ヘルマプロディートスの恋 (鏡秋雪)
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第1話 はじまりの街 はじまりの時【コートニー1】

 二〇二二年一一月六日の一三時はもうすぐだ。僕はナーヴギアをすっぽりとかぶってベッドに横たわった。

「リンクスタート」

 僕がボイスコマンドを呟くと視界が切り替わり、シンプルなデスクトップが浮かび上がった。

 自己診断のウィンドウが次々と開いて視界の右へ流れていく。認証コードを入力するとキャラクター登録のウィンドウが開いた。

『βテスト時に登録したデータが残っていますが、使用しますか?』

 僕は『YES』を選ぼうとしたが、思いとどまった。

(容姿をベータの時と変えてみるのもいいかも知れない)

 僕は『NO』を選んで、ベータテストの時と同じ名前を入力。性別も前回と同じ女性を選択した。

 男性の僕が女性キャラを使うのは、やはり女性に興味があるからだろう。ゲームの中で鏡を見る時に現れる自分の姿が可愛いと思う。他人をじろじろそのような目で見るのは犯罪だが、自分の姿……というより自分のアバターをじろじろ見るなら誰も咎めないだろう。……こんな考えをする僕は異常なのだろうか?

『Courtney(F)』

 キャラクターネームと性別の確認ダイアログにOKを出し、次はアバターの選択画面になった。

 ソードアート・オンラインのキャラメイキングは再現できない顔はないと言われている。輪郭、髪型体格などのパーツはそれぞれ五十パターン以上が用意されている。一からひとつひとつ顔パーツを選んでいくのはさすがに煩雑なので、テンプレートが百ほど用意されており、それをベースに変更できる。

 ベータテストの時は幼女キャラでやっていたが、現実世界の身体と違いすぎてログインしてからアバターの感覚に慣れるまで時間がかかり、よく転んだりオブジェクトにぶつかったりしていた。そこで今回は自分と同じ年齢ぐらい……十五歳の身長と体格のテンプレートを選んでそこから微調整していった。

 背中まで伸びた黒い髪。やや大きめの茶色の瞳。やや低い鼻。小さい唇。

 僕は次々と顔パーツを選んで純日本人風の姿を作り上げた。なんとなく儚げにみえる表情が萌えだ。

 ソードアート・オンラインもこれまでのゲームと同じように西洋風の容貌のキャラが多い。こういう日本人風の顔はなかなか見かけない。こういうキャラメイキングもいいだろう。コートニーという名前で日本人顔というギャップも面白いだろう。

 キャラクターメイキングを終えると、目の前の風景が中世風の石畳と建物に変わった。≪はじまりの街≫の中央広場だ。そこはすでに多くの人々であふれていた。

 ベータテストの時には二カ月で五層までしか行けなかった。今度はスタートダッシュを決めよう。

 僕は走り出した。まず、道具屋で初期装備を売り、初期資金をつぎ込んで槍とスリングと革鎧、そして少々の回復ポーションを購入した。

 レベル1のスキルスロットは二つしかない。僕は≪投擲≫と≪索敵≫の二つのスキルを選んだ。これで、準備完了。早速、スリングを装備して狩場に走って向かう。

「おーい。そこの美少女ちゃあん!」

 途中、額にバンダナをした赤髪の男に声をかけられたが、その脇を無視して駆け抜ける。

 僕が急ぐのには理由がある。ベータテストで出会ったフレンドと今日の夕方六時に再会する約束をしていて、その時にレベル2になって驚かせてやろうと思っているのだ。そのために一秒のロスも惜しい。何人かに声をかけられたが、僕はことごとくそれらを無視してはじまりの街から飛び出した。

 

 僕が選んだ狩場は始まりの街から少し離れた草原に湧くティンバーウルフ(通称、青オオカミ)だ。

最適レベル帯はレベル2から3だが、それだけに経験値と金がうまい。

 見晴らしのよい草原に青オオカミがポップした。青オオカミはこちらに気づいていない。これが索敵スキルの利点だ。このスキルを持っていなければ青オオカミは僕のもっと近くで湧いてすぐに攻撃してきただろう。

 僕は手ごろな石を拾い、スリングにセットして身体側面でぐるぐると回す。いわゆるアンダースローだ。投擲スキルは癖があるスキルで命中率が高くないが、威力が高くクリティカル率も比較的に高い。スキルが上がってくれば弱点である命中率もそれなりに改善される。まあ、『それなり』なのだが。

 魔法が存在しないソードアート・オンラインでは遠距離攻撃の手段は投擲と弓の二つしかない。だが、これらを選ぶプレーヤーは少ない。理由は攻撃手数の少なさだ。例えば、剣で十回殴る間にスリングによる投擲は五回いければいい方だろう。弓にいたってはそれ以下だ。それに細かい所で妙にリアルなソードアート・オンラインは投げた武器や矢が自動的にプレイヤーまで戻ってこない。槍を投げたら拾いにいかなければ再び使えないし、矢は失われることが多いのでコストパフォーマンスが良くない。このため、存在はするもののこれらの武器を選ぶ者はよっぽどの天邪鬼しかいない。ゲームタイトルを考えればこのバランスは仕方がないのかもしれない。

 青オオカミが咆哮を上げるとカーソルが黄色から赤に変わった。そして、猛烈なスピードでこちらに駆け寄ってくる。

 スリングの回転が早くなっていき、青色に輝き始めた。投擲スキルが立ち上がった証拠だ。僕はじわりじわりと青オオカミに近づいた。投擲スキルが上がればもっと飛距離が出て向こうが気づく前に先制攻撃ができるのだが、スキル値ゼロでは仕方がない。こちらに気付いて唸り声をあげながら走ってくる青オオカミに狙いをつけスリングから石を放った。

 青い流星のようなエフェクトをまといながら石はまっすぐに青オオカミの額に命中した。

 ≪Critical hit!≫と小さい表示が現れて青オオカミに吸い込まれていく。一瞬のうちに青オオカミのヒットポイントバーが減り、青オオカミの体がガラス細工のように爆散した。

 目の前に獲得した経験値と金が表示された。初勝利だ。思った通り、はじまりの街周辺の野ブタを狩るより経験値も金もおいしい。ここらへんの仕様はベータテストから変更されていないようだ。

「よし!」

 僕はぐっと小さくガッツポーズをしてすぐに次の戦闘に備えて石を拾った。

 

 アインクラッドには時間の設定がある。僕が夢中で戦っているうちに太陽が沈み始め、周りの風景は夕焼け色に染め上げた。

 軽やかなファンファーレが耳元でなった。レベルアップしたのだ。

 時計を確認すると一七時三〇分を示していた。インしてからもう四時間半経っている事になる。投擲スキルが上がって青オオカミの戦闘圏外から先制攻撃できるようになってから狩りの効率は格段に上がった。これで、次の村≪ホルンカ≫に行っても余裕を持って対応できるだろう。

 僕は一つ増えたスキル枠に≪槍≫スキルを設定する。これはスリングによる投擲がミスって距離を詰められた時の保険だ。これで、基本的な僕のスキルビルドはできたことになる。索敵スキルでいち早くモンスターを察知し、投擲スキルで先制攻撃、混戦時は槍スキルで応戦。スキル枠はレベルが上がって行けば徐々に増えていくが、次はスキル上げというマゾい作業が待っている。

 後のスキルビルドはフレンドと相談しながらやって行こう。

 僕は目標達成した満足感に満たされながらはじまりの街に戻ろうと踵を返した。

 その時、ゴーンと低い不気味な鐘の音が響き渡った。

 途端に自分が光に包まれるのを感じた。ついで周りの風景が光の中にとけていく。まるで、転移結晶を使った時のようだ。

(え? なんだ?)

 と思う間に僕は始まりの街の中央広場に戻されていた。

(巻き戻ったのか? 今までのレベルアップの作業が水の泡?)

 僕はげんなりしながら右手の二本の指を縦に払ってメインメニューを呼び出してステータスを確認した。

 レベルは2のまま。巻き戻ったわけではなさそうだ。周りを見渡すと、次々とプレーヤーが転移してきた。途方もない数だ。システム的に全プレーヤーがこの中央広場に集められているようだ。何か、オープニングイベントでも行われるのだろうか?

 ざわめきがどこからともなく広がり始め、そのボリューム高まっていった。

「なんだ! あれ! 上!」

 その声と同時に一斉に中央広場の人たちが顔を上げた。

 第一層の天井の石畳が赤く染まり、どろりと溶け落ちると中央広場の上空に集まって深紅のローブ姿の巨人が現れた。

 そのローブ姿はGMのものだが、顔に当たる部分は闇に覆われており途方もない不気味さを醸し出していた。

「プレーヤー諸君。私の世界へようこそ」

 低く穏やかな声がその巨人から発せられた。「私は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の存在だ」

 いったい、何を言ってるのだろう? わけがわからない。何かのクエストの冒頭部分なのだろうか?

 僕は呆然とその巨人を見上げた。

 茅場と言えばナーヴギアを開発してこのフルダイブMMOという新しい世界を作った人物だ。オープニングイベントに顔を出して、場を盛り上げようというのだろうか?

「プレーヤー諸君はすでにメインメニューからログアウトボタンが消滅している事に気づいていると思う。しかし、これは不具合ではない。本来の仕様である」

 感情がまったく感じられない淡々とした言葉だった。事実をただ単に伝えている。そんな印象だ。

 僕は先ほど呼び出したメインメニューを確認した。確かにログアウトボタンがない。ずっと狩りっぱなしだったから気付かなかった。ログアウトできないなんておかしいだろ。なんというクソゲーだ。

 茅場は言葉を続けた。

「また、外部の人間によるナーヴギアの停止あるいは解除もあり得ない。もし、それが試みられた場合……ナーヴギアの発する高出力マイクロウェーブが諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる」

 高出力マイクロウェーブ? 生命活動の停止? 脳の破壊?

 ぐるぐると単語が頭の中をめぐった。それらがぶつかると『死』という文字が浮かび上がった。まさか、そんな事が……あるわけがない。

「具体的には十分間の外部電源切断。二時間のネットワーク切断。ナーヴギアの分解。これらが行われた場合、脳破壊シークエンスが実行される。この事はすでにマスコミを通じて告知されているが、残念ながらプレイヤーの家族友人などが警告を無視してナーヴギアを外そうとして二百十三名のプレイヤーがアインクラッドおよび現実世界から永久退場している」

 そんな僕の想いを打ち砕くように茅場の言葉が追い打ちをかけた。

「だが、安心してほしい。すでに政府が中心となって二時間の回線切断猶予時間のうちに病院などの施設に移送される計画が立てられたようだ。諸君は心置きなくゲーム攻略に励んでほしい。そして、第百層の最終ボスを倒した時、このゲームは終了し生き残った全員が安全にログアウトされる事を約束しよう。しかし、十分に留意していただきたい。今後、ゲーム内における蘇生手段は存在しない。ヒットポイントがゼロになった時点で諸君のアバターは消滅し……同時に現実世界の諸君の脳はナーヴギアによって破壊される」

 ヒットポイントがゼロになったら本当に死ぬ……。そんなアニメか小説のような事がまさか自分の身に降りかかってこようとは。

 信じられない。でもこれは真実なのだろう。ここまでやっておいて、実は嘘でしたとか言ったら訴訟になりかねない。

「それでは、最後に私からのプレゼントを諸君のアイテムストレージに用意してある。確認してくれたまえ」

 僕は再び右手の二本の指を縦に払ってメインメニューを呼び出して、アイテムストレージを確認した。青オオカミとの戦闘で手に入った≪毛皮≫や≪オオカミの牙≫などの中にそれはあった。

 ≪手鏡≫

 僕は猛烈に嫌な予感がした。こんな事件を引き起こしている茅場からのプレゼントなど何かの罠ではないのか。

 僕は意を決して≪手鏡≫を廃棄した。確認メッセージも読まずに≪OK≫を押した。茅場との接点など何一つ持ちたくなかった。

 そう考えたのは僕だけだったらしく、周りの人々は次々とその手鏡を実体化させて手に取っていた。

 横目に見るとそれは四角いなんの変哲もない鏡のようだった。

「なんだこれ……」

 そんなつぶやきが聞こえた途端、周りの人たちが光に包まれた。

 次々と鏡を持ったプレーヤーたちが光に包まれ、中央広場はまるで太陽が現れたように輝き僕の視界を奪った。

 ほんの二、三秒。光に視界を奪われ、まぶたを開けると周りの雰囲気が一変している事に気づいた。

 美男美女の集まりだったこの中央広場が現実のコミケのコスプレ会場のような状態に変わっていた。男女比率も大きく変わっている。女性に見える人は明らかに少ない。

「うわっ! 俺じゃん!」

「お前、男だったのか!」

 そんな声が聞こえた。

 僕は自分の姿がどうなっているのか分からなかった。かといって、ほかのプレーヤーの鏡を覗き込む勇気はなかった。

「諸君は今、『何故』と思っているだろう。私がなぜ、こんな事をしたのかと。……私の目的はすでに達せられている。私はこの世界を創り出し観賞することが最終目的なのだ。すべては達成せしめられた」

 今まで淡々としていた茅場の言葉が弾んでいるように聞こえた。心からこの状況を喜んでいるのだ。まるで、子供が新しいゲームを与えられて夢中に遊ぶように……。そう、まるでさっきまでソードアート・オンラインを楽しんでいた僕のように……。

「……以上でソードアート・オンライン。正式サービスのチュートリアルを終了する。諸君の健闘を祈る」

 再び、淡々とした口調に戻った茅場はそう言い残すと煙のように消えて行った。

 しばらく、中央広場を静寂が包んだ。

「嫌ぁ!」

 ヒステリックな女性の声が聞こえたのを皮切りに中央広場は怒号に包まれた。

 運営会社のアーガスを罵ったり、いなくなった茅場に向かって抗議の声を上げていた。

 そんなことより僕は自分の姿がどうなっているのかを知りたかった。

 騒然としている中央広場からさっさと出て、NPCの武器屋に転がり込んだ。ここには購入した装備を確認できる姿見があるのだ。

 恐る恐る僕はその鏡を覗き込んだ。

 鏡の向こうからは長い黒髪のか弱い少女が僕を見つめていた。

「よかった……」

 ほっと溜息をついて僕は呟いた。どうやらボイスエフェクトも変更されていないようだ。ちゃんと女性の声に聞こえる。

「商品を見せて?」

 僕は自分の声の確認とNPCからどう見られているか確認するために武器屋の店員に声をかけた。

「お嬢さん。なにか、ご入り用で?」

 にこやかに店員が返事をすると目の前に店で売られている商品が目の前にウィドウ表示された。

 どうやら、システム的にも僕は女性と認識されているようだ。声も女性のものである事がはっきりした。

 改めて僕は胸をなでおろした。

 コートニーなんていう女性名でこの世界で男として生きていくなんて羞恥プレイ以外の何物でもない。

ソードアート・オンラインでどれほどの男性が女性アバターでログインしていたのかは知らないが、今彼らは相当に気まずく感じているだろう。

「やっぱ、いらない」

 僕がそう言うと店員は残念そうな表情になった。

「次は何か買ってよ。お嬢さん!」

 僕は元気に受け応えるNPCに違和感を感じた。

(そうか……このNPCは死なないんだ)

 会話を終えて待機状態になった店員を僕は見つめた。店員はかすかな営業スマイルを浮かべながら店内を巡回している。

 プレーヤーたちが突然デスゲームに叩きこまれ絶望に沈んでいるのとはまったく対照的だった。この光景がまた日常に思える日がまた来るのだろうか?

 僕はふと時計を見た。六時をほんの少し過ぎていた。

「しまった!」

 僕はフレンドとの約束の場所に急いだ。

 

 僕は約束の場所。はじまりの街の南にある井戸に駆け寄った。周りにはNPC以外誰もいない。どうやら、フレンドはまだ来ていないようだ。

 中央広場の方角からまだざわめき声や悲鳴が聞こえた。

 僕のフレンドはSiegridジークリードという男だ。ベータテストで一層の時から一緒に行動し、お互いを『コー』『ジーク』とフランクに呼び合う仲だ。彼は盾持ち片手剣という構成でいわゆるタンクだ。ゆえに僕との戦闘の相性はよかった。

 性格も礼儀正しくてそれでいて冗談も面白いいい奴だ。

 彼なら多少時間に遅れたとしても待っていてくれるだろう。もしかしたら彼の性格からして一日二日待ち続けるかもしれない。

 確か今日は部活の大会があってログインするのが夕方になってしまうと、ベータテスト最後の日に言っていた。あまり、リアルの事を聞くのは失礼なのでそれ以上の事は知らない。

 もしかしたら、大会が長引いてソードアート・オンラインにログインしていないかも知れない。

 もしそうなら、ジークにとってものすごくラッキーな事だろう。こんなデスゲームに参加せずに日常の生活を送れるのならそれ以上の幸せはない。

 でも、もしこの世界に囚われてしまっているなら、彼と一緒に行動する事で生存率は格段に上がるだろう。できればログインしていてほしい……これは僕のエゴか……。

 僕は井戸の近くのベンチに座って空を見上げた。リアルの世界では星空が広がる所だが、ここでは第二層の床しか見えない。

 ジークがログインしていて欲しい、でも彼自身の事を考えるとログインしていない方がいい。そんな相反する思いが僕の中でぐるぐるとめぐった。

「コー?」

 僕の背後から男の声がした。こんな呼び方をしてくれるのは一人しかいない。

「ジーク?」

 僕はほっとしながら声がした方向に振り向いてその姿を見た。

 やはりベータテストの時と姿がまったく違う。ベータテストの時はムキムキマッチョ体型だった彼はひょろりとした身長一七〇センチぐらいの短い黒髪の特徴がないテンプレートのような顔になっていた。茅場の手鏡によって元の姿に戻されてしまったのだ。

「よかった!」

 僕は立ち上がってジークに駆け寄った。「いや、よくないのか……」

 僕の言葉にジークは表情をこわばらせた。

 言葉足らずだ。僕はよく考えずに言葉にして相手を傷つけてしまう。

「ちょっと待って! 言葉を整理するから!」

 僕はしっかり言葉を頭で作る時間を作るために思わず叫んでしまった。

「大丈夫。待ってるよ」

 ジークは優しく僕に微笑んだ。ジークはまったく変わっていない。まったくいい奴だ。

「えっと。また会えて良かった。こんな時に一緒にいられるのはとても心強いよ」

 僕はそこで息を一つ吸った。「でも、ログインに間に合っちゃったんだね。大会で遅れるって言ってたから……。ログインしなければこんな事に巻き込まれなかったのに、アンラッキーだね」

「そうだね。こんな事になるならログインしなきゃよかったよ。今日はツイてないことばっかで、やっと、ログインしたらあの茅場のチュートリアルだよ。ホントもう最悪」

 ジークはため息をついた。「でも、コーと一緒なら何とか生きていける気がする。こんな世界でも」

「うん」

 僕は小さく頷いた。「とりあえず、フレンド登録しよう!」

「そうだね」

 ジークは頷いてメインメニューを操作して、僕にフレンド登録を依頼してきた。もちろんOK。

「これからよろしく」

 僕は微笑んで敬礼した。ベータテストの時はよくこうやったものだ。

「こちらこそ」

 ジークは微笑みながら頭を下げた。

「ねー聞いて。僕。一三時からずっとログインしてレベル2まで上げたんだよ」

「すごい! さすがだね」

「生き残るために一緒に強くなろ? だから次の村のホルンカに行こ」

「助けを待ってもいいんじゃないかな?」

 僕の言葉に半秒ほど考えた後、ジークはそう言って、さっきまで僕が座っていたベンチに腰かけた。「こんなことがずっと続くはずがないよ。警察が動けはきっと私たちは解放されるんじゃないかな?」

「解放されなかったら?」

「え?」

「ううん。もし、何カ月もかかったとしたら? ずっとはじまりの街で寝て暮らすの? 所持金が尽きちゃうよ。僕はそんなのは嫌だ」

「でも、死んじゃうんだよ? 死んだら終わりじゃない!」

「死なない! そりゃ、いきなりボスに向かって行ったら死んじゃうよ。だけど、強くなれば死ににくくなる。どんどん死ににくくなる。無謀な事をしなければ大丈夫だよ」

「でも。危険な事には違いないよ」

「ジーク。リアルでも同じじゃない。火事になって死ぬかも知れないけれど、僕たちはガスを毎日使っている。電車事故で死ぬかも知れないけど、通学で電車に乗ってる。確率が低いけれどそこには死があるんだよ? しっかり、管理すれば大丈夫。僕たち二人ならこの世界だって十分生きていけるよ」

「……」

 ジークは黙り込んでしまった。怒らせてしまったかも知れない。僕は後悔した。

「ごめん」

 僕はどうしていいか分からなくなってジークから離れた場所に座った。

「ううん」

 ジークは大きく息を吐くと立ち上がった。「よし行こう! ホルンカに」

「え?」

「だけど、私はまだレベル1だからコーの足を引っ張っちゃうけど、すぐに追いついてコーを守れるようになるよ」

「あ、ありがとう」

 その言葉に何故だか僕は胸を締め付けられた。ジークは僕を女の子だと思っている。だから、こんな風に守ると言ってくれたのだろう。もし、僕が手鏡で男の姿になっていたら……。きっと僕たちは違う結論になっていただろう。

「そう言えば、初めて会ったのはベータテストのホルンカだったね」

 そんな僕の思いを知らないジークは優しい笑顔で僕に語りかけた。

「そうだったね」

 僕は少し罪の意識に駆られて俯いた。

「早速、行こう!」

 ジークは勢いよく近づいてきて僕に言った。

「え?」

「ホルンカに行くんでしょ? 走って行けば九時にはつくんじゃない?」

 ジークは笑いながら、井戸の周りを走り回った。「ダッシュ! ダッシュ!」

「うん」

 僕は心の整理がつかないまま、立ち上がった。

「出発!」

 ジークが走り始めた。

 あ……そっちは……。

「ジーク! そっち逆方向!」

「え?」

 ジークは腑抜けた表情になった。

 僕はそれがおかしくて文字通り腹を抱えて笑った。こんなに笑ったのはリアルを含めても久しぶりだった。

 

 ホルンカに到着した時には夜九時半を過ぎていた。途中、危険な湧きエリアを回避したために遠回りになったが、無事に到着することができた。

「どうする? 早速、狩りする?」

 僕がジークにそう尋ねると彼は首を振った。

「いや、今日の私、本当にツイてないんだ。朝の占いでも最下位だったし。大会でミスしちゃうし」

「このゲームにログインしちゃうし」

 と、僕が混ぜ返す。

「うんうん」

 苦い表情でジークは舌を出した。「だから明日にしよう。明るい方がやりやすいだろうし」

 ホルンカは小さい村だが、ちゃんとガード圏内で安全だ。

 野宿しても大丈夫だと思ったが、僕たちは念のため宿に泊まる事にした。

「今日は僕のおごりね」

 僕はそうジークに言って、宿屋の主人に話しかけて部屋を取った。

 いつものようにシングル部屋をとって五十コルを支払った。青イノシシ十匹分の料金だ。最初のうちは結構厳しい出費だが安全のためなら仕方がない。

 二人で部屋に入って、ほっと溜息をついた。

 後から入ってきたジークの表情が固まった。

 なんでだろうと少し考えて、僕も固まった。

「あ……」

 いつもの癖でシングル部屋を取ってしまった。いつもなら、ここで二人ともログアウト。アバターが消えるまでの一定時間の安全をこの部屋が守ってくれる仕組みなのだ。

 けれど、今、僕たちはログアウトできない。つまり、ずっとここで二人で過ごすのだ。

「別の部屋取ってくるよ」

 ジークは踵を返して扉を開けた。

「待って!」

「でも……」

 五十コルと言えば回復ポーション二本分、解毒ポーションなら一本買う事が出来る金額だ。序盤でこのポーションがあるかないかで生死を分ける場合があるかもしれない。それをここで使うのは合理的じゃない。

 それに圏内でプレーヤーが他のプレーヤーを襲うのは不可能だ。もし、仮にジークが変な気を起こして僕に襲いかかってきたとしても、ハラスメントコードを発動させて強制的に引き離すことができる。

「もったいないよ。万が一の事があっても、ハラスメントでバンできるし……」

 僕は部屋から出て行こうとしたジークの手を掴んで引き留めた。バンと言ってもアカウント削除の意味ではなく文字通りバンという音と共に引き離されることからきている言葉だ。「それに、僕はジークを信じているよ」

 僕はジークの性格からしてそんな事にはならないと信じた。

 彼は超がつくほどの紳士だ。ベータテストの時に他のプレーヤーのシモネタにも乗っからずに無視していた。それでも話しかけてこられると『そういう話は苦手だからやめてくれないか』とはっきり言っていた。

「コー……。ありがとう。信じてくれて」

「あ、でも、明日はツインの部屋にしよ。二人で寝るにはベッドが狭いから」

「私は床で寝るよ」

「駄目。しっかり疲れを取らなきゃ」

 僕はジークをベットに座らせた。「明日、思いっきり狩りしてレベル5を目指そうね」

「5は無理でしょ」

 ジークは私の冗談に苦笑を浮かべた。

「でも、一日やり続けるなんてすごくラッキーじゃない? 本当なら明日は月曜日で学校だよ?」

 本当は目覚めたら自分の部屋であってほしい。ヒットポイントがゼロになったら死んでしまうこの状況をゲームとして楽しむことなんてできない。

「そうだね。コーは前向きだな」

「今のは突っ込むところだよ」

 僕はジークを座らせたベッドの反対側に移動した。

「そうなのか」

「あっちむいて。着替えるから」

「ごめん」

 ジークがあわてて視線を逸らした。

 アイテムを選ぶだけで着替えは一瞬だ。けれど、その一瞬に下着姿になる。ジークに余計な刺激を与えない方がいいだろう。まあ、十分与えすぎている気もするが。

 革鎧姿から初期装備の何も飾りがない白のワンピースに着替えると僕はベットに潜りこんだ。

「おやすみ。一応言っておくけど、襲ってきたら殺すからね」

 と、冗談で釘を刺しておいて、僕はジークと反対側に寝返りをうった。

「はいはい。殺されないようにするよ」

 ジークのクスリという笑い声を聴きながら、僕は目を閉じた。今日はいろんなことがありすぎた。目を閉じた暗闇にいざなわれて僕はすぐに眠りに落ちた。

 今日がすべて笑い話になればいいなと思いながら。




なんだよ。ツマンネーヨ!
そんな言葉が聞こえてきそうです。
いや、次から面白くなりますよ。多分。

それはともかくソードアート・オンライン。面白いですね。私は不幸にしてweb版を全く知りません。文庫の1巻を初めて読んだ時、ぜったいアニメ化すれば売れるのになんでやらないの! と思っておりました。個人的にはアクセルワールドより好きでした。 過去形になってしまったのはアクセルワールドも面白くなってしまったからです。
両方大好きです。

川原礫先生の話は王道ですが、最後まで飽きさせない話の持っていきかたがすごいと思っています。どんでん返しで何度エーって思ったことか。

今回のお話はアニメのソードアート・オンライン第1話を見て思いついたものです。
原作を読んでいましたが、アニメとして映像として、手鏡を渡されて元の姿に戻っちゃうシーンは衝撃です。
ニコニコ動画では≪茅場「姫プレイは許さん!」≫という書き込みを見て苦笑したものです。
もし、ここで元の姿に戻らなかったら? そういうコンセプトで今回のお話はできています。
いえ、わかってますよ。手鏡のせいで元の姿に戻ったわけじゃなくって、元の姿に戻った事を手鏡によってプレーヤーに自覚させていたってことは。
ifとしてこのお話を楽しんでいただければ幸いです。


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第2話 最悪の日 ささやかな幸せ【ジークリード1】

 本当に今日はツイてない。思えば朝の占いでも最下位だった。

 バスケットの大会ではシュートがことごとくリングに嫌われてしまったし。

 その大会でシュートを打たずにパスをしたのがカットされ結果的に決勝点を相手に献上してしまったし。

 ソードアート・オンラインにログインする時に間違えてベータテストのデータを消してしまったし。おかげでアバターづくりに時間がかかってしまったし。六時にベータテストで出会ったフレンドと約束して焦っていた私はベータテストの時とだいぶ違うアバターの状態で登録してしまったし。

 ようやくログインしてみたら、不気味なGM姿の茅場がソードアート・オンラインはログアウトできない仕様であり、ヒットポイントがゼロになるとリアルの身体も死んでしまうと宣言をしているし。

 茅場のプレゼントの≪手鏡≫はたった今間違えて廃棄してしまうし。

 本当にダメダメだ。

 私がうなだれた時、茅場の手鏡を手にしていた回りのプレーヤーたちが光に包まれた。ざわめきと叫び声が響き、まぶしくて周りが見えない。まるで深夜寝ている時に明かりをつけられたように視界を白く奪われた。

 それが収まった時、周りの景色が……いや、プレーヤーたちの姿ががらりと変わっていた。みんな美男美女のヨーロッパ系の顔立ちだったのに、今はアジア系、いや日本人の顔になっていた。中には明らかに男なのに女性装備を身に着けている者もいる。

「これ、俺じゃんか!」

「お前、十七って嘘かよ!」

 そんな絶叫が聞こえた。

 もしかすると、みんな性別も含めリアルの姿になっているのか。

 ひょっとして私も?

 私は頭の後ろに手を伸ばした。リアルの私は長い髪だ。だが、そこには長い髪はなかった。視線を落として自分の胸元を見る。ぺったんこだ。これもリアルと違う。

 私はどうなっているのだろう?

 そう考え始めると、もう茅場の言葉は頭に入ってこなかった。

 私は中央広場を出ようとしたが見えない壁に阻まれた。

 一心不乱に私はその見えない壁を叩いた。

「どうなってるの?」

 自分の声が耳に届いた。男性の声だ。私は設定したアバターのままなのだろうか?

 茅場が消えると同時に見えない壁はなくなり、私は洋服屋に走った。確かあそこには姿見があったはずだ。

 途中、建物の窓に自分の姿が写っている事に気が付いた。

 私は足を止めて窓に近づいた。

 右頬をさわる。

 窓の中の男子は戸惑った表情で左頬をさわった。

 もう一方の手で左頬をさわる。

 窓の中の男子は右頬をさわった。

 間違いない。私は設定したアバターのままだ。

 手鏡を捨ててしまったために私は元の姿のままなのだろう。

 私はほっとした。正直なところ、私は自分が大嫌いだ。大きすぎる眼も、ちょっとバランスが悪い鼻や口も大きすぎる身長も。違う自分になりたくてこのゲームを始めたのだ。それなのに、自分に戻されたりしたらショックで何もする気……今日会うフレンドとも会う気もなくなるところだった。

 男性のアバターのままなのは私にとって好都合だ。以前の別ゲームでは女性アバターで遊んでいたのだが、色々と声をかけられて嫌な思いをしたものだ。

 もし、茅場が言うようにしばらくこの世界から抜け出せないのなら、そういったわずらわしさから解放されることになる。これは大歓迎だ。

 しばらく、私は窓に映る自分を見つめた。

 そう、これが今の私。私はSiegridジークリード。

 私は自分に暗示をかけるように何度も窓の自分に語りかけた。

「あ」

 私は視界の隅に表示されている時計を見た。すでに約束の六時から二分過ぎている。「やばい!」

 私のフレンドはCourtneyコートニー。可愛い小学生ぐらいの女の子だ。そんな小さい女の子だが私は何度もベータテストで助けられた。彼女は投擲スキルというソードアート・オンラインでは見向きもされないスキルを使っている。私はいわゆるタンク。盾と片手剣の重武装で戦うのできっちりとすみわけができて、パーティーを組んでも心地よかった。彼女は頭の切り替えが早く、いろんな戦い方を思いつく子だ。

 私は彼女を『コー』と呼び、彼女は私を『ジーク』と呼んでくれる。ベータテスト終了時、再会を約束してログアウトした時は別れがつらくて涙がしばらく止まらなかった。

 約束の時間を十分も遅れたら、短気な彼女はすぐにいなくなってしまうかも知れない。この世界で一番のフレンドと出会えなくなったらと思うと胸が締め付けられる。

 私は約束の井戸へ向かって力の限り走った。

 

 井戸の近くのベンチに天井をぼーっと見上げている女の子が座っていた。カーソル表示からしてNPCじゃない。でも、コーは小学生ぐらいだったはず……。座っている少女は私と同じぐらいの年齢に見えた。

 私はゆっくりと近づきながら考えた。

(あ、そうか、他の人たちはリアルの姿になっちゃったんだ)

 私のようにプレゼントの手鏡を間違えて捨ててしまう人間なんて他にいないだろう。

「コー?」

 と、私は意を決して声をかけた。

「ジーク?」

 私の声にビクンと反応して、コーは振り向いた。見る見るうちに彼女の表情が笑顔に変わった。

「よかった!」

 コーは立ち上がって私に駆け寄った。しかし、すぐに表情を曇らせた。「いや、良くないのか」

「え?」

 コーは何が言いたいのだろう?

「ちょっと待って! 言葉を整理するから!」

「大丈夫。待ってるよ」

 思わず、私は微笑んだ。コーは頭の回転が速すぎるのだ。だから、言葉がついてこない。

 待っている間、私はコーを見つめた。

  コーの身長は一六〇センチぐらいだろうか。私のアバターは身長一七〇センチ。これはほぼリアルの私と同じだ。コーは女性としては身長が高い方だ。私と同じバスケットやバレーボールをやっているかも知れない。

 長い黒髪は私より少し長い。ベータテストの時は活発な小学生のような容姿だったのに、今は逆に儚げな雰囲気を醸し出している。私と違って可愛らしい顔立ちは男たちが放っておかないだろう。この子はちゃんと私が守らなきゃ! そんな思いが私の心にあふれた。

「えっと。また会えて良かった。こんな時に一緒にいられるのはとても心強いよ」

 コーは整理がついたのかしゃべり始めて、そこで息を一つ吸った。「でも、ログインに間に合っちゃったんだね。大会で遅れるって言ってたから……。ログインしなければこんな事に巻き込まれなかったのに、アンラッキーだね」

「そうだね。こんな事になるならログインしなきゃよかったよ。今日はツイてないことばっかで、やっとログインしたらあの茅場のチュートリアルだよ。ホント、もう最悪」

 私は今日あった色々な出来事を思い浮かべてため息をついた。「でも、コーと一緒なら何とか生きていける気がする。こんな世界でも」

「うん」

 コーは私の言葉に小さく頷いた。「とりあえず、フレンド登録しよう!」

「そうだね」

 私は頷いて右手を縦に振ってメインメニューを呼び出して、コーにフレンド登録を依頼した。すぐにOKの返事がありめでたく私たちはフレンド第一号になった。

「これからよろしく」

 コーは敬礼した。その仕草一つ一つがとても可愛らしい。

「こちらこそ」

 私は微笑みながら頭を下げた。

「ねー聞いて。僕。一三時からずっとログインしてレベル2まで上げたんだよ」

「すごい! さすがだね」

「生き残るために一緒に強くなろ? だから次の村のホルンカに行こ」

「助けを待ってもいいんじゃないかな?」

 私はコーの提案を半秒ほど考えた後、そう答えてさっきまでコーが座っていたベンチに腰かけた。「こんなことがずっと続くはずがないよ。警察が動けはきっと私たちは解放されるんじゃないかな?」

 何しろ命がかかっているのだ。警察だってこの状況をずっと放置はしないだろう。一万人も閉じ込められているのだ。この事件を解決できなかったら面目丸つぶれだ。

 ここは助けを待つのが一番安全だ。私は自分が死ぬのはもちろん、コーが死ぬところなんて見たくはなかった。

「解放されなかったら?」

「え?」

 ぽつりと言ったコーの言葉を聞き返そうとした途端、マシンガンのようにコーが早口で続けた。

「ううん。もし、何カ月もかかったとしたら? ずっとはじまりの街で寝て暮らすの? 所持金が尽きちゃうよ。僕はそんなのは嫌だ」

「でも、死んじゃうんだよ? 死んだら終わりじゃない!」

「死なない! そりゃ、いきなりボスに向かって行ったら死んじゃうよ。だけど、強くなれば死ににくくなる。どんどん死ににくくなる。無謀な事をしなければ大丈夫だよ」

「でも。危険な事には違いないよ」

「ジーク。リアルでも同じじゃない。火事になって死ぬかも知れないけれど、僕たちはガスを毎日使っている。電車事故で死ぬかも知れないけど、通学で電車に乗ってる。確率が低いけれどそこには死があるんだよ? しっかり、管理すれば大丈夫。僕たち二人ならこの世界だって十分生きていけるよ」

(それはそうだけど)

 私はコーを説得するのは無理だと思った。

 コーは決めたら突っ走る。そうやって、時々こける。ベータテストはそれでよかった。

『いやー、死んじゃったよ』

 苦笑いを浮かべながらはじまりの街の黒鉄宮からコーが蘇生してくる姿を私は何度も見てきた。その時、私は笑ってそんな彼女を出迎えた。

 しかし、今度は違う。死んだらそれまでなのだ。終わりなのだ。

 私はさっき、なんて思った? 何を願った?

(コーを守りたい!)

 今、コーを守ってあげられるのは私だけだ。……いや、これは私の思い上がりだ。コーは死ななければどんどん強くなっていくだろう。いずれ、この世界のトッププレーヤーになって私の助けなど必要なくなる。多分、彼女の力になれるのは今だけ。だとしたら、やる事は一つじゃない?

「ごめん」

 私が考えを巡らせていると、コーはさっきとうって変って元気を失って、私から離れた場所に座った。

「ううん」

 私は大きく息を吐くと立ち上がった。「よし行こう! ホルンカに」

「え?」

「だけど、私はまだレベル1だからコーの足を引っ張っちゃうけど、すぐに追いついてコーを守れるようになるよ」

「あ、ありがとう」

「そう言えば、初めて会ったのはベータテストのホルンカだったね」

 私は初めてコーと出会った時を思い出した。

 ソードアート・オンラインになかなか慣れずに苦労していた私に彼女は声をかけてきて助けてくれた。今、その恩返しをしよう。もし、コーが無茶をするようなら全力で止めよう。私はそう心に誓った。

「そうだったね」

 でも、なぜだかコーの表情は浮かなかった。私は何か気に障る事を言ってしまっただろうか?

「早速、行こう!」

 そんな思いを吹き飛ばすため、私はコーの手を取らんばかりに近づいた。

「え?」

「ホルンカに行くんでしょ? 走って行けば九時にはつくんじゃない?」

 私は笑いながら、コーに元気を出してもらいたくて井戸の周りを走り回った。「ダッシュ! ダッシュ!」

「うん」

「出発!」

 私はコーが立ち上がったので全力で走り出した。すると、後ろからコーの叫び声が聞こえた。

「ジーク! そっち逆方向!」

「え?」

 私はあれ? っと首をかしげた。

 そんな私を見てコーは文字通り腹を抱えて笑っていた。私にも経験があるが、ツボに入ってしまったのだろう。彼女はそれから五分ぐらいずっと笑い転げていた。

 そんなコーの姿を見て、私は今日初めて心が幸せで満たされた。

 

 

 ホルンカに到着した時には夜九時半を過ぎていた。途中の危険なポイントを迂回しながらだったので予定より遅れてしまったのは仕方がない。

「どうする? 早速、狩りする?」

 コーが首を少し傾けて聞いてきた。私は首を振った。

「いや、今日の私、本当にツイてないんだ。朝の占いでも最下位だったし。大会でミスしちゃうし」

 こんな日は何をやっても裏目に出る。今日は最悪の日だ。こんな時はおとなしくするに限る。

「このゲームにログインしちゃうし」

 コーは微笑みながら私の言葉を混ぜ返してきた。

「うんうん」

 苦い表情で私は思わず舌を出した。「だから明日にしよう。明るい方がやりやすいだろうし」

 ホルンカは小さい村だが、ちゃんとガード圏内で安全だ。

 野宿しても大丈夫だと思ったが、私たちは念のため宿に泊まる事にした。

「今日は僕のおごりね」

 コーはそう言って、宿屋の主人に話しかけて部屋を取った。

 私はコーの後に続いて部屋に入った。

(ベータテストの時もよく二人でこうやって宿をとってログアウトしたなあ)

 私はベータテストの時を思い出しながら部屋の扉を閉めた。

 以前よく使っていたシングルの部屋だ。ベッドが一つ。ソファーが一つ。窓が一つ。いたってシンプルな内装でこれで五十コルはぼったくりじゃないかと思う。

 その時、私は重要な事実を思い出した。

 私たちはログアウトできないのだ。と、いう事は今夜は二人でこの部屋で過ごすのか?

 その考えに至った時、私は身動きを止めた。

「あ……」

 私の考えに気づいたのかコーは小さい声を上げて言葉を飲み込んだ。

「別の部屋を取ってくるよ」

 私は回れ右して閉めたばかりの扉を開けた。

「待って!」

 後ろから鋭いコーの声がした。

「でも……」

「もったいないよ。万が一の事があっても、ハラスメントでバンできるし……」

 振り返った私の手をコーは優しく握った。バンと言ってもアカウント削除の意味ではなく文字通りバンという音と共に引き離されることからきている言葉だ。「それに、僕はジークを信じているよ」

「コー……。ありがとう。信じてくれて」

 私にはわかる。どんなに心を許していても、たとえシステム的に守られているとしても同じ部屋に男性と二人っきりという状況はとても怖い。

 その上でコーは私を部屋に引き留めてくれているのだ。私はコーの気持ちがいじらしくて心がいっぱいになった。

 いっそ、私がリアルでは女性で、茅場の手鏡を捨てたから男性アバターのままだという事を話してしまおうか。でも、信じてもらえないかもしれない。それどころか逆に疑われて今の雰囲気を壊してしまうかもしれない。私がそんな考えを巡らせているとコーはすぐに言葉を続けた。

「あ、でも、明日はツインの部屋にしよ。二人で寝るにはベッドが狭いから」

「私は床で寝るよ」

「駄目。しっかり疲れを取らなきゃ」

 コーの手にギュッと力が入り、私は強引にベッドに座らされた。「明日、思いっきり狩りしてレベル5を目指そうね」

「5は無理でしょ」

 明るいコーの言葉に私はつい苦笑を浮かべた。

「でも、一日ゲームをやり続けるなんてすごくラッキーじゃない? 本当なら明日は月曜日で学校だよ?」

「そうだね。コーは前向きだな」

 コーのそういう切り替えの早さ、前向きさは見習わなければならない。どちらかというとすぐにマイナス思考になる私はそう思った。

「今のは突っ込むところだよ」

 コーはクスクス笑いながらベッドの反対側に移動した。

「そうなのか」

 コーの会話のセンスは難しい。今のはツッコミを入れるタイミングだったのか。覚えておこう。

「あっちむいて。着替えるから」

 柔らかく微笑んでいたコーの表情が急に硬くなった。

「ごめん」

 私はあわてて反対側に視線を向けた。そこには窓があり、コーの姿が写っていた。

(あ!)

 と、思った瞬間、コーはメニュー操作して着替えを行った。

 リアルと違って着替えは一瞬だ。しかし、切り替えのタイミングで一瞬下着姿になる。コーは革鎧姿から初期装備のワンピース姿になった。そのわずかな瞬間、私の目にコーの下着姿が焼きついた。

 窓に映ったコーの一瞬の下着姿を見て私の鼓動が跳ね上がった。私は女なのになぜドキドキしてしまったのだろう。思わず苦笑した時、後ろからコーが話しかけてきた。

「おやすみ。一応言っておくけど、襲ってきたら殺すからね」

 と、システム上できもしない事を彼女は言って寝返りを打った。

「はいはい。殺されないようにするよ」

 私の苦笑はコーの下着姿に胸が高まった自分に向けての失笑に変わって思わずクスリとこぼれた。

 いや、もしかすると今のはコーに「システム上、殺せないだろ!」ってツッコミを入れるところだったのだろうか? 指摘してこないところを見ると、今回はツッコミ不要だったようだ。

 私は初期装備のシャツと半ズボンに着替えてベットにもぐりこんでできるだけコーと距離をとった。

これでは寝ているうちにベットから落ちてしまうかもしれない。ゲームの世界でこんな事を経験するとは思わなかった。

 本当にツイてない一日だった。けれども、コーという存在が私の心を明るく照らしてくれる。世の中悪い事ばかりじゃない。

 目を閉じるとたちまち睡魔が襲い掛かってきた。柔らかいベッドの感触がとても心地いい。私はコーが隣で寝ているという事も忘れて睡魔に身を委ねた。




やっぱり、ツマンネーヨ! いえ、次かr(ry

何でもありません。お目汚しでした。貴重の時間を割いていただいたのにこのつまらなさ。なんとお詫びしてよいか……orz

セリフコピペで同じシーンを別視点で書いていますので、たまにコーの文が紛れているかもしれません。何度か読み返していますが、見落としがありましたら、ご指摘ください。

次はホルンカの村のお話です。
原作だと8巻に収録されている『はじまりの日』です。
もし、よろしければお付き合いくださいませ。


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第3話 友情と恋とシチュー【ジークリード2】

 私はぱっと目を覚ました。

 目の前に可愛らしい女の子が私と鼻がぶつかりそうなくらい近くでスヤスヤと寝ていた。私の頭は大混乱に陥った。

 あれ? 私、どうなっちゃったんだっけ? この子は誰? 学校は? 今、何時?

 そうだ。私はソードアート・オンラインに囚われているのだ。そして、目の前にいる美少女は私の唯一のフレンド、コー。学校はこの世界には存在しない。時間は……視界の隅にある時計は七時二十分を示している。

 私は現状が確認できたところで落ち着いて、すやすやと眠るコーの顔を観察した。

 モデルのように整った顔立ちだ。すっと通った鼻筋の下にやや小さい唇。全体として守ってあげたくなるようなか弱くデリケートな少女の印象を与える。女性の私でさえドキリとしてしまうほどだ。現実世界の姿に私以外の全員が戻されている今、コーはアインクラッドで一番の美少女かも知れない。

 リアルの私もできる事ならここまで完璧な顔は望まないが、もう少しマトモな顔に生まれたかった。

 私は彼女の顔を十分に堪能した後、起こさないようにそっとベットから出た。

 やはり、茅場が言っていた事は真実なのだ。私たちはログアウトできない。いつもなら絶対、家族の誰かが私のナーヴギアを外して強制ログアウトさせるだろう。なぜなら、この時間に家を出なければ学校に間に合わない。今日は月曜日なのだ。

 今、ログアウトしていないという事はやはり、リアル側で強制的にログアウトさせる手段が存在していない事を示している。

 という事は、茅場が言っていたもう一つの言葉『ヒットポイントがゼロになった時点で諸君らのアバターは消滅し……同時に現実世界の諸君らの脳はナーヴギアによって破壊される』というのも恐らく真実なのだろう。

 私は自分の頬を両手で覆うように触った。そして、心配になって部屋の壁にセットされている鏡に駆け寄った。

 鏡の中の私はちょっと頼りなさげな男性の容貌だった。そう、これが今の私。ジークリード。

「おはよう」

 背後で少女の声がした。コーが目を覚ましたらしい。

「おはよ……」

 私の挨拶は途中で消えた。

 振り返ると、コーは眠たそうな表情でばっと布団をめくりあげて起き上がったところだった。

 布団の下にはめくれ上がったワンピースのすそから白い完璧なプロポーションの足が二本あらわになってその根元……白い下着まで見えてしまっている。同じ女性だがなんだか見てはいけないものを見てしまった気持ちになって私は目をそらした。

「コー。ちょっと。ちゃんと起きて! 服を整えて!」

 私の叫び声に半分閉じられていたコーの眼は丸く全開になった。

「回れ右!」

 鋭いコーの言葉が私に投げかけられた。

「はいっ!」

 私は言われたとおりに体育の授業のようなきびきびとした動作で回れ右をした。

「OK。こっち見ても大丈夫」

 その言葉で振り向くとコーは昨日、出会った時のように革鎧を装備していた。「まったく、油断も隙もない!」

(いやいや、油断も隙もコーが勝手に……)

 思わず私はため息をつく。同性なのになぜここまで気を使わなければならないのだ。やはり、私が女性である事を打ち明けてしまおうか。きっと、コーは許して、私を受け入れてくれる。

「行こ」

 コーは硬い表情のまま表情で歩き始めて、さっき私が覗き込んだ鏡に目をやった。

 彼女は自分の顔を確認すると小さくため息をついた。

 自分の顔が気に入らないのだろうか? リアルの私に比べればはるかによい容姿を持っているのに……。やや小さい唇が嫌いなのだろうか? それとも性格はあんなに明るいのに儚げに見える容姿が気に入らないのだろうか。

 そんな事を考えながら私はコーの後を追った。

 

 村にある武器屋に向かう途中、私たちは無言のまま並んで歩いた。なんとなく、気まずい。

「ジーク。あのね!」

 武器屋の前でいきなり、コーは立ち止まって私に頭を下げた。そして、数秒以上そのまま固まった。「ごめん。ジークはなんにも悪くない。だから……これからも一緒に狩りをしよう? 僕はジークをとても頼りにしてるんだよ」

「大丈夫。気にしてないよ」

 私は微笑んだ。「その期待に応えられるように頑張るよ」

 そうだ、今だけだと思うけど私はコーに必要とされている。コーが必要と思っているのはこのジークリードという男性なのだ。私がもし女性である事を打ち明けたら、この儚げな少女は頼るものがなくなってしまう。たとえ幻想だとしてもコーにとってジークリードという男の存在はありがたいものなのだろう。

 コーが十分強くなって、私の支えなんか必要なくなる時まで、私が女性である事はコーに黙っていよう。私はそう心に決めて、武器屋の扉を開けた。

 すでにコーは十分な装備を整えているので、武器屋では私の装備を整える事になった。

 私の構成は盾持ち片手剣。二つしかない最初のスキルスロットは≪盾≫と≪片手剣≫の二つで決まりだ。初期装備のショートソード以外をすべて売却して革鎧と円形盾を選び、残金をポーションにあてるのがセオリーだ。ショートソードはできるだけここで引っ張る。

 ショートソードの代わりはこの村で受けられるクエスト≪森の秘薬≫の報酬≪アニールブレード≫を当てるのだ。森の秘薬クエストの達成条件である≪リトルネペントの胚珠≫を手に入れるまでショートソードがもてばいい。

 私がNPCから商品を買おうとした時、コーが私の手を止めた。

「待って。僕、お金に余裕があるから盾を買うよ。ジークはリングメイルを買って」

 リングメイルは革鎧よりも防御度と耐久力に優れている。このレベルでは贅沢品といえる代物だ。「でも、次に戦うのは≪リトルネペント≫でしょ? 耐久がバリバリ減っちゃうからもったいないよ」

 リトルネペントは植物型のモンスターで時折、腐食液を吐き出す。浴びればヒットポイントと装備の耐久が大幅に減ってしまう。

「大丈夫。ちゃんと、避ければ!」

 コーはクスクスと笑ってトレードで盾を渡してきた。私が買おうとしていた円形盾よりランクが上のカイトシールドだ。値段もそれなりに高い物だ。

「いいの?」

「貰うのが嫌なら出世払いにするよ?」

「ありがたくいただきます」

 私は頭をかきながら、その盾を受け取った。

 そんなやり取りに思わず笑みがこぼれてしまう。コーの顔を伺うと彼女もにっこりと微笑んでいた。

 リングメイルとカイトシールドを装備すると、私はなんとなく安心感に包まれた。この装備で剣がショートソードというのが不釣り合いだが、それもしばらくの辛抱だ。

 この装備であれば迷宮区までのモンスターに十分対応できる。

 問題はコストだ。これらの装備は決して安くない。

「あのさ、これは提案なんだけど。嫌なら断ってね。断っても、僕は怒らないから」

 コーがそう前置きした。「レベル2になるとスキル枠ふえるじゃない。それを≪鍛冶≫にしない?」

「ああ、なるほど」

 私はコーの考えを理解して頷いた。「いいね! それ!」

 コーは鍛冶屋になれと言っているわけじゃない。自分の装備は自分でメンテナンスできるようにしようという提案なのだ。スキルが低いうちは耐久回復に失敗することもあるだろうが、使いつぶして買い替えるよりはるかにコストパフォーマンスがいい。

 ベータテストではお互い、好きなスキルを取っていたため重複するスキルも多かった。最初からこうやって相談してスキルを決めて行けば効率がいい。

 そして、僕は隣の道具屋で残ったお金を使って回復ポーションと解毒ポーションを購入した。

「準備OK?」

 コーは首を傾げて尋ねてきた。

「うん」

「じゃ、クエスト受けに行こ」

 私たちは村の奥にある民家にむかった。そこが≪森の秘薬≫クエストを請け負う場所なのだ。

「こうやって、ちょっと無理をしていい装備で戦えば、死ににくくなるよ」

 その民家に向かう途中、コーは両手を後ろに組みながら言った。

「そうだね」

 コーは昨日、私が『はじまりの街で助けを待った方がいい』と言った事を気にしているのだろう。

 もしかしたら、私を前衛に立たせる事に罪の意識を感じているのではないだろうか?

「コー。あまり私に気を遣わないで。思っている事をぽんぽん言い合おう?」

「うん。ありがとう」

 コーは笑顔を浮かべたが、ちょっと暗い表情になった。

 どうやら、私の言葉は逆効果だったようだ。人付き合いというのはなかなか難しい。

 

 民家に入ると台所で鍋をかき混ぜているNPCが私に振り向いて言った。

「おはようございます。旅の剣士さん。お疲れでしょう、食事を差し上げたいけれど、今は何もないの」

 これがクエストスタートの合図だ。ここから会話を進めて≪リトルネペントの胚珠≫を持ってきてほしいと依頼を受けるまで結構長い。

「始まったね。僕も受けられるかな?」

 コーは首をかしげた。

 確か、ベータテストの時は一人がクエスト受けを始めると誰も受けられなった。妙なところでリアルなソードアート・オンラインらしいところだ。だが、それを悪用してクエスト受けの途中で放置する嫌がらせが流行した。ベータテストの間に不具合として多くのプレーヤーがGMコールしたはずだが、正式サービスの今はどうだろうか?

「やってみるしかないよ」

「うん」

 コーは頷いて、NPCに元気な声で話しかけた。「おはようございます!」

「おはようございます。旅の剣士さん。お疲れでしょう、食事を差し上げたいけれど、今は何もないの」

 NPCはコーに語り始めた。

 お、これは脈ありか? これで私が話しかけてクエスト進行が止まっていなければ修正されている事になる。

「何かお困りですか?」

 と、私がNPCに語りかけるとNPCの頭上に【?】の表示が現れた。

「剣士さん。実は私の娘が……」

 どうやら、複数の別々の人が話しかけてもクエストが進行するように修正されているようだ。これは良アップデートだ。

 ソードアート・オンラインのクエストの導入部分は凝りすぎていてどれも長い。昔ながらのモニター型のゲームなら連打でメッセージを飛ばせるが、ここではそうはいかない。こういう部分もリアルさを求めた結果なのだろう。初めて体験する時は新鮮だが、私たちはベータテストに続き二回目だ。もう、いい加減にこのシステムには食傷気味だ。

 私たちは長いクエスト導入部分をようやくクリアして同時にクエストを受けるとパーティーを組んだ。視界の左上の自分のヒットポイント表示の下に≪Courtney≫という表示と彼女のヒットポイント表示が追加された。

 私たちは≪リトルネペント≫の湧く森へ向かった。

「あ、ごめん。ちょっと買い物」

 コーはそう言って大工屋に飛び込んですぐに出てきた。

「何買ったの?」

「秘密ー」

 コロコロと笑いながらコーは駆け出した。

 先ほどのちょっと暗い表情はすっかり消えている。私はほっとして、彼女の後を追った。

 

 コーの狩りはいつも地形調査から始まる。

 コーは狩場近くの地形をぐるぐると歩き回り状況を確認する。こうすることで逃げて行ったら行き止まりでした。とか、逃げて行ったら別のモンスターの湧きポイントに飛び込んで袋叩きにあってしまう。なんていう事がなくなる。それに、コーの投擲スキルを生かせるような地形を探すという目的もある。効率は悪いが嵌れば途方もない稼ぎが得られる方法だ。

「あ! あれ! リトルネペントの胚珠じゃない?」

 コーが指差した方向を見ると、確かに木の根元にリトルネペントの胚珠がある。

 この胚珠を手に入れるにはリトルネペントを狩り続け、たまに湧く≪花つき≫と呼ばれるレアを狩らなければならなかったはずだ。こんなところに置いてあるなんて、これは、何かの罠かも知れない。

「コー気を付けて!」

 と、私が注意を促している間にコーは駆け寄ってそれを手に取ってアイテムストレージに入れようとした。しかし、その瞬間、カシャーンという音と共にそれは破砕した。

 私は剣を握り四方に視線を飛ばして周りを警戒した。しかし、何も起こらない。どうやら杞憂だったようだ。

 ソードアート・オンラインのアイテムのほとんどは耐久力というパラメータが存在する。野外に置かれたアイテムの耐久力は時間が経つにつれて減少し、ゼロになった時点でこの世界から消える。つまり、胚珠も長時間野外に放置された故に消えたのだろう。

「どういう事だろ?」

 コーは首をかしげて私に聞いてきた。

「誰かがここに置いたんじゃないかな? 何時間か前に」

「結構、レアだよ。胚珠ってなかなか出ないじゃん」

「たまたま同時に出て、置いてったとか?」

「確かに一人一回しか受けられないクエストだけど……。でも胚珠をプレーヤーに売ればいいじゃない」

「それもそうだね……」

 世の中分からないことだらけだ。

「ま、いいか。すごい残念だけど」

 コロッと気持ちを切り替えたコーは再び歩き出した。

 

「よし。ここにしよう」

 コーが戦う場所に選んだのは袋小路だった。

 人がようやく通れる細い通路の奥にちょっとしたスペースが広がっている。

 コーは道すがら拾い集めた石を実体化させて足元に積み上げた。百個以上あるんじゃないだろうか。ものすごい数だ。

「わかった」

 私は奥歯をかみしめてショートソードの柄を強く握った。そして、構えてソードスキルを立ち上げる。剣が青く輝く。気合と共に私は振り下ろして素振りをした。

 よし! 感覚は鈍っていない。十分戦える!

 そんな私を足元でコーが恐れに満ちた目で見上げていた。

「え?」

「びっくりしたー。殺されちゃうかと思ったよ」

 コーは大きく息を吐き出してその場にぺたりと座り込んだ。

「ごめん」

 私は慌ててショートソードを鞘に納めると、コーの目の前に膝をついて彼女の両手を取った。びくっとコーの身体が震えた。「ちょっと素振りをしただけ。今日が初めての戦闘だから」

「うん。分かってるよ。勝手にびっくりした僕が悪い。気にしないで」

「コー。私は絶対、君を裏切らない。何があっても。信じて」

 そうとも、このかけがえのないフレンドを失うなんてどんな事態になってもそんな選択肢は私に存在しない。

「僕も……絶対ジークを裏切らないよ。約束する」

「うん。ありがとう」

 コーは緊張が解けたのか、眼に涙が浮かんでいた。

 私はそんなじっとコーの瞳を見つめた。

(あれ? これって……なんか告白っぽくない?)

 そういう思いが頭に浮かぶと自分の頬に熱がわきあがった。

(すっげーハズいんですけど! 何やってるの。私!)

 私は立ち上がって顔の変化を読み取られないようにコーに背を向けた。もう、手遅れかもしれないが。

 私はそういう気があるのだろうか? 私立の女子高に行ったリアル友達が『百合って本当にあるんだよ! びっくりした!』なんて言ってたのをふと思い出した。

 いやいや、これは友情! 女と女の固い友情! 呪文のように何度も私は心の中で繰り返す。

 こつんと私の背中にコーの拳が当たった。

「さ、狩りを始めよ!」

「うん」

 頬のほてりはおさまっているだろうか。コーに顔を向けるのが怖い。

「ここでちょっと待ってて。ちょっと実験するから」

「無茶する気じゃ……」

「大丈夫。一匹ここに連れて来るだけ!」

 コーはそう言うとスリングに石を一つセットするとぐるぐると回しながら袋小路から出て行った。

 まもなく、シュウシュウというリトルネペント特有の音が近づいてきた。

 目を凝らすとコーはすでにスリングから槍に持ち替えてこちらに走ってきた。その後をリトルネペント一匹が追って来ていた。植物型で二本の蔦を腕のように振り回している。その中央には捕食用の口がバクバクと動き、腐食液がよだれのようにそこから垂れている。近くで見るとおぞましい姿だ。結構足が速いモンスターだが追ってきているのは一匹だけだ。コーはタイミングよく槍でダメージを与えて距離を取って走り、追いつかれそうになると再び痛撃を与えて距離を取った。表情にも余裕がある。あれなら大丈夫。私は安心してコーがどうするのか見守った。

 コーは私がいる袋小路に飛び込みすぐに振り返ると、机を実体化させて通路にドンと設置して後ろに飛んで私の右に立った。

「え?」

 いったい何を? つい、私の口から声が漏れた。

 リトルネペントはウツボをぐっと膨らませた。腐食液を吐き出す予備動作だ。

「避けて!」

 コーの声に私は左に飛んだ。その瞬間、コーは右に飛んで、さっきまで私たちがいた地点に腐食液が降り注いだ。

 私はすぐにこの袋小路になだれ込んでくるであろうリトルネペントの攻撃に備えて身構える。しかし、リトルネペントはシュウシュウという音をだしてその場にとどまっていた。コーが設置した机に進路を阻まれてこちらにやってこれないのだ。こうなってしまえば、間合いの取り方はこちらが圧倒的に有利だ。

「へへへ」

 得意げにコーは笑って悠々とスリングに持ち替えて攻撃態勢に入った。

 まったく、途方もない事を思いつくものだ。私は心の底から感心してコーを見つめた。

「さ、ジークも攻撃して。腐食液に気を付けてね」

「うん!」

 私は頷いてリトルネペントの前に飛び込んで、ソードスキルを叩きこんだ。後ろからはコーが投げる石が投擲スキルによって輝く彗星のようにリトルネペントに降り注ぐ。

 リトルネペントの二本の蔦による攻撃を盾と剣でさばきながら、私は再びソードスキルを叩きこむ。奴のヒットポイントバーはあっという間に真っ赤に染まりその幅を失った。キーンという甲高い音と共にリトルネペントは爆散した。

 目の前に獲得した経験値と金が表示された。レベル1で青イノシシを狩るときには考えられないほどの経験値と収入だった。

「やったね! 初勝利おめでとう!」

 コーは祝福の言葉と共に右手を高く上げた。

「ありがとう!」

 私はショートソードを鞘に納めて、コーの右手にハイタッチした。なんだか3ポイントシュートを決めた時のような快感が全身にあふれた。とても楽しい!

「これは奥の手ね。≪実つき≫をついやっちゃった時の保険」

 机を指差しながら話すコーの言葉に私は頷いた。

 リトルネペントは狩り続けるとレアモンスターの≪花つき≫リトルネペントと≪実つき≫リトルネペントが湧く。クエスト達成条件の胚珠をドロップするのは≪花つき≫のほうだ。一方、≪実つき≫はその実を破壊すると大きな音と嫌な臭いをふりまき、その音を聞いたリトルネペントが実を破壊した者をターゲットして襲いかかってくるという恐ろしい罠だ。

 ベータテストの時に、つい実を破壊してしまった経験がある。その時は二十以上のリトルネペントが一斉に襲いかかって来て私はなすすべなく圧死した。

 コーを見るとその表情に緊張が浮かんでいた。私と同じように実つきをやって死んでしまった時の事を思いだしているのだろうか?

「コー。大丈夫。慎重にやろう」

 そんなコーの緊張をほぐすために私はぽんぽんと彼女の頭を叩いた。

「了解!」

 コーは緊張を解き放って、可愛らしく敬礼した。

「よし、行こう」

 私たちは狩りを始めた。

 

 それからの狩りは順調だった。多くても二体以上のリトルネペントからターゲットされないように慎重に私たちは狩りを続けた。

 他のプレーヤーは先ほど一人の男が近づいて離れて行った。狩場の重複を避けたのだろう。これから、時間を追うごとに他のプレーヤーは増えていくだろう。今のうちに狩れるだけ狩っておこう。

 私はショートソードを握りしめて次の狩りに備えた。

 まず、私がリトルネペントに近づいてターゲットを取り、コーが待つエリアに連れて行き二人で倒す。このやり方で私たちは狩りを続け、私はレベル2に、コーはレベル3に上がった。

「やった!」

 コーは自分のレベルが上がって小さくガッツポーズした。

「おめでとう!」

 と、私が祝福するとコーは満面の笑みを返してくれた。

「ありがとう。ジークもおめでとう!」

「ありがとう。あとは花つきが来てくれればいいな」

 ≪花つき≫リトルネペントの湧く確率は確か1%ぐらいだったろうか……。

「うんうん」

「ちょっと休憩しよう」

「そうだね」

 私はショートソードを鞘に納めて一つ息を吐いた。

 その瞬間、『バァンッ!』と乾いた音がした。

 私たちの間に緊張が走った。これは≪実つき≫の実が割られた音だ。フィールドにばらばらに沸いているリトルネペントがその音に向かって一斉に移動を開始した。

 音がした方角を見ると、そこには先ほど私たちに近づいてきたプレーヤーがいた。きっと、彼が誤って実を割ってしまったのだろう。

 その男はこちらに向かって走ってくる。助けを求めに来るのだろうか? しかし、あれだけの数のリトルネペントから彼を救い出すことなどできない。それに、リトルネペントが彼にターゲットを向けて移動途中でも攻撃可能対象がいるとリトルネペントはちょっかいを出してくる。救出は不可能だ。

 私はその男の表情を見た。

 そこに浮かんでいたのは≪恐怖≫ではなかった。獲物を狙う目だ。

 獲物は私たちだ! こいつはMPK。モンスターを利用して私たちを殺す気なのだ!

「コー!」

 私が声を飛ばすと「うん」と短く緊張した声が返ってきた。

 視線を向けるとすでに武装を槍に代えて身構えている。

「さっきの袋小路に行く?」

「だめ。机をあいつがどかしたら、僕たちは……」

 コーは私の提案を一蹴して私の左隣に移動した。そして、すがるような瞳で私を見上げてきた。「ごめんね、ジーク。やっぱり、危険だったね。はじまりの街にいれば……」

(コーを守ってあげたい!)

 猛烈な衝動が私の全身を燃え上がらせた。

「大丈夫。私たちなら。負けない!」

 強く、私が言うと儚げなコーの瞳に力がみなぎるのを感じた。

「うん! 僕たちは絶対、生き残る!」

 コーが槍を構えると槍スキルが立ち上がって穂先が白く輝いた。

 そんな私たちの近くを通ってMPKは袋小路へ走って行った。

 私たちはほとんど背中合わせで近くを通ってちょっかいを出してくるリトルネペントに応戦した。この程度なら支えきれる。たとえ、あのMPKが私たちの周りを走り回ってもターゲットが私たちに向かない限り支えきれる。そういう確信が私に生まれた。

 MPKの男のカーソルが袋小路に入ると消えた。一瞬、リトルネペント達の動きが停止した。

 ≪隠蔽≫スキル! 

 スキルによって隠れる事でモンスターのターゲットを外したのだ。残されたモンスターは当然、近くに残された私たちを狙うことになる。

 保険だった袋小路は使えない。今全力で逃げればあるいは……いや、だめだ。意外にリトルネペントの足は速い。相手が少数なら打撃を与えながら逃げる事は出来るだろうがこの数では不可能だ。

「大丈夫だよ」

 コーの声は落ち着いていた。「あれが隠蔽スキルならターゲットは彼に戻る」

 その言葉を合図にしたかのようにリトルネペントは再び動き始めた。モンスターたちはMPKの男が隠れている袋小路に向かって次々と突入していく。

「だって、リトルネペントは視覚で僕たちを認識してるわけじゃない」

 と、コーが低く呟くと袋小路から男の悲鳴が聞こえ、再び姿を現した。

 リトルネペント達は男に蔦を振り下ろし、腐食液を吹きかけ、殺到した。あれでは彼のヒットポイントは十秒と持たないだろう。

「コー。今のうちに逃げよう!」

「待って、今なら!」

 コーはそう言い残すと袋小路に走り出した。

 まさか、あの男を助けようというのか!

 あわてて私もその後を追う。

 袋小路の入り口まで来たときには男のヒットポイントバーは赤く染まり数ドットしか残されていなかった。あれでは回復ポーションを飲んだとしても、回復効果が表れる前に次の痛打で……。

「なぜだああああああ!」

 男の絶叫と共に彼の身体は細かいポリゴンとなって砕け散った。

 次の瞬間、リトルネペント達のターゲットが一斉に私たちに向いた。数匹のリトルネペントがウツボを膨らませ腐食液の発射体勢に入った。そのほかも二本の蔦を振り回した。このままでは彼の二の舞だ。でもこの状態では、もうなにをやっても間に合わない。

「てや!」

 そんな中、コーは気合の声と共に机を実体化させて、袋小路の入り口に置いて後ろへ飛んだ。

 そこへリトルネペント達の腐食液が降りかかる。

 コーの悲鳴が耳を激しく叩く。

「コー!」

 コーのヒットポイントバーが一気にグリーンからイエローへ変わって半分以下になった。その表示を見ただけで私の心臓が凍りついた。

「大丈夫!」

 見ると、すでに手に回復ポーションを手にして飲み始め、二撃目を貰わないようにさらに距離を取っていた。

 私は袋小路へ視線を向けた。リトルネペント達は机に阻まれ袋小路から出てこれなくなっていた。今がチャンスだ。

「今のうちに逃げよう!」

 ゆっくりと回復に向かっているコーのヒットポイント表示を見ながら私は叫んだ。

「戦おう! 見て! 花つきが中にいる!」

 コーは首を振って指をさした。

「分かった!」

 確かに、この状況なら苦労はするだろうが袋小路にいるリトルネペントすべてを倒すことができるだろう。

「うおおおおお!」

 気合の声を上げながら私は盾をかざして前線に向かった。

 

 袋小路に閉じ込めた最後のリトルネペントを倒した時、私たちはハイタッチをするどころか疲れでしゃがみ込んでしまった。辺りは日が傾き、もうすぐ黄昏の足音が聞こえてくるようだった。

「やったね。ジーク」

「おつかれ。コー」

 お互いに健闘をたたえあった後、コーはふらふらと立ち上がって、今回の一番の立役者である机をアイテムストレージに格納すると再び座り込んだ。

 私は右手を振り下ろして自分のアイテムストレージを確認した。

 ≪リトルネペントの胚珠≫×2

 の表示がそこにあった。

「コー胚珠は?」

「僕は持ってない」

「私二個持ってるから、これで二人ともクリアだね」

 私は早速、トレードメニューを操作してコーに胚珠を一つ渡した。

「ありがとう、ジーク」

「村に戻ろう。こんなところをPKに襲われたら今までの苦労が水の泡だ」

 しゃがみ込んでいるコーに近づいて手を差し伸べた。

「うん。帰るまでが遠足だよね」

 コーは私の手を握って微笑んだ。

「なに。これは遠足?」

 ぐいっとコーの手を引っ張って彼女を立たせた。

「ナイスツッコミ!」

 コーはぴょこんと立ち上がりながら飛び切りの笑顔を見せながら私を指差した。

『カシャアン』

 モンスターが死んだ時とは少し違う破砕音がしてコーの身体全体が光のエフェクトに包まれた。

「え?」

 光のエフェクトが消え去った時、そこには下着姿のコーの姿があった。そう言えば、あの後も何度かリトルネペントの腐食液を食らう場面があった。私の装備は今日買ったもので耐久が高いからまだまだ大丈夫だが、コーの装備は昨日買ったものだし革鎧はもともとそれほど耐久度は高くない。耐久が今なくなっても不思議ではないが……。

 それにしても、完璧すぎるプロポーションだ。リアルの私と違って、大きすぎず、かといって小さすぎず。ウェストだって……いやいや、私は何を考え、見ているんだ!

「ごくり」

 つい飲み込んだ唾の音がリアルに聞こえた。これではコーの耳にも届いたに違いない。

 私は眼を閉じて次の瞬間に訪れるであろう、コーの叫び声と痛打に備えた。……だが、それらはどちらもやってこなかった。

 薄目を開けると、左腕で胸元を隠しながら右手でメインメニューを操作しているコーがいた。顔どころか全身が桜色に染まっているように見えるのは夕日のためだろうか。

 ぱっと、コーの姿が初期装備のワンピースに変わった。

「これは、僕が装備の耐久度を確認しなかったミス……」

 そう言うコーの言葉はまったく抑揚がなかった。それがまた、私の恐怖をあおった。「今日の宿代と夕ご飯をおごって……それでチャラ」

「あ……ああ、はい、わかりました」

 私はコーの暗黒のオーラに気圧されて承諾した。

 だが、待てよ。コーは今回の事は自分のミスだと認めていなかったか? 自分のミスなのに私におごらせる気なのか?

 私は心の中だけで深いため息をついた。世の男性たちはこういった理不尽な女性たちの要求に日々こうやって苦しめられているのだろうか。もし、現実の世界に戻る事が出来たなら、ほんの少しだけ男性に優しくしてあげよう。

 私はとぼとぼとコーの後ろをついて歩いた。

 

 村に戻って私たちはクエスト報酬の≪アニールブレード≫を手に入れた。

 その後、二人で宿屋に併設されている食堂に入った。席に着くとNPCがやってきた。

「メニューを見せて」

 コーがNPCに話しかけた。

「いらっしゃいませ。お嬢さん。ウチはなんでもおいしいよ!」

 恰幅のいいコック姿のNPCは明るく返事をした。

「私にも見せて」

 私もNPCに語りかけた。

「いらっしゃい。旦那。いっぱい食ってくれよな!」

 NPCは違うセリフを私に言った。

 それにしても、コーはどれだけ食べるつもりなのだろう。

 ソードアート・オンラインの食事は空腹がまぎれるだけだ。リアルの肉体には栄養はまったくいかない。やろうと思えば永遠に食べ続ける事も出来るのだ。もちろん、その時のおなかに対する圧迫感は半端なものではないだろうが……。

 私は目の前に広がるNPCが提示するメニューの向こうのコーを恐る恐る見た。

 視線がバチンとぶつかるとコーがニヤリと笑った。

「めちゃくちゃ注文されたらどうしよう。……なんて考えてる?」

「ちょっとだけ……」

「そんな事しないよ」

 コーは小さく鼻を鳴らして肩をすくめた。「でも、ちょっとだけ贅沢しよ。アニールブレードは手に入ったし。二人ともレベル5になったし」

「そうだね」

 私はほっとしながらコーの注文を聞いた。確かにちょっとだけ贅沢な注文だった。でも今日、手に入れたコルを考えれば逆に質素だったかもしれない。

 しばらくすると私たちの間にクリームシチューや白パン、サラダなどが並んだ。リアルのファミレスで注文したら三千円コースって感じだ。

 仮想空間の映像なのに妙にリアルに湯気なんか出ている。ぐぅ。と私のお腹が鳴いた。

「いただきます」

 私は手を合わせるのもそこそこにスプーンを手に取った。

 そして、そのスプーンをシチューに刺し込もうとした時、コーがまったく微動だにしてない事に気づいて動きを止めた。

 コーは両手をしっかり組んで、目を閉じてうなだれていた。

 いったい、どうしたのだろう? そんな事を考えていると、ぱっと電源が入ったようにコーは組んでいた両手を離し、顔を上げてスプーンを手に取った。

「あ……」

 私の訝しむ視線に気づいてコーは再びその動きを止めた。「ごめん、びっくりした?」

「ちょっとだけ。どうしたの? 調子が悪いの?」

「全然違う」

 コーは両手を左右にブルブルと振って否定した。「えっと。僕の両親。クリスチャンなんだ。だから、食事の前のお祈りをしたんだよ」

「そうなんだ」

 私はコーのリアルにこれ以上踏み込んでよいか迷ったのであいまいな返事をした。

「でも今、人生で初めて真剣に食事前のお祈りをしたよ」

「え?」

「今まで、ずっと嫌だったんだ。この習慣。でも、今日はね……心から神様に感謝したくなった」

 コーは視線を私に向けた。「今日は本当にありがとう。ジークが勇気づけてくれてとても心強かったよ」

「そんな……」

 私はただ反射的に勇気づけただけだ。きっと、部活のバスケットで不利になった時に声を掛け合う習慣が自然と出ただけだ。でも、コーの役に立てた事がちょっとうれしい。いや、かなり、とてもうれしい。「私もコーに感謝してるよ。コーがいなかったらきっと私は死んでたよ……。もう、やめよ!」

「え?」

 私が急に話を打ち切ったのでコーは驚いた表情を見せた。

「すっごい、照れくさいから」

 私はシチューの中でスプーンをぐるぐると回した。

 本当に照れくさい。多分、今の私の頬は真っ赤に染まっているだろう。私がコーに抱いている感情は友情ではなくて恋に近いのかもしれない。コーもひょっとしたら私を好きになってくれているのかもしれない。それは嬉しいけれど。それはとてもまずい気がする。

「でも、これからも『ありがとう』って思った時に、僕はちゃんと言う事にするよ」

 コーは私がぐるぐるとかき混ぜているシチューを見ながら言った。

「そうだね。私もそうする」

「それと、注意しあうことも必要だよね?」

「そうだね」

 まったく、コーは気ままに突っ走るから時々注意してあげなければ。そう考えて私は頷いた。

「じゃあ、言うけど。ジーク。食べ物で遊んじゃいけないよ。いくらゲームの中でも……」

「分かった……」

 ぐるぐるシチューをかきまぜ続けていたスプーンを私は止めた。まったく反論の余地がない。これは一本取られました。

 私はシチューを一杯すくって口に運んだ。口いっぱいにクリームの味が広がって行く。現実では何も食べていないけれど、今までの人生で一番おいしいシチューだった。




ふうせんかずら「あー。これは完全に意識しちゃいましたね。もう、後戻りはできませんよー」

最近、ジークリードをいじるのが面白くなってきた、今日この頃。
波に乗ってるとすごいたくさんかける物なんだなあと実感しています。
そろそろ、止まる気もしますが^^;

あの、すぐ消えてしまった胚珠。あれを置いて行ったのはたぶん、あのかたですね……。


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第4話 感謝と祈り【コートニー2】

 キーン! そんな甲高い音と共にリトルネペントは爆散した。

 目の前に今の戦闘で獲得した経験値と獲得金額が表示された。

「やったー」

 僕は小さくガッツポーズすると、前衛を務めているジークが微笑みながら手を高らかに上げて近づいてきた。

 パーンとハイタッチ。

 僕は笑顔をジークに向けると、ジークの表情が凍りついた。

(え?)

「だれだよ。お前」

 ジークの目が冷やかに僕を見つめている。

「な、何を言ってるの? 僕はコートニーだよ」

「お前、男じゃないか」

「え?」

 僕は両手を見る。変化がよくわからない。ジークを見ると彼は僕にあの茅場の手鏡を手渡した。

 手鏡には頼りなさげな線の細い男の子……僕がいた。

「私を……騙していたのか?」

 ジークの声が怒りのために震えている。

「だ、騙してたわけじゃ。そんなつもりじゃ……」

 膝がガクガクと震え全身の力が抜け、僕は思わずその場にしゃがみ込んでしまった。

「私を騙して、こんな危険な場所に……危険な前衛に立たせていたのか!」

 ジークは怒りの絶叫を上げた。

「違う……違う……」

 僕はその声に罪の意識が沸き起こり心を握りつぶされ震えた。おずおずと見上げると、ジークはソードスキルを発動しまさにそれを振り下ろそうとしていた。

「死ね!」

 ソードスキルに輝く刃が僕の身体を切り裂いた。

 

 僕は目を覚ました。

 鼓動が早鐘のように脈打っている。夢……だったんだ……。

 夢とは違って穏やかな部屋の風景だった。僕の部屋ではない。昨日、ジークと一緒に泊まったソードアート・オンライン内の宿屋の部屋だ。視界の隅を見ると七時三〇分の表示があった。いつもならこの時間に起きて学校への支度を始めるところだ。

(夢……か)

 寝返りをうってみると、一緒のベッドに寝ていたはずのジークの姿はない。

 目を閉じると再び睡魔が覆ってくる。八時まで寝てしまおうか。

 しかし、脳裏に怒り狂ったジークの姿がちらついた。もう、今日は眠れそうにない。起きよう。

 僕は起き上がって周りを見回した。

 ジークが部屋の壁に設置された鏡で自分の姿を見ている。

 茅場の手鏡によって姿を現実に戻されて、このアインクラッドという仮想空間に閉じ込められているのだ。自分の姿を確認したくなる気持ちはとても理解できた。

「おはよう」

 僕はそうジークに声をかけた。

 嫌な夢を見たせいか体が熱い。僕は布団を一気にめくりあげてどかした。

「おはよ……」

 ジークの柔らかい声が急に止まって、鋭い叫びに変わった。「コー。ちょっと。ちゃんと起きて! 服を整えて!」

 僕はベッドの上の白い美しい太ももと白い下着を見つめた。

 自分のアバターだけどこれは艶めかしすぎる! 恥ずかしすぎる!

「回れ右!」

 僕はジークへ叫んだ。

「はいっ!」

 ジークは軍人のようにきびきびした動作で僕の言葉を実行した。

 その間に僕は右手を振り下ろしてメインメニューを呼び出して革鎧に着替えた。

「OK。こっち見ても大丈夫。まったく、油断も隙もない!」

 あきれたのか、ジークが僕の言葉にため息で返してきた。彼はちょっと怒っているかも知れない。

 つい、夢の中の怒り狂ったジークが頭に浮かぶ。いつか、あんな日が来てしまうのだろうか? あんな事になるなら今のうちに自分が男性である事を伝えた方がいいのだろうか。

 そんな事を考えながら僕はジークの横をすり抜けた。「行こ」と短く彼に言う。

 その時、さっきジークが見ていた鏡が目に入った。

 僕は鏡に近づいて覗き込む。

 儚げな長い黒髪の少女が僕を見つめていた。

 本来の姿であればこんな気を遣う事はなかった。でも、この姿だからこそジークと一緒にいられる。そのジレンマが僕の心でぶつかり合って、思わずため息がこぼれた。

 僕は身をひるがえして部屋の扉を開けた。

 

 村にある武器屋に向かう間、僕はずっと無言で考え続けた。

 今のうちならちゃんと打ち明けてジークとの関係を再構築できるのではないか。

 盗み見るようにジークの表情を伺うと浮かない表情をしている。朝の出来事でちょっと怒っているのかもしれない。

 武器屋の前で僕は意を決した。ちゃんと話そう!

「ジーク。あのね!」

 ジークは僕の言葉に振り向いて優しい瞳で見つめてきた。僕はその瞳を受け止められなくて頭を下げた。

(言え、言うんだ)

 僕は自分を叱咤激励した。でも……言えなかった。

「ごめん。ジークはなんにも悪くない。だから……これからも一緒に狩りをしよう? 僕はジークをとても頼りにしてるんだよ」

 口から出た言葉は朝の出来事の謝罪と一緒に戦ってほしいという思いだけだった。

「大丈夫。気にしてないよ。その期待に応えられるように頑張るよ」

 おずおずと僕が頭を上げると、ジークは優しい微笑みで迎えてくれた。

 その優しさがちくりと僕の心を突き刺す。

 ジークは武器屋の扉を開けて中へ入って行った。

 僕は武器屋のNPCに昨日の戦利品≪毛皮≫や≪オオカミの牙≫を売った。昨日の戦闘ではポーションはほとんど使っていない。このお金でジークの盾を買ってあげれば、彼はワンランク上の鎧が買えるはずだ。

 僕はカイトシールドの金額を確認した。買ってもまだ残金に余裕がある。カイトシールドはこの時点でかなりいい装備だ。これがあればジークの戦いはだいぶ楽になるだろう。

 隣を見ると、ジークが早くも防具を買おうとしていた。

「待って。僕、お金に余裕があるから盾を買うよ。ジークはリングメイルを買って」

 僕は今にも装備を買ってしまいそうなジークの右手を握って止めた。

「でも、次に戦うのは≪リトルネペント≫でしょ? 耐久がバリバリ減っちゃうからもったいないよ」

 ジークは顎に手を当てて考えた。リトルネペントは植物型のモンスターで時折、腐食液を吐き出す。確かに浴びればヒットポイントと装備の耐久が大幅に減ってしまう。

「大丈夫。ちゃんと、避ければ!」

 僕はそう言いながら、カイトシールドを購入してジークにトレードで渡した。

「いいの?」

 ジークがなかなかトレード受領のボタンを押さずに申し訳なさそうに言った。

「貰うのが嫌なら出世払いにするよ?」

 僕は冗談めかして言う。

「ありがたくいただきます」

 ジークは頭をかきながらトレード受領のボタンを押した。

 こんな他愛のない、やり取りに思わず笑みがこぼれてしまう。ジークを見ると彼も笑っていた。

 そんな彼を見て僕の心にほっとした空間が広がった。

 ジークは購入した装備を身に着けた。

 防具はリングメイルにカイトシールド、武器は初期装備のショートソード。防御面で言えば第一層の迷宮区の直前まで通用する装備だ。武器の方はこの村で受けられるクエスト≪森の秘薬≫の報酬≪アニールブレード≫を手に入れればよい。それまでの辛抱だ。

 ジークの表情は満足感と不安が入り混じっていた。きっと、装備がよすぎて大事に使わなければなどと考えているのだろう。けれど、装備は使ってなんぼだ。装備が傷むのを恐れて死んでしまっては本末転倒だ。

 僕は昨日から温めていた提案を口にすることにした。

「あのさ、これは提案なんだけど。嫌なら断ってね。断っても、僕は怒らないから」

 僕はそう前置きして慎重に言った。「レベル2になるとスキル枠ふえるじゃない。それを≪鍛冶≫にしない?」

「ああ、なるほど」

 ジークは瞬時に僕の考えを理解して頷いてくれた。「いいね! それ!」

 そう、鍛冶スキルを取れば武具の耐久回復をすることができる。たまに失敗することがあるけれど、使いつぶすよりかなりマシだ。

 そして、ジークは隣の道具屋で回復ポーションと解毒ポーションを購入した。僕が買ってあげてもよかったかも知れないが、遠慮深いジークの事だ。断固拒否してきそうなのでやめる事にした。

「準備OK?」

 僕はタイミングを見てジークの顔を覗き込みながら聞いた。

「うん」

「じゃ、クエスト受けに行こ」

 僕たちは村の奥にある民家にむかった。そこが≪森の秘薬≫クエストを請け負う場所なのだ。

「こうやって、ちょっと無理をしていい装備で戦えば、死ににくくなるよ」

 その民家に向かう途中、僕は両手を後ろに組みながら言った。脳裏に今日見た悪夢がよみがえる。『私を騙して、こんな危険な場所に……危険な前衛に立たせていたのか!』そう言う夢に現れたジークに心の中で謝る。

「そうだね」

 ジークは頷いてちょっと考え込んだ後、足を止めて僕に言った。「コー。あまり私に気を遣わないで。思っている事をぽんぽん言い合おう?」

「うん。ありがとう」

 僕は笑顔を返して、すぐに俯いてしまった。

 僕が思っている事……。僕は実は男なんだよ。そんな事を言ったらジークは……。

 何気ないジークの優しい言葉は僕の心を傷つける。でも悪いのはジークじゃない。全部僕だ。

 

 

 民家に入ると台所で鍋をかき混ぜているNPCが最初に入室したジークに振り向いて言った。

「おはようございます。旅の剣士さん。お疲れでしょう、食事を差し上げたいけれど、今は何もないの」

 これがクエストスタートの合図だ。ここから会話を進めて≪リトルネペントの胚珠≫を持ってきてほしいと依頼を受けるまでうんざりするほど長い。

「始まったね。僕も受けられるかな?」

 僕はベータテストの嫌がらせを思い出した。

 確か、ベータテストの時は一人がクエスト受けを始めると誰も受けられなった。妙なところでリアルなソードアート・オンラインらしいところだ。だが、それを悪用してクエスト受けの途中で放置する嫌がらせが流行した。ベータテストの間に不具合として多くのプレーヤーがGMコールしたはずだが、正式サービスの今はどうだろうか?

「やってみるしかないよ」

「うん」

 僕は頷いて、NPCに話しかけた。「おはようございます!」

「おはようございます。旅の剣士さん。お疲れでしょう、食事を差し上げたいけれど、今は何もないの」

 NPCは僕にクエストスタートと同じように語り始めた。以前は『おはようございます』と返事を返すだけだったような気がする。

 これは脈ありかもしれない。これでジークが話しかけてクエスト進行が止まっていなければ修正されている事になる。

「何かお困りですか?」

 と、ジークがNPCに語りかけるとNPCの頭上に【?】の表示が現れた。

「剣士さん。実は私の娘が……」

 NPCは続きを話し始めた。

 どうやら、複数の別々の人が話しかけてもクエストが進行するように修正されているようだ。これは良アップデートだ。

 ソードアート・オンラインのクエストの導入部分は凝りすぎていてどれも長い。昔ながらのモニター型のゲームなら連打でメッセージを飛ばせるが、ここではそうはいかない。こういう部分もリアルさを求めた結果なのだろう。初めて体験する時は新鮮だが、私たちはベータテストに続き二回目だ。もう、いい加減にこのシステムには嫌気がさしている。

 僕たちは長いクエスト導入部分をようやくクリアして同時にクエストを受けるとパーティーを組んだ。視界の左上の自分のヒットポイント表示の下に≪Siegrid≫という表示と彼のヒットポイント表示が追加された。

 僕たちは≪リトルネペント≫の湧く森へ向かった。

 途中、村の大工屋が目に留まった。

 ソードアート・オンラインでは自分専用の家を購入することができる。もちろん、それはだいぶ先、かなりの金額をため込まなければ不可能だが……。大工屋はその購入した家の家具を買うことができる。そういった自宅のカスタマイズもこのゲームのセールスポイントだ。

 ふと、僕の頭にあるアイディアが浮かんだ。

「あ、ごめん。ちょっと買い物」

 僕はそう言い残して大工屋に飛び込んだ。

「商品を見せて?」

 僕はNPCに話しかけた。

「いらっしゃい。お嬢さん。色々あるよ!」

 そうNPCは返事をして、僕の目の前に取り扱っている家具類がメニューとして並んだ。

 僕は四人掛けのダイニングテーブルを買って、すぐに外に待っているジークの所に戻った。

「何買ったの?」

 怪訝そうにジークが聞いてきた。

「秘密ー」

 作戦がうまくいったらいいな。僕はうまくいった時の事を考えると笑みがこみ上げてきた。

 

 僕の狩りはいつも地形調査から始まる。

 僕は狩場近くの地形をぐるぐると歩き回り状況を確認する。こうすることで逃げて行ったら行き止まりでした。とか、逃げて行ったら別のモンスターの湧きポイントに飛び込んで袋叩きにあってしまう。なんていう事がなくなる。それに、僕の投擲スキルを生かせるような地形を探すという目的もある。効率は悪いかもしれないけれど嵌れば途方もない稼ぎが得られる方法だ。ついでに投擲用の石を集めるという目的もある。

 僕は地面に落ちているものに視線を走らせながら適当な大きさの石を見つけてはひょいひょいと拾っていく。視線の先の木の根元に見慣れないものがあった。あれは……。

「あ! あれ! リトルネペントの胚珠じゃない?」

 僕は声を上げて指差した。

 この胚珠を手に入れるにはリトルネペントを狩り続け、たまに湧く≪花つき≫と呼ばれるレアを狩らなければならなかったはずだ。地面に落ちているものじゃない。けれど現実に目の前に……。

 これを拾えば一人分のクエスト達成だ。

 僕は何も考えずに走り始めた。

「コー気を付けて!」

 後ろからジークの声が飛んできた。

 ああ、そうか。罠って事もありうる。これを拾った瞬間に襲いかかってくるとか。でも、拾ってみなくちゃ分からない。

 僕は胚珠を拾い上げた。その途端、胚珠はカシャーンという音がして砕け散った。どうやら、耐久度がたった今ゼロになってしまったらしい。

 ソードアート・オンラインのアイテムのほとんどは耐久度というパラメータが存在する。野外に置かれたアイテムの耐久度は時間が経つにつれて減少し、ゼロになった時点でこの世界から消える。つまり、胚珠も長時間野外に放置された故に消えたのだろう。

「どういう事だろ?」

 僕はジークに聞きながら首を傾けて考えた。

「誰かがここに置いたんじゃないかな? 何時間か前に」

「結構、レアだよ。胚珠ってなかなか出ないじゃん」

「たまたま同時に出て、置いてったとか?」

「確かに一人一回しか受けられないクエストだけど……。でも胚珠をプレーヤーに売ればいいじゃない」

「それもそうだね……」

「ま、いいか。すごい残念だけど」

 ここに胚珠を置いた本人に聞かない限り、結論は出るわけがない。ものすごい残念だけど、消えてしまったものをいつまでも嘆いても戻ってくるものじゃない。要は狩りをして胚珠をゲットすればいいのだ。

 僕は次の手ごろな石を見つけて歩き始めた。

 

「よし。ここにしよう」

 僕が戦う場所に選んだのは袋小路だった。

 人がようやく通れる細い通路の奥にちょっとしたスペースが広がっている。ここを拠点して戦う事にしよう。細い通路を利用すれば数の差が出にくくなる。一度に三、四体ぐらいに追われても何とか戦えるだろう。

 僕は道すがら拾い集めた石の約半数を実体化させて足元に積み上げた。こうすればいちいちアイテムストレージから石を取り出す手間が省ける。

「わかった」

 僕が石を積み上げている後ろでやや緊張したジークの声が聞こえた。

 振り返ってみるとジークは気合の入った表情で振り上げたショートソードを青く輝かせていた。

『死ね!』

 僕の頭の中で夢の中のジークとバチンと重なった。

(殺される!)

 膝が震え、心臓が激しく脈打つ。全身が熱くなり何も考えられなくなって、恐怖だけが僕の身体を支配した。

 気合の声と共にジークはショートソードを振り下ろした。

「え?」

 ジークはきょとんとした表情で僕を見た。

「びっくりしたー。殺されちゃうかと思ったよ」

 僕は大きく息を吐き出した。全身の力が抜けてその場にぺたりと座り込んだ。まだ、膝がガクガクしている。

「ごめん」

 ジークは慌ててショートソードを鞘に納めると、僕の目の前に膝をついて両手を取った。

 つい、びくっと僕の身体が震えた。まだ、恐怖心が心の隅から消えて行かない。ジークは優しくて、とてもいい奴なのに。

「ちょっと素振りをしただけ。今日が初めての戦闘だから」

 真剣に、そして申し訳なさそうにジークは優しく僕に語りかけた。

「うん。分かってるよ。勝手にびっくりした僕が悪い。気にしないで」

「コー。私は絶対、君を裏切らない。何があっても。信じて」

 それは本当に誠実な、一点の曇りもない宣誓だった。僕の心に温もりが広がって行く。

「僕も……絶対ジークを裏切らないよ。約束する」

 僕も反射的にそう答えて、誠実さであふれるジークの瞳を見つめた。

「うん。ありがとう」

 静かに心を落ち着かせてくれる優しい響きだった。

(ジークを裏切らない? 始めから裏切っているのに)

 そういう思いが湧きあがり僕の心を締め付けた。ジークに申し訳なくて涙があふれてきた。

 すると突然、ジークは頬を赤く染めて立ち上がって僕に背中を向けた。きっと、照れくさくなってしまったのだろう。本当に紳士だ。

 僕は涙を拭くと立ち上がった。

 ジークの真摯な心に応えるにはどうするのが一番なのだろう。僕が一人で勝手に罪の意識に振り回されることが彼にとって幸せだろうか?

 そんな思いが頭にひらめいた。

 もし、仮に僕が男であることを宣言したとして、このアバターに変化は訪れるだろうか? 否。それはありえない。戻されるチャンスはあの時だけだろう。

 それに、男であることを言って、ジークを納得させられたにしても、ジーク以外の他の相手には? いちいち説明していくのか?

 それならいっそ、ジークの想いを打ち砕かないように僕はコートニーとして生きて行こう。そしていつか、ジークが僕を必要としなくなる時が訪れたら、その時にそっと打ち明けよう。

 そこまで考えた時、僕は自分の都合のいい考え方に苦笑した。

 僕はエゴイストだ。自分が生き残るためにジークと一緒にいる事を望んでいる。けれど、一緒にいたいのはジークだけだ。もし、他の人と組むことで生き残る確率が上がるとしても、僕はジークを見捨ててはいかない。僕はジークという男を気に入っている。……うん、大好きだ……。

 しばらく、僕はコートニーを演じよう。いつか、僕とコートニーの間の壁がなくなる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。先の事なんてわからない、とにかく、進んでみよう。

 僕はそう結論を出してジークを再び見た。

 ジークはよっぽど恥ずかしかったのか、まだ僕に背中を向けて何やら呪文のようにぶつぶつ呟いている。本当に面白い奴だ。

 僕の口からクスリと笑いがこぼれた。

「さ、狩りを始めよ!」

 そう言いながら僕は握りこぶしでそっとジークの背中を叩いた。

「うん」

 そう返事をしながらも、ジークは振り向かない。

「ここでちょっと待ってて。ちょっと実験するから」

「無茶する気じゃ……」

「大丈夫。一匹ここに連れて来るだけ!」

 僕はジークの背中に声を投げかけて、スリングに石を一つセットするとぐるぐると回しながら袋小路から出た。

 僕は索敵スキルを使いながら適当な敵をみつくろった。ちょうどよさそうな群れからちょっと離れたリトルネペントに狙いを付けた。

 スリングを握る手に力が入り、回転が上がってくる。投擲スキルが立ち上がりスリングは青白く輝いた。

「えい!」

 掛け声とともにスリングから放たれた石は青白い航跡を描いてリトルネペントに突き刺さった。

 シュウシュウというリトルネペント特有の音が近づいてきた。植物型で二本の蔦を腕のように振り回している。その中央には捕食用の口がバクバクと動き、腐食液がよだれのようにそこから垂れている。かなりキモい。

 僕はすぐに第二投目を命中させ後ろに下がりながら槍に持ち替える。

 リトルネペントの足は見かけによらず意外に速い。追いつかれそうになると僕は槍スキルを叩きこみノックバックで足を止めて再び距離を取る。そんな事をしながら僕は袋小路に走りこんだ。

 そして、振り向きざまに先ほど大工屋で購入したダイニングテーブルを実体化させて通路にどんと置いて、後ろへ飛んだ。

「え?」

 左を見上げるとその声の主ジークがきょとんとした表情でいた。

 リトルネペントはウツボをぐっと膨らませた。腐食液を吐き出す予備動作だ。

「避けて!」

 僕の声にジークは素早く反応して左に飛んだ。僕はそれを見て右に飛び、さっきまで僕たちがいた地点に腐食液が降り注いだ。

 僕は通路の方を見た。

 リトルネペントはシュウシュウという音をだしてその場にとどまっていた。僕が設置した机のせいでこちらにやってこれないのだ。知能が高いモンスターなら机を壊したり、どけたりするが、リトルネペントにはそんな知能はない。

「へへへ」

 思わず、得意げな笑いが口から洩れた。僕は武器を槍からスリングに持ち替え、先ほど積み上げた石を拾った。「さ、ジークも攻撃して。腐食液に気を付けてね」

「うん!」

 ジークはソードスキルを立ち上げてリトルネペントの懐に飛び込んでダメージを与えた。

 僕は投擲によって後ろからリトルネペントにダメージを与える。

 ジークは器用にリトルネペントの二本の蔦による攻撃を盾と剣でさばいて、効果的にダメージを与えて行った。リトルネペントのヒットポイントバーはあっという間に真っ赤に染まりその幅を失った。キーンという甲高い音と共にリトルネペントは爆散した。

 目の前に獲得した経験値と金が表示された。

「やったね! 初勝利おめでとう!」

 僕は祝福の言葉と共に右手を高く上げた。

「ありがとう!」

 ジークはショートソードを鞘に納めて、僕の右手にハイタッチした。

 一瞬、朝の悪夢がよみがえる。僕はそれを気取られないようにすぐに視線をジークから外した。

「これは奥の手ね。≪実つき≫をついやっちゃった時の保険」

 僕は机を指差しながらジークに説明した。

 リトルネペントは狩り続けるとレアモンスターの≪花つき≫リトルネペントと≪実つき≫リトルネペントが湧く。クエスト達成条件の胚珠をドロップするのは≪花つき≫のほうだ。一方、≪実つき≫はその実を破壊すると大きな音と嫌な臭いをふりまき、その音を聞いたリトルネペントが実を破壊した者をターゲットして襲いかかってくるという恐ろしい罠だ。

 ベータテストの時に何度かそれで死んだことがある。今回は死ぬことは許されない。この手段があればおいそれと死ぬことはないだろう。

 だが……。本当に良かったのだろうか、こんな所にジークを連れてきて……。彼ははじまりの街で安全に暮らす事を主張していたのに……。

「コー。大丈夫。慎重にやろう」

 僕のそんな考えを読み取ったのか、ジークはポンポンと僕と頭を優しく叩いて微笑んだ。

「了解!」

 僕は明るくジークに敬礼で返事を返した。

「よし、行こう」

 ジークの力強い言葉に背中を押されて、僕たちは狩りを始めた。

 

 それからの狩りは順調だった。多くても二体以上のリトルネペントからターゲットされないように慎重に僕たちは狩りを続けた。

 他のプレーヤーが近づいて離れて行った。狩場の重複を避けたのだろうか? これから、時間を追うごとに他のプレーヤーは増えていくだろう。今のうちに狩れるだけ狩っておこう。狩場が重なると嫌な人間同士のいざこざが起こる。特にデスゲームとなった今はシビアなぶつかり合いになってしまうだろう。そんなのはごめんだ。

 狩りを続け、ジークがレベル2に、僕はレベル3に上がった。

「やった!」

 僕はレベルアップのファンファーレを聞いてガッツポーズした。

「おめでとう!」

 ジークが笑顔で祝福してくれた。

「ありがとう。ジークもおめでとう!」

「ありがとう。あとは花つきが来てくれればいいな」

「うんうん」

 ≪花つき≫リトルネペントの湧く確率は確か1%ぐらいだった。今日中には無理かも知れない。でも狩り続ければいつか、明日でも明後日でもチャンスはあるだろう。

「ちょっと休憩しよう」

 ジークはそう言って、ショートソードを鞘に納めて一つ息を吐いた。

「そうだね」

 前衛は神経をすり減らすポジションだ。疲労度は相当のものだろう。次からは僕は槍で交代で前衛をした方がいいかもしれない。

 そんな事を考えた瞬間、『バァンッ!』と乾いた音がした。

 僕たちの間に緊張が走った。これは≪実つき≫の実が割られた音だ。フィールドにばらばらに沸いているリトルネペントがその音に向かって一斉に移動を開始した。

 音がした方角を見ると、そこには先ほど狩りをしている私たちに近づいてきたプレーヤーがいた。きっと、彼が誤って実を割ってしまったのだろう。

 その男はこちらに向かって走ってくる。でも、その表情が異様だ。なんだか楽しそうだ。

 ベータテストでもこんな奴に出会ったことがある。……こいつはMPKだ。モンスターを利用して僕たちを殺す気なんだ!

 僕はスリングから槍に持ち替えた。モンスターに取り囲まれるような乱戦は槍でないとさばききれない。

「コー!」

 ジークの声に僕は「うん」と短く応える。

 しかし、あのMPKは最終的にどうやってモンスターからのターゲットを外すつもりなのだろう? いや、外す必要もないかも知れない。リトルネペントはターゲットに向かって移動している最中でも攻撃可能対象がいるとちょっかいを出してくる。あれだけの大軍だ。僕たちの周りにリトルネペントを何度かぶつければ僕たちはヒットポイントを削られ……死ぬだろう。

「さっきの袋小路に行く?」

「だめ。机をあいつがどかしたら、僕たちは……」 

 僕はジークの提案を否定しながら、彼の左隣に移動した。

 二人で背中合わせで戦えばほぼ全周囲の攻撃に対応できるはず。僕たちの活路はそこにしかない。

 でも、こんなところでもし死んでしまったら……。ジークに申し訳ない。彼は危険を避けてはじまりの街に残る事を主張していたのだ。それを無理やり僕が連れてきた。

「ごめんね、ジーク。やっぱり、危険だったね。はじまりの街にいれば……」

 僕は迫りくるリトルネペントに恐怖を感じながらジークの顔を見上げた。

「大丈夫。私たちなら。負けない!」

 強く、本当に力強いジークの言葉が僕の心を震わせた。僕は力がみなぎるのを感じた。

「うん! 僕たちは絶対、生き残る!」

 信じよう、ジークの言葉を。信じよう、自分の力を。

 僕は槍を構えてスキルを立ち上げる。槍の穂先が白く輝く。

 そんな私たちの近くを通ってMPKは下卑た笑いを浮かべながら袋小路へ走って行った。

 その後を追ってきたリトルネペントたちが僕たちの近くを通過しながら蔦を振り下ろしてくる。

 槍で薙ぎ払い、叩き落とし、振り払い。次々と襲い来る蔦をさばいていく。時々、防御を突破した蔦が襲い僕のヒットポイントを削って行く。

 ちらりと自分とジークのヒットポイントバーを確認する。ジークの方はほとんど減っていない。これならあるいは生き残れるかもしれない。問題はあのMPKがどのような手段をとるかだ。

 ターゲットを外す手段はいくつかある。転移結晶で戦場から離脱するのが一般的なやり方だが、昨日が正式サービス初日である。第一層に転移結晶は売られていないはずだからその手段は使えないはず。それ以外の手段も色々な制約があるから使えないだろう。

 恐らくMPKは僕たちの周りを走り回り間断なくリトルネペントをぶつけてくるのだろう。こうなったら根競べだ。

 と僕が考えた、その瞬間。MPKの男が袋小路に入ると消えた。一瞬、リトルネペント達の動きが停止した。

 ≪隠蔽≫スキル? 転移結晶なら『転移!○○』と発声コマンドが聞こえるはずだ。

 MPKはスキルによって隠れる事でモンスターのターゲットを外そうとしたのだ。残されたモンスターは当然、近くに残された私たちを狙うことになる。でも、リトルネペントに隠蔽スキルは効かない。あのMPKはそんな初歩を知らなかったというのか……。

「大丈夫だよ」

 隣で呆然としているジークに僕は声をかけた。「あれが隠蔽スキルならターゲットは彼に戻る」

 その言葉を合図にしたかのようにリトルネペントは再び動き始めた。モンスターたちはMPKの男が隠れている袋小路に向かって次々と突入していく。その中にあろうことか、花つきもいた。

「だって、リトルネペントは視覚で僕たちを認識してるわけじゃない」

 と、僕が低く呟くと袋小路から男の悲鳴が聞こえ、再び姿を現した。

 リトルネペント達は男に蔦を振り下ろし、腐食液を吹きかけ、殺到した。あれでは彼は助からないだろう。

「コー。今のうちに逃げよう!」

「待って、今なら!」

 僕は全力で走り始めた。

 MPKにターゲットが向いている間に出口を机で封鎖できれば、あの花つきを倒すことができる。

 袋小路の入り口まで来た時には男のヒットポイントバーは赤く染まり数ドットしか残されていなかった。

「なぜだああああああ!」

 男の絶叫と共に彼の身体は細かいポリゴンとなって砕け散った。

 次の瞬間、リトルネペント達のターゲットが一斉に僕に向いた。数匹のリトルネペントがウツボを膨らませ腐食液の発射体勢に入っている。

 僕は両手をフリーにしてアイテムストレージから机を実体化させ、通路に置いた。

 どうする? 後ろ? 横?

 僕はどちらに退避するか一瞬躊躇した。

 後ろに飛べばリトルネペントの蔦攻撃は食らわない、けれども腐食液は食らう。横に飛べばその逆だ。

「てや!」

 僕は気合の声をあげて後ろに飛んだ。その瞬間、僕は後悔した。

 僕は横に飛ぶべきだったのだ。机にさえぎられ、蔦による攻撃が可能なのは二匹がせいぜいだろう。一方、腐食液は射程が長いから数匹から食らってしまう。判断ミスだ。

 しかし、もう飛んでしまった。後は生き残る可能性を少しでも高めるしかない。

 着地してすぐにメインメニューから回復ポーションを取り出そうとした時に腐食液が僕を襲った。

 思わず、悲鳴が口から漏れてしまう。メインメニューの操作もキャンセルされてしまった。

 全身をちりちりとした不快感が包む。ヒットポイントバーが一気に緑から黄色に変わりながらどんどんその幅を減らしていく。僕はもう一度メインメニューから回復ポーションを取りだし口にしながら腐食液の射程外へ飛んだ。

「コー!」

 ジークの絶叫が僕の耳に届いた。

「大丈夫!」

 と、返事をしながら僕はヒットポイントバーが減り続けるのを見つめた。

 腐食液程度で死ぬはずはない。回復ポーションも飲んだ。そう自分に言い聞かせる。でも、もし、ベータテストから腐食液が強化されていたら……。僕の心に霜が降りた。

「今のうちに逃げよう!」

 ジークの言葉が飛んできた時、ようやく回復ポーションの効果が表れ、じわじわとヒットポイントは増え始めた。

「戦おう! 見て! 花つきが中にいる!」

 僕はほっとしながら、首を振って袋小路を指差した。

「分かった!」

 ジークは頷くと盾をかざしてソードスキルを立ち上げた。「うおおおおお!」

 気合の声と共に白く輝く剣先を向けてリトルネペントへ向かって行く。その力強い姿に僕はとてつもない安心感を覚えた。

 

 袋小路に閉じ込めた最後のリトルネペントを倒した時、僕たちはハイタッチをするどころか疲れでしゃがみ込んでしまった。辺りは日が傾き、夕焼け色に染まり始めていた。

「やったね。ジーク」

「おつかれ。コー」

 お互いに健闘をたたえあった後、僕は力を振り絞って立ち上がり、今回の一番の立役者である机をアイテムストレージに格納すると再び座り込んだ。

「コー胚珠は?」

「僕は持ってない」

 僕は右手を縦に払ってアイテムストレージを確認して答えた。

「私二個持ってるから、これで二人ともクリアだね」

 その声と共にジークからトレード申請があり、受諾すると≪リトルネペントの胚珠≫がアイテムストレージに追加された。

「ありがとう、ジーク」

「村に戻ろう。こんなところをPKに襲われたら今までの苦労が水の泡だ」

 いつの間にか立ち上がっていたジークがしゃがみ込んでいる僕に優しく手を差し伸べてくれた。

「うん。帰るまでが遠足だよね」

 僕はその手を握って微笑んだ。

「なに。これは遠足?」

 ジークは笑いながら僕をグイッと引っ張り上げた。

「ナイスツッコミ!」

 僕はぴょこんと立ち上がって笑いながらジークを指差した。

『カシャアン』

 モンスターが死んだ時とは少し違う破砕音がして僕の目の前に光のエフェクトが舞った。

「え?」

 光のエフェクトが消え去った時、ジークの表情と体が凍りついた。

 自分の姿を確認すると、そこには下着姿の自分の姿があった。そう言えば、あの後も何度かリトルネペントの腐食液を食らう場面があった。革鎧はもともとそれほど耐久度は高くないし、装備は着ているだけで耐久はわずかに削れていくが今なくなってしまうなんて。

 現実の裸を見られたわけじゃない。これはアバター。恥ずかしくなんてない。そう、頭で理解していても羞恥心となぜだか怒りが湧きあがり僕は震えた。

 ジークを見ると彼はぎゅっと目を閉じている。本当に紳士だ。でも……この羞恥心と怒りはどこにぶつければよいのだろう。

 僕は右手でメインメニューを操作して初期装備のワンピースを身に着けた。

「これは、僕が装備の耐久度を確認しなかったミス……」

 恥ずかしさと憤りで、僕の声はまったく抑揚がなかった。「今日の宿代と夕ご飯を僕におごって……それでチャラ」

「あ……ああ、はい、わかりました」

 ジークが了承したので少し溜飲が下がった。

 僕は男なのになぜ、女子のような態度になってしまうのだろう。コートニーというキャラクターが僕を浸蝕しはじめているのだろうか? コートニーを演じていくうちにだんだん、僕という存在が消えてコートニーだけになるのだろうか? そうしたら、ジークは喜ぶだろうか? ジークのような男が喜ぶなら、僕という存在はいない方がいい……。

 そんな事を考えながら僕は村へ歩き始めた。

 

 村に戻って僕たちはクエスト報酬の≪アニールブレード≫を手に入れた。そうすると、さっきまでの怒りはどこかに吹き飛んでいた。

 その後、二人で宿屋に併設されている食堂に入った。席に着くとNPCがやってきた。

「メニューを見せて」

 僕はメニューを見るためにNPCに話しかけた。

「いらっしゃいませ。お嬢さん。ウチはなんでもおいしいよ!」

 恰幅のいいコック姿のNPCは明るく返事をすると、目の前においしそうな写真のメニューが浮かび上がった。

「私にも見せて」

 ジークもNPCに語りかけた。

「いらっしゃい。旦那。いっぱい食ってくれよな!」

 NPCは僕の時と違うセリフをジークに言った。色々な会話パターンがある所がソードアート・オンラインのいいところだ。

 メニューの値段と写真を見比べていた僕はメニューの向こう側から恐る恐るこちらをうかがっているジークの視線に気付いた。

「めちゃくちゃ注文されたらどうしよう。……なんて考えてる?」

 そんなジークがおかしくて、僕は笑いながら問いかけた。

「ちょっとだけ……」

「そんな事しないよ」

 僕は小さく鼻を鳴らして肩をすくめた。もう、先ほどの怒りは消え去っている。もっとも、おごってもらう事を変えるつもりはないけれど。「でも、ちょっとだけ贅沢しよ。アニールブレードは手に入ったし。二人ともレベル5になったし」

「そうだね」

 と、ジークが同意してくれたので僕は注文を始めた。ちょっとだけ贅沢だけど、これぐらい許してくれるだろう。

 しばらくすると私たちの間にNPCがクリームシチューや白パン、サラダなどを並べていった。

 並べられていく食事をみて僕はお母さんがテーブルに食事を並べていく姿を思い出した。

 僕の両親はクリスチャンだ。食事の前には必ず神への祈りを始め、それが終わってから食べ始める。

 僕はその習慣が大嫌いだ。特に父は真面目で些細な感謝の言葉やら日頃の社会情勢を嘆いて神に助けを祈ったりして十分以上祈り続けていた。僕にはそれが偽善にしか思えなかった。

 神という存在が本当にいるのなら、嘆きも祈りも不要な幸せな世界にすればいいのだ。

 ある時、僕はお母さんにこの思いをぶつけた。激しく怒られると思っていたが、お母さんは優しく僕の頭を抱いて言った。

「そう思うなら、祈らなくていいのよ。ただ、本当に神様に感謝したくなった時にそのやり方が分からないと不幸だわ。その時のためにお祈りの仕方だけは忘れないようにして」

 僕はその日から食事前の祈りをやめた。お母さんは父を諭していたのか、厳格な父はそんな僕に何も言わなかった。

 たった一日なのに今日は何度も死を意識した。生き残れたこと、そして、何よりもジークがいてくれた事に感謝の気持ちが湧きあがってきた。

 神様がいて、ジークを用意してくれたわけじゃない。そんな都合がいい話はない。そんな事は分かってる。

 けれど、それでもジークがそばにいてくれる事を感謝せずにはいられなかった。

 僕はいつの間にか手を強く握り合わせて目を閉じて俯いた。

(神様。……本当にありがとうございます。こんな嘘と罪にまみれた僕にジークという存在をご用意してくださって……)

 もう、主の祈りなんて思い出せない。ただ、単純な感謝の気持ち。それだけだった。ああ、お母さんが言っていたのはこういう事なんだと思った。

 僕は目を開けてスプーンを手に取った。

 前を見ると今まさにシチューにスプーンを差し込もうとしながら、僕を見て固まっているジークがいた。

「あ……」

 食事前の長い祈りはクリスチャンでない人には奇異にしか映らない。僕は何度もその経験があったので、ジークの戸惑いは理解できた。「ごめん、びっくりした?」

「ちょっとだけ。どうしたの? 調子が悪いの?」

「全然違う」

 僕は両手を左右にブルブルと振って否定して、自分が取った行動を説明した。「えっと。僕の両親。クリスチャンなんだ。だから、食事の前のお祈りをしたんだよ」

「そうなんだ」

 僕は根ほり葉ほり聞いてこないジークはやっぱり紳士だなって思った。だから、正直に今の気持ちを伝える事にしよう。

「でも今、人生で初めて真剣に食事前のお祈りをしたよ」

「え?」

「今まで、ずっと嫌だったんだ。この習慣。でも、今日はね……心から神様に感謝したくなった」

 僕はちょっと照れくさかったけれど気持ちをしっかり伝えたくて、ジークの瞳を見つめながら言葉を紡いだ。「今日は本当にありがとう。ジークが勇気づけてくれてとても心強かったよ」

「そんな……。私もコーに感謝してるよ。コーがいなかったらきっと私は死んでたよ……」

 すると、突然、僕から視線を外してジークは叫んだ。「もう、やめよ!」

「え?」

 こんな重い話をしたのがまずかったのか。僕はちょっと後悔した。が、どうやらそういうわけではないらしい。

「すっごい、照れくさいから」

 ジークはシチューの中でスプーンをぐるぐると回した。顔全体が赤く染まっている。

 そんな仕草がとてもかわいらしくて、僕はちょっと笑ってしまった。

「でも、これからも『ありがとう』って思った時に、僕はちゃんと言う事にするよ」

 僕はそう言いながら、ジークがかき混ぜ続けているシチューを見つめた。結構、気になる。

「そうだね。私もそうする」

「それと、注意しあうことも必要だよね?」

 ジークはシチューをかき混ぜるのをやめない。もう、駄目だ。超絶、気になる。

「そうだね」

「じゃあ、言うけど。ジーク。食べ物で遊んじゃいけないよ。いくらゲームの中でも……」

「分かった……」

 ぐるぐるとシチューをかき混ぜていたスプーンが止まった。僕はとてもすっきりした。

「すごく、おいしい!」

 ジークはそのスプーンでシチューを口にして叫んだ。

「ほんとだ!」

 僕もシチューを口にした。確かにとてもおいしい。思わず笑みがこぼれてしまう。

 ジークはまるで太陽のようだ。僕の心を温めてくれる。こんな暖かい雰囲気の夕食は久しぶりだ。できる事なら、明日もジークと一緒に幸せな食事がとれますように。

 僕はそっと神様に祈った。




ふうせんかずら「あー。とうとう始めちゃいましたね。姫プレイ。ネカマへの道一直線ですよー」

腐ってやがる。

腐った話を最後まで読んでくださりありがとうございます。
一つのストーリーを両方の視点で書くのは多分これが最後です。お互いの気持ちの出発点が明らかになりましたから。


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第5話 私のお気に入り【ジークリード3】

 アニールブレードを手に入れた翌日の朝。ツインルームのベッドに並んで座りながら私たちはスキル枠について話し合っていた。

「≪薬学≫?」

 私はそのレアなスキルの名を聞き返した。

「うん。レベル5になってまた一つスキル枠が増えたじゃん。ちょっと迷っているんだけど、どーかなーって思って。相談」

 コーは私の左隣から私を見上げながら聞いてきた。

 美女は三日で飽きるなんて言葉を聞いたような気がするが、あれは嘘だ。ソードアート・オンラインに囚われて今日で三日目だが、近い距離でコーと視線がぶつかると同性の私でも不整脈になりそうだ。私は気持ちを落ち着かせ、考えをまとめるために視線を前の床に落とした。

 今のスキル枠は四つ。次にスキル枠が増えるのはレベル10。ということは第一層か第二層の前半まではこのままのスキルで戦うことになる。だからここでの決定はかなり重要だ。

 私のスキルは≪片手剣≫≪盾≫≪鍛冶≫≪戦闘時回復≫。≪戦闘時回復≫は戦闘中にヒットポイントが自動的に回復するスキルだ。スキルが低いうちは回復ポーションにはるかに及ばないが、スキルが上がって行けば結構バカにならない回復力になる。前衛必須のスキルだ。コーもこの構成に賛成してくれた。

 一方。コーのスキルは≪投擲≫≪索敵≫≪槍≫。もう一枠をどうするかだ。

 無難に行くなら≪戦闘時回復≫だろう。今は効果が薄いが早いうちからスキルを上げて行けば生存率を高めてくれる。ヒットポイントがゼロになったら現実でも死ぬと言われているこの世界では何よりも生き残る事が先決だ。だが、スキル上げに時間がかかる。今から修行を始めても目に見えてその恩恵にあずかれるのはレベル10以降だろう。

 ≪薬学≫を取るメリットは自分で回復ポーションや解毒ポーションなどの各ポーション類が自作できるようになるという所だ。スキルが低いうちはそれほど効果が高いポーションは作れないが、NPCが販売しているポーションレベルぐらいは少し修行すれば作成できるようになる。ポーションの材料はNPCも売っているし、フィールド上にも自生している。これらを使って自作すると店売りの半分以下のコストで作る事ができる。

 昨日の戦闘でもそうだが、回復ポーションは序盤では結構痛い出費になるため、ヒットポイントがイエローゾーンに入った時に使用することになる。ポーションは効果が表れるまで時間がかかるため、最悪の場合、手遅れになる可能性がある。けれども、自作できるとなればヒットポイントが少し減った時点でポーションを気軽に使うことができる。という事は生存率が格段にアップすることになる。

 一方、デメリットもある。

 ここアインクラッドの二層以降では回復結晶というアイテムが売られるようになる。これはポーションと違って効果がすぐ現れ、回復効果も高い。死にかけててもいきなりマックスまで回復させる回復結晶も存在する。値段も高いが、四層以降の収入が安定した時期になればそれほどの出費に感じなくなる。この時、≪薬学≫はいわゆる『死にスキル』になるのだ。

 ベータテスト当初は≪薬学≫は流行したが、そういった事情が明らかになると誰も取らないソードアート・オンラインの死にスキルの一つに数えられるようになった。

 どうせ使わなくなるスキルならこの先ずっと役に立つ≪戦闘自動回復≫スキルを選んだ方がいいかもしれない。だが、序盤の≪薬学≫のメリットも捨てがたい。

「どう……かな?」

 思考の大海で泳いでいた私を引き戻すようにコーが聞いてきた。

 コーも同じように考えたのだろう。だから悩んでいる。これがデスゲームでなければ『とってみれば?』の軽い言葉で決められるが、今は命がけだ。

「私には……決められない。ひょっとしたら、コーの命を左右する事に口出しなんかできない」

 私はその重荷から逃げ出した。真剣に聞いてきているコーに応える事が出来なかった。

 卑怯者。と自分を罵った。

 ぽんぽん。と、コーが私の左膝を叩いて立ち上がった。

 私が視線を向けると、コーは明るい笑顔を私に向けた。

「ありがとう。ジーク。真剣に考えてくれて」

 コーは向かいの自分のベッドに腰掛けた。「決めた! 僕、≪薬学≫取る! 今日ははじまりの街に行ってNPCに教えてもらうよ」

 生産系のスキルは該当するNPCに100コル渡すとスキルの熟練度20まで教えてくれる。熟練度のマックスは1000だから微々たるものだが、修行のコストを考えると20とはいえNPCに教わった方がいい。

 だが、この小さなホルンカの村には薬学を教えてくれるNPCはいない。薬学を教えてくれるNPCがいるもっとも近い場所は始まりの街だ。

「わかった。今日ははじまりの街にいこう」

 私は頷いて右手を下に払ってメインメニューを呼び出して準備を始めた。

 

 はじまりの街に戻る途中、私たちは途中の毒バチが大量に湧くポイントに寄ってみた。

 もし、レベル1で戦えば即死級のダメージがレベル5になった今、まさに『蚊にさされた程度』のダメージだった。相手はハチだけれど……。

 二十分ほど毒バチと戯れた後、一時間かけて私たちははじまりの街に到着した。

「だいぶ、強くなってるね。僕たち!」

 コーはクスクス笑いながらはじまりの街の門をくぐった。

「油断は禁物だよ。さっき、毒ダメージで一瞬、イエローまで行ってたじゃない」

 本当にその時はビックリした。

「あれは実験だよ、実験。毒でどのくらいヒットポイントが減るかの」

 クスクスと笑いながら勝手知ったるはじまりの街の中を駆け足で移動し、薬草屋の扉をあけた。

 コーはメインメニューで薬学をスキルスロットに設定した後、薬剤師に話しかけた。

「薬学を教えて」

「いらっしゃいませ。お嬢さん。薬学の初歩は100コルで学べますよ」

 コーはNPCに100コルを支払った。

 私の目には変化は分からない。

「どう?」

 と尋ねると、コーはスキルウィンドウを確認して頷いた。

「OK。ちゃんと20になってる」

「これからどうする?」

「ジーク。僕のアニールブレード、欲しい?」

「んー」

 アニールブレードは初期としては優秀な武器で第三層の迷宮区まで使える優れモノだ。結構、耐久度も高い。鍛冶スキルを取って自分で耐久回復ができるようになった今、二本目は必要ないだろう。「いらないかな。今持ってるので三層までいけそうだし」

「だよね。売ってお金にしようかな」

「いいんじゃない。NPCに売っちゃっても」

「プレイヤーに売ってみようかな。その方が高く売れるかも」

 コーはそう言うや否や走り出した。

「ちょっと、コー」

 まったく、閃いたら一直線の子だ。そんなコーが可愛らしくて思わずクスリと微笑んでしまう。

 コーの後を追うと、彼女は武器屋に入って行った。私が武器屋の扉を開けるとコーが出てきた。

「NPCに売っちゃったの?」

「ううん。NPCに売った時の金額を確認したんだ。2000コルだった」

「結構大金だね」

 私はその金額の高さにちょっと驚いた。2000コルと言ったら初期の所持金と同じである。

「じゃ、4000コルで売ろうかな」

「え? そんな金額で売れるの?」

「高いかな?」

「だって、今日で三日目だよ。そんなに稼いでるプレーヤーっているのかな?」

「大丈夫だよ!」

 コーは力強く頷いた。だが、直後に自信がなくなったようだ。「多分……」

「まあ、銀行前に行ってみる?」

 私がそう聞くとコーは頷いて走り出した。そう言えばベータテストの時も、コーはいつも移動はダッシュだった。ものすごくせっかちな性格なのかもしれない。

 私はコーを見失わないように後を追った。

 

 コーは銀行前に座って、バザー表示を頭の上に出した。頭の上に鮮やかな色で『売ります!』の文字がゆっくりと回る。

 これは結構、恥ずかしい。私はこの時、バザーで物を売るのはやめようと心に誓った。

 コーと少し離れた場所に座って、私は周りを観察した。

 銀行は中央広場とNPCの商店街をつなぐ位置にあり、人通りが多い。はじまりの街周辺の青イノシシ討伐のパーティー募集の掛け声があちこちから聞こえた。

 茅場の宣言から私のように危険を嫌って街の中に閉じこもろうという人ばかりではないのだ。人間は思ったより楽天的で逞しい存在なのかもしれない。

「ねージーク。なんで、そんなに離れて座るのさ」

 『売ります!』表示をくるくる頭の上で回しながら、コーはいたずらっぽい笑みを浮かべて話しかけてきた。

 わかってるくせに。

 私は声に出さずにため息で返事した。

「ねーねー」

 コーはクスクス笑いながら、私の隣ににじり寄ってくる。

「わかってるくせに」

 今度はちゃんと言葉にしてコーから離れようと私は立ち上がった。

 そんな私を見てコーはケラケラと笑った。

「ちょっと、買い物してくる」

 私は行くあてなどなかったがコーを置いていくことにした。

「待ってー。置いてかないでー」

 コーが私の足にしがみついてくる。

 周りのプレーヤーたちが奇異の目で、あるいはクスクスと笑いながら私たちを見始めた。

 いけない。これではいい晒し者だ。私は観念して腰を下ろした。隣を見るとコーは満足したのか今度は天井を見上げて……いや、一人のプレーヤーを見上げていた。

「お嬢ちゃん。その剣。見たことがないんだが、どういうものなんだ?」

 上から降ってきたその声の出所に目をむけると、日本人とは思えない体躯の男がいた。

 身長はゆうに180センチを超えているだろう。筋骨隆々で浅黒く、スキンヘッドに豊かなあごひげを蓄えており一昔前の悪役レスラーのような顔立ちだった。年齢は二五歳ぐらいだろうか? 私以外のプレーヤーが元の姿に戻されたこの世界にこんな姿のプレーヤーがいる事に驚いた。おまけにその巨体にふさわしい斧まで背負っている。このままモンスターとしてフィールドに湧いてもまったく違和感がない。

「これはねー」

 コーはそんな姿に臆することなく、アニールブレードの説明を始めた。

「なるほど。でも、4000コルは高いんじゃないかな? 2000コルでどうだ」

 その男はふんふんとコーの説明を聞いた後、鋭い視線で値切り交渉を始めた。

 私はハラハラしながらコーを見た。彼女はまったく表情が変わっていない。肝が据わっているというか、胆力は大したものだ。

「冗談でしょ。2000コルならNPCに売った方がマシだよ。買う気がないなら帰って、帰って」

 うわー。強気だ。こういう交渉事が苦手な私にはバザーはできないと再認識した。

「そうかい。でも、ここのプレーヤーはほとんど初期資金しか持ってないぜ。4000コルじゃ、売れないだろう。3000コルと……そうだな。お嬢ちゃんはなんか生産スキルを持つ予定はないかい? 多少原料を融通できるかもしれねぇ」

 斧男はグイッと顔をコーに近づけて言った。眼力50%アップ。私だったら泣いて逃げ出すレベルだ。

「4000コルだよ。はい、残念」

 コーは涼しい顔で軽く受け流す。「でも、今、薬学を取ったんだ。おじさん薬草の人参持ってる?」

「人参か。さっき、木材収集のついでに拾った奴が500ぐらいある。2500コルと500の人参でどうだ?」

「なんでさっきより金額が下がってるのさ。3500コルと500の人参なら考えてもいい」

「おいおい。500の人参は結構NPC売りでもいい値段が付くんだぜ」

 斧男は500の人参を実体化させながら言った。

 二人はそれから五分ほど交渉を続けた。結果、3050コルと500の人参で交渉が成立した。500の人参はNPCに売れば1000コルになるだろうからコーも納得したのだろう。それでも3000コルから3050コルに引き上げさせたコーの手腕は大したものだ。

「お互い、いい取引だったな。また頼むぜ」

 斧男はそう言うと、メニュー画面を操作した。すると、コーの目の前に何やら表示が出た。

 コーはそれを見て考え込んでしまった。

「どうしたの?」

 私が覗き込むとそれはフレンド申請の確認ダイアログだった。

「お嬢ちゃんはベータテスターだろ? これからもなんかいいアイテムがあったら売ってくれよな」

 斧男はニヤリと笑いながら、さあ≪OK≫を押せと顎で促した。

 フレンド機能は個人あてのメッセージが送れたり、相手の現在位置が分かったり、何かと便利な機能だ。だが、迷惑メッセージを送ってこられたり、ストーカー行為をやられたりする可能性がある。その時にフレンドを切ればいいが、どうせなら最初からフレンドにならず、そういうトラブルを避けたいと思うのは自然だ。

「フレンド登録は私としませんか?」

 私は無意識のうちに立ち上がって、コーと斧男の間に入って言った。「コーと……。この子と私はずっとパーティーを組んでますから私とフレンド登録しても一緒ですよ」

 斧男は私の申し出に『おっ?』という顔を見せた。

「こりゃー失礼。専属のナイト様までいらっしゃったのか。俺はそれでもかまわんぜ」

 斧男はぺたりと自分のスキンヘッドをひと撫ですると、高笑いをして私にフレンド申請をしてきた。どうやら、彼の名前はエギルというらしい。即座にOKを押すと私の肩をバンと叩いた。「これからもひいきにしてくれよな! 兄ちゃん!」

 高笑いをしながら、エギルは銀行に入って行った。

「ありがとう。ジーク」

 コーは私を見てにっこりと微笑んだ。

「いえいえ。どういたしまして」

 照れくさくなって、私はコーから視線を逸らせた。「売れたね。この後どうする? ホルンカに戻る?」

「そだね」

 コーはぴょこんと立ち上がった。「その前にこのお金を銀行に預けて来るね」

「うん」

 銀行の入り口で先ほどのエギルとすれ違った。視線が合ったので、私は頭を少し下げてお辞儀を返した。

「あ、そうだ。兄ちゃん」

 すれ違いざまにエギルが私に話しかけてきた。「あんた、初日からそのホルンカの村とやらに行ってたのかい?」

「うん」

「じゃあ、黒鉄宮にいってみるといい。ベータテストで≪蘇生者の間≫だったところに石碑が置かれたんだ。知ってるかい?」

「石碑?」

「ああ」

 エギルは苦虫をかみつぶしたような表情で言葉を継いだ。「全プレイヤー名簿さ。死んだ奴にはご丁寧に横線を引いてくれる」

「なんですか、それは」

「百聞は一見にしかず」

 エギルはいい表情でニヤリと笑って手を振った。「それじゃあな」

 

 私とコーはエギルが言っていた石碑を確認するために黒鉄宮の蘇生者の間に入った。

 教会の大聖堂のような広間。窓からこぼれる柔らかくかすかな光が神聖さを増幅し荘厳な雰囲気を醸し出す空間の中央にその石碑があった。

 ベータテストの時に私もコーも幾度となくお世話になった場所だ。ベータテストの時はその名の通り、死んだプレーヤーはここで蘇生し再びフィールドへ走って行った。それが、今では巨大な石碑が鎮座していた。

 高さは150センチほど。幅は20メートルはあるだろうか。その表面にプレーヤーの名前がアルファベット順にぎっしりと刻まれている。

 私たちは無言のまま少し離れてそれぞれの名前を探した。

 あった……。『Siegrid』もちろん、横線は入っていない。しかし、すぐ近くの『Siegmund』の名には二本の横線が横切っていた。そこに視線を合わせると『11/7 11:34 打撃属性ダメージ』という文字がポップアップした。どうやらご丁寧に日時と死因を表示してくれるらしい。

 私は石碑全体を眺めた。ちらほらと横線がみうけられる。ゆうに二〇〇は超えているだろう。たった三日でこれだけのプレーヤーがすでに命を落としているのか……。この横線の引かれた名前の中には昨日のMPKもいるのだろう。

 いつか、これが私の墓標になるかもしれない。ぞくりと背筋に言いようのない悪寒が走り抜けた。

 私は不安になってコーの姿を探した。

 コーは自分の名前『Courtney』をそっと撫でていた。蘇生者の間のささやかな光がただでさえ儚げな彼女の姿を今にも消してしまいそうな、そんな妄想に私は捕らわれた。

 消えないでほしい。そんな思いでコーの右肩にそっと左手を乗せる。しっかりとしたその感触に私はほっとする。

「ジークの名前に線なんて引かせない。絶対」

 コーはそう言いながら、私の左手にそっと自分の左手を重ねてくれた。

 ほのかな温もりが私の左手に灯る。全身を駆け巡っていた不安がその温もりに溶けていく。

「いこ」

「うん」

 小さく微笑むコーに私も微笑みを返しながら、蘇生者の間の扉を開けた。

 血相を変えた初期装備の男が開けた扉から飛び込んできた。

 思わず振り向いてその男を視線で追うと、コーが私の左手を握って強引に蘇生者の間から引っ張り出した。

「なに?」

 と、聞いてみたがコーは小さく首を振った。

 閉じていく扉の向こうから慟哭が聞こえた。また、一人。恐らくあの男の仲間が……。

 私たちの間は重い沈黙に支配された。

 

 黒鉄宮を出て中央広場を抜けると、先ほどアニールブレードを買い取ってくれたエギルが『売ります!』表示を出しながら剣士と話し合っていた。恐らく、商談をしているのだろう。

 近づいて売ってる商品を見ると『アニールブレード 5000コル』と表示が現れた。途端にその表示が消えた。

「ありがとな。また頼むぜ!」

 エギルはガハハと笑いながら相手の剣士の肩を叩いた。剣士はため息をつきながら片手を振って去って行った。

 5000コルで売れたんだ……。すごい。

 その交渉能力に感心していると、私の隣にいたコーがどすどすとエギルに近づいていく。何となく、暗黒のオーラを身にまとっているような……。

「このハゲオヤジ! なに、転売してんだよ!」

 コーは今にも掴みかからんという勢いでエギルに突っかかった。

(えーーーーーっ! これでキレちゃうの?)

