混沌王がアマラ深界から来るそうですよ? (星華)
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NO! ウサギは呼んでません!
人修羅が箱庭に送り込まれたようですよ?


──紅い。

 

 鮮血のような紅色。液体と呼ぶには濃厚で、個体と呼ぶには流れるほどの粘度である、血液のような濁流が壁を伝いどろどろと落ちて行き、やがて底に溜まる。まるで井戸のような巨大な円筒状のその空間には、多くの存在の気配があった。

 

──あるいは魔獣。

 

──あるいは龍神。

 

──あるいは魔王。

 

 内壁のあちこちにある歪んだ梯子窓の内側から、数多の神魔が中を覗き込んでいた。その内の一体ですら数々の国を、あるいは星を支配出来るほどの強大な存在である。そんなあらゆるものを超越した存在が、何故雁首揃えて観客に徹するのか?

 

 紅き水面より僅か上空に、奇妙な一室があった。

 

 一見すれば品の良い上流階級の私室である。中央には暖炉が燃え、雄羊の剥製が飾り立てられている。本棚に収められた一見して分かるほどの希少本、並べ、飾られた写真や絵画、芸術品の数々。

 

 だがそれは、ただの舞台装置でしかなかった。観客が見ているのはただ一人──いや、二人。

 

 一人は、古めかしい車椅子に身を預ける老紳士。完璧に手入れされた長い金髪と、品の良い白いスーツが貴族のような威厳を表している。一見すると歩けぬほど衰え、その年齢を表すかのように多くの皺が刻み込まれた老人だが、鋭く力強い視線と真一文字に結ばれ動かぬ口元が、ただならぬ存在だと主張している。

 

 もう一人は喪服を纏った淑女──ではない。彼女もまた、舞台装置の一つに過ぎなかった。一歩下がり、手を組んで微動だにせず、背景に徹している。

 

 そして、その場にはもう一人居た。

 

 一見すると成人に達していないような少年である。頂点が尖ったような短髪と、どこか中性的な面立ちが更に彼を若く見せている。だが、その身は異様の一言だった。全身に黒の刺青が施され、その縁を翠色のラインが彩り、爛々と光っている。うなじには黒色の角も生えている。上半身には何も着ておらず、墨色のハーフパンツを穿き、青いアクセントがある黒のスニーカーを履いている。そして、その瞳に灯るのは──紅。何の感情も灯っていない、その色とは裏腹に温度の感じられない紅色。この紅い異様な空間も、周囲の超越者たる観客たちも、目の前の老紳士の事も、些事としてただ瞳に写すのみ。

 

 そして、それも当然のことだった。何故なら彼は王。暗黒の天使によって生み出されし最も新しく、そして強大なる悪魔。

 

──混沌王。

 

 全ての悪魔を統べる、黒の希望なのだから。

 

    *

 

 部屋の中央で、老紳士と混沌王が向かい合って座っている。一人は威厳を纏いて車椅子に。もう一人はただ自然体で高級感のある椅子に腰掛けていた。暫し象牙色の杖を弄んでいた老紳士だったが、ゆっくりと話し始める。

 

「……我らの敵へ挑んでから幾多の戦いが過ぎた。多くの神霊を蹴散らし、我らの力を底上げし、我らを率いて奴らの力を削いで行った。お前は我らが期待していたとおり──いや、期待していた以上の戦果を上げてくれた」

 

 しかし、言葉とは裏腹に憂いるような表情で目を閉じる。

 

「だが、今や我らと敵の間に『滅び』が置かれた。あれは単純な力で退けられるような容易いものではない。お前はこれまでに多大な成長を遂げ、更に今だ成長しつつあり、いずれ我ら全てを超える力を手にするだろう。しかし──それは今ではないし、『滅び』を抑えられる保証は無い」

 

 その言葉を受けても、混沌王はただ無表情に聞いているだけだった。老紳士は薄く目を開け、車椅子の手すりで頬杖を着く。

 

「我らが一丸となれば『滅び』を乗り越えることはできるだろう。しかし、その後我らの敵と戦う余力が残っているかどうかは怪しいものだ。この私ですらあの存在は未知なるもの。脅威であるもの。私にとってのお前のようなものかもしれないな」

 

 ふ、と現状を鼻で笑う。大見得切って動き出した己に、敵に叶わぬ己たちの宿命に、皮肉たっぷりに嘲笑う。それでも、その笑みには余裕が感じられた。この程度は窮地でもなんでもないと、越えられる程度の難題に過ぎぬと威厳たっぷりに佇んでいる。

 

「だが、策が無いわけではない。既に幾つかの手をうち、『滅び』を退けるため動き出している。そして──今日呼び出したのは他でも無い、最後の策を実行するため」

 

 老紳士は背景に徹していた淑女に視線を移す。それを受けた淑女はゆっくりと頷き、混沌王の前に進み出て一つの封書を手渡した。奇妙なことに宛名が抜けており、『    殿へ』とだけ書かれている。

 

「アマラの狭間に漂っていた手紙です。中にはある世界への転移術式が込められています」

 

 混沌王が封を開くと、術式が起動する──事はなかった。起動条件に合わなかったこともあるが、悪魔の頂点たる混沌王を召喚するには、あまりにも弱すぎる力しか込められていなかったのだ。

 

「恐らく力ある霊──それも人間に限って──を呼び出すためのものでしょう。その目的までは不明ですが、〝箱庭の世界〟と呼ばれる地への招待状のようです」

 

 その言葉を受けて、手紙に落としていた視線を上げて老紳士を見据える──その策とやらを理解して。その視線を受けた老紳士はにやりと笑って頷いた。

 

「そう、お前にはその世界へと行ってもらおう」

 

 その老紳士の背後に移動し、淑女は説明を続ける。

 

「〝箱庭の世界〟とはこのアマラ宇宙の中でも特異なる世界。あらゆる可能性の収束点なのです。そこでは歴史や役割、信仰が強い力を与えます。魔界にも見られないような、人々の思想、感情、願いから生まれた悪魔が多く存在し、そして単純な力としては測れない特異な能力も併せ持っているのです」

 

「その悪魔たちの中に、現状の打破の助けとなる者がいるかも知れぬ。あるいはお前自身がそれらを学び、身に付けてもいいだろう。方法は任せる。期限も無い。お前さえ良ければその世界が滅ぶまで居ても構わん」

 

 そして、老紳士は杖を混沌王に突き付ける。命ずるかのように、願うかのように。

 

「──見定めよ。大いなる意思に刃向かえるような強き霊を見出すのだ。それはその世界の何者かもしれんし、お前自身かもしれん。お前は既に我らの希望だが、お前自身の希望をその霊に見出すがいい」

 

 そうして、ようやく混沌王は頷いた。何事もなく、軽い頼みを引き受けるかのように、ただ無表情に、自然体で、その命令を──あるいは願いを聞いた。それを見て老紳士は頷くと、淑女が口を開く。

 

「〝箱庭の世界〟は広大ですが、あなた様がそのまま降臨されるには些か脆弱な世界。力を絞った分霊をお作りになるのが宜しいかと」

 

 それを聞いた混沌王は目を閉じ、集中し始めた。

 

 全身の翠色のラインが紅に染まり、漏れ出たエネルギーが紅い火花となってその身に散る。単純な弱体化した分霊を生み出すのではない。その世界に存在することが出来、かつ見定めることが出来るギリギリの力を求めているのだ。故にその全能力を集中し、練り上げ、分霊を産み落とす。

 

──混沌王が目を見開く。

 

 混沌王の影が真っ赤に染まり、ぐんと伸びて一つの場所に寄り集まる。まるで血の池のような紅い淀みが出来上がると、その表面がブルブルと震え一本の手がそれを突き破った。もがいていたそれが地面を見つけ手を置くと、続けてもう一つの手が現れて表面を引きちぎり、その存在が這い出して来る。まるで、胎盤を引き裂いて生まれた獣のようだった。そして、産み落とされたそれはゆっくりと立ち上がる。

 

──それは人間だった。

 

 全身の刺青と角が無くなり、緑色のフードが付いたパーカーを羽織っていることを除けば混沌王と瓜二つであるが、一見するとただの少年にしか見えない。しかし、翠色に輝くその瞳がやはり人から外れたるものであることを物語っていた。

 

 その分霊を見つめ、目を細める老紳士。淑女も感心したように言葉を漏らす。

 

「己の力を凝縮し、マガタマを与えましたか。人に似せたる人修羅の器でそれを包むならば、確かに力を最小限に──かつ、いずれ最大の力を発揮することが出来ましょう」

 

 淑女の言葉を他所に、分霊は混沌王の側へゆっくりと歩み出る。そして己自身から封書を受け取った途端、その宛名にある名前が浮き上がった。

 

「その封書を再び開き、術式に逆らわず身を委ねれば〝箱庭〟に導かれるでしょう。その招待状の送り主もその場に現れるはず。先ずはその送り主を見定めるのが宜しいかと」

 

 分霊は頷いて、手紙を開き──その場から消え去った。

 

 老紳士は分霊がいた場所を暫し眺めていた。やがて、一旦目を瞑り──開く。

 

 そこには紅も、舞台も、観客たちも何も居なかった。光も無かった。闇も無かった。ただ──無が広がるのみ。そんな場所に老紳士と淑女、そして混沌王が佇んでいた。

 

『さて、種は蒔いた。後は芽吹くのを待つのみ──だが』

 

 老紳士が言葉を紡ぐが、奇妙なことにその口は動かずどこからともなく声が聞こえてくる。そして、声もまた変質している。あるいは老人。あるいは少年。あるいは青年。あるいは少女。あるいは──

 

──無の彼方、六枚の翼と一対の角を持った大いなる存在の影があった。

 

 いつの間にか老紳士と淑女は消えており、代わりに多くの悪魔が混沌王の傍にあった。

 

『戦いは続いている──芽吹くのを座して待つ必要はあるまい。行こう──』

 

 混沌王が歩み出す。そして悪魔たちもまた動き出す。向かう先には先ほどには無かった神々しい光が輝いていた。悪魔たちを焼き尽くすかのように、刃向かう者共を蹴散らすかのように。まるで太陽のような輝きが照らしている。

 

『我らの真の敵の所へ……!』

 

 悪魔たちは再び戦いに身を投じた。

 

 その結末は語られることはない。これから綴られる物語にそれらは重要なことではない。悪魔が大いなる意思に対する更なる一手を求めて、混沌王の分霊を一つの世界に送り込んだ──その事実だけが必要なのである。

 

 そして、送り込まれた分霊は──

 

 

    *

 

 

「わっ」

「きゃ!」

 

 突如として地上から遥か上空へ放り出された者たち。全く予想だにしていなかったこの状況に、同様の感想を抱きながらも三者三様の反応を見せる。驚き声を漏らす者、油断なく周囲を眺める者、ただ落下の圧力に耐える者。そして──言葉も漏らさず微動だにせず重力に身を任せる者。

 

 彼らは落下地点の湖に叩き込まれたが、多数重ねられた緩衝材のような水膜によって速度を落とされ、幸いにも人肉のペーストとなることは避けられた。自身の頑強さに自信のある者は耐えられたかもしれないが。

 

 湖は足が付く程度の浅瀬で、二人は罵詈雑言を吐き捨てながら陸地に上がり、一人は連れていた猫を引き上げて大事がないことに安堵する。

 

 その側を、まるで水の抵抗を物ともしない速度で歩き去り、陸地に上がる一人の少年がいた。

 

 猫を抱きかかえた少女は後を追う。陸地に上がると、なし崩しに自己紹介が始まった。服を絞りながら答える三人。

 

「私は久遠飛鳥よ。以後は気をつけて──」

「春日部耀。以下同文──」

「見たまんま野蛮で凶暴な逆廻十六夜です──」

 

 それを他所に、最後の一人は周囲をゆっくりと見渡している。我関せずどころか三人の事など眼中に無いという態度だった。その姿勢にイラついたのか、率先して自己紹介した久遠飛鳥がその少年に声をかける。

 

「──それで、私たちをガン無視した挙句に一人だけ全く濡れていない(・・・・・・・・)貴方は何者なのかしら?」

 

 飛鳥の言う通り、その少年は全く濡れていなかった。他の三者と同じく湖に叩き込まれたと言うのに、身に付けているパーカーにも、ハーフパンツにも、それどころか肌にすら水滴の一つも着いていない。異様な現象だったが、三者は無視されている事と自分たちはびしょ濡れなのに一人だけ濡れていない理不尽さの方に苛立ちを感じていたので、そのことに対する大きな反応は無かった。

 

 問われた少年はゆっくりと振り返る。完全な無表情。無視していたことを悪びれる様子もなく、無視していた相手に話しかけられたことに興味も抱かず、相手を黙らせるのに必要だからしているだけ──まるで歩くのに足を動かさなくてはならない──とでも言いたげに言葉を返す。

 

「──間薙シン」

 

 それだけ言って、またそっぽを向いた。

 

    *

 

「……四人?」

 

 『主催者』から聞いていた、召喚される者たちの数が合わないことに、物陰から見ていた黒ウサギは疑問を抱いた。

 

「……まあ、少ないよりは良いでしょう! 何しろ私たちは崖っぷち。使える駒が多いことに越したことはありませんから!」

 

 ぐっと拳を握り、おちゃらけながら己に言い聞かせる。

 

──駒。それは単なる言葉の綾で、本気でそう思っているわけではない。自分たちの力になってもらう以上、相応の礼儀は払うつもりだったからだ。些か思慮に欠けてはいるが、手綱を取って見せると豪語している。それらは当然、問題児たちに弄ばれることで頓挫することになるのだが、この時点では知る由もない。

 

 だが、玩具にされる程度──この先起こる最悪の事態に比べれば児戯に等しい。召喚の術式を利用され、最悪の存在を招いてしまったことに比べれば些事に過ぎない。

 

──魔王にコミュニティを叩き潰されたことなどまだマシだと思えるような地獄が、この先に待ち受けているのだから。

 

 最後に呼び出されたあり得ざる四人目。駒でもなく、問題児でもなく、はたまた救世主(メシア)でも英雄(ヒーロー)でもない。

 

──人修羅(ひとしゅら)

 

 ミロク経典に記されし魔人が、箱庭に降り立った。




一章終了まで書き溜めてありますので、毎日20時に更新いたします。


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箱庭に幽霊を見たそうですよ?

「で、呼び出されたは良いけどなんで誰もいねえんだよ」

 

 無愛想なシンのことはさておき、十六夜が苛立たしげに言う。四人の周囲には瑞々しい自然が広がるばかりで、人影の一つも無かった。正確には物陰に黒ウサギが隠れており、その気配をすでに察知しているので、さっさと出てこないことに苛立っているのだが。

 

「この状況だと、招待状に書かれていた箱庭とかいうものの説明をする人間が現れるもんじゃねえのか?」

 

「そうね。なんの説明もないままでは動きようがないもの」

 

 十六夜が誰かに聞かせるかのように吐き捨て、飛鳥がそれに乗っかるように言う。耀はこの状況に落ち着きすぎているのもどうかと呟くが、客観的に見れば全員完全に落ち着いている同類だった。

 

 それを眺めていた黒ウサギは三者三様の罵詈雑言を述べる彼らの前に、ようやく現れようと動こうとする。

 

 その中で一人、シンはどことも知れぬ方向へ歩き出そうとしていた。

 

「おい、どこへ行くんだよ?」

 

 それに気がついた十六夜が呼び止めると、あっさりと歩を止める。こちらのことに無関心な割には素直な行動である。十六夜の声に飛鳥と耀の二人も気が付き、シンに視線を移す。シンは顔だけ振り向き、答える。

 

「……箱庭に呼ばれた、箱庭に着いた。後は箱庭を見定めるだけだ」

 

 そう、必要最低限だけ述べた。その言葉に十六夜はへえ、と軽薄そうな笑顔を浮かべ、飛鳥は不思議そうに尋ねる。

 

「招待してくれた人が居るはずだけど、その人は待たないの?」

 

「現れないのなら自分で情報を集める。都市も近いことだしな」

 

 それは、未知の場所に放り出されることに慣れているような態度だった。完全に自立したその姿勢は、同い年に見えていたその少年に対して三人の認識を改めさせる。十六夜はそれを聞いていよいよ己の掌に拳を打ち付けてぱちんと鳴らす。

 

「それもそうだな! 折角異世界に来たんだ。チュートリアル待ちってのは性に合わねえ。こういう時はやっぱ足で情報を集めねーと。良いこと言うじゃねーか間薙!」

 

 そう言ってヤハハと笑う。一瞬呆気に取られた飛鳥と耀だったが、我に返ると顔を合わせて笑い、自分たちもと続く。

 

「そうね。この私としたことが、与えられるのをただ待っているだなんて悠長なことを言うべきでは無かったわ」

 

「先ずは動く。動いてから考える」

 

 十六夜がシンとは反対方向に歩き出し、飛鳥と耀はシンに続く。

 

「俺はとりあえず世界の果てを見てくるか」

 

「私はまずあの都市で情報を集めるわ」

 

「お腹空いた」

 

 問題児たちが三者三様の理由でそれぞれの目的地に向かおうとしている。一同は振り向き、同時に呼び出された同類たちに別れを告げる。

 

『縁が合ったらまた会おう!』

 

 短い間だったが、少しだけ心通わせた問題児たちは各々の道を行くことになった。だが、悲しむ必要はない。いずれその道は合流することだろう。その時までの、暫しの別れ──

 

「ちょ、ちょっとお待ちを! 何最終回みたいに別れを告げて散開しているんですか! お望みの情報なら幾らでも説明して差し上げますから戻ってきてくださーい!」

 

──にはならなかった。

 

 彼らに招待状を送り、この世界に呼び出しながらも出るタイミングを計れず物陰に隠れていた黒ウサギが、この事態に慌てて飛び出すのは当然なのであった。

 

 

    *

 

 

「いいからとっと話せ」

 

 その後、黒ウサギは問題児たちを引き止め、その長い耳を弄ばれ、小一時間も消費してしまったことにぶつくさ文句を言った挙句、原因の一端である問題児たちに急かされるという不遇な扱いを受けていた。シンを除いて彼らの服はまだぐっしょりと濡れているのだから、暖かい気候とはいえだんだん苛立ってきていたのだろう。岸辺に座り込む彼らのそれを鋭敏に察知した黒ウサギは、慌てて説明を始める。

 

「それではいいですか、皆様方。定例文で説明させていただきます!」

 

 こほん、と一息付き、ポーズを決めて話し始めた。

 

 黒ウサギが説明するには、この世界は通常の法の他に『ギフトゲーム』と呼ばれるなんでもありの公式遊戯があり、箱庭はそのために用意されたものだという。商店街で行われる小規模なものから修羅神仏が人を試す試練のような大規模なものまで存在するということだった。

 

 シンは考える。それ自体は別に構わない。腕っ節で負ける気は無いし、思考能力も人間を逸脱している。だが──

 

「……ゲームの内容も様々ということか?」

 

 飛鳥の質問に答え終えた黒ウサギにそう尋ねると、やっと興味を持ってもらえたのかと、ぱぁっと表情を輝かせて答える。

 

「YES! 修羅神仏がその力や伝説を持って『力』『知恵』『勇気』を試す試練もあれば、サイコロなどを使った純粋な『運気』を競うゲームも存在します。ギフトゲームはピンキリ。幾ら腕っ節が強い超人でも、ゲームの内容次第では容易く敗北してしまうのがギフトゲームの恐ろしさであり、醍醐味でもあるのです!」

 

 にやりと笑いながら、挑発するように黒ウサギは言う。シンがそれを受けて頷いたのを確認した飛鳥が更に質問重ねていき、黒ウサギが答えていく。やがて、一通りの説明を終えたのか一枚の封書を取り出し皆を誘う。

 

「さて、皆さんの召喚を依頼した黒ウサギには、箱庭の世界における全ての質問に答える義務がございます。が、それら全てを語るには少々お時間がかかるでしょう。新たな同士候補である皆さんをいつまでも野外に出しておくのは忍びない。ここから先は我らのコミュニティでお話しさせていただきたいのですが──」

 

「──待てよ、まだ俺が質問してないだろ?」

 

 静聴していた十六夜が、威圧的な声で口を挟む。立ち上がり、軽薄な笑みを消した少年に気が付いた黒ウサギは、やや構えて聞き返した。

 

「……どういった質問です? ルールですか? ゲームそのものですか?」

 

「そんなものはどうでもいい」

 

 十六夜は切って捨てる。腹の底からどうでもいいと、興味があることは最初から一つだけなのだと、全てを見下すような視線で一つだけ、問い掛ける。

 

「この世界は──面白いか?」

 

 その言葉を聞いて一瞬黒ウサギはきょとん、と惚けるが、すぐに花が咲いたような輝く笑顔で、こう断言する。

 

「──YES! 『ギフトゲーム』は人を超えた者たちだけが参加できる神魔の遊戯。箱庭の世界は外界より格段に面白いと、黒ウサギは保証いたします!」

 

    *

 

「俺やっぱ世界の果てを見てくるぜ!」

 

 黒ウサギの案内中、そう言い残して十六夜は何処かへ去っていった。シンは「黒ウサギに教えた方がいいかしら」と飛鳥に聞かれたが、黒ウサギが浮かれに浮かれてスキップで先導しているのを見て「そっとしておこう」とだけ返す。飛鳥も耀も異存はなく、そもそもあの状態の黒ウサギに話しかけるのはめんどくさいことになりそうだったので、後回しにするのであった。

 

 道中、シンは森の中に潜む無数の悪魔の気配を感じ取った。魔界では感じ取れない特異な気配に興味を引かれるシンだったが、今は情報が先だと思い直す。それでも姿だけでも見ておこうと眺めながら歩いていると、ユニコーンがちらりと見えた。既知の悪魔の発見に、生息圏の近い悪魔を脳内で列挙し、未知の悪魔たちの生態を推測する。そうして、退屈な時間を悪魔の観察でやり過ごすのだった。

 

「な、なんで止めてくれなかったんですか!」

 

 その後、案の定十六夜の暴走を黙って見送ったことがバレて叱られる一行。その場で紹介されたコミュニティのリーダーであるジン・ラッセルは、蒼白になって叫んだ。

 

「た、大変です! 『世界の果て』にはギフトゲームのために野放しにされている幻獣が──」

 

「幻獣?」

 

「ギフトを持った獣の通称で、特に世界の果て付近には強力なギフトを持ったものがいます!」

 

 シンは道中見かけた悪魔たちに思い当たり、声を漏らす。

 

「ああ、ユニコーンならさっき見かけ──」

 

「──ユニコーン! 本当!?」

 

 そこへ耀が食い付いた。シンは全く動じずに頷くが、シン程ではないとはいえ基本的に無関心を決め込んでいた少女の高揚ぶりに驚く一同。

 

「是非友達になりたい……行ってきちゃダメ?」

 

 目を輝かせて黒ウサギに懇願するが、当然一蹴される。

 

「ダメです! ただでさえ十六夜さんのことで頭が痛いのに、これ以上バラバラに行動しないで下さいね! 絶対ですよ!」

 

「それはフリ?」

 

「フリじゃありません! ジン坊ちゃん、申し訳ありませんが残りの方々のお守りをお願いしますね!」

 

「わ、わかった。黒ウサギはどうする?」

 

 問題児たちに怒鳴りつけた勢いのままお願いする黒ウサギに怯みながらも、ジンは問い掛ける。やがて黒ウサギは怒りのオーラを全身から噴出させ、艶のある黒い髪を淡い緋色に染めていく。

 

「問題児を捕まえに参ります! この『箱庭の貴族』と謳われるこのウサギを馬鹿にしたことを骨の髄まで後悔させてやりましょう!」

 

 そう言うと、彫像を足場にして飛び上がっていき、外門の柱に水平に張り付く。そして自慢の脚力でそのまま水平へ跳躍して、緋色の弾丸と化した。あっという間に一行の視界から消え失せたその速度が、黒ウサギの逸脱した身体能力を物語っている。それを見届けた飛鳥が呟いた。

 

「……箱庭の兎は随分速く跳べるのね」

 

「ウサギたちは箱庭の創始者の眷属ですから──」

 

 律儀にもジンがそれに答えている間に、耀は未練たらしく森を眺めながらユニコーンの名を呟き、シンは我関せずと都市を眺めていた。やがて飛鳥が促し、都市へ歩を進める一行。ジンは新たな同士の中で飛鳥を唯一の常識人だと認識し、安堵していたのだが、彼女もまた特級の問題児であることを悟るのは、そう遠い先の話ではない。

 

 途中、シンは振り返る。視線の先は、先程黒ウサギが消えた方向だった。

 

「……〝箱庭の貴族〟か」

 

 翠色に爛々と輝くその瞳が、黒ウサギに若干の興味を持ったことを示していた。

 

    *

 

──箱庭2105380外門・内壁。

 

 一行は噴水広場の近くにある、清潔感のある洒落たカフェテラスのひとつに腰を落ち着けていた。ジンが適当なものを頼んでいるところに耀が連れていた三毛猫が口を挟んだことで、箱庭には三毛猫の言葉が分かるものたちが居ることに耀が驚き、耀はあらゆる生物と意思疎通ができることに飛鳥とジンが驚くことになった。

 

「──生きているのなら誰とでも話ができる」

 

「それは称賛に値する……俺もそこまではできない」

 

 シンも、素直にその能力を褒め称えた。無愛想なシンが珍しく反応したことに飛鳥は若干驚きつつも、その言葉に含まれた意味を逃さず尋ねる。

 

「そこまでは……ということは、貴方は類似する力でも持っているのかしら」

 

「……死んでいるものと話すことができる」

 

「あら、霊能力者ということ?」

 

「それくらいなら度々見かけるギフトではありますね。とは言え儀式が必要なレベルからその場で認識して話すことができ、触ることができるまで様々ですが……」

 

 耀の力ほど驚きを持って伝わることは無かった。霊能力程度ならある意味あらゆる世界で有名な能力であるし、飛鳥は箱庭なら当然だろうと予測していた。

 

「はっきりと見えるし、話せるし、触ることもできる。応用すれば生きているものともある程度の意思疎通はできる」

 

「それは心強いですね。死者から失われてしまった貴重な情報が得られる場合もありますし」

 

 シンはその本質は悪魔であるため、霊との接触は当然可能である。また、ジャイヴトークを習得しているために知能の低い妖獣や、幽鬼とも意思疎通ができるのだ。とはいえ、耀ほどの完全な意思疎通能力ではない。やはりそういった力は特別な才能やアイテムが必要なのである。

 

「へぇ、それならこの辺りに幽霊はいるのかしら?」

 

 飛鳥が、興味を惹かれて何の気なしに尋ねる。するとシンは辺りを見回し、答えた。

 

「──居るな。そう多いわけではないが、少ないというわけでもない」

 

 そもそも幽霊──というより思念体を見たのは悪魔になってからであり、それ以来人間の世界に帰っていないので一般的な幽霊の数というのがわからないのだが、相手もわからないだろうとボルテクス界の東京にいた思念体たちと比較してそう言った。

 

「ギフトゲームで死者が出ることもありますから……」

 

 徐々に蒼白になって行くジン。自分のコミュニティのことに思い当たり、もしかしたら失われた仲間がまだ彷徨っているのかもしれないと考えたのだ。彼らは生き残った自分たちを、そして死んでしまった彼ら自身をどう思っているのだろうか。

 

 顔色を悪くしたジンを、怖いのだろうと勘違いした飛鳥は話を変えようとするが、シンがある方向を見つめていることに気がついた。

 

「……どうかしたの?」

 

「……子供だ」

 

 シンが呟く。飛鳥と耀はシンが見つめていた方向を見てみるが、そこには商店や建造物がある程度で、子供は見当たらない。だが、すぐにそれが生きているものを指していないことを察する。

 

「一見した感じでは治安は良さそうではあるけれど、そういうわけでもないのかしら?」

 

 飛鳥はジンに問い掛ける。考え事に気を取られていたジンは慌てて答えた。

 

「い、いえ、黒ウサギから聞いているかもしれませんが、ここ箱庭でも殺人や強盗は当然違法です。取り締まりの戦力には事欠きませんから治安も比較的良いです。最近子供が犠牲になるような大きい事件もギフトゲームも起きていませんし……」

 

「それなら、昔からいる幽霊なのかしら……」

 

 痛ましそうに憂いの表情を見せる飛鳥と耀。人はいつか死ぬと理解しているとはいえ、このような平和な風景に潜む子供の死者に、動揺を隠せないようだった。

 

「……専門家ではないから詳しいことはわからないが」

 

 シンが続ける。悪魔となったのち、多くの思念体と対話したシンだが、それはボルテクス界という特異な環境での経験だった。こうした一般的な幽霊に対する知識も経験も欠けている彼は、子供の幽霊たちが何を考え、何を未練としているのか察することはできない。故に、見たままを伝える。

 

「家屋の中の誰かに対して必死に呼びかけているようだ。子どもだけではない、女もいるようだ。あちこちの建物に同じような女子供の霊たちが張り付いている。理由はわからないが、地縛霊に成り掛けているのかもしれない」

 

「それって……」

 

 己の死を認められない死者は多い。子供なら尚更である。また、子供の死を認められない生者もいる。娯楽作品や胡散臭い書物の知識でしかないが、彼らが成仏できない理由を推測して同情する。

 

──当然真実は異なるのだが、彼女たちは知る由もない。今は、まだ。



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虎男に決闘を挑むそうですよ?

「おんやぁ? 誰かと思えば東区画の最底辺コミュ〝名無しの権兵衛〟のリーダー、ジン君じゃないですか」

 

 思いがけない箱庭の闇を垣間見て、気分が沈んでいた一行の元に、空気の読めない上品ぶった声が割って入る。2mを超える巨体を、ピチピチのタキシードで包む奇妙な男だった。ジンの知人なのか、顔を顰めてぶっきらぼうに返事をする。

 

「僕らのコミュニティは〝ノーネーム〟です。〝フォレス・ガロ〟のガルド=ガスパー」

 

「黙れ、この名無しめ──」

 

 一見してすぐに、ジンとこの男ガルドの仲が悪いことは知れた。一行が座るテーブルの席に勢い良く座り込み、ジン以外の三人に愛想笑いを浮かべる。飛鳥と耀は相手の慇懃無礼ぶりに冷ややかな態度で返し、シンは小物に興味はないと無視を決め込んでいた。

 

 ガルドはそんな態度にも構うことなく、いかに自分のコミュニティが強大なのか、いかにジンのコミュニティが風前の灯なのか語り出す。更に箱庭におけるコミュニティの重要性、そしてジンのコミュニティが落ちぶれるに至った理由──〝魔王〟について説明を始めた。

 

「箱庭で唯一最大にして最悪の天災──俗に〝魔王〟と呼ばれるものたちによって、たった一夜で滅ぼされたのです」

 

 嬉しそうに、皮肉そうにガルドは雄弁に語る。語り続ける。名も旗印も人材も何もかも失い、黒ウサギに縋って僅かな路銀で細々と惨めに生きる〝ノーネーム〟の実情を。ジンは事実を言われているだけに、召喚した彼らに黙っていた後ろめたさがあるだけに、何も言い返せなかった。顔を真っ赤にして拳を握り締めるのみ。

 

「……そう、事情は分かったわ。それでガルドさんは、どうして私たちにそんな話を丁寧に話してくれるのかしら?」

 

「単刀直入に言います。もしよろしければ黒ウサギ共々、私のコミュニティに来ませんか?」

 

 本当に単刀直入に、ガルドは言い切った。ジンが怒りのあまり抗議するが、己のコミュニティの現状を黙っていた不実を突かれ、押し黙る。

 

「で、どうですか皆様。返事はすぐにとは言いません。コミュニティに属さずとも貴女たちには箱庭で30日間の自由が約束され──」

 

「──結構よ。だってジン君のコミュニティで私は間に合っているもの」

 

 

    *

 

 

 勝ち誇り、言葉を連ねていたガルドをばっさりと飛鳥は断じた。は? とジンとガルドが飛鳥の顔を窺う。

 

「けれど、そうね。春日部さんは今の話をどう思う?」

 

 飛鳥は何事もなく紅茶を飲み干すと、耀に話を振った。

 

「別に、どっちでも。私はこの世界に友達を作りに来ただけだもの」

 

「あら意外。じゃあ私が友達一号に立候補して良いかしら?」

 

 気恥ずかしげに提案した飛鳥を、耀は小さく笑って受け入れた。ここに新たな友情が育まれ、三毛猫がホロリと感動の涙を零す。ふと、もう一人にも聞かなくてはならないことを思い出し、飛鳥はシンに話しかける。

 

「そうそう、間薙君はどうなのかしら」

 

「小物に興味はない」

 

 ぴしゃりと、取りつく島も無い言い様だった。紅茶を楽しんでいる所を邪魔するなと言わんばかりの態度である。事実、久々の人間による紅茶を楽しんでいるのだけれども、それは本人以外にはわからなかった。その様子を見て、飛鳥と耀は顔を見合わせて笑う。

 

 ガルドは全く相手にされず、それどころか小物扱いされたことに顔を引き攣らせ、それでもギリギリ理性を保ち問い掛ける。

 

「失礼ですが、理由を教えてもらっても?」

 

「だから、間に合ってるのよ。春日部さんは聞いての通りコミュニティはどちらでもいいし、間薙君は貴方に一切興味が無い。そして私、久遠飛鳥は──」

 

 久遠飛鳥は、人として望みうる最高に恵まれた人生を蹴ってこの世界にやって来た。そんな彼女を、所詮小さな地域を支配しているだけの組織の末端に誘うなど、正しい意味で役不足も良い所だった。

 

 そんな言葉を言い切られ、怒りに震えながらなお紳士的に振舞おうと言葉を選ぶガルド。やっと見つかったのか、声を震わせながら発言しようとする。

 

「お……お言葉ですがレデ──」

 

「──黙りなさい(・・・・・)

 

 ガチン、と発言しようとした所で自ら勢い良く口を閉じてしまう。それは、見ているものにとってあまりにも不自然な動作だった。その口を閉じた本人は混乱したように口を開こうともがくが、全く声が出ない。

 

「……! ……!?」

 

「私の話はまだ終わってはいないわ。貴方からはまだまだ聞き出さなければいけないことがあるのだもの」

 

 そう言いながら、飛鳥が座って質問に応えるよう命令すると、ガルドの頭はパニックに陥りながらも、体は飛鳥の命令に忠実に従い座り込んでいた。揉め事の気配を感じた店員が咎めようとするも、それを制して飛鳥は言葉を続ける。

 

 黒ウサギに聞いたギフトゲームの内容との差異。ガルド自身に聞いた〝魔王〟によって振るわれる〝主催者権限〟の恐ろしさ。そして、その魔王のコミュニティの傘下とはいえ、強制的にコミュニティの存続を賭けさせるような大勝負をなぜ続けることができたのか──飛鳥はガルドに問い掛け、ガルドは全く抵抗できずに真実を吐いてしまう。

 

「き、強制させる方法は様々だ。一番簡単なのは、相手のコミュニティの女子供(・・・)を攫って脅迫すること──」

 

 そう言って、ガルドは自分のコミュニティが栄えてきた裏の理由を、そうして傘下にしたコミュニティを従わせてきた人質の存在を訥々と語り続ける。

 

 それを聞いているうちに、徐々に飛鳥の顔色は蒼白に染まって行く。拳を握り締め、怒りに狂う自らを必死に押さえつけている。

 

 飛鳥は思い至ってしまった。気が付いてしまった。シンが言った女子供の霊がいる建物は、全て〝フォレス・ガロ〟の旗印を掲げていたことに。そして、霊たちが必死に呼びかけていたのは、己の死を認められないからではなく──

 

「──貴方、人質を殺したわね」

 

「──そうだ、もう殺した」

 

 その場の空気が瞬時に凍りつく。ジンも、店員も、耀も、一瞬耳を疑って思考を停止させた。ガルドだけが唯一、命令されたまま言葉を紡ぎ続ける。

 

 そして、ジンと耀もまた、先程の霊たちの真実に辿り着いてしまう。

 

 霊たちは伝えようとしていたのだ──己の、人質の死を。

 

 そして止めようとしていたのだ──人質を案じ、悪事を重ねる肉親を。

 

 成仏できようはずもない。生者は愛するものたちが死んでいることを知らず、死者は己が生きていると信じて悪事を重ねている生者を目の当たりにしている。お互いがお互いを想いで雁字搦めに繋ぎ止めてしまい、抜け出せなくなっていた。

 

「──黙れ(・・)

 

 ガチン! と、言葉を続けていたガルドの口が、先程以上の勢いで閉じた。飛鳥の声は先程以上に凄みを増し、そして憤怒のあまり凍りついていた。

 

 ただ人質が殺されたと聞いただけならば、義憤で怒りこそすれども我を失うようなことは無かっただろう。しかし先程のシンの話で、いまだにこの世を彷徨っている人質の霊たちの存在を知ってしまった。その痛ましさに同情してしまった。そんな彼らの命を五月蝿いと、それだけの理由で奪った目の前の男に対する怒りが溢れて止まらなかった。

 

 ジンも、耀も、怒りからガルドを睨みつけている。飛鳥がどんな仕打ちをした所ですぐに止めはしないだろう。この男をどうしてやろうかと、様々な考えが頭を駆け巡る。命令すればこの男はどんなことでも従う。例えそれが自傷(・・)自殺(・・)だったとしても。

 

 飛鳥は生まれて初めて、人を殺傷するために力を振るうという事を考えていた。ありとあらゆる人間を支配し、従えてきた飛鳥だ。力を振るい、結果的に誰かを傷つけたこともある。だが、力を使って直接的に誰かを傷付けようなど考えもしなかった。それこそが飛鳥が超常的な力を持ちながら人間でいられた理由なのだが、彼女自身は知る由もない。

 

 そして、自らの意思で力を振るい、人を殺せば──人から外れるだろう。

 

 恐らく、後悔するはずだ。己の力を疎んでいた飛鳥だ。その力で、外道とはいえ人の命を奪ったことに対して己を一生許さないだろう。しかし、それを止められるほど彼女を案ずることのできる、そして冷静さを保ったものは、この場には──

 

「おかわり」

 

──一人……いや、一体の悪魔がいた。

 

 

    *

 

 

 場の空気に凍りついていた店員はその一言で解凍され、混乱しつつも慌てて店内に戻る。一人の外道の処遇を決めかねていたところで呑気におかわりをされ、飛鳥は素知らぬ顔で紅茶を待つシンを睨み付ける。

 

「……貴方はこの男に何とも思わない訳?」

 

「なら、殺すか?」

 

 そう、なんでもないように問われて飛鳥は一瞬硬直するが、己の思考が物騒な方向に行っていたことに気が付き、頭を冷やした。

 

「そうね……ちょっと頭に血が上っていたみたい。ごめんなさい」

 

「お前を案じてのことじゃない。こいつがどれほどの屑だろうと、ここで殺せば違法になるだろう」

 

 そう言われたジンは我に返り、慌てて答えた。

 

「彼のような悪党は箱庭でもそうそういませんが……確かに、だからと言って殺せば僕たちが罪に問われます。直接僕たちが殺されそうになったわけではありませんし、僕たちには彼を裁く権限はありません」

 

 ましてやジンたちは〝ノーネーム〟であり、そこに所属すると決めた飛鳥たちが問題を起こせば、ジンたちに迷惑がかかるのである。多少のことなら迷惑をかけるつもりではいたが、法的な問題を起こすのは不本意であった飛鳥は、密かに安堵する。

 

「そう、残念ね。ところで、今の証言で箱庭の法がこの外道を裁くことはできるかしら?」

 

「厳しいです。彼の行為は勿論違法ですが……裁かれるまでに彼が箱庭の外へ逃げ出してしまえば、それまでです」

 

 全てを失う。それもある意味で裁きと言えるだろうが、そのような甘い決断を飛鳥が下すはずもない。

 

「そう、なら仕方がないわ」

 

 パチン、と苛立たしげに指が鳴らされたのを合図に、ガルドは体の自由を取り戻す。激昂し、雄叫びを上げながら体を虎の獣人へと変貌させたガルドは、その勢いのままテーブルを砕こうと腕を振り上げ──

 

「喧しい。紅茶が零れる」

 

──シンによって一瞬で顎を打たれ、膝から崩れ落ちた。意識がはっきりしているというのに、五感が濁り体の自由が効かない。先程とは違い、このような状況に覚えがあったために原因に察しがついたが、動体視力に優れたワータイガーである己が、攻撃に全く気がつかなかったことに驚愕する。

 

「己と相手の力量差も分からないほど野生を失ったか。虫の方がまだ危険察知に優れているぞ」

 

 そう言って、シンは紅茶を飲みながらガルドを見下す。ガルドの視覚は白濁し、聴覚は耳鳴りが続いており、その表情も声もよく知覚できていないが、その言葉の冷たさに臓腑が震える。

 

「……血の気が多い」

 

 耀が冷や汗を流しながら呟く。ガルドが動き出した時に腰を上げていたが、シンが迅速に片付けたので手持ち無沙汰になっていた。

 

 飛鳥も耀も、この少年が只者ではないことに気が付きつつある。まるで獣のような、虫のような、非情な立ち振る舞いに警戒心が育っていく。だが、今は味方なのだとそれを胸の内に沈めていった。

 

「……さて、ガルドさん。このまま貴方を叩きのめして司法組織に突き出すことも、箱庭の外へ放り出すこともできる。勿論、尻尾巻いて貴方自ら外に逃げ出す手段もあるわね」

 

 やや余裕を取り戻したのか、足先で転がっているガルドの顎を持ち上げると、悪戯っぽい笑顔で話を切り出す飛鳥。

 

「だけどね。私は貴方のコミュニティが瓦解する程度のことでは満足できないの。貴方のような外道はズタボロになって己の罪を後悔しながら罰せられるべきよ」

 

 ジンや耀、そして店員たちが頷き、そして飛鳥が言わんとするところを察する。

 

「──そこで、皆に提案なのだけれど」

 

 飛鳥はガルドを指差し、見下し、突きつけるように告げる。

 

「箱庭の法に則り、ギフトゲームをしましょう。貴方の〝フォレス・ガロ〟存続と〝ノーネーム〟の誇りと魂を賭けて、ね」

 

 

    *

 

 

 その後、動けるまで回復したガルドは逃げ帰り、話を聞いていた周囲から歓声を浴びる一行。周囲一帯で傍若無人に振舞っていた〝フォレス・ガロ〟の不正を暴き、ギフトゲームを突き付けたのだから盛り上がらないはずがない。

 

 ジンと飛鳥は恥ずかしがって場所を移したがっていたが、お腹を空かせた耀と動く気が無かったシンによって阻止された。幸い、前祝いとして食事代がタダになったため、金銭事情も崖っぷちなジンとしては助かったのだった。

 

 そのまましばらく寛ぎ、黒ウサギが戻って来るまでにもう少しかかりそうだったので、都市を少し案内してもらおうとようやく移動を始めた。

 

「──紅茶、美味かった。また来よう」

 

 去り際に、シンが呟く。それは単なる小さな独り言だったのだが、最初に注文を取りに来た猫耳の店員が偶然聞いていった。ぴくりと反応し、その背を見送る。

 

──最初から只者では無い雰囲気があった。ここら一帯を仕切るコミュニティのリーダー相手にも全く動じず、激昂しても軽くあしらうカリスマ振り。それでいてさり気なく紅茶を褒めていく男前振り(勘違いだが)。

 

 店員はそんなシンに心奪われてしまい──その遠くなった背中に向かって、感極まって叫んだ。

 

「ニャー、ステキ!」




皆さんは『いいこと』しましたか?


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魔王と混沌王が睨み合うようですよ?

 十六夜を連れた黒ウサギが戻ってきたのは、日も暮れた頃だった。一同は噴水広場で合流し、事の顛末を説明すると案の定ウサ耳を逆立てて怒り狂う黒ウサギ。

 

「こ、この短時間に〝フォレス・ガロ〟のリーダーと接触して喧嘩を売り、しかもゲームの日取りは明日!? 一体どういうつもりがあってのことです!」

 

 しかし、それに怯まず答える飛鳥。

 

「──当然、一刻も早くあの外道を裁くのよ」

 

 真っ向から答えられ、やや冷静になる黒ウサギ。それをニヤニヤと笑って見ていた十六夜が口を挟む。

 

「別にいいじゃねえか。譲れねえ理由があって喧嘩売ったんだから、許してやれよ」

 

「ですがリスクが高過ぎます! この〝契約書類(ギアスロール)〟を見てください!」

 

 黒ウサギの見せた〝契約書類(ギアスロール)〟には、ゲーム内容やルールなどについて書かれており、〝主催者〟側コミュニティのリーダーの署名がしてある。

 

 戦いの舞台は敵のテリトリー内、日取りは明日、準備する時間もお金も無い。〝ノーネーム〟がそれなりの規模のコミュニティを相手取るゲームとしては、不利もいいところだった。勿論、彼らがただの〝ノーネーム〟であったなら、の話だが。

 

 しかし、黒ウサギが指摘するのはそれだけではない。このゲームで得られるのはただの自己満足。時間をかければ出来ることを、わざわざ取り逃がすリスクを背負ってまで短縮するのである。失う物はないが、得る物もない。

 

 そして、飛鳥はその程度当然理解していたし、狙いはそれだけでは無かった。

 

「間薙君、子供たちの霊は真実を明らかにすれば救われるのよね?」

 

「……己の死を気が付いてもらえないこと、死んだ己の為に罪を重ね続けること、それらが解消されればもう迷うことはないだろう」

 

 当然、全ての原因がそうと決まったわけではないし、それらが解消されてもまだ迷うものはいるだろう。だがシンはそこまで面倒を見る気はなく、飛鳥もそれは承知していた。

 

「十分だわ」

 

 頷くと、飛鳥は黒ウサギに向き直り、言葉を続ける。

 

「それにね──これは他人事ではないのよ、黒ウサギ。貴女たちの残りのメンバーは殆ど子供なんでしょう? そんな貴女たちの生活圏のすぐ側に、子供を攫い、食い殺していた外道が野放しにされているのよ。ここで逃がせば、次の犠牲者は〝ノーネーム〟から出ることになりかねないわ」

 

「そうだよ黒ウサギ。殺された人たちの為にも、僕たち自身の為にも、ここでガルドを逃がしちゃいけない」

 

 ガルドの危険性を説く飛鳥とジン。流石にここまで言われて、責めるわけにもいかない。黒ウサギは諦めたように、しかし嬉しそうに頷いた。

 

「〝ノーネーム〟の子供たちを案じてのことなら、仕方ありませんネ。腹立たしいのは黒ウサギも同じです。〝フォレス・ガロ〟程度なら十六夜さんがいれば楽勝でしょうし──」

 

「──何言ってんだよ、俺は参加しねえよ?」

 

 十六夜は黒ウサギの言葉を一刀両断する。飛鳥はそれに頷く。

 

「当たり前よ、貴方なんて参加させないわ」

 

 両者の言葉に、思考が停止していた黒ウサギは慌てて口を挟む。

 

「だ、駄目ですよ! コミュニティの仲間なんですから協力しないと──」

 

「そういうことじゃねえよ黒ウサギ」

 

 十六夜が真剣な顔で、しかし口惜しそうに黒ウサギを制する。

 

「いいか? この喧嘩はこいつらが売って、ヤツらが買った。なのに、俺が手を出したら無粋だろうが」

 

「あら、分かっているじゃない」

 

 飛鳥は満足そうに頷く。だが、十六夜が本気で参加したいと言ったら断らなかっただろう。ガルドを許せない気持ちは同じであろうことは、その表情を見れば一目瞭然なのだから。

 

「……ああもう、好きにしてください」

 

 丸一日振り回され続けて疲弊した黒ウサギに、ここから更に言い争う余力は残っていなかった。

 

「そうするぜ。もしゲームが終わってもそいつにまだ元気が残っていやがったら、俺が立て続けにゲームを挑むかな」

 

「どうかしらね? 間薙君もいることだし、それは難しいかもしれないわよ」

 

「へぇ? 腕に覚えありって所か」

 

 面白そうにシンに視線を向ける十六夜だが、シンは話す気は無いと佇むだけだった。それを興味深そうに眺める耀が、代わりに答える。

 

「……ガルドを一撃で沈めていた」

 

「そうね。顎を打ったのかしら? 全く見えなかったけど」

 

 手加減していたとはいえ、下手すればそのまま首が飛んでいたような一撃だ。常人の肉眼では捉えられよう筈も無い。耀だけがそのギフト故にギリギリ見ることができたくらいだった。

 

「……間薙君が一人でやればすぐに終わってしまうかもしれないけれど、出来るだけ私たちにもやらせてもらっていいかしら?」

 

 飛鳥は心配そうにシンに尋ねる。その懸念は正しい。シンが本気になれば一分と経たずにゲームは終了するだろう。だが、シンはそれをする気はなかった。

 

「……好きにしろ」

 

「……ありがとう」

 

 ぶっきらぼうに答えるシンに、飛鳥は小さく笑って礼を言った。

 

 興味深い能力を持っているようではあるが、飛鳥と耀の二人はまだまだ弱すぎるとシンは見ていた。下手をすればガルドに負ける可能性がある。だが、弱いならば鍛えればいいのだ。そして、その弱さを覆す特殊な力を二人は持っている。そのどちらの重要性も、あのボルテクス界で学んだ事だった。

 

 

    *

 

 

 萎れていた黒ウサギがようやく元気を取り戻し、ギフトを鑑定してもらうためにコミュニティ〝サウザンドアイズ〟へ皆を誘う。ガルドのこともあり、夜遅くなると危険なためジンは先に帰らせることになった。それぞれ思うことはあるが異論はなく、一行は〝サウザンドアイズ〟へ向かう。

 

 途中、桜のような桃色の花を咲かす並木道を通り、皆の季節感のズレからそれぞれ別の世界から召喚されたことを黒ウサギが説明する。シンは当然それを承知でこの世界に潜り込んだので驚きはないが、立体交差並行世界論とやらには少し興味が湧く。

 

 そこで店に着いたものの、既に店員は看板を下げ始めていた。黒ウサギが滑り込みで待ったをかけようとするも、ぴしゃりと素気無く拒まれる。

 

「なんて商売っ気の無い店なのかしら」

 

「ま、全くです! 閉店時間の五分前に客を締め出すなんて──」

 

 そんな店員にケチを付け、反撃で出禁を食らいそうになっている黒ウサギを眺めながら、シンは人間だった頃、友人に聞いた日本と海外の就業時間における豆知識を思い出していた。

 

 日本では終業時間が過ぎてから帰り支度を始めるが、海外では多くが終業時間までに帰り支度を始め、時間きっかりに退勤するという。この店もその類なのだろう。どちらが良いなどではなく、この店ではそういう習慣なのだ。それをわざわざ指摘するシンではなかったが。

 

 それにしても懐かしい事を思い出した、とシンは懐古する。混沌王になってから、人間の時のことを思い出したのは初めてだった。

 

──まあ、その友人は殺したのだが。

 

 シンが考え事をしている間に、黒ウサギは店員にコミュニティの名と旗印を求められ、黙り込んでいた。無い物を出すことはできない。心の底から悔しそうな顔をして、敗北宣言を──

 

「──久しぶりだな、黒ウサギ」

 

 いつの間にか、店先に着物風の服を着た白い髪の少女が、腕を組んで立っていた。そして何故か黒ウサギは謎の構えを取っている。不思議そうに少女は問い掛ける。

 

「……何をしておる?」

 

「──はっ!? いつもいつも飛び付かれては抱き締められ、胸に頬ずりされていたのでつい反射的にカウンターの構えを取ってしまいました!」

 

「……そ、そうか」

 

 目を逸らし、冷や汗を一筋流す少女。傍目から見ても黒ウサギがこの少女にいつも迷惑をかけられ、少女自身にその自覚があるのは見え見えだった。そんな少女に、飛鳥が声を掛ける。

 

「貴女はこの店の人?」

 

「うむ、この〝サウザンドアイズ〟の幹部である白夜叉だ。以後お見知り置きを、ご令嬢」

 

 ここに来てようやく、白夜叉の様子がいつもと違うことに気が付く黒ウサギと店員。普段ならば隙あらば女性にセクハラしようと眈々と狙っているセクハラが服着て歩いているセクハラ駄神だというのに、今日に限ってはやけに大人しい。しかし、その理由に思い至らず首を傾げる。

 

 そして、白夜叉もまたそう思われていることを察していた。普段ならばしたであろう行為をしなかったのは、シンの存在があるからだった。

 

──こやつ、底が見えぬ。

 

 白夜叉は四桁の門に本拠を構え、東側の〝階層支配者(フロアマスター)〟であり、東側四桁以下のコミュニティでは並ぶ者のいない、最強の主催者(ホスト)と呼ばれている。そんな彼女が、シンを見定めることができない。正体を見破ることができない。その事実は白夜叉を警戒させ、軽挙を慎ませていた。

 

「それでは、話があるなら店内で聞こう」

 

 だが、敢えて白夜叉は迎え入れる。今の所シンに悪意が感じられないのと、己の力への自負故だった。

 

 規定を盾に店員が文句を言うが、〝ノーネーム〟だと分かっていながら性悪な話の持って行き方をしたことを突かれ、拗ねるような顔で引き下がった。

 

 

    *

 

 

 一行は白夜叉の私室に通された。香の焚かれたやや広い和室である。日本人である問題児三人組にとって特別目新しい部屋では無かったが、和室を久々に見たシンは少し部屋を眺めていた。それを他所に白夜叉は語り始める。

 

「改めて自己紹介しておこうかの。私は四桁の門、3345外門に本拠を構えている〝サウザンドアイズ〟幹部の白夜叉だ──」

 

 自己紹介は続き、黒ウサギと縁あって援助を続けていること、箱庭を構成する外門のこと、十六夜が遭遇したと言う蛇神のような〝世界の果て〟に棲まう強力なギフトを持ったものたちのことについて話してくれた。箱庭と外門の図を見てバームクーヘンだと盛り上がるが、一人シンはボルテクス界のアサクサ周辺を思い出していた。あれは高低が逆だったが。

 

「して、一体誰が、どのようなゲームでアレに勝ったのだ? 知恵比べか? 勇気を試したのか?」

 

 そう言いながらも、視線をシンから逸らさず攻撃的な笑みを浮かべる。まるで、お前が力ずくで奪ったのだろうと、そう言うように。しかし事実は当然異なる。黒ウサギは何故かシンに矛先が行っているのを見て慌てて、真実を告げる。

 

「い、いえ、この水樹はこちらの十六夜さんがここに来る前に、蛇神様を素手で叩きのめしてきたのですよ」

 

「なんと! クリアではなく直接的に倒したとな!?」

 

 シンに気を取られ、残りの問題児のことを考慮していなかった為に余計に驚く。だが、それも当然のことだろう。蛇神は神格を持ち、それを打倒するには同じく神格を持つか、圧倒的な種族のパワー差がなければならない。一見するとただの人間である十六夜は、神格を打倒できるような力の持ち主には見えなかった。

 

「白夜叉様はあの蛇神様とお知り合いだったのですか?」

 

「知り合いも何も、アレに神格を与えたのは私だぞ──」

 

 それを聞いて、十六夜たち問題児組は瞳を輝かせる。白夜叉も敢えて自分の最強ぶりを自慢し彼らを煽る。闘争心むき出しに、白夜叉と戦う気マンマンの問題児たち。それを見て大いに慌てる黒ウサギ。しかしシンはそれには付き合わず、白夜叉を静かに観察する。

 

「──ゲームの前に一つ確認しておく事がある」

 

 白夜叉は着物の裾から〝サウザンドアイズ〟の旗印である向かい合う双女神の紋が入ったカードを取り出し、壮絶な笑みを浮かべ──シンを一瞬見やる。それを真っ向から受け止めるシン。そして──

 

「おんしらが望むのは〝挑戦〟か──もしくは、〝決闘(・・)〟か?」

 

──瞬間、世界がひっくり返る。

 

 無数の未知なる光景が脳裏を掠めて行き、やがて白い雪原と凍る湖畔、そして水平に太陽が廻る世界に辿り着く。この異常な事態に、想像を遥かに絶するその御技に、十六夜たちは絶句した。白夜叉はその様子に満足そうに薄く笑い、彼らに今一度問い掛ける。

 

「今一度名乗り直し、問おうかの。私は〝白き夜の魔王〟──太陽と白夜の星霊・白夜叉。おんしらが望むのは、試練への〝挑戦〟か? それとも対等な〝決闘〟か?」

 

 少女の笑みとは思えぬ凄みに、息を呑む三人。この世界の光景と、白夜叉が語った身分から、十六夜はこの少女の正体が太陽の化身に近しいものだと当たりをつける。飛鳥と耀は相手の強大さにただ驚愕するばかりである。

 

 冗談ではない。このようなモノは、人間が相対していい存在ではない。スケールが違いすぎる。飛鳥と耀は勿論、自信家の十六夜ですら勝ち目が無い事を悟り、しかしプライドが邪魔をして素直に答えることができない。

 

 暫しの静寂の後、諦めたように笑う十六夜が挙手しようとして──

 

「……ふむ、そちらの三人は退くつもりのようだが──どうやらおんしは違うようじゃの」

 

「──な!?」

 

 白夜叉が獰猛な笑みを浮かべ、十六夜が驚愕したように振り返る。そこにはシンが全く引かずに仁王立ちをしている姿があった。白夜叉を真っ直ぐ睨みつけ、視線を外そうとしない。

 

──そして、薄く笑みを浮かべている。

 

 シンが初めて見せる表情に、そして魔王に真っ向から刃向かうその態度に驚きを隠せない十六夜たち。黒ウサギはもうついていけなくて蒼白になっている。

 

「……戦う必要がなければ戦うつもりは無い」

 

 言葉とは裏腹に、やや腰を落として戦闘体制を取るシン。

 

「だが……必要があるのなら、挑戦だろうと決闘だろうと関係ない──戦うのみだ」

 

 ぎらりと、翠色の瞳が輝いた。



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魔王の力を目の当たりにするそうですよ?

 相対するシンと白夜叉。片や〝白き夜の魔王〟、片や召喚されたばかりの新人。戦いの結果は一目瞭然である筈なのに、衆目からは容易に断ずることのできない壮絶な空気がその場を支配する。

 

 白夜叉は構えず、シンは構えたまま、両者はその場を動かずただ空気だけが張り詰めて行く。観客と化した十六夜たちは声を出すことすらままならず、ただこの雰囲気に耐えているばかりだった。

 

──この状況でも一歩も引かぬか。まさか星霊ということはあるまいが……。

 

 シンに対峙しながらもその正体について考察する白夜叉。本気ではないとはいえ、魔王の闘気を浴びてのこの姿勢は、単なる命知らずでは片付けられない何かがある。上手く隠しているが、本来は名のある修羅神仏の化身やも知れぬと、当たりをつけていた。

 

 対するシンは、ここで全力を出すことになっても止むを得ないと考えていた。少々早いが、ここで魔王を一体下僕にするのも悪くないと思い始めている。しかし、そうなれば十六夜や黒ウサギたちは巻き添えで死ぬだろう。彼らにやや興味を覚え始めているため、そうなるのは若干惜しい。

 

 シンがちらりと、顔色を悪くする彼らの顔を伺う。それに目敏く気が付いた白夜叉は、ここらが頃合いかと闘気を収める。白夜叉の方が引いたので、シンもそれに合わせて構えを解いた。

 

 両者が落ち着いたのを見て、十六夜と黒ウサギたちがはぁ、とため息をついた。

 

「……参った、降参だ。今回は黙って試されてやるさ」

 

 苦虫を噛み潰したような表情で十六夜が負けを認め、飛鳥と耀がそれに続く。黒ウサギは憔悴したような声で弱々しく抗議する。

 

「お互いにもう少し相手を選んでください……〝階層支配者〟に喧嘩を売る新人と、新人に売られた喧嘩を買う〝階層支配者〟なんて、冗談じゃありませんですよ!」

 

「くく……すまんな、こやつが一歩も引かないのでつい興に乗ってしまった」

 

 ニヤニヤ笑う白夜叉に、とうとうガクリと崩れ落ちる黒ウサギ。口からは白夜叉が魔王だったのは過去のことだと呟き漏らし、十六夜はそれを聞いて騙されたと文句を言う。

 

 その時、山脈の方角から甲高く、しかし雄々しい叫び声が聞こえてきた。獣とも鳥ともつかないその奇妙な鳴き声に、耀がぴくりと反応する。

 

「今の鳴き声は……」

 

「ふむ……そういえばおんしらが選んだのは試練であったな。それならばアレは打って付けかもしれん」

 

 

    *

 

 

 その後、白夜叉が呼び寄せたグリフォン相手に一行のギフトゲームが始まった。ギフトゲーム名は〝鷲獅子の手綱〟。グリフォンに力、知恵、勇気の何れかを認められ、その背に跨り湖畔を駆けることでクリアとなる。

 

 それらが記された〝契約書類(ギアスロール)〟を読み終わるや否や、瞳を輝かせた耀が勢い良く立候補し、異論は無かった為に十六夜たちは先手を譲った。

 

 そして、ゲームは耀の勝利で決まる。耀は誇りと命を賭けてグリフォンに真っ向から勝負を挑み、本気で山脈の空を駆けるグリフォンの手綱を最後まで離さなかった。更にはクリアしたと同時に落下したものの、グリフォンが持っていたギフトを操って空を舞い、着地して見せたのだった。

 

「いやはや大したものだ──」

 

 パチパチと拍手を送りながら勝者を讃える白夜叉。得体の知れないシンに目が行っていたものの、他の新人たちもまた、興味深い力の持ち主なのだと認めることになった。

 

 話は耀のギフトに移り、それが父からの贈り物によって発現したことが判明する。白夜叉はその贈り物の学術性と芸術性の高さ、そして人間がギフトを作り出したその天才性に驚愕し、買い取りたいとまで言い出す。当然耀は許さなかった。

 

「で、これはどんな力を持ったギフトなんだ?」

 

 十六夜は尋ねるも、白夜叉はあっさりと、

 

「分からん」

 

 と回答を放棄した。難解なギフトを調査するには、それ相応のギフトが必要なようだ。店の鑑定士、それも上層の者に頼まなければならないと分かり、白夜叉に頼むつもりだった黒ウサギは気落ちした。それを見て白夜叉は気まずそうにする。

 

「専門外どころか無関係もいいところなのだがの……ふむふむ」

 

 それでもできるだけのことはしようと思っているのか、片手で輪を作り、そこから新人たちの顔を覗き込んで何やら頷いている。

 

「……四人とも素養が高いのは分かる。しかしこれでは何とも言えんな」

 

 困ったように白髪を掻き上げ、暫し考え込む白夜叉。やがて、突如名案が浮かんだとばかりにニヤリと笑った。

 

「そうだな、何にせよ私が与えた試練をクリアしたおんしらには〝恩恵(ギフト)〟を与えねばならん」

 

 白夜叉が柏手を打つと、新人たちそれぞれの眼前に光り輝くカードが現れる。

 

「ちょいと贅沢な代物だが、コミュニティ復興の前祝いだ──受け取るがよい」

 

 恐る恐る彼らが受け取ると、それらのカードにはそれぞれの名前と、体に宿るギフトの名前が記されていた。

 

 コバルトブルーのカードに逆廻十六夜・ギフトネーム〝正体不明(コード・アンノウン)

 

 ワインレッドのカードに久遠飛鳥・ギフトネーム〝威光〟

 

 パールエメラルドのカードに春日部耀・ギフトネーム〝生命の目録(ゲノム・ツリー)〟、〝ノーフォーマー〟

 

──そして、カーボンブラックとエメラルドの幾何学模様の入ったカードに間薙シン・ギフトネーム〝人修羅(ノクターン)

 

「──ギフトカード!」

 

 黒ウサギは、彼らに与えられたのが大変高価で極めて便利な、ギフトカードであることに驚愕した。しかし十六夜を始めとする三人はその希少さを理解せず、適当に聞き流すばかり。

 

 シンはカードを眺め、封印しているとはいえ己の数々の能力が〝人修羅(ノクターン)〟という一つのギフトに収まっている理由を考察していた。暫し考え込むものの、十六夜が水樹をギフトカードに収め、その名がカードに現れるのを見て思い至る。

 

──恐らく、このカードにはギフトが持つギフト(・・・・・・・・・)の名前までは現れないのだろう。

 

 〝人修羅(ノクターン)〟はこの分霊が人修羅という種であることを表すギフトであると同時に、混沌王直々に生成したマガタマである。このマガタマには多くの能力が宿っているが、シンはそれを引き出して使っているに過ぎない為、カードにそれらの能力は現れないのだ。

 

 そう結論付けて頷くシンを他所に、白夜叉の説明は続く。

 

「そのギフトカードは正式名称を〝ラプラスの紙片〟、即ち全知の一端だ──」

 

 鑑定はできずとも、魂の繋がった〝恩恵(ギフト)〟の名称を見れば大体のギフトの正体は分かる。そう豪語する白夜叉に、十六夜は面白そうに己のカードを見せる。

 

「じゃあ、俺のはレアケースなわけだな」

 

「……いや、そんな馬鹿な」

 

 白夜叉は顔色を変えてカードを取り上げ、尋常ならざる表情でカードを見つめる。数千年以上を生きた魔王が驚愕する、それほどの事態。だが十六夜はそれに構わずカードを奪い返し、値札を貼られるのは趣味じゃねえから丁度良い、とヤハハと笑った。

 

 シンは十六夜の力を直接見ていない為に何とも言えないが、彼もまた興味深い人間なのだと評価を改めていた。それどころか〝ノーネーム〟の面々は皆興味深い存在だと、このコミュニティにしばらく身を置くつもりでいる。それは黒ウサギたちにとって幸運とも言えるし、不運とも言えた。

 

──そして、いつか後悔する日がきっと来るだろう。

 

 

    *

 

 

 一行は白夜叉に店前まで見送られ、一礼する。十六夜たちは今度は対等の条件で挑むと豪語し、白夜叉を喜ばせた。

 

 しかし、コミュニティの現状を知り、本気で魔王を打倒をするのかと、その上でコミュニティに加入するのかと、彼らに真摯に問う。当然と答える十六夜たちに呆れるも、飛鳥と耀は確実に死ぬと断言する。二人は言い返そうと言葉を探すも、白夜叉の真剣な表情がそれを許さない。

 

「魔王の前に様々なギフトゲームに挑んで力を付けておけ。小僧二人はともかく、おんしら二人の力では魔王のゲームを生き残れん」

 

 力無き者の末路を哀れむように、過去の悲劇を思い返すかのように、憂いの表情で忠告した。

 

「……ご忠告ありがと。肝に命じておくわ」

 

 一行は別れを告げ、〝サウザンドアイズ〟を後にした。

 

 そのまま噴水広場を越えて半刻ほど歩くと、一行は〝ノーネーム〟の居住区画の門前に到着した。黒ウサギが紹介する。

 

「この中が我々のコミュニティでございます。しかし本拠の館は入り口から更に歩かねばならないのでご容赦ください。この近辺はまだ戦いの名残がありますので──」

 

「──戦いの名残、ね。魔王との戦いのことかしら」

 

 飛鳥が不機嫌そうに言う。先の一件で、はっきりと弱者だと断じられたことが気に食わないのだろう。しかし、それを咎めずに黒ウサギは続ける。

 

「はい、この先を見れば魔王の恐ろしさを感じていただけると思います……」

 

 黒ウサギは躊躇いつつ門を開けた。すると門の向こうから乾き切った風が吹き抜け、一行を砂塵が包む。やがて彼らの開けた視界に、一面の廃墟が広がっていた。

 

 石造のものは崩れ、木造のものは腐り落ち、鉄製のものは錆び切って、植物は枯れ果てている。その街並みはまるで何百年も経過したかのように風化していた。しかしベランダにティーセットが置かれているままで、この光景が一瞬によって引き起こされたものなのだと物語っている。

 

「……間薙君」

 

 冷や汗を流す飛鳥に声をかけられ、シンは彼女が言わんとする所を察して、答える。

 

「……霊など一切居ない。いや、この場には存在できない。ここは霊的にも死んでいる(・・・・・・・・・)

 

 空気が乾き切っているように、この場にはマガツヒすら枯渇していた。人修羅であるシンに影響は無いが、ここにいれば悪魔ですら息苦しいであろう。まさしくここは生者も死者も寄り付かぬ、不毛の大地だった。

 

 コミュニティのこの有様は、シンにボルテクス界を思い起こさせていた。東京が死に、文明は朽ち果て、多くが砂に埋れた様は目の前の光景に酷似していた。また、ナイトメア・システムによってマガツヒを根こそぎ奪われた、イケブクロのことも想起させる。

 

 だが、どちらもカグツチという創世の光と、創世の巫女を据えたオベリスクという超巨大な装置があってこその惨状である。目の前の光景を齎した魔王は単体でそれを成し遂げたのだと思われた。だとすれば〝ノーネーム〟を襲った魔王は、最低でもカグツチ以上──恐らくはそれを超える力を持っているのだろう。

 

「魔王──か。いいぜいいぜいいなオイ! 想像以上に面白そうじゃねえか……!」

 

 十六夜が不敵に笑って呟く。飛鳥と耀がこの光景に慄き、黒ウサギが目を逸らしながら先導する中、一歩下がったシンもまた──笑っていた。

 

──その力、必ず手に入れてやろう。

 

 混沌王に至ってから久しく感じていなかった、己を危ぶむ程の脅威に──シンは静かに狂喜していた。



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人修羅がギフトゲームに挑むようですよ?

 〝ノーネーム〟の面々が去り、店仕舞いした〝サウザンドアイズ〟。白夜叉の私室にて、部屋の主は上座に座り込み、扇子を弄びながら思慮を巡らせていた。

 

 考えていたのは、彼らのギフトの事。一番気になるのは十六夜の〝正体不明(コード・アンノウン)〟であるが、これ以上分かることは無いと結論済みである。耀の〝生命の目録(ゲノム・ツリー)〟と〝ノーフォーマー〟も同様。前者の人造のギフトは驚愕に値するが、詳細は不明。後者も、耀自身が己自身の力の源をよく理解していないようなので、すでに発現しているのか、それとも特殊な条件があるのか、定かでは無い。

 

 それらに比べれば飛鳥のギフトは分かりやすい。〝威光〟の名の通り、従わせる力を持つのだろう。まだまだ原石のようだが、飛鳥自身の霊格が人間にしてはかなり高いこともあり、方向性を絞れば驚異的な成長を見せることであろう。最も可能性を感じるギフトの持ち主であった。

 

──そして、シンの〝人修羅(ノクターン)〟。人修羅という存在に覚えは無いが、やはり修羅の類であったかと頷く白夜叉。どちらかというと人に近いようだが、シンの正体の一端でも掴んだことでやや機嫌を良くしている。

 

 修羅とは仏教の八部衆の一、阿修羅の略称であり、インド神話やヒンドゥー教におけるアスラ神族が仏教に取り入れられた存在である。元々はゾロアスター教における善神アフラ・マズダーに対応する存在だったのだが、時代が下るに連れて暗黒的・呪術的な側面が強調され、魔神と扱われるようになる。帝釈天と常に争う存在で、帝釈天の眷属である黒ウサギとはある意味仇敵のようなものかもしれない。仏教に取り入れられた際には仏法の守護者として扱われているが、その闘争の鬼神としての性格は変わらず、六道の一つ修羅道では終始戦い、争うと言われ、転じて常に闘争心を持ち、戦う荒ぶる存在を修羅と呼ぶこともある。

 

 成る程、あの戦いを避けようともしない姿勢は修羅と呼ぶに相応しいだろう。とはいえ、単純に修羅とするには腑に落ちない存在でもある。白夜叉はシンに対峙した時、その身から何らかの力が漏れ出るのを感じた。ギフトの発動の予兆だったのだろうが、些か闇の気配が強すぎた(・・・・)。前述したとおり修羅はその成り立ちと性質から悪の要素は強いが、それとはまた違うようにも思う。

 

──あれは言うなれば、悪というより不吉(・・)という言葉が相応しい。

 

 白夜叉はそこに至るものの、それ以上の考察はできないでいた。どのみちシンが語らず、すぐに鑑定もできない以上、材料がない状態であれこれ考えても無駄ではある。だが、白夜叉は勘であるが確信もしていた。今思いついたそれは、真実の一端であると。

 

「……あの時、潰してしまった方がよかったかの?」

 

 ば、と扇子を広げ、表情を隠しながら呟く。

 

 しかし、そこから覗く視線は──ぞっとするほど冷たい眼差しだった。

 

 

    *

 

 

 コミュニティの屋敷、その屋根の上でシンは寝転がっていた。

 

 一行は黒ウサギに魔王による傷跡を見せられた後、居住区を通り過ぎて貯水池へ向かった。そこでは子供たちの年長組が掃除をしていて、新たな仲間を待ち構えていた。黒ウサギによって十六夜たちは紹介され、箱庭における弱者の役割とその姿勢を垣間見る。そして、十六夜が手に入れた水樹を植えることで、〝ノーネーム〟の水源問題は解決したのだった。

 

 屋敷に着いた頃には夜も更けて、一行の強い要望もあり黒ウサギは湯殿の準備をすることになった。人修羅の肉体は老廃物は疎か、汚れなどとは無縁だが、入らない理由も特に無い。現在女性陣が入浴しているが、気が向いたら久々に入るのも良いかと考えている。

 

 星を眺めながらシンが考えるのはこのコミュニティの事だった。まず、子供たちのことはどうでもいい。精々役に立ってもらおうと考えている。荒廃した土地は、これからギフトを手に入れて行けば復興は進むだろうと考えている。マガツヒが枯渇したイケブクロも、新たな首領が現れることですぐ復興したのだから。ギフトによって崩壊したのであればギフトによって蘇らせることも可能だろう。

 

 そして黒ウサギ。〝箱庭の貴族〟と呼ばれ、優れた身体能力を持ち、恐らくは数々のギフトを持つであろう彼女。〝ノーネーム〟に居ることが不思議なくらいの人材だが、元々は東側最大手のコミュニティだったそうなので、その頃の名残というものか。シンが一見したところ、かなりの力を秘めているようである。いずれ見定める必要があるだろう。

 

 また、十六夜たちは成長性と可能性を秘めた人間であるだけに、ある意味最も興味深い存在でもある。蛇神を打ち倒したという十六夜のパワー、他人を強制的に従えさせた飛鳥の言霊、獣のギフトを手に入れる耀の能力。特に耀のギフトは悪魔相手にも有効なのかどうか確かめたいとすら考えている。グリフォンが可能ならば、生物に近い悪魔も可能であろう。折を見て実験しようと考えていた。

 

 シンがそんなことをつらつら思考していると、何やら別館の方が騒がしくなる。木々に潜んでいた有象無象が襲撃を掛けてきたのかとシンは思ったが、その前に十六夜が蹴散らしたらしい。彼らの話を盗み聞くに、ガルドを倒しうる者たちが現れたと聞いて、〝フォレス・ガロ〟を叩き潰すよう頼みに来たようだ。一蹴する十六夜だったが、悪知恵を思いついたのか先程とは一転して、何やら演説していた。興味を無くし、星々に視線を戻すシン。だが──

 

「おやまあ、あの人間はどうやら腕だけではなく口も達者なようですよ、坊ちゃま」

 

「…………」

 

──いつからそこにいたのか、それともたった今出現したのか。

 

 シンと同じく屋根の上に喪服を着た老婆と、その手に繋がれた金髪の子供が現れ、十六夜の方に視線を向けていた。シンはそれに驚くこともなく、やや胡乱げな視線を二人に向けたのみだった。老婆はそれに構わず一礼し、シンに話しかける。

 

「ご機嫌麗しゅうございます、陛下。余計なお世話かとは思われますが、この婆めも微力ながらお手伝いに参りました」

 

 間を開けたが、シンはゆっくりと頷く。老紳士にここでの事は一任すると言われているが、小細工は己の得意とするところではない。特に指示を出さなくてもシンが望むことを彼らが先んじて手配してくれるだろう。これもまた、彼らにとってただの一興なのだろうとは思われるが。

 

 少年は老婆にひそひそと話しかけると、老婆はその言葉を代弁する。

 

「坊ちゃまは早めのうちに己の力を誇示し、上下関係を作っておくようにと仰られております。ただ、夕方に出会った少女のような超越者に悟られぬよう慎重に、とも申しております」

 

 それは、言われなくても考えていた行動だった。だが、少年がわざわざ言い含めに来たということは、白夜叉はやはり油断ならない存在らしい。

 

「婆も、あの小娘はまだ何らかの力を隠していると見ます。この箱庭は魔界並みに遥か広大ですもの。下層とはいえその東側最強を謳うならば、あの程度の力量の筈がございません」

 

 あの時白夜叉が本気だったならば、この分霊は破壊されていたかもしれない。ただで負けるつもりは無いが、下手に分霊を失うのは得策ではない。穏便に箱庭に侵入する方法は限られるのだから。素直に反省するシン。

 

「貴方様が真の実力を発揮すればこのような箱庭は脆いものでございますが、我々の目的は破壊でも闘争でもございません。全ては強き霊を見出すこと。ゆめゆめお忘れなきよう……」

 

 シンはその言葉を受け取り、ゆるゆると目を閉じる。そして目を見開くと、老婆と少年は痕跡も残さずその姿を消していた。

 

 シンが視線を感じて下を見ると、十六夜が此方を見ている。悪魔の気配を感じたのか、単に一連の流れを外野から眺めていたことが気になったのかは定かでは無いが、油断ならないのは彼もまた同じだと、認識を改めていた。

 

 夜は更けて行く。女性陣は明日のゲームの準備を進め、十六夜とジンはコミュニティの方針を固めて行く。

 

 そしてシンは、そのまま屋根の上でこれからのことについて思考に耽っていた。

 

 

    *

 

 

 夜は明けて、場所は昨日様々なゴタゴタがあった噴水広場。一行は〝フォレス・ガロ〟の舞台区画へ向かう途中、例のカフェテラスにて声をかけられた。

 

「みなさーん!」

 

 ガルドとのいざこざの場に居合わせた、猫耳の店員だった。一行に近寄ってきて一礼する。

 

「うちのボスからもエールを頼まれました! 連中、ここいらではやりたい放題でしたから、二度と不義理な真似ができないようにしてやってください!」

 

 ブンブンと両手を振り応援する店員。苦笑しながらもそれを受け取る十六夜たち。しかし、店員はその目がシンに止まると両手で頬を抑え、顔を赤らめてもじもじし始めた。

 

「あ、そ、その……頑張ってくださいね! 応援してますから!」

 

 このような態度を取られる覚えが無いシンは首を捻る。十六夜はニヤニヤと面白そうにそれを眺め、飛鳥と耀は顔を見合わせる。ジンと黒ウサギはきょとんとした顔でそれを見守っていた。シンはよく分からないが応援されているのは確かだろうと頷き、返事をする。

 

「帰りに寄らせてもらおう。美味い紅茶を用意して待っていろ」

 

 そう言うと、店員は尻尾をピーンと立たせ、花咲くような笑顔で答える。

 

「は──はい! お待ちしてます!」

 

 暫し幸せそうに笑う店員だったが、何やら思い出したかのようにふと我に返ると、十六夜たちに〝フォレス・ガロ〟のゲームが舞台区画ではなく居住区画で行われることを伝える。更に傘下のコミュニティや同士を締め出し、ガルド一人で臨むという。

 

 訝しむ十六夜たちだったが、ここに居ても疑問は解決しない。店員に見送られ、一行は〝フォレス・ガロ〟の居住区画を目指して移動することになった。

 

 その途中、素知らぬ顔で歩くシンの脇腹を小突く十六夜。心底面白そうな顔だった。

 

「いやー、モテるねえ間薙クン! 見たかあの顔、オマエにメロメロじゃねーか!」

 

「どうでもいい」

 

「照れるな照れるな! ヤハハハハ!」

 

 本気でどうでもよかったのだが、照れと取った十六夜が突っつきながらからかう。黒ウサギもそれを見ながらニヤニヤ笑っていた。飛鳥と耀とジンは、昨日のことを思い返すも店員がシンに惚れるような展開が見つからなかったので首を捻っている。

 

 しつこくからかってくる十六夜を、シンがこいつウザいな殺すかと思い始めた頃、一行は〝フォレス・ガロ〟の居住区画に辿り着く……が、そこには一行が予想だにしない光景が広がっていた。

 

──ジャングルである。

 

 ちらほらと家屋が見えるが、完全に鬱葱と生い茂る木々に飲み込まれていた。虎の住むコミュニティだからかと新人たちは納得しかけるも、元々通常の居住区画であったことを知るジンは異変を指摘する。また、門に絡む蔦はまるで生き物のように脈を打ち、胎動のようなものすら感じられた。

 

 シンはこの木々が悪魔化──植物の域から逸脱していることを感じ取る。そしてジャングルの奥地、恐らくガルドがいるであろう方角に、昨日よりも遥かに力量を上げ悪魔に近づいたガルドの気配も。

 

──何者かと盟約を交わし、力を得たか。

 

 ガルドの正体は虎の獣人であったはずだが、この気配はむしろ夜魔に近い。一夜にして夜魔に変わったならば、恐らくヴァンパイアに吸血され、同族に変えられたのではないだろうか。

 

 一応考察してみるが、シンはどうでもよかった。たかが獣人がヴァンパイアに変わったところで、シンの敵にすらなれないからだ。だが、今回は基本的に飛鳥たちに戦わせるつもりである。初陣には厳しいかもしれないと考える。

 

 そんなシンの考えを他所に、飛鳥は門柱に貼られた〝契約書類(ギアスロール)〟を読み、憤慨している。

 

 ギフトゲームの内容は狩り(・・)だった。勝利条件はガルドの討伐。しかし向こうが指定した武具でしか傷付けることができず、飛鳥と耀のギフトは封じられた形になった。

 

 黒ウサギとジンは事前にルールを確認しなかった落ち度を嘆くが、飛鳥が憤慨しているのはそこではなかった。

 

「……何? 要するに、ゲームにクリアするにはガルドを殺さないといけないわけ? 法で裁かれることも、ズタボロになって後悔する間もないということ?」

 

 ゲームのクリアがガルドの死を意味する以上、そういうことだった。このゲームを行う理由の一部が無下にされ、飛鳥は機嫌を悪くする。

 

「討伐と書いてある以上、そういうことだろうな。命懸けで五分に持ち込んだこの展開は、観客に取って面白くていいけどよ」

 

「気軽に言ってくれるわね……」

 

 しかも、指定武具が何なのか記されておらず、状況次第では厳しい戦いになるかもしれない。ゲームを提案した者としてその事に責任を感じる飛鳥だが、黒ウサギと耀がその手を握り、励ますと、やや余裕を取り戻した。

 

 十六夜とジンが何かしら内緒話をしているのを他所に、シンはギフトゲームの厄介さに目を細める。直接傷付けられないだけならいくらでもやりようはあるが、今後更に厄介なルールに行き当たる可能性はある。いくら強大な力を秘めているとはいえ、この箱庭では新人なのである。謙虚な姿勢で臨まなければならないと、シンは兜の緒を締めた。

 

 参加者四人はそれぞれの思いを胸に門を潜る。生い茂る森が退路を塞ぎ、合図となった。

 

──ギフトゲーム〝ハンティング〟、開始。




修羅についての考察はストーリーにあまり関係ないので、軽く調べたのみです。


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森の中で虎さんと出会ったそうですよ?

