し訳程度の一撃をレイピアで一閃した。

 通り過ぎた後は脇目も振らずに走り抜け、ボスの攻撃が届かない場所まで距離をとってから振り返る。普段は大人数でフロアボスと戦闘するために分からなかったが、たった一人で挑むのがこれ程までに重圧(プレッシャー)の掛かる事だと今更ながら知った。50層ボス戦のヒースクリフは単独で10分間耐えたという伝説を持つが、アスナは今、身を持って実感する。

 

(団長はこの感覚を10分も……)

 

 改めて所属ギルドのトップがどれだけ規格外の力を持っているのか、彼女はたっぷりと思い知らされた。

 アスナは背中を向けているグリームアイズから少し視線を逸らし、《風林火山》の状況を確認した。ポツポツと至る所で光って消えていることから、順調に皆転移しているらしい。残っているのはクラインだけだが、彼はギルドリーダーとして最後まで残り、メンバー全員の離脱を見届けてから脱出するのだろう。

 ならばもう少しでアスナの役目は完遂され、残る問題は自分自身がこの場をどう切り抜けるかだけだ。しかし大見得を切って「大丈夫」と言ってはみたものの、今に至るまで彼女の頭脳でも妙案が浮かばず、只々時間ばかりが過ぎていく。

 

 そんなアスナの気苦労もなんのその。頭を捻って考える余裕を与えず、ゆっくりとグリームアイズが振り返ったため、戦闘再開となった。

 青い巨体が彼女に近付き、右腕一本で繰り出すのは上段からの垂直切り。アスナは接触する一歩手前まで剣をその目で捉え続け、身体を半身にすることで回避した。剣との距離は数十センチ程度のものであり、タイミングを少しでも誤れば直撃は免れなかっただろう。

 視線を刃からボスに移して次の行動に移ろうとした時、嫌な予感などというオカルトめいた《超感覚(ハイパーセンス)》がアスナの脳に危険信号を促した。理屈や根拠のない直感など普段はアテにならないものだが、こういったギリギリの状況(シチュエーション)の最中は中々馬鹿にできないものだ。そこから大きく後ろに跳躍すると、彼女が刃を回避した場所目掛けて固く重い拳の一撃が振るわれていた。あと一瞬でも遅ければ、間違いなく今頃アスナは顔を歪ませていただろう。

 

 全く、冗談じゃない――と、彼女は心の中で誰にでもなく悪態をついた。

 アスナが攻撃してもボスのHP減少量は微々たるもの。回避は常に紙一重で、もし一撃喰らえばその労力に合わないHPを代価として支払わなければならない。

 それに対してグリームアイズはどうだろう。剣でも拳でも数回直撃すれば、あっという間にお陀仏だ。幸いスピードタイプではないので剣撃を当てる事自体は難しくないが、剣をその身に喰らったところで痛くも痒くもない防御力を備えている。屈強な体躯を誇示しているのは避ける必要などないと、暗に示しているかのようだ。

 

「――ふぅ……」

 

 バックステップで十分な視野を確保し、アスナは一息だけついた。

 彼女の持つ《ランベントライト》と同じくらい鋭く研ぎ澄まされた集中力と、一撃たりとも喰らってはいけないという使命にも似た緊張感。どちらも強く主張せず、程よいバランスを保ちながら絡み、混ざり、溶け合っていく。そんなアスナにもたらされた恩恵は、これまで味わったことのない不可思議な感覚だった。

 集中すべき対象はグリームアイズ一体のみだが、これまでの狭まった視野とは異なり、ボス以外の視覚情報も存分に取り入れるだけの余裕が生じた。

 

 異界感溢れるオブジェクトの種類。

 今立っている安全地帯から伸びている道の数と、視認出来るその先の景色。

 道の先から接近してくる遠方の黒い影。

 

 これまで脳が戦闘で無駄だと切り捨ててきた莫大な情報を、アスナは苦もなく受け入れている。普段のアスナなら気が散っていると感じてしまうだろうが、不思議とそうは思えず、寧ろ心地良くていつまででも智覚していたいという感想を抱いていた。

 刹那の間感慨に浸っていると、グリームアイズは地を揺らして音を響かせながら、アスナの元に向かって剣で葬り去ろうとする。大剣を高々と持ち上げるその様は文句無しの威圧感を放ち、心臓に悪い事この上なかった。

 しかし心配はいらない。焦る必要は微塵もない。グリームアイズの脇目から覗く赤い光芒の(またた)きは、彼女の心に安心という名の贈り物を授けてくれたからだ。

 

「でやあぁぁぁぁあ!!」

 

 片手剣上位単発重攻撃ソードスキル《ヴォーパル・ストライク》。

 颯爽と現れた黒衣の剣士は右手を力強く突き出し、携えた漆黒の剣で群青色の体躯に不意打ちと衝撃を与えた。技後の隙が多く使い所が難しいソードスキルだが、片手剣にしては珍しく長いリーチと高い威力を誇っているため、キリトが好んで使用するソードスキルの一つだ。

 命中して喜びに浸る暇も、グリームアイズの叫びに聞き入る暇もない。硬直が解けると同時に背中側から正面に回り込み、キリトはアスナの一歩前に立つ。

 

「遅れてごめん、アスナ。でも、もう大丈夫だから」

 

 これ以上なく頼もしい援軍の到着は、アスナにとって非常に心強かった。『英雄(ヒーロー)は遅れてやってくる』と誰が最初に言ったのか知らないが、なるほど、と妙に納得して頷いてしまう。その言葉が最も当て嵌まる瞬間が、まさに今だった。

 

(――もう……格好良すぎるよ……)

 

 絶妙なタイミングで助けに来てくれたキリトの後ろ姿は逞しかった。アスナを守るようにして前に立つ姿は勇ましく、身体の線は細いのに背中は大きく見える。言葉と行動は全て彼が無意識でやっていることだが、それらは彼女の熱い想いを更に燃え上がらせる原因となった。

 トクン、と胸が小さく脈を打ち、彼女の中にある恋心はより強固なものへと変貌する。一体彼はどこまでアスナを夢中にさせるのか、恋のパラメーターに限界はないのだろうか。アスナは空いている左手でぎゅっと胸の辺りを掴んだ。

 

 そんな彼を見て、ふとおかしな点がある事にようやく気付く。背中に背負っているのは剣を収める鞘だが、《エリュシデータ》の物とは別にもう一つ、違うデザインをした鞘がそこにはあった。そしてその次にアスナが注視したのは、キリトの左手に握られている見慣れない剣だった。

 黒で統一された重い印象を与える《エリュシデータ》とは対局の位置、透き通るような美しさを秘めた青白色の片手用直剣――――《ダークリパルサー》。清涼感溢れる薄い刀身はワンハンド・ロングソードとしてみると少々華奢な気もするが、キリトは重い剣を好む傾向にある。つまり決して軽い剣ではなく、見た目に反する重みを持った剣なのだろうとアスナは察した。

 

 更にもう一つ気になる点があるとすれば、先程グリームアイズに放ったソードスキルの事だ。

 厳密にはソードスキルそのものではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。キリトは突撃する際、既に黒剣と白剣の二本を携えて迫っていたのをアスナはその目で確認している。両手持ちの剣は兎も角、片手用の剣を両手に装備した状態ではシステムにイレギュラー装備状態とみなされ、ソードスキルの発動は出来なくなるのがこの世界の法則だ。しかし剣はライトエフェクトを帯びてキリトの身体を加速させ、グリームアイズに与えた剣尖(けんせん)のダメージと苦痛の叫びは、システムがソードスキル発動を認可した動かぬ証拠。

 それこそがエクストラスキル――――正しくはユニークスキルに該当する、《二刀流》スキル保持者のキリトが授かった特権の一つだった。

 

「キリト君……今のは一体……?」

「エクストラスキル……《二刀流》の恩恵だよ」

 

 そう言ってキリトは両手に剣を持ったまま、自然体の構えを作った。おそらくこれまで人目を避け、地道にフィールドや迷宮区のモンスター相手に熟練度を上げていたのだろう。二刀を携えたキリトの姿をアスナは初めて見るが、その構えは決して急ごしらえではないのが伺えた。本人がいつ《二刀流》スキルを獲得したのか定かではないが、今までのボス戦で使用しなかったのは何らかの理由がある筈だ。まだ十分使いこなせていない、熟練度が心許ない、あるいは別の何か……。

 構えを崩さずにグリームアイズを見据えながら、キリトは背後のアスナに言葉を投げ掛ける。

 

「気になる事はあるだろうけど、説明は後だ。終わったらちゃんと話す。だから今は、こいつを倒すのに集中しよう。少しでいいから……アスナの力を貸してくれ」

「――うん」

 

 二つ返事で快く了承してくれたアスナの顔を見ずとも、キリトは彼女が今どんな表情をしているのか手に取るように分かった。

 人付き合いの苦手な彼にとって、数少ない友人。その中で自分と対等に立ち、背中を任せられる相手となるとかなり限定される。その貴重な人材な中でも、彼女だけが特別輝いて見えるのは何故だろうと、キリトは自分に疑問を投げかけてみた――――が、わざわざ答えを探すまでもない。既に答えは用意されているし、考えるのは時間の無駄というものだ。

 この短時間でそんな自問自答が行われていたとは露聊(つゆいささ)かも思っていないアスナに指示をとばすため、キリトは気を引き締め直す。

 

「アスナ。君が突っ込んで、パリィからのスイッチに繋げてくれ。その後は全部、オレが片付ける」

「ううん、それじゃダメだよ、キリト君。私にも最後まで戦わせて」

「いや、でも――」

「『でも』じゃありません。放っておくとキリト君は無茶するから、私がしっかり手綱を握らないと。今の私は凄く調子がいいから、なんでも出来る気がするの……勿論、キリト君となら尚の事、ね」

 

 振り返ったキリトに対し、アスナは可愛らしく片目を瞑ってウィンクで応えた。ただでさえ『キリト君となら』の一言でさも自分が彼女にとって特別な存在なのだと勘違いしてしまいそうなのに、その上美人からのウィンクはキリトに追い討ちをかけてしまう。きっと本人は無意識だろうが、こんな可愛らしい仕草を向けられて何も思わないのは男じゃない。キリトの顔が熱を帯び、慌てて顔をアスナからボスに逸らした。無自覚に異性のハートを撃ち抜くシステム外スキルは、キリトだけでなく、アスナも所持しているらしい。

 そんな彼の行動に微塵も違和感を感じていないアスナの表情は、瞬く間に真剣な面持ちに変化した。勝つために、生きるために、彼から重要な役目を任されているのだ。アスナの性分としては、寄せられた期待は完璧に応えたい。

 

 そしてアスナはキリトを追い抜き、駆け出す。巨大な質量を持った剣が眼前に迫るが、彼女の振るったソードスキルが剣の腹を正確に捉え、弾いた。一先ずは第一段階が成功し、わずかではあるがグリームアイズに硬直時間が課せられる。

 

「スイッチ!」

 

 予め取り決めてはいたが、声に出すことでよりジャストなタイミングでスイッチをし、アスナは後退、キリトは前進して場所を入れ替えた。硬直を課したとは言うものの、それは極短い時間であるため、すぐに詰めなければ隙は容易に逃げていく。グリームアイズの反撃を貰わない針の先のような須臾(しゅゆ)を狙い、発声と同時に立ち上げた彼のソードスキルが炸裂する。

 

 二刀流突撃技《ダブルサーキュラー》。

 まずは右手の《エリュシデータ》を左斜め下からボスに喰らわせようとするが、剣の進行を大剣が阻むことで防御されてしまった。しかしそこは何も問題ない。元々彼の突撃技は二段構えであるため、防がれたとしても、コンマ一秒遅れで襲いかかる左の剣が敵のHPを削りにかかる。案の定左手で握った《ダークリパルサー》が大剣に弾かれないよう、滑り込むようにしてグリームアイズの脇腹を直撃した。後発の剣撃一発だけでHPが大きく減少したが、出来ることなら二発共クリーンヒットさせたかったなぁ、という欲深い声を、キリトは内心だけで呟く。

 続けて別の剣技を繰り出したい気持ちをグッと堪え、キリトはバックステップで距離をとる――――が、やられっぱなしで逃がす訳にはいかないというボスの意地でもあるのだろうか。仰け反っていた身体を戻し、グリームアイズは左拳で正拳突きを繰り出した。

 突き出された幅広の拳を回避するため、キリトは二刀を横に振りかぶり、攻撃が身体に接触する手前で思い切り剣を叩きつけて拳の軌道を逸らす。念のために剣をヒットさせた瞬間、自身も横に跳ぶことで完璧な回避が叶った。その後は剣を杖のように地面に突き立て、身を翻して体制を整える。

 彼が横に跳んだために、キリトとアスナとグリームアイズを頂点とする正三角形の立ち位置が形成された。

 

(さて――)

 

 次の一手はどうしようか、などとキリトが思考を巡らせていると、左手側にいるアスナと視線が絡んだ。彼女の瞳に闘志が燃え上がっているのを確認し、キリトの微笑した顔が静かに上下する。折角彼女のやる気が満ち溢れているのだ。アスナにサポートばかり押し付けてフラストレーションを溜め込まれるよりも、ここはいっその事思う存分暴れて発散してもらおう、と。

 キリトがここに到着した頃、アスナの顔に焦燥の色は見受けられなかった。加えてボスを前にして「調子がいい」という頼もしい一言まで添えられている。もしもの時は手を出すが、ここは一つ、アスナに任せてみようとキリトは考えた。

 

「――ふっ!」

 

 そんな彼の心を読んだのか、アスナはほんの一瞬だけ腰を落とすと短く息を吐き出し、地面から数十センチ上を滑空する。敏捷パラメータ全開で疾走したため、ボスとの距離を縮める時間は然程必要なかった。あっという間に肉薄する。

 手始めに繰り出すのは彼女の二つ名《閃光》を象徴する光速の突き。キリトですら目で捉えられない剣先は光の帯を描き、ボスの腹部に命中した。

 そして単独で向かってきたアスナに反撃するため、グリームアイズは剣を高く掲げると半円を描きながら切り上げで迎撃する。それに対してアスナは動きを最小限に抑え、ギリギリの間合いで刃を躱した。今のを見ていたキリトは焦りを感じて飛び出そうとしたが、どうもいらぬ心配だったらしい。

 

「いやあぁぁぁあ!」

 

 気合い一閃。

 一秒にも満たない時間に繰り出す剣技は、光速の《リニアー》。

 一撃で終わらずに素早く突き出した剣を引き戻し、すぐに次の《リニアー》を放つことで生まれるのは、アスナの右手を起点にした数多の細い流星だった。

 中位もしくは上位のソードスキルは硬直時間が長いので、肉薄している今の状況では簡単に反撃を喰らうから適していない。ならば威力は低くとも数で与ダメージを補うため、冷却時間(クーリングタイム)が最も短い基本ソードスキルでHPを減らしにかかる。

 だが、そんな流星群をいつまでも続ける気は毛頭ない。グリームアイズの攻撃を避けた直後に生まれた微々たる時を有効活用しただけに過ぎず、一度攻撃を中止するとボスの剣を回避するために備えた。

 縦・横・斜めと、あらゆる角度からグリームアイズはアスナを狙って剣を振るうが、彼女は慌てず、落ち着いて回避行動をとる。遠目から見れば掠っているのではないかと疑うような間合いだが、キリトのパーティーメンバー《Asuna》のHPバーは一向に減少しない。つまり彼女は紙一重でボスの斬撃を避けていることになる。

 

 盾無しの軽装装備である彼と彼女は受ける一撃の重みが大きい分、回避能力は優れている。だがそれは他のプレイヤーと比較して『多少は』というレベルの話なだけで、モンスターの攻撃全てを完璧に躱すのは不可能に近い。故にどうやっても躱せない攻撃はパリィで凌ぐか、あるいはダメージを最小限に抑えるため、直撃を避けるような体捌きをするのが定石だ。

 だからこそ、キリトはアスナの動きに驚愕していた。グリームアイズの剣と拳を一度も受けずに躱し、果てには反撃までしているのだ。幾らキリトでも、やれと言われてすんなり出来る自信はない。

 

 二十撃目を躱した瞬間、突如アスナは肉薄していた状態から後ろに大きく跳躍し、十分な助走が可能な距離を確保する。そして地に足が着いたと同時にソードスキルを立ち上げると、彼女の身体は文字通り《閃光》そのものとなってグリームアイズに襲い掛かった。

 

 細剣最上位ソードスキル《フラッシング・ペネトレイター》。

 ソニックブームを連想させる轟音を響かせながら、アスナは彗星そのものとなって極太の光る帯を宙に描く。瞬時に距離を詰めたレイピアの剣尖を斬馬刀で防ぐ暇もなく、悪魔の巨体は驚くほど簡単に吹っ飛んでしまった。

 絶叫と共に減少するボスのHPバーも、コーバッツ達をはじめとした度重なるダメージの蓄積により、四段あるうちの半分――――二段目に突入した。切迫した状況の中、ここまで敵のHPを減らしたのは称賛に値するが、それでも道はようやく折り返しに入ったばかり。気を休めるにはまだ早い、が――。

 

(イケる……!)

 

 ――それは予感というよりも確信に近かった。どういう理屈かはキリトもわからないが、今のアスナは極限の集中状態となっている。フロアボスにだって止めることなど出来はしない。ならばここで身を引いて脅威を先延ばしにするよりも、ベストな状態を保っている彼女と共にこの場でボスを討つのが良いと、キリトは判断した。

 

「アスナ!」

 

 覚悟を決めたのなら、あとは行動に移すだけ。気高い彼女の名を叫ぶと、それに反応したアスナは剣技の合間に視線を走らせる。了承の返事をする必要はなく、既に駆け出しているキリトと瞳を交わせば事足りた。

 今度は発声なしでスイッチし、二人の位置が入れ替わる。ボスの両手持ちで行う筋力パラメータ全開であろう渾身の一撃は、スイッチ直後のキリトに容赦なく襲いかかった。

 回避の選択肢はこの時なかった。避けたとしても次の挙動がすぐに向かってくるので、大技を繰り出すために必要な敵の絶対的隙は生じない。ならば無理矢理にでも作り出すのが最も手っ取り早い方法であるため、キリトは迷うことなく二刀を交差させ、十字を形成する。それは彼が得意な弾き防御(パリング)の二刀流版だった。

 

 二刀十字の交点とグリームアイズの切っ先が衝突し、鍔迫り合いとなる。しかし結果はキリトの勝利となり、彼の数倍もあるボスの体躯が面白いように弾き返されて仰け反った。加えて通常のパリィと比較し、グリームアイズには強制的な硬直時間が長めに与えられるが、これは《二刀流》スキルの特徴、武器防御ボーナス1.5倍の恩恵だ。

 力比べで惜敗したグリームアイズと競り勝ったキリトは静止するが、一瞬の静寂の後、彼は自身の誇る《二刀流》上位剣技を放つために必要な初動モーションをとった。両手の剣に薄っすらと光が纏ったかと思えば、それは瞬く間に輝きを増す。彼がこれから放つ高速の連撃技を止める術など、最早ありはしない。

 

 二刀流上位十六連撃ソードスキル《スターバースト・ストリーム》。

 初撃は右の剣で中段切り。続いて左、一回転して右、少し遅れて左の剣で切りつける。回転した勢いを殺さずさらに追加で切りつけると、今度は二刀を上段からクロスさせ、そこから同じ軌跡を描くようにして下段から切り返した。

 

 ――グオォォォォォォオ!!!!

 

 これまで以上の絶叫をあげるボスの声が耳を(つんざ)くが、それは全ての剣技がクリーンヒットしている証だ。一度発動したソードスキルを止めるなどという野暮な事はせず、システムに従った動きをひたすらに続ける。

 グリームアイズのHPが猛烈な勢いで減少するが、HPの減少はキリトにも言えることだった。キリトが剣技を繰り出している間、硬直の解けたボスは反撃に転じ、殴る、切るで応戦する。どちらが先に倒れるか、我慢比べの勝負だった。

 《二刀流》の上位ソードスキルは圧倒的な連撃数と火力を誇る一方、スキル終了後の硬直時間が従来のものより恐ろしく長いのだ。HPを削りきれなかった時は勿論の事、先にキリトのHPがゼロになっては元も子もない。

 

(まだだ……もっと……もっと速く!)

 

 それならば、剣技の速度を加速させればいい。

 システムアシストだけに頼るようでは競り勝てない。なのでスキルのモーションを妨げないよう、自らの動きを意識して上乗せし、スキルの加速と威力の上昇を図った。これはプレイヤーが生き抜くために必要な技術の一つだ。

 その意志に呼応し、キリトの動きはみるみるうちに加速するが、本人はそれだけで納得しない。まだ上がる……もっと速く、システムの引き出す限界値を超え、その遥か先に辿り着けると信じて――。

 十六連撃最後の技を放つため、気合いのこもった声で左の刺突を叩き込む。ボスも斬馬刀で同じ刺突を繰り出し、二つの剣が交錯した。

 星屑の剣舞がもたらす輝きは消え、あれだけ五月蝿かったボスの声が止み、剣を交えた両者は硬直する。物音は一切聞こえず、辺り一面を不気味な静けさが包み込んだ。だがそれも束の間、キリトの目の前にいる悪魔の身体が輝き出し、膨大な光を撒き散らして消失する。

 それが決着を知らせる合図だった。キリトの眼前には獲得したアイテムとコル、さらにLAで得たユニーク品が表示されている。勝利を祝うシステムからのメッセージをみて、彼はやっと実感が湧いてきた。

 

(終わった……)

 

 右端まであったHPバーが危険域(レッドゾーン)入り口まで減少しているのを、チラリと目線だけ動かして確認する。その後突如訪れた虚脱感が全身を包み、二刀流の黒い剣士は力なく膝から崩れ落ちた。

 




いつもは地の分:会話文=7:3ぐらいを目安にしていますが、今回は構成を変えて9:1にしてみました。

少し前の活動報告に載せましたが、次話の投稿には間隔が空きます。


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第40話 二人と一人の攻防戦

お久しぶりです。当初の予定通り、約1ヶ月ぶりの更新となります。


 冷や汗が背筋をなぞる――。

 

 ある筈のない偽の心臓が早く鼓動を打ち、耳障りな程に五月蝿く感じる――。

 

 強い緊張状態にあるカイトとユキは、目の前で隙あらば命を奪おうと画策する死神のような男と剣を交え、距離をとる度に、自身がまだこの世界にとどまっている事を再確認した。

 羽のようにふわりと柔らかい身のこなしで躱し、あるいは刃の広い包丁で防ぎ、捌き、システムに頼らない己が年月を掛けて磨き上げた体術で殴り、蹴る。それがPoHの持つ実力の一端だった。

 

 PoHの実力が高いことは既知であるが、それは所詮人づてに聞いた話であって、実際にこうして対峙し、剣を交えて争うのは2人にとって初めてだ。なぜなら彼は表舞台に出ず、スポットライトを積極的に浴びるような事はしない。基本的には裏から糸を引く脚本家であり、ゲーム感覚で殺しを愉しむ演者は、ジョニー・ブラックやザザの場合が多かったからだ。

 仮に表舞台に出たとしても、PoHは実力を発揮しない。決して本気で相手せず、遊び感覚で剣を振るか、システムの穴を使ってジワジワといたぶる。彼の恐ろしいところは本当に命を失う可能性を秘めたデスゲームでさえ、『たかがゲーム』と完全に割り切っているところだった。

 

(このっ……)

 

 不規則に鳴る甲高い金属音。

 ぶつかる度に散る真紅の火花が幾度となく明滅を繰り返し、現在戦闘を繰り広げている彼ら2人の顔と剣を一瞬だけ照らす。この戦闘内だけで何度目なのか、数えるのも億劫だった。

 鍔迫り合いのままカイトとPoHの瞳が交わると、眼前の死神は口元を歪めて微笑した。

 

「あんた、この状況でよく笑えるな」

「Oh,sorry。久しぶりにエキサイティングな獲物と出会えたからつい、な」

「まぁ、喰われる気はないけど……ねっ!」

 

 剣を押し出すと同時にカイトは後退するが、それは彼女の邪魔にならないよう場を譲っただけ。直後に横からユキが蹴り技をPoHに見舞った。

 

「やあっ!」

 

 右足を高くあげるとPoHの上半身目掛け、上段蹴りを繰り出す。しかしポンチョに身を包んでいるPoHの身体に当たる直前、彼はユキの足首を左手1本で掴み、蹴り技を無効化した。

 

「えっ、ちょっ……わわっ!?」

 

 PoHは掴んだ足を離さず、そのまま時計回りに回転。遠心力でユキの身体は宙に浮き、そのままぐるっと大きく一回転すると、カイトのいる方向へ思いっきり投げ飛ばした。

 

「なっ――」

 

 後退したカイトに向かって、ユキは真っ直ぐ投げ飛ばされる。自身に飛来する彼女を避ける訳にもいかず、すかさず両手を広げて受け止める体勢に入った。

 

「どわっ!」

「きゃっ」

 

 胸に飛び込んできたユキを受け止め、左腕でしっかり抱き寄せた。だが勢いの乗った彼女に押されてよろけ、数歩分後ろに下がる。加えて衝突した際の衝撃で、HPがわずかながら減少した。

 

「ユキ、大丈夫か?」

「う、うん。なんとか……」

「――って、やばっ!」

 

 PoHの動きはまだ終わっていない。

 ユキを投げ飛ばした後に少し遅れて駆け出し、ソードスキルを始動。短剣中位4連撃ソードスキル《セイクルエッジ》で、重なった2人諸共切り刻みにかかった。

 

「下がれ!」

 

 抱きかかえていたユキの腕をとって無理矢理背面に回り込ませると、ソードスキルの予備動作(プレモーション)を開始する。目には目を、歯には歯を、4連撃には4連撃を――――。

 《セイクルエッジ》に対抗する彼が選択したのは、片手剣垂直4連撃ソードスキル《バーチカル・スクエア》。PoHの放つソードスキルを迎え撃つため、システムアシストを妨げない程度に技の軌道と速度を微調整する。

 しかし、それは相手にも言えたこと。PoHもカイトと同じ行いをすることで、ソードスキルに微妙な変化を加えた。その結果、最後の4撃目が両者の身体に喰い込み、双方共にダメージをもらう。

 

『ヒール!』

 

 HPの減少したカイトとPoHは、同時にコマンドを唱えることで瞬く間に回復する。しかし、PoHはカイトの取った回復行動に違和感を覚えた。

 

「……そいつはどういう事だ?」

「敵に手の内を教えるわけないだろ。知りたいなら当ててみなよ」

「……OK。ならじっくり調べさせてもらうぜ」

 

 そう告げると、PoHは包丁を下段に構えて加速した。仕掛ける気だろう。

 

「選手交代」

「任せてっ!」

 

 カイトの背後にいたユキが飛び出し、PoHの切り上げを中段からの切り払いで迎え撃つ。包丁の腹をタイミング良く正確に打ち抜くことで、彼の剣は大きく後ろに弾かれた。

 ユキは払った剣を切り返してガラ空きの胴体を切りつけようとしたが、PoHの剣がライトエフェクトを帯び出したのに気が付き、攻め入るのを中断。回避行動に意識を割くよう、頭を切り替えた。

 

 その直後にPoHが繰り出したのは、《短剣》と《体術》の複合剣技《メテオサイクロン》。

 右から左の水平切りを繰り出すと、手首を返して初撃の軌道をなぞるように切り返す。もう一度同じように水平切りで攻撃するが、今度は切り返さず、タックルで体勢を崩しにかかった。

 1.5往復の水平切りはユキにとって予測の範疇であったため、こちらは難なく躱すことが出来た。だが彼女にとって予想外だったのは、その次に繰り出したタックルだった。

 

(踏み込みが――)

 

 タックルを喰らう前に距離をとって攻撃範囲外に逃れようとしたが、PoHの繰り出した技の移動距離がユキの予想以上に大きかったのだ。

 隙を埋めるために繰り出した体当たりにより、ユキは強く押し出され、体勢を崩してぐらつく。そこへすかさずPoHはその場で回転して生まれた遠心力を上乗せし、《メテオサイクロン》の終撃――――豪快な袈裟斬りで切りつけた。

 

「うっ――」

 

 左肩から斜めにダメージエフェクトが散り、たった一撃にしては不釣り合いなダメージ量だった。彼女は思わず歯を噛みしめる。

 そこでユキの左耳が、ヒュンッ、という風を切る音を捉えた。耳元を掠めたのではないかと疑う程近く、はっきりと聞こえた音の発生はカイトが起こしたもの。彼の投擲したスローイング・ピックがPoH目掛けて空気を切り裂きながら進み、フードの奥に潜む彼の顔を傷付けようとしたのだ。

 

「おっと」

 

 急遽飛んで迫ってきた銀の弾丸に対し、焦ることなく《友切包丁(メイト・チョッパー)》の腹で防ぐ。だがカイトの攻撃はそれだけで終わらず、今度はユキの右耳から風を切る鋭い音が聞こえた。

 彼女の右肩付近からPoHに向かって真っ直ぐ剣が突き出される。肩口を貫かんと剣先が伸びるが、PoHは後ろに大きく跳んで貫通するのを未然に防いだ。しかし完全に避けた訳ではなく、わずかに掠めたため、赤いエフェクトが微量ながら散るのが見られた。

 

「ヒール」

 

 カイトは左手でユキの背中に触れると彼女を全快させ、自分はポーションを口に含み、彼女の回復に使用したHPの減少分を補う。

 

「ユキ。オレが左手でサインを出したら、ソードスキルで突っ込んでくれ。遠慮はいらない」

「わかった」

 

 小さな声で一言呟くと、カイトはPoHに追撃を試みるために駆け出す。

 一方、PoHも彼の攻撃に対抗するために剣を振る。両者上段から振り下ろした斬撃が衝突し、美しい灯火が点いた。

 

(回復は自分に限らず、他の奴にも使える。だが結晶を使った形跡はねぇ……何かのスキルか?)

 

 見たことも聞いたこともない未知のスキルの正体を探るため、少しずつ提示された情報を元に、PoHは推論を頭の中だけで展開した。

 魔法のないSAOで使える、アイテムを用いない唯一の回復スキルとして《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルが存在する。だがあれは10秒毎に一定量のHPを回復するだけであって、カイトがやったような瞬時に全快させる機能も、熟練度を推し進めることで得られる派生機能(モディファイ)も確認されていない。ならばそれとは全くの別物――――新種のスキルと結論づけた。

 

 そしてPoHがあれこれと思案しているとは露知らず、カイトは猛攻する。その最中、彼は左手をPoHから見えないように腰へとまわし、親指と人差し指で円を作った。

 ハンドサインを確認したユキは初動モーションを作り、短剣中位突進技《ラピットバイト》で突撃する。急加速した彼女は剣を突き出し、剣撃の応酬を繰り返している2人に向かって突っ込んでいった。

 一方、PoHと対峙しているカイトは背後で発生したソードスキルの起動音を耳で捉え、反響する音の近さで彼女との距離を感知し、ギリギリまで引きつけて身を翻す。

 

「――――っ!」

 

 カイトとの戦闘に集中していたPoHにしてみれば、死角から突然ユキが姿を表したようなもの。少年の背中で隠れていた少女を視認出来なかったため、驚くのは無理もない話だった。

 カイトは《ラピットバイト》を(すんで)の所で躱し、仕掛けたユキの突進技が磁石のようにPoHの身体へ引き寄せられる。防御も回避も間に合わないタイミングは、『絶妙』の一言に尽きた。

 閃く剣尖(けんせん)は敵の胴体に深々と刺さり、衝撃と共に大きく突き飛ばす。受け身をとって身を翻したPoHは素早く立ち上がると、眼前に佇む2人1組のプレイヤーに対し、さも満足そうな笑みを浮かべ、評定を下した。

 

「Good。……80点だ」

 

 PoHの表情に焦りは未だ見受けられない。彼に一泡吹かせるには、まだまだ追い詰める必要がありそうだった。

 そして今度はユキが先行して仕掛ける。短剣の攻撃範囲内まで接近すると腰を落とし、足を刈り取るようにして右から一閃。PoHはその場で高く跳躍して回避すると、真下にいるユキの頭部を垂直に切りかかった。

 

「くっ――」

 

 彼女は躱されて振り抜いた剣を引き戻し、水平にして剣撃をガードするが、振り下ろす力に重力を加えた一撃は、腕に重い衝撃を与える。それは軽量武器の短剣とは思えない程であり、彼女の使用する《カルンウェナン》の丈夫さ(Durability)が未強化だった場合、確実に折れていただろう。

 剣がぶつかった際に生まれる一瞬の硬直を狙うため、待機していたカイトがPoHに突撃。左から右への一閃はあえなく回避されたが、上手くユキとスイッチする切っ掛けを作ることが出来た。そのまま自然な流れで交代する。

 

(今のうちに……)

 

 カイトが切り合っている間、ユキは何もしないかというとそうでもない。助走をつけて駆け出すと、迷宮区に設置された高さのあるオブジェクトに突進する。そしてぶつかる数メートル手前で跳躍すると、彼女は射角90度の絶壁ともいえるオブジェクトの表面を走る、いわば《壁走り》で垂直方向に駆け昇った。

 オブジェクトを昇っている最中、チラリと顔を下に向けて戦闘中の2人を見やる。位置を目視で確認して地上から10メートルの高さまで到達すると、壁面を強く蹴って落下を開始した。

 

(ひえっ……)

 

 よくある話だが、同じ高さでも下から見るより上から見ると、存外高低差を大きく感じるものだ。恐怖を煽られて少々やり過ぎたと後悔の念が込み上げるが、既に彼女は万有引力に引かれながら宙を舞っている。後戻りはとうに出来ない段階なので、恐怖を振り払って剣を構えた。

 落下地点から歩幅1歩分離れた先にいるのはPoH。先程彼から喰らった重い剣撃を参考にし、遥か上空からの重力を加えた奇襲攻撃で意表を突きにかかったのだ。

 

「せやあっ!!」

 

 奇襲は成功。

 カイトの足止めも相まって、飛翔した彼女の鋭い剣撃がPoHの肩口から入り、切り裂いた。彼女の力と武器本来の攻撃力、落下による力が合わさった斬撃は、通常攻撃にも関わらずPoHのHPを大きく削る。着地の際にユキ自身のHPも高さに比例した落下ダメージをもらうが、微々たるものなので気に留める程でもなかった。

 

「チッ……」

 

 舌打ちを一つ。

 詰め将棋のように一手ずつ進めることで、ジリジリと追い詰められていく感覚。普段は自分が獲物に対して与える重圧(プレッシャー)を、今回は自分が受けていることに焦り――――とは違うが、PoHは精神的な不快感を覚えた。

 そしてPoHの打った舌打ちの音はカイトとユキの耳にも届き、これまでの余裕はもう彼の心中にはないことを悟る。ここで畳み込まずにいつ動くというのか。選択肢はない。

 

「やあっ!」

 

 電光石火で駆けるユキは、勇猛果敢に攻め入った。

 PoHとの距離が縮まって射程圏内に入った所で、剣を引いて構えを作り、短剣基本ソードスキル《スラッシュ》で切りかかる。

 PoHは上体を反らすことでこれを難なく回避するが、ユキにしてみれば当たろうが躱されようがどちらでも良かった。これから繰り出す大技の始動さえ出来れば、あとは身体の流れと状況に応じて敵を追い詰める術を、彼女は持っているのだから――。

 

 《舞姫》の二つ名に恥じない流麗な舞い《剣舞(ソードダンス)》。

 システム外スキル《結合(ユニオン)》を利用した彼女独自の戦術は、単発ソードスキルを起動モーションと決めている。彼女の演武はここから始まった。

 ソードスキルを回避したPoHは反らした上体を戻しつつ、極厚の中華包丁で水平切りを繰り出し、少女の首を刈り取りにかかる。首から上は人体の急所に設定されているため、完璧に捉えられて切断されようものなら死は免れないだろう。

 無理のない動きで切断を回避するためには、身体を深く沈めて頭の位置を下げるしかない。中華包丁が頭上ぎりぎりを通過し、嫌な汗が頬を伝うが、構わず次の動作に移った。

 踏み込みと同時に剣を振り抜く。PoHはダガーを引き戻して刃で受け止めにかかるが、ユキは接触の瞬間に剣を斜めに傾けた。彼女の短剣は火花を散らしながら《友切包丁(メイト・チョッパー)》の腹を滑り、PoHの左腕を切りつけつつ真横を通過した。

 

「そおらっ!」

「はあっ!」

 

 交錯して背中を向けあった両者は同時に反転し、剣を水平に払った。わずかに挙動の早かったPoHに軍杯があがり、ユキの肩に刃が喰い込む。

 

(うっ――)

 

 それでも動きを止めるわけにはいかない。

 勢いを殺さないために《舞踏》スキルを発動し、そのまま一回転すると、右足を高くあげて上段蹴りを繰り出す。

 

(Huh、読めてんだよ……)

 

 だがPoHは姿勢を低くすることで回避し、それと同時にある一点を狙いにいった。

 それは彼女が蹴撃(しゅうげき)する際に軸にした左足。PoHの目的はこれを刈り取ることでユキを部位欠損状態に陥らせ、戦闘不能にすること。欠損状態が治る3分以内にカイトの始末、あるいは隙をみて動けないユキのHPをゼロにしようと画策したのだ。

 そのための第一段階は軸足の膝から下を切ること。躊躇(ためら)いの類は一切なかった。

 

(もらった)

 

 ダガーで足を切断する未来図が脳裏をよぎり、それは現実になる――筈だった。

 ユキの放った蹴りは頂点に到達すると、一瞬だけ動きを止める。その姿勢をシステムはソードスキルの予備動作(プレモーション)と判定し、彼女の足にライトエフェクトが宿ると、稲妻の如き速さでPoHに足技を見舞った。

 

 体術単発ソードスキル《雷天(ライテン)》。

 垂直方向に振り下ろした渾身の踵落としは、PoHの右肩を抉るように喰い込んだ。現実なら肩の関節が外れているであろう重い一撃は、思わず彼も顔を歪ませずにはいられない。

 

「――がっは!」

 

 足を切り落とそうとした剣速が急激に鈍り、彼は手をついて強制的に跪く体勢になった。

 ユキは振り下ろした右足をPoHの肩に乗せたままにし、彼を踏み台にして《軽業》スキルで宙を舞う。前方宙返りの後は両足で着地し、振り向きざまにPoHの背中を切り上げて追加ダメージを与えた。

 今度は剣を後ろに引いて突きを繰り出すが、その前に跪いていたPoHが地面に手をつき、足に力を込めて前に跳んだ。距離を空けると身を翻し、PoHは再びユキと向き直る。

 しかし、空いた距離を埋めるようにして彼女は駆けた。考える時間も、会話を交わす時間も、先手を打たせることもさせてはいけない。頭の回転が早い彼ならば、突破口を閃くことも狂言で惑わすことも容易だろう。

 

(めんどくせぇな……だが――)

 

 過去に1度、PoHとユキは剣を交えて戦っている。

 当時のユキは完全に遊ばれており、まさしくPoHの掌で踊る操り人形のようだった。まともに攻撃を喰らったのは最後の突進技のみであり、それ以外は少女をどういたぶろうかと思案する余裕さえあった。

 しかし今はどうだろう。まだ切羽詰まる程ではないが、確実に以前と戦況は異なっている。剣1本でなんとかしようとがむしゃらに振っていた拙い戦い方とは打って変わり、剣技と体技を織り交ぜたトリッキーな動きは目を見張るものがあった。

 

 一撃に重きをおく者、スピードで勝負する者、耐え忍ぶ者、カウンターを狙う者、阻害効果(デバフ)攻撃を駆使する者。

 プレイスタイルは千差万別だが、彼女はそのどれにも当て嵌まらない、唯一無二の戦い方。

 そんな戦闘方法を生み出す切っ掛けが、まさか自分に敗戦したからなどと、PoHは露程も思わないだろう。

 

(――それでこそ狩り甲斐がある)

 

 悪寒が走った――――そんな気がした。

 理屈や論理的な言葉を並べ立てて伝えれるようなものではない、いわば本能とも呼べる直感。

 『踏み込んではいけない』という声なき声に従い、ユキは咄嗟に肉薄するのをやめて後ろに跳び退いた。

 

「ユキ、どうした?」

「…………」

 

 彼女の十八番(おはこ)である《剣舞(ソードダンス)》を途中で中止し、攻め込まなかった事にカイトは違和感を覚える。客観的にみても流れはユキに傾きつつあり、攻撃の手を緩める理由が見当たらない。

 

「――合格だ」

 

 しかし、PoHが声を発した事でその理由を察する。

 到底手の届かないような距離があるにも関わらず、まるで耳元で発したかのように、冷ややかな声をはっきり聴きとった。カイトは恐怖を振り払うかのように、前方の何もない空間へ反射的に剣を振りたくなる衝動に駆られるが、PoHは位置を変えていない。距離があるにも関わらず、カイトは彼の殺気をはっきりと感じ取った。

 

「遊ぶのはやめだ。その代わりに――」

 

 ダガーを左手に持ち替えると、右手を力なく振ってシステムメニューを起動。慣れた手つきで半透明のウィンドウを操作していくと、作業はものの数秒で終了した。

 

「――面白ぇものを魅せてやるよ」

 

 現れた変化は、異質な光景だった。

 

 突如、《友切包丁(メイト・チョッパー)》から漆黒の(もや)が音もなく滲み出す。刀身を包み込むようにして発生した正体不明の靄はとめどなく溢れ、PoHの纏う雰囲気をより一層引き立たせた。

 

「準備は整った。……それじゃあ――」

 

 ダガーを利き手に持ち替えると、死神はそっと呟く。

 

「――ショウ・タイムの続きといこうじゃねぇか……」

 



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第41話 痛撃と不屈

 死神は言った。遊ぶのはやめだ、と。

 それはつまり、今まで彼は全力を発揮していなかった、ということ。

 そしてその言葉に嘘偽りはない。

 

 何らかの操作を終え、右手に携えている《友切包丁(メイト・チョッパー)》にかかった謎の黒い靄は、おそらく彼がこれまで敵対する相手に見せてこなかった『奥の手』なのだろう。そんなものを出してきたという事は、本気で2人の命を狩りにくる、という意志の表れとも取れる。

 剣から発生する靄はそよ風が吹いているかのようにゆらりゆらりと揺れ、時間経過と共に濃度を増していく。靄を通してうっすら見えた景色はいつしか黒く塗りつぶされ、何処までも深く暗い闇を見つめ続けていると、気が動転しそうなほどの恐怖を駆り立てられた。

 故にカイトもユキも、剣から漏れる謎の演出から目を逸らし、PoHだけを意識して瞳の奥に捉え続けるのを余儀なくされている。

 一方、2人からの視線を浴び続けているPoHはというと、口を真一文字に結んでじっとその場で佇んでいた。目元は被っているフードが影を落としているために見えないが、間違いなく視線は2人に向けられている。

 そして凍てつくような空気が支配している場の静寂を最初に破ったのは、この状況を生み出した張本人のPoHだった。

 

「……どうした? そう怖い顔するなよ」

 

 今のカイト達は警戒心からくる緊張により、眉間に皺を寄せ、剣を持つ手だけでなく、全身に過剰な力を入れてしまっている。皮肉にもPoHから指摘を受けてその事にようやく気付き、脱力すると、幾らか緊張感から解放された気がした。

 

「OK。肩の力は抜けたみてぇだな」

「……お陰様で」

 

 多少は肩の力が抜けてリラックスしたが、それでも表情は依然として強張ったままだった。緊張の糸を緩めず、雲のように掴み所のない彼の一挙一動に神経を集中させる。

 

「それじゃあ……続きといこうじゃねぇか」

 

 戦闘再開の合図と共に、何故かPoHは後方へ大きくバックステップで跳び退いた。ふわりと軽やかな跳躍で宙に身を投げ出すと同時に、左手が後ろ腰に回る。その手にはアイテムポーチから取り出した掌サイズの物体を握り締めており、2人が正体を確認するために目を凝らすと、それは阻害効果(デバフ)付与を持つ簡易アイテムの一種だった。その物体をPoHは上方へと高く投げ飛ばす。

 効果はせいぜい1〜2秒の足止めにしか使えない代物だが、高レベルプレイヤー同士のPvPの場合、たとえ数秒でも命取りになる。咄嗟の判断で破壊することを試みたカイトは、一目散に走り出して剣を担ぐ。黄緑色の燐光を剣に纏わせ、片手剣上段突進技《ソニックリープ》で、小さな物体を破壊しようと上空へ飛翔した。

 アイテムの効果が発動する前に、カイトの《ソニックリープ》による鋭い斬撃が振るわれる。煌々と輝く剣尖は寸分の狂いなく小さな物体を捉え、アイテムに設定されている耐久値は瞬く間に減少。真っ二つに分断され、炸裂前の破壊に見事成功した。

 宙を舞っているカイトは、破壊して跡形もなく四散した対象から敵に視線を移すため、前方にいるPoHを見据えた――――筈だった。

 

(――いない!?)

 

 バックステップで距離をとった筈のPoHが、何処にもいなかったのだ。一瞬の内にカイトの視界の外側へ離脱したか、あるいは逃走を図ったのかと考えた。

 

『おいおい、何処見てんだ?』

 

 宙に身を投げ出し、着地して片膝をついた瞬間にカイトの耳が捉えたのは、不意に背後からかけられたPoHの声。それもかなりの至近距離から聞こえたため、彼は立ち上がると同時に条件反射で腰を回して後ろを振り返り、剣を背面に勢いよく払った。切っ先はPoHの身体を確実に捉えてダメージを与える。……ただし、()()()P()o()H()()()()()()()()の話だが――。

 

「――なっ!?」

 

 振り払った剣尖から伝わるべき手応えは感じられなかった。それもその筈、元々PoHはカイトの後ろになどいなかったのだから。

 《隠蔽(ハイディング)》系統のスキルなら姿を消す事は出来るが、それはあくまで視認出来なくなるだけであり、声のする場所に剣を振れば、敵は当然ダメージを喰らう。流石に非実体化スキルはSAOに存在しない。

 それ故の困惑。声のした方向を聴き誤ったとは思えず、これはPoHの発動した新種のスキル――先程の黒い靄が関連しているのかと推測した。

 

「カイト、後ろ!」

 

 ユキの注意を促す鋭い声が鼓膜――厳密には違うが――を刺激し、聴覚情報は電気信号に変換されて彼の脳を駆け巡る。彼女の発した声の意味をゆっくり考える暇などありはしないため、反射的にカイトは立っている地点から離れる選択を実行した。

 後ろを振り返って確認する暇もなく、彼は横っ飛びを敢行。その直後にコンマ数秒前までカイトの頭部があった位置目掛け、大型ダガーの刀身が突き出された。()()回避に成功した彼はその場から距離をとり、ユキと数メートル離れた場所で立ち止まる。

 

「So lucky……相棒に感謝するんだな」

 

 カイトが回避行動をとった位置からすぐそばで、PoHが佇んでいた。策略が思い通りにいかなかった事で落胆している様子だが、ややオーバー気味のリアクションは演技なのか、それとも本心からくるものなのか。その真意は図れない。

 そんな彼の足元――――真っ白な床に転がっているのは、いつの間に仕掛けたのかわからない正八面体の硬質な結晶だった。

 それは音声録音機能を有している《メッセージ録音クリスタル》。一般的には証言の記録や遺言を残すといった使い方をするが、PoHは自身の声をあらかじめ録音していた結晶をカイトの背面に放り投げ、声で視線誘導(ミスディレクション)を誘発した。目論見通りカイトの注意を逸らせたのなら、あとは《隠蔽(ハイディング)》系統のスキルで姿を消していたPoHが剣で突き刺す。それこそPoHが頭で思い描いていた脚本(シナリオ)だった。

 仮にこの場で戦闘しているのがカイトだけだとしたら、間違いなくダガーで頭部が切り裂かれていただろう。しかし幸運にもユキの発した声で難を逃れ、ダメージは頬を掠める程度に終わってくれた……のだが、傷付けられたカイトの頬は、ダメージ以上に不可解な現象を感知していた。

 

(……なんだ、これ?)

 

 頬が感じている妙な違和感。ピリッとした刺激が切られてからも残存し、思わず頬を摩る。左手で触った後に指先を見れば、彼の目には真っ赤な液体がべっとりと付着している光景が映った。怪我をした人間なら当たり前に起きる出血なのだと、理解するのに数秒を要した。

 それこそが頬に違和感を与えている現象を説明する正体。仮想世界に馴染み過ぎていてすっかり忘れていたが、約2年ぶりとも言える『痛み』の刺激を、カイトは久しく思い出した。

 

「カイト、どうしたの?」

 

 その様子を見ていたユキが、訝しげな声で呼びかける。ハッと我に返ったカイトは今一度頬を撫でた指を見るが、そこにはもう真っ赤な液体は存在していない。どうやら血液はカイトが想像で作り出した幻であり、最初からそんなものは存在しなかったのだろう。

 だが、ありもしない血液は偽りだったとしても、頬に感じた痛みは紛れもなく本物だった。その証明になるかはわからないが、赤いダメージエフェクトが修復される直前まで、確かに切られた痛みはあったのだから。

 しかし、仮想世界――SAOに閉じ込められてから今までの間、痛みという信号を感知したことは、これまで一度たりともなかった。それもその筈、SAOでは剣で切られようが拳で殴られようが、極端な話上空1万メートルの高所から落下しても、痛覚刺激は伝達されない仕組みになっているからだ。その代わり「なんとも言えないイヤ〜な感じ」の不快感だけは残るが……。

 

「……痛ぇか?」

 

 PoHが艶やかな美声でカイトに問いかけた。

 PoHはフードの奥にある双眸でカイトの様子を伺い、反応を観察しているようだった。もっとも、これは彼の剣が発する現象が関係しているのは間違いなく、PoHはカイトの様子を見て「どうした?」ではなく、「痛ぇか?」と問いかけている。つまり彼はカイトに剣撃を浴びせたことで、切られた部位に痛覚刺激が生じる事実を知っているのだ。

 PoHがカイトの持つ自己・他者を問わずに即時回復させるユニークスキル《治療術》を知らないように、カイトもまた、PoHの使用した痛覚刺激を相手に与えるスキルを知らない。情報屋が開示しているスキルリストに載っていない、稀有なスキルであるという答えは明白だ。

 

 そしてそれこそが、PoHの所有するユニークスキル《暗黒剣》が持つ特徴の一つ。

 

 通常は《ペインアブソーバ》と呼ばれる痛覚再生エンジンによって、脳が勝手に生成する仮想の痛みを緩和し、プレイヤーが痛覚を感じないように保護している。SAOはこのペインアブソーバを、痛み生成値なし・緩和最大のレベル10に設定しているが、《暗黒剣》はペインアブソーバを痛み生成値最大・緩和なしのレベル0にまで下げる効果を保有していた。よって、切られた相手は現実と遜色ない痛みを受けることになり、カイトの感じた違和感の答えがそれである。

 だが《暗黒剣》のスキル名と能力を知らないカイト達にしてみれば、そんな事情は知る由もない。

 

「……ユキ、あいつの剣は極力喰らうな」

「え? う、うん……」

 

 一層険しくなる彼の表情に、思わずユキは辟易してしまう。

 一度だけでなく、どうせなら数回は実験・観察をして身に起こった現象を確信させたいが、痛みを伴う検証など、わざわざ自分から進んでやる物好きはいない。だが、危険を伴う検証を彼女に負わせるつもりは、カイトの中で微塵もない。

 

 故に先陣はカイトがきる。一気に距離を詰めて肉薄すると、剣を下段に構え、逆胴の軌道を思い描きながら鋭く剣を振り抜いた。PoHは彼の挙動に合わせて刀身が届かない位置まで下がったため、風を切り裂きながら進んだ刃先は、惜しくも歩幅1歩分届かない。そして今度はPoHが反撃に出た。

 後ろに下がった身体が一転、前に体重をかけながらダガーを突き出す。急所の頭を迷わず狙いにかかるが、カイトは咄嗟に頭を右に逸らして回避した。耳元のすぐそばを通過したダガーを横目に見て、ついつい恐怖を掻き立てられる。仮初めの心臓が大きく跳躍した。

 しかしそれだけでは終わらない。真っ直ぐ突き出して伸びきった右腕を空間に固定し、力の限りを尽くしてそのまま振り下ろした。カイトもまた、PoHと同じように後ろに下がって回避を試みたが、彼のようにはいかなかった。刃が肩口を掠めたせいで赤いダメージエフェクトが散り、例に漏れず、切られた箇所から痛覚信号がカイトを襲う。

 

「――――ッ! このっ――」

 

 たとえ擦り傷でも痛いものは痛いが、それを堪えてソードスキルを発動。PoHも素早く手を引っ込めて構えると、ソードスキルを発動して迎撃体制に移行した。

 

 片手剣垂直4連撃ソードスキル《バーチカル・スクエア》。

 暗黒剣中位4連撃ソードスキル《ブラックスミス・カーテン》。

 カイトが青白い残光で空間に正方形を描く一方、PoHの黒い燐光を纏った剣尖は空間を縦横無尽にはしり、眼前を黒く染め上げるような軌跡を描く。まるで2人の間に1枚の暗幕を下ろしたようで、カイトには向こう側にいるPoHの姿が霞んで見えた。

 剣と剣がぶつかって甲高い金属音を響かせると、両者の身体は大きく弾かれて仰け反る。

 

「スイッチ!」

 

 その合図を予期していたかのように、ユキが間髪入れず飛び出し、ノーガード状態だったPoHに単発ソードスキルで一撃を見舞った。そしてそれこそが怒涛の連続攻撃――――《剣舞(ソードダンス)》の開幕を知らせる合図でもある。

 

「せやあぁぁぁぁあ!!」

「ハッハァ!!」

 

 《体術》スキルの打突技、回避を織り交ぜた《軽業》スキルの跳躍、《短剣》スキルで繰り出す剣技、《舞踏》スキルで行う受け流し。先程彼に見舞った物となんら変わりない流麗な剣舞だ。

 しかし、PoHが《剣舞(ソードダンス)》に圧倒されていたのは、それが初見の技だったから。何をどう行うかの情報を一切知らなかった数分前の時は、その場でユキのトリッキーな演武に対応するのが難しかったが、今は違う。反撃の一瞬を逃さぬように、PoHは一先ず防御に徹した。

 

 これまで数々の修羅場をくぐり抜けてきたPoHに言わせれば、技という物は人それぞれに癖が存在する。それは当然ユキにも同じ事が言えるし、一見すると隙のない動きに気圧されて見落としがちだが、『ない』ように見えるだけで、実は『ある』のだ。

 

「――ッ!!」

 

 殺意の込もったダガーで鋭い突きを繰り出すが、ユキは《舞踏》スキルの動きで華麗に回避。そこから彼女は短剣単発ソードスキルで切りつけようと企てたが、その目的は敢えなく達成出来ずに終わった。

 PoHの突きは当てるつもりで繰り出したのではなく、ユキが次にする行動を誘導するために放ったのだ。彼女は敵の攻撃に対して回避行動を取った後、高確率で《短剣》あるいは《体術》のソードスキルを、ややカウンター気味に素早く繰り出すのが定石のパターンになっている。ほぼ無意識に行っているユキの戦闘パターンを、PoHは戦闘中に見抜き、彼女が回避から攻撃に移行する際に生まれる僅かな隙を狙い撃つ。

 PoHはあえて攻撃することでユキに回避を促すと、彼女の持つ白銀の剣が光を帯び出した。そこでソードスキルが完全に立ち上がる前に、PoHは本命の拳による殴打を放つ。彼女の腹部に深々と決まった左拳により、それまで止まることなく動いていた少女の動きが静止した。ユキの《剣舞(ソードダンス)》は中断を余儀無くされる。

 

「――っ!」

 

 《暗黒剣》で切られなかっただけマシだが、それでもちょこまかと動く少女の足を止めるのは成功。PoHにとってユキを痛めつけるのに必要な時間は、その一瞬で十分だった。

 

「レッツ・ダンシング」

 

 《友切包丁(メイト・チョッパー)》に漆黒のライトエフェクトが宿る。ソードスキルの予兆だ。暗黒剣上位2連重攻撃ソードスキル《ライオット・ハント》の剣技発動は、既に止められない段階まできていた。

 刹那、自身に降りかかる未来を予期したユキの表情が恐怖に染まるが、彼女の腕は強く掴まれ、思い切り後ろへと引っ張られる。身体が後退したことで広くなった視野が捉えたのは、PoHの剣技を代わりに受けようとするカイトの姿だった。

 振り下ろされる大型ダガーに対し、カイトは片手剣を水平にして左手を剣の腹に添える。剣が接触した瞬間、カイトの腕には重い衝撃が加わり、苦悶の表情を浮かべる事となった。

 接触したダガーはそのまま振り抜かれるが、すぐに軌道を変えて下段から上に切り上げられる。2連重攻撃の2撃目が彼に容赦なく襲いかかり、カイトの身体を黒い刃が深々と切りつける。

 

「――グガアァァァァッッッツ!!!!」

 

 もたらされたのは、擦り傷程度では決して味わえないような痛み――激痛。彼が生きてきた人生の中で間違いなく最も大きい痛みであり、その大きさは思わず絶叫せずにいられない。抉られた腹部にはいつもと変わらない真紅のエフェクトが舞い散り、システムの算出したダメージにより、カイトのHPはガリガリと削られた。そしてノックバックで飛ばされた彼は、いつものように受け身の姿勢を取る余裕などある筈もなく、地面を転げて倒れる。

 痛みでうずくまってしまったカイトの元へとユキは駆け寄り、一撃で半分以上を軽々削られた彼のHPを回復させるため、回復結晶を取り出した。

 

「ヒール!」

 

 コマンドを唱えたことで、HPは瞬時にバーの右端へと引き戻される――というのが本来の仕様だ。だが、彼に限って言えばそうではない。《結晶無効化エリア》でないにも関わらず、ユキの取り出した回復結晶は一向に反応を示さなかった。

 

「そんな……なんで……?」

 

 それこそが《治療術》スキルの持つ弊害――――結晶アイテムの一部無効化。

 《治療術》は自他共に回復・解毒を行えるという大きなメリットを有する一方、回復結晶や解毒結晶といった《治療術》で補えるアイテムの効果を、自他問わず無効化している。スキル自体が最早結晶アイテムの役割を担っているので、確かに必要ないとも言えよう。だがこういった特殊な状況の場合は、非常に不便な特性とも言える。

 そして結晶アイテムが使用出来ないということは、カイトのHPバーに突如点灯した阻害効果(デバフ)――――《出血》を止める手立ても、ユキにはない。

 

「大、丈夫……大丈夫、だから……」

 

 痛みに耐えながら切れ切れに声を絞り出し、隣で心配そうに様子を伺う少女を安心させようと、無理やり笑顔を作った。しかし肩を大きく上下させ、苦しそうな彼を見て、不安を取り除ける訳がない。

 カイトは回復と阻害効果(デバフ)除去のコマンドを唱え、万全な状態に戻してから立ち上がり、再びPoHと向き合った。痛みは和らいだものの、まだ少しだけヒリつく感覚が残り、意識も若干痺れている。

 そんな彼を称賛しているのか、はたまた馬鹿にしているのかはわからないが、PoHはダガーを脇に挟んで拍手をしていた。乾いた音が響き、2人の神経を逆撫でて苛立ちを与える。

 

「よく立ち上がったなぁ。……にしても、まだやる気か?」

 

 カイトの中で未だ戦意が残っている事実に、PoHは少なからず感心していた。

 《暗黒剣》をプレイヤーに対して使ったのは、これが初めてではない。これまで行使した相手も彼のように、剣を受ければ苦痛に顔を歪めて恐怖に支配されてきた。『《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》団長・PoH』というネームバリューに加え、痛みを与える未知のスキルを保有していれば、誰しも恐れおののくのは当然の反応である。だから今までの相手は誰しも己の無知と無力を嘆き、絶望で満たされた苦悶の表情を浮かべながら、その身を散らしていったのだ。そしてその直前の反応も様々だった。

 

 諦めて膝をつき、(こうべ)を垂れる者。

 敵に背を向け、逃亡を図る者。

 一心不乱に懇願し、見逃してもらおうと考える者。

 

 やり口は違えど皆に共通するのは、『負けを認めて屈服した』という事。

 だが、そのどれにも属さない新しい反応を示したプレイヤーが今、PoHの前に現れた。

 

「……あんたが……強いなんて事は…………最初からわかってるんだ」

「アァ?」

「今更驚く事はあっても……尻尾巻いて逃げ出すなんて真似……するつもりはないよ」

 

 切られた腹部に左手を当てながら、毅然とした態度で剣を構えてはいるが、手から発生して剣に伝わる震えまでは抑えきれていない。混乱しているわけでも、命を捨てる覚悟を決めたわけでもない。『まだやれる。まだ勝てる』と、心の何処かでそう思っているのだろう。

 

「……ククッ」

 

 そんなカイトの様子を見て、PoHは不敵な笑みを浮かべるのであった。

 




《暗黒剣》の特徴その1『ペインアブソーバのレベル引き下げ』は独自設定です。
その1、というからには他にも用意していますが、それは次回に明かします。

《治療術》のデメリット『結晶アイテムの一部使用無効化』は、自分で使う場合は勿論、他プレイヤーに回復結晶等を使用してもらう場合にも適用されます。なのでスキル取得後のカイトは回復する際、人前では基本的にポーションでHPを回復しています。

次話で決着し、番外編を挟んで6章へ進む予定です。
早ければ3週間以内、遅いと年末の更新になるかと……。


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第42話 決死と必死

 戦闘を重ねた結果、《暗黒剣》には痛覚の再現以外にも特徴が見受けられた。

 1つ目は『異常なダメージ量』だ。PoHの所有する主武器(メインアーム)――《友切包丁(メイト・チョッパー)》――は短剣カテゴリーに属し、一般的な短剣と同様に手数の多さとクリティカル率の高さを売りにしている。

 その一方で、武器本来が持つ攻撃力は低めに設定されている、というのが本来使用されるダガーの特徴だが、彼の剣は魔剣クラスの性能を有しているため、短剣としては破格の威力を秘めていた。なのでダガーのデメリットはほぼないと考えてよいだろう。

 そこに加えて《暗黒剣》スキルだ。リーチはそのままだが、一撃の威力が両手持ち武器と大差なく、まともに喰らえば致命傷になりかねない。事実《ライオット・ハント》の2撃目をまともに喰らったカイトのHPは、ほぼ全快だったにも関わらず、危険域(レッドゾーン)まで減少したのだから。

 そして2つ目の特徴は――――。

 

(くそっ! ()()()毒か!)

 

 ダメージを与えた相手に対し、ランダムで阻害効果(デバフ)を付与する事。

 通常はプレイヤーやモンスターに阻害効果(デバフ)を与える場合、武器にあらかじめ毒を塗り込んでおくか、武器が元々備えている特殊効果に頼るしかない。その際の阻害効果(デバフ)は原則1種類のみであり、複数種の阻害効果(デバフ)は上乗せできない仕様となっている。なので、『阻害効果(デバフ)は武器1つにつき1種類』が全プレイヤーの共通認識となっている。

 

 しかし、《暗黒剣》スキルはその常識を打ち破った。

 《毒》以外にも《麻痺》や《出血》が確認されており、ダメージを受ける事で初めて阻害効果(デバフ)が表示されるため、何が来るかは想像もつかない。

 カイトは装備している《ベヒモス・コート》の効果で難を逃れているが、完全習得(コンプリート)まで至っている《耐麻痺》スキルと違い、それ以外の状態異常も完全に防げるとは限らない。《ベヒモス・コート》の状態異常耐性ボーナスは阻害効果(デバフ)の種類によってばらつきがあるので、耐性値を上回るものについては、防げずに喰らってしまう事がある。カイトがユキを庇ってソードスキルを受けた時、《出血》が付与されたのはそのためだった。

 

「キュア! ヒール!」

 

 空いている左手で少女の肩に触れると、コマンドを唱えて解毒と回復の両方を行った。ユキのHPを蝕んでいた毒は綺麗さっぱり取り除かれ、HPも緑色に染まる。一言礼を述べるべきだが、生憎そんな悠長にしている暇はない。

 

「やあぁぁぁぁ!」

 

 万全な状態になったユキが、再び勝負を仕掛けにいく。

 《剣舞(ソードダンス)》をPoHに攻略されそうになったが、新たな攻撃パターンや緩急をつけることで変化を加え、なんとか渡り合っていた。

 しかし、新しい変化をつけてもすぐに対処されてしまい、また新たなやり口で攻めても同じ事の繰り返し。完全にイタチごっこだった。

 そしてカイトはスキルでユキのHPを回復させたので、減少した自身のHP分を取り戻すために、ポーションを摂取していた。ジワジワと上昇するHPバーのスピードはいつもと何ら変わりないが、今に限って言えば非常にもどかしく、『まだか、まだか』と心の片隅で急かす。

 

(どうする……?)

 

 ユキの戦闘方法は全く通用しないという訳でもなく、PoHの身体に赤いエフェクトが所々で散っているのが確認できる。

 現行の《剣舞(ソードダンス)》はほぼ完成形といっていい。彼女1人では今のやり方が限界であり、今以上に技を昇華させる方法の1つとして、協力者の存在が挙げられる。カイトはそれを真っ先に思いついたのだが、彼の考えている方法は如何せん試した事ないし、やるならぶっつけ本番だ。

 打ち合わせもなしに突然試すのは中々勇気がいるし、一歩間違えればPoHは隙を突いて狩りにくるだろう。それが彼の決断を躊躇させているのだが、腹を切られた感覚もまた、勇気を1歩分踏み出せない原因でもあった。

 肉を抉る感覚と共にもたらされた激痛。それはカイトの踏み込みを浅くするのに十分な効果を発揮し、心に植え付けられた恐怖は拭いきれていない。また同じ痛みを味わった時に自分は正気でいられるだろうか、という不安がいつまでも残留していた。

 

(……情けない)

 

 あれだけ見栄をきってキリト達を送り出したというのに、今のカイトは自分があまりにも不甲斐なく感じていた。寧ろ一緒に戦うためについてきてくれた彼女の方が、ずっと凛々しく、逞しい。

 考え事に集中して意識を離脱させていた彼を呼び戻したのは、左端に表示されているパーティーメンバーのHPバーだった。

 

(――キリト!)

 

 安全域(グリーンゾーン)だった彼のHPバーが、急激に減少し始めた――かと思えば、赤く染まり出したところでピタリと止まる。その後もバーの動きを凝視し続けるが、それ以降は減る様子がない。ほっと息をついて安心する。

 

(そうだ……キリト達だって戦ってる)

 

 辛いのは彼だけではない。キリトもアスナも、フロアボスという強大な敵と相対して戦っているのだ。目の前で目まぐるしい剣技を繰り出している彼女だって、先程から無傷で渡り合っている訳ではなく、擦り傷のような微々たるダメージを喰らい、その都度痛みを味わっている。激痛でうずくまったカイトの姿を想像し、「もしかしたら自分も同じ目に合うかもしれない」という恐怖を抱きながら剣を振るっている可能性だってある。

 それでもユキが剣を握るのは『生き残るため』だ。別にPoHを倒せなくとも、牢獄に入れる事ができなくてもいい。この場を切り抜けて、街に戻って、食事を取って眠りにつく、という当たり前の日常に戻れさえすれば、それで満足なのだから――。

 そしてその目標を達成するための絶対条件は『皆、無事に帰ること』であり、1層フロアボス戦前の自発的約束を果たすため、ユキは今、カイトを守るために戦っている。

 ならばカイトも、その気持ちに応えねばならない。宿屋で手を重ねて守ると誓ったあの頃の自分に嘘はなく、その思いは今も変わらず持ち続けている。

 

(試してみる価値はある、か)

 

 ふと『やれるだけやってみなさいよっ!』というリズベットの声が、脳内で鮮明に再生された。彼女なら間違いなく言いそうだなぁ、という呑気な感想を思いながら、武器を握る手に力を込める。たとえリズ本人がこの場にいなくとも、彼女の魂はしっかりと右手に収まっている(これ)に宿っており、形を変えて一緒に戦ってくれているのだ。

 

「ユキッ!」

 

 覚悟を決めて疾駆し、彼女の名を叫ぶ。名を呼ばれたユキはスイッチを予期して備えたが、続く言葉は彼女の予想と全く異なる指示だった。

 

「そのまま続けろっ!」

 

 カイトはユキの《剣舞(ソードダンス)》を中断させず、続行を指示した。言われるがままに動きを止めず、PoHに猛攻を重ねている最中、カイトは彼女と逆――対角線上の場所――に位置取りし、PoHの背中に剣撃を浴びせかけた。

 

「チッ」

 

 挟み込む形で戦闘に参加したカイトを一瞥し、小さく舌打ちをしながら鬱陶しそうに背面を切り払う。カイトはダガーが届かない場所へとバックステップで離れるが、回避するとまたすぐに戦闘に参加した。

 

(……1人ずつ片付けるか)

 

 2人同時に相手しても良いが、どうせなら自分のやり易いように相手を引き込んだ方が効率は上がる。長期的に考えて意識を常に二人へ割きながら戦うよりも、1人ずつ確実に殺るのがPoH自身の負担も軽くなる。まずは攻めの起点となっているユキに狙いを定め、彼女を先に処理しようと試みた。

 《体術》のソードスキルにより、システムアシストの恩恵を受けたユキは鋭い突きを繰り出すが、PoHはさして苦もなく躱した。真っ直ぐ伸ばされた彼女の白い腕は硬直時間を課せられたため、動きがほんの一瞬だけ停止する。その隙を狙い、PoHはユキの腕をダガーで切り落とそうと振り下ろした。

 その瞬間、ダガーの進行を拒む1本の剣が滑り込む。カイトはユキの腕に乗せるようにして剣を添え、ピタリと固定すると、そこから勢いよく上に振り上げた。その結果、振り下ろされたダガーと振り上げた片手剣が衝突し、PoHの思惑は取り敢えず阻止される。

 

「せいっ!」

 

 硬直から解放されたユキは続け様に剣で攻撃。PoHの身体に赤いエフェクトが散り、猛攻の嵐を止ませることなく続行した。

 PoHがユキに剣戟を浴びせようとすれば、すぐにカイトがそれを阻止。彼女を守るためだけに、彼はユキの防御に徹する。そのため、ユキはなんの心配もなく演武を続ける事が出来た。

 そしてその逆も然り。PoHが標的をカイトに変更して攻めようとも、今度はユキが彼を守るため、カイトの防御に徹する。彼と彼女はPoHの挙動に合わせてアイコンタクトを取り、相互に攻守を交代して強大な敵と渡り合う戦法を選んだ結果、2人のHPは一ドットたりとも変動しなくなった。

 カイトだけでも、あるいはユキ1人でもPoHには太刀打ちできない。剣技や体技、頭の回転や人を欺くテクニックは、あらゆる角度から考えてもPoHは2人より高い技量を有している。故に、真正面からぶつかっても勝てる見込みは薄い。

 しかし、それは1人ずつで戦った場合の話だ。彼と彼女が2年に渡る歳月で得た技術を結集させ、持てる力を注いでカバーし合えば、格上の相手であろうと渡り合える。『息を合わせる』という表言では生温く、2人の意識は今、同調していた。

 

「ぜあぁぁぁぁぁあ!!」

「りゃあぁぁぁぁあ!!」

 

 PoHを中心として直線上に並ぶと、気合いの込もった叫びをあげてカイトとユキは同時に切り払う。1つは右から、もう1つは左から繰り出し、彼を挟むようにして剣を振るった。

 ザシュッ、という音と共にPoHの右肩と左腕を切りつけると、HPは危険域(レッドゾーン)へと突入した。

 

「――チィッ!」

 

 命の残量を横目に、この戦いで1番の焦りを吐露する。

 切り合いを一時中断し、PoHは自身の持つステータスと《軽業》スキルを全開にしてユキの頭上を飛び越えた。彼女は頭上を舞う敵目掛けて咄嗟に短剣を振り上げるが、刀身が僅かばかり届かずに空を切る。

 宙を舞って包囲網から離脱した彼は、空中で素早く結晶を取り出して回復した。HPが右端へ到達したのと同時に着地すると、3本のスローイング・ピックを指で挟んで振り返り、投剣ソードスキル《トリプルシュート》を発動。飛来する銀の弾丸がユキに襲いかかった。

 彼女はすぐに迎撃を試みたが、身体の各所に散りばめられたピックを全弾撃ち落とすのは至難の技。肩と腹部を狙った2本は兎も角、右太ももへと飛んできた物は阻止出来ずに深々と突き刺さると、先端に塗っていた麻痺毒が体感覚を奪う。ユキは力なく膝から崩れ落ちた。

 

(――麻痺なら……!)

 

 デスゲーム下において、麻痺は最も喰らうべきではない阻害効果(デバフ)だが、これはカイトの専売特許。彼なら()()()()()で解毒が可能だ。

 『ノーリスクの解毒』というからには、当然その真逆『リスクのある解毒』も存在する。《治療術》スキルで他者を回復させる場合、スキル保持者(ホルダー)は自らのHPを使って他者の回復に努めるが、それは解毒の場合も同じ事が言えた。

 もしもパーティーメンバーが毒状態に陥ってそのプレイヤーを解毒した場合、施されたプレイヤーは勿論毒を除去されるが、その一方、《治療術》スキルで解毒を施した者が毒状態になるという現象が起きるのだ。

 しかし、例外もある。スキル保持者(ホルダー)阻害効果(デバフ)に十分な耐性値を有しているならば、リスクを引き受ける事なく除去が可能。カイトの場合は麻痺耐性値が特に秀でているので、他者の麻痺解毒はノーリスクで行える。

 

 そして身動きの取れなくなったユキを救うため、カイトは手を伸ばして地に伏している少女に触れようとした――が、彼がそれを許すわけがない。

 

「――シッ!」

 

 《トリプルシュート》を放った後のPoHはカイトの行動を妨害するため、疾駆して彼に肉薄。高速の剣捌きで圧倒し、カイトをユキから遠ざけるようにして追い詰めた。

 

「どけっ!!」

「そいつは無理な注文だ」

 

 大人しく言う事を聞くような相手でないのは百も承知だが、それでも叫ばずにはいられなかった。ならば力づくで道をこじ開けようと、剣を大きく振りかぶる。

 

 煌めく剣閃。

 交差する瞳。

 飛び散る火花。

 響き渡るは不協和音。

 

 何十にも及ぶ剣と剣の衝突を重ねるが、両者は1歩も譲らない。剣で切って切られてが時折あるものの、どちらも掠める程度のダメージしか与えられていないため、決定打に欠けた。

 そして2人から1人に減った事で、PoHとの力量差が表面化する。大切なパートナーからの後ろ盾がなくなった今、《暗黒剣》の力を最大限活かしきっている男に押されだしてしまうが、《治療術》の自己回復効果でなんとか命を繋いでいた。

 

 そんなイタチごっこともとれる攻防戦に終止符を打つため、PoHは勝負に出た。

 

 両者の剣がぶつかって剣が弾かれると、高い金属音を響かせる。

 その直後に訪れるのは、一瞬の静寂。

 お互いに体制が崩れた状態になったが、そんな中、PoHは身体を無理やり動かして体制を整えると、《友切包丁(メイト・チョッパー)》に光を宿らせた。これまで以上に濃度の濃い黒の光は、この剣技で決着をつけようとする意志が読み取れた。

 そしてカイトもまた、《グラスゴーム》で必殺の一撃を放つべく、燐光を纏わせる。だがそれは《片手用直剣》スキルには存在しないソードスキルであり、言い換えるのならば、《治療術》スキルで唯一存在する『攻撃型回復ソードスキル』だった。

 

 暗黒剣最上位13連撃ソードスキル《リッパー・ホッパー》。

 痛みというSAOにはない刺激を敵に与えるため、大型ダガーが軽やかに舞い踊る。刃から滲み出る靄は、衝突するたびに絡みついてくる気さえした。

 

 治療術最上位12連撃ソードスキル《ソウル・イーター》。

 これまでのコマンドで回復するタイプとは違い、『敵にソードスキルをヒットさせれば、削ったダメージ分だけ自分を回復する』という少々特殊な効果を持つ。そして補助効果を(メイン)とする《治療術》にしては珍しい、唯一の攻撃型ソードスキルだ。

 

 黒と緑白色のライトエフェクトが空中に軌跡を描きながら交わる。『殺しに特化したスキル』と『生かすのに特化したスキル』という相反する2つのスキルがぶつかり、2人の意志の強さを比べる戦いのようにも思えた。そんな2人が織りなす暗色と明色の光が輝く様は、床に伏しているユキもつい目を奪われる程だ。

 縦・横・斜め、あらゆる角度から両者の剣がぶつかり、時には敵の身体を掠める。PoHがカイトに痛みとダメージを与えて命の残量を減らしにかかったかと思えば、カイトのソードスキルがすぐさまHPを回復させる。削り、削られを繰り返すカイトのHPバーの増減は、いつまでも続くようにも感じられた。

 だがしかし、それは只の夢現(ゆめうつつ)。『永遠』などという言葉は所詮只の幻想であるため、必ず終わりは訪れる。

 カイトの放った《ソウル・イーター》が最後の一振りを終えると、剣に纏っていた燐光は静かに消散し、彼は技後硬直を課せられた。そして無防備になった彼を切り裂かんと、PoHの《リッパー・ホッパー》最後の-3撃目が襲いかかる。

 

「う……おおぉぉぉぉぉぉぉおお!!!!」

 

 一般的にはソードスキルにソードスキルを繋げることは出来ないが、例外もある。《片手剣》と《体術》のように、武器カテゴリの異なるスキルであれば、その限界を超えてさらなる追撃が可能だ。カイトは危機迫る状況の中、左手で構えを作ると、体術零距離技《エンブレイサー》で《リッパー・ホッパー》に立ち向かった。

 黒と緑から一転し、黒と黄色のライトエフェクトが交錯して衝突。カイトの左手は剣の腹を抉るようにして正確に捉え、ノーペイン・ノーダメージでこの場を乗り切った……筈だった。

 

(! しまっ――――)

 

 気合いが十分過ぎる程込もったカイトの技は、システムアシストに加えてさらに自身の意識を上乗せする。そうする事でソードスキルを加速させるのは、広く知れ渡っているシステム外スキルの一種だが、今回はそれが裏目に出てしまった。

 カイトの《エンブレイサー》は今までにない程の速度で放たれたが、その結果、PoHのソードスキルとぶつかるタイミングがズレてしまったのだ。状況だけで考えれば、まるでカイトがPoHに自らの腕を差し出したかのように見えただろう。少なくとも、2人の戦闘を間近で観ていたユキの目にはそう映った。

 

「があぁぁぁぁぁぁああ!!!!」

 

 ザシュッ、という音とカイトの絶叫が、迷宮区内に木霊する。

 差し出されたのは左手首より先。一足早く繰り出された《エンブレイサー》はPoHの身体に届く事なく、無情にもその進行は分厚い中華包丁によって阻まれてしまった。

 切断された部位は地に落下すると、ポリゴンの欠片に細分化され、跡形もなく消え去ってしまった。カイトのHPバーには部位欠損を示すバッドアイコンが表示され、それ相応のダメージが与えられる。

 ここまでは誰にも適応される共通の流れ。SAOというゲームの世界で揺らぐ事のない、絶対の法則に従った結果だ。

 

 だがしかし、この先は例外であり、相違点。

 

 彼の身体に与えられる筈の不快感は、《暗黒剣》スキルによって、現実と遜色ない痛みに変換される。それは口の中が渇いてしまうかと思える程の絶叫を伴う、強烈な刺激だった。

 

「――――――――ッ」

 

 最早『声』とも呼べないような『声』。アバターが彼に反応し、冷や汗がダラダラと滝のように流れる。左腕を抱え込むようにしてうずくまろうとしたが、過剰すぎる刺激は、この時、カイトの神経を加速させていた。

 

(――怯むな……)

 

 沈みかけた身体を止め、ほんの一瞬、動きが静止する。

 

(――臆するな……)

 

 未だに止むことなく流れる痛みを堪えるために、無意識に奥歯を噛み締めた。

 

(――足を、止めるな……)

 

 利き足で踏み込むため、足を強く大地に押し付ける。

 それと同時に、剣を手放すことなく握り続けていた右腕を持ち上げ、上段に構えた。その動作はまだ戦う意思がある事の証明であり、まだ戦えるという意識の立証でもある。

 

(思考を――――止めるなっ!!!!)

 

 伏せていた顔を持ち上げ、眼前の敵を真っ直ぐに見据える。フードから覗くPoHの顔が、僅かに驚愕しているのが伺えた。

 

「ッッ――――だあっ!!!!」

 

 叫ぶと共にPoHとの距離を歩幅1歩分だけ縮め、剣を上から下へと思いきり振り下ろす。ソードスキルではない通常攻撃であるため、PoHに与えたダメージ量は多くない。だが、カイトの瞳に宿っている闘志と、痛みを抑えつけた精神力に関して言えば、ダメージ以上に大きな印象を与えたのは言うまでもないだろう。

 あろうことか素手で反撃し、さらには追撃を試みたカイトの行動には、流石のPoHも度肝を抜かれた。

 

「So crazy……」

 

 吐き捨てるように、そう呟く。

 腕を切断される感覚を嘘ではなく、本当に味わっている筈であり、現にカイトの反応はそれを証明している。だが泣き言を言うでもなく、ただひたすらに真っ直ぐ向かってきた彼の気力は、PoHに言わせれば理解が出来ず、『狂っている』と評する事しか出来なかった。

 

 そして《リッパー・ホッパー》の技後硬直から解放されたPoHは、後方へと大きく跳躍。彼がこれまで培ってきた歴戦の勘が、脳に危険信号を発した結果でもある。PoHはカイトに対して、何かしらの脅威を感じ取ったのだ。

 一方のカイトはそんなPoHの思考など読み取れる筈もなく、大きく肩を上下に動かして立っていた。虚ろな目でフラフラとしていても、彼の中で戦闘はまだ終わっていない。左手首の切断面からチリチリと燃えるようにヒリつく刺激は、極力意識の外側へと追いやり、弱々しいながらも剣を持ち上げて構えを作る。

 攻略組とはいえ、ここまで衰弱しているカイトならば、PoHでなくとも中層を拠点に活動しているオレンジプレイヤーにでさえ始末できるだろう。だがしかし、PoHはカイトを観察し、2人の距離は縮まることも遠ざかることもなく、1秒ずつ時間だけが経過していく。床に伏しているユキは立ち上がることも忘れ、固唾を呑んで2人の行く末を見守っていた。

 1分程度そうした緊張状態が続いたが、PoHが先に均衡を破り、動いた――――とはいっても、それは攻めの姿勢にあらず、寧ろ完全な脱力状態である。殺気の類は微塵も感じられないため、彼の中にあった戦闘の意思は、何処か遠方の彼方へと消失してしまったのだろう。

 

「……やめだ」

 

 PoHが発した言葉の意味を読み取るのに、2人は少しだけ時間を要した。どういう風の吹き回しかと、何か裏があるのではないかと疑っていると、ユキが先にそれを口にする。

 

「なんで……?」

「なんだ? 俺は今、何かおかしな事を言ったか?」

 

 ユキの方向に視線を移し、彼女を見下ろす。ユキはPoHの真意を図りかねていた。

 

「なあに……ここで殺るには、少しばかり勿体無いと思っただけだ」

 

 そう言ってPoHは再びカイトへと視線を戻す。この時、彼の口元が微笑していたのを、ユキは知らない。

 

「だがこんな気まぐれは2度もねえ。次の時は…………期待してるぜ?」

 

 その言葉を皮切りに、PoHは忽然と姿を消した。辺り一面は静寂に包まれる。

 急激な状況の変化に戸惑いつつも、ユキは身体を起こし、1歩ずつ、1人佇むカイトの元へと歩み寄る。幸運とも呼べる敵の離脱を見送り、構えを解いて剣をゆっくりと下ろしたカイトは、只々前だけを見ていた。

 

「だ、大丈夫?」

 

 呆然としている彼を覗き込むようにして、ユキは問いかける。

 欠損状態の3分間が丁度過ぎ去ろうとしているため、消失した彼の一部が再生し始めていた。指先まで元に戻ったのとほぼ同時に、カイトは隣まで接近していたユキに顔を向ける。

 

「良かった……本当、に……」

 

 強張っていた顔の筋肉が緩み、安堵の表情に変化した。それはいつもの彼が見せる、可愛らしい笑顔だった。

 そしてカイトがはっきりと覚えているのは、かろうじてここまでである。

 この直後、膝から脱力した彼が薄れゆく意識の中で最後に覚えていたのは、自身を支えるために腕を伸ばし、しっかりと抱き寄せてくれた少女の温もりだけだった。

 




《暗黒剣》の特性その2『デバフのランダム発生』は独自設定です。
使用者の意思に関わらず、切りつけた相手に一定確率で毒・麻痺・出血等々の各種阻害効果を付与します。相手がデバフを除去する前に再度切りつければ、デバフの多重付与も可能です。


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番外編第06話 前兆と喧噪

今年最後の更新です。


 

 迷宮区の探索から一転し、フロアボスの攻略、行方知れずだった殺人ギルドの元団長と交わした死闘を経て、カイト達の一日は本人の意思に関わりなく過ぎ去ってしまった。気を失ったカイトが目覚めたのは翌日の早朝であり、普段からキリトとよく利用している見慣れた宿部屋の天井が、彼の覚醒を出迎えてくれた。

 

 彼の身に起こった突然の昏睡状態は、状況から察するに『脳への過度な負荷を和らげるため、強制的にアバターの意識を昏睡させた』というのが、キリトの立てた推論だった。

 仮想世界で与えられる数多の刺激は、全て脳に直接リンクしている。当然痛覚も例に漏れずそうであるため、現実同様の痛覚刺激を受けた場合、本来であれば緊急措置が取られていてもなんらおかしくはない。

 だが『ログアウト』という概念が、SAOには存在しない。意識の混濁に続く意識の喪失は、使用者の負担を和らげるために備え付けられた最終手段なのだろう。いわば、脳を休めるために睡眠をとる、に同義と考えてよい。

 

「ユキから聞いたけど、手を切られたんだって? 大丈夫か?」

 

 カイトの身を案じたキリトが、神妙そうな顔で覗き込んだ。

 

「う〜ん……うん、大丈夫そうだ」

 

 きれいさっぱり元に戻っている左手をグーとパーの形に変え、動作の確認を行う。なんの苦もなく動いている様子から、アバター自体に異常は見受けられない。問題視する必要はなさそうだった。

 

「それにしても、『痛みを与えるスキル』か……。なんというか、まるで人を殺すことを目的としたスキル――――カイトの《治療術》と対極に位置するスキルだな」

 

 現実と遜色ない痛みを与える《暗黒剣》を用いれば、仮想と現実の差異はない。『与ダメージの増加』は兎も角、『ペインアブソーバの解除』に関していえば、ゲームでは本来必要のない機能だ。矛先はプレイヤーに対して使用するのが正しい使い道なのだろうが、その意図がなんなのか、二人には図りかねていた。

 

「まあ、何はともあれ、お互い無事でなにより――」

「――だな!」

 

 両者は軽く拳を握ると、コツン、とぶつけ合った。

 二人ともお互いが持つ切り札を出し惜しみすることなく発揮しなければ、今日という日を向かえるのは叶わなかっただろう。『勝敗は二の次、生き残るのが最優先』というのが、この世界に囚われた物全員に課せられている暗黙のルールだ。

 

 ――コン、コン

 

 昨日の健闘を讃え合う二人を他所に不意打ちで聞こえたのは、扉を叩くノック音が2回。それは彼ら二人の泊まる場所に来客が訪れたことを知らせた。

 そして次に耳が捉えたのは、二人が頭を悩ませる事態の始まりを告げる、開戦の合図だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある階層のとある街。その中でも人目につきにくそうな狭く薄暗い路地裏。賑やかな都心から離れたこの場所に、キリトとカイトの二人が息を殺して潜んでいた。

 別に誰かを闇討ちしようだとか、そういった物騒な思惑を抱いているわけではない。彼ら二人はただ単に身を隠し、自分達を追ってくる輩を撒くため、仕方なくこうしているのだ。ジメッと小汚い場所を好きで選んだ訳でもなく、本当に『仕方なく』だ。

 

「……撒いた……か?」

 

 キリトの羽織っている、隠蔽(ハイディング)ボーナスの高い黒のレザーコートに身を包まれているカイトが、出来る限り声を抑えて確認する。

 

「あぁ、大丈夫だ……」

 

 そしてカイトの問いかけに対し、キリトも出来る限り声を小さくして答えた。

 一先ず自分達二人を追跡していた追手を振り切った事に安堵し、ホッと一息だけつく。隠蔽(ハイディング)を解いたキリトは近くの壁面に背中を預けると、建物の間から覗く青空を見上げ、コートのポケットに手を突っ込む。

 本日は文句無しの日本晴れであり、最高の気象設定であろう今日という日は、いつぞやのように草の上で寝転がり、風を感じながら昼寝をするに限る。だが、今の彼らにそんな余裕は微塵もない。その原因は現在カイトが右手で握りしめている、今朝アインクラッド全土で発行された一枚の新聞だった。

 前日にフロア攻略がなされて新しい階層が開通したので、その事が新聞の一面を飾るのは別段珍しい話ではない。問題はその話についた、プレイヤーの興味を引く数々のオマケだった。

 

「いくらなんでも誇張しすぎだろ……」

 

 カイトは頭を抱え、深く項垂れる。

 一際大きいフォントでデカデカと印字されている字は、以下の通りだ。

 

『軍の大部隊を全滅させた黒い悪魔』

『それを単独撃破した二刀流使いの五十連撃』

 

 前者はグリームアイズ、後者は間違いなくキリトだろう。

 確かに軍は深手を負いはしたが、生存は確認済みだ。加えてキリトはフロアボスを単独で討伐した訳でなく、正確にはアスナと二人で討伐したのが正しい表現だろう。

 そして何をどうしたら本来の攻撃回数の3倍となるのか。十中八九、情報屋が大袈裟に表記しただけなのだろうが、当の本人にとっては笑い話で済まされる事ではない。

 

「良かったな、キリト。これでお前は一躍時の人だ」

「それを言うならそっちもそうだろ」

 

 キリトの返しに、カイトは思わず深い溜め息をついた。

 

『かつて混乱をもたらした元レッドギルド団長が復活』

『それを退けたのはアインクラッド唯一の不死身の剣士』

 

 事情を知らない者からしてみれば、アイテムを使用せずに回復するカイトの様は、確かに不死身に見えた事だろう。厳密には違うのだが、最早一々訂正する余裕はない。

 この記事を見た情報屋や剣士が二人の寝泊まりする宿に押しかけ、一時は大変な騒動にまで発展してしまった。未知のスキルが二つ同時に公となり、一つはフロアボスを撃破出来るほどの高火力、もう一つはSAOで絶対存在しないとまで断言されていた正真正銘の回復スキルだ。《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルもHP回復スキルではあるが、《治療術》スキルと比較すればその性能に天と地程の差があるのは言うまでもない。出現条件を含めた詳細な情報を知りたいと思うのは、当然の反応といった所だろう。

 

「……どうする?」

「何を?」

「決まってるだろ、この後の事だよ。オレとカイトが泊まってた宿は既に知られているわけだし、戻るなんて選択肢はない。見つかれば間違いなく面倒な事になるだろうから、少しの間は何処かに身を隠す必要があるだろ?」

 

 キリトの言いたい事を理解したカイトは、すぐに頭で閃いた答えを口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第50層主街区《アルゲード》。

 雑多な街並みの中、行き交う人々が交わしている話の内容は、新聞で一面を飾っている前日の事がチラホラと聞こえていた。新たなユニークスキル使いの出現に対する反応は、勿論妬みの類いもある。だがそれ以上に真逆の反応をする者もおり、理由は攻略速度の加速を予想したゲーム脱出の早期化、あるいは憧れといったものが挙げられた。

 その話題の中心人物が、よもや人目を避けるために建物の屋根を疾走している等と、皆は露程も考えていないだろう。

 屋根から屋根へと飛び移り、目的地周辺の場所まで来ると、人目につかない場所を選び、数メートルはある高さをなんの躊躇もなく落下する。着地の際に発生する高所落下の不快感を避けるため、横壁を足で蹴ってジグザグに降下した。

 

「こういう時に便利だよな、フレンドリスト」

 

 カイトが目の前で表示しているウィンドウには、目的地である《エギル雑貨店》にいるであろう店主・エギルの居場所を示した光点があり、彼はそれを見つめていた。何度も訪れているエギルの店は道順を覚えているため、通常のルートを使えば迷うことはまずない。しかし屋根の上から見る景色は普段と異なり、うっかりすると自分達がどこにいるのかわからなくなるだろう。

 通い慣れた《アルゲード》に迷うという醜態を避けたいカイトは、フレンドリストの機能――フレンド追跡――を使い、エギルの現在地点を脳内のゴールに設定。朝ならまだ自分の店にいると睨んだところ、案の定その通りだった。

 エギルとの距離はおおよそ50メートル。ここまで来れば迷う心配はなく、二人は地に足をつけて歩き出した。

 人の往来が激しい道は素早く動き、《エギル雑貨店》の扉を開けて入室するとすぐに戸を閉める。念のためキリトが扉を数十センチ開けて外の様子を伺うが、いらぬ心配だったらしい。彼はふう、と一息ついた。

 

「……何やってんだ?」

 

 カウンターの奥で、キリトの行動を訝しんだエギルが声をかけた。キリトの動きを傍からみれば、不審者オーラ全開であるので無理もない。

 

「急に『匿って欲しい』なんてどうした? またなんか厄介事か?」

「それには深い事情が……」

「エギル。今日の新聞、読んでないのか?」

「あぁ。ついさっきまで開店準備やアイテムの整理をしてたからな。まだこれからだ」

「そうか。ならコーヒーでも飲みながらこれを読んでくれ。オレ達二人の今の状況は、今朝の新聞を読めばおおよそ察する事が出来る筈だから」

 

 そう言ってカイトはストレージに収納していた新聞を取りだし、エギルに渡した。

一方のキリトはアスナと待ち合わせをする旨の内容をメールで送ると、思い出したかのようにハッと顔を上げた。

 

「そうだ。エギル、ついでに昨日の戦利品を売りたいんだけど」

「おぉ、なら二人とも適当に座ってくれ」

 

 そう言ってエギルは円形テーブルの上にコーヒーを二人に差し出し、カイトから受け取った新聞は後回しにして、キリトの戦利品鑑定作業に入る。二人の間でトレードが行われているのを見ながら、カイトは美味しいのか美味しくないのかよくわからないコーヒーをすすっていた。

 すると突然、バンッ、という大きな音と共に扉が開け放たれる。店内にいる三人が音の発生源に自然と顔を向けると、そこには騎士団の制服に身を包んだユキが立っていた。

 

「ユキ、お早う」

「どうかしたのか? そんなに慌てて」

 

 慌てた様子の彼女を見ても、カイトとキリトの二人は能天気に声をかける。これまでの彼女の心中を察するのならば、あまりに不釣り合いな反応だった。

 

「ど――――」

 

 故に彼女は――――

 

「『どうかした?』じゃないよ!!」

 

 ――――不満を口にする。

 店内の奥へと進み、ユキはカイトの元へと駆け寄ると、彼の両肩を掴んで前後に揺さぶった。

 

「急にカイトは倒れるし、目は覚まさないし、心配で今朝宿にいったら大変な事になってるし! おまけに聞きたい事は山程あるし!」

「お、おおおお落ち着け! まずは落ち着け!」

 

 揺すられているカイトは、自身の肩に乗せられている彼女の腕をとり、腰を据えて話をするために動きを制止させた。視界の端に映った近くの椅子を指差し、それとなく座るように促すと、ユキは素直に誘導に従う。

 座った彼女は膝に手を置き、カイトの口がいつ動くのかを、上目遣いでじっと注視していた。見られている側の彼にしてみれば少々睨まれているようにも感じとれたが、まずは先程ユキが口にした事の説明をするため、一言ずつ、ハッキリと話し出す。

 

「……コホンッ、えー、まずオレ自身に関しては何も心配いらないから。ちょっと気を失ってただけで、今は意識もハッキリしてるし身体も動く。無問題! ノープロブレム! ……それで今回の騒動の大きさについてはもうわかっている……んだよな?」

「うん」

「なら知っての通り、今までにないスキルが出現――――しかもヒースクリフの《神聖剣》と同じカテゴリのユニークスキルだ。ユキが今朝見たように、オレ達二人から情報を引き出すために色んな人が押しかけて来ている。……まあ、こうなる事はなんとなくわかっていたけど」

 

 いつまでも隠し通せるとは、微塵も思っていなかった。いずれ公に晒す日が来るのは自明の理だが、予想よりも早かった。ただそれだけの事である。

 

「それでもここまで騒がれるとは考えてもみなかったな。何処か人目のつかない静かな場所で大人しくするか……」

「……スキルはいつ頃現れたの?」

「えっと、今年のはじめ……かな? 迷宮区のマッピング中に結晶アイテムを使おうとしたら、全く反応しなくてさ。バグかと思って色々調べたら、スキルリストに見慣れないやつがあったんだ」

 

 彼が《治療術》スキルを取得したのは、キリトが《二刀流》スキルを取得したのと同時期である。それらしきクエストをクリアした覚えは一切なく、出現条件に心当たりがないかを過去に遡って考えれば考えるほど、何が何だか分からず仕舞いだ。

 

「今となっては便利だけど、最初の内は結構苦労したんだ。他プレイヤーの回復しか出来ないし、スキルのせいで結晶アイテムは使えないから、ポーションで済ませるしかないし。だからキリトが戦闘で《二刀流》を使って、オレは減少したキリトのHPを回復するのに努めて《治療術》の熟練度を上げる。暫くはそんな感じだったな。自分のHPを自力で回復できるようになったのは、取得から少し後だったよ」

「昨日も思ったけど、色々と癖のあるスキルだよね……。キリトの《二刀流》と違って、制限が多いというか……」

「流石の茅場もこんなスキルが無制限に使えるのは良しとしなかったんだろうな。……それでも十分チート級だけどね」

 

 《治療術》スキルの保持者は、間違いなく生存率が他者より上がる。

 特に《結晶無効化エリア》では非常に心強く、74層のボス部屋がそうだったように、今後のボス部屋にも無効化エリアの設定がなされている可能性は少なくない。皆がポーションでの回復手段しかない一方、カイトだけが結晶アイテムを使えるのと同義だ。ストレージ容量を気にする必要もなく、チートと揶揄されても不思議ではないだろう。

 

 そこでふと、カイトの中で疑問が生まれた。それは『唯一無二』と言われるユニークスキルを実装する意味について、だ。

 アイテムのドロップ確率といった事を抜きにすれば、SAOは原則全てのプレイヤーが等しくチャンスを得られるように配慮されている。しかし、ユニークスキルはSAOのシステム内で異色を放ち、どう考えても公平さ(フェアネス)に欠ける仕様だった。ゲームシステムの細部にまで徹底してこだわった茅場昌彦が、このシステムを見逃すとは考えにくい。

 

(《神聖剣》・《二刀流》・《治療術》……それにPoHが使ってたスキルもおそらくは……。どれをとってもゲームバランスが崩れかねない代物だ。……わざと? だとしたら何のために?)

 

 ぐるぐると脳裏で思考を巡らせるが、答えは出ない。斜め上の虚空を見つめていると、上の空状態のカイトを心配したユキが、彼の眼前に掌をかざした。

 

「おーい、大丈夫ー?」

「どうした? ラグってんのか?」

「え? ……あ、あぁ、大丈夫。ちょっと考え事してただけだから」

 

 誰かが正解を教えてくれるわけでもない。元より相手は超がつく程の天才だ。凡人がない知恵を絞ろうとも、非凡な発想力では到底ゴールには辿り着けないだろう。

 ユキの声を切っ掛けに、カイトはそれ以上考えるのをスッパリ諦めた。

 

 

 

 

 

「……遅いな」

「遅いねぇ……」

 

 待ち人、(きた)らず。

 キリトがアスナに《エギル雑貨店》で待ち合わせる旨のメッセージを送ったのだが、一向に彼女の現れる気配がない。待つこと自体は別段何も苦に感じることはないが、そういった事に関してキッチリとしているアスナにしては珍しい事だった。

 

「ヒースクリフとの話し合いが長引いてるのか?」

「すぐに終わるってあったけどなぁ……」

 

 アスナはギルドの本部がある、55層主街区《グランザム》に緊急召集されている。各部門の隊長達を集めた幹部会が開かれ、昨日起こった出来事についての報告に行っている……のだが、それにしては時間が掛かりすぎているようにカイト達は感じていた。ユキの知り得ている会議の開始時刻から考えても、只の報告にしてはアスナの到着が遅い。もしや何かあったのではという不安を、この場にいる全員が抱いていた。

 

「ど、どうしよう……もしアスナに何かあったら……」

 

 ユキも遂にオロオロし出した。キリトに至っては何も言葉を発していないが、テーブルを叩く指先の速度が上がっている。時間に比例して不安は募る一方だった。

 

「……念のためにメッセージを送ろう。それとフレンドリストから居場所をーー」

 

 カイトが提案の提示をしかけたが、その必要性は無くなった。というのも、彼らの不安感を生み出していた張本人・アスナが、部屋の扉を開ける音と共に現れたからだ。急いで来たのか、彼女は息を切らし、肩が大きく上下している。

 

「も~、アスナ。心配したよ~」

 

 アスナが来た事でユキは安堵し、ほっと胸を撫で下ろす。彼女の元へ歩み寄ると、両手を包み込むようにして掴み、胸の前に持ち上げた。

 

「ご、ごめんね。ちょっと色々あって……えっと、キリト君!」

「ん?」

 

 アスナは目の前にいる友人の後方で、椅子に腰掛けているキリトに視線を移し、彼の名を呼んだ。呼ばれた本人は首を傾け、ユキ越しにアスナを見やる。

 

「今すぐ私と一緒に団長の所へ行こう!」

「…………は?」

 

 突然の提案にキリトは素っ頓狂な声をあげ、首をさらに傾けた。ポカンと口を開けている彼の頭上には、一体幾つのクエスチョンマークが浮かんでいるのだろうか?

 そんな彼の反応は無視し、アスナはキリトに近付くと、彼の左手首を掴んで引っ張りあげる。

 

「理由は移動しながら話すから。兎に角、今はついてきて!」

「ちょっ、お、おいアスナ!」

「それと、二人とも心配かけてごめんなさい。カイト君、この人少し借りるね!」

「あ、あぁ。どうぞ……」

「おい、人を物みたいに――――って、うわっ!?」

 

 カイトの返答を聞いたアスナはキリトの手首を掴んだまま、一目散に走りだして部屋をあとにした。滞在時間が1分とかかっていないであろうその動きは、《閃光》の二つ名に恥じない速さだった。

 

「……何なんだ?」

「……さぁ?」

 

 残されたカイト達は、今一つ状況を把握出来ていない。

 この時のアスナがとった行動の意味はすぐに判明するが、翌日行われる大イベントの前触れである事を、この時の彼等には知る由もなかった。




これにて5章終了。今回は箸休め的な回となりました。
そして次話から6章となります。章タイトルは『心の杯(仮)』。


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第6章 -心の杯-
第43話 前知と慮外


新年明けましておめでとうございます。

今回の話で第6章に入ると共に丁度50話となり、ここまで続けてこられたのも読者の方々がいたお陰です。読んでくれる方がいるというだけで、作者のモチベーションは上昇します。

今後も本作品をよろしくお願いします。


 

 第75層主街区《コリニア》。

 ここは白亜の巨石をいくつも四角く切り取り、それらを積み上げて造られている街だった。円柱状の高い柱を使った神殿が複数存在し、街中には水路が通っている。そんな古代ローマをイメージして作られたのであろう事を、人々が容易に想像できる手助けをしているのは、転移門前にそびえ立つ巨大なコロッセオだ。

 所々ひび割れている円形闘技場内には控え室らしき空間も完備され、中心部に向かう廊下は松明で照らされていて少々薄暗い。だが、そこからさらに歩を進めれば真円を描いた地面が現れ、その周囲を何千人ものプレイヤーが収容できる観客席が設置されていた。

 つい先日開通した最前線の主街区に鎮座する巨大建造物を、まさかこれほど早く利用するとは誰が予想しただろう。しかもここで行われる催しは巨大闘技場という大舞台に相応しい、二人のユニークスキル使いによる決闘(デュエル)だ。まさしく今日、『アインクラッド最強剣士』を決める闘いが始まろうとしていた。

 当然、そんな一世一代の大イベント開催を、内輪だけで終わらせるわけがない。血盟騎士団経理担当のダイゼンを筆頭にした広報活動及び情報屋の協力で瞬く間に広がり、コロッセオの観客席は満席状態である。

 そして大きなイベントに大勢の人が集まってくるのなら、職人系プレイヤーがこの好機を逃す筈がない。彼等にとっては絶好の稼ぎ時であり、その方法は千差万別。

 

 ある者は温かい料理を。

 ある者は自らの腕で鍛えた名剣を。

 ある者はドロップ率の低いレアアイテムを。

 

 早々に席を獲得したプレイヤーは、コロッセオ周辺に軒を連ねるこれらの店に顔を出す。イベントが始まるまでは肉や魚を貪り、戦闘で役立ちそうな代物を物色しつつ、各々で世紀の一瞬を心待ちにしていた。

 しかしそれは他人事だと思っている者達に該当するだけであって、今のアスナには楽しむ余裕など微塵もない。

 

「もうっ! なんで団長の言う事を助長させちゃうのよっ!? 私が丸く収めようとしてたのに!」

「わ、悪かったって。その、何ていうか……勝負を提示されたからには受けるしかないと思って……」

 

 グリームアイズ戦にて《二刀流》スキルを用い、アスナの助力があったとはいえ、圧倒的火力でキリトは討伐に成功した。

 しかしそれは結果論であり、内実はギリギリの戦闘。使用するソードスキルの選択、防御や回避、その他戦闘で問われる各種判断を誤っていれば、彼は今、こうして彼女と会話を交わせていたどうか非常に怪しい。

 

 そんな危なっかしい彼の身を案じたアスナが、キリトとのコンビ継続を申し出たのは2日前の出来事である。アインクラッドの外周を駆け登ろうとした前歴を持っている、彼の無茶は今に始まった事ではないが、流石のアスナも今回の出来事で限界がきたようだ。毎度良くも悪くも驚きと意外性を届けてくれるキリトではあるが、HPバーが危険域(レッドゾーン)まで減少したという紛れもない事実は、彼女の肝を冷やすのに充分すぎる効力を発揮した。そして剣士として、1人の人間として敬愛する彼を失いたくないアスナが決心したのは、彼の側に居ようというものだった。

 ()りながら、まさかその決心が雪ダルマ式に大きく成長するとは思ってもみなかったであろう。

 

「はぁ……私が撒いた種とはいえ、キリト君が水をあげるような真似をするのは予想外だったわ」

 

 そう言ってアスナは目頭を押さえて項垂れる。声に出してはいないが、彼女が何を言いたいのか察するのは、第1層の青イノシンを倒すより容易だった。

 

「ヒースクリフからしてみれば、優秀な部下を横取りされるようなもんだ。『欲しければ剣で奪え』は、至極真っ当な意見だと思うよ」

「だからって……」

「アスナが気にする事じゃないさ。どのみち、あいつとはいつか剣を交える運命だったんだよ。それが少し早まっただけの話だ」

 

 事を大きくしてしまった責任を感じているアスナを、キリトは(なだ)める。それ以上は何も言及しなかったが、未だ完全に納得はしていないのだろう。部屋の灯りに照らされているアスナの顔は、子供のようにプクッと頬を膨らませ、少々の不満が滲みでていた。

 

「オレの事は気にしなくていい。それに、勝っても負けても、目的は達成出来るっていうか……」

「目的?」

「いや……つまり、その……どう転んでもアスナと一緒にいられるっていう話であって……」

 

 束の間の沈黙……。

 

 キリトの言った言葉の意味を理解するのに、アスナは(まばた)き一つ分の時間を要した。その後僅かばかりのタイムラグを経て訪れたのは、熟した林檎のように赤く染まった少女の顔。不意打ちで浴びせられた少年の本心に対し、様々な(プラス)の感情が入り混じる。

 そんなアスナと向き合っているキリトは、彼女の反応によってもらい赤面してしまう。両者共に視線を合わせる事に限界を感じ、やや俯き気味で目を逸らすのだった。

 

「お待たせーーーー!」

 

 突如、張りのある声と共に扉を開けたユキが控え室へ入り、その後ろを追従していたカイトも同様に入室した。

 部屋の中にいた二人はビクッと肩を動かし、柔らかな空気は一瞬の内に元の状態へと戻る。直前まであったやりとりの内容を知らないカイトとユキには、二人が内心で焦りを感じていたのは分かる筈もなかった。

 

「お、おぉカイト。随分遅かったな!」

「中層の知り合いに捕まってたんだよ。ついでに情報屋やら新聞記者にも」

「……ごめんね。なんだかカイト君まで巻き込む形になっちゃったし……」

「別にいいよ。急な呼び出しはアルゴのお陰で鍛えられているから。……ところで、オレはなんで呼ばれたんだ?」

「多分だけど、ダイゼンさんの考えだと思う。ユニークスキル持ちは話題性に事欠かないだろうし……つまりその……」

「客寄せパンダか」

 

 ヒースクリフとキリトの決闘(デュエル)が今回のメインイベントであるが、どうせならもう一人のユニークスキル使いであるカイトも呼んで集客率を上げ、ギルド運営資金の足しにしようという魂胆だろう。トップギルドの経理担当責任者だけあって、ちゃっかり――――もとい、しっかりしている。

 だが、今回得た資金は食事や娯楽に使うのでは勿論なく、アイテムや武器の補充、その他ギルド強化の軍資金に使用されるのだ。『自分一人の影響がどこまで及ぶのかわかんないけど、トップギルドの役に立てるならどうぞ利用してくれ』というのが、カイトの考えだった。

 

「じゃあオレもキリトと同じように、ヒースクリフと決闘(デュエル)すればいいのか?」

 

 カイトが首を傾けて尋ねたのは、後ろに手を組んで隣に並び立っているユキに対してだった。疑問を投げかけられた少女は即座に応答する。

 

「さあ?」

「『さあ?』って……何も聞いてないのか?」

 

 しかし、彼の欲している回答は得られなかった。

 疑問系に対して疑問系で返してきたが、ユキの顔はキョトンとしているわけではなく、確実に何か知っている顔だった。とぼけた様子がわざとらしく、ニッコリとした笑顔でカイトと向き合う。

 

「勿論聞いているよ。でもそれは後のお楽しみって事で、どうぞよろしくっ!」

「え〜〜?」

「まぁ、もう少ししたら分かる事だし。また呼びに来るから、それまでキリトと一緒にここで待機してて。アスナ、行こっ!」

「うん。……それじゃあ、私達は外の様子を見てくるから。またあとでね」

 

 ユキとアスナはそう告げると、二人して出入り口の扉へ向かい、部屋をあとにする。

 取り残されたキリトとカイトは顔を見合わせると、それぞれが部屋に設置されている椅子に腰を下ろした。キリトはメニュー操作を、カイトは腕を組んで天井を仰ぐ。

 

「オレ、今からなにやらされるんだろう……?」

「ゲストなんだから、手荒な真似はされないだろうさ。考えられるとすれば、さっきカイトも言ってた『ヒースクリフとの決闘(デュエル)』が妥当な線だろ」

「……勝てる気がしない。……そもそもオレのスキルは決闘(デュエル)じゃほとんど役に立たないから、攻略組の一般プレイヤーがユニークスキル使いに挑むのと大差ないぞ」

 

 ここでも《治療術》スキルの制約が、カイトの頭を悩ました。

 《治療術》スキルの特徴は、なんといってもアイテム無しの自己回復だというのは言うまでもない。但し、その効果が適用されない唯一の例外が《デュエルシステム》だった。

 SAOで起用されている決闘(デュエル)の勝敗を分かつ方式は、HPの減少量で決定するのが大半だ。《初撃決着モード》の勝利条件の一つ――先に強攻撃をヒットさせる――を除き、HPの半減や全損で勝敗が決するのだから、勝負の途中に《治療術》スキルで自己回復出来る仕様では不公平(アンフェア)だ、というのは、よくよく考えなくても当たり前の事だ。なので決闘(デュエル)中に関して言えば、《治療術》の自己回復はシステム的にエラー扱いとされ、使用できない。

 唯一カイトが《治療術》スキル関連で決闘(デュエル)中に使えるのは、十二連撃ソードスキルの《ソウル・イーター》ぐらいなのだが、十以上の連撃数を誇るソードスキルが誤って全弾命中でもしてしまえば、対戦相手のHPを間違いなく削りきるだろう。

 結論だけいえば、カイトは実質的にデュエル中は《治療術》スキルを使う事が出来ないのだ。一応《治療術》唯一のソードスキル使用がシステム的に認可されているとはいえ、簡単に使う気にはなれないのだろう。

 

「まぁ、やれるだけやってみるさ。……でも、あの防御力を突破するのは生半可な攻撃じゃ無理だぞ」

「あぁ。だからこそ、最初から全力でいくつもりだ」

 

 ウィンドウ操作を終えたキリトの背中に、《二刀流》スキルを行使する上で必要な相棒の片割れ――《ダークリパルサー》――が出現した。開戦までまだ時間に余裕はあるが、キリトの双眸の奥深くで見え隠れする活力は溢れんばかりに満ちている。やる気は十分、あとはその時を待つのみ、といった所だろう。

 

 アインクラッドにはいくつかの定説が存在するが、『ヒースクリフの十字盾を貫く矛なし』というのもその一つだ。50層フロアボス戦において、ボスを相手に10分間耐え忍んだ勇姿は、最早語り継がれる伝説へと昇華している。嘘か真か定かではないが、HPが半分を下回った事がないという話も、彼の伝説を助長させる逸話の一つであり、『いっそのことヒースクリフにボスを任せてしまえばいいのではないか』という冗談も飛び交う程だった。

 攻略組に限らず、中層以下のプレイヤーからも絶大な人気と信頼を得ている彼だが、仮に《神聖剣》がなくともそれは揺るがなかっただろう。元々の実力もさることながら、多角的かつ冷静に物事を見据え、状況に応じた判断と指示を的確に出す能力も兼ね備えている。その点に関して言えばアスナの素質も文句なしだが、やはりヒースクリフと比較すると見劣りしてしまう。

 一人の人間としても、MMOプレイヤーとしても保有するスペックが高いヒースクリフだからこそ、《神聖剣》の使い手に選ばれたのだろう。そして彼でなければ《神聖剣》は使いこなせないに違いない。

 

 そんな人物を相手に、キリトはこれから挑もうとしているのだが、緊張で萎縮している様子はなく、どっしりと構えている姿は頼もしさを感じる。キリトの二刀は最強の盾にどこまで通用するのか。

 

「自信のほどは?」

 

 不意にカイトは問いかける。当の本人がどう思っているのか、キリトの口から聞いてみたくなったのだ。

 

「あるとも言えるし、ないとも言える」

「曖昧だなぁ」

「ボス戦で何度も見てはいるけど、実際に剣を交えなければわからない事だってあるさ。《神聖剣》のソードスキルは未知数だし、対モンスター戦と対人戦じゃ立ち回りも変わる。不安要素なんて挙げてたらキリがないけど、勝つ要素が全くないかと問われれば、そうでもない」

「と、いうと?」

「奴がまだ《二刀流》スキルを実際に見ていないのと、決闘の方式が《初撃決着モード》で行われるって所だな。ヒースクリフのプレイスタイルはおそらく……いや、間違いなくこっちの攻撃を凌ぎつつ、隙をみてカウンターを叩き込んでくる筈だ。短期決戦が見込める《初撃決着モード》なら、呼吸を掴まされる前に二刀流特有の手数で圧倒出来るかもしれないけど、それは長期戦になればなるほど、こっちが不利になるって裏返しでもある。……まぁ自分なりに分析して列挙したはいいけど、それでも勝率は良く見積もって3割ぐらい……かな?」

「へぇ……」

 

 《二刀流》の武器は、手数の多さとそこから連なる火力の高さが売りだ。烈火の如く繰り出される二刀の嵐が巻き起これば、たとえヒースクリフといえど体勢を崩され、勝負は決するものだろう、というのがカイトの見解だが、どうやらキリトはそう甘く考えてはいないらしい。

 己の力量と相手の実力を天秤にかけ、生じる未来を予測するのも、プレイヤーに求められる重要な要素の一つ。キリトに限った話ではないが、こうした判断力は死地を潜り抜けた回数をこなし、得られた経験値が多ければ多いほど、必然的に培われるものだ。これはある種のシステム外スキルといっても過言ではない。

 

「キリトで3割なら、他の奴だと万に一つの勝ち目もないな」

 

 『勝率3割』と言われると通常なら頼りない気もするが、あのヒースクリフを相手にしてこの数字は中々に大きく出ている方だ。

 

「……兎に角、今回は10回やって得られる3回の勝ちの一つを取れるような戦いをするさ」

 

 安い挑発に乗せられたとは言え、勝負事で理由もなく負けたがる人などいないし、挑まれた勝負は誰だって勝ちたいものである。

 キリトは椅子から立ち上がると、部屋を明るく灯している燭台の炎をジッと見つめた。ユラユラと揺らぐ炎のオブジェクトが彼の瞳に映り、それは今まさに抱いている闘志と一分(いちぶ)の隙もなく同調していた。

 

 

 

 

 

 控え室の扉を開けて入ってきたアスナの声に呼ばれ、一足早くカイトは闘技場へと足を運ぶ。本日の主賓であるキリトを部屋に残し、カイトとアスナは薄暗い廊下を歩き出した。

 一歩先を行く彼女の後ろ姿に対し、カイトは一言だけ問いかける。

 

「ヒースクリフとキリト、二人が本気でぶつかったらどっちが勝つと思う?」

 

 アスナは正面を向いたまま、右の人差し指を顎に添え、少しだけ考える素振りを見せる。

 

「キリト君の《二刀流》を見た時、規格外の強さだって感じたけど……団長も充分規格外だしなぁ……。ところで、この後の勝負でもしもキリト君が団長に負けたら血盟騎士団に入る約束だけど、そうなった場合カイト君はどうするの? そもそもなんで二人は今までギルドに入ろうとしなかったの?」

「その情報は高くつくヨ」

 

 アスナが振り返った先にはアルゴ――――ではなく、親指と人差し指で円を作り、アルゴのモノマネをしているカイトの姿があった。似ている、とまではいかないが、きちんと特徴を掴んでいる所が笑いのツボを緩く刺激する。アスナは軽く吹き出すと、クスッと小さな笑みを浮かべて口元に手を添えた。

 

「それはアルゴさんの真似?」

「本人には不評だけどな。……それで、ギルドに加入しない理由だっけ?」

 

 カイトは歩きながら腕を組んで少し考え込むと、右手でグーの形を作り、指を一本ずつ立て始めた。

 

「一つ目はキリトと二人で今までやってこれたから、わざわざギルドに入る必要性を感じなかったって事。ただ、70層以降はモンスターのアルゴリズムに変化が生じてきたから、今後はどうなるかわかんないな」

「じゃあ二つ目は?」

「これは個人的な活動に関わってくるんだけど、中層で好き勝手している犯罪者(オレンジ)の捕縛依頼が今でもあってさ。ラフコフが壊滅した直後は大人しくなったけど、最近また被害が増え出してるんだ」

 

 攻略組で編成された討伐隊による『《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》殲滅戦』。

 『ゲームオーバー=現実での死』という認識があるにも関わらず、積極的殺人を繰り返してきたレッドギルドの殲滅作戦。真夏の夜に行われた死闘は双方共に多大な被害を(こうむ)りつつも、最凶最悪の犯罪者ギルドを壊滅させるという戦果を生んだ。団長のPoHを逃したとはいえ、アインクラッドで発行されている新聞の一面を飾る吉報だったというのは、2ヶ月以上経った今でも記憶に新しい。

 その一件以来、大小様々なオレンジギルドが嘘のように息を潜め、活動を停止したのだ。犯罪者にランクをつけるとするならば、ピラミッドの頂点に位置するのがラフコフであり、そのラフコフが壊滅・解体を余儀なくされたのだから、当然といえば当然だろう。悪目立ちすれば、次は自分達の身にふりかかる可能性があるからだ。

 目を引く強大な悪が消え去り、いつ自分達に矛先が向けられるかわからない。ならば最初から犯罪など犯さなければいいだけの話なのだが、彼らの感覚はとうの昔に麻痺してしまっているらしく、『悔い改めるつもりはない』とでも言うように、再び活動を開始したのだ。平和という曖昧で不確かな存在は、そう長くは続かないようにできているらしい。

 

「ギルドに所属していると、大なり小なり身動きの自由が利かなくなる。だけどキリトと二人だけのコンビ活動なら、そんなしがらみはないも同然だ。依頼があればすぐにとんでいって、一人でもたくさんの人を助けられるかもしれないからな。……何処にも属さずにフラフラしてると思ってる人だっているかもしれないけど、一応自分なりに考えて出した結論がコレなんだ」

 

 本人が意図しない所で《掃除屋》という二つ名を与えられ、いつの間にか犯罪者を相手にする機会が多くなった。別にそれは自分から始めた訳でもなく、義理堅く責務を負う必要も義務もない。

 それでも《掃除屋》としての活動を続けているのは、自身の中で自然と構築された『使命』とでもいうのだろうか。

 

「まぁ、今回の件でキリトがギルドに入ったとしても、オレはソロで活動を続けるよ。幸い《治療術》スキルもあるし――――っと、そろそろか」

 

 二人の目の前には闘技場に続く出入り口が見えてきた。数十メートル離れた先から陽光が入り、観客のざわつく声が聞こえてくる。

 アスナは途中で立ち止まり、カイトだけがさらに歩みを進めると、開けた視界に飛び込んできたのは、観客席にぎっしりと詰まっている人の群れだった。

 そして割れんばかりの大歓声。想像以上の熱気に圧倒されると同時に、カイトまでもがつられて気分が高揚してくる。深く呼吸すると、今一度気を引き締め直した。

 

「――よしっ!」

 

 この場にいる観客のほとんどは、ヒースクリフとキリトのデュエル観戦が本命であろう。だがその前座とはいえ、攻略組の一員として相応しい戦いをしようと、彼は胸の内に決心をした。

 そしてここにきて今更ではあるが、カイトはある重要な事をアスナから聞きそびれていたと気付く。

 

(そういえば対戦相手を聞いてない……)

 

 マヌケな話だ、と内心で自虐するが、ここまで来てしまえばそんな些細な情報は自ずとわかるもの。

 そんなカイトの考えを見透かしているかのように、会場に響き渡る歓声がより一層大きくなったが、その答えは明白。舞台に役者が揃ったからにほかならない。

 カイトと真逆の位置から現れたのは、真紅の鎧に身を包み、白いマントを羽織って十字盾を左手に携えたヒースクリフ――――ではなく、長身の聖騎士殿よりも小柄で無垢な少女だった。

 意気揚々と登場した少女は闘技場に現れると、その場でクルっと辺りを緩やかに見回す。観客席が人で埋め尽くされている光景を見て驚きを露わにした後、真正面でポカンと口を開けているカイトの元へと歩み寄り、5メートル程離れた場所で立ち止まった。

 

「……ユキ?」

 

 名を呼ばれた少女――ユキは、静かにニッコリと微笑んだ。

 



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第44話 剣乱と絢爛

 

 人は予想外の事態を迎えた時、僅かに思考が停止する。

 それが当の本人に及ぼす影響の大きい・小さいの違いはあれど、『なぜ? どうして?』といった疑問を自身に課し、出来る範囲で事象に対する回答を得ようとするものだ。

 

「なんでユキが……? てっきりヒースクリフかと……」

 

 それは例外なく、彼にも言えた事。

 今のカイトは、目の前の事態に対する回答を得るため、脳内で盛んに情報の整理を行っている。

 

 なぜ対戦相手がヒースクリフだと思っていたのか?

 それはこの催しが『ユニークスキル同士の対決』と銘打っているため、ユニークスキルを所有するカイトもキリトと同様に、《神聖剣》と相対すると勝手に思い込んでいただけだ。

 

 ならばどうしてヒースクリフではなく、ユキが眼前に立っているのか。

 ここは古代ローマの戦士達がぶつかり合い、己の力量を計る意味も込めて設けられている歴史的建造物《コロッセオ》を題材にした闘技場だ。ここの中心部に立つからには、コロッセオが持つ意味に即した理由を有している。

 つまり……。

 

「それは勿論、私がカイトの対戦相手だからだよ」

 

 カイトはしっかりと、はっきりと、彼女の発した言葉を聞き取り、意味を湾曲させずにそのまま受け取った。

 

 彼女が《血盟騎士団》に入団したのは、SAOが開始されてから約半年後。それまではカイトやキリトと行動を共にし、喜びを始めとする各種経験を数多く体験し、その都度共有し合うという生活を送っていた。そしてその生活の一つに、日常的に行われていた習慣のようなものがあった。

 

 それは、対人戦を想定した決闘による模擬戦闘である。

 これは当時、今後意図的なPKが発生する可能性を予想したキリトの提案から始まったものだった。敵はモンスターに限らず、悪意を持ったプレイヤーだって自分達の敵となり得る。単純なアルゴリズムの組み合わせで動くモンスターは、じっくりと動きを観察すれば自然と攻略パターンが見えてくるが、プレイヤーはそうもいかない。対プレイヤー戦に慣れるため、そしていざという時に身を守るためにも、模擬戦闘は必須だったのだ。

 故にカイトとユキは模擬戦闘で何度も剣を交えた記憶があるため、今回の決闘(デュエル)は初めてというわけではない。しかし1年半という時間が経過した今となっては、両者の技術は長い月日を経て飛躍的に向上している筈なので、久方ぶりの決闘(デュエル)は、どちらに勝利の女神が微笑むのか皆目見当がつかない。

 半ば呆然としているカイトを余所に、滑らかな動作でユキの指は動き、止まると、彼の前に見慣れたウィンドウが表れた。

 

【Yuki から1vs1デュエルを申し込まれました。受諾しますか?】

 

 視線を半透明のメッセージから対戦者に移すと、それに気付いた少女は再度ニッコリと微笑み、対面する彼を見ながら右手の人差し指で空間をつつく。決闘承諾を促しているのだろう。

 断る、という選択肢はカイトの中にない。戦闘狂(バトルジャンキー)を自称する気もそうなった覚えもないが、先日間近で彼女の戦闘を見て、少なからず久方ぶりに剣を交えたいという衝動に駆られたのは事実。そして何より、周囲のボルテージは徐々に上昇しており、ここで引いては興醒めもいいところだ。

 

(……ほんと、どうしてこうなったんだか)

 

 一呼吸の間を置いて、デュエルを承諾。

 決闘方式の選択を終えると、頭上にカウントダウンが表れ、対峙する二人に少しばかりの時間を与えた。

 過去に何度も行ったユキとの戦闘から、初動のパターンを脳内でシミュレーションする。

 『守りより攻め』の姿勢をとる彼女は、連続攻撃で封殺しにかかると予想。カウントがゼロになると同時に敏捷値全開で疾駆し、肉薄した彼女は通常攻撃で圧倒するつもり、というのが、カイトの考えうるユキの思考回路だ。キリトの二刀流ほどではないが、彼女が繰り出す短剣の連続攻撃も中々侮れず、涼しい顔で捌けるレベルではない。

 ならば彼女の接近を待ち構え、落ち着いて初撃を捌き、カウンターで決着をつける――――と、考え付くが、即棄却。これぐらいの作戦なら彼女も想定済みだろう。

 よってその逆。ユキの思考の裏をかけるかどうかは不明だが、出だしはもう一つの案で攻め込む算段をカイトは立てた。あとは自分にとって動き出しやすい構えを作り、開始の合図が鳴るまで相手を観察することに努める。

 カイトは右手を前に出して半身になると、剣先は水平状態を保持したまま、腰を落としてやや後ろに重心を移した。対面するユキはといえば、半身の状態から短剣を逆手に持ち替え、身体の後ろへ追いやることで剣が見えないように隠した。

 

 刻一刻と迫る開始のゴング。その瞬間を、ただひたすら待つ。

 カウントが小さくなるのと比例して、観客席からの声も徐々に小さくなっていき、いつしか水を打ったように静かになった。この場に大勢のプレイヤーがいるのを忘れてしまうほど、といっても過言ではない。

 そして闘技場内に吹いた風が、二人の頬を優しく撫でた。次の瞬間――

 

 【DUEL!!】

 

 ――両者は寸分の狂いもなく、同じタイミングで駆け出した。

 攻め立てる彼女の連続攻撃が一度流れに乗ると、途中で断ち切るのは困難を極める。最初にカイトが考えた守勢は決して悪手というわけではないが、どうせなら攻撃が開始される前――――出鼻をくじいた方が良い。だからこそ、彼はユキと同じように攻め込む選択をとった。

 ユキの目が大きく見開かれる。それはカイトの初動が予想の範疇を超えたために生じた驚きによるものか、はたまた別の何かか。

 理由はすぐに判明する。なぜなら、彼女の口角が上がり、微笑したからだ。

 その事にカイトは気付きつつも、動かした右腕をここで止めては寧ろ逆効果と判断し、構わず剣を振るった。

 

「はあっ!!」

 

 沸き立つ気合いと共に息を吐き出し、カイトの剣がユキの左肩目掛けて一直線に伸びる。ユキはそれに対して上体の位置をずらし、後ろに構えていた短剣でカイトの剣の軌道を上方向に逸らした。二人の瞳が交錯すると、すぐに次の動作に入る。

 

「やあっ!!」

 

 ユキは逆手に持った短剣の剣先で切り裂くように、逆袈裟軌道で振り下ろした。剣を前に突き出した状態のカイトに、防御行動は不可。よって彼が取った行動は回避一択。地面に吸い付いている足の裏をさらに強く押しつけ、後方へと跳躍することで距離をとる。ズザザ、と地面を勢いよく(えぐ)りながら着地すると、一瞬だけ視線が上下した。

 一方のユキは、カイトの後退を最初から見越していたかのように、開いた距離を瞬く間に縮める。突進技による加速ではなく、純粋なステータスによる加速だった。

 

「せあっ!!!!」

 

 彼女が優先してとった行動は、カイトに対する攻撃ではなく、彼の妨害。

 カイトとの距離が縮まると腰を瞬間的に沈め、短剣を地面に突き刺した。突き立てた刃が上に向かって高く跳ね上がると同時に、カイトの姿を覆い隠すかのように砂塵が舞う。彼の視界が細かい粒子の演出によって土気色に染まると、周囲の状況を把握出来ない状態になった。いわば、間接的な視力の剥奪である。

 

(くっ――)

 

 外部からの情報入手を眼球に頼りきっている人間は、目を潰されることで唐突に不安を覚える。カイトも例に漏れず同様であり、見失ったユキの居場所を特定するため、キョロキョロと(せわ)しなく辺りに目を走らせた。

 だが、彼の背丈を越えるほどに舞い上がった砂の粒子のせいで、それは困難を極める。カイトの足を止めて位置を固定させることに成功した彼女は、必ずどこかで奇襲をかけてくる筈だ。そこで彼は目だけに囚われず、微かな音も聞き漏らさないよう、ユキの足音にも意識を集中させると――

 

 --ジャリッ

 

 ――闘技場の地面が踏みしめられる音を、彼の耳が捉える。

 発生源は左側真横。身体を90度回転させ、右手を大きく振りかぶって迎撃体勢を保持すると、視線の先から黒い影が接近する。土煙を掻き分けて現れたユキは、カイト目掛けて剣を降り下ろし、カイトもまた、ユキ目掛けて剣を振り上げた。

 甲高い音が場内に響き、両者共にダメージはなし。すぐにユキは大きく仰け反った身体を前に倒すと、左手に持っている何かを、カイトのおでこに勢いよく突き出した。

 

「----っ!?」

 

 衝撃はあるが、HPに変動はなし。つまりダメージなし。

 それもその筈、彼女が左手で突き出したのは--

 

(--鞘!?)

 

 --剣を納める鞘だからだ。

 鞘は剣の耐久値減少を防ぐのが本来の役割であるため、それ自体に攻撃力は設定されていない。しかし、ユキのこの行動はノックバックを発生させ、目眩にも似た感覚がカイトを襲う。彼に擬似的なスタン状態を生み出すのに成功した。

 

(ヤバッ--)

 

 瞬きするだけの、ほんの僅かな時間、怯む。その間は、彼にとって命取りだった。

 

「りゃあぁぁぁあ!!!!」

 

 気合い一閃で繰り出す、風を切るような鋭い剣撃。

 華奢な腕は右から左へと流れ、切っ先がカイトの頭部に迫る。

 

「く……おぉ……っ!」

 

 懸命に上体を反らしたが、反応の遅れたカイトの回避行動に加えて隙を逃さずに正確なタイミングで放った剣は、彼にHPの減少と左目の欠損ペナルティをもたらした。カイトの視野が急激に狭まり、片目だけではあるが、今度こそ本当に視界を奪われる。

 追撃を予想した彼は構え直し、迎え撃つために姿勢を正すが、そんな予想に反し、ユキは距離をとる行動に出た。離脱の際に行った後方宙返りが、惚れ惚れするような美しい放物線を描く。

 巻き起された砂塵のせいで二人の置かれている状況を把握しきれていなかった観客達も、土煙が晴れることでようやく現状を理解し、白熱した戦闘は皆の熱気を加速させる。そして欠損ペナルティを課せられているカイトの不利は、誰が見ても明白だった。

 

「驚いたな……まさか剣と鞘の二刀流でくるなんて」

「キリトの二刀流を聞いた時に閃いたんだ。でも所詮は付け焼き刃で、意表をつくためだけにやっただけだから、もう今回は使わないよ」

 

 そう言ってユキは左手を後ろに回すと、鞘を元あった腰の位置に納め直す。

 

「ねえ、カイト。私達も団長とキリトみたいに、デュエルの結果で何か約束事をしない?」

「約束事……?」

「うん。そうだなぁ……例えば、負けたら勝った人の言う事をなんでも一つだけきく、とか」

「なん、でも……」

 

 その時、カイトの脳裏で邪な考えがよぎったがーー

 

(いやいや、違う違う!)

 

 ーーそれはすぐに振り払われた。

 

(ユキはそんな意味で言ったんじゃないしあくまで例えとして言っただけでそもそもそっち方面に考えが向いたオレがダメな訳で)

 

 カイトはよぎった思考を振り払うかのように、頭を激しく横に振った。

 

「わかった、じゃあそうしよう。但し……今のセリフ、オレ以外の男には絶対に言うなよ」

「?」

 

 こんな言葉が口から出る場面など滅多にないが、念のために注意喚起をして釘をさす。解釈次第でとんでもない爆弾発言にとれる事を口にしたという自覚はユキになく、小首を傾げて不思議そうにしながらも、小さく頷く事で了解の意を示した。

 

 そして二人が交わした些細な会話は、剣を構えて戦闘続行を表した事で終了する。お互いの眼差しが研ぎ澄まされた剣のように鋭く変化したのは、意識が戦闘モードへと移行した証だった。

 両者はソードスキルを起動し、繰り出したのは突進技。加速した剣撃による衝突音は場内にいる観客の元まで届き、位置を入れ替えた二人は技後硬直で静止した。

 硬直が解けると示し合わせていたかのように同時に振り向き、時計回りに回転して空間を水平に切り裂く。

 剣戟の応酬は、ほぼ互角。実力は拮抗している。

 

「変な感じだな! まるでこっちの動きが読まれているみたいだぞっ!」

「だってカイトの事だもん。それぐらいは当然だ…………よっ!!!!」

 

 ユキは勝負に出た。

 所有する武器の攻撃可能範囲までカイトに肉薄し、腹部を突きにかかる。身体を半身にして左側へと逃げ、ギリギリ回避に成功した彼だが、反らした身体に追従するようにして刃は再度迫り、脇腹を切りつけた。

 

(うぐっ……)

 

 カイトは右手の剣を振り上げるが、苦し紛れの切り上げは難なく避けられてしまう。そして腕を振り上げた事で腹部がガラ空きになり、すかさずユキは掌底打ちを繰り出した。

 

(実際にやられてみると……キッツイな、くそっ!)

 

 彼女の十八番(おはこ)剣舞(ソードダンス)》。

 本来であれば合間にソードスキルを用いるが、今回に限って言えば全て自力の攻撃で攻め立てる。剣技と体技の力の限りを尽くした連撃はシステムアシストを得ていないため、威力と速度はどうしても本来の仕様より劣ってしまうが、その分動きに縛りがないため、隙を突かれるリスクは低く、自由度は高い。

 縦横無尽に走る剣尖を捉えるのは容易でなく、片目欠損の《盲目(ブラインドネス)》状態というハンデが、カイトの防御・回避行動に微妙な誤差を生んでいた。普段は両目で物体を立体的に捉えるため、片目だけでは遠近感が掴めず、戦闘に支障をきたす。体勢を整えようにもユキが常に詰めにかかるため、困難を極めていた。欠損回復までの3分間を悠長に待ってくれるほど、彼女は生易しくないだろう。

 

(ーーーーそれならっ!)

 

 視界が半分になった影響で距離感を掴めずに誤差が生じてしまうのならば、その誤差を戦闘中に修正すれば良い。振り下ろした自身の剣とユキとの間隔をしっかりと目で捉え、その都度微調整を繰り返す。染み付いた本来の間合いを思い出すかのように、ユキの《剣舞(ソードダンス)》を少しずつではあるが、掠める事なく避けられるようになってきた。

 

(もう少し……)

 

 だが、のんびり構えている暇はない。こうしている間にもユキの猛攻は継続しているため、カイトのHPは着実に減少の一途を辿っている。

 だが、修正にさほど時間はかからなかった。

 

(イケる!)

