アナタは誰よりも美しい (Я i И)
しおりを挟む

原作前
1話


 始まりはギロチンの音だった。

 夕焼け色の黄昏刻(たそがれどき)。血と革命の喝采が、今生における私の原初の記憶。まだ赤子でしかなかった頃の網膜には、鮮血滴るギロチンの刃が鮮明に焼き付いた。

 時代は1793年。フランス革命の勢いのまま非キリスト運動が広がる今日日(きょうび)、とある港町で私は今生を授かった。生まれた時から既に、私という截然とした個我を携えて。

 当然のように混乱したし、ろくに身動きができない赤子の身体は言うまでもなく不便だ。衛生面での嫌悪感も筆舌しがたく、()()の私自身よりも潔癖になってしまった気もする。何もかも()()と勝手が違い過ぎた。

 だから必死に生き抜いた。情報を得る手段も無ければ、家系による伝手もない一般人だから、当時は不安ばかり抱いていたのを覚えている。そうして神経質になっていく私を、両親が段々と疎ましく思うようになったのもね。

 でも自分が何者であるかを知ることで不安は全て無くなった。文字通り一片の「不安」も残すことなく消えていった。だってそうでしょ? 恐れる対象が明確になったのなら、不安の全てが「恐怖」に変わってしまうわけでして。それも解決の糸口すらつかめない恐怖だと一層明確に。

 

「マリィ、はやくこっちに来てちょうだい」

 

「はーい!」

 

 だなんて両親に愛想よく年相応を演じても、恐怖が晴れることはない。だって目の前の母親が相変わらず胡乱げなんだもの。心の奥底で私を白痴だって思ってる。今こうやって()()()()接しているのは僅かばかりの倫理観によるってだけ。

 嗚呼悲しきかなマルグリット。貴女は数年後に処刑されて亡くなるのよと、()()の私の記憶が囁いてくる。もしかしたら二重人格による讒言かもって疑おうとしても、深層意識に広がる私の世界が真実だと告げてしまうのだ。

 腫物みたいに私を扱う母から目をそらし、意識を奥へ、奥へ、奥へ……。

 

「……ああ、やっぱり夢じゃないや」

 

 一人称小説のように、誰もいない空間で独り言を口にする変わり者だなんて自虐もできず、私は目の前の光景にうんざりとした。

 片方は、無窮に続く白砂(はくしゃ)の大地。もう片方も、彼方まで広がる何も()まないコバルトグリーンの水平線。生まれた時のまま変わらない永遠の斜陽が、目の前のギロチンに影を作らせていた。

 

「ちっちっち~……」

 

 今生の名はマルグリット・ブルイユ。心象世界に引きこもり、()()の記憶にある恐怖のせいで、私は現実逃避の為に歌を口ずさむことしか出来ないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マルグリット・ブルイユという少女は神様の交代劇を描くノベルゲームで、「全てを抱きしめたい」という渇望を抱き、生まれながらにして神格である特異な存在だ。

 『渇望』とは要約するとF○teの『起源』みたいに能力の方向性を定めるもの。まあ要するに狩人×狩人の『制約と誓約』みたいに能力のデフレを促すもの。そんな感じでふわっと思い出せたのはこのくらい。話が適当? 私自身も自問してしまうが、『渇望』自体は文字通り渇望そのものだとしか言いようがない。

 ただ、私が目先の恐怖として見据えているのは、愛称マリィちゃんはキ○ガイとしてギロチンで首ちょんぱをされてしまうということだ。

 砂浜と海しかない世界で永遠に生きるなんて精神が持つ気がしないし、お友達も武骨なギロチンだけ。当然、現実世界で生きていくにはギロチン刑を回避しなければならない。

 けれど一番に私を悩ませたのは、私に宿るはずだったギロチンの呪いだ。原作では自らに触れる者の首を強制的に切り落とすという物騒な呪いのせいで、「全てを抱きしめたい」という『渇望』を抱くようになっていく。けれど私にはそんな呪いもないし、身体能力も少女相応、無限の魔力とか知識とかの特別性もない。あるのは『黄昏の浜辺』だけ。

 この時点で記憶にある原作とは乖離しているから、この先どうなるのか全く想像ができなかった。

 

(どうすればいいんだろ……)

 

 この時代、十歳にも満たない一般少女の肩身は狭い。ファンタジーだとか以前に、情勢の変化が激しいこともあって日々を生きるのにさえ必死だった。

 そんな最中に前世の記憶が舞い込もうものならさあ大変。何もかも無い無い尽くしの私が焦るのも当然だった。そして両親は、私の焦りを気が触れているのだと誤解してしまう悪循環である。

 

(それで、結局こうなりましたとさ)

 

 ベッドシーツのような布一枚を纏い、私は目の前のギロチンを無感動に見上げる。記憶通り、マルグリット・ブルイユは両親から煙たがられて処刑台へと送られましたとさ。めでたしめでたし……なわけがない。

 なんでも、私は魔女だと密告されて両親は擁護もせず引き渡したみたい。魔女狩りなんて今の時代から見ても百年以上前の馬鹿らしい遺物なのに、すっかり民衆は熱に浮かされてしまっていた。確か密告者はアグネスとかいう近所のおばさんだったかな。実に悪そうな顔をしていたのを覚えている。

 

「嗚呼、かわいそうなマルグリット。でも安心なさい、貴女のことはきっと()()()()()

 

「うん、おばさんも元気でね」

 

 それがおばさんとの最後の会話。悪役っぽい笑みを浮かべて私を煽るように手を振ってくれた。

 けれど私は純真無垢なマリィちゃん。純朴少女を演じて煽りを受け流すと、アグネスは形相を顰めて踵を返してしまった。少しだけやり返した気分である。まあギロチンに首ちょんぱされるんですけどね。

 そうして、処刑台の上に立ちながら最後の光景を目に焼き付ける。悲しき哉、記憶にある至高の魂には程遠いマリィちゃんの前に、カリオストロと名乗る不審者が現れることはありませんでした。どこもかしこもアグネスおばちゃんに惑わされた民衆ばっかりでうんざりする。

 

「殺せー!」

 

「やっちまえー!」

 

「首は俺がもらうぜ、高く売りさばけるからな!」

 

(民度が悪すぎる!? あっ、そりゃ近世だもんね……)

 

 最後の奴、どう考えてもアグネスに売るつもりでしょ。うーん、このまま死ぬのは本当に癪でしかない。

 でも私には何の力もなかった。あればこうして処刑台に立ってないもの。

 『黄昏の浜辺』に引き籠ったとしても、この宇宙の私はそのまま処刑される。意識がリンクしているだけの異なる存在でしかない……というより、浜辺に存在する私やギロチン、砂浜や海といった森羅万象が宇宙そのものであり『私』だった。

 つまるところ、処刑台に立っている私が死ねば、二度とこの宇宙には戻ってこれなくなる。私の記憶にある求道神という存在ほど隔絶した力は持ち合わせていなかった。

 そうして、無力を味わいながら首と手を固定された時のこと。つい先ほどまで民衆の中にいたアグネスの姿が見当たらないことに気づいた。

 

(てっきり処刑されるところを嬉々として見るものだと思ってたけど……ん? なんでフランスにお坊さんがいるの?)

 

 あの性悪女が私の処刑を見ずにどこかへ行くとは思えない。

 気まぐれなのか、或いは何かアクシデントでもあったのだろうか。そう小首を*1傾げながらキョロキョロと辺りを見渡すと、ヨーロッパでは見かけない僧侶の袈裟のようなファッションをしたお坊さんが、私に向けて手で円を描いていた。

 すると私を縛り付ける断頭台の下に、火花のような輪郭の穴が開く。重力に従ってギロチンごと私は穴へと落下していき、坊主頭の女性も新しい穴を開いてその中へ飛び込んだ。

 

「えっと、初めまして? 素敵なヘアースタイルですね」

 

「初めましてマルグリット。今の貴女の格好も奇抜で素敵ですよ」

 

「えへへ……あれ? 私の名前をどうして───」

 

 目が覚めるとそこは異世界……というわけではなく、どこか懐かしい東洋風の広場にいた。

 そんな広場の中心にいるのはギロチンに縛られたこの私。周囲にいる様々な人種の人々が奇異の目で見てくるも、目の前で佇む坊主頭の女性だけは静謐に私を見下ろしていた。

 

「ようこそカマータージへ。少なくとも私は歓迎します。貴女が望もうと、望むまいと」

*1
ギロチンに固定されてるが



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話

「つまりアグネスは悪い魔女で、私の魂が欲しかったの? そんな────」

 

「まさか、と思いますか? 人々はマインドコントロールされ、貴女は処刑されかけたというのに」

 

「私は()()()()()ってパパもママンも言ってたし……」

 

「ええ、確かに貴女はイカれてますね。あまりにも純度の高()()()魂……貴女の心象世界が単一宇宙を確立する程度には」

 

 そう言って、私を助けてくれた女性はお茶を啜ってから一呼吸置く。

 私はというと、相変わらずギロチンに固定されたまま大人しく話を聞いていた。お尻が突き出る姿勢だからちょっと恥ずかしいんだけど……。

 

「あのー、魂とか魔術だとかちょっと現実味が無いというか」

 

「そうでしょうか。私からすれば貴女の存在こそ非現実的ですが」

 

「それよりも()()、助けてくれませんか?」

 

「ああ、そうでした」

 

 女性が手刀で虚空を断ち切る手ぶりをすると、ブチンという嫌な音が聞こえてきた。

 音の発生源は固定された私の頭の上、つまるところギロチンである。そして何かが断ち切れたかのような音がすると同時に、周囲の人々からも悲鳴が沸き立った。

 

「ではマルグリット、良い夢を」

 

 無慈悲に告げる女性の言葉を皮切りに、私の意識と生首は、数多の鮮血で錆びたギロチンの刃に斬り落とされた。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 ここからが正念場だと、エンシェント・ワンは鮮血が飛び散る惨状に目を細めた。

 

「皆さん、血に触れないように。気分が悪い者は退出して結構。スリング・リングは使わずそのまま外に出なさい」

 

 周囲で色めき立つ弟子たちへ冷静に指示を出す。彼らに意識を()けるほど悠長にはしていられない。

 ギロチンの刃は確かにマルグリットの首を断ち切った。だというのに、彼女の生首は一向に胴体から切り離される様子が無い。確かに首を引き裂いて、鮮血が周囲に撒き散らされたというのにだ。

 

(()()を制御できるなどと思っていたとは。あの魔女もまだまだ青い)

 

 アグネスと名乗っていた魔女はマルグリットの本質を見誤っている。純度が高いだけの魂ではなく、マルグリットは奇跡そのものだ。

 人の身という枷に閉じ込められてなお、その魂は光輝を放って止むことはない。中途半端に道を外れてしまっただけの魔女では、その美しさに目を焼かれてしまうだけ。

 『至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)』と称されるエンシェント・ワンでさえ、処刑台で佇むマルグリットを見た時は思考を停止してしまった。多元宇宙においても、完全という存在は何かと問われればマルグリットを挙げてしまうだろう。

 

「どうです? いい夢は見れましたか?」

 

「……うーん。寝覚めは最悪だったかな」

 

 ギロチンの刃はどう見ても首へと達しているというのに、ケロッと何ともないような表情をしてマルグリットは暢気に返した。

 ホラー染みた光景に踵を返す者もいれば、化け物を見るかのように警戒する者もいた。

 

「では改めて問います。非現実的なのは私と貴女どちらでしょう?」

 

「でも私だって今まで死ぬかもって思ってたんだよ? ちょっと強引過ぎない?」

 

「こうでもしないと自覚しなかったでしょうに」

 

「確かにそうだけど……よいしょっと」

 

 すると飛散した鮮血も、役目を終えたギロチンも。映像が逆再生されたかのようにマルグリットの首へと吸い込まれていった。

 固定された頭が解放されてよろめきながら立ち上がると、綺麗な金髪に隠された首元が露になる。そこには断頭の傷痕が生々しく残されていた。

 

「ではついてきてください」

 

「えっ? スルー?」

 

「貴女の宇宙に取り込んだことですか? それとも貴女がイカれてることですか?」

 

「その両方。しかもこの傷! 私だってかさぶたが出来てるみたいで違和感あるのに!」

 

「ならばスルーします。貴女を此処へ連れてきたことに一切関係がありませんから」

 

 首を断たれて吹っ切れたのか分からないが、マルグリットは口を尖らせながらもエンシェント・ワンを追う。

 行き着いた場所は屋外の修練場だった。

 困惑するマルグリットを他所(よそ)に、エンシェント・ワンはゆったりとした足取りで正面に対峙する。

 

「では始めましょうか」

 

「あの~……その前に質問してもいいですか?」

 

「手短に」

 

「そもそも此処は? 貴女はどちらさん? そしてその魔法陣みたいなのは何ですか?」

 

「ここはカマータージ、私はエンシェント・ワン、そしてこれは魔術です」

 

「もうっ、そうじゃなくて! どうして私はここに連れてこられたの!?」

 

「質問は以上ですか?」

 

「いや他にもいっぱい────」

 

「貴女を招待したのは来る日の為。今がその因果の……始まりです!」

 

 エルドリッチ・ライトで扇子を生成し、エンシェント・ワンはマルグリットへと突貫する。

 慌てて避けたものの、マルグリットは尻もちをついて後ずさることしか出来なかった。

 

「ちょ、ちょっとタイム!」

 

「命のやり取りで待ってくれる者がいるとでも? それともセイレムの魔女にしてやられたように、終わりを座して待つのですか?」

 

「だって私には何もないもの! ()()()()()()には何も……」

 

 尻すぼみになっていくマルグリットに、エンシェント・ワンは扇子を突き付けた。

 チラチラと光るエルドリッチ・ライトの残滓が、鼻先に触れる距離まで近づいている。綺麗な光だと思う反面、エンシェント・ワンの読み取れない表情に、マルグリットは得体のしれない恐怖を抱いた。

 

「つい先ほどやってのけたでしょう。ギロチンは何処へ?」

 

「わ、私の中だよ。『黄昏の浜辺』に」

 

「……では今の貴女はどうして生きながらえているのですか?」

 

「それは……私を『私』で上書きしたから?」

 

「そう、その通り。我々魔術師が多元宇宙(マルチバース)からパワーを引き出すように、貴女は自身の宇宙で全てを完結することができる。それも、この宇宙における特異点*1と似た性質を持ちながら……貴女を非現実的と述べた理由はそこです」

 

 エンシェント・ワンは再び距離を取ってから扇子を構える。

 今の話を聞いても、マルグリットは全く理解が及ばなかった。多元宇宙? この宇宙における特異点? 聞き覚えのない単語の羅列で頭がパンクしそうになる。

 でも一つだけ、もしかしたらと思うこともあった。現実で迎えた死を、無意識ながら浜辺にいる『私』で上書きすることが出来た。エンシェント・ワンと名乗る女性が多元宇宙からパワーを引き出しているなら、『黄昏の浜辺』とリンクしている私であれば……マルグリットはハッとして前を向いた。

 

「これが最後です。貴女の武器を取り出しなさい」

 

 その言葉を皮切りに、エンシェント・ワンは扇子を投擲した。

 マルグリットは思考する。走馬灯のように緩やかな時間の中で、一番に思いついたのはギロチンだ。そして思考の海へ潜れば潜るほど血のリフレインが頭に響く。

 ならばと、マルグリットは腕を掲げた。非現実的と言われた『黄昏の浜辺』からパワーを引き出せるのなら、武器として思い描くのは()()しかない。

 

「やあっ!」

 

「……お見事」

 

 黒ずんだ右腕からショーテルのような刃を創り出し、マルグリットは迫りくる扇子を打ち払った。

 弾かれた扇子からエルドリッチ・ライトが飛び散る。エンシェント・ワンは打ち返された扇子を事も無げにキャッチすると、敵意を霧散させて扇子を収めた。

 

「それが魔術(ミスティック・アーツ)です。貴女の場合は自身の宇宙から、そのパワーは引き出されているはず」

 

「私の宇宙から? さっきのギロチンで死ななかったのも?」

 

「ええ。甚だ不条理ですが、言葉の通り貴女の宇宙から。我々は能動的に多元宇宙(マルチバース)から力を得ていますが、貴女は違う。ですから魔術というより権能とでも言うべきでしょうか。我が身のみで自己完結しているアナタは、まさしく神と言えるでしょうね。だからアガサ・ハークネスはそこに目を付けた」

 

 扇子を消し、エンシェント・ワンは静謐な瞳でマルグリットを捉えた。

 マルグリットは想起する。アガサ・ハークネスなる人物こそ、かつてアグネスと名乗っていた魔女であることは明白だった。

 しかし不思議な点も多々ある。エンシェント・ワンの言葉が本当だったとして、不死身である自分を魔女がどうこうできるものなのだろうか。

 そんなマルグリットの疑問などお見通しと言わんばかりに、エンシェント・ワンは冷酷に告げる。

 

「でも私の宇宙の『私』で上書きできるなら、魔女さんが出来ることなんてあるのかな?」

 

「……未来視するまでもない陳腐な質問で拍子抜けしました。貴女自身が宇宙だとして、この宇宙に干渉することなど不可能です。この宇宙にはこの宇宙の法則・摂理があります。貴女が改変できるのは貴女自身のみ。不老不死など監禁されればそれまででしょう」

 

「た、確かに……でもこの力があれば────」

 

 そう(のたま)いながらマルグリットが腕に生えた刃へ視線を移すと、ショーテル状の刀身がその半分を折られて砕け散っていた。

 言葉を失って呆然とするマルグリットに、エンシェント・ワンは扇子を優雅に(あお)ぎながら皮肉気に微笑んだ。

 

「私の扇子ごときで砕ける力で宜しいのでしたら、このまま先の処刑台へと帰して差し上げますが?」

 

「……助けてください」

 