 確かに転売はあまり気分がいい物じゃない。特に自分が売った値段より高く売り抜けてるとあれば怒りも理解できるが、ここまでキレる事ではないと私は思った。

「おいおい。安く仕入れて、ちょっと利益を乗せて売るのは商売の基本だろ?」

 エギルはあまりのコーの勢いに辟易したようでその巨体に似合わずおろおろしていた。

「ちょっと? 2000コルも儲けるなんてぼったくりだよ!」

 人参分をすっかり横に置いて、コーは激しく抗議した。

「そんな事言ったってよお。お嬢ちゃんも納得して俺に売ってくれたんだろ? さっきのあいつも納得して俺から買ってった。問題はないだろう?」

 エギルは困ったように綺麗に剃りあげられた頭を撫でながら、ちらりと私に視線を向けた。

(助けてくれよ)

 その視線はそう訴えていた。

 この場合、エギルの方が正しい。転売自体は違法行為じゃないし、彼のような商人プレーヤーは限られたアイテムストレージの中でやりくりして売買するのだ。私たちのようなフィールドプレーヤーとは違う苦労がある。利ザヤは彼らにとっての生命線だ。

「コー。落ち着いて」

 私はコーの後ろから腕を回してエギルから引き離した。

 するとコーの目の前に『ハラスメント行為を受けています。≪引き離す≫≪監獄エリアへ送る≫』の表示が赤いダイアログで表示された。

 コーの白い指が迷いなく≪監獄エリアに送る≫へ伸びる。

 エギルはコーのその行動を見て目を剥いて驚く。

(えーーーーー!)

 私は思わず目を閉じて、監獄エリアに飛ばされる衝撃に備えた。

 だが、その衝撃はやってこなかった。

「ジーク。離して。もう大丈夫」

 そういうコーの声に抑揚がない。まだ、怒っているのだ。それも、相当……。

 目を開けてみるとコーは左手をぶんと左に払ってハラスメントコードの表示をキャンセルで消していた。

「離してって、言ってるでしょ」

 コーが再び平坦な声で言った。暗に次はないよと告げている。あわてて私は手を放した。

 すると、コーは何も言わずにすたすたと歩き始めた。

 私は心の中で深いため息をつくとその後を追った。

「兄ちゃん」

 歩きだした時、エギルが声をかけてきた。すると目の前にトレード表示がポップアップした。そこには人参50が表示されていた。

「え?」

「俺のおごりだ。サンキューな。この人参はあんたらの関係修復に使ってくれ……これくらいじゃ足りないかもしれないけどな。グッドラック」

 エギルはニヤリと笑って親指を立てた。見かけによらず結構、いい人だ。

「ありがとう」

 私はその好意に甘えてトレードを受託した。

「兄ちゃんとフレンド登録してよかったぜ。またな」

「はい。私もです」

 私は小さい笑顔で手を振って、すぐにコーの後を追った。

 

 街の出口でようやくコーに追いついた。

「えっと……コー?」

 恐る恐る声をかけてみる。

「ホルンカまで話しかけないで」

 コーの声は冷たい。まだ怒りは収まっていないようだ。けれど、『ホルンカまで』と言った。きっと、それまでに気持ちを落ち着けるつもりなのだろう。

 私は小さく息を吐いて、コーの後について行った。

 コーがこんなにキレる事はベータテストでも何度かあった。

(PKに襲われた後なんてすごかったな)

 コーはPKに殺されて、蘇生すると、怒り狂ってそこらじゅうのモンスターを倒しまくった。それでも収まりがつかなかったのか、その日のうちに件のPKに戦いを挑み、PKを道連れに大量の爆弾で自爆した。その後、蘇生した時の彼女の笑顔と言ったら……。

 私はクスリと心の中で笑った。

 ベータテストの時、彼女のアバターは小学生ぐらいの女の子だった。あれはやんちゃで気分屋の彼女にぴったりのアバターだったかもしれない。当時の私はその姿と行動に母性本能くすぐられまくったものだ。

 私は少し足を速めてコーの右隣に並んで、その表情を見た。

 奥歯をかみしめて前をじっと見つめている。私と同じぐらいの年齢だと思っていたが、よく見ると幼さも残している。一つか二つ年下なのかもしれない。

 とても整った恐らくアインクラッド一の美少女なのに、心の中はやんちゃで気分屋で少年のような心を持っている。そんな彼女に私の心は魅了されている。

 こんな彼女の心を私はこのアインクラッドで唯一理解してあげられている。ひょっとすると現実世界を含めても彼女の心を理解してあげられてるのは自分かも知れない。

 そう思うと、心がはずんだ。

 怒りを秘めながら歩くコーの隣にいるというのに私は幸せいっぱいになっていた。

 

 ホルンカの村に入ったのはゆっくり歩いたため、夕方だった。視界の隅に安全圏内に入ったというシステムメッセージが流れてすぐに消えて行った。

 コーは突然立ち止まると、私に深々と頭を下げた。

「ごめん!」

「え?」

 ずっと幸せいっぱいで歩いていた私はコーが何を謝っているのか理解するまでに数秒を要した。「あ、ああ。大丈夫。気にしてないよ。私」

「怒ってない?」

「全然。全然」

 私は手をぶんぶんと振る。

「ごめんね。頭に血が昇って突っ走っちゃって……」

 コーは目を伏せた。「怒ってジークがどこかに行っちゃったらどうしようかと思った」

「どこにも行かないよ。だって、私はコーを……」

 私はそこまで言って言葉を飲み込んだ。

 危ない危ない。雰囲気に飲まれて言ってしまいそうになってしまった。

「コーを?」

 コーは伏せていた目をキラキラと輝かせながら私を見つめてきた。

(ドキューン!)

 私のハートを撃ち抜かれる音が聞こえたような気がした。コーの瞳は破壊力抜群だ。顔全体が熱っぽい。多分、今、私の顔は真っ赤に染まっているだろう。

「コーを……なに?」

 私が固まっている間にコーは真剣な表情で容赦なく追い打ちをかけてくる。

 私は頭の中の貧相な国語辞典を全力でめくった。『愛してる』『大好き』『恋してます』『抱きしめたい』そんなNGワードばかり頭にめぐる。

 だめじゃん、私!

「えっと……。私はコーを気に入っているから……」

 ようやく、出てきた無難な言葉を口にするとコーはにっこりと微笑んで、私の両手を握った。

「僕もジークを気に入ってる!」

 叫ぶように言った後、コーは私の両手を握手のようにぶんぶんと上下にふった。「ありがとう!」

 私の手を放した後、コーは上機嫌で歩き始めた。

「今日の夕食と宿は僕が全部おごるね!」

 弾むような楽しげな声でコーは宣言した。

「じゃあ、いっぱい食べちゃおうかな!」

「おう! 任せとけー!」

 コーはぽんと胸を叩いて笑った。

 私はコーを気に入っていて。コーも私を気に入ってる。

 私はコーと一緒にいたくて。コーも私と一緒にいたいと思ってくれてる。

 なんて恵まれているのだろう。こんなデスゲームの中、初日からこんなに私を信頼してくれる人がすぐ隣にいる。

 今日はコーの真似をして食事前に神様に感謝してみようかな。そう思いながら私は食堂の扉を大きく開けた。




リア充め! 爆発しろ!#”$!”

すみません。取り乱しました。
今回の≪薬学≫については原作に全く出てきません。完全に私の妄想スキルです。
川原礫先生がどういうゲームをイメージしてソードアート・オンラインの世界を作り上げているか存じ上げませんが、私はウルティマオンラインのイメージで作っています。
できるだけ原作世界と齟齬がないように書いていくつもりですが、これからいろいろとでてきちゃうだろうなあ。

原作でもちょこちょこ登場するエギルさんを出してしまいました。
原作を読んでいる人にも違和感が出ないようにこれからも書いていきたいと思います。
今浮かんでいる、頭の中のストーリー上では血盟騎士団のメンバーはほとんど登場するので原作イメージブレーカーにならないようにがんばります。
あー、このキャラだったらこういうのありだよねーって思ってもらえるように書いていきたいと思ってます。

それにしても、二人のリア充っぷりはすごいですね。この頃のキリトとアスナはどん底の精神状態だったというのに……。なんか、これだけで本編の雰囲気(デスゲームでみんな緊張して暗い)を破壊している気がします(滝汗


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第6話 disconnect 青い闇の中【コートニー3】

 12月に入った。

 迷宮区の入り口の街、トールバーナの広場で僕とジークは別のパーティーと待ち合わせをしていた。広場の中心にある噴水に腰を掛けて僕は右手でその水をすくった。ひんやりと冷たい感覚と心地よく流れていく水の感触が僕の右手を包んだ。

 僕たちがソードアート・オンラインに閉じ込められてからもうすぐ1カ月経とうとしていた。ベータテストの時、トッププレーヤー達は二カ月で第八層までいっていたというのに、未だに誰一人として第一層すら突破できていない。

 これほど攻略が遅れてしまったのはやはり、ゲーム中の死が現実の死に直結しているという恐怖からだろう。ベータテストの時のように『死んだ数だけ強くなれる』的な経験値がおいしいが死ぬ可能性があるモンスターを相手にして効率よくレベル上げなどできなかったし、迷宮区のマッピングもモンスターの湧きポイントなど無視しての特攻マッピングなど望むべくもなかった。

 それでも、第一層の最期の難関である迷宮区のマッピングは進んでいた。今日か明日にでもボス部屋が発見され、ボス戦に挑むことになるだろう。

 すでに二〇〇〇人近くのプレーヤーがこの世界から退場している。それらの人たちが本当に現実世界からも退場しているのか僕には分からない。けれども、一カ月も経つのに一度も僕達はログアウトできない。やはり、茅場の宣言は本当でリアル世界で僕たちを安全にログアウトさせる方法がいまだに見つかっていないのだろう。恐らく、この世界から退場した人たちは……。

 考えても仕方がない。しばらく、僕たちはこの世界で生きていくしかないのだ。

「コー。来たよ」

 ジークの声で僕は意識を戻した。

 一カ月がたっても僕とジークの関係は良好だ。やはり、ジークは気持ちのいい奴でずっと一緒にいても嫌にならないし、壁戦士としてとても心強い存在だった。僕が本当に女の子ならどんなに良かっただろう。男の僕が惚れてしまいそうな男だ。きっとジークはリアルでもモテモテだろう。背は高いし、顔だって、平凡な感じだけど全然悪くない。いや、最近はハンサムに見えてきた。これが脳内恋補正というやつだろうか。

「うん」

 僕はそんな思いをジークに気取られまいとちょっと目を伏せて立ち上がって、待ち合わせをしていた六人組のパーティーを迎えた。「おはよう。ディアベルさん」

「やあ。おはよう。よく眠れた?」

 気さくで明るい声が返ってきた。

 ディアベルと僕たちは迷宮区の探索中に何度か顔を合わせて仲良くなった。もっとも、90%は彼らの方から声をかけてきたのであるが。一緒にパーティーを組むことはなかったが、手分けをして迷宮区のマッピングをすることになったのだ。

「いいなあ。ジークリードさんは毎日美女と一緒に寝泊まりして」

 ディアベルの後ろにいた槍使いのジンロが本当にうらやましそうに言った。

「お前も早く彼女を作ればいいんだよ」

 笑いながらディアベルがジンロの肩を小突いた。

「だってよー。女そのものがすくねーし。それ以前に出会いっていうのがそもそも」

 ジンロが情けなくうなだれると、ディアベルが率いるパーティーに笑いがこぼれた。

 僕が話のネタにされているジークをそっと見上げると、あいかわらず超紳士の彼は微笑みを浮かべながらその話題をスルーしていた。

「じゃ、情報交換しましょう」

 このままでは、ジークだけでなく僕にまで火の粉が飛んできそうだったので僕は話を進めた。

「ああ」

 ディアベルは頷いて、メインメニューを操作し始めた。僕もメインメニューを操作してお互いの迷宮区のマップを統合した。迷宮区の探索済みエリアがぐっと広がった。

「すごい。昨日、結構、がんばったんだ。残りわずかだね」

 僕はマップを確認しながら言った。

「ああ」

 ディアベルはいつの間にか僕の左隣に立って一緒にマップを見ている。「今日、俺たちはこのエリアを回るつもりだ。もし、よかったら、コートニーさんとジークリードさんはこのエリアを……。これで全部まわりきれる」

「うん。分かった」

 僕はディアベルに視線を合わせて頷いた。僕たちとディアベルのパーティーが予定の範囲を探索すれば、今日一日で迷宮区のマッピングは終了だ。

「今日、ボス部屋を見つけられるのは確実だ。明日、この町にいる攻略組のみんなに呼びかけて攻略会議をやろうと思うんだ」

「攻略会議?」

「ボスは一パーティーじゃ攻略できないからね。ぜひ、二人にも参加してほしい」

「うん。分かった」

 僕は頷いて、ジークを見た。ジークも小さく頷いてくれた。

「ジークリードさん。これから最上階までは一緒に行かないか?」

 ディアベルはジークに視線を向けて言った。僕ばかりでなく、バランスよくジークにもちゃんと話しかけてくれる。そういう所がみんなに慕われているのだろう。

「そうですね。行きましょう」

 ジークは微笑みながら頷いた。

 

 僕たちは二つのパーティーで最上階まで移動した。最上階に挑むのは今日で三日目。湧きポイントなどは避けて最短ルートで僕たちは登って行った。

 こういう時、僕はジークの左ひじの布地をつまむことにしている。こうすると別のパーティーの男性が話しかけてこなくなると経験で知ったからだ。この容姿のためか両手両足の指で数えられないほどの男性に声をかけられた。しかし、こうしてジークの身体をさわっていると「あー。そういう事ですか」って感じでお誘いの言葉をかけられることはかなり少なくなった。

「コートニーさん。じゃあ、また明日広場で」

 ディアベルは分かれ道でそう言って笑顔で僕に拳を向けた。僕もその拳に拳で応える。

 こつんとあたった二つの拳は離れてひらひらと舞った。

「今日、ボスを倒さないでよ」

 僕は笑顔で手を振った。

「そっちこそ」

 ニヤリと笑って手を振りながらディアベルは通路の向こうに消えて行った。

「さあ、行こうか」

 ジークは盾を装備し抜刀した。

「うん」

 僕は右手にスリングを装備し、石をセットした。索敵スキルをポジティブにして僕たちはマッピングを開始した。

 

 索敵スキルもだいぶ上がってきた。視界が悪い迷宮区の中でも見通せる範囲であればモンスターの戦闘認識圏外から発見することができる。もっと上がってくれば壁の向こうとか折れ曲がった通路の向こう側の敵も認識できるようになるだろう。

「コボルトが3。コボルトナイトが1」

 囁くように僕はジークに闇に潜む相手戦力を伝え、スリングを回し始める。

「了解」

 ジークは身構える。

 コボルトナイトは攻撃力、防御力とも高くソードスキルも使ってくる厄介な相手だ。レベル10に達したジークでも倒すには時間がかかるだろう。でも、僕たちは二人だ。力を合わせれば恐れる必要はない。

 スリングが投擲スキルで青白く輝いた。コボルトナイトに向けて石を放つ。命中することを信じて二投目の石をスリングにセットし、すぐにスキルを立ち上げる。

 攻撃を受けたことでモンスターの一団はこちらに向かってきた。僕は二発目の石をすぐさま送り出す。

 ジークはソードスキルを立ち上げた状態で前に進む。僕からは遠すぎず、近すぎず絶妙な位置で足を止めてモンスターたちを迎撃する。

 3発目の石が命中した時、ジークはモンスターたちと接触し、ソードスキルで輝くアニールブレードを横に薙ぎ払う。全てのモンスターにダメージを与え、モンスターたちのターゲットを自分に集めるのが狙いだ。

「1匹そっちに!」

 だが、ターゲットをすべて自分に集める事が出来ずジークが叫ぶ。

「OK!」

 こういう事も想定済みだ。僕はスリングから槍に持ち替える。

 その間にジークはアニールブレードを振り下ろし、三発の石を食らってヒットポイントを減らしていたコボルトナイトの左肩を粉砕し一撃で屠った。その間、コボルト二体から攻撃を受けるが盾で見事に受け流す。見ていて安心できる戦いぶりだ。

 一方、僕は防御を優先してコボルトの攻撃を支えながらカウンターを狙い、徐々に相手のヒットポイントを奪っていく。

 そのうちにジークは二体のコボルトを隙が少ない単発のソードスキルを連発して葬り、応援に駆け付けてくれた。

 こうなればもう安心だ。僕は勝負を決める三連撃のソードスキルをコボルトにぶつけた。頭、胸、腹とシステム上に規定された三連撃はソードスキルを放った瞬間に走り始める。命中するか躱されるかはモンスターと僕の槍スキル値と敏捷度勝負だ。躱されたとしても僕にはジークがいる。躱された時の硬直時間の間にジークが入ってくれる。そう信じてる僕に不安はまったくない。

 三連撃はすべて命中し、コボルトは爆散した。

「おつかれ」

 ジークは微笑みながら手を上げる。

「おつかれさま」

 僕は笑顔を返しながらハイタッチ。すぐさま僕たちのヒットポイントを確認する。ほとんど減っていないが回復ポーションを口にした。薬学スキルのおかげでふんだんにポーションを使うことができる。

「なんか、最近、毎回飲んでて、仕事後の一本って感じだね」

 ジークはクスリと笑って回復ポーションを飲みほした。

「ファイトー! 回復~!」

 僕が右手を高々と上げながら某CMのようにおどけて言う。

「なに、それ」

 間髪入れずにぽんと肩を叩かれながらツッコミを入れられる。

 僕たちは笑い合ってマッピングを再開した。

 

 その後も何度かモンスターと遭遇したが何事もなくそれらを排除し、今日任されたマッピング範囲を調べ上げる事が出来た。

「はずれだったね」

 ジークはメニューを操作してマップを確認した。

「うん」

 僕たちの探索範囲にボス部屋がなかったという事はディアベルの探索範囲の方にあったのだろう。

 できればこの目で第一層のボスを見たかった。僕たちはベータテストで一度もボス戦に参加する事ができなかった。聞いた話によると、ボスは巨大でヒットポイントバーが四本もあるという事だ。

 もしボス部屋を見つけたらちょっと入ってみてその姿を確認し、一発石を投げつけてやりたかった。

「でも、私は良かったと思ってるよ」

 ジークは肩をすくめながら微笑んだ。

「え?」

「だって、コー。ボス部屋なんて見つけたら一人で突っ込んでいくでしょ。一発ぐらい石をぶつけてやるぅ!とか言いながらさ」

 ジークに僕の考えている事をすっかりトレースされていた。

「そんなこと……あるけど」

「ベータテストでボス戦やった事はないんだから、無茶はしないでよ」

 ジークは一つため息をついた。

「わかってるよ。そんなこと」

 これじゃあまるで、僕は親に諭される子供だ。でも、こんなやりとりは悪くない。むしろ心地いい。怒った顔をしようとして失敗し、思わず笑顔がこぼれてしまう。

「この後、どうする?」

 二人で笑いあった後、ジークが尋ねてきた。

「んー。ちょっと稼いでおく? 例の一階のコボルトナイトで」

 視界の右下にある時計を確認すると一六時を示していた。まだ、帰るにはちょっと早い。

「うん。そうしようか」

 ジークは笑顔で頷いた。

 

 迷宮区の一階の心理的な死角に位置したコボルトナイトが湧くポイントはまだ僕たちしか知らない。ほとんどのパーティーが最上階のボス部屋を目指しているため気づきにくいのかもしれない。

 コボルトナイトが三体安定して湧くポイントと僕の投擲スキルが生きる間取りが近くにあるという実にいいポイントだった。

「じゃ、いくよ」

 僕は索敵スキルで三体のコボルトナイトが湧いている事を確認しながら、スリングを回し始めた。

「うん」

 ジークが頷いたのを確認して僕は石を投げた。

 ビュンという音と共に青い流星のように石が飛んでいく。石は見事に命中してコボルトナイトがこちらに向かってくる。

 僕たちはコボルトナイトがあきらめない程度の距離を取りながら後退しながら誘導していく。

 壁が崩れ一人がやっと通れる場所を抜けて僕たちは足を止めた。ここなら前衛のジークは一対一で戦うことができるし僕は思う存分後方から石を投げる事ができる。

 ジークのヒットポイントが減ってきたらスイッチし、ジークが回復するまで僕が前衛を務める。一対一なら防御力に不安がある僕でもジークの回復する時間を稼ぐことができる。

「スイッチ!」

 僕はジークのヒットポイントを確認して槍に持ち替え声をかける。すでに一体目は爆散している。残りは二体だ。

「OK」

 ジークはソードスキルで単発の強烈な斬撃を放った。コボルトナイトはそれを盾で受け止め、激しい火花のエフェクトが暗いダンジョンを照らした。コボルトナイトは重いジークの一撃を受け止めた。この時、受け止めた方も受け止められた方も一瞬の硬直時間が科せられる。

 その瞬間にすかさず僕はジークの前に体を滑り込ませながら、ソードスキルで白く輝く槍をコボルトナイトの腹部へ突き出す。

 ジークは硬直時間から解放されると素早く剣を鞘に納めて回復ポーションを口にする。

 僕は先ほどと同じように防御に徹しながらカウンターを狙う。

 有効打をお互い与えられないまま時間が過ぎる。

「スイッチ!」

 回復ポーションの効果が表れ始めた時、ジークの声が後ろから飛んできた。

「OK!」

 僕は得意の三連撃を放つ。

 二発はコボルトナイトの盾に受け止められ、カウンターまで食らってしまった。がくんとヒットポイントが幅を減らすがまだグリーン圏内だ。それに三連撃がキャンセルされるほどの強打ではない。

「てやあ!」

 僕の気合の声と共に三撃目がコボルトナイトの腹部を捉えた。

 ここで硬直時間。右からジークが僕の前に滑り込みながらコボルトナイトの足を薙ぎ払う。爆散!

 残り、一体!

 ここで僕は槍から回復ポーションに持ち替え……。

 視界がいきなり青一色になった。

(え?)

 音も聞こえない。青一色の世界に突然放り込まれ、僕は上も下も分からなくなり吐き気をもよおした。必死にそれを押さえつけながら考える。(いったい何が?)

 じたばたと体を動かしてみるが何も反応がない。自分の腕どころか自分を認識するものがまるで目に入らない。

 青一色の世界に必死に目を走らせる。何か、何か情報はないのか。

 右下の方に時計表示があった。

『2022/12/01 16:33』

 さらに目を走らせる。左上に文字が見えた。

『disconnect』

 回線が切れたのだ。こんな時に!

 一時的なものなのか、それとも何かのトラブルか。僕はどうなってしまうんだ。僕は恐慌状態に陥って叫んだ。

 叫び声さえ自分の耳に届かなかった。いや、声も出ないのだ。僕の前にはただ沈黙の青い闇が広がっていた。

 

『2022/12/01 17:13』

 あれからしばらく経って、僕は自分自身を落ち着かせることができた。

 さあ、今の状況を整理してみよう。

 今の状況は回線は切れたが、ナーヴギアの機能はまだ有効であることを示している。停電、回線トラブル。これらであれば二〇分もしないうちに僕はソードアート・オンラインの世界に戻る事ができるだろう。

 僕はもう一つの可能性を考えた。茅場がチュートリアルで言っていた事だ。『政府が中心となって二時間の回線切断猶予時間のうちに病院などの施設に移送される計画が立てられた』と彼は言っていたではないか。

 ナーヴギアによって拘束されている僕たちは食事もとれないし排泄などもできない。つなぎで訪問看護を受けるとしても、いつまでも自宅で看護はできないはずだ。病院などに移すのは当然の処置だ。

 ソードアート・オンラインに囚われたのは約一万人。それだけの受け入れ態勢を整えるのはどんなに超法規的処置を使っても二週間はかかるだろう。そして、順番に移送していく。一斉に一万人もの人を動かすのは難しいから計画的に順次行っているのだろう。

 そう言えば、ディアベルのパーティーメンバーのジンロからこの現象を僕は聞いていた。『しばらく回線が切れたんだ。あん時はまったく生きた心地がしなかったよ』と。こんな事ならもっと詳しく話を聞いておくんだった。

 どうせなら寝てる時間に移送作業をやって欲しいがリアルサイドにはリアルサイドの都合があるのだろう。そこまで考えて、僕は手に届かない範囲の事は考える事をやめた。リアルの都合も、それに対する苦情も現状では暇つぶし以外には役に立たないからだ。

 うん。これが移送のための回線切断だとしよう。だとしたら僕の運命はどうなるのだろう。

 まず、ソードアート・オンラインに残されたアバターはどうなるのだろうか?

 回線切断とログアウトの処理は似ている。宿屋の中であれば一分ほどでアバターは消える。でも今回、僕は迷宮区の中だった。そこでは15分程度アバターが残される。恐らく、今、僕のアバターはジークの後ろで倒れているだろう。

 スイッチした直後でよかった。戦闘中だとしたら大変なことになっていた。残りも一体になっていたし、ジークの実力なら問題なく倒すことができるだろう。問題はその後だ。

 ジークには二つの選択がある。倒した後、魂が抜けた僕のアバターを背負って安全圏内のトールバーナに戻る。もう一つはその場にとどまって僕が戻るのを待つ。

 背負っていくのも、その場にとどまるのもそれぞれメリットとデメリットがある。

 ――背負っていく場合――

 無事にトールバーナに戻れれば安全圏内だ。これは何より心強い。ログイン直後の拘束時間の間に襲われる心配がないし、ジーク自身の安全も図れる。だが、背負っていく途中、モンスターに襲われたら……。ジークは索敵スキルを持っていない。不意を突かれたら苦戦は免れないだろう。それに、戦闘中に15分が過ぎて僕が消えてしまったら、きっとジークは僕が戻るまでそこにとどまり続けるだろう。そこがもしモンスターの湧きポイントだったら……。ジークは無限の敵と戦い続けることになる。

 モンスターに囲まれアバターを散らせるジークの姿が頭をよぎる。僕はそれを振り払う。そんなことは認められない。あってはならない。こんな事を考えてはいけない。そこで僕はもう一つの『その場にとどまる』場合を考える事にした。

 ――その場所にとどまった場合――

 モンスターに襲われる可能性はかなり低くなる。時々、流れてくることもあるだろうがジークの力があれば十分排除できるだろう。だが、問題もある。最近、活動している犯罪者集団だ。最近、徒党を組んでソロプレーヤーを襲い金品を奪うという事件をちらほらと耳にしていた。彼らはソロプレーヤーを取り囲み身動きできなくして襲いかかる。命を奪われたという話は聞かないが時間の問題だろう。いつか、その一線を越えるオレンジプレーヤーがいずれ現れるだろう。犯罪者集団はこの迷宮区にも最近現れたらしい。MPKも相変わらず多く存在する。さすがに攻略組が闊歩している昼間には現れないが、夜、プレーヤーが少なくなる頃を見計らって彼らは現れる。今17時を過ぎている。そろそろ集中力と精神力を使い果たした攻略組が街に戻る時間帯だ。ということは時間が経つにつれて犯罪者集団と遭遇する危険度は増すことになる。

 今度は犯罪者集団に囲まれアバターを散らせるジークの姿が頭をよぎる。僕は再びそれを振り払う。

 どうも考えがネガティブに走ってしまう。他の事を考えよう。

 僕はジークと初めて会った時の事を思い出す事にした。

 

 僕がジークを初めて見かけたのはベータテストが始まって二週間後のホルンカだった。

 ベータテストが始まって僕は片手剣と盾というタンク仕様で始めていたが、周りのプレーヤーが同じようなスキル構成なのが嫌になってキャラクターを作り変えた。僕は天邪鬼なのだ。

 最初のキャラクターは少年だったが、二代目のキャラクターの『Courtney』は少女の姿にした。

 アバターを作った後、一日中ずっと道具屋の姿見の前で下着姿のまま色々なポーズを楽しんだのは誰にも明かせない僕の黒歴史だ。

 次の日、僕は誰にも見向きもされていなかった投擲スキルを取って、武器屋で投擲用のピックを購入した。これがまた最悪だった。射程は短いし、命中しないし、威力はないし、ピック代金も馬鹿にならない。さすが死にスキル。もう一回キャラを作り直して出直そうと思った時、投擲武器のスリングに出会った。

 威力はそこそこ、連射は効かない。でも、射程は長く、投げるのは石なのでピックより使い勝手がよかった。なにしろフィールド上に転がっている石は無料だ。

 再び、キャラクターを作り直し三代目『Courtney』はスリングを購入してフィールドに飛び出した。

 青イノシシや青オオカミでスリングの感覚を自分のものにして、僕はホルンカに向かった。そこで、ジークに出会ったのだ。

 『Siegrid』の第一印象は弱っちぃヘラクレス。身長は一八〇センチぐらい、ムキムキのマッチョで片手剣の盾持ちなのに、 リトルネペントによく殺されていた。彼は反射神経はいいのだが、ソードスキルの使い方がなってなかったし、ヒットポイント管理がまったくできていなかった。剣を振り回してヒットポイントが減っても回復せず、そのうち死亡。そんなのを繰り返していた。でも、ガッツはあるようで、すぐに蘇生者の間から戻って来て戦いを挑んでいた。

 多分、この頃にはお互いを知っていたと思う。よく見かける顔だな~って感じで。

 ある日、ジークはいつものように死んだのだが、なかなか戻ってこない。はじまりの街で蘇生してホルンカまでダッシュして戻るのは最短でも2時間かかるがもう4時間以上戻ってこなかった。このままでは死んだ時にフィールド上に残された彼のアイテムの耐久度がなくなり消えてしまう。

 やむなく、僕は彼の残したアイテムを拾ってアイテムストレージに保管した。さすがにすべてを回収するのは無理だったが、現金と彼の武具ぐらいは確保できた。

 ジークが戻ってきたのはそれから2時間後だった。彼は自分が死んだ場所にアイテムが残されていなくて途方に暮れていた。

「あの……。武器と防具とお金」

 僕は落ち込んでいるジークに彼の物を返した。「ごめん。これ以上は持てなかったから、腐っちゃったけど」

「いや。ありがとう!」

 ジークは何度も僕にお辞儀した。「親にナーヴギア取り上げられちゃって、取り返すのに時間がかかっちゃってさぁ」

「あるある」

 僕は中間テスト前にお母さんにナーヴギアを取り上げられたことを思い出しながら、頷いて笑った。

 まあ、ゲームでよくある出会いだったと今でも思う。

 僕は前キャラで培った片手剣と盾持ちのコツについてアドバイスすると、ジークは徐々にうまくなっていった。

 ジークと僕のスキル構成がだぶらないせいか、組んでいてもお互いが邪魔にならずそれからはずっとベータテストが終了するまで、僕たちは毎日パーティーを組んだ。

 本当にあの頃から一緒にいて気持ちがいい奴だった。

 

『2022/12/01 17:24』

 考えを中断し時計を確認したがあれから十分ほどしか経っていない。

 僕はため息をついた。はずだが、意識以外に何の変化がない。こんな空間に最大二時間も閉じ込められるのは拷問だと思った。だが、本当に考える以外何もできない。

 目を閉じてみた……が、無駄だった。今の僕にはまぶたすらない。目の前の青い空間は何も変化しない。

 仕方なく、僕は時計を見つめた。

 

『2022/12/01 18:27』

 まんじりと……というかもう時計を見つめる事しかできない僕は徐々に恐怖に支配されてきた。

 タイムリミット――二時間が迫ってきている。いったい何があったのだろう。リアル側で何か不具合が発生したのだろうか。

 それとも、ソードアート・オンラインのアバターのヒットポイントがゼロになっているため戻るに戻れなくなっているのか。

『2022/12/01 18:28』

 容赦なく、時計が時を刻む。あと、五分……。

 脳が焼かれるとはどんな感覚なのだろう? 熱い? 痛い? 苦しい? 一瞬? それともじわじわと苦痛を感じながら?

 取りたい。外したい。今すぐにナーヴギアを!

『2022/12/01 18:29』

 嫌だ。嫌だ。死にたくない!

 目を閉じたくても閉じられない。頭を抱えて叫びたいのにそんな動作もできない声も出ない。

『2022/12/01 18:30』

 助けて! ジーク! ジーク!

 絶叫する。両手両足を振り回す。だが、青い暗闇で全てがさえぎられる。

「また、無茶してぇ」

「もう、分かってるくせに」

「じゃあ、いっぱい食べちゃおうかな!」

「仕事後の一本って感じだね」

「私は……コーを気に入っているから……」

 なぜかジークの笑顔ばかりが頭に浮かぶ。

 もう一度、会いたい。ジークに! 助けて! ジーク!

『2022/12/01 18:31』

 …………

 

 最初に聞こえてきたのは表記に難しい『あああ』とも『おおお』とも表現できない女性の絶叫だった。

「落ち着いて! コー! 大丈夫! 大丈夫だから!」

 柔らかい男の声が聞こえた。

 目がよく見えない。自分の涙が視界をさえぎっているという事に気づくまで数秒を要した。まぶたと自分の手で涙を振り払う。そして見る。

 今、最も見たかった顔がそこにあった。優しく平凡な……それでいてとてもハンサムな男の顔。僕が最も会いたかった顔。ほっとできる存在。あらゆる感情が頭を駆け巡り焼き切れそうだった。

「ジーク? ジーク?」

 ようやく言葉を絞り出す。コートニーの声。僕の声だ。

「よかった。本当に良かった。戻って来て」

 僕は強くジークに抱きしめられた。むせび泣くジークの声が耳元で聞こえる。彼の左手が僕の身体を抱き上げ、右手が頭の後ろをそっと支えてる。

 あったかい……。心が溶けて何もかもなくなってしまいそうだ。

 目の前に『ハラスメント行為を受けています。≪引き離す≫≪監獄エリアへ送る≫』の表示が赤いダイアログで表示されていた。その向こうに周りに何事かと野次馬が取り巻いているのが見えた。どうやらここはトールバーナの入り口のようだった。

 もう、何も考えられない。僕はハラスメントダイアログを左手で払ってキャンセルすると、ジークの背中に手を回して抱きしめた。

「あ、ごめん」

 僕が抱きついた事でジークの目の前にハラスメントコードが表示されたのだろう。ジークはあわてて僕の両肩に手を乗せて体を離そうとした。

「もう少しだけ。お願い」

 僕はジークを抱く手に力を込めた。この温もりと柔らかい空間をもっと貪りたかった。もう、それ以外、何も考えられない。

 僕は泣き声を上げながらジークの胸に顔をうずめた。

 

 次の日の朝、僕は昨日と同じように広場の噴水に腰を掛けてディアベル達を待った。

 心なしか……というか間違いなく僕は注目を集めている。

 昨日のあの時間、一八時三〇分頃の街の入り口は迷宮区帰りの人たちでごった返していたはずだ。そんな中で僕はジークを抱きしめて延々三〇分以上泣き続けたのだ。我ながら恥ずかしい。顔から火が出るとはこの事だ。

 このまま宿に閉じこもりたかったが、ディアベル達との約束をすっぽかすわけにもいかないし、ちゃんと彼に伝えなければいけない事もある。この考えはまだジークにも言っていない。

 頬の熱を冷まそうと噴水の水で顔を洗う。水面に儚げな黒髪の少女が僕を見つめ返してくる。

(僕はコートニー。今の僕は男子中学生じゃない)

 自分の姿を再認識する。そっと視線を動かす。水面にジークの優しい顔が映っている。

 昨日の夜、不安だった僕はジークと同じベッドで眠った。ジークは本当に紳士だ。優しく抱きしめるだけで何もしてこなかった。

 もし僕が逆の立場だったら、コートニーに襲いかかっていただろう。

 もし、昨日、ジークに襲われたら……許してしまったかもしれない。なにもかも。

 そう考えると、僕の中の男としての部分が寒気を覚えた。もう自分が訳が分からない。

「来たよ。ディアベルさんが」

 ジークの声で僕は体を起こし振り返った。

「やあ。昨日は大変だったね」

 ディアベルの微笑みが心に突き刺さる。

「もう、すごかったね!」

 さらにジンロの言葉で地に突っ伏したくなった。

「情報交換しましょう」

 落ち込んで言葉が出ない僕に代わってジークがディアベルに話しかけて迷宮区のマップデータを統合した。「ボス部屋は……」と問いかけるジークにディアベルがマップの一点を指差す。

「今日の十時に攻略会議をやるつもりだ。来てくれるよね」

 ディアベルが明るく尋ねる。

「はい」

 と、ジークが答えた時、僕はそれをさえぎった。

「いえ。攻略会議には出ません」

「「え?」」

 ディアベルとジークの驚きの声が重なる。

「ごめんなさい」

 僕は深々と頭を下げる。「ジークはまだ、回線切断してないんです。いつ切れるかわからない。そんな状態でボス攻略なんて……。ううん。フィールドには出れません」

「私は大丈夫だよ」

 ジークはふんわりと笑った。

「僕が駄目。ジークの回線がいつ切れるかハラハラしながら戦うなんて……。こんな気持ちじゃ戦えない」

 僕はジークの顔を見ずに言った。見たら、変な言葉を口走ってしまいそうだ。

「こうするのはどうだろう?」

 ディアベルが少し考えて顎に手をやりながら言った。「ジークリードさんは回線切断が起きるまでこの町で休む。そうすれば安全だ。コートニーさんは俺たちとボス攻略」

「私はそれでいいですよ」

 ジークは頷く。

「それは駄目! 絶対、駄目! とにかく駄目!」

 僕はジークの言葉に駄目を三回上書きした。

「コートニーさん。今、俺たちは一人でも多くの力が必要なんだ」

 ディアベルが熱く語った。「はじまりの街で待っている人たちがこの第一層の攻略を心待ちにしている。力を貸してほしいんだ」

「ごめんなさい。でも僕は決めたんだ」

 僕は再び頭を下げる。

 気まずい沈黙が僕たちの間に流れた。

「コートニーちゃん。昨日、どんぐらい回線切れてたの?」

 その雰囲気を壊したのはジンロの軽い声だった。

「一時間五五分ぐらいまでは覚えてるんだけど……そのあとパニクっちゃって」

 今、思い出しても怖さがよみがえってくる。

「うわー。ギリじゃんか」

 ジンロが渋い顔をすると、ディアベルのパーティー全員が六人六様に渋い表情をした。みんなすでに回線切断を経験したらしい。

「あんな場所に二時間近くも……」

「馬鹿、二時間切れたら脳を焼かれんだぞ。それどこじゃねーだろ」

 わいわいとパーティーメンバーがざわめく。

「じゃあ。残念だけど」

 ディアベルは本当に残念そうに言った。「気が向いたら来てくれ」

「行かない」

 きっぱりと僕は言った。「でも、ボス戦がんばって! ディアベルさんなら勝てるよ」

「もちろんさ!」

 ディアベルは笑顔で僕に拳を向けた。僕もその拳に拳で応える。

 こつんとあたった二つの拳は離れてひらひらと舞った。

「じゃあ! 次は第二層の迷宮区で会おう!」

 ディアベルは手を振って街の中央通りに向かって歩き出した。

「第二層のボスは僕が倒すからね!」

 僕はディアベルに手を振りかえしながら叫んだ。

 ディアベル達を見送って、僕はジークに視線を戻した。

「私の事は気にしなくていいのに。ボスと戦いたかったんでしょ?」

 ジークは困った顔をして僕を見た。

「ボスなんかどうでもいい」

 僕は言葉をそこで区切って、唾を飲んだ。よし、言おう。自分の気持ちを! 僕は気合を込めながら言葉を続けた。「すっごい、恥ずかしいんだけど、言うね!」

「う、うん」

 ジークは僕の気合に気圧されながら頷いた。

「回線切断の後、最初にジークの顔が見えた時、とてもうれしかった。だから、ジークが回線切断後に最初に見る顔は僕でありたいんだ。だからしばらく、一緒に……」

 僕はそう言った後、身体全体が熱くなった。ものすごく恥ずかしい。ジークの顔を見る事が出来ない。僕は地面を見つめた。

「ありがとう」

 ふわりと暖かい空間が僕を包んだ。目の前に現れるハラスメントコードの画面を無視して、僕はその空間に身を委ねた。

 本当に……あったかい……。




リア充め! 末永く爆発しろ!#!#$!$#”%$”&”&

すみません。取り乱しました。
激甘すぎて目が腐りそうです。

青い画面、仕事していたころを思い出しました。ブルースクリーン。今でも大嫌いです。

ここまではしっかりと頭の中にストーリーができていましたが、今後のストーリーはいまいち固まりきっておりません。
更新ペースが落ちると思いますがどうか、お見捨てなきようorz

ディアベルはん。なんで死んでしまったん?orz


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第7話 僕が帰る場所【コートニー4】

「では、いきましょう」

 おっとりとした声色で第二五層のボス部屋の扉をシンカーが開けた。

 シンカーは僕とジークが加入しているギルドMTD≪MMOトゥディ≫のギルドマスターだ。

 MTDは食料や資源そして情報などをできるだけ平等に分配しようと設立されたギルドだ。シンカーの人柄やその思想に共感して多くのプレーヤーが参加しているアインクラッド最大のギルドだ。最近は過激な一部のギルドメンバーが治安維持と称してオレンジプレーヤーを問答無用で取り締まったりすることがあり、≪軍≫などというあまりありがたくない名称で呼ばれたりする。

 今回のボス戦でMTDは6パーティー36人もの人員を投入している。他は聖竜連合が3パーティー18名。血盟騎士団が2パーティー8名。風林火山が1パーティー5名。その他ソロが5名。

 そういうわけで最大勢力であるMTDのギルドマスターであるシンカーが今回の攻略戦の指揮を執るのは自然だった。

 今回、僕はパーティーのリーダーとして参戦することになった。第十五層からリーダーとしてパーティーの指揮を執る事が多くなったのであまり不安はない。メンバーは僕とジーク、タンクのレイヴァンとエッガー、斧戦士のマイユ、槍使いのクイールだ。壁役のジーク、レイヴァン、エッガーの三人の安定感は今までの攻略での原動力だった。

 第二四層までは順調な攻略だった。第一層こそ一カ月の時を要したが、その後はだいたい一層あたり六日というハイペースを維持していた。

 区切りである第十層、第二十層に強力なボスがいるのではないかと思われたがそんな事もなく、今後も『フロアー数プラス10のレベル』という安全マージンを取っていれば問題ないだろう。

 この迷宮区は巨人族の巣窟でボスも恐らく巨人が現れると予想されていた。

 ボス部屋に入ると明かりが灯された。一番奥に巨大な椅子があり、そこに座っていたのは双頭の巨人だった。唸り声を上げ、立ち上がるとこちらに走ってきた。巨大な体躯は筋骨隆々でその両手に凶悪なほど巨大な戦槌を装備しており底知れぬパワーを感じる。

「おいおい。ヒットポイントバーが五本もあるぜ」

 そんな呟きが聞こえた。今までのボスのヒットポイントバーは四本だったのに、今回は五本もある。それだけで苦戦の予感がした。

「我々MTDが攻撃を受け止めます。そのほかの方は周りから攻撃を!」

 シンカーの声にそれぞれの気合が入った雄叫びで返事があった。

 MTDの左翼三隊は左から僕、シンカー、マサ。右翼三隊はダンコフ、キバオウ、コーバッツで構成されている。ダメージを受けても十分にスイッチで回していける陣容だ。

 唸りを上げて巨人が右の戦槌を振り下ろす。あわててマサのパーティーが四方八方に散ってそれを避ける。

「ぐあああああ!」

 マサたちの悲鳴が上がった。見ると、ヒットポイントバーが一気に減りイエローゾーンに入って行きながら今なお減り続けている。

「こんなことって!」

 僕は思わず叫んでしまった。

 完全に避けたはずであった。戦槌が地面にめり込みその直撃を受けた者はいない。それにもかかわらず、振り下ろされた衝撃だけで周囲にいた者にダメージを与えたのだ。

 早くマサのパーティーを後ろに下げさせなければ! けど、僕には全体の指揮権はない。

「シンカーさん! マサさんを下げて、他の隊を前に!」

 僕は前にいたシンカーへ叫んだ。

「はい。マサさん。下がって! 私たちが前に」

 シンカーが後追いで指示を出す。

 巨人が雄叫びを上げて右足を振り上げた。

 何かの攻撃か?

「みんな下がって!」

 嫌な予感がして僕はパーティーメンバーに指示を出した。

 巨人が右足を振り下ろすと大音響とともに大地が揺れた。まともに立っていられない。攻略に参加したメンバー全員がまともに立っていられず転倒した。

 地面の揺れが収まり立ち上がった時、僕の目の前で巨人の左戦槌が振り下ろされ、地震のために逃げる事が出来なかった六人の上に叩きつけられた。

 悲鳴も聞こえなかった。ポリゴンの破砕音すら叩き潰された。

 そして、その槌の周りにいた。シンカーとダンコフのメンバーのヒットポイントがイエローゾーンに突入していく。

「こんなの……めちゃくちゃだ」

 僕は思わず呟いた。

「うわああああああ」

 恐慌をきたした、コーバッツのメンバー三人が転移結晶を使った。「転移! はじまりの街!」

 それに気付いた巨人が今度はその三人に右戦槌を振り下ろす。

 転移は瞬時には行われず、数秒間の間隙がある。その間は何の抵抗もできない。戦槌の直撃を受けた三人は転移結晶の輝きと共に粉砕された。

 巨人は雄叫びをあげ、また右足を振り下ろし大地が揺れた。

 そこから再び殺戮の暴風が吹き荒れた。コーバッツのメンバーが二人、さらにシンカーのメンバーが二人。ガラスが割れるような破砕音と共に散った。

「みんな、固まって。回復優先。回復結晶とハイポーション、すぐ使えるようにして。ケチらずどんどん使うんだよ!」

 僕が全員を集めて指示を出す。

「ごめん」

 そう言ったのはタンクのエッガーだった。その手には回復結晶ではなく、転移結晶が握られていた。「転移! はじまりの街!」

 この転移結晶に反応して、巨人が戦槌を僕たちに狙いをつけて振り下ろした。

 このまま逃げたらエッガーが死んでしまう。しかしあの攻撃を食らったら……。

「受け止める!」

 ジークが叫んでソードスキルで片手剣を輝かせた。

「うん!」

 僕はジークに呼応して槍を握りしめる。巨人の攻撃は威力は大きいがスピードはそれほどではない。タイミングは合わせやすいはずだ。「みんな力を貸して!」

 僕の声でマイユ、クイール、レイヴァンは頷いてそれぞれの武器を握りしめた。

「せーの!」

 ジークの声に合わせて全員のソードスキルを巨大な戦槌にぶつける。激しい光が視界を奪い、僕の全身には戦槌の荷重がかかる。全員の雄叫びが重なる。

 受け止めた! あと一人、いや二人いれば完全に返せたかもしれない。だが、戦槌の範囲攻撃判定のために全員のヒットポイントがイエローゾーンに突入する。

「ハイポーション! 回復結晶!」

 次の攻撃に備えて僕は指示を飛ばす。見る間に全員のヒットポイントが全回復する。

 巨人は次の獲物を狙って移動を始めた。この隙に僕たちはシンカーの所に走って合流した。

「シンカーさん。僕がMTDの指揮を執ります!」

 僕の言葉にシンカーの傍らにいたユリエールが鋭い視線を僕に向けて口を開こうとした。

「分かりました。お任せします。僕はこういうのが苦手だ」

 ユリエールを右手で抑えて、シンカーは穏やかに言った。

「ありがとう」

 僕は小さく頭を下げた。

 もう、一刻の猶予もない。立て直さねばこのまま全員がボスの暴風の中に散ってしまう。

 巨人はコーバッツのパーティーに狙いをつけて戦槌を何度も振り下ろしていた。

「キバオウさん! ダンコフさんのパーティーと組んでコーバッツさんのフォローを!」

「何やゆうてんや! 右翼の指揮はワイが執るわ!」

 僕はこの瞬間、キバオウを無視すると決めた。

「シンカーさんは僕たちと一緒に行動を」

「わかりました」

 シンカーとユリエールが視線を合わせて頷きあった。

「みんな、固まって。もう一度言うけど、回復優先。回復結晶とハイポーション、すぐ使えるようにして。ケチらずどんどん使うんだよ!」

 全員が頷いたのを確認して僕は巨人を見据えた。「行くよ。みんなのソードスキルを合わせてあいつのハンマーを叩き返してやろう!」

「おう!」

 僕たち九人は一丸となって巨人に向かった。巨人はダンコフ隊に狙いをつけ粉砕していた。

 巨人は接近する僕たちに気づいて右の戦槌を振り下ろした。

「コートニー! 固まるな! はよ散れ!」

 キバオウの声が聞こえたが、僕はそれを無視する。

「跳ね返すよ! タイミングあわせて! 僕たちならできる!」

 僕は叫ぶと全員がソードスキルを立ち上げる。「3,2、1! ゴー!」

 僕の声に合わせて全員がそれぞれのソードスキルを戦槌にぶつける。激しい光がお互いの威力をぶつけ合う。戦槌の範囲攻撃がじわじわと僕たちのヒットポイントを削る。僕の両足に戦槌の衝撃が伝わる。だが、さっきより軽い。これなら行ける!

「おらああああ!」

 レイヴァンが雄叫びを上げると、遂に巨人の戦槌を跳ね返した。攻略メンバー全員から驚きのどよめき声があがる。

「ハイポーション! 回復結晶!」

 全員が硬直時間から解けた時、僕の声に合わせてハイポーションを飲み、回復結晶でヒットポイントを全回復させる。巨人がもう一方の戦槌を振り下ろす。「来るよ! もう一回跳ね返す!」

 視界の隅のヒットポイントバーを確認する。一人だけ回復していない。レイヴァンだ。

「レイヴァン!」

 手にしているのは回復結晶でなく、解毒結晶だった。もう戦槌は目の前だ。回復の手を差し伸べる時間はなかった。「逃げて!」

 その間に僕たちはソードスキルで再び戦槌を受け止めた。

(レイヴァン。どうか間に合って!)

 僕は彼のヒットポイントバーを見つめながら範囲攻撃から逃れるのを祈った。だが、祈りは叶えられなかった。

「ああああ、お母さん!」

 二度目の戦槌を跳ね返した時、後ろでレイヴァンの叫びが聞こえ、僕たちのパーティーから彼の名前が消えた。

 レイヴァンはいい人だった。短い三カ月間の楽しいやり取りが頭をよぎった。

(泣くな。今は泣くな!)

 僕は奥歯をかみしめ泣き叫びたくなる自分を押さえつける。

 二度も戦槌を跳ね返されて巨人が驚いているように見えた。巨人は咆哮を上げると右足を振り上げた。

 回復しようとみんなが回復結晶を取り出そうとしていた。

「待って! 地震を起こさせるな! 軸足を狙え!」

 僕は持っていた槍を投擲スキルで巨人の左ひざを狙って投げつける。

 僕の指示に呼応して聖竜連合などの他の攻略メンバーもほとんどが左足へ攻撃を集中させた。

「ぐおぉぉぉ」

 鈍重な叫び声を上げながら、巨人は右足を振り下ろすことができず転倒した。これがチャンスとばかりに全員が襲いかかる。

「僕たちは回復!」

 僕はパーティーメンバーを下がらせて回復させた。

 やがて、巨人は戦槌を振り回しながら立ち上がった。その攻撃でまた何人かが散った。巨人のヒットポイントはまだ一本目の中央だった。

「くるよ! でも、モーションが大きい! タイミングを合わせて行こう!」

 僕はパーティーメンバーを鼓舞するため呼びかけた。

「おう!」

 という声がパーティーメンバーだけでなく、攻略メンバーのほとんどから返ってきた。

 

 攻撃パターンとそれに対する対策が定まれば、当初の混乱は収束に向かった。

 戦槌の攻撃は八人以上のソードスキルを合わせて跳ね返す。右足が引き起こす地震はその足が振り下ろされる前に左足に攻撃を集中させることで阻止。転倒した時には全員攻撃。

 それらをルーチンワークのように繰り返すことで巨人のヒットポイントバーが幅を減らし遂に最後の一本も赤く染まった。

 巨人は蛮声を上げると戦槌を打ち捨て片手持ちの戦斧に持ち替えた。

 戦槌の鈍重な攻撃から戦斧の速い攻撃に変わった。

 その速い攻撃に徐々に指示が追いつかなくなる。

「スイッチ!」

 前衛を務めているジークとシンカーのヒットポイントが危険域に達するのを見て、僕は声をかけユリエールと共に前衛を代わった。

 僕もユリエールもタンクではないが、ジークとシンカーの回復の時間を稼がねばならない。

 防御に徹して戦斧を受け流す。そして全体の状況を把握するために視線を走らせる。だが、これが失策となった。

「コー!」

 ジークの叫び声に視線を前に戻すと、目の前に巨人の拳があった。もう、ブロックも間に合わない。

 全身を衝撃が襲った。脳が揺さぶられ、ただのポリゴンで形成されているはずの全身から骨がきしむ音が聞こえた。

 床を無様に転がり、悲鳴を上げる体を無理やり起こすと戦斧が僕の身体を切り上げようと地面すれすれを走って来ていた。

 立ち上がろうとするが、先ほどのダメージのためか力が入らない。

(殺られる!)

 悲鳴も出せず僕はその告死の刃を見つめる事しかできなかった。

 そこに壁が現れた。心強い、大きな背中――

「コー! しっかり!」

 ジークが盾をソードスキルで輝かせ巨人の戦斧を受け止めた。完全に受け止めた。そう思った瞬間、システムの神は無情な判定を下した。

 ≪Critical hit!≫

 簡潔なフォントが現れ、ジークの盾に吸い込まれるとその盾は粉砕され、巨人の戦斧はジークの左腕を肩から切り離した。

「がはっ」

 ジークがうめき声を上げながら宙へ飛ばされていく。分断された彼の左腕が宙に細かく散った。

「ジーク!」

 頭の中が真っ白になった。彼の身体が頭から落下していく光景がまるでスローモーションのようだった。

 巨人はジークに狙いをつけて左拳を振り下ろした。ジークのヒットポイントバーはもう数ドットしか残されていない。あの攻撃を受けたら……。

 僕はジークのもとに駆け出そうとして失敗し転倒した。まだ、全身が言う事を聞いてくれない。

「ああ」

 まったく無意味なのにジークを守りたくて、右手を伸ばした。彼の身体は数メートルも先なのに。むなしく右手が宙を掴む。

 その時――黒い風が吹いた――

 全身を黒の装備で固めている剣士が僕の耳元で囁いた。

「あいつは俺が守る。あんたは指揮を執れ」

 そう言い残すと黒の剣士は疾風のごとくジークのもとに駆けつけ、振り下ろされた巨人の左拳をソードスキルで跳ね上げた。

「シンカーさん。彼のフォローを」

 シンカーをはじめとするタンク三人が黒の剣士のもとに駆け付け巨人の攻撃を受け止めた。今がチャンスだ!

「全員で包囲して攻撃!」

 その言葉で全員が巨人を取り囲み攻撃を始めた。たちまち残された巨人のヒットポイントバーがその幅を減らしていく。

 とどめを刺したのはあの黒の剣士だった。

 五連撃!?

 そんな技は初めて見た。人はあそこまで速くなれるものなのか。僕が呆然と見つめる中、最後の五連撃目が双頭の巨人を切り裂き、そのポリゴンが散った。

 ボスを倒した時のいつもの歓声はあがらなかった。安堵のようなため息とあまりにも多くの人命が失われた事への鎮魂がボス部屋を覆った。

 僕はジークのもとへ駆けつけようとふらふらと歩き出した。だが、僕は腕を掴まれ阻まれた。

「なんで、指揮を執ったんや!」

 僕をひき止めたのはキバオウだった。「ワレが勝手に指揮を執りよって、混乱したんや。ぎょうさん人が死んだんはワレの責任や!」

「勝手なこと言うなよ。右翼の指揮は自分がやるって言ったのはあんただろ」

 キバオウの手を振り払った。怒りのあまり本来の男口調になり、音程が平坦になった。

 そうとも、自分で指揮を執ると言ったキバオウの右翼はたった三人しか生き残っていないではないか。聖竜連合がフォローに入ってくれなければ、全員死んでいただろう。

 ふつふつと怒りが湧きあがり、それを爆発させようとした時、シンカーが間に入った。

「まあまあ。キバオウさん。コートニーさんの指揮は僕がお願いしたんですよ。だから、彼女の責任ではありません」

 シンカーは穏やかな声でキバオウに話しかけた。

「あんたがちゃんと指揮を執らんかったのがいかんのや」

 今度は矛先をシンカーに向けた。

 キバオウにこれ以上かかわりたくなかったので僕はジークのもとに駆け付けた。

 ジークは黒の剣士を見送っていた。お礼を言いたかったのに彼はもう第二六層へつながる扉をくぐったところだった。

 ジークのヒットポイントバーが危険域ぎりぎりだった。ボスを倒した今、ハイポーションで時間をかけて回復してもいいはずなのに、僕は回復結晶を使った。

「ヒール!」

 僕はジークの目の前に立って、右手を彼の胸に当てながら叫んだ。回復結晶が砕け、ジークのヒットポイントが全快に戻った。

(ジークを死なせてしまう所だった)

 僕は失ったままのジークの左腕を見て背筋が凍った。

 回復結晶を使ってヒットポイントは回復している。もう、彼が死ぬ可能性はない。それなのに彼を失ってしまうのではないかという恐怖がよみがえり、涙が浮かんだ。

「コーお疲れ様」

 ジークが優しい声で彼の胸に当てている僕の手をふんわりとつつんだ。

 彼を失ってしまうのではないかという恐怖がその暖かさに溶けて消えて行った。

(ほんとうに生きててよかった)

 恐怖から喜びに感情が切り替わったのに、涙が種類を変えてあふれ出した。

 やがて、ジークの右手が僕の頭を抱いた。

 ここに戻ってこれた。帰ってこれた。暖かい温もりに包まれてまた涙があふれてくる。

 ジークの身体を抱きしめて僕は感情のすべてをぶつけた。

 このまま時が止まって欲しい。そう願いながら、僕はジークの胸に頬を押しつけた。




もう、言い訳だらけですが・・・・・・・

ごめんなさい。戦闘シーンは苦手です。
この次の『支えあう二人』を先に書き上げて、戦闘シーンをいっちょ書いてみるかという事で始めたのですが、筆力のなさにのた打ち回る結果となりました><

主人公二人がボス戦で活躍するのは多分、これが最後です。
だって、剣技は ヒースクリフ>(チート)>キリト>>アスナ>>>>クライン=エギル>>主人公 というイメージですし、指揮能力もアスナ>>ヒースクリフ>>>コートニー という位置づけで書いています。
25層ではそれほどレベル差が離れていないので、主人公たちに活躍の場がたまたま与えられたというイメージで書きました。

キバオウさんの関西弁。変かもしれません、いえ、多分地元の人が見たらエセ関西人と言われるでしょう。一応大阪弁変換サイトで検証したんですけどね。
http://monjiro.net/
詳しい方、ご教授plz!!(涙)

あと、ボス戦の参加人数ですが、マザーズロザリオで7*7の49人が最大と書いてありますが、SAOでは見当たらなかったので被害を大きくするために多くの人に参加していただきました。
シンカーさんやユリエールさんがボス戦に参加したことがあるのか、25層のボスの名前、ボスの攻撃パターンなどなど、いっぱい原作と違いがあると思いますが、2次創作という事でお許しください。orz


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第8話 支えあう二人【ジークリード4】

「うおおおぉぉ!」

 私の隣で黒の剣士が雄叫びをあげ五連撃を放った。

 その剣が二五層のボス、双頭の巨人を切り裂いた。同じ片手剣とは思えない破壊力だ。わずかに残された五本目のヒットポイントバーがその幅を減らし双頭の巨人は叫び声をあげて細かいボリゴンとなって散った。

 いつものボス戦ならここで歓声がとどろき、祝福の声がお互いの健闘を称える。だが、今日は違った。重苦しい空気が辺りを包む。

 あまりにも……あまりにも多くの犠牲者が出てしまった。私とコーが所属しているギルドMTD≪MMOトゥディ≫のメンバー三六人のうち二四人もの犠牲者を出してしまったのだ。他のギルドも犠牲者が出たようだがこれほどの被害を出したのはMTDだけだった。

 ここまでのボス攻略は順調だった。区切りの第十層と第二十層には強力なボスがいるのではないかと思われていたがそう言う事もなく、『フロアー数プラス10のレベル』という安全マージンを取っていればそれほどの危険を感じる事はなかった。慢心もあったかもしれないが、この第二五層のボスは明らかに常軌を逸していた。

 時々右足を大きく振りおろすと地面が大きく揺れ立っている事が難しくなるという今までにない特殊効果。両手に持ったハンマーは重く、まともに食らうとヒットポイントの半分を持って行かれた。さらに振り下ろした周辺三メートルが範囲攻撃を受けるというどれをとっても今までにはなかった要素が詰め込まれたボスであった。

 ギルドの前衛が崩されるのに十秒もかからなかった。たちまちMTDの中央を担っていた1パーティー6人がポリゴンを散らした。恐慌をきたした3人が転移結晶で離脱しようとして失敗して死亡するとたちまちその恐慌はギルドメンバー全員に伝染した。コーがシンカーさんから半ば強引に指揮権を奪わなければ本当に全滅していたかもしれない。

 私も戦闘中に左腕を失った。部位欠損ダメージ表示がヒットポイントバーを赤く染め言いようのない鈍痛を左肩に感じる。

 後ろでコーとキバオウが言い争う声が聞こえたが、今は黒の剣士に礼を言うのが先決だろう。

「ありがとうございます。フォローしてくれて」

 私は黒の剣士に頭を下げてお礼を言った。その姿はそのあだ名にふさわしく黒に統一されている。盾なしの片手剣、装甲も厚くなさそうな装備なのに私との差は段違いだ。ボス戦にはよく見かける顔だがその名前までは知らない。

 彼がフォローに入ってくれたおかげで私の命が助かったばかりか、崩壊寸前だった前衛が安定した。こんな言葉でしか感謝の気持ちが伝えられないのが心苦しかった。

「お疲れ」

 黒の剣士はそれだけを言うと、さっと剣先を払うと片手剣を背中の鞘に納め第二六層につながる扉へ歩いて行った。

 攻略組同士の付き合いはこんなものだ。フォローしあうのは当たり前。礼を言う暇があったら攻略。何事においても攻略優先だ。

 私は黒の剣士を見送ることしかできなかった。

「ヒール!」

 いつの間にか目の前に立ったコーが私の胸に手を当てて叫んだ。その声で回復結晶が光と共に散り、レッドゾーンに入ろうかとしていた私のヒットポイントが全回復した。だが、全身の倦怠感と失ったままの左腕の鈍痛はまったく去らなかった。

「コーお疲れ様」

 私は胸に当てられたコーの手に自分の残された右手を重ねた。

 多くの仲間が死んでしまった。散って行った一人一人の顔が思い浮かび目に涙が浮かんだ。私は大声で泣き出したい衝動に駆られる。

 だが、コーの顔を見てそれを心の奥に抑え込んだ。彼女も必死に涙をこらえているようだったがすでに雫はあふれ出しその頬を濡らしていた。

 私は泣いてはいけない。今の私は男だ。ジークリードはコーの心をしっかりと受け止め、彼女を支えなければならない。

 私はコーの頭を静かに抱いた。それを合図にしたかのようにコーが咽び泣き始めた。

「失礼」

 赤を基調とした美しい鎧を身にまとった男が声をかけてきた。それはトッププレーヤーとして名高い血盟騎士団のギルドマスター、ヒースクリフだった。その後ろにあごひげを蓄えた男と長い栗色の髪を揺らしている少女を伴っていた。二人とも白を基調とし、鮮やかな赤の十字架の刺繍が飾る優美な制服を装備している。

 こんなトッププレーヤーが声をかけて来るなんて……私は緊張で身を固くした。

 ヒースクリフの声でコーがあわてて私の胸から飛び出して涙をぬぐった。

「君たち二人の戦いぶりは本当に見事だった。それだけを伝えたくて、つい一声かけてしまった。邪魔して済まなかった」

 顔の前にたらした銀灰色の前髪を風に揺らして身をひるがえすとヒースクリフは第二六層への扉に足を向けた。「もし、君たちが今以上の力を欲するのなら、私のギルドに来たまえ」

 ヒースクリフは足を止めてそれだけを言うと、二人の部下を引き連れて扉の向こうに消えた。

 スカウト……なのか? 今のは。

 私はヒースクリフの言葉を頭の中で何度も繰り返した。私とコーのレベルは37。攻略組の中では平均と言ったところだろう。私たちより強い人はたくさんいる。もしかしたらヒースクリフは全員に声をかけて回っているのかもしれない。しかし、トッププレーヤーから褒められ声をかけられるのは嬉しい事だ。こんな仲間を大量に失った後でなければ舞い上がっていたかもしれない。

「みなさん。行きましょう」

 キバオウをなにやら説得していたシンカーさんは疲れきった表情で生き残ったメンバーへ言った。

「はい」

 私は彼の後を追った。

 

 ボス攻略後恒例となっていた祝勝会は第26層でも行われた。しかし、今回は祝勝会というより追悼式のような暗い雰囲気になっていた。各ギルドマスターの挨拶も自然と暗いものになり、シンカーさんの挨拶はまるで弔辞のようだった。

 形式的な乾杯が行われ、広場は立食パーティーに移行した。職人クラスの人たちがアクティブになった転移門から次々に現れ、露店を開いた。鍛冶スキルを上げている者は武器や防具。裁縫スキルを上げている者は洋服や帽子。細工スキルを上げている者は美しいアクセサリー。料理スキルを上げている者は自慢の料理。彼らにとって祝勝会のこの日は書き入れ時だ。

 その熱気で徐々に祝勝会らしく盛り上がってきた。暗い雰囲気を吹き飛ばしてくれる彼らに感謝しなければならない。

「はい。ジーク」

 街明かりに照らされた広場の噴水に腰かけていると、コーがフランクフルトソーセージのような食べ物と黒エールを持ってきた。

「ありがとう」

 私は笑顔で右手でソーセージ、復活したばかりの左手で黒エールを受け取ると、左隣にコーが腰かけた。

「左腕。大丈夫?」

 コーは私の復活した左腕をさすりながら尋ねた。

「大丈夫。なんか、急に腕が復活するとびっくりだよ」

 ほんの少し、違和感があるが、徐々に回復していくだろう。現実世界だったらこんな大けがを負ったらただでは済まなかっただろう。これはゲームで助かったと喜ぶべきなのだろうか?

「あの、黒の剣士に感謝しなくちゃね」

「そうだね。でも姿を見ないね。もう自分のホームタウンに帰っちゃったのかな。改めてお礼を言いたかったんだけど」

「うん。僕もお礼を言いたかったのに。あの人、ボス戦ではよく見かけるけど、祝勝会では全然見かけないよね。きっと、シャイなんだよ」

「そう言えば、エッガーは無事だったのかな?」

 私は右手を縦に振ってギルドメニューの名簿を確認しようとした。彼とはパーティーを組んでいたが、戦闘早々に恐怖のあまり転移結晶で脱出していた。

「うん。大丈夫。さっきメッセージが来たよ。『ごめんなさい』って」

「よかった」

 私は開きかけたギルドメニューを閉じて、心からそう思った。生き残ればまた会える。言葉を交わせる。そんな平凡な事がとても貴重なものに思えた。

「よお。兄ちゃん。お疲れ様。いい戦いぶりだったぜ」

 その声に目をむけるとそこには禿頭の斧戦士がいた。攻略組ではすっかりおなじみの顔、エギルだった。彼は故買屋を営みながらもボス攻略皆勤賞を続けている。

「エギルさんもお疲れ様でした」

 私は立ち上がって頭を下げた。

「お嬢ちゃんもいい指揮っぷりだったぜ」

「……」

 コーは返事もせずぼーっと前を見つめていた。

「いいアイテムは出なかったかい?」

 エギルはため息を一つ吐くと私に顔を向けた。

「残念ながら」

 私は首をすくめて首を左右に振った。

「そうか、手ごろな片手剣か盾があったらすぐに連絡するぜ」

「はい。連絡、待ってます」

「じゃあな」

 エギルは私を軽くハグすると耳元で囁いた。「ところで、まだ、俺は嫌われてるのか?」

「残念ながら」

 私が苦笑で返事をすると、エギルは再びため息をついて去って行った。

 コーを見ると、エギルなどいなかったかのように遠くの露店の群れを見ていた。半年前に転売された事をいまだに根に持っているのだ。

「エギルさんの事。もう許してあげてもいいんじゃないかな?」

「誰? そんな人知らない」

 コーはわざとらしく首を傾げて、平坦な声で言った。

 コーに恨まれた人はかわいそうだ。一生許してもらえない。私は苦笑しながら彼女の隣に座った。

「これからどうする。露店を見てまわる?」

 食欲を満たしたところで私はコーに尋ねた。

「ううん。今日はいいや。とてもそんな気分になれない。っていうか。そんな気分になっちゃいけない気がする」

「そっか。じゃ、宿屋に行こうか」

「うん」

 立ち上がった時、白銀のプレートメイルに身を固めた男が現れた。髪を金色に染めツンツンに立たせるというカスタマイズを施している姿は間違いなく聖竜連合のギルドマスターのレンバーだ。20歳ぐらいだがMTDに次ぐ巨大ギルドを主宰するカリスマギルドマスターだ。

「コートニーさん!」

 私を押しのけるようにしてレンバーはコーの前に立った。「MTDって攻略をやめるんだってね。攻略組を続けるならぜひウチに入ってよ!」

「は?」

 コーは目を丸くして聞き返した。「誰が言ってるのそんな事?」

「キバオウって奴がさっき言って回ってたぜ。あいつ、MTDの幹部だよね?」

「MTDが攻略をやめるって事はありません。少なくとも今はそんな事決まっていません」

 コーはギリッと歯ぎしりをした後、抑揚なく言った。

「そっか、そうだよね。最大ギルドが前線からいなくなったら俺らもつらいしさ」

 レンバーはハハハと笑い声をあげて頭をかいた。彼はコーの言葉が平坦になった時の怖さを知らない。私はハラハラしながら見守った。「でも、もし移籍する考えがあるならいつでも言ってくれよ。コートニーさんだったらウチはいつでも大歓迎だよ」

「うん。考えておく」

 明らかに気のない返事だ。

「それじゃ」

 コーの言葉を聞いてレンバーはちょっとうなだれて右手を挙げた。

「あ、レンバーさん」

 レンバーが手を振って去ろうとした時、コーが呼び止めた。

「ん?」

「今日はありがとうございました」

 コーは深々と頭を下げた。「MTDの右翼を支えてくださって。助かりました」

 MTDの右翼を担っていたのはキバオウが中心となっていた3つのパーティー18名だった。途中、コーが指揮を執り始めた時からまったくその指示を受け入れず、遂に崩壊した。生き残ったのはキバオウを含めて3名だけだった。そこを支えてくれたのが聖竜連合のパーティーだったのだ。

「いやいや。穴があったからふさいだだけで、お礼を言われるようなことはしてないよ」

 照れくさそうにレンバーは頭をかいた。そして、右手のグローブを外して腰でごしごし拭くとコーに笑顔で握手を求めた。「でも、次にウチが崩れそうだったら助けてくれよな!」

「はい。喜んで」

 コーは極上の笑顔でその握手に応えた。

「じゃ。また」

 レンバーは片手をあげてさわやかにコーへ別れを告げると、私の横を通り過ぎながら広場の雑踏へ消えた。

(よっしゃー。二度とこの右手は洗わねぇ)

 すれ違いざまに聞こえた、レンバーのその呟きは彼の名誉のため忘れてあげる事にした。

 

 私たちはチェックインを済ませると、いつものようにツインルームに入った。

 いつものように背中合わせで着替えを済ませて、二人掛けのソファーに並んで座った。

「「はあ」」

 と二人同時にため息をついて、私たちは顔を見合わせた。

 クスリと笑いあうと思った時、 コーは笑顔を作ろうとして失敗しひとすじの涙を流した。

「今日、失敗しちゃったね……僕……」

 コーは唇を噛みしめて呟いた。

 コーは今日、途中から指揮を執った事を後悔している。そして、死んでいった人たちの事を考え自分を責めている。短い呟きに秘められた思いが私の心を締め付けた。

「コーは失敗してないよ。あれ以上の事は誰にもできなかった」

 慰めではなく心の底から私はそう思っている。コーは自分の能力以上の事を果たしたのだ。私はそう信じて疑わない。

 やんちゃで気分屋で少年のような心を持っていて、責任感が強いコーを守ってあげたい。支えてあげたい。この気持ちが私の母性から来るものなのか、ジークリードという男の気持ちから来るものなのか、分からない。けれども、この気持ちは本物だ。

「コーはなんにも悪くない」

 私はコーの頭を優しく撫でると自分の胸に導いた。こうやってコーを抱きしめるのはあの回線切断事件以来だ。それだけの間、お互い命の危険を感じた事がなかったと言える。

「ありがとう。ごめんね。ちょっと懺悔させて」

 コーはそっと私の背中に手を回して抱きしめると囁くように懺悔を始めた。「レイヴァンさん。ごめん。僕がもっと早く指示していれば……死ななかった」

 私たちのパーティーで唯一の犠牲者、レイヴァン。慌てて取り出したのが解毒結晶だったのが彼の運命を決めてしまった。

 確かにコーがもっと早く回復を指示していれば彼は死ななかったかもしれない。しかし、それは本当に『たられば』だ。あの状況では仕方がない。

「オリビエさん。ガブリエルさん。ごめん。シンカーさんかユリエールさんに注意を促していれば……」

 シンカーさんのパーティーメンバーの二人は前衛六人パーティーが全滅した時に範囲攻撃を受けてヒットポイントを減らしていた。その状態のまま前衛に入ったものだから、次の攻撃でその身を散らせた。

 コーが全体の指揮を始める前の出来事だ。本来は気に病むべきではない。でも、彼女は一声をかけなかったことを後悔している。

「ダンコフさん。ごめん。もっと僕が粘り強ければ……」

「ダンコフはキバオウの指揮下じゃないか。コーは何にも悪くない」

 コーがダンコフの名前を挙げたのでさすがに声を出して、コーの懺悔を否定した。

「ううん。僕は一回キバオウに指示を出して無視されたらから……見捨てた。そう、あの時、僕は見捨てたんだ。あの時、まだ生きてたんだよ。十人も! もっと粘り強く。何度も言えば……」

「コーは頑張ったよ。あのキバオウがコーのいう事を聞くとは思えないし」

 私はそう言ってコーを抱く力を強めた。「コーが私たち八人を助けてくれたんだ。ありがとう」

「でも、みんないい人ばかりだったのに!」

 コーは声を上げて泣き始めた。

 そう、みんないい人たちだった。MTDに参加して三カ月。迷宮区やボス戦での彼らとの交流は心温まるものがあった。色々な思い出がひとつ、またひとつと頭をよぎって行った。

 レイヴァンもオリビエもガブリエルもダンコフも……みんなみんないい仲間だった。

 胸を締め付けられる。でも、泣いてはいけない。私はこの世界では男なのだから。コーをしっかりと守って支えてあげなくてはいけないのだ。

「ありがとう。ちょっとだけすっきりした」

 ひとしきり泣いた後、コーは私の胸から笑顔を見せた。が、すぐにその表情が改まり、何を思ったか私の腰の上にまたがり見下ろしてきた。

「なに?」

 (コーを見あげるなんて初めてだ)などとこの状況にそぐわない事を考えながら私は心臓の高鳴りを覚えた。

 コーは優しい表情で私の頬を撫でた。いや、涙をぬぐってくれた。いつの間にか私の頬には涙が流れていたのだ。

「いつもごめんね。僕ばかりが泣いて」

 そう言うとコーは私の頭を抱きしめた。私の頬が柔らかい二つのふくらみに包まれる。「男の子だって、泣いていいんだよ」

 上から優しいコーの言葉が桜の花びらのようにゆっくりと舞い降りてきた。

 遠い昔、母に抱かれ泣きじゃくった頃の感情がよみがえった。こんな暖かい空間に包まれるのは何年振りだろう。ぎゅうっと心が締め付けられそれが砕けると、私は声を上げて泣いていた。

 失った仲間に対する悲しみ。自分がいつ死ぬか分からないという恐怖。コーのために強い男を演じなければという義務感。元の世界に戻れないという悲しみ。コーをいつ失ってしまうかわからないという恐怖。それらが何もかも決壊を起こし両目からあふれだしてきた。

 ずっとこの世界に来て男だからと押さえつけていた弱い自分をさらけ出し、コーにすがるように哀哭の声をあげた。

 結果的に私はコーより長い時間泣き続けてしまった。私がようやく泣きやむとコーは私の膝の上に座って視線を同じ高さに合わせた。

「今日はおあいこだね」

 コーはにっこりと笑った。

「おあいこだね」

 私は照れくさくてコーをまっすぐ見る事が出来ない。

「二人だけの時は泣きたい時、我慢しなくていいからね。そんな事で僕はジークを嫌いにならないよ」

 コーは私の頭を撫でながら言った。

「ありがとう」

 これではまるで私が子供のようだ。でも、嫌な感じはしない。なんだか重荷をおろしたように私の身体が軽くなったような気がした。

 コーを支えなければならないなどというのは私の思い上がりだった。私たちは支え支えられてこの世界を生きている。

 私はそれを教えてくれた儚げな瞳の少女の背中にそっと手をまわした。

 




もう、ワンパターンなんだよ。
何かエピソードがあって、抱き合って終わり。こればっかじゃん!
そんな声が聞こえてきそうです。これでもまだ、二人はキスも交わしていないという脳内設定です。

でも、コートニーが女性らしく、ジークリードが男性らしくだんだん変わっていく姿をお楽しみいただければ幸いです。

聖竜連合のギルマスって原作で出てきていますか? シュミットさんは幹部ですよね。お名前やスペックをご存知の方、教えてくださいorz


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第9話 空虚な心 空虚な笑い【ジークリード5-1】

血盟騎士団メンバーが数多く出ますが、ほとんどは架空のものです。架空なものが苦手な方は読むのをお避け下さい。


 第二六層の街の中央に建つロマネスク様式の鐘楼から見下ろす景色はまさに絶景だった。

 ソードアート・オンラインにはちゃんと季節設定があり、今日は四月一五日。あの辛かった第二五層攻略の日から三日後である。心地よい風が頬を撫でていく。『春深く、木々の緑に心躍るこの頃』などと手紙の冒頭に書くあいさつ文がとても似合う、そんな気候設定の日だった。

 コーがこの景色を見たら子供のようにはしゃぐだろうな。今度、一緒に来よう。

 目を閉じればそんな光景がリアルに浮かんできそうだ。

 だが今、目の前にいるのはコーではない。

 目の前にいるのは攻略組の名門ギルド≪聖竜連合≫のギルドマスター、レンバーだ。白銀のプレートメイルに身を固め、髪は金色に染めてツンツンに立たせるというカスタマイズを施している。年齢は二十歳ぐらいだろうか。なかなか凛々しい顔立ちなのだが残念ながら身長があまり高くない。ひょっとすると百六十センチを切っているかも知れない。

「まず、はっきりと言っておこう」

 レンバーは腕組みをして言った。「俺は貴様が大嫌いだ」

(は?)

 私はレンバーがわざわざこんなところに連れてきた挙句、そんな事を言いはじめるとは思ってもみなかった。彼は私とコーがMTDを脱退した事を聞きつけると聖竜連合総出でこの町にいる私たちを探し出させ、コーに自分のギルドに入るように猛アピールした後(もちろんコーはその申し出を丁重に断った)、私だけをここまで連れてきたのだ。

「いつも、コートニーさんと一緒にいるし。そのくせヘタレ壁戦士だ」

 レンバーは腕をほどいて私を指差した。

 要するに嫉妬か……。私は心の中でため息をついた。私はリアル世界で女の嫉妬の醜さを知っている。男の世界でも嫉妬心というのは一緒なんだ。などと妙な感心をしてしまった。

 正面切って言われたのはこれが初めてだが、他の人からそう思われているのは容易に想像できた。なにしろ、コーはアインクラッド一の美貌の持ち主(私の恋心補正を若干含む)だ。そんな彼女とずっと行動を共にしているのだから嫉妬されるのは当然だろう。

「だが、今から俺が言う事はその思いからじゃない。だから誤解するなよ」

 居丈高な態度で私を見上げてくる。「コートニーさんをいつまで縛り付けるつもりなんだ」

「は?」

 私がコーを縛り付けている?

 何を訳が分からない事を言っているのだ。私たちの事なんか全然知らないくせに。

「気づいていないのか。それとも、気づかぬふりをしているのか」

 レンバーは鼻を鳴らし、手を腰に当て胸を張った。「コートニーさんのセンスは一流だ。三日前のボス攻略で、俺は確信した。彼女は攻略組のトップに立てるプレーヤーだと。だが彼女は今、攻略組のミドルレンジで甘んじている」

「それが、私のせいだとでも?」

 私の言葉に抑えきれない怒気がこもる。

「違うとでも?」

 私の怒りなどお構いなしにレンバーは反問した。「コートニーさんはもっと強くなれる。それを邪魔しているのがヘタレ壁戦士の貴様だ。彼女は貴様をフォローばかりして自分の強化を後回しにしている」

「でも、私とコーは」

 と、言うとレンバーは右手を上げて私の言葉を制した。その眼には有無を言わせぬ迫力があった。

「ああ、コートニーさんと貴様は確かにいい関係なんだろうさ。普通のゲームだったら俺もこんな事は言わねぇ。だが、このゲームは遊びじゃねぇ」

 レンバーは私が黙ったのを見て再び腕を組んだ。「第百層を突破しなければ帰れねぇんだよ。みんなが本気を出して攻略しなくちゃここから抜け出せねぇ。仲良しごっこしてる場合じゃねぇんだ。貴様は帰りたくないのか? 元の世界に」

 レンバーの言葉に私はガツンと頭を殴られたような衝撃を覚えた。半年という時間が流れて、確かに私はこの今の生活に慣れ、元の世界に戻るという本来の目的を見失ってしまっていたのではないか。

 でも、コーは私にとって……。

「コートニーさんは貴様の希望かも知れん。だが、彼女はみんなの希望になるべきだ」

 レンバーは私の心を読んで先回りしたかのように力強く言った。そして、一拍おいたあと、一転して穏やかな口調で言葉を継いだ。「MTDを脱退したのはいい機会だ。コートニーさんと貴様がどこのギルドに行くか知らんが、俺が言った事を忘れないでくれ」

 私とコーは昨日、ギルドMTDから脱退した。昨日の会議でキバオウが提案した『攻略よりも下層の治安維持優先』というのがギルドの方針として多数決で承認されてしまったからだ。私たち以外の攻略組も数多く脱退しているらしい。

 アインクラッド最大ギルドMTDの前線離脱というニュースは最前線のプレーヤーに衝撃を与えている。MTDの攻略組には聖竜連合や血盟騎士団に参加しているようなハイレベルプレーヤーはほとんどいない。しかし、プレイヤーの数を生かして迷宮区のマッピング、攻略情報の収集に寄与してきたのだ。それが突然の方針変更でこの第二六層の攻略計画は練り直しを迫られている。

 だが、今私が考えるべきことはコーの事だ。

 確かにレンバーのいう事には一理あるかもしれない。コーは私がいなければもっと効率よくレベル上げできたのではないか? 私とコーはお互いを必要として支えあっている。そう思ってきた。だが実は私が一方的にコーに寄りかかっているだけではないのか? そんな思いが頭をもたげてくる。

「俺が言いたかったのはそれだけだ。時間を取らせたな」

 レンバーは私が考え始めた事に満足したのか、そう言うと階段を降りはじめた。そして、五、六段下がったところで足を止めた。「もし、コートニーさんと別れて、貴様の行き場がなくなってしまったらウチに来い。貴様はヘタレ壁戦士だが、多少は評価している」

 振り返ることなくレンバーは言うと再び階段を降りて行き、二度と足を止めなかった。

 私は鐘楼から街を眺めた。先ほどと同じ風景なのに、なぜかとても色あせて見えた。

 

 鐘楼から出るとコーが待っていた。

「大丈夫だった? レンバーさんが出てきてからだいぶ経ってるけど何かあったの?」

 コーは心配そうに私を見上げながら私の左腕を取った。

「なんでもない。大丈夫」

 私は短く答えて歩き出した。頭の中はまだ整理しきれていない。

「この上ってどんな眺めだった? 一緒に行ってみたいなあ」

「……後にしないか? どこに移籍するか先に考えよう」

 子供のように目を輝かせて鐘楼に登りたいと訴えたコーに対して、私は首を振って歩き続けた。

 ギルドにこだわる事はない。

 私はレンバーと話をするまでそう考えていた。黒の剣士のようにどこのギルドにも参加せずソロ活動している者も少なからず存在するからだ。

 しかし、コーの成長という観点で見ればどこかのギルドに入るのは必須条件だと思えた。

 ギルドに入ればパーティーでの活動が簡単にできるし、死亡率も下がる。さらにギルドメンバー同士のパーティーは戦闘力強化のボーナスもある。効率よく安全にレベルやスキルを上げるにはギルドに入った方が圧倒的に有利だ。

 私はそんな事を考えながら広場のベンチに座った。コーも私の左に座った。

 第一層にいた時は私はコーに必要とされていた。これは誰に何と言われようと断言できる。≪投擲≫と≪槍≫という今一つメジャーになりきれないスキルをメインに据えているコーを守ってきたのは私だ。二人でパーティーを組んでいた時、コーにとって壁戦士の私は必要不可欠だったのだ。

 でも、今は状況が異なる。攻略組といわれる集団が形成され、そのなかで数多くのギルドが生まれている。六人パーティーを組んで行動することも多い。そうなれば私の役割は相対的に低くなる。コーは私などの事は考えなければどんどんレベルアップやスキルアップに専念できる筈なのだ。

 それなのにコーは私のレベルアップに気をつかって歩調を合わせてくれている。私はコーと違って凡人だ。コーのような人に引っ張り上げてもらわなければ、攻略組に名を連ねることなどできなかっただろう。

 私とコーの良好な関係が見えない鎖となって彼女の翼を縛り付けているのだ。レンバーの指摘はまさに的を射ている。

『彼女はみんなの希望になるべきだ』

 レンバーの言葉が頭の中でよみがえる。

 コーと一緒ならどこまでも強くなれる。どんなつらい事も乗り越えられると思い込んでした。

 多分、コーもそう思っている。

 でもそうじゃない。

 コーは……私を見捨ててもっと高みを目指すべきだ。そう、みんなの希望になるために。

「ねー。聞いてる?」

 コーが私の左肩を叩いてきた。

「あ、ごめん。考え事してた。何?」

「来月の五日、ジークの誕生日でしょ。『何がいい?』って聞いたんだけど」

 怒った口調で私を見つめてくる。でも、本気で怒っていない。そういう機微も今ではすっかりわかる。

「そうだなー」

 私は天井を見上げながら考えた。最初は欲しいものを考えていたが、別の考えが湧きあがってきた。

(このまま、コーとの関係を深めていっていいのだろうか?)

 見かけは男だが私は女だ。ゲームの中とは言え、このデスゲームと化したこの世界での生活とそれに伴う人間関係は濃密だ。リアル社会と遜色はない。それはここ半年間で痛感している。

 このまま、コーを騙し続けてはいけない。コーを深く傷つけてしまう。アバター同士の付き合いとはいえ、子供のように純粋な彼女を穢してしまう。

「ジーク」

 コーが平坦な声で私の名を呼びながら頬をつねってきた。まずい、これはかなり頭にきている。

「ごめんごめん」

「レンバーさんに何を言われたの?」

「いや、なんにも」

「それはないでしょ。何を悩んでるの?」

「コー。聖竜連合に入ってみる?」

 コーの追及をかわしきれなくなって、私はギルド選びの話題を振る事にした。

「ジークもレンバーさんに誘われたの? 僕が先に断ったから言いだしづらかったの?」

「ああ。まあ、そんなところ」

 コーがいいように誤解してくれたのでその線で理解してもらう事にした。

「聖竜連合はないよ」

 コーはきっぱり言った。「あそこはレアアイテムとかのためならオレンジにもなるじゃない。そういうのは僕は嫌だな」

「そっか……」

 レンバーはこのゲームをクリアする事に必死なのだ。レアアイテムを手に入れて攻略が一歩でも進むなら、彼は犯罪行為を犯してオレンジネームになる事も厭わないだろう。今の私にはレンバーの想いが分かった。

 だが、コーがそう言うなら別のギルドがいいだろう。

「じゃあ、風林火山とか?」

 風林火山は規模こそ小さいが最近成長著しい攻略ギルドだ。

「んー。あそこはねー。ギルドマスターがちょっと……」

「クラインさんだっけ?」

「あの人、直結厨じゃないの? ちょっと怖い」

「え! そうなの?」

 私は驚いて思わず聞き返してしまった。攻略会議や祝勝会の時、クラインとは何度か言葉を交わしたことがあるが、なかなかの好青年だった。そんな直結厨なんて言われるような感じには見えなかったのだが。

「自分の年齢から、趣味から、熱烈アピールしてきて……。もうリアルの住所まで聞き出してきそうな勢いだったよ」

 『うえっ』と声に出そうな表情でコーは自分の肩を抱いて体を震わせた。

 女性というのは結構自分に対する視線に敏感だ。それに直感を大切にする。最初に交わした二、三の言葉と印象で相手の全てを推し量ってしまう。どうやらクラインとコーは相性が合わなかったようだ。

「じゃあ、どこならいいの?」

「他のギルドはみんな僕ばかりに誘いの声をかけて、ジークを無視するんだもん。ホント許せない」

 コーは腕を組んで怒りをあらわにした。

「じゃあ、血盟騎士団とか」

「血盟騎士団かあ」

 コーは少し考えるとびょんと立ち上がった。「よし! 行こう!」

「え? 今から?」

「そ。今から!」

 コーは笑顔で私の手を引っ張って立たせると走り出した。

 思いついたら一直線! 本当にコーらしい。私はクスリと笑いながらその後を追った。

 

 血盟騎士団のギルドマスター、ヒースクリフ。暗赤色のローブを身にまといホワイトブロンドの長髪を背中で束ねるその姿はまるで魔道師のようだ。年齢は二五歳ぐらいだろうか。落ち着いた雰囲気はまさに大人の風格だ。

「ようこそ、血盟騎士団へ。歓迎しよう」

 ヒースクリフは右手のギルド印章を操作して私とコーの入団を承認し、つやのあるテノールの声で歓迎の言葉を述べた。

「歓迎しまっせ。連絡してんよってに皆はん、もうすぐ帰ってくるでっしゃろ」

 ふくよかな体を血盟騎士団の制服に包んでいるのは、ダイゼンという人らしい。彼はめったに前線には出ず、血盟騎士団の会計や装備の調達役をやっているとのことだった。

 ここは血盟騎士団のギルドハウス。といってもヒースクリフの自宅の一室だ。自宅を持っているというのが驚きだ。いったいどれだけの金額を稼いだのだろう。ヒースクリフと同じレベルに並ぶ頃には私も家を買えるのだろうか? そもそも、この人のレベルはまったく底知れない。

 自宅などという物を初めて見る私は部屋の中をキョロキョロと見回していた。そうこうしているうちに外からざわざわという話声が聞こえてきた。

「ただいまもどりました!」

 ドアを豪快にあけて元気よくあいさつしたのは、先日のボス戦の後、ヒースクリフの後ろにいたヒゲの斧戦士だった。年齢は三十歳ぐらいだろうか、身長は私より少し高くがっちりとした体格だった。

 その後ろから続々と白い制服の団員たちが入ってきた。

「おかえりなさい」

 ダイゼンはニコニコと笑顔を浮かべて声をかけた。

「私はゴドフリーだ。よろしく」

 ゴドフリーは私とコーに握手を求めた。

「ジークリードです」

「コートニーです」

 私とコートニーが交互に握手すると、ゴドフリーが団員たちの紹介を始めた。

 先日のボス戦でヒースクリフと言葉を交わした時に後ろにいた栗色の長髪の少女がアスナ。その鮮やかな剣技で≪閃光≫と呼ばれている細剣使いだ。ゴドフリーが副団長だと思っていたが、アスナが副団長を務めているとのことだった。

 他は盾戦士がブッチーニ、マティアス、マリオ。槍使いのセルバンテス、鍵開けスキル持ちのアラン。総勢九名。これで血盟騎士団は全員だった。私とコーは全員と笑顔で握手を交わした。気難しそうな人は一人もいない。私はちょっとほっとした。

「そういえば。ダイゼン。まだ二人に制服を渡していないのか?」

 ゴドフリーは私たちと握手を交わした後、ダイゼンに指示を出した。

「そうやった、そうやった」

 ダイゼンは頭をかきながらメニュー操作をした。すると、私にトレードウィンドーが開いた。「えっと、ジークリードはんはタンクだから装甲重視で……。コートニーはんは敏捷度重視と……」

 私は制服を受け取ってすぐに装備の変更をした。男を半年間続けてきたせいで今ではすっかり人前での着替えにまったく抵抗感がなくなっていた。

 私は血盟騎士団の白を基調とし赤い剣の刺繍で飾られた制服を身にまとった。それだけの事で気が引き締まる思いがした。

「コートニーさんはこっちで、着替えて」

 アスナがコートニーの手を取って別室へ移動した。そして、すぐに血盟騎士団の制服に身を包んだコートニーが扉から現れた。

 「おお」とも「ああ」とも聞こえる感嘆とため息の中間の声が部屋にあふれた。

 コートニーは今まで男女共通の装備を着る事が多かった。さっきまで着ていたのも男女共通装備のチェインメイルとズボンにスパッツという肌の露出がほとんどない装備だった。それが、アスナと同じ白地に赤の十字模様の騎士服はノースリーブで、膝上のミニスカート、そして白のニーソックスと実に女性らしい姿に変わったものだからこのどよめきも理解できる。

「美女が二人に増えた。これで勝てる!」

 セルバンテスが涙を流さんばかりに歓喜し、「誰にだよ!」とブッチーニがツッコミを入れていた。

「さて、恒例のアレ。いってみようか!」

 ゴドフリーは私に目配せをすると、自分の右こぶしをバンと左手に打ちつけた。

「恒例って?」

「漢ならデュエルに決まっておろうが!」

 ゴドフリーはガハハと笑いながら私の肩を力強く叩いた。

「ゴドフリーのアニキ! それだから脳筋って言われるんですよ」

 アランがくつくつと笑いながら言った。

「いやいや。この世界は見かけだと力が分からないからな。お互い、剣で語らねば」

「僕もやるの?」

 コーが心配そうに尋ねるとゴドフリーは頭を振った。

「いやいや。コートニーさんはタンクじゃないし。私は女の子と戦うと実力が発揮できん」

「とか、なんとか言っちゃって。アスナさんに負けたのは実力の差ですよ」

 と、アランが混ぜ返すと団員全員から失笑が漏れた。

「ぐぬぬ。とにかく、裏庭に集合!」

 ゴドフリーは言葉を詰まらせた後、それを吹き飛ばすように右腕を天に突き上げて号令を発した。

 やれやれ。とみんな苦笑しながらぞろぞろと部屋を出る。

 裏庭と言っても正確にはヒースクリフ邸の敷地ではなく、主街区の公園であった。小さな池の周りにはベンチなどが置かれている。

「じゃあ、やろうか」

 ゴドフリーがメニュー操作をすると私の目の前にデュエル申請画面が現れた。≪初撃決着モード≫を選択する。これは先に強攻撃をヒットさせるか先にヒットポイントを半減させた方が勝ちというモードだ。

 六〇からカウントがはじまり、ゼロになった瞬間、私は間合いを詰めるべくゴドフリーに向かってダッシュした。

 数合打ち合っただけで、これはまずいと思った。

 両手持ちの斧はその必要筋力値が高く、そのためスピードに劣る。……はずなのだが、ゴドフリーの斧攻撃は私の予想を上回るスピードだった。片手剣の私がついて行くのがやっと、盾持ちでなければすでに一、二発食らっていただろう。

 恐らくレベルが3かそれ以上離れているのだろう。装備の差もあるかもしれないがやや絶望的ともいえる力の差が私とゴドフリーの間に横たわっていた。

 私は負けても構わない。しかし、私が簡単に負けてしまうようではコーの評価が下がってしまうかもしれない。私は奥歯をかみしめ剣を振るい、盾で斧を受け止める。

 全身に熱い血がめぐり、頭が戦闘一色に染まり周囲が見えなくなっていく。視野に入るのはゴドフリーの身体と攻撃だけだ。徐々にゴドフリーの斧の軌道がつかめるようになってきた。

 ゴドフリーの斧を紙一重で躱して隙を狙って痛撃を与えるべく剣を振り下ろす。ゴドフリーは私の剣をかろうじて斧の柄で受け止め反撃に出る。それを盾で受け止める。

 そんな攻防を繰り返しながらお互いに決定打を与えられぬまま徐々に互いのヒットポイントを削って行く。

 わずかにゴドフリーが有利だ。このままではまずい。私は賭けに出る事にした。

 私はゴドフリーが振り下ろす斧を剣で受け止めた。いや、正確に言うと剣の柄の部分をわざと斧の刃に晒した。私の人差し指の先が部位欠損判定と共に消え去る。

 ガチンという音と共に私の剣が右手から弾き飛ばされる。

 剣でも盾でも、相手の攻撃を受け止めた時点で硬直時間が科せられる。だが、部位欠損判定の場合はそれ自体がバッドステータスなので硬直時間は科せられない。そして、ゴドフリーは私の行動に戸惑う。

 この一瞬の隙をついて、私は身をひるがえして左手を伸ばす。同時にメインメニューを操作。私の左腕に装備されている盾がゴドフリーの左顔面をとらえる。だが、彼のヒットポイントは微動だにしない。

 盾で殴ってもソードスキルでない限りダメージを与える事は出来ない。だが、物理法則に忠実なソードアート・オンラインではヒットポイントが減らなくても殴られた衝撃とそれによる重心移動は存在する。

 ゴドフリーの体勢が崩れた。

「やあああああ!」

 私は盾を投げ捨て、先ほど操作していたメインメニューで左手に予備の片手剣を呼び出して、ゴドフリーに突撃し最後の攻撃を仕掛ける。盾を捨てた事により敏捷度が上がる。だが、これでもゴドフリーに届くかどうかは五分五分だろう。

「うおおおおおおおお!」

 ゴドフリーが憤怒の表情で体制を立て直し斧を振り下ろす。

 わずかに……届かないか……。

 と、思った瞬間、目の前に人影が現れた。刹那、人影の腰に装備されていた細剣が煌めくと私は地面に叩きつけられた。

 ばっと見上げるとそれはアスナだった。すでにゴドフリーの斧も彼女の細剣にはじかれて、彼も地面に突っ伏していた。

 アスナは私とゴドフリーの衝突点の真っただ中に立ち、双方の攻撃を弾き飛ばしたのだ。≪閃光≫どころではない。光すら見えない攻撃だった。もう、別世界の強さだ。

「ジークリードさん。あなたの負けです」

 アスナは細剣を腰の鞘に納めながら断言した。そして、振り返るとゴドフリーに激しい言葉を浴びせた。「ゴドフリー! 何を考えてるの? あなた首を狙ってたでしょ! クリティカル判定があったらジークリードさんを殺す所だったのよ!」

「すまん、すまん。盾で殴られて熱くなってしまった」

 ゴドフリーは頭をガシガシとかき乱しながら立ち上がった。

 私の負けか……。私は空を見上げた。

 一年前、バスケット部に入部した時の事が頭によみがえってきた。

 自分の身長を生かして中学時代から始めていたバスケットで私はそれなりに有名だった。バスケットによる推薦入学ではなかったが、高校のバスケットなんて楽勝と思っていた。だが、入部してみたら一つ二つ年上の先輩にまったく歯が立たなかった。その時、冷たい視線を先輩部員から浴びせられたことを思い出した。

 血盟騎士団のメンバーは私の戦いに失望したのではないだろうか……。

「大丈夫?」

 コーがいつの間にか私の右手を取って心配そうに私を見つめていた。いつもと違う露出が多い服装にどきりとして視線をそらしてしまった。これではまるで、私は本当の男の子だ。

 ぱちぱちと拍手が上がった。そちらを見ると拍手をしていたのはヒースクリフだった。

「見事な戦いだった。やはり、私の目には狂いはなかったな。わずかにレベルと装備、運が足りなかっただけだ」

 落ち着いたテノールはよく響く声だった。

 それをきっかけにあちこちからぱちぱちと拍手が上がった。

「なかなかやるな」

 ゴドフリーが私に手を差し伸べた。「私に負けたことは気にするな。みんなより強くなければリーダーをやる資格はないのだからな」

 ゴドフリーは私を引き起こしながら晴れやかに破顔した。

「さて、ヒットポイントと部位欠損が回復したら迷宮区に行きましょう」

 アスナが私とゴドフリーに声をかけてから、ダイゼンに向かって言った。「ダイゼン。二人にベッドロールを渡してあげて」

「あい」

 ダイゼンがメインメニューを操作すると、私のアイテムストレージにベッドロールが追加された。

 野営でもするのだろうか?

「入団して直後で申し訳ありませんが、お二人にも参加してもらいます」

 アスナが腕を組んで私とコーに言い渡した。「今日から三日間、私たちは迷宮区に籠ってマッピングを行います」

「え?」

 コーが驚きの声をあげた。

「あなたたちの責任ではないけれど、MTDの前線離脱で迷宮区のマッピングが遅れています。遅れを取り戻すために、わずかな時間も無駄にできない。だから街に戻らずに現地で睡眠をとります」

 鋭い視線をコーに向けてアスナは言い放った。

 私はついさっき、アスナと同じ瞳を見た。レンバーだ。恐らく、アスナもレンバーと同じようにこのデスゲームからの脱出を渇望している一人なのだろう。

「わかりました」

 コーの声が少し沈んでいた。

 ひょっとすると、コーはこういう団体行動に慣れていないのかもしれない。MTDのような仲良し集団ではなく、一つの目標に向かって邁進するという集団に戸惑っているのだろうか。

「ポーション、回復結晶など、足りないものがあったらタイゼンさんからもらってください。五分後に出発します。以上」

「へーい」

 と、プッチーニが言うとアスナは鋭い視線を彼に向けた。

「失礼しました! 了解しました!」

 プッチーニは態度を改めてアスナに敬礼した。

 鼻こそ鳴らさなかったが、明らかに不満顔を浮かべながらアスナは栗色の美しい髪をなびかせてギルドハウスに向かった。その後をヒースクリフやゴドフリーが歩いていく。少し距離を取って団員達もその後を追った。

「アホやなあ。副団長を怒らせるなよ」

 笑いながらセルバンテスがプッチーニを肘で小突く。

「アホ言うな。変態」

 笑いながら小突き返す。

 私はそんな姿に微笑みを浮かべた。

「私たちも行こうか」

「うん……」

 明らかに沈んだ声でコーは私に返事を返した。

 

 五分後、私たちは一団となって迷宮区に向かった。

 移動中、さすがに軍隊のように隊列を組んで歩くことはなかった。気の合う者同士がおしゃべりをしながら移動する。よくある光景だった。

 私の左隣でコーが私の肘の布地をつまみながら歩く。これはいつもと変わらない。むしろ、最近はコーが掴まってないと違和感を感じるようになってしまった。

「ちょっと、コートニーさん」

 アスナが私たちの前に立った。

「はい」

「それ、やめてもらえないかしら?」

 アスナはコーの右手を指差して言った。コーの右手は私の肘を捕まえている。

「なぜですか?」

 コーは平坦な声で答えた。かなりカチンと来ているようだ。

「血盟騎士団は最近、注目されているわ。そういう姿を見られると誤解されてしまう」

「仲間としゃべりながら歩くのは良くて、ちょっと掴まっているのが駄目なんですか?」

 コーの声色は臨界点一歩手前だ。まずいと思った瞬間にはアスナが口を開いていた。

「男同士、女同士ならまだいいけれど、男女でそれをやられると……。私たちはデートで迷宮区に行くわけじゃないのよ」

「ぼ……」

 コーとアスナが破局を迎える前に私はコーの口を押えた。

「アスナさん。ちょっと時間をいただけませんか? 言い聞かせますから」

 私はコーが暴れるのを押さえつけながら言った。

「今日はだいぶスケジュールが遅れているんです。できれば一分以内にお願いします」

 アスナの表情もとても硬い。ぱっと髪をひるがえしてゴドフリーの方へ歩いて行った。

「分かりました」

 私はコーを連れて少し離れた場所へ移動した。

 

 コーは怒りに満ちた目で私を見つめた。

「やめよう! 血盟騎士団なんて。こんなの、全然楽しくない! 三日も迷宮区にこもるなんて、その間、ジークと二人だけになれないんだよ」

 そう言いながらコーは体を寄せてきた。

「コー。ゲームクリアのために頑張るんじゃなかったの?」

 私はコーの肩を掴んで少し体を引き離して聞いた。

「もちろん頑張るよ。でも、こんなのは嫌だ」

 不思議そうな顔をしてコーは私を見上げる。

「コーはもうちょっと、人付き合いと我慢を覚えた方がいいよ」

 私は優しく言い聞かせるようにコーの頭を撫でた。

「何を言ってるの?」

 途端にコーの言葉が平坦になる。「僕はジークと一緒にいれればいいんだよ」

「コーはもっと強くなれるよ。私の事なんか考えなくていい。ここにいれば強くなれる。コーも私も」

 コーはぐっと歯をかみしめて俯いた。そして、いきなりキッと私を見上げると私の左頬に平手打ちを食らわした。

 パーンと乾いた音が響いた。少し離れた場所にいる血盟騎士団メンバーが驚いて一斉にこちらを見た。

「わかった……」

 コーはくるりと私に背を向けて歩き始めた。「もう、ジークリードなんて知らない」

「コー! 血盟騎士団をやめるつもり?」

 このままコーが血盟騎士団を抜けてどこかに行ってしまうかも知れない。私はあわててコーの後を追った。

「血盟騎士団はやめない。けど……」

 コーは私に目もくれずメインメニューを目にもとまらないスピードで操作した。

 私の視界の隅にシステムメッセージが届いた。それを開いて確認する。

 

【Courtneyさんとのフレンド関係は解消されました】

 

 さらにシステムメッセージが届いた。

 

【Courtneyさんのブロックリストに登録されました。今後、Courtneyさんとの会話は全てブロックされます。これを解除するには…………】

 

 もう、続きの解説を読む気は起らなかった。

『二人だけの時は泣きたい時、我慢しなくていいからね。そんな事で僕はジークを嫌いにならないよ』

 わずか三日前のコーの暖かい言葉が頭をよぎった。あの暖かい空間はもう戻らない。

 壊したのは私だ。でも、これでいいのだ。これでコーは強くなれる。これで彼女は空高く飛べる。これで彼女は私のような女男に穢されずに済む。全てが万々歳だ。

 私は必死に心の空虚を埋める言い訳を次々に投げつける。しかし、一向にその空虚は埋まらずむしろ広がって行った。そのつらさが心を締め付け涙腺を刺激する。

 私は両頬を叩いて気合を入れた。

 しっかりしろ。ジークリード。全部、狙い通りじゃないか。これでいい。これでいいんだ。

 

 アスナと約束した一分後、私は笑みさえ浮かべて血盟騎士団の群れに合流した。

 今は作り笑いだが、いつか心からの笑顔をみんなに向ける事が出来る。そう信じて私は血盟騎士団と合流し歩き始めた。

 左腕が軽い……。この違和感もいずれ時間が解決してくれるだろう。

 四月のさわやかな風が私の空虚な心を吹き抜けて行った。




ワハハ! 思い知ったかリア充ども! これが作者の力だ! みんな、不幸になっちゃえばいいんだ! アハハハ!!”#!

すみません。取り乱しました。

この時期のアスナさんは狂戦士状態ですね。コートニーとジークリードが腕を組んでいたことに抗議していますが……1年半後に自分の身に降りかかってくる壮大なブーメランですねw

ゴトフリーさん強すぎ……さらにそれを一瞬で倒すアスナさん。もうあなたは神レベルです><

次もジークリード視点の物語です。【ジークリード5-2】をしばらくお待ちください。


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第10話 はじまりの時鐘【ジークリード5-2】

 迷宮区に入ると私たち血盟騎士団はアスナの主導で二つのパーティーに分かれた。

 Aチームはゴドフリーがリーダーでタンクの私、プッチーニ。槍使いのセルバンテス。

 Bチームはアスナがリーダーでタンクのマティアス、マリオ。短剣のアラン。そしてコー。

 私とコーを別々にしたのはアスナの配慮かも知れない。コーが私の頬を平手打ちしたのを全員が見ている。私とコーが一緒に行動させてはなにかと気まずいだろうという配慮だろう。

「では、また夜九時に集合しましょう。出発」

 アスナは凛とした声で命令を下した。

「はい!」

 迷宮区のマッピングが始まった。

 私たちは二手に分かれて迷宮区を探索。夜九時に集合して情報の統合。そして交代で睡眠をとりながら野営するという手はずになっている。

「君は索敵持ってる?」

 歩き始めてすぐにセルバンテスが私に話しかけてきた。掘りが深い顔は少し日本人離れしている。年齢は一八歳ぐらい。すっと通った鼻筋、茶色の髪はやや長髪でなかなかのイケメンだ。私の女性としての部分がドキリと反応した。

「いえ。持ってません」

「おっけー」

 人差し指と親指で円を作るとセルバンテスは明るく声を上げた。

「気をつけろー。ジークリード、そいつ変態だぞー」

 プッチーニが私の首筋を引っ張りながら私をセルバンテスから引き離した。

「変態って?」

「二次元幼女ヲタなんだよ。こいつ。近づくだけで変態がうつるぞ」

 プッチーニがくつくつと笑いながら言った。「ちなみに『ヲタ』のヲはローマ字表現すると『wo』のほうの『ヲ』な」

「二次元幼女の良さが分からないとは。あのぺったんとした胸。見せパンじゃないのに見せてくれるパンツ! どれも至宝の輝き」

 まるでオペラを堂々と歌い上げるような声で朗々と幼女の良さを訴えるセルバンテス。どうやらとても残念なイケメンらしい。「だから、ジークリードさん。コートニーさんの事は忘れて、俺と二次元幼女の良さについて語り合おうじゃないか」

 その言葉に私の表情が固まる。

「ちょ、おま!」

 プッチーニがあわててセルバンテスの口を押えて首を締めにかかる。「すみませんね。こいつちょっと気が利かなくって」

「地雷は踏み抜くもの!」

 セルバンテスは全く反省の色がない。天然なのか狙ってやってるのか……。おそらく前者だろう。

「ちょっと。黙ってろ! 変態!」

 プッチーニはガンガンとセルバンテスの頭を小突きまくった。

「おい。遊んでないで、仕事しろ! セルバンテス。お前しか索敵持ってないんだからな」

 ゴドフリーがむんずとセルバンテスの首を掴むと投げ飛ばす勢いでパーティーの先頭に立たせた。

「へーい」

 やり取りがあまりにもおかしくて思わず、クスリと笑ってしまった。

「すみません。奴なりに気をつかってるとは思うんですけど。気を悪くしないでください」

 プッチーニが耳元で囁いてきた。

「はい。大丈夫です」

 私は笑顔で答えた。「お二人とも仲がいいんですね」

「うん。四層からの付き合いでね。あいつの事、ほっとけないんです」

 プッチーニは優しい目でセルバンテスの後ろ姿を見つめた。

「いいですね。そういう関係」

 私は心の中で自分とコーの関係に重ねた。私があの時、手鏡を間違えて捨てなければ、こんな事にはならなかっただろうか。今の私は中途半端だ。女性の気持ちを残しながら男性の身体で生きていく事がこれほどつらいとは思いもしなかった。

 コーを失ったことは親友を失ったという気持ちというよりも、やはり恋人を失ったという気持ちの方がやや強い。最初から私とコーが女性同士であれば、プッチーニとセルバンテスのような明るく健全な関係を築けただろうか……。

「いた……」

 セルバンテスが足を止めた。「ヘル・アリゲータが三。ラヴァ・ウルフが五」

「よし、プッチーニとジークリードは前衛に立て。セルバンテスは支援」

「k」

 プッチーニはぺろりと唇をなめて抜刀した。

「了解」

 私たちは隊列を組んでゆっくりと前進した。

 

 

 

 無心に剣を振るう。ヘル・アリゲータの眉間に剣を突き刺し、ラヴァ・ウルフの喉笛を切り裂く。何度か炎のブレス攻撃を受けたような気がするが、私はひたすら剣を、盾を振るった。

 自分と敵以外はもう見えない。私は狂戦士のようにただ剣を振るうマシンとなる。それが気持ちいい。

 死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。

 全て光に消えてしまえ。

「後ろに下がって回復しろ! ジークリード!」

 遠くでゴドフリーの声が聞こえ、私は我に返った。「聞こえないのか!」

 私はゴドフリーに首を掴まれて無理やり後退させられた。そのため、足をもつらせて転倒する。

 その間にゴドフリーは無理に割り込んだためにブレス攻撃を受けヒットポイントを減らした。だが、自分が食らう被害より多くの戦果を斧で作り出していく。

「ヒール!」

 セルバンテスが回復結晶で私を回復させた。「ゴドフリーとスイッチしてください」

「はい!」

 私は立ち上がってゴドフリーに近づきながら叫んだ。「スイッチ!」

「おう!」

 斧による強攻撃を加えた後、ゴドフリーは後ろに跳び、私はその空間に飛び込み剣を振るった。

 

 

 

 最後のモンスターを倒し、私たちはほっとしながらマッピングを再開した。

「ジークリード。あんな事があって、気持ちは分からんでもないが、突っ込みすぎだ。自分のヒットポイントを気にしろ」

 ゴドフリーが私の隣を歩きながらぽんと肩を叩いた。

「はい。すみません」

 自分のヒットポイントを……というより戦闘中に周りが見えなくなっているのはコーと仲たがいをしたためじゃない。これは昔からだった。ベータテストの時もこの癖が抜けないから死にまくって……だから、コーと出会う事が出来た。

 私の脳裏にコーと初めて会った時の言葉と姿がよみがえった。

 

 ベータテストの時の彼女は小学生ぐらいの年恰好のアバターだった。

『しょうがないなあ。もう、ジークは自分のヒットポイントを見なくていいよ。僕に任せて』

 コーは任せてと自分の胸を二回手で叩いて微笑んだ。

 

 私は大きく頭をふって、その姿と声を頭から追い出した。

 

 

 

 夜九時になり、私たちパーティーは迷宮区内の安全地帯で合流した。

 私はコーがアスナとケンカをして破滅的な関係になっていないかと心配したが、二人の様子を見ていると時々言葉を交わしているようだ。お互いに表情がまだ硬いけれど、コーは気に入らない人は完全無視なのでそれなりにアスナを受け入れているのだろう。

「おおむね、順調ですね」

 アスナはゴドフリーとマップデータを統合して頷いた。「何か問題点はありましたか?」

「こいつが突っ込みすぎる以外は問題なしだ」

 ゴドフリーがニヤリと笑みを浮かべて私の肩を叩いた。

「ごめんなさい」

 これは頭を下げるしかない。自分でもまずい戦い方だと思う。

「大丈夫だ。ああいう狂戦士みたいな戦い方も嫌いじゃないぜ」

 ゴドフリーは高笑いをして、アスナに視線を向けた。「そっちのルーキーはどうだ?」

「うん。すごくいい。第二五層の指揮はまぐれなんかじゃないわ」

 アスナは口元にかすかな笑みを浮かべて言った。

 どうやら、コーとアスナは破局に向かわなかったようだ。

(よかった……)

 私はほっとして頬を緩ませた。ふと見ると、アスナが私を見て微笑んでいた。視線が合うとすぐに目をゴドフリーに向けた。

「ゴドフリー。見張りの当番だけど、ルーキー同士が組まないようにしましょう。やり方が分からないでしょうし」

「そうだな。じゃあ、うちはジークリード、セルバンテス、プッチーニ、私の順で回そう。二時間交代でいいよな」

「じゃ、こっちは私、コートニー、マティアス、マリオ。アランは今日は見張りなしで」

「わかった」

 ゴドフリーは頷いて、再び私の肩を叩いた。「じゃあ、ジークリードの睡眠は零時だな。やり方は副団長から聞いてくれ」

「ゴドフリー。楽しないでよ。ちゃんと説明して」

「PKが来たら、大声を上げる。以上」

「……。もういい」

 アスナはため息をついて身を翻して自分のパーティーに戻って行った。

 

 

 

 私とアスナが最初の見張りに立った。

 配布されているベッドロールはアクティブモンスターへのハイディング効果がある。モンスター相手であれば全員が寝てしまっても問題がないわけだが、PKが来た時に対応できない。そのための見張りだ。

「ジークリードさん。今日はごめんなさい」

 一時間ほど過ぎた時、アスナが私に声をかけてきた。

 驚いてアスナを見ると、彼女は相変わらず周辺に目を配り、周りを警戒していた。

「ケンカの原因はわたしよね?」

「いいんです。コーにはもっと強くなって欲しいんです」

 私はコーの寝顔を見ながら言った。その寝顔に私の心はとても心が安らいだ。

「あなたはコートニーさんの事が本当に好きなのね」

 アスナのその言葉が胸に突き刺さった。

 私の≪好き≫はどういう好きなんだろう。Like? それともLove?