 

 そう確信した理由は、彼が抱く剣筋のイメージと実際の剣筋がピタリと一致したから。その感覚を忘れないように意識し、ユキの動きから次の動作を予測しつつ、回避と防御に徹する。

 

「……綺麗」

 

 二人の戦っている光景を見て、率直な感想を呟いたのは傍らで見守るアスナだった。

 決闘などという大仰なものではなく、コロッセオという名のステージ中央に立ち、流麗な演舞を披露しているという錯覚に陥ってしまう。

 

 少女は踊る。

 滑らかな動作は見る者を魅了し、視線の固定を強いられる。白を基調とした制服をはためかせ、刀身の短い剣先は定めた目標へと吸い寄せられるように動いていた。俊敏かつ繊細な動きを繰り返す小さな身体は、内から溢れる覇気を撒き散らして全力を尽くす。

 

 少年は舞う。

 少女の一挙手一投足から先を見据え、予見し、まだ見ぬ未来の軌道を脳内で思い描く。欠損ペナルティのハンデがあるという事実を忘れてしまう程、カイトの体捌きは普段と遜色ない。受け止め、流し、時には衝突して黄色い閃光を散らしていく。

 焦りで満たされていた心に少しばかりの余裕を取り戻したカイトは、ユキの動きに意識を割きつつ、口を開いた。

 

「そういえばさ……さっき『オレの事ならなんでもお見通し』みたいな主旨の発言があったけど……」

 

 何かを思いついたであろうカイトの微妙な表情の変化を、ユキは見逃さなかった。

 

「それはこっちにも言える事だぞ」

 

 カイトの胸部に銀白色の刀身が迫るが、彼は左から右へと剣を払い、柄の先端部分で刃の腹を水平に殴打した。打ち抜かれた彼女の剣は衝撃で弾かれ、持ち主の意思に反して手から離れて空を飛ぶ。不慮の事故によって、ユキは《武器落下(ドロップ)》してしまった。

 武器を弾いたカイトの剣は、そのまま流れるようにして肩に担ぎ、空いている左手は前に突きだして宙に添える。彼の剣が燐光を帯び出すと、ユキは《レイジスパイク》の発動を予期し、咄嗟に真横へ回避行動をとった。突進技の軌道は一直線上であるため、彼女の行動は基本に忠実でベターな判断と言えよう。

 

「ハズレ」

 

 引っかかった、とでも言わんばかりの不敵な笑み。

 カイトは発動前のソードスキルを即座にキャンセルすると、ユキの後を追従し、横に薙いで一太刀を浴びせた。斬撃を喰らった彼女は体勢を崩したものの、両手を地につけて空中で弧を描き、両足で着地する。顔を上げて双眸をカイトに固定した時には、システムによって加速した彼が肉薄し、今まさに剣技を振るわんとしている場面であった。

 ペールブルーの燐光を纏い、片手剣基本突進技《レイジスパイク》が、ユキの胴体中心部へと吸い込まれていく。剣先は彼女を突き飛ばし、HPの減少は止まることなく半分を割り、黄色く染め上げたところでシステムがジャッジを下した。

 次の瞬間、割れんばかりの歓声が会場内を包み込み、そこでようやく二人の意識が戦闘モードから平常時へと切り替わる。両者共に息を吐き出すが、そこに含まれる意味は全く真逆のものだ。

 

「はあ……ヒヤヒヤした……」

 

 一つは緊張から解放された事による安堵。

 

「あぁ……負けちゃった……」

 

 もう一つは苦い敗北の味からくる悔しさ。

 

「フェイントに引っ掛かりやすいところは変わんないよな」

「じゅ、純粋で素直だからだよ!」

「自分で言・う・なっ!」

「あうっ……」

 

 尻餅をついている少女のおでこ目掛け、指2本で軽く突いた。突かれたおでこを摩っているユキの様子は、不貞腐(ふてくさ)れている子供のようだった。

 立ち上がったユキが両手で膝を軽く払っていると、カイトは文字どおり勝ち誇った顔をしながら、彼女を指差した。

 

「約束は約束だからな」

「……私の出来る範囲でお願いします」

「無茶苦茶な要求をするつもりはないから、安心しろって。……それにしても、目をやられた時は本気で焦ったぞ」

 

 先程やられた左目を押さえ、彼は天を仰いだ。既に視野はいつも通りとなっているため、欠損ペナルティの3分間は経過しているらしい。

 

「あぁ、あれね。実は団長のアドバイスでやった事なの」

「ヒースクリフの……?」

「うん。入場前に『どちらでも良いから、彼の目を欠損させて動揺を誘いなさい』って」

 

 開始直後の攻撃は、どうやらユキが自発的に思い付いた戦略ではなく、ヒースクリフが入れ知恵したために起こした行動らしい。結果的にはなんとか持ち直したものの、やられた本人は途中まで本気で焦りを感じていたのだから、カイトが『余計な事を……』と悪態をつくのは、当然の反応だった。

 

「さあ! 次はキリトと団長の番だから、2人で一緒に観戦しよっ!」

 

 そう言ってユキはカイトの手を取り、やや強引に引っ張って足早に移動を開始した。

 

「ちょっ!? そんなに急かすなよっ!」

 

 引っ張られた際にバランスを崩したものの、すぐに立て直し、彼女のペースに合わせて歩く。二人の決闘(デュエル)は爽やかな雰囲気で終結し、そんな彼と彼女の健闘を称える意味を込め、観客席からは惜しみない拍手が送られることとなった。

 

 

 

 

 

 パチパチ、と乾いた拍手の音が上下左右の壁に反射し、共鳴する。ヒースクリフはキリトとは反対方向に位置する場所で待機しつつ、少年少女の決闘(デュエル)を観戦していた。

 

「見事だ。やはり、私の目に狂いはなかった」

 

 但し、彼の拍手に込められた意味は、観客達のものとは異なる。なぜなら彼は二人の戦いに着目していたのではなく、彼の動きだけに焦点を合わせていたのだから。

 そしてヒースクリフはじっくりと観察した結果、カイトが他のプレイヤーよりも秀でている、とある能力を見出だし、確信したのだった。おそらく、観察対象とされた本人には、その秀でた能力の自覚はないだろうが……。

 

(まさかユニークスキルを()()()()()()()()()()()プレイヤーが現れるとは……)

 

 全10種あるユニークスキルに設定されている習得条件は、個人の有する元々の才覚、又は能力による部分で決定するもの、あるいは習得に必須の項目を最初に達成した者に与えられる。この事実を一般プレイヤーが知る機会は決してないが、例えて明言するのであれば、前者は《二刀流》であり、後者は《治療術》、《暗黒剣》が該当する。

 よって全プレイヤー中で最も秀でた能力を有し、かつ、設定されている習得条件を最速で達成したのならば、バランスブレイカーとも言われるユニークスキルを二種類以上保有する事も可能だ。それを実現するのは言葉で表すほど簡単なものではないのだが――――極小の可能性を見事掴んだ者が、ここにいたのだった。

 但し、それは浮遊城の攻略が9割に達した時点で解放される、近くて遠い将来の話だ。

 

(――さて、私は私の役目を全うしよう……)

 

 真紅の鎧と白いマント、剣と盾で一式の武器――《リベレイター》――を携え、ヒースクリフはこの世界最強の挑戦者を迎え討つ準備をした。



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第45話 侵食と黒の気魂(前編)

約1ヶ月ぶりの更新となります。遅くなって申し訳ありません。
今回は前後編です。



 

「おぉ〜、なんだか新鮮だね! ……でも、すっごい違和感ありあり」

「ユキに同じく」

「……アスナ、今からでも遅くない。一番地味なやつに変えてくれ」

「これでも十分地味なやつだよ。大丈夫、似合ってるから!」

 

 第50層主街区《アルゲード》の一画に佇む《エギル雑貨店》の2階。新メンバーとして血盟騎士団に入団したキリトは、支給されたギルドの白い制服に袖を通していた。これまでは本人の好みで黒い装備を中心に着ていたため、それとは対極に位置する白い装備を受け入れるのは、本人のみならず、共に行動していたカイトでさえ、違和感を覚えざるを得なかった。

 一昨日の《神聖剣》VS《二刀流》の決着は、キリトの今の状況で察することが出来るはずだ。10回中3回の勝ち星を掴み取ることが出来なかった、とでも言い換えよう。息をするのを忘れてしまうほどに見入る高速戦闘を織り成した結果、僅差でキリトは敗北してしまったのだ。最後の一撃を喰らったキリトは地に伏し、『信じられない』とでも言わんばかりに呆然としていたのが、カイトにとっては非常に印象的だった。

 

「まだギルド内にはお前の事を認めていない奴もいると思う。巧みな話術で打ち解ける、なんて高等テクニックはキリトに皆無だから、まずはギルドの空気に慣れる所から始めろ」

「わかってるよ。……アスナ、ユキ。改めてよろしくな」

「うん。よろしく」

「こちらこそ、よろしくね」

 

 キリトは部屋の中にあるベッドに腰を下ろし、そのまま背中を預けて寝転がる。未だ自分を取り巻く環境の変化に適応できていないらしく、その表情はどこか不安げな様子だった。

 

「本当にごめんね。キリト君を巻き込む形になっちゃって……」

「この前も言ったけど、アスナが気にする事じゃないさ。いつかはギルドに入ろうと思ってたし、寧ろ丁度良いよ」

「そう言ってくれると、こっちとしては有難いけど……。ねえ、カイト君。本当に血盟騎士団に入る気はないの? ……ううん、別に血盟騎士団(うち)じゃなきゃいけないわけじゃない。どこか他のギルドに入らないの?」

「今はまだ……かな。取り敢えず、しばらくはソロで動くよ。まだやるべき事が残ってるから」

 

 カイトは腕を組み、やや俯きがちで返答した。

 アスナの申し出は、彼にとって非常にありがたい。だがこうしている間にも、カイトの元にはアルゴ経由で仕事の依頼が入ってきている。自分に救いを求めて訪ねてくる人達を無下にできるほど、彼は非情ではない。

 

「そういうわけだから、オレはもう行くよ。57層の主街区でアルゴと待ち合わせてるから」

 

 右手をヒラヒラと横に振りながら、それだけを告げてドアノブに手をかけると、木製扉を開く。古びた扉に似つかわしい軋んだ音を響かせながら、カイトは部屋をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ってのが、オレっちの入手した奴らに関する情報ダヨ。潜伏先は主街区から一番近い村の南西方向に位置する、小さな洞窟ダ」

 

 予定通りにアルゴと合流したカイトは、主街区の路地裏にあるNPCレストランで食事を摂りつつ、依頼内容と必要な情報の確認を行う。店内では2人以外にプレイヤーは誰もおらず、NPCの店主が皿を拭いている音だけしか聞こえない。

 カイトは注文したパエリアを一口頬張ると、口内に広がる味を堪能しつつ、渡された情報を整理していた。依頼内容は例に漏れることなく、犯罪者(オレンジ)の捕縛。

 

「わかった。……ほい、今回の情報料」

「あいよ、確かに受け取っタ」

 

 規定のコルを渡されたアルゴは、手付かずだったサンドイッチをようやく食べ始める。色とりどりの具が挟まったパンにかぶりつくと、中身が溢れてしまいそうだった。

 先に完食したカイトはコップの水を飲み干し、喉の渇きを潤す。店内に流れる軽やかなテンポのBGMとは相反し、彼の心情は心晴れやかとは言い難い。「う〜ん」と小さく唸り声を上げると、対面する小柄な情報屋に問いかけた。

 

「なあ、アルゴ。最近依頼がやたら増えてないか?」

「ん〜? それはそうだろうヨ。ラフコフ壊滅を受けて明日は我が身とビビってた奴らが、ほとぼりが冷めるまで大人しくしていただけダ。それは以前カー坊自身が口にしたことじゃなかったカ?」

「それは……そうだけど……」

「安心しなヨ。こんな状態が長く続くわけないから、今だけだろうナ。それまではカー坊にあやかって稼がせてもらうから、途中でリタイアなんて真似はやめてくれヨ。カー坊は大事な上客だからナ! ニャハハハ!」

 

 アルゴの笑い声と、店内のBGMがマッチした。

 

「そもそも何をそんなに危惧する必要があるんダ? カー坊の実力なら余程の大物でもない限り、中層をメインに活動する小物風情、不測の事態があっても問題ないダロウ?」

「そこが問題じゃないんだよ……」

 

 テーブルに肘をつき、頬杖をついて極々小さなため息をつく。そんなカイトの様子を訝しみつつも、彼の心情をいまいち計りかねるアルゴは、小首を傾げて顔を歪めるにとどまった。店内に流れる曲は、いつしかバラード系のゆったりした曲調へと変化している。

 

「カー坊が何をそんな気掛かりにしているかオレっちにはわからんが、オレっちが協力出来ることなら何でも言えヨ。カー坊の活動で救われたプレイヤーは数多くいるし、今後被害にあうプレイヤーを削減するためにも一役かってル。こんな所で失っていい存在じゃないと思っているのは、オレっちに限らず、皆が思っている事ダ。それだけは肝に命じときなヨ」

「……わかったよ」

 

 自分はそこまで大層な存在じゃない、とは思いつつも、彼女が自分を大切な存在であると明言してくれた事実に、カイトは少なからず嬉しさを感じていた。思わず頬が緩む。

 それを悟られないように、彼は湯気の立つコーヒーが入ったカップで口元が見えないようにした……のだが、《情報屋》の観察眼は微々たる変化も見逃さない。第2層からの長い付き合いだ。その仕草が彼の照れ隠しであるのを見破るのは、コンマ1秒の時間も要する必要はない。

 

「技術面でオレっちがカー坊に教えられる事は何もないが、年上オネーサンとしてのアドバイスなら出来ないこともないゾ。寂しくなったり辛くなったら、いつでもオレっちに連絡しナ。夜間・ベッドの上限定でたっぷり慰めてあげるゾ」

「ブフォオッ!!!?」

 

 カイトの口からコーヒーが噴き出される。咄嗟に顔を横へと背けたため、なんとか正面のアルゴにはかからずに済んだ。手の甲で口元を拭うと、ニヨニヨ顏の《鼠》を見やる。

 

「お、お、おおおお前は一体何を――――」

「おっと、これは失言だったナ。夜の慰め役はオレっちじゃ役者不足だから、これはユーちゃんのお役目ダ」

「アルゴっ!!!!」

 

 顔を真っ赤に染め上げたカイトは、思わず机を叩いて彼女を制した。しかし、手綱はアルゴが握ったままだ。

 

「ん〜、カー坊は何をそんなに慌てているのかナ〜? 『ベッドの上に()()()話を聴く』って意味で言ったつもりなんだが、なにもおかしな事は言ってない筈だゾ。……あぁ、そういう事カ!」

 

 アルゴは左掌を軽く叩くようにして、右手を上に乗せる。カイトの目には、その反応が如何にもわざとらしく映った。

 

「カー坊は思春期だから、歪曲して意味を捉えちゃったんだナ。なあに、心配ご無用。カー坊ぐらいの年頃ならそれぐらいは当たり前――――」

「もういい!! わかった!! 取り敢えずその口を今すぐ閉じて下さいアルゴさん!!」

 

 その場から立ち上がって慌てふためくカイトの願いを、アルゴは素直に聞き入れ、両手で口元を覆うことで「これ以上は喋りません」という意思表示をジェスチャーで示した。しかし、口元は隠れて見えずとも、目が笑っているのまでは隠せていない……というより、隠す気がないようだった。

 カイトは席に座り込み、ジト目でアルゴを睨みつける。一方のアルゴは、そんなのお構いなしといった様子だった。

 

「いやいや、中々面白かったヨ。カー坊があんなに動揺する姿を見るのは久しぶりだナ。オレっち大満足!」

「ぐぬぬっ……」

「――まぁ、お遊びはさておき、ちゃちゃっと行って懲らしめてやってくレ。依頼達成次第、いつも通りメッセージを飛ばしてくれたらそれで終了ダ」

「はあ……了解しました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルゴから情報を受け取ったそのわずか30分後、主街区からフィールドの一画に位置している洞窟の入り口の前で、カイトは佇んでいた。灰色の岩肌を指先でなぞり、ゴツゴツとした質感を感じとった後、一呼吸置いてから指先を宙に投げ出して真っ直ぐ下へと振り下ろす。程なくして彼の瞳に映ったのは、このサブダンジョンのマップデータだった。

 犯罪者(オレンジ)と関わる事が多いせいか、今となっては彼らの思考におおよその見当がつくようになってしまった。今回でいうのならば、フィールドダンジョンをアジトにする場合、ダンジョン内の何処を拠点とするか、ということだ。

 

「……ここだな」

 

 カイトは洞窟のマップデータを指でなぞりながら、標的が潜んでいるであろう地点に目星をつけた。ウィンドウを表示させたまま洞窟内に一歩足を踏み出すと、陽光の暖かさが薄まり、洞窟特有のひんやりとした空気が肌を刺激する。それと同時に彼を照らしていた光は身を潜め、陽光の届かない洞窟が生成する闇が、彼の身体を覆い尽くした。

 

(どうして後ろめたい事をしている奴は、皆暗い所を選ぶんだ? ……探す身にもなってくれよ)

 

 誰にでもなく、心の中でポツリと悪態をつく。

 このまま進行するのも良いが、「どうせなら……」と思い直し、メニューを開いて装備品一覧から体防具の変更を行った。紺藍色の《ベヒモス・コート》が消え去った代わりに、昨日エギルから買い付けた黒い体防具《ホブゴブリンの魔コート》を羽織った。暗所で装備すると、隠蔽(ハイディング)ボーナスを大幅に獲得できる優れ物であり、元々は近々やるつもりだったスニーキング・ミッション用に購入しておいた物だったのが、当初の予定よりも早くに出番がきてしまったようだ。

 防具の変更を終えると、次に所持アイテムの一覧を開き、一定時間レベル差に応じてモンスターとの遭遇率を下げる《マムートの香水瓶》を取り出した。洞窟内に出現するモンスターとカイトのレベル差は30近くあるので、アイテムの効果でほとんど遭遇することなく進行できると読んだのだった。

 蓋を開けると、中から黄色に色付けされた甘い香りが立ち昇り、すぐさま上から下へと螺旋を描いてカイトを守るように包み込む。効果が切れないうちに目的を達成すべく、暗闇の奥へ進むと同時に、今後自分がどう動くべきなのかを考える事にした。

 

 キリトがギルドに加入したため、必然的に今まで通りの二人一組(ツーマンセル)は解消。今はどこのギルドにも所属する意思のないカイトは、ソロで動かざるを得ないが、これ幸いに《治療術》スキルを取得しているため、通常のソロ活動より生存率は高いだろう。寧ろスキルの使用だけに焦点を合わせて考えるのならば、ソロのが好都合といえる。

 理由は単純明快。《治療術》スキルを他者に使えば自らのHPを削るのに対し、自分のために使う分にはリスクが存在しない。回復コマンドにも通常のソードスキル同様、冷却時間(クーリングタイム)は設けられているが、それを無視すればたとえ《結晶無効化エリア》であったとしても、いつ、いかなる場所でも半永久的に回復が可能だ。阻害効果(デバフ)についても同じ事がいえる。

 予想外の事態――処理できないほどの大勢のモンスターに囲まれる等――を除けば、モンスターのアルゴリズムに変化が加えられて難易度の上がった最前線であっても、大抵の状況は乗り切れる筈だ。

 

(まるで《ソロ推奨スキル》だな)

 

 他者のために使用することを止め、己の身を守るためだけに焦点を絞ってスキルを行使する――――つまり、ソロで活動すれば、《治療術》スキルはスキルの有するデメリットをなくすことができる。そんな感想を胸の内に抱かざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 そして足を止めずに歩き続けていくと、目星をつけた場所付近までやってきた。試しに《索敵》スキルを起動してみれば、プレイヤー反応が複数表示されていたため、彼の予想は見事に的中したらしい。

 ゆっくり、ゆっくりと音を立てぬよう慎重に接近すると、視線の先にある曲がり角の壁が、ぼんやりと淡い光で照らされている。そこまで小走りで近づき、壁に背をつけて曲がり角の先を覗き見ると、奥にはドーム状の少しばかり広いスペースがあった。中央には煌々と光る明かりが鎮座し、その周囲を取り囲むようにしてプレイヤーが言葉を交わしている。確認するまでもなかったが、頭上に示されたカーソルは犯罪者であるのを示す橙色に染まっていた。

 

(グリーンは……いない、か。手間が一つ省けて助かるよ)

 

 明かりを囲んでいる集団はしめて10人強。遠目で装備品を確認しつつ、彼らの会話に耳をそばだてる。

 

「……の剣……で……そうだ。…………ルが奴……導して……ってる……」

 

 距離に開きがあるせいで、会話の内容を聞き取るのは困難を極める。もう少し近付けば問題ないのだろうが、これ以上接近しようものなら、自身の姿を晒さなければならない。

 

(こういう時に《聞き耳》スキルがあればなぁ……。まぁ、ないものをねだってもしょうがないか)

 

 腰のホルダーからピックを3本取り出すと、大きく深呼吸をする。吸って、吐いてを2度繰り返した後、素早く構えを作ってソードスキルを立ち上げた。

 

「――――!! 誰だっ!?」

 

 その瞬間、犯罪者(オレンジ)の1人がカイトの存在に気付いた――――が、時既に遅し。燐光を纏った銀の弾丸はさながら彗星のように光る軌跡を宙に残し、カイトの定めた狙いに向かって寸分違わず駆けている最中だった。洞窟内に声が響いてから1秒と経たず、金属製の重厚な防具を身につけたプレイヤー3人は、防具の間にあるわずかな隙間に銀白色のピックを打ち込まれ、あっという間に身体の自由を奪われた。

 

「おいっ! どうした!?」

 

 仲間の注意が倒れているプレイヤーに注がれているのを好機と捉え、カイトは最も近い人物に狙いを定めた。再度ホルダーからピックを取り出し、今度は投擲するのではなく、肉薄して先端で頬に直接傷をつける。赤いエフェクトは微々たるダメージと阻害効果(デバフ)をもたらし、また一人、地面に伏すこととなった。

 

「なんだぁ、テメェは!!」

「ブッ殺しちまえ!!」

 

 奇襲と不意打ちが通用するのは、どうやらここまでらしい。この場の至る所で殺気が沸き立ち、各々が剣を手にして臨戦態勢となれば、カイトも背中の剣を抜かないわけにはいかず、柄に手を伸ばす。「殺す」という一点の曇りもない意思の元、侵入者の排除を目的に衝動で飛び込んできた数名をいなすため、右手に剣を、左手にピックを携えて迎え討つ。

 

 先陣をきって上段突進技を繰り出してきたのは、大柄な体躯の両手斧使い。眩い光を放つ巨大な斧を高々と掲げるその姿は、本人の体格も手伝って中々に迫力のあるものだった。その見た目とは裏腹の猛スピードで突っ込んでこようものなら、尚更である。剣幅の広い斧は上から下へ流れ、渾身の力で垂直方向に切り下ろされた。

 しかし、彼の剣が届くことはなかった。出来たのは正体不明の少年の足元に転がっていた小石を、縦半分に割ったことのみ。両手斧使いの犯したミスは、切り伏せる対象との距離が開きすぎていたことである。ソードスキルのシステムアシストを得た突進技は、瞬く間に敵との距離を詰められる有効な手段だが、カイトにとっては回避と反撃を並行して行うのに充分すぎる間合いだった。

 カイトは身体を半身にし、右斜め前方へと足をスライドすると、鎧の隙間――肩の関節部分――にピックを滑り込ませ、チクリとつつく。両手斧使いはその意思に反し、カイトの前で(こうべ)を垂れた。

 

 さあ、次だ! と意気込んだ先には、曲刀使いと盾無し片手剣士、加えて両手槍のプレイヤー。カイトは即座に左足を一歩踏み出し、その場で地面に固定すると、180度回転して敵に背を向けた。敵前逃亡……というわけではなく、それは彼が今から繰り出したいソードスキルの予備動作(プレモーション)に必要な動作だからだ。

 左足を重心にして静止すると、右足が光を帯びる。次の瞬間、カイトの身体は再び敵に向き合うと同時に、体術単発ソードスキル《仙波》の上段回し蹴りで、突撃してきた盾無し片手剣士の左肩を強打した。盾無し片手剣士はノックバックで弾き飛ばされ、その真横にいた曲刀使いも巻き込まれる形で吹き飛ばす。カイトは回転の勢いを殺さずにもう半回転すると、弾き飛ばされた2人の後ろで控える両手槍のプレイヤーに背を向けた。

 

「おらあぁぁぁぁあ!!!!」

 

 荒々しい声で尖った槍の矛先を突き出す。カイトの背中の中心部に狙いすまされた槍は、短い硬直時間から解放された彼の剣によって、惜しくもコンマ一秒の差で進行を阻まれた。槍使いが通常攻撃ではなくソードスキルを繰り出していたのならば、また違った未来が生まれていたのだろうが、事が起こった今となっては後悔した所でもう遅かった。

 剣を防いだカイトが至近距離から敵の眉間にピックを打ち込むと、耐久値の切れかかっていたピックは命中直後に細かな光の粒子に変換された。それでもしっかりとその役目を果たしたため、また1人、彼の前に屈服する。

 

「……何モンだ、テメェ……。俺達に何の用だ?」

 

 奇襲から1分と経たずに複数の仲間が鎮圧されたため、畏怖の念を抱く者も現れ始めた…………が、その中で小柄な男がただ一人、カイトに向かって問いを投げかける。

 

「……一昨日の夕方、45層迷宮区」

「あぁ?」

 

 だが、男の質問に対してカイトが答える様子はない。代わりに剣を一旦鞘に納めることにした。

 

「迷宮区でレベル上げをしていたとある小規模ギルドが、オレンジプレイヤーの集団から襲撃を受けた。ステータスの高さにモノをいわせて屈服させると、アイテムや装備類を全て奪い、その後PKを横行。その内、運良く逃げることが出来た3人は偶然通りがかった他のプレイヤーに助けられたけど、10人いた内の7人がこの世界から退場した。……今の話の中に出てきたオレンジっていうのは、あんた達の事で間違いないかな?」

「だとしたら、どうだってんだ?」

 

 男は平静を取り戻し、物怖じする様子はない。左手を腰にあてがうと、見下すような目つきでカイトを睨む。他の仲間の反応は多種多様で、(いびつ)な笑顔を浮かべる者、侵入者の意図を未だ図りかねて訝しむ者もいた。

 依頼主に何か特別な感情を持っているわけでもなく、ましてや顔も見たことがない赤の他人に対し、当初は同情の念しか抱いていなかった。しかし、カイトは犯罪者(オレンジ)と実際に対峙したことで、腹の底から黒い感情が沸き立ち、言い様のない感覚に襲われる。

 

「……いや、確認が取れれば充分だ」

 

 彼は右手の指先を揃えると、上から下に振り下ろす。

 

「……そうか。お前はあいつらの仲間だな? それでやられた腹いせに復讐しに来たってところだろう? 今は運良くその場に立っていられているが、この人数をソロでどうにか出来るなんて思わねぇことだな。何しろ俺達は元ラフコ――」

「知ってるよ。全部知った上で、ここにいる。……あと、オレは別に仲間でもなんでもないぞ」

 

 纏っていた《ホブゴブリンの魔コート》を解除し、彼の正装ともいえる《ベヒモス・コート》に変更した。

 これまでのカイトの戦闘、主武装、容姿等々から、男は彼の正体をようやく理解したらしい。両目は大きく見開かれ、その顔は驚愕以外の何物でもなく、自分達にとっての天敵と呼べる相手が、今まさに、目の前にいるのだから。

 

「お前……まさか……」

 

 男の反応など意に介さず、カイトは背中の片手用直剣《グラスゴーム》を素早く引き抜き、単身で眼前の敵一団へと突っ込んだ。

 



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第46話 侵食と黒の気魂(後編)

 

 広くもなく狭くもないドーム状の空間に、無数の音が響きわたる。

 それは人の声、地を踏み鳴らす音、鎧の擦れる音、剣と剣の衝突音等が時に小さく、時に大きく木霊し、システムは平等に、その場にいる全員へ聴覚情報として与えていた――――のだが、人間の脳というのは不思議なもので、不要な情報は無意識にシャットダウンするように出来ている。そして削減した情報量分は、他の外部情報に脳の容量を割いたり、一つの事に集中するために行使されたりする。

 

「ぐあっ!?」

「くっ……こいつ、背中に目でもついてんのかっ!?」

 

 そんなわけあるかっ! と、即座に内心でツッコミを入れる彼の心には、まだ幾分のゆとりがある証拠。

 また一人新たな敵をいなして静止したのも束の間、視覚情報を取り込んだ彼の脳は、3人のプレイヤーを視認した。

 同時に背後でソードスキルが立ち上がる音を捉え、追加で1人が強襲を仕掛けてくると判断。文字通り、四方を囲まれたとみて良いだろう。

 無理矢理にでも活路を開いてやり過ごすことも出来なくはないが、ふっと舞い降りた突発的アイディアを実行すべく、タイミングを見計らった。敵4人との距離がおおよそ3メートルに狭まったところで膝を深く曲げると、ステータスに任せ、垂直方向に空高く跳躍。飛翔したカイトが真下を見下ろせば、今まで彼のいた場所目掛けて4人のプレイヤーが押し寄せ、攻撃動作を中断できずにそのまま仲間を切りつけている光景が映っていた。内1人はソードスキルを使用していたため、他3人のHPバーを容赦なく削る。

 動揺する彼らの表情を見下ろしたまま、カイトは腰のホルダーに手をかけ、ピックを抜き取ってから構えて投げるまで2秒を要した。投剣ソードスキル《トリプルシュート》は空中に光の帯を3本描きながら敵に吸い込まれていき、命中したプレイヤーをその場で(ひざまず)かせる。着地すると、麻痺で動けないプレイヤーの首元に突き刺さっているピックを抜き取り、残った1人に狙いを定め、剣を持っている手の甲目掛けて容赦なく突き刺す。成す術なく、敵は膝から崩れ落ちた。

 

「……なるほど。《掃除屋》って呼ばれるだけの事はあるみてぇだな」

 

 声の主は一番最初、カイトに話しかけてきた小柄な男だった。一目で業物だと分かる両手剣を肩に担ぎ、肌を刺すような視線でカイトを睨みつける。

 

「自分から名乗ったわけじゃないけどね」

 

 男を一瞥して素っ気なく答えた後、こっそりと左手の指先でホルダーのピックをなぞり、残数を確認した。

 

(残りは1本。ギリギリだな)

 

 ピックの残弾数1本に対し、敵の残りは2人。

 1人は両手剣使いで、見た目は小麦色の髪にダークブラウンの瞳をしており、髪は耳が隠れる程度の長さ。もう1人は両手剣使いと同じぐらいの体格をしているが、フーデッドローブで頭を覆っているために顔が判別できず、それ以上の外見的特徴は見受けられない。どちらもカイトに仕掛けたのは一度たりともなく、ずっと彼の事を観察していた。

 

「あんた達みたいな奴らがいるお陰で、こっちは四六時中激務だよ。だから、いい加減こっちも疲れてきたんだ。馬鹿な事はやめるように他の連中にも伝えて、さっさとオレを隠居させてくれ」

「繁盛しているなら良いことじゃないか。そこは俺逹に感謝するべきところじゃないのか?」

「犯罪者退治なんて、本来はないに越したことはない。皆が枠からはみ出さず、ルールに則って動いてくれれば必要ないしな。人の良識で考えれば誰だって簡単に思いつくし、あんただって百も承知だろう? ……以前、とある人にも言ったけど、人を傷付ける行為は自分を(おとし)める行為に直結するんだ。そうやって自分の価値を自分で下げている馬鹿な行為だって、いい加減気付きなよ」

「……ク、クク……クハハハハハ!!!!」

 

 両手剣の男は左手で顔を覆い、口角を目一杯吊り上げてこれでもかというほどに高々と笑い出す。彼の後ろにいるフーデッドローブの男からも、小さな笑い声が漏れているようだ。

 

「ガキンチョが、偉そうに上から目線で講釈垂れてんじゃねえよ。……そういえばさっきから見た感じだと、お前は1人も殺ってないみたいだが、それはお前なりの流儀か何かか? もしも『誰も殺さない』なんて甘い考えを抱いているようなら、そんなつまらん考えは丸めて屑かごに捨てちまいな。ここは強者が弱者を喰う世界であり、強者はその権利がある。俺達はその権利を行使しているだけだ。だから…………ここで俺がお前を喰らっても、問題はねぇってことだよっ!!」

 

 身の丈ほどもある剣を高々と上段に持ち上げ、ソードスキルの予備動作(プレモーション)を開始した。ニヤリと笑った口元から八重歯が覗き、瞬く間に地を滑るようにして加速した男が放つのは、両手剣上段突進技《アバランシュ》。両手剣使いが好んで使用するハイレベル剣技の一つだ。

 カイトも即座にソードスキルの予備動作(プレモーション)を開始。選択した剣技は、片手剣上段突進技《ソニックリープ》。なぜ《アバランシュ》に対抗するため瞬間的に判断したソードスキルが《ソニックリープ》かというと、つい最近見た相棒の戦闘が脳でフラッシュバックしたからだ。

 カイトも現実ではあり得ない速度で突進し、男に詰め寄る。身を引き裂かんと迫る巨大な剣の一点を見つめ、射程圏内に入ると、両者は同時に剣を振った。カイトは両手剣の脆弱部位を正確に当てるため、手元を少しばかり動かして微調整すると、接触の瞬間にいつもよりやや甲高い金属音を辺り一面に響かせる。男と交錯した彼はチラリと敵の剣に視線を送るが、期待通りの成果は得られなかった。

 

(くっそ! やっぱキリトみたいに上手くはいかないか!)

 

 カイトが狙っていたのは、相手の剣を意図的に破壊するシステム外スキル《武器破壊(アームブラスト)》。敵の牙を削ごうとしたが、その目論見はあえなく失敗に終わってしまった。ぶっつけ本番で行った、キリトが得意とする《武器破壊(アームブラスト)》は、おいそれと狙って成功させられるような生半可な技術ではない。この時ばかりは彼の技術を羨ましく感じるとともに、自分の技術不足につい舌打ちをした。

 

「イヤッハアァァァァア!!!!」

 

 ソードスキル後の硬直で動けないカイトを、奇声を上げながら容赦なく襲いかかる一つの影。フーデッドローブの男が袖口から小さなナイフをチラつかせ、その毒々しい刃を標的の肩口目掛けて切りつける。新緑に染まった刃の先から毒液を撒き散らし、カイトを切りつけた敵はローブの隙間から満足そうな表情を浮かべた。

 

「くっ!」

 

 射程圏内に留まる敵に向け、右斜め上方向に剣を振るう。カイトの挙動に遅れて反応した男は首を傾げつつ、立っている場所から後方へと跳び退いた。風を切る剣先は、惜しくも敵のローブを掠める程度に終わった。

 ローブの男はカイトから十分な間合いを確保すると、毒液(したた)る刃をジッと見つめる。その後ナイフを頭の高さまで持ち上げてカイトに顔を向けると、やや大きめに声を発した。

 

「兄ちゃん! こいつはナイフで切っても麻痺にならないみたいだ!!」

 

 ローブの男が口にした『兄』とは、勿論カイトを指して言ったのではない。彼でないとするならば、それは別の人物を指す。

 

「馬鹿野郎。《掃除屋》に麻痺毒は効かねぇんだよ。それぐらいは常識だろうが、まったく……」

 

 案の定、それはカイトの後方で佇む両手剣使いの男だった。後ろを振り返っていないので定かではないが、背中越しでため息と共に呆れ顔を浮かべている様子が容易に想像できた。

 

「あんた達、兄弟だったのか」

「ん、まあな。……そういや名乗ってなかったか。俺がレンで、あっちがベルだ」

 

 何処かで耳にした覚えがあるな、というカイトの思考は頭の片隅にある記憶を探すため、思い出すための作業に意識を割く。元ラフコフの犯罪者で兄弟というキーワードを手掛かりにすると、案の定彼には心当たりがあったのだ。

 プレイヤーネーム《Ren》という名の兄と、《Bell》という名の弟。兄のレンは豪快な一撃で敵を(ほふ)るのに対し、弟のベルは毒を塗布したナイフを扱うプレイヤーである。

 

「……あぁ、わかるよ。あんた達のせいで、攻略組の仲間が犠牲になっているからね」

「おいおい、それはこっちにも同じ事がいえるぜ? ……いや、寧ろ俺達のが被害はデカイ。あんた達よりも多くの仲間を殺された挙句、ギルドまで解体されたんだからな。だがPoHのダンナがいる限り、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》がなくなることはねぇと思うがよ」

 

 腰に手を当てて余裕の表情を浮かべている兄のレンは、担いでいた両手剣を地面に突き刺して軽くもたれかかる。一方、弟のベルは麻痺毒を塗りつけたナイフをしまい、別種の毒が塗布されているナイフを手に持った。

 そして揃って犯罪者(オレンジ)の道を自ら歩む兄弟にカイトは挟まれながら、彼らに関する新たな情報を思い出す。

 

「そういえば……」

 

 それは、彼ら兄弟にとって最大の特徴だった。

 

「双子、だったよな?」

「ピンポンピンポン! だ〜いせ〜いか〜いっ!!」

 

 無意識のうちに心で思った事を口に出していたらしい。カイトの言葉に反応したベルは拍手した後、頭を覆っていたローブをとってその素顔をさらけ出した。《双子》というワードから想像できるように、弟の容姿は兄のレンをコピーしたかのように瓜二つ。事前情報を知り得ていなかったら、間違いなく戸惑いが生まれていただろう。

 

「兄弟……しかも双子のゲーマーなんて珍しいな」

「俺達にとっては何も珍しくないが、他の奴らは皆決まってそう言うんだ。正直聞き飽きたぐらいだ」

「ちょっとちょっと兄ちゃん! 喋るのもいいけど、さっさとこいつ殺っちゃおうよ! こっちは準備オッケーだからさ」

「あぁ、悪い悪い。そんじゃ、弟が急かしてくることだし、続きといこうか……」

 

 垂直に立てていた両手剣をくるっと回転させて再び肩に担ぐと、そのままカイト目掛けて猛ダッシュ。今度はソードスキルを使わない、彼自身の敏捷値を活かした速度だ。

 両手剣を好んで使うプレイヤーは、武器の重量を考え、筋力値寄りにステータスを多く振り分ける傾向にある。敏捷力の値に剣の重さが加わり、必然的に移動速度は遅くなるものだが、それらを加味してもレンのスピードは中々のものだった。それは彼のステータス、つまりレベルが相応に高いと示唆している。

 そしてレンと反対側に位置する弟のベルも、同じようにカイトへ迫る。兄と違って軽量なナイフを使うベルは動きを妨げる重りがないため、その分敏捷性は高い。よって先にカイトへ切りかかったのはベルだった。

 

「シッ!!」

 

 右手のナイフを真っ直ぐ前に突き出す。狙いは人体の急所ではなく、的の大きい胴体であり、腹の中心。ベルの目的は阻害効果(デバフ)を付与してカイトの動きを鈍らせることであって、HPを減らすことではない。

 敵の攻撃は突き、つまり点での攻撃だ。これに対してカイトは剣の腹を相手に見せ、点の攻撃を面で防御。そして接触の瞬間、突きを防ぐにとどまらず、剣の角度を傾けてナイフの受け流しを試みた。非常にタイミングがシビアであったが、毒ナイフは剣の腹を滑り、ベルの目が見開かれる。すかさずカイトはベルの腹に水平切りでダメージを与えた。

 

「うぐっ」

 

 くぐもった声がベルの口から漏れるのを聞き流し、カイトは彼の横を素通りする。通り過ぎた後、右足を軸にして身体を反転させながら剣を振り抜くと、背中を切りつけようとしたレンの両手剣とぶつかり、橙色の火花が散った。そのまま鍔迫り合いで均衡状態を保持したまま、両者はその場で睨み合う。

 

「……へぇ。さっき誰かが言ってたけど、背中に目がついているみたいだな」

「生憎オレはモンスターじゃなくて人間だから、背中に目はないけどな。ただ、目で見ることが出来なくても、判断材料は幾らでもあるさ」

 

 双方共になんでもない風を装って会話をしているが、腕の力は決して緩めない。レベルでは最前線で活動するカイトが上だが、筋力値ステータスだけでみればレンも負けていない。剣の接触点がピクリとも動かないのがその証拠だ。

 鍔迫り合いが続くことでカイトの足は止まり、必然的に意識の大部分はレンに向けられる。一瞬でも力を抜こうものなら、体勢を崩されるのは明白。

 

「シュウッ!!」

 

 そして集中し過ぎるあまりに周囲への警戒を怠ったのは、普段のカイトならまず犯すことのない失策。レンの背後からベルが突如現れ、カイトへと腕を目一杯伸ばす。その手に持つのは言うまでもなく、毒ナイフ。

 二の腕を切りつけられたカイトのHPバーには、本来であればバッドステータスを示すアイコンが表示されるのだが、そこは《ベヒモス・コート》の阻害効果(デバフ)耐性値上昇ボーナスの恩恵で難を逃れる。耐性値が付与値を上回ってさえいれば、あらゆる毒は無毒化されるのだから。

 

「シュウッ!! シュウッ!! シュウッ!!」

 

 但し、完全完璧な無効化は完全習得(コンプリート)しかあり得ず、幾ら高い耐性値ボーナスを授かっていようとも、同じ阻害効果(デバフ)攻撃を短い時間に何度も受けてしまえばその限りではない。一撃喰らうごとに『不可視の毒』は蓄積され、それはいつしか――――

 

「うっ!?」

 

 ――――耐性値を上回って『可視化された毒』として具現化する。

 カイトの身体を連続攻撃で傷つけていたのは、血よりも濃い紅色の毒液滴るナイフ。

 その正体は《出血毒》。

 切り刻まれた傷口から赤いダメージエフェクトが散るが、傷口は一向に塞がる様子を見せず、彼のHP量を下降させる。《出血毒》の恐ろしいところは、プレイヤーの傷口の数に比例してHP減少量が増加することだ。

 

「キュア!」

 

 すぐに彼はユニークスキル《治療術》の解毒コマンドを唱え、《出血毒》を身体から取り除く。傷口は瞬時に閉じ、継続ダメージは沈黙。そして剣を前に押し出す力を一瞬だけ強め、バックステップでその場を立ち退いた。

 そしてこの時を待っていたかと言わんばかりの表情を浮かべ、レンが剣を上段に構える。先ほどと同じ《アバランシュ》の構えだ。ソードスキルの準備が整い、レンは一直線に疾駆。カイトが空けた距離は瞬く間にゼロへと戻る。

 上段からの振り下ろしは轟音と共に迫り、カイトの身体の中心線を正確に捉えていた。回避が間に合うようなタイミングではなく、彼に出来るのはただ、その身に受けるのを待つことだけだった。

 

「がっ!」

 

 重い衝撃が伝わったかと思えば、目に見えるもの全てが加速する。両足が宙から離れ、壁面に激突し、訪れる背中の不快感に歯をくいしばった。狭い洞窟の壁面、その一部がパラパラと崩れ、細かな壁の断片が座り込むカイトの頭上に降り注ぐ。壁に背中を預けながら顔を歪ませていると、トスッという軽やかな音が幾重にも重なって彼の耳に入ってきた。

 

 異変は彼の胸元周辺。

 網膜に焼きついたのは、おびただしい数のナイフ。

 それらを確認するのと同時に、視界がボヤけ、意識が遠くなり始めた。

 

 眠気に似たその感覚は《睡眠毒》によってもたらされるもの。もしも対象を深い眠りへと誘うのに成功すれば、一定時間は意識が途絶え、その場に倒れてしまう。

 

「おやすみ、永遠に……」

 

 遠くから、声が聞こえた。

 その言葉は、重くなっていく瞼を閉じてしまえば、もう目覚めることはないと暗に示していた。《治療術》スキルの解毒コマンドを使用すれば事足りるのだが、つい先ほど《出血毒》の解毒に使ってしまったため、冷却時間(クーリングタイム)の影響で使用不可。強い意志で抵抗しようにも、システムには逆らえない。

 薄れゆく意識の中、カイトは左手を懸命に右手で握っている剣に伸ばす。そして手が届いた時、彼は強く握りしめた。剣の柄ではなく、剣の刃を。

 

「はあっ!?」

 

 またもや声が聞こえたが、今度は驚愕を含んでいた。

 《睡眠毒》はダメージ判定を受ければ解除されるという特性を持つ。ここはゲームの中であるため、剣を握っても掌に傷はつかず、時間経過で元通りだ。ダメージと不快感を代償に意識を覚醒させ、目を見開き、力強く叫ぶ。

 

「ヒール!」

 

 眠気のとんだ身体は即座に立ち上がり、コマンドで全快。半分を割っていたHPバーは万全の状態に戻った。

 身の安全を確保したカイトは右手の剣を地面に突き刺すと、素早く腹部に刺さっているナイフ群の内の一本を抜き取った。そのまま肩に担ぐようにして構えると、投剣ソードスキル《シングルシュート》を発動。

 

「お返し……だっ!!!!」

 

 淡い燐光を携えたナイフは、本来の所有者の元へと帰還する。持ち主に刃を向ける形で突き進んだそれは、ベルの水月に深く刺さった。

 ジョニー・ブラックに次いで、アインクラッドに存在する数多の毒を使いこなしている彼でも、それらを打ち払うような抗体は持ち合わせていないらしい。カイトが数秒前に感じたものと同じ感覚がベルに訪れ、重みを増す瞼に逆らうことなく、膝から地面に崩れ落ちてしまった。ひんやりとした地面に頬を寄せ、彼の意識は心地よい夢の中へと沈むのであった。

 

「ベルっ!?」

「させるかっ!!!!」

 

 弟を覚ますために駆け寄ろうとしたレンに対し、カイトは残った他のナイフを散弾銃のように散らして投げた。一発でも当たれば弟と同じ状況に陥るのは明白であるため、まずは自分の身の安全を確保するべく、レンはその場から離れて距離を取る。

 兄弟の分断に成功し、これを好機とみたカイトは地を疾駆した。剣の間合いまで接近すると、ソードスキルを使用しない純粋な剣技による斬り合いが始まる。両手剣の重量を活かした重い一撃を無理に受けようとせず、カイトは出来る限り躱し、流すことでダメージを最小限に抑えていた。時折大振りになることで生じる隙を突き、レンの身体に赤いエフェクトを発生させる。

 一方のレンは両手剣を片手で振り回す、あるいは剣の腹を使って叩きつけるなどといった荒々しい技で攻めたて、カイトが肝を冷やす機会を度々みせた。力任せともいえる戦闘ではあるが、クリーンヒットさえすれば、戦局はより優位に立てるだろう。

 

「――っ! ちょこまかと鬱陶しい! さっさと消えろ!」

 

  焦りが蓄積し、焦燥感を拭えないレンが叫び、渾身の一撃を放つために大上段の構えをとろうとする。そして剣を持ち上げてから振り下ろすまでの間に生じる、刹那の静止。その瞬間はカイトにとって絶好の機会であり、迷わず切っ先をレンの持つ剣の柄に向け、体重と身体の捻りを加えて突き出す。

 

「おおぉぉぉぉおぉぉお!!!!」

 

 肺に取り込んだ空気を全て吐き出し、気合いを込めた一撃は定めた一点を目指す。

 

 ――――ガキィンッ!

 

 身の丈もある大剣が回転しながら優雅に宙を舞った後、刃の部分から深々と地面に突き刺さった。両手の空いたレンは剣が弾きとばされた時の姿勢のまま、身動き一つ出来ない状態を強いられる。武器を手放した上に、目線の先には研ぎ澄まされた剣先が彼を捉え続けているのだから、無理もない。

 

「……わかった。降参だ」

 

 両手を肩の高さに固定して掌をカイトに見せると、小さくため息をついた。それでもカイトは気を緩めず、警戒心は解かない。油断した瞬間をついて形勢逆転を狙う輩とは、これまで何度も遭遇してきたからだ。相対する敵の瞳をじっと見つめ、その奥に潜んでいる企みがないかを探っていると、不意にレンの口が開いた。

 

「お前さ、なんでこんな正義の味方ごっこしてるわけ?」

「……なんだよ、急に」

 

 ピックに手をかけようとした時に唐突な質問を投げ掛けられ、カイトは思わず聞き返す。年齢不相応の幼さが残る顔の眉間に皺が寄り、表情が険しくなった。

 

「いやいや、別に深い意味はないさ。純粋に感じた疑問だよ。わざわざ力のない弱者に代わって俺達に剣を向ける、その理由が気になっただけだ。金か? 名声か?」

「そんなわけあるか」

「じゃあなんだ?」

「……只の成り行きだよ。《掃除屋》なんて呼ばれ始めたのと、オレンジに襲撃されていたプレイヤーを助けた時期が重なったんだ。その影響で変に噂が広がって、何故かオレ宛にあんた達を相手する依頼が増えたんだよ」

「そんなもん、断ればいいじゃねぇか」

「わざわざ頼ってきた人を見捨てるなんて真似、オレには出来ないね。それに――」

 

 チッチッチ、と短い舌打ちが響き、カイトは言葉を途中で切った。

 

「俺は本心を聞きたいんだよ。どうせ正義の味方気取りをしている自分に酔ってるんだろ? まあ気持ちはわからなくもないが」

「勝手に決め」

「それと、俺逹はこの世界のルールに則して生きているだけだぞ? 殺すのも奪うのも、全部茅場の野郎が認めた事だ。本当に禁止したいのなら、PKなんて出来ないように最初から設定しとけばいい話だからな」

 

 確かにシステム上は認められている行為だが、人として間違っている行為だというのは議論するまでもない。システムが――茅場晶彦が認めたからといって、内に存する良心が咎めはしないのかと、そう問おうとした時、レンがまくしたてるように言葉を紡ぐ。

 

「そもそもの話、ここはゲームの中だぜ? 楽しみ方・生き方・暮らし方をどうするかは、俺逹に与えられた権利だ。お前みたいにゲーム攻略に勤しむも良し、日々を生き残るために狩りをするも良し、モンスターにビビって《はじまりの街》に閉じこもるのも良し。何を思い、何を感じ、どう動くのかは、個々人の自由だ。そう考えると、俺がやってる事は与えられた権利を行使しているだけに過ぎないんだぜ?」

 

 ――こいつは一体何を言っているんだ――

 

 確かに人それぞれで趣味嗜好、性格、価値観が違うのだから、ゲームの中に閉じ込められるという非現実的な環境で何を思い、どう動くのかにも違いが生じるのは当然。彼の言うように、仮想世界からの脱出のため、危険に身を投じる者もいれば、安全地帯で救援を待つ者だっている。茅場もそうなる事ぐらいは予め認知し、容認していただろう。

 しかし、レンの持つ歪んだ思考に対して、カイトは素直に首を縦に振ることができない。レンの言わんとしている事はわかっても、理解するのは到底不可能だった。

 

 ――どうしてこうも、自分の都合の良いように拡大解釈するのだろうか――

 

 憤りを感じたカイトの持つ剣が震え、表情がより一層険しくなる。たとえシステムが認可していても、彼には到底納得いくものではなかった。

 

 同じ人間なのに、どうしてこうも歪曲(わいきょく)した考えを抱くのか。

 彼の手にかかった者達は、なぜその身を散らし、最愛の人が待つ世界に帰還出来ないまま、生涯を終えなければならなかったのか。

 そして、なぜレンのような罪を犯した人間が、いまだこの世界でのうのうと生きているのか。

 しかし、そういった不条理こそが世の常であり、世界はいついかなる時も、一点の曇りもない真実を容赦なく突きつける。たとえそれが幸福に満ちたものであろうと、残酷なものであろうと関係ない。

 

 ――いっそのこと……――

 

 自問自答を繰り返すカイトの心にあった憤りに、諦めが付随する。これまでの彼ならまず浮かばなかった思考が、チラッと脳内の隅で芽生えた。

 

 ――コノバデコロシテシマオウカ――

 

 殺意のピース。殺しの動機、あるいは端緒(たんちょ)

 洞窟内でその存在を強く主張する剣先を見つめながら、ハッと我に返ったカイトは、大きく双眸を見開いた。今、自分は何を思ったのか一瞬わからず、空いている左手で前髪をくしゃっと握る。

 

(殺す? ……誰が? ……オレ……が……?)

 

 葬ればいい。未練と恐怖と絶望だけを残してこの世界から退場し、ある意味で現実に帰還した他のプレイヤーと同じように、と。彼の中に存在していた『悪』が、カイトの背中をそっと押した。

 

「おいおい、敵を目の前にして考え事に夢中か? 舐められたもんだ――――なぁっっっっ!!!?」

 

 そんなカイトの隙を逃さず、レンは力なく突きつけられていた剣を左手で押しのけた。警戒を怠っていたカイトの反応は当然遅れ、剣先が呆気なくレンの目先から横に逸れると、レンは半歩だけ距離を詰めて右手を振りかぶった。

 手元に剣がなく、かつ零距離からの素手による攻撃。イエローの燐光を纏った右手は、体術零距離技《エンブレイザー》発動の準備を整え、レンの指先と目線はその行く先ただ一点を見つめる。それはカイトの顔からやや下に位置する首、あるいは心の臓。どちらを捉えているのかは本人に問うてみないとわからないが、両者共に人体の急所に設定されている部位であるのは違いない。クリティカル発生率は高いため、上位ソードスキルを叩き込めば形勢逆転――――最悪の場合は『死』が待っている。

 

(死ね…………るかっ!!!!)

 

 カイトは柄を持つ手に力を込めると、剣はまるで逆再生したかのような軌跡を描きながら、再びレンの元へ。素手と剣の攻撃が敵の身体に着弾したのは、ほぼ同時だった。

 脳を直接揺さぶられたかのような衝撃がカイトを襲い、後方へと突き飛ばされる。剣を地面に突き立てて地面を抉ると、数メートルの移動を経て、ようやく彼の身体は停止した。無意識に目線を左上に向けて命の残量を確認すると、HPバーは赤く染まっていた。

 カイトが咄嗟の判断で身体の軸をずらしていたのが幸いし、レンの指先が捉えたのは当初の予定とは異なる、カイトの左肩だった。チリチリと燃えるような感覚を手で押さえ込み、レンの居場所を目で探そうとした瞬間、離れた場所で何かが爆散した。空中に撒き散らされたポリゴン片の数から推測するに、データ量の多い物体であるのは間違いない。

 

「……ハッ――」

 

 鼻で笑ったのは、爆散地点のすぐそこにいる()()()()()。元あった位置よりも低い場所から見える景色は、さぞかし世界が広く感じるだろう。

 自分の振るった剣が何を捉え、どういった結果をもたらしたのかを、カイトは瞬時に理解した。今頃レンのHPバーは急速にその幅を狭めているので、彼がこの場にいられるのも残りわずかだ。

 

「これでお前も……俺逹と同類――――」

 

 その先の言葉が、紡がれることはなかった。

 切り離された胴体が先ほど爆散したように、残された頭部もデータの欠片に変換された。キラキラと光るポリゴンは宙を舞い、ゆっくりと薄れて消散する。

 

「あ……う…………ああ……」

 

 しかし、カイトの中で生まれた後悔や罪悪感は一向に消えさる様子がなく、寧ろ大きさを増す一方だった。

 レンの頭部があった場所を見つめていた彼の口から絶叫が発せられ、洞窟内に木霊したのは、それから間もなくの事である。





現在続きを執筆中ですが……心理描写は難しい!


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第47話 背徳と籠の鳥

 

「ありゃりゃ? ユーちゃんとこも音沙汰なしかイ?」

 

 NPCレストランの片隅にあるテーブルに腰掛けているユキは、出されたパンをちぎって口へと運ぶ前に、アルゴの疑問に小さく頷くことで返答の意を示した。半分になったパンの断面はもちっとしており、食感は期待が出来そうである。

 さて、問題の味は如何に。

 

「メッセージを送ればどんな茶々でも必ず送り返す奴なんだが……これは何かあったかナ?」

 

 続いてNPCの店員は、アルゴの前に一杯の紅茶を差し出した。ティーカップに並々と注がれている透き通るような赤い飲み物は、頭を悩ます三本ヒゲの少女を液面に映し出している。

 一方、腕を組んで考え事をしているアルゴの真正面で、ユキは口に含んだパンを咀嚼していた。その後飲み込んで味の余韻に浸っている様子から察するに、当人の満足いくものだったらしい。二口目といきたいところだったが、アルゴの持ち込んできた話題が気にかかり、ユキは一先ず手を休めた。

 

「何も連絡がないって言ってましたけど、それはいつからですか?」

「かれこれ1週間になるヨ」

「い、1週間!?」

 

 1週間となると、逆算してキリトの団員服初お披露目の日から、ということになる。あの時、カイトは依頼のためにすぐさまその場をあとしたが、何かあったとすればその依頼遂行時、若しくは遂行直後だろう。

 念のために確認したユキのフレンドリストにある《Kaito》の文字は、現在もその存在を主張しているため、この世界の何処かにいるのは間違いない……というより、所在は明確に判明している。

 フレンドリストの追跡機能で調べたところ、現在地は最前線より少し下に位置する階層のフィールドだった。

 

「依頼達成の連絡も、新しい依頼の承諾の連絡もなイ。これは職務怠慢……いや、職務放棄だネ。こんな事初めてだヨ」

「何か……あったんでしょうか?」

「その可能性はあるネ」

 

 アルゴにとってのカイトは、それぞれの生業を活かした良きパートナーである。ユキ同様に付き合いは長いが、これまでの経験から考えても、突然連絡をとらなくなるという事態は初であった。

 

「それにしても、ユーちゃんなら頻繁に会っているだろうから分かるもんだと思ってたけど、アテが外れちゃったナ。何? 喧嘩でもしたのかイ?」

「違いますよ。ここ最近は忙しくて、とてもこっちから連絡をとる余裕がなかったんです」

 

 第74層フロアボス《グリームアイズ》戦とPoHの襲来。

 コロシアムでの決闘。

 キリトのギルド入団。

 クラディールによる団員殺害及びキリト殺害未遂。

 そして……キリトとアスナの結婚。

 

 たった数日で様々な出来事があり、ユキにとっては非常に濃密な日々だったと断言できよう。

 そしてキリトとアスナの結婚に伴って2人が一時戦線を離脱している事もあり、階層攻略や各種報告作業がユキにまでまわってきているのだが、その仕事量の多さに辟易すると共に、アスナの有能ぶりを久しぶりに痛感したユキだった。

 

「じゃあ、お二人さんの仲は健在で、小さな身体で大きな愛を育んでいるわけダ。うん、オネーサン安心したヨ」

「か、からかわないで下さいっ!」

 

 薄い朱色に頬を染め、動揺するユキをアルゴが眺める。

 

「それならオレっちがここに来るまで、ユーちゃんがこの事を全く知り得ていなかったのも納得ダ。……それにしても、オネーサンのラブコールを無視し続けるとは、カー坊も随分と偉くなったもんダ。これはあとでキツ〜イお仕置きものだヨ」

「ラブコールって……」

 

 注文した紅茶を飲むアルゴの様子は、一見すると普段通りに見受けられるが、その内情は穏やかではなかった。良くない事の始まりというものは、大抵些細な変化が端緒となりうるものだと相場は決まっている。気付いた時には既に手遅れであり、加速する状況をただ呆然と眺めることしか出来ずに終わるのがほとんどだ。

 

「まあ、冗談はさておき……」

 

 だからこそ、小さな疑念を抱いた時点で早急に手を打つ必要がある。

 あくまで根拠のないただの予感であり、そこまで気にする必要はないのかもしれないが、脳裏に響く警鐘が鳴り止む気配はなかった。

 

 胸に引っ掛かっているこの妙な違和感は、《情報屋》としての勘なのか。

 それとも女性としての勘なのか。

 あるいはその両方か。

 

「こんな所で優雅なランチタイムを満喫しているということは……今日はオフかイ?」

「はい。色々とバタバタしてたんですけど、少し落ち着いたのでお休みを貰いました」

「そいつは丁度良イ!」

「はい?」

 

 ぽん、という軽い音が聞こえてきそうな様子で、アルゴは両手を胸の前で軽く合わせた。

 

「それなら、ちょいとおつかいを頼まれてくれるかナ?」

「おつかい、ですか?」

「たいした内容じゃあないんだけど、カー坊の様子を見に行ってほしいんダ。本当はオレっちも行きたいところだけど、生憎この後の予定がたてこんでいて、とても手が放せないんだヨ」

 

 アルゴは申し訳なさそうに言うと、右手の指で頬を掻いた。

 

「わかりました。それならすぐ行きますね。あんまりのんびりしていると、辺りが暗くなっちゃいますし」

 

 そう言うやいなや、彼女は皿に盛られた残りの食事を小走りで食し、綺麗にしたところで合掌した。アルゴも彼女のペースに合わせて紅茶を飲み干し、ティーカップの底が見えたのを確認して立ち上がった。

 ユキが先導する形でレストランの扉を開けると、室内にいた時とは異なる暖かさが肌を伝う。それと同時に周囲の音が彼女の鼓膜を震わし、街の賑やかな様子が手に取るように感じられた。

 

「ユーちゃん」

 

 ざわめく音の波の中、すぐそばで自身の名を呼ぶアルゴの声を鮮明に捉え、ユキは後方を振り返った。フードを外しているため、金色の髪は太陽に照らされていつも以上に煌めき、表情はいつにも増してはっきりと視認できる。その眼差しは真剣そのものだった。

 

「カー坊に何があったのか、オレっちは知らない。でも、もし……もしもカー坊に救いの手が必要あるならば、その役目を担えるのはユーちゃんだけダ」

「それはどういう……?」

 

 唐突な言葉の意図を読み取る事は叶わず、ユキはただ首を傾げるしか出来ない。無理もない、とでも思ったのか、アルゴは困った顔で笑みを返す。

 

「オネーサンの余計なお節介だと思ってくれていいサ。ただ、心の片隅には留めておいてくれヨ」

 

 ふと、アルゴが天を見上げたため、つられてユキも青空に視線を移すと、一羽の鳥が頭上を通過し、西のフィールド方面へと飛び去って行くところだった。道行く人々を見下ろしながら遠方の彼方へと飛んでいく鳥をユキは見届けた後、元の視線に戻した時には、眼前にいた小柄な《情報屋》は忽然と姿を消していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第71層の西に位置するフィールド、さらにその北西部。

 荒野というほど寂れているではなく、かといって森林というほど繁っているわけでもないこの場所には、要所に人の背丈より高い木々が植わっていた。等間隔で規則的に立ち並んでいるかと思えば、なんの法則性も見出だせないデタラメな配置の場所も点在している。

 そして現在、一羽の鳥が点在する木々の内の一本で羽を休めていた……というより、ゲーム的要素を踏まえて言うのならば、HPの回復に努め、群れのテリトリーに足を踏み入れてきた侵入者を再度迎撃する準備を整えていた。

 

「これで……48っ!!」

 

 一羽葬る度に発声することで現状を確認するカイトの頬を、一筋の汗が伝って流れた。当初は終わりのないフルマラソンのような感覚だったこのクエストも、いよいよゴールが目前まで迫ってきている。流石に長時間の戦闘で疲労の色が見えてはいるものの、気力とやる気はクエスト開始時と何ら変わりない。

 

 現在進行形でカイトが挑戦しているクエストは、典型的なスローター・クエスト。クエスト受注先のNPC農夫曰く『畑を鳥に荒らされて困っている。追い払っても追い払っても沸いてくるもんでキリがない。奴らが寄ってこないように懲らしめてやってくれ!』というものだ。簡潔に言えば『害鳥駆除』である。

 このクエストは《イアリーバード》と呼ばれる体長1メートル程の飛行型mobを延々と狩り続けるもので、()()クエスト達成基準は50羽に設定されている。しかし、このモンスターの厄介な特徴は、近場の止まり木で羽を休めることでHPを回復する点であり、複数の《イアリーバード》がいた場合、仲間同士でローテーションする事によってプレイヤーを苦しめるため、長期戦になるのは必須のモンスターだった。

 

「49!!」

 

 故にカイトは少しでも効率を上げるため、弱点である翼の付け根を重点的に狙っていた。

 目標討伐数達成のための贄……つまり最後の標的は、先ほどまで羽を休めていた個体だ。いつの間にか木から離れて空へと飛び立ち、カイトの頭上から様子を伺っているようにも見受けられたが、制空権を獲得している《イアリーバード》は、すぐさま先行して仕掛けにきた。

 上空でホバリングからの滑空攻撃。硬質な黄色の嘴の先端を用い、下方で迎え討たんと待ち構えるカイトの身体を貫くため、両翼を折り畳んで空気抵抗を減らし、猛スピードで突っ込んできた。迫りくる姿は巨大な弾丸であり、初見であれば間違いなく恐怖を抱くほどだ。

 しかし、このクエストだけで既に49もの怪鳥を狩っている彼にとっては、最早見慣れた光景である。ギリギリまで引き付けて直前で回避し、すれ違い様にカウンター気味で胴体を一閃。奇声を発する怪鳥の鳴き声を背中越しに聞きながら、素早く半回転して追撃に出る。

 本来なら滑空からの急上昇で《イアリーバード》はすぐにその場を離脱するのだが、ダメージによって怯み、地面から1メートルに満たない高さにいた。この瞬間をカイトは逃す事なく、ソードスキルを立ち上げる。

 敵との距離は、目測で5メートル弱。片手剣単発重攻撃ソードスキル《ヴォーパル・ストライク》の間合いだった。

 

「はあぁぁぁぁあっっっっ!!!!」

 

 《イアリーバード》の(つんざ)く奇声を掻き消すように、轟音が周囲に響き渡ると、真紅の光芒を纏った剣尖は真っ直ぐ標的へと向かい、残りのHPを容赦なく削り切った。

 

 ――カシャンッ……

 

 渇いたガラスの破砕音をその場に響かせ、《イアリーバード》は消失。技後硬直(スキルディレイ)から解放されたカイトはゆっくりと身体を起こし、ほっと一息だけついて、再度気を引き締め直した。

 理由は1つ。NPC農夫が言っていた『あんまり長居はするなよ。仲間をやられて怒った群れの長がすっ飛んでくるからな。深追いしたくなけりゃすぐに逃げな』という発言だ。

 

 ――グエェェエエェエ……

 

 これまで聞いてきた怪鳥の鳴き声とは違う、身体の芯にまで響くような重低音。フィールドの隅々にまで届いたのではないかと思わせるような奇声は、遥か彼方でその存在を知らしめている、一本の巨木から聞こえていた。

 遠目からでもその存在を視認できる巨木の高さは、50メートルを優に越えると推測される。太陽光を浴びるため、枝葉を扇状に伸ばして成長してきた大樹は、その巨体を得るのに果たしてどれだけの年月を費やしてきたのだろうか。

 そしてその巨木の最上部には、いつの間にやら鮮やかな羽毛を有する巨大な怪鳥が鎮座していた。両翼を大きく広げ、羽ばたき、止まり木から離れるための予備動作に入る。事前情報だと、この予備動作から飛び立つまでは多少の時間を要するらしいが、それはプレイヤーがこの場から離れるための猶予を与えるものであり、一定の範囲外に逃れられれば、群れの長との戦闘は回避できる仕様だ。つまり『逃走する』という選択肢を選べなくもない。

 

 だが、彼は一歩も動く気配をみせなかった。

 

 規定時間が経過し、巨大な怪鳥の巨体がふわりと宙に浮き上がると、急激に方向転換して真っ直ぐカイトの元へと向かってきた。

 加速を続ける巨大な鳥は、獲物との距離をぐんぐん縮め、目前で急停止をかけた。その際に発生した突風に飛ばされぬよう、両足に力を込めて踏みとどまり、左腕で吹き荒れる風から顔を守っていると、ズン、という重い地響きが鼓膜を刺激する。

 地に足をつけて羽を休め、自身よりも小さな剣士を見下ろす眼光は鋭く、胸を張ったその姿は威風堂々。目測で体躯はおおよそ人の3倍といったところだろう。距離が近いためか、カイトはその存在に圧迫感を感じていた。

 そしてきらびやかな羽毛は太陽光を反射して七色に輝き、頭頂部から生えているトサカは艶やかなロン毛で、背中を伝って後ろへまわり、尾の部分までの長さを誇っている。間違いなく、これが群れの長の証であり、象徴だ。

 《イアリー・フラッシャー》。別名《極彩鳥》とも呼ばれるこの怪鳥こそ、クエスト受注によって垣間見ることができる、出現条件が限定されたモンスターだ。最前線に近い階層でまだ挑戦者が然程いないことから、その素材は希少価値が高く、市場でも高値で取り引きされている。

 ――とは言うものの、カイトは別にドロップアイテムを高値で売りつけるつもりはなく、かといって素材を使って新しい装備品を得たいわけでもない。これは彼にとっての時間潰し……否、気を紛らわせたいが故に利用させてもらっているだけだ。

 

「……ヒール」

 

 これまでの戦闘で傷付いた身体を《治療術》スキルで癒す。HPを含めた全てを万全な状態に整えると、剣を握り直し、自分を見下ろす敵と目を合わせた。それを待っていたかのように、着陸してから身動きひとつしなかった極彩鳥は身体を身構え、両翼を大きく広げてその巨体をさらに大きく見せる。そして――。

 

 グエエェェエェエエ!!!!

 

 ――開戦の合図は、先程も聞いた極彩鳥の重苦しい鳴き声による威嚇で始まった。

 鳴き声が収束すると、広げた両翼を前へと押し出し、再び場に突風が吹き荒れる。木々の葉は大きく揺れ、細かな砂は巻き上がることで土煙が発生し、極彩鳥の前方はあっという間に土気色に染まってしまった。

 

「残念でした」

 

 いつの間にか極彩鳥の後ろに回り込んでいたカイトは、発声後に《ソニックリープ》による斬撃を振るい、極彩鳥の背面で赤いダメージエフェクトを散らす。はたから見れば彼が瞬間移動をしたかのように錯覚するが、単に敵が仕掛ける前に前進し、全力で足下を駆け抜けて背後をとっただけ。

 

「威嚇する暇があるなら……」

 

 ソードスキルを喰らわせたことで、極彩鳥の巨体が前にグラつく。背面をとっているため、当然攻撃の射程範囲外であるのは言わずもがな、加えて怯んでいる状態は隙だらけ以外の何物でもない。追撃しない理由がなかった。

 

「さっさと仕掛けるのが利口だぞ!」

 

 空中に身を投じた状態で左腕を振りかぶり、肩の高さで固定。拳を強く握ると、システムが予備動作(プレモーション)を検知し、通常よりも威力とキレが増している徒手を放った。

 《ソニックリープ》の硬直に上乗せするかのようにして繰り出したのは、体術二連撃ソードスキル《ダブル・ブロウ》。羽毛で覆われた巨駆を殴打する鈍い音が一度だけしたかと思えば、カイトの左腕は既に次の一撃を放つ準備をしていた。

 引き絞った左腕を目にも止まらぬ速さで突き出し、再び敵の身体に痛手を与えた後、カイトは攻撃を一先ず止める。そこでようやく彼の身体が自然落下を開始し、膝を柔らかく曲げて高所ダメージを軽減させることを忘れず、両足でしっかりと着地。降り立った地面の感触を踏み鳴らすことで確かめた。

 

「うわっ!?」

 

 その矢先、場には再び風が吹き荒れる。それは極彩鳥が翼を広げて離陸し、カイトの上空へと飛び立ったからだ。宙を舞う怪鳥は敵との距離をとると、反転して下方のカイトと向き直り、羽ばたきながら空中で位置を固定。1回、2回と大きく両翼を動かすと、(くちばし)を2度鳴らし、直後に上空から羽根を飛ばして攻撃してきた。

 

「くっ!」

 

 ドガガガガッ、と鋭利な刃物と同等の切れ味を誇る羽根が、無数に地面に突き刺さった。逃げ惑うカイトの走った軌跡を綺麗になぞっているため、フィールドに羽根の道を形成する。

 

(一先ずはあそこに……)

 

 視界の端に映ったのは、身の丈以上もある巨大な石。しゃがんで身を屈めればとりあえずは敵の攻撃をしのげると判断し、走るスピードそのままに、スライディングで石の陰に滑り込んだ。

 カイトを守る盾の役目を担った石目掛け、極彩鳥の羽根が無数に当たり、その都度甲高い音を周囲に響かせる。話し声ですら掻き消してしまうであろう空から降る止まない攻撃は、まるでサブマシンガンを撃ち込んでいるかのよう。一度捕らえられたとしたら、蜂の巣になるのは間違いない。

 しかし、敵との間に遮蔽物を挟んだため、その心配はなくなった。この攻撃が止むまで身を隠せられればそれで良い……と思いきや、そうは問屋が下ろさなかった。

 

 ……ピシッ

 

 何かが割れた――そんな音がした。

 嫌な予感に襲われて背筋に冷や汗を伝わせながら、反射的に自分を守ってくれている頼もしい盾を見た。そこにはカイトにとってあってほしくない光景が映っており、彼にこの後危機的状況へと陥る未来を予見させる。

 彼の瞳に映ったのは、硬質な鉱物に一本の亀裂が入っているという現実。どうやらこの石は破壊可能オブジェクトらしく、極彩鳥の攻撃でみるみるうちに耐久値を削られているのだろう。カイトが見ている間にも亀裂の数は増え続けており、石全体を覆い尽くしてしまうのは時間の問題だった。

 

「くっ…………そっ!!!!」

 

 この場で留まり続けても、数秒後に格好の的となるのは、最早明白。束の間の休息と安堵は瞬く間に消え去り、彼の緊張の糸はもう一度張り詰めた。迷っている暇はなく、判断は一瞬。しゃがんだ身体を起こして整え、利き足で地を蹴って走り出した。

 ターゲットが動いたことで、羽根の弾丸は再びカイトの追随を開始。カイトは前後左右に絶えず動き回り、決して立ち止まらないように心掛けていたが、左に曲がろうとした時、予想外のアクシデントが発生した。

 

 地面に根を張った筈の足が定まらない。

 身体はグラつき、姿勢が崩れる。

 視線の遥か先に見える地平線が傾き、焦りを感じて心の臓が飛び跳ねる。

 

 この上なく最悪のタイミングで、彼は《転倒(タンブル)》してしまったのだ。

 

 咄嗟に大地へと腕を伸ばして身体を支え、体勢が完全に崩れるのを防ぎはしたが、この状況で一瞬でも足を止めるのは自殺行為である。彼を追っていた羽根の弾丸は、ここにきてようやくカイトを捉えた。

 

「ぐあああぁぁぁあ!!!!」

 

 仮初めの肉体に突き刺さる、無数の羽根。カイトの背中には幾つもの赤いダメージエフェクトが浮き上がり、HPは安全域の緑から注意域の黄色、そして黄色から危険域の赤色に染まる。

 しかし、『不幸中の幸い』とでも言うべきだろうか。彼を襲っていた猛攻はピタリと静まり、HPの減少もゲージ幅を15%残して停止した。九死に一生を得たような気分でほっと一息つき、素早く敵に向けていた背中を反転させて上を見ると、カイトの顔が思わず引きつった。何故ならば、攻撃の手が緩んだというのは安易で甘い考えであり、極彩鳥は次なる手を打つ準備を始めていたからである。

 遠目からでも視認できる、口の奥から覗く赤い吐息。体内で生成された熱エネルギーが圧縮され、ブレス攻撃を仕掛ける予備動作を既に開始しており、準備は間もなく整う段階だった。

 回復コマンドの冷却時間(クーリングタイム)は間もなく終了するが、悠長に待つ余裕はおそらくない。ここは回避、あるいは防御の選択をしなければ、間違いなく火ダルマになるのは目に見えている。そして今のHP残量を考えれば、その後どうなるかは言うまでもない。

 そうこうしているうちに極彩鳥は準備を完了し、口内に留めていたエネルギーを一気に開放。空気中に漂う大量の酸素を取り込み、熱は火に、火は炎へと昇華して放射状に放たれた。火球ブレスならば兎も角、定まった形状を有しない辺り一面に拡散される放射系ブレスは、大型盾でも持たない限り、基本的には防ぐ手立てがない。故に盾無し剣士は敵の予備動作から判断し、早めの回避をとるのが定石ではあるが、カイトは火炎ブレスを防ぐため、別の方法をとった。

 

「――――ふっ!」

 

 判断は一瞬。行動は刹那。

 右手に持っている片手用直剣《グラスゴーム》を一度水平にし、短く息を吐いて勢いよくその場で回す。ソードスキル特有の燐光を纏った剣は風車の如く回転し始め、そのまま空中で半透明の円を描くと、一時的に持ち主を守護する盾の役割を果たしたのだった。

 

 《武器防御》スキルの熟練度を高めることで使用可能となるソードスキル《スピニングシールド》。

 

 高速回転する剣は襲いかかるブレスなどものともせず、カイトのHPを1ドットたりとも減らしはしない。己の身と主を灼かんとする炎を跳ね返す鉄壁の剣は頼もしい活躍を見せつけ、ブレス攻撃が止むとカイトの右手の中に収まり、本来の姿へと戻った。

 

「ヒール!」

 

 回復コマンドの冷却時間(クーリングタイム)も終了し、力強く叫んだことで、HPは一気に赤から緑へと変色。HPゲージが右端まで到達した彼は、一先ずの窮地を脱したと言ってよいだろう。

 

「……よしっ!」

 

 左手で右肩を押さえつつ、右腕を大きく回す。

 戦闘開始からまだ3分程度しか経過していないが、たとえネームド・ボスでないとしても、やはり強敵との戦闘は必然的にその内容が密の濃いものとなる。Mobとの戦闘から数えて相当な時間が経っているため、精神的疲労感は拭いきれないが、ここで緊張の糸を切らすわけにはいかない。

 羽根飛ばしの威力とブレス攻撃は想定外だったが、それ以外の行動パターン諸々は《イアリーバード》と大差なく、これまでの50匹狩りで観察し続けた敵の動きを思い出せば、自ずと次の動作は予測可能だ。それが、少しだけカイトに自信をつけさせた。

 

「……来いよ」

 

 そんな彼の誘いが聞こえたのか、極彩鳥は一声鳴いた後に真下へ急降下し、地面スレスレを滑りながら低空飛行で突進を仕掛けてきた。その数秒後、光を帯びた剣が極彩鳥の身体を刻み、巨大な影と小さな影が交錯した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 莫大なデータの塊が弾け、陽光を反射してキラキラと輝くその状況をカイトが呆然と眺めていると、目の前に無機質なウィンドウが表示される。今回の戦闘で得たアイテムとコルを一瞥すると、肩の力を抜いて空を見上げた。

 『やっと終わった』という達成感がないと言えば嘘になるが、『もう終わりか』という虚無感が、今は彼の心の大部分を占めていた。そして極彩鳥の身が爆散した際のポリゴンが輝く幻想的な光景が、脳裏に焼き付いた消し去りたい記憶を呼び起こし、彼は溜め息を漏らしながら左手で頭を抱えた。

 

 ついさっきまで自分と同じように息を吸って吐き、温もりを宿し、意思を持って活動する。そんな生ある者の魂を奪う行いが、ここまで精神的に追い詰められるものだとは、カイトは想像すらしていなかった。

 しかし、それは無理もないこと。

 彼に限った話ではなく、それまで誰かに本気で殺意を抱かずに他人事だと思っていた者なら、誰だって真剣に考えるわけがない。

 

(あいつも……こんな風に悩んだのかな……?)

 

 《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》討伐戦において、キリトは2人のプレイヤーを手にかけている。

 当時は幸運にも人を殺すことなく、数名のプレイヤーを制圧するに留まったカイトだったが、討伐戦終了後のキリトの背中を、彼は今でも鮮明に覚えている。

 何もない床石をじっと見つめる、黒衣の剣士。正面から顔を覗きはしなかったが、今のカイトのように、後悔や罪悪感が胸を締め付けていたのだろう。カイトはどう声をかければ良いのかわからず、ただ肩を軽く叩くしかできなかった。

 

(オレは……どうすればいいんだろう……?)

 

 故意ではなく、過失。状況的にも正当防衛ではあるが、自分を守るため、生き残るため、無意識に剣を振るい、結果的に1人の人間の命を奪ってしまった。そんな人を殺めた事実に恐怖し、叫び、それからずっと纏わりつく嫌な気持ちを必死に払うため、記憶を忘却の彼方へと押しやるために、カイトはがむしゃらにモンスターと戦う日々を繰り返している。

 

 だが、どれだけモンスターを斬っても、気持ちが晴れる事は決してなかった。

 

 答えを見つけようと手探りで模索しても、彼の求める回答は得られない。何が正しく、何が間違っているのかわからない問題ほど、歯痒いものだ。実態のない雲を掴むような感覚にうんざりしてきたが、それでも彼は思考を止めない。

 『自分の行いは間違っていたのではないか』という罪悪感に(さいな)まれていると、後ろから近づく気配を察知し、思考を中断した。

 

「何でここにいるんだよ」

 

 振り向くことはせず、カイトは相手に背中を見せた状態で疑問を投げ掛けた。

 

「…………」

「用がないなら、さっさとオレの前から消えてくれ」

 

 突き放すような発言をぶつけて尚、彼の要求に応えず、相手が立ち去る気配はない。背中越しに感じる視線が嫌でたまらないカイトは、仕方なく、面と向かって話そうと決めた。

 

「仮に用があるなら手短に頼む。こっちはお前の顔を見るのですら、うんざりなんだ」

 

 冷たく言い放つ言葉には、親しみの欠片もない。寧ろその真逆、敵意だけしか含んでいなかった。

 

「……Huh、俺も嫌われたもんだな」

「好かれる要素なんて、今まで自分のしてきた事を思い起こせば微塵もないのはわかってるだろう? それとも思い出せないほど、あんたはボケが入ってるのか?」

「安い挑発は強がってるだけにしか見えねえぞ。その辺にしときな」

 

 言葉で牽制し合う互いの間合いは、約20メートル。踏み込んできたとしても、十分対処できる距離だ。

 

「じゃあなんだ? この前の続きをご所望か?」

「おいおい、今日はやけに血気盛んじゃないか。熱くなるのは勝手だが、今はクールにいこうぜ、《掃除屋(スイーパー)》」

 

 カイトにとっての天敵であり、また、相対する彼にとっても、カイトは天敵である。決して判り合える者同士ではない彼らを引き合わせるのは、『運命のイタズラ』とでも形容すればいいのだろうか。

 

「こっちは十分過ぎるぐらい冷静だよ。その上でもう一度言うぞ……PoH」

 

 畏怖すべき対象。

 恐怖の代名詞。

 ユニークスキル《暗黒剣》の使い手であり、殺人ギルドの元団長・PoH 。

 持って生まれた話術と技術、カリスマ性を備えた彼を、ある者は恐れ、ある者は崇拝する。

 

「用がないならさっさと消えて、あるなら手短にしてくれ」

 

 ポンチョのフードから覗く口許が、不気味な笑みを浮かべた。




普段はプレイヤー戦が多い気がするので、たまにモンスター戦やると新鮮な気がします。そして最初から最後までやるととんでもない長さになりそうでしたので、途中は省略しました。
話数を重ねる毎に文字数が増加している気が……しなくもない。


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第48話 揺れる心と聖女の抱擁

 

「用と言うほどじゃないが、少し確かめにきただけだ」

「確かめる?」

 

 PoHの発した言葉の意味を読み取ることが出来ず、カイトは困惑した。

 一定の距離を保ちながら会話を進めつつ、カイトはPoHの様子を観察する。その手には《友切包丁(メイト・チョッパー)》を持っておらず、殺気の類は感じられない。《索敵》に引っかかる仲間の影が察知されないことから、どうもこの場には彼1人で来たらしい。もっとも、今の彼に仲間がいるのかすら疑わしいが……。

 

「単刀直入に言おうか。……お前、人を殺したな?」

 

 その言葉にカイトの指先がピクリと反応し、彼は怪訝そうな顔でPoHを見た。頭の中で考えたことが表情として浮き出た彼を見て、PoHは小さく笑い声を漏らす。

 

「クックック、OK。正直な奴は嫌いじゃないぞ」

「お前……」

「『なんでそれを知っている?』とでも言いたげだな。なあに、一目見ればお見通しなんだよ。特に、こと同類に関しては、な」

 

 またしてもカイトの身体はPoHの言葉に反応し、今度は先程よりも顔を歪めてやや俯きがちになる。沈黙したままでいるのは彼のプライドが許さなかったので、どうにかして言葉を選び出し、言い返した。

 

「……お前と一緒にされるなんて心外だ。不愉快なんだよ」

「手にかけた数は違うかもしれねぇが、周りから見れば同じだ。……それと気付いてねえみたいだが、お前は既にこっち側へ片足を突っ込んでるんだよ」

「……ちがう」

 

 カイトは否定する。か細く、弱々しく、今にも消え入りそうな声で。

 

「『武器を人に向けて斬る』。これだけ見れば俺とお前のやってる事は同じだが、『斬った相手をどうするか』という点で、明確な境界線が引かれていた。……まあ、最早それも関係なくなったがな。お前はその線を自ら踏み越えたんだよ」

「……ちがう。……オレは、好きで殺したわけじゃない。アレは……事故だったんだ……」

「事故? お前の本心は本当にそれで納得してんのか? 足りない脳みそでもう一度良く考えた上で、認めちまえよ。お前は――――」

 

 周囲から取り込まれる全ての情報を遮断したい衝動に駆られ、双眸を瞑り、両手で耳を塞いだ。

 しかし、そんな彼の願いとは裏腹に、PoHの口から発せられる音の波だけは、やたらと鮮明に聞こえてしまう。

 

「――――お前自身の意思で、人を殺したんだ」

 

 まるで心の奥底に潜むもう一人の自分が、拒絶するカイトに語りかけ、そっと耳元で囁いたかのようだった。

 

「ちがうっ!!!!」

 

 左手で目の前の空間を振り払うと、素早く右手を背中に納めていた剣の柄にかける。間髪入れず一気に引き抜き、全力で大地を蹴ると、切っ先をPoHの下腹部目掛けて勢いよく突き出した。

 カイトが無意識下で繰り出した、片手剣単発重攻撃ソードスキル《ヴォーパル・ストライク》は、PoHとカイトの間にある間合いを埋めるのにやや心許(こころもと)ない。ダッシュした際のエネルギーを余すことなく活用したが、熟練のプレイヤー相手では有効打となりえないだろう。そんな事にまで考えを働かせるほど、今のカイトは普段の冷静さを欠いていた。

 案の定、突発的な怒りに任せた剣は、敵の元へ届くことはなかった。PoHは膝を曲げて前に跳躍し、加速する直突きを前方宙返りで軽やかに躱したため、身体はおろか、着ているポンチョにも掠らなかったのだ。

 カイトに暫しの硬直時間が与えられている間、PoHは空中に投げ出した身を整え、華麗に着地。滑らかに右手が動いた後、《友切包丁(メイト・チョッパー)》が何処からともなく出現した。

 位置を入れ替えた両者は背中合わせのまま、意識を戦闘モードに切り替える。

 

「ベラベラとよく喋るその口――」

「そっちがその気なら仕方ない。だから――」

 

 迸る戦意と敵意を抑えることができず、空間を伝ってお互いの肌をピリピリと刺激した。

 

「――二度と開けなくしてやるよ」

「――少しばかり遊んでやる。……イッツ・ショウ・タイム」

 

 明確な殺意を口にしたカイトと、それに対抗するPoH。

 同時に振り向き、同時に駆け出し、間合いに入る少し手前でソードスキルの予備動作(プレモーション)をとる。選択したソードスキルはあの日衝突した時と全く同一のものであり、深緑の燐光と漆黒の燐光が時と場所を変え、再びぶつかり合うこととなった。

 

 治療術最上位十二連撃ソードスキル《ソウル・イーター》。

 暗黒剣最上位十三連撃ソードスキル《リッパー・ホッパー》。

 

 肩、腕、腹、腰。

 上、下、左、右。

 あの日の動きを寸分違わず再現し、吸収したHP量、与えるダメージ量とそれに伴う痛みまでもが、74層での死闘を思い起こさせる。この前と同じ……否、そうではない。外観では差異がないように見えるが、当時の状況と異なる点が2つだけあった。

 それは『カイトが敵に剣を振るっている理由』と、『その理由を生み出していた張本人がこの場にいない』ということ。

 少女の身を守る為に振るっていた清廉な剣尖は最早見る影もなく、代わりに純粋な殺意を上塗りした剣尖だけが、そこにあった。《魂を喰らう者》という名のソードスキルは持ち主の心を反映し、その名に相応しく敵の魂を喰らうためだけに煌めいている。同時に、常人なら目を背けたくなる程の禍々しさも含んでいた…………のだが、PoHはその禍々しさに魅了されていた。

 一片の迷いも、恐れもない。余計な思考を一切排除し、只々眼前の障害を、敵を葬り去ることだけを考えて振り抜かれる剣は、彼がこれまで見てきた中で最上級の代物だった。金色に光る時計も、光を反射して煌めく宝石も、この剣の前では価値などないに等しい。

 PoHが74層迷宮区で受けた、カイトの発する気迫の影に隠れるようにして存在した殺気は、気のせいではなかったらしい。あの時感じたカイトの中に潜む『殺しの才覚』を嗅ぎとった嗅覚と直感を、我ながら恐ろしく思うと同時に、小さな芽が大きくなるのを見越してあの場を立ち去った判断は、間違っていなかったと確信する。

 

(合格だ、《掃除屋(スイーパー)》)

 

 PoHがカイトと剣を交えるのはこれで3度目。

 カイト本人は知る由もないが、1度目は連続PK事件の犯人を装って襲撃した時。

 2度目はつい先日の迷宮区。

 斬り合う度に負の方向(マイナス)へと進化するカイトの様子は、PoHからすれば滑稽に見えてしょうがない。

 いつまでも、いつまでも眺めていたいと思えるものだったが、お互いの十二連撃目が衝突し、甲高い音と火花を散らした。本来ならカイトのソードスキルはここで終わりだが、以前と同様、このまま硬直を課せられないように体術ソードスキルへと繋げる。

 そんな必死なカイトとは真逆で、既に彼を見極め終わったPoHは、最後の一撃を防ぐことだけを考えていた。胸を貫かんとする徒手の一撃を剣の腹で受け止めるため、彼の放つ技のスピードに合わせてタイミングを調節する。

 鉄の板に向けて右拳が突き出され、光を散らしながら接触。身体の芯まで衝撃が響き、弾かれた両者は同時に硬直を課せられるが、先に復帰したのはPoHだった。

 左足を軸として固定し、右足を振りかぶってカイトの腹部を蹴り飛ばす。カイトはいわば動かない的であるので、自身に迫るつま先に対して防御も回避も出来ず、なす術がなかった。

 

「――がっ!」

 

 鈍重な感覚が神経を駆け巡り、倒れた際に頭を打った影響でジワリと追加の不快感が広がる。顔を歪ませながら崩れた体勢を立て直して立ち上がり、左手で後頭部を押さえていると、カイトの耳が規則正しく鳴る乾いた音を捉えた。ふと顔を上げれば、そこにはPoHがダガーを脇に挟み、拍手をしている光景があった。

 

「予定よりは随分と早かったが、中々良い仕上がりじゃないか」

「……は?」

 

 一拍の間を置き、カイトは間抜けな声と顔を晒した。

 

「安い挑発に乗ってくれて礼を言うぞ。お陰で今のお前がどの程度染まっているのかがよくわかった。……さて、ここで1つ提案だ。攻略だか人助けだか知らねぇが、そんなつまらんものは放り出して、より刺激的な世界に足を踏み入れてみないか?」

 

 左掌を上に向け、PoHはカイトに対して左手を差し出した。

 

「お前、さっきから何を……」

「……ドイツの哲学者、ニーチェが書いた『善悪の彼岸』の中には、こんな言葉がある」

 

 差し出した手をゆっくり下ろすと、PoHは言葉を紡ぐ。

 

「『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』とな。……今のお前にピッタリの言葉だと思わないか?」

 

 この時点で、カイトはPoHが言わんとしていることを察する。

 

「お前は攻略組の中で最も俺逹と関わってきた。だからこそ、知らず知らずのうちに、お前はこっち側に染まっていったんだよ。無意識に、本気で人を斬り伏せてしまおうと考えるほどに、な」

 

 ――人の悪意は伝染する――

 

 (おこた)り、(おご)り、(いきどお)り、(ねた)み、欲し、奪い、そして――――人を喰らう。

 多くの犯罪者と接してきたカイトだからこそ、人の醜い本性を嫌というほど見てきた。

 周囲の影響を受けやすい多感な年頃であるカイトは、良い影響も悪い影響も関係なく吸収するが、犯罪者の放つ負の感情が積もり、いつしか彼の精神に悪影響を及ぼしていた。1週間前、レンを前にして殺意を抱いた事こそ、その影響が表面化した結果であり証拠だ。

 

「だが、別に悔やむことはない。お前は只、人間の脳の奥底に刻み込まれている本能に従ったに過ぎないんだからな。そして俺なら、お前の抑え込んでいる欲望を存分に発散させられる世界へと(いざな)ってやることが出来る。……どうだ? 俺と共に来る気はないか?」

 

 そう告げると、再びPoHは手をカイトに向けて差し出してきた。

 

 オレンジプレイヤーを幾人も牢獄送りにしてきたカイトだが、抵抗する相手を無力化するための労力に加え、《回廊結晶》やピックを使う必要があるため、費用も馬鹿にはできない。敵の戦意を削ぐための微妙な力加減や戦い方だって、神経をすり減らす繊細な行いだ。

 

 だが、その問題を全て解決する方法がある。

 それこそが、人の殺傷。

 

 高額な《回廊結晶》も特注ピックも必要とせず、相手に対して気を使う必要性もない。己の持つ力を全力で叩き込み、敵をこの世界から抹消させられれば、カイトのフラストレーションを発散させるための吐け口にもできるだろう。

 だが、それは間違ってもあってはならない事であり、人の良心に反する行為――――なのだが、それをPoHは許し、あまつさえ教唆(きょうさ)しようというのだ。

 普段のカイトであったならば、そんな言葉を払いのけ、あるいは耳を傾けすらしないだろう。しかし――。

 

「どうせ今のお前には、帰る場所なんてないだろう?」

 

 続けてPoHが言い放った言葉が、カイトの心に深く突き刺さった。

 これまで出会った全ての人の顔が、次々に頭の中で浮かび、消え、また浮かぶ。きっと皆は、人を殺してしまったことに対して思い悩むカイトを、今まで通りに受け入れてくれるだろう。キリトも、アスナも、クラインも、エギルも、リズベットも、シリカも、アルゴも、そして彼女も――――関わってきた人たち全てが温かさと思いやりを持っているため、後ろめたい気持ちなど気にするだけ無駄だ。

 だが、カイトは皆の優しさに甘え、それで事を終わらしてしまうという妥協ができない。紙に書いた文字を消すような簡単な話ではなく、もっと重く受け止めるべきものだと考えているからだ。

 

(……帰る場所、か…………)

 

 疲弊しきっている清廉な精神は、狂人の声に呼応し、少しずつ引き寄せられ、蝕まれていく。彼は今、1つの分かれ道の前に立ち、選択を迫られていた。だが――――。

 

「そんなことない」

 

 ――――心地よい音の波が聞こえた。空耳などでは決してなく、聞き間違える筈もない。明瞭に響くその声は、カイトが決断して歩みかけていた足を引き止め、遠ざかっていた意識を現実へと引き戻す。

 

「カイトの帰る場所は確かにあるよ。いつだって、何処にだって」

 

 カイトの右側面から歩み寄ってくるユキの姿が、そこにはあった。

 彼女はカイトの隣にまで距離を詰めると、毅然とした態度のまま彼の半歩前で立ち止まり、PoHに対して敵意の目を向ける。まるでカイトをPoHの狂言から守るかのような出で立ちだった。

 

「《血盟騎士団》の小娘が、こんな辺境の地へ何の用だ?」

「カイトを探しにきたの。……それはそうとして、彼に変な事を吹き込んで惑わすのは止めてくれる?」

「惑わす? 人聞きが悪いな。寧ろその逆さ。俺はこいつの能力を活かせるように導こうとしたんだぞ?」

「あなたが言うような場所は、カイトの能力を活かせるような場所じゃない。ただ単に利用したいだけでしょう?」

「何故そう言い切れる?」

「あなたの言うことが正しい時なんて、これまで1度もなかったから。理由なんてそれだけで充分」

 

 信ずるに値しない。そう言いたいのだろう。

 カイトは小さい身体で自身を庇ってくれているユキの背中を見つめた。守るべき存在だと思っていたが、どうやらそれは誤りであり、認識を改めなければならないらしい。

 

「あなたに彼は渡さない。もしもまだ関わるつもりなら、私が相手をしようか?」

 

 ユキは右手を後ろにまわし、腰に差してある《カルンウェナン》を引き抜いた。剣を抜いた際に陽光が刃の側面に当たって反射し、PoHは目を一瞬だけ細める。

 

騎士(ナイト)を守るお姫様(プリンセス)ってところか。だが、以前2人がかりで俺に挑んで勝てなかったのを忘れたわけじゃないだろう? それでも、愉快なダンスを御所望か?」

「そんなつもりはないよ。……ところで、何か勘違いしていない? 私は1人でここに来たわけじゃないんだよ?」

「……何?」

 

 ユキの聞き捨てならない言葉に反応し、PoHは顔をしかめた。

 

「念の為少し離れた場所で、ギルドの皆に待機してもらってる。不可視設定だから見えないだろうけど、指1本でメッセージを送信できる準備が整っているから、ボタンを押すだけですぐに駆けつけてくれるよ。1人で攻略組を複数相手したいって言うなら、別に止めないけど?」

 

 もしもユキのGOサインが出れば、たちまちトップギルドの団員がこの場に押し寄せてくる。正確な人数は不明だが、PoHは彼女の発言から少なくない人数であるのだろうと察した。烏合の衆ならばまだしも、最前線を駆ける精鋭達が相手では、流石のPoHも最悪の事態を想定せざるをえない。

 

「…………Suck」

 

 PoHは小さな声でポツリと吐き捨てた後、持っていたダガーを納めるべきところに納め、空いた右手で転移結晶を取り出した。その場から大きく跳びのいて2人からの距離を確保し、カイト、ユキの順に一瞥する。

 

「今日のところは身を引くが、これで終わりじゃないことだけは忘れるな。いつか必ず、その生意気な顔を苦痛で歪ませて、地べたに這いつくばらせてやる」

 

 捨て台詞を残し、続けて転移コマンドと転移先の街を告げると、PoHは青白い光に包まれる。わずかばかりの時間を要し、彼の身体は影も形もなくその場から姿を消した。

 完全に消えたのを確認すると、ユキは肩の力を抜いて短剣を腰の鞘に納刀した。何もなくなった空間に向けていた顔を背後に向け、カイトの顔を覗き込む。

 

「大丈夫?」

「まぁ、なんとか……」

 

 それなら良かった、とだけ呟くと、両腕を天に向かって大きく伸ばし、全身の緊張をほぐす。張り詰めた空気から解放された反動で表情筋が緩み、いつものユキがそこにはいた。

 

「……というか、本当にわざわざオレを探しに来たのか? ギルドの仲間にも協力してもらって?」

「えっと……実はそれ、半分は本当で半分は嘘なんだ。カイトを探しに来たのは本当なんだけど、ギルドの皆が待機してくれているっていうのは真っ赤な嘘。私がここにいるのを知っている団員は誰もいないから、完全に単独行動だよ」

 

 カイトがポカンと口を開けている一方、腕を組んでいるユキはいかにも自慢気な顔だ。彼女の堂々とした態度から判断して完全に信じきっていたカイトは、彼女の見事な演技力に舌を巻いた。ちなみに、SAOには《演技》スキルや《ハッタリ》スキルなどというものは存在しない。

 

「ブラフ、ハッタリ、ネゴシエーション! キリトの得意分野だけど、これ結構使えるね」

 

 右手の人差し指を頬に当てると、ユキは小首を傾げて微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は夕刻。

 陽光が白練(しろねり)の壁をほんのりと赤く染め上げ、まるで家屋に表情が宿ったかのようだった。今日も1日『世界を照らす』という大役を勤め上げた太陽は翌日に備え、地平線に沈んで休息の準備に入る傍ら、夜空の象徴である月が既に姿を現しており、まもなくこの街にも月光が降り注ぐことになるだろう。そんな夜の訪れを待ち構えている住宅には所々で灯りがともり始め、今まさに第61層主街区《セルムブルグ》の景色は、日中と夜間の狭間にあった。

 そして《セルムブルグ》に建ち並ぶ高級住宅街、その一画に佇む家の中で、カイトとユキは机を挟んだ状態で向かい合い、座っていた。ユキの自宅に招かれたカイトは彼女にこれまでの経緯を語り、胸の内を吐露し終えた後、窓の外に映る景色をぼんやりと意味もなく見つめる。

 

「オレが殺してしまった奴にさ、『お前のやっているのは正義の味方ごっこだ』って感じで揶揄されたよ。まぁ……当たらずも遠からず、かな」

 

 自嘲気味に力なく笑ってみせたカイトだが、ユキは真剣な表情で彼の言葉に耳を傾ける。

 

「成り行きで始めたけど、誰かに頼られるのは悪い気がしなかったし、小さい頃にテレビで見たヒーローになれた気がして、自分に陶酔してたんだ。そして今回の件は、悪い意味で《掃除屋》業に慣れたのが原因で招いた結果であって……『ミイラ取りがミイラ』とはまさにこの事だよ」

 

 ふと、また脳裏に人が粉々に散り去っていく光景が再生され、カイトは顔を歪める――――が、対面するユキに心情を悟られまいと、彼は俯いて顔を伏せた。

 

「誰かを助けることでその人から感謝されれば、良かったって思えるし、嬉しい。でも、オレの意図しないところで噂が広がって、頼ってくれる人が増えるのに比例して、期待が高まれば高まるほど、それに応えなきゃいけないっていう重圧(プレッシャー)も大きくなって……。挙げ句の果てにはオレンジに影響されすぎて、無意識に物騒な考えを抱く始末だよ」

 

 別に悲しむ奴なんかいやしない。

 相手はどうしようもないクズだ。殺してしまっても問題ない。

 誰も見ていないから、バレる心配は不要だ。

 

 カイトは一瞬でもそう考えた自分に嫌気が差すと同時に、まるで悪意で塗り固められたもう一人の自分がいるように錯覚した。姿形は双子のように瓜二つだが、思想は全くの対極に位置する存在がカイトの中で生まれ、育ち、居座り、いつか彼の全てを乗っ取るため、虎視眈々とその瞬間を見計らっている――――そんなありもしない妄想を、つい、してしまう。

 

(結構溜め込んでたんだなぁ……)

 

 以前ユキに指摘された『なんでも1人で抱え込む』のが、彼の悪い癖だ。

 人のために動き、助けるほどに、自分を傷付けて追い込む。どんな因果かは知らないが、それは偶然にも《治療術》スキルを他者に行使した際の特性と似ていた。

 スキル保持者(ホルダー)が《治療術》スキルと同様に自己犠牲の精神を有しているなど、中々に皮肉がきいているじゃないか――――と、顔は伏せたままで目を閉じ、声には出さずに自虐している彼の頭に、何かが触れた。

 瞼を持ち上げれば光の粒子が我先にとカイトの両目に入り込み、室内の景色がハッキリと瞳に映る。そこにはユキが机から身を乗り出している光景があり、彼女は彼の頭頂部を優しく撫でていた。なにより印象的なのは、彼女が哀しそうな顔をしていることだ。

 

「ごめんね。気付かなくて。私たちは知らないうちに、カイトに負担をかけてたんだね。辛かったよね?」

「なんでユキが謝るんだよ。それにオレは辛くなんて――――」

 

 否定しようとしたその時、胸の辺りが針の先で刺されたかのようにチクリと痛んだため、言いかけた言葉をぐっと飲み込んだ。

 

「カイトは優しくて思いやりがあるから、怒る時や泣く時があれば、それは必ず誰かのためを想っての事だよね。今だって、その日初めて会った人の命を奪った事に対して悩んでるもん。そういう一面はカイトの良い所だし、私があなたを好きになった理由の一つでもある。……でもね――」

 

 頭を撫でていた手の動きを止め、ユキは机に乗り出していた身を引いた。そして椅子には腰を下ろさず、机の端に沿うようにしてカイトの元へと歩み寄る。彼の隣に立った瞬間、両腕を伸ばし、カイトの身体を優しく包み込むようにして抱き寄せた。

 予想外の行動であったために一瞬訳がわからなかったが、顔に押し付けられている小さくも柔らかい少女の胸の感触によって状況を理解すると同時に、身体が急激に熱を帯び始めた。

 

「なっ、なっ、なにを――」

「――たまには、自分のために感情を露出させてもいいんじゃないかな?」

 

 全てを悟ったような言葉だった。

 だが、実際にその言葉は彼の胸の中心を打ち抜いていた。

 

「カイトのした事はきっと一生背負っていかなきゃいけないだろうし、私が許したところでどうにもならないものだけど……自分のためだけに感情を吐き出すぐらいは許されると、私は思うよ」

 

 緊張していた身体はいつしか脱力し、ユキの胸の中に全てを預ける。カイトは黙って彼女が発する次の言葉を待った。

 

「私に出来る事なんてたかがしれているけど、これが今の私の精一杯。はじまりの日に不安がっていた見ず知らずの私を助けてくれたカイトは、間違いなく私にとって颯爽と現れた正義の味方だったよ。それからも、私をなにかと助けてくれた恩を返す意味で、今度は私がカイトを助ける番」

 

 ゲーム開始初日で絶望の淵に立ち、頬に涙の跡をつけたあの頃のユキはもういない。少女は可憐に、逞しく、頼もしい成長を遂げ、彼の隣に並び立ち、背中を安心して預けられるほどになった。先日のPoHとの戦闘で技術面においてはそれが実証されたが、目には見えない精神面においても、倒れそうになるカイトを受け止め、支えることが、今の彼女にはできるのだから。

 

「カイトが誰かを助ける代償で傷付くのなら、私があなたを癒します」

 

 誰にも頼ることなく抱え込んでいた彼の心が傾き始め、ゆっくりと角度を増す。せめて彼女の前では弱い自分を晒さないようにしようと誓っていたが、ユキの言葉が内まで染み込み、決心は容易くグラついてしまった。

 

(そっか……我慢する必要なんて、なかったんだ……)

 

 少年の閉じた瞼から一筋の雫が生まれて静かに頬を伝うのは、そう時間がかからなかった。

 




次回は番外編……という名のその後。


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番外編第07話 彼と彼女の帰る場所

 

 窓ガラスを隔てた先にある青空から、月との交代を滞りなく終えた太陽が煌々と輝いて少女の顔を照らす。街は未だ活動を開始していないが、そう時間を置かずに狩りへ行く人々で溢れ、活気を徐々に上げていくことだろう。世界は、今日も変わらずに朝を迎えた。

 

「…………ん……」

 

 天然の光を余すことなく全身で浴び、閉じきっていたユキの瞼がゆっくりと持ち上がった。いつもの騒々しいアラームの設定を怠ったため、鳥の声をBGMにして意識を覚醒させたが、起床要因はなにもそれだけに限った話ではない。

 鼻孔を刺激する肉や卵の匂いに加え、それらをフライパンで焼く際に発する音によって否が応でも食欲を刺激される。彼女は寝ていたソファから起き上がらずにはいられなかった。

 上半身だけを一先ず起こすと、身体にかけられていたタオルケットが音もなく滑り落ちた。寝ぼけた状態で立ち上がると、匂いと音の発生源であるキッチンへ自然と歩を進める。たどり着いた先には、黙々と朝食の準備を続ける人影があった。

 ユキは眠た気に眼を擦ると、一声かけるのではなく、彼の背後から近付き、両腕を彼の腰に回して抱きついた。背中に顔を(うず)めて体重を預けると、心落ち着く匂いが彼女の鼻腔に滑り込む。

 

「……いい匂い」

「もう少し待ってろ、腹ペコ娘」

 

 ユキの言葉を別の意味に捉えたカイトは、わざわざ振り返るまでもないのか、あるいは最初から気配に気付いていたのか、兎に角驚いた様子は見受けられない。構っている暇がない彼は動じずに一言だけ告げると、調理を続行した。

 

「何か手伝うことはある?」

「ない」

「むう……反応が冷たい」

「このままオレが朝食の準備を進めるのと、ユキの相手をしてパンを焦がすのとどっちがいい?」

「私に構わずやっちゃって下さい」

 

 彼の手の動きは止まらず、手際よく朝食が皿に盛られていく。トースターで焼いたパンを乗せたところで全て揃い、左右の手で皿を持つと、カイトは肩越しに顔を向けて未だ離れる様子のないユキを見た。

 

「……動きにくいから離れてくれ」

「はーい」

 

 素直に密着していた身体を離したユキは、向きを反転させて普段食事をとっているリビングのテーブルへと歩き出す。そんな彼女の後を追うようにして足早にカイトも同じ動線をなぞっていくと、ユキは素早く椅子に腰掛け、幼い子供のようにキラキラと瞳を輝かせながらカイトを見上げた。娯楽の少ないSAOにおいて、食事は最大級の楽しみであったりする。ましてやNPCレストラン以上の味を期待できる《料理》スキル持ちの食事ならば、尚更だ。

 もしもここでお預けを喰らえばどんな反応をするだろう、という思いがカイトの中で湧き出したが、おそらく猛烈な非難が予想される。1日の始まりを騒がしくして良くないスタートにするのは本意ではないため、結局彼は左手に持った皿をユキの前に置いた。同じように自分の分も机に置いて椅子に腰掛けると、2人は一緒に合掌し、家の中に食事の開始を告げる快活な声が重なった。

 メニューはバターを塗ったトースト、スクランブルエッグ、真っ赤なトマトと生ハムが目を引くサラダ。シンプルではあるが、スキルを持たない者だと簡単なメニューでさえ全て炭に錬成してしまう。ユキでは到底作れない代物だった。

 

「なぁ、ユキ」

 

 対面するカイトから名を呼ばれ、ユキはフォークを動かしていた手を休めた。

 

「昨日はなんか……らしくないところを見せちゃったな」

 

 昨晩、これまで抱えてきた心情を吐露したカイトを受け止め、ユキは涙を流す彼が落ち着くまでずっと付き添っていた。その後はソファに座って2人腰掛け、肩を寄せ合って眠りに落ちたのだが、その事をカイトは気恥ずかしそうに話す。

 

「カイトに限らず、誰だって辛いと感じる時はあるよ。前にも似たような事を言ったけど、そういう時は遠慮なく人を頼ればいいんじゃないかな? 口に出して話せば気持ちも少しは楽になるだろうし……。それに、ちょっとだけ良かったって思ったこともあるんだ。カイトってあんまり人に頼らないし、弱味を見せないでしょう? だから私を頼ってくれた時、それだけ信頼してくれているんだなぁって感じたんだ」

 

 山があれば谷もあり、平坦な道ばかりではなく、時には転がっている石に躓いて転ぶことも往々にしてあるだろう。だからこそ、人は誰もが孤独に生きていくことが出来ない。隣で支えてくれる友や愛する人と並び立ち、体験して得た喜怒哀楽を共有する。そんな風に心を許し、信頼できるパートナーがいる彼は、非常に幸せ者だ。

 

「私に出来ることならなんでも言ってね。器の大きいお姉さんがどーんと聞き入れるから」

「お姉さん? お子様の間違いじゃなくて?」

 

 誇らしげに胸を張る彼女に対し、カイトはおちょくるような口調と顔でユキを見やる。からかっているのを隠す気がないようだ。

 

「む? それは聞き捨てならない言葉だね。……そういえばカイトって今いくつ?」

「えーっと……12月で18になるな」

「えっ?」

「ん?」

 

 小さく驚愕の声を上げたユキにつられてか、カイトも似たような反応を返した。何か彼女の気に留まるような内容を口にしただろうか、と考えてはみたものの、ただ年齢を問われただけなので素直に答えただけだ。リアルに関する詮索は一応タブーとされているが、問うてきた相手がユキならば、別段教えることに抵抗はない。

 

「えっと……年上だったんだね」

「…………その口ぶりからなんとなく予想はできるけど、一応聴こうか。今まで年下だと思ってた?」

「うん。しっかりしてるなぁ〜とは思ってたけど……ほら、カイトって少し顔が幼気な感じがするというか……特に笑った時なんて年上だと思わせないかわいさを秘めているというか……」

「かわいくないし秘めてもねぇっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第49層主街区《ミュージエン》の中央に鎮座する巨木。

 そしてその近くに設置されている木製のベンチこそ、カイトがこれから会う女性との待ち合わせ場所だった。

 ベンチに腰かけるカイトの眼前にあるのは、今は見上げるほどの大きな背丈が特徴でしかない巨木だが、12月に入れば装飾が施され、街の観光スポットとしてその存在を普段よりもさらに主張するだろう。「巨大な木」が「巨大なクリスマスツリー」へと呼び名を変えるまで、あと1ヶ月弱に迫っていた。

 

 この世界に来てから2度目のクリスマスを迎える頃、ツリーを目印にユキと待ち合わせたのが懐かしく、カイトはぼんやりと当時の様子を思い出す。お互いがお互いにプレゼントを用意して渡し合い、急かす彼女の後ろをついて店をまわったのが1年前の出来事だ。受け取った物はインゴットを経て新たな武器に形を変えたが、魂はそのまま受け継がれ、所有者の良き相棒で在り続けている。

 そしてその頃は自覚こそなかったが、今ではハッキリと断言できる。

 あの頃の自分は既に彼女へ好意を寄せていたのだ、と。

 なんとも表現しがたかったモヤモヤの正体こそ、『恋をしている』ことの証明だったのだ、と。

 

(今年は何を渡そうか……)

 

 アインクラッドで過ごすクリスマスも、これで3度目になろうとしていた。まだ早い気もするが、彼女に渡すプレゼントの内容を決め、物によっては早急に準備に取り掛かる必要がある。当日に間に合わなかったという事態だけは、なんとしても避けたい。

 どうせなら本人にとって予想外の代物が望ましいが、いざ考えると中々浮かばないのが現状だ。本人にそれとなく聴くのもありだが、万が一勘付かれるのを考え、ここはアスナに協力を要請してみるのも1つの手段だろう。彼女が二つ返事で引き受けてくれる様子が、容易に脳内で想像できた。

 

(結婚……か……)

 

 アスナの名が浮かんだ所で、最近キリトと結婚したのを思い出した。暫く攻略から離れて休暇を取っているとユキから聞いたが、きっと今もどこかの階層で仲睦まじく過ごしているのだろう。当初は驚きこそしたが、心の何処かで妙に納得できたのは、2人の間柄を間近で見てきたカイトだからこそだ。結婚して以降は会っていないので、手土産の1つでも持って行くとしよう等と、アスナに協力要請で会うための口実を作る。

 2人の結婚に関連し、カイトは左手の薬指を見つめた。結婚というからには、キリトとアスナの指には婚約の証である指輪がはめられているに違いない。当然、誰とも婚約していないカイトに指輪はありはしないが、もしもここにはめるのであれば、それは一体誰と一緒の指輪でありたいか……というのは、最早言うまでもない。

 

「指輪っていう手もありかなぁ?」

「指輪がなんだっテ?」

「うおぉっっっっ!!!?」

 

 素っ頓狂な声を荒げたカイトは、思わずその場で飛び跳ねる勢いだった。

 

「いや、何もそこまで驚かなくてもいいんじゃないカ?」

 

 考え事に集中しすぎたため、アルゴが隣に座っているのに気付かなかったらしい。カイトの驚き様は、間違いなく心臓が脈を打つレベルだった。

 

「いきなり話しかけるなよ! ビックリするだろっ!!」

「え〜? オレっち、普通に声をかけただけなのにナ〜」

 

 別に責められる言われはないと主張するアルゴは、口をすぼめて不満を露わにした。終いには目と口を細めて「オレっち悪くないも〜ン」と、不貞腐(ふてくさ)れる始末だ。

 

「それにしても、こっちの心配をよそにふらりと出掛けて何食わぬ顔で戻ってくるとは、まるで猫みたいだナ。ま、オレっちはカー坊の飼い主ってわけじゃあないけど、やんちゃ坊主は今まで何処をほっつき歩いていたのかナ?」

「いや、まあ……色々と考えることがありまして……。というか、怒ってる?」

「まっさか! 器の大きなオネーサンはこれしきの事でヘソを曲げたりしないヨ。ただ、流石に皮肉めいた言葉ぐらいは言いたくなるかナ〜?」

「ご、ごめんさない……」

 

 いたたまれない気持ちが大きくなるのに比例して、カイトの身体が縮こまる。そんな彼の反応を見たアルゴはイジメるのを止め、左手の指先を立ててカイトのおでこを軽く小突いた。

 

「ま、その様子なら何も問題はなさそうだが、急に連絡が取れなくなるなんて今後はやめてくレ。周りの人間に対して無闇やたらと心配の種をばら撒くのは、カー坊自身にとっても望むことではないだろウ?」

「そりゃあ、まあ……反省してます。ごめん」

「 うむ、わかってくれているなら、よろしイ。だが謝罪の言葉だけで終わらすんじゃなく、カー坊には馬車馬の如く労働の汗を流してもらおうカ」

「…………は?」

 

 そう言うや否や、アルゴの指先が指揮棒(タクト)を振るかのように宙を走ると、続々とカイトにメッセージが届いた。ぎょっとして目を丸くしつつ、恐る恐る文章に目を通すと、そこには初めて見る依頼の内容が記されていた。2件目、3件目も同様であり、彼女が送りつけているメッセージの全ては、この1週間で溜め込んだ依頼であると彼は察する。

 

「さて、取り敢えず長期休暇の間に溜まった仕事を(さば)こうカ。起きてる間は労働の義務を果たしてもらうから、暫く休む暇はないと思ってくれヨ」

「いや、幾らなんでもこれは多い気が……というか、別に休んでたわけじゃ――」

「問答無用。カー坊不在の影響が祟って、オレっちも色々と苦労したから、今度はそっちに苦労してもらウ。何も連絡を寄越さないで職務を放棄するのは、社会人として非常識だヨ」

 

 彼の言い分をバッサリと切り捨てたアルゴは、どうやら話を聞く気がないらしい。

 

「オレのリアルは未成年で学生だ。…………ん? ちょっと待て。アルゴって社会人なのか?」

「ノーコメント。レディーに年齢を尋ねるのは広く知れ渡ってるタブーだゾ」

「社会人かどうかは直接年齢を尋ねてるわけじゃないだろ。セーフだ、セーフ」

「おっ、カー坊も言うようになったじゃないカ!」

 

 続けて聞こえたのは、鼠娘の軽快な笑い声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルゴの宣言通り馬車馬の如く働かせられたカイトは、心身ともに――仮想世界なのだから、厳密には『心』だけだが――疲労感で満たされていた。数件の依頼を果たし、残りはまた明日ということで今日の分は打ち止め。重い足取りで帰路につこうとしたところで、唐突にユキからのメッセージが届いた。

 

『早く帰っておいで〜』

 

 メッセージ受信後、即座に返信したカイトは、世話になろうと考えていた《エギル雑貨店》へと向かう足先を変え、転移門からユキの家に寄り道せず歩を進めた。

 重くなっていた足取りが不思議と軽くなり、予想よりも早くに彼女の家へとたどり着いた。家の鍵を持っていない彼は扉の前に立ち、中のいるはずの家主に戻ってきた旨を知らせるため、拳を握って軽いノックをする。その数秒後、家の扉が家主の心情とリンクして軽快に開き、玄関で満面の笑みを浮かべたユキが彼の訪れを出迎えた。

 

「おかえり〜!」

「ただい、ま……?」

 

 かつて共に行動していた時と同じで自分の帰りを迎えてくれた彼女の言葉に、カイトは戸惑いながらもどこか懐かしい感覚に見舞われた。キリトがギルドに加入してからの短い期間ではあったが、ソロプレイヤーとして活動していた時にはあり得ない、帰りを待ってくれる人がいるという事と、人の温かさに触れられるという幸せを今一度認識し、彼は一歩を踏み出してユキの家に入った。

 

「お風呂はすぐにでも入れるからね〜」

 

 ユキはリビングへ向かっていた足を止めて振り向きざまにそう告げると、そそくさと奥に行ってしまった。

 状況(シチュエーション)だけみて考えれば、やりとりの内容は如何にも新婚の夫婦が交わす会話だ。確かにお互いがお互いを好いているのでそう勘違いしてもおかしくないが、2人はキリトとアスナのように結婚しているわけではない。考えすぎ、意識しすぎと言われればそれまでだが、そう思わざるを得なかった。

 

 ユキの後を追うようにしてリビングに入ると、彼女が用意してくれた湯船に浸かるため、一言だけ告げてそのままバスルームに向かった。ドアを閉めて装備を全て解除し、浴槽に浸かる前にまずは頭を洗い始める。風呂イスに座り、シャワーノズルから1日の疲れを癒す温かいお湯を浴びていると――。

 

「お邪魔しまーす」

 

 ――ガチャっ、という扉の開閉音の後に声が聞こえた瞬間、カイトは頭を洗っていた両手の動きを止めた。刹那の間に空耳かと疑ったが、どうやら聞き間違いではなかったらしく、今度は先程よりもはっきりと彼の聴覚を揺らす。

 

「背中、流そうか?」

 

 両目を瞑っているため視認は出来ないが、2回も聞けば間違えるはずもない。声は確かにユキのものだ。彼の顔が仄かに熱を帯び始める。

 

「はっ!? いや、ちょっ、待っ…………いいって、それぐらい自分で――」

「遠慮しなくていいのに」

 

 慌てふためくカイトを無視し、ユキはそのままバスルームに足を踏み入れ、ドアを閉めた。湯船から延々と沸き上がる湯気に満たされた浴室で、1組の男女が同じ空間を共有している構図の完成だ。

 そして彼女が入ってきてから今に至るまで、カイトの内側から発生している熱が冷める様子はなく、寧ろ上昇し続ける始末だ。浴室とは身体を洗うための場所であり、ここに入るということは、十中八九装備品を始めその下に着ている衣類も脱いでいる状態のはずである。今のカイトがまさしくその状態だが、そう考えると彼女もまた同様に――――というところで自制心が働き、脳内で想像しかけた彼女の姿にフィルターをかけて自主規制した。

 

「……なんか念入りに洗うね。カイトって潔癖性だったっけ?」

「別に違うけど……い、今から流そうと思ってたんだよ」

 

 必然的に目を閉じている状況を継続するため、頭髪を洗う時間を意図的にいつもより長くしていたが、時間稼ぎはどうやらここまでらしい。観念した彼はシャワーノズルを手にとり、泡を洗い流した。

 

「それじゃあ……お願いします」

「任されたー」

 

 軽やかに返事をしたユキはカイトの背中にタオルを押し当て、ゴシゴシと力を込めて洗い始めた。鼻歌交じりでご機嫌な彼女に対し、カイトの胸中は穏やかではない。

 

(なんでこんな平然としてるんだ? もしかしてオレの感覚がおかしい?)

 

 ここまでくると自分の常識が間違っているのではないかと疑念を抱き始めたが、彼女が平然としている理由を説明できる1つの可能性が閃いた。おそるおそる、背中越しに尋ねてみる。

 

「なあ……ユキ」

「んー?」

「もしかして……水着とか着てる?」

「うん。そうだよ」

 

 答えが返ってくるや否や、両目を開けて肩越しに彼女を見やると、確かに水着姿のユキがそこにはいた。真夏の海水浴場で見たものとは別の、真っ白なビキニだ。

 答えがわかってしまうと火照っていた身体は一気に冷め、安定したいつもの状態に戻った――――が、今度はユキから疑問を投げかけられたため、微弱ではあるが再熱する。

 

「なんでそんな事きくの?」

「えっ!? いや、別に深い意味は……」

 

 ない、と言いかけて口ごもり、先ほど脳内フィルターで自主規制した彼女の姿を再度想像してしまう。水着姿のユキをつい今しがた見たため、補正をかけてイメージを固定するのは容易だった。自分でもわかるぐらい、前よりも顔が熱を帯びてしまう。

 そして良くも悪くもSAOの感情表現はオーバー気味であるため、カイトの心境を検知したシステムは『顔から湯気を出す』という選択をした。いらぬお節介というべきか、正面から顔を覗かなくてもその様子は手に取るようにわかるため、ユキはカイトの状態と先の発言から数秒の考える間を要して答えにたどり着く。今度はユキの顔が赤くなる番だった。

 

「ばっ、バカッ!! 幾らなんでもそれは……そんな大胆な事するわけないでしょっ!!!!」

「状況的に考えて健全な男子高校生ならそう思うに決まってるだろ!! あらかじめ何も言わずいきなり風呂場に来られたら、誰だって――――」

 

 必死に弁明という名の言い訳を機関銃の如く発射しているカイトだが、その一方でユキは頬を朱色に染めつつ、アスナの《リニアー》に勝るとも劣らぬ鋭い視線を彼に突き刺した。

 

 

 

 

 

 浴室での一件はどうにか終息し、1日の終わりを迎えようとしている2人は就寝準備に入った。時期的に夜間は肌寒くなりつつあるが、家の中は完全に外気が遮断されているため、室内は暖かく保たれている。故に部屋の暖かさも相まって睡魔が発生し、カイトが眠た気に目を擦っていると、不意にユキが声をかけた。

 

「ねえ、カイト」

「ん?」

 

 彼女のいる方向にカイトが顔を向けると、右腕を伸ばしているユキの姿が彼の瞳に映った。伸ばした右手の掌は大きく開かれているが、その上には小さな金属製の物体が置かれており、これは何かと目を凝らす。

 

「……鍵?」

 

 銀白色に輝き、凹凸のある10センチに満たない鍵。別にクエストのキーアイテムであったり、宝箱の開錠に必要なアイテムというわけでもない、ただただ普通の鍵だ。

 

「そう、この家の合鍵。これはあくまで私からの提案なんだけど……もし良かったらここで一緒に暮らさない?」

「えっ? ……急になんで?」

「ここを私たちの帰る場所にしようかな、と思って。私ね、この家を結構気に入ってるんだけど、当然暮らしているのは私1人だから、クタクタに疲れて帰っても、部屋の中が寂しいんだ。だからこそ、自分の帰りを待ってくれる人がいるのはすごく幸せなんだって気付いたの。それで私の我が儘も入るんだけど、カイトがここに住んでくれると、それだけでここに帰るのが楽しみになるというか……楽しい事や辛い事があったら、その日の出来事を話したりして、また昔みたいにたくさん時間を共有できたらなぁ〜、なんて…………どう、かな?」

 

 下から顔を覗き込むようにして、おそるおそるユキは尋ねてきた。カイトが『快く承諾してくれるであろう』という期待と『断られるかもしれない』という不安が入り混じり、それは彼女の表情にはっきりと表れる。

 様々な言い方があるかもしれないが、彼女の切り出した話は、いわば同棲の申し出と捉えて良いだろう。自分が信頼し、尊敬し、そして最も愛する人と共に過ごす時間が今よりも増えるのならば、カイトに断る理由はない。彼はユキの掌に乗っている小さな鍵を指先でそっと掴み、一言――。

 

「それじゃあ、お言葉に甘えて……。()()()()()()()

 

 ――とだけ告げた。

 この時、彼女の顔が破顔したのは言うまでもない。

 




第6章終了です。次の話から第7章へと移ります。

そして現在、この作品の今後についていくつか候補を挙げていますが、その中のどれにするかはまだ未定……考え中です。第7章が終わる前には流石に決めますが……。


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第7章 -終焉の時-
第49話 雲散霧消と地獄の門


 遠くからでも途轍もなく巨大だと見てとれるのは、広大な空に浮かぶ浮遊城を支え、多くの魔物を住まわせている円形の柱。

 近付けば近付くほどにその存在感を示し、今となっては遠い昔のように感じる第1層攻略に燃えていたあの頃は、この柱に誰もがある種の恐怖心を駆り立てられていた。根元に立って上を見上げれば次なる階層の床を突き破っており、さらに上ではまた次の階層の床を突き抜け、やがては100層まで…………という想像を一度働かせると、なんとも言えない億劫な気持ちになるのは致し方ないというもの。

 それでも1つずつ、階段の段差を登るように確実に進んできた今日(こんにち)において、ようやく残りもあとわずか、4分の1にまで迫ってきていた。ゴールなどあってないようなものなどと言われたこともあったが、最早そんな言葉を口にする無粋な者はいない。真っ暗なトンネルの中を手探りで進み始め、ようやく出口が見えてきた現段階においては、当初多くのプレイヤーを満たしていた絶望は希望になりつつある。

 

 それでも、危険な最前線で戦うプレイヤーは緊張の糸を緩めることはしない。

 否、あってはならない。

 

 PKを除き、フィールドを闊歩している最中に命を落とす者の多くは、この巨大な柱の中でその身を散らしているからだ。内部に住まう魔物然り、守護者然り、行く手を阻む者達は強者ばかり。砕け散った身体から遊離し、寄る辺を失った魂は決して出口に辿り着くことなく、柱の内部を永遠に彷徨う運命を辿る。

 

 それこそが《迷宮区》。

 

 プレイヤーがおよび腰になるような、各階層で最難関と称される場所だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう……」

 

 第75層迷宮区に屹立する1本の柱に背中を預け、カイトは安堵の息を漏らしていた。

 彼の立ち位置から約2メートルの距離を置いて暗い迷宮区を輝かせているのは、空中を紙吹雪のように舞うポリゴンの欠片。最終的には音もなく消え去ってしまうが、つい今し方までこのポリゴン片は密集して固定され、データの集合体――迷宮区に住まうモンスター――を形作っていた。

 

「……危なかった」

 

 冷や汗が頬を静かに伝い、やがて床に落ちて一瞬だけ瞬くと消え去ってしまった。未だ纏わりつく焦燥感を振り払う意味も込めて、カイトは左腕で汗を拭う。

 迷宮区で出現するモンスターの集団に強襲され、カイトは辛くも全て斬り伏せることに成功。時折危険な場面もありはしたが、死線を潜り抜けてきた自信と場数の多さに加え、これまで培ってきた剣の腕と状況判断能力が功を奏し、なんとか生き永らえることができた。

 

「こんなところで死ぬわけにはいかないんだよ……」

 

 その言葉は、帰るべき場所に帰るため、帰りを待ってくれている人の元へ帰るために、他の誰にでもない自分自身に誓いを立てる意味で呟いた。

 力なく右手を振り下ろし、入手したアイテムと討伐対象モンスターの数を確認。先の戦闘でどちらも規定数に到達したため、あとはNPCに報告して報酬を得るのみ。

 もたれかかっていた柱から背中を剥がして直立すると、剣を1度右に払って鞘に納める。凝った肩を適度にほぐすと自分が来た道の先を見据え、次にまだ見ぬ未開の道を眺めた。迷宮区のマッピングは滞りなく進行しているので、近日中に攻略組一同が目指す最上階の大扉は発見されるだろう。

 

(……帰るか)

 

 精神的疲労感がドッと押し寄せたため、カイトはこれ以上進行する気力を失った。もとより、今回の目的は迷宮区及びその周辺で発生するクエストを片っ端から潰していくことであるので、マッピングはそのついでだ。

 受注したクエストは達成済みなので、彼は報酬を受け取るために塔を下る決心をした。腰のポーチから《転移結晶》を取り出す。

 

(今日は何を作ろうか?)

 

 帰宅後に調理する食事のメニューに頭を悩ませつつ、カイトは近場の街の名を唱えると、視界が一瞬だけ青白い光に包まれた――――かと思いきや、すぐに彼は陽光を全身で受けることとなった。ピリッとした空気が一変して和やかな雰囲気が転移先の街全体を埋め尽くしていたため、カイトは張っていた緊張感を惜しげもなく緩めた。思わず肩の力が抜ける。

 そして彼はやるべき事を果たすため、街の南西方向に向かって歩き出した。現在受注中のクエストに必要な条件は満たしているものの、NPCに報告せねば意味がない。迷うことなく道を歩み、訪れた家屋に住むNPCに獲得したアイテムを渡してモンスターの討伐を告げると、クエスト達成の画面が表示された。コルと経験値に追加で報酬アイテムを受け取ると、NPCの次なる動きがないか注視する……が、役目を終えたNPCは、寸分違わず同じ作業を繰り返す待機状態になった。

 

「ここもハズレ、か」

 

 既に何度も同じ思いを味わっているため、大きな期待は寄せていない。だが、それでも落胆せずにはいられなかった。

 肩を落としながら家を出ると、現在地から100メートル程離れた場所を目指し、まずは右足を一歩踏み出す。狭い路地裏に入ると怪しげな格好をしたNPCが横目でカイトを一瞥したが、無視して横を通り過ぎ、十字路を右に曲がって目印である大きな樽に近づいていった。その樽の上で腕組みしながら足をぶらつかせ、暇そうにしているアルゴがカイトを待っていた。

 

「お待たせ、アルゴ」

「大丈夫。オレっちも今来たところダ」

 

 アルゴは組んでいた腕を解いて両手を樽の上に添えると、腕の力と反動を使って樽から下りた。地面に着地した彼女がフードをとると、陽光が差し込まない路地裏にも関わらず、目を引くような金褐色の髪が自ら発光しているかのように煌めいた。

 

「なんか今のやりとり、恋人同士の待ち合わせみたいだナ」

「ユキが見れば浮気現場だけどな」

「えっ? まさか本当に、カー坊はオレっちに気があるのカ? もしかして仕事上の関係では収まりきらない、危ない関係をお望みかイ?」

「んな訳あるかっ!!」

「にひひ。オレっち今フリーだから、ユーちゃんに振られたらいつでもオネーサンを頼っていいゾ」

 

 そう言うとアルゴは口元を緩めて小さく笑ったが、すぐに表情はいつも通りに戻る。

 

「それで、本題に入るけど……どうだっタ?」

「どうもこうもないよ。これといった成果はなし」

「う〜ん、そうカ。こっちもダ」

 

 視線を斜め下方に落としたアルゴも、先ほどのカイトと同様に残念そうな表情を浮かべた。

 彼と彼女は現在、まだ見ぬ最前線の迷宮区で待ち構えているフロアボスの情報を得るため、迷宮区周辺に存在する様々なクエストを手当たり次第に受けてクリアしている。ボスの名称、姿形、攻撃手段やその他諸々は、フロアボス戦前の偵察戦を行うことでいやでも判明するが、偵察戦こそ、死者が出る可能性が最も高い。なのでその可能性を少しでも減らすため、極稀にNPCから断片的に得られるフロアボスの情報目当てに、2人は奔走しているのだ。

 この手の重要情報はクエストをクリアして得られる場合が多いため、カイトはここ3日くらいはあらゆるクエストを受け続け、検証している。その一方で最前線のフィールド、ましてや迷宮区での戦闘が出来ないアルゴは、彼女なりのやり方で情報を得ようと東奔西走している……のだが、どちらも思うような成果は得られていない。

 

「ついさっき目的達成の報告をしてクリアしたのがあるけど、それでアルゴの探してくれたやつは最後だな。新しいクエスト情報があるなら、今すぐ受けに行くけど?」

「いや、目新しいのはもうないヨ。今の所はこれで手詰まり、カナ?」

 

 両者は同じタイミングで首をかしげ、どうしたものかと頭を悩ませた。《掃除屋》と《情報屋》という間柄上、なにかにつけて顔を合わせる機会が多いため、自然と息はピタリと揃う。それは些細な動作からでも如実に表れていた。

 

「取り敢えず、今日のところはこれで解散としよウ。また新しいのが見つかり次第メッセージを送るから、それまでは待機していてくレ」

「了解。ただ、この調子でいくとボス部屋の発見が先になりそうだなぁ……。マッピングされていないルートはそうないみたいだし、早ければ明後日にでも偵察隊が派遣されるんじゃないか?」

「ま、ギリギリまで粘ってみるサ。なにせ次のボスは75層の…………最後のクォーターポイントのボスなんだかラ」

 

 しかし、カイトの見立てた予想は、ものの見事に破られることとなるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 偵察隊の派遣を2日後と予想したカイトであったが、あろうことか次の日にはボス部屋が発見されたため、攻略組一同は急遽《グランザム》に集まり、派遣メンバーの構成に努めることとなった。

 あくまでボスの動きや攻撃パターンを見極めて報告し、準備を整えて再度挑戦するための偵察だ。いつものようにあまり人数を割くことはせず、総員を半分に分け、第1陣をボス部屋に突入させた後、状況に応じて第2陣も突入する流れとなる。攻略組の主要5ギルドでメンバーを決めるが、無所属のカイトも、偵察隊のメンバーとして名を連ねることとなった。

 

「先遣隊か……気が重いなぁ……」

 

 話し合いを終えた一同は装備メンテやアイテムを揃えるための時間を設けられ、準備が完了次第出発となる。その必要がなかったカイトは会議室にある座り心地の良い椅子に腰掛け、机に頬をつけて伏していた。

 事前情報なしでボスに挑む偵察戦は戦死する確率が本番よりも高いのだが、特に先に突入する第1陣――いわゆる先遣隊――は、死亡率がさらに上がる。ましてや相手はクォーターポイントのボスであるので、これまでの経験に照らし合わせてみると、どうしても気が重くなってしまう。無論、無茶をせず防御・回避に徹していれば済む話なのだが、25層の巨人型ボスや50層の多腕型仏像ボス然り、一筋縄ではいかないだろう。

 

「決まっちゃったものはしょうがないよ。私は今回同行しないけど、危なくなったら即退避だよ。OK?」

 

 隣に座るユキに対し、カイトは短く返事をして応答した。

 本来なら重厚な鎧に身を包んだ壁戦士(タンク)で陣営を固めるが、軽装のカイト唯ひとりが唯一の例外として第1陣になったのは、攻撃を受け続ける壁戦士(タンク)のHPを回復させる役割を任されたからだ。かつ、動きの軽い彼ならば、予想外の事態に対して即座に臨機応変な対応できるという期待の意味も込めてある。

 カイトは机に伏せたまま目を閉じて瞑想しかけたが、そのままうっかり寝入ってしまうと思い、上体を起こして椅子から立ち上がった。偵察隊の出発は約20分後に街の中央にある広場なので、少し早い気もするが、そろそろ行くかと気持ちを前に押し出す。

 それとほぼ同時に、会議室にある扉が静かに開いて1人の男が入室してきた。いつもの鎧とは違い軽装だが、高貴な雰囲気は普段通りだ。

 

「やあ、ここにいたのか」

 

 よく響くテノール声が2人の耳に届いた。声の主である《血盟騎士団》団長のヒースクリフは少年少女に向き合うと、柔らかい物腰のまま優しく笑いかける。

 

「急な招集に応じてくれて感謝するよ、カイト君」

「確かに急ではあったけど、別に迷惑とは思ってないさ」

「そう言ってもらえると、こちらとしても助かるよ。……ところで――」

 

 ヒースクリフは出入り口に立ったまま顎に手を添え、尚も話を続ける。

 

「君は未だどこにも所属していないみたいだが、ギルドに入る気はないのかい?」

「何? キリトの次はオレか? ユニークスキル持ちをまた1人引き込んだら、今度こそ《聖竜連合》からクレームがくるぞ」

「別にそういう意味の質問ではないさ。ただの興味本位だよ」

「ふ〜ん……まぁいいけど。……そうだなぁ……」

 

 質問を投げかけられたカイトは少しだけ考える素振りを見せつつ、隣の少女を一瞥した。視線を向けられたユキは首を傾げる。

 

「入る気はない…………って、以前はそう思っていたけど、今は少し違うかな」

「ほう……その心境の変化は何故かな?」

「う〜ん……なんていうか、キリトがいなくなってから完全ソロで活動してたけど、モンスターのアルゴリズムが変化してきた影響もあって、1人で全部対処するのは結構厳しいって実感したんだ。今はまだなんとかやれてるけど、今後はどうなるかわからないし。だから、ギルドに入る事を最近は視野に入れるようにしてるよ」

 

 これまでも1人で動くことは度々あったが、そのほとんどは最前線よりも下層で活動する時に限定している。そしてそれは、未知の最前線を1人で切り抜ける自身がないことの表れでもあった。

 ギルドに入る意思があるのを聞かされたユキは、キラキラとした瞳で期待の眼差しをカイトに向ける。彼女が今何を考えているのか、カイトは手に取るようにわかった。

 

「……質問には答えたから、今度はこっちが尋ねる番だ。何か用件があったんじゃないの?」

「おや、何故そう思うのかね?」

「さっきの口ぶりだと、まるでオレ達を探してたみたいな言い方だったから」

「『まるで』ではなく、その通りだよ。正確には君1人だがね」

 

 わざわざ攻略組トップギルドの団長が自らの足を使って探していたのだから、世間話をしにきたわけではないのだろう――――というカイトの予想通りであり、話はこの後の動きに関するものだった。

 

「聞いた話では、君はこれから向かう偵察隊の第1陣らしいね? 急で申し訳ないが、君には第2陣の人物と交代してもらうことにした。変更は既に伝えてある」

「え? そんな事をわざわざ言いに? というか、なんで?」

「君のユニークスキルの有用性を考慮した配置だったらしいが、先遣隊はこれまで通りPOTローテで回す。しかし危機的状況に陥る可能性があると判断した場合に限り、カイト君はプレイヤーを回復させるサポート役に移ってもらうという流れにしたので、それまでは部屋の外からボスの動静を注視し、情報収集に努めてくれ給え。変更内容は以上だ」

 

 事務連絡を伝える淡々とした口調は、有無を言わせぬものだった。別に彼1人を変更したところで偵察自体に大きな影響はないだろうし、どこか引っかかる不可解な理由だが、これは何か意味があってのことだろうと、カイトは無理やり自分を納得させた。

 

「……うん、わかった」

「用件は以上だ。期待しているよ」

 

 手短に話し終えたヒースクリフは踵を返し、部屋の外に出て扉を閉めようとするが、完全に締め切る前に彼はポツリと呟いた。

 

「現時点で君を失うわけにはいかないのでね」

 

 その意味深な発言が室内にいる2人に届くことはなく、扉の閉まる音だけが会議室の中に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 構成に一部変更があった偵察隊は、予定通りに街を出発して迷宮区へと歩を進めた。道中出現するモンスターを斬り伏せ、一行は危なげなく最上階にあるフロアボスの部屋に到着。ユラユラと揺れる燭台の炎が人よりも大きな扉を照らし、一流の職人が彫ったかのようなレリーフが施されているが、ここがボス部屋の前でなければもう少し魅入ったり、何かそれらしく感想を述べることも出来るだろう。

 しかし、生憎そんな余裕はこの場の誰にもありはしない。扉のレリーフよりもこの後の戦闘で頭が一杯なのだから、致し方ないというものだ。

 

「行くぞっ!!」

 

 今回の指揮を任されている《血盟騎士団》の盾持ち剣士が、右手に持った剣を高々と持ち上げると、周りも同じように剣を天に向けて掲げた。皆の士気は十二分に高まっており、集中力も右肩上がり。油断は万に一つもない。

 先頭に立つ偵察隊リーダーが扉に手をかけて徐々に力を込めると、重そうな扉はいとも容易く開き始めた。扉の角度はゆっくりと増し、全開になったところで止まり、挑戦者達を出迎える。部屋の中は数メートル先も視認できないほどの闇が広がっていた。

 

「戦闘開始!!!!」

『おぉぉぉおおぉぉぉおお!!!!』

 

 野太い声が幾つも重なると、第1陣のプレイヤー達が鎧の擦れる音を発しながら部屋の中へと雪崩れ込む。瞬く間に闇に溶け込んだ彼らを見送ると、外で待機する残りのプレイヤー達は、部屋の中を注視し出した。ボスの名前、姿、攻撃パターンといった各種情報を収集するのが彼らに与えられた一先ずの役割であり、カイトも皆と同じように目を凝らす。

 だがその役目を全うすることは叶わず、次に訪れたのは予想外で、あまりにも無慈悲かつ残酷な現実だった。

 

「なっ……!」

 

 開いたはずの扉が逆再生したかのように、再び閉じようとしていたのだ。閉まる扉の先から覗く部屋の様子が視認しづらくなり、視界も徐々に狭まる。

 皆が呆気にとられるなか、最も早く我に返ったカイトが一目散に閉まる扉へと駆け寄り、手を伸ばした。ただ黙って立ち尽くすよりはマシだが、動いても動かなくても、結局結果は一緒だった。

 コンマ数秒の遅れをとったカイトの指先が、扉に彫られたレリーフの凹凸に触れる。迷宮区とボス部屋が扉一枚によって完全に隔絶され、システムが何人たりとも入らせないという意思を顕著に示していた。

 

「なんで…………?」

 

 迷宮区のアラームトラップでこういった仕掛けが施されている部屋もあるにはあるが、まさかボス部屋で遭遇するとは、皆露ほどにも思わなかっただろう。第4層フロアボス戦のような一部例外を除き、これまでボスの部屋は扉を開けると勝手に閉まることはなく、いつでも離脱できるように常時開放されていたので、予想外の事態にただ呆然とするしかない。

 扉一枚を隔て、内部では今頃ボスとの戦闘が繰り広げられている筈だ。アラームトラップはモンスターを倒すか時間経過で解除されるのだが、十分な人数のいない状態でボスを倒すのはおろか、規定時間まで持ちこたえられるのか疑わしい。

 ふと、嫌な予感がこの場にいる全員の脳裏によぎる。

 そしてそれは、現実のものとなった。

 

 

 

 

 

 結論から言えば、偵察戦は10人程の犠牲と引き換えに、状況から予測される複数の事実を残した。

 

 『部屋に入ると扉は閉まり、中からも外からも開くことは出来ず、戦闘終了によってでしか開かないこと』

 『部屋の内部は《結晶無効化エリア》に指定されているということ。突入した第1陣が、一人残らず黒鉄宮に刻まれている名に横線を引かれたことから、《転移結晶》による緊急脱出が不可能であると示唆しているためである』

 『第1陣が10分と経たずに全滅したことから、事前に予想されていた通り、クォーターポイントのボスは規格外の強さを有しているということ』

 

 以上の情報を持ち帰り、第2陣一行は苦渋に満ちた表情で報告することとなった。

 



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第50話 心の有り様と剣士の誓い

 

 迷宮区から《グランザム》へ。そこからさらに《セルムブルグ》へ。

 持ち帰ったわずかな情報を報告し終え、カイトは白練(しろねり)の家に挟まれた道の真ん中を歩いていた。落ち込んでいる暇があるなら、自分たちに降りかかっている障害に対してどう対処すべきか考えろ――――と、先程から懸命に頭を働かせているが、カイトは後味の悪さを未だ拭いきれずにいる。

 しかし、帰宅した彼を出迎えてくれたユキの顔を見て、彼はなんとも言えない安心感を感じていた。すがるようにして無意識のうちに彼女を抱き寄せたため、突然のことにユキも戸惑う。

 

「わわっ!?」

 

 お帰りの一言を発する間も無く抱きしめられるのは、流石の彼女も想定外だ。急な出来事で体温が上昇し、ユキの顔が徐々に赤みを増していく。

 

「……ごめん。今日はちょっと、疲れたから……」

 

 ユキの右肩に顔を(うず)めているカイトは、か細い声でそれだけを呟いた。それを聞いたユキは彼の心中を察し、両腕をカイトの背中に回して優しく慰める。

 

「そっか……大変だったね」

「……うん」

「でも、その……少しだけ力を緩めてくれないかなぁ〜、なんて」

 

 力強く抱きしめていた腕を緩め、カイトは彼女の両肩に手を置いたまま密着していた身体を離す。未だ頬の赤みがかった色が抜けきっていない彼女の顔を見ると、不思議とカイトはもらい赤面してしまった。自分の起こした突発的行動を振り返ると、所在なさげに目が泳いでしまう。

 一方のユキもどうしてよいかわからずにいたが、不意に右手を持ち上げると、何もない空間を指先でタップする。カイトからは何も見えないが、おそらくハラスメントコード発動の確認画面が出ていたので消したのだろう。考えがそこまで至ったカイトは、彼女の細い肩に置いていた手も離した。

 両者ともに動きが静止したのも束の間、ユキはカイトの右手を掴み、そのまま引っ張って部屋の中へと誘導。リビングの椅子に座るようそれとなく促され、お互いに腰掛けると、彼女はストレージからティーポットとカップを出現させた。

 

「これでも飲んで、落ち着いて」

 

 カップに注がれたのは、薄い赤色をした紅茶だ。カップの取っ手を持って口元に近付けると、立ち昇る湯気と共に香りが空中に拡散され、緩やかに鼻腔が刺激される。口に含めばほのかな甘味が口内に広がり、飲み込むとスッキリとした味わいと共に喉を潤した。

 

「美味いな」

「でしょ?」

 

 いつの間にか先ほどまであった嫌な後味は、紅茶と一緒に飲み込まれ、腹の中に流されてしまった。あっという間に全て飲み干すと、一息ついて肩の力を抜く。

 

「エギルさんのお店で取り扱っていたから、ものは試しで買ってみたんだ。期待以上に美味しかったから、最初は私もビックリしたよ」

 

 自慢気に語るユキの話を耳に入れつつ、カイトはもう一度紅茶を口に含んだ。

 

「……今日、カイト達に何があったかは、ギルドからの連絡でもう知ってるよ」

 

 その一言でカイトは傾けていたカップを止め、口元から静かに離した。

 

「犠牲者の中にはギルドの仲間もいたし、同じギルドじゃなくても以前からお世話になってた人もいた。ここ最近は攻略中に仲間を失うことがなかったから、この感覚は私も久しぶりだよ。突然別れる時がくるかもしれないのは頭でわかっていたけど…………やっぱ、何回経験しても慣れないや……」

 

 顔は笑っているが、その表情はどこかぎこちない。無理矢理笑顔を絞り出しているのは容易に想像でき、彼女もカイトと同様に辛いのだ。

 だが、実際に絶望の瞬間をその眼で目の当たりにしたカイトの心中は、尚辛い。

 

 不意に閉まる、地獄への扉。

 システムに保護されているため、扉を開けることも破壊することも出来ず、その場で立ち尽くすことしか出来ない無力なプレイヤー達。

 そして再び開いた扉の先にはプレイヤーもボスもおらず、只々先の見通せない闇が広がるのみ。まるで今の自分達の心境を映し出しているかのようで、カイトはその時、身体の芯から身震いしたのだ。

 

「……やっぱこの話はなし。ごめんね、なんか辛気臭くしちゃって」

「いや、こっちこそ気を遣わせてごめん。でも……ありがとう」

 

 帰宅した彼を抱きしめ返して慰めの言葉をかけたのも、座らせてお茶を出したのも、彼の沈んだ気持ちを少しでも浮き上がらせようと試行錯誤した、彼女なりの気遣いだ。そんな彼女の気持ちがカイトは嬉しく、現に心は多少紛れた。少なくとも、感謝の言葉と共に笑顔を見せるぐらいには。

 

「そういえばオレが偵察にいってる間、ユキは何してたんだ?」

「22層に行ってたよ。アスナ達の新居にお邪魔しようと思って」

 

 アスナはキリトと結婚後、《セルムブルグ》の自宅を売り払い、22層のプレイヤーホームを購入してそこで暮らしている。モンスターは出現せず、物珍しいレアアイテムもない長閑(のどか)な階層なので、ここを拠点にするプレイヤーはあまりいない。アスナ達としては人目につかずにのんびりと過ごしたいので、22層は絶好の場所だった。

 

「行ったら丁度イベントをやるっていうから、一緒に見に行ってたんだ」

「イベント? なんかのクエストか?」

「まぁそんなところかな。22層にはたくさん湖があるけど、その中の1つに(ヌシ)がいるらしくてね。《釣り》スキルを完全習得(コンプリート)したニシダさんって人が主をヒットさせて、キリトがスイッチして釣り上げる、って内容」

「へぇ〜、釣り竿のスイッチか。面白いな。……それで、どうなったんだ?」

「それがすっごい大きな魚というかなんというか……兎に角、こ〜んな大きな主が釣れたんだけど、流石にみんな予想してなかったみたいで、一時はパニックになってたなぁ」

 

 想像異常の大物に当時はビックリしたが、時間が経ってから振り返ると可笑しな光景だったのだろう。その時の様子を思い出し、少女はクスリと笑みを零した。

 そしてユキは椅子から立ち上がり、両腕を伸ばして全身でいかに主が大きかったのかを表す。

 

「だけどアスナが一肌脱いで、レイピアで自分の何倍もある主を、ズドンッ、ザシュッ、ドガガガガッ! って感じでバーサークっぷりを発揮して――――」

 

 ユキは身体を使って突き、切り上げ、連続突きのモーションを表現し出した。察するに、今度はアスナの動きを身振り手振りで再現しているのだろう。そんな楽しそうに、一生懸命に今日見たことを伝えようとするユキに対して、カイトは頬杖をつきながら微笑んだ。

 そしてユキと会話しているうちに、いつの間にか沈んでいた気持ちが浮き上がっていた事に気付く。もしも1人でいたら、こんな風に立ち直るのは早くないはずだ。意図してではないだろうが、ユキは目に見えない形でカイトを支えているのだ。

 

「ちょっと、きいてる〜?」

 

 自分が一生懸命話しているのに、聞き流されているとでも思ったのだろう。その口調は怒っているように聞こえるが、カイトは声のトーンから本気で怒っているわけではないと感じた。それでもユキの表情は不満気であるので、もしも悪化すれば本気で怒り出すだろう。

 

「大丈夫。ちゃんと聞いてるよ」

「本当に〜?」

「本当だって」

「よろしい! えっと、それでね……」

 

 ユキが一方的に話し、カイトが相槌を打ちながら時々質問を織り交ぜる。そんな『当たり前』の光景を『当たり前』のままにし続けられるよう、自分の事も彼女の事も守れるぐらい強くなろうと、カイトは心の中で誓いをたてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとつ屋根の下で微笑ましい会話を楽しんだ翌日、ユキの家に満ちていた空気とは真逆の強張った雰囲気が、第75層フロアボス戦に参加するプレイヤー達の集合場所に漂っていた。その場で目を瞑って物思いにふける者もいれば、仲間と談笑して他愛のない会話を交わす者達もいる。一目見ただけでは判別出来ないが、決戦前の待機姿勢に違いはあれど、各々は少なからずの恐怖を感じているだろう。第1層フロアボス《イルファング・ザ・コボルドロード》との決戦前も恐怖心を抱いたが、今回はそれとはまた別種の恐怖心だ。なにせ倒すべき相手の事を何一つ知らないのだから。

 それでも間隔を空けずに討伐決行へと踏み切ったのは、時間が空くと皆のボスに対する恐怖心が増長する恐れがあるからだ。加えて現実世界の自分達は今頃病院のベッドに横たわり、点滴で生き永らえていると予想されるので、ゲームクリアに時間を割けば割くほど、自らの身体を弱らせる結果になる。残された時間は永遠ではなく、屈強な肉体を有する者でさえこのタイミングで現実に戻れば、筋肉が衰えて痩せ細った状態だろう。

 こうした事情を考慮した結果、皆はフロアボス攻略のために募ったのだが、上限の2レイドどころか1レイドの48人にすら届いていない。少々心許ないと思う以上に、臆せずに立ち向かうことを決めた者達がこんなにもいるのかという感想が、カイトの胸中の大部分を占めていた。

 

(キリトにアスナ、ヒースクリフはいない、か……。まぁ参加しない筈がないし、じきに来るかな)

 

 集合場所の一画でカイトは佇みながら視線を周囲に配り、参加メンバーを確認する。見知った顔ぶれは攻略組の中でも実力のある精鋭達ばかりだが、嫌な不安は拭いきれずに募るばかりだった。

 

「よう! カイト!」

 

 明るい印象を抱かせる声色の発信者は、振り返って確認するまでもない。重い雰囲気など関係なしに気さくな声をかけたのは、間違いなく趣味の悪いバンダナがトレードマークのカタナ使い・クラインだ。《風林火山》を束ねるギルドの長は、一直線にカイトの元へ向かう。

 

「しばらく見ねぇと思っていたが、ちゃ〜んと生きてたか!」

「そっちこそ、悪運が強くてなによりだよ」

 

 軽口を叩いたクラインが人の良さそうな顔で笑みを浮かべると、カイトもそれにならって軽口と笑みで返す。その短いやり取りで少しばかり肩の力が抜けた。

 

「で、エギルは相変わらず戦利品で一儲けしようって魂胆か? というかそれ以外の理由はないか」

「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよ。俺だって全プレイヤー解放のために戦いに来てるんだぞ? 自分の店を閉めてまで来たんだから、ちょっとは無私無欲の精神を褒め称えてくれてもいいんじゃないか?」

 

 クラインよりも頭一つ分背の高いエギルが、これまた強面の顔に不釣り合いなほどの気さくな笑顔を向けた。常人なら巨大に思える両手斧は、まるで彼の手に渡ることを想定していたかのようにしっくりくる。一目見ただけでレア物だとわかるそれは、彼の身の丈ほどの大きさを誇り、発する威圧感は所有者である彼と遜色ない。

 

「クライン、聞いたか? あのエギルが今回はアイテムなんて関係ない、つまり戦利品なしでいいらしいぞ。エギルの言う無私無欲の精神は本物だな。オレは頭が上がらないよ。……という訳で、エギルは戦利品の分配を辞退するってことでいいな?」

「お、おい、ちょっと待ってくれ。何もそこまで言ってないだろう。それに俺たちダチだろ? な?」

「いるよな。こういう時に都合よくダチってワードを悪用する奴」

「オレはこんな大人にならないようにするよ」

「お前ら、そりゃないだろっ!」

 

 カイトの茶化しに空気を読んだクラインが気前よく乗ったため、2対1の劣勢にエギルは本気で困り顔になる。別に当人達も本気で言っている訳ではないが、決戦前に行う冗談交じりの軽口叩きは、カイトとクラインにとってはスポーツ選手がやるルーティーンに近い。最高のパフォーマンスをするため、余分な力を抜く作業の犠牲者に、たまたま偶然エギルが選ばれただけだ。

 

「まぁ、冗談はその辺にして……久しぶりだな、キリト」

 

 カイトが声を掛けたのは、クラインとエギルの背側から歩み寄ってきた黒衣の剣士。上から下まで漆黒のロングコートに身を包んでいるのは以前と同じだが、左右の肩口からそれぞれ剣の柄部分が顔を覗かせていた。《二刀流》の存在が明らかになった今、これまでのようにコソコソと隠す必要性がなくなったからだ。

 

「時間までに来なかったら、首根っこ掴んで引きずってでも連れてこようと思ってたぞ」

「馬鹿言え。攻略を休むとは言ったけど、フロアボス戦まで休むと言った覚えはないぞ」

「それなら良かった。……それで、どうだった? 新婚生活は?」

「あぁ、すごく充実してたよ。アスナの作る料理が毎日食べられるんだからな」

「ノロケるな馬鹿」

「お前が話を振ったんだろうが!」

 

 言葉を交わすのは久方ぶりだが、コンビで行動していた時と同じ他愛のない会話をカイトは噛み締める。懐かしい感覚に見舞われた両者は刹那の間を置いて噴き出し、周囲にも聞こえるような声量で笑い声をあげた。クラインの「俺も美人の嫁さんが欲しい!」という切なる叫びは、この際無視することにしよう。

 

「おい、キリト。アスナは一緒じゃないのか?」

「アスナ? それならユキのところに――――」

 

 彼と行動を共にしている筈のアスナがいないため、目尻に浮かんだ涙を拭いつつ、キリトがエギルの疑問に答えようとした――――まさにその時だった。

 

 ガシャッ、ガシャッという鎧の擦れる音が、複数重なって耳に入った。

 現れたのは《聖騎士》ヒースクリフ。真紅の鎧に身を包み、白いマントをなびかせながら登場した彼からは、遠くからでも感じとれる圧倒的存在感を放っていた。彼が後ろに引き連れているプレイヤー達も実力は折り紙つきだが、流石にヒースクリフには劣ってしまう。

 浮遊城アインクラッドにいる全プレイヤーの1割にも満たない攻略組、その頂点に君臨する男。彼の活躍があったからこそ、階層攻略は約2年で4分の3まで登りつめることが出来たといっても過言ではない。ヒースクリフの迷いなき目、確固たる意思と実力に、カイトだけに限らず、他の者も幾度となく救われてきたのは事実だ。味方であれば頼もしいことこの上ないが、仮にPoHのような思想の持ち主で敵に回っていたら――――と、ありもしない想像をするだけでゾッとする。

 

「さあ、時間だ」

 

 ヒースクリフは振り返って周囲を見回し、集まったプレイヤーの顔を順に見た。

 

「諸君らも知っている通り、今回はかつてない大きな危険を伴った戦いとなるだろう。それを承知で皆が武器を手にとってこの場に集まってくれたことに、私を心から敬意を表する。苦しいものになるだろうが、我々の力なら決して突破出来ない壁ではない。今一度我らの力を見せつけ、奮闘しようではないか――――解放の日のために!」

 

 皆の士気を高めるために発した言葉の羅列は効果覿面(てきめん)だったらしく、ヒースクリフが頭上に高々と剣を掲げると、他のプレイヤーもそれに倣って剣を掲げた。それと同時にやる気に満ち溢れた声が場を満たす。

 実力もさることながら、カリスマ性を感じさせる彼の言動一つ一つに、不思議とついさっきまで感じていた不安が空気中へ霧散していくような感覚に陥る。ヒースクリフが背中を押してくれると、自分たちなら必ず勝利の2文字を掴み取れると心底確信できた。

 

 掲げていた剣を下ろすと、ヒースクリフは身を翻して《回廊結晶》を取り出した。前日に偵察隊がボス部屋から引き返す際、《回廊結晶》の出口を部屋の前でマーキングしておいたため、ここから一気にボス部屋まで向かうつもりだ。極力戦闘は避けたいし、万全な状態で挑むために提案された手段であるが、こうした事態でもなければ高価で貴重な《回廊結晶》を使う場面などそうないだろう。

 

「コリドー・オープン!」

 

 ヒースクリフが起動コマンドを言い終えると同時に《回廊結晶》が砕け、青白い光のサークルが浮かび上がる。遠く離れた入り口と出口はこれで繋がり、攻略組一同が瞬時に空間を超える準備を整え、最初にヒースクリフが先陣切って光の中に足を一歩踏み出した。他のプレイヤーも彼の後に続いて光の中に向かい、カイトもそれに倣って進行する。

 転送先は昨日見たばかりだが、レリーフが施されている巨大な扉の前だった。両サイドの壁に設置されている松明の炎がユラユラと揺らめき、若干緩んでいたカイトの緊張の糸は再び張り詰めた。

 カイトはその場で周囲を見回し、先に到着したユキの姿を探し始めた。ほどなくして右斜め前方にいた彼女の姿を捉えると、歩み寄って声をかけ、最後尾にいたキリトよりも後方へと誘導する。

 

「どうしたの?」

 

 彼女の声に反応したわけではないが、カイトは適当な場所で立ち止まって振り返った。この場にいるメンバーは目の前のボス戦に集中しているだろうから、少し距離をとれば誰も気付かないだろう――――と思いはすれど、いざやろうとするとやはり緊張してしまう。

 だが意を決した彼はユキの前髪を右手で掻き上げると、露わになった白い額に顔を近づけ、唇をそっと触れさせた。少しの間を置いて顔を離すと、カイトの瞳には頬をほんのり朱色に染めたユキの姿が映っていた。

 

「……不意打ちはズルいよ」

 

 目を丸くしていた彼女は右手で額を押さえ、やや俯きがちになる。周囲がやや薄暗いのも手伝って、カイトはユキが今どんな表情をしているのかわからなかった。

 

「オレの強運をユキにお裾分けしようかと思ってさ」

「運を……分ける?」

「そ。この世界はモンスターと対峙する危険があるけど、オレの場合はそれに加えてプレイヤーと対峙する危険が人よりも多くあっただろ? 自分で言うのもなんだけど、そんな死線を何度も越えて生き残れているってことは、結構な強運の持ち主だと思うんだよね。……オレの《治療術》は人に命を分け与える能力だから、それと同じでユキにオレの運の良さを分ける事が出来たらなぁ〜……なんて……」

 

 自分から言い出した事だが、今更ながら恥ずかしさが込み上げ、カイトは指先で頬を掻きながらはにかんだ。彼女がこの戦いで生き残って欲しいという願いを込めてやった行いだが、後になってやり方がキザっぽいと感じてしまう。口付けの理由も少々無理があるかと思い始めた。

 

「……おでこにした理由は?」

「それはオレの考案した『剣士の誓い』のやり方であって……はい、ウソです。本当は他の人に見られてたらっていう考えが先行して、無難なおでこにしただけです」

「え〜、今更?」

 

 ユキは呆れ口調だが、表情は正直だ。口元がほころんでいる事から、満更でもないのが見てとれる。

 

「じゃあ、その……私も運を分けるためにお返しを」

「それだと折角分けた運が戻るかもしれないだろうが。くれるなら喜んでもらうけど、それは終わった後にしとくよ」

 

 ユキの頭に手を置いて2、3度撫でた後、カイトは彼女の隣をすり抜ける際に一言だけ呟いた。

 

「ユキの背中はオレが守るから、ユキはオレの背中を守ってくれ」

 

 投げられた言葉の意味を理解した時、ユキはえも言われぬ歓喜で静かに身震いした。背中を託すとはそれだけ相手を信頼しているという事の裏返しであり、なんでも自分で抱え込もうとするカイトが頼ってくれているという事実は、ユキにとって何物にも変えがたい悦喜(えつき)だった。

 任された背中を守り、寄せられた期待に応えるため、ユキは遠ざかる足音に追いつこうと振り返り、小走りで駆け出した。

 





ほのぼのした空気を織り交ぜつつ、緊張感も忘れずに。次でボス戦開始となります。
次の話は間隔を空けず、2日後に投稿予定です。


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第51話 剣の使い手と骸骨の刈り手(前編)

 

「今回のボスは姿、名称、特殊能力や攻撃パターンなど、ありとあらゆる情報が不明であり、そういった厳しい条件下で我々は戦わなければならない。序盤は前衛に壁戦士(タンク)を配置して攻撃を受け止め、後衛の攻撃部隊(アタッカー)が側面から攻撃を仕掛ける作戦でいく。だが、なにも動きはこの限りではなく、状況に応じて各自臨機応変の対応をしてくれ給え」

 

 ヒースクリフの提示した作戦は定石とも言える基本的なフォーメーションだ。彼が明言している通りボスについてなにも知らない現状では、これ以外にとる作戦がないのだから仕方がない。基本の陣形で相手の一挙手一投足を探りつつ、その都度最適な指示をとばして打ち倒す方法が、今の彼らに出来る最良の手なのだ。

 戦闘前に一声かけ終わると、ヒースクリフは大扉に向き直った。それを見た一同は各々の武器を持ち直し、構え、部屋に突入する姿勢を形作る。キリトとカイトは背中の、アスナとユキは腰に差した剣を引き抜き、開始の合図を待った。

 ヒースクリフが大扉に手をかけて押すと、見た目に反して重厚な二枚扉は拒むことなく挑戦者達を出迎える。ゆっくり、ゆっくりと開いて全開になると、そこには前日にカイトも目にした先の見通せない闇が変わらず広がっていた。

 

「戦闘、開始!」

 

 《聖騎士》が先陣を切って駆け出すと他の者達も後に続き、自らを鼓舞するかのように雄叫びを上げ、部屋の中へ多くのプレイヤーが我先にと雪崩れ込んだ。入口から部屋の中央まで来るとそれぞれが周囲の人間との間隔をあけ、密集しすぎないよう配慮する。全員が各々の場所に落ち着くと同時に、前回同様プレイヤーを招き入れた大扉は再び閉じられた。

 だが、待てど暮らせど肝心のボスは姿を現さない。ボス出現の予兆もなければ部屋の内部が明るく照らされる演出もないが、一同は途方に暮れつつも周囲の警戒を怠らなかった。

 

(何処だ……何処にいる……?)