 パチン。

 扇子の閉じる音が、マルグリットの胸中を代弁して空虚に響き渡った。

*1
インフィニティ・ストーン



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話

 あれから色々……というほど何かがあったわけでもなく。

 私なんて所詮は田舎娘、行方不明になったところで18世紀の世界で騒がれることはない。だからスムーズにお師匠様の下で修業をすることができた。

 肉親とはもう会えない。私と魔女の確執にお師匠様は干渉する気がないとのこと。

 私は薄情者だ。良心の呵責はあれど、家族としての情がどうしても湧かないから、魔女と戦う気概があるはずもなかった。

 つまり、今の私は完全にニートと化している。職もない。教養もない。あるのはギロチンだけ。ないないづくしのダメ人間である。

 

「やった……! これが自由なんだ!」

 

「何をおバカなことを言ってるんですか。さっさと水汲みに行ってきなさい」

 

 ……とまあ、都合よく世界が廻るわけでもなく。

 新米魔術師見習いの私は、カマータージで必死に下積みをしなければならなかった。

 

「無理ぃ……重いぃ……」

 

 水の入った天秤棒*1を担いで水汲み。魔術書が蔵書された図書館の整理。果てにはカマータージの掃除などなど。魔術の修業とは建前で、実際的にはただのアルバイトみたいなものばかり。

 一度だけズルをして特異点の力*2とやらを使おうとしたけど、案の定というべきか、お師匠様に釘を刺されてしまったのは苦い記憶だ。

 

「この宇宙が誕生する前には6つの特異点がありました」

 

「特異点? てっきり何も無い世界かなって思ってたけど」

 

「私も全容を把握はしていませんが、6つの特異点があったのは確かです。そして貴女の宇宙も同様に、6つの特異点に匹敵する力が秘められています。迂闊に扱えばどうなるかは想像に難くないでしょう」

 

「は、はい……」

 

 脅しのようで、客観的に考えれば筋が通った正論だから反論できない。

 我ながら宇宙規模に影響が及ぶパワーを持ってるなんて恐ろしくなってしまう。

 なにせ一歩踏み間違えれば私もろとも宇宙はドカン。多少どころかかなりスパルタでも、お師匠様から課せられたノルマをこなすしか道はなかった。

 そんなこんなで18世紀の洗礼を受けながら、やっとの思いで魔術の鍛錬に挑めるようになった時のこと。

 現実はどこまでも残酷だった。

 

「頭に思い浮かべるのです。そして流れに身を任せなさい。不条理を理解する必要はありません。斯く在るものとして受け入れるのです。さすれば自ずと……」

 

「えっ? あ、あれっ?」

 

「自ずと……」

 

「えいやっ。あれれ?」

 

「……マルグリット、貴女は才能が有りませんね」

 

「ふぁっ!?」

 

 衝撃の事実に奇声をあげてしまった私は悪くないはず。

 普段は厳しいお師匠様も、この時ばかりは憐みを浮かべていた。

 より一層胸に突き刺さるんですけど……えっ、いつもの真顔ジョークじゃなくて本当に?

 そんな私の胸中をいつもの如く見透かして、お師匠様は言う。

 

「必然だったのでしょう。貴女がアクセスできるのは自身の宇宙のみ。我々のように多元宇宙からパワーを引き出すのとはわけが違います」

 

「でもホラ、チリチリ~って光は出てるよ!」

 

 見苦しくスリング・リングを指に嵌めて円を描くと、虚空にエルドリッチ・ライトの光が弾ける────線香花火よりも小さい火花だけど。

 うぅ……お師匠様の優しい視線が辛い。でもでも、魔術の『ま』の字までは掴めたのは事実だ。修行をしていけばきっと使えるようになるはず!

 そんな甘い考えをしていたのも束の間、お師匠様の言葉に私は身を凍らせてしまった。

 

「ええ。このまま修練を重ねれば、いつかは使い物になるでしょう」

 

「でしょでしょ!」

 

「もっとも、私の見込みでは100年といったところでしょうか」

 

「そうそう後100年修行すれ……ば……ひゃ、ひゃく!?」

 

 100年。まだ10年とちょっとしか生きてない私には途方もない年月だった。

 一つの魔術を覚えるのに100年も掛かるなんて才能が無いどころの話じゃない。

 空間移動が出来るゲートは魔術師の初歩の初歩。そんなレベルの魔術に100年以上の年月が必要とは私でも眩暈がする。

 仮に100年を懸けて修練に臨んだとして、お師匠様がお亡くなりになられたら師事する人がいなくなってしまう。どのみち無理無理カタツムリである。

 

「な、なら100年後には自衛くらい出来るようになるよね!?」

 

「それも怪しいですね。良くてマスターと組み手が出来るレベルにはなるでしょうが……宇宙の脅威へと立ち向かうには力不足です。少し趣向を変えるとしましょう」

 

 私の焦りに対し、お師匠様は酷薄なまでにきっぱりと断言した。

 嗚呼マルグリット、貴女には雀の涙ほども才能が無いなんて────そんな悲劇面した軽口さえ浮かばないほど私の頭は焦燥に満ちている。

 この世界に魔術があるのなら、きっと他にも恐ろしい出来事や能力は山ほどあるはずだ。もしかしたら創作の世界なのかもしれない。けれど私の記憶に、お師匠様のような人物が登場する作品なんて存在しなかった。

 だから焦りが募ってソワソワしてしまう。そんな私を見て、お師匠様はゲートを開くとその中に私を招き入れた。

 

「着いてきてください。ああ、靴はそのままで構いません」

 

「ここは?」

 

「ミラー次元(ディメンション)。私達が生きる現実世界の裏側とでも認識していただいて結構です。ここで起きた出来事は現実にいかなる影響も及ぼしません。修行するには最適の場所です」

 

 現実世界にそっくりで、鏡写しのような世界に私はいた。

 ミラー・ディメンションと呼ばれるこの場所は、恐ろしいほど空虚が横溢している。

 少し、身震いしてしまった。現実世界とは違う、魔術とも違う。

 何か強大で恐ろしい力の奔流が、この世界の淵源に存在しているような気がする。

 震える私を見て、お師匠様は目ざとく私の胸中を言い当てた。

 

「その直感は正しい。この次元は暗黒エネルギー、すなわち暗黒次元が由来となっています」

 

「暗黒次元? 聞くからに物騒だけど」

 

「物騒極まりないですとも。暗黒次元の王ドルマムゥこそ我々魔術師の宿敵です」

 

「えぇ……そんな宿敵の力を利用して大丈夫なの?」

 

「ミラー次元そのものは問題ありません。次元は次元、ただ在るものに過ぎないのですから。しかしドルマムゥの手の者とたちと戦うのであれば、被害を抑えるためとはいえ不利であることは否めませんね」

 

 そんなことを言いながら、お師匠様はエルドリッチ・ライトで扇子を形成した。

 私も反射的にギロチンの刃を展開して、お師匠様と対峙する。

 張り詰めた空気。軋む空間。お師匠様がレリックを取り出すと、いつもスパルタ教育でしごかれる。

 私の反応速度は何とか及第点だったようで、お師匠様から扇子が投擲されることはなかった。ちょこっとだけ安堵した私がいる。

 

「今日より毎日、貴女に実戦形式で稽古をつけます」

 

「ま、毎日……」

 

「なにか不服でも?」

 

「そ、そんなことないですはい。あっ、でも水汲みと薪割りはどうすれば────」

 

「しなくてよろしい。当然、魔術の修業もしなくて結構」

 

「なぜに!?」

 

「貴女の才能があまりに枯渇しているからです。無駄に時間を費やすくらいなら、能力の制御を当面の目標とすべきでしょう」

 

 ぐうの音も出ない。『至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)』なんて言われるお師匠様ですら投げ出すって、私の才能はどれだけ悲惨なのだろうか。

 泰然と構えるお師匠様は、有無を言わさない鋭い眼光で私を見据えている。憧れだった空間移動も100年後までお預けなのだろう。

 かの永劫破壊(エイヴィヒカイト)*3も存在しないから、どう足掻いてもお師匠様を頼る以外に道はない。あったらあったで大惨事だったけど。

 

「まずはその刃を鍛えることから始めます。破壊されたら1秒以内に再生するように」

 

「ちょっと待っ────」

 

 こうして、お師匠様直々に修業をしてもらうこと百年以上。

 私のギロチンがお師匠様の扇子とまともに打ち合えるようになるまで、ゲートを習得する百年よりも時間が掛ったのは言うまでもない。

 けれどお師匠様の言葉通り、自衛に最低限必要な能力はある程度制御が出来るようになったのも事実。

 私の宇宙に秘められた特異点の力とやらも、おおよそ把握することが出来た。

 六つの特異点はビッグバンの際に物質化したことでインフィニティ・ストーンと呼ばれているらしい。私の宇宙にも似たような力があるとのこと。

 リアリティ・ストーンはギロチンを不壊とし、パワー・ストーンは身体強化、マインド・ストーンで精神攻撃に対して耐性を獲得、タイム・ストーンは認識する体感速度を操作できるから、身体強化と合わせて超人と言えるくらいには強くなれたと思う。

 お師匠様が言っていたように、私自身に作用する効果だけが発揮されているみたい。だから現実改変だったり、パワーそのものを放出したり、相手をマインドコントロールしたり、タイム・ストーンで自由自在に過去改変や未来視が出来たりはしなかった。

 まあ私の宇宙はビッグバンなんて起きてないから物質化はしていない。一長一短だけど、奪われる心配が無いことだけは都合が良かった。

 

(お師匠様クラスなら幾らでも奪いようがあるらしいけど……そんなポンポンと居てたまるもんですか!)

 

 私のようなリスクも抱えずに不老を会得しているお師匠様クラスの魔術師が、これからポンポンと登場するかもしれないと私はビクビク怯えながら過ごしていた。

 そうして時が流れて20世紀後半、ここ百数十年もの間に何度か特異点に似たパワーを感じながらも、私が介入することにお師匠様は待ったをかけ続けていた。

 転機が訪れたのは20世紀を約10年くらい超えてから。

 ようやくゲートを成功させた私に更なる悲劇が降りかかる。

 

「ようやくゲートウェイを開くことが出来ましたね。これ以上、私が教えることはありません。教えるつもりもありませんが」

 

「辛辣すぎる……」

 

「さすがの私も100年近く付きっきりは初めての経験です。それも一番に出来の悪い弟子を」

 

「出来が悪い!? ……いつもの冗談か~、ちょっとパンチが足りないかも」

 

「いたって真面目ですが? ……まあいいでしょう。ともかく、貴女にサンクタムを任せることが出来ない以上、魔術師として扱うことはできません」

 

「つまり?」

 

「────破門です。今日限りで貴女は魔術師でも、私の弟子でもなく、ただのマルグリットとして生きていかなければなりません」

 

 唐突に破門を言いつけられた私は、スリング・リングを餞別代わりに受け取って、ニューヨークの街中で茫然と佇むことしか出来なかった。

 A.D.2009────迷子のマルグリットちゃん物語は振り出しに戻ったのでした。まる。

*1
自作したけどスルーされた

*2
パワーストーン

*3
魂を糧に聖遺物を扱ったりするなんかすごい魔術




原作前終

スペース・ストーンもどき⇒無用の長物(干渉できないため)

マインド・ストーンもどき⇒精神安定剤

リアリティー・ストーンもどき⇒セーブ&ロード不老不死、カチコチギロチン

パワー・ストーンもどき⇒パワー系マリィ「南無三ぷぁわーああああああ!」

タイム・ストーンもどき⇒「ふざけるな! ふざけるなぁ! 馬鹿野郎ォォォ!」のアレ

ソウル・ストーンもどき?⇒【閲覧不可】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鉄男
4話


 孤独と孤高は違う。僕はそれを、この歳になってようやく理解した。

 

 新兵器『ジェリコ』のプレゼンをしに遥々アフガンまで足を運んだはいいものの、現地のゲリラに捕まった僕は心臓に傷を負い、延命のために兵器開発を強要された。

 今思い返せば随分と迂闊な真似をしたものだ。

 スターク・インダストリーズは世界各地で恨みを買っている。

 それこそ、わざわざ紛争地帯まで張本人がやって来るのだから狙わない手はない。奴らゲリラからすれば、悪の親玉が首を晒しにきたようなもんだろうに。

 愛国心だのなんだのと都合の良いことを言ってきた僕だが、巡り巡って自分の身に不幸が訪れたことで初めて気づかされた。僕の作った兵器が、アメリカに心血を捧げた兵たちの命を奪っているという現実に。

 いや、アメリカ兵だけじゃない。ゲリラに悩まされる現地の人々もそうだ。

 僕は命からがら監禁場所から逃げ出すことに成功する。延命処置をしてくれたインセン教授が自ら犠牲となり、兵器を作り続けていた僕だけが惨めにも生きながらえた。

 その事実が重くのしかかってくる。世界有数の大富豪も捕虜になってしまえば非力な人間だ。天才的な頭脳があっても命の恩人1人すら救えなかった。

 

(……まずいな)

 

 命を無駄にするなと鼓舞されたものの、砂漠に横溢する熱気が肌を焦がすように突き刺してくるから堪ったもんじゃない。

 捕虜だったから碌な衣服もないし、当然、飲料水だってありはしない。

 良い意味でも悪い意味でも有名な僕のことだ。

 軍だって今も僕を探しているだろうが、そう都合よく現実は回らないことを、ついさっき思い知らされたばかり。

 

「ああ、クソッ! 最悪だ……」

 

 意識が遠のく。

 こんなところで死んでたまるかと、意地を張る気力すら湧かない。

 脳裏に浮かぶのは秘書であるミス・ポッツのことばかり。

 ふしだらな交際をしてきた自覚が少なからずあったが、己が知る以上に僕というやつは一途で初心なティーンみたいだ。我ながら恥ずかしいったらありゃしない。

 仰向けに倒れ、燦燦と降り注ぐ太陽へと身を投げる。まるで懺悔を待つ罪人だ。僕がしてきたことを思えば、信仰心が人並みには無かったのが救いだろうか。余計な罪悪感を感じないで済む。

 そうして、閉ざされていく視界と薄れる意識へと、心身ともに流されようとした時のこと。

 

「血、血、血、血が欲しい────」

 

 熱砂には似つかわしくない、鈴のように可憐な声音が聞こえてきたんだ。僕自身、流石におかしくなったのかって自嘲したね。

 けど歌声は紛れもなく本物だった。サクサクと僕以外の誰かが砂を踏みしめる音も聞こえたから、意識が一気に現実へと引き戻される。

 そして()()は僕を覗き込んだ。

 カンカン照りの砂漠だというのに、日焼けの痕すらない白磁の肌と、裾が破けたベッドシーツみたいな独特のワンピース。ブロンドヘアはこの世のものとは思えず、美しさにはゾッと悪寒だって催した。

 僕の汚れた体すら厭わずに、僕の頭を膝枕にして覗き込みながら、小首を傾げる少女はこう言った。

 

「あの、私を買いませんか?」

 

「……オーケイ、水があるなら買わせてもらおうか。生憎と倫理までは投げ売りしてないものでね」

 

 その日、僕は女神に出会った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 あっちへウロウロ、こっちへウロウロ。

 何をすればいいのやら。ニューヨークのサンクタム*1に門前払いを食らった私は、奇異の目に晒されながらタイムズスクエアを彷徨っていた。

 お師匠様は破門と言うが、毎日のように『(きた)る日』とやらを口にしていたから、何かしらの理由があるはず。何も説明しないのは()()()()()()だし、そのせいでちょっとした()()()()も起きてるから改善してほしいけど……聞く耳を持たないのも分かりきっているから諦めるしかない。

 現に、往生際悪くカマータージへとゲートを開いて侵入したら、すっ飛んできたお師匠様に呆れられながら小突かれたんだもの。もちろん強制送還されましたとさ。

 

(うーん、文明的な町は久しぶり過ぎてちょっと眩暈が……)

 

 高層の建物群は見上げるだけで疲れてくる。

 魔術師だって痴呆じゃない。困難な出来事に直面して魔術師を目指す者がほとんどだから、むしろ文明の利器に詳しい人ばかり。私だってスマホでブイブイ言わせてるもん……お師匠様名義だけど。

 あれ? 結局お師匠様の本名ってなんなんだろ? まさかエンシェント・ワンって登録するはずないだろうし……。

 そんな下らないことを考えていると、ビルに映し出されたスクリーンに緊急ニュースが飛び込んできた。

 

『続報です。スターク・インダストリーズCEOのトニー・スターク氏がアフガニスタンでゲリラに襲撃された件について。軍は新たな────』

 

 と、私でも知っている有名人が出てきたのだからびっくり仰天。

 はえ~物騒な世の中だなーとか感心するのも束の間、私の中でビビっと直感がひらめいた。

 

(お小遣いもらって衣食住を確保するチャンス!)

 

 億万長者と言えばトニー・スターク。大富豪と言えばトニー・スターク。トニー・スタークと言えばトニー・スタークである。

 ()()()()()()()()()荒唐無稽な人物だけど、お金持ちだって事実は変わらない。

 いくら私が不老不死といっても、懐が寂しいのは、文明的な人間を自認する私自身が許せなかった。見返りにお駄賃が欲しいって打算があっても仕方ないよね。

 というわけで早速スリング・リングでゲートを……開くことが出来ないんだよねこれが。

 アフガニスタンには行ったことが無いからゲートを使えない。ドラ〇エのル〇ラのような縛りである。強い意思や明確な目的があれば、術者の潜在的な才能でゲートを開けたりするけど……甚だ残念ながら私には魔術の才能がめっきり無い。

 つまるところ徒歩である。しかし侮るなかれ、新生マリィちゃんは今までとは一味違うのだ。

 

(イヤッッホォォォオオォオウ!)

 

 そう! 私はついに人類の悲願である生身での飛行を可能としたのだ!

 さながら気分はエド・フェニッ〇スである。白いスーツにゴーグルを着ければ更に完璧かもしれない。

 マッハを超える速度でニューヨークはもう遥か彼方。大西洋の横断も天気が良好で実に爽快だ。

 嗚呼、空を飛ぶのはなんて気持ち良いんだろう────これが自分の力なら素直に喜べたんだけどね。

 

(せいいぶつの ちからって すごい!)

