ラジアータストーリーズ 龍の目覚め (ニシムラタカハシ)
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新たなる時代

ラジアータストーリーズの2次創作です。


 変わる世界と変わらぬ思い……。

 

 かつて数多くの妖精たちと、それを守護する『龍』たちとの壮絶な戦争に勝利し、覇権をなした人間たち。

 ライトエルフ、ダークエルフ、ドワーフ、ゴブリン、ブラックゴブリン、グリーンオーク、ブラッドオーク、時に隣人であり時に敵対者であった妖精たちは殆どが死に絶え、姿を消していた。

 

 『ラジアータ王国』

 

 かつての戦争の始まりの地だった王国。王が治め、騎士団が守護し、民間の『ギルド』が人々の生活に根差していた。

 彼らの多くは、妖精にも龍にも殆ど関心が無かった。

 日々の糧、趣味、恋、直面すべき問題は無限にある。戦争の原因も、結果も、その真実も、一時の興奮と共に忘れ去られるものでしかない。

 

 だが、そうでないものいる。

 異変に気付く知恵者、特異な立ち位置の者、そして、戦争の当事者たち。

 渦中にあった彼らが時折集まると、やはりその話題は出た。後悔、武勇伝、懐古、話題こそ様々だが、決まって出る二人の名があった。

 

 リドリー・ティンバーレイク。

 

 前家老ジャスネの娘。

 4大貴族にして、騎士団長でありながらも妖精に与した『裏切者』。

 

 ジャック・ラッセル。 

 

 『龍』を2体葬った少年。のちに水龍を斃し、『龍殺し』の名でよばれた英雄『ケアン・ラッセル』の息子だと知られ、『龍殺し』の異名を受け継いだ。

 

 リドリーは、最終決戦とよばれた白夜の都での戦いにて果てた。

 遺体は『裏切者』として家墓に没するを許されず、離れた地にて埋められている。今は顧みられることもなく、世捨て人となった父以外に訪れる者もいない。

 

 ジャックは消えた。戦争が終わって間をおかず。

 ギルドも含め騎士団すら動員された大捜索も実を結ばなかった。

 

 2人が語られるのは数奇な運命によってだった、同期に騎士になり、戦争のきっかけに立ち会い、最後は死に別たれた。否応なく、人々の好奇を掻き立てる。

 最も近しいのは、二人が属していた『桃色豚闘士団』団長ガンツ・ロートシルトだが、彼も騎士団解任後に一時期は盗賊ギルド『ヴォイド・コミュニティー』に所属も、失踪を遂げている。

 その行方はようとして知れない。

 

 不名誉な『反逆者』に王国は口を閉ざし、『龍殺し』を知る人々が思い出すのは、快活で、どこか抜けた愛らしい少年の姿だけだった。

 

 故に誰も気づかなかった。

 リドリーの墓の、父以外の者による花に。

 ラジアータへ足を踏み入れた、とあるフードを被った者の姿にも……。

 

 その背格好は未だに、少年のそれを残していた。



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夜と欲望の黒街にて

 どのような街であろうとも、暗部を担う場は存在する。

 ここラジアータでは、盗賊ギルドがそれを請け負い、『奈落獣』と呼ばれるスラム街の周辺を根城としていた。時に城の重臣が訪れることもあり、様々な陰謀が張り巡らされる蜘蛛の巣である。

 

 盗賊という響きからは、殺人、誘拐、強盗と言った血なまぐさいものを連想するが、それ以上に彼らが重視しているのは情報であった。こと、王国内の情報において、『ヴォイド』以上に精通している機関は存在しない。

 その網に、一人の『余所者』が引っ掛かった。

 

「おっとっと、困るっすよお客さん。観光はよそでやってもらわないと」

 

「んだあ」

 

 『奈落獣』へまっすぐに向かってくる『余所者』に、早速ヴォイドからの挨拶が届いた。構成員のアルマとジョケルが、『穏便』に『余所者』へお引き取りを願う。

 

「ここらは治安が悪いんすよ、怪我しちまうかも」

 

「んだんだ」

 

 片や猫を思わせる青年、片やその倍以上の体躯はありそうな片目で半裸の大男。ただよう堅気にはない雰囲気に当てられれば、大抵の者は忠告に従い踵を返すだろう。

 

 だが、『余所者』は踵を返すでもなく言葉を返すでもなく。ただ、じっと二人を見つめていた。

 見つめると言っても、フードで顔を隠しているのでその表情はようと知れなかったが。

 

「ほら、行った行った。オレらは忙しいんすよ」

 

「肉う、食うだあ」

 

 焦れたアルマは、武器を取り出して『余所者』へと向ける。精一杯格好つけてはいるが、お世辞にも手練れには見えない技量だ。

 ジョケルも金棒を構えているが、力はともかく繊細さにはだいぶかけている。

 

「痛い目に―」

 

「全然変わってないな、二人ともさ」

 

 二人は目を丸くし、お互いに顔を見合わせた。ようやく『余所者』が発した言葉の不可解さと、その声に『二人とも』が聞き覚えがあったからだ。

 

「ああ? アンター」

 

「リンカとフラウはいる?」

 

 フードを外した『余所者』に、二人はあっと息を呑んだ。 

 

 見覚えのある顔であった。

 そう、かつてお忍びで城下を歩いていた王女をさらったとき、護衛役として控えていて一戦交えた、戦士ギルド『テアトル・ヴァンクール』の『チーム・ヘクトン』の一員。

 その後、紆余曲折を経て力を貸すことを誓い、『テアトル』の『チーム・アハト』隊長にのぼりつめ、さらには妖精との戦争で戦功をあげ龍さえも倒した英雄。

 

「アニキ⁉」

 

「おんめえ⁉」

 

『龍殺し』。

 

 その後にいずれともなく姿を消した少年。

 ジャック・ラッセルがそこにいた。



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女盗賊たち

 『ヴォイド』の本拠地、奈落獣のクラブ『ヴァンパイア』の一室で、リンカとフラウは装備の手入れをしていた。

 リンカはバンダナをしたためた美女で、フラウはやや生意気そうな顔立ちだがこちらも美少女といって良い容姿の持主だ。アルマらも持っていた独特の『雰囲気』と、手入れをしている装備の物騒さを別にすれば、誰も彼女らを『ヴォイド』の一員で、盗賊の専門家とは思わないだろう。

 

「失礼しまっす!」

 

 そこへ、アルマが飛び込んできた。

 二人は全く動じることもなく、視線すらよこさずに装備の手入れを続けている。

 

「ちょっとお、アンタ、ノックくらいしなさいよね」

 

「そ、それどころじゃないっすよ! アニキが―」

 

「ジェイドが何の用だ?」

 

「いや、ジェイドのアニキじゃなくって―」

 

「ジャックのアニキだよ」

 

 その『声』に、二人はハッとして開け放たれたままのドアへ視線をやった。

 

「オッス」

 

「ジャック!」

 

「あんた……」

 

 懐かしい顔だった。背は伸び、髪も肩に触れるほどに伸ばしているが、あの生意気でどこか愛嬌のある顔の少年が確かにそこにいた。

 

「アルマ、オルトロス……さんに俺が来たって伝えてくれないか? 後で顔出すからさ」

 

「了解っす!」

 

 喜び勇んで走り出すアルマを見送って、ジャックは二人へ向き直る。

 

「久しぶり」

 

「どこ行ってたのさ、いきなりいなくなって!」

 

 フラウはジャックの傍へ駆け寄ると、元気よく背中を叩いた。

 

「ん、ま、色々あってさ」

 

「一言くらい、声をかけてから行け」

 

 リンカの言い方はぶっきらぼうであったが、声色は柔らかかった。

 

「悪い悪い、そうそう、忘れないうちに、これ」

 

 そう言って、ジャックは袋を二人へ渡した。

 

「隊長から、少ないけど」

 

「ガンツ?」

 

「‼ 元気でやってるのか⁉」

 

 リンカの声が大きくなった。

 

「うん、つっても、会ったのはもう結構前になっちゃうけど……二人に、世話になった礼だって」

 

「自分で渡せばいいのに、コテツも会いたがってるよ」

 

「……団長、まだ決心がつかないらしくてさ」

 

「あ……」

 

 フラウもリンカも察せざるを得なかった。ガンツが騎士から『ヴォイド』に身を落としたきっかけと、そこから連なる大戦争への軌跡。そして、彼の父『花翁林』ガウェインとジャックとの因縁、そしてリドリーのこと。

 彼らの口から、そして市井の噂や城の情報を漁る中で、大まかな流れは理解できていた。

 

「ま、でもさ、きっとまた帰るって言ってたよ。リンカとコテツに会いたいって」

 

「そうか……」

 

「ちょっとちょっと、あたしは?」

 

「えっと……それなり?」

 

「なにそれ!」

 

 和気あいあいとした空気が戻る。ジャックには、そうした不思議な雰囲気があった。良く言えば天真爛漫な、悪く言えばどこかバカっぽい。どれだけ武功をあげて『英雄』と呼ばれるようになっても、その愛嬌だけは失われなかった。

 だからこそ、海千山千の『ヴォイド』のメンバーたちからも不思議な信頼を得られたのかもしれなかった。

 

「さて……二人とも元気そうでよかった。コテツによろしくな」

 

「なに、もう行っちゃうの?」

 

「こんなところだがゆっくりしてけ」

 

「悪い、他にも行くとこあってさ……じゃな」

 

 二人が知る後ろ姿のまま、ジャックは部屋を後にした。

 だが、フラウにはその背に、かつてはなかったどこか寂し気なものがあるのを、微かに感じられたような気がした。



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『ヴォイド』の頭

「これはこれはジャック様、ご機嫌麗しゅう」

 

「久しぶり、オルトロス……さん」

 

「このような老いぼれに敬称はもったいのうございます。これまでのように、呼び捨てでお願い

ください。アルマからあなた様の帰還を告げられ、私望外の至りでございます」

 

 『ヴォイド』の事務所で、ジャックは若頭のオルトロスと対面していた。

 その特徴的な義眼を除いては、この老人はごくごく普通の老紳士に見えた。慇懃な口調に加え、独特の雰囲気もまとっていない。王国の暗部を担う闇の組織の(表向きの)頭領とは、とても思えない。

 

 その意味する恐ろしさに、ジャックは今になってようやく気付けた。昔、そう、まだリドリーを失っていなかったころには気づけなかった『凄み』である。これこそが、闇に生きるものの到達点なのだろう。

 闇をまとうのではなく、闇と同化し、従えて隠す。闇を闇と感じさせないことが、どれほどの

技量を要するものか。

 

「さてさて、この老いぼれの昔話に突き合わせてはあなた様のお時間を損なうばかりでございます。ジャック様、私めにいかようで?」

 

「あ、うん、オルトロスさんっていうか……ニュクスさんになんだけどさ」

 

「ほお?」

 

 『ヴォイド』の真の頭、ラジアータを遠く離れた北の大地に住まう『魔族』の男ニュクス。

その存在は秘されており、他のギルドはおろかここ『ヴォイド』においてさえ、ごく一部の幹部を除いては知られていなかった。

 かつてジャックはこのニュクスを下して、その強大な力を貸り、妖精や龍との戦いに挑んだのだ。

 

「北の大地に行くことがあって、そこで知り合った人にニュクスさんのこと聞かれてさ。この手紙を、渡してくれって」

 

 書簡にしては厳重な風がされ、気品ある装飾まであしらわれた手紙をジャックは渡した。

 

「これはこれは……あの方も喜びましょうぞ」

 

 オルトロスには珍しく、口調に昂奮がまじっていた。

 彼らが、なにがしかの『野心』を持っていることはジャックも知らされていたが、その詳細についてまでは明かされていなかった。この手紙が、それに関係しているのだろうか?

 

「アルマもいるし、俺が直接行くとまずいかなって」

 

「お気遣いに感謝いたしまする。どうぞおくつろぎを……と言いたいところですが」

 

「うん、すぐに出るよ」

 

「あの方に代り重ねて礼を申しまする。何かお役に立てることがありますればなんなりと」

 

 深々と頭を下げるオルトロスへ会釈を返し、ジャックは事務室を出た。

 アルマをいなし、出入り口へと向かう。他にも回らなければならないところは多い。

 

 

「やあ」

 

「あ、リーリエ……」

 

 奈落獣の出入り口で、ジャックはリーリエと鉢合わせた。

 気だるげな褐色の少女に隠れているのは、返り血を浴びぬ『白姫』の異名を持つ凄腕の殺し屋。

 

「あ~、戻ってたんだ?」

 

「うん」

 

「しばらくいるの……?」

 

「う~ん、どうだろ?」

 

「そ……じゃあ、またね」

 

 それだけ言うと、さっさとリーリエは『ヴァンパイア』へと向かって行った。

 

「相変わらずだなあ」

 

 苦笑しつつ歩き始めたジャックは、一度だけ彼女が寂しそうにこちらをふり返ったのに気づくことはなかった。

 



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行き違い

 『ヴォイド』を出たジャックが向かったのは、魔術ギルド『ヴァレス』であった。

 ギルドと名付けられているものの、その実態は学園であり研究施設でもある、今日も今日とて、魔術と機械の研究が行われており、怪しげな音や煙が絶えなかった。最先端の設備に彩られたそこは、他のギルトとはまた一味違った風変わりな雰囲気を漂わせている。

 

「どもっす」

 

「あら! あなた……」

 

「ちょっとだけ邪魔するよ」

 

 ジャックは受付のローシェヘ軽く手をあげると、図書室へ向かった。

 以前よりもさらに多くの機械がひしめき合っている。それがなんだかジャックには懐かしく思えた、足繫く通っていた頃も、日に日にこの建物はその姿を変えていた。

 

 授業中であったためか、幸いにも人通りは少なかった。それでも、途上でヨハンとデレクとすれ違い、しばし挨拶に時間を割かれた。二人とも、『ヴァレス』から忘れられたかのように昔のままだった。だが、それはローシェも同じだったかもしれない。

 

「お、ジーニアスじゃん」

 

「ジャック⁉」

 

「ジャックさん!」

 

 図書室で目当てのレオナを見つけたジャックは、その兄ジーニアスとも意外な再会を果たした。後になればすべての始まりであり、ジャックにとっては悪夢の切欠、ジーニアスにとっては新世界への入り口であった、ブラッドオーク襲撃に連なる事件に二人は直面したのだ。

 

「今までどこに―」

 

「ん、色々、レオナ、これ、お前ならわかるんじゃないか?」

 

気色ばむジーニアスを置いて、ジャックはレオナに古めかしい本を手渡した。

ただ古いだけでなく、何かしらの妖気を漂わせているようだった。

 

「これは……」

 

「もらったり見つけたり。俺にはさっぱりわかんないからさ、頼むわ。

あ、危なかったらモルガンとかに見てもらってよ」

 

「おい!」

 

ジーニアスがジャックの肩を乱暴に掴んだ。

 

「聞いてるのかジャック! 今トゥトアスは―」

 

「今までにない世界になってるんだろ?」

 

その声はどこまでも能天気だった。在りし日の少年そのままに、明るく、とぼけて、拍子抜けするように。

だからこそ、兄妹はそこに途方もない悲しみを見い出した。

リンカとフラウには気づかれなかった哀しみだ。

 

「龍が全部眠っちゃって、ルシオン……銀龍も俺が倒しちゃったからな」

 

「お前……」

 

「いろんなとこにいってるとさ、いろんなことがわかるんだよ。俺なりに、さ」

 

ジャックは晴れやかに、一片の陰もない笑顔で二人へ挨拶した。

在りし日の少年が、そのままそこにいる。

 

「じゃ、またな」

 

そういって足早に立ち去るジャックを、ジーニアスもレオナも追うことができなかった。

二人が我に返ったのは、少しして衛兵が飛び込んできたジャックの行方を尋ねてからだった。

 



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オラシオン教団にて

 『ヴァレス』を出たジャックの前に、モンクの衣装をまとった褐色の少女が飛び込んできた。

 

「おっと」

 

 激突必至な勢いを軽くいなして、ジャックはその少女を抱きとめた。

 

「あ、す、すみません!」

 

「ゴドウィンを探してんの?」

 

「え? あ、は、はい……」

 

 少女、ミランダはいぶかし気に答え、そしてすぐに大きく目を見開いた。

 

「ジャックさん!」

 

「う~ん、俺、そんなに変わった? 皆驚くけど」

 

 ミランダは軽口を叩いてみせたジャックの手を強く握り、しっかりとその目を見据えた。

 

「どこに行ってたんですか⁉」

 

「いろんなところ」

 

「何も言わないで……みんな―」

 

「ミランダ、カインは教団にいる?」

 

「あ……は、はい、今は説法をなさってるはずです」

 

 ミランダは、まくしたてたかった言葉の数々を呑み込んだ。

 かわらぬはずのジャックの能天気な顔、そして言葉に言い知れぬ何かを感じたからだった。

 再会を喜んではいる、しかし、何か大きなものがあって、どこか相手を遮っているような。

 

「リドリー……さん」

 

「ん?」

 

「い、いえ……ご案内します」

 

「大丈夫だよ、どこにあるかはわかってるし」

 

「いいんです、折角ですから」

 

 ミランダは、呟きかけたその名を心の中で何度も反芻した。伝聞でしか知らない少女の名、妖精に与した裏切りもの。そして、『龍殺し』が取戻さんとし、その腕の中で看取ったかつての騎士。

 その名を聞き、あるいは口にするたびに、彼女の心には言いしれない『何か』が広がっていく。それは、ジャックを前にしてみると殊更に強くなるようだった。

 

 

 

 ミランダと共に礼拝堂へ入ったジャックを、カインの説法へ立ち合っていた信徒の面々が出迎えた。

皆一様に驚き、ある者は安堵したように笑い、ある者は怒ったような顔を見せた。

 

「ひゃ~、ずいぶん久しぶりだべな」

 

「よっ、久しぶりクライブ」

 

 真っ先にその間の抜けた声をあげたのは、信徒の一人クライブであった。良く言えばのんびりとした、悪く言えば間の抜けた田舎者風の顔の立ちの青年の彼は、騎士となったジャックの初任務へ同行した過去があった。

 

「どこさいってただ? 探したんだども」

 

「悪い悪い、ちょっとな」

 

「アータ、自分の立場ってもんがわかってないようね」

 

 クライブを押しのけてずいっと迫って来たのは、大司教をつとめるアナスタシアである。4大貴族「東方山猫」ライアン家の当主でもあり、そばには側近である双子のエレナとアディーナを従えている。後ろには、ドワイトやルルの姿もあった。

 

「アータシが力を貸してあげるっていうのに、挨拶もなしに消えるなんて」

 

「悪かったって」

 

「アナスタシア様に失礼ですよ、ジャックさん」

 

 エレナは、怒ったような顔でジャックをなじった。全てにおいて優先されるべきと彼女が思い込んでいる、主の不快を代理するかのような態度であった。が、そこには彼女自身のジャックに抱く不満も込められていたのだが。

 

「それだけじゃなく、皆さんにもです。急に消えてしまうなんて」

 

「わかったって」

 

「ま、壮健そうでなによりじゃわい」

 

 好々爺といった様相のフェルナンドが助け舟を出した。ゴドウィンはミランダが探していたように、所用で外に出ていて不在だったが、フローラやエドガー、そしてアキレスを始めとしたモンクたちは全員が出席していた。

 

 かつて、オラシオン教団は、アナスタシアを筆頭とする改革派と、フェルナンドを筆頭とする旧体制派で真っ二つに割れていた。その派閥闘争で荒れた教団内をまとめあげたのがジャックなのだ。

 当人としては、任務のために人材を探し、その協力者を集めていった結果に過ぎなかったが。全員を仲間とした後にも、彼にはいまいち理解しかねることだった。

 今も意見の対立はあるものの、同席してカインの説法へ出席するあたり、一応の折り合いはついているようだ。

 

 

「久しぶりですねジャック」

 

 

「どもっす」

 

 そして、教皇を務めるカインもかつての彼の仲間の一員であった。絶大なカリスマと信仰心、モンクとしての類まれな力を持つ彼は、幾度となくジャックの危機を救ってくれた。

 

「そうそう、忘れないうちに」

 

 ジャックは懐から出した手紙をカインへとさし出す。

 

「エンジェラから、カインにって」

 

「エンジェラ様ですと⁉」

 

 理知的なカインの顔に驚愕が浮んだ。古参のフェルナンド、アキレスも同様であった。

 病を理由に姿を消した前教皇、カインの意向により葬儀は行われていないが、その生存は関係者の間では絶望視されていた。

 

「どちらで⁉ ご様子は⁉」

 

「その手紙に全部書いてあるよ、カインたちと知り合いだって言ったら、渡してくれって」

 

 尚も問いつめようとするカインは、手紙を受け取って詰問を中止した。説法の時間ということもあるが、彼の知るアンジェラは一語一語が簡潔で無駄がなかった。手紙にすべてがあるなら、その通りに受け取るべきなのだ。

 

「ありがとうございます」

 

「いや、たまたま会っただけだから」

 

 ジャックも敢えて言わなかった。それが彼女との約束だった。

 

「それじゃ……またな、みんな、ミランダ」

 

「ま、待って下さい、どちらへ?」

 

「大隊長のところ。それに、お祈りの時間なんでしょ?」

 

 引止めたい理由は山のようにあったが、大隊長の名を出されるとミランダは引き下がらざるを得なかった。

 彼の所属する戦士ギルドの長である。形態がどうなっているかはわからないが、挨拶へゆくのは自然なことであったし、ミランダは説法、さらにいえばゴドウィンを追わなければならなかった。

 

「それならナルシェに会ってあげて」

 

 不意に、アディーナがそう声をかけた。エレナの双子の妹で、鏡に映したかのように姉と似通っている。

 

「ナルシェ?」

 

「あの後、戦士ギルドに入ったの。ヘクトンにいるわ」

 

「ジャーバス隊長の? そっか……病気は治ったんだな」

 

「手術がうまくいったの」

 

「わかった」

 

 ジャックは一礼して礼拝堂を後にした。その後の説法に、信徒は勿論カインですら身が入らなかったのは言うまでもなかった。



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テアトル・ヴァンクール

 太陽へと続く小道、ヴァンクール広場を通ってジャックは戦士ギルド『テアトル・ヴァンクール』へと歩を進めていた。

 ゴミ捨て場を漁るゼラニウムやニットら子供たち、かつてアルガンダーズに冒されたシーラといった面々とすれ違うが、フードを目深にかぶっていたためか気づかれることはなかった。

 皆、変わらないようでいて時を重ねた結果が表に現れている、出会う人々が自分に驚いていた気持ちが、少しわかった気がした。

 

 

 

 太陽と栄光の黄街にある居酒屋『カンちゃん』、『ビギン食堂』を通り過ぎて、ジャックはテアトルの受付へ足を踏み入れた。

 

「おっ」

 

「おっす」

 

 出迎えたのは予想通り、受付のタナトスであった。記憶の中の姿勢のまま、気だるげに座ってジャックを見据えていた。

 

「なんだなんだ、どの面下げて帰って来やがった」

 

「うるさいなあ、たまたま寄っただけだよ」

 

 タナトスに限らず、戦士ギルドの多くのはぶっきらぼうで乱暴な言葉遣いをする。それがなんだか懐かしくなり、思わずジャックは軽口を叩いていた。

 

「依頼がたまってんぞ、ちゃっちゃと片付けてくれ」

 

「その前に……大隊長はいる?」

 

「おう、しっかり挨拶してこい。ったく、急に消えやがって」

 

 話は終わりだと言わんばかりに手を振る彼に舌を出して、ジャックは大隊長の部屋を目指した。時が戻ったような感覚に安らぎを感じ、直後すぐさまに自戒した。

絶対に戻らぬものがある。それを思い出すから、ラジアータを去ったのだ。

 

 

 任務に出ているのか不在なのか、誰にも合わずにジャックは大隊長室のドアの前に立った。

 

「開いています」

 

 ノックする前に、部屋の中から凛とした声が返ってきた。初めてここを訪れた時も、同じことがあった。まるで昨日のことのように思えるそれをかみしめながら、ジャックは部屋へと入った。

 

「お久しぶりですね」

 

「どうもっす、大隊長」

 

 「テアトル・ヴァンクール」の大隊長、ラジアータ最強の剣士と称されるエルウェンがそこにいた。鎧に身を包んだ姿は威厳に満ち、かつてのままだ。

 

「あのー」

 

「まず、大隊長として注意しておきます」

 

「え?」

 

「あなたはすでに隊を預かる隊長の身分にあります、それを一言もなく放棄したことは許されることではありません。多くの依頼者、またあなたに力を貸して下さっていた方たちへ礼を欠いています」

 

「あ……すいません」

 

 早々に説教を聞かされ、ジャックは出鼻をくじかれてしまった。

 

「テアトル所属の戦士としてあるまじき行為です。しっかりと、そのことを身に刻んでおきなさい」

 

「はい」

 

「……そして、よく戻ってきましたね。ジャック」

 

「……すいませんでした」

 

 エルウェンはいわゆる『普通の』人間ではなかった。長い時を生き、龍や妖精とも面識を持っていた。古の勇者アルフレッドの従者であった時期もあり、妖精との大戦争について深いところの事情も知っていたのだった。

 

「迷いは晴れましたか?」

 

「……いえ、まだっすね」

 

「そうでしょう、もしかすれば最後までつき合わねばならない迷いです。向き合い、時には背を向けて、抱えていきなさい」

 

「そうするっす」

 

「それから、罰としてしばらく『アハト』として活動することを命じます」

 

「え~?」

 

「あなたあての任務がたくさん来ていますからね、それに、少し休憩が必要なようにも見受けられます」

 

「……うっす」

 

 正直に言えば、拒否したかった。ラジアータには思い出が多すぎたし、エルウェンの言う『迷い』を払うために旅を続けたかった。

 だが、組織人としての心構えを説かれ、それにぐうの音もでないとなると、無視するだけの厚顔さもジャックにはなかった。

 

「家はそのままにしてあります。それと、ジャーバス、ダニエル、ナルシェは今『ヘクトン』で待機してるはずです、会いに行きなさい」

 

「わかりました」

 

 何もかもをお見通しのようだった。ジャックは頭を下げて、隊長室を後にした。力を貸す条件として彼女と立ち合い、勝利して共に戦ったが、未だ彼女には敵わないと改めて実感するようだった。

 

 

 ジャックを送った後、エルウェンは窓からラジアータ城をみやった。

 城はいつもと変わらずにそびえているように見える。だが、その内部で最近慌しい動きがあるとの報告が出ていた。

 

「また、動き出すようですね。ジャック、あなたも……」



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チーム・ヘクトン①

「隊長~、しっかりしてください」

 

「依頼を捜しにいこうよ」

 

「うるへ~、タナトスの野郎~」

 

 

 『ヘクトン』の部隊室へ入ったジャックの視界に、ふて寝するジャーバスと、それを介抱しているダニエル、そしてナルシェの姿が飛び込んできた。

 

「ま~た吞んでんのかよ隊長?」

 

「え? ! じゃ、ジャック⁉」

 

「お兄ちゃん⁉」

 

 ダニエルとナルシェがジャックに駆け寄ってくる。方やぽっちゃり体形に気の抜けた顔、方やひょろりとした幼さの残る少年と、にわかには戦士と信じられない二人であった。

 

「ジャック、戻って来たんだね!」

 

「お兄ちゃん! ぼく、病気を治して戦士ギルドに入ったんだよ!」

 

「久しぶり、ダニエル、ナルシェ。ナルシェのことはアディーナに聞いたよ。

がんばったんだな」

 

「へへっ」

 

「あん? ジャック?」

 

 のそりと、ジャーバスが立ち上がった。

 

「どもっす、隊長」

 

「おい、大隊長に挨拶はしてきたんだろうな? 全く勝手に消えやがって」

 

 憎まれ口もジャックには懐かしく思えた。かつて騎士を目指していたこの戦士は、挫折の経験からかジャックにはややあたりが厳しかった。

 

「うん、それで、しばらくは依頼をこなせってさ」

 

「そうか、大隊長の決定ならなにも言うまい」

 

 と、言い残してまたもふて寝しようとするジャーバスを、ダニエルとナルシェは慌てて起こした。

 

「だーっ、なんだ!」

 

「なんだじゃないですよ隊長、今日こそは依頼を受けないと」

 