 

 前後左右に意識を傾けていたカイトは、必死にボスのいる、あるいは出現する地点の特定に努めていた。姿を視認できないというのはこの上ない恐怖であり、それを振り払うためにも、彼は一刻も早く敵の存在の認知をしたかった。

 警戒心が高まれば高まる程、神経は名刀の如く研ぎ澄まされていく。集中力が一定以上に高まったところで、ふと、空気の震えと粘つくような視線を感じとった。何かが動くような音と、招かれた獲物を見定めるような視線に背筋がゾッとし、思わず身震いする。この時点でカイトは確信した。間違いなくこの部屋の何処かにいる、と――。

 

「上よっ!!」

 

 そしてその答えは、鋭い声で敵の座標を全員に伝えたアスナによってもたらされた。

 ドーム状の部屋の天頂付近にうごめく巨大な白い物体。視線は自分達の真上から降り注がれていたものであり、擦れる音の正体はボスの身体の一部が忙しなく動いていたために発生したものだった。

 フロアから天頂まで距離があるため、カイトは目を凝らしてボスを注視。そうすることでボスの姿と名称が確認できたのだが、身の毛もよだつ悪趣味な姿を見て、カイトは再び背筋が凍りつく。

 大きさはこれまで戦ったクォーターポイントのボスの例に漏れず巨大で、目測10メートルはくだらない。百足を連想させる体躯をしているが、肉は一切なく、全て乳白色の骨で構成され、何本もの足が(うごめ)いている。両腕は巨大な骨の大鎌、頭部は人の頭蓋にも似た奇形で、二対四つの眼窩が青い光を宿していた。

 不気味かつ禍々しいという思いを抱かざるを得ない。それが最後のクォーターポイントにして第75層フロアボス《ザ・スカルリーパー》に対して感じた、カイトの第一印象だった。

 そして他の者もカイトと似たような印象を抱いたらしく、全員がボスの姿に眼を奪われ、見入っていた。根源的な恐怖を奮い立たせるスカルリーパーに気圧され、皆が上を向いたままその場で立ち尽くす。

 しかし次の瞬間、スカルリーパーは天頂にしがみついていた足を離し、重力に従って落下を開始。カイト達のいる地点はボスの真下であるため、その場に居続けるのは得策ではない。まずは距離を――。

 

「固まるな! 距離を取れ!」

 

 ――と、いう考えにヒースクリフも至っていたらしく、すぐさま指示を出した。咄嗟の機転で的確な判断を下せるのは、流石というか、頼もしいの一言に尽きる。ボスの姿に戦慄していたプレイヤー達もその声で我に返り、一目散に皆は四方へと散っていった。

 カイトもフロアを疾駆し、落下予測地点から十分に距離が開いたと確信したところで立ち止まり、振り返る。すると部屋の中央で未だ移動せず上を見上げ、地面に根を張ったかのように動かないプレイヤーが2人いた。

 

「おいっ! 何してる!!」

「走れっ!!」

 

 危険を孕んだカイトとキリトの声に気付き、2人のプレイヤーはようやく移動を開始した。装着している鎧の影響でそこまでスピードは速くないが、あらん限りの力で床を蹴り、自身の出せる最高スピードで逃走を図る。

 しかし、移動の開始が遅かったため、2人が10メートル程進んだところでスカルリーパーは満を持してフロアに舞い落ちた。着地地点を中心にして部屋の内部が赤い色彩を帯び始め、同時に地響きの発生で逃走途中だったプレイヤー2人が足を取られてたたらを踏む。その影響でほんのわずかな時間、動きが静止した。

 そしてその刹那を見逃さず、スカルリーパーの左鎌が閃き、地面から約1メートルの高さを疾った。空間を裂き、風を斬る音を響かせながら、逃走中のプレイヤー2人に迫る。後方から容赦なく迫る危険に対してプレイヤーが反射的に振り向くと、鎌はすぐそこまで迫っており、回避も防御も間に合わない。その事実を飲み込んだ2人の顔が戦慄するのは、無理もなかった。

 

「うわあぁぁぁああぁぁ!!!!」

 

 鎌が2人の背中を正確に捉えて宙に浮かす。絶叫を伴って宙に放り出された彼らは、この後自分の身に起こる未来を悟ったのだろう。顔には困惑と死への恐怖が入り混じっていた。

 飛ばされた彼らの身体を受け止めようと、アスナ達は両腕を広げて構えた――――が、キャッチする直前に2人のHPバーは無残にも全て消し飛び、煌めくポリゴンの欠片となってその身を散らした。今度はアスナ達の顔が困惑と恐怖で染まる番だった。

 

(嘘……だろ……)

 

 『一撃必殺』とは、まさにこの事。

 カイトを含めたフロア内にいるプレイヤー達は、目の前で起きた現象を猛烈に拒絶したい衝動に駆られた。

 

 今回のボス戦に参加しているプレイヤーは百戦錬磨の猛者ばかり。慢心など万に一つも持ち合わせてはいなかったし、事前に行った偵察の結果からボスの有する戦闘力の高さはある程度予想していたが、よもやこれほどとは誰も想像していなかっただろう。攻略組の精鋭で頑強な盾持ち戦士のHPを薙ぎ払いの一撃で消し飛ばすのだから、クリーンヒットは言わずもがな、掠るだけでもかなりのHPをもっていかれるはずだ。

 

 唖然とするカイト達を置き去りにし、スカルリーパーは次なる獲物を求めて行動を開始した。選ばれし新たな標的はボスの最も近くにいた、大槍を主武装とするプレイヤー。本来なら身を守るために何かしらのアクションを起こすべきなのだが、動揺から立ち直る間もなく大鎌の餌食となり、一振りでデータの欠片となる。犠牲者は増える一方だった。

 3人の獲物の命を刈りとったスカルリーパーはフロアを疾駆し、勢い殺さずそのまま壁面を駆ける。その巨体に似合わない速度で動く様は、近付く事すら許さないと暗に示していた。

 

(こんな化け物…………一体どうすれば……?)

 

 これまでのボスよりも一段と凶悪な強さに、具体的な攻略法が全く閃かない。

 だが、何もせずに呆然と立ったままやられるつもりは毛頭ない。

 そしてこちらの攻撃を当てなければ、当然ボスのHPが減ることはない。

 ならば自分達に出来ること、やるべきことは一つ。まずはボスの脚を止めることだ。

 

 その考えにいち早く辿り着いたキリトが、風を切って駆け出した――――と同時に、スカルリーパーは壁面から脚を離し、その巨体を宙に投げ出した。落下してフロアに舞い降りたボスの眼前にはプレイヤーが1人。スカルリーパーは新たな犠牲者を出すべく、別の獲物に狙いを定めたのだ。恐怖で(おのの)くプレイヤー目掛け、左の大鎌を振りかぶる。

 

「やらせるかっ!!」

 

 気迫を込めた叫びの主は、ボスのとる次の動きを予測して先回りしていたキリトだった。垂直に振り下ろされる鎌に対し、キリトは自信が得意とする二刀十字の構えを取り、受け止め、そのまま弾き防御(パリング)に繋げようとする――――が、それは叶わなかった。それどころか予想以上に重みのある一撃により、キリトの二刀と鎌の交叉点が下へ下へと座標を変え、大鎌は容赦なくキリトの肩口に喰い込んでいく。

 そして忘れてはならないのが、キリトが二刀で受け止めている鎌は左のみということ。つまり、空いている右の大鎌を用いて彼を側面から刈りとるのは可能であり、スカルリーパーのアルゴリズムも瞬時にその判断を下した。

 

「――ふっ!」

 

 戦闘は始まったばかりだというのに、貴重な戦力をこれ以上失うわけにもいかない。キリトに迫る攻撃を防ぐため、ヒースクリフは十字盾と骨鎌が接触する瞬間に肺から短く息を吐き出して十字盾を構えた。盾と鎌の接触点に火花が散り、ずっしりとした重みが加わっている筈だが、《神聖剣》にはノックバック軽減のボーナスでも付加されているのだろうか。1ミリたりとも微動だにしない彼の背中には、頼もしさを感じずにいられない。

 そして両鎌を防いだことでようやくスカルリーパーに一撃を加えられる隙が生じ、この瞬間を逃さぬよう、ヒースクリフの後ろに続いたアスナは出が速く隙の少ない単発技《リニアー》をボスに見舞う。ソードスキルの一撃でノックバックが発生し、スカルリーパーの上体が大きく仰け反った。威力の低い細剣の基本ソードスキルではあるが、今回の戦闘で初のクリーンヒットは、この後取るべき方針と希望を見出す。

 

 脅威である両鎌を受け止めている間に、残りのメンバーがボスに攻撃を仕掛ける。そうすれば少なくとも鎌による被害者はグッと減る筈だ。問題はその危険な役割を誰が担うかだが――――。

 

「鎌はオレ達が引き受けるから、皆は側面から攻撃してくれ!」

 

 ――――キリト、アスナ、ヒースクリフの3人が名乗りを上げた。

 《神聖剣》によって異常な防御力を兼ね備えているヒースクリフならば、あの大鎌を凌ぐのは可能だろう。しかし如何に彼といえど受け止められる鎌は1本が限界であり、必然的にもう1本を他の誰かが受けなければならない。だがヒースクリフと同等の壁戦士(タンク)でなければ弾かれるのがオチだ。

 そこでもう一つの対抗策として、高い回避能力を有するプレイヤーを配置する作戦が挙げられる。そうなると必然的に重い鎧装備の壁戦士(タンク)は候補から外れ、軽装で回避主体の戦法をとるプレイヤーに限定されるが、その役目をキリトが自ら志願した。加えて先の一幕のようにキリトが大鎌を受け止める場面を想定し、その際のサポート役としてアスナが彼に付くことになった。《二刀流》特有の連続攻撃による高火力を失うのは惜しいが、この際贅沢は言っていられない。

 

 スカルリーパーの放つ重圧(プレッシャー)で竦みかけた足に力を込め、カイトは為すべきことを為すため、行動に移した。元々彼に任されていた攻撃部隊(アタッカー)としての役割を果たすため、キリト達に意識を向けているスカルリーパーの側面にソードスキルを叩き込み、それによってボスがわずかに怯む。そんな彼に続いて好機とばかりに他のプレイヤーも畳み掛けにきたが、ボスもこれ以上の痛手を負わぬよう、追撃しようと接近するプレイヤー目掛けて針のように尖った尾の先端を叩きつける。直撃したプレイヤーはなす術なく、仮想の空気のチリとなり、最後には溶けて消えた。

 

「エギルっ!」

 

 たった今消滅したプレイヤーの近くにエギルもいたが、衝撃の余波でダメージを受けたらしく、彼の腕には赤いダメージエフェクトがあった。幸いにもHPが全損する程ではなかったらしいが、それでも相当な量を削られたに違いない。カイトは真っ先にエギルの元へ駆け寄り、左手で彼の身体に触れた。

 

「ヒール!」

 

 《治療術》によって瞬く間にエギルのHPが全快し、その一方で急速に自身のHP量を減少させたカイトは、最高品質のポーションを口に含む。爽やかな風味を舌が感じとったかと思えば、下降していた命の残量が一転して上昇し出した。

 

「恩にきるぜ、カイト」

「どういたしまして。それより早く前線へ。両手斧は全装備中最高クラスの火力が持ち味だろう? キリト達は常にギリギリの駆け引きを迫られているから、あいつらを助けるためにも大暴れしてくれ!」

 

 早口でまくしたてつつエギルの背中に喝を入れ、彼を前線に押し出す。今の彼らに立ち止まっている暇はない。

 

 エギルを送り出したカイトはポーションによる回復でHPが8割以上になったのを確認すると、再度スカルリーパーの元へと向かう。タゲを取り続けてくれているキリト達のおかげで、ボスはカイトに見向きもしない。

 ステータスの数値を限界まで引き出して全速力で走るカイトは、ボスの胴体が剣の射程圏内に入りつつあるのを確認すると、剣を右肩に担いだ。利き足で地を力強く蹴って空中に身を投げ出したと同時に、剣がライトグリーンの光を煌めかせる。跳躍が放物線の最高到達点に達すると、発動待機状態だったソードスキルを繰り出し、彼は不可視の力に後押しされてさらに加速した。鮮やかなライトエフェクトが空中に軌跡を作り、輝きが最も増したところで剣が勢いよくスカルリーパーの胴体に振るわれた。

 片手剣上段突進技《ソニックリープ》がスカルリーパーに命中し、ズガンっ! と大きな音が轟く。システムアシスト以外に腕の振るい方や捻りといった動きを多重に上乗せし、ただ繰り出すだけのソードスキルよりも威力を意図的に増幅。命中した瞬間、心なしかボスが怯んだようにも感じた。

 攻撃が繰り出された後は剣の纏っていた燐光が薄れ、同時にカイトは逆らっていた重力に再び従う。両足から着地すると硬直を課せられるが、《ソニックリープ》は上位剣技ではない。故に硬直時間は大して長くないため、解けるとすぐにその場を離脱し、ボスから少しだけ距離をとって振り返る。すると、視界の端で動く赤い侍の集団がカイトの目に映った。

 

「うおおぉぉぉっ!!!!」

 

 裂帛の気合いを腹の底から惜しまず吐き出し、鍛え抜かれた名刀を大上段からの垂直斬りで一閃。山吹色のライトエフェクトを纏った刀は目を背けたくなる程の輝きを放っているが、それは持ち主であるクラインの決意と意志に呼応しているかのようだ。見事な連携プレーを見せつける《風林火山》はクラインを筆頭に一致団結し、勇猛果敢にボスに立ち向かっていた。

 《血盟騎士団》や《聖竜連合》のような大規模ギルドではないが、少人数ならではの息のあった連携は目を見張るものがあった。お互いの武器や動きを理解し、絶妙なタイミングでスイッチして着実にダメージを積み上げていく。仲間へのフォローも早いため、体制を崩されたとしても即リカバリーが可能。それらの様子を見て、カイトは彼らなら手を貸すまでもないだろうと判断した。

 

 その刹那、キリト、アスナ、ヒースクリフに猛然と大鎌を振るっていたスカルリーパーが急遽行動パターンを変化。攻撃を中止し、身体を反転させて部屋の中を時計回りに疾駆する。まるでキリト達との戦闘を一時中断し、体制を立て直そうとしているかのようだ。

 だがキリト達への攻撃を中止しただけであって、他の者に対してはその限りではない。現にスカルリーパーはフロアを縦横無尽に駆けながら大鎌を振るい、視界に映ったプレイヤーを片っ端から蹴散らしている。その巨躯が疾駆する様はダンプカーが猛スピードで突っ込んでくるようなものだった。

 

「やばっ!?」

 

 そしてとうとうカイトにもその順番が回ってきた。右に大きく旋回したスカルリーパーの進行方向には、一時離脱して状況観察をしていたカイトが立っている。直前で方向転換してくれるのならば別だが、変な期待は寄せないのが良いだろう。事実、ボスの眼は真っ直ぐカイトを捉えているため、間違いなく次に狩るべき獲物として認知していると思ってよさそうだ。

 ここで彼のとれる行動選択肢は3つ。カウンター狙いで一撃喰らわせるか、身を守るため防御に徹するか、攻撃範囲外に逃れるよう回避するか。

 突っ込んでくるスカルリーパーに対して1人で反撃する余裕はないため、これは論外。盾を持っていない彼が防御するなら蓋然(がいぜん)的に武器で受けることになるが、キリトでさえ完全に受け止められなかった一撃を剣一本で凌ぐのは不可能だ。よってカイトが選択すべき行動は、回避一択。

 

 逡巡(しゅんじゅん)したのも束の間、一呼吸おくと恐怖を押し殺して前に駆け出す。両者の間にあった距離は瞬く間に縮まり、スカルリーパーが右の大鎌を振りかぶると、カイトは走りながら剣に左手を添えて肩に担ぐ姿勢を保持した。剣が光を帯び始める。

 その直後、鎌が床から1メートルの高さで水平軌道を描きながらカイトに迫り、上半身と下半身を分断しにかかる。対してカイトは前に倒れるようにして上半身を傾け、身を低くすると、頭頂部の髪を数本分刈り取られつつも回避に成功した。風を鋭く切り裂いた音に冷や汗をかくが、集中力を保持したまま、ソードスキル発動のタイミングを完全に倒れるギリギリまで図る。

 そしてその瞬間はすぐに訪れた。空振りに終わった右の鎌の失態を挽回すべく、今度は左の鎌がカイトに迫る。先程の水平軌道ではなく、ボスは上から下への垂直軌道で彼を左右に分断させようと企んだ――――が、結果としてはまたしても失敗に終わった。

 ペールブルーの強い輝きを放ちながら、片手剣基本突進技《レイジスパイク》が発動し、カイトは突き出した剣に引っ張られる形で急加速し、骨鎌を回避したからだ。トンネルをくぐり抜けるようにしてボスの身体をすり抜け、彼は骨鎌の危機から脱出。スカルリーパーとカイトの位置は完全に入れ替わった。

 

(よしっ!)

 

 ソードスキル――主に突進技だが――で得られるシステムアシストの推進力を利用した緊急回避は彼の十八番。タイミングはシビアで、誤ればそれこそ命取りになるが、的確に使いこなせれば利便性の良さも相まって有効に活用できる。わずかな間隙(かんげき)をぬって両の骨鎌を回避したのは、2年に及ぶ経験から得た賜物だ。

 

 骨鎌の脅威をかいくぐったカイトが生を勝ち取ったと確信すると、剣の纏っていたペールブルーの燐光は急速に薄れて技後硬直(スキルディレイ)が訪れる。危険が過ぎ去った今となっては些細な事だとタカを括っていたカイトだが、それは油断以外の何物でもなかった。スカルリーパーの攻撃手段は鎌だけではないと、実際にその眼で見ていたにも関わらず……。

 硬直しているカイトの背中にチラリと視線を向けたスカルリーパーが、針のように尖った尾の先端を器用に動かし、彼の身体を貫かんと突き出した。背中に目がついているわけでもない彼はその事がわからず、死角から迫る死の気配に気が付かない。よって彼はボス戦開始からわずか数分の後、この世界から退場する運命にあった。彼女がいなければ、の話だが――――。

 

 ――ガキイィィン!!

 

 背側――それもかなりの至近距離から金属同士が衝突したような甲高い音が響き、硬直が解けたカイトは反射的に振り返る。何が起こったのかを理解するのに要した時間は、瞬き一つ分で事足りた。

 この世界で出会い、寄り添い、心を許し、誰よりも信頼する1人の少女。一見すると可憐な印象を抱かせるが、華奢な身体の内側にはしっかりとした芯を宿し、長い時間をかけて強くあろうとして確固たる決意を実現させたその意志力には、カイトも尊敬の念を抱くほど。デスゲーム開始初日、《はじまりの街》において年相応の脆さをさらけ出していた彼女は、見違えるほどの成長を遂げた。

 凛とした姿勢で屹立しているユキの顔を、ボスの尾針と純白のダガーナイフが衝突した際に発生した火花が照らす。突如現れ、死の危険から救ってくれた戦乙女(ワルキューレ)の登場に、カイトは頼もしさを感じずにはいられない。

 

「ありがとな、ユキ。助かった」

「『背中を守る』って約束だったからね。これくらいトーゼンだよ」

 

 スカルリーパーが止まることなく走り去り、遠ざかったことで若干の会話をする余裕が生まれた。

 

「私ね、ボス戦前にカイトが私を頼ってくれたことがとっても嬉しかった。だから私は……その期待に応えたいの」

 

 カイトがユキを尊敬しているように、ユキもまた、カイトを尊敬している。そんな相手から期待にも似た言葉を投げかけられ、頼りにされているとわかれば、普段よりもさらに奮励(ふんれい)してしまうのは当然と言えた。

 

「行こう、カイト。ボスを倒しに」

「……あぁ」

 

 恐怖の種をばら撒いている悪鬼討伐のため、2つの影は再び動き出した。

 




前話の終わりにあった「背中を守る」を文字通り体現。彼女は寄せられた期待にしっかり応えました。


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第52話 剣の使い手と骸骨の刈り手(後編)

 

 無我夢中。

 一心不乱。

 聞きなれた四字熟語であると同時に、辞書にのっている一言一句とまでいかずとも、多くの人がこれらの言葉の意味を理解しているだろう。『何か1つの物事に集中する、あるいは熱中する』といった回答を思い浮かべるだろうが、その認識で間違いはない。

 だが、その意味を真に理解できている人を探したとすれば、おそらく絶対数は急激に減少するに違いない。勉強、スポーツといった世界に存在する数多のジャンルから1つを選択し、それに心血を注いだ者であれば、この4文字に込められた言霊の重みを実感できるだろう。

 あるいは今の彼らのように、たった1枚しかない命のチップを賭けたギリギリの応酬をしている状況でなければ――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (よわい)17のカイトは、現実であれば遭遇することのない命のやり取りを繰り広げていた。2年前のあの日から鉄の城に幽閉されて以来、一体何度目になるのか思い返して数えるのも億劫だが、現在進行形で織り成す死の舞踏は、間違いなく過去最悪のものだと認めざるを得ない。

 

「次、くるよ!」

 

 並び立つユキの言い放った鋭い声が鼓膜を刺激したため、カイトは迎え撃つための動作に入る。彼女が警戒を促したのは、ボスの行動を読みとって次にくる攻撃に備えるためだ。

 依然として猛威を振るっているスカルリーパーが突如その巨躯をぐっと縮めたかと思いきや、大きくその場で回転し、自身の周囲360度を鎌と尾針で薙ぎ払った。予備動作が非常にわかりやすい反面、攻撃へ移行するまでの時間が短いため、運悪くソードスキルの技後硬直(スキルディレイ)を課せられている最中だった場合、直撃は必須。そうでなければ盾で防ぐ、距離を取る、あるいは――。

 

『せやあぁぁぁああ!!!!』

 

 カイト達のように回転するボスの鎌や尾針目掛け、タイミングを合わせてソードスキルを叩き込む方法がとられる。

 ガキィン! という甲高い音と共に火花が散り、スカルリーパーの竜巻を連想させる攻撃は中断を余儀なくされた。加えてボスの攻撃を止めたボーナスとして、スカルリーパーは長めのディレイを課せられる。

 

全力攻撃(フルアタック)!」

『おおぉぉぉぉおお!!!!』

 

 チャンスとばかりに勢いづいたプレイヤー達は、各々が持つソードスキルをボスに叩き込んだ。色とりどりのライトエフェクトが煌いてカイトの眼を射ると同時に、スカルリーパーの巨躯を鮮やかに彩る。

 

「そろそろ動くよ! みんな離れて!」

 

 硬直していたボスが動き出す前にユキが声を張って注意喚起すると、ソードスキルの技後硬直(ポストモーション)から解放された者からその場を離れ、順次ボスの攻撃範囲外に逃れていく。全員が下がりきったところでスカルリーパーは復帰し、上体を持ち上げて天を仰ぎつつ、轟く雄叫びを上げた。

 

「……HP、あんまり減ってないね」

「……硬すぎだろ……」

 

 長い硬直を課せられる大技を意図的に避けたとはいえ、この場にいるほぼ全員のソードスキルを浴びた――――というのに、HPの減少幅は期待していたよりも少なかった。戦闘開始直後に防御力の高さはおおよそ判明していたものの、期待以上の成果をあげられなかったことに対し、カイトは肩を落とす。

 

 クリーンヒットでプレイヤーの命を刈りとってしまう攻撃力。

 渾身の剣技をものともせず、全てを跳ね除けてしまうような防御力。

 見た目とは裏腹に地を滑るようにして駆け、一気に懐まで迫る速力。

 

 スカルリーパーのステータスはこれまでのフロアボスの中でも群を抜いており、第75層――ラストクォーターポイント――を守護するに相応しいボスだった。

 戦闘開始当初はその強さに誰もが絶句し、カイト自身も『死』を強くイメージしてしまいそうになったが、キリト、アスナ、ヒースクリフといった攻略組でも指折りのトッププレイヤーが危険な役回りを自ら担い、必死に戦っているのだ。その姿を見たカイトが何も思わないはずがなく、彼らの勇姿に感化され、はるか彼方で待ち構えているゴールを目指して走る覚悟を決めた。だから、立ち止まっているつもりは毛頭ない。

 

 ――行けるか?

 ――うん

 

 口には出さず、瞳でお互いの思考を交わしたカイトとユキは小さく頷き合い、再びスカルリーパー目掛けて猛然と疾駆した。懐に滑り込み、隙の少ない単発剣技を見舞ってダメージを着実に蓄積させていく。

 そうしてカイト達が奮戦する傍ら、時折聞こえてくるガラスの破砕音は一向に止む気配はない。流石のカイトも普段と比べて手を差し伸べる余裕を持ち合わせておらず、《治療術》を他者に対して行使した回数は片手で収まるほどだ。救えるかもしれなかった命が1つ散る度に、歯痒い思いが彼の胸を貫いた。

 

(この状況を打破できるような、起死回生の一手でもあれば……)

 

 1分1秒でも早くこの戦いを終わらせたいがために生まれる、期待値の低い願望。ボスが今まで見せてきた一連の動作に不審点がないかの記憶を辿ってみるが、どれだけ思い返しても心に引っかかるものはなく、弱点らしい弱点もない。しかしボスが出現直後に繰り出した、大鎌による強烈な一撃で仲間を葬る光景だけは、はっきりと思い出すことができた。

 

(あの鎌がなければ、キリトの連続剣技で一気にHPを削れるだろうに……)

 

 スカルリーパーを象徴する武器――両手の骨鎌――を一瞥した、まさにその時だった。

 

 ――ピシッ……

 

 小さいが、確かにカイトの耳が捉えて聞いたのは、剣や岩といった硬質な物体に微細な亀裂が入った音だった。

 だがしかし、カイトの剣はいまだ十分な耐久値を有しているし、ユキを含めた他のプレイヤーの武器に亀裂が入ったような様子は見受けられない。武器の耐久値を削られて破壊直前までいったとすれば、持ち主はすぐに後退して予備の剣を取り出すはずだが、そんな行動をする者は1人としていないからだ。

 とはいえ勘違いで切り捨てる訳にもいかず、カイトは音の発生源が何処かを探り始めたのだが、それはすぐに判明した。

 

(……あれか!)

 

 つい先ほど一瞥したスカルリーパーの骨鎌――――左の鎌に目を凝らすと、中心部分には確かなヒビが入っている。おそらくはキリトとアスナが鎌をいなす際、躱すだけでなく剣を打ち込んでいたため、鎌自体にダメージが蓄積されていったのだろう。

 そして亀裂が出来るということは、ボスの両鎌は破壊可能ということを示唆している。プレイヤーの身体の一部を傷付ける、あるいは切断することで《部位欠損》が発生するように、モンスターに対しても同様の現象を引き起こすことが可能だ。

 その結論へと即座に至ったカイトは、行動を開始。まずはユキにアイコンタクトで一時後退の合図をすると、彼女は訝しげな顔をしつつ、頷くことで了承の意を示す。タイミングを見計らった2人は後退し、ボスの攻撃を受けない距離を十分すぎるほど確保した。

 

「どうしたの?」

 

 少女の疑問に答えるため、カイトは思い至った考えを手短に口にする。

 

「ボスの鎌を壊す。協力してくれ」

「え?」

「あいつの武器は、どうも破壊可能らしいんだ。片方だけでも無力化できればキリト達の負担も軽くなるし、戦況はきっとプレイヤー側に傾く。キリト達とスイッチしたら、ユキのソードスキルでチャンスを作ってくれ。そのあとはオレに任せてほしい」

「…………上手く、できるかな?」

「できるさ」

 

 問いかけに対して即答した力強い言葉の中に、ユキは絶対の自信を垣間見たと共に、不思議と自信が満ち溢れてきた。別に単独で赴くわけではない。傍らには頼りにできる存在がいるのだから、迷う必要など最初から微塵もないのだ。

 

 決意を新たに固めた2人が駆け出したのは、それから間もなくのことだった。

 

 周囲の景色を置き去りにして風の如く疾駆し、猛威と狂気を振り撒く忌々しい骸骨百足に接近する。黒と白の剣士が鎌を躱してソードスキルを叩き込む直前、カイトは声を大にして叫んだ。

 

『スイッチ!』

 

 事前に打ち合わせたわけでもない、突然の指示――――にも関わらず、2人は知っていたかのように、迷うことなく凶刃の相手をカイト達に任せた。キリトとアスナは下がり、カイトとユキは足を止めずに前へと進む。体制を立て直したスカルリーパーは新しい敵をその眼窩で睨みつけると、両の骨鎌を大きく振りかぶった。眼前のカイト達を切り裂かんと、左右から鋭利な刃が風を切って挟みこもうとする。

 しかし、万全な状態で迎撃体制をとっていたユキが、待機状態のソードスキルを惜しげもなく解放した。ライトブルーの光を瞬かせながら、流麗な2連撃ソードスキルで左の骨鎌を苦もなく捌く。

 一方カイトに迫っていた左の鎌は、状況を察したヒースクリフが十字盾を構えてその進行を阻んだため、こちらも敢えなく攻撃が阻止された。心強いサポートを受けたカイトの歩みは止まることなく、心の中で礼を述べると、滑らかな動きで剣を上段に構える。淡く仄かな光は輝きを増し、刀身の全てを包み込んで強く、強く発光した。

 ギリギリまで引き絞った腕を鞭のようにしならせ、カイトはこれから繰り出すソードスキルの一撃目――上段からの垂直斬り――を見舞う。狙うは左鎌のヒビがある部分、そこだけだ。

 

「ぜああぁぁぁぁああ!!!!」

 

 彼の使用できるソードスキル中で最高連撃数と威力を誇る、治療術最上位剣技《ソウル・イーター》が発動した。上から下に刃が流れると、今度は下から上へと同じ軌道をなぞる。上段に戻った剣は右に流れ、右から左、次いで手首を素早く返して左から右への水平切り。勢いを殺さずに身体を回転させると、剣を肩に担いで斜めからの切り下ろしが炸裂した。高速の剣技は寸分違わずカイトの狙い通りの場所に打ち込まれ、クリティカルヒット特有のライトエフェクトが彼の双眸を射抜く。そして剣技を重ねれば重ねるほど、鎌に入ったヒビは徐々に拡大していった。

 

(……まだだ。まだ足りない)

 

 着実にダメージは蓄積されているが、このままだと破壊にこぎつけるのは難しいと判断し、カイトはより一層剣に意識を集中させた。剣は身体の一部であると意識し、これまで以上に身体の捻りや踏み込み、指先にまで神経を尖らせると、攻撃速度、威力のブーストを図る。

 

(もっと……もっとだ……)

 

 頭の奥底を針で刺されたかのような鋭い痛みが走ったが、構わずソードスキルは続く。一撃入れる度に光の明度が増し、緑色の燐光は空中に軌跡を描いてスカルリーパーを切りつけた。

 すると、《ソウル・イーター》の連撃数が折り返しになったところで、唐突にカイトは不思議な感覚に陥った。目の前のボスの動きも、遠くで剣を振るっているプレイヤーの姿も、手に取るようによく見える。加えて周囲の動きがやたらと(のろ)く感じる一方、自分はいつものスピードで動いているのだ。まるで同じ空間にいながら自分だけ時間の概念に囚われておらず、意識が加速し、世界を置き去りにしているようだと感じた。急速に拡張された視野はボスの一挙手一投足を捉え続けつつ、当初の狙いを剣で切りつける。

 

「喰らい……つくせっ!!!!」

 

 《ソウル・イーター》最後の攻撃である、大上段からの剣撃。持てる力を余すことなく剣に込めると、ありったけの力で振り下ろした。剣と鎌が接触した瞬間、雷鳴にも似た音が場に轟き、骨鎌のヒビが鎌全体に拡がる。その直後根元から切っ先まで粉々に砕けた時、心なしかスカルリーパーの眼窩が驚愕のあまり拡張した気がした。

 ボスの持つ最大の武器を文字通り無力化し、カイトは口角を吊り上げた。最上位剣技故に長い硬直時間をボスの眼前で課せられてしまうが、右の鎌はヒースクリフが防いでおり、尾針はどう足掻いても届くことはないため、スカルリーパーが自分を傷付ける術を持ち合わせていないと考えていた…………が、ここにきてボスは新しい攻撃手段を用いてきた。

 鎌や尾針で逆襲できないと判断したスカルリーパーは、突如としてアギトを目一杯開いたのだ。立ち尽くすことしか出来ないカイトを強靭な顎で噛み砕こうと、顔を突き出す。

 予想外の行動にカイトの心臓は高く跳ね上がったが、心の平穏を取り戻す時間は本人も驚くほどに早く、同時に確信もした。これがスカルリーパー最後の攻撃になるだろう、と――――。

 

 スカルリーパーのアギトが手の届く位置にまで接近し、あと半秒で餌食になるであろうという瞬間、カイトの右横をすり抜け、固く握った左拳でユキはアッパーカットを繰り出した。下からすくい上げるようにして繰り出すことで相手を浮かせる効果を持つため、連続攻撃の始動技として重宝される、使い勝手の良いソードスキル。

 

 それこそが、体術単発ソードスキル《浮雲(ウキグモ)》だ。

 

 ボスの顎を凄まじい勢いで殴打した少女は腕を高く振り上げると、スカルリーパーは上体を大きく仰け反らせるだけにとどまらず、フロアから数センチだけ足を離して宙に浮き上がった。小柄な少女が拳一つで自身の数倍もある骸骨百足を浮かせる構図は、ゲームの中ならではの光景であり、中々に迫力がある。仰け反ったボスは強制的に天を仰ぐようにして視点を固定され、ディレイを課せられる。さぁどうぞ打ってくださいと言わんばかりの無防備な状態となった。

 それはこれまで以上の好機であり、スカルリーパー最大の隙。千載一遇のチャンスがようやく巡ってきた……が、カイトは未だソードスキル使用後に課せられる硬直の最中にいるため、足は地に根を張り、身体はセメントで固めたかのように動かない。今の彼にできることは、ただじっとボスの動向を観察することだけだ。

 

(おいしいところはみんなに譲るよ。あとは頼んだ……)

 

 内心で呟いた彼の言葉を読み取ったかのように、ヒースクリフが突撃の合図を叫ぶ。カイトを除くプレイヤー全員が総攻撃(フルアタック)を開始すると、至る所で(きら)びやかな光がボス部屋を彩り始めた。

 

 身の丈以上の斧を振り回し、大上段からの重攻撃を放つ、エギルの両手斧ソードスキルが。

 毅然とした中腰の構えから疾駆して水平軌道の斬撃を始動とする、クラインのカタナソードスキルが。

 クリムゾンレッドのライトエフェクトを騎士剣に宿し、10以上にも及ぶ連撃数を誇る、ヒースクリフの神聖剣ソードスキルが。

 流麗な舞踏を思わせつつ、目に止まらぬ速さで空間を切り裂きながら繰り出す、ユキの短剣ソードスキルが。

 純白の光芒を剣に纏わせ、自らが光の槍となって彗星の如きスピードで飛翔する、アスナの細剣ソードスキルが。

 

 カイトの見知った人物達は各々の持つ最上位剣技を繰り出し、レッドゾーンに突入しているスカルリーパーのHPをさらに削る。

 

 ――そして――

 

 その中でも一際輝く光を纏っている人物は、溜め込んだ力を一気に放出させ、裂帛の気合いと共に最速最高の剣技を解き放った。

 

「うおぉぉぉおおぉぉ!!!!」

 

 攻略組随一の火力かつ最高連撃数を誇るのは、《黒の剣士》の二刀流。二刀の剣筋を読むのは困難で、視認できるのは剣の通り過ぎた道筋を示す光の軌跡のみ。絢爛の太刀は止むことを知らず、太陽コロナのごとく全方向からスカルリーパーの巨躯に剣尖を浴びせかけた。

 

 二刀流最上位剣技《ジ・イクリプス》。

 

 おそろしく高い防御力をもつはずのボスだが、斬撃が一太刀入る度にHPが目に見えて減少する。二十七という驚異的な連続剣技は、強く、速く、それでいて美しかった。そしてもっと速くと願うキリトの心を反映し、《ジ・イクリプス》は加速を続けて神速の域に達すると、二刀はこれまで以上に疾り、閃き、荒々しく吼える。止まらない、止められない。

 圧倒的破壊力を見せつけるキリトは、いよいよ最後の攻撃である左の直突きを繰り出した。剣先はスカルリーパーの身体に向かって進み、敵に重い衝撃を加える。

 

 トドメをさすために放ったキリトの最上位剣技が決め手となったのか、あれだけ削るのに苦労したスカルリーパーのHPがとうとうゼロになった。ボスは上体を捻って苦痛に満ちた叫びをあげると、次の瞬間には体躯の内側から発光し始め、最後に大量のポリゴン片を爆散。ポリゴン片はキラキラと輝きながら空中を舞うと、音もなく溶けて消えていく。カイトが戦闘終了を認識して地面に座り込んだのは、そこからさらに数秒を要した。

 

「――ぶはあっ!」

 

 緊張のあまり息をするのも忘れ、肺に溜め込んだ空気を一気に吐き出す。カイトは全身の力を抜いてその場に座り込むと、遥か彼方に見える天頂を見上げた。すると視線の先でプレイヤーの勝利を祝う、無機質なシステムの賞賛ともいえる文字が浮かび上がった。

 ぼうっと遠い目でその文字を眺めていると、彼の肩に若干の重みがかかる。肩越しに振り返ると、そこには死力を尽くして疲れ果てたユキが、カイトの肩に頭を預けている姿があった。

 

「……勝ったんだよね?」

「あぁ、勝ったよ」

「私たち、生き残れたんだね……」

「うん、生き残れた」

「……良かった」

「お疲れ様。……ありがとう」

 

 そう言ってカイトはユキの右手にそっと手を重ねた。

 





今章も折り返し。残り2話+番外編を予定しています。


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第53話 魔王ヘズと英雄バルドル

 

「何人殺られた……?」

 

 カイトはぐったりと力なく地面に座り込んでいたが、ふと頭に浮かんだ疑問が口をついて出た。

 最初の頃は頭の片隅で人数を数えていたが、5人を越えた辺りから正確な数字の把握を諦めていた。途中からそんな余裕がなくなったというのもあるが、何よりも人数が増える度に自分の気がおかしくなりそうで、無意識に諦めて遠ざけていたのかもしれない。

 

「……10人、殺られた……」

「嘘、だろ……?」

 

 戦闘開始前と現在のレイドメンバーを照らし合わせたキリトが、一瞬の躊躇いの後に残酷な真実を告げる。厳選された攻略組の精鋭達である筈だが、それでも10人という多大な犠牲者を生み出す結果となってしまった。攻略すべき階層はまだ4分の1程残っているというのに、こんな状態では先が思いやられてしまう。ボス戦前の士気は見る影もなく、絶望で上書きされた皆の心は意気消沈しており、カイトとユキもその例には漏れていない。

 

「ヒール……」

 

 レッドゾーンにまで減少していたHPを横目で見やり、カイトは何の気なしに自身の体力を全快させた。この世界で規定された命の残量は鮮やかな緑色に染まり、同時にバーは右端まで持ち上げられるが、気持ちは沈んだまま持ち上がらず、すり減った神経までは回復できない。集中力が途切れた影響なのか、疲労感がどっと押し寄せてきた。

 周囲を見渡したところ、どうやら他のプレイヤーも彼と同じ様子で、中にはエギルのように床で大の字になって寝転がっている者もいる。ほとんどの者がHPを真っ赤に染めている光景は、それだけ戦況の厳しさを物語っている表れであった。

 そんな中、ただ一人HPが半分を割らず、地面に座り込むことなく背筋を伸ばして毅然とした姿勢を維持している者がいた。剣先を地面に突き立てているヒースクリフの様子は、驚くほど普段と遜色ない。

 

(頼もしいを通り越して恐ろしいよ……)

 

 ユニークスキルを持つキリトとカイトでさえ、息継ぎを忘れるほどギリギリの攻防を強いられていたというのに、疲れた様子も見せずにいる彼の姿は、最早異常と言っていい。《二刀流》も《治療術》も一般のプレイヤーからすれば反則級の性能だが、《神聖剣》はもしかするとその上をいくのではないか、等と思わざるを得なかった。

 

(もういっその事、フロアボス戦はヒースクリフ1人に任せていいんじゃないか?)

 

 ――などとは口にせず、胸の内だけで留めておく。冗談ではあるが、冗談で済みそうにないのが尚恐ろしい。

 《聖騎士》の堂々とした出で立ちをぼんやり眺めていると、カイトの視覚外からペールブルーの光を帯びた剣尖を突き立て、フロアを滑るようにキリトが疾駆した。異変に気付いたカイトが彼を見やると、キリトの繰り出した《レイジスパイク》は、迷うことなくヒースクリフへと突き進む。

 一方、完全に虚をついていたにも関わらず、ヒースクリフはやや遅れてキリトの突進技に反応した。身体を守るため、十字盾を前にかざすその反応速度は流石というべきだが、その動きをあらかじめ読んでいたとでも言わんばかりに、キリトは切っ先を鋭角に逸らして剣と盾が衝突するのを回避。わずかな間隙(かんげき)をぬって盾をすり抜けたら、あとはヒースクリフの無防備な身体に剣が刺さるのみ。

 

 ――ガキイィィン!!

「なっ……!?」

 

 カイトの立てた予測は、いとも容易く覆された。

 

 【Immortal Object】――――システム的不死。

 キリトの《レイジスパイク》はヒースクリフの前に突如現れた紫色の障壁に阻まれ、燐光を虚しく消散させる。その光景にカイトは驚愕の色を浮かべるが、普段は滅多に動じないヒースクリフでさえ、その表情は驚きに満ちている。それは自らの意思に反して現れた障壁に対してなのか、あるいは別の意味を含んでいるのか。

 

「どういう……?」

「……簡単なことさ」

 

 この場の全員が抱いている疑問をカイトが代弁し、キリトがそれに答える。

 

「こいつはオレ達一般のプレイヤーとは一線を画す存在だからだ。βテスター? それともチーター? ……いや、そんな生温いもんじゃない。もっと上、このゲームのシステムに介入することが出来るような存在……つまり、アーガススタッフ。……さらに言えば、《ソードアート・オンライン》を一から想像した、この世界の創造神と呼ぶべき存在。…………そうだろう? 茅場晶彦」

 

 茅場晶彦――――その名を聞くのは、実に2年ぶりだった。

 幼い頃から思い描いていた空に浮かぶ鉄の城を創造し、約1万人のプレイヤーを幽閉した天才プログラマー。あの日、《はじまりの街》で高らかにデスゲーム開始を宣言して以降、プレイヤーの前には一切姿を見せていないと思い込んでいたが、その認識は誤りだったらしい。彼はずっと、プレイヤー達の目の前にいたのだ。しかも攻略組と呼ばれるトッププレイヤーの頂点に君臨し、共に肩を並べて戦っていたというオマケ付きで。

 

「参考までに、どうしてそう思ったのか聞かせてもらえるかな?」

(否定はしないのかよ……)

 

 ヒースクリフ/茅場晶彦はキリトの言葉に狼狽する様子もなく、寧ろどこか楽しんでいるようにも見える。今の彼の言い方は、生徒の導き出した答えを採点しようとする教師のようだった。

 

「最初に違和感を覚えたのは、75層の《コリニア》で行ったデュエルの時。覚えているか? あの時、オレの放った最後の一撃を躱したあんたの動きは、人間の出せる限界スピードを超えていたよ。システムがあんたの動きについてこれずに身体がブレていたのは、間違いなくこの目で確認済みだ」

「そうか、やはりアレが原因か。あの時は君の気迫に圧倒されて、つい《オーバーアシスト》を使ってしまった」

 

 カイトとユキのデュエルが終了した直後、メインイベントとして行われたキリトとヒースクリフのデュエル。

 両者は激しい攻防を繰り広げ、ついにキリトの《スターバースト・ストリーム》最後の一撃がヒースクリフに届かんとした直後、ヒースクリフは盾で受け流し、無防備なキリトの背中に直突きを見舞って決着となったのは、記憶に新しい。どうやらその時、《オーバーアシスト》なるシステムの補助を受け、ヒースクリフは勝利を収めたのだろう。

 

「それからはずっと、オレはあんたに疑いの目を向けていた。そして今までの事を振り返ってみたら、おかしな点があるのに気付いたよ」

「ほう。それは何かな?」

「完璧すぎるんだよ、あんたは。それもかなり序盤から。プレイヤーとして完成されすぎてたんだ」

 

 キリトはこれまで誰にも話さなかった仮説を、ここぞとばかりに言い放つ。

 

「初めてあんたの戦い方を見た時、オレは驚いたね。ここまで洗練された動きの出来るプレイヤーがいるのか、と。ソードスキルの発動タイミングや繋ぎ、身体の運び方や動きに至るまで、SAOというVRゲームの枠に囚われず、仮想世界そのものに順応している人物なのだろうとさえ思った。……だけど、それもSAOの開発に携わっていた者だと考えれば納得だ。あんたはオレみたいなβテスターよりもっと、この世界に馴染んでいたんだから。《聖騎士》伝説の1ページでもある50層フロアボスを相手にたった1人で耐え抜いたのも、ボスの動きを理解していたからこそだろう?」

 

 SAOのゲームデザインは、茅場晶彦監修の下に行われていた。街の風景やゲームシステム、フィールドやダンジョンの構造といった至る所まで、彼の手で構築されている。無論、モンスターの行動パターンも例外ではない。

 

「でもその考えに至った時点では、『アーガススタッフの誰か』とまでしか考えてなかった。だけどついさっき、疲弊したオレ達を見ているあんたの目を見た時、非常に大胆な仮説が頭に舞い降りたんだ。あの目はプレイヤーを(いつく)しむ目じゃなく、遥か高みから見下ろす、まさしく神の表情だ。それを確かめるべく、結果によってはオレの立場が危ぶまれる賭けに挑んだんだが……オレの悪運もまだまだ捨てたもんじゃないらしいな」

 

 システム的不死という表示は、一般のプレイヤーではまずあり得ない。考えられるとすれば、NPCかシステム管理者だけだ。そしてNPCでないならば、この世界にいるシステム管理者は1人しか該当しない。

 

「2年前のあの日以降、あんたはどこで何をしているのか、ずっと疑問に思っていた。自分の構築した世界に1万人もの人間を閉じ込め、足掻くオレ達を観察しているのかもしれないとも思った。…………でも、その答えはよく考えなくてもわかるものだったよ。『他人のやってるRPGを傍から眺めるほど詰まらないことはない』……だよな」

「……全くもってその通りだよ、キリト君」

 

 そう言ってキリトは全てを話し終えた。

 そして地に伏せたままのプレイヤー全員を見渡すと、ヒースクリフは開口した。

 

「本当は95層で正体を明かすつもりだったのだが、随分と予定が繰り上がってしまった。……確かに私は茅場晶彦だ。同時に最上階の《紅玉宮》で君達を待つ、このゲームの最終ボス――――いわば魔王の役割を担う者でもある」

 

 眉を全く動かさずに言ってのけたが、その内容は恐ろしいものであった。

 ヒースクリフが茅場晶彦だというのも驚きだが、この場で正体が明かされず、着々と攻略を進めていたのならば、最強のプレイヤーが一転最悪のラスボスに変貌してカイト達と対峙するシナリオだったらしい。

 

「趣味が悪いな……」

「そうかな? 中々に良いシナリオだと思うがね」

 

 カイトの呟きがヒースクリフの耳にまで届き、座り込んでいる彼を見ながら言い放つ。そしてそのまま言葉を紡いだ。

 

「さらに言えば、キリト君やカイト君の所有するユニークスキルは全10種存在し、魔王の存在が明かされた時点で全て解放される予定だった。カイト君の《治療術》をはじめとした幾つかは、予定を早めて解放したがね」

 

 ヒースクリフはカイトに向けていた顔を、再びキリトに向ける。

 

「習得条件は極めて厳しいが、不可能なレベルに設定した覚えはない。例えば《二刀流》スキルは全プレイヤー中、最大の反応速度を有するプレイヤーに付与され、その者が最終ボスの魔王を倒す勇者の役割を担う予定だった。……そして事実、君は私の正体を看破し、こうして目の前に立っているわけだが……ここは一つ、その功労に見合ったチャンスを与えようじゃないか。――――システムコマンド……」

 

 ヒースクリフはシステムメニューを呼び出さず、ボイスコマンドでシステムに指示を出した。何を口にしたのかカイトは聞き取れなかったが、その効果はすぐに表れる。

 この場にいるプレイヤーが1人ずつ、全身の力が抜けて跪きはじめた。エギルも、クラインも、アスナもユキも、何が起こったのかわからずに驚愕を露わにする。そしてカイトも同様に、全身の自由を奪われ、不意に膝から崩れ落ちた。

 数ある阻害効果(デバフ)の中でもモンスター戦においてプレイヤーを危機的状況に陥れ、かつその利便性の良さから犯罪者プレイヤーが多用するもの。その対策としてカイトは耐性スキルを完全習得(コンプリート)していたが、久しぶりに味わう感覚の正体を理解するのに、すこしだけ時間を要した。HPバーに緑色の枠が点滅する。

 

(《麻痺》……だと……?)

 

 状況を理解したカイトの次なる行動は早かった。遠ざかった体感覚を引き戻すため、ヒースクリフと同じようにボイスコマンドで消え去ろうとする。

 

「……キュア……」

 

 しかし、その効果が発揮されることはなかった。自由を束縛する忌々しい《麻痺》はいつまで経っても霧散せず、カイトの身体に留まり続ける。

 

「無駄だよ、カイト君。《治療術》をもってしても、この麻痺状態からは解放されない。カイト君が回復できてしまったら、君は他のプレイヤーの麻痺も回復させてしまうだろう? 邪魔が入っては興醒めだからね。……さて、キリト君」

 

 この場で唯一自由に動けるキリトは、地に伏したアスナに駆け寄り、膝をついて彼女の上体を起こしていたが、ヒースクリフの声に反応して視線をあげる。

 

「君には特別に、この場で魔王に挑む権利を与えようじゃないか。無論不死属性は解除し、《オーバーアシスト》も使用しない。君が勝てば、全プレイヤーはゲームクリアを待たずしてログアウト出来る。……どうかな? 中々好条件だと思うが……」

 

 つまりヒースクリフは管理者権限を行使せず、プレイヤーとして許される範囲で戦うと言っているのだ。唯一の脅威は《神聖剣》だが、キリトもユニークスキルの《二刀流》を所持しているため、条件は同じとみて良いだろう。勝敗を決するのは、プレイヤー個人が持つ技術に左右される。

 

「だめよ、キリト君。……これは、罠だわ」

「アスナの言う通りだよ。……今はまだ、その時じゃないよ」

 

 アスナとユキが揃ってキリトを引き止める。当然といえば当然だ。いくらキリトが攻略組で指折りの強者でも、相手は世界の創造主。上手い話には裏がある。

 

「確かにそうだな。……でも、ごめん。わかってはいるんだけど……オレはこいつが許せない」

 

 抱えていたアスナの上体をゆっくり地面に下ろし、立ち上がってヒースクリフを真っ直ぐ見る。その瞳には覚悟を宿しており、きっと誰が引き止めてもその決心は揺るがないだろう。

 

「オレがこの場であんたを倒す。さっさと始めようぜ、ヒースクリフ」

「いいのかね? 私としては君の身を案じている仲間に、最後の言葉を言う時間ぐらいは与えても良いと思っているのだが……」

「死ぬつもりはないし、別に最後ってわけじゃない。これが終われば、向こうでいくらでも話せるんだからな。……だけどもし、もしもオレが死んだ場合、少しの間、アスナが自殺しないように取り計らってくれ」

「ふむ……よかろう。彼女は《セルムブルグ》から出られないように設定する」

 

 直後にアスナの悲痛な叫びが木霊するが、キリトはそれを無視して背中に背負っている2本の愛剣を抜く。同じくヒースクリフも十字盾から騎士剣を抜き、左手でなにやら操作をし出した。すると両者のHPバーが危険域(レッドゾーン)ギリギリ手前で固定される。ソードスキルを一撃でも喰らえば、たちまちゼロになる量だった。

 この戦闘はデュエルではない。よって開始の合図を知らせるカウントも表示されない。この後の未来を決める戦いは、キリトの初動を合図に始まった。

 

(こっの……大馬鹿野郎!)

 

 依然として跪いているカイトは、右手で拳を形作り、顔を伏せて苦悶の表情になった。何も出来ずに見ているだけしか出来ない自分に嫌気がさし、キリトに投げ掛ける言葉を見つけられず、全てを彼に背負わせてしまったことが嫌で堪らなかった。今のキリトが背負っているのは全プレイヤーの命運ともいえるが、それはあまりにも重過ぎる。

 

(なにが《治療術》だ……。今機能しなかったら、なんの意味もないじゃないか)

 

 システムの命令をはね除ける術を模索するが、《治療術》による解毒が出来ないのならば、通常の回復手段もおそらくは意味を持たない。なす術なし、打つ手なしとは、まさにこの事だ。

 

 カイトが思い悩んでいるとはいざ知らず、キリトとヒースクリフの戦闘は着々と進む。二刀による猛攻を防ぎ、受け流すヒースクリフの表情からはなにも読み取れない一方、キリトの顔には焦燥が見て取れた。

 そして積もり積もった焦りは判断力を鈍らせ、それはやがて致命的なミスを誘発する。

 

「くっそぉ!!!!」

 

 これまで通常剣技を繰り出していたキリトが、攻撃手段を切り替えてソードスキルを放つ。二刀流最上位剣技《ジ・イクリプス》。27回という驚異的な連続剣技だが、この場においてそれは悪手以外の何物でもない。ソードスキルの設計は茅場が行っているのであり、全てのソードスキルが繰り出す軌道を彼は熟知している。

 これまで無表情だったヒースクリフの顔にハッキリとした笑みが浮かんだ。それは勝利を確信した笑みだった。

 システムに規定された軌道をなぞるキリトの剣尖を、ヒースクリフは十字盾で防ぐ。いくら攻撃速度が速かろうと最初からどこを斬りつけるのか分かっているのだから、ヒースクリフからすればそこに盾を添えるだけで済む。そして一度ソードスキルを発動したキリトには、もうどうする事も出来なかった。

 

 しかし、全員が麻痺状態で2人の戦闘を見届けている中、たった1人だけ麻痺から回復して駆け出している影があった。カイトの視界に映るその人物の正体は、白い騎士服に身を包んだアスナ。どういう原理か彼女は奇跡的に自力で麻痺から回復し、キリトの元へと走っていく。彼女が次に起こすであろう行動を察知したカイトは、最悪の未来を防ぐべく、再びこの状況を打破しようと試みる。

 アスナが麻痺から立ち直った原理は不明だが、きっと彼女はキリトを救いたい一心でシステムに抗ったに違いない。それはつまり、意志の強さがシステムに打ち勝ったのだ。

 

(なら……オレだって……)

 

 目を閉じ、拳を強く握りしめ、頭でイメージする。身体に絡みついている《麻痺》という名の鎖を砕き、再び自由を取り戻す自分自身を想像した。あやふやな想像は徐々に固定化され、頭の中で強く念じると共に、頭のてっぺんから足の先までシステムの支配下に置かれるのを拒む。

 動け、動け。イメージをシステムの命令に上書きしろ、と――。

 

(――動、けっ!!!!)

 

 その思いが通じたのか、ふっと身体が軽くなる。纏わりついていた痺れは嘘のように消え去り、カイトは閉じていた目を見開いた。

 

(イケる!)

 

 倒れた際に手から滑り落ちた剣の柄を握る。

 身体を起こし、立ち上がる。

 利き足に力を込め、ステータスが許す限りの敏捷力でフロアを駆ける。

 

 眼前ではすでに《ジ・イクリプス》を全て放ち終えて硬直を課せられているキリトが無防備な状態となり、その彼をクリムゾンレッドの燐光を纏った騎士剣で斬りつけようとしているヒースクリフがいる。そして両腕を目一杯広げ、彼を庇うようにして2人の間に割り込んだアスナもいた。このままではアスナが剣の犠牲となり、彼女のHPバーはゼロとなるだろう。それだけはどうしても避けたいカイトは、さらにアスナの前に立って彼女を庇った。

 左肩口から入り、そのまま右脇腹まで一直線に剣が振り抜かれる。斬りつけられた際に生じる不快感に顔を歪ませ、カイトのHPは減少するものの、右端から半分を割ったところで止まった。特に意味もなくHPを全快させていた過去の自分を、無性に褒めてやりたかった。

 予想外の事態に困惑するヒースクリフの表情が物珍しかったため、もう少し目に焼き付けておきたかったが、生憎そんな時間はない。右手で持っている愛剣《グラスゴーム》の柄を握り直すと、《ホリゾンタル》と同じ水平軌道をヒースクリフに見舞う。咄嗟に繰り出したためにソードスキルは発動せず、なんの変哲もない通常剣技となったので、ヒースクリフのHPをゼロにするまでは至らない。だが、カイトの振るった剣の軌道は、ヒースクリフに闇をもたらす。

 

 剣先がヒースクリフの両目を抉り、目の欠損状態を生み出した結果発生するのは、《盲目(ブラインドネス)》と呼ばれる症状。かつてカイト自身もユキとのデュエルで苦しめられたが、その時は片目だけだ。今のヒースクリフは両目にダメージを負ったため、彼は欠損状態が回復するまでの3分間、両目で状況を視認することが出来なくなった。

 

「キリト……アスナ……」

 

 もう二度と訪れないであろう、最大の好機。これを逃す手はない。

 

魔王(こいつ)を倒せっ!!」

 

 後ろにいる2人にトドメを託し、鋭い声で叫んだ。その言葉を受け取ったキリトとアスナは、同時に足に力を込めて踏み込む。

 ただ、ヒースクリフも黙ってやられるつもりはない。カイトの言葉に反応した彼はソードスキルの硬直から解放されると、右手を引き絞って身体に引きつけ、欠損に陥る前の光景を頼りにして剣先の照準をカイトの胸に合わせた。たちまち剣がライトエフェクトを帯び、アシストを得て至近距離から突き出された剣は、カイトの胸を貫通する。剣の根元まで深々と突き刺し、カイトの後方にいるキリトとアスナを纏めて串刺しにしようという魂胆だろう。

 

「残念でした……」

 

 胸の中心を起点にはしる鋭い不快感を無視し、カイトはヒースクリフに言い放つ。既にキリトとアスナはカイトの後方から左右に分かれて飛び出しており、魔王に斬りかからんとしている最中だ。あと半秒でも早く硬直から抜け出していれば、3人纏めて葬り去ることが出来たかのかもしれないが――。

 

(恨むんなら、ソードスキルの硬直時間を設定した自分を恨めよ……)

 

 串刺しになりながらも、カイトは内心で毒づいた。

 勝ちを確信したカイトだが、突如彼の視界に小さなシステムメッセージが表示される。紫色のウィンドウに表示されたその文字は【You are Dead】。――つまり、死の宣告。ヒースクリフが最後に繰り出したソードスキルは、カイトの残りHPを全て削り切ってしまったらしい。

 

 カイトがこの文字を見るのは、約1年ぶりである。51層主街区のアクティベートをトリガーに開始された緊急クエストで、最後に残った毒蠍(どくさそり)によって1度目の死がもたらされた。運良くクラインの所持していた蘇生アイテムで生き永らえたが、結局の所、命の灯火が消え去る瞬間を未来に引き延ばしただけだったらしい。消滅の運命は免れなかったようだ。

 それでも、1度生き返ったお陰で様々な経験を積むことができた。誰かを助け、助けられ、楽しいことも辛いこともあったが、どんな思い出を振り返っても不思議と今は悪い気がしない。

 

 エギルとの間で行ったアイテムの値段交渉。

 クラインとの馬鹿騒ぎ。

 シリカに頼られて一緒に冒険したこと。

 無理を言ってリズに武器を作ってもらったこと。

 思わぬ流れでやることになったアスナとのデュエル。

 キリトと共に人目を避けてやったスキルの熟練度上げ。

 そしてなにより、想いを告げて一方通行ではなくなったユキとの関係。

 

 全ての光景が一瞬で浮かんでは消え、カイトの脳内を駆け巡った。

 回想が終わったものの、相変わらず突きつけられている死の宣告。その無機質な文字を無視し、残された時間を無駄にしないよう、カイトは顔を動かしてユキを見た。視線の先には今にも泣き出しそうに顔を歪ませ、覆す事が出来ない現実を否定したくて堪らない衝動に駆られている少女がいる。それを見た時、ないと思っていた後悔の念が込み上げてきたが、涙は流すまいと堪え、手短に伝えたい言葉を口にする。

 

「ありがとう……」

 

 1つは感謝。

 

「ごめんな……」

 

 1つは謝罪。

 合わせても10に満たない文字を受け取った少女は、とうとう我慢できなくなり、大きな両の瞳に大粒の涙が溜まる。

 

 ――カシャンっ……

 

 だが、雫が彼女の頬を濡らす前に、カイトの身体はポリゴンの欠片に変化し、仮想の空気に溶けていった。

 




決着の場面は書き始めた当初から考えていたものですが、やっとここまでこれました。
そしてアインクラッド編も残りわずかです。


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第54話 世界の終焉と旅路の涯

 

 千の欠片となって散った筈のカイトが次に目にした光景は、夕陽によって紅く染め上げられた空と雲。風に乗って目的もなく流れる雲の群をぼんやり眺めること数秒、思考がようやくハッキリとし出したので、彼は手始めに自分がどこにいるのか整理し始めた。

 彼が今立っている場所は、まごうことなき空の上。重力に従って真下へ落下しないのは、足下に透明な水晶のパネルがあるからだ。つま先で軽く叩いてみるが強度は申し分ないらしく、突然ガラスのように割れてゲームオーバー、という事態にはならなさそうだ。

 周囲を見渡せば、最初に目に映った景色同様、どこまでも続く夕焼け空が広がっている。遥か彼方の夕陽は地平線に向かって少しずつ進行し、この光景も時間が経てば身を潜めて闇に包まれるだろう。そうなって欲しくないと思ってしまうのは、心の何処かでこの絶景をいつまでも眺めていたいと望んでいるからなのかもしれない。仄かな赤金色に化粧された雲は、現実世界でも滅多に見れないほど鮮やかな色合いだった。

 

(オレは……死んだんだよな……?)

 

 ヒースクリフに剣を突き立てられた胸の中心部を触る。

 この絶景の前に記憶しているのは、胸を貫かれ、HPゲージがゆっくりとゼロに下降し、死の宣告を受けたこと。

 そこから更に記憶を掘り下げると、見る見るうちに顔が青ざめ、泣き顔一歩手前にまで変化したユキの顔。

 そこまで思い出したことで、ようやくカイトは確信に至った。

 

(あぁ、やっぱりオレは死んだんだ……。それにしても……)

 

 彼にはまだ、気がかりなことがあった。

 アバターが消滅してからそう時間を置かず、ナーブギアの高出力マイクロウィーブにより脳が破壊されて死に至るのだとばかり思っていたが、その様子は一切ない。こうして意識を保っているということは、病院のベッドで寝ているであろう自分の身体は未だ機能しているということになる。

 もしかするとここは死後の世界なのかもしれない――――という仮説を立証すべく、試しに右手を伸ばして軽く振り下ろすと、見慣れた紫色のシステムウィンドウが出現した。つまりここは死後の世界ではなく、アインクラッドの中らしい。

 では、今の自分が置かれている状況は何なのか?

 疑問をそのままにウィンドウを見つめると、目の前には【最終フェイズ実行中 現在18%完了】の文字。いつもの装備品やアイテム欄はなく、その文字だけが映し出されている。意味がわからず、首を傾げたところで――。

 

 ――コツッ……

 

 ――足音が彼の聴覚を刺激したため、カイトは音の発生源に顔を向けた。

 真っ直ぐカイトに目を向けて歩み寄ってくるのは、白シャツにネクタイを締め、白衣を着た研究者を思わせる風貌の男。身体の線は細く、顔立ちは鋭角的だが、金属質な双眸にカイトは引き寄せられていた。

 そしてその男を見た途端、頭の片隅にチクリと何かが刺さる。男の印象的な眼は、何処かで見た覚えがあるからだ。だが、どこで見たのかまでは思い出せない。

 

「えっと……誰?」

「そうか、君は現実での私の姿を知らないのだね。私は茅場晶彦。アインクラッドでは、ヒースクリフと名乗っていた」

 

 つい先程まで対峙していた最強の敵が、カイトの前に立っていた。

 ゲーム雑誌などで茅場の写真を見た事はあるが、そこまで熱心に開発者の姿を刻みつけた覚えはなく、ましてや最後に見たのは2年も前だ。カイトが茅場の現実での姿を思い出すのは、断片的にでも不可能だった。

 

「ゲーム開発者がわざわざ見送りに来てくれるなんて光栄だね。他の死んだプレイヤーにも、同じような事をしていたのか?」

「まさか。これは私が君と話をしたいがために、この場を設けたのだよ。私はキリト君に対して多大な興味を持っていたが、カイト君に対しても、同様に興味を抱いていた」

「誤解を招く言い方はやめろ。気色悪い」

 

 間髪入れずに入れたカイトの鋭いツッコミなど意に介さず、茅場は話を続けた。

 

「君は、FNCというのを知っているか?」

「唐突だな。ええと、確か……フルダイブ不適合(ノン・コンフォーミング)、だっけ?」

 

 FNC――フルダイブ不適合(ノン・コンフォーミング)――とは、フルダイブマシン装着者がフルダイブ環境下において何らかの障害を生じてしまうことだ。大抵は五感のどれかが機能しない、脳との通信にタイムラグが生じてしまうといったものだが、極稀にダイブ自体が出来ないというものもある。これはナーブギアを最初に装着した際に行われる接続テストで判明するが、判定が出たところでゲームが出来ないわけではない。症状の度合いにもよるが、フルダイブ環境を楽しむことは一応可能だ。

 

「そう。君も知っての通り、フルダイブ環境下での適格性を欠くというものだ。その中でも視覚野のFNC判定は、ことSAOにおいては致命的だと言わざるを得ない」

「そりゃあ、まぁ……」

 

 通常のMMORPGならば、中・遠距離攻撃を得意とする魔法使い(メイジ)弓使い(アーチャー)があるが、SAOの基本は近距離戦闘――つまり剣だ。視覚のFNC判定を受けた者は遠近感が掴めないため、剣を使う戦闘は不向きである。

 一応SAOにも遠距離武器はあるが、ダメージは微々たるものなので、主武装にはなり得ない。

 

「視覚に異常判定が出た場合は遠近感、つまり奥行きが掴めなくなるのが特徴だが、実はSAOで実装されているバッドステータスの中で、それに限りなく近い状態になるものがある。それこそが、《盲目(ブラインドネス)》だ」

 

 それは実に耳慣れた、これまでカイトも幾度となく苦しめられたものだ。ここ最近ではユキとのデュエルで陥ったのが記憶に新しい。

 

「但しこれは先程の私のように両目ではなく、片目の欠損になった場合に限られる。剣を振れば何もない空間を切り、回避したと思えば身を刻まれることも往往にして起こりうるだろう。このように通常は剣での戦闘が困難になるのだが、あろうことか私が抱いていたその認識を覆し、平常時と遜色ない戦いをやってのけた者がいた。それが君だ」

 

 茅場は鋭い眼光をカイトに向けて言い放つ。確かに、言われた本人にも心当たりがあった。

 75層のコロシアムで行われたユキとの勝負。戦闘中にユキの攻撃で片目を欠損し、その影響で《盲目(ブラインドネス)》となった。その時は確かに距離感を掴めず戸惑ったが、これまでの経験で染み付いた感覚と愛剣の切っ先から柄までの長さを利用し、ハンデを背負いつつも彼女と渡り合ったのだ。辛くも勝利したが、内心ヒヤヒヤだったのをカイトは鮮明に覚えている。

 

「私は確信したよ。その時、既にカイト君は《治療術》を習得済みだったが、ロックされているユニークスキルの内の1つ、《射撃》を取得するのは君なのだ、と」

 

 《射撃》というからには、遠距離武器関係のスキルなのだろうが、現時点での遠距離武器は投擲用のピックやスリングぐらいしかない。もしかしたら《射撃》の解放と共に、NPCショップで弓やボウガンといった武器の販売がされるようになったのかもしれないが、最早カイトにそれを知る術はなく、わかっているのは茅場だけだ。

 

「なんでそう思ったんだ? そもそも、1人で複数のユニークスキルを取得出来るものなのか?」

「……まずは1つ目の質問から答えよう。ユニークスキルの取得条件はそれぞれ異なるが、《神聖剣》を除き、取得条件の内容は個々の持つ能力によるものと、プレイヤーの実績やアイテムを要件とする2つに大別される。例えば前者は《二刀流》や《射撃》、後者は《治療術》が挙げられる」

「そういえば、《二刀流》の取得条件は『全プレイヤー中で最高の反応速度を持つ者』って言ってたよな? つまり、潜在能力みたいなものが関わってくるのか?」

「その通り。《射撃》に関していえば、『全プレイヤー中で空間認識能力が最も秀でた者』だ」

 

 空間認識能力とは、三次元空間における物体の位置・方向・間隔といった状態を正確に把握し、認識する能力のことだ。

 例えば、飛んでくるボールの大きさ、位置、距離感を瞬時に判断し、キャッチあるいは回避する際にも、この空間認識能力が関係してくる。

 

「50層のフロアボス戦で、君は突如現れた4体の取り巻きを相手しただろう? その時、君は片手剣の範囲技を繰り出したはずだ」

「そ、そうだったっけ……?」

「そうだ。そして君は取り巻き4体を絶妙なタイミングで同時に吹き飛ばすため、危機迫る状況下で瞬時に判断し、立ち位置を調整してからソードスキルを放った。あの動きは四方からくるモンスター達と自分との距離感を正確に把握している……つまり、空間認識能力が高くないと出来ない芸当だ」

 

 自分はフロアボスの相手をしていた筈なのに、よくそこまで他の奴に目を向けていられるなぁ、とカイトは内心で感嘆の声を漏らす。

 

「そして時間が掛かってしまったが、ユキ君とのデュエルで彼女に片目の欠損状態を故意に作るよう指示し、君の空間認識能力がどの程度のものかを確かめさせてもらった。並の者なら彼女の剣技に抗う暇もなく決着が着くところだが……私の目に狂いはなかった。これこそ、君が《射撃》を取得すると思った理由であり、1つ目の質問の答えだ」

 

 カイトはこの能力が高いが故に、片目の欠損状態であっても体制を立て直し、ユキとの戦闘で勝利を収めることができたのだ。

 そして自覚こそなかったが、自分には他のSAOプレイヤーより秀でた能力があったのだと認識すると、カイトはどこか誇らしげな気持ちになれた。

 

「次に2つ目の質問だが、結論から言えば、ユニークスキルの同時取得は可能だ。『1つのスキルを取得できるのは1人だけ』であって、『1人が取得できるのは1つのスキル』ではないからね。だが、個々の持つ能力で全プレイヤーの頂点に2つ以上君臨するのは非常に難しい」

「というより不可能だろ」

 

 カイトの鋭い指摘に、茅場は静かに首を縦に動かした。

 

「だけどオレの《治療術》みたいな、取得条件に能力の高さが関わらないやつなら、複数のスキル保持もあり得なくない、と。……ところで、《治療術》の取得条件って何なんだ? さっきの話だと、《治療術》の取得はプレイヤーの実績やアイテムが関係してるって言ってたけど、オレとしては全然心当たりないし」

「それは君が単に思い出せていないだけだ。過去を振り返ってよく考えてみてくれたまえ」

 

 腕を組み、カイトは言われるがままに過去の記憶を遡ってみる。

 プレイヤーの実績で考えるならば、『特定のモンスターを最も多く狩った』とかが浮かぶが、誰かに誇れるような討伐数は自分にはない。感覚的には《アリ谷》の巨大アリを一番狩ったとか思うが、キリトとどっちが上かと問われれば微妙なところだ。

 アイテムの線でも考えてみるが、ユニークスキル取得要件のアイテムともなれば、サーバーで1つしかないものだろう。しかし、そんな超がつくほどのレアアイテムは、アイテムストレージの何処を探しても永遠に見つからない自信が彼にはあった。

 脳から湯気が出るほど考えてみるものの、全くと言っていいほど閃かない。降参(リザイン)! の一言を告げようとしたその瞬間、茅場の口から声が漏れた。

 

「では問おう。君は先の戦いで自らの身体が四散する感覚を味わった筈だが、その感覚に覚えはないか? ……君は知っている筈だ。何故なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………あっ!!?」

 

 もたらされたヒントを元に茅場が何を言いたいのか察し、カイトの脳裏に当時の記憶が蘇る。

 

 激戦に次ぐ激戦。

 阿鼻叫喚の地獄絵図。

 少女を助けた代償として、自分の胸に深々と突き刺さっている毒針。

 直後、砕けたボスの後を追うようにして空中で四散するアバター。

 にも関わらず、死地から奇跡的に復活したのは、掌に収まるほどの小さな結晶アイテム。紛れもない奇跡を引き起こし、カイトの魂を呼び戻したそれは、奇怪なサンタクロースからのクリスマスプレゼントだった。

 

「《還魂の聖晶石》……」

 

 10秒という制約時間はあるが、この世界で唯一の蘇生アイテム。このアイテムをクラインが使っていたからこそ、カイトはその後もプレイヤーとしてい続けられたのだ。

 カイトが答えに気付いた事に満足したのか、茅場の口角がわずかに持ち上がり、微笑した。

 

「蘇生アイテムはSAOのサーバー内であれひとつしかない。あのアイテムは誰もが喉から手が出るほど欲しがる死者復活アイテムであると同時に、効果対象者に《治療術》を取得させるトリガーを兼ね備えた、いわばキーアイテムの役割も担っていたのだ」

 

 死の淵から生還を成し遂げるだけでなく、その手に蘇生アイテムの力の欠片――『癒し』を付与して舞い戻る。カイトは手に余るほどの『特別』を宿した掌を、じっと見つめた。この手があったからこそ、これまで救えた命があったのだ。

 

「そして《治療術》の面白いところは、スキルをどう行使するかでスキル保持者(ホルダー)の人間模様を映し出すことだ。己を顧みずに文字通り命を削って行使するのか、あるいは己の命を最優先で行使するのか。君がどちら側の人間だったのかは……身を呈してキリト君とアスナ君を庇った行動が示しているな」

 

 もしかしたら、あの場を切り抜ける方法が他にあったのかもしれない。そもそも庇う必要性はなく、ヒースクリフの技後硬直を待ってから動き、安全にゲームクリアを成し遂げることも出来た。

 しかしそれはアスナの命を見捨てるのと同義であり、それならいっそ自分の身を差し出したほうが早いと、カイトの心がそう答えを導き出した。彼の頭に浮かんだ最善手は、あれ以外なかったのだ。

 

「さて、随分と遠回りしてしまったが、君と話をする機会を設けたのは、1つ頼み事をしたくてね」

「頼み?」

「あぁ。実はこれまで外部からカーディナルシステムへ連日にわたり侵入を企む者がいたのだが、2週間ほど前からピタリとその動向が止んだ。杞憂で済めば良いのだが、生憎私の魂は現実に帰還する術を既に持ち合わせていない。なので君が現実へ戻った際にこの世界と関係のある由々しき事態が起こっていた場合、可能な限りその解決に尽力してくれないか?」

「ちょ、ちょっと待て。オレは探偵でもなければ警察でもないし、現実だと只の学生だぞ。そんな事出来るわけが――」

「だから言っただろう。『可能な限り』と」

 

 茅場は何の意図があってこんな頼みをするのか、カイトはさっぱりわからなかった。そもそも依頼の内容が曖昧であるため、具体的な方法も示唆されない。

 茅場の『依頼』に対してカイトは逡巡し、少しでも彼の真意を探ろうと双眸を注視する。しかし、茅場の表情は一切変わらず、向けられた視線に対して真っ直ぐ見返してきた。瞳の奥で何を考えているのかは、不可視のフィルターに阻まれて読み取れない。

 数秒の沈黙を要し、カイトは肩を大きく落として溜息をついた。

 

「……わかった。内容は意味不明だけど、頭には留めておくよ。『可能な限り』やらせてもらう」

「君ならそう言ってくれると思っていたよ」

 

 最初からカイトが断らないと踏んでいたのだろう。その言い方には、確信めいたものがチラついていた。

 

「ただし条件がある。もしもあんたの危惧する事が起こっていてオレがそれに取り組み、なんらかの障害が発生した場合、力を貸すことを約束してくれ」

「それは不可能だ。さっきも言ったが、私は現実世界に戻ることが出来ない。茅場晶彦の肉体はこのゲームが崩壊すれば、魂を持たない只の抜け殻に成り果てるのだから」

「確かにそう言ってたが、さっきと少し言い方が違うな。正しくは『()()()()現実に帰還する術を持ち合わせていない』だ。その言い方だと、魂は仮想世界に残り続ける、って意味にも捉えられなくないか?」

 

 どこか引っかかる言い方をすると感じたカイトは、訝しんだ内容を遠慮なく茅場に突きつけた。それに対して誤魔化すことはせず、茅場は微笑して応答する。

 

「中々鋭い指摘だ。しかし、この後私の意思を仮想世界に留められる確率は千分の一もない。それでも、私がその可能性を掴み取り、再び君の前に現れると思うのかね?」

「思う。あんたはここで死ぬような奴じゃない」

 

 なにをどうするのか知らないが、茅場は自らの意思――脳の電気反応――をデジタルコードに置き換え、本物の電脳となってネットワーク内に存在しようと考えているのだろう。

 茅場の言うように限りなく不可能に近いのだろうが、可能性はゼロじゃない。きっと彼なら、稀代の天才プログラマーならば、その可能性を掴み取る。そう期待せざるを得ない。

 

「わかった。ではその時が来れば善処しよう。……さて、長々と話し込んでしまったが、実は待たせている人物が他にいるのでね。私はここで失礼するよ。ゲームクリアおめでとう、カイト君」

 

 身を翻し、白衣を風に揺らしてカイトから遠ざかるように歩き始める。刹那、肌を撫でる爽やかな風が吹いたが、ほんの少し目を逸らした瞬間に茅場の姿は音もなく消え去っていた。きっと今頃、その待たせている人物の元へ向かっているのだろう。

 茅場が去った後、カイトは足元に展開されている水晶パネルの端に座り、夕陽に照らされながら崩壊していくアインクラッドを見つめる。現在もデータの完全消去作業は進行しているが、城の崩壊と最終シークエンスの進行状況がリンクしているのならば、なかなか凝った演出である。

 

(ゲームクリア、か……)

 

 あれほど望んでいたにも関わらず、いざなってみると拍子抜けしてしまっていた。もしかしたら、いつの間にかこの世界に居心地の良さを感じ、現実世界に戻りたくないと心の奥底で思っていたのかもしれない。

 

(……いや、それはないか)

 

 ただ単に思考が、理解が追いついていないだけ。果てしなく遠くにあったゴールにたどり着いた事をまだ信じられず、実感が湧いていないだけだ。

 それにこの世界が終われば、これまでの事も全て終わってしまうわけではない。ゲームの中で出会った人達と現実で再開し、また他愛のない会話をして笑い合う。きっと、いつか、等と夢にまで見た出来事が、ようやく現実味を帯びてきたのだ。

 すると、突如カイトの身体が転移エフェクトに似た光に包まれ始めた。仄かな光は輝きを増し、彼を下から上へと照らしていく。

 

(ユキには申し訳ない事をしたなぁ……)

 

 ヒースクリフに刺された後の、瞳に焼きついた彼女の顔が剥がれない。1度のみならず2度目の絶望感を味わう結果となり、彼女の心中は深い悲しみを占めたはずだ。そんな思いをさせてしまった事が、彼の中にある唯一の心残りだった。

 いつもなら隣で寄り添う彼女がいるが、今、カイトの傍らにその姿はない。共にいてくれる彼女がいないのが、酷く不安で、心細かった。

 

(最初は「ごめん」。次は「おかえり」と「ただいま」。その後は――)

 

 そこまで考えたところで彼を包む光がより一層強くなり、デスゲームで2年もの間生き残ったプレイヤーネーム《Kaito》のアバターは、静かに世界から旅立った。

 




《射撃》の取得条件は独自設定、ユニークスキルの複数取得は独自解釈です。なお、原作(プログレッシブ)では今後どうなるかわかりませんが、今作の《還魂の聖晶石》はサーバー内で1つしかないアイテムとして扱います。

あらかじめ張っておいた伏線をようやく回収できました。今回の話を知ったうえで該当箇所を見ると「あぁ、この部分か」と感じていただけると思います。蘇生アイテムの使用とユニークスキル早期解放の描写は2章19話を、空間認識能力に関連するのは2章13話と6章44話の描写となります。

次は毎度恒例の番外編となります。


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番外編第08話 少女の旅と苦難は続く

 

 信じられない。その一言に尽きた。

 厳しい戦いを終え、ついさっきまで身を寄せ合い、お互いの手を重ねて温もりを感じていた筈なのだ。

 それこそが、最後のクォーターポイントのボス《スカル・リーパー》を相手に、多大な犠牲を払いつつも、自分たちは生き残ったという事の証でもある。

 だからこそ、また今日も家に帰って食卓を囲み、新しい冒険に備えて同じ屋根の下で眠る事ができる。そう思っていたのだ。

 彼がその身を散らすまでは――。

 

 

 

 

 

 所属ギルドの団長がこのデスゲームを作り出した張本人だとキリトの口から聞かされた時は、この2年で相当に鍛えられたユキの胆力をもってしても、驚愕せざるをえなかった。どこか遠い存在に感じていた茅場晶彦という人物は、ずっとずっと近くで、自分たちプレイヤーを観察していたのだ。

 そして正体を看破されたヒースクリフと、看破したキリトの一騎打ち。激しい金属音と火花を散らし、ギリギリの攻防を繰り広げるその様は一見すると接戦にも思えたが、焦燥感を拭えずに堪え切れなくなったキリトの最上位剣技は、ヒースクリフに勝負を分かつ決定打をみすみす与えてしまった。

 そしてキリトのアバターに迫る剣尖に対して身を差し出したのは、どういう理屈か不明だが、ゲームマスターのシステムコマンドによる麻痺状態から抜け出したアスナとカイトだった。ただ呆然と眺めることしか出来なかったユキとは対照的に、彼と彼女はそれを良しとせず、全身に力を込めて脳に命令を送ったに違いない。動け、動け、と――。

 結果的に奇跡ともいえる現象を手繰り寄せ、カイトがヒースクリフの前に立ちはだかる。隙を突いたキリトとアスナが意識を加速させ、剣のみならず全身に仄かな光を纏いながら剣技を繰り出し、トドメをさす。最強の名を欲しいままにしていた《聖騎士》こと《魔王》は、《勇者》の手によって打ち倒されたのだ。ただ1人の犠牲を伴って――。

 

 『ゲームはクリアされました』

 

 女性の合成音声が、脳に直接響いてくる。きっとこのアナウンスは、アインクラッド中に流れているのだろう。何も知らないプレイヤー達は、今頃飛び上がって喜びを身体で表現しているに違いない。

 だが、75層のボス部屋にいるプレイヤー達は、この現状を素直に喜ぶことが出来なかった。無論嬉しいに決まっているが、最後の最後で新たな犠牲者が出てしまったことと、その影響で心を何処かに置き忘れて抜け殻と化した少女の姿を見てしまえば、とてもじゃないが明るい気持ちにはならない。

 

「……なん、で……?」

 

 何故、彼が死ななければならなかったのか。

 何故、最後に謝罪の言葉を述べたのか。

 

 それはこの世界で出来た繋がりを守るため。

 そして一緒に居続けることが出来なくなった事に対する、申し訳ない気持ちの表れ。

 

 頬を伝う涙は止まることを知らず、それはやがて落ちて床を濡らす。その一方で心は渇き、渇きを埋めるために彼との思い出を回顧した。出会って間もない頃、カイトから言い出した最初の約束が、ふと脳裏によぎった。

 

『オレが絶対に君を死なせないから。このゲームがクリアされるまで、何があっても君を死なせない』

 

 あれは自分を安心させるために言ったことなのだとユキは思っていたが、彼は2年もの間、律儀にその約束を守ったのだ。思い返せば、カイトは何かにつけてユキの前に立ち、危険を顧みずに庇う機会がよくあった。

 25層のフロアボス戦の時も。

 急遽始まったイベントクエストの時も。

 PoHと繰り広げた戦闘の時も。

 そしてその言葉通り、ゲームクリアまでユキは死ぬことなく、現実にもうすぐ帰還出来る。

 

「どうせなら……一緒に、帰りたかった……帰りたかったよ……」

 

 切実な願いは、最早叶う機会を失った。幼気で無垢な笑顔を見ることはもうない。

 それ以上は何かを考える気力が湧かず、ただ黙って俯くことしか出来なかった。そんな彼女を両腕で包み込み、優しく抱き寄せたのは、無二の親友であるアスナだった。

 

「……ごめんね。私がもっとしっかりしてれば……」

「……なんでアスナが謝るの? アスナは悪くないよ?」

 

 アスナに抱きしめられて人の温もりを感じたユキの虚ろな心は、少しだけ生気を取り戻す。

 

「ごめんなさい……」

「…………」

 

 きっと彼女は、飛び出した自分を守るためにカイトが割って入り、そのせいで悲惨な結果を招いたのだと思っているのだろう。だから彼女は自分を責めている。普段は明るくて澄んだ心地の良い声なのに、今は酷く震えていた。

 

「アスナは、何も悪くない。……悪くないよ」

 

 ユキはアスナの背中に両腕を回し、涙を堪えて囁いた。彼女が自分を責める必要は、どこにもないのだ。

 

「たとえアスナが飛び出さなかったとしても、きっとカイトは同じことをしてた。いつも自分の身を削って人のために動くような、自己犠牲の権化(ごんげ)だもん。最後の最後まで、カイトは自分の信念を貫き通しただけなんだよ。本当にどうしようもない困った人だけど、そんな所が好きだった……ううん、今でもそう」

 

 涙まじりの声でユキは気持ちを吐露し、アスナの耳元に近付けていた顔を離すと、真正面から彼女の顔を覗き込んだ。まるで自分のことのように瞳に涙を溜め、目尻から雫を絶え間なく垂らすアスナの気持ちが、ユキには痛いほど伝わってきた。

 そんなアスナの心が伝染し、一度は止まりかけていた感情の波が押し寄せ、再び目尻に涙が溜まる。

 

「……だから、そんな悲しい顔……しないで」

 

 少しだけ追いやっていた感情が再び表面に顔を出し、ユキの頬に涙の跡を作り出す。すると彼女はアスナの胸に顔を埋め、女神の如き抱擁を受けながら、静かに嗚咽を漏らしてしゃくりあげた。触れ合うことで人の温もりを感じつつ、今だけは無性に泣き顔を誰かに見られたくないと、ユキは頭の片隅でそう思った。

 

 そんな中、部屋の中にいるプレイヤー1人が突如として光に包まれ始めた。転移エフェクトに似た青白い輝きは瞬く間に全身を覆い、頭の先からつま先までが溶けるようにして消えていく。ゲームクリアに伴い、プレイヤーは順番に鉄の城から飛び去って現実世界へと帰還していくのだろう。最初の1人をきっかけにして他のプレイヤーにも少しずつ同じ現象が現れはじめ、フロアの人数が着実に減っていく。今頃、住んでいる場所からそう遠くない病院のベッドで目覚め、天井を見上げているに違いない。

 そしてその順番はユキにも訪れ、アスナの胸の中にいる彼女の身体が光に包まれる。別れの時は近い。

 

「アスナ……」

「大丈夫。きっと現実世界(むこう)でも会えるから。そしたら、またたくさんお喋りしよう」

「うん……。そうだ。あのね、私の本当の名前は――――」

 

 2年振りにキャラネームではない、本当の名前をフルネームで口にしようとしたその時、ユキの視界は完全に白く染まり、アスナの顔も温もりも、全てが唐突に消え去ってしまった。1人だけ先に旅立つ事を不安に感じたが、恐怖はない。何も怖れずにこのまま身を委ねれば、次に目を開けた時は病院だ。

 

 そう、その筈なのだ――――が……。

 

 ユキは自身の体感覚が感じ取っている、妙な違和感を訝しむ。黒い奔流が自身を捕らえ、逃がさないとでも言わんばかりの嫌な感じを拭いきれなかった。

 手を伸ばす。届かない。

 足を動かす。前に進まない。

 自分の行きたい方向とは真逆に吸い寄せられているかのようで、流石にユキも何かがおかしいと思い始めた。早くこの感覚から抜け出したいと思った矢先、虹色の光が明滅し、一気に視界が開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に目に飛び込んできた光景は、真上からユキの顔を覗き込むカイトの顔だった。

 

「あっ、起きた」

「なっ――――いたっ!!」

「どわっ!?」

 

 なんでっ!? と声をあげようとしたが、反射的に身体をおこした際、2人のおでこが綺麗にぶつかり、頭上にクルクルと星が回る。お互いに頭を押さえて鋭い不快感に悶える様は、なんとも言えぬほど滑稽だった。

 そしておでこを摩りつつ、ユキは周囲を見回した。テーブル、イス、壁紙の色や各種家具など、見慣れた部屋模様は見間違えようがない。《セルムブルグ》に構えるユキの家だ。

 そして彼女はどうやらソファで横になっていたらしく、さらに言えばカイトの膝を借りて眠っていたらしい。彼の格好は彼女の家にいる時となんら変わらず、簡素なシャツに長ズボンだ。

 

「なんで……カイト、生きてる?」

「なんでそんな不思議そうな顔してるんだよ。見ての通り、生きてるよ」

 

 未だに抜けない不快感を緩和するため、カイトは右手でおでこを摩る。そんな彼の両頬にユキはそっと両手を伸ばし、カイトの顔を挟み込んだ。そこから手を下に移動させ、肩、胸、腕、お腹といった具合に、ペタペタと彼の身体を触り出す。まるで目の前にいる彼が幻などではなく、本当に実体を伴ってそこにいるのか確認しているようだ。

 

「ちょ、な、何? 本当にどうしたんだ?」

「良かった……これは夢じゃなくて、あれは夢だったんだ……。本当に良かった」

 

 とうとう我慢の限界になった彼女は、瞳を潤ませながらカイトに飛びつき、思いっきり抱き締める。カイトの首に両腕を回し、2人の身体は密着した。

 そんな彼女を突き放すことはせず、状況の整理がつかずに若干の戸惑いと照れはあるものの、カイトはされるがままにして受け入れた。ユキの頭に優しく手を置き、静かに撫でる。

 

「怖い夢でも見てたのか?」

「うん。あのね、カイトが団長の剣で刺されて、それでこの世界からいなくなっちゃうの。それがすごくリアルで……怖かった」

「そっか……。あのな、ユキ」

 

 名を呼ばれ、ユキはカイトの顔が見える位置にまで密着していた身体を離す。彼の肩に手を置き、真正面からカイトの顔を見つめた。その表情は、どこか哀愁を漂わせるものだった。

 

「残念だけど……それは、夢じゃないんだ」

「えっ?」

 

 彼の言っている意味が、ユキにはわからなかった。

 しかし、彼の発した言葉と悲しい顔が、ユキの心を嫌が応にも不安にさせる。

 

「オレはもう死んだんだ。だから、ここでお別れだ」

 

 そう言うと、カイトの身体が突如として淡く発光し出し、同時に全身が透き通って向こう側の景色が薄っすらと見えるまで透過する。肩に置いていた手はスルリと抜け、実体がなくなっていることを示唆していた。

 

「嫌……。嘘……嘘だって言ってよ……」

 

 必死の願いに、カイトは何も答えない。その代わり、もの哀しそうな表情は、いつしか年不相応の幼い印象を抱かせる可愛らしい笑みに変化していた。

 その間にもカイトの身体は薄れていく。触れてしまえば壊れるのではないかと感じたが、それでも手を伸ばさずにはいられない。ユキがゆっくりと右手を彼の頬に添えると、カイトは添えられた手の甲を覆うようにして自らの手を添える。しかし、触られた感覚も、手の温もりも、すでに感じ取れなかった。

 

「……さよなら」

「――――ダメっ!!」

 

 別れの言葉と強い拒絶の言葉が重なると、カイトは全身を小さなポリゴンの欠片に変えて爆散した。光を反射してキラキラと輝く欠片を、ユキはその場で必死に掴もうとする。だが、手が掴むのは空気だけ。欠片は彼女の手をヒラリと躱し、瞬く間に溶けて消え去っていった。

 夢であればどれだけ良かったか。揺るがない現実を突きつけられ、加えて愛しい人の死をもう一度目にしてしまえば、彼女の心が絶望の色に染まるのは当然だった。

 肩を落とし、項垂れ、頭を抱える。

 彼女はこれ以上、何も聞きたくなかった。

 何も見たくなかった。

 全ての事から、目を逸らしたかった。

 そんな中、透き通るような美しい声が、耳からではなく、ユキの脳に直接響いてくる。機械的な合成音声ではなく、それは聞き間違えようのない――――生きた人間の声。

 

「おはよう。夢はもうお終いよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開けると、そこは真っ白な空間だった。

 床で伏せるように寝ていたユキは身体を起こし、立ち上がると、混乱しつつも辺りを見回す。イスとテーブル、ベッドが設置されており、それ以外は何もない殺風景な部屋だが、特徴を挙げるとすれば、それらの家具も、壁も、床も、全てが白色で統一されていることだ。

 次いで足から直接冷気が伝わっているのを感じ取り、視線を落とすと、彼女は今の自分がどういう格好をしているのかを認識した。それは心許ないほど薄手の白いワンピースで、布越しに肌が透けて見えるのではないかと疑ってしまうほどだ。そして肌が異様に空気の動きを感じ取っているのに加え、普段は下着で覆われている部分がやけに布と擦れている感覚から、彼女の素肌を守る鎧はその布一枚だけと判明した。

 現状が把握できずに混乱し、何が何だかわからない。唯一分かることといえば、ここは現実ではなく、今も夢をみている、もしくは仮想世界の中にいるのだろうとユキは結論づける。

 そこまで考えが及んだところで、彼女のいる部屋の壁の一画が自動扉のように横へスライドした。シャッという鋭い音に反応し、ユキは身構えて扉の方向を注視する。

 

(誰……?)

 

 そこには1人の見知らぬ女性が立っていた。

 ただし、見た目は普通の人間ではない。普通の人間なら、耳がエルフの一族のように尖っていることはないからだ。だから、ユキは女性がNPCの類なのだと思ったのだが――――。

 

「おはよう。あなたはどんな夢を見ていたのかな? 良い夢? それとも怖い夢?」

「あ……」

 

 そのごく自然な微笑みは、間違いなくNPCではなかった。

 そして女性の発した声は、先ほどユキが目覚める直前に聞いた声と同一であり、彼女が自分に語りかけたのだとユキは察した。

 色々なことが一度に起こりすぎて何が何やら分からなくなっているが、相手が誰なのか不明であるため、表情と身体を強張らせて警戒する。無意識に、いつも装備してある腰の短剣へと手を伸ばす――――が、右手は空を掴むだけ。

 そんなユキを見た女性は彼女の心境を理解し、柔らかい物腰で話しかけた。

 

「大丈夫。警戒しなくていいわよ。私はあなたの敵じゃないから」

 

 手を背中に回して後ろで組み、小首を傾げて愛嬌のある笑顔を再度ユキに向ける。そんな仕草も相まってなかなかに愛嬌のある美少女を見たユキは、少しだけ警戒心を緩めた。

 

「……まぁ、味方ってわけでもないけどね」

 

 その直後、聞き取れないほど小さな声で怪しげな発言があった事を、ユキは知らない。

 




原作だと『実験施設に囚われた人物達は、夢を見ているような状態だった』とあるので、中盤のくだりはユキがみていた夢ということになります。
場面がコロコロ変わって分かりづらいと思ったので、ここで念の為に補足させていただきます。

そして次話からALO編がスタートです。


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第8章 -妖精の世界-
第55話 エピローグとプロローグⅡ


 

 2024年11月の上旬。

 悪魔のデスゲーム、《ソードアート・オンライン》がクリアされてから、1週間が経っていた。

 全国各地の病院で入院しているSAOプレイヤーが一斉に目を覚ましたという情報は、今やあらゆるメディアが大々的に報道しているホットな話題だ。朝から晩まで何かとテレビやラジオで取り上げられているので、暫くの間はこの話題で持ちきりだろう。ここ最近はあまり人の関心を引くような大きな出来事がなかったらしく、突如舞い降りたとびっきりのネタに、各テレビ局はこぞって特集を組むほどだった。

 

「暇だ……」

 

 とはいえ、どこも似たり寄ったりな内容であり、これといった最新情報があるわけでもなく、同じ内容をリピート再生しているに等しい。今はテレビを見るぐらいしか娯楽がないカイト/倉崎悠人は、いい加減飽き飽きしていた。

 

 目を覚まして1週間が経過した今、2年の歳月でやせ衰えた筋力を取り戻すべく、悠人は日々リハビリに励む毎日である。

 しかし、当然の事ながら1日に行えるリハビリの時間は決められており、それ以外は病室のベッドで過ごすか、病院内を歩いて自主的なリハビリに努めるぐらいしか出来ない。ただ、以前のように身体を動かすのは難しく、廊下の端から端まで歩くだけで息切れを起こし、時間もかかる。前日には無茶をしすぎてうっかり階段で倒れてしまったため、担当の看護師にきつく注意をされていた。

 

 細い腕を伸ばしてどうにかリモコンを手に取るが、これだけでも今の彼には重労働だ。苦労の末にテレビのチャンネルを変えてみたものの、彼の予想していた枠を超えず、またしても同じような内容のニュースだった。それは現在進行形である、SAOクリア後の謎――目を覚まさないSAOプレイヤー――についてだ。

  茅場が2年前のチュートリアルで宣言していたように、魔王討伐によってSAOがクリアされたため、生き残った約6,000人のプレイヤーは正常にログアウトし、現実世界に帰還した。

 だが、中には覚醒せずに眠り続けている者もいるらしく、判明しているだけで約300人。当初はシステムのタイムラグによるもので、じきに目を覚ますと予想されていたのだが、あろうことか1週間経過しても様子が変わることはない。これは茅場晶彦の陰謀がまだ続いているとまで言われる始末だった。

 とはいうものの、この事態を説明できるような確たる情報が未だ掴めておらず、原因は不明。真相究明のために警察を含めた各種関係機関も動いているようだが、手掛かりすら得られていないらしく、捜査は難航しているようだ。手っ取り早いのは茅場晶彦を発見・詰問することだが、全国に指名手配されている男の所在は判明していない。仮に見つかったとしても、既にこの世を去っているだろうと悠人は感じていた。

 その理由は、悠人と茅場が最後に交わした会話の中で『私は現実世界に戻る術がない』と、きっぱり宣言していたからだが、かと言って死んでいるとも思っていない。『魂だけが仮想世界に残留する』可能性を示唆していたので、彼の目論見通りに事が進めば、今頃は0と1で構成される世界の狭間で漂っているのだろう。

 

 テレビ番組に出演しているタレントやコメンテーターの意見を右から左に聞き流しつつ、悠人はベッドの上でぼんやりとそんな考えを巡らせていたが、再度リモコンを手にとると赤い電源ボタンを押してテレビを消す。ふう、と短く息を吐き出した彼は、この退屈な生活から一刻も早く抜け出すため、また自主的にリハビリでもしようかと考えた。場合によってはまた看護師に注意されるかもしれないが、その時はその時だ。

 悠人がベッドから足を投げ出しかけた時、病室の扉が静かに開く。時間はまだ昼時であるため、悠人の両親は今頃職場にいるはずだし、付き合いのある友人は学校だ。よって見舞い客ではなく、看護師が様子を見にきたのだろうかと思ったが、その予想はものの見事に外れた。

 

「やあ、悠人君。調子はどうかな?」

 

 現れたのは、しゃれっ気のない髪型をしたスーツ姿の男。線の細い顔立ちに太い黒縁メガネをかけた真面目そうなその人物は、《ソードアート・オンライン》対策チームの国側エージェントを務めている菊岡誠二郎という男だ。デスゲームに囚われたプレイヤーを早急に病院へ搬送する手筈を整えたのも、彼が所属する総務省総合通信基盤局高度通信網振興課第二別室、通称《仮想課》の働きによるものだと、悠人は聞いていた。

 

「まだ本調子じゃないんで」

「それもそうか。まだ1週間しか経っていないからね。でも、リハビリを続ければじきに以前と同じ生活が送れるレベルになるだろうから、それまでの辛抱だよ」

 

 そう言って彼は手に持ったフルーツ盛りのカゴを悠人の枕元付近にある机に置き、椅子に腰掛ける。

 

「いやはや、それにしてもここの病院は美人のナースさんが多いね。僕はここに来るまでの間、何度も目を奪われてしまったよ。ここで入院している悠人君には、さぞ目の保養になるだろうね」

 

 何気ない事を切り出して話し始めるのは、悠人の緊張を解すためなのだろうか。親しげに話しかける菊岡の姿を見ていると、彼がつい国家公務員のキャリア組であるのを忘れてしまう。

 

「というか菊岡さん。美人看護師に鼻の下伸ばしてていいんですか? SAOがクリアされて、オレみたいに目を覚ました人が大勢いるから、その対応に追われているんじゃないですか? ここで油を売っている暇はないでしょ」

「いや〜、実を言うと全くもってその通りなんだよ。みんなが一斉に目覚めてもいいように下準備は進めていたけど、いざやるとなると思い通りにいかないこともあってね。おかげでここ最近の僕はデスクワーク派にも関わらず、労働で汗を流す毎日だよ」

 

 などと言っていた菊岡だが、ここで彼はわざとらしく咳払いをした。

 

「よって僕が今日ここにきたのも、君と世間話をするためじゃない。悠人君に頼まれた仕事をしてきたから、その報告にきたのさ」

「じゃあ、見つかったんですか!?」

 

 菊岡の言葉で意図せず悠人の声が大きくなり、少しだけ身体が前のめりになった。

 

「あぁ。君が居場所を知りたい人物達の情報だ。バタバタしていて報告が遅れたことは謝罪するよ」

「いえ、そんな――」

「しかし、この中で悠人君が最も知りたいと言っていた人物についてだが、彼女に関してはそこへ行ったとしても、君はきっと何もできないだろう」

 

 菊岡の表情が急に真剣になり、口調は重みを増す。その様子を見た悠人は、思わず生唾を飲み込んだ。

 

「どういう意味ですか? ……まさかとは思いますけど」

「そのまさかだ。君も知っての通り、ゲームクリア後も未だ目覚めていないプレイヤーが約300人いるが――」

 

 出来ればそうであって欲しくないと思っていた。

 日本のどこかで自分のように目を覚まし、リハビリに励み、また会えることを信じて疑っていなかった。

 その願いには、何の根拠もないというのに。

 

「――彼女も、その内の1人だ」

 

 菊岡の告げた真実は、悠人の心と病室に虚しく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「同盟を組む? シルフとケットシーがか?」

「そうだヨー」

 

 妖精達の住まう世界――VRMMO《アルヴヘイム・オンライン》、通称《ALO》――にある猫妖精(ケットシー)領の首都《フリーリア》。その領地内に鎮座する領主館の最上階で、アリシャ・ルーは《月光鏡》で作り出した円形の鏡を用い、シルフ領主のサクヤと話をしていた。

 《闇魔法》スキルを上げている者に使える《月光鏡》は、遠く離れた人物の姿を見ながら会話が出来るという、いわばテレビ電話のようなものだ。その効力は時間帯に左右され、具体的には日中よりも月の光が降り注ぐ夜間の方が持続時間は長い。現実世界では太陽が昇っている時間だが、24時間周期でないALO内は、現在丸々と太った月が、妖精の世界を照らしていた。

 

「ほら、前にサラマンダーが大部隊を率いてグランドクエストに挑戦したけど、コテンパンにやられちゃったでしょ? 多分前よりも入念に準備して挑むはずだから、大分時間がかかると思うんだよネー」

「その隙を狙って、我々2種族が協力して世界樹攻略に挑む、と」

「いえーす。グランド・クエスト達成の報酬と矛盾するようだけど、あれはどう考えても1種族だけじゃ攻略不可能だヨ。そこで我等が猫妖精(ケットシー)と、サクヤちゃん率いる風妖精(シルフ)の精鋭陣で、世界樹攻略に挑もうってわけ」

 

 グランド・クエストとは、ALOのプレイヤーなら誰もが知っている、このゲームの最終目標であると同時に、最上級難度を誇るクエストだ。

 『ゲーム内で空を飛べる』ということで大人気のALOだが、その滞空時間は無限ではなく、最大で10分間である。しかし、ALOの中心にある天高くそびえる大樹、通称《世界樹》で受諾可能なグランド・クエストをクリアし、世界樹の上にある天空都市で《妖精王オベイロン》に謁見した最初の種族は、全員が《アルフ》という高位種族に生まれ変わる。そうすることで滞空制限がなくなり、無限に空を飛べるようになるのだ。

 ただ、ALOがオープンして1年経つというのに、グランド・クエストは未だ攻略されていない。キークエストの見落とし、単一種族では攻略不可という説が出ているが、もしも後者であるならば大いなる矛盾が生じる。なにせ、『最初に到達した種族しか《アルフ》になれない』のだから。

 それでも、世界樹攻略は全ALOプレイヤーの悲願であり、アリシャ・ルーもこの難関に挑む気持ちを失っていない。

 

「つまり共同して挑み、双方がアルフになればそれで良し。片方だけなら次のグランド・クエストも協力する……という事か?」

「さっすがサクヤちゃん! 話が早くて助かるヨー」

 

 ケットシー特有の長い尾を左右に揺らすことで、アリシャ・ルーは感情を表現する。声の調子からも上機嫌なのが見てとれた。

 

「悪くない話だ。では、シルフとケットシーが正式に同盟を結ぶにあたり、条約の調印をするとしよう。これは極秘に行いたいから、そうだな……会談場所は《蝶の谷》の内陸側でどうだ? あそこならモンスターが湧かないから、会談を邪魔されて興醒めすることもないだろう。問題があるとすれば、神出鬼没の()()だな……」

「あー、確かに……」

 

 現在のALOでは、期間限定でとあるイベントを開催中である。そしてそのイベントに関係するNPC達がいるのだが、それらはALO中を自由に飛び回り、いつ、どこで遭遇するかわからないのだ。もしも出会えば戦闘は必須であり、サクヤはそれを懸念している。

 

「無論、領主同士が落ち合うのだから護衛はつけるが……お互いに種族内の優秀な人物を連れていこう。万が一の事態があっても問題ないようにな」

「ん〜、りょーかい。それじゃあ、会談場所で詳しい内容を話し合うということで」

「あぁ。日程については…………」

 

 一通りの話を終え、鏡に映るサクヤが手を振る。アリシャもそれに応えて手を振ると、《月光鏡》の表面が波打ち、儚い金属音を響かせて砕け散った。

 アリシャはその場で右足を軸にして反転し、腕を上げて大きく伸びをする。

 

「さーて。これから忙しくなるぞ〜」

 

 直後に左手を振り、メインメニューウィンドウを操作すると、1番下にあるログアウトボタンをタップ。彼女が瞼を閉じると虹色の輪が広がり、次いでブラックアウトし、リアルで横になっている肉体に意識を戻していった。

 




今章からALO編となりますが、まださわりの部分なので、今回は軽めの内容です。

話の骨組みは出来ているのであとは肉付けするだけですが……細かい部分を考えると中々どうして行き詰まります。先は長いです。


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第56話 帰還者と未帰還者

 

 (こよみ)は1月。季節は冬。

 春であれば優しく肌を撫でる心地良いそよ風も、この時期は肌を刺すような痛みを伴う風になり、ベージュのダッフルコートやマフラーで防寒しても、外気は容赦なく体温を奪い去っていく。自堕落な思考を保持するなら家の中でぬくぬくと過ごせばよいが、その気持ちを振り切って外に出ても、やはり寒いものは寒い。倉崎悠人は冷え切った手を温めるため、空いている左手はポケットに突っ込んで中で握り拳を作り、コンビニのレジ袋を持つ右手は袖口に引っ込めた。寒い寒い太陽仕事しろ、と内心で文句を垂れつつ、彼は家路を足早に歩いていった。

 

 

 

 

 

 世間を騒がせたSAO事件が解決し、早くも2ヶ月が経過しようとしている。茅場の言う通り、ゲームクリアが成された結果、生き残っていた約6,000人のプレイヤーは現実世界の病院で一斉に目覚めることとなった。

 かの世界で死んだ筈のアバター《Kaito》が倉崎悠人として現実世界に戻ってこれたのは、アバターの死後10秒以内に発生する高出力マイクロウェーブが脳を焼き始める前に、《魔王》ヒースクリフが倒されたため、間一髪で悠人は生を掴みとれたのだと推測された。この時ばかりは、己のリアルラックの高さに救われた悠人だった。

 一方、そんな彼とは対照的に、ゲームクリア後も未だ目を覚まさずにいるプレイヤーが約300人程いる。世間は茅場の陰謀がまだ終わっていない等と騒いでいるが、少なくとも悠人はそう思っていなかった。彼の目的は2年前のあの日、既に達成しているのであり、ここにきてまだ何かやろうとしているとは思えない。つまりこの異常事態こそ、茅場が危惧し、かつ悠人のログアウト直前に依頼していた『由々しき事態への対処』なのだろう。

 とは言うものの、SAOでは攻略組の1人として名を馳せていたのに対し、現実では何の権力も持たない上に、これといった手掛かりもないので、彼に出来る事はない。完全に手詰まりだった。

 よって今の彼に出来るのは、長い寝たきり生活で落とした体力の回復に努めること。

 SAOに囚われていた学生を対象に、政府が急遽用意した学校の入学準備を進めこと。

 そしてかの世界で出会い、未だ眠り続ける人の見舞いに行くことぐらいだ。

 

「ただいま〜。う〜、さむっ!」

 

 室外から室内へと移ったため、肌を刺すような風はなくなったものの、玄関先は底冷えする。悠人の求める環境はここではない。

 家に入るや素早く玄関を施錠し、靴を脱いで廊下をやや早いテンポで歩く。暖房の効いたリビングに入り、一刻も早く冷えた身体を暖めたかったので、悠人は普段の数割増しで、リビングに続く扉を力強く開けた。

 扉を開けた悠人が最初に目にしたのは、イスに腰掛けてテーブルに肘をつき、携帯端末を操作する1人の女性だった。女性は悠人の入室に気付くとニッコリ微笑み、右手を振って出迎える。

 

「おかえり〜、悠人ちゃん」

「……りーちゃん、最近よく来るね」

「お邪魔だった?」

「そうは言ってないけど……。というか、いい加減に『ちゃん』付けはやめてくれ。今はもう高校生なんだから」

「ごめんごめん。悠人ちゃんが相変わらずかわいいから、つい」

「かわいくないっ!」

 

 出迎えた女性――りーちゃんこと天津河理沙(あまつか りさ)――は、そんな悠人の反応を楽しむかのように笑うと、肩にかかっている長く艶やかな黒髪をはらった。

 大きな瞳、すっとした鼻梁、薄い唇といった顔のパーツが完璧な黄金比率で精緻に組み合わさり、『美人』という単語を連想させる美貌の持ち主である理沙は、悠人より歳が10近く離れた従姉妹だ。その美貌もさることながら、頭脳明晰というおまけ付きであり、日本において難関と評される帝都大学をストレートで卒業するという、なんとも羨ましい経歴を持っている。

 現在は居住地から近いこともあり、遠く離れた実家よりも悠人の家に遊びに来る頻度のが高いため、こうして顔を合わせる機会は少なくない。突然来るので驚くこともあるが、出来れば事前に一報入れて欲しい、というのが悠人の本音だった。

 

「私にしてみれば悠人ちゃんは弟みたいなもんだからね〜。いくつになっても昔のかわいい印象が残ってるから、当分『ちゃん』付け卒業は無理よ。諦めなさい」

「当分って……いつになったら言わなくなるの?」

「ん〜? そうだなぁ…………私の『良い男センサー』に引っかかったら、かな。でも後10年はないだろうから、安心して」

「断言するな」

「昔は『お姉ちゃん、お姉ちゃん』ってよく私の後ろをついて回ってたよね」

「いつの話だよ」

 

 普段から実年齢よりも下に見られる悠人だが、笑った時の顔は昔の面影が色濃く出るため、理沙の抱く悠人の印象は、彼が小学生の頃から止まったままだ。故に彼女の中にある『笑顔のかわいい弟分』というイメージは、より強固になっていた。

 悠人は手に持っていたコンビニの袋を机に置き、理沙の隣に座ると、買ってきた飲み物を袋から取り出す。一口含んで飲み込み、渇いていた喉を潤した。

 

「ところでりーちゃん。仕事は?」

「休み」

「だったらウチに来るんじゃなくて、どこか遊びに行くなりすればいいじゃん」

「社会人になるとね、職場が同じでもない限り、友達と休みを合わせるのは難しいのよ」

「彼氏は?」

「いませ〜ん。中々『好き』って思える人が見つからないのよね。でも悠人ちゃんは別だからね。私、大好きだから」

「まーたそうやって人をからかおうとする。引っ掛からないからな」

「ふ〜ん……。それなら……」

 

 見惚れるほどの美貌が笑ったかと思いきや、その瞳は真っ直ぐ悠人を捉えていた。すると、何を考えているのかその意図を探る間も無く、理沙は悠人の腕に突然抱きついた。

 年の離れた従姉妹とはいえ、美人の顔が急接近したことで心臓の鼓動は早くなる。それこそ、吐息が顔にかかるほどに。

 加えて、彼の腕には理沙の豊満な胸が押し当てられたため、柔らかな感触を意識して戸惑う羽目になった。ユキの控えめな胸とは対照的な感触に、つい頬が紅潮する。

 

「あっはっは。照れてる照れてる。かわいいな〜」

「かわいくないっ! というか離れろっ!」

 

 悠人の反応が期待通りでお気に召したのか、理沙は言う通りに密着していた腕を離した。悠人で遊び、期待通りの反応に満足した彼女は、目の前に置かれているカップを手に取り、中のお茶を一気に飲み干す。

 

「ところで悠人ちゃん、今日のご予定は?」

 

 一本取られたことに対して憎々しげに理沙を見ていた悠人は、平常心を取り戻しつつ返答した。

 

「この後病院に行くつもり。少し距離があるけど」

「えっ? どこか悪いの?」

「左手が少し動かしづらいのはあるけど、それとは別件。今から行くのは……向こうで知り合った人の見舞いに行くつもり」

「あぁ。そういえば前にもそんなような事言ってたわね」

 

 過酷なデスゲームで最後まで生き残った約6,000人のプレイヤーの内、未だ未帰還の300人――つまり20分の1に運悪く選ばれてしまったとある人物()が、悠人の住んでいる場所から少し離れた病院で今も眠り続けている。声をかけても彼の欲している反応は返ってこないが、見舞いに行くのは欠かさなかった。

 

「そういう事なら、送っていこうか? 丁度今日は車で来てるし」

「へ? それは助かるけど……いいの?」

「別にいいわよ、それくらい。それに悠人ちゃんのお気に召した相手がどんな子なのか、一度見てみたいとも思ってたしね」

「ありがとう、りーちゃん。……じゃあすぐに支度するから、少し待ってて」

「は〜い」

 

 悠人は椅子から立ち上がると、リビングを出て2階の自室へと向かう。

 理沙は椅子の背もたれに掛けてあるコートを羽織り、机の上で無造作に置かれていた車の鍵を手にとった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流石に毎日とまではいかないが、高い頻度で来院している悠人の顔は既に覚えられているらしく、看守も病院のスタッフも、彼を一目見ただけで察してくれた。

 目的の部屋まで続くルートをいつも通り歩いてたどり着くと、礼儀として扉を軽くノックする。しかし反応が返ってこないことから、今は部屋の中に見舞い客がいないらしい。

 悠人は横にスライドした扉をぬけて部屋の中に足を一歩踏み出し、わずかに鼻孔をくすぐる花の香りを感じつつ、カーテンで仕切られているベッドに近付いた。この先で眠っている少女が知らぬ間に起きているのではないかという期待が、頭でわかっていてもこみ上げてしまう。無論その淡い期待は儚く散り、カーテンの先にはいつもと変わらぬ光景があるだけだった。

 最先端技術を取りこんだジェルベッドの上に、1人の少女が横たわる。

 痩せ細った身体。

 透き通るように真っ白な肌。

 ナチュラルショートの髪は肩にかかる長さにまで達しており、少女の頭をすっぽりと覆うのは、いまや《悪魔の機械》とまで言われているナーヴギア。

 ゲームクリア後も未だ覚醒しない少女――――ユキの隣で、悠人は椅子に腰を下ろした。

 

綾瀬由紀(あやせ ゆき)ちゃん、か。この子がそうなんだね?」

「うん」

 

 入室前にネームプレートで名を確認した理沙は、悠人の目の前で横たわる少女を見下ろす。理沙がチラッと悠人の表情を伺うと、眠っている少女を愛おしむ感情がはっきりと感じとれた。

 SAOの世界で一体何があったのか、悠人自身から積極的に話してきたことはないし、理沙からも詳しく問いただしたことはない。それでも、この2人の間柄がどういったものかは、彼の表情から感じ取ることができた。

 

「ナーブギアの電源は入ってるし、ネットワークにも接続されてる。この子は今もどこか別の仮想世界を彷徨っている……ってことなんだよね?」

「まぁ、そうだね。一体何処をほっつき歩いているんだか……」

 

 悠人は軽く笑いとばしながら言っているが、その笑みに力はない。今にもため息をつきそうな様子だった。

 

「一見するとただ眠っているだけに見えるけど、私達の知らない所で助けを待ってるのかもね。まるでお姫様みたい」

「お姫様……?」

「だってそうでしょう? こことは違う仮想世界の檻に囚われたまま、いつ来るかわからない王子様をひたすら待ち続けているみたいじゃない。まぁ、この子が一体どんな王子様を待っているのかは知らないけどね」

 

 と言いつつ、理沙は微笑しながら悠人を一瞥した。

 

「悠人ちゃんは、この子の王子様になる努力を何かした?」

 

 その瞬間、悠人の心臓が大きく脈を打った。

 

「で、でも、手掛かりになる情報は何一つないし……こっちじゃオレ1人で何も……」

「勿論、人それぞれで能力の差はあるから、出来る、出来ないは出てくる。でも、自分の中で出来る事から始めて、一つずつ可能性を潰していけばいいんじゃない? 受け身になって待つより、こっちから歩み寄って模索しなきゃ、何も状況は変わらないわよ。まずは最初の一歩を踏み出すこと。諦めるのは、全て手を尽くしてからにしなきゃ」

 

 現実世界に戻って、総務省の役人からユキが眠り続けていると聞き、彼女の元へ訪れた。少女の身を案じ、何者かの企みによって理不尽な状況に陥れられている現実を酷く恨んだ。

 だが、悠人のした事はそれぐらいだ。

 アインクラッドでは《掃除屋》としてあらゆる人から頼られ、救いを求められれば手を貸すこともした。主に《情報屋》として動くアルゴのサポートが多かったが、挫けそうな時はユキに助けられ、その他大勢の助力を得て困難を乗り越えた経験は少なくない。あの世界で生きた《カイト》に出来ないことはないとまで思いさえした。

 しかし、いざ現実世界に戻って1人ぼっちになれば、周囲の人に支えられていた事に大きな実感を抱く。何でも出来たのは所詮ゲームの中だけであり、現実に戻れば無力な少年でしかないのを思い知らされた彼は、無意識にどこかで線を引いていたのだ。これ以上は出来ない。これが自分の限界だ、と――。

 

 理沙の言う事が悠人の心を突くが、それは彼女の言っている事が彼にとって図星であるからに他ならない。ピンポイントで急所を貫いたかのような言葉は突き刺さり、悠人は何も言い返せなかった。

 

「具体的ではないけれど、私が言えるアドバイスはこれぐらいね。何かを感じとるか聞き流すかは、悠人ちゃんの自由よ。……それじゃあ私は少し席を外すわ。1階のロビーにいるから、何か用があれば呼んでね」

 

 ひらひらと左手を振り、軽い足取りでにこやかに立ち去る。

 理沙が部屋を出て扉が閉まると、由紀と悠人の2人は部屋に取り残された。

 

(最初の一歩を踏み出すこと、か……)

 

 悠人は静寂に包まれた部屋の天井を見上げて目を閉じ、暫しの間黙考した後、椅子から立ち上がって病室の外に出た。

 廊下に出た彼はポケットから携帯端末を取り出し、電話帳をスクロールして通話したい相手の名前をタップ。端末を耳にあてると聞きなれた呼び出し音が鳴り、離れた場所にいる相手をしつこく呼び出そうとする。

 

「悠人ちゃんは本当にわかりやすいなぁ」

 

 廊下の曲がり角で身を隠し、悠人の様子を伺っていた理沙は、ポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

 通話相手に用件を伝え終わった悠人は、次に由紀のいる病室とは違う階の病室へと足を運んだ。部屋の前で一応ネームプレートを確認し、扉の前に立った――――その時だった。

 スライドドアのセンサーが悠人を認識するにはまだ距離があるというのに、扉が自動で開いたのだ。驚いた悠人は身体をビクッと震わせて一歩後ずさるが、そんな彼の反応に劣らないぐらい驚く1人の少女が、悠人の前に立っていた。

 前髪は眉のやや上で、後ろ髪は肩のラインでカットされており、色は黒色。髪の色と遜色ない眉は太いがきりっとしており、その下の勝ち気そうな大きな瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいた。身長は悠人よりも低いが、身体のラインは細いというわけでもないらめ、何かスポーツをしているだろうと彼は直感した。

 

「す、すいません」

 

 小さく頭を下げた少女はそそくさと悠人の横をすり抜け、誰もいない廊下を足早に歩き、その場を離れていった。曲がり角を曲がったところで、少女の姿は悠人の視界から消え、誰だろうと一瞬考えた後に病室の中に入る。

 

 部屋の窓際には1台のジェルベッド。

 そこで静かに息をする1つの影。

 

 この人物もまた、由紀と同様に遠い世界の虜囚という不運な運命を辿っていた。事情を知らなければ眠っていると思ってもしょうがなく、白く華奢な身体は触れると壊れてしまいそうだ。

 そしてその人物を傍で見守る影が1つ。突如横たわる人物の手を掴んだかと思えば、両手で包み、額に当てる。その仕草はまるで何かに祈っているようで、後ろ姿からでも内から溢れる慕情がひしひしと感じられた。

 

「やっぱり来てたか」

 

 愛する者の帰還を待ち望んでいるのは、なにも悠人に限った話ではない。ここにも彼と同じ思いを抱いている人物がいた。

 自分に投げかけられたのだと気付いた彼女は祈るのを止め、長く艶やかな栗色の髪を揺らしながら振り返る。SAOにおいて5本の指に入ると評されていた端整な顔立ちはやや悲しげではあるが、漂う儚さは女神を思わせ、美術品の絵画を切り抜いたかのように美しかった。

 彼女――――アスナ/結城明日奈は、気心知れた悠人の存在を認識すると、口元を緩めて綻んだ。

 

「こんにちは、カイト君」

 

 穏やかで優しい光を宿した瞳は悠人を見つめたが、すぐに彼女の想い人であるキリト/桐ヶ谷和人に注がれる。明日奈はSAOの英雄と称されるキリトの帰還を祈るためなのか、再び(こうべ)を垂れた。

 

 キリトとユキが同じ病院だったこともあり、見舞いに来ていた悠人と明日奈が再会したのは12月の中頃だ。予想外だったためにお互い驚愕を(あらわ)にしたが、明日奈があまりにも口をあんぐりと開けているものだから、思わず悠人は吹き出し、明日奈もつられて笑うという光景は、振り返ると中々滑稽である。

 そうして一時は再会を喜びあった2人だが、何故ここに? という疑問を両者が答えた後は、少しばかり空気に重みが加わったのは言うまでもない。あの世界で出会った身近な存在であるキリトとユキが、未だ帰還していないのだから。

 SAOで深い交流のあった人物と偶然の再会を果たして以降、頻繁に見舞いで訪れる2人は、どういうわけか示し合わせたわけでもないのに来院する時間がピタリと一致することが多い。だから今日のように、悠人がキリトの部屋に入り、明日奈が先に見舞いで来ていたというのは、別段驚くほどのことでもなかった。

 

 悠人が明日奈からの挨拶を受け取ると、彼女の隣まで歩み寄り、隣の椅子に腰掛ける。約6,000人ものプレイヤーを解放に導いた英雄は、ユキと同じく戻るべき世界に戻れないという不条理に囚われたままだった。

 

「明日奈、あのさ……」

 

 悠人の言葉に自然と明日奈は顔を上げ、彼を見るが、彼女は一瞬で悠人から視線を外した。その理由は静かにスライドした病室の扉を通り、2人に歩み寄ってくる人物がいたからだ。絶句する明日奈を訝しみつつ、悠人もつられて扉の方向を見ると、そこには1人の男が立っていた。

 

「おや? 今日は初めて見るお客さんがいるね」

 

 見るからに高そうなスーツに身を包み、ネクタイを締め、ブラウンがかった髪はオールバックで纏めてある。如何にも好青年を思わせる風貌だが、フレームレスの眼鏡から覗く瞳に笑みはない。

 

「来てたんですね……須郷さん」

「そりゃあ、SAOの英雄君の身が心配でね。ゲームはクリアされたっていうのに、いつまで経っても目が覚めないなんて可哀想じゃないか」

 

 言葉とは裏腹に、その声には心の欠片も込められていないことを、明日奈は気付いていた。これは決して本心からの言葉ではない。

 

「ところで、そこの君は……?」

「倉崎悠人です。初めまして。明日奈と和人とは向こうで何度も世話に……」

「あぁ、彰三(しょうぞう)氏から話は聞いているよ。君が《捨て身の英雄》だろう?」

「はい?」

 

 聞きなれない名称に対し、悠人は疑問符をつけて返答した。そんな悠人をよそに、須郷は言葉を紡ぐ。

 

「おっと、済まない。自己紹介が先だったね。僕は須郷伸之。明日奈君の父、結城彰三氏の会社《レクト》のフルダイブ技術研究部門で統括管理主任をしている。よろしく」

「よ、よろしくお願いします」

 

 悠人は右手を出して須郷と握手を交わそうとするが、須郷は彼の手をチラリと一瞥した後、悠人の背中側にいる明日奈に視線を向けた。

 

「ところで、例の話は考えてくれたかな?」

「……この前も言ったはずです。私は考えを改める気はありません。今までも、これからも」

「ふーん……そうか。それは残念だ」

 

 握手をスルーされた事に不満を感じつつ、明日奈と須郷に挟まれる形で立っている悠人は交互に2人を見た。この2人がどういった関係なのか悠人は知らないが、少なくとも友好的な仲という訳でないのはすぐにわかった。僅かではあるが、明日奈の言葉や表情から嫌悪感が滲み出ていた。

 

「ところで、SAOがクリアされて以降、《アーガス》が解散したのは君達も知っているだろうけど、SAOを動かしていたサーバーがその後どうなったのか知っているかい?」

 

 そう言うと、須郷はゆっくり歩いてベッドの反対側にまわり、キリトを真ん中にして悠人と明日奈に向かい合った。悠人が抱いていた須郷に対する第一印象はこの時点で既に消え去り、『好青年』という仮面の下に隠していた本性が少しずつ露わになる。須郷は2人の反応を楽しむかのように、視線を交互に配っていた。

 そして須郷の問いかけには、悠人が最近見たニュースの記憶を掘り起こして答える。

 

「たしか、他の会社に維持と管理を任されたって」

「そう。実はその維持、管理を任されているのは、《レクト》のフルダイブ技術研究部門なんだ。つまり、そこの主任を務めている僕が、眠り続けている桐ヶ谷君の命を握っていると言っていい」

「なっ…………!」

 

 明日奈と悠人が同時に驚くと、その反応を期待していた須郷は粘つくような笑みを浮かべた。

 

「わかるかい? もしも僕がサーバーを停止させたら、その時点で桐ヶ谷君は永遠に目を覚まさない可能性があるということだ。全ては僕の裁量で決まるんだよ」

「……ハッタリだ。そんな事、出来るわけがない」

「別に君がどう思うかは勝手だし、僕には興味がない。でも、彼女はどうかな?」

 

 悠人が隣の明日奈を見ると、須郷の言葉に衝撃を受けた彼女は言葉を失っていた。おそらく明日奈自身も心の底ではハッタリだとわかっているはずだが、実行するのは不可能ではない。キリトの魂を永遠に仮想世界の中へ封じ込めるか否かは、須郷の指先一つで事足りる。

 明日奈の反応がお気に召したのか、須郷は満足そうに笑みを浮かべ、舌舐めずりをする。

 

「今の話を聞いた上で、もう一度よく考えるといいよ。君が例の件を承諾してくれるのであれば、桐ヶ谷君の身の安全は僕が保証しよう」

 

 それだけを言い残し、須郷は踵を返して病室の入り口へと向かう。スライドドアが静かに動き、扉1枚分の境界線を越えて部屋をあとにすると、病室内に須郷の残した重い空気という名の置き土産が漂っていた。

 数秒間の沈黙を破り、悠人は扉の方向に顔を向けたまま、先の件を問いただす。

 

「……さっきあいつが明日奈に言ってたのは、どういう意味なんだ?」

「……私と須郷さんが結婚するっていう話よ」

「はあっ!?」

 

 得られた回答が完全に悠人の虚をついたため、声が裏返る。反射的に顔を明日奈に向けると、悠人の瞳に苦々しげな表情をする明日奈が映った。

 

「あの人は結城家に婿養子として入るために、私との結婚を利用するつもりなのよ。もしかしたら、それすら踏み台にして、いずれは《レクト》ごと乗っ取るつもりかもしれない」

「……なるほどね。つまりさっきのはキリトの身を人質にして、明日奈を脅してたのか」

 

 現時点で明日奈の弱点を正確につくのならば、昏睡状態のキリトの身を材料にするのは非常に有効だ。もしも悠人が彼女の立場にあったとしても、きっと押し黙るに違いない。大事な人の身を安全を維持しているのは、間違いなくサーバーを管理している《レクト》だが、よりにもよってあのような男が責任者であるのは、2人にとって最大の不運だろう。

 悠人も明日奈もSAOでは圧倒的技術とレベルにより、最前線を駆ける攻略組だったのに対し、現実では無力な子供でしかない。彼等にはない富や地位、権力を武器として行使する須郷に立ち向かう力を持たない悠人は、歯痒い思いを抱いていた。無論、それは明日奈にも言える事だ。

 

「明日奈は、あいつの要求を呑むつもりなのか?」

「そんな訳ないじゃない! 私はキリト君と一緒にいたい。キリト君以外、あり得ない」

「それを聞いて安心したよ」

 

 聞くまでもない事だとわかっていたが、即答した明日奈の言葉と、そこに込められた強い意志は、悠人の決意をより一層強固にした。悠人は無意識に微笑する。

 

「なら、ここはひとつ、オレ達に何が出来るか模索してみないか? 具体的に何が出来るかは自分でもわからないけど、一先ずはやれる事をやって、精一杯足掻いてみよう。ちなみに、ついさっきオレが信頼できる人間に連絡をとって、手掛かりがないか探してくれるよう協力を要請しといた」

「信頼できる人?」

 

 ただの思いつきとはいえ、SAO内部の情報と引き換えに、ナーヴギアと親しい人間のリアル情報を取り引きしたのは正解だった。当初はオフ会でも開いて再会するのが目的だったが、それより一足早く、悠人は数少ない大人の友人である彼に連絡をとっていた。

 

「明日奈もよく知ってる奴だよ」

 

 このやり取りの約3時間後、悠人のもとに連絡が入り、翌日に落ち合う手筈となった。




序盤なので展開遅め。
ALOにダイブするのは、おそらく次の次くらいです。


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第57話 画策と思惑は水面下で動き出す

 

 和人がSAOに囚われ、二度と言葉を交わす機会が失われたと思った時、桐ヶ谷和人の妹――正確には従兄妹――である桐ヶ谷直葉(すぐは)は、酷く後悔した。意図的に距離を取っている和人に対し、何故もっと自分から歩み寄らなかったのか、と。不意に兄の下へ舞い降りた災厄は自分達兄妹の間に広がる溝を深め、これが決定打となって永遠の別れに繋がるのだと思い込みもしたものだ。

 だが、和人が仮想世界の虜囚となってから1ヶ月、半年、1年と過ぎていき、さらにはゲーム内のログから兄がSAOプレイヤーの中でも最前線を突き進む《攻略組》であると、総務省のSAO対策本部の人物から聞かされた時、抱いていた不安は霧散し、幾らか心が軽くなったのを直葉はよく覚えている。兄が現実世界に戻るため懸命に戦っている姿を想像すると、心なしか勇気を貰えた気もした。

 それから程なくして、母親である桐ヶ谷(みどり)から、自分と和人は血の繋がった兄妹ではなく、本当は従兄妹だと知らされたのだ。

 その頃だろうか。直葉が和人に向ける感情の正体に疑問を抱き、ほどなくして自覚したのは――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 携帯端末を片手に、あらかじめ聞いておいた住所をインストールしてある地図アプリで調べながら、悠人は歩を進める。端末に表示されている場所目掛けて最短ルートを行くと、さほど時間をかけず目的地に到着した。

 

「ここか」

 

 台東区御上町のごみごみとした裏通りに面している、黒い木造の建物。外観は(すす)けたような色合いをしており、一見するとここが喫茶店兼バーであるとわからず素通りしてしまいそうになるが、入り口の小さなドアの上に造りつけられている2つのサイコロを(かたど)った金属製の飾り看板には、しっかりと店名が刻まれていた。名を《Dicey Cafe(ダイシー・カフェ)》というらしい店の前が、悠人の現在地点である。

 ドアノブに手をかけて開けると、来客を知らせる乾いたベルの音が店内に響く。テーブルが4つにカウンターがあるだけで、お世辞にも広いといえないが、木造の店内は調度のとれた艶を纏っているため、それだけ手入れが行き届いているのが見てとれた。ここの店主が2年も眠っている間、奥さんが1人で店を守っていたという話だが、これなら店の雰囲気を好んで常連客が定着するのも納得である。

 しかし、今はまるで貸し切り状態であるかのように客が1人もいない。いたのはベルの音を聞いてカウンター奥から悠人に笑みを送る、禿頭(とくとう)でアフリカン・アメリカンの巨漢だけだった。

 

「よお。待ってたぜ」

「よっ! 久しぶりだな」

 

 初見だと彼の体格と強面に圧倒されるかもしれないが、デスゲームに囚われている間も交流があったため、人の良さは知っている。臆する必要のない悠人が店内に一歩足を踏み入れると、そのまま《Dicey Cafe(ダイシー・カフェ)》店主、アンドリュー・ギルバート・ミルズ――SAOではエギルと名乗っていた――という男のいるカウンターまで歩み寄った。

 

「まさかリアルでも店を持っていたとはなぁ」

「こっちに戻った時は正直諦めていたんだが、うちの奥さんは優秀でな。全くもって頭が上がらねぇよ」

 

 そう言ってエギルはスキンヘッドの頭をガシガシと掻いた。

 

「ところで折角来たんだ。何か頼んで店の売り上げに貢献しろ」

「そっちこそ、お得意様ってことでサービスしてくれよ」

「まずは注文を貰ってからだ」

「む……。なら、コーヒーを頼む」

「OK。サンドイッチでいいか?」

「あぁ、サンキュー」

 

 エギルが悠人に背を向けてからさして時間を要せず、サンドイッチと温かいコーヒーが彼の前に置かれた。

 コーヒーを一口飲んだ後、悠人はサンドイッチを頬張りつつ、ポケットにある携帯端末を取り出し、おもむろに操作をし始める。ものの数秒で画面上には一枚の画像が表示されるが、それをエギルに見せて彼を問いただした。

 

「急な頼みだったのに、引き受けてくれてありがとな。……それで、これは一体どういう事だ?」

 

 端末に表示されているのは、エギルが悠人に送った1枚の画像だった。

 木の枝に囲まれた黄金の鳥籠があり、その中には1人の人物が写し出されていた。元々写真に写っていた大きさでは小さかったため、限界まで引き伸ばした結果、画像は粗くなってしまったが、それは間違いなく人だった。しかも、彼らにとって見慣れた人物であるというおまけ付きだ。

 

「見ての通りさ。そこに写っているのはキリトだ……多分」

「キリトだよなぁ……多分」

 

 鳥籠の中で不貞腐れて不満を露わにしているのはキリトである……と、2人が確信を持って言えないのは、その容姿が原因だった。

 その人物は整った清楚な顔を持ち、肌は映える程に白い。特徴的なのは背中にかかるぐらいの長髪で、闇を映したかのように黒く、何処からどう見ても小柄な少女にしか見えない……が、顔立ちはSAOで散々顔を合わせたキリトそのものだった。

 あいつに女装趣味なんてあったっけ? などという疑問は頭の片隅に押しやり、悠人は現実的な疑問を口にした。

 

「ところで、これはどこで撮られたやつなんだ? 見た所ゲームの中っぽいけど」

「お前の言う通り、そいつはゲームの中だ」

 

 そう言うとエギルはおもむろに身を屈め、カウンターの下に置いてあった小さい箱を取り出し、悠人の前に差し出した。

 箱のパッケージ中央やや上には満月があり、それを見上げるのは生い茂る木々に囲まれ、背中に薄い羽根を持つ2人の男女。そしてパッケージ中央には《Alfheim Online》と表記されていた。

 

「この、えーっと……アル……《アルフヘイム・オンライン》ってやつの中で撮られたのか」

「正しくは《アルヴヘイム・オンライン》だそうだ。SAOに迫るグラフィックに加え、『フライト・エンジン』とかいう機能を搭載しているから、実際にゲーム内で『飛べる』らしい。今最も人気のゲームなんだが、どスキル制のPK有りだ」

「ふ〜ん……内容はヘビーユーザー向けだけど、『空を飛べる』っていうでっかい魅力があるから、みんながとびつく、と」

 

 『空を自由に飛び回る』感覚は、羽根を持たない人間には決して味わえないが、ゲームの中でその感覚を体験できるのなら、一度試しにやってみようと考える人も多いだろう。事実、たった今エギルから話を聞かされた悠人も、非常に興味をそそられた。

 

「まぁ初心者には難しいから補助スティックを使うみたいだが、慣れると補助なしで飛べるらしい。……っと、話が逸れたな。本題に戻るが、そいつは《アルヴヘイム・オンライン》、通称《ALO》の中にある《世界樹》とかいうデカイ樹の上で撮られたものだ。ちなみにその世界樹はSAOでいう迷宮区みたいなもんで、高難度なダンジョンの1つ、っていう位置付けらしい。そのダンジョンを突破して世界樹の上に行く事が、このゲームの最終目的なんだと」

「へぇ〜。……でもさ、わざわざダンジョンを攻略して正面突破しなくても、外周から昇れば良くないか? せっかく飛べるんだしさ」

「残念ながら、滞空制限の影響で樹の上まで飛ぶのは出来ないんだ。だが、何処の世界にも馬鹿な奴はいるらしくてな。『1人がダメなら複数はどうだろう?』って事で、5人で肩車をして多段式ロケットの要領で挑戦したらしい。1番下の奴が飛べなくなったら次の奴が飛んで、そいつが飛べなくなったら次の奴が……って具合にリレーで飛距離を稼いだんだ」

「何それ面白そう。色々と考える奴はいるんだなー。……それで、結果は?」

 

 奇抜なアイディアを浮かべて実行したその人物に対し、悠人は素直な感想を述べた。

 問題はその結果だが、悠人の疑問にエギルは首を横に振る。

 

「残念ながら、その方法でも届かなかったみたいだ。しかもその事に気付いた運営がすぐに対策をしたらしく、その方法はもう使えないらしい。ただ、今言った馬鹿な連中は一番下の枝まで行った証拠として、何枚も写真を撮ったんだが、その中の1枚に奇妙なものが写り込んでいた、と」

「それがこれか」

 

 悠人は画面上に映るキリトと思わしき少女をもう一度眺めた後、今度はエギルが差し出したALOのパッケージを眺めた。

 すると、再びエギルが口を開く。

 

「そっちの画像も中々興味深いんだが、実はもう一つ興味深い画像があるんだ」

 

 エギルが手持ちの携帯端末を取り出し、ある画像を表示させて悠人に見せた。そこに写っていた人物を見た瞬間、悠人は先の少女を見た時よりも大きな衝撃を受け、思わず椅子から腰を浮かせて立ち上がった。

 そこに写っているのは、黒いロングコートを纏っている黒髪短髪の少年。前髪は目にかかるぐらいの長さ、無表情で無愛想な印象を抱かせるが、その顔立ちは女の子に間違われることもあるだろう。

 だがそれ以上に目を引いたのは、その少年がまたしても悠人のよく知る人物であり、二本の剣を携えていること。その風貌は間違いなく、SAO攻略時のキリトだった。

 

「間違いない……耳が尖っているのと背中に羽根があるのは別として、こいつもキリトだ。もしかして、こいつもALOの中にいるのか?」

「察しがいいな。確かにその画像に写っているキリトもALOで撮影されたんだが、どうやらそいつはNPCらしい」

「NPC? こいつが?」

「あぁ。なんでも今、ALOではとあるイベントを開催しているんだが、そのキリトそっくりな奴は、イベントで討伐対象に指定されている敵の1人なんだ。ちなみにALOでは9つの種族がいるんだが、そいつは《スプリガン》っていう種族らしい」

 

 エギルの話を聞きつつ、悠人は現状についての考えを巡らせる。

 未だナーヴギアに囚われ続け、病院のベッドで眠り続けるキリト。

 樹上の鳥籠で見慣れた膨れっ面を晒す、キリト似の少女。

 そしてSAOの英雄《黒の剣士》と全く同じ装備で現在ALOに君臨している、キリトと瓜二つのNPC。

 偶然の一言では済まされない複数のピースは、何か大きな真実を指し示している。そんな懸念を抱かせるこれらの事象は、とてもじゃないが見て見ぬ振りをして通り過ぎる事が出来なかった。

 

(これは実際にダイブしして調べてみる必要が……)

 

 無意識のうちに再びVRワールドへと足を運ぶ頭になっていたが、それに気付いた悠人は、ふと茅場と交わした最後のやりとりを思い出した。

 

(あいつが懸念していたのは、これだったのか……?)