 

 ヘルメスの靴、通称タラリアが齎す飛行能力に私は感動しっぱなしだった。

 お師匠様に強制送還される前、カマータージで埃をかぶっていたこの聖遺物を少しばかり拝借したのである。

 私がどんなに南無三パワーでゴリ押しても、空中という3次元的な戦闘は不可能だった。

 スリング・リングも、戦闘しながら悠長にゲートを開く暇はない。

 そこで魔術師が魔術師たる所以の一つ、レリックに頼ろうと天才的なマリィちゃんは思いついたわけである。

 魔術の才能が無くても、レリックはよほど相性が悪くない限り扱うことが出来る。なぜならレリックそのものに魔術が施されているからだ。*2

 だから私の身体スペックと、タラリアの空中浮遊とは実に噛み合っている。

 弟弟子のレリックであるヴァルトのブーツは空を蹴ることが出来、ニューヨークのサンクタムに保管されている浮遊マントは文字通り浮くのだが、タラリアはその中間と言ったところか。

 良いとこどりをしているように見えて、ヴァルトのブーツほどシンプルではないし、浮遊マントみたいに取り回しが楽でもない。言わば中途半端なレリックである。

 しかし人間を超越した私なら話が別だ。身体スぺックのゴリ押しで無理やり制御することが出来る。

 

「見つからないなぁ」

 

 スマホのGPSで位置情報を確認しながら、数刻もせずアフガンには到着した。聖遺物さまさまである。

 けれどそう簡単には見つからない。というか私なんかが見つけられるなら、その道のスペシャリストである軍人さんたちがとっくのとうに見つけてる。

 近くには軍の基地もあるらしいし、もしかしたらレーダーに感知されたかな……いやいや、まずは人命優先だ。とにもかくにも社長さんを探すことから始めないと。

 そんなこんなで探索すること数十分。転機となったのは、遠方の岩石地帯で起きた大爆発だった。

 

「うわっ、痛そう……」

 

 一般的な人間でも気づくレベルの轟音で、爆発とともに上空へと打ちあがった人型の何かが、バラバラに四散しながら砂丘の向こう側に叩きつけられる。思わず私も目を閉じた。

 生身の人間なら全身打撲で碌に動けないはず。

 砂漠に足を取られながら、空を飛ばずに砂丘を超えると、金属の人形が分解されて横たわっていた。

 残された足跡を目で辿った先には、覚束ない足取りで歩く人影がある。間違いない、この人形を作った人だろう。私は後を追った。

 

(う~ん初対面だと怪しまれるかな)

 

 観光名所でもない砂漠で女の子が一人、しかも白無垢のワンピース。見るからに不自然な格好かも。流石の私もちょっと可笑しいとは思う。

 なら良い方法は……思いついた!

 

「ちっちっち~ちがほしい~」

 

 私の歌を聴けーっ! と我ながら妙案だと思う。

 疲れた時や滅入った時こそ歌うべき。そうやって私は辛い修業を乗り越えてきた。お師匠様や弟弟子には微妙な顔をされたけど……。

 鼻歌を時折混ぜながら、私は人影の後ろ姿を追う。

 長くは持たないと思った通り、その人は1時間もせず仰向けに倒れてしまった。

 そりゃ砂漠に叩きつけられたし体力も持たないよね……私は歌いながら近づいていく。

 

「ちっちっち~ちがほしい~、ぎろちんに~そそごう~」

 

 間違いない。ニュースで見た写真と同じ顔をしている。

 髭がちょっと濃くなった気もするけど、間違いなくトニー・スタークその人だった。

 変わったことと言えば、胸に変な機械を付けてることだけど……今はそれどころじゃなかった。

 

「あの、私を買いませんか?」

 

「……オーケイ、水があるなら買わせてもらおうか。生憎と倫理観までは投げ売りしてないものでね」

 

 プレイボーイは声までもイケてるのか、体調に見合わず余裕のあるセリフで、私の瞳をじっと見つめ返していた。

*1
地球を守るための聖域。ロンドンと香港にも存在

*2
スリング・リングのように、魔術の触媒として扱うレリックもある



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話

「おいおいおい。僕は確かに派手好きだが、B級ファンタジー映画は勘弁願いたいね。秘書がオファーを断ってるはずなんだが」

 

「秘書さん? でも今は()しょ────」

 

「ステイステイ。言わなくても分かってる、ちょっとした再確認さ。その、なんだっけ? エルドリッチさんの何たらかんたら」

 

「エルドリッチ・ライトだよ。ほら、ゲートを潜ればセントラルパークが」

 

「……現実なのか」

 

 ヘナヘナと砂の上に尻もちをついて、僕は呆けたように口を半開きにしていた。

 彼女がゲートとやらを作ってる間は、胡散臭く思って眉を顰めていたものの、開いたゲートから入り込む涼しい風が灼熱でひりついた肌に現実感を齎した。

 信じがたかった。小型化に成功したアークリアクターとは違う意味でカルチャーショックを覚えてしまう。

 けれど少女は放心する僕のことなど気にも留めず、能天気に言い放った。

 

「でもちょっとだけお小遣いがほしいの。今手持ちが心許なくて……」

 

「通行料は僕の(タマ)か? それとも我が社の鉛玉か? お嬢さん、それは脅しって言うんだ。ジュニアハイスクールで習わなかったかい?」

 

「学校? 行ったことないけど」

 

「……なら家族か知り合いにでも教わらなかったか? 困ってる人がいるなら助けてあげようボランティア精神!ってね」

 

「ボランティアかぁ。それで有名になれば、もっといっぱい兵器を作れるもんね」

 

「君というやつは……」

 

 指で髪を弄りながら、少女は悪意なく小首を傾げた。

 そうだとも。兵器製造に反発する連中は旧アーク・リアクターの科学実験で黙らせたし、その名声で経営は軌道に乗って、スターク・インダストリーズは今や世界トップの大企業さ。平和の宣伝が兵器産業を豊かにしてくれたのだから皮肉なもんだね。

 ……まあ、その皮肉のツケを支払ったのが今の僕ってわけだ。肩書も、資産も、愛国心も。僕が重ねてきた愚行の数々と天秤にかければ、軽々しく薄っぺらなものだった。

 少女の皮肉に返す言葉を窮してしまったのは、そういった自覚が少なからずあったから。

 

「あっ、()()()()()()()要る?」

 

「いや結構だ。これ以上は吐いてしまいそうだよ、それもとびっきりの文句とセットで。どこかの意地悪なお嬢さんが虐めてくるから」

 

「お嬢さんじゃなくてマ・リ・ィ! 資本主義マンなのにケチ」

 

「そうだったなマリィ。ペットボトルはしっかり分別してくれよ。我が社は再生エネルギーも取り扱っているんでね。こんなことで秘書に怒られるのはうんざりだ」

 

 そう言いながら、飲み終えたペットボトルをマリィへと押し付ける。

 ゲートには通行税を設けるのに、飲料水はタダで譲ってくれる理解しがたい線引きをする少女だ。

 建前でしかない再生エネルギー云々を疑いもせず、ゲートの向こうでペットボトルを捨てに行く姿も、痛快な皮肉を飛ばしたのとは裏腹にオツムの方があまり宜しくないように見える。天然なのか? それともイカレなのか判断しかねるな。

 まあゲートなんて非常識を見てしまったら、砂漠で汗一つかかないことも、日焼けをしそうにないことも、超然としている姿が()()()()のように錯覚してしまうから大したことではないのかもしれない。

 

「で、結局ゲートは通るの?」

 

()()()()。テロリスト共に捕まった人間が何食わぬ顔で出社してみろ。ジェイソンも真っ青になってチェーンソーを投げ出すだろうさ。非国民で済めばマシな方だね」

 

「そっかぁ……なら!」

 

 名案ではなく珍案が思いついたのか、マリィは僕に向かって両腕を差し伸べた。

 正直、意味が分からない。僕の天才的な頭脳をもってしても彼女の意図することが推測できなかった。もっとも、悔しくないどころか、理解できないことに安心したのは人生で初めてかもしれないが。

 まだまだ僕は常人だ。目の前のハチャメチャガールに比べれば、週刊誌を騒がせるプレイボーイなんてちっぽけなもんだろう?

 

「……済まないが求愛ポーズか何かか? 悪いね、流石の僕も君は守備範囲外だ。四番遊撃手(ショート)スラッガー・トニー、弾丸ライナーをトリプルプレーでゲームセット」

 

「残念だけど一塁手(ファースト)がエラーしてサヨナラランナーが残塁……じゃなくて! 私のスマホでさっき軍の基地を確認したよね? しかもそれじゃ守備範囲"内"だよ」

 

「ああ、あのXper〇aか。日本製にしてはまあまあだな。カスタマイズOSの最適化が甘い、そのせいでレスポンスは最悪、実動作はSoCのカタログスペックに程遠くて────」

 

「うーるーさーいー。つべこべ言わないの! そこまで私が()()()()()()から」

 

 めっ! と子ども扱いをしてくるマリィは、強引に僕を両腕で抱き上げた。

 そういうプレイかと冗談めかそうとした僕は、一瞬何が起きたのか理解するのに遅れてしまう。

 さながら僕は囚われていたプリンセス。迎えに来た王子様(マリィ)にお姫様抱っこをされていた。

 

「ちょ、ちょっと待て!?」

 

「だーめ! 社長は社長らしくドンと構えてなきゃ」

 

「そうじゃない! というか今は無職だ! いやそれも違う! とにかく、半日もあれば今の僕でも十分に歩ける。いい子だから辞めてくれ」

 

 現実を思い知って僕が改心したといっても、漢のプライドまで捨てた覚えはない。

 一回り以上も年下であろう少女にお姫様抱っこをされるなんて、捕虜を経験した僕でも羞恥心がこみ上げてくる。

 そんな僕の胸中を知ってか知らずか……この反応だと知らないんだろうな。或いは()()()()()()のか。

 マリィは鼻歌を歌いながら、ゲートを閉じて基地の方向へと歩き出した。

 

「残念。私は良い子じゃなくて、罰当たりな悪い子なの」

 

 花が咲いたようにはにかむ相好は、どこか狂気的な様相を孕んでいた。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 私を買収して! 作戦は呆気なく撃沈した。

 ニューヨークにゲートを開いて、なけなしの小銭で飲み物を恵んであげるまでは計画通り。絆された社長は、はした金だとか何とか言ってお小遣いをくれると思ってたのに……どうやらゲートウェイを潜らない理由があるみたい。

 口は達者に動いていたけど、ゲートへと名残惜しそうに視線を送る表情は、どこか決意めいた覚悟があったから強引には帰せなかった。

 

「最悪だ、全く最悪だ。生き残ったかと思えば辱められるなんて。女神さまはとんだ疫病神だったわけだ」

 

「役得役得」

 

「それは君がだろプリンス・マリィくん。プリンセス・トニーちゃんの尊厳はズタズタさ」

 

「男女差別は禁止でーす」

 

「それは失敬。しかし我が社ほど多様性豊かな会社は世界を見回しても存在しないはずだ」

 

「社長さんが個性の塊だもんね」

 

 軽快に減らず口を叩いているものの、身体は時折痙攣して冷や汗も滲んでいた。

 社長が気付いているか分からないけど、私が触れることで砂漠の暑さは遮断されているから、これは社長自身の体調が著しくない証拠だった。

 半日歩けば辿り着けるなんて強がりが過ぎる。水分補給とちょっとしたカロリー摂取をしたからと言って、すぐに体力や体調が回復するはずないのに。

 私でも知ってるくらい有名な軍需産業のトップにしては、随分とお人好しなんだなっていうのが初印象。

 自称リベラル派が支配するメディアで『死の商人』だなんて揶揄されていたけど、囚われの身になったことで心境の変化でもあったのかな?

 けれど私が尋ねることはなかった。捕虜となっていた頃の出来事を掘り返すのは、いくら私でも不謹慎だって理解してるからね。

 それに社長だって嫌々言いつつ、私がお姫様抱っこすることを自然と受け入れているもの。普通ならこんな細腕で成人男性を抱えて砂漠を歩くことなんて出来ない。

 ゲートの魔術(ミスティック・アーツ)といい、私の身体スペックといい、社長も段々と毒されてきたのかも。まあ私には都合がいいけどね。減らず口があったほうが二人旅も賑やかで楽しくなる。

 そんな無職コンビで歩くこと数刻。米軍駐屯地まであと半日くらいの距離になると、私たちの下に数台の軍用と(おぼ)しきジープが砂煙を散らしてこちらに向かってきた。

 

「あれは?」

 

「……どうやら、本物の女神さまが微笑んでくれたらしい」

 

 警戒を解いた社長を降ろし、砂漠の上で一緒に座り込んで数台のジープを迎える。

 見事なドラテクで砂丘の高低差もなんのその。

 軍人さんって凄いなーと暢気に待ち構えていると、ジープから現れた兵隊さんたちが私たちを取り囲んだ。

 当然、彼らは銃を持っている。中にはスターク・インダストリーズ製の火器だってあるかもしれない。

 皮肉もここまで来ると面白いと思う。軍人さんたちが銃口を向ける先は、製造元の社長であり、任務で捜索してるであろうトニー・スタークその人なのだから。

 

「ねえ社長。やっぱり自決するなら自分の銃の方がよかったりするの?」

 

「んなわけないだろ! というか彼らは僕じゃなく君を狙ってるんだ!」

 

「動くな、手を挙げろ!」

 

 軍人さんの一人に一喝され、反射的に私と社長は揃って両手を挙げた。まるで漫才コンビみたい。

 なんで社長まで手を挙げてるんだろう? 不思議に思って首だけ隣に向けると、社長自身もキョトンと放心していた。

 よくよく観察すると、今の浮浪者っぽい社長は、遠巻きだと怪しい人物に見えなくもない。軍人さんがそもそもトニー・スタークだと気付いてなくて、私自身も砂漠には似つかわしくない恰好から、娼婦か何かかと勘違いされてるのかも。

 甚だ心外だった。盲点である。

 砂漠のど真ん中で浮浪者と娼婦が二人。旅の記録は年下にお姫様抱っこをされる中年男性という、碌な思い出が無い旅路はここで終わりのようだ。

 

「待て! お前たち、銃を降ろせ」

 

 かくして、マリィとトニーの千夜も一夜も明けてない愉快な物語に終止符が……打たれることはなかった。

 私達が呆けていると、ジープから遅れて黒人さんが現れる。

 重役出勤かな? 相応に階級が高いのか、取り囲んでいた軍人さんも一声で銃を降ろしてくれた。

 私はともかく、心臓の具合が悪そうな社長の負担が減ったことで少し安堵する。

 大丈夫かなと気になって社長を窺うと、私と出会った時よりも喜色を浮かべていた。

 

「ローディ! 君の子飼いに言ってやれよ。その(こども)に親殺しをさせてやるなってな」

 

「未成年の女まで引っ掛けて、随分と愉快なドライブだったみたいだな? 次があるなら()はお前を見張らなきゃいけないみたいだ」

 

「よせよ、人聞きの悪いことを言うな」

 

 ローディと呼ばれた軍人さんは社長の知り合いらしい。

 男の友情とやらか、互いに軽口を言い合いながらも社長とローディは固く抱きしめ合う。

 完全に私は蚊帳の外。待ちぼうけをくらって少し気まずさすら感じていた。

 これで無職の浮浪者は晴れて社長に復職だ。残ったのは勘当されて無職の罰当たりな娘だけ。

 この場におけるヒエラルキーの最底辺である。悲しいなあ……。

 

「それでトニー、そこのお嬢さんは一体何者なんだ? 一緒に逃げてきたのか?」

 

「あ~……バターとマーガリンの違いをご年配に説明するくらい面倒なことがあってだな」

 

「なんだそりゃ。済まないが話を聞かせてもらう。安心しろ、手荒な真似はしない」

 

「は~い」

 

「見ての通り、ちょっと()()なんだよ」

 

 アレとは失礼な。社長をここまで送ってあげたのは他ならぬ私だろうに。

 ムッとする私に対し、社長は肩を竦めてこう言った。

 

「安心しろ。彼は僕の友人、軍でなら僕以上に顔が利くさ。チーズバーガーくらいは差し入れをしてあげよう」




※この物語はフィクションです。作中の製品は実在の企業と多分関係ないです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話

 あれから帰国した僕は記者会見を開き、スターク・インダストリーズが軍需産業から手を引くことを宣言した。

 報道陣が沸きに沸き、各メディアは我が社の株価が下落するなどと嘯く始末。

 オビー*1には悪いことをした。僕の両親が亡くなってから、CEOとなった今の今までずっと支えてくれたのに、経営が傾くかもしれない記者会見をしてしまったのだから。

 だが僕の決意は固い。使命感は一種の自己暗示のようでもある。

 僕の会社が作った兵器が、国を守るどころか世界に混乱を齎していた現実を、どうにかして打開したかった。

 一刻も早く。一秒でも早く。急いてしまったのは否めない。しかしその一分一秒でより多くの命を救えるのなら、株価が下落しようがさしたる問題ではないように思えた。

 まあこれが近いうちに確執を生むんだが……今はよそう。そもそも引き金を引いたのは僕じゃない、()()()からだ。

 

「J.A.R.V.I.S.どうだ? プリンスちゃんの様子は」

 

『チーズバーガーの配達は完了しました。ポテトとナゲットは調理中です。揚がり次第配送の手配をさせていただきます』

 

「────ちょっと待て。僕が注文したのはチーズバーガーだけのはずだが?」

 

『モッツァレラとチェダーのダブルチーズバーガーです、トニー様』

 

「ああ、もうそんな時期だったか……じゃなくてだな」

 

『申し訳ございません、差し出がましい真似をしました。この度の差し入れは、トニー様からマルグリット様への心遣いと邪推し、彼女からのリクエストを承った次第です。貴方はとても義理堅くセクシーな御方ですから』

 

「よく分かってるじゃないかJ.A.R.V.I.S.。全く持ってその通りだ。オマケにシェイクもつけてやれ」

 

『かしこまりました』

 

 どうやらスマホは没収されていないらしい。

 J.A.R.V.I.S.と直接やりとりしているということは、ローディは丁重に扱ってくれていたのだろう。

 

(魔術(ミスティック・アーツ)か……クソッ!)