 生い茂った木々が光を遮り、昼前だというのに日が暮れたような薄暗さだった。街路は地下からせり上がった巨大な根に破壊され、最早道と呼べる状態では無くなっている。鬱葱と茂る木々が多くの死角を作り、隠れ潜む者にとって絶好の場と化していた。

 

 だが、耀とシンは周囲に何者も潜んでいないことを把握している。耀はその優れた嗅覚から、シンは気配を探る術から。奇襲への警戒から身を強張らせていた飛鳥とジンは、それを聞きやや落ち着きを取り戻す。

 

「詳しい位置は分かりますか?」

 

「それは分からない。風下なのに匂いが無いから、何処かの家に潜んでいると思うけど……」

 

 言い淀む耀を他所に、シンはつかつかと先へ進む。

 

「……こっちだ」

 

「わかるの?」

 

 数々の獣と絆を結び、人間から逸脱した優れた身体能力を持つ自負を持っていた耀は、シンが迷いなく断言するのを見て驚く。

 

「霊的な感覚で探っている。この森にいる存在は俺たちを除けば、奥にいる何者か一人だ」

 

「ホスト側の参加者がガルド一人なのだから、必然的にその何者かがガルドというわけね」

 

 耀と飛鳥は合点がいったように頷いた。早速ターゲットの位置が分かり、一行はこなさなければいけない仕事が減ったことに安堵する。しかし、ゲームをクリアするにはまだすることは残っている。

 

「とはいえ、ガルドに相対する前に指定武具を見つけなければいけません。まず外を探してみましょう」

 

 一行は森を散策し始めた。まるで何百年もかけて一つの街を飲み込んだような有様だが、これらは一夜にして行われた所業である。廃墟と化した家屋はまだそれほど古くなく、人の生活の痕跡を残していた。

 

 倒壊した住居や立ち並ぶ木々の間を調べてみるも、指定武具に関するヒントらしきものは見当たらなかった。耀が樹の上でガルドを警戒しながら周囲を確認するが、本拠らしき建物の他には森に飲み込まれた家々の屋根が見えるだけだった。

 

「……本拠の中にガルドの影を確認した」

 

「そう。気が進まないけれど……ガルド自身がヒントを持っている可能性も考えられるわね」

 

 本拠に隠している、あるいはガルド自身が守っているかもしれない。周囲にヒントらしいヒントが無い以上、とりあえず本拠に向かうしか選択肢は無かった。

 

 本拠の館も例外無く木々に飲み込まれ、豪奢な外観は蔦に蝕まれて廃墟と化していた。割れた窓ガラスや開け放たれた扉から覗く屋内は薄暗く、一見して人の気配は感じられない。だが耀とシンは二階に潜むガルドの気配を感じ取っていた。

 

「ガルドは二階にいる。入っても大丈夫──」

 

「──待て」

 

 だが、反応は二人で異なっていた。すぐに襲撃を受けないことを予測して中へ促す耀を、シンが止める。耀と飛鳥は怪訝そうにシンを振り返り、ジンは何やら心当たりがあるようだった。

 

「どうかした?」

 

「気になることがある」

 

 そう言うシンに、耀と飛鳥も同意するように答える。

 

「まあ、確かにね。罠の一つも無いし、居住区画どころか自分の屋敷まで壊してしまっているもの。本当に彼が作った森なのかしら?」

 

「森は虎のテリトリー。だというのに奇襲するわけでもなく、本拠に篭っている。これは少しおかしいと思う」

 

 これではガルドは、森で己のコミュニティの区画を破壊したのみである。それを活用するわけでもなく、一つの場所に留まり何も手出しをしてこない。彼らが疑問に思うのは無理なかった。

 

「奴の気配が昨日とは違っている。今の奴は夜の眷属に近い」

 

「夜の眷属?」

 

 耀が聞き慣れない単語に首を傾げる。だが、それを聞いたジンは呟く。

 

「夜の眷属……やはり彼女が……」

 

「何か知ってるの?」

 

 ジンは何か言い淀むように口を噤んだが、そういう状況では無いと思い返し、訥々と語り始める。

 

「恐らくですが……吸血鬼が黒幕として協力していると思われます。この森を用意したのはその人物でしょう」

 

「き……吸血鬼!?」

 

 耀と飛鳥が思いも寄らない存在に驚愕する。この箱庭に吸血鬼が存在すること自体は知っていたが、それが何故このゲームに関わってくるのか。ジンもそこまでは分からないと頭を振る。

 

「もしかしたらガルド自身も吸血鬼に変えられているかもしれません。耀さん、窓から中の様子を覗けませんか?」

 

「……やってみる」

 

 耀は屋敷からやや離れた樹に移動し、駆け上る。葉の中に隠れ、細心の注意を払い中を覗くと、闇の中で蠢く影があった。常人ではその暗がりに何も見つけることはできないが、生憎耀はその常人ではない。友人たちから受け取ったギフトを駆使し、部屋の中に潜む巨大な虎と、その背後に隠された剣らしき物体を何とか視認した。

 

 それをジンに伝えると、確信したように大きく頷く。

 

「巨大な虎……それに剣。間違いありません、ガルドは吸血鬼化しており、その剣は銀製でしょう──」

 

 続けてジンは、ガルドは虎の生まれに人化のギフト、悪魔から得た霊格によって成るワータイガーだったが、吸血鬼によって人化のギフトが鬼種に変えられ、人の姿になることができなくなったのだろうと説明する。

 

「銀の剣で吸血鬼退治ね……さすが箱庭、初っ端から盛り上げてくれるわね」

 

 呆れたように言う飛鳥だが、その表情は厳しい。ワータイガーの時点では襲いかかられてもまだなんとかなりそうだったが、それが吸血鬼化しているとなるとその力は未知数だった。

 

「指定武具はその銀の剣なのでしょうが……吸血鬼化したガルドが守っているとなると、それを手に入れるのは容易ではありませんね……」

 

 焦りの表情でジンは呟く。不利なルールを始め、状況はどんどん悪化しているのだ。下手すれば飛鳥たちが重傷を負うことになりかねない。必死に頭を巡らせる。

 

 だがシンは二階の窓を見つめ、静かに、しかしはっきりと聞こえるように言う。

 

「──手はある」

 

「……シンさん?」

 

 ジンが呆然と、飛鳥と耀は真剣な眼差しでシンを見つめる。それを受けてシンは皆を見回し、頷く。

 

「まずは、それぞれが何をできるのかを確認していくとしよう──」

 

 

    *

 

 

 門前で待っている黒ウサギと十六夜。黒ウサギは心配そうに、十六夜は退屈そうに落ち着きなく佇んでいた。

 

「あー……暇だな。前評判より面白そうなだけに、こうして待ってるだけなんて退屈だぜ。なあ、見に行ったらまずいか?」

 

「お金を取って観客を招くギフトゲームもありますが、今回は最初の取り決めにないので駄目ですね」

 

「なんだよつまんねえな──」

 

 うんざりしたように十六夜がぼやいた瞬間──

 

「──……ガオオオオオオオオオォォォォォォォォッッ!!!」

 

 獣の咆哮が響き渡る。

 

 それは空気をビリビリと震わせて、野鳥たちを一斉に森から追い出した。状況からすればガルドの何らかのギフトによる咆哮かと思われたが、生憎二人はこの声に聞き覚えがあった。顔を見合わせ呆然と呟く。

 

「……今のは」

 

「……春日部か?」

 

 

    *

 

 

 耀はガルドが潜んでいた部屋の扉を開け放ち、ガルドが反応する前に猛獣の友人から得た咆哮のギフトによって先制する。

 

 ガルドは理性を失っていたため、たった今放たれた恐るべき咆哮と目の前の小さな獲物が噛み合わず、一瞬混乱し竦んでしまう。その隙に耀は一瞬で剣の元へ跳躍し、それを掴み取った。己の恐るべき存在が敵の手に渡ったことを察したガルドは耀に襲いかかろうとするが、いつの間にか懐に忍び寄っていたシンが抑え込み、動きを止める。その隙に耀は窓から脱出した。

 

「GEEEEYAAAAaaa!!」

 

 怒り狂い、シンを殴り飛ばそうともがくガルド。しかし幾度腕を叩きつけてもシンはびくともせず、抑える手を離さない。

 

 抑えることに専念しているのは、下手に抑え込もうと力を込めたり、捻じ伏せようとすると、指定武具以外の攻撃を封じる〝契約(ギアス)〟により攻撃とみなされて、無効化される恐れがあったからだ。シンはそのまま微動だにせず抑え続ける。

 

 暫し膠着状態に陥っていたものの。やがて窓から石が投げ込まれる。その合図を確認したシンはぱっと手を離し、急に抑える力が無くなったガルドが踏鞴を踏む。その隙に、シンは耀と同じく窓から離脱した。

 

 侵入者が去り、もはや屋敷に執着する程度の理性しか残っていないガルドはシンを追わなかった。ギフトゲームの事など頭に無い。縄張りを主張するだけの獣でしかなかった。

 

 だから、気が付くのが遅れた。侵入者たちの企みに。

 

 パチパチと何かが弾けるような音が聞こえる。そして鼻を突く異臭。それは獣の本能を怯えさせる原初の恐怖──炎だった。何者かによって一階に火が放たれ、木々によって廃墟と化していた屋敷は容易く燃え広がる。

 

「──GEEEEEYAAAAAaaaa!!?」

 

 獣は一目散に屋敷を逃げ出した。屋敷を守る最後の理性は焼き切れて、森へ飛び出した獣は本能のまま駆けていく。そして吸血鬼としての食人の本能が鎌首をもたげ、先ほどの侵入者たちの匂いを追い、一直線に(・・・・)駆け抜ける。

 

「……待っていたわ。思っていたより早かったのね」

 

「待ちかねた」

 

──そこで、足を止める。

 

 待っていたのは瓦礫に火を灯した耀と、銀の剣を持った飛鳥だった。ガルドは獣と吸血鬼の両方の本能が恐怖し、それ以上進むことができないでいる。

 

「あら、今更尻込み?」

 

「……なんて情けない。せめて森の王者として、勇ましく襲いかかってくるべき」

 

「──GEEEEEEYAAAAAaaaa!!!」

 

 二人が挑発する。ガルドにもはや人の言葉を理解できるだけの理性は無い。だが、飛鳥の言葉は理解できなくとも、耀の──獣の言葉は分かる。恐怖によって燻られた精神は容易く激昂し、炎と銀に目もくれず襲いかかる。

 

 知性が残っていても、怒り狂い盲目になった獣は気付くことはなかっただろう。侵入者を阻むように伸びていた木々が分かれ、一本道になっていたことを。そして、道を限定されるということは、動きも限定されるということを。

 

「やっ……!」

 

 耀がガルドに向かって瓦礫を投げつけた。鬼種を持ち、怒り狂ったガルドはその程度で止まることはない。だが、炎を顔面に振るわれたことで、本能から一瞬だけ体が竦む。だが、それだけだ。豹の如く突き進むガルドを止めるには至らず──

 

「今よ! 拘束なさい(・・・・・)!」

 

 飛鳥によって支配されたギフト──鬼種化した木々がガルドへ枝を伸ばした。

 

「間薙君が言っていたわ──傷つけられなくてもやりようはあるってね」

 

 シンと同じく攻撃するのではなく、拘束のために力を振るったのだ。黒ウサギの助言によってその支配の力をギフトへ向けた飛鳥は、十全に木々を操って見せた。

 

「GEEEEEYAAAAAaaaa!!」

 

 耀が作った一瞬の隙によって木々に絡め取られた獣は、それを振り払おうと絶叫する。だが、それよりも早く飛鳥が剣を振るった。飛鳥の支配によって破魔の力を十全に発揮した白銀の十字剣が、獣の額を貫く。

 

「GeYa……!」

 

 破魔の極光と歯切れの悪い断末魔が、獣──ガルド・ガスパーの最後を飾った。

 

 最後の抵抗で吹き飛ばされた飛鳥を、耀が優しく受け止めた。二人の目の前でガルドは崩れ落ち、その身を灰に変えていく。それが合図だったかのように、周囲の木々も霧散していく。

 

「生きて裁かれる間も、己の所業を後悔する間もなかったけれど──地獄でせいぜい、裁きを受けるのね」

 

──ギフトゲーム〝ハンティング〟、プレイヤー側の勝利。

 

 

    *

 

 

「──さて、それじゃあ待ちかねているお二方に、私たちの勝利を伝えに行きましょうか」

 

 背伸びをしながら、飛鳥が疲れたように言う。あまり動いたわけではないし、ギフトを使用した時間も僅かだったが、生まれて初めての命のやり取りで精神がやや疲弊したのだった。耀も頷き、出口へ踵を返す。

 

 そこへ、シンがジンを伴って歩いてきた。飛鳥と耀がガルドに対峙している間、後方でジンを守っていたのだ。

 

「あら、間薙君。お疲れ様」

 

 労わるように声をかける飛鳥だが、シンはそれを無視して答える。

 

「──こいつを連れて黒ウサギの所へ戻れ」

 

「ど、どういうことですか?」

 

 事態についていけないジンが問う。飛鳥と耀も理解できず顔を見合わせる。

 

「何者かの気配がする──恐らく黒幕だ」

 

「……へえ、丁度いいわね」

 

 飛鳥はそれを聞いてニヤリと笑い、腕を組む。自分が始めたゲームに茶々を入れた存在だ。これを機に文句の一つでも言ってやろうと思ったのだろう。しかしシンは頭を振り、それを許さないとばかりに断る。

 

「油断するな……今は安全を確保しろ。お前たちは先に行け」

 

 三人を庇うように周囲を警戒し、撤退を促す。

 

「俺はここで牽制しておく」

 

「そ、そんなの駄目──もが!?」

 

「わかった。任せて」

 

 シンを一人残すことに反論しようとするジンを制し、耀は頷く。飛鳥も諦めたようにため息を付き、耀に続く。

 

「合流したらすぐ戻るわ」

 

「駄目だ、門で待っていろ。足手まといだ」

 

「────っ!」

 

 飛鳥はその言葉に怒り、かあ、と顔を赤らめるが、ギリギリで思い留まった。今回ガルドを打倒したのも、シンの作戦あってのことである。そのシンが言うのだから、ここは引くべき場面なのだろう。だが、無言で引き下がることをプライドが許さず、文句を言う。

 

「……いつまでもそう言わせておかないわよ」

 

 そう言って、飛鳥は踵を返す。耀とジンがそれに続き、三人は警戒しながら出口への道を進んで行った。

 

──そして、一人残ったシン。

 

 暫し佇み、三人が門へ戻ったこと、黒ウサギたちがこちらへ来ようとするのを押し留めていることを感じ取る。時間をかければすぐにやってきてしまうだろう。それまでに全てを済ませてしまうことにする。

 

 シンは足元の砕けたレンガを拾い──すぐ側の倒壊した家屋に投げつける。

 

「────」

 

 レンガに当たった何かが、音も無く弾け飛ぶ。

 

 黒幕と言う確信があったわけじゃないが、少なくとも監視の類だろうとシンは踏んでいた。己が手を出したゲームを見ていない筈がないと言う勘である。別に見られていても構わなかったが、これからすること(・・・・・・・・)を見られるのは困るのだ。

 

 シンはしゃがみ込み、ガルドだった灰に手を突っ込む。集中するように目を閉じると、手から紅い浮遊体──マガツヒが溢れ出し、灰に混ざりこむ。

 

 やがて混ざり合ったそれはぶるぶると震えだし──シンは、それから一気に手を引き抜く。

 

──その手には、虎柄の蛇のような奇妙な虫が掴まれていた。

 

 まるで怯えるかのようにびちびちと跳ね回るが、しっかりと掴まれていて逃げ出すことは叶わない。やがてシンはソレを持ち上げ、ゆっくりと口を開けてその上に掲げる。するとますます跳ねるソレだったが、それは何の意味も成さず──シンに呑み込まれた。

 

 びくりと、一瞬だけシンの体が跳ねる。

 

 そして、全ては終わっていた。

 

 何かを確かめるかのように手を開閉させていたが、やがて踵を返し出口へ向かって歩き出す。ガルドの灰は何も残っておらず、木々も既に消滅している。後には崩壊した住居が残るのみ。

 

 歩き続けるシンはただ満足そうに──薄く笑っていた。



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吸血鬼のお客様が来るそうですよ?

 元〝フォレス・ガロ〟の居住区画。その門前には多くの人々が集まっていた。彼らの顔には解放された喜びよりも、真実を知らされた悲しみと、近隣で最大手だったコミュニティが突如無くなることへの不安が浮かんでいる。

 

 更に〝ノーネーム〟が勝利したことで、自分たちもそこに所属することになるのかという隠し切れない失意に表情を暗くさせている。それを真正面から受けたジンは言葉を無くしていた。

 

 しかし、そんなジンの肩を後ろから抱き寄せた十六夜は、ざわめく彼らに対して高らかに宣告する。

 

「今より〝フォレス・ガロ〟に奪われた誇りをジン=ラッセルが返還する! 代表者は前へ!」

 

 一斉に周囲の的となり固まるジンを、十六夜はその背を叩いて前に押しやる。そしてらしくない尊大な物言いで衆人を扇動し、威圧し、ジンに手自ら〝名〟と〝旗印〟を返還させていく。

 

 十六夜は戻ってきたシンに気が付くと『後で説明しろよ』とだけ返し、名と旗印を返還されて三者三様の様子を見せる衆人を眺めていた。

 

 全て返還し終わると、ジンと十六夜は全員の前に立ち、ジン=ラッセルの名を覚えていてもらいたいこと、そして〝打倒魔王〟を掲げるコミュニティであることも告げる。驚愕し、ざわめく衆人。ざわざわと波紋が広がるが、十六夜は続ける。

 

「知っているだろうが、俺たちのコミュニティは〝ノーネーム〟だ──」

 

 そうして、奪われた名と旗印を取り戻すため今後も魔王とその傘下と戦うこと、組織として周囲に認めてもらうため、自分たちが〝ジン=ラッセルの率いるノーネーム〟だと覚えていて欲しいこと、そしてジンを応援して欲しいことを饒舌に語る。

 

 どうやら名も旗印も無い〝ノーネーム〟を、〝ジン=ラッセルの率いるノーネーム〟として売り込んでいく方針のようだ。公的には何の保証も後ろ盾も無いコミュニティだが、救われた彼らの心の内に残るはず。不確かだが繋がりの切れにくい、恩や義理といったコネクションを作り上げていた。

 

 口先で他者を扇動し、着実に仲間を増やしていく十六夜は、多くを語らず圧倒的カリスマで仲魔を率いるシンとは対照的だった。特別なスキルではないし、ましてやギフトでもないが、非常に重要な能力だとシンは認識している。その身体能力だけに注目していた十六夜の評価を、シンは大幅に上方修正した。

 

 十六夜に再び背を叩かれ、我に返ったジンは胸を張って告げる。

 

「ジン=ラッセルです。今日を境に聞くことも多くなると思いますが、よろしくお願いします」

 

 歓声が上がる。衆人から数々の激励を受け、〝ノーネーム〟はその新たなる一歩を踏み出すのだった。

 

 

    *

 

 

 その後、本拠に戻った一同は戦いの疲れを癒していた。

 

 シンは飛鳥たちを退かせた後のことを問い詰められたが、一歩の所で逃げられたと平然と嘘を告げた。十六夜だけは訝しげに睨んでいたものの、シンの様子から嘘だと悟れなかったらしく、渋々引き下がった。

 

 三階にある談話室のソファーで寛いでいた十六夜は、やってきた側から気落ちした黒ウサギに訳を尋ねていた。問い詰められた後そのまま居座ったシンは、興味なさそうにソファに座り込んでいる。

 

 どうやら十六夜が参加する予定だった昔の仲間を取り戻すためのゲームが延期になり、それどころか中止になるかもしれないと言う。十六夜は肩透かしを食らったように寝そべる。しかも中止になる理由が、景品に巨額の買い手が付いたために取り下げるということを聞くと、その表情を不快そうに歪め、盛大に舌打ちする。

 

「チッ。所詮は売買組織ってことかよ──」

 

 人の売買に対する不快感ではなく、ホストの都合に振り回される事実が気に入らないようだった。

 

 黒ウサギは努めて冷静に、今回の主催が〝サウザンドアイズ〟の傘下コミュニティの幹部〝ペルセウス〟であること、莫大な金銭やギフトのためなら看板に傷が付くことも厭わないだろうと説明する。

 

 だがシンは、黒ウサギの握りしめた拳とマガツヒの流れから、相当に悔しがっていることを察した。箱庭に生きるものとしてギフトゲームは絶対であり、この事態を諦めるしかないこともわかっている。だが完全に割り切れる筈もないのが実情だった。

 

 話は変わり、取り戻すつもりだった仲間のことに移っていく。嬉々として説明する黒ウサギを他所に、シンは外から忍び寄る悪魔の気配を感じていた。ゲーム中のガルドに似た気配、ゲームが終わった後に感じた気配──恐らく黒幕の登場だろうと当たりをつける。

 

 そうして窓に、金髪の少女が現れた。シンと目が合うが、しぃ、と静かにして欲しいというジェスチャーをする。別段知らせるつもりもなかったシンは視線を逸らし、話に夢中になっていた十六夜たちが少女に話しかけられ、驚くのをただ眺めていた。

 

「レ、レティシア様!?」

 

 黒ウサギは慌てて窓に駆け寄り、錠を開けてレティシアと呼んだ少女を迎え入れた。

 

「様はよせ。今の私は他人に所有される身分──」

 

 苦笑しながら談話室に入るレティシア。久しぶりに仲間に会えた嬉しさから、小躍りするようなステップで茶室にお茶を淹れにいく黒ウサギ。

 

 その間十六夜は前評判通りの美しさのレティシアを存分に鑑賞し、シンは戦力を測るために観察していた。その行為を十六夜は正直に答え、レティシアを笑わせていた。

 

「ふふ、なるほど。君が十六夜か。そして──君が間薙シン、だね」

 

 微笑ましそうな視線から一転、笑顔だが笑っていない目でシンを見つめるレティシア。思い当たる節があるシンはそれを真正面から受け取り、見つめ返す。

 

「君のことは知っているよ。〝フォレス・ガロ〟に潜ませておいた〝目〟を一つ潰されたからね」

 

 言われることを予測していたシンはさておき、十六夜はその言葉で気が付いたように反応する。

 

「ああ、ゲームの後に間薙が気が付いたやつか。つまり、オマエは──」

 

「そうだ。ガルドを鬼種に変え、舞台を用意したのは、純血の吸血鬼であるこの私さ。新生コミュニティがどの程度の力を持っているか試してみたくてね」

 

 きっぱりと、悪びれる様子もなくレティシアは答えた。そんな彼女に面白そうに十六夜は軽薄な笑みを浮かべ、いつの間にか戻ってきていた黒ウサギは真剣な表情を作る。シンから視線を外したレティシアは一同を見回し、この場に現れた理由を語り始めた。

 

「実は黒ウサギたちが〝ノーネーム〟としてコミュニティの再建を掲げたと聞いた時、なんと愚かな真似を……と憤っていた──」

 

 箱庭において、コミュニティが名と旗印を失う事は全く無いわけではない。だが、そうなれば一旦コミュニティは解散し、他のコミュニティに身を寄せるか、名と旗印を改めて再出発するのが通例だ。箱庭に長く生きる者たちほど、全てを失った〝ノーネーム〟のままコミュニティの再建を目指すのがどれほど愚かしく、またどれだけ困難な道なのかよく知っている。

 

「コミュニティを解散するよう説得するため、ようやくお前たちと接触するチャンスを得た時……看破できぬ話を耳にした。神格級のギフト保持者が、黒ウサギたちの同士としてコミュニティに参加したと」

 

 黒ウサギは反射的に十六夜に視線を向けた。また、ちらりとシンも眺める。黒ウサギはレティシアがここに訪れることができた理由として、背後に白夜叉の助けがあったことを察した。

 

「そこで私は一つ試してみたくなった──」

 

 それが、新人たちに対してガルドを当て馬に使った理由だった。しかしガルドは実際には当て馬にもならず、飛鳥たちによって大して苦戦することもなく葬り去られてしまった。判断に困り、こうして直接足を運んできてしまいつつも、かける言葉が見つからぬ己を嘲笑うレティシア。

 

 それを、十六夜は真っ向から否定する。

 

「違うね──アンタは言葉をかけたくて古巣に足を運んだんじゃない。古巣の仲間が今後、自立した組織としてやっていける姿を見て、安心したかっただけだろ?」

 

「……ああ、そうかもしれないな」

 

 十六夜の言葉に首肯するレティシア。だが、その目的は果たされず終わった。飛鳥と耀はずば抜けた才能を持つものの、まだまだ未熟。シンは得体が知れず、それどころか力を隠しているようだった。仲間の将来を安心して託すには至らない。かといって解散するように諭す段階はとうに過ぎ、コミュニティは〝打倒魔王〟に向けて動き出してしまっている。

 

 危険を冒してまで、そして黒ウサギはまだ気が付いていないが、掛け替えのないものを失ってまで古巣に来た目的は何もかも中途半端になってしまい、自嘲を拭えぬレティシア。

 

「──その不安、払う方法が一つだけあるぜ」

 

 視線を向けるレティシアを他所に、十六夜が軽薄な声で続ける。

 

「実に簡単な話だ。〝ノーネーム〟は魔王相手に戦えるのか、アンタがその力で試せばいい。どうだい、元・魔王様……俺の力はまだ見てないだろ」

 

 その言葉を聞き唖然となるレティシアだったが、すぐに哄笑することになった。談話室を弾けるような笑いが包む。十六夜は立ち上がり、レティシアの言葉を待っている。

 

「──なるほど、実にわかりやすい。下手な策を弄さず初めからそうしていればよかったなあ」

 

 笑い過ぎて零れた涙を拭い、壮絶な笑みを浮かべるレティシア。対する十六夜も獰猛な笑みを浮かべて外へ促すと、二人は窓から同時に中庭へ飛び出した。

 

「ちょ、ちょっとお二人様!?」

 

 黒ウサギは慌てて窓際に駆け寄り、二人に呼び掛ける。だが二人とも満月の時の悪魔のように、既にやる気だ。レティシアは飛行して空を制し、十六夜は地上でそれを迎え撃つ。ルールを確認し、一撃ずつ撃ち合うゲームを始めようとしていた。

 

 シンはあまり興味が無かったが、気になることがあったので黒ウサギの隣に並び、共に二人を眺める。珍しく能動的に動いたシンに驚く黒ウサギだが、それどころでは無いとシンに懇願する。

 

「シンさん! 貴方からも言ってやってください! 元とはいえこんな所で魔王との決闘を始めようなんて──」

 

「──そのことだが」

 

 叫ぶ黒ウサギを制し、シンは気になったことを問い掛ける。

 

「あの女の力は魔王と呼ぶには弱過ぎる。白夜叉程の存在感も圧力も無い。魔王は他人に所有されると、その力を封印でもされるのか?」

 

「そ、それは場合によりますが──まさか!?」

 

 シンの言葉に戸惑う黒ウサギだったが、レティシアが武器を使用するために取り出したギフトカードを見て、何かに思い至る。蒼白になりレティシアに叫ぶも、一蹴される。

 

 レティシアはギフトカードから巨大なランスを取り出すと、十六夜に向かって宣戦布告し、何の気負いもなしに十六夜がそれを受ける。それを見てレティシアは翼を大きく広げ、全身をしならせた反動で打ち出し、空気を切り裂く。

 

「──ハァッ!!」

 

 怒号とともに放たれた槍は摩擦熱で一瞬で光り輝き、まるで流星の如く十六夜に向かって落ちていく。大気を震わせ、膨大な熱量を持って落ちてくる槍の先端を、十六夜はただ殴りつけた(・・・・・)

 

『──は……!?』

 

 素っ頓狂な声を上げるレティシアと黒ウサギ。目の前の現実に追いつけず、レティシアは哀れ、砕け散った槍の散弾を受けるかと思われた時──黒ウサギが動いていた。第三宇宙速度で迫っていた凶弾に割り込み、一瞬で全て叩き落とすその力量を見て、シンがやや目を見開く。

 

 黒ウサギはレティシアのギフトカードを奪い、そのギフトネームから彼女が神格を失っていることに気が付く。鬼種の純血と神格から魔王と並び評されていたのが、その比翼を失えば大幅に力を落とすのも必然だった。そしてギフトとは異なり、〝恩恵〟は本人の同意無しに奪うことはできない。自らそれを差し出したレティシアを問い詰めるも、本人は何も言えず口を閉ざしてしまった。

 

「道理で手応えがないわけだ──」

 

 白けたように呆れた表情を見せ、隠す素振りもなく舌打ちする十六夜。

 

 シンは興味を無くし、部屋に戻ろうとする。だが、コミュニティの区画に侵入した無数の有象無象の存在に気がつく。それも不自然に気配が薄く、その方角に視線を向けても肉眼で視認することができない。隠密のギフトを使われている可能性があった。シンは窓から飛び出し、三人の元へ歩き始めた。

 

「……どうかしましたか? シンさん」

 

 不思議そうに黒ウサギは問うが、シンはそれを無視して何者かが近付いてくる方へ歩いていく。十六夜も訝しげにそれを眺めるが、俯いていたレティシアは何かに気が付いたかのようにハッとして頭を上げる。

 

──その瞬間、遠方より褐色の光が差し込んだ。

 

「あの光……ゴーゴンの威光!? まずい、見つかった!」

 

 焦燥の混じった声と共に、レティシアは咄嗟に翼を広げ黒ウサギと十六夜を光から庇った。シンは距離があり、守ることができない。光をその身に浴びたレティシアは小さくすまない、とだけ呟いて瞬く間に石化し、無残に横たわった。

 

「レ、レティシア様……!? それにシンさんも──!」

 

 やがて光が収まる。そして光が射し込んできた方角から、翼の生えた空駆ける靴を装着した騎士風の男たちが旗印を掲げ大挙して押し寄せてくる。

 

「いたぞ! 吸血鬼は石化させた──だが、我らに気が付いていた男が石化していないぞ!?」

 

「何らかのギフトかもしれん! 邪魔をするようなら切り捨てろ!」

 

 それに対峙するのは、先ほど光を浴びた筈のシンだった。何事も無く、空中の男たちを睨んでいる。

 

「あ、あれ? なんで無事なんでしょう──って、それよりゴーゴンの首を掲げた旗印!? とりあえずお二人様は本拠に逃げてください!」

 

 シンが何ともないことに一瞬混乱するも、慌てて二人を引っ張って撤退する黒ウサギ。レティシアは〝ペルセウス〟の所有物でありながら無断でこの場にやってきたのだから庇いようがなく、むしろこちらの立場が危うい。何より〝ペルセウス〟は〝サウザンドアイズ〟傘下のコミュニティであり、万が一揉め事を起こせばただでは済まない。

 

 幸いにも二人は素直に引き下がり、それどころか十六夜は相手に無礼な立ち振る舞いをされ、激昂した黒ウサギを止めることまでした。その際放たれた黒ウサギのギフトは雷鳴を響かせながら天高く飛んで行き、天蓋にぶつかって盛大に稲妻と熱量を解放した。シンはその間何も語らず、ただ連中を睨みつけているだけだった。

 

 黒ウサギの力に恐れ慄き、シンの得体の知れなさに警戒心を抱いた男たちは素早く撤退し、その姿を消していた。いまだ冷静になれずにいた黒ウサギだったが、十六夜の言葉に落ち着きを取り戻す。

 

「気持ちは分かるが今はやめとけ。詳しい話を聞きたいなら、よっぽど事情に詳しそうな奴が他にいるだろ?」

 

 黒ウサギはハッと思い出し、レティシアが白夜叉によって連れ出されたならば、詳しい事情を知っている筈だった。十六夜は黒ウサギを促し、その場でゲームになるかもしれないと、飛鳥たちを呼ぶように言い付ける。

 

 黒ウサギが皆を呼びに戻っている間、十六夜はシンを真剣な眼差しで見つめる。

 

「……俺自身、自分のギフトがなんなのかイマイチわかっちゃいないが、お前のそれも大概だな」

 

 シンはその眼差しを受けるが、何の感情も浮かばぬ瞳で十六夜を見つめ返す。

 

「我ながら結構な知識を溜め込んでるもんだと自負するが──人修羅って単語に聞き覚えがねえ。修羅ならともかく、お前はそういう存在じゃないような気もする」

 

 十六夜はシンをただ睨み付ける。その正体を探るように、その真意を探るように。

 

「ま、問い詰めたって言わないだろうけどな……短い付き合いだが、それくらいは分かる」

 

 ふ、と肩を竦め呆れたように笑う。だが再び表情を変え、獰猛な笑顔でシンに迫る。

 

「──けどよ、そろそろ本気を出そうぜ」

 

 十六夜は確信している。この男は、自分の足元どころか同格──いや、それ以上の存在の可能性があると。目の前の同年代の男が、自分に並び立つ力を持っているかもしれないと思うと、十六夜は面白くて仕方がないのだ。

 

「何で出し惜しみしてるのかは知らないが……いい加減オマエの力が見たくなってきたぜ」

 

 近いうちに大舞台の予感がしていた。今回の件はどうもキナ臭い。実際それは事実なのだが、その舞台がシンの力を垣間見るチャンスだと思っていた。

 

 しかしシンは何も答えない。瞳には何も映さず、無言のまま佇んでいる。十六夜はため息をつき、本拠の方を振り返った。

 

「──いいだろう。次のギフトゲーム、本気を出す」

 

 そこへ、シンが呟いた。

 

「……ああ、楽しみにしてるぜ」

 

 振り向いたまま、心底楽しみで仕方ないという壮絶な笑みで、十六夜は答えた。

 

 やがて黒ウサギが飛鳥と耀、そしてジンを連れて戻ってきた。一同は顔を見合わせて頷き、〝サウザンドアイズ〟2105380外門支店を目指すのだった。



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コミュニティの危機のようですよ?

 〝サウザンドアイズ〟で待っていたのは、ルイオスという軽薄な男との邂逅だった。黒ウサギを見るなりその肢体を舐め回すように視姦する。黒ウサギは嫌悪感で脚を両手で隠し、飛鳥は庇うように前に出た。

 

「これはまた……分かりやすい外道ね。先に断っておくけど、この美脚は私たちの物よ」

 

「そうですそうです! 黒ウサギの脚は、って違いますよ飛鳥さん!」

 

 突然の所有宣言に黒ウサギはノリツッコミで反論する。

 

「そうだぜお嬢様。この美脚は既に俺の物だ」

 

「そうですそうですこの美脚はもう黙らっしゃい!」

 

 呆れながら言う十六夜にもはや半ギレの黒ウサギ。

 

「興味ない」

 

「それはそれで傷付きますヨ!?」

 

 キッパリと言うシンに何故か納得いかない黒ウサギ。乙女心は複雑なのである。

 

「あら、ダメよ間薙君。そう言う時は嘘でも興味あるって言わなくちゃ」

 

「……そうか」

 

 飛鳥に注意されたシンは改めて黒ウサギに向かい直り、言い直す。

 

「興味ある」

 

「素直ですね!?」

 

 しかし直前のやり取りを聞いていたのでちっとも嬉しくない黒ウサギであった。

 

「おいおい、真面目な話をしに来たんだ。いい加減にしようぜ」

 

「そうですねすいません、っていい加減にするのは貴方達ですよ!」

 

 すぱーん! とハリセン一閃。シンはその一閃を見切れなかったことに動揺する。何らかのギフトやも知れぬ。黒ウサギの評価を密かに上方修正するのであった。

 

「あっはははははは! え、何? 〝ノーネーム〟って芸人コミュニティなの君ら──」

 

 置いてけぼりにされたルイオスは一連の漫才を見て呑気に笑っていた。

 

 

    *

 

 

 話が進まないので店員から助け舟が出され、一同は客室で仕切り直すことになった。長机を挟んで〝サウザンドアイズ〟の陣営と〝ノーネーム〟の陣営が向かい合うように座り、ルイオスの舐め回すような視線に悪寒を感じつつも、黒ウサギは事情を説明する。

 

 しかし、内容は些か事実を曲げてある。〝ペルセウス〟の所有物であるレティシアが〝ノーネーム〟に侵入し、暴れ、挙げ句の果てに引き取りに来た男たちに無礼な振る舞いをされたとしたのである。

 

「──〝ペルセウス〟が私たちに振るった無礼は以上です。ご理解いただけたでしょうか」

 

「う、うむ。確かに受け取った。謝罪を望むのであれば後日──」

 

 一旦この場を丸く収めようとする白夜叉だが、しかしそれでは済まないと畳み掛ける黒ウサギ。

 

「──〝ペルセウス〟に受けた屈辱の数々、これはもはや両コミュニティの決闘をもって決着をつけるしかありません!」

 

 相手側の悪事をやや水増ししてでもこの話に持って行こうとしていたのは、これを利用してレティシアを取り戻そうとせんが為だった。しかし黒ウサギは忘れている。なりふり構わない不用意な行為が、コミュニティに危機をもたらしかけたということを。

 

「──いやだ」

 

 黒ウサギが段取りをつらつら述べていた所に、ルイオスがキッパリと言う。唖然とする黒ウサギに、ルイオスは反撃を始める。

 

「あの吸血鬼が暴れ回ったって証拠は──」

 

「口裏を合わせないとも限らない──」

 

「どうしても決闘に持ち込みたいのならちゃんと調査を──」

 

 本来〝ペルセウス〟の商品でしかないレティシアが、白夜叉の支援を受けたとはいえ無断で〝ノーネーム〟の所へ行き、あまつさえそれが露呈してしまったのが不味かった。義理や人情による所業とはいえ、ルール違反はルール違反である。そこを突かれてしまえば強引に決闘に持っていくことはできない。

 

 ルイオスは軽薄とはいえ馬鹿ではない。する必要のない争いをするほどお人好しではなく、それどころか売り払ったレティシアがどのような末路を迎えるか嬉々として語り、黒ウサギを挑発する。

 

「あ、貴方という人は──」

 

 ウサ耳を逆立てて激昂する黒ウサギ。だがそれをニヤニヤと受け流し、黒ウサギにとって残酷な真実を告げる。

 

「しっかし、可哀想なやつだよねえアイツも。箱庭から売り払われるだけじゃなく、馬鹿で無能な仲間のためにギフトまでも魔王に譲り渡して、ようやく駆けつけたってのにその仲間はあっさりと自分を見捨てやがるんだからさあ──」

 

「──え、な」

 

 黒ウサギの絶句を他所に、ルイオスはくどくどと嫌味たらしく説明する。そして疑問が解けていく。何故魔王に奪われた筈のレティシアが東側にいたのか。何故レティシアの〝恩恵(ギフト)〟は欠け、ギフトネームのランクが暴落していたのか。それも全て、レティシアが魂を砕いてまで黒ウサギの元へ駆けつけようとしてくれていたからだった──

 

 黒ウサギは蒼白になり、打ち拉がれた。そんな彼女にルイオスはにこやかに手を差し伸べる。

 

「取引をしよう──」

 

 レティシアを渡す代わりに──黒ウサギが生涯、隷属すること。それがルイオスの出した、下衆極まりない取引だった。

 

「外道とは思っていたけど、ここまでとは思わなかったわ──」

 

 激昂し、黒ウサギの手を引いて出て行こうとする飛鳥を押し留めたのは、しかし他でもない黒ウサギだった。

 

「待ってください!」

 

 その場を動かず、瞳は困惑している。己の為に窮地に陥った大切な仲間を、己の犠牲で救えるのならと悩んでいるのだ。

 

「ほらほら君は〝月の兎〟だろ──」

 

 黒ウサギの生まれを揶揄し、挑発し続けるルイオス。飛鳥も耀も我慢の限界だった。下衆に仲間をここまで扱き下ろされ、黙っていられようもない。そのギフトを振るい、ルイオスを叩きのめそうとする。だが──

 

「……帰る」

 

 唐突にシンが立ち上がった。全く空気を読まない行動に一同は呆気にとられるが、ただ一人十六夜はニヤニヤ軽薄な笑みを浮かべている。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 

 慌てて飛鳥が呼び止めるも、シンは踵を返し歩き去ろうとする。

 

「ヴァンパイアなんてどうでもいい。それでも交換したいのなら黒ウサギの好きにすればいい」

 

「……どうして?」

 

 耀がその後ろ姿を睨みつけながら言う。シンは立ち止まり、少しだけ振り向いた。

 

「茶番は見飽きたと言うことだ。それに〝ペルセウス〟を一目見ようと思ってきたんだがな。いつまでたっても来ない(・・・・・・・・・・・)からもう帰ることにした」

 

「──ハァ?」

 

 ルイオスが理解できないとばかりに声を荒げる。

 

「何言ってんのオマエ? 僕がここに──」

 

英雄(・・)ペルセウスがどこに居る? 知っているなら教えてもらおうか」

 

「──オマエ、喧嘩売ってんの?」

 

 気分良く黒ウサギを手に入れられる所だったのに、茶々入れられた挙句喧嘩を売られて、不機嫌になっていくルイオス。〝ペルセウス〟を率いているのは己だと言う自負を穢され、シンを癪に障る男だと認識した。

 

「──そーだな、期待外れだったし、もう帰るとするか」

 

 十六夜も立ち上がり、背伸びしながらシンに続く。まさか十六夜もそうするとは思わず、呆気にとられる飛鳥たち。それらを他所に、黒ウサギは話を進めていた。

 

「先程の話ですが……仲間に相談する為に少しだけ時間をください」

 

「ま、待ちなさい黒ウサギ!」

 

 先程の男どもは癪に障るが、目的は達せそうだと舌舐めずりをするルイオス。どうせもう黒ウサギは自らを捧げるしかないのだ。余裕たっぷりに一週間の猶予を与えた。それを聞き、黒ウサギは足早に部屋を出た。飛鳥と耀もそれを追いかけて行った。

 

 部屋には余裕の表情を見せるルイオスと、絶対零度の視線を見せる白夜叉が取り残された。

 

 

    *

 

 

 深夜で静まり返ったベリベッド通りを、小さな喧騒が賑やかす。黒ウサギと飛鳥と耀が言い争いをし、十六夜がそれを咎めて説教していた。それを無視して先頭を行くシンと──最後尾の俯いたジンだけが、それらから外れていた。

 

「──御チビ。お前も言いたいことがあるんじゃないのか?」

 

 ルイオスに会ってから一言も喋らないジンを察し、十六夜は話を振る。ジンが俯いていた顔を上げると、そこには黒ウサギが今まで見たこともないジンの無表情があった。黒ウサギは勿論、飛鳥と耀もやや怯む。十六夜は真剣な表情でそれを見る。

 

「……黒ウサギ」

 

「は、はい?」

 

「〝ノーネーム〟のリーダーとして命じる。取引に応じることは絶対に許さない」

 

 抑制のない声で、ジンは告げる。

 

「でも……」

 

「それでも勝手に身売りするって言うのなら──〝ノーネーム〟は解散する」

 

「なっ! ジン坊ちゃん!? それは絶対駄目で──」

 

 ジンの告げたとんでもない事に激昂し、反論しようとする黒ウサギだが、次の言葉で完全に沈黙する。

 

「──じゃあ、永遠に黒ウサギの帰ってこないコミュニティで! ずっと帰る場所を守っていろって言うのか!」

 

「────っ!?」

 

 ジンは己が涙を零していることさえ気が付かず激昂する。押さえ切れぬ激情を持て余し、抑える術を知らない少年はただ震え、握り締め、吐き出すしかない。

 

「もし黒ウサギがそんなことになったら……子供たちに……帰ってきた皆に……レティシアさんに、なんて言ったらいいんだ……!」

 

 そうなれば子供たちは大いに悲しむだろう。当然いずれ集まる仲間たちも。そしてそんな救われ方をしたレティシアが、一体どんな思いをするだろうか。そんな簡単なことも抜け落ちていた己を、黒ウサギは心の内で罵倒する。

 

「……申し訳ありません、ジン坊ちゃん。冷静さを失っていました」

 

 泣きじゃくるジンを、黒ウサギはただ謝り、抱きしめることしかできなかった。

 

 

    *

 

 

 そして、ルイオスとの会合から二日が過ぎた。

 

 本拠の自室で黒ウサギは自主的に謹慎していた。仲間の気持ちを顧みずジンを悲しませた己への戒めと、一人でじっくり考えられる時間が必要だからだった。人工降雨の雨を窓から眺めながら、レティシアの事に思いを馳せていた。

 

「お邪魔するわよ」

 

 そこへ、飛鳥と耀が差し入れを持ってくる。コミュニティの子供たちが作ったクッキーを齧ると、その甘さと想いに心が和んだ。ジンも手伝ったと聞くと、黒ウサギは久々の笑顔を見せるのだった。

 

 そして、十六夜とシンは本拠に居なかった。十六夜は『ちょっくら箱庭で遊んでくる』と言い残し、シンは誰にも何も言わず姿を消し、二人はそのまま一度も帰ってきていない。十六夜はもしかしたら本当に遊んでいるんじゃないかと踏んでいるが、シンは本気でコミュニティを見捨ててしまったのかも知れないと、黒ウサギは不安だった。

 

「……だからこそ、黒ウサギたちがしっかりしないと」

 

 あれからジンに改めて言い含められ、黒ウサギは取引に応じようという気は無くしていた。黒ウサギはコミュニティの中心であり、それが抜ければわざわざ解散するまでもなく〝ノーネーム〟は終焉を迎えるだろう。しかし、かと言ってすぐに打てる手があるわけでもなく、本拠でひたすら思慮を巡らせる日々だった。

 

「さて、バラバラに考えても埒が明かないわ。そろそろ作戦を考えましょうか」

 

「黒ウサギは渡さない。吸血鬼の女性も取り返す。覚悟はできてる」

 

 三人寄れば文殊の知恵。全てを諦めず突破口を探すため、女性陣が立ち上がった。あれでもないこれでもないと意見を出し合う。女三人寄れば姦しい。黒ウサギも元気を取り戻し、活発に意見を交わす。

 

 必要なのは〝ペルセウス〟が黒ウサギ以外で交渉に乗るような代物か、レティシアを賭してもいいと思えるような景品だ。しかし、〝ペルセウス〟は実質ルイオスそのものと言えるコミュニティであり、そのルイオスを動かすには彼の趣向に合った物でなければならない。生憎、黒ウサギにはその趣向を理解したくもないし、そもそも知らなかった。

 

「なら考え方を変えてみよう──」

 

 ジュースを飲みつつ耀が提案する。

 

「ルイオスが納得しなくても、〝ペルセウス〟が動かざるをえない代物……とか」

 

 それを聞き、黒ウサギが思い当たる節があるようにウサ耳をピクリと動かした。

 

「あることはあるのですが……」

 

 そう言って黒ウサギは、神話や伝説をルーツとする力あるコミュニティが、それを誇示するために伝説を再現したギフトゲームを用意し、特定の条件を満たしたプレイヤーに挑戦権を与えるシステムがあると説明する。これには伝説と旗印が賭けられ、〝ペルセウス〟も例に漏れず条件を満たすための二つのゲームを用意している。だが──

 

「いずれも厳しい試練です。クリアにどれだけの年月がかかるか……残念ではございますが、黒ウサギたちにそれだけの時間は──」

 

「──邪魔するぞ」

 

 どがん、と十六夜がドアを蹴り破り、部屋に入ってきた。哀れにもドアはそのまま役目を終え瓦礫と化す。黒ウサギは驚き声を上げる。

 

「い、十六夜さん今までどこに、って何故ドアを破壊したのですか!?」

 

「だって鍵かかってたし」

 

「一声かけるかせめてノックしてくださいよ! もう少しソフトにというかオブラートにですね……」

 

 くどくどと説教を始める黒ウサギの前に、十六夜は風呂敷を突き出した。膝下に置かれたそれを覗き込み、黒ウサギは信じられないような顔で十六夜を見つめる。

 

「……これは、まさか──」

 

「ジンに聞いたぜ。これが奴らへの挑戦権なんだってな」

 

 十六夜が持ってきたのは、たった今黒ウサギが説明していた〝ペルセウス〟に挑むための条件──伝説の怪物〝海魔(クラーケン)〟と〝グライアイ〟を打倒した証だった。

 

「まさか……あの短時間で、本当に?」

 

「ああ。と言っても二人で手分けしたからな。案外早く済んだぜ」

 

 十六夜が振り向き、黒ウサギたちがドアの方に視線を向けると、シンがいつもの無表情で部屋の入り口に立っているのが目に入った。

 

「間薙にも礼を言っとけ。俺一人だと流石にギリギリまでかかったかも知れないからな」

 

 黒ウサギは信じられなかった。交渉の場で皆に辛辣な言葉を浴びせ、その後は一言も喋らなかったシンが、黒ウサギのために十六夜に協力したという。

 

「シンさん……どうして……」

 

 呆然と呟くと、シンは何でもないことのように言う。

 

「──興味がある、と言っただろう」

 

 黒ウサギは一瞬何のことだか分からなかったが、やがてそれが〝サウザンドアイズ〟での会合前のくだらないやりとりの一環で言われたことだったと思い至る。なんでもない一言だと思っていたのに、どうやら本気だったらしい。

 

「あ、あはは……あははは……ありがとう、ございます。シンさん、十六夜さん」

 

 シンは別に黒ウサギの身を案じたわけではないだろう。十六夜も誰のためでもないと笑っている。それでも、誰に言われるまでもなくコミュニティのために戦ってくれたことに変わりはない。黒ウサギはそれだけで胸がいっぱいだった。

 

──コミュニティに来てくれたのが皆さんで、本当によかった。

 

 黒ウサギは溢れそうな涙を拭いて立ち上がり、迷い無い瞳で一同を見回した。十六夜が面白そうに笑い、飛鳥が不敵に笑みを浮かべ、耀が優しい笑顔を見せ──シンはゆっくり頷いた。

 

「──〝ペルセウス〟に宣戦布告します。我らの同士、レティシア様を取り返しましょう!」



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元・魔王と戦うそうですよ?

 26745外門・〝ペルセウス〟本拠、その謁見の間にて両陣営は向かい合う。ルイオスは終始にやけており、黒ウサギが手に入ることを疑ってもいない様子だった。それを無視し、黒ウサギは切り出す。

 

「我々〝ノーネーム〟は、〝ペルセウス〟に決闘を申し込みます」

 

「──はぁ?」

 

 呆れ果てたように、拍子抜けしたように声を漏らすルイオスだったが、黒ウサギが目の前で大風呂敷を広げると、顔色を変えた。風呂敷から転がり出た二つの宝玉を見て、側で控えていた側近たちも目をひん剥いて驚く。

 

「大タコの方が面白そうだったからそっちにしたけど、そこそこだったな。あれじゃヘビの方がマシだ」

 

 十六夜は拍子抜けだったぜ、と首を竦ませる。〝グライアイ〟の方を受け持ったシンは何の感慨もなかったかのように無表情を貫いていた。

 

 ルイオスは盛大に舌打ちをし、己の失態を棚に上げて不快感を露わにする。黒ウサギはそれを睨みつけ、宣戦布告する。

 

「これは挑戦者を求めて貴方がたが用意したゲーム。まさか尻尾を巻いて逃げる、なんてことはありませんよね?」

 

「──ハッ、いいさ。相手してやるよ」

 

 青筋を浮かべ、華美な外套を翻して憤るルイオス。

 

「名無し風情が……身の程を知らせてやるよ。二度と逆らう気が無くなるぐらい、徹底的に潰してやる(・・・・・・・・・)!」

 

 

    *

 

 

 〝契約書類(ギアスロール)〟に承諾した一同は、スタート地点である門前へ強制転移させられた。〝ペルセウス〟の本拠は箱庭から切り離され、未知の空域を浮かぶ白亜の宮殿と化していた。

 

 ゲーム内容はペルセウスの伝説に倣った暗殺だ。ルイオスは最奥に構え、ジンを連れてそれを打倒すればクリアとなる。ただし、挑戦者である十六夜たちはルイオスを除いた相手側の人間に姿を見られれば失格となり、ルイオスに対する挑戦資格を失う。資格を失うのみで、ジン以外が失格してもゲームは続行することができる。

 

「伝説のペルセウスとは違い、黒ウサギたちは不可視のギフトを持っておりません。綿密な作戦が必要です」

 

 本来ならば百人程度、最低でも十人単位で挑むゲームであり、その十人にも満たない一同には数で押す戦法は取れない。

 

「大きく分けて三つの役割が必要になるわね。まず、ジン君と一緒にゲームマスターを倒す役割。次に見えない敵を感知する索敵の役割。最後に、失格覚悟で囮と露払いをする役割、ね」

 

「春日部は鼻が利くし、耳も眼もいい。あと間薙も霊的だか何だかで感知できるだろ? 不可視の敵は任せたぜ」

 

 シンと耀はその提案に頷いた。それに黒ウサギが続く。

 

「黒ウサギは審判としてしかゲームに参加することができません。ですからゲームマスターを倒す役割は、十六夜さんにお任せします」

 

「ああ、任されたぜ。だが、今回間薙に本気を見せてもらうって約束してるからな。出来るだけお前も見つかるなよな」

 

 シンは頷き、黒ウサギはいつの間に、と目をパチクリしている。他の役割が埋まり、己の役割を悟った飛鳥が不満そうに声を漏らす。

 

「あら、じゃあ私は囮と露払いなのかしら?」

 

「悪いなお嬢様──」

 

 飛鳥のギフトは不特定多数を相手する方が向いており、その他の役割には向かないことは飛鳥自身も理解している。黒ウサギに、霊格の差からルイオスへ支配は通じないだろうと言う予測も告げられている。勝利を確実にするためには、それぞれが最適な役割を果たすべきだとわかってはいるが、それでも不満を隠せなかった。

 

「……それでも、確実に勝てるとは限りません。ルイオスさん自身の力は然程でもないですが、問題は彼が所持しているギフト──」

 

「──隷属させた、元・魔王様、だろ?」

 

「そう、元・魔王──へ?」

 

 十六夜の補足に言葉を失う黒ウサギ。それをさておき素知らぬ顔で説明を引き継ぐ十六夜。

 

「もしペルセウスの神話通りなら、ゴーゴンの生首がこの世界にある筈がない──」

 

 神話においてゴーゴンの生首は戦神に献上されており、それにも関わらず石化のギフトを所持している。十六夜は〝ペルセウス〟は星座として招かれており、ルイオスが意味深に弄っていた首飾りを、ゴーゴンの首に位置する恒星〝アルゴル〟として隷属させている悪魔──それも魔王と推測したのである。

 

 そして信じられないようなものを見る目で驚愕する黒ウサギが、その推測の正しさを物語っていた。十六夜は箱庭の星々の秘密に気が付き、独自に調査してその真実にたどり着くと言う偉業を成し遂げていた。

 

 ちなみにシンは全く気が付いていなかった。興味がなかったこともあるが、人間だった頃は勉強熱心でもなくパッとしない成績で、悪魔になってからは仲魔のルーツをある程度把握している程度で、星座までは調べていなかったからだ。シンはパワーだけでなく頭も回る十六夜に、密かに感心していた。

 

「もしかして十六夜さんってば、意外に知能派でございます?」

 

「何を今更。俺は生粋の知能派だぜ? その証拠にこの門をノブを持たずに開けてやるよ」

 

 そう言いながら、門の前に立つ十六夜。そしてそれを冷ややかな目で見つめる黒ウサギ。彼女だけでなく、一同はこの後に起こることが予測できていた。

 

「……十六夜さん、まさかとは思いますが」

 

「ヤハハ、そのまさかだぜ──こうやって開けるに決まってんだろッ(・・・・・・・・・・・・・・・・・)!」

 

 轟音と共に、宮殿の門は蹴り破られた。

 

 ギフトゲーム〝FAIRYTALE in PERSEUS〟──開幕。

 

 

    *

 

 

 正門の階段前広場は、飛鳥が振るうギフト──水樹によって水浸しになり、大混戦に陥っていた。逃げ回ることをよしとせず、かと言っていちいち支配しては切りが無いし華も無い。そこで、急なゲームで私財があちこちに残っているのを見た飛鳥は相手側が無視できないように、白亜の宮殿を破壊することにしたのだ。

 

 襲い来る騎士たちを水流や水柱をぶつけて撃退して行く。お陰で、不可視のギフトを持たない騎士達はここで足止めすることができた。囮と露払いを見事にこなしている。

 

 一方、十六夜たちは息を潜めて状況を伺っていた。シンと耀が索敵を行い、音も無く襲いかかり、騎士の一人を気絶させて不可視のギフトを奪うことに成功する。

 

「最低でも御チビと合わせてあと一つ──俺か間薙の分が欲しいところだが」

 

 ジンの安全を確保するのが最も無難だが、ジンに元・魔王と戦える力がない以上、ルイオスと戦う者がどうしても一人必要だ。しかし欲をかいて仕損じては意味が無い。そのため十六夜は作戦を変更することにする。ギフトは自分が被り、耀を囮に不可視の相手を倒し、シンにはジンの護衛を頼んだ。

 

「悪いな、いいこと取りみたいで──」

 

 珍しく十六夜が仲間に感謝するようなことを言った。耀は気にしないで、と首を振り、勝機を得るために挑戦権を捨てることを選択する。

 

「間薙、御チビのことは頼んだぞ」

 

 シンはゆっくり頷くと、ジンを抱きかかえて姿を消した。気配も完全に消え失せ、不可視のギフト要らずだな、と十六夜は面白そうに呟く。

 

 そして耀は囮として宮殿を駆け回り始める。それにまんまと釣られた騎士達を、十六夜は次から次へと殴り飛ばし、蹴散らして行った。走りながら耀は残りの騎士たちを索敵するが、突如なんの前触れもなく衝撃を受け、壁に叩きつけられる。

 

「わ……!?」

 

 肺を強く打ったのか辛そうに咳き込む耀を抱え上げ、十六夜は一時撤退を試みる。だが姿の見えている耀を抱え上げたことで位置を把握され、十六夜もまた不可視の敵からの攻撃を受けた。

 

──まさか、レプリカじゃなく本物を使ってる奴が……!?

 

 十六夜は耀ですら全く感知できない敵に、最も忌避しなければならない敵が現れたことを察する。兜が外れそうになり、痛烈に舌打ちしながら手当たり次第殴りつけようと考えるが、耀が呼び止めた。

 

「見えない敵を感知する方法は……ある」

 

 十六夜は耀の指示に従い、殴りかかってきた騎士を一旦遠ざけると、西側の回廊を真っ直ぐ進み、回廊端の隅に耀を下ろす。

 

「次に、私が合図したら攻撃して」

 

 そう言って、耀は目を閉じて集中し始める。直後、十六夜は音波を感じ取った。耀はイルカや蝙蝠の友から得た音波を操る術で、物理的には消えることができない敵を感知しようとしているのだ。そしてそれは成功し、突進を仕掛けてきた敵を見事に捉える。

 

「──左方向、今すぐ!」

 

 耀が叫び、十六夜がすかさずその方向へ拳を叩き込む。鎧を砕くような強固な手応えを感じ取り、うめき声が上がった場所に飛びかかると兜を剥ぐ。

 

「見事──」

 

 騎士──ルイオスの側近であったその男は、真っ向から一撃で己を打ち破った十六夜たちを賞賛すると、意識を失い崩れ落ちた。

 

 

    *

 

 

 その後、十六夜はシンたちと合流する。途中、運良く不可視のギフトをもう一つ手に入れ、三人は難なく宮殿の最奥、最上階に着くことができた。闘技場のようなそこでは黒ウサギが待っており、上空には翼の生えたロングブーツを履いたルイオスが浮かんでいた。

 

「ふん、本当に使えない奴ら──」

 

 己の失態で、準備も整う間も無く決闘に参加させられた部下のことを慮るつもりは無いらしい。それどころか部下の失態を論い、粛清するとまで息巻いている。十六夜は同情するように肩を竦ませて笑った。ルイオスはやる気なさげに、定型文を言葉にする。

 

「何はともあれ──ようこそ宮殿・最上階へ。ゲームマスターとして相手をしましょう……だったかな」

 

 ルイオスは〝ゴーゴンの首〟の紋が入ったギフトカードを取り出し、光と共に燃え盛る炎の弓を取り出す。更に壁の上まで飛び上がり、首のチョーカーを外してその装飾を掲げる。ルイオスは油断していても慢心はしていない。わざわざ〝ペルセウス〟が敗北するようなリスクを背負う真似はしなかった。

 

 ルイオスが掲げたギフトが光り輝き、まるで星のように瞬きながらその封印を解いていく。十六夜はジンを背に庇い、構えた。シンはいつものように仁王立ちしたまま、その光を眺めている。

 

 そして、ルイオスは獰猛な表情で叫ぶ。

 

「目覚めろ──〝アルゴールの魔王〟!!」

 

 光は褐色に染まり、宮殿を──いや、この世界全てを満たした。

 

「ra……Ra、GEEEEEEYAAAAAAaaaaaaaa!!!」

 

 白亜の宮殿に共鳴するかのような、甲高い不協和音が響き渡る。現れたのは身体中に拘束具と捕縛ベルトを巻き、乱れ切った灰色の髪をした女だった。女は両腕を拘束するベルトを引きちぎり、髪を逆立て半身を反らせてさらなる絶叫を上げる。

 

「な、なんて絶叫を……」

 

 堪らず黒ウサギはウサ耳を塞ぐが、敵の攻撃(・・・・)を前にしてそれは愚策だった。ふ、と黒ウサギの周囲が暗くなる。

 

「──避けろ、黒ウサギ!!」

 

 え、と硬直する黒ウサギ。シンは黒ウサギを、十六夜はジンを抱きかかえるように飛び退いた──その直後、先ほどまで一同が居た場所に巨大な岩塊が落下してきた。それだけではなく次から次へと落ちてきて、十六夜たちはそれを避け続ける。それを見ながらルイオスは嘲笑う。

 

 落ちてきたそれは、石化した雲だった。先ほど放たれた光がこの世界に浮かぶ全ての雲を石化させ、重力に従い落下してきたのだ。

 

「星霊・アルゴール……!」

 

 黒ウサギはその力の強大さに戦慄する。ペルセウス座の〝ゴーゴンの首〟に位置する恒星〝アルゴル〟──その名を背負う大悪魔。箱庭最強種の一角、〝星霊〟がルイオスの切り札だった。

 

 石化したのは雲だけではなく、恐らくルイオスの部下は疎か、飛鳥や耀まで石化してしまっているだろう。この場にいる者たちが石化していないのは、ルイオスの遊び心によるものだった。

 

 不敵に笑うルイオス。それを他所に、十六夜はジンと内緒話をしている。何事かを話すとジンを下がらせ、真価を見定めようとする真摯な視線を受けながら、十六夜は前に出た。

 

 シンは黒ウサギから離れ、己も前に出ようとする。その背に向かって黒ウサギは声をかける。

 

「シンさん、十六夜さんと約束があるそうですが……無理はしないでくださいね」

 

 飛鳥たちと共にガルドを倒し、〝グライアイ〟すらも単独で撃破したならば、その身は十六夜に負けず劣らずの規格外なのだろう。黒ウサギも薄々とシンが秘めている強大な力に気が付きつつある。だが、それでも仲間を心配しないなんてことはない。力になれない悔しさを押し殺し、黒ウサギはシンを見送った。

 

 シンは顔だけ振り返って一瞬黒ウサギを見ると、視線をまた魔王に戻した。

 

「さ、それじゃ準備はいいかよゲームマスター!」

 

 十六夜は軽薄そうに笑い、宣戦布告する。

 

「うちの坊ちゃんが手を出すまでもねぇ。オマエ如き、俺ら二人で十分すぎるくらいだぜ!」

 

「──名無し風情が、後悔するがいいッ!!」

 

 侮辱されたと感じたルイオスと、その命に従ったアルゴールが、叫びながら各々の翼を広げ突進する。ルイオスはアルゴールの陰に隠れながら炎の矢を引き、二つの炎の矢が十六夜とシンの両者に襲いかかる。

 

「──喝ッ!!」

 

 十六夜はそれを気合い一喝で弾き飛ばす。そしてシンは──

 

「やはり効かないか……!」

 

 何の防御も取らずその身に受けると、炎の矢はシンに何の影響も与えることなくパシン、と消し飛んだ。

 

 ルイオスは、シンが石化の光を無効化したこと自体は報告を受けて知っている。それにどちらも〝海魔(クラーケン)〟と〝グライアイ〟を打倒しているのだ。既知の力量を見誤るほど愚かではない。無駄を悟り、すぐさま武具を鎌のギフト・ハルパーに切り替える。

 

「金髪の方を押さえつけろ、アルゴール!」

 

「RaAAaaa! LaAAAA!!」

 

 ルイオスは空を駆けて十六夜たちを挟みこみ、アルゴールに十六夜を押さえさせようとした。己は鎌を振るい、シンに斬りかかる。

 

──まずはこいつから潰す!

 

 ルイオスが把握している限りでは、石化の光と炎の矢が無効化されている。恐らく呪いやエネルギー系の攻撃を無効化するギフトなのだろうと当たりをつけ、〝星霊殺し〟のギフトを付与されているハルパーならば、まさか無効化されまいと鎌を振るい──

 

「──な!?」

 

 その刃は、シンの肌で止まっていた。身動ぎもせず、構えもせず、ハルパーをその身に受けてつまらない物を見るような視線を寄越している。呪いは弾かれ、炎は消し飛び、物理攻撃さえ通じないシンに、そんなギフトはありえないと一瞬呆然としてしまう。

 

──轟音が響く。そして悲鳴。

 

 我に返ったルイオスがアルゴールの方を見ると、十六夜に捩じ伏せられ腹部を何度も踏みつけられているアルゴールの姿があった。一方には一切の攻撃が通じず、一方は元とはいえ魔王を軽くあしらっている。ルイオスはシンに突き付けたままだったハルパーを慌てて戻し、空を駆けて距離を取る。

 

「き……貴様ら、本当に人間か──!?」

 

 神格も持たず、〝星霊〟を力でねじ伏せ、神話のギフトをその身に通さぬ人間を目の当たりにし、ルイオスは狼狽して叫ぶ。十六夜はその疑問に答えようと、ギフトカードを取り出した。

 

「ギフトネーム・〝正体不明(コード・アンノウン)〟──」

 

 それに続いて、シンも静かに呟く。

 

「ギフトネーム・〝人修羅(ノクターン)〟──」

 

 意外そうな目で、シンを横目に見る十六夜。わざわざ自己紹介するなどどんな心境の変化があったのかと思うも、続く言葉を聞いて理解する。

 

「──そして、人間ではない」

 

 それを聞いて、十六夜は疑問に思うよりも納得した。他人をムシケラとでも思っているかのような熱のない視線や、まるで容赦のない性格を知っていれば誰でも納得するだろう。だが、続く言葉には流石の十六夜も驚愕する。

 

「俺は人修羅──魔王の〝恩恵〟を受け、生み出された悪魔」

 

 

    *

 

 

「──ほう、なるほどのぉ」

 

 和室に置かれた遠見のギフトを眺めながら、白髪の少女は呑気な口調とは裏腹に、熱の無い壮絶な視線でシンを見つめていた。



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悪魔が嗤うそうですよ?

「な──魔王ですって!?」

 

 黒ウサギが、ジンが、そしてルイオスも驚愕する。黒ウサギとルイオスはその正体を見抜けなかったことに。それは箱庭における悪魔と、アマラ宇宙における悪魔とでは定義が異なるためであるが、シンが人修羅という特異な悪魔であることも手伝って、箱庭の存在ではシンを悪魔だと見抜けなかったのだ。

 

 ジンは魔王によって生み出されし悪魔が、〝打倒魔王〟を掲げるコミュニティに所属し、力を貸していたことに訝るも、ここでそれを明かす理由に思い至らず混乱する。

 

「ハハ……ハハハハハハ! おいおいマジかよ! そんな面白そうなことなんで隠してたんだ?」

 

「……言う必要がなかった」

 

 それを聞いてますます笑う十六夜だったが、ルイオスは冗談ではないと吐き捨てる。十六夜の正体はギフトの通り依然として不明だが、シンの強さの理由が分かってしまう。

 

──ただの人間を、ここまでの悪魔に引き上げる程の魔王が背後にいる。

 

 今や〝ペルセウス〟は数々の所業により〝サウザンドアイズ〟から外されかかっており、それを補うためにレティシアを売ることで、新たなコネクションを繋ぐ予定だったのだ。

 

 だが今や先代が遺したゲームを逆手に取られ決闘を受けざるを得なくなり、そしてたった二人に追い詰められようとしている。このままでは〝ペルセウス〟は敗北する。ルイオスは完全に本気を出して二人を葬ろうと覚悟を決める。

 

「──終わらせろ(・・・・・)、アルゴール」

 

 せめて、一人は潰しておく──先ほどそんな考えで返り討ちにされたことも忘れ、石化のギフトを解放し──

 

「──カッ! ゲームマスターが、今更狡い事してるんじゃねえ!!」

 

 十六夜に、踏み潰される。褐色の光はガラス細工のように砕け散り、星のように瞬いて消えていった。

 

──馬鹿な!?

 

 シンどころか、十六夜もギフトを無効化──いや破壊するギフトを持っていることに驚愕するルイオス。黒ウサギとジンも、一つしか〝恩恵〟を持たぬはずの十六夜が、天地を砕く恩恵と、恩恵を砕く恩恵の両方を供えるあり得ない事実に呆然とする。

 

 〝星霊〟のギフトを無効化し、砕く異常な存在を前にしてルイオスは自棄になっていた。それでも、頭は冷静に回っている。ゲームに勝つのに、わざわざこの二人を相手取る必要は無いのだ。相手側のゲームマスター──ジンを葬り去ればこのゲーム、勝てる。

 

 もはや使わぬと言ったはずの石化のギフトも使っている。こんな理不尽な敗北を認められぬルイオスは、卑怯な手を使ってでも勝利を掴もうと足掻く。

 

「アルゴール! 宮殿の悪魔化を許可する! ()を殺せ!」

 

「RaAAaaa! LaAAAA!!」

 

 謳うような不協和音が世界に響き、〝星霊〟は白亜の宮殿に〝恩恵〟を与える。すると辺り一帯の白壁に黒い染みが発生し、蛇を模した石柱が、次から次へと巻き込まれぬよう下がっていたジンを狙う。

 

「わ、わわ!」

 

「ジン坊っちゃン!?」

 

 慌てて逃げ惑うジン。黒ウサギは審判の立場から、ジンを積極的に守る訳にはいかない。十六夜がジンの前に一瞬で移動し、蛇たちを蹴散らす。

 

「とうとうなりふり構わなくなりやがったか! おい間薙!」

 

 ジンを守りながら、シンに呼び掛ける十六夜。

 

「──そろそろ、本気を出しやがれ!」

 

 襲い来る蛇を鬱陶しそうに振り払っていたシンは、それを聞いてゆっくりと頷いた。

 

 ルイオスはシンのギフトを確認している。どういう原理かは知らないが、あらゆる攻撃を無効化するギフト──わざわざ十六夜がジンを守りに動いている以上、他人に使えることはない。そしてシンのギフトがそれ一つならば、十六夜のような力は持っていないだろう。十六夜のような存在が例外なのだ。だが、言い知れない悪寒がルイオスの身を支配する。

 

──もし、こいつもまたその例外なら?

 

 そしてシンは両足をやや開き、両腕を前で交差する。腕の間から見える瞳は、ようやく熱を持っていた──殺意という熱を。

 

「いいだろう──そろそろ飽きてきたところだ」

 

 十六夜が期待に瞳を輝かせ、黒ウサギが事態に備えて構え、ジンは視線を逸らすまいとシンを見つめ、ルイオスは直感のままにアルゴールすら放って遥か上空に退避する。

 

 

──そして、死がやってきた。

 

 

 ジンも、黒ウサギも、十六夜ですらも、臓腑を凍て付かせるような圧倒的な死の恐怖に身を竦ませる。まるで液体のように重くなった空気が呼吸を妨げ、殺意がビリビリと肌を叩き、鳥肌に冷や汗が流れて行く。

 

 シンの身に紅い稲妻が走り、その肌に漆黒の刺青のような模様が浮かび上がってくる。その縁を輝く翠が彩り、パーカーの下からでもわかる程に発光している。うなじから黒い角が生えてきて、フードの陰から覗く。

 

──そしてその瞳は、真っ赤に染まっていた。

 

「ま、魔王……!?」

 

 黒ウサギとジンは、この圧倒的な死の気配に覚えがあった。

 

──それは三年前。コミュニティが崩壊し、全てを奪われたあの日。

 

 魔王が振るうような圧倒的で強大な圧力を前にして、そのおぞましい記憶が蘇る。だが、当時その身を支配したのは力への畏怖、命を失うかもしれない恐怖だった。これは違う、と心の何処かで思うも、その正体がわからずただその身を震わせる。

 

 十六夜だけは直感的にその正体を掴んでいた。

 

──こいつは死、そのものだ(・・・・)

 

 おぞましき死の化身──魔人。その強大な力故ではなく、死を連想させるその外見故ではなく、ただその存在理由のままに死を振りまく、悪魔すら恐れるおぞましき存在──それが魔人、人修羅である。

 

「RaAAaaaGYAAAAAAaaaaaa!!」

 

 恐怖のあまり、アルゴールがシンに襲い掛かる。ジンを狙っていた蛇たちも脅威を排除しようと全てがシンに向かう。ルイオスが止める間もない。十六夜たちは無防備なシンに襲い掛かるアルゴールたちを見て、あろうことか敵に同情してしまった。

 

──理性を失ってさえいなければ、自殺(・・)しようだなんて思わなかっただろうに。

 

 当然、アルゴールの──〝星霊〟の全力の殴打を受けて、揺るぎもしないシン。その身を幾千の蛇に絡まれても微動だにしないシン。そして、シンの攻撃はまだ始まってすらいない。それなのにアルゴールはシンの目の前に来てしまった。蛇たちは絡みついてしまった。

 

 ……まあ、どこにいても逃げられないのだが。

 

──世界が揺れる。

 

 宙に浮かぶ宮殿だというのに、地震が発生していた。大気すらも振動し、ビリビリと悲鳴をあげている。あまりの振動に黒ウサギとジンは立っていられなくなり、十六夜は冷や汗を流しながらいつでも離脱できるように身構える。

 

 遥か上空で、震えながら闘技場を見つめるルイオスは見た。この世界全てが震え、宮殿が崩れ始め、そして──絶望的な力がシンに集まりつつあることに。

 

 シンの足元から亀裂が発生し、光が漏れ始める。太陽が闘技場を照らしているというのに、その光は太陽よりも輝き、目を焼いた。十六夜は黒ウサギとジンを抱きかかえ、タイミングを測る。

 

──一歩間違えば、死ぬ。

 

「GYAAAAAAaaaaaa!!」

 

 アルゴールは叫び声を上げながら狂ったようにシンを殴り続け、蛇たちはシンから発せられる圧力にじわじわと後退して行く。全ては遅すぎた。亀裂は闘技場全体に広がり、漏れた光がその場を包む。そして、集結した力が臨界点に達し──

 

「──ジャッ!!」

 

 轟音、そして閃光。

 

 

──闘技場は、この世から消滅した。

 

 

    *

 

 

 十六夜たちは一瞬のチャンスを掴み取り、宙に逃れていた。黒ウサギとジンは体が急激に上昇したことで目を回している。爆発的な気流と、肌を叩く小さな石の欠片だけが、その場に建物があったことを示す最後の痕跡だった。

 

 十六夜が着地すると、建物があった場所は砂地になっていた。──まるで、〝ノーネーム〟が抱える傷跡のように。だがこれは単純な破壊である。そして恐らくは手加減した上での。

 

──どちゃり、と紅いゴミが降ってきた。

 

 それは全身をズタズタにされ、四肢の幾つかがもげ落ちて、ただの肉の塊と化したアルゴールだった。虫の息だが、まだ生きている。伝説では首を切り落とされても威光を残す程に生命力が強いゴーゴンとはいえ、まさか生きているとは思わなかった十六夜だが、単に眼中になかったのだろうと思い至る。あの攻撃はただ、悪魔と化した宮殿を砕くためだけのものだったのだ。たまたま生きていただけ。運が良かっただけ。あるいは、運が無かったのだろう。

 

「……はっ! ここは? シンさんは!?」

 

 黒ウサギが意識を取り戻した。シンの姿が見えず、黒ウサギはきょろきょろと辺りを見回し、十六夜は忘れていた奴がいたことを思い出して顔を上げる。

 

──直後、地面にルイオスが叩き付けられる。

 

「──ガハァッ!!」

 

 轟音と共に砂地は陥没し、内臓を破壊されたルイオスは血を撒き散らす。だが明らかに手加減されていた。本気でやれば、空中で腹を貫いていただろう。それをしなかった理由は、わざわざルイオスの上に着地したシンの表情が物語っていた。

 

──嗤っている。

 

 弱いものイジメが心底楽しいというように、ルイオスを踏み躙る度に漏れる悲鳴が、心底可笑しいというように。虫の足をもぎ取って笑う少年のような残酷な笑顔だった。

 

 勝敗はとうに決している。敗者に対する仕打ちを、急いでやめさせようと、黒ウサギが宣言しようとするも、

 

「──それじゃあ、お前たちの旗印を戴こうか」

 

「──な、ガフッ!?」

 

 シンがあまりにも残酷な事を告げ、ルイオスは血反吐と共に驚愕する。

 

「旗印を盾にすぐさま次のゲームだ。それで名前を戴く。後は〝ペルセウス〟が箱庭で永遠に活動できないように、名も旗印も徹底的に貶め続ける。お前たちは箱庭に完全に居場所を無くすだろうな」

 

「や、やめ……ぎゃああああああッ!?」

 

 ばきん、と靴のギフトごとルイオスの足を踏み潰す。まるで枯れ木のように容易くへし折れたそれを見て、シンはくひ、と息を漏らす。

 

「まあ、そんなことを心配する必要もないか。何故ならお前はここで──」

 

 シンは足を上げてルイオスの頭を──

 

「──やめろ」

 

 ズダァン! と、その横の空間を踏み潰した。

 

 シンは無表情に戻り、肩を掴む十六夜を睨む。それを真っ向から受けながら、十六夜はシンを止める。

 

「俺たちが手に入れるのは、レティシアだけで十分だ」

 

「何故止める? お前が考えていたことだろう」

 

 それを聞いて背筋が凍る十六夜だが、悪魔が心を読んだから何だと強がった。

 

「……俺を楽しませてくれれば許すつもりだったんだよ。もう、叶わねえみたいだがな」

 

 十六夜は死に体で地面に転がるルイオスとアルゴールを見ながら、ため息をついた。ルイオスは心折られ、死の恐怖に怯え、幼子のように血と涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして震えていた。強きを挫き、弱きも挫く十六夜だが、ここまで追い詰めた挙句、殺そうとするような男ではない。むしろ胸糞が悪くなる類の光景だった。

 

「それに、こいつにはまだまだ働いてもらうことがある。それには死んでもらっちゃ困るし、〝ノーネーム〟に関わりたくないと完全に心折られても困る」

 

 もう遅いかもしれないけどな、と十六夜は肩を竦めた。

 

 暫し、両者は睨み合う。

 

 十六夜はチャンスはある、と内心己を奮い立たせる。シンはルイオスの生死に拘っていない。止められてなお殺そうとはしないはずだ、と推測する。

 

「……いいだろう。好きにしろ」

 

 シンが退き、十六夜は己の推測が当たっていたことに安堵した。

 

「──だが、これだけは貰って行くぞ」

 

 何を、と十六夜が止める間も無く、シンはルイオスの頭を掴むと、ゆっくりと何かをずるり、と引き摺り出した。

 

──それを見て、十六夜は一瞬魂だと思った。

 

 それは紅い無数の何か。宙をふわふわと蠢き、シンの手に従ってルイオスから音も無く引き摺り出されて行く。ルイオスは壊れた機械のようにガクガクと震え、白目を剥く。その異常事態に黒ウサギが叫ぶ。

 

「シ、シンさん! 貴方は──何を!?」

 

 やがて引き摺り出したそれはシンの掌に収束し──それを握り潰す。飛び散った紅がシンの身体に纏わり付き、やがて吸収されて行く。それはまるで──

 

「お前まさか──魂を」

 

 味わうように目を閉じていたシンが、ゆっくりと答える。

 

「マガツヒ──わかりやすく言えば、負の感情を戴いた。苦痛、恐怖、絶望……それが俺たち悪魔の糧だ」

 

 ルイオスは昏い視線を宙に向けて、何も感じていないように呆けている。それを見て、十六夜は心底不愉快そうに舌打ちした。

 

「……そうかよ。お約束だな」

 

 勝敗は決した。〝ペルセウス〟は敗北し、レティシアが〝ノーネーム〟に戻ることに決まる。だが十六夜も黒ウサギも、ここまで後味が悪くなる結末が待っていようとは、思ってもいなかった。

 

──ギフトゲーム〝FAIRYTALE in PERSEUS〟、プレイヤー側の勝利。




アルゴールを強制的に仲魔にした挙句に封印を解いてルイオスにぶつける案もありましたが、あまりにもかわいそうなのと完全体アルゴールのキャラが掴めなかったので、今回の展開としました。
ちょっと思うところがあるので、いつか書き直すかもしれません。


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あのお方が動き始めたそうですよ?