 

 なんの事だかさっぱりわからなかった茅場の頼みだが、今になって少しずつ現実味を帯びてきた。未だ全容は見えずにいるが、彼の言う『VRワールドを揺るがす由々しき事態』とはこの事だったのかもしれないと、悠人は思慮せずにいられない。

 面倒事を引き受けてしまったと思いはすれど、一度受けた頼みは投げ出さないのが、SAOの頃から続く彼のモットーだ。決意を胸に留めたまま、悠人は椅子から下りる。

 

「行くのか?」

「あぁ。実際にダイブして調べるのが手っ取り早いだろうし。明日奈にもこの事は伝えないと。……これ、貰ってもいいか?」

 

 悠人はカウンターに置いたままのゲームパッケージを指差し、エギルに問う。

 

「あぁ、構わんさ。持っていけ」

「ありがとう。取り敢えずこの……《アミュスフィア》? とかいう聞きなれない対応ハードを買わなきゃなぁ……」

「その点については心配いらんぞ。アミュスフィアはナーヴギアの後継機だが、ALOはナーヴギアでも動くらしい」

「それは助かる。わざわざ調べてくれてありがとな、エギル。それじゃあ、ご馳走様」

 

 悠人は財布から硬貨を取り出してカウンターに置くと、足早に出入り口の扉へと向かう。扉の取っ手に手をかけて開くと、乾いたベルの音が入店時と変わりなく店内に響いた。

 しかし、彼が店外に足を一歩踏み出そうとした瞬間、思い出したかのように立ち止まり、振り返ってカウンター奥にいるエギルを見た。

 

「ところで、この店見た感じ不景気っぽいけど大丈夫か? このままじゃ潰れるぞ」

「うるせえ、余計なお世話だ。それにこう見えて夜は繁盛してんだよ」

「さいですか」

 

 あの頃と同じ軽いやりとりを交わした後、今度こそ悠人は店の外に足を踏み出した。片開きの木製ドアが閉まる瞬間、彼の来店時と同様、退店時も乾いたベルの音が鳴る。そこからものの数秒で、店内は悠人が来る前と同じ静けさを取り戻した。

 

 悠人が店から出たのを確認し、エギルはポケットに入れていた携帯端末を取り出して少しばかり操作した後、端末を耳にあてる。通話したい相手を呼び出すコール音が5回目にさしかかる頃、離れた場所にいる相手の肉声が機械を通して聞こえてきたため、エギルは応答した。

 

「……あぁ、オレだ。頼まれた通り、伝えといたぞ」

 

 電話を継続しつつ、エギルはカウンターに残されたコーヒーカップと皿を手にとり、片付けを始めた。

 

「それにしても、なんだって役人がそこまであいつを……って、もしもし? ……切りやがった」

 

 通話相手は彼の報告を聞いた後、それ以上の会話も問答も必要ないと判断し、早々と電話を切ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……って事なんだけど……大丈夫?」

 

 ダイシー・カフェを出た悠人はその足でユキとキリトが入院している病院まで行き、あらかじめ明日奈と連絡してキリトの病室で落ち合うことにしていた。エギルから入手した情報を出来る限り簡潔に纏めて話してみたが、終始聴くことに徹していた明日奈に自分の伝えたい事が正しく伝わっているのか、その自信がいまいちない。よって一通り話し終えた悠人がまず最初にした事は、明日奈が理解できているのかの確認だった。

 

「えぇ、大丈夫。事情はわかったわ」

 

 だが、どうもそれはいらぬ気遣いだったらしい。

 SAOの頃から効率良く戦闘をこなしたり、的確な指示を飛ばしたりとなにかにつけて彼女の能力が高い事を示唆する出来事は多くあったが、加えて彼女は理解力も高い。悠人の説明はしっかりと呑み込めているようだ。

 

「流石だなぁ。オレはエギルに前もってある程度聞かされてたから良かったけど、今みたく一度にたくさん説明されたら理解が追いつかないかも」

「カイト君が噛み砕いて説明してくれたからよ」

「お役に立てて何よりです」

 

 小さくお辞儀をした悠人を見て、明日奈はくすりと笑みをこぼした。

 

「まだ先行きは不透明だけど、キリト君の居場所が分かっただけでも良かった。ありがとう」

「礼ならエギルに言ってくれ。この情報を教えてくれたのはあいつなんだから」

「そっか、エギルさんが……。今度お礼に行かなきゃね」

 

 何の情報もなく身動きが取れない状態から、ようやく一筋の光明が見えたのだ。前回会った時と比較し、明日奈の瞳には明らかな輝きが宿っていた。

 

「兎に角、今後の方針は決まったな。オレと明日奈でALOにダイブして、キリトがいるであろう世界樹を目指そう。行けばきっと何か分かるはずだ。道中でキリト似のNPCについての情報も、できる限り集めよう」

「うん。それに、ユキみたいな目を覚まさないSAOプレイヤーが帰ってこれる方法も、見つかるかもしれないしね」

 

 明日奈はキリトを、悠人はユキを。

 お互いに取り戻したい相手は、十中八九同じ場所で囚われている。そんな確信めいた自信が、明日奈にはあった。

 

(今度は私が君を助ける。待っててね、キリト君)

 

 静かではあるが、確固たる決意を胸に秘めつつ、明日奈は自らに誓いを立てた。

 

 

 

 

 

 そんな2人の会話は病院という静かな環境の場合、扉を隔てた部屋の外、廊下にいても耳をすませば聞こえるらしく、直葉は兄のいる病室の前に立ち、中から聞こえてくる会話をじっと聞いていた。盗み聞きをするつもりは毛頭なかったが、内容が彼女の興味を引くものであったため、つい耳をそばだててしまったのだ。

 

(お兄ちゃんが、ALOに……?)

 

 中から聞こえてきた言葉を、頭の中で反芻(はんすう)する。

 本来ならゲームの中に閉じ込められるなど馬鹿げた話ではあるが、兄はSAOに2年間も幽閉されていたのだ。今度は別のゲームに閉じ込められているという話は、直葉自身も驚くほどすんなり受け入れることが出来た。

 唯一彼女が驚いたのは、和人がゲームの中に幽閉されているという点ではなく、アルヴヘイム・オンラインの中に幽閉されているという点だ。VRMMOは今や数多くあるが、その中でも直葉が愛してやまない妖精の世界に兄がいるのは、なにかしらの運命を感じずにはいられない。

 

(世界樹を登れば、会えるかもしれない……)

 

 同じ家にいながら会話はなく、どこか距離を置いていたが、和人が昏睡状態に陥って以降、直葉は自分にとって和人がどれだけ大切な存在なのかを思い知った。

 近いがために気付きにくく、離れたからこそ気付かされた。和人との間にできた空白の期間を埋めるため、直葉は昔のような仲睦まじい関係に戻るべく、起き上がった和人と会話をしたかった。

 

(私がお兄ちゃんを助けなきゃ)

 

 SAOの頃のような、何も出来ずに待つだけの無意味な時間を過ごす必要はない。思慮する時間は、彼女にとってもはや不要。

 今度は自分の手で救い出すのだと決意を固めた直葉は、病室内に入ることなく、静かに踵を返す。

 その歩みは、心なしかいつもより力強かった。

 




鳥籠に囚われているキリト姫とNPCキリトの関係、エギルの意味深な電話。謎は少しずつ解明されていきますので、じっくりとお待ち下さい。
そして次の話で各自がALOにダイブします。カイトの種族は構想を練る段階で「これしかないなー」と思ってたやつです。
それはそうとして……番外編をどうしようか悩んでます。


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第58話 期待と不安と嬉しい誤算

 

 ゆっくりと腰を落ち着けてくつろぐ時間を確保できたのは、赤い夕焼けの名残が失われようとしている黄昏時。明日奈と病院で解散した悠人は、自宅の部屋にあるベッドに深く腰を下ろした。

 エギルの店とユキ&キリトが入院する病院を自転車で移動したので、少しばかり身体に疲労感が残っていたが、休憩もそこそこにし、ベッドの枕元に置かれたナーヴギアを手に取った。ほとんどの元SAOプレイヤーは総務省の役人にナーヴギアを回収されたが、悠人は外部から知ることの出来ないSAOの情報を提供する代わりに、親しかった人物の所在とナーヴギアの所有を菊岡に主張したのだ。双方共にメリットがあることに加え、菊岡はそこまで頭の固い役人ではなかったため、この取引は成立し、新品から一気に中古品へと成り下がった悪魔の機械は、今でも彼の手元に残っている。

 何故自分が無意識にナーヴギアを手放したくないと思ったのかわからなかったが、茅場の残した最後の言葉を疑いつつも、心の何処かでこの時が来るのを見越していたのかもしれない。

 

「さて、と……」

 

 手早く着替えを済ませてラフな格好になると、《アルヴヘイム・オンライン》のパッケージを開封し、ROMカードを取り出す。ナーヴギアの電源を入れてスロットにカードを挿し込めば、準備完了だ。

 悠人はナーヴギアを装着するとベッドに横たわり、シールドを下ろして一呼吸で眼を閉じた。

 

「リンク・スタート!」

 

 仮想世界の扉をノックする合言葉を呟くと、セットアップステージが1つずつ順を追って始まった。視覚、聴覚、体表面感覚へと移り、各種感覚の接続テストは問題なく進行していく。まどろっこしい事この上ないが、こればかりは致し方ない。悠人はじっと各種接続テストの終了を待った。

 そして最後の接続テストが終了すると、悠人はアカウント情報登録ステージに降り立った。ここではALOで使用するキャラクターの情報を設定する場所であるが、自由に設定できるのはキャラネームと妖精をモチーフにした種族ぐらいのもので、アバターの容姿と声はランダムに生成される。追加料金を支払えば再作成も可能だが、悠人にとってこの際容姿はどうでもよかった。

 SAOで名乗っていた《Kaito》をホロキーボードで入力した後、種族の選択に移る。ALOにいる妖精の種族は全部で9種おり、それぞれが得意分野――――言い換えれば、持ち味を有している。

 

 聴覚と飛行速度に()けた風妖精(シルフ)

 武器の扱いと攻撃力に長けた火妖精(サラマンダー)

 水中活動と高位の回復魔法に長けた水妖精(ウンディーネ)

 採掘と耐久力に長けた土妖精(ノーム)

 モンスターのテイミングと敏捷力、視力に長けた猫妖精(ケットシー)

 トレジャーハントと幻惑魔法に長けた影妖精(スプリガン)

 楽器での演奏と歌唱力に長けた音楽妖精(プーカ)

 武器の生産と細工に長けた鍛冶妖精(レプラコーン)

 暗闇での飛行と暗視力に長けた闇妖精(インプ)

 

 悠人は他のプレイヤーと同様、真剣にゲーム攻略に励んだり楽しむのが目的ではないが、やはり種族の特徴や色を見て自分の好みに合ったものを選びたいのだろう。キャラネームはすんなり決まったのに対し、種族選択は少しばかり考える素振りを見せた。各種族の説明を読み、少しずつ選択肢を絞っていく。

 

「やっぱオレは……これかな」

 

 熟考した結果、最終的に選んだのは水妖精(ウンディーネ)。決め手は好みの青を基調としている事と、種族の説明書きにある『高位回復魔法を得意とする』というものだった。

 全ての選択が終了し、女性の合成音声が旅立つ彼に祝辞を述べた。はじめたばかりのプレイヤーは必ず最初にホームタウンからスタートするのが決まりなので、悠人の場合はウンディーネ領からのスタートとなる。

 セットアップステージからウンディーネ領へと景色は変化し、世界は違えど、悠人は約2ヶ月ぶりにもう一人の自分であるアバター《Kaito》として仮想世界に降り立った。

 

「うわぁ……これはすごい」

 

 カイトの口から感嘆の声が漏れるが、それは無理もなかった。

 周囲を海に囲まれた巨大な島は中心地に向かって階段状にせり上がり、そこに海面を映したかのような澄んだ青白色で彩られた建物が建ち並んでいる様は、整然の一言に尽きる。整った顔立ちのアバターが多いウンディーネだが、住まう人がそうなら街も例外ではなく、両者はリンクしているらしい。

 さらに現在のALOは夜間ということもあり、街の至る所でポツポツと灯火が仄かに領土を照らしているが、夜深(よぶか)の空に浮かぶ満月が淡い月光を放っているため、人工と天然の光が街全体に絶妙なコントラストを生み出していた。

 第一印象としては、かつて浮遊城の第61層に存在した《セルムブルグ》に見劣りしない景観だ。現実世界ではまずお目にかかれない洗練さはチリ一つない仮想世界ならではだが、事前にエギルから聞いていた通り、ALOのグラフィックはSAOに匹敵すると言っても過言ではない。

 

「まずは情報収集からいくか」

 

 『情報を制するものは世界を制す』という言葉があるように、既知と未知の間には大きな差が存在する。その事を浮遊城で過ごした2年にわたって嫌という程思い知らされたカイトは、手始めに街を散策しつつ、この世界を知る努力を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄金色に輝く長髪を後ろで束ねたポニーテールが《スイルベーン》に入り込んだ風に揺らされ、静かになびく。豊満な胸と整った顔立ちは、男性プレイヤーなら誰もが目を引かれる程だが、今はその可愛らしい顔に浮かぶ表情は影がかかっている。シルフの中で5本の指に入る実力を持ち、《シルフ五傑(ごけつ)》と評されるリーファ/桐ケ谷直葉でさえも、今後どう動くべきなのか悩み、頭を抱えていた。

 

 意図せず盗み聞きする形になってしまったが、SAOに囚われていた兄が今度はALOにいる可能性があると知り、いてもたってもいられなかった彼女は、帰宅するやいなやアミュスフィアを装着してALOにダイブした。遥か遠い世界樹を目指し、《スイルベーン》で最も高度を稼げる塔に向かおうとしたのだが、そこでリーファはある問題に気付いて足を止め、今に至る。

 それはずばり、『果たして単独で世界樹までの道のりを行けるのかどうか』という事だが……その答えは考えるまでもなく明白だった。

 随意飛行をマスターし、幼い頃から続けていた剣道の影響で優れた剣技を有する彼女でも、その道のりは険しいと言わざるをえない。比較的安全なルートを選択したとしても、避けずに通らなければならないダンジョンは当然あるし、モンスターの襲撃もあるだろう。運が悪ければ、遭遇したパーティーにPKされる可能性もある。

 だが今は、通常のモンスターや一般プレイヤーよりも絶対に遭遇を回避しなければならない対象がいる。それは現在進行中のイベント《(いにしえ)災禍(さいか)》でALOを徘徊している、各種族につき1体いるイベントNPCの存在。リーファが実際に目にしたことはないが、相当に高いステータスのNPCだというのは、風の噂で耳にしていた。

 とは言うものの、イベント開始当初いた9体のNPCは着実に数を減らし、現在生存が確認されているNPCの種族はスプリガンのみ。遭遇率は格段に下がっているため、そこまで懸念するものでもないが、時としてドロップ率0.01%以下のレアアイテムが一発でドロップしたり、武器強化率95%でも失敗することが往々にしてあるゲームの世界では、一般的な確率論で推し量れない現象がよくあるのだ。

 

「う~ん……」

 

 腕を組み、右手の人差し指でこめかみを押す。

 パーティーを組んで狩りをする機会が多い、シルフ領主サクヤの右腕、シグルドに協力を頼む案が浮かんだが、利己主義の彼がリーファの私的な用事に快く首を縦に降るとは到底思えない。あり得ない。絶対に。

 

(……あぁ、そういえばレコンもいたなぁ……)

 

 ふと、リーファにALOを紹介してくれた現実世界の同級生であり、気弱な顔立ちのレコンがいたことを思い出した。飛ぶ楽しさを知るきっかけを与えてくれた彼には感謝しているが、仮に道中でプレイヤー戦が勃発すれば、はっきりいって役に立たないだろう。シグルドに同行を頼むのと同じくらい、彼には大規模な戦闘において多大な期待を抱けないからだ。

 だからこそ、リーファは無意識のうちにレコンを旅路の仲間候補から除外していたので、彼女の前方から大手を振って近付いてくる彼を見るまで、その存在を忘れていたのだ。

 

「ごめん、遅れて。もしかして待った?」

「別に待ってないわよ。ついさっき来たところだし」

 

 そんな彼女の心中など知る由もなく、レコンはいつものあどけない表情を浮かべた。

 身長はリーファよりも若干低く、容姿は若干の幼さを有している。ただでさえおかっぱ頭に線の細い体格という見た目だけで頼りない印象を抱かせているのに、話し口調と表情が更なる拍車をかけていた。ゲームの中でくらいは、屈強な肉体を持つアバターに恵まれても良い筈だが、出来上がったのは現実の彼、長田慎一(ながたしんいち)を転写したかのようなアバターだった。

 ただ、ゲームの世界でいう見た目は単なる記号みたいなもので、ひ弱そうなのにSTR値が高い、あるいは筋骨隆々としているのにAGI値が高い、というのも往々にしてある。

 だが、レコンは見た目から抱く予想の範疇を大きく逸脱しない、第一印象そのまんまのステータスだった。古参であるためALOに関する知識等はあるが、ALOプレイ歴と実力は比例していない。

 

「どうしたの、リーファちゃん? 僕の顔に何かついてる?」

「別に……」

 

 うん、やっぱりレコンはない。絶対にない。寧ろレコンと行くぐらいなら1人で行くのがマシだ――――という辛口評価を彼に悟られないよう、リーファは内心で下した。

 

「レコン。急で悪いんだけど、この後の狩りはキャンセルするわ」

「えぇ!? な、なんで?」

「えーっと……ちょっと領地を出て世界樹に行こうと思って」

「世界樹? なんで?」

「用事というか、確かめたい事があるというか……兎に角、会いたい人がいるのよ」

「会い、たい……そ、それって」

 

 レコンは焦燥に駆られたような表情になり、リーファに歩み寄る。手を伸ばせば届くような距離にまで近づくと、彼は彼女に問い詰めた。

 

「もしかして、他の男じゃないよねっ!?」

「……はぁ?」

 

 レコンの引っかかる言い方にリーファは首を傾げるが、彼への返答は1つ。

 

「なんであんたがそんな事気にするのよ。というか、『他の』って何?」

「そりゃあ気にするよ! だ、だって僕は……」

 

 どこか様子のおかしいレコンは、リーファとの距離をさらに一歩分詰める――が、その前に彼女は背中の翅を素早く展開し、垂直方向に浮上してレコンの接近から距離をとった。

 

「ちょ、ちょっとリーファちゃん! 最後まで話を……というか、まさか1人で世界樹まで行くつもり!?」

「周りで頼めそうな人はいないし、何よりこれは私の私的な用だから。大丈夫。領地にはすぐに戻るから」

「な、なら僕も一緒に」

「レコンは弱いから嫌」

「うぐっ……」

 

 容赦ない言葉に反論が浮かばず、レコンは声を詰まらせた。

 

「わがまま言ってゴメン。でも、これはやらなきゃいけない事だから。シグルドにもそう言っといて」

 

 空中で停止していた身体の向きを変え、翅から漏れる燐光を散らしつつ、リーファは飛行を開始した。

 

「ちょ、ちょっとリーファちゃん! リーファちゃ〜んっ!!」

 

 名を呼ぶレコンの声が遠くなるのを聞きつつ、リーファは領地内で最も高い建造物の屋上めがけて上昇した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カイトがウンディーネ領に足をつけるほんの数分前、彼と同じ目的を抱いて妖精の世界に舞い降りた1人の少女が、一足早くALOに訪れていた。

 

「これが、この世界の私かぁ……」

 

 頬に手を添えつつ、人気のない路地裏に設置されたガラスに反射して映る、自分の容姿を見つめる。

 背丈は現実よりも少しばかり高く、艶やかな青い髪は風に揺られてなびくポニーテールになっていた。大きな目、整った鼻梁、薄い唇を持つ顔は儚い印象を抱かせるが、それがまた彼女の容姿をより一層際立たせている。それこそが、ALOにおける《Asuna》というアバターの姿だった。

 ランダムに構成されるアバターの容姿としては当たりの部類であるが、アスナにとって顔の良し悪しはこの際どうでもよかった。目的はこの世界に囚われているであろうキリトを見つけ出し、今度こそ現実世界へ戻ることなのだ。物見遊山(ものみゆさん)でALOにダイブしにきた訳ではない。

 事前に悠人から得た情報では、この世界の中心部にある世界樹なる場所にいる可能性が高いとのことだった。アスナは進むべき道を確認するため、マップデータを開くために右手を振り下ろす。

 

「……あれ?」

 

 しかし、彼女の思い描いていた現象は起こらなかった。

 SAOのようにシステムメニューを開くため、右手を振ったのだが、出てくるはずのウィンドウが展開されない。

 

(ま、まさか……開始早々バグ?)

 

 何度振っても彼女が期待する現象は起こらない。

 落胆しかけたその時、脳裏に浮かんだある可能性を信じて、今度は左手を振り下ろした。

 

「あっ」

 

 右手では何の反応も示さなかったのに対し、左手で振り下ろした事で空中に半透明のウィンドウが展開される。まごう事なきシステムメニューが表示され、アスナはほっと胸を撫で下ろした。

 予期せぬ最初の関門を突破してマップデータを確認した後、この世界における自身のステータス画面を表示した。HPとマナ――SAOでは見慣れなかった『魔力』――の値を見て、所持金に目を移す。

 

「ううぇえぇぇっ!!!!」

 

 女性らしからぬ驚愕の声を上げたのは、ゲームを始めたばかりではあり得ないような額が、彼女の懐を十分すぎる程に暖めていたからだ。それこそ、一等地に城を建ててもおかしくないような額が。

 

「や、やっぱりバグなんじゃ……」

 

 釘付けになっていた所持金の多さから、今度は未設定の筈であるスキル欄に視線を移すと、やはりこちらもおかしい事に気付く。既に幾つかのスキルがスロットを埋めており、熟練度も相当に高い。スキルによっては完全習得(コンプリート)にまで達しているものもあった。

 

(でも……これって……)

 

 ただ、その各種スキルにあっては、アスナにとって見慣れた名称だった。

 《細剣》、《料理》、《疾走》、《軽金属装備》等々、そのどれもがSAOで彼女のスキルスロットを埋めていたものばかり。所持金の多さと相まって、アスナの脳裏に1つの仮説が浮かんだ。

 

(まさか、SAOのデータを引き継いでいる……?)

 

 この不可解な現象を説明するには、最早それしか思い浮かばない。 そして所持金とスキルが引き継がれているのならば、もしかしたらアイテムも――。

 

(こっちはダメ、か)

 

 ――という期待は叶わず、どれもが文字化けをしていてとても使えそうにない。《ランベントライト》やキリトとお揃いの指輪がストレージの何処にあるのか、今となっては判別できなかった。

 アイテムに関しては諦めようとした……その時、アスナの全身に稲妻が走ったかのような閃きが舞い降りた。意味を持たない文字列のアイテムを指で走らせ、目を皿のようにして目的のものを探す。

 

(お願い。あって……お願い)

 

 そんな彼女の願いが通じたのか、アスナの指がピタリと止まった。思わず指先が震え、左手で口許を押さえると、目頭が熱くなるのを感じた。今、彼女の瞳に写っている文字列は、確かにそこにある。

 

 《MHCP001》。

 

 それこそが、アスナが探し求めていたものだった。

 震える指先の照準をなんとか定め、文字列をタップ。アイテムが実体化し始め、淡い光を放つと、アスナの掌に滑らかな曲線にカットされた涙型のペンダントが実体化した。

 

「ユイちゃん……良かった、本当に……」

 

 涙混じりの声で呟いたその名は、キリトとアスナにとっての『娘』という存在であると同時に、人工知能《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》――――通称《MHCP001》でもある。

 

 通常のゲームであれば、NPC、モンスターやその他のプログラムは人の手によって管理されるのだが、SAOは外部からの干渉を一切受け付けないブラックボックスのような存在だった。にも関わらず、SAOはエラーの類が起こらず、ゲームシステムは問題なく機能していたのだが、その理由は人の手を介さず、自ら判断してシステムの制御を行っていた《カーディナル》というシステムの存在が大きい。

 《カーディナル》は2つのコアプログラムが相互にエラー訂正を行い、システムに異常が発生してもすぐに調整を施すことで、浮遊城アインクラッドの均衡を保っていた。アインクラッドの創造主が茅場晶彦だとすれば、世界の管理者は《カーディナル》といっても過言ではない。

 しかし、そんな高度なプログラムを有する《カーディナル》でも、干渉できない分野があった。それこそが、『プレイヤーの精神面に関する問題』である。

 この問題に対し、複雑に揺れ動く人の心を《カーディナル》に全て委託するのは荷が重いと判断した開発スタッフは、人の心をパラメータ化し、その人物の元へ行って話を聞くといったカウンセリングを行うAIの開発に至った。その結果生み出されたのが、《ユイ》なのだ。

 

 ユイは本来であればプレイヤーの心のケアをする役割を担っていたが、デスゲーム開始宣言によって絶望に満ちたプレイヤーの心を多く読み取ってしまったため、多重エラーを抱えて機能を停止。カーディナルの下した命令によってプレイヤーに接触する事も出来ず、本来の役目を果たせずに約2年の歳月を無意味に過ごした。

 しかし、キリトとアスナの温かい空気を読み取り、自分が何者なのかを忘れながらも彼らと接触。幼い姿のユイを優しく出迎えてくれた彼らと共に時を過ごし、いつしか本当の家族となったのだ。

 途中、記憶を取り戻してカーディナルに消去されかかったが、キリトの咄嗟の機転によって辛くもその難を逃れ、ユイはキリトのナーヴギアにあるローカルメモリに保存された。

 

「ユイちゃん……」

 

 あまりの嬉しさに、アスナの頬を一粒の涙が伝う。光る雫は落下し、アスナの掌にあるペンダントを濡らした。

 

 ――そして――

 

 次の瞬間に起こった現象は、アスナにとって嬉しい誤算だった。




……という訳で、カイトの種族はウンディーネでした。何の捻りもないですが……。

ウンディーネ領の景観は独自設定です。文中にもありますが、《セルムブルグ》に限りなく近い街並みをイメージしています。


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第59話 剣の勝負と心の勝負

 

 アスナが歓喜に震えていた頃、同時刻にウンディーネ領のとある場所で、カイトは驚愕の声を上げていた。

 一通りの簡単な散策を終え、何気なく見た自身のステータスウィンドウの所持金とスキル熟練度が、あり得ない数値を表示していたからだ。

 

(いや……まぁ、助かるけどさ)

 

 あまりの金額とスキル熟練度に一瞬だけ冷静さを失ったが、これだけあれば必要アイテムや武器の心配をする必要はなくなった。フィールドや近場のダンジョンに徹夜でこもり、資金の調達等々の過程を大幅に省くことができる。

 頭を切り替えたカイトは、NPCショップで各種アイテムの補充を行い、次いで初期の頼りない装備から店売りの中でも品質の良い装備に変更した。武器は使い慣れた片手剣を選び、防具は蒼穹を写したかのような色合いのロングコートを選択。一度で全ての装備を変え、気分は順調に右肩上がりとなっていたカイトだったが、装備変更した自分の姿を一目見ようと、店に設置されている姿見を覗き込む。

 この瞬間、彼のテンションが若干下降修正した。

 

「これが、オレ……?」

 

 大きな猫目、薄い唇、筋の通った鼻梁、きりっとした眉に、前髪は少しだけ目にかかり、全体的な髪型はリアルの彼よりもやや長め。

 男性と女性の特徴を両方兼ね備えているからか、どっちつかずの中性的な顔立ちは、人によって初見の性判断を迷うところだろう。加えて大人になりきれていない少年のような幼さを宿しているため、見た目は完全に思春期の中学生相当だった。

 

「せめてゲームの中でくらい、カッコイイ勇者顏にさせてくれよ……」

 

 その願いはシステムに届くことなく、儚く散った。

 

 その後5分間しっかりと落胆した後、カイトは気を取り直して再び領地を歩き出す。

 とりあえずはシステムメニューを起動し、ALOの全体図を図示したワールドマップを展開する。細かなダンジョンまではわからないが、各種族の領地やフィールドはこれで十分こと足りた。当然、地図の中心にある世界樹の位置は、これではっきりと見てとれる。

 

「世界樹は……ここから西の方角か」

 

 マップデータを見る限りだと、どうやらウンディーネ領から湿地帯を通り、《虹の谷》を抜け、そこからさらに進んでようやく世界樹に到達できるらしい。具体的な距離は不明だが、進むべき進路は判明した。

 一通りの情報収集を終えたカイトだが、あと1つ、彼にはネックになっていることがあった。

 

「問題は飛び方、だよなぁ……」

 

 空を飛ぶことはALO独自のシステムであり、たとえフルダイブ型VRMMO歴が2年のカイトでさえも、これに関してはどうしようもない。熟練のプレイヤーに教わるという手もあるが、生憎彼にそんな知り合いもいないため、初心者用のマニュアルを参照して自力でやるしかないと結論付けた。

 ALOにおいて暗黙のルールなのか、周囲をざざっと見渡す限り、領地内で飛行しているプレイヤーはいない。万が一にも他のプレイヤーから顰蹙(ひんしゅく)をかうのが嫌なので、カイトは領地内の飛行訓練場で練習しようかと考えた。空中戦闘はこの先幾度となくあるだろうし、ある程度は慣れておく必要がある。

 

「いい加減にして下さい!」

 

 (かす)かに、だが、確かに聞こえたのは、強い拒絶を含んだ声。カイトは辺りを見回すが、周囲の人々は他のプレイヤーと談笑したり、ショップのアイテムや武器を見るのに夢中で、今の声に全く気付いている様子がない。そもそも、彼の聴覚が感知した音の小ささからして、少し離れた場所から発せられたのだろう。

 声が発せられた方向へと視線を向け、暫しの間逡巡した後、無意識に足が動き出す。その歩みは少しずつ速くなり、いつしか彼は走り出していた。

 

(あ〜ぁ、結局こうなるのか)

 

 好奇心とは違う。かと言って、使命感があるわけでもないし、助ける義理もない。脳が反射した結果だ。

 これは強いて言うならば…………そう。

 かの浮遊城で長きにわたり、芽生え、育み、培ってきた――。

 

 ――ただの『おせっかい根性』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辿り着いた場所は、人気のない路地裏だった。

 大人3人が肩を並べて通るにはギリギリの幅であり、左右に屹立(きつりつ)する青白色の建物からは、圧迫感を否が応でも感じてしまう。街灯の類は一切ないため、月明かりで照らされた路地裏は薄暗くて若干見えにくいが、カイトは目測で10メートル先にいるウンディーネのプレイヤー4人を確認した。

 ポニーテールの女性プレイヤーが抗議の声を荒らげており、長身短髪で両手剣を背負った男性プレイヤーが、そんな彼女の前を塞ぐようにして立っている。女性の態度とは異なり、男性プレイヤーが飄々(ひょうひょう)とした態度をとっているのが印象的だった。

 そして女性の後方には男2人が並んで立っていて、1人は大槍を、もう1人は腰に片手剣を携えており、女性1人を男性3人で囲うような陣形をとっていた。

 

「そこをどいて下さい。これはマナー違反ですよ」

「まぁまぁ。そんな怒らないでさ。見た所始めたばかりの初心者(ニュービー)みたいだし、知らないことも多いでしょ? 飛ぶコツとか、色々教えてあげるからさ」

「結構ですっ!!」

 

 この短い会話だけで、カイトはこの場の状況を大まかに察した。要は、絶対数の少ない女性プレイヤー――しかも初心者(ニュービー)――に対し、ALOの知識や技術の手ほどきをするという口実で近付いたナンパだ。ネットゲーマーの中には仮想世界で出会いを求める者が少なからずいるので、そこまで珍しい光景でもない。

 ただ、彼等は複数人で取り囲んで相手を一歩も動けなくする、《ボックス》という悪質な非マナー行為を行っている。街の内部では、犯罪防止コードと呼ばれるシステムが働いているため、その影響でプレイヤーを無理矢理移動させる事は出来ない。これを利用し、彼等は彼女をこの場に留まらせ、諦めるのを待っているのだろう。

 

(まったく、その根気の良さを他事にまわせよ)

 

 という感想と共に、カイトは嘆息した。

 

「ママを困らせるのはやめて下さい!」

(……ママ?)

 

 ここで、美しい響きを持つ声が聞こえた。

 カイトがよく目を凝らすと、女性の肩には小さな妖精が立っており、男性プレイヤーに向かって必死の抗議をしていた。背丈は10センチ程で顔は見えないが、ライトマゼンダの、ミニのワンピース姿で、背中には半透明の翅が2枚生えているようだ。

 

「マ、ママぁ? 《ナビゲーション・ピクシー》って持ち主の呼称も変えられるのか?」

 

 どうやら小さな妖精は《ナビゲーション・ピクシー》と呼ばれるものらしい。単純に直訳して意味を考えると、『案内する』役割を担ったプレイヤーのサポート的存在なのだろう。

 そしてカイトが様子を伺ってから今に至るまで、男達が場を立ち去る様子は見受けられない。あの諦めの悪さは、呆れを通り越して寧ろ賞賛に値する。

 とはいえ、褒められた行いでないのは確かだし、ここまで来て見て見ぬフリをするつもりもない。物陰に隠れるのを止め、姿を晒け出し、ゆっくりと歩み寄って声をかけた。

 

「そこのおにーさん達」

「あぁ?」

 

 柔らかな物腰で話しかけていた口調が一転し、訝しむ声には敵意が混ざっていた。声には出さずに内心で『うわー、わかりやすーい』等と呟き、カイトはもう一言付け加えた。

 

「その人もなんだか迷惑そうにしてるしさ、やめてあげたら? あんまりしつこいと逆効果だしさ」

「誰だお前? 俺はこの子と話してるんだよ。関係ない奴はあっちいってろ」

 

 呼びかけた際の返事である程度予想出来ていたが、聞く耳を持ち合わせてはいないようだ。カイトの経験上、この手の輩に正論は通じないし、説き伏せるのは難しい。

 

「いや、でも」

「あーもう、五月蝿(うるさ)いな。お前ちょっと黙ってろよ」

 

 そう言って足を一歩前に踏み出したのは、大槍装備が印象的なプレイヤーだった。背負っている武器を片手で抜き取り、切っ先をカイトに向けると同時に迫る。両手で強く持ち手を握り、自分の身体に引き付け、大きく踏み込んで大槍をカイトの胸へと突き出した。大槍の持ち主は鋭利な槍の先端が接触する未来を思い浮かべていたのだろうが、カイトは身体を横にスライドし、最小限の動きで突きを回避。切っ先が虚しく宙を貫く。

 

「――――ふっ!」

 

 回避から間を置かず、カイトは攻撃に転じた。

 買ったばかりの片手剣を背中から抜くと、相手の腹部目掛けて剣を水平に振る。接触の瞬間、派手な音と火花が薄暗い路地裏を満たし、カイトは強烈なインパクトの発生によって相手を吹き飛ばした。

 

「――あがっ!?」

 

 思わぬ反撃に対処出来ず、相手は姿勢を正せずに尻餅をついた。

 ここはウンディーネの領地内であり、加えて攻撃した側とされた側のプレイヤーはどちらもウンディーネだ。もしもカイトが攻撃した相手の種族がウンディーネ以外だった場合、瞬く間にHPは急下降し、尻餅をつく前に《リメインライト》と呼ばれる蘇生待機状態の炎と成り果てていたことだろう。

 この状況を見ていた相手の仲間2人も、カイトに対して警戒心を強めたのか、先程までの余裕ある表情が瞬く間に険しくなった。眉間に寄った皺の深さが、その心中を物語っている。大槍の男が地面につけていた尻を浮かせ、立ち上がって身構えると、相方らしき両手剣の男も背中から抜剣した。

 

「くっそ…………」

「おい、挟み撃ちにするぞ!」

 

 言うや否や、両手剣の男が背中の羽根を展開して飛ぶと、カイトの背面に回り込んだ。地面に足をつけて羽根をしまうと、もう一度大ぶりな剣を構える。

 

「さっき一発貰っちまったからな。倍以上にして返してやるよ!」

「安心しな! どんだけ喰らってもHPは減らねぇんだからな!」

 

 2人は言い終わると同時に武器を振るうため、直線上にいるカイトに突っ込んだ。大槍の男は先程と同様に突き技を、両手剣の男は上段からの垂直切りを繰り出すため、お互いがお互いの適した予備動作をとる。

 逡巡したのも束の間、カイトが先に対処すべきと判断したのは大槍の男だ。幅の狭い路地裏だと、形状の大きな武器で実行出来る攻撃パターンは限られる。その上、攻撃の軌道が『線』である剣に比べ、『点』の槍は判断を誤らずにタイミングを合わせられれば、回避が容易だからだ。

 夜の冷気を含んだ空気を肺に取り込み、頭をクールダウンさせると、ピタリと自分を照準している穂先ではなく、相手の目に意識を集中させる。そこからコンマ数秒後、相手の目がカッと見開かれたのを見逃さず、カイトは身体を沈めて斜め右方向に前傾させた。鋭利な穂先がカイトの左肩口数センチ上を通過すると共に、槍の持ち手を掴み、前へ進もうとする運動エネルギーを利用して片手の一本背負いを繰り出す。

 

「うおっ……りゃあっ!!!!」

 

 全身をバネのようにしならせ、無駄なく力を伝えて放り投げると、大槍の男は宵闇の宙を舞う。一瞬の出来事に理解が追いついていない様子で、それは相方も同様だった。ついカイトから視線を外し、投げられた仲間を目で追ってしまうが、その隙はカイトにとってこの上ない好機だ。

 カイトから目を離した両手剣の男に向かって疾駆すると、剣を左肩に担ぎ、身体を前に倒す。完全に倒れる寸前で利き足に力を込め、地面を強く蹴ると、担いでいた剣を思いっきり相手に突き出した。数え切れないほど多用し、身体と脳に染み付いたアシストなしの片手剣突進技《レイジスパイク》は、相手の胸部に吸い込まれていった。

 

「うわあっ!?」

 

 両手剣の男は掲げた剣を振り下ろすことなく、勢いよく後方へと弾き飛ばされた。さらに、一本背負いで投げられた男の上に重なるような形となったため、その様子はアメリカのカートゥーンを連想させる。

 一瞬にして2人をいなしたのが信じられないとでも言うように、女性をナンパしていた男は口をあんぐりと開けていた。たった今いなしたばかりの2人を一瞥すると、カイトは残りの1人に向き直る。

 

「オレとしては穏便に事を済ませたいから、積極的に手を出すつもりはないんだけど……どうする?」

「わ、わかった! よくわかった! 今すぐ消えるから! それで良いよな? な?」

 

 デスペナを受ける心配はないが、攻撃の際に発生するノックバックだけでも相当に痛いし、やりようによっては恐怖心を植え付けることだって出来る。その事を充分に理解しているであろうナンパ男は、一目散に仲間の元へと駆け寄り、全員が逃げるようにしてその場を後にした。

 暗闇に溶けて消え去ったのを見送ると、カイトは取り残された見知らぬ女性に近付く。

 

「いや〜、物分かりのいい人達で助かったよ。向こうがむかってきたら実力行使でもしようかと思ったけど、その必要はないみたいだったし。……というか、こんな人気のない所で女の子1人は危ないよ。道に迷った? それとも、何かのクエストでここにいたの?」

 

 軽装の少女に語りかけるも、返答はない。カイトは突然の出来事に頭が追いついていないのだろうと思ったが、どうもその顔色には、驚愕以外の何かが含まれている気がしてならなかった。

 

「えっと……聞いてる?」

 

 少女を覗き込むようにして様子を伺おうとしたが、不意に発せられた一言で、カイトはその動きを途中でキャンセルした。

 

「……もしかして…………カイト、くん……?」

「………………えっ?」

 

 まだ名乗ってすらいないのに、自身のキャラネームをピタリと言い当てられ、動揺で固まってしまった。『いえ、違います』と言えればよかったのだが、咄嗟の事で機転を利かせられず、何も言い返さない彼の様子はズバリ肯定しているとみてよいだろう。

 質問した少女はカイトが否定の意を示さないため、Yesと捉えると、一気に親しみを込めた態度になった。満面の笑みを浮かべる様は、見知らぬ世界に来てようやく知り合いを見つけたかのような安堵感を含んでいた。

 

「あぁ、やっぱりカイト君だ! 私よ。アスナよ」

「………………え?」

 

 聞き取った言葉を頭の中で反芻(はんすう)した後――。

 

 ――この日2度目となる、最大級の驚愕を含んだ声が轟くこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 代わり映えしない、退屈な部屋。中にあるのはイスとテーブル、簡素なベッドといった最低限の設備のみ。一体どれだけの時間をこの空虚な部屋で過ごしたのか、ユキは思い返すのも億劫になっていた。

 窓も扉もないこの部屋では、外から差す陽光や夜の闇といった指標は存在せず、自力で今の時間帯や日付を知る術は存在しない。この空間は、見た目は小綺麗でも、彼女にとっては自分を生かすためだけに存在する牢獄に等しい。

 

「…………はぁ……」

 

 ユキは何をするでもなく寝具の上で横になり、眩しいほどに真っ白な天井を見つめる。少しだけ寝返りを打つと、纏っている薄い布地が肌を撫で、こそばゆい感覚が彼女を襲った。

 

 ユキはこの世界に囚われてから今に至るまで、ベッドに寝転がる、部屋を歩いたり軽く身体を動かす、またはこの部屋に唯一訪れる来訪者と会話を交わす等で過ごしている。当初は自分が陥っている現状から目を逸らし、気を紛らわせる事も出来たのだが、ここ最近はそれも難しくなってきていた。

 それでも、挫けるわけにはいかない。諦めるつもりも、この理不尽な状況を受け入れるつもりも、彼女には毛頭ない。誰かに頼ることの出来ない今は、自分の力だけで切り抜けなければならない。この頃(くすぶ)りつつある決意を思い出し、自らを奮い立たせようと、ユキは静かに瞼を下ろして思考を深く沈めた。

 

「ヤッホー。今日の気分は如何かな?」

 

 そんなユキの遠くにいきかけた意識を引き戻したのは、いつの間にか部屋に足を踏み入れていた小柄な少女の快活な声だった。閉じていた目を開け、身体をベッドから起こすと、声のした方向を向く。

 その少女はユキがこの世界に迷い込んだ時、最初に出会い、おそらくは何らかの脅威からユキを助けてくれた人物だ。混乱している彼女を落ち着かせてくれたし、質問には答えられる範囲で答えてくれるため、ユキの中で悪い印象は抱いていない。ただし、謎の少女自身の事について教えたり、この部屋の外に出る事に関しては、絶対に首を縦に振ろうとしなかった。

 

「いつもと一緒だよ。退屈すぎて死にそう。…………ところで妖精さん。一体いつになったらここから出してくれるの?」

 

 ユキはこの少女の名を知らないため、便宜上は《妖精さん》と呼ぶ事にしている。呼ばれた本人も特に異を唱えるような事がなかったため、出会って以降はずっとこの呼び名で定着していた。

 

「えー、またその質問? もうちょっとだけ待っててよ」

「……それ、この前も聞いた」

「残念だけど、今はまだその時じゃないんだよ。でも、ユキちゃんがいい子にしていれば、必ずここから出してあげるから。ね?」

 

 いつもと何ら変わりない回答に対し、ユキは子供が拗ねたような不満顔を形作る。それを見た妖精さんは、小さな笑みを零した。

 この時、ユキは顔を妖精さんの方向に向けていたが、彼女は妖精さんを見ていたわけではなく、その後方にある壁を見ていた。今は何の変哲もない真っ白な壁だが、妖精さんが部屋に入る時は、その部分だけが一時的に扉へと変化するのだ。扉はほんの数秒で元の何もない壁に戻るが、現状でユキが確認できている部屋の外への道は、今の所そこしかない。

 

(絶対に……ここから出る!)

 

 今、彼女が抱いている唯一の希望は、『外界への脱出』だ。狭い部屋から抜け出して元の世界へ戻る事だけが、ユキに生きる活力を与えるエネルギー源となっている。大人しく言う事を聞いて従順なふりをしているが、その実、ユキは虎視眈眈と脱出の機を伺っていた。

 そんな心情を悟られまいと、ユキは妖精さんからは見えないように顔を背けた。

 




領地内に随意飛行の訓練施設があるのは独自設定です。

『タイトルでいうほど剣で勝負してないじゃん!』というツッコミはなしの方向で……。


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第60話 妖精王の玩具と旅支度

 

 眼前にはどこまでも澄んだ青空が広がり、下を見下ろせば薄い雲が絨毯のように敷き詰められている。彼の目の前にある景色は絶景と呼ぶに相応しいもので、それは仮想世界であるが故にチリ一つない美しさで構成されている。だが、その景色に対して人並みの感想を抱けるほど、今のキリトの心境は穏やかではない。それもそのはず、キリトは黄金の格子で出来た鳥籠に囚われ、自由を制限されているからだ。

 

 尊い犠牲を出しつつも魔王を倒してSAOをクリアしたキリトは、アスナや他のプレイヤーと同様、正常にログアウトして現実へ戻るはずだった。しかし、彼が次に目を覚ました場所は、病院のベッドの上ではなく、巨大な樹木の枝上に設置された黄金の鳥籠の中だった。

 薄手の白いワンピースに、胸元には緋色のリボン。闇を映したかのような漆黒の頭髪は、背中にかかるほどの長さだ。自分の身体が女体化したのかと思ったが、胸元を触ると女性ならばあるはずの柔らかな感触がないことから、見た目は女性に近いが本質は男性のアバターなのだろう。キリトはほっと胸をなでおろした。

 多少の混乱はあったものの、SAOで鍛えられた判断能力と適応力で冷静に周囲を見渡し、五感で感じられる情報から置かれた状況を分析。その結果わかったのは、自分はまだ仮想世界の中にいるという事と、自分のいる鳥籠は、明らかに人を閉じ込めるために設計されているという事だ。つまり、何者かの意図が絡んでいるのはどう考えても明白である。

 そんな考えに至ってから約1時間後、この状況を作り出した『何者か』――――ずばり張本人が、キリトの前に現れたのだ。

 その日以降、キリトはずっと鳥籠の中で過ごし、時折訪れる来訪者に嫌悪と侮蔑の目を向ける日々を送っている。

 そしてその来訪者は、今日も彼の前に現れた。

 

「やあ、キリト君。気分はどうかな?」

 

 格子の間から遠い空を眺めていたキリトの背後から、突如声が聞こえてきた。ここに来る人物は1 人しかいないため、振り向いて相手を確認するまでもないが、キリトは顔を歪ませて嫌悪を含んだ言葉を吐き捨てた。

 

「最低だよ。そもそも、あんたのおかげでオレの気分が晴れた日は1 日たりともないさ」

「ククク、君は相変わらず口が減らないね」

 

 キリトの前に現れたのは、妖精の世界を統べる者《妖精王オベイロン》もとい須郷伸之だ。現実世界(リアル)で待っている家族の下へ帰れず、こうしてキリトが仮想世界に囚われ続けているのは、何を隠そうこの男が原因を作っている事に他ならない。

 

 オベイロンはSAOサーバーのルーターに細工を施し、それによってゲームクリアと同時にプレイヤーを拉致する計画を立てていた。その目的は『人間の記憶・感情・意識のコントロール』を研究するためである。予定より早くゲームはクリアされ、目論見通りに300人程のプレイヤーをALO内で極秘に作られた研究施設へと拉致出来たところまでは良かったが、最重要監禁対象であるアスナではなく、キリトが鳥籠内に現れた時、オベイロンは多少なりとも動揺した。

 しかし、SAO内でキリトがアスナと親密な関係であると知った時、これを利用して彼女を揺さぶろうと考えた。アスナに結婚を迫って結城家に婿養子として入り、《レクト》を乗っ取るという、彼が胸に秘めている野望を達成せしめんためだ。

 同時に、ただ監禁しているだけでは面白くないと思ったオベイロンは、時折キリトの下へ訪れ、様々な手段を用いて玩具のように遊んでいる。

 

「もし良かったら、今度来る時は今の君に似合いそうな黒いドレスでも持ってこようか? きっと気に入ってくれると思うんだが」

「オレはあんたの着せ替え人形じゃないぞ。やるならマネキンでも用意して一人でやってくれ」

「……まったく、君は本当に口が減らないな。それに、その態度はこの世界の王に対して無礼極まらないと思わないのかい?」

「他人の座っていた玉座を横取りして王様気取りか? あんた、酷く滑稽だよ」

「今日はいつにも増して生意気だなぁ。これは仕置きが必要だね……」

 

 そう言うやいなや、オベイロンは五指を開いた右手をゆっくり持ち上げ、キリトに向けてかざす。彼が一体が何をしているのか、あるいは何をしようとしているのかわからないキリトだったが、その答えはすぐに判明した。

 

「――――ッ!!!!」

 

 オベイロンの意味深な行動から左程間を置かず、キリトの全身に不可視の圧力が加わる。まるで巨人がキリトの頭上から手をかざし、上から押さえつけられているような感覚だった。彼は片膝をつき、オベイロンに対して強制的に(こうべ)を垂れる格好になったが、無論、これはキリトの意思によるものではない。

 

「ククク、どうだい、中々キツイだろう? これは次のアップデートで導入する《重力魔法》さ。一般プレイヤーに先駆けて威力を体感できるなんて、君はとても運が良い」

 

 靴音を鳴らしながら近づくオベイロンに、キリトは顔を持ち上げて視線で抵抗する。

 《重力魔法》の威力を全身で受けている彼の顔は苦渋に満ちているため、それがかえってオベイロンの機嫌を上向きにしたようだ。満足したオベイロンがかざしていた右手を下ろすと、今まで押さえつけられていた感覚が嘘のように霧散し、身体がふっと軽くなる。キリトは無意識に止めていた息を大きく吐き出した。

 

「僕がその気になれば、君を他のSAOプレイヤーと同じようにモルモットとして扱う事も出来るんだぞ。あえてそうしないのは、僕が仕事で抱えるストレスのはけ口に丁度いいのと、彼女に対する交渉材料として利用価値があるからだ。こうして寝床を与えられたり、言葉を話したり動いたり出来る状況は、非常に恵まれているといっていい。……まあ、それも今だけだ。そういう態度をとれるのも時間の問題だね」

「……どういう、意味だ……?」

 

 今のオベイロンはキリトを痛めつけた事で、多少は機嫌を良くしている。キリトの短い質問に対し、彼は充分すぎるほどの回答をくれた。

 

「僕が今、この世界で壮大な研究に取り組んでいるのは、以前君にも話しただろう? 丁度いい実験体が300人も確保できたから、実験の進行ペースは非常に良くてね。そろそろ研究が完成しそうなんだ」

「なっ……!」

 

 人間の記憶・感情・意識をコントロールするという研究が完成してしまえば、人を意のままに操れるという事だ。大切な人の記憶を失わせたり、心に穴を空けて廃人にする事だって可能だろう。

 

「研究が完成したら、その成果と《レクト》をアメリカの企業への手土産にしようと思っていてね。きっと向こうはよだれを垂らして待ち望んでいるだろうさ。……その前に、君を完成した研究の第一被験者にしてあげよう。つらい記憶や苦しい記憶も全て消し去って、僕の従順な下僕としてね」

 

 言いたい事を全て言い終えたオベイロンは、満足気な表情を浮かべると、踵を返して鳥籠の出入り口へと歩く。ファンタジー要素の多いこの世界には相応しくない電子パネルに触れ、暗証番号を入力。扉が開くと一度だけ振り返り、キリトを一瞥して鳥籠の外へ出た。

 

「……オレは…………」

 

 オベイロンの足音が遠ざかり、扉は再び閉じられた。妖精王がいなくなり、静けさに包み込まれた籠の中で、キリトはポツリと呟いた。

 

「……オレは、なんて無力なんだ……」

 

 その呟きは風にさらわれ、空気に溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どうしてオレだってわかったんだ?」

 

 予期せぬ偶然と幸運に助けられ、ALO内で合流できたカイトとアスナは、ウンディーネ領の一画にあるカフェで一息ついていた。2人は乳白色のイスに腰掛け、同色のテーブルにはそれぞれがNPCにオーダーしたドリンクが置かれている。

 カイトは黄金(こがね)色に輝いている炭酸を、アスナは薄いピンク色をした酸味のある飲み物だ。お互いが自分のグラスを手にとり、渇いた喉を潤わすが、柑橘系の爽やかな味が口の中一杯に広がると、カイトは味の深さに胸中で感嘆の声を漏らした。ここまで美味しいと思える飲み物は、SAO時代のNPCレストランでは存在しなかったからだ。

 それは対面するアスナも同様だったらしく、彼と同じような反応を示している。ひとしきり味を堪能した後、彼女はカイトからの質問に答えるため、少しだけ考える素振りを見せた。脳内で言葉を選び終えると、薄い唇がゆっくりと動く。

 

「最初に『あれ?』って思ったのは、カイト君が剣を抜いてからかな。相手に突進する時、《レイジスパイク》の予備動作(プレモーション)をとっていたから、《SAO生還者(サバイバー)》の誰かだとはすぐに勘付いたの。それに、口調や雰囲気がどことなくカイト君とソックリだったから、もしかしてと思って。だから、決して確信があったわけじゃないわ」

 

 ソードスキルはアインクラッドで使用できた独自の剣技であり、その型を知る者は当然元SAOプレイヤーに限定されるので、アスナが『生き残った6,000人の内の誰か』という推測に行き着くのは容易だ。彼女が『カイト本人ではないか?』という疑問を抱く事が出来たのは、度重なる困難を共に経験し、只の知り合い以上の関係を築いていたからこそだろう。そうでなければ、ささいな違和感を抱く事もできず、こうして同じ席で会話をしてはいないはずだ。

 

「う〜ん、それは完全に無意識だったな。やっぱり剣を握っている時の癖が抜けてないみたいだ」

「私だって、いざ戦闘になれば、カイト君みたいにソードスキルの予備動作(プレモーション)をとるぐらいはすると思うわ」

 

 アスナはグラス内の飲み物を半分ほど飲むと、テーブルの上に置き、座っている席近くの窓から外の景色を眺める。窓から射す月光がアスナを照らし、物思いにふけっているその様子は、美しさの中に儚さを秘めているようだ。

 美人は何をやっても絵になるな、という感想をカイトが抱いていると、アスナは彼に向き直る。

 

「ところで……カイト君のアバターって、リアルと雰囲気が似ているよね」

「そう?」

「うん。姿は勿論違うんだけど、柔らかいというか、可愛らしいというか」

「ちょっと待て、アスナ。それはリアルのオレも可愛いという事になるよな? それは断じてないし、そもそも男に可愛いは褒め言葉じゃないぞ」

 

 そう指摘したカイトは嘆息し、言葉を紡いだ。

 

「クラスの女子にイジられたり化粧されそうになったり、挙げ句の果てには文化祭の出し物でオレだけ女装されそうになったんだぞ。『絶対ヤダ!』って断固拒否したから着ぐるみ着て宣伝するにとどまったけど、もしも安易にOKしてたら、間違いなく本気でやらされてたな」

「う〜ん、男の子はそういうものなのかな?」

「アスナは女の子だから、そこら辺の気持ちはちょっとわかりづらいかも。それに美人だから言われ慣れてるんじゃない?」

 

 何気なくカイトが口にした本心に、アスナは照れ顏ではにかんだ。

 

「そ、そんな事ないよ。私だって言われたら嬉しいわ。でも、言われて1番嬉しいのは、やっぱりキリト君だけどね」

「惚気るなよ」

 

 すかさずカイトはツッコミを入れるが、その後に続いてこれまで2人の会話をアスナの肩で聞いていた小さな妖精が、快活な声で話に参加した。

 

「私も、パパに言われるのが1番嬉しいです」

 

 そう言ったのは、キリトとアスナの娘である《ナビゲーション・ピクシー》のユイだ。幼い見た目通りの無垢な笑顔を見たカイトは、アスナから説明を受けたにも関わらず、未だに彼女がAIであるという事実が信じられずにいた。

 SAOの頃はユイと接点がなかったため、彼女と直接会話をするのはこの世界が初めてだ。そしてユイが歩んできた道のり、出会いと別れ等を聴き終えた時、アスナとユイの間にある目に見えない絆の理由が何なのか、カイトは理解できた気がした。それでも、ユイの話す語彙の多さ、人間味溢れる表情や反応は、明らかにNPCの範疇を超えている。

 

「ユイのパパ大好きはアスナ譲りか。この親にしてこの子あり、だな」

「だって本当の事だもん。ねー、ユイちゃん?」

「はい!」

 

 2人を並べて見てみると、細かな仕草や言動がどことなく似ている気がしなくもない。もしかすると、ユイはキリトとアスナに会うべくして会ったのかもしれない等と、カイトは何処か運命めいたものの存在を感じた。

 

「それじゃあ、大好きなキリトパパに会うためにも、こっちから動き出さなきゃな」

 

 そう言い終わる前に、カイトは左手を振り下ろしてシステムメニューを起動した。鈴の音色に似たサウンドエフェクトが響くと、まずはアスナとユイにも見えるようにウィンドウの可視化設定をし、ALOの全体図を表示する。カイトは最初に自分たちの現在地であるウンディーネ領を指し示した。

 

「今オレ達がいるウンディーネ領がここ。そして目的地の世界樹は、ここから真西に進んだ先だ」

「数値で表すと、直線距離で約50キロメートルです。道中には避けて通れないダンジョンもありますが、出現するモンスターはママとカイトさんのステータスを考慮すると、あまり脅威ではないと思われます」

「警戒すべきは、もしかしたらモンスターよりもプレイヤーかもね。SAOのデータが引き継がれているといっても、多人数で囲まれたりしたらどうしようもないもの」

「あっ、やっぱこれってバグじゃなくて、データを引き継いだ結果なんだ?」

 

 大まかな予想はしていたものの、これといった根拠がなかったために、カイトは自身の異常ともいえるステータスを説明出来ずにいた。内心ではいつか運営に見つかり、アカウントを凍結されるのではないかとヒヤヒヤしていたのだ。

 

「はい。バージョンは少しばかり古いですが、この世界のサーバーはカーディナルのコピーを使用しているため、基幹プログラムやグラフィック形式は完全に同一です。旧SAOのセーブデータがそのまま残っていたため、ママとカイトさんの高いステータス数値は、一部共通するシステムデータをそのまま使用している証拠といえます」

「なるほどね。それならこの解像度の高さも納得だ」

 

 疑問が1つ消え去ったところでカイトはウィンドウを消去し、グラス内に残っている炭酸を飲み干した。

 

「それじゃあ、出発に必要な準備を整えるとするか。たしか通り道に随意飛行の練習場があったし、そこで少し練習するとして……」

「あとはアイテムの補充もする必要があるわね。他には何かある?」

「えーっと……」

 

 考えを巡らせようとしたカイトは、ふと対面するアスナに視線を移す。そこで彼は、自分の装備が既にNPCショップ製のものに更新されているのに対し、アスナはログインした時のままであるのに気が付いた。

 なので、カイトは真っ先にするべき優先事項を口にする。

 

「とりあえず、アスナは初期装備から卒業しようか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パーティーを抜けると聞いたが…………リーファ、一体どういう事だ?」

 

 領地の外に出て長い旅のスタートを切ろうとした矢先、早くも出鼻を挫かれたリーファは、ほとほと辟易していた。彼女が今思っている事を口に出したのだとしたら、それは『うへぇ……」と言う以外他ないだろう。その原因は、傍らにパーティーメンバーを従え、仁王立ちで腕を組み、リーファの前に立ち塞がっているシグルドという男だった。

 

 シグルドはシルフの領主であるサクヤの側近として軍務を預かる身であり、シルフでは大きな影響力を持つ人物の1人だ。派閥に加わる事を忌避するリーファと違い、政治に積極的な活動を示す上、プレイヤーとしての戦闘力も折り紙付きである。《シルフ五傑》と評されるリーファと遜色なく、月1で行われるデュエルトーナメントでは常に上位に食い込んでいる程だ。

 しかし、リーファはそんなシグルドを尊敬したり、良い印象を抱いているかと問われれば、そうでもない。リーファがシグルドに誘われ、パーティーを組んで度々狩りをするのは最近になってからだが、彼がリーファをパーティーに誘った理由は『自分がリーダーを務めるパーティーの付加価値として欲しがったから』というのが、レコンの見解だ。ネットゲームは女性プレイヤーが少なく、ましてやリーファのように整った容姿のアバターは希少なので、自分の手が届く範囲に彼女を置けるというのは、それだけで周囲の評価は上がる。彼の独善的な言動に嫌気がさす事はこれまで何度かあったが、心当たりがない事もなかったので、それを聞いた彼女のシグルドに対する印象は間違いなく下がった。

 

 出来ることなら顔を合わせずに領地を出発したかったが、このタイミングの悪さはリーファの想定外だ。おそらくレコンはリーファから言われた通りにメッセージを飛ばし、たまたまログインしていたシグルドは文面を読むや否や、事情を直接聞くために彼女を待ち伏せていたのだろう。リーファがシルフ領のシンボル、風の塔に向かったのはレコンが見ていたので、シグルドにどの方角へ向かったか問われれば、レコンが答えるのは容易いし、シグルドが先回りするのも容易い。

 事を荒立てずにこの場を収めたい彼女は、可能な限り笑みを浮かべて口を開いた。

 

「ちょっと外へ行く用があるの。それと貯金もできたし、のんびりしようかなって」

「随分と勝手な理由だな」

「えっ?」

「お前は既に俺達のパーティーメンバーだ。気まぐれで抜けて、他のメンバーに迷惑がかかるという考えに至らなかったのか?」

 

 この問いに対し、リーファは唖然としてその場に立ち尽くす以外の行動がとれなかった。

 リーファはパーティーに加入する際『抜けたくなったらいつでも抜ける』という条件で参加したのだが、これでは話が違う。やはり彼は自分をパーティーの付加価値――――ブランド品の類としか見ていないのだろうか、という気持ちが心中に去来した。

 現実世界のしがらみなど関係なく、背中の翅で自由に大空を飛翔する事は、リーファがALOに魅了された要素の1つだ。しかし、ゲームの中で築いた関係にこうも縛られるのは、彼女の望むところではない。他のプレイヤーも少なからず自分と同じ思いを抱いていると思っていたが、それは甘い考えで、子供故の無知なのだろうか。

 失望するリーファの気持ちなど知る由もないシグルドは、何も反論せずに俯く彼女を見て、自らの行いを反省したと感じた。鼻を鳴らし、組んでいた腕を緩めて姿勢を崩す。

 

「…………私は……」

 

 だが、それは大きな間違いだ。今のリーファはやるせない思いと行き場のない憤懣(ふんまん)が混ざって溶け合い、心がひどく重い状態だ。いつか不満をぶつけてもおかしくない。

 

「……私は……じゃない……」

「ん?」

 

 ――いや、『いつか』ではない。その時は『今』だった。

 

「私は、あなたの装飾品じゃない。装備は兎も角、私まで縛りつけるのはやめて」

「――――なっ!?」

 

 予想外の返答に驚きを隠せないシグルドだったが、それはリーファも同様だった。何故なら、たった今口をついて出た言葉は、ほぼ無意識に出たからだ。

 顔を上げれば、そこには明らかに機嫌を悪くし、顔を赤く染めたシグルドがいる。うわーやっちゃったーと内心冷や冷やしているリーファは、もうこの場を丸く収める名案が浮かばず、怒りの声をのせたシグルドの声が浴びせられるのを待つしかなかった。

 

「おや? リーファじゃないか」

 

 しかし、リーファの背後から凛とした声が響き、思いもよらない人物が登場したことで、その展開は訪れなかった。

 ダークグリーンの背中にかかる艶やかな直毛、白い肌、切れ長の眼、高い鼻筋、薄く小さな唇といった容姿は、誰もが羨む美貌だ。和風の長衣を身に纏い、刀よりもさらに長い大太刀を腰に携えているが、シルフの中でも長身の彼女には見た目にも非常にしっくりとくる。一目見たら忘れないだろう姿をした彼女は、現シルフ領主のサクヤに他ならない。領主の登場で周囲にいたプレイヤーから一気に視線が集まる。

 サクヤは深紅の高下駄(たかげた)を鳴らしながら接近すると、リーファとシグルドの間に割って入った。

 

「どうした? 何かあったのか?」

 

 2人の間に漂う不穏な空気を敏感に察知したサクヤは、交互に両者の顔を見て訝しげな表情を浮かべる。そんな彼女の疑問に、シグルドは素早く返答した。

 

「実は、リーファが突然パーティーを抜けると言い出したんだ。どうやら外に出る用があるらしいんだが、あまりにも自分勝手な考えに腹が立ってな」

(自分勝手なのはどっちよ!)

 

 流石に今度は口に出さなかったが、またしても胸の内に怒りの炎が再熱する。

 サクヤはシグルドの意見を聴いた後、リーファに顔を向けた。リーファが助け船を出して欲しい一心で懸命に目で合図を送ると、勘のいいサクヤはふっと柔らかな笑みを零し、再びシグルドを見る。

 

「シグルド、その事なんだが……」

 

 サクヤはシグルドに歩み寄ると、声のボリュームを一気に落とし、近場のリーファがなんとか聴き取れるレベルで囁いた。

 

「近々行うケットシーとの条約調印なんだが、私から頼んでリーファにも護衛メンバーの一員として参加してもらう手筈になっているんだ。パブリックスペースで事情を話すには(はばか)れる極秘事項だから、この場でどう説明するか、彼女も困っていたんだろう。そういう事だから、許してやってくれ」

(ケットシーと条約? 極秘事項?)

 

 話の内容はさっぱりわからないが、これを聞いたシグルドには心当たりがあるらしく、顔色を変えた。つまり、シルフの中でも領主をはじめとした上の役職に就く者しか知らない情報のようだ。

 

「……まったく、それならそうと早く言え!」

 

 まだまだ言い足りない様子だが、領主自らが頼んで外へ連れ出すには正当な理由のようで、シグルドもそれ以上は言及しようとしなかった。それでもリーファがパーティーを抜け、先ほど彼女から言われた言葉に対する怒りは収まっていないらしく、代わりに捨て台詞を一言吐いてその場を後にする。彼の後方にいたパーティーメンバーもシグルドの後を追い、どうにかこの場を切り抜ける事ができたようだ。周囲のプレイヤーから少しずつ話し声が聞こえ始め、普段と変わらない風景が戻ってきた。

 

「ふぅ……ありがとう、サクヤ。おかげで助かったわ」

「なに、これぐらいの事ならいつでも手を貸すさ」

 

 サクヤの機転に助けられたリーファは、ほっと胸を撫で下ろし、小声でサクヤに話しかける。

 

「ところで、サクヤ。さっき言ってた条約って何の事?」

「ん? あぁ、実はな……グランドクエスト攻略のために、ケットシーと同盟を結ぼうと思っているんだ」

「えっ? でも……」

「皆まで言わなくてもわかっているさ。オベイロンに謁見できる種族は1つのみだが、もし攻略に成功したらどちらかに譲り、次のグランドクエストでもお互い協力して、今度は前に譲った側が報酬を受け取るという内容だ。これなら双方共にメリットがある」

「あぁ、なるほどね」

「条約の調印は《蝶の谷》で行う予定だ。あそこならモンスターに乱入されて水をさされる心配はないし、見晴らしもいいから誰かに盗み聴きされる心配もない。そして領主がフィールドに出るわけだから、万が一に備えて護衛を連れて行くんだが……問題は未だ討伐されていないイベントNPCのスプリガンの存在だ。奴と遭遇するのは何としても避けたいからな」

 

 この時、リーファはサクヤの話を聞きつつ、とある案を考えていた。条約の調印をするという《蝶の谷》は、世界樹へ行く道中にあったはずだ。それならば――――。

 

「……ねぇ、サクヤ。私もその護衛に加わらせてくれないかな?」

「リーファがそう言ってくれるのはこちらとしてもありがたいし、願っても無い申し出だが…………いいのか?」

「うん。実は私、ちょっと世界樹まで行く用事があるんだけど、1人で行くには少し心許なくて……。《蝶の谷》まではしっかりサクヤの護衛を務めるから、途中まで一緒に行かせて欲しいの。そこから先は自分でなんとかするわ」

 

 リーファの話を聞き終えたサクヤは、考える素振りを見せると、すぐに顔を綻ばせた。

 

「わかった。そういう事情なら、途中までよろしく頼む。リーファがいてくれるなら心強いよ」

「任せて。誰が来ようと、サクヤには指一本触れさせないから。それで、《蝶の谷》にはいつ行くの?」

「明日の夕方にはここを発つ予定だが、大丈夫そうか?」

「うん」

 

 途中までではあるが、思わぬ形で頼りになるプレイヤーと行動を共にする約束を交わす事ができた。サクヤにつく護衛達も名の通ったプレイヤーばかりで、これならフィールドを安心して進めるだろう。

 胸の奥にあった不安要素の排除に成功したリーファは、兄の救出という重大ミッションのスタートを切るであろう明日の訪れを、早く早くと内心で急かしていた。

 




拙作のキリト姫はGGOキリトの容姿をイメージしています。

各々が領地の外へ出る準備を整えました。次の章からは戦闘メインの回が多数……の予定です。
そして次の話は拙作恒例の番外編となります。


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番外編第09話 姉貴分と弟分

 

 倉崎悠人という存在は、天津河理沙(あまつかりさ)にとって年の離れた従姉弟(いとこ)というより、弟に近い。

 理沙も悠人もお互いに一人っ子であるため、兄弟姉妹のいる環境というものは、わからない部分がほとんどだ。しかし、年月を経ても頻繁に交流がある2人にとって、『弟(姉)がいればきっとこんな感じなんだろう』と、感覚的には理解していた。

 幼い頃は女の子に間違われる事が多々あった悠人は、成長して年頃の男子になり、以前より(たくま)しくなったものの、昔の面影が今でも残っている。それを悠人が気にしていると知っている理沙は、会う度に指摘し、いじり、その反応を見て楽しむ。流石の悠人も年上の理沙には掌で転がされるため、最終的には悠人の子供が不貞腐(ふてくさ)れたような反応で終わるのだが、それがまた、彼女の母性をくすぐり、悠人に対する愛情を増幅させていた。

 実の弟のように思っている彼女は、昔から悠人の事を人に話すと「その子が本当の弟だったら、君は間違いなくブラコンだ」とまで言われる。確かに理沙は悠人を可愛くて仕方がないと感じているし、彼のためなら助力を惜しまないとも思っている。

 

 それこそ、世界中を敵にまわしてもいい、と思えるくらいに――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 都内某所にある巨大な建物の一室で、理沙はパソコンのキーボードを慣れた手つきでタイピングし、報告書の作成に(いそ)しんでいた。普段は長い髪を下ろしているが、今はシュシュを使って頭の後ろで纏め、目が疲労するのを少しでも和らげるためにPCメガネをかけている。文字を打ち込むその様とあいまって、いかにも仕事が出来るキャリアウーマンといった感じだ。

 報告書が締めに入り、最後の文字を打ち込んでエンターキーを押す。一仕事終えた彼女は座りっぱなしで凝り固まった身体をほぐすため、その場で大きく伸びをした。

 

「ん〜〜」

 

 腕を突き上げて背中を反らすと、服の上からでもわかる双丘が否応なしに強調されるため、いつもなら自分への視線――主に男性からの――が集まる場面だ。しかし、現時点で部屋にいるのは理沙だけなので、そんな事はお構いなしである。

 

「うわっ、結構時間かかったなー」

 

 ふと壁に掛けてある時計に目を移すと、時計の針は午後9時をまわった頃だ。仕事に集中していたとはいえ、思っていた時間よりもズレがある事に少々驚きつつ、自らに課せられていた膨大な仕事を全て片付けた達成感が心地よかった。もしもこれが彼女以外の人間であれば、きっとあと数日は夜遅くまで仕事に追われる日々が続いていたが、彼女が優秀であるからこそ、今日という日に終わる事ができたのだ。

 

「流石に疲れたわ……」

 

 職場の人間がいない事には気付いていたが、この時間ならしょうがないと理沙は納得しつつ、シュシュを外して長い髪を振り払う。纏められていた長い髪を揺らし、椅子の背もたれに身体を預けると、遅まきながら疲労が全身にドッと押し寄せてきた。疲労の原因には今取り掛かっている仕事も含まれるが、どちらかといえば現在勤めている職場の人間関係が大部分を占めている。研究員は頭が狂っているのばかりで、上司はその上をいくどころか下衆以外の何者でもない。今の職業に不満はないが、職場には不満大アリだ。

 

「――早く元の場所に戻りたいな……」

 

 理沙はそう呟くと、フロアを右から左へと見回す。順調にいけばあと1週間でこの場所とはおさらばできる筈なので、もう少しの辛抱だと、彼女は自らを鼓舞した。既に必要な種は播き終えており、事態は動き出している。あとは花を咲かせ、果実が実るのを待つばかり――。

 

 精神が乾きっている彼女は、心に潤いを欲したため、机の上に置いてある携帯端末を手にとり、通話履歴からとある人物を選択。通話ボタンを押して耳にあてると、コール音が1回、2回と回数を重ねていく。3回目に差し掛かってすぐに相手の声が聞こえてきたが、理沙にはそのわずかな時間が途方に感じた。

 

「もしもし?」

「こんばんは、悠人ちゃん。あなたの大好きなりーちゃんですよ〜」

「……切るよ」

「あっ、待って待って、切らないで! ただのウェットに富んだ挨拶なのに」

 

 華麗にスルーするどころか通話を5秒で終えようとした悠人を理沙が必死に引き止めると、どうにか電話を切られるのだけは回避した。

 

「少しはこっちのジョークに付き合ってくれてもいいんじゃない?」

「なんだか無性に切りたくなって」

「ひどいっ!!」

 

 珍しく理沙のペースに巻き込まれる前に、悠人からのカウンターと先制攻撃が繰り出される。いつもはやられっぱなしの悠人だが、今は調子が良いとみえる彼からのささやかな仕返しだった。端末の向こう側で微かだが笑い声が聞こえた。

 

「それで、この時間に電話してきたってことは、何か用があるんでしょ?」

「ん〜、用ってわけじゃないけど、悠人ちゃんの声が聞きたくなって」

「………………」

 

 本当の姉弟のような良いリズムで会話が進んでいたかと思いきや、急に悠人は黙り込んでしまった。電話越しなので顔は見えないが、理沙には彼の様子が手に取るようにわかった。

 

「あれー? もしかして照れてる? 言われてちょっと嬉しいと思った?」

「――そ、そんなんじゃないっ!」

「必死に否定するってことは、図星ね」

「ぐっ……」

 

 理沙もやられっぱなしというわけにはいかず、今度は彼女が仕掛けて一本とり、追加の口撃も悠人にクリティカルヒットしたため、彼はぐうの音も出ずに押し黙る。声だけで悠人が今どんな表情をしているのか、理沙は想像しただけで口元が緩んだ。

 

「……りーちゃんがそんな事言うからだろ」

「あら、素直に認めたわね。今度会ったらいい子いい子してあげる」

「子供扱いするな」

「法律上、悠人ちゃんはまだ子供だから、間違ってはいないと思うけど」

「そういう意味で言ったんじゃないっ!」

 

 最初こそ流したが、理沙の言葉遊びに対して悠人は真正面から付き合ってくれる。会話を交わしていくうちに、声を聞く前まで理沙の中にあったずっしりと重く暗い気持ちは何処かへ追いやられ、いつの間にか心は明るく軽やかになっていた。かわいい弟分は、ただ話すだけで彼女にパワーを分け与えた。

 

「フフ、悠人ちゃんと話してたら仕事の疲れなんか吹っ飛んじゃった。ありがとう」

「別に何もしてないけど」

「いいの。かわいいかわいい悠人ちゃんが話し相手になってくれるだけで、私の心は癒されるんだから」

 

 本当は会って話すのが1番だが、時間を考えると今から訪問するのは迷惑だろう。悠人の親は人が良いので、きっと快くもてなしてくれるだろうが、幾らなんでもそこまで甘えるわけにはいかない。

 そして理沙が夜遅くに電話してきた理由を知った悠人は、彼女を気遣うような声でおそるおそる尋ねた。

 

「……公務員ってそんなに仕事忙しいの?」

「うーん、公務員といっても色んな種類があるから、一概には言えないわね。デスクワークばかりの所もあれば、体張って仕事する所もあるし」

「ふーん。……オレはそこら辺の事情とかりーちゃんが何をやってるのか知らないけど、あんまり根を詰めすぎないようにしなよ。万が一にでも倒れたりしたら元も子もないし」

「あら、心配してくれてるの?」

「当たり前じゃん。りーちゃんは家族みたいなもんだし」

 

 悠人の何気なく口をついて出た言葉は、受け取った側にとってこの上なく嬉しい言葉だった。

 子供はあっという間に成長し、いつしか大人になって社会に出る。当然、理沙もその内の1人だが、学生という身分を捨てた日を境に、社会の中で人間の醜い部分を嫌というほど見てきた。頭では理解していたものの、いざ目にするとどうしても嫌な気持ちになり、無邪気に笑って毎日を楽しく過ごしていた学生に戻りたいと思った日もある。世界の汚れた部分を見てると自分の心までもが荒み、いつしか自分も染まってしまうのではないかと恐ろしくさえ思うのだ。

 だからこそ、そんな理沙にとって、悠人はとても眩しい存在である。見た目こそ大人に近づき、SAOをクリアしてからはどこか浮世離れした雰囲気を醸し出す時もあるが、内面の根っこ部分は変わらず、今も昔も心は真っ直ぐで優しい少年のままだ。彼女が悠人を気に入り、溺愛している理由の一端はここにある。

 

(ほんと、悠人ちゃんはたまーに天然で人の心をくすぐるんだから……)

 

 意識せず、着飾らず、心の奥底で思っている事を口にする時、悠人はサラリと、あっけらかんと当然のような顔と声色で言葉にする。そんな彼の言葉には理沙だけに限らず、アインクラッドでも多くの人が助けられたのだ。

 そしてそんな彼の言葉に多く触れ、魅せられたからこそ、ユキは心奪われたのだろう。

 

「……りーちゃん?」

 

 電話越しの声が途絶えたのを訝しんだ悠人の声で、理沙は考え事をしていた頭を再度通話に戻す。

 

「ごめんごめん。ちょっとボーッとしちゃって」

「……本当に大丈夫?」

「大丈夫、今のはそういうのじゃないから。それはいいとして、今日は悠人ちゃんからたくさん貰っちゃったから、その分のお返しをしないとね」

 

 理沙は数瞬考えると軽く咳払いをし、電話の向こうにいる悠人に問いかけた。

 

「悠人ちゃんが今まで過ごしてきた人生の身近なところで、双子の兄弟か姉妹っていた?」

「えーっと……中学の時にはいたよ。兄弟だったけど、双子の弟とは同じクラスだったなぁ」

「じゃあ質問。もしその弟くんと双子のお兄ちゃんがこっそり入れ替わったりしたら、当時の悠人ちゃんはその事に気付けた?」

「うん」

「即答かー。じゃあ、なんでそう言い切れるの?」

「出会って最初の頃はわからなかったけど、関わりを持つと微妙な違いがわかるようになったんだ。具体的に何がって訊かれると言葉にできないけど、兎に角、感覚的に違和感を感じるんだよ」

 

 見た目が同一の人間はいても、中身までもが全く同一の人間はいない。同じ生活空間にいたとしても、見て、聞いて、それぞれが感じるものや経験は異なり、それらの記憶が魂に刻み込まれ、蓄積され、やがて個性という唯一無二のものを生む。昨日今日出会った者にはわからない事でも、時間を共有して過ごした者だけにわかる差異の事を、悠人は言いたいのだろう。

 

「ふーん、なるほどね。それだけわかっているようなら、わざわざ私が教えるほどでもなさそうね」

「……りーちゃん、どういう意味?」

 

 唐突な質問に、意味深な発言。

 彼女の意図するところがわからず、悠人は彼女に問うが、返答は素っ気ないものだった。

 

「さあ? どういう意味だろうね」

「誤魔化さないでよ」

「大丈夫。意味はわからなくても、悠人ちゃんは根っこの部分で理解しているから、気にする必要ないわ」

「答えになってないし」

「と・に・か・く、貰った分のお返しはしたわ。きっとこれから色んな困難があるだろうけど、悠人ちゃんなら乗り越えられるって信じてる。それじゃあ、急な電話に付き合ってくれてありがとね。じゃあ、また近いうちに会いましょう」

「ちょ、ちょっと待っ――――」

 

 まくしたてるように話し、言いたい事を言い終えた理沙は、悠人がまだ話そうとしているにも関わらず、遥か彼方にいる彼と繋がっていた回線を切断する。携帯端末を耳元から離して机の上に置くと、一息ついて目を瞑り、天井を仰いだ。

 

「ついつい、甘やかしちゃうなぁ……」

 

 悠人を幼い頃から知っており、かわいく思っているがゆえに、おせっかいをやいてしまう。気を付けているつもりだったが、まだまだ心の修練が足りないようだ。

 

 とはいえ、肝心要の部分は避けて話しているので、さほど問題はない。気を取り直した彼女は席を立ち、部屋から廊下に出てエレベーターに乗ると、迷わず目的の階のボタンを押した。理沙を乗せた箱は重力に逆らって彼女を上へ上へと持ち上げると、目的の場所で停止。そこからフロアの奥にある扉の厳重なセキュリティを通過すると、限られた人間しか入れない極秘の部屋に入室した。

 中の様子は余分な物を極力排除しているのが(うかが)えるほど、必要最低限の物しか置いていない。机と椅子、記録用紙に筆記具、そして簡素なベッドが複数設置されており、ベッドの枕元にはナーヴギアの後継機としてVRゲーム市場を支えるマシン――――アミュスフィアが置かれていた。

 理沙は入室すると女性用に配慮された個室スペースへと移動し、中に入って鍵をかけた。暖房を入れ、スーツとワイシャツを脱いで世の女性が羨むボディラインを露わにすると、冷気を肌で感じながらジャージに着替える。ベッドで横になり、枕元のアミュスフィアを装着すると、大きく息を吸って魔法の呪文を唱えた。

 

「リンク・スタート」

 

 理沙の意識が別世界へと飛び立ち、彼女はしばしの蝶夢(ちょうむ)微睡(まどろ)んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急に電話がかかってきたかと思いきや、雑談を交わして一方的に電話を切られた悠人は、首を傾げつつ、彼女が最後に残した意味深な言葉の意味を脳裏で反芻(はんすう)していた。

 最初はいつも2人が交わす会話と大差なかったが、途中からはどうも道行きが異なった、そんな気がしたのだ。いまいちスッキリとしないこの感覚は、彼女からものを教わる時とよく似ている。

 

 理沙は積極的に全てを語らない。

 

 これは今まで理沙と接してきてわかった彼女の性格だ。訊かれなければ答えないが、たとえ訊いたとしても、全部を話してくれるわけではない。

 かといって、彼女が秘密主義を掲げているというわけでもない。『別にこれは話す必要がない』と判断した結果、ついつい答えが余分なものを削ぎ落として簡潔なものになってしまうのだ。このやり方はモヤモヤ感の残る回答を受け取る場合が多いが、彼女曰く『これでも悠人ちゃんにはサービスしている』らしい。

 

「双子、ねぇ……」

 

 ただ単に説明する上で例として引き合いに出しただけかもしれないが、彼女が何を言わんとしていたのか、それを解き明かすための切り口になるはずだと信じ、一先ず頭を捻ってみた。

 一般的に双子は一見して見た目が同じだが、食べ物の好み、趣味や得意不得意など、中身は異なる。物で例えるならば、同一機種の携帯端末が目の前にあったとしても、インストールしているアプリケーションは違うようなものだ。

 かつて同じクラスにいた双子の違いを、大雑把ではあるが感覚でわかると答えた時、理沙はそこで話を切った。おそらくそこにヒントが隠されているはず。

 

(……見かけに惑わされず、本質に目を向けろって事か? でも、一体何に対して?)

 

 悠人はそこからさらに考える。

 考えて、考えて、その結果――。

 

「わからんっ!!」

 

 ――考える事を投げた。

 その時、今まで忘れていたのを思い出すように空腹感が訪れ、思考は完全に食事モードへと移った。今日は両親ともに家を留守にしているので、食事は全て自分で用意する以外他ない。空いた腹を満たすため、彼は自室を出て1階に続く階段を降り始めた。




今回はリアルの話がメインで、今後の展開に関わる事が色々と含んであります。気付いた方も、気付かれていない方も、じっくり気長にお待ち下さい。

次から章が変わり、ここから戦闘回を盛り込んでいきます。
そして次回はリアルで直葉と悠人の絡みが半分、ゲーム内でカイトとアスナの動向が半分の内容です。


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第9章 -妖精達の乱舞-
第61話 溝と遭遇


新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

年が新しくなったということで、章も新しくなりました(?)。
ここからは戦闘シーンを盛り込みつつ、話を進めていきます。



 

 愛車のクロスバイクに(またが)り、ユキとキリトが入院している病院にたどり着いたのは、午前10時を少し回った頃だった。最早世間話をする程度にまで顔馴染みとなった受付の看護師と会話を交わし、悠人はすぐにユキのいる病室へと向かう。

 

 昨日はALOでアスナと再会後、彼女が今後の旅で使う装備を新調した。アスナのお気に召す物が比較的早く見つかったため、領地内にある随意飛行訓練場に足を運び、少しだけ飛ぶ練習をしたのだが、これが思いの外難しい。NPCの解説では『背中に仮想の骨と筋肉が伸びていると想定し、それを動かすイメージ』とあったが、元々背中に翅がない人間に、ないものをあるとイメージするのは高難度ミッションだ。解説を聴いたカイトは早速想像力を働かせたが、翅が小刻みに震える程度にとどまった。

 一方、たった一回の解説で随意飛行をマスターしたアスナは、まるで昔からやり方を知っていたかのような飛び方だった。翅を輝かせながら自由に飛び回るその姿は実に楽しそうで、いつまでも無限に広がる空を駆け回りたい、と思っているのが表情に表れていた。

 その後はアスナ先生指導の下、どうにかカイトも飛び方を会得したが、アスナの家の事情を考慮して早めにログアウトした。そして意識が現実に戻ると、見計らったかのように理沙から電話があったが、その時の謎めいた言葉は未だわからぬままだ。

 

(たしか、アスナは今日来れないって言ってたっけ)

 

 別れ際、彼女は明日――つまり今日1日の外出を母親から禁止されているらしく、キリトとユキの見舞いには行けない旨を伝えられた。どうもアスナの母親は教育熱心らしく、SAOに囚われて遅れている分を取り戻すため、彼女に課題を幾つも課しているらしい。外出禁止はアスナが課題に取り組むためのものであり、『1日勉強に集中しなさい』という裏返しだ。

 そのため、明日奈は与えられた課題を終わらせるため、今頃机に向かっているだろう。悠人とは夕方にALOで待ち合わせをする約束なので、それまでには終わらせてくるはずだ。

 よって、暇を持て余している悠人は、午前中に2人のお見舞いに行き、午後には家に戻ってALOにダイブするつもりでいる。ユキとの時間を共有した後、次いでキリトがいる病室へ向かい、部屋に入って彼の寝るベッドに近付いた。

 仕切りのカーテンに手をかけて払い、姿を見るよりも早く、眠っているキリトに声をかけた。

 

「キリトー、来たぞー」

 

 そこにはいつも通り、ナーヴギアに頭をすっぽりと覆われているキリトがいた――――が、ベッドを挟んで悠人の向かい側には少女が椅子に腰掛けており、2人の視線がぶつかった。

 

(……誰?)

 

 そんな疑問が悠人の頭に浮かぶが、自分はこの少女を一度目にした事があるというのを思い出した。記憶が間違っていなければ、少女とはこの病室の入り口ですれ違っている。肩のラインでカットされている黒髪とキリッとした眉が印象に残っていたので、間違いないと確信した。

 

「えっと……お兄ちゃんのお知り合いですか?」

 

 キリトを『お兄ちゃん』と呼んだ少女は、どうやら悠人の事を覚えていないらしい。一瞬すれ違った程度なのだから、それは致し方ないというものだ。

 

「もしかして、君はキリトの妹?」

「……桐ヶ谷和人は、私の兄ですけど」

「だよね。そうじゃなかったら、『お兄ちゃん』なんて呼ばないもんなぁ」

 

 あはは、と笑いつつ頬をかいた悠人は、そのまま言葉を紡いだ。

 

「はじめまして、オレは倉崎悠人。キリトと同じ元SAOプレイヤーだ」

 

 その一言で自分がまだ悠人に対して名乗っていないことに気付き、少女は立ち上がって会釈した。

 

「はじめまして、私は桐ヶ谷直葉っていいます。……その、倉崎さんは、向こうでお兄ちゃんとどういう関係だったんですか?」

「悠人でいいよ。うーん、そうだなぁ……仲間であり、ライバルであり、友人でもある存在かな。キリトとはコンビを組んでいた時期が長かったから、SAOで過ごした時間のほとんどはこいつと一緒だったよ」

「そ、そうなんですか」

「うん。キリトはSAOの中でもトップクラスのプレイヤーでさ、すごく強かったよ。時々こっちの想像を超える事をして驚かせたり、無茶やって周りを困らせたりもしたけど、みんながキリトを頼りにしてたのは間違いない。それだけ、君のお兄さんは凄かった」

「そうなんだ……お兄ちゃんは、そんな風だったんだ」

 

 SAO内部であった出来事は、同じSAOプレイヤーしか知りえない。外部から知ることのできた情報は、誰が、いつ、どの階層にいたかということだけなので、具体的な内容はSAO生還者(サバイバー)に聞く以外方法がないのだ。だから、兄がSAOの中でどういった存在だったのかを、直葉は今の今まで知らなかったはずだ。

 ――と思った悠人だったが、よくよく考えればそうではない。あの日、悠人が直葉とすれ違った時、自分より先にキリトの見舞いに来ていた人物がいたのを思い出す。それは悠人と同じSAO生還者(サバイバー)であり、誰よりもキリトの事を想っている人物だった。

 

「そういえば、明日奈とはもう顔を合わせてるはずだけど、キリトについて何か聞かなかったの?」

 

 明日奈の名を口にした瞬間、直葉の表情がわずかに曇る。悠人はその瞬間を見逃さなかった。

 

「明日奈さん、ですか。確かにあの人とは何度か会ってますけど、あんまり話したことはないです」

「え? なんで?」

「それは、その……」

 

 途端、直葉の顔にかかっていた影が濃さを増す。SAOのキリトを知ろうとするなら、明日奈は適任者の1人だ。話の所々で惚気が入る可能性大だが、頻繁に病室を訪れる彼女なら遭遇する確率も高いだろうし、その機会は十分過ぎるほどあっただろう。何か訊けない理由、あるいは訊きたくない理由があるのかもしれないが、それが悠人には全く思いつかない。

 

「倉さ……悠人さん、1つ教えて下さい。お兄ちゃんは、ゲームの中で明日奈さんと…………結婚してたっていうのは本当ですか?」

 

 直葉は澄んだ瞳で真っ直ぐ悠人を見る。目には力強さが増しており、悠人は口にした言葉から覚悟を決めたような重みを感じた。まるで認めたくない真実を受け止めるようで、その真剣味溢れる姿勢に対して誤魔化してはいけないと思い、彼ははっきりと事実だけ口にした。

 

「そうだよ、2人はSAOで夫婦だった。出会った当初はそんな空気を微塵も感じさせなかったし、お互いの意見がぶつかって一触即発する事もあったけど、ゲームがクリアされる少し前に結婚したんだ。2人が夫婦でいられた時間は短かったけど、好きな人と一緒に過ごせるっていうのは、きっと毎日が充実してたと思う」

 

 夫婦ではなかったにせよ、悠人自身も同じような環境に身を置いていたため、これに関しては確信をもってそう言えた。

 刹那、対面する直葉の表情が曇る。まるで認めたくない事実を突きつけられたが、それを一生懸命に飲み込み、受け入れようとしているようにも見えた。今頃、直葉の中では葛藤という名の激流が渦巻いているはずだ。

 

 キリトの妹である彼女が、『キリトと明日奈が結婚していた』という事実の何に対して苦しむような表情をするのか、悠人は尋ねてみたい衝動に駆られる。

 しかし、それを口にする前に思いとどまり、言葉を腹の底に押しやった。出会ったばかりの相手の心に対し、土足で踏み入るような真似はすべきでない。野暮というものだ。

 それに、キリトという存在を架け橋にして出来た繋がりは、きっとこの後も続く。今は話せないだろうが、もしかしたらいつかは心を許し、胸の内に秘めたものを話してくれるかもしれない。

 

「……君が一体何に悩んでいるのかは訊かない。話したくないなら話さなくていいし、それを無理矢理訊き出すような真似をするつもりもない。でも、自分から話したくなったら、話してくれ。オレにできる事は聞き役に回ることぐらいだと思うけど、それで気持ちが楽になるなら、協力する」

 

 だから彼は、少しだけ直葉の心に自分の心を歩み寄らせ、彼女から近付いてきてくれるのを待つことにした。

 俯きがちだった直葉の顔が持ち上がり、悠人を見る。彼の目から見てだが、少しだけ、ほんの少しだけ、顔にかかっていた陰りが和らいだ。

 

「――って、初対面の奴が何偉そうな事言ってんだって感じだよな」

「いえ、そんな事ないです。思いもよらない事を言われてちょっと驚きましたけど……なんか、嬉しかったです。ありがとうございます」

 

 直葉の悩みが消えたわけではないが、そんな言葉をかけてくれる人は今までおらず、自分の好きなタイミングで気持ちを吐き出していいと言われた事で、気持ちが楽になった気がした。会ってまだ数分しか経っていないが、悠人の放つ柔らかな雰囲気に感化され、直葉は数年振りにかつて和人へしたのと類似の甘えをみせる。

 

「悠人さん。お兄ちゃんがゲームの中でどんな風に過ごしていたのか、私に教えてくれませんか?」

「あぁ、もちろん」

「あっ! それともう一つ……」

 

 この瞬間、直葉の気持ちは、悠人の元へ1歩だけ距離を詰めた。

 

「お兄ちゃんと一緒に冒険してた、悠人さん自身の事も教えてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルヴヘイム・オンラインには、そこに住まう妖精が全部で9種族存在する。

 天高くそびえる世界樹の(ふもと)には央都アルンがあり、ここを中心として9種族の領地がアルンを囲うようにして配置されている。央都までの道のりは約50キロメートルで、たどり着くまでには様々なフィールドやダンジョンを通過しなければならないが、最初はどの種族も必ず領地近郊のフィールドを横断しなければならない。

 シルフなら古森、サラマンダーなら砂漠地帯、スプリガンなら古代遺跡地帯といった具合であり、これらはフィールドの奥深くへ進めば進むほど出現するモンスターも強くなっていく傾向にある。例えば、今まさにカイトとアスナが相手をしている敵は、ウンディーネ領の初級ダンジョンならボス級の戦闘力を誇っている。

 

「――やあぁぁっ!!」

 

 しかし、2人の戦いはそんな事情を感じさせないものだった。

 カイト達の現在地はウンディーネ領に隣接したフィールドである湿地帯。低本草と水で地面を覆われており、所々で冠水している場所もある。この湿潤な土地では先ほどから水に由来するモンスターが立ちはだかり、領地を出てから5度目となる戦闘が、今まさに行われているところだった。

 敵は3体。そのどれもが人の姿をしているが、体表は水の膜で覆われている。胸の中心部に黒い玉が見えるが、おそらくそれがモンスターの核をなしている部分であり、同時に弱点なのだろう。

 流水系に分類される敵は共通して物理耐性が高く、一方で魔法耐性は低いのが特徴だが、このモンスターに限って言えば、核部分を物理属性の武器で攻撃すれば十分なダメージを与えられるらしい。

 それが判明して以降、カイトとアスナは核に狙いを定めて戦闘を行っている。効率が上がった上に攻撃パターンのバリエーションが多くないのもあって、戦闘スピードは目に見えて飛躍した。

 

「アスナ、カウントスリーでスイッチするぞ。……3……2……1……スイッチ!」

 

 スイッチ直前でアスナが1体を屠ったかと思いきや、消滅したモンスターの後方にいた別の個体が間を置かずに襲いかかる。アスナは剣で受けずにバックステップで回避し、入れ替わりでカイトが前に出ると、すかさず上段から剣を振り下ろした。彼が照準した核部分には寸分違わず命中し、金属同士が接触した際に発生する甲高い音が響き渡る。手応えとエフェクトからして、クリティカルヒットしたのは間違いなかった。

 攻撃がヒットした際のノックバックでモンスターが後方に吹き飛ぶと、その後を追うためにカイトは踏み込み、大地を蹴る。ステータスの許す範囲で出せる速度で瞬く間に肉薄すると、振り下ろしていた剣を跳ね上げ、下から上への逆袈裟斬りで追撃。これが決定打となり、蓄積していたダメージと合わせてモンスターのHPを余すことなく削り切った。

 

 2人の連携で残っていた1体も苦戦することなく倒し、敵がポリゴン片に変わる様を見ながら、カイトは剣を鞘に納める。

 かつては毎日のように戦っていたので、戦闘開始前は2ヶ月以上も間が空いた久しぶりの戦闘に若干の不安を覚えていたが、その思いは剣を振るたびにどこか彼方へと消え去ってしまった。寧ろ今は新しい旅の始まりを楽しむ余裕が生まれているほどである。

 そこでふと、カイトは隣に立つ新たな旅路のパートナーを見やった。かつて《閃光》とまで呼ばれた光速の剣技は健在であり、精密さや動きはやはりというか、目を見張るものがある。組んで間もないカイトとの連携も取れており、戦闘の安定感は手練れのアスナによるものが大きいだろう。アスナとコンビを組むのはこれが初めてだが、ユキやキリトとはまた違った安心感があった。

 

「どうかしたの?」

 

 あまりにもじっと見ていたからか、それに気付いたアスナから(いぶか)しむ声があがる。そこではっと我に返ったカイトは、かぶりを振りつつ正直な気持ちを述べた。

 

「いや、アスナは相変わらず綺麗だなーと思って」

 

 ここで言う『綺麗』とは、アスナ自身ではなく剣の技術のことを指しているのだが、言葉を受け取った彼女は前者の意味で捉えたらしい。最初はきょとんとしていた顔がみるみる赤く染まり、かあっと顔全体が熱くなる。

 

「ほ、褒めても何も出ないわよ」

 

 彼女の反応を見たカイトは、自分が発言が言葉足らずなことに遅れて気付いたが、わざわざ訂正する必要もないかと思い、口を閉じた。剣の技術だろうがアスナ自身だろうが、どちらもカイトにとっては綺麗という表現がピッタリの対象なので、嘘ではない。

 

「まったく……キリト君もカイト君も、2人は時々天然な発言で人を驚かすよね」

「えっ? どういう意味?」

「別にわからなくていいわよ。ただ、私とユキはそんな2人のせいで病気になった被害者ってこと」

「あの、アスナさん? ますます意味がわからないんですが……」

「だからわからなくてもいいの。はい、この話はお終い」

 

 アスナは両の掌を胸の前で合わせ、話がこれ以上進まないように強制シャットダウンさせた。

 

「ところで、領地から結構遠くまで来たと思うけど、私達はあとどれくらいで《虹の谷》に着くのかしら?」

 

 ウンディーネ領から世界樹が屹立するアルンまで最短ルートで行くと、《虹の谷》と呼ばれるフィールドダンジョンに到達する。いってみれば、ここが2人にとって最初の難関になり、なにがなんでも到達しなければならない場所だ。

 領地直近のフィールドとはうって変わり、《虹の谷》からは出現するモンスターが間違いなく強くなる上、トラップの数と種類も多くなり、行く手を阻む障害は今までの比ではないだろう。谷の内部には中立域の街が存在するため、そこにある宿でセーブすることになるが、万が一にでもたどり着く前に死ぬわけにはいかない。もしそうなった場合、また領地からスタートすることになるため、キリト救出に大きなタイムロスを伴うこととなるからだ。

 

「だいぶ近くまで来たのは確かだな。出発した時と比べて明らかに近くなってるし」

「うーん……そうだ。ユイちゃん、聞こえる?」

 

 アスナの問い掛けに呼応し、彼女の肩の上で光が凝集したかと思いきや、それはすぐさま形を整える。現れたのはアスナの愛娘であり、《ナビゲーション・ピクシー》のユイだ。

 閉じていた瞼を持ち上げ、小さな翅から燐光を散らしながらアスナの前までくると、向き直って視線をアスナに向ける。

 

「はい、ママ。どうしましたか?」

「ユイちゃん、あそこに大きな山があるけど、着くのにあとどれぐらいかかるかな?」

 

 アスナが指さした方角には、湿地帯の先にそびえ立つ巨大な山脈があった。雲を突き抜けてそのさらに上にある頂上付近は、冠雪しているせいか真っ白に染まっている。

 

「ここまでの移動速度と残り距離から算出しますと、あと15分ほど飛行すれば到着出来ます」

「そっか。じゃあ、あともう少しだね。翅も回復して飛べるようになっただろうし……行こう、カイト君」

「あぁ」

 

 頷いたカイトは背中の翅を展開し、地面につけていた足を浮かせてその場から垂直方向へ静かに飛ぶ。最初は苦労していた飛行もコツを掴んでからはスムーズに出来るようになり、飛ぶことに関してはマスターしたとみてよいだろう。

 一方のアスナも同様に翅を展開させ、離陸するとカイトと肩を並べた。そして2人は光の粒子を翅から煌めかせ、飛んで移動を開始する。

 

「しっかし、本当にデカイな。一体何メートルあるんだろう?」

「正確な数値は不明ですが、飛行限界高度以上なので、相当な高さであるのは間違いありません」

「まぁ、飛んで超えられるような高さじゃ存在する意味がないしな。ところで、山脈の中に入る洞窟の入り口はこの先?」

「はい。このまま真っ直ぐ進んでもらえれば大丈夫です」

 

 一定のスピードで飛行し続け、一行は洞窟入り口までの距離を着実に詰める。そしてとうとう、一枚岩の壁が綺麗に切り取られ、ぽっかりと大穴が開けられている光景をカイトは視認した。ユイの言った洞窟の入り口とやらは、きっとあの大穴だろうと彼は確信する。

 

「――ママ、カイトさん、止まってください! 何かがこちらに向かって高速で接近しています。これは……」

 

 あと500メートルほどで洞窟の入り口にたどり着くだろうという時、ユイが警告を発した。

 次の瞬間、カイトは背筋が凍りつくほどの寒気に襲われた。ハンターが獲物を見定め、じっとこちらを観察するような熱い視線を全身に浴びたかと思いきや、それは獲物を狩るという猛烈な殺気に変わる。考えるよりも早く、瞬間的に防衛本能が働き、危険信号を受信した彼はすぐさま行動に移した。

 

「アスナ!」

 

 並走する彼女の腕を掴むと、有無を言わさずに垂直方向へと急浮上。彼の第六感と咄嗟の回避行動が功を奏し、間一髪で2人がつい今まで飛行していた場所を謎の黒いエネルギー弾が通過した。後方から飛来したそれは真っ直ぐ突き進み、進行方向にあった山肌と衝突して消滅した。

 カイトは掴んでいたアスナの腕を離して反転すると、アスナもそれにならって後方を向いた。モンスターがポップする演出もなしに後方から奇襲を受けたということは、十中八九攻撃してきたのはプレイヤーのはずだ。そう考えた彼が視線をはしらせると、すぐに自分たちと正対している人影を発見した。

 背中に薄い黒色の翅を生やしているその人物は、黒いロングコートを身に纏ったスプリガンと呼ばれる種族だ。右手にはロングコートと同色の片手剣を携えているが、この時点でカイトとアスナはスプリガンに対して懐かしい雰囲気を感じ取っていた。その姿は、まるで彼らがよく知る剣士を彷彿とさせるようで――――。

 

「……探す手間が省けたな」

 

 数多くの戦場を背中合わせで生き抜き、時には互いに研鑽し合った友の姿を見間違えるはずがなかった。そしてそうとわかった瞬間、彼と同じ格好をしたスプリガンから急に大きなプレッシャーを感じると同時に、これから始まる戦闘の火蓋は既に切られているのだと直感した。

 

「…………キリト、くん……」

 

 背中には右手の剣と同じ業物をもう1本背負っており、それは《黒の剣士》の象徴の1つである《二刀流》を証明している。まだ距離があるにも関わらず、2人は空気を伝って相手から発せられた剥き出しの敵意を肌で感じていた。思わずアスナは息をのむ。

 《エリュシデータ》に酷似した剣の腹に陽光が反射し、カイトは少しだけ目を細めた。

 



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第62話 剣と魔法の空中戦

 

 初めてダイシー・カフェを訪れてエギルから画像を見せられた時、似ているどころの騒ぎではなく本人に間違いないのではないかという感想を抱いたが、実際に実物を目の当たりにしても、その考えに変わりはなかった。

 さらに言えば、単なる画像からは感じ取ることのできない凄みを肌で受けた瞬間、わずかに残っていた疑念は一滴残らず消え去った。対峙することでしかわからないプレッシャーの大きさは、明らかに歴戦の猛者でしか発せられない代物だったからだ。

 

「キリト……」

 

 この場にいる者にしかわからない緊張の空気を破り、カイトは尋ねる。

 

「お前は……キリトなのか?」

 

 問い掛けに対し、言葉による返答はない。ただただ無言を貫くのみ。

 その代わりなのか、行動による返答がなされた。

 ほんの一瞬だけ腰を落として背中の翅を震わせたかと思いきや、全速力で飛行し、直線上にいるカイトへと肉薄する。カイトは突然の出来事に理解が追いつかなかったが、条件反射で背中の剣に手をかけて防御体制をとったのは流石というべきだろう。黒い剣が彼目掛けて振り下ろされたその時には、既に受け止める準備が完了していた。

 

 ――――ガキイィィンッ!!!!

 

 細身の片手剣同士が衝突したにも関わらず、重量級の武器がぶつかったかのような音が響き、接触部位を起点として空間に音の波紋が広がる。近くにいたアスナとユイは耳を塞ぎ、小さな悲鳴を漏らした。

 

「――ぐっ……」

 

 一方、剣を完全に受け止めたカイトだったが、腕に伝わってきた衝撃が想像以上だったため、顔を歪ませる。どうにか耐えてみせたが、何度も受けるのは勘弁したいというのが正直な感想だった。

 

「挨拶代わりにしてはきっついな。……それで、これが質問に対する答えか?」

「…………」

 

 今度も返答はない。口を真一文字に結び、沈黙を貫く。

 至近距離からまじまじと顔を見るが、どこからどう見てもキリト以外にあり得ない。見た目だけで言えばSAOクリア時と変化ないが、あえていうなら瞳に輝きはあるものの活力がない、といったところだろうか。一切の感情を読み取れないその表情から寒気と微々たる恐怖が湧き上がり、その振る舞いからはプレイヤーを攻撃するという命令を忠実に守っている人形のような印象を受けた。

 

「うお……らあっ!!」

 

 ジリジリと迫る剣に負けじと、カイトは両腕に力を込めて押し返す。そんな彼に対抗すべく、《黒の剣士》も負けじと剣で押し戻そうと力を込めたが、この一瞬をカイトは待っていた。

 カイトが自然な動きで剣の角度を斜めに傾けると、漆黒の剣は彼の剣の刃先を滑る。力を外へ受け流したことで《黒の剣士》の初撃は空を切り、さらには体勢を崩したが、これで終わりではない。生み出した一瞬の隙は好機と同義語だ。

 カイトは体勢の崩れた《黒の剣士》の背後に回り込むとその場で反転し、左から右への水平切りを繰り出した。狙いは人体の中心であり、腹部に横一閃の軌跡が刻まれる未来図を脳裏で思い描いたが、彼は次に起こった出来事に度肝を抜かれた。

 体勢を崩され、まともな回避は困難。コンマ1秒の間にそこまで判断したであろう《黒の剣士》は、翅を震わせて推力を生み出し、身体の向きを無理矢理カイトと向かい合う形にすると、あろうことかパリィを試みてきたのだ。

 

 ――キイィィン…………――

 

 剣同士が接触した際の金属音が鳴ったが、完全にパリィすることは叶わなかったようだ。その証拠に《黒の剣士》の腹部には小さいながらもダメージエフェクトが発生しており、視界に表示されたHPが少しばかり減少している。ファーストアタックには一応成功したが、満足できるダメージを与えることは出来なかった。

 ダメージに怯むことなく、《黒の剣士》はやられた分を取り返すかのようにすぐさま反撃に転じようとした――――が、側面から接近する気配を感知したらしく、その場から大きく飛び退いて距離をとった。

 

「やあっ!!」

 

 次の瞬間、《黒の剣士》がいた場所目掛け、加勢にきたアスナがレイピアを突き出した。剣は虚しく空を貫いただけだったが、あと少し速ければ追加でダメージを与えることが出来ただろう。

 

「遅れてごめんね、カイト君」

「いや、むしろ助かった。あのまま続けてたらいつかこっちのペースが崩されて、やられてたと思う。それにしても……」

 

 カイトが怪訝な顔をするが、その理由をわざわざ訊かずともアスナは理解できた。

 一撃の重さ、咄嗟の判断力。そして最大の特徴は、常人ならあり得ないほどの反応速度。

 特にカイトの攻撃に対して行ったパリィは、普通なら不可能だ。仮にやろうとしても、パリィする前にカイトの剣に切りつけられるのが先なので、間に合うことなくダメージを受けるのがオチだろう。

 だが、目の前にいる《黒の剣士》は、不完全ではあるにせよ不可能を可能にしてみせた。これはSAOで最大の反応速度を誇っていたキリトにしか出来ない芸当だ。

 

「やっぱり、こいつはキリトなんじゃ……」

「いえ、違います」

 

 ハッキリと否定したのは、アスナの肩の上でホバリングしているユイだった。

 

「見た目と戦闘だけ見れば確かにそう思うかもしれませんが、()()()()()()()()()()()()()

「ユイちゃん、どういうこと?」

 

 これまで自分たちに提示された情報から判断するなら、目の前にいるのはキリトで間違いないはずだ。

 しかし、ユイはプレイヤーが知りえないシステム上の情報を閲覧することが可能である。彼女の力強い否定は、おそらくそこに由来しているのだろう。

 

「あの人はNPCです。プレイヤーならば本来あるはずのもの……プレイヤーIDがありません」

「じゃ、じゃあなんでキリトと瓜二つの格好をしてるんだ?」

「おそらく、SAOのキャラクター・データをそのまま引き継いでいるからだと思われます。ママとカイトさんはステータスのみですが、あのNPCはアバターの姿やステータスを含めたすべてを引き継いでいます」

 

 アバターの姿が瓜二つの理由、そしてカイトに力で勝る理由は、今のユイの説明で納得できた。しかし、ただのNPCにあそこまでの反応速度が再現できるものなのかとカイトは頭を捻ってみせるが、彼の顔色から心情を察したユイがさらに補足する。

 

「ここでいう『すべて』とは、数値的ステータスやスキル値、さらにはパパ自らがアインクラッドで積み重ねた戦闘技術などを指します。アバターの反応速度についても、システムの補正をかけることでパパ本人と遜色ない動きを再現しているのでしょう」

「それじゃあ、あのアバターはキリト君ではないけれど、キリト君と同等の強さをもったNPCってこと?」

「その通りです、ママ」

 

 カイトはユイの言葉を聴きつつ、内心で『冗談はよしてくれ』と毒づいた。

 キリトの戦闘能力は《二刀流》を抜きにしても攻略組で上位に位置し、対人戦ではシステム外スキルや相手の裏をかく戦法で数々の勝利をおさめている。そういった戦術を駆使してくるとしたら、一撃の重さはともかく、限られた攻撃パターンで攻めてくるアインクラッドのフロアボス以上に面倒くさい相手だ。

 

「とりあえずあいつはキリトじゃないから、倒しても問題ないっていうのがわかっただけでも収穫だ。それに向こうもこっちをタダで見逃すつもりはないみたいだし……アスナ、いけるか?」

「うん、大丈夫」

 

 強敵だが、カイト1人で戦うのではなく、今回はアスナという心強いパートナーがいる。トップギルドの副団長を務め、《閃光》の二つ名を持つ彼女とならば、キリト相手に遅れをとることはないだろう。

 

 そして2人の準備が整うのを待っていたかのように、《黒の剣士》は再び動き出した。

 

 静止状態から一気に加速して瞬く間にカイトへ肉薄すると、右手の剣が閃いて右斜め下から上へと跳ね上がる。剣本体が霞むほどの恐るべきスピードだったが、あらかじめ予測していたアスナがレイピアを突き出し、剣の腹を正確に捉えて真横に弾いた。彼女が一瞬の攻防でみせた剣技の正確性と速度に胸中で感嘆の声を漏らしたカイトは、生まれた隙を逃すまいと最小限の動きで剣を振り下ろした。

 剣が《黒の剣士》の肩口へ吸い込まれ、斜めの軌道を身体に刻みつける――――が、手応えを得た感覚と真紅のダメージエフェクトが発生しない。違和感を感じた次の瞬間、目の前にいた《黒の剣士》は黒い靄に変化し、その場で霧散して静かに消え去った。

 

「どう、いう……?」

 

 状況を理解できずに混乱しているカイトだったが、背後で何かが動いている気配を察知して振り返る。そこにはたった今不可思議な現象で姿を消した《黒の剣士》が剣を振り下ろしており、思考が追いつくよりも早く、研ぎ澄まされた剣がカイトの身体に1本の紅いラインを刻みつけた。

 

「うぐっ――――」

 

 《黒の剣士》は(うめ)くカイトの声など気にも止めずに剣技を繰り出し、垂直方向に追加で3度切りつけた。連続剣技が空中で正方形の軌跡を描き終える頃、カイトのHPバーは大きく減少し、追加で発生したノックバック効果で体勢を崩されていた。

 

(そういえば……確かスプリガンは幻惑魔法が得意だっけ……)

 

 《黒の剣士》が使ったトリックの正体、それは幻惑魔法。自動操縦のダミーアバターを出現させ、相手の注意が逸れている隙をつき、術者はカイトの背中をとったのだ。アスナとの会話に集中しすぎてスペルの詠唱を見逃したのか、あるいは遭遇する前から既に魔法を発動させて待機状態にしていたのかもしれない。

 追撃を覚悟したカイトが《黒の剣士》に目を向けると、案の定剣を構えている相手の姿があったが、さらにその背後にはレイピアを引き絞っているアスナの姿もある。剣先をクリティカル判定が出やすい心臓にピタリと照準し、一気に腕を前へ突き出すことで、ダメージを与えつつカイトのフォローをするつもりなのだろう。

 だがその考えを読み取ったかのように、《黒の剣士》は攻撃を中断すると背面のアスナに向き直る。突き出されたレイピアの切っ先から最小限の動きで回避し、アスナの脇腹に水平蹴りを見舞うと、彼女は突如襲ってきた横からの衝撃に抗うことなく吹き飛ばされた。

 

「――――っ!」

 

 鈍重な不快感を頭の隅に押しやりつつ、背中の翅を震わせて崩された体勢を空中で立て直すと、アスナはすぐに肉薄する《黒の剣士》の姿を捉えた。ギリギリまで引き寄せてカウンターをくらわせようと考えた彼女は反撃の姿勢をとるが、《黒の剣士》が背中にあるもう1本の剣の柄に手をかけた瞬間、嫌な汗が彼女の頬を伝い、同時に次の考えが脳裏をよぎった。

 

 ――二刀流を使う気だ――

 

 ユニークスキルもソードスキルもないALOだが、スキルがないからといって剣を2本装備して戦えないというわけではない。

 二刀を用いたキリトの剣戟は通常攻撃でも恐ろしい速度を誇っていた。フロアボス戦やヒースクリフとのデュエルで見た光景がフラッシュバックし、咄嗟の判断で身構えた彼女は剣で受けようと防御姿勢をとる。

 《黒の剣士》の左手が閃き、上から下へと振り下ろされる。レイピアに重い一撃が入った証拠として腕に衝撃が加わることを予想したアスナだったが――――その意に反し、実際には何も起こらなかった。その理由は、《黒の剣士》の振り下ろした左手が全てを物語っていた。

 

(……フェイク!?)

 

 左手には何も握られておらず、引き抜いたと思っていた剣は背中の鞘に納まったまま。二刀で攻めてくると思わせ、アスナにミスリードを誘発させるためのフェイントだった。

 上段からの剣撃に備えていたアスナを嘲笑うかのように、《黒の剣士》は右手で握った剣で下段からの切り上げを繰り出した。切っ先がガラ空きの胴体を切りつけ、アスナのHPバーが減少する。

 

「アスナ! 左右どっちでもいい、避けろっ!」

 

 背後からの指示を受けたアスナは無意識に身体を捻り、左側に飛ぶと、いつの間にか回り込んでいたカイトが絶妙なタイミングで飛び出した。アスナを目隠しの壁にして放った突進技は、相手からすれば突然カイトが現れたように見えただろう。

 通常はここまでする必要はないが、敵はキリトと同等のスペックを持ち、キリトの戦闘データを蓄積したモンスターだ。高次元の駆け引きは自分達も苦しいが、それだけのことをする価値が対峙するスプリガンにはある。

 

 だが、それでも届かないことはある。

 

 回避できないと思われたタイミングだったが、それは一般プレイヤーの常識であり、《黒の剣士》も同様に当てはまるとは限らない。《黒の剣士》は上方に飛んで突進技を回避すると、カイトから約5メートル離れた地点で反転し、左手を前にして右手の剣を担ぐ形をとった。それだけで、カイトは彼が次に何をするのかを察した。

 

(……間に合えっ!)

 

 そう願った直後、ジェットエンジンのような音を轟かせ、空気を切り裂いて突撃してくる《黒の剣士》の姿があった。開いた距離を瞬時に埋めるこの技は、片手剣スキルの中でも高い威力とリーチを兼ね備え、かつてキリトが好んで多用していた単発重攻撃《ヴォーパル・ストライク》そのもの。システムアシストがないにも関わらず本物と遜色ないスピードを再現している理由は、背中の翅で生み出した推力を余すことなく利用しているからだろう。

 

「……ここ、だっ!」

 

 迫る剣先を凝視してタイミングを図ったカイトは、自身に到達する寸前で相手の剣の腹を思い切り叩いた。その結果、直線軌道を描いていた剣が斜めに修正され、《黒の剣士》はカイトの真横を通り過ぎていく。切っ先が腹部を掠めてHPがわずかに減少するが、失敗して直撃するよりかは遥かにマシだ。

 交錯して位置を入れ替えた2人はほぼ同時に振り返り、大きく振りかぶって大上段からの一撃を放つ。剣同士が接触して甲高い音と火花が散り、両者は一歩も譲らない鍔迫り合いへと移行した。

 

(こいつがキリトの偽物(コピー)だって……? 本物(オリジナル)と見分けがつかないぞ)

 

 動きも、技も、展開に応じた最適な判断も、剣を交わす度にそのすべてがキリト本人と戦っているような感覚を思い起こさせる。もしユイがいなければ、間違いなくカイトもアスナもこのキリトは誰かに操られているのだろうと思い込んでいたはずだ。

 

 力の限りを尽くして剣を押しやるが、相手も負けじと押し返してくる。均衡は終わりの見えないものに思えたが、《黒の剣士》が何かを察知し、突然後方に飛んでカイトから距離をとった。その直後、カイトと《黒の剣士》を白い霧のようなものが襲い、瞬く間に彼らの視界は真っ白に染まる。

 

「一体なにが……」

 

 景色が白一色に染まり、自分の手元すら見えないほどだ。視界がホワイトアウトしたことで自分の位置や方角がわからなくなり、カイトの中で混乱と動揺が生まれたが、凛とした声がそれらを一掃した。

 

「カイト君。こっち!」

 

 不意に腕を掴まれたかと思いきや、カイトの身体は声の主――アスナに引っ張られる形で急降下し、白一色の視界がすぐに元の彩りを取り戻す。彼女の導きに任せて肩越しに後ろを一瞥すると、そこには巨大な雲とでも呼べる白い塊が浮遊していた。その正体は細かな水蒸気を多量に生み出して雲を作り、敵の視界を遮る妨害魔法だ。アスナがカイトを退避させるための時間稼ぎに放った魔法で、彼女はどうにか狙い通りに事を運ぶことが出来た。

 アスナは地面に降り立つと同時に別の魔法の詠唱を開始。彼女の周りに光り輝く文字がいくつも浮かび、それらが消えると2人を薄い水の膜が包み込んだ。

 

「アスナ、なにを……」

「しっ! 静かに」

 

 アスナが人差し指を立てて口元に添えながら注意を促すと、上空で風の生まれる音が聞こえた。2人が空を見上げると、さっきまであった巨大な雲が霧散して消える光景がそこにあった。《黒の剣士》が剣を水平にして固まっているが、おそらくは凄まじい速度で剣を振り、水蒸気の塊を薙ぎ払ったのだろう。

 視界が一気に開けた《黒の剣士》はすぐに辺りを見回し始めた。間違いなく、見失った攻撃対象のカイトを探している。

 

「アス……」

「大丈夫。ハイディング効果のある魔法をかけたから、ここまで離れていれば、いくらキリト君の《索敵》スキルが高くても見つからない」

 

 今彼女が使った魔法は水の膜で光の屈折率を変化させ、相手から術者を見えなくするものだ。しかし、ハイディング効果があると言ってもまだアスナの魔法スキルは高くないため、効果もどの程度あるのかわからないし、最悪気休め程度かもしれない。あとは運良く気が付かずにいてくれるのを願うだけだ。

 そしてその願いが叶ったのか、《黒の剣士》は対象の発見を諦めて剣を背中の鞘に納めると、何事もなかったかのように西の方角へと飛び去っていった。その姿が黒い点となり、遂には目で捉えられなくなった時、ようやくアスナは安堵の息を零した。

 

「……良かった。上手くやり過ごせたみたいね」

 

 一安心といった様子のアスナだが、カイトは彼女のとった行動の真意を図りかねた。

 

「アスナ、どうしてとめたんだ? 別に負けてたわけでもなかっただろう?」

「確かにそうかもしれなかったけど、あのまま続けてたらきっと負けてた。だって私たち、昨日ALOを始めたばかりなのよ。いくら剣の戦闘に慣れていても、空中戦闘や魔法を織り交ぜた戦いは初心者同然でしょう? この場は流すべきだわ」

 

 事実、カイトは相手のダミーアバターにまんまと騙されたし、領地を出てからのモンスター戦は地上で繰り広げていたので、空中戦闘は何を隠そうついさっきが初めてだ。内心では不慣れな戦闘に戸惑っていたし、アスナが言うように戦闘を継続していてもジリ貧だった可能性は確かにある。

 

「……はぁ、わかったよ。それなら次会った時のためにも、空中戦闘と魔法には慣れとかないとなぁ……」

 

 新たな課題を発見したカイトは頭を抱えるが、これもすべては目的を達成するために必要なこと。魔法の詠唱は英単語の暗記みたいで無意識に遠ざけていたが、剣だけで進めるほどこの世界は甘くないということだ。

 そこでふと、これまで一切魔法を使っていないカイトに対し、既にアスナは2つの魔法を行使してみせたことに違和感を感じた。

 

「アスナ。そういえばさっき魔法を使ってたけど、一体いつ覚えたんだ?」

「領地を出る少し前だよ。使えそうなやつをいくつかピックアップしてその場で覚えたんだ。そうは言っても、まだ4つしか使えないけどね」

「い、いや……十分です。というか流石です、アスナさん」

 

 さらりと言ってのけたアスナだが、1つの魔法を発動するのに唱えたスペルワードの数は決して少なくなかったはずだ。集合してから領地を発つまで確かに少し余裕はあったものの、その限られた時間の中で魔法を覚える暇がどこにあったのか、カイトにはまったく思いつかない。

 アスナの準備の良さと能力の高さを改めて認識し、舌を巻かずにはいられないカイトだった。

 




次回から3話程度、リーファsideの話となります。(予定)


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第63話 図る好機と探る真意

 

 真っ白な壁を両手で触り、ユキはどこか外へ繋がる綻びはないかと淡い期待を込めて探していた。

 彼女が決意を新たに脱出の糸口を模索し始めたのは、唯一の話し相手である妖精さんがこの部屋を出てすぐのことだった。ベッドの下や家具の裏、もしくは床のどこかに隠し通路の入り口がないものかと思いつく限りで部屋の中をくまなく捜索するが、そうそう都合よくあるものではないらしく、綻びの『ほ』の字すらない。よって彼女が最終的に脱出の可能性を最も含んでいると結論付けたのは、妖精さんがこの部屋に出入りする時だけ扉に変化する壁の一部分だった。

 どういった構造なのかは不明だが、普段は一見して何の変哲もない壁なのに、ユキが《妖精さん》と呼ぶ少女が通る場合に限ってスライド式の自動ドアになる。ユキが接近しても壁を触っても反応がないことから、妖精さんだけに与えられた権限であると見て良いだろう。

 

(やっぱり、扉が開いている時に隙を見て出るしか……)

 

 これまで何度も浮かんだ案がまた彼女の脳裏をよぎるが、ユキは頭を振って意識の外に追いやった。

 

(……ううん、ダメだ。あの人がいないと開かないし、そもそも隙をみて出るなんてきっと出来ない)

 

 ユキがそう言い切れる自信の源は、一見して妖精さんが気さくな雰囲気を放っていても、警戒心は微塵も緩めていないことを感じとっているからだ。

 

 ゲームオーバーがそのまま死に直結する世界で2年の歳月を過ごしたことに加え、《攻略組》の一員として強者と関わる機会が多かった彼女は、些細な動作や振る舞いで相手の実力を直感で感じ取れる。妖精さんがこれまでユキに見せた数々の仕草は、そんな彼女に確信を持って『この人は強い』と思わせるのに十分だった。

 例えば、VR世界というのは感情表現が過剰――悪く言えば大雑把――なのだが、妖精さんが笑顔を作る際にはユキも驚くほど自然な笑みを浮かべる。これは仮想世界に相当適合している証拠だ。

 立ち姿だけを切り取っても一部の隙もない妖精さんだが、極めつけは両腰に常備している武器だ。形状から判断してクロー系の武器だが、武器自体が放つ輝きは決してなまくらではなく、高水準かつガチガチに強化された逸品と伺える。強者の雰囲気と相まってただの護身用ではなく、彼女自身も数多くの戦闘をこなしてきたことが見てとれた。

 

 そんな相手に対してユキは丸腰状態なので、万が一戦闘になれば1秒と保たずに制圧されるだろう。

 

(そもそも、どうしてあの人は私をここに(とど)めておきたいんだろう?)

 

 部屋の一画にあるベッドに戻って横になり、天井を見つめる。今更だが、改めて考えると不可解な疑問点は幾つもあった。

 

 妖精さんがユキを人体実験の被験者という立場から救い出してくれた事。

 しかし、VRワールドからの脱出には手を貸さず、一箇所にユキを幽閉し続けている事。

 自分自身については何も教えてくれないのに、それ以外の事には何でも答えてくれる事。

 

 3つ目はリアル割れを防ぐためだと言われればそれまでだが、残りの2つが示す意味をユキは図りかねていた。彼女の目的は不明だが、これらの事実は必ずなんらかの意味を含んでいるはずだし、そこに妖精さんにとってのメリットがあるのだろう。

 先の見通せない未来に不安を覚えた彼女は、ベッドの上で身体を丸めて縮こまった。

 

「……会いたいよ」

 

 ポツリと呟いた言葉の対象者が誰を指すのかは、言うまでもない。心の拠り所だった人物の顔を思い浮かべると、瞳から光るものが零れ落ちた。

 SAOがクリアされる直前でカイトのHPはゼロになったため、ユキは彼が生きていることを知らない。既に脳を焼かれて息絶え、2度と会う事のできない人物だと思っているので、生きているどころか少しずつ自分のいる場所に近付いているなど夢にも思っていないはずだ。

 

「助けて……カイト……」

 

 ユキの手で部屋の内部から脱出するのは、おそらく不可能だ。部屋の外から第三者が協力してくれない限り、半永久的に閉じ込められたままだろう。

 現時点でユキを部屋の外に連れ出してくれる可能性がある人物は、世界樹目指して進行しているカイトとアスナが最も高い…………が、奇跡的に歯車がかみ合えば、ユキの脱出に一役買える人物がこの世界にもう1人いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キリトは心底嫌そうな顔で内心『うへぇ……』と思いながら、オベイロンが彼に差し出した物を見た。

 今まさにオベイロンが手に持っているものは、キリト好みの黒色に染められたドレス。前回オベイロンが鳥籠に訪れた際、『黒いドレスを持ってこようか?』とキリトに提案していたのだが、あろうことか彼は有言実行し、本当に黒のドレスを持ってきたのだ。冗談だと思ってキリトは聞き流していたので、これに関しては流石に予想外だった。

 

「どうだい、中々上等なものだと思わないか?」

 

 そして誇らしげに話すオベイロンの顔が、一層キリトの不快感を増幅させた。

 

「……あんた、オレになにさせたいんだ?」

「君に何かをして欲しいわけじゃないさ。ただ、僕が君を苛めてその反応を楽しめればそれでいいんだよ」

「悪趣味な奴」

「僕は寛大だから、今のは褒め言葉として受け取っておくよ」

 

 そう言うとオベイロンは椅子の背もたれにドレスをかけ、椅子に腰掛ける。足を組んでテーブルに肘をつき、キリトを見た。

 

「君だってこんな所にいても退屈だろう? 少しは僕の遊びに付き合えば、幾らか気が紛れるだろうさ」

「そもそもオレをここに閉じ込めなければそんな心配はいらないだろ。ここから出せ」

「そんなのダメに決まってるじゃないか。いちいち口に出すまでもないのは百も承知だとわかっているくせに。……それに、今ここから出ないのが君のためだと僕は思うな」

「どういう事だ?」

 

 話にくいついてきたキリトの反応で、オベイロンがニヤリと笑う。

 

「僕はもうじき明日奈と結婚するんだ」

「――なっ!?」

 

 驚愕に見舞われたキリトは両眼を大きく見開き、二の句を継げずに絶句する。オベイロンが言った言葉の意味を飲み込めない状態だが、そんな事などお構いなしに妖精王は饒舌に語り出した。

 

「当の本人がごねているから正確にはまだ確定じゃないけど、それも時間の問題だろう。彼女の父親は馬鹿だからどうとでもなるし、明日奈の抵抗もそう長くは保たないさ。なにせこっちは君の命を預かっている立場なんだから、下手に僕の機嫌を損ねるような真似はしないしね」

「お前……オレを人質にしてアスナを脅しているのか?」

「脅しているだなんて人聞きの悪い事は言わないでほしいな。僕は至極真っ当な案を彼女に提示しているだけだよ。結婚すれば君の命は保証されるし、僕は結城家の養子として彼女の家に入り込める……そう、これは双方共にメリットのある、いわば交渉さ。それに心配はいらないよ。彼女と結婚した暁には、君の分まで明日奈を可愛がってあげるからさ」

「――ふざけるなっ!!!!」

 

 キリトは右手で拳を作り、オベイロンの顔面を思いきり殴るために飛びかかる。たとえ安い挑発だとしても、アスナを目的達成のための道具として利用する彼の魂胆に腹が立ち、いてもたってもいられなくなったのだ。

 キリトを挑発したオベイロンは座ったまま右腕を持ち上げ、手をかざす。つい先日味わった巨大な圧力がキリトを襲い、地面に伏して這いつくばった。当然、右拳がオベイロンに届くことはなく、椅子から立ち上がった妖精王はなす術のないキリトを見下ろす。

 

「クックック、生意気なガキは嫌いだが、この状況で学習能力のないガキは最高だね。こっちの思い通りに動いてくれるおかげで、本当に僕は退屈しないよ」

 

 そう言ってオベイロンはキリトにかけていた重力魔法を解除すると、右足を振りかぶって這いつくばっている彼を蹴り上げた。

 

「ガハッ……」

 

 つま先が腹部にめり込み、突き刺すような鋭い不快感が蹴られた部位を中心にして広がる。勢いがのった蹴りでキリトはベッドの近くに蹴り飛ばされると、腹部を押さえてうずくまり、憎々しげに妖精王を睨みつける。

 

「……なんでもお前の思い通りになると思うなよ。この状況だって、いつまでも続くとは限らない……」

「はっ、そりゃあいつかは終わるだろうさ。ただし、僕が思い描く通りの未来で終わるだろうけどね」

 

 言葉を吐き捨てたオベイロンはキリトに背中を向けると、トーガの裾を揺らしながら鳥籠の入り口へと歩き出す。それを見たキリトは身を起こし、目論見を悟られないようベッドの天板に掛けられている鏡に近付き、身体を預けた。それと同時にオベイロンはドアに到達し、肩越しにキリトの様子を伺ったが、幸い彼からはキリトがアスナを奪われたことで悲嘆に暮れているように映っているのだろう。一瞥したオベイロンは何を気にするでもなく、ドアの脇に設置されている金属プレートへ視線を移した。

 このプレートにはボタンが12個並んでおり、数字を正しい順番で押すとドアが開閉する仕組みをしている。管理者権限で開けられるように設定すれば良いのだが、あえてそうしないのはオベイロンの好みであり、美学なのだろう。

 

 ここで、オベイロンは重大なミスを2つしている。

 

 1つは、ドアの開閉を暗証番号の入力で可能にしていること。

 当然だが、この仕組みは暗証番号さえ分かっていれば誰にでもドアを開けることができる。しかし、オベイロンがキリトに番号を教えるはずはなく、どの数字を押しているかキリトが直接盗み見ようとしても、遠ければ遠近エフェクトの発生でディティールが減少し、どの数字を押しているのかわからない。だからこそ、オベイロンは彼の前で堂々と数字を入力しているのだ。

 だが、ここで2つ目のミスが活きてくる。

 仮想世界の鏡は、鏡であって鏡ではない。映り込んだものを左右反転させて映すのは共通しているが、ここでの鏡は高解像度のピクセルを用いて表面にくっきりと映ったものを描画するのだ。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そうとは知らず、オベイロンはいつものように暗証番号の入力を始める。キリトからは手元が見えないだろうと油断しているが、キリトの目にはこの上なくハッキリと数字が見えていた。

 

(8……11……3……2……9……)

 

 キリトは心の中でオベイロンが押した数字を唱え、頭に刻みつけた。背後でドアが閉まる音と遠ざかる足音を耳にし、妖精王が樹上の道を歩いていく様を見送ると、キリトはベッドで横になったまま時間の経過を待った。

 自発ログアウトが出来れば最良だが、最低でもこの状況を外部の人間に伝えるぐらいはしたいとキリトは考えていた。失敗すれば再び鳥籠に閉じ込められ、番号も変更されるだろう。

 

(……チャンスは、1度だけ)

 

 キリトは夕焼け色に染まり始めた空を見ながら、脱出の算段を立て始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シルフ領の北東に位置するフィールド《古森(ふるもり)》の奥深く。リーファは領主サクヤ率いるシルフの精鋭と共に中立域での戦闘をこなし、まもなく森を抜けた先にある高原地帯へと差し掛かるところだった。

 領地を出てから休憩を挟みつつ、かなりの距離を飛行してフィールドを進む一行に疲労の色はない。奥地へ行けば行くほど出現するモンスターのレベルは増していくが、それ以上にメンバーのプレイヤースキルが上なのだ。事実、先ほど出現した羽のある単眼の大トカゲ《イビルグランサー》は、シルフ領の初級ダンジョンならボス級の強さを誇っているが、さして苦戦することなく剣と魔法に屠られた。

 

(私の出る幕はないなぁ……)

 

 リーファは戦闘が始まると、後衛として前衛陣の援護に徹している。集められているメンバーは領主の護衛を任されているだけあって腕は確かだし、連携も取れているので、ここに急遽加入した自分が入って下手に連携を乱すのもどうかとリーファは考えたのだ。

 

「サクヤさん、そろそろ……」

「あぁ、そうだな」

 

 護衛の1人がそう言うとサクヤは頷き、飛行中の一行は緩やかに降下した。ちょうど古森を抜けて山岳地帯に差し掛かるところだったので、古森と山岳地帯の境界線――草原の端にふわりと着地する。

 

「さて、皆わかっているとは思うが、ここから先は会合場所へ向かうまでで1番の難所だ。一先ず洞窟の中に入り、中にある中立の鉱山都市で今日は落ちようと思う。それでいいかな?」

 

 サクヤの提案に異を唱える者はいない。彼女は沈黙を肯定として受け取った。

 

「では、翅の飛翔力が回復するまでの間、ここで1度ローテアウトしよう」

 

 ローテアウトとは、交代でログアウト休憩をとることだ。宿屋でログアウトするなら兎も角、フィールドのような中立地帯では即時ログアウトが出来ないため、かわりばんこに落ちて残ったプレイヤーが空っぽになっているアバターを守るというものである。

 

「振り分けは……そうだな、前衛組と後衛組で分けるとするか。前で奮戦していた組からどうぞ」

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

 

 前衛組が先にログアウトしたことで、アバターが待機姿勢――片膝立ちでしゃがんだ姿勢――をとった。それを確認した後衛組は各々が好きな位置に座り、モンスターやプレイヤーの接近を意識の片隅で警戒しつつ談笑し始める。暫しの休憩だ。

 

「領主も大変なのね。わざわざ条約の調印のために遠出するなんて」

 

 リーファがサクヤに近付き、話しかけながら隣に座った。

 

「たしかに領主の地位についてから色々と政治に携わらなければならなくなったが、これはこれで面白いものさ。もし興味があるなら、執政部に入って私に助力してほしい」

「無理無理。政治ってなんだか難しそうだし、きっと私には向いてないよ」

「そう謙遜しなくてもいいさ」

 

 本心なんだけどなぁ、と思いつつリーファが笑って誤魔化していると、サクヤが思い出したように問いかけてきた。

 

「そういえばリーファは世界樹に行きたいと言っていたが、一体何故?」

 

 この問いかけに、リーファはどう答えればいいのか悩んだ。

 世界樹に行くのは、未だ仮想世界に囚われ続けているであろう和人に会うためだ。しかし、常識的に考えて世界樹にいるのは運営サイドの人間だし、人を探しているとなれば「アルンに行きたい」と普通は言うだろう。だからこそ、サクヤはリーファの言い方が引っかかったのだ。

 そして「兄が世界樹の上にいるから」という理由ではきっとサクヤは納得しづらいし、リーファ自身も説明に困る。彼女ですら、未だ半信半疑なのだ。

 

「私自身どう言えばいいのかわからないんだけど……兎に角、人を探しているのよ」

「人探しか。たしかにアルンにはその類の掲示板があると聞くが」

「ううん、きっとそれじゃあ見つからない。私が探している人は、ちょっと……いや、かなり特殊な場所にいると思うから」

「つまり、世界樹か?」

「うん」

 

 リーファの答えを聞いたサクヤは、口元に手を添えて考える素振りを見せた。鼻で笑われてもおかしくない場面だが、他人事として扱わず、真剣に聞いて考えてくれるところがサクヤの良いところだ。

 

「それだと運営側の人間、ということになるが……どうやらそうではないらしいな」

 

 導いた答えをすぐに切り捨てたのは、リーファの顔にはっきり『No』とでも書いてあったのだろう。

 

「う〜、ごめん。本当に私もどう言っていいのかわからなくて……」

「いや、すまない。リーファを困らせるつもりはないんだ。それにこちらも無理に聴き出すつもりはないさ」

 

 リーファの困った顔にサクヤは小さく笑みを零したが、すぐに表情が引き締まった。

 

「……リーファ。1つだけ教えてくれ」

 

 真剣な顔につられ、リーファの表情も引き締まる。2人の視線がぶつかった。

 

「アルンに行って目的を果たしたら、領地に戻ってきてくれるのか?」

「……最初はそのまま出よう、とか考えていたけど、今は違う。ちゃんとスイルベーンに戻るよ」

「そうか。それを聞けて安心したよ」

 

 普段は心の底を決して人にみせないサクヤだが、彼女のホッとした様子は演技でも嘘でもなく、きっと本心だ。安堵の顔を浮かべた彼女は、今はもう視認できないほど彼方にある翡翠の塔の方角に顔を向けた。

 

「君は私にとって大切な友人だ。この件が終われば私はすぐに領地へ戻るが、リーファとまたスイルベーンで会えるのを心待ちにしているよ」

「うん。絶対に戻ってくるから」

 

 サクヤにならってリーファもスイルベーンの方角を向くと、古森から穏やかな風が吹いたため、彼女は肌を優しく撫でる心地よい感覚に身を任せて瞼を閉じた。

 



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第64話 火の眷属と風の眷属

 

 リーファが桐ヶ谷直葉として自室のベッドで目を覚ました時、既に外は暗くなり、天上では星が瞬いていた。アミュスフィアを取り外し、すっかり暗くなった部屋をあとにして廊下に出ると、冷気が太ももを撫でたため、彼女は身体をブルッと震わせた。

 

「さむっ……」

 

 呟いた声と共に漏れた吐息は白く、自室との寒暖差が身に染みる。迷うことなく風呂場に向かい、シャワーを浴びて身体を洗い流そうと決めた。

 脱衣所で服を脱ぎ、浴室に入って暖かい湯が浴びる。彼女の髪をしっとりと濡らし、胸元から足先までを湯が伝っている間、ふと昼間に出会った少年を思い浮かべた。

 兄の和人と共に行動していたという悠人は、彼の時間が許す限りで兄との思い出を話してくれた。諸事情で敬遠されることも多かったが、彼の持つセンスは最前線を駆け抜ける攻略組集団も一目置くほどだったのだ、と。一緒にいて迷惑を被ることもあったが、それを鬱陶しく思ったことは1度もなく、なんだかんだ言って退屈しない存在だったのだと悠人は話した。

 和人はネットゲームに、直葉は剣道に没頭し、いつしか同じ屋根の下で生活する家族であるにも関わらず、まともな会話をせずにすれ違うことが多かったため、悠人の口から語られる和人は非常に新鮮だった。だがイタズラ好きな一面があると聞かされた時、根っこの部分では昔とちっとも変わっていないと思いつつ、自分の知る兄の姿と重なったため、心の片隅で安堵したのも事実だ。兄の性格が以前と変わらないなら、目が覚めた時はこれまでの積み重ねで開いてしまった距離を埋め、昔のような関係に戻れるだろうという期待を抱いたからである。

 

(そうだ、戻ろう。仲の良い『兄妹』に……)

 

 本当の兄妹ではないが、自分の中に抱いている兄への感情を隠し通さねば、きっと昔のような関係にはなれない。自分の知らぬ間に和人との距離を縮めていた明日奈に対して何も感じないと言えば嘘になるが、同性の直葉が感嘆の声を漏らすほどの美貌を兼ね備えている彼女にはどう足掻いたって勝てないのは明白。さらには明日奈が眠っている和人に向ける深い愛情と、悠人の思い出話の中で出た2人の仲睦まじい様子から察するに、もう自分が割って入るのは不可能だと悟った。

 そこまで理解している彼女だが、心の何処かでまだ諦めきれていない自分もいる。目を瞑り『忘れろ、忘れろ』と念じてみるが、深く根付いた想いはそう簡単に消え去るはずもない。それがたまらなく苦しかった。

 

 身体はサッパリしたが心はスッキリしないまま浴室を出て着替えると、冷蔵庫にある食材で手早くサンドイッチを作り、空っぽだった胃を埋める。食べ終えたら片付けをしてそそくさと2階の自室に入り、扉を閉めて廊下の冷気を遮断。エアコンが稼働中であることを確認するとベッドに横になり、枕元に置いてあるアミュスフィアを装着した。

 接続ステージを終えると直葉は虹色のリングをくぐり抜け、再び妖精の世界に向かう。何物にも縛られず、高く、速く、無限の空を自由気ままに飛び回るもう1人の自分、リーファとして――。

 

 

 

 

 

 微風が肌を撫で、風に揺れる草原の音が鼓膜を震わせる。リーファが目を開けると、そこには見晴らしの良い草原が広がっており、さらには高ランクの装備を身につけたシルフのプレイヤーが複数人いた。片膝をつく待機姿勢から身体を起こして立ち上がると、それに気付いたサクヤがリーファを見た。

 

「やあ、おかえり」

「ただいま。サクヤ、早いね」

「なに、私もついさっき戻ってきたところだ。まだ戻ってきていない奴がいるから、もう少しだけ待っていてくれ」

「うん。わかった」

 

 そんな会話を交わしていると、すぐそばで待機姿勢をとっていた他のプレイヤーも戻ってきたらしく、すっと立ち上がって挨拶を交わす。ほどなくして全員が揃ったので、サクヤの掛け声で一行は再び飛行を開始した。

 緑色の絨毯を見下ろしながら緩やかに飛び、眼前にそびえ立つ巨大な山脈目指して進むと、時間にして10分とかからず洞窟の入り口にたどり着いた。

 ほとんど垂直に切り立つ岩壁の一部にぽっかりと大穴が開いており、目を凝らしても中を見通すことが出来ないほど真っ暗だ。大きさは高さも幅も5メートルを優に超えており、入り口の周囲には精緻な彫刻が刻まれている。よく見るとゴーレムやガーゴイルといった――いわゆるエンチャント系――モンスターが背中に生えている翼を折り畳み、身体を丸くしている姿だった。

 そして上口部には太い角を左右に生やし、山羊を模したであろう悪魔の顔がリーファ達を睥睨(へいげい)している。眼窩(がんか)には薄紅色の宝石が埋め込まれ、吸い込まれそうなほどの輝きを宿し、《ルグルー回廊》へ進む者を出迎えているようにも見えた。

 この先には中立の鉱山都市ルグルーがあるが、それは伝え聞いた情報で知っているだけであり、実際に見た事は1度もない。つまりリーファにとって未知の領域なのでわくわくする気持ちがあるにはあるが、洞窟入り口の悪魔像の影響からか、不安な気持ちも彼女の中で混在していた。

 中に入ると案の定暗く、視界が一気に悪くなる。幸いにもメンバーの1人が暗視効果を付与する魔法を使えたため、手探りで洞窟を進むことはなく、湧出するオーク相手に遅れをとることもなかった。

 

 本来なら飛ぶことを身上としているシルフがルグルーを利用することはほとんどない。洞窟内は飛翔力の源である日光も月光も届かないため、敬遠する者が多いのだ。アルン方面へ行く場合、友好的な関係を築いているケットシー領を経由して山脈を超えるのだが、ケットシー領主アリシャ・ルーの希望で急遽条約調印の日程を変更したため、急いで向かうために最短ルートであるルグルーを通過することに決めたのだ。

 洞窟内に入り、進むこと約2時間。数十回の先頭をこなし、もう間もなく中立都市に到着するというところまで来た。

 

「そういえばサクヤ。ケットシーの領主ってどんな人なの?」

 

 リーファには親しくしているケットシーの友人が何人かいるが、領主をこの目で見たことは1度もなく、知っているのはサクヤと同様に種族の長期政権を維持しているプレイヤーということだけだ。故に彼女は領主として、そして友人としてアリシャ・ルーと親しくしているサクヤに、ケットシー領主の人物像を尋ねた。

 

「愛嬌のある面白い奴だよ。あと、感情がすぐ尻尾と耳に出る」

「後半はケットシーなら誰でもそうでしょ」

 

 リーファがクスッと笑みを零し、それを見たサクヤも顔を(ほころ)ばせた。

 

「私が思うに、ルーほどケットシーに相応しい奴はいないぞ。猫は飼い猫でも野良猫でも自由気ままな生き物だと言われるが、その言葉を最も体現しているのはルーだからな。今も昔もあいつ自身の自由っぷりに変化はないが、ルーが領主になってからはケットシー全体があいつに影響されていると思えるくらいだ」

 

 リーファが初めてケットシー領に足を踏み入れた時、領地全体が緩い雰囲気に包まれていたのを覚えている。つまりあれは、領主アリシャによるものだということなのだろう。

 

「でも、ずっと政権を維持しているから、プレイヤーとしてもやり手ってことだよね?」

「ただ愛嬌があるだけじゃ、領主の椅子には座れないさ。……っと、ようやくか」

 

 気が付けば舗装されていない道は石畳に変わり、その先には洞窟内部とは思えないほどの明るさで満たされた空間が広がって、湖が光を反射してキラキラと輝いていた。

 そして湖の上を貫くかのように真っ直ぐな橋が立っており、先を目で追うと巨大な城門がそびえ立っている。鉱山都市ルグルーは目と鼻の先にあった。

 

「一先ずはルグルーで宿をとり、そこでログアウトしよう」

 

 サクヤの提案に一同は異論を唱えることなく、頷いて肯定を表す。ヒンヤリとした冷気を肌で感じながら歩を進め、長い長い橋を渡りきるまでもう少し――――という所で異変が起きた。

 一行の後方から飛来する光点が2つ。それらは独特の光と効果音を放ちながらリーファ達の頭上を通過し、ルグルーの城門手前に着弾した。

 

(魔法!?)