「ぼく、ヘクトンに入ってまだ4回しか依頼をこなしてないよ」

 

「うるへー、タナトスのやつが仕事を回さねえんだ」

 

「イザベラにご飯を買ってあげられないよ」

 

「お部屋にいるのは飽きたよ~」

 

「あ~、じゃあ……みんなでいくか?」

 

 

 

 ジャック、ジャーバス、ダニエル、ナルシェの4人は、エキドナ門へ向かって水と英知の青街を歩いていた。

 

「ジャックのお陰でイザベラがお腹いっぱい食べられるよ」

 

「ぼく、ダニエルさんに斧を教えてもらってるんだよ」

 

「はは、ダニエルも一丁前だな」

 

「むっ、今のぼくはヘクトンの副隊長なんだぞ」

 

「ん? ってことは……ナルシェ、負けちゃったのか?」

 

「うん、ダニエルさんは強いよ」

 

「お、おい、もうちょっとスペースを落としてくれえ」

 

 受付に向かったジャックにタナトスが紹介したのは、エキドナ門付近に最近異常発生したスカルヘッドの駆除任務であった。

 

「肩慣らしにはちょうどいいだろ」

 

 とのことで、難しいことは何もなく、ただ趣き目につくスカルヘッドを狩る。だけのシンプルな任務であった。

 『アハト』の隊長であるジャックには、隊の編成権がある。今回はジャーバスたちヘクトンをそのまま組み込んだ形となった。

 

「隊長、酒控えなって」

 

「うるへー、飲まずにやってられるか……ぜえぜえ」

 

 久しぶりの任務とジャックとの再会で意気揚々としている二人と比べると、ジャーバスはいかにも頼りなかった。

 とうとう、ヴァレスの前で息切れして座り込んでしまう始末だ。

 

「しょーがないなあ、休憩すっか」

 

 といっても、ジャックたちはジャーバスの息が整うまで手持無沙汰でいるしかない。自然と、世間話に花が咲くのだった。

 

「じゃあ、エキドナ門の近くにも街ができるんだ?」

 

「うん、その工事を今してるんだけど、モンスターがいて中々進まないんだ。それで、こういう任務が結構来るんだよ」

 

「どうしてタナトスは隊長には紹介しないんだ?」

 

「前に一回受けたんだけどね、隊長ったら二日酔いですっぽかしちゃったんだよ。それで、タナトスさんが怒っちゃったんだ」

 

「あらら……」

 

「こら……ナルシェ! あれは……急病って……言ってるだろ!」

 

ジャックは青い顔で抗議するジャーバスを呆れ半分で見た、それなりに腕もあり、人格的にも劣悪ではないが、酒での失敗はこの男の半ばお家芸なのだった。

 

「あれっ? あなた……」

 

ヴァレスから出てきた生徒が、ジャックらに声をかけてきた。

赤髪の団子頭に眼鏡をかけた、そばかすが目立つ少女、マリエッタである。

 

「よ、久しぶり」

 

「やっぱり! あなたね! どこに行ってたの、心配したんだから」

 

「悪い悪い」

 

 元気にまくしたてる少女とそれをいなすジャックから、ダニエルらは外に置かれていた。

 ラジアータに住み、ヴァレスからの依頼を受けることもあった彼らは、当然マリエッタがヴァレスの生徒であるとは理解しつつも、面識がほとんどないためどうしたらいいかわからなかった。

 

 彼らが、特別交友関係が狭いという訳ではない。各ギルドの長や上級幹部を別にすれば、名前と顔が一致する程度にしか相手のことを知らないのはごくごく普通のことだった。

 故に、ジャックの顔の広さは異常なほどであった。どこへでも遠慮することなく顔を出し、4大ギルドの上から下までほぼ顔見知りで、何かあれば力を借りるし貸すこともする。

 「龍殺し」の称号を得る前から、ジャックは良くも悪くも有名人であった。

 

「あら?」

 

「どした?」

 

「あれ? また私眼鏡忘れちゃったかしら? あそこにモンスターが……」

 

 マリエッタが指さしたエキドナ門には、確かにモンスターがいた。

 それも、大工のエレフらを追い立てながら、今しも街中へ突入しようとしているところであった。

 

 

 

 



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チーム・ヘクトン②

「ウソ⁉」

 

「街に⁉」

 

 ダニエルとナルシェは立ちすくみ、ジャーバスは未だ息切れの中、ジャックだけは冷静だった。

 

「りゃあああ!」

 

 瞬時に発現させた槍『神槍パラダイム』を握りしめると、一切の躊躇なくスカルヘッドへと投擲した。

 閃光のような一撃は、エレフたちに一番近づいていた個体と続いていた何体かを『抉り』殺し、そのまま分厚い門を貫通して跳躍していった。

 

「いけねっ、おーい、早くこっちに!」

 

「お⁉ おめえ小僧か⁉」

 

「久しぶり! 早く!」

 

 エレフらは素直に全速力でジャックらの元へかけてきた。

 それと入れ違いに、ジャックは残るスカルヘッドらへと駆けていった。

 

「これ以上壊すとまずいよな……」

 

 呟いたジャックの手には、『パラダイム』が再度握り込まれていた。

 そのまま、スカルヘッドの一団へ穂先を薙ぎ払う。

 

 交錯。

 

 ジャックとすれ違い、そのまま街へと突入戦としていたスカルヘッドたちは、その数を『3倍』に増やして、果てて転がった。

 槍の一撃により、文字通りに3枚おろしにされたのだった。

 

 と、門の外からも悲鳴が聞こえて来た。

 

「作業員が残っとる!」

 

 エレフの言葉に、ジャックはすぐさま反応した。

 

「エレフとマリエッタはヴァレスに避難して! 皆いくぞ!」

 

「う、うん!」

 

 ジャックが門の外へ消えてから、ようやくダニエルは冷静さを取戻して、ナルシェとジャーバスを伴い後を追った。

 途中、スカルヘッドらの亡骸とすれ違う。彼らが背負っていた巨大で分厚い頭蓋骨が、これ以上ないほどに美しい切断面を見せつけていた。

 

 

 

「うわっ」

 

 ジャックの前に広がっていたのは、モンスターに襲われる作業員たちと壊れ果てた家の土台だった。

 

「一個一個やってたら間に合わねえか……」

 

 『パラダイム』の穂先を地面に向け、不覚一呼吸した後ジャックは囁いた。一瞬、彼の周囲の空気が凍り付く。

 

「百禍嶺嵐」

 

 そのまま穂先を地面に突き刺すと、あちこちから無数の武器が天に向かって

突き上がった。さながら、咲き乱れる刃の華だ。しかもそれは、的確にモンスターだけを貫いて、作業員たちを避けている。

 

「……よっしゃ」

 

 『パラダイム』が地面から引き上げられると、同時に無数の武器も消滅した。宙に突き上げられていたモンスターたちは、そのまま地に落とされて亡骸を晒すのみとなった。

 

「お、おめさん……」

 

「あ、ブーチェ?」

 

 作業員の一人に知り合いを見つけ、ジャックはまとっていた殺気を消し去った。

 

「ジャック~!」

 

「お兄ちゃん~!」

 

「遅いぞダニエル、ナルシェ……」

 

「ぜえ、ぜえ……お、俺が来たからには……も、もう安心だぞ」

 

「と、……隊長。こりゃ、オラシオンの皆に来てもらわないとな」

 

 幸い死体はモンスターのものだけのようだが、怪我人は多数いるようだった。少なくともひと段落するまでは、離れるわけにもいかなさそうだ。

 

「きゃっ」

 

 それから少し遅れて、避難指示を出したはずのマリエッタがやって来て、転んで頭を打っていた。

 

 



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チーム・ヘクトン③

 ほどなく、オラシオンの面々が現場に到着し、近場であるヴァレスにも動員がかけられ、周辺は怪我人の手当てや後片付けで人々がごった返していた。

 

 ジャックたちは力仕事が専門という事で、邪魔になるがれきや木材の運搬に駆り出されていた。ジャックは息も切らさなかったが、ダニエルとナルシェはひいひいと嘆息し、ジャーバスに至っては途中で吐いてあえなく怪我人らに並んで寝かされていた。

 

「ジャ、ジャックう、休憩しようよお」

 

「んあ? じゃ、そうすっか」

 

 ダニエルの泣きが入り、3人は木蔭に座り込んだ。

 

「ナルシェは無茶するなよ?」

 

「はあ……はあ……へ、平気だよ」

 

 病に臥せった時間が長かったためか、ナルシェは体力的に一段劣っていた。それでも、戦士ギルドの入隊試験を突破した当たり、並々ならぬ努力を重ねたことも見て取れた。

 

「ハロー、テアトルのみんな~」

 

「ご苦労様です」

 

 ジャックらに、サイネリアとフローラが飲み物を運んできた。モーフ医院の受付嬢と、『神の手』と称される医師を父に持つ、オラシオンの司祭長を務める少女たち。二人とも、かつてジャックの仲間として数々の冒険に同行していた。

 

「ジャックさんたら、戻ってきたらまず私のところへ挨拶でしょ?」

 

「あ~、そのつもりだったんだけど色々さ」

 

「もうっ、いけずねっ」

 

「お元気そうでなによりです」

 

 飲み物を渡しながらフローラが言う、先ほどジャックが顔を出した時にはできなかった挨拶を、ようやく出来るのが嬉しそうだった。

 

「ちゃんとご飯を食べてますか? 怪我はないですか?」

 

「大丈夫だよ」

 

 照れくさそうにジャックは返した。フローラはジャックが、正確には騎士団をクビになって、テアトルに所属したての頃からの、いわば古株の仲間であった。未熟なジャックを、その医療の腕と神の奇跡で幾度となく救った。

 自然と、そのやり取りも当時に近いものになる。

 

「あ、あの、フローラさん、ぼく、ちょっと腕が痛いような気がするかも」

 

 そこにダニエルが割り込んできた。恋多きダニエルは、『ビギン食堂』のウェイター、ユーリを筆頭に、好意を抱いた女性にはてんで弱かった。

 

「そーか、そーか、じゃあ、治してやんねえとなあ」

 

「ひっ、ビ、ビシャス⁉」

 

「おらおら、モンク式指圧だぜダニエルくんよお」

 

「あいたたたたた!」

 

 邪まなダニエルの目論見は、いつの間にかその背後に立っていたビシャスによって潰えた。男勝りなモンクの少女ビシャスによって、ダニエルはこってりと油を絞られる羽目になった。その傍には、困った顔をしたミランダもいた。

 

「ジャックさん、こちらでしたか」

 

「よ、ミランダ」

 

「お伝えしなければいけないことがあるんです、さっき―」

 

「ジャック、ここだったか」

 

 騎士たちを従えて、おかっぱ頭のひげ男がジャックらの前に現れた。騎士にして、ジャックの先輩でもあったレナードだ。部下の中には、チャーリー、ニーナの姿もあった。

 

「おっさんじゃん」

 

「おっさん言うな! 全く、探したぞ」

 

「なんか俺よく探されてんな……で、どしたの?」

 

「ラークス様がお呼びだよ。至急、城に来るんだ」

 

「ラークスさんが? ……う~ん、でもさ、俺たち今依頼の真っ最中なんだよね」

 

「ああ? お前なあ、宰相閣下の呼び出しと依頼、どっちが大事だと思ってるんだ」

 

「だって、依頼の途中放棄は良くないもん」

 

「行ってこい、ジャック」

 

 先刻よりは薄まった青い顔のジャーバスが、よろよろと歩いてきて言った。

 

「後は俺が引き継いで報告する、魔物は倒したし文句はないだろ」

 

「え~、でも隊長報酬金でツケ払ったりしない?」

 

「するか! ……レナード殿、相変わらずな奴ですが、よろしくお願いします」

 

「あれ? 顔見知り?」

 

「うほん、一応『紫色山猫騎士団(ヴィオレシャソバージュ)』隊長だからな」

 

「え? おっさんが? ナツメは?」

 

「ナツメ様が、現在の将軍の地位についていらっしゃいます」

 

 ニーナが誇らしげに言う。

 

「ま、ともかく来い、ここは―」

 

「トールビーストだあー!」

 

 悲鳴とともに、獣の咆哮が響き渡る。

 トールビーストが、今まさに逃げ惑うヴァレスの教員たちに襲い掛からんとしているのだった。

 

「りゃあ!」

 

 『神槍パラダイム』の投擲は、トールビーストの上半身を抉り、消し飛ばした。かろうじてその動きを目で追えたのは、フェルナンドらモンクマスター数名であり、他の者はトールビーストへ反応するのもやっとの刹那の出来事だった。

 

「随分魔物が多いんだな……ま、フェルナンドたちがいるなら平気かな。それじゃなみんな、ちょっと行ってくる」

 

 呆気に取られているレナードの肩をジャックが叩いた。

 

「どしたんだよ、おっさん?」

 

「お、おっさん言うな……あれは、お前がやったのか?」

 

「ん? ああ、そうだけど」

 

 レナードは内心で戦慄していた。なまじ腕に覚えがあるだけに、この青年の力のすさまじさが計り知れないものだと認めざるを得なかった。新米騎士、戦士、そして『龍殺し』。かつての生意気なだけだった少年は、底知れぬ怪物へ今も尚成長し続けているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ラジアータ城

 ラジアータ城は、文字通り国の中枢部である。王族、重臣、貴族、そして騎士、選び抜かれたエリート達が、日夜、国家のために、あるいは自身の栄達のために身を粉にしている。その念が渦巻いているせいか、はたまたそういう設計なのか、城は実際よりも巨大に見え、威圧感さえ漂わせていた。

 

 かつてこの城に騎士として在籍し、解雇され、後に『龍殺し』として自由な出入りを許されていたジャックだが、正直に言ってしまえば、あまり良い思い出がなかった。

 ダイナス将軍の死、後に知ったクロスの悪行、銀龍であり手にかけたルシオン、そして、リドリー。ラジアータを早目に去ろうとしていたのも、この城を見るとどうしても彼女を思い出してしまうからだった。

 

「ほら、ちゃんとついて来いよ」

 

「わかってるよ」

 

 にもかかわらず、再び足を踏み入れてしまった。レナードに先導されながら、宰相ラークスの待つ執務室へと向かう。

 

「礼儀正しくしろよ、ラークス様は家老も兼ねてらっしゃる、文字通り王国のNO2なんだからな」

 

「ジャスネのおっさんは……やっぱもう辞めちゃってんだな」

 

 レナードはばつが悪そうに頭を掻いた。

 

「ああ、引退して屋敷に引きこもってる。誰とも会おうとしない。リドリー様のことがあって、これまでの功績から処罰は受けずに済んだんだが……そのままって訳にはな」

 

「そうなんだ……」

 

「妖精との戦争で騎士団もぼろぼろだ、リドリー様は言うに及ばず、ダイナス将軍もクロス殿も戦死、黒色山羊槍士団(ノワールシュベール)は壊滅、ガンツ殿は逐電、ルシオン様も……4大貴族も東方山猫(ライアン)家の一人勝ち状態だな。再編はまだまだ進んでない」

 

 レナードは非難めいた視線をジャックへ送った。

 

「ジャック、お前が残ってればもう少し楽だったんだがな」

 

「……色々あったんだって」

 

 レナードの主張はわかるものの、あの時の、そして今のジャックの気持ちは変わらなかった。

 

 ここには、思い出が多すぎる。

 

 

 

 部屋に通されたジャックを、ラークスが迎えた。頬のこけた、怜悧さを漂わせた壮年の眼鏡の男。記憶の中の姿より、瘦せているように見えた。

 

「お久しぶりですね、ジャックさん」

 

「うす、お久しぶりっす」

 

 ジャックが姿勢を正す数少ない相手の一人だった。騎士時代は雲上の上司として、妖精との戦争が始まってからは事実上の直属の上司として接してきた。戦争末期には、ジャックに騎士としての立場と権限、それでいて隊には自由な裁量を許すという破格の待遇を与えていた。

 そこには、それこそがこの少年の力を最も引き出す方法であり、妖精、そして龍を打倒するに最適な選択であるとの目論見があったものの、ラークスはケアンの息子であり、ついには父すら超えたジャックには好感を抱いていたのだった。

 

「旅の中、得られるものはありましたか?」

 

「はあ、ぼちぼちっす」

 

 ジャックの声は硬かった。かつての世間知らずな少年ではない、戦争と様々な地を回って得た経験は、目の前の男の持つ威厳や権力、そして思慮深さを改めて認識させていた。

 

「ともあれ、元気そうでなによりです」

 

「ラークス様も……あの、それで、俺に何か……」

 

「あるから呼んだんだぞ、ジャック」

 

 唐突に入室して来たジーニアスに、ジャックは呆気に取られていた。

 

「ジーニアス? どうして……」

 

「彼がいたほうが、説明がしやすいと思いましてね」

 

「全く、お前は話を聞かない。そもそも、さっきヴァレスで僕が……」

 

「あー、わかったわかった、で、なんなんだよ?」

 

「お前にもわかるように言うぞ、妖精たちが再び戦争を起こそうとしている」

 

 



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『桃色豚闘士団』復活

 今度は、ジャックに驚きはなかった。

 ドワーフの谷占領、そして妖精との戦争で、ライトエルフの長・ザイン、英雄ギル、ブラッドオークの族長ガルヴァドス、そしてガウェイン、そして龍。主要な実力者たちはみな倒され、妖精たちは敗北した。

 

 だが、絶滅したわけではない。人間たちの受けた被害も甚大なもので、追撃する余裕はなかったのだ。多くは逃げ、あるいは隠れて、敗北を受け止めてひっそりと生きることを選んだ。

 旅の中、そうした妖精たちに幾度が出会ったが、向けられたのは敵意と憎悪、そして恐怖だった。

 

 新たなる指導者を得、勢力を回復すれば、憎き人間へ再び牙をむくのは必至である。

 

「それだけじゃない、4龍も復活してるという情報がある。そして、その統率を行っているのは……リドリーによく似た少女だそうだ」

 

「はあ⁉」

 

 今度こそは驚いたジャックに、ジーニアスは噛み砕いで説明を続けた。

 

 今の世界は、銀龍、そして金龍が消滅してしまっている。

 互いに覚醒と眠りを繰り返し、バランスを保ってきた担い手を欠いた、いわば根幹を失くしている状態なのだ。

 

 長い歴史の中でも、空前絶後だ。何が起こっても、それをあり得ないと切って捨てることができない。それほど未知の領域にあるのだ。

 

「4龍が復活する、これは僕が以前から推測していたことだ。『魂継ぎ』を会得しているライトエルフの、さらに上位の存在が死から逃れる方法を知っていても不思議じゃない。戦争中、オーブによる封印があったことも報告されている」

 

 ジャックは急いで懐から小さな石を取り出した。

 かつて、カインからの依頼で探し出した奇跡の石のまがい物、それはしかして、風龍セファイド、火龍パーセクを撃退するのに大きな役割を果たした。

 

「これには……何ともないみたいだけど」

 

「ふむ、興味深いな……封印は継続されているはずなのに、龍は復活している……」

 

「ジャックさん、お呼びしたのはお願いがあるからです。遠くない未来、妖精との戦争が勃発するでしょう。その力を、ラジアータのために貸していただきたいのです」

 

「……もちろんっすよ」

 

 妖精たち、そして復活した龍には戦争の当事者として並々ならぬ思いがある。

 なにより、彼女の名を出されては見過ごせなかった。

 

「リドリー……」

 

 果たしてリドリーは復活したのか? あるいは超自然的な存在が生み出したものか? はたまた、姿かたちが似ているだけの別人なのか?

 確かめないわけにはいかなかった。

 

「僕としても、何が起きているのかを見定めなければならない。そして、妖精と人間の共存の道もな」

 

「共存……」

 

 幾度、そうならなかった未来を想像しただろうか。妖精と人間が共存する平和な世界、リドリーも、ガンツも健在で騎士を続けた未来。

 だが、それは悪しき人間によりもろくも崩れ、今またその道を模索するものにはより困難を選ばせている。

 

「共存が可能ならそれに越したことはありません、しかし、今のままでは戦争となる公算が高いことはわかっていますね? ジーニアスさん」

 

「わかっています、僕は僕なりのやり方でその道を探ります。王国に歯向かうような真似はしません、ラークス卿」

 

「わかってくださるなら結構です。さて、ジャックさん。あなたは騎士として正式に登録をさせていただきますが、同時にテアトルの所属のままでもいてもらいます」

 

 きょとんとするジャックに、ラークスは少し表情をやわらげた。

 

「エルウェン殿から通達があったのですよ、罰はきちんと受けてもらわねば、とね?」

 

「あ~」

 

 きまずくジャックは頬を掻いた、どうやらエルウェンはこうなることを予想していたらしかった。謎多きラジアータ最強の剣士として、当然ラークスとも知己である。

 

「騎士としての地位、権限、報酬はそのままで、隊の編成、行動には自由な裁量権を与えます。命令は私からのみのものに従う義務があり、それにも拒否権を与えましょう」

 

 戦争時をも上回る好待遇であったが、ラークスにしてみれば、ジャックのポテンシャルを最大限に活かすための処置に過ぎない。

 

「どもっす……あの、ラークスさん、もう二つお願いいいっすか?」

 

「なんでしょう?」

 

「隊の名前は……っていうか、その隊を『桃色豚闘士団(ローズ・コション)』を復活させたってカタチにして欲しいんですけど。俺は副団長で、ガンツ団長が帰ってくるまでの代理って感じで」

 

 ジャックにとって団長はただひとり、ガンツ・ロートシルトその人だけであった。

 

「ガンツは……壮健でしたか?」

 

「最後に会った時は、元気でしたよ」

 

「……いいでしょう、二つ目は?」

 

「リドリーのお墓……街の中に移してやれませんか?」

 

「……それはできません」

 

 ラークスは冷然と答えた。個人としてではなく、宰相としての言葉だった。

 

 多くの犠牲者を出した妖精との戦争、人間を裏切った騎士の少女。公にはされていないものの、墓地を先祖が眠る地へ建てることを許されなかったのは、彼女に課せられた罰の一つなのだ。

 

「そっすか……」

 

「申し訳ありません……」

 

「いいっすよ。じゃ、何かあったら呼んでください。『桃色豚闘士団』副団長ジャックが、ちょちょいって解決するっす」

 

「期待していますよ」

 

 一礼し、部屋を出ようとしたジャックの背にジーニアスが声をかけた。

 

「ジャック、今は何が起きたって不思議じゃないんだ」

 

「わかってるよ」

 

「もし、リドリーが蘇ったとしても……それはお前の知ってるリドリーじゃないかもしれない」

 

「おいおい、まだリドリーだって決まったわけじゃないんだろ? 気がはええって」

 

 つとめて軽い口調で返して、ジャックは部屋を出た。

 

「いいのですか?」

 

 少しして、ジーニアスが尋ねた。

 

「彼の処遇については国王より許可を得ています、責任はすべて私が負うつもりです」

 

「そうではありません、ジャックは龍を、それも調停者たる銀龍すら倒しているんです。彼自身、トゥトアスの理から外れている……しっかりと監視しなくては」

 

「危険だと?」

 

「わからないのです。何もかもが失われた新世界なのですから。あいつは、その当事者です。ひずみをもろに受けてしまうかも。だから、せめて近くにおいておけば……」

 

「安心できますか? ジャックさんも好かれたものですね」

 

「まさか、単なる知的好奇心です」

 

 ラークスは目をつぶり思案にふけった。

 

 



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妖精を率いる少女

 執務室から退室し、レナードに見送られて城から出たジャックは、その巨影を改めて見上げた。

 

「なんだかなあ……」

 

 心中は複雑であった、騎士に戻り、破格と言える待遇と自由を得ても尚、わだかまりがあった。

 

「リドリー……」

 

 妖精との戦争、龍の復活、そしてリドリー。

 ジャックには、未来への不安以上に、どうにも割り切れない思いがあった。

 

 リドリーが人間を裏切り、妖精側についた。これは事実である。しかし、それは『魂継ぎ』の儀式を受けたことによる、太古のエルフとの意識の混濁に端を発している。

 故に金龍の器として目を付けられ、さらにはその仕組みを打破せんとする銀龍によりその命を奪われた。言うなれば世界の仕組みそのものに狙われたのだ、彼女に何ができただろうか?