 私はアスナの横顔を見る。コーとは違う美しさだ。世の男性たちは一目で彼女の虜になるだろう。だが、私の心には何一つさざ波すら立たない。やはり、自分は女なのだと実感した。

 視線をもう一度コーの寝顔に戻す。ほっとした思いと今、彼女に嫌われてブロックリストに入っている事に心がざわめく。

「コーを頼みます。私に構わなければ、もっと強くなれるはずなんです」

 私は自分に言い聞かせるように言った。

「うん……。わかった」

 一瞬、アスナは私に視線を向けたが何も言わず、すぐに見張りを再開した。

 それから私たちは一言も交わさなかった。

 やがて、見張りの交代の時間になり、私はセルバンテスと入れ替わりにベットロールに入った。とたんに強烈な睡魔が襲ってきた。私は深い眠りについた。

 

 

 

 一週間ほどで迷宮区のマッピングは終了した。

 それほどの時間が流れてもコーは私を許してくれていない。相変わらずブロックリストに入れられたままでまったく会話がない。

 チーム分けも意外とバランスがいいという事で固定されたままだ。そういうわけで、めったにコーと顔を合わせる事はなくなっていた。

 コーの表情には大きな変化があった。ぎらぎらと厳しい目つき。レンバーやアスナと同じ、攻略に燃える人たちと同じ表情だ。アスナとコーは毎晩一緒に出掛け、レべリングをしているようだ。おかげでレベルもどんどん上がっているようである。

 これでいい。そう理性では思っていても、心の空虚は一向に収まらなかった。やはり、私は一方的にコーに依存していたのだと改めて認識した。

 自分がしっかりしなければ、もう二度とコーの邪魔をしてはならない。一週間前から数えきれないほどその思いを繰り返し自分に言い聞かせる。だが、一向に胸の空洞はふさがる気配はなかった。

 マッピングが終了した時点で五つの攻略ギルドは会議を行い、合同でボス部屋に二〇人規模の偵察隊を送り込むことになった。第二五層の失敗は事前情報の不足によるものだ。事前に情報さえあればあれほどの死者を出すことはなかっただろう。

 攻略会議で血盟騎士団は偵察部隊に四人出す事になった。この事の伝達のために今日は全員がギルドハウスに集合していた。

 情報がない初戦は誰しも恐ろしい。攻略前提ではなく、危険だったら迷いなく撤退すると定められていても、どんな特殊攻撃を仕掛けてくるか分からないし、今度はたった一撃でプレーヤーを死に追いやる攻撃力を持っているかも知れない。

 ここで躊躇するのは当然と言えた。

「公平にくじ引きしまひょか」

 ダイゼンが全員を見渡しながら言った。

「ルーレットにしようぜ。上位四人が参加ってことで」

 セルバンテスが言うと、みんなが頷いた。そして、メインメニューの操作を始める。

 ルーレットはレアアイテムの分配やちょっとした賭けの時に使う。スタートと押すと一から百までの数字がランダムに表示されストップを押すと確定されるという単純なものだ。ごまかしがきかないように確定された数字は見える範囲にいる人のシステムログに記録される仕組みになっている。

 ダイゼンを除くメンバー全員がルーレットを回し、室内にメニューを操作する電子音が響いた。

 その結果、上位四人はマリオ、私、セルバンテス、コートニーの順番だった。

 久しぶりにコーと一緒のパーティーを組める。ブロックリストのために話せなくてもいい。たったそれだけの事で私の心は躍った。しかし、アスナの発言でそれは打ち砕かれた。

「やっぱり、ギルドを指揮する者が一人も入っていないのはまずいわ。わたしがコートニーさんと代わります」

 副団長としての決定である事を言外にうかがわせる力強い口調だった。

 ふと見ると、アスナとコーが視線をからませ微笑みあって、コーが声を出さず『ありがとう』と口を動かしていた。いや、ブロックリストに登録されているから聞こえなかっただけで、声にしているかも知れない。

 それほどにコーは私と行動するのが嫌なのか。

 私の心にもやもやとどす黒いものが浮かんできた。この気持ちは何だ……。

「では、マリオ、ジークリード、セルバンテスは明日九時にここに集合。他のメンバーはボス戦に備えてオフとする。以上」

 アスナの指示が終わると、全員が立ち上がり一斉に敬礼した。

 それが終わるとざわざわと雑談しながら次々とギルドハウスから出て行った。私もその後について外に出た。そして、振り返ってみると、コーとアスナが手を取り合って何か楽しそうに話をしていた。

 私の心に怒りが噴き出した。そうだ、この感情は怒りだ。怒りという砂粒を手で払いのけるとそこに嫉妬が浮かび上がってきた。

 私はそれを誰にも気取られないように裏庭と呼ばれる公園のベンチへ走った。

 ベンチに座って池を眺めると滑稽な自分を笑った。

 アスナは女性だ。そんな彼女に、ただコーと仲良くしているだけで嫉妬するなんて……。それに『コーを頼みます』と言ったのは私自身ではないか。お願いしておいて嫉妬するなんて、お門違いも甚だしい。

 私はこんなにも嫉妬深い人間だったのだろうか。そもそも、コーを誰にも渡したくないと思うほど女子を好きになる女だっただろうか。ちょっと仲がいい女友達を一人失う。ただ、それだけの事なのに。こんな事は今までに何度もあったはずなのに。

 コーはアスナの背中を追ってどんどん強くなっていく。そして、私の事を顧みなくなる。両方とも私が望んだことだ。思い通りになっているのに胸が張り裂けそうなほどのいらだちが全身を襲う。

 思い通りなのに思い通りじゃない。もう、訳が分からない。このままでは私は壊れてしまう。

 コーがいない所に行けばいいのだろうか。そうすれば時間が解決してくれるだろうか。それよりもいっそ……死んでしまえばこの女男状態から解放されて全てがうまくいくのかもしれない。

 最近、死ぬことが怖くない。一週間前にはあれほど怖かったのに。私は壊れかけのロボットだ。誰でもいい、私を壊して欲しい。

 私は天を仰いだ。第二七層の床が見える。まったく解放感がない。まるで牢獄だ。一体いつまでこの虜囚生活を続けていくのだろう。私は陰鬱な気持ちで空を見上げ続けた。

 

 

 

 次の日、私たち血盟騎士団のメンバーは時間通りに集合し、迷宮区へ出発した。

 迷宮区の入り口に到着すると、すでに今回のボス偵察メンバー二〇人が集まっていた。

「ヘタレ壁戦士」

 私は後ろから声をかけられた。思わず振り返って、私はその声の主を見た。

「ほう。ちゃんと自分がヘタレ壁戦士だと自覚しているようだな」

 その声の主、レンバーがニヤリと笑った。「俺が言った事を守っているようだな」

「はい」

 私はほろ苦く答える。「コートニーは強くなってますよ」

「貴様はどうだ?」

「少しはレベル上がりましたが……」

「血盟騎士団のレベル上げノルマはどれくらいだ?」

 レンバーは私にそう問いかけておいて、すぐに首を振って言葉を続けた。「まあいい。どれほど強くなったか俺が採点してやろう」

 私の目の前にレンバーからのデュエル申請画面が開いた。

「ちょっと、待ちなさい」

 アスナが私とレンバーの間に割り込んで彼に抗議した。「勝負になるわけないでしょ。何を考えてるの?」

 私はそのアスナの言葉にカチンときた。アスナが言うように私とレンバーの差は歴然だ。勝負にならないのは分かっていた。しかし、アスナへの嫉妬心も相まって彼女に自分が辱められたような気持ちになり、私はデュエルを受託した。アスナに邪魔されぬようにデュエル開始タイミングを即時に設定したうえで初撃決着モードを選択する。

「ジークリード!」

 アスナが鋭い視線と声を私に突き刺す。しかし、まったく私の心は揺らがない。

「どうせ勝負になりません」

 乾いた笑いを浮かべ、私は抜刀して飛び出した。

 私は突進しながらソードスキルを立ち上げ、レンバーにぶつける。彼はいとも簡単に盾で受け止める。私は盾でプレッシャーをかけながら次々と剣を打ち込む。

 壊れろ。壊れろ。壊れろ。

 自分に向けてなのかレンバーに向けての想いかよくわからない。ただひたすら、めちゃくちゃにソードスキルをレンバーにぶつける。

 私のバーサーカーぶりに感心しているのかあるいはあきれているのか、ため息とざわめきが周りから聞こえた。

「ほう。これはこれは」

 私の攻撃を微笑みさえ浮かべてレンバーは全て受けきる。そして、一瞬鋭い視線を見せた途端その姿がかき消えた。

 あっ! と思った時にはもう間に合わなかった。気が付いた時にはレンバーは私の右側に移動し、ソードスキルで輝く剣を振り下ろす所だった。せめて一太刀と剣をソードスキルなしで右へ薙ぎ払う。だが、それが届く前に私の身体はレンバーのソードスキルによって地面に這わされる事になった。強攻撃ヒットということで、目の前に敗北を意味する『Lose』という文字が表示され、霧のように消えて行った。

「すげえ。速すぎる」

 そんなどよめきが辺りを包んだ。

「ジークリード」

 レンバーのそう呼ぶ声に私は視線を地面から上げた。私の視線の向こうでレンバーは切先を払うと剣を鞘に納めた。「血盟騎士団に飽きたらウチに来い」 

 その言葉に私は思わずレンバーに手を伸ばした。

 私は本当に弱い女だ。誰かに頼らなければ生きていけない。この胸の空虚を埋めてくれるなら誰でもいい。どこでもいい。

 だが、私の手はレンバーに届かなかった。アスナが私とレンバーの間に立ったからだ。

「勝手にウチの団員を勧誘しないでくれる」

 いつでも抜刀できる体制でアスナはレンバーを睨みつけているようだった。

「へいへい。閃光様に勝てるとは思ってないさ」

 レンバーは両手を上げて降参のポーズをとった。「余興は終わりだ。メインディッシュのボス偵察としゃれこもうじゃないか」

「ウチの団員がやられたままで引き下がれないわ」

 アスナはまったく引き下がらない。

「どうしろと?」

 レンバーは薄ら笑いを浮かべた。

「わたしとデュエルしなさい」

 アスナはそう言い放つとメニューを操作した。

「いいだろう」

 あっさりと承諾してレンバーは初撃決着モードを選んで腕を組んだ。

 おお。という歓声がまわりで上がった。トッププレーヤー同士のデュエルなどめったに見れるものではない。

 60のカウントがはじまり、0になった。興味津々で二人の激しいバトルを一瞬も見逃さぬまいとプレーヤー達は固唾をのんだ。

 だが、レンバーは腕を組んだまままったく動かない。

 アスナがソードスキルを立ち上げ一歩を踏み出した。彼女の身体が速すぎて姿がぶれて見えた。信じられない突進力だった。

「リザイン」

 次の瞬間、にべない口調でレンバーは負けを宣言した。同時にシステムがアスナの勝利を宣言する。

「ふざけているの?」

 細剣をレンバーの首筋に突きつけながらアスナは怒気をはらんだ声で言った。決着がついた後に攻撃を加えては、アスナがオレンジネームになってしまう。

「ふざけてなどいないさ。さっきも言っただろ? 『閃光様に勝てるとは思ってない』って。だから降参。私の負けだ。血盟騎士団副団長は本当にお強い。これでよかろう?」

 レンバーは腕を組んだまま笑みを浮かべる。「それともあれか、血盟騎士団副団長は負けを認めてる奴を叩きのめすのが趣味なのか?」

「負けを認めてる態度じゃないわよ」

 アスナはさらに細剣の先端をレンバーの首筋に密着させた。ソードスキルで輝く細剣がレンバーの顔を下から照らした。

「言葉で言って、実際のデュエルでリザインして、この上何を望むんだ。土下座か? 聖竜連合のギルドマスターを剣で脅して土下座させたとあればいろんな噂が広まるだろうな」

 役者が違いすぎる。さすがに一癖も二癖もある攻略組の多くをまとめているカリスマギルドマスターだ。これに対抗できるのはヒースクリフぐらいしかいないのではないだろうか。

「……弱虫ギルマスという噂が広まらないように協力してあげるわ」

 長い沈黙の後、アスナは鼻を鳴らして細剣を納めた。

「韓信の股くぐりというやつを知っているか?」

「その猟犬の末路も知ってるわよ」

 アスナはレンバーに言い捨てると、私の前に立った。「ジークリード。なにを焦っているの?」

「焦ってなんかいません」

「でも、こういうのは良くないわ。次は……」

 アスナはそこまで言って、言葉を飲み込んだ。いつでもやめてやる。そんな私の表情を読み取ったのかもしれない。「ボス戦の準備をしましょう」

 今回のボス偵察の指揮は聖竜連合のレンバーが執る事となった。MTDが前線から去った今、攻略ギルドの中で最大勢力であり、そのギルドマスターということで異論は出なかった。

 

 

 

 第二六層のボスはイフリートだった。

 全身に炎をまとい、手にしているタルワールにも炎が揺らめいている。その攻撃には範囲攻撃と継続ダメージがあるらしく、完全に攻撃を受け止めてもじわじわとヒットポイントが削られた。さらにイフリートには接近するだけで炎によるダメージ判定があり、前衛の壁戦士のヒットポイント管理はシビアなものになった。

 しかし、第二五層の双頭の巨人に比べたらその攻撃力は弱い。ヒットポイントバーも四本に戻っている。

 私はイフリートの美しさに心奪われていた。炎のエフェクトが私の心をじわじわと浸蝕していく感じが心地いい。そして、それを破壊したい衝動に駆られる。

 壊れろ。壊れろ。全部壊れてしまえ。

 もう周りの声も音も何も聞こえない。無心にイフリートを美しい炎を斬り続ける。

 突然、腹部に衝撃が走り、私は後ろに飛ばされた。無様に床を転がり衝撃の原因に目をやった。私の隣で組んで戦っていたマリオが回し蹴りで強引に下げさせたという事を理解するのに数秒かかった。途端に周りの声が耳に入ってくるようになった。

「ヒール」

 セルバンテスが私を回復結晶で回復させた。「しっかりしてください」

「ジークリード。聞こえないの? もう下がりなさい。あなたをこんなところで死なせるわけにはいかないのよ。今から後方支援に徹しなさい」

 アスナは私の代わりにマリオの隣に入りながら命令した。

 あなたが守りたいのは私の命ですか? それとも血盟騎士団の名声ですか?

 そう心で問いかける。答えは決まっている。口では私の命と答えるだろうが、本音は血盟騎士団の名声だ。

 私はふらふらと立ち上がり、ボス部屋を後にした。セルバンテスやアスナ、レンバーの声が聞こえたような気がするが、もうどうでもよかった。

 

 

 

 私は第二六層の宿屋でまどろんでいた。もう、何もやる気がしない。

(一六時か……)

 視界の隅の時計を確認して寝返りをうった。勝手にボス部屋から出てきて四時間ほど経っていた。アスナや他の血盟騎士団メンバーから今のところ何も連絡はなかった。しかし、恐らく私は明日のボス戦に参加する事はできないだろう。あんな反抗的な態度をとるなんて、我ながら驚きだ。

 リアル世界ではこんな事はなかった。良い子を演じて勉強も部活も頑張ってきた。自分の中にこんな激しいものが眠っていたとは思わなかった。ソードアート・オンラインの世界は自分の本性をむき出しにさせる何かがあるのかもしれない。

 ふいにシステムメッセージが届いた。

 

【Courtneyさんのブロックリストから解除されました。今後、Courtneyさんと会話ができるようになります】

 

 今更、どういう風の吹き回しだろうか。

 そうか、アスナから今日の出来事を聞いたのだ。こんなみじめな自分の姿は見てほしくない。全部自分が引き起こしたことなのに、結果に責任が持てないなんて。本当に私は子供だ。

 もう、消えてしまいたい。アインクラッドは広い。どこかに逃げてしまおう。誰にも見つからない場所など探せばいくらでも見つかるだろう。

 今日の事でコーに責められるのにはたとえメールであっても耐えられそうになかった。私はコーをブロックリストに登録した。これで会話だけでなくメールなど一切のコンタクトは取れなくなる。続いて、血盟騎士団に脱退申請を出した。きっとすぐに認められるだろう。万一認められなかったとしても私が取り下げなければ明日の二四時に自動認可されるはずだ。そうすればコーはギルドメニューから私の場所を知る事はできなくなるだろう。全ての絆を断ち切ろう。そして、一人で生きて行こう。

 十分ほどしてアスナからメールが届いた。

 

『脱退を認めてほしかったら、十七時にギルドハウスの裏庭に来なさい』

 

 放っておいてもいい。どうせこちらが取り下げなければ自動認可だ。だが、一週間とは言えお世話になったギルドだ。何も言わずに脱退するのも気が引けた。

 仕方がない。恥の上塗りになるかも知れないが……私は行くことに決めた。

 

 

 

 時間より少し早く、私は裏庭と呼ばれる公園に到着した。まだ、アスナは来ていないようだ。ギルドハウスで待機しているのかもしれない。

 私はもう、血盟騎士団の制服は着ていない。今身につけているのは以前着ていた地味な普段着だ。

 私はベンチに腰かけて待つ事にした。夕日が辺りを赤く照らしている。

 しばらくすると、カサッカサッと足音が聞こえた。立ち上がって振り返ると、そこにはアスナとコーがいた。おそろいの血盟騎士団の制服がとても似合っていた。二人がお似合いのカップルに見えて私の心がまたちりちりと焼かれた。

 私は思わず、コーから目をそらした。こんな姿を見られたくなかった。今になってみればこの二人が一緒に来ることは十分に考えられたのに、私はまったく思いつかなかった。やはり冷静さを失っているのだろう。もう、やる事なす事なにもかもうまくいかない。

「ジークリードさん。まず、コーをブロックリストから外してくれないかしら」

 アスナが『コー』と呼んだ事にまた私の胸に嫉妬の炎が燃え上がった。だが、反抗しても何の益もなさそうなので、私はメニューを操作してコーの名前をブロックリストから消した。

 アスナはコーに目配せした。私が本当にブロックリストから削除したかを確認したのだろう。コーはアスナに頷いた。

「ジークリードさん。脱退申請は了解しました。ただ、私も団長も許可するつもりはありません。個人的には取り下げてくれることを希望します。以上」

 アスナの引き留めの言葉は業務連絡のようにあっさりしていた。そして、コーの背中を押した。「がんばれ。コー」

「はい」

 コーが緊張した表情で私の前まで歩いてきた。

 アスナは身を翻してギルドハウスへ去って行った。

「ジーク……」

 コーは私を見上げながら名を呼んだ。ほぼ一週間ぶりに聞く呼びかけに胸が熱くなった。

 なんと返事をしたらいいのだろう。何を話せばいいのだろう。すぐそこにコーがいる。でも一週間の間に私とコーの距離はとてつもなく遠くに離れてしまった事を実感した。

 コーは無言のままメインメニューを操作した。私の目の前にトレード画面が現れる。片手剣と盾だった。

「ちょっと早いけど、ジークの誕生日プレゼント。これで明日のボス戦を……」

 私はコーの言葉を最後まで聞かず、左手を振ってトレードをキャンセルした。コーは目を見開いて絶句した。

「ボス戦には行かない。だからそれはいらない。他の人にあげてくれ」

 私はコーに背を向けて歩き始めた。もう、コーとかかわらない方がいい。このまま話し続けたら心がばらばらに砕けてしまいそうだ。

「ジーク。待って!」

 コーが私を後ろから抱きしめてきた。私の目の前にハラスメントコードが現れた。

「離して。コートニー」

 まさか監獄に送るわけにはいかない。離してくれなければ≪引き離す≫を選ぼう。そう思った時、コーが大声で叫んだ。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

 コーは肺の空気がなくなるまで謝罪の言葉を続けた。最後には涙声になっていた。そして、息を吸って、言葉を続けた。「信じてくれないかもしれないけど、ずっとブロックリストにいれるつもりはなかったんだ」

「いいんだ。もう……」

 そんな事はどうでもいい。私が必要でなくなったといういい証拠ではないか。私がいなくなれば万事解決だ。私は≪引き離す≫を選ぼうと指を伸ばした。

「僕、ジークのいう事を何でも聞く。だから、一緒にいて。お願いします!」

 コーはますます私を抱きしめる力を強めた。「強くなれっていうなら強くなる。血盟騎士団をやめろっていうならやめる。聖竜連合に行くのならついて行く。何でもいう事を聞くから……僕の帰る場所を……僕の居場所を残してください」

 私がコーに望む事。強くなってみんなの希望になって欲しい。そのためには血盟騎士団のトッププレーヤー達と一緒に強くなっていくのが一番だ。そして、私に関わらない事でもっと強くなれる。

 そう、これを望んでいて、現実その通りになっているのに私はいらついている。

 私はコーと一緒にいたい。でも、そうしたらコーが強くなれない。この矛盾した気持ちが私の心をじりじりと焼いているのだ。

「コートニー。顔を見せて」

 私は体に巻きついているコーの腕を優しく撫でた。

「うん」

 コーは腕をほどいて私の前に立った。「いっぱい。いっぱい、お話しよう」

 コーがその後も何かしゃべっている。でも、私の耳には何も入ってこない。

 私の目がコーの美しくつややかな唇に釘付けになる。唇を奪いたい。いや、コーの何もかも奪いたい。私の獣性が目覚め、一歩踏み出すとしゃべり続けていたコーの唇を強引に奪った。

「ちょっと、ジーク、やめて」

 腕の中で暴れるコーを無理やりにねじ伏せる。体も頭も熱くなって何も考えられなくなった。

「バンッ!」

 ハラスメントコードが発動し、私は吹き飛ばされた。そして投げ捨てられた人形のように見苦しく地面を這った。

 私はなんと愚かなのだろう。コーが差し伸べてくれた救いの手を払いのけるような行動をして、これでは見捨てられてもしょうがない。

「ごめん、ジーク。大丈夫?」

 コーが私のもとに駆け寄ってきて、ぺたりと私の隣に座った。

「コーはいつも私の事を紳士だって言ってくれたけど、私なんてこんなもんだよ」

 私は自分の顔を両手で覆った。しかも、私は女なのだ。もう私は本当に壊れている。

「いいよ。僕はちょっと安心した」

「え?」

 私は訳が分からずコーの顔を見た。

「男の子が好きな女の子を襲いたくなるのは普通でしょ?」

 にっこりとコーが笑う。「でも、ああいうのはちょっと……。嫌じゃないけど、今はお話がしたい」

「嫌じゃないんだ」

「ナイスツッコミ」

 コーはクスリと笑って私の頭を抱きしめた。久しぶりの暖かい空間に包まれて涙が浮かんできた。「ねえ。二六層の塔に行こう」

「塔?」

 と、聞き返すとコーは私の両頬の涙をぬぐいながら視線を合わせた。

「うん。ジークとレンバーさんが話し合った場所。あそこから全部始まってるんでしょ? あそこからやり直そう」

 コーはそう言って立ち上がると私の手を取って立ち上がらせた。

「うん」

 私とコーは第二六層の鐘楼へ歩き出した。

 

 

 

 第二六層の鐘楼の頂上にたどり着くまで私たちは無言のままだった。

 コーが私の左腕を掴みながら一緒に一歩一歩塔を登る。先ほどの狂おしいほどの獣性はこの階段を上るごとに収まっていった。やがて、天辺にたどり着くとコーは目を輝かせて走り出した。

「すごい! 綺麗!」

 日没直前のオレンジ色の光に照らされて、街並みは朱色に輝いていた。

 コーは嬉しそうに周りを一周眺めると、私に視線を戻した。

「ごめん。つい、夢中になっちゃった」

「いいよ」

 そうだ。初めてここに来た時、私はコーと一緒にこの街並みが見たいと思った。こんな風にコーが目を輝かせてこの風景を見る情景をはっきりと頭に思い浮かべていた。

 たった一週間ほどの間なのに、果てしなく昔の出来事のように感じた。

「聞かせて。レンバーさんがジークに何を言ったか。そして、ジークがどう考えたか」

 コーが私の目の前に立って真剣な表情で私を見上げてきた。

 私はレンバーから『コートニーを縛り付けるな』『コートニーはもっと強くなってみんなの希望になるべきだ』と言われた事を話した。

 そして、そのためにコーは私を見捨てて強くなればいいと思っていた事を話した。

 それだけの簡単な事なのに説明がうまく話せず、しどろもどろになると、コーが優しく『それで?』『うん』と話を促してくれ、なんとか最後まで話し終える事が出来た。

「僕はジークと一緒にいたい。これが第一条件。他は何にも譲れない」

 私の話を聞き終えて、コーは静かに言った。「でも、ジークのために何でもするよ。強くなるよ。レンバーさんが文句を言えないくらいに僕は強くなるよ。みんなから、『コートニーすげえ』って言われるように頑張るよ。だから、一緒にいてもいいですか?」

「うれしいけど、私はずっとコーを騙してるんだ。実は……」

 そう、私は女なのだ。コーの優しい気持ちに応える資格など本来はないんだ。だから一緒にいれない。

「ストップ!」

 コーが私の両手を掴んで叫んだ。「それ、言っちゃったら僕はどうなっちゃう? この関係が終わっちゃう?」

「終わっちゃうと思う」

「じゃあ、言わないで」

「え?」

「言ったでしょ。僕はジークと一緒にいるのが第一条件! それにひどい事、ジークを騙すような事は僕もやってるよ。だからジークも僕が見えない所、感知できない所で僕を騙してもいい」

「そんな軽い物じゃなくって、もっと根本的な……」

 罪の意識が私の心を闇に引き込もうとする。しかし、コーは明るく言った。

「この関係が壊れる事なら聞きたくない。この関係が壊れるから僕もこの思いは言わない」

「なんか、仮面夫婦みたい」

「えー違うよ。だって僕にとってジークは一番だし……。ジークは?」

「私にとってコーが一番だよ」

 うん。それは間違いない。それはこの一週間で痛感した事だ。

「じゃあ、いいじゃない。ここが僕たちの出発点。お互いがお互いを一番大切に思ってる。一緒にいたいと思ってる。全部、ここから考えよ」

 コーはにっこりと笑って私の首に両腕をからませた。「――だから、キスしようぜ」

 照れくさいのか、コーは少年のような言葉で迫ってきた。目の前のハラスメントコード表示を左手で払うとすぐ目の前に目を閉じたコーの顔があった。

 もう、女同士で気持ち悪いなんていう気持ちはまったく湧かなかった。好きな人と一緒にいられるという幸せな気持ちが私を包んだ。

 さっきとは全く違う。本能をむき出しに彼女を求めるのとは違う、優しい気持ちに満たされて私は目を閉じてコーの唇に自分の唇を重ねようとした。

「ゴーン! ゴーン!」

 その瞬間、大音響で私たちの身体が震えた。一八時の鐘だ。すぐそこで大きな鐘が左右に揺れてそのたびに大きな時鐘の音が空気を震わせ、私たちの全身を震わせている。

 コーに視線を戻すと私を見て笑っていた。大笑いをしているが鐘のためにその笑い声はまったく聞こえなかった。

 ひとしきり笑い終えるとコーは私に向かって何やら大声で話し始めた。しかし、何を言っているのか全く分からない。

 鐘が六回鳴って鳴りやんだ時に私は聞いた。

「何を言ってたの?」

「ジークとの関係が壊れる秘密」

 コーはクスリと笑ったあと、満面の笑みを浮かべた。「言葉にして言ったらなんかすごいすっきりした!」

「なんだか、ずるい!」

 自分だけ肩の荷を下ろしたような表情をしているコーがうらやましかった。こんな事なら私も鐘が鳴っている間に言ってみればよかった。

「あ、そうだ」

 コーはそう言ってメインメニューを操作して私に片手剣と盾を渡してきて、頭を下げた。「さっき言ってた誕生日プレゼント。受け取ってください」

「ありがとう」

 私は素直に受け取った。

「装備してみて。準レアのインゴットを使って鍛冶屋さんに作ってもらったんだよ。すごいでしょ、武器防御のスキル補正が+100もあるんだよ」

「あれ?」

 私はその剣と盾を装備しようとした……しかし、できなかった。

「どうしたの?」

 なかなか装備しようとしない私に怪訝そうな瞳でコーは見上げてきた。

「筋力値が足りない。たった3だけど」

「ええええええええ! レベルアップパラメータの振り方変えたの?」

「ゴドフリーに言われて、ちょっと敏捷度に振ったんだ」

 つい一週間前まではお互いのレベルからパラメータまで全て知っていたのに……。この一週間の空白はお互いにとってとても大きいものだったのだと改めて痛感した。

「レベル上げに行こう! 今から行けば明日に間に合うから」

 コーは私の手をぐいっと引っ張った。

「ええ? でもこの間上がったばかりだし」

「アスナにいいポイントを教えてもらってるから大丈夫! いこいこ。ダンジョンデート! 血盟騎士団の制服も着てよ! ほらほら」

 私の左手を掴んだまま笑顔でコーが走って階段を降りはじめた。私も転びそうになりながらその後を追う。

 私はぎゅっとコーの右手を掴んだ。この暖かい場所を失わなくて本当に良かった。コーが私に隠している事は気になるけれど、彼女は私を一番だと言ってくれた。それを信じよう。自分の居場所がここにある。

 私はもう、二度とこの手を離さない。私はこの世で一番大切な輝く宝石をもう一度しっかりと握りしめた。




綾辻「あれ? もう壊れちゃったのかな」

大苦戦しました。ジークリードさんの豆腐メンタルと頑なさに何度も筆が止まりました(汗
地の文もちょっといただけないですね。何度か読み直してどんどん修正していくつもりです。「この表現がわかりづらい」とか「何言ってるかさっぱりです」とか「ジーク壊れすぎ」とかご指摘いただければありがたいです。

次はコートニー視点でこの事件を追ってみようかなって考えています。また1週間ぐらいかかるかもしれませんが、しばらくお待ちください。


SAOプログレッシブが発売になりまして、どんどん原作から離れて行っています。聖竜連合のギルマスはリンドさんらしいですし……。もう、全員オリキャラにしたくなってきました(ぉ


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第11話 心の小石【コートニー5-1】

 僕の右手とジークの左頬がはじけて『パーン』と乾いた音を街に響かせた。その音にちょっと離れた場所にいた血盟騎士団の全員がこちらに視線を向ける。

 僕は昔から人付き合いが下手だった。小学生の頃は≪キレ王子≫とか呼ばれてた。とにかく思い通りに行かなければキック、パンチ、ヘッドバット、唾飛ばし、噛みつき、もう何でもやった。教室の窓からイスやケンカ相手のランドセルを投げ捨てたのは一度や二度じゃない。さすがに中学生になってからは多少落ち着いたけど、≪瞬間湯沸かし器≫などと言われるほど気が短いのは今も変わっていない。

 僕はただジークと一緒にいる時間をなくしたくなかったのに、なんでジークはこんな事を言うのだろう。ジークが思い通りになってくれない事が許せなかった。なぜ分かってくれないのだろう。僕にとってジークと一緒にいる時間が一番で、攻略とかレベル上げとかはおまけみたいなものなのに。

 そういえば、聖竜連合のレンバーとジークが話をしてから、彼の態度がおかしかった。きっと何か言われてジークなりに考えた結論なのだろうけど、こんなのは受け入れられなかった。

「わかった……」

 僕はジークに背を向けて歩き出した。「もう、ジークリードなんて知らない」

 わざと『ジーク』ではなく『ジークリード』って呼んでやった。それだけ怒っているんだぞっていう事を示したかったのだ。

「コー! 血盟騎士団をやめるつもり?」

 ジークの焦った声が後ろから聞こえた。

「血盟騎士団はやめない。けど……」

 ジークの焦った声がなぜか僕の心に火をつけた。

 強くなれって言うならなってやる。けどその前に、どれだけ僕が怒っているか分からせてやる。

 僕はメインメニューを操作して、ジークをフレンドリストから削除して、さらにブロックリストに入れた。これでもうジークの声は聞こえない。

 もう、謝罪の言葉なんて聞いてやるもんか。でも、二、三日したらブロックリストから解除してあげよう。ずっとブロックリストに入れたままにするのはさすがにかわいそうだし。そのころにはきっと僕の頭も冷えているだろう。

 多分、後ろで呆然としているだろうジークの顔を想像して僕は少し溜飲が下がった。

 けれど、しばらくして戻ってきたジークは笑顔を浮かべていたのでさらに僕は不機嫌になった。おかげでジークの左腕を掴んでいなくても誰も僕に話しかけてこなかった。

 

 

 

 迷宮区に入って、僕たちはアスナの指示で二つのチームに分かれた。

 Aチームはゴドフリーがリーダーでタンクのジークリード、プッチーニ。槍使いのセルバンテス。

 Bチームはアスナがリーダーでタンクのマティアス、マリオ。短剣のアラン、そして僕。

 僕とジークを別々にしたのは正解だろう。今の僕だったら彼のヒットポイントがレッドになってスイッチするところを妨害するぐらいはやるかもしれない。もちろん、殺す気はないけれど。

「では、また夜九時に集合しましょう。出発」

 アスナは凛とした声で命令を下した。

 二手に分かれて迷宮区のマッピングは始まった。

「コートニーさん。あなたの武装は、スリングと槍だったかしら?」

 アスナが肩にかかった栗色の髪を払いのけながら聞いてきた。そんな仕草ひとつにも気品が感じられる。にわか女子の僕とは大違いだ。

 ふつふつと怒りが湧いてくる。もとはと言えばこいつが『私たちはデートで迷宮区に行くわけじゃないのよ』なんて言わなければジークとケンカにならなかったのだ。

「はい」

 自然と怒りがこもった声でアスナに答えた。

「じゃあ、今日は槍にしてください。スリングは使わないで。効率が悪いですから」

 僕に有無を言わさない口調でアスナは言って、優雅に身を翻して先頭を歩き始めた。

 その後、何度かモンスターと遭遇したが、アスナの戦いぶりは見とれてしまうほど見事だった。華麗なステップで敵のブレス攻撃をかわし、目にもとまらない刺突攻撃で次々と敵を葬る。ジークとゴドフリーのデュエルに割り込んだ時のスピードといい、閃光の二つ名は伊達ではないというのを実感させられた。

 

 

 

「結構いるよ。ヘル・アリゲータが10。サラマンダーが5とラヴァ・ウルフが8……。うわ、ファイヤーアストラルも2いやがる」

 短剣使いのアランが索敵スキルでモンスターの数をアスナに報告した。

 アスナはマップを呼び出して考えている。

 戦って勝てない相手ではないとは思う。ただ、ここが湧きポイントだとすると倒しているうちに次のモンスターが湧き、無限の相手と戦うような事態になるかもしれない。やるならリポップする時間を与えないぐらいの短時間に敵を全滅させなければならない。

 迂回するのもありだが、迷宮区のマッピングが遅れてしまうし、万が一この先に次のフロアに続く階段などあったら目も当てられない。

「あの……副団長」

 僕はじっと考えているアスナに話しかけた。

「何?」

 マップデータから視線を僕に移して、アスナはうるさそうに睨みつけてきた。

「スリングを使わせてくれれば、一気に突破できるかも……」

「できるの? できないの? はっきり言ってもらえないかしら」

 イライラした口調でアスナが詰問してきた。本当に嫌な女だ。

「手伝ってくれればできます」

 アスナの視線に負けないぐらいに僕は睨み返した。

「ちょ、ちょっと二人とも……」

 アランがおろおろと交互に僕とアスナの顔を見ている。こんな険悪な雰囲気では仲裁に入ろうとしても入れない。そんな感じだった。

「話を聞かせて。できるかどうかはわたしが判断します」

 アスナは腕を組んで言った。まるで出来の悪い生徒の発表を採点しようという雰囲気だ。

 ここでひるんではいられない。僕は作戦を説明した。

 

 

 

 僕はスリングを回し始め、投擲スキルによって青白く輝いた。そして、射程距離ギリギリにいるファイヤーアストラルに狙いをつけて石を投げつけた。

「フオオオオン」

 石は見事に命中し、ファイヤーアストラルは怒りの雄叫びを上げてこちらに向かってきた。その後を追ってモンスターの一団が追いかけてくる。

 僕は机によって幅が狭められた場所を走り抜ける。タンクのマティアスとマリオがその通路をふさいでモンスターの前に立ちふさがる。

「ファイヤーアストラルのタゲ取りは確実にお願いします」

「了解」

 僕の指示にマティアスが頷き、マリオが短く「ヤー」と答えた。

「副団長とアランは二人のヒットポイント回復とフォローを」

 打ち合わせはしてあったからわざわざ指示の必要はなかったかも知れないが念のため僕は言った。

「わかった」

 アスナとアランは短く答えてマティアスとマリオの後ろに立った。

 僕はあらかじめ床に積み上げておいた握りこぶしよりやや小さい鉄球を二つ手に取ってスリングにセットした。

「じゃ、行きます!」

 僕はスリングから鉄球を解き放った。二つの鉄球は僕の思い描く軌道をそのまま走って次々にモンスターたちにダメージを与えた。休む間もなく次の投擲動作に入る。

 投擲スキルの数少ない剣技。≪ダブルショット≫と≪ペネトレーションアタック≫を組み合わせた攻撃だ。鉄球を使うことによって軌道上のモンスター全てに貫通攻撃が可能になる。大量に湧くモンスター相手には非常に効果的だ。しかし、鉄球自体が鍛冶による生産物で決して安くないために使いどころが難しい。普通の場面で使ったら赤字間違いなしだ。

 僕はほぼ均等にモンスターたちのヒットポイントをレッドゾーンに落とし込んでいった。その間、僕自身もスイッチの指示や、ファイヤーアストラルがターゲットを机に変更し壊れかけたバリケードの後方に机を追加して崩れないように処置したりと結構忙しく走り回った。

「よし! 全員で一気に倒してください!」

 アスナ、アラン、そして僕はバリケード役の机をどかすと瞬く間にモンスターたちにとどめを刺していった。一分の間にレッドゾーン状態のモンスターすべてを倒し、リポップする前に湧きポイントを一気に走りぬけた。

 安全な場所で僕たちは足を止めた。

「投擲ってあんなことできるんだね。知らなかったよ」

 アランが笑顔で話しかけてきた。

「うん。でも、あれで1500コルぐらいの出費だからぜんぜん合わないんだけどね」

 僕はぺろりと舌を出して答えた。

「まじか。お高いのね」

 アランは首をすくめて驚いた。

「ネタスキルだからねぇ」

 と、僕が言った時、目の前にトレードメニューが現れた。マリオが僕に500コルを渡そうとしてくれていた。「あ。大丈夫。心配してくれてありがとう」

 マリオは無言で頷いてトレードをキャンセルした。

「コートニーさん。ありがとう」

 アスナが少し微笑みながら声をかけてきた。その顔の可憐さに僕の男としての部分が反応した。

(すごくかわいい!)

 まったく、男というのは単純で度し難い存在だ。女性の微笑み一つに心が動かされ、心臓が高鳴ってしまう。

「いえ。どういたしまして」

 僕はアスナにどもりながら答えるのがやっとだった。

「わたしは投擲の事は良く知らないから、何かあったら相談してちょうだい」

 一瞬のうちにアスナの微笑みは消え、いつもの副団長面に戻った。

「はい」

 あんなにいい顔ができるのに、もったいない。笑顔が増えればもっとこの血盟騎士団の雰囲気は明るくなるだろうに……。元に戻ってしまったアスナの硬い表情を見て僕はそう思った。

「さ、行きましょう」

 アスナがそう言うと、それぞれの言葉で返事をして、僕たちは迷宮区のマッピング作業を再開させた。

 

 

 

 夜九時になり、僕たち血盟騎士団は迷宮区内の安全地帯で合流した。

 アスナはゴドフリーとマッピングデータを統合すると何やら打ち合わせをしてから戻ってきた。

「夜の見張りの順番はわたし、コートニー、マティアス、マリオ。アランは今日は見張りなしで。いつもの通り二時間交代」

 アスナは必要な情報を過不足なく伝え、パーティーメンバーを見渡した。

「ラッキー」

 見張りから外れたアランは小さくガッツポーズをして微笑んだ。

「じゃあ、食事をしてポーション類の数が均等になるように調整しましょう」

「了解」

 マティアスは敬礼でアスナに応えた。

 僕たちはアスナの指示通りに食事をとり、ポーションの調整をした後、ベッドロールに入った。

 このベッドロールはアクティブモンスターへのハイディング効果がある。だからモンスター相手なら全員が寝てしまっても問題ないわけだが、PK対策として見張りを立てる必要があるのだ。

 今日は本当にいろいろあった。僕はあっという間に睡魔に誘われて眠りに落ちた。

 

 

 

「起きて。コートニーさん」

 体を揺さぶられ、目を開けるとそこには女神がいた。リアル世界でも十分にアイドルとして通用しそうな女性の顔が目の前にあって一気に目が覚めた。

「はい!」

 僕はビクンと体を起こした。

「静かに」

 アスナは口の前に白い指を立てて囁いた。「みんなが起きちゃうわ」

「すみません」

 僕はベッドロールから抜け出しながら謝った。

「じゃあ、見張り、よろしくね」

 そう言うとアスナはベッドロールではなく、迷宮区に足を向けた。

「どちらに?」

「睡眠前の運動……かな」

 アスナはそう言い残すと小走りで安全地帯から出て行った。

 時計を見るとちょうど零時だった。周りを見るとジークがセルバンテスと交代してベッドロールに入って行った。

 これから二時間見張りに立って、また眠って六時に起床だ。まるで軍隊だ。

 僕は索敵スキルを立ち上げてから二時間後にタイマーをセットして、横目でジークの寝顔を眺めてみる。もう、眠りに落ちてしまっているのだろう、けっこう可愛い顔をして寝ている。ほっとして思わず微笑みを浮かべてしまう。

 血盟騎士団に入っていなければ、今頃ジークと一緒に宿屋で寝ていたはずだ。一緒と言ってもツインの部屋でそれぞれのベッドで寝るだけだが、それだけで僕は満たされていた。

 僕の中学の生徒手帳には『男女交際は中学生としての節度を守ること』なんて書いてあるが、ジークと僕の関係はおおむねそんな感じだ。……多分。

 つい先日のボス戦の後ソファーでハグしたけど、それ以上の事はなかったし……。いや待てよ、これは男女交際じゃなくて男男交際? この場合の中学生としての節度ってどういうものになるんだろう。

 僕は自分が今着ている血盟騎士団の制服に視線を落とした。

 白をベースにして赤い十字のギルドシンボルがアクセントとなっている制服はとても清潔感にあふれている。胸のふくらみの向こうには膝上の赤いミニスカートが見え、さらに向こうには白のニーソックスが見える。

 ああ、自分は女の子だなと再認識した。

 この半年間、僕は男女共通の装備を好んで着ていた。そうしないと自分が本当に女の子になってしまいそうだったから。寝る時の服装もワンピースからズボンとTシャツに変更したし、フィールドに出る時も女性用のスカート装備など着たことがなかった。ベータテストの時は散々、可愛い系の服を収集していたのにも関わらず、このアインクラッドに閉じ込められてからは男っぽい服を着て過ごしてきた。

 それでも、走れば胸は揺れるし、股間のモノはないし、それ以外にも自分が女性になっていると実感する場面が多い。

 それにジークの存在が僕の中で大きく占めてくる。彼が好きだと強く認識したのはあの回線切断事件の時だろう。死を意識した時、ジークの顔しか思い浮かばなかったし、無事に戻ってきて彼の顔を見た時の感情は親友という枠を超えるものだった。それに、あの日の夜、ジークに襲われても構わないと思ってしまった。

 冷静な今考えると悪寒に似たものが背筋に走るが、あの時は本当にキスはおろかその先も許してしまいそうな勢いだった。それだけ、心が折れてしまうほどのダメージを回線切断で受けてしまったという事になるだろうが、その後も度々危うい場面があった。もしこの先、ジークが紳士を投げ棄てて迫ってきたら……。かなりやばいかもしれない。

 あの時、手鏡を捨てるんじゃなかった。そうすれば、そうしていたら――。

 僕は視線をジークに戻した。

 顔を見ているだけでほっとできる。彼のそばにずっといたいと思ってしまう。僕はかなり精神的にやられてしまっているかも知れない。ジークのために僕は女の子として生きて行った方がいいのだろうか。でも、それはジークを裏切る行為だからやるべきではない。でも、ジークと一緒にいるかぎりこの問題はつきまとう。でも、でも……。

 思考の迷路にはまりこんでいると、一緒に見張りに立っているセルバンテスがこちらを見て微笑んでいた。僕はあわてて視線をジークから外して安全地帯の入り口に目を向けて見張りを再開した。

 あれ? 中学の生徒手帳……? よく考えてみたら三月で中学卒業だった。それとも出席日数が足りなくて卒業できないのか? それにこの世界で校則なんて気にしても仕方ないのに何を考えていたんだろう。

 それにロクに女子と話をしたことがない僕が男相手に恋い焦がれるなんてもう、訳が分からない。

 僕はそこで結論が出そうもない思考を投げ捨て、見張りに集中する事にした。

 

 

 

 二時間が経って、見張りの交代の時間になった。僕は次のマティアスを起こした。

 アスナはまだ戻ってこない。睡眠前の運動とか言ってたけれど、いったい何時間運動するつもりなのだろうか。

 僕はギルドメニューからアスナの位置を確認した。この迷宮区にいるらしい。ちょっと、行ってみようか。

「コートニーさん。どうしたの?」

 マティアスが武装を整えて寝ようとしない僕を見て尋ねてきた。

「副団長の様子を見てこようかと思って……」

「邪魔しないようにね」

「邪魔?」

「スキル上げか、レベル上げしてると思うから」

 マティアスはメインメニューで見張りのために武装を整えた。

「そーそー。前、俺たちが行ったら『邪魔しないでよ』って視線で見られて萌えたわ~」

 プッチーニが自分の腕を抱いてうっとりとしていた。確か、セルバンテスを変態呼ばわりしてたが、このプッチーニもなかなかレベルが高い。

「うむ。あれは萌えるな」

 マティアスが恍惚とした表情でプッチーニの話に乗っかってきた。

 血盟騎士団はどうやらドMが多いらしい。だいたい、アスナが蔑んだ目でこちらを見たとしてどこに萌え要素が……。

 僕はその光景を想像してみた。栗色の長い髪をばっと翻し、汚物を見るような目で蔑んで『邪魔しないでよ』と言う副団長の姿。

 これは――萌える! 二人の萌えが理解できてしまう自分が悲しかった。もし、自分が男に戻されていたら、この二人と一緒に副団長萌えを温めあったかもしれない。

「そんなわけで、副団長の邪魔はしないでやってくれよ。機嫌が悪くなったらこっちの風当たりが強くなって大変だからさ」

 マティアスは肩をすくめて首を左右に振った。

「そこで萌えないとは、M度がたりねーな」

「俺はMじゃねぇ!」

「静かに」

 プッチーニのツッコミに大声で反応したマティアスに僕は唇の前に人差し指を立てて小さく言った。「みんなが起きちゃうよ」

 マティアスは少し頬を赤く染め、緊張した顔でこくこくと頷いた。

「じゃ、ちょっといってくるね」

 アスナが邪魔だと言うのなら引き下がろう。とりあえず、彼女のソロでの戦いぶりを見てみたかった。

「気を付けてな」

 プッチーニが手を振ってくれたので僕も振りかえして安全地帯から出た。

「今、俺のバーニングハートにズキューンってきたわあ」

 僕の後ろでマティアスがプッチーニに話しかけているのが聞こえた。

「ジークリードさんから寝取るのは無理だと思うぞー」

 あの二人、見張りの間ずっとあの調子なのだろうか? 周りの人を起こさなきゃいいけど。軍隊っぽい血盟騎士団の人間らしい一面を見て思わず僕の頬は緩んでしまった。

 

 

 

 安全地帯から五分ほど走った場所でアスナはファイヤーアストラルと戦っていた。

 剣舞のようなステップでファイヤーアストラルの攻撃をかわし、正確無比の剣さばきでヒットポイント削っていった。自分にはとてもできないだろう。多分、同じ動きをするには彼女よりレベル五ぐらい上回らなければ無理だろう。それぐらいのハンデを貰わないと彼女のような動きはできない。容姿だけでなくあのセンスと反応速度はまさに天賦の才と言えた。

 四連撃でとどめかと思われたが、わずかにファイヤーアストラルのヒットポイントが残された。アスナは冷静に通常打撃で残されたヒットポイントを奪って、モンスターをポリゴンのかけらに変換した。

「コートニーさん」

 ファイヤーアストラルを倒した後、僕の存在に気づいてアスナは声をかけてきた。「あなた、強くなりたい?」

「はい!」

 そりゃあ、強くなりたい。僕は頷いた。

「じゃ、一緒にやりましょ」

 アスナはなぜかため息をついて言った。嫌々なのだろうか? でも、あからさまな拒絶でもない。その意図はわからないが、とりあえず僕は槍を持ってアスナと共にレベル上げを始めた。

 

 アスナと組んでの戦いはジークと組んで戦う時とやり方がまったく違っていた。

 ジークと組む時は自分のヒットポイント重視で危険がないようにスイッチしていた。しかし、アスナと組む場合は違う。アスナの場合は打撃重視だ。自分の回復よりも短時間で倒すことに主眼を置いてスイッチしていく。

 アスナの細剣と僕の槍は同じ貫通系の武器なのでモンスターのAIに負荷(処理という意味ではなくモンスターの戦闘予測アルゴリズムを裏切るという意味だ)をかけて戦うというやり方は通用しない。しかし、スイッチのタイミングや戦い方はとてもしっくりくるものがあった。

 僕はかつてのベータテストで最初の二週間、盾持ち片手剣で戦っている頃を思い出した。その頃、僕は今でいう攻略組の一員として最前線で戦っていた。その頃、一人だけ気持ちよく組んで戦える奴がいた。クリシュナとかいう名前だったような気がする。いつの間にか顔を見せなくなって、僕も投擲にキャラを作り変えたからその後二度と会ってはいないが。

 その時のように僕は背中に目があるかのようにアスナの位置が分かったし、アスナの次の行動が見えた。アスナはどう思っているか分からないが、僕はとても戦いやすかった。ジークと組んで戦っている時とは違う安心感と高揚感、全能感に包まれながら僕はひたすら戦った。

「今日はこれくらいにしましょう」

 アスナがそう言った時、時計は午前四時を告げようとしていた。ほぼ二時間を休みなく戦い抜いたことになる。アスナに至っては四時間ぶっ通しだ。底知れない集中力に僕は驚いた。

「はい。ありがとうございます。結構、ラストアタックを譲ってもらっちゃってすみません」

 はるかにレベルの高いアスナが僕に合わせてくれている事にちょっと引け目を感じた。

 その時、僕の心にコツンと小石が当たった。なんだろうこの感じ。

「いいのよ。気にしないで」

 アスナは水筒の水をごくごくと飲んで、僕に水筒を投げてきた。「なんか、久しぶりに楽しかった」

「はい。僕も。すごく、気持ちよかったです。なんていうのかな……ぴたっとパズルがはまる感じ」

 そう言うと僕はのどの渇きに責付かれて渡された水筒を飲み干した。あ、これって間接キ……。

「うんうん。それそれ、そんな感じ。わかるわかる!」

 アスナは笑顔で心の底から楽しそうに言った。「あ、全部飲んじゃってもいいよ」

「ありがとうございます」

 僕は飲み干した水筒をアスナに返した。間接キスを意識してしまってちょっと頬が熱い。

「もし、よかったら、今夜も一緒にどう?」

「いいんですか?」

「もちろん!」

 アスナは弾む声で答えると、安全地帯に向かって歩き始めた。「じゃ、戻りましょ。一眠りして今日もマッピング、がんばろ」

「はい。副団長」

 その僕の言葉にアスナはばっと振り返った。

「アスナでいいよ」

 アスナは世の男性全てを溶かしてしまうような笑顔で言った。

「じゃあ、僕の事はコーで」

「わかった。でも、コーって呼んだら、ジークリードさんに嫉妬されちゃうかな」

 アスナはクスリと笑いながら冗談を言った。

「そんな事ないですよ」

 僕もアスナにつられてクスリと笑う。僕の中身はともかく、アスナと僕は外見上女同士だ。ジークが嫉妬するとは思えなかった。

「あー。二人の時は敬語もなしで! 肩こっちゃう」

 アスナは音楽の指揮者のように人差し指を立てて小さく揺らした。

「えっと、それは慣れるまで時間をください」

 なんといってもアスナは雲の上の存在だ。今日一日組んでみてそれは痛感した。仰ぎ見る存在にため口というのはなかなかできそうもない。

「じゃあ、この三日間で慣れてください」

 アスナは冗談めかした命令口調で片目を閉じながら言った。

「はい」

 僕はクスリと笑いながら答えた。

「あと……」

 アスナは急に立ち止まり、僕に頭を下げた。「今日は……ああ、昨日になるのか、ごめんね。あんなことを言って」

「え? なんの事?」

「ジークリードさんに掴まるのはやめてって言った事」

「あ、ああ」

 なぜだろう、僕はさっきまでその事でアスナの事を嫌っていたのに、今は全部許せそうだ。

「多分……いいえ、わたしは嫉妬してたと思う」

「嫉妬?」

「コーとジークリードさんがとってもお似合いで、うらやましかったんだと思う。それで、あんなこと言っちゃって。ごめんね」

「いいです。いいです」

 お似合いと言われて僕の心臓は高鳴った。ジークの顔を思い出すだけでドキドキしてしまう。本当に僕は女の子みたいだ。

「じゃ、戻ろ」

「うん」

 僕とアスナは笑顔で安全地帯に戻った。仲良く戻ってきた僕たちを見て、見張りを務めていたマティアスとプッチーニが驚いて目を丸くしていた。

 そんな二人がおかしくて、僕はベットロールの中でクスクス笑いながら眠りについた。

 

 

 

 三日間の泊りがけのマッピング作業は終わった。まだ全体の七割と言ったところだが、今後は泊りがけでマッピングしなくても十分に予定期間内に探索できるだろう。

 僕とアスナはあれから、昼は血盟騎士団として迷宮区のマッピング、夜は二人でレベル上げという毎日を送っていた。

 アスナはさすがに効率がいい狩場を知り尽くしていて、僕を色々な場所に連れて行ってくれた。おかげで今までにないペースでレベル上げができた。

「今日はここまでにしようか」

 僕がモンスターのとどめを刺した時、アスナが提案してきた。

「え? ちょっと早くない?」

 時計を見るとまだ二〇時だ。いつもなら日をまたいで一時とか二時までレベル上げするのに……。

「もう武器がかなりヘタってやばそう」

 アスナは自分の細剣の刀身を見つめながら言った。

「そう言えば……」

 僕も自分の槍を確認すると、かなり耐久が落ちてきていた。

「この時間ならリズも手が空いてきてるだろうし」

 アスナは優雅に細剣を鞘に納めた。

「リズ?」

「わたしの友達の鍛冶屋さん。コーも一緒にいこ」

 アスナはダンジョンの出口を目指して歩き出した。

「はい」

 なんだか、最近、アスナに頼りっきりだ。僕につきあわなければレベル上げもスキル上げも順調にできただろうに。すごく申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 また、僕の心にコツンと小石が当たった。ここの所、毎日、アスナと狩りをした後に感じるこの気持ちはなんだろう。今日こそしっかり捕まえてやる。

 アスナの後を歩きながら僕はその気持ちの源を探った。

「あっ……」

 心の底に沈んでいた小石をようやく拾い上げて、僕は思わず声を上げてしまった。

「なに?」

 アスナが足を止め、振り返った。

「あ、いえ。すみません。何でもないです」

「そう?」

 アスナは小さく首を傾げて再び歩き出した。

 このアスナに対して申し訳ないという気持ちは、ジークがいつも僕に対して感じていた気持ちと一緒じゃないの? ああ、だから僕と距離を置いて強くなれって言ったのか。ちゃんと話してくれればいいのに。あれ? ジークはちゃんと言ってくれてたかな?

 記憶を掘り返してみたけど、言われたような気もするし言われなかったような気もする。いずれにしても、アスナと行動を共にしなければこんな感情を正確に理解する事は出来なかっただろう。

 遠慮しなくていいのに。一緒に強くなりたいのに。こんな思いを抱えたままジークは苦しんでいたんだろうか?

 近々ちゃんとジークに謝らなきゃいけない。叩いてごめんなさいって。

 ちゃんと伝えなきゃ。こんな小石なんて気にしなくていいよ、一緒に強くなろうって。

 僕はそう心に誓った。




戦闘シーン、手抜きでごめんなさい。人間ドラマの方を(大したドラマではありませんが)お楽しみください。orz
コートニーの子供っぽいところが女性の母性本能をくすぐるのかもしれません。アスナさんを攻略しましたね(違)。なんか、最近、コートニーの行動が「マリア様がみてる」の由乃ちゃん(改造後)に見えてきて仕方がないです。無鉄砲な所とかキレやすいところとかw
アスナとコートニー、二人とも仲良くやってほしいものです。
次回、リズ登場ですが、あんまり期待しないでください。さらっと流していくだけですので^^;

お気に入り登録がいつの間にか60を超えていました。読んでいただいてありがとうございます。
改善点がございましたら、「こうすればいいんじゃね?」というのをお聞かせいただければ幸いです。


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第12話 最初にかけたボタン【コートニー5-2】

 第二六層の主街区の広場に行くと攻略組相手の商人でにぎわっていた。

「リズ。こんばんわ」

 アスナはたくさんのベンダーズ・カーペットが並ぶ通りの中央で足を止めた。

「アスナ!」

 黒のショートヘアの女の子が顔をぱっと輝かせて立ち上がった。年齢は僕とアスナと同じぐらいだろうか。彼女は僕の方を見て固まった。

「あ、紹介するね。今度、血盟騎士団に入ったコートニーさん」

 アスナは僕に手を向けながら紹介し、今度は鍛冶屋の女の子に手をむけた。「わたしの友達のリズベット。鍛冶屋をやってるの」

「よろしく」

 お互いに遠慮がちに小さく頭を下げてあいさつする。

「ちょっと、アスナ。血盟騎士団は強い人だけじゃなくて、美女も集めることにしたの?」

 リズベットが僕の顔をまじまじと見つめながらアスナに尋ねた。

「そんなわけないでしょう。コーはれっきとした攻略組。強いのよ」

 アスナはクスリと笑った。「それよりリズ。前も言ったけど髪の毛染めなよ。絶対そのほうが似合うから」

「いやあ。ピンクはないっしょ。ピンクは」

 リズベットは自分の前髪をつまみながら必死に否定した。

「絶対、似合うのになあ。あ、メンテお願い」

 アスナは腰の細剣と鎧を手渡した。「次にコーの分もよろしくね」

「毎度ー」

 僕はそんなやり取りを聞きながら、リズベットがベンダーズ・カーペットに並べている片手剣を見始めた。

 そうだ。ジークの誕生日も近いし、プレゼントをきっかけにしてちゃんと謝る事にしよう。

 僕は一つ一つ手に取って、値段と性能を見比べた。

「ジークリードさんにプレゼント?」

 耳元でアスナが囁いたので僕は飛び上がった。

「あ、いえ。そうです」

「どっちよ」

 アスナはクスクスと笑いながら僕の肩をつついた。

「来月、ジークの誕生日なんですよ」

「そうなんだ」

 何か言いたそうな微妙な笑顔でアスナは僕を見つめた。

「うん」

 どれも今一つだ。せっかくなら長く使ってもらえるような武器にしたい。最後の一つを見て、僕はため息をついた。

「リズ。他に秘蔵の武器なんかあったりしない?」

 そんな僕の様子を見かねてアスナはリズベットに尋ねた。

「んー。今はそれしかないんだよね」

 リズベットはアスナの武具をメンテしながら言った。「あのさ。二三層のフィールドに準レアのインゴットを出すモンスターがいるらしいのよ。五〇個持ってきてくれたら、あなたの気に入ったのができるまでタダで作るわ。どう?」

 リズベットはメンテが終わった武具をアスナに返すと僕に首を傾げて提案してきた。

 僕にとっては無料で作ってくれるし、五〇回やれば一つぐらいいい出来の物ができる筈だ。リズベットにとってはスキル上げもできるし、僕が気に入らなかった武器は売ればいい。ギブアンドテイクだ。

「へー。それってどれぐらいの確率で手に入るの?」

 アスナが首を傾げながら聞き返すと、リズベットはメインメニューを操作してメッセージを僕とアスナに送ってきた。

「それ、情報屋の情報。場所とかモンスターとか書いてあるよ」

「どれどれ」

 アスナはそのメッセージを速読する。「悪くないけど、もうちょっと数減らしてもらえない? わたしもやるからさ、二人で七五個とかどう?」

「えー。八〇個で」

 リズベットは眉を八の字にしてアスナに食い下がった。

「九〇個で盾も作ってくれませんか?」

 さらに僕が提案すると、二人が『え?』という顔で僕を見た。

「じゃ、それで」

 リズベットはニコリとして頷いた。「じゃあ、あなたの装備もメンテしましょ」

「お願いします」

 僕はニコリと笑って槍と鎧と200コルを渡した。

 

 

 

 その日から僕とアスナはレベル上げを中止して第二三層で準レアインゴット集めに行くことになった。

 獲得率はあのリトルネペントの胚珠よりかなり高い。だが、それでも二人で九〇個という数をそろえるのはなかなか辛かった。

 目標の九〇個がそろわないうちに第二六層のマッピングが終了した。

 五つの攻略ギルドは会議を行い、合同でボス部屋に二〇人規模の偵察隊を送り込むことになった。血盟騎士団の割り当て人数は四人。そのメンバー選出のために、ギルドハウスに血盟騎士団全員が集まった。

 あの第二五層の次のボスという事でみんな躊躇していた。第二五層のボスはほぼ二撃で攻略組を葬る力を持っていたから次の第二六層のボスは一撃で攻略組を葬る力があるかもしれない。そう考えると恐ろしい。横並びの日本人らしく、誰も偵察部隊への立候補しなかった。

「公平にくじ引きしまひょか」

 ダイゼンが全員を見渡しながら言った。

「ルーレットにしようぜ。上位四人が参加ってことで」

 セルバンテスが言うと、みんなが頷いた。そして、メインメニューの操作を始める。

 ルーレットはレアアイテムの分配やちょっとした賭けの時に使う。スタートと押すと一から百までの数字がランダムに表示されストップを押すと確定されるという単純なものだ。ごまかしがきかないように確定された数字は見える範囲にいる人のシステムログに記録される仕組みになっている。

 ダイゼンを除くメンバー全員がルーレットを回し、室内にメニューを操作する電子音が響いた。

 その結果、上位四人はマリオ、ジークリード、セルバンテスそして僕の順番だった。

(あー。今日明日でインゴットを集めたかったのになあ。これじゃ、ジークのプレゼントはボス攻略後かな)

 と、考えていたら、アスナが立ち上がって話し始めた。

「やっぱり、ギルドを指揮する者が一人も入っていないのはまずいわ。わたしがコートニーさんと代わります」

 副団長命令です。とは言わなかったけれど、力強いその言葉にみんなは頷くしかなかった。

 アスナは僕にインゴット集めの時間を与えようとしてくれているのだ。その気持ちがとてもありがたく嬉しかった。

 アスナと視線が合うと、彼女は口元をほころばせた。僕もアスナの気持ちが嬉しくて声には出さず『ありがとう』と口の形で気持ちを伝えた。

「では、マリオ、ジークリード、セルバンテスは明日九時にここに集合。他のメンバーはボス戦に備えてオフとする。以上」

 アスナは周囲を見渡して指示を出すと、全員が立ち上がり一斉に敬礼した。

 みんな敬礼が終わると雑談をしながらギルドハウスから次々と出て行った。

「アスナ」

 僕は立ち上がって、アスナの所に走って彼女の手を取った。「ありがとう。ごめんね。気を遣わせちゃって」

「いいのよ。今日と明日、手伝えないけど大丈夫だよね」

 アスナもにっこり笑った。

「もちろん!」

「お話し中すまん」

 割り込んできたのは斧戦士のゴドフリーだった。なにやらとても深刻そうな表情を見せている。

「どうしたの? ゴドフリー」

 その表情にアスナは真剣に向き合った。

「コートニーさん。ジークリードの奴をいい加減許してやってくれないか?」

 ゴドフリーはすがるような瞳で僕に語りかけた。

「え? 許すも何も……」

 もう、僕の中では許すを通り過ぎて、謝るタイミングを計っているところなのにゴドフリーは何を言っているのだろう。

「だって、ぜんぜんあいつとしゃべってないだろう?」

「それは、パーティーも違うし、夜はアスナと一緒にレベル上げしてるし……話すチャンスが。彼の事を許すっていうか、僕の方から謝ろうとは思ってるんだけど、きっかけがなくて」

 僕はしどろもどろになりながら言った。ゴドフリーに言いたいことはちゃんと伝わっただろうか?

「よくわからんが、あいつの事を許しているんだよな。できれば今すぐにそれを伝えてやってくれないか?」

「ええ? 今すぐ?」

 それは、ちょっと心とプレゼントの準備ができないよ。僕はおろおろとしてしまう。

「待って、ゴドフリー」

 そんな僕を見かねたのか、アスナが間に入ってきた。「どうして、そこまであなたが口を出すの? ジークリードさんはどういう状態なの?」

「あいつ、突っ込みすぎるんだ。戦闘が始まるとひたすらぶつかって行って……」

「あーそれは昔からの癖で……」

 僕はゴドフリーの言葉をさえぎって言った。ジークはベータテストの時と変わってないなって思ってクスリと笑った。

「笑い事じゃない!」

 ゴドフリーは窓がびりびりと震えるほどの大音響で叫んだ。「このままだとジークリードは死ぬぞ。コートニーさん。あんたはそれでいいのか!」

「そんな……でも、ジークが突っ込んでいくのは昔からの癖で、ちゃんとヒットポイントを見てあげて指示をしてあげれば……」

 ゴドフリーの大声と『ジークリードは死ぬ』というキーワードで僕の声は震え、思わず目から涙があふれ出した。

「あんなの癖とかじゃねぇ。あいつは死を恐れていない。いや、もしかすると死ぬことを望んでいるかも知れない。あいつの生きる理由をあんたが作ってやらねえと……。このあいだのボス戦の時と明らかに動きが違う。今のあいつは死を恐れぬバーサーカーだ」

 激しい口調でゴドフリーは僕に迫ってきた。

「ゴドフリー。あなたの言いたいことは分かったわ」

 アスナが僕の肩を優しく抱いて言葉を続けた。「ジークリードさんの件は明日のボス偵察で実際にわたしが見て判断します。それでいいかしら?」

「ああ。俺の杞憂ならいいんだがな。とにかく、しっかりフォローしてやってくれ」

「分かったわ」

「すまん。コートニーさん。言葉がきつくなってしまった」

 ゴドフリーは深々と頭を下げた。

「いえ。ちょっとびっくりしただけです。ごめんなさい。泣いちゃって」

 僕は涙をぬぐいながらはっきりとゴドフリーに返事をした。「大丈夫です」

 ゴドフリーは頷いてギルドハウスから出て行った。

「コー。安心して。ジークリードさんはわたしが絶対守るから」

 アスナはしっかりと僕の肩を抱いて耳元で囁いた。

「うん。ごめんなさい」

「謝らなくていいのよ。コーはとにかくインゴットを集める事に集中して。彼の事を考えながら戦っちゃだめよ。フィールドで集中力が欠けると危ないからね」

「ありがとう」

「気持ちをしっかり持ってね」

 アスナは僕を安心させようと笑顔で頭を撫でてくれた。

「うん」

 アスナの気持ちを無にしないためにもしっかりしなきゃいけない。何としても明日中にインゴットを集めなければ。そうすれば、プレゼントをきっかけにしてジークと和解して全てがうまくいく。僕はそう考えた。

 

 

 

 次の日。僕は朝からインゴット集めに時間を費やした。

 休憩をはさみながらひたすら準レアインゴットを落とすモンスターを狩り続けた。

 一六時ごろ、索敵スキルに人の反応があった。ギルドメニューで確認するとアスナが同じフィールドにいる事が分かった。おそらく、この反応はアスナだろう。

「コー」

 五分もしないうちに思った通り、アスナが現れた。だが、その表情はとても硬かった。

 まさか……。僕はギルドメニューでジークリードの生死を確認した。

(よかった。生きてる)

 僕は胸をなでおろした。ジークは第二六層の宿屋にいるらしい。

「すぐに転移結晶でタフトに行きましょう。今、リズはそこで修行してるらしいの」

「でも、インゴットは三〇ぐらい足りないです」

「わたしの剣は後回しでいいわ。手持ちのインゴットでコーの注文をやってもらいましょう」

「でも、そんなのアスナに申し訳ないよ」

「わたしのは後でいいから。今はジークリードさんの事を考えて。詳しい事はタフトで話すわ」

 アスナは厳しい表情のまま転移結晶を取り出した。僕も頷いて転移結晶を取り出した。

「「転移! タフト」」

 僕たちの周りの風景が光に溶けていき、やがて見慣れたタフトの転移門の風景に変わった。

 タフトのNPCの鍛冶屋で修行していたリズベットに僕たちはインゴットを渡した。

「アスナ。62個しかないじゃない? どういうつもりなの?」

 からかうような目つきでリズベットはアスナの顔を覗き込んだ。

「ごめん。リズ。まず、コーの分、片手剣と盾をそれで作ってくれないかな」

 アスナは真剣な表情でリズベッドに答えた。

「うん。分かった」

 リズベットはその真剣な表情に息をのんで表情を引き締め頷いた。「三〇分ぐらい待ってて」

「ごめんね。急に頼んで」

「いいよいいよ。アスナの頼みならなんでも聞いちゃうよ!」

 リズベットは笑顔で腕まくりをしてインゴットを炉に放り込んだ。

「じゃ、わたしたちは宿屋にいるから何かあったらメッセージちょうだい」

「え? 宿屋? まだ四時だよ?」

 リズベッドは目を丸くして聞き返してきた。

「ちょっと、他の人には聞かれたくない話だから。ごめんね」

 アスナは両手を合わせてリズベットに謝罪した。「じゃ、行きましょ」

「うん」

 僕たちはシングルルームをとって中に入った。

 アスナはジークの何を語るのだろう。僕は緊張しながらアスナが指し示したソファーに腰かけた。

「まず、昨日ゴドフリーが言ってたのは本当だった。ジークリードさんの行動は異常だわ。できるだけ早くコーはジークリードさんと話をした方がいい」

 アスナは僕の左隣に座って静かに言った。

 そして、アスナはボス偵察でのジークの行動について話し始めた。

 アスナが止めたのにいきなり聖竜連合のレンバーとデュエルした事。

 そのデュエルの後、レンバーのギルド移籍に心を動かされているようだったという事。

 ボス偵察の時、アスナの指示に従わずひたすら攻撃を続け、マリオの機転によって命が救われた事。

 その後、アスナたちを置いて勝手に帰ってしまった事。

 僕はどれも信じられなかった。

 ジークのイメージは真面目で紳士で柔軟で思慮深くて、男の中の男という感じなのだ。それが、勝手にデュエルを受けるという軽挙、ギルド移籍に心を動かされるという不誠実、ボス戦闘での周りの指示に従わないという頑なさ、ボス戦の途中で帰ってしまうという不真面目さ。どれもジークらしくない。僕が知っているジークじゃない。

「信じられない……」

 僕は心の中に渦巻く戸惑いをそう表現するしかなかった。

「プライベートな事を聞いてごめんね。コーはあれからずっとジークリードさんと話をしてないの?」

「うん……昨日ゴドフリーさんにも言ったけど、パーティーも違ったし夜はアスナと一緒にいたし」

「わたしのせいだね。きっかけはきっと……」

 アスナはうつむいて床を見つめた。

「アスナは悪くない。僕とジークが悪いんです。ちゃんと向かい合わなかったから。僕だってすぐに謝ればよかったのに、ジークだって苦しいなら……あ……」

 その時、僕は先日見つけた心の小石を思い出した。

「どうしたの?」

「ジークは僕に話せなかったのかもしれない」

「どういうこと?」

「ジークが同じことを考えてるか分からないんですけど」

 僕はそう前置きをして、隣に座るアスナの顔を見た。「僕、アスナさんとレベル上げをしててすごい申し訳ない気持ちでいっぱいなんです」

「え?」

 なんでそんな話が出るんだろう? そんな表情でアスナは首を傾けて視線を合わせてきた。

「だって、僕がいなければもっと効率よくレベル上げできるじゃないですか」

「ううん。わたしはコーが強くなってくれるのが嬉しいし、自分のレベル上げだってそんなに遅れてるとは思わないわ」

 アスナは首を振って僕の言葉を否定した。

「そうです。その言葉を僕はジークに言わなくちゃいけなかったんです。それなのに僕は……」

 僕は視線を落とした。でも、今からでも遅くないはずだ。「ジークにメッセージを送ります」

「うん。そうしてあげて」

 アスナは頷いて微笑んだ。

 僕はショートメッセージをジークに送ろうとメインメニューを呼び出してキーボードを叩いた。

 謝罪の言葉と今日会って話をしたいという気持ちを文章にしてメッセージを送った。が、すぐにエラー表示が目の前に広がった。

「は?」

 僕は絶句した。

「どうしたの?」

 アスナはエラー表示を見て首をかしげた。

「僕……ジークをブロックリストに入れたままだった……」

「ええええええ? いつから? コー。なんでジークリードさんをブロックリストなんかに入れてたの?」

 アスナが驚愕の表情で声を上げた。

 僕はなんてことをしていたんだ。もしかしたらジークはいろいろ話しかけようとしていたかもしれないのに、僕はそれを無視し続けていたことになる。

 ジークはこの事でどれだけ苦しんだことだろう。そう考えると全身に震えが走った。

「とにかく、ブロックリストから外さなきゃ」

 僕は震える指でジークリードをブロックリストから外した。

 そして、先ほどエラーになってしまったメッセージを再び打ち直す。今更、なんと言って謝罪すればいいのだろう。なかなか文章が思い浮かばない。そのうちにシステムメッセージが届いた。

 

【Siegridさんのブロックリストに登録されました。今後、Siegridさんとの会話は全てブロックされます。これを解除するには…………】

 

 僕は呆然としてこのメッセージを眺めた。心の中が空っぽになって涙があふれてきた。

 これは罰だ。ジークを放っておいて、アスナと一緒に楽しくレベル上げをしていた罰だ。

 僕はまるで聖書に出てくる放蕩息子だ。帰るべき場所を捨てて楽しい場所で遊びほうけているうちにすべてを失おうとしている。聖書の放蕩息子は無事に帰れたが、僕はどうしたらジークに許してもらえるのだろうか?

「どうしたの? コー」

 涙を流して固まった僕に驚いて、アスナは僕の肩を揺さぶりながら聞いてきた。

「どうしよう、アスナ……ジークのブロックリストに入れられちゃった」

 僕は感情を抑える事が出来なくなって子供のように泣き始めた。

「コー、落ち着いて」

 アスナは僕の肩を抱いて、落ち着かせようと頭を撫でてくれた。突然、その手が止まった。「うそ……」

「アスナ?」

「落ち着いて聞いて、たった今、ジークリードさんから血盟騎士団の脱退申請がきたわ」

 もう、おしまいだ。ジークは僕との絆をすべて切り捨てようとしている。血盟騎士団を脱退したら彼の場所をモニターする手段がなくなる。アインクラッドは広い。そんな状態で隠れられたら二度と見つけ出す事は出来ないだろう。

 そうなってはせっかく、リズベットに片手剣と盾を作ってもらってるのに渡すどころか会う事も出来ないし、会ったとしても言葉を交わせないのだ。

 ジークが張り巡らせた拒絶の壁の厚さと高さに僕は絶望した。絶望が深すぎて涙が止まった。

「ちょっと、メッセージを打たせて」

 アスナはメインメニューからキーボードを呼び出してメッセージを打ちはじめた。「団長にこの脱退申請を承認しないようにお願いする。あの人、去る者は追わない主義だから釘を刺しておかないと」

 アスナはしばらくヒースクリフとメッセージのやり取りをしていた。

 こんな事になるなんて、どこで間違えてしまったのだろう。多分最初は些細な事。僕がジークの頬を叩いた事。ジークが僕にちゃんと想いを伝えてくれなかった事。すぐに謝れば、話し合えばここまで絶望的な状態にならなかったのに。放っておいたのは僕の罪。ブロックリストに入れっぱなしで忘れた僕の罪。

 ジークが僕から去るというのは彼が死ぬ事以上に心に堪える。

 ああ、そうか。僕がブロックリストに入れていた間、ジークはこんな思いで僕を見ていたんだ。僕がジークを捨ててアスナと一緒に強くなる道を選んだと思って……。

 僕はジークが死を恐れないバーサーカーになった理由が分かったような気がした。

「コー。大丈夫?」

 アスナは呆然としていた僕の肩を叩いた。

「なんか、ジークの気持ちが分かっちゃった。死にたくなっちゃった……」

「しっかりして。まだ、間に合うわ。このまま終わっちゃっていいの?」

「でも……」

「コーは一週間前のコーじゃないわ」

 アスナは僕の頬を優しく両手で包んで優しい瞳で見つめてくる。「一週間前のコーだったら、ジークリードさんの気持ちとか絶望感を知る事が出来なかった。でも、今は違う。ちゃんと理解できてる。ジークリードさんの心に寄り添って話し合えるわ」

「でも、僕はブロックリストに入れられて」

「それはわたしが解除させる。今、ジークリードさんに『脱退を認めてほしかったら、十七時にギルドハウスの裏庭に来なさい』ってメッセージを送ったわ。そこでブロックリストから外してもらう。もし、来なくても明日の二四時まではウチの団員だからどこにいるか分かるわ。わたしがそこに行って絶対ブロックリストから外してもらう。このままお別れなんて辛すぎるよ。コーの気持ちをちゃんとジークリードさんにぶつけなきゃ」

 そうだ、もう一度やってみよう。チャレンジしてみよう。

 アスナの言葉で力が甦ってきた。

 ああ、アスナってすごいな、かっこいいなって思った。容姿だけじゃなくて、強くて、頭もよくて、こんな励ましまでできてしまう。本当に欠点なんて何もない。

「ありがとう。アスナ。僕、がんばってみる」

「がんばれ。コー」 

 アスナは僕の両頬を温めていた手をほどいて僕をぎゅっと抱きしめた。

「うん」

 僕はアスナを抱きしめた。アスナの力と勇気を分けてもらえたような気がした。

 なんだか、自分が男であることを忘れてしまう。アスナが親友でジークが恋人。もうこれでいいのかもしれない。

 

 

 

 三〇分経ったので、僕とアスナはリズベットの所に向かった。

「あ。すみません、先約があるんで~」

 リズベットが男性剣士に深々と頭を下げてからこちらに走ってきた。

「すみません。商売の邪魔しちゃって」

 僕がそう謝るとリズベットは明るい笑顔で手を振った。

「いーのいーの。これだって商売だよ!」 

 リズベットはメインメニューを操作して片手剣と盾を実体化させた。「結構いいのができたよ。片手剣は≪ゴライアスソード≫武器防御スキル補正が+100もあるよ。盾は≪マゲン・ダビド≫こっちは盾スキル補正が+50ある。なんか不思議でさー。別々に作ったのにセットみたいな感じがするの」

 ≪ゴライアスソード≫は柄の部分に六芒星が掘りこまれており、かなり幅広の剣だ。結構な筋力要求値だが、血盟騎士団のレべリングノルマを考えるとジークは装備できると思われた。≪マゲン・ダビド≫は見かけはヒーターシールドだが、これもまた中央に六芒星が描かれていた。確かにリズベットが言うように並べてみると違和感がなくセットのように見えた。

「≪ゴライアスソード≫と≪マゲン・ダビド≫……」

 僕は受け取った二つの武具を抱きしめた。「神様……ありがとうございます」

「どうしたの? コー」

 不思議そうにアスナが尋ねてきた。

「ゴライアスっていうのはゴリアテの事。マゲン・ダビドは≪ダビデの盾≫」

「ダビデって聞いたことあるようなないような。なんだっけ?」

 リズベットが首をかしげた。

「旧約聖書に出てくる英雄ね。ダビデは侵略者のゴリアテを倒してその剣を自分の武器にしたの。なるほど、確かにこれはセットね」

 アスナが僕の代わりにリズベットに答えた。

「ゴリアテを倒した武器はスリング……」

 僕が補足すると、アスナが「あ」と声を上げてから頷いた。

 そう、僕の主力武器はスリング。人は単なる偶然だと笑うだろう。でも、僕はこれだけの事でとても勇気づけられた。そして、この剣と盾をジークにずっと使ってほしいと心から願った。

「リズベットさん、素晴らしい武器をありがとう」

 僕は深々と頭を下げた。

「ううん。あたしもコートニーさんの顔見たらすごい幸せな気持ちになった。ありがとう」

 リズベットは僕の両手を取ってにっこりと微笑んだ。僕はその笑顔にまた力と勇気を分けてもらった気がした。

 ああ、確かにアスナが言うように彼女にはピンクの髪が似合うかも。リズベットの明るい笑顔を見て僕はそう思った。

 

 

 

 約束の一七時までまだ時間があったので、僕とアスナはギルドハウスで待つ事にした。ギルドハウスの窓際のソファーに二人で腰かけ、無言で外を見ていた。

 沈黙の間に時が流れ、約束の五分前になった。否応なしに僕の緊張感が高まってきた。

「あのね」

 アスナがはにかみながら言った。「今だから、ぶっちゃけちゃうけど。最初に会った時、わたし、コーが大嫌いだった」

「うん……。僕もアスナって嫌な奴って思ってたよ」

 僕はその時の感情を思い出してクスリと笑った。今は全然違う。なにもかも大好きだ。「お互い様だね」

「うん。あの初日の見張りの時ね、ジークリードさんが言ったの『コーを頼みます。強くしてください』って。そう言われなければ、スキル上げしてた時にコーを追い返していたと思う」

「ああ……あの時、アスナの態度が微妙だったのはそういう事だったんだ」

「お互い嫌ってたわたしたちがこんなに仲良くなれるんだもの。元々いい関係だったコーとジークリードさんもきっと元通りになれるよ」

 アスナはそう言って、僕の長い髪を手ですいた。

「うん」

「もしね。ジークリードさんが『血盟騎士団か俺を選べ』って言ってきたら、彼の方を選んでいいからね」

 アスナはしばらく、僕の髪をもてあそんだあと、静かに言った。

「でも……」

「間違えちゃだめよ。わたしはジークリードさんの代わりにはなれないのよ。一番大切なものを見失わないでね」

 アスナは僕の髪から手を放してメインメニューを操作した。「フレンド登録しましょ」

「うん」

 同じギルドに所属していればフレンド登録する意味はない。ギルドの機能はフレンド機能の上位互換だからだ。フレンド登録すれば血盟騎士団を抜けてもアスナとの絆は残る。少しでも僕の選択肢を広げてあげようというアスナの心遣いが心にしみた。

「そろそろ、いこっか」

「はい」

 僕たちは立ち上がってギルドハウスを出た。勝負の時だ。 

 

 

 

 裏庭と呼ばれる公園のベンチに人影があった。ジークだ。

 血盟騎士団の制服ではなく、以前着ていた普段着を身に着けていた。夕日に照らされているためだろうか、ジークがとても遠い存在に見えた。

 僕たちの足音に気づいてジークは立ち上がって振り返った。そして、僕たちを睨みつけたあと、視線を逸らした。

 それだけで、僕の心に亀裂が走った。もう、僕たちは修復不可能な状態なのだろうか。

「ジークリードさん。まず、コーをブロックリストから外してくれないかしら」

 アスナが凛然たる態度で言った。

 それに対してジークは不承不承メインメニューを操作した。間もなく、僕にシステムメッセージが届いた。

 

【Siegridさんのブロックリストから解除されました。今後、Siegridさんと会話ができるようになります】

 

 アスナが目で僕に確認してきた。僕が頷くとアスナはジークに視線を戻した。

「ジークリードさん。脱退申請は了解しました。ただ、私も団長も許可するつもりはありません。個人的には取り下げてくれることを希望します。以上」

 え? それだけ? と思ったが、あとは僕とジークの問題なのだ。アスナがジークにどんなに言葉を尽くしても、僕の一言の方がジークにとって重い事を理解してるのだ。

 そして、アスナに優しく背中を押された。

「がんばれ。コー」

 アスナはそれだけを言うと振りかえってギルドハウスへ歩いて行った。

「はい」

 僕は覚悟を決めてジークの前へ歩いていった。

 とても長い距離だった。地面を踏みしめるたびに緊張が高まり頭の中が白くなっていく。

「ジーク……」

 一週間前の時のように僕はジークを見上げる。返事がない。ジークの表情は硬く、僕は今更ながら一週間の空白の大きさを実感した。

(話のきっかけ……きっかけ。そうだ、プレゼントで)

 僕はメインメニューからジークにトレードを申し込んだ。≪ゴライアスソード≫と≪マゲン・ダビド≫をトレード画面に表示させた。

「ちょっと早いけど、ジークの誕生日プレゼント。これで明日のボス戦を……」

 僕は最後までその言葉を言わせてもらえなかった。ジークが左手でトレードをキャンセルしたからだ。また、僕の心の亀裂が広がった。もう、ばらばらに砕けてしまいそうだった。

「ボス戦には行かない。だからそれはいらない。他の人にあげてくれ」

 ジークは僕に背を向けて歩き出した。

「ジーク。待って!」

 僕は夢中でジークを後ろから抱きしめた。

「離して。コートニー」

 『コー』ではなく『コートニー』と呼ばれた事で僕の心は完全に砕けた。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

 僕は息の続く限り謝罪の言葉を続けた。最後には涙声になっていた。「信じてくれないかもしれないけど、ずっとブロックリストにいれるつもりはなかったんだ」

「いいんだ。もう……」

 ジークの言葉はまだ冷たかった。

「僕、ジークのいう事を何でも聞く。だから、一緒にいて。お願いします!」

 僕は自分の思いをぶつけた。どんなに醜い見苦しいと思われても、もうジークにすがる事しか思いつかなかった。「強くなれっていうなら強くなる。血盟騎士団をやめろっていうならやめる。聖竜連合に行くのならついて行く。何でもいう事を聞くから……僕の帰る場所を……僕の居場所を残してください」

「コートニー。顔を見せて」

 ジークが僕の腕を優しく撫でた。

「うん」

 僕は腕をほどいてジークの前に立ち、彼の顔を見つめた。まだ、表情は硬い。けれど完全拒絶ではなく、話は聞いてくれそうだ。「いっぱい。いっぱい、お話しよう。ジークが考えている事。僕が考えてる事。この一週間の事……」

 僕はまたすべての言葉を口にすることはできなかった。ジークの表情が一瞬で野獣のように変わり、あっと思った時には僕はジークに唇を奪われていた。

 目の前にハラスメントコードの赤いウィンドウが広がった。

 あわててジークを振り払った。

「ちょっと、ジーク、やめて」

 声を上げたがジークが僕の腕をねじ上げ再び唇を重ねてきた。

 男同士だというのに意外と嫌な感じはしない。むしろ、気持ちがいい。もう、僕の心はコートニーという女性に変わってきているのかも知れない。頭も体も熱くなって全身の力が抜けて行く。

 何でもいう事を聞くと言ってしまったのだし、このままジークに身を委ねてもいいかもしれない。

 

(だめだ!)

 

 僕とジークはここを出発点にしちゃいけない。お互いの想いが歪んでしまう。今回の仲たがいはお互いの気持ちのすれ違いが原因だ。

 最初にボタンを掛け違えて気づかずに服を着てしまった時のように最初で気付いて直せばこれほどの大事にならなかったのだ。

 お互いの気持ちがはっきりしない状態でキスから再び関係を始めていくのはよくない。このままだと歪んだ関係になってしまう。

 僕たちは一週間前の時点からやり直すべきだ。もう一度最初のボタンから掛け直すんだ。

 僕は両手の自由を奪われていたので、まばたきで≪引き離す≫をクリックしてハラスメントコードを発動させた。

「バンッ!」

 大きな音が耳を叩き、目を開けるとジークはモンスターに殴り飛ばされたように地面を転がって行った。

「ごめん、ジーク。大丈夫?」

 僕はあわててジークのもとに駆け寄って、隣に座った。

「コーはいつも私の事を紳士だって言ってくれたけど、私なんてこんなもんだよ」

 ジークは自分を恥じて顔を両手で覆った。

「いいよ。僕はちょっと安心した」

 ジークが紳士な態度を破ってきたのは驚きだけど、それだけ本心をぶつけてきてくれたのだと思う。僕はこんな男女だけれどジークに求められているというのは嬉しかった。

「え?」

 きょとんとした顔でジークは僕の顔を見た。

「男の子が好きな女の子を襲いたくなるのは普通でしょ?」

 僕はジークに安心してほしくて微笑みかけた。「でも、ああいうのはちょっと……。嫌じゃないけど、今はお話がしたい」

「嫌じゃないんだ」

 おい、今、そこは突っ込むところじゃないだろって思ったけど、それがかえって僕の心にふんわりとした温かい風を吹き込んでくれた。

「ナイスツッコミ」

 僕はクスリと笑いながらジークの頭を優しく抱きしめた。少しだけ、一週間前の関係を取り戻せたような気がする。最初のボタンを掛け違えてしまった場所からもう一度やり直そう。「ねえ。二六層の塔に行こう」

 僕は腕をほどいてジークの頬の涙をぬぐいながら視線を合わせた。

「塔?」

「うん。ジークとレンバーさんが話し合った場所。あそこから全部始まってるんでしょ? あそこからやり直そう」

 僕は立ち上がり、ジークの手を取って立ち上がらせた。

「うん」

 僕たちは第二六層の鐘楼へ向かった。

 

 

 

 第二六層の鐘楼の頂上にたどり着くまで僕たちは無言のままだった。

 僕は以前のようにジークの左腕を掴みながら一緒に一歩一歩塔を登った。なんだか、階段を一つ上がるごとに一週間前に戻れる気がして胸がわくわくした。

 天辺にたどり着くと、夕日に照らされオレンジ色に輝く幻想的な街並みが飛び込んできた。

「すごい! 綺麗!」

 僕は夢中になって鐘楼を一回りして茜色に染まる景色を目に焼き付けた。

 そして、風景を眺めに来たわけでない事を思い出して、あわててジークの所に駆け寄った。

「ごめん。つい、夢中になっちゃった」

「いいよ」

 ジークの優しい微笑みが戻ってきた。僕の心がじんわりと温められた。

「聞かせて。レンバーさんがジークに何を言ったか。そして、ジークがどう考えたか」

 僕はもう一歩ジークに近づいてその顔を見つめた。

「うん」

 ジークはレンバーから『コートニーを縛り付けるな』『コートニーはもっと強くなってみんなの希望になるべきだ』と言われた事を話してくれた。

 そして、そのために僕がジークを見捨てて強くなればいいと思っていた事を話した。

 レンバーの言葉はまったく意外だったけれど、その後のジークの考えは理解できた。アスナが言った通り、今の僕だから理解できたのかもしれない。一週間前の自分だったらジークの想いを否定するだけで、彼の心に寄り添って考える事が出来なかったかもしれない。

 僕は僕の想いを伝えよう。ジークが許してくれるかは分からないけれど、言葉にして伝えなければ前に進めない。

「僕はジークと一緒にいたい。これが第一条件。他は何にも譲れない」

 僕は緊張しながら静かに言った。「でも、ジークのために何でもするよ。強くなるよ。レンバーさんが文句を言えないくらいに僕は強くなるよ。みんなから、『コートニーすげえ』って言われるように頑張るよ。だから、一緒にいてもいいですか?」

「うれしいけど、私はずっとコーを騙してるんだ。実は……」

 僕の頭に嫌な予感が走った。何かジークの口から絶望的な事が伝えられそうで僕はとっさにジークの両手を掴んで叫んだ。

「ストップ! それ、言っちゃったら僕はどうなっちゃう? この関係が終わっちゃう?」

「終わっちゃうと思う」

「じゃあ、言わないで」

「え?」

「言ったでしょ。僕はジークと一緒にいるのが第一条件! それにひどい事、ジークを騙すような事は僕もやってるよ。だからジークも僕が見えない所、感知できない所で僕を騙してもいい」

 そうだ。僕はこの偽物のアバターでジークの心を弄んでいる。僕の本当の姿を知ったら、彼は僕の前から消えてしまうだろう。そんなのは嫌だ。この先、地獄に落ちるとしても僕はジークを手放したくない。

「そんな軽い物じゃなくって、もっと根本的な……」

 苦しそうにジークが訴える。けれど、僕の気持ちは変わらない。ジークと一緒にいたい。これだけは譲れない。だから、笑顔で言った。

「この関係が壊れる事なら聞きたくない。この関係が壊れるから僕もこの思いは言わない」

「なんか、仮面夫婦みたい」

 ぽつりとジークが言った。

「えー違うよ。だって僕にとってジークは一番だし……。ジークは?」

「私にとってコーが一番だよ」

「じゃあ、いいじゃない。ここが僕たちの出発点。お互いがお互いを一番大切に思ってる。一緒にいたいと思ってる。全部、ここから考えよ」

 ジークの『コーが一番』という言葉が嬉しかった。嬉しくてにやける自分が抑えきれない。そう、ここからならやり直せる。僕はジークの首に腕を回してじっと見つめた。「――だから、キスしようぜ」

 つい、男言葉が出てしまった。やばいと思ってジークを見たがそんな事は気にしていないようだった。僕は安心して目を閉じてジークにすべてを委ねた。

 心臓が早鐘のように脈打ち、全身を締め付けてきた。僕は大好きな相手の唇を待った。

「ゴーン! ゴーン!」

 その瞬間、大音響で僕たちの身体が震えた。一八時の鐘だ。驚いて目を開けると、目の前でジークは目を丸くして揺れる鐘を見つめていた。

 僕はその間の抜けた表情が可笑しくてお腹を押さえて笑った。せっかくのシリアスシーンだったのに台無しだ。笑い続ける僕をジークは戸惑いの表情で見つめていた。

 鐘の音は非常に大きく、大笑いしているのに自分の笑い声も聞こえなかった。

 むくむくといたずら心が湧いてきた。今、秘密を言っちゃおう。

「僕ねー! 本当は男なんだ! ごめんね! でも、ジークが大好きだよ!」

 僕の大声の告白は鐘の音に消し去られた。言ってとてもすっきりした。こんなの懺悔にもならないけど、なんだか心が軽くなった。

「何を言ってたの?」

 鐘が六回鳴って鳴りやんだ時、ジークが聞いてきた。

「ジークとの関係が壊れる秘密」

 僕はクスリと笑ってにっこりと笑顔を作った。「言葉にして言ったらなんかすごいすっきりした!」

「なんだか、ずるい!」

 ジークは心底悔しそうに言った。

「あ、そうだ」

 僕はジークに先ほど受け取ってもらえなかった≪ゴライアスソード≫と≪マゲン・ダビド≫をトレードメニューにのせて頭を下げた。「さっき言ってた誕生日プレゼント。受け取ってください」

「ありがとう」

 ジークは笑顔で受け取ってくれた。僕はほっとして少し力が抜けた。

「装備してみて。準レアのインゴットを使って鍛冶屋さんに作ってもらったんだよ。すごいでしょ、武器防御のスキル補正が+100もあるんだよ」

「あれ?」

「どうしたの?」

 ジークはマゲン・ダビドを装備したけれどなかなかゴライアスソードを装備しようとしない。いったいどうしたのだろう?

「筋力値が足りない。たった3だけど」

「ええええええええ! レベルアップパラメータの振り方変えたの?」

「ゴドフリーに言われて、ちょっと敏捷度に振ったんだ」

 つい一週間前まではジークの全てを知っていたのに……。この一週間の空白はとても大きいものだったのだと改めて痛感した。

「レベル上げに行こう! 今から行けば明日に間に合うから」

 けれど、やり直せる。ここからならいくらでも!

 僕はジークの腕を引っ張った。

「ええ? でもこの間上がったばかりだし」

「アスナにいいポイントを教えてもらってるから大丈夫! いこいこ。ダンジョンデート! 血盟騎士団の制服も着てよ! ほらほら」

 ぶつぶつ言うジークの左手を掴んで僕は階段を降りはじめた。

 そうだ、アスナに『ありがとう。大丈夫だったよ』ってメッセージを送っておかなくっちゃ。

 本当にアスナには色々と助けてもらった。

 これからアスナをお手本にしよう。まずは身のこなしとかファッションとか。きっとジークもその方が喜んでくれる。このアインクラッドという牢獄にいる間、僕はジークのために素敵な女の子でいよう。

 この先どんな運命が待ち受けているか分からない。だから全力で走っていこう。ジークと一緒に!

 ジークが強く僕の右手を握ってくれた。僕は微笑みながらその手を握り返した。

 この手はもう絶対離さない。僕たちの関係の最初のボタンがしっかりとかけられた。




戦闘シーン。今回も手抜きです。全く書いていません。人間ドラマを(ry

キマシタワー アスナ×コートニー いえいえ、男女です。
┌(┌^o^)┐ホモォ ジークリード×コートニー いえいえ、男女です。
もう、書いている本人がわからなくなってきました。

ネカマ宣言をしてしまったコートニーさん。現実に帰った時に苦労するぞぉ。まあ、いつ死ぬかわからん状態ですから悔いがないように生きていくのは正解かも知れませんが。

コートニーとアスナがよかれと思ってやってることがジークリードの嫉妬心を盛り上げていたという誤解を楽しんでいただけたらいいかなと思います。

あと、仲間思いのゴトフリーさん△。この仲間思いで血盟騎士団のメンバーの融和を目指していた彼が後々……クラディールに付け込まれることに……。

現実でも、よくあるんですよ。そんなつもりがないのに誤解されて攻撃されることが;;
私はどこで間違えちゃったんでしょうね><


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第13話 欲求の三重奏【ジークリード6】

 第二六層のボス攻略戦は佳境を迎えていた。最後のヒットポイントバーが黄色から赤色に変わる時、どの階層のボスも凶暴化する。昨日のボス偵察ではここまでたどり着くことなく撤収に追い込まれていたらしいが、今日のボス戦には七二名が参加しているのでここまで安定した戦いを繰り広げる事が出来た。

 私が昨日、途中で帰らなければ偵察の最後まで見届け、今日の戦いに生かせたかも知れない。

(でも、昨日の精神状態では無理か)

 私は苦笑しながらゴライアスソードにソードスキルを乗せてイフリートに三連撃を食らわせた。

 コーから一足先にもらった誕生日プレゼントのこの剣は今まで使ってきたどの剣よりも手になじんだ。きっと、コーの気持ちが詰まっているからだろう。

 今回のボス戦の指揮は聖竜連合のレンバーだ。MTDが前線から去った今、攻略組最大ギルドとなった聖竜連合のギルドマスターが指揮を執るのは暗黙の了解であった。

 血盟騎士団は二つのパーティーで参加している。

 アスナ指揮のパーティーはタンクのマティアスとマリオ、短剣使いのアラン、そしてコー。

 ゴドフリー指揮のパーティーは団長のヒースクリフ、タンクのプッチーニと私、槍使いのセルバンテス。

「来るぞ!」

 レンバーが全員に注意を促した。同時にボスの最後のヒットポイントバーが赤に染まった。

 武器変更か、凶暴化か、次のボスが現れた層もあった。果たしてこの層は……。

 ボス攻略メンバー全員が次の瞬間に起こるであろう変化を待って息をのむ。

「ウガアアアアア!」

 イフリートは絶叫しタルワールを一週振り回して体を輝かせた。イフリートを中心とした炎の爆風が波紋となってボス部屋に広がった。

 全周囲に放たれた炎ブレスに攻略メンバー全員が吹き飛ばされ、炎のダメージで全員のヒットポイントが一割削られた。ボス部屋の壁の一部がばちばちと音をたてて焼け落ち、そこからファイヤーエレメンタル十二体が姿を現した。ボス攻略メンバーはボスとファイヤーエレメンタルに挟み撃ちの状態になった。

「前衛はボス、後衛はファイヤーエレメンタルに対応!」

 レンバーが声を上げる。

(それって、指揮放棄だろ)

 私はハイポーションを飲みながら思わず心の中で毒づいた。

「ゴドフリー! ファイヤーエレメンタルからやるわよ! 二人頂戴!」

 後ろからアスナの指示が飛んだ。

「ジークリード、セルバンテス。行け!」

 ゴドフリーがボスと切り結びながら叫ぶ。

「了解」

 私は一撃をボスに食らわせた後、セルバンテスと共にアスナのもとへ走った。

「コー。スリングで全部のファイヤーエレメンタルのターゲットを奪って」

 アスナが細剣でボス部屋に展開しているファイヤーエレメンタルを示した。

「了解!」

 コーがスリングを輝かせ鉄球を次々と放った。≪ダブルショット≫と≪ペネトレーションアタック≫を組み合わせているのだろう。ボスの陰で見えないファイヤーエレメンタルにもダメージを与えている。やがて、ヘイトが高まったファイヤーエレメンタルたちはコーをめがけて集まってきた。それに伴い、ボス攻略メンバーのほとんどがボスのイフリートに集中し始めた。

「コーを中心に円陣組んで!」

 アスナの指示で全員がコーの周辺をかためる。どうやら、アスナはコーにスリングを使い続けさせるつもりらしい。「コーが仕掛けたものから倒してく。順番はコーに任せるわ」

「はい!」

 コーがスリングで攻撃を仕掛けたファイヤーエレメンタルに全員が攻撃を合わせ次々と葬る。回復はスイッチではなく円陣の中央にいるコーが隙を見て回復結晶を使用しておこなった。

 すべてのファイヤーエレメンタルを倒す頃にはイフリートのヒットポイントバーは消滅寸前だった。

「全員で攻撃開始!」

 レンバーが叫ぶと、ラストアタックを狙ってボス攻略メンバー全員がイフリートに群がった。イフリートにソードスキルで輝く刃が無数に降り注ぐ。

 イフリートは末期の絶叫を上げ、砕け散った。『Congratulations!!』の文字がそこに浮かび上がった。

「やったぜ!」

 あちこちから歓声とお互いを称える声が上がった。

 私はコーと視線が合うと笑顔でハイタッチを交わした。私たちの関係はもうすっかり元通りだ。

 戦死者ゼロ。そして第二五層攻略から一二日目という期間は最大ギルドMTDが抜けても攻略組に十分前進できる力が残されている事を示していた。この事は、はじまりの街や下のボリュームゾーンで戦っている人たちを勇気づける事だろう。

 血盟騎士団のメンバーはヒースクリフのもとに集まった。

「みんな、お疲れ様」

 アスナが全員を見渡して言った。「今回も誰一人欠けることなくボス戦を終える事が出来ました。みんな、ありがとう」

「ジークリード君。コートニー君。血盟騎士団としての初めてのボス戦だったが、なかなか良い動きだったよ。早く慣れてくれたようで我々としてとても助かる」

 真鍮色の瞳で私とコーを交互に見ながらヒースクリフは言った。

「今日は安心して戦えたよ」

 セルバンテスがニヤリと笑って私の肩を叩いた。

「ごめん」

 昨日までの私はとても迷惑をかけていただろう。全員に謝って回りたいぐらいだ。見回すとゴドフリーと視線が合い、彼はニヤリと笑った。

「いいって、いいってー」

 セルバンテスが笑いながら私の後ろに回り込むと肩をもんだ。

「明日はオフとします。では、解散」

 アスナがそう言うと全員で敬礼し、第二七層へつながる扉にばらばらと歩いて行った。

「アスナ! 祝勝会の時、食事、いっしょにどう?」

 コーがアスナの所へ走って行って誘った。

「ごめんね。祝勝会は団長と一緒に攻略組でフリーの人をウチに勧誘しなきゃいけないんだ。明日の朝食でよければ」

 アスナが笑顔で返事をした。

「うん。わかった。頑張ってね」

「それじゃ」

 アスナは手を振って、ヒースクリフとゴドフリーと共に歩いて行った。

「じゃ、いこうか」

 私がコーに話しかけると「うん!」と元気に返事をして私の左腕を取った。

 

 

 

 第二七層の転移門がアクティブになると職人クラスのプレーヤー達が次々と現れ、主街区の広場に露店を開いていく。そして、レンバーの挨拶から祝勝会が始まった。第二五層攻略の時と違い、今回は被害者ゼロという事もあり、はじめから大いに盛り上がった。まさにお祭り騒ぎという感じだ。あちこちから笑い声が聞こえ、調子にのった攻略組同士で遊びのデュエル大会なども始まっていた。

 私とコーはプレイヤーメイドの料理に舌鼓をうち食欲を満たした後、露店を巡った。

「ちょっと、いいかな」

 コーが足を止めたのは洋服がたくさん並んでいる露店だった。

「いらっしゃいませ」

 店主であろう、貴族の社交パーティーから抜け出してきたようなドレスを着た女性プレーヤーがにこやかに挨拶してきた。鮮やかな茜色に染め上げられたドレスは初めて見るものだった。そのドレスの出来栄えからして、かなり裁縫スキルを上げている事が伺えた。

(うわ、素敵なドレス!)

 私の女性としての部分が反応してまじまじとそのドレスを見つめた。女店主は年齢が二五歳ぐらいだろうか。赤い髪をアップにして口紅やアイシャドーなどばっちりキメたお化粧をしている。その容姿はなかなかどうしてドレスに負けていない。

(でも、私がこれをリアルで着たら似合わないだろうなあ)

 自分が着た時の姿を頭の中で想像する。顔を見たら終わりってやつだ。それに今は男なのだから、こんな服は着れないと自分を慰めた。

「いろいろ見せてー」

 コーが明るく言いながらベンダーズ・カーペットの前にしゃがみ込んだ。

「どういう服がご入り用ですか?」

「普段着とパジャマ」

「もし、試着するならテント作っておくけど」

 彼女は首を傾けてコーにニコリと微笑んだ。普通に試着すると一瞬下着姿になるので、テントの中で着替えさせてあげようという女性らしい心遣いだった。

「うん。ありがとう」

 コーがにこやかに答えると、店主は頷いて一人用の簡易テントを建てた。

 コーはひょいひょいと二、三着選ぶとテントの中にもぐりこんだ。

 実際の試着コーナーと違って、このゲームの着替えは一瞬だ。

 すぐにライトピンクのチュニックを着てコーが出てきた。胸元から自然に広がるタックがワンポイントになっていてなかなかいい。

 そういえば、こういう服を着ているコーを久しぶりに見た気がする。というか、女性らしい恰好をしていたのは初期装備のワンピースぐらいだったろうか。今までのオフの服装は男女共通装備のパンツスタイルが多かった。こういう姿を見てドキッとしてしまう私は徐々に男子の思考になってきてるのだろうか。

「とても似合うね! まだ、ちょっと寒いからレギンスと合わせてみたらどうかしら?」

 女店主がテントから出てきたコーの足元にデニムレギンスを合わせてみた。

「うんうん」

 コーの声が楽しそうに弾んでいる。

 その後、あれやこれやとコーディネートされてコーは帽子やらベストやらも購入候補に入れていった。この女店主はなかなかの商売上手だ。もっとも、コーは素材がいいので何を着ても似合うのだが。

「決めた、これでいいよ。買うね」

 すっかりキメたファッションを姿見で確認しながら、コーは購入手続きを取ろうとしてベンダーズ・カーペットのメニューを開いた。

「あ、待って」

 女店主は手を広げて、コーを止めた。「あなた、コートニーさんよね?」

「うん、そうだけど……なんで、僕の名前を知ってるの?」

 コーはちょっと警戒した表情で尋ねた。

「新聞に載ってたもの。二五層のボス攻略で活躍したんでしょ」

 女店主はメインメニューから新聞(というか号外)を実体化させて、一面の写真を指差して見せた。その写真の下には『第二五層ボス攻略で活躍したMTDのコートニーさん(右)』と書いてある。そのコーの左には私が写っていた。

 いつの間に撮られていたのだろう。第二六層で行われた第二五層突破祝勝会の時の写真だ。私の左腕が復活する前で写真の中のコーは心配そうに私を見上げていた。

「いつの間にこんな写真が……知らなかった……」

 コーはまじまじとその新聞を見つめた。

「フレンド登録してくれないかな? それと、オフの時、その服を優先的に着てくれないかな? あたしとしてはいい宣伝になるし。そしたら、半額でいい」

「僕なんかで宣伝になるの?」

「なるなる。閃光のアスナさんの次に有名人だもの」

 『次に』と言われてちょっと私はむっとしたが、当の本人はまったく気にしてないようだった。

「アスナの次なんて照れるなあ」

 コーは照れながらちらりと舌を出した。「分かった。フレンド登録します」

 コーはメインメニューを操作して女店主にフレンド申請した。

「ありがとう!」

「これからよろしくね。えーっと、ルーシーレイさん? でいい? この読みかた」

「うんうん。じゃ、値段再設定するからちょっと待ってね」

「ちょっと待って、お金はちゃんと払うよ。その代わり、なにかいい服ができたらメッセージちょうだい」

「それでいいの?」

「いいからいいから」

 コーは弾む声でそう言って服を一式購入した。「これからもよろしくね。ルーシーレイさん」

「ルーシーでいいよ」

 ルーシーレイはにっこりと微笑んでコーに握手を求めた。コーも笑顔で握手を交わし手を振って別れた。

 ルーシーレイのコーディネートした服を着て歩くと、血盟騎士団の制服を着ていた時よりコーは明らかに視線を集めるようになった。制服を着ている時は凛々しいイメージになるが、今着ている服だと彼女の可憐さを存分に引き出されて衆目を集めるのだろう。

 広場の露店めぐりをしているとコーの姿を見て息をのむ男性の多い事。コーが私の左腕を掴んでいなければ何十人も声をかけて来たのではないだろうか。私は何ともいえない優越感を味わった。

「ジークリード」

 私は後ろから呼び止められて振り返った。そこにいたのは聖竜連合のレンバーだった。

「貴様は……」

 レンバーが口を開いたとたん、コーが私とレンバーの間に割り込んだ。

「レンバーさん。僕は強くなるように頑張るよ。もし、僕が弱いってレンバーさんが感じるならそれはジークのせいじゃない。僕が弱いだけです」

 凛然とした態度でコーはレンバーに言い放った。

「わかったよ」

 レンバーは降参と言わんばかりに両手を広げて肩をすくめた。「血盟騎士団に飽きたらウチに来てくれ」

「お断りします」

 コーは明るく可愛いらしい声でひどい返事をした。

「じゃあな」

 さすがのレンバーもこれには苦笑するしかなく、彼は片手を振って雑踏に消えた。

「一緒に強くなろうね。レンバーさんが降参するくらいに」

 コーは私に振りかえって笑顔で言った。

「そうだね」

「そろそろ、宿取って寝ようか」

 コーは走り寄ってきて、定位置の私の左腕に戻った。

「うん」

 時計を見るとすでに九時を過ぎようとしていた。そろそろ休んで今日の疲れを取るのもいいだろう。私たちは宿屋に向かった。

 

 

 

 私たちがツインルームに入った時、ヒースクリフからメッセージが届いた。

『もし、君たちの都合がよければ、今からギルドハウスで会えないだろうか?』

 君たち? 私が左を見るとコーと視線が合った。

「団長からメッセージが来た?」

 コーが微妙な表情で訪ねてきた。

「うん」

 という事は私とコーに用事があるのだろうか。ひょっとすると、ギルドメンバー全員にメッセージを送っているのかも知れない。血盟騎士団は祝勝会の後、ギルドハウスで二次会をやるとか……。

「どうする?」

 コーが首を傾げて尋ねてきた。

「行こう」

「そうだね」

 コーは頷いて、血盟騎士団の制服に着替えた。着替えの一瞬の下着姿に私は息をのんだ。

「ちょっとコー」

 私は頬が赤くなっている事を感じながら視線を逸らした。

「いこ」

 コーはクスクス笑って私の手を取って宿屋から出た。

 

 

 ギルドハウスに到着してみると、そこで待っていたのはヒースクリフだけだった。どうやら祝勝会の二次会ではなさそうだ。

「来たか。私の書斎で話そうか」

 私たち二人が部屋に入ると、ヒースクリフは立ち上がって二階にある書斎へ私たちを招いた。という事は私たち以外にメッセージを送っていないという事だ。私たちに何の用だろうか? 否応なしに緊張感が高まった。

 ヒースクリフの服装はボス戦の時とは異なり赤を基調としたローブ姿であった。その後ろ姿は当代一の戦士というより、学者というのがふさわしい。そんなヒースクリフは書斎に入って私たちに振り返って意外な一言を放った。

「君たちはハラスメントコードの消し方を知らないのかね?」

「はい?」

 ヒースクリフは何を言いだすのだ。私は彼の意図が読めず、ヒースクリフの微笑を見つめた。

「消し方というか、出さない方法を知っているかね? と言った方がよいか」

 ヒースクリフは私たちを手招きして、書斎の窓を指差した。「この窓から外を見てみたまえ」

 私たちはヒースクリフに促されるまま外を見てみる。

 窓から見下ろすと裏庭と呼ばれる公園が正面にあってよく見えた。ひょっとして……。私は恐る恐るヒースクリフに視線を移すと、彼はニヤリと笑みを浮かべた。

「ハラスメントコードは他人の目から見ても、とてもよく目立つのだよ」

 ヒースクリフは昨日の私たちのやり取りをここから見ていたのだ。ひょっとして、私が強引にコーの唇を奪ったところも? そう考えると羞恥で頬が熱くなった。隣を見るとコーも同じように頬を赤く染めて俯いていた。

「その事について咎めようとかそう言う事じゃないんだ。ただ、君たちには知っておいた方がいいんじゃないかと思ってね。いちいちこうやってハラスメントコードを消すのは大変だろう?」

 ヒースクリフはそう言いながら、ハラスメントコードを消すように左手を振った。

「そんな事が出来るんですか?」

 コーが赤面状態でうつむいたまま尋ねた。

「うむ。方法は三つある」

 ヒースクリフはメインメニューから何やら操作をして、私にメッセージを三つ送ってきた。恐らく、コーにも同じメッセージが届いているだろう。

『ハラスメントコードの適用除外について』

『結婚システムについて』

『倫理コード解除設定について』

「どれもプレイニングマニュアルに書かれているのだがね。そのメッセージに手順を抜粋しておいた。活用してくれたまえ。今でもプレイニングマニュアルは更新もされているようだからたまに確認する事をお勧めするがね」

 ヒースクリフは微笑みながら私たちにソファーに座るように手で促した。

 私たちは勧められるままソファーに座った。

「ハラスメントコードの適用除外はそこに名前を登録すれば、その者が抱きつこうと何をしようとハラスメントコードは発生しなくなる。これが一般的な方法だな」

 ヒースクリフはソファーに座りながら言葉を続けた。「あと、結婚すれば、様々な特典と共にお互いがハラスメントコード適用除外となる」

「結婚って……。団長。私たちが何歳か知ってて言ってるんですか?」

 私はヒースクリフの言葉をさえぎるように言った。彼のようないい大人がなぜこのような事を言うのか理解できなかった。

「まあ、君たちは……一五、六歳といったところかな。ひょっとしたら一七かね? いやいや。答えなくていいよ。そういう詮索をするつもりはない」

 ヒースクリフは肩をすくめて言った。「この世界ではリアルサイドの法律は無効なのだよ。ゲームシステムが法律だ。このアインクラッドでは年齢による差別は一切ない。それに一層一二日ペースで攻略を続けて行ったとして、ゲームクリアにはあと二年半かかる。その頃には君たちもいい大人だろう。結婚システムについて知っておくのも悪くないだろうと思ってね」

「そりゃ、そうですけど……」

「倫理コード解除って?」

 コーが私の言葉をさえぎってヒースクリフに尋ねた。

「ソードアート・オンラインは人間の三大欲求を満たすようにデザインされている。君たちは三大欲求を知っているかね?」

 学校の教師のようにヒースクリフは私たちに問いかけた。

「食欲、睡眠欲……」

 私はそこまで答え、次の欲求を口に出すのをためらった。

「性欲だ」

 ヒースクリフはニヤリと笑って、私が口にできなかった事をさらりと言ってのけた。「倫理コード解除によって、いわゆる性行為が可能となる。当然、ハラスメントコードは表示されなくなるというわけだ」

 『性行為』。私はその単語を聞いただけで恥ずかしくなって、ちらりとコーに視線を向けた。頬を赤らめたコーと視線が一瞬合って、私はあわてて視線を逸らした。

 このヒースクリフという男、とんでもないエロオヤジだ。あるいは私たちを大人扱いしようとしているのか、それとも子供だと思ってからかっているのか……。

 せめて、『情を交わす』とか『肌を合わせる』みたいな奥ゆかしい表現を使ってくれないだろうか。そんな私の思いなどお構いなしにヒースクリフは話を進めた。

「茅場という男がどんな奴か私は知らないが、最初に手鏡を渡してアバターをリアルの姿に変えたのは正解だと思っている。何しろ結婚どころか性行為までできてしまうシステムだからね」

 私はその手鏡を捨てて男性アバターで生きているのだ。待てよ。私の場合はどうなってしまうのだろうか? やはり、男の身体のまま……そういうことに?

 まさか、そんな事をヒースクリフに尋ねるわけもいかず、私は沈黙を続けた。

「自分と異なる性別でプレイするのは八時間以内にするようにソードアート・オンラインのマニュアルの注意事項に書いてあった事を知っているかね? あれには面白いエピソードがあるのだよ」

 ヒースクリフはゆっくりと手を組んで言葉を続けた。「雑誌で読んだのだが、ベータテストに先立ってアーガス本社でクローズドアルファテストとして四八時間連続ダイブテストを行った。その際、自分と異なる性別でダイブしていた者のほとんどは精神的に不安定になり二四時間以内にギブアップしたそうだよ。このデスゲームは四八時間どころではないからね。茅場はそういう点も考慮してアバターをリアルの姿、性別に戻したのだろう」

 そう言えば、先週、私はかつて経験したことがないほど精神的に不安定だった。言われてみれば心と体の性の不一致もその要因の一つかも知れない。もっとも、コーの不在というのが一番大きかったわけだが。

「だが」

 ヒースクリフは組んでいた手をほどいてソファーの背もたれに深く寄りかかった。「私は思うのだ。あのままアバターがリアルに戻されず、本来とは違う性別のままだったとしたら、それはそれで面白い事になったのかも知れないなと」

「面白いって……なんか、嫌な言い方ですね」

 私はちょっと厭味ったらしく言った。正直、不快だった。ただでさえ、嫌々こんなデスゲームに参加させられているのだ。それを仮定の話とは言え面白いなどという神経が信じられなかった。

「おっと、表現がまずかったかな。私はこう思ったのだ。人の魂というものは生まれながら男性女性に分かれているのだろうか? それとも肉体や周りの環境によって男女の役割を受け入れていくのだろうか? とね。興味深いテーマだと思わないか?」

 こういう時のヒースクリフは本当に学者のようだ。ひょっとすると、リアル世界ではどこかの学校の教師か教授をしているのかも知れない。

「それって」

 沈黙を守っていたコーが口を開いた。「団長は最初女性キャラでアバターを作ったという事ですか?」

「「え?」」

 私とヒースクリフはコーのとんちんかんな問いかけに絶句してしまった。

「あれ?」

 コーは首を傾げて私の方を見た。

「どうしてそうなるの?」

 私は苦笑してコーの顔を見た。

「そのままだったら面白かったのにって言ったから、団長はずっと女性キャラでプレイをしたかったのかなって……あれ? おかしい?」

「コー、それはぶっとびすぎ」

 私がため息をつくと、ヒースクリフは高らかに笑った。

「コートニー君。残念ながら、私は最初から男性キャラでログインしているよ。なかなか面白い発想をするね。君は」

 ヒースクリフはそう言った後もまた笑い声をあげた。「面白い発想と言えば、投擲をメインにしているプレーヤーも君ぐらいではないかね?」

「そうですね」

 コーはそう答えて、少しはにかみながら私の顔を見た。「ジークがいてくれたから、使えたスキルですね。もし一人だったら、別の武器にしたと思います」

「確かに、一人では上げづらいスキルだが、あまりうまみがないスキルではないのかね?」

 ヒースクリフはコーの投擲に興味を持ったのかやや身を乗り出して尋ねていた。

「茅場という人がどういう思いでこのゲームをデザインしたのか分かりませんけど、どんなスキルにも利点が隠されてるんじゃないかなって……そんな気がするんですよ」

 コーは私からヒースクリフに視線を移して顎に手を当てて考え込んだ。

「ほう」

 ヒースクリフは手を再び組んでコーを興味深めに見つめた。

「単純に剣だけを使わせたかったらこういう武器を用意しなきゃいいだけですし」

 コーはそこまで言ってから舌を出して笑った。「あ、でも、今のところ何のメリットもないですよ。ホント、遠隔攻撃できるってぐらいで。お金はかかるし、攻撃回数は少ないし。本当にネタスキルですよ」

「それでも使ってるのはなぜかね?」

「投擲しかできない事があるじゃないですか。それに、みんな剣だといずれ対応できない場面がいつか用意されそうな気がするんです。ううん。違うな」

 コーは首を振ってヒースクリフにしっかりと視線を合わせた。「僕は使いたいから使ってます。それじゃだめですか?」

「いや、結構。それが一番良いかも知れんな」

 ヒースクリフは満足げに頷いた。「今日は時間を取らせてしまったな。もし、君たちが良ければ開いてる部屋で泊まって行ってもよいが。どうするかね?」

「あ、二七層で宿を取ってしまったので」

 私は手を振って答えた。

「そうか。では、何か疑問点があったら何でも相談してくれたまえ。このゲームの事であればたいていの事に答えられると思うからね」

 ヒースクリフはそう言って、立ち上がった。「呼び出してしまってすまなかった」

「いえいえ。失礼します」

 私たちは立ち上がって深々と一礼すると、ヒースクリフのもとから辞した。 

 

 

 私たちは宿に戻って、背中合わせになって着替えた。

 私は振り向いて息をのんだ。コーの服装が白のノースリーブシャツと青のショートパンツという露出度過多な服装だったのだ。今まではほとんど露出がない服を着ていたのに……。

「服」

 私はようやくその単語だけを口から絞り出した。

「うん……。似合わない? かな……」

 コーはシャツのあちこちを整えながらちょっと俯いた。

「似合うけど、目のやり場に困る」

「迷惑?」

 コーはうつむいたままで表情が読み取れなかった。

「迷惑じゃないけど、理性が保てるか自信がない」

 私は正直に自分の気持ちを答えた。すると、コーは顔を上げて私に満面の笑みを見せた。

「迷惑じゃないならよかった!」

 コーは呆然とする私の横をすり抜けてソファーに座った。

 さて、どうしたものか。『理性が保てるか自信がない』に対応するコーの答えを貰っていないのだが、彼女にとって私が理性を失っても問題ないという事だろうか。そう言えば、昨日、強引なのも嫌じゃないみたいな事も言っていた。

 リアルでは恋愛というものに一切縁がなかった私には分からないが、相手を好きになってしまったらここまで大胆になれるものなのだろうか? それとも、コーが特別なのだろうか?