 

 そう理解した瞬間、着弾地点に巨大な土気色の壁が生まれ、数秒前まで見えていたルグルーの城門を覆い隠してしまった。不意打ちで停止していた思考が徐々に戻ると、リーファは自分のなすべきことを実行に移すため、愛剣の柄に手をかけた。

 

「戦闘準備!」

 

 同様の結論にサクヤも至ったらしく、反転して振り返ると、鋭い声を響かせて指示をとばす。各々が携えている武器をとり、自分達の進行を邪魔した敵の存在を確認するため、じっと遠くを見つめた。

 リーファ達の網膜に映る敵の影――――それは炎を思わせる紅蓮の色。上から下まで赤一色に統一されたプレイヤーの人数は、少なく見積もったとしても彼女達の3倍はいるだろう。大盾、両手剣、大槍といった重武装のプレイヤーがいるかと思えば、先端に宝玉が嵌め込まれている杖を持ち、ゆったりとしたローブ姿の魔導師風プレイヤーも確認できる。

 一見してバランスのとれた構成のパーティーは、フィールドでモンスターを狩るために集った集団――――という可能性をリーファは既に捨て去っていた。魔法で彼女達の足を止めた行為にどんな意味があるのか、それは考えるまでもなく1つの答えを導き出している。

 

 圏内の中立都市に逃げ込まれる可能性を潰し、逃げ場のない橋の上でプレイヤーを追い込んで殺す、つまりPKすること。

 

(どうしてサランマンダーが……?)

 

 胸中で渦巻く戸惑いは消えないが、なんにしても今はこの状況を切り抜けるのが先決だった。ここまでの間、リーファ達は宿屋でログアウトしていないため、PKされるとデスペナを背負うだけでなくまた領地からスタートしなければならない。

 そして万が一領主のサクヤがPKされた場合、シルフ族は非常に大きなペナルティを課せられる。領主館に蓄積されている資金の3割が無条件でサラマンダーに移る他、シルフ領にある建物を10日間占有出来るため、税金を自由にかけられるといったことが可能。つまり『領主を討つ』というのはそれだけで大きな意味を持ち、討った側は種族間パワーバランス上で優位に立てるのだ。

 

「サポート役の数が少し心許ないか……すまない、リーファ。今回は援護にまわってくれ」

「了解!」

 

 自陣の人員構成と敵の数を考慮し、サクヤは魔法での支援をリーファに指示した。

 巨大な土壁の出現からここまでに要した時間はせいぜい10秒にも満たないが、遠くにいたはずのサラマンダー達はみるみるうちに距離を詰め、いつの間にか個人の容姿を識別できるまでに接近していた。敵のメイジ隊が立ち止まって橋の上いっぱいに広がると、挨拶代わりと言わんばかりに各自が呪文の詠唱を開始。光る文字がプレイヤーの周りに浮かんでは消えていく。

 そしてそれを黙って眺めているはずもなく、シルフ勢のメイジもほぼ同時に魔法の詠唱を開始した。ビルドが生粋のメイジでないリーファだが、幾つかの攻撃魔法は使用できるため、微力ながら敵の魔法を相殺するために全力を尽くす。

 双方の呪文詠唱が終わると、シルフからは風属性魔法が、サラマンダーからは火属性魔法が発射された。ライムグリーンに輝く光とスカーレットに輝く光が空中で交錯すると、爆発音が周囲に響き、花火のように派手なエフェクトが発生した。

 だが、両陣営から放たれた攻撃魔法の数には明らかな差があったため、当然すべてを相殺できたわけではない。仕留め損ねたサラマンダーの魔法がリーファ達目掛けてに飛来する。

 

「回避!!」

 

 凛としたサクヤの声に反応した前衛は前へ、後衛はバックステップでその場を離れ、魔法の着弾予測点から距離をとった。数秒後には魔法が着弾した衝撃で橋に振動が伝わり、爆風と轟音がプレイヤー達を襲う。そして着弾地点は高威力の魔法によりオブジェクトが損傷を受け、深々と窪みを作り出した。

 

『うおぉぉぉぉおおぉぉ!!!!』

 

 これが開戦の合図となり、双方の前衛陣が武器を手にして突進していく。大上段から繰り出す両手剣の一閃を大盾で受け止める、中腰に構えた槍の突きを躱す、といった攻防が橋の中央付近で繰り広げられ、シルフは領主を守るため、サラマンダーは領主を討つために全力を尽くした。

 一方、前線で奮闘している前衛とは異なり、後衛は静観を貫きつつ、いつでも魔法を発動して仲間の支援が出来るように控えていた。前で戦っている敵に魔法を放てば味方も巻き添えを喰らうのは目に見えているし、後衛を遠距離魔法で狙ったとしても、距離が離れている分届くまでに時間が掛かるので回避は容易い。そうやって無駄に魔力を消費するよりも、傷ついて減った仲間のHPを回復することに努めるのが得策だと両陣営の指揮官は判断した。

 

「詠唱!」

 

 光る文字が示すのは、回復魔法の意。呪文の詠唱が終わると術者の魔力が減少するのに反比例し、左端に向かっていた対象者のHPバーが急上昇して上限一杯にまで回復した。

 だが、しかし――。

 

(このままじゃ……)

 

 プレイヤー個人の力量では決して遅れをとっていない。皆がシルフの執政部に所属する有力プレイヤーなのだから、1対1なら各人の技術やステータスは敵を上回っているはずだ。

 しかし、今リーファの目の前で繰り広げられている戦闘は統一デュエルトーナメントで行われているような個人戦ではなく、複数のプレイヤーが関わる集団戦。乱れ舞う妖精達の勝敗を最終的に決するのは、圧倒的な数以外他ならない。まだ持ち堪えているが、絶妙に保たれている均衡はいつ崩れてもおかしくないし、その時がくるとすれば後方支援組の魔力が枯渇した瞬間だろう。

 

「サクヤ! 私達がどうにかして時間を稼ぐから、あなたはあの壁を壊してルグルーに逃げて。このままじゃきっと押し負けちゃうわ」

 

 本格的な世界樹攻略に向けて動き出した矢先、ここで領主が討たれてしまえばサラマンダーに資金を奪われ、攻略が遠のいてしまうのは目に見えている。それどころか、ケットシーとの同盟も危うい。

 急遽出現した壁のすぐ向こう側にさえ逃げ込めば、取り敢えず安全は確保できる。時間は多少必要になるだろうが、サクヤならば高威力の攻撃魔法で壁を破壊出来るはずだ。初代シルフ領主の悲劇を繰り返すわけにはいかないと考えたリーファは、後ろを振り返ることなく、背後にいるサクヤに懇願した。

 しかし、彼女の言葉が届いていなかったのか、サクヤは後退するどころか前へと歩を進め、リーファの真横を通り過ぎる。背筋を伸ばし、和装の裾を揺らしながらゆったりと歩くその様は優雅以外の何物でもなく、同性のリーファでさえ思わず見入ってしまった。

 

「いや、その必要はない」

 

 サクヤの声でハッとしたリーファは、次いで領主を訝しむ。客観的にみても危機的状況であるのに、堂々たる態度と声色、そして溢れている自信の源が一体なんなのか、それがわからなかったからだ。

 

「数で圧倒されてはいるが、見た限りだと個々人の実力ではこちらのが上だ。敵のメイジ隊をどうにかできれば勝算はある」

「た、確かにそうかもしれないけど……」

 

 橋の上は両陣営の剣士で埋め尽くされているため、そもそも向こう側にいるメイジ隊へたどり着くこと自体が困難だ。中央の戦場を無事に通過できるわけもなく、かといって魔法での遠距離攻撃は回避されるのがオチ。とてもじゃないが、リーファには状況をひっくり返す有効な手が思いつかない。

 

「言いたいことはわかるさ、リーファ。ルートは橋の上の一直線。戦場のど真ん中を通ろうにも、敵がそれを見逃すほど優しいわけがないだろう。……だからここはひとつ、敵の予想を裏切るような、斜め上の発想で攻めてみよう」

 

 サクヤはそう言うと、左腰に下げている大太刀の柄に手をのせ、掴んだ。リーファを含めた支援組のシルフ勢は、『まさか……』と思いながらギョッと目を丸くする。

 

「私も前線に出る」

 

 サクヤが大太刀を抜き放つと、研ぎ澄まされた業物はしゃりいぃぃん、という凛とした音を響かせた。

 





次回はサクヤvsサラマンダーズ。リーファの活躍はまだ先のようです。


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第65話 奇策と秘策

 

 妖精の世界には9つの種族が存在し、各種族毎で1名の領主を選挙で選出している。領主として相応しいか否かは、その人物が種族を代表する顔として適当なプレイヤースキルを持ち、またプレイヤーから多大な信頼を得ているか、という人徳も関係している。

 そして領主になれば一般プレイヤーには得られない権限の行使を許され、その内容は税率の設定や独自のルール規定、あるいは不利益をもたらす害悪なプレイヤーの領地追放など、主に種族のより良い発展を目的としたものが多い。さらに言えば、今回シルフ領主のサクヤがケットシーと結ぶ条約の調印も、実は領主にのみ許された権限の内の1つなのだ。

 こうしたメリットがある一方、領主が討たれた場合は領主館に蓄積されている資産の一部を譲渡する、討った種族の領主による税率の自由設定などのペナルティを課せられる。余程のことがない限りは大将の首をとるなど早々できるものではないが、過去に1度だけ、このペナルティが行使された時があった。

 

 それは、サクヤの先代に当たるシルフ領主がサラマンダーに討たれた時。

 

 サラマンダーの狡猾な罠に嵌り、当時の領主が毒殺されたことで、シルフ族は10日もの間苦汁をなめる思いをしてきたのだ。この時得た資金によって、種族間のパワーバランスはサラマンダーが頭1つ抜き出たと言っても過言ではない。

 後にも先にも領主が討たれた場合のペナリティが適用されたのはこれだけだが、リーファのような古参プレイヤーが当時の記憶を忘れたことはなく、2度と同じ思いをしたくないというのが正直な感想だろう。

 

「な、何言ってるの!! そんなのダメに決まってるでしょ!!!!」

 

 だからこそ、サクヤの提示した案に思考の死角を突かれたリーファは、ほんの数秒呆気にとられて言葉を失ったが、その反動で声を荒げて猛反発した。

 

「サクヤは前線に出ちゃダメ。今行けば自殺しに行くようなものよ」

 

 リーファの抗議は至極真っ当な主張だが、それでもサクヤは首を縦に振ろうとしない。

 

「確かにそうかもしれないな。左右には湖に潜む水獣がいるし、街へと続く城門の前には壁が立ちはだかっている。そして目の前には兵力でこちらを上回っているサラマンダーの集団だ。ここまで見事な四面楚歌も中々ないだろう」

「感心している場合じゃ……」

「だからと言って、諦めていいわけじゃない」

 

 突きつけられている現状はどう考えても絶望的だ。それでも、サクヤはまだ諦めていなかった。

 

「諦めるのは簡単だしいつでも出来るが、いくらなんでもまだ早いと私は思うぞ。後ろと左右はどうにもならないが、現時点でこの状況を脱する可能性があるとすれば、前方のサラマンダー達を討つことで活路を開くことだけだ。回復魔法を使う敵のメイジ隊を潰すことが出来れば、こちらにもいくらか勝算が見えてくるだろう」

 

 サクヤは今も橋の中央付近で戦闘を繰り広げているシルフとサラマンダーの一団を見た。

 

「それにはあの集団を抜けて奥まで駆け抜ける必要があるが、私なら彼らの真横を通過しない別ルートでメイジ隊までたどり着くことが可能だ。そこまでいけば、後は私が奴らを潰して敵の回復手段を断つから、リーファ達には私の回復や敵の撹乱といったサポートに徹して欲しい」

「で、でも……」

「それとも……」

 

 体の向きは変えずに顔だけを動かし、肩越しにリーファ達へ視線を向ける。すると口元が少しだけ吊り上がり、不敵な笑みを形作った。

 

「君達には、少し荷が重いかな?」

 

 煽る言葉は明らかな挑発。リーファを筆頭に怖気づいている仲間達のプライドを逆なで、一歩踏み出すキッカケを作ろうとしているのだ。サクヤにしては珍しく強引な手法だが、自発的に仲間達の決心を待つだけの時間的猶予はない。ここは無理矢理にでも背中を押す必要があると彼女は判断した。

 裏を返せば、サクヤ自身もそれだけ焦りを感じているということだ。一見してあっけらかんとしている表情とは裏腹に、内心で冷や汗を流し、心の臓は早く波を打っているが、それでも彼女は平静を装っていた。

 元々彼女の性格はポーカーフェイスを貫く傾向にあり、付き合いの長いリーファでさえもサクヤが狼狽(うろた)えている姿を見たことがない。そんな彼女の気質を考慮しても今の状況は十分内心を表情に出してもいいのだが、領主という立場が大きく影響し、焦りや不安を心の奥深くに押しやっていた。集団の舵をとる指揮官の振る舞い如何によっては、良くも悪くも他のメンバーに影響を及ぼす。物怖じしない逞しさを見せれば気力が湧くし、頼りない印象を抱けば士気は下がるものだ。

 リーファはそれでも食い下がろうとしたが、一瞬だけ躊躇いを見せ、出かけた言葉をぐっと飲み込んで腹の底に押し込んだ後、観念したように肩の力を抜いた。

 

「あ〜〜〜〜もう!! わかったわよ! サクヤがそこまで言うなら、私も覚悟を決めるわ。絶対に死なせないんだからね」

「我が儘を言って済まない、リーファ。最後まで付き合ってくれ」

 

 リーファがサクヤの隣に立って並ぶと、サクヤは右足を引いて姿勢を低くする。愛刀を両手で握りしめると、心なしか武器も持ち主の心に呼応して脈を打った気がした。

 

「私が飛び出してみっつ数えたら、敵の目を引きつける魔法を放ってくれ。出来るだけ派手なのを頼む」

「了解」

 

 打ち合わせは手短に、内容は至ってシンプルに。合わせるのは出だしだけで良く、後は戦況を見て臨機応変に対応すればいい。

 短い会話を交わすと、サクヤは利き足で地面を蹴って駆け出した。それとほぼ同時にリーファは両手を前にかざし、魔法を発動するための呪文を詠唱し始める。

 

(いち……に……さんっ!)

 

 詠唱と同時に心の中で数を数える。可能な限り早く、そして滑らかに呪文の詠唱を唱え終えたのは、サクヤが指定したジャスト3秒後だった。

 

「いっ…………けぇーーーー!」

 

 リーファが選択したのは、彼女が使用できる中でも上位に位置する風魔法。任意で魔法を発動する座標を指定すると、そこを基点として巨大な風の爆弾を発生させるものだ。攻撃範囲も威力も申し分なく、かつサクヤのリクエストに応えた『派手な魔法』である。

 ただし、今回はダメージを与えるのが目的ではなく、あくまで敵の目を引きつけるのが最優先だ。よってリーファが魔法の発動に際して照準した空間の座標は、シルフとサラマンダーが交戦している場所の上空だった。

 目の前にいる敵に集中していたプレイヤーの内、直近にいた者は突然の爆発音と突風に怯み、距離のある者は一体何が起きたのか目を凝らして訝しむ。荒れ狂っていた戦場は一時的ではあるが時を止め、突如現れた台風に反応して視線を移した。

 リーファの狙いを知らない者に言わせれば、座標を誤って指定し、無駄に魔力を消費したと思ったことだろう。全員が警戒状態から肩の力を一瞬だけ抜くと、再び場は数秒前となんら変わらない戦場へと戻るが、その中でサラマンダーのメイジ隊に属するプレイヤー1名が、爆発の前と後で起きた変化に気が付いた。

 

「お、おい! 領主の奴はどこに行った?」

 

 ルグルーの城門付近、つまり敵から最も遠い場所で指揮をとっていたはずの領主サクヤの姿がない。遅れて気が付いた他のサラマンダー達も領主の姿を探すために周囲を見回すが、どれだけ視線をはしらせても橋の上に対象者の姿はいなかった。

 そうなると、消去法で考えてサクヤのとった行動は湖に飛び込んで自害すること。敵に首をとられるぐらいなら、湖に潜む水獣型モンスターの餌になるのがマシだとでも考えたのだろう――――と誰もがそう思った、次の瞬間。

 

「私ならここにいるぞ」

 

 サラマンダーメイジ隊の背後から凛とした響きの声がしたと同時に、1人のプレイヤーが瞬く間にHPを減らし、儚く散って真っ赤なリメインライトへと姿を変えた。そして赤く揺らめいている炎の傍らには、大太刀片手に佇んでいるサクヤの姿があった。

 敵陣の後方支援を担うメイジ隊の中に突如出現した彼女の姿はかなりのインパクトを与えたらしく、サラマンダーのメイジ達はどよめき戸惑い、サクヤから距離をとろうと無意識にあとずさる。中・遠距離攻撃やパーティーメンバーの支援を主な役割とするメイジ職は、近接戦闘を主とするサクヤに接近されるとかなり分が悪くなる。魔法の発動に時間を要する他、詠唱中に攻撃されればファンブルは確実だ。

 

「う、狼狽えるな! 相手は1人だぞ。取り囲んで一斉攻撃だ!」

 

 真っ先に平静を取り戻して指示を飛ばしたのは、集団の中でも一際レアリティの高そうなローブに身を包んでいる、一見してリーダー格と思われる男だった。指示を受けた者達はハッとして我に返ると、言われるがままに魔法攻撃の準備を開始。プレイヤーの周囲を光の文字が浮かんでは消えていく。

 

「残念だが、懐に入られた時点で君達の負けだ」

 

 そう言い切った直後、直立状態だったサクヤの姿が前傾し、真正面の敵に狙いを定めて突進する。大太刀が霞むような速度で閃き、右手が下から上へ跳ね上がると、武器の通った軌跡を敵の身体に刻みつけた紅いラインで示した。そこからさらに2度斬りつけると、鎧と違って物理防御の数値が高くないローブに身を包んでいた敵は、その身を散らして真っ赤な炎に変化する。

 

「ひっ…………」

 

 身の丈程の大太刀を短剣のように軽々と振り回すサクヤの姿に圧倒され、小さな悲鳴を漏らし、詠唱を中断させてしまう者が続出した。

 

「ば、馬鹿! 攻撃を中断するんじゃない!」

 

 持ち前のスピードを活かし、近場の敵を1人、また1人と斬り伏せていく。何者にも囚われない風のような優雅さの中に、嵐の如き荒々しさで猛威を振るう。味方であれば非常に心強いが、敵であれば恐ろしいことこの上ない。リーファには和装の女将軍に見えても、サラマンダー達の目には鬼神もしくは悪鬼のように映っているのではないだろうか。

 

「く、くっそ……」

 

 仲間が減っていく光景を見た敵の指揮官は、これ以上の交戦は無駄と判断し、橋から飛び降りて湖に飛び込もうとする。湖には水獣型モンスターがウヨウヨしているため、飛び込んだところで助かる保証は万に一つもないが、どうせ助からないならモンスターに殺られるのがマシと判断したのだろう。死亡するとデスペナが発生するが、プレイヤーに殺されるよりもモンスターに殺されるのがデスペナの重さは幾分軽いからだ。

 橋の淵に手をかけ、片足を持ち上げようとした時、背中から容赦ない一閃を浴びせられてリメインライトと化す。自害しようとした敵を逃さずにサクヤが屠ったからだ。

 

「さて……」

 

 振り返り、残り1人となったサラマンダーのもとまで歩み寄る。運が良いのか悪いのか最後の1人となった敵は、尻餅をついて座り込んでおり、サクヤが近付いても逃げる素振りすらみせない。その代わりに肩をビクッと震わせ、俯いて視線を斜め下にした。

 

「オレも殺すのか?」

 

 既に諦めているのが分かるほど、声の調子は低く重い。生き残った男は項垂れながら問うた。

 

「それでもいいと思ったんだが、君には生かす価値があると判断した」

「はっ、まさか『殺されたくなかったら、知ってることを洗いざらい吐け』とでも? 生憎だが、オレを脅して無駄だぞ。全部話したところで、どうせ殺されるのは目に見えているからな」

「半分正解だが、もう半分はハズレだ。それだと君の得る利益と私の得る利益が同等ではない。何かを得るなら同等の対価を用意するのが適当だと思わないか?」

 

 予想していた回答と異なっていたからか、男は顔を上げると訝しんだ目でサクヤを見る。彼女が言わんとしている事がまだわからないらしく、真意を図りかねているようだ。

 そんな男の視線など意に介さず、サクヤは左手を振ってトレードウィンドウを表示した。男の目の前には、先の戦闘でサクヤの得たアイテム群とユルドが羅列されている。

 

「君が知っている情報を全て教えてくれれば、私はここに表示されているものを全て君に差し出そう」

 

 思わぬ交換条件を提示された男は、(せわ)しなく顔を動かして周囲を見回す。リメインライトと化した仲間達の蘇生猶予時間が経過し、セーブポイントに転送されたかを確認すると、男はおそるおそる彼女に訊いた。

 

「それ、マジ?」

「あぁ、大マジだとも」

 

 サクヤがにっこり微笑むと、今まで強張っていた男の表情がようやく緩んだ。

 

「サクヤ!」

 

 するとまるでタイミングを図っていたかのように、リーファを含んだ他のシルフが合流する。メイジからの回復支援を得られなくなったサラマンダーの戦士達は、全員倒れてしまったようだ。その証拠に、サクヤの目には橋の中央で揺らめく赤いリメインライトが転送される瞬間が映った。

 

「やあ、皆お疲れ。丁度今、彼から話を聴くところだ」

「話?」

 

 リーファが小首を傾げると、サクヤは再びサラマンダーの男に向き直った。

 

「では、まず事の経緯を教えてもらおう」

「あぁ、いいぜ。今日の夕方ぐらいにジータクスさん……っていうのはメイジ隊のリーダーなんだけどさ、ほら、湖に飛び込もうとした所をあんたが後ろから斬った人。あの人から強制召集で呼び出されたんだよね。めんどくせーと思いながら行ったら結構な人数が集まっててさ、内容がシルフの領主を狩るっていう作戦だったわけ。それであんた達の後をつけて、ルグルーの前で足止めして奇襲をかけたんだよ。いやーそれにしてもこの人数で負けるとは思ってもみなかったけどな」

 

 男は話し出すと饒舌で、彼の口は尚も動き続ける。

 

「ちなみにあんた達にはずっとトレーシング・サーチャーがついてたんだぜ。全然気が付かなかっただろ?」

「……なに?」

 

 トレーシング・サーチャーとは、目標を追跡するトレーサーと隠蔽を暴くサーチャーの機能を兼ね備えた魔法で、高位の術に分類される。大抵は小動物の使い魔の姿をしており、これが使えると術者は離れた位置から使い魔を通して対象者を追跡できるのだ。

 

「いつ……一体いつからなの?」

 

 横からリーファが割って入ると、男は即答した。

 

「領地を出る前さ」

「なっ……」

 

 これにはこの場にいる男以外の全員が驚きの声を上げた。

 領地を出る前という事は、領地を飛び立つ瞬間にはもうトレーサーがつけられていたということになる。つまりサラマンダーがシルフ領にいたと言っているようなものだが、それは断じてあり得ない事実だ。スイルベーンは比較的他種族の旅行者に対して門戸の開かれている場所だが、敵対関係にあるサラマンダーは別で、その侵入には厳しいチェックをしいている。領地内に入ろうとすればNPCガーディアンに斬り伏せられる筈なので、それを超えて入れるわけがないのだ。

 胸中で生まれた動揺を隠しつつ、サクヤは男に問いただした。

 

「スイルベーンにはどうやって入ったんだ? 魔法や隠蔽アイテム程度じゃガーディアンを突破するのは不可能の筈だ」

「確かにそうだけど、絶対に不可能ってわけじゃあない。あんたも知ってる……というか、もう答えに辿り着いてるんじゃないか?」

 

 男の言葉を聞いたリーファがサクヤの顔を覗き込むと、彼女は眉間に皺を寄せていた。男の言うように、サクヤは何かを察したらしい。

 

「《パス・メダリオン》を使ったという事か……」

 

 《パス・メダリオン》とは、他種族の領地に入る際に必要な通行証の事だ。これがあればNPCガーディアンの前を素通り出来るのだが、この通行証を発行できるのは種族内でもごく一部のプレイヤーに限られる。具体的に言えば執政部のプレイヤーなのだが、それはつまり……。

 

「執政部内にサラマンダーと内通しているスパイがいる……と言いたいのだな?」

 

 敵対関係にある種族の情報を探るスパイは珍しくないが、執政部に籍を置くプレイヤーが内通しているとなるとかなりの大事になる。重要案件を扱う執政部に裏切り者がいるとなると、シルフ内の機密情報は全てサラマンダーにだだ漏れという事だ。

 驚愕の事実にどよめくリーファ達だったが、サクヤは尚も凛とした様で尋ねた。

 

「そしてその内通者の名前も、君は知っているのだろう?」

「実際に会ったことはないが、名前だけなら知ってるぜ。……シグルドって奴だ」

 

 サクヤの右腕的存在であり、ALO黎明期(れいめいき)から執政部に参加している古参プレイヤーのシグルドが、サラマンダーと内通していた。この事実は間違いなく今日最も衝撃を与える情報だった。

 

「サ、サクヤさん、まずいですよ。シグルドさんはサクヤさんがこの後どう動くかを知っている。もしかしたら、サラマンダーの連中は……」

「あぁ、私も今それを考えていたところだ」

 

 サクヤ達は難を逃れたが、何も知らない条約の調印相手であるケットシー達は、今頃会談場所の《蝶の谷》内陸側へと向かっているはずだ。当然シグルドからの情報でサラマンダーも会談場所に向かっているだろう。敵がどの程度の戦力でくるかは不明だが、何の準備もしていないアリシャ・ルー率いるケットシー勢に危険が迫っている事だけは確かだ。

 

「道中の我々を狩り、続けて会談場所にいるルーの首を獲れれば、最大勢力のサラマンダーは不動の地位を築ける。シルフとケットシーが同盟を組むことでパワーバランスは逆転するだろうが、それを阻止し、かつ領主討伐ボーナスも得るのが、サラマンダーの立てた計画だろうな。……まったく、モーティマーの考えそうなことだ」

 

 敵の親玉に半ば感心、半ば呆れのような意味を込め、サクヤは溜め息をつく。

 一方、リーファはゲームでここまで陰険なことをするプレイヤーの考えが理解できずにいた。ただ翅を広げ、自由に空を飛べればそれでいいじゃないか、と。一体何がそこまでシグルドを突き動かしているのか、彼女はその真意を図りかねた。

 

「それにしても、私から提案しておいて言うのもおかしな話だが、こんなにペラペラと情報をバラして良かったのか?」

「別に構わないさ、どうせ俺には関係ないし。それより、ちゃんと約束は守れよ。俺の知ってる情報はこれで全部だからな」

「あぁ、心配するな。約束はちゃんと履行しよう」

 

 サクヤは惜しげもなく戦闘で得たアイテム類を男に渡した。受け取った男はそれを確認すると、右拳を握って小さくガッツポーズをする。渡した中にはかなりレアな装備もあるので、売ればかなりの額になるだろう。

 『数日かけて領地に戻る』と言い残し、サラマンダーの男は来た道を歩き出す。その後ろ姿が消えた頃、静まり返っていた場の空気をリーファが破った。

 

「それでサクヤ、シグルドはどうするの?」

「追放は確実だな。だが今ここで奴を追放すれば、シグルドを通じてサラマンダー側に我々が生き残っていること、そして奴らの計画を我々が掴んだことが漏れる可能性がある。もう暫くの間は泳がせておくさ」

 

 サクヤはそう言うと振り返り、仲間達に向かって指示を飛ばした。

 

「よってこれよりルグルーを抜け、我々が掴んだ情報を可及的速やかにケットシーへ伝えるぞ。サラマンダーと鉢合わせる可能性もあるが、その時はケットシーと協力して危機を乗り越えよう」

 

 古き良き友人に迫っている危機を知らせるべく、サクヤ達は洞窟を抜けるために走り出す。ルグルーの城門前にあった土壁はとうに消えているため、彼女達を阻むものはない。

 

「ねえ、サクヤ。1つ訊きたいんだけど……」

 

 その最中、リーファは思い出したかのように並走しながら疑問をぶつけてみた。

 

「夢中で気が付かなかったけど、私が魔法を使った後、どうやってメイジまで近付いたの? 橋の中央は敵と味方でごった返してたから、とてもじゃないけどすり抜けられそうになかったし」

「なに、簡単な話さ。私は橋の上を通らずに、橋の横を通っただけなんだ」

 

 サクヤの言っている意味がわからず、リーファは首を傾げる。その様子を見た領主は、説明をさらに付け加えた。

 

「《壁走り(ウォールラン)》というのを知っているか? 以前のアップデートで導入されたものなんだが」

「……あっ!?」

 

 そこでようやく、リーファも合点がいったらしい。

 《壁走り(ウォールラン)》とは、シルフ、ウンディーネ、ケットシー、インプやスプリガンといった軽量級妖精だけが使える共通スキルで、おおよそ10メートルぐらいなら壁面を走行できるというものだ。つまり、サクヤはこのスキルを使い、橋の側面を走って敵の後ろに回り込んだのだ。

 

「橋の側面を駆けている時は無我夢中だったが、空を飛ぶのとはまた違う爽快感が得られるぞ。なにせ、現実では壁を走るなんて芸当、まず出来ないからな」

 

 そう言って領主は小さく笑みを零す。普段は大人びた雰囲気を纏っているサクヤだが、この時の表情は純粋にゲームを楽しむ子供のように無邪気なものに見えた。

 





デスペナの度合いが『プレイヤーにキルされる』あるいは『モンスターにキルされる』かで変化するのは独自設定です。
ALOでの《壁走り》が原作3〜4巻の時系列で使用可能かは不明ですが、拙作では独自設定として既にシステムに導入済みとします。


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第66話 招かれざる事態と闖入者

 

「カイト君は、どうしてカイト君なの?」

 

 戦闘を終えて一息ついていたところで、後方からのサポートに徹していたアスナからそんな言葉を投げかけられる。カイトが振り返った先には、艶やかな長い髪を後ろで束ねている容姿端麗なウンディーネが、後ろに手を組んで小首を傾げていた。

 半秒ほど遅れて、カイトも彼女と同様に首を傾げる。このジェスチャーは単純に『言っている意味がわからない』という表れだ。

 問いに即した回答かは不明だが、少しばかり唸り声をあげ、彼は自分の考えうる精一杯の答えを絞り出す。

 

「そ、それはだな……今まで生きてきた中で出会った人達とか、過ごした環境とか、そういう色んな要素が絡み合った結果が今の自分を作り出しているのであって、その中で何か1つでも欠けていたら、今の自分はなかったかもしれないわけであって……」

 

 カイトは頭を働かせ、できる限り思った事を口にしてみたが、そこで彼の言語能力に限界がきたらしく、言葉を詰まらせて黙り込む。暫しの間沈黙が訪れたが、アスナの控え目な笑い声がそれを打ち破った。

 

「な、何が可笑しいんだよ! こっちが一生懸命考えて答えたのに」

「ち、違うの。そうじゃないの、そうじゃなくて……カイト君自身がどうこうじゃなくて、どうしてアバターネームが『カイト』なのかなって訊きたかったの」

「そういう意味かよ! 紛らわしい!」

 

 どうやらカイトが深読みしすぎただけで、実際のところアスナが訊きたかったのはアバターネームの由来らしい。

 

「ええと、別にたいした意味はないよ。本名の『倉崎悠人』をローマ字表記にした後、適当な文字を選んでアバターの名前っぽくしただけだから。そうやって考えると、キリトの奴はもっとシンプルだな。きっとあいつは本名の最初2文字と最後1文字を抜きとっただけだろうし。……まぁ、アスナとユキには負けるけど」

「うっ……」

 

 アスナとユキの本名を知るまで、カイトはまさか彼女たちが実名をそのまま使っていたとは思いもしていなかった。ネットゲームでアバターの名前を本名で登録している人物は、カイトが知る限り彼女達ぐらいのもだ。

 

「オレはたいして捻りのない普通のやつだけど、アバターの名前って人と一緒で結構個性が出るというか、中には変わったのもあるんだよね。《わさび醤油》とか《ねこまっしぐら》とか、特に意味はなさそうで変な名前だけど、印象に残りやすくてすぐに覚えれそうなのとか」

 

 何かしらの縁で接していなければ自分以外のアバターネームは覚えていないものだが、たとえ関係が薄い、あるいは全くない場合でも、プレイヤーの印象に残りやすい変わったものであれば、不思議と覚えられるものだ。そのプレイヤーが強ければ、尚の事である。

 

「それじゃあ、リズやシリカちゃんも、アバターの名付け方には何かしらの意味が含まれてるのかなぁ?」

「そうかもね。直接本人に聴いてみるといいよ。この件が終わったら、みんなでオフ会でも開くか?」

「わあ、いいねそれ! やろうやろう!」

「よし、決まり。じゃあ、場所はエギルの店で」

 

 気心知れた仲間達との再会を夢見て、2人は語らうことで会話に花を咲かせた。

 2ヶ月前までは会おうと思えば毎日でも会えた存在だったのに、今ではその距離がすっかり遠くなってしまったが、折角出来た繋がりを失いたくないし、それはきっとリズやシリカ達も同じはず。会えなかった時間を埋めるかのように、たくさん話し、たくさん笑い、たくさんの幸せに包まれているオフ会の情景を想像すると、カイトもアスナも自然と笑みがこぼれた。

 モンスターが出現するフィールドのど真ん中であるという認識を一時ではあるが忘れ、2人は和気藹々と談笑していると、アスナが着ている上衣のポケットからユイが顔を出した。その表情は真剣そのもので、何かを察知したらしい様子だ。ユイは軽やかにポケットからアスナの肩へ舞い降りる。

 

「ユイちゃん、どうしたの?」

 

 愛娘の異変にいち早くアスナが気付くと、彼女の意識が副団長モードに切り替わる。問われたユイは少しだけ間を置き、アスナに返答した。

 

「……ここから約1キロ北西に、イベントNPCの存在を感知しました。この前ママとカイトさんが戦った相手です」

「あいつか」

 

 ユイの言う相手とは、キリトがSAOで培ったプレイヤーデータを引き継ぎ、ALOでイベントNPCとして運用されている《黒の剣士》の事だ。

 プレイヤーには個人を識別するためのIDを持っているが、それはNPCやアイテムにも含まれている。どうやらユイは前回の戦闘で《黒の剣士》が持つ識別IDを記憶していたらしい。そして彼女のサーチ圏内に《黒の剣士》が入ったため、その存在を感知したようだ。

 

「ですが、私達の存在に気が付いているわけではないようです。ここから離れるようにして座標が少しずつ西方に移動していますので、フィールドを移動している最中と思慮します」

 

 偶然近くを通りがかっただけらしく、剣を交える気はないらしい。アスナは緊張の糸を少し緩めた。

 そんな彼女と異なり、カイトは表情を崩さずに1歩前へ踏み出す。何かを考える素振りを見せたかと思いきや、《黒の剣士》がいるであろう方角の空を見た後、アスナの肩にいるユイに問いかけた。

 

「ユイ、今ならまだあいつを見失わずに追えるか?」

「はい、大丈夫です」

 

 その一言だけで、アスナはカイトの胸中を察する。

 

「戦う気なの?」

「……うん。()()()()には十分すぎるだろ?」

 

 前回の戦闘でわかった反省を踏まえ、2人は自分達に足りないものを補うための戦闘を繰り返した。そうして得た技術がどこまで通用するのか、その成果を試すときだと彼は判断したらしい。

 だが、彼が再戦を望む理由は、それだけではないようだ。

 

「それに、負けたままで終わるのは嫌だしな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地底湖を貫く橋を疾走し、行く手を何度もモンスターに阻まれはしたが、なんとか洞窟を抜けてアルン高原の上空を飛行する。リーファ達一行は焦る気持ちを抑えつつ、会談場所へと向かっていた。

 分厚い雲を貫き、風を切り裂きながら移動するリーファは、この後起こるかもしれない最悪の事態をなんとか回避できないかと必死に思案していた。しかし、行き着く先はサラマンダーと遭遇する前にケットシーと合流し、すぐに領地へ逃げ込むか身を潜めて場をやり過ごすしかない。

 

「サクヤ。アリシャさんにはメッセージを送ったんだよね?」

「あぁ。だが取り込み中なのか、ただ単に忘れているだけなのか、一向に返信がないんだ」

 

 今回の同盟相手であるケットシー領主のアリシャとフレンド登録しているサクヤは、数分前にメッセージを送信している。だが肝心の返答がないため、それが余計に彼女達の不安を増幅させていた。

 

 リーファ達が飛行する空の下には広大な草原が広がり、幾つもの青いラインが並んでいる。それらは一点に集中して大きな河を作り、行く先を目で追えば、巨大な影がその存在をこれでもかというほどに主張していた。

 それこそが、リーファが今回の旅の目的地としている世界樹だ。彼女が世界樹を実際に目にするのはこれが初めてだが、思っていた以上の大きさに思わず息を呑む。数十キロ以上離れている今でさえ空の一角を占めているのだから、真下から見上げればあまりの大きさに畏怖してしまうのではないかとリーファは感じた。

 

「ところでサクヤ。会談場所ってあとどのくらいで着くの?」

「ここまで来ればそう遠くないから、もう間もなくのはずだ」

 

 その言葉通り、数百メートル飛行して視界を遮っていた分厚い雲を抜けたかと思いきや、眼下に円形の小さな台地が出現した。そこにはすでに到着しているケットシー7人の姿があり、さらには長テーブルと今回出席する人数分の椅子が並べられている。どうやら先に着いたため、即席の会議場を作って待っているようだ。

 それを見た一行は台地に着陸するため、飛行高度を落とす。見る見るうちに地面に近付き、翅をしまって緩やかな着地を決めると、待ってましたと言わんばかりの表情で1人のケットシーが椅子から立ち上がった。

 

「もう〜、遅いよサクヤちゃん。待ちくたびれたヨ」

 

 立ち上がったケットシーは、領主のアリシャ・ルーだ。愛嬌のある容姿の美少女は尻尾を揺らし、片目を瞑って可愛らしくウィンクしてみせた。

 

「済まない、これでも急いで来たんだ。……ところでルー、メッセージを送ったんだが、見なかったのか?」

「メッセージ? ……あ、あぁ〜、ごめんごめん。開いたはいいけど目を通そうとしたらモンスターと出くわしちゃって。戦闘が終わった頃にはすっかり忘れてたヨ〜」

 

 どうやらリーファ達が危惧していたような事態があったわけではないらしい。少々サクヤがメッセージを送ったタイミングが悪く、加えてアリシャがうっかりしていただけのようだ。

 

「そういう事ならいいんだ。……だが、ルー。今我々が置かれている状況は非常に危険で、事態は急を要する。会談を一時中断とし、この場を離れて安全な領地か近場の中立都市まで行くぞ」

「ちょ、ちょっと待ってサクヤちゃん。全然話が見えないんだけど……」

「気持ちはわかるが、この場にとどまって理由を話すのは得策じゃない。一先ずこの場を離れ、訳は移動しながら話そう」

 

 そう言ってサクヤが背中の翅を展開すると、リーファ達シルフ勢もそれに続く。何が何やら、とでも言いたげな顔で困惑気味のアリシャだったが、サクヤがやけに急かす様を見て只事ではないと思い、素直に彼女の指示に従って翅を展開した。

 そうして離陸しようとした一行だったが、サクヤの目が巨大な黒い影を視界に捉えたため、彼女は動きを止めて目を凝らす。同じく異変に気が付いたリーファも、黒い影の正体が何なのかを知るために凝視した。

 黒い影は真っ直ぐリーファ達のいる場所へと近付き、よく見るとくさび形のフォーメーションを組んだプレイヤーの集団だと判明した。小さかった集団は接近してくることで大きくなり、人数は優に50を超えるだろう。そして黒だと思っていた影の色は、徐々に色を帯びてくる。それはシルフにとって敵対関係にある種族を連想させる、炎のように燃える赤色だった。

 

(間に合わなかった……)

 

 赤い影の正体――重武装のサラマンダー集団――は左右に分かれて半円状になり、リーファ達を取り囲む。最早逃げ場を失った彼女達は各々が武器を手に取り、銀色に煌めく剣を抜いたが、心なしかその輝きはひどく頼りなくも見えた。

 大勢いるサラマンダーの集団から、指揮官と思わしき1人のプレイヤーが前へ出た。赤い短髪をつんつんに逆立てた猛禽に似た鋭い顔立ちの男は、背中に背負っている身の丈ほどの両手剣をゆっくりと引き抜く。一目で超がつくレアアイテムだとわかる剣を見て、サクヤは指揮官の男の正体を悟った。

 

「あれは《魔剣グラム》…………という事は、奴が《ユージーン将軍》か」

「ユージーン……どこかで聞いたような……」

 

 聞き覚えのある名前に反応したリーファが首を傾げると、その隣で聞いていたアリシャが補足した。

 

「ユージーンっていったら、サラマンダー領主《モーティマー》の弟で、サラマンダー最強の戦士だヨ。9種族中最大勢力のトップってことだから、つまり……」

「全プレイヤー中最強、ってこと?」

 

 リーファがアリシャの言葉を紡ぐと、ケットシー領主は尻尾を器用に振って肯定の意を表した。数だけでも不利なのに、そこへ最強の戦士まで出てくるという展開は誰が予想しただろう。

 それでも、あくまで戦う意思はまだあるという姿勢を示す。同じ死ぬにしても、リーファはせめて何人か道連れにしてやろうという気構えでいた。

 ユージーンが片手で剣を持ち、高く掲げると、戦闘開始の合図を出すために掲げた剣を振り下ろす――――というところで、不意にユージーンの動きがピタリと止まった。彼が顔の向きを東方に向けたため、つられてリーファも同じ方角を見ると、微かな風を切る音と共に飛来する黒衣の弾丸をその目が捉えた。そのスピードは凄まじく、あっという間に距離を詰めてサラマンダーの集団に突っ込んだかと思いきや、すれ違いざまに背中の剣を抜きとって瞬く間にプレイヤーを1人屠った。

 

「な、なにあれ?」

 

 リーファ達は予定外の来訪者に戸惑うが、彼女達以上に動揺しているのはサラマンダー側だろう。領主2人に襲いかかろうとしたら、自分達が襲いかかられたのだから。

 黒衣の弾丸は大きく転回し、再びサラマンダーの集団に突撃をかます。全身黒色であることからスプリガンと推測されるが、如何せん止まる気配を見せないので、この場の誰もがその正体を看破できずにいた。

 スプリガンは1人のサラマンダーに狙いを定め、細身の剣で突進の勢いを乗せた斬撃を繰り出す。しかし、標的になったプレイヤーであるユージーンは、勢いに押されながらも斬撃を受け止め、剣同士の接触で激しい火花を散らした。

 

「――ヌンっ!!」

 

 衝撃を後方へ受け流し、黒衣の剣士の攻撃をいなす。彼はスプリガンとの間に十分な間合いを確保すると、来訪者に向き直った。

 

「スプリガンがこの俺に剣を向けるとはいい度胸だ、と思ったが…………なるほど。こいつが噂の《黒の剣士》か」

 

 来訪者の正体は《黒の剣士》。フィールドを移動している最中にプレイヤー反応を認知したため、進行方向にいた彼らに襲いかかったのだ。

 ユージーンが両手剣を中段に構えると、自分が率いてきた部隊に指示を飛ばした。

 

「このスプリガンの相手は俺が請け負う。他の奴は領主の首を取れ!」

 

 指示を受けたサラマンダーの集団は地上にいるサクヤ達に向き直り、大槍の穂先を彼女達に合わせた。

 

「くっ……混乱に乗じて逃げられるかと思ったが、流石にそこまで甘くはないか」

 

 大きな獲物を前にして見逃すほど優しくはないようだ。わずかな望みは今この瞬間消え去り、取るべき行動の選択肢は1つに絞られた。

 つまり、戦うこと。そして、生き残ること。

 しかし、各人の意志が1つに統一された最中、《黒の剣士》の襲来によって胸中を掻き乱され、サラマンダーの襲撃以上の戸惑いを感じている者がいた。

 

「お兄……ちゃん……?」

 

 どこか懐かしい雰囲気を醸し出し、幼い頃から同じ屋根の下で過ごしてきた兄の姿と《黒の剣士》の姿が重なる。距離があるのでうまく認識できないが、リーファは《黒の剣士》の背格好や容姿がSAOに囚われた頃の和人と似ているように感じた。

 もっとよく見ようとリーファは目を凝らすが、大勢のサラマンダーに視界を阻まれてしまう。確認は一先ずお預けとなった。

 

(ダメだ。まずはこの状況をなんとかしないと……)

 

 全プレイヤー最強の戦士がいなくなったことで敵の戦力は大幅にダウンしたが、リーファ達が数の暴力に対抗できるほどの戦力を備えているとは言い難い。ここでユージーンに匹敵する実力を持ち、一対多の戦闘に慣れている人物が味方についてくれるのなら話は別だが、叶いもしない望みはするだけ無駄だ。

 

 しかし、その小さな望みは運命の悪戯によって拾い上げられ、《黒の剣士》に続く予定外の来訪者として具現化された。

 

「うわっ……なんかとんでもない場面に遭遇しちゃったかも」

「『かも』じゃなくて、まさしくその通りだと思うよ、カイト君」

 

 場の雰囲気に似つかわしくない、まるで世間話をしているかのような軽い会話は、いつの間にか現れたプレイヤー2人によるものだった。幼い顔立ちの男性プレイヤーとリーファに負けず劣らない容姿の女性プレイヤーは、対峙する集団のちょうど真ん中に降りたった。

 男の方――――相方に《カイト》と呼ばれたプレイヤーは、リーファ達とサラマンダーを交互に見やると、1つの案を提示した。

 

「ねえ、どっちでもいいんだけど、オレを雇う気はない?」

 

 突然現れたカイトの提案をうまく飲み込めないでいたリーファだったが、その後で彼が口にした言葉は、さらに耳を疑うものだった。

 

「報酬は…………オレ達のグランドクエスト攻略に協力すること」

 

 言い切ったカイトの口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。

 





役者が揃いました。次回から暫く戦闘メインとなります。


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第67話 力の証明と黒い悪魔

 

 (……さて、どうなるかな?)

 

 只事ならぬ雰囲気を漂わせている場に突如として舞い降りたカイトは、対峙する集団が唐突に投げられた提案に対してどういう反応を示すのか、固唾を呑んで見守った。

 

 SAO時のキリトのアカウントデータをコピーし、ALOでイベントNPCとして運用されている《黒の剣士》の後をカイトとアスナが追いかけると、何やら一戦交えかねない集団がいるのを、カイトとアスナは発見した。見たところ片方はサラマンダー、もう片方はシルフとケットシーの集団だ。

 その集団は《黒の剣士》の進行方向にいたため、《黒の剣士》は己に与えられている役割を全うすべく、『プレイヤーを攻撃する』というプログラムに従って迷うことなく突撃をかまし、集団の1人に斬りかかった。

 その後は《黒の剣士》の相手をいかにも強そうなサラマンダーの1人が請け負う形に収まった。そしてその他大勢のサラマンダーズは、再び襲撃対象である2種族に意識を照準し、攻撃体制に入った。

 その光景を見ていたカイトは、1つの案を閃いた。

 ALOの運営開始から1年が経過しているが、未だにグランドクエストはクリアされていない。そんな超難関クエストにカイトとアスナは挑むのだが、最初から2人だけでクリアしようとは微塵も考えておらず、旅の何処かで協力者を確保しようと思っていたのだ。

 そして、今置かれている状況は、探していた協力者を得る千載一遇のチャンスだと考え、カイトは自分を売り込むことに決めた。

 ただし、これはある意味賭けだ。

 突然現れた正体不明の自分たちを拾ってくれるのかわからないし、最悪の場合は両方から見向きもされず、3パーティーによるバトルロイヤルになる可能性もある。名前の知られているプレイヤーなら兎も角、つい先日ALOを始めたばかりの2人の事など知るわけがないので、『何言ってんだこいつ』と思われてもしょうがない。

 一応カイトは対峙している両陣営に提案をしているが、正直なところサラマンダー側が乗ってくると思っていない。寧ろPKの対象が少し増えたと思っている程度だろう。

 なので、もしカイトの提案に乗ってくるとすれば、それは追い込まれているシルフとケットシー2種族のパーティー側だ。

 

「仮にお前達を雇ったとして、俺達になんのメリットがあるんだ?」

 

 先に食いついてきたのは、サラマンダーだった。副指揮官と思わしきプレイヤーがそう問いかけてきたため、カイトは翅を広げて浮上し、同じ高さにくると返答する。

 

「そっちが標的にしているあそこのパーティーを狩る手伝い、ってところかな」

「それは俺達にとっての利益にならないな。必要ない」

 

 サラマンダー側の利益として思いつくものを挙げてみたが、それは相手にとって得られる価値がないに等しいという事を、カイトは充分に理解している。だが、唯一浮かぶのはそれぐらいだし、訊かれたから答えただけだ。

 

「それだけなら、お前達と手を組む必要性はないな。あわよくばサラマンダーとのパイプを作る良い機会だと思っていたかもしれんが…………お前達2人もあそこにいる連中と同じ敵とみなす。…………やれ」

 

 副指揮官が左手をさっと挙げると、後ろで控えている集団の中から、最前列にいた3人がカイトに突っ込んできた。最初の1人が槍を腰の辺りで引き絞り、カイトの身体の中心を狙って槍を勢い良く突き出す。

 それを見たカイトは攻撃を中断できないギリギリのところまで引きつけ、タイミングを逃すことなく上方向へ回避。前方宙返りの要領で敵の頭上を跳び超え、背後に回ると同時に抜剣して敵の背中を斬りつけた。

 

「う、おっ!」

 

 死角からの斬撃に対処できず、先陣をきって出た敵は激しいノックバックに襲われる。前傾姿勢になって倒れ込む敵には見向きもせず、カイトは第2陣に意識を向けた。

 同じ槍装備による突き攻撃が繰り出されるが、今度は回避せず、剣の柄の先端を槍の側面に叩きつけて(さば)く。槍の切っ先はカイトの真横を素通りし、ダメージを与えることなく風だけを貫いた。

 

「はあっ!」

 

 そして攻撃を出しきって空振りをすると、結果的に大きな隙を生むことになる。がら空きになった相手の脇腹目掛け、カイトは水平2連撃を見舞ってダメージを与えた。

 しかし、彼の動きは終わらない。水平切りで発生した慣性に逆らわず、大きくその場から跳びのく。その直後、ついさっきまでいた場所目掛け、カイトに攻撃を仕掛けてきたサラマンダーの3人目が、上空から勢いをつけて突進してきたのだ。もしカイトが回避行動をとっていなければ、間違いなく彼は身体を貫かれていただろう。

 

「くそっ! 気付かれてたか」

「複数の敵を相手にする時は、周りをよく見ておくのが基本だ。1人に集中し過ぎて他を疎かにするのは、あまり良くないしね」

 

 カイトはかつて単独で多数のプレイヤーと同時に戦う機会が多かったため、対集団戦は得意分野だ。もっとも、彼にしてみれば、3人同時に相手するのを『対集団戦』と呼ぶには物足りない気もするが……。

 

「調子に乗りやがって……。じゃあ、これならどうだ?」

 

 3人のサラマンダーはそれぞれが違う場所に移動し、カイトを囲うような配置につくと槍を構えた。

 一方、囲まれたカイトは3人を一瞥してそれぞれの位置を確認する。縦、横、高さはどれもバラバラだが、十中八九、同時攻撃を仕掛けてくるだろうと彼は予測した。

 そして案の定、3人のサラマンダーはタイミングをズラして動き出し、恐るべき速さで距離を詰めてきた。各人はクリティカル発生率が高く設定されている胸の中心部――心の臓――に狙いを定め、渾身の突きを放つ。3人の脳裏には3本の槍にアバターを穿たれ、串刺しになるカイトの姿を想像したに違いない。

 

「……これ、かな」

 

 自分にだけ聞こえるような極小の声量で呟くと、カイトは少しだけ身体の軸を右にズラし、右斜め上から迫ってくる槍に向けて袈裟斬りを繰り出した。甲高い金属音を周囲に撒き散らし、剣同士が当たった際の反動を利用して横に大きく跳ぶと、次の瞬間には彼の目論見通りの出来事が発生していた。

 

「うがっ!」

「くっ……」

「あ、ぐっ……」

 

 穿たれたのはカイトではなく、仕掛けたサラマンダー達だった。

 この場にいる全員の目に映っているのは、3人それぞれが別々の相手に槍を突き立て、貫き、貫かれている光景だ。もがいて抜け出そうとしているが中々上手くいかないうえに、深々と刺さっている肩、腰、腹部からは紅いダメージエフェクトが宙に舞っている。貫通属性を持つ武器の特性である、貫通継続ダメージが発生している証拠だ。

 一見して自爆したかのような光景は、カイトが意図的に作り出したものである。彼は自分に向けられた武器の内、1本だけ軌道を変え、敵が自滅するよう仕向けた。つまり、自身の労力を最小限に抑えつつ、敵に最大限のダメージを与えたのだ。

 

 考える時間はほとんどなかったが、一瞬の判断で綱渡りとも言えるギリギリの攻防を実行したカイトに対し、この場にいる誰もがプレイヤースキルの高さに感心を通り越して唖然としていた。戦闘開始からここまでにかかった時間は30秒にも満たないが、闖入者(ちんにゅうしゃ)の実力がどの程度のものなのかを知るには、充分過ぎるものだった。

 もがき続けるサラマンダー達に対し、カイトは引導を渡すべく剣を振るうと、HPバーが空になり、たちまち3人の槍使いは絶命して揺らめく赤い炎となった。かすり傷1つ負わずに戦闘を終えたカイトは、もう一度両陣営に問う。

 

「それで、どうする?」

 

 これに対して最初に返答したのは、シルフ剣士のリーファだった。

 

「お願い! 私達を……シルフとケットシーを助けて!」

 

 その答えが来るのを待っていたカイトは、少年のようなあどけない笑顔を浮かべ、リーファを真っ直ぐ見つめた。

 

「決まりだな。……というわけだから、今この瞬間をもって、この場にいるサラマンダーズは全員敵として見るから」

 

 ハッキリと宣言したカイトの言葉を聞き、敵の副指揮官は片眉を吊り上げる。

 

「た、たかが1人増えたところで何も変わらん。こっちの人員は50人近くいるんだからな」

「あら、増えるのはカイト君だけじゃないわよ」

 

 凛とした響きのある声がしたかと思えば、声の主はカイトの隣に並び立った。右手には愛用のレイピアを握っており、準備万端といった様子だ。

 

「そういう事。ちなみに言っておくけど、アスナは物凄く強いから、覚悟しといたほうがいいよ」

 

 その瞬間、敵の片眉がさらに吊り上がり、顔が引きつったのを2人は見逃さなかった。

 

 

 

 

 

 謎の乱入者が気がかりではあったが、ユージーンは伝説武器(レジェンダリィ・ウェポン)の《魔剣グラム》を中断に構え、目の前にいる敵の存在に意識を向けていた。

 ALO各地を不規則に飛び回る流浪の妖精に出会えた事をユージーンは嬉しく思うと同時に、この戦いが今までで最も苦戦を強いられることになるだろうと予感した。目の前にいるスプリガンがそれだけの実力を兼ね備えていると、彼はたった1度剣を交えただけで察してしまったのだ。

 敵のHPバーは、ダンジョンにいるボスと同様の4本。セオリー通りに考えるなら、HPが一定量減るとパターンの変化やバーサーク状態になるのが予想される。一先ずは相手の出方を探り、見極めたのなら攻めに転じる方針で戦術を組み立てていく事に決めた。

 ユージーンは剣を両手で持ち、中断に構えて《黒の剣士》に正対する。剣の構え方としては何の変哲もない基本的なものだが、彼は全方向に神経を張り巡らせているため、一分の隙もありはしない。生半可な攻めで斬り込めば、間違いなくいなされて手痛いカウンターを喰らうだろう。

 

(……まだ…………まだだ)

 

 ユージーンと《黒の剣士》のいる場だけが、まるで別次元の空間になってしまったかのような空気に包まれる。集中力が徐々に高まっていくことで、離れた場所から聞こえる謎の来訪者の声は、既に耳に入らなくなっていた。

 

 そして、そんな緊張状態を打ち破ったのは、些細な偶然の産物がキッカケだった。

 

 2人の上空で陽光を遮っていた巨大な雲に切れ間ができたことで、その隙間から一条の光が漏れる。光の行き着いた先にはユージーンの持つ魔剣グラムがあり、刃の側面に反射して《黒の剣士》の網膜へ届くと、《黒の剣士》は目を細めた。

 

(――ここだっ!)

 

 刹那の間に生まれた隙を見逃さず、ユージーンは空を疾駆し、魔剣グラムを大上段に構えて突進する。彼の挙動に一瞬遅れて《黒の剣士》は反応し、迫る剣を受け止めようと身体の前で細身の片手剣を構えた――――が、この場合、剣で受けるのは悪手以外の何物でもない。

 ユージーンがありったけの力で振り下ろした剣は、まるで自らを阻むものなど最初からないかのように、その刀身を霞ませて《黒の剣士》が構えた剣を通過した。通過した刃は再び実体化し、そのまま敵の胸元へ吸い込まれるように迫る。刃が接触して敵を大きく吹き飛ばすと、《黒の剣士》は後方の地形オブジェクトにぶつかって土煙を発生させた。

 

 これこそが、ユージーンの持つ魔剣グラムの特性《エセリアルシフト》だ。魔剣グラムには、グラム本体を剣や盾で受けようとすると、非実体化してすり抜けるというエクストラ効果がある。つまり、魔剣グラムの前では弾き防御(パリィ)は通用しないため、全ての斬撃を回避するしかないというわけだ。

 

 ユージーンが敵の落下地点をじっと見つめていると、土煙は徐々に薄れ、視界が晴れていく。敵の影がぼんやり見えてきたかと思いきや、それは突如猛スピードでユージーン目掛けて一直線に突進してきた。たった今やられた分をやり返すとでも言うように、剣を振るってユージーンに牙を剥く。

 だが、ユージーンがギリギリのタイミングで斬撃を回避したため、《黒の剣士》の剣撃は虚しく空を切った。そして回避行動から姿勢を立て直したユージーンと攻撃を避けられた《黒の剣士》が向かい合うと、息もつかせぬほどの撃剣による攻防戦が繰り広げられた。

 《黒の剣士》がユージーンとの距離を詰めて肉薄すると、剣を上段に構えて一閃。ユージーンは魔剣グラムを水平に構えて受け止めると、すぐさま反撃に転じようとしたが、敵が振り抜いた剣は急激に軌道を変えて跳ね上がってきた。V字を描く連続剣技の2撃目がユージーンの腹部から入り、そのまま肩まで突き抜けてダメージを与える。

 

「――――ぐっ!」

 

 血の色を思わせるダメージエフェクトが発生し、HPが減少。ユージーンは斬られた際に発生した不快感に顔を歪ませるが、どうにか堪えて剣を強く握り、眼前のスプリガンに反撃した。

 剣を上段に構え、右斜め上から繰り出した袈裟斬りが風を切って唸る。刃は《黒の剣士》の胸元に届き、HPバーを減少させた。

 ユージーンはそこから同じ軌道をなぞるようにして逆袈裟で追撃し、敵の身体に2本の紅いラインを刻みつけたところで、《黒の剣士》が上段からの垂直斬りを放つ。それを見たユージーンはすぐさま振り抜いた剣を引き戻し、やや斜めに倒す形で身体の前に構えると、剣同士が激しく接触して火花を散らした。鍔迫り合いになりかけたが、ユージーンは翅の推進力を使って大きく後方に飛ぶ。

 

 ここまでの戦闘で、ユージーンは敵の特徴を2つ見出した。

 1つは、ステータスがハイランカーのプレイヤーと同等、もしくはそれ以上であるということ。

 ここで言うステータスとは、HP、攻撃力、防御力の類だけを指しているのではない。勿論それらも充分高レベルであることが伺えるが、何よりも目を見張るのは、アバターを動かしている運動速度だ。

 ALOにおけるアバターの強さは、反復使用で上昇するスキルとアバターの運動速度の2点が大きな割合を占める。前者が根気よく続ければ誰でも一定のレベルに到達する一方、後者は生来の脳神経の反応速度が大きく関与しているため、人によって差が生じてしまう。つまり、アミュスフィアが発したパルスを脳が受け取って処理し、運動信号としてフィードバックするレスポンスの速さは、生まれ持った能力に依存しているのだ。

 ユージーンがこれまで見てきた中で、《黒の剣士》のスピードはどのプレイヤーをも凌駕していた。相手はNPCなので、それだけの速度を意図的に再現しているのだろうが、もしもこれがプレイヤーだったらと思うと、彼は全身が少しだけ震えるのを感じた。

 

 もう1つは、敵の背負っている剣が1本ではなく、2本であるということだ。今は黒い片手剣を使っているが、今後の展開――例えば、ボス戦でよくあるHP減少に伴った行動パターンの変化――によっては、今使っている剣を捨ててもう1本の剣で戦う可能性もある。あるいは、両手に剣を装備して戦う、二刀流のスタイルになることも考えられるのだ。

 

(少しの間は様子見と行くか……)

 

 開いた距離を詰めてくる《黒の剣士》を見ながら、ユージーンは頭の片隅でそんな事を考えていた。

 しかし、それだけの考えを巡らせるのに要した時間はせいぜい1秒程度。意識を再び戦闘モードに切り替え、ホバリングしながら敵の突進を迎え撃つ準備をした。

 剣の柄を両手で握りしめ、右後方に大きく引く。左足を1歩前に出して構えると、相手が剣の攻撃範囲に入ったところで、右から左へ流れる水平軌道を描きながら剣を疾らせた。

 通常なら見てから回避することが困難な剣速だったが、《黒の剣士》は身を屈めて姿勢を低くし、剣を躱す。大きく左に剣を振り抜いたユージーンは右脇腹を相手に晒す格好となったが、敵はそれを見逃さず、剣が霞むほどの速度で斬りにかかる――――が、それはユージーンが意図的に作り出した隙だった。

 

「ぬんっ!!!!」

 

 振り抜いた剣を一瞬だけ止め、左上から右斜め下の軌道を描く斬撃に変える。脇腹に迫る剣尖を弾き防御(パリィ)で防ぐと、切っ先を相手に照準し、次いでほぼ零距離からの突き技を繰り出した。狙いはアバターに設定されている急所の1つ、心臓だ。

 

「ぜああぁぁっっ!!!!」

 

 裂帛の気合いと共に放った突き技が迫る瞬間、《黒の剣士》は弾かれた剣を引き戻し、弾き防御(パリィ)を試みる。だが、《エセリアルシフト》の前ではそんなもの通用するはずもなく、グラムは非実体化して刃を通過し、敵の身体を貫いた。

 またしても《黒の剣士》は衝撃で大きく後方へと飛ばされるが、今回は岩肌にぶつかることはなく、背中の翅で急制動をかけて静止。両者は再び向き直るが、《黒の剣士》の表情からは一切の感情を読み取ることが出来ない。

 ユージーンが相手にカーソルを合わせてHPを確認すると、初撃よりも大きくHPが減少していることを確認した。攻撃がヒットした際の音とエフェクトから判断して、クリティカル判定がでたのだろう。

 気を緩めることは出来ないが、時間さえかければユージーン1人で1段目のHPバーを削りきるのは時間の問題だ。両者の戦闘技術はほぼ互角だが、武器の性能でユージーンに軍杯が上がっているのが根拠として挙げられる。《黒の剣士》が使用する片手剣は一見して古代武器(エンシェント・ウェポン)と思われるが、ユージーンの《魔剣グラム》はそのさらに上をいく性能を持っているのだから、当然と言えよう。

 

「むっ?」

 

 突然《黒の剣士》が剣を持っている腕を高く掲げると、身体の周りで光の文字が浮かび上がる。その光景が指し示す答えは唯一つ、魔法の発動だ。

 しかし、ユージーンが訝しんだ理由は魔法の発動ではなく、発動する魔法の中身に関してだ。空中に浮かび上がっているスペルワードの断片から記憶のインデックスと照合すると、発動する魔法は幻影魔法で間違いない。そしてその魔法の効力が何かというと、アバターの見た目をモンスターに変える、というものだ。

 見た目をモンスターに変えることでどんな効力があるかと言うと、はっきり言って実践的なメリットはゼロだ。プレイヤーが使用すれば攻撃スキルの値によってランダムに姿を変えるのだが、そのほとんどがパッとしない雑魚モンスターになる上、実ステータスは一切変動しない。それが認知されて以降は使う者がおらず、ユージーンも実際に目にするのはこれが初めてだった。

 

 詠唱が終了し、《黒の剣士》は黒い光に包まれる。宵闇のような黒い光は次第に広がり、大きく渦を巻いて縦方向に伸びると――

 

「なっ!?」

 

 ――光の中から、巨大過ぎる影が現れた。

 頭は山羊のように長く、湾曲した分厚い角が後頭部から伸びている。漆黒の体躯はプレイヤーの優に2倍を超えており、筋骨隆々としていて逞しいことこの上ない。その姿を形容するなら、『悪魔』という言葉がしっくりくるだろう。

 長い腕をダラリと下げて尻尾を鞭のようにしならせながら、赤々と輝いていている両眼でユージーンを睨みつけると――

 

「グオオォォオオォォ!!!!」

 

 ――大地を、天を、世界を揺さぶり、根源的な恐怖を湧き上がらせるような咆哮を轟かせた。

 



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第68話 守り人と武人

 自分に向けられた刃を躱し、カウンター気味に反撃を見舞う。新たにサラマンダーを1人屠ってエンドフレイムへと変えたカイトは、忙しなく周囲に視線を走らせた。

 少し離れた場所にいるパートナーのアスナは、カイトと同様に複数人を相手取っているが、動きで相手を撹乱し、着実に1人ずつ倒している。特に苦戦している様子もなさそうなので、援護する必要はないと判断し、彼は依頼主であるシルフの少女――リーファに目を向けた。

 少女の動きや剣捌きを見る限り、どうやらかなりVRMMOには慣れているらしく、実力は申し分ないのだが、彼女の側にはサラマンダーのメインターゲットである領主が2人いるので、カイトとアスナよりも割かれる人員は当然多い。サラマンダー達は少女を含め、領主達の周囲をぐるりと囲うような陣形を組み、武器を使った近接攻撃と魔法を使った中・遠距離攻撃で攻め込んでいた。

 

(ちょっとマズいかな)

 

 敵の数を減らす事よりも味方の援護を最優先と判断したカイトは、救援に向かうため降下しかけたが、そんな彼の目の前に新たなサラマンダーが2人立ち塞がった。

 

「そこを……どけっ!」

 

 通せんぼする2人にカイトが突撃すると、敵対するサラマンダーは迎撃のために武器を振るう。直進してきたカイトに大槍を突き出して撃ち落とそうとしたが、彼はギリギリのタイミングで両方を躱し、2人の背後に素早く回り込んだ。

 

「――はっ!」

 

 剣を左脇に構えて初撃を撃ち込むと、そこから流れるような動きで2撃目、3撃目と続き、4撃目でフィニッシュ。ヘリコプターの二重反転ローターのようにくるくると高速回転しながら2人の周囲を回り終えた頃には、剣の軌跡で空中に正方形を描く水平4連撃が完成していた。余すことなく全弾放ち終えると、1人はHPを真っ赤に染め、もう1人はHPバーを空にして赤いエンドフレイムとなった。

 運良く生き残ったサラマンダーは、強力な一撃を喰らった影響ですぐに反撃出来ずに怯む。その隙を逃さず、カイトは敵の残りHPを吹き飛ばすと、その場で反転して懸命に戦うリーファに近付いた。

 

「頼む。10秒だけ時間をくれ!」

 

 地面に降り立つや否や、それだけ言い放ったカイトをリーファが背中越しに見ると、小さくうなづいた。カイトが魔法を発動するために必要な20ワード以上にもなる呪文を滑らかに唱えると、彼の周囲にいたシルフとケットシー全員のHPが瞬時に右端まで持ち上げられた。ウンディーネしか使用できない高位回復魔法を発動させたのだ。

 

「すまない。助かった!」

「グッジョブだヨ〜」

 

 領主2人を含めたメンバー全員が感謝の意を示すと、また意識を戦場に向ける。それに倣い、カイトも再び戦闘態勢に入った。

 

「戦況は大分マシになったかな?」

「君と上で戦ってるお姉さんのお陰でなんとか凌げているけど……それでもまだ厳しいわね。相手側の人数が多すぎるわ」

 

 サラマンダー側のプレイヤーは減っているものの、元々の数が多かったのもあり、まだまだ戦力に余裕がみえる。それだけの人数に攻め込まれているにも関わらず、シルフとケットシーの少人数混合パーティーが未だ1人も欠けていないのは奇跡に近い。

 

「最悪の場合は、君達だけでも逃げて。そうなっても私達は恨んだりしないから」

 

 サラマンダー3人をいなした強さに惹かれて咄嗟に協力を依頼したが、本来なら無関係のカイトとアスナにまで危険を負わせるわけにはいかない。自分の我儘でこの場に留めているが、カイト達が追い込まれた結果、我が身を最優先に考えて行動したとしても、リーファは決して何も言うまいと心に誓っていた。

 しかし、そんな彼女の胸中を察したカイトは、リーファの眼を見てこう告げた。

 

「今も昔も、請け負った依頼は最後まで全うするって決めてるんでね。途中で投げ出す気はないよ」

 

 視線がぶつかると、カイトは柔らかな笑顔を浮かべた。その自然な表情を見たリーファは思わず「へぇ……」と感嘆の声を漏らす。感情表現が大雑把なVR世界において、ごくごく自然な笑顔が出来るというのは、実は中々難しい。

 そんなカイトについ見入っていたリーファだが、急に表情が険しくなった彼を見て身体が強張る。そんなリーファの心情など知るわけがないカイトは、彼女の左腕を掴み、思い切り自分の元へと引き寄せた。

 

(な、なになになに????)

 

 混乱するリーファがされるがままになっていると、カイトは一歩踏み込んで右手の剣を閃かせた。その直後、何かを斬った音と男の呻き声が聞こえてきた。

 リーファが後ろを振り向くと、そこには肩口から脇腹までダメージエフェクトを刻みつけられたサラマンダーの姿があった。いつの間にかリーファの背後に忍び寄っていたらしいが、それに気付いたカイトが彼女を庇い、助けてくれたらしい。

 

「あ、ありが――」

 

 礼を言おうとしたその時、今度はリーファが表情を険しくさせた。

 その理由は、カイトの背後で大剣を大上段に構える敵の姿を見たからだ。

 

「やあっ!」

 

 剣道の時と同じように覇気の込もった声を発すると、下から上に流れる斬り上げを放つ。敵の剣がカイトの身体へ喰い込むよりも早く、リーファの剣がサラマンダーの身体に食い込み、深々と傷痕を刻みつけるのに成功した。さらには今の一撃でクリティカル判定が出たらしく、不意打ちが失敗したサラマンダーは激しいノックバックで弾き飛ばされる結果となった。

 

「おぉ……ありがとう」

「どういたし、まし……て…………」

 

 リーファの口調が目に見えて減速する。その理由は、今の彼女が陥っている状況が原因だった。

 カイトがリーファを助けるために自分の元へと引き寄せた際、2人はお互いの息遣いが聞こえるほどに近く、というより密着している。そしてリーファはその姿勢のまま、不意打ちを仕掛けてきたサラマンダーを撃退したため、2人の密着状態は未だ解除されずじまいだ。

 思考のギアが戦闘モードに入っていた時なら気にも留めていなかったが、危険が去ってニュートラルに切り替わった今となってはそういうわけにもいかない。そんな精神状態でリーファが目にしたのは、鼻先数センチ先にあるカイトの顔だった。

 

「〜〜〜〜〜〜っ!?!?」

 

 状況を理解したリーファの顔が熟れた林檎のように紅く染まり、全身は瞬間湯沸かし器の如く瞬時に熱を帯びた。

 シルフ五傑と呼ばれ、プレイヤーとしての実力は上位に位置するリーファだが、中身は年相応の女の子であり、リアルは思春期真っ只中の女子中学生である。同世代の男子と付き合った経験もなければ、ましてや手を繋いだ事もない。そんな彼女にとって、異性と身体をくっつけて抱き合う格好になるのは、途轍もなく恥ずかしい行為なのだ。

 

「うわわわわっっ!! ご、ごめんなさいっ!!!!」

「こ、こちらこそ」

 

 なので、リーファはその体勢のままでいる事が耐えられず、恥ずかしさのあまり1人分の間隔を空けてカイトから距離をとった。

 一方のカイトはそんなリーファの内情など知る由もなく、彼女のリアクションに戸惑っていたが、すぐに思考を切り替えて周囲の敵に目を走らせた。彼の様子に気が付いたリーファもあおいでいた手を止め、カイトに背を向けて剣を構える。

 すると、背中を向けた状態のままでカイトは声をかけた。

 

「そういえばまだ名乗ってなかったね。オレはカイト。君は?」

「リーファよ」

「じゃあリーファ、君がさっきオレに対して依頼した事を果たすために、オレは君達を全力で守るから」

 

 背中越しに聞こえる声には、置かれている状況を何とも思っていないような、ある意味で自信に満ち溢れた頼もしい印象を抱かせた。先ほど見たあの強さからくるものだろうが、それとは別に似たような経験と数々の修羅場を潜り抜けてきたことに由来するものなのではないかと、リーファはあどけない少年の声色からそう感じとった。

 

「そんなわけなので、ちょっと暴れてくる」

 

 言うや否や、カイトは少しだけ身を屈めると、一気に上空へ飛翔して空中にいるサラマンダーの一団に突っ込んでいく。

 

(……なんだろう。いつもならこんな事思う余裕ないはずなのに……)

 

 カイトがいなくなってその場に取り残されたリーファは、1人でふと、あることに気が付いていた。

 

(あたし、今わくわくしてる)

 

 追い込まれている状況下でも心の底からゲームを楽しんでいるカイトに感化されたのか、リーファは久しく忘れかけていた、ALOを始めた頃の原点とも言える気持ちを思い出していた。

 そして、その最中。

 

 ――グオオォォオオォォ!!!!

 

 少し離れた場所から腹の底にまで響く重低音が轟き、乱戦状態だった戦場の時が止まる。皆が何事かと音の発生源に顔を向けると――

 

「な、なに……あれ?」

 

 ――これまで誰も見たことのない、巨大な悪魔型モンスターの姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 ユージーンは《黒の剣士》が魔法で巨大な悪魔型モンスターに変身した事に対して驚きはしても、畏怖や動揺の類を一切感じていなかった。プレイヤーによっては思考が停止して足が(すく)む者もいるだろうが、武人や猛将などと呼ばれているユージーンの胆力を脅かすほどではない。

 

 ステータスの変動はなく、見た目がモンスターに変わっただけだが、変身した姿がプレイヤーの身の丈を優に超える巨体であるなら、少々話は変わる。

 それは、リーチの問題――――つまり、攻撃範囲だ。

 《黒の剣士》が変身した悪魔型モンスターの腕は、だらりと下げた状態で膝下までの長さがあり、その場で腕を振るだけでも、プレイヤーが剣を振るより広い範囲をカバー出来る。そのうえ長い尻尾もあるので、死角からの攻撃にももしかしたら対処が可能かもしれない。

 魔法による遠隔攻撃で攻める手もあるが、ユージーンはすぐにその考えを切り捨てた。詠唱には少なからず時間が必要なので、その隙に攻め込まれる可能性が高いからだ。ならばここは危険を冒してでも接近戦に持ち込み、懐に入り込んで剣技のラッシュで畳み込むのが良いだろう。ユージーンは機を逃さぬよう、攻め込むタイミングを静かに推し量っていた。

 だが、ユージーンが動き出すよりも早く、悪魔は無音で大地を疾駆して攻め込んできた。

 

「なっ…………!」

 

 この時、ユージーンの心臓がわずかに跳ね上がり、その場で動きを止めた。

 元々《黒の剣士》のステータスは全て高水準に設定してある。移動スピードだけをとってみても恐ろしい速度を誇っているため、並大抵のプレイヤーには視認することすら容易ではない。

 もし自分よりも身体の大きい巨躯の悪魔がそんな速度で距離を詰めてきた場合、その迫力は相当なものだ。これは実際に体験した者にしかわからない感覚であり、流石のユージーンもそこまでは予測できなかった。

 肉薄する悪魔は腕を振りかぶり、拳を握って何の捻りもない右ストレートを繰り出した。ユージーンほどのプレイヤーなら回避できたはずだが、想像以上の迫力によって思考の死角を突かれ、不可視の鎖が彼の足を絡めとる。黒い右拳がユージーンの視界を覆った、次の瞬間。

 

 ――ズガアアァァアアァァン!!!!!!

 

 拳がユージーンを突き飛ばし、彼は後方にあった地形オブジェクトに叩きつけられた。ユージーンが激突したオブジェクトには大きなクレーターが出来たが、それが彼の受けた衝撃の強さを物語っていた。

 

「ぐっ……」

 

 回避は出来なかったが、咄嗟に身体が動いたおかげで剣を盾にした防御姿勢をとることは出来た。無防備に喰らうよりもダメージを軽減できたが、それでも受けた傷は大きく、彼のHPは大幅に減少した。

 

(迂闊だった。俺としたことが……)

 

 素早くポーチにあるポーション入りの小瓶を手に取って口に含み、下降したHPゲージが緩やかに上昇し出したのを確認すると、空になった小瓶をその場に捨てた。役目を終えた小瓶がポリゴン片となって四散すると同時に、今度はユージーンが先行して仕掛ける。

 大剣を肩に担ぎ、悪魔に突進。悪魔は小煩い羽虫を払い落とそうと長い腕を振って大地に叩きつけようとするが、ユージーンは飛行スピードを極力落とすことなく、最小限の動きで回避。懐に入り込んだユージーンは担いでいた剣の柄を両手で握り、大上段からの一撃を浴びせようとした。

 だが、悪魔の攻撃はまだ終わっていない。斬りかかろうとしているユージーンに対し、大口を開けて噛みつき攻撃を仕掛ける。生え揃った鋭利な牙と歯が、ユージーンを噛み砕かんと迫る。

 

「舐めるなっ!」

 

 歴戦の猛者は狼狽えることなく、咄嗟の機転で翅の角度を変え、推進力を前方向から横方向に変化させた。その結果、ユージーンは滑るようにして悪魔の脇腹付近をすり抜け、背後に回り込む。半秒ほど遅れてつい今しがたユージーンのいた座標に悪魔が噛みつき攻撃をしたが、当然そこに敵はおらず、何もない空間に噛み付いて空振りに終わった。

 背後に回り込んだユージーンは、ガラ空きになっている悪魔の背中に一閃見舞うため、今度こそ剣を大上段に構えた。

 

(もらった!)

 

 これがもしもプレイヤーなら、完璧なタイミングで背後に回り込まれた時点で背中に一撃喰らうのは必然であると言える。人間は背中側にいる敵に対して攻撃する術を持ち合わせていないからだ。

 しかし、今ユージーンが対峙しているのは、《黒の剣士》が変身した悪魔型のモンスターであり、必ずしも対人戦での常識が通じるとは限らない。この時、彼はつい先ほど自分の脳裏に浮かべた可能性を失念してしまっていた。この悪魔には尻尾があるため、死角からの攻撃にも対処される可能性があることを。

 その事を思い出したのは、悪魔の薙いだ尻尾がユージーンに当たり、彼を宙に弾き飛ばした直後だった。

 完全な攻撃モーションに入っていたユージーンは、当然防御姿勢をとる暇もなく、尻尾による打撃属性ダメージとノックバックに襲われた。

 

「が、はっ……」

 

 尻尾を叩きつけられた身体の左側面から不快感が生じ、視界の端に映るHPゲージが再び下降し始めた。ただ、直撃を受けたにも関わらず、HPゲージの減りは先程よりも少ない。尻尾にはそこまでの攻撃力を備えていないということだろう。

 どうにか空中で姿勢を立て直すと、ユージーンはもう一度悪魔に向かって突進する。そしてもう少しで射程圏内に入ろうとした時、彼は飛行速度を僅かに緩め、悪魔の周囲を縦横無尽に飛び始めた。

 前後左右に上方向を加えた悪魔の周囲をランダムに飛び回り、どこからどのタイミングで攻撃がくるのかを相手に予測させない作戦だ。NPCのアルゴリズムに負荷をかければ、必ず隙は生じるだろうと考えた末の手段である。

 ユージーンの動きを目で追おうと、悪魔も顔をしきりに動かす。トップスピードは《黒の剣士》が上のようだが、モンスターに変身して大型化した《黒の剣士》にユージーンのような細かな機動力はない。忙しなくユージーンの動きを追うが、徐々についてこれなくなっているのが見てとれた。

 撹乱するために動き続け、悪魔がユージーンの動きを目で捉えられなくなったのを見計らい、武人は機を見て仕掛けた。

 

「はああぁぁああっ!」

 

 剣を腰の高さに構え、裂帛の気合いと共に突撃する。悪魔が顔を向けている方向とは真逆の左側面からユージーンは攻め込み、丸太のように太い首目掛けて剣を振るった。

 

「ぜああぁぁっ!!」

 

 悪魔に肉薄し、首元を通過する際、腰だめに構えた剣を横一閃に薙ぐ。深々と紅いダメージエフェクトを刻みつけると、悪魔は一瞬だけ黒い煙となってその身を爆ぜ散らし、本来の姿である黒衣の剣士に戻った。ユージーンが上空から見下ろすと、幻惑魔法を強制解除された《黒の剣士》のHPゲージが大きく減少していた。

 ここで手を緩めるつもりのないユージーンは、翅を鋭角に折り畳み、《黒の剣士》目掛けて急降下のダイブを開始。翅の生み出す推進力を上乗せし、もう一度敵に一撃見舞おうと試みた。

 そしてユージーンの急降下によって生み出された空気を裂く音が、《黒の剣士》の鼓膜にも届いたらしく、上空から迫る敵の姿に遅れて気が付き、天を仰ぎ見る。ただ、その時にはもう回避が間に合うような距離ではなく、敵の影は目と鼻の先だった。反射的に《黒の剣士》は身体の前で剣を斜めに構え、武器で防御する判断をとったが、グラムに武器防御は通じない。エクストラ効果の《エセリアルシフト》が剣と接触する瞬間に発動した。

 

 ――ズガンッ!

 

 透過した剣が敵の身体を捉え、《黒の剣士》は容赦ない一撃を喰らうと同時に下方へ大きく飛ばされる。地面に叩きつけられてもおかしくなかったが、翅で急制動をかけたため、ギリギリで地面に激突する事態は避けられた。その場でくるりと回転し、大地に足をつけた。

 ユージーンの強烈な攻撃は《黒の剣士》に大ダメージを与え、4段あるHPゲージの内の1段目がとうとう空になった。

 そして1本目が削り切られた事で、《黒の剣士》にパターン変化が生じる。

 《黒の剣士》は空いている左手を持ち上げると、これまで抜かずにいた背中の剣に手をかけた。柄を握って一気に引き抜くと、陽光の下でその身を露わにする。

 それは遠目から見てもわかるほどの細身で、透き通るような青白色の片手剣だった。派手な装飾はないものの、美しさと強さを兼ね備えた業物であるのが見てとれる。

 両手に剣を装備するのは不可能ではないが、当然片手で装備するよりも扱いは難しくなる。そんな状態で戦えるのかとユージーンは訝しんだが、《黒の剣士》の構えを見た時、それはいらぬお節介であると悟った。

 

「ほう……」

 

 ユージーンも思わず感嘆の声を漏らす。その構えは一朝一夕などではなく、修練の果てにたどり着いたものだとわかったからだ。つまり、それだけ隙がないという事であり、どこから斬り込んでも即座に反応して反撃されるだろう。

 そして、この時のユージーンはまだ知らなかった。今までの戦闘はあくまで前座のようなもので、本番はここからなのだという事を。

 

 かつてSAOの攻略に幾度となく貢献し、攻略組の中でもトップクラスの実力を誇っていた《黒の剣士》の真骨頂――――二刀流。

 今、黒と白の剣が牙を剥く。

 



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第69話 掃除屋と二刀流


この章だけでもう9話目……。ここまで長いのは2章以来です。



 

 空を舞うサラマンダーの集団に仕掛けるために地上から飛び立った瞬間、カイトは耳を(つんざ)く咆哮に反応して視線を発生源に移すと、そこにはどこか見覚えのある巨大な悪魔型モンスターが鎮座していた。まるで怪獣映画のような光景に場が膠着するが、突如現れた悪魔の正体が何なのか、カイトにとっては考えるまでもなく明らかだった。

 

(あいつはNPCに置き換えてもやる事がぶっ飛んでるなぁ……)

 

 キリトの戦闘データを抽出してAI化した《黒の剣士》は、スプリガンお得意の幻惑魔法を用いてその姿を巨大なモンスターに変化させたのだろう。見た目の強烈なインパクトもさることながら、本物と見間違うプレッシャーは離れた場所にいても肌を刺激された。

 カイトが悪魔に意識を注視していたのはほんの僅かだったが、周囲のプレイヤーは突然の大型モンスター出現にどよめき、戦場が一時凍結する。放っておけばいずれ元に戻るだろうが、生憎その様子を眺めて待つほどカイトは優しくない。

 いまだ意識を悪魔に向けているサラマンダーに狙いを定めると、先手を取るべく一気に距離を詰める。カイトの接近にサラマンダーが気付いた時は、既に剣を振るって一撃目を見舞う直前だった。

 

「うおっ……らあっ!!」

 

 1撃目をサラマンダーの右腕に当てると、止まることなくそのまま流れるような動きで剣を疾らせる。2撃目を左腕に当て、3・4撃目は腹部を横一文字に断ち切った。身体に染み付いた水平4連撃技が、空中で正方形の軌跡を優美に描いた。

 

「くっ、そ……」

 

 HPゲージを全て吹き飛ばすには少々火力不足だったが、残り体力は全体の数パーセントしか残っていないため、風を薙ぐように剣を振れば簡単に消し去ることが出来る。カイトは単発の巣直斬りを追加で繰り出すと、サラマンダーはエンドフレイムと化して蘇生待機状態となった。

 仲間が討たれたことで他のサラマンダー達も我に返り、各々の武器でカイトに斬りかかる。敵は複数な上に立ち位置はてんでバラバラで、常人なら全てを捌いて凌ぐのは不可能だ。

 それもそのはず、地上戦は前後左右に気を配らなければならないが、空中戦だと上下を加えた周囲360度から敵が襲ってくる展開を考慮しなければならなくなる。1対1なら兎も角、複数人のプレイヤーが同時に攻めてきたら、1対多の展開に馴れていないプレイヤーは対処の仕方と判断に迷い、脳が状況を処理しきる前に斬られてしまうだろう。

 しかし、SAO時代に幾つもの死線をくぐり抜けた経験と培った技術に助けられ、カイトにとっては焦りを感じるほど切羽詰まった状況ではない。最速で最適解を導き出し、敵との間合いや立ち位置から最善の策を脳内で練ると、すぐさま実行に移した。

 最初に攻めてきたサラマンダーの攻撃を前方宙返りで優雅に躱し、頭上を飛び越えた後、敵の首根っこを掴んで強引に位置を左方向にズラす。そして次の瞬間に起こったのは、たった今首元を掴まれたサラマンダーが、別方向から攻めてきた仲間に斬りつけられる光景だった。

 

「うぐっ…………」

 

 カイトが盾代わりに利用したサラマンダーは、仲間の大槍に腹を穿(うが)たれた事で呻き声を漏らす。一方、大槍がサラマンダーの身体に阻まれたため、槍の穂先はカイトの腹部から数センチ先で止まった。

 

「はあっ!」

 

 盾に利用した敵を今度は自分の初動が悟られないための壁として利用し、仕掛けてきた大槍武装のサラマンダーの横をすり抜けざま、単発の斜め切りでダメージを与えた。

 カイトは飛び出した勢いを殺さずに距離をとると、反転し、急制動をかけ、直線上に並ぶ敵2人目掛けて猛スピードで突っ込んだ。

 彼我の距離、5メートル。完全に必中の間合いであり、翅の生み出した推進力に背中を押され、アバターはぐんぐん突き進む。

 

「うおおぉぉっっ!!!」

 

 左腕を前にし、右腕を後ろに引く構えから繰り出されるのは、SAO時代に愛用していた剣技の1つ。片手剣スキルにしては珍しい単発の突き技だったが、その一撃で戦況を引っ繰り返せるほどの威力を誇り、かつて何度もカイトの危機を救ってきた。

 右腕が霞むほどの速さで剣を突き出すと、ジェットエンジンめいた轟音が周囲に響く。クリムゾンレッドの眩い光芒が剣を包む、といった演出までは流石にないが、かつての姿を強くイメージし、ただただ敵を貫く事だけに特化した剣技を放った。

 大槍で仲間を穿ち、穿たれた双方のサラマンダーは、カイトの片手剣に肩口を貫かれ、HPゲージが大きく減少した。突進の威力に押されて串刺し状態となり、そのまま地上に向けて急降下する。剣でアバターを貫き、発生した貫通継続ダメージでHPを減らしつつ、残ったHPは地上に叩きつけた際のダメージで根こそぎ奪う算段だ。

 2人のサラマンダーは串刺し状態のまま、カイトと共に重力に逆らって急降下する。そこから数秒後には落下した際の大音響と土煙を周囲に撒き散らし、カイトは出来上がった巨大クレーターの中心部に新たなリメインライトを作り出した。

 片膝をつき、剣を地面に突き立てて身体をほんの少しだけ預ける。対集団戦は彼の十八番だが、ここまでの間、一息つく暇もなく向かってくる敵を屠ってきた。久しぶりの連戦で精神的に疲労しているのが、肩で息をしている様子から容易に伺えた。

 

(なまってんなぁ……)

 

 生と死が隣り合わせの世界で戦っていた頃、今と同じ状況なら間違いなくこんな姿は一時たりとも見せなかっただろう。敵に弱っている姿を見せれば、必ず相手はその隙をついてくるのはわかりきっていたので、どれだけ精神的疲労が溜まっていても気丈に振る舞うようにしていたのだ。

 たった2ヶ月程で虚勢を張る元気が無くなってしまったのを少々情けないと思いはすれど、戦闘のカンが衰えていないのは救いだった。まだ全盛期とまではいかないが、身体は動く、周りは見えてる、状況判断も問題ないし、頭は至って冷静だ。もしそうでなければ、今頃彼の身体にはもっと多くの傷が刻み込まれていただろう。例えば――――。

 

 ――シュバッ!

 

 うっかりしていると聞き漏らしてしまいそうな、遠隔攻撃型の魔法が発する発射音に気が付く事もなかっただろう。

 音の発生から2秒と掛からず、カイトが立つクレーターに《単焦点追尾(シングルホーミング)》型の魔法が立て続けに着弾した。

 色は燃えるような紅蓮。属性は火。球数は3発。

 晴れかけていた土煙が再び発生し、周囲を茶褐色に染め上げる。

 

「よっしゃあっ!」

 

 ガッツポーズを決めているのが見ていなくても想像できるような上向きの声色は、魔法を放ったサラマンダーの内の1人だ。背中を向けた状態のカイトに放ったものなので、回避は不可能、攻撃がヒットしたのを微塵も疑っていない。

 普通ならその考えでも通用するが、相手がカイトなら話は別だ。ここで気を緩めていい相手ではないことを、彼らはまだ理解出来ていない。

 発生した環境エフェクトの中から蒼い弾丸が飛び出してきたのを見て、サラマンダー達の表情は再度険しいものとなる。魔法の存在を認知していたカイトは、すんでの所で回避し、サラマンダーに反撃の剣を振るため飛び出したのだ。

 カイトの行動に虚を突かれたサラマンダー達だったが、すぐに次の手を打つべく魔法の詠唱を開始した。カイトの飛行スピードなら魔法を使われる前に斬り込めるが、せいぜい1人が限界だ。1人を斬り伏せている間に、他の2人から手痛い攻撃を喰らうはめになるだろう。

 

(だったら……)

 

 間に合わないと判断したカイトは、ウンディーネ領を出る際にあらかじめ買っておいた店売りの革製ホルダーに手を伸ばす。腰に装着されているホルダーから3本の鉄製ピックを指の腹で挟むと、素早く抜きとって詠唱中の敵目掛けて投擲した。完全習得(コンプリート)済みの《投剣》スキルが発動し、命中精度の補正が最大限に働いたおかげで、ピックは寸分違わずカイトの狙った先へと向かう。

 

「くっ……」

「かっ……!」

「……っ!」

 

 詠唱途中だった敵は、それぞれ肩、胸、腹といった部位にピックが突き刺さった。ピックで与えられるダメージは微々たるものだが、カイトの目的はHPを削ることではなく、魔法の詠唱を阻止することだ。

 そして狙い通り、敵はピックが刺さった際に短い声を漏らしたため、詠唱中だったスペルをファンブルし、ぼふん! と周囲に黒煙がたち込めた。

 

「うらあっ!」

 

 ファンブルした隙をつき、最も近くにいた敵を横薙ぎに一閃。眉間に皺を寄せた敵の顔を横目に、流れるような動きで2人目目掛けて突進技を仕掛けた。上段から振り下ろされた剣が敵の鎧を深々と斬りつけ、真紅のダメージエフェクトを散らす。

 するとここで、ファンブルから立ち直った敵の1人がカイトの背面から忍び寄り、不意打ちを仕掛けるために剣を上段に高く掲げた。完全に背中をとったと思ったサラマンダーは笑みを浮かべ、渾身の力で振り下ろす。

 しかし、ここでサラマンダーにとって予期せぬ出来事が起きた。

 突然自分の身体が淡青色の光に包まれたかと思いきや、振り下ろした剣が途中で止まり、全身を2本の鉄鎖で縛り上げられる。プレイヤーの動きを阻害する魔法がかけられたのだと瞬時に理解したが、カイトがスペルを詠唱した素振りは一切なかった筈だ。渦巻く疑問が脳の半分を占め、混乱する。

 一方、カイトは敵の不意打ちが失敗するのをわかっていたのか、慌てる様子もなく振り返り、単発斜め切りを繰り出した。下段から跳ね上がった剣が身動きの取れない相手の胴を斬り裂くと、敵は物言わぬ炎と化した。

 

「ありがとう、アスナ。おかげで助かったよ」

 

 カイトが剣を下ろして斜め上を見上げると、そこには両手を胸の前でかざしているアスナの姿があった。先ほど敵を拘束した魔法は、アスナがカイトをサポートするために使ったものだったのだ。

 

「どういたしまして。……ところでカイト君。もしかして、私が魔法を使うのに気付いてた?」

 

 敵がアスナの魔法に虚を突かれたのは兎も角、彼女は声や目でカイトに合図を送ったりしなかったので、本来なら味方である彼も表情や動きに何かしらの反応を示す筈なのだ。

 しかし、実際には動じることもなく、まるでアスナのサポートがあるのを最初からわかっていたかのような振る舞いだった。それでつい、アスナは疑問が口をついて出てしまったのだ。

 

「あぁ。オレが土煙から飛び出した時、魔法を詠唱してるアスナの姿が一瞬だけ見えたからな」

 

 真顔でさも当たり前のように言ってのけたカイトだが、敵目掛けて高速飛行していた彼にしてみれば、敵の位置、数、状況から取るべき行動を選択して実行に移す事に、脳で行う処理の大部分を割いていたはずだ。

 となれば、余計な情報は取り込まないよう、脳が無意識の内に視界を狭め、周囲の様子にまで意識が行き届かなくなるのだが、彼に関して言えばその理屈は通じないらしい。

 視界の広さは積み上げられた戦闘経験の賜物でもあるが、相手の位置関係や状況を瞬時に、かつ的確に判断出来るのは、誰よりも秀でていると茅場に指摘された『空間認知能力』によるものだった。

 カイトにしてみれば、自分の周囲360度のどこにプレイヤーがいようとも、一瞬でも彼の視界に入れば正確に位置関係を把握する事が可能だ。自分とプレイヤーの距離は勿論、プレイヤー同士の間隔やオブジェクトとの距離などを目算でも正確に言い当てられる。

 だからこそ、彼は立ち位置を計算して同士討ちを狙ったり、敵を盾代わりに利用するといった芸当をやってのけるのだ。もし彼を出し抜こうと思うなら、ネズミ1匹たりとも逃げられない包囲網を敷いて一斉攻撃するか、彼の反応速度を上回る技術で追い込むしかないだろう。

 

「それにしても、敵さんの数が大分減ってきたなぁ」

 

 アスナがカイトのサポートに回れるようになった事からも想像がつくが、最初は50を超える大群だったのに、今となっては2パーティーいるかいないかにまでサラマンダーの数が減ってしまっていた。そのほとんどを蹴散らしたのはカイトとアスナのバーサークっぷりなのだが、本人達にその自覚はない。

 

「ここまでくれば、なんとかなるだろ。アスナはまだ戦ってるシルフとケットシーの援護に行ってくれないか?」

「わかった。……カイト君はどうするの?」

「オレは……」

 

 カイトは少しだけ考える素振りを見せると、離れた場所で戦っている黒衣の剣士と猛炎の将を一瞥した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隙のない二刀の構えから発せられるプレッシャー。

 それを余すことなく肌で感じとったユージーンは、警戒レベルを一段引き上げ、より一層気を引き締めた。

 左右の手に剣を1振りずつ装備する二刀流は、物珍しくはあれど、概念としては新しいものではない。両手に剣を装備すれば単純に考えて手数と攻撃力が2倍になる計算だし、その実用性と見栄えの良さ、加えて《二刀流》という響きに陶酔して挑戦した者は多いからだ。

 しかし、二刀流を実戦で使いこなせるレベルにまで達したプレイヤーがどれだけいるかというと、おそらくALOのどこを探してもそんなプレイヤーはいないだろう。両手で握った剣を高度な連携で操るのは、それだけ難しいのだ。

 《黒の剣士》が二刀装備状態にパターンを移行するのは、4段あるHPバーの1段目、すなわち全体の25%が削られた時に解放するようプログラムされている。さらに言えば、《黒の剣士》をここまで追い込んだのはユージーンが初めてであり、かつ、二刀流の相手とこれから繰り広げられる実戦は、ユージーンにとってもALO史上にとっても初めての出来事だった。

 

 そんな前代未聞の一戦、その火蓋は《黒の剣士》によって切り落とされた。

 ユージーンの重撃で突き飛ばされ、大きく開いた距離を埋めるべく、《黒の剣士》は敏捷値全開で肉薄する。晴天の下で漆黒の弾丸が宙を疾り、そのスピードに負けず劣らずの速度で右の剣が閃いた。上段に振りかぶった剣で単発の垂直斬りを見舞う。

 並のプレイヤーなら反応が間に合わないだろうが、ユージーンは咄嗟の判断で剣を身体の前で立て、防御姿勢をとった。接触の瞬間に甲高い金属音と橙色の火花を散らし、ユージーンの腕に衝撃が伝わってくる。

 しかし、攻撃はまだ終わっていない。右の剣が閃いたのなら、今度は左の剣が閃く番だ。

 上段から繰り出された初撃に対し、2撃目は下段からの斬り上げだった。

 

「く、おぉ…………」

 

 右の剣を防ぐのに手一杯だったユージーンが間に合うはずもなく、右腕を深々と斬りつけられて苦悶の表情を浮かべた。眉間に刻まれた皺の深さからも、その様子がハッキリ見てとれる。

 だが、やられっぱなしで大人しくするユージーンではない。《黒の剣士》を剣で押し返して少し距離を作ると、魔剣を大上段に構えて小細工なしに真正面から撃ち込んだ。

 そんなユージーンの圧力に臆することなく、《黒の剣士》は迎え撃つ。雷光の如き速度で剣を振り抜き、あろうことかエセリアルシフトが発動するよりも早く、魔剣の側面を撃ち抜いて弾き返したのだ。

 

(――馬鹿なっ……!)

 

 これには流石のユージーンも予想外だったらしく、驚愕に見舞われて大きく両眼を剥いた。そして彼の動揺は波紋となって内から外へと広がり、わずかではあるが思考が停止する。

 人は様々な状況に応じて対応出来る高い適応能力を有するが、それはあくまで予想を大幅に逸脱しない範囲に限った話だ。想像の範疇を超えた、言い換えれば『思考の死角』を突かれると、ユージーンのように一種の膠着状態を生み出してしまう。

 とは言っても、膠着状態はコンマ数秒の世界の話で、平常時ならさしたる問題はないし、立ち直るのはあっという間だ――――が、高速戦闘時にはそのわずかな隙を突いた結果、勝利を収める場合があるし、その逆もまた然りだ。

 《黒の剣士》はさらに1歩分踏み込むと、左の剣で斬り払い、連動して右の剣をユージーンの水月目掛けて突き出す。連続剣技は止まることを知らず、切り払った左の剣が左下から跳ね上がり、同じ軌道をもう一度なぞるように刃が戻った。ユージーンは大きく飛び退いて離れようと試みるが、相手がそれを許さず、追随して距離を詰めてくるので逃れようがなかった。

 天上の頂に鎮座する太陽の光を反射しながら撃ち出される剣技は、夜空を駆ける流星群のよう。怒涛の高速剣技を間近で見たユージーンは、誰も到達出来ていない二刀流の完成形を目の当たりにしていた。

 

(今の俺では、こいつに勝てん……)

 

 そう悟ると同時に、連続剣技最後の一振りがユージーンの胴を突き、重々しい音と共に貫いた。

 その一撃がわずかに残っていたHPを完全に削り、爆発して巨大なエンドフレイムを巻き上げる。ユージーンのアバターは跡形もなく燃え崩れた。

 敵を屠った《黒の剣士》は、左右の剣を払って背中の鞘に収める。淡い炎と化して蘇生猶予時間を消費するしかないユージーンが、ただただ黙ってその様子を眺めていると、戦闘を終えて静寂を取り戻しかけた《黒の剣士》の瞳が、再び鋭い光を帯びた。収めた二刀を抜剣して見つめる先に何があるのかユージーンが気にかけていると、耳慣れた風切り音が聞こえてきた。その音はみるみる大きくなり、いつしかエンドフレイムとなったユージーンの真横をすり抜け――――《黒の剣士》に強烈な突進技をかましたのだった。

 突如現れた蒼い弾丸は、二刀十字の構えで防御姿勢をとっていた黒衣の剣士を突き飛ばした後、急制動をかけて突進の勢いを殺し、次いで大きく後退した。

 青色を基調とするウンディーネがユージーンの横まで下がると、腰のポーチからブルーの小瓶――《世界樹の雫》と呼ばれる蘇生アイテム――を取り出す。小瓶の栓を抜いてリメインライトに注ぐと、蘇生魔法を使用した時と同じ魔法陣が浮かび上がり、瞬く間にユージーンは復活した。

 復活したユージーンは、現れたウンディーネのカイトを一瞥すると、彼の真意を図りかねて目を細めた。

 

「貴様、どういう……?」

「剣1本なら兎も角、二刀で挑まれるとどう転ぶかオレ自身にもわからないんでね。一時休戦、そして一時協定だ」

 

 カイトは右肩を大きく回すと、隣に立つユージーンを見た。

 

「あんたも、やられっぱなしで終わるのは嫌だろう?」

 

 幼さを残す少年の口許に、不敵な笑みが浮かぶ。

 『あいつを倒すのに協力しろ』。

 こう言いたいのだろう。

 

「……ふん、良いだろう。だが、一筋縄ではいかんぞ」

「心配ご無用。勝算はあるさ。だって――」

 

 細身の片手剣を握る右手に自然と力が込もり、カイトは倒すべき敵を見据えた。

 

「あいつの事を1番理解しているのは、オレなんだから」

 





カイトは勘を取り戻し中。
一方ユージーンは瞬殺されました。二刀流になった途端やられるのは、ある意味原作通り……?

次回は偽キリトVSカイト・ユージーンのコンビ(?)です。
なぜ(?)をつけたのかは次回で判明します。


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第70話 剣技と連携

 

 時は遡ること、約3ヶ月前。

 浮遊城アインクラッド、第74層迷宮区タワー。

 

「そういえばさあ……」

「ん?」

 

 カイトとキリトの2人は、デスゲームの初期からアインクラッドで行動を共にしているが、時には意見のくい違いが発生することもある。

 勿論、話し合いで解決することもあるが、場合によっては別の手段をとることもあった。

 

 『デュエルで勝った側の意見を尊重する』。

 

 そしてつい先ほど、第74層迷宮区を探索中に分かれ道に差し掛かかったため、2人が『せーの』の掛け声で行き先を指差したところ、綺麗に意見が分かれてしまった。そこでデュエルを行った結果、キリトが勝利を収めたため、彼が指差した側の道を2人揃って進んでいるのだが、その最中でカイトの脳裏にふとした疑問が浮かんだ。

 

「モンスターと戦闘する際に《二刀流》を使う時があるけど、オレとのデュエルでは使ったことがないよな」

「それを言うならそっちもそうじゃないか。オレの記憶が正しければ、デュエル中に《治療術》を使ったことは1回だってないだろ」

「使うって言っても、メインの自己回復はシステムエラーが出るせいで使えないし……唯一ある12連撃のソードスキルも、デュエルじゃ使い所が難しいからなぁ」

「でも、全く使えないかと言われれば、そういうわけでもないだろ? 強引に押し切って勝ち星を取る事だって出来るはずだし」

「嫌だよ、そんなの。そもそも《治療術》はエクストラスキル……下手するとユニークスキルに分類されるだろ。キリト相手に限った話じゃないけど、ユニークスキルを使わない相手に対して自分だけ使うっていうのは……なんか卑怯くさい」

「そう、それだ。オレが《二刀流》をデュエルで使わない理由は、今まさにカイトが言ったのと同じ理由だよ」

 

 前を歩くキリトが肩越しにカイトを見つつ、ビシッ! と人差し指を立てた。

 

「《二刀流》スキルを行使した際の手数と攻撃力を利用すれば、間違いなく相手を圧倒できるだろう。でも、カイトがディエルで《治療術》スキルを意図して封じているのに、オレだけ《二刀流》を使うのはどう考えても公平さ(フェアネス)に欠ける行為だ。オレがお前と戦う時は、同じ土俵に立って、純粋に剣の実力で勝ちたいと思ってるんだよ」

 

 二刀が織り成す恐るべきスピードと連続剣技の凄さは、カイトが最も間近で見てきたので、嫌というほど理解している。もしもキリトがデュエルで二刀流を行使した場合、現時点ではとてもじゃないが勝てる気が微塵もしない。

 

「それに、オレがもし《二刀流》スキルを使う時がくるとすれば……それは『使わなければいけない時』以外にないよ」

 

 自分の身を守るため。あるいは、大切な人達を守るため。

 切迫した状況下になるまで、キリトは《二刀流》スキルを封じるつもりでいるが、もしも出し惜しみすることなく使う時がくるとすれば、それは……優しい心の持ち主である彼の事だ。きっと自分ではなく、誰かを守るために剣を抜くだろう。

 

「……へぇ、その点はオレも同意見だ。目の前で死にそうになっている奴がいたら、オレは迷うことなくスキルを使うって決めてるからな」

「それはいいけど、お前の場合は使う際に十分注意しろよ。使い所によっては自分の身が危険に晒されるんだから」

「わかってるさ。ユキとの約束を果たすまで、死ぬ気はないんでね」

「約束?」

「あぁ。実はゲームが始まった次の日の朝に――――」

 

 そこから先、2人は他愛のない会話を交わしながら迷宮区を進んでいくが、『その時』の到来が実はすぐそこまで迫っていたのを、当時のカイトとキリトは知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうかしたか?」

 

 一昔前に戦友(とも)と交わした会話を思い起こしていたカイトは、ユージーンが彼の様子を訝しむ声で目の前の現実に目を向けた。

 

「いや、ちょっと不公平だな、と思ってね」

「…………?」

 

 カイトの言っている事の意味が、キリトとの間柄を知らないユージーンにはわからなかった。

 

「……まあいい。ところで、さっき貴様は奴の事をよく知っていると言っていたが、それはどういう意味だ?」

「別に深い意味はないさ。言葉の通りだよ」

 

 そこでカイトは言葉を切ると、強引に話題を現状に向けた。

 

「それより、悠長に雑談している暇はない筈だろう? あいつだって、いつまでも大人しく待ってくれるとは限らないし」

「……あぁ、確かに貴様の言う通りだ」

 

 言うや否や、ユージーンが素早くその場を離れ出したのを見たカイトは、半秒ほど遅れてその行動の意図を知る。二刀を携えた黒衣の剣士が土煙の中から勢いよく飛び出し、カイトに向かって斬りかかってきたからだ。

 跳びはねる心臓を無理矢理に抑えると、反射的に剣を立てて防御姿勢をとる。接触点で火花が散り、至近距離から発せられているプレッシャーと突進の衝撃に歯をくいしばって堪えると、カイトと《黒の剣士》は拮抗状態を保ちながら鍔迫り合いに移行した。

 数十センチ先にある見慣れた少年と瓜二つの顔からは、一切の感情を感じとれない。それが得も言われぬ恐怖を沸き立たせた。

 

「お、おいっ、おっさん! 来るなら来るって教えてくれても良いだろう!」

 

 不満の矛先はこの状況を予見したユージーンに対してだ。

 しかし、そんなカイトの不満の声など意に介さず、ユージーンは涼しげな顔で背中の両手剣を抜き取った。

 

「何か勘違いをしていないか? 俺はこのスプリガンを倒すことに同意したが、貴様と慣れ合うつもりは毛頭ない。そもそも、俺の同胞を皆殺しにした貴様とこうして協力している事自体が本来ならあり得ないのだ。貴様に対して剣を向けていないだけでもマシと思え」

「――んなっ!?」

 

 改めて言われると、確かに仲間を大量虐殺された事に対し、ユージーンが何も感じていないわけがない。ユージーンの胸中を察するなら、《黒の剣士》よりもカイトを先に斬り伏せたいところだろう。協力を提示された時、少なからず彼の心には葛藤があった筈だ。

 それでも、ユージーンがカイトの提案を呑んだのは、全プレイヤー中最強とまで言われている自分が、戦闘スタイルを変えた《黒の剣士》に手も足も出なかったという衝撃の大きさに起因している。完成された二刀流の剣捌きには美しいとすら思えたが、それと同時に完敗したという事実は、彼のプライドをズタズタに切り裂いたのだ。

 にも関わらず、ユージーンは再び立ち向かおうとしている。カイトの言葉に触発されたのも理由の1つだが、根っからのゲーマーなら誰しもが持っている『負けず嫌い根性』が最大の理由だろう。

 

「それと、俺の名前は『おっさん』ではない」

 

 ユージーンが左足を半歩前に出して右足を後ろに引くと、《魔剣グラム》を腰だめに構えた。

 

「『ユージーン』だっ!」

 

 刹那、ユージーンのアバターが静止状態からコンマ数秒でトップスピードにまで加速した。グラムを大上段に構えると、あらん限りの力で振り下ろす。

 一方、《黒の剣士》はユージーンの動きに反応し、二刀の内の片方を閃かせ、下段から切り上げる単発斜め切りを放った。

 

 もしもこれがユイのような高い学習機能を持つAIだった場合、グラムの《エセリアルシフト》に対して剣による通常の迎撃は無意味なので、回避若しくは二刀による防御を試みるだろうが、《黒の剣士》に組み込まれているAIはそこまで高性能ではない。アインクラッドでの戦闘データを参照して実行するだけの機能しかないので、グラムのエクストラ効果といった特殊パターンに対する対処方法を適切に実行することは不可能なのだ。先の戦闘では1度だけグラムのエクストラ効果を突破してみせたが、あれもアインクラッド時代にキリトが編み出した『攻撃と防御を同時に行う』という戦闘技術であり、たまたま搭載されているAIの選択が上手く嵌っただけでしかないのだ。

 そして今のようにカイトの相手をしている状態だと、回避は不可能なので剣での防御をとる以外に術がない。だからこそ剣戟による迎撃を選択したのだが、当然グラムにその手は無意味だ。

 

 グラムの切っ先が霞んで敵の剣をすり抜けると、実体化して《黒の剣士》に迫る。胸元を切りつけてダメージを与えると、《黒の剣士》に強烈なノックバックが襲いかかった。

 ユージーンの剣戟により、カイトに向けていた剣を持つ手の力が緩むと、カイトはその隙を逃さずに剣を疾らせた。

 

「ら……ああああぁぁ!」

 

 4連撃の垂直斬りを一呼吸で繰り出し、正方形の軌跡を描いて《黒の剣士》を包み込む。余すことなく全弾命中し、ユージーンの上段斬りに加えて新たに紅いラインが4本刻み付けられた。

 

 「ほう……」

 

 感嘆の声が短く漏れたユージーンを横目に眺め、カイトは早口で告げた。

 

「あぁ、わかったよ。あくまで共通の敵がいるだけであって、お互いに敵であることは変わりないって事が。それじゃあ、うっかり背中を斬られても文句はなしだぞ」

「その台詞、自分自身にも言える事だというのを忘れるなよ」

「あぁ、肝に銘じておくよ」

 

 会話を手早く済ませると、カイトは《黒の剣士》に斬りかかった。

 

 《ソードスキル》というシステムの概念が存在しないALOでは、どう足掻いてもソードスキルが発動する事はない。しかし、それはあくまで『システムアシストを受けない』という意味であり、プレイヤーによって動きを再現する事は99パーセント可能だ。事実、カイトはこれまでの戦闘において、かつて《バーチカル・スクエア》や《ホリゾンタル・スクエア》という技名で呼ばれていたソードスキルを幾度となく繰り出している。

 そしてそれは《黒の剣士》にも言える事。初めて対峙した時に《ヴォーパル・ストライク》を繰り出していたことから、片手用直剣や二刀流ソードスキルの動きを戦闘に組み込んでくる可能性は高い。その中でも二刀流の連続剣技は只でさえ手数が多いので、初撃を許せば剣戟の嵐が吹き荒れるのは必須だ。

 それを封殺するため、カイトに出来るのはただ一つ。相手が攻めに転じる隙を与えない事。

 

「おおぉぉっ!」

 

 ただし、力に任せて闇雲に剣を振るようでは意味がない。それでは子供のチャンバラごっこと大差ないし、いずれテンポは単調になってしまうため見切られやすくなる。可能ならば技と技の間に生まれる隙を最小限に抑え、流麗かつ緩急をつけられればそれがベストだ。

 言葉で表すと簡単だが、実際にやろうとするとこれが中々難しい。ALOプレイヤーの近接戦闘は不恰好に剣を振り回すだけで、そのほとんどが単発剣技の応酬。流麗な連続剣技などという難度の高い要求は、デュエル大会の上位に食い込めるプレイヤーでも頭を悩ませるだろう。

 しかし、カイトに言わせれば頭を悩ませるどころか、考えるよりも先に身体が自動で動いてしまう。連続剣技の心得は、嫌と言うまでもなく心身ともに染み付いているのだから。

 

「ぜああっ!」

 

 目にも留まらぬ速さで繰り出される、高速の5連突き。そこから斬り下ろし、斬り上げ、トドメとばかりに全身全霊の力で放つ上段斬りは、片手剣スキルの中でも8連撃に及ぶ大技。反撃の隙を見出せずにいた《黒の剣士》は二刀の防御に徹するが、捌ききれなかった剣閃が身体の各所に紅いダメージ痕を残した。

 

 これがもし、アインクラッドで繰り広げられている戦闘であったならば、剣尖を覆う燐光は収束し、カイトのアバターは長い硬直時間を課せられるが、ソードスキルを自力で再現するしか方法がないALOでその心配は不要。システムアシスト無しというデメリットは、技後硬直無しというメリットで補填されている。

 そして硬直無しという利点を活かせば、アインクラッドでは不可能だった技術を再現することが出来るという事実に、カイトはいち早く気が付いていた。

 

 振り下ろした剣を少しだけ左にズラすと、斜め下からの斬り上げを放つ。剣戟は防がれてしまったが、再び上段へ移行した剣で新たな連続技を繰り出した。

 

「う……らあっ!」

 

 刀身に気勢を乗せ、バックモーションの少ない垂直斬りの後、振り切る寸前で剣を跳ね上げて斬り上げる。剣はV字の軌道を描くに留まらず、轟然と唸りを上げてもう一度上段斬りを放ち、最後は大上段からの垂直斬り。正方形の軌跡が宙を舞った。

 

 かつてカイトが使用可能だったソードスキルの最高連撃数は12。これを上回るのは、キリトの二刀流スキルにある上位剣技《スターバースト・ストリーム》か、最上位剣技《ジ・イクリプス》ぐらいだ。

 しかし、今この場においてはゲームシステムに縛られず、プレイヤーの思うがままに剣を振ることが出来る。技の終わりと、続けて新しく繰り出す技の初動モーションが不自然なくほぼ一致していれば、理論上は一見して二刀流最上位剣技を上回る連撃剣技を叩き出す事が可能だ。言い換えると、それはSAOではあり得なかった『ソードスキルの連携』である。

 ここまででカイトが見舞った剣技は、片手剣の8連撃、単発斜め斬り、垂直4連撃と、占めて13にも及ぶ連続攻撃。休む間もなくアバターを酷使するのは中々しんどいが、ここで集中力を切らして手を休めると、敵に反撃の機会を与える事となる。カイトはありったけの集中力をかき集めて神経を研ぎ澄ませると、右足を踏み込み、剣を腰だめに構えた。

 

「う……おお!」

 

 無我夢中で繰り出す剣技の数々を、身体に染み付いた記憶から呼び起こし、無意識に放つ。考えてから動くのではなく、考えるよりも先に動くくらいの勢いでなければ剣は届かない。一呼吸の内に水平4連撃を撃ち終えると、右腕が止まることなく疾る。

 左から右へと剣が振られると、即座に切り返して来た道を戻るように、右から左へ。交錯点は《黒の剣士》の肩口を正確に捉え、HPを大きく減少させる。獰猛な蛇に噛み付かれたかのような鋭い剣戟は、クリティカルヒットを示す眩いエフェクトを周囲に散らした。

 反撃する余地を一切許さない怒涛の連続攻撃は、流石の《黒の剣士》も防御に徹するしかないらしく、二刀を身体の前に構える姿勢を崩す様子がない。そんな一方的な戦闘の甲斐あってか、3段目のHPバーがとうとう底をつき、敵の残り体力がいよいよ折り返し地点に到達した。

 

(もっと……もっと速く……)

 

 可視化されている相手のHPバーを一瞥し、強い欲求が心の奥底から沸き立ってきたのは、相手を圧倒し、自分が優位になっているからこそ生まれた一時の余裕。100パーセント相手に向けていた全神経が、この瞬間だけは1パーセントだけよそに向けられていた。

 そして、ほんの一瞬視線を外したことにより、剣閃がわずかに鈍る。それに気が付ける者は極めて限られるだろうが、今まさにカイトと対峙している敵は、その鋭敏な感覚をもって針の穴を通すように生じた隙を突いた。

 垂直に振るわれたカイトの剣を受けるため、かつてのキリトが得意とする二刀十字の構えをとる。狙うは武器防御における基本、《弾き防御(パリング)》だ。

 鍔迫り合いは一瞬で終わり、交錯点で受けた剣を《黒の剣士》が勢いよく弾き返したことで、カイトの身体が後ろに大きく仰け反った。猛り狂っていた剣技の嵐が嘘のように止み、不気味すぎるほどの静寂が場を満たす。

 

「しまっ……」

 

 だが、この静寂は所詮仮初めのもの。止んだと思われた嵐が再び息を吹き返す前触れだ。相違点があるとすれば、発生源を変えて風向きが逆方向に変化することだろう。

 

(この流れは…………マズイ! くるっ!)

 

 最も長く、最も近くで彼の戦いを見てきたからこそ、この後の展開が自分にとって嫌なものになる事を予感してしまう。盾無し片手剣士のプレイヤーなら誰もが磨いているパリイ技術は、ただ武器で防御するだけではなく、防御から一転して攻撃に移行するのを遅滞なく行うためだ。パリイによる仰け反り効果で強制的な静止時間を発生させるのは、必中の大技を放つための前触れと言ってもいい。

 二刀を持つ手が緩やかに規定のアクションをとった事で、カイトの嫌な予感は確信へと変わる。網膜の裏に焼きつくほど見てきたその構えは、二刀流上位剣技のそれとみて間違いない。

 二刀流上位剣技の初撃は、まず右手の剣による一撃から開始される。相手を追い詰めていた状況から一気に劣勢へと転じて危機感を抱いたが、頭は本人にとっても意外なほど冷静だった。まずは右手の剣が翻るのを見逃さずに捌き、続けて繰り出される連撃は記憶を頼りにいなしていく。瞬き1回分の時間で立てた対策は粗末な出来だが、今はこれしか思いつかなかったため、カイトは腹を括った。

 

「邪魔だ。どけ」

 

 短く吐き捨てた言葉がカイトの背中に突き刺さると、冷や汗を感じて反射的に無理矢理身体を捻った。次の瞬間、たった今カイトのいた場所を大剣が通過し、切っ先が風を切りながら《黒の剣士》へと伸びていく。《黒の剣士》の剣がカイトのロングコートを切り裂かんと裾に触れた瞬間、カイトを目隠しに利用して後方から突撃をかましたユージーンの剣が届き、標的の胸を深々と穿つ。

 だが、《黒の剣士》の動きは止まっていない。右の剣はカイトの胸を浅く斬りつける程度に終わったが、それだけに留まらず、今まさに左の剣がユージーンを斬りつけようとしている事に、カイトはいち早く気が付いた。捻った身体をなんとか戻し、その場で後方回転蹴りを繰り出すと、《黒の剣士》の胸を思い切り蹴りつけた。蹴りの衝撃でノックバックが発生し、同時に突き刺さっていた剣が抜ける。

 

「あ、危ないだろ! というか、本気で刺すつもりだったろ!」

「当たり前だ。目の前に手頃な壁があれば、目隠し代わりに利用しない手はないからな。それに背中から斬られても文句は言えんと、お前自身が言っていた事だろう」

 

 これには流石のカイトも異を唱える事が出来ず、「ぐっ……」と声を詰まらせた。つい先ほど自分で言ったばかりの発言に首を絞められるとは、誰だって思わないだろう。

 カイトが新たな教訓を自前の辞書に書き記したところで、ユージーンは彼を置いて斬るべき敵に肉薄する。そんな勇ましい背中を見せつけられ、カイトも負けじと後を追った。

 





戦闘はいよいよ終盤へ。振り返るとこの章は長かったなぁ……。



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第71話 交錯する剣と記憶

 滞空制限を超え、戦闘が空から陸に移り変わって間もなく、《黒の剣士》の4段あったHPバーがとうとう最後の1段目に突入した。

 陸の戦闘になってもカイトとユージーンは思うがままに動き、それぞれが自分にとって最善と判断した、時には正当方で、時には奇抜な発想で攻め立てる。目まぐるしく切り替わる展開についていけるプレイヤーはアスナくらいのものだが、既に戦闘を終えた彼女を含む数名は、ALO史上最も激しい戦闘の行く末を傍で見守っていた。

 カイトとユージーンは《黒の剣士》を中心にして対角線上に位置取り、双方別々の方向から剣を振る。受ける、弾く、流すといった高等技術を駆使し、目にも留まらぬ速さで繰り広げられている戦闘に、誰もが目を奪われていた。

 

「ぬんっ!」

 

 ユージーンの豪剣が唸りを上げて斬るべき敵に猛然と迫る。エセリアルシフトが発動し、《黒の剣士》に深々と紅いダメージ痕を残すが、ユージーンはまだ足りないと言わんばかりの表情だった。剣を水平にして引き絞ると、裂帛の気合いと共にグラムを突き出した。

 右肩を照準した切っ先が迫るが、あと少しのところでパリイされ、思わず「チッ」と舌打ちする。一見して隙がない性能のエセリアルシフトだが、1度使用すると次使えるまでに若干のインターバルを挟む必要があるのだ。連続使用が出来ない事に今まで大した不満もなかったが、今はそれがどうしようもなく歯痒く感じた。

 パリイによって体勢をわずかに崩されると、《黒の剣士》が反撃に転じる。まず右の剣が閃き、コンマ1秒遅れで左の剣がユージーンに襲いかかると、自慢の紅い鎧に剣戟2合分の傷が付けられた。高ランクの装備なので物理防御は目を見張る数値を誇っているのだが、与えられたダメージ量は想像以上に多かった。

 

「小僧、気をつけろっ! おそらくバーサーク化で攻撃力にブーストがかかっている!」

 

 地を這うようにして風の如く駆ける影に対し、ユージーンが忠告を促すが、対象者の速度が落ちる様子はない。《黒の剣士》の背後から青い妖精が剣を上段に構えると、出せる限りのスピードで突進技を放ち、背中に大きな傷を刻みつけた。

 一撃浴びせられた事でぐらついた身体を正すと、《黒の剣士》は振り向きざまに右の剣による横薙ぎで一閃。しかし、姿勢を低くしていた事が幸いし、薙いだ剣はカイトの頭上数センチを虚しく通過したが、続く左の剣は間違いなくカイトを捉えていた。

 慌てて剣を引き戻したカイトが防御姿勢をとると、ガキイィィン! という甲高い金属音が周囲の静寂を突き破る。間一髪で間に合ったかと思ったが、肩口に刻まれた紅いエフェクトと共にHPが減少していた。どうやら掠ったらしい。

 

「うおっ! 確かにこいつはマズイな……」

 

 カイトの装備はユージーンのようなレア装備ではなく、手に入りやすい店売りの代物だ。まともに喰らえば彼以上の大ダメージは必須であり、防御面はこれまで以上に気を引き締める必要がある。

 

「……って、さっきはなんにも教えてくれなかったくせに、どういう風の吹き回しだよ。馴れ合うつもりはなかったんじゃないのか?」

「貴様の実力は認めたし、ここで貴様が死ぬと勝てるものも勝てんからな」

「心配する必要はないぞ。オレと同じくらい強い剣士が後ろに控えているから」

 

 言葉のやり取りを交わす2人をよそに、《黒の剣士》が右の剣を肩の高さに持ち上げると、地面と水平にして剣先をカイトにピタリと照準する。反射的に重攻撃の突進技を思い浮かべたが、カイトはその考えをすぐさま捨てた。その理由は、左肩の高さがいつもより若干低い姿勢をとっていたからだ。

 

「かと言って、簡単に負けるつもりはないけどね」

 

 刹那、剣先が勢いよく突き出されたかと思いきや、そこから立て続けに高速の5連突きが撃ち込まれるが、カイトはしっかりと切っ先を両の眼で捉え、剣筋を予測して捌く。右へ左へと全て受け流しきると、続いて繰り出される剣の軌道を回避するため、横方向にスライドした。

 カイトの予想を裏切ることなく、5連突きの後は斬り下ろし、斬り上げ、そして全力の上段斬りが繰り出されたが、見慣れた8連撃はあえなくカイトにダメージを与えることなく終わった。5連突きの後は垂直方向の軌道を描く技なので、縦方向には強くとも横の動きには弱く、彼はそれを考慮して回避行動をとったのだ。

 最後の攻撃が終わると、カイトは《黒の剣士》の真横を通過し、すれ違いざまに水平2連撃を見舞った。脇腹に痛々しいダメージ痕を焼き付け、そのままヒット&アウェイの要領で一旦距離をとる。

 連続攻撃の影響でカイトに対する憎悪値(ヘイト)が増加し、怯みから立ち直った《黒の剣士》が攻撃優先対象をカイトに変更。離れた彼を追うために右足を軸にして反転し、地面を強く蹴りつけようと足に力を込めた瞬間、今度は背中に強烈な衝撃を受けた。ユージーンに背中を向けて大きな隙を与えたため、間髪入れずに踏み込んだ猛炎の将が大上段からの一撃を与えたのだ。

 背後からの攻撃で《黒の剣士》の姿勢は崩されて前のめりになり、転倒寸前の状態となる。ユージーンは再びグラムを頭上に持ち上げると、1歩踏み込んで勢いよく振り下ろした。

 

「――――っ!? 下がれっ!」

 

 何かを感じ取ったカイトが鋭い声で警告するも、ユージーンは既に剣を振り下ろし始めており、剣は重力に従って下へと進んでいる。動き出した剣は、もう止められない。

 グラムの切っ先が標的の背中を刻みつける瞬間、今にも倒れそうだった《黒の剣士》は左足で踏みとどまり、身体の向きを変えてユージーンの真横をすり抜ける。ユージーンの振り下ろした剣は空振り、代わりに《黒の剣士》のすり抜け様に振るった剣がユージーンの下腹部を薙いで斬りつけた。

 

「が、はっ……」

 

 文句無しのクリーンヒットでユージーンのHPバーは大幅に減少するが、《黒の剣士》の手が緩まる気配はない。洗練された動きが剣に伝わると、次々とユージーンの身体に傷跡を刻みつけ、水平4連撃からの垂直4連撃に繋げた。

 さしずめ、如何にユージーンと言えども、合計で8にも及ぶ剣技を立て続けに浴びせられればひとたまりもない。相手がバーサーク状態という事もあり、ガリガリとHPを削られたユージーンは、一瞬で赤色に瞬くエンドフレイムへと姿を変えた。

 《黒の剣士》が連続剣技使用後の残心にも似た静止状態からゆるりと上体を起こした直後、身体の向きを90度変えて二刀十字の構えをとった。その半秒後、恐るべき速度で突進してきたカイトの剣が衝突し、甲高い金属音と激しい火花を周囲に撒き散らす。

 

「まったく……相変わらず凄い反応速度だな」

 

 完全に虚を突いたと思っていたカイトだが、キリト由来の反応速度を上回る事は叶わなかった。

 一瞬の鍔迫り合いを経た後、カイトは一足一刀の間合いに素早く後退する。両足が地面に着いた直後、それを合図に対峙する2人の姿が霞み、目まぐるしい剣戟のラッシュが繰り広げられた。

 先制攻撃は《黒の剣士》。右の剣が地面スレスレを疾って一気に跳ね上がるが、カイトは上体を捻ることでこれを回避。続く左の剣が唸りを上げて再び敵の身体に噛み付こうとするも、今度は剣で捌かれてしまう。

 二刀を防いだカイトが反撃に転じて剣を振るうが、初撃で閃いていた右の剣が行く手を阻んでブロック。《黒の剣士》は左の剣で逆袈裟気味に斬りつけるものの、カイトは頭を低くし、紙一重のところで躱した。息つく暇もないような一進一退の攻防が続く。

 

「た、助けなきゃ……」

 

 ハイレベルな戦闘に見入り、固唾を飲んで見守っていたリーファだったが、化け物じみた強さを持つ相手に奮戦しているカイトがいつまで保つのかわからない。この期に及んで自分に何が出来るのか、その答えは飛び出そうとしている今でも導き出せないままだが、当事者でない彼が最も傷つくなどあってはならない。鞘に納めている剣の柄に手を触れ、1歩踏み出す――――その時だった。

 

「待って」

 

 右肩に優しく触れた温もりを感じて振り返ると、カイトと共にいたウンディーネの女性――アスナがいた。激戦を繰り広げている2人をじっと見据え、その光景が瞳に映って反射する。

 

「な、なんで止めるんですか。あなたの仲間でしょう? なんとかしないと」

「よく見て。様子がおかしい」

「えっ?」

 

 顔の向きを元に戻して言われた通りに2人の動きを観察する。そこには相も変わらず凄まじい戦闘風景が広がっているが、リーファの目から見て特段おかしな所は見受けられない。斬り込んでは防がれ、斬り込まれては防ぐの繰り返しだ。単独で戦ったユージーンは敗れたというのに、今もなお互角に渡り合っているカイトの踏ん張りは称賛に値する。たった1本の剣で二刀を操る《黒の剣士》の攻撃を防いでいるのだから。

 

「……あっ……!」

 

 ここで、リーファが小さく声を漏らした。アスナが言わんとしている事が何なのか、理解したからだ。

 

 武器の威力や手数の多さを大まかに分類するなら、両手持ち武器のように大きければ威力は高くなるが手数は減り、短剣のように小さければ一撃の重みは減るがその分手数が増える。そして今カイトと《黒の剣士》が使っている片手剣はというと、威力も手数もそこそこの、良く言えばバランスの取れた、悪く言えば面白みに欠けた武器だ。

 武器本来の攻撃力に関しては性能の差があるので言及し難いが、手数に関しては武器種が同じならほぼ同一と言っていい。プレイヤーの技量に左右されることもあるだろうが、それは微々たるものだし、カイトと《黒の剣士》の実力を考慮するなら大きな差はないだろう。

 ただし、それは『2人の使用する武器が1本の片手剣』という前提で語られる。現在カイトは1本の剣で戦っているのに対し、《黒の剣士》は2本の剣で戦っている。剣が2本になれば手数も単純に2倍だが、二刀流を自在に操る《黒の剣士》の攻撃は体感でそれ以上だ。

 にも関わらず、カイトと《黒の剣士》の戦いは互角――――どころか、寧ろカイトが押しているといっても過言ではない。可視化されているHPバーを判断材料にして考えると、《黒の剣士》のHPは時折ダメージを負って減っているのに対し、カイトのHPは減る様子がないからだ。

 

「どういう、事……?」

「……私にもわからない」

 

 目の前の状況を説明できないアスナも首を傾げる。

 偽物とはいえ、敵はキリトの戦闘データを取り込み、本人と遜色ない反応速度を体現しているNPCが相手なのだ。《閃光》の異名を持つアスナでも、二刀装備状態のキリトの猛攻を防ぎ、あまつさえ反撃するなど可能か否かと問われれば、否だ。

 しかし、実際にカイトはそれをやってのけている。勿論、そこには明確な理由があった。

 

 古今東西ありとあらゆるMMORPGに出てくるモンスターは、規定のアルゴリズムに従って動いている。プレイヤーが逃げれば追う、接近されたら近接攻撃、離れれば遠距離攻撃といった具合にだ。そういった行動をランダムに行う場合もあるが、開発者によって規定されたモンスターの行動パターンはそれほど多くないので、対峙するプレイヤーはモンスターの予備動作(プレモーション)を見極めて適切に対処する。そこにプレイヤーとモンスターの間で駆け引きが生じるのだ。

 そしてそれは《黒の剣士》にも同様の事が言える。何故なら、彼もまた、ALOのゲームマスターによってこの世界に生を受け、一定の行動パターンに従って動いているモンスターと本質的には大差ないからだ。強いて違いを挙げるとすれば、《黒の剣士》がとれる行動パターンは、他のモンスター群と比較して、文字通り()()()な部分だろう。

 

 カイトがこの事に気が付いたのは、《黒の剣士》と初めて邂逅して戦った後だった。

 遭遇した直後は本人も平静さを欠いていたので見落としていたが、後々戦闘を思い返してみると、ソードスキルを使用するタイミングやアスナに対して行ったフェイントなど、理解できる、あるいはどこか見覚えのある技術がそこかしこに散見されたのだ。

 それもそのはず、初めて遭遇した際にユイが明言した通り、『《黒の剣士》はキリト本人がアインクラッドで培った戦闘技術が集約されている』のだ。言い換えれば、キリトの動き、癖、相手の挙動に対する反応を完璧に再現しているので、SAOで彼と1度でも対峙した者であれば、キリト本人と戦っているように感じるだろう。

 

 しかし、『本物に限りなく近い偽物』であるが故に、脅威を通り越して寧ろ親しみを感じているプレイヤーがいた。それがカイトだ。

 《黒の剣士》と剣を交わした数は、間違いなくダントツでカイトが1番だろう。対人戦闘の技術を磨く意味もあったが、彼らは意見が分かれるとデュエルで方針を決める方式をとっていたので、その数は100や200で収まるものではない。さらに言えば、実際に二刀装備状態のキリトと対決した経験はなくとも、彼が二刀流を極める鍛錬の場には、常に隣にはカイトがいた。

 なのでカイトに言わせれば、キリトの手の内はほとんど知り尽くしているので、《黒の剣士》の挙動から次の動きを予測して捌き、生まれた隙を逃すことなく的確に突いてダメージを与えているのだ。

 

 とはいえ、一瞬たりとも油断できる相手でないのはカイトにも言えること。気が緩んだ瞬間、二刀の猛攻を喰らって優位に立っている戦況をひっくり返されるのだけは、なんとしても避けたかった。カイトはキリトの手の内を知り尽くしているといっても、二刀流のキリトと直に戦ったことはないので、二刀流剣技――――特に上位剣技でも出されたら捌き切れる自信がない。なのでカイトは二刀流剣技を出す暇もないほどの超速戦闘に持ち込み、一気に決着をつける魂胆でいた。

 

「おおぉぉっ!!!!」

 

 《黒の剣士》のHPがとうとうレッドゾーンに突入し、勝敗の決する瞬間がそう遠くないと予感したカイトは、反撃する(いとま)を与えることなく畳み掛けた。

 最速の上段斬りを放ち、続けて繰り出したタックルで相手の姿勢を崩すと、再び剣で斬りつける。剣技と体術の複合技で隙を埋め、敵に残されているHPをこのまま削り切るつもりでいた。

 体当たりで体勢を崩した相手に対し、もう一度渾身の上段斬りを放つため、剣を肩に担ぎ、振り下ろす。剣がアバターを垂直方向に切り裂かんと迫るが、接触する直前、二刀十字の構えに阻まれて怒涛の連続攻撃がピタリと止んだ。

 

(しまった……! 踏み込みが甘かったか!)

 

 体重を乗せきれずに放ったタックルが、《黒の剣士》の体勢を完全には崩せなかったようだ。

 カイトの上段斬りを防いだ《黒の剣士》が剣を弾き返したことで、今度はカイトが体勢を崩される。パリング成功のボーナスも加算され、仰け反り効果はいつも以上に顕著に表れた。

 この時、すぐ反撃の嵐が吹き荒れるものだと覚悟を決めたカイトだったが、《黒の剣士》は予想に反して距離をとった。疑問と安堵が入り混じるが、それらは即座にすべて危機感へと変貌した。

 距離をとった《黒の剣士》が地に足をつけると、予備動作(プレモーション)をとって真正面から駆け出す。あえて間合いをとったのは、剣技を放つには近すぎたからだろう。これから放つ、二刀流上位剣技にとっては――。

 

(――マズイっ!!)

 

 片手剣カテゴリにあるものなら剣筋は読めるが、16にも及ぶ二刀流上位剣技となれば話は別だ。開発者の茅場晶彦なら兎も角、カイトはその剣筋をすべて把握しきれていないのだから。

 (すく)みかけた両足に気合いを入れると、カイトは勇敢にも駆け出していた。確かに二刀流上位剣技の剣筋は把握していないが、最初の一手が何かは流石にわかる。初手の右袈裟斬りを凌いで即座に反撃する、()(せん)を取りにいった。

 肉薄する両者の距離は瞬く間に縮まると、先に仕掛けたのは《黒の剣士》だった。16連撃の序章とも言える右袈裟斬りを放つが、カイトが許すのはこの初手のみで、この後に続く剣技を待ち構えるつもりは毛頭ない。

 

「――ぉ……おおおおぉぉっ!!」

 

 裂帛の気合いと共に左手を右肩へ持っていくと、彼は背中に下げている鞘を掴んで一気に引き抜く。しかし、鞘で迫る凶刃に真っ向から対抗するのではなく、側面を使って剣先を滑らせ、流し、同時に頭を低くして振り切らせることが目的だった。

 コンマ1秒たりともタイミングを外せない緊張感に襲われつつも、彼は賭けに勝ち、目論見は成功する。受け流した剣の行く先など気にもとめず、右手の剣を下段から勢いよく跳ね上げた。

 

「らっ……ああぁぁーーーーっ!!!!」

 

 切っ先が左脇腹を抉ると、止まることなくそのまま右肩まで突き抜ける。血のように紅いラインが《黒の剣士》に刻まれると、傷口から光が漏れてアバターを包み込み、大量の光り輝くポリゴン片を周囲に撒き散らしながら爆散した。

 荒々しい音は止み、一転して不気味なほどの静けさが訪れると、カイトの頭上には勝利を讃えるシステムメッセージが表示された。少し遅れて報酬一覧が目の前に表示されたが、そこで彼はようやく戦いの結末に現実味を感じ始め、一言呟く。

 

「終わった、んだよな……?」

 

 そう言った直後、後方から割れんばかりの歓声が聞こえて振り返ると、無事に生き残ったシルフとケットシーのメンバーが口々にカイトの健闘を褒め立てる言葉を投げかけた。

 

「見事! 見事だ!」

「スゲェ。あの化け物を倒しやがった!」

「ナイスファイトだヨー!」

「やるじゃねぇか」

 

 褒められるとどう反応していいのかわからないカイトは、照れ隠しで一団のいる方向とは逆に顔を向けた。次いで指先で頬をかいていると、彼の前に回り込んで顔を覗き込むアスナが現れた。

 

「お疲れ様、カイト君。凄く格好良かったよ」

「あ、あぁ……。ありがとう……」

 

 アスナの視線を至近距離から受けることに耐え切れず、そっぽを向く形で明後日の方角に顔を向ける。だが、ほんのりと赤らむ顔までは隠しきれなかったため、彼の心境を悟ったアスナがからかいの目を向けた。

 

「もしかして……照れ隠し? カイト君って可愛いとこあるよね」

「可愛くないです」

 

 優しい笑みを浮かべるアスナと、未だ照れ隠しでそっぽを向いているカイトのやりとりを眺めていたリーファが、そっと彼らに近付いてきた。最初にアスナが、続いてカイトも彼女に気が付く。

 

「助けてくれてありがとう、カイト君。君がいなかったらシルフとケットシーの同盟が危ぶまれたし、なにより世界樹攻略が遠のくところだったわ」

「お役に立てて良かったよ。……それはそれとして、最初の約束、覚えてる?」

「わかってる。世界樹攻略に手を貸すって事でしょ? ……という事は、ウンディーネとも同盟を結ぶってことでいいのかな?」

 

 リーファの問いかけに対し、カイトは首を横に振った。

 

「いや、この話にウンディーネ自体は関係ない。オレともう1人、このアスナが世界樹を目指してるんだけど、2人だけじゃどうにもならないだろうから、協力してほしいなぁ〜、なんて」

「…………えっ……?」

 

 まさか2人だけで世界樹を攻略する話だとは思っておらず、それ故の驚きだと判断したカイトは、簡潔に事情を説明し始めた。

 

「実は世界樹の上……だと思うんだけど、そこにオレ達の知り合いが捕まってて、この世界に囚われているはずなんだ。そいつは今も病院のベッドで眠ったままで、オレ達はなんとかして助け出したいと思ってる。その、信じられないかもしれないけど……」

 

 他人が聞けば突飛な話だが、カイトは目の前の少女が理解を示してくれると信じて話した。彼女の反応は戸惑いを色濃く含んでいるが、きっとそれも今だけだろう。

 しかし、この時リーファが戸惑っていた理由は、カイトの話した内容ではない。彼と共に自分達を助けてくれた、美しくも強いウンディーネの名前に対してだった。

 

「……アスナ、さん……。もしかして……結城明日奈さん、ですか?」

「えっ?」

「んっ?」

 

 ついさっき出会ったばかりのリーファが知るはずのない、アスナのリアルネーム。

 それを知っている理由は、本人の口から直接答え合わせされた。

 

「私……直葉です。桐ヶ谷和人の妹、桐ヶ谷直葉です」

 

 リーファの受けた戸惑いが伝染し、今度はカイトとアスナが驚愕に見舞われる番だった。

 




思ったより長くなってしまった9章もこれにて締めです。
次の章へ移る前に、恒例のものでワンクッション挟みます。


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番外編第10話 羨望と嫉妬

今回はリアル側のお話です。


 

「ふあ……ぁ……」

 

 病院の廊下で大きな欠伸を1つ。身体的疲労はなくとも、脳はしっかりと疲労を感じとっており、心なしかいつもよりも頭が回っていないが、倉崎悠人は目的地目指して病院の長い廊下を歩いていた。

 

 《黒の剣士》を追い、偶然にもシルフとケットシーの同盟を妨害しようとしていたサラマンダーの襲撃現場に遭遇し、さらにはサラマンダーの一団を撃退したのが昨日の午後11時半頃。そこからシルフ領主サクヤとケットシー領主アリシャ・ルーの一行に感謝されつつ別れ、央都アルンに到着して宿屋でログアウトした時には、既に日付を跨いで午前1時を回っていた。

 現在ALOは週に1度行われる定期メンテナンスを実施しているので、今日の午後3時まではダイブ出来ない状態だが、メンテ終了後の夕方から世界樹攻略に挑む手筈となっている。カイトとアスナが所持金のほとんどをサクヤとアリシャに手渡したため、唯一の問題となっていた資金集めも無事クリア。メンテが終了次第、必要な準備を整えてシルフとケットシーが2人に協力してくれるらしい。ウンディーネ領から始まった長い旅路は、一先ずは区切りがついたといったところだろう。

 夕方まで特にこれといった予定を入れてない悠人は、折角なのでまた由紀と和人の見舞いに行くことを決め、こうして病院に来ているというわけだ。そして由紀の病室に寄った後、今度は和人の病室へ向かっていた。

 和人がいる病室に着くと、扉が静かに開いたため、足を1歩踏み出す。その時点で悠人は先客がいる事に気が付き、さらには後ろ姿からその人物が誰なのかをすぐに理解した。

 

「こんにちは、直葉ちゃん」

 

 名前を呼ばれた桐ヶ谷直葉は振り返ると、悠人の姿を見てにっこり微笑んだ。

 

「こんにちは、悠人さん」

 

 お互いに短い挨拶を交わすと、悠人はベッドの足元を回り込み、直葉の向こう側にある椅子に腰掛けた。必然的に悠人と直葉は和人を挟んで向かい合う形になる。

 

「お見舞いに来てくれてありがとうございます。お兄ちゃん、きっと喜びますよ」

「まぁ、オレがこの病院に来るのは、和人の見舞い以外にも理由があるからね。……それにしても、直葉ちゃんは偉いな。オレが和人の病室に来ると、高確率で先にいるもんなぁ」

「今の時期、3年生は自由登校ですし、その上私はもう推薦で高校は決まってますから、時間だけはたっぷりあるんです。それに、お兄ちゃんは……大事な家族ですから」

 

 未だ完全には捨てきれていない淡い心を胸の奥に押しやり、まるで自分に言い聞かせるかのように言葉を発する。自分で言ったにも関わらず、針で刺されたかのようにチクリと胸が痛んだ。

 

「ところで、いつからALOをやってるの?」

 

 直葉が黙り込んだことで沈黙が訪れるも、悠人は話題を変えて場の空気をリセットする。直葉は彼の質問で俯きかけた顔を上げると、何事もなかったかのように自分で自分を偽った。

 

「だいたい1年くらい前からです。偶然始めたのがサービス開始直後だったので、こう見えても古参なんですよ」

「あぁ……確かに立ち回りとか剣の腕を見てたけど、強いのはよく伝わってきたよ。和人みたいに昔からゲームは好きだったの?」

「いいえ。ALOを始めるまで、ゲームはほとんどやらなかったです。お兄ちゃんの好きな世界が一体どんな所なのか知ろうと思ったのがきっかけなんですけど、まさかここまでのめり込むとは思ってもみなかったですね」

 

 悠人は先日和人の病室を訪れた際、直葉の知らない兄の姿や今思えば笑い話になるエピソードなど、アインクラッドでの出来事を彼女に話したのだが、これがきっかけで気さくに喋れる程度に直葉は悠人に心を許したようだ。さらに言えば、悠人の見た目や雰囲気が相手を緊張させるようなものではなく、柔らかく接しやすいというのも関係していた。もしも彼が強面だったら、こうはいかなかっただろう。

 

 するとここで、悠人と直葉の2人が談笑している最中に病室のドアが静かに開く音がしたため、悠人の視線が直葉から外れた。訪れたのは看護師や和人の親族ではなく、未だ眠り続ける彼の事を誰よりも想っている明日奈だった。

 

「悠人君も来てたんだね」

 

 明日奈の声が病室に響いた瞬間、悠人の向かい側にいる直葉の肩がぴくりと動き、ついさっきまで明るかった表情に若干の陰りがみえた。たった今来たばかりの明日奈に視線を移している悠人は、まだその変化に気が付いていない。

 

「あぁ、ついさっき来たばっかだよ。今日は外出許可が出たのか?」

「うん。やるべき事をやれば、母さんは何も言わないから」

 

 明日奈の家庭環境が――主に母親だが――厳しいというのを、彼女から直接的な表現で聞かされたわけではない。しかし、言葉の節々から悠人はそうと感じとり、同時に同情もした。現実世界だと愛する人の側で見守ることしか出来ないが、たったそれだけの事でも制約されてしまっているのだから。

 

「こんにちは、直葉ちゃん」

「こんにちは」

 

 柔らかい笑顔で明日奈と直葉が挨拶を交わすが、この時の直葉は水面に落ちた木の葉のように心が揺れていた。それは、この後明日奈が和人に対して向けるであろう、深い慕情に満ちた表情を想像したからだ。

 悠人と同じように、明日奈は直葉と二言三言会話を交わすと、直葉の隣に椅子を置いて腰掛ける。それから明日奈は和人の寝顔に見入り、そっと手を重ねたが、その時の顔は直葉が想像した通りのものだった。

 愛する人の帰りを待ち焦がれる、恋人の顔。明日奈にとって和人は、長い旅路の果てにようやく巡り会えた運命の相手なのだ。しかし、手が触れるほど近くにいても、どれだけ声をかけても、一方通行にしかならない今の状況は非常に歯痒いものだろう。直葉にもその気持ちは十分理解できるが、同じ気持ちでも、明日奈の顔、そして瞳の奥に見える恋慕の深さは、到底自分では敵わないと悟ってしまうほどのものだった。

 

「あ、あたし、ちょっとだけ外に出てますから」

 

 明日奈の表情を見た直葉は、椅子から立ち上がり、逃げるようにそそくさと病室を後にする。明日奈の顔を見ることが、彼女にはこれ以上耐えられなかったのだ。

 そしてついさっきまで直葉と談笑していた悠人にしてみれば、明日奈が来る前と後で彼女の様子が変化した事に気が付きやすかっただろう。悠人にしてみれば、直葉がまるで明日奈から意図的に距離をとったかのように映ったからだ。

 病室の扉が完全に閉まり、一瞬の静寂の後、悠人がおそるおそる口を開く。

 

「明日奈……直葉ちゃんと何かあった?」

「う〜ん、これといって特に心当たりはないんだけど……。私、知らないうちに何か嫌われちゃうような事をしたのかなぁ……?」

 

 直葉の何処かよそよそしい態度には、明日奈自身も気が付いていたらしい。だが、当人に思い当たる節はないようで、明日奈は小首を傾げた。

 

(明日奈は別に悪い奴じゃないし、自分から積極的に嫌われるような真似をするはずないもんなぁ……。そもそも、あれは嫌っている感じじゃない……よな)

 

 不意に悠人は椅子から立ち上がると、向かい側の明日奈を見やった。

 

「悪い、明日奈。オレもちょっとだけ席外す」

 

 

 

 

 

 ナースステーションの目の前に幾つかある、4人掛けの茶色い革製ソファ。その内の1つに直葉が腰かけて座っているのを見つけた悠人は、そっと近付き、何も言わず、同じソファの端っこに腰かけた。2人分の間隔を空けて座った悠人の存在に気が付いた直葉は、チラリと彼を一瞥する。

 

「どうしたんですか?」

「それはこっちの台詞だよ」

 

 ここでようやく、悠人と直葉の視線が交錯する。

 

「なんていうか……わかりやすい」

 

 肩の力が抜けるような柔らかい笑みを悠人が零すと、それを見た直葉は昨日の事を思い出す。ALOでの乱戦中にカイトが自分に笑みを見せた時があったが、その時の雰囲気と受けた印象が、今とまったくの同一だったからだ。

 

(きっとこの人は、自分を着飾ったりしない、いつでも素のままの自分でいる人なんだ)

 

 かつて直葉は、同級生の長田慎一/レコンにこう言われた事がある。

 『リーファちゃんは飛ぶと人格変わるからなぁ』と。

 そう言われた時、確かにそうかもしれないと彼女は思った。ALOのリーファでいる時は、いつもより元気で活発な女の子になっている気がするからだ。

 別にこれは彼女に限った話ではなく、ゲームの中ではいつもより『自分』をさらけ出している人はザラだ。それ以外だと、MMOのアバターでいる時はあえて現実とは違うキャラを演じている者もいる。それもMMOを楽しむ要素の1つだし、そうする事で現実と仮想の区別を無意識につけているのかもしれない。

 

「明日奈に苦手意識でもあるの?」

 

 悠人からの問いかけで思考を中断した直葉は、どう答えていいのかわからず、困った素振りを見せた。

 

「苦手、とかではないです。明日奈さんは美人で、優しくて、私にも気遣ってくれる良い人ですから。ただ、私が一方的に、その……」

 

 ここで直葉は少しだけ言葉を詰まらせたが、意を決して思った事を口にした。

 

「…………嫉妬……しているんだと思います」

「嫉妬?」

 

 明日奈の何に対して妬むのか。

 容姿? 性格?