 

 そもそも、『魂継ぎ』の儀式を受けることになった原因、ブラッドオークの襲撃は妖精を殲滅せんとするクロスら騎士団の一部が策謀したことである。

 にもかかわらず、その事実は無視されリドリーのみが反逆者として扱われている現状は、ジャックには受け入れがたいものであった。

 

 無論、ラークスらにも言い分はあろう。クロスの一件が明るみに出れば、戦争を起こした元凶として騎士団の権威は失墜する、ただでさえ戦力低下と再編に頭を悩まし、妖精との戦争が再開されそうな時に、それだけは避けたいことのはずだった。

 

 それがわかってしまうからこそ、ジャックは割り切れないのだ。

 

「暗い顔してどーしたのかな? ジャック」

 

「うおっ、ヘルツ?」

 

「へへー、ビックリさせちゃった?」

 

 帽子をかぶった少女が、いつの間にかジャックの背後に立っていた。

 ヴォイド・コミュニティーの舎弟頭にして、ニコニコした顔からは想像もできない変装と諜報の達人であった。

 

「帰って来たのに愛しのヘルツに挨拶無しなんて悲しいなー」

 

「今日は色々あったんだよ」

 

「だよね~、何しろアハトの隊長のまま、『桃色豚闘士団』副団長になっちゃったし。妖精とまた戦争が起こりそうだもんね」

 

 驚くジャックにヘルツは悪戯っぽく笑った。

 

「ヴォイドの情報網も大したもんでしょ? だから、悪いことするときは気を付けてね~」

 

「……誰から聞いたんだよ?」

 

「それは言えないよ~でもね、再会のお礼に一つ教えてあげる。妖精たちを率いてる女の子は、姿恰好はリドリーっぽいらしいよ」

 

「! 本当なのかよ?」

 

「ヘルツは聞いただけ~、じゃ、また誘ってね。バーイ」

 

 ヘルツはひょうひょうと歩いて、夜の闇に姿を消した。

 

「リドリー……お前なのか?」

 

 ヴォイドの情報は、騎士団とはまた違った正確さがあった。それこそ、あらゆる手段を用いて得た生の情報である。騎士団が目にとめないような点にも着目し、真実をあぶりだす。非合法という点を除けば、時に騎士団のそれを上回ることもあった。

 

 少なくとも、妖精を率いているのが人間の少女であることは間違いない。

 

 

 

 

 



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懐かしき日々

 悩み事は数多かった。思案をせぬわけにはいかなかったが、し続ければ解決するというわけでもない。

 

「ひとまず帰ろう……」

 

 ジャックは休息を選んだ。懐かしの……というほどでもないが、あのテアトルの借家のベッドに横になりたかった。休んで、頭を整理したい。

 

「その前に、メシだな」

 

 そして、自然の欲求にも逆らえなかった。

 

 

「ジャックさん⁉」

 

「久しぶり、今までは色々行ってたんだ、急にごめん」

 

 『ビギン食堂』でユーリにそう挨拶して、ジャックは席に座った。

 

「なんですか! その適当な挨拶は」

 

「だって、もう10回ぐらいこのやりとりしてんだもん」

 

 ぷりぷり怒るユーリをあやし、ジャックは一呼吸ついた。ユーリを含め、幾度となく通ったこの店は、あの頃のままであるように思えて気楽で良かった。

 

「何を言って……勝手にいなくなって!」

 

「だからさー」

 

「ジャックう!」

 

 2階からダニエルとナルシェ、そして赤ら顔のジャーバスが駈け下りてきた。

 

「やっぱり、お兄ちゃん!」

 

「あれ? なんだ、お前らもここで―」

 

「た、助けてジャック!」

 

「え?」

 

 その理由はすぐに判明した、鬼の形相の副長、ジェラルドと、少し遅れてグレゴリー、ゴードンが降りて来たからだ。

 

「こらジャーバス! まだ話は終わってねえぞ!」

 

「か、勘弁してください副長~!」

 

「何したんだよ隊長……」

 

「あの後、タナトスさんに依頼完了の報告をして報酬をもらったんだけど」

 

「隊長が、久しぶりだからみんなで食べに行こうっていったんだ」

 

「で、酒吞んで……」

 

「うん、色々ぐちぐち言ってたら副長たちが来ちゃって……」

 

 光景が目に浮かぶようだった。

 

「あんな大声で文句を言いやがって、聞いてる奴等はテアトルをどう思う⁉」

 

「も、もももも申し訳ありません!」

 

「大体お前は―」

 

 ジェラルドは説教をそこで切り上げた。ジャックの姿を認めたからだ。

 

「あ、うっす、すんません、ご無沙汰っした」

 

 無言でジェラルドはジャックの傍まで歩いて行って、げんこつをひとつ落とした。

 

「いってえ⁉」

 

「このバカ野郎! 今までどこほっつき歩いてやがった! 大隊長の顔に泥を塗りやがって!」

 

「い、色々あったんすよ」

 

「口答えすんじゃねえ!」

 

「あいたっ」

 

 ふたつめのげんこつを落とされ、ジャックはそれ以上の抗弁を諦めた。

 

「ジャーバス! 大体おめえの教育がなってねえんだ!」

 

「で、ですがジャックはアハトの……」

 

「うるせえ!」

 

 それから夜通しジェラルドの説教は続いた。途中、ダニエルとナルシェは帰宅を許されたものの、ジャックとジャーバスはげんこつと怒鳴り声の合わせ技を受け続けた挙句、店の掃除の手伝いまでさせられた末にようやく朝方に解放されたのだった。

 

「少しはテアトルの戦士の自覚を持てい!」

 

「「はい……」」

 

 朝日に照らされ、疲労の極みにあり、しかしジャックは、こんな日々が無性に懐かしく思えた。

 

 

 



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チーム・アハト①

 ジャーバスはそのまま帰路に着き、ジャックは目が冴えてしまって家に戻る気にもならず、そのままタナトスの元へと向かった。

 

「お、元気そうじゃねえか」

 

「うるせえよっ」

 

 にやにやしながらタナトスが声をかける、ジェラルドの説教は『カンちゃん』からテアトルまで聞こえていたようだ。

 

「一休みした方がいいんじぇねえか?」

 

「目が冴えちゃったよ」

 

「んじゃま、選んでくれ。またどっさりと、お前当てのが来てるんだ」

 

 タナトスが言うように、依頼は山のようにあった。原則にのっとって依頼料の高いものから進めようかと思案してたところに、見覚えのある名前があった。

 

「アーシェラ? またゴーレム作ったの?」

 

「お、ヴァレスのアーシェラさんのだな。お前が行っちまってからも、ゴーレムにご執心でな

大隊長を超える『龍殺し』をぶっ潰せるゴーレムを作って、予算を引き出すんだとよ。でないと年が

越せねえとか」

 

「金欠も相変わらずみたいだな」

 

「で、受けんのか?」

 

 彼女もまた懐かしい。

 

 

 

「アーシェラいる?」

 

「なんですか急に……って、ジャックさん⁉」

 

「あ~、久しぶり」

 

「♪なつかしい顔ぶれ~久しぶりだゼ」

 

 依頼を受けた足で、ヴァレスの月の塔、実験室へジャックは向かった。

 丁度講義中だったのか、アーシェラ、そしてコーネリアとアーネストが座っていた。

 

「キミって勝手だよね、急にいなくなっちゃうなんてさ」

 

「♪礼儀をかく~でもそれは最初っかラ~」

 

「ふ、ふふ……ふふふふふふ」

 

 非難する生徒二人に対し、教師は見てる側が心配になるような笑い声をあげていた。

 

「と、とうとうこの日が……待ちわびましたよ……。これで私はヴァレスの副学長の座に、ゆくゆくは王国直属のゴーレム製造部門の責任者として……」

 

「あの~」

 

「こうしてはいられないわ! 少し待っててください!」

 

 言い残すと、アーシェラはジャックたちを置いて部屋を飛び出した。

 

 

 

「じゃあ、お兄ちゃんはしばらくここにいるんだね」

 

「ああ、アデルにもまた力を貸してもらうかもな」

 

「うんっ!」

 

「私たちも忘れないで欲しいかな」

 

「♪お前のビートを感じたいゼ」

 

「それにしても、アーシェラさんは遅いですね」

 

「年寄りを待たせるもんじゃないわい」

 

 少しして、ジャックたちはエキドナ門に集合していた。副学長のカーティス、セシル、そして何故かアデルも呼び出され、アーシェラを待った。

 

「おぬし、ジーニアスとは会ったろう? 今のトゥトアスはかつてないほど不安定でおる。

気を引き締めて当たらねばならんぞ」

 

「わかってるよ」

 

「すべてが未知ですからね、それもまた、研究者としては興味深いところではありますが」

 

 流石にヴァレスの首脳部ともなると、世界の変化に鋭敏であった。

 

「お待たせしました! ジャックさん! みなさん!」

 

 ようやく、アーシェラは姿を現した。

 かつて対決したメリッサのような巨体のゴーレムを予想していたジャックはいささか拍子抜けした、彼女が連れているのは、巨体でこそあるもののあくまで人間の範疇のであったからだ。

 帽子をかぶり、ロングコートに身を包んでいるそれは、一見すればゴーレムには見えない。屈強なボディガード、ヴォイドのジョケルを痩せさせたような印象を受ける。

 

「メリッサ100号のお披露目です!」

 

「あれから100体も作ったのかよ⁉」

 

「♪正確には100体以上ウ~」

 

「アーシェラ先生たら、ヴァレスのみんなからお金借りてるのよ」

 

「しかも借金返してねえのかよ!」

 

「心配無用です、ジャックさん、あなたを倒して私のゴーレム技術を証明して、副学長、そしてラジアータのゴーレム製造部門の設立! 借金なんてあっという間に返せます」

 

「そううまくいきますかな?」

 

「まあ、ひとまず見んことには始まらんわ」

 

「皆さんはこの世紀の偉業の見届け人です。『龍殺し』をも上回るゴーレムの力、とくとご覧あれ!」

 

 アーシェラは脇にどき、ジャックとゴーレムの対決が始まった。

 

「ー」

 

「おっ」

 

 ゴーレムは素早くジャックの懐に入ると、殴る、蹴ると肉弾戦を仕掛けてきた。

 ジャックはそれを捌きつつ、内心で驚嘆していた。

 

(アキレス……いや、カイン並か)

 

 そればかりではなかった、口から冷気を吐き、掌からは光線を発射する。どれもメリッサⅠ号、Ⅱ号とそん色ない、否、それ以上の威力がある。

 性能はそのままに小型化に成功したようだ。

 

「どうですジャックさん! メリッサ100号の実力は! 以前とは比較になら―」

 

 回避と防御に専念しているジャックを見て、アーシェラの興奮が最高潮になった直後だった。

 ジャックの漆黒の両手剣『ヴェルヴァーン』による一閃が、メリッサを薙いでいた。

 

「―?」

 

 瞬間、メリッサの身体は3等分されていた。

 

「ない……い?」

 

 何が起きたのか理解するのに、全員がしばらくの時間を要した。カーティスやセシルでさえ、ジャックの剣戟をとらえることができず、メリッサに不良が起こったのではないかと思うほどだった。

 

「確かにすげえや。でも、まだ……アーシェラ?」

 

「……」

 

「アーシェラ~? ……おい?」

 

「あ、先生気絶してるよ?」

 

 

 結局、立ったまま気絶しているアーシェラをモーフ医院へ運ぶまでが依頼となった。

 報酬も、メリッサ100号が勝利しての皮算用を当てにしていたらしく、彼女はまったく持ち合わせがなかった。

 

「嘘よ……こんな……メリッサ100号が……借金が……」

 

「はあ~」

 

 目覚めても、アーシェラは現実逃避を繰り返すばかりで話が通じず、ジャックは徒労という報酬のみを受け取って帰路に着くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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チーム・アハト②

「お、丁度いいところに来やがったな」

 

「おや、話が早くて助かります」

 

 テアトルに戻ったジャックを待っていたのは、オラシオン教団の司祭、グラントだった。

 血色の悪い顔に後退しかかった前髪、一見間抜けそうな見かけながら、金もうけに関する頭だけは回る男だ。

 

「お久しぶりですね、あなたに依頼をお願いしようと思ってたんですよ」

 

「どんな?」

 

「スミロドンの牙を、また取ってきて欲しいんです。報酬は牙の数だけお支払いしますよ」

 

 これまた、過去に経験のある依頼であった。

 猛獣スミロドンの牙は、薬効に優れて価値の高い素材である。ただ、スミロドン自体が凶暴かつ強靭な魔物であり容易に捕獲できる相手ではなく、主に戦士ギルドにその役割が回って来るのだった。

 

「う~ん、どうしよっかな……」

 

「報酬は弾みますよ、どうも最近スミロドンが凶暴化してて、猟師たちからのルートが激減してるんです」

 

「あ~、キミ~、やっと見つけたよ~」

 

「こら、コンラッドくん、人がお話してるところに割り込んじゃだめですよ」

 

 そこへやって来たのは、チーム『クイントム』のコンラッドと、隊長のワルター、それからジーンだった。

 

「帰ってきたら言ってもらわないと~、こっちにも都合があるんだからさ~」

 

「おやめなさい。すいませんみなさん」

 

「何か依頼を受けてるの~?」

 

「スミロドンの牙を取ってきていただきたいんです」

 

「丁度いいじゃん、僕たちでいこうよ~」

 

「任務を受けたのはジャックさんですよ」

 

「……」

 

「いいんだよ~、『龍殺し』と任務をすれば『クイントム』の宣伝になるんだから~、じゃ、いこっか~」

 

 

 

 

 こうして、ジャックは半ば強引についてきたコンラッドたちと、スミロドンの牙を収集に行くことになった。

 自分から言い出したくせにコンラッドはスミロドンの生息地へたどり着くまでに、疲れただの遠いだの文句を言って度々一行の足を止める有様だった。

 武器工房『ジェフティ』の御曹司で、将来を危ぶんだ父にテアトルに入れられたのであったが、そのドラ息子ぶりはあまり改善されていないようだ。

 

「まだなの~? 疲れたよ~」

 

「コンラッドくん! 我慢なさい! ……すいませんジャックさん」

 

「別にいいけど。それにしても、ジーンはワルター隊長のとこに入ったんだ」

 

「……ああ」

 

 ワルターは一見すると、常に愛妻のことで頭がいっぱいな、のほほんとしたぼんくらだが、その実切れ者としてジェラルドら実力者に一目置かれる傑物だ。

 ジーンはそのワルターに誘われテアトル入りした戦士で、実力には秀でていながらなれ合いを嫌う一匹狼な姿勢から、チームに属していなかったが、どうやらワルターの隊に配属されたようだ。

 3人とも、ジャックのかつての仲間である。

 

「おかげでなんとかやれてます。後はコンラッドくんが……」

 

「相変わらずだなあ、あいつは」

 

「甘ったれだ……」

 

 ワルター、ジーンは、共にジャックに大きな『借り』があった。

 一方コンラッドはと言えば、『アハト』を任されたころのジャックに近づけば、よいことがあるだろうと、金を送って仲間になったというしょうもない過去があるばかりだ。

 

「もう帰らない~?」

 

「コンラッドくん、いい加減に―」

 

 瞬間、ジーンがコンラッドを突き飛ばした。

 

「うわあっ! な、なにすんだよ―」

 

「構えろ」

 

 コンラッドが今まで座り込んでいたところに、スミロドンが音もなく着地し、剣を構えるジーンに牙をむいて唸りをあげた。

 

「うわわっ」

 

「こっちからも!」

 

「囲まれてますね。コンラッドくん、構えてください」

 

 ジャックたちは、いつの間にかスミロドンたちに包囲されていた。しかもその包囲は、刻一刻と狭まってきている。

 

「全員で背中合わせになって、後ろだけでも守るんだ!」

 

 ジャックの命令にワルター、ジーンは素早く動き、コンラッドも慌てて槍を構えた。

 

「来るぞ!」

 

 襲い掛かって来るスミロドンを、ジャックたちは円形陣で迎え撃った。

 ジャックにとって、スミロドンは危険な相手ではない。『神槍パラダイム』によってまとめて処理し、瞬時に視界に入る個体は全て無力化させた。

 

「……っく」

 

「手ごわいですね……」

 

 ワルター、ジーンはスミロドンと互角以上の戦いを繰り広げていたが、いかんせん複数匹が相手では苦戦も免れなかった。

 

「た、助けてよ~、いくらでも払うからさ~」

 

 コンラッドに至っては、完全に腰が引けていて戦いになっていなかった。スミロドンの牙と爪から逃れるのに精いっぱいで、陣も維持できずに孤立しつつある。

 

「ワルター隊長、ジーンと二人で頼むっす!」

 

「はい、コンラッドくんをお願いします!」

 

 ジャックはコンラッドの加勢に向かったが、まとわりついてくるコンラッドに振り回されて余計に手間と時間がかかった。

 

 どうにか全個体を倒したものの、ワルターもジーンも肩で息をし立っていられないほどに体力を使ってしまっていた。

 

「すごーい、こんなにいっぱいあるよ~」

 

 反面、ほとんどジャックに護られるままだったコンラッドは、のんきにスミロドンの牙を回収に回っていた。

 

「隊長もジーンもダメだな~、もっとボクを見習わないと~」

 

「むかーっ」

 

「すいません、すいません、言って聞かせますから、ね?」

 

 せめてもの意趣返しに、ジャックは牙の回収をコンラッドに任せることにして、周囲の警戒に専念した。

 

 と、視界の端に人影が見えた。猟師でも、農民でもない。

 褐色の肌に、茶褐色を基調とした衣服。

 

「ダークエルフ?」

 

 その人影は、すぐに姿を隠してしまい、それきり現れなかった。

 

「どうした……」

 

「ダークエルフが……いたかもしんない」

 

「むむ、どうやら噂は本当らしいですね」

 

「噂?」

 

「先日のトールビーストの件、ご存知ですよね? 実はそれ以前から、狂暴化した魔物の被害が増加してるんです」

 

「それは、妖精たちがやってるらしい……」

 

「妖精……」

 

 あり得ない、とは言えなかった。

 ラークスの言を借りるまでもなく、妖精たちは人間を憎んでいる。だからこそ戦争の気配があるのだ。龍の復活も合わせて、少しづつ人間へ攻撃を加えていてもおかしくはないのだ。

 

 ジャックは、敢えて何も言わなかった。龍の復活、そしてリドリー、まだ公になっていないことを、軽々しくしゃべる訳にもいかないのだった。

 

 

 



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チーム・アハト③

 スミロドンの牙を回収し、グラントへ引き渡す頃にはすっかり陽が落ちていた。

 報酬は十分以上のものを得られたものの、コンラッドが無意味に自分の功績を誇るため、ジャックとジーンは苛立ち、ワルターはひたすらに仲裁に回り余計な疲労を負う羽目になった。

 

 ようやく解放され、今度こそ家に戻ろうとしたジャックは、アイテムが心もとないことに気づいて、『アイゼンハワー薬局』へ疲れた体を引きずっていった。

 

 アイテムは常に最善の状態にしておく、旅の中でジャックがたどり着いた真理である。そのおかげで命を拾ったことも、怠ったために死にかけたことも何度もあった。

 

 

 

 途上、その薬局の店長フリージア、フローラとヴィシャスが野良キツネを可愛がっている場面へ出くわした。これまた懐かしい光景であると共に、すっかり大きくなったばかりか丸々と太ってキツネというよりタヌキの体形となっているのが無性に可笑しかった。

 

「ジャックさん」

 

「よお、仕事帰りか」

 

「そんなとこ、お店はもうしまっちゃった?」

 

「あ、いえ大丈夫ですよ」

 

「回復アイテム、新しいのに取り替えて欲しいんだけど」

 

「はい、少しお待ちを」

 

 店内に戻ったフリージアを待つ間、ジャックはふと空を見上げた。

 星のまたたく夜空は、いつ見ても変わらないように見える。それに比べて、世界は、そして自分はどれだけ変わってしまい、また変わっていくのだろうか。

 

「何たそがれてんだよ」

 

「オレだって、色々考えたりするんだよ」

 

「バカの考え休むになんとかって知らねえのか?」

 

「なにをっ」

 

 フローラはくすくすと笑った。彼女たちにとってジャックは、『龍殺し』ではなく、お気楽で調子のいい、元気な少年のままだったのだ。

 

「あららん? デートのお誘いかしら?」

 

「あ、お疲れ様ですジャックさん」

 

 サイネリア、そしてミランダも加わり、ジャックの周囲はダニエルやフランクリンが歯噛みするような女子密度になっていた。

 現に、ポールはその光景を盗み見ながら怒りに震えている。

 

「あっ、お兄ちゃん」

 

「あら」

 

「一杯集まってるわね」

 

 ナルシェ、エレナ、アディーナも加わり、さながらオラシオン教団の一幕の様相を見せて来た。

 

「モーフ先生のところに、検診にいくところです」

 

「お兄ちゃん、ぼくね、お兄ちゃんみたいに強くなりたいんだ」

 

「おう、このジャック様はめちゃくちゃ強いからな」

 

「ナルシェ、お勉強もちゃんとしないとダメですからね」

 

「どういう意味だよっ」

 

「強くてもバカじゃダメってことよ」

 

 淡々としたアディーナのツッコミに、ビシャスが大笑いした。

 

「そういえばモーフ先生が馬鹿に付ける薬を作ったっていってたわ。使ってみます?」

 

「絶対いやだ!」

 

「お兄ちゃん、強くなるにはどうしたらいい?」

 

「簡単、鍛えて休んでよく食う。それとな、どうして強くなりたいかってモチベーションも大事だ」

 

「う~ん、お姉ちゃんたちに恩返しがしたいんだ、ずっと、ぼく迷惑かけっぱなしだったから」

 

「なら、エレナとアディーナを絶対に守るんだ、絶対にだぞ。そうすれば、もっともっと強くなれる」

 

「うん!」

 

「いくら強くっても、やりたいことができないんじゃ楽しくないからな」

 

 ふと降りた重い空気が全員を包んだ。ジャックのアドバイスはありきたりで、かつあまりにも切実な思いが込められていた。

 

「お待たせしました」

 

「お、サンキュ」

 

 知ってか知らずか、ジャックは薬局から出て来たフリージアからアイテム袋を受け取り、代金を渡すと帰っていった。

 

「ぼくももっと頑張るよ」

 

 それを知らないナルシェは、憧れの『龍殺し』のアドバイスに無邪気に張り切っていた。

 

 

 



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チーム・アハト④

 懐かしの我が家で睡眠を貪っていたジャックは、階段を下りて来る何者かの足音に目を覚ました。

 

「開いてるよ」

 

 ベッドに腰掛け、ノックされる前に声をかける。

 

「どしてわかったんすか?」

 

「ソロ?」

 

 ヴォイドの構成員、ソロである。如何にもな悪人面とは裏腹に気が弱く、アルマとは別ベクトルで盗賊には向いていない青年だ。ヴォイドには間違って入ってしまって、気の弱さからそれを言い出せずいるという噂もある。

 

「旦那、お帰りなせえ」

 

 へりくだった上目遣いでソロは挨拶した。

 

「うん、それで、どうしたの?」

 

「実は、旦那に依頼がしたくて……」

 

 

 

 

「にゃはは~本日は大サービスよ~ん」

 

「え~、出張ヴォイドサービスのご紹介っす。中々頼みづらいあんなことやこんなことも、ヴォイドだったらなんでも解決っす」

 

「7番テーブル、キバマンモーのソテーだって」

 

「うおおお! 任せろー!」

 

 『紅蓮京』のパーティルームはまれに見る盛況ぶりだった。ヴォイドはもちろん、サルビア、シルビアといったクラブ『ヴァンパイア』の面々が総出で、怪しげな相談所や臨時のバー、出店を開いている。

 

「今日の君は一段と美しいね」

 

「ありがと、もう一杯いかが?」

 

「いただくよ、君の淹れてくれる一杯はこのうえなく―」

 

「それでね、どうしてもこの素材がいるのよ」

 

「相応の金させもらりゃなんでもやるわよ」

 

「んー、イイ男には期待できそうにないわねえ」

 

「♪クールなフンイキだゼ」

 

「ムヒヒッ、いい素材が揃っとるのう」

 

 一角では、ヴァレスの面々が好き勝手にくつろいでいた。

 

「おいおい、顔が赤いぜ? 少し見ねえ間にガタが来たんじゃねえか?」

 

「ほざきやがれ、てめえこそふらついてやがる」

 

「うい~、ダニエル、もう一杯もらってこ~い」

 

「呑みすぎだよ隊長」

 

「バッカ野郎、飲み放題で飲まねえバカがどこにいるんでえ~」

 

「こういうところは落ち着かん」

 

「何事も勉強だぞ」

 

 ジェラルドを始めとした、テアトルの面々の姿も見える。

 変装しているつもりのようだが、オラシオン教団のドワイトやグラントも見え隠れしていた。

 

「みんな~ありがと~」

 

「サイコーだぜ!」

 

「アンコールだど~」

 

 ステージでは、今しがたナミ、すなわちコーネリアの幕が終り、ジェイドとジョケルが歓声を送っていた。

 

「続いて、ピーキィ……のパヤパヤダンス……」

 

「ハアーイ! お・ま・た・せ~‼」

 

 気だるげなリーリエの司会で、ピーキィが躍り出て十八番のダンスを披露する。

 

「う~ん……」

 

 渦中にあって、ジャックは難しい顔で唸っていた。

 ソロの依頼を受けたはいいが、まさかこのような流れになるとは予想していなかったからだ。

 

 ソロから頼まれたのは、客引きであった。

 『紅蓮京』のステージでは毎夜ライブが行われている、ナミやヘルツ、ピーキィ、時には変装講座のようなワークショップも開催されており、ここから有名になった者も数多い。

 

 そんなステージに、ソロはいつしか出場するのを夢見るようになった。もともとは、ジェイドのようにナミのおっかけをしていただけなのだが、何かのきっかけで自分が歓声を浴びる立場になるのを欲したらしい。

 

 だが、気弱なソロには至難の業だ。ステージは代金さえ払えばだれでも立てるものなのだが、踏ん切りがつかない。歌や踊りに自信があるわけでもなく、呼ぶ人の当てもない。

 そこで、ジャックの出番である。顔が広いうえ『龍殺し』の名があれば、絶好の客引きになるだろうと画策して宣伝を頼んだのだ。

 

 結果は十分以上だった、場所が場所だけに誘わなかった、ナルシェらお子様やオラシオンの関係者を除けば、あちらこちらから、それこそジャックが声を掛けてない者の姿も多くあった。中には城の関係者もいるらしい。

 それを当て込んで、オルトロスが出張ヴォイドサービスを派遣したほどである。

 

「大丈夫かな……」

 

 ただ、ジャックが心配なのはソロである。

 これほど大人数で、しかも酒と熱気で昂奮している客たちの前で、あの気弱なソロがライブなどできるものだろうか?

 

「ねえ」

 

「うおっ、お、リーリエ、どした?」

 

「次……ソロの番」

 

「もうそんな時間か……んで? 呼んでくりゃいいじゃん」

 

「いないよ」

 

「は?」

 

「ソロがいない」

 

「いないって……」

 

「逃げたみたいだねえ」

 

 ヴォイドの忍びこと、イオンが口添えした。

 

「逃げるって……え?」

 

「多分、この人出が恐くなったんだろうねえ。さっきまで青い顔して控室に座ってたんだけど」

 

「ええ~? マジかよ」

 

 呆れと納得が同時にやって来る。実はどこかで、あり得そうだと危惧していたのだ。

 

「どうする?」

 

「どうするも何も、いないんじゃどうにも―」

 

「おりゃああ!」

 

 突然、ジェラルドの怒鳴り声と大きな物音がステージに響き渡った。

 

「どした! そんなもんか!」

 

「ワシをなめるなよ、こら!」

 

 ジェラルドとノクターンが取っ組み合いの大喧嘩を始めたのだ。悲鳴をあげて逃げる者、はやし立てる者、止めようとする者、同じように喧嘩を始める者。あっという間に大喧噪が巻き起こる。

 

「じゃ、ジャック!」

 

「ダニエル、どうしたんだ!」

 

「ふ、副長とノクターンがお酒の飲み比べを始めて……それから腕相撲勝負になって、そのままケンカに―」

 

「うおお~! 俺の嫁さんになってくれ~!」

 

「は、離しなさい! 呪いをかけるわよ!」

 

「死体はワシにくれ!」

 

「ちょっと、殺し合いは外でしておくれ」

 

「隊長~」

 

「嫁さん欲しい~!」

 

 酔いつぶれたジャーバスはモルガンに抱き着き、ガレスらが引き剥がしにかかっていた。

 興奮したアーネストはギターを弾きならし、喧噪に彩を添える。どうしたらいいかわからず、とにかく暴れ出したジョケルを止めようと飛びついたピーキィらは振り回され、場はますますヒートアップしていくのだった。

 

 

 

 結局、夜通し喧噪は続いて、レナードら騎士団が呆れながら突入したことでようやく収拾がついた。

 ジャックを始め、テアトルからの参加者はエルウェンからお叱りを受け、禁酒令が布告される羽目となった。他のギルドの参加者にも同様の措置が取られたが、肝心のヴォイドのメンバーは騎士団の介入前に退散しており、思いがけない臨時収入を静かに祝っていた。

 

 ソロはその後3日ほど行方不明であったが、いつの間にか戻ってきて、今度こそはと再びライブ開催を夢見る日々だという。

 

 



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ヘレンシア砦

 大隊長の説教を終え、テアトルから出て来たジャックを、騎士団のニーナとチャーリー、そして懐かしくも憎たらしい顔が出迎えた。

 

「げっ」

 

「『桃色豚闘士団』副団長、ジャック・ラッセル様にラークス様からのご伝言です」

 

 青白い顔をした糸目の優男、ラジアータ城の執事アルだ。

 礼儀正しいしぐさと言動は表の顔、実際は慇懃無礼で人によって露骨に態度を変える、鼻持ちならない男だ。

 

「『ヘレンシア砦』に向かい、当地のレナード様のご指示を仰ぐようにとのことです。御多忙の身であると存じますが、至急にお願いいたします」

 

「うわあ、寒気がするぜ……いいよ、態度作んなくてさ。前のまんまで」

 

「そうですか? ごほん……じゃあさっさと行けよ、買い食いも寄り道も禁止。迷子にならないように二人を付けるからな」

 

「やっぱ、すげームカつく!」

 

「騎士なんだから振る舞いに気を付けろよ、お前のせいで評判が悪くなったら訴えるぞ」

 

「うるせえ! さっさと帰れ! ブーブー!」

 

「言われなくてもお前のアホ面なんていつまでも見てられるか、じゃあな」

 

 腹立たしいしぐさで会釈をして、アルは城へと帰って行った。

 

「なんであいつをよこすんだよ」

 

「アルさんが希望したらしいわよ、『龍殺し』の伝言役になれば、出世も近くなるんですって」

 

 ある意味騎士団一怖ろしい男、チャーリーがくねくねしながらジャックに語った。

 

「うわ~、とことん嫌な奴、ラークスさんに悪口言ってやる」

 

「でもね、久しぶりにあなたに会えて嬉しそうだったわ」

 

「こっちは嬉しくないぜ」

 

「しゃべってないで早く行きましょう」

 

 ニーナが淡々と告げる。こと、ナツメに関係すること以外には非常に淡白な少女だ。が、本当に微かではあるが、ジャックを前にすると声は弾み、表情も和らいでいるようだった。

 

 

 

 ジャックは、チャーリーとニーナを伴って、やたらと激しい魔物の襲撃をかわしつつ進み、日が高いうちに『ヘレンシア砦』へとたどり着いた。

 ジャックにとっては因縁深い場所だ。実際に訪れたのは僅か数回であるが、その内には騎士団時代、妖精たちの最前線、ガウェインとの死闘、リドリーとの決別と、忘れることが出来ない出来事が山のようにあった。

 そして今、その歴史にあらたな一頁が刻み込まれようとしていた。

 

「こ、これは一体?」

 

 チャーリーが驚きの声をあげる。砦はあちこちから火が出て、騎士たちが消火に躍起になっているのだ。見れば、傷つき手当てを受けている者も多い。

 

「『龍殺し』のジャック様ですね! よ、よかった……」

 