 わからない。

 私はコーのそばにいたいと願っているが、コーが男性として私を求めてきたら、女性の私はどうしたらよいのだろう? ああでも、昨日の私は無理やりコーの唇を奪っていたか……。

 私は自分の気持ちが定まらないまま、コーの隣に座った。

 コーは隣に座った私に笑顔を見せるとメインメニューで何やら忙しく操作をしていた。どうやらヒースクリフが送ってきたメッセージを読んで設定をしているようだった。

「ねー。ハラスメントコードの適用除外をやっておこうよ」

 コーは座って何もしようとしない私に首を傾げて言った。

「あ、ああ。そうだね」

 私はメインメニューの操作を始めた。ヒースクリフのメッセージ通りの場所、システム設定のオプション設定の所にハラスメントコードの適用除外設定があった。そこへ、≪Courtney≫と入力した。

 これでよし。目的を果たした私は再び考え始めた。

 これから、コーと私はどういう関係を築いていけばいいのだろう? 昨日、私はコーと一緒にいたいと願ったが、具体的にはまったくのノープラン。ヒースクリフが示してきた結婚とか、ましてや倫理コード解除とかまったく考えられない。でも、ちゃんとこれからの事を考えないと。

 しかし、ぐるぐると考えが巡るだけでまったく結論は出ず、頭の中をもやもやしたものがずっと占拠し続けている。

「終わった?」

 唐突に声をかけられ、左を見るとすぐ近くにコーの顔があった。

「うん」

 少しドギマギしながら答えるとコーは私に両手を伸ばして肩のあたりを抱きしめてきた。

「どう?」

「うん。確かに出ないね」

 ハラスメントコードの赤いダイアログは確かに表示されなかった。

「ほら、ジークも」

 コーにせかされて私はコーの背中に手を回して抱きしめた。

「おー。ホントに出ないね!」

 コーが元気な声を上げたので私は腕をほどいて、また結論が出ない事を考え始めた。

「ジークってさ。親とか先生とかから、おとなしくていい子って言われてるでしょ?」

 しばらくの沈黙の後、コーが小さくため息をついてから言った。

「なんで?」

「だってさ、いろいろ真面目に考えすぎ!」

 コーは「よっ」という声で私の膝の上に座って視線を合わせてきた。「何を考えてるの?」

「これから、コーと私はどうしたらいいのかなって。団長に言われるまで結婚とか……」

 私はそこまで言って、これから出す単語が恥ずかしくなり視線を逸らした。「倫理コード解除とかそんなこと考えたこともなかったからさ」

「ホント、真面目なんだね。ジークは」

 コーは優しい笑顔で私の頭を撫でた。「えーっと。僕はね。その二つはおまけみたいなものかなって考えてる」

「え? おまけ?」

「うん。おまけ」

 コーはにっこりと微笑んで言葉を続けた。「昨日も言ったけどさ、僕はジークとずっと一緒にいたいと思ってるんだ。それができるなら、後は全部おまけ」

「コーはすごいな」

 そういう考え方があるのか。確かに私は細かい事ばかりを気にしすぎたのかも知れない。発想の違いが本当に面白い。真面目に考えてた自分が馬鹿らしく感じて心が軽くなった。

「一緒にいるためにジークが必要だって言うのなら結婚もするし、倫理コード解除だって」

 コーはそこまで言うと自分の気持ちを確かめるように目を閉じた。そして、ゆっくりとまぶたを開いて優しい瞳を私に見せた。「うん、大丈夫。僕は何でもやるよ」

 私はそんなコーがとても愛おしく思った。おまけなんて軽く言っているけれど、コーは覚悟を決めて正面から受け止めているのだ。そして、私を信頼して全てを委ねてきてくれた。

 私は自分が女性である事を言い訳にしていたと思った。まっすぐと気持ちを伝えてくれるコーに私はちゃんと応えてあげたくなった。

 私は両手を伸ばしてコーの頭を掴んで強引に唇を奪った。抵抗するコーの身体の力が抜けるまで男らしく、力強くコーを抱き寄せて唇を重ね続けた。ちょっと、違うと思ったけれど、私の想いとコーの心に応える方法がこれ以外に思いつかなかった。

 頭の中がコーへの愛しさで埋め尽くされ、鼓動が激しく脈打ち私は何も考えられなくなった。

 やがてコーが小さく震え、身体の力がすっかり抜けたので私は彼女を解放した。

 コーは私の唇から抜け出すと頬を赤く染め夢うつつのような表情で甘い吐息を漏らした。

「もう、いつも不意打ち」

 コーはうっとりした瞳で私の胸を優しく二回たたいた。

「嫌だった?」

「意地悪なジークには答えてあげない」

 コーはそう言って私の左肩に顎を乗せてぐったりと体を預けてきた。

「私もコーと一緒にいれればいい。後はおまけだね」

 私はコーの背中に流れる黒髪を撫でながら言った。

「うん。おまけの事はその時に考えよ。……でもホント、ジークって鈍いよね」

 コーはクスリと小さく笑うと一瞬体を震わせて大きくため息をつくと、寝息をたて始めた。

「コー?」

 呼びかけてみたが返事がない。昨日は私のレベル上げのためにほとんど寝ていないし、そのままボス戦だったから疲れ果ててしまったのだろう。

 私もコーと一緒にいれればいい。彼女のためにこの世界で立派な男を演じよう。帰れるかどうか分からないリアルの事を思ってコーとの間に壁を作るのはやめよう。だって、私はコーがこの上なく大好きでずっと一緒にいたいと願っているのだから。

 私はコーの長い黒髪を弄びながらそう考えた。コーのぬくもりに温められて私も睡魔にいざなわれていった。




壁殴りすぎて、夜風が冷たいです。

構想の中では濡れ場を用意していたのですが、コートニーもジークリードも拒否りまして、今回のようなお話になりました。

そんなわけで、番外で野性R-18バージョンを予定してますが、当然ここに上げるわけにはいきません。(R-15ですからね)予定は未定で上げないかもしれません。
タイトルを変えてR-18で上げるかも知れませんので、気が向いたら活動報告を見てみてください。
そんなの読みたくもねーよっていう人はメッセージか感想で意見を寄せてください。
逆に読みてーよっていう人がもしいたら、同じくメッセージか感想で言っていただけると励みになります(ぉ)

さて今回、可愛いコートニーに騙されてジークリードさんは男として生きていこうと決意しました。
これからはお互いのすれ違いというより日常生活の物語になっていくので、この話をもって≪第一部完≫っていう感じです。
今後は方向性が変わり、ツマンネーヨって事になるかもしれませんが、引き続き読んでいただければ幸いです。


回収されるか分からないので、ちょっとネタばれを……
コーがヒースクリフに「女性キャラでプレイしたかったのかな」と言ったのは天然ボケではなくて、この話を終わらせたかったためにわざとボケた。なかなかの演技でした。
ヒースクリフさん。二人の本当の性別を知ってますねこれは……。二人を観察対象にしたようです。罪な人だ。
もう一つ、コーの事で伏せてありますが、これは回収されるかどうか……頑張ります。

一言評価だけでも、くださるととてもうれしいです。特に☆5以下の評価の時「アホ」「チネ」「馬鹿じゃないの?」でも結構ですけど、ここが気に食わんというのがあると直せるかもしれませんし。
今後ともよろしくお願いします。


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第14話 ある日の休日【コートニー6】

閑話です


 アスナとヒースクリフが第三〇層のフィールドボスの攻略会議に出かけたため、今日六月一二日はオフになった。

 そんな日、僕はダイゼンに依頼された仕事をこなすためにギルドハウスを訪れた。

 僕がギルドハウスの扉に手を伸ばすとジークが一足早く開けてくれた。

「ありがとう」

 僕はジークに微笑んでお礼を言ってギルドハウスに入った。中にはオフのはずなのにいつもの面々がそろっていた。ゴドフリー、アラン、プッチーニ、セルバンテス、ダイゼンが暇そうに思い思いの席でくつろいでいた。

「どうしたの? みんな」

 僕とジークは一番広いテーブルがある席に座りながら尋ねると、それぞれの微妙な表情を見せた。

「なんとなく?」

 プッチーニが首を傾げてセルバンテスを見た。

「レベル上げノルマ終わったしねぇ」

 セルバンテスがアランを見る。

「僕はゴドフリーのアニキについてきただけだし」

 アランはゴドフリーを見た。

「なんとなくだ」

 ゴドフリーはガハハと笑った。

「そう言うコートニーさんは? せっかくのオフなんだからジークリードとデートすればいいのに」

 プッチーニがにやけた表情で尋ねてきた。

「ダイゼンさんに頼まれちゃって。バイトって感じ?」

「おおきに、おおきに」

 ダイゼンは太った巨体をたゆらせて僕に近づいてきた。そして、メインメニューを操作して机の上に大量の薬草とポーションの空き瓶を積み上げた。

「うわっ。なんだ、この量!」

 セルバンテスが目をむいて薬草をつまみあげた。

「ハイポーション作るの」

 僕は乳鉢とすり棒を実体化させて机の上に置いた。二〇個のポーションをまとめて作れる大きなものだ。「ダイゼンさんが売って、売り上げはギルドの資金になるんだって」

「おー。コートニーさんって≪薬学≫もってたんだ。それにしてもこんなでかい乳鉢なんて見たことなかったよ」

 プッチーニが興味深げに乳鉢を見つめた。「二三層からクリスタル無効化エリアなんてトラップが出てきてから、薬学って死にスキルから大復活だよね。前から持ってたの?」

「うん。一層の頃から持ってたよ。ずっとポーションは全部自分で作ってたんだ」

 僕は二つの薬草を乳鉢に入れてすり棒で叩いた。すぐに薬草は光り輝くエフェクトを散らした後、ハイポーションに姿を変えて乳鉢を満たした。

「手伝うよ」

 ジークが微笑みながら空き瓶を乳鉢に軽く接触させるとハイポーションが瓶の中に詰められた。

「ありがとう」

 僕は隣に座るジークに微笑みかけた。ジークは僕に微笑み返しながら次々と空き瓶にポーションを詰めていってくれた。

「セルバン……。俺、壁殴りてえ」

 プッチーニが僕たちを見つめた後、セルバンテスの肩を叩きながら声を絞り出した。

「俺を殴れ。さすれば、二次元幼女の素晴らしさに目覚めるだろう」

 セルバンテスは高飛車な態度で言った。

「……壁でいいです」

「それにしても、コートニー印のハイポーションの売れ行きはええでっせ」

 タイゼンが高笑いをしながら言った。

「何。その印って」

 僕は初耳だったのでダイゼンを見据えた。

「コートニーさんのちっさい写真を瓶に張ると売上げ二〇%アップでっせ」

「なにそれ」

 そんな事は聞いてない。思わず声が平坦になる。隣に座っているジークの息をのむ音が聞こえた。

「ほんま。コートニーさんがアスナさんみたく完全フリーの女の子ならさらに高く売れまっせ! それだけがほんまに残念で……」

「黙れ!」

 僕はすり棒を投擲スキルで輝かせてダイゼンに投げつけた。すり棒は見事にダイゼンの額に命中し、彼はノックバックで壁に叩きつけられた。その衝撃で壁に飾ってあった絵画がダイゼンの上に落ちて追加ダメージを与えた。もっとも、ここは安全圏内だからヒットポイントはまったく減らないが衝撃の恐怖は与えただろう。

 ふんっ! 当然の報いだ。僕とジークはこれからもずっと一緒にいるんだからそんな事を冗談でも言うな。

 僕は代わりのすり棒を実体化させてハイポーション作成作業を再開した。

「うわー」

 アランが見てはいけないものを見たように嘆息を漏らした。

 隣からジークのため息が聞こえた。

「ジーク。手伝ってくれるんじゃなかったの?」

「はいはい」

 ジークは苦笑しながら乳鉢から空き瓶へハイポーションを移していった。

「守銭奴がすぎたな。ダイゼン」

 ゴドフリーが哄笑しながら床に倒れこんでいるダイゼンを引っ張り上げた。

「守銭奴やあらへん。ギルドの金が足りまへん」

 ダイゼンはすり棒が命中した額をごしごしこすりながら立ち上がった。

「足りない? 税率上げるか?」

 ゴドフリーが腕を組んだ。税というのはギルドの上納金の事で、モンスターなどから手に入れるコルから設定された割合で差っ引かれる。血盟騎士団は10%。以前所属していたMTDは25%だった。集められたコルはギルド運営費などに当てられている。ギルドの制服とかボス戦前に配布される回復結晶、解毒結晶の費用などに使われている。MTDの税率が高かったのは下層プレーヤー達への還元の意味合いもあった。

「増税はんたーい!」

 セルバンテスとプッチーニがダックを組んでシュプレヒコールをあげた。

「だいたい何のお金が必要なんだよ」

 アランが不満げに言った。

「そろそろ次のギルドハウスを用意しまへんと。いつまでも団長の家に間借りするわけには……」

 確かにあれからギルドメンバーは倍増し、現在血盟騎士団の人員は二〇名となっている。団長の家の一部屋がギルドハウスでは手狭と言えた。

「なるほどな」

 ゴドフリーが渋い声で頷いた。「どうだ。暇人同士で稼ぎに行かないか」

「いいねえ。アニキ。どこ行こうか」

 アランがゴドフリーに尋ねた。

「二七層の迷宮区がいいんじゃないか。トレジャーボックスがたくさん出るしな。たまにはアランに仕事してもらおう」

「アニキ。ひどい事言わないでよ。シーフで前線って結構つらいんだからさ」

「じゃあ、しっかり稼いでアランの真骨頂をみんなに見せてやれ」

 ゴドフリーはガシガシとアランの頭を掻きまわした。

「こらー。チビ扱いするなよ!」

 アランはゴドフリーの手を振り払おうとするが筋力値の差で逃げられないようだった。

「チビはチビだ」

 ゴドフリーは高笑いしながら逃げようとするアランを追いかけた。

 ギルドハウスの中に全員の笑いがはじけた。

「コートニーさんとジークはどうする?」

 プッチーニが尋ねてきた。

 僕はジークの顔を見ると彼は優しく微笑み返してくれた。「まかせるよ」っていう顔だ。

「もうちょっとでこれが終わるから。その後でもいい?」

 僕はジークに頷いた後、プッチーニに返事をした。

「いいよね。ゴドフリーさん」

「おう。手伝えることがあったら言ってくれ。コートニーさん」

「はーい。ジークがいるから大丈夫」

 そう返事をすると、僕はハイポーション作りを再開した。ジークと二人でやる作業は本当に楽しい。つい、笑みがこぼれてしまう。

 なんか視界の隅でプッチーニが壁を本当に殴っていたが、それには触れない方がよさそうだ。

 

 

 

 第二七層の迷宮区は現在の最前線から三つ下の層であるが、稼ぎの点から言っていいポイントだ。中でもトレジャーボックスが出るといい稼ぎになるという話だった。

「おいおい。頼むぜ。またハズレかよ」

 三回目のトレジャーボックスの中身が空っぽだったので、ゴドフリーがアランの頭をガシガシと掻き回した。

「僕のせいじゃないよ! だいたい、ゴドフリーのアニキがちゃんと情報屋から情報買ってれば」

 アランはゴドフリーの手を振り払おうとしてまたしても失敗した。

「情報料10万コルなんて言われちゃあな。買えねえだろ」

 僕の索敵スキルに一人反応があった。通路の角の向こう側だ。僕はジークの左腕を放してちょっと走って様子をうかがった。

 黒の剣士だ……。ここでレベル上げだろうか。彼はだいぶ消耗しているらしく、おぼつかない足取りで迷宮区の出口へ向かっているようだった。あんな様子で無事に出口までたどり着けるのだろうか。

 少し心配だったが、あの黒の剣士ならこの迷宮区のモンスターは寝ていても倒せるだろう。

「どうしたの? コー」

 ジークが僕の肩を叩いた。

「黒の剣士が……もう、いっちゃったけど」

「へー。ブラッキー先生もここで稼いでるのか。こりゃ期待できそうだ」

 セルバンテスが割り込んできた。

「おお。隠し扉だ!」

 アランが感激の声を上げて隠し扉を開けて飛び込んだ。

「今度は当たりだといいな」

 ゴドフリーがアランに続いて入った。

「おお。トレジャーボックスだよ!」

 僕とジークが部屋の中に入ると、アランが部屋の中央に設置された巨大な宝箱に歓声を上げて近づいた。

 セルバンテスとプッチーニも私たちの後から隠し部屋に入った。

「隠し部屋にトレジャーボックス。これは期待できそうですね。解説のプッチーニさん」

 セルバンテスが実況アナウンサーのように話題を振った。

「そうですね。これでギルドハウス一軒ゲットですね」

「そんなわけねぇ~~」

「うわ。せめてここはノリツッコミして欲しかったわあ」

 僕はそんな二人の会話にクスリと笑った。

「じゃ、開けるぜぇ」

 アランが宝箱に手をかけた瞬間、けたたましいアラーム音が鳴った。トラップ発動の衝撃でアランのヒットポイントが一気にイエローゾーンまで落ち込んだ。同時に入り口がロックされ、おびただしい数のモンスターが現れた。ざっと見ただけでもゴーレムやドワーフが三〇体以上いるようだ。

「トラップ解除失敗か!」

 ゴドフリーが舌打ちする。「アラン。後は俺たちに任せてお前は脱出しろ」

 シーフのアランは攻略組だが防御度が若干低い。ヒットポイントが落ち込んだ状態でこれだけのモンスターが現れると命取りになるかもしれない。今のうちに退避させた方がいいという判断だった。

「転移! ……」

 アランが途中で言葉を止めた。「クリスタルが反応しない!」

「まじか」

 プッチーニが苦々しく言い捨ててドワーフに斬りつける。

 僕たちはモンスターたちに取り囲まれてしまった。

「ずいぶん、タイムリーなトラップだこと」

 セルバンテスが槍でゴーレムを突き飛ばした。

「これはちょっとばかり、やばいかな」

 ゴドフリーのつぶやきが聞こえた。

「ジーク!」

 僕は部屋を一周見渡して一番数が薄い方向に貫通弾を放った。僕のこの一言だけでジークはすべてを察してくれた。

「了解!」

 ジークは僕が放った貫通攻撃の後を追って突進して血路を開いた。

「みんな! ジークの後を追って!」

 僕が叫ぶと全員がジークの開いた血路を通って部屋の角に集まった。「ジーク、ゴドフリー、プッチーニで前衛組んで!」

「了解!」

 部屋の角で二面の壁を背にすることで陣形を組むことができた。これで長期にわたって戦線を維持できるはずだ。

「ハイポーションはここに置いとくよ。アラン。飲んでおいて。効果が出始めたらヒットポイントを見てゴトフリーとスイッチして」

 僕は手持ち全てのハイポーションを実体化させて床に置いた。床の上に二百個近いポーションが山のように積みあがった。

「おう」

「セルバンテス、タイミング見てプッチーニとスイッチして」

 僕は指示を出しながら≪ダブルショット≫と≪ペネトレーションアタック≫を組み合わせて鉄球を放った。

「OK」

「コートニー。鉄球は使わなくていいぞ。これなら十分戦える」

 ゴドフリーが斧を振り回して言った。雄叫びと共に放った一振りでドワーフ二体を葬った。驚異的な攻撃力だ。

「はい!」

 確かにこの状態なら普通の攻撃でも戦っていけそうだ。僕は鉄球から石に切り替えてスリングでの攻撃を続けた。

 もしかしたら、あの黒の剣士は一人でこのトラップをこなしたのかも知れない。だとしたら恐ろしい手練れだ。一体一体のモンスターは恐るべき強さはないがこの数は尋常じゃない。だが……アラームトラップを発動させたのも彼なのか? 彼が鍵開けスキルを持っているという話は聞いたことがない。それとも、発動させた者は死んでしまったのか……。

 僕は頭を振って考え事を振り払いハイポーションを飲んで、ジークとスイッチするタイミングを計った。

 

 その後二時間にわたって僕たちは戦い続け、ようやく最後のゴーレムを倒した。

「何匹倒したんだろうな」

 大きなため息をついてセルバンテスは床に座り込んで息を荒げた。

「まったく次から次へと湧きやがって」

 プッチーニもさすがに疲れ果ててセルバンテスと背中合わせに座った。「もうちょい、自重しろっつの」

「ちょっとしゃれにならなかったね」

 僕は床に残ったハイポーションを回収しながら言った。あれほど大量にあったのに残り二〇本ほどになっていた。

「このメンバーなら負ける気はしなかったけどね」

 ジークもどんどんハイポーションを僕たちの共通アイテムストレージに回収していってくれた。僕とジークの間には共通アイテムストレージを設定してある。これは仲がいいプレーヤー同士が設定するもので、ここに入れたアイテムを自由に二人で使用できるものだ。

 僕はジークと視線が合った時に唇で『ありがとう』とお礼を伝えた。

「開けてみるね」

 アランが宝箱に近づきガチャガチャといじり始めた。

「これで空っぽだったら泣けるぜ」

 ゴドフリーがアランの頭をくしゃくしゃといじる。「また、トラップを発動させんなよ」

「あー。気が散るよ。アニキ!」

 アランがうるさげに頭を振ると、ガハハとゴドフリーが笑った。本当にこの二人は仲がいい。

 やがて、ガチャという音が鳴って宝箱が開いた。

「うほー。結晶アイテム満載だ! 見て見て、回廊結晶もいっぱいあるよ」

 アランが喜びの声を上げた。回廊結晶は転移結晶の上位版で記憶した場所に転移ゲートを開くことができるというレアアイテムだ。その便利さと希少さでかなりの高額で取引されている。

「うへ。結晶無効化エリアで結晶アイテムの宝箱って、ゲームデザインした奴スネてやがる」

 プッチーニはそう毒づきながら宝箱に駆け寄った。

「金だけ分けて、結晶アイテムはギルドに寄付するか」

 ゴドフリーは全員を見回して同意を求めた。

「それで構いません」

「オッケー」

「了解」

 それぞれが了承して宝箱の中身を回収した。金は人数で均等割りされ、倒したモンスターの金と合わせるとかなりの収入になった。

 回廊結晶などを売ればギルドハウスの購入資金の足しになるだろう。

「どうする? もう一個ぐらいやってくか?」

 ゴドフリーが全員に声をかけたが、全員の表情を見て頷いた。「帰るか」

「うん。疲れた」

 プッチーニがげんなりした表情で言う。

「ハイポーションそんなに持ってこなかったしさ」

 セルバンテスが首をすくめて首を振った。

「今度はちゃんと計画建ててこようね。ハイポーションいっぱい持ってさ」

 僕が笑顔で言うとみんな頷いて、隠し部屋から出て迷宮区の出口に向かった。

「コートニーさん。ありがとう」

 アランが僕の所に駆け寄ってきて言った。

「ん?」

「みんなパニクってたのに指示してくれたおかげですぐ立ち直ることができたよ」

「ああ」

 僕はニコリと笑った。「どういたしまして」

「いつでも副団長の代わりに指揮とれるな」

 ゴドフリーがニヤリと笑いながら言った。「我が血盟騎士団は安泰だ」

「いやいや。アスナにはぜんぜんかなわないから」

 本当にアスナには何一つ勝てない。あの剣技も容姿も身のこなしも頭の良さももう、何から何まで全部、彼女にはまったくかなわない。僕は彼女のようになりたいと願って、現在いろいろ観察中だ。

「ご謙遜、ご謙遜。ゴドフリーのアニキより役に立ったよ」

「待て、アラン! だいたい貴様がトラップ解除に失敗したからあんなことになったんだろうが!」

 ゴドフリーがアランの頭を掴もうと手を伸ばすと、慌ててアランは逃げ出した。

「そうそう捕まってたまるかっつーの」

 全員で笑いながら迷宮区を出た。

 まぶしい夕日が僕たちを照らした。

「さーて。明日はきっとフィールドボス戦。その後は迷宮区攻略だな。それに新しいギルドハウスの金も稼ぐぞ」

 ゴドフリーが大きく伸びをしてから太陽に吠えた。「がんばろー!」

「おー!」

 と、答えたのはアランだけだった。「みんなノリが悪いなあ」

(いやいや。ゴドフリーのノリについていけるのは君だけだから……)

 僕は心の中でクスリと笑った。

「コー。ギルドハウスで思いついたんだけど」

 僕の右隣で歩いていたジークが耳元で囁いてきた。「お金ためて、私たちだけの家を買おう」

「え?」

 僕は少し驚いて右上を見上げた。ジークは頬を赤く染め優しい笑顔を浮かべて僕の左肩をぎゅっと抱き寄せた。

 嬉しい。それはとっても嬉しい提案だった。

「うん!」

 僕はジークの腰に手を回して抱き寄せると、体を彼に預けるように寄り添った。

「セルバン! 壁ーーーっ! 壁はどこだーーっ!」

 後ろから聞こえるプッチーニの声がなければ、とてもロマンチックな夕日なのに。僕は笑みをこぼしながら頬をジークの肩にこすりつけた。




ブラックバイス「壁ー。壁はいかがっすかー。黒くて分厚くて固くて殴るには最適だよー」

血盟騎士団の日常編です。しばらく、こんな閑話が続きます。
すっかり安定のコートニーとジークリードをお楽しみください。

しかし、この陰で……サチィィィィィ!(TT) 

しばらくこんな蜜月風景のお話が続きますが、お見捨てなきようによろしくお願いします。

-----御礼-----
みなさまのおかげで日間ランキング5位になっていました。本当にありがとうございます。
お気に入りも100件突破。
これからちょっとTSから離れてしまいますけれど、今後ともよろしくお願いします。


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第15話 むし風呂【ジークリード7】

閑話です


 私の四連撃が見事に決まり、ストーンガーゴイルが爆散した。目の前にレベルが46に上がった事を知らせる表示が出た。

 よしっ!

 私はレベルアップの表示を見て心の中でガッツポーズした。

「おめでとー」

 プッチーニが声をかけてきて、私は彼とハイタッチを交わした。

 今日は第三〇層迷宮区マッピングとレべリングが目的だ。メンバーはゴドフリーをリーダーにタンクの私、プッチーニ、槍使いのセルバンテス、あと新人の細剣使いのラモンだ。

「よーし。これで全員レベル上げノルマ達成だな」

 ゴドフリーが腕を組んで頷いた。「ところで、ジークリード。お前のバトルヒーリングはいくつなんだ?」

「えっと……」

 私はメインメニューを呼び出して自分のステータスを確認した。「146ですね」

「ひっく」

 セルバンテスが身をのけぞらして驚いた。

「でも、普通これぐらいじゃないですか?」

 私はセルバンテスの言葉にちょっと傷つきながら周りに同意を求めた。バトルヒーリングは強ダメージを受け続ける事で上昇する。前衛を務めているからその機会は多いはずだ。戦闘経験もみんなとそれほど変わらないはずなのにそこまで差がついているのだろうか?

 だが、私の言葉に頷いてくれたのは新人のラモンだけだった。

「ああそうか。ジークリードは≪むし風呂≫に行った事がなかったな」

 ゴドフリーがあごひげを撫でながらつぶやいた。

「蒸し風呂?」

 私は首をかしげた。サウナ? まったく意味が分からない。

「久しぶりに行こうぜ。今日の探索範囲は終わったし、レべリングも終わったしさ」

 プッチーニがゴドフリーに言った。「俺も400の大台に乗せたいし」

「じゃ、そうするか」

 ゴドフリーは頷いて全員を見渡した。「じゃ、街に帰ったらそこで自由行動にしよう。希望者はむし風呂でスキル上げという事で」

「おっけー」

 明るい声でセルバンテスが答えた。

 

 

 

 自由行動と言ったが、結局全員がバトルヒーリング上げに向かう事になった。

「じゃあ、転移先はコラルな。あと、これから行く場所は極秘だ。誰にも言うなよ」

 ゴドフリーは転移門の前で私とラモンに言い渡した。

「転移。コラル」

 コラルは第22層。森と湖が広がる静かなエリアだ。この層にはフィールドモンスターがおらず、わずか3日という短期間で攻略された。モンスターが湧かない事もあって生産クラスのプレーヤーが木材などの素材集めに訪れるぐらいだ。それだけに忘れ去られた層と言えた。

 ゴドフリーを先頭に私たちは深い森をかきわけていった。突然、風景がひらけた。

「うわあ」

 美しい風景を見て思わず私の口から感嘆の声が漏れた。深い碧色の湖の周りに鮮やかな森が広がり、背後に雄大な雪山がどっしりとかまえていた。まさに風光明媚という言葉がぴったりだ。

 コーを連れてきたら、すごい喜ぶだろうな。私の頭に明るい笑顔を振りまいて走り回るコーの姿が浮かんだ。

「あそこだ」

 ゴドフリーが指をさしたのは半径10メートルほどの黒い水たまりだった。水たまりの周りを取り囲むように岩が並べられており、まるで露天風呂のようだ。

 露天風呂? 蒸し風呂じゃないの?

 やがて近づくとその正体がはっきりした。水だと思っていたのは無数の蜘蛛やムカデ、昆虫だったのだ。

 私の背筋に悪寒が走った。蒸し風呂じゃなくって、蟲風呂……。

「ここは団長に教えてもらったポイントでな。バグなのかなんなのか分からんが、こいつらの攻撃は1でも強攻撃判定があるんだ。蜘蛛とムカデの攻撃で≪対毒≫も上がるからな。団長の驚異的な防御力はここで培われたというわけだ」

 ゴドフリーはニヤリと笑ってメインメニューを操作すると短パン一丁になった。

「ひっ」

 私はゴドフリーの筋肉隆々の姿につい女性らしい恐怖を感じて二、三歩後ずさりして思わず息をのんだ。

「装備が傷むし、鎧のせいでゼロダメージになったらスキル上げにならんからな。ほら。ジークリードも脱げ脱げ!」

 ゴドフリーが大笑いをしながら私に迫ってきた。私はさらに後ずさりした。

「ひゃっほーい!」

 ゴドフリーの後ろで短パン姿のプッチーニとセルバンテスが蟲風呂に飛び込み選手のように飛び込んでいった。

「あの、やっぱり……私、スキル上げやめます」

 私の声は恐怖のあまり震えていた。

「なんだ。ジークリード。虫が苦手なのか」

 ゴドフリーはニヤリと笑った。「プッチーニ。セルバンテス。ジークリードを押さえろ!」

「おー!」

 二人が蟲風呂から出て神速で駆け寄ってきた。

「転移!……」

 捕まる前に逃げなければ! 私は転移結晶を手に取って転移コマンドを唱えた。

「おっと。ここまで来て逃がしはせんぞ」

 私がコマンドの全てを唱える前にゴドフリーに転移結晶を叩き落された。

 振り向いて駆け出そうとすると、セルバンテスに先回りをされた。槍使いの彼の方が敏捷度は上だ。逃げようと身をかわすがすぐに前に回り込まれた。そのうちに背後からプッチーニに羽交い絞めにされた。

「嫌……いやああああ!」

 私は痴漢に襲われた時のように叫んで身をよじって必死に逃げ出そうとした。

「なんだ。女の子みたいだなあ。ジークリード」

 ゴドフリーはガハハと笑いながら、私の右腕を掴み、無理やりメインメニュー操作をして私の装備を短パン一丁にした。

「ひぃ」

 街中の安全圏内ならハラスメントコードを発動させて逃げられるが、残念ながらここは圏外だ。

「じゃ、連れてくか」

 ゴドフリーがニヤリと笑い私の両足を掴んで持ち上げた。右腕をプッチーニ、左腕をセルバンテスが掴みあげ私の身体が宙に浮いた。

「駄目ええええええええ!」

 全身を使った抵抗もむなしく、私は3人に担ぎ上げられて蟲風呂に首まで入れられた。

 体中に虫が這いまわる感覚で全身に悪寒が走った。薄目を開けると首元を這いまわる蜘蛛やムカデ、ゴキブリがうごめいていた。カサカサという虫同士がこすれあう音もリアルすぎて私の心に冷気を送り込む。

「やだ! やめてえええええ!」

 私は蟲風呂から抜け出そうと必死に逃げ出そうとするが、両側に陣取ったセルバンテスとプッチーニに阻まれた。

「ジークリードのこんな姿、コートニーちゃんには見せられないなあ」

 隣でプッチーニがくつくつと笑った。

「手遅れ……みたいですよ」

 そう呟いたのは対面で蟲風呂に浸かっていたラモンだった。彼の指がすうっと私の後ろを指差した。

 そちらを振り向いてみるとそこにコーがいた。コーは槍を握りしめ緊張した表情を見せていたがすぐに緩めた。

「なーんだ。みんな来てたんだ」

 コーはにっこりと笑った。「悲鳴が聞こえたから誰かPKに襲われてるのかと思ったよ。ジークの声だったの? 女の子みたいだったよ」

 えーーーーっ。助けてくれないの? 私は心の中でコーに抗議した。

「副団長と一緒じゃないのか?」

 ゴドフリーがコーに尋ねた。

「蟲風呂? わたしには必要ないわ。行くなら一人で行けば?」

 コーは華麗に肩に乗った髪を払いながら言った。その仕草も口調も声までアスナそっくりだった。

 最近、コーはアスナに傾倒している。身のこなしとかファッションとか積極的に取り入れているようだ。おかげで近くにいる私はいつもドキドキだ。

「おー。副団長そっくりだあ」

 セルバンテスが笑顔でコーに拍手を送った。

「はーい。みなさん、あっちを向いてください。着替えるから」

 コーはパンパンと手を叩いて全員を反対側に向かせた。

「ぐはっ!」

 ソードスキルの音の後にプッチーニの苦悶の声が聞こえた。

「見るなって言ってるだろ!」

 背後からコーの鋭い叫びが聞こえた。

「なぜ、バレた!」

「バレバレなんだよ。……OK、着替え完了」

 その声で全員が振り返りコーに目を向けると、ため息まじりの歓声があがった。

 コーは水色のツーピースのセパレーツ水着を身に着けていた。それほど露出度が高い水着ではないが体のラインはしっかり見て取れた。程よい大きさの胸、くびれた腰、美しい形のお尻。女性の私ですらその完璧なプロポーションに羨望のため息が出た。

 コーは長い髪を髪留めを使って器用に頭の上にまとめた。その仕草がとても女性らしく、また感嘆の声があがった。

「か、かわいい……」

 プッチーニがよだれをたらさんとばかりに口を大きく開けてコーを見つめた。

「クリティカルヒット……」

 ラモンが目を丸くして呟いた。

 みんな、あんまり見るな! コーもみんなに見せるな!

 私の心にふつふつと怒りが湧いてきた。

「あんまり見ないでよ。ジークの隣に入るからどいて、どいて」

 コーは手をひらひらさせながらそう言って私の左側に入った。

 もう逃げ出さないと判断したのかセルバンテスもプッチーニもコーに場所を譲った。

「虫。苦手なの?」

 コーがクスリと笑いながら私の耳元で囁いた。「女の子みたい。可愛いー」

「コーは平気なの? 男の子みたいだね」

 女扱いされたのがちょっと悔しかったので私は言い返してやった。

「そ、そりゃ苦手だけどさ。スキル上げのためだもん」

 コーの表情が一瞬固まり、私から視線をそらして虫を見つめた。

(いやいや、苦手だったらじっと見ないから……)

 まあ、女の子でも変な嗜好の子はいる。友達の友達には爬虫類大好きっ娘がいたし、親戚のおばさんは法律で禁止されているはずのタランチュラなんか飼っていたし。コーのように虫を苦手にしない女の子がいてもぜんぜん不思議じゃない。

「ジークは虫の何が駄目なの?」

「この感触とか、這いまわる感じとか」

 口に出したせいで余計に意識してしまい、また背筋に悪寒が走った。もう、コーに笑われてもいいから逃げ出してしまいたい。

「あー。分かる気がする」

 コーがニコニコしながら答えた。

(いやいや、全然分かってないだろ、その表情)

 私は心の中でツッコミを入れる。

「じゃあさ。別の事を考えればいいんだよ」

「別の事?」

「うん。そう例えば……」

 コーはそう言うと他の誰にも聞かれないように私の左耳に両手で筒を作って囁き始めた。「ジークは団長から聞いた後、倫理コード解除したことある? あれってやばいよね。肌の感覚とかすごいリアルでさ」

 確かにコーの言うとおりだった。コーが寝静まった後に試しに倫理コードを解除してみたが今までになく肌の感覚が感じられた。普段はモンスターに切りつけられようと殴られようとあまり痛みは感じない。だが、倫理コードを解除すると痛覚のリミッターも解除されるらしく、私は現実の身体に戻ったような感覚を味わった。コーの言うとおり「やばい」と感じてそれ以来、私は倫理コード解除には触れていない。

 それにしても、何で今さらそんな事を持ち出してくるのか。

「あの日、ジークに強引にキスされちゃった時、実は倫理コード解除してあったんだよね。あの時、キスもすごかったけどジークに背中を撫でられただけで気持ちよすぎて気絶しちゃったんだよ」

「えええええ!」

 私は思わず大声を上げてコーの顔を見た。みんなの視線が一斉に集まる。

「静かに」

 コーは頬だけでなく耳まで真っ赤に染めて唇の前に指を一本立てた。アップにした髪のうなじを見て私はまたドキリとした。

 私が黙ると再び、両手で私の左耳を囲うと囁き始めた。

「だから、ここに一人で来た時に倫理コードを解除してみたんだ。そしたら、すごいの。もう、僕はおかしくなっちゃったよ」

 コーの囁きで私の頭の中に全身に虫が這いまわりながらその快感で喘ぐ彼女の姿がリアルに思い浮かんだ。その後もコーはあられのない言葉を紡ぎ続け、そのたびに私の頭の中に虫の中で乱れた彼女の姿が現れては消えていった。

 心臓が高鳴り頭に血が上り、だんだんと頭の中が真っ白になって行く。

「なんてね! ほとんど嘘!」

 突然、大声でコーが叫んだ。「そんな事するわけないじゃん!」

「え?」

 私はその声で現実に引き戻された。脳内の淫らな彼女の姿が一瞬で消え去った。

「いつもジークに強引に襲われてるから、仕返し」

 コーは私の耳元で囁いてにんまりと笑った。

「や、やられた」

 私は脱力してあやうく蟲風呂に沈むところだった。

「ほら、おかげで結構、我慢できたでしょ」

 コーは沈みかけた私を引き上げながらクスリと笑った。

「覚えてろよぉ」

 私が睨みつけるとコーが堰を切って笑い始めた。

「ほらほら、ムカデだよ~。これが蜘蛛~」

「そんなの。見なくても分かってる! 近づけないで!」

 コーは私の顔のそばに一匹一匹ちらつかせ、目を白黒させる私の反応を楽しんで子供のように笑った。

 なんだかんだで、日が沈むまでの三時間を私たちはそこで過ごした。プッチーニが蟲風呂脇に転がっていた岩を素手で割ったのはまた別の物語である。

 

 

 

 今日の宿は風呂つきの部屋を選んだ。普段の二倍の金額がかかったが今日は絶対妥協できない。私の身体にはまだ、全身に虫が歩き回った感覚が残っている。お風呂で全部これを洗い流さない事には眠れそうもないと思ったからだ。

 コーはそんな私の思いを知ってか知らずか反対の言葉も言わず、苦笑していつものように半分の金額を出してくれた。

 いつもなら部屋に入ってすぐにコーと背中合わせになってラフな格好に着替えるところだが、今日は武装したまま脱衣所へ走った。一刻も早く、この肌に残った感覚を洗い流したかった。

 風呂場に入ってみるとモザイク模様のタイルが引きつめられた床の上に質素なバスタブがドンと置かれているだけの殺風景で狭い部屋だった。

 私は蛇口をひねってバスタブにお湯を張り始めた。見回してみたがシャワーもない。いつもの倍の金額を支払うのだから、時代考証を無視してでも素晴らしい風呂場にしてほしかった。

 私はメインメニューから≪武器防具全解除≫を押し、≪衣服全解除≫≪下着全解除≫と押していった。

 空気が全身の肌を撫でる。そう言えばこの世界ですべての服を脱いだことがなかった。風呂場の鏡に自分の全身を映してみる。

(ああ、私は男の身体だな)

 ぼんやりとそんな事を考えた。

 バスタブからお湯があふれ出した音で私は我にかえった。お湯を止めて洗面器にお湯をいっぱいすくって頭からかぶった。とても暖かくて心地いい。私は設置されている石鹸を使って全身をくまなく洗っていった。

 私はふと思いついて、倫理コード解除をして左手をバスタブに沈めた。

 今までになくお湯の感覚がじんわりと現実感たっぷりに左手を包み気持ちがよかった。そして、再びお湯を頭からかぶってみる。先ほど以上に心地いい感覚が全身を覆った。このままお湯につかればかつてないほどリラックスできそうだ。

「ジーク。背中流してあげるよ!」

 背後の風呂場の扉が開く音がして、コーの声が聞こえた。

 も、もしかして裸なのか? 私の身体に緊張が走った。

「いいよ。もう自分で洗ったから」

 私は後ろを見るのが怖くてそのままバスタブのお湯を見つめた。

「いいからいいから。遠慮しなくていいよ。ほらほら」

 コーは私の背中に石鹸の泡を塗り広げ始めた。

 振り返ると裸のコーがいる。そう想像すると鼓動が高鳴り、コーが背中を流してくれている事がまるで別世界の出来事のように感じた。

「ほい。できあがりー。すっきりした?」

 コーは明るく言って、私の背中をお湯で流した。「ジーク。こっちを向いてよ」

「でも」

「大丈夫だから」

 何が大丈夫なんだ。とにかく言われるまま私は首だけを向けてみた。

 視界の隅にコーの姿が映った。

(なーんだ)

 コーは蟲風呂の時と同じ水着を身に着けていた。彼女はそこまで淫らな女の子ではなかったのだ。私は期待外れの残念な気持ちとほっとした気持ちが入り混じった複雑な心境になった。しかし、なんか印象がいつもと違う。

 髪の毛だ。色がつややかな黒髪から輝く栗色に変わっていた。

「似合うかな?」

 コーはニコニコと笑いながら、くるくると自分の髪を弄んで尋ねてきた。

「また、副団長の真似?」

 私はコーから視線をバスタブに移して、思わずため息をついてしまった。

「またって?」

 コーの言葉が硬くなった。

「コーが副団長に憧れてるのは分かるけど……。私が好きなのはコーなんだよ。コーがコーらしくあれば私はそれだけで大満足なんだ」

「僕が僕らしく?」

「そうだよ。子供っぽくて無鉄砲で明るくて……。そんな自然なコーが私は好き」

「ジーク」

 背後からぎゅっとコーに抱きしめられ、頬に口づけされた。「大好き!」

 体に押し付けられたコーのふくらみの感覚と唇の柔らかい感触で、私の心の中の≪理性≫という漢字が音を立てて砕け散った。

 私は振り返ってコーを抱きしめようとしたが、彼女は自然に身をひるがえして私の腕から逃れると風呂場の出口へ走った。

「髪染め買って、すぐに戻してくる!」

 コーはそれだけを言い残して風呂場から出て行った。

「ちょっ……」

 声をかける間もなくコーは姿を消してしまった。

(水着のまま買いに行かなきゃいいけど……)

 本当に思いついたら一直線の女の子だ。私はクスリと笑ってバスタブに身を沈めた。

 倫理コード解除のために今までになく心地いいお風呂を味わいながら思った。

(でも、このやり場のない心のもやもやはどうしたらいいんだろう……)

 私はとりあえず倫理コード解除を元に戻して天井を見上げ肺が真空になるほどの深いため息をついた。




ジークの脳内映像提供:間桐桜

今回は視聴率アップのために水着を用意しました(違)
コーに振り回されるジークの苦悩をお楽しみください。コーを独占したいというジークのやきもちにニヨニヨしてくださったでしょうか?
あと、ジーク。君はスルーしちゃったけど、コーは「ほとんど嘘」って言ってるから一部本当だぞwww
あと、このいやらしい言葉をささやき続けるシーンは阿良々木君と戦場ヶ原様の初デートのシーン(お父様の運転する車の後部座席でのシーンです)を思い浮かべながら書きました。
コートニー、ホント罪な男の娘やでー。

残りの閑話は2つ予定しています。短すぎたら1本にまとめるかも知れません。どうぞ、お楽しみに……(してる人がいるといいのですがorz)


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第16話 一緒に戦うという事

閑話3です


 あたしは真っ赤に焼けたインゴットを金床の上に乗せ、愛用の鍛冶用ハンマーを握りしめた。そして、メニューから作成アイテム(今日は両手用直剣)を選び、赤く燃えるインゴットを気合を込めて叩くと火花が散った。

 今日の注文は両手用直剣が2本とプレートアーマー。剣だけならいつも持ち歩いている携帯用炉と金床で作成できるが鎧があったので、今日はNPCの鍛冶屋の設備を借りて作成している。

 もともと、接客があまり得意でないあたしは品質勝負だ。ここ最前線の主街区で商売している他の鍛冶職人より頭一つスキル値を抜け出すため、無茶な修行もした。その甲斐もあってだんだんと固定客も増えてきた。最前線の攻略組相手の商売は妥協が許されない厳しいものだけれど、稼ぎの点では中層プレーヤー相手よりも数段いい。

 集中して無心でインゴットを叩いている瞬間があたしは好きだ。この時は全てを忘れることができる。こんなデスゲームに巻き込まれ10カ月以上家族の顔を見てない寂しさも、死への恐怖も。

 ハンマーで叩く回数は武器の種類、インゴットのランクで変わる。最初のうちは分からなかったけど、最近はインゴットの輝き具合と音であとどれぐらいの回数を叩けばいいか体で覚えてしまった。この両手用直剣はそろそろ、完成に近い。

 カーン。

 今までと少し違う音がしたのであたしは手を止めた。これは完成を知らせる音だ。この音は鍛冶職人しか聞き分けることができないらしい。あたしの親友のアスナは「全然わかんないよ~」なんて言ってたっけ。

 赤く焼けていたインゴットは青白く輝きを変化させその形が両手用直剣に変わっていった。あたしは出来上がった剣の出来栄えを武器鑑定スキルで確認をした。

(うん。なかなか)

 これなら依頼主も満足してくれるだろう。いい出来栄えに思わずにやけてしまう。

 ふと、あたしは視線を感じた。その方向を見ると白を基調とした美しい制服を身にまとった長い黒髪の少女が小さく手を振っていた。アスナの紹介で友達になった血盟騎士団のコートニーだ。後ろには会った事がない血盟騎士団の男の子もいた。

「コー。いつからいたの?」

 あたしは営業スマイルでなく心からの笑顔を彼女に向けた。

「んー。ちょうどリズが作り始めたぐらいからかな」

 コーはあたしに近づいてきて微笑んだ。

「コーのそういう所、アスナも見習ってほしいわ」

 突然飛び込んでくる親友に何度作業を中断された事か。彼女にはまったく悪気がないのだけれど。

「そうなの?」

 コーは首を傾げた後、肩に乗ったつややかな黒髪をふわりと手で払った。その仕草はまるでアスナだ。あたしみたいな女が真似したら滑稽なだけだけど、コーならそんな仕草がとても似合う。

「うんうん。アスナだったら、『リズ! こんにちわ!』とか言って、バーンってドアを開けてたわ。間違いなく」

 コーのような繊細さをアスナに期待しちゃいけないのかも知れないけど。

「あ、でも、僕だったらドア思いっきり開けちゃったかも」

 コーはそう言いながら頭をかいた。「ドアを静かに開けたのジークだし」

「ジーク?」

「あ、ごめん。初めてだったよね。僕の友達のジークリード」

 コーは後ろに立っていた血盟騎士団の男の子に手を向けて紹介した後、あたしに手を向けた。「こちら、僕とアスナの友達のリズベットさん」

「よろしく」

 あたしはペコリと頭を下げた。よく見ると彼が持っている武器は以前コーに作ってあげた≪ゴライアスソード≫と≪マゲン・ダビド≫だ。あの時、誕生日プレゼントとか言ってたから、二人が友達以上の関係である事を容易に想像できた。

「んー。友達~? 彼氏じゃないのぉ?」

 あたしはコーににじり寄って肘でつつきながら冷かしてやった。

「あ、そうか」

 コーは真顔のままジークリードに手を向けた。「僕の彼のジークリード」

「あら、ごちそうさま」

 おっとー、恥ずかしがるどころか正面突破? こうまですがすがしく肯定されるとからかいの二の句がつなげない。

「ちょっと……コー」

 ジークリードが恥ずかしがって頬を赤く染めて俯いた。なんかとてもおとなしそうで平凡な男子だ。

「リズ、気を付けてね。この人、突然キスしてくるから」

 コーがにやけながら、あたしの耳元でジークリードにも聞こえるような小声で言った。 

「コー!」

 彼の顔全体が真っ赤に染まった。もう湯気まで見えちゃいそう。でも、否定しない所を見るとどうやら事実らしい。やっぱり、男って油断ならない。

「で、今日は何の用なの? 彼氏の披露に来たわけじゃないんでしょ?」

 ちょっとハンマーで彼を殴り倒したい衝動に駆られたけど、それを抑えてあたしはにっこりと微笑んだ。

「そうそう、炸裂弾を作って欲しいんだ」

 コーはあたしの皮肉なんてもろともせずに真剣な表情で見つめてきた。コーもアスナと方向は違うけど結構天然なところがある。

「炸裂弾?」

 あたしはリファレンスを開いて確認する。どこかで見たような気がするが一度も作った事がないのは確実だ。えーっと、あったあった。

 

【炸裂弾:投擲スキルで使用する。必要スキル:鍛冶800。サブスキル:薬学250。材料:ノーマルインゴット×1硫黄×5硝石×5】

 

 投擲で使うのか。道理で作った事がないはずだ。投擲なんてネタスキルを使っているのは目の前の友人以外にあたしは見たことがない。

 力になってあげたい。けれど、あたしには無理だ。

「ごめん。コー。鍛冶スキルは足りてるけど、あたし薬学なんてもってない」

「僕がもってるよ。フレンドでパーティー組めば生産スキル25%補助できるでしょ?」

「ってことは薬学コンプリートしてるの? あんた!」

 驚きのあまりあたしの声が裏返った。生産系のスキル上げはとにかくルーチンワークの繰り返しだ。一体どれだけの材料をポーションにしてきたのだろうか。

「お金稼ぎも兼ねてポーション作りまくったよ」

 えへへとコーが笑った。

「どんだけ作ったのよ」

 あたしはちょっとあきれてため息をついた。

「血盟騎士団が今後使用する1年分みたいな?」

「おかげでギルドハウスのめどが立ったって、ダイゼンさんが言ってたよ」

 ジークリードがコーの言葉を補足するように言った。

 とにかく、恐ろしい量を作ったらしい事はあたしにもわかった。

「じゃ、そう言う事なら。作るよ」

 スキル不足という障害がないならもちろん、友達のために喜んで作らせてもらおう。

「ありがとう」

 コーはとびっきりの笑顔を見せるとパーティー申請をしてきた。もちろん≪OK≫を押す。「材料は用意してあるんだ」

「えっと、5つ作ればいいのね」

 あたしは金床の上にコーが並べた材料を数えてから、インゴットを手に取って炉に放り込んだ。

「うんうん。まずはお試しで。使えるスキルなら量産しようと思ってる!」

「へーどんな名前のソードスキルなの?」

 インゴットが赤く焼けるのを待ちながらあたしは尋ねた。

「≪メテオシャワー≫っていうの。昨日増えたんだ」

「流星雨かあ。良さげだね」

 あたしは赤くなったインゴットをヤットコで掴みあげた。

 鍛冶用ハンマーのメニューを呼び出し炸裂弾を選ぶとハンマーを焼けたインゴットへ振り下ろした。

 カーン。

 たった1回で作成完了の音がしたので、あたしは手を止めた。インゴットは金床にある硫黄、硝石を巻き込んで輝いてその形を変えた。ごつごつとした握りこぶし大の金属の塊が出来上がった。色は全然違うけど、ブドウの巨峰みたいな感じだ。

「おお」

 コーが喜びの声を上げて炸裂弾を手に取った。

「どう?」

「どうって言われてもねぇ」

 コーは戸惑った表情であたしを見た。

「だよねー」

 お互い初めて見るアイテムだ。良し悪しなんてわかるはずがない。「あと4つね」

「うんうん」

 あたしは次々と炸裂弾を作った。

「リズ、ありがとう」

 そう言ってコーはあたしに500コルを渡してきてくれた。

「毎度ー」

「リズ、レア素材取りに行くならつきあうよ。僕たちこの後フリーだからさ」

「20分ぐらい待っててもらってもいい? 注文の品、作っちゃうからさ」

「わかったー」

 コーがありがたい提案をしてくれたのであたしはそれに乗っかる事にした。

 最近、安全圏外は物騒になってきた。

 原因は殺人ギルド≪笑う棺桶≫。

 最近、結成されたばかりのこのギルドは殺人を厭わない。というより積極的にプレーヤーキルを実行している。このギルドが結成される前まで、大人数で少人数を襲って金品を奪うという強盗は確かに存在していたが、命までは取る事がなかった。それはそうだろう。PKしたら相手は本当に死んじゃうんだから。

 それを崩したのがPoHという男だ。『プレーヤーを殺すのはナーヴギア、それを作った茅場晶彦だ。俺たちはヒットポイントをゼロにしただけ。俺たちには罪はない。だから楽しもうこのゲームを。それがデスゲームに参加させられた俺たちの権利だ』そんな狂った理屈を受け入れる人が多くいるとは思えない。けれど、PoHと話をするとみんなその言葉に魅了されるらしい。

 おかげで最近、フィールドの危険度は信じられないほど高くなった。中級レベルの人たちがよく利用する狩場。レア素材が取れる狩場や場所。それらが狙い撃ちにされている。直接の知り合いでやられた人はいないけれど、職人仲間で何人かやられたという話をあたしは聞いている。おかげで素材価格は大暴騰だ。

 血盟騎士団二人の護衛がついてくれるとあればあたしとすれば願ったりかなったりだ。

 

 

「オッケー。できたよ」

 注文の品を作りあげて、あたしはコーに声をかけた。

「じゃ、行こうか!」

 コーは椅子からぴょんと立ち上がった。「って、どこに行くの?」

「あー。35層の鉱山にしようかな」

 あたしは情報屋から買った詳細情報をメッセージでコーに転送した。

「ここかあ。わかった。いちお、アスナにも連絡しておくね。手が空いたら来てくれるかもだし」

 コーはキーボードを操りながら言った。

「うんうん」

「最前線より3つ下だけど、リズは大丈夫なの?」

 コーが心配そうにあたしの顔を見た。

「そりゃあ、コーに比べたら弱いけどさ、これでもエキスパートメイサーなんだからね」

「おお」

 コーの驚く顔を見てちょっと満足した。職人と言えどもレア素材を手に入れるために戦闘スキルを上げている人は多い。もちろん、コーのような攻略組には全然かなわないけれど、20層ぐらいのモンスターなら単独で倒せると自負している。それに、この場所には強いモンスターが出ない事はすでに調査済みだ。

「じゃ、いきましょ」

 あたしはメインメニューを操作して鎧とメイスを装備した。

「あ、コー。私はヴィクトリアを厩舎に預けて来るよ。転送門で待ってて」

 ジークリードが扉を開けながら言った。

「了解」

 コーがぴょこんと可愛らしい敬礼で彼に答えた。

「うわ。なにこれ」

 外にはちょっとした人だかりができていた。その中心には白馬が……ただの馬じゃない。頭に一本角が生えている。ユニコーンってやつだ。

「ああ、すみませんね」

 ジークリードが申し訳なさそうに人垣をかき分けてユニコーンの手綱をとってこちらに連れてきた。見上げる大きさで一瞬びっくりしたけれど、とてもやさしい目をしたユニコーンだった。

 ユニコーンは甘えるような声であたしにすり寄ってきた。その大きい顔を思わず撫でた。

(うわー。可愛い)

 あたしは柔らかい肌触りでなんだかぬいぐるみのようで、ますますよしよしと撫でてしまった。

「おー。リズには懐くんだー」

「珍しいの?」

「うん。血盟騎士団ではアスナだけだったよ」

「じゃ、いってくる」

 ジークリードは馬上の人になって片手を振ると馬首を巡らせて厩舎へ走って行った。

「一応、使い魔だよね? あれ」

 あたしはコーと一緒に転移門へ歩きながら彼女に尋ねた。

「うん。この層のフィールド探索してたら寄って来たんだって、たまたまモンスターを倒した時に手に入れてた人参をあげたら懐いたんだってさ。すごい運だよね」

 確かにビーストテイマーはこの世界ではかなり希少だ。12層か13層に竜使いの女の子がいるという話も耳に挟んだことがあるけれど、実際にビーストテイマーを目にするのは初めてだった。

「あれって、強いの?」

「ううん。それがぜーんぜん。ヒットポイントは僕たちとそんなに変わらないし、ヒールはしてくれないし。ああ、解毒はしてくれたかな。戦闘力というより移動が楽になったよ」

「ええ? 騎乗スキル取ったの? 彼」

 この世界では騎乗動物をずっと自分のものにすることはできない。NPCの厩舎で騎乗用の馬と荷物運搬用の馬を借りることができるが、バカみたいに高い価格設定なのだ。だから、そんな馬を借りて騎乗スキルを上げるなんて物好きな人間はいない。

「うん。鍛冶スキルを切ってね。なんか夢中になってスキル上げしてたよ」

 コーはクスリと笑ってそう言った。「昨日ぐらいからやっとまともに乗れるようになったみたいよ」

「あなたたちって、本当に変なスキルが好きなのね」

 あたしは思わずため息をついた。コーの投擲といい、ジークリードの騎乗といい完全な趣味の世界だ。攻略組なんだからもっと効率を上げる方面のスキルを上げればいいのに……。

 と、そこまで考えてあたしの頭に親友の顔が思い浮かんだ。

 アスナの料理も……完全に趣味スキルよね。

「もしかして、血盟騎士団って、ネタスキルを一つ持つことがノルマだったりするの?」

「え?」

 コーがあたしの質問に絶句した。「なんで?」

「コーは投擲でしょ。アスナは料理で、彼は騎乗。どれもネタスキルじゃない」

「ひどいこと言うね!」

 コーはカラカラ笑いながら言った。「でも、それいいかも、今度ギルドの総会で提案してみようかな。『1人1ネタスキルを持とう!』って」

「音楽スキルとか、耕作スキルとか?」

「釣りとか動物学なんていうものあるみたいね」

 コーがあたしの言葉に乗ってきてくれたので、顔を見合わせてあたしたちは大きく笑った。そう言えばこんなに心の底から笑ったのは久しぶりのような気がする。

「でもね」

 コーが急に表情を改めた。「みんな攻略のためだけのスキルだといつか袋小路になっちゃうかもよ。薬学だってそうでしょ?」

「確かに」

 結晶無効化エリアなんていうトラップが出てくるまで薬学は死にスキルだった。おかげでポーションの価格は倍に値上がりしたし、生産職人の間でも薬学を取る人が増えた。今後、上の層にどんな仕掛けがあるのか、今やそれを知っているのはこのゲームをデザインした茅場という狂った天才だけだ。

「100層攻略に実は耕作スキル1000必要ですなんて言われたらどうする?」

 コーは冗談めかしてクスリと笑った。

「そしたら、みんなで22層を開拓しよう」

 あたしはコーの冗談に乗ってあげる事にした。

「いいね!」

 あたしたちはまた顔を見合わせて大きく笑った。

「ところで、コー。彼のどんなところがいいの?」

 あたしは素朴な疑問を投げかけた。コーみたいな可愛い女の子ならいっぱい男が寄ってくるだろうに。なんで平凡そうな彼を選んだのだろう?

「優しい所、僕の事を第一に考えてくれる所、かっこいい所、強い所」

 コーは恥ずかしさのかけらも見せずに指折り数えた。「あ。ああ、全部好き」

「もう、ごちそうさま」

 あたしは苦笑するしかなかった。恋は盲目というやつだ。きっと今コーの目の前にどんな立派でハンサムな男が横切ろうとも彼女の眼には何も映らないだろう。

「おまたせ」

 ユニコーンを厩舎に預けてきたジークリードが走ってこちらにやってきた。

「じゃ、行こうか」

 あたしたち3人は転移門に立ってコマンドを口にした。「転移。ミーシェ」

 

 

 

 第35層と言えば≪迷いの森≫が有名だけど、あたしが行く鉱山はそれとは反対方向にある。

 35層の外周近くにある山の中腹の洞窟に入った。ここで取れるインゴットはなかなかの上ものだ。以前、コーに苦労して集めてもらった準レアインゴットよりも性能がいい武具を作る事が出来るインゴットが数多く取れるのだ。

「ラットマンが20か。そんなに強くないからリズも一緒にやる?」

 洞窟に入ってすぐにコーが呟いた。索敵スキルを持ってないあたしにはさっぱりわからない。

「うん!」

 あたしは愛用のモルゲンステルンを握りしめた。

「ジーク。前衛お願い」

「了解」

 ジークリードが頷いてゴライアスソードを抜刀した。

 そんなわけでラットマンの集団と戦うことになったが、二人の戦いぶりにあたしは惚れ惚れとしてしまった。言葉も交わさず、視線すら向けないのにお互いの位置も攻撃も完全に分かっているようだった。そして二人とも、さりげなくあたしを守ってサポートしてくれている。

 二人が攻略組のトッププレーヤーだからというだけじゃない、二人の間に深い絆を感じた。

「ちょっとメテオシャワーを試すね。ジーク」

 コーがジークリードに初めて戦闘中に声をかけた。

「K」

 コーは後ろに下がって炸裂弾を握りしめて投擲スキルを立ち上げた。狭い洞窟ではわざわざスリングを使う必要がないという判断だろう。

「いくよー。ヤァ!」

 コーの気合の声で炸裂弾は投じられ、ラットマンの上でその名の通り炸裂して光の雨を降らせ、一面に湧いていたラットマンの全身にダメージエフェクトが輝いた。

「おー」

 ついあたしの口から感嘆の声が漏れた。まるで花火みたいでものすごく綺麗だ。洞窟内がその光で明るくなって視界が一瞬奪われた。

「……あれ? ヒットポイント減ってなくない?」

 コーがそう疑問の声を上げた。

 確かにラットマンのヒットポイントがほとんど減ってない。

「もう一回!」

 コーが再び炸裂弾を投げ、ラットマンがダメージエフェクトで輝いた。が、結果は同じ。ヒットポイントはほとんど減らなかった。

 落胆したのかコーの深いため息が聞こえた。

「リズ」

 コーの声が平坦になった。あたしはそんな声を聞いたことがなくてぞっとした。「ちょっとごめん。こいつらちょっと僕一人でやっちゃうね」

「う、うん」

 その『やっちゃう』って『殺っちゃう』っていう意味だよね。っていうか拒否権なさそう。

「すみませんねぇ」

 ジークリードが苦笑を浮かべてため息をつくとあたしの隣に立った。

 コーは『茅場の馬鹿野郎!』なんて叫びながら槍を握りしめてラットマンの群れに突撃して次々と屠っていった。

「うわー」

 コーのあまりの狂戦士ぶりについ、あたしの口から嘆きの声が漏れてしまった。

「全滅させれば落ち着くと思いますんで、ごめんなさいね」

 ジークリードが頭をかきながらあたしに謝罪した。

「いえ、ジークリードさんのせいじゃありませんから」

 あたしはそう答えながら改めて彼の顔を見上げた。

 優しくコーを見つめる瞳にあたしの心まで温められた。コーは彼氏と言ってたけどきっとそれ以上の存在なのだろう。多分最前線という環境が二人の距離を縮めて結びつけているんだ。

「コーとジークリードさんっていつ知り合ったの?」

「ベータテストの時からです」

 ジークリードはコーから目を離さずに答えた。「本サービスが始まってからずっと一緒です」

「へー。じゃあ、リアルで知り合いだったり?」

「いえいえ。リアルの事は全然知りません。リアルで知ってる情報と言えば彼女の姿だけですね」

 ジークリードはクスリと笑った。

「お互いが好きならリアルの事も話せばいいのに」

「そうですね。そうできたらいいですね」

 ジークリードは少し寂しげに微笑みを浮かべた。「でも、最近はこっちの世界が現実ならよかったのにって思っちゃいますよ。廃人ですよね」

「まあ、それは仕方ないんじゃない? 強制的に10カ月連続ゲームしっぱなしなんだから、みんなゲーム廃人だよ」

「ああ、そうですね」

「でも、リアルの名前ぐらい聞いといたら? コーは美人だからうかうかしてると他の男に取られちゃうかもよ」

「あ。ああ、それは考えたこともなかった」

 ジークリードの返事は上の空っていう感じだった。コーが最後のラットマンを倒した所で彼はコーに声をかけた。「お疲れ様。どう? 気は晴れた?」

「茅場を殺さないと気が晴れないかも」

 かなり物騒な事を言ってるけど表情は明るかったので大丈夫……とあたしは信じたい。

「えっと、インゴットが出るのはもうちょっと奥ですか?」

 ジークリードがあたしに確認してきた。

「うん。もうちょっと先だね」

「じゃ、出発!」

 コーが明るく言った。商売してる間には全然気づかなかったけど、彼女の感情の起伏はかなり激しい。こりゃあ、ジークリードさんは大変だ。あたしは心の中でクスリと笑った。

 あたしたちはさらに洞窟の奥に向かった。

 

 

 

 洞窟の行き止まりに白く輝く立派な鍾乳石があった。ここが情報にあったインゴットの掘りポイントだ。

「ここだ、ここだ」

 あたしはつるはしを装備して掘り始めた。

「じゃ、僕たちはここで見張ってるね」

 コーがにっこりと微笑んだ。

「ごめんねー。お願いします」

「あいおー」

 コーの明るい返事を聞きながらあたしはざくざくと掘り進めた。30回に1回ペースであたしのアイテムストレージにインゴットがたまって行く。これがリアルだったらあたしの両腕はパンパンに筋肉がついてゴリラ女になってしまう所だ。こういう所はゲームで良かったって思う。

「え?」

 突然、背中に衝撃が走って、あたしは全身の力が抜けて倒れてしまった。慌てて自分のヒットポイントバーを確認すると緑の枠が点滅していた。

(麻痺!)

 視線を背後に向けるとオレンジ色のカーソルが5つぐらい見えた。

 PK! あたしの心に冷水が浴びせられた。

「ジーク!」

 コーの鋭い叫びが響いた。

「キュア!」

 ジークリードが背中に突き刺さっていたダガーナイフを抜き捨てると、解毒結晶であたしの麻痺状態を回復してくれた。「転移結晶で逃げてください。援護します」

「でも!」

 転移結晶はコマンドを唱えてすぐに転移できるわけではない。転移が完了するまで無防備になるし、最悪攻撃を受ける事で転移がキャンセルになってしまう。二人はあたしを転移させるために戦うつもりなんだ。でも、こんなところに二人を置いていけない。

「急いで! リズがいたら思いっきり戦えないから」

 コーが地面に転がる石を次々と投擲スキルで投げながらあたしに言った。

「さあ」

 ジークリードがあたしに転移結晶を押し付けて対毒ポーションを飲むと、すぐに振りかえってコーの援護に向かった。

「こいつ閃光じゃねえ! 黒毛のほうじゃねぇか! しっかり調べろ!」

 オレンジネームの叫びが聞こえた。

「人を和牛みたいに呼ぶな!」

 コーが炸裂弾を投げて目の前がまばゆく輝いた。コーが作ってくれた転移のチャンスを逃してはならない。

「転移! ミーシェ!」

 あたしは唇をかみしめてコマンドを唱えた。周りの風景が光に溶けていった。

(コー。無事に帰ってきて)

 祈る事しかできない自分がとても悲しかった。

 やがて目の前の風景がのどかな街並みに変わった。あたしはミーシェの転移門から2,3歩歩いて恐怖のあまり足がすくんで崩れるように座り込んでしまった。

 心臓が早鐘のように高鳴っている。もし一人だったら間違いなくあたしは殺されていた。

 コーは大丈夫だろうか。あたしのせいで彼女が死んでしまったらどうしよう。目に涙が浮かんでくるのをあたしは必死に抑え込む。ログイン初日にあの茅場の言葉にショックを受けて泣き叫んで以来、もうあたしは泣かないと心に決めたのだ。唇をかみしめてあたしは涙と心をしめつける感情にあらがった。

「リズ?」

 振り返ると転移門からアスナが駆け寄ってきた。「1人? どうしたの?」

「アスナ!」

 あたしはアスナの胸に飛び込んでしがみついた。「どうしよう。コーが! コーが!」

「落ち着いて。何があったの?」

 アスナが優しくあたしの頭を撫でながら尋ねた。

「鉱山でPKに襲われたの。コーはあたしのために残って……」

 涙でよく見えなかったけれど、アスナの瞳にPKに対する怒りが燃え上がるのを感じた。

「わかった。リズはここで待ってて。絶対、来ちゃだめよ」

 アスナはあたしの肩を叩いて、メッセージを送ると信じられないスピードで鉱山へ向かって走りだした。

(アスナ……どうか間に合って……)

 あたしは手を組んで神様に祈った。

 あたしがあんな所に連れて行かなければ。それ以前にコーの護衛の申し出を断っていれば……。いろいろな後悔があたしの心を苛んだ。

 しばらくしてから厳しい表情をした血盟騎士団のメンバーが次々と転移門から現れ鉱山の方角へ走って行った。

 

 

 

 あたしは地面を見つめ、粛然としてコーの帰りを待ち続けた。

「やっぱりさあ、職人クラスの人を守る仕組みが必要じゃないかって思うよ~」

 遠くから明るいコーの声が聞こえた。顔を上げるとコーとアスナを中心にして血盟騎士団の集団がこちらに歩いてきていた。

(よかった。無事だったんだ!)

 あたしは無我夢中でコーへ駆け寄った。

「コー! よかった!」

 あたしはコー両手を取った。

「リズ。怖い思いさせてごめんね。隠蔽スキルと忍び足スキル使ってたらしくて、全然気づかなかった。本当にごめん」

 コーは本当にすまなそうに頭を下げた。

「そんな事ない。あたしばかり安全なところに逃げて、コーばかりに戦わせちゃって」

「そんな事ないよ」

 コーは優しく笑顔を浮かべてあたしの右手を彼女の胸に当てた。ひんやりとした鎧の冷たさが伝わってきた。「リズはちゃんと一緒に戦ってくれたよ」

「え?」

「この鎧。リズが作ってくれたでしょ。いつも僕を守って、一緒に戦ってくれてるよ」

 鎧は冷たいのにコーの言葉にあたしの心は温められた。「ほら、アスナの鎧も剣も、ジークの剣も盾も。リズが作ってくれたものだよ。リズはいつも僕たちと戦ってくれてるんだよ。ね。アスナ」

「そうよ」

 アスナがあたしの左肩を優しく叩いた。「リズが一緒にいてくれるから、わたしたちは戦えるのよ。だから、そんなふうに自分を責めなくていいのよ」

 親友と友達の言葉があたしの心をふんわりと温めてくれた。あたしは右腕にコー、左腕にアスナを抱きしめた。

「二人とも大好き!」

 無事に帰って来てくれた安堵感と嬉しい言葉で涙があふれて頬を流れた。

 もう、泣かないって決めてたけど、これは嬉し泣きだからノーカン!

 こんなに暖かい友達がいるんだもの。いつか絶対、このデスゲームをクリアしてあたしたちは帰れる。

 そんな確信を感じながら、あたしは両腕の友人をぎゅっと抱きしめた。




まさかのリズベット視点です。楽しんでいただけたら幸いです。

そして、コートニーとジークリードの絡みに期待していた方々申し訳ありません。今回はラブシーンはなしですorz

それにしても、リズベットさん。コートニーの身を案ずるあまりジークリードさんの心配を全くしてませんね。ジークリードさん、カワイソス。
コートニーさんの女子力向上に歯止めがかかりません。こちらはオソロシス。

次は長くなりそうなので、また1週間ぐらいあくかもです。次はいよいよ……むふっ。


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第17話 サプライズ×サプライズ!【コートニー7】

 第38層ボスを倒した次の日、僕たち血盟騎士団メンバー25名は第39層の主街区にある一軒家の前に集まった。

「ほな。ここでええですな?」

 ダイゼンが僕たち全員を見渡して確認した。

 全員が頷いたのを見て、ダイゼンはこの家の購入ボタンを押した。そして、その後しばらく家のメニューを操作していた。恐らくギルドハウスとして使用するための設定をしていると思われた。

 そう、ここが新しい血盟騎士団のギルドハウスになるのだ。ヒースクリフ邸の一室から一戸建て住宅に大出世だ。ここ、第39層は緑豊かで田舎町のような雰囲気の主街区だ。その転送門近くの一等地の売家はとても気持ちが落ち着く2階建ての木造建築であった。

「設定終わりました」

 ダイゼンはそう言って家の扉を開いて中に入って行った。

「おお」

 歓声が上がり、僕たちはぞろぞろと中に入った。

「結構、いいんじゃない?」

 僕の隣でアスナが暖炉を見つめながら呟いた。「なんかあったかい田舎の家って感じ」

「うん」

 と、僕が答えるとアスナは驚いて見返してきた。

「あ、聞こえてた?」

 アスナが恥ずかしそうに口に手を当てた。

「なんか、帰ってきたーって感じがする家だよね」

「そうね。家具とか入れて、もっと温かい雰囲気を出すようにしたいな」

 アスナは優しい瞳で部屋を見渡した。

「それですが。金が……思ったよりここが高うて……あまりたくさん買えないかも知れまへん」

 ダイゼンが僕たちの会話に入り込んできた。

「それならさ、ギルドハウス披露パーティーとかやらない?」

 僕は頭の中に閃いた言葉をそのまま口にした。

「披露パーティー? 誰に披露するの?」

「連絡がつく攻略組ギルドの人たちに会費払って来てもらうの」

「そんなのお金払ってまで来てくれるものかな?」

 アスナが首をかしげた。

「多分、大丈夫」

 僕は振り返って部屋にいるメンバー全員に声をかけた。「みんな! アスナの手料理が食べれるとしたらいくら払う? あと、アスナとお話しする権利もつけちゃうぞ!」

「ちょっと、コー。何を言ってるのよ」

 アスナがあわてて僕の腕を引っ張った。

「副団長の手料理アンドお話しする権利……ごくり」

 プッチーニがよだれをたらさんばかりにつばを飲み込んだ。

「食事の量にもよりますけど、5000コルぐらい払ってもいいな」

 マティアスが腕を組んで頷いた。

「6000コル」

「じゃあ、7500」

「8000」

 なんか、オークションみたくなってきたぞ。僕はみんなのノリの良さに感心してしまった。

「ちょっと、みんな……」

 アスナがあきれてため息をついた。「今のはコーが勝手に言った事ですからね! 本気にしないように!」

「えー」

 本当に残念そうな声があちこちから上がった。

「意外と行けるかもしれまへんな」

 ダイゼンが顎に手を当てて考え始めた。

「もう、ダイゼンさんまで」

「アスナが一肌脱げば、一気に財政問題解決かもよ」

 僕は笑いながらアスナの肩を叩いた。

「なんか、学園祭の模擬店みたいで楽しそうだね」

 今まで黙ってたジークがニコニコしながら言った。

(学園祭の模擬店……。ジークはリアルでは高校生だったのかな。やっぱり年上なのかな)

 僕はジークの笑顔を見つめながら考えた。ひょっとすると私学の中学で学園祭をやっているのかも知れない。けれど、ジークはかなりしっかりした男子だから高校3年生ぐらいかも知れない。

「なかなか面白そうだな」

 いつの間にかゴドフリーが会話の中に入ってきた。「どうだ、ダイゼン。うまくいきそうか?」

「副団長の知名度があればできそうですな」

 きっとダイゼンの頭の中ではそろばんがパチパチなっているのだろう。左の掌を右の人差し指でつつきながらダイゼンは考えている。「ギルドハウス自体にはたくさん人が入れませんが、外は広いですし……」

「ちょっと、二人とも」

 アスナがゴドフリーとダイゼンの二人を交互に見て抗議の声をあげた。

「いいじゃん。スキル上げにもなるよ」

 僕はニヤニヤしながらアスナに追い打ちをかけた。

「コー!」

 アスナがすねた表情で僕の肩を叩いた。

「やってみるといい」

 知らぬ間にヒースクリフまで話の輪に加わってきた。「ダイゼンを中心にアスナ君、コートニー君が実行委員をやればいい」

「え?」

 僕はヒースクリフの言葉に絶句してしまった。実行委員って……思わぬ所で足元をすくわれた。

「こういうのは言いだしっぺがやらなきゃな」

 ゴドフリーがガハハと笑って僕の背中を叩いた。

「なんでわたしが」

 アスナが鋭い視線をヒースクリフ向けて抗議した。

「私の代わりだ。副団長としてイベントを盛り上げてはどうかね?」

「団長はこういう事、まったくやりませんよね」

 アスナは腕を組んで恨めしそうにヒースクリフを睨みつけた。

「人には向き不向きというものがあるからね」

 美しく響くテノールの声で余裕たっぷりにヒースクリフは答えた。「ダイゼン。詳細が決まったら報告してくれたまえ」

 それだけを言い残してヒースクリフは華麗に身を翻して奥の部屋に消えた。

「へい」

「もう。コーのバカ」

 ヒースクリフに見事にはぐらかされたアスナが団長に向けていた鋭い視線を僕に向けてきた。

「僕も泣きたいよ」

 まさか自分が実行委員にされてしまうなんて思いもよらなかったので肩を落とした。そんな僕を見てアスナは表情を崩してクスリと笑った。

「まあ、自業自得だね」

 くつくつと笑いながらジークが僕の肩に手を置いた。

「何言ってるのジーク」

 ジークの言葉にカチンときて声が平坦になった。「君も手伝うんだよ」

「えええぇぇ!」

 ジークが声を裏返して驚いたのでかなり溜飲が下がった。

「ずっと一緒にいてくれるって言ったじゃん」

 僕はわざとらしく甘い声で言ってジークの左腕に抱きついた。

「いやいや、そういう意味じゃないし」

「ナイスツッコミ!」

 僕は笑顔でジークの頬をつついた。

「じゃあ、詳細は後で連絡しますわ」

 ダイゼンがそう言ってヒースクリフと打ち合わせを始めようと奥の部屋へ通じる扉を開けた。

「待って、ダイゼン。一応、言っておきますけど、わたしたちは攻略優先ですからね。披露パーティーに重点を置かないように考えてください」

 アスナは厳しい口調でダイゼンに言い渡した。そうだった。アスナは攻略の鬼だったのだ。

「分かりました」

 見るのも気の毒なくらい肩を落としてダイゼンは扉の向こうに姿を消した。

「アスナ。怒ってる?」

 僕は心配になってアスナの顔を覗き込んだ。

「いい、コー。息抜きも必要だけれども、わたしたちの目的を忘れちゃだめ。こっちで1日無駄にしたら現実世界の1日が失われるんだからね。二人とも早く現実世界で会いたいでしょ?」

 アスナは僕とジークを交互に見て鋭い口調で言った。

 もし、ジークが本当の僕の姿と性別を知ったら……。こんなふうに一緒に過ごせないだろう。

 僕は不安な気持ちでジークを見上げた。僕の気持ちが伝染したのかジークはなにやら心細そうな瞳で見返してきた。

「そうだね!」

 僕は自分の不安な気持ちを吹き飛ばすように明るく言って、ジークの手を握った。「もし、無事に戻れたら血盟騎士団でオフ会やろうね!」

「それはいいね」

 笑いながらジークは答えてくれた。でも、その瞳には何故だかまだ不安の色が残っていた。

 

 

 

 2日後、今日のフィールド探索を終えて僕たちがギルドハウスに戻るとダイゼンが待ち構えていた。

「おかえりなさい」

 ダイゼンがにっこり笑った。「計画書、作ったさかい、見てほしいんやけど」

「じゃあ、わたしの部屋で」

 アスナは一つ息をはいて、逃がさないわよと言わんばかりに僕の左手を取った。

「う……」

「一緒に聞いてくれるわよね。コー」

 アスナは僕の左手をぎゅっと握りしめてニヤリと笑いかけてきた。

「う、うん。もちろんだよ」

 僕は頷きながらギルドハウスの中に視線を走らせた。「ジーク! 逃げんな!」

「はいはい」

 ジークは逃亡に失敗して渋い表情でとぼとぼとやってきた。僕とアスナはそんな姿を見て顔を見合わせて笑ってしまった。

 

 

 僕たちは2階の副団長室に場所を移した。

 ダイゼンは応接セットのソファーに座った僕たちに計画書を渡してそれにそって説明をした。

「すごいわね。ダイゼン」

 ダイゼンの説明を聞き終わってから、ぱらぱらと計画書に目を通してアスナが言った。

 確かにこの計画書はすばらしい出来だった。

 冒頭には披露パーティーの目的と意義なんて書いてあって、スケジュール、団員の仕事の割り振り、価格設定の違いによる損益分岐点と経費の計算、利益計画まで書いてあって、まったくケチがつけられそうもなかった。

「いやあ。リアルを思い出したで」

 ダイゼンは高笑いをしながら頭をかいた。「で、おもてなしをやる時にこの制服のまんまでええのかと思いましてな。ご相談というわけや」

「血盟騎士団のイベントなんだからこの服でいいんじゃない?」

 アスナが腕を組んで鼻を鳴らした。

「ジークはリアルで模擬店やったことあるの? どうだったの?」

 僕は隣に座ったジークに視線を向けて尋ねた。

「あー、メイド服着たなあ」

 ジークは思い出すように上の方を見上げながら呟くように答えた。

「えええっ! 女装したの?」

 僕はジークのメイド姿を想像して思わず笑ってしまった。

「あ! ごめん、言い間違えた。メイド服着てたのは女子。男子はウェイターの格好だったよ」

「え? 普通、学園祭の模擬店って制服じゃないの?」

 アスナが首を傾げてジークに尋ねた。

「ウチは被服部と合同だったんだ」

「なるほどね」

「ダイゼンさんの事だから、どちらの方が儲かるかなんて考えてるんじゃない?」

 僕は体重でソファーがつぶれそうになってるダイゼンを横目で見た。

「コートニーはんにはかないまへんな。副団長とコートニーはんが可愛らしい服を着るとなれば集客力は段違いでっしゃろな。水着ならさらに……」

 ダイゼンが余計な言葉を続けそうだったので、僕は投擲スキルで石を投げつけてやった。「ぐあっ!」という声と共にダイゼンはソファーごとひっくり返った。いい気味だ。

「水着はありませんからね」

 アスナはひっくり返ったダイゼンに冷ややかな視線を投げかけた。

「じゃあ、メイド服?」

「コー。わたしが着るという事はあなたも着るのよ。分かってる?」

「いいじゃん。メイド服ぐらい。きっと、この制服より露出度は低いよ」

「ほな、服を作ってくれそな人を知ってまっしゃろか?」

 ダイゼンは腰をさすりながらソファーを元に戻して座りなおした。

「アシュレイさんとフレンドだけど、レア素材持っていかないとなかなか作ってもらえないからなあ」

 アスナはため息をついて頬杖をついた。アシュレイと言えば縫製スキルをアインクラッドで最初にコンプリートしたカリスマ縫製師だ。服を作ってもらうのはかなりの順番待ちになっているという噂だ。

「あ、じゃあ、僕のフレンドに聞いてみるよ。ダイゼンさん、服の予算はどれぐらいにすればいい?」

「材料先方持ちで1着4000コルぐらいでんな」

 打てば響くという感じの即答だった。すでにダイゼンの頭の中では色々なシミュレーションが終わっているのだろう。なかなかできた人だ。

 僕はフレンドメニューでルーシーの位置を確認した。彼女は今この層の主街区広場にいた。恐らく、商売をしているのだろう。

「今、ここの層の広場にいるよ。早速話してみようか?」

「ほな、この計画でええでしゃろか?」

「そうね」

 アスナは計画書をめくりながら考えた。「開催日はフィールドボス戦の日にしましょう。フィールドボス戦を終えた後のほうが盛り上がるでしょ」

「なるほど。ほな、それで」

 ダイゼンが立ち上がり、僕たちもそれに続いて立ち上がった。

「じゃあ、僕、ルーシーに会って服の相談してくるね。アスナも一緒に行く?」

「うん。そうしようかな」

「ジークは一緒に来るんだよ」

 僕はジークの左手を取った。

「私は強制?」

「男の子の意見も聞かないとね」

「ああ、そういう事」

 ジークは苦笑してため息をついた。

 

 

 「ルーシー!」

 僕は広場にいるルーシーを見つけると手を振って駆け寄った。

「コートニーちゃん」

 今日のルーシーは明るい空色のドレスを身にまとっていた。

「紹介するね。こちら血盟騎士団のアスナ」

 僕は後ろにいたアスナに手を向けて紹介し、続いてルーシーに手を向けた。「こちら、裁縫屋のルーシーレイさん」

「よろしく。アスナさん。お近づきになれてとても嬉しいわ」

 ルーシーはにこやかに笑顔をアスナに向けて握手を求めた。

「こちらこそ」

 アスナも微笑みながらその手を取った。「お名前からして、アシュレイさんとなにか関係が?」

「レイつながりでよく聞かれるけど、無関係よ。あたしのライバル」

 ルーシーはクスリと笑って、片目をつぶった。そして、僕に視線を移した。「そうそう、あたしも紹介したい人がいるの」

「え?」

「こちら、あたしの旦那様」

 ルーシーは右側に座っている強面の偉丈夫に抱きついた。「クリシュナっていうの。細工と大工をやってるの。やっと商売できるレベルまで上がったから連れてきたの」

「ええええええ! ルーシー結婚してたの?」

 僕は声を上げて驚いた。ルーシーが結婚しているというのも驚きだが、その相手の名前にも驚いた。

「リアルで婚約してたから、どうせこの世界から出れないなら結婚しちゃおうかなって」

 ルーシーは笑顔でクリシュナに抱きつくと、強面の彼の顔が一気に緩んだ。

「クリシュナさん……もしかして、ベータテストでも同じ名前でプレイしてなかったですか?」

 僕はクリシュナの顔を見つめながら聞いた。ベータテストで出会ったあのクリシュナなのだろうか? 確か、彼は少年のようなアバターを使っていたのだが……。

「ああ。ちょっとしかやらなかったがな」

 クリシュナはあごひげを撫でながら言った。「最初の2週間ぐらいかな。その後、仕事が忙しくなっちゃってなあ。そのまま忙しければ、こんなくそ忌々しいゲームにインしなくて済んだんだがなあ。日曜日だからって二人してインしたらこのザマさ」

「すぎちゃった事をいつまでもぐずぐず言わない!」

 ルーシーはクリシュナの頭を軽く叩きながら笑った。どうやらクリシュナは姿に似合わずルーシーの尻にひかれているようだ。

「多分、僕、ベータテストで一緒にプレイした事があるよ。その2週間は最前線にいたでしょ?」

 僕は確信を持って尋ねた。「その時、僕はシベリウスっていう名前でやってたんだよ。覚えてないかなあ?」

「うーん。ああ。でもあの時は男の子のアバターだったよね」

 クリシュナは目をつぶって記憶をたどって思い出したようだ。「ふーん。中の人がこれほど美人さんだったとはなあ」

「何を見てるのかなあ?」

 ルーシーがクリシュナの頬をつねった。

「おいおい。俺、子供に興味はないぜ」

 クリシュナはあわてて頬をつねっていたルーシーの手を取った。

「僕もあの子供のアバターにこんな強そうなおじさんが入ってるとは思わなかったよ」

 二人のやり取りが面白くて僕はクスリと笑いながら言った。

「おじさんっていう年じゃないんだがなあ」

 クリシュナはため息をついて肩を落とした。

「いいじゃない。お・じ・さ・ま」

 クスクス笑いながらルーシーはクリシュナの肩を叩いた。

「あ、そうそう。今度、血盟騎士団でイベントやろうと思ってるんだけど、1着3000コルぐらいでメイド服とかウェイターの服とか作ってもらえるかなあ?」

 僕は首を傾げてルーシーに尋ねた。

「あら。いいお話!」

 ルーシーは満面の笑みを見せた。「詳しく聴かせて」

 僕とアスナがルーシーに詳しい説明をしている間、ジークとクリシュナが少し離れた場所で何やら話をしていた。やっぱり、男同士の方が話が合うのだろう。

 ルーシーは僕らの話を聞いてスケッチブックにメイド服とウェイター服のラフ絵を書いてくれた。

 あまり乗り気でなかったはずのアスナがあれこれと服の意見を出して最後にはノリノリになっている姿に僕は可笑しくなってくつくつと笑ってしまった。

「何を笑ってるの?」

 アスナが僕に首を傾げて聞いてきた。

「だって、さっきまで乗り気じゃなかったのに、すごい真剣だから」

「どうせなら可愛い服を着たいじゃない」

 アスナは頬を膨らませた。

「そうだね」

「おまかせあれー」

 ルーシーは明るく言った。「じゃあ、メイド服は2着。ウェイター服は23着ね。二日あれば出来上がると思うわ」

「いいの? 団長にも着せるつもり?」

 僕はアスナの肩に手を置いて尋ねた。ウェイター服が23着という事はヒースクリフの分も含んだ数だ。あのヒースクリフがウェイター服を着てくれるとはとても思えない。

「絶対、着せてやるわ」

 力強くアスナは断言した。「こんな仕事を押し付けたんだから、少しは働いてもらわないと」

 僕はウェイター姿のヒースクリフを想像しようとして失敗した。どうしてもイメージがわかない。

「じゃあ、わたしともフレンド登録してください。ルーシーレイさん」

「はーい」

 ルーシーはメインメニューを操作してアスナとフレンド登録を交わした。

「二日もあればできると思うけど、できあがったらどちらに連絡すればいいのかしら?」

 ルーシーは僕とアスナを交互に見ながら尋ねてきた。

「じゃあ、わたしに」

 アスナは自分の胸に手をやりながら答えた。

「承知いたしました」

「よろしくお願いします」

 アスナとルーシーは笑顔で握手を交わした。商談成立だ。

「おーい。ジーク。帰るよ」

 僕は離れた場所にいたジークに声をかけた。ジークとクリシュナは何やらメインメニューを操作しているようだった。恐らく、フレンド登録をしていたのだろう。

「はーい」

 ジークは僕に返事をしてからクリシュナに頭を下げてこちらに走ってきた。

「何の話をしてたの?」

「え?」

 ジークは僕の質問になぜか焦ってどぎまぎしていた。「な、なんでもないよ」

「男同士の会話ってやつ?」

 アスナがにやりと笑ってジークの顔を覗き込んだ。

「まあ、そんなところです」

 ジークはアスナから視線をそらした。「あ、副団長。しあさってなんですが、私とコーをオフにしていただきたいんですけど、よろしいでしょうか? 難しいようなら午後からオフでも……」

 ジークの『しあさって』という言葉で僕はドキリとして鼓動が早くなった。

「え? なんで?」

 アスナは不思議そうにジークに聞き返した。

 ジークは僕を見つめてきた。『話してもいい?』という問いかけだ。僕はゆっくりと頷いた。

「しあさってはコーの誕生日なんです」

「そうなんだ! そういう事ならもちろんOKよ。コーを盛大にお祝いしてあげて!」

 アスナはにっこりと笑ってから手を振った。「じゃ、わたしはこれで帰るわね」

「ありがとう、アスナ」

 僕も手を振りかえすとアスナが思い出したように近づいてきて耳元で囁いた。

「いい誕生日になるといいわね。いっぱい彼に甘えてね」

「アスナ!」

 アスナの言葉につい僕は大声を上げてしまった。顔が妙に熱い。きっと頬は真っ赤に染まっているだろう。

「じゃ。おやすみ~」

 アスナは手を振ってギルドハウスへ向かって走って行った。

「何を言われたの?」

 ジークが僕に聞いてきた。

「何でもない!」

 僕は頬の熱を冷ますために頬を扇ぐように両手をばたつかせた。「僕たちも帰ろう」

 僕は宿屋に足を向けた。

「そうだね」

 ジークは優しく微笑んで僕のすぐ隣に並んで歩いた。僕は条件反射のように彼の左腕を取った。

「ジーク。しあさって、どうせだから家を見に行かない? 結構お金もたまったし、もう買えるんじゃないかな?」

「ああ、そうだね。そうしようか」

 そう言う優しいジークの顔を見て僕はにっこりと笑った。僕の顔を見てジークが不思議そうに問いかけた。「なに?」

「しあさってがすごい楽しみだなって!」

「あんまりハードル上げないでくれよ」

 ジークは目をそらして頭をかいた。

「ハードル? 棒高跳びぐらい僕は期待してるよ」

「うわあ。それは高すぎ」

 ジークの渋い表情を見て、僕は笑いながら宿屋の入り口をくぐった。

 

 

 

 次の日、ギルドハウスに到着するとパーティーメンバーに変更があった。ゴドフリーのパーティーのセルバンテスとアスナのパーティーのアランが入れ替わったのだ。

「今回の入れ替え、なにかあったの?」

 僕が入団して以来、ほとんど固定されていたパーティーメンバーが入れ替わったのでアスナに理由を聞いてみた。

「んー。ゴドフリーがアランが必要だって言うのよね。なんだろうね?」

 アスナが楽しそうに言った。

(これは何かある)

 僕の女の勘、もとい、男の勘がそう告げている。

「アスナ。なにか隠してない?」

 鎌をかけてもはぐらかされそうなので、僕は単刀直入に聞いた。

「なんにも隠してないわ。何が気になるの?」

 そう言いながらアスナはうふふと笑った。

「その笑いがすごーく気になるんですけど?」

「あら、わたしは笑っちゃいけないの?」

 アスナはきりっと表情を改めたが目が笑っている。

「何か隠してるって事はわかった」

 僕は腕を組んでアスナを睨みつけた。

「怖い目をしないでよ」

 アスナは余裕たっぷりに微笑むと手を二つ叩いた。「さあ、出発しましょ。今日中にフィールドボスの場所を特定しましょ」

「うー」

 ふわりとアスナにかわされ、僕は唸る事しかできなかった。

 結局、フィールドボスは次の日、聖竜連合のパーティーが場所を特定した。そして、その翌日、つまり、僕の誕生日の日にフィールドボス攻略会議が攻略ギルド間で行われることになり、結局その日はオフになった。

 

 

 

 9月27日。僕は16回目の誕生日を迎えた。

 8時のアラームで目を覚まして、僕はベッドからもぞもぞと起きて隣のベッドを見た。

「おはよう。コー」

 ジークはすでに着替えを済ませてベッドの上に腰かけていた。「誕生日おめでとう」

「ありがとう」

 僕は再び布団をかぶって、中でオフ用の普段着に着替えて起き上がった。「よし。いこっか」

「うん」

「今日はどうする?」

 外に出た僕は大きく伸びをしてからジークに尋ねた。

「まず、家探しからやってみる? 私たちの貯金だと多分タフトより下の層じゃないと買えないと思うけど」

 ジークは自然に僕の右手を取ってNPCの厩舎へ向かって歩き始めた。

「OK」

 僕はその手を握りかえしながら笑顔を向けた。「でも、厩舎付きの家なんて売りがあるのかなあ?」

「まあ、厩舎じゃなくても空いてる部屋をヴィクトリアの部屋にしちゃえばいいような気がする」

 僕たちはあれこれ家の事を話しながら歩いた。

 

 その後、僕たちはユニコーンのヴィクトリアに乗ってタフトから家探しを始めた。

 売りに出ている家はその層のNPC不動産で確認ができる。そして、上の階層ほど同じような物件でも高くなる。僕たちはタフトの第11層から順番に下がって行き第8層のフリーベンで手ごろな、というより一目ぼれする物件に出会った。

「これ、よくない?」

 僕はやや興奮気味に言った。

「いいね! いいね!」

 ジークも目を輝かせて赤い屋根の木造平屋建ての家を見つめた。

「厩舎もあるし!」

「お金も足りてるし!」

 僕たちは顔を見合わせて頷きあった。「買っちゃおうか!」

「うんうん」

 僕が同意すると、ジークは家の購入メニューを開いたところで手を止めて固まった。「どうしたの?」

「コーと一緒に購入ボタンを押したいけど、無理だよね」

 ジークは首を傾げて考え込んだ。確かに、今お金はジークが持っているし、同時に押したらシステム上どういう処理がされるか分からない。万が一僕の方が優先され『お金が足りません』なんてメッセージが出たら興ざめだ。

「じゃあ、こうしよう」

 僕はジークの右手を握って購入ボタンに導いた。

「いいね!」

 ジークはにっこりと微笑んだ。「じゃ、買うよ」

「「せーの」」

 声を合わせて購入ボタンを押した。

 僕にはなにも変化がなかったが、きっとジークには支払いの音と【家を購入しました】というシステムメッセージが流れたはずだ。

「買えた?」

「うん!」

「やったー!」

 僕とジークはハイタッチを交わした。

「ちょっと待っててね。設定するから」

 ジークはそう言って、ハウスメニューの操作を始めた。

【家の副管理者になりました】

 そういうシステムメッセージが流れた。

「訪問可能設定はフレンドまででいいよね?」

「うん」

 これで、僕たちのフレンド以外は家に入る事ができなくなる。

「じゃ、中に入ろう」

 ジークはヴィクトリアを厩舎につなぐと、僕の手を取ってドアを開けた。

「おお。中もいいね!」

 僕は家の中を走り回った。「家具も買わないとね」

「どうしようか?」

「ここをリビングにして、こっちを寝室にして」

 僕は二つしかない部屋の割り振りを勝手に決めた。「あ、ごめん、勝手に決めちゃって」

「それでいいよ」

 ジークは優しい目で頷いてくれた。「家具買いにいこ!」

「うん!」

 僕は笑顔でジークの左腕を握った。

 

 その後、僕たちは家の内装を整えた。ジークと一緒にテーブルやイス、カーテン、ソファー、照明器具などを買いそろえて行った。

 こうやって一緒に買い物して、家具を家にセッティングしていく事がとても楽しくて僕はめちゃくちゃハイテンションになった。

 家に戻って家具の設置や内装がほぼ整う頃には外から夕日が射し込む時間になっていた。

「結局、一日かかっちゃったね」

「うん」

 ジークは考え込むような表情で頷いた。

「どこか気に入らない所があるの? それとも疲れた?」

 僕は首を傾げてジークの顔を覗き込むように視線を合わせて尋ねた。

「コー」

 ジークの声が震えていた。彼は何やら緊張しているようだった。「誕生日プレゼント……。受け取ってもらえるかな?」

「ああ。すっかり忘れちゃってたよ」

 僕は家の購入と家具をそろえるだけで十分満たされていたので自分の誕生日の事を忘れてしまっていた。それにしても、誕生日プレゼントを渡すだけでジークが緊張しているのだろうか? そんな姿がなんだか可愛らしい。

 ジークはメインメニューを操作して水色の結晶アイテムを実体化させた。色からして転移結晶かと思ったが大きさが違う。回廊結晶だ。

「コリドーオープン」

 ジークがコマンドを唱えると回廊結晶が砕け、青く輝く波打つ光が現れた。

「ジーク。回廊結晶なんて……」

 回廊結晶はかなりのレアアイテムなのに誕生日だからといって簡単に使っていい物なのだろうか。僕は驚きのあまりその場で固まってしまった。

「コー。一緒に来て」

 ジークは僕の右手を取って一緒に光の門をくぐった。

 視界が一瞬光で奪われた。視界が元に戻ると目の前に夕日に燃える美しい街並みが飛び込んできた。

「わあ」

 僕の口からため息のような歓声が漏れた。この風景は見覚えがあった。というより忘れるはずはない。ここは第26層の鐘楼の天辺だ。

 あの時と同じ風景だ。形があるものじゃないけど、これは僕にとって最高のプレゼントだ。僕は鐘楼を一周しながらこの風景を目に焼き付けていると感動で涙があふれてきてしまった。

「ジーク。ありがとう。最高のプレゼントだよ」

 僕は涙をぬぐってからジークの手を取った。

 ジークは真剣な表情でその場にひざまずいた。

「何?」

 僕は首を傾げてジークを見降ろした。

 突然鐘が鳴った。6時を知らせる時鐘だ。

 ジークは僕に向かって何やらしゃべっていたが、なにも聞き取れなかった。

 やがて時鐘は鳴りやんだ。

「何を言ってたの?」

 僕は答えが分かっていたけど尋ねてみた。

「私とコーの関係が壊れる秘密」

 ほろ苦い表情でジークは僕の予想通りの答えを言った。

「僕の真似?」

 僕の言葉にジークは頷いて真剣な眼差しを向けてきた。

「私はコーを騙してる。この事を知ったらきっとコーは私を許してくれないと思う」

「やめてジーク」

 ジークの言葉に僕は不安に駆られて、彼の両手をぎゅっと握りしめた。

「けれど、私のこの気持ちは信じてほしい。私はコーとずっと一緒にいたい」

 ジークは優しく僕の手をほどくとポケットから指輪ケースを取り出して開けた。美しい青色の宝石が輝く銀色の指輪がその中に納められていた。「結婚してください」

「え……」

 あまりの想定外の出来事に僕は絶句して頭の中が真っ白になった。

 数秒、いや1分ぐらいの時間が流れたかもしれない。僕はようやく自分を取り戻した。

「僕でいいの?」

 やっと口に出した言葉は震えていた。

 僕は男なのに。僕はジークを欺いているのに。そんな気持ちが僕を躊躇させた。

「うん。私にとってコーは一番の人。――コーは?」

「僕と同じことを言うなんてずるいよ。ジーク」

 半年ほど前に言った僕の言葉をそのままぶつけてきたので僕は抗議した。

 けれど本心では怒っていない。ジークの言葉が嬉しくてまた涙があふれてきた。

「ごめん」

 ジークが顔を伏せた。

「子供っぽくて無鉄砲な僕だけど、よろしくお願いします」

 僕はひざまずくジークの頭を抱きしめるように両手で支えて唇を重ねた。

 長い、長い口づけの後、ジークは僕の左手を優しく取って薬指に青い宝石の指輪を通してくれた。

 なんだか、夢のようで現実感がまったくない。誕生日にこんなサプライズが待っていたなんて。さっきから喜びで涙が止まらない。

「ありがとう」

 僕は左手をそっと自分の胸に抱いた。

「よかったあ!」

 ジークが突然大声を上げた。「めちゃくちゃ緊張した!」

「僕は心臓が止まっちゃうかと思ったよ」

 僕はジークに笑顔を向けた。

「ごめん」

 ジークは僕の頬に流れる涙をぬぐってくれた。「棒高跳びの高さはクリアした?」

「もう、宇宙に飛び出しちゃったよ」

 僕はクスリと笑って立ち上がって鐘楼の手すりから風景を眺めた。「今日の事、いつから考えたの?」

「前から考えてたんだけど、クリシュナさんと話をして決心したって感じかな」

 ジークも立ち上がると僕の右隣に立った。

「じゃあ、3日間で指輪と回廊結晶も用意したの?」

 僕はクスリと笑ってジークの顔を見上げた。

「うん。指輪はクリシュナさんに作ってもらって、回廊結晶はトレジャーボックスから」

「あ、じゃあ、アラン君がそっちのパーティーに行ったのって……」

「正解」

 ジークはにっこりと笑って言葉を継いだ。「ゴドフリーさんと副団長にメッセージを送ってお願いしたの」

「じゃあ、プロポーズを知らなかったのは僕だけ?」

 それじゃあ、僕がバカみたいだ。そう考えるとちょっと腹が立った。

「いや、誕生日プレゼントで回廊結晶を使うって話したから、プロポーズの事は誰も知らないよ」

 僕が咎める表情になったので慌ててジークは否定した。

「すごいね。ジークは」

 僕が逆の立場だったらこんなにいろいろ準備できただろうか? 指輪を用意して、ゴドフリーとアスナに回廊結晶を手に入れるための相談をして、この鐘楼に回廊結晶の出口設定をして、そして勇気をもってプロポーズする。僕にはとてもできそうになかった。

「褒めてる?」

「もちろん!」

 僕は鐘楼からの眺めをもう一度目に焼き付けた。絶対、この風景を忘れないようにしよう。

 僕はジークの腰に手を回して頭を彼の左肩に預けた。

 

 

 やがて日が沈み、あたりは暗くなってきた。

「帰ろっか」

 ジークが優しく声をかけてきた。

「うん」

 僕たちは腕を組んだまま階段を降りはじめた。

 僕は視線を感じて立ち止まった。

「どうしたの?」

 ジークが首を傾げて尋ねてきた。

 僕はなめるように辺りを見渡した。何かいるような気がしてならないのだが、索敵スキルに何も引っ掛からない。

「気のせいかも知れないけど、なんか視線を感じたんだ」

「索敵でも引っ掛からない?」

「うん……」

 僕はジークから離れて索敵スキャンをしながらしばらく辺りを歩き回った。しかし、これという反応はなかった。

 隠蔽スキルで身を潜めている可能性を考えたが、こんなところで隠蔽スキルを使って隠れる意味があるとは思えない。

「やっぱ気のせいかな」

 僕は再びジークの左側に戻った。「帰ろう」

「うん」

 僕たちは一緒に階段を降りた。

 

 

 

 次の日の朝。僕はジークと一緒にヴィクトリアに乗ってギルドハウスに向かった。

 僕はヴィクトリアの背中で揺られながら、落ちないようにジークを後ろから抱きしめて体を安定させた。ヴィクトリアで移動する時はいつもこうするのだが、今日は今までになく恥ずかしい思いで頬が熱くなった。

 鐘楼でのプロポーズの後、家に戻ったジークは僕にプロポーズメッセージを送ってきた。もちろん、即OK。これでシステム上、僕たちは夫婦になった。

 お互いのアイテムストレージが共通化され、スキル情報やレベル情報などすべてが共有状態になった。これはアイテムもステータス情報も相手に差し出す事と同じになる。こういった方面の隠し事は一切できなくなったのだ。

 もっとも、僕とジークの間には共通アイテムストレージを設定していたし、お互いのレベルとスキルについては隠し事は一切していなかったのでこれに関しての感動も驚きもあまりなかった。

(団長からもらったメールに書いてあった事は本当だったんだなー)

 というそれぐらいの感想しか湧かなかった。

 問題はその後だ。

 その後、僕たちは倫理コードを解除して肌を合わせ、一夜を過ごした。

 その事が何度も頭でリプレイされてしまい、おかげで僕は朝から恥ずかしいやら照れくさいやらでドキドキしっぱなしなのだ。

 こうしてヴィクトリアから落ちないようにしっかりジークにしがみつくと、どうしても昨晩の事が思い出されてしまった。倫理コードをもとに戻しているはずなのに昨日の感覚が甦って鼓動が早まってしまう。

「コー、大丈夫?」

 ジークは僕の腕をやさしくさすりながら声をかけてきた。

「だめかも。夜の事が何度も頭に浮かんじゃう」

「私も……」

「いやらしいんだね。ジーク」

「ええ? そこで自分の事は棚にあげちゃうわけ?」

「ナイスツッコミ」

 僕はジークをさらに強く抱きしめた。「ボス戦までには集中を取り戻さないと」

「うん」

 ジークは僕の左手に暖かく手を重ねてくれた。「コーは私が絶対守る」

「僕も」

 僕はジークの背中にコツリと額を当てた。「ジークとずっと一緒にいれるように頑張る」

「うん。頑張ろう」

 ジークはぎゅっと僕の手を握った。「あ。結婚した事、ギルドのみんなには言っておいた方がいいよね?」

「そうだね。でも、ボス戦が終わったらにしよ? 先に言ったらみんなに気を遣われちゃいそうだし」

「それもそうだね」

 

 ギルドハウスに到着するとすでに全員がそろっていた。

「じゃ、作戦会議はじめよっか」

 アスナは僕たちが部屋に入った事を確認すると椅子から立ち上がった。部屋の中が水を打ったように静かになった。「今回のフィールドボス戦はわたしが指揮を執る事になりました。わたしは全体の指揮を執るので血盟騎士団の全体指揮はゴドフリーに任せます」

 アスナの作戦説明が始まった。

 今回のフィールドボスはベヒモスだ。アスナの説明によると、地の上位精霊という事で足が遅いものの攻撃力はなかなかの物らしい。

 アスナの作戦で僕とジークがヴィクトリアに乗り、僕の遠隔攻撃でターゲットを取り続けその間に全員が攻撃を仕掛けて一気に殲滅する事になった。

「油断しなければ大したことないモンスターよ。何か質問は?」

 アスナは全員を見渡した。手を上げる者がいない事を確認して言葉を続けた。「では、20分後に出発します。解散」

 部屋の空気が一瞬で緩み、あちこちで談笑が始まった。

「コー。ちょっと今回は負担をかける作戦になっちゃってごめんね」

 アスナが僕の所まで歩いてきて肩を叩いた。

「うん。大丈夫だよ」

 僕は頷いて、一呼吸を置いてアスナに言った。「アスナ。ボス戦が終わったらお話したいことがあるんだけど」

「あ、わたしもコーにお願いしたいことがあるんだ。ボス戦が終わったら話すね」

 アスナはそう言うと笑顔で手を振ってヒースクリフとゴドフリーの所へ歩いて行った。

 アスナは相変わらず忙しそうだ。結婚の報告をボス戦の後にして正解だったと僕は思った。

 

 

 

 フィールドボス戦はアスナの作戦が見事に当たり、まったく被害もなく終わった。ひやりとする場面もなく、いささか拍子抜けするぐらいだった。しかしデスゲームという状況を考えればずっとこの調子で行ってほしいと僕は思った。

「コー。お疲れ様!」

 アスナが僕の姿を見つけると駆け寄ってきた。「ずっとタゲ取りありがとう」

「ううん。楽勝だったね!」

「で、悪いんだけどさ、今日のギルドハウス披露パーティーの食材で足りないものがあるのよ」

 アスナは僕に謝るように両手を合わせた。「ギルドハウスの方の準備はわたしたちでやるから、このまま狩りに行ってもらえないかなあ。お願い!」

「う、うん。分かった」

 アスナはこれから料理の準備をしなければならないのだ。僕たちが結婚した事の報告はパーティーの後にした方がよさそうだ。「どこにいったらいい?」

「えっとね。ここにゴールデンハインドっていう鹿が出るらしいのよ。足がとっても速くて普通のプレーヤーじゃ狩れないみたい」

 アスナはメインメニューを操作して、情報屋のレポートを僕とジークに転送した。「ヴィクトリアじゃないと多分追いつけないから、50もあればたりると思うからお願い」

 なるほど、そういう事なら僕たちがやるしかないだろう。

「うん。わかった」

「頼むわよ。ヴィクトリア」

 アスナはポンポンとヴィクトリアの首を叩くと、ヴィクトリアは甘えた声でアスナに顔をすり寄せた。

「じゃ、早速」

 ジークが敬礼をアスナにすると、馬上の人になった。僕も鐙に足をかけてジークに引っ張り上げてもらってヴィクトリアに騎乗した。

「ジークリードさん。お願いしますね」

 アスナは手を振って僕たちを見送ってくれた。

 

 僕たちはアスナからもらった情報で第22層の森林地帯でゴールデンハインド狩りを始めた。

 ゴールデンハインドは人を見かけるとすぐに逃げてしまう上にアスナが言ったように足がかなり速かった。確かにヴィクトリアに乗っていなければ仕留めるのに苦労しそうだった。

 僕はフィールドボス戦のように左腕でしっかりジークにしがみつきながら右手のスリングでゴールデンハインドを狩った。

 午後の3時になった。

 僕たちのアイテムストレージに≪ゴールデンハインドの肉≫が次々と増えていった。

「もみじ鍋にでもするのかな?」

 ジークは次の獲物へ移動しながら言った。

「もみじ鍋ってなに?」

「え? 知らないの? 鹿肉の鍋のことだよ」

「へー。初めて聞いたかも。なんでもみじなの?」

「分かんないけど、和歌に『奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき』ってあるじゃない。そこからじゃないの?」

「ジークってすごい物知りなんだね」

「ええ? これですごいって言われてもなあ。百人一首ってやらなかった?」

「覚えてない」

 僕はため息をついた。僕は古典なんて大嫌いだった。あんなの日本語じゃない。「じゃあ、今の気持ちを和歌でどうぞ」

「え? んー」

 ジークリードはしばらく考えて、静かに言った。「君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな」

「意味が分からないよ。日本語でお願いします」

「嫌」

「えー」

「まっすぐ言うと恥ずかしいじゃん」

 ジークは振り返って僕を見た。頬も耳も赤く染まっていた。「それに、百人一首は立派な日本語だよ」

 僕は頬をふくらませジークに抗議しようとした時、アスナからメッセージが来た。

『第22層の転送門まで来て』

「あれ? コーにも副団長からのメッセージ届いた?」

「うん」

 僕はギルドメニューでアスナの現在位置を確認すると、この第22層の主街区にいた。「アスナ。主街区にいるね」

「なにかあったのかな。急いで行こう」

「うん」

 僕が答えるとジークは転送門までヴィクトリアを急がせた。

 

 転送門の前でアスナが待っていた。

「アスナ、何かあったの?」

 僕は何か予定外の事が起こったのか心配して尋ねた。

「ううん」

 アスナは満面の笑みで僕に答えた。どうやら、心配する事ではなさそうだ。

「ごめん。まだ肉は18個しか……」

 僕はヴィクトリアから降りてアスナの前に立った。

「それだけあれば、大丈夫」

 アスナは僕ににっこりと微笑んだ後、ジークに視線を移した。「ジークリードさん、ヴィクトリアを厩舎に預けてきてくれないかな?」

「分かりました」

 ジークは頷いて、NPC厩舎へ向かった。

「ねぇ。何かあったんじゃないの?」

 披露パーティーまであと2時間もある。料理の時間を考えてもあと1時間は狩りを続けられるのに、アスナはなんでこんなに余裕の表情を見せているのだろう。

「なんでもなーい」

 うふふと笑いながらアスナはとても楽しそうに答えた。

「お待たせしました」

 ジークが走って戻ってきた。

「じゃ、行くよ。コリドーオープン!」

 アスナはポケットから回廊結晶を取り出してコマンドを唱えた。

 回廊結晶によって作られた光り輝く転送門を見ると、昨日のジークのプロポーズを思い出してしまう。

「さ、来て来て!」

 弾む声で僕たちを促しながら、アスナが光の渦に飛び込んだ。

 訳が分からないまま僕たちは光の門をくぐった。

 視界が元に戻ると、そこはギルドハウスの中だった。パーティーの準備はほとんど終わっているようだったが、なぜかアスナ以外誰もいない。そのアスナは黒色のゴシック調メイド服に着替えていた。

「じゃ、コー。これを着て」

 アスナはメインメニューを操作した。「ジークリードさんはこれ」

「え? メイド服じゃないの?」

 僕は受け取った物を確認した。純白のロングドレスとシンプルな銀のティアラ。アイテムストレージが共通化されているので、ジークに渡された服も確認できた。

 ジークに渡されたのはどうやらタキシードのようだった。

「早く着替えて」

 アスナが催促したので僕たちは装備変更した。

 純白のドレスの僕と黒のタキシードのジーク。これじゃまるで結婚式の服装だ。

(どういうこと? まだ誰にも話してないはずなのに)

 僕は訳が分からず、ジークを見た。ジークも戸惑いの表情で僕を見返してきた。

「さ、二人で外に出て」

 アスナがギルドハウスの出口を指差した。

 二人で扉の前に立ち、ジークが扉を開けると驚くほどの人数が外に待ち構えていた。血盟騎士団だけでなく、聖竜連合、風林火山をはじめとする攻略組の面々が一堂にそろっていた。

(なにこれ!)

 僕は思わず立ちつくしてしまった。

「せーのぉ!」

 と、リズのかけ声が聞こえた。彼女の服はいつもの作業着ではなく、アスナと同じメイド服だった。そして、その隣にはルーシーとクリシュナもいた。

「「「「「コートニー、ジークリード、婚約おめでとう!!」」」」」

 その場にいた全員が声を合わせて言った。そして、割れるような拍手と口笛、祝福の歓声が響いた。

 僕もジークも呆然としてしばらくその場で固まって動けなくなってしまった。

「アスナ。どういう事?」

 ようやくその固まった状態から自分を取り戻すと、僕は後ろにいるアスナに尋ねた。「なんで、みんな知ってるの?」

「これ、明日の号外。一足先に攻略組の人に渡したの」

 アスナはニヤリと笑って一枚の紙を直接手渡してきた。それを僕たちは二人でむさぼるように見た。

 題字は良く読んでいる≪Weekly Argo≫だ。隅に≪号外≫と書かれていて、その下に『コートニーさん、婚約!』と太いフォントで大きく書かれていた。さらにその下には赤く輝く街並みを背景にした僕とその目の前にひざまずいているジークの写真。これは昨日のプロポーズの場面ではないか。写真の下には『写真提供:血盟騎士団広報部』と書いてあった。そんな部など聞いたことはない。

 僕とジークは顔を見合わせた。

(あのプロポーズを見られた! 写真まで取られた!)

 たちまち、僕たちの顔が赤く染まった。

 あの鐘楼からの帰り際、誰かの視線を感じたが、やはりあそこに人が潜んでいたのだ。僕の索敵スキルから逃れられるほどの隠蔽スキルを持っている人物はそう多くない。血盟騎士団ではあいつしか考えられない!

「アラン!」

 僕は声を上げてアランを睨みつけた。

「いやー。ジークがあそこで回廊結晶のマーキングをしたのは尾行してたから知ってたんだけど、まさかプロポーズだとは思わなかったよ」

 ゴドフリーの背中に隠れながらアランがニヤニヤ笑った。「でも、アルゴに写真を売ったのはダイゼンだぜ」

 僕は二つの石を実体化させて握りしめた。

「コー! だめだよ!」

 ジークの制止も聞かず、僕は『ガリッ!』と音がなるほど歯ぎしりをした後、二つの石を≪ダブルショット≫で放った。

 二つの石は青白い光をまとった彗星のように鮮やかな軌道を描いてゴドフリーの陰に隠れたアランと逃げ出そうとしたダイゼンに見事命中した。安全圏内なのでヒットポイントは減らないが、ノックバックで二人は地面に突っ伏した。

「おお。すげー」

 という感嘆の声が周りから上がった。

 隣のジークからは深いため息が聞こえた。

「コー。こういうの迷惑だったかな?」

 アスナが不安げな表情で僕の耳元で囁いた。「わたしが勝手に呼びかけてやっちゃったんだけど……」

「そんな事ない」

 僕はアスナの暖かい気持ちが嬉しかった。アスナを抱きしめて耳元で囁いた。「とても嬉しい。ありがとう」

「よかった。じゃあ、集まってくれたみんなにもお礼を言ってあげて」

 アスナは優しく僕の背中を叩いて体を離すと、僕を会場のみんなに向けさせた。

 僕はアスナに頷いてみんなに視線を向けた。50人ぐらいいるだろうか。何を言ったらいいのだろう。緊張のあまり心臓がばくばくいって頭が真っ白になってきた。僕は無意識のうちにジークの左腕を掴んで震えてしまった。

「みなさん。ありがとうございます」

 よく通る声でそう話し始めたのはジークだった。「この号外ですが、訂正してもらわなければなりません」

「え?」

 ジークの言葉に会場がざわめいた。

「なぜなら、わたしたちは結婚していますから、婚約ではありません」

 ジークがそう言うと「おお」という声と拍手が響いた。「みなさん、なんて言っていいか分からないですけど、私たちのために集まってくださって本当にありがとうございます!」

「では、みなさん。お手元のグラスをもってー」

 リズが僕たちにグラスを持たせるとアスナが黒エールを注いでくれた。「結婚、おめでとー。かんぱーい!」

 グラスが高々と掲げられたあと、あちこちでグラスのふれあう音が響いてパーティーが始まった。

 僕たちは上等な椅子に座らされて、攻略組の人たちから代わる代わる祝福を受けた。みんなの言葉がとても暖かい。

 昨日も今日もサプライズだ。僕の身の回りの人たちはなんと暖かい人たちばかりなのだろう。

(神様。ありがとうございます。僕のような人間にこんなにも多くの暖かい仲間を集めてくださって)

 ややカオス状態に突入しつつある宴を眺めながら僕は神様に感謝した。

 リアルでもいつかこんなパーティーが開かれるといいな。

 その時は僕は参加できないだろうけど、ここにいるみんなには幸せになって欲しい。特にジークは……。僕の命に代えても絶対にリアルで幸せになって欲しい。

 僕はジークの手を取って、彼に微笑みかけながら神様に祈った。




深刻な壁不足です。これから冬に向かっていくというのに体がもつか心配です(違)

お待たせしてすみませんでした。今回は2万1千文字という今までにない長さになってしまいました。長い割には中身がないのは本来の仕様です(涙)
デスゲームという環境の中、結婚という慶事にのりのりの攻略組。というのを書きたかったのですが、うまくいきませんでした>< 宴会シーンって難しい;;

さて、裏設定の数々~
ユニコーンの二人乗り。
ヴィクトリアにジークリードとコートニーは二人乗りしております。実際のお馬さんで二人乗りは結構厳しいですが、ここではユニコーンという幻獣でしかも二人乗り用の鞍が取り付けられているという設定でございます。当然、鐙も二人分あり後ろ側に乗るコートニーは鐙で下半身を支え、左腕でジークに掴まって上半身を安定させております。右手はスリングもってモンスターを攻撃します。ジークリードは騎乗スキルが高いので下半身だけでヴィクトリアを操ることができます。フロアボス相手の時はギルドメンバーとの連携が求められるのでヴィクトリアの出番はないようです。

クリシュナさん。
まったく登場予定がなかったのですが、ここでルーシーレイの旦那様として登場していただきました。本来は前線で戦うような人なのですが、デスゲームとなったソードアート・オンラインでは「命は大事にしてよ」というルーシーレイの言葉で彼女と共に職人の道を選びました。

アラン君。
シーフというスキル構成を生かして、ジークリードを尾行。回廊結晶のマーキングを確認。誕生日当日はオフだったので朝からひたすら鐘楼で待ち続けたという猛者。前回のボス戦でゲットした隠ぺいスキルプラス補正のポンチョを身にまとっていなければコートニーの執拗な索敵に引っかかるところだった。まさかのプロポーズという展開をあわててゴドフリーのアニキに報告。ゴドフリーからアスナに連絡が入り、急きょ、ギルドハウス披露パーティーから婚約披露パーティーに変更することになった。

アスナ。
コートニーとジークリードが婚約したという事を聞きつけ、パーティーの趣旨を変更。二人以外のギルドメンバー全員とリズベットを朝早くにメッセージにて召集。サプライズパーティーを画策した。(だからコートニーとジークリードがギルドハウスに到着した時には全員がそろっていた)ボス攻略戦後、各攻略ギルドにギルドハウス披露パーティーではなく、二人の婚約披露パーティーに変更することを報告。参加を呼び掛けた。アスナはこのサプライズパーティーの料理をすべて作成。一日でスキルが150上がった。

クライン。
ギルドハウス披露パーティーから婚約披露パーティーに変更になったことをアスナから聞き、お祭り好きの彼が中心になってほかの攻略組メンバーに口コミで広がっていった。血盟騎士団のメンバーより熱心にパーティー参加を呼び掛けた。

キリト。
鬱なので今回のパーティーには不参加。フィールドボスのラストアタックはちゃっかりゲット。

エギル。
コートニーと仲直りのチャンス! ということでパーティーの最中に「コングラチュレーション!」とにこやかに話しかけるも、またしてもコートニーに無視されてしまい、失意のどん底。ジークリードに慰められる。

ダイゼン。
婚約披露パーティーに変更になって売り上げ倍増。しかも、アルゴに二人のプロポーズシーンの写真を買い取ってもらい大量の資金をゲット。コートニーに石をぶつけられちゃいましたが、早くも次のギルドハウスの資金のメドがついたようです。金銭的にホクホク顔でした。

ヒースクリフ。
ウェイター姿で働くもいつの間にか姿を消した。(二人の家に盗撮カメラを設置にむかったらしい)

二人の初夜。
執筆を開始しました(ぇっ!?)

ジークリードの和歌発言。
ジークリードは運動はバスケ、勉強は国語が得意という文武両道の見本。リアルではコートニーよりとても高い評価を受けている女の子でした。1学年違いますがアスナさんといい勝負のようです。

メイド服。
コートニーが着るはずだったメイド服を今回リズベットが着用。その姿を見たアスナが後日、彼女がお店を持った時にウェイトレスのような服装を勧めるきっかけになった。

んー。裏側のどたばた劇。書いてみてもいいかも^^;


ツイッターやブログでレビューしてくださった方々。本当にありがとうございます。篤く御礼申し上げます。

次は閑話ちっくな短いお話なので来週前半にはアップできると思います。
今後ともよろしくお願いいたしますorz


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第18話 女子会【コートニー8】

閑話です。




 第39層の迷宮区マッピングがほぼ終わり、攻略会議のため今日はオフになった。明日はボス部屋の偵察部隊が送り込まれることになるだろう。

 僕とジークはこのオフを利用して第39層フィールドでレベル上げをした。そして、僕もジークも60の大台にレベルを乗せると、ギルドハウスに戻った。

 ヴィクトリアをギルドハウス前でステイさせて、ドアを開け中に入るとそこは広いブリーフィングルームだ。けれども、アスナのカスタマイズによって作戦会議室というより大家族のリビングという趣がある。僕たちの姿を見てここに住んでいると噂される酒樽のような体の男が立ち上がった。

「おかえりなさい」

 ダイゼンがにこやかに挨拶してきた。

「ただいま」

「ちょうどいいところへ、コートニーはん。副団長の部屋にいきまへんか?」

「え? なんで?」

「明日の装備部との打ち合わせ資料を渡さにゃならへんのやけど、2階に上がるのが億劫でぇ」

 ダイゼンは頭をかきながらたっぷりと肉がついた体を揺らした。

「まあ、いいけど。ダイゼンさん、ちょっとは体動かした方がいいんじゃない?」

「せやけど、運動してもこの世界やと痩せまへんで」

 かっかっかと笑いながらダイゼンは僕に書類を託した。

「それもそうか」

 僕はクスリと笑って、ジークに視線を移した。「ジークはどうする?」

「じゃ、私はちょっと団長とお話ししてくるよ」

「え? 一人で?」

「うん。ちょっと聞きたいことがあるから」

 ジークは真剣な表情で言った。

「なに?」

 僕はなぜかちょっと心配になった。

「答えを聞いたら、コーに話すよ」

 ジークは僕の不安な気持ちを感じたのか、優しい笑顔で僕の頭を撫でた。「ちゃんと話すよ。心配しないで」

「うん」

 僕は頷いた。「じゃあ、2階まで一緒にいこ」

「うん」

 団長室と副団長室は2階で隣り合った部屋にある。

 僕たちは階段を上るとそれぞれの部屋の前に立った。

「じゃあ、先に終わったら下で待ってて」

 ジークは僕の方を見ながら言った。

「そんなにかかるの?」

「うーん」

 ジークは首を傾げた。「場合によっては」

「わかった。じゃあ、下で待ってる」

 僕は笑顔で返事をして、ドアをノックした。

「どうぞ」

 アスナの声が中から聞こえた。

「じゃあね」

 僕はジークに小さく手を振ってからドアを開けた。

「アスナ。ダイゼンさんが書類渡してっていうから持ってきた」

 僕は書類をひらひらさせながら部屋に入った。部屋ではアスナとリズがソファーにすわっていたので僕はぱっと笑顔をむけた。「あ、リズ。来てたんだ」

「こんちゃー」

 いつもの作業着を身にまとっているリズが明るく手を振りながら挨拶してきた。

「どう? コーもお茶しない?」

 アスナは僕の差し出した書類を受け取りながら魅力的な提案をしてきた。ジークとヒースクリフの話がどれくらいかかるか分からないが、お茶する時間ぐらいはあるだろう。僕はアスナの好意を受けることにした。

「するする!」

「じゃ、ここに座ってて」

 アスナは書類をリズに渡すと笑顔で立ち上がって、ティーセットが置いてある場所まで優雅に歩いて行った。

 僕はアスナが視線で示した、アスナの隣のソファーに腰かけた。

「リズ。このあいだのパーティー、ありがとね」

 僕は先日の結婚披露パーティーのお礼を言った。「ギルドメンバーじゃないのに働いてもらっちゃって」

「いいの、いいの。気にしないで」

 リズはアスナから渡されていた書類に目を通していたがそれを机の上に置いて照れくさそうに笑った。「あたしもコーから幸せを分けてもらったからさ」

「リズのメイド服、似合ってたわよ」

 アスナが微笑みながらお茶とアスナの手作りケーキを僕の前に置いた。「どうぞ」

「「ありがとう」」

 僕とリズの声が重なって、思わず3人で顔を見合わせて笑った。

「明日の装備部の打ち合わせってリズも絡んでたんだ」

 僕はアスナの入れてくれたお茶でのどを潤すと言った。

「うん。ギブアンドテイクだよね。アスナ」

「PKが増えてきたせいで装備類が値上がりしてるのよ。わたしたちが材料集めのお手伝いをして安く装備をそろえないとね」

 アスナが真剣な表情で僕に視線を向けた。「この前、コーが言ってたように職人クラスの人たちに護衛をつけてあげないと……このままだと攻略にも影響するわ」

「そうだね。ラフコフのメンバーってまだ増えてるの?」

「そのようね。今、20人ぐらいになってるんじゃないかしら」

「そっか……」

 僕はため息をついた。今でこそ≪ラフィンコフィン≫はそれほど大きな脅威とはなっていないが、このまま大きな組織になれば攻略の障害となるだろう。

「暗い話はやめよ。お茶が渋くなっちゃうよ。ねっ」

 リズが明るい笑顔を振りまいた。

「そうね」

 アスナが柔らかい笑顔をリズに向けた。

 僕たち3人はカップを口にしてのどを潤した。

「アスナって百人一首って詳しい?」

 僕はカップとソーサーを机に戻しながらアスナに尋ねた。

「ずいぶん、唐突ね。何かあったの?」

「前ね。ジークに今の気持ちを和歌でどうぞ。って言ったんだけど、意味が分からなくて」

「どんな歌?」

「えーっと……。『君がため 惜しむらべき 命さへ』……違うな……」

 1回しか聞かなかったからよく思い出せない。

「ああ、『君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな』……かな?」

「それそれ」

「アスナさすがねぇ」

 リズが目を丸くした。「どんだけお嬢様なのよ」

「そんなんじゃないったら」

 アスナが照れるように笑った。そして、その笑いが僕に視線が移った時、からかいに変わった。「コー。これは恋歌よ」

 恋歌と聞いて、ヒューヒューとリズがはやし立てた。

「恋歌……」

 僕は頬が熱くなるのを感じた。「これってどういう意味なの?」

「意味ねぇ……。和歌っていろんな意味にとれるのよ。だから奥深いのよ」

 アスナは小さく伸びをして天井を見上げた。「直訳しちゃうと、『あなたのためなら捨てても惜しくないと思っていた命だけど、あなたと一緒にいる今ではできるだけ長く生きていたいと思う』ってなっちゃうけど、多分、ジークリードさんの想いはちょっと違うと思うわ」

「そうだね」

 ジークが解説するのを嫌がった理由が少し理解できた。人はなぜ言葉を重ねるほど心の想いから離れてしまうのだろう。結局、和歌のままの方がジークの想いに近いような気がする。

「深いなあ」

 リズが腕を組んで頷いた。

「まさか、ゲームの中でこんな話をするなんて思わなかったわ」

 アスナはクスリと小さく笑った。

「そう言えばさー。コー」

「なに?」

「なんで、あなたとジークリードさんはハラスメントコードが出ないの?」

 ニヤニヤした笑いを浮かべてリズが尋ねてきた。

 そういえば、僕とジークはパーティーの最後に異様な盛り上がりでキスをさせられたっけ。普通、安全圏内でそのような行為をすればハラスメントコードの赤い表示が衆目を集めることになるだろう。

「表示を出さない方法は三つある」

 僕はヒースクリフの口調とゆっくりと手を前に組む彼の行動を真似して言った。

「団長の真似? 似てる似てる」

 アスナが僕を見てクスクス笑った。「って団長に教えられたんだ」

「三つも方法があるの? 知りたーい!」

 元気よくリズが手を上げた。

「ハラスメントコード適用除外っていうのがあってね」

 僕は口で説明するのが大変そうなので、かつてヒースクリフが送ってきたメッセージを二人に転送した。

『ハラスメントコードの適用除外について』

『結婚システムについて』

 さすがに倫理コード解除設定は送るのははばかられたので送るのをやめた。

「三つ目は?」

 そんな僕の気持ちなどお構いなしにリズが流し目で僕を見た。

 しまった。『二つある』って言えばよかった。なんと言ってごまかそうかと思いを巡らすがなかなかいいアイディアが浮かばなかった。

「えっと、言い間違えた。二つだけ」

 僕はあわてて訂正したが、焦りのために声が上ずり、さらに倫理コード解除した時のジークとのシーンが頭に再生されてしまい顔中が熱くなってしまった。

「顔が真っ赤だよ。コー。何を隠してるの?」

 リズはそう言って僕の顔を覗き込んだ後、鋭い視線をアスナに向けた。「アスナ! 副団長としてちゃんと情報開示させなさい!」

「そこでわたしに振るの?」

 アスナが驚いてリズを見返した。

「アスナだって知りたいでしょ!」

「別にわたしは……」

 もう、どうにでもなれ!