 否。

 彼女が言っているのは、もっと眼では見えづらい、しかし、それとなく感じとれてしまうものの事だ。

 

「小さい頃はそうでもなかったんですけど、私とお兄ちゃん、家にいても全然話さなかったんですよ。仲が悪いとかそういうのじゃなくて、どう接したら良いのか、うまく距離感が掴めなかったんだと思います。主にお兄ちゃんが、ですけど」

「実の妹だろ? 何をそんな遠慮する事があるのさ?」

 

 ここで、直葉に躊躇いの表情が浮かんだ。和人が直葉との距離感を測りかねるようになった原因は、まだ家族以外の誰にも話していない。つい先日知り合ったばかりの悠人に、複雑な家庭事情まで話していいものなのか、と。

 しかし、この事に触れなければ話が先に進まない。直葉の迷いは一瞬だった。

 

「正確には妹じゃなくて、従兄妹なんです。お兄ちゃんが物心つく前に、お兄ちゃんの両親は亡くなったので、私の家で引き取る事にしたそうです」

「…………この事、和人は?」

「本人はもう知ってます。私の親はお兄ちゃんが大きくなったらその事を教えるつもりだったんですけど、お兄ちゃんはどうも住基ネットにアクセスして抹消記録に気が付いたみたいで……」

「ははっ、なんだかあいつらしいな」

 

 2年間連れ添っていた悠人にしてみれば、和人の無茶・無謀、周りの予想を裏切る行動には何度も驚かされてばかりだったが、直葉の話からその原型を垣間見た気がした。

 

「本当の家族じゃないと知ってから、私ともどう接していいのかわからなくなったみたいで、同じ屋根の下にいるのに口数も減って……。いつしかそれが普通になっちゃったんですけど、お兄ちゃんがSAOに囚われて、もしかしたらもう目を覚まさないと思った時、そこでようやくお兄ちゃんの存在が私にとって如何に大きいものなのか気が付いたんです。だから、目が覚めても覚めなくても、ずっとお兄ちゃんのそばにいようって決めた、のに……」

 

 ここで、直葉の顔に雲がかかる。彼女は膝の上で拳を握った。

 

「お兄ちゃんのそばにはもう明日奈さんがいて、私がいようと思っていた場所をとられちゃったような気がしたんです。それに悠人さんから聞いた2人の話や、明日奈さんがお兄ちゃんを見る時の表情で、2人の関係は私じゃ到底敵わないものなんだろうなってわかっちゃって……」

 

 直葉の知らない場所で和人と親密な関係を築いた明日奈の存在は、彼女にとっては突如として現れ、直葉の居場所を横取りしたような存在に感じられたのだろう。勿論、明日奈自身にそんなつもりは全くない。

 しかし、明日奈の言動の節々から読み取れる想いの深さは、直葉が和人と接してきた年月を容易く上回るほどのものだった。直葉は『とられた』という表現をしたが、正確には底知れない想いの深さに圧倒され、『そっと身を引いた』というのが正しい。

 

「確かに和人と明日奈の絆は堅いよ。それに明日奈自身も、きっと直葉ちゃんと同じで和人をそばで支えていくつもりだろうね。でもさ、直葉ちゃんがとられたと思っている場所は、別に1つしかないとは限らないんじゃないかな?」

 

 伏し目がちだった直葉の顔が持ち上がり、再び悠人と視線が交錯すると、次いで彼は言葉を紡いだ。

 

「あいつをそばで支えてあげられるような存在になれるのは、別に明日奈だけじゃなく、直葉ちゃんにだってなれる……いや、もうなってるんだ。大切な人の帰りを2年以上も待ち続けるのは、誰にでも出来ることじゃない。直葉ちゃんは『和人の妹』っていう誰にも奪えないポジションを持っているんだから、そこで和人を支えればいいさ」

 

 直葉が欲していた場所には、明日奈がいた。

 しかし、その場所は1つだけとは限らず、視点を変えればいくらでも存在する。大切な人の事を想って行動した時点でその場所に立つ資格は生まれるし、その数は無限大だ。直葉が秘めていたものを成就させることは出来ないが、そばで支えていきたいという願いは誰にも奪えないし、誰かの手によって失わせることも出来ない。当の本人が願い続けさえいれば――――。

 

「さっき直葉ちゃんは『居場所をとられた』って言ってたけど、オレはそうじゃないと思う。大好きなお兄ちゃんに突然美人の彼女が出来たから、驚いてるだけだよ」

 

 そう言って悠人の頬が緩むと、直葉は彼の見た目に準じたあどけない少年のような印象と外見に反したこれまでの大人びた言葉に、良い意味で大きなギャップを感じた。つい可愛らしい容姿で忘れがちになってしまうが、こう見えて彼は明日奈よりも年上である。しかし、初めて対面して話した時のように、時折垣間見える年相応、若しくはそれ以上の発言は、頼もしさを感じるとともに相手の心と感情を読み取っているかのようだった。

 

「悠人さんは、不思議な人ですね」

 

 彼と話すたびに、いつの間にか心の距離を縮められている気がする。奥へ、奥へと踏み込んでくるが、なぜか嫌な気持ちは微塵も感じていない。寧ろ、直葉はそれが心地良いとさえ思っていた。

 

「何をもって不思議かはわからないけど、そんなこと言われたの初めてだよ」

「じゃあ、私が新しい魅力を見つけて発掘したって事ですね」

 

 直葉の表情が柔らかくなり、控え目な笑い声が漏れる。彼女の心にかかっていた分厚い雲は徐々に薄れ、穏やかな晴れ間に変化していた。

 

「さて、そろそろ戻ろうか。あんまり長い時間席を外していると、明日奈が気にするだろうし」

 

 悠人が腰掛けていたソファから身を起こして立ち上がると、直葉も同じように立ち上がった。それを見た悠人は来た道を同じ道を歩き出し、病室へ戻ろうとする。

 直葉はそんな彼の後ろをついていくようにして動線をなぞるが、視線の先にある背中を見た時、トクンと心臓が小さく脈を打った。

 




話の序盤で示唆しましたが、ヨツンヘイムはカットして話を進めます。
次の章はアルンから……の前に、囚われている2人がどうなっているのかを明らかにする所からスタートです。


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第10章 -天穿つ大樹の頂-
第72話 惨状と糸口


 

 橙色の小さな照明が、オフホワイトの直線通路と無機質な壁面を照らす。ついさっきまで歩いていた樹木の道と異なり、世界樹の内部はオブジェクトを配置する手間を惜しんだのが伺えるほど味気ない。

 

「…………よしっ!」

 

 しかし、その事がかえってキリト/桐ヶ谷和人の気を引き締める結果となった。

 

 

 

 

 

 キリトは、《アルヴヘイム・オンライン》という名のゲーム世界に囚われており、さらにその内部に設置された黄金の鳥籠の中で自由を制限されるという、2重の牢屋に閉じ込められている――――はずだったが、現在の彼は第1の牢屋である黄金の鳥籠から既に脱出していた。

 その理由は、《この世界の鏡は光学現象ではない》という事を利用し、須郷伸之――またの名を《妖精王オベイロン》――が鳥籠の扉を開ける際に使用する暗証番号を読み取ったからだ。その後、慎重に機会を伺った彼は、頭に刻みつけた数字の並びを入力し、最初の関門を突破した。

 

 大樹の若芽で出来た手すりに手を預け、精緻な紋様が刻み込まれている通路を警戒しながら歩き続けること数分、世界樹本体にたどり着くと、目の前に明らかな人工物のドアがあるのを見つけた。ドアノブがない代わりに手をかざして開けるためのパネルが設置されていたため、キリトは臆することなく掌をかざすと、期待を裏切ることなくすんなりと扉は開錠した。

 敵の牙城に侵入し、変わり映えしない景色を視界に収めながら歩き続けると、またもや人工物のドアを両の眼で捉えた。先ほどと同様設置されているパネルに手をかざすと、ドアは音もなくスライドし、その先には左右に分かれる廊下が広がっていた。ドアをくぐると数秒後には閉まり、壁面に溶け込むようにして同化するが、後戻りする気のないキリトは消えたドアなど気にもとめず、右方向へと進み始める。

 緩いカーブを描いているであろう廊下をひたすら歩くが、ちゃんと進んでいるのか疑わしくなるほど景色は無機質なままだ。もしかしたら廊下を延々と歩かされ続けるのではないかと思い始めた矢先、ちょっとした変化が訪れる。

 カーブの内側にポスターのようなものが貼られているのを見つけたキリトが急いで駆け寄ると、それはポスターではなく、彼が今いる場所の案内図だと判明した。

 キリトが案内図から現在地点を読み取ると、彼は今、真円を描く通路が3階層に重なった、その最上部にいるらしい。上から順にフロアC、フロアB、フロアAと呼称するようで、フロア間の移動はどうやらエレベーターで行うようだ。俯瞰(ふかん)で示された3つのフロア――その中心部を1本の太い線が貫いているが、これがエレベーターなのだろう。

 そしてキリトがいる最上部のフロアCには廊下以外何もないが、その下のフロアB、フロアAには様々な施設名が表示されていた。

 《データ閲覧室》や《主モニター室》などが表記されており、他にも何らかの目的で使用する専用の部屋が用意されているが、その中でも群を抜いて広い部屋が最深部にあった。一体何の部屋なのか記された文字を確認すると、そこにはこう書かれていた。

 

 《実験体格納庫》。

 間違いなく、須郷によって拉致された旧SAOプレイヤー達がいる非合法研究施設だ。

 

「実験体、格納庫……」

 

 キリトは眩暈(めまい)にも似た感覚を感じながらゆるゆると後退し、案内図とは反対側の壁にもたれて背中を預ける。いかなる形によってかは不明だが、かつての仲間達は《実験体格納庫》とやらに囚われ、縛り付けられているのだろう。もしも実験が露見しそうになっても、仮想世界であればボタン1つで全てをなかったことに出来る。痕跡は残らないし、非常に合理的と言えよう。

 キリトは壁にもたれたまま、腕を組んで黙考した。

 格納庫に行って自分に出来ることがあるか不明だが、もし可能なら囚われている旧SAOプレイヤーを救い出し、現実で待っている家族や友人、恋人のもとへ帰したい。今自由に動けるのはおそらく自分1人だけだろうし、この機を逃すのは惜しいと判断した彼は、システムコンソールの捜索よりも格納庫へ行くことを優先して壁に預けていた背中を起こそうとした――――まさにその時だった。

 

「…………お?」

 

 背中で感じていた壁の堅い質感が突如消えたかと思いきや、視線が正面の案内図から徐々に上向きになる。それもそのはず、背中を預けていた壁面が文字通り消え去ったため、キリトは背中から地面に倒れこんでいる真っ最中なのだ。

 とうとう視界に天井が映ると、そこから1秒と経たずに、ゴチンッ! と盛大な音を立てて頭を強打した。キリトは手で払いのけたくなるような不快感に(もだ)える。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」

 

 ジタバタと手足を動かしているうちに、少しずつ不快感は薄れていった。まだ余韻が残っている状態だったが、キリトは立ち上がり、振り返って自分が倒れこんだ場所を見回す。

 キリトが偶然入った場所は、床も壁面も真っ白な部屋だった。イスとテーブル、簡素なベッドが置いてあり、それ以外にこれといった特徴はない。しかし、キリトはこの部屋の中身が自分を閉じ込めていた鳥籠内のものと非常に似通っていると感じた。

 なので彼は、直感でここには自分と同じように閉じ込められている人物がいると思ったのだが――――。

 

「…………誰、ですか?」

 

 ――――案の定、ベッドの上には突然現れたキリトを訝しみ、様子を伺っている少女の姿があった。

 耳にかかるナチュラルショートの髪は黒色。薄紅色の小さな唇とスッとした鼻梁(びりょう)は整っており、非常に可愛らしい顔立ちだ。大きな黒い瞳でおそるおそるキリトを見ているが、視線がぶつかった瞬間、キリトはその少女が自分のよく知る人物であることに気が付いた。

 

「ユキ」

 

 名を呼ばれたユキは、純粋な驚きから両眼を大きく見開いた。

 

「私を、知ってるの?」

 

 キリトにはユキがわかり、ユキにはキリトがわからない様子だが、それは仕方がない。ユキはSAOの頃と姿が一緒なのに対し、キリトは一見して女性と見間違える姿をしているからだ。黒いドレスに肩甲骨まで流れる黒髪と映えるほどに白い肌は、どこからどう見ても小柄な少女そのもの。容姿は当時と変わらずだが、アスナから「カイト君もだけど、キリト君もかなり女顔だよー」というお墨付きまでもらっているので、今の姿をしているキリトを初見でキリトと判別するのは、友人のユキでも難しい。

 

「あぁ、よく知ってるよ。……オレだ。キリトだ」

 

 そう言ってキリトは自分が何者なのかを告げると、ユキはもう一度両眼を見開き、驚きの表情を露わにする。

 

「――えっ? キリト……って、あのキリト? どう見ても女の、子…………」

 

 ユキの声が急速に減速したことにキリトが違和感を覚えた瞬間、彼女はベッドから飛び上がって身を乗り出し、彼の元へと駆け出した。彼女の急な行動に戸惑うキリトだったが、ユキはそんな事など気も留めていない。

 

「急いでっ!!」

「へっ?」

 

 ユキがキリトの手を掴むと、そのまま急ぐ足を止めず、ついさっきまで彼がいた廊下へ飛び出した。すると2人が廊下に出た瞬間、キリトがもたれかかって消えた壁が、シャッ! という音を立てて一瞬で元に戻った。ユキがいた部屋と廊下を繋ぐ穴もとい扉は、何事もなかったかのように無機質な壁面と化す。

 掴まれていた手が離されると、キリトはたった今元に戻った壁面をペタペタと触るが、再び通路が開かれる様子はない。扉を開くためのトリガーを偶然引いたのだろうと考えていると、後ろから急に肩を掴まれ、強制的に回れ右をさせられた。

 

「なんでキリトがここにいるの? それにその格好はなに? カイトや他のみんなは無事なんだよね? ここから出るにはどうしたらいいの?」

「お、おおおお落ち着けユキ! 一先ず落ち着けっ!」

 

 肩を掴んで前後に激しく揺さぶるユキをどうにかして落ち着かせたキリトは、答えられる範囲で彼女の疑問を1つずつ解消した。

 全て答える頃には彼女も落ち着きを取り戻していたので、今度はキリトが疑問をぶつける。

 

「そういうユキはどうしてここにいるんだ?」

「なんでも教えてくれるけど肝心な事は教えてくれない妖精さんが、私を助けてさっきの部屋に閉じ込めたの」

「すごいな。たった一言なのに矛盾が2つもあるぞ」

「だって本当の事だもん」

 

 いまいちすっきりしない回答でモヤモヤするが、悠長にしている暇がないことを思い出し、問答は後回しにする。もしも脱走が失敗に終われば、今後自力での脱出はほぼ不可能とみて間違いない。キリトはユキにその事を簡潔に告げると、2人は廊下を歩いてフロア間を移動するためのエレベーターへ向かった。

 ほどなくして廊下の突き当たりにあるエレベーターへたどり着くと、2人は乗りこみ、キリトが迷うことなくボタンを押した。行き先は最下層にある実験体格納庫だ。

 わずかな落下感覚に身を包まれ、大樹の中に作られた研究施設の最深部へと向かう。加速、減速、停止の過程を経て目的地に到着すると、エレベーターの扉が開き、2人は箱の外へ足を踏み出した。

 味気ない一本道の廊下を警戒しつつ進んでいくと、のっぺりとした大きな扉が前方に見えてきた。おそるおそる近付くと扉が自動で開き、眼を細めるほどの眩い光が2人を包む。

 扉の先にあったのは、息を呑むほどの巨大な空間だった。

 天井は白く発光し、壁も床も一面真っ白なコンサートホールと例えるのが適切だろう。そしてその空間には短い柱型のオブジェクトが等間隔に理路整然と並んでおり、18の列をなしていた。

 近くにあったオブジェクトに近付くと、それは床から胸の高さまで伸びる円柱と判明した。さらにその上には若干の間隔を空け、宙に浮かぶようにして――――人間の脳髄とおぼしきオブジェクトが浮かんでいた。

 

「なん、なの……?」

 

 実物大のオブジェクトは非常に精緻であり、色合いは青紫色をしている。所々で色とりどりのスパークを散らしているが、脳髄の下側では光が弾けるたびに数字や英字のログが表示されてた。

 

「まさか、これが須郷の言ってた実験か?」

 

 キリトは直接須郷から話だけ聞かされていたが、眼前に広がる脳髄の群は旧SAOプレイヤーのものであり、ここで行われているのが人間の思考・感情・記憶を操作するという非道な実験の場なのだと直感した。

 

「実験……? ねぇキリト、一体なんの実験なの?」

「…………人の記憶や感情を思いのままにコントロールしようという、非人道的な実験だよ」

「――――そんなっ!?」

 

 一方、ユキは妖精さんが自分を何らかの人体実験から救ってくれた事は知っていたが、その内容までは知らされていない。自分が受けるはずだった、あるいは受けていたであろう人体実験の内容をキリトから聞かされたユキは、驚愕のあまり両手で口元を覆った。

 目の前に並ぶ脳髄の群は各所が激しく明滅しているが、それは今も実験が継続中であることを指す。刺激を加えられたことで苦悶しているのが脳裏に浮かび、ユキはよろよろと後ずさった。

 

「こんな、こんなのって……あんまりだよ。なんでこんなひどい事が出来るの?」

 

 正常な感覚の持ち主なら、到底理解できない行為だろう。誰に対してでもない独り言の問いかけが、静寂に包まれている実験場の空気を震わせた。そのまま誰に拾われるでもなく、零れ落ちて自然と空気に溶けていくものだと思われたが――――。

 

「それは勿論、この計画の立案者がイカれた頭の持ち主だからに決まっているでしょう?」

 

 消え去る寸前ですくい取った者が、キリト以外でこの部屋にたった1人存在していた。

 反射的にキリトとユキは声のした方向を振り返ると、そこにはキリトにとっては初見の、ユキにとっては見慣れた姿の少女が立っていた。

 

「妖精さん……」

 

 腰に手を当て、悠然とした佇まいで2人を見るのは、研究施設とは別の隔絶された部屋にユキを監禁していた張本人。仮の名で呼ばれた彼女は、少々呆れたような顔を作った。

 

「まったく……まさか鳥籠を抜け出してユキちゃんを部屋の外に連れ出すどころか、最重要機密の研究室にまで足を踏み入れるなんてねぇ。一応ここ、部外者は立ち入り禁止なんだよ?」

「なら、簡単には入れないような措置ぐらいとっておくんだな。セキュリティが緩すぎだぜ」

「忠告をどうもありがとう。今後は気をつける、と言っても、次はもうないけどね」

 

 丸みを帯びていた妖精さんの雰囲気が徐々に鋭利な刃物へと変化し始めていく。対峙している2人は鋭敏な感覚でそれを感じとったが、ワンテンポ早く気が付いたキリトはユキを手で制し、彼女の前に立った。

 

「状況から察するに、あんたはここの関係者で、ユキを閉じ込めていた張本人だな?」

「その言い方には少し語弊があるわね。確かにその子を監禁していたように見えるでしょうけど、私は今も実験体の1人として扱われるはずだった彼女を救ったのよ。感謝されることはあっても、敵意を向けられるような覚えはないわ」

「じゃあどうして…………どうしてユキだったんだ?」

「私にとって色々とメリットがあるからよ。…………さて、と」

 

 問答はこれでお終いとばかりに掌を合わせると、妖精さんは足を踏み出し、1歩ずつキリトとユキに近付き始めた。

 

「自力でここまで来たのを褒めてあげたいけど、今の立場上はこれ以上放っておくわけにいかないの。残念だけど、キリト君には鳥籠の中に戻ってもらうとして……ユキちゃんは感動の再会に備えて少し眠ってもらおうかな?」

「……嫌だと言ったら?」

「わかってるくせに。勿論、実力行使よ」

 

 言うや否や、右足で踏み切った妖精さんの身体が加速し、距離を詰めて肉薄する。右拳を固く握り締めて振りかぶると、スピードが上乗せされた渾身の正拳突きをキリト目掛けて叩き込んだ。

 拳がキリトの水月を抉り、後方へ大きく吹き飛ばす、という展開を予想していた妖精さんだが、彼は両手を重ねて胸の前で構えると、正拳突きを掌で覆うようにして受け止めた。インパクトの瞬間に1メートルほど後退したが、どうにか踏みとどまる。

 

「ユキ、一先ずここから離脱しろっ! オレが時間を稼ぐから!」

「で、でも……」

「早くっ!!」

 

 有無を言わせぬキリトの物言いに圧倒されたユキは、苦渋に満ちた表情を見せた後、一瞬の逡巡を経て反転した。後ろを振り返ることなく、無我夢中で走り去る。

 わずかに聞こえる足音が遠ざかっていくのを耳にしつつ、キリトは至近距離で対峙する妖精さんの双眸を見た。瞳の奥には何らかの企みが見え隠れするが、すぐになりを潜めてしまうために真意を図ることは出来ない。

 

「女の子を守るために男の子が奮戦する。王道のシチュエーションだけど、私は結構好きよ」

 

 手の届かない間合いまで飛び退いた妖精さんが、微笑しながらそう告げた。

 先ほど繰り出したのはただの右ストレートだったが、ゼロからトップスピードまでの動きやアバターの滑らかな挙動は、ただの研究員でないことが伺える。VRワールドに相当慣れ親しんでいると同時に、躊躇ない挙動と発するプレッシャーは、数多くの戦闘をこなしてきた証拠だ。

 

(速いけど、全く反応出来ないわけじゃなさそうだな……)

 

 スピードは目を見張るものがあったが、キリトの反応速度なら充分対処出来るほどだ。肉弾戦は剣での戦闘ほど得意ではないが、SAOでは《体術》スキルを取得していた経緯もあり、全く出来ないわけでもない。

 剣がないため右手が酷く寂しいが、キリトは意識を戦闘モードに移行して構えをとった。

 一方の妖精さんは、肩や腰を回したり、時折片眉を吊り上げて首を傾げたりもしている。その様子をキリトは訝しむが、その理由はすぐに本人の口から告げられた。

 

「う〜ん、やっぱりいつも使ってるアバターとは勝手が違うなぁ。ま、所詮は戦闘用に作られたわけじゃないし、こんなもんよね」

「は………………?」

 

 『戦闘用のアバターではない』という点が頭の中で木霊する。

 非戦闘用ということは、数値的ステータスはさほど高くないはずだ。にも関わらず、あれだけの突進が出来るということは、数値では計れない別の要素――――例えば、アバターを操る人間の反応速度が相当に高いということが伺える。

 

「それでも、今の君を力づくで制圧するには充分かな」

 

 

 

 

 

 出口のアテもないまま、ユキが格納庫の奥へ奥へと進んでいくと、部屋の中央部に黒い立方体――システムコンソール――があるのを発見した。足早に近付いて確かめると、斜めにカットされた上面の右端に細いスリットがあり、銀色のカードキーが溝の上端に差し込まれている。おもむろにカードキーに手を伸ばし、一気に下へスライドさせると、効果音の後に続いてウィンドウとホロキーボードが展開された。

 

「これって……」

 

 ウィンドウには英字で記されたたくさんのメニューが表示されている。もしかするとこの中にログアウトボタンがあるかもしれない、という期待と共に、ユキはそれらしきメニューがないか1つずつ確認していく。

 

「……どれ? …………一体どれなの?」

 

 焦る気持ちを必死に抑えながら探していると、ようやくそれらしきボタンを見つけ、指先でタップ。次に展開されたメニューを端から確認し、ログオフの文字を見つけた彼女は、そのボタンをタップするために指先を伸ばした。

 

「はい、そこまで」

 

 心臓が飛び跳ねる暇も与えられず、ユキの身は右方向から突然襲いかかってきた衝撃に吹き飛ばされた。床を転がり、脳髄の浮かぶ円柱オブジェクトにぶつかって制止すると、その場でうずくまりながら自分を突き飛ばした人物――――妖精さんを睨んだ。彼女がユキに追いついたということは、キリトを倒してきたということだろう。

 

「ダメだよ、ユキちゃん。お友達を置いて先に帰ろうなんて」

 

 諭すような声色で注意する姿はまるで教師のようだが、手荒い手段でユキを退かした彼女がそんな生易しいものであるはずもない。心の奥底が見通せない瞳を不気味に感じたユキは、背筋に確かな悪寒を感じた。

 

「何が目的なの? 私達を、どうしたいの?」

「目的は言えないけど、あなた達を助けたいとは思ってる。ただ、今はまだその時期じゃない、とだけ言っておくわ」

 

 オブジェクトにぶつかった際の衝撃で痺れにも似た感覚に襲われているユキは、うまく身体が動かせない。どうにか上半身だけを起こしてみたが、まだそれ以上は動かせず、身体を支えるのがやっとの状態だった。

 必死に抗っているユキの様子など気にもとめず、妖精さんは彼女に歩み寄ると、しゃがみこんで掌をかざした。

 

「大丈夫。もうすぐあの子が迎えに来るから、それまでの辛抱よ」

 

 妖精さんが言い終わると、彼女のかざした掌が仄かな光と暖かい熱を帯びる。すると、ユキは瞼が急激に重くなるのを感じ、まどろみの中に身を沈め始めていったが、薄れ行く意識の中、妖精さんが言った一言が頭に引っ掛かっていた。

 

(……あの子、って…………誰の、こと……?)

 

 思ったことを口にすることも、床から伝わる冷気を肌で知覚することもなく、静かな寝息を立ててユキは眠りについた。

 

 

 

 

 

 夜闇に包まれた空の下、キリトはもう戻らないと誓ったはずの鳥籠の中へ、不本意ながら入っていった。

 

「ほらほら、そんな不満そうな顔しないの」

 

 キリトは不貞腐れた顔を隠す素振りも見せず露わにするが、無理もない。現実世界に戻る千載一遇のチャンスを潰されたのだ。おそらく、今回のような機会は2度とこないだろう。

 そっぽを向いて鳥籠の下で瞬く下界の街灯りを見下ろしていると、カツン、という乾いた音が鳥籠内で響いた。なんとなくキリトが視線を移すと、床には1枚の銀色に光る板が落ちており、格子の外にいる妖精さんがそれを指差していた。

 

「折角頑張ったのに何にもなしは気の毒だから、それ、あげるわ」

 

 何かの罠かと思いつつも、キリトは床に落ちている板をひょいと拾い上げる。銀色の板は表も裏も特に何もない、一見してカードキーのようだが、これを貰ったからといって何も出来ないのは明白だった。どこで使用するカードキーなのかをキリトは知らないし、たった今格子戸の暗証番号を変更された鳥籠から出る術を、彼は持ち合わせていないのだから。

 

「わらしべプロトコルでもやれと? こいつをオベイロンに渡せば、別の物に交換してくれるのか?」

「そんなわけないでしょう。…………それは格納庫にあったシステムコンソールの鍵よ。勿論、それ単体を持っていても意味はないし、ここから出られないキリト君が持っていても意味を成さないわ」

 

 「なら持ってて意味のある物をくれ」とキリトは言おうとしたが、それよりも早く妖精さんは口を開いた。

 

「裏を返すと、鍵は鍵穴があれば意味を成し、キリト君以外の人間が持っていれば意味のある物になる。その辺をよく考えなさい」

 

 意味深な言葉をキリトが訝しんでいると、妖精さんは身体の向きを変え、枝の上を遠ざかっていく。その後を追うようにしてキリトは詰め寄ろうとするが、当然ながら黄金の格子に行く手を阻まれてしまった。

 

「おいっ、待てっ! どういう事か説明しろーーーーーーっ!!!!」

 

 キリトの叫び声が虚しく木霊する。

 そんな彼の叫びに対する妖精さんの反応は、振り返る事なく右手を挙げ、ひらひらと手を振るだけだった。

 




後半は少し駆け足になりました。

ここ最近は隔週で更新していますが、次の投稿に関しては1ヶ月の間を開けます。その次からはまたいつもの投稿ペースに戻しますので、ご了承下さい。


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第73話 打ち明ける思いと秘めた決意

 

 現在時刻、午後2時半を少し回った頃。

 週に1度行われるALOの定期サーバーメンテナンス終了まで、残り約30分程度となった。

 

 人の往来が多い街の中心部から離れ、徐々に風景は閑静な住宅街へと変わり、とうとう自宅近くの見慣れた光景が見えてきた。ゴールまでもう少しという気持ちが生まれ、悠人は無意識にペダルを漕ぐ力を強くする。車体重量の軽いクロスバイクは冷たい風を切りつつ、速度を上げて乾いたアスファルトの路面を走った。

 次の曲がり角を曲がれば、家まで100メートルもないだろうという地点に差し掛かり、スピードを緩めてゆっくりと曲がる。目視で家の玄関を捉えたが、それと同時に2台ある自宅の駐車スペースの内、片方が赤い乗用車で埋まっていることに気が付いた。倉崎家の所有する車両ではないが、悠人は見ただけで来客の正体が誰なのかわかった。ここ最近よく訪れるうえに、つい先日も悠人はこの車に乗ってユキとキリトが入院する病院へ送ってもらったのだから。

 駐車場の空きスペースに自転車を置いた彼は、帰宅してすぐ自室に向かうのではなく、来客のいるリビングの扉を開けた。そこにはソファに腰掛ける天津河理沙が、自分の家で過ごしているかのようにまったりとくつろいでいる姿があった。

 

「おはへり」

 

 理沙は棒つきアイスを口に咥えながら、何食わぬ顔で悠人の帰りを出迎えた。

 

「冬なのにアイスかよ」

「冬にアイスを食べちゃいけないなんて決まりはないわよ」

「あぁ……うん……そうだね……」

「――――ッ! 冷たっ!」

「オレの反応が? それともアイスが?」

「両、方……」

 

 頭を押さえて痛みに悶える理沙をよそに、悠人は手荷物を身近な席に置いた。その際にふと、いつもの食事を摂るテーブルの上に視線を移すと、母親の書き置きがあるのに気が付き、書いてある内容を読む。悠人の両親は共働きだが、今日は2人とも当直に就いているらしく、明日まで帰ってこないらしい。

 

「あぁ、そうそう。そういえばおじさんもおばさんも、今夜はいないみたいよ。冷蔵庫に夕飯が入ってたし」

「みたいだね。たった今テーブルの上にあるメモ書きを読み終えたところ」

「それと私、今夜はこの家に泊まるから、よろしくね」

「うん…………ん?」

 

 聞き流しそうになった理沙の言葉をすんでのところで拾い上げる。そしてその言葉の裏付けをするかのように、彼女の傍にはいつもより大きめの荷物が置いてあった。

 ここ最近遊びにくるのはよくあったが、泊まりにきたのは初めてだ。どういう風の吹き回しかは不明だが、悠人はそれ以上追求せず、結局「ふ〜ん」と軽く受け流す。

 

「あら、それだけ? もっと他に感想はないの? 『綺麗なお姉さんと一緒に入れて嬉しい』とか」

「……嫌ではない」

「綺麗は否定しないのね」

「そこは否定しようがないからなぁ……。身内目線で見ても、りーちゃんは美人だよ」

 

 悠人はキッチンへ向かうと、冷蔵庫の扉を開けて中にあるお茶をコップに注ぎながらそう告げた。意識した発言なら若干の照れ隠しが入るが、心の底から思っている歪みない発言の場合、悠人はさも当たり前のようにあっさりと言ってのける。平静を装うわけでもなく、普段通りの様子であることから、今悠人が言ったのは紛れもない本心だ。それが余計に理沙の気持ちを上向きにさせた。

 

「悠人ちゃんのお墨付きを貰ったのはありがたいけど、それならどうして私には彼氏の1人もいないのかしら?」

「それはきっと、りーちゃんが高嶺の花だからだよ。男側が引け目を感じて、おいそれと手が出せないんじゃないかな。……まぁ、もし本当に相手がいないようなら、オレがりーちゃんを貰おうか?」

 

 注いだお茶を飲み干すと、悠人は理沙に歩み寄った。

 真剣な表情とあいまって言葉にリアリティが増すが、無論、彼の本心ではない。一生懸命に平静を装っているが、悠人は普段なら絶対口にしない言葉に顔から火が出そうになるのを堪えていた。そこまでする理由は、いつも理沙にやられている分、1本とってやろうと思っての事だった。

 予想外の発言に理沙の戸惑う姿を予期した悠人だったが、彼女の返しは彼の予想の斜め上をいくものだった。

 

「そうねぇ、それもいいかもね」

「………………え?」

 

 呆気にとられた悠人をよそに、理沙はソファから立ち上がると、悠人の頬に手を添える。瞳を射抜く真っ直ぐな眼差しを受け、悠人は理沙に見入り、吸い込まれていくような感覚を覚えた。

 

「悠人ちゃんにだったら、私…………」

 

 理沙が無言になったことで、場に静寂が訪れた。切られた言葉の先に何が続くのかは本人しか知りえないが、わからないからこそ、悠人の想像は膨らんでいく。

 そこで悠人はとうとう堪えきれなくなり、頬が紅潮して熱を帯び始めた。瞬間湯沸かし器のように急激に顔が熱くなるが、それを見た理沙は軽く噴き出す。

 

「……ぷっ。…………ふふっ……」

 

 それを皮切りにし、いよいよもって我慢出来ないと言わんばかりに彼女は大笑いした。

 

「あはははっ! やっぱり悠人ちゃんは期待通りの反応をしてくれるわね。私から1本取ろうったって、そうはいかないわよ」

「ぐっ…………」

 

 思いもよらぬカウンターを喰らった悠人の表情は非常に悔しそうだが、一方理沙は満面の笑みを浮かべ、同時に彼の頭を優しく撫でる。考えを見透かされた上に子供扱いされた事で悠人は理沙に対して完全敗北を悟り、悔しそうな表情を浮かべてされるがままになっていた。

 

「あぁ、もうほんっとうに悠人ちゃんは可愛いなぁ!」

 

 理沙は頭を撫でていた手を止めると、急に両腕を悠人の背中に回して抱き寄せる。甘い香りが鼻孔をくすぐるだけに留まらず、身体に理沙の豊満な双丘が押し付けられたため、悠人はその柔らかな感触を意識せずにはいられない。

 

「――――ば、ば、ばかっ、くっつくなっ! というか可愛くもなんともないっ!!」

 

 必死に離れようとする悠人だが、理沙の力が思いの外強かったため、彼女の腕の中で悪戦苦闘する羽目となった。

 5分ほど理沙の抱き枕として扱われてようやく解放された時には、悠人が疲労困憊になっていたのに対し、理沙は生気が満ち溢れているかのように嬉々とした表情だった。ゲームの中なら悠人が理沙にエネルギードレインされたのではないかと疑う状況だろう。

 

「…………満足されましたか?」

「してないって言ったら延長してもいいの?」

「ダメです」

 

 ばっさり切り捨てられたのを本気で残念がっている理沙をよそに、悠人はそそくさと手荷物をまとめ始めた。

 

「ありゃ? また何処かに出掛けるの?」

「違うよ、自分の部屋に行くだけ。3時から友達とゲームの約束をしているから、暫くは下りてこないと思う」

 

 ここで「え〜」とか「そんなぁ」といった反応を予想した悠人だが、理沙は意外にも首を縦に振って了承の意を示した。散々イジリ倒して満足したからだろう、と悠人は自分の中で結論付けたので、それ以上は追求せずにリビングをあとにして2階へ向かう。

 悠人が去って静けさを取り戻したリビングに残された理沙は、すぐさま自分の荷物が詰めてあるカバンに駆け寄って中身を漁り出した。

 

(今日中には全部片付くかな……)

 

 カバンの奥底にあった機械を見つけると、理沙は右手でそれを掴む。取り出した機械はナーヴギアの次世代後継機として出されているVRマシン――――アミュスフィアだった。

 

「さて、仕上げといきますか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後3時を迎えて定期メンテナンスを終えると、悠人は自室からALOにログインし、もう1人の自分――――カイトという名のアバターとして、央都アルンの宿屋で目を覚ました。

 宿屋の扉を開けて外に出ると、心躍る軽やかなBGMに混じって賑やかな人の声が聞こえてくる。街を行き交う人々の種族はてんでバラバラで、領地だと中々お目にかかれない光景だ。日頃からお互いに敵対視しているシルフとサラマンダーも、個人で見れば仲の良い者達もいるようで、ベンチで談笑している様子も見受けられた。

 そんな光景も中々珍しいものだが、やはり最も目を引くのはアルン中央に位置する巨木――――世界樹だ。雲を突き抜け、天を穿(うが)たんとする枝葉の先はどれだけ見上げても拝む事は叶わないため、代わりに大樹の(いただき)にいるであろう彼女を想い、静かに瞼を閉じた。

 

 今となっては遠く、しかし昨日の事のように感じられる《はじまりの日》に、ユキは多くのプレイヤーが陥った絶望の淵に立たされたため、アインクラッドの外周から身を投げようとしていた。その寸前でカイトが彼女に声をかけたため、その身を散らすことなく済んだのだが、まさかユキの存在が自分の中でここまで大きくなるとは、当時のカイトは知る由もなかった。

 

(もう少し。…………もう少しだ)

 

 探し求めていた少女は、目と鼻の先にいる。それがわかっているからこそ先走りそうになるが、どうにか抑え込んで瞼を持ち上げると、左手を振ってメニューウィンドウを立ち上げた。

 

(オレが1番乗り、か)

 

 フレンドリストを開くと、アスナを含め、先日新たにフレンド登録したリーファや領主のサクヤ、アリシャ・ルーといった面々のプレイヤーネームはグレーの状態だった。午後3時丁度を狙ってログインしたのは、どうやらカイトだけだったらしい。

 と思いきや、グレーで表示されていたアスナとリーファの名前が色を帯び、ログインした事を知らせる。2人が宿屋の扉を開けたのは、それから1分と経たなかった。

 

「準備万端、って感じだね」

「そっちこそ」

 

 カイトとアスナは顔を見合わせて小さな笑みを零す。たった今カイトが考えていたことを、アスナも考えていたのだろう。求めているものが同じだからこそ、それが手に取るようにわかってしまった。

 アスナの背後にいるリーファにも声をかけようとしたカイトだったが、開きかけた口をすんでのところで止めて声を殺す。若干俯きがちの表情から伺えるのは、何か一大決心をするため、心の準備をしているようにも見てとれたからだ。

 そして俯いていた顔を持ち上げると、リーファは自分に背中を向けているアスナに声を投げた。

 

「アスナさん」

 

 振り返ったアスナとリーファの視線がぶつかる。リアルでは何度か会話を交わしていた筈だが、リーファからアスナに話しかけているのを見るのはカイトにとって初めてだった。

 

「少しだけ、時間をもらえますか?」

 

 彼女の申し出に対しアスナが首を縦に振って了承の意を示すと、今度はリーファとカイトの視線がアスナの肩越しにぶつかる。何も言ってはこないが、彼女が自分に何を求めているのかをカイトは察した。

 

「あー…………オレちょっとアイテムの補充と武器の強化してくるわ。すぐ戻ってくるから」

 

 カイトは咄嗟に浮かんだ口実を理由にしてそそくさと席を外す。気ままな方向に向けて歩き出し、曲がり角を曲がって姿が見えなくなった所で、アスナは笑みを零した。

 

「カイト君は嘘が下手だね。ショップも鍛冶屋も、目の前にあるのに」

 

 アスナの言う通り、目視出来るほど近い距離にはNPCが開いているショップと鍛冶屋があるので、わざわざ2人の前から姿を消す必要はない。カイトが気を利かせて2人の目の前からいなくなったのは、ものの数秒でアスナに看破された。

 

「それで、どうしたの?」

 

 改めてアスナはリーファに向き直ると、どこか不安の影が見え隠れする表情で彼女を見る。まるで、リーファから何を言われるのか恐れているかのようだ。

 

 考えてみると、明日奈はこうして直葉と真正面から向かい合い、長い時間目を逸らさずに話すのは初めてだと思った。話すことはあっても、大抵は直葉から目を逸らしたり、直葉が何かしらの理由をつけてその場を後にするのが主だったからだ。元々彼女の性格が人見知りするタイプなのかもしれないと思いもしたが、他の人と話している所を見るとそういうわけでもないらしく、明日奈は自分に対してだけなのだとすぐに悟った。

 

 そんな彼女が時間を設けてまで自分と話がしたいと言うのだ。アスナは一体何を言われるのかドキドキしていたが――――流石のアスナも突然リーファが頭を下げてくるとは、露ほども予想していなかった。

 

「ごめんなさい!」

 

 突然の謝罪に目を丸くしていたアスナだったが、僅かばかりのタイムラグを経て我に返るとすぐにかぶりを振った。

 

「ちょ、ちょっと待って。リーファちゃんが謝るようなことなんて、何も――――」

 

 リーファは文字通り下げていた頭を持ち上げてアスナと向き合うが、その表情はまだ、若干の固さを含んでいた。

 

「私、その……正直に言うと、アスナさんの存在に戸惑って、どう接すれば良いのかわからずに避けてました。お兄ちゃんにとってアスナさんはかけがえのない人で、そんな関係をお兄ちゃんと築けたアスナさんが羨ましくて……でも、それと同じくらい、私にないものを持ってるアスナさんが妬ましくて」

 

 アスナとリーファは同種の想いをキリトに抱いていたが、その深さは明らかな違いがあり、リーファはすぐにそれを察知した。そしてその想いを決して口に出来ない自分と違い、アスナは恋慕の情を全面に出し、恋人としてキリトを支える立場になれるということが、リーファにとっては喉から手が出るほど羨ましかったのだ。

 さらに、リーファがアスナを避けていたのは、どんな顔をして彼女と接すればいいかわからなかったというのもあるが、実はそれだけではない。最大の理由は病室で眠っているキリトを見る時の、慈愛に満ちたアスナの表情が、彼女の胸を強く締め付けるからだ。

 

「私には戻ってきたお兄ちゃんを支える役目があるって思ってましたけど、お兄ちゃんにはもうアスナさんがいるから、私の居場所はもうないんだって感じました。でも、ある人に言われたんです。大切な人を支える有り様が1つとは限らない、って。私は世界でたった1人しかいない『桐ヶ谷和人の妹』ですから、家族としてお兄ちゃんを助けてあげればいい、って。……そう言われた後、なんだか今まで考えすぎだったのかなって思うのと同時に、少し気持ちが楽になりました」

 

 リーファの口元に仄かな笑みが滲み出る。もし今でも1人で思い悩み、抱え込んでいるようだったら、この場で見ることは決して叶わなかっただろう。

 

「私は今までアスナさんと距離をとっていましたけど、もう逃げずにきちんと向き合おうって決めました。それと、今まで失礼な態度をとっていた私が、こんな都合の良い事を言う資格があるのかわかりませんけど…………お願いします。お兄ちゃんを助けて下さい」

 

 リーファが深々と頭を下げると、頬を優しく撫でる風が吹き、彼女の金色に輝くポニーテールが揺れる。すると、アスナの穏やかな声が、風に乗ってリーファの耳に届いた。

 

「…………うん。勿論だよ。私は……私達は、そのためにこの世界に来たんだから」

 

 頭の後ろで束ねたアスナの長く艶やかな青髪が、陽光を受けてより一層澄んだ色になる。リーファが頭を上げた時に映ったアスナの優しい笑顔と相まって、その姿は女性のリーファから見ても息を呑むほど美しく思えた。

 

 

 

 

 

(向こうは上手くやってるのかねぇ……)

 

 アスナとリーファの2人を残して場を離れたカイトは、特にこれといった行く宛もなく、気ままに街の中を歩いていた。

 アイテムは必要十分な量を所有しているし、武器は先刻倒した《黒の剣士》からドロップした――おそらく古代武器(エンシェント・ウェポン)と思われる――片手用直剣があるからだ。折角ドロップした武器をストレージの奥にしまって埃を被せるわけにもいかないので、《蝶の谷》からアルンに着くまでの間、戦闘で何度か使ってみたが、流石に強敵から落ちた武器だ。その性能は店売りの剣と比較して段違いだった。

 かつてキリトが愛用していたエリュシデータを思わせる、漆黒に輝く滑らかなエッジ。手に吸い付くような重みは磨き抜かれた業物を彷彿とさせ、1撃の威力は片手剣としてみれば相当なものだ。カイトはキリトのように重い剣を好んで使ったことはないが、今ならキリトの趣味嗜好が少しだけわかる気がした。

 

 道の端に設置されているベンチに腰掛け、一息つく。NPCレストランで休もうとも思ったが、所持金のほとんどを世界樹攻略の足しとしてサクヤとアリシャに渡してしまったので、今は最低限のユルドしか持ち合わせていない。NPCだからリアルの店員と違って気を使う必要はないが、例えそうだとしても、カイトにとって何も注文せず店にいるのはどうにも気が引けるようだ。

 

(ちょっとだけ、世界樹がどんな所なのか見にいこうかな)

 

 ぼんやりと単独の偵察を考えていたところ、電話の着信音に似た音が、彼の思考を中断させた。

 

(誰だ……?)

 

 フレンドメッセージが届いたという知らせを受け、カイトは胸の高さ辺りにあるアイコンをタップ。そこには昨日《蝶の谷》でフレンド登録したばかりの、アリシャ・ルーから来たメッセージが表示されていた。

 

『昨日はアリガトネー。早速だけど、君とウンディーネのオネーサンから貰った資金で、シルフとケットシーの装備は整ったヨ。サクヤちゃんと一緒に世界樹へ向かうから、アルンで合流しようネー』

 

 カイトとアスナがSAOから引き継いだ莫大な額のコル、もといユルドを領主2人に譲渡したことで、グランドクエスト攻略の準備が整ったという知らせだった。昨日の今日で準備万端となるには些か早すぎるので、どうやら《蝶の谷》で別れた後、領主2人が先導して超特急で仕上げたらしい。

 

(2人の……いや…………協力してくれる皆のためにも、死ぬ気で挑まないとな)

 

 心強い仲間達に対する感謝の言葉を文面に打ち込むと、彼方からアルンへ移動中のアリシャに向け、カイトはメッセージを飛ばした。

 



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第74話 飛翔する妖精達とグランドクエスト(前編)

 

 ベンチに腰掛けながらアリシャからのメッセージに返信した後、勢いよく立ち上がって大きく伸びをする。伝え聞いた内容だけでなく、実際に自分の目でグランドクエストを確かめたいと思ったカイトは、世界樹に向けて歩き出そうとしていた。

 

 央都アルンは平面構造ではなく、円錐形の積層構造をなしており、カイトが今立っている場所は中心から離れた外環部だが、街並みを1度に視界に収めるのは到底不可能なほどに巨大だ。そんな巨大都市の中心部に視線を向けると、その存在感故に興奮と根源的な恐怖の入り混じった感覚がカイトの背中を駆け巡った。

 根元から伸びた太い幹は、遠くから見てもわかるほど所々が苔やその他の植物に覆われており、金緑色に輝いている。幹は歪むことなく上空へと伸び、高くなればなるほど空と色調が同化してスカイブルーに変貌していた。

 さらに上にいくと、幹を飛行制限エリアを示す真っ白な雲が取り囲んでおり、雲のさらに上で幹から太い枝が放射状に広がっているのが、かろうじて見て取れる。枝先は外環部にまで広がっているので、アルン市街の上空は全て世界樹が覆っていると見て良いだろう。

 

 目的地を一瞥した後に最初の1歩を踏み出したが、そこでふと足を止める。建前ではアイテムの補充と武器のメンテをするためにアスナとリーファから離れただけなので、無断で世界樹に行けば何も知らされていない彼女達が心配する恐れがある。メッセージを送るため『世界樹に行ってグランドクエストの偵察をしてくる』という文面を素早くタイピングしたが、今度は指先がピタリと止まった。

 

(これだと余計に心配させちゃう気が…………)

 

 単独で偵察に行くと知れば、難易度の高さを理解している2人から後で猛烈に叱責されるかもしれない。文面を全て削除すると、しかしだけ考えた末に『先にアルンの中心に向かってる』という新しい文面を打ち込んだ。

 読み返してみるが、一応嘘はついていない。これからカイトがするのは、アルン市街の中心部に向かって歩いた末、『たまたま』世界樹に辿り着き、『ふと』グランドクエストの中身が気になり、『なんとなく』偵察しようと思い付いただけなのだから。

 メッセージをアスナ宛に送信すると、ウィンドウを閉じ、今度こそカイトは目的地目指して歩き出した。

 

 

 

 

 

 大きな石段を登り、アルン中央市街に通ずる門をくぐってからもなお、カイトは歩みを止めずに混成パーティーの間をすり抜けるようにして先へと進む。外環部にいた時に眺めることが出来た世界樹の太い幹も、中央市街に入った今となってはただの巨大な壁と化していた。

 するとようやく、遥か先で幅広の階段があるのを見つけた。階段の周囲に配置されているオブジェクトから受ける印象がこれまでの街並みと違って妙に仰々しいため、世界樹の入り口は階段を登りきった先なのだろうとカイトが思ったその時、彼の耳が鋭い風切り音を捉えた。

 後ろを振り向くと、青髪のプレイヤーが恐るべき速度でアルンの上空を飛行している様子があった。そのプレイヤーはカイトの上空をあっという間に通過すると、空気を叩く強烈な破裂音を轟かせ、ロケットブースターで加速したように垂直|急上昇《ズーム)を開始。その後を金色の髪を揺らすプレイヤーが遅れて追随する。

 

「…………アスナ? それに…………リーファ……?」

 

 一瞬ではあったが、猛スピードで飛行する2人は紛れもなくアスナとリーファで間違いない。2人の様子から只事ならぬ状況を察したカイトは、背中の翅を展開し、自身も2人に負けず劣らずの垂直急上昇(ズーム)を行って地上から飛び立った。

 バンッ!! という破裂音に驚いた周囲のプレイヤーから視線が集まるが、そんな事を気にする暇もなく、カイトは建物のテラス席を超えて空へ。足元の市街を置き去りにし、真っ白な雲の群へ急接近すると、迷うことなく雲海に身を投じる。視界が濃密な白一色に染め上げられたため、1メートル先も見通せないほど視野は悪いが、そんな些細な事情など気にもとめずに空を駆け上っていった。

 すると、雲海を抜けたことでカイトの視界は開け、染みのないコバルトブルーの世界が彼を出迎えた。頭上では枝葉を広げる世界樹の巨体が変わらずあり、それを見上げるような形でアスナとリーファは一定の場所でホバリングしていた。

 

「なに、これ?」

 

 ようやくカイトが彼女達と同高度に到達した時、アスナはポツリと呟いた。

 アスナが何もない空間に手をかざすと、彼女の手は反発する磁石のように弾かれ、かざした空間に虹色の波紋が広がる。彼女達がその場にとどまっていたのは、不可視の障壁に行く手を阻まれていたからだった。

 

「アスナ、急に飛び出して一体どうしたんだ?」

「キリト君が…………キリト君がこの上にいるって、ユイちゃんが……」

「………………っ!!」

 

 カイトは鋭く息を吸い込むと、地上にいた時よりもハッキリと見えるものの、まだまだ距離があるであろう世界樹を見上げた。

 ゲームシステムにアクセスする事は出来ないが、今でもユイはプレイヤーIDの判別や座標の特定は可能だ。そんな彼女がキリトの存在と居場所はこの上にいるのだと告げたなら、それは紛れもない事実だろう。アスナの突発的行動の意味はこれで判明した。

 そしてゲームクリア後も囚われているキリトがいるのであれば、そこにはもう1つの可能性が生まれてくる。カイトが探し求めている彼女もまた、この上にいるのだ、と。

 そうとわかれば、カイトもアスナと同様に世界樹を駆け上りたいという衝動に駆られるが、そう思うだけで行動には移さなかった。

 

「……ダメだ。ここから先へは行けそうもない」

 

 カイトも同じように手をかざすが、当然の如く彼の手も障壁に阻まれた。システムは彼らがこれ以上進行するのを許してくれないらしい。

 ここで、アスナの肩にいたユイも障壁に挑むために飛び出した。プレイヤーとは異なりシステム属性を持つナビゲーション・ピクシーなら障壁を通過出来るかもしれないという淡い期待を抱いたが、小さな妖精も例外ではなく、ゲームシステムは彼女でさえも押し戻す。

 しかし、それでも彼女は諦めなかった。

 

「少し待ってて下さい。警告モード音声でパパに呼び掛けてみます」

 

 

 

 

 

 ふと、何処からともなく声が聞こえた気がしたキリトは、テーブルに伏せていた顔を持ち上げた。

 彼が普段耳にするのは、風や木の葉が揺れる音、鳥の(さえず)り、傲慢な妖精王の話し声くらいのものだ。久しぶりにそれ以外の音を聞いたと思い耳を澄ましてみるが、鳥籠の中はいつものように静寂に包まれている。

 

(気のせいか…………)

 

 空耳でも聞いたのだろうと結論付け、キリトは再びテーブルに顔を伏せた――――その時。

 

『…………パパ……!!』

 

 キリトは伏せた顔を再度持ち上げ、今度は椅子から立ち上がって鳥籠の中心に立つ。確かに今、幼い少女のような声――――というより、アインクラッドで何度も耳にして聞き慣れている声が、紛れもなく彼を呼んでいた。キリトをパパと呼ぶのは、世界中何処を探しても1人しかいない。

 

「……ユイ…………」

 

 愛娘の呼び声に導かれて格子に駆け寄り、両手で強く握る。

 

『パパ……ここだよ…………ここにいるよ……!!』

 

 声は頭に直接流れ込んでくるので、何処から聞こえてくるのか咄嗟には判断出来なかったが、キリトは自分よりも下――世界樹を包む雲海――を見た。愛娘の姿はどれだけ目を凝らしてもわからないが、遥か下方で自分を呼んでいるのだとキリトは確信した。

 

「オレは…………オレはここだ…………!!」

 

 声が届かないと分かっていながらも、キリトは叫ばずにはいられなかった。

 そしてユイがこの世界にいるという事は、1人だけの可能性は薄い。おそらく、彼女もまた、ユイと同じ場所に――。

 

「アスナっ!!」

 

 声が届いていないのなら、別の手段で自分の存在を知らせるしかない。だが、キリトがいる鳥籠内のオブジェクトは全て位置情報をロックされており、外に放り投げるといった行為は意味がない。キリト自ら既に実証済みだ。

 何か他の手立ては――――と、頭を働かせていると、つい数時間前に聞いたばかりの言葉が脳内で再生された。

 

『鍵は鍵穴があれば意味を成し、キリト君以外の人間が持っていれば意味のある物になる。その辺をよく考えなさい』

 

 ユキが《妖精さん》と呼ぶ、正体不明の女性アバターがそう言った直前、彼女はとある物をキリトに投げ渡したのだ。鳥籠の外側から格子の間を抜けて渡されたのだから、当然その逆も可能の筈。

 すぐにキリトはベッドに駆け寄り、妖精さんから渡された物――――システムコンソールのカードキー――を枕元から取り出した。再び格子に近寄ると、金属の棒と棒の間からカードキーを投げ捨てる。キリトの考えた通り、カードキーは何の抵抗もなく鳥籠の外へ出ると、陽光を反射してキラキラと輝きながら雲海の下目指して落下していった。

 

(まさかあいつは……アスナが来ることを見越してアレを渡したっていうのか…………?)

 

 ふっと湧いた疑問が籠の中に残ると同時に、キリトはまるで自分が妖精さんの掌の上で踊らされているような感覚に陥った。

 

 

 

 

 

 握った拳を何度も障壁に叩きつけるが、水面に小石を投じたような波紋と虹色の光が周囲に広がるだけで、それ以上の変化は一切見受けられない。犬歯を剥き出しにしているカイトの胸の内を、歯痒い思いが貫いた。

 これまで歩んできた道のりに比べれば、ずっとずっと近い所に探し求めている人物がいる。にも関わらず、この世界の創造主達が定めたルールにより、カイト達はここから先に進むことが出来ない。そんなもどかしい気持ちを、カイトとアスナは身に染みるほど感じていた。

 

「……あれは?」

 

 そんな時、アスナの両眼が小さな光を瞬かせながら落下する物体を捉えた。

 アスナは落下物の真下に行き、ゆっくり落ちてくる物体を両手で優しく受け止める。手の中に収まった物から仄かな暖かさを肌で感じつつ、胸の前で手を開く。カイトは右から、リーファは左から、ユイはアスナの肩の上でそれを覗き込んだ。

 そこにあったのは、銀色のカード型オブジェクトだった。落下中にキラキラと輝いていたのはオブジェクト自体が発光していたのではなく、陽光を反射して輝いていたからだった。長方形のカードは複雑な装飾や文字列が刻印されているわけでもなく、表裏共にのっぺりとしていて非常にシンプルなデザインだ。それ以外に挙げるものがないほど、これといって特徴がないのが特徴である。

 

「なんだろう、これ?」

「リーファ、何かわかる?」

「うーん、こんなアイテムに見覚えはないですけど…………アスナさん、ちょっとカードに触れてみて下さい」

 

 言われるがままにアスナはカードの表面に触れるが、反応はない。通常のアイテムであれば触れた瞬間にポップアップ・ウィンドウが表示され、そのアイテムの詳細な情報が閲覧できる筈なのだが、そんなものは表示されなかった。

 

「となると、アイテムじゃない……? ユイちゃんなら何か分かる?」

「ちょっと待ってて下さい」

 

 ユイがアスナの肩から身を乗り出すと、アスナの掌に収まっているカードの縁にそっと触れる。一瞬だけ瞼を閉じたユイは、正体不明のアイテムが何なのかを告げた。

 

「これは、管理者用のシステム・アクセスコードです!」

「管理者用の……? ……って事は、これを使えばGMの権限が行使できるって事に――」

「いえ、これ単体では使えません。対応するコンソールがなければ、ゲーム内からシステムにアクセスすることは出来ないようです」

「そうか……。でも、こんな物がいきなり空から降ってくるわけもないし…………となると……」

「はい、カイトさんが考えているように、パパが私たちに気が付いて落とした証拠です」

 

 やはり、キリトは世界樹の上にいて、何らかの理由で行動を制限されているのだろう。そうでなければ、彼の性格を考えればカードを落として存在を知らせるといったまどろっこしいやり方ではなく、真っ先に自ら飛んでくるからだ。

 カードが落ちてくるのがもう少し遅れていれば、カイトは破壊衝動に駆られて障壁に剣を叩きつけていたかもしれない。しかし、今は小さな希望が見えてきたお陰で冷静さを取り戻していた。

 冷えた頭で逡巡(しゅんじゅん)し、出した結論は1つ。裏道が使えないなら、正規の道で行くしかない。

 

「アス――」

 

 傍らにいる相棒に呼び掛けようとしたが、最後までその名を呼ぶ事は叶わなかった。

 アスナはユイを肩に乗せてカイト達から距離をとると、カードキーを握り締め、翅を畳んで落下し始めた。落下速度に翅から得られる推進力を加えると、カイト達を置き去りにしてあっという間に彼女は小さな点と化す。

 

「お、おいっ、アスナっ!!!!」

 

 数秒遅れてカイトも急降下し、その後ろをリーファが追随する。世界樹の根元を目指して真下への急降下を数十秒くらい続けると、アルンの街並みがその姿を現した。着地体制に入るため減速しつつ、先に地上に降り立ったアスナの姿を探す。

 

「……いたっ! あそこですっ!!」

 

 リーファの声に反応したカイトは一瞬だけ後方を振り返り、彼女が指差した方向を確認。すぐに前を向いて確かめると、アスナは世界樹の根元で巨大な石像が2体立ち並ぶ開けた場所にいた。石像の間には華麗な装飾が施されている大扉が鎮座しており、彼女はその大扉に向かって歩を進めている。

 

(あいつ……まさか…………)

 

 カイトの脳裏をとある考えがよぎり、間違いなくアスナはそれを実行に移そうとしていた。

 地面が近づいてきたため、カイトは両足を突き出して着地の瞬間に思いっきり制動をかけるが、スマートにはいかなかったため、着地した際に衝撃音と突風を周囲に撒き散らした。アスナの元にも音と風は届いているはすだが、彼女はそんな事など気にせずに歩み続ける。

 

「アスナ! おいっ、アスナっ!!」

 

 アスナの名を呼んで立ちどまらせようとしたが、彼女は止まる気配を微塵も見せない。見かねたカイトは彼女の元まで駆け寄り、右手首を掴んだ。

 

「待てよ、アスナ!」

「カイト君、離して!」

「離すわけないだろう。1人でグランドクエストに挑戦しようとしている奴を、黙って見送るつもりはないからな」

 

 サービス開始から1年が経過しているが、未だに誰もクリアした者がいないという最難関クエスト。多くのプレイヤーが果敢に挑みながらもその身を散らし、いつしか『突破不可能』という印象が大多数のプレイヤーの意識に植え付けられているのだろう。その証拠に、カイト達が立っているグランドクエスト開始地点の広間には、彼ら以外に足を踏み入れている者がいない。

 

「…………さっきアリシャから連絡がきた。世界樹攻略の準備が整ったから、シルフとケットシーの集団が今こっちに向かってるらしい。だから、もう少しだけ待ってくれ」

「そんなの待てないよ……。キリト君はこの世界から出ようと一生懸命戦ってるの。なら、私も彼を迎えに行かなくちゃ…………戦わなきゃいけないじゃない。こんな所でじっとしている暇なんてない!」

 

 キリトが存在を示すために落としたカードキーは、熱くなりかけたカイトに平静さを取り戻させたが、アスナには更に熱を帯びさせ、愛する人の元へ駆けつけたいという衝動を助長させてしまったようだ。ボス攻略時には的確な指揮をとるアスナだが、今や見る影も失せ、酷く取り乱している。

 そしてそんな彼女を責める事が、カイトには出来なかった。もしもカードキーを落としたのがユキだと知れば、迷わず彼もアスナと同じ行動を取るからだ。声なきSOSを受け取ったのに、何もせず待つのは苦痛でしかない。

 

「…………カイト君はどうなの? ……何も、感じないの?」

 

 アスナは後ろを振り返らないため、今の彼女がどんな表情をしているのかをカイトはわからない。しかし、懸命に絞り出したか細い声は今にも消えそうで、悲痛に満ちているのが容易に想像できる。

 

(……オレだって――――)

 

 アスナの問いかけに対する答えなど、考えるまでもない。彼だって何も感じていないわけがないのだ。一見して冷静に見えるのは、溢れ出しそうな感情の波を無理矢理押さえつけているだけで、ぎりぎりの所で均衡を保っているに過ぎない。

 裏を返せば、強靭な精神力で蓋をしている今の状態は危うく、ほんの少し刺激を加えれば簡単に決壊する。アスナの問いは彼の精神を刺激しかねないものだったが、あと1歩の所でカイトは踏み止まった。

 

(――ダメだ。オレまで冷静じゃなくなったら、いざという時にアスナを止める奴がいなくなる…………)

 

 アスナの手首を掴んでいた手を緩めると、カイトは何も言わずにそのまま離す。解放されたアスナが大扉に向かおうとした時、今度はカイトから彼女に問い掛けた。

 

「どうしても行くのか?」

「…………うん」

 

 分かりきっていた事だが、改めてアスナの意思を確認したカイトは大きく溜め息をついた。それは彼女を止める事に対する諦めが半分、テコでも動かないであろう彼女の頑固さに対する呆れが半分含まれていた。

 

「……わかったよ。それなら、オレも行く」

 

 ここでアスナがようやく振り返り、カイトの顔をまじまじと見る。一緒に行くなどと言われるとは思ってもいなかったのだろう。

 

「オレだって、何も感じていないわけないからな。……そういうわけだから、リーファ」

 

 カイトは右隣に立つリーファを見ると、優しく微笑みながら感謝の意を示した。

 

「アスナを放っておくと、危なっかしくて心配だからさ。オレもあいつについていくよ」

「そんな、でも……む、無理ですよ! たった2人でグランドクエストに挑もうなんて……。サクヤ達を待ったほうが……」

「本当はそうしたいんだけど……ごめん。アリシャ達が来たら、待ちきれなくて先に入って行ったって伝えてくれ」

 

 それだけ言い残すと、カイトはリーファが何かを言う前に歩き出し、アスナと共に大門の奥へと消えていった。

 




グランドクエストは前・中・後編と3分割して進めます。


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第75話 飛翔する妖精達とグランドクエスト(中編)

 

 グランドクエスト。

 それは、多くのプレイヤーが『攻略不可』と(ささや)いている一方、一部のハイランカーが運営側の『攻略可能』という言葉を信じ、懸命に人員の確保と装備の充実、そして戦略を練って挑み続けている――――にも関わらず、ALOのサービス開始から1年が経った今でもクリアされていない最難関クエスト。『攻略可能』と『攻略不可』という正反対の意味を含んだそれは、矛盾した存在(アノマリー)であると言わざるを得ない。

 そんなグランドクエストを最難関たらしめている理由は、内容がゲームバランスの埒外と言っていい規模だからだ。

 世界樹の内部に形成されている、円形のドーム状空間。この空間の頂点には精緻な装飾が施された扉があるのだが、プレイヤーはそこを目指して飛行し、扉を開ければ樹上への道が開けるのだ。

 しかし、そこへ辿り着くまでに白銀の鎧を纏った守護騎士モンスターの妨害があり、これが非常に厄介極まりない。単体で見ると危険視するような戦闘力を持ち合わせていないが、このモンスターはドームの壁面から無限に湧き続ける上に、湧出スピードが尋常ではないのだ。倒しても倒してもキリがない、天蓋に進もうとすればするほど扉から遠ざかっている、と思ってしまうほどに。

 そんな高い難易度を誇るグランドクエストだが、必要なのは『挑戦する意思』だけあれば良い。世界樹の根元で2体の巨大な石像に守護されながら鎮座する大門をくぐれば、誰しもが受諾出来るのだが、全種族中最強と称されるサラマンダー部隊が撃沈して以降、この大門は固く閉ざされたままだった。更なる装備と人員の充実を図り、プレイヤーが再び世界樹に挑むのはまだまだ先だろうと、運営側はそう思っていただろう。

 だが、そんな予想を大きく裏切り、グランドクエストに挑もうとしている2人のプレイヤーの手によって、大門の重い扉が数ヶ月ぶりに開かれることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石で出来た守護像の最終確認を終え、カイトとアスナとユイは世界樹の内部へと繋がる大門の扉を開いた。目を凝らして中を確認するものの、完全な暗闇に包まれているため、構造がどうなっているのか全体像を把握することは叶わない。

 しかし、カイトが中に1歩足を踏み入れた時、頭上から眩い光が降り注いだため、思わず3人は目を細めた。

 内部は途轍もなく広い円形のドーム状空間だった。アインクラッド第75層のボス部屋も広いと感じたが、部屋の直径と高さはその比ではない。周囲に目をはしらせれば、床は(つた)のようなものが密に絡み合って出来ており、それは外周部で垂直に伸びて壁を形成しながらなだらかに天蓋部分へと続いていた。

 そして伸び上がった蔦の行く先にある天蓋部分を見ると、床よりも(まば)らではあるが蔦が絡み、ステンドグラス状の紋様を描いている。そしてこの紋様から白い光が放たれているため、カイト達と樹の内部を照らした光源はおそらくこれだろう。

 そして、天蓋の頂点――――ここに精緻な装飾が施されたリング型のゲートがあり、遥か高みからカイト達を見下ろしていた。

 

「あそこか……」

 

 目指すべき樹上への道――――そこへ辿り着くための扉を確認すると、カイトは隣のアスナを見やった。

 アスナも彼と同じように天蓋の頂点にあるゲートを見ているが、その瞳からは一刻も早く飛び立ち、樹上で囚われているキリトの元へ行きたいという衝動が漏れていた。長い長い旅路の終着点が目と鼻の先にあるのだから、無理もない。

 そんな彼女の肩にちょこんと座っているユイが、心配そうな顔でアスナを見た。

 

「ママ、大丈夫ですか? これまで得たあらゆる情報から類推すると、ここを突破するのはかなりの困難を伴うと予測出来ます。いくらママとカイトさんのステータスが高いとはいえ、たった2人では……」

「ありがとう、ユイちゃん」

 

 アスナは身を案じてくれている愛娘の頬を指先で撫でると、穏やかな微笑みを浮かべた。

 

「大変なのはわかってるつもりだよ。……でもね、頭で理解していても、心は違う。もう少しでキリト君に会えると思うと、居ても立っても居られないの」

「ママ……」

 

 天蓋の頂点まで続く道のりは、目で見える以上に遠く困難であることを、アスナは充分理解している。それでも、アスナにとってはこの高く長い1本道を昇ることだけが、キリトに会う唯一の手段なのだ。この先にどんな困難が待ち受けていようとも、それらを全てはね退けて突き進むだけの覚悟を、彼女はとっくに胸の内で決めていた。

 アスナは指先でユイの頭を撫でた後、今度はカイトに顔を向けた。

 

「ごめんね、カイト君。私の我が儘に付き合うような形になっちゃって」

「今更だぞ、アスナ。…………まぁ、オレもアスナと同じで居ても立っても居られなかったからな。落ちてきたカードキーの件がなかったら、真っ先に飛び出してたのはオレかもしれなかったし。オレ達は同じ目的でここまで来た運命共同体なんだから、最後までとことん付き合うさ」

 

 そして覚悟を決めていたのは、カイトにも言えた事。キリトと同様に囚われているであろうユキの元へ駆けつけ、もう一度あの屈託のない笑顔を見るまでは立ち止まらないと決めてここに来たのだ。

 援軍が来るとわかっている今の状況なら、間違いなくそれを待ってから突入するのが利口だろう。しかし、そんな理屈などお構いなしに感情が先行する、というのは時としてあることだ。

 理性で感情の波を押さえつけ、堅実に動こうとしたカイト。

 衝動に駆られて一目散に飛び出したアスナ。

 双方が出した解答は等しく正解だが、どちらが最適解なのかは事が終わってからでないとわからない。『正しい』を『正しかった』に変えるため、彼らは動き出そうとしていた。

 

「それじゃあ、あいつらを迎えに行くとするか」

「…………うん。ユイちゃん、しっかり掴まっててね」

「はい。…………ママ、カイトさん、気を付けて下さい」

 

 そう言ってユイはアスナの肩から飛び立つと、素早くアスナの服のポケットに身を隠した。

 カイトは背中の片手剣を、アスナは腰のレイピアを抜剣し、目指すべき天蓋の頂点を見定めて背中の翅を広げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2人が大門をくぐって世界樹の内部に足を踏み入れる時、リーファは黙って彼らの背中を見送ることしか出来なかった。

 昨日《蝶の谷》で行われた領主会談においてサラマンダーからの強襲を受けた際、30秒足らずでその実力を示したカイト達の助力により撃退に成功したが、その見返りは『世界樹攻略に協力すること』だ。サクヤ率いるシルフ族と、アリシャ率いるケットシー族はその約束を履行するため、現在も全速力でアルンに向かってきているだろう。

 そして本来ならば、カイトとアスナがグランドクエストに挑戦しに行く時、その約束を願い出たリーファも彼らについて行って共に戦うべきなのだ。

 しかし、いざ世界樹を前にした時、彼女は足が竦み、多くのプレイヤーに刷り込まれている『攻略不可能』という言葉が脳裏を掠めた。サラマンダーの精鋭達が挑んで失敗したクエストを、1パーティーにも満たない人数で挑戦しようというのが、既に無謀この上ないのだ。

 せめてサクヤ達が来るまで、とリーファは考えたが、アスナにはいつ来るかわからない援軍を待つ心の余裕などなく、その上そんな彼女を放っておけないカイトまでもが世界樹の奥へと進んでしまった。2人を止めることが出来るのはこの場で自分しかいないとわかっていたが、カイト達の固い覚悟を崩すには役者不足だとリーファは悟った。

 

(私は、2人みたいに強くないよ……)

 

 今も大門は開け放たれており、新たな挑戦者――目の前にいるリーファ――が入門するのを待ち構えているが、彼女が動き出す気配はない。今頃世界樹の内部ではカイトとアスナが鬼神の如く剣を振るい、天蓋の頂に向かって飛翔しているだろう。

 何もしていない自分に対して歯痒い思いを抱き、唇を固く結んだ――――その時だった。

 

「リーファちゃ〜〜〜〜ん!!」

 

 背後から名を呼ばれてリーファは振り返るが、彼女の事を『ちゃん』付けで呼ぶのは1人しかいない。リーファを妖精の世界に誘った張本人であり、彼女のフレンドリストに唯一登録されているレコンだ。わざわざ振り返って姿を確認するまでもなく、リーファは呼び方と声で充分相手を特定出来ていたが、問題は『何故彼がアルンにいるか』という事だ。

 

「……れ、レコン!? な、なんであんたがここにいるのよ!」

「いや〜、リーファちゃんがアルンに行くって言った後で僕もついて行こうと思ったんだけど、サクヤさん達と一緒にスイルベーンを出たって聞いてさ。すぐに領地を出て道中出くわしたモンスターは全部他のプレイヤーになすりつけながらここまで来たんだよ」

「……それってMPKじゃん…………」

「この際細かい事は良いじゃん! ところで……」

 

 レコンは立ち位置を少しだけ左にズラすと、リーファの背後にあるグランドクエストの大門を見た。

 

「大門が開いてる…………ま、まさか、またサラマンダーがグランドクエストに挑戦し ているとか……」

「ううん、違うわ。今あの奥で戦っているのは、ウンディーネよ。しかも、たった2人で」

 

 リーファは振り返り、2枚扉の奥に見える世界樹の内部を覗いた。彼女の位置から視認するのは叶わないが、今頃カイト達は世界樹内部を飛び、天蓋の頂点に向かって必死に戦っているのだろう。

 

「私ね、中で戦っている2人に助けてもらう代わりに、グランドクエストの攻略に協力する約束をしたの。……でも、いざ目の前にすると足が竦んじゃって、中に入らないでこの場所にいるんだ。自分が苦しい時は助けてもらって、相手が苦しい時には何もしないなんて、私、最低だよね」

 

 カイト達が飛び出した時、自分も一緒に行けば今味わっている罪悪感を感じずに済んだのに、という後悔の念が込み上げてくる。しかもその思いは、時間の経過に比例して増大していった。

 そんな自責の念に囚われているリーファを見たレコンは、何かを決心したかのように表情を硬くし、不意に彼女の手をとった。よそ見をしていたリーファは急に手をとられたため、驚いた様子でレコンを見る。

 

「だ、ダメだよ、リーファちゃん。そんな暗い顔してるなんて、リーファちゃんらしくないよ!」

「……れ、レコン…………?」

「リーファちゃんは笑っている時が……笑顔の時が1番輝いているんだ。僕はそんな悲しそうなリーファちゃん、見たくないよ。リーファちゃんが元気になってくれるなら、僕、何だってするよ。だ、だから…………」

 

 ここでレコンの顔が紅潮し、眼を見開いたかと思えば、急に表情が硬くなり出した。

 

「リーファちゃんが寂しい時は、僕が傍にいるから…………絶対、絶対独りにしないから! …………だって、僕……僕は…………」

 

 レコンの様子がいつもと違う事に気が付いたリーファは、ふと嫌な予感に襲われた。彼女の直感がこれ以上レコンに喋らせてはいけないという警告信号を発し、次いでこの状況を切り抜ける打開策を捻り出すため、頭をフルに働かせ始める。

 

「僕は……リーファちゃんが…………直葉ちゃんの事が…………」

 

 しかし、予想外かつこれまで陥ったことのない展開の対処法を持ち合わせていない彼女には、何をどうすべきなのかが全く閃かない。言葉で彼を制するにしても、適切な文言が浮かばないのだ。

 

「ちょ、ちょっと…………」

 

 よって彼女の脳が下した最終判断は――――。

 

「ちょっと…………ストーーーーーーーーップ!!!!」

 

 このイベントを強制的に終了させる、力の行使。

 簡潔に表せば『殴って黙らせる』だった。

 

「ぐほぉ!!」

 

 リーファの繰り出したボディーブローがものの見事にレコンの鳩尾(みぞおち)を直撃したため、彼はそれ以上言葉を紡ぐことが出来なかった。街中であるが故に数値的ダメージはないものの、レコンはノックバックの発生によって足が地面から離れた後、1メートル程度浮いてどさりと落下した。両手で腹部を押さえ、苦悶の表情を露わにする。

 

「うぐぐぐぐ…………まだ言い終わってないのに……」

「う、うう五月蝿い! どうせ変な事言うつもりだったんでしょ。言わせないわよ!」

「べ、別に変な事じゃないのに……」

 

 レコンはその場で胡座をかいてガックリと項垂れた。

 一方、動揺から立ち直り始めたリーファは、少しだけレコンを羨ましく感じた。理屈云々は考えず、ただ自分の心と正直に向き合って行動できる、その素直なところが。

 出来る出来ないは考えず、今自分が何をしたいのか考えた時、リーファの心にはすぐに閃くものがあった。

 彼女は未だ項垂れ続けているレコンを見て、ポツリと呟く。

 

「でも、あんたのそういう所、あたしは嫌いじゃないよ」

「へ?」

「……ううん、何でもない。たまにはあたしも、あんたを見習ってみようかなって話」

 

 不思議そうな顔で見るレコンをよそに、リーファは世界樹を見上げるが、その瞳の奥では断固たる意志の炎が灯り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長大な剣を携えて向かってきた守護騎士の腹部をカウンター気味で一刀両断すると、敵は即座に純白のエンドフレイムに包まれて四散する。

 その消滅を最後まで見届けず、すぐに接近してきた別の個体へ視線を向けると、彼は休むことなく剣を振るった。

 

(――くっそ! 次から次へと…………)

 

 グランドクエストはまだ始まったばかり――――にも関わらず、カイトは既に追い込まれ、切羽詰まった状況に陥っていた。

 

 開始直後に出現した守護騎士を瞬殺したことで快調なスタートを切ったかに思えたが、その数秒後にはおびただしい数の守護騎士がカイトとアスナを出迎えたため、『クリア出来るかもしれない』という期待は早々に泡となって弾けてしまっていた。

 敵が壁から湧出するスピードは衰えることを知らず、1体葬る間にまた新たな守護騎士が現れる。敵のステータスがさほど高くないため見落としがちだが、総体的に見ればHP無限の巨大ボスと大差ない。ユーザーの挑戦心を煽り、可能な限り引っ張るつもりなのだろう。

 

「……らあっ!!」

 

 肉薄する敵の長大な剣をパリイすると、カイトはその場で身体を独楽(こま)のように回転させ、勢いを乗せた剣で守護騎士を斬る。右手に確かな手応えを感じとるとすぐに振り返り、背後から接近していた敵の剣を受け止めた。回転した際に視界の端で一瞬だけ敵の影が入り込んだのを、彼は見逃していなかった。

 攻撃を受け止めた際の膠着状態はカイトが競り勝ったことで破られると、すかさず大上段からの垂直斬りで敵を真っ二つにする。身体に纏わりつく純白のエンドフレイムを振り払うと、天蓋に向かって再び飛行しようとしたが、見上げた先に広がる光景を見た途端、カイトの顔が強張った。

 最初は視認できた天蓋の頂点にあるゲートが、今や100を優に超えるであろう守護騎士の影によって覆い隠されていた。その光景があまりにも衝撃的であったが故に、カイトの中にある闘争心が帯びていた熱は、急激に失われていく。

 

(……無茶苦茶だ…………)

 

 カイトは、自分の見通しの甘さを嘆いた。たった2人で挑むこと自体が間違っていたのだ、と。

 異常なスキル熟練度の高さ故に突破力はあるかもしれないが、数の暴力によってそれは問答無用でねじ伏せられ、最早意味をなしていない。カイトの脳裏で『諦める』という言葉が浮かびかけた。

 

「やあっ!!」

 

 しかし、未だ困難な状況に抗い、戦場で凛とした声を発しながら剣を振るう戦乙女(ワルキューレ)がいた。次々と襲いかかる猛襲をなんとか退けているが、それでも少しずつ追い詰められているため、HPバーの減少は着実に進行している――――にも関わらず、アスナは戦うことを止めない。

 そして、カイトの心に再び火を灯すのは、その姿を見るだけで充分だった。

 自分が、アスナが、必死になって戦う理由。もっと言えば、この世界にダイブした理由を考えた時、『諦める』という言葉は瞬時に消え去り、狭まっていた視野のせいで見失った本来の目的を、カイトは取り戻した。

 

(そうだ……グランドクエストの攻略は、ただの手段でしかない。目指すべきゴールは、こんな所じゃないんだ)

 

 ベッドの上で寝たきりの少女に対して一方通行に話すのではなく、向かい合って会話をし、時々笑い合うような明るい未来を欲しているからこそ、カイトは戦っているのだ。そう考えると、大切な人と本当の意味での再会を果たしていないことに比べれば、今の状況は苦しくもなんともない。

 

「――おおぉっ!!」

 

 固まった身体に鞭打つかのように叫び、カイトは背中の翅を震わせた。行き先は天蓋ではなく、窮地に陥っているアスナの元。

 そんな彼の進む道を、1体の守護騎士が阻もうと立ち塞がる。袈裟掛けに振るわれた長剣を寸での所でカイトは躱し、剣先を敵の鏡面マスクに照準して一気に貫いた。神々しい見た目からは想像できない奇声を上げて消滅したが、その様子に構うことなく、背中の翅で空気を叩く。

 しかし、加速しかけた身体を光の矢が貫いたため、カイトはその場に留まることを余儀なくされた。

 

「ぐっ……」

 

 苦悶の表情を浮かべながら上空を仰ぎ見ると、彼方でスペルを詠唱し、光の矢でカイトを射抜かんとする多くの守護騎士たちの姿があった。1本あたりのダメージ量はさほど問題ないが、もしも矢が一斉に放たれれば、カイトだけでなく、アスナも光の雨に穿たれるだろう。

 

「アス――」

 

 アスナに注意喚起するためカイトは叫ぼうとしたが、その前に矢が放たれ、予感していた光の雨が世界樹の内部に降り注いだ。そこでようやくアスナも異変に気が付いたが、時既に遅く、2人は身体の各所に痛々しいまでのダメージ痕を刻み付けられる。

 カイトとアスナのHPバーが急激に減少し、イエローゾーンに突入した。回避又は剣で防御しようにも数が多すぎるため、とてもじゃないがHPバーの減少は止めることが出来ない。

 

(こんな、所で……)

 

 終わるのか、と考えたその時、永遠に降り続けると思われた光の雨が止んだ。HPはレッドゾーンに突入し、すぐにでも回復する必要があると判断したカイトは、回復スペルの詠唱を始めようと息を吸い込んだ。

 しかし、背後から気配を感じたカイトが振り返ると、いつの間にか肉薄していた守護騎士が剣を振りかぶった状態で立っていた。

 

「しまっ――」

 

 虚を突かれたカイトが立ち直るのを待つわけもなく、守護騎士は容赦なく剣を振り下ろした。

 




次回は後編。以下執筆中です。


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第76話 飛翔する妖精達とグランドクエスト(後編)

 

(ここまでか…………っ!)

 

 今まさに守護騎士による背後からの強襲を受けようとしているカイトは、この世界に来て初めての『死』を予感した。不意を突かれたせいでアバターの動きは止まり、回避も防御も、とてもじゃないが間に合いそうにないタイミングだった。

 しかし、振り下ろされた長剣が自身の身体に喰い込む直前、暖かな光の粒子がカイトを包み込み、真っ赤に染まっていたHPバーが瞬く間に全快した。次いで全快になったばかりのHPが守護騎士の剣によって2割ほど減少したが、レッドゾーンに突入していた数秒前とは違い、鮮やかな青いエンドフレイムと成り果てる心配はもうない。

 

「おおぉぉっ!!」

 

 真紅のダメージ痕を刻み付けられたカイトは、裂帛の気合いと共に剣を下から上へと跳ね上げ、守護騎士を垂直方向に斬りつける。反撃の剣は、敵のHPを余すことなく奪い取った。

 彼の窮地を救った現象は、間違いなく回復魔法によるものだ。アスナがとっさに機転を利かせて使用したのだとカイトは一瞬思ったが、離れた場所で新たな敵と斬り結んでいる彼女に、そんな余裕はありそうにない。

 そうなると、別の第三者の介入という答えに行き着く。何気なくカイトが眼下を見下ろすと、開いたままの入り口付近で、2つの影が両手をかざした状態で立っているのを彼は見つけた。

 シルフ族のイメージカラーである緑色の装備に身を包み、後ろで束ねた黄金色に輝く髪が静かに揺れる。共に大樹の頂へと昇りつめる決意を固めたリーファが、カイトとアスナを助けに来たのだ。リーファとは別でもう1人いるおかっぱ頭の少年に見覚えはないが、おそらくはリーファの友人だろう。

 

(……ありがとう)

 

 心の内で礼を言うと、聞こえている筈はないが、リーファが仄かに微笑したように見えた。

 気を引き締め直したカイトは、一目散にアスナの元へ駆け寄り、彼女と相対している守護騎士を背後から一閃。視線を一瞬だけアスナと交錯させた後、2人は背中合わせの状態になり、剣を構えた。

 

「大丈夫か?」

「……うん、心配しないで。こんな所で止まってられないもの」

 

 アスナが肩で息をしているのが、背中越しに伝わってくる。幾ら肉体的疲労がないとはいえ、精神的に追い詰められるのは、カイトだけに限った話ではない。進めば進むほどゴールから遠ざかっていくような感覚は、当初抱いていた挑戦心をガリガリと削っていく。

 しかし、アスナに関して言えば、それは当てはまらないようだ。

 挑む気持ちを失わせるどころか、寧ろ真逆の効果を生み出しているようで、声色から伺える力強さは一向に衰えていない。気持ちの高ぶりは止まらず、上へ飛翔し続ける事しか頭にない彼女にとって、『後退する』という選択肢はないのだろう。

 

「負けてられないな……」

 

 そんな様子の彼女を見て、カイトは思わず言葉を漏らした。剣を握る右手の力が、無意識に強くなる。

 そんな中、最も近くにいた敵の陣営が剣を突き立て、カイトとアスナに攻め立ててきた。向かってきた守護騎士と斬り結ぶが、数体の群が2人を素通りし、さらに高度を下げて下へ下へと飛んでいく。訝しんだカイトが通り過ぎた敵の跡を目で追うと、どいやら反応圏外にいるはずのリーファ達にタゲがいっているようで、獲物に飢えた剣をギラつかせながら急降下していた。

 

(ヒールを唱えたプレイヤーにも反応するのかっ……!?)

 

 モンスターがプレイヤーにタゲを移すのは、モンスターの反応圏内に侵入するか、武器や魔法で攻撃された場合だ。つまり、逆説的に考えれば、モンスターの反応圏外にいるか、攻撃しない若しくはダメージを与えない補助スペルを使用することで直接戦闘に参加しないなら、敵に襲われる心配はない…………筈だった。

 だが、守護騎士にはその常識が通用しないらしく、味方を回復する魔法――もしかすると支援魔法(バフ)に属するものも――を使用すると、殲滅対象とみなして攻撃するようアルゴリズムが組まれているようだ。

 

「リーファっ!!」

「大丈夫ですっ!!」

 

 打てば響くような声で応答すると、リーファは敵影を迎え撃つために抜剣する。おかっぱ頭の少年も彼女と同様、己の武器である腰の短剣を抜き取った。

 

 気持ちとしてはリーファ達の助太刀に行きたいところだが、カイト達に襲いかかってくる守護騎士の数が止むことはないため、自分の身を守るので手一杯なのが現状だ。他人の身を案ずる余裕があるなら、その分は己が身の安全を確保する事に注ぐべきである。『君を守ろうとしたら背中から斬られて死にました』なんて話は格好がつかないし、言われた側もどう反応すればいいのか困るだろう。

 ここは感情で動くのではなく、合理的に判断して行動すべきだと脳内で警鐘を鳴らし、カイトは歯をくいしばって踏み止まった。手の届く距離、目で見れる範囲にいる人全てを救うなんて思い上がっているわけではなく、ただ単に見捨てるという行為をしたくない、それだけだ。身の丈に合わない理想を追い求めるのは、時として手痛いしっぺ返しを喰らうというのを、カイトは重々承知している。

 誰だって苦しい場面だし、リーファは見た目も中身も女の子だが、相当な実力の持ち主だ。カイトに守ってもらうほど弱いわけでもなく、何より彼女自身からは力強い返答を貰ったばかり。ここでリーファを信じなければ、かえって彼女に失礼だ。

 

「おおぉぉおおっ!!!!」

 

 他の事に割いていた思考を無理矢理頭の片隅に押しやり、再度戦闘に意識のピントを合わせる。ブレていたピントが照準されれば、あとはモンスターを討つことだけに全神経を集約すればいいだけの話だった。向かってくる敵を1体、時には2体ずつ確実に屠り、少しずつ高度を上げていく。

 そうして高度を上げていくうちに、否が応でも天蓋が視界に入ってくるが、やはり恐ろしい数の守護騎士によって高密度の壁が形成されているのは変わらない。モンスターの壁を突き破って突破するには、強引に活路を開いてやるしかないが、それにも限界はある。大火力の殲滅魔法で一掃できれば話は早いのだが、カイトにはまだそこまでの威力を誇る魔法を習得出来ていない。

 

 守護騎士の鏡面マスクに剣を突き立てると、敵が断末魔の声を上げながら消滅していくが、その声に混じって頭上から呪詛めいた低音が舞い降りてきた。ふと顔を上げると、またしても守護騎士たちはスペルを詠唱し、ついさっきと同じように光の矢で構成された雨を降らせようとしていた。

 カイトは1度身に受けたからわかるが、光の矢には僅かだがスタン効果があるらしく、喰らえば他の守護騎士が近接攻撃を仕掛けてくるに違いない。リーファの支援で1度は窮地を切り抜けられたが、今の彼女は手一杯の筈だ。おそらく、2度目はない。

 嫌な予感がカイトの脳裏をよぎり、身体が強張ったが、守護騎士たちのスペルを掻き消すほどの声が足元から轟いたため、カイトはさっと視線を下に向けた。

 

(あれは…………っ!)

 

 大扉から新緑の鎧に身を包んだ多数のシルフの戦士が密集して隊列を組み、天蓋目指して突入してきたのだ。彼らの装備は遠目から見てもわかるほど煌めいていることから、エンシェントウェポン級であるのは間違いない。その数は50を優に超える。

 そして、予期せぬ援軍はそれだけにとどまらなかった。

 シルフの精鋭部隊に続き、遠雷と聞き間違えてしまいそうな重低音の雄叫びが響いたのだ。その正体は銀白色の鱗の上から重厚な金属鎧を着込み、プレイヤーの数倍はある巨軀で空を駆ける飛竜。鋭利な鉤爪と獰猛な牙を剥き出しにし、双眸はギラギラと輝いている。

 そんな飛竜を銀の鎖で出来た手綱で操っているのは、頭の両脇から生える三角形の耳と、腰のアーマーから尻尾を覗かせている戦士だ。こんな特徴を持つ種族は、ケットシー以外に他ならない。さらに言えば、彼らこそが竜騎士(ドラグーン)隊と呼ばれるケットシーの精鋭であり、これまで秘匿され続けた切り札(ジョーカー)ともいうべき存在が、カイトたちを助けるために天蓋へと飛翔していた。

 新たな挑戦者が押し寄せるようにして突っ込んできたため、守護騎士たちはスペルの詠唱を中断し、標的をカイトからシルフとケットシーに移す。長剣を突き立てて急降下する守護騎士に対し、2種族合同部隊は迎え撃つための準備を整えた。

 

「アスナっ!!」

 

 心強い援軍部隊が到着してくれたのならば、遮二無二突貫するのを一時中断する。アスナも援軍の存在には気が付いていたらしく、カイトの呼び声には即座に反応し、小さく頷いて距離を取った。

 

「ドラグーン隊、ブレス攻撃用意!!」

 

 可愛らしくもよく通る声は、ケットシー領主のアリシャ・ルーだった。10騎の竜騎士はドーム中央部まで上昇すると、その場でホバリングし、アリシャを囲うようにして円陣を組む。飛竜が長い首を曲げて上を向くと、牙の奥で橙色に光る炎が見え隠れした。

 

「シルフ隊、エクストラアタック用意!!」

 

 朱色に塗られた扇子を掲げて指示を飛ばしたのは、シルフ領主のサクヤだ。彼女の声が響くと、密集した陣形で固まっていたシルフ隊が長剣を両手で持ち、剣先を頭上に向ける。すると、エメラルド色の光が生まれて剣を包みだした。

 今もなお壁から新たな守護騎士が産み落とされているためか、天蓋にはおびただしい数の敵がうようよしており、まるで虫の群れを見ているかのようだった。その大群は耳を(つんざ)く奇声をあげて突進してくるが、アリシャとサクヤの双方はすぐに攻撃の指示を出さず、ギリギリまで引き付けるためにぐっと唇を噛み締めている。

 守護騎士の群れを充分引きつけたと判断したのか、まずはアリシャが右手をあげ、声高々に叫んだ。

 

「ファイアブレス、撃てーーっ!!」

 

 次の瞬間、飛竜の喉元が一瞬膨らんだかと思いきや、口から直線軌道の超長距離火炎ブレスが発射された。ブレスは凄まじいスピードでドーム内を駆け登り、10本の火柱を構成すると、守護騎士の群れに迫っていく。

 ブレスが敵の元へ突き立つと、炎が守護騎士を吞み込み、眩い閃光が弾けた。着弾した瞬間に炎が膨らみ、爆炎による轟音がドーム内を激しく揺さぶる。天蓋はクリムゾンレッドに染まり、呑まれた守護騎士達の残骸が散ると白い炎となって消えていった。

 

「フェンリルストーム、放てっ!!」

 

 アリシャに続き、今度はサクヤが合図を出した。

 シルフ隊は一切のズレなく動きを合わせ、待機状態だった長剣を突き出した。50本の剣からは雷光が疾り、ジグザグな軌道を宙に描いて縦横無尽に駆けていく。攻撃は敵に当たると貫通し、1度で複数の敵を纏めて屠った。1発当たりの火力と派手さは飛竜の火炎ブレスに軍杯が上がるが、総合的に見ればシルフ隊のエクストラアタックも遅れを取っていない。

 

「……おぉ…………すごっ……」

 

 無意識にカイトの口から感嘆の声が漏れる。増える一方だった敵の数が、ここで(

ようや)く目に見えて減少しているのがわかった。

 しかし、壁からはいまだ新しい守護騎士が生成されており、放っておけば折角減った数が元に戻るどころか、再び増加の一途を辿るだろう。

 

「すまない。遅くなってしまった」

 

 不意に駆けられた声にカイトは反応して後ろを振り返ると、すぐそこにサクヤがいた。彼女の隣には耳をしきりに動かしているアリシャもいる。

 

「ごめんネー、これでも結構急いだんだけど……。それにしても、こっちの到着を待たないで先に入っちゃうなんて、意外とせっかちなんだネ」

「オレとアスナの探し人が世界樹の上にいると思うと、待ちきれなくてね……。でも、ありがとう。おかげで助かった」

「礼を言うのは……」

「まだ早いんじゃないかナ〜?」

 

 領主2人の息の合いっぷりにカイトは笑みを零すが、すぐにその表情を引き締め、頭上を見上げた。

 

「シルフとケットシーは、さっきみたいに敵の殲滅を頼む。敵の壁に穴が出来たら、隙をみてオレ達が突っ込むから」

「その事なんだが、シルフとケットシー各種族で1名を選出するから、その者達も君と一緒に同行させてくれ。一応皆には3種族合同の攻略と銘打っているから、ウンディーネのみでゲートを目指していては、後で他の者達に説明しづらいからな」

「あぁ、そういう事なら。……で、誰が行くんだ?」

「シルフからはリーファを連れて行ってくれ。それで、ケットシーなんだが……」

「はいはーーい! 私が行くヨ〜」

 

 勢いよく右手を挙げて主張したアリシャが意気揚々なのに対し、サクヤは頭を抱えていた。呆れ半分、諦め半分といった具合だ。

 

「い、いやいや、ちょっと待て! 領主は全体の指揮をとらなきゃいけないから、アリシャが抜けるのはダメだろう。他の奴を……」

「え〜? 私も空中都市がどんなのか見た〜い!」

 

 子供のように駄々をこねるアリシャをどうすればいいのか困り果てたカイトは、サクヤに目で助けを求めた。

 しかし、サクヤは首を左右に振り、小さくため息をついた。

 

「はあ…………すまない。ルーはこう言い出したら聞かない奴なんだ。ケットシーの指揮をとる者は代理をたてるから、ここはのんでくれないか?」

「…………うっかり死んでも後悔するなよ」

 

 了承したカイトに向け、アリシャは親指を立てて顔を綻ばせた。

 

 

 

 

 

 その後の戦闘は、間違いなくALO史上最大の大規模戦闘となった。

 飛竜のブレス攻撃とシルフ隊の剣から放たれる雷光により、守護騎士の残骸が宙を舞う。天頂に近づくほど守護騎士の湧出スピードも上がるが、敵の壁に深い穴を穿たんと皆が懸命に攻撃を仕掛け続けた。その中でもやはり目を引くのは、先頭を飛翔するカイトとアスナの両名だ。

 《黒の剣士》討伐の際にドロップした細身の黒い片手剣は、どうやら古代武器(エンシェント・ウェポン)に匹敵する性能を有しているらしい。それは元々のカイトが持つステータスの高さと組み合わさって相乗効果を生み出し、敵を一撃で亡き者にする威力を誇っていた。

 アスナに至っては所有する武器のグレードがカイトに劣るものの、彼女のプレイヤースキルに依存する正確無比な突き技がことごとくクリティカルヒットを生み出し、一撃ないし二撃で敵を屠っていく。神速とも呼べる突き技を視認するのは、並大抵のプレイヤーでは捉えることが出来ないだろう。

 そんな鬼神の如き強さを目の当たりにしつつ、リーファとアリシャも2人に続き、突破口が開く瞬間を逃さぬよう神経を張り巡らせていた。

 そして、その瞬間は訪れた。

 飛竜の爆炎とシルフ隊の刀身から放たれた閃光により、守護騎士の壁に穴が空いたため、天頂で鎮座するゲートがわずかに顔を見せたのだ。穿たれた穴は小さいが、ここを抜ければゲートはすぐそこだ。4人は一瞬だけ背中に力を溜めると、翅で空気を叩いて一気に急浮上する。

 4つの影が弾丸となってゲートに迫るが、これ以上の前進は許さないとでも言わんばかりに守護騎士がカイト達の進行する軌道上に立ち塞がった。

 

「リーファ、アリシャ! オレ達の後ろに!」

 

 簡潔にそれだけ言うと、カイトとアスナが横並びになり、その後ろを追随する形でリーファとアリシャが飛翔する。陣形が整うと、カイトは左手を前にし、右手を肩に担ぐ姿勢をとった。アスナも剣を持つ右手を少し後ろに引く予備動作(プレモーション)をとり、これから放つ最上位剣技の準備をした。

 剣技を繰り出すのに適した瞬間となるまで我慢し、タイミングを見計らうと、2人の剣士は身体に染み付いている突き技を鋭く放った。

 

「おおおおおっ!!!!」

「やああああっ!!!!」

 

 カイトは背中の翅で得た推進力を上乗せし、ジェットエンジンのような音を轟かせながら空気を切り裂く強力な剣技を。

 アスナは光を置き去りにするかのような速さで右手を閃かせ、自身が敵を貫く彗星と化す剣技を。

 一直線に空を駆ける2人の行く手を複数の守護騎士が阻むが、剣先に触れた途端に吹き飛び、散り、霧散していく。心なしか剣が赤と白の淡い光を纏っており、まるで思いの強さ・深さが反映され、具現化したかのようだった。

 最早そんな2人を止めることなど出来るわけもなく…………。

 彼らは、最後の直線を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 カイト達は守護騎士の壁を突き破り、天蓋の頂で待ち構えていた円形のゲートがはっきり視認できる所まで辿り着いた。ゲートの周囲からは今も絶え間なく新たな敵を産み落としているが、それよりも早く、ゲートに到達して空中都市に逃げ切れる自信が彼にはあった。事態が滞りなく進めば、の話だが――――。

 ゲートに到達する寸前で違和感を感じたカイト達は、背中の翅でブレーキをかけると同時に衝撃に備える。

 

「うぐっ――!」

 

 猛スピードで特攻したために無事では済まなかったが、直前の減速が功を奏し、いくらかダメージを緩和することが出来た。全身が痺れるような感覚に襲われるが、今はそれよりも問題とすべきことがあった。

 

「なんで……なんで開かないの?」

 

 接近すれば自動的に開くものだとばかり思っていたゲートが、手で触れるほど近くにいても開く様子が全くなかったのだ。

 

「くそっ! 開けっ……開けよっ!!」

 

 八つ当たり気味にゲートを剣で攻撃するが、ゲートは沈黙を固く守ったままだ。カイトは苛立ちを募らせてさらに強く攻撃しようとしたが、アスナの服のポケットから飛び出したユイの一言で、彼は動きを止めた。

 

「この扉は、システム管理者権限でロックされています。プレイヤーには絶対開けられません!」

「なっ……!」

「そんなっ……!」

 

 ユイは小さな掌でゲートの表面に触れながら、衝撃の事実を告げた。

 クエストフラグの見落としやゲート開放に必要なアイテムがないといった理由なら、まだ理解も出来るし諦めもつく。突破に必要なものを揃え、再度挑戦するという選択肢もある。

 だが、『管理者権限』というワードを持ち出されてしまっては、どうしようもない。そのたった一言が、彼らの前に決して乗り越えられない壁を作り出してしまった。

 背後で守護騎士が殺到する気配を感じとるが、カイトも、アスナも、リーファも、全身の力が抜けて抵抗する気すら失せていた。

 しかし、アリシャ・ルーだけは違った。

 

「システムアクセス・コードを使うんだヨ! 早くっ!!」

 

 その言葉でハッと我に返った3人が顔を見合わせると、アスナはポケットに入れていた銀色のカードを取り出し、ユイに差し出した。意図を察したユイは手を素早くカードの表面にかざすと、カードからユイへ、光の筋がいくつも流れ込む。

 

「コードを転写します!」

 

 次いでユイがゲートの表面に触れると、彼女の触れた箇所から青い光が徐々に広がり、ゲートそのものが眩い光を放つ。準備が整ったと判断したユイは、小さな右手をアスナに伸ばした。

 

「皆さん、手を繋いで下さい! 間もなく転送されます!」

 

 言われるがままに皆が手を繋ぐと、アスナは左手の指先でユイの手を掴む。

 その直後、背後から迫っていた守護騎士の剣が、最も近くにいたカイトを標的にして襲いかかった。カイトは振り返り、目を固く閉じて身体を強張らせたが、剣が身体に喰い込む感覚は訪れなかった。それもそのはず、既に彼の身体は透過し始め、転送待機状態に移行していたからだ。

 鏡面マスクの奥で憎々しげな視線を送っているであろう守護騎士を一瞥すると、カイト達はデータの奔流となってゲートの中へ突入した。

 




暇さえあれば過去に投稿した話を修正中です。
ただ、特に初期の頃のは修正箇所が多すぎて、真面目に直そうと思うと時間が足りない……。


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第77話 空中都市と領主の実体

 

 意識の途絶と転移の余韻に浸ったのは、一瞬だった。

 ゲートをくぐったカイトは数回瞬きし、片膝をついた姿勢からゆっくりと立ち上がる。着ている衣服の擦れる音が聞こえるほど静寂に包まれている周囲を見回し、キョロキョロと忙しなく転移先の確認をした。

 

「……ここは…………?」

 

 そこには、異様な空間が広がっていた。

 『妖精の世界』と銘打っているゲームタイトルであるため、これまで見てきた街やフィールドは現実離れしたファンタジー色の強いものばかりだった。さらには精緻な装飾をこれでもかというくらい加え、現実世界とはまた違った、ゲームならではの美しさを表現したものが、今までALOをプレイしてきたカイトの見たものだった。

 しかし、今彼の前にある光景はどうだろう。複雑な模様や入り組んだ道、現実ではお目にかかれない変わった代物など一切なく、あるのは白い板で構成されている、のっぺりとした1本道。カイト達はこの1本道の途中に転移されたらしいが、左右を見回しても緩いカーブを描いているため、先は見通せない。

 

「ママ、大丈夫ですか?」

「うん。それにしても、ここは……?」

 

 アスナの傍らには、見た目が10歳くらいの少女が心配そうな顔で彼女の様子を伺っていた。シンプルなラインの白いワンピースを着ている少女は服装こそ違うが、姿はユイで間違いない。掌サイズのピクシー態から、どういう訳か本来の姿に戻ったようだ。

 

「ユイちゃん。私達が今どの辺にいるのか、わかる?」

「ちょっと待って下さい。…………マップ情報がないので、この通路に関しては分かりません。ですが、位置的に言えば世界樹の中、それもかなり高度のある場所で間違いありません」

 

 転移されたのは、さっきまでカイト達が戦っていた場所よりも上の地点らしい。少なくとも、目的地には近付いているようだ。

 

「じゃあ、キリト君の居場所がどこかわかる?」

 

 アスナに問われたユイは、一瞬瞑目すると、すぐに大きく頷いた。

 

「はい。かなり近くにいます。上のほうで……方向はこっちです」

 

 小さな指で力強く行き先を指差すが、すぐに腕を下ろし、ユイは反対側の通路に顔を向けた。

 

「それと、パパとは別のプレイヤーIDを持つ人が逆方向に……こちらもかなり近くにいます。妙なのは、位置情報がロックされている事ですが……」

 

 この言葉に対し、カイトの指先がぴくりと反応した。

 根拠はない。あくまで『もしかしたら……』という淡い期待に過ぎないが、それでも、確信めいた直感が、カイトの脳を刺激していた。自分の探し求めている人はこの先にいるのだ、と。

 無意識にカイトはユイと同じ方向の通路へ顔を向ける。その様子を見たアスナとリーファが顔を見合わせ、2人同時に頷くと、1つの案をリーファが提示した。

 

「二手に分かれましょう」

「……いいのか?」

「だってカイトさん、顔にしっかり書いてありますよ」

 

 リーファが小さく笑みを浮かべると、カイトもつられて口角が上がる。考えている事がダダ漏れだったらしく、胸中を読み取られていたことでカイトは少し気恥ずかしく感じた。

 

「それじゃ、お言葉に甘えて。……なら、こっちはオレ1人で行くから、キリト側は他のみんなで――――」

「いやいや、ちょっと待った」

 

 カイトの言葉を途中で割り込んだアリシャ・ルーが止めると、素早くカイトの隣に並び立った。彼の右腕をとって胸に抱くと、上目遣いで見つめる。

 

「カイト君の強さなら問題ないと思うけど、ここはまだダンジョン扱いでモンスターやトラップがあるかもしれないし、念の為に2人で行動しない? キリト君とやらはアスナちゃん達に任せて、カイト君の探し人は私と君で行けばいいヨ」

「え、え〜〜っと……」

 

 アリシャ・ルーからの突然の提案で戸惑っているようにも見えるが、カイトは困っている様子ながらも頬を赤くさせてまんざらでもなさそうだ。美人領主からの熱い視線を至近距離で受け、おまけにぴったりと胸を押し付けられては、誰もが彼のようになるに違いない。

 アリシャ・ルーの色仕掛けでものの見事にカイトは彼女の術中に嵌ってしまっているが、これを見ていたリーファの口元とこめかみが徐々に引きつっていく。全くもって面白くない、とでも言わんばかりだ。

 リーファは割り込む隙を見つけて2人の間に入ろうかと思ったが、それよりも早く、アスナからの蔑視光線と冷ややかな声色がカイトを射抜いた。

 

「カイト君。あんまりデレデレしちゃうと、ユキに言いつけちゃうよ?」

「で、デレデレなんてするかっ! ただ、アリシャの提案をどうしようか迷ってただけで……」

「ふ〜〜〜〜ん…………」

 

 アスナの視線にこれ以上耐えられなくなったカイトは、今の状況を生み出した原因であるアリシャを空いている左手で引き剥がす。残念そうな顔をしているアリシャは無視し、小さく咳払いをして緩んだ顔を整えた。

 

「ま、まあ、アリシャの言ってる事はもっともだし、ここは万が一を考えて2人と3人で手分けしよう。編成はオレとアリシャの2人と、アスナ、リーファ、ユイの3人って事で」

「……わかったわ。ユイちゃん、リーファちゃん、行きましょう」

「はい。ママ、リーファさん、こっちです」

 

 ワンピースから伸びた素足で床を蹴ると、ユイは真っ先に駆け出した。ユイの中にある大好きなキリトの元へ行きたいという衝動が小さな身体から溢れており、その後ろ姿をアスナとリーファの2人が追う。

 そんなアスナ達の姿が見えなくなるまで見送った後、カイトはつま先を彼女達とは反対方向に向けた。

 

 

 

 

 

 ユイに追いつき、進路にある扉を何枚もくぐり抜けて行くうちに、リーファはさきほど自分が抱いた感情の正体に戸惑ってた。

 アリシャ・ルーがカイトの腕に抱きついた事もそうだが、抱きつかれた本人も別に嫌そうではなく、寧ろ表情が緩むような様子を見た時、心をモヤモヤとした何かが増大していったのだ。そしてカイトがアリシャ・ルーを自ら引き離したのを見て、何故だかほっとしたのもよく覚えている。

 リアルとゲーム。2つの世界で悠人/カイトとは和人を通じて交流を重ねているが、どちらの世界においても彼の信念は強く、裏も表もありはしない。仮想世界では物理的に、現実世界では心理的に救われた経緯を持つリーファ/直葉にとって、彼の存在は自分自身でも気が付かないくらいに大きくなっていたようだ。

 

(ヤキモチ、だったのかな…………)

 

 カイトに対して何も想うことがなければ、モヤモヤとした感情が湧き立つこともないだろう。言い換えれば、何か想うことがあった、ということだ。

 ふと、彼の顔を思い浮かべる。ただでさえ少年のような幼さの残る顔立ちだというのに、一度破顔すればそれはより一層色濃くなる。それは彼の持つ個性であり、魅力でもあるのだが、当の本人は気にしているようで、指摘されると拗ねてそっぽを向くこともあった。病室で何気なく口にした途端、みるみるうちに表情に影が落ちていったのは、今思い出してもクスッときてしまう出来事だ。

 一方、時折みせる落ち着いた声で、自分の欲している言葉を、自分が欲している時にくれた瞬間、心が歓喜して揺れ動いたのを感じたこともあった。彼にしてみれば思ったことを口にしただけ、あるいは励ますために出た言葉だったのかもしれないが、非常に救われたのと同時に強く惹かれていったのを、リーファはよく覚えている。

 

(――でも……これは『本物』なの? それとも『偽物』なの?)

 

 しかし、和人を諦めたことでぽっかりと開いた穴を埋めるためだけに、カイトを利用しているのではないか、という疑問も湧いてきた。彼に抱く感情の正体は未だハッキリと掴みきれていないが、この気持ちを中途半端なままの状態で彼に向けるのは、向けられた本人にも失礼だろう。リーファは今、懸命に答えを探し求めていた。

 

「外に出ます!」

 

 リーファは考え事に夢中で気が付かなかったが、いつの間にか長い通路の終わりにさしかかっていたらしい。行き着く先には四角い扉が待ち構えているが、扉をくぐれば外に出られるのだろう。

 

(もうすぐ……もうすぐ会えるよ、お兄ちゃん……)

 

 走る速度を緩めることなく、先頭のユイが左手で扉を押し開けると、アスナとリーファもそれに続いた。

 

「――――!!」

 

 扉をくぐり抜けた先で彼女たちが最初に目にしたのは、今まさに地平線の彼方へ沈もうとしている太陽だった。夕焼け空と星の瞬く夜空が混在し、世界は昼と夜の狭間を渡り歩いている最中にあった。

 夕陽に狭窄(きょうさく)していた視野を広げると、周囲には巨木から伸びる太い枝が四方に伸びており、新緑の葉を繁らせている。彼女たちはその内の最も太い1本を足場にしているが、おそるおそる眼下を見下ろすと、枝葉の先に薄い雲海、そしてそのさらに下には緩やかなカーブで草原に青いラインを描く河が流れているのが見えた。

 この光景から判断するに、アスナとリーファはおそろしく高度のある場所、もっと言えば、世界樹の上にいるのだと即座に理解した。以前からリーファが夢見ていた世界樹の上に、彼女は足をつけて立っているのだ。

 そんな感動に浸ったのも束の間、アスナが周囲を見回しているのをみて、リーファは小首を傾げた。

 

「アスナさん、どうしたんですか?」

「……リーファちゃん、何かおかしいと思わない?」

 

 言われたリーファは、もう一度アスナと同じように周囲を見回す。

 しかし、何度見回しても、自分たちを取り囲むのは巨木から生える太い枝と、生い繁る葉の群れしかない。世界樹の上にいるのだからそれは当然であると言えるし、ここは地上から数千メートルはくだらないであろう高さなのだ。こんな場所に宿屋や武器屋があるはずもなく――――。

 

「……あっ…………ああっ!!」

 

 ここでようやく、リーファはアスナが何を言いたいのか理解した。

 

 

 

 

 

 

「空中都市はない?」

「ああ。十中八九そうだろうね」

 

 アスナ達が世界樹の外に出た頃、カイトとアリシャ・ルーは未だ続く長い通路をひたすらに歩いていた。

 アリシャ・ルーの懸念していたモンスターやトラップの類は今のところないが、通路の途中で何度か扉を見つけることがあった。試しに中を覗こうとしたが、それらもゲートと同じように管理者権限でしか開かないらしく、すべて素通りする結果となった。

 

「なんでそう思ったの?」

 

 同じ景色が続く中、アリシャ・ルーが思い出したかのように空中都市の話を持ち出したが、カイトはその存在を即座に否定した。

 

「ゲートを通過した際にファンファーレが鳴らなかったし、セオリー通りにいけば転移する先は空中都市の入り口とかのはずだけど、実際は無味乾燥としたこの通路だ。ここが空中都市に繋がるダンジョンとかなら話は別だけど、どうもそんな雰囲気はないし……。そもそも、ゲートを守るガーディアンの異常な数と、管理者権限でしか開かないゲートがあるって事は、最初から通す気がない…………つまり、誰かに見せるわけでもない空中都市なんて用意するだけ無駄だろうから、そもそもないだろうね」

 

 険しい道のりと高い壁を乗り越えた先には、その労力に伴う成果や報酬があってしかるべきだが、今回に限って言えばそんな大層な物は用意されていないらしい。高価な宝石だと思っていたら、実は何の価値もないガラス細工だった――――という話ならまだマシだったろうが、そもそも物自体がないのだからより一層タチが悪い。ギフトボックスは綺麗にラッピングして見栄えを良くしてあったのに、肝心の中身が空っぽだったのだから。

 そして空中都市が存在しないという事は、当然《アルフ》に転生して滞空制限をなくすという話もなかったということになる。

 

「まあ、システムアクセス・コードなんて物をたまたま持ってたから、行き着いた結論なんだけど」

「むむ……じゃあ、もしそれがなかったら、『ゲートを開けるのに必要なフラグやアイテムを見落としていた』って考えていたのかもしれないネ」

「そうだろうな。……で、今の話に出てきたシステムアクセス・コードなんだけど」

 

 カイトは歩くスピードをそのままに、隣に並び立って歩くアリシャ・ルーを見る。彼女の猫耳がピコピコと前後に動き、尻尾がゆらゆらと左右に揺れた。

 

「オレ達の誰かが持ってるって、どうして知ってたんだ? あれを手に入れた時、アリシャはまだ傍にいなかったし」

「それはアスナちゃんから聞いてて――」

「コードを手にしてからはすぐグランドクエストに挑戦して、オレとアスナはずっと世界樹の中で戦ってた。あの状況でコードを手に入れた事を伝える余裕なんてないと思うけどなあ……。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のなら、話は変わってくるけど」

 

 2人の視線が重なり、カイトはアリシャの瞳の奥を覗き見るが、彼女が今何を考えているのかまでは図れない。感情がオーバーに出やすい仮想世界では動揺がすぐ表情に出てしまうのだが、平然とした様子を見る限りカイトが的外れな事を口にしているか、まだ動揺が表に出るほど揺さぶられていないかだろう。もし後者なら、精神面がかなり強いという表れだ。

 しかし、彼女の胸中は別の形で表面化していた。

 

「カイト君は、何が言いたいのかな?」

「…………システムアクセス・コードを落としたのは、多分キリトだ。でも、オレが見たキリトの様子を写した写真だと、あいつは鳥籠の中にいた。アクセス・コードなんて重要な物をキリトと一緒に鳥籠の中に入れとくなんて、とてもじゃないが考えられない。……これは想像だけど、世界樹の上を自由に行き来できる運営サイドの誰かが、キリトにアクセス・コードを渡したんじゃないかと、オレは睨んでる」

 

 不意にカイトが歩みを止めると、アリシャも遅れて足を止める。立ち止まった2人は5メートル程の間隔を開け、カイトがアリシャの後ろ姿を見る形だ。カイトからはアリシャが今どんな表情をしているのかわからないが、さっきまで動いていた猫耳と尻尾は、既に動きを止めている。

 

(もう少し、詰めてみるか……)

 

 脳内で慎重に言葉を選択する。順番を間違えれば、明らかになるものもならなくなるからだ。

 冷や汗が頬を伝うが、彼は息を吸い込んで言葉を発した。

 

「オレとアスナが世界樹の上を目指していたのは、人を探していたから。それは知ってるよな?」

「勿論、知ってるヨ。世界樹の上で待っている人と会いたいけど、2人じゃ厳しいからシルフとケットシーに協力を求めたんだよネ?」

「そうだよ。そこで、またアリシャに訊きたいことがあるんだけどさ…………どうしてオレとアスナの探している人が別々だって知ってたんだ?」

 

 アリシャ・ルーの指先が、わずかだがピクリと動いた。

 それに構わず、カイトは言葉を紡いだ。

 

「さっき二手に分かれて動く案が出た時、アリシャは『キリトはアスナ達に任せて、カイト君の探している人は私と君で行けばいい』って言ったんだ。確かにオレは『探している人がいる』とアリシャに言ったかもしれないけど、『探している人が2人いる』とまで言った覚えはないぞ?」

 

 ここでようやく、カイトは言葉を切った……というより、切らざるを得なかった。彼がアリシャを問い詰めるための手札は、たったこれだけだからだ。

 しかし、彼女に投げかけた2つの疑問点からカイトが浮かび上げたのは、非常に重要な情報だった。

 1つ目は、アリシャ・ルーが運営サイドの人間であること。

 2つ目は、カイトとアスナがユキとキリトを救うために動いていたことを知っていた、ということ。もっと言えば、2人の内情を知っている――――場合によっては、現実世界で関わりを持つ人間の可能性も捨てきれない。

 

 アリシャ・ルーが問いかけに答える様子はなく、カイトが口を動かすのを止めたことで、場に沈黙が訪れる。

 彼女を詰問する手札が尽きたため、上手くはぐらかされたりでもしたらこれ以上は詰めれない。そして沈黙は相手に考える時間を与えてしまうが、それはカイトにも当てはまることだ。

 彼はアリシャ・ルーの切り返しに対する返しや、さらに追い込むための手札がないか、懸命に頭を働かせていた――――が…………。

 

「――――あ〜あ、止めた止めた!」

「……は?」

 

 半ば投げ出すような、降参ともとれるような気の抜けた声が、力の入っていたカイトの肩を一気に脱力させた。

 

「ん〜、私もつい夢中になってのめり込んでたから、口が滑って失言しちゃってたみたいだねえ。……だとしても、それを聞き逃さずに相手を問い詰める材料にするのは、流石悠人ちゃん、って褒めてあげるべきかな? お姉さんは君の成長が見れて嬉しいよ」

「…………ちょっと待て。今、なんて……?」

 

 聞き間違いかと思い、カイトは問う。

 しかし、彼の鼓膜が捉えた音の響きは、生涯で何度も聞いたことのある馴染み深いものだった。

 幼い頃ならいざ知らず、カイトのリアルネームを、それも高校生となった彼を今でも『ちゃん』付けで呼ぶ人物など、世界でたった1人しかいない。

 

「…………りー、ちゃん…………?」

 

 カイトが目の前にいる猫耳少女アバターの正体に辿り着いたことを肯定するかのように、アリシャ・ルー/天津河理沙(あまつかりさ)は静かに微笑んだ。

 




…………という事で唐突かもしれませんが、アリシャの正体はカイトにとって身近な人物でした。
ALO編の最終決戦はカイト側とアスナ側で別々に行いますが、まずはアスナ側を終わらせます。


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第78話 魂の繋がりと盗人の王

 

 1秒でも早く会いたいという渇望を抑えつけ、声を発することなくユイの先導で太い樹の枝の上に築かれた人口の道を歩き続ける。アスナはユイに手を引かれているため、その表情を伺うことは出来ないが、歩く速さが徐々に上がってきていることから、娘の胸中が自分と全く同じ思いで満たされているのだと悟った。後ろをついてきているリーファも、きっと同じだろう。

 

 右へ左へとカーブを描き、階段を上ったり下ったりしながら延々と歩いていると、鬱陶しいほど繁っている木の葉の隙間から金色の光が射し込んだ。夕陽はアスナ達の右側で地平線に沈む準備をしているので、真正面から射す光の正体は決して陽光ではない。おそらく、光が何か金色の物体に反射しているからだろう。

 そして最後の階段を一思いに背中の翅で飛び越えると、金色の光を生み出している物体の正体が露わになった。全体が金色であることと途轍もなく大きいのを除けば、上部がすぼまったオーソドックスな鳥籠だ。しかし、『鳥籠』という名が示すように、鳥を閉じ込める用途のものとは到底思えない。仮に鳥を中に(はな)ったとしても、格子の隙間から容易に逃げ出せてしまいそうだからだ。

 そうなると、鳥籠は鳥を閉じ込めるのではなく、違う用途で使われているのだ。例えば、鳥よりも大きな、それこそ人間を閉じ込めるためのものである、とか――。

 

 近付くことで鳥籠の外観だけでなく、その中の様子もはっきりと見えてきた。床はタイルが敷き詰められ、中央には天蓋付きのベッド、その近くには白い丸テーブルと椅子。そしてその椅子に腰掛け、テーブルに顔を伏せている人物がいた。

 薄手の白いワンピースに、胸元には緋色のリボン。艶やかな黒色の髪は背中にかかるほどの長さで、身体のラインは細く華奢だ。顔は伏せているため確認できないが、この時アスナはALOへダイブする前にカイトから見せてもらった、鳥籠の中で不貞腐(ふてくさ)れている人物の写真を思い出していた。スクリーンショットを限界まで引き延ばしていたため画質は粗かったが、写り込んだ人物が誰なのか、例え姿が変わっても見間違えるはずがなかった。

 いよいよ我慢が出来なくなったのか、ユイは掴んでいたアスナの手を離し、鳥籠へと走る。アスナとリーファもそれに続くが、3人分の足音が鳥籠に囚われている人物の耳に入ったらしく、肩をピクッと動かし、次いでゆっくりと頭を持ち上げて来訪者を見た。

 まず半ば諦めの色が見え隠れする瞳が見開かれ、驚愕の色に染まると、すぐに別種の感情が彼の――――キリトの胸を満たした。

 

「……アス、ナ……。ユイ……」

 

 愛する者の名を呼ぶ声はすぐさま空気に溶けて消えるが、それは2人の耳にしっかりと届いていた。

 ユイは格子に設置されていたパネルに右手をかざすと、掌が青く淡い光の粒子を帯び始めた。その状態のまま手をさっと右に払うと、パネルは弾けとび、光の粒となって消失する。最後の障壁を取り除くと、阻むもののない鳥籠の中へ、ユイは真っ先に飛び込んだ。

 

「パパ…………パパーー!」

 

 両腕を大きく広げ、素足で冷たいタイルの上を一気に駆ける。

 

「キリト君!!」

 

 アスナもまた、宝石の如く光る雫を目尻いっぱいに溜め、胸の奥で溢れ続ける感情の激流に抗うことなく、最愛の人の元へと駆ける。

 キリトは椅子から勢いよく立ち上がると、駆け寄ってくるユイとアスナを受け止めるため、1歩、2歩と前進した後、両腕を広げた。

 その直後、ユイが床を蹴ってキリトの胸に飛び込み、アスナも遅れてキリトの胸の中へと飛び込んだ。キリトは2人からの抱擁を受け止めると、アスナの背中に腕を回し、力強く抱き返した。

 

「アスナ……ユイ……」

 

 今のアスナは、SAOの頃のように現実(リアル)の姿そのものではなく、この世界で新たに構成された姿だ。艶やかな栗色のロングヘアとはしばみ色の瞳は、今となってはウンディーネに共通している青色で統一され、容姿も本来の彼女と一致する部分はない。

 キリトに関しては容姿こそSAOと変わらないが、元々中性的な顔立ちだったことに加え、背中にまでかかる闇を映したかのような黒髪と薄手の白いワンピースという見た目は、女の子と間違われても不思議ではない。

 しかし、たとえ見た目が異なっていても、2人には目の前の人物が愛する人だと確信をもって言うことが出来た。器が違ったとしても、そこに内包されている魂は不変であり、2人は見えない糸で結ばれているので、世界が異なってもお互いがお互いを認識できるのだ。

 

「ごめんね、キリト君。遅くなっちゃって」

 

 キリトの肩口に顔を(うず)め、アスナは震える声で呟いた。

 

「オレの方こそごめん。この場所に来るまで、きっとアスナは辛い思いをたくさんしたよな。オレはただ、待つことしか出来なくて……」

「ううん、私は大丈夫。君に一生会えないのに比べたら、ここに来るまでのことなんて大したことないよ」

 

 キリトの背中に回されたアスナの腕が、より一層力強く彼を抱きしめた。

 

「……ありがとう、アスナ…………」

 

 キリトもアスナの肩口に顔を(うず)めると、彼女の華奢な身体を抱く力が強くなった。

 

「パパ、ママ。苦しいですよー」

 

 そんな2人の間に挟まれながら、ユイが幸せそうな吐息を()らした。

 

 

 

 

 

 キリト、アスナ、ユイの幸せそうな光景を、リーファは鳥籠の入り口付近で静かに見守っていた。

 正直に言えば、世界樹の上に登りつめた時、リーファは兄とアスナが再会した瞬間を見た自分が何を思うのか不安に感じた。未来永劫、胸の奥底で秘め続けなければならない気持ちを持った自分が、2人の幸せそうな様子を見て何を思うのか、と――。

 そして今、予期していた光景が目の前にあるのだが、不思議と胸が疼くことはなく、これにはリーファ本人も少しばかり驚いた。恋心が引き裂かれた後はそれに伴う痛みが襲いかかり、最悪の場合はその場に留まっていられず逃げ出すかもしれないと思いもした。

 しかし、実際には胸が痛むこともなく、寧ろ本当の家族と遜色ない3人の幸せそうな光景を見て、『良かった』と思えるほどだ。そんな感想を真っ先に思った自分に対して戸惑うと同時に、その原因が何なのかをリーファはなんとなく察していた。

 

 それはつまり、和人に向けていた恋心が既に失われているということ。

 そしてもしかすると、それに変わって新たな恋心が芽生え始めているかもしれないということ。

 

(――私、私は…………)

 

 道中考え、探し求めていた答えに、リーファは近付きつつあった。

 しかし、突如襲いかかった違和感により、彼女は思考の中断を余儀なくされた。

 空気が異常に重くなり、身体を動かそうとすると粘性の液体の中にいるような抵抗感を感じる。腕を持ち上げるのも一苦労で、立っているのも辛い状態だ。

 

「…………なん、なの……?」

 

 不可解な現象に顔を歪ませ、瞼をきつく閉じる。そして次に目を開けた時、夕焼けの空も鳥籠も、全てが闇に呑まれていた。

 だが、完全な真っ暗闇というわけではない。その証拠に、離れた場所にいるキリトとアスナ、ユイの姿は明瞭に見えているからだ。闇に呑まれたというよりも、背景だけが黒く塗り潰されてしまったというのが正しい。

 そしてリーファの目が捉えている3人も彼女と同じ状況に陥っているらしく、その表情には不安と戸惑い、混乱が色濃く出ていた。

 

「パパ……ママ……リーファさん。気を付けて下さい! これは……きゃあっ!」

 

 何かを言おうとしたユイだったが、小さな悲鳴を最後に残すと、彼女の身体を紫色の電光が疾り、一瞬だけ強く輝く。光はすぐに収まったが、その時既にユイの姿はなかった。

 

「ユイ!!」

「ユイちゃ……きゃあっ!!」

 

 2人は突然消えたユイの身を案じて名を呼ぶが、その途中でまたしてもおかしな現象が身に降りかかった。

 見えない力で無理やり上から押さえつけられているような感覚が襲いかかり、キリトも、アスナも、リーファもそれに耐えきれず、膝と両手をつく形になった。まるで、圧倒的な力に屈服し、(こうべ)を垂れて許しを乞うているかのようで――。

 

「この力……須郷っ……お前、か…………っ!!」

 

 キリトの呟きの中にある聞き慣れない名がリーファにはわからなかったが、その答えは当人が姿を現したことで判明した。

 

「アハハハハ、流石に何度もこいつを喰らっているだけあって、気付くのが早いね。馬鹿だと思っていたけど、最低限の学習能力はあったようだ」

 

 いつの間にかキリトとアスナの傍で、頭に王冠を被っている1人の男が立っていた。緑色の長衣(トーガ)を身に纏い、煌びやかな刺繍が施されているブーツを履いた、端正な顔立ちの男。

 

「だけど、この世界でその名前を呼ぶのは適切じゃあない。正しくは妖精王、オベイロン陛下――――だっ!!」

 

 須郷は片足を持ち上げて振りかぶり、跪いているキリトの頬を思いっきり蹴りつける。ブーツのつま先がキリトの頬に喰い込み、彼は紙屑の如く簡単に蹴り飛ばされてしまった。

 

「キリト君!!」

「お兄ちゃん!!」

 

 彼の身を案じた2人が鋭い声で名を呼んだ。

 そんな事など気にもとめず、須郷は左手を振ってウィンドウを表示させると、発光するスクリーンを凝視し始めた。しばらく眺めていたが、やがて唇を曲げてスクリーンを消去した。

 

「逃げられたか……。ところで、さっきまで妙なプログラムがここにいたけど、あれはなんだい?」

 

 須郷の視線がアスナに向けられるが、彼女は答える義理はないとでも言わんばかりに、さっと目を逸らして黙り込む。

 

「だんまりか。まあいい。後で頭に直接訊けばいいだけの話…………いや、まてよ……」

 

 何かアイディアが浮かんだらしく、須郷は言葉を途中で切り、顎に手を添えて考える素振りを見せた。

 しかし、その口元はすぐに醜く歪んだため、その表情から何かよからぬ企みを思いついたのを察するのは火を見るよりも明らかだった。最も間近で見ていたアスナの背筋に冷や汗が流れ、寒気が彼女の全身を襲う。

 

「訊くのは簡単だが、それじゃあ面白くない。ここは1つ、ちょっとした余興で楽しもうじゃないか」

 

 そう言った須郷は右手を前に掲げて五指を広げると、空間に向かって声高々に命令を下した。

 

「システムコマンド!! オブジェクトID《エクスキャリバー》をジェネレート!!」

 

 須郷の前の空間が歪んだかと思えば、0と1の数字が流れてたちまち1本のロングソードを形作った。暗闇の中でも煌々と輝くであろう黄金の刀身に、美麗な装飾が施されている伝説武器(レジェンダリィ・ウェポン)。数多くのプレイヤーが所在を求めて探索するも未だ発見に至っておらず、あのユージーンが所有する《魔剣グラム》を凌ぐ性能を有する伝説の剣が、たった一言のコマンドで現れた。

 

「さて、と……」

 

 現れた剣を手に取ると、須郷は床に仰向けで倒れているキリトの元へと歩み寄る。アスナとリーファは須郷が何をするのか顔を上げて見ていると、彼は剣を逆手に持ち替え、獰猛な笑みを浮かべながらキリトの腹目掛けて思いっきり突き刺した。

 

「がっ、は…………」

 

 痛みはない――――が、腹の中を剣が通る感覚はあるため、そのザラついた不快感は拭いきれない。剣は腹を貫通して床に喰いこんだらしく、仮に須郷が剣から手を離しても抜け落ちることはないだろう。

 須郷が何をする気なのかわからないが、キリトはたとえ身体を切り刻まれようとも耐えてみせるという覚悟をした。自分だけが犠牲になるのなら、アスナが辛い目に合うより何倍もマシだと、そう思えた。

 そして彼はアスナを安心させるために声をかけようとしたが、それよりも先に須郷が上空を仰ぎ、新たなコマンドを唱えた。

 

「システムコマンド! ペイン・アブソーバをレベル8に変更!」

 

 その瞬間、キリトを襲っていた不快感が変化した。現実のものには程遠いが、彼の身体を駆け巡っていた感覚は『痛み』という名の刺激にすり替わる。

 

「っ……ぐうっ……」

 

 苦悶の表情を浮かべるキリトを見下ろしながら、須郷は満足そうな顔で笑い声を響かせた。

 

「まずはツマミ2つ分といこうか。段階的に強くしていくから、覚悟しておくんだね。レベル3以下だとログアウト後もショック症状が残るらしいが、もしそうなったらそれはそれで良い研究資料になりそうだなあ。君がいつ僕に救いを求めてくるのか見ものだけど、せいぜい堪えてくれよ」

 

 毒々しい笑みを崩さない須郷の背中に、アスナが鋭い声をぶつけた。

 

「やめなさい、須郷!! こんな、こんな事が許されると思ってるの?」

「許す許さないはこの世界の神である僕が決めることだよ。それよりも、僕は君に幾つか訊きたいことがあるんだ。まず、さっきまでここにいた妙なプログラムは何なんだい?」

「……あなたに答える義理はないわ」

「ふ〜ん、そうかい」

 

 アスナが質問に対する回答を拒絶すると、須郷はキリトの腹に刺さった剣の柄に手を置き、時計回りに捻りを加えた。キリトの身には()じ切られるような痛みが発生し、彼は苦痛に満ちた表情を浮かべる。

 

「……があっ……!」

「キリト君!!」

「ほらほら、君がそんな態度をとるもんだから、彼が苦しい思いをしちゃったじゃないか」

 

 キリトは肉体を傷つけられるような物理的な痛みを、アスナは愛する人が苦しむ様子を見せつけられる精神的な痛みを。それぞれがそれぞれの理由で苦しんでいるのを、須郷はニヤニヤ笑いながら見下ろす。

 

「しょうがない。じゃあ、質問を変えよう。そもそも、ここにはどうやって来たんだい?」

「……勿論飛んできたのよ、この翅でね」

「ふうん……。じゃあ言い方を変えるけど、あのゲートをどうやってくぐり抜けて来たのかな? あれは管理者権限でロックされている筈だけど」

「それは…………」

 

 伏せた状態のアスナは、顔を持ち上げて腹越しに彼女を見るキリトと目が合った。些細なものであっても須郷に情報を与える必要はない、とキリトの目が語っているのを感じとり、アスナは開いた口を固く閉じた。

 

「……だんまりかい? しょうがないなあ……。システムコマンド! ペイン・アブソーバ、レベル6に変更!!」

 

 須郷が再びシステムに命令を下すと、腹に剣が刺さったままのキリトはさらに表情を歪めた。痛覚を緩和する機能は徐々にそのレベルを落とし、現実の痛みへと近づいていく。

 現実の肉体にまで影響が出ることはまだないが、それもすべて須郷の裁量次第であり、彼がたった一言システムに命じるだけでことは足りるのだから。事態が悪化することはあっても、改善されることはないだろう。

 これ以上キリトが苦しむ姿を見たくないアスナは、いっそすべてをさらけだし、もしもの時は自分が身代わりになろうと決意を固めてそう告げようとした――――が、アスナより先に我慢の限界を迎えたリーファが、鋭い声で叫んだ。

 

「もう止めて!! 私が……私がお兄ちゃんの代わりになるから、だから……これ以上お兄ちゃんを苦しめないで!!」

 

 悲痛に満ちた声が空間に広がり、続いて静寂が訪れると、真っ先にキリトが口を開いた。

 

「え…………? ……スグ……直葉、なのか…………?」

 

 自分を兄と呼ぶのは、世界中どこを探しても1人しかいない。訝しんだのは一瞬だけで、キリトが答えに辿り着くまで時間はそう掛からなかった。約2年振りに妹と再会した喜びと、彼女が自分から会いにきてくれたという驚きがキリトの胸の内を満たし、入り混じる。

 

「へえ、もしかして実の妹かい? ご丁寧に会いにくるとはねえ。美しい兄妹愛じゃないか。……そして自ら身代わりを買って出るその勇気を汲んで、妹君の要望に応えてあげよう」

 

 だが、須郷の言い放った言葉がキリトに冷水を浴びせ、急速に思考が冷えていく。

 しかし、自分と同じ痛みを直葉が受けるのかと思うと、それを黙って許すことができないキリトは、冷えた思考が急激に熱を帯びて沸騰するのを感じた。

 

「須郷! 貴様、スグに……スグに手を出すなっ!! スグに何かすれば、オレがお前を殺す!!」

「何も出来ない虫ケラが強がっていると、惨め以外の何物でもないよ。虫ケラは虫ケラらしく、地面に這いつくばって見ているといい。君の妹が泣き叫ぶところを、ね」

 

 そう言うと須郷はキリトに刺したままだった剣を引き抜き、ブーツを鳴らしてリーファの元へ歩み寄る。妖精王の端正な顔立ちが今やその内面を映し出し、品のない笑みを浮かべて醜悪にすら見えるほどだった。

 アスナの横を通り過ぎると、須郷は重力魔法で這いつくばっているリーファの目の前で立ち止まった。須郷は彼女を見下ろしたまま、右手に持っている黄金の剣を高々と掲げる。リーファは襲いくる痛覚に備え、固く目を瞑って全身を強張らせた。

 しかし――――。

 

 ――ドスッ……。

 

 どれだけ待っても、剣が振り下ろされる気配がないことから、リーファはおそるおそる目を開けた。すると、剣を振りかぶっている須郷の腹から、細く鋭い切っ先を持つ1本のレイピアが突き出していた。背中側から腹側へと貫通しており、その光景にリーファは思わず目を丸くする。

 

「……えっ……?」

 

 自身の腹から出ている異物に気が付いた須郷の反応は鈍いが、それが何なのか自覚し始めると、じわじわと遅れて痛みが彼を襲い出した。余裕のあった表情は崩れ、瞬く間に顔はくしゃくしゃになり、手から剣がこぼれ落ちた。

 

「あ、あああああああ!!!!」

 

 何が起きたのかわからないリーファが須郷の後方に目をやると、少し離れた場所でキリトが立ち上がっており、レイピアを投擲し終わったような格好で静止していた。

 

「そんなに叫ぶなよ。腹に響くぜ」

「お、お前……何故動ける……」

 

 重力魔法によって地面に伏せていたキリトが平然としている意味が、須郷にはわからなかった。立ち上がることすら困難なはずなのに、アスナの腰にさしてあったレイピアを引き抜き、須郷目掛けて投擲までやってのけたのだから、彼を襲っていた不可視の攻撃は消え去ったとみてよいだろう。

 

「し、システムコマンド! ペイン・アブソーバをレベル10に変更!」

 

 だが、今の須郷にとってそんな事はどうでもよく、まずは自分の腹に刺さったレイピアからくる刺激を緩和する命令をシステムに下した。

 しかし、彼の声は虚空に響いて収縮しただけで、実際に何かが起こる気配は微塵もない。

 

「な、何故だ! なんで何も起きない!?」

「無駄だ。ついさっき、オレがお前の管理者権限レベルを下げた。システムはもうお前の命令に耳を傾けることはない」

「そんな、そんなこと出来るわけがない! 僕はこの世界の神だぞ!」

「違う。お前は本来の主がいなくなったのを良いことに、玉座を横取りして王様気分でいただけの泥棒だ」

「こ、このガキ……」

 

 須郷の怒りに満ちた顔を一瞥すると、キリトは両手を広げて肩の高さまで持ち上げる。掌を打ちつけるように合わせて、パンッ、という乾いた音を鳴らすと、アスナとリーファを上から押さえつけていた力が瞬時に霧散した。地面に伏していた2人は突然の出来事に驚愕する。

 さらにキリトが右手を上に伸ばすと、須郷に刺さっていたレイピアが自動で引き抜かれ、空中を飛んで彼の手中に収まった。しっかりとレイピアを握り締めたキリトは剣を左右に払う動作をした後、須郷を真正面から視線で射抜いた。

 

「今までの借りをまとめて返すぞ、須郷。……システムコマンド! ペイン・アブソーバをレベルゼロに」

「なっ…………!」

 

 仮想の痛みを現実に値するレベルまで引き上げたことで、須郷の顔に動揺が走る。データの塊でしかない剣だとしても、それで身体を傷付けられればそれ相応の痛みを伴うし、ログアウトしたとしても現実の肉体にまで影響が及ぶおそれがある。

 そうなると、目の前にある剣の価値は本物と遜色ない。急激に現実味を帯びてきたことで身体が恐怖を覚え、須郷は1歩、2歩と足を後ろに下げた。

 

「この僕が……こんなガキに……。あり得ない…………僕は……僕は神だぞ!」

 

 須郷は床に落とした黄金の剣を拾うと、地を蹴って剣を振りかざした。

 しかし、その姿には先刻まであった余裕はなく、剣を振り続けていたキリトにとっては隙だらけに見えた。振り下ろされた剣を引きつけて躱し、レイピアで須郷の右腕を根元から斬り落とした。

 

「ああぁぁああ!! 僕の、僕の腕がああぁぁ!!」

 

 仮想の痛みが須郷の右腕を容赦なく襲う。隻腕になった妖精王は左手で切断された部位を押さえ、片膝をついて(こうべ)を垂れながら金属質の悲鳴をあげていた。斬られた腕は白い炎に包まれ、音もなく消えていく。

 全身から嫌な汗を滝のように流す須郷を見下ろしながら、キリトは一切の情けをかける事なく剣を横に薙いだ。胸の辺りを境にして分断された須郷は、絶叫とも言うべき金切り声を上げ、両眼からは涙がとめどなく溢れている。四肢を奪われ、せいぜい身体を捻るぐらいしか出来なくなった須郷は、仰向けの状態で口をぱくぱくと開閉させていた。

 これまで自分を虐げてきた須郷に対して何の感慨も湧いてこないキリトは、レイピアを逆手に持ち替えると、剣先を須郷の頭部に照準した。耳障りな声で絶叫し続ける須郷へ躊躇なく剣を真下に下ろすと、剣は須郷の右眼を貫き、後頭部にまで達した。

 

「ぎゃああああぁぁああ!!」

 

 貫かれた右眼から白い炎が生まれると、やがて広がりを見せて須郷を包む。広がった炎が消え去るまで、須郷の悲鳴は真っ暗な空間にいつまでも響いていた。

 

 

 

 

 

 須郷がいなくなったことで、辺りに静寂が訪れる。キリトは剣を床に突き立てた状態で立っていると、何かが彼の背中を軽く押した。キリトが肩越しに後ろを見ると、アスナが彼の背中に身体を預けていた。

 

「アスナが無事でよかった」

 

 そう言うと、キリトは再び顔を正面に向け、胸に手を当てて安堵の表情を浮かべているリーファに微笑んだ。

 

「スグも、無事でよかった」

「お兄ちゃんが守ってくれたからだよ。ありがとう。…………でも、お兄ちゃんは一体何をしたの?」

 

 すると、つい今まで柔らかかったキリトの表情が少しだけ険しくなった。口元に手を添えて何か考える素振りを見せると、彼は間を置いて口を開いた。

 

「……声が聞こえたんだ。頭に直接響いてきたその声に従って、とあるIDにログインして、オレはGM権限を行使したんだ。IDは…………」

 

 次に彼が口にした単語は、最強のプレイヤーとして、しかし最後は魔王としてキリトの前に立ちはだかった者の名だった。

 

「……《ヒースクリフ》」

 

 キリト達の頭上に広がる世界の深奥から錆びた声が聞こえたのは、その直後だった。

 




少々駆け足でしたが、キリト達のALOにおける戦闘は終了です。
次からはカイトVSアリシャとなりますが、戦闘の他にALO編の伏線というか、前置きというか…………を回収します。


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第79話 能ある猫は実力と本意を隠す

 

「《アリシャ・ルー》って、結構可愛い名前だと思わない? 元々は本名の天津河理沙(あまつかりさ)から3文字とった《アリサ》で登録しようとしたんだけど、もう別の誰かに取られてたみたいでね。だから《アリサ》を《アリシャ》に変えて、後ろに《ルー》を付け足して可愛い名前にしたの」

 

 キリトが須郷を斬り伏せた頃、反対側の道を進んだカイトとアリシャ・ルーは、のっぺりとした通路の真ん中で対峙していた。

 しかし、平然としているアリシャとは正反対に、カイトの心は彼女の正体を知ったことで少なからず動揺していた。アリシャの失言を手掛かりに考察した結果、『レクトの社員』であるとおおまかに推測していたカイトだったが、まさか自分にとって身近な存在である従姉弟の理沙だとは、これっぽっちも考えていなかったのだから。

 

「……まんまと騙されたよ、色々とね」

「あら、人聞きが悪いわね。騙すつもりなんて最初からなかったわよ?」

 

 アリシャは片足に体重を乗せると、腰に手を添えて不敵に笑った。

 

「ただ、言う必要がなかっただけだもの」

 

 カイトはその物言いを聞いた時、目の前の人物は間違いなく自分の知る天津河理沙(あまつかりさ)なのだと実感した。

 彼女は自ら多くを語ることはしない。別に人見知りだとか、寡黙な性格だとかいうわけではなく、寧ろその対極に位置する性格だ。ただし、それは自分に関すること以外に該当するのであって、自分のこと若しくは自分が関わっているものに限り、余計なことをペラペラと喋るのは必要最低限にとどめている。

 そう聞かされると、大抵の人は彼女のことを秘密主義者のように感じるが、実際には違う。単に自分から話すことはしないだけであって、人から訊かれれば素直に答えるからだ。

 

「……公務員っていうのは嘘で、本当はレクトの社員だったの?」

「職業に嘘はないわ。もっと言えば、私のいる部署は悠人ちゃんにとって親しみさえ感じるかもね。ほら、菊岡さんって知ってるでしょう?」

 

 それだけ言われれば、真っ先に答えへ辿り着くのは簡単だった。

 

「仮想課……」

「そうそう。あの人、悠人ちゃんの担当でしょ。本当は私が担当したかったんだけど、『身内だと余計な感情が入って公平な対応が出来ない恐れがある』っていう理由でダメだったのよ」

 

 本気で残念そうな彼女の様子は隅に置き、カイトはさらに続けた。

 

「総務省の……仮想課の人間なら、元SAOプレイヤーの名簿なんて簡単に手に入るもんな。…………ところで、どうしてシステムアクセス・コードをアスナが持ってるって知ってたんだ?」

「正確には、アスナちゃんが持っているのを知ってたんじゃなく、悠人ちゃんかアスナちゃんのどっちかが持っていると思ってたのよ。キリト君にシステムアクセス・コードを渡したのは、私なんだから」

「オレかアスナのどちらかに渡るのを見越して?」

「そうよ」

 

 自信満々に言ってのけたアリシャを見て、カイトは少しだけ彼女が恐ろしく思えた。これではまるで、自分達はずっと彼女の掌の上で踊らされていたみたいではないか、と。

 そして訊けば訊くほど、カイトの中で不明な点が生まれていく。

 

「というか、レクトの社員でもない仮想課の人間が、どうしてそんな物を持ってたんだ? しかもキリトに渡したってことは、世界樹の上にいたってことだし」

「……今の私は、ちょっとした事情でレクトのフルダイブ技術研究部門のスタッフなの。研究チームのメンバーなら、世界樹の上にある仮想世界に設けられた施設へ出入りするのは簡単よね。ま、それも今日までの話だけど」

「どういう意味?」

「言葉の通りよ。私がレクトの一員として潜り込んだ目的は今日で達成されるから、これ以上居てもしょうがないってこと」

 

 この時、アリシャの目線が斜め上に向けられたのを、カイトは見逃さなかった。その方向に何かあるのかと思ったが、何のことはない、ただ視界に表示されている現在時刻を確認しているのだとわかった。

 

「まだいいか…………。ねえ、悠人ちゃん。折角だし、少しだけ遊んでいかない? 元々ここはゲームの世界なんだしさ」

「遊ぶって、一体何をするつもりなのさ?」

「決まってるでしょう。ALOはPvP推奨なのよ」

 

 そこまで言われれば、さらに訊き返すなどという真似はしない。アリシャは今、カイトに1対1の勝負を持ちかけているのだ。

 その提案を聞いたカイトは、暫し黙考した後、口を開いて鋭く言い放った。

 

「嫌だね」

「あら、それはどうして?」

「りーちゃんと戦う理由がないから」

「じゃあ、悠人ちゃんはいつも何か理由がないと戦わないの?」

「別にそういうわけじゃないよ。ただ、今のオレにとって最も優先すべきことは、ユキを探して見つけることなんだ。そういう事情がなければゲームを楽しむ一環として手合わせするだろうけど、今はその時じゃない。また今度にしてよ」

 

 カイトは止めていた足を再び前に動かして歩き出すと、アリシャとの距離を縮めていく。脇目も振らずに彼女の横を通り過ぎようとしたが、すれ違う瞬間、アリシャは小さく、だがカイトの耳に届く程度の声で呟いた。

 

「この施設内を普通に探すやり方だと、彼女の元に辿り着くのは不可能よ」

 

 聞き捨てならないアリシャの言葉に、カイトの足が思わず止まる。カイトとアリシャは背を向けたまま、約3メートルの間隔をあけて会話を続けた。

 

「この世界で囚われている元SAOプレイヤーは、約300人。そのほとんどは私達みたいなアバターを持たずに《実験体格納庫》で監禁されているけど、例外が2人いるの。1人はキリト君で、もう1人はユキちゃん。キリト君は須郷が鳥籠に閉じ込めてイジメているみたいだけど、ユキちゃんは別。ちなみに彼女の存在は、須郷ですら知らないわ」

「須郷はこの施設の責任者みたいなもんだろ? ……なんで須郷が知らないような事を、りーちゃんが知ってるのさ?」

 

 背中を向けたままだったアリシャだが、ここでようやく、彼女は振り返り、カイトに向かって衝撃の事実を告げた。

 

「だって、実験が始まる前に選別して彼女を個別に監禁したのは、私なんだから」

 

 アリシャの告げた事実を聞いたカイトは振り返り、目を丸くして彼女を見た。2人の視線がぶつかるが、アリシャの瞳の奥にある真意を図る事はできない。

 見開かれた瞳の奥に驚愕の感情が浮かび上がっているカイトを見たアリシャは、満足気な顔で微笑んだ。

 

「ほら、戦う理由、出来たでしょう?」

 

 その言葉が開戦の合図となり、カイトは背中の剣を抜剣、アリシャは腰に備え付けているクローを同時に装備すると、大きく1歩踏み出して各々の武器を渾身の力で振るった。カイトの上段斬りとアリシャが左右から繰り出した水平軌道の一閃が接触すると、全ての膂力(りょりょく)が1点に集中し、橙色の火花を散らした。

 

「ユキは何処?」

「私に勝ったら教えてあげ…………るっ!!」

 

 鍔迫り合いに気をとられていたカイトの隙を突き、アリシャは右足で彼の脇腹を蹴りつけた。ダメージ自体はたいしたことないが、僅かなノックバックによって一瞬怯み、カイトは眉を細める。さらには剣を押し込んでいた力が緩んだため、左手のクローを腰だめに構え、鋭い突き技でカイトの肩を(えぐ)った。

 

「うぐっ……が…………」

 

 足がもつれたカイトは後ろによろけ、赤いダメージ痕が残る右肩を左手で押さえた。

 

「ほらほら、どんどん行くよ」

 

 今度は右手のクローを下段に構え、下からすくい上げるようにしてカイトに3本のダメージ線を刻みつける。左手のクローも同じように下段から繰り出した後、今度は頭上で振りかぶった両手のクローを思い切り振り下ろした。

 

「お…………おおぉぉっ!!」

 

 カイトは崩れた体勢を無理やり立て直すと、剣を素早く腰だめに構え、下段からの単発斜め切りをイメージして迎え撃った。両者の武器が再び接触してまたも火花を散らすが、両手で上から全体重をかけて繰り出したアリシャの攻撃に対し、下段からの切り上げ、それも片手武器の反撃では分が悪く、カイトは上から押さえつけられる形で追い込まれる。

 カイトは唇を噛んで耐えるが、これ以上続けても形勢逆転できる見込みは薄いと判断し、アリシャから受けている力の流れに逆らうことなく後方へ大きく跳び退いた。

 

「逃がさないよ」

 

 だが、愛嬌のある容姿とは裏腹に猫科の獰猛な狩人と化したアリシャは、目の前で遁走する獲物を逃す気がない。身を屈めて溜めを作ると、自らが弾丸となり、地面スレスレで床を猛然と疾駆した。

 

(速い…………っ!)