 騎士の一人がジャックたちに駆け寄ってくる。生傷だらけで、今にも倒れ込んでしまいそうだ。

 

「どうしたの⁉」

 

「妖精たちの襲撃です! 今、レナード団長が指揮をとってらっしゃいますが……どうか、ご加勢を!」

 

「ニーナ! チャーリー! 休んでる暇はなさそうだぞ」

 

「「了解!」」

 

 片やオカマ、方や見習いではあるが、騎士たる二人は即座にジャックの指示に従い、その後に続いた。

 

 

「おっさん!」

 

「おっさんじゃ……まあいい、助けてくれジャック……!」

 

 レナードは、ほとんど悲鳴を上げるように駈けつけたジャックらに助力を求めた。

 味方は壊滅状態で、レナード本人もどうにか攻撃をしのいでるのがやっとで、間もなく力尽きるのは明白だった。

 

「ヒャッパー!」

 

「ベリ~COOL!」

 

「ブラックゴブリン?」

 

 砦を襲っているのは、ブラックゴブリンのウルフライダーたちであった。オオカミを乗りこなす術を身に着けた戦闘集団で、集団で襲い掛かるその連携と実力は侮れないものがある。現に、レナードらが満身創痍であるのに対して、ゴブリンらには疲労も見えていなかった。

 

「アラテダ~!」

 

「ブッチギレ~!」

 

 ジャックらを認めて一斉に襲い掛かってくる。これまでの加勢にきた騎士らと同じく、巧みな連携により翻弄して仕留めてしまおうという魂胆だ。実際、並の騎士であれば対処は困難であったろう。

 だが―

 

「―」

 

「ギャッ!」

 

「グエー!」

 

 不運にも、彼らが相対したのはジャック・ラッセルだった。

 

「? オイ、オマエラ……アガッ!」

 

「ヒエーッ!」

 

 閃光のようなジャックの一撃が、ブラックゴブリンたちを弾き飛ばしていった。

 かつて、ケアンが『水龍』を屠った剣『アービトレイター』、世界の果てに住まう戦乙女が持ちし伝説の魔剣『グラム』。それぞれを片手に持った二刀流で、ジャックは戦場を縦横無尽に駆け巡った。

 

 レナードが、ニーナらの助けを受けて呼吸を整えるわずかの間に、ジャックは、ブラックゴブリンたちを完全に無力化してしまっていた。ゴブリンもオオカミも、気絶しているか動くことができないかである。

 

「おお! 見よ! 『龍殺し』が我らを救ってくださったぞ!」

 

「我らの勝利だ!」

 

 絶望の底にあった騎士たちは喝さいを叫んだが、その声はジャックの耳には届いていなかった。

 今の彼にあるのは、疑問と不安感である。

 

「どうしてブラックゴブリンたちが……」

 

 ラジアータ王国へやってきて、去るまでの間、ジャックは妖精たちともそれなりの交流を持っていた。

 そのころから彼が知るブラックゴブリンたちは、ほとんどが『ゴブランヘブン』で日がな一日キノコの煙を吸って暮らす自堕落な妖精たちであった。他種族には不干渉で、戦争においても参加者は極々一部が存在するに過ぎなかった。

 

 ウルフライダーも、リッキーやドミニクがいるのみで、これほど多く、しかも連携がとれた熟練のゴブリンたちは見たことがなかった。それがこれほど遠出をして来るという事は……ブラックゴブリンたちも、いよいよ本腰をあげたということであろうか。

 

「ジャ、ジャック、タスケテクレー!」

 

「は?」

 

「ゴブリホテプサマー!」

 

 一瞬、ジャックは呆気にとられた。突然、ゴブリンから名前を呼ばれたのだから無理もない。

 しかし、あくまで一瞬だった。同姓同名の者がいるのは不思議ではない、それよりも、その『ジャック』という増援へ対応するのが先だ。

 

 しかし、すぐさまにそれが誤りであることをジャックは知るのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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『ジャック』

 その加勢者は音もなく現れた。

 黒い鎧に身を包んだ、小柄な人物だ。背丈から見るに、ダークエルフであろうか。オークらにしては小さすぎ、ゴブリン、ドワーフにしては大きすぎる。ライトエルフなら羽が生えているはずだが、それも見えない。

 

「救護者以外は続けー!」

 

「我らも力を見せつけるのだ!」

 

 ジャックの活躍に勢いづいたのか、砦から出て来た騎士たちが、黒い鎧の人物に突撃していった。

 

「待てー!」

 

 ジャックの叫びは、騎士たちが無残に骸と化してから、無常に響きわたった。

 黒鎧の人物が、目にもとまらぬ速さで大剣を振るって、騎士たちを一蹴したのだった。

 シーザーの『血滑り』に似た、東の国で『刀』と呼ばれる形状の剣だ。重武装の騎士たちの鎧を、薄皮のように斬り捨てた。

 

「くそっ!」

 

 ジャックは黒鎧と斬り結んだ。数度打ち合うだけで戦慄が走る、この相手は、手加減できる相手ではない。

 

「このっ!」

 

「……」

 

 尋常な腕ではなかった。これほどの力を感じたのは、大隊長エルウェン、ガウェイン、そして夢かうつつかわからぬ中で出会った強者たちだけだ。

 

 恐ろしいのは、黒鎧の目的がジャックらの打倒でなく、ブラックゴブリンたちを逃がすためであることだった。

 ジャックを足止めしつつ、ブラックゴブリンたちへ追撃せんとする騎士たちをけん制する。それでいて、互角以上に打ち合っている。

 

 ほどなく、ゴブリンたちはどうにかその場から撤収することに成功した。

 

「タスカッタゾ、ジャック」

 

「アトデメシオゴッテヤル」

 

 黒鎧は全員の撤収が終わった時点で、ジャックの相手をやめて背を向けて逃げ出し、深い森の中へ姿を消した。

 

「はあ……はあ……」

 

 ジャックは、ようやく双剣から手を離して、黒鎧が消えた方向を見つめた。

 あのままやっていれば、勝てたかわからない。それほどの力量を感じていた。

 

 そして、その名。

 単なる偶然……とは思えなかった。復活した龍、そしてリドリーの影、己と同じ名を持つ、妖精に与する者。

 何かが、恐ろしい何かが起こっている。

 そう予感せざるを得なかった。

 

 不吉な予感と向き合う間もなく、ジャックは傷ついた騎士たちの介抱に奔走させられ、その後は、王国からの増援がやってくるまで、見張り役として砦に張り付かざるを得なかった。

 

 ブラックゴブリン、そして黒鎧と立て続けに襲撃を受け、もしも再襲撃があった場合、対処できるのはジャック以外にいなかったからだ。

 

 ことに、チャーリーはすっかり震えあがってジャックの傍を片時も離れず、ただでさえ混迷を極める砦に悪影響を与えていた。



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黒い鎧の男

 騎士団の増援と入れ違いで、ようやくラジアータに戻れたジャックであったが、すぐさまにアルからラークスの元へ出頭するように伝言を受けた。

 

「くれぐれも、失礼のないようにな」

 

「うっせえよ」

 

 げんなりしきったジャックであったが、雇用主には逆らえない。

 執務室へ通され、ラークスがやって来るまで待つこととなった。

 

「お待たせしましたジャックさん」

 

「久しぶりですね」

 

「あれ? ナツメも?」

 

「ナツメ将軍とお呼びなさい、ジャック副団長」

 

 凛としてナツメが言った。

 麗しい外見に似合わぬ剣の腕と頭脳で騎士団団長に昇り詰め、ダイナス亡き後の将軍の地位に若くしてつくだけの実力を持つ女騎士である。

 

「一緒に話を聞いてもらった方が早いと判断しました。さて、まずはヘレンシア砦の防衛をありがとうございます。あなたがいなければ、陥落していたとレナードから聞きました」

 

「うっす、頑張ったっす」

 

「特別報奨金を出しましょう。それから……黒い鎧の男とも遭遇したそうですね」

 

「あ、はい……男なんすか、あいつ?」

 

「あくまで、仮にそう呼んでいるだけです。現在のところ、あの者の性別も、そして種族もわかっていません」

 

「確かなのは、妖精の味方であるということだけよ」

 

 ジャックは頷く、ブラックゴブリンたちに加勢し、彼らの逃亡を助けた。

 

「これまでなんどか目撃情報もありましたが……参戦したのはこれが初めてです。

いかがでしたか?」

 

「めちゃくちゃ強かったっすね……エルウェン大隊長クラスです」

 

「そうですか……」

 

 ジャックは、黒い鎧の男が『ジャック』と呼ばれていたことは言わなかった。聞き間違いかもしれないし、積極的に伝えたいことでもなかったからだ。

 

「龍……かもしれませんね」

 

「え?」

 

「お忘れですかジャックさん? 地龍ボイドはドワーフの、火龍パーセク、銀龍……ルシオンは人間の姿をしていました」

 

 ジャックは、はたと手を打った。すっかり忘れていたが、龍は姿を変えることも出来るのだ。なるほど、あの黒い鎧の男が龍であったならば、あの力も納得ができる。

 

「ラークス様、皆に注意を喚起してはいかがでしょうか?」

 

「逆効果でしょう、余計な動揺を与えるだけです。むしろ、戦う前から戦意を喪失させる結果にもなりかねません」

 

「ですが……」

 

「それに、その者が龍と決まったわけでもありません。強者の妖精や、人間である可能性もあります。もう少し調査を要しますね」

 

「人間?」

 

「リドリーの件も、ありますからね」

 

 ジャックは何も言えなかった。

 

「ともかく、黒い鎧の男の正体が誰であれ、相対できるのはジャックさんを始めとして数人といったところでしょう。その時は……お願いします」

 

「うっす」

 

「また、ジャックさんの方でも、その男とリドリーらしき人間の正体を探っていただきたい。騎士団とは違った視線から迫ることができるでしょうから」

 

「うわ、結構大変っすね」

 

「当然ですね、それが仕事ですから」

 

「なんだよ、感じ悪いな」

 

「当たり前です。肝心な時に姿をくらまして、どれだけ私たちが……」

 

 ジャックとナツメの間で始まりそうな口げんかを、ラークスはやんわりと、しかし有無を言わさずに制止した。

 

「おやめなさいナツメ」

 

 ナツメは押し黙った。

 流石のジャックも少しばかりばつが悪く、それ以上の口答えもせずに、執務室を後にした。

 

 

 妖精に味方する、自分と同じ名を持つ謎の黒い鎧の男。

 気にならないわけがなく、ジャックの頭の中にはその黒い影が浮んで消えなかった。

 

 ジーニアスならば何か知っているのではとヴァレスに寄ってみたが、その姿がここ数日見えないとの返答がレオナから返ってくるだけだった。

 

「あ~」

 

 悩み事が多すぎる時どうするか?

 ジャックは経験則から、食って寝て備えるを実行した。

 

 

 

 



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惚れ薬?

 翌朝、ジャックは目覚めると再び『ヴァレス』へジーニアスを尋ねていった。

 

 しかし、またしても彼の姿はなかった。レオナは兄が行方不明になったのではないかと不安がっていたが、元々何かに熱中すると周りが見えなくなるジーニアスであるだけに、周囲は良くあることとして処理していた。

 

 ジャックにしても、ジーニアスの行き先となると見当がつかない。どこにいてもおかしくなさそうで、場所を絞れないのだ。レオナに懇願されて探すと請け負ったものの、ただ待つしかないというのが本音だった。

 

 であれば、依頼を受けるか鍛錬をするかと歩きだそうとしたジャックの前に、アドルフがひょいと姿を現した。

 

「ムヒョヒョヒョ、生きとったかキサマ」

 

 アキレスに匹敵する顔色の悪さと、一部の色が異なる人相の悪い顔。

 一見すると人間には見えない、『ヴァレス』の助教授がアドルフであった。経歴不明で、ニュクスら魔族の故郷『北の大地』の関係者とも噂されている。

 

「悪かったな」

 

「まあええ、生体実験に使えるからのう」

 

「させねえよっ」

 

 魔術に深い造詣を持っているが、倫理観は薄い。下手に気を許せば文字通り魂まで手玉に取られてしまいそうな危険人物だ。

 

「というわけで、グイッといっぱいいけい」

 

「なんだそれ? 絶対飲まねえ」

 

 アドルフがさし出したのは、虹色に光る怪しげな液体であった。

 彼がすすめる物を、すんなりと受け取ってはいけない。

 

「くどくど言わずに飲めばええんじゃっ!」

 

「中身もわかんねえのに飲めるかよ!」

 

「ええい、惚れ薬じゃ! そら、飲めい!」

 

「嫌なこった!」

 

「おやおや、往来で喧嘩はモテない奴のすることだぞ」

 

 ジャックとアドルフの間に割って入ったのは、『ヴァレス』の生徒フランクリンである。

 ハンサムな青年であるが、それを鼻にかけるナルシストで、魔術の勉強よりも女の子にモテることに心血を注ぐ劣等生だ。

 

「キサマ遅刻じゃぞ!」

 

「すいません、あの娘が離してくれなくてね」

 

「相変わらずだなあ」

 

「キミもそこそこ名が知れてるようになったみたいだけど、まだまだ僕の域には及ばないな。ま、顔はどうしようもないから仕方ないけどね」

 

「ムカッ」

 

「おっ、女の子を撒くのに走って喉が渇いてたんです。ちょっといただきますよ」

 

「あ、おいー」

 

 アドルフから『惚れ薬』を奪って、フランクリンは一息に呑みほしてしまった。

 

「うむ、まあ味は悪くない。けどシルビアさんのカクテルには―」

 

 と、アドルフの足もとをネズミが走り抜けた。

 

「うわっ……全く、ネズミ捕りをしっかり―」

 

 愚痴るフランクリンの足もとに、またたく間にネズミたちが集まって来た。

 

「な、なんだ?」

 

 あちこちから集まったネズミたちによって、フランクリンの周囲はさながら生きた蠢くじゅうたんの様相を見せている。

 ジャックとアドルフは早々に避難して、その成り行きを見守っていた。

 

「お、おいキミ! 助けて……うわあっ?」

 

 ネズミによって転ばされたフランクリンは、そのまま運ばれて行ってしまった。

悲鳴が遠くなっていき、やがて大きな水音が聞こえてきたことから、地下水道に連れ込まれたらしかった。

 

「ふむ……まあ成功ではあるな」

 

「成功だじゃねーよ! どこが惚れ薬なんだよ」

 

「バカモンッ! 惚れ薬じゃ! まだ相手を限定はできておらんがな!」

 

「それじゃ意味ねーだろ! よくそんなの飲まそうとしたな!」

 

「今回はネズミに効いたんじゃな……配合を変えるかの……」

 

 アドルフはぶつぶつ言いながら去って行った。

 ジャックも呆れて帰ろうとし、途中フランクリンのことを思い出したが、先ほどの態度がムカついたため、わざと無視することに決めた。



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鍛えよ! 超肉体

 『テアトル』の受付へ向かったジャックは、タナトスに対しているアキレスとナルシェを認めた。

 

「お、丁度良かった。お前にお客さんだぞ」

 

「ジャック、この前の働きは見事だったぞ」

 

 オラシオン教団のモンクマスター、アキレスはジャックの肩を叩いた。

 新興住宅予定地を襲った、魔物たちの撃退の際の鮮やかな手並みを讃えているのであった。

 あの時は、しっかりとした挨拶ができていなかったため、ジャックは改めて頭を下げた。

 

「実はお前に依頼をしたいのだ」

 

「どんな?」

 

「ぼくたちと試合をしてほしいんだよ」

 

 合点がいった。以前も、アキレスの弟子たるビシャス、エルヴィス、ミランダと手合わせをする依頼を受けたことがある。

 あれから時が経った、弟子たちの成長具合をみたいのだろう。ナルシェは『テアトル』所属だが、エレナ、アディーナの伝手で潜り込ませたのだろうか。

 

「いいよ」

 

 ジャックは快諾した。悩んでいる時ほど、体を動かすに限る。

 

 

 

 の、はずであったが、更なる困惑の中にジャックは落とされてしまっていた。

 

「よろしく」

 

「やったるべ~」

 

「ぼく、がんばるよ」

 

「無茶をしないでね、ナルシェ」

 

「ジャックさんをぶっ潰すつもりでいくのよ」

 

 ナルシェがいるのはわかる、エレナとアディーナも、まあ、付き添いとして必要だろう。

 しかし、モンクでないエドガーとクライブが相手というのは?

 

「準備はいいか?」

 

「いや、エドガーとクライブが相手なの?」

 

「そうだが、不服か?」

 

「不服って訳じゃないけど……」

 

「なんだい、文句があるのかい?」

 

「だって、エドガーはモンクじゃないだろ」

 

「そうだよ」

 

「そうだよって……」

 

「いいから戦ってよ、フェルナンド様に成長を見てもらいたいんだ」

 

 エドガーはまじめで敬虔な教徒である。一点、フェルナンドを異常なほどに崇拝していて、ストーカーすれすれの毎日を過ごしていることを除けば。

 

「フェルナンド様に近づくために、モンクの腕も磨いておかないとね。だから、アキレス様に稽古を頼んでるんだ」

 

「だったら最初からフェルナンドに頼めば……」

 

「はあ? キミは正気かい? フェルナンド様の貴重なお時間を奪えるわけないだろう?」

 

「俺の時間はいいのか?」

 

 アキレスは諦めたように愚痴った。もちろん、エドガーの耳には届いていない。要するに、フェルナンドに近づくのが目的なのだろう。

 

「まあ、いいけど……クライブは?」

 

「オラ、相変わらず食って寝るだけだべ、このままじゃいけねえだ。んで、モンクの修業も積んどこうって思っただよ」

 

 エドガーに比べれば、いたって真面目な理由であった。しかし、絶望的に間延びした口調と動作を見るに、その未来には暗黒が渦巻いているのは確かだった。

 

「ぼくはね、お兄ちゃんに稽古をつけて欲しいんだ」

 

「それならいつでもいいぞ」

 

「最近お城に行ったり依頼を受けたりで忙しそうでしたから、声をかけづらかったんです」

 

「貧乏暇なしなのね」

 

「OK,OK、……それなら、始めようぜ」

 

 

 

「あいたたた」

 

「うひ~、昼なのにお星さまが見えるべ~」

 

「はあ……はあ……」

 

「大丈夫ナルシェ?」

 

「モーフ先生に診てもらいなさい」

 

「平気だよ……お兄ちゃん、ありがとう」

 

 ジャックと3人の立ち合いは、全てジャックの勝利で終わった。

 しかし、その内容は圧勝とはいかず、いずれも長引いた末の泥試合の決着だった。

 

「うん、僕の鍛錬も形になって来てるね」

 

「オラ、モンクの方が向いてるかもしんねえべ」

 

 エドガーとクライブは、『龍殺し』と良い勝負をしたことで気分を良くしていたが、アキレスからすれば噴飯ものだった。

 

 ジャックは、わざと接戦を演じたのだ。顔なじみへのサービス……ではない、あまりにも実力差がありすぎて、怪我をさせないようにするにはスタミナ切れでの決着を狙うしかなかったのだ。

 現に、ジャックは息も切らしておらず、受けた攻撃も完全にいなしていてダメージが全くない。

 

 それに気づかないこの二人には、これからも手を焼きそうだとアキレスは頭を痛めていた。

 

「ナルシェ、鍛錬がしたかったらいつでも相手してやるぞ」

 

「ほ、本当?」

 

「ああ、だから今日はゆっくり休め、メシもうまいものを食うんだぞ」

 

「うん!」

 

 比べて、リハビリが主な目的であるナルシェは、それを明文化できないものの感じ取っており、努力の意志もある。欲を言えば、戦士であるナルシェの方が弟子としては好ましかった。

 

「今日はここまで、ジャックよ、報酬はタナトスに渡してある。受け取るがいい」

 

「そっすか、それじゃ、ありがとっした」

 

「フェルナンド様に顔向けできるよ」

 

「ほんじゃまたな~」

 

「またね~」

 

「ありがとうございました」

 

「寄り道しないで帰るのよ」

 

 遠ざかるジャックの背を見ながら、アキレスは今回は戦いたがっていない己の本分を以外に思った。

 トールビーストを一撃で屠ったあの姿、すでにその実力差が覆し難いものであると、どこかで思ってしまっていたらしかった。

 

「修業が足らんな……」

 

 アキレスは独りごち、より一層の鍛錬を誓うのだった。

 

 

 

 

 



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セバスチャン・マークⅡ

「ああ、ジャックさん」

 

「ふむ、久しぶりだな同士よ!」

 

 『テアトル』に戻った早々、ジャックはスターとセバスチャンに捕まってしまった。

 

「懐かしいな、共に『龍』と闘った日々……戦友との再会は嬉しいものである!」

 

「嘘つくんじゃねーよ! お前と『龍』なんか倒してねえ!」

 

 自由騎士を自称する、目下騎士団試験落第中のへっぽこ戦士スターは、『テアトル』の一室へ転がり込んで、掃除や工事のバイトで糊口をしのぐラジアータ3大奇人の一人である。

 

 ジャックの仲間ではあるが、一方的に加入してきたうえ、『龍』を討伐した場にはもちろんいなかった。

 

 セバスチャンは、そんなスターの実家、名門貴族シュテルン家がスターに与えた執事で、自立型ゴーレムである。礼儀正しく、実力もそれなりに備えているが、スターを盲信しているためにそれが一向に活かされない。本人としてはスターの傍にいるだけで満足らしいが。

 

「さて、ジャックよ、貴様なら我がスター隊に加えてやってもよいぞ」

 

「は? 隊?」

 

「はい、スター様はその功績を認められて、隊を任されているのです」

 

「勝手に言ってるだけだぞ」

 

 タナトスが訂正した。

 

「が、吾輩の隊に入るにはそれなりに実力を示してもらわねばならんな」

 

「いや、俺入るなんて一言も……」

 

「試験として、我が隊室を不法占拠する不届き物を討伐せよ!」

 

「人の話を聞け!」

 

「ジャックさん」

 

 セバスチャンが手招きして、部屋の隅でそっと耳打ちする。

 

「実はですね、部屋を取られてしまったんですよ」

 

「は? 誰に?」

 

「それが、私と同じゴーレムになのです」

 

「はあ? ゴーレム?」

 

 ゴーレムと言えば、アーシェラである。

 

「先日、スター様が里帰りなさったときなのですが……お父様が『ヴァレス』のゴーレム研究の第一人者に頼んでおつくりになった、ゴーレムを勝手に持ち出されてしまったのです」

 

 当たらずとも遠からず、やはり、アーシェラの関係していることだった。とはいえ……

 

「実家のものならまあ、スターのことだしいいとして……前みたいに、ヤバいやつなの?」

 

 かつてスターは、同じように実家から物を持ち出し、騒ぎを起こしたことがあった。それに対処したのが、ジャックである。

 

「自立型の最新式ゴーレムなのですが……調整が不完全であったらしく、いう事を聞かないのです」

 

「それで部屋を取られちゃったのか……いいよ、行ってみる」

 

「おお! ありがとうございます」

 

「む、吾輩抜きで何を勝手に決めておるか⁉」

 

 

 

 スター隊、もといテアトル地下に位置する二人の住処(不法居住)のドアを開いて中へ入ったジャックは、早速そのゴーレムと対面した。

 

「ん? どなたですかな、ノックもなしに」

 

 アーシェラが関わっているとの話から、メリッサ100号のような人間に近いフォルムを想像していたジャックは、セバスチャンを巨大に、無骨にした、いかにもゴーレム然としたその姿に驚いた。

 片手は回転銃になっていて、両肩にはミサイルポッドとレーザー砲のようなものがついている。

 

「おい、お前がスターたちの部屋を占拠してるゴーレムか?」

 

「占拠とは心外ですね、私、セバスチャン・マークⅡは、正当な手段をもってここを入手したのです」

 

「はあ?」

 

「この世は力、すなわち、強いものが全てを手に入れるのです。あの二人は私より弱い、なのにどうして従わねばならないのでしょう」

 

「また面倒くさい奴だなあ」

 

「ゆくゆくは、このテアトルそのものも我が手中に収めるつもりです。その準備がありますので、さ、お帰りを」

 

「はい、さよーなら……ってわけにはいかねえんだよ。スターの家のゴーレムなら、スターの言う事を聞けよ」

 

「断固拒否します。あのようなへっぽこになど……」

 

 思わず同意しそうになるジャックだったが、ぐっとこらえた。

 

「じゃあ、百歩譲ってそれでもいいけど、ここはスターたちの部屋……でもないけど、テアトルのものなんだ、勝手に使うなよ」

 

「言っても分からないようですね」

 

 マークⅡはジャックに銃口を向けた。

 

「体で教えてあげましょうか」

 

「……ま、そっちの方が早くていいか」

 

「その愚かしさの代償はすぐに―」

 

 刹那、マークⅡの武装は全て叩き斬られていた。

 

「なっ!」

 

「おっと、動くなよ」

 

 その上、『アービトレイダー』、『グラム』の双剣が付きつけられている。マークⅡが捉えられないほど速く、ジャックが攻撃を加えたのだ。

 並の剣では傷一つ付けられない装甲を、容易く切り落としている。

 

「強い奴は好きなようにできる……のはいいけどさ、自分がそうされても文句は言えないぞ?」

 

「ば、バカな、この私がこうも容易く……」

 

「上には上がいる……ってこと。どうする?」

 

「く、うううう~」

 

 (ある意味)優れたマークⅡの頭脳は、瞬時にジャックと自身の実力差を理解していた。

 

 シュテルン家、そしてスターとセバスチャン、これまで出会った人間の実力から、自身は遥か上にいて、かつ賢いと判断して下克上を目論んだのは間違いではない。

 

 だが、彼の世界は狭すぎた。

 

「ま、参りました」

 

「部屋を帰すか?」

 

「……そのように」

 

 

 

「う~む、やはり我が家は良い」

 

「ありがとうございます、ジャックさん」

 

 スターとセバスチャンは取り返したわが家で早速くつろぎだした、こういうところは大物だなと、ジャックは変なところで感心を覚えた。

 

「ところで、こいつはどうすんの? スターの実家に返す?」

 

 マークⅡのことである。

 

「よい、吾輩の隊へ組み入れよう」

 

「はあ?」

 

「今度のことで良くわかっただろう、吾輩にたてつくなど100万光年早いとな」

 

「いや、やったのは俺」

 

「下々の者に慈悲を施すのも吾輩の器量である、今後はしかと働くがよい」

 

「……わかりました」

 

「いいのかよっ?」

 

「屋敷にいては世界はわかりません……井の中の蛙であるのは私のプライドが許しません!