 

 思い出すだけで頭が痛くなる。

 ただでさえ代理戦争やら宗教紛争やらで世界に安寧は訪れていないというのに、その影で魔術などという非科学的な事象が確かに存在していた。

 マリィが見せてくれたゲートだけだと楽観的な考えでいられるはずがない。三流脚本家が考えたようなトンデモ魔術が存在していたら、既存の兵器や核なんて、目の前に差し出された棍棒となんら変わらないだろうに。

 力だ、力が必要だ。軍需産業から撤退すると宣言したのに、事を成すには今まで以上の途方もない力が必要になる。

 現実なんてクソくらえ、どうしようもないクソゲーだ。

 

「J.A.R.V.I.S.」

 

『いかがなさいましたか』

 

「今日()長丁場になる。しっかりカフェインを摂取しておけよ」

 

 それでも僕の決意は揺るがなかった。

 思い描くのは、現行の兵器をはるかに凌駕するパワードスーツ。

 贖罪に妥協は許されない。無力に打ちひしがれている暇もない。

 脳裏にこびり付いたインセン教授の言葉が、僕にとっての呪いではないと証明する為にも、僕は前に進み続けなければならなかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 軟禁されて何日経ったんだろう。実は一週間も経ってないけどね、感傷に浸るくらいは許してほしい。

 拷問を受けたとか、そんなこともなく。

 私はホテルの一室に押し込められ、敷地から出ないようにとローディおよび社長に釘を刺されていた。

 社長の証言でテロリストとの関係は一時的に晴れたけど……()()()()()()()かぁ、ちょっと胡散臭いような。

 拉致被害者本人から証言されても、身元不明に加えて肩出しドレスで紛争地帯の砂漠に繰り出し、持ち物はスマホだけという不自然さを見過ごしてもらえるわけもなかった。

 逃げ出そうと思えば逃げ出せる。レリックは私の宇宙にあるし、身体スペックのゴリ押しで物理的に監視網を突破することだって難しくなさそう。

 でもそれは、社長やローディの面目を潰すことに等しい。なにより、衣食住が保証されてる今の生活に満足してるくらいだった。

 無職っていいよね。取調室に向かう途中、忙しそうに行き交う軍人さんたちの姿を見ながら、まだ温かいチーズバーガーを頬張るのは優越感がある。

 

「そろそろ話してくれてもいいんじゃないのか?」

 

「ローディ! ポテナゲ届いてたんだ」

 

 しかもシェイクまで。

 J.A.R.V.I.S.は本当に賢い子だ。*2

 

「まさかこれ全部食べる気か? 軽く三人前あるぞ」

 

「いいのいいの。どうせ社長のポケットマネーだもん」

 

 まさかローディ自身が持ってきてくれるなんて、軍は接待も完璧みたい。

 ローディは顔を引きつらせながら袋をテーブルの上に置いた。

 うーん香ばしい。ジャンクフードって魔性の魅力を秘めてるよね。いっそのこと私の宇宙にも支店を開いてくれないかな。

 

「金額の問題じゃなくてだな……食べ残し厳禁だぞ?」

 

ふぁいふぉうふ(だいじょうぶ)ふぁいふぉうふ(だいじょうぶ)

 

「……で、君はいったい何者なんだ? 話してくれなきゃずっとこのままだ。親御さんだって心配してるんじゃないのか」

 

「このままでいいよ。家出中だから丁度いいもん」

 

「それはそれで管轄がウチじゃなくなるけどな。もちろんこのホテルからもサヨナラバイバイだ」

 

「え~それはちょっと困るかも……」

 

 肩を竦めるローディ。実際、軟禁場所としてホテルを丸々使えるのは社長の伝手というのが大きいから、面倒を見てくれるローディとの縁が切れたら居続けるのは難しいかもしれない。

 

「何も取って食おうってわけじゃないんだ。こんな風に」

 

「あー!? 最後のナゲットなのに!」

 

「君が何も言ってくれないから上に急かされてるんだ。これくらい大目に見て欲しいね。でなきゃスマホは没収だ」

 

「むぅ……」

 

 そう言われると悪い気がしてくる。ズルイ。

 迷惑をかけている自覚はあった。

 けど私の戸籍なんて存在しないだろうし、社長も魔術について口外しなかったから、そのさりげない義理堅さを何とかうまく活用できないかともどかしくなる。

 社長くらい口達者ならと思わずにはいられない。マリィちゃんは清廉なのだ。

 うんうん唸りながら葛藤が頭の中を駆け巡る。

 果たして最適解はなんだろう。こういう時の対処法くらい教えてほしかったな、お師匠様。

 そんな文句が独り言で飛び出ようとした時のこと。

 唐突にドアが開くと見知らぬ男が入室してきた。

 

「失礼、ローズ中佐」

 

「誰だアンタは。見ての通り取り込み中なんだが」

 

「移送命令だ。そちらの少女の身柄を預からせていただきたい」

 

 穏やかで抑揚の少ない声音が特徴的な男だった。

 だけど静謐な瞳には有無を言わさぬ強い意思を感じる。

 

「命令だと? 一体誰がそんなことを」

 

「君の『上』とは話がついた。今すぐにでも確認するといい」

 

 おっと、この状況には既視感がある。

 私の進退に関して、私の意思に関わらず事態が進行していく。まさしくアフガンでトニーとローディにハブられた時と全く同じ展開だ。

 頑張ってローディ! 私の理想郷は貴方にかかってる! おっ、さっそく上司に取り次いで確認を────って諦めるの早すぎ!?

 

「……確認した。だが一つ聞きたい、この子をどうするつもりだ?」

 

()()。私は移送を任されただけだ。それ以上のことは知らない。知る必要もない」

 

「それも機密か? 戦略国土調停補強配備局とやらは少女一人に随分と臆病らしいな」

 

「お見事。我々の仲間ですらその名を一回で覚えた者は殆どいないのだがね」

 

「ふざけてるのか?」

 

 おおっと、一気に険悪ムードだ。

 義憤に駆られるローディはちょっとカッコいい。

 対して、戦略国土……なんたらかんたらの人は、涼しげにローディの威圧を受け流していた。

 軍人であるローディとこうして対面できるのは、この人も紛れもなく一流である証左だ。

 どうして私の周りはこう、一癖も二癖もありそうな人たちが集まるんだろう。私なんて生きるだけで精一杯なのに……お師匠様なら因果だとか何とか小難しいことを言うのかな。

 

(さて、どうしよっかな)

 

 移送命令とやらに悪意は感じなかった。ローディは相変わらず剣呑な眼差しで睨んでるけどね。

 けれど衣食住が保証されるからって、素直に受け入れられるかと言われたらそうでもない。

 私自身、形容しがたい感情に困惑している。第三者の介入で社長との縁が切れることに、言いようのない不安を覚えていた。

 でも今回ばかりはローディの分が悪そう。立場のある人間に、無職の勘当娘がいつまでも甘えるわけにはいかないのなら、きっと今日が旅立ちの時かもしれない。

 

「いや素直な称賛だよ。私も長ったらしい名前だとは思っていたんだ」

 

「何が称賛だ。第一、そんな胡散臭い組織にどんな大義名分が────」

 

「ローディ」

 

 言葉を遮る。既にレリックは現界し終えた。

 二人の言い争いが止み、両者とも瞬きをして唖然とする姿には、内心でニヤニヤしてしまう。

 いつものドレス姿に早着替えという名の()()()をしたから、彼らには魔法のようにしか見えなかったはず。私は魔術なんてこれっぽっちも使えないんだけどね……ゲート以外は。

 

「ポテナゲ持ってきてくれてありがとう。社長にもデリバリーに転身したって伝えておくね」

 

 別れるのが辛いなら、いっそのこと自分から出ていけばいい。一種の自己防衛でもあった。

 私のことで忙しそうに奔走していたローディには頭が上がらない。また出会ったらミルクを奢ってあげようかな。もちろん社長マネーで。

 

「……おいおい、移送命令ってこれか?」

 

「っ!? 待つんだ、君のその力は────!」

 

 背後に展開したゲートへと、私は背中から倒れるように飛び込んだ。名前を知らない男の人が焦って駆け寄るけど、当然間に合うはずもない。

 スリング・リングもタラリアも準備万端。驚いた表情のまま見送ってくれるローディの顔が、ゲートが閉ざされることで完全に隠れるのと同時に、今世紀最大のレリックであるスマホへと着信が届いた。ジョ〇ズは偉大。

 

「はいはーい()()()()……非通知? ってことは」

 

『お忙しい中申し訳ありません、マルグリット様』

 

「むしろナイスタイミングだよJ.A.R.V.I.S.。ちょうど今、スカイダイビングを楽しんでるの」

 

 家出の二次会ってことでニューヨークの上空に来たのも束の間、さっそく私へと運命の女神さまは微笑んでくれたみたい。

 軟禁されてからお世話になりっぱなしなのがこのJ.A.R.V.I.S.だった。

 そんな彼が私に一体どんな用だろう。いつもは私が発信する側だから不思議に思う。

 

『それは良かった。でしたら今夜、ぜひトニー様とスカイダイビングは如何でしょう?』

 

「社長と?」

 

『はい。どうかトニー様をお願いします』

 

 それっきり、J.A.R.V.I.S.は通話を打ち切ってしまう。

 礼儀正しい彼にしては、ちょっと焦っているようだった。いやAIなのは分かってるけども。

 そして何の変哲もない通知音とともに、一通のメールが送られてくる。

 親愛なるマルグリット殿。つまり私宛だ。文面にはちょっと見覚えのない住所と、これからマリブ*3で起こりうるであろう大惨事が、J.A.R.V.I.S.らしく丁寧な文体で赤裸々に綴られていた。

*1
叔父にして副社長

*2
トニーの指示である

*3
あの男の邸宅がある場所



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話

トニー・スタークを曇らせ隊


「申し訳ありません()()。取り逃がしました」

 

「こちらでも確認した。目標はニューヨーク上空、高度約300メートルに出現。幸いネット上に拡散された様子はない。そのままカリフォルニアへと一直線、奇遇だな」

 

「やはりスターク絡みですか。私見ですが、()()とはまた別の異能のようです」

 

「恐らくな。軍には緘口令を敷かせる。コールソン、君は引き続きスタークと接触しろ。ハメを外しすぎるなよ?」

 

「『消防士の家族の為の基金を募る会』でしたか。知識に呪われた男にしては中々にファンシーな────」

 

「その表現はやめろ。目が疼く」

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

「時には歩くより、まず走れだ」

 

 J.A.R.V.I.S.の制止を振り切り、完成したばかりのパワードスーツでトニーは空高く飛び上がった。

 屋敷を出て海へ。海を越えてロサンゼルスの都市部へ。

 闇夜を切り裂く銀の流星は、トニーだけの力で完成させた渾身の力作だ。

 軍のような、国のしがらみに囚われた抑止力ではない。エゴを貫き通すために創り出した理想にして高慢そのもの。

 トニーは魅せられていた。様々な苦悩・葛藤を乗り越えて作り上げたスーツと言えど、眼下に広がる文明の光と自然の調和は、何物にも代えがたい美しさを誇っていた。

 次第に気分が高揚していく。今この世界で、この興奮を味わい尽くせるのは自分ただ一人だけだ。その優越感は留まることを知らず、トニーのプライドは刺激されていく。

 飛行制御は完璧だ。リパルサーの調子も良好。

 ならば試さずにはいられない。この玩具(オモチャ)で一体どこまで飛ぶことが出来るのか。知的欲求にすっかり絆されたトニーは、結露を危惧するJ.A.R.V.I.S.の警告を無視して、自分を奮わせるかのように叫んだ。

 

「行け! もっと高く!」

 

 アラートがエマージェンシーを告げる。マスク越しの視界が氷結して、鮮明だった月明かりが朧げになっていく。

 しかしトニーは止まらなかった。止まることが出来なかった。

 湧き出て止まない探究心は、まるで何かに蓋をするように。

 突き動かす衝動は高みを目指せと、無力に怯えるトニー自身へと囁いてくる。

 結露によって脚部のリパルサーが停止しようが、トニーは上を向くことをやめなかった。徐々に上昇慣性を失い、命の危機が近づいても時の流れが緩慢とさえ思えてしまう。

 虚無感が身を支配していた。

 果たして、この玩具(オモチャ)がトニーの理想に届きうるのだろうか。真に己の意思でスタートを切ったからこそ、今までの自分がどれだけ無駄な時間を過ごしてきたのか理解してしまう。

 謂わば、空飛ぶ猿だ。どれだけ空の上ではしゃごうが、地上には指先一つで瞬間移動する奇術師が跋扈している。その現実を知っているのに浮かれることができようか。

 柄にもなくネガティブな考えに支配されながら、遂にトニーは推進力を失ってしまった。しかし空中遊泳のようにもがこうともせず、脱力して自由落下に身を任せる。

 いっそ、このまま落ちていくのはどうだろうか。不意に(よぎ)る破滅願望が、この瞬間だけは甘い果実のようだった。

 そうして、どこまでも墜ちていく。絶望も、死も、何もかもが煩わしくて投げ出しそうになった時、

 

「トニー!」

 

 誰かが、自分の名を呼んだ気がした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 ひどく、冷たいと思った。

 金属のスーツじゃなくて、ぐったりとした中身の方。

 数日会わなかっただけでこうも変わるんだ。ううん、社長の心労に私が気付けなかっただけ。

 私なんかが社長の考えを理解できるはずがない。でもJ.A.R.V.I.S.が教えてくれた。

 

「もうっ! 時間外労働はしないって決めてたのに!」

 

「……なぜ此処に居る。ローディはどうした?」

 

「気になるならローディとしっかり向き合って。それよりもちゃんと寝なきゃダメだよ……」

 

()()()()? 寝なきゃだって? J.A.R.V.I.S.だな? ……おいJ.A.R.V.I.S.! 随分と遅い反抗期じゃないか」

 

 社長もローディも、私を子供扱いしときながら裏ではこう。

 軍需産業から撤退した社長とローディの仲は冷え込み中。

 会見をしてから社長がホテルに現れなかったのは、なにも人形遊びに忙しかったからじゃなさそう。軍人であるローディは、今更になって怖気づいた社長に呆れてしまったらしい。

 愛国心も大事だ。綺麗言だけでも世界は回らない。しかし横流しされていたとはいえ、スターク・インダストリーズの兵器は、確かにアメリカの自由意志へと貢献している。

 ローディには甘えに見えたのかもしれない。今まで現場を知らずに兵器を作り続けてきた男が、現実を知って子供のように臆してしまう。そう見えてしまったのかも。

 悲しい友情だ。けれど原因は社長にだってある。

 社長はローディを信じ抜くことが出来なかった。こうして一人、機械に疎い私からしてもぶっ飛んだパワードスーツを作り、使命感に駆られて貪欲に力を求めている。自分の作り上げた力を自覚しているからこそ、周りを頼ることはしなかった。

 

「J.A.R.V.I.S.は悪くないよ。悪いのは心配させた社長だもん」

 

「心配だと? おセンチ*1なことで。そうプログラムされてるだけだ」

 

「ご主人様に嫌われてでも助けるように?」

 

「……そうさ。僕は人道主義に鞍替えしたものでね」

 

 そう言って、社長は私の背中から飛び降りた。

 ……すごい。最新鋭のジェット機すら骨董品に見える。まさかFAXが現役の時代にSFファンタジーが実現するなんて。

 社長の減らず口のように笑い流せればどれだけマシか。目の前で単独飛行するパワードスーツは、いつもの冗談なんかじゃなかった。

 

「武器は、もう作らないって────」

 

「君が言うか? よりにもよって君が」

 

 逆鱗に触れてしまったのか、社長の感情が発露した。

 

「私?」

 

()()()()()()んだよ。ゲートだとか、魔術だとか。そんな非科学的なものが世界中に溢れているとして、僕が数日かけて作り上げたのは空飛ぶ寝袋だ。弾避けになればマシだろうが、君たちマジシャンは指先だけでフットボールの決着*2がつく。いつまでも普通でいられるわけがない」

 

 らしくない、実にらしくない。社長はうわごとを繰り返しながら、マスクの奥でスリング・リングやタラリアを睨みつけていた。

 私も今更になって気づいてしまう。社長をここまで追いつめていたのは、私が軽い気持ちで見せていた神秘だということに。

 正直、私ですら社長の会見は正義感が先走ったものとばかり思い込んでいた。まさか帰国してすぐ、今日までずっと世界の不条理に悩まされていたなんて想像が及ぶはずもない。

 その在り方は危うかった。愛国心が行き過ぎているとか、そんな次元の話じゃない。平和に狂った殉教者と一体どんな違いがあるのかな?