 

 開いた間合いなど最初からなかったかのように詰めると、アリシャは突進の勢いを乗せて立てた爪を斜めに振るう。カイトの身体を深々と抉ると、強烈なノックバックが彼を襲った。

 

「ぐはっ……!」

 

 体勢を立て直す余裕もなく、カイトは背中から床に着地し、そのまま数メートルの距離をひきづるようにして疾った。身体の前面はクローのダメージが、背中には床との摩擦で生まれた不快感が押し寄せる。そしてカイトが仰向けの状態で顔を歪ませていると、彼の頭上でアリシャが跳躍しており、動けないカイトに上から追撃をかけようとしているところだった。

 咄嗟に身体を捻って横に転がると、すんでの所で回避に成功。すぐに身体を起こして剣を左腰に据えると、右足で床を蹴り、地を這うような低さで駆ける。身体に染み付いた基本突進技を側面からアリシャに叩き込むためだ。

 しかし、そんな彼の行動を見透かしていたかのように、アリシャは充分な時間と余裕を持って後方に飛び退(すさ)った。カイトの剣は何もない空間を虚しく貫き、風を切る音だけが辺りに響いた。

 

「ふむふむ、なるほどね……」

 

 アリシャは両手に装備したクローを合わせ、研ぐように滑らせて爪を鳴らす。彼女のカイトを観察するような様子から察するに、ここまで起きた一連の流れは、おそらく彼の力量を測るためのものだったのだろう。咄嗟の状況判断、危機回避能力、攻防の切り替えがどの程度なのかを見極め、伝説の城の最前線を駆け抜けていたカイトという名のプレイヤーの実力を丸裸にするために。

 今の段階でアリシャがどう思っているのかは不明だが、カイトの中では既にアリシャに対する評価が下っていた。

 

(強い……。攻略組だった連中と遜色ないぞ)

 

 クロー装備は軽量武器であるがゆえ、一撃の重みは問題視するほどのものではない。事実、今の展開で幾つも攻撃を受けたが、ダメージ量はそこまで多大ではないからだ。

 だが、それを補ってあり余るほどのものが、アリシャにはあった。

 瞬時に間合いを詰める敏捷性、両手に装備したクロー武器を自在に操る技術、詰め将棋のように敵を追い詰める戦術、相手の動きに対する反応速度など、どれをとっても一級品だが、中でも特筆すべきは、やはりクロー装備の扱いと反応速度だろう。

 主武装でクローを使うプレイヤーは少なくないが、その中でもアリシャは特殊だ。なにせ、一般的には片手に装備するクローを、()()()()()()()()()のだから。

 片手武器を両手に装備する二刀流の扱いは難しいが、クローにも同じことが言える。自在に扱えるレベルにまでもっていくには、長い時間をかけて反復練習をするほか、プレイヤー個人の技量、センス、あるいは才覚に頼る部分が大きいからだ。かつてのキリトが二刀流スキルを公開した時、既に剣を自在に振るえるレベルにまで達していたが、それも本人が並大抵ならぬ努力で鍛錬を重ねた結果であるのと同じで、一朝一夕で身につくほど甘いものではない。武器を交えた時間は瞬く間であったが、だからこそ彼女の努力が伺える。

 

 しかし、やはり最大のキモは高い反応速度だ。アミュスフィアからのパルスを脳が受けとって処理し、運動信号としてアバターにフィードバックする時間が速ければ速いほど、アバターのスピードも速くなるのだが、茅場晶彦が《二刀流》スキル取得の条件に『最大の反応速度を持つ者』と定めたのは、彼の思い描く二刀流使いの理想形にこの要素が必要不可欠と考えたからだろう。『攻撃は最大の防御』を両手に武器を装備した状態で実演できるほどの持ち主でなければ、真の二刀流使いにはなり得ない、と。

 そして厳密には二刀流と呼べないが、両手にクローを装備したアリシャの戦いぶりと垣間見えた反応速度から判断するに、彼女もキリトと同等のポテンシャルを秘めている。もし彼女がSAOの虜囚であったならば、《二刀流》スキルはキリトとアリシャ、どちらに渡っていたか際どいところだった筈だ。それこそ、システムの神のみぞ知るといっても過言ではないほどに――――。

 

(こいつは心してかからないとな……)

 

 片膝をついた姿勢から立ち上がり、右手を前に出して半身になる。左足を後ろに引いて全身の力を適度に抜くと、彼の纏う気迫が空気を伝ってアリシャをピリッと刺激した。

 

「ようやくエンジンがかかったみたいだね。ちょっとスロースターターな気もするけど」

「本気でぶつかるべき相手だと考え直しただけだよ。…………勝てばユキの居場所を教えてくれるんだよね?」

「そうよ、約束は守るわ。それにしても……うん、やっぱいいわね、こういう展開。お姫様を助けるために勇者が奮闘するのは王道のシチュエーションだけど、私は結構好き。それに勇者の前に立ちふさがる悪役って、1度やってみたかったの。舞台を用意するのには苦労したけど、ここまでくればその労力も報われるわね」

「…………どういう意味?」

 

 張り詰めていた空気が少し緩み、カイトは少しだけ肩の力を抜いた。何気なく口にしたアリシャの言葉が、何故か妙に引っかかる言い方だったからだ。

 

「悠人ちゃんがALOにダイブする前から、私は今日のために準備を進めていたの。(くすぶ)っていた悠人ちゃんの熱意を病院で焚きつけたのは誰? 悠人ちゃんが動き出すきっかけは、私が煽るような事を言ったからだと自負しているのだけど」

 

 理沙と共にユキの病室へ見舞いに行った際に交わした彼女との会話で、自分から動いてユキを救い出す決心をカイトがしたのは確かだ。

 

「そのすぐ後、ALOでキリト君とおぼしき人物の映った画像が見つかったけど、タイミングが良過ぎだと思わなかった?」

「なんでそれを…………」

「だってあの画像を彼に渡して悠人ちゃんに見せるよう指示したのは、私だもの。ちなみに彼っていうのは、アンドリュー・ギルバート・ミルズ…………エギルさんって言えば親しみやすいかな? 彼ね、私が担当するSAO生還者(サバイバー)の1人なの」

 

 病院でユキを助け出す決意をしたカイトは、自分の担当である菊岡にあらかじめ頼んで入手してあったエギルへ電話をかけた。『何かわかれば連絡してほしい』と言いつつ、過度な期待はしていなかったのだが、それから間もなくキリトらしき人物が鳥籠の中に幽閉されている写真をエギルから見せられた時、事態を先へ進めようとするあまり肝心の入手先等には一切触れなかった。

 

「……オレがALOにダイブするよう誘導したのか?」

「正確には『世界樹の上に行くよう仕向けた』かな。キリト君とおぼしき人が世界樹の上にいると知れば、当然悠人ちゃんや彼を大切に想っている明日奈ちゃんが動くのは簡単に予想できたし」

「でも、世界樹の上に行くにはグランドクエストをクリアする必要があるだろ。運営開始から1度もクリアされていないものを、オレとアスナが突破出来る確信でもあったわけ?」

「ALOがSAOのサーバーをコピーしているのは調査済みだったから、2人のキャラクターデータが引き継がれるのはわかってたわ。ただ、いくら最前線で戦っていたトッププレイヤーでも、たった2人でグランドクエストをクリアできるとは私も思っていなかった。だからこそ、表向きにはシルフとケットシーによる世界樹攻略と銘打って、悠人ちゃん達が世界樹を攻略するための手助けをする部隊の編成をしたの。サクヤちゃんを含めて協力してくれたみんなを騙すことになったから、少しだけ申し訳ないと思うけどね」

「じゃあ…………2種族の同盟は、最初から……?」

 

 どれだけ高いステータスを誇ろうとも、流石の理沙もたった2人でグランドクエストを攻略できるとは思っていない。2人をサポートする大規模な戦力が必要だと考えた彼女は、悠人がカイトとして再び仮想世界へ降り立つ前に、サクヤと世界樹攻略の同盟を結ぶ手筈を整えていたのだ。

 

「第一私は、天蓋のゲートが一般プレイヤーには絶対開けられない仕様だって知ってたしね。……それで、戦力の確保をしたはいいけど、次に浮かぶ問題は私達と悠人ちゃん達が出会って、2人も世界樹攻略に参加する、っていうキッカケ作りなのよ。まあ幸いにも須郷がキリト君のキャラクターデータをそのまま流用してイベントNPCとして運用していたから、それを利用させてもらったけどね」

「どういう事…………?」

「ふふ、じゃあ特別に教えてあげる。実を言うと、キリト君を参考にして作った《黒の剣士》って、運営サイドからある程度行動を操作できるのよ。それを利用して悠人ちゃんと鉢合わせて戦わせたり、目的地を《蝶の谷》に設定して、会談をわざと襲わせたりもしたの」

 

 そうなると、2度に渡って繰り広げた二刀流剣士との戦闘は、偶然などではなく、理沙の手によって起こるべくして起こった出来事だったと言える。

 

「本当なら《黒の剣士》が会談を襲っているところを悠人ちゃんが颯爽と現れて、その強さに惹かれた私が傭兵として雇うっていうのが筋書きだったんだけど、あの時は色々なイレギュラーが重なって内心ヒヤヒヤしたなあ。流石にシグルドの裏切りとサラマンダーの強襲を予測するのは、いくら私でも無理だわ。ま、結果的に上手くいったからいいけどね」

 

 カイトをこの場所まで誘導するために幾つもの布石を打っていたようだが、それらが全て噛み合わさり、結果的に彼女が望むゴールへ辿り着く可能性は限りなくゼロに近いはずだ。

 だが、彼女はそれを成し遂げた。極細のロープで築かれた綱渡りを、彼女は対岸から対岸まで渡りきったのだ。

 そんな彼女の手腕と、これまで自分の意思で行動していたと()()()()()()()事に、カイトはこれまで味わった事のない種類の恐怖を感じていた。動きを見透かされて意のままに操られていた彼は、何も知らずに掌の上で踊り狂うピエロも同然だ。

 

「…………何もかも筒抜けだった、って事か。ここ最近やたらとうちに来てたのは、オレの様子を見るためだったんだね」

「う〜ん…………半分正解、かな」

「残り半分は?」

「私が悠人ちゃんにベタ惚れなのは知ってるでしょ? 個人的に会いたかったからよ」

「さ、さいですか……」

 

 最後の答えには少々拍子抜けしてしまったが、その回答は実に彼女らしいものだとカイトは感じた。今まで知らなかった彼女の裏の顔とも言える一面を見た時、目の前にいるアバターの中には理沙を演じている別人がいるのではないかと疑いもしたが、それはただの考えすぎだったようだ。

 カイトは左手で頭を掻くと、小さなため息を一つ漏らした。

 

「なんだか1度に色んな情報が入ってきて、頭が混乱しそうだよ。訊けば訊くほどまた訊きたい事が増えるから、ちょっと休憩させてもらうけど」

「あら、まだ何か知りたい事でもあった?」

「とぼけないでよ。さっきから包み隠さず話しているようにみえるけど、肝心要の部分は避けてるでしょ。付き合い長いからわかるよ、そういうの」

「……………………」

 

 アリシャは何も言わず、表情も崩さない。感情が露骨に出るVRワールドだと、些細な動揺もすぐ表情に出るのだが、目に見える変化はアリシャの猫耳がわずかに動いただけだった。

 そして、カイトはその反応と沈黙を肯定と捉えた。

 

「仮想課のりーちゃんが潜入捜査……かはわからないけど、レクトにいる理由。それと、オレとアスナを世界樹の上に行かせたかった理由。まさかとは思うけど、この2つは何か繋がっているんじゃ」

 

 アリシャに構わず話を続けたカイトだが、アリシャは重く閉じていた口を開けると、聴き慣れない言葉で彼の言葉を遮って上書きした。

 

「《プロジェクト・アリシゼーション》……」

「えっ?」

「……ごめんね。今はこれだけしか言えないの」

 

 困ったような顔を浮かべると、アリシャは謎めいた笑みをこぼしてそう呟いた。それはまるで、これ以上は踏み込んでほしくない、とでも言いたげなようにも見えた。

 

「…………さて、お喋りはここまで。悠人ちゃんはここで立ち止まってる時間が惜しいんじゃない?」

「……あぁ、そうだね。そうだったよ」

 

 不審点は数多くあるが、今はそれらに拘る必要はない。後で纏めて解消すればいいだけだ。

 カイトは右手の剣を左右に振ると、脳裏に留まり続ける雑念も一緒に振り払い、両眼に光を灯らせた。

 

 




冒頭にあるプレイヤーネームくだりは少し無理があるかもしれませんね……。

原作ではどういった分類なのかはっきりと覚えていませんが、拙作でのクローは『小型の片手軽量武器』として扱います。

今回の話で予め散らしておいたものを幾つか回収しました。未回収のものは今後の展開で徐々に拾っていきます。


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第80話 潜思と覚醒

 猫妖精(ケットシー)をとりまとめる領主である時点で、アリシャ・ルーの実力が一般プレイヤーのそれと一線を画しているのは、簡単に想像できるはずだった。

 しかし、飄々(ひょうひょう)とした仕草や言葉遣い、愛嬌のある顔立ちから、つい彼女が種族の長であるのを忘れてしまう。親しみやすく壁を感じさせない独特の雰囲気がそうさせているのだが、闇討ちの危険性を有している領主という立場である以上、トッププレイヤーの中に名を連ねるくらいでなければ務まるものではない。

 その点はカイトも十分理解していたが、それでも改めて思わずにはいられなかった。

 

 ほんと、ビックリするぐらい強いな

 

 ――――と。

 

 

 

 

 殺風景な白一色の廊下に、甲高い金属音が飛び交う。不規則に打ち鳴らされる硬質な人工音は時に小さく、時に大きく響き、剣戟の合間では時折気迫のこもった叫び声さえ交じっていた。

 

「オオオッ!」

 

 右腕を鞭のようにしならせ、カイトが左から右への水平斬りを繰り出す。アリシャは左右のクローで連続攻撃をしていたが、咄嗟の判断で攻撃を中断し、小さなバックステップでカイトの攻撃圏外へと離脱した。

 しかし、カイトの腕の振りが予想以上に速かったのと、ほとんど密着する形で戦っていたのが重なり、アリシャの胸元を剣先が真一文字に撫でる。赤々としたダメージ痕がその存在を主張するが、それに構わずアリシャは着地と同時に一瞬溜めを作り、腕を身体の前でクロスして果敢にカイトへ突進した。

 腕を振り抜いた状態のカイトは防御姿勢をとる暇もなく、腹の中心に猛烈なタックルを喰らった。ドン、という衝撃が身体の中心を起点にして全身に満遍(まんべん)なく拡散すると、彼は体勢を崩し、身体が後方へと傾き始めた。

 

「く………………」

 

 ノックバックはあるものの、ダメージ自体は大したことない。だが、当然彼女の狙いはダメージ云々ではなく、タックルは次なる一手の布石に過ぎなかった。クロスしていた腕を開くと、追い打ちをかけるべく下段に構えた。

 一方、カイトの身体は重力に引かれ、最早体勢を立て直すことは叶わない。好機とみたアリシャは迷うことなく彼に向かって飛び込み、真っ直ぐ腕を突き出した。鋭利な爪がカイトの胸元に迫る。

 しかし、クローの先端が胸元に到達する寸前、アリシャはカイトの異変に気が付いた。彼の瞳に焦りの色は一切なく、寧ろチャンスを伺ってタイミングを計っているということに。

 

「……おおっ!」

 

 思い切り地面を蹴り、ブーツのつま先がアリシャの水月を抉る。カイトの繰り出した後方宙返りしながらの垂直蹴りがクリーンヒットしたため、アリシャは上体を大きく仰け反らせた。

 攻撃はクリーンヒットしたが、武器によるものではない上に不安定な体勢で繰り出したため、ダメージ自体は気に留めるほどでもない些細な量だ。それでも、敵の攻撃を阻止し、加えて自らの姿勢を整える時間稼ぎには十分過ぎるほどだった。素早く立ち上がって剣を肩に担ぐと、カイトはアリシャに向かって飛び込んだ。

 左手で胸元を押さえ、苦しそうな表情を浮かべていたアリシャは反射的に右腕を持ち上げる。上段から襲いかかる剣をどうにか受け止めた後、彼女はポツリと一言呟いた。

 

「くう……女性を足蹴にするなんて、男の子失格だぞっ!!」

 

 アリシャは右手で剣を受けたまま、胸元を押さえていた左手を離して腕を素早く後ろに引き絞り、間髪入れず正拳突きの要領で真っ直ぐ突き出した。

 だが、これをあらかじめ予測していたカイトは攻撃を喰らう前に飛び退(すさ)ったため、苦もなく回避に成功した。距離をとったため、超高速近接戦闘を繰り広げていた彼と彼女にとって、お互いの立っている位置間隔が久方ぶりに大きく開いた。

 

 一瞬たりとも気の抜けない攻防の応酬に、カイトは思わず息をするのも忘れてしまいそうになるが、その一方でハイレベルな戦闘は常日頃から死の危険に晒されていたかつての自分を呼び起こす良いきっかけにもなっていた。最初こそアリシャに圧倒されていたが、HPの減少スピードは停滞し、今は落ち着きを取り戻している。

 しかし、数値だけで判断すれば残り体力はアリシャが上だし、一見してカイトが劣勢なのは変わらない。流れを断ち切って状況をリセットするために5メートル程の間合いをとったが、こんなものはどちらかが本気で詰めればすぐに埋まるものなので、あってないようなものだ。それでも、戦闘の間隙(かんげき)をぬって作った場を有効利用するため、一先ずは気持ちを落ち着かせるように大きく深呼吸を1つした。

 新鮮な空気を肺いっぱいに取り込んだカイトが次にしたのは、意識の7割をアリシャに向けつつ、残りを別のものへと向けることだった。具体的には、つい先刻彼女が口にした、聞き慣れない言葉だ。

 

 《プロジェクト・アリシゼーション》。

 

 カイトがアリシャを詰問し、その回答としてこの言葉が絞り出されたが、現段階では含まれている意味が何かを汲み取ることはできない。唯一わかるのは、総務省の人間であるアリシャ・ルー/天津河理沙がレクトに潜り込んでいる理由と、彼女がカイト達をあの手この手でこの場所まで誘導した理由は、この一言に集約されているということだ。

 

(もしかしたら…………いや、考えすぎ……なのかな…………?)

 

 アリシャに向けていた意識が5割にまで低下し、考え事に向ける意識が5割にまで上昇した。

 レクトと言えば、国内で総合電子機器メーカーとして名を馳せている一流企業だが、近年ではフルダイブ技術の研究に力を注いでいる。それもそのはず、SAO事件があったにも関わらず、フルダイブ型ゲームマシンを求める市場ニーズは下火になるどころか、寧ろ逆の傾向を示しているからだ。

 そして、現にレクトはフルダイブ技術において高い水準を有しているが、はたから見れば産業スパイともとれる立ち位置のアリシャがレクトに潜伏する理由は、その技術を盗むためではないだろうか。

 そして盗んだものは《プロジェクト・アリシゼーション》なるものに還元され、ゆくゆくは壮大な計画へと進化を遂げるのでは――――。

 

「ヤアッ!!」

 

 思考がそこまで至った時、気合の上乗せされた声を耳にしたカイトはハッと我に返った。

 そして次の瞬間、彼の目に飛び込んできたのは、ネコ科の肉食獣が爪を立てて猛然と自身に迫る姿だった。

 

「ぐあっ!」

 

 アリシャは突き出した爪の先をカイトの胸に喰い込ませると、そのまま真下に振り下ろした。痛々しい爪痕が刻まれ、クリティカルヒットを示すエフェクトが弾けると、この一戦で最も大きなHPバーの変動が生じた。

 

「戦闘中に考え事をするなんて、まだまだ余裕がある証拠だね」

 

 よろめき、床に片膝をついたカイトを、アリシャは微笑みながら見下ろした。胸のダメージ痕はすぐに消えたが、不快感は傷が消えた後でもしばらく残留し続けた。

 カイトはやや俯きながら視界の端に表示されているHPバーを見ると、半分を割って残り3割程度にまで減少していた。考え事に意識を割きすぎるのはあるまじき失態だが、ここは一瞬の隙を逃さず突いた彼女を褒めるべきだろう。

 

(……そうだ。今は余計な事を考える暇なんてないはずだ)

 

 アリシャの意味深な発言も、未だハッキリとしない目的も、現状ではカイトにとって未来に先送りして問題ない瑣末(さまつ)なものでしかないのだ。戦闘開始直後に交わしたアリシャとの会話内容にこだわりすぎていたが、彼にとっての解決すべき優先事項は、アリシャの口からユキの居場所を吐かせることなのだから。

 いつの間にか不快感が消えていたことに気がつくと、カイトはすっくと立ち上がった。

 

「…………ふうん、まだ心は折れてないのね。そんなにあの子が大切なの?」

「大切だよ。世界で1番って言っても過言じゃないくらいに」

「……嘘偽りのない、真っ直ぐな答えね。若いって良いなあ」

 

 そう言って小さく微笑んだ後、アリシャは両手に装備したクローを擦り合わせた。

 

「さて、そう長くはかからないでしょうけど、再開しましょ。最後の最後まで、ゲームは全力で楽しまなきゃ」

「ゲームを、楽しむ……」

 

 この時、アリシャにとっては何気なく口にしたつもりだったが、カイトにとっては忘れていた感覚を思い出す言葉となった。

 

 アバターの死がイコール本物の死となるSAOにおいて、カイトは数多くの犯罪者(オレンジ)プレイヤーと対峙し、幾つもの死線をくぐり抜けてきた。その結果、相手の制圧を目的とした戦い方に習熟している彼だが、その弊害として、PvPでは無意識に()()()()()がついてしまったのだ。

 それもそのはず、彼が相手にする犯罪者(オレンジ)プレイヤーのほとんどは、中層を根城にする者ばかり。SAOはレベル制MMOであるため、最前線を駆けるカイトと中層をメインに動く犯罪者(オレンジ)プレイヤーとでは、どうしてもステータスに差が出てしまう。仮にカイトが全力で挑んだとしたら、相手は抵抗虚しく、瞬く間にHPを消しとばされてしまっていたはずだ。

 そうした事情を考慮すれば、彼は必然的に手加減せざるをえない。そして力量差のありすぎる敵、つまり格下と対峙すればするほど染み付き、それはやがて意識する必要のない、いわば『癖』という形で落ち着いた。相手を殺してはいけないという意識が生んだ、自分自身と相手を守るための防衛本能とも言える。

 

 今はデスゲームという特殊な環境下から解放されたので、最早そういった事を考える必要はないのだが、一朝一夕で抜けるほど簡単なものではなかったらしい。対サラマンダー戦でカイトに斬り伏せられたプレイヤー達には気の毒だが、無意識とはいえ、力を抑えた状態の彼にすら劣っていたということだろう。

 だが、目の前にいる彼女は違う。全身全霊、持てる力の全てを出し切る価値がある相手なのだから。

 

(もう、あの頃とは違うんだ…………)

 

 アリシャに言われたことで、不思議と彼は憑き物が落ちたかのように肩が軽くなるのを感じた。何故今まで気が付かなかったのか不思議でしょうがないが、変な気は回さず、ゲームとしての対戦を楽しめばいいのだ、と。ここはもう、デスゲームではないのだ。

 

 カイトは剣を握り直すと剣先をアリシャに向け、いつもよりゆったりとした動作で半身に構えた。一見してのんびりとした印象を受けるかもしれないが、眼光の鋭さはより一層増している。さらには原因不明の悪寒がアリシャの全身を駆け巡ったため、彼女は警戒のレベルを1段階上げた。

 その上で、アリシャは勇猛果敢に飛び出した。時間をかけて相手の出方や自ら繰り出す一手を考えても良いが、それはカイトにも考える時間を与えるのと同義。

 

 初手は捻りのない、右のクローによる袈裟懸けの一撃。カイトは真正面からの一閃を苦もなく弾き返し、次の一手を待つ。続くアリシャの第二撃、第三撃も決定打にはならなかったが、彼女の表情が崩れる様子はなく、寧ろこの程度の展開は予想済みとでも言いたげだ。

 この衝突を皮切りに、2人は乾いた音色を剣戟の応酬で奏で始めた。音色と共に弾ける橙色のスパークが室内を照らし、2人の剣舞を際立たせる演出の役割も果たしている。奏者であり演者でもあるカイトとアリシャは紙一重の攻防を繰り返し、いずれ生じるであろう一瞬の隙を待った。

 

 そしてその瞬間が生まれたのは、アリシャが繰り出した右のクローによる直突きを、カイトが剣で受けた時だった。

 カイトの右脇腹が空いたのを見たアリシャは、左のクローを下からすくい上げるようにして放った。カイトは防御に徹しているし、角度的にも彼の右腕がアリシャの攻撃を上手く隠している。鋭利な爪が彼の腹を深く抉り、傷痕が刻み付けられる未来をアリシャは予期した。

 しかし、それよりも早く、奇怪な現象がアリシャを襲った。

 

「……えっ…………?」

 

 世界が傾いた――――否、アリシャの身体が傾いたのだ。

 カイトが右足で彼女の足を払ったために、アリシャはバランスを崩して左に倒れ始めたのだ。すくい上げていた左手はカイトの肩を掠める程度で空振りし、彼女はそのまま左肩から重力に引かれて床に迫る。

 そしてアリシャの肩が床と接地するまでの僅かな時間に、カイトの剣が閃いた。左脇腹に抱え込むようにして構え、一瞬の溜めを作ると、即座に右へ斬り払った後、不可視の壁に当たって跳ね返ったかのように同じ軌道を逆方向に辿る。獰猛な蛇の一咬みにも似た剣技が、アリシャの腹部に咬みついた。

 

「あぐっ……」

 

 アリシャは激しいノックバックに突き飛ばされ、10メートル程床を転げ回った所でようやく体勢を立て直し始めた。両手を床につけて跳び上がり、後方宙返りを織り交ぜつつ、最後はアクロバットな動きで両足を地につけた。

 アリシャは苦悶に満ちた表情で真っ直ぐ前を見据えるが、眼前にいるべき人物――――カイトの姿が忽然と消えていたことに驚き、思考が一瞬停止してしまった。しかし、一時停止した脳をすぐさま再起動させると、彼女はほぼ無意識に後方を振り返る。遮蔽物のない1本道の廊下に隠れられるような場所はないため、視界から消え去ったのは背面に回り込んだ以外にないと考えたからだ。

 だが――――。

 

「ありがとう、りーちゃん。なんか吹っ切れた」

 

 カイトの行動は、そんな彼女の直感を容易く裏切るものだった。

 アリシャが頭上から降り注いだ声に反応して上を仰ぐと、ブーツの底を廊下の天井につけ、膝を大きく曲げて溜めを作るカイトの姿があった。天と地にいる2人の視線が重なるが、カイトはそれを打ち破り、天を蹴ってアリシャに突進した。

 ステップによる回避は間に合わないと判断し、アリシャは両手のクローを重ね合わせ、頭部を覆ってガードに専念する。襲いくる剣戟に備えた彼女は両足で踏ん張るが、その衝撃は想像以上のものだった。

 

「く…………」

 

 カイト自身のステータスに加え、天井を蹴った際の加速と重力が上乗せされた一撃だ。歯を食い縛って耐えてみせたが、両手剣を大上段から振り下ろしたかのような一撃に、彼女のクローも悲鳴をあげる。無数の火花と耳をつんざく轟音と共に、刃が小さく欠けた。

 しかし、そんな彼女の様子は瑣末なことだとでも言わんばかりに、カイトは言い放つ。

 

「オレはまだまだ強くなれる。あの世界にいた頃とは違って、これからは遠慮も容赦もしない」

 

 至近距離からそう宣言した彼の瞳を覗き込んだ時、アリシャの背筋を再び言いようのない悪寒が疾った。

 現実世界のカイトは、彼女から見ればまだまだ子供で、からかいがいのある弟のようなものだ。

 だが、今目の前にいる彼からは、そんな印象を一切抱かせないオーラを放っている。瞳には鋭利な光を宿し、抑揚の薄い声は凍えるような冷気すら感じとれた。

 そんな彼が放っているものの正体が、静かな、あまりにも静かな《殺気》だと気が付いたのは、カイトが右足を踏み込み、自然な動作で剣を身体の真横に構えた直後だった。

 

(――くる…………っ!!)

 

 《蝶の谷》で目にした、力強く、それでいて見惚れてしまうほどに流麗な数々の剣技。

 ALO歴1年の彼女が見たそれは、カイトがかの伝説の城から持ち帰り、妖精の世界で再現した技術の結晶。

 彼が選択したのは、その中でも広範囲・高威力を誇る利便性の高いもの。

 片手用直剣で繰り出す、水平4連撃技。

 またの名を《ソードスキル》。

 

「――ふっ!」

 

 短くも鋭い呼気の中にありったけの気迫を込め、引き絞った剣を解き放つ――――その直前、彼の意思に呼応したかのように、刀身を淡いスカイブルーの輝きが覆った。

 不可思議な現象には目もくれず、アリシャはクローでガードする姿勢に移行した。1度だけとはいえ、網膜の裏に焼き付けた剣技の軌道はしっかりと彼女の頭に記憶されている。初撃の軌道上に素早くクローを添えた。

 直後に放たれた一閃はアリシャの胸元を疾るが、添えていたクローのお陰で大ダメージとまではならなかった。しかし、彼女にとって誤算だったのは、その威力が『剣による攻撃』の一言では済まないほどのものということだ。

 ALOのダメージ計算式を逸脱した事態に混乱するアリシャだが、カイトの動きが止まる様子はない。振り切った剣が左腰で静止すると、利き足で地を蹴り、一条の光と共に左から右へ剣を薙いだ。アリシャは持ち前の反応速度で再びクローを添えて防御したが、防いだ瞬間に武器が軋むのを感じた。

 次いでカイトは剣技で加速した勢いを殺さず、身体を時計回りに回転させる。剣を構えると、切っ先を鋭角に放ち、相手の胸元へ一閃。眩い閃光と衝撃が彼女を襲い、これまでどうにか踏ん張っていたアリシャがとうとうたたらを踏んだ。

 

「う……おおおおーーーーーっ!!」

 

 空中に正方形の光芒を描く最終撃が、裂帛の気合いと同時に撃ち出された。

 剣を覆っていた淡い光は、いつしか深く澄んだスカイブルーへと変化し、煌々とした輝きを放ちながらその存在を主張する。アリシャは目を細めつつ、これまでで最も重いであろう剣戟に備え、不安定な姿勢でありながら懸命に防御の構えをとった。

 硬質な武器同士が激しく衝突したことで、対峙する2人の視界を閃光が真っ白に染め上げる。

 そんな中、限界を迎えたアリシャのクローが微細な欠片となって散り散りになり、空間に溶けていく。鍛え上げた業物を思わせる鋭利な爪は《武器破壊(デストラクション)》という名の不運に見舞われ、突然の別れを主に告げて消滅したのだった。

 武器を失ったアリシャは強烈なインパクトによって吹き飛ばされ、床を何度も転げ回る。ようやく止まった時には全身を強く打ちつけたため、痺れにも似た感覚が彼女の動きを阻害して立ち上がることすら困難を極めていた。HPがめまぐるしい速度で減っていくのを視界の片隅で捉え、《You are dead》の表記を予期していたが、残りHPは数ドットの地点で停止した。どうやら武器は最期の最期までその役目を果たし、主を死なせまいと奮闘してくれたようだ。

 しかし、顔を持ち上げたアリシャの喉元に剣先が突きつけられた。うつ伏せの彼女が見上げると、そこにはカイトが上から自分を見下ろしている光景が目に飛び込んできた。

 

「…………容赦しないんじゃなかったの?」

 

 緊張で押しつぶされそうなのを誤魔化すため、アリシャは冷や汗をかきながら平坦な声で問いかけた。

 

「…………殺したら、ユキの居場所がわからないだろ?」

「そんなの、殺した後で蘇生させればいいじゃない」

「う〜ん…………まあ、そうしたいのは山々なんだけどさ…………」

 

 カイトは困った顔を浮かべると、指先で頬を掻きながら首を傾げた。その様子を見た途端、アリシャはこれまでのしかかっていた重圧が瞬く間に霧散していくのを感じた。

 

「……実は、蘇生アイテムがストレージに1個もないんだよね」

 

 バツの悪そうな顔でカイトが苦笑いするが、その姿は先ほどまでの冷酷な目を宿した人物ではなく、彼女がよく知る幼い笑顔を宿したカイトの姿だった。

 




次回更新は少し間が空きます。ご了承下さい。


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第81話 再会の時と託された未来

 

 甘酸っぱく爽やかな風味が特徴のポーションを口にしてHPを全快にしたアリシャは、これまで進んだ道筋をなぞるようにして真っ白な廊下を歩いていた。後ろには先ほどまで剣を交えていたカイトを引き連れているが、今は彼がこの世界に来る理由を作った人物である、ユキの元へ案内している最中だ。

 

「…………で、なんで来た道を戻るのさ? もしかして、アスナ達が進んだ方向にいるとか?」

「ノンノン。ただ単に通り過ぎちゃっただけよ」

「通り過ぎた? 何もない廊下を歩いてきただけだと思うけど、それらしい部屋の扉なんてなかったよ?」

「その認識で間違いないわよ。だって、扉なんてないんだもの。私が須郷の目を盗んで作った場所だから、そう簡単に見つかっちゃ寧ろ困るわ」

 

 言うや否や、アリシャの歩むスピードが落ち始め、やがてピタリと止まった。彼女はその場で回れ右をしてカイトに向き直ると、自身の右側――カイトからすると左側だが――にある壁を指差した。

 

「ここの壁に手を触れてみて」

「はい?」

「いいから、いいから」

 

 言われるがままにカイトは手を触れてみるが、目の前にあるのはなんの変哲もないただの白い壁だ。掌にひんやりとした冷たさが伝わるくらいで、特別何かを感じとれるわけでもない。

 

「んー、もっと強く押してもらいたいかな〜〜」

「もっと強く?」

「そうそう。こう、両手で壁を押すようなイメージで」

 

 アリシャからの指摘を受けたカイトは、言われた通りに両手を壁につけ、両足で踏ん張りながら壁を強く押す。

 しかし、ステータス全開で試みるものの、壁が前に動き出すわけでも、ましてや自分が後ろに押し返されるわけでもない。元々どんな意味があってやっているのかわからないが、カイトはこれ以上この行為を続ける必要があるのかわからなくなってきた。

 

「りーちゃん……これ、一体なんの、意味が……」

 

 あるの? という言葉を、カイトは最期まで言い切ることが出来なかった。

 その理由は、彼の掌に伝わっていた冷たくて硬い感触が、突如として消え去ったからだ。

 

「………………えっ?」

 

 カイトの目の前にあったはずの壁は、人2人分が通れるくらいの穴を開けて消失したのだ。

 そうなると、力を加えていた物体がなんの予兆もなしになくなったため、カイトはバランスを崩し、体勢を立て直す間もなく盛大に前へ転んでしまった。床に手をつく暇もなく、顔面を含めた身体の前面を強打する。

 

「へぶっ!!」

 

 カイトは奇声を発し、3秒ほど倒れたままの状態でいたが、身体を起こして四つん這いの姿勢になると、赤くなった鼻先を押さえながら後ろにいるアリシャを恨めしそうに見た。彼女は口元を押さえているが、小刻みに震える肩が意図的にこの状況を生み出したのだと物語っている。

 

「…………こうなるってわかってたでしょ?」

「うん。ここの壁はね、一定の時間触れているとなくなって、隠し部屋に繋がるよう細工してあるの。正直、押す力は関係ないんだけどね」

「それをもっと早く言ってよっ!!」

「だって、最初から全部言ったら面白くないじゃない。私が」

「自分が楽しむためだけにオレで遊ばないで下さい」

 

 カイトは不満を口にしながら立ち上がると、足を踏み入れた部屋の中を見渡す。

 内部は白一色に統一され、窓の類が一切ない殺風景な場所だった。あるのはイスとテーブル、そして簡素なベッドといった最低限の設備があるくらいのものだ。それ以外で何か特徴を挙げるとすれば――――。

 

「…………あっ……!」

 

 華奢な身体に薄手のワンピースを纏っている1人の少女が、ベッドの上で深い眠りについていることだった。

 カイトは1歩ずつ足を前に運び、これまで探し求め、再会を強く渇望していた人物の元まで行くと、両膝をついてベッドの端に手を添えた。瞼を閉じて安眠する少女の顔は、彼の記憶の中にあるものと相違ない。

 

「……ユキ…………」

 

 カイトはユキの名を口にした後、後ろを振り返って静かに見守っていたアリシャを見た。

 

「眠ってるだけ、なのか?」

「まあね。彼女、1度鳥籠から抜け出したキリト君が偶然この部屋を見つけて、一緒に逃げ出したの。ウロチョロされて須郷に見つかるわけにもいかなかったし、ちょっと大人しくしてほしかったから眠ってもらったわ」

 

 その話を聞いたカイトは、小さく笑みを零した。キリトもそうだが、置かれた状況を打開するために行動するのは、ユキの性格を考慮すれば想像に難くない。安全な場所で大人しく助けを待つのではなく、彼女は自ら動いて危機を脱しようとしたのだ。それは実に彼女らしい選択だと、カイトはふと思った。

 

「感動の再会といきたいところだから、あとは眠っている彼女を起こすだけなんだけど、それにはユキちゃんに何かしらの刺激を加える必要があるのよ」

「刺激……?」

「そうそう。例えば……」

 

 アリシャは右手の人差し指を立てると、自らの艶やかな唇にそっと添えた。

 

「キス、とか」

「…………は…………?」

 

 カイトは一瞬何かの間違いかと思ったが、耳に入った単語の意味を何度繰り返しても、アリシャの口にした言葉は恋人同士で行う愛情表現の一種で間違いない。

 キス。口づけ。接吻。

 つまりアリシャは、ユキの目を覚まさせる方法として、ユキとのキスを提示してきたのだ。

 

「はああぁぁああ!? いやいや、意味わかんないし!!」

「意味わかんなくはないでしょ。眠っているお姫様を助けに来た王子様がキスして起こすのは、昔からの童話にもある恒例イベントじゃない」

「それとこれとは別問題だろっ!!」

 

 体防具に覆われていない、露出している素肌の部分を全て真っ赤に染め上げ、カイトは声を荒らげた。

 無論これはただの照れ隠しであって、実際のところ本人の内情で嫌悪に類する感情は微塵もない。彼が渋っている理由は、突然すぎて心の準備が出来ていないとか、人が見ている前でするのが恥ずかしいとか、そういうものだ。

 元々ユキとはプラトニックな関係を保ち続けていたため、カイトにとって『キスをする』という行為は特別な意味を持つ。過去に1度、フロアボス戦の前に『剣士の誓い』と称してユキのおでこに口付けをしたが、その時は『彼女が生き残れるように』という願いを込めていた。後にも先にも、カイトとユキのキスらしいキスは、それ以外にない。

 ただ、今回の件に関しては自分の信条を貫き通すとか、我が儘を言っている場合でもない。最優先事項は彼女との再会を本当の意味で果たすことであり、その目的を達成しないまま、回れ右をして世界樹を降りるという選択肢があるはずもないのだ。

 

 カイトは逡巡した後、ベッドで横になっているユキを見た。最初は彼女の寝顔に目がいくが、自然と視野は狭くなり、いつしか桜色に色づく唇にピントが合わさっていた。

 ベッドの端に手を添えたまま上体を傾け、心構えや気構えを置き去りにし、少しずつ彼女との距離をゼロに近づける。瞼を閉じ、何も知らずに眠るユキの唇に優しく唇を重ねるのは、至極簡単なことだった。会えない日々の長さに比例して蓄積された恋慕の情を余すことなく注ぐと、カイトはそっと上体を起こす。唇を離した後でも、柔らかな感触と仄かに残る暖かさの余韻はいつまでも残り続けた。

 

 体温の上昇を感じつつ、カイトは期待に胸を膨らませながらじっとユキの様子を見守っていると、ユキの瞼と指先がわずかに動いた。瞼が持ち上げられて2、3度瞬きした後、ユキは身体を起こし、ゆったりとした動きで周囲を見回す。

 夢と(うつつ)の間を彷徨っていた彼女も、手の届く距離に人の気配と姿を認識したため、徐々に頭が冴えてきたらしい。力の抜けた状態から本来の表情を取り戻し、大きな黒い瞳がカイトを捉えた。

 

「…………ユキ……」

 

 カイトの表情が緩み、ごくごく自然にユキの名が口をついて出た。

 しかし、この世界のアバターはランダムに生成されたものであり、今のカイトは浮遊城にいた頃と姿が違う。ユキは当時と姿が変わらないので一目瞭然だが、ユキから見れば目の前の人物が誰かわからないのではないか――――といった考えに至った時、カイトの顔に影が差し、彼は下を向いて俯いた。

 そんな時、カイトの顔に柔らかな感触を秘めた膨らみが押し当てられ、彼を抱きしめるようにして両肩に腕が回された。温かな体温と優しさに包まれると、カイトの耳元で懐かしい声の響きが聞こえた。

 

「――会いたかったよ、カイト」

 

 その一言を聞いたカイトの胸に熱いものがこみ上げ、無意識にユキの身体に腕を回して抱き寄せる。この場所まで登りつめるのに労したものは、その一言だけですべて報われた気がした。

 

「……オレも……ずっとユキを探してた。ずっと、会いたかった」

 

 その先は2人とも言葉を発することなく、ただただ無言でお互いを抱きしめ続けた。

 この瞬間、剣の世界から続いていた少年の長い旅は、大切な人を取り戻したことで幕を閉じた。

 同時に、仮想世界という名の牢獄に囚われ続けていた少女の旅と苦難も、終着点を向かえることとなった。

 

 

 

 

 

 その後しばらくの間、カイトとユキはお互いの身体を強く抱擁していたのだが――。

 

「…………え〜、オホン。2人だけの世界に入るのはその辺にしてもらって、続きは現実に戻ってからにしてもらえるかなあ……」

 

 すっかり存在を忘れ去られてしまっていたアリシャの促しにより、ようやく2人は腕を離して抱擁を解くことになった。

 しかし、抱きしめることを止めても、2人の手は強く繋がれたままだ。それはまるで、また離ればなれになるのを拒み、お互いの温もりを近くで感じていたいかのようにも見えた。

 見知らぬ女性がいたことに今更ながら気が付いたユキは、アリシャの事をじっと見つめるが、やがて訝しんだ様子でカイトの耳元に口を近付け、そっと囁いた。

 

「えっと…………誰?」

「アリシャ・ルー。ここに来るまで色々と手を打ってくれた、協力者だよ」

 

 一応は、という一言をあえて省いたカイトが立ち上がると、ユキも遅れてベッドから足を放り出して立ち上がった。

 覚醒したばかりで状況を未だ飲み込めずにいるユキだが、そんな彼女の事はおかまいなしに、アリシャがさくさくと話を進める。

 

「さて、めでたくカイト君の目的が無事に達成されたことだし、早くここからオサラバしましょ。まずは彼女をこの世界からログアウトさせるから、ちょっと待ってて」

 

 言うや否や、アリシャは左手を振ってメニューウィンドウを呼び出し、慣れた手つきで半透明のウィンドウを操作する。自発的に落ちることが出来ないユキをログアウトさせられるという事は、アリシャには管理者権限が付与されており、それを行使できるから、とみて間違いないだろう。

 カイトは手を握ったまま、隣に並び立つユキへと視線を移した。すると、彼女は不安げな様子でカイトを見返す。ようやく現実に戻れるというのに、何をそんなに心配するのかがカイトにはわからなかった。

 

「どうした?」

「……うん。…………折角会えたのにまた離れちゃうから、ちょっと心細く感じただけ」

 

 長い間1人だったユキにしてみれば、本当はもっとカイトと一緒にいたいのだろう。

 この世界からログアウトすれば、次に彼女が目にするのは薬品の匂いが充満する病室だ。現実世界だと今頃は夜のはずなので、彼女は暗く静まりかえった場所で目を覚まし、これまでの事を考えるとわずかな時間ではあるが孤独と不安に再度見舞われる。

 だから、今はまだ、誰かのそばに――――カイトのそばにいたい。こう言いたいのだ。

 そんな彼女の胸中を察し、カイトはユキに優しく微笑んで一言添えた。

 

「大丈夫。ユキがログアウトするのを見届けたら、オレもすぐに戻るから。そしたら、真っ先に病院まで行くよ」

「本当!? 約束だよ、絶対だよ!?」

 

 不安という名の影を落としていた表情が一瞬で明るくなり、ユキは期待と喜びで幼子のように瞳をキラキラと輝かせる。その変わりようが面白くて、懐かしくて、カイトはつい小さな笑みを零した。

 すると、ユキの華奢な身体を突如鮮やかな青い光が包み込み始めた。それはユキがログアウトし始めた証であり、時間経過と共に全身が少しずつ透き通っていく。向こう側の景色が彼女を通して見えるくらいになると、今度は足先、指先から消え、光の粒子を宙に散らし始めた。

 カイトはずっと彼女を見守り続けていたが、ユキが完全に消え去ると、繋いでいた手を胸の前で握り締める。手に残っている仄かな温かさを感じながらひとしきり感慨に(ふけ)ると、アリシャがいる方向に顔を向けた。

 しかし、もうアリシャの姿は何処にもいなかった。部屋全体を見回してみるが、やはり彼女の姿を視界に収めることは出来ず、まるで煙のように音もなく消えていたのだ。

 カイトが訝しんだのは一瞬で、ユキをログアウトさせた後で自分もすぐに落ちたのだと結論づけた。ここに長居する理由がないし、今頃はカイトの家で一足早く目覚めていることだろう。

 勿論、これ以上この場所にいる理由がないのはカイトも同じだ。病室の扉が開く瞬間を待ち構えているユキの元へ駆けつけるため、カイトが左手を持ち上げた――――その時、彼の動きがピタリと止まった。

 ついさっき部屋全体を見回した時、数秒前まで一緒にいたユキとアリシャの姿がないのは確認済みだ。物がほとんど置かれていない部屋なので、人が隠れられるスペースなどありはしない。

 にも関わらず、カイトは今、ある2つのものを背後から感じとっていた。

 人の気配。そして、視線。

 持ち上げていた左手を下げて体側に沿わせると、ゆっくり振り返りつつ、おおよそのアタリをつけてある人物の名を呼んだ。

 

「…………茅場、か……?」

 

 カイトが振り返った先にはかつて1度だけ目にした、白シャツにネクタイを締め、白衣を着た研究者風の人物――――茅場晶彦が立っていた。

 

「いつからそこにいた?」

「たった今、だ。本当はもっと早く君の所へ来れたのだが、君との約束を果たすために、キリト君の元へ行っていた」

「約束?」

「私の頼み事を聞く条件として、不測の事態には協力するよう提示してきたのは、君だったと記憶しているのだが……」

 

 その言葉を聞いた時、カイトは忘れていた記憶を呼び起こされた。

 SAOがクリアされた時、夕焼け空に浮かぶアインクラッドが崩壊する様を眺めながら、茅場とこんな会話を交わしていたのだ。

 

『この世界に関係する見過ごせない事態があれば、その解決に努めてほしい』

『別にいいけど、場合によっては手を貸せ』

 

 流石にカイトも細部までは思い出せないが、概ねこういった内容で間違いないと記憶していた。

 

「ああ、確かにそうだったような気が……。それで、オレより先にキリトを助けたと?」

「アスナ君達の相手はゲームマスターだった。優先順位の違いだよ」

 

 ゲームマスターが相手となると、確かに一般のプレイヤーと同じ権限しか持たないアスナ達では勝ち星を拾うのは無理だろう。ゲームマスターよりも高位のIDを持つ、この世界の真の創造主の助力があれば、話は別だが。

 合理的な茅場の判断に感謝した後、カイトは「あ、そうだ」と声をあげた。右手の五指を広げると掌を茅場に向けて差し出し、さも当然という様子で告げた。

 

「そっちの依頼はキッチリ果たしたぞ。報酬はないのか?」

「依頼は忘れても、そこは忘れないのだな、君は」

「結果的にはそっちの望み通りになったんだから、文句を言われる筋合いはないね。それに、気心知れた相手なら兎も角、あんたのために無償の善意で動く気はないよ」

「手厳しい上に、しっかりしている。…………いいだろう、割いた時間と労力に見合う対価は必要だな。だが、その心配は不要だ。報酬は既にキリト君の手に渡っている。それで構わないだろう?」

 

 先読みしていたのか、要領がいいのか。報酬が支払われているのなら、特段カイトも文句はない。がめつく気もないので、「ならいいや」とすんなり引いた。

 しかし、この後軽い気持ちで訊いた報酬の内容は、とんでもないものだった。

 

「ちなみに、一体何を渡したんだ?」

「《世界の種子(ザ・シード)》というものだ。フルダイブシステムを起動させるのに必要なプログラム群だよ。基本的にはそこそこ太い回線があれば、誰でも仮想世界の運営が可能となる代物だ」

 

 茅場の話を聞いていたカイトの顔が、みるみるうちに強張っていく。仮に《世界の種子(ザ・シード)》をネットで無料配布したとすれば、瞬く間に様々な仮想世界が爆発的な拡張を続け、VRワールドが今の何百倍も生まれるのは容易に想像できるからだ。仮想世界の未来を左右するといっても過言ではない代物が託されたとなれば、えも言われぬプレッシャーを感じてしまう。

 

「こちらの用件は以上だ。縁あれば、また会おう」

「…………ちょ、ちょっと待った!」

 

 踵を返してその場を後にしようとした茅場だが、カイトが引き留めたので彼は足を止めた。茅場は身体をそのままにし、露ほども感情を感じさせない表情で肩越しにカイトを見る。

 

「…………ソードスキルって……他のVRワールドでも使えるものなのか?」

 

 正直、この疑問は口にするまでもなく、カイトの中で既に茅場からどんな返答がくるのかは想像が出来ていた。

 ずばり、答えはノー、だ。

 ソードスキルは茅場晶彦が考案したSAO独自のシステムであり、他のVRMMOで起用されているという話は聞いていない。従来のMMOでは使えた魔法が使えない、という不便さをカバーし、戦闘に不慣れなプレイヤーも最低限戦えるようになるシステム――――それを見事に体現したのがソードスキルだ。魔法に困らないALOで起用する意味がない、とまでは言わないが、茅場の考案したシステムを須郷がすんなり流用するとはとても思えない。もしもALOでソードスキルが使える未来が来れば、それはそれで戦闘やプレイヤーが立てる戦略の幅が広がって面白そうではあるが。

 そこまで理解しても尚、カイトが先の疑問を口にしたのは、アリシャとの戦闘で最後に魅せた剣技が引っかかっているからだ。これまでも何度かソードスキルの動きを真似て戦ってはきたが、最後のは正真正銘、『本物のソードスキル』だった。身体にかかるアシストも、剣を覆うライトエフェクトも、全てが懐かしく、とても偽物とは思えない。

 

「……その質問に対する答えは、もう君の中にあるんじゃないか?」

 

 しかし、茅場に訊けば何かわかるかもしれない、という薄い望みは呆気なく散った。

 

「……ああ、そうだな。引き止めて悪かった。ありがとう」

 

 カイトの短い礼を受けた茅場はわずかに眉を持ち上げたが、すぐに彼は泰然とした佇まいに戻り、不敵な笑みを口元に宿した。そんな彼の立ち姿は、カイトが瞬きをすると音もなく忽然と姿を消してしまった。

 真っ白な空間に取り残されたカイトは、部屋を満たす静寂に包まれながら、左手を振ってシステムウィンドウを立ち上げた。

 

(会いに行こう、ユキに)

 

 ログアウトボタンを迷わずタップすると、彼の身体は発光し始め、瞬く間に光の粒子となって宙に溶けていった。

 




これにて10章終了です。この章も予定より長くなってしまいました。

いつもならここで番外編を挟んで次の章ですが、今回はなしで次に進みます。
その代わり、ALO編が終わったら番外編集を投稿予定です。


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第11章 -未来の概算-
第82話 恐怖と勇気


 

 ベッドの上で瞼を持ち上げた悠人は、頭に残存する倦怠感を無理やり振り払う。遠ざかっていた四肢の感覚が戻ってくると、彼は勢いよく上体を跳ね上げてベッドから起き上がった。

 ダイブ前はベランダから陽の光が射し込んでいたが、今や外は深い闇に包まれており、遥か上空には濃い雲が街全体を覆い尽くしている。その光景をエアコンで温度管理されている自室から眺めていた悠人は、ふと天候の悪化を予感して身支度を急ぎ整えた。

 お気に入りのダッフルコートを着込んで首にマフラーを巻いた悠人が階段を下りていると、廊下と1階のリビングを隔てる扉が開き、理沙が顔を出した。トレンチコートを着ている彼女を見るに、室内で過ごすのではなく、外出するつもりでいる気だろう。

 

「行くの?」

 

 『何処に』を訊かないのは、わざわざ訊くまでもなくわかっている事の表れだ。

 そして、当然その問いに対する悠人の答えは決まっていた。

 

「うん」

「そう……。それじゃあ、送ってくわ」

 

 理沙の手には、車の鍵が握られていた。おそらく、最初から一緒に行くつもりだったのだろう。

 

「いいの?」

「暗くなったし、外は寒いからね。それに、どうせなら早いほうが良いでしょう?」

「……ありがとう。それじゃ、お言葉に甘えて」

 

 悠人がそう言うと、2人は玄関から暗い夜空の下へ出ていった。

 

 

 

 

 

 悠人は車に乗り込むと、ついさっきまで剣を交えていた相手の運転によってユキが入院する病院へと向かう。自宅を出て5分と経たないうちに雪が降り始めたが、幸いにもさほど勢いは強くないので、路面に積もる心配はなさそうだ。さらに雪の影響で交通量が減っていたため、悠人にとっては非常に好都合だった。

 悠人はふと、隣でハンドルを握っている理沙の横顔を横目で見た。彼女は自分のために裏であれこれと動いたり、行く手を阻んだり、手を貸したりしているが、いまいち一貫性のない彼女の行動に、悠人は今、疑問を感じると共に、その真意を図りかねている。

 

「…………もしかして、怒ってる?」

 

 すると、赤信号で止まった際、横からの視線を感じとった理沙が悠人に問いかけてきた。

 

「怒る? オレが? 何で?」

「だって、私はユキちゃんをあの場から解放できる立場であったにも関わらず、意図的に監禁していたのよ。叱責されてもおかしくないと思ってたけど」

 

 ユキをログアウトさせたことから、確かに理沙はいつでも彼女を自由にすることが出来たはずなのだ。悠人とユキにしてみれば、再会を遅らされ、本来あるべきだった時間を奪われたようなものだろう。

 

「何か理由があるんでしょ? りーちゃんは意味のないことをしない人だって、ちゃんと知ってるから。ちなみに、理由は?」

「ごめんね、それは言えない。言いたくない」

「だと思った」

 

 悠人の乾いた笑い声が車内に響く。理沙が悠人のことを知っているように、悠人もまた、理沙のことを知っているのだ。尋ねる前から大方の想像はついていたのだろう。

 

「理由を話したら、今度こそ本当に悠人ちゃんに怒られるだろうから。……私ね、悠人ちゃんに嫌われたくないの」

 

 ほんの少し目を伏せた彼女の顔が、酷く寂しそうに映る。端整な顔立ちと相まって、それはどこか儚げな雰囲気を醸し出していた。

 

「言いたくないなら言わなくていいし、こっちも無理に聞き出す気はないよ。りーちゃんとは喧嘩したくないし。……それにユキが無事だったんだから、それだけで十分だよ」

「……ありがと。悠人ちゃんは優しいね」

 

 そう言われた悠人は「別に普通だし」と小さく呟きつつ、運転席とは反対方向にそっぽを向いた。彼の表情を直接見ることは出来ないが、窓に映った様子からただの照れ隠しなのだと理沙は思った。恥ずかしさを感じたり褒められたりすると、相手から顔が見えないように背ける癖は相変わらずのようだ。

 そんな彼の様子が愛らしくて、可笑しくて、理沙は口元に笑みを浮かべながら、助手席の悠人に向けて手を伸ばした。左手が髪に触れると、彼の頭を優しく包み込むように撫で始める。

 

「…………またそうやって子供扱いする……」

 

 悠人は助手席のドアに肘をつき、頬杖をつくと一見して不貞腐(ふてくさ)れたような態度をとるが、やはりこれもただの照れ隠しだ。先ほど同様、窓に反射する悠人の表情に加え、ほんのり赤く染まった耳と横顔がそれを示している。

 

「子供を子供扱いするのは当然でしょ」

 

 本気で嫌がっているなら、手で振り払うなり拒絶する言葉を吐くなりすればいいが、そうしないところを見ると満更でもないのだろう。ユキやキリト、アスナといった面々の中では年長ということもあり、『年上だから』という考えが無意識に働いて背筋を伸ばしがちだが、長年の付き合いである理沙には気を張る必要がない。頭を撫でられることに対して何もせずされるがままなのは、彼なりの理沙に対する甘え方なのかもしれない。

 

「……信号、そろそろ変わるよ」

「はいはい」

 

 理沙が左手を離して再びハンドルを握り直したところで、信号の赤色灯火が青色になった。アクセルを踏んで緩やかに車が加速し始めると、止まっていた景色も動き出す。

 

「それにしても、最後のあれは中々良いシーンだったわね」

「あれって、どれ?」

「ほら、悠人ちゃんがあの子を起こす場面のことよ」

 

 理沙が言っているのは、悠人が眠っているユキに口付けをして目を覚まさせた時のことだ。眠っている彼女を起こすためとはいえ、人の見ている目の前でするのは少々、いや、かなり緊張した悠人だったが、その話を掘り起こされた彼は恥ずかしさで顔が徐々に熱を帯びてきてしまった。

 

「いや、まあ…………恥ずかしい気持ちはあったけど、あの場ではああするしか方法がなかったわけだし。それに相手がユキなら、オレも全然やぶさかでは……」

「あら、別にキスしなきゃ目覚めないとは言ってないわよ?」

「…………うん?」

 

 理沙の言葉が引っかかり、悠人の顔から急速に熱が冷めていく。

 

「今の、どういう意味?」

「だから、別にキスする必要なんてなかったのよ」

「…………は?」

「私はあくまで『刺激を加える必要がある』と言っただけ。もっと言えば、アバターの皮膚感覚が刺激されればそれで良かったのよ。手を握るとか、頬をつねるとか」

「は? はあ!? い、いやいや、だってりーちゃん、キスがどうとかって……」

「目を覚まさせる手段の1つとしてキスを例に挙げただけで、そうしなきゃいけないとは言ってないわよ」

 

 運転中の理沙は正面を向きながら悠人と会話をしているが、悠人が彼女の横顔を見ると、理沙の口元が微妙に吊り上っている。可笑しくてしかたがないが、笑いを堪えている証拠だ。つまり、悠人はまた、理沙のからかい遊びに付き合わされ、嵌められていたのだ。

 

「だ・か・ら!! そういうのはもっと早く言ってよ!!!!」

 

 怒り半分、恥ずかしさ半分を適度にブレンドした悠人の声が車内に響くと、笑いを堪えられなくなった理沙は大きな声で笑い出した。

 

 

 

 

 

 悪天候による交通量の減少が幸いし、以前理沙に送ってもらった時よりも早く病院へ着くことが出来た。時間が遅いため既に門は閉ざされており、ガードマンが日中詰めているボックスも無人だったので、理沙は車を路上に停めると、2人して職員用の小さなゲートから敷地内に入る。

 広大なパーキングを横切り、階段を上って正面エントランス前まで来る。自動ドアの前で数秒間立ち尽くしてみたが、開く気配は一向になかった。奥の受付カウンターには灯りがあったので、左側にあるスイングドアから院内に入った。

 

「一応、当直の看護師に話をしておくわ」

 

 そう言って理沙はロビーに整然と並べられたベンチの前を通過し、受付へ向かう。一方の悠人は逸る気持ちを抑えることが出来ず、ユキがいる病室へ足早に歩き出した。

 通い慣れた道筋を辿り、1階廊下の中ほどにある階段に来ると、1段飛ばしで昇り始めた。もう少しで会える、と思うと心臓の鼓動は否応なく早まり、期待に胸が膨らみ始める。左手で階段の手すりを掴み、踊り場に足を着いた――――そんな時だった。

 

 ……コツッ……コツッ……。

 

 悠人の耳が、静寂に満ちている院内で人の足音を捉えた。

 自分以外の人間が病院内を徘徊しているとは予想していなかったので、悠人の動きが一瞬止まる。一体誰が、と考えるが、答えはすぐに出た。

 

(警備員の巡回、かな?)

 

 踊り場から2階まで移動すると、遠ざかる足音を聞きながらそっと廊下に顔を出す。左右を見回すと、右側の離れた場所で動く人影を発見した。だが、その様子を見た瞬間、悠人の中で奇妙な違和感が2つ生まれた。

 まず1つは、足取りが酷くおぼつかないこと。身体が左右に揺れる様子は酒に酔っているのではと思えるほどで、歩くスピードも一定ではない。

 もう1つは、暗い廊下を歩いているにも関わらず、懐中電灯の1つも持っていないことだ。廊下の所々で小さな照明が灯っているので歩けなくはないが、それでも警備員がライトを持たずに巡回などするわけがない。

 この時点で、悠人は廊下の先にいる人物が警備員である可能性を捨てた。それとほぼ同時に、不審な人物が右手に何かを持っていることに気が付いた。

 

(何だ、あれ……?)

 

 目を細め、不審者の右手に意識と視点を照準する。暗がりで何かわからなかったが、謎の人物が等間隔で灯っている小さな照明の横を通った時、悠人はそれが何かを理解し、次いで鋭く息を呑んだ。

 照明の光を受けて鈍く輝く、細長いナイフ。サバイバルナイフだ。

 非現実的な状況に遭遇した悠人の思考が停止し、表情は凍りつく。衝撃から回復するまで数秒を要したが、真っ先に思ったのは、何故ナイフを持った男が病院内を徘徊しているのか、ということだった。

 生唾を飲み込んで息を殺し、廊下の影に身を潜めていた悠人だったが、一瞬だけ見えた後ろ姿が頭の隅をチクチクとつつく。自分はかつてあの後ろ姿を見たことがある、それもつい最近に、と直感した悠人は、直後に身体が動いて廊下に飛び出していた。

 自分以外の足音が廊下に響いたのに気が付き、男の歩みがピタリと止まる。ゆっくり振り返り、照明が男の顔を露わにしたことで、ようやく悠人はナイフを持つ危険人物の正体を看破出来た。

 

「…………須郷……信之……」

 

 絞り出した声は酷く頼りないものだったが、相手の耳に届かせるには充分だった。

 

「……誰だい? 僕を知っているのか?」

 

 訝しむ須郷の様子からして、彼はまだ悠人の正体に気が付いていない。それもそのはず、悠人の近くに灯りはないため、須郷にしてみれば暗闇の中に誰かが立っている程度しかわからないからだ。

 

「……いや、待てよ。今の声には聞き覚えがあるな……」

 

 しかし、悠人と須郷は1度だけキリトの病室で会話を交わしたことがある。須郷は声を頼りに暫し黙考して記憶を辿ると、答えに行き着いて沈黙を破った。

 

「…………ああ、そうだ、思い出したよ。倉崎君だったね。桐ヶ谷君の病室で1度会っているはずだ。どうして君がここに?」

 

 薄暗い廊下でナイフ片手に佇む須郷に恐怖を感じつつ、悠人は唇を動かした。

 

「そっちこそ、こんな時間に何してるんだ? しかも、そんな物騒な物を持ち歩いて」

「ああ、これかい? これはね、躾のなってないガキに、今から罰を与えようと思って持ってきたんだ」

 

 抑揚のない声で呟く須郷をよく観察すると、数日前に出会った時とは印象がまるで違った。

 丁寧に撫でつけられていた髪は乱れ、ネクタイは解けて首にぶら下がった状態だ。好青年を思わせる風貌は見る影もなく、狂気に満ちた姿は寧ろ通り魔なのではないかと錯覚するほどだ。

 

「まったく、本当に腹が立つよ。ゲームしか能のない小僧が、あっち側で僕に向かって偉そうに説教するんだからさ。全てにおいて劣っているクズが、この僕の足を引っ張った罪は万死に値する」

 

 須郷の言っている意味が、悠人にはなんとなく理解出来た。

 『小僧』はキリトを、『あっち側』は仮想世界のことを指すのだろう。そしてキリトを救出に行ったアスナとリーファ側には茅場が手を貸しているので、彼の助力を得たキリトが須郷に痛手を負わせた、とみて間違いない。その事で須郷は憤りを感じているようだが、彼の言動からして、これからしようとしているのは説教程度の生易しいものではない。

 

「…………あんた、まさか……キリトを殺すつもりで来たのか?」

「言っただろう、万死に値すると。死以外にはあり得ない。あのガキは殺す」

 

 それがさも当たり前とでも言わんばかりの様子に、悠人は身体の芯から恐怖を感じて背筋が凍りついた。狂っている、壊れていると、そう思わずにはいられなかった。

 すると突然、須郷は止めていた足を再び動かし始めた。ただし、それはさっきまでの進行方向とは逆で、言い換えれば悠人に近付くように歩み出したのだ。

 

「けどその前に、この事を知った君を殺すことに決めたよ」

 

 須郷の歩むスピードは速まり、開いていた距離はみるみるうちに縮まっていく。

 

(…………殺す? ……誰が? …………あいつが、オレを……?)

 

 一方の悠人は、須郷の吐き出した言葉の意味を咀嚼(そしゃく)して飲み込むのに数秒を要し、その間足が床に深く根を張っているかのようにその場から動けなかった。そんな彼が我に返り、足を床から離すことが出来たのは、須郷が右手に持ったナイフを無造作に悠人の腹へと突き出した時だった。

 

「――――ッ!」

 

 悠人は咄嗟に身体を右側へ流し、コートの一部を裂かれつつもどうにかナイフを躱すことが出来た。もつれそうになる足を必死に堪えて背中から壁にぶつかると、そのまま壁に身体を預けて立つ。

 

「あんた、自分が何をしようとしているのかわかっているのか? 変な気は起こさずにおとなしく自首しろ」

「まったく、最近のガキ共には人に説教するのが流行ってるのかい? ほんっと、ムカつくなあ」

 

 須郷は左手で頭をガシガシと搔きむしり、髪がさらに激しく乱れる。

 そこでようやく気が付いたのだが、悠人が須郷の顔を覗き込むと、見開かれた眼の右側は瞳孔が小さく収縮しており、おまけに酷く充血していた。その理由は、キリトがペインアブソーバをレベルゼロにした状態で須郷の右眼を剣で貫いたので、仮想の痛みを持ち帰り、現実に還元して多大な影響を及ぼしたことの結果だ。

 そんな焦点を失った右眼を見た後、悠人はさっきよりも近くにある須郷のサバイバルナイフに目をやった。ゲーム内の死ではなく、本物の殺傷力を備えた道具は、文字通り悠人を永い眠りにつかせることが出来る。そう認識した時、悠人の身に重くて冷たい恐怖という名の魔物が襲いかかった。

 速く、浅い呼吸を不規則に繰り返し、身体が強張る。右手で左腕を押さえ、恐怖に抗おうと自らを奮い立たせているが、リアルな《死》のイメージを払拭することが出来ず、息が詰まりそうになった。

 その時、悠人はふと、刃渡り20センチのナイフを手にする須郷と、大振りなダガーを携えていたかつての宿敵――――PoHとイメージが重なった。しかし、イメージが重なったのは一瞬で、須郷とPoHの違いが自然と頭に浮かぶと、悠人は今自分が感じている恐怖に違和感を抱き始めた。

 

(なんでオレは、こいつに怯えているんだ?)

 

 サバイバルナイフと、大型ダガー。

 荒々しい殺意と、不気味なほど静かで突き刺すような殺意。

 現実世界での死と、アインクラッドでの死。

 微妙な違いはあるにせよ、それぞれの比較対象に差はない。にも関わらず、恐怖の大きさは何故かPoHよりも須郷のが大きい気がしていた。ナイフ術の達人でもなければ武道の心得があるわけでもない須郷よりも、人を殺す技術を持っていたであろうPoHのがずっと大きいはずなのに、だ。

 

(あいつのが、もっと怖かった。…………でも、オレは逃げたりしなかった)

 

 そう考えると、悠人の頭が急速に冷え、停止していた思考が一気に加速した。《死》のイメージで覆い尽くされていた脳内がクリアになり、狭まっていた視野は広がって少しだけ落ち着きを取り戻す。

 

(PoHよりもずっと劣るこいつに、怯える必要なんてない…………ないんだっ!!)

 

 すると、悠人の表情は自然と引き締まり、瞳には強い輝きと意志が宿る。その様子は、数秒前とはまるで受ける印象が違っていた。

 そんな気持ちの変化など須郷が知るはずもないが、悠人の様子が変わったことを察知した彼は大きく眉を吊り上げた。

 

「……なんだ、その眼は。生意気だなあ……」

 

 わずかな怒気がこもった声を呟くように漏らすと、須郷は脱力した状態から右腕とナイフを持つ手に力を込めた。

 

「死ねっ、小僧おおお!!」

 

 須郷が狂ったように絶叫しながら悠人に襲いかかる。

 

「う……ああああっ!!」

 

 一方の悠人は湧き立つ勇気をかき集めると、反射的に右手で拳を作って思いっきり振りかぶった。

 無我夢中で力強く握った右の手拳(しゅけん)が、偶然にもカウンター気味に須郷の左頬に喰い込んだ。渾身の力で殴り飛ばしたことで須郷は突き飛ばされ、背面の壁に思いっきり激突する。須郷の手からナイフが落ちた。

 

「……がっ…………!!」

 

 さらには壁と衝突した瞬間に後頭部を打ちつけたのだが、打ち所が悪かったらしい。直後に目を回し、ズルズルと壁にもたれながら床に倒れてしまった。倒れた後は一向に動き出す様子がないことから、どうやら気を失ってしまったようだ。

 

「はあ……はあ…………」

 

 心臓の鼓動が全身に響き渡っているかのように、強く、激しく波を打つ。殴った右手の甲に広がる痛みが残滓(ざんし)となって消え去るまで、悠人は床に横たわっている須郷を見下ろしていた。

 

(……そうだ、ユキの所に…………いや、先に警備員を……)

 

 昂ぶっていた気持ちが落ち着き始めると、本来の目的を思い出し、同時にこの状況をどう処理するかに思考が割かれた。今の須郷は気を失っているが、いつ目覚めるかわからない上に、放っておけばまた悠人を襲いかねない。さらには、キリトがいる病室に乗り込んで彼に刃物を突き立てるのは容易に想像出来る。1階まで戻り、受付近くのナースステーションにいるであろう看護師にこの事を伝えるため、悠人は1歩踏み出した。

 

(――――ッ!?)

 

 足を動かした瞬間、腹部を疾る強烈な熱と刺激に襲われ、悠人は顔を大きく歪ませた。咄嗟に左手で腹を押さえるが、その行為が尚更刺激を強めたため、彼は左手を腹から離した。

 悠人が視線を下に落とすと、薄暗い廊下でもわかるほど着ている服が赤く染まっていることに気が付いた。無我夢中でわからなかったが、須郷を殴り飛ばした時に斬りつけられた傷だろう、と悠人が認識した途端、熱と痛みがさらに増して襲いかかった。

 

(……やば…………これ……歩けない、かも……)

 

 痛みに屈して膝をつき、その場に倒れ込むと、悠人はそのまま冷たい廊下に身体を預けた。今までで味わったことのない痛みに対し、悠人はその場で浅い呼吸を繰り返すことでしか抗えなかった。

 しばらくして遠くで誰かの声を聞いた気がしたが、その時点で既に悠人の意識は朦朧(もうろう)としていた。声の主が誰かを知るよりも早く、彼はゆっくりと瞼を閉じた。

 



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第83話 後会と理沙の脳内プラン

 

 視界一杯に広がる、真っ白な天井。

 鼻腔をくすぐる、薬品類の匂い。

 一定のリズムを刻む、電子音。

 目が覚めた悠人の意識は最初こそぼーっとしていたが、段々と意識が鮮明になってくると、彼は自然と周囲を見回した。そうしたことで、悠人はものの数秒で自分が病院のベッドで横になっていることに気が付いた。

 

(なんでオレ、こんな所で寝てるんだ……?)

 

 記憶の糸を手繰り寄せると、断片的ではあるが悠人は何があったのかを朧げに思い出すことが出来た。

 自分に向けられた明確な殺意とナイフ。

 疾る痛みと赤く染まる服。

 遠ざかる意識と、それに反比例して近づく《死》への恐怖。

 それらを思い出した時、それまでバラバラだった記憶の欠片がひとりでに連結し、悠人はすべてを思い出した。その瞬間、彼は両眼を見開き、ガバッと突然ベッドから上体を起こした。

 

「…………ッ!」

 

 すると、急に身体を起こしたからか、腹の中心部にピリッとした痛みが疾った。ふと視線を下に落とすと、自分の腹に包帯が何重にもグルグルと巻かれていることに気が付いたため、それにより『殺されかけた』という事実がより一層悠人の中で現実味を帯びてきた。

 

「気が付いたみたいね」

 

 聞き慣れた声の主は、悠人のベッドの隣で丸椅子に腰掛けて彼を見ていた。

 

「りーちゃん、オレ、何がどうなって……?」

「須郷に刺されて廊下で倒れていた悠人ちゃんを、私が見つけたの。お医者様が言うには、あと少し傷が深かったら内臓にまで達していたそうよ。出血は激しかったみたいだけど、命に別状はないらしいわ。ただ、少しの間安静にしないと駄目だから、しばらくはここで入院ね」

 

 そう言われた悠人は、安堵の息を漏らし、起こしていた上体を再びベッドに沈めた。仰向けの状態から見える真っ白な天井は、ほんの2ヶ月程前に毎日目にしていた天井と瓜二つで、また退屈な入院生活に逆戻りかと思うと少しだけ気が重くなった。あの地獄のようなキツいリハビリがないのが、唯一の救いだった。

 

「……ん? ちょっと、待って。ここって何処の病院?」

「悠人ちゃんがあの子に会うために通ってた所よ」

「……それじゃあ…………」

 

 するとここで悠人の言葉を遮るように、理沙は右手を持ち上げて彼の目の前にかざし、ストップをかけた。

 

「さっきも言ったでしょ。命に別状はないけど、しばらくは安静だって。気持ちはわかるけど、まだ傷も塞がっていないんだし、ここで大人しくしていなさい」

 

 いつもは優しい理沙が珍しく悠人に対して強い口調で諭すが、裏を返せば彼の身を案じている何よりの証拠だ。今すぐにユキの元へ行きたい気持ちを汲んであげたいものの、自分の足で彼女の病室に行くのは流石に厳しいと理沙は判断した。

 悠人もそこまで子供ではないので、自分の事を心配してくれる理沙の気持ちが全くわからないわけではない。しかし、頭で理解していても、時として感情が優位に立つ場合はある。

 

「りーちゃんの言いたい事はわかる。でも、オレ、ユキと約束したんだ。現実に戻ったら真っ先に病院へ……ユキに会いにいくって。あいつ、多分その言葉を信じて待ってるから…………だから」

「別に悠人ちゃんがそこまで気負う必要ないわよ」

 

 悠人の言葉に被せるような形で理沙が声を発すると、彼女はそのまま言葉を紡いだ。

 

「それに、女の子がいつも守られるだけの立場だと思ってたら大間違いよ。ただ待つだけじゃなくて、自分から動いて道を切り拓くぐらいの事は出来る。あの子なら特に、ね」

 

 理沙がいつも見せる自信ありげな表情を見た悠人は、最初は彼女が何を言っているのかわからなかった。

 しかし、彼女が発した言葉の意味は、悠人を訪ねてやってきたとある人物が現れたことで判明した。

 病室の扉が静かに開き、ユキが点滴の支柱を支えにして部屋に入ってきた。肌は陶器のように白く、身体の線は長期の入院生活の影響でひどく痩せ細っている。黒い髪は背中にかかるほどの長さで、悠人の記憶にある彼女の姿とは違う出で立ちだった。

 それでも、強い意志を宿した瞳は、悠人が知っているユキのものと寸分の狂いもなく同一だった。

 予想外の来訪者に驚いた悠人は、思わず声を失う。そして彼とユキの視線が交錯すると、彼女は微笑み、全身から上がっている悲鳴を抑えつけ、意志の力だけで足を前に動かし始めた。この時、理沙は立ち上がり、何も言わず懸命に歩くユキの横を素通りしたが、ユキは歩くことに集中し、悠人はユキの歩みを内心ハラハラしながら見ていたため、2人は理沙の存在を完全に意識の外へと置いていた。

 

 おぼつかない足取りで1歩ずつ悠人のベッドに歩み寄り、時間をかけて彼の真横にたどり着いた。ユキは肩を上下に動かして大きく息をしているが、筋力の落ちた身体で歩くのがどれだけ大変な事かを理解している悠人にとって、その姿は胸を打つものがあった。触れれば壊れてしまいそうな儚さを秘めているユキに、悠人はゆっくりと左手を伸ばす。ユキもそれに応えるように、右手を悠人に向けて伸ばした。

 しかし、支柱を支えにして立っていたユキがバランスを崩したため、2人の手は触れ合うことなく、ユキが悠人のベッドに倒れ込む形になった。

 

「だ、大丈夫か!?」

「うん……。ちょっと……疲れちゃった、みたい…………」

 

 そう言うユキの額には汗が滲んでおり、伸びた髪が張り付いていた。悠人は右手でユキの顔にかかっている髪を掻き分けると、そのまま手をそっと彼女の頭にのせ、優しく撫で始める。疲れ切っていたユキの表情が、わずかに緩んだ。

 

「最初は、待ってるつもりだったの。でも、さっきのお姉さんから、カイトがここにいるって聞いて…………そしたら、居ても立っても居られなくなっちゃった」

 

 悠人がユキを探し求めたように、ユキもまた、悠人を探し求めた。2人の強い想いが実を結び、あれだけ遠くに感じた距離は、たった今、ゼロになった。

 悠人はさきほど掴み損ねたユキの右手をとり、身体と魂の芯にまで染み渡る体温を感じた。長く苦しい戦いを終えた成果を、彼はようやく掴むことが出来たのだ。

 慈愛に満ちた表情を浮かべながらお互いに見つめ合い、ユキは両眼に涙を滲ませ、悠人は照れ臭そうにはにかむ。いたわるように彼女の頭を撫でる手はそのままに、ユキの帰りを待ち望んでいた悠人は、そっと声に出して呟いた。

 

「おかえり」

「うん…………ただいま」

 

 

 

 

 

 病室から静かに立ち去った後、理沙は廊下の片隅に設置されている横長のソファで休んでいた。悠人とユキの再会を邪魔してはいけないという、彼女なりの気遣いだろう。

 入院患者が看護師と共に目の前を通り過ぎていくのを見つつ、理沙は上着のポケットに手を突っ込んだ。そのまま看護師の後ろ姿を眺めながら、ポケットの中に入れてある小さな物体の感触を指先で確かめていると、理沙は自分の右側に誰かが座る気配を感じた。

 

「彼の容体は?」

 

 発せられた声の行き先は、間違いなく自分に向けられたものだと理沙は察した。

 そして彼女は声の主がいる方向とは異なる方角に顔を向けつつ、端的に返答する。

 

「傷は残るけど、命に別状はないです。少しの間入院することになりますけど、春までには退院出来ますね」

「そうか、それなら良かった」

 

 明るい調子で話す男が安堵の声を漏らした時、ようやく理沙は声の主に顔を向けた。

 

「良かった? 全然良くないです。殺されかけたんですよ? あの子が一体どれだけ苦しい思いをしたか……それを考えると、私は胸が張り裂けそうで…………。正直、代われるものなら代わってあげたいくらいです」

「……感心するというか、呆れるというか…………君の悠人君に対する態度を見ていると、どれだけ彼を想っているのか嫌という程わかってしまうよ」

「それは褒め言葉として受け取っておきますね」

 

 理沙の返答に対し、男は苦笑する。実の弟ではなく従弟(いとこ)だが、ここまで顕著な愛し方はそうそう御目にかかれるものではないだろう。かつてSAO生還者(サバイバー)の担当の割り振りにおいて、理沙は悠人の担当を強く希望していたが、あえて彼女を外した判断は間違いではなかったと、男は心底思った。もしも彼女の希望通りにしていたら、間違いなく他の生還者を疎かにして対応に偏りが出ていたはずだ。

 

「それより、さっさと用件を済ませましょう。別にあの子の様子を知りたいがために、ここまで足を運んだわけじゃないですよね? ……菊岡さん」

 

 理沙にそう言われると、線の細い生真面目そうな顔立ちの男――――菊岡誠二郎は、太い黒縁眼鏡の山を、ほんの少しだけ持ち上げた。

 

「勿論、本題はそっちだよ。でも、世間話の1つもなしに、いきなり本題から入るのは少し素っ気ないと思ってね。…………それで、例のデータは取れたかな?」

「ええ。ここに」

 

 理沙がポケットに突っ込んでいた手を出すと、そこには小さなUSBメモリーが握られていた。彼女がメモリーを菊岡に手渡すと、受け取った菊岡は満足そうに微笑んだ。

 

「うん、確かに。…………それで、彼の研究に少なからず(たずさ)わっていた君としては、フルダイブ技術による洗脳が実現可能だと思うのかい?」

「いいえ……」

 

 ため息混じりにきっぱりと否定した理沙は、そのまま言葉を紡いだ。

 

「須郷は自分の研究に陶酔していて視野が狭まっていたみたいですけど、対抗措置の開発は充分可能です。それに、まだはっきりとは断言出来ないですけど、これはおそらくナーヴギア以外では実現不可能だと思います。VRゲーム機の市場はアミュスフィアが主流ですし、ナーヴギアがほぼ全て廃棄されている今だと、彼の研究自体はほとんど意味を成し得ないでしょうね」

 

 SAO事件を踏まえ、アミュスフィアは脳の物理的破壊が可能なナーブギアと違い、電磁パルスの出力が大幅に弱められている。機能的観点で言えば、これが須郷の研究を机上の空論にしている大きな要因だと、理沙は付け加えた。

 

「ふうん……僕はそっち方面の専門家じゃないけど、要するにこのメモリーに入っている研究データは、すべて無駄ってことになるのかな?」

 

 露骨に残念そうな様子を見せる菊岡に対し、まだ話は終わってませんよ、と理沙は言葉を添えた。

 

「私も最初はそう思ってました…………300人の未帰還者が目覚めるまでは、ね」

「ほう? と言うと?」

 

 今度は興味深そうな表情に一変し、理沙の意味深な発言の説明を求めるかのように、菊岡は片眉を持ち上げた。

 

「未帰還者はもれなく全員、あらゆる信号を脳に直接送られていました。痛みや苦しみ、時には喜びといった種類のものを、数ヶ月に渡って。……ですけど、知っての通り、未帰還者は誰も実験中の記憶がないんです」

「確かに、今挙がっている報告の中だと、SAOをクリアしてからの記憶を覚えている者は、桐ヶ谷君と綾瀬さんを除いていないからね」

「あの2人は例外ですよ。……それで、最初にそれを聞いた時は私も疑問に思ったんですけど、その理由はすぐにわかりました。夢、です」

「……夢? 夢っていうと、寝ている時にみる、あの夢のことかい?」

「ええ。実験に携わっていた研究員達は、(みな)が口を揃えて『実験中は夢を見ているようなもの』と言っていました。脳波の出現パターンが夢を見ている時と酷似していたので、そういう認識だったんでしょうけど、未帰還者はその言葉通り、実験が行われていた数ヶ月間、長い夢をみていたんです。まあ、須郷が意図的にそうした状態を作り出したのではなく、あくまで偶然の産物でしょうけど」

 

 ここまでの話を聴いた菊岡は、自分なりに解釈すると、口に出して呟いた。

 

「実験中の脳は、夢をみている時と同じ状態だった。だから、未帰還者は目覚めた時、自分が非人道的な目に遭っていたという記憶がない、と。ここまでは理解出来たけど、この話は一体何処に行き着くのか、僕は皆目見当がつかないのだけれど…………」

「私の言いたい事、まさしく菊岡さんがたった今言ったことですよ」

「んん?」

「少し言い方を変えますけど、VRワールドからログアウトする際、仮想世界での記憶を現実世界に持ち込めないよう、記憶を意図的にブロックするんです。このメカニズムが解明出来れば、もし今後《プロジェクト・アリシゼーション》に外部の人間の協力を仰ぐ場合が出てきたとしても、その人物から情報が漏れるリスクはなくなるはずです」

 

 理沙が口にした《プロジェクト・アリシゼーション》は、まだ一部の人間しか関わっていないが、関係者は今後も増える予定だ。現時点で候補に挙がっている人物達は、ありとあらゆる経歴を調べ、高い能力に加えて口の堅い人間ばかりである。

 しかし、仮想世界というジャンルは、まだまだ未知数なことが多い。どれだけその分野の研究に秀でた者が集まっていたとしても、いずれ自分達では解決できない大きな壁にブチ当たる時が来る――それこそ、仮想世界での動作に慣れている人物の協力を必要とする事態――のではないかと、理沙は危惧していた。

 理沙の考えを聴いた菊岡は、目を丸くし、次いでこめかみを押さえて力の抜けた笑いを漏らした。

 

「ははっ……まさか彼の研究がもたらした偶然の産物をプロジェクトに組み込もうだなんて。中々思いつかないよ」

「少なくとも、須郷の実験データよりは価値がありますよ」

「いやはや、君が味方で本当に良かったと、僕は心底思うよ」

「とは言っても、今言ったことを実際に活用できるかどうかは、これから検証しないといけませんけどね……。それじゃあ、渡す物は渡しましたし、私はこれで失礼します」

 

 そう言うと理沙はソファから立ち上がり、その場をあとにするため歩き出した。

 

「……ああ、そうだ。そう言えば、君に聴きたいことがあるんだけど……」

 

 しかし、背中に投げ掛けられた菊岡の言葉に呼び止められたため、理沙は足を止めてその場で振り返る。彼女と菊岡の視線が、菊岡の黒縁眼鏡を通して交わった。

 

「今回の件に関して、僕は『実験データをコピーし、それを持ち帰る』ということ以外、やり方はすべて君に一任すると言ったね?」

「…………何かマズイ事がありましたか?」

「いや、今更君のやり方にケチをつけるわけじゃないし、そのつもりもない。結果として与えられた仕事をきちんとこなしたんだから。ただ、今までの事を振り返ると、綾瀬由紀さんを仮想ラボから隔離して君の監視下に置いたのは、本当に必要だったのかと思ってさ」

 

 ユキが実験の餌食にならなかったのは、約300人のSAOプレイヤーの中から、理沙が意図的に彼女を隔離したからだ。

 しかし、任務を遂行するにあたって、ユキ個人を実験から救い出すような行為が必要だったのかと考えると、はっきり言って余計な手間を増やしただけに過ぎない。彼女が任務完遂のキーパーソンであれば話は別だが、ユキがいようといなかろうと、今回の結果に与える影響は1パーセントにも満たないだろう。菊岡からすれば、理沙がする必要のない余分な仕事をして無駄に労力を割いたように見える。

 ただ、菊岡がこれまで見てきた理沙の仕事ぶりを振り返ると、彼女の行為で無駄なものは一切なかった。とすると、今回のことも何かしらの意味があるのではないかと、菊岡は考えたのだ。

 

「君は倉崎君のことになると、いつもの合理的な判断を欠く傾向にあるからね。彼女を実験から解放したのは、倉崎君のためかと思ったんだが…………どうかな?」

「確かに、悠人ちゃんのためでもあった…………かもしれません。あの子が世界樹の上に到達するまでの労力に見合った対価はあって然るべきですから、ちょっと早く会わせてあげるくらいならいいかなって。…………でも、それは正直に言っておまけみたいなものなんですよ」

「その言い方だと、彼女を隔離した行為には、正当な理由があるということかい?」

「ええ、まあ。今回の件は全てが上手く繋がって、私が考えうる最良の結果になりましたけど、当然失敗する可能性もありました。須郷の気を逸らす時間稼ぎに仕向けた明日奈ちゃん達があっさりやられた場合、あの男は私が研究データをコピーして盗み出そうとしていることに気が付いていたかもしれません。もしそうなったら、私は躊躇なくユキちゃんを部屋から出してラボの警告音(アラート)を鳴らしていましたよ。『被験体の1人がラボから脱走した』なんて須郷が知ったら、今度はユキちゃんの存在に気をとられるでしょうしね」

 

 理沙の口元に仄かな微笑が生まれる。何も知らない者がその笑みを見れば美しいと捉えるだろうが、菊岡が感じたのはそれと相反するものだった。

 

「明日奈君は時間稼ぎに、綾瀬さんはもしもを考慮して自分が逃げるための囮に利用するつもりだったのか。用意周到だな、君は」

「策はどれだけ練っても損することがないですから。…………それに、悠人ちゃんはユキちゃんの事を大事に想っているでしょうけど、私はあの子に何の感情も湧いていないので。悠人ちゃんは兎も角、ユキちゃんはどうなろうと関係ないです」

 

 理沙は遠い目を浮かべ、力の抜けた笑みを零した。心底どうでもいいと言わんばかりの表情は、今の言葉が本心なのだと菊岡に確信させるのに充分だった。

 

「あっ、でも、この事は悠人ちゃんに言わないで下さいね。私がユキちゃんを利用しようとしていたなんて知ったら、あの子に怒られちゃいますから」

 

 それだけ言うと、理沙は再び菊岡に背を向け、足早に遠ざかっていった。

 

「…………まったく、君ほど敵に回したくないと思える人はいないよ」

 

 残された菊岡は理沙の後ろ姿が見えなくなると、自分以外の誰にも聞こえないような声でポツリと呟いた。

 




『VRゲーム機における電磁パルスの出力の強度が、フルダイブ技術による洗脳に大きく関与している』というのは、原作に記述されていない拙作の独自設定です。


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第84話 彼と彼女達の学校生活、その一部

 

 デスゲームの開始を思い起こさせる重低音の鐘の音が、建物内全体に響き渡る。悠人が今でもアインクラッドにいたのなら、嫌な予感に胸がざわつくだろうが、あの頃とは異なった環境に身を置く今となっては、音の響きに懐かしさと愛着さえ湧き始めていた。

 ただ、それは鐘の音に対する考え方が変化したというだけであって、よりにもよってこの音を学校のチャイムにチョイスした人物のセンスに関しては、今でも変わっていない。『ジョークにしてはブラック過ぎる』という意見は、入学初日から悠人の中で1ミリたりとも動いていなかった。

 

「それじゃあ、昨日の復習からいくぞー」

 

 そう言われ、悠人をはじめとする教室内の生徒全員が、手元のタブレット端末を操作する。悠人が該当するページを開いた頃、教壇に立つ男性教師が大型モニターにレーザーポインターをあてながら、前日の授業と同じ解説を始めていた。

 しかし、1時限目の授業開始を知らせるチャイムが鳴って5分と経たないうちに、悠人の意識は既に少し先の未来へと向けられていた。

 ああ、早く昼休みにならないかな、と――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 季節は春、暦は4月。

 アスナと共に繰り広げたALOでの冒険から2ヶ月ほどが経ち、悠人達は現在、政府が作ったSAO生還者用の学校に通っている。この学校はソードアート・オンラインに2年もの間閉じ込められていた学生を対象とし、卒業後には大学受験資格も得られるという政府の特例措置で作られたものだ。少子化の影響で廃校が決まっていた校舎を改築しており、設備は最新のものを取り揃え、授業は紙媒体ではなくデジタル機器をメインにして行っている。

 非常に恵まれた環境な上に、入学金と試験は免除というこれ以上ないくらい良い話だが、生徒は週1回必ずカウンセリングを受ける義務があるというのが、普通の学校とは異なる点だろう。デスゲームという異質な環境下に長期間置かれた子供へのメンタルケアと称し、簡単な質疑応答やストレスチェックを全生徒が受けることとなっていた。

 

「……あー、疲れた。オレもうヘトヘト」

 

 午前中の授業を終え、ようやく待ちに待った昼休みをむかえた悠人の第一声がそれだった。今まではスキルの構成やらモンスターの行動パターン等に脳の記憶容量を割いていたが、久しぶりに英語や数学といった学問に頭を回すと、ついていくのに必死だ。

 

「まあ、そう言っているのも今だけだろ。すぐ慣れるって。そんなことより、早く行かないとカフェテリアの席が埋まっちゃうぞ」

 

 悠人の前の席に座る男子生徒が、後ろを振り返って言った。席が前後ということで入学式の後に悠人が話しかけたのをきっかけに、それ以降は一緒に行動するようになった友人の1人だ。

 

「……あー、ごめん。今日は先約が…………」

「ん? 悠人……お前、僕以外に約束をするような友達がいたのか?」

「それはいくらなんでも酷くないっ!?」

 

 友人の言葉に心を抉られた悠人は、顔をくしゃっと歪ませる。

 そんな彼を見た友人は、満足気な様子で口元に小さな笑みを浮かべた。

 

「冗談だよ」

「はあ……。なら、真顔で冗談を言うのは止めてくれ……。冗談を言う時はそれっぽい顔で頼む」

「……へえ、悠人は冗談を言う時用の表情があるのか。顔芸が達者(たっしゃ)なんだな」

「あー、もうっ!! ああ言えばこう言う!! その口、いつか縫うぞ!!」

 

 一見して優等生という風貌の友人だが、彼は少々…………ではなく、かなり毒のある言葉を度々吐く癖があった。見た目に騙されて入学初日に近付いてきた女子生徒は、彼の毒気にあてられてしまい、精神的ダメージを負ったらしい。

 

「お前、よくその口の悪さで情報屋やっていけたな。結構相手を怒らせたりしただろ?」

「否定はしない。でも、情報屋としてやっていくのに口の悪さは関係ないだろ。大事なのは僕自身じゃなくて、情報屋としての信用度だ。それさえあれば、自然と顧客は寄ってくるものさ」

 

 悠人が彼に話しかけた時、最初は口の悪さで強烈な印象を受けたが、次第に彼の実直な性格が会話の節々で垣間見えた。根は良いやつなのに、口の悪さが目立って彼の本質が隠れてしまっているのが、悠人は友人として残念でならなかった。

 

「……っと、話が逸れたな。先約があるなら仕方ない。そっちを優先してくれ」

「ああ、悪いな」

 

 悠人は席から立ち上がり、友人に向かって手を上げた後、素早く教室を抜け出した。

 

 悠人が向かった先は、昼休みに学生でごった返すカフェテリア――――ではなく、校舎の外にある円形の庭園だった。庭園は校舎の非常階段を降りて中庭を抜けた先にあるのだが、そこは多種多様な花を植えた花壇が設置され、場を鮮やかに彩っている。特に今日みたいな天候に恵まれた日は、花達が陽光を浴びて爛々としているようで、普段よりも一層輝いて見えた。

 そして庭園には学生達が憩いの場として、あるいは友人知人と落ち着いて談笑するために設けられた白木のベンチが幾つか並んでいた。

 悠人はその内の1つを適当に選んで腰掛けると、空を仰ぎ、瞼を閉じた。柔らかな風が顔を撫でるのを肌で感じていると、不意に彼は遠くから自分に近付いてくる人の気配を察知した。悠人は瞼を持ち上げ、気配のする方向に顔を向けると、視線の先で華奢な身体の女子生徒が、車椅子を懸命にこぐ姿が映った。

 

「お待たせー。待った?」

「いや、今来たところ」

 

 車椅子の少女――――由紀は悠人のそばまで来ると、はにかんで顔を綻ばせた。

 一方、悠人は由紀が笑みを零した理由を、何の気なしに訊いてみた。

 

「どうした?」

「えへへ。今のやりとり、いつかやってみたいと思ってたんだー」

 

 そう言うと由紀は車椅子をベンチの隣に横付けし、車椅子からおりて悠人の隣に腰掛けた。まだ医師からは大事をとって車椅子を使うよう言われているが、明日の検査で問題がなければ晴れて車椅子生活とはオサラバし、今度は松葉杖になるらしい。順調に行けば、5月中には杖なしで歩けるようになるだろう。

 

「それは良かった。……それで、この前言ってたものは?」

「大丈夫、ちゃんと持ってきたよ。とっておきの自信作を」

 

 由紀は膝の上にのせている小さな手提げカバンを自分と悠人の間に置くと、カバンを開けて中に入っている物を取り出した。すると、中から白色と紺色、2種類の弁当箱が姿を現し、彼女は紺色の弁当箱を悠人に差し出した。

 彼は弁当箱を受け取ると、どうやら待ちきれなかったらしく、そのまま蓋を開ける。中にはポテトサラダ、唐揚げ、オムレツ等、色とりどりのおかずが詰め込まれており、色彩豊かで可愛らしい中身のお弁当だった。

 

「うわ、美味そう。なんだか食べるのが勿体無い」

「食べないともっと勿体無いよ」

 

 クスリと笑う由紀から箸を貰うと、悠人はどれから食べようか迷うこと数秒、ようやく最初のおかずに手を出した。ゆっくりと咀嚼して味わった後、ゴクンと呑み込み、率直な感想を由紀に述べた。

 

「『美味そう』じゃなかった。超美味い」

「本当!? 良かった〜」

「これ、朝起きて自分で作ったのか?」

「下準備を入れると、昨日の夜からかなあ。まだ全部1人でやるのは自信がなかったから、ちょっとお母さんに手伝ってもらったけど」

「それでも凄いよ。ありがとう」

 

 前日から準備してまで自分に尽くしてくれたことに対し、悠人は胸が暖かくなるのを感じた。

 その一方で、悠人から『美味しい』の一言を貰った由紀は、ほんのり赤く染まった頬を緩めてはにかんだ。

 

 

 

 

 

「そういえばさ……」

 

 由紀お手製の弁当を食べ終え、一息ついたと同時に、悠人が話を切り出した。

 

「近いうちに、エギルの店でオフ会を開こうって話が、和人と里香との間で出てるんだけど、由紀も来る?」

「わあ、良いねそれ! 行きたい行きたい! 他は誰が来るの?」

「今のところ声をかけたのは、明日奈、珪子、クライン、エギル、直葉ちゃんだな。話が持ち上がったばかりだから、参加者はまだ増えると思う。呼びたい奴がいたら、オレ、和人、里香、エギルの誰かに言ってくれ。コンタクト取れるようなら取るからさ」

「うん」

 

 SAOで交流の深かった仲の良い人達と集まり、オフ会を開こうという話が昨日里香から持ち上がったのだ。エギルが場所の提供を自ら名乗り出てくれたため、あとは日付と参加メンバーを確立させるだけだった。

 

「そっかー、直葉ちゃんも来るんだ。そういえば、退院した後は会ってないもんなあ」

「会ってるじゃん。ゲームの中で」

「それとこれとは別物です」

「さいですか」

 

 由紀と和人が入院していた病院は一緒なので、和人のお見舞いに来た直葉とは顔を合わせる機会がたびたびあった。2人は歳も近く、加えて気が合うのかすぐに打ち解け、ALOでもよく一緒にパーティーを組んで遊んでいるようだ。

 

「そうだ、直葉ちゃんと言えば……」

「うん?」

 

 何かを思い出したらしい由紀は空を仰ぐと、次いで首をかしげ、考え込むような素振りをみせた。

 

「あのね、私の勘違いかもしれないんだけれど…………直葉ちゃんって、悠人のことが好きなんじゃないかなあ〜、って思うんだ」

「へっ!!? い、いやいや、ないない、絶対ない!」

「どうしてそう思うの?」

「……な、なんとなく? そういう由紀こそ、何でそう思うんだ?」

「病院で悠人と話してる時、どこか楽しそうというか、嬉しそうというか…………あれは『恋をしている女の子』の顔だった」

 

 直葉が和人のお見舞いに来ていたように、悠人も由紀のお見舞いに来ていたのだが、偶然時間が重なって病院内で会えば、当然会話を交わす場面が幾度となくあった。その時の直葉の表情を見た由紀は、彼女が悠人を『兄の友人』という存在以上のものとして見ているのだと、直感で感じとったらしい。

 和人と由紀の救出に奮闘していた時は、現実世界と仮想世界の両面でたびたび交流していたが、それだけの好意を向けられるほど何かをした覚えが悠人にはない。

 

「だからと言って、私は別に直葉ちゃんを邪険にしたりするつもりはないよ。ちょっと妬いちゃうけど、悠人が他の人からも好かれているのは、私としても嬉しいし。…………でも、直葉ちゃん可愛いし…………あと、その…………お、男の子って、大きい子が好きなんでしょ?」

 

 一体何が『大きい』のかを、由紀は直接口にしてはいないが、直葉の名前を出した後の流れで、悠人は彼女が何を言いたいのか容易に察することが出来た。

 

「ま、まあ、確かにそういう奴は多いけど…………。けど、その…………お、オレは由紀くらいのが好きというか、なんというか…………」

「なっ……!?」

 

 恥ずかしそうに悠人がそう告げた途端、由紀は絶句し、瞬間湯沸かし器にも負けない速さで顔が熟した林檎のように赤く染まった。湯気が出るのではないかと思うくらいに身体が熱を帯びると、由紀は素早く両手で自分の胸を隠すように覆った。

 

「ば、バカっ! 悠人のヘンタイっ!!」

「ひ、人をヘンタイ呼ばわりするな! …………って、そうじゃなくて……あのさ、別に変な心配しなくていいからな」

 

 由紀の心配事にやや嘆息しつつ、悠人はじっと彼女を見た。

 つまるところ由紀が懸念しているのは、悠人の心変わりだ。自分が囚われている間、悠人と直葉は現実と仮想の両世界で関わり合っていたため、端から見ても2人は仲が良い。その点は兎も角、直葉が悠人に好意を抱いているのが本当だとして、そこから更に自分の知らぬうちに親密な関係を築き上げ、今は自分に向けられている気持ちが直葉に向いてしまうのではないか、と由紀は思っているのだろう。

 

「直葉ちゃんがオレの事をどう思っているのか知らないし、仮にそうだとしても、オレは変わらず由紀を選ぶよ。一緒にいるだけで気持ちを満たしてくれる相手は、由紀以外にいないから」

 

 由紀の心配事を払拭するために出した悠人の答えは、頭の中で捻り出すまでもなく、ただ思ったことを素直に口にする、それだけだった。そばにいてくれるだけで幸せな気持ちになるのは、悠人にとって由紀だけだ。

 悠人はありのまま思っている事を吐露したが、それを聴いていた由紀はというと、時間が止まったかのように硬直し、またしても顔があっという間に紅潮してしまった。

 そんな彼女の反応を見た悠人の頭上に疑問符が浮かんだが、彼はすぐに己の発言を省み、もらい赤面してしまう。どう考えても好意を確実に表現した、ぐうの音も出ない内容の告白だったからだ。照れ臭さと恥ずかしさが混ざり合い、悠人は由紀を直視出来ずに顔を背けた。

 2人の座っているベンチの周辺だけが、柔らかな桃色の空間に包まれる。気まずくはないが、悠人は訪れた沈黙をどうしようかと頭の片隅で考えていると、悠人の耳が衣服の擦れる音を捉え、同時に隣に座る由紀の動く気配を感じとった。

 次の瞬間、悠人は左肩にかかるわずかな重みを感じたため、背けていた顔の向きを元に戻すと、由紀が俯きながら自分の肩に頭を預けている光景が目に映った。

 

「……私も、同じ気持ちだよ。悠人と一緒なら、何処にいても幸せです」

 

 自分の気持ちを精一杯口にした由紀だが、まだ耳は真っ赤に染まったままだ。俯いているのは、赤みの残る顔を見られたくないという恥ずかしさからであり、肩に頭を預けているのは、彼女なりの甘え方だろう。

 そんな由紀の好意を受け止めた悠人は、左手を彼女の右手に重ねて優しく包み込んだ。2人の手に宿った温もりは溶け合い、悠人と由紀はしばらくの間、時間の許す限りそのままの状態で休み時間を過ごした。

 

 

 

 

 

 午後の最初に行われる授業に出席するため、悠人は由紀と中庭で別れた後、足早に教室へと向かっていた。授業開始のチャイムが鳴るより早く教室にたどり着くと、中に入ってキョロキョロと教室内を見回す。まだ教師はいないため、学生達の談笑している光景が至る所で見られた。

 すると、悠人の存在に気が付いたとある人物が、右手を挙げて彼に手を振る。悠人もそんな彼女の存在に気が付いたため、彼は急ぎ足で駆け寄り、手を振ってきた人物の左隣に座った。

 

「もう、間に合わないと思ってヒヤヒヤしてたんだよ」

「心配かけてごめん、明日奈」

 

 やや呆れた顔でため息をついた明日奈に対し、悠人は顔の前で両手を合わせて謝った。

 悠人は明日奈よりも元々の学年が1つ上だが、カリキュラムの関係でこの日の午後に行われる最初の授業は一緒だった。これが自由選択科目なら和人の姿もあったのだが、この授業は悠人と明日奈の学年のみに当てはまる必修科目のため、彼の姿はない。

 その代わりに、明日奈の右隣には別の人物が座っていた。

 

「しょうがないわよ、アスナ。カイトにしてみれば、私達と一緒に授業を受けるよりも、ユキと過ごす時間のが大事なんだから」

「ここでキャラネーム出すのはマナー違反だぞ、里香」

「あんたとアスナはみんなにバレちゃってるんだし、今更すぎるわよ」

 

 髪色は目立つベビーピンクから茶色に変わっているが、印象的な頬のそばかすはそのままだ。リズベットこと篠崎里香――もしくはその逆――は、明日奈の影からひょこっと顔を出し、からかい半分で悠人を見た。

 実際のところ、彼女が言ったことは事実だ。この学校に通う全ての学生は、中学・高校時代に事件に巻き込まれた元SAOプレイヤーなのだが、顔は当時とほとんど一緒なので、人によっては顔を見ただけで誰なのかバレてしまっている。その代表格が明日奈なのだが、悠人も彼女と同様、少なからぬ学生達には通り名を含めたかなりの部分が露見していた。

 攻略組の悠人がメインで活動していたのは最前線だが、かつての彼が示していた二つ名《掃除屋》の通り、犯罪者(オレンジ)絡みの厄介事を引き受けた時に関しては、その活動の大部分が中層以下の階層だった。何故ならほとんどのオレンジギルドは中層を活動の拠点にしており、彼らが餌食にする被害者達もまた、中層以下を根城にするプレイヤーとなる。つまり、依頼主である中層プレイヤーから依頼を受け、その数をこなせばこなすほど、彼の名は下層にも広く知れ渡っていったのだ。

 攻略組のプレイヤーはヒースクリフやアスナといった有名人でもない限り、顔バレしている者がほとんどいないのだが、《掃除屋》という二つ名とそれに準じた活動をしていたカイトについては、そういった状況が背景にあった。大方の学生が彼の事を知っている理由は、ある意味でオレンジギルドが原因とも言える。

 

「それに、この際そんな事はどうでも良いのよ。ただ、まあ……カイト、ユキと仲が良いのは喜ばしい事なんだけど、場所がちょっと悪かったわね」

「場所? なんの事だ?」

「あのね、悠人君。気が付いていないみたいだけど、私達、2人が庭園にいたのを知ってるの。…………というか、見てたのよ」

「…………え?」

 

 言われた事を吞み込むのに刹那の間を要したが、明日奈とリズは、悠人と由紀が中庭にいたのを見ていたらしい。

 しかし、昼休みに庭園のベンチを使っていたのは悠人と由紀以外いなかったし、その周辺にも人影は1つとしてなかった。ならば明日奈達は一体何処から自分達を見ていたのだろう、という疑問が悠人の中に生まれるが、それは即座に明日奈が回答してくれた。

 

「あのね、あの場所、実はカフェテリアからだと丸見えなの」

「そういうこと。だから、あんた達がくっついていちゃついてたのは、ぜーんぶ見えちゃってたのよ。言っとくけど、覗き見するつもりはなかったからね!」

 

 悠人がいた庭園は、2人の言う通り、位置的に校舎の最上階にあるカフェテリアから見下ろせる場所だ。角度によっては木々が隠してくれるだろうが、カフェテリアの窓際にある大抵の席からなら、すべて見えてしまうだろう。

 その事実を知らされた悠人は絶句し、体温が上昇するのを感じたが、そんな彼にさらなる追い打ちがかけられた。

 

「あと、これは余計な事かもしれないけど、私達以外にも2人を見ているのが何人かいたみたい」

「あー、確かにいたわね。もしあの中に2人の知り合いがいたら、後で色々と訊かれるかもね」

 




原作4巻だとキリトとアスナが学校の庭園で昼食を摂る場面がありますが、時期的に今回はそれより少し前の出来事となります。アスナが『庭園のベンチはカフェテリアから丸見え』というのをこの時に知ったからこそ、原作4巻のキリトに指摘する場面に繋がる、という拙作の独自設定です。


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第85話 種子の中身と告白

 

 エギルが経営する喫茶店兼バー《ダイシー・カフェ》の黒い木製ドアには、普段ならばない木札が掛けられ、そこには【本日貸切】という文字がデカデカと書きなぐってある。普通の客なら木札の文字を見て早々につま先を別方向に向けるが、貸切状態の店を利用する客が訪れたのなら、話は別だ。学校帰りの悠人がドアを開けると、カランというベルの音が鳴り、カウンターテーブルに座っている人物がさっと振り返った。

 

「やっほー、悠人ちゃん!」

 

 右手をひらひらと振って悠人を出迎えたのは、煤けた色合いの店内でも一際輝く美貌を放っている理沙だった。どうもここ最近はなにやら忙しかったらしく、悠人自身も会うのは久しぶりだ。

 

「何か頼む? 折角だから、私が出すわよ」

「それじゃ、遠慮なく…………エギル、オレ、カフェ・シェケラートで」

 

 注文を聞いたエギルは、カウンターの奥で銀色のシェイカーを取り出した。それを横目に見ながら、悠人はカウンターのスツールに腰を下ろした。

 

「こうやってりーちゃんに会うの、お見舞いの時以来じゃない?」

「そうね……それが最後だったかも。少し前までは事後処理とかに追われてて、最近やっと落ち着いてきたのよ」

「事後処理?」

「須郷の件よ」

 

 そう言われた瞬間、悠人は無意識に右手で下腹部をさすった。

 あの日、悠人の腹に刺し傷の痕を残した須郷は、病院内でそのまま逮捕された。逮捕された後も黙秘、否認、挙げ句の果てには茅場晶彦に全てを背負わせようとしたらしいが、最終的には重要参考人として引っ張られた部下の供述によって、なにもかもが露見することとなった。レクトプログレスの横浜支社に設置されているサーバー内で、300人のSAO未帰還者が非人道的な実験に供されていたという事実と、それを裏付けする実験データ及びその関連資料は、須郷の逃げ道をあっという間に塞いでしまったのだ。現在は既に公判が始まっているのだが、精神鑑定を申請するなど、今でも醜く足掻いているらしい。

 そしてレクトに潜入し、須郷の実験に少なからず関わっていた理沙はというと、警察には病院内で須郷に刺されて倒れていた悠人の発見状況を聴かれたくらいで、実験に関することで警察からの出頭要請等はない。悠人が理沙から聴いた話だと、レクトの社員として潜入していた時は偽名を使い、変装して別の人間になりきっていたらしい。事件後に姿を消したということで警察から手配がかかっているらしいが、痕跡を完全に消したと自負している彼女の様子を見るに、失踪した人物が変装した理沙だったという事実にたどり着くのは、おそらく不可能だろう。

 

「あの一件を上に報告したり、やる事が山積みだったからね。悠人ちゃんこそ、警察に色々と事情聴取されて大変だったんじゃない?」

「こっちは腹刺されて入院している被害者なんだから、むこうもあんまり負担をかけないように配慮はしてくれてたよ。それに入院中はやることなさすぎて時間が有り余ってたし」

 

 そうこうしていると、カウンターからカシャカシャと軽快な音が聞こえ始めたため、悠人と理沙は同時に銀色のシェイカーを振るエギルを見た。ダイシー・カフェは夜になるとバーになるが、慣れた手つきでシェイカーを振るその腕前は、一流のバーテンダーと呼ぶに相応しいものだ。悠人は比較対象がいないのでわからないが、そういった店に行き慣れているであろう理沙は「へえ……」と感嘆の声を漏らす。その様子を見るからに、エギルのバーテンダースキルは中々高い熟練度を誇っているようだ。

 見事な手さばきでシェイカーを振り終えたエギルは、用意してあったクープグラスに中身を注ぎ、悠人の前にそっと差し出した。

 きめ細かく泡立った薄茶色の液体で満たされているグラスを持ち上げると、コーヒーの香りが鼻孔をくすぐる。グラスの中身を一口飲もうとしたが、その前に何かを思い出したらしい悠人は、あっ、と声をあげてエギルを見た。

 

「そういえばエギル、あれはどうなった?」

「順調そのものさ。実際に稼働している大規模サーバは300そこそこだが、ダウンロード総数は10万ってとこだな」

 

 悠人とエギルが交わしている会話の内容がわからない理沙は、何の事かと首を傾げた。

 

「一体何の話?」

「《世界の種子(ザ・シード)》っていう、フルダイブシステムを動かすプログラム群の話だよ。オレが茅場から受けた依頼の達成報酬として、和人の奴が代わりに茅場から受け取ったみたいなんだ。エギルがコネを使って危険性の有無を検証した結果、大丈夫だと判断したから、つい最近全世界のサーバーに完全フリーでアップロードしたんだよ」

 

 茅場晶彦が託した、世界の種子。

 それは、カーディナルシステムを小規模なサーバーでも稼働できるようダウンサイジングし、ゲームコンポーネントの開発支援環境をパッケージングした一連のプログラム・パッケージだった。

 

 SAO事件の後で存続が危ぶまれたが、今回の須郷が起こした事件により、VRゲームというジャンルは大きな社会的批判を浴び、ジャンル自体の衰退が確実視されていた。

 それもそのはず、絶対安全と銘打って販売されたアミュスフィアで、またしても世間を騒がせる大事件が発覚したのだ。この状況で新たなVRゲームの開発に手を出す企業は居らず、現行のゲームタイトルも次々と閉鎖していく――――そんな未来が予想された。

 しかし、その状況を一瞬でひっくり返したのが、《ザ・シード》だった。

 《ザ・シード》によってVRワールドは増加の一途を辿り、世界中のあらゆる場所で新たな仮想世界が創造されていった。巨額のライセンス料を支払う資金力がなかった企業から個人に至るまで、数百以上の運営者が名乗りを上げ、今もなおVRゲームのサーバーは次々に稼働している。そして《ザ・シード》から生まれたVRゲームは相互接続されるようになり、1つの世界で生まれたキャラクターを、別の世界にコンバート出来る仕組みも整いつつあった。

 勿論、アルヴヘイム・オンラインのような既存のゲームタイトルも存続しており、悠人は以前のプレイヤーデータを引き継いだ状態で仲間達と遊んでいる。新しいアルヴヘイムの大地にグランド・クエストはもうないが、それにとって代わり、本日午後11時ころ、空に浮かぶ伝説の城がアルヴヘイム・オンラインで復活する予定だ。このあとエギルの店でSAOクリア記念と称したオフ会を行い、二次会で復活した浮遊城に乗り込もうという話になっている。

 

「ふうん……VR市場が縮小しない理由は、《ザ・シード》にあったのね。そういうプログラムがネット上で出回っているなんて知らなかったわ」

「公開したのはつい最近だから、無理もないよ」

 

 悠人の話を聴いた理沙は、感嘆の声を漏らした。《ザ・シード》の事もそうだが、仮想世界の未来を左右したのが、まさか自分がよく知る人物達の判断と行動によるものだったとは思いもしなかったからだ。種子を芽吹かせることなく消去していたら、仮想世界は繁栄せず、したとしても今の状態になるまでに相当の時間を要しただろう。

 そうこうしていると、いつしかカウンターで談笑する2人の鼻孔と胃袋を強烈に刺激する匂いが漂ってきた。カウンターの奥ではエギルが料理をしているが、匂いの発生源は彼が右手で握っているフライパンかららしい。夕食にはまだ早いが、時間的には小腹が空いてくる頃合いだ。

 

「エギルー、なんか手伝えることあるか?」

「んー、強いて言うなら、もうすぐリズ達が来るだろうから、あいつらと一緒に店内の飾り付けを頼む。それまではゆっくりしていてくれ」

 

 

 

 

 

「…………それじゃ、私はそろそろ戻るとするわ」

「えっ、もう帰るの? 折角だから、みんなと一緒にオフ会に参加すればいいじゃん」

 

 あれから約30分後、カウンター席の正面にある時計を見た理沙は、席から立ち上がり、上着を着て帰る準備をし始めた。

 

「今日のオフ会って、SAO生還者(サバイバー)のみんなでやるやつでしょ? 私がいると場違いじゃない」

「そんなの気にすることないよ。それに、参加者の中にはキリトの妹も来るけど、その子はSAO生還者(サバイバー)じゃないよ」

「それでも、今回私は遠慮しておくわ。オフ会はみんなで楽しんで頂戴。その代わり、今夜実装されるアインクラッドの初お披露目には参加するつもりだから」

「そっか……。うん、わかった」

 

 そう言って悠人が手を振りかけた時、店の出入り口が開き、乾いたベルの音が鳴った。

 

「ごめーん、お待たせー!」

 

 快活な声と共に入ってきたのは、右手に紙袋を持ったリズだった。その後ろにはシリカとユキの姿もあり、全員が制服姿であるため、悠人と同じく学校帰りだろう。彼女達が悠人より遅いのは、パーティー用のクラッカーなどを買いに行っていたからだ。

 

「あっ、悠人はもう来ていたん、だ……ね…………」

 

 悠人の姿に気が付いたユキだが、その声は徐々に失速していく。以前須郷に刺され、入院する羽目になった悠人の病室を訪れた時と同様、自分の知らない美人の女性が、またしても彼の隣にいたからだ。

 

「あら、どうやら丁度いいタイミングだったみたい。それじゃあ悠人ちゃん、また後でね」

 

 そんなユキの心象を理沙が知る(よし)もなく、パーティーの準備を邪魔してはならないと気を利かせ、彼女は颯爽と出入り口に向かっていった。理沙が放つ大人の女性としての魅力にあてられたためか、ユキ達は自然と道を開け、顔が彼女の動きを追随してしまう。

 理沙はドアノブに手をかけ、外に足を一歩踏み出す直前、後ろを振り返ってカウンター席に座る悠人に軽く手を振った。扉が閉まり、繋がっていた外と店の空間が再び分離されると、最初に口を開いたのはシリカだった。

 

「はわあ〜……キレイな人でしたね〜…………」

 

 女性としての魅力を余すことなく備えた理沙に対し、同じ女性のシリカもつい感嘆の声を漏らす。

 

「あんた、一体何処であんな美人を引っ掛けてきたのよ」

 

 一方のリズはというと、「まさかあんたもそういうタイプ?」とでも言いたげな表情を浮かべながら、悠人を見ていた。

 

「引っ掛けるって…………別にりーちゃんはそういうのじゃ……」

「ふ〜ん…………悠人はあの人のこと『りーちゃん』って呼ぶんだ? あの人も『悠人ちゃん』なんて呼んでたし、随分仲が良いんだね?」

 

 ここでようやくユキが口を開いたが、その口調には微量ではあるものの機嫌の悪さが伺えた。

 

「付き合い長いからな。ところで、なんで拗ねてるの?」

「拗ねてないもん」

 

 ユキの様子が入店時とは異なることを、悠人は見過ごさなかった。とはいえ、この短時間で一体何が彼女の気を損ねたのか、その原因まではわからなかった。

 このまま放置すれば不穏な空気が漂っていたかもしれないが、事態が悪化する前に、リズは持ち前の明るさで清々しく場を流してみせた。

 

「はいはい、痴話喧嘩はそこまで。キリト達が来る前に、さっさと準備を済ませちゃうわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オフ会の準備が終了するころ、見計らったかのように《ダイシー・カフェ》を訪れる人が増えていく。あえて少し遅い集合時間を教えられていた、オフ会の主役であるキリトが来たところで、各自が簡単な自己紹介をし、その後は食べるも良し、談笑するも良しの自由時間となった。

 各々がアインクラッドでの思い出話に華を咲かせるが、楽しい時間というのは不思議とあっという間に過ぎていくものだ。二次会は午後11時に新生ALOのイグドラシル・シティ集合となっているので、オフ会は一先ず終了し、悠人達は帰路につくため《ダイシー・カフェ》の外に出た。

 

「駅まで送るよ」

 

 ユキはそんな嬉しい申し出に対し、首を縦に振った。2人が並んで歩き出そうとした時、悠人の背後から彼を呼び止める声が聞こえた。

 

「あ、あのっ……悠人さん!」

 

 振り返った先には、直葉の姿があった。何かを決心したかのような瞳で、真っ直ぐに悠人を見つめている。

 

「少しだけ、時間を貰えますか?」

「…………和人は?」

「お兄ちゃんには、お店の中で待ってもらってます」

 

 声をかけたのは悠人のみで、ユキに何かを言う気配はない。つまりは、2人で話しがしたいということなのだろう。

 悠人は隣に立つユキを見るが、一瞬早く察したらしいユキは、彼が何かを言う前に口を開いた。

 

「私も、お店の中で待ってるね」

 

 そう言い残して歩き出したユキは、そのまま直葉の横を通り過ぎ、吸い込まれるようにして再び《ダイシー・カフェ》の中へと入っていった。ベルの音が鳴り、扉が閉まると、寒空の下には悠人と直葉の2人が佇むのみとなった。

 

「…………えっと、それで、何か用があるんだよね?」

 

 悠人は直葉に問いかけるが、返答はない。《ダイシー・カフェ》は裏通りにあるので、街灯は少なく、周囲はやや薄暗い状態だ。店の光が小窓から漏れているが、それがかえって直葉の表情に影を落としているため、彼女の様子を伺うのはより難しくなっていた。

 沈黙が続き、気まずい空気が流れる中、何か会話をして場を繋げようとした悠人だったが、それよりも早くに直葉が口を開いた。

 

「…………私、悠人さんが好きです」

「……………………え…………?」

 

 アインクラッドで数々の死線と困難を乗り越えてきた悠人は、驚くことがあったとしても、大抵のことには動揺しないだろうという自負があった。

 しかし、その自信は呆気なく崩れ、彼の思考はフリーズして宙を彷徨っていた。嫌われてはいない、寧ろ好意的に慕ってくれているとは思っていたが、まさかそれが《Like》を突き抜けて《Love》にまで達していたとは、皆目見当もつかなかったからだ。もっと言えば、不意打ちで告白されたというのも、悠人の思考を止めるのに拍車をかけている。

 そんな思考停止状態から悠人が回復するのとほぼ同時に、直葉はさらに言葉を紡いだ。

 

「だけど、悠人さんはユキさんが好きなんですよね? それで、ユキさんも悠人さんを……」

「…………その話、直葉ちゃんにしたっけ? それか、ユキから聞いた?」

「いいえ。でも、2人を見ていればすぐにわかりますよ」

「そんなバレバレなのかなあ……。でも、そう気付いているんなら、なんで……?」

「私も、最初は迷いました。結果は見えているのに、気持ちを伝える意味はあるのかな、って。……だけど、この気持ちをずっと抱え込んだままにするんじゃなくて、しっかりと悠人さんに伝えておきたいと思ったんです。そうしないと、私…………きっと前に進めない」

 

 誰にも言わず、気持ちを自分の中に閉じ込め、押し殺すことも出来た。きっと届くことはないと頭で理解していたのだから、無理に言う必要はなく、仮にそうしたとしても、誰も直葉を責めるようなことはしない。

 それでも、彼女は気持ちを悠人へ告げることに決めた。

 誰だって傷つくのは怖いが、直葉は想いを伝えずに停滞し続けることを恐れ、拒んだのだ。自分の中で区切りをつけ、新しい1歩を踏み出すためにも、この事をないがしろにして見て見ぬ振りをすることが出来なかった。

 直葉がどんな思いでいるのかを悠人は知りえないが、この行動から彼女が持つ芯の強さを伺うことが出来た。

 

「…………さあ、これで私の番は終わりです。今度は悠人さんの番ですよ」

 

 告白は、片方が想いを告げただけで終わるものではない。受け取った側が返答しなければ、結末は永遠につかないのだ。

 真摯に向かってきた直葉の想いを流したり、躱したりせず、悠人もまた、真摯に向き合って返答した。それがたとえ、直葉を傷付けることになるとしても、自分の気持ちに嘘をつくことは出来ない。

 

「……ありがとう。そう思ってくれて、すごく嬉しい。……でも、ごめん」

「いえ…………気にしないで下さい。こうなるって分かってましたから。…………私、悠人さんを好きになれて良かったです」

 

 直葉が足を一歩前に踏み出したことで、薄暗い路地の中、少しだけ彼女の表情が露わになる。小さく笑ってはいるが、それは無理矢理作ったもので、心の底からのものでない事は明白だった。

 少しの間だけ、直葉は悠人に笑顔を向けていたが、ゆっくり顔を俯かせたかと思うと、彼女は俯いたまま悠人に近付いていった。すると、彼女は自分の頭を悠人の肩に預け、彼の服の袖を摘んで立ち止まった。

 

「直葉…………ちゃん?」

「…………ごめんなさい。私の、最初で最後の我が儘です。少しの間、このままでいさせて下さい……」

 

 薄暗がりの中、直葉の肩が僅かに上下する。彼女は気丈に振舞おうと懸命に抗っていたのかもしれないが、内から湧き上がる感情の波を押し止める事が出来なかった。せめてもの抵抗で、悠人に今の顔を見られまいと、直葉は彼にもたれてその表情を隠したのだ。

 しかし、顔を伺うことが出来ずとも、鼻をすする音と漏れる嗚咽だけで、直葉の様子を知るには十分だった。目尻から零れる涙を拭くために、ハンカチの1つでも差し出せれば良いのだが、あいにく悠人のパンツと上着のポケットにそんなものはない。

 このまま彼女が泣き止むまで、肩を預ける以外に出来ることは何かないかと模索したところ、悠人の脳裏にあることがふっと閃いた。

 悠人は右手を持ち上げると、直葉の頭にそっとのせ、そのまま優しく撫で始めた。

 

「…………慰めてくれてるんですか?」

 

 嗚咽も収まり、落ち着き始めた直葉は、俯いた姿勢のまま悠人に問いかけた。

 

「ある人に、こうやって頭を撫でてもらった事があるんだけどさ、安心したというか、落ち着いたというか、そんな覚えがあるんだよね。だから、どうかなって思ったんだけど…………」

 

 そこで悠人が言葉を区切ったことで、沈黙が訪れる。直葉からの反応が何もなかったため、お気に召さなかったのかと思い、悠人は撫で続けていた手を止めて下ろそうとした――――しかし。

 

「…………確かに、悠人さんの言う通りですね。すごく、落ち着きます」

「そっか……。それなら、良かった」

「なので……もう少しだけ、あと少しだけで良いので、このまま…………」

 

 悠人は下ろしかけた手を止め、彼女の望み通り、頭を撫で続ける。失恋の傷がすぐに癒えることはないが、悠人の優しさがじんわりと染み渡り、直葉は少しだけ救われた気がした。

 




後半やや駆け足に……。ご了承ください。


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最終話 君と共に

 

 涙も止まり、いつもの調子に戻った直葉は、悠人と一緒に《ダイシー・カフェ》で待たせていた和人とユキの元へと行き、二次会でまた会う約束をしてその場を分かれた。和人は直葉と自宅へ、悠人はユキを近くの駅まで送り届けるため、それぞれが肩を並べて歩き出した。

 しかし、《ダイシー・カフェ》の前から数十メートル歩いた先で、悠人の隣にいるユキが立ち止まり、ふっと後ろを振り返った。それに気が付いた悠人も同じように振り返るが、視線の先にはつい今しがた分かれたばかりの和人と直葉が2人に背を向けて歩き去っていく姿だけで、その他は特に何もない。和人と直葉の後ろ姿を見ているのか、若しくはそれ以外の何かに視線を向けているのか、悠人はわからなかった。

 

「直葉ちゃんと何を話したの?」

 

 ユキは視線を悠人に向けると、ストレートに思ったことを彼にぶつけてきた。彼女の顔は真剣そのものだが、胸中で何を思っているのかまでは読み取れない。

 『改めて見ると、ユキってまつげが長いんだなあー』などと呑気なことを頭の片隅で考えながら、悠人は噓偽りで着飾らない言葉を返した。

 

「告白されたよ」

「…………そっか。そうなんじゃないかなって、思ってたんだ」

 

 ユキの両眼がほんの一瞬だけ見開かれたが、すぐに力の抜けた声が返ってきた。おおよその予想はついていたらしいが、わかっていても驚きを隠せなかったようだ。

 

「なんでそう思ったの?」

「前にも言ったけど、直葉ちゃんは悠人が好きなんだろうなっていうのは、なんとなく感じてたの。それで、さっき直葉ちゃんが悠人を呼び止めた時、決意を固めたような顔をしてたから、自分の気持ちを伝えるのかなーって…………。それで、悠人は直葉ちゃんからの告白に、なんて返したの?」

「気持ちは嬉しいけど、ごめんって答えた。でも、そう言われる前から、直葉ちゃんはオレとユキの関係に気付いていたみたいだよ」

 

 直葉から告白された時は頭が回らなかったが、今になって考えると、はたから見てユキとの関係がただの友人以上であるのを察する判断材料は、幾らでもあったのだ。例えば、頻繁にお見舞いに来たり、はたまた筋力を取り戻すためのリハビリに立ち会うといったことを、『仲の良い友人』というだけでそこまでするのは考えにくい。

 そういった要因が幾つも合わさった結果、直葉は誰に聞くまでもなく、2人の関係に気が付いたのではないだろうか。

 

「結果が望んでいるものにならないとわかっていたけど、自分の気持ちに区切りをつけたかったみたい。誰にも言わないまま、自分に嘘をついて過ごすのが、直葉ちゃんには耐えられなかったんだ」

 

 無論、恋い焦がれる想いを隠し通し、今まで通りに悠人と接する未来を選択することも出来た。現実世界の桐ヶ谷直葉として、時には仮想世界のリーファとして言葉を交わし、些細なことで笑い合う――――それだけの事でも、直葉の心は十分満たされただろう。

 ただ、風船に空気を入れ続ければいずれ破裂するのと同じで、歯止めをかけていた気持ちはいつか限界をむかえる。膨らんで大きくなる前に、まだ小さいうちに区切りをつけておけば、受ける傷は浅く済み、綺麗さっぱり諦めて心機一転出来ると直葉は考えたのだ。

 しかし、後者は兎も角、少なくとも前者に関して言えば、直葉は気持ちの概算を見誤っていた。予想していた結末にも関わらず、胸を穿った痛みは想像以上に大きなもので、堪えきれずに溢れた涙がその証拠だった。

 

「……強いね、直葉ちゃんは。もし私だったら、傷付くのが怖くて、とてもじゃないけど口に出して言えないもん」

 

 ユキが口にしたのと同じ事を、悠人も思っていた。

 好意を伝えて願いが叶うのであればそれが最善だが、そうならなかった場合、代償として胸を引き裂かれる痛みを伴う。その後の関係がギクシャクしてしまう可能性だって、絶対にないとは言い切れない。

 ユキと悠人が直葉の事を強いと評した理由は、通常の告白と違い、傷付くとわかっていながらも彼女が1歩踏み出したからだ。そんな強さを持ち合わせているのは、悠人とユキが知る限り、直葉以外には存在しないだろう。

 

「それはオレも同じだよ。ユキに限った話じゃないさ」

「……じゃあ、私達、似た者同士だね」

 

 そう言って、ユキは悠人の右手をとった。仄かな手の温もりが伝わると同時に、悠人の鼓動が小さく脈をうつ。

 悠人は自分の右手をとった細く白い指先を見た後、顔を持ち上げてユキを見た。自然とユキの黒い瞳と視線が交錯し、そのままじっと見つめ合う。数秒間、お互いに何も言葉を発することはなかったが、ユキが照れ隠しの混ざった笑みを零した時、またしても悠人の胸が波を打った。

 

「正直に言っちゃうと、変わらずに私を選んでくれたって知った時、嬉しかったよ。……ただ…………」

「…………ただ、何?」

「う〜ん…………なんていうか、ほら。オフ会の前に、綺麗な人と会ってたでしょ。私が来た時、ちょうど親しげに話してたし」

「ああ、りーちゃんのことか」

 

 オフ会を開く前の《ダイシー・カフェ》で、悠人と理沙はカウンター席で談笑し、ユキ達が店に来たところで理沙は帰ってしまった。ユキが2人のやりとりを見たのはほんの少しだけだったが、どれだけ親密な間柄なのかはすぐに理解したらしい。お互いを愛称で呼び合っていた時点で、ただの知り合い以上であると予測するのは簡単だった。

 

「たしか前に悠人が入院してた時、私、1回だけ会った覚えがあるんだけど…………悠人って、その、お姉さんがいたりするの?」

「いないよ。オレ、一人っ子だし」

「だよね。じゃあ、さ…………昔、年上の女の人と付き合ってたりとかは?」

「いや、ないよ」

「そっか……。じゃあ…………う〜ん…………」

 

 急に困ったような顔になったユキは、頭をひねって黙り込んでしまった。理沙の事で何かを気に掛けているというのはなんとなく分かるのだが、彼女が今どのベクトルで考えを凝らしているのか、そこまでは流石の悠人も分かりかねる。

 

「さっきから、一体何を言いたいん…………」

 

 彼女につられたわけではないが、ここで悠人もユキと同じように、頭をひねって黙り込んだ。気に掛けているのが理沙個人ではなく、理沙との関係についてであれば、少しだけ答えが見えてくる。

 よくよく考えれば、悠人と理沙が親戚であるというのを知っているのはエギルくらいのもので、悠人はこの事を誰かに話した覚えがない。そもそも、理沙を紹介するような場面が1度なかったのだから、仕方がない、と言えば仕方のない事なのだが。

 そして、ユキが理沙に会うのは今日で2回目(理沙がALOのアバターで会った回数を入れるともっと多い)だが、ユキにしてみれば、その2回とも『知らない女の人が悠人に会いにきている』ように映っているだろう。『2人は従姉弟(いとこ)同士』というのさえ知っていれば話は簡単だが、そうでない場合、もしかするとあらぬ方向に考えがいってしまっているかもしれない。

 

「…………りーちゃんの事、なんか勘違いしてない?」

「…………え?」

「昔付き合っていたなんて事実はないし、そもそもあの人はオレの事を恋愛対象として見てないから」

 

 巡らせていた考えの核を掴まれたらしく、ユキの肩がわずかにぴくりと動き、表情が一瞬固まった。

 

「だから、変に心配する必要なんてないんだよ。全然、まったく、これっぽっちも」

「…………悠人って、私の考えていることが分かるの?」

「もしこの場で肯定したら、ユキは信じるの?」

「今だったら素直に信じちゃいそう」

 

 ユキは表情を緩めると、次いで手にとっていた悠人の右手を離し、彼の右腕を抱え込むような形でくっついてきた。そうすることで2人の距離は縮まり、先ほどよりもさらに彼女の顔が近くなる。

 

「じゃあ、私が今何を考えているのか、当ててみて」

 

 ユキは悠人を見上げながら、唐突にそんなことを言ってきた。

 悠人は彼女の大きな瞳の奥を覗き込み、ユキもまた、そんな悠人に負けじと見つめ返してくる。至近距離でお互いの顔を見つめ合う機会など滅多にないので、慣れないシチュエーションのためか、2人の頬がほんのりと赤色に染まった。

 

「…………この後にある二次会のこと?」

「残念、違います!」

「じゃあ、さっきのオフ会であった出来事とか?」

「それも違う。さっきの核心を突くような読心術が見る影もないね」

「それはユキの言動にヒントがあったからであって、いきなりノーヒントで当てろって言うのは無理な話だろ。……降参。わかりません」

「諦めが早いなあ。……じゃあ…………正解は、ね…………」

 

 ほんの少し、ユキは組んでいた腕の力を緩め、悠人に寄りかかると、靴のかかとを持ち上げた。

 (まぶた)を下ろして大きな瞳を隠すと、労なく悠人との距離をさらに縮める。それは一瞬の出来事で、心の準備をする(いとま)すら与えられず、悠人が気が付いた時には既に柔らかな感触が唇を介して伝わっていた。

 唇を重ね合わせるだけの口付けだったが、確かな暖かさを悠人に残し、ユキはそっと彼から離れた。紅潮していた頬はさらに赤みを増し、ユキは悪戯っぽい笑顔で悠人に微笑む。その姿に、思わず悠人も目を奪われた。