 僕はメッセージを転送した。

『倫理コード解除設定について』

「倫理コード?」

 リズはそのメッセージを読み始めた。確か、メッセージの最初に倫理コード解除によってできる行動と効果が記されていたはずだ。すなわち、あの行為の事が……。

 メッセージを読んでいた、リズの顔がたちまち真っ赤に染まった。

「コー……。あなたたち……」

 リズが上目づかいに尋ねてきた。

 僕は目を伏せて机の上に置かれたお茶を見つめた。多分、僕の頬どころか顔全体が真っ赤になっているだろう。ああ、やっぱり送らなければよかった。というより、『三つある』って言った時点で大失敗だった。

「どうなの? できちゃうの?」

 さらにリズが興味津々の瞳で追い打ちをかけてきた。「っていうか、その顔じゃ本当にできるって事ね」

 僕は助けを求めて隣に座っているアスナに視線を投げかけた。

 アスナもメッセージを読んだためか、頬がほんのり朱色に染まっていた。

「えっと……」

 アスナも困ったように首を傾げて、お茶を一口ふくんでゆっくりと飲み込んだ。「倫理コードの事はおいといて、わたしたち三人、お互いにハラスメントコードの適用除外をしない?」

「おお」

 リズが我が意を得たりという感じで表情を輝かせた。「それいいね!」

 リズはルンルン気分で操作を始めた。どうやら、矛先がそれたらしい。僕はほっと一息ついた。

「アスナは分かるけど、コートニーってどんなつづりだっけ?」

「Courtneyだよ」

 僕はアルファベットを一つ一つ区切りながら答えた。「リズはどうだっけ?」

「あたしはLizbethだよ。アスナは簡単でいいよね」

「ありがちな名前ですみません!」

 アスナがぷいっと横を向いた。

「まあまあ」

 リズはニヤリと笑って立ち上がってアスナに抱きついた。

「ちょっと、リズ!」

 アスナが小さく叫んだ後、目の前にハラスメントコードが表示されない事に気づいて呟いた。「ほんとに出ないのね」

「次はコー」

 リズがニッと笑って近づいてきた。

 その表情を見ているとなんか、とても嫌な予感がした。

「とりゃ!」

 リズが僕に抱きついてきた。

「コンコン」

 リズが抱きついてきたと同時にドアがノックされた。すると、いきなりリズが僕の胸をもみ始めたので僕は身体をのけぞらせて大声で叫んだ。

「嫌! やめて!」

 ノックされると部屋の中の声は外に漏れるのがソードアート・オンラインの仕様だ。

「コー!」

 僕の叫び声を聴いて慌ててジークが飛び込んできた。

「あーん。コー。あたしも抱きしめてよぉ!」

 悪ノリしたリズが僕の胸の中で舌をぺろりと出しながら言った。

 僕は恐る恐るジークの方を見ると視線がぶつかった。彼の呆然とした視線が僕の心に突き刺さった。ハラスメント適用除外をしてなかったらすぐにリズをバンできたのに。この状況を見て、ジークはどう思っただろうか?

「ご、ごゆっくり」

 ジークは呆然とした表情のまま扉をゆっくりと閉じていった。

「待って! ジーク! これ、違うから!」

 僕はジークに手を伸ばして叫んだが、扉は無情にもしっかりと閉じられた。「もう! リズのバカバカ!」

 僕はリズの背中を叩きながら抗議した。

 隣ではアスナが僕たちのやり取りとジークの表情を見て大爆笑していた。

「いいじゃん、いいじゃん。二人の絆はこれぐらいじゃ壊れないでしょ?」

 リズは僕から離れて元の席に座った。

「リズ。悪ふざけがすぎるわよ」

 アスナが笑いすぎてあふれてきた涙を指ではらいながら微笑んだ。

「ほんとだよー」

 僕は両手で頭を掻き乱した。これぐらいでジークが怒る事はないと思うがしばらく口をきいてくれないかも知れない。「あーどうしよう」

「もし、もめたらわたしがちゃんと説明するわ。安心して、コー」

 アスナが優しく僕の乱れた髪を優しく撫でてなおしてくれた。

「うん。その時は本当にお願い」

 アスナの言う事ならジークも聞いてくれるかも知れない。そう考えると少しほっとできた。

「んー」

 アスナの向こうでリズが自分の腕を撫でながら首をかしげていた。

「どうしたの? リズ」

 アスナが僕から視線をリズに移した。

「倫理コード解除しても皮膚感覚が全然変わらないじゃん」

 リズは今度は自分の頬や首筋を撫でていた。

「何やってるのよ」

 アスナがあきれてため息をついた。

「自分で触ったぐらいじゃ分からないかもだけど、倫理コード解除してお風呂入るとすごい気持ちいいよ」

「そうなんだ」

 お風呂と聞いてアスナがピクリと反応して、僕をじっと見つめた。そう言えば、お金に余裕ができてから毎日入浴してるなんていう話を聞いた事がある。アスナはお風呂に関しては妥協しないこだわり派のようだ。

「うん。今日にでも試してみてよ。すっごいリアルっぽいから。気持ちよくて『生きててよかった~』ってなるよ」

 一方、僕は家の購入資金をためるために風呂付の宿を取ることは滅多になかった。この世界では何カ月お風呂に入らなくても体が汚れないし臭くもならない。もっとも、潔癖症のジークは蟲風呂の後は必ずお風呂に入っていたが……。

 もっとも、今では家があるので二人とも毎日入浴している。もちろん別々に交代で入っているわけだが。

「ねえ、アスナ!」

「駄目よ」

 リズの呼びかけに対してアスナは即時に拒否した。

「何も言ってないじゃん!」

 リズが不満たっぷりに訴えた。

「だいたい、予想つくもの。『お風呂に一緒に入ろう!』とかでしょ?」

 アスナはびしっと人差し指をリズに突きつけた。

「じゃあ、今日の宿、お風呂付のやつを一緒に取らない? お風呂は交代でいいからさぁ」

(おいおい。本当に一緒に入るつもりだったんかい!)

 僕は口に出さずにツッコミを入れた。

「はいはい。そうしてあげるから、ちゃんとその書類を読んでおいてよ」

 アスナは机の上に放置された書類を指差した。「明日、わたしが多少フォローするけど、職人代表としてちゃんと意見を言わないと駄目だからね」

「うー。あたし、大勢の前で発言するのは苦手だなあ」

 リズは頭をガシガシかきながら書類を手にした。

「そう? 乾杯とか、掛け声よかったよ」

 僕は首をかしげて言った。

「ああいう、お祭りみたいなのはいいのよ。学級会とか嫌だったわあ」

 そんなリズの言葉に僕とアスナは顔を見合わせて笑った。

 僕はお茶の飲み干すと立ち上がった。

「ごちそうさま」

「もう行っちゃうの?」

 リズが名残惜しそうに言った。

「誰かさんが変なことしたから、早めにジークにちゃんと説明しておかないと」

「わたしはしばらくリズといるから、ジークリードさんが納得しなかったら連れて来なさい」

 アスナは優しく僕に微笑みかけた。

「じゃ、またね。コー」

 リズが笑顔で手を振った。

「うん。じゃあね」

 僕は二人に小さく手を振って副団長室を出た。

 

 階段を降りて、ブリーフィングルームに入るとジークが椅子に座って待っていてくれた。

「ごめんね。お待たせ」

 と、僕は声をかけてジークの反応をうかがった。

「うん。大丈夫だよ」

 ジークはいつもの優しい笑顔を僕に返してくれた。

 怒ってない。どうやら大丈夫そうだ。

「帰ろっか」

 僕はジークの表情に胸をなでおろしながらジークの隣に立った。

「うん」

 ジークは頷いて出口の扉を開けた。

「さっきの事だけどさ……あれはリズの悪ふざけだから」

 僕はジークに続いて外に出た。

「うん。いいよ。私はコーがどんなでも受け止めるよ」

 ジークはヴィクトリアに騎乗して、僕に手を伸ばした。

「いやいや、僕はそういう趣味ないから」

 僕はジークの手を取ってヴィクトリアに騎乗すると、ジークの背中を抱いた。

 そういえば、リズに抱きつかれた時、ぜんぜん異性として意識しなかった。リズだって女の子なのに……。もう、僕は心まで女の子になってしまったのだろうか。でも、かといって血盟騎士団の他の男性陣に性的魅力を感じるかというとそんな事もない。一緒にいてこんなに胸が高鳴るのはジークだけだ。

「そういう趣味があってもいいよ。むしろあった方が……」

「ちょっと!」

 僕はジークの背中を叩いた。「ジークはそういうのが好きなわけ?」

 僕は自分の事を棚に上げて、ちょっとショックを受けた。

 このゲームに囚われる前、確かに僕はそういうマンガやケータイ小説なんかを読み漁って楽しんだことがある。確かに百合は萌え要素ではあるけれど、紳士だと思っていたジークがそういう事を言いだすとは思わなかった。

「ごめん! 今のなし!」

 あわてた声でジークが前言撤回した。

「まあ、いいけどさ」

(むしろジークが同性OKと言ったら、僕がリアルに戻ってから……)

 と、そこまで考えて僕は頭を振ってその考えを打ち消した。

 この事を考えすぎちゃいけない。今の僕はコートニー。女性としての自覚が芽生え始めているし、この世界から抜け出すまでまだ2年近くの時間がかかるのだ。それにゲームクリアの瞬間まで自分が生き残っているかなんてわからない。僕はこの幸せをこの世界にいる間味わいたいと願ったのだ。その事に後悔はまったくない。

 できればリアル世界に戻ってからもこうしてジークと一緒にいたいとは思う。でも、おそらくそれは叶わないだろう。そうであるなら、できるだけ多くの思い出をジークと作って行きたかった。

 僕はジークの背中に自分の身体を預けた。

 とても暖かい。この温もりが今の僕にとっての現実だ。二度と手放したくない。たくさん、たくさん楽しい思い出を二人で積み上げていきたい。

 ジークを抱く腕に力が入り、さらに強く彼を抱きしめた。

「コー。どうしたの?」

「今日は一緒にお風呂に入ろうか?」

「ええええええ!」

 ジークの驚きの声に僕はクスリと笑った。ほら、また一つ楽しい思い出ができた。

 僕はジークの背中に頬ずりしながら、この新しく楽しい思い出を心に刻みつけた。




 原作第1巻。キリトとアスナのベッドイン直前のこのシーン。
キリト「け、経験がおありなんです……?」
アスナ「な、ないわよバカッ! ギルドの子に聞いたの!」

ギルドの子……コートニー。お前が犯人かっ!
これをやりたかったために書いた閑話です(汗)
アスナとそういう話ができるギルドメンバーってどんな奴だよ。って原作読んだ時に思いましたがこれでやっと謎が解けました(自己解決)

アスナとリズのお風呂でキマシとか(同人とかでありそうですね)、コーとジークのお風呂でアーッとか、妄想ひろがりんぐ(壊)

ジークとヒースクリフ会談内容は「SAOでは妊娠出産イベントはあるんですか?」とジークが尋ねていました。もちろん、「ネーヨ」って団長に言われたわけですが。でもこの時点で、アリシゼーションの技術に到達してたらイベント発生してたでしょうねw

次はクリスマスものを考えてますが……。初夜の方が先か? 体は一つしかないし、シングルタスクな私には両方同時にかけないし。どうしようかなあ。現在、悩み中です。


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第19話 赤鼻のルドルフ 【ジークリード8】

 12月も中ごろになってますます寒くなった。今の最前線は第49層だ。

 ここ、第46層の通称≪アリ谷≫と呼ばれるポイントは巨大アリが多く湧く。巨大アリは攻撃力は高いもののヒットポイントと防御力が低い。攻撃さえうまくかわせれば効率よく倒すことができる。経験値もおいしいので攻略組で人気のレベル上げポイントだ。

 ここは攻略組同士の紳士協定で1パーティ1時間という約束が取り交わされている。昼間は6時間待ちなんてザラだ。しかし、今の時間は深夜0時だ。待ちパーティーは私とコーのパーティーと聖竜連合の3人組がいるだけだった。そして、今戦っているのは黒の剣士だった。

 私はそこで、黒の剣士――キリトの戦いぶりに息をのんだ。

 初めて見るソードスキルだ。単発の重攻撃だが、リーチが長くダメージは両手剣のように高い。キリトの武器は私と同じ片手剣だ。どれだけスキルが上がればあのソードスキルが使えるのだろうか。

 その重攻撃のソードスキルを中心に攻撃を組み立て、3連撃の≪シャープネイル≫、投剣スキルのピックでの牽制などを駆使して次々と巨大アリを葬っていった。

 パーティーであれば十分安全マージンが取れる場所だが、キリトはソロだ。一歩間違えればたちまち彼は死の坂を転げ落ちる事になるだろう。しかし、それを感じさせない安定した戦いぶりを見せていた。

「すごいね」

 私の左隣でコーも鬼気迫るキリトの戦いぶりに目を丸くした。

「うん」

 私はキリトの姿に狂気を見た。あの狂気には見覚えがある。と言うより経験がある。

 かつて私とコーが血盟騎士団に入った時の事だ。私からコーが離れて行ったと思っていた時(結局それは私の思い違いであったが)、心の虚無を埋めるために私は狂気に囚われただひたすら戦っていた。

 私とキリトが違う所は一人でもしっかりと自分のヒットポイントを管理しモンスターを倒していく技術を彼はちゃんと持っている事だ。

 そろそろ、キリトが狩りはじめてから1時間が経とうとしていた。彼は冷めた視線を私とコーに投げかけると、6連撃で巨大アリを攻撃して呟くように言った。

「スイッチ」

「了解!」

 私はキリトと巨大アリの硬直時間の隙間に滑り込んで巨大アリを2連撃≪バーチカル・アーク≫で仕留めた。そして、メニュー操作をして1時間のタイマーをセットする。

「遠い敵は任せて!」

 コーの≪ペネトレーションアタック≫で輝く鉄球が巣穴に飛び込んでいく。姿は見えないが巨大アリにヒットしている音が聞こえた。

「OK!」

 私の背中はコーが守ってくれる。彼女の背中は私が守る。ここのモンスターが何匹出てこようと負ける気は全くしない。私たちはレべリングを始めた。

 

 後3分で1時間だ。

「ジーク。そろそろ、後ろとスイッチしよう」

 巨大アリの湧きには波がある。今はちょうど停滞期になっているようだ。コーの言うとおり、今待っている聖竜連合のパーティーに譲った方がいいだろう。

「OK」

 私は単発の重攻撃を繰り出しながら叫んだ。「スイッチ!」

「おう!」

 私が硬直している間に聖竜連合のパーティーが割り込んで、狩りを始めた。

 私は巨大アリのターゲットを受けないように慎重に後退した。

 巨大アリにターゲットされない位置まで下がると、キリトはすでに聖竜連合の次の場所を確保していた。

「おつかれ~」

 コーが私に向かって明るい声で手を上げた。私は彼女とハイタッチを交わして微笑みあった。

「今日はこれで終わりにしよう」

 私はコーに提案した。

「そうだね」

 コーは笑顔で頷いた。

「先にヴィクトリアの所に行ってて」

 私はコーを送り出すと、キリトへ足を向けた。

 キリトはうつろな瞳で聖竜連合のパーティーの狩りを見つめていた。

「キリトさん。あまり無理をしないでください」

 私はハイポーションを一つ差し出しながら声をかけた。

「……」

 キリトはちらりと私を見たがすぐに視線をアリ谷に戻した。

「私も以前、壊れたように戦い続けた事があります。自分を壊すような事はしないでください。あなたに想いを託した人は……」

「うるせぇよ」

 私の言葉はキリトの絶対零度の声色でさえぎられた。

 キリトの心は完全に閉ざされている。私なんかの一言でそれが解けるとは全く思っていなかったが、こうも正面から拒否されるとさすがに鼻白んだ。

 私の閉ざされようとしていた心はコーが開けてくれた。キリトの閉ざされた心の扉を開けてくれる人は現れてくれるだろうか。

 私はため息をついて、受け取りを拒否されたハイポーションをポーチにしまった時、聖竜連合のパーティーの叫びが聞こえた。

「女王だ!」

 その叫びに視線を向けると、普通の巨大アリの2倍以上の体格のアリが巣穴から現れていた。これはボスモンスターではないが、攻撃力もヒットポイントも高い。単体であればなんとか対抗できるが、普通の巨大アリが何体もいる状況で対応を誤ると一気に死に至る恐れがあった。

「コー!」

 私はコーに声をかけた後、聖竜連合のパーティーに声をかけた。「助けが必要ですか?」

「お、おう。女王を引っ張っていくから追手のアリを片づけてくれないか」

 リーダーらしい男が上ずった声で返事をしてきた。

「了解」

 私は隣に駆け寄ってきたコーに視線を投げかけると、彼女は力強く頷いた。「いくよ」

「うん」

 コーは槍を握りしめて私の後に続いた。

 私たちが所属する血盟騎士団と聖竜連合はだんだん険悪な雰囲気になりつつあった。原因は血盟騎士団が最強ギルドと呼ばれるようになったことにある。聖竜連合は攻略組最大ギルドで各プレーヤーのレベルも高い。しかし、集団としての戦闘力は血盟騎士団と比べるとやや見劣りするというのが世間の評価として固まりつつあったのだ。

 聖騎士ヒースクリフ、閃光のアスナの強さは桁違いで、聖竜連合で対抗できそうなのはギルドマスターのレンバーぐらいだが二人と比べると見劣りする。さらにヒースクリフとアスナの脇を固めるゴドフリーをはじめとする戦士も聖竜連合のメンバーより一歩先んじている。しかも、シーフのアラン、遠隔攻撃のコーなどのスペシャリストが戦術の幅を広げている。

 こういう状況は最強ギルドを目指している聖竜連合にとって面白くない事だった。最近では事あるごとに聖竜連合は血盟騎士団に対して対抗意識をむき出しにして絡んでくることが多くなってきていた。

 そんなわけで仲が悪くなりつつある二つのギルドだが、こういう事態になれば協力しあう。お互い、ゲームクリアに向けての貴重な戦力だ。

 聖竜連合のパーティーは女王アリの攻撃を受けながら後退を始めた。私とコーは追いすがってくる一般巨大アリを足止めに入った。

 私とコーが突進系のソードスキルで同時に攻撃を加え先頭の巨大アリを葬った後、二人の攻撃を合わせて次々と後続の巨大アリをポリゴンのかけらに変換していった。

「うわあ!」

 私の背後で絶叫が聞こえた。

 視線を向けると聖竜連合の一人が女王アリの粘液と噛みつきのコンボ攻撃を受けてあっという間にヒットポイントバーが赤に染まった。

 彼らは思ったよりレベルが低いパーティーだったのかも知れない。攻略組のトップに立ちたくて無理にここでレべリングをしているのだろう。そうでなければこうも簡単に崩れるはずがない。でも、今はそんな事を考えている場合ではない。

(まずい! 助けなきゃ!)

 しかし、私もコーも助けに行けない。もし助けに行けば巨大アリの追撃を受けてこちらも危なくなる。

 キリトがふらりと動いた。体重を前にかけたと思った瞬間、その姿がかき消え女王アリに痛撃を与えた。強攻撃、体当たり、強攻撃、体当たり。女王アリの反撃を許さない連続攻撃でそのヒットポイントを削って行く。

(なに、あれ)

 強攻撃で発生する硬直時間を体術で埋める攻撃があるという話は噂で聞いた事があった。しかし、実際に目にするとその威力は圧倒的だ。

「ジーク! 集中して!」

 私はコーの叫びで我に返った。襲いかかってくる巨大アリの粘液攻撃を間一髪でかわし、身を翻しながら≪スラント≫を叩きこんだ。

 背後で女王アリの末期の絶叫のあと、ポリゴンが散る音が聞こえた。

 聖竜連合を追撃していた巨大アリのすべてを倒し、私とコーは振り向いた。そこでは聖竜連合とキリトが一触即発の雰囲気を漂わせていた。

「どういうつもりだ。貴様! 横殴りだけじゃなくってラストアタックまで持ってきやがって!」

 聖竜連合のパーティーリーダーがキリトに食いかかった。ラストアタックをキリトが持っていったという事は女王アリの経験値のほとんどをキリトが持っていったのだろう。聖竜連合のパーティーにはスズメの涙ほどの経験値しか入らなかったはずだ。

「……」

 キリトは面倒くさそうに剣先を払うと片手剣を背中の鞘に納めた。

「シカトしてんじゃねえ!」

「待ってください!」

 私はキリトをかばうように間に入った。

「なんだよ!」

「そちらさんが死にかけていた所が助かったんだから、いいじゃないですか」

「だからって、回復させればいいじゃねぇか! 女王を倒して経験値を持ってくなんて」

「経験値が必要なら、続きをやったらどうですか?」

 私は巨大アリの巣穴を指差して微笑んだ。「時間がもったいないですよ」

「行くぞ!」

 パーティーリーダーは唾を吐き捨てて狩りに戻った。

(血盟騎士団へのヘイトがまた高まっちゃったかな……)

 私はため息をついてキリトを見た。

 キリトは私から目をそらして聖竜連合の戦う様子を見始めた。

「行こう。コー」

 私はコーの右手をとってヴィクトリアの所へ向かった。

 ステイさせていたヴィクトリアの首を撫でてあげると、優しい目で私に甘える声を出した。

「帰ろう」

 私はヴィクトリアに騎乗していつものようにコーの騎乗を手伝った。

「キリトさんってすっかり人が変わっちゃったね。ああいう人は嫌いだな」

 コーが騎乗し私の腰に掴まりながら呟くように言った。

「ああ、でも……」

 私はコーに返事をしながら、クラインにキリトがアリ谷にいるという情報をメッセージで送った。

 私とクラインはフレンドとして良い関係を築いている。彼は女性相手になると目の色が変わる欠点があるが、男性として、大人としてなかなか頼りになる人だ。風林火山のメンバーたちも男ばかりだが気持ちのいい人たちが集まっている。これも彼の人徳であろう。もっとも、私本来の性別であったならこんな良い関係は結べなかっただろう。

 キリトがあのように変わってしまった原因を私はクラインから聞いた。

 それはソロだったキリトが一時所属していたギルドが全滅したという話だった。きっと彼はその事に責任を感じているのだろう。否……それだけではないだろう。きっとギルドメンバーの中にとても大切な存在がいたのだろう。そうでなければあそこまで壊れない。

「でも?」

 いつの間にか物思いにふけってしまった私を促すようにコーが尋ねてきた。キリトのプライベートに関わる事をどこまで話していいのだろうか? でも、私はキリトの事を誤解してほしくなかった。

「キリトさんは大切な人を亡くしたみたいなんだ。私も、もしコーがいなくなったら、ああなってしまうと思う……」

 そこまで言った時、コーが力強く抱きしめてきた。「コー?」

「僕はいなくならないよ」

「うん。ありがとう」

 私は腰に回されたコーの腕を軽く叩いた。

「キリトさんの心を温めてくれる人が現れるといいね」

「そうだね」

 私はコーの手を強く握った。それだけで私の心は温められる。

 すぐにクラインからの返信があった。すぐにアリ谷に向かってみるとのことだった。クラインが少しでもキリトの心を少しでも癒してくれることを私は祈った。

 

 

 

 次の日、血盟騎士団全員参加の定期ミーティングが開かれた。これは攻略層以外で発生している事件の報告やスキル上げのポイントなどいろいろな情報が交換される場だ。

「えっと、街中での睡眠PKについて追加情報があったわ」

 アスナがメモを手にしながら話し始めた。「眠っている相手にデュエルを申し込んで、≪完全決着モード≫で受託させるらしいわ。ほかに、担架で圏外まで連れて行く手口もあるみたい。今後、圏内といえども油断しないように。宿屋でちゃんと寝るようにしてね」

「まったく、いろいろ思いつきやがんな」

 ゴドフリーが大きく息を吐くと、周りにいたほとんどが頷いた。

「これもラフコフが広めてるのかね?」

 プッチーニが肩をすくめた。

「全部が全部、ラフコフがやってる事じゃないだろうけど、つい、そう考えちゃうよね」

 コーが微妙な笑みを浮かべながら首を振った。

「ラフコフ以外のオレンジギルドも活動が活発になってるから気を付けてね。めったに最前線に来ることはないと思うけど」

 アスナはそう言って、アランに目を向けた。「じゃ、アラン。みんなお待ちかねよ。クリスマスイベントの続報をお願い」

「≪背教者ニコラス≫の件。追加情報があったよ。どうやらゲットできるアイテムの中に≪蘇生アイテム≫があるみたいだよ」

 アランはアスナの言葉に頷いて立ち上がって話し始めた。

「ほお」

 ブリーフィングルームに驚きの声が上がった。

 11月下旬からNPCが語り始めたクエスト情報。曰く「12月24日の24時。≪背教者ニコラス≫という怪物がどこかの巨木の下に現れる。それを倒せば怪物が持つ大袋には多くの財宝が詰まっている」

 この情報を受けて、ほとんどの攻略組は目の色を変えた。多くの財宝というのが巨額のコルにしろ、アイテムにしろ、今後の攻略に役立つ事は間違いないからだ。

「昨日、NPCの一人が≪ニコラスの大袋の中には命尽きた者の魂を呼び戻す神器さえ隠されている≫って言ってるんだ」

「聖竜連合が昨日から、血眼になって情報集めてるのはそれが原因か」

 マティアスが首をすくめながら言った。

「問題はその≪背教者ニコラス≫がどこに現れるかだ。目星はついてんのか?」

 ゴドフリーがアランに尋ねた。

「2か所まで絞り込んだんだけど、どちらも確証がなくって」

「どうする? 二手に分かれるか?」

 ゴドフリーがアスナに目をやりながら尋ねた。

「ニコラスはおそらく、40層のボスクラスの力を持っているだろう。分かれるのは得策とは言えないな」

 アスナの代わりに答えたのはヒースクリフであった。「その二つの場所を見比べて多数決で決めたらどうかね?」

「団長……。あまり今回のイベントは乗り気じゃなかったんじゃないですか?」

 アスナは首を傾げた。

 そうなのだ。ヒースクリフはこのクリスマスイベントの話があっても、通常の攻略を優先させるべきだと主張していたのだ。そんな経緯があって、アラン一人にクリスマスイベントの情報収集を任せ、我々は第49層の迷宮区攻略を続けているのだ。

「まあ、君たちがあまりにも楽しそうなんでね。この際、私も楽しもうかと思ってね」

 美しいテノールの小さい笑い声をもらしたあと、ヒースクリフはニヤリと微笑んだ。「それに私一人でこの層のボスを倒しに行けないからね」

「じゃあさ、今から案内するよ。団長、いいですか?」

「ああ。じゃあ、行こうか」

 ヒースクリフが立ち上がると、全員がそれに合わせて立ち上がった。

 

 NPCが呟く情報から候補地としてリストアップされたのは17か所。アランはその中から木の大きさや品種などを検討し、二つに絞ったらしい。

 両方とも第35層の≪迷いの森≫にあるということで、アランの案内で両方のポイントを見て回った。

 最初のポイントはねじくれた巨木であった。いかにもいわくありげで怪しい雰囲気を醸し出している。夜になると青白くライトアップされたように輝き、イルミネーションで輝くクリスマスツリーのように見えるとのことだった。

 二つ目のポイントはまっすぐに立つ巨木であった。周囲の木が遠慮するかのように小さい木のためにその巨木の存在感は圧倒的だ。まるで公園にクリスマスの時にだけ運ばれてくるツリーのようにその存在をアピールしていた。こちらも夜になると青白く輝き、クリスマスツリーのように見えるという。

「じゃあ、挙手で決めましょう」

 アスナが提案し、みんなが頷いた。「じゃあ、最初の場所だと思う人」

 ぱらぱらと手が上がった。しかし明らかに少ない。一目で半数に届いていない事は明白だった。

「11ね」

 念のためアスナは手の数を数えた。そして、自分も挙手しながらみんなに尋ねた。「ここだと思う人」

 私は手を上げた。周りを見ると一目で半数を超えていると分かった。

 今更気付いたが、コーとヒースクリフが手を挙げていなかった。コーはともかく、ヒースクリフが手を挙げていないのがとても気になった。

「じゃあ、ここでいいわね。ここに反対な人も多数決なので、もし間違っていても後から文句言わないようにね」

 アスナがそう言うと全員が頷いた。「じゃ、後は迷宮区のマッピング作業に戻りましょう。アランは引き続き情報収集をお願い」

「了解!」

 アランが敬礼をすると全員がそれに倣うように敬礼した。そして、全員が転移門へ向かう事になった。

「どうして、最初の場所だと思ったの?」

 迷いの森をアランの先導で主街区に戻る途中、私はコーに尋ねた。

「んー。勘だね」

 コーは可愛らしく首を傾けた。「でも、茅場ってけっこうヒネてるからさ、クリスマスツリーっぽくない奴を選ぶんじゃないかなって思っただけ」

 コーの言葉に近くを歩いていたヒースクリフがニヤリと笑ったので、私は彼に視線を移した。

「団長も最初の場所に手を挙げてましたよね」

「私は純粋に勘だよ」

 ヒースクリフは微笑んだまま言葉を続けた。「茅場の心理まで考えているコートニー君の方が数段上だな」

「まったく、茅場って何をやってるんだろうね。GMみたく、僕たちに見えずにあちこち見て回って楽しんでるのかなあ。嫌な奴」

 コーは渋い表情で天井を見上げた。「きっと、なにかの育成ゲームみたいに僕たちの行動を見て楽しんでいるんだろうなあ」

「そう考えると悔しいね」

「でも、このままの生活もいいかなって思い始めてる自分もいるんだけどね」

 コーはクスリと笑って私の腕を抱いた。

「私も……。でも、これって茅場の思うつぼだよね」

「悩ましい所だね」

 私とコーは見つめあって笑った。そんな私たちを見て、ヒースクリフは我が子を見るような優しい光を瞳に浮かべた。そして、ニヤリと笑って足を速めて離れていった。私たちに気をつかってくれたのかも知れない。

「セルバン! 壁! 壁をくれ!」

「売り切れました。今度の入荷はクリスマスイベントの後になりまーす」

 私たちの後ろでプッチーニとセルバンテスのコントのようなやり取りが耳に入り、私とコーは再び顔を見合わせて笑ってしまった。

 

 

 

 その日の夜。自宅でくつろいでいると、風林火山のサブリーダーの一人、テンキュウから『今からお宅に伺いたい』とメッセージが入った。

「テンキュウさんが来るって」

 私がコーに声をかけた。

「おー。じゃあ、お茶の準備するね!」

 コーは嬉しそうに立ち上がってお茶の準備を始めた。

 テンキュウは風林火山の中で一番懇意にさせてもらっている男だ。年齢はクラインと同じぐらい。細身の体に口ヒゲと頭全体を覆う赤いバンダナがトレードマークの男だ。

 コーによるとテンキュウは『典厩』という官職名からとったという事だ。コーが言うには武田信玄の弟の官職名だそうだ。この話題をきっかけにしてコーとテンキュウは歴史話で盛り上がり私がやきもちを焼くほど意気投合していた。

 コーは歴女だったのか。私は彼女の意外な一面を発見して嬉しくなった。

 私がOKの返事をメッセージで返してしばらくすると、家のドアがノックされた。

「どうも、どうも。こんばんわ」

 玄関を開けるとそこでテンキュウは何度も頭を下げた。服装は柿色の小袖に黒の肩衣を身にまとい、茶色のマフラーを首に巻くという珍妙な和洋折衷姿だった。

「どうぞ」

 私は手を広げてテンキュウをリビングへ促した。

「テンキュウさん。いらっしゃい!」

 コーは明るい声でお茶をテーブルの上に準備した。

「お気遣いなく」

 テンキュウは優しい微笑みで頭を下げた。

「どうぞ座ってください」

「どうも、どうも」

 私が促す言葉でテンキュウはソファーに腰を掛けた。

「今日はどうしたの?」

 弾む声でコーが尋ねた。

「リーダーが昨日のお礼にこれを」

 テンキュウはメニューを操作して1本のボトルを実体化させた。「本当は自分で直接持ってきたかったようなんですけど、忙しいのと、あと、コートニーさんに失礼があるといけないので私が名乗り出ました」

「うん。それはいい人選だ」

 コーがにっこりと笑った。

「コー。失礼だよ」

 私は鋭い声と視線でコーをたしなめた。

「ごめん」

 コーは萎れてうつむいた。

「いやいや。いいっすよ。リーダーはなぜか可愛い女の子を前にすると人が変わっちゃうんで」

 テンキュウは高らかに笑った。そして、改めて実体化させたボトルを私に差し出した。「どうぞ」

「これ、≪ルビー・イコール≫じゃないですか」

 私はそれを手に取って驚きの声を上げてしまった。

 確かこれはカップ1杯で敏捷度の最大値が1上がるというレアなお酒だ。

「初めて見たよ」

 コーもやや興奮気味に言った。

「3人で飲みましょう」

 と、私が言うとコーがぱっと表情を明るくして立ち上がった。

「いいね! グラス持ってくるね」

「あ、お茶の準備してくれたから今度は私が」

 私はあわてて立ち上がってコーの後を追った。

「じゃあ、一緒に」

「いいなあ。新婚生活……」

 背後のテンキュウからそんなつぶやきが聞こえた。

 3つのグラスにルビー・イコールを注ぎ3人で乾杯した。

「くぅ。しみるなあ」

 テンキュウが一口を味わったあと顔をゆがめて幸せそうに呟いた。

「で、キリトさん。どうでした?」

 私はワインの味に似たルビー・イコールを半分ほど飲んだ後、尋ねた。

「俺たちはレベル上げでたまたま会ったっていう格好をしたから直接話してないんですよ。リーダーがサシで話をしてましたけど。戻ってきた時、浮かない顔をしてましたから……」

「そうですか……」

 やはり、クラインでもキリトの心を開かせるのは無理だったのだ。かつて私は第25層のボス戦で命をキリトに救われた恩がある。少しでも報いたいと考えているのだがそれは難しいようだった。

「でも、蘇生アイテムが手に入れば……」

 テンキュウはヒゲに手をやりながら言った。「彼は変わるかもしれません」

「蘇生アイテムか……」

 コーはグラスを揺らしながら首を傾けた。「どうせなら、今まで死んだ人の分の蘇生アイテムが出てくれたらいいのにね。2000個ぐらい」

「それなら、俺はログアウトアイテムっていうのが欲しいっすよ!」

 テンキュウが破顔した。

「一人だけ逃げないでくださいよ」

 私はテンキュウの言葉を混ぜ返して3人で笑った。

「KoBは今回のフラグMobが現れるポイントは特定できたっすか?」

「こればかりはねー」

 コーはいたずらっぽく笑って私に目配せをした。

「言えませんよ。ハズレかもしれないし」

 私がコーの言葉を引き継いだ。「そちらは?」

「現在調査中です。こう言っちゃなんですが、ウチのリーダーの勘は結構当たるんすよ」

 テンキュウはニヤリと笑った。「きっと、アタリを引いてくれるはずです」

「じゃあ、24日に現場で風林火山と会えればラッキーですね」

 私も負けずにニヤリと笑った。

「そしたら、俺は二人の陰に隠れてますよ。そして、ラストアタックだけ頂きます」

「ひどーい!」

 コーが笑いながらテンキュウを指差した。「そしたら、絶交だかんね!」

「え?」

「コーを甘く見ない方がいいですよ。私なんてブロックリストに入れっぱなしにされた事もありますから」

「まじっすか?」

 テンキュウは驚きで腰を浮かしながら私に顔を近づけてきた。

「まじまじ」

 私も前かがみになって頷いた。

「ジーク! 昔の事を掘り返さないでよ!」

 ドンと私は突き飛ばされてソファーごと床に転がった。

 これを見てテンキュウは哄笑し、私たちも笑った。

 

 しばらくテンキュウは談笑を楽しんだ後、24日のフラグMob戦での再会を約束して帰っていった。

 ベッドで横になっていると、入浴を済ませたコーが布団にもぐりこんできて私に寄り添うように身体を寄せた。

「ジーク」

 コーは私のすぐ目の前で視線を合わせてきた。「もし、蘇生アイテムが手に入ったらすぐに使わないでね」

「どういうこと?」

「今まで、いっぱい人が死んだところを見てきたけど、その人たちのために使わないでねってこと」

 コーは目を伏せて言葉を続けた。「僕、すごいエゴイストなんだ。蘇生アイテムがもし手に入ったら、ジーク以外に使う気はないよ 。こんな事言ったら嫌われるかもしれないけど……」

「嫌わないよ」

 私はコーの髪を撫でた。すると、コーはほっとしたように唇に小さく笑みを浮かべると目を閉じた。

 私だったらどうだろう。私はコーほど意志が固くない。雰囲気に流されて安易に使ってしまいそうな気がする。

 ソードアート・オンラインとはなんと人を試すような選択を強いるゲームなのだろう。ドロップアイテムのログは残らないから誰がレアアイテムを取ったか分からないし、今回の蘇生アイテムに至っては2000名以上の死者に対してそう多くの数はドロップしないだろう。

 蘇生アイテムを手に入れた者は死者の中から生者を選択する。同時に死者を死者として確定するという決断を迫られるのだ。私には重すぎる決断だ。

 第25層のボス戦で多くの仲間を失った。その一人一人の顔が頭に浮かぶ。彼らがもし帰ってくることができるとしたら……。私はコーのためだけに蘇生アイテムを使うと決められるだろうか?

 私はまとまりそうもない考えを投げ出した。もし、コーが私の思考をテレパシーか何かで読み取る事が出来るとしたら『またジークは考えすぎ!』って言うだろう。

 コーがパートナーとして近くにいてくれて本当によかった。コーは私にとって暗い道を照らしてくれるランプだ。このデスゲームという暗闇を照らし、私を照らし、進むべき道を照らしてくれる。

「おやすみ」

 私はコーの額に口づけした。すでに眠りに落ちていたらしく、コーの返事は静かな寝息だけだった。

 

 

 

 24日の夜。私たちは投票で決めた巨木の下に集まっていた。

 聖竜連合のパーティー18名もすでにスタンバイをしていた。しかし、レンバーの姿はない。今いるメンバーはボス攻略戦であまり見かけたことがない。おそらく聖竜連合のBチームなのだろう。

 風林火山の姿はない。テンキュウの言葉が正しいとすればこの場所はハズレなのだろうか?

「そろそろ12時だな」

 ゴドフリーが背中に背負った斧を両手に握った。

 シャンシャンシャンシャン

 鈴の音が聞こえてくると、上空に2本の光り輝く航跡が見えた。やがて、巨木の上空でそれが止まると何かがものすごい勢いで降りてきた。かなり巨大なモンスターのようだ。

「来たぞ!」

 あちこちから歓声が上がった。ここがアタリなのか! 私の胸は躍った。

 地響きを立ててそのモンスターが着地をすると雪煙が視界をさえぎった。そして、その雪煙が晴れた時、そのモンスターの姿と名が明らかになった。

『The Rudolph of red nose 』

 見上げるほど巨大なトナカイのモンスターだった。身体のあちこちが腐っておりゾンビのようなおぞましい姿だった。不自然に輝く赤い鼻は血が滴っているのではないかという恐ろしい色合いだった。

 こんな姿を子供が見たら、それだけでクリスマスがトラウマになるんじゃないかと思われた。

 トナカイは雄叫びをあげるとヒットポイントバーが3本表示された。

「こりゃ、ハズレだな」

 プッチーニが抜刀して盾を構えながら言った。

「みんな、油断しないで! 前衛! 壁を作って!」

 アスナが抜刀しながら声を飛ばすと、血盟騎士団のタンクがヒースクリフを中心に隊列を組んだ。

 装備はばらばらだが、同じ制服を身にまとい隊列を組む姿はそれだけで聖竜連合に威圧感を与えたようだ。聖竜連合のパーティーは息をのみ固まってしまっていた。

「前進!」

 ヒースクリフの号令で私は周りと歩調を合わせて前進した。遠目に見たら血盟騎士団の白い壁が圧力を持って前進しているように見えるだろう。

「セルバンテス。奴のステータスは?」

 私の後ろでゴドフリーの声が聞こえた。

「30層クラスだね。大したことない」

「来たぞ」

 ヒースクリフの声で私たち前衛は盾を並べた。そこへルドルフが角を振り回しながら突進してきた。

「おいおい。角が光ってやがる。まさかソードスキルか?」

 私の隣でプッチーニが毒づいた。

 私たちはルドルフの突進を受け止めた。思ったより軽い。セルバンテスが言うように大した強さではないのだろう。

「わたしたちは側面から攻撃!」

 アスナの声が響くとゴドフリーをはじめとする両手武装の戦士がルドルフの側面を突き、たちまちルドルフのヒットポイントを削って行く。私たち前衛はターゲットがそちらに移らないようにルドルフに攻撃を加えた。

 その姿を見て、ようやく聖竜連合も動きだし攻撃に加わり始めた。

 

 20分も経たないうちに赤鼻のルドルフは大きくいななく声をあげるとそのポリゴンを散らした。そのポリゴンのかけらが消えると暗闇に『Congratulations!』の文字が明るく浮かび上がった。

「よっしゃー。ラストアタックゲットォ!」

 ゴドフリーが斧を振り上げて雄叫びをあげた。

「アニキ! あれトレジャーボックスだよ!」

 アランがルドルフがポリゴンを散らした場所に現れた大きな宝箱を指差した。

 歓声が上がる中、アスナがすたすたと聖竜連合のパーティーに向かって歩いて行った。

「リーダーは誰?」

 アスナは肩に乗った髪を華麗にかきあげながら尋ねた。

「お、俺です」

 遠慮がちに右手をあげて一人の青年が名乗り出た。

「トレジャーボックスを開けられる人はそちらにいるのかしら?」

 アスナは厳しい口調で問い詰めた。

「いません……」

「では、あれは血盟騎士団が開けます。中身は当然わたしたちがいただきます」

 有無を言わさぬ口調でアスナは言い渡した。

「撤収するぞ」

 聖竜連合のリーダーは舌打ちをした。聖竜連合はそれぞれに苦情を口にしながらフィールドから消えていった。

「アラン。出番だぞ」

 ゴドフリーはアランの頭をガシガシとかきまぜた。

「任せてー」

 アランはニヤリと笑ってトレジャーボックスの前に立った。

 がちゃがちゃという音が聞こえた。

「あ、ヤバッ」

 アランは突然叫ぶと慌てて逃げ出した。トレジャーボックスが罠発動を知らせる音を激しく鳴らした。「やっちゃった」

「まじかよ」

 ゴドフリーはニヤリと笑ってアランの頭を掴んだ。

 何もない空間に光が凝集し、8匹のモンスターが現れた。『The』の定冠詞をいただいたトナカイたちだった。

『The Dasher』

『The Dancer』

『The Prancer』

『The Vixen』

『The Comet』

『The Cupid』

『The Donder』

『The Blitzen』

 先ほどの赤鼻のルドルフに比べると小柄でヒットポイントバーも2本だ。

 このモンスター名はサンタのソリをけん引するトナカイたちの名前そのままではないか。

「これ、アランのせいじゃないよね」

 私が思わずつぶやくと、アスナがクスリと笑った。

「そのようね。赤鼻のトナカイに続いて、8匹のトナカイが出るのがここでのイベントらしいわね」

 アスナは抜刀して全員に命令を下した。「一匹、一匹やってこう。赤鼻より弱いはずよ!」

「了解!」

 全員が一斉に抜刀し8匹のトナカイを迎え撃った。

 

 私たち血盟騎士団は苦なく8匹のトナカイも葬り、トレジャーボックスを回収したあと、第35層の転送門前広場に集まった。

 血盟騎士団では「ドロップしたアイテムは手に入れた人の物」というルールがある。つまり、手に入れたアイテムで不要なものはNPCなりPCに売り飛ばすことになるのだが、どうせなら仲間内で格安で売買したりプレゼントしたくなるのが人情という物だ。

 広場でそれぞれ気の合う仲間が小集団を作って手に入れたアイテムの売買と交換が始まった。

 私とコーは結婚しているのでアイテムストレージが共通化されている。それぞれが勝手にアイテムを動かすと混乱してしまうので、アイテムを動かすのはコーの役割。私はその様子を見ているだけだ。

「やっぱり、蘇生アイテムはないっぽいね」

 コーはため息をつきながら新規入手欄をいったん閉じた。

「ニコラスじゃなかったからね。しかたがないよ」

 私はコーの頭を撫でながら慰めた。

「コートニー君。いいかね?」

 そう話しかけてきたのはヒースクリフだった。

「なんでしょう?」

 コーは首を傾げてヒースクリフを見た。

「ドロップアイテムの中にこれがあってね。私には必要ないものだから君にあげよう」

 ヒースクリフはそう言うとトレード画面でコーに何かを渡した。共通ストレージの中に納められたそれは金色の布地でできたスリングだった。≪攻撃速度ボーナス+2.0≫≪攻撃力ボーナス+5.0≫という文字が見えた。

「ありがとうございます! 団長!」

 コーは驚きで目を丸くした後、まさに飛び跳ねそうな勢いで喜びを全身で表現した。

「これからの君の戦いに期待させてもらおう」

 美しく響くテノールの声でヒースクリフは小さく笑った。

 がやがやとにぎやかだった周りの声が突然小さくなった。

 何があったのだろうか? 周りに視線を走らせるとキリトが疲れ果てた表情で血盟騎士団の中を歩いていた。全てを失って呆然としているようなその姿を見て、全員が息を飲んだために静かになったのだ。

 彼は蘇生アイテムを手に入れられなかったのだろうか? それとも手に入れて絶望してしまったのだろうか?

「転移……ミュージェン」

 キリトは転移門に立って最前線の第49層へ飛ぶコマンドを呟いた。

 その姿が光に消えるとキリトなどいなかったかのように、再び徐々に周りがにぎやかになってきた。

「団長……」

 私は頭に浮かんだ疑問をヒースクリフにぶつけた。「今回の蘇生アイテムで今まで死んだ人は戻ってこれるんでしょうか?」

「恐らくは……」

 ヒースクリフは静かに首を振った。「恐らくは戻ってこれない。茅場が言った事は本当だと思う。つまり、この世界でヒットポイントがゼロになった時点で現実世界の脳が焼かれるのだ」

「じゃあ、蘇生アイテム自体デマですか?」

「いや、ヒットポイントがゼロになってから脳破壊シークエンスが走り出すまでに時間がある。蘇生アイテムは脳破壊シークエンスをキャンセルさせる効果があるのかも知れない」

「これから死ぬ人は助けられるって事か……」

「まあ、これは私の推測だ。本当の所は茅場にしか分からないさ」

 ヒースクリフはそう言って肩をすくめた。

「今回は駄目だったけど、来年、ガンバろ!」

 コーが明るい声で私の左腕を取った。

「来年か……」

 1年後……。このペースで攻略が進んでいくとすれば90層ぐらいには到達できているだろうか? それまでにどれだけの命が失われるのだろうか。その時、私もコーも無事で生きていられるのだろうか。

 私が暗澹たる気持ちに沈んでいくと、ふいにコーが私の頬に指を押し付けてきたので現実に引き戻された。

 驚いてコーを見ると、私の心を明るく照らす笑顔で弾むように言った。

「ジークは考えすぎ!」

 コーはそう言いながらびしっと指を私に突きつけた。

「ごめん」

「家に帰る前に、ミュージェンの主街区広場に行こ! あのクリスマスツリーが見れるのも今日一杯だよ」

 コーが私の左腕を引っ張り転送門まで歩いた。

「あ、コー。帰るの?」

 アスナがコーに小さく手を振った。

「うん。ジークと一緒にミュージェンのツリー見てから帰る!」

 コーが明るく答えながら手を振りかえすと、周りから冷やかしの声と口笛が聞こえた。

「「転移、ミュージェン」」

 私たちが声を合わせて唱えると、周りの風景が光に溶けていき、やがてミュージェンの市街区の景色に変わった。転送門広場の中央に美しいイルミネーションで飾られたクリスマスツリーが輝いていた。

 まるでコーは赤鼻のトナカイだ。赤鼻のトナカイがサンタを子供たちへ導くように、私をいろいろと導いてくれる。

 私がじっとコーを見つめていると、その視線に気づいて見返してきた。

「なに?」

 コーは可愛らしく首を傾ける。

 私はそんなコーの鼻を押してみた。

「ちょっと!」

 コーは驚いて私の手を振り払って睨みつけてきた。

「いや、赤くないかなと思って」

「ジーク、変すぎ!」

 コーはあきれた顔をしながら私の左手を引いて主街区のクリスマスツリーへ走った。

 やっぱり、コーは赤鼻のトナカイだ。鼻は赤くないけれど。

 私は微笑みながら彼女の手をしっかりと握って後を追った。ずっと離れないように。ずっと一緒にいたいから。




自分の文句を言われても動じないヒースクリフの大人の対応をお楽しみください(ぉ)

なんか16000文字もありながら薄い内容なのは本来の仕様です。スミマセン。

ようやく、ソードアート・オンライン原作の『赤鼻のトナカイ』、テレビシリーズだと第3話の時間に到達しました。次はどうしよう。8月のラフコフ討伐戦のネタはできているんだけど、いきなり飛ぶのは気が引けるのでまた閑話を挟むことになりそうですが、今全くのノープランです。
エロを書くか(マテ)
それともエタるか(おい)
気長にお待ちください。

お気に入りが200件超えました。本当にありがとうございます。
引き続きよろしくお願いします。


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第20話 道半ば 【ジークリード9】

 2024年の幕開けを私たちはソードアート・オンラインの中で迎えた。

 去年の年明けはこのデスゲームが始まってから2カ月という事もあって、誰もが必死で新年を祝うなんて余裕はなかった。しかし、今年は心理的に余裕ができたせいかプレイヤーの多くが新年の訪れをイベントとして楽しむようになった。人間というのは順応能力が高く、どんな状況でも楽しみというものを見出す生き物なのかもしれない。

 事件がなければ本当に明るい年明けを楽しめただろう。だが、そうはならなかった。少し意味合いが異なるが内憂外患といった表現が近い。

 

 内憂というのはラフィンコフィンがついに本格的に牙をむいた事だ。

 初日の出を観光スポットで迎えようとしていたパーティーが12月31日の深夜、ラフィンコフィンのメンバー30人に殺害されたのだ。いくつものパーティーが次々と襲われ、たった1日で30名以上が犠牲となった。

 普通、皆殺しになってしまえば誰にも犯人は分からない。なにしろ死体が残らないのだ。だが、ラフィンコフィンのPoHは映像記録結晶でこの殺害の模様を記録し、主だった情報屋に送りつけたのだ。その映像はあまりの残忍さに見る者を戦慄させたという。

 情報屋たちはすぐに連絡を取り合い、システム上には存在しない≪レッド≫属性のギルド殺人集団≪ラフィンコフィン≫への注意を促す号外を発行した。

 ラフィンコフィンをすみやかに討伐すべし!

 攻略組で積極的にそう主張したのは聖竜連合だった。大みそかの事件でギルドメンバー二人が巻き込まれていたのだ。

 聖竜連合、血盟騎士団など攻略組は連名で情報屋にラフィンコフィンのアジト探索と構成メンバーの洗い出しを依頼した。

 デスゲームから抜け出すという大目標に向かって、私たちプレーヤーは力を合わせてぶつかるべきなのに……。私たちはプレーヤー同士の殺し合いという、まったく実にならない行為に新年早々足を引っ張られることになってしまったのだ。

 

 一方、外患と言うべきはこの第50層のボスモンスターだ。

 年末に第49層を攻略。15日にはボス部屋を特定したのだが第50層のボスが強力だったのだ。お寺の本堂のようなボス部屋は狭く50人ほどしか入れず、金属製の仏像のようなモンスターは装甲値が異常に高く強攻撃をクリティカルヒットさせてもヒットポイントバーがほとんど減らなかったのだ。

 そんな情報を偵察部隊から受け、昨日、攻略会議が開かれたのだが……。

「なんなの? それ」

 コーが憤りを隠さずに声を荒げた。

「どうもこうもないわ。今、言った通りよ」

 アスナがため息まじりにコーに答えた。

 ボス部屋が狭く、今回は攻略組全員が入れない。そこで二つのチームに分けられたのだが、血盟騎士団が第2陣に回されてしまったのだ。

「聖竜連合の嫌がらせか?」

 ゴドフリーが苦々しい表情を浮かべた。

「まあ、彼らのお手並み拝見と行こうじゃないか」

 ヒースクリフが口元に笑みを浮かべながら言った。彼はアスナと共に昨日の攻略会議に参加していた。それほど我が強い人ではなく大人の対応ができる人だから力強く主張はしなかったのだろう。

「そういうわけで、第1陣が聖竜連合6パーティー36人、風林火山1パーティー6人、その他ソロ8人。私たちは第2陣」

 アスナは面白くなさそうに陣容を告げた。

「自分たちでカタをつけて、自分たちこそが最強ギルドだって言いたいのかな」

 プッチーニが鼻を鳴らして肩をすくめた。

「偵察隊の話を聞く限りそう簡単にはいかないと思うがね」

 ヒースクリフが相変わらず美しいテノールの声を響かせた後、力強く言葉を続けた。「必ず我々の出番があるはずだ。我々は最強ギルドなどという称号はいらない。解放の日のために戦うのみだ」

「おう!」

 ヒースクリフの言葉にゴドフリー達数人が力強く答え、全員が頷いた。

「じゃあ、出発しましょう!」

 アスナの声に全員が立ち上がり敬礼を返した。

「うー。狭い狭い」

 セルバンテスが大きく伸びをすると、その手が私にあたった。「わざとじゃないよ」

「いいですよ」

 私はクスリと笑った。

 確かにセルバンテスが言うようにこのブリーフィングルームは手狭になってきた。

 ここにギルドハウスを移した時に25名だったメンバー数は現在40名近くになっている。もう少しこのまま行けそうだが、60層辺りに到達するころには新たなギルドハウスを用意した方がよさそうだった。

 今回の血盟騎士団の陣容は5チーム、30人。いつものヒースクリフ、アスナ、ゴドフリーに加え、プッチーニとアカギがパーティーリーダーとして指揮を執る。

 アカギは元々別の攻略組ギルドを率いるギルドマスターだったが、ヒースクリフに憧れてギルドごと血盟騎士団に合流した。今後はこのようにヒースクリフを慕って小規模の攻略組ギルドが合流していくことが多くなるのかも知れない。

 

 

 

 第1陣がボス部屋に突入してから4時間が経過した。

 レンバーが率いる聖竜連合を中心とするボス攻略第1陣は防御力の高さに苦労しながらも大きなダメージを受けることなく仏像型モンスターのヒットポイントを削っていった。

 見かけは鉄製の地蔵のようだ。穏やかな顔をしていているが攻撃はなかなか凶悪だ。錫杖を振り下ろすと周囲2メートルほどに火炎ダメージを与えてしばらく麻痺状態に陥るようだ。そして、偵察隊の報告通り強攻撃をクリティカルで与えてもヒットポイントバーが減っているのか確認できないという規格外の硬さだった。それでも、4時間という時間をかけて4本あったヒットポイントバーも最後の1本がそろそろ赤に染まろうとしている。

 盾戦士を2重構成にしてポーションローテーションをうまく回しながら、風林火山をタイミングよく飛び込ませダメージを与えていくレンバーの指揮ぶりは安心して見る事が出来た。

「これじゃ出番がないかも知れないね」

 私は面白くなさそうにボス部屋の戦闘を見つめるコーに話しかけた。

「ただ硬いだけのボスなんてつまんない」

 コーは唇をとがらせた。

「何もないのが一番だよ」

 負けず嫌いのコーが可愛らしくて思わず口をほころばせながら、彼女の肩を叩いた。

 ボスからもらえるアイテムや経験値が入らないのは悔しいが、危険な思いをせずに済むならそれもいいと私は思った。

「でもさ、このまま終わったら拍子抜けだよね。第25層のボスだけが突出して強かったなんて事になるじゃない?」

 コーは首を傾げながら私を見上げてきた。

「団長が言ってた25層ごとに強力なボスモンスターがいるという説?」

 私はコーからヒースクリフに視線を移した。ヒースクリフは悠然とボス部屋の中で行われている戦闘を見つめていた。ふいに彼の表情が変化した。

「ジーク! あれ!」

 コーの声であわてて私はボス部屋に視線を移した。

 ボスのヒットポイントが赤に染まった途端、風林火山が陣取っている場所の後ろの壁に光が凝集していた。あれはモンスターが現れる前兆だ。

「クラインさん! テンキュウさん! 後ろ!」

 思わず私は叫んだが、声が届かなかったようだ。風林火山のメンバーの視線はボスモンスターに向けられている。

 轟音が響いた。

 風林火山の背後の壁が粉々に砕け散ったのだ。そこから禍々しい姿の三面六臂姿のモンスターが現れた。5本のヒットポイントバーと共にその名前が明らかになる。

「阿修羅王……」

 コーが現れたモンスター名を読んで絶句した。

 阿修羅王は6本の腕それぞれに異なる武装を手にしていた。刀、斧、メイス、バジュラ、チャクラムは二つ手にしてる。

「戦闘準備!」

 アスナの鋭い声が響き、全員が抜刀して突入のタイミングを計るため、そして阿修羅王の攻撃パターンを見定めるためボス部屋を見つめた。

 阿修羅王が憤怒の表情で雄叫びをあげるとチャクラムを頭上で打ち鳴らした。まるで銅鑼のような音がボス部屋に響いた。3度目の音が響いた時、ボス部屋全体に電撃エフェクトが駆け抜けた。

 ボス部屋にいた全員のヒットポイントバーが1割ほど減少し麻痺状態のマークが点滅した。

 そこへ容赦なく阿修羅王の6本の腕から攻撃を繰り出した。前衛の盾戦士に刀や斧、バジュラで切り上げ、メイスで叩きのめし、チャクラムが後衛の打撃部隊を粉砕する。たちまち前衛と後衛の数人がポリゴンを散らした。

「うわああああああ!」

「転移! コラル!」

「転移! タフト!」

 悲鳴があがり命の危険を感じて一人が転移結晶を使うと、次々と追随する者が出て一気に戦線が崩れた。

「そんな……」

 私は絶句した。

「助けなきゃ」

 コーが槍を握りしめ今にもボス部屋に飛び込もうとした。その彼女の肩を叩いたのはヒースクリフだった。

「コートニー君。炸裂弾はいくつもっているかね?」

 ヒースクリフは落ち着いた口調でコーに問いかけた。この状況でもまったく動揺していないようだ。

「5つです」

 コーがアイテムストレージを確認しながら返事をした。

「ふむ」

 鼻を鳴らすように息を漏らすと、ヒースクリフは顎に手を当てた。「どうやら、阿修羅王はチャクラムをぶつけることによって部屋全体に麻痺攻撃を繰り出すようだ。予備動作の時に≪メテオシャワー≫で攻撃してくれ」

「メテオシャワーで?」

 コーが小首を傾げた。

 考え込むのも無理はない。メテオシャワーはダメージエフェクトこそ派手だがほとんどダメージを与える事がないのだ。

 それでもコーが炸裂弾を持っているのはPK対策だ。派手なエフェクトとわずかばかりのノックバックがPKをひるませる。その隙に逃げたり、追いつめたりと先手を取る事が狙いだ。

「わずかなダメージでも弱点にヒットすれば麻痺攻撃をキャンセルできるはずだ。弱点にヒットした時のエフェクトを確認するのだ。そうすれば……」

「次からはそこを狙って!」

 コーはヒースクリフの言葉を引きついで表情をぱっと輝かせた。

「そういうことだ」

 ヒースクリフはニヤリと微笑んで頷いた。

「団長とゴドフリー、アカギの3パーティーで阿修羅王のタゲ取りして、私たちは全員を助けましょう。プッチーニはあの鉄地蔵を抑えて」

「おう」

 ゴドフリーが雄々しく返事をして、ヒースクリフとアカギ、プッチーニは頷いた。

「さあ、私たちの力を見せる時よ! 突入!」

「おお!」

 こうして血盟騎士団の戦いが始まった。

 

 私たちはボス部屋に突入するとすぐにレンバーや聖竜連合の幹部たちを回復させた。私もコーも彼の事があまり好きではないが、このボスを倒すためにも聖竜連合の統制を取り戻してもらう必要があった。

 私たちはレンバーたち聖竜連合の幹部数人を麻痺状態から回復させて言葉も交わさず、すぐに風林火山にむかった。

「奥にも!」

 コーが阿修羅王の向こう側に視線を向けながら叫んだ。そこには突然現れた阿修羅王によって奥に追いやられて麻痺で倒れこんでいる者が数人いた。

「任せて!」

 アランが声をあげると最短コースの阿修羅王に向かいながら走った。

「お願い!」

 アスナが声をかけるとアランは親指を立ててニヤリと笑うとその姿がかき消えた。

 隠蔽スキルで姿を隠したのだろう。恐らくその後、忍び足スキルで最短コースを突破するつもりなのだろう。あちらはアランに任せて大丈夫だ。

 私は視線を戻してクラインに駆け寄った。

「しっかりしてください」

 私はクラインに解毒結晶で麻痺から回復させ、回復結晶でヒットポイントを全快に戻した。

 この間にコーもテンキュウを回復させていた。

「すまねえ、このお礼はいつかするぜ――」

 クラインは床に落としていたカタナを握りしめてニヤリと笑った。

「「――精神的に」」

 クラインの言葉に私も言葉を重ねると、お互いにクスリと笑って拳と拳をぶつけた。

 戦いはこれからだ。

 ぐおおおおおお!

 阿修羅王の雄叫びが聞こえた。

「コー!」

 アスナの声が響いた。

「了解!」

 コーは振り返りざまに炸裂弾を放った。阿修羅王の頭上で炸裂弾が花開き、光り輝く雨を降らせた。

 阿修羅王の全身がダメージエフェクトでまばゆい光に包まれ、身体を硬直させた。これでチャクラムを打ち鳴らす麻痺攻撃はキャンセルされたはずだ。

 弱点――弱点はどこだ?

 私とコーは阿修羅王のダメージエフェクトを見つめ、他と違う個所を探した。

「頭か」

 コーが小さく呟いた。

 阿修羅王の正面の顔の裏側、側面の顔と顔の間に他とは明らかに違うダメージエフェクトが輝いていた。位置が高い。あんな場所に攻撃をヒットさせるにはコーのような投擲かアスナのような軽装の戦士でないと届かないだろう。

「KoBが阿修羅王を支えろ。その間に鉄地蔵を倒す!」

 あくまでも上から目線でレンバーが指示を出した。

「まじかよ」

 マティアスが都合がいい指令に舌打ちした。

「プッチーニ! そっちはDDAに任せてゴドフリー隊のフォローに回って」

 アスナは一瞬何かを呟いた後、プッチーニに指示を出した。

「了解!」

「アスナ、怖いよ」

 コーが口元に笑みを浮かべてアスナを見た。恐らく、アスナの呟きが聞こえたのだろう。

「あら、聞こえたの?」

 アスナはクスリと笑った。「さあ、わたしたちはわたしたちにしかできない事をやりましょ」

「うん」

 コーもアスナに笑い返してスリングに炸裂弾をセットした。

「わたしたちはアカギ隊のフォローに入る!」

「了解!」

 

 さすがに手練れぞろいの攻略組だ。初見の阿修羅王の麻痺攻撃でダメージを受けたが、戦線を見事に立て直した。

 阿修羅王の麻痺攻撃はコーの炸裂弾に抑え込まれていたが、炸裂弾がなくなってからは攻撃を時々はじかれ麻痺攻撃を受けてしまう事があった。

 ほぼ全員が麻痺の状態に陥ってもただ一人、もろともせず戦い続ける男がいた。ヒースクリフである。彼の防御力には以前から定評があったが、麻痺攻撃のような阻害攻撃への抵抗力も段違いである事を見せつけた。

 ユニークスキルの≪神聖剣≫を振るって、全員が麻痺状態で攻撃も防御ができない間、たった一人でその攻撃を受けきった。この戦いぶりは彼の伝説に新たなページを書き加えることになるだろう。

 この阿修羅王の防御力も鉄地蔵並みに高く、ヒットポイントを削る事に苦労したが、ヒースクリフの活躍によって死者を出すことなく乗り切る事が出来た。

 阿修羅王のヒットポイントバーが残り数ドットとなった。

「全員、突撃!」

 レンバーが叫ぶと、後方に控えていた交代部隊も突入して一気に攻めまくった。

 そんな中、コーが数歩下がって鉄球をスリングにセットした。ラストアタックを狙っているのだ。

(行け! コー!)

 私は心の中で声援を送った。

 コーの頭上でスリングが回転し光り輝いた。

「行けえぇ!」

 コーが気迫のこもった声をあげて、鉄球を阿修羅王の弱点に向かって放った。

 同時にソードスキルで剣を輝かせて垂直に飛び立つ者がいた。黒の剣士――キリトだった。

 コーの鉄球とキリトの≪ソニックリープ≫が阿修羅王の弱点に命中したのはほぼ同時だった。

 阿修羅王は苦しそうな絶叫を残して爆散した。

 『Congratulations!!』の表示の中、ほとんど全員がその場にへたり込んだ。聖竜連合など第1陣が戦闘を始めてから7時間だ。第2陣として突入した私たちも3時間ほど気が抜けない戦闘をしてきたのだ。精神的にも体力的にも限界だった。

 そして何より、第25層以来の死者が出てしまったのだ。しかし、前回と違って私たちが直接知っている者で死んだ者はいない。これは幸いというべきなのだろうか? 命に違いはないはずなのに私はほっとしている。無意識のうちに命に格付けをしているのか。そんな事、あってはならない事なのに……。

 暗い考えに囚われそうになった時、コーの叫び声が聞こえた。

「あーっ」

 コーは頭を抱えながら後ろに倒れ込んだので、私はあわてて駆けつけてその身体を支えた。

「大丈夫?」

「ラストアタック取れなかった」

 私の腕の中で悔しそうにコーが呟いた。

 と、いう事は……。私はキリトに視線を向けた。

 キリトは右手を握りしめ満足げな表情を浮かべていた。どうやら、彼がラストアタックボーナスをゲットしたようだ。

 キリトは入手したアイテムを確認しながら次の層につながる扉を開けた。その後をエギルが追いかけながら言葉をかけていた。ほんの少し、キリトの口元に笑みが見えた。

(よかった……)

 あのクリスマスの日、絶望のどん底に見えたキリトだが、徐々に人間らしさを取り戻しているようだ。

「血盟騎士団、集合」

 アスナが凛とした声で全員を集めた。「厳しい戦いだったけど、今回も誰一人欠けることなくボス戦を終える事が出来ました。みんな、お疲れ様!」

「コートニー君のメテオシャワーが効果的だったな」

 ヒースクリフが笑みを浮かべながらコーを褒めあげた。

「でも、途中で炸裂弾切れちゃったから、みんなごめんね。こんな効果があるんだったらもっと用意しておくんだった」

 コーは頭を下げた。

「いいって、いいって」

 アランがにこやかに笑った。

「じゃあ、明日はいつものようにオフとします。解散」

 アスナの言葉に全員が敬礼をした後、ばらばらと次の層への扉に向かって歩き始めた。

「ジーク」

 コーが笑顔で私の左腕を抱いた。「今日もナビよろしく!」

「はいはい」

 私はコーが転ばないようにゆっくりと歩き始めた。

 コーは私の腕を抱きながらメインメニューを開き、ボス戦で獲得したアイテムの確認を始めた。

「ジーク!」

 第51層の主街区に入った時、コーが驚きの声をあげた。

「どうしたの?」

 私は立ち止まってコーに微笑みかけた。

「これ!」

 コーがアイテムを実体化させた。

 それは阿修羅王が手にしていたバジュラにそっくりだった。刀身は赤く輝きうっすらと炎をまとっているように見え、柄の部分には竜が彫り込まれている。

 武器鑑定スキルは二人とも持っていないが見ただけで相当な業物だと理解できた。

 コーからそれを受け取るとその重さに驚いた。

「すごい……」

 私はその剣を装備してソードスキルの≪スラント≫を乗せて振り下ろしてみた。装飾過多な柄なのになぜか手にしっくりとなじんだ。

「あとでリズに鑑定してもらお!」

「うん!」

 私はアイテムストレージにその武器を片づけた。

「やっと、半分まできたね」

 コーがまだアクティブになっていない第51層の転移門を見つめながら言った。

「そうだね」

 私は頷きながらコーの横顔を見つめた。

 やっと半分だけど、もう半分という気もしなくはない。ここまで来るのに1年と2カ月かかっている。この先、攻略のペースは落ちるかもしれないが2年かかる事はないだろう。

 第100層を突破した時、このゲームはクリアされる。茅場の言葉が本当であるならその時に生き残っている人たちはこの世界から解き放たれて現実世界へと帰る。

 その時が私とコーの永遠の別れの時だ。

 私はコーとずっと一緒にいたい。でも、ゲームがクリアされたらそれができなくなる。もしこの先、二人とも生き残って第100層のボス部屋の前に立った時、私はどうするのだろう。コーや他の全プレーヤーのためにはゲームクリアのためにボスと戦わなければならない。しかし、コーと一緒にいるためにはゲームクリアをしてはならない。

(このゲームがずっと続くように陰で妨害すればいいのかも知れない。例えば、ラフコフに手を貸すとか……)

 そんな考えが浮かんで私は戦慄を覚えた。

 私はひどい女だ。コーと一緒に過ごすためにこんな事まで考えてしまうなんて。

 コーに突然頬をつねられて、私は我に返った。

「何考えてるの?」

 コーの笑顔が私の心を明るく照らした。

「ごめん」

 反射的に私は謝った。

「どうせ、すごい先の事を考えてたんでしょ?」

 コーはクスリと笑って私の左手を取った。「その前にやる事がいっぱいあるでしょ!」

「え?」

「この主街区の武器屋、道具屋めぐり! いいアイテムあるかもよ!」

 コーが私の手を引っ張って走り出そうとした。私は強引にその手を引っ張りかえして彼女を後ろから抱きしめた。

「コー。ありがとう」

 私は耳元で囁いた。

「うん……」

 コーは私の手にそっと手を重ねた。「考えるのはいいけど、あまりつらそうな顔をしないで。僕もつらくなっちゃうから」

「ごめん」

「あとさ……」

 コーは頬を赤く染めうつむいて怒った口調で言った。「どうしてよく考えるのに、こういう時、周りの目がどうなるかって考えないの?」

「あ……」

 コーの言葉で周りを見ると、血盟騎士団のメンバーがニヤニヤしながらこちらを見ていた。

 一瞬のうちに顔が爆発するほどに熱くなった。めちゃくちゃ恥ずかしい。穴があったら入りたい。

 当面できる事は……。

「行こう!」

 私はコーの右手を取って走り始めた。

 後ろから血盟騎士団メンバーの笑い声と冷やかしの言葉が聞こえた。

 振り向くとコーの明るい笑顔が視界に飛び込んできた。

 私はその笑顔を見て自分の幸せよりコーの幸せを考えるべきだと思った。彼女を現実世界に帰してあげたい。それは私のどんな欲求よりも優先されるべきだ。

「まずは武器屋!」

 笑顔でコーの腕をぐいっと引っ張り肩を並べて走った。

「うん!」

 そんなコーの輝く表情を私は心に焼き付けた。いつか別れの日が来る。けれど、それまで悔いがないように過ごそう。

 私はコーと一緒に笑顔で人影が少ない街を走った。




ラフコフさん、本格稼働です。
もう少しでジークリードさんがダークサイドに堕ちるところだったのに惜しかったです(マテ)


裏設定のいろいろ~

手に入った武器は≪倶利伽羅剣≫(くりからけん)でした。不動明王の剣をなんで阿修羅が持ってんだよ!っていうツッコミはしない方向でお願いします。orz
当然ながらキリトさんのラストアタックでゲットしたエリシュデータより数段劣る剣です。後日、キリトがへし折る事になるリズベットの最高傑作程度の能力です。でも、ゴライアスソードで戦うのは限界が来ていたのでちょうどいいらしいです。

パーティーメンバー入れ替え。
コートニーとジークリードの結婚に伴い、ジークリードがアスナの下に異動しました。アイテムストレージが共通化されたためです。ゴドフリーはジークリードを手元に置いときたかったようですが、アスナの副団長権限発動で奪われてしまいました。
プッチーニさんがパーティーリーダーに昇格。攻守に安定感がある指揮で貴重な戦力となっています。
アカギさん。ざわ…ざわ…。きっと10年後も愛読書としているファンがいるハズっ! そうじゃなくって、小規模攻略組のギルドマスターでしたが、ヒースクリフにあこがれてギルドごと合流しました。

ヒースクリフさん、まじチート。
阿修羅王の麻痺攻撃をキャンセル。全員が麻痺でビクンビクンしている間、たった一人で攻撃を受けきる神聖剣はまじチート。


ゲームクリアまでの残りカレンダーは10か月です。終わりがだんだん見えてきました。
あと、5から7話ぐらいでしょうか。このペースだと来年の1月か2月に決着がつきそうですね。


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第21話 ふたりの距離

 6月ももうすぐ終わりだ。ここ、アインクラッドでもリアル世界のうっとうしい梅雨の季節を見事に再現してくれているが、今日は珍しく晴れ渡っていた。

 最前線の第63層の迷宮区マッピングは複雑な形状のダンジョンと強力なモンスター相手にだいぶ手間取っている。このままではこの層の攻略は来月にずれ込んでしまいそうだ。

 僕たちは一日のマッピング作業を終えてギルドハウスに戻った。

 今のギルドハウスは第55層のグランザムにある城塞のような建物だ。グランザムは≪鉄の都≫と呼ばれるように街並みのほとんどが黒光りの鋼鉄で作られている。鉱山が近く、材料が入手しやすい事から鍛冶職人たちが多く集まっている層だ。

 アスナはこの新しいギルドハウスがあまり好きではないようだ。確かに以前あった第39層のギルドハウスと比べると暖かさが足りない。街並みもきっちり区画整理されているうえに街路樹一つもない。生き物の暖かさがあまりにも少ないのだ。

 本来男の子の僕には謎の秘密基地とか鋼鉄の巨大ロボットが出て来そうな雰囲気がとても好きなのだが……。

 やがて、見上げるような扉とその上に突き出した槍に掲げられた白地に赤の剣のマークのギルド旗が目に入った。

 僕たちはその扉をくぐって吹き抜けのロビーを歩く。石畳と靴の鋲がカツカツと音を響かせ鋼鉄の城塞の中に響いた。

 ブリーフィングルームでそれぞれのパーティーが持ち帰ってきたマップデータを統合して今日の一日が終わった。

「コー」

 血盟騎士団全員がそろってのマップ統合作業が終わり廊下に出た時、僕はアスナに呼び止められた。

「なに?」

 僕はアスナに通路わきへと引っ張られた。

「明日なんだけど、わたし、オフにしてもらってもいいかな?」

 通路の行き止まり、みんなから死角になる場所でアスナが小声で囁いてきた。

「え?」

 攻略に全身全霊をささげてきたアスナの言葉とは思えず、思わず聞き返してしまった。

「だめ? お願い」

 アスナは両手を合わせて僕を拝み倒した。

「ははーん」

 思い当たるふしが僕にはある。ニヤニヤしながらズバリと言い放った。「デート?」

「ちがっ!」

 アスナが大声で否定しそうになったので、僕は口の前に人差し指を立てて静かにするように促した。

「じゃあ、なに?」

 僕のニヤニヤは止まらず、意地悪だなと思いつつアスナを問い詰めた。

「違うわよ。えーっと、これは秘密なんだけど、コーがちゃんとパーティーメンバーを率いていけるかのテスト。そう、これはテストなのよ!」

 苦しすぎる言い訳だ。アスナの代わりにパーティーを率いる事なんかこれまでに何度もある。立派な事を口にしているが頬を赤く染めているからデートで間違いないだろう。お相手は恐らく、黒の剣士――キリトだろう。

 春先からアスナは変わった。きっかけは何だっただろう?

 パニのフィールドボス攻略について争って、デュエルで敗れた時? それとも安全圏内で起こったPK偽装事件?

 何がきっかけか分からないが、アスナはキリトを気にするようになっていた。オフの時は会えるように頑張っているらしいが、今回はキリトの都合に合わせたのかも知れない。

「じゃあ、そういう事にしとこうね」

 僕はクスリと笑った。

 二人をツーショットで見たことはないがきっとお似合いの二人だろう。強さ的にも容姿的にも年齢的にも、多分――精神的にも。

「嫌な言い方」

 少し唇をとがらせてアスナは腰に手を当てた。

「ご命令、謹んで拝命いたします。副団長閣下!」

 僕はぴょこんと敬礼して舌を出した。「この方がよかった?」

「もう!」

 アスナは破顔して僕の肩をバチンと叩いた。

「じゃ、明日は楽しんで来てね」

 僕はニヤニヤ笑いながらジークの所へ戻ろうと歩き出した。

「そんなんじゃないって言ってるでしょ!」

「パーティーを率いる事が出来るかのテスト。がんばりまーす」

 腕を組んで頬を膨らませている可愛らしいアスナに大きく手を振って、廊下で待ってくれていたジークの左腕へ走った。

「テストって……どうしたの?」

 ジークが心配そうに尋ねてきた。

「明日、アスナ、オフだって」

「へぇ」

 ジークもそれだけの言葉で察したようだ。微妙な笑みを浮かべている。

「明日、アスナの分まで頑張ろうね」

「うん」

 僕たちは腕を組みながら歩いていると、アランが歩いてきた。

「アラン君。久しぶり。どう? ラフコフのアジト探索は」

 僕は手を振ってアランを呼び止めた。

 ラフィンコフィンの活動は相変わらず活発だ。情報屋にアジト探索を依頼しているが、現地の確認にはアランのような高度な隠蔽スキルを持っている者があたっているのだ。

 そんなわけで最近アランは攻略に参加せず、ずっとラフィンコフィン対応で情報屋から寄せられたアジト候補を巡っているのだ。

「だめだめだよ。あいつら、一体、どこに隠れているのかなあ」

 アランは首をすくめて頭を振った。

「ねえ」

 僕の頭にいたずら心が閃いた。「アラン君。明日ヒマ?」

「え?」

 アランが首をかしげると、右隣に立っているジークが何かを察して深いため息をついた。

 

 

 

 ジリジリジリと心地よい音を響かせながら砥石がわたしの≪ランベントライト≫を磨き上げていく。

 この作業が始まる前、散々リズにからかわれた。イヤリングとかおろしたてのブーツを見て、これからのわたしの行動を察してしまったらしい。

(もう、コーもリズも……)

 わたしは二人のにやけた顔を思い浮かべながら、砥石とランベントライトが作り出すオレンジ色の火花を眺めた。

 そんなにわたしは変わっただろうか?

 キリト君を意識し始めたのはいつからだろう。きっと、第56層のフィールドボスの攻略方法で言い争いになりデュエルで決着をつけようとして敗れた時……。

 いい勝負だったと思う。片手剣の使い手である彼がもう一本の剣を繰り出そうとしたフェイントに引っ掛かりさえしなければ……。それぞれの手に片手剣を装備するなんてこの世界ではありえないのに、あまりにも迫真のフェイントに引っ掛かってしまった。嘘みたいだけど彼の左手に握られた剣がわたしには確かに見えたのだ。

 でも、そのフェイントに引っ掛からなかったとしても負けていたかも知れない。

 わたしより強い人がソロプレーヤーの中にいるなんて思いもよらなかった。

 最終的にフィールドボスの攻略もキリト君が言うとおりの展開になってしまった。

 その時わたしはちょっと……いや、かなり腹が立った。彼が超然として落ち着いた雰囲気を漂わせているのも気に食わなかった。

 だから、第59層の迷宮区前でのんびりと昼寝をしていたキリト君を見つけた時はめちゃくちゃイライラした。一喝して文句の1ダースもぶつけてやろうと思った。そこでコーにパーティーを任せて先に行かせ、彼の足もとに立った。

 結局、ミイラ取りがミイラになってしまったけれど。それ以来、きっとわたしは――。

「なに、にやけてるのよ」

 目の前にリズの顔がどーんと現れ、わたしは慌ててのけぞった。

「びっくりしたー!」

「はい。お待たせ」

 リズがパチンと ランベントライトを赤い鞘に納めて差し出してきた。

「ありがとう」

 わたしは代わりに100コル銀貨を手渡した。

「毎度~」

 リズがにっこりと微笑んだ。「今度、連れて来なさいよ」

「まだ、そんな段階じゃ……」

 言いかけた時、9時の鐘の音が響いた。まずい、遅刻だ。「あ、急がなきゃ! 店の宣伝はしとくわよ。じゃあね」

 わたしはリズに言い捨てて彼女のお店を飛び出した。

 今日のデート……じゃなくってレベル上げはわたしのほうからキリト君にお願いした事だ。遅刻なんて許されないのに!

 わたしは敏捷度パラメータの限界スピードで街を駆け抜けた。

 

 

 第62層の転移門広場でキリト君はベンチに座って待っていた。

「遅くなってごめん」

 わたしは慌ててキリト君に駆けよった。

 わたしとキリト君の距離は1メートルぐらい。そう、これが今のわたしたちの距離。お互いが手を伸ばさないと触れられない。

「そんなに遅れてないじゃないか」

 キリト君は相変わらずの仏頂面で立ち上がった。

(なによ。人が謝ってるのに……)

 以前のわたしならここで思った事をそのまま口にして毒づいただろう。けれど、今はそんなキリト君の態度が許せてしまう。だって、この仏頂面が照れ隠しだって知っているから……。

「と、とりあえずパーティー組みましょ」

 わたしは頬に熱を帯び始めたのを意識して、それを悟られないようにそそくさとメインメニューを操作した。

「ああ」

 キリト君はわたしのパーティー申請を受託した。「よろしく」

「今日はどこに行くの?」

 わたしは両手を後ろに組んで尋ねた。

「レベル上げにならないかも知れないけど、クエストを手伝ってくれないかな」

 キリト君はなぜかちょっとわたしから視線をそらしながら言った。

「クエスト? どんな?」

「スローター系。≪いけにえの応酬≫っていうクエストなんだけど、昨日、情報屋から買ったんだ。レッドデーモン5体を倒すといい武器が手に入るらしいんだよ。今日、どれくらい時間大丈夫?」

 そう言いながらキリト君はわたしにクエストの情報をメッセージで飛ばしてきた。報酬は片手用直剣なのだがまだ報酬アイテムの性能は不明らしい。

「1日大丈夫よ」

 レッドデーモンというと結構強い。5体倒すというと二人でやっても3時間は固いだろう。なんにしても1日オフだから8時間だろうと10時間だろうと、わたしはかまわない。

「よし。じゃ、早速行こうか」

 キリト君は行く方向を指差して歩き始めた。

「了解」

 わたしはキリト君の左側を歩く。やっぱり距離は1メートルなんだけど。

 

 ソードアート・オンラインのクエストは総じて導入部分が長い。

 神官と魔女の間を4往復してお互いが相手を呪おうとしていけにえをレイズしていくというストーリーにわたしたちはあきれた。また、神官と魔女の場所が遠いのだ。もっとも、隣り合わせに住んでたらギャグにしかならないけれど……。最終的に魔女側の要望を聞き入れてレッドデーモン5体を倒すというフラグ立てだけで1時間もかかってしまった。

「なんかさ……このストーリー、情報屋との交渉みたいだよね」

 わたしは一人の情報屋を思い浮かべながら呟いた。

「閃光ヨ。それはこのオネーサンのことカ?」

 キリト君の言葉は、今まさにわたしが思い浮かべた情報屋のアルゴのものまねだった。

 微妙にというより絶妙に似てる。

「ぶっ」

 思わず吹き出してしまった。さらにツボに入ってしまって笑いが止まらなくなってしまった。

「お、おい」

 困ったキリト君の表情がわたしにさらに追い打ちをかけてきた。

「ど、どうしよう。止まんない」

 笑いと笑いの隙間になんとかその言葉を滑り込ませてわたしは笑い続けた。

「しっかりしてくれよ」

「だ、大丈夫。きっと、着くころには落ち着いてるから」

 息を整え、それだけを言うと、再びお腹がよじれるほどの笑いがこみあげてきた。

「ま、いいか……」

 キリト君は一つ息を吐いて先を歩き始めた。わたしはあわててその後を追う。ちょっと離れた距離を……。

 

 レッドデーモン5体を倒すのに思ったより時間がかかった。デーモン以外のとりまきモンスターに結構邪魔をされてしまったのだ。それでも午後1時半にはミッションコンプリートすることができた。

 報酬をもらうためにわたしたちは魔女の家に向かった。

「じゃあ、剣を貰ったら食事にしましょ。今日はわたしが誘ったからお昼をおごってあげるわ」

 わたしはそう宣言をしてキリト君の午後の予定を抑えた。こう言っておかないと、クエスト達成で『さよなら』なんて言いかねないから、この人は……。

「あ、ああ。悪いな」

 遠慮がちにキリト君が言った。「本当にアスナはこのクエ受けなくてよかったのか?」

「うん。片手用直剣なんてわたし、使わないし。でも、どんな武器かは見せてね」

 もし、いい武器だったらギルドメンバー総動員で集めるのもいいだろう。

「ああ、わかった」

「その剣を持ってるのに……。それ以上の剣なんて、クエストで出ないと思うけど……」

 わたしはキリト君が背負っている漆黒の剣に目をやりながら尋ねた。

 その剣はエリシュデータ。あの第50層ボスのラストアタックでゲットしたという話だ。キリト君はその剣のデータも教えてくれた。魔剣クラスの能力だ。強化すれば90層……もしかするとゲームクリアの第100層まで使える剣かも知れない。

 愛剣のデータを教えてくれたという事はそれなりにわたしを信頼してくれているのかな。そう考えるとちょっと嬉しい。

「同じぐらいの剣でもいいんだけどな」

「予備が欲しいの?」

「いいじゃないか」

 キリト君は語気を強めて話題を打ち切った。彼との間に壁を感じた。

「ごめん。立ち入った事を聞いて」

 わたしは視線をキリト君から外して前を見た。もうちょっとで魔女の家に到着しそうだ。

 気まずい沈黙が流れた。

「アスナの剣はプレーヤーメイドだっけ?」

 キリト君は気まずい雰囲気を感じたのか、話題を振ってきた。「いい剣だよな」

「う、うん」

 わたしはメッセージをキリト君に送った。リズベット武具店の場所が書いてある宣伝用のメッセージだ。「わたしのフレが作ってくれたの。よかったら行ってあげて」

「ああ」

 キリト君はわたしが送ったメッセージを見た後、わたしを見て呟くように言った。「ありがとう」

 トクン。

 目が合ってそんな言葉を聞いただけで心臓が不整脈のように高鳴った。

「ぜ、絶対行ってよね」

 声が裏返りそうなのを必死に抑えようとしたら、妙に大きな声になってしまった。

「そんなにいい店なのか」

 わたしの言葉に辟易しながらキリト君は魔女の家の扉を開けた。

 すると、中にはよく見る血盟騎士団の制服を着た二人が立っていた。

「マティアス。マリオ。……何やってるのよ」

 中にいたのはわたしのパーティーメンバーの二人だった。恥ずかしかったのでキリト君との距離をさらにとってマティアスを睨みつけながら尋ねた。「今日の攻略は?」

「ああ、コートニーさんが頑張って終わりましたよ」

 マティアスがそう答えると、マリオが頷いた。

「ホントなの?」

 確かに今日の探索範囲はわたしが参加しないから狭くしたが、それでも夕方までかかるはずだったのに……。

「ええ。マップ見ます?」

 マティアスはそう言うとわたしに迷宮区のマップデータを見せてきた。確かに……今日の探索範囲は埋まっている。

「で、何しに来てるのよ」

「≪いけにえの応酬≫っていうクエストをやりに来たんですけどね」

「そ、そうなんだ」

 偶然なんだろうか? 二人とも前衛のタンクだから性能のいい片手用直剣は欲しいのだろう。

 わたしとマティアスが話している間にキリト君が魔女と話をして報酬アイテムをゲットした。

「アスナ。行ける?」

 キリト君が優しい口調で尋ねてきた。「それとも……」

「うん……おごるって言ったじゃない」

 わたしはキリト君に答えた後、マティアスの方を見て言った。「じゃあ、わたしはこれで行くから」

「はい。ごゆっくり」

 マティアスはニヤニヤとしている。

「なによ!」

「いえいえ」

「ところで、コーは?」

「え? ――た、たぶん、家に帰ったんじゃないですかね?」

 マティアスは不意をつかれたように視線を宙に泳がせた。

 かなり怪しい。何かある。何かはわからないけど。

 わたしはキリト君の後を追って外に出た。

「どこでお昼にする?」

 キリト君が尋ねてきた。

「そうね……」

 『キリト君の行きたいところでいいわよ』と、言いかけてわたしはそれを飲み込んだ。そんな事を言ったら、この人はアルゲードの怪しいラーメン屋みたいな変な場所をチョイスしかねない。「マーテンのレストランにしましょう」

「わかった……」

 キリト君の表情は今一つぱっとしなかった。気に入らなかったのだろうか?

「なに? 嫌なの?」

 不安になってわたしは囁くように尋ねた。

「いや……。あそこで食事するとなぜか最後まで食べれなかったなって思ってさ」

 キリト君はほろ苦い表情で微笑んだ。

 確かに……。わたしがキリト君の前で昼寝してしまった時に食事をおごると言ってキリト君を連れて行ったらあの圏内事件でろくに食べないうちに飛び出してしまった。その後の仕切り直しの食事もグリムロックがヨルコさんたちを殺す可能性に気づいて食事途中で飛び出してしまった。

「三度目の正直。今度こそ最後まで食べましょ」

 明るい声でわたしは笑いかけた。

「そうだな」

 キリト君はわたしの心を溶かす笑顔を返してくれた。

 わたしは心の中を読み取られないように視線をそらした。

 

 

 あの圏内事件から2カ月ぐらい経っているけれど、まだマーテンは人気の層だ。さすがにここを拠点にしている攻略組は少なくなったが、今度はボリュームゾーンのプレーヤー達が拠点とし始めている。人数的にはボリュームゾーンの人たちの方がたくさんいるからむしろ2カ月前より人が多いかも知れない。

 そして、そのマーテンのレストランの中に入ってみると、またしても見慣れた血盟騎士団の制服を着た者が二人いた。モンスタードロップの巨大両手斧を背中に背負っている顎鬚の男とわたしと同じ細剣使いの優男だ。

 その二人が今、まさに食事をとろうとしていた。

「ゴドフリー、ラモン!」

 わたしは思わず声をあげてしまった。

「おお。こんな所で奇遇ですな」

 ゴドフリーがニヤリと笑ってわたしとキリト君を交互に見た。

「あなた。何しに来てるのよ。今日の攻略はどうしたのよ?」

 わたしはゴドフリーに駆け寄って耳元で囁いた。

「今日の攻略が思ったより早く終わったものだからな。ラモン君が最近伸び悩んでいるものだから、食事ついでにアドバイスをしている所だ」

 ゴドフリーはステーキを口に頬張って、ラモンに目配せしながら言った。「そうだよな」

「は、はい」

 わたしに申し訳なさそうにラモンがうつむいた。

「偶然だって言うの?」

 わたしはゴドフリーを睨みつけた。

「俺がどこでメシを食ってもいいだろう? それより副団長。お連れの方が困っておられますぞ」

 高笑いをしながら、ゴドフリーは次のステーキを口に運んだ。

「他のお店にしよう。キリト君!」

 わたしは語気を強めてゴドフリーをさらに睨みつけた後、キリト君の左手を掴んでお店を出た。

「お、おい。アスナ」

「なにっ!」

 困っておどおどしたキリト君の言葉につい、口調鋭く返事をしてしまった。

「手……。俺、子供じゃないから……。ちゃんとアスナについていくから」

 その言葉にわたしはキリト君の手を強く握りしめている事を思いだした。その事実を認識するとたちまち頬に熱を帯びるのを感じた。

「ご、ごめん」

 わたしは慌てて手を離して、数歩下がった。「あっちのお店にしよ」

「ああ」

 キリト君は苦笑いを浮かべながら頷いた。

 

 どう考えてもおかしい……。

 行く所、行く所に血盟騎士団がいるのだ。マティアスやゴドフリーぐらいなら偶然かも知れないと思えたが、その後も道具屋に行けば道具屋に、武器屋に行けば武器屋に、ダンジョンに行けばダンジョンに誰かしら血盟騎士団のメンバーがいるのだ。他の層の店に行ってもいるのだからこれはわたしたちを追跡しているとしか思えない。

 夕日がまぶしくなった頃、第50層のエギルさんの店でわたしたちは本日6度目の血盟騎士団メンバーとの遭遇を果たした。

「副団長じゃないですか。どうしたんですか?」

 エギルさんの店の扉を開けて中にいたのはプッチーニだった。

「あなたたち……」

 6度目となればもうわたしに驚きはない。キリト君がいなかったら胸ぐらをつかんで問い詰めたいところだ。

「エギル。武器鑑定してくれよ」

 キリト君はため息を一つつくと、わたしの脇をすり抜けてエギルさんにクエストで手に入れたばかりの武器を渡しながら言った。

「プッチーニ。何をやってるの?」

 一応、理由を聞いてあげることにした。

「エギルさんに先日のボス戦のドロップ品を売っていた所ですよ」

 プッチーニはエギルに視線を移した。

「ああ、いい取引だったぜ」

 エギルさんはいつものようにニヤリと笑った。そして、キリト君の剣の鑑定を始めた。

「あなたたち、何を企んでるのよ」

 わたしはプッチーニを部屋の隅に引っ張って小声で尋ねた。

「何かあったんですか?」

 ニヤニヤしながらプッチーニは聞き返してきた。

「わたしたちの先回りをして何が楽しいの?」

「先回り?」

 再びプッチーニが反問してきたのでわたしはため息をついて、「もういい」と脱力しながら言った。

 結局、キリト君はクエストで手に入れたばかりの武器をエギルさんに売却した。思ったよりいい武器ではなかったらしい。

「アスナ。行こうか」

「うん」

 わたしはキリト君の後を追いかけた。

 

「なあ」

 さすがのキリト君も6度目の遭遇の後、主街区広場でわたしを咎めるような眼で見てきた。

「ごめん」

 なんと言って謝ればいいのだろう。わたしは目を伏せた。

「いや、責めてるんじゃなくって」

 キリト君は慌てて両手を振った。「さすがにこれって、おかしいよな」

「うん……」

「そういえば最初の二人……。マティアスとマリオだっけ……。あの二人も変だったし」

「え?」

「だって、俺が報酬アイテムをゲットした時に何も聞いてこなかっただろ? 普通、どんな性能か聞いてくるだろ?」

「確かに……」

 そう言われてみればそうだ。まだ情報屋の間でもどんなステータスの武器なのかオープンになっていなかったのだ。二人が報酬アイテム狙いならキリト君が手に入れた時、なにかしら尋ねてくるはずだ。

 キリト君の瞳の色が変わった。索敵スキルか追跡スキルを使っているのだろう。何回も主街区広場を見回した。

 わたしはその系統のスキルを持っていないから普通の夕焼けの風景にしか見えない。彼にはどんなふうにこの景色が見えているのだろうか?

「今にして思えば、俺たち次の行先をお互いに話してたよな」

「ええっ? もしかして、隠蔽と忍び足でわたしたちのすぐ近くに!」

 わたしはきょろきょろと見回してみるが、当然怪しい人は見当たらない。

「くそっ。KoBにその系統の使い手はいるのか? 俺の索敵スキルに引っ掛からないな」

「アラン君……」

 わたしは可能性が一番高いメンバーを思い出した。しかし、彼は今、ラフコフのアジト探索に駆り出されているはず……。

「アスナ。ちょっと失礼」

 キリト君はずいっと2歩わたしに近づいてきていきなり右手を取った。

「え?」

 次の瞬間、キリト君は猛スピードで駆け出し、わたしの身体が宙に浮いた。「ちょ、ちょっと!」

 キリト君は無言のまま角を次々と曲がり、細い路地に入るとわたしを座らせた。そして、キリト君はコートをばっと広げるとわたしに覆いかぶさるようにして姿を隠した。

「バカッ! なにすんのよ!」

 いきなりの事でわたしは抗議の声をあげて、キリト君を見上げた。

「静かに! ハイディングがとけるだろ」

 すぐ近くでばちんとキリト君と視線が合ってしまった。

 めちゃくちゃ照れくさい。反射的に手でキリト君を突き飛ばそうとした時、駆け寄ってくる複数人の足音が聞こえたので、今まさに突き飛ばそうとしていた手を止めた。

「どこ行った!」

「こっちだよな」

「俺、あっちいくよ」

「じゃあ、俺、コートニーさんに指示仰ぐよ」

 キリト君のコートの隙間から覗き見ると4人の血盟騎士団メンバーがひそひそと話し合ってそれぞれの路地へと散って行く所だった。

(やっぱり黒幕はコーなのか……。何やってるのよ。あの子……)

 思わずクスリと笑ってしまった。

「これでまいたかな……」

 足音が消えた時、キリト君は立ち上がった。そして、わたしの顔を見て呟いた。「なんか、楽しそうだな」

「なんか、鬼ごっこみたいだよね」

 わたしはにっこりと微笑みながらキリト君を見つめて立ち上がった。「ごめんね。ウチの団員の遊びに付き合わせちゃって」

「い、いや。いいんだ。俺もこういうのは結構楽しいし」

 キリト君の頬が真っ赤に染まって慌てて視線をそらすのがとても可愛らしかった。

「じゃ、晩御飯はおごってもらおうかな」

 わたしは自分の腕を組んで片目でキリト君を見上げた。

「えええ?」

 キリト君は目を白黒させた後、腰に手を当てて言い放った。「じゃあ、この間のメシ屋に行こうぜ」

「また、あのニセラーメン食べるの?」

「定期的に食べたくなるんだよ」

 キリト君はそう言うとニコリと笑ってわたしに手を差し伸べた。

「≪アルゲードそば≫以外のおすすめはないの? いつだか言ってたソースの味しかしないお好み焼き屋さんは却下よ」

 わたしはクスリと笑ってその手を取った。

 キリト君の手がとても暖かい。やっぱり、わたしはこの人に恋をしてるんだ。

 リアルの世界ではこんなに熱い感情を持ったことはなかった。この想いを大切にしよう。この世界に来て初めて出会えた現実世界を含めても一番大切な人……。

 この想いを伝えるのはまだちょっと早い。でも、いつかちゃんと伝えよう。

 わたしはいつの間にかじっとキリト君を見つめていた。まるで時間が止まったようだ。

 ずっとこのままでもいい……。

「ご、ごめん!」

 キリト君が顔を真っ赤に染めて慌てて手を引っ込めたので、再び時間が流れ始めた。

「じゃ、道案内してよね。あのお店、一人じゃ絶対いけないから」

 わたしはさっきまでキリト君の手を握っていた手をそっと自分の胸に抱きながら言った。

「おう。任せとけ」

 キリト君はポンと一つ胸を叩いて歩き始めた。

 わたしはその左隣を歩いた。隣を見るとすぐそこにキリト君の顔がある。

 わたしたちの距離は手を伸ばせばすぐ届く距離……50センチぐらいに縮まった。今まではこんなに近づいたらどちらかが逃げていたのに……。

 夕日に照らされたアルゲードの複雑な街並みをわたしたちは肩を並べて一緒に歩いた。

 

 のれんをくぐって暗い店内に入ると、すでにアルゲードそばをすすっている血盟騎士団二人がいた。コーとジークリードだ。

「コー!」

 わたしはその姿を見て驚きの声をあげた。

 確かに追手はまいたはずなのに!

「追手はまいた……なんて思っちゃった?」

 コーはスープを飲み干してどんぶりを置くと、にっこりと微笑んだ。「どう? 僕の指揮ぶり。合格点もらえるかな?」

「参ったわ。降参よ」

 わたしは苦笑して首をすくめた。「アラン君にやらせたの?」

「アラン君はまかれちゃったんだけどね」

 コーがそう言った瞬間、キリト君が驚きの声をあげた。

「うわ!」

 キリト君の隣に現れたのは地味なレザー装備に金褐色の巻き毛、そして頬には特徴的なおヒゲの化粧――アルゴだった。

「久しぶりだナ。キー坊」

「い、いつからつけてたんだよ!」

 キリト君の声が裏返った。

「誰かがオレっちの下手なモノマネをしたあたりからダ」

 アルゴはニタリと笑って睨みつけるようにキリト君を見上げた。「なかなか、面白かったゾ」

「て、て、てって事は一日中?」

 いつもふてぶてしいまでに落ち着いているキリト君が声を裏返して焦りまくっている。そんな新しい顔を見てわたしはますます彼が可愛らしく思えた。

「もう、コーったら。アルゴさんまで巻き込んで何やってるのよ」

「予行演習だよ。対ラフコフ用」

「なるほどね」

 コーはわたしとキリト君をラフコフの幹部に見立てて追尾していたのだ。という事はわたしが思っている以上にたくさんの人がこれに関わっているのだろう。

「では、アスナに合格点を貰えたので、今日の演習は終わり! みなさん、お疲れ様でした!」

 コーがそう言うと、店の外からたくさんの顔が覗いてきた。血盟騎士団だけではなく情報屋の顔もあった。

「お疲れー」

 それぞれが声を掛け合っていた。

「じゃあ、僕たちはこれで帰るんで、お二人はごゆっくり」

 コーは深々とお辞儀をしてわたしとすれ違いざまに耳元で囁いた。「次は腕を組めるといいね」

「コー!」

 思わず繰り出した裏拳がコーの後頭部を直撃し、彼女は椅子やテーブルを巻き込みながら盛大な音響と共に店から飛び出していった。

 外から血盟騎士団メンバーの盛大な笑い声が聞こえた。

「アスナってすごいな……」

 キリト君がすぐ隣で呟いた。

「え?」

「だって、あんなにたくさんの人から副団長として慕われてるんだから」

 キリト君はそう言いながら優しい目で立ち去っていく血盟騎士団メンバーを見つめている。

 今なら……腕を組めそうだ。

 わたしは手をそっと伸ばした。もうちょっとでキリト君の腕に届く……。

 けれどもわたしはその手を引っ込めて、おもいっきりキリト君の肩を叩いた。

「なっ!」

 突然叩かれてキリト君は目を丸くして驚いた。

「食事にしましょ!」

 わたしは近くの席に座って言った。

 わたしはコーとは違う。わたしはわたしなりにキリト君との距離を縮めたい。

 そう考えて、わたしはテーブルの反対側に座ったキリト君ににっこりと笑いかけた。




アスナさん……。もっと怒っていいですよ?
「ワレ! 攻略もせずに何やっとんじゃあ!」ぐらい叫んでもバチは当たらないと思います。

今回はアスナさん視点。
原作の『心の温度』の前日のストーリーです。
コートニーとジークリードとは違ったニヨニヨを味わっていただければ幸いです。

けれど、ニヨニヨタイムはこれでおしまい。

ゲームクリアまであと5か月。こんな風に書いていると宇宙戦艦ヤマトみたいですねw


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第22話 終わりの日 【コートニー9】

 7月25日。季節は夏。もう、シャレにならないほど暑くなってきた。フィールドを歩いているだけで気が遠くなるほどだ。だが、主街区などの建物の中は自動で適温に調節されているのは茅場に感謝したくなる数少ない設定の一つだ。

 現在の最前線は第66層。迷宮区探索は順調に進んでいる。今週中にこの層も突破できるはずだ。

 今日の迷宮区探索を終え、みんなとブリーフィングルームでみんなとおしゃべりに興じていた僕はアスナに肩を叩かれ、ギルドハウスの幹部会議室に呼び出された。

「なに? どうしたの?」

 いつになく、暗い表情のアスナに僕は不安になって尋ねた。

「中で話すわ」

 アスナは厳しい表情のまま幹部会議室の扉をノックして中に入った。「失礼します」

「失礼します」

 僕もアスナの後ろについて中に入った。

 幹部会議室は塔の1フロアを使った広い部屋だ。全面ガラス張りで半円形の机の背後には血盟騎士団のギルド旗が掲げられてる。

 主にパーティーリーダーしか入室しないので僕はここに来るだけでなんだか緊張する。半円形の机の中央にヒースクリフが座り、ゴドフリーやプッチーニ、アカギなどのパーティーリーダーが脇を固めていた。

 みんな悲しげな表情をしている。

 僕が原因でこんな事になっているのだろうか?

「な、なんなの?」

 訳が分からなくなって、僕はアスナの手を取って尋ねた。

「昨晩、クリシュナさんが亡くなったの」

 悔しそうに顔をゆがめながらアスナは僕から視線をそらした。

「そんな……なんで!」

 僕はアスナの肩を掴んで大声をあげてしまった。

「わたしから説明しよう」

 アスナの代わりにヒースクリフがゆっくりと手を顔の前で組みながら言った。「聖竜連合が中心となってラフィンコフィン討伐のための準備を進めているのは知ってると思う」

「はい」

 僕はアスナからヒースクリフに視線を移した。ヒースクリフの机の上に映像記録結晶が転がっているのが目に入った。

「同時に職人クラスの人たちはラフィンコフィンとの講和のために動いていたのだ」

「そんな、話が通じるはずが……」

 僕は思わずつぶやいた。

 ラフィンコフィンは殺人を楽しんでやっている。そういう相手にどういう妥協点があるというのだろうか。毎日一人のいけにえを差し出すとでも言うのか。いや、もしそんな事をしても彼らは満足しないだろう。死にたくない。その思いでもがき苦しむ姿を楽しんで最終的に命を奪う事に快感を得ているような連中だ。

 プレーヤー同士の足の引っ張り合いなどしたくない僕たちと自らの快楽のために殺人を犯している彼らの間に落としどころなんて生まれる可能性はないはずだ。

「ラフィンコフィンは話し合いに応じると回答し、交渉のために職人クラスの代表が向かったのだ」

「まさか、それにクリシュナさんが!」

 絶望で目の前が真っ暗になった。

 沈痛な表情でヒースクリフは僕の言葉に頷いて言葉を続けた。

「彼らはクリシュナ氏を捕え、殺害した。そして『一切の妥協はありえない』というメッセージと共にこの映像結晶を我々に送りつけてきたのだ」

「やめてください!」

 ヒースクリフが映像結晶の再生を始めようとした時、アスナが鋭い声で制した。そして、唇をかみしめながら僕の肩を叩いた。「コーは見ない方がいいわ。ひどすぎるから……」

 クリシュナの仇を討ちたい。そんな激しい衝動に僕は駆られ、拳を握りしめ奥歯をかみしめた。

 だが、まだ僕たちはラフィンコフィンのアジトも発見していないのだ。情報屋が血眼になって探しているがいまだに有効な情報が得られていない。ラフィンコフィンの構成員は30人前後だと思われているが、それだけの人数が隠れる建物を一つ一つ当たったがアジトは見つからなかった。現在は各層の完全マッピング作業に入っている。

 このデスゲームクリアのため攻略組はメインの迷宮区やレべリングする狩場以外行かないし、中層ゾーンのプレーヤーもおいしいサブダンジョンを中心に行動しているし、職人クラスも素材が集められる場所にしか行かない。どうしても各層に誰も行った事がない未踏破地域が存在しているのだ。ラフィンコフィンのアジトは未踏破地域の安全地帯にあると結論づけられたが、現実問題としてこのアインクラッドは広大過ぎた。

 第1層の広さは半径10キロもあるのだ。それが66層。上に行くほど狭くなるとは言え計算すると大阪府より広いのだ。それを十数人で未踏破地域を埋めていくという気が遠くなる作業に今、突入している。

「ルーシーはこの事を?」

 僕は悔しさでひび割れた声でアスナに尋ねた。

「まだ、伝えていないわ。けれど、あの二人は結婚してたから……。何があったか、ルーシーレイさんはもう分かってると思う」

 結婚すると、二人のアイテムストレージは共通化される。そして、結婚相手が死亡した瞬間、アイテムストレージは一人分の容量となりあふれた分は足元にドロップする。

 僕は踵を返すと幹部会議室から飛び出した。後ろからアスナの呼ぶ声が聞こえたが僕はそれを振り切った。

 ルーシーに会っても何ができるか分からない。いや、何もできないだろう。けれども、僕は一刻も早く彼女に会いたかった。すっかり日が落ちたグランザムの街を僕は転移門へ走った。

 

 ルーシーとクリシュナのプライベートハウスは第49層ミュージェンにある。石造りの2階建てで屋上に設置された風車がとてもおしゃれで特徴的な家だった。

 その家に近づくと物悲しい子守唄が聞こえ、僕は足を止めた。澄んだ美しい声が優しい旋律を奏で周囲の空間さえも浄化するようだった。

 ゆっくりと近づくと、ルーシーは店先のポーチに置かれた揺り椅子をゆっくりと揺らし音声記録結晶を愛おしく撫でていた。

「ルーシー」

 僕は恐る恐る声をかけた。

「コートニーちゃん。いらっしゃい」

 ルーシーは音声記録結晶をポケットにしまい込むと明るい笑顔で立ち上がった。クリシュナは実は生きているのではないかという疑念が僕の中に湧きあがった。

「ルーシー。今日もお店をやってたの?」

「その顔じゃあ、あの人の事、知ってるのね」

 ルーシーは寂しく微笑んで扉を開けた。「お茶をごちそうするわ。どうぞ」

 ルーシーに手招かれて僕は店の中に入った。

「いらっしゃいませ。ゆっくりご覧くださいませ」

 NPCの売り子が明るい笑顔で挨拶をしてきた。

 中はいつもと変わらない風景だったが、風車で動いている機織り機が糸もないのにむなしく音を立てていた。

「あら。いけない」

 ルーシーはあわてて機織り機の動力を止めた。そして、奥の応接セットを指し示した。「ごめんなさいね。2階はすごい散らかっちゃってるから。あちらに座って」

 僕は言われるまま席に座った。

 何を言えばいいのだろう。勢いだけでここまで来てしまったけれど、どうしたらいいかまったく思いつかない。

「どうぞ」

 ルーシーはそんな僕に気を遣うようにそっと紅茶を差し出してきた。

「今日も普通に仕事したの?」

 僕は何を言っているんだろう。こんな話題のチョイスは最悪だ。

「あの人がね。そうしろって言うのよ。ほんと、我がままなのよ」

 ルーシーは小さく笑いながら、僕の斜め前に座った。「音声結晶まで用意してたって事はこうなる事を予測してたのよね。それなのに、あたしには『大丈夫』の一点張りで……」

 ルーシーの頬に一筋の光が流れた。

 やはり、あの音声記録結晶はクリシュナの遺言が吹き込まれていたのだ。

「男って嘘つきだよね。コートニーちゃんも騙されないようにね」

 ルーシーの泣き笑いの顔が僕の心を締め付けた。こんな顔をさせるためにここに来たわけじゃないのに。

「ごめんなさい」

 僕はうつむいて目の前に置かれた紅茶を見つめた。何もしてあげられない自分が情けなく、勝手にあふれ出た涙が視界を歪ませた。

「来てくれてありがとう。あなたが一番乗りよ」

 ルーシーは僕の肩を優しく叩いた。「きっと、他の人はあたしになんて言おうかって悩んでるのね。あたしはあなたみたいに考える前に行動できる人って好きよ。あの人もそうだった」

「ルーシー……」

 慰めに来たはずなのに逆に慰められてしまった。

「『俺の行動は海に投げ入れた小石かも知れない。けど、この小さな石が起こす波紋がいつか世界を変えてくれる』なんてかっこいい事を言ってたわ。けど……」

 ルーシーは言葉を止めて唇をかみしめた。「そんな事より、生きてほしかった! 一緒にいてほしかった!」

 ルーシーは堰を切ったように号泣した。

 僕はとっさにルーシーの手を温めるように包んだ。彼女はその手にすがりつくようにして泣き続けた。

 

 長い時間、ルーシーは泣き続けた。ようやく落ち着いた時、店の扉が開いた。

「いらっしゃいませ。ゆっくりご覧くださいませ」

 場違いに明るいNPCの声が店内に響いた。

 僕たちはあわてて涙をぬぐうと立ち上がって来客者へ目を向けた。

「こんばんわ」

 20代前半の長い黒髪を二つに束ねた美しい女性が寂しげな笑顔を浮かべて入ってきた。

「アシュレイさん……」

 僕が声をかけると彼女は小さく手を振った。

「コートニーちゃん、来てくれてたんだ。ありがとう」

 アシュレイはそう言いながらゆっくりと優雅に歩いてきた。そして、優しく僕の肩に手を乗せた。「ごめんなさい。ちょっと、ルーシーと二人で話してもいいかしら?」

 僕はどうしていいか分からず、ルーシーに目を向けた。

「コートニーちゃん。ごめんね。ちょっと、アシュレイと打ち合わせをしなきゃいけなくて」

 ルーシーは僕の頭を撫でた。「ありがとね。元気を分けてもらったよ」

「うん……」

 僕は小さく頷いた。「それじゃ、またね」

「うん。来てくれて本当にありがとう。」

 ルーシーとアシュレイが僕に手を振った。僕も手を振りかえして店を出た。

 

 僕は転移門前広場のベンチに座った。12月に設置されていた巨大なクリスマスツリーは撤去されて、広大な跡地になっていた。

 かつてあったクリスマスツリーを思い浮かべながら見上げると、思わずため息がもれた。

 子ども扱いされた……。直感でそう分かった。確かに僕はあの二人に比べたら子供だ。ルーシーの悲しみを分かち合おうなんて大それた事までは考えなかったが、僕は寄りそう事もできないのだろうか。自分の力不足を感じた。

「コー」

 優しいジークの声が聞こえ、僕は立ち上がって振り向いた。

 そこにはヴィクトリアに騎乗したジークがいた。

「ルーシーレイさんは?」

 ジークはヴィクトリアから降りて僕の前に立った。

「今、アシュレイさんが慰めてる」

 僕はすがるようにジークの左腕を抱いた。「なんか、自分が嫌だ」

「どうしたの?」

 ジークが驚いて戸惑いの声をあげた。

「アシュレイさんより先に行ったけど、僕はルーシーに何もしてあげられなかった」

 僕はジークを見上げながら言った。「こんな風に考えてる自分が嫌だ。僕なんて大した人間じゃないのに。実際、何もできなかったのに」

「今日はコーの方が考えすぎてるね」

 ジークはそう言って僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。「コーはコーにしかできない事をやったと思うし、コーの気持ちはちゃんとルーシーレイさんに伝わったと思うよ。それに、ルーシーレイさんとアシュレイさんは仲がとてもいいし……」

「それはそうなんだけどさ」

 ジークに優しく諭されてもモヤモヤとしたものがまだ僕の頭の中に渦巻いていた。

「帰ろう。私でよければコーの気持ち、全部聞くよ」

 ジークは優しく微笑みかけて肩を抱き寄せてくれた。

「うん、ありがとう」

 僕はジークに促されて、ヴィクトリアに騎乗すると一緒に帰途についた。

 ただ、話を聞いてくれるという一言だけなのに、心を温められたのは僕にとって驚きだった。いつも僕はジークが考えこんでいると何かしら結論を押し付けている。けれども、こういうふうに結論を押し付けずにすべてを受け止めてくれるジークの懐の深さは素晴らしいと思った。

(ジークってすごい男だな)

 僕はヴィクトリアに揺られながらジークの背中を抱きしめた。

 ジークがいてくれて本当に良かった。とても頼りがいのある大きな背中に僕は身体を預けた。

 

 

 

 クリシュナが亡くなってから二週間が経った。攻略は第66層のボスを倒し、現在第67層迷宮区のマッピング作業に入っている。

 僕はルーシーが後追い自殺をしないかと心配をして何度か店を訪れてみたが、彼女は気丈に振る舞っていた。

「このゲームがクリアされて現実に戻るまで、本当に死んじゃってるのかなんてわかんないからね~」

 僕が心配そうに見つめるとルーシーは微笑みながら言った。「あたしはもう大丈夫。だから、この世界を早く終わらせて。コートニーちゃん」

 パンと肩を叩くように掴まれ、強引に回れ右をさせられた。

「うん。精一杯やるよ」

 と、僕が答えると後ろからルーシーに抱きしめられた。

「何回も来てくれてありがとう。ほんと、感謝してる」

 そう耳元で囁かれた後、ポンと背中を押しだされた。「彼が待ってるよ」

「また来るね」

 店の出口で振り向いて僕は言った。

「今度は服も買ってよね」

 ルーシーは首を可愛らしく傾けて手を振って見送ってくれた。

 

 その日の夜8時、僕とジークは自宅でディナーをとっていた。

 短い神様への感謝の祈りの後、ジークがシチューを口にしてどんな表情をするのか、僕は固唾をのんで見守った。

「だいぶ、腕があがったんじゃない?」

 僕特製シチューを口にしながらジークは微笑んだ。

「でしょー」

 僕はほっとして笑いながらジャガイモのようなものをほおばった。

 先週、僕はレベル80になって増えたスキル枠に料理を追加して、目下アスナのもとで絶賛修行中だ。

 アスナのおかげで余計な手探りなしに最短コースでスキル上げができている。ただ、半端なく……それこそ湯水のようにお金を消費している。もちろん、ジークの許可を貰ってある。おかげでアスナに誘われているセルムブルグヘの引っ越しは夢となってしまったが、お互いの装備の更新以外にお金を使うようなことがなくなったのでこんな贅沢ができるようになった。

 そんな時、アスナからメールが入った。

 僕がそのメールを開こうと手を伸ばすのと同時にジークも同じ動作をしていた。

「ジークもアスナから?」

「うん」

「なんだろうね。こんな時間に」

 僕は微笑みながらメールを開いた。

 

『お疲れ様です。

 本日、24時にギルドハウス幹部会議室に集合するように。

 この事は他のギルドメンバーはもちろんフレンドにも一切、他言しない事。

                                 以上。』

 

 僕はこのメールを読んで、しばらく考えた。『他言しない事』の中にジークは含まれるのだろうか?

「えっと……」

 ジークも戸惑いの声をあげて頭をかいた。

「一緒にいこ?」

 僕はすぐに考えを整理してジークに言った。

「あ、うん」

 ジークはまだ戸惑ったままだった。

「多分、一緒のメールだよ。大丈夫」

「なんでそう思うの?」

「だって、一緒にいる時間が一番多い僕たちに同時に送ってきたんだよ。どちらかに秘密にするなら時間をずらさなきゃならないってすぐにわかるじゃん」

「それもそうか」

 ジークはクスリと笑って食事を再開した。「なにがあるんだろうね?」

「ラフコフがらみかな。あと、可能性はめちゃくちゃ低いけど新しいクエストが見つかったとか」

「じゃあ、食事が終わったら、仮眠しようかな」

「ジークは夜に弱いもんね」

 からかうように僕は笑った。ジークはベータテストの時から徹夜でゲームができない男だった。僕とアスナの徹夜のレベル上げについてこれなくて、僕たちが戦ってるそばで寝ている事なんてしょっちゅうだ。

「生活のリズムがしっかりしてるって事だよ」

 ジークは息を一つ吐いて、一気にシチューをたいらげて両手を合わせた。「ごちそうさま」

「お粗末さまでした」

 僕はにっこりと微笑みかけて食器を片づけ始めると、ジークも一緒に片づけてくれた。

 

 僕が寝室に入るとすでにジークはベッドに横になっていた。

 この家に引っ越してきた当日、僕たちのベッドは別々のセミダブルサイズを買った。最初に設置した時は1メートルほど離して設置していたが、サプライズプロポーズがあってからそのベッドを寝室の中央でぴったりと合わせてワイドキングサイズのように使っている。ちゃんとしたワイドキングサイズのベッドを買えばいいのかもしれないが、不自由ないのでそのままにしている。

「タイマーは何時にセットした? 11時半でいい?」

 僕はジークの隣にもぐりこみながら尋ねた。さすがに夏なので布団ではなく、タオルケットだ。

「そうだね」

 ジークは仰向けのままメニュー操作をしてタイマーをセットした。

 僕もその隣で11時半にタイマーをセットすると、いつものようにジークの枕によってできている首とベッドの隙間に右腕を通した。

「仮眠だよ?」

 ジークが怪訝そうにこちらに寝返りをうった。

「うん。仮眠」

 僕はクスリと笑って、こちらを向いてきたジークに左腕を乗せて緩やかに彼の頭を抱いた。

「これじゃあ、熟睡しちゃいそうだよ」

 ジークは微笑みながら目を閉じた。

「僕が起こしてあげるよ」

 僕の胸の中で赤ん坊のように左親指を唇に押しあてながら眠り始めるジークがとても愛おしく感じた。いつもはとても男らしいのに時々見せる仕草が女の子のようで可愛らしい。きっと育ちがいいのだろう。

 ジークの頭を優しく撫でながら満たされた気持ちになって、僕は緩やかに眠りに落ちていった。

 

 

 

 日付が変わる10分前。僕とジークは幹部会議室に入った。中ではアスナ、ヒースクリフ、プッチーニが幹部席に座り、セルバンテスは行儀悪くプッチーニの前の机に腰かけていた。

「何かあったの?」

 僕はヒースクリフの隣に座っているアスナに声をかけた。

「ええ。みんなが揃ったら話します」

 アスナの副団長モードの語り口で僕は気を引き締めた。

 しばらくして、マティアスとマリオ。そして、ゴドフリーとアランが部屋に入ってきた。ゴドフリーとアランの表情は今まで見たことがないほど硬いものだった。

「全員そろったわね。急に呼び出してごめんなさい。みんな来て」

 アスナが立ち上がって部屋の中央に出た。全員が彼女にならって部屋の中央に集まった。「これからお話しする事は機密事項よ。聞いたら今日の日の出までここから出る事もメールする事も禁じます。その覚悟がある人だけ残って」

 アスナは全員を見渡した。

 もちろん、誰も出て行こうとはしなかった。

「ラフコフのアジトが見つかったわ。今から攻略組で討伐隊を編成します」

 アスナのその言葉にどよめきが起こった。「もちろん、彼らが抵抗してきた場合、彼らのヒットポイントを全損させることもあるかも知れない。それが嫌だという者はここに残ってくれていいわ。ただし情報漏えい防止のため、日の出までここから出ない事。メールも禁止」

 アスナはゆっくりと全員を見渡した。

「団長はここに残るわ。遠慮しなくていいのよ。残ったからと言って誰も責めないわ」

 そのアスナの言葉に全員がヒースクリフを見た。

「団長! 本当ですか?」

 ゴドフリーが問い詰めるように一歩前に出た。

「事実だ」

 ヒースクリフは簡潔に答えた。

「なぜですか?」

「オレンジネームとは言え、相手を殺すことは正しい事かね? 私はそういう考えに組みする事が出来ない。臆病者と笑ってくれても構わんよ」

 ヒースクリフは自嘲気味に肩をすくめて言った。

「そういう事だから、団長はここに残ります。だから、残りたい人は残ってくれて構わないわ。最悪の場合、私たちはオレンジネームとは言え人間を殺すことになるのかも知れないんだから」

 アスナはゴドフリーとヒースクリフの間に割り込んだ。

「俺、残ります」

 遠慮がちに手を挙げたのはセルバンテスだった。いつものおどけた表情ではなく厳しい表情だった。

「いいわ。他の人もいいのよ」

「俺も残ります」

 マティアスが手を挙げた。

「うん」

 アスナは頷いて了承した。そして、しばらく間を置いた。「――他はいいのね?」

 この場に残る3人以外がアスナの言葉に頷いた。

 アスナは頷いて回廊結晶を取り出した。

「ちょっと待って」

 僕はアスナを止めた。

「どうしたの?」

「ヴィクトリアも連れてっていいかな。ラフコフを追う時に役に立つと思う」

「そうね。わかったわ。それじゃ、ここに連れてきてくれる?」

「うん」

 アスナに返事をした後、僕は右隣のジークに声をかけた。「ジーク」

「うん」

 僕とジークはギルドハウス1階に待たせているヴィクトリアの所に向かおうとすると、アスナが「待って」と声をかけてきた。

「え?」

「ごめんなさい。疑うわけじゃないけど、コーはここに残って。わたしがジークリードさんと一緒に行くわ」

「わかった」

 僕はジークの左腕を放した。

 もう、作戦は始まっているのだ。アスナは僕たちから機密が漏れるとは思っていない。ただ、ここで僕たちを外に出して、万が一ラフコフ討伐作戦が誰かから漏れた場合、僕たちが疑われてしまう。アスナはそれを心配してくれたのだ。

「損な役回りをなさいますな」

 ジークとアスナが出て行った後、ゴドフリーがヒースクリフにニヤリと笑いかけた。

「いやいや。私は他人を殺す勇気がない臆病者さ」

 ヒースクリフは自分の席に座りながら答えた。「君たちの無事をここで祈っているよ」

 しばらくして、ジークとアスナがヴィクトリアを連れてきた。

「コリドーオープン」

 アスナが部屋の中で回廊結晶を使った。

 光の門をくぐった先は聖竜連合のギルドハウス内部の中庭だった。四方にかがり火がたかれていてその一角だけが昼間のように明るかった。

 聖竜連合のギルドハウスは血盟騎士団のギルドハウスの一つ上の階層にある。ハウスというより、城塞と呼んだ方がいい建物だ。今は見えないが日中であれば銀の地に青いドラゴンが描かれたギルド旗が白亜の尖塔群に翻っているはずだ。

 ざっと見ただけで150人以上が集まっているようだった。フロアボス攻略並みの人数だ。いつもの攻略組の面々以外に情報屋の顔もあった。

 僕は周りを見渡した時、ほんのわずかに違和感を感じる人がいた。情報屋の一人だろうか。この雰囲気にのまれているのだろうか? ちょっとおどおどしている。

「強襲部隊は最終ミーティングを始める。こちらに来てくれ!」

 パンパンと手を叩く音と良く通る声が中庭に響いた。「後方部隊はシュミットの方に集まってくれ!」

 どうやら、今回の指揮は聖竜連合が執るらしい。元々、聖竜連合はラフィンコフィン討伐に熱心だったから当然なのかもしれないが、強襲部隊も後方部隊も聖竜連合が指揮を執るのはいかがなものだろうか。

 そんな事を考えながら僕はジークの腕を引っ張って強襲部隊の方へ歩き始めた。

「あ、コー」

 僕はアスナに肩を引っ張られて止められた。

「何?」

「コーとジークリードさんは後方部隊」

 アスナは厳しい表情でシュミットの方を指差した。

「なんで!」

「理由は2つあるわ」

 アスナは指を2本立てて、僕の前に突きつけた。「一つ目は、強襲部隊のサブリーダーは私なの。後方部隊のサブリーダーも血盟騎士団から出さなきゃいけないのよ。二つ目は後方部隊はラフコフの逃げ場をふさぐ大事な仕事よ。この間、わたしとキリト君の追尾をしたじゃない。その力を生かしてほしいのよ」

「行かなきゃだめ?」

「だーめ」

 アスナははにかむように笑って、僕の耳元に顔を近づけて囁いた。「それに、コーを人殺しにしたくない」

「アスナ……。それはひどいよ」

 僕だけ安全な場所に移しておいて、アスナ自身は危険に身を晒し人殺しのリスクを負うのだ。そんなのは認められなかった。

「わたしのわがままっていうのは分かってる。けど、お願い……わたしに剣を振るう理由を頂戴」

「理由?」

「うん。わたしはコーを人殺しにしないために今日、剣を振る。そう思えばわたしは強くなれるから」

 アスナは僕の両肩に手を置いて、いつもと違う寂しげな微笑みを浮かべた。

 その微笑みで僕は理解した。アスナは人を殺してしまうかも知れないこの作戦に本当は参加したくなかったのだ。

「アスナ。本当は人殺しが嫌なんでしょ? それなら、僕がアスナの代わりに強襲部隊のサブリーダーをやる」

「それは駄目。これは私の責任。ここで逃げたら自分が許せなくなるもの」

 アスナは僕を叱りつけるように睨みつけた。アスナの責任感はとても強い。ここで翻意させることは無理だろう。

「わかった……」

 僕は両肩に乗せられたアスナの手に自分の手を重ねて、彼女をみつめた。「もし、アスナが他人を殺してもその罪は僕が一緒に背負う。絶対、アスナだけを悪者にしない」

「ありがとう」

 アスナはにっこり笑った後、僕の額を指でつついた。「コーって男っぽい時あるよね。今の告白っぽかったよ。ドキドキしちゃったよ」

「アスナ!」

 思ってもないアスナの言葉に僕はドキリとした。これが女の勘といった奴だろうか。

「冗談! それじゃ、お願いね!」

 アスナはアハハと笑って小鳥のように身を翻すと強襲部隊の集団へ走って行った。

「コー。私たちも行かなきゃ」

 ジークが僕の右肩を叩いて促した。

「うん」

 

 シュミットが指揮する後方部隊は情報屋を中心に80人ほどが集まっていた。

「これで全員かな? 作戦を伝える」

 シュミットが仮設置された机の上に≪ミラージュ・スフィア≫を展開して説明を始めた。

 後方部隊の役割は逃亡を図るラフィンコフィンのメンバーを捕捉、確保、あるいは撃滅する事。

 そのために各層の転移門に人を張り付けラフィンコフィンのメンバーが転移してきた場合司令部に連絡し、追尾する。

 司令部には僕たちをはじめとする実戦部隊10人が待機。連絡が入った場合、転移結晶を使って急行する手はずになっていた。

「何か質問は?」

「えっと……」

 僕は手を挙げて、シュミットが頷くのを確認して言葉を続けた。「今までの調査でラフコフの拠点に使われてる場所も分かってるでしょ? そこにも見張りを置いたらどうかな?」

「アルゴ」

 シュミットはアルゴの方を見た。

「そうだナ。そういう場所は4か所確認されていル。見張りをつけて、その場所の回廊結晶も用意しておいた方がいいかもナ」

 アルゴはミラージュ・スフィアを操作して4つのポイントを示した。

「分かった。作戦を一部修正する」

 シュミットは頷いて隣に控えている聖竜連合のメンバーに声をかけて回廊結晶を用意させた。そして、新たな作業の割り振りを指示すると腕組みをして貧乏ゆすりを始めた。

「ねえ。アルゴさん」

 僕はアルゴの耳元で囁きながら、先ほど気になった一人の情報屋を指差した。「あの人。誰?」

「ン? あれはサーベイだナ。各層完全マッピングに参加してもらってる一人ダ」

 アルゴはそう言った後、ニヤリと笑った。「200コルダ」

「お金とるの?」

 僕はクスリと笑った。

「冗談ダ」

 そう言った後、アルゴは首を傾げた。「気になるのカ?」

「いや、なんでもない」

 微妙な違和感しか感じていないのだから、これ以上詮索するのもはばかられた。僕は首を振って「ありがとう」とだけアルゴに言った。

 

 

 その後、深夜3時にラフィンコフィン討伐隊が出発した。同時に後方部隊も各転移門に向かって出発し、中庭には後方部隊の実戦部隊10名だけが残された。

 急に寂しくなった中庭を眺めながら僕は所在なく歩き回った。

 しばらく歩き回っていると、ジークが僕を見てニヤニヤ笑っているのが分かった。僕は彼に近づいて睨みつけた。

「何笑ってんの?」

「コーって、ホント、落ち着きないよね」

 ジークは我慢できなくなったようで、クスクスと声を出して笑い始めた。

「こういう性分なんだからしょうがないでしょ!」

「後方部隊のサブリーダーなんだから、シュミットさんみたくじっとしてたら?」

 僕はそう言われてシュミットに目を向けた。

 僕は確かに落ち着きないかもしれないけれど、シュミットだって貧乏ゆすりをしてるじゃないか。

「貧乏ゆすりをしてるじゃない。僕もああすればいいの?」

 さすがに普通に声に出すと周りに聞こえるかもしれないので、ジークの耳元で囁いた。

「いいんじゃなーい?」

「もう」

 僕は鼻を鳴らしてシュミットの真似をして貧乏ゆすりをしてみた。

 ジークも微笑みながら貧乏ゆすりをして見せたので、お互いに顔を見合わせて笑った。

「そういえばさ。よく、ラフコフのアジトが見つかったよね」

「ああ、ラフコフの内通者が出たらしいよ」

「そうなの?」

「ああ、事実だ」

 と、いきなり背後から男の声がしたので僕は驚いて、ジークに飛びついて振り向いた。声の主は運動部キャプテンといった雰囲気の男――シュミットだった。

「びっくりしたー」

「傷つくなあ」

 シュミットは首をすくめた。

「ラフコフの内通者の情報って罠じゃないの?」

 僕は仕返しに嫌味っぽく尋ねた。

「それは大丈夫だ。密告があってから我々は1週間内偵を進めてきたんだ」

 シュミットは角ばった顎に手をやりながら言った。「それに、密告に来てからずっと彼をここで保護してるし、今日の作戦も彼に伝えてない」

「それにしても、いきなり密告に来るなんて……」

「あの職人クラスの代表者を殺した事件があっただろ。あれで嫌気がさしたらしい」

 そのシュミットの言葉に僕は息を飲んだ。「捕らわれた彼が殺される前にいろいろ言葉を交わしたそうだ。それで改心したらしいぜ」

 もし、この作戦が成功したなら、クリシュナの死は無駄ではなかったという事になる。クリシュナの投じた小石が起こした波紋は確かに一人の人間を動かし、この世界を動かそうとしているのだ。

「そうだったんだ……。絶対、成功させたいね。この作戦」

 僕は思わず神に祈るように両手を組んで瞑目した。

「ああ。そうだな」

 力強くシュミットが答えた。

 その時、アルゴからメッセージが入った。シュミットにもメールが入ったようだ。僕とシュミットはお互いを見ながらメールを開いた。

 

『討伐計画が漏れている。ラフコフは罠を張って待ち構えている!』

 

「なっ!」

 シュミットは絶句した。「どういうことだ!」

「詮索は後! 討伐隊にメッセージを送って! アジト近くのコリドーを開いて!」

 僕はジークやシュミットを指差しながら指示を出した。

「分かった!」

 ジークはメッセージを打ちはじめ、シュミットは回廊結晶を取り出した。

「メッセージは送ったけど、もう交戦してるかも」

 ジークの言葉に僕は頷いた。討伐隊が出発してからかなり時間が経っている。確かにもう手遅れかもしれない。

「全員、集まれ! 援軍に向かうぞ!」

 シュミットは残りの実戦部隊に声をかけた。「コリドーオープン!」

「ヴィクトリア!」

 ジークはヴィクトリアを呼び寄せ、たちまち馬上の人になった。僕もジークの手をとり、ヴィクトリアに騎乗した。

「私たちは先に行くよ!」

 ジークはシュミットに叫びながら回廊結晶によって作られた光の門をくぐった。

「頼む!」

 シュミットの声を残して、僕たちは駆けた。

 

 

 

 ラフィンコフィンのアジトは第4層の外周近くの小さな洞窟型ダンジョンだった。デザイナーが作って忘れてしまったのか、マップ自動生成プログラムによって作られたのかは分からないが、まさにアインクラッドで忘れ去られた空間だった。

 ヴィクトリアの走行スピードはどんなプレーヤーよりも速い。今はこのスピードに賭けるしかない。

 回廊を抜けて2分としないうちにダンジョンの入り口が見えてきた。僕たちは交戦に備えて対毒ポーションとハイポーションを飲んだ。

 ダンジョンに突入してすぐ、僕の索敵スキルに20人ぐらいの反応が現れた。

「ジーク。この先にすぐいる。5人が10人以上に囲まれてる」

 僕は炸裂弾を握りながらジークに伝えた。

「分かった」

 ダンジョンの通路がやや広くなった場所にその集団がいた。囲まれている5人のカーソルは緑で、和風の赤鎧で統一された集団だった。間違いない。あれは風林火山。そして、それを取り巻いているのがオレンジカーソルのラフィンコフィンだ。

 風林火山のメンバーのヒットポイント表示はすでに黄色や赤色に染まっている危機的状況だった。しかも彼ら全員に麻痺を意味するマーカーが不気味に点滅していた。

「助けるよ」

 ジークは力強く言った。

「もちろん!」

 僕は炸裂弾を投擲スキルで輝かせて≪メテオシャワー≫を放った。

 ラフィンコフィンメンバーすべてにメテオシャワーの洗礼が浴びせられた。

「ひるむな! これは見かけだけだ」

 ラフィンコフィンの奴らからそういう声が聞こえた。確かにメテオシャワーは見かけ倒しと言っていい。ダメージエフェクトは全身を包むほど派手だがダメージはほとんど発生しないのだから。

(あの声……)

 聞き覚えがある。大みそかの夜に行われた大虐殺の模様が記録された映像結晶を僕は一度アルゴから見せてもらったことがある。その冒頭でフードを目深にかぶった男の声……。

『イッツ・ショウ・タイム!』

(この中にPoHがいる!)