 

「ねえ社長」

 

「なんだ」

 

「社長はさ、ヒーローになりたいの?」

 

 ロサンゼルスの夜景を背に、マリブの自宅へと帰路につく社長を追う。

 情緒は平静を取り戻していた。社長は私の言葉へと確かに逡巡して、いつものジョークよりも返す言葉に窮していた。

 

「……柄じゃない。ヴィランどもより女のケツを追ってた方がマシだろ?」

 

「そうかな。今の社長ならちょっとカッコいいかも。ちょっとだけね。でも女の子にセクハラは駄目なんだよ?」

 

「訂正しろ、『今の』じゃない『いつも』だ。君は年の割に……ケツも胸も追っかけ甲斐があるかもしれないが、オツムの方がまだまだだな。大人になってから立候補してくれ。兵器根絶よりも先に捕まる気はないんでね」

 

「社長のえっち」

 

 ……うん、もう大丈夫。

 一通り感情を吐き出してスッキリしたのか、いつか見た減らず口が飛び出してきたことに安堵する。

 普段通りの社長に戻ると、相変わらず少しお茶目なユーモラス・トニー劇場の開幕だ。

 社長がカッコつけて屋根の上に着陸しようとしたら、スーツの重量を忘れて地下の駐車場まで真っ逆さま。咄嗟に私もスカートの裾を抑えたから問題なし。マリィちゃんはガードが固いのである。

 

「おいダミー、冗談はそのトロさだけにしてくれ」

 

「ダミーって?」

 

「コイツだよコイツ。我が家のペットだ。じゃれつきには気をつけろよ、消火剤を塗りたくられるからな」

 

「そうなんだ。じゃあ社長はすっごく懐かれてるんだね」

 

「慧眼どうも。マジシャンにしては目が悪いみたいだな。今度良い眼科を紹介してやる」

 

 と、社長んちのペット? なロボットアームは健気にお辞儀をしてくれた。その隣で寝そべる社長は消火剤を撒かれて粉を吹いてたけどね。

 たんこぶを作った社長は、大富豪には似つかわしくないビニール袋の氷水で頭を冷やす。後でSNSに上げてみよう。滅多に見られないと思う。

 私はというと、ソファーに寝そべってファッションカタログを読んでるけど……何も言わないのかな。流れで豪邸にお邪魔したけど、誰かからの贈り物を嬉しそうに開封する間は、社長の邪魔をする気になれなかった。

 

「『トニー・スタークにもハートがある』……か」

 

「これって、前に使ってた胸の機械?」

 

「その通りだフロイライン。大人の女性ってのは気が利くものなんだよ。わかるか?」

 

「そうだね。社長にはもったいないかな」

 

「おいおい。僕以上の男を探す方が難しいだろ」

 

 分かってないな、行くぞJ.A.R.V.I.S.────すっかり反抗期を忘れて社長は作業机へと戻っていった。

 ここに居ていいのかな? ちょっとだけソワソワしつつ、カマータージで修業に明け暮れていた頃には見ることのできなかったファッション雑誌へ夢中になってしまう。

 そうして時間を潰していると、社長はながら見していたテレビの音量を突然上げた。

 

『さあ今夜はこちらのコンサートホールのレッドカーペットからお送りします。トニー・スターク主催のチャリティーイベント、消防士の家族のための基金を募る会……』

 

「J.A.R.V.I.S.、招待されたか?」

 

『招待された記録はありません』

 

「私もないよ」

 

「そりゃ可哀そうに。親は消防士だったか……」

 

「ううん。密輸斡旋業だよ」

 

 私の申告をジョークとでも思ったのか、社長はセンスが無いと一刀両断。本当のことなんだけどね……。

 テレビに映るリポーターが、社長の不参加を拉致されたトラウマだとか言ってるけど、当の本人は怪訝そうに眼を細めていた。これは厄介そうな匂いがする。私の軽い口もチャックする時かもしれない。

 

「ちょっと派手じゃないか?」

 

『失礼。貴方は控えめな方でしたね』

 

 何かのコントなのだろうか。

 雑誌から視線を滑らせると、見るからに派手な車を指してパワードスーツの色を指定する社長の姿があった。しかも()()()()()()変な飲み物まで飲んでる始末。スムージーよりも毒々しいから碌な代物じゃなさそう。

 

『完成まではおよそ───5時間です』

 

「先に寝てていいぞ」

 

「うん。おやすみ」

 

「君に言ったんじゃない。J.A.R.V.I.S.に言ったんだ。今夜は寝かせないぞ?」

 

「ええ~……」

 

『恐縮です。良い夜をお過ごしください』

 

 ブラックジョークも色男が言えばネタになる。嫌そうな顔をする私に、社長は数冊のカタログを放り投げるようにして寄こした。

 どれもが女性向けのファッション雑誌で、高級・有名ブランドばかり。

 

「買収したホテルが無駄になったんだ。タダ働きで帰らせるほど僕もお人好しじゃあない」

 

「話が見えないけど……」

 

「つまりだな、その前衛的なファッションをどうにかしてくれ。僕は嫌いじゃないがね。これから事業()忙しくなる。まずはスポンサー選びから始めようか、就職祝いは3着まで。ああそれと」

 

「それと?」

 

「外で『トニー』は禁止だぞ? いいな、記憶したか?」

*1
センチメンタル

*2



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話

 ナイーブ・トニーを経て、社長は何か考えがあるのか、私をチャリティーイベントに連れて行ってくれた。

 アウディとは中々にセンスがいい。というより、スーツを開発するにあたって数台オシャカにしたみたいで、たまたま出入り口に近いアウディを選んだだけだったりする。

 パーティドレスだって3着までとか何とか言っていたけど、迷っている私にしびれを切らして、勧められた複数のコーデを全て買い漁るという富豪っぷり。好いてもない女の買い物は長くて待っていられないとは本人談。

 見繕ってくれたドレスに感嘆する間もなく、急かされた私は、10を超えるドレスのうち3着しか試着することが出来なかった。せっかく買ったのにもったいない。

 パーティ会場へ遥々やって来ても、お披露目するのはたった一着だけ。派手好きな社長にしては無難なチョイスのドレスだけど……うん、自画自賛できるくらいには似合っている。社長と一緒に車から登場したのも相まって、衆目を浴びるのは悪い気がしなかった。

 レッドカーペットの上を堂々歩く社長の後を追う。

 道中、数々の美人さんが社長に声を掛けていたけど、鰾膠も無く袖にされていた。

 唯一、社長自らちょっかいを出したのは、社長に負けず劣らず女を侍らせたサングラスのご老人。社長基準では彼も色男らしい。*1

 

「武器製造はスターク・インダストリーズの事業のほんの一部です。我が社と消防隊やレスキュー隊との協力関係は……」

 

「その通り。今日は新事業の応援団長も連れてきた」

 

 インタビューを受けていた叔父を遮り、社長は流れるようにインタビュアーとの間に割り込んだ。

 仰々しく紹介された私といえば、取り囲むカメラに次々とフラッシュを焚かれている。

 隣の社長は剣呑な空気。ここで気が利くマリィちゃんは、お茶目にピースサインで時間をやり過ごす。私ながら実にクレバーだよね。

 

「……決算が楽しみだ」

 

「主催者なのに呼ばれてないからね。ん?」

 

「はっはっは。なんだトニー……来たのか、驚いたよ」

 

「来てやったさ。我らが女神さまと一緒にな」

 

「女神さま?」

 

「後ろのちんまいお嬢さんだ」

 

 声を潜める社長とオバディア。何やら不穏な雰囲気だった。

 けれど私には関係ない。催促されたカメラの数々へ転々と体の向きを変えて、フラッシュに焚かれることに大忙し。随分と簡単なお仕事で拍子抜けだった。

 すると私のお仕事にやっと気づいた社長が、強引に腕を引っ張った。

 

「おい何してる」

 

「えっと、お仕事?」

 

「そんな間抜けな仕事があるか。いいから来い、でなきゃ夕食は賞味期限切れのインスタント麺だ」

 

 怪訝そうにしていたオバディアですらマジかコイツ……みたいな顔をしているけど、何も説明されていない私は悪くないはず。

 ズカズカと待ってくれることなくコンサートホールへと入っていく社長を追い、私も()()()()()()()足早に階段を昇る。ちょっとスースーするから慣れない。

 その最中、社長の背中を見据えるオバディアの視線が鋭くなった気がしたけど……考える暇はなかった。

 

「ルールその1、魔術は禁止だ。今日はマジックショーをしに来たわけじゃない」

 

「うん。でもあそこでマジシャンがマジックしてるけど────」

 

「言わなきゃダメか?」

 

「あっはい分かりました……その2は?」

 

「その2は空を飛ぶの禁止。ご老体もそこそこ来てるからな。びっくりさせちゃあいけない」

 

「うん分かったよ。まだある?」

 

「最後はそうだな……ルールじゃないが、大人の女性というのを学ぶといい。ほら、あの美人さんが見本になるだろ?」

 

 社長が指したのは、背中を大胆に露出したドレスの女性だった。

 むむむ。確かに美人さんだけど私だって……。

 

「不服そうだな。なに、相手が相手だ。我が助手以上の女性を探す方が難しい」

 

()()()より上の男性を見つけるよりも?」

 

「そりゃもちろん」

 

 まさかの即答である。流石の私も、スコッチの入ったグラスを傾ける社長に驚いてしまった。

 これはだいぶ重症だ。乙女の勘がそう告げている。完全にベタ惚れで口論するだけ無駄だった。

 

「社長ってば贔屓しすぎだよ。マスター、とりスパロゼでお願い。無いならとりシャン。うん、まだ何も食べてないから軽めの────」

 

「おいおいおい。ティーンエイジャーが何をカッコつけてる。マスター無視してくれ、オレンジジュースだ」

 

「え~……食前酒(アペリティフ)にオレンジはちょっと重いよ。せめてカシオレじゃないかな」

 

「阿呆言うな。ノンアルコールに決まってるだろ」

 

 さり気無く注文すれば通るかなと思ったけど、惚気ていた社長は目ざとかった。

 まあ私は大人だから文句は言わないけどね。

 渡されたオレンジジュースを口に含み、ジトーっと社長を睨んでみるけど、当の本人は助手さんとやらに釘付けだ。私のことを言う割に思春期のプレイボーイは盲目みたい。

 道行く人も、社長に声を掛けようにも目が合わないから諦めて通り過ぎていく。

 そんな中で、見覚えのある男性が私達へと近づいてきた。うーんどこかで見た覚えがあるんだけど……。

 

「スタークさん。コールソンです」

 

「ああ……あーなんだっけ、あのお役所」

 

「戦略国土調停補強配備局です」

 

「そうそう、その名前。変えたらどうだ? 君もそう思うだろ?」

 

「あっ! 移送命令の人!」

 

 耳に残るこの平坦な声音。間違いない、ローディと揉めていた戦略国土調停……云々から移送命令で私を捕まえに来た人だ。

 私の呟きにコールソンと名乗った男性はその通りと頷いた。その横で、社長は私とコールソンへと視線を行ったり来たり。状況を上手く理解できていない様子。

 

「なんだ知り合いか?」

 

「おや。ローズ中佐からなにも聞かされていないと?」

 

「あー……ちょっとな」

 

「離婚調停中だよ。些細なすれ違いって言うのかな」

 

「それは……お気の毒に」

 

「待てよ誤解するな。それとマリィ、ルールその3を言い忘れていた。つまらない冗談は禁止」

 

「はーい」

 

 やり返した気分だ。余計なことを言うなと目で訴える社長から逃げて、私は夕食をたかりにいった。

 流石は天下のトニー・スターク。チャリティーを謳ったイベントだけど、集まっているのは著名人ばかり。料理やお酒はどれも一流で、選んでいる時すら楽しくなってくる。当然、オレンジジュースだって濃縮還元じゃなくて果汁100%である。

 そうしてディナーを堪能していると、社長とコールソンは握手をして別れてしまった。

 というより、社長が強引に打ち切ったみたい。助手さんとやらに近づいたかと思えば、ダンスを始めてしまう。これにはポーカーフェイスのコールソンも、呆れの色が滲んでいた。

 

「もういいの?」

 

「……君こそ、私たちの下へ来てくれる気になったのかい?」

 

「社長よりも待遇がいいなら」

 

「世の就活生に聞かせてやりたいな。スターク社より上を求めるのか」

 

「新入社員だもん。待遇は特別良くはないかな」

 

 ローディと移送命令の件で揉めた時ほど、強引な勧誘はしてこない。

 私の冗談に肩を竦めたコールソンは、内ポケットから一枚の写真を取り出した。

 映っていたのは、アフガンの砂漠で社長をお姫様抱っこしている私の衛星写真。かなり鮮明で現代の技術にしては突出している。

 戦略国土調停補強……ナントカが、私や社長に接触したのはこういうことだったのだ。なら、ゲートや空を飛んでいたことも既に知っていたのかもしれない。

 

「君とスターク氏が接触したのはこれが初めてか?」

 

「実はそうなの。ちょっと家出してて、社長のお家に居候してるんだ」

 

「……君の戸籍は世界196カ国どこにも存在しなかった。我々としても、例の奇妙な力を含めて君を野放しには出来ない」

 

「気持ちは分かるけど……会社に黙ってお休み出来ないよ。だからごめんなさい」

 

 と、建前にもならない言い訳をしながら頭を下げる。

 毒にも薬にもならない謝罪に、コールソンは苦笑いしか出来ないようだった。

 

「移送命令はもう無くなってね。今日は君の会社の社長さんに用事があっただけだ」

 

「そうだったんだ。……ん? 社長に?」

 

「その写真をスターク氏に渡してくれ。では」

 

 拍子抜けと言ってもいいほど、あっさりとコールソンは引き下がった。

 取り残された私は、去っていくコールソンを茫然と見送ることしか出来ない。

 この写真を私に委ねた理由は、どこにいても監視していると言いたいからなのだと思う。

 きっとコールソンのお役所は私に嫌疑を抱いているのかもしれないけど……或いは()()()()()()()()のか。

 現状の手札では判断しかねて写真と睨めっこしていると、バーのブースから社長が慌てたようにやって来る。その手には、私と同様に写真を握りしめていた。

 

「社長、どうしたの?」

 

「なんでもない。会社のこれからについて討論会を開くんだ。新人くんはパーティーを楽しんでくれ。福利厚生ってことにしておこうな」

 

()()()()()を見せながら?」

 

 私の言葉を聞いて、社長は握っていた写真を咄嗟にポケットへとしまい込んだ。

 けれど遅い。私はううんと首を振る。

 コールソンから渡された写真を『黄昏の浜辺』に隠し、わざとらしく私は口を開いた。

 

「叔父さんの所へ行くんでしょ? せっかくだし、新事業についても話した方がいいと思うな。私も自分のお仕事について何も聞かされてないもの」

 

「ダメだ。今は()()()()()()()()()。新事業はペッパー……あー、秘書から聞いてくれ」

 

「発案は社長でしょ? どうしてそんな急に────」

 

「やることがある。今日だけじゃない。事と次第によっては()()()()()()()な」

 

 そう言い捨てると、社長は雑然とした人ごみをかき分けて、オバディアのいるホールの外へと出て行ってしまう。

 やっぱり、写真を渡さないで正解だった。ユーモラス・トニーに戻ったかと思えば、またすぐにシリアスモードへと突入してしまう社長は、不幸の星の下に生まれてきたのかもしれない。

 

(はあ……どうして私は)

 

 私自身、社長を慮った理由を自覚できていなかった。

 胸の中で渦巻く得体のしれない感情が、いつまで経っても社長を捨て置くことを許さない。

 ここまで他人に入れ込んだのは初めてだった。生き急ぐ社長を見ると、どうしても離れてはならないと思ってしまう。

 トニー・スタークという世界から浮いた存在に、自己投影でもしているのだろうか。

 だからこれ以上の心労を増やすまいと、コールソンからの写真に気づかれる前に、私の宇宙へとしまい込んでしまった。

 けれどいつかはバレる。数日後か、もしかしたら何年後か。この宇宙のタイム・ストーンが無いから未来視は出来ないけれど、きっとこのままだと関係がこじれるのは目に見えていた。

 かといって、社長を追いかけることも出来ない。家族との軋轢に介入するのは無粋が過ぎる。

 なら、一番に頼れそうな人の力を借りるしかない。

 

「貴女がトニーの言っていた新人さんね?」

 

 社長に置いていかれた者同士。

 どことなくシンパシーを感じる秘書さんに、私は社長の救出劇から今日に至るまでの出来事を、魔術は控えて詳細に説明してあげた。

 そして数日後。

 グルミラ*2で武装勢力*3が排除され、米軍謹製のF-22が訓練中に墜落する事故が起こった。

 

*1
スタン・リー

*2
アフガンの小さい村。インセンの故郷。

*3
自称テン・リングス



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話

 懐古する。

 兵器を作っていた自分。テロリストに捕まり現実を知った自分。そして偽善の赴くままグルミラで武力に怯える人々を救った自分。

 贖いなんて高尚なことを言うつもりはなかった。

 鋼鉄の着ぐるみを纏い、現実への悲憤はマスクで隠し、目の前に蔓延る不条理を覆したいと願っているだけ。

 自分には力があった。しかし今までは、有体に言えば信念が無かった。

 資本主義の権化。愛国を騙る死の商人。そんな揶揄を下らないと一蹴していた過去の自分からは、決して逃げることなど出来はしない。

 たとい鋼鉄のコスプレ男が自分だと表明しても、トニー・スタークという男が流した夥しい屍山血河の前には救った命など塵にも等しい。そもそも彼自身、そんなことで()()()()()などと微塵も思ってはいなかった。

 ───懐古する。

 命を救ってくれたインセン教授。孤独から拾い上げてくれたマルグリット。代えがたい日常を与えてくれるペッパー・ポッツには、また苦労をかけさせてしまった。

 けれど、もう道を違えることはない。迷うことはあるかもしれないが、自身が生み出した力で何を成すべきなのか。トニーはひとまずの答えにたどり着くことができた。

 

「正しい道だと信じている……か」

 

 独り()ちてから、トニーはグラスに残ったウイスキーを飲み干した。

 自分らしくない。こんなヒロイックなセリフを真面目な顔で口にした自分が、今になって浅ましく思えてきた。

 それでも余韻は心地よかった。酒のせいで自己陶酔をしているのかもしれない。高揚するような刺激的なものではなく、大切な人々との邂逅が想起される穏やかな気分だった。

 過去は血みどろだ。でもそれだけじゃない。ペッパーと歩んできたこと。ローディと友情を交わしたこと。マルグリットに揶揄われたこと。インセンが絶望の淵で手を差し伸べてくれたこと。それらは確かに、トニー・スタークを変えてくれたのだから。