 晴れて、レティシアは〝ノーネーム〟の一員に返り咲いた──メイドとして。

 

「はい?」

 

 いつの間にか決まっていた元仲間の処遇に困惑を隠せない、黒ウサギとジン。それを見て呆れたように飛鳥が口を挟む。

 

「はい? じゃないわよ。ゲームで活躍したのは私たちだけじゃない」

 

「私なんて力いっぱい殴られたし」

 

「つーか挑戦権持ってきたのは俺と間薙だから、所有権は2:2:3:3な」

 

「どうでもいい」

 

「何を言っちゃってんでございますかこの人たち!? あとシンさんはせめて止めてくださいよ!」

 

 ツッコミは追い付かず黒ウサギもジンも混乱するばかり。最後の良心を期待されたシンは当然、

 

「それこそどうでもいい」

 

 と、鬱陶しそうに吐き捨てる。悪魔に良心を期待する方が悪いのだ。がくりと崩れ落ちる黒ウサギ。そして件のメイド──いやレティシアは、一人冷静に状況を把握していた。

 

「ふふ……そうだな。今回の件で私は皆に恩義を感じている──」

 

 もう二度と帰って来れないと、永遠に物として飼い殺しにされる絶望が待ち受けていたのだと、そう思っていた。それを、召喚されたばかりの新人たちが黒ウサギたちと力を合わせ、自分を取り戻してくれた。レティシアの心には言葉で言い表せない、深い感動で満ちている。

 

「──それに報いるためなら、喜んで家政婦をやらせてもらうよ」

 

 それは、とても綺麗な笑みだった。それを見て、黒ウサギは反論できなくなってしまう。尊敬していた先輩をメイドとして扱う日が来るとは予想だにしていなかったことだろう。

 

 そんな彼女らを他所に、問題児たちはレティシアをどのようなメイドにするのか話し合っていた。服装、言葉遣いなどの設定を真剣に討論するお馬鹿たちを、呆れたように眺めるシン。

 

 いつの間にかレティシア本人も参加し、和やかに言葉を交わす一同を見て、黒ウサギは困ったように、けれどどこか嬉しそうにため息を付くのであった。

 

 

    *

 

 

 〝ペルセウス〟との決闘から三日後の夜。子供達を含めた〝ノーネーム〟一同は貯水池付近に集まっていた。その数は百人強であり、数だけ見れば中堅以上である。当然、戦える者は十人に満たないのだが。

 

「えー、それでは! 新たな同士を迎えた〝ノーネーム〟の歓迎会を始めます!」

 

 子供たちから歓声が上がる。並べられた長机の上にはささやかながら料理が並んでおり、コミュニティの財政を知っている十六夜たちは、そんな惨状の中開いてくれた歓迎会に苦笑しながらも、嬉しさを隠しきれずにいた。

 

「無理しなくていいって言ったのに──」

 

 馬鹿な子ね、と飛鳥は素直じゃないことを言った。

 

 子供たちに囲まれ、十六夜たちが歓談する中──シンは一人その輪から外れ、グラスを片手に木に寄りかかって、それを眺めていた。

 

 シンに思うことはない。別に嬉しいとは思わないが、無駄な行為だとも思っていない。そして、自ら進んでこういう場に溶け込もうともしない。悪魔としての二度目の誕生で、人の心は捨て去ったのだ。故に、己があの場にいる必要も──

 

「──シン様! お料理をお持ち致しました!」

 

「…………」

 

 シンが視線を下に向けると、そこには割烹着を着た狐耳の少女が、お盆に多少の料理を載せて来ていた。リリという名前だったが、ちゃんとした自己紹介をしていないのでシンは覚えていない。大方、料理に手をつけていなかったシンへ気を配りに来たのだろう。幼いながらもできた少女だった。

 

 料理は家庭料理の域を出ないものだったが、別段好き嫌いはない。ここで断る方が面倒なことになると悟ったシンは、掲げられたお盆から皿を取り、適当に料理を摘まんで食べる。すると、リリはにっこりと笑った。

 

「いっぱい食べてくださいね! 料理はまだまだいっぱいありますから!」

 

 そう言うと、とててと飛鳥たちの方に歩き去って行った。シンは皿の上に乗せた料理を黙々と片付けている。そこへ、十六夜がニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべて近付いてきた。

 

「相変わらずモテるな。それとも、それも悪魔としての能力か?」

 

「……魅了の術(マリンカリン)は使っていない」

 

「真面目に答えるなよ。つーか持ってるのかよ」

 

 呆れたように肩を竦める十六夜。いまいち、シンの性格を掴みかねていた。他人に一切興味を持っていないくせに、優しさだとか思いやりだとかを振り払おうとしない。言われたことは大抵素直に従う。他人に流されやすい質なのかと思いきや、先日のように悪魔としての残虐な本質を覗かせる。

 

 そして、妙に他人を惹きつける。件の喫茶店の店員はシンにぞっこんだし、コミュニティの子供たちも、シンに対して悪感情は抱いていないようだった。カリスマってヤツなのかね、と十六夜は一人呟く。

 

「そうそう、御チビが話があるみたいだぜ」

 

 十六夜の陰から恐る恐る、ジンが姿を現した。十六夜は小さく笑ってへっぴり腰のジンの背を叩くと、己の前──シンの前に押しやる。ジンは暫くあの、その、と口をもごもごさせていたが、やがて意を決したのか表情を引き締めてシンへ話しかける。

 

「シンさん、〝ノーネーム〟のリーダーとして貴方に命じます。今後正当防衛などの必要性があったり、こちらからお願いすることがない限り──相手を殺したり、甚振って楽しむなんてことはしないでください」

 

 そう言い切って、シンの瞳を見つめる。翠色のそれは、ジンの言葉に対して何の反応も見せていなかった。聞いていなかったのか、それとも聞く気がないのか。重い沈黙にジンが冷や汗をかき始め、続ける言葉の判断に迷った頃──シンはゆっくりと頷いた。

 

「いいだろう」

 

 それを聞くとジンがはあ、と長い溜息をついて、安心したように肩を落とす。十六夜はそれを見てヤハハと笑い、ジンの肩をばしばしと叩いた。

 

「だから言ったろ? 多分間薙は断らねえだろうってな」

 

「は、はあ……。ただ、その、シンさんは不満はないんですか? ただでさえこんなコミュニティに居るような力の持ち主ではないですし、魔王によって生み出された悪魔なら〝打倒魔王〟を掲げるこのコミュニティに所属するというのは……」

 

 今まで秘めていたのであろう質問を矢継ぎ早に繰り出すジンに対して、シンは首を振ることで答えた。

 

「悪魔が人を殺すのは、人間界に存在し続けるために大量のマガツヒが必要な場合だ。殺してしまうよりは、死なない程度に甚振ってマガツヒを絞り出した方が効率がいい」

 

 事実、ボルテクス界では人間をできるだけ殺さないように丁寧に拷問していた。そもそも生き残っている人間が僅かで、代わりになるのがマネカタぐらいしかいないという事情もあったが。因みにマネカタはそこそこ数がいたせいか殺してしまっても気に留める悪魔は居なかった。──当時、まだ人の心を持っていたシン以外は。

 

 それを聞いた十六夜はあることに思い至り、顔をしかめて愚痴をこぼす。

 

「この間、あのお坊ちゃんを殺そうとしたのはポーズかよ」

 

 その言葉にシンは頷き、十六夜は舌打ちする。ルイオスの頭を踏み潰そうとしたのは、死の恐怖を味合わせてマガツヒを搾り取るための演技だったのだ。とはいえ、シンはルイオスが死んでしまってもいいと考えてはいたが。ギフトゲームで死者が出ることは珍しくないと聞いている。ましてや相手は殺すつもりだったのだから、こちらが殺してしまっても問題は無かっただろう。ただ、コミュニティ内で面倒なことになるのは避けたかったため、止められるまま殺さなかっただけだった。

 

「そして、このコミュニティに興味がある。好きに動くことでコミュニティに不都合があるのなら、暫くは大人しくしておいてやろう」

 

 要するに、シン自身が損をしない程度のことなら指示に従ってくれるということだった。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 暫くは、というのが気にかかったものの、ジンはシンが力を貸してくれることに感謝した。

 

 その後ジンは一礼し、十六夜は真剣な視線を一瞬シンに寄越した後、歓迎会の輪の中へ戻って行った。シンは残りの料理をまた食べ始めた。

 

「それでは本日の大イベントです! みなさん、天幕へにご注目ください!」

 

 黒ウサギの声を聞き、料理を咀嚼し終えたシンがふと星空を眺めると、星が流れ始めた。流星群に歓声を上げる子供たち。そして黒ウサギは、これを起こしたきっかけが、新人四人の活躍によるものだと説明する。

 

「先日打倒した〝ペルセウス〟ですが、一連の騒動の責任から〝サウザンドアイズ〟を追放され、あの星々から旗を下ろすことになりました──」

 

 その瞬間──星空が大きく光り輝き、ペルセウス座はその姿を消した。星々すら箱庭を演出するための舞台装置であり、旗を飾るための額縁に過ぎないのだった。

 

 十六夜たちは大いに驚き、黒ウサギは得意げに話しかけていた。いまだ流れる流星群を見ながら子供たちが騒ぎ、歓迎会の夜は更けて行く。

 

 それを眺めながらシンは思う。

 

──この星空を閉ざすつもりだと知れば、こいつらはどう思うだろうか。

 

 いまだ箱庭の全貌は知れない。興味深いこの三人と一匹も見定める必要がある。だが、それらが終わればもうこのコミュニティに拘る必要はない。

 

 

──シンは〝箱庭受胎〟を引き起こすつもりだった。

 

 

 箱庭と言えど、いつか滅びる時がやってくる。それが世界の定めだ。その身に眠るカグツチの力を解放し、滅びの時を引き寄せれば最早誰にも止めることはできない。神霊だろうが、星霊だろうが、魔王だろうが世界の終わりを止めることはできない。生まれ、育ち、滅び、そしてまた生まれる。それが世界の在るべき姿なのだから。

 

 そして十六夜と飛鳥と耀、そして黒ウサギたちは生き残らせてやろうではないか。

 

 白夜叉などの実力者は放っておいても生き残るだろうが、コミュニティの子供たちはまず全滅し、脆弱な心の持ち主は魂すらマガツヒと化し、創世の糧となるだろう。そうなれば十六夜たちは激怒し、決してシンを許さないだろう。そうなったとしても、シンは何とも思わない。何か思うような心はとうに無いのだから。

 

 空を指差し、何事かを黒ウサギに話しかける十六夜を見て、シンは薄く笑う。

 

 

──期待しているぞ、特にお前はな。

 

 

    *

 

 

 箱庭のある場所にて。一つのコミュニティが終焉を迎えようとしていた。

 

 コミュニティのリーダーは血濡れで地面に転がり、どうしてこうなったのか思い返そうとしていた。

 

 それは勝てるゲームの筈だった。頭数も少ない新参コミュニティが、何を血迷ったか大手コミュニティに喧嘩を売ってきたのだ。しかも名と旗印を賭けてと来た。

 

 普段なら相手にしないのだが、何故か今回は相手の侮辱に乗ってしまった。奇妙な事に相手のリーダーの前に出た途端感情が掻き乱され、気が付いたらこちらも名と旗印を賭けることになってしまった。

 

 それでも、勝てば問題ない。ゲーム内容は戦力が物を言うルール。リーダーは貧弱そうなガキで、神霊や星霊らしい霊格は感じない。最早勝ったも同然だった。それでも手抜きはしない。侮辱された分痛めつけてやろうと全戦力で全力でかかり──

 

──一瞬で蹴散らされた。

 

 何をされたのかわからなかった。白のような黒のような混沌とした輝きが一瞬でコミュニティを包み込み、光が収まった時には全て終わっていた。

 

 ある者は顔色を紫に変えてドス黒い血反吐を吐き、ある者は蒼白になって固まり瞬きすらせず転がっている。またある者はギフトが発動しないと泣きじゃくり、あまつさえ白目を向いて相手のリーダーを褒め称えている者さえいる。

 

 そんな地獄絵図の中、相手のリーダーはつまらない物を見るような視線でこちらを見ている。

 

「──この程度ですか。この辺りでは力あるコミュニティだと言うから、少しは面白みのある芸ができるかと期待しましたのに。とんだ期待外れでしたわねえ、坊ちゃま」

 

 喪服を着た老婆が呆れ果てたように言った。スーツを着た金髪の少年はこちらに向けていた視線を、完全に興味を失ったかのように逸らす。少年は老婆に向かってヒソヒソと何事かを話しかけると、老婆は頷いた後再び口を開く。

 

「喜びなさい。坊ちゃまは、貴方たちを我らのコミュニティを支える家畜として迎えるとのことです。光栄なことですよ」

 

「──ふっ……ざけん……な……!」

 

 そんな馬鹿げた提案に、認められるかと気合だけで立ち上がる。だが、それを見ても老婆はため息を付くばかり。

 

「哀れなことです。己が決めたルールも守れませんか。まあ、名も旗印も失えばその程度のモノに成り下がるのも道理でしょうね──」

 

 老婆が軽く手を振るうと、再び視線が落ちた。そして脳を焼くような激痛。四肢の感覚が無くなった。ただただ痛みだけが全身を支配し、意識が塗り潰されて行く。

 

「おやおや、もう意識を失うつもりですか。それでは最後に聞いておきなさい。お前たちがこれから飼われるコミュニティと、それを率いる高貴なるお方の名を──」

 

 金髪の少年が何事かを老婆に話しかける。それを聞いた老婆は少し困ったように答える。

 

「その名前でよろしいのですか? 分かる者には分かってしまいますが……坊っちゃまがよろしいのであればこの婆、文句はありませんとも、ええ」

 

 苦笑した老婆は、壊滅したコミュニティを見渡し、謳うようにその名を告げる。

 

 

「──コミュニティ〝      〟のルイ・サイファー(・・・・・・・・)

 

 

「その霊をマガツヒと化すまで、この名を覚えておきなさい──」

 

 その言葉を待っていたかのように、老婆と少年の後ろから異形の大群──悪魔たちがやってくる。まだ息のある人間を回収していき、抵抗する者は動かなくなるまで痛めつけ、引き摺って何処かへ連れて行く。

 

「ある程度餌を集めましたら、次は魔王と呼ばれて粋がっている者どもを下僕にいたしましょうか。ふふ、婆は何だか楽しくなってまいりましたよ──」

 

 老婆が上品に笑い、少年は無言で薄く笑った。

 

 

    *

 

 

 箱庭に侵入した悪魔たち。

 

 一方は〝ノーネーム〟に入りて箱庭を見定めようとし、もう一方はコミュニティを立ち上げ勢力を静かに拡大していく。

 

 今はまだ、どちらも小さなうねりに過ぎない。

 

 だが、何れ箱庭が混沌に落ちる日は──そう遠くない。




第一章「NO! ウサギは呼んでません!」はここで完結となります。
多くのご感想とご愛読、誠にありがとうございました。
これらを糧に、高まるご期待に添えられるよう更なる精進を重ねるつもりです。

現在二章を誠意執筆中ではありますが、ある程度書き溜めてから毎日投稿とさせていただきますので、外伝を不定期で投稿する以外は一旦休止となります。
二章からはいよいよ仲魔が登場し、人修羅のボルテクス界での歩みもストーリーに関わってきます。
ここからだんだん原作から離れて行きますので、気合い入れて頑張ります。

第二章「あら、妖精襲来のお知らせ?(仮)」は七月までには開始する予定です。
お待ちの間、悪魔に肉体を乗っ取られぬよう、お気を付けて……。


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アマラ外伝 第1カルパ
悪魔の日常だそうですよ?


 異世界へ送られた、異才を持つ少年少女へ宛てた手紙──箱庭への招待状、その一つを奪い、悪魔は修羅神仏の集う〝箱庭の世界〟へと侵入した。それぞれの異世界より同じく集った少年少女たちを助力しながらも、目的を隠しその壮絶な野望へ向け動き出している。

 

 悪魔の名は──人修羅。

 

 人間としての名を、間薙シン。

 

 その身はあらゆる攻撃を防ぎ、その拳はあらゆるものを砕き、その魔なる術はあらゆるものを殺戮する。人類はおろか、修羅神仏に同胞である悪魔にすら牙を剥き、万物に区別なく死を振りまくおぞましき悪魔。

 

 暗黒の天使に導かれ、混沌王と呼ばれしあらゆる悪魔を統べる黒の希望──その魔人は箱庭で今、

 

「──お馬鹿様ッ! お馬鹿様ッ!! このっ……お馬鹿様方ッ!!!」

 

 かなり怒られていた。

 

 

    *

 

 

 その理由は一時間ほど前に遡る。場所はペリベッド通りの噴水広場前にある、〝六本傷〟の旗が掲げられたカフェテラス。そのテーブルの一つに陣取っていた十六夜たち、そしてシンは、黒ウサギの言葉に耳を疑った。

 

「ギフトゲームが……全面禁止(・・・・)? この一帯でか?」

 

「YES! これはちょっとした緊急事態でございますよ!」

 

 〝ギフトゲーム〟とは箱庭で〝恩恵(ギフト)〟や物品、金品などを得るために行われる神魔の遊戯である。〝主催者(ホスト)〟と〝参加者(プレイヤー)〟に分かれ、ありとあらゆるものを掛けて争う、箱庭の法とも呼べる基盤なのである。

 

 そのギフトゲームが禁止されるということは、流通が止まることに等しい。そのようなことが起こりうるというのか。十六夜は勿論、飛鳥と耀も首を傾げる。シンは我関せずと紅茶を飲んでいたが。

 

「魔王が現れた……というわけではなさそうね」

 

「そんな剣呑な雰囲気じゃない。慌ただしくいろんな人が走り回ってるけど」

 

 にゃあ、と三毛猫が鳴いて補足するが、耀と黒ウサギ以外にその言葉はわからなかった。閑古鳥が鳴いていることの方が多い筈のこの噴水広場では、今や行商人らしき人々があれやこれやと走り回り、住民はそれを捕まえるのに必死になっていた。

 

 それらを不思議そうに眺める一同へ、黒ウサギはウサ耳をピン、と立てて事情を説明する。

 

「YES! 魔王ほどの脅威ではありませんが、困った事態になったのは間違いありません。実は箱庭の南側からこの東側に向かって、干ばつ(・・・)がやって来るそうなのですよ」

 

 はあ? と十六夜たちは一斉に疑問の声を上げる。シンは興味が惹かれたのかピクリと反応すると、黒ウサギを見た。

 

「……どういうことなの? 干ばつに手足が生えて向かって来るとでも?」

 

「YES! 正確には、腕が一本と足が一本生えていたそうですけれども」

 

「なにそれ奇抜」

 

 ますます首を傾げる飛鳥と耀だが、ただ一人十六夜は顔色を変えて驚いた。

 

「腕一本に足一本でやってくる干ばつ──旱魃? まさか〝(バツ)〟でも現れたのか?」

 

 黒ウサギは頷き、箱庭の南側は日照り続きで大損害を受けた、と教えてくれた。また、箱庭の〝魃〟は過去に保護されたそれの遠い系譜の怪鳥を指し、魔王〝蚩尤(シュウ)〟を倒した神獣そのものではないと言う。だが天に還りたいという望みは怪鳥に姿を変えた今でも絶たれておらず、箱庭を当てもなく彷徨っているらしい。

 

 仏話の〝月の兎〟によって箱庭に招かれ、ギリシャ神話の〝ペルセウス〟と戦い、今度は中国神話の〝魃〟の登場である。箱庭の節操の無さに、十六夜は呆れたように閉口した。

 

 しかし黒ウサギはそれを真面目な顔で否定する。

 

「それはNOですよ十六夜さん──」

 

 黒ウサギが言うには、〝月の兎〟も〝ペルセウス〟も、外界での功績が認められたからこそ箱庭に招かれているという。〝伝承がある〟ということは〝功績がある〟ということであり、決して無作為に箱庭に存在するわけでは無いのだ。

 

 とはいえ〝魃〟のようにその身に宿る力を持て余され、箱庭に保護されるような例外もいる。日照りの力によってコミュニティに属せず、穢れによって神格を無くし、神気も知性も残っていない哀れな幻獣なのだと、黒ウサギは遠い目をした。

 

「話は分かった──」

 

 そう言って、紅茶を飲み終えたシンはカップをカチャリ、と置いた。そしてその翠色の瞳をぎらりと輝かせ、合点がいったように頷く。

 

「──要するに、その〝魃〟どもを一匹残らず始末すればいいんだな」

 

「YES! 一匹残らず始末──って違いますよ!?」

 

 シンの物騒な提案に華麗なノリツッコミで否定する黒ウサギ。シンはやや困惑したように問い返す。

 

「……害獣が現れたから駆除しようということじゃないのか?」

 

「黒ウサギの話を聞いておりましたか!? 少しは彼らの境遇を哀れに思わないのですか!?」

 

 バシバシとテーブルに掌を叩きつける黒ウサギだが、シンは首を振って一切の迷い無き眼で否定する。

 

「──立ち塞がる者は、皆殺す」

 

「血も涙もありません! 鬼です! 悪魔です!」

 

「……いえ、だから悪魔なのでしょう?」

 

 よよよ、と泣き崩れる黒ウサギに、飛鳥が呆れたようにツッコミを挟む。そして事実血も涙もない悪魔であるシンは、黒ウサギをスルーして店員に紅茶のおかわりを頼んでいた。

 

「それで、結局どうするの?」

 

「おっと、やや脱線してしまいましたね──」

 

 耀の疑問に黒ウサギはすぐさま立ち直り、明るい表情で説明を始める。

 

「つまり、2105380外門に住むコミュニティはこれから訪れる干ばつに備えて大忙しという事でございますよ! そして我々〝ノーネーム〟にとっては備蓄を増やす大チャンスなのです!」

 

 ブンブンと両手を振り回してはしゃぐ黒ウサギ。それを聞いて、十六夜たちも察したように顔を見合わせる。

 

 〝ノーネーム〟は、十六夜が蛇神を倒したことで得た〝水樹〟のギフトを保有しており、水源に関しては干ばつの影響を受けないのだ。これを機に他のコミュニティと契約し、定期収入とする魂胆である。

 

 それ自体は理に適っている。いるのだが──

 

「……なんだか、間薙君の方針よりよっぽど悪どい気がするのは、気のせいかしら?」

 

「──うっ!」

 

 痛い所を突かれた、とでも言うように胸を押さえる黒ウサギ。

 

「悪どいというより、いやらしい?」

 

「──はぅ!」

 

 それ以上言わないで、とでも言うように頭を押さえる黒ウサギ。

 

「血も涙もないな! この鬼! 黒ウサギ!」

 

「──って、それはどういう悪口でございますか!?」

 

 流石に聞き逃せなかったのか十六夜に抗議する黒ウサギ。しかし十六夜はヤハハと笑い飛ばし、分かってるとばかりに手を振る。

 

「冗談だって。俺たちは〝名〟も〝旗印〟も無い〝ノーネーム〟だからな。広報もできないコミュニティが契約者を募るには、こういう状況を利用せざるを得ないのは分かってるさ」

 

 干ばつ期にも水源があることをアピールすれば、〝ノーネーム〟といえども必ず希望者が現れるだろう。それを聞いて、黒ウサギははぁ、とため息をついて説明を続ける。

 

「本当はこんなヤラシイ手段など使わず、堂々と契約者を募りたいのですが……十六夜さんの言う通りなのが現状です。そこで皆さんには〝魃〟が現在どのような状況にあるかを確認してきて欲しいのです」

 

 一種の情報収集ですね、と締めくくる。十六夜たちは頷き、承諾した。同じく頷きながらも、シンは紅茶に口を付けながら考察する。

 

 魔王シュウは魔界にも存在しており、混沌王であるシンの本体の配下でもある。だが、正確には名目上の配下であって実際に顔を合わせたことは無い。混沌王になった瞬間、大いなる存在との決戦に駆り出されたからである。戦場を同じくしてようやくその存在を知った悪魔も少なくないのだ。

 

 さて、その魔王シュウを下した〝(バツ)〟だが、シンは興味が湧いていた。神話や伝説が残っていても、悪魔として存在していないこともある。〝魃〟はその典型的な例だが、まさか箱庭に存在していようとは思ってもいなかった。一目見て見たい、あわよくば、とシンは静かに瞳を輝かせている。

 

 そんなことをシンが考えているとも知らず、十六夜たちは黒ウサギに〝魃〟の姿形を確認し、出発しようとしていた。

 

「──くれぐれも気を付けてくださいまし。危険を感じたら帰って来ても構いませんから」

 

 心配そうに身を案じる黒ウサギに見送られ、一同は都市の外へ出て行った。かくして一同は近隣に潜んでいるという神獣〝魃〟の状態を確認しに行くことになった、のだが──

 

 

    *

 

 

 その一刻後、つまり現在。

 

 一同は外門の石柱の前で正座をさせられていた。その周りには不自然に一同を遠巻きにして人だかりが集まっているが、それを気にせず髪色とウサ耳を緋色に変えた黒ウサギが怒声を上げた。

 

「い、いいですか!? 黒ウサギは干ばつに備えて〝魃〟の情報を収集して来て欲しいと頼んだのです! 情報とは巣を作っている場所、体の大きさなどを言うのです! なのになんでッ! どうしてッ……!?」

 

 黒ウサギはカンカンだった。そして汗をダラダラ流しているのにも頓着せず、またはそれ故に余計怒り狂っているのか、更なる怒号を響かせる。

 

「一体誰が──〝魃〟を連れて帰ってこい(・・・・・・・・)、なんて言いましたッ!?」

 

『ムシャクシャしてやった。今は反省しています』

 

「黙らっしゃい!」

 

 スパパパァーンッ! と、まるで反省していない言い訳をする三人へ黒ウサギはハリセンを奔らせる。

 

 人だかりが遠巻きに見ているのも、黒ウサギが汗だくなのも、そして怒っているのも、それが原因であり問題だった。彼らが座るすぐ脇には、全長二十尺──約六メートル。二階建ての建物程度──はあろうかという巨大な怪鳥がちょこんと座っていたのである。

 

 今はその力をなんとか抑えようとしているようだが、それでも当たり一帯は熱気に包まれ、人々は汗だくになっていた。

 

「シンさんがついていながら、一体どうしてこんなことに──」

 

「……いやまあ、連れて帰ろうと言い出したのは間薙なんだけどな」

 

「──は!?」

 

 ヤハハと笑う十六夜を他所に、黒ウサギはぐりん、とシンに振り向く。一人、汗もかかずに涼しい顔をしているシンに、黒ウサギは詰め寄った。

 

「ど、どういうことです!?」

 

「……途中で飛んでいるのを見かけたからな。捕まえればコミュニティの力になると思ったんだが」

 

「シ、シンさん……!」

 

 シンの言葉(言い訳)を聞き、感極まって瞳を潤ませる黒ウサギ。だが次の言葉を聞いて感動を撤回する。

 

「──具体的には、敵対するコミュニティに送り込むとか」

 

「やはり血も涙もありません! 鬼です! 悪魔です!」

 

「……だから、シンは悪魔じゃないの?」

 

 辺り一帯に干ばつをもたらすような幻獣を敵コミュニティにけしかけると聞いて、黒ウサギは泣き崩れ、耀はツッコミを入れる。

 

「KyuuN……」

 

 やはり自分が歓迎されていない事を、理性が無いながらも感じ取ったのか〝魃〟は悲しげな鳴き声を上げる。それを聞き、耀は黒ウサギに懇願する。

 

「ねえ、飼ってもいい? 世話もちゃんとするから……」

 

「いけません! うちにそんな余裕がどこにあると言うのですか!?」

 

「そこは論点じゃないでしょう?」

 

 お約束の応酬をする黒ウサギと耀に、飛鳥は呆れたように首を振り、きり、と表情を引き締めると口元に指を当て考え込む。

 

「そうね、問題は飼う場所よ。鳥小屋は用意する必要があるのかしら?」

 

「死んだ土地の上にでも放しておけばいいだろう。これ以上乾きようもない」

 

「それよ!」

 

「それよ! じゃありません! 死者に鞭打つような真似はおやめ下さい!」

 

 ぱちん、と指を鳴らす飛鳥に泣きつく黒ウサギ。魔王によって土地を崩壊させられた〝ノーネーム〟の領地だが、まだ緑が残っている場所も無いわけではない。〝魃〟がそこを住処にすれば、今度こそ完膚無きまでに土地は死ぬだろう。

 

 流石に〝ノーネーム〟で飼えないことが分かっていた十六夜は、やれやれ、と言いながら頭を掻き立ち上がる。

 

「ま、こうなるだろうとは思ってたけどな。ここで放置するわけにもいかねえし、引き取り手を探すか」

 

 とはいえ〝ノーネーム〟相手に取り引きをしてくれるコミュニティは少なく、そもそも〝魃〟を引き取れるようなコミュニティは限られる。必然的に、一同は〝サウザンドアイズ〟支店へ向かうのだった。

 

 

    *

 

 

 〝魃〟を換金し終えて、一同が本拠に戻った頃には日が暮れていた。十六夜たちは風呂や食事に向かい、黒ウサギは執務室でジンたちと今日のことについて話し合っていた。

 

 シンは一人、屋根の上で寝転がって星空を眺める。

 

 風呂は使用中だし、食事の必要はない。金の管理も黒ウサギたちに任せているので、その場に混ざる必要もない。睡眠の必要もないシンは、夜の間は屋根で星空を眺めながら考え事をするのが日課だった。

 

 暫しそうしていると、ユニコーンが領地に入ってきたことに気がついた。背に何かを背負っている彼はシンを見つけると一礼し、別館に入って行った。恐らく昼間の礼に来たのだろう。見に覚えのあるシンは納得し、星空へ視線を戻した。

 

 

──昼間の事である。

 

 

 〝魃〟の情報収集をしに都市の外、近場の森林へ足を運んだ一同は〝魃〟に襲われているユニコーンを見かけた。瞬時に状況を判断した一同は、飛鳥が言霊でその動きを封じ、耀がグリフォンのギフトで十六夜を空に運び、十六夜がその天地を砕く力で〝魃〟を叩き落とす。

 

 ユニコーンは無事逃げて行き、一同は虫の息の〝魃〟の前に集まった。

 

「襲われてたからつい倒しちゃったけど……どうしよう?」

 

「放置しても迷惑でしょうし……持って帰るしかないわね」

 

 飛鳥と耀は、黒ウサギが怒るだろうと察して困ったようにため息をつく。だが後悔はしていない。ユニコーンを救うことができたのだから。

 

「ま、倒しちまったものは仕方がない。それじゃ縛って担いで──」

 

「──待て」

 

 持ち帰ろうと動き出した十六夜を制止するシン。珍しいこともあるものだ、と一同はシンへ視線を向ける。

 

「こいつは〝ノーネーム〟で引き取ろう」

 

 それを聞いた十六夜たちは目を輝かせ、賛成する。

 

「それイイなオイ!」

 

「そうね、日照りの力も上手く使えば生活の役に立つんじゃないかしら」

 

「どこからも疎まれてどこにも所属できなかった子だから……それはいい考えだと思う」

 

 しかし日照りの力は強力で、捕まえて領土に放すだけでは辺り一帯干ばつが続くことだろう。周囲のコミュニティを敵に回せば、今度こそ〝ノーネーム〟はおしまいである。十六夜はいい手は無いか、と考える。

 

「春日部がなんとか説得できないか?」

 

「やってみるけど……難しいと思う」

 

 獣と会話することのできるギフトを持つ耀なら、〝魃〟と話すことはできるだろう。しかし飼われる事を承諾させられるかどうかは、また別の能力が必要だった。

 

 そこへシンは名乗り出る。

 

「──俺がやる。この手のことは慣れているからな」

 

 そうして、〝魃〟を目覚めさせたシンは交渉に入った。人の言葉を理解できない程に落ちぶれた〝魃〟だが、ジャイヴトークを持つシンが獣側の言葉で意思を伝える。だが如何せん、傍目から見るとシンが獣のような唸り声を上げているようにしか見えない。十六夜と飛鳥はそれを見ながら笑いをこらえる。

 

「……ふっ、普段凛としている間薙君が……ぐるるる、きゅーんって……!」

 

「プッ……珍しいもんを見れたな!」

 

 だが、一人耀は感心していた。耀は確かに獣と話すことができる。だが、それはあくまで意思を伝えられるというだけで、人の言葉を話していることには変わりない。そして目の前のシンは、間違いなく獣の言葉を使っており、その内容も耀は聞き取れる。

 

 当然、それは完全に意思を伝えられているとは言い難い。鳴き声にはあまり情報を詰め込められないし、端的な言葉を幾つも繋いでいるため、時間もかかる。

 

 だがその様子は、獣と何の支障なく話せる己より、余程獣の立場に歩み寄っていると耀は感じていた。

 

 その証拠に〝魃〟は徐々に心を開いて来ていた。シンは真摯な言葉を投げ掛け続けている。その様子を耀は素直に凄い、と思った。にゃあ、と三毛猫が慰めるように鳴く。その頭を撫でて、耀はシンの交渉の様子を聞き漏らすまい、と集中した。

 

──そして、たっぷり三十分かけて、〝魃〟はシンについて行くことを承諾した。

 

 まさか真っ向から説き伏せられるとは思っていなかった十六夜と飛鳥は驚く。シンと耀は当然、と言うように頷いた。

 

 〝魃〟は立ち上がり、高らかに歓喜の鳴き声を上げる。

 

 

──オレサマハ、妖獣バツ! コンゴトモ、ヨロシク!

 

 

 以上が、昼間の顛末だった。

 

 結局〝ノーネーム〟で保護することはできなかったので〝サウザンドアイズ〟に引き取ってもらうことになったが、既に暴れないように躾けてあったので換金時には色をつけてもらった。

 

 せっかく出来た主とすぐに別れることになってバツは寂しそうだったが、また皆で会いに行く、と耀が慰めると嬉しそうに鳴いた。

 

 因みに、黒ウサギは十六夜たちから〝箱庭の貴族(鬼)〟と弄られていたが、シンにとってどうでもいいことだ。

 

 今回シンが積極的に動いた理由だが、分霊の身一つで箱庭にやってきたシンは手元に仲魔を連れておらず、そろそろ仲魔が欲しいと考えていた所だったのだ。コミュニティの事情からバツを仲魔にすることは出来なかったが、箱庭の存在相手でも問題なく交渉できることを確認出来ただけでシンは満足だった。

 

 ギフトカードにしまえば日照りの力の問題は解決出来たかもしれないが、箱庭の存在であるバツは悪魔ではなく生物なので、食事などのためにカードから出さなければならない。それはシンの能力でパーティの控えに納めても同様のことだ。

 

 やはり魔界の仲魔を召喚するか、悪魔を仲魔にしなければならない、とシンは考えを新たにする。

 

 そうして、シンはそのまま朝まで星空を眺めるのだった。

 

 

    *

 

 

 そして翌朝。一同は黒ウサギと共に、解禁されたギフトゲームを求めて2105380外門を訪れていた。十六夜は面白いんだろうな、と聞き、黒ウサギは満面の笑みで答える。

 

「YES! 行商に来ておりました超巨大コミュニティ〝八百万の大御神〟の分隊が、行商を止めてゲームを開催するそうです!」

 

 十六夜はいよいよ節操が無い、と呟き、黒ウサギは期待度は当社比特大ですよ、とはしゃぎ、飛鳥と耀は何処との当社比なのか、と容赦無く突っ込む。

 

 そしてシンは、期待に瞳を輝かせる。

 

──神道の神か。それならばあるいは……。

 

「さあ、それでは参りましょ──あれれ? なんだか寒気がして来たのですよ?」

 

 謎の悪寒に震える黒ウサギはさて置いて、一同は今日もギフトゲームに挑むのだった。




外伝はコメディ分多めでお送りいたします。


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問題児たちと少女が出会うそうですよ?

 十六夜、耀、飛鳥の三人は、薄暗い迷宮にいた。

 

 突如現れた怪しい男によってギフトゲームを挑まれた一同は、〝挑戦者(プレイヤー)〟となることを快諾し〝契約書類(ギアスロール)〟に署名する。だがそれは魔王の卑劣な罠だったのだ。

 

 同行していたシンが敵に封じられ、〝ノーネーム〟は大きく戦力を減ずる。今戦えるのは十六夜たち三人のみ。彼らのみで、この悪鬼羅刹が跋扈する魔性の迷宮を攻略しなくてはならない。

 

 そして最深部に待ち受けるは──魔王。

 

 絶望的な状況の中、飛鳥は一切の闘志を揺るがすことなく、何処かで己たちを見ているであろう〝主催者(ホスト)〟へ向かって宣戦布告する。

 

「後を託してくれた間薙君の為にも、私たちは絶対に負けないわ──必ず魔王を倒し、このギフトゲームを攻略してみせる!」

 

 それは、まるで戦乙女の如き宣誓だった。そんな彼女を誰が蛮勇と笑えるだろうか。ゲーム攻略の意志を胸に、勇ましく言い放つ彼女は最早一人前のプレイヤーと呼べるだろう。

 

「──さあ、行きましょう皆。私たちの手で、全てを終わらせる時よ!」

 

 その言葉を受けて、十六夜と耀の二人は──

 

 

『いや多分これ、そういうのじゃないから』

 

 

 とても冷めた表情で、手を振るのだった。

 

 

    *

 

 

 話はやや遡る。

 

 箱庭2105380外門居住区画・〝ノーネーム〟廃墟の街。黒ウサギは猫車に瓦礫を載せ、廃材置き場へ向かっていた。

 

 今までは人手が足りず、作業する時間の余裕も無く、三年前の傷跡はそのままにされていた。だが、十六夜たちが〝ノーネーム〟の生活状況を大幅に改善してくれたお陰でその余裕もでき、本日から片付けを開始したのだ。何れ復活させる農園の為に、土壌の肥やしになりそうなものは確保しておく魂胆もある。

 

「ふぅ……これは使えそうでしょうか」

 

 運んできた瓦礫を選別し、使えそうなものを分けて置いておく。残りは処分する為に、ゴミ置き場へ運び込む。積まれた瓦礫はそれなりの山になっており、黒ウサギが勤勉に働いた成果を伺わせた。

 

「あ、黒ウサギのお姉ちゃーん!」

 

 黒ウサギが再び廃墟に戻ると、キツネ耳に割烹着をきた少女──リリが待っていた。その手にはお盆があり、幾つかのおにぎりが乗っている。

 

「そろそろお腹の空く頃だと思って、おにぎり持ってきたよ! もうずっと作業してるし、少し休憩したらどうかな?」

 

「わあ……ありがとうございます、リリ! でもご心配には及びませんよ!」

 

 そう言って黒ウサギはリリに笑いかけ、むん、と握り拳を作る。

 

「コミュニティの皆さんに貢献する為なら、これしきの肉体労働など苦ではありませんから!」

 

 実際、黒ウサギ──〝箱庭の貴族〟の身体能力は箱庭の生物の中でも突出しており、数刻の肉体労働程度では疲労も少ない。それを一瞬で草臥れさせる問題児たちが規格外なのだ。勿論、悪い意味で。

 

「それに、今日はあの四人も手伝ってくれるとの約束ですしね!」

 

 一人で作業していたのに、妙に機嫌がいいのはそれが理由だった。全員揃えばあっという間に片付けが終わるであろう期待感もあるが、普段皆で好き勝手な行動を取っている十六夜たちと共に、一つのことが出来るのが嬉しいのだった。

 

「……あっ! シン様が来たよ!」

 

 リリが嬉々として指を差した方向に視線を向けると、シンが歩いてやってくるところだった。黒ウサギはパァ、と表情を輝かせてシンを歓迎する。

 

「こんにちは、シンさん! 今日はよろしくお願いしますね!」

 

 そう言うと、他の人影を探してキョロキョロと辺りを見回す。

 

「十六夜さんたちはまだですか? まあ、厳密に時間を指定したわけではないですし、何れ来るでしょう──」

 

「──その事だが」

 

 シンは黒ウサギの言葉を遮ると、手に持っていた紙切れを手渡す。黒ウサギがきょとん、とした表情でそれを受け取って開くと、中にはこう書かれていた。

 

 

『そうだ、街行こう──三人より』

 

 

 暫し、黒ウサギの時間が止まる。リリが心配そうに見つめ、シンが無表情でそれを見つめ、しばらく経って──ようやく黒ウサギの時間が動き出す。黒ウサギは髪色とウサ耳を緋色に染めて、絶叫する。

 

「あ……あの問題児様方は! まったくもーッ!!」

 

 廃墟に、黒ウサギの怒声が木霊した。

 

 

    *

 

 

 一方その頃、黒ウサギとの約束をドタキャンした十六夜たちは、街中を散策していた。普段通ることのない場所まで足を伸ばし、見慣れぬ街並みに心躍らせる。

 

「行けども行けども知らない街並み……箱庭ってすごく広いよね」

 

「本当ね。私たちがこの箱庭に呼び出されて、もう二~三ヶ月は経つのかしら?」

 

「ああ。見たことのないものばかりでまだ慣れないが──すぐに飽きちまうような所じゃ来た意味がねぇ!」

 

 ヤハハ、と十六夜が笑い、手に持ったワッフルに似た焼物を頬張る。それを見て飛鳥はいつの間に、と呟き、耀は獲物を見る目でそれを見つめる。

 

 「おー、わりと美味いぜ。だがやらん。欲しかったら自分で買ってくるんだな!」

 

 十六夜は耀に見せ付けるようにあっという間に食べ尽くし、包み紙をクシャクシャと丸めた。望みを断たれた耀は周囲を見渡し、目を光らせる。飛鳥は呆れたように笑った。

 

「まだ屋台は沢山出てるんだし、焦らなくてもいいでしょう?」

 

「ううん。少ない予算で、安くいっぱい買える屋台を見極めるのが、こういう時の醍醐味だから」

 

「……ふぅん、そういうものなのかしら」

 

 名家の出身であり、生粋のお嬢様である飛鳥は、このような屋台を巡っての食べ歩きなど経験したことはない。耀が言うならそうなのだろう、と己も周囲を見渡してみる。

 

「それより、黒ウサギとの約束を破っちゃってよかったのかな?」

 

「まぁ、今頃カンカンだろうなー」

 

「ごめんね。二人まで付き合わせちゃって……」

 

 黒ウサギとの約束の時間まで後少しという所で、耀は街の方角からいつもより賑やかな気配を感じたのだ。そしてそのまま街に来てしまった次第である。

 

「間薙もいるし、あまり気にしなくても大丈夫だろ」

 

 耀は黒ウサギの事を気にするが、十六夜はどこ吹く風。そもそも率先して二人を連れ出したのは十六夜なのだが、素知らぬ顔で散策を楽しんでいる。

 

「でも、こうして見ても特別賑やかな感じじゃないね。気のせいだったのかな──」

 

「──ねえ、二人とも」

 

 急に飛鳥に声をかけられた十六夜と耀が振り向くと──二人は目を丸くした。

 

「……どうしましょう」

 

 困った表情の飛鳥の傍らには、可愛らしい見知らぬ少女がくっついていたのである。

 

「飛鳥──」

 

 耀がゆらりと飛鳥に近付き、真剣な表情で飛鳥に問いかける。

 

「──その子、どこの屋台で買ったの? 私も欲しい」

 

「買うわけないでしょう! まずは話を聞きなさい!」

 

 真面目にお馬鹿な事をのたまう耀を一喝し、少女に視線を移す。

 

 その少女は、飛鳥とはまた違うベクトルのお嬢様だった。輝くような長い金髪に、雪のように真っ白な肌。品の良いブルーのワンピースを着て、両手をもじもじと後ろ手にして十六夜たちを上目遣いで見つめている。

 

「ねえねえお姉ちゃんたち、どこから来たの?」

 

「えっと……2105380外門の方からよ」

 

「なんだ、迷子か?」

 

 背を屈め、目線を合わせた飛鳥が優しく答える。十六夜は、こんなところに見なりのいい少女が一人で居ることに疑問を持った。しかし少女は首を振って答える。

 

「ううん、おじさんたちと一緒だったんだけど……お外は危ないから、って出してくれないの。でも宿屋さんにずっといてもつまらないし、勝手に抜け出してきちゃった」

 

 うふふ、と上品に笑うが、内容はお転婆そのものである。耀は心配そうに問い掛ける。

 

「いいの? きっとおじさんたち心配してると思う」

 

「だってー、せっかくのお出かけなのにお外連れてってくれないんだもん」

 

 むくれる少女に、飛鳥は優しく笑いかけながら肩に触れる。

 

「ふふ、そうね。私も家や寮に閉じ込められて育ったから、その気持ちはわかるわ──」

 

 けれど、と表情を真剣にして言葉を続ける。

 

「おじさまたちはきっと、貴女がとても大切なのよ。だから大事にし過ぎてしまうのね。そんな素晴らしい方々を、あまり心配させるものではないわ」

 

「……うん」

 

 少女は俯き、反省するように言葉を漏らす。それを見て、飛鳥はにこりと笑った。

 

「そうやって、すぐに反省できるくらい良い子なら、がんばって説得すればきっと遊びに連れて行ってもらえる筈よ」

 

「──本当!?」

 

 目を輝かせ、ぱっと顔を上げる少女がおかしかったのか、飛鳥はふふ、と笑う。

 

「ええ、本当よ。……そういうわけで、これからこの子を送って行こうと思うんだけど──」

 

「ま、いいんじゃねえのか?」

 

「うん、構わないよ」

 

 十六夜と耀も特に異論は無く、快諾する。しかし少女は残念そうに俯き、屋台を名残惜しそうに見つめた。それを見て、耀は急に独り言を呟く。

 

「──でも、私たちこの辺の地理にあまり詳しくないし、迷ってしまうかも」

 

 飛鳥は不思議そうに首を傾げるが、十六夜はピンと来たように言葉を繋げる。

 

「そうだなー。あちこち面白そうな場所を歩き回って、腹が減るかもしれないな。その時は適当になんか買って食うけど、俺らだけ食うのも決まりが悪いしなー」

 

 十六夜のその言葉に、ようやくその裏を悟った飛鳥も、それに乗る。

 

「そうね。だからその時は貴女にも渡すけど、食べ切れなかったらごめんなさいね」

 

 悪戯っぽく笑う十六夜たちに、少女は彼らの言いたいことを理解して満面の笑みを浮かべる。

 

「──うん、ありがとう! お兄ちゃん、お姉ちゃん!」

 

 

    *

 

 

「──なるほど、そういう事情があったのですね」

 

 髪を緋色に染めた黒ウサギが十六夜たちに追いつき、見知らぬ少女を連れていた事情を聞いていた。

 

『春日部が迷子の子供の声を察知してな。見捨てるのも目覚めが悪いし、つい来ちまった』

 

 真っ赤な嘘であるが、当の本人である少女は飛鳥に買ってもらったクッキーを頬張っていて、話を聞いていなかった。素直な黒ウサギはあっさりと騙され、感涙する。

 

「なんとお優しいのでしょう! この黒ウサギ、感動いたしました!」

 

『チョロいな』

 

 十六夜たちの心は一つになった。

 

 そしてその瞬間、どこからともなくグゥ、と音が鳴る。一同が視線を移すと、黒ウサギの頬が紅潮した。

 

「……黒ウサギ、はしたない」

 

「しょ、しょうがないでございましょう!? 皆さんと一緒にお昼を食べようと、朝から一人で寂しく働いていたのですから!」

 

 黒ウサギは涙目で反論する。あー、と十六夜たちは納得するが、反省はしない。そこへ、少女が黒ウサギへ手に持っていた残りのクッキーを差し出す。

 

「──はい、お姉ちゃん!」

 

「えっ? で、でも、これは貴女の……」

 

 子供の分を取るわけには、と戸惑う黒ウサギだが、少女はお腹空いたんでしょ? と笑ってクッキーを手渡した。

 

「もうお腹いっぱいになっちゃったから、あげる!」

 

「……はい、ありがたく頂きます!」

 

 黒ウサギは少女の思いやりを受け取り、嬉しそうに笑った。十六夜たちは苦笑してその光景を眺める。

 

 そしてシンは、十六夜たちの捜索に協力する為、黒ウサギについて来ていた。一同の最後尾にいるシンは少女の姿を見て、あることに気が付く。

 

──この少女、確か……。

 

 そう思慮に耽るシン。

 

 少女の案内で泊まっていたという宿屋に向かう途中、一同の前に奇妙な男が立ち塞がった。細長い体躯に皺一つない礼服を着込み、マフラーのついた頭巾の上にシルクハットを被っている。そして宝石のついたステッキを持ち、一見すると一昔前の紳士のようだった。

 

 身構える一同だが、男は優しい口調で少女に話し掛ける。

 

「──やっと見つけた。あまり心配させないでおくれ」

 

「──あっ! おじさん!」

 

 少女は表情をパッと輝かせるが、自分が勝手に外に飛び出したことを思い出し、踏鞴を踏む。男は全てわかっている、と言うように首を振って両腕を広げる。

 

「いいんだ。私たちも君の気持ちを考えてあげられなかったからね。おあいこだ」

 

「うん、ごめんね。おじさん……」

 

 とてて、と走り寄った少女は男に抱き着き、男も優しく受け止めて抱き返す。慈しむように少女の頭を暫く撫でると、姿勢を正して十六夜たちに一礼する。

 

「この子の相手をしてくれて、誠に感謝する。是非礼をさせて頂きたい──」

 

「──オイオイ、俺たちはただ、散策の道連れにしただけさ。感謝されるようなことはしちゃいない」

 

 十六夜たちはそう言うが、男は納得がいかないと言うように顎に手を当てる。

 

「謙遜は美徳だが……それで何もしないのではこの私の名が廃る。そうだな……」

 

 思索する男は見上げた視線を下ろして行くと、黒ウサギを見てふと止まる。

 

「──それではこうしよう。君たち、私とギフトゲームをしないかね?」

 

 良いことを思いついたとばかりに男は指を立てる。十六夜はへぇ、と面白そうに笑い、飛鳥と耀は顔を見合わせて悪戯っぽく笑う。シンはそれを温度の無い視線で見つめている。

 

「何、そう難しいゲームではない。君たちが勝てば素敵なものを差し上げよう。君たちが負けたら、そうだな……この子の遊び相手にでもなってもらうとするか」

 

「おいおい、そんな簡単なことでいいのか?」

 

 少女の頭を撫でる男に、十六夜はニヤリと笑う。だが男も薄く微笑み、十六夜を挑発する。

 

「この子の事を甘く見ない方がいいぞ、少年。それとも、ペナルティが案外楽そうで安心したかね?」

 

 だから安心して負けられるのかね、と言外に問う男に、むっと眉を顰める十六夜たち。ここまで言われては問題児が廃る。十六夜たちは既にやる気満々である。

 

「そのゲーム、受けて立つ! ……いいよな? 黒ウサギ」

 

「まぁ、お礼の代わりでしたら心配するようなこともありませんか。早めに終わらせて、本拠の片付けを手伝ってくださいよ?」

 

「ええ、任せておいて」

 

 黒ウサギも異論は無い様子だった。だが、シンだけは無言で男を見つめている。男は微笑し、恭しく頭を下げた。

 

「何も心配することは御座いませんよ。ただの余興であります故、貴方様の邪魔になるようなことは致しませんとも……」

 

 そう言われたシンは暫し男を睨みつけていたが、やがて受け入れたように目を瞑る。その一連のやり取りを不思議そうに眺めていた黒ウサギだが、目の前に〝契約書類(ギアスロール)〟が出現したことでそちらに集中する。

 

「では、皆様方。内容に問題なければ署名を──」

 

 契約書類を手渡された十六夜たちは、碌に中身を読まずにスパッと署名して、黒ウサギにハリセンで叩かれた。

 

「コラーッ! ちゃんとお読みください! 不利なことが書かれている場合もあるのですよ!」

 

「不利だろうが有利だろうが、受けることに決めてるんだ。始まってから確認した方が面白い!」

 

 そう言い放つ十六夜に、お馬鹿様! と再びハリセンを振り下ろす黒ウサギ。それを見て、男はおかしそうに笑う。

 

「ははは……威勢のいい子たちだ。だが──」

 

 男はステッキを掲げると──勢い良く振り下ろす。すると、空間がガラスのように砕け散った。一同の視界を暗闇が包んでいき、次々と意識が途切れていく。

 

 

「──甘く見ていると、後悔するかもしれないよ?」

 

 

 最後に一瞬だけ見えた男の顔は、まるで──悪魔のように、邪悪に染まっていたような気がした。




ちょっと長くなってしまったので、続きは近いうちに投稿いたします。
外伝よりも本編に集中するべきなのですが、つい筆が乗ってしまいました。

男の衣装の元ネタが分かる方は、二章以降で登場するかもしれないキャラクターを推測できると思いますが、どうか秘密にしていてくださいね。


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問題児たちがゲームに苦戦するそうですよ?

「……っ、ここは……」

 

 一同が目覚めると、そこは薄暗い場所だった。冷たい床に伏せていた十六夜たちは立ち上がり、慌てて周囲を見渡す。

 

 まるで地下牢のような暗く、冷たい場所で、所々に灯りとして松明が掲げられていた。生温い空気が時折吹き抜け、女性陣の肌に鳥肌を浮かび上がらせる。

 

「気味が悪い場所だね……」

 

「ええ、ここは異空間なのかしら? 只者ではないと思っていたけれど、これほどのお方とはね……」

 

 耀と飛鳥がこの空間の不気味さに落ち着きなく辺りを見回す。黒ウサギは頭を打ったらしく、頭を押さえながら立ち上がる。

 

「いたた……皆さんはご無事ですか?」

 

 耀と飛鳥は返事をするが、十六夜は答えない。そして、もう一人いる筈の者も。

 

「──やられたな」

 

 十六夜は壁に貼られている契約書類(ギアスロール)を手に取り、してやられたように顔を顰め、頭を掻いた。黒ウサギは不思議そうに近寄ると、十六夜にそれを手渡されて読む。そして、思い切り目を見開く。

 

 

 ギフトゲーム名〝デビルバスター〟。

 

 プレイヤー……逆廻十六夜・久遠飛鳥・春日部耀の人間のみ(・・・・)。プレイヤーは〝ヒーロー〟を一人選定すること。

 

 クリア条件……見事役割を演じ、迷宮を攻略してその謎を解くこと。または、〝魔王(・・)〟の撃破。

 

 敗北条件……プレイヤーの降伏、勝利条件を満たせなくなった場合、そして〝ヒーロー〟が〝死亡状態(・・・・)〟になった際。なお、それ以外のプレイヤーが〝死亡状態〟になっても脱落とは見做されない。

 

 

「プレイヤーは人間のみ! 魔王の撃破!? そして死亡もありえるですってえええぇぇぇぇぇーッ!!?」

 

 黒ウサギの怒声が辺り一帯に響き渡る。十六夜たちは堪らず耳を塞ぐが、黒ウサギは構わず一同に説教する。

 

「だから言ったじゃないですか! シンさんがプレイヤーから弾かれたどころか、クリア条件が魔王の撃破ですよ撃破! こんな条件、予め確認してさえいれば変更を要求できたのに!」

 

「ああ、そうだな。間薙を仲間外れにしちまったのは悪いと思ってる」

 

「お馬鹿様!」

 

 スパァン! とハリセン一閃。しかし十六夜はヤハハと笑う。

 

 事態はかなり深刻である。一同は何の準備もしておらず、魔王と対峙するにはあまりにも心許ない。しかし、まさかこんなところで魔王と突然戦う羽目になろうとは、誰も思っていなかったのだ。勿論、契約書類を確認しなかったのは十六夜たちのミス──あるいは、事前に確認しても挑戦したかもしれないが。

 

「落ち着きなさい、黒ウサギ。ゲームは始まってしまったのだから、今はこちらに集中しましょう」

 

「そうだね。まずはこの〝ヒーロー〟を決めようか」

 

 黒ウサギが取り乱したのを見ていたお陰か、耀と飛鳥は落ち着いて次の行動を考えていた。存分に怒鳴り散らした黒ウサギは、はあぁ、と長い溜息をついて、とても納得いかなさそうにそれに頷いた。

 

「と言っても、〝ヒーロー〟は絶対に死んではいけないのだから、一番頑丈な十六夜君以外に適任はいないわね」

 

「ま、そうなるだろうな。というわけで〝ヒーロー〟は俺ってことで」

 

 頷いてそう言う十六夜。すると、その左腕が急に光輝き始めた。

 

「うおっ、何だ何だ!?」

 

「これは……何かの端末? にしては、かなり昔のものみたい」

 

 何故か嬉しそうに笑う十六夜。現れたそれを見て、耀は首を傾げる。それは色んな計器や小さなモニター、それに無数のボタンが付いたガントレットだった。箱庭には珍しい精密機械だが、どことなくレトロな雰囲気を感じる。

 

「〝ヒーロー〟の証か? 面白そうだなオイ!」

 

 そう言って嬉々として適当にボタンを押し捲る十六夜。耀はそれを興味深そうに眺めた。飛鳥は全くの門外漢なので、それが一体どういうものなのかさっぱり分からないのか、心配そうにオロオロと見つめる。

 

「だ、大丈夫なの? いきなり爆発したりしない?」

 

「オイオイ、機械がいきなり爆発するなんて──ってそうか、お嬢様は戦後すぐの時代から来たんだっけな」

 

 それならばこの手の物を見慣れないのも無理はない。そう納得し、飛鳥に視線を向けたまま十六夜はボタンを押す。すると、突如ガントレットが光を発し始めた。

 

「わっ! ……これは……文字?」

 

 ガントレットはピコピコとビープ音を発しながら空中に文字を描いていく。それを見た十六夜と耀は、目を見開いて驚く。

 

 

『CAUTION FOR DEVIL BUSTERS』

 

『いまから あなたたちは デビルバスターです』

 

『じゃあくな アクマたちを たおして せかいに へいわを とりもどしてください』

 

『この ゲームのなかで たいけんすることは そのすべてが ほんとうのできごとで あるかのように あなたたちじしんの けいけんと なるでしょう』

 

『ゲームの プレイヤーは あなたたちと ともに さまざまな きけんを のりこえ せいちょうして いくのです』

 

『しかし さいしょから じゅうぶんな ちからを そなえているわけでは ありません』

 

『むりをせず しんちょうに ゲームを すすめて ください』

 

 

『それでは ゲームを はじめます』

 

 その一文と共にガントレットの光は消え、文字も消え去った。十六夜と耀は唖然とした表情で顔を見合わせ、ポツリと呟く。

 

「……これって」

 

「……そういうことだよな?」

 

 そんな彼らを他所に、事態を自分なりに把握した飛鳥が、威勢良く言い放つ。

 

「──話はわかったわ。結局、魔王を倒すしかないのよね」

 

 そして話はようやく冒頭に戻る。主催者(ホスト)に向かって意気揚々と宣戦布告し、覚悟完了した飛鳥は凛々しい顔で前を見据える。黒ウサギはその横顔を見て歓声を上げた。

 

「飛鳥さん、素敵です! ほらほら、十六夜さんもカッコ良く決めてくださいませ!」

 

「……あー、悪いけどな。そこまで覚悟しなくても良さそうだぜ、お嬢様」

 

「……え?」

 

 キョトンとした顔で振り向く飛鳥と黒ウサギに、どう説明したものかと頭を掻く十六夜。そこへ耀が進み出て、小さな子に教えるように優しく語りかける。

 

「これはRPG……要するに、ごっこ遊びなんだよ。契約書類(ギアスロール)に〝役割を果たし──〟ってあるよね? 〝ヒーロー〟役が仲間を率いて〝魔王〟役を倒す、おとぎ話のごっこ遊び。そう考えると、〝死亡状態〟も単に行動できない状態を表すだけで、本当に死ぬわけじゃないと思う」

 

 十六夜は勿論、耀はこのギフトゲームが、何らかのテレビゲームに基づく内容なのだと気が付いていた。ジャンルは恐らくRPG(ロール・プレイング・ゲーム)であろう。〝ヒーロー〟と〝魔王〟というオーソドックスな役割から、この場所は魔王が潜むダンジョンなのだと察せられる。

 

 わかりやすい説明ありがとよ、と十六夜が返す横で、話を理解した飛鳥がカァ、と頬を赤らめる。

 

「そ、そうなの……ごっこ遊びなの……」

 

「よかった……一時はどうなることかと思いました」

 

 一方、黒ウサギは安心したように溜息をついた。本物の魔王と戦わせられるわけではないと分かれば、誰でも同じ態度を取るだろうが。

 

 十六夜は飛鳥を見つめながらニヤニヤと笑う。

 

「いやあ……滅茶苦茶カッコ良い啖呵だったぜお嬢様。箱庭史に残る名セリフだな」

 

「か、からかわないでっ!」

 

 真っ赤な顔でポカポカと十六夜を叩く飛鳥。ヤハハと笑う十六夜だったが、ふと笑いを止めると真面目な顔で飛鳥を見つめる。飛鳥は目を丸くした。

 

「……な、何よ?」

 

「……なあ、お嬢様。ちょっと俺を思い切り引っ叩いてみろ」

 

「──はぁ!?」

 

 突然奇妙な事を言い出す十六夜に、飛鳥は目を見開いて驚く。しかし十六夜の表情は真剣そのものであり、冗談で言っているのではないことが分かる。

 

「私の力で引っ叩いたって……十六夜君相手じゃどうにもならないと思うけど」

 

「いいからやってくれ」

 

「わ、わかったわよ……」

 

 そうして飛鳥は手を振り上げ、十六夜を引っ叩くと──ぶへ、と変な声を出しながら十六夜が大きく仰け反る。十六夜がふざけたと思ったのか、飛鳥は文句を言う。

 

「ちょっと十六夜君、からかってるなら──えっ!?」

 

 飛鳥は言葉を失う。体勢を戻した十六夜の頬には、真っ赤な手形がくっきりと残っていたのだ。下手な攻撃では傷一つ付かない筈の十六夜が、平手ごときでダメージを受けている。この事態に耀と黒ウサギも驚愕する。

 

「……ということは、だ」

 

 十六夜は壁に近寄り、思い切り殴る──が、ゴッ! という痛そうな音が聞こえたのみで壁は傷一つ付かず、逆に十六夜は殴った手を押さえて蹲ってしまった。信じられないような様子で、十六夜は呻く。

 

「……マジかよオイ」

 

 飛鳥は慌てて黒ウサギを指差し、言霊をぶつける。

 

三回回ってワンと鳴きなさい(・・・・・・・・・・・・・)!」

 

「な、なんですかその命令!?」

 

 勿論従わない。抵抗したような素振りもない。己の支配の能力が消えてしまったことに愕然とする飛鳥。

 

 耀は泣きそうになりながら、友人たちから得たギフトを使おうとするが──何も起こらない。

 

「皆と友達になった証なのに……っ!」

 

 獣の夜目も、蝙蝠の超音波も、鷲獅子(グリフォン)の空を駆ける力も──全く発動しない。

 

 そして──

 

「私も、身体能力が人間並みに落ちてます……!?」

 

 ウサ耳をピコピコ動かすが、周囲の情報を何もキャッチできないことに青褪める黒ウサギ。これでは何の力もない、ただのウサギである。

 

──そう、十六夜たちはそのギフトを、完全に封印されていた。

 

 こうなれば、彼らはただの少年少女である。悪鬼羅刹が跋扈するこの迷宮を行くには余りにも無力だ。黒ウサギと耀はオロオロと取り乱し、十六夜はまだダメージが抜けていない様子だった。

 

「どういうことなの……!」

 

 焦ったように契約書類(ギアスロール)を確認する飛鳥。目を皿にして一字一句見逃さないように読み返し、そしてその理由を見つけ出した。

 

「〝役割を果たし──〟……つまり、役割を逸脱するような能力は許さないということなのかしら……」

 

 飛鳥にRPGで遊んだ経験は無いが、ごっこ遊びという説明を受けているので推測することはできた。このゲームを進行する上で、〝ヒーロー〟が迷宮を破壊し、魔王をあっさり片付けるような能力は邪魔なのだろう。理不尽なようだが、筋は通っている。飛鳥は表情を歪めた。

 

「オイオイオイ、面白くなって来たじゃねえか……!」

 

 それを聞いた一同も落ち着きを取り戻し、体制を立て直す。

 

「……だが、それが正解だとすると黒ウサギのことは解せないな」

 

「うん……黒ウサギの役割は審判なんだから、その審判のための能力が封じられるのはおかしいと思う」

 

 十六夜と耀が納得いかないとばかりに黒ウサギを見るが、意気消沈するばかりだった。

 

 この迷宮には、まだ隠された謎があるのだろう。それを解き明かすか、魔王を倒すかしない限りこのギフトゲームをクリアすることはできない。

 

「取り敢えず、安全な場所を見つけるとするか。悪魔とやらがいつ襲いかかってくるかわからんしな」

 

「そうね……」

 

 こうしていてもゲームはクリアできない。一同は周囲を警戒しながら、移動を始めるのだった。

 

 

    *

 

 

『私はミコンの町の長老──』

 

 手短な部屋に入ると老人が居て、一同に話しかけて来た。十六夜は感心したように頷く。

 

「へぇ、NPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)まで用意されているのか。こりゃ手の込んだことだな」

 

「NPC? 相手コミュニティのプレイヤーじゃなくて?」

 

「プレイヤーではない人物の事。つまり役者さんみたいなものかな。契約書類(ギアスロール)に相手のプレイヤーが居なかった以上、この人たちは舞台装置みたいなものなんだと思う」

 

 聞き慣れぬ言葉に首を傾げる飛鳥だが、耀がフォローする。意外とゲーム知識が豊富な耀に、十六夜は興味深そうに笑っている。

 

「結構詳しいじゃねえか。意外とゲーマーだったりするのか?」

 

「昔、上手く体が動かなかった頃は、楽しみってそういうものしか無かったから」

 

 何でもないように返す耀に、つまらないことを聞いたかな、と十六夜は頭を掻く。しかし耀は首を振って気にしないで、と微笑した。

 

「そういう十六夜は?」

 

「嗜む程度には遊んだけど、生憎アウトドア派だからな。RPGは基本くらいしかわかんねーや」

 

 ヤハハ、と笑う十六夜。しかしその基本すら分からない飛鳥や黒ウサギにとっては、貴重な情報源である。

 

「それで、そのRPGとやらを進行する上での定石というものはあるのかしら?」

 

「先ずは情報だな。デビルバスターとやらになって世界を救う、という世界観はなんとなく分かったが、まずここが何処で、どういう構造なのか把握したい」

 

 そう言いながら十六夜は老人に近付き、いろいろと質問してみる。

 

 質問の結果分かったのは、今十六夜たちが居るのは〝ダイダロスの塔〟と呼ばれる迷宮の八階であり、ミコンの町と呼ばれる階層であること。また、下の階層からは悪魔が出現して、襲いかかって来るであろうということ。そして、最深部には魔王ミノタウロスが待ち受けているであろうこと。

 

「〝ダイダロス〟に〝ミノタウロス〟……素直に解釈すればギリシャ神話の〝ラビュリントス〟がモチーフなんだろうが……」

 

 十六夜は聞いた話を総合してこの迷宮の正体に当たりを付けるが、どうも納得いかない、というように首を捻る。

 

「多分、名前や役割を引用しているだけで、深い意味はないんじゃないかな。テレビゲームの世界って大抵そうだよね?」

 

 耀の言葉に十六夜はそうかもな、と頷く。〝ミコン〟という名前に聞き覚えはないし、ミノタウロス自身に魔王と呼ばれるような逸話は無い。精々が暴れん坊だったために迷宮へ幽閉されたくらいである。

 

「……後は相手のコミュニティとかから推測するしかないか。なあ、爺さん──」

 

 老人に相手のコミュニティや、ギフトゲームについての情報を尋ねるが、老人は不思議そうに問い返す。

 

『コミュニティ? ギフトゲーム? 何のことかね?』

 

「……そういうことか」

 

 この老人──恐らくNPCたちは、役割から逸脱する情報は言えないのだろう。そういうルールによるものか、そのようなギフトを使用しているのかは定かではないが、ゲーム内でメタ的情報は集められないらしい。

 

「それじゃあ、他の場所も回ってみようか。この階層では悪魔は出ないみたいだし」

 

 耀の提案で、一同は部屋を出る。飛鳥は行儀良く礼を言うが、老人は何も言わない。不思議そうに首を傾げるが、先を急ぐために十六夜たちの後を追う。

 

 その後ろ姿を、老人の硝子玉のような目が見つめているのだった。

 

 

    *

 

 

 犬のような頭を持った獣人が、唸り声を上げながら棍棒を振り回す。十六夜は慌てて下がるが、いつものようには体が動かない。なんとかギリギリで避けて、無様に前転する。しかしその顔は笑っている。このような形だが、手応えのある相手と戦うことができてやや嬉しいらしい。

 

「……やっ!」

 

 大振りの攻撃を避けられて踏鞴を踏んだ獣人へ、耀が飛び蹴りを叩き込む。呻き声を上げる獣人だが、対したダメージにはなっていない。年相応の少女の筋力や体重では、致命傷を与えるのが難しそうだった。

 

 それでも抵抗しないわけにはいかない。十六夜と耀の二人がしばらく打撃を加えていると、まだまだ体力がありそうだった獣人は急に断末魔を上げて崩れ落ちる。

 

 その体は溶けるように消えて、数枚の硬貨と赤い靄が現れた。十六夜が興味深そうに近付くと、赤い靄は吸い込まれるようにガントレットに消えた。

 

「十六夜君!?」

 

「いや、大丈夫だお嬢様。これも報酬の一種らしいぜ。えーと……MAG(マグ)、か?」

 

 心配そうに飛鳥が声を上げるが、十六夜は安心させるように手を振った。ガントレットに表示されているある欄の数字が増え、これが先程の赤い靄の蓄積量を表していたのだと察する。しかし詳細は分からない。更なる情報収集が必要そうだ。

 

 硬貨を回収するとまた別の欄の数字が増えた。見慣れない記号だが、ゲーム内における通貨なのだろう。

 

「これが魔貨(マッカ)ってやつか……これでやっと装備が整えられるな」

 

 通常RPGでは、初期装備や所持金で装備を整えてから敵と戦うものだが、このゲームはそのような親切な進行ではないらしい。そもそも、説明書(マニュアル)すら無くゲームに放り込まれたので、ゲーム内用語すらわからない。それくらいはゲーム内で調べろということか、と十六夜は結論付ける。

 

「こんな調子でクリア出来るのかしら……そもそもギフトが封じられていて、魔王なんて……」

 

 戦闘に巻き込まれないように後方に下がっていた飛鳥は、不安そうに呟く。懸念している通り、この調子では魔王と戦える戦力はいつまで経っても整わないだろう。何か見落としているのかもしれない。

 

 飛鳥は思慮に耽るが、悪魔が出現するこの階層においてその行為はあまりにも迂闊すぎた。

 

「────ッ!? 飛鳥さん! 後ろ!!」

 

「──え?」

 

 黒ウサギが叫ぶが、全ては遅すぎた。飛鳥は何者かに殴り飛ばされ、壁に激突する。そして、そのまま動かなくなってしまった。

 

「飛鳥ッ!?」

 

『GYAAAaaaaa!!』

 

 白い体毛の巨大な悪鬼が、雄叫びを上げていた。一目見て今の自分たちでは敵わないと悟った十六夜が飛鳥を抱えて、一同は退却する。上の階層を目指す途中で部屋を見つけた一同は、一瞬の判断でそこへ飛び込んだ。

 

 どうやらそれは功を奏したらしく、悪鬼はそれ以上一同を追うことはなかった。息を切らせ、呼吸を整える黒ウサギだが、慌てて十六夜に声を掛ける。

 

「十六夜さん! 飛鳥さんの容体は!?」

 

 焦りの表情で黒ウサギが問いかける。飛鳥の顔は血の気が失せ、ぐったりと意識を失っている。素人目から見ても危険な容体だと知れた。十六夜は飛鳥の手を取り、容体を確かめている。

 

 しかし十六夜からは返事が無い。焦れた耀が十六夜の肩を叩く。

 

「十六夜! 飛鳥は──」

 

 そして気が付いた。どんな時でも余裕の表情を崩さなかった十六夜が──見たこともない蒼白な表情をしているのを

 

「嘘だろ、オイ──呼吸してないぞ」

 

 十六夜は慌てて飛鳥の胸へ耳を寄せるが、目を見開く。一同は、最悪の事態を理解してしまう。黒ウサギも、耀も、信じたく無いとばかりに首を振る。

 

──しかし、十六夜は呆然と呟く。

 

「心臓が──動いてない」

 

 一切の外傷が無いにも関わらず、飛鳥の心臓の鼓動は止まっていた。

 

 

 久遠飛鳥──死亡(DEAD)




あともうちょっとだけ続くんじゃ。

*2014-06-27 追記
ゲームの真相に関わる重大なミスをした為、修正させていただきました。
大変申し訳ありません。


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問題児たちがゲームを攻略するそうですよ?