 僕の頭の中で火花が散った。クリシュナの仇をとる千載一遇のチャンスだ。

「コーとヴィクトリアはみんなの回復を!」

 ジークはヴィクトリアでラフィンコフィンの包囲を蹴散らして飛び降りると、ラフィンコフィンのメンバーを盾で突き飛ばし剣で薙ぎ払った。

 ヴィクトリアがジークの命令を了承するいななぎをあげて、クラインの麻痺状態を回復させた。僕もヴィクトリアからクラインのそばに飛び降りた。

「ヒール!」

 僕の声で回復結晶が砕けクラインを回復させる。レッド状態だった彼のヒットポイントバーがたちまち緑へ回復した。

「すまねぇ」

「他の人の回復を!」

 僕は言い捨てて、次にヴィクトリアが解毒したテンキュウを回復結晶で回復させた。

「ありがとう」

 テンキュウの笑顔がたちまち凍りついた。「ジークリードさんが危ない!」

 僕はテンキュウの視線の先へ目を向けた。

 ジークがラフィンコフィン二人と切り結んでいる。すでにヒットポイントはイエローになりつつあった。ジークの背後にいる5人が短剣を今まさに投げようとしていた。その中の一人はラフィンコフィンの幹部、ジョニー・ブラックではないか!

 僕は回復結晶を手にジークの背中に飛び込んだ。自分でも信じられないスピードだった。周りから見たらまるで僕がテレポートでも使ったように見えたかもしれない。

「ヒール!」

 回復結晶が砕け散りジークのヒットポイントが全快になった。

 同時に僕の背中に複数の衝撃が走った。ジョニー・ブラックたちが放った短剣なのだろう。僕はジークと違って装甲はそれほど厚くない。たちまちヒットポイントがイエローまで落ち込んだ。

「ジークの背中は僕が守るよ。勝負はこれから!」

 僕はジークにそう声をかけて振り返った。

 目の前に茶色のフード姿の男が忽然と現れ無造作に巨大な中華包丁をソードスキルで輝かせて振るった。突然すぎてガードも間に合わなかった。

「う……そ……」

 巨大な中華包丁はPoH愛用の友斬包丁だ。それによる衝撃が首を走り、視界がぐるぐると回転した。

 何が起こったのだろう。

 僕の視線は衝撃と共に地面すれすれに堕ち、視界の隅で血盟騎士団の制服をまとった僕の身体が細かいポリゴンとなって砕け散った。

(なんなの?)

 事態がまったく飲み込めない。

「コー!」

 ジークの叫び声がなぜか遠い。ものすごく高い所から僕を見下ろしている。

(そうか、僕は今、首だけなんだ……)

「さすが、ヘッドぉ~。血盟騎士団の幹部様ゲットぉ」

 妙に浮ついた声はジョニー・ブラックだろうか。

「ふっ。黒毛のほうか。どうせなら栗毛の閃光様を殺りたかったぜ」

 PoHの渋い声が聞こえ、やっと自分の絶望的状況が理解できた。

(僕は死ぬんだ……)

「ごめんね。ジーク」

 僕の目に涙があふれてきて、もうジークの顔が判別できなくなった。

「うわあああああああああああ!」

 ジークの叫び声が聞こえた。今までに聞いたことがない悲しい絶叫だった。「ヴィクトリア! こいつらを殺せ!」

 僕の視界が涙で歪む中、視界の隅ではっきりと表示されている自分のヒットポイントバーがみるみるうちにその幅を狭めていった。

 

 さよなら。ジーク。どうか、君だけはこの狂った世界を生き延びて現実世界へ帰って。

 

 視界全体がヒットポイントの危機状態を知らせるためマゼンタ色のフィルターがかかったように赤く染まる。

 

 ジーク。死なないで。

 

 遂に視界が暗転した。もうジークの絶叫と剣と剣が激しく切り結ぶ金属音しか聞こえない。

 そして、簡潔な赤いフォントによる宣告とビープ音。

 

≪You are dead≫

 

 もう、なにも見えない。聞こえない。

 ひどいよ神様。これがずっとジークを騙してきた僕に対する罰ですか? けれど、どうかジークだけは助けて。ジークを守って。ジークだけは……。

 僕は暗闇の中ただそれだけを祈った。




うう。悲劇にすると評価下がるんだよね(ガクブル)
次の話まで評価は待ってね(ぉぃ)

今回、推敲もろくにせずにアップしてます。あちこちに誤字脱字、文法の間違い、くどい表現などがあるかもしれません。何度か読んで直していくつもりですが、お気づきの点がございましたら、ご指摘くださいませ。
それはともかく、起承転結の『転』までやってまいりました。世界が崩壊するほどの転ではありませんので、ご安心下さい。
アインクラッドの残りカレンダーはあと3か月です。残りわずかになってきましたが、これからもよろしくお願いいたします。


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第23話 私の太陽 【ジークリード10】

 コーが放ったメテオシャワーでダンジョン内が輝いた。

「ひるむな! これは見かけだけだ」

 ラフィンコフィンからそういう声が聞こえた。この声はPoHだ。私は気を引き締めた。

 確かにPoHの言う通りだ。メテオシャワーは派手なダメージエフェクトとわずかなノックバックがあるだけで、ダメージ自体は大したことがない。だが、そこに生じる隙が私たちにとって重要だ。

「コーとヴィクトリアはみんなの回復を!」

 私は動きを止めたラフィンコフィンの包囲網の一角に乗り込み、ヴィクトリアで数人を蹴り飛ばした。そして、ヴィクトリアから飛び降りるとラフィンコフィンのメンバーを盾で突き飛ばし、剣で薙ぎ払った。

 ユニコーンのヴィクトリアはヒットポイントの回復能力はないが、解毒能力がある。麻痺状態に陥っている風林火山メンバーの助けになるだろう。

 風林火山メンバーの回復はコーに任せて、私は目の前のラフィンコフィンに集中した。

 彼らの人殺しの宴をぶち壊そうと乱入した私は招かれざる客だ。彼らは怒りをあらわにして私を取り囲み次々と斬撃を浴びせてきた。

 一人一人は大したことはない。おそらく、デュエルで戦えば即座に倒せるほどの力の差がある。しかし、彼らの気迫と狂気は私との力量の差を埋めようとしていた。

 彼らを殺してしまうかも知れない。そんな思いが私の切先を鈍らせ、隙を生じていくつもの痛撃を受けてヒットポイントバーが黄色に染まってしまった。

(まずい!)

 気持ちを切り替えなくては。分かってはいるのにどうしても斬り結ぶ相手のヒットポイントを気にしてしまう。

「ヒール!」

 背中でコーの声が聞こえ、私のヒットポイントはたちまち満タンになった。同時にコー身体にいくつもの短剣が命中する音が聞こえた。「ジークの背中は僕が守るよ。勝負はこれから!」

 コーの言葉は私の心を奮い立たせた。私はクスリと笑って迷いを振り払い、目の前で切り結んでいたラフィンコフィンの男を斬り飛ばしそのヒットポイントを赤に染め上げた。そして、コーへ笑いかけようと背中に目を向けた。

「う……そ……」

 コーの絶句の声。コーの首に真一文字にソードスキルの光が走ったかと思うと、彼女の首が宙を舞った。

「なっ」

 今度は私が絶句する番だった。コーのヒットポイントは確かにイエローまで落ち込んでいたが、こんな事があるのか。

 切り離されたコーの首からダメージエフェクトがまるで血のように吹き上がった。そのエフェクトの向こうには口元にふてぶてしい笑みを浮かべた茶色のフード姿の男がいた。手にしている武装は≪友斬包丁≫だ。ということは彼がPoHなのか。

 どさっ。

 嫌な音を立ててコーの頭部が地面に落ち転がって視線が合った。同時に視界の隅でずっと愛してきた彼女の細い身体がポリゴンの欠片となって砕け散った。

「コー!」

 絶叫し、動きを止めた私の背中にいくつもの衝撃が走り、胸から剣が突き抜けた。

「さすが、ヘッドぉ~。血盟騎士団の幹部様ゲットぉ」

「ふっ。黒毛のほうか。どうせなら栗毛の閃光様を殺りたかったぜ」

 ラフィンコフィン同士の会話を聞いて私は呆然とした。

「ごめんね。ジーク」

 地面に転がっているコーの首から悲しげな声と涙が流れ私の何かを壊した。

「うわあああああああああああ! ヴィクトリア! こいつらを殺せ!」

 私は絶叫してPoHに猛然と駆け出した。

「そいつを止めろ! ヘッドに近づけさせんな」

 ジョニー・ブラックがそう言いながら私の前に立ちはだかった。そんな彼をヴィクトリアが憤怒のいななぎをあげながら蹴り飛ばした。

 入れ替わるように駆けつけるラフィンコフィンのメンバーを私はためらいなく斬り、突き殺した。そして私の剣はついにPoHを捉えた。

 数合剣を打ち交わす。

「すっかり、人殺しの目だな。お前もこのゲームを楽しもうぜ」

 クククと笑いながらまるでDJのような軽やかな口調でPoHが語りかけてきた。

 いつもであれば動揺したかも知れない。けれども、今はPoHの言う言葉が理解できない。私は怒りの感情に突き動かされたまま剣を振るった。

 再びラフィンコフィンのメンバーがPoHとの間に立ちはだかったが、私はそれを一蹴して再びに間合いを詰めた。

 あらゆる方向から短剣が飛んできて私の身体を突き刺し、私の視界は赤く染まりヒットポイントが危険域に入った事を知らせた。

「お前だけは!」

 殺す! そんな絶対の誓いと意識だけが私を殺人へと駆り立てた。

 私は振り下ろされてきた友斬包丁を盾で薙ぎ払って、生まれた一瞬の隙にヴォーパルストライクをPoHの心臓を狙って繰り出した。この間合いであれば討ちもらすことはない。そう確信し、私の口元が歪む。

 その時、踏み出した足先にいきなり、ポーションが転がった。その事で私の剣先がわずかにずれた。

 コーが死んだためにアイテムストレージからあふれたアイテム類が私のまわりに無造作に転がったのだ。

 わずかに心臓からずれた倶利伽羅剣がPoHの左胸を貫き、ヒットポイントを一気にレッドゾーンに追い込んだ。

 剣先が逸れなければ間違いなくヒットポイント全損に追い込むことができただろうが、運命のいたずらで逸らされた剣先のためにPoHの反撃を許すことになった。

「Suck!」

 PoHの短い気合の声で私の右手が斬り落とされた。彼の表情に勝利の確信の笑みが浮かんだ。

「まだだぁ!」

 私は盾≪マゲン・ダビド≫をPoHに投げつけた。マゲン・ダビドの裏に納められた≪ゴライアスソード≫を抜き出してシャープネイルを繰り出した。命中すればPoHのヒットポイント全損に追い込むことができるはずだ。

「ヘッドぉ!」

 私のシャープネイルはジョニー・ブラックのソードスキルによって弾き飛ばされた。

「ぬ!」

 そこへ容赦なくPoHの友斬包丁が私の左腕を切り飛ばした。

「死ねぇ!」

 ジョニー・ブラックの短剣がソードスキルで輝き、私に向けられた。

(ごめん。コー。私、君のために何もできなかった……。でも、これでコーと一緒にいれるね)

 両手を失った私は微笑みを浮かべて告死の刃を見つめた。

「うらぁ!」

 雄々しい絶叫と共にジョニー・ブラックの刃を跳ね上げたのはテンキュウだった。

「ヒール!」

 クラインの声で私のヒットポイントが全快となり、赤く染まっていた視界が一気に通常の風景に戻された。

 わたしとラフィンコフィンの間にたちまち風林火山の壁が築かれ、一気にラフィンコフィンを追い込んだ。罠のような不覚を取らなければ、ラフィンコフィンは風林火山の敵ではなかった。

「引け!」

 PoHが苦々しく命令を下した。

(行かないでくれ)

 私は撤退していくラフィンコフィンを呆然と見つめた。(私をコーの所へ送ってくれ)

「みんな……。みんな、すまねぇ!」

 突然、クラインが苦しそうに叫んだ。

「リーダー。使ってください!」

 テンキュウがラフィンコフィンのメンバーを蹴り飛ばしながら言った。

 あちこちから「いいです!」とか「使ってください!」という声がクラインに次々とかけられた。

 私の前でクラインはメインメニューを操作して美しい宝珠を実体化させた。

「蘇生。コートニー!」

 クラインの声で美しい宝珠は結晶アイテムのように砕け散った。

 ≪還魂の聖晶石≫。去年のクリスマスでたった一つだけ配布された奇跡のアイテム……。

「ああ……」

 私の目の前に光が集まり人型へ変わり輝いた。涙で視界が歪んでもその姿は見間違える事はない。

 初期装備のワンピース姿のコーが光をまとって現れて、呆然とした表情で一歩を踏み出してバランスを崩した。私はあわててコーを抱きとめた。

「あれ……。どうして?」

 コーの呟く声が私の胸の中から聞こえてきた。

「クラインさん。ありがとうございます」

 もう、私の言葉は泣き声まじりで途切れ途切れになっていた。

「いいってことよォ」

 ヘヘッというクライン独特の笑い声が聞こえた。「50層のボス戦で助けてもらった礼もしてなかったし、今日はみんなを助けてくれからな」

「そうそう。俺たちがお礼を言いたいぜ」

「よかった」

 他の風林火山メンバーからも安堵のため息と優しい言葉がかけられた。

「ありがとう。ありがとう」

 もう、それ以外の言葉が浮かんでこない。私はしっかりとコーを抱きしめた。両手を失っていなければもっとしっかりと抱きとめることができたのに……。

「テンキュウ。ジークリードの手が復活するまでここで二人をガードしてくれ。オレらは本隊と合流するぜ」

 クラインがそう命令を下すと全員から「承知!」と団結力のある返事がダンジョンに響いた。

「てめーら。これで残機ゼロだからな。死ぬンじゃねーぞ!」

「応!」

 風林火山はテンキュウと私たちを残してラフィンコフィンを追ってダンジョンの奥へ向かった。

 その後すぐにシュミットが率いる後続部隊が来てクラインたちの後を追って本隊の援軍に向かった。

 3分間の部位欠損ペナルティーが明けて、私は両手を取り戻すと地面に落ちたアイテムを拾い始めた。コーが復活した事でアイテムストレージが再び二人分になった。

 コーは死んだことがショックだったのか、白いワンピース姿のまま呆然と地面にぺたりと座ったままだ。その姿はまるで生まれたての妖精が初めての地上世界に戸惑っているように見えた。

 二人でアイテムを拾えばすぐに回収できそうだったが、さすがに今、それをお願いする事は出来そうもなかった。

「ジークリードさん。これ……」

 テンキュウが一つのアイテムを手渡してきた。それはヴィクトリアの角だった。

 アイテム名は≪ヴィクトリアの心≫。私の無謀な命令のためにラフィンコフィンに殺されたのだ。ヴィクトリアがいつ殺されたのか私はまったく覚えていない。私は本当にひどい主だ。

「ありがとうございます」

 私はそれを受け取ってアイテムストレージに入れた。使い魔の蘇生についてはすでに情報が出ている。3日のうちに使い魔の蘇生アイテムを手に入れればいい。確か、第47層のフィールドダンジョンだから私一人でも取りに行けるだろう。

「コー。そろそろ鎧を着たほうがいい」

 ほとんどのアイテムを回収し、私はいまだに呆然としてるコーに声をかけた。

「あ……。そうだね。あっちを向いてくれる?」

 コーは我に帰って左手でダンジョンの壁を指差した。

「ごめんごめん」

 私とテンキュウはあわててコーに背中を向けた。

 背後でメインメニューを操作する電子音が聞こえた。ひどくゆっくりだ。まだ、動揺が収まっていないのかも知れない。

「いいよ。ありがとう」

 その声で振り向くといつもの血盟騎士団姿のコーが立っていた。そして、はにかむように微笑んで左手で私を手招きした。「ちょっと、ジーク」

「もう、大丈夫ですね。私はリーダーの所に戻ります」

 テンキュウがニヤリと笑って手を振って踵をかえした。

「あ、待ってください」

 コーがテンキュウを呼び止めて深々とお辞儀をした。「ありがとうございます」

「気にしないでください。じゃあ。また後で!」

 テンキュウはそう言い残してダンジョンの奥へ走って消えた。

「ジーク。どうしよう……」

 泣き笑いの表情を浮かべてコーが私を見つめた。

「どうしたの?」

 私は優しく声をかけながら抱き寄せた。

「右手が動かない……」

 蒼白の頬に一筋の涙が流れた。

「え?」

 私は慌ててコーの右手を取った。ぬくもりはしっかりとあるが、まったく力が入っていない。

「感覚はあるんだけど、全然動かない」

 コーは自分の右手を見つめながら呆然と言った。

「そんな……」

 私はコーの右手を温めるように両手で包み込んだ。「でも、一時的なものかもしれないし、時間をおけばよくなるかもしれないよ」

「そ、そうだよね」

 コーは左手で両目の涙を交互にぬぐった。「ごめんね。僕、まだ、動揺してるのかも知れない」

「もし、ずっとこのままでも私がいるから」

「うん。信じてる」

 コーはにっこりと微笑んで私の手に左手を重ねた。

 

 

 

 コーが落ち着きを取り戻したところで私たちは奥に進んだシュミット隊と合流した。

 その時、本隊はラフィンコフィンの生き残りを武装解除に追い込み、黒鉄宮の牢獄へ送っている最中だった。

「いつか、必ず、貴様らを、殺す」

 最後まで残っていたザザが毒を吐き捨てて牢獄につながる光の門をくぐった。これで、ラフィンコフィン討伐は終了を迎えた。

 その後、ラフィンコフィン討伐隊は聖竜連合の中庭に戻り、点呼と戦果が確認され情報共有された。

 ラフィンコフィン討伐隊の犠牲者は11名。一方、ラフィンコフィンの死者は21名。武装解除に応じて牢獄に送られたのは12名。その中には幹部のザザ、ジョニー・ブラックも含まれている。

 逃亡を許したのはたった1名。ラフィンコフィン討伐隊はほぼその目的を果たしたのだ。しかし、逃亡を許した1名というのはあのPoHだった。その点は気になる所だが、ラフィンコフィンが討伐されほぼ壊滅したという情報は必ずプレーヤー達に波及するはずだ。今度はそう簡単にPoHに協力しようという者は現れないだろう。

「コー!」

 アスナが駆け寄ってコーを抱きしめた。「クラインさんから聞いたわ。大丈夫?」

「う、うん」

 コーは明るい笑顔を浮かべてアスナを抱きとめた。「クラインさんのおかげで助かったよ」

 血盟騎士団のメンバーと風林火山のメンバーがアスナの後を追ってゆっくりと歩いてきた。私はクラインに改めてお礼を言った。

「クラインさん。本当にありがとうございます」

「落ち着いたみてェだな」

 コーの明るい笑顔を見てクラインは微笑んだ。

「はい。おかげさまで」

「あれ?」

 アスナは突然コーから身体を離し、コーの右手を取った。アスナはすぐにコーの異常に気付いたらしい。「どうしたの。右腕」

「いやー。なんか、動かないんだ」

 コーは明るく笑いながら言った。

「笑い事じゃないでしょう!」

 アスナが声をあげてコーを見つめた。

 血盟騎士団と風林火山のメンバーから驚きと戸惑いの声が漏れた。

「マジかよ。なんかのバグか?」

 私の近くにいたクラインが吐き捨てるように言った。

「普通だったらGMコールしたいところですが、今は……」

 テンキュウが厳しい表情で首を振った。

「一時的なものかもしれないしさ。なにより、僕は生きてるんだよ。本当なら死んでたんだから」

 コーはにっこりとアスナに微笑んで、動かない右手を握りしめているアスナの手に左手を重ねた。

「でも……」

 そう言うアスナの手をほどいて、コーはクラインの前に立って深々とお辞儀した。

「クラインさん。本当にありがとう。僕なんかのために大切なアイテムを使ってくれて」

「い、いいってことよォ」

 クラインは照れるあまり言葉がどもっていた。「こっちだって2回も助けてもらってるからな」

「お礼はいつか、≪精神的に≫っね!」

 コーが首を可愛らしく傾け微笑み、クラインの決め台詞を口にした。

「お、おう」

 クラインは頬どころか顔全体を赤く染めて照れくさそうに頭をかいた。「期待してるぜ!」

「リーダー、どういう期待してるんですか!」

 テンキュウがため息をつきながらツッコミを入れると私たちの間に笑顔がこぼれた。

「ねぇ。コー」

 微笑んでいたアスナが表情を改めてコーに話しかけた。「団長に相談してみましょう。なにか解決策があるかも知れないし」

「おお。それいいね! ナイスアイディア!」

 コーは笑顔を輝かせてアスナに同意した。

「じゃあ、ギルドハウスに戻りましょう」

 アスナは血盟騎士団メンバーに視線を走らせた。

「了解」

「じゃあ、俺はキリの字とちょっと話してくらぁ」

 クラインは私たちに手を振った。そう言えばキリトは今回の討伐戦で二人を倒した。その事で相当ショックを受けているようだった。クラインとしてはそんなキリトを放っておけないのだろう。

「クラインさん。本当にコーを助けてくれてありがとう」

 アスナがお礼を言って頭を下げた。自然に私たち血盟騎士団全員がクラインに頭を下げて感謝の気持ちを表した。

「へへっ。それじゃあな!」

 クラインは照れくさくてたまらないのだろう。片手をあげて手を振るとすぐに踵をかえして歩き始めた。

「風林火山のみんな。またね!」

 コーが左手を大きく振って笑顔を振りまいた。

 コーの言葉と笑顔に風林火山メンバー全員がうっとりとした笑顔を浮かべて手を振りかえしてきた。

「行こう」

 ちょっと嫉妬に駆られた私は思わず、コーの肩を抱いてアスナの後を追った。

 コーはそんな私に微笑んでアスナの所に走って行って、耳元で囁いた。

「アスナ、クラインさんと一緒にキリト君の所に行った方がいいんじゃないの?」

「キリト君とはそんなんじゃないったら!」

 アスナが大声で否定したので血盟騎士団だけでなく、周りの攻略組の衆目を集めてしまった。「もう、コーのバカ」

 アスナが頬を朱色に染めて言うと、血盟騎士団メンバーから笑いがこぼれた。それを制するようにアスナは全員を睨みつけた。「帰るわよ!」

「了解」

 血盟騎士団メンバーの返事はいつもの厳しいものではなく、人間らしい暖かさがあるものだった。

 

 

 

 ギルドハウスの幹部会議室に戻った時には、空が白み始めていた。間もなく朝日がこの幹部会議室を明るく照らすだろう。

 幹部会議室で残っていたヒースクリフとセルバンテス、マティアスにアスナがラフィンコフィン討伐の顛末と被害と戦果について報告した。そして、コーが死にクラインの≪還魂の聖晶石≫によって生還したものの右手がまったく動かない事が伝えられるとさすがのヒースクリフも驚きの表情を見せた。

「団長。コーの右手はなんとかなるものなのでしょうか?」

 アスナが質問を投げかけると、ヒースクリフはゆっくりと手を組んでしばらく考えていた。

「コートニー君。右腕は動かないだけかね? 感覚とかはあるのかね?」

 5秒ほど考えていたヒースクリフは視線をコーに向けた。

「触ればちゃんと暖かさも感じます。ただ、動かないんです。自分のイメージではちゃんと動いている感覚があるのに力が入らない感じ……」

 コーは左手で右手を握りながら答えた。

 ヒースクリフは「ふむ」とつぶやくと再び考え始めた。

「団長……」

 アスナが心配そうに声をあげた。

「情報屋の話によると≪還魂の聖晶石≫が使用できる時間は死んでからわずか約10秒だったかな。つまり、この世界のアバターが消えてから10秒後に脳破壊シークエンスが走るのを止めるアイテムなのだろう。脳破壊はナーヴギアに搭載されているマイクロウェーブ発生素子がリミッターを外され高出力を発する事で行われる」

 ヒースクリフはそこまで言って、しばらく考えると言葉を継いだ。「考えられる可能性は3つ。脳破壊シークエンスが走り始めたためにナーヴギアの脳感覚受信素子が破壊された。または脳破壊シークエンスのためにコートニー君の脳の一部が焼かれた。あるいはその両方が発生したか。この3つだろう」

 『コーの脳の一部が焼かれた』そのヒースクリフの言葉に私は背筋に冷水が浴びせられたように震えた。

「脳が焼かれてるなんて、そんな……」

 アスナの今にも泣きだしそうな声が幹部会議室に響いた。「なんとかできないんですか」

「言い方が悪かったな。可能性で一番高いのは一番目に言ったナーヴギアの脳感覚受信素子の破壊によって右腕が動かないというものだ」

 ヒースクリフは組んでいた手をほどいてアスナに言った。

「なぜ、そう断言できるんですか?」

 私はヒースクリフに尋ねた。

「もし、脳破壊シークエンスによって脳が焼かれた場合、その影響は『右腕が動かない』などにはとどまらないはずだ。もっと深刻な事態になっているはずだ」

 ヒースクリフはそう言うと左手で頭頂部から左側面をなぞって教師のような口調で言葉を続けた。「このあたりに一次運動野という物があってナーヴギアはここで発生している微弱な信号を拾って我々のアバターを動かしているのだ。恐らく、コートニー君はナーヴギアのほんの一部に欠損ができただけだろう。いわゆる、入出力の……」

「団長。だから、それはなんとかならないんですか?」

 私は滔々と説明するヒースクリフにイライラしてその言葉をさえぎった。

「すまないね。つい、講義口調になってしまった」

 ヒースクリフは自嘲の微笑みを浮かべた。「そうなってしまった場合の対処方法はナーヴギアのリソースノートに記載があったはずだ。だが、それは今はできないだろうね」

 リソースノート。確かナーヴギアに添付されていたDVDメディアのマニュアルだ。セッティング方法などの簡単な説明書は紙だったが、トラブルシュートなど詳しいナーヴギアの使い方についてはDVDに記録されていた。見るのもうんざりするほどの量なので私は目も通していない。

 そんなリソースノートの内容を記憶しているとは……。ヒースクリフの記憶力はまったく途方もない。

「なぜですか?」

「なぜなら、ログアウトしてあの退屈なキャリブレーションをやりなおさねばならないからだ」

 ヒースクリフは静かに言った。「ログアウトなど現状できるはずがない。だから今、できる事はとにかく動かす努力をする事だ。そうすればいずれナーヴギアが自動補正してくれるかも知れない。確証はまったくないが」

「そんな……」

 コーの右手はもう動かないのだろうか? そう考えると私の目の前は真っ暗になった。

「団長。さっき言ってた3つの可能性の確率はそれぞれどんな感じですか?」

 コーの問いかけは感情が消えていた。動揺する自分を必死に抑えているのだろう。コーの心情を想うと私の心は張り裂けそうになってしまう。

「ナーヴギアのトラブルが九割、脳の損傷が一割、複合はほぼゼロだが可能性がある。と言ったところかな」

 ヒースクリフは手を再び組んだ。

「うん。わかった」

 コーはにっこりと微笑みを浮かべて周りの血盟騎士団メンバーを見渡した。「みんなに二つお願いがあるんだけどいいかな?」

「なに?」

 メンバーを代表するようにアスナが問いかけた。

「団長が言った説明は風林火山の人たちに言わないで。もしかすると、≪還魂の聖晶石≫を使ったのが遅かったせいだってクラインさんが自分を責めるかも知れないから」

 綺麗な透き通る声でコーが言った。

「わかったわ」

 アスナの言葉に重ねるように他の全員が頷いて、コーの言葉を了承した。

「もう一つはお願いというか、ごめんなさいなんだけど……。僕、しばらく攻略から外れるね」

「コー!」

 アスナが慌ててコーに駆け寄って手を取った。

「だって、これじゃ戦えないし、みんなに迷惑かけちゃう」

「でも……」

「誤解しないで、アスナ。僕『しばらく』って言ったよね。必ず帰ってくるよ! 楽しみにしてて、左手一本でアスナを瞬殺しちゃうぐらい強くなって帰ってくるから!」

 コーは明るくにっこりと笑って血盟騎士団メンバーを見渡した。「みんなもそんな顔しないで。こんなの、大したことじゃないんだから。ただ、ちょっとだけ、時間をください」

「団長。私も一時攻略から外れます。コーのサポートをしたいので」

 私はヒースクリフを見据えて言った。もっとも、否定されても従う気は全くなかったが。

「そうだな」

 ヒースクリフはため息をついて頷いた。「その方がよいだろう。貴重な一流プレーヤーの君たちを失うのは痛いが仕方あるまい」

「ありがとうございます」

 私は頭をヒースクリフに下げた後、コーに視線を向けた。

 コーは声に出さず「ありがとう」と口だけを動かして、私に微笑みかけてくれた。

「さっ。みんな。ラフコフ壊滅のめでたい日なんだから、ミニパーティーしよ!」

 コーが明るい声で提案した。

「ええ? 今から?」

 アスナが驚いて目を丸くしながら聞き返した。

「ちょっとだけ! きっと団長がいいドリンクを出してくれるよ!」

「いいだろう」

 コーの笑顔にヒースクリフは苦笑するとメインメニューを操作して何やらボトルを2本実体化させた。

「おぉ。酒だ!」

 ゴドフリーが身を乗り出して、ヒースクリフが手にしているボトルを覗き込んだ。

「こっちは未成年用。こっちは大人用だ」

 ヒースクリフはニヤリと笑みを浮かべてボトルをそれぞれ掲げながら説明した。

「あー! 年齢差別はんたーい!」

 コーが口をとがらせて抗議の声をあげた。

「おこちゃまはジュースな」

 ゴドフリーが哄笑しながらコーの頭をガシガシと力強くかきまわした。

「こら! 僕はアラン君じゃないぞ!」

 コーが笑いながらゴドフリーの手を払いのけた。

「コートニーちゃん。それはないよぉ」

 アランの情けない声で幹部会議室が笑いに包まれ、宴が始まった。

 

 

 

 コーが言う≪ラフコフ討伐記念パーティー≫はみんなが徹夜明けで居眠りする者が続出して、1時間も経たないうちにお開きになった。

 コーは宴の間ずっと笑顔を振りまき、私をほっとさせた。右手が動かない事を受け止め、これから未来の事を考えているその姿に私は尊敬の念を抱いた。

 ヴィクトリアを失っているので、私たちは歩いて自宅に戻った。

 玄関の扉を開いて中に入ると、私はほっと一息をついた。いろんな事があった。本当に長い一日だった。

 私たちは睡眠のため寝室に入り、パジャマに着替えた。

 コーがいきなり私の前に回りこみ抱きしめてきた。

「コー?」

「ごめん。頑張りすぎちゃった」

 コーは私の腕の中から私を見上げ、一筋の涙が頬を濡らした。「なんで、こうなっちゃったのかな。本当に僕の身体は大丈夫なのかな? こんなの嫌だよ。怖いよ」

「コー」

 私はコーを励ますように抱きしめた。

 震えるコーの体が心なしか、いつもより小さく感じられた。

 私はコーを誤解していた。彼女は右腕が動かないという事を受け止めきれてなどいなかったのだ。私は自分の愚かしさに苛立ちながら強くコーを抱きしめた。

「ジークをしっかり抱けなくなっちゃった」

 コーは左腕だけで私を抱きしめ、涙声で途切れ途切れになりながらそう言うと一気に泣き崩れた。

「私がコーの分まで抱きしめてあげる」

 私はコーを抱き上げてゆっくりとベッドに寝かせると隣に寄りそった。「今日はゆっくり寝て。ずっと私がそばにいるから」

「うん。ありがとう」

 コーはすがりつくように私の胸の中で泣き続けた。

 私はコーを抱きしめながら「大丈夫だよ」と囁きながら彼女が寝付くまで何度も頭を撫でた。

 

 目を覚ますと、私は白く柔らかい空間に包まれていた。コーを胸に抱いて寝ていたはずなのに、いつの間にか私が甘えるように彼女の胸の中で眠ってしまったらしい。

 私はいつもそうだ。この世界に来てからずっとコーに甘えて生きている。もっと、もっと強くならなければ。コーが安心して笑えるように、甘えられるように。

 私はコーが目を覚まさないようにそっと彼女の胸から抜け出した。そして、全ての素肌があらわになっている彼女に柔らかくタオルケットをかけた。

 時間は夕方になっているようだ。部屋の中が夕日でオレンジ色に照らされている。

 今は眠れそうもない。コーが目を覚ますまでそばにいよう。

 私はコーの隣で横になって、彼女の寝顔をじっと見つめた。とても安らかな寝顔に私の頬が緩む。コーが生きていて本当に良かった。たとえ、右腕が動かなくても言葉を交わせる。ぬくもりを感じる。彼女のためなら私は何だってできる。

 その時、玄関の扉がノックされる音がした。

(こんな時間に誰だろう?)

 私はコーが起きないようにゆっくりと身を起こして玄関に向かいながら、メインメニューを操作して室内着に着替えた。

「はい?」

 と、扉を開けるとそこにはアスナとリズベットとルーシーレイがいた。

「こんちゃー」

 リズベットが明るい声で微笑んだ。「コーにプレゼント持ってきたんだけど、いる?」

「こんにちわ」

 ルーシーレイは穏やかな笑顔で小さく頭を下げた。

「ごめんね。ジークリードさん。明日にしようって言ったんだけど、リズがどうしてもって言うもんだから」

 アスナが両手を合わせて言った。

「アスナだって早い方がいいって言ってたじゃん」

 頬を膨らませてリズベットはアスナの小脇をつついた。

「とりあえず、上がってください」

 私は3人をリビングに通して、コーが寝ている寝室へ向かった。

「コー?」

 私が寝室を覗くと、コーは右手を左手で支えながらメインメニューの操作をして着替えていた。

「アスナとリズの声が聞こえたけど」

「うん。あと、ルーシーレイさんも来てるよ」

 私はそう言いながらコーに手を差し伸べた。

「ありがとう」

 コーはにっこり笑ってわたしの手を取ってベッドから立ち上がった。そして、小走りでリビングに向かった。

「ごめんねー。起こしちゃって」

 リズベットがコーの姿を見て笑顔を向けた。

「ううん。ちょうど起きようと思ってたから」

 コーも微笑み返しながら左手を振った。そして、リビングのソファーを指差して言葉を続けた。「みんないらっしゃい。立ってないで座って、座って」

「じゃあ、私はお茶をいれるよ」

 私はそう言い残してキッチンに向かった。

「ごめんね。ありがとう」

「いいよ。コーも座ってて」

 私はお茶の準備をしながら言った。

「で、どうしたの? みんなそろって」

 コーがそう問いかけると3人は顔を見合わせた。

「えっと……」

 中央に座っていたリズベットがメニュー操作をして大きな箱を実体化させた。「アスナからコーの事を聞いたんだ。これ、試しに使ってみて!」

 テーブルに置かれたのは鏡が中央にはめ込まれた大きめの箱だった。

「何? これ」

 コーは机に置かれた箱を見つめて尋ねた。

「ミラーボックスっていうの」

 ルーシーレイが立ち上がってコーの隣に移動して座るとコーの手を箱に開けられた二つの穴にそれぞれ通した。「あたしのおばあちゃんが脳梗塞で倒れた時にリハビリでこういうのを使ってたのよ。効果あるか分からないけど、リズベットさんと二人で作ったの」

「へー」

 コーは興味津々で手を入れた箱を角度を変えながら見た。「どうやって使うの」

「こうして、鏡の角度を調節して映ってる左手と右手を重ねるの」

 ルーシーレイは鏡を動かした。すると、鏡の中の左手が箱の中に隠されている右手と重なるように見えた。「そして、左手を動かして右手がうまく動いているように脳に錯覚させるの」

「ああ! なるほど!」

 コーは明るい声で左手を動かした。「なんか面白い!」

「で!」

 ルーシーレイがお茶を並べ終わった私の手を取って、コーの右手に持って行った。「ジークリードさんはコートニーちゃんの動きに合わせて手を動かしてあげるの」

「なるほど」

「ゆっくり、グーパー。グーパー」

 ルーシーレイは優しい口調でリズムをとりながら促した。コーが動かす左手の動きに合わせて私は彼女の右手を動かした。「そう上手上手。あと、指折りとかやってみるといいかも」

「ありがとう。ルーシー」

「ううん。お礼を言わなきゃいけないのはあたしの方」

 ルーシーレイは頭を振ってコーの肩に手を乗せた。「ありがとう。コートニーちゃんのおかげであの人の死は無駄じゃなくなった」

「僕だけの力じゃないよ」

 コーは左手をミラーボックスから出して、ルーシーレイの手に重ねた。

「けど、コートニーちゃんの手が……」

 ルーシーレイの声が震え、ついに耐え切れずに涙を流した。

「泣かないでよ。こんなの、大したことじゃないんだから。……でも、ありがとう。こんな僕のためにこんな立派なものを作ってくれて」

 コーは泣いているルーシーレイの手を握りしめて笑顔を浮かべ、リズベットに視線を向けた。「リズもアスナもありがとう」

「いいって、いいって。コーにはいつも元気を分けてもらってるからさ!」

「うん。わたしもコーから元気と笑顔をもらってる。こんな事になっても頑張ってるんだから、コーはすごいよ」

 リズベットとアスナが優しい目でコーを見つめた。

「僕はすごくなんかない。僕は……」

 コーは二人からの視線をそらすようにうつむいて言葉を飲み込んだ。

 私はコーの右手をミラーボックスから出して彼女の膝の上にそっと置いた。

「コー。自分の気持ちを言っても大丈夫だよ。みんなコーの友達なんだから」

 私はコーの頭を撫でながら促すと、コーは小さく頷いた。

「ごめんね。みんな。僕はそんなに強くない。本当は怖い。自分の身体が今、どうなってるのか想像すると怖いんだ」

 コーの涙がぽつりぽつりと床に落ちた。「右腕が動かないなんて嫌だ。なんでこうなっちゃったのかな? これじゃ、戦えない。僕は生きてるだけの役立たずになっちゃった」

「コー! わたしたちはあなたがどうなっても離れていかないわ」

 いち早く動いたのはアスナだった。アスナは身を乗り出してコーの右手を取って両手で包んだ。

「うん。今度はあたしがコーに元気を分けてあげる!」

 さらにリズベットも身を乗り出してその手を包む。

「あたしも。コートニーちゃんから生きる勇気をもらったから」

 ルーシーレイがその手を重ねた。

「ありがとう。ありがとう」

 コーは声を詰まらせながら左手を重ねて額をこすりつけた。

 本当にコーは友人に恵まれている。今は打ちのめされて泣き崩れているけど、みんなに支えられていつかまたすべてを明るく照らすような笑顔を見せてくれる。

 コーはみんなにとっての太陽だ。今はちょっと沈んで夜になっているけれど、いずれ朝が来てまぶしい光とぬくもりを再び私たちに与えてくれる。

 私はコーの背中を撫でながらそう信じた。

 




第67層のボス攻略を前にコートニーは攻略組から外れることになりました。
第67層と言えばヒースクリフ曰く「苦しい戦いだったな。危うく我々も死者を出すところだった」と述べるほどの難関でした。コートニーがいればもっと楽になっていたのかも知れません(?)

血盟騎士団でなんとなくムードメーカー的役割になっていたコートニーが抜け、雰囲気が変わっていきます。
アインクラッドの残りカレンダーはあと3か月です。
今の構想では本編3話、後日談1話ぐらいを予定しています。(気分屋なので増減があるかもしれません)

あと、寝る前は寝間着だったのに、アスナたちが来た時になんで裸になってるんだい? 君たち……。R-18のにおいがするじゃないか(ぁ)


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第24話 新しい目標

 シリカは心地よい秋風に吹かれながら、見晴らしのいいテラスに出てそこに置かれている椅子に腰かけた。小高い丘の宿屋のテラスから眼下に広がる第50層の街並みは雑然としていて美しくはない。しかし、シリカはこの風景が好きだ。なんか下町の風景といった感じで庶民的だし、それにここはあの人――キリトのホームタウンなのだから……。

 シリカは届いたばかりの≪Weekly Argo≫を広げた。

『攻略組 第73層突破! ―今回も犠牲者ゼロ!―』

 の文字が躍る。それを見て、シリカは深いため息をついた。

(また、一つ離されちゃった……)

 キリトに助けられてからもうすぐ8ヶ月が経とうとしている。

 いつかキリトと一緒に戦えるようになりたい。あの人の役に立ちたい。キリトに助けられたあの日からそれがシリカのひそかな目標になった。

 二人が出会った時、シリカは第35層で戦い、キリトは第55層で戦っていた。今はシリカが第50層で彼は第74層。8ヶ月の間に差が20層から24層に広がってしまった。

 がんばっても、がんばっても、絶望的な差が埋められない。それどころか、どんどん広がっていく。

 暗い気持ちが湧きあがってきた時、左肩に乗っている使い魔の≪ピナ≫が「くるるぅ」とノドを鳴らしてシリカの頬を舐めた。

 使い魔には単純なAIしか搭載されてなくて人の感情など分からない。というのが定説らしいがシリカはそれを信じてない。

 ピナはいつだって絶妙なタイミングでシリカを励ましてくれていた。その事にどれだけ救われてきた事か。どれだけ、心を温められた事か。

「ありがとう。ピナ」

 シリカはピナの小さな頭を撫でると気持ちを切り替えて記事の詳細を読み始める。キリトの活躍が載っていないかと……。

「シリカ」

 ちょうど新聞を読み終わった時、同室のティアナが明るい声をかけてきた。

 彼女は1週間ぐらい前からコンビを組むようになった。シリカより3つ4つぐらい年上の女の子で盾持ち片手剣のいわゆるタンクでとても頼りがいがあるお姉さんだ。

「Weekly Argo? 面白い記事あった?」

 輝く金色のポニーテールを秋風に揺らせてシリカの隣に立った。

「73層突破したんですって」

 シリカは笑顔で新聞をティアナに見せながら言った。 

 この世界の人はほとんどがシリカより年上だ。そのためか、つい敬語になってしまう。ティアナは敬語じゃなくていいと言ってくれているが、無意識のうちに丁寧な言葉になってしまっていた。

「あと27層かぁ。これが始まった時はゲームクリアなんて絶対無理! って思ってたけど最近は何とかなりそうって気がするね」

 ティアナはシリカから受け取った新聞を読みながら笑顔を浮かべた。

「そうですね」

 シリカはティアナの言葉に同意して頷いた。

 来月でこのデスゲームが始まってから2年を迎える。このペースでいけばあと1年を待たずしてシリカたちプレーヤーはこのデスゲームから解放されるだろう。

(その時までにあたしはキリトさんの隣に立つ事ができるのかな? 安全マージンを十分すぎるほど取ってちゃ追いつけない……)

 そんな事を考えているとティアナが「ねぇ」と語りかけてきた。

「シリカ。今日は迷宮区じゃなくってフィールドダンジョンに行かない?」

「え?」

「ちょっと難易度が高いみたいだけどさ、レベル上げにはいいみたいなんだよね。あたしたちならできるよ!」

 ティアナがシリカを励ますように言った。

(そうだ、今までのようなやり方じゃだめだ。あたしはもっと強くならなくっちゃ)

 シリカは心に決めて頷いた。

「はい。あたし、がんばります」

「よーし。レッツゴー!」

 ティアナが明るい声で可愛らしく拳を上げた。

「おー!」

 シリカもそれにならって拳を上げると、ピナも可愛い声を上げた。

 

 

 

 ティアナの案内でシリカがやってきたのは廃寺風のフィールドダンジョンだった。

 情報屋のデータを読んだところ、湧くモンスターはアンテッドや破戒僧。特に破戒僧はなかなか強いらしい。

 注意事項として2つあげられていた。

 一つ。破戒僧によく似た修行僧というNPCがPOPする。これを攻撃するとオレンジネームになってしまう。カーソルがグリーンなのでよっぽど焦らなければ間違えて攻撃する事はないだろうが、注意が必要だ。

 二つ。本堂の中にいる地蔵尊は善属性なのに襲ってくる。それなのに反撃するとオレンジネームになってしまうというおまけつきだ。

 この事を利用して一時期、MPKまがいのFPKが流行したらしい。

「シリカ。本堂には近づかないようにしましょ。お地蔵さんが出てきたら逃げようね」

 山門の前でティアナは念を押すように言った。

「はい」

「じゃ、行こう」

 シリカたちは頷きあうと山門をくぐって廃寺に入った。

 

 ティアナがアンデットや破戒僧のターゲットを引き受ける事でシリカは安心してソードスキルを繰り出すことができた。ティアナと組むようになった1週間。モンスター戦で危険を感じたことはない。彼女の安定した戦い方はとても安心できた。

 しかし、さすがに破戒僧は強かった。時折繰り出す体術によって、ティアナが麻痺状態になり集中攻撃を浴びた。

 ピナがティアナを回復しようと息を吸い込むような予備動作をした。

「シリカ……ごめんね」

 突然、ティアナがシリカに呟くように謝った。

「え?」

 シリカが戸惑っていると、ティアナは盾で破戒僧を突き飛ばし、ピックを手にするといきなり近くで歩いていた修行僧に投げつけた。

 たちまちティアナのカーソルはオレンジ色に染まり、そんな彼女をピナが回復した。その瞬間、シリカは犯罪者のオレンジプレーヤーになってしまった。

「どうして?」

 シリカはティアナがなぜそのような事をしたのか全く理解できず、呆然とするしかなかった。

 ティアナは剣を握り直し≪ホリゾンタル≫で破戒僧を一刀両断した。

「オレンジプレーヤー発見~」

 妙に浮ついた男の声と複数の足音がシリカの背後に聞こえた。あわてて声のした方向に目をやると3人組みの男たちがいた。カーソルはグリーン。だが、その全員がシリカに狙いをつけていた。

「ごめんね。シリカ……」

 シリカの背後で今にも泣きだしそうなティアナの声がした。

「そんな……。嘘ですよね。ティアナ……」

 ティアナは悲しそうにシリカから目をそらした。

 電撃のようなショックがシリカの中を駆け抜けた。――シリカは罠に嵌められたのだ。

(逃げなきゃ!)

 シリカは山門へ向かって逃げ出した。あてなどない。とにかくここから逃げ出して身を隠さなければならない。

 これはフラグPKだ。シリカがオレンジプレーヤーになってしまった今、グリーンプレーヤーは何のペナルティもなくシリカを襲える。傷つける事も……命を奪う事でさえ彼らは自由にできる。

(山門から外に出て森に隠れて……それから)

 そんなシリカの計画は山門から出た途端に崩れ去った。

 山門から出た瞬間、シリカは二つの人影に足を引っ掛けられた。宙に飛び、次の瞬間にはみじめに地面に這いつくばっていた。

 シリカが慌てて身体を起こした時にはもう取り囲まれていた。

「安心してよ。殺しはしないからさぁ。命以外はいっぱいもらっちゃうけどねぇ!」

 リーダー格の男が薙刀を片手に下卑た笑いを見せ、シリカは恐怖で震えた。

 ピナが抗議の鳴き声をあげて、その男に体当たりをした。

「ぐはっ」

「なーにやってんだよ」

 ピナの攻撃力はほとんどない。周りの男たちはそれを知っているのか余裕の笑い声をあげた。

「うるせー。てめえらはこのトカゲを押さえてろ!」

 周りの男たちを視線で制して、シリカに薙刀をつきつけた。「さあ、まずは武装解除してもらおうかぁ」

(どうしよう、どうしよう)

 シリカはどうしたらいいか分からなくなってノド元につきつけられた刃を見つめる事しかできなかった。

「ああん? 聞こえないのかなぁ」

 薙刀がソードスキルで輝き一閃した。「脱げって言ってんだよぉ!」

 シリカの右足にいやな衝撃が走った。

「嫌あぁぁぁ!」

 シリカの視界が涙で歪む中、その右足が切断され細かいポリゴンとなって散った。

「ああ、ああああ」

 シリカはうめき声をあげながら半狂乱になって這うようにその場から逃げようとした。しかし、右足を失ったシリカがこの場から逃げるなど不可能だった。

「どこに行こうっていうのかなぁ?」

 シリカの目の前に薙刀の柄が振り下ろされてその行き先を閉ざした。

「ひっ」

 シリカは息を飲んで震えた。

「まずはアイテムと金を出せよぉ」

 男の薙刀が今度はシリカの左足を切断した。「あれぇ。日本語、忘れちゃったのかなぁ」

 下卑た笑いがシリカの周りを取り囲み、彼女は絶望で壊れ言葉にならないうめき声と泣き声を上げながら首を振った。

 突然、森がざわめき馬蹄が聞こえた。

「ん? なんだ?」

 シリカを取り囲んでいた男たちがその音の出所を特定するために首をめぐらした。

「やめろ!」

 凛とした女性の声と共に茂みから美しいユニコーンに跨った一組の男女が現れ、シリカを男たちから守るように立ちはだかった。

 シリカは涙をぬぐいながら馬上の人を見た。二人が着ているその服は何度か≪Weekly Argo≫で見たことがある。血盟騎士団の制服だ。

 攻略組ギルドの二人がなぜ、こんなところに? シリカは呆然とするしかなかった。

「大丈夫?」

 背中まである長い黒髪を風になびかせながら少女がユニコーンから飛び降りて優しい言葉をかけてきた。全体的に儚げな顔立ちなのにその茶色の瞳から強い意志の力をシリカは感じた。

「おいおい。まさか、犯罪者に手を貸そうってわけじゃないよなぁ」

 シリカが何も言えずおろおろとしていると、男は薙刀を血盟騎士団の少女に向けた。

「犯罪者か……」

 ユニコーンに跨った青年が失笑しながら呟くのが聞こえた。「カーソルの色がなかったら200%君たちが悪者に見えるよ」

「なんだと! てめぇ」

 シリカを取り囲む男たちが一斉に血盟騎士団の二人を口々に罵った。

「俺たちは犯罪者を取り締まってるだけだよぉ。いわゆる、治安維持ってやつぅ? だから口出ししないでくれよぉ」

 リーダー格の男がクククと小さく笑った。「それとも、KoBって犯罪者をかばうわけぇ? そういうギルドだって思っていいのかなぁ」

「そっちのオレンジはいいのかな?」

 血盟騎士団の男がティアナを指差した。

「こ、こいつはもう反省してんだよ」

「カーソルの色だけで僕たちは人を判断しないよ」

 少女が男たちとは対照的な気品にあふれた声色で優しく言った。「犯罪者かどうかはシステムじゃなくってその人間の行動と心が決めるっていうのを僕たちは知っているから」

「カッコつけてんじゃねぇ!」

「君たち、FPKでしょ? この子は血盟騎士団が保護します」

 きっぱりと少女が言いきって男たちを一瞥した。「オレンジプレーヤーと遊びたいなら……」

 少女は左手でポーチから回復結晶を取り出した。

「ちょっと、コー」

 ユニコーンに跨った血盟騎士団の青年がたしなめるように少女に言った。

「いいじゃん。どうせ、色つけるつもりだったし」

 コーと呼ばれた少女はクスリと笑って、シリカに向かって優しく言った。「ヒール」

 回復結晶が砕け、シリカのヒットポイントがイエローゾーンから一気に回復した。同時に少女のカーソルがオレンジ色に変わった。

「あ」

 シリカはその事で思わず言葉を飲み込んだ。自分のためにこの少女はオレンジ――犯罪者となってしまったのだ。

「ジークはこの子を守ってね」

 少女は馬上の青年に声をかけた。

「はいはい」

 青年はあきれた顔でため息を一つつくとシリカの隣に降り立って、剣と盾を構えた。

「めんどくさいからさ。まとめてかかってきなよ」

 先ほどとうって変わって平坦な声で少女は波型にうねっている刀を抜いた。彼女の発する闘志がシリカの身体を恐怖で震わせた。

 あふれる闘志で人の心を怯えさせるなどというシステムはソードアート・オンラインには存在しない。だが、この少女から発せられる何かが男たちの身体を凍りつかせ、動きを止めさせた。

「かかってこないなら――こっちから行くよ!」

 そう言って彼女が一歩を踏み出した後、シリカはその姿を見失った。

「ぐあ!」

 男のうめき声がした方角を見ると、一番離れた場所にいたピナを捕まえている男の両手が切断されていた。

 解放されたピナは一直線にシリカの左肩へ飛びついた。

「きゅるっ!」

 ピナが短い鳴き声を上げてシリカの身を案じるように頬を舐めた。

「ピナ……」

 シリカはそんなピナを抱きしめた。

 少女の戦いぶりはまるで疾風、というより暴風だった。たちまち5人もの男を相手に一方的に利き腕を切り裂いて戦闘不能に追い込んだ。

(あの人……)

 シリカはようやく目が慣れてその戦いぶりを追えるようになった時、気が付いた。少女の洗練された動きに似合わない右腕の動き……。慣性の法則に従うように彼女の右腕は振り子のようにあちこちへ動き回っている。(ひょっとして右腕が動かないの?)

「二度とその姿を見せんな。次は殺すよ」

 少女は鋭い視線と剣先をリーダーの男に向けた。

「うわあああああ」

 恐怖に駆られた男たちは叫び声をあげながら一目散に逃げ出した。

(ティアナ……)

 シリカは男たちと共に逃げ去るティアナを目で追った。ティアナは申し訳なさそうな表情だった。

 少女は剣を鞘に納めるとシリカに優しく微笑みかけた。

(この人、≪Weekly Argo≫で見たことある)

 シリカは必死にその記憶をたどった。

「もう、大丈夫だよ」

 少女はそう言って、シリカの前にしゃがむと頭を優しく撫でた。極度の緊張状態から解放されて再び涙がシリカの頬を濡らした。

「あ、ありがとうございます。コートニーさん」

 シリカはあふれる涙を何度もぬぐいながら頭を下げた。

「あれ? 自己紹介したっけ?」

 コートニーは首を傾げながら優雅に左肩の髪を払った。

「い、いえ! 新聞で……。プロポーズの号外!」

 シリカはその号外の写真をはっきりと思い出した。美しい夕日に照らされた街並みを背景に呆然としている少女とそれにひざまずく青年。まるで映画のワンシーンを切り取ったかのような写真にシリカは自然と自分を重ねあわせ心を躍らせたものだった。

(ということは……)

 シリカは隣で自分の身を守ってくれた青年に目をやった。(この人がジークリードさん)

「あ、あれかあ」

 照れくさそうに頬を真っ赤に染めてコートニーは視線をジークリードに向けた。

「じゃあ、自己紹介の必要はないかもしれないけど、私はジークリードです。よかったら、名前を教えていただけませんか」

 ジークリードは優しい微笑みを浮かべて丁寧にシリカに尋ねた。

「あ、あたしはシリカっていいます。助けてくださってありがとうございます」

 シリカは頭を深々と下げた。そして、自分のためにコートニーがオレンジネームになってしまった事を思いだした。「でも、あたしのためにコートニーさんが……」

「いいよ。元々、色つけるつもりだったし」

「え?」

「それより、何があったの? シリカちゃんの場合、色をつけられちゃったんだよね」

「はい。さっきここに来てから――」

 シリカは自分がどのように騙されたかを二人に語った。

「そっか……。信じてた人に裏切られちゃったのか……。つらかったね」

 コートニーが自分の事のように悲しんで目を伏せた。

「シリカさん。もし、その人とフレンド登録をしているなら、すぐに消した方がいいですよ。こちらの場所が筒抜けになって狙われ続けちゃいますよ」

「あ、そうですね」

 シリカはメインメニューを開いてフレンドリストからティアナを選択した。1週間の短い付き合いとは言え彼女の優しさの全てが嘘だとは思いたくなかった。シリカは一瞬ためらったが、ティアナをフレンドリストから削除した。

 ティアナとの思い出を振り返り心を締めつけられていると、シリカの両方の頬が舐められた。

「ひゃっ!」

 左頬はいつものピナの舌だったが右頬を舐めたのはユニコーンだった。今までに感じたことがない大きさの舌だったのでシリカは小さく悲鳴を上げてしまった。

「こら! ヴィクトリア」

 ジークリードがユニコーンの頭をたしなめるように叩いた。「ごめんなさい。驚かせてしまって」

「まったく、飼い主に似て女好きだよね」

 コートニーがあきれてクスリと笑った。

「え? 私はコー一筋……って何を言わせるの!」

 ジークリードが顔全体を真っ赤にして言葉を荒げると、コートニーはしてやったりとニヤリと笑った。

 そんな二人を見て、シリカはクスクスと笑った。そして、笑いのもとになったユニコーンにシリカは両手を伸ばした。するとユニコーンは甘えるような鳴き声を上げながら大きな顔をシリカに摺り寄せた。

「かわいい」

 シリカが両手で自分の3倍の大きさはあろうかというユニコーンの顔を撫でまわすとピナが耳元で抗議の声を上げた。

「あ、やきもち妬いてる!」

 コートニーがピナを指差しながら声をあげて笑った。

「もう、ピナったら」

 シリカはなだめるようにピナを抱きしめた。

 

 そうこうしているうちに部位欠損ダメージが明けて、シリカに両足が戻ってきた。

 シリカはほっとしながら立ち上がって、その感触を確かめるようにその場で何度かジャンプを繰り返した。

「大丈夫そうだね」

 コートニーがそんなシリカの様子を見て頷いた。

「はい!」

 元気よく笑顔でシリカが答える。

「そうだ。シリカちゃん。一緒にスキル上げしない?」

「スキル上げですか?」

「うん。あの中にお地蔵さんいるじゃない。あれでスキル上げ」

 コートニーは山門を指差しながら言った。

「でも、あれは……」

 シリカはそこまで言って、自分がオレンジネームになっている事を思い出した。そして、コートニーが『どうせ色をつけるつもりだった』という言葉の意味を理解した。コートニーは最初から地蔵尊でスキル上げをするためにここにやってきたのだ。「なるほど、そう言う事ですか」

「うん。そういうこと。あれで完全習得までいけるらしいのよ」

 コートニーは片目を閉じてシリカに笑いかけた。「それとも、カルマ回復やる? あれもめんどくさいみたいだから手伝うよ」

 シリカは考えた。

 自分の身の安全を考えればすぐにでもオレンジ色を緑色に戻さねばならない。けれど、コートニーが申し出てくれたスキル上げも魅力的だ。

 今、シリカの短剣スキルは560だ。シリカはパーティーを組むとどうしても後衛に回る事が多く、レベルに比べてスキルの上りが悪い。コートニーのスキル上げに同伴すればレベルにふさわしい、いや、レベル以上のスキルを身につけるチャンスだ。

「スキル上げします!」

 シリカは元気よくコートニーに答え、頭を下げた。「よろしくお願いします」

「よっしゃ。じゃあ、行こう」

 コートニーはシリカの手を取って走り出した。

「え? ええ?」

 シリカはそのスピードに驚きの声を上げた。コートニーに引きずられ、まさに空を飛ぶように廃寺境内を駆け抜け本堂に滑り込んだ。

 遅れてジークリードがユニコーンに乗って本堂に入った。

 最初に本堂に飛び込んだコートニーに地蔵尊1体と破戒僧5人が襲いかかってきた。

「シリカちゃんはちょっと待っててね。整理するから」

 コートニーは抜刀してジークリードと視線を合わせて頷いた。

 シリカが≪シャドウ・ダガー≫を構える間にたちまち二人は破戒僧を葬った。

「すごい……」

「すごくなんかないよ。レベル差があるからねえ」

 クスリとコートニーは笑って地蔵尊に≪シャープネイル≫を食らわせた。「さあ、ここからが本番。がんばろ」

「はい!」

 地蔵尊のターゲットはコートニーが引き受けてくれている。シリカは≪ファッドエッジ≫で短剣を輝かせると安心して地蔵尊を横殴りした。地蔵尊の装甲値は高くシリカとコートニーの連続攻撃を受けてもヒットポイントはほとんど減らなかった。

「めちゃくちゃ硬いでしょ!」

 楽しそうにコートニーは地蔵尊の錫杖を軽く受け流して、反撃のソードスキルをぶつけた。

 POPする破戒僧はジークリードが処理してくれるため、シリカとコートニーは地蔵尊にソードスキルを次々と浴びせスキル上げに専念する事が出来た。

 

 

 シリカとコートニーがスキル上げを始めてから4時間が経過した。今戦っているのは2体目の地蔵尊だ。2時間かけてようやく1体を倒し、この2体目もようやくヒットポイントが赤色になってきたところだった。

「あ……」

 シリカがソードスキルの立ち上げに失敗して通常の状態で地蔵尊を切りつけてしまった。

「休憩したら? 僕一人でも大丈夫だから」

 そう言うコートニーの剣技は全く衰えていない。

「はい。では、お言葉に甘えて」

 シリカは大きく後ろへ飛んで地蔵尊の攻撃エリアから離脱した。

 スキルやレベルだけではない。シリカは攻略組と自分との違いを痛烈に感じた。

(集中力が違いすぎる……)

 シリカはため息をついて床にぺたりと座り込んでしまった。

「大丈夫ですか?」

 ジークリードが心配そうにシリカを見つめた。

「はい。……やっぱり、攻略組ってすごいですね」

 シリカは再びため息をついてコートニーの華麗な剣技に目を見張った。「これじゃ、一生かかっても追いつけません」

「すごいって言ってもねえ……。あれは病気みたいなもので」

 ジークリードが頭をかきながらコートニーに視線を送った。

「こらー、ジーク。聞こえてるぞ!」

「まずっ」

 心底、失敗したという表情を見せたジークリードにシリカはクスクスと笑った。「そう言えば、『一生、追いつけない』って言ってましたけど、攻略組を目指してるんですか?」

「攻略組というか……。目標にしてる人がいるんです」

 シリカは頭の中にキリトの姿を思い浮かべながら答えた。「けど、どんどん離されちゃって……」

「なるほど」

 ジークリードは優しい顔で頷いた。「分かります。私もそうです」

「そんな。お二人とも攻略組じゃないですか」

 そう言えば……。シリカの頭に疑問が浮かんだ。

(攻略組の二人がなぜここでスキル上げをしているのだろう?)

「攻略組って言ってもピンキリですよ。どんなに頑張ってもヒースクリフ団長には追いつけそうもないですし」

 ヒースクリフの名前を知らない者はこのアインクラッドにはいないだろう。その圧倒的な強さは≪生ける伝説≫などと呼ばれている。

「ジーク!」

 突然、コートニーが鋭い声を上げた。「なんかいっぱい人が近づいてきてる」

「さっきの連中か?」

「シリカちゃん。こっちきて!」

 コートニーは地蔵尊にとどめを刺すと、左手で右手を握って動かしながら着替えた。その服装が血盟騎士団の制服から漆黒のフーデッドローブに変わった。

 コートニーは近づいてきたシリカの手を取って本堂の隅に走った。そして、シリカを抱きしめるようにフーデッドローブの中に導き二人でしゃがみ込んだ。

「OK見えないよ」

 ジークリードが二人のハイディング状態を確認して言った。「私はちょっと外に出てるね」

「うん。お願い」

 コートニーはハイディングが解けないぐらいの小声で言った。

「任せておいて」

 ジークリードは小さく手を振って本堂から出て行った。

「狭いけど、ごめんね」

 コートニーが優しく囁いた。「このアイテム一つしかないもんで」

「はい、大丈夫です」

 シリカは頷いて身体を寄せた。

 この緊迫した場面なのにシリカは安心感に包まれていた。キリトもそうであったが、コートニーが醸し出す雰囲気はとても温かくほっとできる。温かいと言えば、こんな風に人と密着する事などこの世界に来てから……いや、現実世界でもあまりなかった。

 シリカは一人っ子なのでよくわからないが、姉に守られる妹はこんな感じなのだろうか? 柔らかく暖かい空間に包まれながらシリカはぼんやりとそんな事を考えた。

「きた……」

 コートニーがそう言うとたくさんの足音が聞こえてきた。

「コーバッツさん。馬に乗ったままで失礼します。降りると勝手にモンスターに走って行っちゃうことがあるもので」

 ジークリードの声が本堂の外から聞こえてきた。

「ふむ。ジークリードか。久しぶりだな」

 野太い男性の声がシリカの耳に届いた。声色からするとだいぶ年配のようだった。

「25層のボス戦以来ですね。どうしたんですか? こんなところに」

「オレンジプレーヤーが出没したという情報を聞いてな。治安維持は≪軍≫の仕事だからな。貴様こそ何をしてる」

「スキル上げです」

「攻略組ならもっと上でやればいいだろう」

 コーバッツは鼻を鳴らした。

「まあ、ここならすいてるかなと思いまして」

「コートニーはどうした?」

「まあ、いろいろあって」

「いろいろか……。右腕は大丈夫なのか?」

「ご存知でしたか」

 ジークリードの苦笑する声が聞こえた。「まあ、そのためのスキル上げなんですけどね」

(右腕……やっぱり、何かあったんだ……)

 シリカはフーデッドローブの隙間からコートニーの顔を見上げた。

「ちょっと、動かないだけだよ」

 コートニーはシリカに微笑みかけた。

「動かない……」

 シリカはコートニーの右手に視線を移した。『ちょっと』どころではない。コートニーの右腕はほとんど動かせていない。「もしかして、それでスキルを取り直したとか?」

「正解」

 コートニーはにっこりと笑って、シリカの頭を優しく撫でた。「槍は両手武器だったから使えないし、投擲は微妙なコントロールができないんだよね。左手だと」

(すごい……)

 シリカは驚きで息を飲んだ。いくら攻略組でスキルの上げ方に精通しているとはいえ、ゼロからここまでスキルを上げるのにどれだけの時間と情熱をかけてきたのだろう。シリカにコートニーへの畏敬の念が湧きあがった。

「あたしが言うのも変ですけど、頑張ってください」

「ありがとう」

 コートニーは優しい笑みを浮かべてシリカの頭をぽんぽんと叩いた。

「もし……」

 外から再びコーバッツの声が聞こえてきた。「その事でKoBにいられなくなるようなら、軍に来ないか?」

「え? でも、軍はボス攻略しないでしょ?」

 ジークリードがきょとんとした声で聞き返した。

「25層のダメージから時間も経った。そろそろ我々も動く時だ。レベルも装備も十分整いつつある。第一線で戦っていた君たちの力が加われば我々としては心強い」

「なるほど。でも、私もコーも血盟騎士団から戦力外通告を受けてるわけじゃないですから」

「そうか」

「コーバッツ中佐」

 別の男性の声が聞こえた。「周辺に犯罪者はいないようです」

「うむ。ジークリード。十分気を付けるんだぞ。ラフコフがなくなっても蛆虫どもはいくらでも湧いてくるからな」

「はい。ご忠告ありがとうございます」

「では、撤収する」

 コーバッツのその声で多くの足音は消えて行った。

 ジークリードが本堂の中に入ってくると、シリカとコートニーに手で≪OK≫を作って微笑んだ。

 シリカはほっと息をついた。

「よっしゃ! 休憩終わり!」

 コートニーは元気よく立ち上がって左手で右手を動かしながら血盟騎士団の制服に装備変更をした。「シリカちゃん、続きやろう!」

「はい!」

 シリカは元気よく返事をして愛用の≪シャドウ・ダガー≫を握りしめてコートニーの後を追った。

 

 

 

 深夜の12時までシリカとコートニーはスキル上げを続けた後、フィールドの安全地帯で野営をすることになった。

「見張りは僕たちでやるから、寝てていいよ」

 コートニーはベッドロールを実体化させてシリカに渡した。

「え? でも……」

「いいって、いいって。元々、僕たち二人でやるつもりだったんだからさ」

「疲れたでしょう。休んでいてください」

 コートニーとジークリードに言われ、シリカはベッドロールに入った。

「武装は解除しないでね。寝にくいかもしれないけど、万一って事があるから」

 ベッドロールに入ったシリカをコートニーが覗き込んできた。

「はい」

 と、シリカが答えるとコートニーは笑顔でうなずいて小さく手を振った。

「おやすみなさい」

 シリカは目を閉じた。濃密な一日だった。一日でこれほどスキルが上がった事はなかった。シリカは急速に迫ってくる睡魔にそのまま身を委ねた。

 

 シリカはふと目を覚ました。視界の右下に意識を集中して時計を見た。4時だ。

 微妙な睡魔にあらがってシリカはベッドロールの隙間から外を伺った。

 二つの人影が見えた。コートニーとジークリードだとすぐに分かった。

(何をしてるんだろう)

 目を凝らすとコートニーが何やら箱に両手をいれていた。そんなコートニーの右手をジークリードが動かしていた。

(リハビリ?)

 シリカはまどろみながら二人の様子を見つめた。

「だいぶ動くようになったんじゃない?」

 ジークリードがコートニーを見つめて言った。

「そうだね。結晶アイテムぐらい持てるようになったかな」

 コートニーがふうと息を吐いて、箱から左手を出した。ジークリードが頷きながらコートニーの右手を箱から出した。「ありがとね。ジーク」

「どういたしまして。じゃあ、寝るね」

「うん。おやすみ」

「おやすみ」

 そう言葉を交わした二人だがどちらも動かずに視線をお互いにからませていた。そして、その二つの距離が縮んでいく。

(あっ)

 二人の情熱的な口づけを見て、シリカは漏れそうになった声を両手で抑え込んでベッドロールにもぐりこんだ。見てはいけないものを見てしまった。シリカはそう思って鼓動が高鳴った。

 二人は夫婦だ。こんな事、当たり前。シリカは自分にそう言い聞かせて目を閉じた。

「おやすみ」

 しばらく経ってからベッドロールの外で二人が交わす言葉がシリカの耳に届いた。そして、近くでベッドロールに人がもぐりこむ音が聞こえた。

(寝なきゃ……)

 シリカはぎゅっと目を閉じて眠ろうとした。しかし、さっきまでのまどろみはすっかり消え去って眠れそうもなかった。

 シリカは30分ほど悶々と過ごした後、意を決してベッドロールを出た。

「あれ? もう起きたの?」

 動き出したシリカに気づいてコートニーが笑顔を向けた。

「ちょっと目がさえちゃって」

「そうなんだ。でも、まだ4時半だよ」

「前線……攻略組の事、いろいろ教えていただいてもいいですか?」

「ああ、目標にしてる人がいるんだっけ? いいよ。知ってる人のお話ならできると思うよ。誰の事を聞きたい?」

 コートニーはシリカを手招きした。

「えっと……」

 シリカはコートニーに招かれるままその隣に座った。

 キリトの事を思い浮かべるだけで、シリカの胸は高鳴った。

「えっと、キリトさんの事をご存知ですか?」

「ああ、黒の剣士?」

「は、はい! そうです」

 上ずって答えを返すシリカをコートニーはクスリと笑いながら見つめた。

 なんだかシリカは全てを見透かされた気がした。ついシリカは頬を赤く染め目を伏せた。

「あの人はソロだから、あんまり交流ないんだ。だから、詳しい話はできないと思うけどね」

 そう言うとコートニーはキリトの活躍を語り始めた。

 シリカはキリトと時々メッセージのやり取りをする関係だが、コートニーが語るキリトはシリカが知らない姿ばかりで心が躍った。

 特にこの第50層のボス攻略戦でラストアタックをキリトと争った事をコートニーが語るとかぶりつくようにシリカは時間を忘れて耳を傾けた。

 

 

 

 二日の間のスキル上げを経て、コートニーは片手用直剣スキルを完全習得した。

 コートニーはシリカも完全習得まで修行を続けることを主張したが、シリカはそれを辞退した。短い間であるが、コートニーが持っている攻略組復帰の願いの強さを理解したからだ。

 シリカの片手用短剣スキルはわずか2日間で560から703まで上がった。レベル61の彼女にとって十分なスキルの高さになった。もう十分だとシリカは考えた。

 そういう事でシリカとコートニーは色を落とすため、カルマ回復クエストを始めることになった。

 カルマ回復クエストはいくつも用意されている。コートニーはもっとも効率がいいと噂されている第30層にある教会から始まるクエストを選んだ。

「結構、お地蔵さんをやったからなあ……。これで最後にして欲しいなあ」

 コートニーはモンスターの群れを一気に葬り、捕らわれているNPC修道女を一瞥してうんざりしながら言った。「だいたいさぁ。この修道女、バカなの? 死ぬの? 誘拐されすぎでしょ」

 フラグ立てで半日神父のありがたいお話を聞き、その後、誘拐された修道女をモンスターから救出する。この救出もダンジョンが迷宮区以上に深く、たどり着くまでに半日かかる。移動距離も長く、ジークリードのユニコーンは3人乗りができないため、厩舎に留め置かれたままだった。

 こんな1日1回が限度のクエストを今回で3回やっているのだ。コートニーがうんざりするのも当然だ。

「コー。そこはゲームのお約束だから」

 ジークリードはクスリと笑って、コートニーの頭を撫でた。

 シリカはそんな二人をこういう関係っていいなとほほえましく見つめた。

 コートニーに自分、ジークリードにキリトを重ねてみてシリカは頬を赤くした。

「えいっ!」

 コートニーは修道女を拘束している鎖を剣で断ち切った。

「ありがとうございます! 剣士様!」

 NPC修道女が≪!≫マークを点滅させながらコートニーに抱きついた。

「はいはい。シリカちゃんも早く」

 コートニーはなおざりにNPC修道女の頭を2回叩き(これでNPCが離れて後ろをついてくるようになる)捕らわれているもう一人の修道女を指差した。

「はい」

 シリカは短剣でその鎖を断ち切った。

「ありがとうございます! 剣士様!」

 シリカは抱きついてくるNPC修道女の頭を2回叩いた。

「誰か来た!」

 コートニーが緊張した声で叫んだ。「一人」

 ジークリードが張りつめた顔をして抜刀した。NPC修道女を助ける前であればフーデッドローブで隠れる事が出来たが、この状況では無理だ。だが、相手が一人であればこちらは3人いる。ヒースクリフクラスのプレーヤー相手でなければ十分に戦えるはずだ。

 NPC修道女が部屋にPOPした。という事は近づいてくるプレーヤーはシリカたちと同様にカルマ回復クエストを行っているのだ。であれば交戦してくる可能性は低いはず……油断はできないが。

 シリカはつばを飲み込んで部屋の入り口を見つめた。

 やがてオレンジカーソルが見え、そのアバターの姿がダンジョンの壁にかけられたランタンに照らされて明らかになった。

「ティアナ……さん」

 シリカはその姿を見て絶句した。

「シリカ……」

 ティアナもシリカの姿を認めると息を飲んだ。そして、泣き笑いの表情をシリカに見せた。「よかった……無事で……」

「ティアナさん。この間の事……理由があるんですよね?」

 そんな姿を見て、シリカはティアナが悪い人間ではないと感じて尋ねた。

「あたしは……」

 ティアナは首を振ってうつむいた。「いいの。もう、いいの。ごめんなさい」

 シリカの隣をすり抜けて、ティアナは新たに湧いたNPC修道女を助けた。

「待って! 待って……ください」

 再びシリカのそばを通り抜けようとしたティアナの腕をとった。

「シリカ……」

 ティアナは苦しそうに表情をゆがめてその場に立ちつくした。

「二人とも、ここじゃなんだから、とりあえずダンジョンから出よう。そこでゆっくり話そう?」

 コートニーが重い沈黙を振り払う明るい声で二人を外へ促した。

 

 コートニーはダンジョン近くの安全地帯まで二人を連れて行った。

 シリカ、コートニー、ティアナが修道女を連れているので7人の大移動となった。

「ここなら、モンスターに邪魔されずにゆっくりお話できるよ」

 コートニーは二人に笑顔を向けてシリカとティアナの声が届かない場所まで離れた。

「ティアナさん。聞かせてください。なんで、あんな人たちと組んでるんですか?」

 シリカはティアナが裏切った瞬間の顔を思い出しながら尋ねた。ただの悪い人ならあんなつらそうな顔はしない。

 シリカは今まで多くのプレーヤーと出会ってきた。ほとんどは善良な人たちだったが、中にはひどい人たちもいた。オレンジギルドに狙われていた時もある。あの時はロザリアというグリーンネームの女性がシリカを含むパーティーを狙っていた。

 コートニーが言った『犯罪者かどうかはシステムじゃなくってその人間の行動と心が決める』言葉はシリカにも理解できた。

 ティアナはオレンジネームだけど苦しんでいる。シリカはそう思う。

「あたしじゃぜんぜん、助けにならないと思いますけど、力になります」

 シリカは沈黙を続けているティアナの手を取った。

「シリカ……あたしは……」

 長い沈黙の後、ようやく重い口を開いた。

 その時、シリカの後ろで人が倒れる音が聞こえた。

「コー!」

 続いてジークリードの鋭い叫び声がシリカの耳を突き刺した。

 振り返るとコートニーが地面に崩れ落ちていてジークリードがその場に駆け寄っているところだった。パーティーを組んでいるコートニーのヒットポイントバーがグリーンの枠に囲まれて点滅している。

(麻痺毒!)

「ジークリードさん! あたしが解毒します!」

 シリカは駆けだした。ここでジークリードがコートニーを解毒したら彼がオレンジネームになってしまう。

 コートニーのもとにたどり着く直前、目の前に茶色のフーデッドローブを着こんだ男が突然現れた。緑カーソルだがその右手に握られている巨大中華包丁がソードスキルで輝いている。

(隠蔽スキル!)

 シリカはとっさにバク転で後ろに飛んだ。シリカは≪軽業≫スキルを身に着けている。これぐらいの攻撃はかわせるはずだった。

 しかし、その男のスピードは尋常ではなかった。シリカが飛んだスペースに踏み込むと一気に突進してきた。

(ラピットバイト? でも、速すぎる)

 男が放ったソードスキルはシリカが知らないラピットバイトの上位突進ソードスキルだと思われた。次の瞬間にシリカの右腕は巨大中華包丁に切り飛ばされた。一気にヒットポイントバーがレッドゾーンに突入した。恐るべき破壊力だ。

「ひっ!」

 右腕を切り飛ばされた痛みでシリカは着地に失敗して無様に地面を転がった。

 ピナが鳴き声を上げて、シリカにヒールブレスを吹きかけた。ヒットポイントが2割ほど戻ったが、まだイエローゾーンだ。次の攻撃を受けたら死んでしまう。

 その男は間髪入れずにソードスキルを輝かせシリカに巨大中華包丁を振り下ろそうとしている。フードの隙間からニヤリと笑う口元が見えた。殺人者の笑みだ。シリカは死の恐怖に囚われ何もできずに身を凍らせた。

「≪友斬包丁≫? まさかPoH!」

 ジークリードが声を荒げシリカを守ろうと駆け出した。しかし、遠い。

(もう、だめだ……)

 シリカは死を覚悟した。

「だめぇ!」

 シリカへのとどめの一撃をさえぎったのはティアナだった。

 ティアナはPoHのソードスキルを身に受けながら抱きつくようにして彼の動きを止めようとした。

「チッ!」

 PoHは舌打ちすると友斬包丁を輝かせ連撃を放った。輝く刃がティアナを切り裂くたびに彼女のヒットポイントバーががくんがくんと幅を減らした。

 4連撃の最後の一撃がティアナを吹き飛ばし、シリカの前に倒れた。

「ティアナさん! ヒール!」

 シリカはあわてて回復結晶を取り出して叫んだ。しかし、回復結晶は砕け散らなかった。

(手遅れ……)

 ソードアート・オンラインでは巨大すぎるダメージを受けた場合、実際のヒットポイントがゼロになっていてもヒットポイントバーの幅をなくすまでわずかなタイムラグが発生する。その場合は一切の回復アイテムが無効となる。

「逃げて! シリカ!」

 ティアナは涙を瞳に浮かべてシリカに叫んだ瞬間、ヒットポイントバーが消え、そのアバターが砕け散った。

「ティアナさん……」

 シリカは呆然としてその散っていくアバターの欠片を目で追った。

「シリカちゃん! 早く逃げて!」

 今度はジークリードがPoHに立ちふさがっていた。「PoH。私にダメージを与えたら、オレンジに逆戻りだよ」

「ふっ。そんな事を気にすると思ったか」

 PoHは言葉を言い終わらぬうちに激しい斬撃をジークリードに浴びせた。

 ジークリードは剣や盾で受け流すがかわしきれなかった刃が彼の身を捉えた。

「お前はジークリードとかいったか……弱くなったな。それとも、あの女が死ななきゃ本気が出ないか?」

 クククとPoHが笑うと左手に何かアイテムを取り出して腰でそのアイテムのスイッチを入れた。

(爆弾?)

 シリカはPoHの左手に握られたアイテムを見た。ソードアート・オンラインの爆弾はスイッチを入れると5秒後に爆発する物だ。強力な爆弾であれば、今のシリカのヒットポイントを吹き飛ばすことは容易だろう。

「ヒール!」

 シリカは慌てて自分を回復した。

 PoHは笑みを浮かべたまま、無造作に爆弾を後ろへ投げた。最初から狙いはシリカではなかったのだ。

 閃光と爆風が一瞬、シリカの視界を奪った。

「しまった」

「きゃあああああ!」

 ジークリードの悔恨のつぶやきとコートニーの叫び声が重なった。コートニーのヒットポイントがたちまち半分になっていた。

「このおおお!」

 ジークリードは雄叫びをあげて剣を振り下ろした。

 PoHは余裕の笑みを浮かべながらそれを受け止めて、再び爆弾を左手に取ってスイッチを入れた。

 コートニーに回復結晶を使うには距離が離れすぎている。このままでは……。その時、シリカの頭にアイディアが閃いた。

「ピナ!」

 シリカはピナに指示を出しながら後ろに飛ぶと、ジークリードに向かって叫んだ。「下がってください!」

 ジークリードも訳が分からないまま、後ろに飛んだ。

 入れ替わりにピナがPoHにシャボン玉のようなブレスを浴びせて飛び去った。

「なっ……」

 PoHが余裕を失った表情で固まった。PoHはピナの眩惑ブレスで硬直した。ピナの眩惑ブレスの効果は5秒と短い。しかし、爆弾が起爆するには十分な時間だった。

 激しい輝きと爆風が再びシリカの視界を奪った。

「Suck! 転移! バッカニア!」

「おおおおおお!」

 ジークリードが転移で輝き始めたPoHに斬りかかる。うまくいけばダメージで転移そのものがキャンセルされる。

 だが、一瞬遅かった。ジークリードが放った≪ヴォーパルストライク≫は空を斬った。

「くっ」

 ジークリードは歯ぎしりをして地面を蹴った。

(ティアナさん……)

 シリカはティアナが死んだ場所に歩み寄ると、全身の力が抜けてその場に座り込んだ。

 もっと、話がしたかった。分かり合いたかった。そんな思いがシリカの胸を締め付け、静かに涙を流した。

「ありがとう。シリカちゃん」

 ようやく麻痺状態から回復したコートニーがそんなシリカの肩を叩いた。

「いえ……」

 シリカは地面に落ちていくつも形作られる綺麗な円形のしみを見つめた。

 死と隣り合わせのこの世界は最悪だ。なぜゲームなのに本当に死ななければならないのか。こんな世界でなければティアナといい関係を築けただろう。今となってはティアナがどんな苦悩を抱えてシリカを裏切る事になったのか知る事は出来ない。

 ――帰りたい。現実世界に戻りたい。家族や友達と無為な時間を重ねていたあの世界に……。

 今まで心の奥底に沈めて忘れようとしてた願いが湧きあがり、シリカはそれを必死に元の場所に沈めようと歯を食いしばった。

「よしよし」

 突然、コートニーの声と共にシリカは暖かい空間に包まれた。

「うっ……」

 その暖かい空間がシリカの心の堰を一気に突き崩した。

 シリカは慟哭した。後悔、悲嘆、絶望、苦悩、叶わぬ願い。あらゆる感情があふれ出し、シリカはその感情に押し流されるまま涙を流し声を上げて泣いた。

 

「ごめんなさい。あたし……」

 すっかりまぶたを泣き腫らしたシリカは涙のしずくを払いながら、暖かい胸を貸してくれたコートニーを見上げた。

「落ち着いた? ごめんね、怖い思いをさせて」

 コートニーは母親のような優しい微笑みを浮かべながらシリカの頭を撫でた。「泣ける時に泣かないと壊れちゃうよ。僕もよく泣いてる」

「え? コートニーさんが?」

 シリカは意外に思った。いつも笑顔で明るい彼女が泣く姿が想像できなかった。

「ひどいなあ。僕だって絶望で泣いちゃったりするよ」

 コートニーはクスリと笑いながら立ち上がって、シリカを左手で立たせた。「でもさ、一人じゃないんだよ。この世界。ここに来なかったら僕はジークと知り合えなかったし、シリカちゃんだってピナやキリトさんと出会えなかったでしょ?」

「はい」

 ≪キリト≫という名前を聞いてわずかにシリカの鼓動が高鳴った。それを押さえつけるようにシリカは胸を抑えた。

「さ、帰ろう。この修道女を連れて帰れば、きっと久しぶりに圏内でゆっくり寝れるよ」

「はい」

 シリカたちはPoHの待ち伏せを警戒して、遠回りをしてカルマ回復クエストの起点である教会に戻った。

 修道女を無事に神父に引き渡してクエストを達成し、シリカとコートニーは5日ぶりにグリーンネームに戻った。

「お疲れー!」

「ありがとうございます!」

 コートニーが笑顔でシリカにハイタッチを求めてきたので、シリカはそれに応えた。「お別れですね……」

 コートニーは攻略組に戻る事を願っていた。スキルを完全習得し、グリーンネームに戻った今、彼女は攻略組に復帰していくのだろう。

 シリカはキリトと別れた時のような寂しさを覚えた。

「その前に、打ち上げやろう! シリカちゃんのホームタウンどこ?」

 シリカの寂しい気持ちを吹き飛ばすような明るい笑顔を振りまいてコートニーは転移結晶を取り出した。

「え……。あ、アルゲードです」

「じゃ、キリトさんがよく食べに行ってる食堂に行こう。運が良ければ会えるかもよ」

「え? え?」

 それは心の準備が……。そう考えるシリカなどお構いなしにコートニーはどんどん話を進めた。

 ジークリードを見ると「やれやれ」という苦笑を浮かべて転移結晶を取り出しながら頷いていた。

「転移! アルゲード」

 3人で転移結晶を使い、5日ぶりのアルゲードにシリカは戻った。

 雑然とした街並みがとても懐かしい。キリトのホームタウンというだけだが、シリカはなぜだかほっとできた。

「シリカちゃん。アルゲードそば。食べたことある? 癖になるかもよ」

 コートニーはそう言うとシリカの手を取って走り始めた。

「ひゃっ」

 シリカはコートニーの全力疾走に必死について行った。

 シリカの中に新しい目標が生まれた。

 ――今はこれが精いっぱいだけど、いつか、コートニーさんと最前線に立ちたい。

 シリカはそう願いながらコートニーの左手を強く握って一人では絶対迷子になるアルゲードの街を駆けた。

 




あけましておめでとうございます。

お待たせしました。先週にアップを目指していましたがなかなかまとまらず長くなってしまいました。
その割には内容が薄くて申し訳ございません。

お気に入りが300件を突破しました。本当にありがとうございます。

まさかのシリカ回。らぶデスさんの感想がなければ生まれなかったお話です。でも、これで一応SAOのサブヒロインを一回りできたので区切りとしては良かったかなと思っています。
それにしても、原作でもシリカ回は微妙な3人称なんですよね。書きにくかったー。やっぱり自分は密着1人称があってるみたい。

シリカちゃん。コートニーに抱きついて安心感に包まれちゃってますけど、そいつ男だぞ! ってツッコミをいれつつ書いておりましたw

――話に出なかった設定などなど――
コーバッツさんが最前線を狙っているという情報をジークリードさんは団長に報告しております。
PoHさんはグリーンとなってあちこちをうろついているようです。アニメでキリトとクラディールのデュエルを見てたのってPoHですよね?(違うのかな?)
このあと、1週間ほどで『軍の大部隊を全滅させた悪魔を単独撃破した二刀流使いの50連撃!』なんていう記事をシリカは読むことになるんですね。

次でアインクラッドは崩壊するはずですが、コートニーとジークリードを75層ボス攻略に参加させるかどうか、ちょっと考え中です。今のところ9割がた不参加で考えてますが^^;
だって、キリト×アスナ、ジーク×コーのいちゃいちゃ二人組が二組いたら、75層ボス部屋の壁がなくなっちゃうでしょ(ぇ?)
戦闘シーンなしで非常に盛り上がりに欠ける最終回になりそうです。評価だだ下がりの予感がしますが、今後ともよろしくお付き合いくださいませ。


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第25話 vsアスナ 【コートニー10】

 第75層の主街区≪コリニア≫は古代ローマ風の建物が並ぶ美しい街だ。

 第75層の転移門前に建っている白亜の巨大コロシアム。ここで血盟騎士団主催の大イベントが開かれていた。

 円形の闘技場には千人以上の観客が詰めかけているのだ。お目当ては≪生ける伝説・ヒースクリフ≫vs≪二刀流の悪魔殺し・キリト≫のデュエルだ。さすがに一試合だけでは間が持たないので、血盟騎士団ナンバー2決定戦なるトーナメントが開かれたのだ。

 もっとも、ナンバー2はアスナと決まっているので、アスナの試合は賭けの対象にならなかったようだ。

 参加したのはパーティーリーダーをつとめるアスナ、ゴドフリー、プッチーニ、アカギの4人。そしてメンバー内の予選を勝ち抜いた僕、ジーク、クラディール、マリオの4人。

 ソードアート・オンラインでこういうイベントが行われることが珍しく、多くの観客を集めた。

 元々はアスナを賭けてのキリトとヒースクリフのデュエルだったはずだが、ダイゼンがギルド運営資金を集めるチャンスとばかりにこんな大きなイベントにしてしまった。その企画力と運営力に僕は舌を巻いた。

 

 【第1試合 アスナvsジークリード】

 贔屓目でなく、ジークはすごく頑張ったと思う。パーティー内でタンク役をつとめる彼はどうしても俊敏度が劣る。アスナはセオリー通りの猛攻を加え、ジークがシールドでしのぎながらカウンターを狙った。

 勝負が決まったのはアスナのフェイントだった。振り下ろすかに見えた剣を一瞬止め、ジークの盾を誘い出して懐に飛び込んで≪パラレル・スティング≫を叩きこんだ。

 

 【第2試合 ゴドフリーvsクラディール】

「ご覧ください。アスナ様! 私の真の実力を!」

 なんていう恥ずかしい宣言をしてクラディールがデュエルを始めた。ゴドフリーもあきれて苦笑を浮かべていた。

 二人とも両手武器使いという事で激しい打撃戦になった。

 デュエルの初撃決着モードは最初にソードスキルを相手に命中させるか相手のヒットポイントを半減させれば勝利だ。

 果てしないソードスキル抜きの打撃戦で相手のイエローゾーンにするというしょっぱい試合かと思われた時、クラディールがゴドフリーを一瞬のけぞらせ突進技の≪アバランシュ≫を放った。

 クラディールに金星が! と会場がざわめいたが、ゴドフリーが見たこともないソードスキルで≪アバランシュ≫もクラディールも一振りで撃破した。

 クラディールのタイミングも技のチョイスも誤っていないはずだが、ゴドフリーが力づくで粉砕した感じだ。脳筋の面目躍如といったところだろう。

 

 【第3試合 プッチーニvsコートニー】

 数合打ち合わせた後、一瞬プッチーニは隙を見せた。罠かも? と思ったが思い切って踏み込んで≪ソニックリープ≫を放つとあっさりと命中した。

 あまりにもあっさりと決着がついたので、勝負が決まってもコロシアムが静かなままだった。誰もが拍子抜けしてしまったのだ。

「いやあ、左手の人と戦うのが初めてで感覚が狂っちゃったよ~」

 なんてプッチーニは負けた後、頭をかいた。

 多分、プッチーニは本気を出してなかったのだろう。大人な彼の事だ。僕がアスナと戦いたがっている事を思って勝利を譲ってくれたのかも知れない。

 

 【第4試合 アカギvsマリオ】

 タンク同士の戦いという事で地味な削り合いになった。

 ソードスキルを放とうが通常技を繰り出そうがお互いの盾がすべてを受け止めた。

 フェイントや盾を使っての打撃など、攻略組から見ればハイレベルな戦闘も一般人から見ると退屈な戦いに映ったらしい。通常2分程度で決着がつくデュエルにしては異例の10分を超えたあたりから「いい加減に決着つけろよ!」なんて声がコロシアムのあちこちから漏れ始めた。

 戦ってる二人は恐らく戦闘に集中しているから聞こえていないと思うが、仕掛けたのはアカギの方だった。

 力づくで盾を跳ね上げ殴り合いの格闘戦の間合いまで詰めた。こうなってはお互いの剣も盾も存分に振るえない。

 たまらず、マリオが後ろに跳んだ。そこを狙い澄ましてアカギが≪ヴォーパルストライク≫を放った。が、後ろに跳んだマリオもそれを狙っていたのだ。後ろに着地する前に≪スラント≫を立ち上げ、アカギへ突進した。

 相討ち……。実戦であればアカギの方がマリオに大ダメージを与えていただろうが、デュエルは初撃決着モードだ。スキル起動が速いスラントに軍配が上がったらしく、システムはマリオの勝利を宣言した。

 ついさっきまで苦情の声を上げていた観客たちは称賛の歓声に変わった。

 

 【準決勝 第1試合 コートニーvsマリオ】

 思い返してみれば血盟騎士団に入団してからずっとマリオとは同じパーティーだった。壁戦士としてとても優秀で状況判断能力に優れていて機転もきく。ジークとマリオの二人で組んだ壁の安定性は後衛の僕にとってとても安心できるものだった。

 振り返ってみると口数が極端に少なく、了解を意味する「ヤー」とか「いいえ」とかぐらいしか言葉を聞いたことがない。

「マリオさん。僕に勝ちを譲ろうなんて、考えてないよね?」

 デュエル開始を告げるカウントダウンがすすむ中、僕は右腕が動き回らないように左手でポケットにいれながら尋ねた。

「考えてません」

 僕はマリオの3つ目の言葉を耳にした。

「よかった」

 僕はクリスを抜きながら微笑んだ。

 マリオは無言のまま抜刀し盾を構えた。防御重視、カウンター狙いだろう。

 カウントダウンの数字がゼロになり【DUEL!】の紫の文字が閃光を輝かせて砕け散った。

 僕は猛然とダッシュしてマリオに斬りかかった。

 左利きの剣士はソードアート・オンラインでは数少ない。どちらかと言えばモンスター戦が優先されるこの世界では右利きの人が左利きの人と対戦する事はめったにないだろう。

 数合剣を打ち合わしたところで、思い通りにならない戦いにマリオが小さく舌打ちした。プッチーニが言った言葉もまんざら嘘ではなかったかもしれない。

 マリオとしては僕の攻撃を盾で受け流して剣で反撃をしたいところであろうが、彼にとって右側からやってくる攻撃に否応なく剣で受け止める事になっている。僕はその優位性を広げるために左へ左へと回り込みながらマリオに攻撃を加えた。

 そろそろ、マリオは右からの攻撃に慣れてきた頃だろう。僕は賭けに出た。

 隙の少ない3連撃、≪シャープネイル≫をマリオにとって左側から放った。

 左、盾ではじく。

 マリオは久しぶりの攻撃のチャンスに通常技の剣を振り下ろす。

 右、マリオの剣と僕の2撃目がぶつかる。

 左、僕の3撃目をマリオは盾で弾き飛ばした。シャープネイルの隙が少ないとはいえ、僕は硬直時間が科せられた。

 マリオは剣をソードスキルで輝かせた。恐らくは≪スラント≫。技起動が最も速いソードスキルだ。

 マリオの表情には疑問が浮かんでいた。(罠ではないか?)そんな顔だった。

 僕は硬直時間から解放され、身体を翻した。その反動を利用して軽業スキルの補正いっぱいに使って斬りかかってくるマリオの右手に回し蹴りを食らわせた。

 僕は残念ながらキリトのような体術スキルを身に着けていない。会得していればこれで勝負ありだったが、蹴りの衝撃のノックバック以外の被害はマリオに与えられない。

 でも、僕にはその一瞬のノックバックで十分だった。そのまま振り返りざまに≪ホリゾンタル≫を蹴りあげられてがら空きになったマリオの右脇腹に浴びせた。

 視界の隅に紫の文字で【Your victory】と表示が輝いた。

 途端に今まで聞こえなかったコロシアムの歓声が僕の耳をつんざいた。

 

 【準決勝 第2試合 アスナvsゴドフリー】

 勝負は一瞬だった。

 デュエル開始と同時にアスナが前傾姿勢をとって一歩を踏み出しその姿がかき消えた。

 なんとか、その姿を捉えた時にはアスナの愛剣≪ランベンライト≫が輝きゴドフリーの身体を貫いていた。

 ≪フラッシング・ペネトレイター≫。細剣の突撃系ソードスキルだ。スピードが速すぎてコロシアムにいる観客のほとんどは何が起こったか分からなかったはずだ。

 システムが表示させたデュエル結果を見て、しばらく経ってから割れんばかりの歓声と口笛と拍手が響いた。デュエル時間1秒。実際は1秒も経っていないだろう。

 さすがアスナ。規格外の強さだ。

 

 【決勝 アスナvsコートニー】

 僕は闘技場入り口でベンチに座ってデュエル開始の時を待った。

 ふと、僕は第56層で行われたアスナとキリトのデュエルを思い出した。

 アスナが本気を出してデュエルに挑んだのは後にも先にもあの時だけだ。

 あれは第56層でフィールドボスの攻略方針に反対したキリトにいう事を聞かせるために勝負を挑んだのだ。あの時から比べればレベルが20以上あがっているだろうからもっと速くなっているだろうとは思っていた。しかし、ゴドフリー戦で見せたあのスピードは僕の予想をはるかに上回っていた。

 多分……いや、間違いなく僕はアスナに勝てない。

 キリトと言えば、つい先日彼は第74層のボスを二刀流を操って単独撃破した。ただでさえ強い彼なのに二刀流というユニークスキルまで身に着けてボスクラスの強さを手に入れたのだ。よほど神に愛されているのだろう。

 一方、右腕が動かなくなった僕の場合はどうなのだろう? よっぽど嫌われてるのか。『神は愛する者に試練を与える』なんてよく聞くけど、いい迷惑だ。もっとも、僕の場合は罰なんだろうけど……。デスゲームという特殊な世界で生き残るために性別を偽ってジークに依存しているのだ。そんな僕が神様に愛されるはずがない。

 僕はそんなとりとめのない事を考えながら優しい視線を送ってくれているジークを見上げると、歓声が上がった。時間だ。

「じゃ、いってくる」

 僕は立ち上がりながらジークに言った。

「頑張って」

 ジークは微笑みながら手を振った。

「うん」

 ゆっくりと歩き、開け放たれている闘技場につながる門をくぐった。

 闘技場に足を踏み入れると、観客たちは僕の姿を見て割れんばかりの歓声があがった。闘技場の反対側にアスナの姿が見えた。途端に僕の身体が緊張のあまり震えた。

 なぜだろう? アスナには絶対勝てないと分かっているのに、プッチーニやマリオと戦う時以上に緊張している。勝てないんだから、アスナの胸を借りるつもりで自分の力のすべてをぶつけるだけなのに……。ゴドフリーのように一瞬で敗れる事が怖いのか……。自分でもわからない。

 僕は踵を返して、駆け足で控室に戻った。そんな僕を見て、コロシアムからどよめき声が聞こえてきた。

「コー?」

 戸惑っているジークの身体を僕は左腕一本で抱きしめた。本当は両手でしっかりと抱きしめたかったけれど、動かないものはしょうがない。

 緊張で震える心がジークのぬくもりで溶かされていく。

「よし、充電完了」

 1秒ほど抱きしめた後、僕は自分に言い聞かせるように呟いてジークを見上げた。「今度こそ、いってきます」

「コーらしく、思いっきりぶつかってきて」

 ジークがそう言いながら僕の頭を撫でて一瞬、唇を重ねてくれた。

「うん!」

 僕は身体を翻して、タイムロスを取り戻すように駆け出した。

 そうだ。思いっきり全力でぶつかってみるだけだ。

 そう覚悟を決めて、すでに闘技場の中央で立っていたアスナの前で僕は立ち止まった。

「大丈夫?」

 アスナがにっこりと僕に微笑みかけてきた。

「大丈夫!」

 僕もアスナに負けないぐらいの笑顔で微笑んだ。「アスナ。このデュエルで勝っ……。ううん。いい勝負したら、パーティーで前に出してよ」

 僕が血盟騎士団に戻ってから、以前のようにアスナのパーティーで迷宮区マッピングをしている。しかし、アスナは僕を気遣ってか、ほとんど前に出させてくれない。後衛に徹して回復役に専念させ、完璧に安全な時のラストアタックぐらいしか前に出させてくれない。

 アスナに勝つなんて不可能だから、『いい勝負をしたら』にハードルを下げた。

「ちゃんと、前に出してるじゃない」

 うふふと笑い声をあげながら、アスナは右手でメインメニューを立ち上げてデュエルを申し込んできた。

「ああいうラストアタックの時だけじゃなくって、前みたくちゃんとポーションローテの一員に加えてよ。ってか、分かってて言ってるでしょ?」

 僕はため息をついて、右手を左手で動かしながらデュエルを初撃決着モードで受託した。

 カウントダウンが始まる。

「せっかくだから、コーの全力を見せてもらうわよ」

 アスナは表情を引き締めるとランベンライトを抜いた。

「うん。見て」

 僕は頷いて、右手を左手でポケットに突っ込むとクリスを鞘から抜いた。

 リズが作ってくれた新しい僕の剣。名前は≪レダン・プリンセス≫。クリスには2種類あり独特のうねった刃は女性を意味するそうだ。僕はその赤い刀身に一目ぼれをした。きっと名前にも意味があるのだろう。いつか現実世界に戻れたら、その名の由来を調べてみよう。

 とりあえず、今は目の前のデュエルに集中しよう。

 僕はうねった刀身の向こうのアスナを見つめた。すでに抜刀し隙なく構えている。美しい構えだ。僕もレダン・プリンセスを構える。

 多分観客からは僕たちは合わせ鏡に映っているように見えるだろう。髪の色が栗色と漆黒の違いはあるけれど……。

 5……4……3……2……1……0!

 僕の視界の中央で【DUEL!】の紫の文字が閃光を輝かせて砕け散った。

 砕け散る文字の向こうでは一歩目を踏み出したアスナが見えた。次の瞬間にはその姿がかすむほどの加速でランベンライトをソードスキルで輝かせながら僕に突進してくる。

 僕も踏み出す。急激に周りの歓声が遠のくように消えて、全神経をアスナに集中し全身の動きを反射神経に委ねた。

 見える!

 ゴドフリーに感謝せねばなるまい。準決勝でのアスナの動きを見ていなければ僕は完全にアスナを見失っていただろう。

 アスナの≪フラッシング・ペネトレイター≫に対抗して僕も突進技≪ソニック・リープ≫を発動してアスナに向かって突撃した。

 ソードスキルをまとった刃と刃がぶつかり合ってまばゆく光を散らした。

 アスナの≪フラッシング・ペネトレイター≫の方がソードスキルとしての威力は上だ。しかし、筋力パラメータと踏み込みの威力は僕の方が勝っていたらしく、このぶつかり合いはまったくの互角だった。

 お互いの硬直時間を抜けた後、通常技で剣を交し合う。

 僕たちは剣先だけを見ていない。相手の視線。腕の振り。そういった全体から情報を受け取ってこちらの動きは身体にゆだねた。

 右、左、突き、上、下。あらゆる方向から繰り出されるアスナの鋭鋒をはじき返し、僕からも反撃をぶつける。

 激しくぶつかり合う剣が火花を散らし、周囲にいくつもの星を形作っていく。

 速く。速く。速く。もっと速く!

 俊敏度はほぼ互角。あとはナーヴギアと脳の反応速度の勝負だ。

 アスナの剣に僕は導かれているようだった。アスナの次の攻撃が見える。繰り出すソードスキルも通常攻撃もフェイントも何もかも。僕はアスナと一体になったような不思議な感覚に陥った。

 ぶつかり合う剣が一瞬動きを止め、つばぜり合いになった。

 僕は刀身をひねらせてアスナの重心をわずかにずらし、一気に左に流した。

 アスナの体勢が崩れた。チャンスは今しかない。アスナに追い打ちをかけるために僕は身体をひねり回し蹴りを放った。

 がら空きになったアスナの背中に命中する。……そう思った直前にアスナの左拳が僕の蹴りを弾き飛ばした。

(え! 絶対かわされないと思ったのに)

 僕は逆に体制を崩された所にアスナの膝が僕の腹部を捉えた。

 アスナが体術を持っていなくて助かった。僕はアスナからの追撃をかわすために後ろに跳んだ。

 絶好のチャンスだったはずなのにアスナの追撃はなかった。

「マリオさんとのデュエルを見てなかったら危なかった~」

 アスナの余裕の笑みを見て、僕は敗北を悟った。僕はいっぱいいっぱいなのにアスナにはまだ余裕があるのだ。

「油断してると、僕が勝っちゃうよ」

 敗北を確信したが、僕は強がりを言ってその気持ちを振り払った。

「今度はコーから仕掛けてみる?」

 アスナは切先を振り下ろすと左手で僕を招くようにして挑発した。

「セイッ!」

 僕は一歩を踏み出して一気に間合いを詰めた。

 再び激しい剣戟を交わす。スピードがどんどん上がって行く。

 一瞬の隙を再び作れるだろうか? 僕はその一瞬を捉えるため全力でアスナにぶつかった。

 その一瞬が訪れた。レダン・プリンセスのうねった刃がランベンライトの剣先を微妙に狂わせた。この時を逃したら、アスナに追い込まれてしまうだろう。

 僕は最後の勝負に出た。

 アスナのランベンライトを弾き飛ばした所で僕はレダン・プリンセスを大地に突き刺しそれを支点にして左足で蹴りを放った。

 アスナの目は完全に僕の蹴りを見切っている。アスナの目を見て僕は悟った。

 僕は足をたたんで鋭く身体を回す。僕の蹴りを叩き落そうとしていたアスナの左手が空を切った。

 僕はポケットの中の右手でピックを2本握った。同時に左手を離して、右手のピックにソードスキル≪ダブルショット≫を発動させた。肩をひねり右手をポケットから引きずり出し、体全体を回転させ振り子のようにして2本のピックをアスナに撃ちこんだ。

 ソードアート・オンラインではソードスキルを発動させればあとはシステムが技を命中させてくれる。投擲の場合は大体の方向が合っていればその軌道をシステムが修正してくれるのだ。もちろん、相手の弱点に正確に命中させるには微妙な調整が必要だ。アスナはその技に長けていて針の穴に糸を通すような正確さでモンスターの弱点にヒットさせることができる。

 アスナの表情に初めて焦りが浮かんだのを僕は見た。

 間髪入れず、レダン・プリンセスを左手で握り今度は≪ペネトレーションアタック≫を乗せてアスナを正確に狙って投じた。

 アスナの事だ。これぐらいの攻撃では躱されるかも知れない。

 僕は左手で右手を振ってメインメニューを立ち上げ、左手にジークから借りた≪ゴライアスソード≫を装備した。

(ジーク! 力を貸して!)

 僕はアスナに踏み込みながら≪バーチカル≫で剣を輝かせて振り下ろした。

 アスナは襲いかかってくる二つのピックを一刀で弾き飛ばし、レダン・プリンセスはしゃがみ込むようにして回避を試みた。

 うねった刃がアスナの左肩をわずかに切り裂いた。しかし、強ヒット判定は下されなかった。それでも、ずるずるとアスナのヒットポイントが減少した。

 うずくまったアスナに僕は刃を振り下ろす。例え、クリーンヒットしなくてもアスナのヒットポイントを削ってイエローゾーンまで落とし切れば僕の勝利だ。

「ヤーッ!」

「セイッ!」

 お互いの気合の声が響き、剣が激しくぶつかり合った。

 僕の剣はもう少しでアスナの右肩を捉えるところだったが、遂に押し返されてしまった。

(だめだったか……)

 連続攻撃のすべてをアスナに止められた。僕はすぐに襲ってくるであろうアスナの攻撃を待った。

 だが、アスナは攻撃をすることなく、後ろへ跳んだ。

(え?)

 アスナの顔を見ると頬に一筋の涙を流していた。

「コーはすごい。すごいよ。あんなことがあったのに、ここまで……」

 アスナはそこで言葉を飲み込んだ。そして、涙のしずくを左手で華麗にはらうとにっこりと笑った。「本気で行くね」

 アスナが前に体重をかけたかと思った次の瞬間には目の前にいた。僕は必死にバックステップで距離をとろうとしたが引き離せない。

 ランベンライトの輝いた。この輝きは≪スター・スプラッシュ≫だ。剣だけでなくアスナが輝いたように見えた。

 僕は必死でその剣技を受け止めた。中段突き3弾を何とか弾き飛ばす。

 意識が加速したのを僕は感じた。斬り払いの往復をステップで躱す。斜め切り上げにゴライアスソードを必死に合わせる。

 しかし、ここまでが限界だった。アスナの剣は見えているがもう、体がついてこない。上段への突きを首をのけぞらせて躱したが、そこまでだった。≪スター・スプラッシュ≫の最後の突きが僕の胸に突き刺さった。

 激しいノックバックに襲われ僕は宙に飛ばされた。

 視界の隅に紫の文字で【Your defeat】と表示が輝いた。

(ああ、負けちゃった)

 悔しさなど何もない。むしろすがすがしい気持ちだった。アスナが最初から本気を出せばこんなふうに一瞬で勝負は決まっていたのだ。僕の力を出し尽くしてあげようというアスナの優しさに包まれながら僕は地面へ落下した。

 地面に叩きつけられると思っていたら、アスナが優しく背中を支えてくれた。

「ナイスファイト」

 瞳にいっぱい涙をためてアスナが語りかけてくれた。

「アスナ。めちゃくちゃ強くなってるね」

 加速されていた意識が通常レベルに戻り、コロシアムの割れんばかりの歓声が聞こえてきた。

「わたし、あの人の隣でずっと戦いたいから」

 アスナはにっこりと微笑んで両手を持って僕を立たせた。

 あの人――キリトの隣で戦うためにアスナも強くなっているのだ。元々の才能もあるかも知れない。でも、それだけでなく彼女も努力を重ねているのだ。

「ありがとう」

「コー。これからパーティーを頼むわね」

「え? 何を言ってるの?」

 僕はアスナの言葉の意味が分からずに尋ねた。

「コーならわたしが言った事、すぐわかるわ。じゃあ。わたし、キリト君の所に行くね」

 僕に手を振ってからアスナは踵を返した。

「うん」

 僕は釈然としないままアスナを見送ってから、ゴライアスソードをアイテムストレージに格納し地面に落ちているレダン・プリンセスを拾い上げた。

 僕は歓声に応えながら闘技場を出た。

「お疲れ様。惜しかったね」

 ジークが優しく出迎えてくれた。

「ううん。やっぱり、ぜんぜん敵わない。アスナはすごい」

 僕は首を振って微笑んだ。「さっき、アスナに言われたんだけど。『パーティーを頼む』って。どういう事かな」

「ああ」

 少し考えてジークは閃いたようだ。「この後のデュエルの結果がどちらに転んでもコーがパーティーリーダーになるって事じゃない?」

「え? だって、団長が勝ったらキリトさんはウチの団員になるじゃん」

 キリトが勝った場合はアスナは一時、血盟騎士団を抜ける。この場合は僕がパーティーリーダーになってもおかしくないけれど、団長が勝った場合はアスナは血盟騎士団に残るのだ。

「単独でフロアボスを倒しちゃうような人だよ? バランスが悪くなっちゃうよ。それに……」

「ああそうか」

 僕はジークが言いたいことを理解して頷いた。

 アスナはずっとキリトのそばにいたいのだ。思い返してみれば、第74層の迷宮区探索も二人でしていたではないか。キリトが血盟騎士団に入団した場合、アスナと二人のパーティーを組むつもりなのだろう。

「いずれにしても」

 ジークはにっこりと微笑んで僕の頭を撫でた。「アスナさんがコーの力を認めてくれたって事だよ」

 それはとても嬉しい事だった。

 まったくアスナには敵わなかったけれど、少しでも追いつきたい。これからもっと、頑張って行こう。

 コロシアムの歓声が再び大きくなった。

 メインイベント、ヒースクリフ対キリトのデュエルが始まるのだ。

「始まりそうだね。急ごう。一緒に見よう!」

 ジークが僕の右手を優しくとって導いた。

「うん!」

 僕はジークの後を追いかけた。

 アインクラッドで確認されたユニークスキルは今の所二つだけ。≪神聖剣≫と≪二刀流≫。この使い手二人の激突だ。きっと素晴らしいデュエルになるだろう。

 僕たちはその世紀の一戦のどんな一瞬も見逃さないように集中した。

 コロシアムの中心でなにやら二人が言葉を交わしている。そしてデュエル開始を告げる表示が二人の間に輝きカウントダウンが始まった。

 静寂に包まれるコロシアム。

 僕は唾を飲み込んでデュエル開始を待った。

 




世紀の一戦の結果は皆様ご存知の通り、ヒースクリフ団長のチートで勝利となります。
普通に考えてヒースクリフとキリトのデュエルだけじゃ場が持たないだろうという事で今回のお話となりました。
ネットゲームでもあるじゃないですか。○○王者決定戦みたいな。きっとダイゼンさんの事だから、もっと準備時間があれば血盟騎士団だけじゃなく、ほかの攻略ギルドを巻き込んでデュエル大会なんていうのもセッティングしたかも知れないなあと夢想します。

一気に世界の終焉まで持っていくつもりでしたが、ちょっと編成を変更しました。今の予定は3話+番外1話になっています。
予定は未定なので何とも言えませんが、2月中旬終了を目指して頑張ります。

コートニーが死んだ日のR-18は挫折しました。ヒットポイントが足りませんorz 申し訳ない(吐血)

質の低下が激しくなっている気がしますが、今後ともよろしくお願いいたします><


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第26話 暗く深い闇 【コートニー11】

 僕はブリーフィングルームで椅子に座りながら右足で机を小さく蹴り続けていた。そんな僕を呆れた顔でジークが見つめている。

 今、こうしている間にもアスナ達が第75層のボスと戦っているのだ。それを考えると居ても立っても居られない。

 今回、ヒースクリフがボス戦の指揮を直接執る事になったのだが、僕は攻略メンバーから外されてしまったのだ。血盟騎士団から今回参加するのは1パーティー5人。ヒースクリフが選んだのは全員盾持ち戦士だ。

 確かに正体不明で偵察もままならないボス相手に死ににくい編成を考えれば盾持ち戦士で固めた方がいい。でも、今回ヒースクリフの要請で新婚間もないアスナが参加しているのだ。それなのに僕は一緒に戦えない。その事がとても悔しかった。

 僕は視界の隅の時計を確認した。14時54分。ボス戦が始まってから約1時間が経とうとしているが、まだ攻略完了の連絡はなかった。僕は左手で右手を動かしてメインメニューを立ち上げた。アスナは大丈夫だろうか? ヒースクリフ、プッチーニ、アカギ、マリオ、テンキュウ、シュミット……。フレンドとギルドメンバーが統合されているリストでボス戦に参加している全員の無事を確認する。

 突然、アスナの名が暗く――非アクティブの状態になった。

「そんな……」

 僕は目を疑った。フレンドリストの名前が暗くなるのはどのゲームでもそうだが、普通はそのプレーヤーがログインしていない事を表している。

 だが、この世界は普通ではない。ログインしていない状態など、ただ一つの例外以外考えられない。たった一つの例外――そのプレーヤーの死……。

 全身に寒気が走り、抑えようとしてもガタガタと震えた。

「コー?」

 僕の状態を見てジークが表情をこわばらせた。

「アスナが……」

「まさか」

 ジークが絶句してメインメニューを立ち上げてリストを確認した。「こんな事って……」

「ジーク。行こう!」

 僕は椅子から立ち上がった。

「落ち着いて。どこに行くの? ボス部屋には入れないのは分かってるでしょ」

「分かってる! けど!」

 涙で視界が歪んでいくのを感じながら、僕は声を荒げて言い返す。

 少しでもアスナの近くに行きたい! そんな衝動に駆られ、僕はジークの手を取ってブリーフィングルームを出た。――その時だった。

 ゴーン、ゴーンと不気味な鐘の音がした。この音に聞き覚えがある。遠い昔、ちょうど2年前GMの茅場が姿を現した時の音だ。廊下の窓から外を見るとあの時と同じように天井が市松模様と赤い文字で埋め尽くされていた。

「いったい、何が……」

 ジークが呆然と見上げている。僕はその腕にしがみついた。

「ただいまより、プレーヤーの皆様に、緊急のお知らせを、行います」

 お互いの顔を見合わせた時、人工的な合成音が聞こえてきた。「11月7日。14時55分。ゲームは、クリアされました」

「ゲームクリア?」

 なんで? ゲームクリアは第100層を攻略する事が条件だったはずなのに。アスナが死んだことと関係があるの?

 疑問が次々と湧き上がる。

「プレーヤーの皆様は、順次、ログアウトされます。しばらく、お待ちください。繰り返します……」

 機械的な音声がメッセージを繰り返し始めた。

 現実世界に帰れる。とても喜ばしい事なのに僕の心の中にもやもやとしたものがのしかかってきた。原因は分かっている。このもやもやの原因は……アスナの死、そしてジークとの別れ。

 2年間、積み上げてきたジークとの思い出がよみがえる。

 僕はどうしたらよいだろう? システムによってログアウトされるまでのわずかな時間。このままジークの顔を見たままで過ごすだけでいいのだろうか?

「ジーク……名前を……リアルネームを教えてくれるかな?」

 僕は途切れ途切れになりながら自失状態のジークに尋ねた。

 現実世界で会おうとは思わない。そんな事をしたらジークを傷つけてしまう。けれど、2年間ずっと僕が愛し、僕を愛してくれた男の名前を聞いておきたい。そうすれば例え会わなくてもジークの名前を思い出にして僕は生きていける。

「私の名前は……」

 ジークはなぜかとてもためらっていた。しばらく目を閉じたあと、やがて意を決したように口を開いた。「私はモチヅキ ケイ」

「モチヅキ……ケイ」

 僕はその名前をゆっくりと復唱した。

 望月敬だろうか? それとも桂? 啓かな? 僕の頭の中に色々な漢字が飛び回った。

「コー。ごめん。私は……」

 ジークがそこまで言って、目を閉じて首を振った。そして、少し間を置いた後、緊張した面持ちで僕を見つめて再び口を開いた。「コーの名前も教えて」

「僕の名前?」

 しまった……。考えてみれば僕がジークの名前を聞いたからには当然、こういう流れになるではないか。ここで僕が本名を答えたらジークは怒り狂うだろうか? それとも笑って許してくれるだろうか?

 まったく答えが出ない。沈黙の中、時間だけが過ぎて行った。

「コー?」

 心配そうにジークが僕の顔を覗き込んできた。

 決めた。罵られようと、殴られようと本名を言おう。最後の最後まで誠実なジークを裏切る事は出来ない。

 僕はそっとジークから一歩離れて彼の瞳を見つめた。

「僕の名前は……勅使河原ひろ」

 最後まで言えなかった。突然、目の前が暗転した。

 

 空気ににおいがした。消毒液と排泄物のにおい。かなり不快だ。僕は目を開けた。

 真っ白な世界だ。とてもまぶしい。目がなかなか慣れてくれない。それでも時間が経つにつれ、ようやく自分の目に映っている物がわかってきた。

 何の飾りのないパネルの天井。所々に蛍光灯が埋め込まれ、カーテンレールが走っている。今まで見慣れた古風な雰囲気はまったくない。

(戻ってきた?)