 小さく嘆息して、思考の海から浮上したトニーは、着信の届いている携帯を手に取った。相手は秘書のペッパー、兵器の横流しを突き止めるために動いてくれている。その進展があったのだと容易に推測できた。ペッパー相手に先のセリフを口にしたのは記憶に新しい。

 

『マルグリットから聞きました。貴方の覚悟も、苦悩も、そのスーツのことも。だからこそ、貴方のお手伝いは出来ません。……お願い、自分を殺そうとしないで』

 

『アイツめ。やってくれたな』

 

『彼女だって、社長を心配しています。でなければ私を巻き込んだりはしないはず』

 

『……()()()()()。どちらにせよ、僕はコレを着続ける。でなきゃ生き返った意味が無い』

 

『あります! 絶対に! ……仮に、生き返ったことに意味が無くても、その()()()()(なげう)つなんて────』

 

『無駄なんかじゃないさ。僕にしかできないことだから。やっと気づけたんだよ、何をすべきかね。それが正しい道だと信じている……信じることが出来る』

 

 少々……いや、かなり卑怯な告白だったとトニーは自覚している。

 脅し文句と何ら変わりはしなかった。手伝ってくれなかったとしても、死地へと赴く覚悟はとうにしていた。だから命を無駄にしてほしくないなら手伝ってくれと、トニーの述懐はペッパーとの決別になってもおかしくはない。

 だがそうはならなかった。手に取った携帯には、確かにペッパーからの着信が届いている。

 危険な頼みごとをしてしまった。それでも彼女は見事務めを果たしてくれた。

 次こそ、スターク社が裏で働く悪事を根本から是正できるはず。そう逸る気持ちのままにトニーが応答ボタンを押下した瞬間、

 

「トニー、身内とはいえ顔パスはいかんなぁ。私もついさっき、スターク社のセキュリティの甘さ*1を再認識したところだよ」

 

 キーンとした音とともに、オバディアが邪悪な笑みを浮かべてトニーを見下ろしていた。

 

「……ッ!」

 

「おっと動かん方がいい。政府に認可こそされなかったが、作り上げた君自身がコイツの性能をよく理解しているだろう?」

 

 オバディア本人は特殊なイヤホンを付け、ソニック・テイザーから放たれる高周波を防いでいた。忘れもしない。ただ粛々と兵器を作り続けていたかつてのトニーからしても、最悪と呼べるものの一つ。それをどういうわけか、叔父であるはずのオバディアはトニーに使用していた。

 中枢神経が麻痺し、トニーの首元が血色を失っていく。およそ人道的な兵器とはいえず、苦痛を与えることに特化したソレは、かつてのトニーですら見向きもしなかった代物だ。

 脳へのダメージは人体機能そのものの低下を招く。身体が思うように動かないどころか、五感まで奪われかねない状況にトニーは焦燥に駆られた。

 

「ああ、そんなに急いでどうしたんだトニー。想い人より自分の心配をすべきじゃあないのか? アフガンで捕まった時のように」

 

「……っ!」

 

「おかしいと、ありえないと分かっていたはずなのに。お前は真実からいつも逃げてきたな? 愛国だのなんだの……兵器は兵器だ。頭の出来が良い君が、どうして兵器の横流しを見逃す? なぜ偶然、要人でもある君がアフガンで野蛮人共に捕まった? 謎解きをするまでもない。お前はずっと、理想を求めるあまり現実から目を背けていたのだよ。ハワードが死んだあの日からずっとな」

 

 恍惚とした表情で語るオバディアの視線が捉えるのは、たった一つの真実だけ。

 

「だが────このアーク・リアクター(真実)だけは、私が語り継いでやろうじゃないか」

 

 トニーが帰還した時から狙っていたのだろう。摘出するためだけに作られた装置で、オバディアはトニーの胸に埋め込まれたアーク・リアクターを抜き取った。

 動悸が早まる。しかし不思議なことに、自らの命の危機よりも、ずっと抱いていた疑念が氷解したことへトニーは心の中で自嘲していた。

 

(……ああ、そうだろうさ。僕はずっと逃げてきた)

 

 父であるハワードと仲が良いわけではなかった。むしろトニーからの印象は最悪と言っても過言ではないが、それでも母を含めて実の家族だった。

 両親を亡くした時、トニーと父親であるハワードの関係は冷え込んでいた。そのまま今生の別れを経てしまったトニーは、無意識に叔父であるオバディアを疑うのは避けていた。

 だがアフガンで捕まった時のように、原因が叔父のオバディアだったとしても、そこから目を背けていたという事実を、現実はトニーへと容赦なく突き付けてくる。起因はどうあれ、これが自嘲せずにいられるだろうか。

 

「なに、安心するといい。君の愛人もすぐそちらに送り出してやろう。忌々しい捜査官どもと一緒にな。……あー、君が連れてきた小娘がいたか。端金にでもなれば解放してやるとも。()()()の面倒までは見てやれないがな」

 

 何を馬鹿な、と言おうとしても舌は回らない。

 アーク・リアクターを失ったトニーへと嘲笑を送ったオバディアは、ペッパーの焦燥を響かせる携帯電話を踏みつぶして、足早に去っていった。浮わついたその姿は、兵器へと魅入られたマッドそのもの。かつて、嬉々として兵器を作り続けていたトニー自身の映し鏡だ。

 ()()()()()()()。昔のトニーでさえ越えなかった一線をオバディアは越えている。強奪されたアーク・リアクターによる脅威だけではない。文字通り死を振りまく天災となってしまっていた。

 ならば、止められるのはアーク・リアクターを創造した自分だけ。その使命感に突き動かされ、胸の金属片*2が心臓へと迫る中、トニーは覚束ない足取りで地下の作業場へと向かった。

 

「……あった」

 

 独り言を零すトニーが捉えたのは、ペッパーがインテリアとして飾りつけをしてくれた旧型のアーク・リアクターだった。

 つくづく悪運に恵まれている。アフガンで致命傷を負った時と同じく、トニーを救ってくれたのはインセン教授との縁だった。

 

(『命を無駄にするな』……まだ死ぬには早いらしい)

 

 発破をかけられた気がする。空虚な妄想だし、スピリチュアルで荒唐無稽でも、朦朧とする意識を気力でこらえるには十分だった。

 血色は死人のように青白くなっていたが、トニーの眼光は鋭く尖り、ただアーク・リアクターだけを見つめていた。

 ペッパーが繋ぎ止めてくれた奇跡を、この時ばかりは必然とすら思える。

 気力はあれど、立って歩くほどの力すら失ってしまった。ならば這いつくばってでも生き延びてやる。この命を無下に投げ出すなんて、トニー自身が許せなかった。

 あと少し。伸ばした手の、指の先からアーク・リアクターまで一寸もない。

 『トニー・スタークにも(ハート)がある』……ペッパーから贈られた言葉が、今は何よりも心強かった。

 

「届け……!」

 

 数センチ。数ミリ。そして爪の先が触れる。

 だがそこまでだった。リアクターが納まるガラスケースを掴むには及ばず、遠ざかってしまったことで振り絞っていた気力も一瞬にして萎えてしまった。

 鼓動が弱まる。気力すら湧かない。今こうして無力に喘いでいる最中、ペッパーに危険が迫っているというのに、意思だけで理不尽を覆せるはずもない。誰よりもトニーがそれを知っている。

 

「ダミー、いい子いい子」

 

 深く息を吐いて、最期に全てを賭けよう。トニーが残るすべての力を全身に込めたようとした時、ここに居るはずのない声がした。

 

「ほら。やっぱり社長にはよく懐いてる」

 

「……みたいだ。ダミー、寄贈するのはまた延期だな」

 

 可憐な声音でダミーの付け根を撫でるマルグリットが、いつもと変わらない無垢な笑顔でトニーを見下ろしていた。

 ダミーはといえば、掴み損ねたリアクターのケースをトニーへと差し出している。

 普段ぶきっちょなダミーだが、この瞬間だけは間違いなく救世主だ。

 受け取ったトニーは力強く地面に叩きつけてケースを割り、命ともいえるアーク・リアクターを手にすることに成功した。

 すかさず空っぽとなった胸へと雑に突っ込む。舌に尽くし難い圧迫感と、突き抜けるような衝撃に襲われるも、弱まっていた鼓動が次第に安定していった。

 ひとまずの危機は乗り切ったと言えるだろう。後は、この場にいるはずのないマルグリットへの猜疑心だけ。

 

「ペッパーはどうした?」

 

「今日はお休みだからお留守番って言われたの。なんだかコールソンたちと一緒に忙しそうだったよ」

 

「コールソン? ああ、無駄に長い役所の捜査官か。……待て、何人いた?」

 

「えっと、確か5人くらいだったかな?」

 

「5人じゃ足りない……!」

 

 ああ、少しでも疑った自分がバカバカしい。マルグリットという少女の頭のネジが外れているのは、今にして始まったことではないだろうと、トニーは頭を振った。

 マルグリットの異常性と言うべきか、気が触れている側面を何度も目の当たりにしていた筈なのに。トニーはすっかり失念してしまっていた。

 構うだけ、考えるだけ無駄である。何故か気に入られているトニーだからこそ会話が成立するものの、マルグリットが寄せる好奇の埒外にある存在なんて、彼女の認識の範疇には全く存在する余地が無い。すなわち、ペッパー・ポッツやフィル・コールソンの命は、マルグリットが何ら危惧するところではないのだ。少なくとも()()()()そう考えている。

 今すぐにでも助けに行かなければならない。しかし旧型のリアクターで立ち向かうのは無謀が過ぎる。

 それでも厭わずにスーツを着ようと、装着用のアームが並ぶスタンドへ向かおうとしたトニーの前へ、マルグリットは遮るように立ちふさがった。

 

「ダメ」

 

「どくんだ。二度は言わないぞ」

 

「でも死んじゃうよ」

 

「死なないし、死なせない。なんなら君がオバディアを止めてくれるとでも?」

 

()()()がそう望むなら」

 

 コクン。小さく呟いて、瞑目するマルグリットは告げる。

 語り部のように。独白のように。

 

 ────『形成(イェツラー)

 

 詠唱に()()()()()。イメージの具現、マルグリットにとってはギロチンに血をくべるという宣誓に過ぎない。

 黒く滲んだ右腕。そこから生えるギロチンの刃。幾人もの血を吸い続けた悍ましくも凄艶なる究極の美である。

 破壊すべき永劫回帰の牢獄(ゲットー)はない。だからこれは、願掛けのようなおまじないだ。魔術的な意味は一切なかった。

 演出には十分。初めて見るマルグリットのギロチンに、決意を秘めていたトニーでさえも目を見張ってたじろいだ。

 

「望むならオバディアだって止めてあげる。世界中の紛争介入にだって付き合うよ」

 

「そんなこと望まない」

 

「なら、どうして危険に身を晒すの?」

 

 誓いだの、望みだの、着飾った言葉でなくてもいい。

 吸い込まれるようなマルグリットの()()を毅然と見つめ返して、トニーは答えた。

 

「女の前でカッコつけたい。男にそれ以外の理由が必要か?」

 

「……なにそれ」

 

 ぱちくりと瞬きして、マルグリットは脱力しながら溜息を漏らした。

 無垢ながらに剣呑だった双眸も、いつもの能天気なマルグリットに戻っている。

 それでいいと、トニーは思った。

 いまだ脈動するギロチンの刃は若干グロテスクなものの、見てくれだけは可憐なマリィという少女に、あんな冷淡な瞳は似合わない。優しい新緑のような今の()()のほうが余程────

 

「ちょっとこっち向け」

 

ふぇ()? ふぉおふぃふぁふぉ(どうしたの)?」

 

「……いや、なんでもない。急がないとな」

 

 ふと、見間違えかと思い、頬を抑えてマルグリットの顔を正面に向かせると、そこにあったのは翠色の宝石二つ。

 ということは、最初に見た碧色が見間違えだったとトニーは結論付け、今度こそスーツの装着台へと足を踏み入れた。

 大した理由はない。物騒な腕の刃を生やした時に見た碧眼へ、ある意味でギロチンよりも嫌厭すべき何かが映っていたような気がしたから。そう、螺旋に絡み合った二対の()()()()()────

 そんな漠然とした不安をトニーが募らせていると、何か聞こえたのか、マルグリットが顔を上げてキョロキョロと辺りを見回した。

 

「社長。やっとデリバリーが来たみたい」

 

「デリバリーだって?」

 

 スーツを装着しながら、トニーが胡乱げに両目を細めると、階段から荒々しい足音が近づいてきた。

 

「トニー! おいトニー!」

 

「ね?」

 

「……なるほど。デリバリーにしておくには勿体ないな」

 

 ラフな格好をしているが間違えようもない。

 切羽詰まった表情でやって来たのは、トニーの親友であるローディその人だった。

 仲違いをしていたのも遠い昔。グルミラでトニーが武力介入をした際に、ちょっとしたトラブルを経て、両者のわだかまりもすっかり解消していた。

 

「トニー、大じょ……なんだよ、今日はコスプレ大会でも開く気か? それにマリィ、ゲート(そんなもの)はもうコリゴリだ。移送命令からはもう庇わないぞ」

 

「────ですって、社長」

 

 スーツを着たトニー。腕から刃を生やしたマルグリット。ダメ押しに現在進行形でマルグリットが開くゲートを見て、ローディは安堵と苛立ちを綯交ぜにして言う

 他人事のようなマルグリットを気にしても仕方ない。トニーとて、ローディがここに来た理由をちゃんと理解している。ペッパーの優秀さには助けられてばかり。

 スーツを着ながら、トニーはおどけたように言葉を紡いだ。

 

「聞いたぞローディ。仮装(コスプレ)パーティに悪者が出たらしい。現役軍人、謎のスーツ男、最後は悪趣味ギロチンガールで即席バンドの結成だな」

 

 渾然とした感情へ蓋をするかのように、トニーは鋼鉄のマスクをかぶって、オバディアが待ち受けるゲートを睨みつけた。

*1
ペッパーによる横流しの突き止め

*2
ゲリラに襲撃された際に突き刺さった



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話

 ロスにあるスターク社で銃撃戦が繰り広げられている。

 オバディアの足取りを追うペッパー達を待ち受けていたのは、重火器を構えたならず者の集団だった。

 フィル・コールソン率いる少数のエージェントが携帯武器で応戦するものの焼け石に水で、弾幕は彼らをセクター16へ近づけさせない。

 ペッパーによって発見されたセクター16は、オバディアが秘密裏に設立した施設だ。隠していたからには相応に疚しいものがある。

 アフガニスタンでトニーを襲うよう指示したオバディアは、その後にテン・リングスが拾ったパワードスーツ*1を接収して、より強力な兵器を創り出そうとしていた。

 看過しがたいのは、動力源となるアーク・リアクターはトニーだけが所持し、創り出せるということ。頑なに渡すのをトニーが拒否していたというのに、オバディアが行動に移ったということは、事態が最悪に向かって動き出している証左だった。

 

「コールソン捜査官! 応援はまだ!?」

 

「ポッツさん、貴女だけでも退避してください」

 

「貴方たちだけでオバディアを止めるというの?」

 

「チャンスは今しかありません。スーツの起動に手間取っている今を逃せば、戦略兵器を使うことも視野に入ってしまいます。スターク氏が作り出したモノはそういうものなのです」

 

「そんな!?」

 

 努めて冷静なコールソンの目は嘘を言っていなかった。

 スーツだけならいくらでも対処のしようがある。しかし、トニー・スタークが創造したアーク・リアクターは、『S.H.I.E.L.D.』でさえ予測できない混乱を齎すと確信できた。

 アーク・リアクターを入手したのならば、甥であるトニーへと手を掛けたはず。少なくとも、今のオバディアは正気ではない。

 狂ったオバディアを放置してしまえば、民間にすら被害が及ぶ可能性を捨てきれなかった。

 

(或いは、元より我々の知る正気ではなかったのかもしれないが……)

 

 壁を背にして銃火の咆哮を浴びながら、コールソンは冷静に分析した。

 軍需産業の中枢を担っていたスターク・インダストリーズは、『S.H.I.E.L.D.』からしても無視できない存在だった。創業者であるハワード・スタークが『S.H.I.E.L.D.』の創立メンバーの一人だということもあるが、彼の死から露骨なまでに兵器産業へと傾倒していくようになった。

 その原因こそが、トニー・スタークを歪ませたオバディア・ステインに他ならないのだろう。

 

 手をこまねいていた過去を悔やんでも仕方ない。

 

 コールソンが内心で嘆息していると、遂にオバディアはスーツの起動に成功させた。

 建物を揺らすほどの足音が、銃撃戦をしている最中でも感じることが出来る。

 

 ペッパーは震えあがった。眼前で行われている銃撃戦すら生温く思える。

 暗がりからやって来る巨大な影の胸には、あってはならない輝きが嵌め込まれていた。

 憶えはあった。トニーとの連絡が途絶えたことや、通話が切れるまでにオバディアらしきノイズが混じっていたこと。思い当たる節は何個もある。

 けれど、しかし────と、最悪の可能性を否定して気力を保ってきたのに。

 正体を現したオバディアとパワードスーツによって、悲壮な覚悟さえも打ち砕かれてしまった。

 

「そんな、トニー……」

 

「そう嘆くことはない。地獄(むこう)で君のことを待っているだろうからな」

 

「ポッツさん下がってください!」

 

 ペッパーの嘆きを切り捨て、オバディアは躊躇もなくガトリングの銃口を向けた。

 エージェントたちが小銃で集中砲火を浴びせても、頑強なアーマーはビクともしない。その後ろでは傭兵たちが無力を嘲笑っている。

 万策尽きたか。いや、最悪は何とか回避できるだろう。

 コールソンは死を覚悟しながらも、事の次第を『上』が認識していることに安堵した。

 たとえ己が亡くなったとして、()()()()ならアークリアクターの流布を絶対に許さないと信頼していたから、任務へ殉じることに誇りさえ感じることが出来た。

 

(後は頼みます、長官……)

 