 飛鳥が目を覚ますと、どこか薄暗い場所にいた。

 

 甘ったるい香が鼻につき、思考を鈍らせる。目蓋を開くのも億劫で、体も思うように動かない。手先は痺れたように固まり、力が入らない。自分の両手が組まれ、胸の上に置かれていることに気が付いて、ようやく自分が地面に横になっていることに気が付いた。

 

──どうして、私はこうしているのだっけ。

 

 朦朧とした意識が直前のことを思い出そうとするのを拒み、視線が天井を彷徨う。ゴツゴツした岩肌が淡い明かりに照らされ、陰影をちらちらと揺らしている。周囲に音は無く、己の心臓の音が静かに聞こえてくる。そのリズムに飛鳥はまた微睡みかけるが、

 

「──飛鳥っ!」

 

 泣きそうな声で名を呼ばれ、飛鳥の意識はようやく完全に覚醒した。

 

「……春日部さん?」

 

 苦労して身を起こすと、駆け寄って来た耀に抱き締められる。驚いた飛鳥は目を白黒させるが、己を抱き締める耀がその身を震わせていることに気が付いた。

 

「飛鳥っ……! よかった……!」

 

 目尻に涙を浮かべ、ただよかったとひたすら言葉を漏らす。普段無表情な耀のその有様に、なぜこうなっているのだろう、と疑問が頭に浮かぶが、意識を失う直前に強烈な痛みを感じたことを思い出す。

 

「……私、怪我でもしたのかしら」

 

「覚えてないの? あの時飛鳥は──」

 

 そこで言い淀む耀。首を傾げた飛鳥が先を促そうとすると、そこへ軽薄な声が響く。

 

「──よう、お目覚めか? お嬢様。体の調子はどうだ?」

 

 十六夜がゆっくりと歩きながらやって来た。しかし声とは裏腹に、真剣な表情である。それを見て、飛鳥は彼が心底安堵しているような気がした。

 

「特に痛みは無いわね。なんだか、体が重いけれど」

 

「ま、無理もない。呼吸も心臓も止まってた(・・・・・・・・・・・)からな。体の方もようやくエネルギーを回してもらって、ようやくお目覚めなんだろ」

 

「──え?」

 

 ヤハハ、と冗談ぶって笑う十六夜だが、その目は笑っていない。その視線と、耀の取り乱し様を見て、彼が一切冗談を言っていないということがわかった。

 

「……つまりそれって」

 

「〝死亡状態(DEAD)〟って奴だな。だが、通常テレビゲーム上では〝死〟は取り返しの付くペナルティだ。このゲームでも何らかの救済措置があると推測したが、当たっていたらしい。町に戻ったらすぐに蘇生施設が見つかったぜ」

 

 飛鳥はまやかしとはいえ、己が死亡したことにややショックを受けた。思い返せば、あの時自分は危険な迷宮内で、警戒を解いてしまっていた。そのせいで耀を泣かし、十六夜に心配をかけてしまったのだ。飛鳥は反省し、項垂れる。

 

「……そう、迷惑をかけてしまったみたいね」

 

「おいおい、〝ヒーロー〟は俺だぜ? 仲間を死なせた責任はリーダーが取るもんだ」

 

「〝ヒーロー〟は譲ったけど、リーダーは別に譲っていなくてよ?」

 

「……それだけ言えるなら大丈夫だな。まあ、今回のことは全員油断していたって事にしておこうぜ」

 

 そう言って、十六夜は首を竦めた。飛鳥は抱きついている耀の頭を撫でると、肩を借りながらようやく立ち上がる。そこで、メンバーが一人足りないことに気が付いた。

 

「そういえば、黒ウサギは?」

 

「ああ、アイツなら──」

 

 

    *

 

 

「……何しているの、貴女」

 

「飛鳥さん! ご無事でしたか……見ての通り、猛省中なのです」

 

 飛鳥が今までいた部屋を出ると、人工的なホールのような空間で一人、黒ウサギは俯きながら地面で正座をしていた。首からはご丁寧に『反省中』と札が下げられている。

 

「私は飛鳥さんに這い寄る悪鬼に気が付かず、みすみす攻撃を許し、それどころか死なせてしまう失態を犯しました。いくら身体能力が落ちていたとはいえ、合わせる顔がありません……」

 

「黒ウサギ……」

 

 飛鳥はそれを見てなんとも言えない気持ちになった。心優しく、自己犠牲心の強い黒ウサギにとって、目の前で飛鳥が死亡したことがどれだけ堪え、そしてどれだけ己を責めたことだろうか。飛鳥は優しく笑い、黒ウサギの肩に手を置く。

 

「いいのよ、私も油断していたし……今や皆ギフトが使えないのだから仕方が無いわ。今度はみんなで気を付けましょう?」

 

「あ、飛鳥さぁん……!」

 

 目を潤ませた黒ウサギは立ち上がり、抱きしめようとするも何故かふらふらとしゃがみ込む。首を傾げる飛鳥に、黒ウサギは苦笑いしながら呟いた。

 

「あ、足が痺れてしまいました……」

 

 それを聞き、キュピーンと目を輝かせた問題児一同は、一斉に黒ウサギの足に飛び掛かる。そして問答無用でその足を指でつつき始めた。

 

「や、やめてくださいいいいぃぃぃ!!」

 

 痺れて鋭敏になった足を責められ、涙目でもがく黒ウサギ。しかし足が動かないために脱出することができず、されるがまま悶え続ける。

 

 数分後、問題児たちが満足したそこには、顔を赤らめて全身汗だくで崩れ落ちる黒ウサギが。緋色の髪が頬にぺっとりと張り付き、乱れたスカートの裾からちらりと見える太ももは、汗に濡れてきらりと光っていた。問題児たちは肌をツヤツヤと輝かせ、揃ってどこかを見据える。

 

「──さて、黒ウサギに罰を与えたことだし、そろそろ動き出しましょうか」

 

「──ああ、精神力(MP)も回復できたことだしな」

 

「──それじゃあ、作戦を立てよう」

 

 問題児たちはホールの中心で座り込んで円陣を組むと、しれっと作戦会議を始めた。黒ウサギは回復にまだ時間がかかりそうである。

 

「とりあえずお嬢様にこの場所の説明からしておくか。まず、ここは〝邪教の館〟と言って、毒や麻痺なんかの体の異常の治療や、死者の蘇生をしてくれるところらしい」

 

「……蘇生してもらってなんだけど、とんでもない場所ね」

 

 ゲームでの話だからな、と十六夜は苦笑する。耀も同じく苦笑するが、表情を引き締めて説明を引き継いだ。

 

「そして、ここからが重要なんだけど……この〝邪教の館〟は、〝仲魔にした悪魔〟を〝合体〟してくれるんだって」

 

「……〝仲魔〟? 〝合体〟?」

 

「〝仲間の悪魔〟をそう呼ぶみたい。〝合体〟の方はどちらかというと二体の悪魔を生贄に捧げて、一体の新たな悪魔を召喚する……と言った方が近いかな」

 

 それを聞いて飛鳥は目を丸くする。仲魔にした悪魔──要するに、地下の階層で戦った悪魔は、条件次第で仲魔にできるということだ。そして合体することで新たな仲魔になるという。

 

「つまり、このゲームをクリアするには仲魔を合体させていって──より強力な悪魔を作っていけばいいということ?」

 

「お、察しがいいなお嬢様。それはそうなんだが──一つ、忘れてることがあるだろ」

 

 きょとんとした表情を見せる飛鳥に、十六夜が悪戯っぽい笑みを浮かべながらガントレットを操作し始めた。

 

「おいおい、俺たち〝ノーネーム〟の一員なのに、今ここにいない奴がいるだろ? 俺たちには最初から、とってもお強い悪魔様がいらっしゃったじゃねえか!」

 

「あ、もしかして──」

 

 ピンと来た飛鳥が表情を綻ばせる。十六夜は最後にボタンを叩くと、ガントレットから光が発せられて──

 

 

『──随分待たせてくれたな』

 

 

 空中に浮かぶ光の板に、シンの姿が映し出された。

 

「……召喚するわけではないのね」

 

「ああ、どうも悪魔の強さによっていろいろ支払わなければならないものがあるらしいが……間薙を召喚するには全然足りないんだよな」

 

 首を竦めて、こいつさえ出せれば一発クリアなんだが、と呟く十六夜。飛鳥は興味深そうにその光の板に触れようと手を伸ばしているが、やがて触れられないことに気が付いて手を下ろす。耀はそれを微笑ましそうに見ると、シンに視線を向ける。

 

「シン、私たちはどうすれば魔王を倒せると思う?」

 

 耀の質問に、シンは無表情に答える。

 

『正攻法しかないだろう。かなり時間はかかるだろうが、己を成長させながら徐々に仲魔を入れ替えて戦力を強化していくしかない。その間に何度も死ぬだろうが、〝ヒーロー〟役が死なない限りは取り返しが付く。慎重に歩を進めれば、いずれ魔王を倒すことができるだろうな』

 

 時間をかければ一応クリアが可能と聞いて、安堵する飛鳥と耀。しかし十六夜は不満そうに言う。

 

「まどろっこしいな。それに面白味がない」

 

『だが今やお前は常人だ。今までのように大将を吹き飛ばして終わり、と言う訳にはいかない』

 

 ぐっ、と十六夜は痛いところを突かれたというように押し黙る。飛鳥と耀が心配そうに見つめるが、十六夜はボリボリと頭を掻くと溜息をつき、天井を仰ぐ。

 

「あー……となると、もう一つの勝利条件である〝迷宮の謎を解く〟の方だが──」

 

「そっちの方が早いかも。敵からは逃げればいいし、頑張って探索すれば情報も集まると、」

 

「──いや、もう謎は解けてるんだよ」

 

 え? と飛鳥と耀は目を丸くする。十六夜は心底不満そうな顔で視線を戻すと、再び溜息をついた。

 

「もうこのゲームの謎は問いた。正直かなり拍子抜けしたから、できれば魔王に挑みたかったんだが……正攻法以外に攻略法が無いんじゃ、仕方ないな」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい。まだ迷宮の階層は全然……」

 

 慌てて飛鳥が指摘するが、十六夜は首を振る。

 

「下の階層に進んでも世界観についての情報は集められるだろうが、ゲームの真相には辿り着けない。推測の材料にはなるかもしれないけどな」

 

「つまり、解くべき謎というのは迷宮そのものについてではなくて、このゲームについてのこと?」

 

「まあ、実はそこが半々なんだが」

 

 がく、と耀は肩を落とす。しかし十六夜はヤハハと笑い、多分間違いないだろうと言う。

 

『そこまで分かっているのなら、もう言うことは無いな。さっさとクリアしろ』

 

 シンはそう言うと、自ら通信を打ち切った。光の板が消え、ガントレットも沈黙する。その間に気を取り直した耀は、十六夜に提案した。

 

「それじゃあシンの言う通り、もうクリアしようよ。正攻法だと何度も死にかねないんだよね? いくら本当に死ぬわけじゃないといっても、目の前で人が死ぬのはとても辛いから……」

 

 耀はそう言って、俯いた。飛鳥もまた一度死んだ身である。再び死んだり、耀が死ぬところは見たくない。飛鳥は頷いたが、耀は上目遣いでぼそりと呟く。

 

「……それに十六夜なんて、飛鳥が死んだ時見たこともない顔してたし」

 

「あら、それは少し見たかったかも」

 

 不謹慎だが、興味をそそられた飛鳥は十六夜をチラリと見た。十六夜は気まずそうに頬を掻くと、誤魔化すように立ち上がり、ぱたぱたとズボンの裾を払う。

 

「ま、俺も人の子ってことさ。……それじゃあ、さっさと終わらせるとするか」

 

 十六夜はくるりと反転すると、既に回復し、隅で拗ねながら問題児たちを眺めていた黒ウサギに視線を移す。耀はそれを見て目を丸くした。

 

「……やっぱり、そういうことなの?」

 

「なんだ、春日部も気が付いてたのか?」

 

「確信は無かったけど……違和感は感じてた」

 

 十六夜と耀の分かりあったような遣り取りに、飛鳥は首を傾げた。それを見た十六夜は苦笑すると、ズカズカと尊大そうに黒ウサギの前に歩み寄ると、指を突きつけた。

 

「な……なんでございましょうか? 何か私に頼み事が?」

 

それ(・・)だ」

 

「……へ?」

 

 得意気に十六夜が指摘するが、黒ウサギは何のことだかわからず目を白黒させる。それに構わず十六夜は続ける。

 

「一人称だよ。黒ウサギは基本的に自分のことを〝黒ウサギ〟と呼ぶんだよ。最初から何か違和感を感じてたんだが、これまでの言動で確信したぜ」

 

 そうして、勝ち誇ったようにある事実を告げる。

 

「──お前、黒ウサギじゃないだろ?」

 

 その言葉にきょとんとした表情を見せるが、慌てて反論する黒ウサギ。

 

「な、何を言っちゃってるんですか十六夜さん? そんなの時々は一人称ぐらい──」

 

 だが十六夜は全く取り合わず、言葉を重ねて行く。

 

「次に、審判としての全能力の喪失──ありえねえだろ。審判としての能力を失えば、そもそもギフトゲームが正常に進行できない。よしんば本当に失っているとしても、そのままゲームを続行するなんてこともありえない。もっとケチをつけてもよかった筈だ」

 

 そう言って、獰猛そうに表情を歪めていく。黒ウサギは冷や汗を流しながらも立ち上がると、両手を振りながらでも、と反論しようとするが、十六夜はそれを許さない。

 

「更にお嬢様が死んだ時──お前は冷静過ぎた。俺たちを箱庭に連れて来た張本人であり、お嬢様に近寄る敵に気付けなかった体の本物の黒ウサギなら、もっと滅茶苦茶取り乱して涙鼻水出しまくってお嬢様の遺体を喚きながら抱いてただろうぜ」

 

 猛省してるとか後から誤魔化してたが、ありゃあ逆効果だったな、と首を竦めた。

 

「そして最後に──黒ウサギの髪色はテンションの上下で変わる。お前はずっと緋色(・・)だよな?」

 

 そう、徹底的な指摘を受けた黒ウサギ──いや、黒ウサギに扮した何者かはニヤリと笑い、問い掛ける。

 

「なるほどなるほど、仮にこの私が黒ウサギじゃなかったとしましょう。しかしそれが何の関係がありますか? この迷宮の謎は解けたのですか?」

 

「おいおい、ここまで言って解けてなかったらただの間抜けだろ? それに、関係ないなんてことが無いのは、お前が一番よく知ってる筈だぜ」

 

 壮絶な笑みで睨み合う十六夜と何者か。飛鳥と耀はそう言うことだったのか、と頷いているが、十六夜の次の言葉に驚愕する。

 

 

「要するに、だ──お前も、俺たちも、みんな人形(・・)なんだろ?」

 

 

 その言葉に、一同は凍りつく。何者かは顔を俯かせ、十六夜はその動きに確信を持ったように言葉を続ける。

 

「俺たちはこのゲーム盤に落とされた時、意識を失った。恐らくその間に人形に意識を移されて、この迷宮に入れられたんだろうな。自分の体じゃないから、ギフトは発動しなかったって訳だ」

 

「つまり、この黒ウサギは……」

 

「誰かの意識が入った、人形ってことだな」

 

 大方あの御チビ娘だろうが、と呟く十六夜。

 

「御チビ娘?」

 

「豆粒のように小さい小娘。略して御チビ娘だ。ゲーム前に俺たちが会ったアイツだよ。そうなんだろ?」

 

 何者か──少女は顔を上げると、悔しそうに口を尖らせる。本来子供のように天真爛漫な黒ウサギとは異なり、正真正銘お転婆な少女のような子供らしい態度だった。今の己の緋色の髪をちょんと摘まむと、溜息をつく。

 

「あーあ、こんなに早くバレちゃうなんて。もうちょっと遊べると思ったのに」

 

「ヤハハ、悪いな。……これは想像なんだが。このゲーム、普段はそっち側の誰かが紛れ込むなんてことは無いんだろ?」

 

 そこまで分かってたんだ、と目を丸くする少女。その表情に十六夜は苦笑する。

 

「あんまり演技慣れしてなさそうだったからな。それに黒ウサギがギフトを使えない、という状況そのものがかなりのヒントになっちまってる。本来は正攻法でゲームを攻略させつつ、謎を徐々に探らせて行くものなんだろう」

 

「うん。今回はおじさんに無理を言って、観客として紛れ込ませてもらったんだけど……それが裏目に出ちゃったみたいね」

 

 少女は苦笑し、溜息をついた。そうすると天井を見上げ、何者かに声を掛ける。

 

「──おじさん、もういいわ! ゲームの謎は解かれちゃったし、私もバレちゃったもの」

 

『そうかい? それじゃあ、幕引きと行こうか』

 

 どこからともなく男の声が響き渡り、天井から人工的な光が差し込んだ。暗いところへ差した突然の強烈な光に、十六夜たちは目を細め──その光景に驚愕する。

 

──迷宮の天井が透けて、山のように巨大な男の顔が覗き込んでいたのだ。

 

『驚いたかな? 先ずは、君たちの意識を戻すとしようか』

 

 そう言って男がパチン、と指を鳴らすと──十六夜たちは一瞬にして意識を失った。

 

 

──ギフトゲーム〝デビルバスター〟、プレイヤー側の勝利。




明日、もう一話投稿します。
長くなってしまいましたが、それで今回の話は完結です。


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問題児たちがチケットを手にするそうですよ?

 十六夜たちが意識を取り戻すと、一同は薄暗い迷宮から、無機質な明かりが照らす人工的な部屋の中に移動していた。突然の展開に言葉を失う一同。

 

「……は?」

 

「ど、どういうこと……?」

 

 戸惑うように周囲を見渡す。彼らは大きな長机を挟み、椅子に座り込んでいた。机の上には迷宮のようなジオラマがあり、所々に人形が置いてある。状況が飲み込めない一同の元へ、二つの聞き覚えのある声が掛けられた。

 

「──皆さん! よくご無事で……!」

 

「──生き残ったか」

 

 満面の笑みを浮かべる黒ウサギと、いつものように無表情のシンが一同を出迎えた。その姿に驚き、そして飛鳥は合点がいく。

 

「……そう。つまり、貴方たちも私たちも、最初からここに居た(・・・・・・・・・)というわけね?」

 

「はい! 命の危険はないということでしたが、黒ウサギはもう心配で心配で……飛鳥さんのHP(ヒットポイント)が0になった時は、心臓が止まるかと思いました」

 

 ヒットポイント? と首を傾げる飛鳥を他所に、黒ウサギはウサ耳をぴこぴこ動かして喜んでいる。そして耀は机の上のジオラマや人形、そして紙やサイコロが転がっているのを見て、ゲームの正体に気が付いた。

 

「そっか……RPGはRPGでも、TRPG(テーブルトーク)だったんだね」

 

「──ご名答。皆様、お楽しみいただけたかな?」

 

 パチパチと品の良い拍手が響く。一同が視線を向けると、奥の席の方に男と少女が並んで立っていた。男は薄く微笑み、一礼する。それを見た十六夜は、獰猛そうな笑みを浮かべた。

 

「まあまあだったぜ。もう少し自由度があると良かったがな。ギフトが使えない、というのは新鮮で良かったが、やれることが狭まって手数が限られるのが頂けない」

 

「ははは、それは悪かった。実はこのゲーム、箱庭に慣れていないようなコミュニティを鍛えるために作ったものでね。故にプレイ方針を強要する仕組みがあったのだが……すぐに用意できたのはこれしか無かったのだよ」

 

 十六夜の意見に、申し訳なさそうに苦笑する男。それを聞いて十六夜は首を竦めた。

 

「それで? 何やら素敵なものが貰えるんだろ?」

 

「ああ、それなのだが──君たち、サーカスに興味はあるかね?」

 

 男は懐から数枚のチケットを取り出すと、十六夜たちに掲げて見せる。十六夜と耀は目を丸くし、そのチケットを興味深そうに見つめた。しかし飛鳥は一人首を傾げる。

 

「ちょっと待って。サーカスって何の事?」

 

「ああ、飛鳥がいた時代じゃまだ知られてないんだね。サーカスはね、人や動物が輪っかをくぐったり、空を飛んだり、玉乗りをしたり……とにかくいろんな芸をする見世物なんだよ」

 

 戦後間も無い時代から来た飛鳥のために、耀が説明する。飛鳥は野蛮そう、と呟くも、そわそわと瞳を輝かせて明らかに興味がある様子だった。

 

 飛鳥は想像力の翼を羽ばたかせる──火の輪をくぐる黒ウサギ。

 

『キャー』

 

──空を飛ぶ黒ウサギ。

 

『キャー』

 

──玉に乗られる黒ウサギ。

 

『キャー』

 

 そんな想像をされているとは気が付きもしない黒ウサギは、パアッと表情を輝かせて元気良く答える。

 

「黒ウサギも大変興味があります!」

 

「箱庭の貴族様には申し訳ありませんが、三人分しか無いのですよ」

 

「がーん!?」

 

 残酷な事実に、絶望したように項垂れる黒ウサギ。それを見た十六夜は、苦笑して口を挟む。

 

「その辺、どうにかならないか?」

 

「生憎、これは人間用のチケットでね。純粋な人間にしか使えないギフトでもあるのだ」

 

「へえ?」

 

 なら仕方ないか、と頷いた十六夜はそのチケットを受け取った。一同はそれを覗き込み、どのようなサーカスか心躍らせる。サーカスの表題の下には、サブタイトルらしき文章が並んでいる。十六夜はその一つを読み上げた。

 

「……〝悪魔の悪魔による悪魔のためのサーカス〟? そうか、本来は人間が入場できないんだな」

 

「その通り。そしてそのチケットはその例外だ。実は我々が主催するサーカスでね。そこでは様々な見世物と──いくつかのギフトゲームを行うつもりだ」

 

 その言葉に、十六夜たちは目を光らせた。

 

「へえ、そのゲームに人間は参加できるのか?」

 

「そのチケットがあれば可能だ。とはいえ、難易度は悪魔向けになっている。君たち人間には少々難しいかもしれないがね。だがその分、君たちにとって魅力的な景品が手に入る筈だよ」

 

 男は帽子を目深に被り、ニヤリと笑う。十六夜たちもまた、ゲームに期待を膨らませてニヤリと笑った。

 

「これはまた、素敵なものを貰ったな。なかなか面白そうだ」

 

「うう、黒ウサギが行けないのは残念ですけれど……楽しんで来てくださいませ」

 

「おやおや、案ずることはありません。貴女達は実に運がいい。身内に悪魔の方がいらっしゃるのだから」

 

 そう言うと、男は再び懐から一枚の封書を取り出した。それを手渡された少女はシンの方にトコトコと歩いて行き、笑顔で封書を差し出す。シンはそれを無言で受け取った。

 

「──はい、お兄ちゃん! 絶対来てね!」

 

「箱庭の、力ある悪魔の方々にお送りしている招待状で御座います。これはその中でも上位のもの。お連れの方を二名まで誘うことができますので、箱庭の貴族様にも是非ご参加頂ければ、と」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 暗い表情だった黒ウサギが元気を取り戻し、瞳を輝かせる。特に異論が無かったシンは、いいだろう、と黒ウサギを連れの一人とすることに同意した。黄色い声を上げ、黒ウサギはシンに飛び付いて喜ぶ。

 

「ありがとうございます、シンさん!」

 

「…………ああ」

 

 黒ウサギの柔らかく豊満な胸が押し付けられ、甘い香りがシンの鼻をくすぐる。年頃の少年なら鼻の下を伸ばしそうな役得だったが、シンは喜ぶどころか鬱陶しそうに横目で睨むのみだった。

 

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、絶対に来てね! 私とのギフトゲームもあるから、今度は一緒に遊ぼうね!」

 

「ああ。楽しみにしておくぜ、御チビ娘」

 

 十六夜がそう言うと、少女はむぅ、とむくれる。

 

「御チビ娘じゃないもん。私の名前は〝アリス〟だもん! 最初に自己紹介したでしょ?」

 

「ああ、そんなこともあったかな」

 

 もー! とプンプン怒るアリスに、十六夜はからかうように笑った。男はそれを微笑ましそうに見つめると、ふと気が付いたように帽子を取って胸に当てる。

 

「そうだった。アリスが名乗った以上、私も名乗らなくてはならないが──それはサーカスまでのお楽しみとしておこうかな。それまでは〝黒男爵〟と名乗らせていただこう」

 

 そう言って、一礼する。そこで始めて黒ウサギは怪訝そうな顔をするが、男爵は誤魔化すように帽子を被って姿勢を正した。そこへ、アリスが声を掛ける。

 

「ねえ、お兄ちゃん、お姉ちゃん。アリスのお願い聞いてくれるかな?」

 

 両手を後ろ手にもじもじと、彼らを上目遣いで見つめている。飛鳥は優しく笑って答えた。

 

「ええ、私たちにできることならね」

 

「本当!? それならお願いがあるのー」

 

 そうして、アリスは十六夜たちを見つめた。その表情は彼らが断ることを疑わず、期待に胸を膨らませている様子だった。愛らしい少女のその微笑ましい様子に、一同は心温まる──その筈なのに、何故か背筋に悪寒が走った。

 

 

「あのねー……お兄ちゃん、お姉ちゃん──」

 

 

「──アリス」

 

 そこへ、男爵が強引に口を挟む。遮られた様子のアリスは不満そうな表情を見せるが、男爵はどこか不気味な笑顔で首を振る。

 

「そのお願いは、また今度にしようじゃないか。次回のゲームで勝った時にお願いしてもいい」

 

「……うーん。わかったわ、おじさん」

 

 アリスは渋々と引き下がる。その一連のやりとりに不自然なものを感じた飛鳥は口を挟もうとするが、男爵はその前にステッキを一同に突きつける。

 

「それでは、君たちの本拠の近くまで送らせて頂こう。2105380外門の近くで良かったかな?」

 

「……ああ、その辺でいい」

 

「なかなか緊張感のあるゲームだった」

 

「また会いましょうね、アリス」

 

「うん! お兄ちゃん、お姉ちゃん、ばいばーい!」

 

 十六夜たちが頷くと、男爵は十六夜たちにステッキを突きつけた。すると一同の視界はぐるぐると渦巻いて暗転し──部屋から姿を消した。

 

 

    *

 

 

「……本当にこのサーカス、大丈夫なのでしょうか」

 

「どうしたの? さっきはあんなに喜んでいたのに」

 

 一同はペリドット通りの噴水広場の近くに転送され、そこから帰路についていた。日は沈みかけ、真っ赤な夕日が一同を照らし、伸びた影が歩みに合わせて揺らめく。そんな中、黒ウサギが不安そうにポツリと呟いたのだった。

 

「確かにサーカスには興味はありますし、今日のゲームもやや理不尽なルールはありましたが真っ当なものでした。しかし己の名を隠すということがどうにも解せないのです」

 

「それってそんなにおかしなことなの?」

 

「はい。箱庭に招かれた存在は修羅神仏か悪鬼羅刹かどうか問わず、己の名と存在に誇りを持っています。特に名はその者の格を表す最も判りやすいシンボル。それを隠すなど、自らを〝ノーネーム〟と偽ることと同義なのです」

 

 無意味であり、デメリットしかない行為。そう言う黒ウサギだが、十六夜はヤハハと笑い飛ばした。

 

「案外魔王様だったりしてな。悪魔のサーカスを開く以上、あいつらも悪魔なんだろうし、いろんな悪魔に招待状を送れるような名のある悪魔なら、大抵魔王とかそんなクラスだろ」

 

「そ、そんな……!」

 

 黒ウサギはその表情を蒼白に染めた。

 

「……シンは何か知らない?」

 

 耀は振り返って最後尾にいるシンに話を振るが、シンは静かに首を振る。耀はそう、と残念そうに顔を前に戻すが、シンはあの悪魔の正体に思いを馳せる。

 

 シンは一人の少女を囲い、そして熱心に愛を注ぐ強大な二体の悪魔の噂を聞いたことがあった。ある街で平和に暮らしていたのだが、ある人間によって打ち倒され、その時に砕けてあらゆる世界に飛び散った少女の魂を集めて回っているという。

 

 噂が確かなら、その悪魔たちは魔王クラス。それもかなり上位の存在のはずである。〝ノーネーム〟は勿論、十六夜にも手が余るかもしれない。今回のゲームのこともある。あまり悪魔どもが出しゃばるようであれば、シンも本気を出さざるを得ないだろう。

 

 背後で静かにシンが殺意を高めているのを他所に、十六夜は軽薄そうに笑って言う。

 

「ま、どうせ開催日はかなり先だ。それまで精々力をつけないとな」

 

「……そうね。今回はいいところが無かったのだし、次こそは活躍して見せるわ」

 

「うん、相手が魔王ならそれこそ〝ノーネーム〟の出番だから」

 

 問題児たちは怯むどころか一層張り切り、拳を握りしめて気合いを入れた。黒ウサギはそれを頼もしく思うも、言い知れない不安に身を震わせるのだった。

 

 

    *

 

 

 十六夜たちが去り、部屋には黒男爵とアリスが残されていた。アリスは己を模した人形を手に取ると、男爵に懇願する。

 

「ねえねえ、おじさん! お兄ちゃんたちとはあまり遊べなかったし、このままアリスと遊ぼうよ! いいでしょう?」

 

「うーん、そうだなあ。せっかく準備した迷宮も殆ど手付かずだし、遊んでもいいかもしれないね」

 

「やったー! ありがとー!」

 

 はしゃぐアリスは人形を握り締めたまま両腕を振り回し──人形から目玉が零れ落ちる。

 

「あっ! お人形、壊れちゃった……ばっちいわねー」

 

 零れた目玉は何処かへ飛んで行き、空いた眼孔からはどす黒い液体がじくじくと流れ始めてアリスの手を汚す。アリスは慌てて人形を放り投げると、机に叩きつけられた人形はぐちゃりと潰れて、肉片と液体を撒き散らした。

 

「こらこら。いくらでも代わりはあるとはいえ、壊したら駄目じゃないか」

 

「はーい、ごめんなさい」

 

 あまり反省していないような少女の態度に、しかし男爵は微笑ましそうにニコリと笑うと、指を鳴らす。すると潰れた人形は消えて、アリスの前にやや大きめの箱が現れる。その中にはアリスそっくりの人形が無数に蠢いていた(・・・・・)

 

『ウォォ……』

 

『ア、ア、アァ……』

 

 虚ろな目で涎を垂らし、呻くそれをアリスは楽しそうに選んでいる。やがて一体のそれを掴み上げると男爵に手渡した。男爵が軽く手を翳すとそれは黙り込み、動くのを止める。

 

──それは人形ではなく、死体(・・)だった。

 

 術によって人形のサイズに縮め、玩具としてアリスに与えていたのだ。迷宮のジオラマに置いてあるのも全て死体であり、男爵が術で操っていた。十六夜が飛鳥の容体を確かめた時に死んでいると判断したのも当然、その体が死体だからだった。

 

 ちなみに外見はいくらでも改造できるが、黒ウサギの髪色の性質は流石に組み込めなかったのだ。元々知らなかったということもあるが。

 

「ありがとー、おじさん!」

 

「はっはっは、どういたしまして」

 

 そう言うと男爵はステッキを振るい、ゲームの準備を始め出す。ジオラマがその姿を変えていき、人形は一人でに飛び回ってしかるべき位置へ配置されていく。しかしそこへ、アリスが不安そうに声を掛けた。

 

「……お兄ちゃんとお姉ちゃんたち、来てくれるかな?」

 

「ああ、きっと来るとも」

 

「そうしたら、アリスとお友達になってくれるかな?」

 

「なってくれるとも」

 

「やったー! それならきっと  くれるよね! アリスと一緒になってくれるよね!」

 

 喜ぶアリスに男爵は微笑み、その頭を優しく撫でた。

 

 それはきっと優しい光景の筈なのに──人が見ればきっと、途轍もなくおぞましい光景に映っただろう。

 

 黒男爵とアリス──正体不明の悪魔たちに招待された〝ノーネーム〟一同は、熾烈で過酷な遊戯に巻き込まれようとしていた。




これにてアリス編は一旦終了となります。
続きは二章が終わってからになりますので、気長にお待ちください。

そして本編は7月1日から開始させていただきます。
……ちなみに書き溜めは間に合いませんでした。
投稿は途切れないようにいたしますので、どうかお付き合いくださいませ。


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あら、妖精襲来のお知らせ?
人修羅が新たなギフトを手に入れたそうですよ?


──わけが分からなかった。

 

 薄暗いリノリウムの廊下を、少年が歩いていた。片手は腹を押さえ、片手は壁に手をついてよろめきながら歩を進めている。一見すれば病人、あるいは怪我人であろう。まともに歩けないその様を見れば、誰かの助けが必要なのは一目瞭然だった。

 

 だが、その風体は異様の一言だった。

 

 全身に黒の刺青が施され、その縁を翠色のラインが彩り、爛々と光っている。うなじには黒色の角も生えている。上半身には何も着ておらず、墨色のハーフパンツを穿き、青いアクセントがある黒のスニーカーを履いている。

 

 そして、その瞳は弱々しく翠色に光っていた。

 

──何が起こっているんだ。

 

 少年の精神は混乱の極みにあった。つい先程まで退屈な日常の中に居たはずだった。友人たちから入院した教師の見舞いに誘われ、病院にやって来た。ただそれだけの筈だったのに。

 

 何故か重傷を負って、這々の体でバケモノから逃げている。

 

──とても痛い、苦しい。……なのに、涙が出ない。

 

 病院に誰もいなかった。地下には不気味な男とバケモノがいた。教師が現れて、少年を救い、屋上へ導いた。そして屋上で──世界が終わるのを見た。

 

 少年は壁を伝いずりずりと進み、手身近な扉を開けるとそこへ潜り込む。廊下が続いているが、バケモノの気配は無い。少年は何かを求めるように、先へ進む。

 

──誰か……誰か、助けてくれ……。

 

 目覚めた時には何もかも変わっていた。刺青を入れられ、うなじは角が生えていた。鏡を叩き割っても傷一つ付かない。己もバケモノに変わってしまったんだと少年は思った。再会したジャーナリストの男が嫌悪感を表さなかったのが、唯一の救いだった。

 

 そして、友人たちを探そうとエレベーターへ向かうと──バケモノがいた。

 

 半透明で悍ましい形状をした顔が襲い来る。体を蝕む痛みを振り払おうと応戦し、ソレを蹴散らした。そして、理解する──これが、〝悪魔〟なのだと。

 

──夢なら覚めてくれ。嘘だと言ってくれ。この地獄から逃がしてくれ。

 

 何が起きているのか全く理解できず、病院を彷徨う。ガス状の悪霊や、子供のような悪鬼を蹴散らし、傷を負い、じわじわと身も心もすり減っていく。

 

 入り口は塞がれていた。幽霊のような存在に病院の現状を知らされ、半ば理解できないまま呆然と隣の棟を目指す。だが道中で、薄っぺらい悪魔に風で切り刻まれ、紙のような悪魔に雷で撃たれ、蝶のような悪魔に炎で焼かれていく。身も心も限界に達していた。

 

──俺は、死ぬのか。

 

 渡り廊下への扉を開くと、とうとう倒れこんだ。一瞬意識が飛ぶ。だが、全身を蝕む痛みが眠りに着くことを許さない。それでも、わけが分からないまま死ぬことが認められなくて、ずりずりと無様に少年は這いずり回る。

 

 そこへ、扉が立ち塞がる。カードが必要な自動ドア。ごく一般的で単純なセキュリティが、少年を絶望に追いやる。

 

──そうだった、アイツはカードを使ってこっちに……。

 

 少年は限界に達していた。何も知らぬまま悪魔になったばかりの少年が、病院内を闊歩する無数の悪魔を相手にしてここまで辿り着けただけでも上出来だった。

 

 だがそれも終わり。誰の助けもないまま、少年は孤独に死んでいく。何も知らぬまま、何も分からぬまま、運命を弄ばれた挙句に少年は死んでいく──

 

 

『……あなた、何してるの?』

 

 

──筈だった。

 

 少年はゆるゆると、霞む視線を声があった方に向ける。天からの逆光に、羽根の生えた少女のようなシルエットが浮かぶ。

 

 少年は──間薙シンは、未来永劫この時のことを忘れないだろう。

 

『あなた、そんなボロボロになってまで向こうに行きたいの? それなら手伝ってあげるから──』

 

 少女が手を翳すと、シンの体から痛みが、苦しみが抜けていく。少女は薄く笑って、シンに取り引きを持ちかけて来た。

 

『あたしをヨヨギ公園まで連れて行ってよ。あまり強そうじゃないけどさ──』

 

──これが、これから途轍もなく長い付き合いになる、最初の仲魔との出会いだった。

 

 

    *

 

 

 箱庭2105380外門居住区画・〝ノーネーム〟本拠。シンの私室。

 

 ベッドに寝転がるシンは、閉じていた瞼をゆっくりと開いた。眠っていたわけではない。今後のことに関する考察と、記憶の整理を行っていただけだった。人間で言えば睡眠に値するのかも知れなかったが、意識はずっと覚醒しているのだから睡眠ではないだろう。

 

 懐かしいことを思い出した、とシンは懐古する。病院で出会った、最初の仲魔。悪魔やボルテクス界について何も知らなかったシンを教え、導いてくれた。そして最後まで側に居てくれた彼女は、今も混沌王の傍で大いなる存在と戦いを繰り広げているだろう。

 

 〝ペルセウス〟とのゲームから一ヶ月が経過し、〝ノーネーム〟は徐々にその生活を安定させて行った。十六夜たちは勿論、シンも数々のギフトゲームに参加し、経験と知識を磨いている。ただ、どれも難易度があまり高くなく、十分に経験が積めているとは言い難いのが現状だった。

 

「……俺からゲームを仕掛けてみるか?」

 

 十六夜はともかく、飛鳥と耀は対魔王に向けて一刻も早く力を付けなければならないのに、それもままならない。このまま程度の低いゲームを繰り返しているよりは、自ら稽古をつけてやらねばならないかも知れないと、考慮する。

 

 だが、シンの力は破壊と殺戮に特化しており、手加減するのが難しい。特に飛鳥は肉体的にはただの人間であり、下手すれば死ぬ可能性がある。

 

 それが無くとも、シンは手加減が苦手なのだ。ボルテクス界では手加減などすれば格下にでも殺されうる。どんなに格下でも己を殺しうる相手には全力を出す。それがボルテクス界で学んだことであり、今もなお掲げるシンの方針だった。

 

──仲魔がいれば、やれることの幅が広がるのだが……。

 

 今のシンには仲魔が居ない。過去に集めた仲魔は全て魔界におり、混沌王の傍に居る筈だ。そこから召喚できないことはないが、邪教の館の設備が必要だ。よって以前の仲魔を呼び出すことはできない。

 

 かといって、近場の幻獣を仲魔とするわけにもいかなかった。十六夜たちの相手になるような幻獣は少なく、また勝手に仲魔にすれば色々と問題が起こることだろう。ちゃんとした手順を踏めば問題ないだろうが、一度仲魔にすれば箱庭の法では手放すのは難しい。ボルテクス界ではシンについていけなくなった悪魔は合体して強い悪魔に作り変えていたが、それもやはり邪教の館の設備がないと不可能だ。

 

 どちらにせよ、すぐに仲魔を手元に置くことは出来そうにない。これは一旦保留にしておく必要が──

 

「──お久しゅうございます、陛下」

 

 部屋の片隅に、喪服を着た老婆と金髪の少年が出現していた。突然の来訪にもシンは動じず、身を起こしてベッドに座り、先を促す。

 

「……何の用だ」

 

「我々のために身を粉していただいております陛下のために、婆はささやかな贈り物をご用意させていただきました」

 

 そう言うと老婆はそれ(・・)を取り出し、シンへ差し出した。シンは見覚えのあるそれにやや驚愕し、目を見開き声を漏らす。

 

「……これは」

 

「ええ、ええ。ご想像通りの品でございます。また、ちょっとした機能も備えておりますゆえ、中の説明書きをお読みください」

 

 受け取り、それを開く。これがあれば、シンの憂いはほぼ解決すると言っていいだろう。それどころか今後の予定を大きく短縮することができる。シンは薄く笑うと、顔を上げる。

 

「助かった。礼を言う」

 

「この婆如きに、勿体無いお言葉でございます」

 

 老婆が一礼する。金髪の少年がヒソヒソと老婆に話しかけると、老婆は頷き代弁を始める。

 

「おやまあ、何と……坊ちゃまは、近いうちに再び魔王との戦いがあると──」

 

「間薙ーッ!!」

 

 バタァン! とシンの私室の扉が開かれ、ジンを抱えた十六夜と、息を切らせた飛鳥と耀が飛び込んでくる。

 

 老婆と金髪の少年は一瞬で姿を消していた。シンはノックをしろだとか、朝から騒々しいだとか、扉を蹴破るなとか言いたいことを全て飲み込み、とりあえず言葉を返す。

 

「……何の用だ」

 

「北側に行くぞ! でかいお祭りがあるんだとよ!」

 

 そう言って手紙を突き出す十六夜。双女神の封蝋がされたそれは、北と東の〝階層支配者(フロアマスター)〟による共同祭典──〝火龍誕生祭〟の招待状だった。シンは内容を一読し、状況を理解する。

 

「路銀はどうする」

 

「そんなもんどうにかなる!」

 

「黒ウサギには説明したのか?」

 

「どうもアイツがこの事を隠してたみたいでな。ちょっとお灸を据えてやるつもりだ!」

 

 そう言って十六夜はヤハハと笑う。十六夜は最近書庫に篭っていたと聞いている。このハイテンションぶりは日々の寝不足と、祭りへの期待と、黒ウサギへの怒り故なのだろう。

 

 シンが十六夜たちを見回すと、三人とも期待に胸を膨らませて瞳を輝かせている。誘いに来てくれたのはシンを仲間と認める故なのだろう。先日の〝ペルセウス〟との戦いでシンが力を示したことで、一目置かれているようだ。悪魔の残虐性を見せたために、警戒心はないわけではないのだろうが、それでも歩み寄ろうとしてくれている。

 

──だが、シンはそれに何も思わない。故に返答は決まっている。

 

「俺は──」

 

 

    *

 

 

「く、黒ウサギのお姉ちゃぁぁぁぁん! た、大変ー!」

 

 〝ノーネーム〟農園跡地にて、土地の再生について計画していた黒ウサギとレティシアの元に、血相を変えたリリが泣き顔で走ってやってきた。

 

「リリ!? どうしたのですか!?」

 

 年長組でしっかり者のリリがここまで取り乱すとはただ事ではない。黒ウサギとレティシアは驚き、リリに話を聞く。

 

「じ、実は飛鳥様が皆様を連れて……あ、こ、これ手紙!」

 

 忙しなく尻尾を動かしながらリリは黒ウサギへ手紙を手渡す。黒ウサギは途轍も無く嫌な予感がしながらも、手紙を開いた。

 

『黒ウサギへ。北側の4000000外門と東側の3999999外門で開催する祭典に参加してきます。貴女も後から必ず来ること。あ、あとレティシアもね』

 

「…………」

 

『私たちに祭りのことを意図的に黙っていた罰として、今日中に私たちを捕まえられなかった場合、三人ともコミュニティを脱退(・・)します。死ぬ気で探してね。応援しているわ』

 

「…………?」

 

『P/S ジン君は道案内に連れて行きます』

 

「────!?」

 

 たっぷり三十秒黙り込み、手紙を持つ手をワナワナと震わせ、ようやく悲鳴のような声を上げた。

 

「な……何を言っちゃってんですかあの問題児様方ああああーッ!?」

 

 黒ウサギの絶叫が響き渡る。リリは涙目でおろおろと慌てふためき、レティシアはため息をついた。

 

「……下手に隠すからだろう。隠し事がバレればあの三人が大人しくしていないだろうことはわかっていただろうに」

 

 呆れたように言うレティシアの言葉を聞き、ぴたりと静止する黒ウサギ。そしてふっふっふと悪者のように笑い始めた。

 

「三人……そうですよ、あと一人いるじゃあないですか。この〝ノーネーム〟最強の刺客が……!」

 

 黒ウサギはグルリとリリに向き直ると、肩をがしりと掴んでお願いする。

 

「シンさんを連れてきてください、リリ! 悪魔ながら四人の中で一番の常識人であるあの方なら、問題児様方を捕まえるのに協力してくれることでしょう!」

 

「あの、そのことなんだけど……」

 

「……え?」

 

 リリは心底申し訳なさそうに、手紙の隅を指差す。そこには飛鳥の文字より若干荒い筆跡で、こう書かれていた。

 

『P/S2 ちなみに間薙も「北側も見定めたい」ってことで同行してるぜ。残念だったな! by十六夜』

 

「…………」

 

 黒ウサギは何も言わず崩れ落ちた。レティシアは無言で首を振り、リリは途方に暮れたように空を見上げたのだった。

 

 

    *

 

 

「──北側も見定めたい。同行しよう」

 

 時は十六夜たちがシンを誘いに来た所まで遡る。シンが承諾し、十六夜はガッツポーズを決めた。

 

「よっしゃ決まり!」

 

「それじゃあ間薙君も準備して、急いで出発──あら?」

 

 飛鳥はシンが持っている見慣れないものに気が付いた。十六夜と耀も遅れて気が付き、それ(・・)に視線を移す。

 

「これは……?」

 

 シンは一瞬迷うが、問題児相手に下手に隠すと後々面倒なことになるだろうと、問題ない所のみ抜粋して答えることにした。

 

「……これは俺の新たなギフトだ」

 

「何ですって!?」

 

「いつの間に!?」

 

「ズルいぜコラァ!」

 

 三者三様の反応を見せる十六夜たちを他所に、シンはその新たなギフトを弄る。しかし飛鳥はふと我に返ると慌ててシンを急かす。

 

「ちょ、ちょっと待って。先に出発しましょう。あまり遅れると黒ウサギに気付かれるわ」

 

「それならば尚更試運転をしておく必要があるな。上手く行けば追いつかれる心配は無くなる」

 

「……どういうこと?」

 

 耀が不思議そうに首を傾げる。だがそれに応えず、シンはギフトを掲げて念じ始めた。

 

──想うのは、人修羅として生まれたばかりのあの日々。

 

「──きゃっ!」

 

 ごう、と室内に風が発生し、シンが掲げたギフトの上で渦巻いていく。ギフトからは黒い何かが漏れ出て、渦の中で集い、徐々に何かを形作っていく。

 

──想うのは、一体の悪魔。

 

「ヤハハハハ! オマエまさか、そんなことも出来たなんてな!」

 

 十六夜は笑い、シンがやろうとしていることを察して笑う。それを他所に黒い塊からは暗黒の雷が漏れ出て、空気中でバチバチと弾け飛ぶ。

 

──想うのは、…………。

 

 カッ、とシンは目を見開き、

 

 

──室内を、極大の轟音と強い光が満たした。




本日より、第二章最終話まで毎日更新させていただきます。
とはいえ、まだ最後まで書けてないので更新しながら書き進めて行きますが、間に合わなくなりそうな時はあらかじめご連絡させていただきます。


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白夜叉は静かに覚悟するそうですよ?

 〝ノーネーム〟本拠から抜け出して、一同は〝サウザンドアイズ〟支店までやって来ていた。

 

 十六夜たちはとにかく北に向かえば何とかなるだろうと考えていたが、ジンから北側まで980000kmの距離──ちなみに地球24周半ほど──があることを知らされ、流石に断念する。シンも流石にその距離を一瞬で移動する方法は無い。アマラ転輪鼓を使えば話は別だが、当然箱庭には存在しない。

 

 そうなると、箱庭で超長距離を移動する手段は限られる。だが、〝境界門(アストラルゲート)〟の起動には莫大な料金がかかり、全員連れて行くには〝ノーネーム〟の全財産を支払っても足りないのだ。それ故に黒ウサギたちは秘密にしていたのだが、十六夜たちも鬼ではない(一名悪魔だが)。誠実に話していればこのような強硬手段を取られることもなかっただろう。

 

 そういうわけで、〝サウザンドアイズ〟が正式に招待してくれたのだから、路銀を出してもらおうと交渉しにやって来たのである。

 

「お帰り下さい」

 

 そして門前払いされたのである。

 

 十六夜たちはギフトゲームで手に入れた金品をいつもここで換金しており、一応そこそこの常連客ではある。だが第一印象が悪かったのか、そもそも〝ノーネーム〟だからか、毎回この割烹着の店員に絡まれていた。

 

 しかし十六夜たちも慣れたもの。適当にあしらって店内に入ろうとするも、店員は大の字で立ち塞がった。ここまでされるとは一体何をやらかしたのだ、とシンは他人事で見ているが、向こうからすれば問題児四人組で一括りになっていることに気が付いていない。

 

「だからうちの店は! 〝ノーネーム〟お断りで──」

 

「──よいよい、わしが招待したのだ。店の中に入れてやれ」

 

 叫ぶ店員の背後から、煙管を手に白夜叉が現れた。店員は抗議しようにもオーナーから招待されたのならば何も文句は言えない。渋々引き下がった。

 

 大人しい白夜叉に、その原因を察しつつある十六夜たちは招待状を見せ、北側への行き方を相談する。白夜叉は全てわかっていると言うように頷き、一同を店内へ招く。

 

「条件次第では路銀は私が支払ってやる。だが少し秘密裏に話したいことがあるのでな──」

 

 中庭から白夜叉の座敷に通された。店内の喧騒に興味を惹かれた十六夜たちは店について質問し、白夜叉は嬉々として答えてくれる。それを他所にシンは店を見回している。そして感じていた。

 

──白夜叉が己を警戒していることを。

 

 無理もないだろう、とシンは納得している。〝ペルセウス〟とのギフトゲームで、己の素性を一部明かしているのだ。薄々とシンの正体について勘付いているのかも知れない。

 

 だが、シンはそれに後悔はしていない。決定的な目的がバレているわけではないし、今は〝ノーネーム〟の一員として復興に協力している。もし本格的に敵対しても〝ノーネーム〟の皆がシンを庇ってくれるだろう。

 

「……なあ、白夜叉。アンタは何で間薙を警戒しているんだ?」

 

──そう、今のように。

 

「……別に、警戒などしておらぬよ」

 

 真顔で答えるも、その表情が既に本音を物語っていた。飛鳥は眉を顰め、十六夜に続く。

 

「嘘よ。だって間薙君がいる時といない時とで、あからさまに態度が違うじゃない」

 

 うぐ、と白夜叉は怯む。シンがいない時に十六夜たちが訪ねた際は、空から降って来たり、女性陣にセクハラしたり、セクハラしたり、セクハラしたりとやりたい放題なのだ。ここまであからさまなら誰でも気が付くだろう。ちなみに、セクハラを我慢するなどシンがいる時ぐらいしかやらないので、その反動で余計にはっちゃけているのだが彼らは知る由もない。

 

「シンが、悪魔だから?」

 

 耀が悲しそうに首を傾げる。白夜叉はその仕草に良心が痛むが、そういうわけではないよ、と首を振る。

 

「魔王によって悪魔の恩恵を得たものはそう珍しい存在ではない。それに、何れ出会うこともあるだろうが、更生して善性の霊格を持った者もおる。私だって、元・魔王だしの」

 

「なるほど。逆に、更生してるかどうかもわからん身元不明で得体の知れない悪魔は信じるに値しないってわけだ」

 

 シンを横目に、十六夜はニヤリと笑って見せた。しかし、それくらい十六夜にも想像はついていることだ。シンはとにかく口数が少なく、己について語ることもほぼ無い。だからこそ〝ペルセウス〟とのゲームでの発言に心底驚いたのだ。その内容がシンへの不信感に繋がっていることも分かっている。

 

 そして仲間に庇われ、白夜叉が胸の内を少し明かしても、シンは態度を改めない。

 

「──何れ戦う相手だ」

 

 それどころか白夜叉を真っ直ぐ見つめながら、静かにシンは宣言する。

 

「手の内を晒すつもりはない」

 

「ヤる気満々だなオイ!」

 

 十六夜が嬉しそうにヤハハと笑い、飛鳥と耀は顔を見合わせ、ジンは頭痛を抑えるように頭を抱える。白夜叉はまさかここまで率直に言われるとは思っていなかったらしく、パチクリと瞬きすると、すぅ、と目を細める。

 

「……いつかおんしとは決着をつけねばならんらしいのぉ」

 

 ふっふっふ、と威圧感を出しながらお互い睨み合う白夜叉とシン。星霊の半ば本気の威圧と、悪魔の静かで冷たい威圧が部屋の中でぶつかり合い、ジンは顔色を悪くする。面白そうにそれを眺めていた十六夜だったが、ふと時間が無いことを思い出して二人に割り込む。

 

「ま、そいつは後にしてくれ。今は時間が惜しい。俺たちに話があるんだろ?」

 

 白夜叉はおおそうだった、と我に返る。カン、と煙管で灰吹きを叩いて気持ちを切り替え、厳しい表情で話し始めた。

 

「本題の前にまず、一つ問いたい──」

 

 白夜叉はジンに、〝ノーネーム〟が〝打倒魔王〟を掲げ、魔王に関するトラブルを引き受ける噂の真偽を確かめる。その視線を真っ向から受け、ジンは名と旗印を奪われたコミュニティの存在を手早く広めるため、トップとしてその方針を決めている、と告げる。

 

「魔王を引き付けることになるでしょうが、覚悟の上です。仇の魔王からシンボルを取り戻そうにも、今の組織力では上層まで出向くことは出来ません。それなら、誘き出して迎え撃つまでです」

 

「無関係な魔王と敵対するやもしれん。それでもか?」

 

 上座から身を乗り出し、更に切り込む白夜叉だが、不敵に笑った十六夜が代わりに答える。

 

「それこそ望むところだ──」

 

 倒した魔王を隷属させ、より強力な魔王を打倒していく〝打倒魔王〟を掲げたコミュニティ──それをカッコいいだろうと茶化したように、しかし一切笑わぬ瞳で答えた。白夜叉は、十六夜が傍目より遥かに物事を考え、リスクを冷静に天秤にかけて判断できる者だと評価している。

 

 ふむ、と暫し瞑想した後、これ以上は老婆心であろうと話題を切り上げた。白夜叉はいよいよ本題に入ることにする。

 

「──さて、それではジン殿。此度の共同祭典について、東のフロアマスターから正式に頼みたいことがある」

 

「は、はい! 謹んで承ります!」

 

 改めて組織の長として接する白夜叉に、ジンは少しでも認められた喜びを抑えながら佇まいを正す。

 

「北のフロアマスターの一角が世代交代したのは知っておるかの? 急病で引退だとか」

 

 いえ、とジンが答えた。〝ノーネーム〟になって以来、組織の情報収集力も大幅に落ちている。他の方角のフロアとはいえ、同階層のフロアマスターの交代も知らなかったのは無理もないことだった。

 

「おんしらにも誘いをかけた此度の〝火龍誕生祭〟とは、その新たなフロアマスターのお披露目を兼ねた大祭でな。五桁・54545外門に本拠を構える、コミュニティ〝サラマンドラ〟が主催なのだ」

 

「そうですか、〝サラマンドラ〟とはかつて親交がありましたが……それで、今はどなたが頭首を?」

 

 そう言ってジンは前頭首の長女・サラと次男・マンドラを挙げるが、白夜叉はいや、と首を振って実際の新頭首の名を告げる。

 

「頭首は末の娘──サンドラが火龍を襲名した」

 

 は? とジンは小首を傾げて暫し固まる。その理由を知らぬ十六夜たちはジンに視線を向け、そして驚嘆の声を上げたジンは身を乗り出して驚いた。

 

「サ……サンドラが!? 彼女はまだ十一歳ですよ!?」

 

 だが、一応〝ノーネーム〟のリーダーであるジンも同い年である。それを飛鳥が茶化したように指摘する。

 

「あら、ジン君だって十一歳で私たちのリーダーじゃない」

 

「なんだ、まさか御チビの恋人か?」

 

「そうですけ──いやっ違います! 失礼なことを言うのは止めてください!」

 

 十六夜と飛鳥のからかいに素直に反応し、顔を赤らめて怒鳴り返すジン。それを他所に、白夜叉は説明を続ける。

 

「……さて。そのサンドラだが、その幼さ故に此度の大祭でこの私──東のマスターに共同の主催者(ホスト)を依頼してきたのだ」

 

 一見すれば何の変哲もない依頼である。だが、ジンは意義を唱える。

 

「そ、それは筋が通りません──」

 

 〝階層支配者(フロアマスター)〟とは箱庭の秩序を守り、コミュニティの成長を促す役職であるが、北側には複数のマスターが存在している。精霊や鬼種を始めとする、多数の種族が混在する治安の悪い土地であるためだ。

 

「──そのため、新たなフロアマスターの誕生祭なら、同じ北のマスターたちと共同主催すると思います。サンドラはなぜ白夜叉様に……?」

 

「……うむ、まあ、そうなのだがの」

 

 難しい表情で問うジンに、白夜叉は急に歯切れが悪くなる。頭を掻いて言い難そうにしているそれを見て、十六夜は実情を察して助け舟を出す。

 

「新たに生まれる幼い権力者を良く思わない奴らがいる──とか、そんなところだろ?」

 

「……そう、箱庭の長たちでも思考回路は人間並みなのね」

 

 在り来りだが、だからこそ陳腐で呆れた話である。飛鳥は不愉快そうに眉を顰めた。白夜叉は気まずそうに項垂れ、重々しい口調で話を続ける。

 

「……手厳しいが、全くもってその通りだ。実は東のマスターである私に共同祭典の話を持ちかけてきたのも、様々な事情があって──」

 

「──ちょっと待って。その話、まだ長くなる?」

 

 そこへ、耀が割り込んだ。白夜叉が不思議そうにあと一時間ほどかかると告げると、十六夜たちは顔色を変えた。今は黒ウサギと追いかけっこの最中なのである。悠長に話していれば、何れここを突き止められるだろう。

 

「し、白夜叉様、どうかこのまま──」

 

「──ジン君、黙りなさい(・・・・・)!」

 

 往生際悪く引き留めさせようとしたジンは、飛鳥のギフトで強制的に口を閉じられる。その隙を逃さず、十六夜は白夜叉を急かした。

 

「白夜叉! 悪いが俺たちは今すぐ北に向かう!」

 

「む、むぅ? それは構わんが、何か急用か? というか、内容を聞かず受諾してよいのか?」

 

「構わねえから早く! ──その方が面白い(・・・)!」

 

 十六夜の言い分に白夜叉は瞳を丸くすると、呵々と哄笑を上げて頷く。ジンは声にならない悲鳴を上げ、暴れ出すも当然十六夜たちが許さない。

 

「ふむ、面白い(・・・)か。──それならば、仕方ないのぉ!」

 

 箱庭の修羅神仏にとって、娯楽こそ生きる糧である。白夜叉も例外ではなく、十六夜たちに取り押さえられるジンを一瞬すまなそうに見やるも、嬉々として両手を出し柏手を二回打つ。

 

 そして、暫し静寂がその場を支配する。白夜叉が何をしたのか分からず、その両手を見つめる一同だったが、白夜叉は悪戯っぽく笑い、十六夜たちに告げる。

 

「──着いたぞ(・・・・)

 

『…………は?』

 

 素っ頓狂な声を上げ、顔を見合わせる十六夜たちだったが、その疑問は期待で押し流され、瞳を輝かせながら店外へ駆け出して行く。

 

 シンも遅れて立ち上がり、店外へ歩き出す──

 

「──待て」

 

 そこへ、白夜叉が呼び止めた。

 

 シンは歩みを止め、顔だけ振り返り白夜叉を見つめる。白夜叉のその表情は、敵意は無いながらも隠れた覚悟が伺える。

 

「……下手におんしを警戒するのはもう止めにしよう。藪蛇をつつくことになりかねんからの」

 

 ば、と扇子を広げ、表情を隠した白夜叉は目を細め、何かを見通そうとするように、シンを睨み付ける。

 

「怪しいながらも今は〝ノーネーム〟の味方でいてくれておる。そこに悪意は感じられんし、黒ウサギも助かっているようだし、そこは信じておいてやろう」

 

 そこでふ、と目を閉じ、暫し何か考えるように眉を顰める。やがて目を見開くと──温度の無い壮絶な視線がそこにあった。

 

「だが、私の勘が告げておる──おんしに絶対に気を許すな、とな」

 

 何千、何万年と生きてきた星霊の勘──それは最早確信に等しいだろう。白夜叉はその瞳で多くの始まり、そして終わりを見つめてきた。何かを生み出すもの、破壊するもの、治すもの、殺戮するもの、多くの霊に出会ってきた。

 

 そしてシンから感じられるのは、圧倒的な終わらせる者(・・・・・・)の気配。

 

「コミュニティのために尽力している内はよいが、少しでも危険な兆候を感じれば──私は神格を返上してでもおんしを処分する」

 

 そう、宣言する。

 

 白夜叉の瞳は本気だった。シンのその目的が知れれば、白夜叉は魔王に返り咲いてでも全力でシンと戦うだろう。そうなれば最早〝ノーネーム〟に留まることはできない。それどころか、それまでに準備が整っていなければこの分霊が破壊される恐れがあった。

 

 シンは一瞬だけ眉を顰め、一言だけ答える。

 

「……覚えておこう」

 

 そう言って、店外へ歩き去って行った。

 

 白夜叉はその後ろ姿を眺め、内心呟く。

 

──まあ、それでも止まらないのだろうがな。

 

 ふう、と長いため息をつき、出て行った彼らを追って、ゆっくりと店外へ歩き出すのだった。



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黒ウサギは大変な目にあったそうですよ?

 東と北の境界壁。4000000外門・3999999外門、〝サウザンドアイズ〟旧支店。そこから一同が出ると、熱い風が頬を撫でた。

 

 いつの間にか高台に土地を移していた支店からは、街の一帯が展望できる。だが眼下に広がる街は、彼らの良く知る街ではなかった。

 

「赤壁と炎と……ガラスの街……!?」

 

 飛鳥は大きく息を呑み、感嘆の声を上げる。その視線の先にあるのは、東と北を区切る天を衝くかというほどの巨大な赤壁──境界壁。そこから掘り出された鉱石で彫像されたモニュメントや、そこから削り出すように建築されたアーチに、外壁に聳える二つの外門が一体となった巨大な凱旋門。

 

 そして、遠目からでもわかるほどに色彩鮮やかなカットガラスで飾られた歩廊に、飛鳥は瞳を輝かせる。

 

 昼間にも拘らず街全体が黄昏時のような色味に染まっており、朱色の暖かな光を発する無数のペンダントランプが、常秋の様相を演出していた。

 

 更に白夜叉は、外門から一歩外に出ると真っ白な雪原が広がり、それを箱庭の都市の大結界と灯火で生活圏の熱を確保していると説明してくれた。

 

 キャンドルスタンドが二足歩行で街中を闊歩している姿を見て、十六夜も喜びの声を上げる。

 

「へえ……! 東とは随分文化様式が違うんだな。厳しい環境があってこその発展か……ハハッ、東側より面白そうだ」

 

「……むっ? それは聞き捨てならんぞ小僧。東側にだっていいものは沢山ある──」

 

 東側の2105380外門は〝世界の果て〟と向かい合っている関係上、都市の外で手に入る資源が少ない。その為、力の無い最下層のコミュニティでは発展に限度があるのである。白夜叉は拗ねたように、おんしらの住む辺りが特別寂れているだけだ、と口を尖らせる。

 

「今すぐ降りましょう! あのガラスの歩廊に行ってみたいわ!」

 

「ああ、構わんよ。続きは夜にでもしよう。暇があればこのギフトゲームにも参加していけ」

 

 胸の高まりが収まらない様子の飛鳥に白夜叉は苦笑し、懐から一枚のチラシを取り出した。一同はチラシを覗き込む。

 

 ギフトゲーム名は〝造物主達の決闘〟。参加資格は『創作系のギフトを所持』していることであり、サポートとして一名までの同伴を許可されている。決闘内容はその都度変化し、共通するルールとしては、ギフト保持者は創作系のギフト以外の使用を一部禁ず、とある。

 

「創作系のギフト──つまり、春日部のギフトみたいなやつか?」

 

「うむ。人造・霊造・神造・星造を問わず、製作者が存在するギフトのことだ──」

 

 北では過酷な環境に耐え忍ぶ為に、恒久的に使用できる創作系のギフトが重宝されており、その技術や美術を競い合う為のゲームがしばしば行われているという。白夜叉は耀に視線を向けて説明を続ける。

 

「そこでおんしが父から譲り受けたギフト──〝生命の目録(ゲノム・ツリー)〟は技術・芸術共に優れておる。人造とは思えんほどにな」

 

 展示会に出せば相応の評価が与えられただろう。しかし生憎そちらの出展期限は過ぎていた。

 

「その木彫りに宿る〝恩恵〟ならば、力試しのゲームでも勝ち抜けると思うのだが……」

 

 サポーター役としてジンも居る。本件とは別に祭りを盛り上げる為に一役買って欲しい、と白夜叉は提案する。だが耀はあまり気乗りしない様子だった。

 

 ちなみにシンは、〝造物主〟が邪神デミウルゴスを指すのかと一瞬思ったが、どうにも違うようなので興味を無くしている。ただ、今シンが持っているギフトであれば参加資格を満たしていた。詳細を十六夜達に語っていないし、白夜叉にも知らせていないので話を振られてはいないし、参加するつもりも無かったが。

 

「──そういえばシン、黒ウサギは後どれくらいで来ると思う?」

 

 考え込んでいた耀が、突如シンに質問する。話が見えず困惑する白夜叉だが、シンは頷き答える。

 

「一刻ほどの時間は稼げたと思うが」

 

「それなら、こっちに来る頃にはきっとカンカンだね」

 

「……むぅ? そういえば時間が無いとか言っておったが……」

 

 首を捻る白夜叉に耀は苦笑し、やっぱり出場するよ、とだけ返答する。

 

「よく分からんが、詳しい話は店内で聞かせてもらおうか。出場の申し込みも済ませておきたいからの」

 

「分かった。それじゃあ、皆は先に街に行って──」

 

 くるりと振り返ると、既に十六夜たちは降りて行く最中だった。どうやら待ちきれなかったらしい。耀に手を振りながら、全速力で街へ向かって行く。

 

「がんばってね春日部さん! 予選までには観戦しに向かうから!」

 

「春日部の分まで街を堪能しておくからな! ヤハハハハ!」

 

 十六夜と飛鳥は歓喜の声を上げながら走り去った。そして呆然と佇む耀の側を、ゆっくりと歩き去って行くシン。くるりと顔だけ振り返ると、

 

「──用事を済ませておく。俺のことは気にするな」

 

 それだけ告げて、街へ降りていった。

 

「…………」

 

「……まあ、何だ。別に今すぐでなくてもよいのだぞ? 少し街を散歩してからでも……」

 

「……ううん、今すぐエントリーするよ」

 

 耀の瞳は燃え上がっている。それは怒りか、それとも悲しみか。しかしそのどちらでもなく、耀は高らかに勝利宣言をする。

 

「ゲームに参加さえしていれば、コミュニティのためにギフトが欲しかったという言い訳が立つ。黒ウサギに捕まった時、泣きを見るのは彼らの方……」

 

 ふっふっふ、と昏い笑いを見せる耀に若干引きながら、白夜叉は彼女を店内に招いたのだった。

 

 

    *

 

 

 「──すごく綺麗な場所。私の故郷にはこんな場所は無かったわ」

 

 十六夜と飛鳥が街に繰り出してから数時間後。二人は大きな翠色のガラスで作られた龍のモニュメントを観察していた。十六夜はモニュメントが本来隕石の衝突によって合成される、テクタイト結晶で出来ていることに驚き、飛鳥は十六夜のその博識ぶりに感心する。十六夜はそれを雑学程度だ、と謙遜するが、同世代の少年少女が持つには博識と言って差し支えない知識量だろう。

 

 歩くキャンドルスタンドに目を奪われている十六夜に、飛鳥は言葉を掛ける。

 

「二足歩行のキャンドルスタンドに、浮かぶランタン……ならカボチャのお化けはいないのかしら? ハロなんとかっていうお祭りに出てくる妖怪なのだけれど、十六夜君は知ってる?」

 

 博識な十六夜に期待したのだろうが、生憎十六夜の知識では一般人でも知っている常識的なことだった。十六夜は目を丸くして答える。

 

「おいおい、ハロウィンの〝ジャック・オー・ランタン〟の事か? 流石に箱入りが過ぎる──と、そうか。お嬢様は戦後間も無い時代から来たんだっけ?」

 

 日本においてハロウィンが広く認知され始めたのは90年代、古くても80年代のことである。戦後すぐの時代から来た飛鳥の知識に差があるのは仕方が無いことなのである。

 

「そう……十六夜君の時代には、もうハロウィンは珍しい物ではないのね」

 

「まあな。もしかしたら間薙もそうかもしれないが」

 

「間薙君も?」

 

 飛鳥は目を丸くする。そういえば、十六夜たちはシンの事を何も知らない。間薙シンという姓名と、魔王によって生み出された悪魔であること。その程度しかシンは話してくれていないのだ。

 

「アイツが着ている服を見ただろ? 合成繊維のパーカーにスニーカー。デザインから見ても、恐らく俺がいた時代とそう変わらないはずだ。……まあ、人間に化ける術とかで適当な時代の人間に変身しているだけなら、お手上げなんだけどな」

 

 そう言って肩を竦める十六夜。案外魔界とかからやって来たのかもな、と冗談ぶって呟いた。それを聞いた飛鳥は指を口元に当てて首を傾げる。

 

「……そうね、悪魔というなら知り合いにジャック・オー・ランタンくらい、いないものかしら?」

 

「……やけに拘るな。そんなにハロウィンが好きなのか?」

 

 苦笑しながら十六夜が問いかけると、飛鳥は遠い目をしながら自嘲する。

 

「──どうかしら。私は生まれと力のせいで、寮制の学校に閉じ込められていたから……そう言った催しを小耳に挟んだ時は、とても素敵だと思ったわ」

 

 あの手紙が来なかったら、帰省に乗じて出て行くつもりだったのだ、と飛鳥は呟く。

 

「〝Trick or Treat!(お菓子くれなきゃ、悪戯するぞ!)〟──このフレーズ、とても可愛らしくて素敵じゃない?」

 

 そうして、自分も仮装をして大人たちに苦笑いされながらお菓子を貰いたかった、と憧れるように言った。大きなカボチャを被るのはもちろん、魔女の衣装も似合うだろう、とくるりとスカートを靡かせて笑う。それは普段の落ち着いた彼女よりもずっと少女らしい笑みだった。

 

「私……箱庭に来て本当に良かったわ。こんなに素敵な場所に来ることが出来たんだもの──」

 

 ハロウィンは経験することができなかったけれど、実家で飼い殺しにされる人生より余程明日に期待を持てる──瞳を輝かせ、そう言った。くるりくるりと歩廊の真ん中でターンを交えつつ廻る飛鳥を、十六夜は静かに見つめていた。

 

「……なあ、お嬢様。ハロウィンは元々収穫祭だってことは知ってるか?」

 

 唐突に、十六夜は飛鳥に問いかける。え? とキョトンとする飛鳥だが、十六夜は素知らぬ顔で続ける。

 

「ついでに言うとだ、〝ノーネーム〟の裏手には莫大な農園跡地があってだな──」

 

「え、ええ。そうね。それは知ってるわ」

 

 それなら話が早い、と言う十六夜の意図が分からず、困ったように首を傾げる飛鳥。そこへ十六夜はニヤリを笑い、己の考えを告げる。

 

「農園を復活させて──いつか、俺たちの(・・・・)ハロウィンをしよう」

 

 ハロウィン、したいんだろ? そう十六夜は笑いかける。飛鳥はその提案に目を丸くし、じわじわとその意味を理解し始める。

 

「私たちのコミュニティで……ハロウィンのギフトゲームを主催する、ということ?」

 

「ああ、土地を復活させればコミュニティも大助かり。箱庭で過ごす以上、俺たちも主催者(ホスト)は経験しておかないとな」

 

 その言葉にパァッ、と瞳を輝かせた飛鳥は、両手を合わせて感嘆の声を上げる。

 

「素晴らしい提案だわ! とても楽しそう!」

 

「だろ? じゃあ俺たちが最初に〝主催者〟をするギフトゲームはハロウィンで予約しておこうぜ。あと、どんなアレンジをするかも考えておかないと──」

 

──どくん、と。彼らは臓腑を掴まれるような感覚を覚えた。

 

「なっ、こ、この気配は……!」

 

 十六夜は飛鳥を背に庇い、辺り一体を警戒する。周囲は帯電し、静電気を帯びた十六夜たちの髪がふわり、と持ち上がる。バチバチと何処からか弾けるような音が響く。

 

 そして、どこからともなくびちゃり、びちゃり、と湿った音が響いている。ぼたぼたと滑った何かが零れ落ちる音が断続的に聞こえ、それに合わせてフー、フー、と興奮したような息遣いが十六夜たちに近寄ってきていた。

 

 更に彼らを襲うのは、まるでシンが本気を出した時のような、死の気配。

 

 だが、彼らが慣れ親しんだある気配でもある──そう、

 

 

「──見イイイィィィツケタノデスヨオオオォォォ……!?」

 

 

──とてつもなく恐ろしいウサギの気配がする!

 

 

    *

 

 

 地区の端の方、人気が少なく治安の悪い路地裏に、少年が入り込んでいた。まだ日は沈んでおらず、北側の悪鬼羅刹はまだ活発化していない。そのため夜ほどの危険はないが、女子供が歩いていいような場所ではない。だが、少年は一切の頓着をせず歩を進めている。

 

 やがて彼が辿り着いたのは、場末のバーだった。碌に掃除されていないのか辺りには無数のゴミや吐瀉物が散乱し、外壁にはあちこち卑猥な落書きがされている。真っ当な者なら視界に入れるのも疎む程の場所だった。

 

 少年はそれらを無視して店内に入ろうとすると、中から厳つい巨漢が彼の前に立ちはだかった。顔は醜いがその肉体は筋骨隆々で、用心棒の類と見える。店に入ってこようとした一見か弱そうな少年を見て、男は鼻で笑う。

 

「何だァ? ボウズ、子供がこんな所に入って来ちゃいけねェよ!」

 

 言葉こそ追い返そうとしているが、男はその拳をボキボキと鳴らしながら、決して逃がさないとばかりにニタニタと笑った。男はその見た目の通り人外であり、境界壁付近では珍しい食人の気がある鬼種だった。

 

 少年の体のどこにも所属コミュニティを表す旗印が見えないことに、男は心底嬉しそうに、にちゃりと笑みを浮かべる。身分を証明することができない者は、この界隈では何をされても文句を言えないのだ。

 

 男もまた、その愚鈍さと残虐さでコミュニティを追われた者だが、その腕っ節を生かしてこのような場所で金銭を得ている。そして時折、祭典の観光客が迷い込んだ所を攫って売り飛ばしたり、女子供を襲って監禁し、じっくり楽しんだ挙句に腹を満たす。分かりやすい下衆だった。

 

 少年は男を見ていない。男はこりゃやりやすいとばかりに手を伸ばす。少年の体は年相応にそれなりの体格だが、男からすれば小人のようなものだった。頭を鷲掴みにして二・三回殴りつければ従順になるだろう。いつものように、そんな愚かで単純な思考で少年に襲いかかり──

 

「──失せろ」

 

 ふ、と少年が睨みつけて来て──その紅い瞳に背筋が凍りつく。臓腑が鷲掴みにされ冷え込んで行き、全身の神経が氷を突っ込まれたかのように凍えていく。そしてとうとう心臓まで冷たくなって行き、やがてその鼓動は永久に停止した。

 

 どさり、と男が倒れるのを無視して、少年──シンは店内に歩を進めた。

 

 薄暗い店内はかろうじて掃除されているが、やはり汚らしい事に変わりは無かった。客層もまともではなく、見窄らしい格好で酒瓶を呷る客や、派手な服を着て煙草を喫みながら、下品な衣装の女を侍らせている客もいる。

 

 店の用心棒がピクリとも動かないのを見て、屯していた客たちはむしろ笑っていた。子供に睨まれてビビってやがるとか、間抜けな顔で固まっているとか、男が死んでいることにまるで気が付いていない。だが僅かながら、少年の得体の知れなさに気が付いた者は身を潜めたり、慌てて店外に逃げて行った。

 

 少年はまっすぐカウンターに向かって行き、ある男の隣に座る。そして男には視線を向けず、ひたすら男の言葉を待った。

 

 男はこの場に似合わないような金髪の美男だった。一目で高級と分かるスーツを自然に着こなし、その長い髪をオールバックにした髪型は華麗に決まっている。そしてその眉目秀麗な顔立ちには、柔和なアルカイックスマイルが浮かんでいた。

 

「──待ち詫びたよ。少し遠い場所を指定してしまったかな?」

 

「…………」

 

 まるで天使のように美しい声色だ。常人ならば聞き惚れてしまい、まるで会話にならないだろう。しかし男が話しかけた相手──シンは常人ではなく、そして男もまた見た目通りの存在ではない。

 

「……本題に移れ」

 

「おやおや、つれないね……折角お気に入りのバーを紹介してあげたというのに」

 

 くすくす、とこの些細な会話すら楽しむように笑う。だがシンはそれには取り合わず、睨みつけることのみで答えた。

 

「怖い怖い、案外この街の観光を楽しみにしていたのかな?」

 

 男は手元のカクテルグラスをくい、と傾けると薄く笑い、シンを横目で見つめた。

 

「それじゃあ、話をしよう。今私たちが何を計画しているか、をね──」

 

 その会合は誰にも気付かれることはなかった。店主も客も、彼らの話には興味が無く、聞こえても理解できなかったから──ではない。

 

 数刻後、この店は中にいた人々諸共、この世から消滅するからだった。



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問題児たちと妖精が出会うそうですよ?