 

「…………びっくり、した?」

 

 その問いに対して、反射的に悠人は首を縦に振る。起こった出来事があまりにも衝撃的すぎて、悠人の思考は停止し、頭は真っ白な状態となっていた。

 思考の死角を突かれると、突かれた本人も驚くほど咄嗟に反応できなくなる――――と、脳内メモにしっかりと書き記していた悠人でさえ、ユキの不意打ちは彼の想像を2段、3段飛び越えたものだった。一体どこでこんな事を学んだのだ――――と思うが、その答えは他の誰でもない悠人自身だ。不意打ちは彼の十八番なのだから。

 

「今の、私のファーストキスなんだ」

 

 実を言えば本人が知らないだけで、ユキがALOで眠っている時に悠人としているのだが、そんな細かい指摘はこの際どうでも良かった。ユキの大人びた微笑みが、自然とそんなことを思わせてしまう。

 

「悠人が固まるなんて珍しいね。作戦成功、かな?」

 

 悠人がユキに対して1本取ることはあっても、その逆は中々ない。ユキの勝ち誇ったような顔が生意気だが、今の悠人の心境ではそれさえ可愛らしく、同時に愛おしく思えた。

 だが、彼女を想う気持ちと、『ユキにしてやられた』という敗北感は全くの別物だ。さらっと流すことが出来れば良かったのだが、悠人もそこまで大人ではないらしい。やられっぱなしは、性に合わない。

 

「…………悠人?」

 

 未だ何の反応も示さない彼を訝しみ、ユキは小首を傾げたが、そんな彼女を気にも留めず、悠人は頭で思った事をすぐさま行動に移した。

 目には目を。

 歯には歯を。

 不意打ちには不意打ちを。

 

「…………んっ……!?」

 

 彼女がした事を真似るように、悠人は懐へ滑り込んで距離を縮めると、ユキの肩に手を添え、瞼を閉じ、ついさっき重ねた唇を今一度重ね合わせた。ユキから受けたのと同等、若しくはそれ以上の愛情を余すことなく伝える方法が、彼はこれ以外に浮かばなかったのだ。

 最初こそ力んでいたユキの肩も徐々に力が抜け落ち、いつしか彼女は悠人に全てを委ねていた。彼が伝えてくる愛情に浸り、幸福という名の充実感が心の底まで染み渡っていくのを、彼女は感じていた。

 かといって、ずっとこのままでいるわけにもいかず、悠人は名残惜しそうに触れていた唇を離す。彼は閉じていた瞼を開き、視界の大部分を占めているユキを見ると、そこには目尻がとろんと下がった色っぽい表情で自分を見つめる少女の姿があった。

 

「さっきのお返しだ」

「…………バカ」

 

 ユキは上目遣いで悠人を睨みつけるが、声のトーンからして満更でもなさそうな様子だった。

 いつの間にか2人だけの世界を構築していたことに、悠人もユキも、遅まきながら気が付いた。照れ臭さと気恥ずかしさがほどよくブレンドされた笑みをお互いに零す。

 

(やっぱり良いな。この感じ…………)

 

 独特の雰囲気と、安心感。気持ちが良いくらいに歯車が嚙み合わさるようなこの感覚を、悠人はユキ以外の誰かで味わったことがない。『相性が良い』『波長が合う』等といった表現を世間ではするが、きっとこれが、そうなのだろう。

 

「…………ユキ」

「…………なあに?」

 

 和やかな雰囲気に包まれている今なら、言えるかもしれない、聴けるかもしれない――――そう思った悠人は、緊張していることを悟らせぬよう、極力柔らかな口調と物腰を意識しつつ、口を開いた。

 

「アインクラッドの75層でさ、オレと勝負したの、覚えてる?」

「75層…………もしかして、キリトと団長のデュエルを始める前にやったやつのこと?」

「そう、それ。…………じゃあさ、その時にした約束事は?」

「…………覚えてるよ。だってそれ、私が言い出した事だもん」

 

 浮遊城の第75層が開通して間もない頃、『アインクラッド最強を決める』と題したキリトとヒースクリフによる一騎打ちは、2人の記憶に新しい。

 この時、勝負が一試合だけでは物足りないという考えから、カイトとユキが前座でデュエルをしたのだが、その際にユキから『負けた人が勝った人の言う事を何でも聴く』という提案をしたのだ。結果的にカイトが勝利したのだが、それからすぐにゲームがクリアされてしまったので、彼は勝者の権限を行使する機会を失っていた。

 

「まさかとは思うけど…………」

「そのまさかだよ。今、ここで、ユキにはオレの言う事を何でも1つ聴いてもらう」

「え〜、もう期限切れじゃないの?」

「そんなものはありません」

 

 キッパリと切り捨てた悠人に向かって二言ほど文句を垂れたユキだったが、元はと言えば彼女が言い出した事の上に、敗者はユキだ。それ以上強く言い返す事はせず、すんなりと受け入れた。

 

「それで、私は一体何をすればいいの?」

「オレがユキにしてほしいのは、今から話す事を聴く、それだけだ」

「え? そ、それだけでいいの?」

「ああ。大事なのは話の中身なんだけど、それを聴いてどうするかは、ユキに任せる。…………こればっかりは、ユキの気持ちを尊重したいし」

 

 後半の部分は小さな声で呟いたため、ユキの耳には微かにしか届かなかった。小首を傾げ、訝しむような表情で悠人の顔を覗き込むが、彼の心を読み取ることが出来なかったため、近すぎず、かといって遠すぎることもない丁度いい距離で2人は向き合った。

 

「それで、どんな話なの?」

「ああ、いや、その……なんていうか、さ…………」

 

 ユキに促されて話そうとしたが、つい言葉が詰まってしまう。格好良くさらりと言うつもりだったが、いざ言うとなると気持ちがこもり、緊張がついてまわってしまった。

 生唾と共に緊張を腹の底へと流し込むと、悠人は再度口を開いた。

 

「…………オレ達が出会ってから2年経つけど、今まで色んなことがあったよな。泣いたり、笑ったり、たまーに喧嘩したり。そのほとんどがアインクラッドの思い出だけど、仮想世界にいた頃のも、現実世界に戻ってからのも、ユキと一緒に過ごした時間は、オレにとってかけがえのない大切なものなんだ」

 

 約1万人のプレイヤーが浮遊城に閉じ込められたあの日、2人は出会った。

 『ゲームオーバー=現実での死』という環境下に身を置いた事実に頭が追いついたユキは、絶望し、自ら命を絶とうとしたが、そこから彼女を救い出したのは悠人だった。彼のきまぐれ、もしくは思いつきとも言える行動がなければ、ユキは今頃、この世にいない。

 ささいな事をキッカケにして出会った2人だが、時間を共有していく中でお互いがお互いの存在を大きく意識するようになるのに、そう時間は掛からなかった。いつの間にか芽生えて育った恋慕の情も、振り返ってみればそうなるのが必然だったのだ。あの日の出会いは、『運命』と呼ぶのに相応しい出会いだったのだから。

 

「昨日の夜、今までの事を振り返ってたんだけどさ…………改めて言うまでもないけど、オレ、やっぱりユキが好きだ。この気持ちは、今も、昔も、そしてこれからも、きっと変わらないと思う」

 

 気持ちをユキに伝えた悠人は、今一度頭と心を整理した。

 前置きはここまで、本題はここからだ。

 

「それで、その…………ユキに頼みというか、お願いがあるんだ。ちょっと根気と我慢を強いるような事なんだけど…………」

「全然想像がつかないんだけど…………。それで、どんなお願いなの?」

「ん。まあ、その、なんだ…………オレもユキも今はまだ学生で、親から離れて自立してないけど、大人になったら違うだろ? やる事なす事、全部自分の意思と責任で決められるわけだ。……まだ先の、ユキにとってはオレよりも少し遠い未来の話に感じるだろうけど…………その時が来たら…………オレ、ユキの事を迎えに行きたいと思ってる。……それまで、ユキには待っていてほしいんだ」

 

 真っ直ぐな眼差しと共に気持ちを伝えた悠人は、知らず知らずのうちに入っていた肩の力を少し抜いた。ふう、と小さく息を吐き出した後、そのままユキの反応を伺うが、それはそれは、はたから見てなんとも分かりやすい反応だった。

 まず最初に両眼を見開き、次いで頬を紅潮させ、最後は両眼に滲んだものが一粒の雫となってユキの頬を伝った。彼女の中で移ろう感情が、手に取るようにわかってしまう。

 

「……ねえ、悠人。それって、もしかして…………」

「最初に言っただろ? 今のはただの『お願い』だ。来るべき時が来たら、その時はちゃんとした言葉で、ユキにもう一度きくよ」

 

 今はまだ、その時ではない。現実的に可能ではあるが、現時点でユキを本当の意味での相棒、パートナーとして受け入れるのは、時期尚早というものだ。彼女を迎え入れて守りきるほどの力がないのは、悠人自身、百も承知している。

 だが、この先ずっと一緒に歩んでいきたいと願う気持ちは本物で、せめてそれだけでも伝える事が出来れば、という考えが彼にはあった。近いのか、遠いのか、そもそも来るのか来ないのかすらわからない不明瞭な未来の話だが、この想いが途絶える事なく、いつか本当の意味で彼女と共に並び歩ける日が来るのを、彼は強く信じている。

 

「本当は、もっと早くに言うつもりだったんだ。でも、ゲームは途中でクリアされるし、現実に戻ってきたと思ったらユキは帰ってきてないし…………中々タイミングが掴めなくてさ」

 

 そう言って悠人は顔を背け、指先で頬を掻く仕草をした。一世一代の告白を成し遂げたは良いが、やはり気恥ずかしさは残るらしい。照れ隠しの時にする癖は、相変わらずだった。

 そんな悠人の様子が可笑しくて、だけどちょっぴり可愛くも思えて、ユキは思わず顔を綻ばせた。

 

「えへへ、そっか。…………悠人の言う通り、確かにこれはちょっと我慢が必要になりそうだね。でも…………」

 

 ユキが足を一歩踏み出したかと思うと、そのまま悠人の真横を通り過ぎ、歩みを止めることなくそのまま数メートル先まで進んでいった。悠人が振り返って彼女の背中を見ていると、ユキはふと足を止め、くるっと回れ右をして悠人と向き直る。

 

「あんまり長く待たせないでね。悠人がグズグズしてるうちに、私の気持ちが変わっちゃう可能性だってあるんだよ?」

「そ、それは困るな…………」

「でしょ? だから、私のこと、しっかり捕まえててね」

 

 ユキは右手を持ち上げると、悠人に向かって白く細い指先を差し出した。

 一方、悠人は差し出された手を掴むため、彼女の元へと歩み寄る。手の届く距離まで近づくと、左手を伸ばし、そっと彼女の右手に重ねた。

 悠人の手の温もりが伝わるのを愛おしく感じたユキは、幸福な現実に思わず頬を緩め、そんなユキを見た悠人も、彼女につられて笑みを零した。

 

「行くか」

「うん」

 

 触れ合っていた手が繋がれると、2人は歩調を合わせて歩き出す。

 並び立つその後ろ姿は、あの世界にいた頃と変わらない。

 それはこの先も、きっと変わらないだろう――――それが、2人の未来の概算だった。




無事にタイトル回収。これにて『ソードアート・オンライン 〜君と共に〜』本編の最終回です。
ここまでくるのに約3年……途中で投げ出すことなくこれたのは、読者の方々から暖かい声を頂けたのが大きな要因だと思います。本当にありがとうございます。
せっかくのあとがきですので、色々書こうかな、と考えていましたが、それはもう少しあとにとっておきます。本編はこれで締めますが、ここから本編を補足、若しくは後日談的な意味を込めて番外編を複数話掲載するつもりですので、全て投稿し終えたその時に書こうと思います。内容が整い次第投稿しますので、もう少々お付き合いください。
引き続き、感想、評価、お気に入り等お待ちしております。


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外伝の章 -過去の軌跡-
二つ名とその由縁 I


最終話の投稿から約2ヶ月…………だいぶ間が空いてしまいました。
前回のあとがきで予告していた通り、ここから番外編を数話投稿します。


 《黒の剣士》、《閃光》、《舞姫》、《聖騎士》、《鼠》。

 これらは全て、世界初のVRMMORPGであると同時に、『ゲームオーバー=現実の死』を体現した世界初のデスゲーム《ソードアート・オンライン》――――通称《SAO》で使われていた、特定のプレイヤーを指し示す二つ名である。誰が最初に言い出したのかは不明だが、そのプレイヤーの外見、特徴、プレイスタイル等の的を得た二つ名は、それにまつわる由来や当人の噂を引き連れて一人歩きし、いつしかプレイヤーの間で広まっていった。『実際に会ったことはないが、呼び名だけなら知っている』という話は、別段珍しいことでもない。

 そしてそれは、《掃除屋》にも同じことが言えた。

 『たった1人で何十体ものモンスターを同時に相手取り、瞬く間に葬ってしまう』とか、『《犯罪者(オレンジ)》プレイヤーに臆することはなく、実際に彼が壊滅に追い込んだオレンジギルドの数は50を優に超える』とか、その類の噂と共に名だけが広まっていった。

 これらの話の中身は、過剰すぎる脚色によって尾ひれどころか羽根まで生えており、本人が聞いたら『それ、誰のこと?』と問いただしたくなるほどに膨れ上がっている。だが、『火のないところに煙はたたない』という言葉があるように、攻略組と中層以下のプレイヤー、双方から《掃除屋》という二つ名で呼ばれていたカイトにまつわる噂は、元となる出来事が確かにあったのだ。

 その出来事の発端になったのは、浮遊城アインクラッド第37層におけるフロアボス戦が始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2023年9月15日、17時10分。

 前進・後退を繰り返すプレイヤー達の気配と、忙しなく上下するHPバー。

 遠くで、あるいは近くで飛び交う声はいずれも緊張を含んでおり、皆が行く手を阻む巨大な影に立ち向かわんと剣を振るう。最前線を駆ける《攻略組》の面々は、強化・作成した自慢の剣を手に持ち、システムから受けた恩恵をそれに宿して戦っていた。相手は、各階層に1体しかいないユニークモンスターで、浮遊城アインクラッド第37層迷宮区タワーの最上階を守護するフロアボスだ。

 第37層は昆虫型、主に蝶の姿をしたモンスターがメインの階層で、特殊攻撃を仕掛けてくるタイプの敵が多く出現した。フロアボスもその例には漏れず、人の身の丈を優に超える巨大な蝶型モンスターが、多様な特殊攻撃を織り交ぜつつ、現在カイト達攻略組と激しい戦闘を繰り広げている。固有名は《リリス・ザ・バタフライ・レジーナ》。

 

「スイッチ!」

 

 カイトの掛け声とほぼ同時に、彼の真横を黒衣の剣士が通り過ぎる。燐光を剣に纏い、片手剣3連撃ソードスキル《シャープネイル》が、フロアボスの身体に大型肉食獣の爪痕にも似たダメージ痕を刻みつけた。

 すると次の瞬間、ボスは一瞬だけ身体を丸め、背中の翅を限界まで閉じる動作をとった。

 

「キリト、またくるぞっ!」

「ああ!」

 

 これまで何度も目にした敵の予備動作から、カイトは次の攻撃を予測し、いち早く黒衣の剣士――――キリトに注意を促した。打てば響くような声で返答したキリトは、ぐっと膝を折り曲げ、大きく後方へと飛び退く。ボスに密着するようにして攻撃を繰り出していた他のプレイヤーも、各々のタイミングでボスから距離をとった。

 プレイヤーが一斉に離れた時、ボスは閉じていた翅を限界まで広げ、同時にキラキラと輝くものを周囲に撒き散らした。赤色に輝くそれは宙を舞った後、突然ボスをぐるっと囲うようにして激しい爆発を引き起こした。

 

 今回のボスがとる行動パターンの中で最も厄介なのが、この『自身の周囲に鱗粉を撒き散らす』というものだった。事前モーションで攻撃の瞬間はわかるものの、その内容は爆発のような攻撃系もあれば、毒やスタン、ステータスダウン、移動速度低下やソードスキルのクールタイム増加と多岐にわたる。規則性がないのも面倒だが、実際にボスが攻撃した後にならなければその内容を判別することが出来ないというのも、カイト達にとっては面倒この上なかった。

 とはいえ、これまでに経験した10層、20層、25層、30層といった区切りの層ではないため、敵の強さに秀でたものはなく、あらかじめ偵察をしている甲斐もあってか、戦闘は比較的順調だ。カイトにとって37体目となるフロアボスのHPは、攻略組の猛攻によって既に半分を下回っていた。

 爆煙がはれると、一度は離れたプレイヤーがまた一斉にボスの元へ突っ込んでいく。大技発動後はボスの動きが数秒間止まるので、その貴重な時間を無駄にするわけにはいかない。ボスはプレイヤー各人の持つ最大威力のソードスキルを集中砲火されたことにより、HPが瞬く間に減少していった。

 すると、HPが残り1段となったために、部屋の四隅でボスと同じ姿をした取り巻き――無論ボスよりはかなり小さい――が、計4体出現した。

 

「現れたわ! G・H隊、手筈通りに!」

「了解!」

 

 しかし、攻略組一同に動揺の色が浮かぶ気配はない。それもそのはず『HPが1段削れるたびに、取り巻きのモンスターが4体出現する』というのは、偵察の時点で既に把握済みのパターンだからだ。そして今回の場合『取り巻き出現の際は、G・H隊が対処する』という取り決めで作戦を立てていたので、本隊の戦闘に支障が出ないよう、G隊に割り振られているカイト、キリト、エギルは作戦通りに行動した。

 各隊6人ずついるG・H隊はそれぞれ半分に分かれ、3人1組で1体の取り巻きを相手取る。攻撃パターンが少ない上、ステータスもフィールドに出現するモンスターと大差ないため、落ち着いて対処すれば少人数で充分戦えるレベルだからだ。

 そしてカイト達が狙いを定めたモンスターは、出現すると優美な蝶の姿には似つかわしくない奇声をあげ、斜め上に浮上した。それを見たキリトは、カイトとエギルに指示を飛ばした。

 

「来るぞ! 俺がダウンさせるから、2人はソードスキル1本!!」

「わかった!!」

「おおっしゃあ!!」

 

 このモンスターが上昇した場合、その角度によって攻撃パターンが変化するのだが、角度が急な時は急降下からの体当たりだ。モンスターは攻撃が当たっても外しても、また剣の届かない位置まで上昇するが、翅に強攻撃を喰らうとダウンして地面に落下してしまう。キリトはそれ狙うつもりだろう。

 そうこうしていると、上昇していたモンスターは最高到達点に達したらしく、一気に角度を変えて先頭を走るキリトに向かってきた。

 一方、キリトは剣を右肩に担ぎ、ソードスキル発動に必要な予備動作(プレモーション)をとった。システムが彼の動きを認識し、剣にライトグリーンの光が宿り始めると、キリトは利き足で勢いよく跳躍してソードスキルを発動する。軌道を上空に向けることが出来る、片手剣突進技《ソニックリープ》が、キリトのアバターを加速させた。

 

「おおおおっ!!!!」

 

 裂帛の気合いと共に振り下ろされた剣閃が翅に喰い込み、モンスターはバランスを崩して地面に落ちた。バタバタと動いて必死にもがくモンスターに対し、2人のプレイヤーがすかさずソードスキルで畳み掛ける。

 片手剣垂直4連撃ソードスキル《バーチカル・スクエア》。

 両手斧4連撃ソードスキル《アルティメット・ブレイカー》。

 自らが台風の目となり、流れるような動きで光り輝く剣閃を敵の身体に振るう。身動きの取れないモンスターのHPは、カイトとエギルの剣技によって大きく削られ、あっという間に半分を下回った。

 そして2人の技後硬直が解けるのとほぼ同時に、今までもがいていたモンスターは翅を広げ、再び宙を舞い始める――――が、キリトはそれを良しとしなかった。

 2人よりも早く硬直から抜け出していた彼は、モンスターの逃走方向を予測し、先回りしていたのだ。敏捷値全開のトップスピードで地を走りつつ、剣を左腰に据えると、床に倒れ込む勢いで姿勢を低くする。システムがモーションを認識し、キリトの剣が薄青い光に包まれたかと思いきや、彼の身体が10メートル近い距離を瞬時に駆けた。威力は低いが、《ソニックリープ》よりも射程の長い、基本突進技《レイジスパイク》。

 ざしゅうっ! という爽快な斬撃音。飛び立とうとしていたモンスターはまたしても地面に落下したが、今回は強攻撃を連続で喰らったことにより、確率で起こるスタンが発生した。

 

「チャンスだ! 畳み掛けるぞ!」

「おおっ!!」

 

 カイトが4連撃、エギルが5連撃のソードスキルを放つと、モンスターの残ったHPを余すことなく空にし、敵の身体は青いパーティクルとなって爆散した。

 敵の消滅を見届けたカイトが、さっと後方を振り返り、ボス部屋内の現状把握に努めたところ、新たに出現した取り巻きモンスターを最初に倒したのは彼のグループだったらしく、他のグループについては未だモンスターと戦闘中だった。本隊はボスと戦っている真っ最中で、一見して苦戦している様子はない。当然、現時点で死者はゼロだ。

 そして、周囲の様子を一通り見回したカイトは、今回のボス部屋について改めて思うことがあった。それは、少々『広すぎる』のではないか、というものだ。

 システム上、ボス部屋にはレイドパーティーが2つ分入れる仕様となっているのだが、今回のボス戦で戦っているプレイヤーの数は、レイドパーティー1つ分の上限である48人だけだ。よって、レイド1つ分の空きスペースが当然出てくるので、広く感じるのは必然――――なのだが、もしこの場に2レイド分のプレイヤーがいたとしても、スペースに余裕をもって戦えると断言できるくらい、この部屋は『広すぎる』のだ。

 ボスが広範囲攻撃を駆使するタイプなので、プレイヤーが回避できるスペースを設けているからだろうと解釈しても良いのだが、カイトの経験上、その理由だけでこの違和感を拭うことは出来なかった。

 

「ボーッとしてる暇はないぞ、カイト。本隊に合流だ!」

「あ、ああ。…………いや、ちょっと待て、エギル」

 

 考えを巡らせすぎていたらしく、カイトはエギルに声をかけられたことでハッと我に返ったのだが、彼は前を行こうとするエギルを呼び止めた。

 

「エギルの考えでいい。このボス部屋について、何か思うことはないか?」

「なんだ? 藪から棒に」

「なんでもいい。なんでもいいから、答えてくれ」

「……そう、だな…………。まあ、やけにデカイ造りの部屋だとは思うが…………それがどうした?」

 

 エギルからの問いかけに対してカイトは答えようとしたが、そこにキリトが横から割って入り、彼の代わりに返答した。

 

「『ボス部屋とボス本体の大きさがつり合ってない』……そう言いたいんだろ?」

 

 ボス部屋というのは、ボスの大きさと部屋の大きさに相関関係があるものなのだ。攻撃パターンや取り巻きの数によって大きさに多少の変動はあるが、それを考慮しても、今彼らがいる部屋の広さは、どこか不釣り合いだった。

 

「そうなんだよ……。レイドをもう1つ増やしても、まだスペースに余裕がある気がするんだ。そうなると、このボスは、2レイド分のプレイヤーを投入するほどのポテンシャルを秘めているか、部屋の大きさに見合った危険性を含んでいるかの2択だな」

「それなら、カイトはどっちの可能性が高いと思う?」

「ここまできたら後者だな。多分、ボスのHPがレッドゾーンになった辺りで何か起こるぞ」

 

 これまでのフロアボス戦で2レイド分のプレイヤーが集結したのは、クォーターポイントの25層のみ。今回のボスは、そこまでの強さを持ち合わせているわけでもないし、戦闘は既に終盤もいいところだ。これまでの経験上、ボスのHPがレッドゾーンに突入すると、攻撃パターンや武器の変更、ステータスの上昇といった変化が表れるので、何かあるとすればその瞬間だろう。

 

「…………とかなんとか言ってるうちに、ボスのHPも残り少なくなってきてるな。カイト、もうすぐお前の予想が当たってるかわかるぞ」

 

 エギルに促され、カイトがボスのHPを一瞥すると、残り1段のHPバーがもう残り少なくなっていた。時間の問題だろうとカイトが思っていると、《KoB》がパーティー・スイッチによってボスに追撃したため、HPバーの色が黄色から赤色に変色した。

 それを合図に、ボスは翅を広げて高く舞い、プレイヤーの剣が届かない高さまで上昇すると、左右の複眼を真っ赤に染めて奇声を発した。怒りに震えているようにも見えるその姿は、間違いなく最終段階のバーサークモードに移行した証だ。

 大きな変化を予想していたカイトだったが、ボスがバーサークモードに移行するのは、別に珍しいことではない。攻略組を脅かす変化が表れるだろうと思っていたカイトは、緊張の糸を少し緩めた――――その瞬間だった。

 空中でホバリングしているボスの周囲で、湧出(ポップ)音と小さな光が瞬いた。間違いなく、新たなモンスター出現のサインだ。光自体が小さいので、出現するモンスターのサイズも小さいのが伺える――――のだが、問題は現れた数だった。

 ボスの周囲で出現したモンスターの数が、尋常じゃないくらい多いのだ。それこそ、プレイヤーの上空を覆い尽くし、ボス部屋の天井を隠すくらいの勢いで、とてもじゃないが10や20どころの騒ぎではない。

 

「なん、だ…………こりゃあ……」

 

 カイトの横で、エギルが唖然とした表情を浮かべながら上を見上げていた。

 そして、それはエギルだけではない。この場にいる誰もが、予想だにしない状況を呑み込むことが出来ず、ただただ呆然とすることしか出来なかった。

 

「……そうか…………そういうことだったのか……」

 

 そんな中、カイトはボス部屋が通常よりも広く設計されている理由を理解してしまった。

 この部屋は、大勢のプレイヤーを迎え入れるためではなく、ボス戦の終盤でポップする()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、あえて広く作られているのだ、と。

 

「……マズイ…………来るぞ……」

 

 上空ではばたく無数の蝶を見ながら、キリトがポツリと呟いた。

 そして次の瞬間、まるでキリトの言葉を合図にしたかのように、突如現れたモンスターの大群は、一斉に動き出して下方のプレイヤー達に襲いかかった。そのほとんどが部屋の中心地でボスと戦っていたプレイヤーを標的にしたので、部屋の隅にいたカイト達には、まるで極太の光線が地上に降り注いでいるかのように見えた。

 そして出現したMobの内、数体が群れから外れ、部屋の四隅で取り巻きを相手にしていたG・H隊を襲う。カイト達の元にはモンスターが1体だけ接近してきたため、剣を構え直して再び臨戦態勢をとった。

 ターゲットされているのはどうやらカイトらしく、彼の元へ一直線に向かってきたため、それを察したキリトとエギルが即座に彼の刃圏から出た。

 一方、カイトはモンスターを迎え撃つために腰を落として半身になり、剣を左脇に抱え込む。身体をピタリと停めた瞬間、彼の剣は紫色の光に包まれ始めた。

 万全な状態で迎撃準備に入ったカイトだが、敵との距離が10メートルにまで縮まった時、モンスターが思わぬ行動に出た。それは、今まで直線だった軌道を急に変え、ジグザグに飛行しながら彼目掛けて突っ込んできたのだ。

 この手の攻撃は焦りで剣を振ってしまいがちだが、カイトは逸る気持ちを懸命に押し殺し、じっと堪えて身構える。目線を縦横無尽に飛行する敵に合わせ、カイトの剣が届く範囲に入る、まさにその瞬間だった。

 

「――シッ!!」

 

 カイトの右手が閃き、左から右、そして右から左へと流れ、紫の曲線を空中と敵の身体に刻みつけたのは、片手剣2連撃ソードスキル《スネークバイト》。神速の抜刀術にも見えるそのソードスキルは、まるで両手に持った剣を同時に振り抜いたのではないかと錯覚してしまうほどに速かった。

 剣が敵の身体の中心線を捉え、赤いダメージエフェクトが瞬くと、モンスターのHPが目に見えて減少し、一気に4割近くを削りとった。

 その様子を見ていたキリトが、声を張ってカイトに指示を飛ばした。

 

「このモンスター、多分ステータスはそこまで高くない。ここは俺とエギルで持つから、カイトは先に本隊と合流してくれ! すぐに追いつく!!」

「わかった、任せる!」

 

 この場をキリトとエギルに託したカイトは、脇目も振らずに部屋の中央で戦う攻略組集団の元へ向かう。

 すると、やはり、湧いて出た大量のモンスター集団が急に攻め立ててきたことから、戦線は崩れていた。単体では脅威となりえないが、Mobとはいえ最前線のフロアボス戦に現れるモンスターであるし、何より数が多すぎる。

 さらにはボスと戦っていた本隊が密集している場所に、プレイヤーと同数あるいはそれ以上のモンスターが集まってきたのだ。当然戦闘は始まるが、味方との距離が近い為、うっかりソードスキルを他のプレイヤーに当ててしまいかねない。ボス部屋自体は広いので、皆少しずつ他のプレイヤーとの間隔をあけるようにしているが、仲間にソードスキルを当ててしまうという二次被害の心配をしないくらいになるのは、もう少しかかるだろう。

 そして忘れてはならないのが、この部屋の主であるフロアボスの存在だ。誰もが邪魔なMobの殲滅に尽力したいところだが、ボスのリリスがそれを許すはずもなく、攻撃の手を緩める気配がない。今、本隊は半分に分かれ、ボスを相手取る陣営とMobを殲滅する陣営で戦線を維持していた。

 

(俺に出来ることがあるとすれば…………)

 

 Mobの数が減れば、プレイヤーは少しずつボスへと流れていくことを見越したカイトの決断は早かった。彼は剣を左手に持ち替え、走りながらメニューウィンドウを操作し、ストレージからとあるアイテムをタップする。現れたのは、橙色の液体が中に入っているとわかる、小さな透明の瓶。アイテム名は《レギウスの魔香瓶》。

 集団から少し離れた位置で立ち止まり、カイトは蓋を開けて中の液体を床に垂らす。すると、液体を垂らした場所を基点にして空気が薄い橙色に染まり、すぐに何事もなかったかのように消えていった。アイテム使用時の目に見える変化はそれで終わったが、効果は別の形で現れた。

 プレイヤーと戦闘中だったモンスター集団の一部が、魔香瓶の匂いを察知してカイトの立っている場所に流れ始めた。これこそが《レギウスの魔香瓶》の効果で、『使用した場所を中心に、一定範囲内のモンスターを呼び寄せる』というものだ。効果は10分間持続するため、モンスターが効果範囲に入れば、自然とアイテムの使用場所に引き寄せられるだろう。

 

「ば、馬鹿野郎! 死ぬ気か!!」

 

 複数のモンスターが攻撃を止め、カイトの元へ吸い寄せられるように移動する様子を見た両手剣使いの男が、声を荒げた。

 モンスターを呼び寄せる《レギウスの魔香瓶》をレベル上げのために使う者はいるが、それはモンスターが適度に湧くスポットにパーティーで挑む時であって、数十体ものMobがいる場所、しかもソロで使えば、匂いを嗅ぎつけたモンスターに包囲(シージ)されるのは目に見えて明らかだ。

 つまり、今この場で魔香瓶を使用したカイトは、端から見れば自ら死地に飛び込んでいるのと同義と言える。

 

「――――っ!!」

 

 カイトは剣を右手に持ち直すと、最も近い敵に狙いを定めた。向かってくる敵の攻撃をいなし、背後に回り込んで翅を斬りつけると、素早く振り返って背中から襲いかかろうとしていた別の個体の攻撃を弾き返す。耳障りな鳴き声は聞き流し、袈裟懸けに一閃見舞うと、横をすり抜けてまた違う個体に剣を振るった。

 剣で防げない攻撃――例えば、鱗粉を散らして誘爆あるいは状態異常の付与――を喰らうことはあるが、カイトはこまめに対処する個体を切り替えることで、複数の敵を同時に相手取っていた。1体だけに集中していると、背後から攻撃を受けてしまいかねないので、常時周囲に気を配りつつ、同じ場所に留まらないように戦っている。

 この戦い方を、彼はぶっつけ本番でやっているというわけではない。キリトと行動を共にする事が多いカイトだが、常に一緒というわけではなく、別行動をとることもしばしばある。その中で単独のレベリングを繰り返していく内に自然と身についた、彼なりのやり方だ。

 ただし、このやり方にも限度はあり、現在の彼の実力で1度に相手できる数は4体までだ。それ以上になると、いずれはカイトの手が回らなくなってしまう。

 なので、視界の端で5体目、6体目のモンスターが接近しつつあるのを見たカイトは、早急に現在相手をしている4体を滅しにかかった。

 

「はあっ!!」

 

 一呼吸おいて剣を閃かせると、片手剣水平4連撃ソードスキル《ホリゾンタル・スクエア》を発動し、4体全てに剣をヒットさせた。その内の3体は青いパーティクルとなって弾けたが、残った1体はHPを数ドット残して仕留め損ねてしまった。

 カイトは技後硬直がとけると、残った1体を焦ることなく横薙ぎで倒し、左手で腰のポーチをまさぐってポーションを取り出した。中身を飲み干して容器を放り、HPが緩やかに上昇し出すと、彼は休むことなく新たな敵との戦闘を続行した。

 

 

 

 

 

 途中から数を数えることも忘れ、目の前の敵に集中していたカイトは、ソードスキルで2体のモンスターを一掃した後、その場で反転して周囲をぐるっと見回した。

 しかし、魔香瓶の効果で吸い寄せられるモンスターは、もう既にいなかった。あれだけ大量にいたモンスターの群れは、いつの間にか片手で数えるほどしかおらず、残った敵は別のパーティーが相手をしている。

 それなら本隊はどうなっているのか、という考えに至ったカイトがボスに視線を向けると、大量のMob出現に伴って分かれていた人数は、元に戻っていた。ボスのHPは残り数ドットの『虫の息』といった状態にまで減っており、今まさに最後の特攻を仕掛ける瞬間だった。

 

『おおおおぉぉぉぉ!!!!』

 

 プレイヤー達の声が幾つも重なり、色とりどりのソードスキルがボスのまわりで瞬いた。

 全方位からの総攻撃を喰らったボスのHPは、残り僅かな量をさらに減らし、そしてゼロへ。最後の瞬間、天を仰ぐような姿勢をとると、第37層フロアボス《リリス・ザ・バタフライ・レジーナ》は、その身を大量のポリゴン片に変換して散っていった。

 そして、一瞬の静寂が訪れた後、ボス攻略戦に参加したプレイヤーの前に、獲得したコル、経験値、アイテムが表示された。それらはフロアボス戦が間違いなく終了したことを示し、ここでようやく、プレイヤー達から、わあっ! という歓声があがった。

 カイトは皆が喜んでいる様子を眺めていたが、緊張の糸が切れたのか、身体にどっと疲労感が押し寄せてきた。その場に座り込もうとしたが、不意に誰かが彼の左肩を叩いたので、カイトは反射的に後ろを振り返った。

 

「お疲れ様」

 

 そこには、赤と白を基調とする血盟騎士団の制式装備が、今やすっかり板についているユキがいた。

 めまぐるしい成長を遂げるカイトに、このままでは置いていかれてしまうのではと予期した彼女は、25層のフロアボス戦以降に《血盟騎士団》へ加入することを決心した。『また肩を並べられるようになりたい』という思いを柱に努力しているらしく、ユキはギルドに加入したことで、今も着実に力をつけている。

 その分、以前のように話す機会は減っているが、特にここ2、3層の間は2人の都合が中々合わなかったため、こうして面と向かって言葉を交わすのは久しぶりだった。

 

「今回のラストアタック、キリトが獲ったみたいだよ」

「またか。……というか、あいつ、いつの間にかレイド本隊に合流してたのか。Mobを倒したんなら、こっちのヘルプに来てくれれば良かったのに…………」

 

 不貞腐れた子供のように文句を垂れたカイトを見て、ユキはクスッと笑みを零した。

 

「うーん……多分だけど、キリトはカイトの戦っているところを見て、大丈夫だと思ったからそうしたんじゃないかな? だって、凄かったし」

「凄い? 俺、何かしてたっけ?」

「だってカイト、現れたMobの…………半分くらいだと思うけど、全部1人で倒しきっちゃったんだよ? 私、いつでもヘルプ出来るように注意してたけど、戦ってる様子を見る限りは、全然その必要もないくらいだったし」

「え? そ、そうなの?」

「…………気付いてなかったんだ」

「途中からはもう、目の前しか見えていなかったから……」

 

 彼が自分から振りまいた種だが、次々とアイテムの効果で吸い寄せられてくるモンスターの殲滅に意識が集中していたため、それ以外のことに思考をまわす余裕はなかったらしい。数えるのも億劫なくらい大量に出現したモンスターの内、約5割――あくまでユキの見積もりだが――をたった1人で殲滅したというのもそうだが、周囲から見て自分がそこまで無双していたということを、カイトはまるで他人事のように聞いていた。

 

(まだまだ追いつけそうにないなあ…………)

 

 スタートは一緒だったのに、いつの間にかカイトは先を行き、縮まったかと思いきや、彼はまたさらに先を行っていることに気が付く。もう一度隣に並び立ち、あるいは彼と背中を合わせて戦えるくらいになるには、力不足であるのを実感したユキだった。

 

「…………どうかしたか?」

 

 そんなユキの胸中など知る由もないカイトは、黙り込んでじっと自分を見ている彼女の様子を訝しむ。そんな彼に対し、ユキは小さくかぶりを振った。

 

「ううん、なんでもない。こうやって話すの久しぶりだな、と思っただけ」

「まあ、ユキのギルドは色々と大変そうだもんな。なんてったって《攻略の鬼》の副団長様がいるし」

「あっ、今アスナのこと少しバカにしたでしょ?」

「してないしてない」

「後でアスナに言いつけちゃおーっと」

「そ、それは勘弁してください…………」

 

 冗談混じりで言ったユキの発言に対し、カイトは両手を合わせて懇願した。その様子に、またしてもユキに小さな笑みが零れた。

 

「冗談だよ、じょーだん。ちょっとカイトをからかってみたくなっただけだから」

「俺で遊ぶなよ…………。ところで、KoBは次の階層に着いたら、早速フィールドに出て攻略を進めるのか?」

「うーん…………いつもならそうするけど、今から主街区に行っても、着く頃にはもう日が暮れてるだろうしなあ。団長からの指示が出るまではわからないけど、一先ずは次の層の主街区まで行って、着いたら解散だと思う」

「そっか…………そういうことなら、久しぶりに夕飯はどこか食べに行くか? 積もる話もあるだろうし」

「わあ、良いね。行きたい行きたい!!」

 

 この時、カイトの提案を聞いたユキの表情は、大きな花が咲いたかのように明るくなった。

 そんな彼女の満面の笑みは、どうもカイトには眩しかったらしく、口元に左手を添えてふいっと顔を背けた。その様子を、今度はユキが訝しむ。

 

「どうしたの?」

「いや、別に…………。そんな事より、ギルドの皆と合流しなくていいのか?」

「あっ、それもそうだね。じゃあ、この後の予定がわかったら、またメッセージ飛ばすね」

 

 そう言ってユキは胸元で小さく手を振ると、カイト背を向けてその場をあとにした。部屋の中央ではKoBのメンバー達が集合しており、その輪の中へと彼女も入っていく。

 それを見送ったカイトは、一先ずキリトと合流しようと思い、全身黒づくめを目印にして周囲を見回した。

 

「話は終わったみたいだな」

「うおうっ!!」

 

 しかし、カイトが彼を見つけ出す前に、キリトからカイトに声をかけてきた。素っ頓狂な声を出し、驚きつつカイトが振り返ると、探していた人物であると同時に今回のラストアタックボーナス獲得者が、そこにいた。

 

「急に話しかけるなよ。ビックリしただろ」

「はは、わるいな。それより、俺達も上の層に行こう。もう移動し始めてる奴もいることだし」

「なんだ、折角勝利の余韻に浸ってたのに」

「そんな風には見えなかったぞ?」

「言ってみただけだよ。…………それじゃ、行くか」

 

 ボス部屋の奥で大口を開けている扉を見ると、カイトは未知の階層へ続く階段に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上層へと続く長い階段を昇りきり、カイトは無事に主街区へ辿り着いた。キリトが第38層転移門のアクティベートを終えると、下層で待機していたであろうプレイヤーが次々に押し寄せ、あっという間に開通したばかりの主街区が人でいっぱいとなった。

 人影がNPCしかいない閑散とした街並みから一転し、プレイヤーでごった返す賑やかな街へと様変わりする。この後ここで祭りの類でもあるのではと勘違いしてしまうほどだった。

 

「それで、このあとはユキとご飯の約束だろ? むこうの都合は大丈夫そうなのか?」

「つい今しがたメッセージがきたけど、問題なさそうだって。転移門の近くで待っててくれってさ。その辺に座りながら待つか」

 

 丁度いい高さのブロック塀に腰掛け、2人はユキを待つことにした。

 

「それで、今日はどうするのか決めたのか?」

「そうだなー、35層の《風見鶏亭(かざみどりてい)》にしようと思ってる。あそこで出てくるデザートのチーズケーキは美味いからな。ユキもきっと喜ぶだろ」

「ふーん…………」

 

 カイトの話を聞いたキリトが、面白がるような笑みを浮かべたため、誰に言われたわけでもなく、カイトがすぐさま自らの発言を弁解した。

 

「違うからな。ただ単に俺がチーズケーキを食べたいと思っただけだからな」

「別に俺は何も言ってないぞ」

「その表情が既に何か言ってるんだよ…………」

 

 反論は小さく呟いただけだったが、、傍らに座る剣士の耳にはしっかりと届いていたらしい。キリトの口角がほんの少しだけ持ち上がるが、彼はそれ以上深く追及しなかった。

 

「NPCレストランも良いけど、カイトの場合、『作る』って選択肢もあるだろ。そっちはいいのか?」

「それも考えたんだけどさ、ちょっと熟練度が心許(こころもと)ない気がするんだよなー。ユキにはNPCレストランより美味くなってから振る舞うことにするよ」

「今でも十分だと思うけどなあ…………」

「ほほう。キー坊がそこまで言うなら、試しにオレっちが味見して判定しようカ?」

「いや、そもそもここじゃ作れない…………って、うおわあっ!?」

 

 不意に後ろから2人の会話に割り込んできた声で、カイトは腰掛けていたブロック塀から急に立ち上がって振り返る。キリトは立ち上がりこそしなかったが、その場で振り返り、ぎょっとした顔で声の主を見ていた。

 2人が声を聞くまでその存在に気が付かなかったのは、その人物があまりにも見事なハイディングをしていたからだ。両頬に描かれているトレードマークの3本ヒゲペイントをフードの奥から覗かせているのは、ゲーム開始直後から交流のある、アインクラッド初の情報屋《鼠》のアルゴだった。

 

「そこまで驚くことないだろうニ。……ま、何はともあれ、37層フロアボス戦お疲れサマ。聞くところによると、2人とも大活躍だったらしいじゃないカ」

「あ、相変わらず耳が早いな」

「これくらい朝飯前だヨ。そうでもないと《情報屋》は名乗れないからナ」

「そうは言っても、本当についさっきの事だぞ。ボス戦に参加してた攻略組の誰かから聞いた、ってことだよな?」

「おいおい、カー坊。オレっちが情報屋ってこと、忘れてないカ?」

「…………今のなし。情報料を払うなら、もっと有益な情報に払いたいし」

「ニシシ、良い心掛けダ」

 

 おそらくはボス戦参加者の誰かと雑談でもした際に聞いたのかもしれないが、『誰それからこういう情報をきいた』というのも、立派な情報だ。料金で換算するなら100コル程度かもしれないが、彼女にとっては十分な価値のある商品である。

 2人のやり取りを傍目に見ていたキリトは、その合間を縫ってアルゴに訊ねた。

 

「そういえば、頼んでおいた情報はどうなった?」

「ああ、最新の高効率狩り場情報だナ。今日はそれを伝えに来たっていうのもあるんだガ…………」

「あるけど…………なんだ?」

 

 言葉を途中で区切ったアルゴは、カイトとキリトを交互に見た後、再び口を開いた。

 

「2人とも、この後何か予定はあるのカ?」

「ん、ユキとご飯に行く約束をしているくらいで、それ以外は特にないぞ」

「そいつは丁度いいナ。それなら――――」

 

 現在時刻、18時20分。

 太陽は既に沈み、多くのプレイヤーは1日の疲れを癒すために帰路へつく頃合いだが――。

 

「今夜はちょっと、オレっちに付き合ってくれないカ?」

 

 ――カイトの1日は、まだ終わりそうになかった。

 




今回は拙作主人公が《掃除屋》という二つ名で呼ばれるきっかけとなった出来事ですが、もう少し続きます。


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二つ名とその由縁 II

「それじゃあ場所を変えて…………何? ここにもうすぐユーちゃんが来ル? それなら一緒にご飯でも食べながら話すとするカ」

 

 というアルゴの案により、急な話ではあるが、夕食の場に彼女も同席する流れとなった。その数分後にはユキもカイト達と合流し、4人はそのまま転移門をくぐって《風見鶏亭》に向かう。

 店につくと、時間帯がちょうど食事時ということもあり、店内は戦を終えて主街区に戻ってきたプレイヤーで賑わっていた。スプーンやフォークを片手に食事を摂りつつ、仲間達と今日あった出来事や戦利品の話題で会話を弾ませている様子が見受けられた。

 そんな中、カイト達は4人掛けのテーブル席に座り、各人がそれぞれNPCのウェイターにメニューを注文する。ものの数秒で机の上には湯気の立つ熱々の料理がずらりと並んだため、冷めないうちにと4人は食事に手を伸ばした。

 白地に赤の差し色が鮮やかなギルドの制式装備を着たままでいるユキを見て、店内にいるプレイヤーの何人かは、攻略組のKoBがいることに気が付き、チラチラと彼女を見る者もいる。しかし、見られている当の本人は、気が付いていないのか、あるいは気にしていないのか、そういった素振りを一切見せなかった。

 

「こうやって一緒にご飯食べるの、本当に久しぶりだね」

 

 そう言ったユキの表情は、どことなく嬉しそうだったが、カイトにとってはそれだけで十分誘った甲斐があったと感じた。

 そう思っていると、ユキの隣にいるアルゴが意味深な笑みを向けながら自分を見ている事に気が付いたため、カイトは訝しむような目でアルゴを見た。

 

「…………何?」

「いや、カー坊の頬が緩んでるなーと思っただけダ」

 

 ユキの嬉しそうな様子で無意識のうちに頬が緩んでいたらしく、そのことを指摘されたカイトは、恥ずかしさから顔を赤くし、アルゴからは見えないようにさっと顔を背けた。

 しかし、そんなリアクションをしてしまえば、アルゴにつけいる隙を与えてしまうようなものだ。彼女が面白おかしくなるであろう流れを、逃すわけがない。

 

「ニャハハ、そんな照れなくてもいいゾ。それに、カー坊の笑った顔は、かわいいからオレっちにとっても目の保養になるしナ。男なのが勿体無いくらいダ」

「別にかわいくもなんともねえ!!」

 

 リアルでは実年齢より下に見られることが多々あったカイトだが、笑うとそれが色濃く出るらしく、さらにはあどけない幼さを残す印象から、実の姉のように慕っている従姉弟や同級生の女子からは『かわいい』と言われてよくからかわれていた。カイトはそのことを気にしているので、指摘されると少しムスッとしてしまうのだが、アルゴにはそれが面白いらしい。

 

「まあ、あんまり苛めるとカー坊が拗ねちゃうから、この辺で勘弁しといてやろウ」

「その言い方だと、俺がいつも拗ねてるように聞こえるんですけど……」

「細かいことは気にしなイ」

 

 カイトの反論をアルゴがピシッと一蹴すると、彼女は止めていた食事を再開した。

 雑談を交えつつ、全員がメニューのパン、サラダ、シチューを食べ終え、デザートのチーズケーキで至福の時間を――主に女性陣2人が――噛み締めていると、キリトが話を切り出した。

 

「アルゴ、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」

「ん、ああ、そうだナ」

「え? 何の話?」

 

 アルゴが食事に同席しているのは、単にご飯を一緒に食べるため――――と思っていたユキは、話の流れが飲み込めなかったため、頭に疑問符が浮かんだようだった。

 なので、そんなユキのために、カイトは簡潔にではあるが、すぐさま事情を説明した。

 

「元々は、アルゴがここに同席する予定はなかったんだよ。だけど、俺とキリトに話があるっていうから、急遽参加する事になったんだ」

「あ、そうだったんだ。…………それなら、私は席を外したほうがいいのかな?」

「オレっちは後から割り込んでここにお邪魔している身だから、ユーちゃんがそこまで気を遣う必要はないゾ。…………それで、今夜2人に付き合ってほしいっていうのは、オレっちが新しく発見したクエストの攻略なんだ」

 

 ここで、3人の視線と関心がアルゴへ集まる。未発見クエストの内容もだが、アルゴがクエストクリアのために、誰かに協力を依頼することは珍しいからだ。

 アルゴはかつて、ボス攻略に必須の弱体化ギミックを解くため、ダンジョン奥地にある安地部屋で野営をしつつ、たった1人でそのギミックを解いてしまった、という過去もある。そんな彼女が協力要請するのだから、その新クエストは高難易度なのだろう――――というカイトの予想とは真逆の答えが、アルゴから返ってきた。

 

「とはいっても、クエストの内容自体はそうたいしたものじゃなイ。夜になっても娘が帰ってこないから、探しに行ってほしいっていう、まあよくあるやつダ」

「思ったより普通だな。…………そのクエストは、なんで今まで誰の目にも触れなかったんだ?」

「理由を挙げるとするなら…………」

 

 アルゴはほんの少し考える素振りを見せた後、そのまま話を続けた。

 

「それは、夜の8時以降にならないとNPCにクエストフラグが立たない、いわゆる時限イベントが組み込まれているタイプだってコト」

 

 クエストの中には、特定の時間帯にしか受注できないものも多く存在し、それらは《時限クエスト》という名で呼ばれている。

 

「でも、時限イベントなんて、今時珍しくもないですよね? なのにそのクエストは、今までどのプレイヤーに見つけられずにいて、最近になってようやくアルゴさんが見つけたってことですか? ただ単にクエストを受けられる時間帯が限定されている位なら、もう誰かの目に触れててもおかしくないと思うけど……」

「それが中層以下だったらナ。もしそのクエストが、ついさっきまで最前線だった階層の、さらに言えば攻略組が素通りするような小さな村で発生するクエストだったら、少し話は変わるんじゃないカ?」

 

 その一言で、3人はアルゴが何を言いたいのかを察した。

 攻略組のプレイヤーは、ゲーム攻略と自身のレベルアップを兼ねて最前線で攻略活動を行うが、基本的には最短ルートで攻略を進めている。なので、攻略にプラスの影響を及ぼす、若しくは攻略のついでにクリア出来そうなクエストでもない限り、ゲーム攻略に関係なさそうな単発クエストはスルーしてしまう者がほとんどなのだ。

 そして、今しがたアルゴが話したクエストの発生地点は、数時間前まで最前線だった階層なので、当然中層以下を根城にするプレイヤーが知るわけもない。

 

「そういうことなら、まだ誰にも見つかってなかったっていうのも納得だ。…………で、クエストが未発見だった理由はわかったけど、内容を聞く限り、アルゴがわざわざ俺達に協力を依頼するほどのものじゃないと思うんだが…………」

「確かに…………。これっていわゆる、人探し系のクエストだろ? 迷宮区の中ボスクラスと戦うわけでもなさそうだし…………」

 

 そう言って、キリトとカイトは顔を見合わせた。

 人探し系のクエストは、文字通り対象者を発見して依頼主のNPCに引き渡すことで完結するクエストだ。大抵は戦闘イベントが発生しないので、アルゴ1人でも事足りるし、攻略組を駆り出すほどのものではない筈だが…………と、2人が思うのも無理はない。

 そんな2人の疑問を聞いたアルゴは、ほんの一瞬だけ渋い表情を見せたが、視線がそれていたカイトとキリトはその事に気が付かなかった。隣に座っていたユキだけがその微妙な変化に気付いていたが、次の瞬間にはいつもの調子で話すアルゴがいた。

 

「ン〜、確かにそうかもしれないけど、NPCの口ぶりから察するに、もしかするとネームドモンスタークラスとの戦闘イベントが発生するかもしれないんだヨ。それに探す対象がサブダンジョン扱いの洞窟にいるみたいなんだが、まだオレっちも完全マッピング出来てない所だし、万が一のことを考えて、お二人さんにも付いてきてもらえたらナ〜、と思ったんだけど…………」

 

 そういう理由ならと、カイトもキリトも大きな引っかかりを感じなかったので、それ以上追及することはなかった。普段から世話になっているアルゴからの頼みでもあるし、特に断るような理由もない。

 

「わかったよ。それなら、喜んでお供させて頂きます」

「さっすが!! カー坊ならそう言ってくれると思ったヨ。…………だとしても、ボス攻略が終わったばかりだってのに、悪いナ」

「そう大掛かりなものでもなさそうだし、大して時間も掛からないだろ。…………それで、ユキはどうする?」

「え? 私?」

 

 たった今チーズケーキを食べ終えたばかりのユキが、フォーク片手に首を傾げた。

 

「久し振りにパーティー組むのはどうかな、と思って。ユキがギルドに入ってから、こんな機会は滅多にないし…………」

 

 カイトの提案を聞いたユキの様子が一瞬明るくなったが、『あっ!』と言って何かを思い出し、胸の前で両手を合わせて申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

「う〜、すっごく嬉しいけど、この後アスナや他のギルメンと一緒にレベリングの約束があるの。だからゴメン、また今度誘って」

「い、いやいや、先に約束があるなら、こっちだって無理にとは言わないよ。じゃあ、また次の機会に、てことで」

 

 口では気にしていない体を装っているカイトだが、そこには少し残念そうな様子が滲み出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕食を終え、ユキを転移門で見送ったカイト達は、開通したばかりの38層主街区を散策した後、NPCの店でアイテムを補充して37層に降り立った。

 目的地である小さな村はフロアの端っこにあるため、道中で遭遇するモンスターとの戦闘をこなしつつ、3人はフィールドを横断していった。村に着いた時、片手で数えられる程度にしか訪れたことのなかったカイトは、朧げだった村の記憶が次第に鮮明になっていくのを感じた。

 とは言っても、彼がこの村に関して覚えていることは、さほど大きくない村の中心部に村長の住む家があることと、そこがこの村で唯一受けられるクエストの受注場所ということだ。そして、村長の話がやたらと長いということも――――。

 村の成り立ちから始まる村長のありがたい話を聞いた後、周辺地域で増えている魔物の話になり、これが終わることでようやくモンスター討伐の依頼が村長の口から出るのだ。指定されたモンスターを規定数倒すという至ってシンプルなもので、報酬はいくばくかのコルと経験値、そして武器を強化する際に使用するアイテムが貰えるというものだ。

 ただし、これはあくまで昼間に受注できるクエストであって、これからカイト達が受けるクエストは夜間限定の別物だ。大まかな内容はアルゴから既に聞いているが、現時点でそれ以外の情報は一切不明である。

 

 村長の家の前まで行くと、3人は門扉を通って整地された庭を抜け、玄関の前に立ってドアを3回ノックした。そこから5秒とかからず、中にいた歳の若い村長が出迎えてくれたので、カイト達はそのまま家の中へと足を踏み入れる。

 家の奥にいた村長の妻にも出迎えられると、カイトは片付いた部屋の中を見回した。テーブルと椅子、古びた本棚、各種食器類が収納されている棚、大きめのロッキングチェアが1つなどなど、居間には少なくない家具が設置されていた。以前訪れた時は家の中をちゃんと見ていなかったので、改めて見ると、居間だけでそこそこの広さがあることに気が付く。

 

「村長サン、何か困ったことでもあるのかイ?」

「おお、旅の剣士様、よくぞ聞いてくれました。実は、私の大事な娘が…………」

 

 そんな中、カイトは背中越しに聞こえてきた会話に聞き耳を立てていると、どうやら金色の《!》マークを頭上に浮かべている村長に対し、アルゴが『何かお困りですか?』というクエスト開始の定番フレーズを口にしたらしい。カイトは振り返り、村長の話を少し離れた場所から聞いていた。

 

 曰く、昼間に娘の姿が見えないことに気が付いたが、暗くなる前には帰ってくると思っていた。

 曰く、夜になっても帰ってくる気配がない。

 曰く、村中くまなく探したが、いなかった。

 曰く、他に心当たりがあるとすれば、村のすぐ裏手にある小さな洞窟だけだが、そこは周辺一帯を縄張りにしているヌシが寝床にしている場所だ。決して奥深くまで足を踏み入れてはならない。

 

 ――――と、いうことだった。

 昼間の時とはうってかわり、長い話を聞くこともなく、会話があっという間に進む様子をカイトが眺めていると、村長の頭上に浮かんでいたマークが《?》に変化した。

 

「それじゃ、お二人さん。行き先はここから西に少し行った所にある洞窟だヨ」

 

 と言いながら玄関に向かうアルゴの背中を追いかける形で、カイトとキリトも外に出た。

 すると、この場所に来た時はわからなかったが、玄関口から漏れる家の中の灯りに照らされ、カイトは庭の片隅で大きな犬小屋があることに気が付いた。それを見た時、カイトはこの村に関する記憶をまた一つ思い出した。

 

(そういえば、この家って、でっかい犬が1匹いたよな……)

 

 以前カイトが村長のクエストを受けに来た時、家の住民よりも先に、毛並みが真っ白な、人懐っこい性格の大型犬に熱烈な歓迎を受けたことがあったのを思い出した。

 しかし、今回に限っては、庭先や家の中で犬の姿を見ていない。犬小屋の中で寝ているのかと思い、カイトは遠目から中を覗き込もうとした。

 

「アルゴ、さっき村長の話で出てきたヌシだけど、どんなやつか知ってるのか?」

 

 しかし、これから自分たちが取り掛かるクエストの内容について、キリトがちょっとした疑問を口にしたため、カイトは犬小屋に向きかけた視線をアルゴに移した。今から向かう洞窟は、カイトもキリトも、まだ足を踏み入れたことのない場所であり、どんな敵が現れるのか一切知らないのだ。

 

「残念ながら、オレっちも知らないナ。けど、洞窟は夜になるとキツネのモンスターが出るから、多分そいつらの親玉じゃないカ?」

「群れのボスってことか……。洞窟のマッピングはどのくらい進んでる?」

「うーん…………多分、4割もいってないヨ。ダンジョンは地下2階まであるけど、オレっちが行ったのは、地下1階に通じる階段の近くまでダ」

「そうなると、ダンジョンの1階部分は兎も角、それより下は全員初見ってことか。村長の口ぶりだと、ダンジョンの最奥地でヌシと戦闘になるみたいだし」

 

 などという会話を交わしながら、キリトとアルゴは村長の家を出て、村の出入り口に向かって歩き続ける。そんな2人の会話を聞きながら、カイトは後ろをついていく形で同じように歩み出した。

 その頃には、彼がついさっき感じた些細な違和感は、冷たい夜風に攫われて遥か遠方に消え去ってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スイッチ!!」

 

 襲いかかってきた獰猛なキツネの爪を弾いたカイトが叫ぶと、入れ替わるようにして彼の背後から1つの影が飛び出した。右手に装備したクローに紫色のライトエフェクトを纏わせると、システムアシストが《鼠》の背中を押す。彼女は縦に高速回転し、1発の弾丸となって電光石火のスピードでモンスターに肉薄した。クロー系突進技《アキュート・ヴォールト》。

 立てた爪が深々とモンスターの身体を抉り、痛々しいほどのダメージ痕を刻みつけると、敵のHPは余すことなく削りとられた。爆散したモンスターのポリゴン片が薄暗い洞窟の中でキラキラと瞬き、仮想の空気に触れて音もなく消え去っていく。

 

「いやー、やっぱ手練れが2人いると戦闘も楽だナ」

 

 最後の1匹を屠ったアルゴが、腰に手を当てながらそんなことを言ってきた。

 

「アルゴが前ここに来た時は、1人で地下1階まで行ったんだよな?」

「そうだヨ。小さいサブダンジョンだと思って舐めてかかってたケド、ここで出るキツネが群れで行動するなんて知らなかったからナ。オレっちはカー坊みたく器用じゃないから、戦闘は極力避けてなんとか地下まで行ったんダ」

 

 洞窟内で出現する《サーベルフォックス》は、鋭利な爪と極太の犬歯が特徴のキツネ型モンスターだ。攻撃パターンは嚙みつき攻撃と爪を立てて飛びかかるくらいしかないが、動きが素早いことに加え、1回のポップでランダムに3体から5体の個体が同時に出現するため、ソロでここを突破するのはきついだろう。

 

「最深部までマッピングするつもりだったケド、ソロで行くには思いの外難易度が高いって気がついて、やむなく途中で断念して帰ったんダ」

「ふーん…………ということは、だ…………」

 

 アルゴの話を聞いていたキリトが不意に言葉を切ると、右手の人差し指を立てて正面を指差した。

 

「あの階段を降りた先は、アルゴにとっても未知の領域ってことか」

 

 キリトが指差した先には、洞窟の壁が縦長の形で綺麗に切り取られていた。近くまで寄ってみると、そこには下へと続く階段があるが、行く先は暗闇に包まれていて見通せない。

 

「そそ。オレっちが最短ルートで案内できるのは、この階段を降りる所までダ。そっからは完全に手探りだヨ」

 

 1階部分の全て、というわけではないが、少なくとも地下へと通ずる階段までの最短ルートを把握しているアルゴのお陰もあり、ここまではスムーズに進行できた。

 しかし、アルゴのナビゲーションに頼ることが出来るのはここまでで、この先は誰も足を踏み入れたことがない場所だ。予備知識一切なしの状態でモンスターが巣食う圏外を歩くのは、最前線を進む攻略組なら避けては通れない宿命のようなものであるが、こうした状況に立ち会うと多少なりとも不安や緊張は否が応でも感じてしまう。サブダンジョンだろうと迷宮区だろうと、その感覚は皆等しいのだ。

 それでも、カイト達は進むしかない。足を前に踏み出し、階段を1つずつ降りていく。洞窟の床を這いずり回る冷気が一段と下がったのを肌で感じつつ、3人は地下1階にたどり着いた。

 

 光源の乏しい洞窟を進むこと10分。キツネの群れに1回遭遇したこと以外、それまでこれといって特別なことは起こらなかったが、T字路の突き当たりに差し掛かり、カイトはどちらに進むべきか迷っていると、アルゴが何かを発見したらしく、目を細めて右側の通路を凝視し出した。

 

「おっ! あれってトレジャーボックスじゃないカ?」

 

 左の通路が先の見通せない道であるのに対し、右は行き止まり。だが、通路の先には、プレイヤーなら誰もが心躍る宝箱が鎮座していた。

 宝箱の発見に浮き足立ちそうになるが、そこはぐっと堪えると、カイトとキリトはお互いに目を合わせた。これまでの経験から、逃げ場のない1本道の奥にある宝箱というのは、開けた瞬間にモンスターが現れ、プレイヤーは壁際に追い詰められたような状況で戦闘を強いられる、というオーソドックスなトラップの可能性があるのだ。

 ほとんどの場合は武器やアイテムの入った宝箱だが、そうしたトラップの可能性も考慮し、カイトが自ら名乗りをあげた。

 

「一応、トラップの可能性もあるから、俺が開けるよ。2人はここで待っててくれ」

 

 キリトとアルゴをT字路の突き当たりに残し、カイトは1人で宝箱まで向かった。トラップの可能性を口にしてはいたが、実際のところ、彼の頭の中は宝箱の中に何が入っているのかがほとんどで、トラップの可能性は万が一程度にしか考えていなかった。コルもしくはポーション類、欲を言えば結晶アイテムがあれば良いな、などと思いながら、カイトは宝箱を開けた。

 

 そして、結果としては、カイトが『万が一程度』にしか考えていなかったトラップの類だった。

 

 宝箱を開けた瞬間、カイトの背後で幾つもの湧出(ポップ)音が響いたため、彼はさっと後ろを振り返ると、視線の先で《サーベルフォックス》が5体出現していた。

 しかし、モンスターが出現したのは、ちょうどカイトのいる場所とキリト達がいるT字路の突き当たりを繋ぐ一本道の真ん中だ。おそらく、本来なら宝箱を開けたパーティーが、逃げ場のない通路でモンスターの群れに追い込まれるトラップなのだろうが、通路の分岐点にキリト達を残し、宝箱を開けにきたのがカイト1人だったため、寧ろモンスターを挟む形になっている。プレイヤーを追い込むどころか、寧ろモンスターが追い込まれているかのような状況だ。

 既にキリトとアルゴは武器を手にして臨戦態勢に入っており、モンスター越しにそれを見たカイトも、抜剣すべく、背中の鞘に納めている剣の柄に手をかけた。

 

 ところが、彼が剣を抜く前に、予想外の出来事がカイトを襲った。

 前触れもなく起こったのは、しっかりと地につけていた足が支えを失い、一瞬の浮遊感を経て真下へ引っ張られる感覚だった。彼の立っていた場所が落とし戸(トラップドア)と化し、声を出す間もなく、カイトは暗い穴に落ちていく。

 

「カイト!!」

「カー坊!!」

 

 穴に落ちていく最中、異変に気が付いた2人がカイトの名を呼んだが、無情にも落とし穴はすぐさま元に戻ったため、2人の声がそれ以上聞こえることはなかった。

 



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二つ名とその由縁 III

 トラップによって足場をなくしたカイトが最初にしたのは、下を見ることだった。落下ダメージというのは中々侮れないものであり、攻略組のHPの高さをもってしても、落ちる高さによっては、最悪の場合死を招く。もしもこの落とし穴が底の見えないほど深いものであれば、すぐに腰のポーチから転移結晶を取り出し、コマンドを唱えて適当な街に転移しなければならないからだ。

 だが幸いにも、地面は目で確認できるほど近く、高さはせいぜい5メートル程度だった。着地のために心の準備を整えたカイトは、ブーツの裏をしっかりと地面につけると、膝を柔らかく曲げて極力衝撃を吸収するように努める着地をした。

 それでも、全ての落下ダメージを和らげられたのかと問われれば、決してそういうわけでもなく、彼のHPバーが左方へ動いた。そして吸収し切れなかった衝撃がブーツの裏からジワリジワリと足全体に広がり、ピリッとした痺れにも似た感覚が彼を襲う。

 

「〜〜〜〜っ!!」

 

 その場から1歩も動かずに大人しくしていると、徐々に痺れが消えていくのをカイトは感じた。大きく息を吐いて立ち上がると、まずは自分が落ちた穴を見上げる。案の定、既に落とし穴は何もなかったかのように元通り塞がっており、物言わぬ洞窟の天井がカイトを見返していた。

 

(まさか、2段構えのトラップだったとはなあ…………)

 

 おそらく、このトラップを考案した者は、トレジャーボックスを開けに来たパーティーが、逃げ場のない通路の奥でモンスターに強襲される、という状況を構想したのだろう。それに加えて、トレジャーボックスを開けるプレイヤーの位置に落とし穴を仕掛け、地下に落とすことでプレイヤー1名を物理的にパーティーと分断するという、中々に悪趣味な仕上がりとなっている。

 キリトとアルゴはカイトと共に通路奥へ来なかったので、トラップ考案者が描いた1つ目の状況は回避できたが、2つ目の『物理的なパーティーからの分断』は、ものの見事にはまってしまった。カイトは今、上の階でモンスターと戦闘中であろうキリトとアルゴから離れ、この洞窟の最深部である地下2階にいるのだから。

 

 天井を見上げたカイトは、次に自分の周囲を見回した。左右と後ろはゴツゴツとした岩壁しかないが、前方には真っ直ぐな一本道が伸びている。しかし、3人が横並びでいても悠々としていた上の階に比べ、道幅は明らかに狭い。

 

(俺の考えが正しいなら、この先は上の階と違って、ソロでもなんとかなるくらいの難易度のはず…………)

 

 彼がそう考える理由は、2つ。

 1つは、彼が落ちてしまったトラップの穴が、プレイヤー1人だけが落ちるのを想定しているかのような大きさだったこと。

 そしてもう1つは、道幅の狭さだ。

 フィールドのような開けた場所なら兎も角、洞窟や迷宮区といった閉鎖空間では、その空間の大きさに見合ったモンスターが出現するのがセオリーとなっている。至極当たり前のことだが、その空間よりも大きな体格のモンスターや、モンスターの数が部屋に収まりきらないほど出現するということは、まずないのだ。

 もっと言えば、その空間でモンスターとプレイヤーが対峙した時、充分な戦闘スペースが確保されなければならない。満足に剣を振ることができない場所でモンスターは出ないし、一方で広々とした場所なら、モンスターは間違いなく出現するだろう。

 カイトの眼前に伸びる道は、端から端までが目算で5メートルもない。洞窟内で出現するキツネ型モンスターは、体長が約2メートル弱なので、手狭な道に1度のポップで4体も5体も湧くとは考えにくい。せいぜい1体、多くても2体が妥当だ。

 一時はその場にとどまって2人を待つことも考えたが、1度作動したトラップが再び稼働するのは時間がかかるし、キリト達が正規ルートで来るのを待つのも同様だ。それならば、いっその事自分も動き、お互いに近づく形で合流するのが良いだろうとカイトは考えた。

 

(無事にキリト達と合流できますように)

 

 胸の奥でそう呟くと、カイトは足を1歩踏み出して前進し始めた。

 

 

 

 

 

 その後1度だけモンスターと遭遇したが、歩み始めて5分ほど経った頃、彼の耳が道に反響する自分の足音以外の音を捉えた。一瞬だけ気のせいかと思ったが、カイトは立ち止まり、その場でじっと耳を澄ましてみる。

 ここが洞窟の入り口付近であれば、風の流れるサウンド・エフェクトの可能性もあっただろうが、カイトの居場所は洞窟の地下2階なので、その可能性をまず排除。続いて洞窟型ダンジョンでよく聞こえる、地下水の落ちる音に集中する。等間隔で聞こえる、ゲームならではのパターン化されたリズムに混じって、規則性のないイレギュラーな音がないかを探した。

 《聞き耳》スキルがあれば、もっと容易に音の発生源を探ることが出来るのだろうが、生憎カイトはその手のスキルを取得していない。彼が今頼っているのは、ステータスウィンドウには載らないスキル――通称《システム外スキル》――の中で、環境音とそれ以外のサウンド・エフェクトを切り離して位置を探る《聴音》と呼ばれるものだ。

 すると、極々小さな音ではあるが、システムが発生させる音とは別種のものをカイトの聴覚が捉えた。音を道標にして先の見通せない暗闇へ飛び込み、カイトは駆け出したが、暗闇のせいで足元が見えないのが災いし、10メートルほど進んだところで、彼はまたしても穴に落ちることとなった。

 

「どわっ!!」

 

 トラップの起動音がないことから、おそらく穴は最初から開いていたのだろう。人が1人通れるくらいの穴を落下すると、彼は両足から地面に着地した。

 彼が落ちた場所は、今通ってきた道よりも広い、言い換えれば洞窟の1階と地下1階に似た構造の道だった。上を見上げると、今まさにカイトが落ちてきた穴がぽっかりと口を開けている。

 

(まさか、俺が今通っていたのは、隠しルートだったのか…………?)

 

 てっきりパーティーメンバーと分離させるためのトラップだとばかり思っていたが、どうやらそれと同時に隠しルートの入口でもあったらしい。おそらく、今のカイトは隠しルートのおかげで、ダンジョンのかなり深い所まで進んでいるはずだ。

 そんなことを考えていたカイトだったが、《聴音》で捉えた音が今さっきよりもしっかり聞こえたため、彼は即座に音のする方向へ顔を向けた。

 

(…………プレイヤーの、声…………?)

 

 それは、間違いなくプレイヤーの話し声だった。

 彼が真っ先に思ったのは、キリトとアルゴが地下2階まで進行し、すぐそこまで来ているということだ。そう考えた時、彼のつま先は声がした方向に向き、足は自然と歩みだしていた。歩くスピードは徐々に速まって小走りになり、聞こえてくる声も鮮明になっていく。

 しかし、話し声が鮮明になればなるほど、今度は逆にいくつかの不審点が生まれ、足早だった速度は緩やかになっていった。

 1つは、聞き慣れたキリトとアルゴの声ではなく、別の人物のものであるということ。

 そして、声の主は普通に会話する時のトーンではなく、やや感情的になっている節があること。

 状況が飲み込めず、なおも顔をしかめつつ歩いていると、通路よりちょっとだけ開けている部屋が見えてきた――――と同時に、部屋の中から大きな罵声も聞こえてきた。

 

「――ふざけるなっ!!」

 

 ここでようやく、カイトはプレイヤーの声を一言一句聞き取ることのできる程度にまで接近したが、彼の直感がトラブルの気配を察知したらしく、無意識に姿勢を低くして物陰に身を隠した。顔だけをそっと覗かせたところ、部屋の中央にいる4人組パーティーのリーダーとおぼしき人物と、奇妙な格好をした2人組の片割れである、頭陀袋(ずだぶくろ)のような黒いマスクを頭から被っている人物が、何やら揉めているようだ。てっきりこのダンジョンには自分とキリト、アルゴしかいないとばかり思っていたカイトだが、どうやら自分達よりも少し早くダンジョンに潜っていたプレイヤーがいたらしい。

 物陰からこっそりと様子を伺っているカイトの前で、今も尚、言い合いは続いている。

 

「後から勝手に入ってモンスターを横取りした挙句、その言い方はないだろう!! 最低限のマナーくらいは守ってもらわないと困る」

「ギャーギャー五月蝿いな。第一、オレが言ったのは事実だろうが。モンスター狩るのに時間かけすぎなんだよ、トロくせー」

「なんだとっ!!」

 

 要するに、4人組パーティーがモンスターと戦っていたところ、後から割って入られて獲物をとられただけでなく、乱暴な言葉で馬鹿にされたのが頭にきて口論に発展したのだろう。そういう事情であれば、怒り心頭のプレイヤーにカイトも同情した。謝罪の1つでもすればいいものを、頭陀袋のプレイヤーに反省の色はなく、甲高い声で火に油を注ぎ続けているので、怒りのボルテージが上昇するのは無理もない。

 あの2人の間に割って入り、まあまあ等となだめながら仲裁する役回りの者が1人でもいればいいのだが、パーティーリーダー以外も全員が苛立ちと敵意を隠すことなく表情に出している。この場をおさめようという考えに至っている者がいないのは明白だ。

 ならば、頭陀袋の男の仲間はどうかと思い、カイトはさっと視線を移した。髑髏を模したマスクを被り、眼窩の奥にある眼が赤い光を放っているのが特徴のプレイヤーは、さきほどから静観に徹している。

 この時、2人の印象的な格好を見たカイトの脳裏で警鐘が鳴った。それはまるで、お前は何か大事なことを忘れている、思い出せ、と誰かに言われているような気がした。

 そう思った時、カイトが真っ先にしたのは、頭陀袋の男と赤眼の男の武器を確認することだった。カイトとキリトは片手用直剣、アスナは細剣、ユキは短剣といったように、主武器(メインアーム)というものはプレイヤーの持つ最大の属性なのだ。よほどのことがない限り、使い慣れた武器種を変えるプレイヤーはそういない。

 2人の武器をそれぞれ見たところ、頭陀袋の男はダガー、赤眼の男は剣の細さから判断して刺突剣(エストック)だとわかった。それを元にして、彼は記憶のインデックスを探り始める。

 

(頭陀袋のダガー使い……赤眼のエストック使い…………たしか……どこかで聞いたような覚えが…………)

 

 あと少しで思い出せそうな気がする――――と思ったその時、頭陀袋の男に向かって声を荒らげていたパーティーリーダーが、急に言葉を区切って不自然なほど静かになった。洞窟内に反響していた声の残響が収束して消え、空気が一瞬の硬直を経た後、静寂を生み出したプレイヤーは糸の切れた操り人形のごとく、突然その場で力なく崩れ落ちてしまった。

 カイトは口をポカンと開けて間抜け面をさらしたが、その顔が引き締まるのにそう時間は掛からなかった。

 倒れたプレイヤーは意識を失ったわけではなく、ぎこちないながらも腕や足がゆっくりと動いている。パーティーメンバーではないカイトに、彼のHPバーを見ることは出来ないが、おそらくバーの枠は緑色の光が点滅し、稲妻の形をしたアイコンが出ているに違いない。つまりは《麻痺(パラライズ)》しているのだ。

 そして、その現象を引き起こしたのが何なのか、答えは頭陀袋の男がいつの間にか右手に持っているダガーナイフにあった。ダガーの刃先は濁った緑色をしており、毒が塗られているのは誰が見ても明らかだった。

 

「ワーン、ダウーン」

 

 そう言った頭陀袋の男の頭上にあるカーソルが、グリーンからオレンジに変化している。プレイヤーを傷つけたので、システムが彼を犯罪者(オレンジ)と認識したのだ。

 

「…………まったく」

 

 ここで、これまで静観を貫いていた赤眼の男が、重い口をようやく開いた。

 

「色を戻したばかり、だというのに。そうやって、すぐに遊ぼうと、するのは、お前の悪い、癖だ」

「しょうがないじゃん、こいつが五月蝿いのが悪いんだからさー。それに、色なんてまた必要な時に戻せばいいだけの話っしょ」

 

 2人が何の気なしに話している会話の内容を聞いていたカイトは、背筋が凍りつくのを感じた。

 この2人は、過去にもカーソルがオレンジになったことがある。それも、口ぶりから察するに、1度や2度の話ではなく、その事を全く気にも留めていない。

 ということは、彼らは日頃からオレンジになるような行為をしている、オレンジギルドの一員かもしれない。もしかすると、デスゲームと化しているSAOにおいて、最も犯してはならない禁忌に手を染めていることだって――――。

 

「――――――――!!」

 

 そこまで考えが回ったところで、カイトは喉に引っかかっていた2人の名前を、ようやく口に出して言うことが出来た。

 

「ジョニー・ブラックと…………赤眼のザザ…………」

 

 それは、SAOで最も犯してはならない禁忌、『殺人』を平然とやってしまう、PK集団に属する重要人物の名前。攻略組やボリュームゾーンのプレイヤーは勿論の事、盗みや恐喝をしているオレンジギルドの者たちですら、彼らに恐れを抱いているプレイヤーは多い。1万人のプレイヤーは現実世界の犯罪と無縁の者ばかりなので、殺人行為にまで手を染める覚悟がある者はいないからだ。

 

「さーて、五月蝿い奴が静かになったのは良いとして…………あんた達はどうしよっかなー」

 

 そう言われたリーダーを除く残りのメンバーの表情が、緊張感に包まれて引き締まった。

 その一方で、この場を楽しむジョニー・ブラックの甲高い声が、耳障りに響く。

 

「あっ、ああっ!! そうだ、良いこと思いついた!! 今からあんた達3人で生き残りをかけたガチバトルやって、残った奴はここから出られるっていうゲームはどう?」

「な、何を言って…………」

「だーかーらー、今から3人で殺り合って、勝った奴は特別に見逃してやるって言ってんの。おまけでこいつも解放してやるからさ」

 

 そう言って、ジョニー・ブラックは麻痺で動けないプレイヤーの頭に、右足を乗せて思いきり踏みつけた。

 

「ば、馬鹿な事言ってんじゃねーぞ!! 第一、人数ならこっちが上なんだ。あんまり調子に乗ってると――――」

「調子にのると、どうなるんだ?」

 

 そう指摘され、声を上げたプレイヤーはぐっと声を詰まらせた。彼が口にしようとしたのが『殺す』、もしくはそれに類する言葉であれば、所詮それは威嚇のためにすぎず、実際に行為に移す覚悟はないはずだ。その場限りの薄い覚悟では、ジョニー・ブラックの眼を誤魔化すことなど出来はしない。

 

 場の流れが嫌な方向に向かっているのを、カイトはひしひしと感じていた。今はまだ、お互いに探り合っているような状態だが、このままでは誰かがしびれを切らして剣を抜き、戦闘が始まる可能性が極めて高い。その場合、誰かが死ぬのは避けられないだろう。

 もっと言えば、それは4人組の内の誰か、あるいは最悪全滅だというのが、カイトの見立てだった。最前線の階層1つ下のサブダンジョンとはいえ、ここまで潜ってこられるのだから、レベルも実力も申し分ないはずだが、対モンスター戦と対人戦は全くの別物だ。それに、システムの安全装置が働くデュエルとは違い、たった1つの(チップ)を賭ける、ルール無用の殺し合いをやろうものなら、その手の場数を踏んできたジョニー・ブラックとザザに軍配が上がる。相手のHPを消し飛ばすその瞬間まで、彼らが振り下ろす剣には躊躇いなど微塵もないだろう。

 

(ジョニー・ブラックとザザの2人じゃ、相手が悪いな…………)

 

 物陰に隠れていたカイトは屈んでいた身体を起こして立ち上がり、静かに右足を1歩引いた。

 カイトにとって、4人組はプレイヤーネームも知らない赤の他人だ。この後彼らの身に何が起こるのか予測出来ているにも関わらず、何もせずに回れ右をして立ち去ったところで、それを誰かに咎められることはない。たった1度のゲームオーバーも許されないSAOで、誰もがカイトと同じ状況に遭遇したら、自分の命を優先するのが当然だからだ。そういった至極合理的な考えが、カイトの足を後ろに下げた。

 そこからさらに足をもう1歩後ろに下げ、振り返って来た道を戻ればそれで済む――――筈だった。その行動を妨げたのは、右足を引かせた合理的な考えとは異なる、カイトの個人的な理由だった。

 そしてそれは、彼の足を止めるだけでなく、背中を押し、カイトを緊迫した空間に飛び込ませた。

 

「ああ?」

 

 突如、暗闇の奥から現れた第三者の登場に、ジョニー・ブラックが間の抜けた声で反応した。遅れてザザ、4人組と続く。

 剣を構えこそしなかったが、素早く身構えたザザが剣吞な声で問いかけた。

 

「……おまえ……いつから、そこに、いた? こいつらの、仲間、か?」

「そこで倒れてる人が、でっかい声で叫んだ後くらいだよ。それと、別に俺はこの人達の仲間じゃないよ…………《赤眼のザザ》」

 

 その名を聞いた時、4人組パーティーのプレイヤーそれぞれの顔が――ジョニー・ブラックに踏みつけられているリーダーの顔は伺えないが――一気に強張り、血の気の失せる様子をカイトは見た。《ジョニー・ブラック》と《赤眼のザザ》というプレイヤーネームは知っていたようだが、カイトに言われるまで、目の前にいる2人の正体に気が付かなかったらしい。

 

「それと、そっちのあんたは《ジョニー・ブラック》だろ? あんた達とこうしてちゃんと話すのは、初めてだな」

 

 カイトはザザを一瞥した後、今度はジョニー・ブラックを見た。頭陀袋に開いた2つの穴の奥にある双眸と、カイトの視線が交錯する。

 

「そういうあんたは、《黒の剣士》とよく一緒に見る顔だな…………それにしても、わざわざ自分からここに来るなんて、状況解ってんの? まさか、正義の味方気どりで、こいつらを放っとけなかったからとか寒いこと言う気じゃねーよな?」

「そんな立派な理由じゃないよ。寧ろ、最初はこの人達を見捨てて逃げようとすら思ってたんだから」

「なら、何故、そう、しなかった?」

「俺がいなくなってから、この中の誰かが死んだと後で知ったら、後味最悪だからな。それに……」

 

 これを言ってしまえば、きっと後戻り出来ない。

 その確信はあったが、カイトは覚悟を決めて口にした。

 

「もしここで逃げたら、あんた達以下の屑野郎になる気がして、我慢出来なかったんだよ」

 

 言い方は挑発的だが、これはカイトの本心から出た言葉だった。

 4人組の殺される可能性があると知りながら見て見ぬ振りをして立ち去れば、それは彼らを見殺しにしたということだ。攻略組の一員であるカイトなら、彼らを助けられるだけの力は十分あるはずなのに、それをしないとなれば、直接人を殺めるジョニー・ブラックとザザよりも最低な行為の気がしてならなかった。カイトのプライドが、それを許さなかったのだ。

 

「ク、クハハハハッ!! 屑野郎とは言ってくれるねえ。ザザー、こいつ、オレ達に喧嘩売ってきてるぜえ」

「身の程知らず、なのか、ただのバカ、なのか…………どちらに、しろ、よほど、殺されたい、らしいな」

 

 そう言ってジョニー・ブラックは倒れているプレイヤーに乗せていた足をどけ、ザザはカイトに向き合って剣の柄に手を触れた。

 

「おおっと、何もお前までこいつの挑発に乗る必要はねーぜ、ザザ。オレが殺るから、そこで見てな」

 

 左手でザザを制し、ジョニー・ブラックは毒の滴るダガーの腹で自身の右肩を2回ほど叩いた。そこからは完全にカイトを新たなターゲットと見定め、ゆっくりと彼の元へ歩き出す。

 緊迫した空気の中、カイトがジョニー・ブラックの意識から外れたパーティーに一瞬だけ視線を送ったところ、その内の1人と目が合った。敵に自分の意図が伝わらないよう、すぐに視線を逸らしたが、カイトは1秒に満たないわずかな時間の中で懸命に目で訴えた。折角自分が作った時間を、無駄にしてほしくないがために。

 

 そして、カイトが視線を自分から外した理由を深く探らず、ただただそれを好機とみたジョニー・ブラックは、ここぞとばかりに肉薄してきた。敏捷値全開で迫るスピードは、はたからすればその姿が霞んで見えたことだろう。

 不意打ち狙いの初撃に動揺することなく、カイトは素早く抜剣して弾いた。金属質の甲高い音が響き、橙色のスパークが瞬いて洞窟内を照らす。

 

「ヒュウッ!! よく防いだな」

「そんなので不意を突いたと思うな…………よっ!!」

 

 今度はカイトから斬りかかり、右からの袈裟懸けを一閃。対するジョニー・ブラックも右袈裟で迎え撃つと、今度は弾かれることなく、両者の剣が力を一点に集中させる形で均衡状態を保ち始めた。

 しかし、どうやらステータスはカイトが勝っているらしく、ジョニー・ブラックをじわじわと押し返す形でその均衡もすぐに崩れた。このまま押し込んでしまおうとした、その時。

 

「キュア」

 

 解毒結晶の起動コマンドが、控え目な声で聞こえてきた。

 それは、4人組パーティーの1人が、麻痺毒で動けないリーダーの元へ駆け寄り、結晶アイテムを使ったに他ならなかった。うつ伏せで身体を起こすこともままならなかったリーダーは、全身を覆っていた不可視の呪縛から解放され、片膝立ちで身を起こした。

 その光景をジョニー・ブラックの肩越しに一瞥したカイトは、明瞭な声で叫んだ。

 

「転移結晶を使え!!」

「で、でも、あんたは……」

「早くっ!!」

 

 有無を言わせぬカイトの物言いに押し黙り、口から出かけた言葉を飲み込むと、4人組はそれぞれがポーチから転移結晶を取り出した。

 

「逃す、か」

 

 だが、その様子をゆるりと眺めるほど、ザザも甘くはない。腰のエストックを抜き、最も近くにいたパーティーリーダーが持つ結晶アイテムを狙って、勢いよく突き出した。切っ先は転移結晶の中心部を正確に捉え、そのままリーダーの右手の甲を貫いた。結晶アイテムが粉々に砕け散ると同時に、システムがザザのカーソルをオレンジに変える。

 

「くっ…………」

「大人しく、しろ」

 

 右手を突き抜ける感覚に苦悶の表情を浮かべたリーダーを見て、ザザは不敵な笑みをこぼした。しかし…………。

 

「うわああああああ!!」

 

 リーダーの背後からパーティーメンバーが飛び出し、ザザ目掛けて体当たりしたのだ。これには流石のザザも面食らったらしく、まともに受けてしまい、受身をとる暇もなく尻餅をついた。

 その隙に、リーダーはポーチから新しい転移結晶を取り出し、4人組は主街区を指定してコマンドを唱えた。転移時に見られる青白い光が、彼らの全身を包み込む。

 

「――――っ!!」

 

 しかし、ザザはまだ諦めていなかった。不利な体勢から立ち上がり、再度右手のエストックを突き出すため、右腕を引く。転移が完了する前にダメージを与え、離脱失敗にするつもりだ。

 視界の片隅に映るザザの狙いを察したカイトは、ジョニー・ブラックとの鍔迫り合いを打ち切るため、思い切り押し返した。ジョニー・ブラックは足がもつれてたたらを踏むが、追撃の好機はこの際無視し、カイトは左手で腰のホルダーに挿してある投擲用ピックを2本抜きとった。

 人差し指、中指、薬指の側面でピックを挟むと、腕の振りと手首のスナップをきかせた下手投げでピックを投擲した。《投剣》スキルのスキルMod、《命中率補正ボーナス》を先日取得したのが功を奏したのか、1本はザザの右肘、もう1本は右手の甲に命中した。

 投擲用ピックは所詮戦闘の補助で使うものであって、与えられるダメージは微々たるものだが、ザザの動きをほんの少し鈍らせるには、十分過ぎる効果を発揮した。

 腕を突き出す直前にピックが2本も刺さったため、ザザの動き出しが僅かに止まる。口元を一瞬歪めたが、構うことなく正面にいるプレイヤーに剣を向けた――――が、ザザのエストックは転移エフェクトの光を貫いただけで、プレイヤーを攻撃するには遅かったらしい。4人組は、全員がこの場から姿を消した。

 

 エストックをゆるりと下げたザザは、邪魔をしたカイトに憎々しげな視線をぶつけてきた。明確な殺意を直に向けられたカイトは、ありったけの気力で腹の底から湧きあがる恐怖を抑え込み、気取られまいとして毅然とした態度を保った。

 

「ザ〜ザ〜、どうやら1本取られちまったみたいだなあ…………」

「……ふん。楽しみは、減ったが、まあ、いい。…………だが、邪魔をした、こいつは、確実に、殺す」

「おっ、奇遇だねえ、オレも同意見だ。ここまでコケにされたら流石にムカついたわ、マジで」

 

 これで、カイトは2人にとって、この場に残った唯一の《敵》であり、《殺す対象》となった。

 この時、寒気がカイトの背筋をなぞったが、それは洞窟の冷え込みによるものなのか、2人のPKerから発せられた殺気にあてられたからなのか、カイト本人にもわからなかった。

 




 当初は前・中・後編の構成で考えていましたが、書いていくうちに内容が長くなってしまいましたので、タイトルを一部変更してあります。
 そして拙作の話数がこれで100話になりました。ここまで執筆を続けられたのも、読者の方々からの応援あってこそです。この場でお礼申し上げます。


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二つ名とその由縁 IV

 ――自分は、ここで死ぬかもしれない。

 

 SAOに幽閉されてもうすぐ1年が経とうとしているが、カイトはこれまで、直感的にそう感じたことが幾つもあった。それこそ、両手ではとても数え切れないほどに。

 しかしそれは、《攻略組》という集団に身を置いている以上、避けて通れない宿命でもあった。誰かが既に通った道をなぞる中層プレイヤーと異なり、攻略組は誰も通ったことのない道を行かなければならないので、未知との遭遇はそれこそ日常茶飯事だ。そして未知の領域に足を踏み入れた結果、そこに潜む危険に遭遇することは、特段珍しいことでもなかった。

 カイトも危険な目に遭ったことは何度かあるが、死を予感するほどの危険に遭遇したのはフロアボス戦くらいのものだ。現状のSAOで推奨されている安全マージンは常に維持している上に、培ってきた経験が豊富なのもあって、たとえダンジョンの中でトラップに引っ掛かろうと、大抵の窮地は自力で切り抜けられるだけの実力を備えている――――と、つい今しがたまで、彼はそう思っていたかもしれない。

 しかし、そんな彼でも、プレイヤーから殺意を向けられるのは、初めての経験だった。

 そして、殺意の持ち主達の、まるで人を殺すのは遊戯の延長線上であるとでも言わんばかりに愉しんでいる様子が、カイトには理解出来ず、同時に理解したくもない未知の感覚だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 針のように細長い剣を引き絞り、次の瞬間に溜めた力を解放すると、切っ先が肉を貫かんとして伸びてくる。カイトはどうにかして剣で全て捌こうとするが、手数の多さではエストックのが優位に立つので、どうしても捌き漏らしが出てしまう。加えて、対人武器カテゴリーと評されているエストックは使用者が極端に少ないため、カイト自身も実際に相対して戦うのはこれが初めてであり、対エストック戦の経験が皆無だった。

 そうこうしている内に、カイトのHPが少しずつ減少していくが、同時にザザの突きのスピードや呼吸にも慣れてきた。タイミングを見計らい、隙をみてパリングからの反撃に転じてやると意気込んでいたカイトだったが、彼の思惑を嘲笑うかのように、ザザは後ろで控えていたジョニー・ブラックと位置を入れ替えた。

 ジョニー・ブラックが使う主武装のダガーも、エストック同様スピード重視の手数が多い武器だが、こちらは一撃たりとも喰らってはならないという緊張感をはらんでいる。喰らえば最後、短剣に塗布してある麻痺毒が、たちまちカイトの身体の自由を奪ってしまうからだ。そうなれば、なぶり殺されてしまうのは目に見えて明らかだった。

 なので、カイトはフェイントを入れられたとしても即座に対応できるよう、ダガーを持つ敵の手元を注視し、全神経を防御へと集中させた。

 

 高速の3連突き。左から右への水平斬り。上段斬りと見せかけ、半円の弧を描いて下段からの斬り上げに移行。ジョニー・ブラックの一連の動きに防戦一方のカイトだが、彼の剣戟スピードはザザと比較すると若干劣っているらしく、今度は全て防いでみせた。

 それを見たジョニー・ブラックは、頭陀袋の穴から覗く双眸に怪しげな光を宿した。

 

「ヒャハハハハッ!! いいねいいねえ、それくらいやってくれると、こっちも俄然殺る気になっちゃうよ!!」

 

 その言葉を皮切りに、彼の中にあるギアが一段上がったのか、攻撃速度が上昇する。ついてこれない程のスピードではないが、出来ればこれ以上は御免こうむりたいと願うカイトだった。

 

(こんな時《耐麻痺》スキルがあれば…………)

 

 各種状態異常の内、麻痺に対する耐性値を上昇させる《耐麻痺》スキルは、確かにこの場では有効だが、『たられば』を言っている時点で既に手遅れだし、仮に取得していたとしても、ジョニー・ブラックのダガーに付与されている毒を必ずしも無効化出来るとは限らない。

 

 アインクラッドでは多種多様なスキルが設定されており、大きく分類すると、《片手剣》、《索敵》、《戦闘時回復》といった戦闘系スキルと、《料理》、《釣り》、《裁縫》等の娯楽系スキルに分けられる。プレイヤーのスキルスロットは数に限りがあるため、数多のスキルからどれを選ぶのかは、プレイヤーにとって悩ましくもあり、同時に楽しい瞬間でもある。

 そして各種スキルには熟練度が設定されており、スキルを反復して使用すればするほど熟練度は上昇するのだが、熟練度の上昇率は戦闘系スキルが上がりにくく、娯楽系スキルは上がりやすい傾向にあるのが特徴だ。

 その中で《耐麻痺》スキルは戦闘系スキルに分類されるため、熟練度は上がりにくい傾向にあるが、熟練度を上げる方法が『麻痺攻撃を受けること』という、中々厳しい手段でしか上昇しない。アインクラッドのモンスターで《麻痺》のデバフ使いが出現する階層と場所は限られているし、何よりスキルの修行が地味かつかったるいことこの上ないのだ。いざという時に役立ちはするが、それは熟練度が高い水準にあればの話であって、熟練度が心許ない序盤は活躍する場面がほとんどないだろう。

 そういった諸々の事情を考慮した上で、カイトが現時点で《耐麻痺》スキルを習得していたとしても、ジョニー・ブラックの麻痺毒を完全に防ぐことは出来なかった筈だ。なぜなら彼が使用する麻痺毒は最高レベルのものなので、スキルを完全習得(コンプリート)あるいはそれに限りなく近い水準に達していない限り、無効化は難しい。

 

(…………ああ、くそっ! あれこれ考えててもしょうがない!!)

 

 守ってばかりでは事態が好転しないのは明白なので、敵のHPをレッドゾーンにまで落とし、戦意を削ぐしかないとカイトは考えた。

 

(それでもダメなら…………)

 

 最悪の場合が一瞬脳裏をよぎったものの、その考えはジョニー・ブラックに剣を振るうことで即座に薙ぎ払った。

 反撃に転じたカイトの様子に目を丸くしたジョニー・ブラックは、ダガーを逆手に持ち替えて剣を受け止めた。剣と剣の接触点から橙色の火花が瞬く。

 

「ようやくスイッチが入ったかよ。にしても、随分遅い立ち上がりじゃね?」

「色々と考えてたんだよ。で、やられっぱなしは性に合わないし、まだ死にたくないって結論に達したから、思いきり抵抗してやることに決めた」

 

 剣を間に挟んで睨み合い、拮抗状態となる――――が、それはほんの一瞬の後に瓦解する。相手の意識が剣に集中している隙を突き、カイトは空いている左手で拳を握ると、腰だめに構えた。予備動作(プレモーション)をシステムが検知し、体術単発ソードスキル《閃打》でジョニー・ブラックの右脇腹を正確に突いた。

 ダメージ自体は武器に及ばないが、ノックバックは強烈なものだった。虚をついた攻撃は一瞬だけだった隙をさらに拡大し、大きな隙を作り出す。体術スキル、それも基本技の単発スキルなら技後硬直(ポストモーション)が解けるのもすぐなので、カイトは袈裟懸けに一閃見舞って追撃する。

 《閃打》のノックバックと剣の追撃で崩れた体勢を戻したジョニー・ブラックがダガーを横に薙ぐが、カイトは下からすくい上げるようにして剣を払って弾き防御(パリング)した。頭陀袋の穴から覗き見えた双眸に浮かぶ余裕はいつしか消え、代わりに小さな舌打ちがカイトの耳に届く。

 そんな事は御構い無しに、カイトは青白いライトエフェクトを左足に纏うと、またしてもガラ空きになった右脇腹目掛け、今度は回し蹴りを叩き込んだ。体術単発水平蹴り《水月》が当たった瞬間、クリティカルヒットの(まばゆ)いエフェクトが散った。

 ノーガード状態で打ち込まれた回し蹴りによって、ジョニー・ブラックは地面を転げ回る。今度は敵が体勢を立て直す前に攻める気でいたカイトは、硬直が解けると同時に駆け出す心構えでいた。身体の自由を奪っていた呪縛が解け、右手の剣で最速の上段斬りを放つべく、利き足に力を込めた――――その瞬間、ソードスキルの硬直を狙っていたであろうザザが、猛然と飛び出してきた。

 次の瞬間には鋭利な剣先がカイトの肩口を穿ち、赤いダメージエフェクトが散っていた。刺すような不快感が左肩を起点にして広がり、カイトは堪らず苦悶の表情を浮かべるが、それをよそにしてザザは第2撃のために剣を引き絞った。

 

「お…………おおっ!!」

 

 怯んだ身体に気迫で喝を入れると、カイトは剣を上段に構えた。ザザの刺突が恐るべき速さで迫ってきたが、彼は無我夢中で、針のように細い剣を上から叩きつけた。エストックの剣先は使用者が思い描いていた軌道から外れ、カイトの腰から横に30センチずれた空間を貫いただけだった。

 強引な防御を成功させたカイトは、すぐさま反撃に転じる。エストックを叩きつけるために立てていた剣を水平にし、横に薙いでザザを斬りつけた。文句なしの一撃を喰らったためか、ザザの赤眼が一層強い殺気を帯びてギラつく。

 

 憎々しげな様子でカイトを睨みつけたザザは、大きく1歩飛び退いて距離をとると、エストックを水平にして肩の高さまで持ち上げた。それがソードスキル発動の予備動作(プレモーション)だったらしく、剣が淡い燐光を帯び始める。

 この瞬間、カイトの中で迷いが生じた。いくら攻略組のカイトといえど、自分のメインウェポン以外の武器で使用可能なソードスキルを全て熟知しているわけではない。ソードスキルの軌道や連撃数などの詳細な情報がわからないと、初動措置をどう取るべきかの判断が瞬時に出来ないのだ。

 回避にしろ、防御にしろ、初手の軌道がわからなければどちらの行動もとることが出来ない。かといって、瞬時に第3の選択肢が都合よく閃くわけでもないので、判断に迷ったカイトの動きが止まった。

 

「ザザぁ!! どけえ!!」

 

 しかし、突如響いたジョニー・ブラックの甲高い声で、カイトはハッと我に返った。

 それと同時に、ザザは反射的にソードスキルをキャンセルし、大きく横に跳び退いた。

 ザザがカイトの視界から消えると、そこには逆手に持ったダガーを肩に担ぎ、左手を真っ直ぐ前に突き出しているジョニー・ブラックの姿があった。ダガーが燐光を放っているので、ソードスキルなのは間違いない。そして2人の間には距離があるので、突進系ソードスキルで距離を詰める気だろうとカイトは予測した――――が、それはすぐに間違いである事に気付いた。

 

(…………ちがう、この距離を瞬時に詰める突進技はない!!)

 

 カイトとジョニー・ブラックの間には、目算で10メートルを優に越える距離がある。これだけの間合いを詰める突進系ソードスキルは、短剣カテゴリどころか、全武器種探してもありはしない。

 ならば、彼は一体何をしようとしているのか。その答えは、ジョニー・ブラックが次に起こしたモーションで判明した。

 左足を一歩前に踏み出し、右手で保持していたダガーを思いきり前へ飛ばす。つまりは投擲したのだ。

 

「なっ…………!?」

 

 カイトが驚くのも無理はない。現在確認されている遠距離攻撃スキルは《投剣》スキルのみだが、投擲出来るのは道端の石ころや店売りのピックくらいのもので、それより大きい物を《投剣》スキルで投げようとしても、システムが検知せず、ソードスキルは発動しないからだ。実際にカイトは《投剣》スキルを所持しているので、その点は十分理解している。

 だが、彼が今までそうだと信じ込んでいた常識を打ち破り、ジョニー・ブラックはソードスキルを使用してダガーを投擲した。カイトの右肩に刺さった毒々しいダガーナイフが、それを証明していた。

 

「く、そっ…………」

 

 毒づくカイトだが、体感覚は容赦なく遠ざかっていく。剣が右手からこぼれ落ちると、力の抜けたアバターはまず膝から地面につき、そのまま上体を前に倒してうつ伏せになった。

 

「ワーン、ダウーン」

 

 カイトは倒れたまま、顔をゆっくりとぎこちなく、正面に向ける。たったこれだけの動作にも時間を掛けねばならないのが、非常に歯痒かった。

 

「……なん、で…………?」

 

 そんなカイトの疑問に対し、ジョニー・ブラックは地面に伏したカイトを見下ろしつつ、ゆっくりと近付きながら答えた。

 

「知らねえみたいだから教えてやるよ。《短剣》と《投剣》をスロットに入れた状態で、熟練度が2つともある程度上がると、2つのスキルの複合技が使えるようになるんだなあ、これが」

 

 決められた2種類のスキルを保有し、かつ一定の熟練度にまで達していた場合、複合技が使用可能になる、という噂をカイトは聞いていたが、どのスキルの組み合わせなのかまでは知らず、実際に目にするのはこれが初めてだった。

 

「タネ明かしを、した、ところで、こいつには、もう、必要ない、知識だろう?」

「あーほら、あれだよ、あれ、冥土の土産ってやつ。何でやられたのかはっきりさせた後で殺してやるっていう、俺なりの優しさじゃん」

 

 そう言って倒れたカイトの近くまで来ると、ジョニー・ブラックはブーツの裏をカイトの頭に乗せてきた。ぐりぐりと足を捻りながら体重を加えると、彼の頭に鈍い刺激がジワジワと広がっていく。

 

「オレ達に言った事を撤回して、泣きながら詫びるんなら、見逃してやってもいいんだぜ?」

 

 全くの嘘に決まっている、というのは考えるまでもなかった。見えはしないが、頭陀袋の奥で口元に笑みを浮かべている様子が、容易に想像できる。

 

「誰が…………そんな事、言うもんか…………」

「あっそ。ま、その強がりがいつまで保つか、せいぜい楽しませてくれよ」

 

 ジョニー・ブラックはカイトの右肩に刺さったままだったダガーを抜き取ると、そこから逆手に持ち替えた。頭に乗せていた足をどけ、ダガーの刃先を倒れているカイトの背中に向けると、一切躊躇する事なくダガーを振り下ろした。

 しかし、振り下ろしたダガーがカイトのアバターに届く寸前、新たな来客の声によって不可視の壁に阻まれたかの如く、ピタリとその動きを止めた。

 

「その辺にしといたらどうだ?」

「あぁ?」

 

 間の抜けたような反応で、ジョニー・ブラックは声がした方向を見る。ザザも同じようにそちらを見やると、素早く構えを作った。

 音もなく滑り込むようにして乱入してきた声の主は、全身を黒一色の装備でかためたプレイヤーだった。攻略組随一の強者――――《黒の剣士》キリトの姿を見た瞬間、カイトはつい今し方まで死を覚悟していた筈なのに、その心配は洞窟の空気に溶けて消えてしまっていた。

 

「…………随分と、遅かったな」

「これでも超特急で来たんだぞ。で、追いついたは良いけど…………これは一体どういう状況だ?」

 

 オレンジカーソルの男が2人いて、そばには地面に倒れているカイトがいる。パーティーメンバーであるキリトの視界左上には彼のHPバーが表示されており、もっと言えば麻痺状態であることも確認済みの筈だ。それらを踏まえれば、ここで何が起こっていたのか想像するのは容易だろう。その上で、彼は圧を感じさせる冷ややかな声色でそう問いかけたのだ。

 

「…………こいつは驚いた。まさかこんな所で《黒の剣士》に遭遇するとはなあ」

 

 ジョニー・ブラックの調子が、些か緊張感を増しているようにカイトは感じた。デスゲーム初期からその名を轟かせている《黒の剣士》の存在には、流石の彼らも警戒心を最大レベルにまで上げざるを得ないらしい。

 

「俺も、まさかこんな所でオレンジに会うとは思ってもみなかったよ。…………まあ、それはさておいて、あんたの足元で転がってるのは、俺の大事な相棒なんだ。それ以上手を出すなら、俺も黙って見ているつもりはないぞ」

「おいおい、お前さあ、状況見てからもの言えよ。命令出来る立場なわけ? オレらは今、動けないあんたのお仲間の喉元に、剣を突き立ててるようなもんなんだぜ」

 

 両者共に1歩も引かず、目には見えない火花が散る。言葉で相手を威嚇し、出方を伺っているようだ。先程から一言も発していないザザはというと、剣を構え、キリトが何かしようとしたらすぐに動けるよう、彼の一挙手一投足を注視している。

 純粋な剣の実力で言えば、キリトに軍配が上がるのは間違いない。しかし、カイトを人質にとられている状況では、そこをつけこまれて強くは出られない筈だ。

 膠着状態が続く中、何も出来ずキリトの足枷になっている自分に対し、カイトは苛立ちと共に歯痒い思いを感じていた。自分が動けるようになって2対2の状況になれば、決して遅れを取ることはないというのに、と。

 

(…………いや、待てよ? …………2対2じゃ、ない)

 

 イレギュラーな出来事続きでカイトはど忘れしていたが、本来なら今この場は『2対2』ではなく『3()対2』の状況になっている筈だ。キリトがこの場に姿を見せた時、彼の近くにはこのダンジョンまで一緒に来たもう1人の人物がいないとおかしい。

 

(…………アルゴは、どうしたんだ?)

 

 カイトは地面に伏したまま、目線だけを動かして辺りを見回すが、彼女の姿は何処にも見当たらない。オレンジプレイヤーの存在に気付いたキリトが、彼女を危険な目に合わせないように離れた場所で待機させているのだろうか、という考えに至った――――まさにその時だった。

 

「…………待たせたな、カー坊」

 

 カイトの耳がギリギリ捉えることの出来る極小のボリュームで、アルゴの声が聞こえたのだ。

 そして次の瞬間、アルゴはシステムが認識できる最小のボリュームで、カイトを苦しめる不可視の呪縛を解いた。

 

「キュア」

 

 ボイスコマンドを唱えると、結晶アイテムの砕け散る音が聞こえた。それは、カイトのアバターが身体の自由を取り戻した瞬間でもあった。

 

「…………あぁ?」

 

 アルゴがカイトに囁いた時のは兎も角、コマンドを唱える時の声はシステムが認識出来る程度に出す必要があるので、近くにいたジョニー・ブラックの耳にまで届いてしまったようだった。仮に聞こえていなかったとしても、結晶アイテムの使用後に発する破砕音は洞窟内で反響したので、そこまでは流石に誤魔化しきれなかっただろう。

 しかし、ジョニー・ブラックが状況判断するよりも早く、麻痺の解けたカイトは既に動き出していた。落とした剣を拾うと素早く立ち上がり、大きく跳び退いて距離をとると、半身になって剣を構えた。

 ようやく状況を理解したジョニー・ブラックは、裏返った金切り声を出しながら、カイトを指差した。

 

「な、な、なんっ…………つーか、てめえ、どっから湧いてきやがった……!?」

 

 前半はカイトに向けて、後半はアルゴに向けてだろう。人差し指の先がすっと横に動き、カイトの隣にいるアルゴを指差した。

 彼らがいる場所は薄暗いが、見通しの良い一本道なので、本来ならプレイヤーが通り過ぎようものなら見逃すはずはないのだ。前触れもなく突然現れたアルゴの存在に驚くのは、無理もない。

 

「特別なことはしてないサ。キー坊とお喋りしてるあんたの横を、オレっちがこっそり通っただけの話だヨ」

 

 さらりと言ってのけたが、これはアルゴだからこそ出来る芸当だ。プレイヤーのすぐそこを歩いても気付かれないとなると、《隠蔽》の派生スキルである《隠密行動》の熟練度が高い証拠だ。看破するには《索敵》スキルを取得している必要があるが、カイトでさえアルゴの存在に気付かなかった事を考えると、彼女のスキル熟練度は相当なものだろう。

 次に取る《索敵》のスキルModは《看破力ボーナス》にしよう、と心に刻んだところで、カイトは目線をそのままにして隣にいるアルゴに話しかけた。

 

「サンキュー、アルゴ。ついさっきまで本当に死ぬかと思ってた」

「どういたしまして…………と、言いたいところなんダガ、礼を言うにはまだ早いゾ。この状況をどうにかしないと、安心して剣を納められないからナー」

 

 カイトの身に降りかかっていた危機は脱したが、敵が剣を納めてこの場を去ってくれるまで、とてもじゃないが安心出来そうにない。寧ろ、1度ならず2度までも獲物を仕留める機を逃してしまったがために、フラストレーションが溜まっているかもしれないのだから。

 そしてもし、その結果彼らが剣を向けてきた場合、負けることはないだろうが、同時に勝つこともないだろう。純粋な実力を考えれば攻略組である2人のが上だが、ルール無用の殺し合いの場合、最後の最後で『プレイヤーを殺す』ことに強い躊躇いを覚えるはずだ。

 その一方で、PKすることに躊躇しないジョニー・ブラックとザザなら、いざという時にその手の心理的なストッパーが発動することはない。いくらカイト達がギリギリまで追い詰めたとしても、最後の一撃を躊躇った時に生まれた隙を突かれ、形勢逆転されることだっておおいにあり得るのだ。そうなってしまえば、結局元の木阿弥である。

 

「…………なあ、アルゴ。ちょっと頼みがあるんだけど…………」

「この状況で頼み事なんて、良い予感はしないケド…………オネーサンに言うだけ言ってみナ」

 

 そう促され、カイトはジョニー・ブラックに聞こえないよう、極力声を抑えて手短に用件を説明しようとしたが、この時、彼はアルゴに今からやってもらいたい事を表現する言葉が浮かんだので、咄嗟にそれを口にした。

 

「悪いんだけど、アルゴにはこの先で釣りをしてきてほしいんだ」

 

 言った瞬間、流石に説明を省きすぎたと思ったカイトは、チラッと視線をアルゴに向けた。

 そこには、ポカンと口を開けて目を丸くしたアルゴがカイトを見つつ、頭上にクエスチョンマークを浮かべている光景があった。

 




《投剣》スキルの特性については、独自解釈が含まれています。
また、《短剣》と《投剣》の複合技は、原作であった《片手剣》と《体術》の複合技を参考にした独自設定です。


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二つ名とその由縁 Ⅴ

「…………やれやれ、そういう事カ。回りくどい言い方をせずに、カー坊も最初っからそう言ってくれれば良かったのニ」

 

 アルゴの小言を聞いたカイトは、「すまん」と小さく呟いた。

 カイトが思いついた突飛な奇策――彼が『釣り』と表現したもの――は、上手くいけば獲物を見逃す気のないジョニー・ブラックとザザを、この場から追いやる事が出来るものだ。

 しかし、それを実行するに際して、必要不可欠な鍵となるものがこの場には欠けているため、アルゴにその調達もとい()()をお願いしたい、というのがカイトからの申し出だった。奇策の内容を出来るだけ簡潔に説明し終えると、アルゴは得心したように頷いた。

 

「そういう事なら、すぐにでも動くのが良さそうだナ。オレっちが戻ってくるまで、なんとか持ち堪えてくれヨ」

「ああ」

 

 カイトの返事を聞く前に、アルゴは動き出した。反転してジョニー・ブラックに背中を向けると、彼女はそのまま洞窟の奥へと駆け出した。

 

「逃がすかよお!!」

 

 敵前逃亡ともとれるアルゴの行動を見たジョニー・ブラックは、素早くダガーを肩に担ぎ、左手を真っ直ぐ前へと伸ばす。その直後、システムがモーションを検知し、ダガーが淡い燐光を帯び始めた。間違いなく、先ほどカイトもやられた《短剣》と《投剣》の複合ソードスキルだ。

 ソードスキル発動の準備が整うと、ジョニー・ブラックはすぐ様アルゴ目掛けてダガーを投擲した。洞窟に突如現れた彗星は、一筋の尾を引きながら一直線にアルゴへと迫るが、その進路を1本の剣が阻む。ジョニー・ブラックのモーションを見たカイトが、単発斜め斬り《スラント》でダガーを叩き落としたのだ。

 剣と剣がぶつかり、渇いた音が洞窟内を満たす。撃ち落とされたダガーが地面に転がり、残響音が徐々に収束して消える頃には、既にアルゴの姿はなかった。

 

「ここから先は通行止めだ。通すわけにはいかないな」

 

 そう告げると、カイトは口元に不敵な笑みを浮かべた。

 

「…………ああ、そうかよ。じゃあ、また地面に跪かせて、今度こそお前を殺す。その後で《鼠》も殺してやる」

「今度はさっきみたいにいかないぞ。…………キリト、そっちは任せたぞっ!!」

 

 離れた所にいるキリトに向けてそう放つと、打てば響くような声で返答がきた。これで1対1の状況が出来上がったため、ジョニー・ブラックとの戦闘中に横槍が入る心配はなくなった。

 

「そこまで言うなら、早速試してみるか? …………なあっ!?」

 

 そう言い終わる前に、ジョニー・ブラックは1歩、2歩と駆け出し、3歩目でソードスキルの予備動作(プレモーション)をとった。ソードスキルの射程圏内までカイトに近付くと、彼のアバターはシステムアシストに後押しされ、数メートルの距離を瞬時に駆け抜け、一気に肉薄する。短剣中級突進技《ラピッドバイト》だ。

 ジョニー・ブラックの突き出した剣の切っ先がアバターに届く寸前、カイトは下げていた剣を持ち上げた。(すんで)の所で防御は間に合い、武器同士が接触したことでどうにか直撃を免れたが、それだけではソードスキルの威力を相殺できるはずがない。剣を通して伝わってきたダメージがカイトを襲い、HPバーががくっと減少した。

 ノックバックによって吹き飛ばされはしたが、地面を転げ回るほどではなかった。バランスの崩れた体勢を整えると、利き脚で思いっきり地面を蹴り、敏捷パラメータ全開で駆ける。攻撃後硬直(ディレイ)から立ち直ったジョニー・ブラックがダガーを掲げるが、それよりも早く、カイトは彼の左脇を通り過ぎ様に横一閃を見舞った。

 急ブレーキをかけ、ジョニー・ブラックの背中側で立ち止まったカイトは、時計回りに回転し、振り返りながらの水平斬りを繰り出した。しかし、ジョニー・ブラックはこれに反応し、アバターに喰い込もうとした剣をどうにかダガーで防いでみせた。

 赤い光の粒がつい今しがた斬りつけた左脇腹から音もなく零れ、徐々に消えていく。ダメージ痕が完全に消えた瞬間、まるでそれを合図にしていたかのように、双方同時に動いた。

 

「うらあっ!!」

「おおっ!!」

 

 短剣使いの身上は、攻撃速度とそれを活かした連続剣技であり、毒を使うという点を除けばジョニー・ブラックもその例に漏れない。自分の得意な戦闘スタイルに持ち込み、またさっきのように動けなくしてから楽しもうと考えたジョニー・ブラックは、怒涛のラッシュでカイトを押さえ込もうとした。

 しかし、いざ戦闘をしていくうち、その考えは実に安易であるということに、彼は遅れて気が付くこととなる。

 最初におかしいと思ったのは、アバターの肌をほんの少し掠める程度の一撃を入れればいいだけなのに、それが中々入らないと感じた時。

 次に、ソードスキルを使用しない独自の連続剣技を繰り出そうとしても、初手あるいは2手目で崩され、思うような展開に持ち込めず、抑え込まれているとわかった時。

 決定的になったのは、自分の攻撃は一切入らないのに、カイトからの攻撃は(ことごと)く入り、一方的にHPを削られているのに気が付いた時。

 

(どうなってやがる…………一度は殺す寸前まで追い込んだ筈なのに)

 

 ザザとジョニー・ブラックの2人がかりだったとはいえ、カイトはキリトが来る直前まで間違いなく絶体絶命の状況に陥っていた。それが、今となってはそんな姿など見る影もなく、ジョニー・ブラックを一方的な力で圧倒している。戦う相手が2人から1人になったというのもそうだが、それ以外にも理由はあった。

 1つは、戦闘に挑む時の心境が変化したこと。

 ついさっきまでのカイトは、これまで相対してきたプレイヤーの中で最も明確な殺意を向けてくる敵に対し、戸惑いと死への恐怖を感じていた。頭の整理が追いつかず、冷静さを取り戻す間もなく戦闘が始まったため、一先ず向かってくる剣を防ぐことに集中していたのだが、それはすなわち、敵の出方に対して後手に回り続けて、彼本来の戦い方が出来なかったということだ。

 しかし、心強い仲間が来てくれたお陰で戦闘は仕切り直しとなり、その際に生じた安心感と僅かな時間が、彼に落ち着きを取り戻させた。

 そしてもう一つは、純粋なプレイヤースキルの差だ。

 ジョニー・ブラックの実力は攻略組に引けをとらないし、PvPのテクニックも確かだ。どうすればプレイヤーの裏をかき、隙を見つけ、追い込むことが出来るのかを、彼は十二分に熟知している。

 そんなジョニー・ブラックをカイトが圧倒しているのは、攻略のみならず、PvPにおいても高度なテクニックを有する《黒の剣士》と、常日頃から何かにつけて――主に双方の意見が割れた場合の取り決めで――デュエルをしているからだ。

 攻略組トップクラスの実力を持つキリトとデュエルしていれば、否が応でもPvP戦闘の技術は向上する。いかに相手の虚をつくか、どうすれば隙が生じるのか、という考える力と一瞬の判断力、そしてそれを実行する技術を鍛え、時にはキリトの技術を盗むことだってあった。その甲斐もあって、カイトは同レベル帯のプレイヤーと行うデュエルで負けたことがほとんどない。

 

「クソッタレがあっ!!」

 

 思い通りにいかないことで痺れを切らしたジョニー・ブラックが、苛立ちを含んだ怒気と共に、ソードスキルの予備動作(プレモーション)をとった。

 それを見たカイトは、すぐに彼の選択したソードスキルが何かを理解した。ザザが使うエストックは兎も角、短剣カテゴリのソードスキルであれば、上位クラスを除いて技名と軌道は熟知しているからだ。繰り出されるのは、短剣3連撃ソードスキル《トライ・ピアース》で間違いない。

 そして、それに対するカイトの反応も早かった。素早く予備動作(プレモーション)をとり、《トライ・ピアース》の軌道上に剣がくるよう微調整するのを意識する。正面から打ち破るべく放つのは、片手剣垂直4連撃ソードスキル《バーチカル・スクエア》だ。

 正三角形の頂点を突くように繰り出されたジョニー・ブラックの連続剣技は、空間に正方形の軌跡を描くカイトの連続剣技により、全て迎撃された。ジョニー・ブラックのソードスキルはここで終了し、同時に使用後の硬直がアバターの自由を奪う。

 しかし、カイトの剣技はまだ終わっていない。《バーチカル・スクエア》の最終撃、大上段からの一閃を見舞うため、彼は剣を頭上高くに掲げた。

 

「おおおおっ!!!!」

 

 思わず漏れた裂帛の気合いと共に、剣が青白い残光を散らしながら真下へと振り下ろされた。技後硬直(ポストモーション)中のジョニー・ブラックに防ぐ手立てはなく、剣は肩口から入って無防備なアバターにしっかりとダメージ痕を刻みつける。

 4連撃ソードスキルの最終撃は剣に最も威力がのっているので、ノックバックも強烈なものだった。そして派手に吹き飛んだジョニー・ブラックを、カイトは肩で息をしながら、剣を振り下ろした状態で眺めていた。

 跪いた状態でキッと睨みつけてきたジョニー・ブラックを見返すと、カイトは見下ろしながら剣を横に払った。

 

「…………これでわかっただろ? まともにやり合えば、俺とあんたでこれだけの差が出るんだ。それでも続けるか?」

 

 カイトの問いかけは「これ以上やっても意味はないけど、やるなら容赦はしない」という最終宣告のような捉え方も出来る言い方だった。たった一撃でプレイヤーの自由を奪う麻痺毒を塗布した剣も、当たらなければどうということはない。このまま続けても、またカイトが一方的にHPを削る展開しかこないのは目に見えていた。

 そうやって自ら悟らせ、この場から引くかと思ったカイトだったが、ジョニー・ブラックはそんな彼の意に反した言動をとった。

 

「…………ああ、よくわかったよ。まともにやり合えば、勝負にならないってことは。……けどよお、忘れてねえか? これはデュエルなんかじゃねえってことをよ」

 

 ジョニー・ブラックは片膝をついた姿勢から一瞬の溜めを作ると、地面を滑るようにしてカイトに肉薄した。その行動に少々驚きながらも、カイトは降ろしていた剣を身体の前で構え、ダガーの切っ先を剣の腹で受け止める。接触の瞬間に発生した橙色の火花が双方を淡く照らすが、その時にカイトはジョニー・ブラックの双眸に怪しい影を見た。

 

(こいつ…………何を考えているんだ?)

 

 どうやらヤケになっているわけではないらしいが、かといってこの一見して無意味に思える突進に何か意味があるのかもわからない。

 

(狙いがわからない以上、まずは慎重にいくか)

 

 受け止めたダガーを捌き、隙の出来たところで脇腹に蹴りを1発見舞う。ダメージを与えるのが目的ではなく、敵の出方を伺うための牽制といったところだ。深追いはせず、カイトはジョニー・ブラックがどう出るのか探りを入れることにした。

 しかし、その後の敵の動きは、これまでと何ら変わりないものだった。ダガー片手に果敢な攻めをしてくるが、それらはカイトの剣に阻まれ、アバターに届くことはなかった。

 そうして何合目かわからないほど剣を交えた後、ジョニー・ブラックは確信を得た様子で呟いた。

 

「やっぱ、オレの考えに間違いはなかったみてえだなあ」

「…………何の話だ?」

「それはとぼけてんのか? …………いや、この世界で誤魔化しは出来ねえから、無自覚ってところか」

「だから、一体何の話をしてるんだよ!!」

 

 勿体振るジョニー・ブラックに対し、苛立ちを感じたカイトが語気を強めた。

 

「じゃあ聞くけどさ、お前、なんで()()()()1()()()()()()()()()()()()?」

「何を言って…………」

 

 そう言われて思い起こしたカイトの言葉が、不意に途切れた。《バーチカル・スクエア》使用直後の記憶を掘り起こすと、蹴りを1発入れたことを除けば、指摘された通り、確かに彼はジョニー・ブラックに攻撃をしていない。それまでの攻めの姿勢から一転し、全てジョニー・ブラックの剣を防ぐ守りの姿勢をとっていた。

 その事実に気が付いた時、カイトはその理由と、ジョニー・ブラックの考えていることを唐突に理解した。

 

 カイトが攻撃を止めた理由は、()()()H()P()()()()()()()()()()()が故に、誤って殺してしまうことを防ぐためだ。

 SAOにおいて自分以外のプレイヤーのHPバーをチェックする方法は、『パーティーを組む』、『ボス戦などの大型戦闘でレイドを組む』、『デュエルを行う』の3種類と言われている。これらいずれかの方法がとられていない場合、プレイヤーは他者のHPを見るどころか、相手の名前を知ることすら出来ず、わかるのはプレイヤーの頭上に表示されているカーソルがグリーンかオレンジかの違いだけだ。

 なので、今のカイトの目には、ジョニー・ブラックのカーソルが犯罪者を示すオレンジであることはわかっていても、HP残量がどの程度なのかまではわからない状態なのだ。

 これまでの経験則から、《バーチカル・スクエア》の最終撃と通常攻撃で与えたダメージ、そして敵の装備を考慮し、HPが半分を下回っていることは間違いない。だが、イエローゾーンで踏みとどまっているのか、既にレッドゾーンに突入しているのかまではわからないため、カイトは迂闊に手を出せず、無意識に攻撃の手を止めてしまっていたのだ。

 その事にジョニー・ブラックは気が付いたからこそ、あえて回復手段をとらず、そのまま戦闘を続行したのだろう。そして、本来なら対人戦だと慎重に使うタイミングを図るソードスキルを、今後は躊躇することなく使うはずだ。

 

 カイトの考えがそこまで至った時、またしてもジョニー・ブラックはカイトの懐に突っ込んできた。しかも今度は、ソードスキルの予備動作(プレモーション)付きだ。

 それを見たカイトも、咄嗟にソードスキルの予備動作(プレモーション)をとろうとしたが、耳に響く甲高い声がそれをさせなかった。

 

「ちなみにオレのHPは残り2割を切ってるぜ!! うっかり殺さねえように気をつけな!!」

 

 カイトの剣はソードスキルの燐光を纏う直前だったが、モーションが完全に入る直前で止めたところ、光は放射状に拡散して消えた。ジョニー・ブラックの言っている事が真実なのか怪しいところだが、それを嘘だと明言出来る確証もない。

 

「く……そっ…………!!」

 

 ジョニー・ブラックの剣はソードスキルの発動寸前まで光が強く瞬いているため、ステップ回避はもう出来ないと判断したカイトは、苦渋の決断の末にソードスキルで迎え撃つことをやめ、剣を真横にして切っ先近くを左手で支えた。彼が選択したのは、《2H(ツーハンド)ブロック》と言われる武器防御テクニックだ。

 両足でしっかりと踏ん張り、剣の(しのぎ)部分を相手に見せる姿勢になると、ジョニー・ブラックが真正面から急加速してくる。短剣中級突進技《ラピッドバイト》だ。

 連続技ではない直線軌道の剣技なので、剣の位置をギリギリまで微調整し、受け止めることには成功した。それでも、両手に感じる衝撃と(つんざ)くような轟音は凄まじく、カイトは紙風船のように軽々と吹き飛ばされてしまう。

 洞窟の壁に激突してから地面に転がると、行動不能(スタン)を示すアイコンが点灯した。身体は動かないため、視線だけを前に向けると、スキルディレイ状態のジョニー・ブラックがそこにいた。

 

(早く…………動けっ!!)

 

 スタンの時間は決まっているため、祈ったところで変わらない――――と頭で理解していても、祈らずにはいられなかった。

 そしてスタンのアイコンが消えると同時に、カイトはその場から素早く飛び退ったが、既に硬直状態が終わっているはずのジョニー・ブラックは、何故か追撃をしてこなかった。

 そんな彼をカイトが訝しんでいると、甲高い笑い声が頭陀袋の奥から聞こえてきた。

 

「ヒャハハハッ!! いいねえ、その必死な感じ。もっとオレを楽しませてくれよ!!」

 

 カイトが剣を血で染めたくないとわかっているジョニー・ブラックは、それをいいことに彼をジワジワと追い詰め、楽しみながらいたぶっていくつもりなのだろう。

 アルゴが来るまでの時間稼ぎにも限界が見え始め、カイトの気持ちに焦りが生じ始めた――――その時、そんな彼の焦燥を吹き飛ばしたのは、意外なものだった。

 それは、腹に響くような重低音。しかも、ブーツの底を通して伝わる振動のおまけ付き。

 

「…………なんだ……?」

 

 ジョニー・ブラックもそれに気が付き、耳障りな笑い声を止めた。同じように、戦闘中だったキリトとザザも手を止め、音のする方向に耳を傾けている。

 

「やっと来たか…………」

 

 しかし、この場で唯一、それが一体何なのかを知っているカイトだけが、不安の対極に位置する安堵の表情を浮かべていた。

 

「決着はまた今度だ、ジョニー・ブラック。それと、死にたくないならさっさとこの場から逃げることをおすすめするよ」

「ああ? 何を言って…………」

「ご想像の通り、俺はお前を殺せない。だけど、今から来るやつは違うぞ。一切躊躇せずに向かってくるからな」

 

 そうして会話をしている内にも距離が近づいているらしく、鼓膜が震えるような音は大きくなり、振動は足先から頭のてっぺんまで突き抜けるようにして強く伝わっていく。

 ここでようやく、その正体が何かを、そしてカイトが何を企んでいるのかを理解したらしいジョニー・ブラックは、ハッと両目を見開いてカイトを見た。

 その様子に不敵な笑みを返したカイトは、次いで視線をザザと対峙しているキリトに移し、あらん限りの声で彼の名を呼んだ。

 

「キリトっ!!」

 

 カイトから見ると、キリトはジョニー・ブラックとザザを間に挟んで位置的に最も遠い所にいたが、彼はそこから猛然とダッシュし、虚を突かれているザザ達の横を通り抜けた。それを見たカイトが洞窟の壁際まで移動すると、少し遅れて彼の元までやってきたキリトは、ロングコートでカイトを覆い、すぐにハイディングスキルを発動させる。

 そして、キリトがハイディングスキルを発動した直後、洞窟の奥からジョニー・ブラック達の目の前に大型モンスターが姿を現した。

 薄暗い洞窟の中でもはっきりと見てとれる両目は黄金色に輝き、上顎から生えている巨大な2本の牙と長く太い3本の尻尾が特徴的だった。整った灰色の毛並み、ぴんと立った耳、細く長い鼻先、プレイヤーの身の丈を優に超える狐型モンスターは、洞窟内で出現する《サーベルフォックス》の親玉とみて間違いない。巨大な体躯からは、このダンジョンのボスモンスターに相応しい威圧感を放っている。

 

「おいおい、こんなのがいるなんて聞いてねえぞ…………」

 

 ポツリと独り言でそう呟いたジョニー・ブラックは、ボスモンスターの圧力に押されて思わず一歩後ずさる。

 すると、その際発生した小さな靴音にダンジョンの主は反応し、両目でジョニー・ブラックを照準した。現実の狐は夜行性で夜目が利き、聴力が優れている生き物だが、それはゲーム内のモンスターにも共通しているらしい。

 

「ここまで、だな。逃げ切れる、保証は、ないが、ここは退く、ぞ」

「クソッタレが…………」

 

 毒づくジョニー・ブラックの傍らで、ザザは腰――おそらくはアイテムポーチ――に手を伸ばした。一方のジョニー・ブラックはというと、その場から飛び退き、着地した瞬間に反転して来た道を戻ろうと1歩踏み出した。

 そして次の瞬間、わずかな時間の間にあらゆる出来事が立て続けに起こった。

 敵前逃亡を図る獲物に対する、ボスモンスターの咆哮。

 アイテムポーチから取り出した何かをボスの眼前目掛けて投げ、ジョニー・ブラックと同じように反転してその場から逃走するザザ。

 逃げる獲物を追うため、駆け出すボスモンスター。

 そこに突如舞い降りた、反響する音と視界を白く染め上げる光。ザザが敵を足止めするために放った《スタングレネード》が炸裂した瞬間だった。

 

(……………………っ!!)

 

 幸いにもカイト達のいる場所はギリギリ効果範囲外だったらしく、行動不能(スタン)状態を示すアイコンは表示されなかったが、目の前で炸裂したボスは直撃したようで、その場から動かずに頭を振っていた。

 この手のアイテムで与えられる効果時間は数秒程度だが、ボスから逃げる時間を稼ぐには十分すぎる効果を発揮した。ボスがスタンから回復した頃には、ジョニー・ブラックとザザの姿はなかった。

 見失った獲物を探し、キョロキョロと周囲を見回しているボスだが、その隙を突いてカイトは飛び出し、大きく跳躍してボスの尻尾の付け根を振りかぶった剣で斬りつけた。ソードスキルを使わない通常攻撃だったため、大ダメージとまではいかなかったが、憎悪値(ヘイト)が自分に向くくらいにはダメージを与えられたとカイトは確信した。その証拠に、ボスは怒りの雄叫びを上げた後、黄金色の瞳がギョロッとカイトを見たからだ。

 

「カイトっ!! 何を…………!?」

「2人とも、こっちダ!! 走レっ!!!!」

 

 聞き覚えのある声にハッとしたキリトが振り返ると、10メートルほど離れた場所で口元に手を当てて叫ぶアルゴの姿があった。

 カイトはボスを斬りつけた後、躊躇うことなくボスに背中を向け、一目散にアルゴの元へ――正確には洞窟の奥に向かって――ダッシュし始めた。

 

「キー坊っ!! ボーッとしてる暇はないゾ!!」

 

 その言葉に動かされ、キリトもようやく足先を洞窟の奥に向けた。先頭をアルゴ、続いてキリト、最後にカイトの順で縦一列に走ると、彼らを追いかけようとボスも駆け出し始めた。走っている最中も、大型モンスターが走る時に生じる特有の振動と音がついてまわってきているのを感じた。

 

「この先に開けた場所は?」

「このまま道なりに走っていけば、じきに着ク。そこで迎え撃つゾ!!」

 

 アルゴの言う通り、全力疾走で洞窟を駆け抜けて行くと、彼らの視界が急に広がった。目測で縦横約30メートル程もあるドーム状の大部屋に飛び込んだ3人は、先頭のアルゴが部屋の右側、続くカイトが左側へ散開し、キリトは部屋の中央で振り返って戦闘準備に入った。

 

「カイト、ここまでの流れでなんとなく予想は出来てるけど、もしかしてあいつが…………」

「…………ジョニー・ブラック達のせいで忘れかけてたけど、あのでかい狐は俺達が今受けているクエストに関連しているやつだ。NPCの村長が言ってた《洞窟のヌシ》で間違いない」

 

 彼らがこのダンジョンに入ったそもそもの理由は、アルゴからの協力依頼を受け、所謂《捜索系》のクエストを攻略するためだ。いなくなった娘を探して欲しいというNPCの村長は、捜索対象がこのダンジョンにいるであろうことと同時に、ダンジョンの主と戦闘する可能性も匂わせていたが、その相手が今から迎え撃とうとしている狐型のボスなのだろう。

 

「来るゾ!!」

 

 アルゴが叫んだ直後、大部屋の入り口から巨大な影が飛び出し、狙いを憎悪値(ヘイト)が向いているカイトに定めて襲いかかったが、彼は横のステップで間一髪回避した。

 そしてこの瞬間が、この後繰り広げられる戦闘の始まりを告げる合図となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえばカイト、いつあんな作戦を思いついたんだ?」

 

 無事に狐の親玉を倒した後、洞窟の奥でクエストの捜索対象である村長の娘(?)を見つけた一行は、帰りの道中で幾度となく進路を阻むモンスターを斬り伏せつつ、ダンジョンを出て数時間ぶりに外の空気を吸った。

 そして地上に戻ったキリトは、ふと思い出したように、少し離れて後ろを歩くカイトに向かって問い掛けた。

 

「あんな作戦って、どの作戦?」

「オレンジ2人に仕掛けたMPKだよ。俺達が救援に駆けつけてすぐ、アルゴには耳打ちしてただろ?」

「ああ、《釣り》の事か」

「《釣り》?」

 

 一般的には、『魚を釣る』といった用法で使われる言葉だが、勿論カイトはそういう意味で言ったわけではないのは、話の流れから察するに明らかだ。ならば何かの隠語、もしくは比喩表現なのかもしれないが、いまいちピンとこない呼び方に首を傾げたキリトを見て、カイトは即座に補足した。

 

「例えば、モンスターの中には離れた場所でもちょっとした戦闘音を聞きつけて寄ってくるやつがいるだろ? そいつらの索敵範囲の広さを利用した高効率レベリングスポットでのレベル上げは、キリトも経験がある筈だ。俺はそれを『自分をエサにしてモンスターをおびき寄せる』って意味で、勝手に《釣り》って呼んでるんだけど……」

「つまりは、今回オレっちがやったことをいうんダロ?」

 

 カイトの後ろをついて歩くアルゴが、そう言って2人の会話に割って入ってきた。

 

「そうそう。事前に聞いていたアルゴの情報と村長の話から、クエストを進めていくにあたって、ダンジョンのボスとの戦闘イベントは避けられないと思ってたんだ。だったら、遅かれ早かれ発生するイベントを進めるついでに、厄介な2人を俺達の代わりに追っ払ってもらえば、一石二鳥かなーって。まさしく今回のは『鼠をエサにして狐を釣った』って感じだな」

 

 とはいえ、ボスを引きつけるエサ役のプレイヤーには大きな危険を伴うので、誰にでも任せられる役目ではない。どんなモンスターにも追いつかれない敏捷値の高さと、万が一のことを考えて敵のタゲを外せられるくらいの《隠蔽》スキル熟練度の高さを併せ持ったアルゴがいたからこそ、カイトはこの作戦に踏み切った。

 

「即興で思いついた割には、機転も頓知(とんち)も中々利いてるじゃないカ。しっかし、オレっちを狐のエサ役に利用したのは高くつくゾ?」

「利用したのはお互い様じゃないか。そういうアルゴこそ、このクエストが()()1()()じゃ()()()()()()()()()だとわかったからこそ、俺とキリトに同行を依頼したんだろう?」

 

 そう指摘されたアルゴの顔が何とも形容しがたい表情となり、彼女は視線を斜め上に泳がせた。

 

「いや、そこはあれダヨ。誰にだって得手不得手、向き不向きはあるわけで、そこを補って助け合うのが仲間ってもんダロウ? だから、()()()が絡むようなクエストは今後も協力してくれると、オレっち非常に助かるんだけどナー…………」

 

 そう言ってアルゴが視線を向けた先には、前を歩くキリト――――ではなく、彼と同じペースで後ろをついて歩く、1匹の白い大型犬だった。

 別に道中でキリトにテイムイベントが発生したから連れているわけではなく、そもそもこの犬はモンスターですらない。その正体は、今回彼らがNPCの村長から探してほしいと依頼された捜索対象なのだ。つまり、村長が『娘を探してほしい』と言っていたがために、当初は迷い人を探すクエストなのだと思い込んでいたが、正しくは人ではなく犬だったらしい。

 ダンジョンのボスと戦闘を終えた後、一行は大部屋の奥に小さな洞穴を見つけ、そこで犬を見つけたのだ。村長の所に連れて帰るまでがクエストなのだが、ここでアルゴの犬嫌いが発覚し、仕方なくキリトが犬を連れて行くプレイヤーになったので、今は彼の動きに合わせて犬も行動するようになっている。

 

 後ろを歩く2人の会話を聴いていたキリトは立ち止まると、真っ白い毛に覆われた犬の頭を撫で、カイトを壁にして隠れているアルゴを見た。そして当然彼が立ち止まれば、すぐ後ろを歩いていた犬も立ち止まる。

 

「それならそれで、最初からそう言って頼めば良かったじゃないか」

「わああああっ!! 急に止まるなキー坊!!」

 

 どうやら極力犬とは距離をとりたいらしいアルゴは、足を止めてカイトが着ているコートの裾を掴み、彼を壁代わりにして後ろに隠れた。

 その様子を見たキリトは小さな笑みを浮かべたが、急ブレーキをかけられたカイトは苦笑を交えて肩を落とした。

 

「…………それは、情報屋のプライドと、個人的なプライドが半分ずつ邪魔したんだヨ。探す対象が実は犬だっていう予感はしたが、確信のない曖昧な情報を話すのはどうかと思う…………それに『鼠のアルゴは犬が苦手』なんていうのも間抜けな話だシ…………」

 

 『売れる情報はなんでも売る』と豪語しているアルゴは、情報に見合ったコルさえ渡せば、それこそ自らのステータス情報まで開示する。そんな彼女にも、知られたくない事の1つや2つはあるのだなあ、とカイトとキリトは2人して同じ事を思った。

 

「ま、コルを積まれれば話は別だけどナ!」

 

 しかし、それは要らぬ心配だったらしく、しおらしく見えたアルゴの様子は一瞬で元通りになり、いつもの快活な笑みをパッと咲かせた一方、カイトとキリトは顔を見合わせて苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日付は変わり、2023年9月16日、午前9時30分。

 アルゴからの協力依頼を受けて行ったクエストから一夜明け、カイトとキリトは昨日開通したばかりの第38層主街区を歩いていた。

 昨夜はアルゴと分かれた後、2人はすぐに現在ホームタウンにしている階層の宿屋に戻ったのだが、ベッドに入った瞬間に記憶は一度途切れ、次に目が覚めたのは午前8時をまわった頃だった。フロアボス戦を終えた後でアルゴとダンジョンに潜り、オレンジプレイヤーと命のやり取りを経てボスモンスターと戦うという、戦闘しっぱなしの1日だったためか、本人の思っていた以上に疲れが溜まっていたらしい。

 しかし、宿屋に着いたのが丁度日付を跨いだ頃だったので、8時間近くも熟睡出来たおかげか、頭は十分すぎるほどスッキリしていた。同じ宿の別室で寝ていたキリトを起こし、2人は身支度を整えて今に至る。

 開通から既に12時間以上経過しているため、街には多くのプレイヤーがいた。そのほとんどは中層以下を活動拠点にしているプレイヤー達で、アイテムショップや武器屋を見て回ったり、単に観光で来ていたりと目的は様々だ。

 

 メインストリートの道の端には、所狭しとNPCショップやプレイヤーの露店が並んでいる。カイト達はポーション類などの不足しているアイテムを補充するため、NPCが開いている店に立ち寄った。

 2人して目の前に表示されたウィンドウを眺めていると、アイテム一覧の下にアルゴが発行している新聞の名前が表示されていた。アルゴは作成した新聞をNPCショップに委託販売しているのだが、偶然にも彼らが立ち寄ったこの店がそうだったらしい。

 カイトがアイテムのついでに新聞も購入すると、2人は揃って道の隅に移動し、建物の壁に寄りかかった。カイトが購入した新聞を広げると、キリトが横から覗き込むようにして、書いてある内容を目で追っていく。

 中身はいつものようにフロアボス戦のことについてで、死者はゼロ、というのがまず最初に書かれていた。そしてボス戦に参加した攻略組の誰かに聴いたであろう内容も書かれていたが、そこからさらに読み進めていくと、カイトの頭に引っかかる内容が、彼の目に飛び込んできた。

 

『ボス戦も終盤に差し掛かり、誰もが勝利を確信したその時、レイドメンバーを優に超えるモンスターの大群が突如出現し、攻略組を襲った。しかし、窮地に立たされた彼らを救ったのは、たった1人のプレイヤーだった。その人物は瞬く間に敵の群れを殲滅し、一時は壊滅(ワイプ)しかけたレイドを立て直したのだ。そんな彼の一騎当千ぶりは、まさに圧倒の一言だっただろう』

 

 心当たりがある、どころではなかった。内容が大袈裟な気もするが、崩れかけた戦線を立て直すため、その原因を排除するため真っ先に動いたのは、紛れもなくカイトだ。

 

『モンスターを一掃できるほどの剣技は、まさに《仮想世界の掃除屋》という呼び名が相応しく、今後も取材班は彼の活躍に期待したい』

 

「仮想世界の、掃除屋…………なんだ、これ?」

 

 カイトが気になったのは、記事の最後の一文にある聞きなれない言葉だった。

 そんな彼の呟きを聞いていたキリトが、隣から口を出した。

 

「それはきっと、アルゴがつけたカイトの呼び名じゃないか? 『Mobを一掃する』って所とかけてるんだろ」

「ふーん。…………でも、この記事を読んだ後だと、まるで俺が無双したみたいで大袈裟だよな」

「どう捉えるかは個人によるけど、少なくとも昨日のボス戦に参加したプレイヤーは、みんなカイトに一目置いているはずさ」

 

 そう言われ、カイトは視線を新聞記事に固定させたまま、昨日のボス戦を思い出した。

 単騎で敵の群れに飛び込むなど、冷静に考えれば自殺行為ともとれるような行動だが、当の本人にその気は全くないし、自分がやられるなどとは微塵も考えていなかった。緊張感を持って挑みつつ、1秒ごとに変化する戦況とその先を読んで冷静に動けたのは、今思えば自分でも意外だとカイトは思った。

 キリトとフィールドに出る機会が多いので気が付かなかったが、一対多の戦闘は意外と得意な部類なのではないかという考えが、カイトの脳裏をよぎった。

 

「それにしても…………掃除屋、か……」

 

 独り言のつもりで呟いたのだろうが、意味深なキリトの言い方が引っ掛かり、カイトは聞き流しかけた彼の言葉をすんでのところですくい上げた。

 

「なんだよ、何か気になるのか?」

「いや、たいしたことじゃないんだけど…………《掃除屋》っていうのは、ドラマとか漫画だと色んな意味で使われたりするけど、中には『法で裁けない悪人を成敗する』っていう意味で使ったりもするみたいなんだ。昨日のオレンジとの一戦は、元を辿れば奴らに襲われているプレイヤーをカイトが助けるために動いたのが始まりだったんだろ? なんか近いものを感じるな、と思ってさ」

 

 アインクラッドに法律はなく、誰かが誰かを裁くことが出来ないため、全ては各個人の良心、倫理観に委ねられている。もし人を傷つけたり盗みを犯せば、システムが犯罪者(オレンジ)と判断して様々な制限を課すが、それは十分な歯止めになり得ない。カーソルがオレンジになることを何とも思っていないジョニー・ブラックやザザは、まさにその典型的な例であり、『法で裁けない悪人』そのものだ。

 そう考えると、昨日のカイトがとった行動は、キリトが今話した《掃除屋》の意味合いとどこか似ている所があった。

 

「じゃあ、アルゴはキリトと同じ事を思いついたから、二重の意味で《掃除屋》なんて呼び名をつけたってことか?」

「いや、ただなんとなくの思いつきで言ってみただけだよ。アルゴもそうだとは俺も思ってないし、流石にそこまでは考えすぎな気もするから」

「まあ、それもそうか……」

 

 そこで2人の会話は途切れ、カイトは再び新聞記事に目を通し始めた。読み終えた新聞をストレージにしまうと、カイトは寄りかかっていた壁から背中を離し、足先を街の出入り口へと向けた。

 遥か彼方にある、浮遊城の頂へと続く階段を登るために――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回の出来事とアルゴの記事をキッカケに、《掃除屋》の名はアインクラッド中に広がり始める。

 そしてこの頃から、カイトは意図しない所でオレンジプレイヤーと幾度となく遭遇し、結果的には《掃除屋(スイーパー)》の意味に即した行いをするため、その名はさらに加速して知れ渡っていくのだが…………。

 

 それは、もう少し先の未来の話である。

 




原作において今後新たに明記されるかもかもしれませんが、拙作の独自設定として、自分以外のプレイヤーのHPを可視化する方法は文章中の3パターンのみとさせていただきます。

前回の更新からだいぶ間隔が空いてしまいましたが、外伝はこれで終了です。
最終話と銘打ってからも外伝の投稿を続けましたが、これにて当作品は完結となります。執筆開始当初はここまで長く、また、ここまで多くの読者に読んでいただけると思っていなかったので、非常に嬉しく思います。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


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