 そんな祈りを本人の前で口にすれば、安易な死を許さないことは想像できた。

 あの寡黙で秘密主義の先輩を脳裏に浮かべて、コールソンは身を挺してペッパーの前に割り込む。

 一瞬が長く感じられた。

 向けられた銃口が光った瞬間、コールソンの身に無数の風穴が刻まれる────はずだった。

 

「ステイィィィィィン!!!」

 

 覚悟を決めたコールソンの前で、どこからともなく現れた赤と金の人型が、捨て身の突貫をしかけてオバディアもろとも彼方へと消え去っていった。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

「うん……間に合ったよ。勢い余って間に合い過ぎかも」

 

『通話越しでも聞こえたぞ。ホントにペッパーは大丈夫なんだろうな?』

 

「コールソンが庇おうとして、そこに社長が飛び入り参加したみたい。それからはドレスコードのアイアンスーツで二人きりの親族水入らず」

 

『つまりオバディアとタイマンってことか? 勝算は?』

 

「社長は考えがあるって言ってたけど……」

 

『全く……訓練で済めばいいな』

 

 呆れたような、それでいて不安の交じった声音のローディは、軍に余計な茶々をいれさせないよう職務に励んでくれている。

 オバディアと社長がパワードスーツを使って取っ組み合いになるだろうから、情報が広まらないようにローディにはいつもの如く軍での厄介ごとを任せていた。

 訓練で済めばいいとは、つまるところそういう事である。グルミラで社長が初めて武力介入した時と同じことをしようってわけ。

 碌な休暇じゃないよね。私なら卒倒しちゃうかな。

 

(さて、と)

 

 先走ってオバディアへと突っ込んでいった社長を見送り、茫然とするコールソンとペッパーの前に私はフワリと着地した。

 

「ペッパー、ごめんね。お留守番の約束を破っちゃった」

 

 こっちはこっちで修羅場が続いている。

 呆気に取られていたコールソンらエージェント達と、オバディアに雇われたゴロツキ達は、私が言葉を発すると同時に銃を向け合った。

 

「マ、マリィなの? その腕は……」

 

「ポッツさん、後ろに」

 

 さすがプロだ、ちがうなあ……なんて吞気に構えながら、コールソンの立ち振る舞いに感心した。

 敵対していた傭兵だけじゃない。脈打つギロチンを携えた私にさえ懐疑を抱き、ペッパーを後背へとエスコートしている。

 ここで私が味方だと楽観視するようなコールソンではなかった。それが頼もしくもある。

 

「待ってください。彼女は敵ではありません!」

 

「しかし……」

 

「話は後でね。もう()()()から」

 

 一方的に告げて、私は武器を向ける傭兵たちと向き合った。

 殺意が浮かぶ眼。トリガーに触れる指先。反動に備えて硬直する身体。

 集中力を研ぎ澄ませば、彼らの一挙一動を細かく捉えることが出来る。

 

 ────(とき)が、視えた気がした。

 

 ギロチンが渇きを訴え、血を求めている。

 今更、人の生き死にで懊悩する殊勝な心掛けはしていない。

 だから酷く冷徹な私がいた。視界に広がる冷たい世界へと居心地の良さを感じてしまう。

 時間を圧縮すればするほど、疼く断頭の傷痕が顕わとなっていく。

 けれどその痛みすら、緩慢となっていく世界においては背徳的な快感でさえあった。

 

創造(ブリアー)────美麗刹那・序曲(アインファウスト・オーベルテューレ)

 

 最初に放たれたマズルフラッシュが皮切りだった。

 時が()まる────世界が氷漬けとなり、私は須臾を観測できるようになる。

 弾丸も、薬莢も、戦場で演じる役者(アクター)たちの表情も。

 凍てついた世界に感動を齎すモノはなく。

 舞台には無機的なアトモスフィアが満ちるだけ。

 正確に言えば、完全に停止した世界じゃない。私自身が行動したと自覚すると、積み重ねた(とき)を消費する。一枚一枚、まるで紙芝居のように。

 掃射を前にして死を覚悟したペッパーやコールソンも、私が何をしたのか認識することは出来ないはず。

 ギロチンを形成して銃弾を斬り払う。当然、発射元となった銃の数々も使えなくするため、バラバラに切り刻んだ。

 そして時は加速する。停滞してはいない。

 私だけが観測できる残酷なまでに美しい刹那だった。

 

「何!? 何が起こったの!?」

 

「こ、これは!」

 

 ペッパー、コールソンに続いてエージェント達も瞠目する。

 彼らの目には、弾丸が不自然に逸れて、傭兵たちの武器が玩具の如くバラバラとなったように見えたことだろう。

 でも、私のギロチンには血の一滴もついていなかった。

 

『殺人を躊躇しないなどと囀っているが、()はあれ、あの程度の魂を蓄えたところで腹の足しにはならんよ。塵芥にかかずらう暇があるのかね?』

 

 思考にノイズが(よぎ)る。覚えがない。既視感もない。

 けれど声の主の言う通りだ。魂には貴賤がある。質の良し悪しがある。

 タイムストーンの運用は完璧だ。なら、この場でソウルストーンが機能しているのか試しても────

 

「マリィ!」

 

「よせ!」

 

 気づけば、ギロチンが形成された右手を振り上げていた。眼下には、瞳を震わせて怯えるゴロツキの一人がいる。

 意識はこのまま男の首を断とうとしていた。その男の首だけじゃない。この場にいる全員の……ペッパーやコールソンも手にかけようとしていた。

 慌ててその場を飛びのく。冷や汗が首を伝い、浮かび上がった傷痕に酷く染み入った。

 

「わ、私は……」

 

 続く言葉が出ない。罪悪感や焦りからではなく、もっと根源的な恐怖を催してしまった。

 ギロチンが消えていく。いつのまにか、凍った世界は熱を帯びていた。

 殺人に躊躇はない。それは本当だ。お師匠様の下にいた時から命の奪い合いは経験している。

 だけど今、私はそれ以上の恐怖を確かに抱いていた。

 ペッパーの死やコールソンの死に、何ら感慨を覚えない薄情な私がいて、その死によって社長との日常が崩れ去ることに怯える臆病な私もいた。

 とんだ破綻者だと自分に吐き気がする。刹那主義にも程があるだろう。

 変わらない日常を乞い求めながら、その平穏を完膚なきまで破壊しつくすことに、甘美な響きを覚えてしまっていた。

 

「マリィ。大丈夫、大丈夫だから」

 

 ペッパーは茫然とする私を抱きとめてくれた。

 温もりに安堵する。同時に、耐えがたい破滅願望が、刹那の快楽を味わい尽くせと囁いてくる。

 表裏一体なのだ。永遠に続けばいいと願うそれ自体が、刹那だからこそ尊いわけで、けれど一瞬で過ぎ去ってしまう不条理を認められず永遠を願う不毛な渇望である。

 

「……うん。ありがとうペッパー」

 

 ここでやっと、僅かばかりの良心が痛んだ気がした。

 ペッパーの想像する悲劇のヒロインには程遠い身の上だし、彼女を守った理由が社長の日常の一部だからっていう不純な動機だったから。

 そして今なお、トニーとの日常を破壊するような不徳に過ぎる願望を、理性で必死に抑えている。

 罪深さと破滅願望が渾然となり、胸中では愚かな私自身へと、瞋恚の炎が燃え盛っていた。

 

「君は、いったい何を────」

 

 剣呑な目をしたコールソンが私に問いかけてくる。

 しかし最後まで言葉が続くことはなく、巨大アークリアクターが設置されたラボの屋上へと、上空から何かが墜落して轟音が響き渡った。

 

「行かないと」

 

「……話は、君の雇用主が戻ってからにしよう」

 

 ヘルメスの靴で浮遊し、私は夜空でフラフラと落下している赤と金のパワードスーツを見やった。

 胸のアークリアクターの光りは褪せて、両手のリパルサーも調子が悪く、停止と照射を繰り返している。限界が近いようだが、先ほどの轟音が社長ではないことから、決着はついたみたい。

 コールソンは逡巡して、ひとまずは私を見逃してくれた。

 オバディアが雇った傭兵たちの後始末や、ローディを通じて空軍との折衝もある。

 今後は足を向けて眠れない。まあ睡眠は必要ないけどね。

 

「マリィ。どうか、トニーをお願いね」

 

「……うん」

 

 目元を赤く腫らしたペッパーに頼まれても、か細い声で頷き返すことしか出来ない。

 後ろ髪を引かれる思いのままペッパーからの視線を切り、私は社長が降り立ったラボの屋上へと飛んで行った。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 オバディアとの決着は、想像以上にすんなりとついた。

 かつてテロリストどもの監禁から逃げる際に使ったマーク1は、予想通りオバディアの手元へ渡っていたが、急ごしらえで結露対策がされていなかった。

 だが腐っても向こうは僕から奪った新型のアークリアクターが使われている。

 持久戦は不利。力押しの真っ向勝負も諸刃の剣。

 だから短期決戦かつ、力のぶつかり合いを避けて戦う必要があった。

 スーツを着て狂喜するオバディアを煽り、上空へと誘った後の結末は、言うまでもないだろう。

 マーク2で失敗した僕の時*2と同様に、オバディアのスーツは結露で機能停止に陥り墜落した。

 旧型のリアクターを非常用の補助電源へ切り替えるまでもなかった。

 

「ぐっ……!」

 

 大破したマーク1から新型のリアクターを抜き取り、点滅し始めた旧型と入れ替える。

 まさか一日で何度もリアクターを交換する羽目になるとはな。この感触には慣れたくないものだ。

 オバディアは……何も言うまい。

 こうして因縁に終止符が打たれてしまえば、恨みも哀れみも殊更に抱かない自分がいた。

 結局、これは僕が蒔いた種でしかないからだ。

 オバディアのせいで散々な目に合ってきたが、僕がフルフェイスの仮面を被った理由に、オバディアの悪意が原因だと責任転嫁するつもりは無かった。

 

「こっちは終わったぞ」

 

「うん。ペッパーも無事だったよ」

 

 趣味の悪い刃物が生えていた腕をまっさらにして、マルグリットは宙に浮きながらやってきた。

 緊張感が無いのは相変わらずだ。

 ゲートを通った時もそう。

 ペッパーに銃口が向けられて怒りのままタックルをしかけた僕とは対照的に、マルグリットは無関心のまま戦場を見下ろしていた。

 正直、彼女の言葉をどこまで真に受けていいのか甚だ疑問ではある。

 

「それで、オバディアはどうするの? 叔父さんなんだよね?」

 

「……奴はもう無力だ。僕自ら手を下す必要はないさ」

 

 スーツは大破してバラバラ。リアクターも抜き取り、オバディア本人も気絶している。

 無力化したなら後は捜査官たちお役所仕事に任せればいい。

 手を下すことが怖いわけじゃなかった。グルミラでテロリストどもから難民を解放した時に、自らの手を汚すことは経験している。

 インセン教授を犠牲にして脱出した時とは違い、マーク3を着て自らの意思で戦地へ赴いた以上、言い逃れをする気はなかった。

 

「意外だな」

 

「ん?」

 

「君が、ペッパーを気にかけるとは思わなかった」

 

 踏み込んだ僕の言葉へ、マルグリットは困ったように口を噤んだ。

 その反応に、僕も内心では驚いている。

 

「他意はない。取り繕う必要もないだろ」

 

「……社長にとって大事な人だと思ったから」

 

「だが君にとって()()()()()()()()はずだ」

 

「それは……そうだけど。私も、分からない。だってそうでしょ? 誰だって、赤の他人よりも身近な人の命を優先する。家族、恋人、友人……でなきゃ世界中の不幸を目の当たりにして病んじゃうよ」

 

「だろうな。けどペッパーを助けたじゃないか。それが全てだろう」

 

 その優先順位について、問うような野暮なことはしない。

 オバディアへ挑もうとする僕を止めようとしたことも。

 ペッパーよりも僕の命を優先していたから、ここへたどり着いた時に冷めた目をしていたことも。

 マルグリットは迂遠に言うが、彼女の中で優先すべきはペッパーより僕であることは分かり切っていた。

 

「でもね。長生きをすると、何かを得るのが億劫になるの。失うものが増えるだけ。今日のことも気の迷いかもしれないし」

 

「それはまた……ありがたい金言どうも。ちなみに歳はお幾つで?」

 

「むぅ。教えないもん」

 

「そりゃ失敬、年長者は敬わないとな」

 

 最初は頭のネジが外れているだけだと思っていた。

 倫理観とか道徳とか、そんなものをかなぐり捨てて、気儘に振舞っているだけだと僕は勘違いしていた。

 だが彼女の本質は()()()()()()だ。

 人類みな平等などと宣う博愛主義へと唾を吐いて、命に貴賤を設けながら取捨選択をする傲慢さ。

 人間的な、あまりに人間的な在り方じゃないか。

 

「君は普通だな」

 

「それって褒めてる?」

 

「受け取り方次第だ。珍しく困り顔してる自称長生きのヤンチャガールがいたからな。人生経験豊富な若造がアドバイスをしてやっただけさ」

 

 思い悩む、なんてらしくないだろうが。

 正直に僕の胸の内を明かせば、彼女がペッパーを見殺しにした……或いはしようとしていたとしても、彼女を恨むつもりは一切なかった。

 過ちも、無力も、贖いも僕だけのモノだ。

 押し付けてしまえば、トニー・スタークの過去に残るのは空虚な傀儡としての人生だけ。

 仮に今日、オバディアに敗北して全てを失ったのなら、僕の人生が路肩の石のように無価値になる。そこにマルグリットの責はない。

 

「自称じゃないってば。……だけど、私自身も不思議なの。ずっと自分のことが一番だったのに。トニーもローディもペッパーもコールソンも。みんなに死んで欲しくないと思ってる」

 

「こんな時に道徳の授業でもしてほしいのか? それが普通なんだよ。自分がしたいからする。僕はペッパーを助けたいから、オバディアを止めたいから戦った。ホラ、自分本位じゃないか」

 

「……トニーはアテにならないよ」

 

「相変わらず口の減らない……僕のことはいい。君はどうなんだ? 何を渇望(のぞ)んで、今ここにいる? 何かを求めているから、アフガンでの僕と同じように、ペッパーを助けたんじゃないのか?」

 

 その時の、怯えたようなマルグリットの表情を忘れることはないだろう。

 アフガンで助けられてからずっと、彼女の目的や願望と言うのが未だに判然としていないから、僕からすれば何気ない質問でしかなかった。

 しかし今、ただでさえ色素の薄い肌の血色を失いながら、茫然と目を見開く尋常ではない姿に彼女の本性が垣間見えた気がする。

 

「私の、のぞみ……?」

 

 反芻する声は嗚咽のように籠っていた。

 普段の軽口を叩く様子から想像できないほど、僕の眼前にいるのは見た目相応の矮小な少女でしかなかった。

 

「……すまん。こっちも病み上がりで気がきかなかった」

 

「ううん……寧ろ感謝してる。ほんの少しだけね」

 

 震える声音で懸命にいつもの口調を保ちながら、意を決した表情をして彼女は言葉を紡ぐ。

 

「私の渇望(のぞみ)は────」

 

「『永遠で在れ』だろう? 時を超越した我等の(あるじ)が、その願いを叶えてやろう」

 

 次の瞬間、世界がガラスのようにひび割れて、マルグリットの胸に鮮血の華が咲いた。

*1
トニーが脱出に使ったスーツ

*2
7話



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話

「あ……」

 

 マルグリットが掠れたうめき声をあげる。

 胸から命が零れ、屋上の床に血溜まりが広がっていった。

 白無垢の衣装が鮮血に染まる。

 

「マリィ!」

 

「おっと動かないでくれ。手元が狂いそうになる」

 

 マルグリットの胸を貫く透明な刃を持った男は、駆け出そうとするトニーを制した。

 周囲に静寂が満ちていく。

 晒していた素顔をスーツの仮面で覆い、トニーは突如として凶刃を振るった男を睨みつけた。

 爛れた目元。陰鬱さを孕んだ相好。現代的とは言えないファッションセンスは、マリィと出会った時から危機感を抱いていた『その手の輩』*1に相応しい。

 

(J.A.R.V.I.S.、解析できるか? なんだアレは)

 

(ト……様。通信が………………向性と力場に………が生じて……………つけ…………………)

 

 悟られぬよう小声で問いかけたが、J.A.R.V.I.S.との通信は途絶えてしまう。

 その間にも、マルグリットを刺し貫いた男の背後でゲートが開き、狂信者が二人もやってきた。

 多勢に無勢。しかもマルグリットは人質だ。

 空恐ろしいほど静かな世界に囚われて焦りが募る。

 脱出は? マルグリットはどうする?