 自分が寝ている所は妙に柔らかい。これは普通のベッドではない。それに驚いた事に服を着ていない。老人介護用に皮膚の炎症を防ぎ、老廃物を自動で処理するベッドが開発されたなんていうニュースを遠い昔に見た。あの時はテスト段階で実用化はまだ先のような事を言っていた記憶がある。

 僕は左手に意識を集中した。信じられないくらいに重い。精一杯力を込めて自分に掛けられた薄手の布団をどかし、目の前までようやく持ってきた。

 二の腕が信じられないほど細く、紫色の血管に突き刺さっている点滴の針が見るからに痛々しい。指の関節には細かい皺が走っている。久しぶりに見る圧倒的なリアリティがある手だった。ソードアート・オンラインではここまでの再現性は出せない。やはり、ここは現実なのだという実感がじんわりと広がって行った。

 ガシャンと何かが割れる音がして騒がしい声が聞こえた。何を言っているか理解できない。

 視界に飛び込んできたのは女性の顔だった。その顔は忘れようがない、僕の母親だ。記憶の中より痩せ、白髪も増えている。そんな母が涙を流し必死に何かを僕に語りかけてきている。相変わらずその声が何を訴えているのか理解できない。

「おかあ……さ……ん」 

 声がおかしい。妙に低くてひび割れている。僕はこんな声だったろうか? コートニーはとてもきれいな声だったのに。

 そんな疑問を感じていると、母は僕の眼前にあった左手をとった。とても冷たい。そう、母の手はいつも冷たい。

「ああ、神様! ありがとうございます!」

 やっと耳から聞こえてくる母の声が言語として理解できた。

 現実世界に帰ってきた。僕は帰ってきたのだ。その実感で僕の目に涙があふれ頬に流れた。

 そうこうしているうちに医師と看護師が入って来た。そして、看護師はベッドの背もたれを電動で上げ、医師が僕に対する問診や検査を始めた。

 母は喜びの涙を流しながら床に飛び散った花瓶の破片を看護師と共に片づけている。

「よかったですね。お母さん」

 優しい言葉をかけられて再び泣き咽ぶ母を見て、僕は帰って来れて本当に良かったと思った。

 

 その日の夕方。母は明るい表情でお皿が乗ったトレイをもって部屋に入ってきた。

「弘人。夕ごはん……っていうよりスープだわね。これじゃ」

 母はにっこりと笑いながらスイッチ操作をしてベッドの背もたれをあげてくれた。そして、てきぱきとテーブルの上に食事を並べ、僕の前に滑り込ませた。

 母が言うとおり、大小のお皿が並んでいるがどれもスープのように刻まれていて、固形物は一つもない。

「自分で食べられる?」

 母が心配そうに尋ねてきた。

「たぶん。ダメだったらお願いするよ」

 僕はそう答えながら、震える左手でスプーンをとった。

「あれ? 弘人、左利きになったの?」

 母がベッドの横の折りたたみ椅子に座りながら不思議そうに僕の顔を覗き込んだ。

「うん。ゲームの中で右腕が動かなくなっちゃってね。左手で全部やってたんだ……」

 僕は恐る恐る右腕を持ち上げ右手にスプーンを持ち替えてみた。動く。こちらでも食事がとれそうだ。

 ヒースクリフが言ったように右腕が動かなくなってしまったのはナーヴギアの不具合だったのだ。

「大丈夫?」

 母が心配そうに言った。

「うん。これもリハビリだよね」

 僕はほっとしながら右手を動かし、スプーンでおかゆをすくって口に含んだ。

「おいしい?」

「まずい」

 僕は正直な感想を苦笑しながら答えた。薄味すぎてまずい。これなら、悪名高い≪アルゲードそば≫の方がまだマシだ。

「病院食だからね。しょうがないわね」

 母はクスリと笑った。「退院したら大好物のカレーをいっぱい作ってあげるわ」

「それは楽しみ」

 僕は母に笑いかけながら、スプーンを左手に移した。なんだか、こちらのほうがしっくりくる。それ以降、僕は左手で食事をとった。

 

 次の日から検査と並行してリハビリが始まった。

 身体を動かすというのがこんなにつらい事だったのか。ソードアート・オンラインの中では文字通り飛ぶように走り回ったというのに、このだるさと重さに慣れるまで時間がかかった。

 それでも、2週間ほどで歩行器を使って歩ける状態に戻った。動き回れるようになって僕は病院内でジークを探してみた。

 この病院には30名近くのSAO被害者がいるらしい。僕は一つ一つの病室を回ってみた。しかし、30名の中に見覚えがある顔はまったくなかった。

 SAO生存者は6000人ほどいるのだ。そうそう簡単にジークが見つかるとは思っていない。けれど、僕は奇跡を信じたかったのだ。

 

 僕はその日、手すりにつかまりながら歩くというリハビリをしていた。

 ふと、前を見ると男性の後ろ姿が目についた。あの髪型、均整のとれた体格。間違いない! ジークだ! 一瞬で心臓が高鳴り、頭の中の思考が爆発した。

「ジーク!」

 次の瞬間、僕は叫んで何も考えずに左手を前に出して駆け出してしまった。

 僕の身体はイメージ通りに動いてくれなかった。たちまち何もない床につまづいて僕は膝から崩れ落ちてしまった。

「大丈夫? 勅使河原さん!」

 看護師があわてて僕に駆け寄ってきた。この騒ぎで看護師の背後に見えていたジークが振り返ってこちらを見た。――その顔はまったくの別人だった。

 よくよく見れば、その男性はこの病院のスタッフの服装だった。

(ジークに会いたい! この世界のジーク……モチヅキ ケイに……)

 あふれ出す感情が胸をぎゅうっと締め付けた。見つめる床の模様が涙で歪んでいく。

 ジークの名前だけ知っていれば、それを思い出にして生きていけると思っていた。でも今は会いたい。話がしたい。僕はブレてばかりだ。自分が女の子であったならこんな悩みを抱くこともなかったのに……。

「どこか、痛むの?」

 看護師が心配そうに、涙を流す僕を見つめてきた。

「すみません。大丈夫です」

 涙をぬぐって僕は笑顔を作った。

 

 その日以来、僕は自分が分からなくなった。コートニーとして生きた2年が僕の心から離れない。

 自分の声、姿、性別、何もかも違和感がある。言葉を発するたび、鏡を見るたび、自分の身体を見るたびにその違和感が僕をさいなんだ。

 そしてジーク。彼の姿を見たい。一目でいいのだ。そうすればすっきりできる。――と思う。会ってみたらまた別の感情に押し流されてしまうかも知れないが。

「弘人。その髪の毛、切らないの? 退院する前にすっきりしておかない?」

 年が押し迫る年末。退院が明日に迫った日、母がそう尋ねてきた。

 僕の髪はソードアート・オンラインに囚われてから一度も切らず、今では肩まで伸びていた。

 僕は自分の黒髪を手に取ってくるくるともてあそんだ。

「とりあえず、このままで……」

「そう? でも、それじゃ女の子みたいよ」

「あのさ、お母さん」

 僕は母に視線を向けた。

 僕は胸の中のもやもやを全て話してみようと思った。

「なあに?」

 母は僕の表情を見て察したのかベッド脇の椅子に腰かけて僕と視線の高さを合わせた。いつも母は優しく受け止めてくれる。

「僕、ゲームの中で女の子だったんだ……。ずっと、2年間……。なんか、それが当たり前になっちゃってて、今が……すごく変な感じがする」

 言っていてとても恥ずかしい。けれど母の表情は優しいままだ。

「なるほど……。弘人の仕草がとても可愛らしくなったのはそれが原因なのね」

 母は嬉しそうにクスリと笑った。

「可愛らしい?」

「ええ。可愛いわよ」

「もう、からかわないでよ」

 僕は頬を膨らませて抗議した。

「ほら、そういう所。可愛いわよ。気にすることはないわ。あなたはあなたなんだから」

「僕は……僕……」

 なんとなく、母の言う事が理解できたような気がする。コートニーを忘れ去る事などできない。コートニーという女の子として生きてきたのも僕で、勅使河原弘人という男の子もまた、僕なのだ。

 そして、ぽつり、ぽつりとジークの事を話した。ゲームの中とは言え、彼と結婚していた事。言葉で言い表せないぐらい好きで愛していた事を。

「ゲームの事は良くわからないけれども、弘人はいい経験をしたと思うわ」

 僕が語りつくしてしばらく黙っていると、母が僕の頭を撫でた。「弘人はどうしたいの? もし彼に会えたら」

「どうしよう……黙って遠くから見るだけでいいかな。――けど、できれば謝って、友達になりたい」

「そうね。きっと、いいお友達になれるわよ。びっくりはするでしょうけど」

 母はにっこりと笑った。「お母さんも会ってみたいわ。その子に。そして、お礼を言わなきゃ。『弘人を守ってくれてありがとう』って」

「うん」

「弘人。きっと時間が解決してくれるわ。それにきっと、神様が何とかしてくださる」

 神様か……。2年前だったら、その母の言葉に僕は大反発しただろう。けれど、今は思わず願ってしまう。

 ジークにいつか会わせてくださいと……。

 

 

 

 年が改まり、2月半ばに入った。世間はALO事件のニュースでもちきりだった。

 僕はソードアート・オンラインがクリアされた時点で全員が無事にログアウトできていると信じていた。それが、約300人もの人々が須郷という人物によって囚われ続けていた。ゲームクリア時のアインクラッドの人口は約6000人。その0.5%の人が囚われていたのだ。その不幸に僕の知り合いが、いや、ジークが巻き込まれていない事を僕は祈った。

 しかし、これで忌まわしいSAO事件は完全決着したのだ。囚われていたとしてもジークはこの現実世界に戻っている。

 3カ月にも及ぶリハビリのおかげで僕の身体は以前のように動かすことができるようになっていた。

 僕はリビングで机に向かって、昨日郵送されてきた入学願書に名前や住所などを左手で記入した。

 ソードアート・オンラインを始めた時、僕は中学3年生だった。特例措置で中学の卒業資格は認められているものの、このままでは高校進学はもちろん社会復帰にも支障がある状態だった。

 そこで、政府は少子化で廃校が決まっていた学校を改築しSAO生還者専用の学校を作ったのだ。対象者はソードアート・オンラインに囚われた当時小中高校生のSAO生還者。入学金も入学試験もなし、卒業後は大学受験資格も与えられる。その学校が4月から始まるのだ。

 入学は希望者という事になっている。しかし、今更高校受験を目指して勉強する事はかなり難しい。何しろ2年間、生き残るためモンスターの攻略情報や身を守る武具情報、レベルアップの方法などを必死に勉強していたのだ。それをいきなり数学や国語、英語などに置き換える事は出来そうもない。

 そんなわけで多分、僕だけでなく多くの学生がこの学校に入学するはずだ。きっと、ジークも……。

 時間が経った今でもジークの事を思うと、胸が苦しくなる。会いたい。話がしたい。そういう熱い思いで頭の中が埋め尽くされてしまう。

 僕は窓から外へ視線を送った。抜けるような青い空。きっとこの空をジークも見ているのだ。

「できた?」

 母がハンコを持ってリビングに入ってきた。

「あ、ごめん。もうちょっと」

 僕はジークの事を考えて止まっていたボールペンを再び走らせて必要事項を埋めていった。「これで、よし」

「はい」

 母は願書の保護者欄に名前を記入し判を押した。そして、笑顔で僕をからかうように言った。「勉強、頑張るのよ」

「はーい」

 僕は返事をしながら肩に乗った髪を払った。そして、願書を封筒に入れ封をした。「じゃ、病院に行くついでに出してきちゃうよ」

 立ち上がって身支度を整え家の外に出ると、僕は自転車にまたがった。

「今日は最後のリハビリね。気を付けてね」

 玄関の扉の向こうから母が手を振っていた。

「うん。――そうだ。ついでに、帰り道に新しい学校も見て来ちゃおうかな」

「わかったわ。夕食はなにがいい?」

「んー。ポトフで」

「了解」

 笑顔で手を振る母に見送られ、僕は自転車を漕ぎ出した。

 頬を突き刺す冷たい空気が心地いい。昨夜降っていた雪はそのほとんどが解けて道路脇の雑草の隅などにわずかに白い姿を残しているだけだった。

 病院に向かう途中のポストに願書を投函し、僕は病院に入った。

 いつものようにリハビリメニューをこなして待合室で治療費の清算を待っていると、隣に人の気配を感じて僕はその人物を見上げた。

 そこにいたのはダークブルーの見るからに生地がよさそうなスーツに身を包んだ、黒縁メガネの背の高い男性だった。

「失礼。勅使河原弘人さんですね?」

 その落ち着いた物腰で美しいテノールの声はヒースクリフを彷彿とさせた。

「はい……」

 誰だろう? いぶかしげに僕はその男を見つめた。

「はじめまして、僕は総務省SAO事件対策本部の菊岡と申します」

 その男はそう言うと胸ポケットから名刺入れを取り出して、僕に名刺を差し出した。

「は、はあ……」

 なんと返事をしたらよいか分からず、僕は名刺を受取りながらあいまいな言葉を返した。

「少し、お話があるので……」

 菊岡は僕の無礼を咎めることなく笑顔で部屋を指差した。「あちらでお話を」

「わかりました」

 僕は立ち上がって、菊岡の後ろについて行った。

 案内されたのは医師とのインフォームドコンセントに使われる小さな部屋だった。壁にはレントゲンを見るシャウカステンが取り付けられており小さな机が置かれていた。

「とりあえず、そちらにどうぞ」

 菊岡は笑顔のまま椅子を指し示した。

「はい」

 僕は頷いて言われるまま椅子に座った。

「いや、そんなに緊張しないで。すぐに終わるから。こうみえても僕は忙しくてね。あまり時間がとれないんだ」

 そう言いながら菊岡は机を挟んで僕の対面に座った。そして菊岡は右手でVサインを作りながら言った。「用件は二つ」

「はい」

「まず、一つ目。君に会いたがっているSAOプレーヤーがいてね」

 菊岡は人差し指だけを立てて言った。

 僕の心臓が高鳴った。

(ジーク?)

 彼の顔が僕の頭の中に鮮明によみがえった。

「個人情報であるので君の連絡先を先方に伝えていいかどうかの確認をしたいわけなんだ。どうかな?」

 菊岡の言葉に僕は固まってしまった。

 教えていいのだろうか? 電話はNGにしてもメールアドレスぐらいなら……。でもそうしたらいずれ、会おうという事になるだろう。いや、それ以前のやり取りでも僕が男だと分かってしまうではないか。

 こんな事態はまったく考えていなかった。新しい学校でそっとジークを探し、自分の事は隠して会って話をしようと思っていたのに……。

「あ、そうそう。言い忘れてたけど、君に会いたいと言っているのはアスナ君だ」

 ずっと黙り込んでいた僕に菊岡は首を傾げながら言った。

「アスナ!」

 僕は思わず叫んだ。そして、安堵と喜びが胸の中を駆け巡り、涙があふれてきた。「生きてたんだ。よかった」

 ゲームクリアの直前、アスナの名がフレンドリストから消えてしまったので、死んだものだと思っていた。

(よかった。本当によかった)

 僕はぎゅっと両手を胸の前で組んだ。(神様ありがとうございます)

「君はあの世界では女の子だったよね?」

 菊岡のその言葉で僕は凍りついた。

「なんでそれを……」

「僕たちは特殊なSAOプレーヤー全員をチェックしているよ。最初の1万人プレーヤーのうち手鏡を破棄した者は13人。わずか0.13%だったんだ。そのうち、性別が異なった者は9人。そして、その中でゲームクリアまで生き残っていたのは5人だ。これから、君以外の4人に会わなきゃいけないんだよ。あーまったく、忙しい……」

 菊岡は滑らかに言葉を続けた後、自嘲して頭をかいた。「うーん。脱線してしまった。男の子の君が女の子としてあの世界で生きていた。だから、アスナ君には君の事を伝えない方がいいかな? なーんて、僕は考えているんだけど、どうかな?」

「はい……」

 菊岡の言うとおり、僕の事はアスナに伝わらない方がいいだろう。「アスナには黙っていてください」

 僕はジークの事ばかり考えていたけれど、僕につながりを持っていた人たちにも自分の事は隠していかなきゃいけないんだ。僕は改めて自分の罪深さを認識した。

「で、二つ目の話なんだけど、しばらく君にはカウンセリングを受けてもらう事になったんだ」

「カウンセリング?」

「偉い先生方に言わせると、君のようにゲームの中で2年間違う性別で過ごしてきた人は性同一障害に苦しむ場合が考えられるそうだ。そんなわけで週1回ここに書かれている病院でカウンセリングを受けてくださいね」

 菊岡はそう言いながらポケットから折りたたまれたA4の紙を取り出して僕に渡した。

「はい……」

 僕はその紙を受け取った。研究者や医師にとっては僕は絶好の観察対象だろう。いつだか、ヒースクリフが僕とジークに倫理コード解除のやり方を説明した時に『人の魂というものは生まれながら男性女性に分かれているのだろうか?』なんていう事を言っていた。僕のような存在は研究者にとってさぞかし面白い素材だろう。

「それじゃ、僕はこれで失礼するよ」

 菊岡は腕時計をちらっと見た後、立ち上がった。「これから、静岡に飛ばなきゃいけないんだ。失礼」

「あの!」

 部屋から出て行こうとした菊岡を僕は呼び止めた。「アスナに伝言をお願いできますか?」

「なにかな?」

 引き留められたのに菊岡は嫌な顔一つせずに笑顔を僕に向けた。

「『生きててよかった。本当にうれしい』って」

「わかったよ。会いたくない理由はなんと言えばいいかな?」

「んー……。親の都合で海外に行ったとでも」

「なるほど。それなら大丈夫かな」

 菊岡は何度か頷いてから、片手を上げた。「じゃ、これで」

 僕は狭い部屋に取り残された。

 そして、唐突に思った。

(いつまでも、コートニーに囚われちゃいけない)

 僕は立ち上がって、肩に乗っている髪を指で払った。この仕草はアスナの真似だ。でも、この世界では僕は男の子だ。(とりあえず、髪を切ろう。そして、全部を思い出にしよう)

 僕はこの小さな部屋からでた。

 そして、行きつけの床屋に行くと長い髪をバッサリと切り落とした。同時にコートニーという存在を心の奥深くに眠らせた。

 いつかジークに再会した時にコートニーは暴れ出すかも知れない。けれど、それは抑えて僕は彼と新しい関係を作ろう。僕はそう決意をした。

 

 

 

 時が流れて4月になった。僕は母親と一緒に新しい学校の門をくぐった。

 風はやや冷たい。風が吹くたびに新しいブレザーの制服の首元から冷気が入ってきた。

 厳冬だったせいか桜の開花が今年は遅く、ようやくちらほらと花をつけている状態だった。

 いよいよ新しい生活が始まるのだ。

 クラス分けはすでに終わっていて、入学前に郵送で連絡を貰っている。僕は4年F組だ。

【ご来校の皆様へ 各自の教室へ入室をお願いいたします】

 と書かれた看板の横の案内図を僕は胸を弾ませて見つめた。案内図の前にはすでに何人かが集まっていた。

(えっと……4-Fは……)

 この学校はソードアート・オンラインに囚われた時の学年で分けられている。事件発生当時、小学生だった人はまとめて1年生。中学1年はここでは2年生。

 僕は当時中学3年だったから、この学校では4年生だ。

 僕は案内図に指を走らせる。4-A、4-B……4-F。そこで、僕の指と他人の指がぶつかった。

「あ、すみません」

 あわてて手を引っ込めて、ぶつかった相手に視線を向けた。「リズ!」

 ブレザータイプの制服に身を包んでいて、髪もピンクから黒髪に変わって、印象がだいぶ違うが、その顔は忘れるはずはない。僕のフレンド、リズベッド武具店のリズベットだ。

「え?」

 リズは僕の顔を見てしばらく考えた。「ずいぶん気安く呼んでくれたけど、アンタ、名前は?」

「僕? えっと……勅使河原」

 そこまで言うと、リズが激しく首を振って指を僕に突きつけた。

「違う違う。SAOでの名前じゃないと思いだせないでしょ」

「ああ」

 まさか、コートニーなんて答えられない。どうしよう。……そうだ、コートニーを作る前に使っていたキャラクター名を答えればいいのだ。「僕はシベリウス。タンクやってたんだけど、覚えてない?」

「シベリウス? ありがちな名前ね」

 リズは品定めをするような視線で僕の顔を舐めるように見つめた。きっと彼女の頭の中はフル回転で僕の顔とキャラネームを突き合わせて思い出そうとしているはずだ。もっとも、思い出すはずはない。僕は別の姿、別の性別だったのだから。

「こら、里香。失礼よ」

 多分、リズの母親なのだろう。彼女はリズの首元を引っ張って僕から引き離した。「すみません。この子は本当に失礼な子で……」

「いえいえ。活発なお嬢さんでうらやましいわ」

 母が僕の代わりに答えた。

 まったく、僕の母の対人スキルの高さには目を見張るものがある。2,3言葉を交わしただけでリズの母親とあっという間に打ち解け、僕とリズを置き去りにして二人で盛り上がりはじめた。

「アンタも4-Fなの?」

 リズは手を腰に当て胸を張って尋ねてきた。

「うん」

「同じクラスだね。とりあえず、よろしく」

 リズは僕に向かってにっこりと微笑んだ。

「こちらこそ」

 僕は小さく頭を下げてリズの微笑みを見つめた。

 リズの微笑みは以前と違う。この微笑みはいわゆる営業スマイルだ。かつてリズベット武具店で僕の鎧や剣をメンテナンスしてもらっていた時の彼女の笑顔ではない。

 きっと、リズと以前のような関係は結べないだろう。これはずっと他人を騙してきた、僕の罪……。

「なーに暗い顔してんのよ。あたしに覚えてもらってなくって悲しいのぉ?」

 リズはふざけた表情でアゴに手を当てて流し目で僕を見上げた。

 前向きに行こうと決めていたのに、ついコートニーの存在を思い出して暗くなってしまった。ここは明るく返そう。以前の僕のように!

「すぐに思い出させてあげるぜ。なーんてね!」

「アンタ。面白いわね」

 リズはぶっと噴き出して歩き出した。「教室、行こ!」

「うん」

 僕はリズの後を追って歩いていった。

 

 教室は頭の中にあるイメージとまったく違っていた。

 黒板ではなく、巨大モニターが前面に設置されており、教壇にはそのモニターの操作端末が置かれている。そして、生徒の机の上には教科書ではなくタブレットが一つ置かれていた。

「席は適当なのかな?」

 リズが教室を覗き込みながら呟いた。

「いいんじゃない?」

 僕は適当に席に着いた。窓際の真ん中ぐらい。うん。実に日本人らしい選択だと自画自賛してみた。

 リズも適当に選んだのであろう、中央のやや前側に座った。

 

 時間が経つにつれ生徒や父兄が次々に入って来た。そして、担任の先生らしい男が入ってきた。そろそろ入学式が始まる時間だ。

 普通、入学式は体育館や講堂でやるものなのだろうが、そこで行われる事はなかった。なにしろ1200名もの人間が今日入学式を迎えたのだ。体育館や講堂に入りきれるわけがない。

 そんなわけで、入学式は巨大モニターに校長やらが映し出される形で行われるようだ。

 クラスの中で見覚えがある人はリズ以外に1人だけだった。

「よろしくね」

 その見覚えがある男子が僕の後ろの席に座って笑顔で話しかけてきた。

「うん。よろしく」

 確か彼はガラントという名前だった。情報屋の一人でアスナとキリトのデート追跡やラフィンコフィン討伐の時に顔を合わせていた。もっとも、僕の姿がまったく変わってしまっているから先方は僕の事は分からないだろう。

 ジークはこの学校に来ているだろうか? 1200人もいる学校で一人一人探していくのはだいぶ骨が折れそうだ。でも、少しずつやってみよう。

 その時、教室のスピーカーから「ゴーン、ゴーン」と不気味な鐘の音がした。

 この音にたちまち教室は水を打ったように静かになった。そして、生徒たち全員が不安そうに周りを見回した。

 不安になるのも当然だ。この音は第一層のチャペルの鐘の音そっくりだ。さらに言えば、あの茅場がデスゲームの開始を宣言した時の鐘の音そっくりなのだ。

「では、入学式を始めます」

 静まった教室に担任の先生の声が響き、正面の巨大モニターに校長や来賓が並ぶ映像が映し出され、入学式が始まった。

 このチャイムの音は偶然なのだろうか? それとも、悪意というかブラックユーモアーなのだろうか? 一瞬、そんな事を考えたが、僕はその考えを放り出した。そう、こんなこと考えても無意味だ。真実がどこにあろうと、僕には決定権もないし、鐘の音色なんて個人の主観なんだからと。

 

 入学式が終わると次に授業の進め方のオリエンテーションが行われ、タブレットの使用方法などの説明を受けた。この学校では教科書は使用されず、タブレットで授業を進めるらしい。

 僕はタブレットをいろいろと操作してみた。

 その中に【生徒名簿】というメニューがあった。これを使えば、すぐジークを見つけられるのではないか!

 僕はその後の説明など耳に入らず、生徒名簿を起動してみた。だが、閲覧できたのはこのクラスの名簿だけだった。名前だけでも全校生徒を調べられれば良かったのに……。

 僕は思わずため息をついた。やはり、時間をかけて自分の足で調べるしかないようだ。

 オリエンテーションが終わると、今日のカリキュラムは終了した。本格的な授業は明日かららしい。この後は父兄が残り、PTAが開かれることになった。

「なあ、どうせなら一緒に学校の中をみてまわらね?」

 僕が帰ろうとしたところ、後ろの席のガラントが肩を叩いてきた。

「いいね!」

 僕は明るく返事をして母に視線を送った。母は「いってらっしゃい」と微笑みながら頷いた。

 僕とガラントはその後、学校内の施設を見て回りながらジークを探したが、それらしい人物は見つからなかった。

 

 

 次の日の1時限目はホームルームだった。

「担任の河原崎修平だ。これから1年間君たちを受け持つことになった」

 口髭を蓄えた50歳ぐらいの強面の男だ。睨みつけられたらちょっと怖そうだ。しかし、その後に続いた言葉にクラスのあちこちから笑いがこぼれた。「趣味はネットの海を漂う事。ナーヴギアまで用意したのにソードアート・オンラインのサービス当日に二日酔いでインしなかったラッキーな男だ。

そんなわけで、君たちの事がまったく他人事だとは思えなくて、この仕事に志願した。これから1年間よろしく頼む」

 河原崎はそう言って頭を下げた。

「まあ、趣味の事はいろいろ語りたいところだが、時間が限られている。この1時限目の間に君たちがクエストコンプリートできたら色々話すチャンスがあるかも知れない」

 強面の風貌と軽妙な語り口のギャップが面白い。

 そんな河原崎が最初に話したのはクラス内の決め事だ。

「いろいろ思う所があるかも知れないが、クラス内ではSAO内での名前で呼び合う事は原則禁止にしよう。もちろん、君たちが過ごしてきた2年間をなかったことにしようというわけじゃないんだ。ここはSAOじゃない。日本という現実世界だ。現実世界では現実世界のキャラネーム――本名を使おうじゃねーか。って事だ。わかってくれるかな?

 もちろん、SAOで知り合いだった、友達だった。そういう人同士でキャラネームで呼び合うのは禁止にはしないよ。君たちは確かにあの世界で生きていたんだからね。でも、せっかく同じクラスになったんだ。新しい関係を結んで行ってもいいだろ? って先生は思っているんだ。だから、極力本名でやっていこうぜ」

 クラスの全員とまではいかないが多くの者が河原崎の言葉に頷いた。

「で、ここからが本題だ。クラス委員を決めなきゃならん」

 河原崎はそう言いながら教壇の端末を操作し、巨大モニターに各委員を表示させた。「まず、学級委員長を決めてもらって、後は学級委員長に仕切ってもらおう。先生はここで見守らせてもらう」

 『えー』と言う不満の声が上がった。

「さあ、自薦でも他薦でもいいからまず学級委員長候補を上げてくれ」

 河原崎は不満の声をスルーして手を挙げた。

 当然ながら、教室内は凍りついたように沈黙に包まれた。

 よし。と、僕は手を挙げた。

「お?」

 河原崎が目を輝かせた。「立候補か?」

「いえ。推薦で……」

 僕はクスリと笑って、リズの後ろ姿を見た。「僕は篠崎さんを学級委員長に推薦します」

「ちょ!」

 リズがガタッと椅子を鳴らして立ち上がると僕を睨みつけた。「何、言っちゃってくれんのよ! アンタ!」

「推薦理由はあるのかね?」

 この展開に河原崎が面白そうに僕に尋ねてきた。

「えーっと。彼女の真面目な仕事ぶりを知っているし、場の盛り上げ方もうまかったし。……そういう事で適任だと思います」

 僕はちょっと考えてから答えた。

 そうだ、リズはどんなに仕事がたまっていても納期を必ず守っていたし、僕とジークのサプライズ結婚披露宴だってなかなか盛り上がった。まあ、調子に乗って自分が先に酔いつぶれてしまっていたけれど。

 そんなわけで、クラスの盛り上げ役としてもまとめ役としても適任だと思ったのだ。

「ふむ」

 河原崎は僕の推薦理由に納得したのか、一つ頷いて端末操作をした。巨大モニターに≪候補者:篠崎里香≫と表示された。

「じゃあ、あたしはアンタを推薦するわ!」

 リズが怒り狂った顔で僕を指差した。

「推薦理由は?」

 河原崎はリズに冷静な声で問いかけた。

「ええええええーーーーっと」

 リズはガシガシと頭をかきむしり考えていた。「誰も手を挙げようとしない時に口火を切った、その勇気がクラス運営に必要だと思います!」

(へー。『大勢の前で発言するのは苦手』なんて言ってた割にはなかなか堂々としてるじゃん)

 僕は昔、アスナとリズと3人で語り合った時を思い出しながら微笑んだ。

「アンタ! なにがおかしいのよ!」

 リズは僕に指をさしながら叫んだ。

「まあまあ。篠崎君。落ち着いて座って」

 河原崎が手を2回叩いてからリズに座るように身振りで示した。

「ふん!」

 リズが鼻を鳴らして腕を組むと乱暴に座った。

「他に推薦はないかな? もちろん、立候補でもいいぞ」

 河原崎は端末操作をして、≪候補者:勅使河原弘人≫とモニターに表示させた。

「じゃあ、投票しようか。全員、タブレットのクラスメニューを開いてくれ。そこに投票メニューがあるので、それで投票してくれ」

 しばらく待った後、推薦も立候補もないので河原崎は最前列に座っていた生徒からタブレットをとって全員に示しながら操作説明した。

 当然僕はリズに投票した。

 結果は36対4でリズの勝利だった。リズは本人が思っている以上に有名人なのだ。攻略組の間ではアスナの≪ランベンライト≫やキリトの≪ダークリパルサー≫の製作者として知られていたし、中層ゾーンの人たちにもリズベット武具店は有名だ。きっとこのクラスのほとんどはリズの事を知っているはずだ。この得票差は当然だろう。

「どうかね? みんな篠崎さんを支持しているようだが、学級委員長を引き受けてくれないだろうか?」

 河原崎は投票結果に憤然としているリズに優しく問いかけた。

「もう」

 大きくため息をつくとリズは立ち上がってクラス全体を見渡した。「後悔しても知らないからね!」

「じゃ、決定という事で」

 河原崎が拍手を始めると全員が拍手で≪学級委員長:篠崎里香≫を歓迎した。「では、各委員の選出の司会を任せるよ。篠崎さん」

「ええええ?!」

「最初にそう言ったよね?」

 河原崎は微笑みながら教壇から離れてリズに教壇を指し示した。

 チッ。と、リズはみんなに聞こえるような大きな舌打ちをして教壇に渋々立った。

「まず、あたしの手伝いをする、学級副委員長を選びます。あたしが指名するわ。っていうか、反対しないわよね。学級委員長の最初の仕事を」

 リズは凄味がある声と視線でクラスの雰囲気を凍りつかせた。そして、空気を切り裂くように鋭く僕を指差した。「副委員長にアンタを指名するわ」

「ぼ、僕?」

「当たり前でしょ! 推薦した責任を取ってもらうわ! みんな、異論ある?」

 リズはニヤリと笑った。

 僕の後ろのガラントが拍手した。

「ちょ、ガラント!」

「SAOキャラネーム禁止。大輔って呼べよ」

 僕は振り向いてガラントを目で咎めたが、たちまちクラス全体に拍手が広まった。どうやら無投票で学級副委員長の大命を頂いたようだ。

「おいおい」

 どうやら、僕は選択を誤ったようだ。リズを推薦しなければこんな事にはならなかっただろう。

「さあ、副委員長。こっちに来て手伝いなさいよ!」

 リズがニヤリと笑って手招きした。

 僕はその顔を見て確信した。リズはほとんどの仕事を僕に押し付けるつもりなんだと……。

 

 その後、僕とリズは協力して各正副委員(図書委員、風紀委員、環境委員、体育委員、保健委員など)を決めていった。

 2年もの付き合いでリズのやり口はだいたい理解している。僕は巧妙にリズの罠を避けながら学級委員長である彼女を前面に立てつつ自分はフォローに回った。

 当然ながら、立候補や推薦がほとんどなかった。業を煮やした僕とリズはくじ引きやじゃんけんなど、それでいいのかという手法で選ばれる事になったが、最初は誰がどういう性格なのかなど分からないので強引な方法もやむを得なかった。

 その後、河原崎のオーダーでクラス内の班わけ、班長の決定や席替えルールなどを決めて1時限目のホームルームは終了した。

「いやー。委員を決めるだけで終わっちゃうと思ってたよ。いろいろ決められてよかったよ」

 ホームルームが終わった時、河原崎が僕とリズを手招きして呼び寄せるとそうねぎらってくれた。「学級委員のやる事はこのメールで送っておくから」

「げっ。まだあんの?」

 リズが苦い表情でため息をついた。

「まあ、忙しいのは1学期の最初だけさ。じゃ、次からは通常授業だ。がんばって」

 河原崎は微笑みながら端末を操作すると僕とリズのタブレットがメール到着のアラームを鳴らした。

「それじゃ」と、河原崎は手を振って教室から出て行った。

「弘人……シベリウス」

 リズが突然、僕の顔を覗き込むようにじっと見つめてきた。

「な、なに?」

 僕は突然抱きつかれた昔の記憶がよみがえって、身を固くしながら思わず2、3歩後ろにさがった。

「んー。やっぱ、思い出せないや。ごめんね! なんか、知ってるような気がするんだけど、どうしても思い出せないや」

 ニコリと微笑むリズの顔を見て、僕の心の奥がチクリと痛んだ。

 僕の中のコートニーが泣き笑いの表情で「リズ! 僕だよ!」とリズに両手を広げているのを感じた。

 僕は目を伏せてそんなコートニーを抑えつけるように胸を押さえた。

 

 

 

 河原崎が言ったように確かに学級委員としての仕事は忙しかった。それでも、リズと二人で協力して片づけるのはとても楽しかった。

「あ、勅使河原!」

 地理の選択授業のために地理室へ向かって廊下を歩いていた僕に河原崎が声をかけてきた。

「あ、先生。どうしました?」

「この間、お願いしてあった、アンケート。締め切りが昨日なんだが?」

「え?」

 確か、学園祭に関するアンケート。あれはリズがまとめて送ってくれるって言ってたのに……。「あれ? 篠崎さんからメール行ってません?」

「そっか。まあいい。あとで催促メールを送っておくよ」

 河原崎は微笑んで手を振って小走りで階段を降りて行った。

 僕は腕時計を見た。まだ時間がある。一言、リズに伝えておいた方がいいだろう。

 確か、リズは体育館で体育の授業のはずだ。急いで行けば間に合うだろう。

 ソードアート・オンラインに囚われた人間は圧倒的に女子が少なかった。そういったわけで、この学校の男女比率は約5対1だ。そこで女子の体育の授業は男子が選択科目の間に2学年まとめて行われている。

 

 体育館を覗いてみると、すぐにリズの後ろ姿を見つける事が出来た。

 リズは折りたたみの椅子に座った少女を取り囲む集団の中にいた。

「篠崎さん!」

 僕は駆け寄りながら声をかけると、その30人ぐらいの女子たちが一斉にこちらへ視線を向けた。

 その女子たちはリズ以外、見覚えがない……。いや……あれは!

「ああ、弘人。なに?」

 リズがこちらに駆け寄ってきたが、僕の目はその背後の椅子に座った少女に釘付けになった。

(アスナ!)

 ソードアート・オンラインの時よりも線が細い。まだ十分に歩けないのであろうか? 両手に松葉づえを抱いているその姿に僕は胸を締め付けられた。(けど、生きてる……本当によかった……)

 あの菊岡という役人から生きているという事は聞いていたが、実際に会うとその喜びは爆発的だった。

 もう、僕の目にはアスナしか映ってなかった。手を伸ばし、アスナに駆け寄ろうとした時、目の前にリズの不満そうな顔がどーんと現れた。

「アンタ! アスナに何するつもり?」

 リズがポンと僕の胸を突き飛ばした。そのおかげで僕はよろめきながら正気に戻った。

「ああ、いや、何も。いやー。あの閃光のアスナに会えるなんて思わなかったからさあ」

 僕は作り笑顔を急いで作って頭をかいた。

「残念でした。アスナにはちゃんとキリトっていうお相手がいるのよ。わかってる?」

「もう、リズったら」

 アスナの声が聞こえた。その声が僕の心の中のコートニーを揺さぶる。

「キャラネーム禁止!」

 アスナは周りにいた女子全員から総ツッコミを受けた。

「もう、わたしばっかりずるいわよ」

 不満の声を上げるアスナの声。その声がとても懐かしい。彼女と交わしてきた言葉の思い出が次々とよみがえった。僕の心の中に郷愁に似た感情があふれ出し、視界が涙で歪んだ。

「ちょ。アンタなに泣いてんのよ!」

 リズがあきれた声を上げた。

「な、泣いてない」

 僕は涙をぬぐって表情を改めた。「河原崎先生がアンケートまだかって。リズ、出すって言ってたよね」

「キャラネーム禁止!」

 リズが勝利を確信した笑顔で僕に指をさした。

「ごめん」

 はやく、ここから離れなければ。このままでは自分の中のコートニーが暴れ出しそうだ。

 僕は「送っておいて」とリズに言い捨てて走りだした。なぜか、僕をはやし立てるような女子の声が後ろから聞こえたがそんな事に構っていられなかった。

 コートニーが叫んでいる。泣いている。暴れている。

「ここから出して!」と。

 

 

 

 地理の授業はほとんど頭に入らなかった。しかし、50分の授業時間でようやく僕は心を落ち着かせることができた。

 昔――ソードアート・オンラインに囚われる以前の僕だったら意味もなく暴れまわっていたかも知れない。

 今にして思えば、≪キレ王子≫≪瞬間湯沸かし器≫と揶揄された僕のメンタルはソードアート・オンラインの2年間で相当鍛えられた。これもジークのおかげだと思う。

 思慮深い彼の性格と考え方がいつの間にか僕の心に住み着いて僕を安定させているのだ。

(ジークに会いたい)

 心の中のコートニーを落ち着かせるためにも早めに見つけ出したい。遠くからでも彼を見つければ、多分大丈夫。きっと、きっと……。

 足取り重く自分の教室に戻って席に着くと、それに気付いたリズが駆け寄ってきた。

「アンケートは出しておいたわよ」

「うん。ありがとう」

 僕は疲れ果てて、そう返事をするのがやっとだった。

「弘人、アンタ。変だよ。大丈夫?」

 僕に視線を合わせるようにリズは僕の前の席に座った。

「変かな?」

 僕は思わず、肩に乗っている髪を払う仕草をしてしまった。そこにはもう長い髪はないというのに……。

「あのさ」

 僕の仕草に少し驚いた表情を見せてリズは言葉を継いだ。「弘人。モチヅキ ケイって知ってる?」

「え?」

 僕は息を飲んで目を大きく見開いてリズを見つめた。

 なぜ、リズがジークの本名を知っているのだろうか? いや、これは愚問だ。ジークだってきっと僕――というよりコートニーを探しているはずだ。僕がこんな姿、男の子だから当然彼は気づくはずはない。となれば、僕と共通の友人、リズとかアスナとかに接触するのは当たり前だ。

「知ってる!」

 僕は食いつくように顔をリズに近づけた。「どこのクラス?」

 そんな僕の顔を不思議そうにリズは見返してしばらく沈黙した。

「教えてよ」

 リズはじらしているつもりはないのだろうけど、僕は限界だった。涙が目に浮かんでくるのを必死に我慢しながら、リズに哀願した。「お願い……」

「アンタ……」

 リズが僕の態度に絶句した後、いきなり立ち上がった。

 え? と思ってリズの顔を見上げると、彼女はいきなり教室の窓を開けて叫んだ。

「おーい! ケイ!」

 リズは下を歩いていた二人組の女子生徒に手を振った。腰まであろうかという長髪の女の子とボブヘアーの女の子が仲よさそうに手をつないで校門に向かって歩いていた。

(女子生徒?)

 リズの声に反応して豊かな黒髪を翻して振り向いて、リズに手を振りかえしていた。

「もう、帰るの? いいなあ」

 リズが大声で話しかけた。

「火曜日だけよ」

 ケイと呼ばれた女子は微笑んでリズに答えていた。が、視線が僕とぶつかると表情が急に改まった。

 お互いの視線がお互いに釘付けになった。

(まさか……)

 僕の頭にあの菊岡という政府の役人の言葉が甦った。

『最初の1万人プレーヤーのうち手鏡を破棄した者は13人。そのうち、性別が異なった者は9人。そして、その中でゲームクリアまで生き残っていたのは5人だ』

 そう、手鏡を捨てて現実とは違う性別のアバターで生き残ったのは僕だけじゃない。僕以外にも4人いるのだ。ジークが僕と同じように手鏡を捨てているという確率的にはめちゃくちゃ低い。けれどもゼロではない。

 でも、こんな事って……。

 視線の先でケイは硬い表情のまま振り返って、隣の女子生徒と手をつないで校門へ去って行った。姿は全然違う。けれど、あの歩き方はジークだ。間違いない。

 僕の中で何かが壊れ、激しい感情があふれ出した。これは怒り。憤怒。

 ジークのあの頼りがいのある背中。優しい微笑み。すべてが幻想だったのだ。だが、幻滅しているのは多分相手も同じだろう。

 まさか、美少女コートニーがこんな線が細くて不細工な男子になっているなんて想像もしていなかっただろう。

 こんな事になるなんて……。けど、本当に彼女はジークなのだろうか? もっと彼女の情報が欲しかった。

「ねぇ。リズ。あのモチヅキ ケイさんの事を教えて」

 自分が抑えきれなくて、僕の声は平坦になっていた。

「キャラネーム禁止!」

 僕の後ろに座っているガラントが雰囲気を明るくしようとして僕に絡んできた。けど、今の僕にはそれにつきあう余裕はなかった。いや、もうそんな事すら考えられなかった。

 僕はガラントを睨みつけ、彼の机を思いっきり殴りつけた。

 バン! という大きな音が響き、教室の空気が固まった。

 その時、あの耳障りなチャイムが鳴った。今日、最後の授業の始まりを告げるチャイムだった。冷え切った空気の教室の中を生徒たちが自分の席に戻って行く。

「弘人。続きは放課後ね」

 リズが少しおびえたような震える声でそう言うと、自分の席に戻って行った。

「うん」

 僕は手を組んで自分の顔を覆った。

 自分はなんと小さい男なのだろう。そんな思いが僕の心を苛んだ。

 

 

 

 50分の授業がとても長く感じた。早く放課後になって欲しいのに時計を何度で見ても1分も進んでいないという事を何度も繰り返した。

 それでも、ようやくチャイムが鳴って50分間の授業が終わり教師が立ち去ると、ざわざわと教室が騒がしくなった。

 僕は注目を浴びていた。僕が次にどういう行動をするか、みんな固唾を飲んで、ある者は正面からある者はそれとなく視界の隅で僕を見ていた。

 僕はまず振り返って、ガラントに頭を下げた。

「大輔。さっきはごめん。ちょっと、動揺してて……」

「お。おう……。気にしてないぜ。そんな時もあるよな!」

 ガラントが目を丸くした後、微笑みながら握手を求めてきた。

「ありがとう」

 僕はその手を握りかえした。

 教室にほっとした空気が流れたのを僕は感じた。

「仲直りしたところで。じゃあ、どこで話そうか?」

 リズがいつの間にか僕の隣に来て尋ねてきた。

「あんまり人がいない所で」

「だよねー。じゃあ、ここからちょっと離れてるんだけど、喫茶店で話しよっか」

 リズは手を腰に当ててニコリと笑った。

 

 リズは電車に乗り込んで席に座るとメールを打ちはじめた。その後、僕はリズに導かれるまま電車を乗り継いで御徒町駅に降り立った。

 リズの右隣を歩きながら細い路地に入ると下町の風景に変わった。

「あのさ、この喫茶店でSAOのオフ会やろうと思ってんだよね。≪アインクラッド攻略記念パーティー≫。アンタ、手伝ってくんない?」

 リズが足を止めて、ある建物を指差しながら言った。

 黒光りする木造の建物は周りの下町の雰囲気によくマッチしている。外見はあまり喫茶店には見えなかったが、ドアに≪Dicey Cafe≫と書かれたサイコロを組み合わせた金属板がその店の属性を主張していた。

「ここ?」

「うん」

 と、リズに笑顔で返事をされ、僕はうーんと思いながら店を見た。

「ちょっと、狭いかな」

 僕はその店を見て正直な感想を言った。アインクラッド攻略記念パーティーなんてそれこそ、全校集会レベルの広さがなければ無理じゃないのか? そんな事が頭を巡った。

「ああ、仲間内だけでやるから。20人ぐらい?」

 リズがそう言いながら喫茶店のドアを開けた。からん、とドアに取り付けられた鐘が鳴ると中から聞き覚えがある美しいバリトンの声が聞こえてきた。

「いらっしゃい」

「エギル……」

 僕はその声の主を見て絶句した。

「ん? リズの彼氏か」

 僕の顔を見てのエギルの第一声がそれだった。

「んなわけないでしょ! あたしのお手伝いよ。オフ会手伝ってもらうの」

「ほう。その制服って事はお兄ちゃんもSAO生還者か。よろしくな」

 エギルはニコリと笑って僕に握手を求めてきた。

 僕は2年間の癖で視線をそらしてエギルを無視した。

「おっと……なかなかシャイなお兄ちゃんだな」

 エギルは僕に差し出していた右手でつるりとした頭を撫でて苦笑した。

「ちょっと、アンタ。挨拶もロクにできないの」

 隣にいたリズがあきれた声で僕を責めた。

「ちょっと、SAOで嫌な取引した事を思いだしちゃって」

 僕は一つ息を吐いた。遠い前の話なのに何となくエギルを受け入れる事が出来ない。

「お、おう。その節はお世話に……」

 僕の言葉にエギルは困ったように眉を八の字にした。

「なーんだ。自業自得ね。エギル」

 リズはニタリと笑ってエギルを見上げた。「アコギな商売してたからねー」

「おいおい。俺の無私無欲の精神を知ってるだろう」

「どーだかー。あっちの席借りるね」

 リズは奥のボックス席を指差した。「それと、無料コーヒー二つね」

「そんなコーヒーはねえよ」

「あはは。冗談よ」

 

 席に着くとリズはモチヅキ ケイについて知っている事を話してくれた。

 5年A組、望月螢。それが、彼女の名前だった。

 出身は静岡県。学校の寮から通学していて、さっきジークと手をつないでいた女子は同室の女の子なのだそうだ。

 今日の体育の授業でバスケットボールをやったが、彼女の腕前に全員が驚いたそうだ。聞いてみたところ、ソードアート・オンラインに囚われる前は高校1年生で名門私立高校バスケ部のレギュラーをやっていたと答えたという。

「知ってる事っていったら、これぐらい。だって、今日初めて授業で会っただけだもん」

 リズは一気に僕に説明した後、有料(280円)コーヒーを口にしてのどを潤した。

「キャラネームは聞かなかったの?」

「聞けるわけないじゃん。初対面なのに」

「僕にはいきなり聞いたよね」

「あん時はキャラネーム禁止令でてなかったじゃん」

 リズは頬を膨らませて抗議した。

「そりゃそうだけどさ」

「で、螢にもアンタの事を教えろって言われて、知ってる事は話したわ。螢はアンタの本名とキャラネームを聞いたらなんかすごく動揺してたよ」

「そっか……」

 僕はコーヒーカップを左手で持ちながら考えた。

 望月螢は間違いなくジークだろう。名前だけではない。寝物語でジークが高校生でバスケットボールをやっていたという話を聞いたことがあったし、身のこなしがとてもジークらしい。なりより、僕の名前とキャラネームで動揺するなんてジーク以外には考えられない。

 ≪勅使河原ひろ……≫+≪シベリウス≫=≪コートニー≫

 なんていう図式は聡明なジークならあっという間に出来上がるだろう。勅使河原なんていう苗字は珍しいし、僕がシベリウスという名前でプレイしていた事をジークは知っているはずだ。

「アンタたち、SAOで何があったのよ」

 リズが尋ねてきた時、『からん』と喫茶店の扉があく音とエギルの「いらっしゃい」という声が聞こえてきた。

「何も……」

 僕はリズから目をそらした。

「まあ当然、そう答えると思ってさ。……後は当人同士で話してよ」

 リズは手を挙げて視線を店の入り口に向けた。

 その視線を追っていくと、そこには僕を見て呆然としている望月螢――ジークがいた。

 僕の頭の中で何かがぷちんと切れた。

 僕はバンと机を叩きつけた。

「余計な事……余計な事しないでよ! リズのバカ!」

 僕は叫ぶだけでは収まりがつかず、机に乗っていたコーヒーを手で払いのけた。

 ガシャーン。と、激しい音を立てて二組のコーヒーカップが床で砕け散った。

 僕は立ち上がるとジークの横をすり抜けて店から逃げ出した。

 横をすり抜けた時、ジークは僕を捕まえる事ができたはずだが、何もしてこなかった。

 もう、何が何だか分からない。自分がどうしたいのか分からない。ジークの事をどう思っていいのか分からない。

 混乱した頭のまま僕は電車に飛び乗った。夕日が赤く車内を照らしていた。

(神様、こんな罰はあんまりです。僕はどうしたらいいですか?)

 僕は涙があふれ出しそうな目を手で覆った。赤い世界がたちまち真っ暗になった。どこまでも暗く深い闇だった。

 




いきなり、アインクラッドが終わってます。スミマセン><

最初は、ゴドフリーから「一緒に55層突破ツアー行かね?」と誘われながら断って、「やべーよ。クラディールに殺されるところだったぜ」とか。
ゴドフリーが死んで茫然とするアラン君とか。
第75層のボス部屋偵察にコートニーのパーティーが駆り出されて、くじ引きでコーとジークが前衛後衛に離れ離れになったところにアランが前衛のコーと交代を名乗り出る。そして、前衛二人がボス部屋に閉じ込められて死亡。とかいうエピソードを用意していたんですが、展開が間延びしてしまうので思い切ってカットしてしまいましたorz

コートニーもジークリードも本来の性に戻ったのでもはやTSではなくなってタダの恋愛小説に堕しておりますが、引き続きお楽しみいただければ幸いです。

それにしてもコー(弘人君)のメンタルが不安定すぎて困りました。
ジークの名前さえ知っていれば、それを思い出に生きていける → やっぱり、姿を見たいお。いや、会いたいおTT(なぜかやる夫口調) とか
ふっ。俺もジークのおかげで成長したな。昔みたいにキレなくなったぜ → 「余計なことしないでよ!リズ!」コーヒーカップ粉砕。エギル涙目。 とか
デートDVするような男になりそうで怖いです。ジーク(螢さん)なんとかしてええええ。奴を止めてえええええ。

残り2話+番外1話です。
今後ともよろしくお願いいたします。


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第27話 私の答え 【ジークリード11】

 私は黒光りする木造の建物の前に立っていた。なかなかいい雰囲気の喫茶店だ。

 入り口のドアには≪Dicey Cafe≫と書かれたダイスを組み合わせたクールなデザインのネームプレートが張り付けられている。

 私がこの喫茶店に来たのは訳がある。

 寮に戻って宿題を片づけている時にリズベットからメールが入ったのだ。

『勅使河原弘人君に会ってみない?』

 その名前に私の心臓は高鳴った。

 会った方がいいのか会わない方がいいのか決められないまま、私はメールに指定されていたこの喫茶店にやってきたのだ。

 しばらくドアの前で逡巡したが、私は覚悟を決めてドアノブに手を伸ばした。

 私がドアを開けると「カラン」と小気味いい鐘の音が鳴り、カウンターの方から渋いバリトンの声が聞こえてきた。

「いらっしゃい」

「エギルさん……」

 私は驚いて声の主を見つめた。まさか、こんなところでエギルと会えるなんて思ってもいなかった。リズベットが学校から離れたこの店を指定した理由が「なるほど」と理解できた。

「お? リズに用かな?」

 エギルは驚いている私の制服を見て、視線を店の奥に向けた。

 その視線の先を追うと、リズベットが私に向かって手を振っている。そして、その対面に座っているのは、あの≪勅使河原弘人≫だ。

 短い清潔な髪型の彼が本当にあの≪コー≫なのだろうか? コーの姿は5カ月たった今でも目を閉じればはっきりと思いだせる。長い黒髪。儚げな瞳。小さな唇。それでいて、太陽のように明るい笑顔を振りまく美少女。記憶の中の彼女の姿を思い浮かべるだけで私の胸は締め付けられる。

 だが、今、視線の先にいる男の子はコーのイメージとまったく違う。少し神経質そうでやや暗い雰囲気を感じる。容貌も決してハンサムとは言えない。

 私も彼も呆然としてお互いを見つめた。

 弘人の表情がいきなり怒りに変わった。その怒りが私に向けられると思ったが、彼の怒りはリズベッドに向けられた。

「余計な事……余計な事しないでよ! リズのバカ!」

 弘人はバンと机を殴りつけると左手で机の上のコーヒーカップを薙ぎ払った。

(ああ、彼はコーだ……)

 そんな感情むき出しの彼の姿がコーと完全に重なって、私は確信した。

 コーヒーカップが床に叩きつけられて砕け散った。まるで私のコーに対する幻想が砕け散る音のようだった。

 弘人は立ち上がって私の横をすり抜けようとした。

 手を伸ばせば弘人を止められる。だが、私にはそれができなかった。彼を引き留めたとして、その後は? そう考えると何もできず、指一本動かすことができなかった。

 弘人はあっという間に私の横をすり抜け、店から飛び出していった。あの走り方、身のこなしが私の中のコーの姿と完全に重なる。

 私は呆然と彼の後ろ姿を見送りながら今日起こった色々な事を思い返した。

 

 

 

 この学校に入って初めて行われた体育の授業。

 私にとってこの体育の授業はコーを探すチャンスだった。この学校は男女比率が非常に悪い。だいたい5対1ぐらいで圧倒的に女子が少ない。体育の授業は学年横断、学級横断で女子が集められる。女の子同士の情報交換のチャンスだ。

 私は入学以来、コーの姿を求めて校内を歩き回っていた。私の手持ちの情報は少ない。≪勅使川原ひろ……≫という名前とあの美しい姿だけだ。

 だが、私はあまり悲観していなかった。コーほどの明るい美少女ならとても目立つ。何もしなくてもいずれ噂に聞こえてくるだろうと考えていた。

 体育の授業のため少し早めに体育館に入った私の目は椅子に座って松葉づえを抱いた少女に釘づけになった。

「アスナさん!」

 私は思わず叫んでアスナに駆け寄った。

「え?」

 アスナはきょとんとした表情で私を見た。

「生きていたんですね! よかった!」

 ゲームクリアの直前、ギルドメンバーリストのアスナの名前が非アクティブになった。あの世界では非アクティブは≪死≫を意味していたからアスナはあの瞬間亡くなったものだと思っていた。しかし、命には別条なさそうなアスナの姿を見て私は驚いた。

「アンタ、誰? いきなりね」

 私が猛然とアスナに近づいたためか、リズベッドがアスナを守るように私の前に立ちはだかった。

「あ……。ごめんなさい。私は望月螢って言います」

 私はぺこりと頭を下げた。本名を名乗ったのはこの学校ではSAOキャラネームを出すのは推奨されていないからだ。それ以前に≪ジークリード≫なんて名乗って、二人の口からコーに伝わっては身もふたもない。

 私がジークリードだという事は誰にも明かしてはならない。もちろん、コーにも……。

 私の名前は自分で言うのもなんだがありがちの名前だ。もし、コーが私の名前≪望月螢≫を聞いてもジークリードと同じ名前の別人だと思うだろう。なにしろ、今の私は男ではなく女なのだから。

「リズ、大丈夫よ」

 アスナはリズベッドの背を軽く叩きながら私に視線を向けて尋ねてきた。「なぜ、私が死んだことを知ってるの?」

「ゲームクリアの直前、たまたまフレンドリスト見てたら、お名前が非アクティブになったから」

 まさか、同じ血盟騎士団にいたとは言えず、私はそう答えた。

「ああ。なるほど」

 と、言いながらアスナは私の顔を見つめている。きっと私の顔を思い出そうと彼女の頭はフル回転しているのだろう。

 当然、思い出せなかったのだろう。アスナは頭を一回振った。

「ごめんなさい。SAOの時のあなたを思い出せないわ」

 そしてアスナは万人の心を溶かす完璧な笑顔を浮かべて「けど、あの世界でフレンドだったならメールアドレス交換しましょ」と言ってくれたので、私はその言葉に甘える事にした。

 私はアスナとリズベットと学校で使用しているタブレットのメールアドレスを交換した。このメールアドレスは≪名前@学校ローカルネット名≫となっている。

 アスナは結城明日奈。リズベットは篠崎里香。同時に私の望月螢という名前が二人に伝わった事になる。

「よろしくね」

 と、3人で笑顔を交し合う。

 アスナとリズベットがここにいるのだ。二人はコーの情報を持っているかも知れない。私はそう考えてアスナに尋ねた。

「アスナさん。同じギルドのコートニーさんはどこのクラスかご存知ですか? 私、あの人のファンなんです」

「コー……」

 アスナとリズベッドの表情が暗く曇った。

 聞いてはまずかったのだろうか? コーの身に何かあったのだろうか?

 私は不安に駆られた。

「コーはこの学校にはいないわ。とても残念だけど」

 アスナはとても寂しげな表情を浮かべて目を伏せた。

「え?」

 コーがこの学校にいないという事は十分考えられた。この学校はSAO生還者全員を強制入学させたわけではない。希望者のみなのだ。それでも入学試験不要、卒業すれば大学受験資格ももらえるし、さらに入学金無料で学費も国費で援助してもらえるこの学校に入学した者は私も含めて多いはずだ。でも……。

「コーは海外にいるらしいのよ」

 リズが腕を組みながらアスナの言葉を補足した。

「海外……」

 私の目の前が真っ暗になった。「そうなんですか……」

 コーは遠くに行ってしまったのか。親の都合かも知れない。コーはSAOで攻略組、トッププレーヤーの一人と呼ばれてあの世界を引っ張るほど輝いていた。だがこの現実世界では所詮非力な少女なのだ。親や様々な現実問題の障害を簡単に乗り越えられるほどこの世界は甘くない。私は改めてその現実の厳しさを思い知った。

 私が呆然としていると体育の授業に参加する女子が徐々に集まってきた。

 やはりアスナは人気者だ。彼女の周りはたちまち人だかりが形成された。

「篠崎さん!」

 突然、男子の声が体育館に響いた。

 視線を向けると少し線が細い神経質そうな男子生徒がリズに向かって駆け寄っていた。

「ああ、弘人。なに?」

 リズは人だかりから抜け出して彼の方へ歩いて行った。それにしても彼のファーストネームを呼ぶとはなかなかいい関係を築いているのだろう。

 弘人の表情がいきなり変わってアスナを見つめた。そしてなぜか、彼はアスナにすがるように手を伸ばして駆け出そうとした。

「アンタ! アスナに何するつもり?」

 それをリズベッドが身を挺して止めて、弘人の胸をポンと突き飛ばした。

「ああ、いや、何も。いやー。あの閃光のアスナに会えるなんて思わなかったからさあ」

 弘人は笑顔で頭をかいた。

 なるほど、彼もアスナのファンだったのか。アスナの人気はアインクラッドでは断トツの1位だった。ソードアート・オンライン全男性プレーヤーの憧れの的だったのだ。だが、そんなアスナにはちゃんとしたお相手がいる。

「残念でした。アスナにはちゃんとキリトっていうお相手がいるのよ。わかってる?」

 リズベットがニヤニヤしながら弘人に言った。

「もう、リズったら」

 アスナが赤面して抗議した。

「キャラネーム禁止!」

 アスナは周りにいた女子全員から総ツッコミを受けた。

「もう、わたしばっかりずるいわよ」

 これも、リアルネームとキャラネームを一緒にした悲劇であろう。私は思わず頬をほころばせた。

「ちょ。アンタなに泣いてんのよ!」

 リズがあきれた声を上げたので私は弘人に視線を向けた。アスナがキリトと結婚したニュースは新聞でも流れていたはずだが、彼は知らなかったのだろうか?

「な、泣いてない」

 弘人は左手で目をぬぐって表情を改めた。「河原崎先生がアンケートまだかって。リズ、出すって言ってたよね」

「キャラネーム禁止!」

 リズベットが勝利を確信した笑顔で弘人の顔に指をさした。

「ごめん。送っておいて。頼んだよ」

 弘人はそれだけ言い捨てながら踵を返して走り出した。アスナとキリトの事がそんなにショックだったのだろうか? そんな事を考えていると周りの女子たちがヒューヒューとリズベットをはやし立てた。

「あれって、篠崎さんの彼氏?」

「えっ? 違う違う! 何言ってんのよ!」

 リズベットが少し頬を赤く染めて全力で否定した。

「だって、苗字じゃなくって名前で呼んでたじゃん」

 入れ代わり立ち代わり女の子たちはリズベットをからかうように問い詰めた。

「あいつ、苗字が長いのよ。≪テシガワラ≫よ。5文字よ。おまけに言いにくいでしょ! ≪ヒロト≫なら3文字よ!」

 リズベットの言い訳の言葉に私は頭を殴られたような衝撃を受けた。

 

「僕の名前は……勅使河原ひろ……」

 私の頭であの日、目の前でコーが光に変わりログアウトした姿が鮮やかによみがえった。

 

 私はコーの本名は≪勅使河原ひろみ≫とか≪勅使河原ひろこ≫とかそういう名前だと思っていた。まさか、≪勅使河原弘人≫だったとは!

 いや、これだけで彼がコーだと判断するのは早計だ。私は先走る気持ちを押さえつけた。

 だが、勅使河原などという苗字の人はそう多くない。彼はコーの親戚ということも考えられる。彼の事を知ればコーにつながる情報を得られるかも知れない。

「里香さん。彼の事を教えて! キャラネームとか、なんでも!」

 私は夢中で女子たちに取り囲まれてるリズベットの肩を掴んで問い詰めた。

「え? ちょ!」

 リズベットはそんな私に驚いて目を丸くした。「あいつはシベリウスっていうキャラネームだったみたいよ」

「シベリウス!」

 リズベットの言葉に私の頭の中でジグソーパズルの3つのピースがぱちりぱちりとかみ合った。

 一つ目のピース。≪勅使河原ひろ……≫これは勅使河原弘人なのではないか。

 二つ目のピース。≪シベリウス≫血盟騎士団のギルドハウス披露パーティー(結局は私とコーの結婚披露宴になってしまったが)の準備の時、コーはクリシュナに言っていた。「僕はシベリウスっていう名前でやってたんだよ。覚えてないかなあ?」と。

 三つ目のピース。≪菊岡という政府の役人の言葉≫2月の半ば、菊岡という政府の役人が私の所に訪れた。彼は私に性同一障害に苦しまないようにカウンセリングを受けるように説明した後に口を滑らせていた。「君と同じ境遇の人に会うためにこれから名古屋に行く」と……。つまり、私のようにあのゲームの2年間、別の性で暮らしていた人がいるのだ。確率は低いかも知れない。だけど、ゼロではない。

 先ほど、弘人がアスナに向かって駆け寄ろうとしたのも、彼がコーであれば当然だ。コーとアスナは親友といってもいい関係だったのだから……。我を忘れて駆け寄ろうとしたとしても何の不思議もない。

 全身が震えた。

 あの勅使川原弘人という男子がコーなのか。

 信じられない。いや、信じたくない。

「アンタ。大丈夫?」

 リズベットが心配そうに私を覗き込んでいた。

「あ、ごめんなさい」

 私はずっとリズベットの肩を掴んでいた手を離して頭を下げた。

「アンタ。弘人となんかあったの?」

 リズベットが腕を組んで尋ねてきた。

「いえ……。人違いかも」

 私は視線をそらした。

 そうだ、何かの間違いだ。きっと、この考えにはどこか穴があるはず。後でじっくり考えよう。

 そう考えた時、チャイムが鳴って体育教師がやって来て授業が始まった。

 

 体育の授業はバスケットだった。

 最初にパスやドリブルなどの基本動作を行った後、三角形ローテーションのシュート練習になった。

 最後にボールに触ったのはソードアート・オンラインに囚われた日の大会だった。だから約2年5カ月ぶりだ。教師に言われるまま、パスやドリブル、シュートをやってみると意外と体が覚えていて気持ちがよく体が動いた。

 コーと弘人の関係について考えたくなくて、私は授業に集中した。バスケットボールがとても手になじむ。

 私に向かってパスをしてくれる相手がミスしてとんでもない方向にボールが飛んだ。私は一気にダッシュをしてそのボールをキャッチすると振り向きざまにワンハンドでシュートを放った。

 シュルッ。っと気持ちいい音を鳴らしながらボールがゴールに吸い込まれていった。

(よしっ!)

 私は頭に描いた通りの動きができたので思わずガッツボーズをしながら列の最後尾についた。

「螢、すごいねー。なんか動きが全然違う!」

 三角形ローテーションでボール待ちになった時、リズベットが明るい笑顔で私に話しかけてきた。

「昔、部活でレギュラーやってたからねー」

 私はリズベットに笑い返した。「里香さんもナイスシュート」

「サンキュー」

 私たちはハイタッチを交わした。

 その後、リズベットとあれこれと話し合った。ジークリードの時は私が男性だったせいか会話に壁を感じたが、今はまったく感じられない。とても話しやすい女の子だった。

「よっしゃー、もう一回行ってくる!」

 明るい声でリズベットが気合を入れた。

「がんばれ!」

「おう!」

 リズベットがウインクしてパスを受けるために走り出した。

「あの……螢……」

 と、怒った表情でいつの間にか私の隣に立花佳織がやってきて左手をとった。佳織は同じクラスでさらに寮で私と同室のボブヘアーがとても可愛らしい女の子だ。何か怒らせるような事をしてしまっただろうか?

「はい?」

「あまり、他の方と仲良くしてほしくないです」

 佳織は真剣な表情でまっすぐに私の目を見つめてきた。

「ええっ? 佳織さん、御冗談を……」

 私は冷や汗をかきながら彼女の手を振り払った。

「半分冗談、半分本気」

 佳織はアハハといたずらっぽく笑った。「螢がとってもカッコよくて、わたくし、恋してしまいそうです」

「ええっ!」

 私は絶句して思わず後ずさりをしてしまった。

 そう言えば、彼女の引っ越しの時、荷物運びを手伝ったが、重い段ボールの底が抜けて百合系の漫画やら小説やらが大量に床に散乱した。見て見ぬふりをしながら段ボールに片づけたが、まさかそっち系の女の子なのだろうか?

 私が呆然としていると、佳織は微妙な笑みを浮かべて、パスをもらうために走り出した。

「螢さん。モテモテね」

 この様子を見ていたアスナが椅子に座ったままクスクスと笑っていた。

 私は佳織が持っていた小説の主人公のように「やれやれだぜ」と言えばいいのだろうか。などと馬鹿な事を考えて私は自嘲した。

「その髪をみてると、コーを思い出すわ」

 アスナが私の長い黒髪を見て呟いた。確かに私の髪はコーと同じようにストレートで絹のようにさらさらと風に舞う。

「顔も性格も違いますけどね」

 私は腰まで伸びた髪を弄んで微笑んだ。

「それはそうよ。人それぞれなんだから。……ほんと、太陽みたいな子だったなあ。いつかまた会いたいわ」

 アスナは体育館の天井を見上げた後、目を閉じてぽつりと言った。きっと、彼女のまぶたには輝くコーの姿が映っている。私はそう確信した。

「はい……私も会いたいです」

 ほろ苦く私は言った。コーの輝く姿が脳裏に浮かび、その横に勅使河原弘人という男子生徒の姿が浮かび上がった。

 本当にあの勅使河原弘人がコーなのだろうか?

 私はその考えを放り出すため、パスを貰いに走り出した。

(ああ、こういう風に考えを放り出すのはコーの得意技だったな)

 いつの間にかコーの考え方が私の中に息づいている。コーの一部が私の中にある。そう意識するととても嬉しかった。

 

 

 火曜日はこの体育の授業が最後だ。

 授業が終わり着替えをすますと、私と佳織は帰宅する事にした。

 下足場で靴を履きかえると私たちは肩を並べて校門へ向かった。

「螢。手をつないでもいいかしら?」

 佳織は私が返事をする前にぱっと私の左手をとった。

「今、聞く必要があったの?」

 私はあきれてクスリと笑った。

「だって、断られたら1秒も手がつなげないじゃないですか」

 佳織が私に顔を向けると遠心力で彼女のボブヘアーが可愛らしく広がった。「今、断られても手をつないだという事実は残りますから」

「まあ、いいけど。手ぐらいなら」

 と、私が言うと佳織は顔をぱっと輝かせて握る手の力を強めた。

 中学時代、仲のいい女子同士が腕を組んでたりする姿を見たりしている。これぐらいならかまわないだろう。そんな事を考えていると、上の方からリズベットの声が聞こえた。

「おーい! 螢!」

 足を止めて、私は声がした方を見上げた。そこには手を振っているリズベットの姿があった。「もう、帰るの? いいなあ」

「火曜日だけよ」

 うらやましそうに笑っているリズに手を振りかえした。

 しかし、すぐに私はその笑いが凍りついた。リズのすぐ近くにあの≪勅使河原弘人≫が私を見つめている。

 弘人はそっと左手を口元に持って行った。

(私の事、見破ってる……)

 弘人の顔を見て私はそう感じた。

 彼自身が違う姿、違う性でソードアート・オンラインを生きてきたのだ。望月螢という名前から私をジークリードだと見抜くのは容易だろう。

 私がずっと偽っていた事を知った彼はどう思うだろうか? 怒り? 憎しみ?

 そう考えると全身がこわばって動かなくなった。

「螢。帰りましょう!」

 佳織が少し怒った口調で私の手を校門へと引っ張った。

 私は背中に突き刺さっているであろう勅使河原弘人の視線を感じながら、何事もなかったように歩き始めた。

 彼がコーなら私の歩き方だけで私がジークリードだと見破っているだろう。

 彼がコーなんて……信じられない、信じたくない。

 私の心は信じる、信じないの間で激しく揺れた。

 

 

 

 「いったい、なんだ? あの女の腐ったような奴は」

 あきれた口調のエギルの声で私は現実に戻された。

 エギルは雑巾とチリトリを持って割れたコーヒーカップを片づけ始めた。

「アンタねえ。その言葉で、今ここにいる女子二人を敵に回したわよ」

 リズベットがエギルに毒を吐きながら、片づけに加わった。

「お、おう?」

「奥さんに言いつけるわよ」

「なんでそこまで言われなくっちゃなんねーんだよ」

「手伝います」

 私も二人の間に入って破片を集め、雑巾で床を拭いた。

 3人で手分けをしたのであっという間に片づけは完了し、店の中は何事もない平穏な空気が流れた。

「ごめんね。弘人があんなにキレるとは思わなくって……」

 リズベットがため息をつくとカウンター席に座った。

「いえ、すみません」

 反射的に私は頭を下げて謝罪した。

「アンタが謝ることないわ。まったく、あいつどうしてくれよう」

 リズベットは苦虫をかみつぶしたような表情で言った。

「あの。この事でかの……じゃなくって、彼を責めるのは冗談でもやめてください」

 私はリズベットに近づいて哀願した。「コーヒー代もカップ代も私が弁償しますから」

「え?」

「多分、死ぬほど後悔してると思いますから」

 彼がコーなら間違いなく我に帰った後、自分を責めるはずだ。そんなところにリズベットから冗談でも責められたら、コーはどん底まで落ち込んでしまうだろう。

「アンタ、弘人とどういう関係なの?」

「それは……言えません」

 私は目をそらしてうなだれた。

「弁償はしなくていいぜ、お嬢ちゃん」

 その声に私は目を向けると、カウンターの向こうからエギルがニコリと笑みを浮かべた。そして、片目をつぶって指を一本立てて言葉を続けた。「その代わり、コーヒーを一杯注文してくれ」

 ソードアート・オンラインの中にいた時同様にエギルはとてもいい人だと私は思った。

「はい!」

 私は微笑んでリズベットの隣のカウンター席に座った。「じゃあ、チーズケーキもお願いしてもいいですか」

「お、さすがお嬢ちゃん。ケチなリズとは違うな!」

 エギルは高笑いをすると、リズベットが「ちょっと、アンタねえ!」と激しく抗議の声を上げた。

 二人のそんなやり取りを見ていると、私の頭にソードアート・オンラインの世界が懐かしくよみがえった。カウンター越しに言い合う姿が、第50層のエギルの店でレア素材の取引をする二人の姿とだぶった。

 この二人、いや、私とコー以外全員はSAO世界をよき思い出にして新たな関係を築いていけるだろう。だけど、私とコーは……。

 こんな現実が待っているのなら、あの世界に死ぬまで閉じ込められたかった。もう、あの輝くような時間は得られない。

 絶望で胸が締め付けられた。

「そうだ。螢。来月ここでオフ会やろうと思ってるんだけど、手伝ってくんない?」

 リズベットが晴れやかな笑顔を私に向けた。

「オフ会?」

「そ! ≪アインクラッド攻略記念パーティー≫をね! もうすぐ、アスナが杖なしで歩けるようになるし。キリトがゲームクリアしてくれた感謝も込めて!」

「なるほど。いいですね」

「でしょ!」

 リズベットはニコリと笑って、エギルも交えてオフ会について話し始めた。

 私とコーの結婚披露宴になってしまったギルドハウス披露パーティーでも、きっと彼女はこんな感じで明るく準備に奔走してくれたのだろう。

 今度は私の番だ。アスナやキリトに少しでも恩返ししたい。

 それに、こうやって打ち込むものがあった方が気がまぎれていい。私はコーも弘人も忘れるためリズベットの話を一言一句聞き漏らさぬように意識を集中した。

 

 

 打ち合わせを終え、寮に戻った時にはすっかり日が沈んでいた。

 時間ができると、つい考えてしまうのはコーと弘人の事だった。考えていても一歩も進まない。分かっていても考えてしまう。

 私はどうしたらいいのだろう。この感情はなんなのだろう。私をずっと騙してきた彼への怒り? それとも彼をずっと騙してきた罪の意識? リズベットの誘いに乗って≪Dicey Cafe≫へ行ってしまった後悔? コーがあんな男子だったという事実に対するいらだち?

 多分、全ての感情が私の中で渦巻いているから、自分でもどうしようもないほどイライラしているのだ。

「おかえりなさい」

 部屋に入ると、ベッドの上で寝そべって漫画を読んでいた佳織がこちらに視線を向けた。

「ただいま」

 と、返事をしながら私はブレザーを脱いだ。

「螢。何かあったの?」

 佳織が私の表情を見て起き上がるとベッドに腰掛けた。「なんか、とてもつらそう……」

「なんでもない」

 私はブレザーをハンガーにかけた後、着替えのために部屋の中央の間仕切りカーテンを引いた。

「本当に大丈夫?」

 佳織がカーテンから顔だけを出してこちらを覗き込んだ。

「佳織! ちょっと、一人にしておいて!」

 私はつい激しい言葉を佳織にぶつけてしまった。彼女がたちまちおびえた表情に変わってしまった。

「ごめんなさい……」

 佳織はそれだけ言ってカーテンの向こうへ消えた。

 私は着替えを済ませるとベッドに自分を放り出した。

「ごめん。佳織さん。きっと、明日には元に戻ってるから」

 私は右腕で目を覆いながら佳織に謝罪した。自分の感情がコントロールできないのがとてもつらい。

 佳織に八つ当たりするような態度をとってしまった。本当に彼女に申し訳なかった。

「わたくしのほうこそ、ごめんなさい。螢にも踏み込んで欲しくない所があるよね」

 カーテンの向こうから佳織のか細い声が聞こえた。ひょっとしたら泣いているかも知れない。

 私は本当に小さい人間だ。だけど、どうしようもない。だって、私は駄目な人間なのだから。

 もう、コーの事を考えるのはやめよう。彼女を追いかけなければいいのだ。コーは外国に行った。アスナもそう言っていたではないか。

 勅使河原弘人の事は忘れよう。コーとは何の関係もない男子。そう考えよう。

 すべては過去。コーも弘人も私には関係ない。だって、私は望月螢なのだから。

 私はそう決めた。

 しかし、そう心に決めたのに涙があふれてきた。

 まるでジークリードが私に逆らって引き留めようとしているようだった。

(すべて流れ出てしまえばいい。ジークリードも、コーの思い出も)

 私は感情のすべてを解放させた。

 

 

 

 目覚めると、私は柔らかい空間に包まれていた。目を開けて目を走らせるとそこはコーの腕の中だった。私は優しくコーの胸に抱かれていたのだ。

 視線を上げるとコーが優しく見つめてくれていた。

「おはよう」

 コーが笑顔で私の頭を柔らかく撫でた。「よく眠れた?」

 ここは第8層フリーベンの私たちの家のベッドだ。ベッドの感触も木造の部屋も全てが懐かしい。

(ああ、これは夢だ)

 そう思いながら私はコーにしがみついた。

 ずっと、ここにいたかったのに! 私はその感情に流されてコーの胸の中で泣き出してしまった。

「悪い夢でも見たの?」

 くすくすと笑うコーの声がとても心地よかった。

 私はコーの柔らかいふくらみに顔をうずめた。夢であろうがもうどうでもよかった。わずかな安らぎをむさぼりたかった。

「まるで赤ちゃんみたいだよ」

 そのコーの声が途中から男の声に変わった。

「え?」

 あわてて見上げると、それはコーではなく勅使河原弘人だった。

 怒りが湧きあがった。

「コーをどこにやったの? コーを返して!」

 私は彼の首を締め上げて叫んだ。

 苦しそうにもがく弘人の顔がとても気持ちがいい。思わず、口元が微妙に歪む。

 もっと、もっと締め上げて苦しませてやる! 抵抗する弘人の手をもろともせずに私は憎しみを込めて手に力を加えた。

 ゴキッ。と鈍い音と嫌な感触が私に伝わると抵抗していた弘人の手は力を失った。

 弘人の横に表示されていたヒットポイントバーが幅を失い消えた。

「ジーク。助けて……」

 コーの声だった。顔もコーに戻っていた。目の前でその身体がポリゴンとなって砕け散った。

「ジークリードさん!」

 後ろからアスナの声がした。そして、激しい糾弾の声が私を突き刺した。「なんで、コーを殺したの?」

「これはコーじゃない!」

「コーが、コーが死んじゃうなんて!」

 その叫び声はリズベットだった。「アンタ! なんてことをしてくれたのよ!」

「兄ちゃん。いくらなんでも、これはねーだろ」

 エギルの声も別の所から聞こえた。

「これは、夢! 夢だ!」

 私は頭をかきむしって床に崩れ落ちた。

「ジークリードさん。……残念です」

 これはテンキュウの声。

「ジークリードよぉ。俺はこんな事をさせるために≪還魂の聖晶石≫を使ったわけじゃねぇんだぞ!」

 さらにクラインの声が私を責めたてる

 夢だ。これは夢だ。早く覚めろ! 覚めろ!

 私の下腹部に激痛が走った。見ると背後から剣で貫かれていた。

「よう、人殺し同士、仲良くやろうぜ」

 背中からラップのような流れる口調でPoHの声が聞こえた。

「PoH! ふざけるな! 私は! 人殺しじゃないっ!」

 私は愛剣≪倶利伽羅剣≫を抜いてPoHの首を斬った。

 私を責めたてるアスナもリズベットもエギルもテンキュウもクラインも……すべてを斬り殺した。

「夢なら早く覚めてよ!」

 私は誰もいなくなった家の中で剣を振り回して叫んだ。声がいつの間にかジークリードでなく本来の私の声になっていた。

 突然、頬を濡らすものがあった。右手の甲でそれをぬぐってみるとそれは鮮血だった。ソードアート・オンラインではこんな事はないはずなのに!

「ひっ!」

 液体がぽたぽたと頬を流れ行くのを感じた。逃げても逃げても、何かが頬を流れていく。これが全て血なのか?

 

「嫌っ!」

 私は跳び起きた。辺りは真っ暗だった。外から洩れるわずかな光でこの空間が私と佳織がいる寮の部屋だと理解できた。

 私はほっとしながら思わず視線を右下へやり時間を確認してしまった。現実世界なのだから当然そんな所を見ても時計表示はない。

 私は首を巡らせて目覚まし時計を探し出した。

 2時42分。

 頬を流れる物を感じて私はびくりとしながらそれをぬぐった。早鐘のように高鳴る心臓を落ち着かせながら手を見ると、それはどうやら涙のようだ。

 眠りながら泣いていたのだろう。

 息を大きく吐いて少し落ち着くと、下腹部に鈍痛を感じた。

 私は頬を濡らす涙をしっかりとぬぐうとペンライトのような小さな懐中電灯をつけた。そして、引き出しから生理用品を出して佳織を起こさないようにそっとトイレに向かった。

 汚れていない下着を見てほっと胸をなでおろし、念のため下着に処置をしてトイレから出た。

 それにしても最悪の夢だった。

 コーの事を考えながら寝てしまったせいだ。それに体調のせいもあったのだろう。私はしくしくと痛む下腹部に手をやりながらベッドに腰掛けた。

 壁に立てかけてある姿見に自分が映っていた。

 長い黒髪。大きすぎる眼、ちょっとバランスが悪い鼻や口。どんなに嫌いな顔であっても、これが今の私。パジャマを着ていても分かる柔らかい曲線を描いている身体。自分は女の子だなと再確認するが、まだ違和感がある。2年もの間、男性として生きてきたのだ。時々、自分の身体に戸惑ってしまう。

 私は倒れ込むようにベッドに寝転がって天井を見上げた。

 現実世界では逃げ場はない。どんなに女の身体が嫌でも、顔が嫌でもリセットできないのだ。

 コーの事にしてもそうだ。事実はもう変えられない。リセットできないのだ。

 考えたくないのに勅使河原弘人の顔が思い浮かんできた。もう、彼の事は忘れようと思っていたのに。

 コーを……というより弘人を私は許し受け入れることができるだろうか?

 多分、無理……。彼をコーと同じように愛する事は出来そうもない。それどころかとても憎らしく感じてしまう。彼とコーは違いすぎる。何もかも。

 彼の事は忘れよう、考えないようにしよう。

 結局、考えは原点に戻って来てしまった。2回同じ結論になったのだから、きっとこれが正しい選択だ。

 下腹部の鈍痛がじわじわと広がり、私は横向きになって体を丸めた。

 ああ、この身体も嫌だ。できる事なら取り替えたい。あの時に帰りたい。

 私は目を閉じてじっと痛みに耐えた。

 

 

 

 次の日から私は勅使河原弘人という存在を忘れる事にした。

 だが現実は、そう簡単に忘れさせてくれそうもなかった。

 私自身意識していないのに、ふとした瞬間に弘人を探して目で追っているのだ。

 休み時間の校庭。外で行われている体育の授業。学校での廊下。お昼のカフェテリアスペース。

 たくさんの人がいるにも関わらず、私は一瞬でその姿を見つけ出し、無意識のうちに目で追いかけてしまう。

 弘人の方も同様なのか、頻繁に彼と視線がぶつかった。

 そんな事を1週間ほど続けている。いったい私はどうしたいのだろう。忘れてしまいたいのに。

 お昼休みのカフェテリアスペースは人でごったかえしている。相席もしょうがないかなと考えていた所、偶然にも席が空いて私と佳織は四人掛けのテーブルに二人で座る事ができた。

「ラッキーでしたね!」

 佳織は微笑みながら今日のA定食のチキンカツランチを前に置いて両手を合わせた。

「うん」

 私はうどんとサラダを前に置いて手を組んで目を閉じた。脳裏に食事前の祈りをささげるコーの姿が鮮やかによみがえった。

 私は小さく首を振って頭の中のコーを追い出し、カフェテリアを見回した。

 こんなに人であふれているのに、私は無意識のうちに弘人を見つけ出していた。そして私は弘人が数人の男子生徒と談笑しながら食事をとる姿をじっと見つめてしまった。

 弘人は私の視線に気づいたのかこちらに視線を向けた。私はあわてて目をそらして反対側の何もない壁に目を向けた。

 我ながら挙動不審すぎる。

「はぁ」

 と、向かいの席に座っている佳織がため息をついた。

「なに?」

 私は弘人の視線を感じながら前に座っている佳織に目を向けた。

「何かのゲームでもやってるんですか? あっちむいてほい的な」

 佳織はむくれながらフォークをランチのチキンカツに勢いよく突き刺した。

「佳織さん……怖いです」

 私は苦笑して、チキンカツから佳織に視線を移した。佳織はぶつぶつ苦情を言いながらチキンカツを口にした。「そんなに食べたら、午後の体育で吐いちゃうかもよ?」

「やけ食いです。お気になさらず」

 佳織はそう言ってぷいっと横を向いて窓の外を見た。

 そういう仕草がとても女の子らしくて、私は可愛いらしいと思った。

(2年間男子として生きてきた私にはもうこういう仕草は出来そうもないな)

 そう思いながら私は佳織の仕草を見てクスリと笑った。

 この学校に入った時はコーとこんな関係になれたらいいなと思っていたのに……。

 私は佳織から弘人に視線を移した。彼は再び男友達と談笑している。

「螢。隣、いいかな?」

 その声に目を向けるとそこにいたのはリズベットだった。手にしたトレイにはサンドイッチとコーヒーが乗っていた。席が空いてなかったのだろう。

「ああ、里香さん。どうぞどうぞ」

「ありがと!」

 リズベットはニコッと笑って佳織の隣の席に向かった。リズベットの影から髪を両サイドでリボンでまとめている愛らしい女子が現れた。彼女は……。

「シリカさん!」

 私は驚きの声を上げてしまったので、シリカはビクンと身体を固まらせた。

「キャラネーム禁止!」

 佳織の隣に座ったリズベットが私に指を突きつけた。「てか、知り合いだったの?」

 隣の佳織から睨みつけられているのにリズベットはまったく動じていない。さすがの胆力と言うべきだろうか。

「いえ……中層ゾーンで、シリカさんを知らない人はいませんよ」

 私は頭を振って、リズベットにそう答えた。まさかコーと一緒にカルマ回復クエストしましたよね? なんて言えない。

「ふーん。アンタ、いろんな人の追っかけでもやってたの? アスナもあたしも知ってたよね」

「あ。ええ。まあ」

 私は言葉を濁らせて、お茶を口にした。

「珪子。螢の隣に座りなよ」

 リズベットはシリカを手招いた。

「すみません。綾野珪子って言います。お邪魔します」

 シリカが小さく頭を下げて私の隣に座った。

「私は望月螢。どうぞ座って。遠慮しないで。私たちはもうちょっとで食べ終わりますから」

 私が『私たち』と言ったので佳織が嬉しそうにニコリと笑みを浮かべた。

 私はそんな佳織に笑みを返しながら、視線は弘人に向けていた。

 彼がコーのままの姿だったら……。このテーブルはソードアート・オンラインの昔話でさぞかし明るく盛り上がっただろう。もう、そんな未来は絶対来ないのだが……。私も彼も変わりすぎた。

 再び弘人と視線がぶつかり、私はあわてて視線をランチに戻した。気が付くと、そんな私を佳織だけでなくリズベットも興味深く見つめていた。

 佳織は再び怒りをチキンカツにぶつけた。

「アンタ。カルシウム足りないんじゃない?」

 リズベットが佳織をからかった。

「余計なお世話です!」

 佳織はリズベットに宣戦布告のような厳しい視線を向けた。

「牛乳飲んだら? カルシウムいっぱいだよ」

 リズベットは佳織の視線をさらりとかわしながらいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「わたくし、あなたが嫌いです!」

「うん。知ってる」

 ニカッと笑顔を浮かべてリズベットは頬杖をついた。そんな返され方を想像していなかったのだろう、佳織は二の句がつなげずに呆然としていた。

「佳織さん。仲良くしてください」

「螢がそう言うなら」

 釈然としない表情で佳織がリズベットを横目で見た。

「そういうことで、よろしく! あたしは篠崎里香」

 リズベットはそんな佳織の壁などもろともせずに握手を求めた。

「よ、よろしく……立花佳織です」

 すっかり面をくらっている佳織はしどろもどろになりながらリズベットの手をとった。

「ほら、 珪子も」

 リズベットに促され、シリカも佳織と自己紹介を交わした。

 ソードアート・オンラインでつながりがなかった人たちはこうやって仲良くなれるのに……。

 私は再び弘人の方に視線を向けた。しかし、もうそこに彼の姿はなかった。

 

 

 

 午後の体育の授業が始まった。先日の授業と同様にパスやドリブルなどの基本動作を行った後、4つのチームに分かれてミニゲームが行われた。

 今日の授業は体育館をネットで二つに分けて行われていた。

 ミニゲームの休憩時間になったので、私はアスナの隣に立ってネットの向こう側を見た。ネットの向こうでは4年F組男子の授業が行われているのが見えた。

 あちらもミニゲームをやっているようだ。バスケットボールを追いかけ激しく生徒たちが走り回っていた。

 そんな中でもやはり私はすぐに弘人を見つけ出し、目で追っていた。

 弘人のドリブルは目も当てられないほど下手だったが、パスとシュートは見事だった。さすが、ソードアート・オンラインで投擲を鍛えただけはある。そして、なにより私がほっとしたのは彼の右手が普通に動いていた事だ。

(よかった……。本当によかった……)

 右腕が動かなくなって泣きぬれていたコーの姿が脳裏をよぎった。

 じんわりと胸が熱くなった。私は以前のように彼を愛する事が出来るだろうか?

 私はその胸のぬくもりにそっと問いかけた。

 それにしてもひどい試合だ。プレーしているのが素人だから仕方がないが、なかなか反則を取らない教師にも問題があると私は思った。もしかするとあまりバスケに詳しくないのかも知れない。

 おまけに「ほらほら。女子も見てるぞ! 気合入れろ!」などとけしかける始末だ。

「うおぉぉ! アスナさん! 見ててくださいっ!」

 そんな男子の声と笑い声が聞こえてきた。

「ほらほら、アスナ。ちゃんと見てあげなよ」

 リズベットが爆笑しながらアスナに言った。

「もう」

 アスナはため息をついて小さく笑った。

 その笑顔に触発されたのか試合がさらに荒れてきていた。もう、プッシングもチャージングもブロッキングも行われ、バスケットボールとは名ばかりの格闘技に成り果てている。

 苦し紛れに出たパスがこちらに飛んできた。そのボールに弘人が追いつこうと必死に走っていた。ディフェンスが弘人の身体を抑えながら進路を妨害した。

(ホールディング!)

 私は心の中でジャッジしたが、教師はそれをスルーした。

 二人はそのままボールを巡って争い、もつれ合った。

(このままじゃ! 二人とも壁に!)

 私は思わずネットをくぐっていた。

「ちょっと、螢!」

 リズベットの声が背後から聞こえたが私は駆けだしていた。

 私の視界にはもう弘人しか映っていない。

 弘人は壁にぶつかる直前、相手を守るために壁と反対方向に突き飛ばした。

 弘人が肩から壁にぶつかってゴツッと鈍い音がした。

 床に崩れ落ちた弘人に私は誰よりも早く駆け寄って無我夢中で抱き起した。

「いてて」

 腕の中で弘人が目を開いた。

 すぐ目の前で視線がぶつかり私は息を飲んだ。

 いったい私は何をやってるんだ。

 男子の授業に割り込んで、さらに男子を抱き起すなんてどう考えてもあり得ない。夢中に取った行動が自分でも信じられなかった。

「あ……ありがとう」

 弘人も驚いたのか一瞬、声を詰まらせた後、ようやく言葉を絞り出した。

 そして、彼の口がゆっくりと動いた。

 

(ごめんね。ジーク)

 

 唇の動きだけだったのに、私の頭にはコーの声でその言葉が聞こえた。私は心臓が高鳴り、気が遠くなった。

 私に伸ばされてきた弘人の右手をそっと左手で捕まえた。

 指が絡み合い、両手がしっかりとつながれようとした時、教師の大きな声で私は我に帰った。

「大丈夫か! 勅使河原!」

「大丈夫です」

 弘人は教師に微笑みかけて私の腕からすり抜けて立ち上がった。つながれようとしていた手も離れて行ってしまった。

「保健室いくか?」

「大丈夫です」

 弘人はぶつかった方の腕をぐるりと回した。

 咄嗟に受け身をとっていたから大丈夫だったのだろう。さすがの反射神経だと私は思った。

「いつまで呆けてるのよ」

 リズベットが私の肩を叩いてきた。

 そちらに目をやるとニヤリと微笑むリズベット。その後ろには今にも抗議の声を上げそうな佳織。ほっとしながらも興味津々の表情のアスナ。それぞれの目が私を突き刺していた。

「ごめんごめん」

 私はリズベットの手を取って立ち上がった。

「いきなり飛び出してっちゃったからびっくりしたよ」

 リズベットはそう言いながらネットをくぐった。

「自分でもびっくりです」

 私は照れくさくて頭をかきながらリズベットに続いてネットをくぐった。

「先生が声かけなきゃ、すごくいい雰囲気だったのに」

 リズベットが舌打ちしながら言った。

「里香さん!」

 私は顔全体が熱を帯びるのを感じながらリズベットの肩を叩いた。

 するとリズベットが私の予想以上にのけぞった。何が起こったのかとリズベットの向こうを見ると私と同時に佳織がリズベットにひじ打ちを食らわせていた。

「ちょ! 螢はともかく、なんでアンタがツッコミいれんのよ!」

 リズベットが佳織を指差しながら迫って行った。

「おーい。チーム交代!」

 笛の音が響いて教師の声がこちらに飛んできた。

「行こう」

 私は二人の肩を抱いてコートに向かった。

 

 

 

 次の授業の数学が終わって、10分間の休憩時間に入った。今日の授業はあと、1コマだ。

 私は目を閉じて大きく伸びをした。

 唐突に弘人の顔が頭に浮かんで、『ごめんね。ジーク』という声が聞こえた。

 私はコーを忘れられない。だから、弘人を無視する事ができないのだ。

 目を開けて左手を見つめた。思い出すだけで全身が火照る。現実世界での接触はソードアート・オンラインの中より濃厚だ。

 タブレットがメール受信を知らせる音を鳴らした。

 私はタッチパネルを撫でてメーラーを開いた。

 

 件名:放課後待ってます   差出人:勅使河原弘人

 

 その表示を見て心臓が止まりそうになった。

 唾を飲み込んでから震える手でそのメールをタッチした。

『今日の放課後会いたいです。武道館奥の池で待ってます。』

 簡潔な短い文章だった。それなのに何度もかみしめるように読み返した。

「どうしたの? 螢」

 佳織がタブレットを片手に私の席に歩いてきた。

「な、なんでもない」

 あわててメーラーを閉じた。

「あの、螢……。お願いが……」

 つらそうに言葉を詰まらせて佳織が話しかけてきた。

「はい」

 私はタブレットを操作して次の国語で使う課題ファイルを佳織に送った。古文の訳の課題だ。

 昨夜、佳織はかなり苦戦をしていた姿を私は見ていたから多分最後までできなかったのだろうと思ったのだ。

「よく、分かりましたね」

 目を丸くして佳織が課題ファイルを開きながら驚きの声をあげた。

「分かるよ。佳織の事だもん」

「ありがとう!」

 私の言葉に佳織は上機嫌でタブレットを胸に抱いて自分の席に戻って行った。

(さて……)

 私は私の課題を考えよう。いや、考える余地はないのかも知れない。

 私は再びメーラーを立ち上げて勅使河原弘人から送られてきたメールを何度も読み返した。

 

 

 

 これほど放課後が待ち遠しかったことは今までになかった。

 好きな古文の授業であれば集中して話を聞いているうちに時間が過ぎ去っていたはずである。だが、今日に限っては時間が気になって仕方がない。

 何度も腕時計を見ては秒針がちゃんと動いているか確認を繰り返してしまった。

 それでも、ようやく授業終了まであと5秒だ。

 4……3……2……1……

 ようやく「ゴーン、ゴーン」と第1層のチャペルの鐘の音で授業終了の知らせが鳴った。

「螢。ありがとう。おかげで助かりました」

 すぐに佳織が微笑みながらこちらに歩いてきた。「今日も一緒に……」

「ごめん。ちょっと用事があるんだ」

 私はトートバックに荷物を詰め込んで佳織を残して教室を飛び出した。

 

 校舎脇の新緑のトンネルを私は駆け抜けた。真新しいレンガで舗装された小道を抜け、約束の武道館奥の池にたどり着いた。

 池の周りには満開のピークを過ぎた桜が風に葉を揺らせ、残りわずかになった花びらを散らせていた。

 私は美しい風景に視線をぐるりと走らせて勅使河原弘人の姿を探した。まだ、彼は来ていないようだ。

 池の周りにあるベンチの一つに私は腰かけた。

 まったく風景は違うが、このシチュエーションは血盟騎士団の初代ギルドハウスの裏庭の池のようだ。あの時はコーと和解できたが今度はどうなるのだろう。

 というより、私はどうしたいのだろう。

 水面を見ながら思いにふけるが結論は相変わらずでない。だって、何もかも違ってしまっている。私もコーも、あの時とは違う。

 物思いにふけっていると後ろから駆け寄ってくる足音が聞こえた。

 胸の高鳴りを抑えながら私は立ち上がり振り返った。

 弘人がこちらに駆け寄ってきた。徐々にそのスピードは落ちて私の手前2メートルほどで彼は足を止めた。

 お互いが手を伸ばさねばふれあうことができない。この距離がとても遠く感じた。

 私は改めて弘人の顔を見つめた。神経質そうな顔つきは決してハンサムとは言えない。私との身長差はコーの時とほとんど変わらない。彼の方がやや低い。良くも悪くも彼は普通だ。SAO事件がなければ決して彼に目を止める事はなかっただろう。

 もっとも、これは弘人の方から見ても同様だろう。

 私の高い身長は悪い意味で目立つし、顔だって平均に届くかどうかという顔立ちだ。こんな私に興味をもってくれる男子などそう多くはないし、SAO事件がなければ彼が私に注目する事はなかっただろう。

「ジーク……だよね」

 弘人が呟くように問いかけてきた。少しショックだった。男性の声色でその名を呼んでほしくなかった。

「コーなんだよね?」

 弘人の問いかけに頷いた後、私も尋ねた。

 ゆっくりと頷いて弘人は私の言葉を肯定した。

 『会いたい』とメールに書いてきたのは彼の方だったから、私は弘人の次の行動を待った。

 しかし、なかなか弘人は行動を起こさず私を見つめてくるだけだった。

「えっと……」

 5分ほどだろうか。それとも1分ほどだろうか。緊張しすぎで時間の経過がまったくわからないが、ようやく弘人が口を開いた。

「うん」

 私は弘人の次の言葉を待った。

「僕に何の用かな?」

 真剣な表情で弘人は私に問いかけてきた。

「え? 何を言ってるの? 会いたいってメールを送ってきたのはあなたの方でしょ?」

 私は目を丸くして反問した。

「メール? 僕は送ってないよ」

「嘘!」

 さらに私が問い詰めようとした時、弘人が左手を上げて私を制した。

「ちょっと待って。僕はリズから伝言を貰ったんだ。『望月螢が話があるらしいから武道館奥の池に行ってほしい』って」

「私はそんな事言ってない」

 と、言った後、私の頭にリズベットのいたずらっぽい顔が思い浮かんだ。

「リズの差し金か」

「リズベットさんの仕業か」

 同時に私たちは呟いてお互いを見合って笑った。本当にリズベットらしい行動だ。

「ごめんなさい!」

 笑顔を改め、唐突に弘人が頭を下げた。「ずっと僕はジークを騙してきた。ずっと、ずっと。本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

 その弘人の言葉に私の頭の中で記憶があふれ出した。

 コーが私をずっとブロックリストにいれたまま、うっかり忘れていた事を謝罪した時だ。

(コー、コー、コー、コー……)

 それをきっかけに私の中に次々とコーとの記憶がよみがえってきた。

 ホルンカで初めてリトルネペントを倒した時のハイタッチ。

 その後、≪リトルネペントの胚珠≫を手に入れた後、コーの装備が耐久切れで壊れて下着姿になって呆然とする姿。

 シチューをぐるぐるとずっとかき混ぜている事を注意された時。

 回線切断で取り乱したコーを抱きしめた時。

 第25層ボス戦後のコーの懺悔。

 蟲風呂で私をからかったコーの笑顔。

 家を買ってハイタッチを交わした時のコーの笑顔。

 鐘楼でのプロポーズに応えてくれた時のコーの泣き顔。

(コー、コー、コー、コー……)

 あふれ出す一つ一つの思い出のコーに私は心の中で呼びかけた。

 弘人が顔を上げて、何か言葉を続けている。その顔がコーと重なった。

 私は弘人の言葉が何も聞こえない。頭の中がコーの想いでいっぱいだ。

 何を悩んでいたのだろう。彼はコーなのに。姿がどんなに変わってもコーはコーなのに。弘人はずっと私が愛してきたコーなんだ。

 私は熱い思いのまま足を一歩進めた。

 そんな私を見て少し驚いた表情で弘人が一歩後ずさりをした。

 私はさらに三歩進んでそんな弘人を抱きしめた。

 そして、私の胸の中で暴れる弘人を力づくでねじ伏せながら夢中で唇を重ねた。

 弘人の身体はコーの身体と違って少しゴツゴツしている。女性の身体ではないのだから当然だ。

 徐々に弘人の抵抗が収まり、その身体の力が抜けて行った。私は以前のように彼の背中や腰に手を回して抱き寄せながら唇を重ねつづけた。

 やがて弘人の手がそっと私の腰に回された。

 私は弘人の唇を解放して彼の顔を見た。

 弘人の頬に涙が流れていた。男の涙なんて見たことがなかったので私はたじろいでしまった。

『男の子だって、泣いていいんだよ』

 昔、コーが私にかけた言葉は自分に向けたものだったのだろうか?

「もう……。いつも不意打ち」

 弘人がコーの口調そのままに言った。

「ごめん、コー。私もずっと騙してきた。ごめんなさい」

 私はコーを受け入れられる。どんな姿になっていようとも。だけど、弘人はどう思っているのだろうか。私はコーのように美少女ではないし、背も高いし、顔だって誇れるものじゃない。そう思いながら私は弘人に語りかけた。「こんな私だけれど、コーと前と同じように一緒にいたい。ずっと、ずっと!」

「ジーク。それはだめだよ」

 弘人の瞳と口調は冷静な落ち着きに満ちていた。

(その言葉は拒絶? けれど、拒絶だったら私を突き飛ばしたりしないだろうか?)

 そんな思いと戸惑いがぐるぐると頭を巡る。

 彼の言葉の真意が分からない。やはり、私のような見た目が悪い女は受け入れられないのだろうか? それとも弘人には私と違う別の思いがあるのだろうか?

 弘人の真意は何なのだろう。私は呆然としながら腕の中にいる彼の次の言葉を待った。

 その時、強い風が吹いた。

 わずかに残った桜の花がすべて空に舞った。

 私の長い黒髪とスカートがその風に踊る。すべてが幕間劇みたいに……。

 




ここで話を切るんじゃねーよ!
そんな苦情が聞こえそうです。スミマセン><

今回、2万3千文字ぐらいあったりします。書き始めた時はシーンの数もそんなにないので1万2千文字ぐらいだろうとタカをくくっていたのですが、ジークが考えすぎで文字数が増えすぎちゃいました。
文字数の割に内容が薄いのはもはや仕様ッ! 本来の仕様である!(土下座)



ちょっと、書いていて気になったことw
> 私は佳織が持っていた小説の主人公のように「やれやれだぜ」と言えばいいのだろうか。
ちょっと、待て! ジーク(螢)。お前、なぜその百合小説の内容を知ってるんだ!
SAOから解放されて、コー(弘人)と会うまで、「私、コーと再会したら、こんな事するんだ(むふふ)」なんて思いながら百合小説を読んでいたのか?

> リズの暗躍
リズベットさん。アスナ&キリトみたいに他の人をくっつける才能があるんですね。リズベットさん、原作でも早く幸せになってほしいです。

> 百合要員、佳織さん
容姿イメージ、そど子さん(ぉぃ)
SAO内ではどんな人生を送っていたのでしょうか? やっぱり百合チームを組んでたのかなあ。
妄想がひろがりんぐ。

残り最終回+番外1話となります。壁を大量購入しておいてくださいね。
また1週間ほどお時間をください。よろしくお願いします。


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最終話 みんな、みんな、幸せに 【コートニー12】

 いつの間にか僕は家の玄関の前に立っていた。どうやってここまで帰ってきたのか全く記憶がない。

 ジークとあんな形で再会する事になるとは……。

 ≪Dicey Cafe≫で顔を合わせたジークは、ソードアート・オンラインの姿と違いすぎていた。

 腰まであろうかという長い黒髪。大きい目は強気な雰囲気を醸し出していて優しかったジークの目とは全く違う。やや厚めの唇、高めの鼻は少しバランスが悪く、お世辞にも美人とは言えない。

 とにかく、何もかも違いすぎるのだ。望月螢という名前とあの政府の役人菊岡の言葉がなければ彼女がジークだとは思いもしなかっただろう。

 彼女はずっと僕を騙してきたのだ。僕はジークという男を愛していた。この世界に帰ってきて、新たな関係をそっと作って行こうと思っていたのに、裏切られたのだ。

 自分が考えてきた思いが根底から覆されたのだ。

 けど、騙してきたのは僕も同じだ。ジーク――螢は僕の事をどう思っているのだろう。

 もう、何が何だか分からない。自分がどうしたいのか分からない。ジークの事をどう思っていいのか分からない。

 僕は呆然としたまま玄関を上がり自分の部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、母が僕の帰宅に気づいてリビングから顔を出した。

「おかえり」

「ただいま」

 僕は母と目を合わせずに横を通り過ぎようとした。

「どうしたの? ひどい顔してるわよ」

 母は通り過ぎようとした僕の腕を捕まえて言った。

「僕、何が何だか分からなくなっちゃったよ」

 涙こそあふれなかったが、悲しみで暴走しそうな感情を必死に押さえつけて声をつまらせた。

「こちらにいらっしゃい。お茶をいれるわ」

 母は優しくリビングに招き入れた。

 母の後ろについて、僕はリビングに入った。夕食の準備がほとんど終わっているのだろう。普段であれば食欲を大いに刺激するいいにおいが充満していた。

 僕がリビングのソファーに座ると母が僕の前にカモミールティーを置いて、対面にふんわりと座った。

「まず、飲んで落ち着きなさい。落ち着いて、お母さんに話せる事ならお話して」

 母は柔らかく微笑んで自分もティーカップを手に取った。

「いただきます」

 僕は可愛らしい薔薇の絵が描かれたソーサーとティーカップを手に取った。

 カモミールティーを口に含むとリンゴに似た甘い香りが僕の心を落ち着かせ、お茶の暖かさがじんわりと全身に広がって行った。

 幼い頃から僕が暴れまくった後、母は決まってこのカモミールティーを僕に飲ませていた。この香りと味でほっと一息をついてしまうのはもはや条件反射と言っていいレベルかも知れない。

 僕はゆっくりと、ぽつり、ぽつりと今日あった出来事を母に話した。

 ジークが女性だった事。自分も騙してきたが、騙されてきたことがとても腹ただしい事。自分の事もジークに見破られてどう思われているかとても不安な事。これからどうしたらよいかまったくわからない事。

 とりとめなく、重複し、めちゃくちゃな表現の話を母は忍耐強く聞いてくれた。

 僕が黙り込み落ち着いた所で、母が口を開いた。

「弘人。あなたは最初、どうしたかったの?」

 優しい瞳で僕を見つめながら柔らかく尋ねてきた。

「最初?」

「そう。前に言ってたじゃない」

 母はそう言って、カモミールティーを口にした。

 僕は最初どうしたいと考えていただろう。

「謝って、友達になりたい……」

 僕は確か母にそう答えた気がする。

「それでいいんじゃないかしら?」

 母は満面の笑みで僕の言葉を肯定した。

「でも!」

 母の提案に首を振りながら僕は否定の声を上げた。

「今のあなたは考えすぎよ。あなたは自分のできる事しかできないのよ」

 母はふわりと立ち上がり、僕の左隣にそっと座った。そして、優しく僕の左手をとった。

「でも……僕はジークが許せない」

 こんな気持ちのまま、螢に謝るなんて事は出来ない。

「相手が許せないって言っても、あなたも同じ事をしていたんでしょ?」

「うん」

「同じことをしてたから許しなさいって言ってるんじゃないのよ。あなたは相手を怒らせたくて自分の性別を偽っていたわけじゃないんでしょ? 相手を思いやっての事じゃないの?」

「……」

 僕は頷いた。

「きっと、彼女も同じ考えだったんじゃないかしら? 彼女は弘人を想いやって男性を演じていたんじゃない?」

「そう、だね……」

 頭の中でジークの優しい笑顔が思い浮かんだ。

 そうだ。ジークはいつも僕を守ってくれた。僕の事を一番に考えてくれた。僕を……一番愛してくれた。それを恨むなんて事をしてはいけない。

「弘人は弘人の気持ちを伝えればいい。後は考えても仕方がないわ。そこから先は相手の問題」

 母はばっさりと切り捨てた。そして、僕を安心させようとクスリと笑った。「もし、相手が許してくれなくて、つらくなったらまたここにいらっしゃい。お母さんは弘人の味方だからね」

「お母さんって。やっぱりすごいね」

 僕は母の顔をまじまじと見つめて言った。

「そりゃ、弘人よりながーく生きてますからね」

 にっこりと笑って母は僕の肩を叩いた。

 そう言えば僕はソードアートオンラインの中で、考えすぎていたジークに何度も考えすぎないようにと口にしていた。

 くやしいけれど、ジークの前で僕は母の真似をしていたのかも知れない。やはり一番身近な存在として母の影響をめいっぱい受けているのだと実感した。

「もし、友達になれたら家に連れていらっしゃい。お礼が言いたいから。『弘人を守ってくれてありがとう』って」

 母はそう言って立ち上がった。

「うん。そうなったらいいな……」

 僕はそういう未来が来るといいなと心から思った。

 ジークの優しい笑顔が思い浮かんだ。しかし、望月螢の笑顔は想像できなかった。無理もない。僕は彼女の笑顔を一度も見ていないのだ。

 できるだけ早く、螢に謝ろう。そう僕は心に決めた。彼女は許してくれるだろうか? ジークのように優しく微笑んでくれるだろうか?

 僕は目を閉じて神様に祈った。

(ジークと――いや望月螢と話し合う機会をください)

 カモミールティーの甘い香りが鼻をくすぐった。とても落ち着く香りだった。

 

 

 

 望月螢に謝る。

 そう決めたものの自分から螢に会いに行くとか、呼び出すとかいう勇気はなかった。

 ためらっているうちに1週間が過ぎ、なんとしても謝ろうという気持ちもだんだん弱まってしまった。そんな僕ができるのは螢を探し見つめる事だけだった。

 クラスも学年も違っているので見かける機会はあまりない。しかし、視野に螢の姿が一瞬でも映れば僕は彼女を見つめていた。

 螢の方も僕と話をしたいのだろうか? 最近、そう思う。なぜなら、彼女の方も気が付くと僕を見つめているからだ。もっとも、彼女の方は視線が合うとすぐにそらしてしまうのだが……。

 お昼休み、カフェテリアスペースで昼ご飯を食べていると、螢が佳織と一緒に入ってきた。まだ、螢は僕に気づいていない。佳織と何やら言葉を交わしながら食事を購入していた。

「弘人。ああいうのがいいのか?」

 突然、隣でパンをかじっていた大輔が僕の脇腹をつついた。

「ああいうのって、大輔……」

 僕は照れくさくて頬が赤くなるのを感じながら首を振った。

「望月螢。5月5日生まれ。静岡県出身」

 大輔は朗々と螢のスペックを語り始めた。「血液型はA型。身長175センチ。推定サイズは上から95-63-88。得意科目は国語、英語。得意スポーツはバスケット」

「でけぇ」

「うほっ。いい胸」

 僕の向かい側に座っていたクラスメイトの二人は大輔が語るスペックを聞きながら後ろを振り返って螢に視線を向け、それぞれの感想を語った。

 まったくこの二人はいったい、どこを見ているのか。確かに……一番に目が行くのは長い髪か胸であるのだが……。

「弘人ぉ~。このおっぱい星人が!」

 二人は爆笑しながら僕を冷かした。

 僕はその冷やかしをスルーしながら大輔に顔を向けた。

「いったい、どこからそんな情報を仕入れてるんだよ」

 さすが元情報屋と賞賛すべきだろうか? 僕は半ばあきれながら大輔に言った。

「弘人のために頑張って集めてきた情報だぜ」

 大輔はニヤリと笑うと僕の生姜焼きを一枚つまみあげて口に放り込んだ。「って事で情報料を頂くぜ」

「僕のため?」

「そうさ。だって、ずーーーっと見てるじゃん。バレバレだぜ」

 大輔はニヤニヤしながら僕の耳に囁いた。「向こうも弘人が好きなんじゃねーの? 彼女も弘人をよく見てるよな」

 そう言われて僕は螢に視線を向けると視線がぶつかった。空いた席に座った彼女はあわてて視線をそらした。

「告白するなら、セッティングするぜ」

 大輔は親指を立てると、他のクラスメイトも任せろとばかりに親指を立てた。

「絶対、お前らには頼まねーよ!」

 僕はため息をつきながら毒づいた。大輔たちに頼んだら絶対ストーキングされる。これ以上、大輔たちにネタを提供する必要はないだろう。

「ひでー。弘人。お前はもっと友達を大切にすべきだ!」

 大輔は僕に指を突きつけながら笑った。

「友達なら拳で語り合おうか」

 僕がふざけてゆっくりと拳を大輔の頬に向かわせる。

「見えるッ! 貴様の拳がッ!」

 大輔は笑いながらアニメのセリフを叫んで僕の頬に拳をゆっくりとめり込ませた。

 おかげでクラスメイトの爆笑を誘った。

 ちらりと螢に目を向けるとまたもや視線がぶつかった。彼女は自分の食事に視線を落として僕から目をそらした。

 いつの間にか螢の隣にはシリカが座っていた。反対側にはリズがいる。

 僕がコートニーの姿で、螢がジークの姿であったなら……。あの席で思う存分語り合いたい。

 螢はどう思っているだろうか。

「また、見てるな。もう、告白しちゃえよ!」

 大輔が僕の頬をつまんで引っ張った。

「余計なお世話だよ」

 僕は恥ずかしくなって席を立った。

「お。逃げるのか。待てぇ」

 大輔も立ち上がった。

「次の体育でお前を殺す」

 僕は振り向いて大輔を指差しながら冗談めかして言った。

「ふっ。お前が倒した大輔は四天王の中で最弱」

「情報屋の面汚しよ」

「お前らも情報屋だったのかよ! ってか、俺、もう倒されてる?」

 クラスメイトたちが僕の後を追いながら冗談を言い合っている。

 本当に楽しい連中だ。ソードアート・オンラインではまったく縁がなかった人たちだが、こうして友達になれたのはとても嬉しい。

 僕は笑いながら次の授業が行われる体育館に向かった。

 

 

 

 体育の授業はまず準備体操から始まり、パスとシュートの基本練習を行い、ミニゲームを行う事になった。

 今日の授業は体育館をネットで二つに分けて行われていた。

 ネットの向こうでは女子もバスケットの授業を行っていた。

 そちらを見るとミニゲームの真っ最中で螢が見事なジャンプシュートを決めていた。

 バスケットの事はさっぱりわからないが、彼女のシュートもドリブルもとても綺麗なフォームだと思った。

 ドリブルで走ると螢の長い髪が風に舞いとても美しく、いつまでも目で追ってしまう。

「おい、弘人」

 と、クラスメイトに肩を叩かれるまで螢をじっと見つめてしまっていた。「お楽しみの所わるいけど、始まるみたいだぜ」

「楽しんでない!」

 僕はそう言い捨てながらゲームスタートのジャンプボールのためセンターサークルに入った。相手チームからは大輔が出てきて僕の前に立った。

「弘人。覚悟しろよ」

 不敵な笑みで大輔が言った。

「そっちこそ」

 こちらもニヤリと笑って、腰を落として教師のボールトスを待った。

「ピッ」

 と、短い笛の音が鳴ってボールがトスされた。

 ボールはやや大輔側に飛んでいるようだ。懸命に手を伸ばしたがボールをコントロールできず相手チームにボールを奪われてしまった。

 バスケットボールの授業は今日で3回目だが、クラスには経験者がいないので全員が素人同然だ。そんなわけですぐに泥仕合になってしまった。

 僕自身もドリブルがまともにできない。螢はボールを見ずに華麗にコートを走り回っていたが、僕はボールを見ていないとボールがどこかに転がって行ってしまう。

 だが、パスとシュートには自信がある。これもソードアート・オンラインで2年間投擲を鍛えてきた成果であろう。どんな角度からでも3ポイントシュートを決める自信がある。

 その事はクラス全体の共通認識となったためか自然に僕にボールが集まってくるようになった。当然、相手チームとしては僕にパスを通させないようにするのが作戦となった。

 それにしてもバスケットとは激しいスポーツだ。殴り合いこそないが、体操着は引っ張られるし、ドリブル中はチャージされるしなかなか肉体的にハードだ。

「ほらほら。女子も見てるぞ! 気合入れろ!」

 教師が煽り立てる声をかけてきたのでただでさえヒートアップ気味の試合がさらに激しくなった。

「うおぉぉ! アスナさん! 見ててくださいっ!」

 なんていう声とそれを笑う声が聞こえた。

「ヘイ!」

 3人に囲まれている男子に向かって僕は手を挙げながらパスをもらうために走った。

 なんとか出されたパスはやや遠かった。しかし、走ればエンドライン直前で追いつけそうだ。

「とらせねーぞ! 弘人!」

 大輔が僕の身体を抑えながら行く手を阻んだ。

 僕は無理を承知で前に進む。もう少しでボールに届きそうなのだ。必死に手を伸ばした。

 僕の足が大輔の足と接触し、二人ともバランスを崩してしまった。

(やばっ!)

 エンドライン直前という事は体育館の壁も目前だ。このままでは二人とも壁に衝突してしまう。

 僕は必死に大輔を壁と反対方向に突き飛ばした。咄嗟の判断だった。これで大輔の受けるダメージが少なくなればいいと思った。

 次の瞬間、僕は壁に激突した。閉じた目に火花が散り、鼻の奥で血の臭いがした。

 僕はすぐに抱き起され柔らかい空間に包まれた。

「いてて」

 僕は呟きながら目を開けると目の前に螢の顔があったので驚きのあまり息を飲んだ。

 こんなに間近に螢を見た事はなかった。彼女の汗と石鹸の香りが鼻をくすぐった。

「あ……ありがとう」

 僕はすぐ近くにある螢に緊張してようやく言葉を紡ぐことができた。そして、無意識のうちに口が動いた。

 

(ごめんね。ジーク)

 

 なぜだろう。とても安らかな気持ちになった。長い間失っていたものを取り返したような気持ちになった。

 それをさらに確実にしたくて僕は手を螢に伸ばした。

 螢は僕の手を取ってくれた。優しい表情だった。

(ああ、帰ってきた)

 心が震え僕と螢の指が絡み合い手がしっかりとつながれようとした時、教師の声で僕は現実に引き戻された。

「大丈夫か! 勅使河原!」

「大丈夫です」

 僕は急に照れくさくなって螢の手を振り払って立ち上がった。

「保健室いくか?」

「大丈夫です」

 僕はぶつかった方の腕をぐるりと回してみせた。

「念のため。休んでろ」

「はい」

 僕は教師がコート外を指差したので頷いた。

 咄嗟に受け身を取っていたのだろう。激しい衝突の割にはそれほど痛くない。

 僕は再び肩を回しながら考えた。――僕は一人で何を盛り上がっていたのだろう。螢が僕の事をどう思っているのか分からないのに。

「いつまで呆けてるのよ」

 リズの声に振り向くと、リズが螢の肩を叩いて、彼女を立たせていた。

「ごめんごめん」

 そう言いながら螢はリズの後を追って、ネットをくぐって行った。

 螢は僕の事をどう考えているのだろう?

 わからない。でも、助けに来てくれた。僕の手を握ってくれた。優しい表情だった。

(早く、ちゃんと謝りたい)

 僕は休憩中のチームの隣に座りながら思った。けど、どうしたらいいのだろう。

(リズに頼んでみようか……)

 と、考えてみたが≪Dicey Cafe≫の出来事が頭をよぎった。

 僕はまだその事をリズに謝っていない。

 リズの性格から言って、翌日には舌鋒激しく僕を罵ってくると思っていたのに、彼女はなぜか何も言ってこなかった。僕はそのために謝るタイミングを逃していた……。いや、自分を飾るのはやめよう。完全に自分が悪い事なのにリズに謝る勇気が出なかったのだ。

 同じクラスにいるのにコーヒーカップを割った事も謝罪できない。本来謝るべきはエギルだという事も分かっている。しかし、その勇気もない。

 本当に僕は小さい男だ。こんな男をリズも螢も許してくれるのだろうか?

 僕はため息をついてネットの向こうを見た。

 螢がリズと佳織の肩を抱いてコートに向かっていた。

(螢に僕はふさわしくないかも知れない)

 螢の明るい笑顔を見つめながら、僕は悲しく考えた。

 

 

 

 体育の次の授業は理科だった。

 得意科目だけあってすんなりと頭に入ってきた。教科書代わりのタブレットを触って先のページをめくってみる。教師の説明を受けずとも先の内容も理解できそうだ。

 僕はタブレットからリズの後ろ姿に視線を移した。

 リズは真剣に教師の説明に耳を傾けて、正面の巨大モニターに映し出される解説をノートに書き写していた。

 次の休み時間。リズにちゃんと謝ろう。

 僕はそう決めた。

 これが第一歩だ。それから、螢と会えるようにリズに頼んでみよう。

 僕はどうしてこんなに消極的になってしまったのだろう。ソードアート・オンラインの中での僕――コートニーはあんなに輝いていたのに……。自由に明るく気ままに、そして全力で生きていた。

 もし、この世界がソードアート・オンラインで、僕がコートニーだったらどうしていただろう?

 きっと悪びれずにリズに謝っていただろうし、ジークに許してくれるまで抱きついて謝っていただろう。

 現実世界の息苦しさとゲームの中では女性だったことを隠さなければいけないという気持ちがいつの間にかコートニーから輝きを奪い、弘人という女々しい男にさせていた。

 僕はこの世界でももっと感情を出して生きてもいいかもしれない。

 

 理科の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 リズに謝ると決めていたのに、なかなか一歩が踏み出せなかった。リズの方を見ると何やらタブレットを操作していた。あの作業が終わったら声をかけよう。

 そう思った時、タブレットがメール着信音を鳴らした。と、同時にリズが「あー!」と大声を出して立ち上がった。

 メーラーを立ち上げようとタブレットをタッチしたところで、リズがこちらに視線を向けて歩み寄ってきた。

「弘人! そいつを貸して。間違えてメールを送っちゃった」

 リズは僕の前に立ってタブレットを指差した。

「あ、ああ」

 と、僕が了承するとリズはニッと笑ってタブレットを手にして操作を始めた。

「アンタさ……」

 メールを削除するだけにしてはやけに操作してるなと感じた時、リズが口を開いた。「伝言頼まれたんだけど、望月螢から」

「え!」

 ≪望月螢≫という名を聞いて僕は心臓が高鳴り呆然としてしまった。

 リズはそんな僕の耳元に顔を近づけた。僕の後ろの席の大輔に聞かれないように気をつかってくれたのかも知れない。

「話があるんだって。放課後、武道館奥の池に来て欲しいって」

 リズはそう囁いた後、タブレットを僕に返してきた。「アンタ、がんばんなさいよ!」

 リズはニコリとしながら手を振って自分の席に戻ろうと振り返った。

「篠崎さん!」

 僕はあわててリズを呼び止めた。振り向いたリズに僕は頭を下げた。「この間はごめん」

「うん。あたしは気にしてないわ。あたしより、エギルにちゃんと謝りなさいよ」

 リズはさわやかに笑って自分の席に戻って行った。

「お……お前。望月螢だけじゃなくって、篠崎さんも手籠めにしたのか!」

 後ろから大輔が僕の肩をがっしりと掴んできた。

「手籠めって、表現がおかしいだろ。分かってて使ってんのか」

 明らかにおかしい表現なのでツッコミをいれてやった。

「じゃあ、あれか、ハーレム系ヒーローポジションだな! 男女比率が最悪なこの学校で、なんでお前ばかりがモテるんだ!」

 大輔は僕の肩を掴んだまま前後に激しく揺さぶった。

「モテてない。モテてないだろ」

 だいたいリズはキリトに惚れているのだ。ハーレム系ヒーローポジションと言ったらキリトの方だろう。なにしろ、アスナ、リズ、シリカと3人の女性から思いを寄せられているのだから。

「という事で、弘人の人脈で俺に女の子を紹介してください」

 大輔はいきなり両手を合わせて僕を拝み倒した。

「結局、それかよ」

 大輔と笑みを交わした所で授業開始のチャイムが鳴った。次は得意科目の数学だ。そして、その後は……。

 ジーク――螢の話とはなんだろうか? 僕に対する詰問だろうか? それとも、僕と同じように和解を求めてきてくれるだろうか?