 黒ウサギ、北側に襲来せり。

 

 十六夜が黒ウサギと、お互いの命令権を賭けたゲームを始めた頃、レティシアに捕まった飛鳥は出店でクレープを買い、小腹を満たしていた。

 

 今までクレープを食べたことがなかった飛鳥は、どうにか品よく食べようと悪戦苦闘するが、レティシアに諭されて考えを改め、思い切りかぶりつく。

 

「……美味しいわ」

 

 口元をチョコレートムースで汚しながらも、口の中に広がる甘みに表情を緩める。それはよかった、とレティシアが頷いた。

 

「……しかし、一体どういう手品だ? お前たちの手紙を見てから慌てて出発したのはいいものの、まさか2105380外門周辺で私たちが迷子になる(・・・・・)とは思ってもいなかったぞ」

 

 黒ウサギたちの到着が遅れたのは、それが原因だった。〝箱庭の貴族〟は〝境界門(アストラルゲート)〟の起動に料金は必要無いため、黒ウサギはまずそちらに向かったのだが、何故か道を間違えた挙句に同じ所をグルグルと回ってしまい、大幅なタイムロスになってしまったのだ。〝サウザンドアイズ〟支店に向かったレティシアも途中で見知らぬ道に迷い込み、到着するのが大幅に遅れてしまった。

 

 しかも途中で無数の悪戯が仕掛けてあり、レティシアはなんとか殆どを躱せたものの、頭に血が上っていた黒ウサギは片っ端から引っ掛かり、それに怒って更に引っ掛かり、と悪循環に陥っていた。ようやく北側に辿り着いた時には髪や服はいろんな汚れでドロドロで、まるで魔王の如きオーラを発していたな、とレティシアはしみじみ呟く。

 

「わ、私は知らないわよ。間薙君が新しいギフトで何かしていたみたいだけど……」

 

「新しいギフト? いつの間に……」

 

 パチクリと驚きに目を瞬かせるレティシア。飛鳥はクレープの残りを片付けながら言葉を続ける。

 

「朝、祭典へ誘いに行ったら持っていたのよ。私たちも初耳だったわ」

 

「ふむ。どのようなものだったかは分かるか?」

 

 そう聞かれた飛鳥は食べるのを一旦止めて、宙を見上げて思い出そうとする。

 

「確か……分厚くて、真っ黒な表紙の本だったわ。表紙に赤い線で六芒星……だったかしら。そのような模様があったわね」

 

 それを聞いてほう、とレティシアは目を見開く。六芒星とは宗教的、或いは魔術的シンボルであり、それが書物の表紙にあるとするならば経典の類か、あるいは──

 

「──何らかの魔道書(グリモワール)か? 悪魔や精霊を呼び出して使役するのがオーソドックスな所だが……そうか、悪戯は使い魔にやらせたのか」

 

 推測に過ぎないものの、納得のいく理由を見つけて頷くレティシア。飛鳥はシンがギフトを起動させた時のことを思い返そうとするも、召喚の衝撃で発生した光や煙に遮られて、姿はよく見えなかったことを思い出して、眉をやや顰める。

 

「そうね。確かに何かを召喚して──あら?」

 

 宙を見上げていた飛鳥の視線が、出店の棚の下にいる小さな人影を捉える。それはとんがり帽子を被った小人の女の子だった。切子細工のグラスをキラキラとした目で眺めている。レティシアも飛鳥の視線の先の存在に気が付き、目を丸くして驚いた。

 

「あれは……精霊か? あのサイズが一人でいるのは珍しいな。〝はぐれ〟かな?」

 

 続けてレティシアは、あの類の小精霊は群体精霊という種であり、単体で行動していることは滅多にない、と教えてくれた。飛鳥はそう、と相槌を打ちながらも物珍しそうに近寄っていく。

 

 飛鳥の影が掛かったのか精霊は驚いて振り返り、二人の視線がしばし交錯する。

 

『……………………』

 

 途端にひゃっ! と可愛らしい声をあげて逃げていく精霊。

 

「残りはあげるわ!」

 

 レティシアに食べかけのクレープを預け、獲物を見つけた猫のように追いかけていく飛鳥。

 

「……やれやれ」

 

 一人取り残され、レティシアはクレープを齧りながら苦笑する。暫しチョコレートムースの味を楽しみながら、ふと空を見上げると我に返る。

 

「──いかん。いくら飛鳥でも、北寄りの土地で単独行動は危険すぎる」

 

 慌てて立ち上がるが、既に飛鳥は精霊を追って行方を眩ましてしまっていた。痕跡を追おうにも今だ人混みが激しく、それどころか何処かで騒ぎがあったらしく、野次馬が反対側へ行こうと押し寄せてくる。

 

「くっ……失態だ。急いで探さないと──うわっ!?」

 

 突如路地裏から出てきた人影にぶつかり、レティシアは尻餅を突く。

 

「あたた……すまない、こちらの不注意──って、シンじゃないか!? 何故こんな所に……?」

 

 慌てて謝ったその人影はシンだった。微動だにせず、無言でレティシアを見下ろしている。その様子に苦笑しながらやれやれ、とスカートの埃を叩いて立ち上がるレティシア。

 

「手ぐらい貸してくれてもいいだろうに。女の子というような年ではないが、女性には優しくするべきだよ」

 

「……己で立ち上がれる者に、手は貸さない」

 

「それは逆に言うと、立ち上がれない者には手を貸すのかな?」

 

「その価値があればな」

 

 ドライなことだ、とレティシアは肩を竦める。だがこうしている場合ではない、と我に返り慌ててシンに問いかける。

 

「そうだ、飛鳥を見なかったか? さっきうっかり見失ってしまったんだ。この辺りは夜になると鬼種や悪魔の活動が活性化して治安が悪くなる。このままでは飛鳥が危ない……!」

 

「…………」

 

 シンは辺りを見回すが、人が多いせいで正確に飛鳥を探知出来ない。その様子を見て心当たり無しと見たレティシアは、がっくりと肩を落とす。

 

「そうか……悪いが協力してくれ──そうだ、新たなギフトを手に入れたのだろう? 使い魔らしき存在を召喚できると聞いている。それで飛鳥を探せないか?」

 

 シンは暫し考え込んだものの、やがて頷くと懐からギフトカードを取り出し、そのギフトを実体化させる。レティシアが見たそれは、飛鳥から聞いた通り六芒星が描かれた黒い書物だった。

 

「二体貸す。一体を捜索に出し、一体を連絡用に手元に置いておけ。俺は黒ウサギの所へ事態を伝えに戻る」

 

「分かった。助かるよ」

 

 安堵したように笑うレティシアを他所に、シンはそのギフトを広げる。そこから黒い靄が溢れ、宙に二つの塊を作る。靄は帯電し、暗黒の雷を発し始め、光り輝き始める。その様子を見て、レティシアは冷や汗を流す。

 

「……ちょっと派手過ぎないか?」

 

──辺り一体が轟音と閃光によって騒ぎになるまで、あと数秒のことである。

 

 

    *

 

 

 場所は境界壁・舞台区画。コミュニティ〝サラマンドラ〟による〝火龍誕生祭〟運営本陣営。その謁見の間にて十六夜たちと白夜叉、そして新たに北のマスターとなったサンドラ=ドルトレイクとその兄マンドラが、今回の裏の事情について話し合っていた。

 

『──火龍誕生祭にて、〝魔王襲来〟の兆しあり』

 

 白夜叉は〝サウザンドアイズ〟の幹部によって齎されたその予言を伝え、今回〝ノーネーム〟に協力を要請した真の事情を告げた。この予言は絶対であり、覆すことのできる類ではない。

 

 だが、事はそう単純ではない。この予言をした幹部には、犯人も犯人の動機も全て分かっている。しかし〝サウザンドアイズ〟のリーダーより、内容は予言者の胸の内一つに留めるよう厳命が下っており、主犯の名を表に出すことが出来ない。

 

 十六夜はその事情を推理し、白夜叉に問いかける。

 

「……今回の一件で、魔王が火龍誕生祭に現れる為、策を弄した人物が他にいる──その人物は口に出すことが出来ない立場の相手ってことなのか?」

 

 ハッ、とジンが息を漏らし、サンドラを見た。北側へ来る際、白夜叉の話では『幼い権力者をよく思わない組織が在る』ということだった。もしその人物が『口に出すのも憚れる人物』だというのなら、それは──

 

「まさか──他のフロアマスターが、魔王と結託していると……!?」

 

 秩序の守護者である〝階層支配者(フロアマスター)〟が、その秩序を乱すという。ジンの叫びに白夜叉は悲しげに深く嘆息し、まだ分からん、と首を左右に振った。

 

 白夜叉自身はまだ確信に至っていないが、サンドラの誕生祭に北のマスターたちが非協力的だったのは事実であり、共同主催の候補が東のマスターである白夜叉まで回ってきた程である。

 

「──北のマスターたちが非協力的だった理由が〝魔王襲来〟を計画してのことであれば……これは大事件だ」

 

 唸る白夜叉に、絶句する黒ウサギとジン。だが一人十六夜は、そんなに珍しいことか、と首を傾げる。ジンは声を荒げて反論するも、十六夜は冷めたように笑い飛ばした。

 

「所詮は脳味噌のある何某だ。秩序を預かる者が謀をしないなんて幻想だろ?」

 

 十六夜が生きてきたのは、そのようなことが珍しくもない冷めた時代なのだ。彼からすればそんなことに一々激昂する彼らの方が奇異に映るのだろう。それを察した白夜叉は静かに瞳を閉じて、なるほど一理ある、と首を振る。

 

「──しかしなればこそ、我々は秩序の守護者として正しくその何某を裁かねばならん」

 

 だがここで真実を広めれば、箱庭の秩序に波紋を呼ぶことになるだろう。そのため今は一時の秘匿が必要だ、と白夜叉は言う。

 

「目下の敵は、予言の魔王──ジンたちには魔王のゲーム攻略に協力して欲しいんだ」

 

 続くサンドラの言葉に、一同は頷く。〝魔王襲来〟の予言があった以上、これは新生〝ノーネーム〟の初仕事となる。ジンは事の重大さを受け止めるように、重々しく承諾した。

 

「分かりました。〝魔王襲来〟に備え、〝ノーネーム〟は両コミュニティに協力します」

 

「うむ、すまんな。協力する側のおんしらにすれば、敵の詳細が分からぬまま戦うことは不本意であろう──」

 

 しかし今回の件は魔王を退ければいいという話ではない。箱庭の秩序のため、情報を制限されたまま挑まねばならなかった。事の重大さと、〝サラマンドラ〟も協力してくれるとはいえ正体不明の魔王に挑まねばならない事実に、緊張を隠しきれないジン。

 

 それを見て、白夜叉は敢えて表情を崩し哄笑する。

 

「そう緊張せんでもよいよい──」

 

 

『ふーん、〝魔王襲来〟か。なんだか面白そうじゃない?』

 

 

 突如、謁見の間に聞き慣れぬ少女の声が響いた。

 

 瞬間、一同は身構えて周囲を警戒する。しかし声は奇妙に響き渡って発生源を特定出来ず、姿形も見当たらない。マンドラは青筋を立てて怒声を上げる。

 

「何者だ! 姿を現せッ!!」

 

『あら怖い。あなた、さっきから怒ってばかりね。まるで何かに焦ってるみたい』

 

 なんだと、とマンドラが唸るが、くすくす、と少女の声が響き渡るのみ。サンドラは進み出て、正体不明の声に警告する。

 

「ここはコミュニティ〝サラマンドラ〟の領地内です。無断で侵入したとなれば、それ相応の処置を取らせて頂きますよ!」

 

『なによ? 人聞きの悪いことを言わないでよ。ずっとあなたたちの隣にいたでしょ』

 

「──えっ?」

 

 それを聞いて、一同は周囲を見渡す。しかしそれらしい人影は見当たらず、困惑するのみ。だが──

 

「──ひわあぁぁ!?」

 

「何事だ!?」

 

 黒ウサギが突如奇声を発した。一同は驚いて黒ウサギの方へ視線を移すと、羽根の生えた小さな少女が、黒ウサギの首筋をつついている所だった。周囲の視線を浴びた少女はくすくす、と笑って一同を見渡す。

 

『やっと気が付いた? 難しい話ばかりしてたから退屈になっちゃって。つい口出ししちゃったわ』

 

 その少女はいかにも妖精、という出で立ちだった。虫のような薄い羽根をふわふわと動かし、空中に浮いている。しかしどことなく近代的でもある。ブルーのレオタードに手袋を着け、オーバーニーソックスを履いている。長い睫毛にパッチリとした瞳には悪戯っぽい表情が浮かんでいる。

 

「い、いつの間に……?」

 

 黒ウサギはここまで接近されて気付けなかったことに驚く。何らかのギフトを使っていたのだろうか、と訝しむのを他所に、白夜叉は硬い表情でその少女を見つめ、更なる警告をする。

 

「この場で行われた会話は〝サウザンドアイズ〟・〝サラマンドラ〟・〝ノーネーム〟の三コミュニティにおける最高機密。それを無断で聞いたならば、それなりの処罰は受けてもらうぞ」

 

『嫌よ。だって、出ていけなんて言われていないもの。それなら無断じゃないでしょう?』

 

 惚けるような声に、白夜叉は目を細める。マンドラが苛ついたように剣の柄に手を掛けるも、サンドラがそれを制した。場の緊張が高まり、サンドラが最後の警告をしようとしたその瞬間──

 

「──ハッ! こ、この声は!?」

 

「知ってるの? 黒ウサギ」

 

 黒ウサギが何かに気が付いたように声を上げた。ジンが問い掛けると、黒ウサギは黒いオーラを発し、低い声で説明を始めた。

 

「ええ、ええ……忘れもしませんよ……〝境界門(アストラルゲート)〟に向かう途中、散々その笑い声を聞きましたからねぇ……!」

 

 その時の怒りと屈辱を思い出しているのか、髪色とウサ耳を緋色に染めてギリギリと拳を握る。問題児を追う道中、五感や身体能力に優れているはずの黒ウサギは、何故か次から次へと悪戯に引っかかり、落とし穴に落ち、水路に叩き込まれ、壁に激突し、バナナの皮で滑り、終いにはタライが落ちて来た。そして、その時々でどこからともなく少女の笑い声が聞こえてきていたのだ。

 

「……と言うことは、だ」

 

 十六夜は少女の正体に気が付き、ニヤリと笑う。それを見てもジンは話が見えず、眉を顰めて問い掛ける。

 

「一体どう言うことなんですか? 貴女の正体、それに所属コミュニティを教えてください。一体何が目的なんです?」

 

『あら、まだ分からないの? 我らが(・・・)〝ノーネーム〟のリーダーくん?』

 

「……え?」

 

 揶揄しているというにはやや含みのあるその呼び方に、ジンは混乱して目を白黒させる。少女は悪戯っぽく笑うとくるりと宙返りし、空中で寝そべって両手で頬杖をついた。そしてしょうがないわね、と呟くと己の正体を一同に告げる。

 

 

『……あたしはシンによって召喚された、妖精ピクシー。今後ともヨロシク、ね』

 

 

 そう言って、鈴のような声で笑うのだった。



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お嬢様がネズミの群れに襲われたそうですよ?

「──遊び過ぎだ」

 

 少女の正体に驚愕する一同に、横から冷めた言葉が浴びせられた。その方向に振り返ると、いつの間にかシンが謁見の間の扉の前に立っている。その姿を見つけたピクシーはふわりと宙へ飛ぶと、シンの隣へ移動する。

 

「シンさん……説明をお願い出来ますか?」

 

 ジンが問い掛けるが、シンは一同を見渡すのみである。他のコミュニティが居る以上、説明したくないのかもしれない。その様子にはぁ、とため息を着くと後で説明してもらいますからね、とだけ呟いた。

 

「次から次へと……〝ノーネーム〟の分際で好き勝手してくれる……!」

 

 議論の場を先程から掻き乱されて、マンドラは我慢の限界に来ているようだった。サンドラがなんとか宥めようとしているが難航している。

 

 白夜叉も頭を抱える。ピクシーとシンの言動は〝サラマンドラ〟の手前、いくらなんでも無礼が過ぎた。〝魔王襲来〟を目前としたこの状況で、あまり状況を混乱させるような好き勝手をして欲しくないのだ。

 

「せめてノックぐらいせんか。どの道伝える内容だったからよいものの……」

 

「緊急事態だったからな。それにこいつが騒がせていた」

 

 そう言ってこつん、とピクシーを叩いた。大袈裟に痛がり、ぶーぶーと不平を言うピクシーを他所に、シンは言葉を続ける。

 

「──飛鳥が行方不明になった」

 

「な、何ですって!? レティシア様が側に居た筈では!?」

 

「詳しい経緯は聞いていない。こちらで召喚した二体の悪魔と共に捜索中だ」

 

 黒ウサギは驚愕し、慌て始める。だが十六夜はヤハハと笑い、

 

「大袈裟だなオイ。お嬢様のことだ、ちょっと展示品に夢中になってるだけだろ」

 

 そう言うも、ジンはいえ、とそれを否定する。

 

「その、北側の夜は鬼種や悪魔たちが活性化するので、女性の一人歩きには危ないんです。特に名や旗印を持たない〝ノーネーム〟の場合、身分の証明ができませんから、もしなんらかの事件に巻き込まれると……」

 

 〝サラマンドラ〟の手前、ジンはオブラートに包んで伝えようとするも、十六夜はその裏の意味を察する。

 

「……そうか、だとするとお嬢様一人は少し危険か?」

 

「はい。ですから十六夜さんは飛鳥さんを探しに──」

 

「──いや、どうやら見つかったらしい」

 

 シンが告げる。こめかみに手を当てて目を瞑っており、召喚した悪魔から情報を受け取っているであろうことが窺える。それを聞いて黒ウサギとジンはほぅ、と安堵する。

 

「よかった……」

 

「直に帰ってくるだろう。耀にもこちらで伝えておく。後の事は任せた」

 

「はい! ありがとうございます! ──ソレト、アトデソノ妖精サンノコトデ、オハナシガアリマスカラネ?」

 

 嬉しそうな声から一転、表情を伏せてドスの効いた声でお願い(命令)する黒ウサギ。シンは首を竦めることで答え、謁見の間を後にする。

 

「──騒がせたな。邪魔をした」

 

 十六夜たちはシンの珍しい謝罪の言葉を聞いて、目を丸くする。マンドラはその後ろ姿を睨みつけ、サンドラと白夜叉は顔を見合わせ、ため息を付くのだった。

 

 その後、一同は魔王が現れた時の段取りを話し合った。不機嫌になったマンドラが冷静さを欠いて、何度か〝ノーネーム〟に突っかかったものの、サンドラと白夜叉が宥めることで何とか段取りは決まったのだった。

 

 そして、ピクシーを伴って宿へ歩を進めるシンは──

 

『……よかったの?』

 

 悪戯っぽく笑うピクシーに、シンは首を振るのみで答えた。飛鳥が見つかったのは事実だが、何者かに襲われていた(・・・・・・・・・・)ことを伝えていないのだ。

 

 しかし、あの場でそれを明かせば明日の段取りどころではなかっただろう。話の邪魔をした自覚があったシンは、話を円滑に進めるため敢えてその情報を一時隠匿したのである。

 

『ま、あなたがそれでいいなら、いいけどね。でもあのウサギの女の子、絶対後で怒るわよ?』

 

 それも承知の上だ、とため息をつくシンであった。

 

 

    *

 

 

 時は黄昏時まで遡る。

 

 レティシアから離れ、精霊を追いかけていた飛鳥は赤窓の歩廊を抜けて、境界壁の真下で息を整えていた。その肩には追いかけていた小人の女の子が大の字で寝そべり、走り回った疲れにひゃ~、と声を上げている。

 

「別に取って食おう、というわけじゃないのよ──」

 

 飛鳥は苦笑し、麓の売店で買ったクッキーを分け与えた。するとあっという間に警戒心を解いた精霊は、クッキーをしゃくしゃくと平らげると飛鳥の頭の上まで登り、きゃっきゃっ! と声を上げてはしゃいだ。

 

──餌付けは成功したようね。

 

 企てが成功したことに内心ニヤリと笑うと、自己紹介しましょうか、と更に分かち合おうと歩み寄る。

 

「私は久遠飛鳥よ。言える?」

 

『……あすかー?』

 

「もう少し最後をメリハリ付けて」

 

『……あすかっ?』

 

「もう少しよ、がんばって──」

 

 幼い口調のとんがり帽子の精霊へ飛鳥は根気良く教え、なんとか名前を正しく発音してもらえるようになった。

 

『……あすか!』

 

「ふふ、ありがとう。それじゃあ、貴女の名前は?」

 

 精霊は立ち上がり、元気よく答えた。

 

『らってんふぇんがー!』

 

「ラッテン……?」

 

 飛鳥は精霊の容姿から想像も付かない、厳つい名前にやや驚く。精霊をつまみ上げて両手に乗せ、再び問う。

 

「それ、貴女の名前?」

 

『んー、こみゅ!』

 

 コミュニティの事だと推測した飛鳥は更に名前を問うも、精霊は意味が分からない、というように首を傾げてしまう。レティシアから聞いた〝群体精霊〟という名前を思い出し、個別の名前を持っていないのかと思い至る。

 

 折角だから名前を付けましょうか、と提案するも〝まきえ〟という謎の言葉を返すばかりで要領を得ない。飛鳥は名前のことは一旦諦め、近場の展覧会を見て回ることにしたのだった。

 

 巨大なペンダントランプがシンボルの街だけあって、出展物には様々なキャンドルグラスやランタン、それに大小様々なステンドグラスなどが飾られていた。

 

「凄い数……こんなに多くのコミュニティが出展しているのね」

 

『きれー!』

 

 出展物の前にはそれぞれのコミュニティが持つ名前・旗印がぶら下がっており、中にはその細工自体に旗印をモチーフとした紋様を組み込んでいるものもあった。飛鳥は、このような芸術の祭典ではコミュニティの名と旗印は大きな力になることを察する。

 

──是が非でも旗印を取り戻さないと。

 

 小さく握り拳を作り、決意を新たにするのであった。

 

 そうして、二人は数多の展示品を見て回って行く。展示会場は境界壁を洞穴のように掘り進めた回廊にあり、外の光が届かず薄暗くなっていた。しかしそれも展示品であるランプやランタン、ステンドグラスなどを映えさせるための演出なのだ。

 

 そうして進んで行くと、やや大きな空洞に出た。急に開けた場所に出た二人は戸惑い、きょろきょろと辺りを見回す。困惑しているその理由は、その場所が今までとは趣を異にする演出がされていたためだった。

 

 周囲にはペンダントランプではなく神社で見るような大きめの提灯が飾られ、全体的に和風の演出が施されていた。そして何より、この場の出展物の殆どが刀剣類なのである。空洞の周囲にずらりと並べられたそれらは、見るものを圧倒させるような迫力があった。

 

 そして、ふと気がつく。周囲に飾られている提灯を始めとするあちこちに記されているシンボルは、全て同一のものだ。つまり、これは──

 

「これら全て、一つのコミュニティの出展物ってこと!?」

 

『すごー!』

 

 全ての出展物に記されているコミュニティの名は、飛鳥でも知っているような神獣であり、展覧会の一部を貸し切って独自の演出を施せるような力あるコミュニティなのだと察せられた。

 

 提灯のぼんやりとした明かりに照らされた刀剣類はそれぞれ独自の存在感を持って主張し、ある物は神聖なオーラを発して見る者の心を清め、ある物は禍々しく近寄るのを躊躇わせるような危険な雰囲気を発していた。しかしこのような物に詳しくない飛鳥でさえ、これら一つ一つが相当の業物だということが分かる。

 

「どれも、うちの宝物庫の品々に匹敵する業物ね……あら?」

 

 飛鳥がふと気が付いたように、それ(・・)を見つめる。

 

「これは……何かしら」

 

 空洞の一番奥に、まるで奉るように展示された奇妙な物体があった。万年筆のような、鈍色の細長い品である。蓋のような箇所には網目状の紋が刻まれており、その先端には金属製の輪が付いている。用途は不明だが、素人目にも分かる巧緻で見事な細工だった。

 

『あすか! らってんふぇんがー!』

 

「えっ?」

 

 突如精霊は瞳を輝かせ、肩から飛び降りる。彼女が示す先には、製作したコミュニティの名が記されていた。

 

『製作:〝     〟と〝ラッテンフェンガー〟の共同』

 

「あら、貴女のコミュニティとの共同作品なの?」

 

 えっへん! と精霊は胸を張る。それを見て感心したように頷く飛鳥。確かにこの小ささなら、細工は得意な物だろうと。実情はやや異なるのだが、精霊に説明できるわけでもなく特に否定はしなかった。

 

「それで……何なのかしら? 貴女は知ってる?」

 

『んー?』

 

 関係者なら知っているかもしれないと飛鳥はこの物体の正体を聞いてみるも、精霊は首を捻るばかりだった。飛鳥は苦笑し、もう一度作品名を眺めてみる。

 

「聞き覚えのない言葉だわ……でも、もしかしたら──」

 

──直後、周囲を異変が襲う。

 

「きゃっ……!?」

 

 突如、空洞に一陣の風が吹いた。その風は辺り一帯のランプの灯火を吹き消し、周囲を暗闇が包む。飛鳥が居た場所の灯りは、灯火を囲う提灯であったためにいくつかは無事だが、不自然に揺れた提灯が落下して潰れてしまう。

 

 飛鳥は勿論、他の客人たちも同様に声を上げ、急に視界を奪われたことに混乱する者が現れ始める。

 

「どうした!? 急に灯りが消えたぞ!」

 

「気を付けろ! 悪鬼の類かもしれない!」

 

 暗闇に叫び声が木霊する。飛鳥は咄嗟に、まだ灯りがついている小さめの提灯を拾って掲げる。その瞬間、空洞の最奥に不気味な赤い光が瞬いた。

 

『ミツケタ……ヨウヤクミツケタ……!』

 

 怨嗟と妄執を交えた怪異的な声が、空洞に反響する。飛鳥は周囲を探るもそれらしい影は見当たらない。そうしていると、五感を刺激するような笛の音色と、更なる怪異的な声が響き渡る。

 

『嗚呼、見ツケタ──〝ラッテンフェンガー〟の名ヲ騙ル不埒者ッ!!』

 

 直後、洞穴の細部から何千何万という無数のネズミの群れが、襲いかかってきたのだ。空洞の一面を覆い尽くす蠢く影に誰かが絶叫し、飛鳥もまた背筋に悪寒が走る。その場に居た誰もが誰からともなく、その大群から背を向け一目散に逃げ出した。細い洞穴を混乱した人々が走り回り、このままでは大惨事になると悟る飛鳥。

 

 踵を返して一人、ネズミの波に立ち向かうと一喝する。

 

「じ──自分たちの巣に帰りなさい(・・・・・・・・・・・・)!」

 

 しかしネズミの群れは止まる気配を見せず、焦る飛鳥。咄嗟にギフトカードを取り出し、〝フォレス・ガロ〟との一戦で手に入れた、白銀の十字剣を一閃する。

 

「こ、このっ……!」

 

 破邪の力を秘めた銀の剣も、ただのネズミが相手では意味がない。そもそも飛鳥は武器の扱いには全く慣れておらず、近場の数匹を切り裂いたのみだった。仮に周囲に展示された刀剣類を借りたとしても、むしろ怪我をするだけだろう。

 

 構わず進もうとするが、飛鳥の身体能力は年相応の少女の物である。すぐさま追いつかれ、ネズミが頭上から襲い掛かってきた。

 

『ひゃ!』

 

「──危ない!」

 

 精霊を庇い、闇雲に手と剣を振り回す。しかしネズミは恐れることはなく、次から次へと頭上から襲ってくる。その奇妙な襲撃方法から、飛鳥はネズミたちの狙いが己や人々ではなく、その肩で怯える精霊だということに気が付く。

 

「…………っ!」

 

──肩からその精霊を振り落とせば、飛鳥は難を逃れることができるだろう。

 

 しかし泣きそうな顔で怯え、震えるその幼い姿を振り落とそうなど、飛鳥の誇りが許さない。飛鳥は一瞬でもそう思考したことを恥じ、服の胸元を大胆に開いてそこへ精霊を押し込む。

 

「むぎゅ!?」

 

「服の中に入っていなさい。落ちては駄目よ!」

 

──そうして、飛鳥は覚悟を決めた。

 

 出口を見据え、駆け出そうとする。己を省みず、どれほどネズミに傷つけられようとも精霊だけは守るつもりなのだ。どれだけ距離が残っているか分からない。それでも、この精霊だけは渡さぬと、指一本触れさせないと決意を固める。そして──

 

 

『あ~! やっとみつけたよ~!』

 

 

 気の抜けるような、幼い声が響く。

 

 その声に気概を削がれ、慌てて辺りを見回す飛鳥の近くで、ひゅるると旋風が発生する。

 

「きゃっ!?」

 

 風に目が眩み、一瞬目を閉じたその瞬間に、飛鳥の前に奇妙な存在が現れていた。

 

『やっほ~』

 

 それは、まるで紙のように薄っぺらかった。例えるなら、緑色の紙を人を極限までデフォルメした形に切り抜き、顔と胸のところに適当な渦巻きをいくつか描いただけの紙人形。それが宙でくるくると泳いでいる。

 

『赤いドレスのおねえちゃん……おねえちゃんが、アスカってヒトだよね?』

 

「そ、そうだけど、貴方は一体……?」

 

 飛鳥は突然の闖入者が自分の名前を呼んだことに困惑し、問い掛けた。するとそれはバンザイをするように手を上げてひらひらとはためき、少年のような笑い声を上げる。

 

『ボク、地霊コダマ! アスカおねえちゃんを探しにきたんだ! 今後ともヨロシクね!』

 

 そう言って、また宙をふわりと舞った。




ディーン「DEEEeeeEEEN!!(お嬢様の力になる筈だったのに、物語からリストラされた……これは夢……だったのか……悪い夢……いや……良い夢……だった……)」


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悪魔が言霊を受けてイキリタツ!そうですよ?

風よ~(ザン)!』

 

 コダマがそう言いながら手を振るう。すると強風が発生して、飛鳥の前に屯していたネズミたちが風によって切り刻まれ、吹き飛んで行く。その隙を逃さず、飛鳥は包囲網の空いた箇所から脱出した。

 

「ありがとう! えっと、コダマ君でいいのかしら?」

 

『好きに呼んでよ~』

 

 慌てて追いかけるネズミの群れから逃げつつ、飛鳥はコダマに礼を言った。得体の知れない存在だが、自分を助けてくれたのは事実であるし、探しに来たとも言っていた。ひゅるひゅると風を纏いながら飛んでくるコダマに、半ば確信を持って問い掛ける。

 

「探しに来た、って言っていたけれど……貴方は間薙君のギフトで呼ばれたのよね?」

 

『そうだよ~! シンおにいちゃんに頼まれて、ヴァンパイアのおねえちゃんと一緒にアスカおねえちゃんを探してたんだ!』

 

 それを聞いて、合点がいったように頷く飛鳥。恐らく精霊を追って行ってしまった自分を探すために、協力してくれているのだ。この場に居ないシンに飛鳥は感謝する。

 

「そうだったの……お陰で助かったわ」

 

『いいよ~。それよりボクについてきなよ! 出口まで案内してあげる!』

 

 コダマはそう言うと、速度を上げて飛鳥に先行する。しかしその途中、我先に逃げようとする衆人が犇めき合い、悲鳴と混乱の中行く手を阻んだ。

 

「全くこんな時に……! さっさと協力しあって逃げなさい(・・・・・・・・・・・)!!」

 

 飛鳥が一喝すると衆人の混乱は一瞬にして鎮まり、一糸乱れぬ動きで出口へ爆走して行く。その様子を見て、コダマはうわーっ、と声を上げてはしゃぐ。

 

『すごいすご~い! おねえちゃん、とってもすごいことができるんだね!』

 

「不本意ながらね……それに、あのネズミたちには効かなかったわ」

 

 飛鳥は己のギフトが正しく発揮していることに安堵する。そして、それがネズミに通用しなかったことに訝しんだ。そこへコダマが己の推測を告げる。

 

『おねえちゃんのコトダマはとってもすごいけど……多分、あいつらはもう別のだれかに操られているんだよ』

 

「それって……!?」

 

 飛鳥を超える、支配のギフトを持つ者が背後にいるということであった。他者を支配する能力で負けるという、考えもしていなかった事態に若干のショックを受ける飛鳥。そして、背後で蠢く影はそれを見逃さない。

 

『──おねえちゃん!』

 

 コダマの声で、咄嗟に踏み留まる。前方からもネズミたちが現れ、飛鳥は完全に包囲されてしまった。何千何万という小動物の群れが床と壁を埋め尽くし、蠢きながら怨讐の言葉を吐き続けている。

 

『どうしよう! こんなにいたんじゃ、ちょっとやそっと吹き飛ばしてもムダだよ~!』

 

 焦るように、コダマは宙をくるくると回る。飛鳥は己の油断が状況の悪化を招いたことに、悔いるように拳を握る。飛鳥は剣を振り回し、コダマが風で切り裂くも包囲網はどんどんと狭まって行く。

 

『ボクがもっと強い悪魔だったら、まとめて吹き飛ばせたのに~!』

 

 己の力不足に悲鳴を上げるコダマ。しかし飛鳥はそれを聞き、ある手段を思い付く。

 

「──それよ!」

 

『……へ?』

 

 飛鳥は手を差し伸べ、困惑するコダマに慌てて説明する。

 

「私の言葉で、貴方を一時的に強くできるかも……! 少し消耗するかもしれないけど……」

 

『──なるほど~! 早速やってよおねえちゃん!』

 

 そう言うと、飛鳥が差し伸べた手に体育座りでしゃがみ込むコダマ。飛鳥は彼の背にもう片手を添え、力を込めて──言霊を放つ。

 

 

全て(・・)──薙ぎ払いなさい(・・・・・・・)ッ!!」

 

『みなぎってきた~! みんな、吹き飛んじゃえ~(マハザンマ)!!』

 

 

 コダマは勢いよく飛び上がり、飛鳥の頭上でごうごうと高速回転を始める。すると周囲を豪風が渦巻き、無数のネズミたちを巻き込み、切り刻んで行く。飛鳥は髪やドレスの裾を押さえながらも、その威力に目を見張った。

 

「これなら今のうちに──きゃっ!?」

 

『ご、ごめんね~。ちょっと疲れちゃった……』

 

 力を使い果たしたコダマが落ちてきて、飛鳥の頭にぺとりと張り付いた。飛鳥は慌ててコダマを抱きかかえると、出口に向かって走り出す。

 

「本当にありがとう……! 後で必ずお礼をするわ!」

 

 コダマのお陰で道が開ける。飛鳥は走っている見覚えのある通路の先に、街中の風景を見つけた。出口である。だが、

 

「本当に……しつこいわねっ……!」

 

 ネズミたちは諦めておらず、数に物を言わせて追い縋る。飛鳥は歯を食いしばり必死で駆けるが、疲労で足が縺れかかっている。出口は目前、しかし小さな歯が飛鳥の足を狙い──

 

 

「──鼠風情が、我が同胞に牙を突き立てようとは何事だ!?」

 

 

 前方に現れた女性──その足元から影が這い寄り、無尽の刃が迸る。先程の豪風を超える黒の竜巻が細い洞穴をミキサーのように駆け巡り、魔性の群れを悉く粉微塵にして呑み込んでいく。

 

 飛鳥は展示会を脱出し、女性の姿を見ると驚く。その人物は、温厚なメイドの少女からレザージャケットを着込んだ妖艶な女性へ姿を変えたレティシアだったのだ。彼女は飛鳥の無事を確認すると、洞穴に向かい牙を獰猛に剥いて叫ぶ。

 

「術者は何処にいるッ!? 姿を見せろッ!」

 

 激昂したレティシアの一喝が響くも、返事もなければ気配もない。無数のネズミたちは恐れをなしたのか退散し、洞穴内を静寂が満たす。術者は最初から最後まで姿を見せず、逃げ去っていた。

 

「逃げられたか……それより飛鳥、怪我は無いか?」

 

「え、ええ……この子が頑張ってくれたから……」

 

 見慣れぬレティシアの姿に動揺しながらも、抱きしめていたコダマを見せる。レティシアはそうか、と表情を緩めて安堵した。

 

『あらあら、どうしちゃったのよ。そんなにへばっちゃって』

 

 辺りに聞き慣れぬ少女の声が響く。レティシアはそれを聞くと苦笑し、声の主を窘めた。

 

「飛鳥を守るために力を振り絞ったのだろう。そういう言い方をするものではないぞ」

 

『いいけどね。でも、あたしらは最初から捜索専用だってシンも言ってたでしょ。弱っちいんだから、無理したら死んじゃうわよ?』

 

 そう言いながら、空から小さな少女が降りてきた。その少女は全身の肌が赤く、オールバックにした黒髪のショートの両側面に、金髪のお下げがぶら下がっている。大陸の民族服に似た超ミニの衣装を身に付け、背には蝶のような薄い羽根がはためいていた。

 

 その奇妙な、かつ可憐な存在に、飛鳥は呆然と呟く。

 

「……妖精?」

 

『あら惜しい。アタシは地霊カハク。アンタの捜索に駆り出された、もう一体ってわけよ』

 

 そう言って笑い、宙で寝そべるような仕草をした。飛鳥はそうだったの、ありがとう、と礼を言う。その直後、彼女の胸元がもごもごと動き──

 

「あすかっ!」

 

 とんがり帽子の精霊が飛び出して、飛鳥の首筋に抱きついた。泣き顔で何度も歓喜の声を上げ、彼女なりに感謝の意を表していた。その様子を見て、レティシアは呆れながらも微笑する。

 

「やれやれ、すっかり懐かれたな。日も暮れて危ないし、今日の所は連れて帰ろう」

 

「……そうね」

 

 飛鳥は疲れ切ったようにため息をついた。これ以上の襲撃があるとも限らない。二人と一匹の精霊と二匹の悪魔は朱色のランプが照らす街を進み、〝サウザンドアイズ〟旧支店へ戻ったのだった。

 

 

    *

 

 

 境界壁の展望台・〝サウザンドアイズ〟旧支店──その湯殿。

 

 露天風呂のように覗ける空を眺めながら、飛鳥は湯に浸かり、その気持ち良さにため息を漏らす。

 

「ふぅ……」

 

 コダマのお陰で被害はそれほどでは無かったが、それでも若干の生傷やネズミの返り血が付着していたため、割烹着の店員に強制的に湯殿に連れて行かれたのだ。確かに野生のネズミは無数の感染症を持ち、その牙による傷や返り血は危険なレベルで汚染されていたのだろう。

 

 しかし湯に浸かる前に浴びた掛け湯で傷は癒えてしまい、今頃は返り血で濡れた衣装も十分に洗浄され、殺菌消毒されている頃だろう。今はただ、今日の疲れを癒すために肩まで湯に浸かり、ゆっくりと体を休ませる。

 

 宙を見上げながら、飛鳥はぼんやりと今日のことを思い返す。

 

 初めて見る北側の文化に心躍らせたこと。自ら動き回るキャンドルランプやランタン。初めて食べたクレープの味。とんがり帽子の精霊との出会い。巧緻な細工が多く出展された展覧会。威圧感さえ覚える無数の刀剣類と、謎の展示物。そして──

 

「疎ましいものだと思っていたけれど──意外に自信があったのね」

 

 ネズミたちに支配のギフトが通用しなかったことが、飛鳥の心に意外な衝撃を齎していた。コダマの言うとおり、相手の支配の力の方が上手だったのだろう。相手の霊格によって抵抗されることはあるが、相手はただのネズミだったのだから。

 

──選択、誤ったかしら。

 

 飛鳥は深く湯に沈み、自問する。今目指している方向性は〝ギフトを支配するギフト〟であるが、〝ノーネーム〟の工房に眠る高位ギフト相手では思うようにいかず、支配できたのは銀の剣と水樹のみ。飛鳥の才能はいまだ原石段階にあるのだから仕方が無いことなのだろう。着実に成長して行けば、何れ望みはある。

 

 だが、そんな呑気なことを言っていていいのだろうか。〝ノーネーム〟はコミュニティの方針として〝打倒魔王〟を掲げており、この先ギフトゲームが激化して行くのは明白である。飛鳥以外は皆、既に単独で相当な戦闘能力を誇り、十六夜とシンは元・魔王すら子供扱いする始末。このままでは戦力的に置いていかれるかもしれない。

 

 今ならまだ、修正は利く。人心を操る方向に強く育ったこの力を伸ばせば、様々な種を支配下に置く魔性のギフトとして開花するだろう。そうすれば、彼女は心身を操る魔女として大成する可能性が残されている。

 

「……だけどそんなの、私は望んでない──」

 

 知らずのうちに育ててきた力でも、同じ土俵で負けて悔しくても、飛鳥はその未来を是としなかった。人の心を歪めてまで得られるものに何の価値があるだろうか。そんなプライドの高い飛鳥だからこそ、歪むことなく真っ直ぐに成長してこられたのである。

 

 一方の道は己のプライドが許さず、もう一方の道はまだまだ時間がかかる。悩む飛鳥は長いため息をつき、空を見上げる。

 

『うわ~! おっきいお風呂~!』

 

 その瞬間、少年のような声が響いた。

 

「……えっ?」

 

 振り向くと、小さな三つの影が宙に浮かんでいる。二体はコダマとカハクである。コダマは元から服を着ていないのでそのままだが、カハクは人民服を脱ぎ、人間には小さく、小人には大きめな手拭いで体を覆っていた。もう一体は見覚えのない存在である。こちらの方は見た目通り妖精のようで、カハクと同じくらいのサイズの可憐な少女だった。同じく手拭いを体に巻いている。

 

『やっほー、アスカ。アタシたちも入りに来たわよ!』

 

『あら、あなたとはまだちゃんと顔を合わせていなかったわね。私は妖精ピクシー。今後ともよろしくね?』

 

 ピクシーは飛鳥とは初対面であることに気が付き、自己紹介をする。また悪魔が増えた、と目をパチクリ瞬かせると、おずおずと返事をする。

 

「よ、よろしく……」

 

 悪魔である彼女たちも入ってくるとは思わなかったのか、飛鳥はやや驚いていた。しかし別に問題ないだろうと落ち着きを取り戻す。コダマは女湯に入っていいのか微妙だったが、声や性格から察するに幼い少年のようだし、そもそも性別があるのかどうか疑わしい。飛鳥は気にしないことにした。

 

『わ~い! おねえちゃ~ん!』

 

「きゃっ!」

 

 はしゃいだコダマが湯船に飛び込み、跳ねたお湯が飛鳥の顔にかかった。その姿を見て悪魔の少女たちはけらけらと笑い、自分たちも、と二人して我先に飛び込む。

 

『きゃっほーっ!』

 

『いえーい!』

 

「わぷっ! ちょ、ちょっと、やめなさい!」

 

 どぽん、どぽん、と立て続けに二回お湯を浴び、流石に飛鳥も注意する。浮かんできた三体の悪魔は大笑いし、お湯を掛け合って遊び始めた。

 

「もう、貴方達! お風呂は静かに──」

 

「──飛鳥さん! お怪我の程は大丈夫でございますか!?」

 

「待て待て待て黒ウサギ! 家主より先に入浴とはどういう了見だいやっほおおおおお!」

 

 きゃー、ばしゃん、ずごん!

 

「…………」

 

 飛鳥は頭痛を抑えるように頭を抱える。

 

 悪魔たちは湯船の底に頭が突き刺さった黒ウサギを見て、大爆笑していたのだった。



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お嬢様には悪魔召喚士の道があるそうですよ?

 白夜叉が黒ウサギのウサ耳を掴んで引っこ抜くと、黒ウサギは飛鳥に近寄って怪我がないか、無遠慮にあちこち弄って確かめる。

 

「き、傷は大丈夫でございますか? 乙女の肌に痕が残るようなものはございませんか?」

 

「だ、大丈夫よ。コダマ君のお陰で大した怪我はしなかったわ」

 

 僅かな生傷も、既に湯の効能で癒えている。黒ウサギは飛鳥の顔をじっと見て、痩せ我慢などはしていないことを確認すると、安心したように長いため息をついた。

 

「……失礼しました。飛鳥さんが襲われたと聞いて思わず……ご無事で何よりです」

 

 そう言うと、黒ウサギは湯船で遊んでいる悪魔たちの方に視線を移す。それに気が付いた彼らは、泳ぎながら飛鳥たちの側に寄ってきた。

 

『な~に、ウサギのおねえちゃん?』

 

「ええ、一度お礼を言っておこうかと思いまして。この度は我らコミュニティの同士を助けていただき、誠にありがとうございました!」

 

 礼を言われたコダマは照れたように頭を掻き、くねくねと泳ぐ。

 

『へへ~、どういたしまして!』

 

『ま、アタシは大したことはしてないけどね』

 

 カハクは肩を竦めるが、そこへ苦笑しながら声を掛けてくる人影があった。

 

「──謙遜するな。君が情報を伝えてくれたお陰で、私も飛鳥を守り切ることができたのだから」

 

「──私からもお礼を言わせて。飛鳥を守ってくれてありがとう」

 

 脱衣所の方から、レティシアと耀が現れた。とんがり帽子の精霊も共にやってきて、そのまま飛鳥の体をよじ登る。

 

 照れる悪魔二体を、ピクシーが悪戯っぽい笑顔でうりうりと小突く。その様子を飛鳥は穏やかな表情で眺めた。しかし、ふとあることを思い出して心配そうにコダマに話し掛ける。

 

「そういえば、あの時無理をさせてしまったけれど……もう体は大丈夫なのかしら?」

 

『うん、もう大丈夫だよ! ボクたち悪魔はガンジョーだからね。もう心配いらないよ!』

 

 もう平気だと言わんばかりに宙に浮かび上がり、元気よくくるくると回るコダマ。それを聞いてピクシーはへぇ、と興味深そうな声を上げる。

 

『地霊の中で一番弱い筈のあなたが、そんなに活躍したの?』

 

『へっへ~ん! おねえちゃんのコトダマを受けて、とっても強い風(マハザンマ)を出すことができたんだ!』

 

 ぱわーあーっぷ! と叫びながら力こぶを作るような仕草をするコダマ。しかしそれを聞いて、黒ウサギはピクリとウサ耳を動かした。白夜叉も陰で目を細める。

 

「……その時の経緯を、詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

「ええ、いいわよ──」

 

 そうして、レティシアから逸れた後のことを皆に語って聞かせた。ネズミたちにギフトが通じず、追い詰められたこと。咄嗟の判断でコダマへギフトを行使し、その力を一時的に高めたことを。

 

 それを聞いた黒ウサギと白夜叉は、顔を向かい合わせて考え込む。それを他所にピクシーは、感心したように飛鳥を見た。

 

『悪魔にとってはかなりありがたい能力ね。一時的とはいえ、己の領分を超えた力を行使出来るんだもの』

 

「でも、コダマ君はかなり消耗した様子だったけれど……危険は無いのかしら?」

 

『大丈夫じゃない? コダマも言ったけど、あたしたちの存在って結構融通が効くのよ。消耗するのも、与える力を加減すればそれほどでもなくなるでしょ。それより──』

 

──あなた、サマナーの才能あるかもね、とピクシーは面白そうに言う。

 

「サマナー?」

 

『正確に言うと悪魔召喚士(デビルサマナー)ね。その名の通り、あたしたち悪魔を召喚して使役する術士のこと。あなた、保有しているマガツヒの量も相当だし、鍛えれば結構いい所まで行きそう……』

 

 ピクシーはそう言ってニヤリと笑うと、とんがり帽子の精霊がいる方とは反対側の飛鳥の肩にふわりと座る。

 

『もしサマナーになりたいって言うなら、あたしがレクチャーしてあげてもいいわよ? 勿論、対価は戴くけどね』

 

 そう言ってぺろり、と扇情的に舌舐めずりをするピクシー。それを聞いた飛鳥は思慮に耽る。

 

 ギフトを支配するのでもなく、他人を支配するのでもなく、悪魔を使役し、強化するギフト。己の方向性に迷っていた飛鳥にとって、突如現れた第三の選択肢だった。

 

『それがいいよ! アスカおねえちゃんがサマナーになったら、ボク仲魔になるよ!』

 

『ちょっとちょっと、アンタはシンの仲魔でしょ』

 

 呆れたように言うカハクだが、コダマの勢いは止められない。興奮したように飛鳥の周りを飛び回り、風と水飛沫を撒き散らす。

 

『ねぇねぇ、いいでしょ? おねえちゃん。シンおにいちゃんにはボクから言っておくからさ~』

 

 幼子のように我が儘を言うコダマに、カハクは呆れ果てたように湯船に浸かった。ピクシーはニヤニヤと笑っているばかりで飛鳥の返事を待つつもりのようだ。飛鳥は助けを求めるように黒ウサギたちの方へ視線を移すが、真摯な表情でこくりと頷く黒ウサギ。飛鳥の意思を尊重するらしい。

 

 飛鳥は溜息をつくと、苦笑しながら答えた。

 

「……少し考えてみるわ。間薙君にも相談してみましょう?」

 

『やった~! 大丈夫だよ! きっとシンおにいちゃんもわかってくれるよ!』

 

 

    *

 

 

「──却下だ」

 

 開口一番。取り付く島もないとはこの事だった。飛鳥とコダマは暫し呆然とするが、すぐに気を取り直して反論する。

 

『ええ~! なんでなんで~!? シンおにいちゃんのケチ~!』

 

「……理由を聞いてもいいかしら?」

 

 場所は〝サウザンドアイズ〟旧支店・来賓室。女性陣が風呂から上がり、先に待っていた男性陣と合流した。そこで、飛鳥とコダマはシンに話を切り出してみたのだが、バッサリと断られたのである。

 

 シンは温度の無い視線を飛鳥に向け、説明する。

 

悪魔召喚士(デビルサマナー)は一朝一夕でなれるような存在ではない。特別な才能や特殊な装置が無い限り、無理に力を求めた者は、無様に悪魔に喰い殺されるだけだ」

 

 心配するような意思は感じられないが、一応飛鳥の身を案じてのことではある。それでも納得いかないと、コダマは文句を言う。

 

『ボクたちがサポートすればきっと大丈夫だよ~! シンおにいちゃんも手伝ってくれればいいじゃない!』

 

「そこまで面倒を見るつもりはない」

 

 キッパリと言い、話は終わったとばかりに目を瞑るシン。コダマは憤慨したように飛び上がると、シンおにいちゃんのケチ! と言ってどこかへ飛んで行ってしまった。カハクが呆れたようにそれを追う。

 

「──コダマ君!」

 

「放っておけ。いつでも回収できる」

 

 飛鳥は追いかけようとしたが、これから明日の祭典について話し合いが始まる。伸ばした手をゆるゆると下げると、シンへ謝罪した。

 

「……ごめんなさい。少し浅はかだったわね」

 

「…………」

 

 シンは気にしていないとばかりに首を振った。飛鳥は少し気落ちしたように席に着き、とんがり帽子の精霊が慰めるように飛鳥の名を呼ぶ。ピクシーはシンの肩でくすくすと笑った。

 

『珍しく入れ込んでるわね。あいつらが候補(・・)ってとこなのかしら?』

 

 それには答えず、飛鳥に声を掛ける十六夜たちを眺めながら、シンは心中で呟いた。

 

──精々悩め。お前たち人間には、あらゆる可能性が残されているのだから。

 

 やっぱり珍しいと、ピクシーは意味深に笑った。

 

 

    *

 

 

 白夜叉が来賓室の席の中心に陣取り、十六夜たちは下座に適当に座る。十六夜、飛鳥、耀、シン、黒ウサギ、ジンと、その他にとんがり帽子の精霊が飛鳥にひっついている。これから、明日の〝造物主達の決闘〟決勝戦について話し合いが始まろうとしていた。

 

 そうして、白夜叉はこの上ない真剣な声音で話を切り出した。

 

「それでは皆のものよ。今から第一回、黒ウサギの審判衣装をエロ可愛くする会議を──」

 

「始めません」

 

「始めます」

 

「始めませんっ!」

 

 白夜叉のお馬鹿な提案に悪ノリする十六夜。黒ウサギは速攻で断じてハリセンを振るう。ピクシーはそれを見てケラケラと笑った。

 

「──というのは冗談でだな。実は、明日から始まる決勝の審判を黒ウサギに依頼したいのだ」

 

「あやや、それはまた唐突でございますね……何か理由でも?」

 

 白夜叉はニヤニヤ笑いながらも本題を切り出した。戸惑う黒ウサギが問うと、白夜叉はうむ、と頷いて話を続ける。

 

「おんしらが起こした騒ぎで〝月の兎〟が来ていると知れ渡ってしまっての。滅多に見ることのできないおんしを、明日からのギフトゲームで見られるのではないかと期待が高まっておる──」

 

 十六夜と黒ウサギは、昼間に追いかけっこのギフトゲームを行い、多くの衆人に目撃されてしまっていた。特に一方が〝箱庭の貴族〟と謳われる種族であったために、憶測が憶測を呼び結構な噂になっているらしい。

 

『ああ、その噂なら聞いたわよ。なんでも決勝戦には百人のウサギが登場するとか、ウサギが巨大化するとか、宙を舞うウサギロボが変形合体するとか』

 

「な、なんなんですかその噂は!?」

 

『さあ? 噂に尾鰭が付きまくったんでしょうね。ま、あたしもちょっと加担したけどさ!』

 

 そう言ってきゃはは! と笑うピクシー。黒ウサギはがっくりと項垂れ、とにかくその依頼承ります、と白夜叉へ弱々しく呟いた。

 

「う、うむ。感謝するぞ。……何、本物の〝箱庭の貴族〟を目の当たりにすれば、そのような荒唐無稽な噂は頭からすっ飛んでしまうであろうよ!」

 

 だから気にするな、と白夜叉は苦笑し、黒ウサギをフォローする。十六夜と飛鳥は巨大ウサギやウサギロボを想像して、吹き出すのを必死に堪えていた。シンと耀は我関せずと茶を啜る。

 

 そうして一息付いた耀が、思い出したように白夜叉に訪ねる。

 

「……そういえば、私が明日戦う相手ってどんなコミュニティ?」

 

「すまんが、それは教えられんよ。フェアではなかろう? 〝主催者(ホスト)〟が教えてやれるのはコミュニティの名前までだ」

 

 そう言って白夜叉はパチン、と指を鳴らす。すると予選会場で現れた羊皮紙が出現し、文章が浮かび上がった。飛鳥は予選の観戦に間に合わなかったのでじっくりと目を通すと、そこに記されたコミュニティの名前を見て、驚愕に目を丸くする。

 

──〝ウィル・オ・ウィスプ〟に……〝ラッテンフェンガー(・・・・・・・・・)〟ですって?

 

「どちらも一つ上の階層のコミュニティですね。詳しくは知らないのですが、手強い相手になるかと」

 

「うむ、余程の覚悟はしておいた方がいいぞ」

 

 飛鳥の動揺に気付かず、ジンと白夜叉は参加コミュニティについて軽く補足する。その真剣な忠告に、耀はコクリと頷いた。一方十六夜は、〝契約書類(ギアスロール)〟を睨みながら獰猛に笑った。

 

「へえ……〝ネズミ捕り道化(ラッテンフェンガー)〟のコミュニティか。なら明日の敵は差し詰め、ハーメルンの笛吹き道化だったりするのか?」

 

 飛鳥はその言葉に反応するが、黒ウサギと白夜叉の驚嘆の声に掻き消された。

 

「ハ、〝ハーメルンの笛吹き〟ですか!?」

 

「待て、どういうことだ小僧。詳しく聞かせろ」

 

 予想外の声に、思わず瞬きをする十六夜。その反応に白夜叉は声のトーンを下げ、具体的に質問し直す。

 

「すまんの。最近召喚されたおんしらは知らんのだな。〝ハーメルンの笛吹き〟とは──とある魔王の下部コミュニティだったものの名だ」

 

「……何?」

 

「魔王のコミュニティ名は〝幻想魔道書群(グリムグリモワール)〟。全200篇以上にも及ぶ魔書から悪魔を呼び出した、驚異の召喚士が統べたコミュニティだ」

 

 ピクシーは召喚士という単語に反応し、興味深そうに口を挟む。

 

『へぇ……悪魔召喚士(デビルサマナー)だったってこと?』

 

「それどころではございませんよ。一篇から複数の悪魔を召喚し、特に目を見張るべきは、その魔書の一つ一つに異なった背景の世界が内包されているのです。魔書の全てがゲーム盤として確立されたルールと強制力を持つという、絶大な魔王でございました」

 

『うわお。流石にそんなとんでもない力を持ったサマナーにはお目にかかったことはないわね』

 

 驚くピクシーを他所に、へぇ? と十六夜の瞳に鋭い光が宿る。そこへジンが訝しむように続ける。

 

「ですが……その魔王は既に敗北し、この世を去ったはずです」

 

 黒ウサギはそれに頷くが、緊張した様子で十六夜に視線を向ける。

 

「しかし、十六夜さんは〝ラッテンフェンガー〟が〝ハーメルンの笛吹き〟だと仰いました。童話の類は黒ウサギも詳しくありませんし、万が一に備えご教授して欲しいのです」

 

 そう言って真剣な表情を見せる。祭典に現れたコミュニティが、滅びた魔王と関連のあるコミュニティと知って冷静でいられないのだろう。

 

「──なるほど、状況は理解した。俺が……いや、俺たち(・・・)が知っているのは童話についてだけだがな。というわけで御チビ様、成果を見せてやれ」

 

「え? あ、はい」

 

 突如話を振られたジンは、戸惑いながらもコホン、と一度咳払いをし、姿勢を正すとゆっくりと語り始めた。

 

「〝ラッテンフェンガー〟とはドイツという国の言葉で、意味はネズミ捕りの男。これはグリム童話の〝ハーメルンの笛吹き〟を指す隠語です──」

 

 〝ハーメルンの笛吹き〟とはハーメルンという都市で起きた実在の事件を原型とする童話であり、一枚のステンドグラスと共にある碑文には、こう書かれている。

 

──1284年 ヨハネとパウロの日 6月26日

 

 あらゆる色で着飾った笛吹き男に130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され、丘の近くの処刑場で姿を消した──

 

 続けて、その道化師がネズミを操る道化師だったために〝ネズミ捕り道化(ラッテンフェンガー)〟が隠語とされていると説明する。飛鳥はそれを聞いて、ネズミたちに襲われた時にどこからともなく響く笛の音を聞いたことを思い出した。

 

 説明を聞き終えた白夜叉は、滅びた魔王の残党コミュニティが〝ラッテンフェンガー〟の名を騙って紛れ込んでいる可能性が高いと結論付ける。

 

 魔王への対策として、祭典の参加者は〝主催者権限〟を使用できないなどのルールを定めてあるが、予言がある以上魔王の出現は不回避である。これはあくまで最低限の対策として、魔王が現れれば〝ノーネーム〟の出番となる。

 

「──その時は、頼んだぞ」

 

 白夜叉の言葉に、一同は頷いて返した。

 

 しかし飛鳥は、〝ラッテンフェンガー〟と名乗ったとんがり帽子の精霊の正体について不安を募らせ、浮かない顔をするのだった。



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妖精も決闘に参加するそうですよ?

『はぁ~あ……どうしたらシンおにいちゃんはわかってくれるかな……』

 

『アンタねー、いい加減諦めなさいよ』

 

 〝サウザンドアイズ〟旧支店。来賓室で話し合いをしている十六夜たちを他所に、その屋根の上でコダマがため息をつき、カハクは諦めさせようと説得を続けていた。

 

 しかし話は平行線を辿る一方である。カハクはコダマが飛鳥にそこまで拘る理由が理解できず、コダマ自身も何故拘るのか語らぬまま飛鳥に執着するのだから、解決のしようがない。我が儘をなんとか押し通そうとコダマが頭を捻る隣で、カハクが首を竦めるのみだった。

 

『そんなにあの子を気に入ったわけ?』

 

『うん! それに、アスカおねえちゃんはきっとすごいサマナーになるよ! 今はまだ悪魔を召喚できないみたいだけど、ボクにはわかるんだ!』

 

 そう言って、くるくると回るコダマ。カハクは頬杖をつき、あの子がねぇ……、と疑わしい様子だった。

 

『ま、どっちにせよ決めるのはあの子だし、悪魔を使役するための道具も調達しないといけないしね。サマナーになるとしてもずっと先よ』

 

 そう言ってカハクはくるりと宙返りし、うぅん、と背伸びする。そして誰に聞かせるでもなく呟く。

 

『──あなたもそう思わない? そこのヴァンパイアさん』

 

「──すまないな。盗み聞きするつもりはなかったんだ」

 

 庭の方からレティシアが翼を広げ、屋根の上に降り立った。絹のようなプラチナブロンドの髪がふわりと浮き、月光を浴びてまだ髪に残っている僅かな水滴がキラキラと星のように輝く。カハクはくすりと笑いかけた。

 

『別にいいわよ。大した話じゃないし』

 

『ヴァンパイアのおねえちゃん、やっほ~!』

 

「そう言ってもらえると助かる。月光浴をしに来たら先客が居たものでな」

 

 レティシアはコダマに手を振りかえし、温和な表情で微笑んだ。西洋系の人種だが、和風の浴衣がどことなく似合っている。その裾を抑えながら、レティシアは音を立てないように座り込んだ。

 

「コダマ、だったかな。そんなに飛鳥が気に入ったのか?」

 

『うん! だからサマナーになって、ボクを仲魔にして欲しいんだ!』

 

「君はシンの使い魔じゃないのか?」

 

 レティシアは不思議そうに首を傾げる。彼女からすればシンの僕であるはずのコダマが飛鳥に鞍替えしようと言い出すのが不思議だったのだろう。カハクは苦笑してフォローする。

 

『うーん、正確には〝仲魔〟って言ってね。まぁパートナーであり、シモベであり、ゲボクでもある、契約上の関係なわけね。契約の仕方によっては、あなたの言う使い魔みたいな完全な道具として扱われることもあるけど、シンとの契約はそこまで厳しいものじゃないから、こういうワガママも結構言えるわけ』

 

 受け入れるかどうかは別だけど、とカハクはコダマを見て溜息をつく。コダマはぶつくさ呟いた。

 

『シンおにいちゃんはすっごく強いんだし、ボクがアスカおねえちゃんの所に行ったって平気だと思うのになあ』

 

『そう言う意味で断ったわけじゃないでしょ。単にあの子の問題なんだから』

 

 レティシアはほぅ、と興味深そうに頷いた。

 

「飛鳥程の人物でも、その悪魔召喚士(デビルサマナー)とやらになるのは難しいのか?」

 

『才能はあるでしょうね。けど、その才能を開花させるための設備も道具も無いのよ。そして何より──まだ意志が弱い』

 

 カハクは気怠そうに、しかし真剣な眼差しで何処かを見据え、言葉を続ける。

 

『サマナーになろうか迷っている、なんて気持ちじゃ絶対にサマナーになれないわよ。サマナーになって何を成すかは人それぞれだけど、絶対にサマナーになる、という確固たる意志だけは共通しているわ。……ま、なんの因果か流されてサマナーになっちゃう哀れな奴もいるけどね』

 

 それを聞いて、レティシアは納得がいった。飛鳥にはまだ他の道がある。サマナーはその内の一つでしかなく、また過酷な道なのだろう。しっかりと考え、悩み抜いた上で己の道を選ぶべきなのだ。感心したように頷く。

 

「……案外、考えてくれているんだな。こう言っては悪いが、基本的に人間のことなんかどうでもいいのだと思っていたが」

 

『基本的にはそうよ。見下してるわ』

 

 キッパリと言うカハクだが、だけど、と続ける。

 

『見下してはいても、軽んじてはいない。人間が持つ大きな可能性をシンは知っているから、有益になるようなその可能性をわざわざ潰すようなことはしないのよ。……ま、元人間だしね』

 

「そうなのか?」

 

 驚きに目を丸くするレティシア。魔王によって生み出されたとは聞いていたが、まさか元人間だとは思っていなかったのだ。カハクはあら、と意外そうに反応する。

 

『聞いてなかった? 元々見た目通り、ただの人間の子供だったのよ。それが何の因果か魔王様に見初められて、強制的に悪魔化ってワケ』

 

 運が無いわねー、とケタケタ笑うカハクに、レティシアは沈痛そうに俯く。聞いてはならないことをうっかり聞いてしまったか、と悩むレティシアに、ぺちんとデコピンをかますカハク。

 

『別にシンは気にしないわよ。気にするような人の心はもう無いんだし、今はもう立派な悪魔なんだから』

 

 アンタってマジメねー、とカハクはまだ笑っている。だがレティシアはそれを聞いてますます思慮に耽る。

 

──それはきっと、とても悲しいことじゃないのか?

 

 だがもう本人はそれを悲しむ心を無くし、仲魔も気にせず笑っている。部外者である己が思い悩むこと自体が不毛なことなのだろう。そう結論付けたレティシアは、ひとまずその問題は考えないようにした。

 

『ね~ね~、結局アスカおねえちゃんはどうすればいいのさ~』

 

『あの子が決断するまで待ってなさいよ。てゆーか、そろそろ送還されるんじゃないの? あの子を捜索するって役割はもう果たしたわけでしょ』

 

『ええ~! ヤダヤダ~!』

 

 コダマは嫌がるようにジタバタくねくねと暴れるが、カハクは首を竦めるばかり。そんなに言うならシンに直訴して来なさいよ、とカハクが言うと、コダマは早速シンの元へ飛んで行った。

 

『やれやれ……いつまで経っても子供なんだから』

 

 あたしはもう戻るわ、とカハクはふわふわと飛び上がり、レティシアに振り向く。

 

『もうすることもないし、あたしは素直に送還されておくわ。召喚されたらまた会いましょう?』

 

「ああ、色々と教えてくれてありがとう。また会えるといいな」

 

 じゃねー、とカハクは何故か投げキッスを送ると、バチン、と紫色の雷の中に消えて行った。昼間はこれのせいで騒ぎになったな、と苦笑するレティシア。

 

「明日は〝魔王襲来〟か……無事、乗り越えられるといいのだが」

 

 街を見下ろすと、相変わらず無数のペンダントランプが街を朱色に照らしている。美しい光景だが、レティシアはどこか不吉な印象を拭い去れないのであった。

 

 

    *

 

 

 境界壁・舞台区画。〝火龍誕生祭〟運営本陣営。

 

 〝ノーネーム〟一同は名無しのコミュニティでありながら、運営側の特別席という特例を許されていた。一般の席が空いていないということでサンドラが取り計らってくれたのだが、これも〝打倒魔王〟を掲げて活動するが故か、と十六夜は嬉々として席に腰掛ける。

 

 日が登り切り、審判・進行役を引き受けた黒ウサギがいよいよ舞台中央に立つ。黒ウサギは胸いっぱいに息を吸うと、観客席に向かって満面の笑みを浮かべて開催の宣言を始める。

 

『長らくお待たせ致しました! 火龍誕生祭のメインゲーム〝造物主達の決闘〟決勝戦を始めたいと思います! 進行及び審判は〝サウザンドアイズ〟専属ジャッジでお馴染み、黒ウサギが務めさせていただきます!』

 

「うおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおおッ!!!」

 

「本物の月の兎だああああああぁぁぁぁ!!」

 

「黒ウサギいいいいいぃぃぃぃ!! 今日こそうぉれにスカートの中をみせろおおおおぉぉぉぉ!!」

 

 割れんばかりの熱い歓声と、無数のアレな欲望を込めた奇声が舞台を大いに揺らす。黒ウサギはドン引きして笑顔を固めたまま、ウサ耳をへにょりと垂らした。

 

「……随分と人気者なのね」

 

『すごいね~!』

 

 当然飛鳥はドン引きし、コダマは面白そうにはしゃいで見せた。十六夜はヤハハとおかしそうに笑っている。

 

「流石だな。個人の人気はともかく、〝箱庭の貴族〟が審判だとこうも盛り上がるものなのか?」

 

 十六夜が疑問を覚えると、サンドラが答えてくれた。

 

「ジャッジマスターである〝箱庭の貴族〟が審判となることで、そのゲームはルール不可侵の正当性の元に〝箔〟付きとなる。その戦いは名誉と共に箱庭の中枢に記録され、〝両コミュニティが誇りの元に戦った〟という太鼓判を押される。これはとても大事」

 

「へえ──」

 

 箱庭に来て一年にも満たない十六夜にはその辺りの価値観がピンと来ないが、とにかくこの誕生祭は箔付きのゲームとして認められたのだと理解して頷く。

 

 その隣では、飛鳥が落ち着きなくそわそわと大会の進行を見守り、とんがり帽子の精霊が不思議そうにそれを見上げている。コダマはやや上空に飛び上がって、空から舞台を眺めて楽しんでいた。

 

「どうした、お嬢様。落ち着けよ」

 

「……昨夜の話を聞いて心配しない方がおかしいでしょう?」

 

 相手は格上なのだから、と呟く飛鳥。それを聞いた白夜叉はうむ、と返すと手を宙に翳す。すると空中に光る文字で〝ウィル・オ・ウィスプ〟と〝ラッテンフェンガー〟のそれぞれの名が刻まれた。

 

「通常は下位の外門のゲームには参加しないものだが、フロアマスターから得るギフトを欲して降りてきたのだろう」

 

 一筋縄ではいかんだろうな、と白夜叉はシミジミと頷いた。

 

「そう……白夜叉から見て、春日部さんに優勝の目は?」

 

「ない──」

 

 即答する。いくら耀が優れたギフトを持つといっても、まだまだ経験の足りないひよっこである。その程度では一つ上の階層のコミュニティ相手には到底及ばない。ましてやあの〝ウィル・オ・ウィスプ〟ならば。

 

 しかし、不確定要素が一つ。

 

「──だが、あの妖精次第であろうな」

 

 

    *

 

 

「──〝ウィル・オ・ウィスプ〟については、今お伝えした通りです。参考になればいいのですが……」

 

 観客からは見えない舞台袖、耀は次の対戦相手の情報を確認していた。セコンドについたジンとレティシアが相手の伝承について解説してくれたため、ある程度の対策は思いついている。

 

 ただ、唯一不満なのは──

 

『大丈夫、大丈夫! ケースバイケースで臨機応変に対応するから!』

 

 きゃはは、と耀の頭上で笑っているのはピクシーだった。ゲーム中に魔王が襲来する万が一の事を考えて、シンがサポートにつけたのだ。尤も、元々退屈していたピクシーが参加したがって物凄い駄々を捏ねたのがそうした理由なので、シンが言わなくても無理やり参加しただろうが。

 

 元々一人で挑戦するつもりだった耀は、ピクシーに一つ約束させた。

 

「……邪魔はしないで」

 

『はいはい、わかってるわかってる。手を出すのはあなたが負けそうになってから、よね』

 

 適当に返事をするピクシーに、ムッと不満を隠せない耀。この妖精は耀が負けること、つまりピクシーの助けが必要になるであろうことを端から疑っていないのである。

 

 このゲーム絶対勝って見返してやる、と強く意気込む耀を、ニヤニヤ笑って見つめるピクシー。ジンとレティシアはその凸凹コンビぶりに、不安そうに顔を見合わせた。

 

 舞台の真中では黒ウサギがゲームを進行させ、いよいよプレイヤーを迎え入れようと両手を広げて紹介を始める。

 

『それでは入場していただきましょう! 第一ゲームのプレイヤー・〝ノーネーム〟の春日部 耀と──』

 

 名を呼ばれ、通路から舞台に続く道に出た──その瞬間、耀の眼前を高速で駆ける火の玉。

 

「YAッFUFUFUUUUUuuuuuu!!」

 

「わっ……!?」

 

 耀は堪らず仰け反り、尻餅をついた。

 

 その頭上には、火の玉に腰掛ける少女がいる。白銀のツインテールの髪に、白黒のゴシックロリータの派手なフリルのスカート。そして無様に尻餅をついた耀を、愛らしくも高飛車な声で嘲笑っている。だが──

 

「あっはははは『きゃはははは! 〝わっ!〟だって〝わっ!〟。そこはアスカを見習って〝きゃっ!〟とかにしておきなさいよ。今からでも女らしくしとかないと、将来嫁の貰い手が、』──って、聞けえええええええっ!!」

 

 爆笑して全力で耀を馬鹿にするピクシー。その声に邪魔された少女は、怒り心頭で怒声を上げる。目を白黒させたピクシーがその少女を見つめ、イラついた耀はピクシーを横目で睨んでいた。

 

『……あなた、誰?』

 

「対戦相手だよ!? 〝ウィル・オ・ウィスプ〟のアーシャ=イグニファトゥス様だよ! 馬鹿にしてんのかアンタら!」

 

 怒りに顔を赤らめて文句を言うアーシャだが、如何せん相手が悪過ぎた。相手は妖精。悪戯や他人をおちょくることにかけては箱庭随一のエキスパートなのである。

 

『油断しないでヨウ! 敵は……えーと、イグニなんとかよ! きっとその長い名前で舌を噛ませる作戦に出るつもりだわ。気を引き締めて行きなさい!』

 

「だ、誰が長くて覚えにくくて舌を噛みそうな名前だッ!? いい加減にしろよこの妖精風情がっ!」

 

「YA、YAHu……」

 

 誰もそこまで言っていない。火の玉はいつの間にかカボチャのお化けに姿を変え、アーシャを宥めるように肩をつつく。

 

 至近距離で見ていた黒ウサギは、同じくピクシーに痛い目を見たもの同士として同情し、頭を抱えた。

 

『正位置に戻りなさい、アーシャ=イグニファトゥス。それとピクシー、コール前の挑発行為は控えるように!』

 

『えー? あたしは単に、ヨウに注意するよう伝えてただけよ?』

 

 注意されたピクシーが納得いかない、とブー垂れる。それにますます苛ついたように口を挟むアーシャ。

 

「くっ……どの口が! 大体ほら、あのウサギは私の名前を普通に言えたじゃねえか! 長くないし覚えやすいし舌も噛まないだろ!?」

 

『事前に練習しただけじゃないの? ねークロウサギ?』

 

『ノ、ノーコメントで……っていうか両者とも! 早く正位置に着きなさいッ!』

 

 黒ウサギの怒号で、慌ててお互い所定の位置に着く。カボチャのお化けは頭痛を抑えるように、そのカボチャの頭を抱えていた。

 

 

    *

 

 

「……やれやれ、早速問題を起こしておるようだ」

 

 白夜叉は舞台上のやりとりをこっそりと聞いて、溜め息をついた。ゲームが始まる前から色々と引っ掻き回してくれる。

 

 まだまだ未熟な耀には、勝利も敗北も貴重な経験である。敗退するとわかっていてもこのゲームを勧めたのは、そういった経験をさせるためなのだが、あの妖精がそれを台無しにするかもしれない。全力を出した結果ならともかく、気が散って無意味な敗北をされると困るのだ。

 

 カボチャのお化けを見てはしゃいでいた飛鳥は、事前に耀は勝てないだろうと言い含められていたことを思い出して、心配そうに耀を見つめる。すると、こちらに気が付いた耀が手を振ったので、飛鳥は若干緊張を解いて手を振り返す。

 

『──そんなに心配しなくても大丈夫だよ、アスカおねえちゃん』

 

 飛鳥の側に降りて来ていたコダマが、安心させるように胸を張った。それを聞いた白夜叉は、ほう、と意地悪な笑みを浮かべてコダマに問う。

 

「あの妖精がいれば、いい勝負になるとでも言うのかのう?」

 

『勝つよ!』

 

 迷いなく勝利を即答され、目を丸くする白夜叉。コダマは確信しているように言葉を続ける。

 

『ピクシーおねえちゃんはヨウおねえちゃんを助けるって決めたんだ! だから、絶対に勝つよ!』

 

「だが、相手は六桁のコミュニティだろ? ピクシーが付いたからって──」

 

 十六夜がニヤリと挑発するように言うと、コダマは更に声を大きくして叫ぶ。

 

『だってピクシーおねえちゃんは、シンおにいちゃんの一番最初の仲魔(・・・・・・・)だもん! あんな悪魔なんかに負けたりしないよ!』

 

「──なんだと?」

 

 白夜叉は双眼鏡を構え、慌ててピクシーの方へ視線を移す。どう見ても、ただの妖精にしか見えない。だが、あのシンの最初の仲魔がただの妖精である筈がない。シンと同じように、隠された力があるのでは、と白夜叉は推測した。

 

 十六夜は満足したように身を乗り出し、観戦に集中した。飛鳥もコダマがそこまで言うのなら、とピクシーと耀を信じてみることに決め、応援する。

 

──そしてピクシーは白夜叉の視線を感じ取り、くすり、と扇情的に笑うのだった。



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少女は妖精と協力するそうですよ?

 〝ノーネーム〟と〝ウィル・オ・ウィスプ〟の両プレイヤーは未知の世界で対峙していた。

 

 そこは、上下左右を全て巨大な樹の根で囲まれた大空洞だった。ゲームを始める前に白夜叉がとある観客の旗印を拝見し、それからこの世界へ呼び込まれたのだ。ピクシーは興味深そうに周囲を見渡す。

 

『へえ、なかなか面白そうなところじゃない。さっきのやりとりからすると、たった今用意したゲーム盤ってところかしら?』

 

 妖精の(さが)か、木々に囲まれた場所にいると機嫌が良くなるようだった。ピクシーの言葉に耀は頷き、恐らくその可能性が高いと踏んでいる。気温はやや低く、以前訪れたゲーム盤との関連性を感じさせる。

 

 だが、それはゲームの内容とはあまり関係がない。臨戦態勢に入ったアーシャとカボチャのお化け──ジャック・オー・ランタンとは対照的に、二人は呑気に審判の言葉を待つ。

 

 やがて両者の間の空間に亀裂が入り、そこから黒ウサギが姿を現した。その手にはホストマスターによって作成された輝く〝契約書類(ギアスロール)〟を持ち、その内容を淡々と読み上げ始める。

 

 ギフトゲーム名は〝アンダーウッドの迷路〟。勝利条件は迷路を抜ける、相手のギフトを破壊する、相手が勝利条件を満たせなくなった場合の何れかとなる。敗北条件は相手が勝利条件を満たす、または自分が勝利条件を満たせなくなった場合。

 

 特に凝った内容のない、単純なルールと言えた。つまり、プレイヤーの自力が問われるということでもある。

 

「〝審判権限(ジャッジマスター)〟の名において、以上が両者不可侵であることを、御旗の元に契ります。両者とも、どうか誇りある戦いを──」

 

 黒ウサギは両者異論が無いことを確認すると、高々と宣誓する。

 

「──此処に、ゲームの開始を宣言します!」

 

 それが開始のコールだった。両者は距離を取り、初手を探っている。能動的な勝利条件は迷路の攻略か相手の打倒の二つであり、相手の出方がわからないために方針を決めかねていた。

 

 その様子を見てピクシーは耀の背後に回り、宙で寝転がって頬杖を付く。

 

『それじゃ、まずは頑張ってみなさいな。あたしは後ろで応援してるから』

 

 その上から目線に耀はピクシーをじとりと睨み付け、アーシャはそんな二人の様子をみて小馬鹿にした笑いを浮かべる。

 

「ちょっとちょっと、どういうつもり? このアーシャ様を前にして仲間割れとは呑気なもんだよなあ?」

 

「YAHO、YAHO、YAFUFUuu~!」

 

 ゲーム開始前のお返しなのか、わざとらしく嘲笑する二人。しかし耀は全く気にせず、ピクシーは余所見しながら欠伸をしていた。その様子を見てピクピクと青筋を立てるが、精神的に上位に立とうとなんとか踏み留まり、アーシャは余裕たっぷりに両手を広げる。

 

「ま、まあ先手は譲ってやるよ。名無し相手に初っ端から本気になるのもダサいし? ハンデってやつ?」

 

 そう言って、引き攣りながらも余裕に笑みを見せた。

 

 耀は無表情に暫し考えると、一つだけ尋ねる。

 

「貴女は……〝ウィル・オ・ウィスプ〟のリーダー?」

 

「え? そう見えちゃう? なら嬉しいんだけどなあ──」

 

 一転して機嫌が良くなるアーシャ。リーダーに間違われたのが嬉しかったのか、その愛らしい表情を緩ませている。

 

「──けど残念なことにアーシャ様は、」

 

「──そう」

 

 しかし耀はそれを華麗にスルーし、背後の通路に疾走していった。自分から投げかけておいて話をぶった切った耀の後ろ姿を呆然と見つめるアーシャ。しかしすぐに我に返り、全身を戦慄かせて怒号を上げる。

 

「……オゥゥゥウウケェェェェイ! とことん馬鹿にしてくれるってことかよ! それなら名無し相手だろうが加減なんざしねえ! 行くぞジャック!」

 

「YAHOHOHOhoho~!!」

 

 怒髪天を衝くが如く髪を逆立たせ、猛追するアーシャ。その後をジャックが滑るように追従する。アーシャを何より苛立たせたのは、去り際にピクシーが笑いを堪えながら全力で馬鹿にした視線を送って来ていたことだった。

 

 耀はギフトを駆使して根の隙間をすいすいと登っていく。ピクシーはそのやや後ろを飛んでいる。アーシャはその背中へ向かって叫んだ。

 

「こんな狭い通路を先行なんてされたら──」

 

 そう言ってアーシャが左手を翳し、ジャックは右手のランタンを掲げる。

 

「──後ろから狙い撃つしかないよなぁ! 焼き払えジャック!」

 

 ランタンとカボチャ頭から放たれた悪魔の業火は、瞬く間に耀を襲い──

 

「な……見もせずに避けた!?」

 

 しかしその軌道は逸れて、耀のすぐ横を焼き払った。アーシャは今の現象が突如発生した風によるもの──恐らくは相手のギフトだと判断する。最小限の風を発生させて、炎を誘導したのだ。苛ついたように舌打ちする。

 

 対して耀は、相手の攻撃──ジャック・オー・ランタンの秘密に気が付きつつあった。試合前に教えられた〝Will o' wisp〟と〝Jack o' lantern〟の伝承の知識を元に、推測を重ねる。

 

「ちょろちょろと避けやがってこのっ! 三発同時に撃ち込むぞジャック!」

 

「YAッFUUUUUUUuuuuuuuu!!」

 

 再びアーシャが左手を翳し、ジャックが右手のランタンで三本の業火を放つも、今度は風すら起こさずにそれらを全て避けて見せた。

 

「なっ……!?」

 

 アーシャは絶句し、ついに耀は業火の正体を確信する。

 

 アーシャが手を翳すのは可燃性のガスや燐を撒き散らすためであり、ジャックのランタンは着火のために必要だったのである。本来それらは無味無臭だが、獣の嗅覚を持つ耀はそれを感知できる上、鷲獅子(グリフォン)のギフトで風を起こし、霧散させることもできる。

 

『ふーん、なんだか面白い火の出し方するわねえ。ま、残念ながらヨウのギフトとは相性が悪かったみたいだけど』

 

 ピクシーはそれを上空から眺めながら、くすくすと笑う。当然彼女は最初からその仕組みを見破ってはいた。耀との約束があるので告げはしなかったが。

 

『このまま行けば、あたしの出番無く終わりそうね。よくできました──と言いたいところだけれど』

 

 相手の手を見破り、勝利を確信しながら出口へ急ぐ耀を見て、ピクシーは生温い目でニヤリと笑う。

 

『──詰めが甘いわねえ、ヨウ。相手は格上のコミュニティだって言われてなかったっけ?』

 

 

    *

 

 

「──嘘」

 

「嘘じゃありません。貴女はここでゲームオーバーです」

 

 攻撃の種を見破られたアーシャは、口惜しそうにジャックに交代すると、カボチャのお化けはその正体を現した。耀に一瞬で近付き、殴り飛ばす。樹の根に叩きつけられた耀は意識が飛びそうになるほどの衝撃を受け、嘔吐感に咳き込んだ。

 

「悪いね、ジャックさん。本当は私の力で優勝したかったんだけど……」

 

「原因は貴女の油断と怠慢ですよ。猛省しなさい──」

 

 了解しました、と素直に返事をするアーシャを見て、己がミスリードに引っかかったことに耀は気が付いた。アーシャがジャックを創り、従えていたのではなく、彼女もまた耀と同じく、己の力を試すべく先達に道を譲ってもらっていたのである。

 

 アーシャは耀を一瞥もせずに走り去る。慌てて手を伸ばした耀を遮るようにジャックは篝火を零し、先程とは比べ物にならない熱量と密度の炎で行く手を阻む。

 

「……貴方は、」

 

「ええ、貴女のご想像通り……私はアーシャの作ではなく、貴女が警戒していた〝生と死の境界に顕現せし大悪魔〟──ウィラ=ザ=イグニファトゥス制作のギフト・〝ジャック・オー・ランタン〟でございます♪」

 

 ヤホホ! と笑うも、その瞳に灯る炎とその身から発せられる威圧感は先程とは一転し、一部の隙も無い。明確な意志と魂が、このカボチャ頭には宿っていた。

 

 そうしてジャックは、外界では人間に理解できるよう悪魔の炎を科学現象として発信していたことを明かす。そうすることで、篝火を灯すことで死体が埋まっていると気付かせることができる。遺棄された死体の哀れな魂を救うことができる。

 

 また、アーシャが天然ガスや燐を放出していたのは、地縛霊だった彼女が地精として立派に力をつけ始めている証拠であるという。

 

「──だからこそ、あの炎をただの科学現象と誤解されるのは、侮辱にも等しいのでございます」

 

 業火の炎は燃え盛り、樹の根の空洞は炎上していく。耀は、箱庭で対峙したどんな敵よりも強大な威圧感を持つ炎の瞳を見て、徐々に理解していく。

 

「いざ来たれ、己が系統樹を持つ少女よ! 聖人ペテロに烙印を押されし不死の怪物、ジャック・オー・ランタンがお相手しましょう!」

 

──勝てない。

 

 耀では、この不死の怪物を超えることはできない。己のギフトは見破られ、切り札は全て切ってしまっている。シンとの短い付き合いで、〝悪魔〟の恐ろしさの一端でも理解していたと思っていたが、それは勘違いだったらしい。

 

 だが、それでも──

 

「貴方は私より遥かに強い。それは分かった」

 

 耀は真っ直ぐな瞳でその炎を見据え、言葉を紡ぐ。

 

 

「──けど、きっとシンよりは強くない。だから私は……まだ諦めない!」

 

 

 ゆっくりと、立ち上がる。吐き気は収まっている。背中が痛いが体はまだ動く。ギフトは健在。それにアーシャはまだ迷路を抜けていない。それなら、何を諦める必要がある?