ジャックさん、あなたの動きを分析し、もっともっと高みを目指します!」

 

「まあ、いいけど」

 

 こうして、ジャックの新たな仲間に、セバスチャン・マークⅡが加わるのだった。

 



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『セプティモ』危機一髪

 スターらの一件を片付けた後、ジャックは家に帰って寝転んでいた。

 疲れがあったわけではないが、依頼を受けたりどこかへ行ったりする気にもならなかったのだ。

 

「リドリー……」

 

 何度目かわからない言葉が口をついた。

 いっそ、妖精たちの住処へ突撃して、何もかもはっきりさせてしまおうかとも思う。

 その一方、真実を知るのが恐いという感情もまたあった。もし、リドリーが復活していたとしたら、自分はどうするのか……。わからない。

 

 そう、怖いのだ。

 自分のせいで失ってしまった大事な彼女を、どうしたらいいのか。

 どれだけ強い力を手に入れたとしても、覆しようのない過去の過ちに対しては無力である。

 

 と、何者かの気配を感じた。かなりうまく、足音を消している。

 

「ちょっと~、いるんでしょ~?」

 

 フラウの声だ。ジャックは脱力し、ドアを開けて盗賊娘と対面した。

 

「なんだよ?」

 

「あんたんとこの連中がちょっち面倒なことになってるからさ、教えてあげに来たのよ」

 

 

 

 

 ジャックは、リンカとフラウを伴ってドーセ地方へ急いでいた。

 

「だからさ、あんたを呼びにいったのよ」

 

「ゴブリンか……」

 

 フラウとリンカが仕事で遠出した帰り道、上級戦士デイビッドが率いる、テアトルのチーム・セプティモがゴブリンに襲撃される現場を目撃した。

 

 といっても、盗賊ギルドは慈善団体でもなければ、戦闘集団でもない。加勢するわけでもなくその場を去ったわけではあるが、流石にそのままでは気まずいからと、ジャックに知らせに行った。というのが、フラウの話の要約だった。

 

「騎士団は近くにいなかったのか?」

 

「みんなヘレンシア砦に行っちゃってるからさ、他のところは手薄なのよ」

 

 (一応)騎士であるジャックよりも、フラウの方が物知りのようだ。

 確かに、ゴブリンは、オークやエルフに比べれば害は少ない方であったが。

 

「最近は妖精をよく見かけるようになった……案外、本当に戦争が近いのかもな」

 

「……」

 

 リンカの言葉に、ジャックは答えなかった。

 

 

 

 シャングリラにほど近い岩場で、ジャックたちは傷を負った一団に遭遇した。

 

「あれ? カルロスにローレック……フローラ?」

 

 ジャックが面食らうのも無理はなかった。チーム・セプティモは、チームではあるものの、デイビッドのみが所属している隊だったからだ。

 

 カルロスは決まったチームに属せず、牢屋番を担当。ローレックは同じくどこにも属せずにいる戦士で、どちらもお世辞にも技量が良いとは言えなかった。

 

 フローラ、そしてよく見たらいるサイネリアに至っては、テアトル所属ですらない。

 

「ジャックさん! 私の危機を察して来てくれたのね! 感激だわ!」

 

「どういうこと? デイビッドは?」

 

「すぐわかる……」

 

「うおらあああああああ!」

 

 奇声をあげながら、デイビッドが一同へ向かってやって来ていた。

 双剣を振り回し、やたらめったら周囲を切り払っている姿は、どうも正気とは思えない。

 

「うおおおお! やったらああああ!」

 

「あ、ああ、き、来ましたあ」

 

「ゴブリンのパニックパウダーにやられてやがる、だらしねえ」

 

「ジャックさん、パパッとやっつけてください」

 

「う~ん?」

 

 何となく話が見えてきたジャックは、突撃してくるデイビッドへ一撃を加えて、難なく彼を失神させた。

 

「フローラ、介抱してあげて。サイネリアは、二人を」

 

「は、はい」

 

「さっすがジャックさん、後は任せてくださいね」

 

 ほどなく、デイビッドと二人は快復へ向かった。

 

「んあ? あ、てめえは……?」

 

「おっす、フラウとリンカが知らせてくれたよ。で、何があったの?」

 

「? 何かあったのか?」

 

 

 各々から証言を聞き、ことの顛末がようやくわかってきた。

 まず、フローラとサイネリアが、薬草収集の護衛をテアトルに依頼した。最近は妖精の活動も活発になっているからだ。

 

 本当はジャックに依頼したかったのだが、デイビッドがそこへ強引に割り込んできた。

 カルロスとローレックを(強引に)加えてチームを結成し、勢いに乗っていたデイビッドは、タイミングよくやってきたその依頼をデビュー戦にしようとしたのだった。

 

 そうしてドーセ地方へやって来た一行だったが、運悪くゴブリンたちの襲撃を受けた。腕の立つデイビッドは容易く彼らを蹴散らしたが、パニックパウダーが直撃し混乱、味方へ襲い掛かったのだ。

 

 フローラ、サイネリアとも治療技術を持っていたが、傷ついたカルロス、ローレックらを逃がすのにタイミングを逸し、危ないところでジャックらに助け出されたのだった。

 

「乙女のお願いを無視するなんてひどいです」

 

「タイミングが悪かったんだよ」

 

 サイネリアは何故かジャックを責めた。

 

「ま、そういうわけで。義理は果たしたよー」

 

「じゃあな」

 

 フラウとリンカはさっさと帰ってしまった。

 

「ちくしょー! 俺のデビューが!」

 

「帰ろうぜもう」

 

「ま、またゴブリンが来るかも」

 

 セプティモの面々はいまいち嚙み合わない。どうにも急造チームらしく、連携が取れていなかった。

 

 大山鳴動して鼠一匹、ジャックはどっと疲れて、一行をラジアータまで送り届けねばならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「ジャックダ……」

 

「ヤッパリソウカ」

 

「パイン?」

 

「リドリーニホウコクスルゾ」

 

 

 

 

 



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東方からの来客

「じゃあね、行ってくるよ。いい子にしてるんだよ」

 

 ダニエルの一日は、愛しのクロコゲーター、イザベラへ挨拶し、テアトルへ出勤することから始まる。

 

「ぼくだって……やれるんだ」

 

 近頃はそこに、気合を入れる日課が加わった。原因は最近復帰した元同僚、『龍殺し』のジャックの存在である。

 

 かつて、騎士をクビになったからという触れ込みでやってきた少年。ヘクトンの副隊長試験で敗北したのを皮切りに、ジャックはどんどん武功を立てていき、ついにはラジアータで知らぬものの無い『英雄』にまで昇り詰めた。

 同年代、しかも間近で彼を見て来た身としては、友人であっても対抗心を抱かずにはいられない。

 

 さらに、ジャックの周辺には複数の女性の影がある。ユーリを始め、各ギルド、さらには城の騎士、王女に至るまで、どれも親しい仲の女性だ。

 

 これが、名声以上に許せない。

 

 嫉妬がダニエルの野望を燃え上がらせる。

 

「見てろよジャック……今に」

 

「すまぬが」

 

「え? なに……」

 

 そこにいたのは見馴れない少女だった。艶のある黒髪を腰まで伸ばし、透き通るような白い肌の美少女だ。白い鎧をまとっているが独特な形状で、シーザーのそれに似ていた。腰に携えた剣も、彼の『血滑り』と似た独特な形をしていた。

 

 細い瞳、肌に映える赤い唇、絶世の美女といって良い外観だ。一方で、アリシアのような柔らかな雰囲気はなく、触れれば切れる刃のように張りつめて緊張感をまとっている。

 

 

「か、カワイイ……」

 

 ダニエルの決意と野望は、一瞬にして煩悩に変わった。どうにかして、この少女に気に入られて、あわよくば……。

 

 

「? すまぬが……」

 

「は、はい! なんですか⁉ テアトルの戦士、ヘクトン副隊長、ダニエルがどんな依頼もお受けします!」

 

「お、おう? ……良く分からんが、伺いたいことがある」

 

「はい! なんなりと!」

 

「ジャック・ラッセルはおらぬだろうか? アホ面した男だ」

 

 

 

 しばらくして、ダニエルと少女の姿は『ヘクトン』の隊室にあった。

 ジャーバス、ナルシェの姿もある。

 

「ふむ、それでこのお嬢さんはジャックを探してるんだな」

 

「ナギサ、と申す。この『テアトル』の仕組みは先ほど説明を受けた、報酬は払う、ジャックを探し出して欲しい」

 

「お兄ちゃんなら家に……」

 

「いなかったんだよ、タナトスさんも見てないって」

 

 ダニエルはいささかやつれながら答えた。

 またしても、ジャックに関係する美女だ。しかも、彼に会いたがっている。

 それでも、投げやりになっていないのは、彼女の目的に光明を見出したからだ。

 

「しかし、ジャックに復讐するっていうのはおだやかじゃないな。生意気なヤツだが」

 

「わしは、あやつの一度敗れた。このままでは終われないのだ」

 

 ナギサは、ラジアータのはるか東方の国からやって来たという。シーザーの鎧『ヒヒイロカネの鎧』が作られた地で、得られる鉄や鍛冶製法もラジアータとは大きく異なっている。あまりに距離が離れているため表立った交流こそないが、特に断絶しているわけでもないため、時たまこういう形で交互の物が訪れることがあった。

 

 彼女は、武力を尊ぶ『ブケ』という家門の出であり、その『ブケ』のトーナメントに参加したジャックに敗れてしまったらしい。

 

 それまで挫折を知らなかった彼女にとっては屈辱の極み、猛特訓を重ね、雪辱を誓ったのだった。

 

「う~ん、会わせて大丈夫かな?」

 

「物騒な娘さんだが、依頼とあっては仕方がない、それに一応筋は通っているからな」

 

 ナルシェの危惧を一蹴するジャーバスだが、それは久しぶりの依頼を逃すまいという打算からの言動であった。

 何しろ、ツケまみれで最近は酒代にも事欠いているのだ。貴重な収入の機会を潰す訳にはいかなかった。

 

「よし、ジャックを探しにいきましょう! ナギサさん、僕に任せてください!」

 

「そ、そうか、よろしく頼むぞ……」

 

 いいとこ見せて振り向いてもらう。ダニエルは邪まな欲望によって突き動かされ、すさまじい熱意を見せていた。

 少なくとも、ジャックと闘うためにやってきたのだ、敵対しているはずだ。

 

 

 

「や、やっと見つけた~」

 

「もう夕方だよ~」

 

「お、おい、待ってくれ~」

 

「あれ? みんなどうした?」

 

「あんたを待ってたのよ」

 

 ヘクトンの面々がジャックをようやく見つけた頃、すでに夕陽も半ば沈みかけていた。

 

 最初はすぐ見つかるだろうと高をくくっていたものの、ジャックの姿は見えず、あちこち探し回っても、行く先々で逆にジャックがどこにいるか尋ねられる始末だった。

 

 こうなったら、絶対に戻るだろう家の前で待機して1時間、ついにジャックと遭遇することができた。

 ジャックの家付近を見張るのが日課のフラウは、行き来するヘクトンの面々を当初はからかっていたものの、次第に哀れに思って最後にはすっかり同情しているのだった。

 

「ナルシェ、な、ナギサさんを呼んで来い」

 

「は、はい……」

 

 ナルシェはジャーバスに命じられて、『ヘクトン』隊室で途中から待機しているナギサを呼びに行った。

 

「ジャック……君を探してる子がいるんだよ」

 

「誰?」

 

「ナギサさん、女の子だよ」

 

「ナギサ? ……誰だ?」

 

「東の国の子! すっごく可愛いよ!」

 

 ジャックはいまいちピンと来ない様子で、実際にナギサがナルシェに連れられてようやく合点がいったようだった。

 

「よお、久しぶりだな」

 

「ジャック! あの時の屈辱を晴らしにきたぞ!」

 

 ナギサは刀を抜いてジャックへ切っ先を向けた。

 

「血のにじむ思いであった……だが、おかげでお前を凌駕する力を得た! いざ尋常に、勝負!」

 

「あ~……ごめん、今は無理」

 

「「「「……え?」」」」

 

「ちょっと色々な……明日にしてくれ、んじゃな」

 

「ま、待て待て待て!」

 

 それまでの雰囲気を一変させて、ナギサはジャックに半ばすがるようだった。

 

「む、無理とはどういう意味だ!」

 

「だから、ちょっと今日も色々やってさ、そういう気分じゃないんだよ」

 

「な、なんだそれは!」

 

「何だって言われても……そういう気分としか言いようがないじゃん」

 

「ふ、ふざけるな! そのような―」

 

「ナギサ、長旅で疲れてるだろ? 今日は休んで、万全の体調で……」

 

「黙れ!」

 

 ナギサは顔を真っ赤にして、ジャックに斬りかかった。

 

 ジャーバスをして「速い」と言わしめる突きであった、ジェラルドに匹敵するかもしれない。

 が、ジャックは容易くそれを回避し、ナギサの背後に回ると彼女を羽交い絞めにしてしまった。

 

「うわっ、は、離せ、無礼者!」

 

 暴れるナギサであったが、不意にがくりと抵抗を止めてしまった。ジャックが指で気道を抑えて、気絶させてしまったのだ。

 

「ダニエル、ジーンのとこに連れて行ってやってくれ」

 

「え? あ、う、うん」

 

「少しすれば目が覚めるだろうから、明日なら勝負を受けるって伝えておいて」

 

「わ、わかったよ」

 

「んじゃ……俺はもう寝るからさ」

 

 ジャックはナギサをダニエルへ預けると、そのまま家へ入っていった。

 

 残されたダニエルたちは、ひとまず言われるまま、ナギサをジーンの実家の宿屋『平穏の子馬亭』へ運んでいくためそそくさと歩きだした。

 もしかしたら、看病してる間に……邪まな希望は未だ健在である。

 

 

 

 フラウは、ジャックの家のドアを見ながら呟いた。

 

「そっか……お墓参りか」

 

 『ヴォイド』には多くの情報が入って来る。

 反逆者にして、復活が城上層部で噂されている少女リドリー。その墓に、父の他に花を供える唯一の人物がジャックであった。

 

「どんな子なんだろう」

 

 フラウはリドリーと面識がなく、情報も詳細には知らない。

 だが、ジャックが強い思いを寄せる相手となると……無関心ではいられなかった。



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ナギサの憂鬱

「むう……」

 

 翌日、ナギサはジャックの家の前に仁王立ちしていた。

 今日こそは、逃がすまいという決意の現れだ。

 

 昨日、ジャックと相対したナギサは締め落され、ダニエルらに運ばれた宿屋で目を覚ました。

 妙に凛々しいダニエルの説明によって、ジャックが日を改めての立ち合いを望んでいると知らされ、それには納得できたものの、又しても敗北した屈辱に歯噛みする思いだった。

 

 ただ負けたのではない、圧倒的差による敗北だ。ジャックと初めて相対した時と同じく、想像もつかないほどの実力差……鍛えに鍛えたはずなのに、ジャックはさらに強くなっていた。

 流石に、『オイエソウドウ』を独力で解決し、名だたる剣豪を打ち倒した男だった。

 

「負けられん……」

 

 それでも、勝負を諦めるわけにはいかなかった。

 屈辱を乗り越えるため。そして、敗北以来頭を離れない、ジャックへの感情を追い出すため。

 

「あら? 先客かしら」

 

 渦巻く雑念と向き合っていたナギサを、鈴のような声が現実に引き戻した。

  

 いつの間にやらすぐ後ろに、奇妙な恰好をした女性が立っているのだった。

 一言で言えば、魔女。とんがり帽子に黒いクローク、杖まで持っている。そういう趣味か、仮装かと疑うようなセンスを、妖艶な容姿が抑え込んで成立させている。

 

 『ヴァレス』の助教授、黒魔術の研究家モルガンだ。

 

「彼はいる? ちょっと頼みたいことがあるのだけれど」

 

「わ、わしが先だ、昨日から待ってたのだ」

 

「朝からうるさいなー、なんだよー」

 

 ジャックが顔を出した。

 

「あ、そうだ、ナギサか」

 

「ジャック! やっと起きたか、わしと―」

 

「ジャック、お久しぶりね」

 

「モルガン?」

 

「依頼を出したのだけれどキミが全然受けてくれないから、直接お願いに来たわ」

 

「あ~……ごめん、結構溜まっててさ」

 

「おい、ジャック! わしの―」

 

「それに、今、丁度ナギサとさ……」

 

「あら? 私のは正式な依頼なのだけれど」

 

「わしだって―」

 

「ナギサもそうだよ?」

 

「さっき受付に行って確認したけれど、今日の依頼は私が一番乗りだけれど?」

 

「え? ……あ、ナギサ、昨日ダニエルたちに俺のこと探させたか?」

 

「んえっ? ダニ……あ、昨日のやつか、そ、そうだが?」

 

「そっか、それで依頼が一回終わっちゃったのか」

 

「そう、キミとこの子の約束は私的なもので、私のは正式な依頼」

 

「ん……ナギサ、ちょっと待っててくれるか? すぐに―」

 

「なっ……そ、それはひどいぞ!」

 

 ナギサは子供のように駄々をこね始めた。元来、冷静で礼節もわきまえている彼女であったが、はるか遠くの地、さらに複雑な感情を抱いている相手を前にして、年相応の性格が顔を出してしまっていたのだ。

 

「昨日は今日やるって言っていたではないか!」

 

「いや、今日やらないんじゃなくて……ちょっと後にさ」

 

「嫌だ! 待てない!」

 

「わがまま言うなって、俺さ、『アハト』の隊長だし、騎士にも戻ったしで色々―」

 

「わかった! わかった! わしもついていく!」

 

「はあ?」

 

「だから、さっさとその依頼とやらを終わらせて、わしと戦え! よいだろ⁉」

 

「いいけど」

 

「よし、ではさっさと行くぞ!」

 

 こうして、ナギサは強引に仲間入りした。



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銀龍の鎧

 モルガン、そしてナギサ、両手に花で『ヴァレス』に向かうジャックであったが、あまり嬉しくはなかった。

 

「黒魔術は誤解されているのよ、私の活動で少しでも普及を……」

 

「ジャック、あれはなんだ?」

 

 片や黒魔術談義、片や初めての街並みの解説を要求と、目的地に到着するまでにいつもの3倍はかかったからだ。おまけにどう見ても魔女、ラジアータでは珍しい形状の純白の鎧と、いやでも人目を引く。

 顔見知りと何度もすれ違って気まずい思いをし、研究室についたころには、ジャックはげっそりもう帰りたかった。

 

 

 

 

「さて、これがキミにお願いしたい依頼なのだけれど」

 

 モルガンが示したのは鎧だった。黒い、グレゴリーや、ガレス、アルドーのような全身を覆うタイプの鎧だ。無骨なデザインである。

 

 黒い鎧ということで、どうしても先日の件を思い出してしまうジャックであったが、モルガンの所持するものとしてはいささか拍子抜けする『普通さ』に戸惑っていた。

 

「これをどうすんのさ?」

 

「着てみて欲しいの」

 

 そういわれたからといって、素直に着るほどジャックはモルガンに心を許してはいない。

 研究資金の援助として大金を要求され、その後も黒魔術関連の怪しげな依頼でひどい目にあったこと多数。ただ鎧を着てみるだけで終わる訳がない。

 

「着るとどうなるんだよ」

 

「キミがアルガンダーズの古城で見つけた鎧、憶えてるかしら?」

 

「ん?」

 

 ジャックは過去の記憶を掘り起こした。確か、『ヴァレス』のアドルフとディミトリが研究の最中異界の魔物を呼び出したとかで討伐の依頼を受け、その途上で発見したのが『デモンメイル』の鎧である。

 

 強い耐久性と、毒などに対する加護を持っていたが、着ていると体力を奪われ続けるという危険な代物だ。

 何度か使ってはみたものの、機動力を重視するジャックとは相性が悪く、長期戦にも向かないため倉庫行きとなり、モルガンに要望されて研究材料として預けていたのだった。

 

「あれを更に改良したものなの、ラークス卿からの依頼で、大量生産して騎士団の装備にできないかと研究しているのよ」

 

「ラークスさんが……」

 

 国政、妖精との戦争、龍の復活、さらに騎士団の強化、知ってはいたものの、ラークスは多忙を極めながら、こうした細かい部分にも注力しているようだった。

 

「治ってるんだよな?」

 

「……多分」

 

「おい!」

 

「大丈夫よキミなら、ね?」

 

 要するに、ジャックをモルモットにしようというのだ。

 モルガンなりの信頼の現れであるが、当人にとってはたまったものではない。

 

「お願い、目途が立てば大金が入るわ。それに、騎士団が強くなるのはキミにとっても悪くないでしょ?」

 

「うーん……」

 

 

 

 結局、ジャックは折れて鎧を着こんだ。

 

「やっぱり、なんか体力が吸われてる感じがするぞ」

 

「でも、前よりは弱いでしょ? 重さも感じないはずよ」

 

「いや、そこが解決しないと……ん?」

 

「あら?」

 

「お?」

 

 鎧が変形を始めた。

 

「お、おい? どうなってんの?」

 

 モルガンは答えずに、興味深げにそれを観察していた。彼女にとっても想定外の事態だからだ。

 

「うわわわわっ」

 

 鎧は生き物のように蠢き、ようやく動きを止めた。

 

「龍?」

 

「おいおい、どうなって……」

 

 わが身に起きた変調を確認しようと、姿見に全身を映したジャックは絶句した。

 特徴のない形状であったはずの鎧が、龍を模した形に変わっていたからだ。

 

 それも、なんという皮肉か『銀龍』を思わせる姿だ。

 

「興味深いわね……」

 

 モルガンは、それが『銀龍』であるとは気づかない。

 最終決戦に参加したのは、エルウェン、カイン、ニュクス。全ての黒幕であった『銀龍』の姿を知っているのは、彼女たちとラークス、ジーニアス他数名だけだ。存在そのもが隠匿されている。

 

「『龍殺し』に反応して? ……他の人なら?」

 

「おい! これ脱げねえんだけど⁉」

 

 ジャックはあがきながらモルガンへ抗議する、色々な意味で、この姿のままでいるのは気が重い。

 

「あ、ごめんなさい。念じるだけでいいのよ」

 

「はあ?」

 

 言われるままにすると、なんと鎧はうっすらと消えゆき、完全に消滅した。

 

「どうなってるんだ?」

 

「いったでしょ? 改良したって」

 

「……ん?」

 

 ジャックが目を閉じると、再び鎧が出現した。それをまた消してから、根本的な問題を彼女へ問いかけた。

 

「なあ、この鎧は……今どこにあるんだ?」

 

「キミと一体化しているの」

 

「……え?」

 

「出し入れ自在で、局所的に発生させることもできるわ」

 

「……いやいやいや! 一体化って……戻せよ!」

 

「それはまだ研究中なの」

 

「なに⁉」

 

「でも、ここまでは大成功よ、これで学長に正式な予算の認可をもらえるわ」

 

「おい! 俺はどうなるんだよ!」

 

「もちろん、ちゃんと分離してあげるわ」

 

「いつ⁉」

 

「……いつか」

 

「NOOOOOOOOOOO!」

 

 ジャックの絶叫が『ヴァレス』に木霊した。

 

 



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アナスタシア・パレード①

「およ? おめえなんか用か?」

 

「お祓いしてくれ~」

 

 ジャック(とナギサ)はモルガンと別れ、すぐさま『オラシオン教団』へ向かった。

 彼女を問いつめても解決には結びつかず、ならせめて奇蹟へすがろうと判断したからだ。それでどうこうなるとも思えないが、やらないよりはマシであろう。

 

「そっちの子は誰だべ?」

 

「ナギサと申す」

 

「クライブ、カインはいないのか? フェルナンドかフローラでもいい」

 

「教皇様はお出かけだべ、司祭長はお掃除中だべ」

 

「お主はなにを?」

 

「ぼーっとしてるべ」

 

「どこにいるんだよ? 呼んできてくれよ」

 

「わかったべ、ちょっと待っててくんろ」

 

 のんびりと答えて、クライブはフローラを呼びに行った。

 思えば、どんな状況でもクライブはマイペースであった。決して悪い人間ではないが、有事に頼りになるタイプではないと断言できる。

 

「ここは神殿のようだな」

 

「『オラシオン教団』だよ、はあ、モルガンめ~」

 

 今のところ体調に異変はない。が、鎧と一体化しているというはどうにも気持ち悪かった。

 

 

 

「ん~! アータ何してるのかしら?」

 

「げっ」

 

 クライブがフローラを連れて来るよりも先に、アナスタシアとエレナ、アディーナが『教団』へ戻って来た。

 従者はともかく、アナスタシア本人はこういう時に会いたい人物ではない。腰を浮かして逃げようとしたジャックだったが……。

 

「連れてきたべ」

 

「どうしました、ジャックさん?」

 

 タイミングよく(悪く)、クライブとフローラが戻ってきてしまった。

 旧体制派と新体制派、ジャックの連れている(彼女らには)見知らぬ美少女ナギサ、エレナらの詰問をどうにかかわし終えた頃には、ジャックはすっかりお祓いは後回しにして、帰りたくなっていた。

 

「そうだわ、丁度いいわね。アータからテアトルに伝えておいてちょうだい」

 

「何をだよ」

 

「アータシのすんばらし~パレードの警備依頼よ!」

 

 

 

「すごい人だね~」

 

「うむ、さすがは東方山猫家といったところだな」

 

「お金もいっぱいくれましたしね」

 

 テアトルへの依頼、それはアナスタシアが当主を務める4大貴族の一角、『東方山猫(ライアン)家』

が開催するパレードの警備であった。

 

 妖精戦争とそれにまつわる諸々で他家が勢力を落とした中、『東方山猫』は無傷で、一躍ラジアータ貴族のトップに躍り出ていた。

 その地位を盤石にするべく、龍の復活、妖精との戦争の再開と世相に暗いものが漂う中、何するものぞと勢力を誇示しようと、パレードを計画したのだ。

 

 アナスタシアは、騎士団を動員してよりその強さを印象付けたかったのだが、ラークス以下多数の反対にあって断念せざるを得なかった。そこで、テアトルに白羽の矢が立った。

 

 財力の誇示と、妨害を見越してのことである。一強状態ではあるが、その分他からの突き上げに晒されることも意味しており、面白く思わない勢力からの横やりが予想された。

 

 ジャックは、依頼をテアトルに伝えた。

 エルウェン、ジェラルドらが協議の末、依頼は受諾され、最低限の人員を残し、テアトルの隊のほとんどがパレードの警備に駆り出されたのだった。

 

「デニスさん、パレードまであとどれくらいかしら?」

 

「まだ少しかかるようです」

 

「シーザー隊長、ガレスと俺はどうしましょう?」

 

「コンラッドくんはどこですか~?」

 

 

 パレードは、城から『オラシオン』まで、アナスタシアが輿に乗って1周するというもの。

 その間、何事もなく済ませるのが戦士たちの使命だ。

 

「いいかオメエら! 『ヴォイド』のやつらに好き勝手させるんじゃねえぞ!」

 

「「「了解!」」」

 

 ジェラルドは燃えていた。

 というのも、どうやら『ヴォイド』が対立貴族に雇われて、何か行動を起こすらしいとの情報が、『トリトン』からもたらされたからだ。

 

 荒事となれば、当然ノクターンが出張って来る。彼が相手となれば、黙ってはいられないのがジェラルドだ。

 

 テアトルの面々も、日ごろ対抗意識を抱いている『ヴォイド』の好き勝手させまいと、士気を高めている。

 

 賑やかなパレードの裏には、し烈な権力闘争と、燃えるライバル意識が満ち満ちている。

 それは、一つの戦争でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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アナスタシア・パレード②

 とはいえ、表向きこのパレードは、豪華絢爛なイベントということで、市民たちにとっては久しぶりの息抜きのイベントでしかなかった。

 

 各店舗はセールを実施し、溢れかえる客たちを一人でも多く取り込もうと努力を怠らない。

 

 パレードの通り道には出店が立ち並び、『ビギン食堂』や『カンちゃん』、『ヴァンパイア』の出張店舗が威勢よく呼び込みをしている。

 ニットら子供ははしゃいで走り回り、ハワードたち農民も上京してきたのか、それぞれが思い思いに過ごしていた。

 かなり遠方からやってきた者たちの姿も見えて、パレードの規模の大きさがうかがえる。

 

「焼きとうもろこしはいかがかね? まさしく絶品であるぞ」

 

「スター様の焼きとうもろこしは世界一なのです」

 

「はい、お釣り……なんで私がこんなことを……」

 

 スターたちは、ここが稼ぎ時と店を掛け持ちして売り子のバイトに励んでいた。ゴライやブーチェの姿もある。

 

 

 さて、ジャックも『アハト』として警備に参加していたのだが特に持ち場は与えられず、自由な裁量を任されていた。

 

「オメエにはそっちの方がいいだろ」

 

 とは、現場責任者ジェラルドの言である。ラークスと同じく、どう扱えばジャックが一番力を発揮できるのか把握していたのだ。

 

 というわけで、ジャックは通り道を確認しながら、出店で買い食い歩きを敢行していた。

 

 仲間であるアナスタシアに危険が迫るなら全力で守るが、権力闘争といった背後にはそれほど関心はなかった。

 故に、パレードが始まるまでは好きにしようという判断だった。

 

「お、クレープあんじゃん」

 

「まだ食べるのか」

 

 隣で呆れているのはナギサである。テアトル所属でなく、ジャックからも特に呼ばれていない彼女だが、勝手にジャックについて来ていた。

 

「いいだろ、お祭りなんだから、クレープちょうだい」

 

「警備がお前の任務であろう……あ、わしにも一つ」

 

 言いつつ、ナギサも結構パレードを楽しんでいるようだった。

 厳格な家庭で育った彼女にとって、知り合いが一人もいないここは、己を偽る必要のない場であった。

 

 名誉を守るためという大切な目的はあれど、この旅は生れてはじめてとやかく周囲に言われない自由な時間でもあったのだ。

 