(でも結局、先を越されちゃったな)

 僕はため息をついた。僕から先にきっかけを作る事が出来なかった。

「じゃ、弘人。頼んだぜ」

「自分で努力しようぜ」

「そんなこと言うなよ。トモダチだろ」

「はいはい、トモダチ、トモダチ」

「そこで、流すなよ!」

 大輔が再び肩を掴んできたところで、教師が入ってきた。

「はじめるぞー。席につけー」

 教師は教壇に立って大型モニターのスイッチを入れ、教室内の生徒に声をかけた。

 おかげで僕は大輔との不毛なやり取りから解放された。

 

 

 

 授業終了のチャイムが待ち遠しい。授業時間のほとんどが時計を見つめる時間だった。

 デジタル表示の秒が時を刻むたびに螢と会う時間が迫ってくるのだ。どちらかというと不安の方が大きい。

 どういう事を螢が言ってくるか分からない。まず、螢に謝ろう。そして、ぶつかってみよう。もう一度、この世界でも友達になって欲しい。いや、ずっと一緒に……。

 だけど、螢はそれを望んでいないかも知れない。

 その考えが僕を不安にさせる。僕は頭をふってそれを追い払う。

 母が言うとおり、 僕は僕の気持ちを螢に伝えればいい。そこから先は考えても仕方がない。もしも、螢が僕を受け入れてくれなかった時は仕方がない。

 とにかくぶつかろう。謝ろう。

 こんな思考のループをずっと僕は授業中に繰り返していた。

 だが、それももうすぐ終わりだ。この50という数が60になれば時が訪れる。

 心の中で思わずカウントダウンをしてしまう。

(4……3……2……1……)

 ようやく「ゴーン、ゴーン」と第1層のチャペルの鐘の音で授業終了の知らせが鳴った。

 教師が後片付けをして教室を去り、弛緩した空気が流れた。

(行くのが怖い……)

 荷物をバックに詰め込んだのに席を立つ事ができない。

 女々しい。いや、僕が女の子だった時の方がもっと積極的だった。もっと明るかった。もっと勇気があった。

 僕は奥歯をかみしめて席を立った。

 リズが笑顔でこちらを見ている。僕は彼女に頷いて教室を出て、走りだした。

 

 校舎脇の新緑の屋根をくぐり、レンガの小道を抜けると武道館奥の池が見えてきた。

 ベンチに螢が座っている。その姿を見て、僕は血盟騎士団の初代ギルドハウスの裏庭の池を思い出した。

 もし、あの時のように螢に拒絶されたら、僕はそれに耐えられるだろうか? 全力で走っていた足がその思いで回転が鈍った。

 駆け寄る足音に気づいて、螢は立ち上がってこちらに振り向いた。

 風が螢の長い髪を美しく揺らした。僕はその姿に見とれならがスピードを緩め、彼女の前で止まった。もっと近くで立ち止まればよかっただろうか。お互いが手を伸ばさなければふれあえない距離だった。

 僕はその距離で螢の顔を見つめた。

 そして、僕は呟くように確認した。

「ジーク……だよね」

 僕の問いかけに螢は少し視線を鋭くした。

「コーなんだよね?」

 螢の確認の言葉に僕は頷いた。

 ジークなのに声が全然違う。当たり前で分かっていた事なのにとても意外で新鮮だった。

 僕は改めて螢の顔を見つめた。

 大きめの目はややつり目で彼女の強い心を感じた。厚めの唇、高めの鼻……。アスナのような息を飲む美しさはまったくない。コートニーのように守ってあげたくなるような美少女でもない。

 けれども、僕は螢が好きだ。世界の誰よりも大好きだ。

 螢は何を語るのだろう? 僕は彼女の顔を見つめながら待った。

 しかし、一向に螢は黙って僕を見つめるだけだ。

「えっと……」

 僕は意を決してこちらから口火を切る事にした。

「うん」

 螢は僕の言葉に相槌をうったが、まったく話が進みそうにない。

「僕に何の用かな?」

 僕は慎重に尋ねた。

「え? 何を言ってるの? 会いたいってメールを送ってきたのはあなたの方でしょ?」

 僕の言葉に螢は目を丸くして反問してきた。

「メール? 僕は送ってないよ」

 おかしい。なんか噛み合ってない。

「嘘!」

 螢が鋭い声を上げたので、僕は左手を上げてそれを止めた。

「ちょっと待って。僕はリズから伝言を貰ったんだ。『望月螢が話があるらしいから武道館奥の池に行ってほしい』って」

「私はそんな事言ってない」

 螢は首を振って全力で否定した。

 僕の頭にリズの笑顔が浮かんできた。前の休み時間に僕のタブレットを操作していた。

 推測だが、僕に螢を呼び出すメールを送ってから「メールを削除するから」と言いながらメールを螢に転送したのだろう。転送の履歴を消してしまえばあたかも僕が螢に直接メールを送ったように偽装できるだろう。

「リズの差し金か」

「リズベットさんの仕業か」

 同時に僕たちは呟いてお互いを見合って笑った。

 本当にリズらしいおせっかいだった。だけど、ありがたい。僕はそれに乗っかる事にした。

「ごめんなさい!」

 僕は笑顔を改め、螢に頭を下げた。「ずっと僕はジークを騙してきた。ずっと、ずっと。本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

 騙してきた事は何度謝っても申し訳ない気持ちでいっぱいだ。2年もの間、僕は自分の都合のために彼女を騙してきたのだ。

 でも、ここからやりなおしたい。この現実世界で僕はもう一度……。

「こんな事言って、迷惑かも知れないけど……」

 僕は顔をあげて螢に語りかけた。

 螢は呆然としていた。僕を見ているのに見ていない。そんな感じだった。

 螢が一歩足を進めた。

 これは、前にもあった……。

 僕は同じ歩幅で一歩後ろに逃げた。

 次の瞬間、螢が歩みを速めて僕を抱きしめてきた。

「ちょっと」

 僕は身をよじらせて身体を引き離し、螢を落ち着かせようとしたが信じられない力で腕をねじ伏せられて唇を奪われた。

 ジークに抱きしめられた時と違って、螢の身体はとても柔らかかった。女の子らしい甘い香りもする。

 だけど、こんな無茶な行動は本当にジークらしい。

 僕は目を閉じた。

 すべてが巻き戻されていく感じがして、僕は全身の力を抜いて身体を螢に預けた。

 僕をねじ伏せていた螢の手がほどかれ、僕の背中や腰を支えた。

 目を閉じている今は何もかもあの頃のようだ。

 唇を重ねている時の首の角度も、僕の背中や腰に回されている手の位置も……。

(帰ってこれた。この優しい空間に……)

 懐かしい気持ちと喜びに胸が締め付けられて、僕の目に涙があふれてきた。

 どれくらいの時間が流れただろう。頭も身体も熱っぽくて訳が分からない。

 ようやく、螢が唇を解放した。

「もう……。いつも不意打ち」

 僕は柔らかい声で抗議した。怒っているわけじゃない。むしろ逆。

 こんな風に襲ってくるのは3回目? いや、もっとあったような気がする。

「ごめん、コー。私もずっと騙してきた。ごめんなさい」

 螢は目を伏せて謝罪した後、僕をじっと見つめてきた。「こんな私だけれど、コーと前と同じように一緒にいたい。ずっと、ずっと!」

「ジーク。それはだめだよ」

 僕は小さく首を振った。

 僕たちはソードアート・オンラインにいた時と比べて何もかも違っている。前と同じようになんてできるはずはない。コートニーとジークリードとして関係を始めてもいつか狂いが出てきてしまうような気がする。

 僕の言葉に螢は呆然としている。

 その時、強い風が吹いて木々が騒いだ。

 螢の髪が風に揺れてとても美しく、僕は彼女に見とれてしまった。

「コー。どういう事?」

 風がおさまってしばらく経った時、不安げな声で螢が尋ねてきた。

「あ。ごめん。見とれてた」

「もう」

 螢は照れくさいのか、耳まで赤く染めて視線をそらして言葉を継いだ。「『だめ』ってどういうこと?」

「僕とジークは何もかも違っちゃったと思わない? 体も顔も……」

「うん。けど、私は――!」

「待って。ジーク。先に言わせて」

 僕は螢の言葉を制してから、息を大きく吸った。僕の想いを男の子として最初に言わなくちゃいけない。「僕――勅使河原弘人は望月螢さんが好きです。あの頃と全然違う顔、姿だけど、この世界で一からお付き合いしてもらえませんか?」

 思ったより声が出ず、囁き声に近い音量になってしまった。けれど、螢にはちゃんと聞こえたはずだ。

「私、弘人君の顔とかあまり好きじゃない」

 その言葉に僕の心に一瞬、亀裂が走った。しかし、螢の優しい笑顔がすぐにそれを癒してくれた。「だけど、私はコーが好き。大好き。愛してる。――こんな私でよかったら、お付き合いしてください」

「うん」

 僕は螢の首に腕を回した。「この世界でもよろしく」

「うん」

 螢の頬に一筋の涙が流れた。「これからできるだけ、一緒にいよう」

「ゴーン、ゴーン」

 と、4時を知らせる学校のチャイムが鳴った。

「隠し事ないよね?」

 僕はチャイムの音で第26層の鐘楼での出来事を思い出しながら冗談めかして尋ねた。

 あの時はお互いに自分の性別を隠した状態で『一緒にいよう!』と誓い合ったのだ。

「もちろん! なんにもない!」

 螢もすぐに同じ事を思い出したらしくにっこりと微笑んで答えた。

「――じゃあ。キスしようぜ」

「もう、そうまっすぐ言われると恥ずかしいよ」

 螢はそう言いながら安らかな表情で目を閉じた。

「強引なキスよりいいでしょ?」

 僕の言葉に反論しようとした螢の唇に僕は柔らかく唇を重ねた。

 優しく、何度も、確かめるように。

 そして、ソードアート・オンラインの時のように舌をからませ、情熱的な――。

「あなたたち! 何をやってるの!」

 その金切り声に僕と螢はあわてて離れると、その方向に視線を向けた。

 そこにいたのは眼鏡をかけた中年女性がこちらに駆け寄って来ていた。あの教師の姿を学年の学級委員長会議で僕は見たことがある。確か生活指導、風紀委員の指導教師だ。これはまずい。

「螢……」

 僕はそっと螢の左手を取った。「ダッシュ!」

「え?」

「待ちなさい!」

 という女教師の声を置き去りにして僕たちは走った。

 小道を抜け、校門へつながるレンガ道を僕は螢の左手を握って走った。

 校門の手前で松葉杖をついているアスナとその隣を歩いているリズを見つけた。

「リズ。ありがとう! アスナ。生きててよかった!」

 僕はそう声をかけながら二人の横を駆け抜けた。

 リズの笑顔とアスナの不思議そうな顔が僕に向けられた。

 僕はすべてを取り戻したような気がした。

 こうして手をつないで走っていると、身体は全然違うけれどまるでソードアート・オンラインの中みたいだ。

 僕は振り向いて螢に声をかけた。

「螢。いっぱい、いっぱい、お話ししよう!」

「うん!」

 僕の言葉に螢は僕の右手をしっかり握り返しながら答えてくれた。

 この手はもう絶対離さない。僕たちの2度目の最初のボタンがしっかりとかけられた。

 

 

 

 「そろそろ、来るかな。みんな、準備はいい?」

 明るいリズの声が≪Dicey Cafe≫に響いた。

「おう!」

「OK!」

「大丈夫です」

 それぞれの声でリズに答えた。みんなの手にはクラッカーが握られ、机の上には飲み物がすぐに飲める状態で準備されている。

 今日は≪アインクラッド攻略記念パーティー≫だ。キリトには午後6時と伝えてあるが、実は30分ほど前から集まっていて準備をしていたのだ。

 今は5時50分ぐらいだが、アスナが一緒なのだ。きっと約束の時間の5分前までには来るだろう。

「カラン」と鐘の音がしてドアが開いて、制服姿のキリトが呆然とした顔をのぞかせた。後ろではアスナともう一人見たことがない女の子が中を覗き込んでいた。

「……おいおい。俺たち遅刻はしてないぞ」

 そう言うキリトにリズが駆け寄った。

「主役は最後に登場するものですからね。ちょっと遅い時間を言ったのよ。さ、こっち、こっち!」

 リズはキリトを奥の小さなステージに連れて行った。

 ライトが絞られ、キリトを明るく照らし出した。

「では、みなさん。ご唱和ください! せーのぉ!」

 リズはマイクを全員に向けた。

「キリト。SAOクリア、おめでとうー!」

 打ち合わせ通りの掛け声が響き渡り、クラッカーが鳴らされ、全員の拍手が鳴り響いた。

「かんぱーい!」

 リズがコップを高らかに掲げて叫んだ。

 やっぱり、リズはこういうのが得意なんだなーと僕は再認識した。

「乾杯!」

 乾杯の後、リズに無茶ぶりされてキリトが挨拶の言葉を述べた。見るからにいっぱいいっぱいの姿に思わず微笑んでしまう。

 しどろもどろのキリトの挨拶が終わると全員の簡単な自己紹介をするためにマイクがバトンのように回された。

 僕は中層ゾーンの壁戦士≪シベリウス≫と名乗り、螢も中層ゾーンの壁戦士≪クリームヒルダ≫と名乗った。

 店内に第50層≪アルゲード≫のテーマ音楽がBGMとして大音量で流れ始めた。

 このパーティーのメンバーを見渡してみると、まったく面識のない人もいたが、ほとんどは攻略組として顔を合わせた人たちだった。こうしていると、ソードアート・オンラインの世界に戻ってきたような気がする。

「ねぇ」

 僕は螢の左腕を取って言った。

「なに?」

「こんな機会はもうないだろうから、みんなにお礼を言ってくる」

「じゃ、私も一緒に」

 螢は微笑みながら頷いてくれたので、僕は彼女の腕を引っ張りながら歩き始めた。

 

 まず、一番近くにいたテンキュウに声をかけた。

「テンキュウさん」

 僕の呼びかけにテンキュウは振り返って僕の顔を不思議そうに見つめた。

 こういう不思議そうな顔で見られることに僕はすっかり慣れた。この姿をいくらソードアート・オンラインの中で出会った人物と突き合わせても思い出せるはずはない。

「えーっと、シベリウスさん、でしたっけ?」

 テンキュウはあの頃と同じ赤いバンダナを頭に巻いていた。彼と日本戦国史について語り合ったのがとても懐かしい。

「ゲームの中では色々とお世話になりました」

 僕は頭を下げた。

「いえいえ」

 テンキュウの顔は「え?」という驚きの表情でどう答えたらよいか迷っているようだった。

「戦国時代のお話とかとても楽しかったし、護衛もしてもらったことがありました。お忘れだと思いますが、ありがとうございました」

 僕はそう言って、右手を差し出して握手を求めた。

「……」

 テンキュウは戸惑いながら無言で僕の握手に応えて、僕の顔を見つめていた。きっと、頭の中では記憶の引き出しを開けまくって大混乱している事だろう。

「私からも」

 螢が微笑みながらテンキュウに話しかけた。「ソードアート・オンラインの中で、テンキュウさんはとても心強い存在でした」

「申し訳ない。俺、あなた方を思い出せないんですけど」

「いいんです! 思い出されちゃったら恥ずかしいから」

 僕はにっこりと笑って頭を下げた。「じゃあ、また、機会があったら会いましょう」

 僕と螢は手を振ってテンキュウから離れ、カウンターに向かった。

 

 エギルは特製の巨大ピザを会場に分け終えて、カウンターで一息ついていた。

 カウンターのハイスツールにはキリト、クライン、シンカーが腰かけていた。

「キリトさん。ソードアート・オンラインではありがとうございました」

 最初に声をかけたのは螢だった。

「え?」

 当惑の表情でキリトは螢を見つめた。

「覚えていらっしゃらないでしょうけど、私、キリトさんに命を助けられたことがあるんです」

 螢は微笑んで頭を下げた。「本当にありがとうございます」

 そうだ、あれは確か第25層のボス戦の事だ。凶暴化したボスにジークは片腕を失い、危うく死ぬところだった。そんなジークをキリトは守ってくれたのだ。

「てめーキリトぉ! お前ってやつはどんだけ女の子を口説いてたんだよ!」

 クラインがニヤリと口をゆがませながらキリトの肩を叩いた。

「口説いたわけじゃない!」

 キリトはクラインの手を振り払いながら鋭い視線で螢の顔を見つめた。

「おーい! キリト! こっちこーい!」

 その時、リズが大声で手を振り回しながらキリトを呼んだ。

「エギル、あいつ、酔ってないか?」

 キリトはリズの妙なハイテンションに疑問を持ったのだろう。そう、エギルに尋ねた。

「1%以下だから大丈夫さ。明日は休みだしな」

 エギルは悪びれない笑顔で答えた。

「おいおい……」

 キリトはあきれながら席を立った。

 そんなやり取りを見て僕と螢は顔を見合わせて笑った。本当にここはアインクラッドの世界と何も変わっていない。

「エギルさん。ソードアート・オンラインの中ではごめんなさい」

 エギルとクラインの会話が途切れたところで僕はエギルに頭を下げて謝罪した。

「ん?」

 エギルは訳が分からないという表情で僕を見た。

「えっと、僕、転売されたのを根に持って、あの世界でエギルさんが嫌いでずっと無視してたから。ごめんなさい」

 エギルがその儲けのほとんどを中層ゾーンの育成につぎ込んでいた事を僕はつい最近リズから教えてもらった。本当ならコートニーの姿でちゃんと謝るべきだろうが、今は仕方がない。

「へへっ。ホント、アコギな商売してやがったからなあ」

 クラインが頬杖をついてエギルをからかった。

「うるせー。これでも中層ゾーンの連中からは神のように崇められてたんだ」

 エギルはクラインに向かって鼻を鳴らした後、僕の顔を見てニヤリと笑った。「まあ、誤解がとけたんならよかったぜ。これからもこの店をひいきにしてくれよ。後ろのお姉ちゃんとのデートコースに必ず組み込んでくれよな!」

「はい!」

 僕と螢は声を重ねてエギルに答えた。

「おっと、照れて否定すると思ったぜ」

 エギルは少し驚いた後、僕に拳を向けてきた。「これからもよろしくな。兄ちゃん!」

「はい」

 僕は笑顔でその拳に応えて、ごつんとぶつけ合った。

「クラインさん」

 次に僕は背広姿で酒をあおっているクラインに視線を向けた。「僕の命を助けてくれてありがとう」

「お、おう? 俺?」

 クラインは驚きのあまりむせこんだ。

「私からもお礼を言わせてください。クラインさんがコ……彼の命を助けてくれたおかげで私たちはこの現実世界でも一緒にいれるんですから。本当にありがとうございます」

 螢が『コー』と口走りそうになったので僕は肘でツッコミをいれた。

 クラインがあの時、≪還魂の聖晶石≫を使ってくれなければ、僕はここにいれなかった。本当に命の恩人だ。

「お、おう。まあ、そう言ってくれて嬉しいぜ。まあ、現実世界も厳しい所があるけどな。苦労したまえ、若者よ」

 カッコよく決めたつもりであろうか。しかし、そう言うクラインの視線が螢の胸元に釘づけにされている。こういう所がなければ、もっと女性にモテると思うのに……。僕は心の中でため息をついた。

 螢はさりげなく両手を組むように胸を隠すと身を翻して、シンカーの方を向いて声をかけた。

「シンカーさん。ユリエールさん。ご結婚、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 シンカーとユリエールは微笑みながら螢に答えた。

「シンカーさん、ユリエールさん。第25層のボス攻略戦の後、ギルドを離れてすみませんでした」

 僕はシンカーにそう言って頭を下げた。

「あ、ああ。あの時はたくさんの攻略組の皆さんを失望させてしまいました。謝らなければいけないのは私の方です」

 シンカーは穏やかな表情で僕に頭を下げた。「いろいろありましたが、こうして現実に戻ってこれたのですからこれからもよろしくお願いします」

「いえいえ。こちらこそ」

 そんなシンカーを見て、クラインと違ってとても大人だなと僕は思った。

 僕と螢はシンカーと握手を交わしてカウンターから離れた。

 

 アスナの周りにはリズとキリトがいた。3人の会話が途切れるタイミングを計って、僕はアスナに声をかけた。

「アスナ……さん」

 僕は呼び捨てを辛うじてさけて言葉を継いだ。「アインクラッドではありがとう」

「え?」

 不思議そうにアスナは僕を見つめた。

「アンタねえ。アスナにはこのキリトがいるのよ! こんちくしょー!」

 泥酔寸前のリズが僕に絡んできた。何が「こんちくしょー!」なのか……。まあ、分かる気がする。

「知ってるよ。リズ」

 僕はクスリと笑って、改めてアスナに視線を向けた。「僕にとって、アスナ……さんは憧れだった。ずっと、目標で、そこにいてくれたから頑張れた。ありがとう」

「そうそう、憧れてて髪の色まで変えたよね」

 と、螢がクスクスと笑った。

「余計な事、言わないでよ!」

 僕はあわてて螢に肘打ちして、彼女を引きずるようにその場から離れた。

 照れくさいのもあったけれど、なによりも他人を見るようなアスナの表情に耐えられなかったからだ。

 あの世界――アインクラッドで、僕はアスナを目標にしていた。親友と呼んでいい存在だった。できる事ならもう一度あの関係に戻りたい。

 けれど、もうそういう関係には戻れないだろう。

 

 僕はその後、螢と一緒にボックス席に座って、エギル特製の巨大ピザに舌鼓をうった。

「ねえ。弘人。もっとアスナと話さないの?」

 右隣から僕の顔を覗き込むように螢が話しかけてきた。

「うん……」

 僕はアスナの方に視線を向けると、彼女と視線がぶつかった。

 アスナは僕の視線に気づいて完璧な笑顔を返してくれた。だけど、その完璧な笑顔はソードアート・オンラインの時に向けてくれた笑顔とは全然違う。外向けの完璧な笑顔なのだ。

 ソードアート・オンラインの時の彼女の笑顔はとても優しく、慈愛に満ちて心の底からとろけてしまうものだった。

「これ以上、話し合ったら僕、アスナに抱きついちゃうかもよ?」

 僕はいたずらっぽく笑って螢の左肩に頭を預けた。「僕は螢がいればいい」

「うん。――私も」

 螢の手が優しく僕の左肩に回されて、抱き寄せられた。

「螢。見られてるよ」

 僕は囁くように抗議の声を上げた。

 アスナやその周りにいるキリト、エギル、クライン、リズ、シリカ、シンカー、ユリエール、直葉の視線が一斉にこちらに向けられたのだ。

「いいよ」

「そういう所、男の子みたいだよね。そういう所、好きだけどさ」

「恥ずかしがる所は女の子みたいだね。そういう所、好きよ」

 僕と螢は顔を見合わせて笑った。

 僕は再び、アスナに視線を向けた。

 アスナは周りの人たちと話し合っていた。きっと、今日の2次会について話し合っているのだろう。僕と螢は親の了解がもらえなくて、アミュスフィアを購入できていない。もし、購入できたとしても新たな悩みが発生する。

 みんなの話によると、ソードアート・オンラインのデータがアルヴヘイム・オンラインにほぼ完全な形で移行されたとの事だ。つまり、アミュスフィアを手に入れた時、僕は二つの選択肢を迫られるのだ。

 新たにキャラクターを作り直すか、コートニーのデータを引き継ぐか……。

 再びコートニーに戻ってあの世界を駆ける。とても魅力的だ。でも、それでいいのだろうか?

 僕は頭をふってその考えを放り出した。まだ、アミュスフィアを手に入れるめどすら立っていないのだ。先回りをして悩むのはやめよう。

 僕はアスナ達、一人一人をみつめながら神様に祈った。

 あんなデスゲームから解放されたのだ。みんな、みんな、幸せに。

 これからも、ずっと、ずっと――!

 そして、僕は螢の大きく吸い込まれそうな瞳を見つめた後、耳元で囁いた。

「これから、ずっと一緒に幸せになろうね。ジーク」

「うん。何があってもずっと一緒だよ。コー」

 螢も優しく僕の耳元で囁いてくれた。触れ合う頬がとても温かかった。

 ずっと流れていたアルゲード街のBGMが途切れた。MP3の繰り返し再生をしているため、どうしても先頭に戻る時に一瞬途切れるのだ。なぜか話し合う店のざわめきも一瞬おさまった。

 その一瞬の静寂に包まれた店内にアスナの叫び声が響いた。

「あーーーーっ!」

 アスナは立ち上がって叫んでいた。その声に全員の視線がアスナに集まった。

 そして照れくさそうに手で口元を抑え、耳まで赤く染めて席に座った。

 アスナが僕に視線を向けて微笑んできた。

 とても慈愛にあふれた笑顔。僕はあの頃――コートニーに戻れたような気がした。

(アスナ、キリト君と幸せになってね)

 僕も昔のようにアスナに微笑み返した。

 




最終話です。長い間、つたない文章にお付き合いいただきありがとうございました。
次に番外編1本。R18の真エンドを1本予定していますが。あっけないとおもわれるでしょうけど、とりあえず、これで本編終了です。


*****今回の話について*****
それにしても、結局、最後まで弘人(コートニー)の女性っぽさが抜けきらなかったですね。一方の螢(ジークリード)の漢っぷり惚れますわw
現実世界の螢さんのイメージは「マリア様がみてる」の細川可南子嬢の巨乳バージョンです。
ある意味、コートニー並みに目立ちそうな存在ですね。

ラストシーンのアスナさんの「あーーーーーっ!」は次の番外編で明らかにするつもりです。


*****ALO、GGOはあるの?*****
たまにお尋ねがあるので……。
答えは「ない」です。
今のところ、アリシとかGGOとかにオリ主二人をからめる展開をまったく思いつきません。
けど、いつかおもいついたら、アップするかもしれません。その時はよろしくお願いします。


*****皆様への御礼*****
感想を寄せて頂いた皆様へ多大な感謝を!
そして、評価をくださった皆様、お気に入りに登録してくださった皆様、ありがとうございます。
そして、読んでくださった皆様。ありがとう。
とても励みになりました。

一応最終話なので、エタる心配がなくなりました。どんどん評価、晒してやってください。


R18の真エンドが一番の難関なんだぜ(吐血)
それまで、お付き合いいただければ幸いです。


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番外1 連立方程式

 流れる音楽は第50層のアルゲードのBGM。みんなの服装はあの時とまったく違っているけれど、ここ≪Dicey Cafe≫はアインクラッドの中に実在する酒場ではないかと錯覚してしまう。

 いつの間にかわたしの周りには多くの人が集まって大きな丸テーブルを囲んでいた。わたしのすぐ右隣にはキリト君。その隣にはリズ。クラインさん。エギルさん。シンカーさん。ユリエールさん。キリト君の妹の直葉ちゃん。そしてシリカちゃん。……わたしに近しい人たちが集まってくれている。

 もし、ここにコーがいてくれたら……もっと楽しい、完璧な≪アインクラッド攻略記念パーティー≫になったのに。それだけが残念でならない。

 あの須郷の虜囚から解放してくれたキリト君にわたしは二人の親友と会いたいとお願いした。それはリズとコー。

 リズとはすぐに再会できたが、コーとの再会は果たせなかった。キリト君によると、連絡先は先方の都合で教えてもらえなかったそうだ。伝えられたのはコーからの伝言だという、ただ一言。『生きててよかった。本当にうれしい』だけ。

 外国に行ってしまったというコー。今、一体どうしているだろうか。外国に行ったのも連絡先を教えてもらえないのも親の都合かも知れない。わたしだって、もし両親が(というより母が)「外国に行くから一緒に来なさい」と命令されたら最後まで抵抗できるか自信がない。

 目を閉じると子供の様にはしゃぎ、太陽のように輝くコーの笑顔が浮かんでくる。

「アスナ。眠いの?」

 リズがキリト君の向こう側から声をかけてきた。さっきまで泥酔寸前という感じだったが、だいぶ酔いがさめてきたようだ。いつものようにわたしを気遣ってくれた。

「違う、違う。ちょっと考え事してただけ」

 わたしは手を振って、大丈夫だよと笑顔を作った。

「それにしても、けしからんなあ、あの二人……」

 リズはそう言いながら巨大ピザの一部を引き裂いて頬張った。

 リズの視線の先を見ると、一組の制服姿のカップルが寄り添うように密着している姿があった。

 この学校に入ってからの友人――望月螢。ソードアート・オンラインでもわたしとフレンドだったらしいが、記憶がない。175センチぐらいあるとても長身な女の子だ。それだけで目を引く女性なのに奇妙な事にまったく記憶がないのだ。

 その彼女の左隣には勅使河原弘人が螢にもたれかかるようにして寄り添っている。彼とはあまり話をしていない。ただ……。

 不意に弘人君と視線がぶつかった。

 わたしはとっさに笑顔を作って微笑みかけた。彼は寂しげな笑顔を一瞬浮かべた後、視線を外して螢の左肩に頭を預けてなにやら囁いている。

 わたしの心に何かが引っ掛かった。まるで心の奥底の≪剣士アスナ≫が言葉にできない違和感を訴えているようだった。

「アスナ。どうした?」

 キリト君が覗き込むようにして尋ねてきた。

「あの二人……攻略組なんじゃないかな?」

 言葉にできない違和感が、キリト君に尋ねられることでぽっと言語化された。ああ、でも、わたしのわだかまりはこの言葉とはちょっと違うかも知れない。

「え?」

 キリト君はそう言われて、二人の方に目を向けた。

 わたしの言葉のせいか、この丸テーブルに座っている人たちが一斉に二人に視線を向けた。

(ちょっと、みんなで見たら、二人が可愛そうでしょ!)

 と、心の中でツッコミをいれた。もし、あの二人がわたしとキリト君だったら恥ずかしくなって距離をとるに違いない。

 しかし、二人はみんなから視線を向けられているというのに、まるでお互いの絆を見せつけるように見つめ合ってなにやら言葉を交わしていた。よほど深い絆が二人には結ばれているのだろう。

 その割には最初に体育館で顔を合わせた時にはかなりぎくしゃくしていたが……。

「それにしても、あの娘。直葉ちゃん並みに大きいなあ」

 そう声を漏らしたのはクラインさんだった。

(もう)

 わたしは心の中で深いため息をついた。こういう所がなければクラインさんはモテると思うのだが……。

「え? あたし、あんなに身長高く……」

 直葉ちゃんがそこまで言って、クラインさんの視線を見てその意味を察したらしく、両手で胸を隠して恥ずかしそうに視線をそらした。

「ぐあっ!」

 クラインさんはリズ、キリト君、エギルさんの肘打ちと蹴り、そしてパンチの鉄拳制裁を食らって身をのけぞらした。

「それはともかく、あの顔は攻略組じゃ見たことないぜ」

 エギルさんは頬杖をつきながら言った。

「あ、でも」

 そう口を開いたのはシンカーさんだ。「少なくとも25層までは攻略組だったみたいですよ。先ほどちょっとお話したのですが、25層のボス戦のあとMTDを抜けたという話でしたから」

 なるほど。MTD≪MMOトゥデイ≫は第25層のボス戦で多大な被害を出して、それ以降攻略から手を引いた。そのため、多くの攻略組がMTDから脱退して他の攻略ギルドに籍を移したのだ。

 そういう事なら二人が少なくとも第25層まで攻略組だったのだろう。

 だけど……。

「シンカーさんは二人の事を覚えていらっしゃいますか?」

 わたしは気になった点を尋ねた。

「いえ。お恥ずかしいお話なのですが、あの時点でギルドメンバー全員の顔を知っている状態ではなかったんです」

「いやいや。あれだけの巨大ギルドですよ。全員の顔を覚えるなんて不可能でしょ」

 クラインさんがシンカーさんを気遣ってフォローした。

「でも、アスナ。攻略組かどうかっていう所に引っ掛かってるわけじゃないだろ?」

 キリト君がわたしをじっと見つめてきた。

 そうだ。さすがにキリト君は鋭い。

 攻略組は最後の段階で500人近くいたのだ。わたしもキリト君もその全員の顔を把握してるわけじゃない。わたしが引っ掛かっているのは……。

「どういうことだ? アスナさん。何が引っ掛かってるんだ?」

 エギルさんが顎鬚を撫でながら尋ねてきた。

「あの二人、わたしたちと接点がありすぎよ。それでいて、誰も二人の顔を覚えていない。……こんな事ってあると思う?」

 わたしは全員を見渡した。みんなそれぞれに考え込む表情になっている。「ちょっと、あの二人から何を言われたか、教えてもらってもいいですか?」

 なんだか、探偵みたくなってきたぞ。わたしはこういう頭脳ゲームが大好きだ。全員からヒントを集めれば何らかの答えが出るかも知れない。

 わたしはまず右隣に座っているキリト君を肘でつついた。

「え? 俺から?」

 キリト君は少しため息をつくと話し始めた。「えっと、あの螢って子の方から『命を助けてくれてありがとう』って言われただけだな。弘人君とは話をしてないな」

「キリト、アンタどんだけ女の子を助け回ってるのよ」

 リズがわたしの心を余すことなく言い表した。ホント、キリト君ってアインクラッドのあちこちの女の子を助け回っていたんじゃないかしら。

「リズは?」

 わたしはリズの攻撃がエスカレートする前に彼女に尋ねた。

「あの二人とあんまり、SAOの話はしてないなあ。あたしの武器とか防具とかはつかってくれてたみたい。けど、弘人はなんか不思議な感じ」

「不思議?」

「うん。ああ、今、あたしが学級委員長であいつが副委員長やってて一緒に仕事するんだけどさ。なんかしっくりくるって言うか……。あたしの癖とか分かってるらしくてさ、先回りしてフォローしてくれたりして……」

 リズは頭をガシガシかきながら言葉を必死に紡ぎだそうとしていた。きっと、言葉にするのが難しい感覚的なものなのだろう。「例えると、アスナと仕事してるみたいな感じ」

「え? わたし?」

「そうそう、そんな感じ」

 リズは一人で納得するように頷いた。「アスナだったら、こうしてくれるよなーってそんな感じ。そんな事がよくあるのよ。……うー。うまく言葉にできない。クライン、ターッチ!」

 リズはクラインさんとハイタッチした。

「そんな中途半端な話をした後に俺に振るのかよ」

 クラインさんはあきれたような口調でリズに言った後、わたしに視線を移した。「俺はあの男の子の方の命を助けたらしい。全然覚えてねぇンだけどな。そう言えばあの女の子の方から『彼の命を助けてくれてありがとう』って感謝されたぜ」

 螢の話をして何を思ったのか、クラインさんの顔がでれっとした表情に変わったが、それは彼のためにスルーする事にした。

「俺は、あの兄ちゃんから謝られただけだな。『SAOの中でずっと無視しててごめんなさい』そんな感じの言葉だったな」

 エギルさんもクラインさんのでれっとした表情にあきれた顔をしながら言った。

「ひどい事したんだろうな」

 エギルさんの言葉にニヤリと笑ったのはキリト君だった。「1に信用、2に信用、3、4がなくて、5で荒稼ぎなんて言ってるぐらいだからな」

「おいおい。キリトよぉ」

「シンカーさんはさっきお話して頂いた以外になにかありますか?」

 不毛な二人のトークが始まる前にわたしはそれを制した。

「いえ……。25層のボス戦の後、ギルドを抜けてすみません。というような事を男の子の方から聞いただけです」

 シンカーさんの言葉にユリエールさんも頷いた。

「あ、あたしはあのお二人とお話してないです」

 直葉ちゃんが両手を振ってわたしに言った。

「あたしは今日じゃないんですけど、螢さんから使い魔の事でお話しましたよ」

 シリカちゃんが直葉ちゃんの後を引き継いでしゃべり始めた。

「そうなの? どういうお話をしたの?」

「えっと、ALOにSAOの使い魔が引き継がれるかどうかというお話を」

「ああ、なるほど……。って事は螢はビーストテイマー?」

「多分……」

 シリカちゃんの言葉にわたしは考え込んだ。全員の話を聞いてもまったく思いつかない。

「アスナはどうなんだ?」

 考え始めたわたしにキリト君が尋ねてきた。

「え? わたし?」

「あの二人、アスナには何を言ったんだ?」

 キリト君は深い瞳でじっとわたしを見つめてきた。この謎をキリト君も気になっているのかも知れない。

「弘人君から『憧れで目標だった』みたいな事を言われたなあ。あと、螢とわたしはフレンド登録してたみたい……」

「アスナがフレンド登録したのに覚えてないってありえないだろ?」

 キリト君が目を丸くして驚きの表情を見せた。

「でも、そうなのよ。わたしは彼女を覚えてない……っていうか知らないわ」

「それに妙だな」

「妙って?」

「アスナに憧れるっていうのは分かるんだ。アインクラッドの男性全てがアスナのファンみたいなもんだったし。だけど、目標にするものかな? 普通目標にするならヒースクリフとか、男性プレーヤーじゃないのか?」

「確かに……」

 わたしは顎に手を当てて考え始めた。

 整理してみよう。

 

 望月螢。SAOネームはクリームヒルダ。

 わたしとフレンド。

 キリト君が命を助けている。

 ビーストテイマーをやっている。

 

 勅使河原弘人。SAOネームはシベリウス。

 わたしに憧れてて目標としてた。

 リズの癖を知っている。

 クラインさんが命を助けている。

 エギルさんをずっと無視するほど嫌っていた。

 

 二人とも。

 リズの武具を使っている。

 少なくとも25層までは攻略組。

 お互いがとても親密な関係。

 そして、誰もその顔を覚えていない。

 

 だめだ。この連立方程式は難しすぎる。

 このパーティーが始まった時の自己紹介で二人は中層プレーヤーだと言っていたが、その割にはわたしたちとの接点が多すぎる。

 けれども、解を導き出すには情報が少なすぎた。

「やめよ!」

 そう言ったのはリズだった。「二次会の話をしよ!」

「そうだな」

 キリト君もリズに同調してニヤリと笑った。そして、わたしの耳元に口を寄せて囁いてきた。「アスナが気になるなら、菊岡に調べてもらおうか?」

「ううん。いいや」

 わたしは首を振って、キリト君の申し出を断った。

 あの菊岡という役人のおかげでリズや他の仲間たちと早く再会できた。それはいくら感謝してもし足りないぐらいだが、どうにも彼が信頼できない。これ以上、彼に借りを作らない方がいいだろうと思った。

 静まり返っていたテーブルが今日の二次会を肴にしてにぎやかな宴に戻った。

 こういった暖かい宴は久しぶりだ。

 第39層のギルドハウス披露パーティーの時みたいだ。あの時は結局、コーの結婚披露宴になって、とても楽しかった。

(結局、コーとの思い出が甦っちゃうなあ)

 そう考えた時、ずっと店内で流れていた第50層のBGMが途切れた。なぜか会話が途切れ、静寂が訪れた瞬間、突然、わたしの頭の中にコーの声が響いた。

 

「僕はシベリウスっていう名前でやってたんだよ。覚えてないかなあ?」

 

 それはギルドハウス披露パーティーの準備の時、コーがクリシュナに語った言葉だった。

 わたしの頭の中に電撃が走り、閃いた。

「あーーーーっ!」

 難しい証明問題が一つの発想の転換をきっかけにしてドミノ式に一気に解けていくようなしびれるような感覚がわたしの中を駆け抜け、わたしは立ち上がって叫んだ。

 そして、頭の中でフル回転で検証が始まった。

 

 勅使河原弘人のSAOネームはシベリウス。もし、彼がコーだとしたら?

『わたしに憧れてて目標としてた』

 そうだ。コーはわたしに憧れてて、目標にしてくれていた。

『リズの癖を知っている』

 もし、彼がコーなら当然だ。

『クラインさんが命を助けている』

 ラフィンコフィン討伐の時、クラインさんは≪還魂の聖晶石≫を使ってコーを助けてくれている。

『エギルさんをずっと無視するほど嫌っていた』

 コーのエギルさん嫌いは攻略組の間でも有名な話だ。いくらジークリードが説得しても遂にコーの態度は変わらなかったのだ。

 

 望月螢のSAOネームはクリームヒルダ。もし、彼女がジークリードだとしたら?

『わたしとフレンド』

 これは元々、「わたしが死んだ事をなぜ知ってるの?」の答えとして螢が言った事だ。ギルドメンバーであれば、ギルドメンバーリストでわたしの死を知る事はできる。

『キリト君が命を助けている』

 第25層のボス戦でキリト君はジークリードを助けた所をわたしは近くで見ていた。

『ビーストテイマーをやっている』

 ジークリードはヴィクトリアという名のユニコーンを使い魔にしていた。

 

 二人ともリズの武具を使っていたし、二人の絆については語るまでもない。

 面白いように多くのピースがぱちりぱちりと頭の中ではめ込まれていく。

(だけど……)

 ソードアート・オンラインではゲーム開始早々に全員がリアルの姿に戻されたはずだ。ゲーム開始時のアバターをそのまま使っている人がいるなんて聞いた事もない。

「おい、アスナ」

 キリト君がわたしの右手を優しく引っ張ったので、わたしは我に帰った。

 周りを見ると店内の全員が何事かとわたしを見つめていた。

(うわ。なにやってるのよ。わたし……)

 恥ずかしさのあまり、顔から火が出そうだ。わたしは顔を両手で覆いながら座った。

 勅使河原弘人がコーだったらという仮説。――ほとんどのピースが当てはまるけれど、重要なそしてもっとも重大な障害がある。あの姿だ。姿だけじゃない。性別だって違う。こんな事はありえないだろう。

 わたしは捨て去るには惜しいと思いながら、この仮説を捨てようとした。その時、再びアインクラッドの思い出が頭によみがえってきた。

 

 あれは確か、コーが一人で蟲風呂に行った次の日の事だ。

「ねー。アスナ。実はね。昨日、髪の色をアスナみたく栗色にしてみたんだ」

 コーが微笑みながらわたしがよくやるように自分の毛先をくるくるともてあそびながら言った。その髪の色は栗色ではなく漆黒だった。「そしたらね。ジークが『副団長の真似をしないで、コーはコーらしくいて』って言ってくれたんだー。めちゃくちゃ嬉しかったよ!」

「はいはい。ごちそうさま」

 わたしたちは笑いあった。

 

 そう言えば、さっき弘人と言葉を交わした時、螢が言っていたではないか。

『憧れてて髪の色まで変えたよね』

 と……。普通、男の子がわたしにいくら憧れても髪の色は変えないだろう。

 わたしは視線を二人に向けた。

 寄り添う二人の姿がコーとジークリードの姿に重なって見えた。

(コー……コーだよね?)

 わたしは確信した。姿や性別が違うけれど、あれはコーとジークリードだ。

 視線が弘人とぶつかった。

(コー。いつか、気持ちの整理がついたら、わたしに話してね)

 わたしは弘人にコーの姿を重ねあわせて微笑みかけた。

 弘人がわたしに微笑み返してくれた。あれはコーの微笑みだ。

「アスナ?」

 心配そうにキリト君がわたしの顔を覗き込んできた。

「ううん。なんでもない!」

 わたしはにっこりと笑って、あふれ出しそうな思いを抑えるために両手で胸を押さえた。

 この考えはしばらくわたしの胸の中にとどめておこう。弘人――コーがいつかわたしに打ち明けてくれるその日まで……。

 きっと、そんな遠い未来じゃない。

 目を閉じると、コーの太陽のような笑みが浮かんだ。それに照らされてわたしの心は温められ明るく輝いた。

 



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番外2 誓い

 駿河湾から吹き寄せる海風が螢の長い髪を躍らせている。海は西日に照らされてキラキラと輝いていた。防波堤の向こうでテトラポットに波が砕かれてしぶきをあげている。

 国道150号線沿いの駐車場に停めたレンタカーの前で僕は美しい螢と美しい光景をじっと眺めていた。

 僕と螢は春休みを利用して、彼女の地元の静岡を訪れていた。ここは昔からイチゴ狩りの名所だそうだ。そして、近くには徳川家康がまつられた東照宮がある。

 僕は電車で行く事を主張したのだが、螢に田舎な土地柄の静岡では車で行かないと結構不便だと押し切られたのだ。

 自動車免許取り立ての螢の運転は時々ひやりとさせられる事もあったが、おおむね安全運転だった。

 僕たちは東京から高速道路でここまでやって来て、螢の両親と共に東照宮のお参りとイチゴ狩りを楽しんだのだ。

 東照宮から日本平の頂上までロープウェイが通っており、その絶景に僕は子供の様に胸を躍らせた。山頂のドライブインのような建物の中で螢の両親を目の前にして緊張しながら昼食をとり(本当に生きた心地がしなかった)、再び山を下ってからイチゴ狩りという一日を過ごした。

「螢。私たちはこれで帰るから。気を付けて東京に帰るのよ」

 そう螢に声をかけたのは彼女の母親だ。キリッとした顔立ちはとても螢に似ている。螢が年を重ねればきっと、こんな風にかっこいい女性になるだろうなと僕は思った。螢によると地元の大手企業の役員を務めているとの事だった。

「じゃあ、弘人君。また、静岡に遊びに来てくれよ」

 坊主頭にサングラスという強面に必死に作った笑顔という感じなのは螢の父親だ。見かけによらずとても優しい人だった。螢によるとトラック運転手らしい。

「はい」

 僕は笑顔で螢の父親と握手を交わし、彼女の母親に頭を下げた。

「じゃ、いきましょ」

 螢の母親はバシンと父親の肩を叩くと助手席に乗り込んだ。

「へーい」

 軽い声で螢の父親は運転席に乗り込むとジェットコースターばりの急加速で国道150号の車の流れに乗って行った。

(あの、強引な運転……螢に似ているような……。いや、螢が父親に似たのか)

 今日一日の短い時間のやり取りを見ただけだが、螢はどちらかというとお父さん子だと感じた。

 会社役員の女性とトラック運転手の男性。全然、接点がなさそうな二人には相当なラブストーリーがあるらしい。いずれ機会があれば、螢から詳しい物語が聞けるだろう。

 螢の両親を見送った後、彼女は微笑みながら僕に振り向いた。

「海。近くで見たくない?」

「いいね!」

 僕は螢の左手を取って、国道を横切って防波堤を登った。

 遠くにはタンカーだろうか、かなり大きな船が西日に照らされながらゆっくりと海を泳いでいた。

「もっと近くで見てくる!」

 僕は波打ち際まで行ってみたくなって、柵を乗り越え、防波堤の角に掴まってぶら下がると、砂浜に飛び降りた。

 結構な高さがあって僕は着地と同時に砂浜に転がって膝への衝撃を和らげた。多分探せば砂浜に降りる場所があるだろうが、僕は何も考えずに行動に移していた。

「ちょっと! 弘人!」

 驚きと咎めるような口調で螢が上から声をかけてきた。

「螢も飛び降りてみる?」

 僕は砂と砂利で汚れたデニムパンツをはたきながら見上げた。

「もう。今、何も考えずに飛び降りたでしょ? すぐ近くに階段あるよ」

 微笑を浮かべながらため息をつくと、螢は少し離れた防波堤の階段を指差した。

「あれは近くないかな」

「近いよー」

「見解の相違ってやつかな」

「もう……。そこで、いい子にしてるのよ」

 螢は大きく息を吐くと階段の方へ向かって歩き出した。

「僕は子供か?」

「子供みたいなことして、そういうこと言わないでよ」

 口元に笑みを浮かべて螢は僕に手を振りながら階段へ歩いて行った。

 僕はその間に波打ち際まで走った。

 波は不思議だ。同じように打ち寄せているのに、微妙にスピードやこちらに向かってくる面積が異なっている。ぶつかり合って思ったより打ち寄せてこない時もあるし、タイミングよく波が重なって予想以上にこちらへ襲ってくる時もある。本当に不思議だ。見ていて全然飽きない。

「弘人って、あまり海を見たことないの?」

 いつの間にか螢が僕の隣から顔を覗き込んで尋ねてきた。

「そうだね。そう言えば、家族旅行でも山ばっかだったなあ。なぜか分からないけど」

「そうなんだ。私は海の近くに住んでたから、見慣れててあんまりおもしろくないんだけどね」

「あ、ごめん。僕に気をつかってくれたの?」

「気をつかったわけじゃないよ。弘人がじーーーっと海を見てたから、もっと見せてあげたいなって思っただけ」

 螢はにっこりと笑った。「私はそんな弘人を見てるから気にしないで、思う存分景色を楽しんで」

「螢……」

 僕はその言葉に螢の吸い込まれそうな瞳をじっと見つめた。

「ほらほら。ちゃんと、海を見て!」

 螢は照れくさそうに僕の頭の上下を掴むと強引に海に向けさせた。

「痛い、痛い」

 僕は螢の腕を掴みながら抵抗し、お互いじゃれあって笑いあった。

 ソードアート・オンラインから解放され、螢と学校で再会して正式にお付き合いを始めてから、来月でもうすぐ1年になる。

 あっという間の1年だった。学校行事も楽しかったし、螢と一緒に立ち上げたストリートバスケ同好会の活動もとても楽しい。

 どれだけ一緒にいても螢との時間は飽きることがない。この1年で僕は確信した。彼女こそ僕の半身なんだと。

 僕はこの旅行中に螢に伝えたいことがあった。今がそのチャンスかもしれない。

「螢。ちょっと真面目な話をしてもいい?」

 じゃれあいの攻防をしていた手を落ち着かせるように握ってゆっくりと自分の胸に持って行った。

「え?」

「うかうかしてると、螢がどんどん先に進んで行っちゃうからさ……」

 僕がこれから言おうとしている事は螢を縛り付けてしまうかも知れない。単純に僕のエゴなのかも知れない。だけど、僕は螢を失いたくない。ずっと近くにいたい。だから――。

 僕はジャケットの左ポケットから小さな指輪ケースを取り出して、螢の両手に包ませるようにして手渡した。

「え? え?」

 螢は目を丸くして戸惑っていた。

「螢の方が年上だから先に卒業しちゃうだろうし……。そしたら、離れ離れになっちゃうし」

 つい、ぐちぐちと言い訳がましい事を言い連ねてしまった。僕は息を整えてつばを飲み込んでからまくしたてるように言った。「螢。待ってて。必ず、追いつくから。そうしたら、またこの世界でも結婚しよう」

「これ……指輪?」

 螢は自分の両手に納められた小さな指輪ケースを見つめた。かなり戸惑っている。「プロポーズ?」

「ちゃ、ちゃんと稼げるようになったら、もっとしっかりした指輪にするし。ちゃんとしっかりプロポーズする」

 螢の表情を見て、僕は自分がした事が間違っていたのかも知れないと思いはじめていた。声が急に小さくなってしどろもどろになって行く。「えっと、それまでの仮指輪と仮プロポーズというか……なんというか」

「……」

 螢が指輪ケースから僕に目を移し、じっと見つめてきた。驚きのせいか彼女の眼は大きく見開かれている。

「SAOの時はジークからプロポーズだったから、今度は僕の方から……」

 僕は螢の表情を伺うと、彼女の瞳にあふれた涙が頬に流れた。

 失望してしまっただろうか? その螢の涙が僕の心に霜を降らせた。

「なんか、感動した……」

 螢の表情が呆然としたものから満面の笑みに変わり、彼女は静かに涙の雫をはらった。「お父さんに聞いたわけじゃないよね? そんなわけないか。指輪も用意してくれたんだもんね」

「え?」

 螢は僕を置き去りにして色々と話し始めた。

「ここ、私のお父さんがお母さんにプロポーズした場所なんだよ。学生時代に」

 クスリと笑って螢が僕を優しく抱きしめた。「もう、運命を感じちゃうよ」

「ええっ!」

 僕は驚いて声を上げてしまった。

「弘人。こんなことしなくても、私はずっと一緒。一生離れないよ」

 螢は僕の頭の後ろに手を回すと、やや強引に唇を重ねてきた。

 あれ? いつの間にかまた螢主導になってるぞ。

 今年の目標は『男らしく』だが、少し無理っぽい。まあ、いいか。幸せな気持ちになって僕は螢のなすがままに身体を委ねた。

「ねー。ママ。ちゅーしてるよ!」

 突然の子供の声に僕たちは飛び上がるように驚いて、ぱっと離れた。声がした方を見ると、防波堤の上から幼い女の子がこちらを指差している。

「あ、すみません」

 母親らしい女性が小さく頭を下げると、そそくさとその子を抱き上げて申し訳なさそうに連れて行った。

 そんな母親の事などお構いなしに、抱きかかえられた女の子は悪びれずに明るい笑顔でこちらに手を振っていた。

 僕と螢は苦笑しながら手を振りかえした。

 その女の子を見送った後、僕たちは目を合わせて笑いあった。

「もうちょっと、海を見てく?」

 小首を傾げて螢が尋ねてきた。

「いいや」

 僕は首を振った後、足元の小石を拾い上げて、海に向かって思いっきり投げた。「帰ろ!」

「おー。なんか、ソードスキルが見えそうな感じ」

 螢はクスクスと笑った。

 海に落ちた石がわずかな波紋を作ったがたちまち波に打ち消された。

 僕はそれを見届けると螢の左手を取って防波堤の階段に向かって歩き出した。

 再び、国道を横切り僕たちは車に乗り込んだ。

「ソードスキルと言えば、アミュスフィアの許可が出てよかったね」

 僕は助手席に座ると運転席の螢に話しかけた。

 イチゴのビニールハウスの中で螢は熱心に両親を説得していたのだ。なんだか「授業にも使う」などという嘘も聞こえたような気がするが、そこはツッコミを入れるべきではないだろう。

「うん。待たせてごめんね。けど、先に買ってインしてもよかったのに」

 螢はそう言いながら国道の車に合流するタイミングを計っていた。

「それは嫌。絶対、一緒に始めたいよ」

 一方、僕の両親の方は年末にアミュスフィア購入を許してくれた。もう、いつでもアミュスフィアを買ってアルヴヘイム・オンラインに入る事は出来たけれど、僕は螢と一緒にそして同時にあの世界で生まれたかったのだ。

「で、どうするか決めた?」

 螢がいきなりアクセルを目いっぱい踏んで国道に入った。僕は座席シートに見えない力で押さえつけられた。

 螢の言葉の≪どうするか≫とはキャラクターの事だ。ソードアート・オンラインで使用していたキャラクターデータがアルヴヘイム・オンラインに移行されているのだ。つまり、僕が望むなら再びあの≪コートニー≫としてアルヴヘイム・オンラインに生まれ変わる事が出来るのだ。最初は新しく作り直す気でいたのだけれど……。

「うーん。まだ。……でも、コートニーでもいいような気がしてきた。なんだか、アスナにバレてるっぽいし」

 アスナとは同学年なので、リズと共に話し合う事がたまにあった。その時のアスナの態度や時折、織り込まれる言葉の端々に僕がコートニーであった事を探り出そうという意図を感じるのだ。

 危うく何度引っ掛かりそうになった事か……。

 でも、もう隠す必要はないかも知れないと僕は思い始めている。アスナの表情を見ていると僕がコートニーであった事を咎める様子はない。むしろ、昔の親友として早く打ち明けて欲しいと願っていると思えた。

「そうだね。私もそう思う。あれは見抜いてるよ。絶対」

 そう言う螢の言葉に頷くと、サイドミラーから差し込む西日が僕の顔を照らした。

「アスナ、今頃京都だね」

 僕はその西日を左手でさえぎりながら呟いた。あの太陽の方角にアスナがいるのだ。

 アスナはこの春休みを利用して、リズとシリカそしてキリトの妹――直葉との4人で3泊4日の京都旅行に出かけているのだ。いや、「5人で」と表現すべきかも知れない。アスナの肩には≪双方向通信プローブ≫という形ではあるが、絶剣――ユウキが乗っているのだから。

「うん。ALOに入ったら、コーとしては絶剣と戦いたいんじゃないの?」

 くすっと螢は笑って僕に視線をチラリと投げかけた。

「うー。あれは無理だよ。レベルが違いすぎる」

 先月中旬に行われた統一デュエルトーナメントの決勝『ユウキvsキリト』を僕は≪MMOストリーム≫で観戦したが、もはやあれは人間業とは思えなかった。

 ソードアート・オンラインの時のデュエルと違って技がとても派手に、そしてギャンブル性が高くなっている。当然だ……。あの時のデュエルは本当の命を賭けて戦っていたのだから。

 でも、時代は変わったのだ。命を賭けない戦いなら僕も思いっきりぶつかってみたい。キリトとユウキと。そして――アスナと!

「そんな事、言っても戦っちゃうのがコーだよねー」

「心読まれた!」

 僕はおどけながら叫んだ。

「わかるよ。コーの事……弘人の事だもん」

 螢は赤信号になったのでブレーキを優しく踏んで止まった。そして、カチカチとサイドブレーキを引いた。

「あの世界に戻ったらジーク……ってまた呼べるかな?」

 僕は螢の横顔を見つめながら彼女の膝に手を置いた。

「弘人……」

 螢はそっと手を重ねながら僕を見つめ返してきた。

「螢。信号変わったよ。運転の時は前を見て」

「ごめん」

 螢はあわててサイドブレーキを下ろして、アクセルを踏んだ。「誘惑しないでよ」

「僕のせいなの?」

 螢の急加速に再びシートに押さえつけられた。

「そうだよ。運転に集中させて」

 螢は口元に笑みを浮かべて僕をからかった。

「そうだね。気を付けてよ。帰るまでが遠足だからね!」

「そのセリフ、久しぶり」

 螢はクスクスと笑いながらインターチェンジに入るためウィンカーを出した。

「頼むよ。運転手さん!」

「へーい」

 その答え方が螢の父親にあまりにもそっくりで僕は笑ってしまった。

 東名高速道路に乗れば2時間半あれば家に到着するだろう。

 東京に戻ったら螢と一緒にアミュスフィアを買いに行こう。そして、コートニーとジークリードとしてあの世界に再び生まれよう。

 そして、ずっと先の未来は……。

 僕は再び螢の膝に手を乗せた。螢は優しく手を重ねそっと撫でてくれた。

(なにがあっても、螢のそばにいよう。そして、螢をちゃんと守ってあげられる男になろう)

 僕は螢の運転の邪魔をしないように想いを言葉にせずに心の中で誓った。そして、真剣な表情で運転する彼女を見つめた。

 





真エンドの冒頭部分がけっこういい感じだったので、少し書き直してこちらにアップしました。

時系列で言うと原作の7巻『マザーズ・ロザリオ』の終わり近くになります。
ユウキとコーがデュエルしたかどうかは定かではありませんが、もしやったとしてもユウキの圧勝で間違いないでしょう。

コーとジーク。弘人と螢の旅はこれで終わりです。
連載(完結)にマークも移します。

長い間(短い間かも知れませんが)、ご愛読ありがとうございました。
キャラクターを愛してくださった皆さん。感想を寄せてくださった皆さん。評価をくださった皆さん。そして、読んでくださった皆さん。
本当にありがとう、ただただ、ありがとう。


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連載1周年記念 特別番外編
特別番外1 広がる絆 広がる世界


 
9月28日にこちらで連載開始してから1年経ちました。
思いがけない高評価を頂き、いまだにお気に入りが増え続けるという本当にありがたい事態に言い表す感謝の言葉が見つかりません。

拙作『絶望のアインクラッド』に掲載予定だったものですが、バッドエンドでないのでこちらに掲載することにいたしました。
続きは書かないと宣言していたのに結局書いたのかよとおっしゃるかも知れませんが、広い心で読んでいただければ幸いです。

本作『ヘルマプロディートスの恋』を愛してくださる皆様にこのお話を捧げます。



 温かい春の光が教室に降り注ぐ。

 4月を迎え、春休みが終わり、あたしたちはSAO被害者が集められたこの学校の5年生になった。クラス替えもあったが、弘人とはまた同じクラスになった。

 去年はこの弘人に嵌められて学級委員長を押し付けられたので、今年はあたしが先制攻撃をして弘人に学級委員長を押し付けた。そこまでは良かったのだが、今度はあたしが副委員長に選ばれてしまったのだ。ここまでくると腐れ縁という言葉が良く似合う関係だ。

 あたしはちらりと腕時計を見た。午後3時40分。

 4月6日の登校初日から学級委員の仕事があるとは予想外だった。今日は約束があるのにこれでは完璧に遅刻だ。

 その時、机の上の書類が春の突風に吹かれてバラバラと音を立てて床に落ちて行った。

「ああ。もう!」

 イライラしてついため息があたしの口からもれた。

「里香。イラついてるね」

 弘人が風で舞った書類を空中で何枚かキャッチした後、床に散らかった手近な書類を拾い上げると窓を閉めた。さすがバスケをやってるだけあって身のこなしにキレがある。

「この後、約束があんのよ」

 あたしは残りの書類を拾い集めて席に戻った。

「僕も約束があるんだけど、誰かさんに委員長を押し付けられちゃったからな~」

 弘人は上目づかいで恨めしそうに言った。

「だから、こうして手伝ってるじゃない。サブとして……。だいたいね、あたしの約束の方が重要なんだから、アンタの約束なんかと一緒にしないでよね」

 そうなのだ。今日の約束はただの約束じゃない。約1年半ぶりにあたしは親友であるコーに会えるのだ。

 昨日、春休みの宿題を一気に片づけ終わったのは日付が変わる直前だった。その後いつものようにアルヴヘイムオンラインにインするとコーからのメッセージが届いていたのだ。そこには明日の午後4時に新生アインクラッド第22層のアスナの家で会いたいと書いてあった。

 あたしはすぐにメッセージを送りかえしたが、コーはもうログアウトした後だった。

 そこで、あたしはアスナに連絡を取った。アスナとコーはさっきまで話をしていたとのことだった。どうやら、あたしと入れ違いにコーはログアウトしたらしい。計画的に春休みの宿題をやっていれば、コーと会えたかも知れない。あたしは少し後悔した。

 そして、今日。こんなよけいな仕事がなければ余裕で間に合ったのに……。

「僕の約束も重要なんだけどなあ」

 弘人はなぜか少し緊張した面持ちで言った。

「うーん」

 どうせ弘人の約束は螢とのデートだろう。毎日のように会ってるんだからあたしの方が重要に決まってる。「ねえ。弘人。これ、今日中にやんなくてもいいんじゃないかな?」

「だめだよ。今日やっとかないと、明日は別の仕事があるって河シューが言ってたじゃん」

 弘人は首を振った。河シューっていうのは去年に引き続きあたしたちのクラス担任になった河原崎修平のニックネームだ。「それに、納期ぎりぎりに頑張らずに計画的にやった方が楽じゃない」

「追い込まれた方が、あたしは力が発揮できんのよ」

 と、憎まれ口を叩いたが、実際の所は弘人のおかげで結構助かってる。あたしの見えない所でフォローしてくれてる事も知っている。委員会の仕事で「やばっ」って思った時に先回りしていた弘人に助けられたことは一度や二度じゃない。去年、この学校で初めて出会ったというのにまるで昔からの友人のようにあたしの短所も長所も分かってくれている弘人は不思議な存在だ。

 しかし、それはともかく今日の約束は譲れない。あたしは立ち上がって宣言するように弘人に言った。

「決めた!」

「何?」

 きょとんとした顔で弘人が見返してきた。

「あたし、帰るわ」

 あたしは荷物をまとめ始めた。あとは集計だけだから、そんなに時間がかからないだろう。二人でやればもっと早く終わるだろうけど、あたしは1分でも1秒でも早くコーに会いたいのだ。弘人には悪いが帰らせてもらおう。

「え? ちょっと待ってよ!」

「大丈夫、大丈夫。弘人ならすぐ終わるわよ」

 弘人の声を置き去りにしてあたしは教室の扉を勢いよく開けた。「じゃ、あとはヨロシクー!」

 今から全速力で帰れば30分ぐらいの遅刻で済むだろう。あたしは太陽のように輝くコーの笑顔を思い浮かべながら学校を飛び出した。

 

 

 

 

 あたしは家に戻ると約束の4時を20分ほど回っていた。着替える時間も惜しくて制服のままアミュスフィアをかぶってベッドに寝転んだ。

「リンクスタート!」

 光の粒子が雨のように降り注ぎ、視界のすべてを埋め尽くす。そして光に強弱が生まれやがて風景を形成した。居心地がいいログハウスの部屋の風景だ。あたしの親友のアスナが丹精込めて工夫を凝らした内装はなぜだか心が落ち着く。

「あ、リズ。いらっしゃい」

 ウンディーネ特有の鮮やかな水色の長髪を揺らしながらアスナが笑顔で迎えてくれた。

「遅くなってごめん。そうか、昨日、ここで落ちたんだった」

「半分寝ぼけてたもんね」

 アスナの口からクスリと笑い声がもれた。

「リズベットさん。お久しぶりです」

 アスナの隣に立っていたのはケットシーの長身の男性だった。ケットシー特有の猫耳という違いはあるがすぐにその顔は思いだせた。

「ジークリードさん。こんちゃー」

 あたしは気安く返した。「そっかー。コーと一緒に再開したんだね!」

「はい」

「って事はリアルでコーと連絡取れてるんだ。いいなー」

 あたしもアスナもリアルでのコーとの連絡先を知らない。さすがにソードアート・オンラインで夫婦関係にあった二人は連絡先を交換していたのだろう。「コーは外国にいるんでしょ? スカイプとかで話をしてるの?」

 あたしの問いにジークリードはなぜか困ったような表情を浮かべた。

「リズ。今日、遅かったじゃない。何かあったの?」

 アスナがさえぎるようにあたしに聞いてきた。

「それがさー。今年は副学級委員になっちゃって、河シューに仕事頼まれちゃってさぁ」

「その仕事、終わったの?」

「ううん。早くここに来たかったから弘人に押し付けて来ちゃった」

「あ。ああ……」

 アスナは妙に納得した顔で頷いた。

「で、コーは? まだ来てないの?」

「うん。まだ……」

 アスナは曖昧に頷いた後、ジークリードに顔を向けた。「ジーク。話はコーが来てからにしましょ」

「はい」

 二人のやりとりに「あれ?」と、あたしは違和感を感じた。

 ジークリードは血盟騎士団メンバーではあったが、アスナが「ジーク」と呼ぶような関係だっただろうか? あたしの記憶では「ジークリードさん」と呼んでいたような気がする。

「とりあえず、コーが来るまで待ちましょ」

 アスナは微笑みながらソファーを指差した。

 そこからあたしたちはジークリードにALOとSAOの違いについて代わる代わるレクチャーした。

 SAOと比べると戦闘面でかなり大きく変わっている。何しろ背中の羽で飛ぶことができるし、魔法もある。あたし自身もなかなかSAOのクセが抜けなくて、ついつい飛ばずに魔法も使わずにソードスキルだけで戦ってしまうけれど。

 ジークリードは落ち着いた雰囲気で頷いたり、相槌をいれたりしてあたしたちの話を聞いた。

(あれ?)

 あたしの心に何かが引っ掛かった。なぜだかデジャヴのような感覚が湧いてきたのだ。以前にもこの3人で話し合った事があるような気がしてしまう。そんな事、なかったはずなのに……。(なんだろう? この感じ……)

 あたしがその感覚の原因を突き止めようと思いを巡らそうとした時、小さな鈴ような効果音と共に光が集まり始めた。誰かがログインをしてきたようだ。

 光の粒が輪郭を形成し女性の姿を浮かび上がらせた。

 腰まである淡い萌木色のストレートの長髪。すぅっと通った鼻筋の下にはやや小さい唇。そしてゆっくりと儚げな瞳が開かれる。シルフの特有の尖った耳のためか、本当の妖精のような姿だ。

 その姿を見てあたしの中の時間がアインクラッドの頃に巻き戻されたような気がした。

「コー!」

 あたしは再会できた喜びで頭がいっぱいになって、立ち上がって彼女の胸に飛び込んだ。

「リズ。ちょっと、待って」

 コーはバランスを崩しながらもあたしを抱きとめたが、その声があせって裏返っていた。

(んー。ホント、かわいいんだから!)

 あたしはそんなコーを思いっきり抱きしめた。約1年半ぶりの再会だ。多少オーバーなスキンシップぐらいは許してくれるだろう。

「ちょっと。ちょっと。待って。リズ。離して」

 コーは身をよじってあたしから逃げようとした。

「もう、ジークリードさんがいるからって照れちゃって、かわいい」

「そうじゃなくって!」

 コーが叫んだのであたしはちょっと驚いてコーから離れた。

 ふう。とコーは息を深くはいた後、申し訳なさそうな表情であたしを見つめてきた。

「なに?」

 尋常じゃないその雰囲気にあたしはちょっと不安になる。

「僕、リズに謝らなきゃいけない事があるんだ」

 コーがそう言うと視界の隅でジークリードが表情を引き締めていた。

「ん? リアルの連絡先を教えてくれなかった事? いいって、いいって。これから毎日ALOで会えるでしょ?」

「えーっと……。ごめん、実は僕、ほとんど毎日リズと会ってるんだ」

「は?」

「――僕、勅使河原弘人なんだ」

 まっすぐ、あたしを見つめてコーは静かに言った。

「はい?」

 あたしはコーの言葉が理解できなかった。何度も頭の中でコーの言葉を反芻する。

 ボク、テシガハラヒロトナンダ。

 ぼく、てしがはらひろとなんだ。

 僕、勅使河原弘人なんだ。

 30分ほど前に教室に置き去りにした弘人の顔を思い浮かべてコーと重ねてみる。

(いやいやいやいや。全然違うし!)

 それにソードアート・オンラインでデスゲームが始まった時、あたしたちの姿はリアルの姿に戻されたはずだ。

 あの日の事は忘れられない。中央広場に集められた1万人のプレーヤーは茅場から渡された手鏡のせいで美男美女ぞろいのアバターは残酷なまでに普通の姿に戻されてしまったのだ。それに、あの前後で男女比率も大きく変わった。現実に戻されたのだから当然だが、女性は圧倒的に少なかったのだ。

 それなのにコーが勅使河原弘人などとはにわかに信じられなかった。姿も全然違うし、なによりコーは女で弘人は男ではないか。

「リズ……」

 固まっていたあたしにアスナが優しく気遣うような声をかけてきた。

「えっと……。コーが言ってる意味が分かんない」

 いや、言葉の意味は分かってる。認めたくないだけだ。「だって、そんな事、ありえないじゃない。みんな、あの手鏡で元に戻っちゃったじゃない。あたしも、アスナも、キリトも……みんな!」

「僕、茅場から手鏡を貰った瞬間に捨てたんだ」

 事態を受け止めきれていないあたしを見ながらコーは寂しげに小さく笑った。

「私の場合は取り出そうとして間違えて捨てちゃったんですけどね」

 ジークリードがコーの右隣に立ってコーを気遣うような視線を向けた。

「ちょっとまって! それじゃ、ジークリードさんも?」

「私は望月螢です」

「えええええええ?」

(いやいやいやいや。ありえないし!)

 コーの話だけでも衝撃だったのにジークリードが螢だって? さっき感じたデジャヴはそのせい? 確かに学校で3人で話すこともあったけど……。でも、でも!

 あたしの頭はいろいろな感情がぐるぐると巡ってパンクしそうだった。

「いや、やっぱ信じらんない。コーが弘人だっていう証拠を見せてよ」

「んー」

 コーは顎に手をやって上に視線を向けた。そう言えば、弘人も考え事をする時に同じポーズをよしくている。「リズ。明日、早めに登校してね。途中で帰っちゃったから河シューの仕事をそのまま残してるから」

 その言葉はコーが弘人である事を示していた。あたしが途中で仕事を放りだしてきたのは弘人とその事を伝えたアスナとジークリードしか知らない事だ。アスナとジークリードがあたしの気取られずにコーにその事を伝えるのは無理だ。だって今まであたしと話していたんだもの。

「ほんとに……弘人なのね……」

 あたしは呆然とコーの顔を見つめた。

(アインクラッドで楽しいコーとの会話の相手は弘人だったって事?)

「ずっと、黙っててゴメン」

 本当に申し訳なさそうにコーは頭を下げた。

「私からも謝らせてください。本当にすみませんでした」

 ジークリードも深々と頭を下げた。

 どうしたらよいか分からずにあたしは二人から視線を逸らした。

「リズ……姿に惑わされないで」

 アスナがあたしを落ち着かせるように優しく言った。「コーが弘人君だとしても何にも変わらないわ」

「でもさ」

 あたしは平謝り状態の二人に視線を戻した。

 螢の方は理解できる。あたしだって『男だったら良かったのに』って考える事もあるし、男キャラでMMOをやった事もある。女性というだけでネットゲームの中では色々な気遣いをしなければならないものだ。言い寄ってくるうざい男や好奇の眼差し。それらがめんどくさくて男キャラでやりたいと思うのはとても自然な事だ。

 けれど、弘人の方は理解できない。ネットゲームの中でチヤホヤされたかったのだろうか? それとも女性になりたかったのだろうか? 弘人のその行動はものすごく気持ち悪い。

 理解できないのはあたしが女だからだろうか? キリトやクラインだったら弘人の気持ちを理解できるのだろうか?

「やっぱだめ。ちょっと、気持ちの整理がつかないわ」

 あたしは頭をガシガシとかきむしりながらアスナに言った。

「んー」

 アスナは人差し指を優雅に自分の頬にあてて想いを巡らせた。「リズ。食事が終わったら一緒に狩りにいこ。みんなで」

「みんなで?」

「そ、みんなで」

 アスナはあたしやコーとジークリードを見渡して言った。「31層の迷宮区めぐり。どう?」

「わかった」

 あたしは頷いた。狩りをしているうちにあたしのわだかまりが薄らぐかもしれないとアスナは考えてくれたのだろう。

 元々コーは親友だし、弘人の事だってそんなに嫌いじゃない。今は気持ちの整理がつかないだけだ。考えすぎずに狩りで身体を動かした方がいいかもしれない。

「二人ともいいわよね?」

 アスナはジークリードとコーに確認した。

「わかりました」

「うん。わかった」

 ジークリードもコーもアスナに返事をした。

 あたしたちはいったんログアウトして食事を取った後、夜の7時に再びここに集まる事になった。

 

 

 

 

 もやもやとした気持ちのまま、あたしは夕ご飯を平らげ、ラフな格好に着替えた後、アミュスフィアをかぶってベッドに転がった。

「はああ」

 深いため息が無意識のうちに漏れた。

 あたしの中にあるもやもやを表現する単語はなさそうだ。いろいろな感情が入り混じってごちゃごちゃしててあたしを惑わせ混乱させる。

 思い返してみれば、弘人はあたしの事をよく分かってくれていた。彼がコーだったのだから当然だ。

 先ほどのアスナとジークリードとの会話でデジャヴを感じたのはリアルで3人で会話をしたことがあるからだろう。螢は聞き上手でアスナとあたしの話を微笑みながら聞いている姿が頭の中でよみがえったのだろう。

「よし!」

 あたしは無理やり自分を納得させるように気合を込めた。「リンクスタート!」

 純白の光に包まれた後、あたしは再びアスナの家にログインした。

「リズ。おはよう」

 後ろから優しい男性の声が飛んできた。振り向くと浅黒い肌に黒髪のスプリガンが揺り椅子に腰かけながらメインメニューを操作していた。

「おはよう、キリト。アスナは?」

 あたしはキリトの近くの椅子に座りながら尋ねた。

「こんばんわ。リズベットさん。ママはもう少しで帰って来ると思いますよ。今、買い出しに行ってます」

 キリトより早く、彼の肩に座っているユイちゃんが答えてくれた。

「そっか……」

 あたしはしばらくキリトが装備を整えている姿を見つめた。

 コーの事を聞いてみようか? いや、キリトはコーの正体が弘人だと知らないかもしれない。遠回しに尋ねてみようか……。

「ん?」

 その視線に気づいて、キリトはあたしに優しい瞳を向けた。「どうした? リズ」

「キリトってさ。GGOのアバターってすごい女の子っぽかったじゃん。ああなった時ってどんな気持ちだった?」

 キリトは死銃事件でGGOにコンバートした。その時にランダム生成された彼のアバターはコーのように黒のストレートの長髪で性別こそ男性だったがとても女の子っぽいものだったのだ。

 その時、キリトが何を考えたのか? それが弘人の気持ちを考える手がかりになるのではないかと思ったのだ。

「ああ。あれかー」

 苦い表情を浮かべながらキリトは笑った。「なんじゃこりゃって感じだったなあ」

「だよねー」

「でも、いろいろ助かるかもなとは思ったな」

「助かるって?」

「…………」

 あたしの問いにキリトはしばらく目を泳がせて言葉を探していた。

「ん? 白状しなさいよ」

 あたしはちょっと上目で睨みつけるようにしてキリトに迫った。

「ALOはそうでもないけど、GGOって女性が少ないだろ。そうするとやっぱり……親切にしてくれる人が多いわけで……」

 キリトは口ごもりながら言った。

「やっぱり……」

 やはり、弘人もそういう考えで女性アバターにしたのだろうか? だとしたら少し軽蔑してしまう。

「でも、あの姿のおかげでシノンと知り合えたんだから、あれでよかったと思ってる」

「ああ、そうだね」

 あたしはシノンのクールな姿を思い出しながら頷いた。

「リズ……。コートニーさんの事を気にしてるかも知れないけどさ……」

「え? キリト、コー――ってか弘人の事知ってるの?」

「ああ、アスナから聞いた」

「そう……なんだ」

「SAOが特殊なんだよな」

「どういうこと?」

「アバターが現実の姿と同じっていうのはSAOだけじゃないか。リーファだって、シノンだって現実の姿と違うし……。だから、俺はコートニーさんの事はあんまり気にならないな」

「でもさ、女の子になっちゃってるんだよ? 性別が違ってるじゃない!」

 思わずあたしは叫び返してしまった。

「うん。まあ、そうなんだけど。でも、全部ひっくるめてコートニーさんじゃないかって思うんだ」

「全部ひっくるめて……」

「ああ。アインクラッドで過ごした2年間は幻じゃないって事さ。色々思い出があるんだろ?」

「そりゃあ。あるけどさ」

「それに別に女性である事を利用してリズやアスナに近づいたわけじゃないんだろ? 実際、ジークリードさんと結婚してるわけで……」

 ログインする音が聞こえたので振り向くとちょうど話題になったジークリードが姿を現した。見ると、ちょっと表情が疲れている。

「どうしたの? 顔、疲れてるわよ」

「いえ、ちょっと。佳織と言い合いになっちゃって」

「ああ……」

 佳織と言えば寮で螢と同室だった。こういう所でさらっと名前が出ることで改めてジークリードは螢なのだと再認識した。「今頃、螢の身体を触りまくってるかもよー」

「あ、ああ……多分大丈夫だと……」

 そう言いながらジークリードの顔は少し青ざめているような感じだった。

「そういえば、ジークとコーってSAOの中で自分の事をちゃんと伝えてたの? その……性別の事とか……」

「いいえ。私もコーも黙ってました。だって、関係が壊れてしまうと思ってたから」

 ジークリードは少し遠い目をしながら呟くように言った。きっと、頭の中ではコーとの思い出が甦っているのだろう。

 思い出してみると1年前の二人は非常にぎくしゃくしていた。お互いの正体を知った事で混乱してしまったのだろう。きっと、その混乱はあたしが今感じているもの以上に激しいものだっただろうなとあたしは思った。

「って事は……。アンタ、女の子のコーを好きになったって事だよね?」

「ええ……まあ。そうですね。今でも好きですよ。だって、コー、可愛いじゃないですか」

「中身はあんなんだけどねー」

 弘人の姿を思い出しながら、ジークリードのおノロケを茶化すようにあたしは言い返した。

「え?」

 ジークリードは赤い顔をさらに真っ赤に染めて真剣な表情で言った。「弘人だって可愛いじゃないですか。可愛いですよね?」

「は? 可愛い?」

 迫ってくるジークリードの顔を見てるとここは頷かなければまずい気がする。

 けど、弘人は可愛いか? 螢の目って変なフィルターかかってない?

 どう答えようか悩んだ時、またログイン音がして今度はコーが現れた。

「戻りましたー。ん? どうしたの?」

 あたしと頬を赤く染めたジークリードを交互に見ながら、コーは不思議そうに小首を傾げて尋ねてきた。

「あのさ、コー。アンタ、男子としてのジークを好きになって結婚したんだよね?」

 あたしは「弘人が可愛い」件に対する返事を保留にしてコーに話をふった。

「うん。そうだけど?」

 あっけらかんとコーは答えた。「だって、優しいし、かっこいいし、強いし」

「でも、ジークはリアルだと女の子じゃない?」

 弘人はそこらへんをどう考えているのだろう?

「リアルでも……」

 コーはそこまで言うと、顔全体を桜色に染め上げてチラリとジークリードを見あげた。「螢は優しくてかっこいいよ……」

「ああもう、ごちそうさま!」

(アインクラッドで何度も見たよ。この風景!)

 あたしはソードアート・オンラインでの二人の姿を思い出して、つい吹き出してしまった。(そうだ、キリトの言うとおりだ。アインクラッドで過ごした2年間は幻じゃないんだ……)

「ただいまー!」

 明るい声でアスナが扉を元気よく開けた。「ん? どうしたの?」

「アスナ。もうちょっと早く帰ってきたら二人のおノロケが聞けたのに、残念だったわね」

「リズ!」

「リズさん!」

「なあんだ。そんなの学校でいくらでも見れるじゃない」

 アスナはクスクスと笑った。

「僕としては、アスナに言われたくないかな……」

 コーがジト目でアスナを睨みつけた。

 確かにアスナとキリトも学校でベタベタしている所をよく見かける。コーがそう言う気持ちは痛いほど理解できた。

「え? なんで?」

 ぽかんとした顔でアスナはコーに聞き返した。

「自覚なし?!」

 あたしとコーの声がぴったりと重なり、あたしはコーと顔を見合わせて爆笑した。

「え? 二人とも、なんなのよ!」

 アスナが口をとがらせて睨みつけてきた。そして、つかつかとあたしに向かって歩いてくると不意にその瞳が優しくなった。そして、耳元で柔らかいアスナの囁きが聞こえた。「もう、大丈夫みたいだね」

「うん……ごめんね。気を遣わせて」

 あたしも小さく囁き返す。

「いいよ」

 アスナはにっこりと微笑むと机の上にポーションを山のように積み上げて実体化させた。「さあ。みんな適当に持って。迷宮区に行こ!」

「あ、キリトも行くの?」

 積み上げられたポーションのいくつかをアイテムストレージに放り込むキリトを見て、あたしは尋ねた。

「ああ。31層マッピングするいい機会だし」

 そういえばキリトの装備がいつものラフな格好ではなく本気装備に変わっていた。

 全員の装備が整った後、キリトがパーティーリーダーとなってパーティーを組んだ。

「あ、そうだ」

 ふと、あたしの頭の中でアイディアが閃いた。「パーティーの中でチーム分けしない?」

「どういうこと?」

 アスナが首を傾けて聞いてきた。

「男女パーティーに分けよう!」

「えーっと。アスナ、リズ、僕。と。キリトさん、ジークって事?」

 今度はコーが首を傾げて尋ねてきた。そういう仕草は本当に仕草がアスナそっくりだ。

「違う違う」

 あたしは両手を振りながらコーの言葉を否定した。「リアル性別で。そうじゃないと、アスナが妬くでしょ!」

「あ、そうか」

 コーはにっこり笑って頷いた。

「『そうか』じゃないでしょ。コー!」

「でも、それがいいかもな」

 キリトはウンウンと頷きながら言った。

「もう、キリト君まで!」

「いや。実際、コートニーさんもジークリードさんもALOでの狩りは初めてだろ? フォローする役割を分担するのはいいと思うんだ」

 アスナの気持ちを知ってか知らずか、キリトはまっとうな意見をアスナに向けた。

「それはそうだけど……。今、ツッコミをいれてるのはそこじゃないんだけど……」

「ん? アスナ、なんか言った?」

 とぼけるわけでもなく、キリトは真顔でアスナに聞いた。

(まあ、アスナの気持ちなんて分かってないんだろうなあ。キリトは……妙にニブイ所があるから……)

 あたしは二人のやり取りを見ながら心の中で小さく笑った。

「じゃ、出発しましょ!」

 このままだと今度はアスナとキリトの夫婦漫才が始まりそうだったので、あたしはそれを断ち切るために大声を出しながら家のドアを開けて外に飛び出した。

 

 

 

 

 第31層はつい3日前に解放されたばかりだ。記念すべき第30層の攻略を果たし≪剣士の碑≫に刻まれた名の中にアスナたちの名前はない。そこには攻略ギルド≪ライジング・ホース≫のパーティーリーダーたちの名前が刻まれている。ライジング・ホースは第23層から第26層まで攻略した有名大規模ギルドだ。

 絶剣のユウキがこの世界を去ってからアスナはふさぎ込むことはなかったけれど、第30層の攻略から離れていた。昔のソードアート・オンラインのようにクリアしなければ現実に帰れないなどという事はないのだから、ユウキとの思い出に浸って、ただ平穏に過ごしても誰が責める事が出来るだろう。それが許されるのが今のアインクラッドだ。

 コーが帰って来てくれた事でアスナが少しでも元気になってくれるなら、あたしは嬉しいと思った。

 

 第31層の迷宮区の攻略は進度40%といったところだ。マッピングという作業は地味だが攻略の役に立つとなればそれなりにやりがいがある。

 この第31層の迷宮区はダンジョンの中だというのに飛行可能なほど天井が高かった。地上をのし歩くドラゴンだけではなく、空を飛ぶ飛龍タイプのモンスターも数多く湧いた。

「ハァッ!」

 コーの支援魔法で全身を輝やかせているキリトが気合の声と共に放った剣戟で小型の火龍を葬り去った。討ち漏らした火龍はコーが放つ攻撃魔法で焼き尽くしていく。

 男性チームの二人は華麗にダンジョンの空間を飛びまわりながら次々と火龍を葬って行く。

 コーの適応力は驚くほどだ。随意飛行はマスターしているし投擲スキルに織り交ぜて魔法もユイちゃんのアドバイスがあるとは言え的確に放っている。さすが、最強の攻略ギルド≪血盟騎士団≫のメンバーだ。

 それにキリトとのコンビネーションもぴったりだ。キリトへの支援魔法、回復魔法のタイミングも絶妙で、おまけにスリングから片手直剣に持ち替えてスイッチもこなすという万能ぶりだ。

「おつかれー」

 全ての火龍を倒してコーは笑顔で手を挙げた。

「支援サンキュー」

 キリトも笑顔でコーのハイタッチに答えた。「あーでも、火龍に火属性の攻撃魔法は効率が悪いな。シルフなんだから風属性の魔法の方がいいかな」

「あーなるほどー。エフェクトが派手だからつい使っちゃうんだよね」

 キリトのアドバイスを素直に聞くコー。見ていてなかなか微笑ましい。

「あの二人、相性がいいみたいね」

 あたしは隣にいるアスナに声をかけた。……ってアスナ……なんか目が怒ってない?

「あっ」

 短いコーの叫び声であたしは視線を空に向けた。見ると近づきすぎたコーとキリトの羽がぶつかってバランスを崩してコーが落ちた。

「おっと。ゴメン」

 キリトはすぐに追いついてコーを抱き上げるように助けた。

「ありがとう」

「ははっ。随意飛行はコツがあるから、咄嗟の時に困るよな」

 ヴンッ!

 激しい羽音と共に襲ってきた暴風にあたしの髪が大きく掻き乱された。アスナが全力で空へ飛び出したのだ。

「キ、キリト君!」 

 やや裏返り気味の声でアスナが言った。「そろそろ役割交代しよ」

「あ……」

 コーはアスナの剣幕に少し息を飲んだ。「ああ、そうだね。僕とジークと交代するね」

「コーが可愛いからってデレデレしちゃってさ」

「デレデレしてないだろ! コートニーさんは男なんだし」

「どうだか? 顔が緩んでたわよ!」

「やれやれ」

 言い争いをしながら二人は地上に降りてきた。

(アスナ……。アンタあたしに「姿に惑わされないで」って言っといてそれかい!)

 あたしは心の中でツッコミをいれた。

 

 

 こんなわけでコーとジークリードを入れ替えたのだが、すぐに破綻が訪れた。

 キリトがソードスキルの繰り出し方についてジークリードに熱血指導を始めた時、アスナが止めに入ったのだ。

 確かに身体を密着するように手取り足取り状態でジークリードのフォームの指導をしたのは行き過ぎだったかもしれない。

「な、なんだよ。アスナ。ジークリードさんの姿は男だろ」

「中身は女の子よ! そんなにベタベタ触るなんてデリカシーがないの?!」

「ああ、アスナさん。でも、これは私がお願いした事ですし……」

 ジークリードがアスナの剣幕におろおろしながら言った。

「やれやれ」

 キリトは深いため息をつきながらうなだれた。

「ねぇ。リズ」

 コーがいたずらっぽく微笑みながらあたしの耳元で囁いてきた。「チーム分けを提案したのはリズなんだから、責任とってね」

「責任って言ったってさ」

 あたしもキリトのように深いため息をついた。しょうがないのであたしはキリトとアスナの間に入った。「アスナ! 二人ともALOに慣れただろうから、今から一つのチームでやろ!」

「ああ、そうだな」

 疲れ果てた表情でキリトが言った。「前衛に俺とリズとジークリードさん。後衛はアスナとコートニーさん。これでいいだろ?」

「そうね」

 にっこりと微笑みながらアスナはキリトを睨みつけた。

(アスナ……目が怖いわよー)

 そんなアスナを見て、あたしは思った。

 

 

 その後は何のトラブルもなく、楽しいマッピング作業となった。

 そして、見るからに怪しい扉を開けて中を覗いてみると、全身が骨になっている巨大ドラゴンが部屋の中央に鎮座していた。

「中ボス?」

 尋ねるコーの声が楽しげに弾んでいる。

「中ボスね」

「中ボスだね」

「中ボスだな」

 アスナとあたし、そしてキリトが頷いて断定した。

≪an Ancient Dragon≫

 古代龍。『The』の定冠詞こそないがヒットポイントバーが3本。巨大な姿から見て間違いなく中ボスだろう。

 新生アインクラッドのボスモンスターは信じられないほど強化されている。中ボスとはいえ旧アインクラッドのフロアボス60層クラスの力を持っていると思われた。

 アルヴヘイム・オンラインはゲームで死んだからといって実際に死ぬわけじゃない。とはいえ、デスペナルティもあるしできれば死ぬような事態は避けたい。

「どうするの? キリト」

 あたしはパーティーリーダーであるキリトに尋ねた。

「このメンバーならいけるとは思うけどな……。無理して戦う必要もないかなあ……」

 キリトはそう言いながらコーの顔を見た。

「えー! やっちゃおうよ!」

 コーは不満そうに訴えた。多分『やっちゃおう』は『殺っちゃおう』なんだろうな。

「コーはこういうの昔から好きだったもんね」

 アスナが苦笑しながら何度も頷いた。「いこ。キリト君」

「そうだな」

 キリトはニヤリと笑った。ゲーマー魂に火がついたみたいだ。「じゃあ、前衛後衛はさっきの組み合わせで。最初はあいつの攻撃パターンを見切るために防御重視で。前衛の指示は俺がやるよ。全体の指揮はアスナがやってくれ」

「了解!」

 アスナはにっこりと笑って頷いた。「コー。マナポーションの在庫を調整しましょう」

「うん!」

「リズはあんまり前にでるなよ」

 前衛組3人で回復ポーションの配分をそろえながら、キリトがあたしに言った。

「何よ。あたしも戦えるわよ!」

「うん。期待してる。ポーションローテーションがうまく回るかどうかはリズにかかってるからさ」

「あんまり、プレッシャーかけないでよ」

 確かに前衛3枚は薄すぎる……っていうか5人でほんとに中ボス倒せんの?

「ジークリードさんは自分のヒットポイントをちゃんと見て無理しないように」

「あ、はい」

 キリトの指摘にジークリードは頭をかきながら頷いた。確かに時々周りが見えなくなってしまうクセがジークリードにはあるようだ。

「あ、パパ」

 キリトの胸ポケットからユイちゃんが頭を出した。「リーファさんがログインしたみたいですよ」

「お。ユイ。リーファをここまで案内してきてくれないか?」

「分かりました」

 ユイちゃんはキリトのポケットから飛び出していった。

 ソードアート・オンラインの仕様が引き継がれていて、新生アインクラッドのダンジョン内もメッセージのやりとりが制限されている。ナビゲートピクシーのユイがいなければリーファとの連絡はダンジョンをいったん出なければならなかったところだ。

「じゃ。準備はいいか?」

 キリトがアスナに確認する。

「うん」

 アスナが全員に防御度アップの支援魔法をかけると大きく頷いた。

「いくぞ!」

 キリトを先頭にあたしたちは中ボス部屋に飛び込んだ。

 

 

 

「ブレス、来るぞ!」

 キリトが古代龍のわずかなモーション変化を見逃さずに叫んだ。「リズ!」

「リズ。いけぇー!」

 コーの明るい声と共にあたしたち前衛に攻撃力強化の支援魔法が飛んできた。

「OK!」

 あたしは古代龍が炎を吹きだそうとした顎に向かって≪雷槌ミョルニル≫をソードスキル≪ナミング・インパクト≫で殴り上げた。

 ナミング・インパクトの特殊効果であたしの≪雷槌ミョルニル≫から電撃がほとばしり、古代龍は激しい呻き声を上げてスタン状態に陥って、ブレス動作がキャンセルされた。

「ナイス!」

 ソードスキルの硬直時間で固まっているあたしを守るようにキリトがニヤリと微笑みながら前に出た。そして、≪バーチカル・スクエア≫を叩きこむ。さらにその隙を埋めるようにジークリードが前に出て≪サベージ・フルクラム≫の重3連撃攻撃を加える。

「いいよ! このまま押し切れるよ!」

 アスナの弾むような朗らかな激励の声が後ろから聞こえる。

 古代龍との戦いの序盤は動きが読めず大苦戦だった。ブレス攻撃と噛みつき攻撃。それに時折翼をはばたかせての陣形崩しの吹き飛ばし。戦線崩壊の危機を救ったのはジークリードの硬さだった。ケットシーというよりノームのような力強さで古代龍の攻撃を一手に引き受けて時間を稼いでくれたおかげでこの中ボス部屋から逃げ出さずに済んだ。

 そして、キリトとアスナの観察眼でブレス攻撃と噛みつき攻撃とはばたきの予備動作を見抜くと俄然楽になった。

 予備動作中にあたしの電撃ハンマーで古代龍をスタン状態にさせて攻撃を集中するというパターンができてからは序盤の苦戦が嘘のようにさくさくと古代龍のヒットポイントを削り取る事ができた。

「リズ、ラストアタックはジークリードさんかコートニーさんに取らせようぜ」

 キリトが笑顔であたしに提案してきた。

「そうだね!」

 こんな会話ができるぐらいあたしたちには余裕が生まれていた。

「コーに取らせてあげてください」

 ジークリードが微笑みながら古代龍の攻撃をシールドで弾き飛ばした。

(さすが、ジーク。妻のコーをたてる、夫の鑑! リアル性別だと逆だけど)

 あたしは心の中でクスリと笑った。

「よし、やっちゃえ! コー!」

 あたしは後ろのコーに声をかけた。

「いいのかな……」

「いいのよ」

 アスナがぽんと優しくコーの背中を押した。

「よーし! いっくよー!」

 コーは太陽のような笑顔を輝かせ、風属性の攻撃魔法の詠唱を始めた。

 コーの周りからカマイタチのような空気の刃が3つ生まれ古代龍に向かって放たれた。と、同時にコーは剣を握ると目にもとまらぬスピードで古代龍に飛び込んでいった。

 カマイタチが古代龍の尻尾や翼を斬り刻む中、コーは古代龍の胴体に向かって≪サベージ・フルクラム≫を叩きこんだ。

 グオオオオオオオオ。

 地面を揺らす末期の絶叫をあげて古代龍の身体はポリゴンの欠片となって砕け散った。

「やったー!」

 子供の様に飛び跳ねながらコーは喜びを全身であらわしていた。

「おめでとう!」

 あたしは笑顔で手を挙げてコーに声をかける。

「ありがとー!」

 コーは満面の笑みでハイタッチをしてくれた。

「結局、リーファが来る前に片づけちゃったな」

 キリトが息を一つ吐くと、アスナに向かって言った。

「もうすぐ、来るのかな? もうちょっとマッピングつづけとく?」

「そうだな。中ボスって事はこの先にボス部屋があるかもしれないし、そこまでやろうか」

「うん」

 あたしたちは再びマッピング作業に戻った。

 

 

 

 そして、いくつもの分岐を通って30分もしないうちにボス部屋と思われる巨大扉が現れた。

「なんか、まっすぐボス部屋に来ちゃったね」

 あたしは巨大な扉を見上げながら呟いた。ユイちゃんのナビもなかったのにいくつもの分岐を正確に選んだキリトの勘にあたしは舌を巻いた。

「まあ、カーディナルシステムが作るダンジョンはなんとなくクセがあるからなあ」

 キリトは腕を組んで頷いた。

「キリト君は旧アインクラッドも含めたら100回以上マッピングやってるもんね」

 アスナがクスリと笑いながらキリトの顔を覗き込んだ。

「ねーねー。開けていい?」

 屈託ない笑顔でコーが扉に手をかけた。

「ちょっと待って!」

 アスナが叫ぶとジークが目にもとまらぬ速さでコーの首根っこを摑まえて引きずり戻してきた。

「ちょっと、ジーク。離してよ!」

「すみませんねえ」

 暴れるコーをもろともせずジークはアスナに微笑み返した。

「あのね。コー。前のアインクラッドと違って、ボス部屋の扉は1分しか開かないのよ」

「そうなんだ」

 コーの笑顔がアスナの言葉で一瞬のうちに暗いものに変わった。

「どうしたのよ。コー」

 あたしはあまりにも暗いコーにひじを小突きながら笑顔で言った。

「……ちょっと昔を思い出しちゃった」

 コーは悲しげに微笑んだ。「扉が閉まっちゃうボス部屋ってまるで旧アインクラッドの75層だよね」

「あ……」

 あたしとアスナの絶句の声が重なった。

 そうだった。コーとジークは第75層のボス偵察隊の後衛として参加していたのだ。そして前衛にまわった血盟騎士団の二人が命を落としている。もし、コーやジークが前衛になっていたら間違いなく命を落としていただろう。あの世界は死というものが本当に身近にあふれていた。

 あたしの背筋に冷たいものが走った。

 無意識のうちにあたしは左手を振ってメインメニューを立ち上げた。そこに見える≪LOGOUT≫の文字を見てほっとする。

「ごめん、勝手に落ち込んじゃってごめん!」

 コーが笑顔と明るい声で場の空気を照らした。「昔を懐かしむなんておじいちゃんだよね」

「いいよ。気にしないで」

 あたしは手を払ってメインメニューを消してコーに笑いかけた。

 ふと見ると、いつの間にかコーとジークがしっかりと手をつなぎ合っている。あの絶望の世界を支え合って生きてきた二人の絆が形となって見えたような気がした。

「ほら。アスナもそんな顔しないで!」

「ごめんね。コー」

「僕の方こそごめん」

 コーは深々と頭を下げた。そして笑顔でとんでもない言葉を続けた。「だから、この5人でボス倒しちゃお!」

「ええええええええ!」

 あたしは驚きの声をあげた。「無理だよ。ムリムリ。せめてリーファが来るまで待とうよ」

「でも、行っちゃうもんねー」

 コーはジークの手を振り払ってボス部屋の扉へ飛んだ。

「ちょ! アンタ!」

「行きましょう。リズ」

 アスナが笑顔であたしの手を引っ張った。

「ちょっと。マジで?」

「やれやれ」

 苦笑を浮かべてキリトも歩き始めた。

「すみませんねぇ」

 ジークもあきれ顔で苦笑していた。「まあ、1回死ねば気が済むと思いますので」

(さらっと恐ろしい事言うね。アンタ)

 でも、こうなったら楽しんだ者勝ちだ。

「よおーし! いっちょやったるか!」

「その意気だ!」

 コーが笑顔で右手を高々と挙げた。「目指せ! 単独パーティークリア!」

「おお!」

 全員の応える声が上がったところで、コーがボス部屋の扉を押し開けた。

「ボス部屋の扉って一度は開けてみたかったんだよね」

 コーは無邪気に笑いながらボス部屋に足を踏み入れた。

 先ほどの中ボス部屋の数倍の広さがある円形の部屋の奥に青白い炎が二つ噴き上がった。照明を兼ねたこの炎が部屋を一周する1分間がボス部屋の扉の開放時間である。

「ん?」

 キリトが振り返って首をかしげた。

「どうしたの? キリト」

「扉を閉めるスイッチがない」

「ほんとだ」

 あたしはキリトの視線の先を見た。ボス部屋にはこのわずか1分間の時間をキャンセルして扉を閉めるスイッチが入り口の右手に用意されているはずだ。「ここはボス部屋じゃないって事?」

「アスナたちが1パーティーで倒しちゃってるから、その対策かもな」

 キリトはニヤリと笑ってアスナに目を向けた。

 確かにアスナとスリーピング・ナイツが単独パーティーで第27層のフロアボスを倒したのは衝撃的な出来事だった。オマケに第29層のフロアボスもアスナとスリーピング・ナイツで倒してしまった。それについて多くの攻略ギルドが不満の声を上げているらしいと小耳に挟んでる。

「これはこれでギスギスしちゃうかもだけどね。勝手に入ってくるなって文句を言う人が出てきそう」

 アスナはため息交じりに言った。

 そうこうしているうちにすべての燭台に炎がともった。しかし、ボス部屋の扉は閉まらない。

「閉まらないわね」

 あたしは動こうとしない扉を見つめた。

「来るぞ!」

 キリトの鋭い声であたしは部屋の中央へ視線を戻した。

 パイプオルガンのような重低音の和音が響く中、巨大な岩のポリゴンが姿を現した。

「ちょっ! 大きすぎない?」

 凝集するポリゴンの輝きがまだ大きくなり続けている。何回かボス戦に参加した事があるけど、今まで見たことがないほど巨大だ。

 もしかすると、ボス部屋の入り口が閉じないのは1レイドで倒せないほどに強化されたボスキャラって事じゃないの?

「こりゃ、大物だ」

 あたしの前に立っているキリトがのんきな口調で言った。

(大丈夫。あたしたちにはキリトがいるもの!)

 その黒一色の後ろ姿はとても頼りになる。いつだってキリトは絶望的な場面を切り抜けてきた。きっとこれからも!

 ようやく巨大化を止めポリゴンの欠片を振りまき、このフロアボスが二つの鎌首をもたげて現れた。

≪The Executioner of Two heads≫

 処刑人なんて名前だが、その姿は双頭の巨大ドラゴン。体長は20メートルを超えるだろうか。見ただけですくみ上る凶悪な顔つきが妖しく左右に揺れ、巨大な翼をはばたかせた。その途端、激しい風があたしたちを襲う。

「あ!」

 巨大ドラゴンが引き起こした暴風で、陣形を組んでいた前衛3人があたしもふくめて吹き飛ばされた。

「みんな!」

 アスナが全体回復魔法をかけてあたしたちの回復を始める。

 地面に叩きつけられたが、すぐにあたしとキリトは立ち上がって陣形を戻そうと、防御の要であるジークの所へ駆け出した。ジークの防御力が頼りだ。

 その時、巨大ドラゴンの二つの頭のそれぞれに魔法詠唱のエフェクトが現れた。

(コイツ、魔法も使うの?)

 そう考えた瞬間、あたしの身体が硬直した。詠唱時間から見てそれほどの高位魔法じゃない。この硬直魔法はすぐ解ける。刹那、あたしの身体に激しい衝撃と共に炎が襲ってきた。

「キャアァ!」

 全身を襲う痛みで思わず口から悲鳴が漏れてしまう。

 ようやく硬直魔法の効果が解けた瞬間、巨大ドラゴンの剣のように鋭い尻尾があたしを薙ぎ払った。

「うっそー!」

 連続攻撃であたしのヒットポイントが一気にレッドゾーンに落ち込む。

「リズ!」

 コーの声と回復魔法が飛んできてあたしは一命をとりとめた。慌ててポーチからポーションを取り出して口に含む。

「無理だ。みんな。撤退しろ!」

 キリトが叫んだのでそちらを見ると、キリトもジークもヒットポイントがすでにイエローゾーンにまで落ちている。

 人数が足りなすぎる。せめてあと二人。回復専門のメイジとガチガチの盾役が必要だ。たとえ、リーファが一人来てもこの絶望的な力の差は埋められそうもない。

「クソッ! みんな早く! さがれ!」

 キリトが巨大ドラゴンの攻撃を弾き、一瞬の隙を見逃さずメインメニューを操作した。そして、左手を背中に回すとそこに実体化した二本目の剣の柄を握って華麗に抜いた。黄金色の繊麗なロングソード。伝説の≪聖剣エクスキャリバー≫。

 そのタイミングを見計らったわけではなかっただろうが、巨大ドラゴンは硬直魔法でキリトの動きを止めた。

「キリトさん!」

 ジークがフォローに入ろうとするが、もう一方の頭にさえぎられた。

「俺の事はいいから、下がれ!」

 キリトは自分の命を犠牲にして時間を稼ぐつもりだ。いつだってキリトはそうだ。昔と違って実際に命を失う事はないけど、デスペナだってあるのに。

 ふと、キリトと二人、白竜の巣に閉じ込められた時の事が頭に浮かんだ。

 あの時のあたしは白竜の前に何もできなかった。あの日の夜、あたしは人の暖かさ――いやキリトの暖かさを知ったのだ。

(あの時は守られるだけだったけどさ!)

 あたしは前に駆け出した。

「リズ!」

 アスナとコーの驚きの声が後ろから聞こえる中、あたしはキリトに襲いかかろうとした巨大ドラゴンの頭を≪雷槌ミョルニル≫で殴り飛ばした。クリーンヒットした感触がとても心地いい。

「カッコつけてんじゃないわよ! キリト」

 あたしはそう言い捨てて、電撃の効果でスタン状態になった巨大ドラゴンに追撃を食らわせた。

 けれど、すぐに反撃にあって、たった一発の攻撃を受けただけであたしのヒットポイントは見る間に減って行った。

「バカ、リズ。無理すんな」

 キリトがあたしをかばうように前に立った。「けど、サンキューな」

 キリトは右の剣を≪ハウリング・オクターブ≫でオレンジ色に輝かせて巨大ドラゴンの顔に叩きこんだ。そして、その8連撃が終わる寸前、キリトの引き絞られた左の剣が≪サルベージ・フルクラム≫で空色に煌めく。

 キリトはそうやってソードスキルで光り輝く左右の剣を操って次々と斬撃を浴びせる。

 巨大ドラゴンはそれから逃れるように身体をひねって剣のような尻尾であたしたちを薙ぎ払う。

 ジークは盾で弾き、あたしとキリトは跳んで躱したが、余波だけでじりじりとヒットポイントが削られた。そこへアスナの高位全体回復魔法、さらにコーが一番ヒットポイントが減ってしまったあたしに個別回復魔法をかけてくれた。

 これではジリ貧だ。マナ回復ポーションが追いつかなくなった時、この戦いはあっけなく終わる事になるだろう。

 突如、巨大ドラゴンが雄叫びをあげて紫色のブレスを吐いた。全身に細かい糸のようなものがまとわりついて来る。

「なにコレ!」

 その糸は急速に粘着力を高め、あたしたち3人を縛り上げた。

 身動きが取れなくなったところで、巨大ドラゴンはヘイト値が高いキリトに攻撃を集中した。たちまち回復魔法が追いつかないほどのダメージが襲い掛かる。

「キリト!」

「キリト君!」

 たまらず後衛のコーとアスナの二人がカバーのために飛び込んでくるが、双頭のそれぞれの攻撃をしのぐのに精いっぱいになった。巨大ドラゴンはそれをあざ笑うかのように尻尾を左右に振ってキリトのヒットポイントをなぶりつくした。

「キリト君!」

 悲鳴のようなアスナの声が響く。

 キリトが死んだらおしまいだ。

 絶望が空気を重くした時、たくさんの軽快な羽音が聞こえた。

「パパ!」

「お兄ちゃん!」

 ユイちゃんに続いてリーファがボス部屋に飛び込んできた。リーファは滑らかに防御魔法を詠唱すると、無数の光り輝く若草色の蝶がリーファから飛び出しキリトを守るようにドームを形成した。

 そして、すぐに別の女性の高位回復魔法の詠唱が聞こえ、キリトのヒットポイントは危険域から脱した。

「アスナさん! 回復は任せてください」

 次に飛び込んできたのはアクアブルーの長髪のウンディーネ。シウネーだった。という事は後に続いて聞こえる羽音は……。

 ノリ、ジュン、テッチそしてタルケンが次々にボス部屋に飛び込んで来て、まるで打ち合わせをしていたかのように適切な位置に防御陣を築いた。

「動けるようになった?」

 タルケンが槍を振るった後、丸メガネの位置を直しながらあたしに声をかけてきた。彼は同じ鍛冶妖精族という事もあってスリーピング・ナイツの中で一番仲がいい。

「あんがとね。マジ助かったわ」

 あたしは粘着力が弱くなった糸を振り払うと戦線に復帰した。

 後衛の回復役がシウネーとアスナの二人になった事で瞬く間に状況は改善された。前衛も一気に5人増えたおかげで巨大ドラゴンの攻撃を許さないほどのソードスキルの嵐を叩きつけた。

「ぐおおおおおおおお!」

 巨大ドラゴンは再び雄叫びをあげた。すると周囲に4つのポリゴンが形成された。やがてそれらはワイバーンに姿を変えて、あたしたちに襲い掛かってきた。

「げっ」

 思わずあたしの口からうめき声が漏れた。

「僕、後衛の守りに入るね!」

 コーがジークに目配せして頷き合うと後ろへ飛んだ。

「頼む!」

 キリトも頷いてコーを送り出す。

「テッチ、ジーク、タルケン5分支えて。残りはワイバーンを5分で片づけて!」

 アスナの指示が飛び、それぞれの了承の声を返してそれぞれの役割を果たしていく。

「右からやるぞ!」

 キリトの言葉に従って攻撃を集中して次々とワイバーンを葬った。

 その間も支援魔法、回復魔法は途切れることがなかったのは、コーが後衛を襲おうとしたワイバーンを攻撃しヘイト値を高めてボス部屋を引きずりまわして守ったからだ。

 アスナの指示の5分を待つことなく、ワイバーンを駆除して再びあたしたちは巨大ドラゴンの攻撃を再開した。

 

 それから1時間以上、あたしたちは巨大ドラゴンに攻撃を加え続けた。新アインクラッドの仕様でボスモンスターのヒットポイントバーは表示されない。しかし、そろそろ限界のはずだ。というか、もういい加減に死にやがれ!

 巨大ドラゴンがうめき声をあげて翼をはばたかせた。明らかに今までとは違う挙動だ。終末を予感し、あたしの胸は高鳴った。

「リズ! スタン攻撃してくれ! 嫌な予感がする」

 キリトの嗅覚はその動きに危険を嗅ぎ取ったらしく、鋭い声を発した。

「了解!」

 あたしは≪雷槌ミョルニル≫を渾身の力で叩きこんだ。「飛んでけー!」

 確かな手ごたえに快感を覚える。 雷槌ミョルニルから発した電撃が巨大ドラゴンに襲い掛かった。これでスタン効果が付与され、巨大ドラゴンはしばらく動けなくなる。

 突然、巨大ドラゴンの目の色が変わった。黄金色から凶悪な血の色に輝きを変えるとスタン効果を無効にしてブレス、そして全体効果の拘束魔法を発動した。

「な、なんなのよ! ずるくない?」

 着地した途端、あたしの身体は石のように動かなくなった。しかし、この凶暴化は巨大ドラゴンのヒットポイントが残りわずかになったという証拠だ。

「う、動けねー!」

 テッチの悲壮なつぶやきが聞こえた次の瞬間、巨大ドラゴンは凶悪な双頭での噛みつき尻尾をでたらめに振り回して動けない前衛陣すべてに全体攻撃を加えた。

 アスナ、シウネーの高位全体回復魔法、ワイバーンが湧いた時から後衛に回っていたコーの低位全体回復魔法が降り注ぐがまったく釣りあっていない。

 あたしたちのヒットポイントは上下を繰り返しながらも明らかに危険域へ転がり落ちて行った。

「ヤアッ!」

 コーの鋭い気合の声が響いた。≪ヴォーパルストライク≫で剣を深紅に輝かせジェットエンジンのような轟音を響かせながらコーが巨大ドラゴンに突っ込んだ。

 ソードスキルとコーの助走エネルギーをまともに食らって巨大ドラゴンは激しいノックバックでのけぞった。

 だが、巨大ドラゴンのヒットポイントはそれでは削り切れなかった。巨大ドラゴンはすぐに立ち直ると動けなくなったコーに双頭の噛みつき攻撃をしようと、蛇の鎌首のように鋭く頭部を振り下ろす。

 ≪ヴォーパルストライク≫は大技ゆえに発動後の硬直時間が長い。このままではコーがやられてしまう!

「コー!」

 思わずあたしはその名を叫んだ。

 コーはあたしの叫びに満面の笑顔を返してきた。「大丈夫だよ」そう言っているようだった。

「やあァァァッ!」

 鋭い気勢の声と共に青い疾風が巨大ドラゴンの双頭を貫いた。

 最速の高位細剣技≪ニュートロン≫の5連撃が巨大ドラゴンの攻撃を阻み、その間にコーの硬直時間は解かれた。

「セイッ!」

 気合の声と共に硬直時間に入ったアスナを守るようにコーが≪バーチカル・スクエア≫を放つ。

 そして、コーの硬直時間に再びアスナが≪スター・スプラッシュ≫で巨大ドラゴンの頭を貫く。

 一分の隙もないコーとアスナの美しい剣技の協演にスタン状態で動けなくなっている前衛陣から賞賛のため息がもれた。二人の攻撃はまるで≪スキルコネクト≫で二刀流を操るキリトのようだ。二人は一切言葉も交わさずアイコンタクトすらしていない。それなのに硬直時間や次の着地の体勢まで考え抜かれたような動きだった。

 二人の動きは血盟騎士団で積み重ねた時間と結びつきを感じさせた。

 しかし、その攻撃も臨界点が近い。永遠に放ち続けられるソードスキルは存在しない。二人の攻撃が尽きるか、巨大ドラゴンのヒットポイントが尽きるかの争いとなった。

「アスナ。やっちゃえー!」

 コーは≪ファントム・レイブ≫を放った後、着地に失敗した。もう、次のソードスキルは撃てそうにない。

「やぁっ!」

 アスナは細剣を鮮やかな青紫に輝かせて右上から左下へと鋭い5連撃の突き、さらに左上から右下へと神速の5連撃突きが巨大ドラゴンの身体に十字架を刻み付ける。「いっけー!」

 アスナは全身を引き絞り光り輝く剣を前へと突き出す。最後の強烈な一撃が轟音を響かせて十字架の中心を貫いた。

 ≪マザーズ・ロザリオ≫

 この世界の最強にして最高の11連撃オリジナルソードスキル。絶剣のユウキがここにいたという証……。

 アスナが刻み付けた十字架の中心から四方八方に亀裂が走り、遂に巨大ドラゴンはその身体を散らした。

「おお!」

「やったー!」

「おつかれー!」

 多くの歓声が上がる中、アスナの口元がわずかに動いた。

『ありがとう……ユウキ……』

 あたしの頭の中でその言葉がはっきりと再生された。

 アメジスト色の瞳を屈託のない笑顔で輝かせるユウキの姿を思い出し、あたしは胸を締め付けられた。

「アスナ!」

 あたしは夢中でアスナの胸に飛び込んだ。

「ど、どうしたのよ。リズ」

 驚く顔であたしを見つめるアスナの瞳は今にも涙がこぼれそうなほど濡れていた。

 きっと、あたしと同じ思いをしてたと信じたかった。

「なんか、感動した。ちょっと違うかも知れないけど」

 ストレートに言うと気恥しかったのであたしは遠回しに言った。たぶんアスナなら分かってくれる。

「そっか。わたしもよ」

 寂しげに小さく笑ってアスナは瞬きして涙の雫を指で払った。

「うん」

 あたしも周りに気取られないように涙を払う。

「行こ。リズ」

 アスナはあたしの手を取ってお互いの健闘をたたえ合う輪に足を進めた。

「そうだね!」

 あたしもその輪に笑顔で参加する。

「あ、リーファちゃん。来てくれてありがとう」

 いつもの調子に戻ったアスナは応援に駆け付けてくれたリーファに声をかけた。

「間に合ってよかったです。でも、みんなが助かったのはシウネーさんたちのお蔭かな」

「シウネーさんも、ありがとう」

「いえいえ」

 シウネーは優雅に頭を下げた。「先日のお礼を言おうとお宅に伺ったら、ばったりリーファさんと会う事が出来たものですから。本当にラッキーでした」

「ねーねー。この場合、≪剣士の碑≫に載る名前はパーティーリーダーだけになっちゃう?」

 コーが飛び切りの笑顔を見せながらアスナに尋ねた。

「ええ。そうよ。だから、キリト君と……そちらはシウネーさんがリーダー?」

「いえ」

 シウネーは優美な掌をリーファに向けながら言葉を続けた。「リーファさんです」

「じゃあ、キリトさんとリーファさんの名前が載るんだ。いいなあ」

 コーは相変わらずの笑顔で言ったけど、いいのか? それ、地雷じゃないの?

「あたしとお兄ちゃんの名前が一緒に載るんだ。なんか、照れくさいけど嬉し……あっ!」

 リーファが地雷を踏み抜いた事に気づいて言葉を飲んで、慌ててアスナに頭を下げた。「ごめんなさい。アスナさん」

「なんで謝るのよ。おめでとう。リーファちゃん」

 アスナの完璧な笑顔と言葉だった。

(けど、目が……目が怖いわよ。アスナ!)

「アスナー。目が笑ってないよー」

 恐れ知らずのコーがアスナをからかう。

「そ、そんな事ないわよ! あたしは心から――」

「キリトさんと一緒に名前を刻みたいって顔してるよ」

「コー!」

 コーを捕まえようとしたアスナの手をするりと躱して、コーは空へ飛んだ。慌ててアスナもその後を追った。「待ちなさい!」

「へへーん。こっちだよー」

 からかいの言葉を投げかけながら、コーは自由自在に宙を飛び回る。

「もう、許さないわよ! コー!」

「くすっ」

 誰かの笑いをきっかけにして、どっと笑いが地上に広がった。

「おーい。32層のアクティベート行こうぜ」

 笑いをこらえたキリトが言うまで、コーとアスナの追いかけっこは続いた。

 

 

 

 

「えー。あたしもコートニーさんと会いたかったです。いいなー」

 昼のカフェテリア。昨日の第31層突破のいきさつを話すとダガー使いのシリカこと綾野珪子がエビピラフをスプーンでもてあそびながら言った。

「あれ? 珪子ってコーと面識あるんだ」

「はい。以前、助けていただいたことがあるんです」

「そうなんだ」

 珪子とは長い付き合いだが、まだ知らない事があるっていうのは新鮮な驚きだった。「昨日、ログインしなかったの?」

「親と食事に出かけてたんですよ」

 珪子は一つため息をついた。「そういう事になってるなら、あたしも行きたかったです」

「ま、これからいくらでも時間はあるじゃない」

「そりゃそうですけど……」

 そう言った珪子の視線があたしの後方に向けられた。「あ、螢さん」

 振り向くと螢と弘人が仲良くA定食を手に持ってこちらへ歩いてくるところだった。

「となり、いいですか?」

 螢が優しく珪子に尋ねる。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

「となり、いいよね」

 弘人はさも当然といわんばかりにあたしの返事を待つことなく隣にA定食を置いた。

「ちょっとー。螢を見習ってもうちょっと丁寧に言いなさいよ」

 あたしはちょっとカチンときて弘人の定食のおかずから1つ奪って口に放り込んだ。

「ちょっと、なにすんのさ!」

 そう言いながら弘人があたしのおかずに手を伸ばしてきたので遠慮なく叩き落とす。「痛ってー」

「手癖も悪い! 螢。こいつをちゃんと調教しておいてよね」

「もう、手遅れです」

 螢はあたしと弘人を見ながら小さく笑い声をあげた。

「お二人とも仲がいいですねー」

 珪子も螢につられるようにクスクスと笑いながら言った。

「あ、そうそう弘人。珪子がALOで会い……たい……って」

 あたしは途中でまずいと思ったが言葉が止まらなかった。たちまち弘人の表情が変わる。

 珪子はまだコーの正体が弘人だとは知らない。明らかにあたしのミスだった。

「ごめん。わざとじゃない。わざとじゃないから」

 あたしは小声で必死に謝る。

「違いますよー。リズさん。あたしが会いたいのはコートニーさんです」

 小動物のように可愛らしく小首を傾げながら珪子は笑顔で言葉を続けた。「勅使河原さんもALOやってるんですか? また機会があったら遊んでください」

「う、うん」

 かなり戸惑いながら弘人は辛うじて返事をした。

(よし、ここはあたしが一肌脱ごうじゃないの)

 あたしは心に決めて珪子に話しかけた。

「ねえ、珪子。今晩時間があったらあたしの店においでよ。コーと連絡取って呼ぶからさ」

 そう言いながらあたしはちらりと弘人と螢に目配せをする。二人は小さく頷いてくれた。

「本当ですかぁ。嬉しいです!」

 弘人と螢の表情に全く気付かず、珪子は笑顔を輝かせながら喜びをいっぱいに表現していた。

 きっとコーの正体を知ったら珪子は戸惑うだろう。そうなったら、アスナやキリトがしてくれたようにあたしがフォローしてあげよう。

 だって、コーとあたしは親友。弘人とあたしは悪友。

 ソードアート・オンラインで結んだ絆も、現実世界で積み重ねてきた絆も両方ともあたしにとって大切な思い出だから。

「里香さん。なんですか? ちょっと気持ち悪いですよ」

 じっと見つめていたせいか、珪子が気味悪がってあたしに毒を吐いた。

(ったく、この子は人の気も知らないで……)

 教育的指導のため、あたしはデコピンで弾いてやった。

「いったーい。何するんですかぁ」

 そんな珪子の愛らしい声と弘人と螢が笑い声が重なった。

「年上は敬いましょうねー」

 ニヤリと笑ってフンと鼻を鳴らしてやる。

 こうして積み重ねていく一つ一つの絆。

 ソードアート・オンラインの世界は悲惨で厳しいものだったけれど、あたしに多くの絆を与えてくれた。仮想空間で結ばれた関係は現実世界でも繋がり広がって行く。

 仮想空間と現実世界の垣根はいつか取り払われて、きっとわくわくするような世界が始まって行くだろう。

 あたしは暖かな春の日差しに温められ、笑いがこぼれるテーブルに確かな未来を感じた。

 

 




リズベット視点のお話です。
24000文字を超えているので途中だらけたりしているかもしれません。申し訳ありませんorz

時系列的には原作7巻のマザーズロザリオの直後。ユウキの告別式からわずか2日後という押し込み設定です。
原作の設定を壊さないように気を遣いましたが、所々お話の都合上やむなく変更してあったりします。

久しぶりの『ヘルマプロディートスの恋』なので欲張ってキャラを出しすぎて、主役のリズ、コー、ジークの影が薄くなってしまいました。お許しください(土下座)

なんとか、1周年記念日の9/28に間に合わすことができてよかったです(残り3分しかありませんが^^;)

もう1話、佳織さん視点のお話を追加予定です。お楽しみにしてください。


2013年12月18日追記
すみません。挫折しましたorz
佳織さんのレズハッピー話(違)はお蔵入りとなりました。楽しみにしてくださった方(いるかどうかわかりませんが)すみませんでした。


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連載2周年記念 キャラ設定集
キャラクター設定資料



2012年9月28日にこちらで連載開始してから2年経ちました。
さすがにお気に入りが増えることも少なくなりましたが、今でも平均評価で上位をキープし続けています。
これもこの作品を愛してくださる皆様のおかげです。

本当にありがとうございます。

本来であれば特別番外編を書くつもりでいましたが、どうしても面白い話にならないような気がして(年中スランプですw)書けませんでした。
そこで、今更感たっぷりですが、キャラ表情集&設定を書きだしました。
1週間遅れとなってしまいましたが、ご笑納してくだされば幸いです。

PCの方は右上の小説閲覧設定にて挿絵表示アリにしていただくとストレスなくご覧いただけると思います。



 

【挿絵表示】

 

・Courtney(コートニー)

 【愛称:コー】

 ゲーム開始時は15歳の中学3年生。

 長い黒髪と儚げな黒い瞳が印象的な「ボクっ子」の美少女。だが、中の人は男の子。

 茅場のプレゼント『手鏡』を貰った途端、嫌な予感がして廃棄したためログイン当時のままのアバターで生活している。

 最初は性別の違いに悩んでいたようだが、いつ死ぬか分からないという状況の中、ジークのために女の子として生きていく事に決めた。

 

 

 【性格】

 かなりアップダウンが激しい性格。

 思いついたら一直線。お蔭で相方のジークリードの心労は絶えない。

 激おこ一歩手前だと、声に抑揚がなくなる。

 

 

 【プレイヤースキル】

 強さ的には攻略組の上位クラス。だが、キリトやアスナには数段劣る。

 広い視野を持ち指揮経験も豊富だが、ヒースクリフなどに比べるとやはり数段劣る。

 

 愛用のメイン武器は投擲スキルのスリング(独自設定)。

 これはクリスマスイベントでヒースクリフから貰ったもの。システム的に冷遇され日の目を見ない投擲スキルのため、ヒースクリフが強化アイテムを渡した可能性が微レ存。

 

 サブ武器は両手で使用する槍。

 小説内では特別なアイテム名は存在しないがリズベット謹製の槍を愛用している。投擲スキルの穴である近接戦闘時の生存率アップに非常に役に立った。

 だが、これらの武器を彼女(?)は捨てることになる。

 

 終盤でのメイン武器は片手剣スキルの≪レダン・プリンセス≫。

 燃えるような赤い刀身をもったクリス。独特なうねった刃は女性を意味するという。リズベットが作成した傑作のひとつ。

 

 

 【リアルパーソナルデータ】

 本名:勅使河原弘人(てしがわらひろと)

 誕生日:9月27日(てんびん座)

 血液型:B型

 学校の成績はそこそこ。正直ぱっとしないレベル。だが、日本史(戦国時代限定)にはマニア級に詳しい。

 両親は熱心なクリスチャン。

 父親は都内企業の課長代理。母親は専業主婦。

 

 

 

【挿絵表示】

 

・Siegrid(ジークリード)

 【愛称:ジーク】

 ゲーム開始時は16歳の高校1年生。

 ごくごく平凡なテンプレートのような顔立ちの青年。だが、中の人は女の子。 

 茅場のプレゼント『手鏡』を取り出そうとして、ついうっかり操作ミスで破棄してしまい、ログインした時のアバターのまま生きていく事になった。

 コートニーの姿を一目見て「この子は私が守らなきゃ!」という使命感で彼女の盾として、男性として生きて行こうと決めた。

 

 

 【性格】

 実行前に物事をじっくり考えるタイプ。そのため、思いついたら即行動のコートニーからは「考えすぎ!」と言われている。

 その一方で衝動的に破滅的な行動をとる二面性がある。恐らく衝動的な自分を抑えるために慎重な性格になったと思われる。

 

 

 

 【プレイヤースキル】

 強さ的には攻略組の中の上ぐらい。

 中の上というのは『他人に適切に指示を貰って動いたら』という条件付きである。

 一人で行動すると自分のヒットポイントを忘れ、攻撃に専念してしまう。

 とはいえ、狂戦士状態になった時の破壊力はすさまじく、PoHのヒットポイントを全損一歩手前まで追い込んだこともある。

 

 愛用の装備は片手剣≪ゴライアスソード≫と盾≪マゲン・ダビド≫。

 これは誕生日プレゼントとしてコートニーから貰ったもので、攻略最終盤まで強化して使えるようにしていた。

 さすがに終盤では第50層のボス戦の準レアドロップアイテムの片手剣≪倶利伽羅剣≫(くりからけん)がメイン武器になったが、≪ゴライアスソード≫はずっとジークリードのアイテムストレージですぐ使用できる状態になっていた。

 

 

 【リアルパーソナルデータ】

 本名:望月螢(もちづきけい)

 誕生日:5月5日(おうし座)

 血液型:A型

 学校の成績は優秀。特に古文系は最強。あまり物語のキーになっていないが、高校1年でバスケ部のレギュラーに選ばれるなどまさに文武両道。&巨乳(ぉ)。

 母親は大手企業の幹部。父親はトラック運転手。……なんか二人の将来を暗示しているようなw

 

 

【挿絵】

 ・第27話&第28話 体育館で螢が弘人を助けて、立ち去るシーン

 

【挿絵表示】

 

 

 ・別作品、ヘルマプロディートスの性愛のシーン

 

【挿絵表示】

 

 





ご覧いただきありがとうございます。

設定は後付けというか、書きながら適当に設定したのですが、ネットで性格診断してみると意外と合っているので驚きました。
この二人のキャラクターは本当に生きてるなあって感じました。


SAOのアニメ放送の方はそろそろ私が大好きなマザーズロザリオ編になるので楽しみにしています。


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