 

「……過小評価を詫びましょう。貴女はここで諦めると思っておりました」

 

 ジャックは礼儀正しく一礼する。それを見て耀は小さく笑った。

 

「きっと、一人だったらもう諦めてたと思う。でも私は、春日部耀という個人でここにいるわけじゃない。今の私は〝ノーネーム〟の春日部耀なんだ。だからそう簡単に諦めちゃいけない」

 

 そう言って、耀は頭上を見上げる。

 

「──そうだよね? ピクシー」

 

『──ま、及第点って所ね』

 

 ピクシーは偉そうに腕を組み、ゆっくりと降りてきた。その顔には満足そうな笑みが浮かんでいる。ジャックは、今まで手出ししてこなかったピクシーがわざわざ降りてきたことに警戒した。

 

「いよいよ貴女の出番というわけですか、妖精のお嬢さん?」

 

『あら、出番は無かったけど、役目は果たしてたわよ?』

 

「──なんですと?」

 

 その疑問に当然答える気がないピクシーは、耀の頭にもたれ掛かって問い掛ける。

 

『で、何か用かしら』

 

「力を貸して欲しい」

 

『手出しはして欲しくないんじゃなかったっけ?』

 

「ごめんなさい、私一人じゃ勝てない」

 

『素直でよろしい! 個人的には、もうちょっとワガママ言う子が好みだけどね』

 

 そう言ってくすくすと笑うと、耀の頭を離れてその側で宙に浮かぶ。臨戦体制に入ったと見たジャックは、ランタンを構えた。

 

 炎は依然として周囲を取り囲み、耀の脱出を許さない。このままでは蒸し焼きにされるのは必然だろう。だがピクシーは涼しい顔で余裕を崩さない。

 

「それで、私は何をすればいい?」

 

『あいつに向かって──真っ直ぐ走りなさい』

 

 そう言って、ジャックを指差すピクシー。ジャックは訝しみ、その真意を探ろうとする。意味不明な指示に、しかし耀は疑いなく頷く。

 

「それだけ?」

 

『勿論それだけじゃないわ──迷いなさい』

 

 またも意味不明な指示である。だが、もう耀はピクシーが何を考えているのか、何をしたいのか理解した。口角をあげて、クラウチングスタートの体勢に入る。それ見て、焦るように口を挟むジャック。

 

「どういうつもりなのかは分かりませんが……この炎は悪魔の業火。そう易々と抜けられるものではありませんし、当然そう簡単に解除は致しませんよ。無論、この私を砕くことなど不可能です」

 

 しかし耀はもう聞いていなかった。ジャックが言い終わるのを待つことなく地を蹴り、ジャックに向かって走っていく。攻撃でもなく、防御でもなく、ただただ速く走るためのフォームで疾走する。

 

「──愚かな!」

 

 ジャックが篝火を振るえば、耀は簡単に消し炭になるだろう。ジャックが避けても同様である。周囲の炎に突っ込み、骨すら残さず焼き尽くされる。もし耀が死ねば、殺害がご法度のこのゲームで総スカンを食らうのは必至である。

 

 よって、ジャックは耀を受け止めざるを得なかった。あるいはそれが狙いかと、思考の一端に載せたまま走り寄る耀を捕まえようとし──本当に愚かだったのは己なのだと悟る。

 

 

──耀は姿を消していた。

 

 

 ジャックは慌てて周囲を見渡す。当然、人一人隠れられるような場所は無い。周囲は炎に囲まれ、密室だったはず。地に潜った様子も、宙に飛び上がった気配も無い。正に消えたとしか言いようがない。

 

──系統樹にそのようなギフトが? いえ、恐らくこれはあの妖精によるもの。消えたと見せかけて、気配を消したのみで様子を伺っている? しかし先程の迷え、とは……。

 

「……ッ!? しまった!」

 

 ジャックは慌てて炎を操作し、周囲の業火を全て消し去った。樹々は焦げるどころかあまりの高熱に灰と化し、煙すら出ていない。辺りに人影はなく、静寂がその場を支配する。

 

 その時背後で動く気配がし、ジャックは振り返る。そこにいたのは──

 

「……あ、あれ? ジャックさんがなんでここにいるんだ?」

 

──目をパチクリと瞬かせた、アーシャだった。

 

 先行し、迷路を抜けるために前方へ走り去ったはずのアーシャが、背後から現れたのだった。



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いよいよ魔王襲来の時のようですよ?

 先行した筈のアーシャが現れたのを見て、ジャックは己の推測が正しかったことを確信する。

 

「……違いますよ、アーシャ。私は移動していません。貴女がここに来たのです」

 

「えっ……そ、そんな!? 私はちゃんと出口に向かって真っ直ぐ(・・・・)……!?」

 

 混乱するアーシャを宥めようとジャックが近寄ったその瞬間──二人の間を耀が走り抜けて行く。

 

「な……お、おい! 待て!」

 

 慌てて後を追うアーシャ。ジャックもそれに続くが、その瞳には不安を隠せないでいる。

 

──もしかすると、もう我々は……。

 

 耀は何故かギフトを使っていない。捻れる根の上を常人ほどの速度で走る耀に、アーシャは容易く追いついて捕まえようと手を伸ばす。

 

「何考えてるか知らねーが、落とし前つけて──えっ!?」

 

 ふっ、と耀は姿を消す。かと思いきや、アーシャの背後から現れるとまた走り去って行く。イラついたように今度は手から悪魔の炎を放出する。

 

「今度は種も仕掛けもないぞ! これなら避けられ──何で!?」

 

 放たれた炎が着弾する瞬間、再び耀は姿を消す。今度は垂直に伸びる根を何故かそのまま垂直に登って行く。その意味不明な光景に、アーシャはまた混乱する。

 

「くそっ! 付き合ってられるか! こんな奴ほっといて出口を目指せば──だからなんでジャックさんがいるんだよおぉ!?」

 

「……貴女が後ろから来たんですよ、アーシャ」

 

 前方の通路に姿を消した筈のアーシャが、ジャックの真後ろの通路から姿を現して激突する。慌てて謝るが、何が何だかわからないアーシャはますます混乱する。

 

「落ち着きなさい、アーシャ。……道に迷うは妖精の仕業、ですか。これはしてやられましたねえ」

 

 ヤホホ、とジャックは面白そうに笑う。妖精によるなんらかのギフトによって、気が付かないうちに転移してしまうような罠が仕掛けられているのだろう。森林に入った旅人は、妖精の悪戯によって迷子になってしまった、というわけだ。

 

 一方の耀は、ピクシーの言うとおり真っ直ぐ走り、そして迷っていた。もう右も左も上も下もわからない。自分が立っているのか座っているのか、落ちているのか飛んでいるのか、何もわからない。わかるのは、自分はただ真っ直ぐ進んでいるのみだということ。

 

 どこからか、ピクシーの優しげな声が聞こえてくる。

 

『迷えば迷うほど、人間っていうのは先に進めるものなんでしょう? だからヨウ、あなたはたくさん迷いなさい。迷うから、人間は先に進むことができる。迷えないあいつらは、もうどこにも行けないのよ』

 

 耀を取り押さえようとしても、攻撃しようとしても、姿を消してしまう。かといってそれを放置して先を急ごうにも、元の場所に戻って来てしまう。アーシャとジャックは、完全に詰んでいた。

 

「やれやれ、最早正攻法ではどうにもなりませんね。この迷路を全て消し飛ばすという手も無くはないですが──」

 

『へぇ、地精だけじゃ敵わなくて、先輩悪魔のスペックゴリ押しで迫って、それが通用しなかったらゲーム盤をひっくり返す? カッコ悪いったらないわね』

 

「──貴女が許してくれる筈もありませんか」

 

 アーシャとジャックの前に、ピクシーが姿を現した。傍に耀の姿は無く、勝負を決める気なのだとジャックは悟る。

 

『もうヨウは出口に向かって真っ直ぐ(・・・・)進んでる筈よ。迷いながらね』

 

「……何故、姿を現したのです?」

 

 ジャックはランタンをゆらりと掲げ、アーシャは左手を構える。今までの現象が妖精によるものならば、この妖精を打倒すれば罠は解除されるだろう。耀が今どこを進んでいるのかわからないが、彼らが勝利できる目は最早それのみである。それだというのに、一人でピクシーが姿を現した理由がわからなかった。

 

『それは当然、あなたたちを馬鹿にするために決まってるじゃない。ねえねえ、今どんな気持ち? どんな気持ち?』

 

 ケラケラと笑うピクシーだが、二人は挑発に乗らず黙り込むのみ。それを見て鼻を鳴らすピクシー。

 

『ふぅん、こんなか弱い女の子相手に二人掛かり?』

 

「ヤホホ! 悪いとは思っていますが、アーシャが諦めていない以上、私もベストを尽くすつもりなのですよ」

 

『ああ、別にいいわよ。だって──全然足りてないもの』

 

 ピクシーのその言葉に訝しむジャックだったが──次の瞬間、全力で距離を取る。

 

「ジャ、ジャックさん!?」

 

 その腕に抱え込まれたアーシャが驚いたように目を丸くする。だがジャックは答えず、その炎の瞳でピクシーを睨み付けるのみ。

 

 そのピクシーの顔には、見たことのない冷たい表情が浮かんでいる。

 

『あんたら木っ端悪魔が、このあたしを倒すですって? そのチンケな炎で? あたしを? あたし、そういう冗談は嫌いなのよね。笑えないからさ』

 

 ジャックの身を、凍るような悪寒が襲い続けている。その長きの渡る生の中で、このような強大な威圧感を持った存在は数える程しかいなかった。先程まで少女のように笑い転げていたというのに、今や魔王もかくやという重圧である。

 

『──それでもやろうって言うならいいわよ、不死の怪物がどんなものか確かめてあげようじゃない』

 

 ピクシーがゆっくりと両腕を広げると、その身に膨大なエネルギーが集まり始める。大気は鳴動し、漏れ出たエネルギーがバチバチと火花を散らした。その小さな身体に見合わぬ強大な力を滾らせ、その顔にはゾッとするような嗜虐的な笑みが浮かんでいる。

 

「あ、貴女は一体──」

 

 戦慄するジャックが何かを問おうとした次の瞬間、

 

 

『──勝者、春日部 耀!』

 

 

 黒ウサギの声がゲームの終了を宣言した。

 

 世界はガラス細工のように砕け散り、元の会場に戻ってくるプレイヤーたち。会場を割れんばかりの歓声が包んでいた。

 

『あー、終わった終わった!』

 

 ピクシーはさっきの態度が嘘かのように呑気に伸びをすると、耀の方へ飛んで行った。ジャックは暫しそれを見つめていたが、勝者を讃えるために耀の元へ進み出る。

 

 耀は眩暈を抑えるように頭を抱えていた。ピクシーによって混乱するに任せていた感覚がようやく戻って来たのだ。自分が勝ったらしいことだけギリギリ知覚し、フラフラとよろめいている。俯く視線の先にジャックのローブが入って来たことで、ようやく頭を上げた。

 

「いやはや、見事なゲームメイクでしたよ、お嬢さん」

 

 ジャックは健闘を讃えるように、その大きな手を差し出す。耀は暫しそれを見つめたが、やがてその手を取りゆっくりと握手をする。

 

「いい経験になった。ありがとう」

 

「こちらこそ。アーシャは勿論、私も妖精は決して侮ってはいけないことを学びましたよ。……いい仲間を持ちましたね」

 

 ちらりと観客に手を振るピクシーを見遣ると、ジャックは舞台袖に戻っていく。それと入れ替わりに、アーシャが怒り肩でズンズンと詰め寄って来た。その顔は心底悔しそうで、不機嫌そのものである。

 

「──おい、オマエ! 名前はなんて言うの?」

 

 ゲーム開始前に紹介されている筈だが、耀はなんとなく自分で答えたくなった。

 

「……耀。春日部、耀」

 

 それを聞いたアーシャは頷き、次に宙で欠伸をしているピクシーへ指を突きつける。

 

「アンタもだ!」

 

『あら、あたしも? ……あたしは妖精ピクシー。今後ともよろしくね』

 

「そうか……耀! ピクシー! 私は678900外門出身、アーシャ=イグニファトゥス! 次は絶対私が勝つからな! 覚えておけよ!」

 

「うん、覚えておく」

 

『はいはい、次はもっと楽しませてちょうだいね』

 

 ふん! と踏ん反りかえったアーシャは、敗者だからといって俯くような真似はせず、胸を張って舞台袖へ戻って行った。観客も惜しみない拍手を送る。

 

「……ピクシーもありがとう。お陰で勝てた」

 

『ま、自分から言い出したことだしね。あたしがあの程度の悪魔に負ける筈がないし?』

 

 ふふーん、と偉そうに腕を組むピクシー。

 

 それを見て、耀は小さく笑うのだった。

 

 

    *

 

 

「勝ったわ! ねえ、春日部さんが勝ったわよ!」

 

「一緒に観戦してたんだから、わかってるってお嬢様」

 

 はしゃぐ飛鳥に十六夜は苦笑する。ジャックに追い詰められた時は心底心配そうに見つめていたと言うのに、逆転勝ちしてからはこの有様である。白夜叉もそれを温かい目で見つめる。

 

 サンドラは満足感に溜息を尽きながら言葉を漏らした。

 

「シンプルなゲーム盤なのに……とても見応えのあるゲームでした」

 

「うむ。シンプルなゲームはパワーゲームになりがちだが、両者ともなかなか良いゲームメイクだった。特にあの娘はそちらの才能があるのやもしれんな」

 

 最終的に本気を出したジャックに追い詰められてしまったものの、それまでの敵の挑発を受け流したり、必要最低限のやりとりで得た情報を最大に生かすそのやり方を、白夜叉は高く評価していた。

 

「それにあの妖精。六桁の中でも最上位の一角と謳われる〝ウィル・オ・ウィスプ〟──その主力のジャックをあそこまで翻弄するとはな。流石はあの小僧の使い魔と言ったところか」

 

 生意気なところもそっくりだ、と白夜叉は不敵に笑う。最後に見せたあの威圧感は、並大抵の妖精が持つものではない。その正体は神話や戯曲に謳われる名のある妖精かもしれん、と推測している。

 

『……ねえねえ、みんな。あれって何かな?』

 

 ふと、コダマが上空を見上げながら疑問を口にする。十六夜は既に空を見上げており、白夜叉はコダマの言葉を聞いて怪訝そうに空へ目を向ける。観客の中にも異変に気が付いた者たちがいた。

 

──それは、黒い封書だった。

 

 遥か上空から雨のようにばら撒かれ、人々の手に渡って行く。黒ウサギも慌ててそれを掴み取り、震える手で開封する。

 

「──黒く輝く〝契約書類(ギアスロール)〟……ま、まさか!?」

 

 十六夜が、飛鳥が、耀が、白夜叉が、サンドラが、コダマが──その黒い封書を手に、上空を見据えた。

 

 黒い封書をばら撒く四つの人影は遥か上空、境界壁の突起にある。

 

 一人は、露出の多い白装束を纏う白髪の女。二の腕ほどの長さのフルートを右手で弄んでいる。

 

 一人は、黒い軍服を着た短髪黒髪の男。その長身とほぼ同等の長さの笛を握っている。

 

 一人は、擬人化した笛のような巨大なヒトガタ。陶器のようなフォルムに所々空いた穴から絶えず鳴動を繰り返している。

 

──そして最後の一人は、白黒の斑模様のワンピースを着た少女。眼下の静まり返った会場を、無機質に見下ろしている。

 

 誰もが言葉を失い、呆然と彼らを見上げる中──一人の観客が、耐えきれなくなったように絶叫する。

 

 

「魔王が……魔王が現れたぞオオオォォォォォ────!!!」

 

 

    *

 

 

──時を大幅に遡る。

 

 日時は昨日の昼間、場所は場末のバー。シンと金髪の男がカウンターに並んで座り込み、会合を行っているその時まで遡る。

 

 長い間男が一方的に話し続け、シンは何の反応も返すことなくそれを聞いていた。やがてその話が終わると、男は喉を潤すようにグラスを傾ける。

 

「──こんなところかな。とはいえ、まだ動き出したばかりだからね。君の出方次第でいくらでも修正されるだろう……参考になったかな?」

 

 男は薄く微笑み、シンに視線を向けた。当然それに取り合わず、シンは男から聞いた情報を吟味する。

 

 男から齎されたのは彼が企む計画の他に、これから襲来する魔王の正体、ギフトゲーム名とその内容、攻略法までに至る全ての情報だった。それらを総合して考えたシンが出した結論が、単体では恐るるに足らない魔王だということだった。

 

「君に取っては問題無くとも、君の側にいる人間たちはどうかな?」

 

 からかうように言われたシンは、ようやく男の方を横目でちらりと睨む。今のシンはコミュニティ〝ノーネーム〟の一員であり、ルールを逆手に取られればコミュニティとして敗北する可能性は十分にある。更に十六夜はともかく、飛鳥と耀が今回の魔王に相対すれば確実に死に至るだろう。〝打倒魔王〟を掲げてから懸念されていた力不足が、いよいよ具体的な問題を伴い、目の前に立ちはだかったということだ。

 

 そして、〝ノーネーム〟に関しては男の話には無かった。彼らに関しては最初からシンに一任されているためである。しかしシンは既に、この問題を解決する鍵となる物を受け取っている。懐からカードを取り出すと、シンの手の中に分厚く黒い書物が顕れた。

 

「今朝、君に与えた新たなるギフト──〝悪魔全書(マニアクス)〟を存分に使いたまえ。そのギフトは邪教の館に存在する同名の書物を、遥かに超える可能性を秘めた一品だ。必ずや君の力となるだろう」

 

 〝悪魔全書(マニアクス)〟──その名の通り、シンが統べる全ての悪魔(・・・・・)が記された魔道書(グリモワール)である。驚くべきは、これもまた邪教の館の主が作り出した人造(・・)ということだ。彼が人類にカテゴライズされるのかは定かではないが。

 

 そして、そこに記された悪魔を召喚することができるが、当然何のペナルティも無いわけではない。召喚にコストが掛かるのは勿論、召喚できる悪魔に制限がある。考えなしに召喚していては、やがてその力を失うのみだ。故に、使い所を慎重に考える必要がある。

 

「──そろそろお互い、動き出すべき時間だな。君はこれから迷子になる(・・・・・・・・・)お嬢さんの所へ行ってあげたまえ。召喚する悪魔(・・・・・・)は……君に任せよう」

 

 そう言うと男は空のグラスを起き、優雅に立ち上がる。シンもまた立ち上がり、男を一瞥すらせずに出口へ歩いていく。

 

 店内に居た筈の客は、皆姿を消していた。テーブルの上にはまだ中身が残ったままの器やグラスが残るのみ。

 

「ここはこちらで片付けておこう(・・・・・・・)。──それでは、健闘を祈るよ」

 

 

    *

 

 

 ある建物の屋根の上で、シンは襲来した魔王たちを見上げる。その傍らには、青い帽子を被った雪ダルマが楽しそうにはしゃいでいた。

 

「ヒーホー! 魔王様のご登場だホ! いよいよオイラの出番も近いホー!」

 

 ヒホヒホ笑う悪魔を他所に、シンは魔王たちの中でもワンピースの少女を睨みつけ、薄く笑みを浮かべる。

 

 

──その力、見せてもらおう。



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お嬢様は魔王の配下に敵わないそうですよ?

「プレイヤー側で相手になるのは……〝サラマンドラ〟のお嬢ちゃんを含めて五人ってところかしら──ヴェーザー?」

 

 境界壁上空にて、白装束の女は気怠そうに確認する。しかしヴェーザーと呼ばれた軍服の男は油断なく首を振ると、その言葉に答えた。

 

「いや、四人だな。あのカボチャは参加資格がねえ。特にヤバいのは吸血鬼と火龍のフロアマスター──それに、〝人修羅〟だ。こいつを正面から相手取るのは危険すぎる。くれぐれも油断するな、ラッテン」

 

「……その情報、信頼できるのかしら?」

 

 ラッテンと呼ばれた女は訝しむように眉を顰める。魔王を脅かすような存在が無名で〝ノーネーム〟に居ることが信じられない、というような表情だった。だがヴェーザーはそれに構わず手の中の笛を握り締め、その視線に力を込める。

 

「信頼するしないじゃねえ。俺たちは唯でさえ崖っぷちなんだ。疑わしかろうと避けられる危険は可能な限り排除するまでだ」

 

 ラッテンは首を竦め、はいはい、と返事をする。油断するつもりは無かったが、情報の真偽が疑わしかったので少し聞いてみただけのようだった。彼らの背後の巨兵は、ただそれを黙って聞くのみ。

 

 話が終わったことを確認すると、斑模様の少女は彼らを順番に見つめる。そうして、無機質な声で宣言した。

 

「──ギフトゲームを始めるわ。貴方たちは手筈通りお願い」

 

 それを聞いた三名は頷き、各々行動を始めた。

 

 ギフトゲーム〝The PIED PIPER of HAMELIN〟──強制開始。

 

 

    *

 

 

「──な、何ッ!?」

 

 突如、白夜叉の全身を黒い風が襲い、その周囲を球状に包み込む。近くにいたサンドラが慌てて手を伸ばすが黒い風に阻まれ、バルコニーにいた者は全て一斉に弾き出された。

 

「きゃ……!」

 

『お姉ちゃん!』

 

 コダマが咄嗟に風を起こし、飛鳥の落下を和らげた。その隙に既に着地していた十六夜が飛鳥を受け止め、ゆっくりと地面に降ろす。乱れた髪を整えながら、飛鳥は二人に礼を言った。十六夜は遥か上空の人影を睨みながら、状況を把握する。

 

「ちっ……〝サラマンドラ〟の連中は観客席に飛ばされたか」

 

 〝ノーネーム〟一同は舞台側に、〝サラマンドラ〟一同は観客席へ分断されていた。魔王側の意思を感じるが、今はどうにもならない。舞台袖から走り寄るジンたちの姿を確認すると、十六夜は黒ウサギに振り向いた。

 

「〝魔王襲来〟……そういうことでいいんだよな?」

 

「──はい」

 

 十六夜の問いに、黒ウサギは真剣な表情で頷いた。一同に緊張感が走る。

 

 舞台周辺の観客席は大混乱に陥り、我先に逃げ出すものが入り乱れて阿鼻叫喚の有様である。その様子を見ながらピクシーは面白そうに笑った。

 

『あらあら大騒ぎね。あんなに混乱してたら逃げられるものも逃げられないでしょうに』

 

「ま、あいつらは魔王様のご来場を知らなかったからな。……それで、白夜叉の〝主催者権限(ホストマスター)が破られた様子はないんだな?」

 

「は、はい。黒ウサギがジャッジマスターを務めている以上、誤魔化しは利きません。彼らはルールに則った上でゲーム盤に現れています!」

 

 箱庭の貴族の優位性はこの審判権限(ジャッジマスター)にあった。魔王による如何なる理不尽な襲撃でもその襲撃はギフトゲームであり、悪用しているとはいえ箱庭のルールに則って行われている。よってルールとその判定によって対抗できるということだ。

 

「──ハハ、流石は本物の魔王様。期待を裏切らねえぜ」

 

「……どうするの? ここで迎え撃つ?」

 

「ああ。けど全員で迎え撃つのは具合が悪い。それと……おい、悪魔ども。間薙はどうしてる?」

 

 十六夜がピクシーとコダマに乱暴に声を掛ける。しかしそれを気にせず、両者は呑気な声で答えた。

 

『今は動いてないみたい~』

 

『何処かで呑気に観戦してるのかもねー。一杯やりながらさ!』

 

 きゃははと笑うピクシーに、十六夜は役に立たん、と首を竦めた。

 

「まあいい。白夜叉みたいに何かされたって訳じゃないなら、後から来るだろ。……後は〝サラマンドラ〟の連中だな。観客席の方に飛んで行ったんだっけか」

 

「では黒ウサギがサンドラ様を探しにいきます! その間は十六夜さんとレティシア様の二人で魔王に備えてください──」

 

 そう言うと、黒ウサギはジンたちの方へ視線を向ける。

 

「──ジン坊ちゃんたちは白夜叉様のところへ! 〝契約書類(ギアスロール)〟には白夜叉様がゲームマスターと指定されておりました。それが何の意味をするのか調べる必要があります!」

 

「分かった!」

 

 レティシアとジンが頷くが、飛鳥は不満そうな表情を見せた。今回のゲームでもメインの敵に相対出来ないことが不満なのだが、己の実力では危険なことも分かっている。そんな飛鳥の表情を勘違いしたのか、コダマが元気付けるように声を掛ける。

 

『大丈夫だよ! アスカおねえちゃんはボクが守るから、安心してね!』

 

「……ええ、ありがとう」

 

 文句を言っている場合ではないと、苦笑と共に愚痴を飲み込んだ。

 

「──お待ちください」

 

 一同が声の方に振り向くと、そこには〝ウィル・オ・ウィスプ〟一同がいた。ジャックは礼儀正しく一礼すると、助力を名乗り出る。

 

「おおよその話はわかりました。魔王を迎え撃つというのならば、我々も協力しましょう。いいですね、アーシャ」

 

「う、うん……頑張る」

 

 前触れなく魔王のゲームに巻き込まれたとはいえ、誇りある〝ウィル・オ・ウィスプ〟の一員である。アーシャは緊張しながらも承諾した。

 

「ではお二人は黒ウサギと共にサンドラ様を探し、指示を仰ぎましょう!」

 

 一同は視線を交わして頷き合い、各々の役目に向かって散開する。十六夜とレティシアが魔王へ向かった瞬間、逃げ惑う観客が悲鳴を上げた。

 

「──見ろ! 魔王が降りてくるぞ!」

 

 上空に見える人影が落下してくる。十六夜はそれを見て、レティシアへ振り返って叫ぶ。

 

「黒い奴と白い奴は俺が、デカイのと小さいのは任せた!」

 

「了解した、主殿」

 

 レティシアが単調に返事をしたのを聞くと、十六夜は嬉々として身体を伏せ、舞台会場を砕く勢いで人影に向かって跳躍した。

 

 

    *

 

 

 十六夜とヴェーザーが激突し、レティシアが巨兵と少女を相手にしている頃。

 

 大祭運営本陣営、バルコニーに通じる通路の前で飛鳥たちは立ち往生していた。吹き飛ばされた時と同じ黒い風が、彼女たちの侵入を阻む。

 

『うひゃ~! 変な風~! これじゃあボクでも近付けないや』

 

『へえ、何これ? なんだか面白いわね?』

 

「白夜叉! 中の状況はどうなってるの!?」

 

 はしゃぐ悪魔たちを他所に、バルコニー入り口扉に向かって飛鳥は叫ぶ。白夜叉はなんとか無事のようで、返事の声を張り上げる。

 

「分からん! だが行動が封じられておる! 〝契約書類(ギアスロール)〟には何か書いておらんか!?」

 

 ジンが慌てて黒い〝契約書類(ギアスロール)〟を取り出すと、書面の文字が変形して新たな文面を生み出す。飛鳥は舞い上がる髪を抑えながら、必死に羊皮紙を読み上げた。

 

「〝ゲーム参戦諸事項〟……!? 〝ゲームマスターの参戦条件がクリアされていない〟──これだわ! けれど、参戦条件が何も記述されていないの!」

 

 白夜叉は大きく舌打ちした。彼女の知る限り、星霊を封印できる方法は限られている。白夜叉は己を、そして彼女たちを救うため、続けて叫ぶ。

 

「よいかおんしら! 今から言うことを一字一句違えずに黒ウサギに伝えるのだ──」

 

 間違えることは許さないと、不手際はそのまま参加者全員の命に関わると、普段の白夜叉からは考えられない緊迫した声に、一同はそれだけの非常事態なのだと察する。

 

「──第一に、このゲームはルール作成段階で故意に説明不備を行っている可能性がある!」

 

 一部の魔王が使う一手であり、最悪の場合クリア方法が存在しない卑劣なルールを仕組まれている場合があるという。その最悪の可能性に飛鳥たちは息を呑んだ。

 

「──第二に、この魔王は新興のコミュニティの可能性が高い事を伝えるのだ!」

 

 飛鳥は声を張り上げて返事をする。そして白夜叉は続けて、

 

「第三に、私を封印した方法は恐らく──」

 

「──はぁい、そこまでよ♪」

 

 ハッ、と白夜叉はバルコニーに振り返る。そこにはラッテンが三匹の直立する火蜥蜴を連れ立っていた。火蜥蜴たちは目を血走らせ、灼熱の息吹を乱れさせながらラッテンに従っている。

 

「そうなってしまっては、最強のフロアマスターも形無しねぇ!」

 

「魔王の一味……それに〝サラマンドラ〟の同士!? 一体これはどういう──」

 

 ジンが驚愕し、疑問を口にする。それを聞いたラッテンは妖しく微笑み、笛を指揮棒のように掲げる。

 

「あら、誰かいるのかしら? その疑問については──こういうこと(・・・・・・)、よ!」

 

 笛を振るうと、扉を突き破って火蜥蜴たちが飛鳥たちに襲い掛かる。思わず悲鳴を上げる飛鳥を、耀とコダマが庇う。

 

「──飛鳥!」

 

『──おねえちゃん!』

 

 耀は鷲獅子(グリフォン)のギフトを、コダマは風を操り、火蜥蜴たちを吹き飛ばす。彼らは操られているだけであり、罪無き彼らを傷付ける訳にはいかない。しかし手加減している余裕はなく、両者とも全力で力を発揮する。

 

「あら、今の力……グリフォンか何かかしら? それにもう一方は……何だか珍妙な精霊ねえ。まぁいいわ。女の子の方は気に入ったし、まとめて私の駒にしましょう!」

 

 嬉々とした声を上げるラッテンを無視し、耀は二人を抱えて廊下に飛び去る。ラッテンは一同を追わず、艶美な笑みを浮かべると、笛に息を吹き込んだ。

 

──宮殿内に、魔笛が響く。

 

 甘く誘うようなその響きは、人より遥かに優れた感覚を持つ耀に絶大な効果があった。歯噛みして耐えようとする耀だが、それを無視して筋肉と意識が弛緩して行く。

 

「あ……駄目だ、これ……!」

 

『うわ~! いや~な音! 聞いてられないよ!』

 

 コダマはその響きに悶えているが、特に効いている様子は無かった。しかし両者とも風を操れなくなり、旋風が止む。耀は腰が砕けたようにガクガクと揺れながら、渾身の力で叫ぶ。

 

「アイツが来る……みんな、逃げて……!」

 

「で、でも……!」

 

 同士を見捨てて逃げるわけには行かないと、表情を強張らせるジン。飛鳥は状況を冷静に判断し、残酷な決断を下す。

 

「ジン君……先に謝っておくわ。ごめんなさい」

 

「は、はい?」

 

 戸惑うジンを意図的に無視して、飛鳥は一瞬だけ哀しい顔を見せると──

 

「コミュニティのリーダーとして──春日部さんを連れて(・・・・・・・・・)黒ウサギの元へ行きなさい(・・・・・・・・・・・・)

 

「──わかりました」

 

──同士の心を支配した。ジンの瞳からは意思の色が消え、耀に肩を貸して去って行く。

 

「ピクシー、春日部さんたちを守ってあげて」

 

『……ま、いいわ。サポート役の契約は、まだ継続中にしておいてあげる』

 

 ピクシーはつまらなそうに頷くと、ジンたちの後を追って行った。その場には飛鳥と、まだコダマが残っていた。

 

「コダマ君も、危ないからみんなと一緒に──」

 

『──やだ!』

 

 強い拒絶の言葉に、飛鳥は狼狽えるが何とか言い聞かせようとする。

 

「駄目よ! お願いだから──」

 

『絶対やだ!』

 

「……っ! いいから、下がりなさい(・・・・・・)ッ!」

 

 強情なコダマに思わずギフトを使ってしまう飛鳥。しかし、

 

絶対に絶対にやだーっ(・・・・・・・・・・)!!』

 

「──えっ!?」

 

 コダマの意思が、それを跳ね除けた。一瞬の淀みなく答えるそれを聞き、ギフトが全く通じなかった事に飛鳥は混乱する。

 

 しかし状況は待ってくれない。飛鳥の背後にラッテンが姿を現した。一同の数が減っていることに目を丸くする。

 

「……あらら? 貴女たちだけ? お仲間は?」

 

「私たちに任せて先に逃げたわ。貴女程度の三流悪魔、私たちだけで十分ですって」

 

 焦りの心境を隠し、飛鳥は胸を張ってラッテンに対峙する。しかしラッテンはその心中を見抜き、飛鳥が仲間たちのために一人残り、コダマが逃げようとしなかったことを察する。

 

「ふぅん……それは半分嘘ね。貴女の瞳は背負わされた人間の瞳じゃない。自ら背負った人間の瞳よ──」

 

 そのようないい人材は凄く好みだと、ケラケラと笑う。その隙に飛鳥は敵の装備を把握し、笛以外の武器を持っていないことを確認した。

 

──〝ネズミ捕り道化(ラッテンフェンガー)〟の伝承通りの存在なら、人とネズミ以外の種への強制力は小さい筈。

 

 同じ条件なら己の支配が勝るだろうと飛鳥は推測し、緊張をほぐすように深呼吸して吐息を整える。ラッテンは油断しており、先手必勝の絶好の機会だった。手の中にギフトカードを持ち、飛鳥は大きく叫ぶ。

 

「全員──そこを動くなッ(・・・・・・・)!!!」

 

 突然の大声に、唖然となるラッテン。しかしその直後、火蜥蜴諸共ラッテンまで拘束する。その千載一遇の機会を逃さず、飛鳥は破邪の銀の剣をギフトカードから取り出した。そのまま一足飛びで敵の懐に潜り込み、心臓を狙う一突きを繰り出して──

 

「──っ! この、甘いわ小娘!!」

 

 圧倒的な後手を取ったラッテンは紙一重の所で拘束を解き、その切っ先をギリギリで避ける。攻撃を繰り出した姿勢のまま飛鳥は踏鞴を踏み、そのままラッテンの反撃を──

 

『ボクを忘れるな~っ!!』

 

「──ぶっ!?」

 

 風を纏い、錐揉みで突っ込むコダマが、ラッテンの顔面に直撃した。

 

「こ、この精霊風情が……!」

 

『うわっ! 離せよ~!』

 

 しかしコダマの攻撃は致命傷にならず、逆上したラッテンにその身を掴まれる。逃げ出そうとビチビチと魚のようにもがくが、悪魔としての格が違う。逃げ出すことは叶わない。

 

「コダマ君を離しなさ──きゃっ!」

 

 慌てて体勢を整えた飛鳥が再び切っ先をラッテンに向けるが、容易くそれは振り払われ、飛鳥は地面に弾き飛ばされた。青筋を浮かばせたラッテンは、己の手の中のコダマに低い声を掛ける。

 

「ったく、よくも私の顔に突っ込んできてくれたわねぇ! これはお礼をしなくちゃいけないかしらぁ……?」

 

『うわああああぁぁぁぁ! いたいいたいいたい……!』

 

 ラッテンはコダマの身体の中心を両手で握ると、布を引き絞るように力を込める。コダマが激痛に身を捩らせて暴れるが、その体からみちみちと絶望的な音が響く。

 

「ケホッ……! や、止めなさい……!」

 

 胸を打った飛鳥は声をうまく出すことができず、ギフトを使えない。使えたとしても、ラッテンからコダマを取り戻すことは叶わない。十六夜や耀とは違い、その身はただの人間──何の力もない、少女のものなのだから。

 

「ほらほら、遠慮しなくていいのよ? 思う存分叫びなさいな!」

 

『ああああああああああぁぁぁぁぁぁっ……!!』

 

「──止めろッ(・・・・)!!」

 

 飛鳥が無理やり吐いた渾身の言霊に、ラッテンは一瞬だけ動きを止める、が──

 

「──止めなぁい♪」

 

 

 そう朗らかに笑うと──コダマの身体を、ぶちりと思い切り引き千切った。

 

 

『──あ、』

 

 投げ捨てられたコダマの上半身が、飛鳥の目の前にべちゃりと叩きつけられる。断面からは血のような赤い靄を撒き散らし、しかしブルブルと震えながらコダマは飛鳥に声を掛ける。

 

『──お、ねい……ちゃん……逃げ、』

 

 ぐちゃ、とラッテンのヒールがコダマの頭を踏み潰した。コダマは死体も残らず、赤い靄に姿を変え、そして消えて行った。

 

「──そん、な」

 

 飛鳥の思考が真っ白になる。短い間だったとはいえ、目の前で心通わせた存在が死に絶えたことに動揺する。その様をラッテンは盛大に嘲笑した。

 

「あっははははははははっ! 弱い癖に出しゃばるからこうなるのよ! そして貴女……出会い頭に悪魔を拘束しようなんて、いい度胸してるじゃない……!」

 

 屈辱に表情を歪ませたラッテンが、飛鳥の元へゆっくりと歩み寄る。飛鳥はコダマが消えた場所から目が離せぬまま、動こうとしない。

 

 

 己の領分を弁えず、あろうことか仲間を死なせた少女は、そして──



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人修羅は何かを企んでいるそうですよ?

 ラッテンは地べたに這い蹲る飛鳥を蹴飛ばそうと近寄り──己に忍び寄る死の気配を感じ取る。

 

「────ッ!?」

 

 全力で引き下がり──そのすぐ目の前を眩い光弾が過ぎ去った。その光弾は真っ直ぐ突き進んで、拍子抜けするほど軽い音を立てながら宮殿に風穴を開ける。その穴に破壊の余波は無く、触れたもの全てを消し飛ばす恐ろしいほどの威力が込められていたことを物語っていた。

 

 一歩間違えれば頭が無くなっていた。ラッテンは血の気が引き、光弾が飛んできた方を振り返る。

 

 そこには──片手を広げ、掌を向けたシンの姿があった。

 

 身体中に黒の刺青と翠のラインが光り、ラッテンを紅い瞳が見つめている。その身に宿るおぞましい死の気配に、ラッテンは直感的に目の前の者が〝人修羅〟だと悟る。

 

「あらぁ……遅かったじゃないの。つい先程一匹楽にしてあげた所だけど……貴方も楽しんでみる?」

 

 答えは無く、無表情な視線が貫くのみ。それを不気味に思うも、ラッテンは先手必勝とばかりに笛に口付ける。

 

「そう釣れない態度じゃなくて……もっと楽しくいきましょうよ──」

 

 魔笛が再び甘美なる音色を響かせる。その音はシンの鼓膜に響き──当然、何の効果も齎さなかった。事前情報通り、そう簡単に行かない存在だと確かめる。

 

「……そう、やっぱり効かないわけね。全く、この〝ノーネーム〟は一体どうなっ──ガ、」

 

 首を竦めるラッテンの顔面を、いつの間にか目に前にいたシンが鷲掴みにする。つまらないものを見るような表情で、そのままラッテンを吊り上げる。

 

「ぐ──や、やめ……あああああぁぁぁっ!?」

 

 メキメキと、その手に力を込めて行く。頭蓋の軋む音を聞きながら、ラッテンは己の頭が歪んでいくのをじわじわと畏怖とともに感じ取る。ラッテンは必死にシンを蹴りつけるが、揺るぎもせずシンは力を込め続ける。

 

 ぼんやりと悲鳴を聞き流していたシンは、ポツリと呟く。

 

「お前は……どれ(・・)だったかな? 少なくとも魔王ではないな」

 

 その疑問に、一筋の光明を見たラッテンは苦痛に悶えながらも必死に答える。

 

「うう……そ、そうよ! まだゲームのクリア条件は整っていない! あぐっ……! ここで私を殺せば、そのヒントも失われて、」

 

「そうか。じゃあヒントを言え」

 

「…………っ!」

 

 そうあっさりと問われ、流石に言い淀むラッテン。だがそれは悪手だった。躊躇なくシンは廊下にラッテンの頭を叩き込む。後頭部が廊下の壁を砕き、その頭をめり込ませる。

 

「────ガッ!?」

 

「言え」

 

 そのまま、がつんがつんと何度も繰り返し、壁に叩きつける。しかしラッテンも悪魔故に、その程度では対したダメージにならない。それでも、全く温度の感じられないシンの言動にじわじわと恐怖に蝕まれていく。

 

 あまり効果がないことに気が付いたシンは叩きつけるのを止め、その掌に魔力を込め始める。ラッテンは攻撃が止んだことに安堵する間も無く、顔面を焼く高熱に絶叫を上げる。

 

「ぎ……ぎゃあああああぁぁぁぁっ!?」

 

「言え」

 

 シンの腕を掻き毟り、その体に必死に蹴りを入れるが全くダメージが通らず、微動だにしない。ただ情報を求めて掌の魔力を強めるのみ。マグマを超える熱量がラッテンの顔面を焼き、気が狂いそうな程の激痛を与える。

 

 ラッテンの顔からはぶすぶすとドス黒い煙が上がり、暴れていた手足は徐々に痙攣し始める。悲鳴は徐々に力を失い呻き声になっていき、意識を薄れさせていく。

 

「……やり過ぎたか」

 

 シンはラッテンが気絶しかけていることを悟ると、別種の力を掌に込める。シンの手とラッテンの顔の間から眩い光が漏れ──シンがその手を退けると、そこには傷一つ無いラッテンの顔があった。

 

「ハァ……ハァ……え? ……え?」

 

 顔に手を当て、何の異常も無いことに混乱するラッテン。だが再び伸ばされたシンの手に怯え、慌てて引き下がる。

 

「ひぃっ……! い、いや……!」

 

「……やはり拷問は難しいな」

 

 溜息をつき、逃げるラッテンをゆっくりと追うシン。その瞳には依然として何の感情も浮かんでおらず、まるでゴミ掃除でもしているかのように淡々とした表情を浮かべている。

 

 ラッテンを追う途中、シンは地面に座り込む飛鳥の側を通り掛かり、

 

「……どうして?」

 

 その言葉に足を止めた。

 

 ゆらりと視線を向けると、飛鳥は滔々とシンに疑問を投げ掛ける。

 

「どうして……もっと早く来てくれなかったの?」

 

「…………」

 

 シンは沈黙で返すが、飛鳥は構わず続けて問い掛ける。

 

「……コダマ君が死んだわ」

 

「……だからどうした。あの程度の悪魔ならまだ代わりはいる」

 

 そう無感情に返すと、飛鳥は怒りに表情を歪めてシンに掴みかかってきた。

 

「何よその言い方……! そもそも貴方が……貴方がもっと早く来てくれたら……!」

 

 仲魔が死んだというのに、その非情な態度に飛鳥は激昂する。シンのパーカーの裾を握り締め、怒りに身を震わせている。しかしシンは全く動じず、ある事実を告げる。

 

「……コダマはある契約をしていた。お前を守るという契約をな」

 

「──え?」

 

 思いも寄らない事実を告げられ、目を丸くした飛鳥の思考は一瞬止まる。シンは淡々と言葉を続ける。

 

「〝命に代えても久遠飛鳥を守護する〟──そう俺と契約したからこそ、あの程度の悪魔をわざわざ召喚したままにしていた」

 

「何、よ。それ──」

 

 何でそんなことを、と呆然と呟く飛鳥。シンは首を竦めた。

 

「さあな。悪魔は気紛れだ。気紛れに人を襲い、気紛れに人を守り、気紛れに命を奪い、気紛れに命を犠牲にする。今回は、たまたまそれがお前を守ることだったんだろう」

 

 それならば、飛鳥のギフトが通用しなかったのは──

 

「悪魔にとって契約は絶対だ。それを覆すのは容易ではないし、それに反する命令は聞かない。当然、お前程度の言霊では叶うはずもない」

 

 それはつまり、

 

「……身の程を弁えていれば、コダマが死ぬこともなかった。あいつが死んだのは、お前が自ら死ぬ可能性のある状況に身を置いたからだ」

 

「──そん、な」

 

 コダマが死んだのは、飛鳥のせいに他ならなかった。

 

 その事を、シンは一切の躊躇なく突きつける。飛鳥は崩れ落ち、まるで寒さに凍えるように己を抱き締めて震える。顔色を蒼白に染めて唇を震わせながら、ごめんなさい、とうわ言のように呟いた。

 

「……何にせよ、あいつは契約を果たした。それだけだ」

 

 己の罪に震える飛鳥を残し、シンはバルコニーに出た。既にラッテンは居らず、代わりに辺り一帯を魔笛が響き渡っている。参加者たちは暴徒と化して同士討ちや破壊活動を始めている。しかし、シンはそんな光景に目もくれず、獲物を探して辺りを見渡す。

 

 魔笛はその発生源を特定させないように奇妙に響いているが、シンはその位置をすぐに特定した。腕を曲げ、その身を屈めて魔力を滾らせると黄金に輝き始め、漏れ出た破壊エネルギーが火花を伴って迸る。

 

「……面倒になってきたな。この(・・)程度で死んでくれるなよ」

 

 愚痴を吐きながら、無数の魔弾を放とうといざ力を解放し──

 

 

「──そこまでですッ!!」

 

 

 激しい雷鳴が鳴り響き、魔笛の旋律を掻き消した。

 

 シンはその力を滾らせたまま、空を見上げる。幾度となく発せられる雷の根元には〝擬似神格・金剛杵(ヴァジュラ・レプリカ)〟を掲げた黒ウサギがいた。その輝く三叉の金剛杵を突き付けるように、黒ウサギは高らかに宣言する。

 

「〝審判権限(ジャッジマスター)〟の発動が受理されました! これよりギフトゲーム〝The PIED PIPER of HAMELIN〟は一時中断し、審議決議を執り行います! プレイヤー側、ホスト側は共に交戦を中止し、速やかに交渉テーブルの準備に移行してください──」

 

 それを聞いて、シンはゆっくりと力を収める。宮殿側を見渡すと、黒い球体に身を包まれながらもシンを睨めつける白夜叉に、廊下の隅で蹲っている飛鳥の姿が見えた。

 

 溜め息を付くと、飛鳥を回収するために歩き出したのだった。

 

 

    *

 

 

 境界壁・舞台区画。大祭運営本陣営、その大広間。〝ノーネーム〟を始めとする参加者たちが集められ、負傷者もいる中、同士の無事を確認した黒ウサギとジンは安堵の息を漏らす。

 

「十六夜さん、ご無事でしたか!?」

 

「こっちは問題ない。……他はどうだ?」

 

「耀さんとレティシアさんは満身創痍です……それに、飛鳥さんは……」

 

 ジンは苦悶の表情で背後へ振り返る。十六夜が視線を向けると、飛鳥を荷物のように担いだシンが歩いてくる所だった。ぞんざいに扱われている飛鳥を見て、十六夜は目を丸くする。

 

「おいおい、お嬢様はもっと優しくだな……」

 

 シンはその声を無視し、端的に被害状況を告げる。

 

「──コダマが死んだ。そいつはブツブツと泣き言が五月蝿かったから眠らせておいた(ドルミナーを掛けた)。怪我は無い」

 

「……っ! ……そうか」

 

 十六夜自身はあまり関わりが無かったが、それでも同士に変わりはない。一瞬驚愕し、やがて目を伏せる。だが、シンの表情に何の感情も浮かんでいないのを見て、首を竦めた。

 

「仲魔をみすみす死なせたことを怒っている……訳じゃなさそうだな。何か心配事か?」

 

「この強制中断だが……下手をすれば、このまま敗北するぞ」

 

「──なんだと?」

 

 十六夜たちが驚愕に目を見開く。狼狽した黒ウサギが慌てて口を挟む。

 

「し、しかしジン坊ちゃんから受け取った伝言では、ルールに不備がある可能性があるとのことでした。真偽はともかく、ゲームマスターに指定された白夜叉様に異議申し立てがある以上、〝主催者(ホスト)〟と〝参加者(プレイヤー)〟でルールに不備が無いかを考察せねばなりません──」

 

 一度始まったゲームを強制中断出来るため、奇襲を仕掛けて来ることが常套手段である魔王への対抗手段として、この権限が存在する側面もある。そう説明する黒ウサギだが、シンは首を振る。

 

「無条件でゲームの仕切り直しができる、強力な権限だ。だからこそ、もし逆にこちらの分が悪ければ最悪のペナルティが発生しうる」

 

「シンさんは──このゲームに不備は無いと?」

 

「〝審判権限(ジャッジマスター)〟を持つ黒ウサギの参加は前日決まったものだ。そして新興の可能性がある魔王のコミュニティ。故にルールの不備を潰している可能性は低いが──していないとも限らない」

 

 半ば確信したように言うシンに、十六夜は眉を顰めた。

 

「……まだそうと決まったわけじゃねえだろ」

 

「だが相手が舌戦や謀り事の得意な魔王ならば、ゲームはここで終わりかもしれない──だからこそ、」

 

 そう言って、シンは呆然とするジンをギロリと睨みつける。睨まれたジンはビクリと震えるが、シンの言わんとする所を察して真摯に見つめ返す。

 

「……ゲームの勝敗は交渉にかかっている。上手くやってみせろ」

 

 その言葉に、ジンはゆっくりと頷いた。

 

 その直後、大広間の扉が開く。入ってきたのはサンドラとマンドラの二人だった。サンドラは緊張した面持ちのまま、参加者に告げる。

 

「これより魔王との審議決議に向かいます。同行者は四名──」

 

 まずは〝箱庭の貴族〟黒ウサギ。もう一人は、〝サラマンドラ〟からマンドラ。その他に、〝ハーメルンの笛吹き〟に詳しい者がいれば名乗り出て欲しいと要請する。

 

 童話について詳しい者は少なく、参加者たちにはどよめきが広がる。そんな中、ジンは自ら進み出て厳かに挙手をする。

 

「──〝ハーメルンの笛吹き〟の童話についてなら、この〝ノーネーム〟のジン=ラッセルが立候補させていただきます」

 

 ジンが立候補するとは思わなかったのか、十六夜は目を丸くした。しかし嬉しそうにニヤリと笑い、その背中をバシリと叩くと自らも立候補する。

 

「同じく、〝ノーネーム〟の逆廻十六夜が立候補する! この件で〝サラマンドラ〟に貢献できるのは、俺たち〝ノーネーム〟を措いて他にいないぜ!」

 

 きょとん、とした表情を向けるサンドラだが、すぐに頭を振って真剣な表情に戻す。

 

「他に申し出がなければ、〝ノーネーム〟の二名にお願いしますが、よろしいか?」

 

 サンドラの決定に再びどよめく参加者たち。〝ノーネーム〟が自分たちの命運を決める交渉テーブルに着くのが不安なのか、ざわめきが広がるが立候補者は現れない。ジンは少し不安そうに俯くが、奥歯を噛み締めてキッ、と前を見据える。

 

 そうして一歩踏み出そうとすると、十六夜がここぞとばかりにジンを担ぎ上げた。途端に周囲の視線が集まってやや驚くが、十六夜は不敵な笑みでジンを賞賛する。

 

「滅茶苦茶カッコよかったぜ、リーダー(・・・・)。この調子で名を挙げてやろうじゃねえか!」

 

「は、はい……!」

 

 そうして歩き去ろうとする二人に、シンは後ろから声を掛ける。

 

「──俺ができるのは破壊と殺戮のみだ。交渉はお前たちに頼んだぞ(・・・・)

 

 そう言って、シンは飛鳥を担いだまま歩き去って行った。その言葉を聞いて、ジンと十六夜は前を見据えたまま不敵に笑う。──まるで、兄弟のように。

 

「──『頼んだぞ』、だとよ」

 

「──頼まれたからには、仕方ありませんね」

 

 シンから送られた初めての言葉に、嬉しさを隠そうともせず歩みを進める二人だった。

 

 

    *

 

 

『あらあら、なかなかいいセリフを言うじゃない。……本当は、そんなこと思ってもいないくせに』

 

 飛鳥を放り込む部屋を探し歩くシンの隣に、ピクシーがどこからともなく現れた。ピクシーは心底おかしそうに笑いながら、先程のシンの言葉を揶揄する。

 

「嘘は言っていない。このゲームが奴ら次第なのは確かだ」

 

『でも肝心の魔王は交渉能力ダメダメなんでしょ? なら別に、適当にやったって勝てるわよ』

 

「可能性は出来るだけ排除する。それに、その程度交渉を始めればすぐ見抜けるだろう」

 

 シンはこのゲームに関する全ての情報を得ている。当然、こちらの動きに関しては未知数だが、魔王が交渉を苦手としていることくらいは把握している。それでも万が一に備え、二人に発破をかけたのだ。

 

『ふーん。ま、いいけど……ああそうそう、ヨウは予定通りもう感染(・・)してるわよ。アスカの霊格なら多分大丈夫だと思うけど、感染させたくないならあっちの部屋にしてよ』

 

 シンはゆっくりと頷くと、ピクシーが指し示す方向へ歩を進める。それについて行きながら、ピクシーはくすくす笑って口を挟む。

 

『ねえねえ、本当にやるつもり? もしかしたらヨウ、死んじゃうかもよ?』

 

「可能性は低いはずだ。何か不都合があるのか?」

 

『まさか。サポート役はもう終わってるし、むしろ楽しみなくらいよ。あたし、見たことないからね』

 

 敢えて明言を避け、何事かを相談する二人。しかしピクシーは楽しそうに、対照的にシンは無表情に、言葉を交わしていた。

 

 廊下の奥へ消えていく悪魔たち。

 

 魔王との交渉へ挑む参加者たちの裏で、〝ノーネーム〟の運命は──今宵より捻じ曲がろうとしていた。



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お嬢様にスカウトがきたそうですよ?

 貴賓室にて〝主催者(ホスト)〟と〝参加者(プレイヤー)〟たちによる審議決議が行われている頃、飛鳥は個室で一人眠っていた。

 

 シンによる眠りの術(ドルミナー)は解かれているが、心身共に疲労した為にそのまま深い眠りについている。しかし悪夢でも見ているのか冷や汗を流し、その眉間には皺が寄っていた。

 

 息を荒げ、何度も寝返りをうちながら、悪夢から逃れようともがいている。

 

「コダマ君……」

 

 その唇からぽつりと、寝言が漏れた。しかしこの部屋にいるのは飛鳥一人。故に返答は──

 

 

『──呼んだ? おねえちゃん』

 

 

──あった。

 

 飛鳥の頭上付近、寝顔を覗き込むように浮かんでいたのは、紛れもなく死亡したはずの地霊コダマだった。ケタケタと笑いながら、飛鳥の上でくるくると宙を泳いでいる。

 

 そして、飛鳥から赤い靄がじわじわと吸い出され、コダマに引き寄せられていく。

 

『ああ~おいしいな~! アスカおねえちゃんのマガツヒおいし~!』

 

──コダマは、飛鳥のマガツヒを貪っていた。

 

 己のせいでコダマが死んだことによる深い後悔、無念、自己嫌悪などが多くのマガツヒを生み出し、コダマはそれを吸い上げる。まるで大好きなお菓子を食べる子供のように、慕っていた筈の飛鳥のマガツヒを無邪気に啜っている。

 

 負の感情が吸われたことで、飛鳥の表情は和らいでいた。だが、一時的なものでしかない。目覚めたのちに再び思い悩めば元の木阿弥であろう。とはいえ、立ち直る為の切っ掛けにはなりうる。飛鳥程の精神力の持ち主ならば、きっと立ち直れる筈だった。

 

『あ~、おいしかった! あんまり吸うと怒られるし、これくらいにしようっと』

 

 十分にマガツヒを吸ったコダマは、やがて吸うのをやめて飛鳥から離れる。飛鳥の寝顔を眺めながら、くすくす笑いながら部屋を出ていく。

 

『じゃあね~、おねえちゃん。もっと強くなったらまた会おうね~』

 

 そうして、興味を失ったかのように去って行った。

 

 後に残されたのは、静かに寝息を立てる飛鳥のみ。ギフトゲームは交渉によってルールが変更され、参加者たちは余命八日間が宣告される。しかし今はただ、飛鳥は何も知らぬまま心身を休ませる。

 

──その姿を、青白い三つの影が窓から覗いていた。

 

 

    *

 

 

 ギフトゲーム〝The PIED PIPER of HAMELIN〟は一週間の休止期間に入った。

 

 ゲーム再開から二十四時間以内にゲームがクリアされない限り、自動的に魔王陣営の勝利となる。参加者はそれまでにゲームの謎を解くために頭を悩ませ、そしてじわじわと発症していく黒死病めいた呪いに怯えていた。

 

 そして斑模様の少女──魔王ペストとその一行は無人となった街を進み、境界壁の展示場を目指していた。彼女らはゲーム再開まですることはない。一週間という空いた時間を、美術品を愛でて過ごそうというのだ。

 

 冷めたような表情で歩を進めるペスト、その後ろにヴェーザーが付き、最後尾を暗い表情を見せるラッテンがふらふらとついてきていた。

 

「……おい、ラッテン。結局〝ラッテンフェンガー〟の偽物は見つかったのか?」

 

 ヴェーザーが声を掛けるも、ラッテンは俯いて返事をしない。舌打ちをし、苛立ったように声を荒げるヴェーザー。

 

「おい、ラッテン!」

 

「……あ、え? な、何?」

 

 そこで初めて気が付いたように、ラッテンは顔を上げた。ヴェーザーは再び舌打ちをすると、先程の質問を繰り返す。ラッテンは慌てて頷き、答えた。

 

「う、ううん、全然。ネズミ共が何か見つけたみたいだったけど、取り逃がしたみたい──」

 

「──どういうつもりだテメエ。さっきから様子がおかしいぞ」

 

 審議決議のために集合してから、ラッテンはずっと態度が怪しかった。何かに怯えるようにそわそわと辺りを見回し、参加者一同が大広間に入って来た時はびくりと震える始末。ヴェーザーは訝しむようにラッテンを睨み付ける。

 

「審議決議の時も再開日をやけに一ヶ月先に拘っていたが、怖気付いたのか?」

 

「…………」

 

 ラッテンは答えない。俯き、暫し黙り込む。ヴェーザーはそれを睨み、ペストは歩を止めて彼らを無表情に眺めていた。

 

 十分な時間が経過して、ようやくラッテンは重い口を開く。

 

「……〝人修羅〟に会ったわ」

 

 それを聞いたヴェーザーは、納得したとばかりに溜息を着く。

 

「成る程、痛い目でも見たか。ならお前はゲームが始まったら後方に──」

 

「──あれは、無理よ」

 

 ラッテンは弱々しく、しかし確実な意思を持って断言する。ヴェーザーは長年連れ添った相方の珍しい姿に、目を丸くする。

 

「次元が違うのよ。私のことを虫ケラか何かとしか思っていなかった。必死に殺されないように誘導したけど、それでも一歩間違えてたらそのまま殺されていたような拷問を受けたわ」

 

 その身を捩るような激痛を、思い出すかのように片手で顔を覆う。身体を震わせながら、ラッテンは続ける。

 

「まるで確かめるように私を甚振って──死にかけたら回復するのよ。それで私が逃げても、いつでも殺せると言わんばかりに見逃す。……もし黒ウサギがゲームを中断していなかったら、私はここに居たかしらね」

 

 ラッテンの話を聞き、ヴェーザーは静かに冷や汗を流す。直接戦闘向きではないとはいえ、魔王陣営の悪魔がここまで追い詰められようとは思ってもいなかったのだ。

 

「……そこまでの存在か?」

 

「少なくとも私じゃ無理。次に遭遇したら全力で逃げるわ」

 

 軽口を叩くように首を竦めるが、その手は震えていた。ヴェーザーは表情を険しくすると、ペストへ顔を向ける。

 

「……再開日を短縮するのは悪手だったかもな。いや、どのみち奴は悪魔だから呪いは効かねえか。もし他の連中が全滅しようと、全力で俺たちを殺しにかかってくるだけだろうよ」

 

 そう、絶望的な予測を主に告げる。しかしペストは少し眉を顰めたのみだった。

 

「落ち着きなさい。逆に言えば、そいつをどうにかすれば私たちの勝ちは揺るぎないということでしょう」

 

 〝黒死斑の魔王(ブラック・パーチャー)〟は傲慢に──しかし毅然として言い放つ。

 

「まだ手札はあるわ。よしんばそれが敵わなかったとしても、最悪時間まで逃げ切れば私たちの勝ちよ。……逃げに回るのは癪だけどね」

 

 しかしそうなれば、コミュニティは〝人修羅〟を手に入れることができる。もし他の人材が全滅したとしても、それを補って余りある程の最強にして最高の人材だろう。

 

 ペストは振り返ると、二人を促す。

 

「残り時間、美術品でも眺めながら〝人修羅〟対策を考えましょう。お勧めの美術品があるんでしょう?」

 

 そう言って歩き出すペスト。その背を眺め、ヴェーザーとラッテンは顔を見合わせると不敵に笑った。今の主もなかなかの逸材だと、忠誠心を密かに燃え上がらせる。

 

「そーなんですよーマスター♪ 特にある空洞に飾られた刀剣の数々がこれまた素晴らしい出来でして!」

 

 表情を一転させ、白装束の尾ひれを揺らしながら嬉々としてペストに話しかけるラッテン。それにヴェーザーは苦笑すると、二人の後についていく。

 

 展示場に入り、道中の美術品を物色しながら三人は進む。ラッテンは先行し、目をつけていた美術品を探し求めて歩き回り──見つからないまま、時間が過ぎていく。

 

「あ、あらあら……おかしいわねえ、確かにこの展示場だと思ったのだけれど」

 

 ペストとヴェーザーは疑わしいものを見るように、ラッテンをジト目で睨みつけている。冷や汗をダラダラと流し、ラッテンは慌てて言い訳を始める。

 

「確かにこの展示場だったのよ! 奥の方に和風の飾り付けがされてあって、壁に刀剣類が並んでいて……そ、そうだわ、確か〝ラッテンフェンガー〟の偽物が出展していた筈──」

 

 前半を首を竦めながら聞き流していたヴェーザーだったが、後半の話を聞いてピクリと反応する。ペストもその出展物には警戒していたのだ。

 

「……聞くが、その刀剣類を展示していたのはどこのコミュニティだ?」

 

「ええと、確か──」

 

 ラッテンは口元に指を寄せ、その名を思い出す。コミュニティ〝ラッテンフェンガー〟が共同でギフトを制作し、出展していたそのコミュニティ。

 

 その名を静かに二人に告げた。

 

 

「──コミュニティ〝ヤタガラス(・・・・・)〟……だったかしら」

 

 

    *

 

 

「──私は、後方支援に回れですって?」

 

 境界壁・舞台区画。大祭運営本陣営、飛鳥が居た部屋。

 

 既に目覚めていた飛鳥は、訪ねてきたジンと十六夜の言葉に表情を歪ませる。二人は魔王とその側近は十六夜やレティシア、サンドラに黒ウサギが対応することとし、飛鳥はジンと他の参加者と共に謎解きに回るよう告げたのだ。

 

「その理由は、お嬢様が一番よくわかってると思うけどな」

 

 十六夜は一切茶化さず、真剣な表情で飛鳥と向かい合う。その言葉と視線に飛鳥はぐっと言葉をつぐみ、やや俯く。ラッテンに全く敵わず、コダマを死なせてしまった己に何が言えるのかと、表情を暗くした。

 

 その様子に十六夜は苦笑する。

 

「おいおい、何も責めてるわけじゃない。今回の相手はお嬢様には相性が悪いって話だ。それに御チビたちを守る役目が必要だからな。その役目をお嬢様に頼みたいのさ」

 

 嘘は言っていない。しかし、飛鳥を危険から遠ざけたいという意図が入っていないわけではない。それを読み取る飛鳥だが、確かにジンたちを守る役目も重要だ。その提案に、頷くしかない。

 

「……分かったわ。今回は貴方達に譲るわよ」

 

「悪いな」

 

「ありがとうございます、飛鳥さん」

 

 口惜しそうに答える飛鳥に、十六夜とジンは礼を言った。二人は立ち上がり、ゲームの謎を解くための資料探しに向かう。部屋を出る途中に十六夜は振り返り、穏やかな口調で声をかけた。

 

「……あまり思い詰めるなよ。間薙も気にしてない、って言ってただろ」

 

「……間薙君たちは、根っからの悪魔だもの。そういう情とかは無いみたい」

 

 悲しそうに、飛鳥は呟く。シンも、ピクシーも、コダマが死んだことに何も思わないようだった。ちょっとドライ過ぎるな、と十六夜は呟く。

 

「だからって、あいつらの分まで悲しむなんて考えなくていいんだぜ?」

 

「流石に、そこまでロマンチストではないわね。一旦寝たら結構楽になったし……」

 

 安心させるように、飛鳥は苦笑した。まだ完全とまでは行かないが、空元気でも笑えるだけの気力があるなら大丈夫だろう、と十六夜は判断する。

 

「それじゃあまあ、もう少し寝とけ。これから嫌でも扱き使われるだろうからな」

 

 ヤハハ、と十六夜は笑うと、部屋を出て行った。足音が離れて行ったのを確認すると、はぁ、と長い溜息をつく飛鳥。脱力してベッドに寝転ぶと、己の不甲斐なさに再び自己嫌悪がじわじわと飛鳥の心を蝕む。

 

「私は──弱い。身も心も、まだまだ弱過ぎる」

 

 天井を見上げながら、飛鳥はぼんやりと自覚していながらも、肝心なところでは目を背けてきたその事実を、己に言い聞かせるように呟く。

 

 〝ペルセウス〟との戦いからいくつものゲームを経験していたと言うのに、飛鳥は殆ど力をつけていなかった。それもこれも相手が弱すぎる故だったが、ゲームをすること自体が楽しくて、相手を選んでいなかったという側面もある。

 

 もう少し難易度の高いゲームで力を付けていれば、コダマも死ぬことは無かったのだろうか。

 

「──馬鹿ね。今更そんなこと考えたって仕方ないのに」

 

 もしものことを考えても何の意味もない。飛鳥は己を嘲笑し、ゆっくりと目を閉じた。

 

──私は、〝ノーネーム〟をこのギフトで救うために箱庭に呼ばれた。そのギフトを活用できなければ、呼ばれた意味を失うわ。

 

 己のギフトをどう伸ばすかは後回しでいい。大事なのは、如何に役立てるか。そして焦らないこと。無い物強請りしても不毛なばかり。確実に、かつ効果的に己のギフトを成長させる。それこそが近道なのだ。

 

 しかし、そうと分かってはいても──

 

「力が、欲しいわね……」

 

 

『──チカラがほしいの?』

 

『──それならちょうどよかった!』

 

『──そんなおねえちゃんにローホーで~す!』

 

 

「だ……誰!?」

 

 聞き慣れぬ子供のような声に、飛鳥は飛び起きて警戒する。ギフトカードを構えて辺りを見回すも、姿は見えない。

 

 隠れているのかと見定めようとするが、突如ベッドを始めとする部屋の家具や調度品が、ガタガタと一斉に揺れ始める。

 

「これは──!?」

 

『アハハハハ! おどろいてるおどろいてる~!』

 

『もっとおどかしてやれ~!』

 

 その声は笑いながら言葉を張り上げると、家具類が浮き上がり、部屋を飛び回り始めた。慌てて避け、部屋の隅へ避難する飛鳥。

 

『いいぞいいぞ~! それ~っ、トドメ──』

 

止めなさいっ(・・・・・・)!」

 

『──あれっ!?』

 

 飛鳥が命令した瞬間、飛び回っていた家具はピタリと静止する。己のギフトが通じる相手だと悟った飛鳥は、続けて告げる。

 

元の位置に戻しなさい(・・・・・・・・・・)!」

 

『うわわ~! なんでかってに~!?』

 

『に、にいちゃ~ん!』

 

 ゴトンゴトン、と宙に浮いていた品々は元の場所に収まり、部屋の中は先程と変わりない光景に戻った。勿論飛鳥は言葉を続ける。

 

姿を現しなさい(・・・・・・・)!」

 

『ひえ~っ! なんでさからえないんだよ~っ!』

 

 飛鳥の言霊を受けた侵入者たちは、ぽぽぽん、と立て続けにその姿を露わにした。その姿に飛鳥は一瞬ドキリ、と心臓を跳ね上げる。

 

 それは、まるで人を極限までデフォルメしたようなシルエットだった。コダマに似ていたが、その形はふっくらとした立体である。その体は青白く透き通って輝き、目と口に当たるであろう昏い孔が三つ空いている。ふわふわと浮かぶそれは、まるで幽霊のようだった。

 

 飛鳥は腕を組み、目を吊り上げるとその三体の奇妙な存在を睨み付ける。

 

「……貴方たち、何故私を襲ったのかしら?」

 

『おそってないよ~!』

 

『ちょっとおどろかせようとしただけなのに~!』

 

『どうしていうコトきいちゃうんだろ~?』

 

 そう、惚けたように言う。飛鳥は訝しむが、その気の抜けるような言動に、嘘をついていないと直感的に見抜いた。溜息をつき、疲れたように頭を振る。

 

「……そう、お願いだからもうやめてちょうだい。ところで、貴方たちは一体何なの?」

 

 そう問われた幽霊たちは、待ってましたとばかりに飛び跳ねて、くるくると踊り出す。冗談ぶって、しかし誇り高く自己紹介を始める。

 

『ボクたちは、コミュニティ〝ヤタガラス(・・・・・)〟からきた~』

 

『悪霊ポルターガイストで~す!』

 

『おねえちゃんに〝ヤタガラス〟からデンゴンをもってきました~!』

 

 そう言って、ポルターガイスト三兄弟はビシッとポーズを決めるのだった。



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お嬢様は己の道を見出したそうですよ?

 境界壁・舞台区画。大祭運営本陣営、その屋根の上でシンとピクシーは静かに佇んでいた。

 

 その視線の先には、ポルターガイストたちに先導されながら歩を進めている飛鳥の姿がある。ピクシーはその様子を眺めながら、シンにくすくすと笑いかけた。

 

『あーあ、先を越されちゃったわね?』

 

 揶揄されるシンだが、どうということはない、とでも言うように首を振る。

 

「……力を得るのならばその出処はどうでもいい。他所のコミュニティの力でもな」

 

 だから問題ないと、シンは断ずる。

 

 視線の先の飛鳥は路地裏に足を踏み入れた途端、その姿を消した。恐らくは悪魔のみが使える抜け道でも通っているのだろう。道中はただの人間には危険だが、後はポルターガイストが守るだろうと監視を止め、踵を返す。

 

『しっかし、まさかあいつらが箱庭に居るなんて思いもしなかったわね。一体どういう経緯で居るのか知らないけど、私たちの邪魔だけはしないで欲しいものだわ』

 

 内部に戻る途中、シンは箱庭の〝ヤタガラス〟について思考する。

 

──本当に、偶然か?

 

 魔王が襲来する予定の祭典に、出展者として紛れ込んでいた〝ヤタガラス〟。白夜叉から招待され、ギリギリになって参加を決めた〝ノーネーム〟。そして、ある目的のために召喚に紛れ込んでいた〝人修羅〟。

 

 必然と呼ぶには不確定要素が多く、偶然と呼ぶにはタイミングが良すぎる。飛鳥が落ち込み、力を求めるよう誘導したのは(・・・・・・)シンの策略だが、そこを絶好のチャンスで〝ヤタガラス〟が掻っ攫っていったのだ。

 

 それに──

 

『〝ヤタガラス〟ってことは、アスカが向かっている先にあいつ(・・・)がいるのかしら?』

 

 気にならない? そう問い掛けるピクシーだが、シンは答えず歩き去る。

 

 愚問だったわね、と首を竦めたピクシーは後を追ったのだった。

 

 

    *

 

 

 奇妙な光景だった。

 

 路地裏に入った途端、飛鳥の目に映る街は一変した。天は妖しい黄昏に染まり、ペンダントランプは青白く光って街を不気味に照らし出す。元々人気の無かった街はますます人間味を失い、建物の影には魑魅魍魎が蠢いていた。

 

 飛鳥は先導するポルターガイストを見失わないよう、必死に追いすがっている。やや息を乱れさせる飛鳥に、肩に乗っていたとんがり帽子の精霊が心配そうに声を掛ける。

 

『あすかー? だいじょうぶ?』

 

「そうね、少し……速度を落としてもらえないかしら……」

 

 流石にきつくなってきたのか、飛鳥はポルターガイストたちに声を掛けた。息を切らしている飛鳥を見て、彼らは一旦立ち止まる。

 

『あれれ~? もうつかれたの?』

 

『だらしないサマナーだな~!』

 

『ちがうよ兄ちゃん、このコはまだサマナーじゃないよ~』

 

 ふわふわと喧しく騒ぐポルターガイストたち。その間に飛鳥は息を整える。

 

「……そうね、この先身体も鍛えないといけないかしら」

 

 ギフトで補えるとはいえ、基本スペックを底上げするに越したことはない。微々たるものだろうが、今後は身体を鍛えようと決意する飛鳥。ついでに、先程から気になっていたことを訊ねる。

 

「それで、この場所は何なのかしら。さっきまでいた場所とはなんだか雰囲気が違うようだけれど……」

 

『ここは〝異界〟だよ~!』

 

『ボクたち悪魔の世界なのさ~!』

 

 けけけ~、と驚かすように飛鳥の周りを飛び回るポルターガイストたち。わかったようなわからないような説明に飛鳥が首を傾げていると、その内の一体が得意気に語り出す。

 

『わかりやすくいうと、元のセカイと魔界のあいだにあるのが、この〝異界〟なんだ。サマナーや悪魔の力でつくったりするし、グーゼンできることもあるのさ!』

 

「なるほど……つまり、貴方たちがこの世界を作ったということ?」

 

『セイカクには、ボクたちのサマナーだね。内部のコウゾウはあるていど自由がきくから、おねえちゃんのところまで近道をするためにつくったんだよ』

 

 その証拠に、この世界に入ってからほぼ一本道だった。とはいえここでポルターガイストと逸れれば元の世界に戻れる保証はない。それに周囲に潜む悪魔たちが飛鳥を放って置かないだろう。

 

 改めて自分を置いて行かないように言い含め、飛鳥はポルターガイストと共に異界を進む。見覚えのあるようなないような場所をいくつも通り過ぎ、上下左右に反転する重力に四苦八苦しながらも前に進んでいく。

 

──皆、ごめんなさい。私は皆の力になりたいから……。

 

 今頃ゲームの為に皆、一生懸命謎解きに専念しているというのに、己だけ勝手に外出していることに後ろめたさを感じていた。書き置きを残してきたとはいえ、それでも怒るかもしれない。黒ウサギは特に、魔王に遭遇するかもしれない危険を案じて動揺しているだろう。

 

──間薙君は……案外味方についてくれるかもね。

 

 悪魔だからというわけではないが、彼は本気で強くなろうとする者を引き止めようとしない。そう飛鳥は感じるのだった。

 

『──ついたよ~!』

 

『お~いサマナー! つれてきたぞ~!』

 

 ふと飛鳥は我に返ると、そこは先日訪れた展示会場だった。しかし一切の装飾や美術品が取り払われ、代わりに何処かで見たような和風の飾り付けがされている。先入観無しに見れば、そこは神社か何かに見えたことだろう。

 

 とんがり帽子の精霊が、物珍しそうにそれらを眺めながら呟いた。

 

『ふしぎー?』

 

 ポルターガイストたちははしゃぎながら奥へ入っていく。飛鳥は後に続くと、完全に一本道になっている細道を進んでいく。やはり展示場の奥で見た提灯とそっくりだった。鳥か何かを模した模様が描かれ、ぼんやりと通路を照らしている。

 

 そして奥まで進み切ると、大空洞に出た。

 

『ただいま~! これでニンムタッセイだね~!』

 

「──ご苦労様です。ポルターガイスト」

 

 

──大空洞の中心に、一人の女がいた。

 

 

 真っ黒な着物に、黒い尼頭巾を被っている。その顔は頭巾に覆われて艶やかな口元しか見えないが、僅かに目元を覆う仮面が覗いていた。明らかに身元を隠そうとするその姿に、飛鳥はやや訝しげに睨む。

 

「……貴女が、この伝言を寄越した本人──ということでいいのかしら?」

 

 飛鳥は一枚の手紙を取り出し、突き付ける。

 

──力を欲さんとするならば、精霊と共に我が元へ来られたし。

 

 女はゆっくりと頷くと、静かに語り出す。

 

「生憎、まだ名は明かせません。何れ然るべき場所で会うこともあるでしょう。その時までは──〝顔亡き者(フェイスレス)〟と、そうお呼びください」

 

 そう言って、一礼する。名を隠すとは益々怪しい。飛鳥は警戒するが、フェイスレスは薄く微笑んだ。

 

「得体の知れない存在からの招待状──それでも貴女は力が欲しかったのでしょう?」

 

 いくら飛鳥が警戒したところで今更である。ここはフェイスレスが作り出した異界の中。彼女に敵意があれば最早飛鳥に助かる術はない。無事なまま彼女と相対した事それ自体が、相手に敵意がない証拠だった。

 

 そう言われた飛鳥はふぅ、と気持ちを落ち着かせるように息を吐く。

 

「……私が貴女に会おうと思ったのは、貴女達が〝ヤタガラス〟だったからよ。〝ラッテンフェンガー〟と共同出展をしていた、ね」

 

 あの場所に出展されていた、共同製作による一品。それを思い出しながら飛鳥はフェイスレスを見つめた。それを聞いた彼女は思い出したかのように懐をまさぐる。

 

「そうでしたね、まずは彼女達に会っていただきましょう」

 

 懐から取り出したのは──件の共同製作された品だった。棒状のそれを人差し指と中指の間に挟むと、胸の前で掲げる。すると輪の付いた部分がグンと伸びて、そのまま翠色に輝く中の部分が引き摺り出された。

 

 そして光が周囲一体に溢れ、飛鳥は眩しさに顔を覆う。

 

 やがて、光が収まるとそこには──無数のとんがり帽子の精霊が宙を舞っていた。

 

 

    *

 

 

 とんがり帽子の精霊──〝群体精霊〟の正体は、ハーメルンで天災により命を落とした百三十人の御霊だったのだ。伝説や伝承に謳われる死という名の功績によって、彼女たちは人の身から精霊へ転生した。

 

 飛鳥は己と共にいた精霊を見つめ、静かに問う。

 

「……貴女が、私と出会ったのは──」

 

『──全くの偶然でした。偽りの〝ラッテンフェンガー〟を探るため、私たちの一体を撒き餌としましたが、まさか貴女と出会う奇跡を齎すなんて思ってもいなかったのです』

 

 そして長い旅路の果て、現れた偽りの〝ラッテンフェンガー〟に追われていたところをコミュニティ〝ヤタガラス〟が匿ったのである。彼女たちはその見返りに大地の精霊としての力を振るい、コミュニティに貢献してきた。

 

 その結晶の一つが、フェイスレスが手にするギフト──〝封魔管〟である。

 

「封魔管とは、一定の条件を満たした悪魔を強制的に己の物とし、格納するギフトです。特に彼女たちが作り上げたこれは特別品。如何に未熟なサマナーでも、最低限悪魔を扱えるようになります」

 

悪魔を扱う(・・・・・)──それって、」

 

「そう、貴女には──〝悪魔召喚士(デビルサマナー)〟になっていただきます。それこそが、我々が久遠飛鳥へ与えられる力」

 

 息を呑む。一度は迷い、そして断念した道を半ば強制的に突き付けられる。

 

『私たちは封魔管を作り、そして私たちの一人は貴女という、悪魔を使役する才能を持つ存在と出会いました──』

 

 それは、如何なる偶然なのか。

 

『──奇跡なのだと、そう思いました。故に〝ヤタガラス〟に協力してもらい、貴女を呼んだのです』

 

 飛鳥は俯き、黙り込んだ。

 

 聞き様によっては、勝手な言い分である。才能があるからといって、偶然の一致に任せて己の道を決定することはない。だからこそ、己の意思で決断して欲しいと群体精霊とフェイスレスは言う。

 

「決断は貴女に委ねます。断るのならば、ポルターガイストたちに元の場所まで──」

 

「──いくつか確認させて」

 

 飛鳥は抑制の無い声で訪ねた。

 

「その力があれば、奴らに勝てる?」

 

「貴女に使いこなせれば」

 

「その力があれば、皆を助けられる?」

 

『貴女が正しく扱えば』

 

「その力があれば──もう、誰も死なせないようにできるかしら」

 

「貴女が、その道を歩むと決めたのならば」

 

 飛鳥は、決意の表情で顔を上げる。その瞳は真っ直ぐにフェイスレスを見つめていた。

 

「……覚悟を決めたようですね。では始めましょうか」

 

 そう言うと、フェイスレスは再び懐から封魔管を二本取り出す。一本を飛鳥へ向かって放り、もう一本を飛鳥へ向かって突きつけた。

 

「一体の悪魔を召喚し、貴女を襲わせます。貴女なりの方法(・・・・・・・)で交渉し、契約を果たしなさい」

 

 群体精霊たちは心配するように飛鳥を見つめる。その表情には信頼と、心配と、そして隠しきれない期待があった。

 

『これはギフトゲームでもなんでもなく、一体の悪魔が貴女を襲うというだけ。失敗すればそれは死を意味します』

 

「──貴女たちは、私が成功すると信じているのでしょう?」

 

 飛鳥は見様見真似で封魔管をフェイスレスへ突き付ける。こんなところで死ぬような存在ではない。飛鳥自身を含め、この場にいる者は皆そう信じていた。

 

 フェイスレスは微笑み、ゆっくりと頷いた。

 

「──当然です。悪魔と契約が終わったら、時間ギリギリまで訓練ですよ。むしろ早々に終わらせなさい」

 

「あらあら、それなら尚更覚悟を決めないとね」

 

 悪戯っぽく笑う飛鳥。しかしすぐに表情を引き締め、真剣な眼差しを見せる。

 

「それでは、行きますよ──」

 

 フェイスレスが掲げる封魔管が展開され、光り輝く。

 

 そして、現れたのは──

 

 

    *

 

 

──交渉から既に六日が経過した。

 

 境界壁・舞台区画。大祭運営本陣営、隔離部屋個室。

 

 〝ノーネーム〟の中で耀だけが黒死病を発症し、仲間たちから隔離されていた。しかし十六夜はやはり発症しないのか、隔離部屋に忍び込んだ挙句にベッドの脇で本を読んでいる。

 

 参加者たちの話し合いにより、ギフトゲームや魔王陣営に関する情報がほぼ出揃いつつあったが、最終的な解釈で割れていた。

 

 また、主催者権限そのものやそれを持つコミュニティを制限していたにも関わらず侵入された原因として、十六夜は美術工芸の出展者として参加したのだろうと推測していた。事実、十六夜たちとは別枠の〝ノーネーム〟名義によるステンドグラスが百枚以上出展されていたことが判明しており、十六夜の推測を裏付けている。

 

──偽りの伝承を砕き、真実の伝承を掲げよ。

 

 契約書類(ギアスロール)にある勝利条件とは、偽りの伝承のステンドグラスを砕き、正しい伝承のステンドグラスを掲げることなのだ。しかし、その正しい伝承が何なのかがまだわかっていない。

 

 十六夜は天を仰ぎ、苦笑を洩らす。ゲーム再開まで二十時間を切っている。そろそろ方針を決めないと参加者たちを纏めることができず、最悪の事態を引き起こしかねない。

 

 自棄気味の十六夜を横目に、耀は窓の外を眺めた。黒死病の発熱により、頭がうまく働かない己にできることは少ないだろうと、せめて煮詰まった十六夜の気分を和らげるために別の話題を振る。

 

「……そういえば、飛鳥はどうしてる?」

 

「────、」

 

 しかし、その話題こそが地雷だった。十六夜は眉間に皺を寄せ、無言で耀に紙切れを渡す。その中身を見た耀は目を丸くする。

 

「……武者修行の旅に出たってこと?」

 

「……ま、そんなところか」

 

 紙切れの中身は飛鳥の書き置きだった。コミュニティ〝ヤタガラス〟から来た迎えと共に行き、新たな力を手に入れるつもりである事や、勝手な真似をしたことへの謝罪などが記されていた。

 

「このコミュニティ〝ヤタガラス〟って? 身元は確かなの?」

 

「ああ、サンドラに確認してある。今回の祭典には美術品を出展していたのみらしいが、基本的には悪魔を使役する──つまり悪魔召喚士(デビルサマナー)を多く擁する、かなり実力派のコミュニティらしい」

 

悪魔召喚士(デビルサマナー)って……飛鳥がなろうとしていた、あの?」

 

 十六夜はゆっくりと頷く。

 

「〝ヤタガラス〟からも伝言が来ていてな。お嬢様は時間ギリギリまで修行させるから任せて欲しい、だとよ」

 

「移籍する……訳じゃないんだよね?」

 

 心配そうに言う耀だが、安心させる様に、しかし訝しげに十六夜は答える。

 

「ああ、詳細は書いてなかったが……どうも何かの取引をしたらしい。詳しくは戻ってきたお嬢様に聞くつもりだけどな」

 

「……それで、十六夜はそれが気に入らないんだ?」

 

 ちが、と口を開き掛けた十六夜だが、苦笑する耀のその表情を見ると、溜め息を付いてガリガリと頭を掻いた。

 

「……何だろうな。別に、この緊急事態に抜け出されたことを怒ってるわけじゃないんだ。お嬢様が新たな力を手に入れるなら、こっちだって助かる。だが……何となく気に掛かる」

 

 十六夜は耀から書き置きを返してもらうと、それを懐にしまう。そうして腕を組むと、再びぼんやりと天を仰いだ。

 

「誰かに誘導されているような(・・・・・・・・・・)……そんな気持ち悪い感覚がするんだよな。考えすぎだと良いんだが……」

 

 溜め息を付くと、再び謎を解く為に本を手に取ったのだった。

 

 

    *

 

 

 そう呟いた十六夜は、別に確信があるわけではなかった。何となく思ったことを吐露しただけで、何者かが自分たちを裏から操っているなど端から信じていない。己の選択は、己の決断は、己自身によって決めてきたのだと、そう信じている。仲間たちも当然そうで、運命などという胡散臭いものに縛られているなど考えもしていない。

 

 しかし、この時から徐々にその心は揺らぎ始める。自分たちが箱庭に来たことに、自分たちが魔王と戦い続けることに、そして自分たちのその恩恵に、徐々に疑いを持ち始める。

 

 当然、それは今ではない。

 

 しかし、そう遠い話でもない。

 

 

──数刻後、耀は大量の血痕を残して失踪する。

 

 

 その瞬間から、十六夜の心に疑問が生じ始めるのだった。



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少女は最初の死を迎えるそうですよ?