「アナスタシアが出て来て戻るまで、ついてって何かあったら動くだけだよ」

 

「それはそうかもしれんがな」

 

「心配すんなって……やる時はやるよ」

 

 その言葉はひどく重く響いた。

 

 のんきに買い食い歩きをしているように見えて、ジャックは抜け目なく周囲を観察していたのだ。

 イオンやヘルツの姿が裏路地で垣間見えた、どうやら波乱なき終わりは期待できなさそうだ。 

 

 

 

 

 

 



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アナスタシア・パレード③

「オホホホホー! アータシのお通りよー!」

 

 アナスタシアを載せた輿が、城を出て行進を開始した。

 豪華絢爛、周囲にはエレナ、アディーナら従者の他、ドワイトら派閥メンバーもおり、周囲を圧倒する輝きを放っていた。

 着飾った使用人も多数控えており、彼女の権力をこれ以上なく誇示している。実際に、これだけの人員を動員できる財力と権力は圧巻だった。

 

「アナスタシア様、皆がアナスタシア様の美しさに釘付けです!」

 

「あーたり前よ! さ、アータシの美貌を目に焼き付けなさーい!」

 

 注目の的であることは違いないが、美貌故にというのは無理があった。

 アナスタシアはかなり『個性的』な容姿をしており、それは世間一般の美醜で判断した場合、美には傾かない方の容姿である。よって、集まるものは美貌でなく、権力、財力への関心なのだった。

 当人は、そう指摘されても動じないだろうが。

 

 さらに、続くのはアナスタシアを模した巨大なレプリカ像たちである。何も知らない者が見たら、何らかの異教の秘祭だと勘違いするだろう。

 子供たちの中には引きつけを起して倒れる者もいて、様々な意味で忘れられないパレードになりそうだ。

 

 ジャックとナギサは、アナスタシアの輿にぴったりついて進んでいった。

 アナスタシアとジャックが顔見知りというのもあるが、『龍殺し』が護衛についているというのは大きな喧伝となるため、排除されずに自由を許されていたのだ。

 

「どっから来る……」

 

 ジャックは、『ヴォイド』の襲撃を警戒していた。

 仲間として共に過ごした者たちも多いが、だからこそ油断ならなかった。金を積めばなんでもやる、が彼らの本質であり、誇りとしてさえいる部分だ。

 表向きのトップ、オルトロスの奸計も注意しなければいけない。

 

 暗殺、という最悪の事態も想定せねばならなかった。

 イリス、リーリエ、インタルードといった凄腕の凶手でも、戦って勝てる自信はあったが、暗殺を防ぐのは骨が折れそうだ。それこそが、『ヴォイド』の厄介さである。

 

 

 

 パレードは『オラシオン教団』に到達して、アナスタシアのための小休止を挟んでいた。

 輿に乗っているだけの彼女であったが、化粧が崩れたというので従者たちに直させているのだった。

 

「アータシの美貌を損なう事は許されなくってよ」

 

 ドワイトらも思い思いに休憩をとっている。

 ジャックとナギサは気を張っていたが、『ヘクトン』の面々とエレナとアディーナがドリンクを持ってやってきた。

 

「お疲れ様、お兄ちゃん」

 

「おう、そっちはどうすか? 隊長」

 

「うむ、特に異変はないな。副長は油断するなと釘を刺しているが」

 

「ジャックたちも一休みしたら?」

 

「パレードが終わるまでは、そういう訳にいかんな」

 

「あら、ご熱心ですね」

 

 エレナの言葉にはトゲがあった。どうにも、ナギサが気に入らないらしい。

 

「『盗賊ギルド』の動きは?」

 

「少し前から姿が見えんな、仕掛けて来るならこれからかもしれん」

 

 酒で失敗することも多いが、ジャーバスはそれなりの実力を備えている。

 その読みは、ジャックも同意するところだった。

 

「暗殺なんてこと……」

 

「ええ⁉ アナスタシアさんを?」

 

「あり得るわね、敵が多いから」

 

 アディーナが無感動に言い放つ。エレナと違い、アナスタシアへ特別の感情を抱かない彼女は、歯に衣着せぬ物言いをためらわなかった。

 

「とはいえ、これだけ目撃者がいる中で実行すれば『ヴォイド』自体にも何かしらの不都合がある。

むしろ妨害の方が……」

 

「アニキ~‼」

 

 ジャーバスを遮ったのは、その『ヴォイド』の一員、アルマであった。

 血相を変えて、息を切らしながらジャックらへと飛び込んできた。

 

「た、助けてくださいっす!」

 

「は? どうしたんだ……」

 

 その答えは、悲鳴と空を飛ぶ人影によってたちどころに判明した。

 光弾を撃ちおろしてくる無数の翼を有した妖精たち。

 

「ライトエルフ⁉」

 

 襲撃者は、ライトエルフであった。

 

 



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アナスタシア・パレード④

 間違いなかった。

 妖精との戦争で相対した強敵、輝く翼を有した妖精たちの統率役。こと人間への憎しみに関しては随一の存在。不老と『魂継ぎ』による不死を実現した、妖精の始祖。

 

 妖精軍の長にして族長ザイン、『龍殺し』ケアン・ラッセルを暗殺したギルを要する、ライトエルフだ。

 

「エ、エルフだと⁉」

 

「あ、あんなにいっぱい!」

 

 うろたえるジャーバスらを尻目に、ジャックが、そして少し遅れてナギサが飛び出していた。

 

「りゃああ!」

 

 『神槍パラダイム』の一振りで、アナスタシアらへ降り注ごうとしていた光弾を薙ぎ払い、正面から迎撃できる位置へ陣取る。

 

「全員『オラシオン』の中に隠れるんだ!」

 

 真っ先にドワイト、グラントが、エレナとアディーナに担がれてアナスタシアが建物の中へ避難を開始、他の人々もパニックに陥りながら後に続いた。

 

「人間め!」

 

「思い知れ!」

 

 ライトエルフたちは、宙を舞いながら光弾や魔法で攻撃を仕掛けてきた。

 ジャック、ナギサは避難者たちへそれが注がないように迎撃し、時間を稼いでいた。

 

「チ、チーム『ヘクトン』も続くぞー!」

 

「お、おー!」

 

「おー!」

 

「ナルシェ! 怪我をするんじゃないわよ!」

 

「危なくなったらこっちに来なさい!」

 

 ややあって、『ヘクトン』の面々が加勢に参上した。

 

「うおー!」

 

「きゃーっ」

 

「う、ううっ」

 

 が、エルフらの魔法に翻弄されるばかりで、かえってジャックらの負担を増やす結果になった。

 『ツヴァイト』、『クアルト』、『トリトン』らが合流した時点で、『ヘクトン』の面々は避難者たちの補助へ回されたのだった。

 

「ライトエルフだと! ノクターンの野郎、何を考えてやがる!」

 

 ジェラルドががなる。さしもの彼も、『ヴォイド』が妖精を引き込むとは予想だにしなかったようだ。

 

「今は目前の敵を処理しよう」

 

「シーザーさんに賛成ね」

 

 シーザー、アリシアは冷静にライトエルフと相対した。流石に『テアトル』の主力チームともなると、魔法にも完ぺきに対応しほとんど被害を出さないでいる。

 

 だが―

 

「らちが明きません! 隊長!」

 

「少々不利ですね……」

 

 ライトエルフ側にも、打撃を与えられないでいた。

 如何せん、相手は宙を飛べる上に魔法による遠距離攻撃が主体、いかに優れた剣術であれど、リーチが違いすぎた。

 

「ナギサはそっち!」

 

「言われずとも!」

 

 だが、それをものともしない例外がいた。

 

 ジャックは、建物の壁を蹴って飛び上り、『パラダイム』でもってエルフたちを叩き落としていった。

 時にはエルフを足場にして飛び移り、軽やかな動きで空中の敵を捉えていく。

 

 ナギサは斬撃を飛ばしていく。その剣技はシーザーをして、ほれぼれする程のものだった。同じ長刀を使う身として、その扱い一つで力量がわかる。

 恐らく、真正面から戦えば苦戦は必至だろう。

 

「っち、こっちも負けるんじゃねえ!」

 

 ジェラルドは、落下してきたエルフへ歩を進めた。

 エルフと戦うのは、先の戦争で経験済みである。ただ、前回は『戦争』というくくりにあって、騎士団や他ギルド、特に『ヴァレス』らの遠距離攻撃が得意な協力者も多々あり、彼らの飛行能力もそれほどの脅威ではなかった。

 

「どりゃああ!」

 

 それが、『個』として挑まねばならなくなると、苦戦を免れない。

 戦闘において絶対はあり得ず、ありとあらゆる局面に対応せねばならない。

 歴戦の勇士であるジェラルドであっても、改めて実感する一瞬であった。

 

 ジャックとナギサ、そしてジェラルドらの活躍でライトエルフたちはその数を減らし、残った者たちも戦意を失いつつあった。

 

 それが一変したのは、増援が現れた瞬間である。

 

「あいつは!」

 

 黒い鎧の戦士。

 

 

 



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アナスタシア・パレード⑤

「来てくれたか!」

 

「ジャック!」

 

「……」

 

 やはり、この黒い鎧は『ジャック』と呼ばれている。

 妖精に与する存在に、よりによって『龍殺し』にしてギル、ザイン、ガルバドスら長や英雄を葬った男の名を冠している。

 

 名を聞くたびに、ジャックにはいいようのない感情が込み上げてきた。

 リドリーらしき少女と、ジャックを名乗る強者……。

 

 黒い鎧はライトエルフらを庇いつつ、以前ふるっていた長刀で戦士ギルドの面々を寄せ付けない。

 どうやら、前回と同じく撤退のための殿を務めるようだ。

 

「ほら、しっかりしなさい」

 

「!」

 

「増援よ、切り替えないと」

 

 アリシアに肩を叩かれて、ジャックは迷い込んだ心の迷宮から抜け出した。

 朗らかな笑顔と共に、アリシアは剣を黒い鎧に向ける。

 

「相当な腕みたいね、一緒にかからないと危なそう」

 

「……うしっ!」

 

 ジャックは『パラダイム』から、『アビトレイター』と『グラム』の二刀流へと武器を切り替えた。

 アリシア、シーザー、ジェラルドがそれに並ぶ。

 

「相手にとって不足なし」

 

「少しは骨がありそうじゃねえか」

 

「副長、こいつめちゃくちゃ強いっすよ。油断しないで」

 

「おうおう、『斬鉄』のジェラルドも見くびられたもんだ、若造に

心配されるとはな」

 

「へへっ……俺も結構強くなったっすから」

 

 ジェラルドは豪快に笑い―

 

「どりゃあ!」

 

 突貫した。

 ジャック、アリシア、シーザーが続く、遅れたのではなく、時間差をつけて黒い鎧の反応を乱そうとしたのだ。

 

 

 すさまじい剣戟が5人の間で交わされた。

 グレゴリー、ガレスらはライトエルフたちを追撃しつつ、そのすさまじさに舌を巻いた。

 3人の隊長の腕は十分にわかっているつもりだったが、ジャックはさらにその上をいっている。

 その上で、黒い鎧は劣勢気味ながらも、その4人の足止めを続けているのだ。

 

「しぇああ!」

 

 ジェラルドの突きを躱す。

 

「ぬん」

 

 シーザーの切り上げを、長刀で封じつつ蹴り込んで距離を稼ぐ。

 

「やあ!」

 

 アリシアの一撃を受けて衝撃を殺し、態勢を崩した彼女へ切り下す。

 

「くっ!」

 

 間一髪、ジャックがその一撃を受ける。

 一見押しているようでも、僅かの隙を狙って油断なく急所へ迫る。改めて、ジャックは黒い鎧の技量に戦慄せざるを得なかった。

 

 

 黒い鎧は後退すると、手を天に掲げた。すると、そこに巨大な斧が出現した。

 そのまま、大きく飛び上り、思い切り斧を振りかぶる。

 

「やばい! みんな構えろ!」

 

 斧が大地に接した瞬間、すさまじい衝撃波が周囲に走った。 

 備えていた戦士たちでさえ、受けきるのが精いっぱいの一撃だ。

 

(『大地斬』⁉)

 

 ジャックの背に寒気が走った。それは、彼が斧を使う際に使用する技と酷似していたからだ。

 加えて、黒い鎧は武器を自在に操ることができるようだ。

 

 それも含め、自分と『そっくり』だった。

 

「引くぞジャック!」

 

 撤退を遂げたライトエルフの叫びに答えるように、黒い鎧は軽やかに跳ねてあっという間に姿を消した。

 

 追おうとしたジャックであったが、ライトエルフの憎しみのこもった瞳に射すくめられて、その足は止まってしまった。

 

「愚かなニンゲンどもめ……トゥトアスの怒りを知るがいい……」

 

 吐き捨てるように言って、ライトエルフは撤退した。

 

 残されたジャックは、負傷した仲間の救出も追撃の準備にも移れず、ただ棒立ちでいるしかなかった。

 

 

 

 

 

 



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祭の後始末

 アナスタシア、というよりも『東方山猫』ライアン家のパレードは、ライトエルフの襲撃という衝撃的な出来事で敢え無く中止となった。

 

「ンマー! アータシの晴れ舞台を台無しにするなんて許されなくってよ!」

 

「はい、アナスタシア様」

 

 アナスタシア自身はぷりぷりと怒り、続行を主張したものの、未曾有の事態という事もあり、彼女の意向をもってしても挫折を余儀なくされるのだった。

 無論、彼女は全く納得などしていない。

 

 

 

 その後は、騎士団が現場に現れて、検分と被害状況の把握を開始した。戦争後、砦に続いて王国そのものにまで攻撃を加えられたとあって、騎士たちは緊張と不安を隠せなかった。

 ジェラルドなどは『ヴォイド』の関与を疑い、騎士団に詰め寄ってひと悶着を起していた。

 それだけ皆が、あの過酷な妖精との戦争の記憶をまだ薄れさせていないという所作である。

 

「よお、ジャック」

 

「よ、おっさん」

 

 他の戦士らと一緒に、住民らを返す案内員を務めていたジャックらの元に、レナードが顔を出した。

 

「またまた大活躍だったそうじゃないか」

 

「ま、俺強いからね」

 

「わしはもっと強いぞ」

 

「なんだ? また見馴れない子を連れてるな。……まあいい、後で城に顔を出せよ

ラークス様がお呼びだ」

 

 それだけ言って、レナードは他の騎士らへ指示を出すために戻っていった。

 

 ジャックは気が重かった、黒い鎧が呼ばれていた『ジャック』という名、リドリーに似た少女、一体何が起こっているのだろうか?

 

「よっ、しけた顔してるわね」

 

 ジャックの肩を、いつの間にやら現れてたフラウが叩いた。

 

「フラウ……って、おい、どうなってんだよ?」

 

「なにが?」

 

「なにが、じゃねーよ。『ヴォイド』はどこまで嚙んでんだよ」

 

「あー、オルトロス様が城に呼ばれたみたいよ? 言っとくけどね、あたしは何も知らないよ。今日は、あのオバハンの行列の邪魔するだけの予定だったんだから」

 

「本当か?」

 

「流石にさ、妖精の手引きまではやらないよ、ウチも」

 

 末端はともかく、『ヴォイド』の頭オルトロスは損得勘定ができる男だ。

 莫大な報酬を得たとしても、王国そのものを敵に増してしまっては組織の存続自体が危うくなる。国家の暗部に巣くう以上、宿主を失っては生きていけないのだ。

 

「ノクターンのジジイたちはさ、その準備してる時にエルフに襲われたってよ」

 

 これは、アルマが駆け込んできた時のことだろう。

 そういえば、彼を含め『ヴァレス』の面々は騎士団が到着した時点で煙のように消え去っていた。

 

「そういうこと、じゃーねー」

 

 アナスタシアらがこちらへやって来るのを認めて、フラウは軽やかな身のこなしで逃走した。

 彼女とアナスタシアの間には、浅からぬ因縁があったのだ。

 

 

「ちょっとアータ! どうしてくれるのよ!」

 

「なにが?」

 

「アータがしっかりしてないから、アータシのパレードが台無しじゃないの!」

 

「はい、アナスタシア様」

 

「エレナがそういうならそうね」

 

こと、アナスタシアのこととなると、エレナは頼りにならなかった。アディーナも(理由は違うが)同様だった。

 

「し、しかし大司教、ライトエルフの襲撃など予想できるものでは……」

 

「おだまりっ!」

 

「はいいい!」

 

「隊長……」

 

 一蹴されてしまったジャーバスだが、これは彼にもアナスタシアに理があるとわかっていたのも一因である。

 どんな理由があれ、一度受けた警備の任務を『テアトル』が失敗して、パレード中止という結果を招いたのは事実である。

 その点で言えば、責任は免れない。莫大な違約金を課せられても、処罰を受けても仕方がない。

 

「……わかんねえ」

 

 が、相手はジャックだった。

 

「はああ? アータ、そんなことで―」

 

「もー、色々ありすぎてわかんねえよ。今日はもう、吞もうぜ!」

 

 多くの戦いと冒険、別れにより成長してはいるが、根本的にジャックは馬鹿で、能天気で根明な少年であった。

 加えて、一度に多くのことが起こりすぎてしまって最早頭が働かない。

 

「隊長! ダニエル! ナルシェ! ……ってか副長もみんな、アナスタシアのおごりで

飲み明かそうぜ!」

 

「ちょっとアータ! 何を勝手に―」

 

「それじゃ早速しゅっぱーつ!」

 

 アナスタシアを強引に引っ張り出し、ジャックは戸惑う周囲を無視して、一路『カンちゃん』へ歩きだしたのだった。

 



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懐かしき日々

 『カンちゃん』はまれに見る客入りとなった。

 アナスタシアを連れたジャックがまず入って来て、すぐにエレナとアディーナが続き、『ヘクトン』が恐る恐るという様子で入店して来た。

 

「ジャックさん! あなたまだ未成年じゃ……」

 

「そうだっけ? ならジュースくれよジュース。ほら、お前らも座って座って」

 

「アータ! アータシをこんな汚い店に―」

 

「ああ⁉ 文句があるなら出て行きやがれ!」

 

「んまーっ! アータシに向かってなんて口の利き方!」

 

「いらっしゃい、団体様ね」

 

「う、うん、そうだよユーリちゃん!」

 

「ただ酒にありつけそうだぞ!」

 

「ナルシェ、お酒はハタチになってからよ」

 

「うん」

 

 ほどなくして酒や料理、飲み物が配られた。

 ぶつくさ文句を言っていたアナスタシアであったが、ラジアータ一と称されるギスケの酒と肴が気に入ったのか、本腰を入れて飲み始めた。

 ドワイトら教団メンバー、ジェラルドら戦士たち、どこから聞きつけたのかユージンやポールと言ったただ酒目当ての輩も合流して、店内はすっかり賑やかになっていた。

 

「ハア……しかし、戦争となれば……ハア、また商売チャンスでもありますねえ」

 

「ムフフー、そうよ、アータシのパレードに泥を塗った分、妖精たちから取り返さなきゃね」

 

「がっぱり儲けませんとね」

 

 聖職者の風上にも置けない連中が、神罰上等な商談を交わしている。

 

「戦争ともなりゃまた出動せねばならん、オメエたち、鍛錬しておけよ」

 

「はい、副長」

 

「はい」

 

「ふわあ~い……おーい、もう一杯~」

 

「すっかり出来上がってるわね」

 

 戦士たちは疲れを癒しつつ、気たる戦争に向けて鋭気を養う。先刻の一件は一大事ながらも、それぞれに受け入れて次へ進むための足場とする。

 たくましい人々であった。

 

「どこもかしこも戦争だな」

 

「そういうこと」

 

 ジャックとナギサは、ジュース片手にその様子を少し離れた席から眺めていた。

 両者の目に映るのは、同じ出来事でも受け取る内容は少々異なっている。

 

 ナギサには初めて見る猥雑だが活気あふれた人々の姿として、ジャックには、かつて何度も目にした懐かしい日々の再現として。

 

 がむしゃらに進んだ毎日だった、トゥトアスの理や龍の存在が意味するところ、そしてリドリーの行く末なだ思いもよらない……今思えば、あの頃が一番楽しかったかもしれない。

 

「ジャックさん!」

 

 目を吊り上げたエレナが目の前に立ちはだかった。

 

「アナスタシア様を無理矢理こんな汚い店に連れて来て、どうしてくれるんですか」

 

「汚ねえたあ、なんだ!」

 

 ギスケの怒鳴り声にやや押されながら、エレナはアナスタシアの従者としての責務を果たすべくジャックへの抗議を続行した。

 

「ナルシェも、悪い遊びを覚えたらどうするんです」

 

「……踊ろっか」

 

「え? きゃっ―」

 

 言うが早く、ジャックはエレナの手を取ると踊り出した。

 

「ちょ、じゃ、ジャックさん、ちょっと!」

 

 注目を浴び、はやし立てられてエレナは赤面した。アナスタシアが出席するようなダンスパーティーであればともかく、このようなところで、服もそのままで踊るのは初めてだ。

 

「ちょっと、エレナ姉さんに恥をかかせないで」

 

「アディーナも来いよ」

 

 今度はアディーナの手を取り、ジャックは踊った。

 

 それこそ、酒も飲まずに酔っていたのだろう。

 その後、ナギサ、アリシア、なぜかダニエルと踊りの相手を変えて、最後にもう一度エレナと踊ってその場はお開きとなった。

 



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運命の機微

 そろそろ昼になろうという頃、まだ自宅でいびきをかいていたジャックは乱暴なノック音で目を覚ました。

 

「おい! 起きろニワトリ頭!」

 

「うわっ……あ~、ジャックさんはいません! 遠いところに行きました!」

 

「ふざけるな! ラークス様がお呼びだぞ! さっさと来い!」

 

「ちぇっ」

 

 最悪のモーニングコールをもたらしたアルへ、ジャックはとびきり嫌な顔をして出る。

 

「城ぐらい一人で行けらあ! 帰れ!」

 

「言われなくてもこんなところに長居するかよ! 身だしなみを整えろ!」

 

「やんのかコラ!」

 

「ぼ、暴力を振るう気か! 私はラークス様の使いだぞ!」

 

 二人の言い合いはしばらく続き、フェルナンドが近所迷惑だと説教へやって来たことでようやく終わったのだった。

 

 

 

 ラークスの元へ参上したジャックは、やはりというべきか昨日の出来事について質問を受けた。

 彼は黒い鎧が『ジャック』と呼ばれていたことも知っており、妖精との戦争が現実味を帯びてきた今、騎士団の動揺について懸念しているようだった。

 

「あの、ジーニアスは? あいつなら色々……」

 

「それが、他国へ行っているようなのです」

 

「ええ?」

 

「何やら確かめたいことがあると……護衛はつけていますし、安全とは思いますが」

 

 ジャックにとっても凶報だった、聞きたいことは山ほどあるのに、どうしても捕まらない。

 鼻持ちならない男だったが、その知識は誰よりも信用できる。

 

「それから……妖精側の長は、やはりリドリーに酷似した少女のようです。その傍には……黒い鎧の姿も」

 

「ラークスさんは……どう思いますか?」

 

「龍亡き後の理から外れたトゥトアス、何が起きても不思議ではないとジーニアスさんの言です。例え、彼らの正体が何者であろうと、私はラジアータを守らねばなりません」

 

 それもまた、正しい。

 

「ジャックさんには……ますます働いてもらわねばなりません」

 

「うっす」

 

 そこに潜む懸念をジャックは感じ取っていた。

 もし、少女がリドリーであったとき、彼はどうするのか? 与するようなことがあれば……。

 

 ジャック自身、絶対にありえないとは言えなかった。

 あの日、自室にやって来た彼女への返答が今も変わらないわけではない。

 彼女と共に、妖精側に立っていた未来もあり得た。

 

 つくづく、運命の数奇を感じずにはいられないジャックだった。

 

 

 

 その後、状況確認と始動についてのやり取りをした後で、ジャックは部屋を後にした。

 気づけばすっかり日が暮れていた、食堂に寄ってアスターの料理を食べようかとも思ったジャックだったが、迷った挙句に帰宅を選んだ。

 

「あら? 今お帰りですか?」

 

 途上、ルルに会った。

 大企業の2代目社長にして、オラシオンのアナスタシア派の一員。

 アナスタシアによって精神的に辛い日々から立ち直ったと彼女を崇拝しているが、彼女よりはるかに信仰深く人間的にも善良だった。外見は……リトルアナスタシアといった感じで、かなり個性的であった。

 

「ん、ルルも帰り?」

 

「いえ、教団に届け物です」

 

「そっか……」

 

「ジャックさん」

 

「なに?」

 

「大丈夫ですか? なんだか落ち込んで見えますよ」

 

 否定しようとしたジャックだが、咄嗟に言葉が出なかった。

 

「いけませんよ、頑張りすぎると疲れちゃいます。ほどほどに、頑張るんです」

 

「うん」

 

「それじゃあ、何かあれば呼んでくださいね」

 

 トコトコと、ルルは去って行った。

 再び歩み出したジャックは、少しだけ心が軽くなった気がした。

 

 



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世相

 翌朝、ジャックはいつものように『テアトル』へ顔を出した。

 悩んでいても時間は過ぎる、ならば、悩みつつ何かしよう。と、ジャックは判断したのだった。

 

「お、来たな」

 

「っと、すげえな」

 

 『テアトル』は人でごった返していた。

 妖精たちによるパレードの襲撃を受け、恐怖が社会に蔓延していたのだ。

 それまでは平気で行き来していた道でも、妖精の影がちらつく。警備依頼が引きも切らず、タナトスは依頼の対応でてんてこ舞いだった。

 

 ジャックのとりなし(?)のお陰で、アナスタシアは違約金や責任問題の追及をしなかったが、警備担当中の事件ということで評判に水を差された感は否めない。

 それを払しょくするため、各員は気合を入れて任務に励んでいる。

 

「ほれ、お前の分だ」

 

「うへえ……」

 

 『龍殺し』、ジャックの名はその中でも絶大で、ライトエルフ撃退の立役者という噂が飛び交って、行商人から大貴族まで名指しの依頼が山のように舞い込んでいた。

 

 

 

「う~……頭痛え~」

 

「大丈夫ですか隊長?」

 

「飲み過ぎであろう」

 

「やっ! えい!」

 

「振りが大きいぞナルシェ」

 

 ジャックが選んだのは、いつぞやのエキドナ門付近の建設現場の警備であった。

 単純に、国からの依頼だったため依頼料が良かったためだが、ナギサを呼びに行った後、『ヘクトン』の面々がそれに便乗して来た。

 

 現場に到着して、建設作業に勤しむ作業員の隣りで警備を始めた訳だが、そう頻繁に襲撃がある訳でもなく、ジャックたちは待機状態で時間を潰すこととなった。

 

「うあっ!」

 

「バランスを崩しちゃダメだ」

 

 丁度いい機会だと、乞われてジャックはナルシェへ稽古をつけてやっていた。

 

「斧はカウンターを意識するんだよ、こっちから攻撃するには遅いし重いからな」

 

「う、うん!」

 

 ナルシェに合わせ、斧『エンシェントエイジ』を構えてジャックはナルシェの攻めを受けて流す。

 全く力を入れていないのに、的確に勢いを殺していなす。それも、両手ではなく片手で握ってのことだ。

 重く、厚い斧を使っているのにそれを全く感じさせない。

 

「はあ……はあ……」

 

「うし、休憩すっか」

 

「ま、まだやれるよ……」

 

「休むのもトレーニングうちだぜ」

 

 息を切らしてきたナルシェを案じたジャックだが、今度はナギサが目の前に立ちはだかった。

 

「勝負だ、ジャック!」

 

 ナルシェとの稽古で、闘争心に火が付いたらしい。

 そもそも彼女はジャックと決着をつけることが目的なのだ。

 

「……ま、いいけどさ」

 

 ジャックは武器を『グラム』へ持ち替えてナギサと相対した。

 

「せいっ!」

 

 ナギサの切り込みは見事なものだった、ナルシェは見とれ、ジャーバスでさえ二日酔いに苦しみつつ感嘆するほどだった。

 シーザーの刀を使うアリシア、が二人の連想した姿だ。一撃一撃が鋭く重いのに、その動きは華麗の一言だった。体さばきも見事で、見習うべきところが多いと二人は戦士らしく注意深く見守っていた。