 トニーが思考を巡らせていると、振り絞るようにマルグリットが手を伸ばした。

 

「ト、ニー……に、逃げて……!」

 

「足癖が悪いな」

 

「────っ!?」

 

「やめろ、よせ!」

 

 胸を貫くソレを引き抜き、襲撃者の男は同じ刃をもう一つ形成してから、逃れようともがくマルグリットの両足をタラリアごと貫いた。

 靴が砕ける。マルグリットは地面に足を縫い付けられてしまった。

 襲撃者の男がアイコンタクトで指示すると、後からやってきた部下たちがマルグリットのスリング・リングを取り上げる。八方塞がりだ。トニーはただ見ていることしか出来なかった。

 

「落ち着くんだトニー・スターク。我々は敵ではない」

 

「敵ではない? 言語中枢でもヤられてるみたいだな。お前は今、何をしている?」

 

「いたって正常だ。何をしているかって? 猛獣をしつけているんだ……おい、開いてやれ」

 

 男が指示すると、カルト信者の一人がゲートを開いた。

 ゲートの先には気絶して倒れ伏すオバディアがいる。

 トニー自身が幻覚に侵されていないのであれば、現実世界に他ならなかった。

 

「さあ行くといい。我々としても君を巻き込むつもりは無かったんだ。すれ違いとは不毛だろう。無駄な争いをすることもない」

 

「……カルトの妄言はうんざりだ。僕は敬虔な信者なんでね。とりあえず────彼女を返してもらう」

 

 気味の悪い世界に長居する気はない。しかしマルグリットを見捨てるつもりは、それ以上になかった。

 ノーモーションでスーツの胸から放たれたリパルサーレイは、男の不意を突くことに成功する。

 男は捕えていたマルグリットから離れざるを得なかった。その隙に、マルグリットの両脚に突き刺さった刃を両手のリパルサーレイで破壊して、トニーはマルグリットを奪取した。

 

(これは……)

 

「チッ! ゲートを消せ!」

 

 マルグリットが即死していないことから、トニーも薄々は気付いていた。

 まるで時が巻き戻るかのようにマルグリットの胸の穴が塞がっていく。

 ゲートや不可視の刃、そして平衡感覚が狂いそうになるこの世界よりも、マルグリットの存在そのものが不条理だった。

 

「質量はあるみたいだな。姿勢制御も従来通り……おい、起きろよ眠り姫。(やっこ)さん、どうやらサービス精神ってもんが無いらしい。ゲートが消されたぞ」

 

「……吐きそう」

 

「一張羅を汚してくれるなよ。それで、ここはどこなんだ? テーマパークに来たつもりは……ないんだが」

 

 逃げ込もうとしたゲートが消され、現実世界への扉が閉ざされる。

 マルグリットを殺しかけたリーダー格の男が腕を振るうと、建物や大地がその動きに従って蠢いた。

 非現実な光景へと、トニーの軽口も尻すぼみとなっていく。

 視覚が意味を為さない。スーツが演算機能をフルで発揮しても、マルグリットを抱えたままでは逃げ切れそうになかった。

 

「……ミラー次元(ディメンション)。平たく言えば鏡の中の世界かな」

 

「見ればわかる。出るにはどうすればいい」

 

「スリング・リングがあればゲートを開けるけど……」

 

「あの薄汚れたメリケンサックのことか? アイツらから奪えと。いいね、分かりやすい」

 

「でも見ての通り私はもう飛べないし、トニーだって限界でしょ?」

 

「そんなことを言ってる場合か。なんなんだあのイカれ集団は? 君はあの男と知り合いみたいだが反社と関わってたりしないだろうな? これ以上株価を下げるのは勘弁してくれ」

 

「あの男はカエシリウス。私のお師匠様の下で修業をしてたけど、永遠の命を求めて御覧の有様。離反してからずっと私をつけ狙ってるの」

 

「永遠の命か。まさしくカルトだな」

 

「教義もカルトもカエシリウスだけだよ。私は無神論者だもん」

 

「……それはそれで絶対に吹聴するなよ」

 

 穿たれた胸ではなく、浮かび上がった首の断頭痕をさすりながら、マルグリットは苦虫を潰したように吐露する。

 トニーはマルグリットの首に現れた(きず)を見て、次に貫通したはずの胸へと視線を滑らせる。

 カエシリウスによって穿たれた穴は既に塞がっていた。血に染まっていたはずの白ドレスも、何事もなかったかのように真新しい。

 

「ペッパーに言うよ? 胸をジロジロ見られたって」

 

「茶化してる場合か。アイツらが狙ってるのはその力だろ?」

 

「……まあ、そうだけど───」

 

「ご名答。魔術師ではない君ですら理解できるはずだ。()()に常識など通用しない。腕を見たまえ、化け物と呼ぶにふさわしいだろうよ」

 

 カエシリウスは芝居がかったように煽る。

 反論せず、マルグリットは押し黙ることしか出来なかった。

 トニーは言われるがままマルグリットの黒ずんだ腕を見やる。

 あの禍々しい断頭の刃が収められた腕だ。カエシリウスとやらが嬉々として言うように、碌な代物でないことは事実なのだろう。

 

「スターク、君は見たのだろう? ソレは我々の同胞を手にかけてきた。だが一向に彼らの魂はドルマムゥの下へと回帰しない。その理由が分かるか?」

 

「さあな。僕のような敬虔な信徒なら天国へ直行だろうが、お前たちのような人間は残らず地獄行きだろうよ」

 

()()()()()()()()。たどり着いた先が暗黒次元であり、我らが神ドルマムゥなのだ」

 

 自己陶酔めいた語りで、なんとはなしにカエシリウスが不透明の刃を投擲する。

 回避は完全に手動でスーツのアシストは期待できなかった。

 片方の腕でマルグリットを抱えながら飛んでいては反撃もできない。

 手下の二人も蠢く地形を物ともせず、不可視の刃で斬りかかってくる。

 トニーは回避に専念するが、ミラーディメンションを支配するカエシリウスらは自在に空間を操ることが可能だ。

 計算して足場のない空間へ誘い込んだとて、すぐさま地形が変動してしまう。ジリ貧だった。

 

「ここまでだな。残念だよトニー・スターク、君のスーツ(おもちゃ)には少しばかり驚かされたが限界なのだろう? 大人しくその人形を置いていくといい」

 

「ハア……ハア……そうしてやりたいのは山々なんだが、急所を迷いなく狙ってくる連中の言葉を信じるほどお気楽じゃあない」

 

「信じるモノが無い人間は哀れだな」

 

「信じる者は救われるって? ドルなんとかが救ってくれたとしても、お前のために泣いてくれる人なんていないだろ」

 

「……さっさと始末しろ!」

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 カエシリウスについて殊更に語れる思い出なんてない。

 ゼロッツとしてお師匠様から離反した彼らに対して言えるのは、世界のどこにでもある悲劇に過ぎないということだけ。

 気にかけていたらキリがない。絶望の果てに行き着く先が魔術であるのだから、殆どの魔術師は何かしらの挫折を経験している。

 そしてカエシリウスという男は、失った人生の意味を魔術に見出そうとした男だった。

 

(多分、他の手下たちはサンクタムやカマータージを……)

 

 社長に片腕で抱えられながら、お師匠様の気を引く為だけに捨て駒とされた手下たちへ、こんな私でも同情心が芽生えてしまう。

 首魁たるカエシリウスを含めて3人だけで奇襲をかけてきたことから、戦力の大多数をお師匠様へ差し向けているのは明白だ。

 加えて魔術とは縁遠い社長が弱り切っており、私も動揺して意識を逸らしてしまう始末。奇襲をする絶好の機会だと判断したに違いない。というより、この瞬間に勝るチャンスなんて二度と巡ってこないと踏んだのだろう。

 

「うーん、お師匠様に叱られるかな……」

 

 隙を見せたのが悪い。お師匠様に泣き言を漏らしても、そう一蹴されるだけなのは想像に難くなかった。ネット掲示板じゃないんだからさ……少しは手心を加えてほしい。

 そもそもの発端は、カエシリウスらが()()『カリオストロの書』の断片を盗み出したことから始まる。もっと言えば離反したのはお師匠様の……と、(つつ)くだけ藪蛇だから言わないけど。

 

「そのお師匠様とやらは何してるんだ!? いい加減こっちも限界だぞ!」

 

「社長が不必要に煽るからだよ。ああ見えてカエシリウスは饒舌だから時間を稼げたのに」

 

「稼いだところであのケバケバメイク男が───」

 

「……」

 

 と言いかけて、私と社長は揃ってカエシリウスから視線を逸らした。

 饒舌どころか能面のように無表情でも殺意だけはヒシヒシと感じる。もうカエシリウスが無駄口を叩くことがないのは確かなようだ。

 

「おい、あれのどこが饒舌だって? 君の眼は相変わらず節穴か!? またしょうもない冗談を言ったら落とすからな! つまらないジョークは大嫌いなんだ」

 

 やれやれ系女子になった覚えはないけど、殺意を秘めたカエシリウスからガン逃げする社長は少し情けない。

 カエシリウスの地雷を踏み抜いて、煽りに煽りまくっていたメンタルはどこに消え去ったのかな。いつものようにブーメラン発言をする社長に流石の私も呆れてしまう。

 

「でも社長の冗談だってセンスが────」

 

「……」

 

「待って待って!? ごめんなさい! 社長まで無言にならないで!?」

 

 今度は社長が無言になる。アイアンマスクの奥ではこのままミラー次元に取り残そうか一瞬だけ迷っていたに違いない。

 レスバに負けたからって、こんなか弱い美少女に酷い仕打ちをよく思いつくものだ。

 まあでも、ミラー次元に取り残されていた方が良かったというのも本音。

 不意を突かれたとはいえあの程度で死にはしないし、カエシリウスが余裕ぶって社長だけ元の世界に帰そうとするのも都合が良かった。

 だからむざむざと命を狙われる可哀そうな女の子を()()()()()けど……社長はどこまでも社長だから、私を見過ごすなんて出来るはずもない。

 それが悲しくもあり、嬉しくもあった。

 

「……社長ごめんね」

 

「今更だろ。君自身が厄ネタなのは分かりきっていたさ。だがまあ……退屈はしそうにない。自伝の肩書が増えそうだ」

 

「ふふっ。なんて書くの?」

 

「天才、金持ち、プレイボーイ。それから……」

 

 言いかけて、目前にまで迫った透明の刃を旋回して避ける。

 けれど完全には避け切れず、スーツの装甲を突破して社長の肩から血潮が噴き出した。

 私を抱える腕が震える。社長は必死に拳を握りしめて堪えようとするも耐えきれそうにない。

 

「グッ……参ったな。男に追われる趣味は無いぞ」

 

「ねえ()()()

 

「何も言わずにしがみつけ。流石にお喋りする余裕は」

 

「私を、信じて」

 

「なにを───」

 

 負担が掛からないように、私は社長の腕から滑り落ちる。

 刹那、何が起きたのか理解できないように呆けた声を漏らし、瞬きの後には必死に私へと手を伸ばす社長の姿があった。

 顔を覆うマスクの向こうでどんな表情をしているのだろう。戸惑っているのかな。悲しんでいるのかな。今まで庇ってくれたのに、いきなり私から突き放したことへ怒りを浮かべているのかもしれない。だとしたら少し、少しだけ私も悲しくなる。

 

「奴を捕らえろ!」

 

 カエシリウスと、その手下二人が社長に目もくれず私を追ってくる。それでいい。

 ちょうど社長の右手のリパルサーが、肩を斬りつけられたことで機能不全に陥り近くの建物に不時着したのが見えた。我ながらナイスタイミングだと思う反面、スーツの不調を厭わず飛び込んできそうな社長には敵わないと思ってしまう。

 

(……ああ、そっか。だから自信満々に不意打ちしてきたんだ)

 

 カエシリウスがニヤリと笑った。その目線を追って首だけ背後に回してみると、どこまでも続くミラー・ディメンションの深淵から巨大な『影』が這い上がってくる。

 巨大、あまりに巨大だ。決死の覚悟で飛び込もうとした社長でさえたじろぐほどの、ミラー・ディメンションを覆いつくさんとする途轍もない大きさの影。

 初めて見る。けれど私は、それを()()()()()()()

 私のギロチンと同様に数多の魂を取り込んだ悍ましい魔術。カエシリウスが支配するミラー・ディメンションではより力を増しており、私でさえ無抵抗に触れれば容易く搦め捕られてしまうに違いない。

 

(食人影(ナハツェーラー)……)

 

 『カリオストロの書』の断片に記されていたのか。もしくは略奪してきたレリックの中に食人影を使役するものでもあったのか。真相は分からない。分かったとしても詮無きことで、私がすべきことは何一つ変わらない。

 このまま落下していけば食人影に飲みこまれる。レリックを破壊されて空を飛べない私は成すすべもない。社長だってリパルサーが故障しかけており最低限の飛行さえ出来るか怪しい。

 なりふり構ってはいられなかった。瞼を閉じて想起する。食人影やカエシリウスだけでなく、このミラーディメンションをも根底から覆すための、私に残された唯一にして最大の奇跡を。

 

「『創造』────」

 

 今までとは違う。自分がどうありたいかよりも、世界にこうあってほしいと望むようになったのはトニーに出会ってから。けれど主体から客体へ変容したとしても、私の渇望は生まれた時からずっと同じ。

 何も変わらないでほしい。永遠にこの幸せが続いてほしい。傲慢だと後指を指されても、この幸せな日常を誰にも奪わせたくない。そう願ってしまったから。

 

「────涅槃寂静・終曲(アインファウスト•フィナーレ)!」

 

 私は多元宇宙の誰よりも、欲深な幸せ者でありたい。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 影の触手がマルグリットを飲み込んだ。

 信じろだなんて軽々しく言うな────トニーは拳を握りしめた。

 巨大な影に飲み込まれていくマルグリットを見過ごすことしかできない。

 何を根拠に信じればいいのか、それすら分からないまま。

 そしてマルグリットの全身が食人影に呑まれかけた時、

 

「────涅槃寂静・終曲(アインファウスト•フィナーレ)!」

 

 幾つもの剣閃が、ミラーディメンションを支配する食人影をズタズタに切り裂いた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 それを剣筋というには語弊がある。

 ヘルメスの靴を失ったマルグリットの背中には、今まで腕にあったギロチンの刃のような形状をした翼が三対となって備わっていた。

 それが自在に伸縮し、襲い掛かってくる食人影を問答無用で切り裂いていく。

 ギロチンの刃の翼自体に浮遊の作用があるのだろう。今まで力を抑え込んでいた楔を取り払い、マルグリットの本懐がここに顕現した。

 ミラーディメンションが軋んでいる。マルグリットの再誕とともに食人影は散り散りとなって、覇道の性質がミラーディメンションを破らんと猛り狂っていた。

 

「くぅっ……潮時か」

「待て!」

 

 トニーの静止は間に合わず、カエシリウスがゲートを開いてミラーディメンションを去っていく。

 そして渾沌の中心にいるマルグリットは────ゼロッツの二人の首を、そのギロチンの翼で切り落としていた。

 

「Aah……あーあー。ケホケホ、背中がスースーする」

「マリィ、なのか?」

「うん。これが私の本当の姿。幻滅した? まるで蜘蛛の化け物みたいだよね」

 

 首を断ち切った翼をギチギチとならしながら、マルグリットは儚げに苦笑した。

 白磁の肌は墨色に染まり、金糸を織り込んだようなブロンド髪は、燃えるような赫色に染まっている。

 ギロチンの刃と一体と化した翼は、まるで蜘蛛の足のよう。そこから滴り落ちる血の一滴は、カエリシウスが見放した部下たちのものであった。

 

「……もういい。無理をするな」

「うん、わかった」

 

 近くの建物に着地して、マルグリットは創造を解いた。途端に普段の姿へと戻る。

 次いで、首を断ったカエシリウスの部下からスリングリングを奪い、ゲートを開いて見せた。その先には未だ倒れ伏すオバディアの姿があった。

 

「全く、長い一日だった。これじゃ自伝がファンタジー小説になりかねないな」

「私は好き。自慢話よりもロマンがあるもの」

「おいおい、僕の人生は掛け値なしの浪漫ばかりじゃないか。ほら、とっとと帰ってディナーにしよう今日は特別に───」

 

 そう言いかけて二人がゲートを跨いだ瞬間、

 

「さて、この状況を洗いざらい話してもらおうか」

 

 コールソンが、有無を言わせぬ威を発しながらエージェントたちで私達二人を包囲していた。

 

 

 

・・・

・・

 

 

 

『私がアイアンマンだ』

 

 わーお、とんだ特ダネだ。

 と同時に、会見場で頭を抱えるコールソンの痛快な一面も見ることが出来た。

 オバディアとの争いはさしものコールソンたちでも完璧に隠ぺいは出来ず、こうしてトニー・スターク自らが記者会見に臨んだわけだが……まあ、オバディアが生きている以上、私からすれば既定路線だったと思う。

 オバディアの処遇はコールソン達に任せ、私とトニーは洗いざらい……それはもう何が起きたのか丸裸にされるまで懇切丁寧に解説したのだが、私という存在と魔術に関しては完全にアンタッチャブルとなっている。

 それもそうだろう。社長が鉄の着ぐるみで戦っているのに、私はギロチンと魔法でグロテスクな殺戮を行った……なんて世間に公表できるわけもなく、証拠だってない。

 結果、私は今まで通りスタークインダストリーの社内ニートのまま。一応の名目は社長の護衛だけど、傍から見れば親戚とでも思われているかもしれない。

 

「ペッパー、これからどうするの」

「もう、私が知りたいわよ。トニーったら本当に……」

 

 そう呟きながらも、ペッパーの口元は微かにほころんでいた。

 

「ハッピーは?」

「今にも倒れそう」

「コールソンもだけどね。トニーは結局、ヒーローになっちゃったなあ」

「……何か含みがあるわね」

「いつもなら『柄じゃない』とか言いそうじゃない? この前は女のケツ、今はペッパーのお尻を追っかけたほうがマシって言いそうだし」

「ちょっとはしたないわよ。もう、貴女はイメージで売ってるんだからそういうのはよしてちょうだい」

「は~い……ちなみにローディは?」

「どうにでもなれって投げやりになってるわね」

 

 まさにカオス。トニー自身のマイペースも相まって、記者会見は混迷を極めていった。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

「久しぶりですね、というべきか。よくも顔を出せたと言うべきでしょうか。カリオストロ、いやアガモットと呼びましょうか? そうすれば傲慢さを自覚できるでしょう」

「エンシェント・ワン。今の私はただの観客だよ。台本はなく、全ては水銀の蛇ではなく()()()()ツァラトゥストラが演じた歌劇さ。君の指導は適確だった、ああもインフィニティストーンを自在に操れるようになるとは」

「やはり、彼女の根源にはインフィニティストーンを……」

「マルチバースは広くとも、知覚する手段はいくらでもある。ああ、だが、やはりこの目で見ることは別格だ」

「貴方が何を企もうが、この世界の均衡が崩れることはないでしょう」

「ふむ。私の遺した目で見た未来を、この私に説くのかね」

「見たのは未来だけではありません。彼女もまた、人形のままではないということです」

「……ほう。では期待しておこう。君が記したリブレットを、果たしてツァラトゥストラ本人が気に入るのか見ものだよ」

*1
魔術師



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。