 十六夜と耀が話した数刻後、耀の個室にアーシャとジャックが訪れた。手に下げた籠には幾つかの果物などが入っており、見舞いの品だと窺える。アーシャは扉の前に立つと、軽くノックした。

 

「おい、耀! このアーシャ様がお見舞いに来てやったぞ! 泣いて喜びな!」

 

 しかし、返事は無い。アーシャは首を傾げると、寝てるのかな、と呟く。ジャックはそうかもしれません、と頷き、声を潜めて言う。

 

「お休みになっているのであれば、邪魔をしてはいけませんね。それならこのまま退散を──」

 

「──なあ、ジャックさん」

 

 しかし、硬い声でアーシャが遮った。不安そうに瞳を揺らし、ジャックを見上げる。

 

「耀は大丈夫だよね? あたしらに勝つような奴なんだし、黒死病くらいで死なないよね?」

 

 願うように、祈るように、アーシャは声を洩らす。しかしアーシャ自身、天災によって亡くなった身の上である。死とは理不尽に訪れるものであり、ある日突然その鎌を振るう事をよく知っている。それ故に不安で仕方がないのだ。

 

 ジャックは安心させるように、アーシャの頭を撫でる。アーシャの気持ちはジャックにも分かる。幾ら素晴らしいギフトを持っていても、耀自身はヒトという種にカテゴライズされる。多くの人を殺した功績のある黒死病にかかれば、死の可能性は十分にあるだろう。

 

 それでも、ジャックは力強く語りかける。

 

「──信じなさい。耀さんの強さは知っているでしょう。彼女ならばきっと、ゲームが終わるまで持ってくれるでしょう」

 

「……うん」

 

 アーシャは小さく頷いた。ジャックはその小さな肩を抱くと、促す。

 

「さあ、行きましょう。我々も彼らを救う為に力を振るわなければ──」

 

──と、そこで言葉が途切れる。

 

 ジャックは慌てて扉の方を向くと、焦ったようにその扉を睨み付ける。アーシャは首を傾げるが、続くジャックの言葉に血の気が引く。

 

「──血の匂い……!? それに、様子が……!」

 

 ジャックは扉を破る勢いで開け放ち、二人は部屋の中に押し入った。そして、中の光景に絶句する。

 

 

──ベッドに耀の姿は無く、ただ夥しい量の血痕が残されているのみ。

 

 

「こ、これは……!?」

 

 ジャックはベッドに近寄り、その血の量が明らかに致死量を超えていることに額然とする。血痕は真新しく、それほど時間が経っていない。ジャックたちがあと少し早ければ、何かが起こっているその現場に遭遇したかもしれない。

 

「ジャ、ジャックさん……窓が……!」

 

 アーシャの声に窓を見ると、そのガラスは破られ、カーテンが風に吹かれて揺れていた。血の匂いが部屋の外まで届いたのはこの為だろう。ジャックは部屋の中にガラス片が殆ど落ちていないことに気が付いた。それはつまり、窓ガラスは内側から破られたことを意味している。

 

 更にジャックは、不可解な痕跡を窓際の床に見つける。

 

「──血の付いた足跡……? これは、耀さんのものでしょうか……」

 

 現場をよく観察すると、ベッドから窓に掛けて何者かが歩いた跡がある。素直に考えればその何者かは耀なのだが、そうなると耀は致死量の血を流した直後に窓を破って出て行った事になる。あまりに不可解すぎるため、ジャックはその推理を一旦保留にしておく。

 

──結論から言えばそれは正しかったのだが、それが分かるのはこのギフトゲームが終わってからのことになる。

 

「ジャックさん……私、アイツを探しに、」

 

「待ちなさい、アーシャ! 貴女は〝ノーネーム〟の方々にこの事を伝えなさい──」

 

「……でも!」

 

 アーシャは反論しようとするが、ジャックは優しく言い聞かせるように告げる。

 

「貴女にはやるべきことがある筈です。私にこのゲームの参加資格が無いのは不幸中の幸いでした。ゲームの最中に彼女を探すことに専念できるのですから」

 

 既にこのゲームには、ジャックなどの出展物枠に参加資格が無いことが判明している。そのために皆が死力を尽くしているの間、外野で無事を祈るしかないと思っていたが、参加資格が無い故にできることもある。

 

 アーシャは俯いて歯噛みするが、ジャックの言うことは正論である。逆らうつもりは元よりないが、何かに巻き込まれたであろう耀を自ら助けに行けないのは口惜しかった。

 

「ジャックさん……耀を頼む」

 

「ええ、任されました」

 

 二人は部屋を出て、それぞれの目的のために別れる。アーシャは黒ウサギの元へ、ジャックは行方不明の耀の元へ。

 

「……さて、一体何が起こっているのでしょう。尋常の事態ではないようですが……どうか、無事で居て欲しいものです」

 

 

    *

 

 

 境界壁・舞台区画。大祭運営本陣営、大広間。

 

 時は黄昏。舞台区画も赤いガラスの歩廊も夕陽に染まり、無人の街を美しく演出する。しかし宮殿の大広間に集まった五百人ほどの参加者たちにそれを楽しむ余裕は皆無だった。

 

──これより、彼らの命運を決定するゲームが再開されようとしているのだから。

 

「もう間も無くゲームの再開です。参加者はゲームクリアのためにそれぞれ重要な役割を果たして頂きます──」

 

 不安にざわつく衆人へ、それを掻き消すような凛然とした声で話すサンドラ。一同が一先ず静聴しようと落ち着こうとするのを見ると、傍に控えていたマンドラが進み出て、行動方針を決める書状を事務的に読み上げる。

 

 三体の悪魔は〝サラマンドラ〟とジン=ラッセル率いる〝ノーネーム〟が戦うこと。

 

 他の者は各所に配置された百三十枚のステンドグラスの捜索。

 

 そして発見者は指揮者に指示を仰ぎ、ルールに従って破壊、もしくは保護すること。

 

「──以上が、参加者側の方針です。病に侵された我らの同士を救うためにも……魔王とのラストゲーム、気を引き締めて戦いに臨んでください!」

 

 明確な方針が出来たことで、士気を上げた参加者たちが雄叫びを上げる。魔王のゲームに勝つために各々が行動を始めた。

 

 その一方、黒ウサギは宮殿の上で思案に暮れていた。

 

 初めての魔王相手のゲームで緊張しているのもある。敗北した場合、路頭に迷う子供たちへの心配もある。そして、溢れる才能を持つ十六夜たちを迎えながら、その力を伸ばすゲームを用意出来なかった後悔もある。

 

──しかし、一番の心配は失踪した耀の事だった。

 

 大量に残された血痕は常人ならば死を意味している。しかし現場に残された異常な痕跡が、隔離部屋で何が起こったのかを煙に巻いていた。

 

 だが、同時に起こっていた別の事態(・・・・・・・・・・・・・)に、何らかの推測をすることができる。それは──

 

「──犯人は、間薙かもな」

 

 ハッ、と黒ウサギが振り向くと、隣に十六夜が座り込んでいた。頬杖をついて街を眺めているが、その表情は一切の笑みを浮かべておらず、町の何処かにいる誰かを睨みつけているようだった。

 

 十六夜は黒ウサギが何に思案しているか分かっているし、黒ウサギも十六夜がそう察していることを分かっている。突然の言葉にも問い返すことは無かった。

 

「……やはり、そうなのでしょうか?」

 

春日部とほぼ同時に失踪した(・・・・・・・・・・・・・)んだし、間違いないだろ。問題は何を企んでやがるのか、って所だが……」

 

 シンもまた、ピクシーを伴いその姿を消していた。こちらは誰も心配していない。それだけの力の持ち主であるし、むしろ同時に失踪した耀の原因を担っているとすら疑われている。

 

 悲壮な表情の黒ウサギを見て、十六夜は苦笑する。

 

「おいおい、別に間薙が春日部を襲ったとは限らないぜ。病に苦しむ春日部を助けようと、悪魔的な秘密道具で治療した結果かもしれないしな」

 

 副作用で興奮して街に繰り出したのかも、と冗談めかして言うが、黒ウサギの表情は晴れない。無理があったか、と十六夜も頭を掻く。

 

「ま、今ジャックが春日部を探してくれている。とっとと見つけて、回収してくれれば──」

 

「い、十六夜さん──あれを!」

 

 黒ウサギの焦燥の声に、十六夜はすぐに空を見上げる。そこには弱々しい火の玉がふらふらと十六夜たちの方へ向かってきており、今にも落ちてきそうであった。

 

「ジャックか? おい、どうし──」

 

 声を掛けようとしたその瞬間、火の玉はとうとう力尽きて墜落し、十六夜たちの近くへ叩きつけられる。火の玉が消えると、そこには満身創痍のジャックが横たわっていた。

 

「──ジャックさん!」

 

 黒ウサギは悲鳴と共にジャックに駆け寄り、十六夜もまたその後を追う。ジャックの全身には無惨な爪痕があり、その頭は半分砕かれていた。しかしそれは然程重要ではない。

 

 問題なのは、不死の怪物であるジャックが、その傷を回復出来ていない(・・・・・・・・)ということだった。

 

「ご、ご心配なく……一時的に消耗しているのみで命に別状はありません……」

 

「どうした、奴らにやられたのか?」

 

 弱々しく告げるジャックに、十六夜は襲撃者の正体を聞く──が、その答えを聞いて愕然とする。

 

「──耀さんにやられました」

 

「ど、どういうことですか!?」

 

 黒ウサギは混乱の極みにあった。耀を探しに行ったジャックが、何故耀に襲われるのか? だが十六夜はその裏を一瞬で推測し、街の方へ視線を向ける。まるで、仇敵がそこに居るかのように。

 

「耀さんは……今、己を見失っています。力に振り回され、自分が何をしているのかも分かっていないでしょう……」

 

「力……!? 一体どういう──」

 

 

「──GEEEEEEEEYAAAAAAAAAAAaaaaaaa!!!」

 

 

 ()の咆哮が、辺り一帯に響き渡る。

 

 黒ウサギはその声に、聞き覚えがあった。信じられないと、信じたくないという思いに口元を覆い、震える。十六夜もまた、当たっていて欲しくなかった予想に歯噛みする。

 

 ジャックは息も絶え絶えに彼らに事態を告げる。

 

「彼女は今──悪魔(・・)になっています。それも、鬼種(・・)を備えた悪魔に──」

 

 十六夜は渾身の力で拳を握り、怒りを抑えようとするもままならない。内なる憤怒を抑えきれず、言葉を漏らす。

 

「──何やってんだ、あの悪魔が……!!」

 

 ここにはいないシンに、十六夜は怨嗟の言葉を吐き捨てるのだった。

 

 

    *

 

 

 話は、隔離部屋で十六夜と耀が話していたところまで遡る。

 

──少しは助けになれたかな。皆が勝つまで、持てばいいけど……。

 

 その後の雑談で何らかの活路を見出した十六夜は、耀を褒め称えると獰猛な笑みを浮かべて、部屋を勢い良く飛び出して行った。

 

 その直後、耀は限界に達してベッドに崩れ落ちる。

 

『──お嬢!』

 

 三毛猫が慌てて鳴き声を上げるが、耀にはその声すら遠い。耀の黒死病は奇妙にもその進行を早め、宿主を一刻一刻と死へ向かわせていた。呼吸は乱れ、徐々にか細くなっていく。ひゅうひゅうと必死に息を吸うが、その力さえ抜けていく。

 

──やば、死ぬかも。

 

 幼少より体の不自由に見舞われ、父からの贈り物でようやく走り回れるようになった耀だが、ここまで体調を崩したことはかつて無かった。目の前に死が訪れていても、その現実味の無さに却って精神は落ち着いていた。

 

 視界は薄れ──音は遠く──身体は溶けるように、感覚を失っていく。

 

 このままでは耀は、ゲーム再開を待たず死ぬだろう。助けを求めようにもここは隔離部屋であり、健常者はやって来ない。先程の十六夜が例外だったのだが、耀が己の体調を隠してしまったのでそれも叶わない。

 

 そんな状態で、耀は飛鳥の事を思う。

 

 この状況で力を求めて飛び出した、飛鳥の気持ちが耀にはよくわかっていた。

 

 十六夜とシンは〝ノーネーム〟の中でも飛び抜けて優秀だ。二人とも元魔王を子供扱いする身体能力に、十六夜は頭脳明晰で幅広い知識を持ち、シンは様々な悪魔を従えるギフトを持つ。両者ともその力で今までに〝ノーネーム〟に大きく貢献してきている。今回のゲームでも多くの謎を解き、皆を救う為に奔走している。

 

 それに比べたら、飛鳥も耀も常人を遥かに上回る力を持つとはいえ、肩を並べられる存在だとは決して言えなかった。ましてや耀は今回碌な働きもできず、こうして勝手に死に掛けている。

 

──いくら友達の力を借りたって、私自身は何も成長していない。

 

 熊の如く剛力を振るい、豹の如き俊足で駆け、鷲獅子の如く空を舞うことができる。だが、それだけだ。外付けの力はどんどん増えていても、耀自身は全く変わっていない。身も心も子供のまま。そして人間という種であるが故に黒死病にかかり、今死に絶えようとしている。

 

──私が死んだら、皆泣くかな。

 

 飛鳥は泣くだろう。十六夜は我慢しそうだ。黒ウサギなんて大泣きするだろう。〝ノーネーム〟の皆が耀の死を悲しみ、涙を流すだろう。

 

──シンは……泣かないんだろうな。

 

 それでも、ただ一人シンは泣かないはずだ。血も涙もない、悪魔なのだから。もし耀に何らかの価値を見出していたのなら、惜しいと思う程度だろう。もしかしたらゾンビにされて死後は仲魔にされるかもしれない。

 

 死を目前にして、そのような事を考えられる余裕があるのは耀自身も驚きだった。しかし冗談を笑う元気は流石に無く、表情を歪めることもできないまま意識が遠のいていく。

 

 最期に、何も果たせぬまま先立つ不孝を、〝ノーネーム〟の皆に謝罪する。

 

──ごめん、皆……私は、もう……、

 

 

「──まだ生きているようだな」

 

 

 耀の視界に、黒い影が映った。誰かが話しているが、その音は頭に入ってこない。

 

『といってもギリギリみたいね。早くしないと、くたばっちゃうわよ?』

 

 耀の体を誰かが仰向けにして、押さえ付ける。その小さな手の感触には覚えがあった。

 

「……ピ、クシー?」

 

『あら、よくわかったわね。死にかけてるくせに』

 

 ピクシーは目を丸くすると、何がおかしいのかくすくすと笑う。耀は何が起こっているのか分からぬまま、天井をぼんやりと眺めている。

 

「春日部耀──お前に力をやろう。ヒトに過ぎない哀れなお前に、特別な贈り物(ギフト)をやろう」

 

 黒い人影──シンは、耀に仰々しく語りかける。力が欲しいか、と。正しくそれは悪魔の囁きだった。熱に魘され、音が碌に聞こえないはずなのに、どうしてかその声はよく耳に響く。

 

 力。

 

 力さえあれば、この病を吹き飛ばせるのか?

 

 力さえあれば、死なずに済むのか?

 

 力さえあれば──皆のために、戦えるのか?

 

──欲しいと、耀の唇が無意識に動く。

 

 それを見て、シンはニヤリと嗤う。

 

 シンは手を己の身体に当てると、その手はズブズブと内部に潜り込んで行く。何かをまさぐるようにゆっくりと手を動かしていた。異様な光景である。そして探し物を掴んだのか──ずるり、とその手を勢い良く引き抜く。

 

 そこに掴まれていたのは、蛇のような虫のような奇妙な生き物だった。真っ白な表面に虎柄の模様が刻まれており、目のような部位は真っ赤に染まっている。それはまるで怯えるようにびちびちと跳ね回り、しかしその尾をしっかりと掴まれている為にそれは叶わない。

 

 シンはその奇妙な虫を耀の頭上に掲げた。嫌な予感がして、逃げようと身体に力を込める。

 

『あら、動いたらダメよ。痛いのは一瞬だから……』

 

 しかし耀の片手はピクシーに握られている。それだけで、耀は身体から力が抜けて行くのを感じた。

 

 シンが掴んでいた手を離す。まるでスローモーションのように、ゆっくりとそれは耀の顔に落ちて来て──

 

 

──冷たい何かが、私の中に入ってくる。

 

 

 ぐちゃ、

 

──何か、掛け替えのないものを、奪われている。

 

 めき、ごき、

 

──何か、大切なものを、食べられている。

 

 くちゃ、ぴき、めき、

 

──熱い何か()がいなくなって、冷たい何か()に、置き換わっていく。

 

 ぶしゅ、ぐちゃ、ごき、ぺき、

 

──ああ、私は……、

 

 

「──これでお前は、悪魔になるんだ……」

 

 

 耀の最期に映る視界には──悪魔たちの嗤う顔が浮かんでいた。



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悪魔は見境なく暴れ回るそうですよ?

「……何の声だ?」

 

 ゲーム開始時刻が近付き、主催者側は再開前の確認を行っていた。しかし、そこへ響き渡る獣の咆哮。配下のネズミが恐怖で取り乱し、ラッテンは魔力を強めて統制しようとする。そうして白装束を揺らしながら、ペストに声を掛けた。

 

「獣のギフトでも使った奴がいるのかしらね……それよりマスター、どうやら連中、私たちの謎を解いちゃったようですよ?」

 

「構わないわ。私たちは時間を稼ぐだけで勝利できる。──〝人修羅〟に気を付けてさえいればね」

 

 斑模様のワンピースを揺らし、ペストは宮殿の方角を見つめた。軍服のヴェーザーは厳しい声音で警告する。

 

「それだけじゃねえ。参加者側には〝箱庭の貴族〟もいる。〝人修羅〟だけに気を取られていると簡単に足元を救われるだろうな」

 

「……やっぱりすごいの? 〝月の兎〟って」

 

 あれは正真正銘の最強種の眷属だと、ヴェーザーは重々しく頷く。授けられているギフトの数も質も、並大抵の代物ではない。ヴェーザーやラッテンではとても抑えられないような、箱庭でも突出した存在なのである。

 

 二人は重々しく沈黙するが、ペストは微かに笑いかける。

 

「謎が解かれた以上、ハーメルンの魔書は起動して……後はヴェーザー、貴方に神格を与えるわ」

 

 その白魚のような指先を伸ばし、ヴェーザーの額に向ける。ヴェーザーは苦笑し、恭しく傅いた。

 

「……後は俺次第か。俺は坊主を仕留めに行くが──ラッテン、くれぐれも気を付けろよ」

 

「……ええ、言われるまでもないわ」

 

 悲壮な覚悟を決めて、二人は出陣する。ペストも、まだ未知なる〝人修羅〟の力を見極めようと警戒を強める。

 

──しかし、魔王との戦いは、誰も予想していなかった事態に発展していくのだった。

 

 

    *

 

 

 ギフトゲーム〝The PIED PIPER of HAMELIN〟──再開。

 

 その開始の合図は、激しい地鳴りとともに起きた。強烈な閃光とプリズムが参加者たち諸共宮殿を包み込み、それが開けると──そこには、見たことのない別の街並みが宮殿の外に広がっていたのだ。

 

 尖塔群のアーチは木造の街並みに姿を変え、ペンダントランプの煌めきは失せてパステルカラーの建築物が立ち並んでいる。

 

 全く別の街に姿を変えた境界壁の麓を見て、ジンは蒼白になって叫ぶ。

 

「これはまさか──〝ハーメルンの街〟……!?」

 

 見覚えのないその舞台に、ジンはハーメルンの魔道書が起動されたことを察した。意気揚々と飛び出した参加者たちは出鼻を挫かれ、動揺のままに足を止めてしまう。

 

「まさか魔王の仕掛けた罠か──」

 

「これではステンドグラスが何処に飾られているか──」

 

 ザワザワと混乱が伝染する中、マンドラは混乱を鎮めるため一喝しようと進み出て、

 

「──まずは教会を探してください!」

 

 先んじたジンの一喝に、驚きの表情で足を止める。

 

「ハーメルンの街を舞台にしたゲーム盤なら、縁のある場所にステンドグラスが隠されている筈です! 〝偽りの伝承〟か〝真実の伝承〟かは、発見した後に指示を仰いでください!」

 

 ジン自身、ハーメルンの街そのものに詳しいわけではない。しかし詳しく知っている十六夜はここにはおらず、参加者が頼れるのは僅かながらでも知識を持っているジンしかいないのだ。故に、ジンは覚悟を決めて彼らを先導する。

 

「──僕たちは僕たちにできることで、ゲームクリアを目指しましょう!」

 

 明確な指示を与えられたことで、捜索隊は混乱から立ち直り、動き始めた。ジンも彼らについて行くため、必死に駆けていく。

 

 マンドラはその後ろ姿を見て──心底恥じ入ったように、苦悶の表情を見せるのだった。

 

 

    *

 

 

 再び街全体を揺り動かすような地震が響く。しかしそれは最初のものとは違い、大地を強引に掻き回すような荒々しい衝撃だった。

 

 ハーメルンの街に流れるヴェーザー河。その岸に十六夜が水浸しで叩きつけられていた。血反吐を吐き捨て、立ち上がって口を拭う。

 

「ハッ、随分と俺好みなバージョンアップをしてきたじゃねえか──」

 

 十六夜はヴェーザーに奇襲され、その身に棍に似た巨大な笛の一撃を受けたのだ。ヴェーザーは神格を得ており、神格を得た悪魔の力を堂々と見せ付ける。星の地殻変動に匹敵するその衝撃は、ヴェーザー河を叩き割って氾濫させた挙句に河の流れを逆流させ、近場の建築物を軒並み砕いてしまった。

 

「──だが、もう謎は解けたぜ、本物の(・・・)ハーメルンの笛吹き(・・・・・・・・・)〟。そして、魔王の正体もな」

 

 そう言って、十六夜は指を突きつけて謎解きの解を示す。

 

 1284年に記されたハーメルンの本来の伝承と碑文には、元々ネズミも、ネズミを操る道化師(ラッテンフェンガー)も登場しない。何故ならそれらは、黒死病が流行した1500年代以降の童話に後付けされた存在だからである。故に、ラッテンとペストは偽物と断定できる。

 

 そして笛型の巨人──〝シュトロム〟は碑文に記された〝丘〟を思わせる存在だが、その丘とはヴェーザー河に繋がる丘を指し、天災で子供達が亡くなった象徴でもある。故に、シュトロムもまたヴェーザー河を指す。十六夜は、彼らがミスリードのために子飼いにしている、ハーメルンとは無関係の怪物と推測した。

 

 以上のことから、ヴェーザーだけが本来のハーメルンの笛吹きの碑文に沿った悪魔だったということになる。更に、そのヴェーザーが神格を得たことでペストの正体の大きな候補が浮上する。

 

 ハーメルンの伝承にある道化師、そして黒死病の伝染元のネズミその二つに共通した異名は〝死神〟──神霊・〝黒死班の死神〟こそが、ペストの真のギフトネームだと十六夜は推測した。

 

「……お前、魔王(こっち)側の方が余程舞台映えするぜ?」

 

 珍獣を見るような視線で、ヴェーザーがまじまじと十六夜を見つめた。その半ば本気の勧誘を、十六夜は蹴り飛ばす。

 

「──御断りだ。魔王は面白そうだが、今はやることがあるからな」

 

「…………?」

 

 ヴェーザーは言い知れない違和感に首を傾げる。十六夜を暫し観察し──その余裕のない表情に気が付いた。

 

「神格を手に入れた俺に恐れ慄いてる──ってわけじゃなさそうだな。それとも黒死病でくたばりかけてる奴でもいるのか?」

 

「──それだったら、どんなにマシだったろうな」

 

 その焦りさえ感じられる言葉に訝しむヴェーザーだが、所詮は他人事である。表情を一転させ、鬼気迫る闘志を滾らせる。

 

「ま、俺には関係ないか──なら、とっとと死んどけ坊主ッ!!」

 

「こっちの台詞だ木っ端悪魔ッ!!」

 

 ヴェーザーの地殻変動に比する力と、十六夜の天地を砕く力が激突する。その衝撃は街だけに留まらず、一帯の土地全体を揺り動かす。更に、巨大な魔笛が風切り音を響かせ、それに命ずられるまま大地と河川が十六夜の足場を崩し、打ち上げる。

 

 空中高く放り上げられた十六夜は焦燥の表情を噛み殺し、なんとか目の前の悪魔に集中しようとする。だが、どうしても苦悶の言葉が漏れる。

 

「──春日部が参加者を襲う前に、なんとか取り押さえねえと……!」

 

 交渉により、このゲームのルールは一部変更されていた。そのルールは幾つかあるが、今重要なのは新たに加えられた禁止事項〝自決及び同士討ちによる討ち死に〟である。

 

 ジャックを一方的に行動不能にする程に強化された耀の力では、捜索隊の面子では抵抗も碌に出来ないだろう。耀がどこまで己を見失っているのかは定かではない。殺人を犯すまでに暴走しているとは信じたくないが、ジャックの傷に全く手加減の跡が見られないことから、最悪の事態もありうる。一刻も早く取り押さえる必要があった。

 

 しかしヴェーザーは十六夜を持ってしても強敵である。容易に倒せるとも思えない。だとすれば、残る望みは黒ウサギかレティシア、あるいは──

 

「早く来いよ、お嬢様……〝ノーネーム〟のピンチだぜ?」

 

──未だ姿を見せない飛鳥のみだった。

 

 

    *

 

 

 細かく分隊された捜索隊は街中を駆け巡り、ステンドグラスを探し求める。その内の一隊が〝ネズミを操る道化〟が描かれたステンドグラスを発見し、破壊した。

 

 ジンは地図を広げ、ステンドグラスがあった場所をマーキングして行きながら思考する。

 

 敵は自分が倒されないようにしつつも街中にあるステンドグラスを守らなくてはならない。よって自然にバラけて行動することとなる。ペストは黒ウサギとサンドラが、ヴェーザーは十六夜が相手をしている。

 

 そして、まだ姿を見せぬ一人。恐らくはそろそろ──

 

 と、ジンが警戒し始めたその瞬間、高く低く疾走するようなハイテンポの笛の音が響き渡る。まるで何かを目覚めさせるようなその曲調は、やがて大地を迫り上げて陶器でできた笛のような巨兵──シュトロムを何体も造り上げていく。

 

『BRUUUUUUUUUUM!!!』

 

 嵐の如く、全身の風穴から大気を吸い上げて咆哮と共に放出する。まさかここまでの戦力を投入してくるとは思っていなかったジンは、戦慄と共に敵の正体を確信する。

 

「──やはり、あの悪魔は〝ハーメルンの笛吹き〟とは無関係……!」

 

「──はい、正解! よくできましたー♪」

 

 からかうような声に、ジンは慌てて先頭のシュトロムを見上げる。その頭の傍にはラッテンが悪戯っぽい笑顔を見せながら立っていた。巨兵の足元には魔笛で従えた何十匹もの火蜥蜴──〝サラマンドラ〟の同士たちがゾロゾロと現れ、戦闘体制を取っている。

 

 捜索隊からは無数の巨兵の姿に悲鳴の声が上がり、ルール違反による失格を恐れて同士を討てず、ただ右往左往するばかり。

 

「ブンゲローゼン通りへようこそ皆様! 神隠しの名所に訪れた皆様には、素敵な同士討ちを──」

 

 その様を嘲笑するラッテンが、魔笛を掲げて火蜥蜴を嗾けようとしたその時、上空からの冷徹な一声が一同の注意を惹きつける。

 

「──見つけたぞ、ネズミ使い」

 

「──来たわね、吸血鬼」

 

 射殺すような爛々としたレティシアの視線を受けながら、ラッテンは不敵に笑う。そして、敢えてキョロキョロと視線を彷徨わせると、首を竦めて安堵する。

 

「……〝人修羅〟は居ないようね。折角こいつらをぶつけて失格にさせようと思ったのに」

 

 火蜥蜴たちを見下ろしながら、くすくすと笑う。レティシアはそれを聞かずにギフトカードから取り出した槍を投擲するが、ひらりと躱された。しかしそれには構わず、ジンたちを守るために着地し、捜索隊を背後にラッテンへ立ち塞がる。

 

「まあ怖い。〝箱庭の騎士〟様はお怒りみたいね──それなら、歓迎しておやりなさい」

 

 軽い調子の言葉だが、油断はしていない。レティシアの周囲をシュトルムの三体と、火蜥蜴たちが取り囲んだ。レティシアはその陰からジンに向かって叫ぶ。

 

「ここは私に任せて、ステンドグラスの捜索を急げ!」

 

 残りのシュトロムが暴れ出せば、それどころではなくなってしまう。ジンと捜索隊は頷いてその場を後にした。ラッテンはニヤつきながらそれを見逃す。〝箱庭の騎士〟を相手取るのに雑魚に手を割けないのもあるし、箱庭随一の美貌を手に入れられるチャンスに集中したいということもあった。

 

 己を取り囲む敵群に、しかしレティシアは威圧的に睨みつける。

 

「既に魔王を返上したメイドに、大層なことだな」

 

「ええ。悪いけれど、こちらに遊んでいる余裕は無いわ──蜥蜴共、私を守りながら奴に跳びかかりなさい!」

 

「くっ──!」

 

 魔王の霊格を失ったレティシアが残している、唯一戦力になりそうなギフト〝遺影〟は、ラッテンを滅ぼして余りある──逆に言えば常人など、容易に命を奪うことのできる破壊力を持つ。

 

 そのため、跳び掛かってくる火蜥蜴──〝サラマンドラ〟の同士を下手に攻撃すれば、同士討ちとなり失格の恐れがある。故にレティシアはその攻撃を掻い潜らざるを得ず、その隙をシュトロムが襲い来る。だからといってラッテンを直接狙おうとすれば、火蜥蜴が立ち塞がってしまう。

 

 なんとかシュトロムから破壊しようと、レティシアが粘るのを油断なく見据えるラッテン。その視線はレティシアを捉えながら頭の隅で〝人修羅〟について考える。

 

──何故出てこないの? もしかしてマスターの方に……。

 

 ラッテンはそれ以外の参加者を問題視していなかった。二人の少女は好みだったとはいえ、脅威度も含めて目の前の吸血鬼には劣る。今は吸血鬼を仕留めることに専念しようと魔笛を掲げ──

 

 

「──GEEEEEEEEYAAAAAAAAaaaaaaaaa!!!」

 

 

──その、おぞましい咆哮に身を竦ませる。

 

「な、何……!?」

 

 身も凍るような死の気配が辺り一帯を覆い、殺意が大気をビリビリと震わせる。空気は生温い液体のように淀み、呼吸を妨げる。ラッテンは悪魔でありながら、震えの収まらない己の手に戦慄する。

 

「まさか、〝人修羅〟が──」

 

 慌てて周囲を伺うラッテンだったが──もう遅い。

 

 既にそれ(・・)は、戦場に入り込んでいた。

 

 レティシアを襲っていた三体が、一瞬にして粉砕される。無数の爪痕をその身に刻み、ガラガラと崩れ落ちていく。驚愕に目を見開くラッテンの表情がそのまま苦悶に変わり、腹部にめり込む少女の足を呆然と見つめた。

 

「ガハァ────!?」

 

 その衝撃はラッテンをくの字に折らせ、そのまますぐ近くの建築物に叩き込む。その一撃によって建物は崩壊し、ラッテン諸共崩れ落ちていく。

 

「よ、耀……なのか……!?」

 

 レティシアが愕然と、己の前に降り立った少女を見つめる。その変わり果てた姿に、言葉を失っていた。

 

──全身に黒の刺青が施され、その縁を白色のラインが彩り、爛々と光っている。うなじには黒色の角が生えており、襟元から覗いている。上着は無く、下に着ていたシャツはドス黒い血を吸って赤黒く染まっていた。パンツもブーツも同じく血が飛び散って斑に染まり、おぞましい色合いを見せている。

 

 そして、その瞳は真っ赤に染まっていた。耀は獲物を前にした猛獣のように牙を剥き、ラッテンが姿を消した瓦礫の山を睨みつけている。

 

 その姿は、まるで──

 

「ひ、〝人修羅〟……!?」

 

 ガラ、と瓦礫を押しのけ、ラッテンが腹部を抑えながら呆然と言葉を漏らす。ラッテンの言う通り、耀のその姿はまるでシンと同じ〝人修羅〟のようだった。ラッテンは血反吐を吐きながら、慌てて撤退する。

 

「ゲホッ……! 冗談じゃないわ……! 〝人修羅〟が二人も居るなんて聞いてないわよ……! 早くマスターに知らせないと──」

 

「GEEEEYAAAAAAaaaaaaa!!」

 

 獲物は逃がさぬとばかりに、その後ろ姿へ耀が襲い掛かる。しかし、その前に命令されたままの火蜥蜴たちが立ち塞がり──

 

「──駄目だッ! 耀ッ!!」

 

 レティシアが一瞬で移動し、火蜥蜴たちを蹴飛ばした。吸血鬼の力で薙ぎ払われた彼らはそこらの建物に叩きつけられ、決して軽くない怪我を負うが、今の耀の爪を受けるよりはマシだった。その鋭い一閃を受ければ、胴体は軽く真っ二つになっていただろう。

 

「RRRRRrrrrrrr……!」

 

 邪魔をされた耀はレティシアを仇の如く睨み付け、唸り声を上げる。その姿に、沈痛そうに表情を歪めるレティシア。

 

「一体何が起きているのか分からないが……そこまで己を見失ってしまっているのか……!」

 

 普段は無表情ながら、心優しかった少女がここまで変貌してしまった事に、心を痛める。どうしてこんなことになってしまったのかは分からない。だが、その手を汚させるようなことをすれば、彼女自身の心に大きな傷を負わせることになる。

 

 まだ火蜥蜴が残っているが、彼らを死なせないためには、逆に死なせない程度に叩きのめす必要がある。そして耀に誰も殺させず、そして己を殺させるわけにもいかない。

 

「──来い、耀。その力、私が全て受け止めてやる……!」

 

「──GEEEEEEEYAAAAAAAAaaaaaaa!!」

 

 覚悟を決めたレティシアへ、暴走する耀は襲い掛かるのだった。



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デビルサマナー久遠飛鳥 対 ラッテンフェンガー ですよ?

 レティシアが耀を取り押さえようと奮闘している最中、傷付いたラッテンは路地裏へ下り、姿を隠しつつ逃走する。

 

 謎の暴走をしていた耀によって決して軽くないダメージを受けたが、同士討ちしてくれるならこちらの有利になる。人質も使い、このまま追い詰めればタイムアップを狙うことは可能だ。

 

 ラッテンは腹部を庇いつつもブンゲローゼン通りからマルクト教会へ走る。マルクト教会は本来碑文とステンドグラスが飾られていた最も重要な場所であり、捜索隊が目指していてもおかしくはない。また、シュトロムを数体待機させており、防衛戦を張るためにはそこへ向かう必要があった。

 

 しかし耀が〝人修羅〟として現れたのは全くの想定外でもあった。一刻も早く同士に伝えるために魔笛を掲げてネズミたちを操り、ペストやヴェーザーの居場所を探ろうとする。

 

 しかしそこへ──りぃん、と鈴のような音が鳴り響く。

 

「あ、く……!?」

 

 ラッテンは心底不快な音を聞いたかのように耳を塞ぎ、苦悶の表情を見せた。ネズミたちは悲鳴を上げ、ラッテンの支配にも構わず逃走していく。それに慌てて魔笛を吹こうとするが、先程から響く鈴の音に集中することが出来ず、また耀から受けたダメージが重く、呼吸すらままならない。

 

「な、何なの、この不愉快な音は……! 一体何処から──」

 

 鈴の音は絶え間無くりぃん、りぃん、と響いている。ラッテンはその音に耐えながらもマルクト教会へ急ぎ、そこへ近付くにつれ鈴の音が強く響いて来ることに気が付いた。

 

「ま、まさか──」

 

 

「──遅かったわね、偽りの〝ハーメルンの笛吹き〟……いえ、本物の〝ネズミ捕り道化(ラッテンフェンガー)〟」

 

 

 やや綻びた真紅のドレスを身に纏った久遠飛鳥が、教会のステンドグラスを背に彼女を待ち受けていた。鈴の音は飛鳥の周囲から響き渡っている。ラッテンは表情を歪ませ飛鳥を睨み付けた。

 

「……この不快な音は貴女が?」

 

「あら、私は結構好きな音色だけれど……聞いていたとおり、悪魔には結構効くのね。この封魔の術(エストマ)というのは」

 

 しかしラッテンには嫌がらせ程度にしかなっていないことに気が付くと、溜め息をついて指を鳴らした。すると鈴の音はプッツリと途切れ、ラッテンは安堵したように息を吐く。

 

「勘違いしないで欲しいのだけれど、別に貴女のために切ったわけじゃないわよ。あくまで、〝不快な音で集中出来なくて負けました〟なんて言い訳させないためだもの」

 

 飛鳥は敢えて挑発するように、自信に満ち溢れた表情で長い髪とドレスを靡かせる。しかし、ラッテンは意地の悪い表情で言い返す。

 

「へーえ。雑魚悪魔を殺されて泣きべそかいてた小娘が、随分大きく出たものね──」

 

「そういう貴女は、間薙君にケチョンケチョンにやられて逃げ出したのだったかしら? お顔は大丈夫……ではなさそうね。残念ながら」

 

 ギリ、とラッテンは壮絶な表情を浮かべて歯軋りをする。相手をからかうにはややラッテンの分が悪かった。このゲームが始まって以来、〝人修羅〟に振り回され続けているのだ。

 

 更にそこで、飛鳥の肩にいるとんがり帽子の精霊を見つけ、己の真名を騙る怨敵に青筋を立てる。魔笛を指揮棒のように掲げて叫んだ。

 

「とうとう姿を現したわね、偽物……! 丁度いいわ! 貴女を人質にして有効活用させてもらうから!」

 

「BRUUUUUUUUM!」

 

 迫り上がる地盤から現れた三体のシュトロムは、教会の壁を砕きながら飛鳥に迫る。激昂するラッテンの怒りが伝染したかのように唸り声を上げ、一斉に風を吸い込み嵐のような乱気流を巻き上げ始めた。

 

「風の悪魔、ね……偶然なのか、運命なのか──」

 

 荒れ狂う豪風に髪を煽られるも、飛鳥は苦笑して──ドレスの上に着込んだ白色のベストに並ぶ、八つの筒から一つを選ぶ。

 

「──いいわ、まずはコダマ君の仇を取らなくてはね」

 

「BRUUUUUUUUUUUM!!」

 

 最早生かすことを考えていない、全てを巻き込み引き裂く竜巻が、飛鳥の身を襲う。しかし余裕に満ちた表情を浮かべると、高々と〝封魔管〟を掲げた。管の先頭が伸び、翠色の眩い輝きを放つ。

 

 その輝きに不吉なものを見たラッテンは、慌てて指令を下す。

 

「早くやりなさい! シュトロ──」

 

 

「────召喚(・・)

 

 

 翠色の閃光が、辺りを包み込み──

 

 

    *

 

 

 ハーメルンの街を三つの影が縦横無尽に飛び回る。

 

 その一つの影──黒ウサギは、轟きと雷鳴を響かせる〝擬似神格・金剛杵(ヴァジュラ・レプリカ)〟を振るい、豪雷を発する。

 

 もう一つの影──サンドラは、黒ウサギの反対側に回り込み、その〝龍角〟から紅蓮の炎を発する。

 

 そして最後の影──ペストは、悠々と棒立ちのままその二つの奔流を黒い風の球体に受け、遮断する。ペストが手首を返すと黒い風は四本の竜巻に分かれ、サンドラを襲った。

 

 二人はギフトを収め、その反撃を躱した。このような戦況が先程から幾度となく繰り返されており、サンドラは焦りを浮かべ始める。神格級のギフトを二つ同時に襲いかかってもビクともしないのだ。黒死病を体現する悪魔にしては奇妙な能力ではある。

 

 しかし、黒ウサギは十六夜から魔王の正体に対する考察を聞いており、自分たちの攻撃が通用しない理由の心当たりがあった。

 

「〝黒死斑の魔王(ブラック・パーチャー)〟。貴女の正体は──神霊の類ですね?」

 

「──そうよ」

 

 正体を看破されたペストは、無表情に返す。しかしサンドラは驚愕し、黒ウサギの方へ思わず振り向いた。

 

「……私たちをあしらう程の力は、〝ハーメルンの笛吹き〟に記述された〝百三十人の子供たちの死の功績〟では成し得ません」

 

 黒ウサギはペストを油断なく見据え、言葉を続ける。

 

「十六夜さんから話を聞いた時はよもや、と思いましたが……貴女の本当の正体は、十四世紀から十七世紀にかけて吹き荒れた黒死病の死者──〝八千万もの死の功績(・・・・・・・・・)〟を持つ悪魔ですね?」

 

「なっ……!?」

 

 世界人口の三割を奪った黒死病──その途方もない功績に、サンドラは絶句する。しかしペストはその推測に、毛先を弄りながら気怠そうに答える。

 

「少し誤りがあるわね……いいわ、時間稼ぎ程度に教えてあげる──」

 

 そうして、ペストは己が神霊に至った経緯を語り出す。

 

「私は神霊化した黒死病──ではないわ。黒死病は後の医学が対抗手段を得たことで、神霊に成り上がるための恐怖も信仰も足りていない」

 

 そこまでは黒ウサギも分かっていた。密教の悪神のように恐怖を持って奉られる神仏も決して少なくはない。何れ克服されてしまうような病では神霊たり得ないのだ。

 

 しかし、ペストの続く言葉に、黒ウサギはサンドラ共々絶句する。

 

「そもそも私は自ら箱庭に来たのではないわ。魔王軍〝幻想魔道書群〟を率いた男によって召喚されたのよ──〝八千万の悪霊群〟である私を、死神に据えようとしてね」

 

「なっ……! そ、それはつまり、貴女の本当の正体とは、黒死病の死者の霊群……!」

 

 その代表が私だと、ペストは頷く。だがそこで、憂鬱げに溜め息をついた。

 

「……しかし、かの魔王は私たちを召喚する儀式の途中で、何者かに敗北してこの世を去ったわ」

 

 そして幾星霜の月日が流れた末に、何かの拍子で式が完成し、時の彼方から呼び出されたのだ。死の病が蔓延り、世界人口を大きく減ずる恐慌時代から。

 

「だから、私には権利があった。死の時代を生きた全ての人々の怨嗟を叶える特殊ルールを敷ける権利が──」

 

 無表情を貫いていたペストが、そこで初めて激情に口調を強める。

 

「──そう、黒死病を世界中に蔓延させ、飢餓や貧困を呼んだ諸悪の根源──怠惰な太陽に、復讐する権限(・・)が……!!」

 

 黒死病流行の原因は、太陽が氷河期に入り、世界そのものが寒冷期に見舞われたためだと言われている。それこそが、〝グリムグリモワール・ハーメルン〟が〝主催者権限(ホストマスター)〟を得るに至った理由、そして白夜叉を封印出来た理由だった。

 

「氷河期で太陽が弱まったという年代記──それをなぞり、白夜叉様を封印したのですね……!」

 

 それはつまり、最早このゲーム中に白夜叉の封印を解く手段は無いということだった。そして箱庭のルールにおいては、その手段を持たない方が悪いとされる。参加者たちは己の力のみでこのゲームを乗り越えなければならないのだ。

 

「……さあ、ゲームを再開しましょ。タイムオーバーのその瞬間まで、たっぷりと遊んであげる」

 

 先程の激情を鎮めたペストは、悠々と構えて薄く笑う。

 

 最早二人に勝ち目は無い。相手の霊格が格上のために下手な攻撃は通じず、打つ手が無い。サンドラは戦慄し、蒼白となる。

 

──だが、黒ウサギは不敵に笑う。

 

「……なぜ笑うのかしら? 何か勝算でも?」

 

 ペストは黒ウサギのその表情を不審げに見やる。黒ウサギはゆっくりと首を振り、そして明るい声で答える。

 

「まさか貴女は──自分たちが勝てるとでも思っているのではないでしょうね?」

 

 安い挑発に、かえって訝しむペスト。

 

「……私が警戒するのは〝人修羅〟だけよ。それ以外はどうとでもなる相手……貴女を含めてね」

 

「それは少し油断しすぎと言うものですね……シンさんはああ見えて気まぐれなところがありますが、十六夜さんは勿論我らが〝ノーネーム〟のトップ戦力の一人ですし、レティシア様も霊格を落としているとはいえ、木っ端悪魔程度では相手にならないでしょう──」

 

 そして何より、と黒ウサギは胸いっぱいに息を吸い、不敵に答える。

 

「──きっと飛鳥さんが力を付けてやってきます。皆さんが貴女の手下を片付けた後は、貴女の番ですよ、〝黒死斑の魔王(ブラック・パーチャー)〟!」

 

 

    *

 

 

 人一人を粉微塵にできる竜巻が飛鳥に殺到し──その全てが、反射(・・)された。

 

「──何ですって……!?」

 

 荒れ狂う竜巻は辺りの建築物を粉砕し、幾つかはシュトロムの一体に命中し、その巨体を一瞬にして塵にする。竜巻の目標だった飛鳥には怪我一つなく、涼しい顔で仁王立ちする。

 

──そして、その正面には一体の人影が構えていた。

 

 やや背の高い少年だった。黒髪のショートボブに、幼いながらも眉目秀麗な顔立ちである。青いチェック柄のクロスアーマーを着込み、その上から雪のように白い軽装鎧(ライトアーマー)を装備している。口元は青と赤のチェック柄の長いマフラーに隠れているが、その不敵で悪戯っぽいその目付きが、少年の性格を如実に表していた。

 

『──オレは妖精セタンタ! 我を呼ぶ声に応じ、ここに見参す、ってなァ!』

 

 少年──セタンタは、己の身長を超える程の長さを持つ槍を手足のように振り回し、ラッテン向かって突き付けた。

 

『って、こんなオバサンが相手かよー。やる気無くしちゃうなあ、オレ』

 

 突き付けた槍をへにょりと下げると、セタンタはさも不満げにブー垂れる。飛鳥は頭痛を抑えるように片手で頭を抱えると、文句を言うセタンタを叱咤する。

 

「それでも敵は敵よ。貴方が満足できるような相手じゃないでしょうけれど、文句言わずに戦いなさい」

 

『へいへい……ま、そういうことなんでオバサン、恨んでくれるなよな』

 

 再び槍を構えるセタンタを、ラッテンは幾つもの青筋を立てて憤怒の顔で睨み付けていた。何度もオバサン呼ばわりすれば怒りもするだろう。ましてやこの二人はラッテンを軽く見ている。人質にするのは止めて、一思いに殺してくれる、とラッテンは決意を新たにする。

 

──それこそが二人の狙い(挑発)なのだが、ラッテンは気が付いていない。

 

「潰しなさい──シュトロム!」

 

 瓦礫を吸い込んでいたシュトロムの一体が、顔面に空いた大きな空洞から塊を幾つも撃ち出す。悪魔であるセタンタはともかくとして、脆弱な人間である飛鳥がそれを受ければ一撃で肉塊と化すだろう。

 

 しかし、ここに居るのはただの人間と悪魔ではない。

 

 デビルサマナーとその仲魔なのである。

 

「散らしなさい──セタンタ!」

 

『応よ──!』

 

 飛鳥の命を受け、セタンタがその槍を華麗に操り、襲い来る瓦礫の塊を砕き、散らしていく。あくまで必要最低限、自分たちに当たりそうな瓦礫だけを的確に砕いていく。

 

 それを見て、ラッテンはほくそ笑む。

 

「馬鹿ね、シュトロムはまだ一体残っているわよ──!」

 

 セタンタが防御する反対側からシュトロムが現れ、同じく瓦礫を撃ち出した。そこは飛鳥に直撃する軌道である。飛鳥はようやく気が付いたように己に迫る瓦礫を見据え──

 

「────はぁ!?」

 

──バク転宙返りで、瓦礫を華麗に避けてみせた。

 

「──鈍い攻撃ね。止まって見えるわ」

 

 シュトロムは飛鳥を追って瓦礫を撃ち出し続けるが、飛鳥はくるりくるりと舞踏を舞うようにそれを避けていき、時折人間の限界を超えた速さで跳躍し、狙いを定めさせないでいた。

 

 混乱するラッテンに、セタンタがケケケと心底おかしそうに笑いかける。

 

身軽の術(スクカジャ)で強化済みだぜ──デビルサマナーってのは悪魔と肩を並べて戦うもんだ。人間だからと甘く見てると、痛い目を見るぜッ!』

 

 シュロトムは二体とも瓦礫を撃ち尽くし、攻撃が途切れてしまう。当然、飛鳥とセタンタはその隙を逃さない。無防備なラッテンへ迅速な速さで一直線に向かう。慌てたラッテンは盾にしようと二体のシュトロムに命じ──

 

『こりゃあ壊しやすいなッ! 喰らいやがれ(烈風破)──!』

 

──セタンタが渾身の力で振るった槍に、残らず粉砕された。

 

「そ、そんな──!?」

 

 砕かれたシュトロムの破片を浴びて、吹き飛ばされるラッテン。近くの建物に叩きつけられると、血反吐を吐いて無様に咳き込む。その首筋へ、セタンタが己が獲物を突きつけた。

 

『──ま、こういうことだ。テメーの息の根を止めるなんざ、番犬の首をひねるより楽勝なんだぜッ』

 

「くっ……!」

 

 勝敗は決した。セタンタの武技にラッテンは敵わず、飛鳥を仕留めるどころか傷付けることすら叶わなかった。相性が抜群だったのもあるが、驚くべきは数時間で悪魔を操る術を身に付けた飛鳥である。やや仲魔に引きずられているきらいがあるが、経験を積めばすぐに一端のデビルサマナーになることだろう。

 

 セタンタはようやく近くで拝んだラッテンの顔をマジマジと見つめると、ヒュウ、と口笛を吹いた。

 

『なんだ、近くで見ると意外といい女じゃねーか。……どうよ、アンタ。仲魔になるなら命だけは助けてやってもいいけど?』

 

「ちょ、ちょっと貴方、何を言って……!」

 

 飛鳥は慌てるように咎めるが、セタンタは槍を下ろしてしまう。ラッテンは無言でそれを見つめていた。

 

『おいおいアスカ、デビルサマナーってのはそういうもんだ。昨日の敵は今日の仲魔ってヤツだぜ。さっきまで戦ってた悪魔と肩を並べるなんてもんは、オレたちにとっちゃ日常茶飯事なのさ』

 

「け、けれど……」

 

 苦笑しながら言うセタンタに、飛鳥は言い淀む。コダマの敵があったが、それはもう十分だろう。封魔管にもまだまだ空きはある。検討に値する案だった。

 

『で、どうよ? オレたちと共に行かないかい、お姉さん?』

 

「……そうね、それは──」

 

 キザったらしく笑いかけるセタンタに、ラッテンは柔らかく微笑んで──

 

 

「──糞食らえよ、クソガキが」

 

 

──己の全霊格を込めて、魔笛を全力で響かせる。

 

 それは精神どころか魂を塗り潰すような最悪の魔曲だった。大切な記憶を切り刻み、抱いている信念を打ち砕き、掛け替えのない意思を磨り潰す。

 

「くぅっ……!」

 

 飛鳥はその壮絶な魔力に耳を塞ぎ、必死に耐えていた。人並外れた霊格を持つとはいえ、この攻撃が続けばそう長くは持たない。あと数秒もすれば飛鳥の霊格は破壊され、生ける屍が一つ転がることになるだろう。

 

 そして、それを目の当たりにしたセタンタは──

 

 

『──悪いな。そういうの(魔力)は効かない性質なんだよ』

 

 

──断頭台の如き一閃によって、ラッテンの首を落としていた。

 

 魔笛はカラン、と転がり落ちて、頭を失った身体はドサリと横に倒れる。くるくる回って落ちてきたラッテンの首はゴロリと転がって、苦悶の表情を飛鳥に向けた。

 

「……………………」

 

 飛鳥は、一生この光景を忘れまいと誓う。

 

 命を奪われること。命を奪うこと。

 

 己が選んだ道とはそういう道なのだ。

 

 ラッテンの遺体は風とともに散っていく。その欠片は、雪片の如く真っ白な欠片となって飛ばされて行った。後に残ったのは、持ち主を失った魔笛のみ。

 

 

 対〝ネズミ捕り道化(ラッテンフェンガー)〟──飛鳥の勝利。



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妖精は修羅と対峙するそうですよ?

「飛鳥さん! 無事でした──か?」

 

 飛鳥がラッテンの遺品である笛を拾い上げていると、ジンがやってきた。しかしその声は戸惑うように途切れ、こちらの様子を伺っている。どうしたのかと一瞬疑問に思うも、そういえば今はセタンタを連れていたのだと気が付いた。

 

「紹介するわ。彼は私の仲魔──妖精のセタンタよ」

 

『よう、ボウズ。よろしくな!』

 

 セタンタはラッテンを仕留めたままにしていた槍を肩に掛けると、爽やかに挨拶した。ジンは戸惑いながらも挨拶を返す。

 

「飛鳥さんの所属する〝ノーネーム〟のリーダー、ジン=ラッセルです。この度はご協力に感謝します」

 

『なーに、これからはオレたちは同士なんだ。そんな硬くならずに気軽に行こうぜッ』

 

「は、はぁ……」

 

 馴れ馴れしく肩を組み、哄笑するセタンタにたじろぐジンだった。飛鳥はその光景を苦笑しながら眺めていたが、ふと気が付くと後ろを振り返る。

 

「そうそう、ここに真実のステンドグラスがあるわ。ジン君はそれを確保して──」

 

 ところで、飛鳥とセタンタのコンビとラッテンが激突したのは何処だっただろうか? 答えはマルクト教会その場所である。そこでセタンタは幾つもの竜巻を反射し、そこでシュトロムと大暴れをした上、飛鳥が避けた瓦礫の弾丸は建物へ命中していたのだ。

 

 要するに、飛鳥の視線の先にあったのは──瓦礫に埋れ、廃墟と化したマルクト教会の姿であった。

 

「…………」

 

『…………』

 

 呆然とそれを眺める飛鳥に、気まずそうに頭を掻くセタンタ。ジンは信じたくない事実に両手で頭を抱える。

 

『……あー、なんだ、一つくらい足りなくたって──』

 

「──大丈夫なわけないでしょう!? ど、どうするのよこんなにしてしまって……!」

 

 適当な事を言うセタンタへ、動揺した飛鳥の怒声が響き渡った。セタンタは首を竦め、呆れたように首を振る。

 

『おいおい、確かに周りを気にせず暴れたオレも悪いけど、一番被害がでかかったのはアスカがノリノリで避けた敵の攻撃だぜ。とっとと場所を移してればこんなことにはならなかったんだ』

 

 ぐぅ、と飛鳥は己の失態を突っ込まれて押し黙る。箱庭に召喚されて以来幾つかのゲームを経験しているが、矢面に立って戦う経験はまだ浅く、状況判断にまだ慣れていなかったための失敗だった。反省する飛鳥だったが、問題はステンドグラスである。

 

 ジンはよろよろと廃墟に歩み寄る。

 

「ま、まだ壊れていない可能性があります。なんとか掘り出してみましょう」

 

『いや……これは望み薄だと思うけどな』

 

 人の手で掘り返すのは難しいし、何より危険だ。飛鳥は慌ててジンを抑える。

 

「ま、待って。危ないから、ここはセタンタにやらせて──」

 

 

『──いやー、間一髪だったホー!』

 

 

 慌てる一同の背後へ、気の抜けるような声が響いた。振り返るとそこにいたのは、何か板状の物を抱えた、青い帽子を被った雪だるまのような存在だった。

 

『あん……? 何でジャックフロストがここにいるんだ?』

 

「そ、そのステンドグラスはまさか……?」

 

 訝しむセタンタだったが、ジンはジャックフロストが持つ板──真実のステンドグラスに顔色を変える。マルクト教会に飾られていたはずのそれが、ここにあった。

 

『ヒーホー! オイラたち、シンに頼まれてステンドグラスを集めて回ってるホー! ついさっき持ち出した瞬間に教会が崩れて、焦ったホー』

 

 汗を拭うように額を擦るジャックフロスト。ジンは心底安堵し、はぁぁ、と長い溜め息を付いた。

 

「よ、よかった……助かりました……。良ければ、そのステンドグラスを預けていただけますか?」

 

 ジンは提案するが、ジャックフロストはええー、と嫌がる様子を見せる。

 

『このままシンに持っていけばゴホウビ貰えるホ! だから渡すわけにはいかないホー!』

 

「え、ええと……クリアに必要なものなので……。シンさんに伝えますからここは渡して頂けないでしょうか」

 

 慌てて説得するジンに、うーん、と考え込むジャックフロスト。セタンタは面倒そうに頭を掻くと、飛鳥に振り向いた。

 

『おい、アスカ。オマエからも言ってやれよ。妖精ってのは独自の価値観で動いてるからいろいろめんど……?』

 

 振り向いたセタンタが見たのは、宝物を見つけた子供のように、キラキラと瞳を輝かせてジャックフロストを見つめる飛鳥の姿だった。冷や汗をたらりと流し、ジト目で己の主を伺うセタンタ。

 

『……おーい?』

 

「──はっ、い、いえ、別に……すごい可愛いから仲魔にしたいとかそんな気は……!」

 

『…………』

 

 語るに落ちていた。

 

 それに気が付いて頬を赤らめた飛鳥はコホン、と咳払いをすると、ジャックフロストへ優しく声を掛ける。

 

「では間薙君に、貴方が危機一髪のところを助けてくれたと伝えるわ。きっと素敵なご褒美を貰えるはずよ。それなら良いでしょう?」

 

 飛鳥の提案に、一瞬首を傾げたジャックフロストだが、一転してヒーホー! と歓喜の声を上げる。

 

『それでいいホ! 必ずオイラが大活躍したと伝えてくれホ!』

 

 喜びながらそのステンドグラスをジンに手渡した。ジンはそれをしっかりと抱えて、礼を言う。しかし、はしゃぐジャックフロストはもう聞いていない。そこへ、飛鳥は何でもないように装って一声かける。

 

「……そうそう、よければなんだけれど貴方、私の仲魔に──」

 

『えー? オマエ弱っちそうだからイヤだホ』

 

 がは、と今回のゲームで最大のダメージを受けた飛鳥はたじろぐ。しかしジャックフロストは攻撃の手をを休めない。

 

『それに、既に誰かと契約した悪魔を勧誘するなんて、サマナー(・・・)の癖にマナー(・・・)がなってないホ! はしたないホ!』

 

 ぐふ、と箱庭に召喚されて以来最大のダメージを受けた飛鳥はその場に崩れ落ちる。後、ついでに寒いダジャレとジャックフロストの冷気でその身がやや凍える。

 

『って、こんなヤツどうでもいいホ。それじゃーオイラ、もっとステンドグラスを見つけて、いっぱいゴホウビ貰ってくるホー! バイバイホー!』

 

 そうして、トテトテと走り去って行くジャックフロスト。その姿を溜め息と共に見送ったセタンタは、失意体前屈(orz)で項垂れる飛鳥の肩をポンと叩いた。

 

『……ま、手痛い授業料を払ったということで、そろそろ行こうぜ』

 

「……そうね、まだすることは残っているもの」

 

 飛鳥はゆっくりと身を起こし、立ち直ったかのように不敵な笑みを浮かべる。ダメージが残っているのか、ややフラついているのを隠し切れていないが。

 

 そこでジンはハッ、と思い出したかのように表情を変え、二人に焦ったように告げる。

 

「そ、そうでした! 急いでレティシアさんの所へ向かってください! 今彼女は危険な状態にあります!」

 

「誰かに襲われているの?」

 

 飛鳥は表情を引き締め、ジンへ問いかける。魔王の配下の一体を倒したとはいえ、まだ敵は残っているのだ。参加者たちの作戦を知らない飛鳥がそう推測するのは無理なかった。しかし、首を振って訂正したジンの言葉に、飛鳥はその表情を驚愕に染めた。

 

「──暴走した耀さんが、レティシアさんを襲っているんです!」

 

 

    *

 

 

「GEEEEEEYAAAAAAAAaaaaaa!!」

 

 耀が爪を大きく振るい、レティシアに襲い掛かる。しかしレティシアはそれを軽く避けると、隙だらけの胴体に蹴りを叩き込んだ。カウンターは見事に決まり、それほど体重が無い耀は軽く吹き飛ばされる。

 

「GeYa……!」

 

 建物の外壁に叩きつけられて怯むも、すぐさま立ち上がりレティシアに向かってくる。先程から幾度となく繰り返される戦況だが、耀は構わず目の前も敵を襲い続ける。何の理性も無く、ただの獣と化したかのように牙を剥き、爪を振るい続ける。

 

 幸い、歴戦のプレイヤーであるレティシアに取っては大きな脅威ではなかった。理性がない故に攻撃は直線的で、酷く読みやすい。ギフトを使うまでもなく相手取ることができる。全力の攻撃を避けられ続け、何度もカウンターを受けた耀はかなり消耗している。

 

──しかし、レティシアもまた徐々に消耗していた。

 

 一撃でも受ければ、霊格を落とした今のレティシアでは大怪我は免れない。その一撃を決して受けないように、細心の注意を払って受け流し続けているのだ。

 

 更に、周囲には気絶した火蜥蜴たちの姿があった。場所を移したかったが、退けば彼らを襲うかもしれない。彼らに攻撃の余波が及ばぬよう、耀の攻撃すらコントロールする必要があった。

 

 そして、最も恐るべきは──

 

「GEEEEYAAAAAAaaaaa……!」

 

「しまっ──ぐうぅっ……!」

 

 レティシアの隙を突き、距離を取った耀が雄叫びを上げると、レティシアの身から赤い靄が大量に漏れ出し、耀はそれを吸い込んで行く。レティシアの力は抜け、体力も削られて行く。逆に消耗していたはずの耀は元気を取り戻し、力も速度も元に戻ってしまった。

 

──形はやや異なるが……やはりこれは、吸血(・・)……!

 

 レティシアの顔色は蒼白になっていた。これまでに何度も耀の吸血を受けたために血が足りなくなっているのだ。攻撃を受ける力は萎えて、足元も覚束なくなってきた。

 

──吸血鬼が血を吸われるなど、笑い話にもならんな……。

 

 苦笑するレティシアだが、絶体絶命だった。もはやここまで消耗すると、耀の攻撃を受け流すことは難しい。かと言って避けることも難しい。耀は弱った獲物を前に笑みを浮かべ、一旦下がって距離を取ると、片手に渾身の力を込め始める。

 

「GEEEEEEEEEEeeeeeeeeee……!!」

 

 耀の全身の刺青が発光する。それに合わせて片手はメキメキと筋肉が盛り上がり、爪は鋭利に伸びて鋼鉄の如く硬質化していく。レティシアを確実に仕留めるために、必殺の一撃を繰り出そうとしているのだ。その脅威を前に、レティシアは悲しげに微笑む。

 

「……もはやこれまでか……すまない、皆……耀……」

 

 勝機が無いわけではない。その身に宿るギフトを振るえば、容易に耀を八つ裂きにすることができるだろう。そして、それは当然耀の死を意味する。だが、座していればレティシアの死を意味する。

 

 レティシアが死ぬよりは、耀が死ぬ方がコミュニティの損失としては小さい。だがレティシアはとある過去から、決して同士を手に掛けぬと誓っている。故に反撃することもできず、ただ立ち塞がることしかできなかった。

 

「──GEEEEEEEEEEYAAAAAAAAAAAaaaaaaaaa!!!」

 

 耀が駆ける。

 

 目の前の存在を殺すため、全力で駆ける。何のために戦っているのか、一体誰と戦っているのか、全く分からないまま、力に呑まれた哀れな修羅は駆け抜ける。

 

 目の前のレティシアを八つ裂きにしようと剛腕を振り上げて──

 

 

『──止めなさい(・・・・・)ッ!!』

 

 

──告げられた言霊に、その身は一瞬縛られた。

 

「GeYaa……!?」

 

 そして、一瞬で振り払われる。剛腕はそのまま振り下ろされる。爪は目の前のもの全てを引き裂いて──

 

『あぶねーあぶねー、危うくオレも八つ裂きにされる所だったぜ……!』

 

──いない。

 

 既にセタンタがレティシアを抱えて引き下がっていた。そのまま跳躍し、飛鳥とジンがいる場所まで引き下がる。セタンタは手を離し、そのまま脱力して倒れこむレティシアをジンが支えた。

 

「ジン……飛鳥……それに君は……?」

 

『オレは妖精セタンタ。……ま、詳しい話は後回しにしようぜ』

 

 セタンタは獰猛な笑みを浮かべて、槍の穂先を耀に突き付ける。耀は獲物狩りの邪魔をした存在を憎々しげに睨み付けた。その視線を受け、飛鳥は信じ難いものを見たように目を見開き、青褪める。

 

「一体、何がどうなってるの……? 春日部さんが何故こんな……!?」

 

『さあな。唯一つ分かることは──アイツはオレたちを許すつもりはない、ってことだぜッ!』

 

 耀が飛び掛かり、セタンタは槍を振るってそれを受け流す。隙をついて柄を叩きつけると耀は衝撃に合わせて後ろに飛び、ダメージを軽減した。セタンタは舌打ちすると、再び槍を構える。

 

『理性のねー獣かと思ったが、それなりに戦い方はなってるようだな』

 

 愚痴を吐くと、耀から目を逸らさぬまま飛鳥へ問い掛ける。

 

『で、どうすんだよアスカ? 殺っちまっていいなら本気を出していくぜッ』

 

「駄目よ! お願いだから、出来るだけ傷付けずに取り押さえて……!」

 

『おいおい、この状況で難しい注文するな……』

 

 飛鳥の悲壮な願いに、セタンタは首を竦めると、

 

『まっ、サマナーの頼みとあっちゃ仕方ねえか──!』

 

 苦笑と共に、耀に向かって行くのだった。



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魔王とのゲームは佳境に入るそうですよ?