 

「……っぽ」

 

 ダニエルは、華麗な部分にばかり目がいっていたが。

 

 ほどなく、ジャーバスはナギサよりもジャックを注視するようになった。

 

(とんでもないヤツだ……)

 

 『龍殺し』のすさまじい実力をまざまざと見せつけられた。

 ナギサを全く寄せ付けず、余裕さえ感じさせる。大隊長を負かしただけのことはある、彼には『龍殺し』よりもそちらの方がよほど恐ろしかった。

 

(俺もまだまだだ……)

 

 敗北感と共に、克己心も湧いてきた。

 知らず知らずに、己が実力に見切りをつけていたジャーバスだったが、ジャックを前にして強さへの欲求がかま首をもたげて来ている。

 

 一人の男の決意などいざ知らず、ジャックとナギサは結局警備が終わるまで切り合いを続け、ついに一回も肉薄させぬまま依頼を終えた。

 

 

 

 



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宰相の苦悩

 政務の合間の小休止が、誇張なく秒刻みのスケジュールをこなしているラークスにとっては何よりの楽しみだった。

 

 ジャスネ、ルシオン、政敵がそれぞれの理由で舞台から退き、ラジアータでの彼の権力は揺るぎないものになった。

 宰相と大臣を兼任し、最早上司と呼べるのは国王のみ。その国王からも全幅の信頼を受けている彼は、政治権力の全てを有し、ラジアータを意のままにできる力を持っていた。

 

 で、ありながら、腐敗や堕落とは彼は無縁であった。

 清廉に、簡潔に、国家のために尽くし、国家のために働いていた。平民出でここまで昇り詰めただけありその才覚は申し分なく、敵対する勢力でさえ彼無くしてラジアータは立ちゆくまいと認めざるを得ない程だった。

 

 ダイナス、クロスを失い弱体化した騎士団を、どうにか今の水準まで持ってこれたのも彼の手腕である。少しずつ、次世代の才は実りつつあった。

 

 歴史上類を見ない、監視者を排除したこの新時代の『トゥトアス』を生きる者の一人として、去来する思いは一つではなかった。

 

「……」

 

 香りの良い茶を含んでラークスは思案する。最高級品でなく、そこから2級ほど質を落としたものを、嗜好品に限っては彼は好んだ。

 

 今最も関心があるのは、妖精との戦争、龍の復活、そして人間の少女。それらと縁深き青年、ジャック・ラッセル。

 

 思えば、最初は彼ではなく彼の父、ケアン・ラッセルから授かったろう才にこそ興味があった。だから、騎士団セレクションでは大した結果を残せなかった彼を、騎士へと引き上げたのだ。

 

 その後、紆余曲折を経て彼は騎士団を去り、『テアトル』で名を上げて、妖精との戦争では名だたる妖精たちを、花翁林を、そして龍を倒した。

 

「ケアン……ジャックさんを見たら、さぞ誇らしいでしょうね」

 

 ラークスの見立てでは、親子でありながら、ケアンとジャックの『強さ』は大きく異なっていた。

 

 一個人として破格の力を有し、ガウェインやエルウェンのようにカリスマで周囲を率いていたケアン。独力で『水龍』を倒したことからも、それは際立っていた。

 快活な好漢であったが、それでもやはり周囲を畏怖させる空気をまとっていたように思える。

 

 反面、ジャックは、無論その技量は彼らに劣らないものの、迫力という点では数段落ちる。戦闘以外では頭脳も冴えず、カリスマと言えるような雰囲気もない。

 

 だが、その楽天的な性格故に周囲を和ませて壁を作らない。従えるのではなく、力を借りる。これは、彼らにはない才覚であった。

 無論、ケアンらは妖精たちと親交を深めてはいたが、市井の人々との交流という点ではジャックに及ばない(騎士という立場の違いもあったが)。

 

 さらに、ジャックは戦いに関して枠にとらわれなかった。

 ケアン、ガウェインらが得意な武器を極限にまで研ぎ澄ませたのに対して、ジャックは何種類もの武器でそれを成した。アイテムも惜しみなく使い、勝つためならばあらゆる手段を試す。

 

「……」

 

 だからこそ、ラークスは不安だった。

 もし、ジャックが王国へ刃を向けたとしたら……。

 

 個人的に見れば、ジャックがそうすることはほとんどあり得ないと断言出来た。

 しかし、龍をことごとく亡ぼし、銀龍すら下した特異な存在だとすると―。

 

「ナツメです」

 

 ラークスの懸想は、ノックとナツメの声で掻き消された。

 どうやら休憩は終わりにしなければならない。

 

「入ってください」

 

 ナツメを迎え入れ、ラークスは来る戦争に向けての演習を騎士団と打ち合わせた。

 

 



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『白狼』

 愛するイザベラに出勤を告げ、一歩家から外へ出たダニエルは、野望に燃える戦士の顔にすっかり変貌していた(つもり)のだった。

 

「見てろよお、ジャック……ボクだって……」

 

 実力、名声、何より可愛い女の子の知り合いの多さ。

 ダニエルが求める全てをジャックは持っているように思えた。

 

 年も同じ、同期の戦士であるのに、片や『龍殺し』、片や戦士ギルドでも冴えない方のジャーバス隊『ヘクトン』の副隊長。

 

「今度はボクが龍を倒して見せる……そして……」

 

「ねえねえ」

 

「え?」

 

 振り返ったダニエルは、声の主を認めてそれまでの決意をどこかへ遠投してしまった。

 

 短くまとめた輝く銀髪、しなやかなでありながら女性的な体躯、人懐こそうな笑みを浮かべた幼さの残る顔立ち。見惚れるような美少女がそこに立っていた。

 

 かなりの軽装で、鎧は最小限と言った感じに、へそをそのまま出している。

 それほど詳しくはないのだが、恰好からダニエルは彼女からよく見かけるフラウを連想し、『ヴォイド』の所属者なのではないかと推察した。

 

 

「ちょっと聞いていいかな?」

 

「……あ、う、うん! なに……い、いえ、なんでしょうか⁉」

 

 すっかり骨抜きにされたダニエルだったが―

 

「ジャックくんて、ここにいないかな?」

 

「……ああ」

 

 またしても、ジャックに邪魔された(と勝手に思った)。

 

 

 

 ナギサの時とは違い、ダニエルと少女は程なくしてジャックを発見した。

 タナトスに行き先を聞き、『ヴァレス』でスターらとネズミ退治の任務にかかっていると突き止めたのだ。

 学園につくころに、丁度良く任務を終えて出て来たジャック一行と出会うことができた。

 

「よお、ダニエル……とヴァージニア⁉」

 

「やあ、ジャックくん」

 

「む? 見かけない顔であるな」

 

「ジャックさんのお知り合いのようです」

 

「任務が終わったなら帰らせてもらうぞ、充電したい」

 

「あ、うん、じゃあ、ここで解散」

 

 スターらを先に帰らせると、ジャックは困ったようにヴァージニアと呼ばれた少女を見た。

 

「えっと……どした?」

 

「ちょっとごたごたがあってね、匿って欲しいんだ」

 

「なんだよごたごたって」

 

「内部抗争的な感じだね、ともかく、ぼくはちょっとほとぼり冷まさなきゃいけなくてさ。よろしく」

 

「おい、勝手に話を進めるな。匿うなんて言ってねえぞ」

 

「この寒空にこんな可愛い子を放り出すの? ジャックくんって冷たい、ぼくときみの仲なのに」

 

「変な事言うんじゃねえ!」

 

「じゃ、匿って」

 

 ジャックはなおも反論しようとしたが、堂々巡りに終わると判断して肩を落とした。

 

「匿うったって……どうするんだよ?」

 

「ニュクスがいるんでしょ? 仲介してくれれば大丈夫」

 

「わかった……ただ、ニュクスがなんていうかはわかんないぞ?」

 

「大丈夫大丈夫、ささ、連れて行ってよ」

 

 ジャックは溜息一つを残して歩きだし、ヴァージニアが続く。

 ダニエルは蚊帳の外に置かれていてどうしたらいいのかわからず、ともかくジャックの後を追うことにした。

 

 

 

 

「ダニエル、今度から客が来たら先に俺に言ってくれよ」

 

「ご、ごめん」

 

 ジャックたちは黒街を通り、『奈落獣』を経て『ヴォイド』本部へやって来ていた。

 ヴァージニアを事務所まで送り、何らかの話し合いが終わるまでクラブ『ヴァンパイア』で待つことになった。

 二人とも酒は飲めないため、ダンの料理とジュースで時間を潰す。そばではサルビアが、いつもの飄々とした様子で机を拭いていた。

 

「あの子、知り合いなんでしょ?」

 

「うん、だけどさ、あいつ殺し屋だぞ」

 

「ええっ⁉」

 

「北の大地のな……ちょっと物騒な奴」

 

 信じられない様子のダニエルだが、ここ『ヴォイド』に限らず、ある程度の国家では殺し屋など珍しくもなかった。

 顔が広いジャックと、基本的に『テアトル』周辺で物事が完結するダニエルとの姿勢の違いである。

 

「あんなに可愛いのに……」

 

「『白狼(フェンリル)』って呼ばれてた」

 

「それなら私も聞いたことがあるぞ」

 

 ダンが皿を洗いながら話しかけてきた。

 

「名うての殺し屋が襲名する名前だ、ただ、あんなに小さい子供だとは知らなかったけどな」

 

「前の『白狼』を殺して成り代わったんだってさ」

 

「だとしたら、将来有望だな」

 

 ダニエルは慄然とする、ヴァージニアの正体もさることながら、ジャックとダンの口調が限りなく軽いことにだ。

 改めて、自身とジャックの距離を実感する。実力以上に、世界を見る目が全く異なっているのだ。それが戦争を経てのものなのか、その後の旅で培ったものなのかはわからないが。

 

 それでいて、表面上は『ジャック』のままであることの凄まじさを。

 

「お待たせー」

 

 ヴァージニアは戻って来ると、ジャックの傍に座り料理とジュースを奪った。

 

「いやー、お腹ペコペコでさ」

 

「それより、どうだったんだよ?」

 

「うん、ここに置いてくれるって。助っ人みたいな感じ?」

 

「そっか」

 

「恩人のジャックくんにはしっかり借りを返すから、いつでも呼んでね」

 

「別にいいよ」

 

「そう? 今色々大変なんでしょ? 妖精とか龍とか、女の子とか」

 

 ジャックは何も言えなかった。

 

「じゃ、ぼくは旅の疲れを癒すとするね」

 

 料理とジュースを持ち、2階へと消えていく。

 どういったやり取りがあったかはわからないが、ともかく彼女は『ヴォイド』の一員となったようだ。

 ジャックにとっては、あまり知られたくないことを知ったうえで。

 

「……」

 

「ジャック?」

 

「……うわあ~」

 

 心底嫌だと伝わる溜息を残して、ジャックは突っ伏した。



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ゴブリントリオ再び

 翌日、ジャックは『ヴァレス』の助教授ジルとクリストフから、薬草収集の護衛任務を受けた。

 向かう先はエルフ地方、先日の一件もあったため、彼らだけでは心もとなかったのだ。

 

 よりによってこんな時期にと、ジャック自身思わないでもなかったが、研究に必要だと熱弁するジルに押し切られ、依頼を受けてしまった。

 

 薬学知識が豊富なサイネリアに同行を頼んで、一行はエルフ地方へと向かった。道中は不気味なくらいに平穏で、ライトエルフの襲撃など幻であったのではと錯覚してしまいそうな陽気だった。

 

 

「これこれ、これだよ」

 

「なるほど」

 

 熱心に薬草を集めるジルとクリストフの横で、ジャックは周囲の警戒を怠らずにいたが、反対にサイネリアはのんきに弁当箱を広げていた。

 

「見てください、フローラちゃんのお料理練習に付き合ううちにこんなに上達しましたよ」

 

「フローラって料理苦手なんだっけ?」

 

「はい、でも、最近また熱心に練習してるんですよ」

 

 その原因はジャックにある、と暗に含みを持たせたサイネリアだったが、朴念仁ジャックには当然通じない。

 

「ま、うまい飯が作れるのはいいよな」

 

「……ですよね」

 

 その時だった。

 

「ウケケケケー」

 

「オレタチャゴブリントリオ」

 

「オイテケオイテケ」

 

「! お前ら……」

 

 妖精が現れた。

 が、エルフではなくグリーンゴブリン、それも、ジャックも良く知ったゴブ、イソップ、モンキの3匹だった。

 

 自称、ゴブリントリオ。

 騎士としての初任務、ドワーフの荷物護送の際、山羊を狙って襲い掛かって来た。

 その間抜けっぷりのおかげで被害はなく、その後はトリオの解消を経てジャックの仲間となったこともあったが、戦争を契機に袂を別っていた。

 

 戦争で死していなかったことに安心する反面、以前ののほほんとした雰囲気を失っている様子にジャックは心が重くなった。

 

「ジャック、ヤッパリ」

 

「アノマヌケヅラ」

 

「オマエハドウシテフタリイル?」

 

「何言ってやがる」

 

 ジルたちを下がらせて臨戦態勢を取るジャックだったが、ゴブリンたちが気になることをしゃべっていたため、情報収集を試みることにした。

 それに、3匹とも元々それほど脅威となる戦闘力は持っていない。精々手持ちのハエタタキを振り回すくらいだ。

 

「マアイイ」

 

「トゥトアスノチツジョヲ」

 

「トリモドスゾ」

 

 やはり、妖精たちは何らかの意思の元再び戦いを仕掛けて来ている。

 いたずらとぐうたらに人生を費やしているはずのグリーンゴブリンたちの言いように、ジャックは嵐を予感せざるを得なかった。

 

「やるってんなら容赦しないよ!」

 

「微力ながら助太刀します」

 

「治療は任せてください!」

 

 ジル、クリストフ、サイネリアが参戦する。

 4人でかかれば苦も無く倒せる相手であるはずだったが―

 

「ウケテミヨ、秘儀、ゴブリンビーム!」

 

 ゴブリントリオは手を繋いで3人扇の体勢をとった。

 3人の体が発光し、中心であるゴブに莫大なエネルギーが集中していく。

 

「⁉ やばい!」

 

 ジャックは、咄嗟に3人を抱え上げて退避した。

 紙一重の差で、それまで彼らが立っていた空間を強大なエネルギーが疾走する。

 それは山肌に直撃すると大爆発を起こし、大きく岩盤をえぐり取っていた。

 

「ヨケラレタ」

 

「チャージマデジカンガカカルゾ」

 

「イチジテッタイダ」

 

 ゴブリントリオは、ジャックらが無事なのを見るや、一目散に逃げだしていた。

 ジャックは追わなかった、ジルたちがいたし、撤退がブラフである可能性もあったからだ。

 直撃を受ければ、一撃でジャックは倒れていただろう。

 

「ボルティブレイク……」

 

 『ゴブリンビーム』は、間違いなく『ボルティブレイク』だ。

 強者にのみ許された一撃、それをゴブリンたちは3人がかりとはいえ放ち、その威力はエルウェンのそれをしのぐかもしれなかった。

 

 妖精たちの間で何かが起こっている。

 少女と『ジャック』によるものだろうか。

 

 ますます、ジーニアスの見立てを聞きたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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史上最大の危機

 ゴブリントリオの襲撃後、妖精の姿はなく、ジャックらは薬草採集を終えて『ラジアータ』へ帰還した。

 

 報酬を受け取り、ラークスへゴブリントリオの件を報告しようかとも思ったジャックであったが、多忙らしく取次ぎを許されず、チャーリーとニーナに伝言を残して城を後にした。

 

 空いた時間をどうするか少し考えた末、『テアトル』での鍛錬へ費やすことに決め、ガレス、デイビッド、デニスらの横で木人相手に武器を振るった。

 

 片手剣、両手剣、斧、槍。

 心地よい汗をかき始めたころ、ジャックは顔を出したナルシェに手合わせを頼まれた。

 快諾して数戦すると、デイビッドが試合を申し出てきた。終わるとガレス、グレゴリーと続き、最後にはジェラルドがやってきた。

 

「も、もう勘弁してくださいよ」

 

「うるせえ、なまってねえかみてやるぜ」

 

 さすがに連戦、しかも『斬鉄』が相手ともなるとジェックも楽ができなくなる。散々喝をいれられ、ようやく解放された頃には体のあちこちが痛かった。

 

「手加減を知らねえんだから……いてて」

 

 『テアトル』を出て、ジャックはぶつくさ言いながら『ビギン食堂』へ向かった。すっかり腹ペコだ。

 その途上、ローレックと出くわした。

 

「あ、ど、どうも……」

 

「うっす」

 

「あ、お家に誰かいましたよ。女性の方でした」

 

 女性、という漠然な情報にジャックは正体を見究めかねた。

 詳細を聞こうとしたものの、ローレックも通りがけに目に入れた程度であり、憶えていなくてすまないと頭を下げられてしまった。

 

「ま、後でいっか」

 

 ひとまず空腹を満たすことを優先して、ジャックは食堂へ足を踏み入れた。

 

 

 

 夜になると、『ビギン食堂』は戦士たちで賑やかになる。

 

 この日は特に夕食の予定が重なったのか、主要な隊のメンバーのほとんどが顔を見せ、『ヘクトン』の面々もやって来ていた。

 

「それでね、隊長がさ……」

 

「はは、相変わらずだなあ」

 

「俺はナルシェを庇ったんだ」

 

「またまた~」

 

 和気あいあいと食事を楽しんでいたジャックだったが、そろそろ食後のデザートへ移ろうとかという頃に、ヴァージニアが顔を出してきた。

 

「げっ」

 

「ご挨拶だねジャックくん、折角君へのお客さんを連れて来たのに」

 

 客と言われて、反射的にジャックは先ほどのローレックを思い出していた。

 

「家に来てた人?」

 

「そ、さっき行ってみたら待っててね、こうしてエスコートしたんだよ」

 

 個人的にヴァージニアは気に入らないが、客を待たせていたことはバツが悪い。

 しばらくすれば帰るか、日を改めるだろうとないがしろにしてしまっていた。

 

「悪かったよ……」

 

「気にしないで。あ、ボクにもジャックくんと同じのを、彼のおごりで」

 

「おいっ」

 

 早速謝罪を後悔すれ、ジャックは彼女の言う客へ応対することにした。

 が、その客の姿を見た途端、『龍殺し』は凍り付いていた。

 

「ジャック」

 

 エアデール・ラッセル。

 彼の姉であった。

 



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最強の定義

 エアデールは、元来落ち着いた女性である。

 家事裁縫が得意で、父に習った剣術はたしなむものの、それほどの才に恵まれなかったこともあり、あくまでも護身と健康維持のために継続してる程度だ。

 

 絵に描いたような晴耕雨読の毎日を過ごし、起伏の無い、しかし穏やかな時間の流れに身を投じている。

 

「ジャック、何か言う事は?」

 

「え、えっと……こ、こんばんは?」

 

「じゃないでしょ! 帰って来たなら挨拶くらいしなさい!」

 

 が、ジャックにとってはそれはそれは恐ろしい姉であった。

 父、そして母を早くに亡くした彼にとって、エアデールは親代わりの存在である。ずぼらな性格のジャックをしつけるため、厳しく接してきた結果、『龍殺し』となった現在にあっても頭が上がらない存在なのだった。

 

「そ、そのうち……」

 

「最初にくればいいでしょ? 全くあなたはいつまでも……」

 

 すっかりお説教モードに入ったエアデールに、ユーリは軽食と飲み物をさし出した。

 

 ヴァージニア以下、戦士たちは静観の姿勢をとっており、ジャックは援軍は望めそうにもなかった。

 

「掃除はしてるの? 後で見ますからね」

 

「さ、最近任務で忙しくて……」

 

「やっぱり、ちゃんとしなさいっていつも言ってるでしょ」

 

 お説教はたっぷり夜中まで続いた。

 ジェラルドなどはそれを肴に酒を吞み明かし、アリシアはクスクスと笑っていた。

 しまいには。各個にエアデールが挨拶をして回り、ジャックはすっかり弱り切ってしまった。

 

 

 こういう時に限り、荒くれもの揃いの戦士たちは真っ当な先輩戦士らしき応対をした。

 強さは認めつつ、生意気、世間知らず、礼儀がなってない、先輩を敬わない、空気が読めない、無駄にテンションが高い等々、ジャックに苦言を呈する。

 ナルシェは全面的に肯定したものの、かえってエアデールの怒りに火を着けたようだった。

 

「先輩さんたちに失礼でしょ!」

 

「で、でも姉ちゃん、俺『アハト』の隊長だし、『桃色豚闘士団』も復活して騎士に戻ったんだぜ?」

 

「それはそれ、これはこれ」

 

 店じまいの時間が来なければ、エアデールはまだまだ説教を続けるつもりだったろう。

 

 

「はあ……心配してた通りだわ」

 

「うう……」

 

 『ビギン食堂』を出て、ダニエルらと別れジャックとエアデールは家への帰路についていた。

 

「ジャック、また騎士をクビになんてのは許さないわよ」

 

「わかったよ……」

 

 鍛錬とエアデールの説教(とヴァージニアのただ食い)で、ジャックはすっかり参っていた。

 

「……まあ、元気そうで良かったわ」

 

「だから、姉ちゃん、俺、そのうち顔出そうって……」

 

「心配してたんだから、帰るなり旅に出るって……手紙くらい送りなさい」

 

「……ごめん」

 

 妖精との戦争終結後、ジャックは一度実家へ戻ると、すぐさま旅に出た。

 その途上、ナギサやヴァージニア達と出会い、多くの経験を積んだ。見聞を広げるため、というのは半分は嘘だ。

 

 結局、ラジアータには思い出が多すぎた。

 

「いつまでたっても、昔のまんまなんだから」

 

 街灯の下、ジャックはエアデールを久しぶりに見た気がした。

 いつもの姉のままに思えたが、最後に見た時よりも彼女は小さく、そして寂しそうだった。

 

 過去は過ぎゆき、現在は立ち止まらず、未来は駆ける。

 

 どれだけ装飾をほどこそうが、二人は時の流れの中では、小さな姉弟に過ぎない。

 

 だからこそ、精一杯に共に生きようとしていた。

 

 

 

 

「姉ちゃん明日にしようよ~」

 

「こんなとこで眠れないでしょ! ほら、さっさとする!」

 

「勘弁してくれ~」

 

「うるせーぞ!」

 

 そんな感傷的な気分は、ジャックの家へエアデールが一歩足を踏み入れた時点で霧散した。

 

 散らかりっぱなしの服、下着、漫画、出し忘れのゴミ袋の山。ジャックにとっての日常風景は、姉にはゴミ溜めにしか見えなかった。

 

 すぐさまその場で掃除命令が下され、泣く泣くジャックは従わざるを得ず、近所迷惑だと怒鳴り込んできたデイビッドも何故か巻き込んで、朝までエアデール監視の元清掃作業が続けられたのだった。

 

 

 



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エアデールの上京日記

 朝まで続いた掃除の後、ジャックは城からの呼び出しを受け、寝ぼけ眼をこすりながら家を出た。

 (何故か」後を引き継いだデイビッドがようやく掃除を終え、ふらふらと自身の家に戻って、エアデールは一人家に残されていた。

 

「……夜には帰って来るわよね」

 

 そのまま清潔さを取戻した家で待機するを望まず、エアデールは仕度をして外出した。

 

 

 ジャックがラジアータに戻ったというのを、故郷の『トリア村』を訪れた行商人からいたのが今回の上京を決めた発端である。

 『龍殺し』も、彼女にかかってはいつまでも手のかかる心配な弟に過ぎなかった。

 

 それと並行して、都見物という目的も持っていた。なにしろ、故郷から遠く離れた『ラジアータ王国』までは滅多な事では訪れることがない。折角だから、あちこち見て回りたかったし、隣家のサーバルらから土産を頼まれてもいたのだった。

 

「どうも~」

 

「あら? あなた……」

 

「ヴァージニアだよ」

 

 そんなエアデールへ、声をかけてきたのはヴァージニア。

 相変わらず柔和な、そしてどこか油断ならない笑顔のまま彼女へ近づいていく。

 

「ジャックくんにはお世話になってます」

 

「まあまあ……あの子が迷惑かけてませんか?」

 

「いえいえ、大恩人ですよ」

 

 無論、真っ当な意味でではない。確かにジャックは彼女を助けたことが何度かあるが、大抵は成り行きと彼女がそう仕向けたためであり、一筋縄ではいかない強かな少女なのだった。

 

「ところでどちらに?」

 

「いえ、ちょっと散策かしら。何しろ久しぶりだから」

 

「一緒にいいですか? 僕もここに来てから全然で」

 

「ええ、いいわよ」

 

 エアデールにとっても悪くない申し出だった。

 ジャックの知り合いであれば、彼について色々聞きたかったし、慣れない土地では一人より二人の方が心強い。

 

「む……」

 

 そこへ、ナギサが姿を現した。

 

「やあ、ナギサくん」

 

「……誰だ? わしは主をしらん」

 

「ん~、きみは有名人だからねえ」

 

 ナギサはあからさまに不機嫌だった。初対面ですでに、ヴァージニアの持つ危険な雰囲気を察したらしい。

 

「ジャックにご用ですか?」

 

「そうだが……主は?」

 

「姉のエアデール・ラッセルです」

 

「! ……姉君」

 

「ナギサくんは東の国からジャックくんにリベンジにしに来たんですよ」

 

「あら、ジャックが何かしたんですか?」

 

「む……試合に敗れ……その……雪辱を、雪辱を……晴らさねばならぬ」

 

 ナギサはしどろもどろに答えた。

 何故か自分について詳しい怪しい少女と、(いろいろな意味で)関心の先であるジャックの姉を前に、どういう態度を取ればいいか決めかねていた。

 

「あの子ったら……」

 

「ジャックくんは色々顔が広いからねえ」

 

「いいわ、一度詳しく話を聞きましょうお城だったわね?」

 

「あ、ジャックはそこか?」

 

 かくして、エアデール、ヴァージニア、ナギサと土地勘のない3人組は、ジャックを探して一路ラジアータの町を進みだしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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エアデールの上京日記②

 そしてすぐに迷った。

 

 遠くに見えているはずの『ラジアータ城』を目指していたはずなのに、距離は少しも縮まらず時間だけが過ぎていく。

 

 一度落ち着くため、3人は『オラシオン教団』のベンチに腰掛けて休むことになった。

 ここも、迷った末にたどり着いたのであって、ジャックの家への帰り道もわかっていない。

 

「おかしいわね」

 

「やはり、さっきの道を曲がるべきだったのだ」

 

「まあ、焦らずいこうよ」

 

 ヴァージニアは敢えて何も言わない。迷う二人を見て楽しんでいるようだった。

 

 

 

「もしもし、どうされましたか?」

 

 声を掛けて来たのはミランダだった。

 お節介焼きである彼女は、迷子や困っている人を見ると声をかけずにはいられない性質なのだ。

 

「いえ、お城に行きたいんですけど」

 

「まあ、それはお困りでしょう。案内して差し上げます」

 

「おい、ミランダ、そんな暇ないだろ」

 

 ぶっきらぼうに言ってのけたのは、同僚のモンク、ビシャスである。

 

「ゴドウィン様の言いつけ忘れたのかよ」

 

「でも、困ってる方を放ってはおけません」

 

「お仕事があるならそっちを……」

 

「いえいえ、お気になさらずに」

 

「大丈夫かよ……」

 

 間違いなく善人であるが、少々困った類の善人であることも事実であった。

 

「あ、あのう……」

 

 恐る恐るといった感じの声をかけてきたのは、ジーニアスの妹レオナであった。

 エアデールらが顔を向けると、ちいさく悲鳴をあげて隠れてしまう。

 

「ジャ、ジャックさんのおうちって……どちらでしょうか?」

 

「あら、あなたもジャックに?」

 

「お兄ちゃんからの……手紙が……」

 

「隅に置けないねえ、ジャックくんも」

 

 明らかに含みをもってヴァージニアは囁いた。

 一瞬だけ眉をひそめたエアデールであったが、すぐに柔和な顔立ちに戻してレオナへ話しかける。

 

「なら、案内しましょっか?」

 

「待て姉君、城へ向かうのではなかったか」

 