 セタンタは風を切るように槍を振り回し始めた。耀は警戒し、様子を窺っている。セタンタはすぐに飛び掛かっては来ないことを確認すると、じりじりと近付き始める。

 

 セタンタが耀と対峙している最中、飛鳥とジンはレティシアを介抱していた。とはいえ出来ることは少ない。目立った怪我は無く、血が不足しているのが弱っている大きな原因だからだ。命に別条はないが、もう戦闘は不可能だった。

 

 レティシアは二人に耀が現れてからの事と、戦いの最中気が付いたことを伝える。

 

「──血を吸われたですって? 吸血鬼の貴女が……?」

 

「ああ……直接噛み付かれたわけではないが、あれは間違いなく吸血だ。しかし、単純に吸血鬼と化している訳でもないらしい」

 レティシアは辛そうに声を絞り出す。話すのもやっとだが、出来る限りのことは伝えておかなければ、飛鳥たちは勿論、耀もまた命の危険がある。妥協するわけにはいかなかった。

 

「あの姿は戦う時の間薙君そっくりだわ……彼が関わっていると思う?」

 

「間違いないだろう。だが、探している時間は無いし、敢えて姿を現さないのかもしれん。私たちだけでどうにかするしかない──」

 

「GEEEEEEEEYAAAAAAAAAaaaaaaaaa!!」

 

 レティシアが言い終わらない内に雄叫びが響き渡ったかと思うと、振り向いた一同の視界には、目にも留まらぬ速さで建物から建物へ飛び移りながら、四方八方からセタンタへ爪を振るう耀の姿があった。

 

 セタンタはうまく受け流しているが、身動きが取れない。飛鳥は己のフォローが必要だと察し、駆け付けようとする。

 

「──妙だな……先程までは完全に力任せだったのだが」

 

 しかし、そこへレティシアの呟きが耳に入った。どうも聞き逃せない気がした飛鳥は立ち止まり、確認することにする。

 

「力任せ? それって……」

 

「私と戦っている時は、まっすぐ突撃してきて爪を振るうのみだったんだ。それがどういうわけか、お前たちが来てから変化している……まるで目が覚めたかの様な……」

 

「何か僕たちが耀さんに干渉したことは──」

 

 首を傾げるジンは、ハッ、と気が付き飛鳥の方を振り向いた。

 

「──飛鳥さんのギフト?」

 

「で、でも私のギフトは……」

 

 すぐに振り払われてしまった、と飛鳥は目を伏せるが、レティシアは首を振る。

 

「いや、案外当たっているのかもしれん。耀を支配する力と飛鳥のギフトが拮抗したのか……先程よりは力に振り回されていない様だ」

 

 まだ我を失っているがな、とレティシアは眉を顰める。しかし光明は見えてきた。推測でしかないが手を拱いているよりはいい。飛鳥は胸の前で拳を握り締めると、戦闘中のセタンタと耀の元へゆっくりと歩いていく。

 

「……セタンタ、助けは必要かしら?」

 

『──いや、話は聞いてたぜ。オレに構うヒマがあったら、向こうに呼び掛けてやれよ』

 

 飛鳥の問いに、セタンタは耀の攻撃をあしらいながらも、不敵な笑みで答える。飛鳥はセタンタを邪魔しない程度の位置で立ち止まり、ゆっくりと深呼吸を始める。

 

 そして、思い切り声を張り上げて、耀に向かって呼びかける。

 

「──春日部さん(・・・・・)ッ!!」

 

「──GeYa……!?」

 

 飛鳥の渾身の叫び声に、怯んだ耀はセタンタへ一撃振るうと、飛び下がって停止し、飛鳥を睨み付けて警戒する。

 

「……お願い、正気に戻って(・・・・・・)!」

 

「Geee……!!」

 

今すぐ戦うのを止めて(・・・・・・・・・・)! 私たちは〝ノーネーム〟の同士でしょう! 戦う必要なんてないわ!」

 

「GeYaaa……!」

 

 飛鳥が呼び掛ける度に、耀は頭を抱えて悶える。明らかに影響を受けているその様子に、ジンは期待の声を上げる。

 

「よし、これなら……!」

 

 しかしその直後、耀は頭を振り払い闇雲に飛鳥へ突撃する。が、セタンタがそれを許す筈もない。すぐさま進行方向に立ち塞がり、槍を振り回す。

 

『おーっと、させないぜッ! そう簡単にはいかな──ッ!?』

 

 先程と同じく攻撃を受け流そうとしたセタンタは、その攻撃の重さに驚愕する。力が急激に上がったのではなく、まるで重量そのものが増えた(・・・・・・・・・・)かのようだった。

 

 無論、その程度ならセタンタが受けれる程度の攻撃だった。しかし、攻撃を軽く見積もっていたために槍を持った腕ごと弾かれ、大きく体勢を崩す。舌打ちしたセタンタは槍での対応を諦め、すぐさま蹴りを入れるが──

 

『マジかよオイッ!?』

 

──まるで鳥のように(・・・・・)宙を舞った耀は、それすらも抜けて行く。

 

 セタンタは青褪め、目の前をすり抜けて行く耀を眺めることしかできない。そして耀が飛んでいく先には、耀から決して目を逸らさず、堂々と仁王立ちしている飛鳥の姿があった。

 

『おい、早く逃げろッ!』

 

「飛鳥さん!?」

 

 セタンタとジンは焦燥に声を荒げ、同時に叫ぶ。しかしレティシアは一人、飛鳥のその瞳に勝機を掴んだ者のそれを見ていた。それでも拳を固く握り、その姿を心配そうに見つめる。

 

「──AAAAAAAAAaaaaaaaaaaaa!!」

 

 耀はどこか悲痛な叫び声を上げて、腕を振り上げる。それを見ても飛鳥は動かず、ただ待ち構えるのみ。

 

 

──そして、耀と飛鳥の影が重なった。

 

 

    *

 

 

 山河を打ち砕く力の攻防は、周囲一帯を破壊し尽くし、瓦礫の山に変えた。大地を捲り、河を操り、地殻変動に比する力を存分に振るうヴェーザーを、十六夜は迎え撃っていた。

 

 襲い掛かる無数の水柱と岩塊の隙間を抜いながら、撒き散らされた障害物の陰からヴェーザーが襲い来て、十六夜の懐に潜り込む。隙を突かれた十六夜は瞬時に防御を固めると、振るわれる巨大な魔笛の一撃を回転しつつなんとか受け流す。

 

「──ぐ、うっ……!!」

 

 その一振りすら地殻変動に匹敵する一撃である。肉は弾け飛び、骨は軋み、血を撒き散らす。常人ならば反応すらできず肉塊と化していただろう。人の領域を遥かに超えた身体能力を持つ、十六夜だからこそこの程度で済んでいた。

 

 しかし、これが最初のダメージではなかった。

 

「……正直、拍子抜けだぜ坊主。まさかこの程度だとは思わなかった」

 

 ヴェーザーの失望したようなその言葉に、十六夜は軽口すら返せない。既に全身痣だらけであり、骨も幾つかへし折れている。血を流しすぎて顔色は青を通り越して土気色になっており、必死に行う呼吸もどこか弱々しい。まともに立つこともできず、フラフラとよろめいてさえいる。

 

 それでも、その瞳だけはギラついていた。

 

「認めるのは癪だが……俺は神格を得て、ようやくお前と力だけは互角になった。だからお前が回避に徹すれば、俺はまだお前を捉え切れずに攻撃を繰り返していた筈だ」

 

 だが、とヴェーザーは十六夜を見下し、その無様な姿の理由を告げる。

 

「──心あらずもいい所だぜ。そんなにお仲間が心配か?」

 

「…………」

 

 つまりは、そういうことだった。

 

 十六夜は、耀を始めとする仲間たちを心配するあまりに気が漫ろになり、ヴェーザーとの戦いに集中することが出来ないでいた。神格を得たヴェーザーは油断して勝てるような相手ではない。ましてや他に気を取られれば、容易く命を落としうる。まだ十六夜が生きているのは、たまたま運が良いだけだった。

 

──ハッ、我ながら情けねえ。まさかここまで腑抜けていたとはな……。

 

 耀が大怪我を負ったとか行方不明になった、という程度ならまだ目の前の戦いに集中しようとしていただろう。己のやるべきことを見失うような男ではない。

 

 しかし、その根底にはシンへの不信感があった。

 

 今回、シンは余りにも不審な動きを見せている。相変わらず情報を明かさないし、たまに人間のような仕草を見せたかと思えば、容易くそれを裏切る。特に耀を悪魔に変えた一件は許し難く、今だその胸の内には憤怒が燻っている。

 

 もちろん、飛鳥や黒ウサギへの心配もある。舞台に戻って来ているかわからない飛鳥に、己を待ちながら魔王と対峙しているであろう黒ウサギもまた、気掛かりなのだ。

 

「……そうだな、俺を待っている奴がいるんだ」

 

 小さく呟くと、十六夜は全身に力を込めてしかと立ち上がる。顔を上げ、己の敵──ヴェーザーを真っ直ぐ睨みつける。

 

 だが、それはもう遅すぎた。

 

「──ようやくやる気になったところで悪いが、勝負を決めさせてもらうぜ」

 

 そう言うと、ヴェーザーは己の霊格を全解放する。

 

 魔笛を頭上に掲げ、円を描くように乱舞すると、それに応じて立つことすら難しい程の地鳴りと振動が襲う。だがそれは徐々に収まっていき──地殻変動級のエネルギーが、魔笛のその切っ先に収束していく。

 

「……なかなか期待出来そうだな」

 

 十六夜はそう言って、無理矢理ヤハハと笑って見せた。

 

 当然、絶体絶命である。無理に立ち上がったせいで立ち眩みが襲い、両腕は重りが付いたかのように上がらない。その確実に致命的な一撃に構えることも出来ず、ただぼんやりと眺めるのみ。

 

──腕が上がらねえなら、頭があるさ。硬さなら自信がある。

 

 半ば本気でそう思い、必殺の一撃を待ち受ける。

 

 大地の揺れが収まり、不気味な程の静寂がその場を支配する。

 

 ヴェーザーは魔笛を握り締め、身体を後方へゆっくりと捻ると──ただ一言だけ告げる。

 

「────死ね」

 

 最早十六夜に抗う術はない。

 

 ただ死にゆくのみ。

 

 仲間を想うが故に、十六夜はここで果てる──

 

 

『──コンナトコロデ、死ナレテハ困ルナ』

 

 

──その直前、地の底からわき上がるような無機質な声が、十六夜の頭の中に響いた。

 

 

    *

 

 

 二人の少女が倒れこんでいた。

 

 一人は春日部耀。シンに与えられたマガタマによって悪魔と化し、その力に呑まれて暴走し、その力をあろうことか同士に向かって振るってしまった。

 

 もう一人は久遠飛鳥。フェイスレスと群体精霊によって授けられた、封魔管を用いる悪魔召喚士(デビルサマナー)となり、その力を振るって耀に立ち向かった。

 

──飛鳥の赤いドレスを、じくじくとドス黒い血が染めていく。

 

 飛鳥は耀の攻撃を真正面から待ち構え──そしてギリギリで避けた。身軽の術(スクカジャ)の効果がまだ有効だったために出来た芸当である。

 

 そうして、飛鳥の目論見は成功する。

 

 確実に当たるタイミングで避けられた耀は無防備になり──飛鳥はそれを抱き締めた。

 

 親愛なる友を迎えるように。愛する家族を慈しむように。

 

 そして当然、そのまま押し倒されてゴロゴロと転げて行く。術によって身軽になっていても、飛鳥の筋力が増大したわけでも、技量が上がったわけでもない。耀がぶつかった衝撃をそのままその身に受けて、硬い地面の上で二人は転げる。

 

 それでも、飛鳥は手を離さなかった。衝撃に肺が潰れ、歩廊の床に頭を打っても、決して抱き締める手を離そうとしなかった。

 

 そうしてようやく二人が止まると、飛鳥は下に、耀は上になった。耀は小柄で体重が軽いとはいえ、飛鳥の年相応の少女並の筋力ではその重さすら辛い。当然、だからといって離すこともなかったが。

 

──耀は押し黙っている。

 

 頭でも打ったのか、倒れた時にダメージを受けたのか、微動だにせずただ大人しく飛鳥に抱き締められている。

 

 耀のシャツから血が染み出し、密着している飛鳥のドレスを汚す。しかしそんなことは頓着せず、飛鳥は耀を抱き締めたまま、ゆっくりとその頭を撫でる。

 

「春日部さん……貴女は……」

 

 小さな子に言い聞かせるように、飛鳥は優しい声でギフトを使う。

 

「──貴女は、何も悪くないわ(・・・・・・・・・・・)

 

「──うん」

 

 耀が、小さく返事をした。

 

 戦闘中の様子とは一変して、まるで迷子のような弱々しい声だった。飛鳥はその背をぽんぽんと叩き、囁くような声で終わらせる。

 

眠りなさい(・・・・・)。起きたら、全部終わっているから」

 

「うん……ごめん、飛鳥……ごめ──」

 

 言い終わらぬ内に、耀はゆっくりと目を閉じて眠りに入った。すうすうと、安らかに眠るその姿に刺青は無く(・・・・・)角は消えて(・・・・・)牙も生えていなかった(・・・・・・・・・・)

 

「……終わったのか?」

 

 レティシアが恐る恐る、訪ねる。飛鳥はゆっくりと頷くと、ジンたちと共にはぁ、と長い溜め息を付いた。セタンタは耀をジンに預けると、小さな舌打ちと共に飛鳥を睨み付けた。

 

『まったく、無茶しやがるぜ。一歩間違えてたら死んでたっつーの!』

 

 悪態をつきつつも、セタンタは飛鳥を優しく抱き起こした。飛鳥はふらふらと立ち上がり、二人に謝る。

 

「ごめんなさい。でも、春日部さんからは逃げたくなかったのよ」

 

「気持ちは分かりますが、本当に無茶なことを……身体の方は大丈夫ですか?」

 

 ジンは座り込み、片手で耀を抱きかかえながら心配そうな声で問い掛ける。飛鳥は己の頭を確かめるように撫でると、痛みに顔をしかめて苦笑する。

 

「頭にたんこぶが出来たくらいね」

 

 それ以外は特に大きな怪我も無いようだった。レティシアは安堵するが、ギフトゲームはまだ終わっていないと、表情を引き締める。

 

「そうか……大事は無いようだが、場所が場所なだけに心配だな。私たちと一旦本陣に戻るとしよ──」

 

「──いえ、私たち(・・)はこのまま魔王の元へ行くわ」

 

 ジンとレティシアはぎょっと飛鳥の顔を見つめる。その顔には不敵な表情が浮かび、戦意は全く衰えていない。それを見たセタンタは暫し押し黙るも、やがてボリボリと頭を掻き、吐き捨てるように口にする。

 

『やれやれ、とんだお嬢様だ。正直、今のオレたちで戦力になれるかわかんねーぜ?』

 

「戦力になれるか、じゃないわ──なるのよ。むしろ魔王を倒すつもりで行くつもりよ」

 

『──いいねえ。そういうの好きだぜ、サマナー殿(・・・・・)

 

 セタンタは獰猛な笑みを浮かべると、槍を肩に担いだ。魔王の元へ行く気満々の二人をジンは慌てて止めようとする。

 

「き、危険です! ここは当初の予定通り、十六夜さんと黒ウサギに任せて──」

 

「……いや、戦力は多い方がいい。今の飛鳥なら最悪足手まといにはならないと思う。ジン、辛いだろうがここは二人に任せよう」

 

「しかし……いえ、わかりました……」

 

 レティシアに諭され、ジンは渋々ながらも頷いた。飛鳥は今回のゲームでジンにずっと心配をかけ通しであることに、申し訳なく思っていた。しかし謝るのは全てが終わってからだと、言葉を飲み込んで歩廊の先を見据える。

 

「さあ、行きましょう。早くしないと先に魔王を──」

 

 倒されてしまう、とそう茶化して言おうとしたその瞬間、

 

 

──ヴェーザー河の方角で、太陽が落ちてきたかのような強烈な光が迸った。

 

 

「──な、何!?」

 

 あまりの光の強さに目が焼かれ、一同は暫し視界が昏くなる。目の痛みに顔を顰めながら瞼を上げると、光は既に収まっていた。ジンとレティシアはその方角から十六夜とヴェーザーの戦いの余波だと気が付いたが、セタンタだけは光が放たれた方角を油断無く睨み付けていた。

 

「……何か気になることがあるの、セタンタ?」

 

 飛鳥もまた己の仲魔が警戒していることに気が付き、確認するように問い掛ける。セタンタは飛鳥にちらりと視線を向けると、硬い声で告げる。

 

『──何が起きたか知らないが、どうやら悪魔が一匹昇天したらしい』

 

 そう言って、一筋の冷や汗を流すのだった。

 

 

    *

 

 

 ヴェーザー河一帯は、ヴェーザーが必殺の一撃を繰り出すその直前と変わりなかった。

 

 地殻変動級の力を振るい、撒き散らされた瓦礫の一つに、十六夜が座り込んで眠っている。満身創痍だが、死んではいない。治療系のギフトを使えば十分回復できる範囲である。

 

 十六夜が対峙していた筈のヴェーザーは、どこにもいない。ただ瓦礫の中に、彼が振るっていた魔笛が転がっているのみだった。

 

 そして、辺りに散った雪のような欠片が、風に飛ばされて消えていく。

 

「…………」

 

 眠る十六夜を見つめるのは、いつの間にかやって来ていたシンとピクシーだった。

 

 表情を消し去った二人は、まるで温度の無い冷酷な瞳で十六夜を見下ろしている。それは同じコミュニティの同士に向けるには余りにも冷たく、まるで敵を見るような視線(・・・・・・・・・)だった。

 

『──こいつ、何をしたの?』

 

 ピクシーは、目の前で起こった事が信じられないような口調だった。目を見開き、冷や汗を一筋垂らす。シンは顔色を変えず、ただ十六夜を睨み付けている。何かを見抜こうとでもいうように、紅い瞳をギラつかせて見定めようとする。

 

 だが、やがて溜め息をつき、踵を返すとピクシーに命令する。

 

「……適当に治療しておけ。死なれては困る」

 

『いいけど……始末するなら今よ? ここで死んでも敵と相打ちになったって言い訳も立つし』

 

「いいから治療しろ」

 

 はいはい、とピクシーは不満そうに首を竦めると、手を翳した。掌から温かみのある光が放たれ、治療を開始する。それを背に、シンはゆっくりと歩き去る。

 

 ふと空を見上げると、黒い風が街の中心部から放たれていた。その風は天を穿ち、空を黒く染めて行く。それを見ながら、シンはゲームがいよいよ佳境に入ったことを感じ取ったのだった。

 

 

 対・本物の〝ハーメルンの笛吹き〟──十六夜の勝利。



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皆を月までご招待するそうですよ?

 街を引き裂くような極大の閃光は捜索隊の所にも届き、衆人は大きくどよめいた。敵の新たな攻撃か、と身構えるも特に何も起こらず、怪訝そうにお互いの顔を見合わせるばかり。

 

 やがて、こうしている場合ではないと我に返り、参加者たちはステンドグラスを探しに再び動き出す。偽りのステンドグラス(ネズミ捕りの男、黒死病に倒れる者たち)はあらかた破壊され、真実のステンドグラス(ヴェーザー河)も幾つか回収が進んでいる。

 

 だが、まだ全てのステンドグラスを見つけ出したわけではない。魔王やその側近との戦いに巻き込まれることを恐れて、そちらは後回しになっていた。しかしそうも言っていられない。命を賭さなければ命を取りこぼすことになるだろう。

 

 マンドラは捜索隊を指示しながら、危険な場所を探索するための人員を選別しようとする。この状況は、いろんな意味で〝サラマンドラ〟が乗り越えなければならぬもの。故に死しても良い人材を、己も含めて選び──

 

「──マンドラさん!」

 

 同士を放っておけないと、一旦その場を離れていたジンの声が、思慮に耽っていたマンドラの耳に届いた。軟弱だとは思うが、その気持ちはよく分かる。しかしこの状況がそれを許さぬと、あえて厳しい表情を作り、振り向く。

 

「ジン殿、この状況下で単独行動は謹んでいただきたい。貴方はこの捜索隊の──?」

 

 その言葉は途切れ、ぎょっと目を見開いたマンドラは目の前の巨体(・・)を見つめる。

 

 ずんぐりむっくりとした巨体は、足が短く手が長い。真っ青な肌をしており、赤みがかったもさもさの蓑を着込み、黄色のキャップを被っている。その身に似合わぬつぶらな瞳と、歯並びの悪い口を歪めて、ニヤニヤと笑っていた。

 

『なんだぁ? 妖精が珍しいのか?』

 

 巨体の妖精はそう笑いかける。馬鹿にされたと感じたマンドラは表情を歪めて怒声をあげようとするが、その片手に耀が抱かれ、もう片手にステンドグラスを持っているのを見つけると、今度こそ度肝を抜かれる。

 

「──お、お前は一体……!?」

 

 狼狽えるマンドラに、慌てて進み出たジンが声をかける。巨体の妖精の陰にいたので見えなかったのだ。

 

「大丈夫です。彼らは我らの同士が召喚した存在ですから、危害を加えることはありません」

 

「それより朗報だ。ゲームクリアが早まるかもしれんぞ?」

 

 ジンに肩を貸されて立っているレティシアが、面白そうに告げた。眉を顰め、マンドラは怪訝そうに問い返す。

 

「それは一体──」

 

 しかし、そこへ緊張感のない声が響き渡った。

 

『──ヒーホー! 二枚目ゲットだホー! ゴホウビ、ゴホウビー!』

 

 一同は声のした方を振り向くと、青い帽子を被った雪だるまのような存在──ジャックフロストが、ステンドグラスを掲げて走ってきた所だった。その姿を、そしてステンドグラスを見て、捜索隊は戸惑いの声を上げている。

 

 そこへ、また別の方向から女性の艶やかな声が掛かる。

 

『──あら、貴方は二枚目なの? わたくしも、もう少しがんばった方が良かったかしら』

 

 透き通るような白い肌に、きらきら輝くブロンドヘア。煌びやかな金色の刺繍が施された緑色のドレスを纏い、その背には妖精のような二組の羽根が生えており、それを優雅にはためかせながら、ふわふわと浮かんでいる。

 

 赤い果実のような瞳には妖しい表情が浮かび、開いた掌の上でふわふわとステンドグラスが宙に浮いていた。

 

 理解不能な事態に、マンドラを始めとする捜索隊の面々は混乱する。それを見て、ジンは申し訳なさそうに状況の説明をする。

 

「つまりその、〝先発隊(・・・)〟が出ていたんです。それも戦場になりそうな場所を優先的に探すよう命令されていたそうで……」

 

 そう言っている間にも、次々と悪魔たちが現れる。ステンドグラスは真実か偽りかを問わず持ってきていたようで、知らない所で壊されている心配がないのは幸いである。

 

「うん、これなら命を顧みず戦場に忍び込む必要もないだろう……とはいえ、どうやら残っているのは魔王のみのようだが」

 

 レティシアは視線を町の中心部へ向けた。周囲一帯を照らした光が収まってから、その方角から言い知れない不吉な気配を感じ続けているのだ。恐らくは側近が倒されたことで、本気を出すつもりなのだろう。

 

「……ジン、マンドラ殿。一旦皆を避難させた方がいいかもしれない。魔王がいよいよ動き出しそうだ」

 

 声を掛けられた二人は頷き、捜索隊に指示を出し始めた。戸惑っていた彼らはそれを受けて動き出し、建物へ避難していく。魔王の攻撃に黒い風があったことは判明しているため、なるべく風の入らない頑丈な建物を選び、窓を封鎖していく。

 

「しかし……ステンドグラスはまだ残っている。隠れていてはそれらも回収出来ん」

 

 悪魔たちによって回収が進んでいるとはいえ、まだ全てが回収されたわけではない。その懸念点を挙げるマンドラだが、ジンとレティシアは顔を見合わせると、不敵な笑みを浮かべてマンドラに答える。

 

「大丈夫です。そろそろ僕たちの反撃が始まりますから、その間に回収しましょう」

 

 訝しげに眉を顰めるマンドラだが、ジンは答えぬまま街の中心部へ視線を向けて、祈るように呟いた。

 

「──頼んだよ、黒ウサギ」

 

 

    *

 

 

「……止めた」

 

 一切の熱を失くし、ペストは残酷に告げる。

 

「時間稼ぎは終わり。白夜叉と人修羅だけ手に入れて──皆殺しよ(・・・・)

 

 その瞬間、魔王から黒い風が吹き荒れて天を衝く。雲海を引き裂いてハーメルンの街の上空へ霧散して、そのまま地上へ降り注いでいく。

 

──ありとあらゆるものに、死が与えられていく(・・・・・・・・・)

 

 虫や小動物は死に絶えて、その死骸すら腐り落ち、木々や材木も朽ちていき、ついには空気すら腐敗していく。万物の区別なく、触れただけでその命に死を運ぶ風だった。

 

 黒ウサギたちはなんとか尖塔の陰に隠れて、吹き荒ぶ風をやり過ごす。しかし上空からも降り注ぐそれを防ぐことは叶わず、慌てて飛び出して避けに徹する。

 

「いけない、このままじゃ参加者たちが……!」

 

 戦慄き、街中を見下ろすサンドラだったが、いつの間にか避難していた彼らは既に建物の中に立て籠もっていた。安堵するサンドラだが、このままでは残りのステンドグラスを捜索出来ないのは確かである。焦燥の表情を浮かべるサンドラは、黒ウサギに叫ぶように問う。

 

「──まだなのですか!? このままでは私たちが先にやられてしまいます!」

 

「──くッ……!」

 

 十六夜が戦っていたヴェーザー河の方角から光が発せられ、その直後ペストが本気を出したことから、ヴェーザーは撃破されたのだと推測する。だが十六夜がいまだに来ないのは予想外だった。

 

──まさか、相打ちになってしまったのでは……!

 

 最悪の想像が脳裏を過るが、それを振り払って目の前の事に集中する。この死の風は触れただけで黒ウサギもサンドラも例外なく死するだろう。このまま避け続けていればいずれ追い詰められてしまう。その前に、勝負を仕掛けるしかなかった。

 

 しかし黒ウサギがカードを取り出した瞬間、サンドラは体勢を崩し、隙を見せてしまう。ペストがその隙を逃すわけもなく、黒い風を殺到させる。

 

──サンドラ様ッ!?

 

 間に合わない。今からサンドラを庇えば、代わりに黒ウサギが死ぬこととなる。そしてそれは、ゲームをクリアするための切り札を失うことと同義だった。

 

 サンドラを死の風が襲い──

 

 

『──あらよっとォッ!!』

 

 

 建物の陰から現れたセタンタが一瞬でサンドラを攫い、風の中から助け出して見せた。その腕に抱かれ、目を白黒させるサンドラ。黒ウサギは見覚えのない目の前の少年に目を丸くするが、とにかくサンドラが助かったことに安堵する。

 

「──黒ウサギ! 前見て前!」

 

 そこへ、飛鳥の叱咤の声が響く。それに従い慌てて前を見ると、黒ウサギへ放たれた黒い風がすぐそこまで迫っていた。ギフトを使う間もない。そのまま黒ウサギの眼前へ死がその手を伸ばし──

 

「──余所見をするな」

 

 空から降ってきたシンが衝撃と共に黒ウサギの前に着地し、すかさず腕を振るうと死の風を容易く吹き飛ばす。

 

「シ、シンさん……!? 今まで一体どこに──」

 

「話は後だ」

 

 仁王立ちするシンは、そのままペストを睨み付ける。全身の刺青を発光させ、紅い瞳をギラつかせるシンに、ペストは〝死神〟を冠する魔王でありながら、死そのものが己を睨んでいるような錯覚に陥った。

 

「……そう、貴方が〝人修羅〟ね」

 

 こうして対峙することで、何故ラッテンが確実な勝利に拘ったのかペストは理解した。己が真っ向から敗北し得る、強大なる悪魔。その威圧感にペストは冷や汗を流し、油断なく睨み返す。

 

 黒ウサギはその裏で、無事に飛鳥と合流出来たことを喜ぶ。セタンタも傍に戻って来て、抱えていたサンドラを下ろした。

 

「あ、ありがとう……貴方は?」

 

「紹介するわ、彼は私の新しい仲魔のセタンタよ」

 

 飛鳥による軽い紹介に、セタンタはおう、と返事をしながらもペストを警戒して槍を構えている。その名を聞いて、黒ウサギははて、と首を傾げる。

 

「……セタンタ? 確か、その名は──」

 

「細かい話は後にしましょう。ジン君の話では、黒ウサギのギフトが魔王に唯一対抗し得る代物と聞いているけれど、本当なの?」

 

 信用していないわけではないが、具体的な話を聞いていないのでどうしても不安が残る。黒ウサギは安心させるように不適に笑うと、どん、と己の胸を叩いた。

 

「はい、確実に魔王を打ち取れる、黒ウサギ最大の切り札です! ……本当は、十六夜さんと合流してから作戦を開始するつもりだったのですが……」

 

 へにょり、とウサ耳を萎れさせ、心配そうに遠くを見つめる。十六夜は今だに姿を見せない。飛鳥も状況を把握していないため、何も言うことは出来ない。

 

「きっと大丈夫よ。十六夜君程の人が、そう簡単にやられるはずが──」

 

『──ま、結構やられてたけどね。辛うじて生きてたって感じかしら』

 

 くすくす笑う少女の声に一同が空を見上げると、ピクシーがふわふわと降りて来たところだった。悪戯っぽい表情を見せる妖精に、黒ウサギは慌てて問い返す。

 

「つ、つまり十六夜さんは無事だったのですね!?」

 

『軽く治療しておいたから、死にはしない筈よ。気絶はしてたけどね』

 

 適当なその言葉に長い溜息をついて、黒ウサギは安堵する。飛鳥は何が起きていたのか気になったが、そのような状況ではないと耀の安否についても伝えておくことにする。

 

「そうそう、春日部さんも大丈夫よ。回収して、ジン君とレティシアが傍についているから」

 

「よかった……! 気になることは多々ありますが、それなら後は、魔王を倒すだけですね──」

 

 黒ウサギは白黒のギフトカードを取り出して、微笑んだ。睨み合うペストとシンの方へ振り向くと、今までの疑問はさておき、ゲームをクリアするために声を張り上げ指示を出す。

 

「皆さん──これから、魔王を討ち取ります!」

 

 そう力強く宣言する黒ウサギに、ペストは薄く微笑み問い掛ける。

 

「そう簡単にいくかしら……死の風はじきにこの街を包み込む。建物に逃げ込んだって無駄よ。参加者が全滅するまでに、神霊である私を討ち取れるというの?」

 

 依然、死の風は街中に吹き荒れて、その濃度を濃くしていく。このままでは命を落とす者も現れるかもしれない。しかし黒ウサギはそれに怯むことなく不敵に笑うと、ギフトカードを掲げて見せた。

 

「ご安心を! 今から魔王とここにいる皆様方を──纏めて、月までご案内します♪」

 

 疑問の声は、ギフトカードから発せられる輝きと共に掻き消された。魔王諸共輝きに呑まれて、一同の視界を激しい力の奔流と共に真っ白に染める。

 

 

──そしてそれらが収まると、そこは宇宙だった。

 

 

 大気が凍りつくほどの過酷な環境に、一面見渡す限りの灰色の荒野。白い石碑のような彫像が数多に散乱し、神殿のような建物がある。天には星空が広がり、視界を埋め尽くすのは逆さまになった箱庭の世界。

 

──〝月界神殿(チャンドラ・マハール)

 

 これこそが、黒ウサギたち〝月の兎〟が招かれ、帝釈天と月神より譲り受けた、月神(チャンドラ)の神格を持つギフトだった。その上、現在月はハーメルンの街の真上に移動している。故に、ゲーム盤から出るという禁止事項には抵触しない。

 

「これで参加者の方々の心配は無くなりました! サンドラ様とシンさんは暫し魔王を押さえつけてください! 飛鳥さんは此方へ!」

 

 ペストは想像を絶する黒ウサギのギフトにその表情を蒼白に染めるが、ここで諦めるようならば最初から魔王になどならない。

 

「──何を企もうと、構わないわ。全てのステンドグラスが破壊される前に、貴方たちを皆殺しにすればいいだけよ!」

 

 幾千万の怨嗟の声が、衝撃と共にサンドラとシンを襲う。シンはそれに構わず突っ込んで行き、衝撃は何のダメージも与えることなく霧散する。サンドラはそれに目を丸くするも、シンによって引き裂かれた衝撃波の間を縫い、炎を放とうと力を込める。

 

「援護します! 火を放ちますので、一旦引いて──」

 

 シンは肩越しにサンドラを見るだけで、そのまま突貫する。ペストは〝人修羅〟の力が如何程のものかと、黒い風を纏って全力で防御を固め──

 

「──カハッ……!?」

 

 その全てを貫通(・・)して己の胸にめり込む拳を受け、ペストは血反吐を撒き散らしながら荒野に叩きつけられ、勢いをそのままに無様に転げ回る。サンドラはその小さな口をあんぐりと開けて、唖然としてシンを見る。

 

 ペストはよろよろと立ち上がり、その胸に刻まれた拳大の痕を再生させるが、確実に己の霊格──八千万の群体神霊の霊格がすり減っていることに愕然とする。それはつまり、シンは単騎で星を砕くに値する力を持つことに他ならない。

 

「お……お前は一体何なの……どうしてこれほどの存在が下層なんかに……!」

 

 死神であるはずの己を、遥かに超える強大な悪魔への畏怖と、そのような存在が己の前に立ち塞がってきた理不尽への憤怒を込めて、怨嗟と衝撃の渦を撒き散らす。シンは視界を覆う砂煙を鬱陶しそうに払おうとしている。サンドラはその隙間を縫い轟炎を放つも、一撃で倒すには火力が足りず、再生を許してしまう。

 

『──あたしも混ぜろー!』

 

 はしゃぐような声をあげて、ピクシーが戦場へ飛び込んだ。たかが妖精に構っている暇は無いと、見逃そうとするペスト。しかし、黒ウサギの〝擬似神格・金剛杵(ヴァジュラ・レプリカ)〟に匹敵する、極大の雷の力がピクシーに収束していることに気が付くと、顔色を変えた。

 

痺れちゃえ(マハジオダイン)──!』

 

 大気を激震させる轟きと雷鳴がピクシーから放たれ、周囲一帯に無数の轟雷が降り注ぐ。その幾つかがペストを貫き、雷光を放ちながらその身を焼き焦がす。しかし一点集中の攻撃でなかったことが幸いし、ペストはなんとか持ちこたえると再生した。

 

「こんな……こんなことが……だけど、私は……!」

 

 髪を振り乱し、頭を抱えながら、ペストはブツブツと呟く。死の風と幾千万の怨嗟を無差別に撒き散らし、最期まで足掻こうと戦い続ける。

 

 シンはそれを虫を観察するような目で眺め、ピクシーはケラケラと嘲笑し、サンドラは油断なく睨み付ける。

 

──そうして魔王とのゲームは、最終局面を迎えるのだった。



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英雄は轟雷と共に魔王を討つそうですよ?

 元より魔王と真っ向から戦えるであろうと見ていたシンの力は把握していても、ピクシーがあそこまでの魔法の使い手とは思ってもいなかった黒ウサギは、そのデタラメ加減に舌を巻く。

 

 もしかしてあの二人だけでそのまま倒せるんじゃないかなー、と考えるも、できる限りのことはしよう、と甘えを振り払う。事実、シンは指示を受けたとおりあくまで牽制に徹していた。ピクシーは遊んでいるだけかもしれないが。

 

 黒ウサギはギフトカードから、三叉の槍が描かれた紙片を取り出すと、飛鳥に手渡した。

 

「……これは?」

 

「お静かに。これは〝叙事詩・マハーバーラタの紙片〟と呼ばれるギフトです──」

 

 『叙事詩・マハーバーラタ』とは最も有名なインド神話の一つであり、十万の詩節からなる数々の伝承・神話を束ねた大長編叙事詩である。このギフトはインドラに縁のある強力な武具を召喚することができるが、それらはギフトゲーム中に一度しか使えない(・・・・・・・・)という制限を受けている。

 

「──もしかして、それを私に?」

 

「YES! 飛鳥さんには帝釈天の神格が宿る槍──インドラの槍を使い、敵に直撃させてください! それでこのギフトゲームは勝利です!」

 

 紙片を握る飛鳥の手を、包み込むように黒ウサギが握ると、紙片は雷鳴と共に投擲用の槍へと変化した。まるで雷そのものが槍に転じたように、眩い輝きを仄かに放つそれを、飛鳥は恐る恐る握り締める。

 

──槍はズシリと重い。

 

 それに加えて、ギフトゲーム中に一度しか使えないという、必殺のギフトを託されたプレッシャーが、飛鳥の両肩に更なる重みを感じさせる。思わず表情を歪めていた飛鳥へ、黒ウサギは笑いかけた。

 

「大丈夫、ご自身をもっと信じてください。飛鳥さんにはギフトの力を十全に発揮する才能が御座います! 黒ウサギが保証いたしますよ」

 

「……でも、私は──」

 

──飛鳥は、悪魔召喚士(デビルサマナー)へとなる道を選んだのだ。

 

 人を支配するのもなく、ギフトを操るのでもなく、悪魔を使役し戦う、魔なる道を飛鳥は選んだ。己の力を最後まで信じ切ることができず、他者から与えられた絶好の選択肢を──力を、選び取ったのだ。それは、黒ウサギの期待を裏切ったに等しい。

 

──そんな自分に、このようなギフトが扱える筈もない。

 

 そう苦悩する飛鳥だが、黒ウサギは首を振って飛鳥を真っ直ぐな瞳で見つめた。

 

「どのような道でも飛鳥さん自身が選び、決めた道です。それをどうして攻められましょうか──」

 

 飛鳥の焦燥を、黒ウサギは彼女が〝ヤタガラス〟へ向かったことでようやく気が付いたのだ。力伸び悩む同士を思いやることができず、そして自分たちのためにすぐに振るえる力を欲した。だからこそ自分たちに攻める権利は無いのだと言う。

 

「──それに、飛鳥さん。貴女には既に、神の槍を振るうに値する最高の仲魔がいるではありませんか!」

 

 黒ウサギは傍に控えるセタンタに向かって手を広げた。美少女に真っ向から賞賛されたセタンタは、得意げに胸を張り、

 

「……そうなの?」

 

 気の抜けたような飛鳥の言葉に、がくりと肩を落とす。黒ウサギは苦笑した。

 

「……もしかして、知らずに使役していたのですか?」

 

「とにかく悪魔を従える術と、戦う術を急ぎで叩き込まれたから……その辺り、教えてもらえる?」

 

 恥ずかしげに飛鳥はこほん、と咳払いをし、改めて説明を求める。黒ウサギは頷くが、その前に、とセタンタに問い掛ける。

 

「ご確認させて頂きますが……セタンタさん。貴方はかのケルト神話の大英雄──〝クー・フーリン〟ご本人か、その縁者ということでよろしいのですよね?」

 

『その辺は少しややこしいんだが……まー、概ね合ってる』

 

 セタンタは頭を掻きながら、面倒そうに頷いた。黒ウサギは首を傾げるも、人差し指を立てて説明を続ける。

 

「〝クー・フーリン〟とはケルト神話のアルスター伝説に謳われる半神半人の英雄であり、世界有数の槍使いとも言われているのです。そしてその幼名は〝セタンタ〟と言いました──」

 

 〝クランの猛犬〟という意である〝クー・フーリン〟の名は、セタンタがクランという人物の番犬を絞め殺してしまい、己が代わりに番犬を務めると名乗り出た逸話から来ている。その後、クー・フーリンは数々の戦いや影の国での修行を経て、魔槍ゲイボルグを振るう槍の達人として名を馳せていく。

 

「そのクー・フーリンにインドラの槍を使用していただくということは、まさに鬼に金棒に等しいのです! というわけでセタンタさん、この槍を使って──」

 

『──悪いが、今のオレ(・・・・)じゃあ無理だな』

 

 へ? と黒ウサギは期待に表情を輝かせたまま固まる。セタンタは硬い声で、その期待を否定する。

 

『セタンタという妖精は、その番犬を絞め殺したという英雄の少年時代が語り継がれ、悪魔と化した存在だ。故に今のオレは、まだ英雄に至っていない少年の未熟と若さの具現そのもの──』

 

 そのため武人としての技量や力はある程度あるが、それ以外は妖精と呼ぶに相応しい程度の霊格しか持っていない。

 

『──そういうわけで、とてもじゃないが、かの帝釈天様の槍を振るえるような霊格は持ち合わせちゃいないな』

 

 そう言って、セタンタは首を竦めた。帝釈天と縁のある〝月の兎〟はともかく、妖精であるセタンタではその槍を使うには霊格が絶対的に足りないのだ。当てが外れた黒ウサギはたらりと冷や汗を流し、困ったようにウサ耳をへにょりと萎えさせる。

 

 しかし飛鳥は、セタンタの発言の裏を正確に読み取っていた。

 

「──今は(・・)と言っていたわね。それはつまり、妖精セタンタのまま(・・・・・・・・・)では成し得ないということ?」

 

『ハッ! 勘のいいサマナーで助かるぜ。アスカの技量じゃあ槍は振るえねえ。オレの霊格じゃあ扱い切れる代物じゃねえ。なら──サマナーと悪魔、両者の力を合わせるしかねえよな?』

 

 セタンタは獰猛に笑いかけ、飛鳥が持っていたインドラの槍を掴み取る。掴んだ腕からバチバチと火花が飛び散り、セタンタの霊格を焼く。だがその程度、心地よい痛みとでも言うかのように鼻で笑い、重さを確かめるようにゆっくりと振り回し始めた。

 

 その姿を見て、飛鳥は己のすべきことを理解する。正直に言って自信は無い。だが後はもう伸るか反るかなのだ。覚悟を決めた飛鳥がゆっくりと頷くと、セタンタは槍を振るうのを止め、背を向けて仁王立ちする。

 

 その背に飛鳥は手を伸ばし、しっかりと触れた。

 

「黒ウサギ──頼んだわ」

 

「はい──お任せください!」

 

 飛鳥の言葉を聞いた黒ウサギは頷き、戦場へ向かう。飛鳥はその後ろ姿を見送ると、セタンタへ真剣な声で告げる。

 

「──全力で行くわ。魔王を倒すわよ」

 

『──来いよ。受け止めてやるぜ』

 

 主従は共に帝釈天の槍を振るうため──魔王を倒し、ゲームを終わらせるため、その身に宿る〝恩恵(ギフト)〟を発動させるのだった。

 

 

    *

 

 

 魔王諸共、黒ウサギたちが姿を消した後の地上では、黒の風が止んでいた。ひとまず安全になったことを確認した捜索隊は、避難していた間の時間を取り戻すかのように、残りのステンドグラスの捜索に移る。

 

「──魔王が戻って来るとすれば、彼らが全滅した時! 後のことは考えず、今はステンドグラスを優先せよ!」

 

 主力が全滅すれば、もはや残りの参加者に未来は無い。故にその場合を考える必要は無いと、マンドラは厳しい声で檄を飛ばす。

 

 シンが放っていた先発隊は既に殆どが集結し、ステンドグラスを渡した後の悪魔たちはそれぞれ念の為の護衛として、散開する参加者たちのグループに付いている。ジンは己の傍にいるジャックフロストを横目で見ながら、奇妙な感覚を覚えていた。

 

──ステンドグラスの捜索は、シンさんが行方をくらました後に決定した作戦の筈。何らかの方法で聞いていた? しかし何故わざわざそんなことを……。

 

 その視線に気が付いたジャックフロストは、ヒホ? と首を傾げる。ジンは苦笑し、何でもないと手を降った。

 

 その瞬間、視線を何かが掠めていった。パチクリと瞬きをしたジンは辺りを見回すと、奇妙な黒い塊がジンに向かって飛んで来ていることに気が付く。ぶぶぶ、と大気を細かく震わせる音と共に、ジンの視界を黒い何かが埋め尽くした。

 

「うわ……! こ、これは……蝿!?」

 

『うひゃー! ばっちいホー!』

 

 何匹かがジンの体に張り付いて、その正体を現した。それはジンが気が付いた通り、無数の蝿だった。赤い瞳を輝かせて、その足には何かを抱えている。

 

「何だろう……白い欠片……?」

 

 もっとよく観察しようとしたジンだったが、蝿はまるで何かに操られているかのように一斉に飛び立ち、何処かへ去っていった。呆然とそれを見送っていたジンだったが、ジャックフロストは見上げていた空に何かを見つけ、声を上げる。

 

『ヒホ? 誰か飛んできたホ!』

 

「あれはアーシャさん? それに……十六夜さん!?」

 

 十六夜を荷物のように担いで飛んで来たのは、アーシャだった。彼女は地上に降りると、ズカズカと歩いて来てジンへ尊大に声を掛ける。

 

「ほら、〝ノーネーム〟に届けモノだよ! 全く、この状況で寝てるなんて呑気なもんだよねえ……」

 

「あ、ありがとうございます……! よかった、目立った怪我は無いようですね……」

 

 ジンは安堵の溜め息を付いた。しかしジンでは十六夜を運ぶには力も身長も足りない。ステンドグラスを探す参加者たちの手を煩わせるわけにもいかず、困っていると、ジャックフロストが手を上げた。

 

『オイラに任せておくホー! ニンゲン程度、オイラでも運べるホ!』

 

 そうして十六夜を任されたジャックフロストだが、背負うには背が足りず、ずるずると足を引きずっていた。首を竦めたアーシャは、改めて十六夜を背負い直す。オイラはまだやれるホー! とジャックフロストは騒いでいるが、アーシャは無視する。

 

「それじゃあ、こいつは宮殿に運んでおくよ。……それで、春日部耀は無事なんだな?」

 

「はい、先に宮殿に戻って頂きました。特に怪我もありませんでしたから、大丈夫だとは思いますが……」

 

「……ま、アイツなら大丈夫だろ。アイツは私が倒すんだから、こんなところで脱落されても困るしね」

 

 特に訪ねていない筈の言い訳をジンは行儀良く聞き流し、アーシャに十六夜のことを頼んだ。アーシャは一旦背を向けるが、肩越しに振り返り、ジンを睨み付ける。

 

「──で、あいつらは勝てるんだよな?」

 

「──勝ちます」

 

 即答するジンにアーシャは薄く笑うと、宮殿の方へ飛び去っていった。

 

 ジンは天を仰ぎ、いつの間にか街の真上に移動していた月を、真剣な表情で見つめる。

 

「……そう、きっと勝てる──彼らなら」

 

 もしジンが十六夜のような視力を持っていれば、気が付いていただろう。

 

──月の地表で輝く、極大の雷光に。

 

 

    *

 

 

『──オオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォッ!!』

 

 飛鳥が触れた背から、セタンタへ膨大なマガツヒが供給されていく。セタンタは雄叫びを上げ、紅いオーラを纏いながら暗黒の紫電を発する。

 

 飛鳥のギフトの力を受け、悪魔はその霊格を引き上げられようとしていた。少年は青年へ、未熟者は達人へ、妖精は──上位の存在へ。

 

 セタンタから迸る魔なるエネルギーに飛鳥のその掌は焼かれ、激痛が貫く。しかしその痛みを噛み殺し、不敵に笑う。己から出て行く何かを感じ取りながら、その感覚を覚え、更に引き出そうと力を込める。

 

「英雄よ! その真なる力を見せなさい(・・・・・・・・・・・・)ッ!!」

 

 

──そして、雷鳴と共に、セタンタの身体を光が包み込んだ。

 

 

「──今度は何なの……!?」

 

 攻撃を必死に躱し続けるペストは、その輝きに不吉なものを見た。

 

 時間を稼いでいた黒ウサギとサンドラは、その輝きに希望を見た。

 

 そしてシンとピクシーは、その輝きを見てニヤリと笑った。

 

 

──光が収まると、そこには英雄が立っていた。

 

 

 鴉の濡れ羽色の長髪を持つ美青年である。藍色の紋様が走る白銀の鎧を着込み、真っ白なマントを羽織っている。藍色のガントレットが握るのは、片方は黒ウサギから借り受けたインドラの槍。その霊格に負けることなく、しかと握りしめている。そしてもう片方で握るのは、魔術的な紋様が刻まれた、美しくも禍々しい白銀の長槍だった。

 

『私は、幻魔クー・フーリン──』

 

 青年──クー・フーリンは閉じていた瞼を開くと、誇り高く宣言する。

 

『──我を喚ぶ者に応じ、ここに見参す!』

 

 ケルトの大英雄が、このギフトゲームの最後の戦いに降臨した。

 

 

    *

 

 

『師範様には少々悪いですが、かの帝釈天の槍を扱わせて頂けるとは光栄の極み──必ずや、魔王を討ちましょう』

 

 クー・フーリンは白銀の槍を己の主に預けると、インドラの槍をゆっくりとペストに向かって突き付け、必勝を誓う。その純粋な殺意が込められた視線を受けて、魔王の思考は己が何を間違えたのかと遡って行く。

 

──〝人修羅〟への警戒が足りなかったのか?

 

──人材とタイムリミットに目がくらみ、相手の提案を呑んだのがいけなかったのか?

 

──時間を稼ぐことに執心し、攻めることを選択肢から排除したのが悪かったのか?

 

 こうして思い返してみれば、全てが悪かったようにも思う。決意も、思慮も、覚悟も、何もかも足りていなかった。その結果側近を全て失い、ゲームは攻略され、こうして倒されようとしている。

 

 深く後悔する魔王の視線の先で、英雄はみしりと身体を捻り、投擲の体勢に入る。神の槍は極大の雷光を発し、轟音を立てながら雷の力が収束していく。

 

──あの槍を受ければ、魂すら残さず砕け散る。

 

 ペストに帝釈天についての詳しい知識は無いが、絶えず己の身を襲う悪寒が、その推測は正しいと告げていた。

 

 もはや、魔王に勝利の目は潰えた。座して槍をその身に受ければ敗北する。その前に、シンの攻撃を無防備に受け続けても同様だろう。ならば潔く諦め、敗北を受け入れるべきなのか?

 

「──巫山戯るな……! 私はまだ、何も成していない……!!」

 

 否、魔王は諦めない。

 

 幾千万の怨嗟の声と黒い風を束ね、一人でも道連れにしようと死の鎌を振るう。

 

「往生際が悪いですよ、魔王──!」

 

 黒ウサギが〝マハーバーラタの紙片〟を掲げると、太陽の光にも似た神々しい黄金の鎧がその身を包む。太陽の光を弱点としていた黒死病の功績によって、死の風は溢れる黄金の輝きの前に霧散していく。

 

 だが──消えない。ギリギリの所で、拮抗している。

 

「──そんな……まさか……!?」

 

「──どうせやられるなら、お前だけでも道連れにしてあげる……!」

 

 ペストは、己の霊格を砕いてまでその力を振るっていた。手足の末端から徐々に崩れていき、口元からはドス黒い血が零れている。しかしだからこそ、弱点でありながら太陽神(スーリヤー)の神格を持つギフトと拮抗しているのだ。

 

 だが、これは好機。動きを止めたペストを見て、黒ウサギは叫ぶ。

 

「今です飛鳥さん!」

 

 黒ウサギの声に応じて、飛鳥は右手を翳して命を下す。

 

「撃ちなさい、クー・フーリン!」

 

『──オオオオオオオオオオォォォォォォォォォォッ!!!』

 

 英雄が怒号を上げて、インドラの槍を撃ち出した。

 

 飛鳥の言葉と英雄の意志に応じ、槍は天の千雷を束ね、ペストを襲う。

 

 魔王は黒ウサギと対峙しており、動けない。誰もが勝利を確信していたその瞬間、魔王は思いも寄らない行動に出た。

 

「──アアアアアアアアアアアァァァァァァァァッ!!」

 

──魔王が、その攻撃を己自身に向けたのだ。

 

「な、何ですって……!?」

 

 己自身の霊格を削ってまで強化した攻撃を、自ら受けたペストは吹き飛び、更にその霊格を砕いていく。もはや満身創痍。数分と待たずその魂は崩壊するだろう。

 

──だが、槍を避けることはできた。

 

 迸る千の雷はペストがいた地点を通り過ぎていく。黒ウサギとサンドラは、その結果に目を見開いて硬直し、決定的な隙を晒してしまう。

 

「死ね……!」

 

 その無防備な姿に、ペストは死を叩きつけようとして、

 

 

「────え?」

 

 

 その身を、インドラの槍が貫いた。

 

 被弾した勢いのまま月面を空高く打ち上げられ、迸る天雷が魔王の魂を焼いて行く。

 

「ど、どうして──」

 

 魂が焼き尽くされる前に、ペストは最期の力を振り絞って、振り向く。

 

 

──そこには、シンが片手を掲げたまま、己を睨み付けている姿があった。

 

 

 シンは──英雄(クー・フーリン)が渾身の力で投擲し、帝釈天の神格が宿る奇跡の槍を真正面から掴み取り(・・・・・・・・・)、その勢いを殺さぬままペストの背へ投擲したのだ。

 

「──ひ、人修羅アアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッ!!!」

 

 槍から放たれる轟音と轟雷を超える、魔王のおぞましい断末魔に似た怨嗟の声が響き渡る。生まれた衝撃波は周囲一帯へ波紋し、月面と彫像群を粉砕して行く。

 

 だが、全てが破壊し尽くされる前に、一際激しい雷光が月面を満たす。

 

 軍神の神格を持つ必勝の槍は、圧倒的な熱量を撒き散らしながら魔王と共に爆ぜたのだった。

 

 

 対〝黒死班の魔王(ブラック・パーチャー)〟──参加者たちの勝利。



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それぞれの後始末だそうですよ?

 境界壁・舞台区画。〝火龍誕生祭〟運営本陣営。

 

 ゲーム開始より十時間が経過した。偽りのステンドグラスは全て砕かれ、真実のステンドグラスが一斉に掲げられる。

 

──〝偽りの伝承を砕き、真実の伝承を掲げよ〟

 

 クリア条件の一つであるそれが満たされると、ハーメルンの街はステンドグラスの如く砕け散る。パステル調の街並みが消えると、ペンダントランプの灯火が照らす黄昏色の街並みが戻ってきた。

 

「詫びと、礼を告げなければならんの──」

 

 封じられていた白夜叉が、霞の如く現れた。

 

 偉そうにふんぞり返っておきながら、終始封印されたままだったと、白夜叉は申し訳なさそうに恥じ入る。しかし、批難の声はない。魔王が最初から白夜叉を封じるために策を弄してきていたことは皆承知しているし、何より最強の〝階層支配者〟に対する信頼は、その程度で揺らぐものではなかった。

 

「──本当に皆、よく戦ってくれた」

 

 白夜叉の謝礼が終わると、サンドラが前に出てきて両手を広げ、高らかに宣言する。

 

「──魔王のゲームは終わりました。我々の勝利です!」

 

 マスターたちの言葉を受けて、ようやく勝利の実感が湧いた参加者たち──いや、勝利者たちは、歓声を上げる。呪いから解放され、同士の命が救われ、魔王の脅威が去ったことで、喜びと安堵から涙するものもいた。

 

 

ギフトゲーム〝The PIED PIPER of HAMELIN〟──プレイヤー側の勝利。

 

 

    *

 

 

 境界壁・舞台区画・暁の麓。美術展、出展会場。

 

 魔王によって荒らされたその場所はまだ片付けられておらず、ひとまず今は祝勝会のために参加者たちは駆り出されていた。故に今は無人である。

 

 その奥、コミュニティ〝ヤタガラス〟の展示品があった空洞に足を運んだ飛鳥は、何も無い(・・・・)その場所を見て、溜め息を付く。何かが展示されていた痕跡すら残されていない。誰も居らず、ただ静寂がその場を満たすのみ。

 

 飛鳥は踵を返し、戻ろうとするが、

 

「──何か用ですか?」

 

 その背に向かって掛けられた問いに、立ち止まる。

 

「……お陰様で勝つ事ができたわ。なので、礼を言いに来たのだけれど」

 

 振り向くと、相変わらず不審な格好をしたフェイスレスが居た。直前まで何の気配もなかったのに、いつの間にか空洞の中央に立っている。

 

「それならば不要です。我々〝ヤタガラス〟が掲げるのは〝人類史の守護〟。貴女に力を与えたのもその一環なのですから」

 

「……それなのだけれど」

 

 飛鳥は一瞬視線を落とす。しかし視線を上げ、改めてフェイスレスを見つめると、問い掛ける。

 

「本当に、貴女たちのコミュニティへ移籍などはしなくていいの?」

 

 それくらい要求されるのは覚悟していたのだけれど、と飛鳥は呟く。

 

 悪魔召喚士(デビルサマナー)(わざ)は本来外部の者に伝えるべきものではない。一族の内で血と共に伝承されるものであったり、組織内で戦力を強化するために秘密裏に伝えられるようなものであったりする。あるいはフリーのサマナーが金銭を受け取って教えたり、弟子入りさせ後継者として鍛える場合もある。

 

 それを、フェイスレスは首を振って否定する。

 

「必要ありませんよ。まあ、こちらから何らかの依頼をする場合はありますが、コミュニティとしての正式な依頼ですので、力を与えたことを理由に押し付けるようなことはいたしません。我々にも考えがあってのことですので、貴女が気に病むことはありません。安心してください」

 

 そう、と飛鳥は安堵する。覚悟していたとはいえ、黒ウサギとの約束を守るために断固として断るつもりでいたのである。

 

「でも、これだけは言わせて──」

 

 飛鳥は姿勢を正すと、フェイスレスに深々と一礼した。

 

「──ありがとう。貴女のお陰で魔王に勝つことができました。力を授けていただいたことに深く感謝いたします」

 

 その感謝を、フェイスレスは何も言わず微笑むのみで受け取った。

 

 礼を言い終えた飛鳥は顔を上げると、そうだわ、と思い出したように言った。

 

「群体精霊のあの子たちにもお礼を言わないと。悪いのだけれど、召喚していただける?」

 

「ああ、彼女たちなら、もう元の時間軸に帰還しました」

 

 はい? と飛鳥は首を傾げる。

 

「ハーメルンの魔道書(グリモア)が消えた以上、元の時代に戻るのは当然のことでしょう。ましてや、この箱庭に強制的に呼び出されていた御霊。下手に留まればどのような影響があったかは定かではありません。故に、私が帰還の手助けをいたしました」

 

「そ、そう……それならいいの。ありがとう」

 

 飛鳥は面を喰らいつつも、納得したように返答する。しかしやや俯き、暗い表情を見せる。それを見たフェイスレスは、出来の悪い生徒に言い聞かせるように、しかしやや面白がっているように窘める。

 

「何を暗い顔をしているのです。笑って、彼らの門出を祝えないのですか?」

 

「だ、だってあの子たちは──って、門出?」

 

 きょとん、と目を丸くする飛鳥に、フェイスレスは笑って答える。

 

「確かに彼らは〝ハーメルンの笛吹き〟の伝承に謳われる、姿を消した百三十人の子供たちの御霊です。しかし〝姿を消した〟というのは死を直接意味するものではありません」

 

 幾世紀にも渡る調査においても、その伝承の歴史的真実について明確な証拠は見つかっていない。本当に子供たちが死んだのか、そもそも連れ出されたのかさえ定かではないのだ。

 

「貴女は優しい人のようですから、彼女たちがやってきた時間軸……即ち、〝ハーメルンの笛吹き〟のもう一つの解釈について教えましょう──」

 

──1284年 ヨハネとパウロの日 6月26日

 

 あらゆる色で着飾った笛吹き男に130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され、丘の近くの処刑場で姿を消した──

 

「──それは、〝130人の子供たちが自分たちの(コミュニティ)を作るために、自らハーメルンを旅立った〟という説です」

 

 笛吹き男というリーダーを先頭に、親元を離れ、ヴェーザー河を下り、歌いながら未踏の地を目指した子供たち。

 

 そして、その説はかなり可能性が高い解釈として現代のハーメルン市においても広く認知されている。東ヨーロッパの遠く離れた土地に、対応した村の名前やハーメルンと同じ姓が度々見つかっているのである。

 

「……そう、そういうことだったのね」

 

 飛鳥は心底安堵したかのように。胸を押さえて溜め息を付いた。彼らは長い間箱庭に囚われていた。それがようやく解放され、元の時代で希望を胸に新たな土地へ歩み出すのだ。飛鳥は、彼らの街作りがうまくいくように、箱庭から願うことにした。

 

「──それと、彼らから貴方への贈り物を預かっています」

 

 え? という言葉は翠色の輝きと、激しい風と共に掻き消された。光の中から現れたのは、飛鳥と出会い、懐いていたとんがり帽子の精霊だった。幼い少女は丸まった姿勢のまま、ふわふわと飛鳥の手の平に落ちてくる。

 

〝我々が後世に授かる、開拓の霊格(功績)をその子に授けました。私たちが箱庭に残せる、最後の生きた証。貴方に託します──〟

 

「その者は、彼らが残した百三十一人目の同士。あなたが名前を呼べば、目を覚ますでしょう」

 

 飛鳥は手の平の上でスヤスヤと眠る精霊を見つめた。

 

 彼らが飛鳥にこの精霊を託してくれた意味を噛み締め、暫し目を閉じる。

 

 たっぷりと時間をかけ、やがてゆっくりと目を開いた飛鳥は、精霊に優しく呼びかけた。

 

「────メルン」

 

 ぴくり、と精霊──メルンは目を覚まし、ゆっくりと起き上がる。眠たそうに目を擦り、ユラユラと頭を揺らすと、飛鳥の顔を見つめる。

 

『……めるん?』

 

「そう、貴女は〝ハーメルンの笛吹き〟の正当な功績を継いだ者──そして、私たちの新たな仲魔よ」

 

 その言葉にメルンは小首を傾げ、きょろきょろと辺りを見回す。やがてフェイスレスと一瞬視線が交錯し、彼女が優しく微笑むのを見た。するとメルンは頷き、飛鳥へ再び向き直る。

 

『うん、わたしは──地霊メルン。こんごともよろしくね、あすか!』

 

 そう言って、にっこりと笑ったのだった。

 

 

    *

 

 

 ゲーム終幕より四十八時間が経過した。外では祝勝会を兼ねた誕生祭が再開され、終日宴の席が設けられている。

 

 参加者たちからは魔王に勝利した〝サラマンドラ〟と〝ノーネーム〟の功績が讃えられ、惜しみない称賛の声が上がった。魔王のゲームに巻き込まれながらも、その知恵と力を持ってゲームをクリアした彼らを、軽んじる者はいる筈もない。

 

 魔王を打倒し、名を上げた〝ノーネーム〟は復興に向けてまた一歩、歩を進めたのだった。

 

「……でも、私は何もできなかった」

 

 宮殿内のとある個室。宴に騒ぐ外の喧騒を聞きながら、耀はぽつりと呟いた。

 

 ベッドに入り、耀はぼんやりと天井を眺めている。その表情は罪悪感に歪み、後悔に揺れる瞳を隠すように、手の甲を額に当てている。

 

「それどころか、皆に襲いかかって──」

 

「──だが、そうしなければ死んでいた」

 

 耀の自虐へ口を挟んだのは、窓から外を眺めているシンだった。窓に映るその表情は相変わらず温度が無く、魔王のゲームをクリアしたことなどどうでもいいと言わんばかりの様子である。

 

 シンは振り向き、実験動物を見るような無機質な瞳で、耀を見つめる。

 

「お前が力に呑まれ、暴走したのは、お前と悪魔の力の相性が異常に良過ぎた(・・・・・・・)からだ。その力は魂と強く結び付き合い、誕生したばかりの悪魔でありながらそれなりの霊格を宿していた」

 

 無論、死に掛けていた故の反動もあっただろうがな、とシンは結ぶ。しかし、耀にとってそのような理屈はどうでもいいのだ。己が力を求め、力に溺れ、力を同士や友に振るったことが、どうしても許せなかった。

 

「……私はどうなるの? これから先、悪魔として生きていかなくてはならない?」

 

 怯えるように言う耀だが、実の所一切の不安が無かった。悪魔として生きるのが当然とでも言うように、何故か耀の心はそれを受け入れている。そう考えるようになっている事こそが、悪魔になってしまった証拠ではないかと思い悩む。

 

 だが、シンはそれに答えず、耀に歩み寄ると、その顔を睨みつける。

 

「……シン?」

 

 耀は訝しみ、その瞳を見つめる。

 

 翠色に輝く瞳──耀の身体を、心を、魂すらも見透かすようなその禍々しい輝きに、耀は吸い込まれるような感覚を覚える。まるで彼に付いて行きたい、彼に全てを委ねたいという甘美な誘惑に、その瞳が揺れ──

 

「──お前は人間(・・)だ。身も心も、魂さえもな」

 

 そう言って、シンが再び窓へ視線を移したことで、耀は我に返る。

 

「……え?」

 

「お前は確かに、あの時悪魔と化していた。心は兎も角、身体はマガタマに食い尽くされ、魂は悪魔に変質していた。その筈だった」

 

 暴走する耀は確かに悪魔──人修羅と化していた。刺青やその色が微妙に異なったのは作り手の違いか、それとも使用したマガタマの違いかは不明だが、少なくとも人間を止めたことは確かだった。

 

 それが、気絶して宮殿に担ぎ込まれた時には人間に戻っていた。今シンが行なっているように人間に擬態しているのではなく、間違いなく今の耀は人間だった。

 

「それってつまり……どういうこと?」

 

「分からない。むしろ、お前の方が分かっているんじゃないのか?」

 

 え? という疑問の声は、肩越しに振り返るシンの視線の前に、途切れた。

 

「悪魔と化した人間が元に戻るという現象は、奇跡に等しい。俺はお前のギフト──〝生命の目録(ゲノム・ツリー)〟か〝ノーフォーマー〟の力が働いたのではないかと見ている」

 

 その言葉を受けて、耀は無意識の内に父から譲り受けたギフトを握り締めた。何がどうなってそうなったのかは全く分からないが、父が守ってくれたのだろうか。そう思う耀だったが、シンは不満そうに首を振る。

 

「……お前にも分からないか。だが、研究の価値はありそうだ」

 

 そう言って、再び窓の外を眺めた。

 

 耀はその姿を見つめながら、思う。

 

 分かっていたことではあったが、シンは誰にも感情を抱いていない。利用価値や興味の対象とすることはあっても、同士だとか──ましてや友人だとは一欠片も思っていないだろう。それこそが悪魔なのかと、耀はやや寂しく思う。

 

『こらこら、もっと女の子は優しく扱いなさいよー。特に傷心の女の子はね!』

 

 そんな中、ピクシーの悪戯っぽい声が響き渡った。ぽん、と軽いエフェクトを立てて現れたピクシーは、とても楽しそうな表情でニヤニヤ笑っている。それを見て耀は不吉な感覚を覚えたが、シンは振り返って問い掛ける。

 

「──それで、どうだったんだ」

 

『もー、アドバイスくらい聞きなさいよ。まぁいいけど──クロよクロ。あの万年激おこ男……というより、〝サラマンドラ〟全体がクロね』

 

 それを聞いてそうか、と確信を得たように頷くシンだったが、耀は意味が分からないとばかりに眉を顰める。

 

「〝サラマンドラ〟がクロ(・・)……それって?」

 

『あら、あなたも聞く? 聞いちゃう? 人間にはあまり面白くないかもよ?』

 

 バタバタと両足をバタつかせ、口元を押さえてうくくと笑うピクシーの姿は、完全に喋りたがりのそれだった。そもそも、目の前で話しておいて聞きたいか、もなかったが。

 

 耀が頷くと、ピクシーは笑い話でも話すかのように、軽い調子で喋り始めた。

 

『──つまりさあ、今回の魔王襲来は、〝サラマンドラ〟が仕組んでたってことよ』

 

「──なっ、」

 

 絶句する耀を他所に、ピクシーは話し続ける。

 

『まあ、普通に考えれば分かるけどね。百三十枚もの笛吹き道化のステンドグラスを出展させるなんて、主催者側がわざと見落としてない限りありえないでしょ。マスターになったあの子娘(・・・・)は知らなかったみたいだけどさ』

 

「……それはつまり、サンドラを始末して、マンドラに跡目を継がせようと?」

 

 幼いフロアマスターの誕生に不満を抱いている勢力──サンドラの兄であるマンドラがその勢力であるのが自然だろう。だとすれば、今回のゲームはとんだ茶番劇になる。耀は義憤に表情を歪ませて──

 

『ああ、違う違う。……これがまたケッサクなんだけどさ、今回の件はルーキー〝階層支配者〟が周囲のコミュニティから認められるための通過儀礼みたいなモノなんだって』

 

「……はい?」

 

『だからさ、〝階層支配者〟って魔王の防波堤としての役割があるじゃない? つまり魔王とのゲームを乗り越えて、始めて一人前と認められるわけよ。それなら手っ取り早くルーキー魔王を招き入れて(・・・・・)、それを倒しちゃえばすぐに一人前扱いになるわよね?』

 

 本末転倒よね、とピクシーはケタケタ笑い転げるが、耀は笑い事ではないと青褪める。

 

 秩序の守護者であるフロアマスターが、コミュニティの格を高めるために魔王を招き入れるなど、茶番劇以前に最悪のスキャンダルもいいところだった。箱庭に来て日も浅い耀だが、白夜叉やジンなどの話からそれがどれほどの事かをなんとなく理解している。

 

『なんか色々事情はあるらしいし、コミュニティの名や旗を守るためとか言ってたけど、興味なかったから聞き流したわ。そりゃ、あたしたちは箱庭の外から来たからそういう意識は薄いけど、巻き込まれた参加者たちには関係ないわけだしね』

 

 ピクシーはそう言うが、耀は確かに部外者である自分たちには、到底分からぬ事情なのだろうと察した。

 

 幸い、今回は参加者側にも、〝サラマンドラ〟側にも死者は出なかった。しかし万が一〝ノーネーム〟から死者が出れば、十六夜かシンが〝サラマンドラ〟を滅ぼしていただろう。また、参加者に死者が出れば北のコミュニティが崩壊する火種となっていただろう。

 

 どのような状況になっても、自分たちは決してそのようなことはしまい、と耀は決意する。

 

『──それで、「バラされたくなかったら、有事の際は〝ノーネーム〟の元へ駆けつけろ」って脅しておいたけど……あんな連中必要なの?』

 

「使える駒は多い方がいい。盾にはなるだろう」

 

 エゲツない悪魔たちの遣り取りに冷や汗を流す耀。この事は十六夜たちに言わないでおこう、と心の内に秘めることにした。

 

 

    *

 

 

 重い話が終わり、ピクシーは話を変えて、宴の様子を楽しそうに語る。それを耀とシンがぼんやりと聞いていると、そこへノックの音が響き渡った。

 

 耀が返事をすると、黒ウサギを始めとする〝ノーネーム〟一同が部屋に入ってくる。幸い部屋は広めなので全員入ることができた。

 

 十六夜と飛鳥はやや顔を顰めてシンを睨んでいる。黒ウサギとジンは少し辛そうな表情でシンを見ている。レティシアは憂鬱げな表情だったが、一同を心配そうに見つめている。

 

 耀は困惑して彼らを見回すが、それを他所に黒ウサギが硬い声で話を始める。

 

「──シンさん、聞きたいことがあります」

 

 シンは一同の視線を受け止めると、面倒そうに頷いた。

 

 質問とは名ばかりの、詰問が始まろうとしていたのだった。



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暗躍した悪魔と暗躍する召喚士ですよ?

 〝ノーネーム〟農園跡地。

 

 あれから一週間が経過し、境界壁から帰ってきた一同は新たな仲魔──妖精セタンタと地霊メルンを迎え入れた。セタンタが幻魔クー・フーリンに姿を変えたのは一時的なものだったらしく、飛鳥は少し残念そうだった。

 

 地霊メルンが得た功績は〝開拓〟。流石に完全に死んだ土地を復活させるほどの力は無いが、土壌の肥やしがあればその助けになる可能性はある。飛鳥に命令されたセタンタと、年長組の子供たちは黒ウサギに先導され、廃材置き場へ向かっていった。

 

『やれやれ、なんでオレがこんな事を……』

 

「文句を言わず働きなさい。私も手伝うから」

 

 ボヤくセタンタは隣に並ぶ飛鳥にぎょっと驚くと、怪訝そうに見つめる。

 

『……意外だな。こういう肉体労働は任せるものだと思っていたが』

 

 それは飛鳥が怠惰だと言うつもりではない。適材適所を弁え、己に向いた仕事に集中するタイプだとセタンタは思っていたからだ。事実、もし今回の一件がある前の飛鳥ならそうしただろう。しかし飛鳥は少し恥ずかしそうに答える。

 

「今回のことで、自分の力不足を痛感したもの。こういう機会を使って体を動かすことに慣れておこうと思ってね」

 

 とはいえ、すぐに慣れるわけでもない。これは己がフォローしてやらなくてはいけないな、とセタンタは苦笑する。

 

 そんな主従の後ろ姿を眺めながら、耀はポツリと呟いた。

 

「……飛鳥は、凄いね」

 

 それは、眩しいものを見るような口調だった。新たな力に驕らず、その力に見合うよう己を高めようとする飛鳥のその姿勢に、耀は尊敬の意を抱いていた。

 

 耀が悪魔化した影響は、今のところ見られなかった。服が血で駄目になったのは痛いが、元の服と似たものを揃えることで妥協している。特に血を吸いたくなることもなく、その代わり無頼の怪力や鉄のように鋭い爪は出すことはできないでいる。

 

 結局、今回のゲームで耀は特に活躍することもなく、迷惑をかけることのみで終わってしまっていた。そう言う耀に、十六夜は苦笑する。

 

「まあ、そんなこともあるだろ。春日部のせいばかりでも無いからな。どちらかというと──間薙のせいだろうし」

 

 軽い口調で、しかし後半は硬い口調で言う十六夜に、耀は寂しい表情で答える。

 

「……まだ、シンを許せないの?」

 

まだ(・・)、じゃないな。俺たちがアイツと分かりあうなんてことは一生無いだろうよ」

 

 有無を言わさぬその口調に耀は俯き、申し訳なさそうに呟く。

 

「……私のことなら、気にしなくていい。何度も言ったけど、私自らが望んだ結果だから」

 

「別に、それだけじゃねえよ。前々から考えていたが、俺たちとアイツの思考回路は違い過ぎる。見た目通りの存在じゃないと思っていたが、もしかしたら百年とか千年は生きてる大悪魔かもしれん、と俺は見てる」

 

 十六夜のその推測に、パチクリと耀は目を瞬かせる。その様子に表情を緩めた十六夜は、耀に笑いかけた。

 

「……ま、俺が勝手に思っていることだ。春日部がそれに倣う必要はないが、間薙には精々気を付けとけ」

 

 そう言うと、十六夜は自分も手伝うことにしたのか、飛鳥の後を追った。ヴェーザーに痛め付けられ、最後の戦いに参戦できなかった負い目がそうさせているのだが、対人の経験値が少ない耀はそこまで察することはできなかった。

 

 自分も手伝おうか、と視線を上げると、本拠の屋根の上で寝転がっているシンの姿を見つける。鷹の目で見つめると、ピクシーと何やら話しているところだった。その視線に気が付いたのか、手を振るピクシーに耀も手を振り返すと、十六夜を追って歩き出す。

 

 その心の内で、ふと疑問が思い浮かぶ。

 

 気のせいだろうと、次の瞬間には忘れてしまう淡い疑問。

 

 

──どうして最近、悪魔を見るとお腹が空くんだろう。

 

 

 その疑問への答えを、まだ耀は見つけていない。

 

 今は、まだ。

 

 

    *

 

 

──シンさん、どうして貴方は……!

 

──間薙君、私はどうしても貴方の事を……。

 

──人間様を、あんまり馬鹿にしてるんじゃねえ……!

 

 シンは、境界壁で黒ウサギたちにされた詰問を思い返していた。

 

 今までの態度、企み、耀へ行った所業、ありとあらゆる事を問い掛けられた。だがシンは結局、殆どの質問に答えなかった。耀の悪魔化は死にかけていたという理由があったものの、当然命を救おうと思っていたわけではなかった。

 

──失うには惜しい存在だ。まだ利用価値がある故に、実験も兼ねて力を与えたまでだ。

 

 その言葉は十六夜たちの失望を大いに買い、あわやその場で私闘とまで行きかけたが、黒ウサギと耀がなんとか取り成した。ここで決定的に拗れてコミュニティ追放など起こせない。コミュニティ復興の大きな力になるシンを手放すわけにはいかないし、下手に野放しにすれば敵として、あるいは魔王として、立ちはだかって来かねない。

 

 それに、耀は己の暴走がこの事態の引き金になったことを気に病んでいる。己が望むままに力を与えてくれたシンを、彼は悪くないと擁護すらした。事実、ステンドグラス捜索に悪魔を派遣したり、その身を持って魔王の撃破の一助になるなど、シンは今回のゲームにしっかりと貢献している。無論、何の説明もなく勝手にやったことだが。

 

 その結果、シンへの処分は保留にはなった。

 

 だが、コミュニティ内に大きな溝が出来てしまったのだった。

 

『──ヨウ以外の連中には、随分嫌われちゃったわね?』

 

 ピクシーは耀から視線を移すと、屋根の上で目を瞑り、寝転がっているシンへ声をかけた。

 

「どうでもいい」

 

 興味の無さそうな口調で、シンは返す。事実、シンは同士にどう思われようが気にしていない。己の邪魔さえしなければそれでいいと、そう考えていた。

 

 だが、ピクシーは首を竦めて呟く。

 

『でもね、あいつらの出身とか、前の世界の話とか聞いておけば、対策も立てられると思わない? ヨウなんてあんなことになるなんて想定外だったじゃない。特にあのイザヨイってヤツ──』

 

 視線の先、歩いている十六夜をチラリと見る。

 

『──絶対、以前に悪魔に出会ってるわよ。悪魔に対する心構えが出来てるもの』

 

 それは、シンも思っていたことだった。今回の一件までは口先では歩み寄ろうとはしていたものの、ある一線だけは引いていたように感じていた。そして、それは悪魔に対して正しい対応だ。

 

──表面上仲良くすることはあっても、決して心から馴れ合ってはいけない。

 

 人と悪魔は絶対に分かりあうことはできない。仮に絆を結んだとしても、一線だけは超えてはならない。それは不幸な結果しか産まないのだから。

 

『前の世界で悪魔やサマナーに会っていたのかしらね? ま、聞いても答えてくれないだろうけどさ──』

 

「……いや、お前ならまだ飛鳥が気を許すだろう。出来る限り情報収集をしておけ」

 

 うぇ、とピクシーは面倒臭そうに声を漏らす。しかしそれには構わず、シンは片目を開くと、ピクシーを見つめて再度命ずる。

 

「頼んだ」

 

『……はいはい、やっておくわよ。あたしも興味が無いわけじゃないからね』

 

 ピクシーは首を竦め、仕方ないとばかりに頷いた。シンは再び目を瞑り、考え事に没頭する。そのつれなさが不満だったのか、ピクシーはむくれてシンの周りを飛び回る。

 

 暫しぶー垂れていたピクシーだったが、ふと何かを思い付いたのか、ニンマリと笑い、シンに縋り寄る。

 

『ねーねー、今回あたし結構活躍したと思わない? それに、これからめんどくさそーな事やらされるわけだし、ご褒美ほしいかなーって』

 

 ツンツン頬をつついてくるピクシーを、シンは面倒そうに見つめる。しかしその期待するような視線に、やがて諦めたように溜め息を付いた。

 

「──好きなだけ吸え。だが程々にしろ」

 

『きゃっほー! 話がわかるー! それじゃあ、いただきまーす!』

 

 はしゃぐように飛び回ると、やがてふわふわとシンの胸元に降りてくる。そして胸元にのし掛かると、シンの口元にゆっくりと顔を近づけて──

 

 

──屋根の上で、人修羅と妖精の影が重なるのだった。

 

 

    *

 

 

 境界壁・居住区画。

 

 何処とも知れぬ洋室で、男女が向かい合っていた。

 

 一人は、飛鳥に悪魔召喚士(デビルサマナー)の力を与えたフェイスレス。一切の表情を消し、姿勢正しく立っている。その視線は目の前の男を油断なく見つめている。

 

 もう一人は、金髪の青年だった。柔らかなアルカイックスマイルを浮かべ、仕事机に座っている。顎の下で両手を組み、何処となく嬉しげな雰囲気だった。

 

「──ご協力、感謝いたします。お陰で滞りなく任務を進めることが出来ました」

 

「いえいえ。我々も、新参とはいえコミュニティ〝ヤタガラス〟の同士。微力ながら助けになれて光栄だとも」

 

 義務的に礼を言うフェイスレスに、胡散臭い程に心からの謙遜を言う男。彼は〝ヤタガラス〟傘下のコミュニティのリーダーなのだが、フェイスレスは、この男をどうしても信用できなかった。

 

──このコミュニティのリーダーが挿げ替わったという報告は受けていない……それに何故、他の同士を見かけない(・・・・・・・・・・)

 

 誕生祭の開催前からこのコミュニティの本拠に出入りしていたが、この男ともう一人──メイドの少女以外に、誰も見かけることはなかった。

 

 その少女は、行儀良く金髪の男の背後に下がり、微動だにせず背景に徹している。その腰まで届く長い黒髪は、一見すると夜更けに月明かりで照らされる清流のようにも、はたまた嵐で氾濫する濁流のようにも見える。露出度の高い黒色のメイド服は、所々に髑髏の意匠があしらわれており、しかし奇妙なことに首元のスカーフだけは虎柄をしていた。

 

 血のように紅いその瞳を薄く伏せていたメイドだったが、ぷぅん、と蝿が寄ってくると、ふわりと右手を差し出し、その指に止まらせる。そしてゆるりと微笑むと、その蝿を手の甲に這わせて、弄び始めた。

 

「──うちのメイドが気になるかね?」

 

 ハッ、とフェイスレスが気が付くと、どうやら己が短くない時間、メイドを見つめていたらしいことに気が付いた。姿勢を正し、いえ、と否定するフェイスレスを見ると、男は微笑みメイドを横目で見つめた。

 

「同性すらも魅了してしまうとは、つくづくうちのメイドは罪深いらしい」

 

「──恐縮ですわ」

 

 初めて聞くメイドの声は、寝床から聞こえる風の音のようにささやかで、しかし嵐の夜の雷鳴の如く耳にしっかりと届いた。先程からメイドに感じる矛盾する感覚に、フェイスレスは警戒心を抱く。

 

「これは失礼。うちを尋ねる客人は少なくてね……ついつい自慢をしてしまった」

 

「……謝罪は不要です」

 

 始まろうとしていた世間話を強制的に打ち切り、フェイスレスは事務的に男と書類のやりとりを始めた。それらを全て鞄に収めると、機械的に一礼する。

 

「それでは、私たち(・・・)はこれで」

 

 フェイスレスが踵を返すと、その足元を一匹の黒猫(・・・・・)が追従する。飾り気の無い首輪をしたその猫は、一瞬だけ男とメイドを見やると、フェイスレスと共にそのまま歩き去って行った。

 

 金髪の男とメイドの少女は閉じられた扉を見つめながら、興味深そうに目を細めるのだった。

 

 

    *

 

 

『──あやつら、人間ではあるまい』

 

 人気の無い歩廊で、ゆっくりと歩を進めるフェイスレスに、低く渋い声が掛けられる。しかし周囲にフェイスレス以外に人影は無く、あるのはただ一匹──隣を歩く黒猫のみ。その猫が人語を発したというのだろうか。

 

「わかっています。恐らく成り変わられたのでしょう」

 

『〝ヤタガラス〟に報告する必要はあるが……その程度、あやつらは見越しているだろうな』

 

 今度は間違いなく、フェイスレスと黒猫が言葉を交わしていた。黒猫の目には知的な碧色の光が宿り、フェイスレスを見上げている。フェイスレスもまたその瞳を一瞬見つめると、再び前を見据えた。

 

「何者だか分かりますか?」

 

『……目星は着いている。だが、あやつらがこんなところにいるとは考え辛い』

 

 言葉を濁す黒猫に、フェイスレスは涼しい顔で答える。

 

「成る程、過去のサマナーが従えていた、といったところですか」

 

『……お前は出来が良過ぎて、少々つまらんところがあるな』

 

「性分ですから」

 

 フェイスレスは苦笑し、黒猫はふん、と鼻で笑う。そこには、長い間連れ添った相棒の如き信頼関係が伺えた。フェイスレスは周囲に人が居ないことを確認すると、やや声を潜めて言う。

 

「久遠飛鳥に接触し、力を与える所まで行きました。少々出来が良過ぎる(・・・・・・・)のが懸念点ですが、誤差の範囲でしょう」

 

『……血筋の成せる業か。本来ならばサマナーなど目でもない存在(・・・・・・・・・・・・)に大成するはずであったが、なんともやり切れんな』

 

 黒猫は頭を振る。そこに情に流されるような柔な感情は見られなかったが、何処となく哀れみを感じる口調でもあった。フェイスレスは敢えてそれを無視すると、口調をやや強めて言う。

 

「緊急の事態故、仕方ありません」

 

『分かっている。お前こそ、あの娘に情を移してなどおらぬだろうな?』

 

 黒猫が睨みつけたフェイスレスの顔には──刃物のように冷たい表情が浮かんでいた。それを見た猫は頷く。

 

『──一つ問おう。汝、如何に任務を遂行する?』

 

「個を捨て、人々を守らんとする強い意志──」

 

 フェイスレスは冷徹な声で告げ、自らの肩を掴む。

 

「──只一振り、研ぎ澄まされた刃となる」

 

 そうして、その身を包む漆黒の衣装を剥ぎ取ると──

 

『よかろう。ライドウ(・・・・)、引き続き任務を遂行せよ』

 

 

──そこには、書生姿の男装の麗人の姿があった。

 

 

「はい、ゴウト(・・・)。我が任務は〝帝都の守護〟──」

 

 黒い学生服に身を包み、外套を羽織っている。何処の学校の紋章が刻まれた学帽からは黒絹のような黒髪が流れ出て、しかしその顔の上半分は仮面に覆われていた。まるで学生のような出で立ちだが、その腰には鞘に入った刀をぶら下げており、更に女性である。だが黒猫──ゴウトはその姿を見ても溜め息を付くのみだった。

 

「帝都の未来のため、久遠飛鳥には──元の時間軸に帰ってもらいます(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 デビルサマナー葛葉ライドウとその従者〝業斗童子(ゴウト)〟は、決意を新たに箱庭の地を歩むのだった。

 

 

    *

 

 

 箱庭を征く者たち。

 

 ある者は、自由の代償に同士の信頼を失った。

 

 ある者は、任務のために少女を魔なる道へ導いた。

 

 ある者は、全てを微笑みながら眺めている。

 

 多くの意志と宿命が絡み合い、いよいよ運命は混沌の模様を見せ始めた。

 

 それらが行き着く果てを知るのは、暗黒の天使のみか、あるいは──




第二章「あら、妖精襲来のお知らせ?」はここで完結となります。
多くのご感想とご愛読、誠にありがとうございました。
難産ではありましたが、原作とは徐々に変わりゆく物語を書いたつもりです。
お楽しみ頂けたのならそれ以上のことはございません。

第三章ですが、実は今回書き溜め切れずにギリギリの完成となってしまったために、まだ一文字も書き始めておりません。
ストーリーは既に決まっておりますが、流石に毎日投稿と執筆を行うのは心身に多大な負担がかかると痛感しましたので、ほぼ完全に書き溜め終わるまで再開しないつもりです。
ここからは更に原作と変えていきますので、より面白くなるよう努力いたします。
それまでは、不定期更新予定の外伝をお楽しみください。

第三章「そう……巨人召喚(仮)」は八月半ば、あるいは九月までには開始する予定です。
お待ちの間、悪魔に肉体を乗っ取られぬよう、お気を付けて……。


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