「ジャックの家を回って行けばいいわ。ミランダさん……で良かったかしら? お願いできる?」

 

「はい、ジャックさんのお家は存じてます」

 

「上がったこともある?」

 

「はい!」

 

 ヴァージニアの何気ないを装った質問によって、エアデールの眉のひそみは、今度は一瞬では済まなかった。

 

「そう……ごめんなさいね、汚いところで」

 

「いえ、一緒にお掃除しました」

 

「お前そんなことまでしてやってんのかよ」

 

 ビシャスがやや呆れたように言った。

 

「フローラさんもお手伝いしてました」

 

「フローラ?」

 

「ウチの司祭長様だよ、よくやるぜまったく」

 

「あの子ったら……」

 

 エアデールは、抑えていた不安がむくむくと湧き出るのを感じた。あの頃の弟ではない、とわかっていても、いつも彼女の想像するジャックは小さな姿のままだ。

 

「ちょっと、あんたらいいかい?」

 

 かけられた声に振向いたエアデールは、思わず真顔になった。

 美人ではあるが影がありすぎる血色の悪い顔立ち、紫色の口紅、闇を思わせる黒い髪、レザースーツ。明らかに堅気でない女がそこにいた。

 

「イリスさんじゃないか」

 

「あん? ……ああ、あんた新入りの」

 

「ヴァージニアだよ」

 

「まあいいわ、それよりそこのあんたよ」

 

「ふえっ?」

 

 『死鳥(クロウ)』の異名を持つ凄腕の暗殺者、『ヴォイド』の幹部イリスに指さされ、レオナは今にも泣きだしそうだった。

 

「あの子の知り合いでしょ、伝言頼みたいんだけど」

 

「もしかして、ジャックにでしょうか?」

 

「? そうだけど」

 

「あ、あの、ジャックはその……あなたとお知り合い?」

 

 経験から、イリスはすぐにその意図を察した。さらに、この女性とジャックの関係にも大まかなあたりを付けていた。ほどなく、『ヴォイド』にも彼の姉が『ラジアータ王国』を訪れていると情報がもたらされるだろう。

 

「別に、名前を知ってるくらいさ」

 

 短く答えると、イリスは踵を返した。似たような経験は何度かあり、その対処方法もわかっていた。

 決して誇ったりすることではなかったが。

 

 

 

「ただいま~……あれ? みんな―」

 

「ジャック!」

 

「うひゃっ……な、なんだよ姉ちゃん?」

 

「そこに座りなさい!」

 

 帰宅したジャックは、早々に怒りのエアデールの出迎えを受けて正座せざるを得なかった。

 

 なぜ、ナギサにヴァージニア、ミランダらまでいるかのかと疑問に思いつつ、久しぶりだが懐かしくはない姉の説教に耐え忍ぶのだった。

 

「いい? あなたにも色々あるとは思うわ。でも、人として守らなきゃいけないことがあるでしょ」

 

「う、うん?」

 

「わかってるの⁉」

 

「わ、わかってるよ……」

 

「あちこち女の子に……、そんな子に育ては憶えはありません!」

 

「何の話だよ⁉」

 

「お盛んだねジャックくん」

 

「さてはお前が何か吹き込んだな!」

 

「聞きなさい!」

 

「ひっ」

 

 エアデールのお説教はそのまま夜遅くまで続くのだった。

 

 



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予兆

「んが……」

 

 小鳥のさえずりと朝陽で目覚めたジャックは、家に複数人の女性がいるのに驚くと同時に昨夜の記憶を取り戻していた。

 

「みんな泊まったのかよ……」

 

 しかも、家主たる彼は床に寝ており、ベッドと寝袋には女性陣が横になっていたのだ。

 それに音を上げるほどやわではないが、やはり気に障るものだった。

 

「ふ~……」

 

「ジャック! ジャックう!」

 

「んあ? ダニエル?」

 

 外からダニエルの焦った叫び声が聞こえて来た。

 

「どした?」

 

「大変なんだよジャー」

 

 開け放たれた玄関から見える室内。そこには目覚めかけた少女たち。いずれも顔見知りで、ダニエル自身憎からず思っていた子ばかりだ。

 

「……」

 

「ダニエル?」

 

「き、きみってやつはあああああああ!」

 

「うわっ、ど、どうしたんだよ?」

 

 真っ赤になってぷりぷり怒るダニエルをなだめるうちに、エアデールらも覚醒して間に入ってダニエルを止めた。

 エアデールは姉で、皆はなし崩し的に(という程でもないが)泊まっていったと説明し、ようやくダニエルは落着きを取戻したのだった。

 

「ジャック、あなたやっぱり夜遊びを……」

 

「してねーって!」

 

 誤解よりなにより、ジャックはエアデールの説教が怖かった。

 一度始まれば無限に思えるほど続き、一切の反論も許されないのだ。

 

「ダニエルさん、それでどうされたんですか?」

 

「え? あ、そ、そうだった! ジャック、大変なんだよ! 龍が、龍が出たんだって!」

 

「! ……どこに?」

 

「それは―」

 

「ジャックさんいますか⁉」

 

「大変なんですよ~!」

 

 ニーナとチャーリーが駆け込んできた。二人とも極度の緊張からか蒼ざめて、冷たい汗をかいている。

 来訪の目的は聞くまでもない。

 

「……とりあえず、ラークスさんところに行く。歩きながら聞かせてくれ」

 

 ジャックは素早く身支度を整えると部屋を出、ふり返って姉たちを見た。

 

「姉ちゃんはここにいて。みんなは……多分、ギルドから招集がかかるだろうからそっちにな」

 

 返事は待たなかった。

 ジャックは一路城を目指し、一度も振り返ることをしなかった。

 

 エアデールは何も言えなかった。かつて父が倒し、そして弟が滅した龍の復活という言葉に理解が追い付いていなかったのだ。

 

 

「ジャック……」

 

 弟へ激励なり、身を案じた言葉なりをかけることも出来た。

 それを止めたのは、ジャックに恐らく生まれて初めて、『怖さ』を感じたからだ。

 

 そう、かつて明朗快活だった父が見せたようなもう一つの顔。いつからか纏っていた、言いようのない恐ろしい威圧感。

 

 『龍殺し』の殺気。

 

 



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火龍パーセク①

 『ディチョット地方』にある『火の山』は、その名の通りの活火山である。

 絶えずマグマが噴き出し、周辺の空気は呼気をするだけで器官を焼いてしまうほどに暑い。

 

 生息するモンスターは炎を好む凶悪なものが多く、『トゥトアス』最凶の種族『ブラッドオーク』も徘徊している。

 

 手練れの騎士や戦士でも、よほどのことが無ければ足を踏み入れはしない。

 だが、その地には今、騎士団や各ギルドの実力者たちが集結して、身を焦がすような熱気の中で戦いの準備を進めているのだった。

 

「偵察にやった連中はどうした?」

 

「は! レナード団長! 未だ帰還しておりません!」

 

「くそっ……また、やられたのか」

 

 『紫色山猫剣士団』の団長にして、『火龍』討伐隊の責任者たるレナードは、報告に顔を歪めた。

 

 『火龍』の出現を受け、ラークスは迅速に指示を出し、討伐部隊を編成した。各ギルドにも召集をかけ、短時間にして質、量ともに揃った軍団が結成されたのだった。

 

 指揮系統もレナードに一任されており、物資も十分に足りている。『龍』を相手にするにはこれ以上ない布陣のはずだった。

 

「あの、団長、すでに2隊が未帰還となって皆に動揺が広がっております。偵察隊の再編成はいささか……」

 

「わかってる、ひとまず待機するように言っておけ」

 

 報告にやって来た騎士を返し、本陣の中でレナードは頭を抱えた。

 

「参ったぜ……」

 

 任務は至極単純である。人間の脅威となる『火龍』を討伐し、秩序と人心の安定を図る。

 

 だが、行うは難し。前の戦争ではダイナスを屠り、騎士団へ多大な損害を与えた『火龍』を前にして、皆が動揺せずにいられないわけもなかった。

 

 さらに、一度は滅ぼしたはずの存在の復活とあって、動揺はより大きいものとなっていた。

 ひょっとして、『龍』は不死の存在なのではないか? だとすれば、幾度挑んで倒してもいずれはこちらが滅ぼされてしまうのではないか?

 

 『オーブ』の存在、『壁画』に描かれていた古の秩序といった事柄を知らされているレナードにさえ、その怖れはあった。

 

 『地龍』、『風龍』、そして『火龍』。

 いずれとも相対した経験がある彼は、その強大さも身に染みていた。特に『地龍』には、一撃で昏倒させられた苦い思い出がある。

 

 記憶に新しい、『ヘレンシア砦』での黒い鎧とゴブリンたちの襲撃。

 

 そうした事情もあり、情報収集の名目のもと行動を起こさない消極策を選んでしまっていた。

 だが、偵察に出した騎士たちは帰らず、かえって無用の不安を残す結果となっている。

 

 本心を言ってしまえば、レナードはナツメに総指揮を任せたかった。

 だが、彼女は首都防衛の任務についている。『龍』を倒すのに多量の人員がいるとわかっていても、防衛のためには王国を空にするわけにはいかないのだ。

 

「……」

 

 したたる汗をぬぐって、レナードは生ぬるくなった水を喉へ流し込む。

 この気候では、単に待機していても体力を消耗していってしまう。さらに、モンスターらの襲撃も既に何件も発生していた。下手をすれば、討伐前に戦力を削られかねない。

 

 ナツメの跡を継いでから、いや、騎士として、一人の男として間違いなく最大の危機に直面していたのだった。

 

 

 

「おっさーん? どこだよ~?」

 

 

 聞き覚えのある少年の声は、果たして救世主か否か。

 

 

 



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火龍パーセク②

「うひゃ~、やっぱりここはあっちいな~」

 

「火山か」

 

「もう帰りたくなっちゃったよ」

 

 ナギサ、ヴァージニアを伴って到着したジャックを見て、面々に安堵の空気が広まった。

 『龍殺し』がいるなら、これほど心強い味方はなかったし、それ以上のものを見出している面々も少なくはなかった。

 

「重役出勤ですね、ジャック」

 

 エルウェンがジャックをたしなめた。一応、テアトル所属の戦士であるから、大隊長として規律を守らねばならない。

 

「うっす、すんません。でも、ラークスさんと話してたんですよ」

 

「彼は何と?」

 

「任せるって」

 

 思わず彼女は苦笑した。同時に、ラークスの意図も読み取れる。ジャックに限れば、下手に縛るのではなく自由に動かしたほうが最大の力を発揮させられるという腹積もりだろう。

 

「大隊長、おっさんは―」

 

「レナード団長だろ」

 

 レナードが本陣からやって来た。彼をしても、ジャックの到着は有難いとしか言いようがない。

 

「丁度いい、お前ら、偵察に行ってくれ」

 

「いいの? そのまま、龍倒しちゃうかもよ」

 

「調子に乗るな、いいから行ってくれ」

 

「了解~」

 

 相変わらずの軽い調子に、思わず周囲から笑いが上がる。

 一方で、エルウェンら各ギルドの実力者たちは、それが彼がわざとそう振る舞っているのだと察知していた。

 

「よっしゃ、それじゃ~……いっちょ行ってくるか」

 

「待って下さい、ジャックさん」

 

 呼び止めたのはミランダら僧侶ギルドの面々だった。

 

「私たちも一緒に、やけどを負ったら治して差し上げます」

 

「そう? ならお願いすっかな。おっさん、宴会の準備しといてくれよな~」

 

「おっさん言うな!」

 

 『龍殺し』2度目の龍討伐は、限りなく軽く始まった。

 

 

 

「せい!」

 

「よっとっと……」

 

「ぐっ……」

 

 ナギサとヴァージニアの一撃を受けたブラッドオークの巨体が力を失くし、転げ落ちて溶岩に呑まれて消滅した。

 

 その脇では、ジャックがフレイムアントの群れを薙ぎ払っている。

 『偵察任務』に一行が出発してから数刻、すでに彼らは100を越える敵を倒していた。

 

「これがオークか……『鬼』に似ておるな」

 

「話には聞いてたけど、乱暴な妖精たちだねえ」

 

「トゥトアス最凶の種族だからな……」

 

 ジャックが睨んだ通り、モンスターに加えてブラッドオーク達が立ちはだかっている。それも、たまたま出くわしたのではなく、意識的にこの一帯を守護しているのだ。

 

 本能のままに生き、『強きものに従え』を唯一の掟としている妖精にあっても異端の種族。それに集団行動をさせている以上、妖精たちにはかつてのザイン、ガウェインらのような強者がいるのは間違いない。

 

 それはリドリーとされる少女か、あの黒鎧か、はたまた別の存在か。自分はそれに勝てるのか?

 

「ジャック……そろそろ帰らねえだか~?」

 

「あのな、クライブ、俺たちは偵察に出てるんだぞ」

 

「だったらもういいべ、ここはあぶねえのがいっぱいおる。そう報告すっぺ」

 

「クライブさん、私たちは火龍がいるかどうかを見ないとダメなんですよ?」

 

「だべ~」

 

 そして、今ジャックたちの最大の問題は僧侶ギルドの面々の状態だった。

 



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火龍パーセク③

「あっちいのがなあ……」

 

「お水が切れそうです」

 

 僧侶ギルドの面々は決して脆弱ではない。ミランダ、ビシャスは優秀なモンクであるし、フローラは言わずもがな、クライブも『奇蹟』を使うことができる。

 ジャックは何度も任務で力になってもらっていた。

 

 しかし、この環境は過酷に過ぎた。

 熱気に加えて、ブラッドオーク、強力な炎を使うモンスター。それも、かつて訪れた時よりも大幅に強くなっている。

 

 ナギサ、ヴァージニアはそれに引けを取らないものの、ミランダらは一戦するごとに傷を負うようになり、ジャックらの足手まといになると理解して後方からの補助に徹するようになっていたが、それも限界を迎えつつあった。

 

「だらしないぞ」

 

「ハングリーさが足りないよねえ」

 

「ああ⁉」

 

「喧嘩しないでビシャス……」

 

 ジャックは内心で、アナスタシアらが王国へ残留してて良かったと思っていた。

 もし、彼女らまで参加していたら(本人の性格的に在り得ないが)、ぎゃあぎゃあ文句を言ってエレナらも加わり、よりややこしいことになっていただろう。

 

「しゃーねえ、いったん戻るか……」

 

「む、おい、誰かいるぞ」

 

「先遣隊の騎士じゃない? 鎧着てるし」

 

 そうであれば保護しようと足を向けたジャックだが、すぐさまに歩みは止まった。

 

「あいつは……!」

 

 そこにいたのは黒鎧の男。

 熱気をものともせず、悠然とこちらへと歩いて来ていた。

 

「ミランダたちは後ろに下がってろ! いいか、絶対に前に出るなよ!」

 

「⁉ ジャックさん……?」

 

「あ奴はこの前の?」

 

 武器を構えるジャックとナギサの前で、更に信じられないことが起こった。

 黒い鎧の男の周囲から渦が巻き起こり、彼を包むとどんどん巨大化していく。

 

「おいおい……」

 

「な、なんだべありゃあ?」

 

「これって……」

 

 巨大化が止まると、黒い渦は次第に形をはっきりとさせていった。

 浮かび上がる姿は……

 

「龍⁉」

 

 火龍パーセクのそれだった。

 逞しい四肢、巨大な翼、とさかを有した巨大な大あごを携えた頭部。

 かつてジャックが滅ぼし、そして、それと知らぬうちに奇妙な親交を持った4龍がひとつ。

 

 ただし、全身が黒一色に染まったそれは、かつての面影を失くし、影が具現化したかのような禍々しさを有していた。

 前回以上の巨体に加え、体躯のあちこちが鋭角に、より攻撃的になっている。秩序の担い手であるはずの存在を否定するかのようであった。

 

「おっさん……じゃねえよな」

 

「ー‼」

 

 彼にしかその真意がわからない呟きを呑み込み、ジャックは『火龍』と相対する。

 

 迷いはあるが、仲間を前にして鈍ることはない。

 

 

 

 



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火龍パーセク④

「っへ、龍が相手なら上等だぜ!」

 

「ダメ! ビシャス!」

 

 ミランダの制止を聞かず、ビシャスが『火龍』へと突進した。

 発展途上ではあるが、文句としての彼女は非常に優秀で才能に溢れている。アキレス、ゴドウィンらの指導を受け、態度や宗教観に問題はあるものの、モンクマスターも狙えると自他ともに認めるところだ。

 

「うおら!」

 

 『火龍』の懐に飛び込んで、前足へ拳を見舞う。スピードがあり、体重も乗ったキレのいい攻撃だった。

 

「っ⁉」

 

 が、見事打ち込んだはずの彼女の顔には苦痛が浮んでいた。

 龍の肉体は、呼吸する鋼鉄を思わせる強度であった。日々鍛錬で鍛えているはずの拳に痛みと熱が宿る。

 

「ー!」

 

 一瞬怯んだビシャスへ、龍の爪が襲い掛かった。人一人は楽に、巨岩でも容易に抉り得るだろう威力を有している。

 

「ったくよ!」

 

 救ったのはジャックだった。彼女を抱きかかえ、空間ごとなぎ倒すような、龍の灼熱の一撃を辛うじてかわす。

 

 だが、次撃の尾を叩きつけられたのはかわせなかった。後方のクライブ、フローラまで一瞬態勢を崩すほどの余波をもった一撃を、ジャックは辛うじて斧で受けたものの衝撃までは殺し切れず溶岩帯へと吹き飛ばされていた。

 

 そこからの動きは見事だった、『神槍パラダイム』を握ったまま岩壁に突き刺し、器用に回転して大地へ飛び戻る。身のこなしに自身のあるヴァージニアも、思わず口笛を吹くほどだった。

 

「ー‼」

 

 着地とほぼ同時に、龍は黒炎を噴射した。

 かつてダイナスを屠った灼熱が、大気を食い荒らしながらジャックらに迫る。まともに浴びていれば、灰すら残らなかったろう。

 

「うわっち!」

 

 その暴威を、ジャックの剣圧が払った。黒炎は四散し、仲間たちは無傷であった。

 

「お、おい! もう離せよ!」

 

「っと、わかったわかったって」

 

 暴れるビシャスに苦笑しつつ、ジャックは彼女を解放した。その顔が紅潮していた理由を、溶岩の熱気のためだとしか思わないのが彼の鈍感さだった。

 

「ミランダたちに見てもらえよ? それから、おっさんのところに戻って大隊長たちを呼んできてくれ」

 

「……っち、わかったよ」

 

 相変わらずの口ぶりであったが、ビシャスは素直にジャックに従った。

 一撃を加えたことで、龍と自身の間の果てしない力の差を否が応でもわかってしまったからだ。

 

「ジャックさん! すぐに戻って来ますから!」

 

「なるはやで頼むぜ!」

 

 ミランダたちの撤退を援護しつつ、ジャックは叫んだ。

 『龍』を前にして、微塵の油断も余裕もない。

 ただ、生き残るため、そして仲間のために戦わねばならなかった。

 

 

 

 



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火龍パーセク⑤

 フローラ・ペンとクライヴ・パーカーは、ジャックの仲間として幾度も同じ戦場に立ったことがある。

 

 しかし、『龍』と相対するのはこれが初めてであった。

 

「しゃあああ!」

 

「か、硬い!」

 

「逃げていいかな僕⁉」

 

 そして、これまでその機会に恵まれなかったことに感謝し、巡り合ってしまったこの瞬間に恐怖していた。

 

 やっていることは、後方に下がって薬品をなげつけ、奇跡でジャックらの回復を行う支援が主である。

 直接『龍』と相対しているわけではなかったが、それでもいつ次の瞬間に命が四散してもおかしくないとの緊張に苛まれ続けていた。

 

 まさしく、次元が違う。

 それでも逃げ出さずに支援に徹しているのは、流石の精神力であった。

 

「うあっ!」

 

 強烈な一撃を受けて、ジャックが吹き飛ばされて転がった。

 すぐさま追撃の火炎弾が降り注ぎ、一帯は熱で溶岩と化していた。

 

 

「早く戻ってこい!」

 

「立ってジャック!」

 

「わかってるって!」

 

 それでも、すぐさま起き上がることができたのは、フローラらの治癒と、モルガンに(断りなく)渡された鎧のおかげだった。

 

 『銀龍』を模したその鎧をジャックは好かなかったが、彼女の言葉通りに、圧倒的な強靭さと耐性を誇っており、『火龍』の炎すら防ぐことができていた。

 

 が、刻一刻奪われていく体力は如何ともしがたい。熱気と相まって、長期戦となれば不利になる一方だった。

 

「くおおっ! 龍とはこれまで⁉」

 

「まずいね……」

 

 ナギサ、ヴァージニアは戦線を支えているが、『龍』へ決定的なダメージを与えることは出来ていなかった。

 

 堅牢な鱗と『時の癒し』が相まって、さながら動く巨山と戦っているかのようだ。肉体的、精神的な圧迫は、彼女らがこれまで感じたことのない異様なものだった。

 

「しゃああ!」

 

「ー‼」

 

 辛うじて、ジャックの一撃は傷を与えている。

 だが、『時の癒し』による回復により『龍』も依然として力を保っていた。

 

「ジャックさん!」

 

 形勢が変わったのは、ようやくミランダらが味方を引き連れて戻った時だった。

 

 エルウェン、ジェラルドら、各ギルドから一線級の仲間らが駆け付けた。

 

「助かったぜ! ナギサたちは下がって、大隊長たちと交代しろ!」

 

「ま、まだやれる!」

 

 抵抗するナギサを、ヴァージニアたちが抑え込んで下らせる。

 

 『ヴァレス』の面々による一斉魔砲攻撃でできた、『龍』の怯みを一瞬の隙としてジャックは大きく息をついた。

 

「おら、へたってんじゃねえぞ!」

 

「おっす! まだまだ!」

 

 ジェラルドに喝を入れられ、ジャックは息を整えた。

 

「ジャック、あれはパーセクなのですか?」

 

「違うみたいっす……おっさんじゃない。言葉も通じません」

 

 傍に立ったエルウェンにジャックは答える。

 謎多きラジアータ王国最強の剣士は、先の戦争で戦った火龍パーセクとも知古であったのだ。

 

 もし、彼と同じ個体であったら……淡い期待が否定されると、切り替えも早く『聖剣アヴクール』を構えた。

 

「いけますか?」

 

「もちろん!」

 

「どれどれ、ワシらも手を貸すかの」

 

「ふむ、修行の成果を見るよい機会じゃ」

 

 すっ、と音もなく二人の翁が並んで立っていた。

 『オラシオン』の重鎮、フェルナンドとゴドウィンである。優れた僧侶でありモンクとしてもマスターの腕前を誇っている。

 

「フェルナンド翁、ゴドウィン翁、ここは俺たちに任せてください。年寄りには荷が重いですよ」

 

 ジェラルドが言う。口は悪いものの、彼なりの気遣いであった。

 

「ほっほ、坊主が言うようになったのう」

 

「エルウェン殿によう泣かされておった泣き虫が立派になったもんじゃわい」

 

「え? 副長にそんなダッサイ過去が?」

 

「昔はよう泣いておったわい」

 

「迷子になって送ってやったこともあったかの」

 

「おい! くだらねえこと聞いてんじゃねえ!」

 

「いってえ!」

 

 思わずエルウェンも吹き出していた。さしもの『斬鉄』も、生き字引の二人にはまだまだ敵わない。

 

「ててて……でも副長、副長にはあっちを何とかして欲しいっす」

 

「あん?」

 

 ジャックが指さす先には、迫りくるブラッドオークやモンスターの群れの姿があった。『龍』を守護戦としているのか、単純な戦闘意欲に駆られてか、ともかくすさまじい数だった。

 

 グレゴリー、ワルター、ナギサらが応戦しているものの、その数と一個の手ごわさから劣勢に陥っているようだ。このまま放っておけば、二正面作戦を強いられることになる。

 

「っち……大隊長!」

 

「そちらは任せました、ジェラルド」

 

 軽くうなずくと、ジェラルドはブラッドオークたちへ先陣を切って突入していった。

 彼の登場を受け、戦士たちも活気づく。すぐさまに押し返せはしないものの、互角以上に戦い当面は任せても大丈夫そうだった。

 

「さっすが副長!」

 

「ジャック、向こうは任せて、こちらは火龍を倒しましょう」

 

「うっす……みんな、よろしく!」

 

「うむ」

 

「参ろうかの」

 

「ー‼」

 

 いよいよ、『火龍』との本当の決戦が始まった。

 

 



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火龍パーセク⑥

 ブラッドオーク、そしてモンスターたちとの戦いの最中、ジャックらと『火龍』の戦いを垣間見ることの出来た者たちは、後々その戦いをこう語った。

 

 今でも、夢物語としか思えない。

 

 フェルナンド、ゴドウィンの二人は、軽やかな動きで『龍』へ徒手空拳を叩き込んでいた。

 

「どうにも硬いのう」

 

「まあ、良い鍛錬となるわ」

 

 戦士たちと違い鎧をまとわぬ身、一撃が致命となる状況であっても、いささかの乱れもない。

 剣すら立たなかった『龍』を、拳足で僅かずつであるが削り取っていく。

 

「パーセクは……もっと強かったですよ」

 

 エルウェンはと言えば、『聖剣アヴクール』でのすさまじい剣速でもって『龍』を寄せ付けない。二人のモンクマスターとは逆に、剣であらゆる攻撃をいなし、その場からほとんど動かぬまま、圧倒していた。

 

 そして、『龍殺し』のジャックは、丁度その3者を折衷したような立ち回りであった。

 

「こっちだこっち!」

 

「ー!」

 

 素早い身のこなしと、エルウェンに劣らぬ剣技。それでいて、絶えず『龍』を翻弄し、アイテムを駆使して支援にも回っている。少年の持つ独特な雰囲気と動きによってそうは見えないが、戦線を維持する最重要の役目を担っていた。

 

「そりゃ!」

 

「‼」

 

「腹を見せたの」

 

 『神槍パラダイム』が『龍』の目を貫く。

 たまらず横転し、さらけ出した腹部へ二人の一撃が叩き込まれる。外皮でなく、内部へと衝撃が伝染する打撃だった。

 

「せやっ‼」

 

 間髪を入れずに、エルウェンの一撃が前脚を薙いだ。

 岩石でできた大木を思わせるそれが、切り離されて溶岩へと落下する。

 

「もらったあ!」

 

 その傷も、すぐさまに回復していく。

 だが、それよりも早く、ジャックは『エンシェントエイジ』を掲げて跳んでいた。

 

 『銀龍』の鎧を身にまとい、その攻撃に気づいた『龍』が吹き上げる黒炎の道を斬り進む。鋼鉄であろうと瞬時に蒸発させるその炎獄を、ジャックはひたすらに降下していく。

 

「……らあっ‼」

 

 その果て、『龍』頭部を経て斧刃と共に大地へ帰還したジャックの背後で、『火龍』の首は切断された。

 

「やっぱり……おっさんじゃねえよな」

 

 『火龍』の肉体は幻の如く虚ろとなっていく。だが、かつてパーセクが消滅した時とは様相が異なっていた。

 

 今、ジャックの手にオーブはない。正確には、オーブはあるがそれにはすでに四龍が封印されている。故に、この『龍』を封印することは叶わないはずなのだ。

 

 だが、この『火龍』は虚ろとなりつつ、その黒い残り香をひとつの形へ収束させつつあった。

 

 その姿は―

 

「! お前……!」

 

 黒い鎧の男だ。

 『龍』は滅するのではなく、黒い鎧の男へと……否、彼が『龍』へと変じていたかのようだ。

 

「……」

 

「あ! 待て!」

 

 男は、ブラッドオークらと戦っているジェラルドたちへと突進した。それまで優勢に戦っていたが、背後からの思わぬ奇襲に陣形を崩され、態勢を立て直すために一旦集合をかける。

 

 その隙を見逃さず、黒い鎧の男はブラッドオークたちをまとめて撤退した。

 当然戦士たちは追撃をかけたが、地形を知り尽くし身体能力で勝るオーク達には追い付けず、断念せざるを得なかった。

 



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火龍パーセク⑦

「よくやってくれました、ジェラルド」

 

 エルウェンに労われて、ジェラルドはバツが悪そうに頭をかいた。

 

「みっともねえです、取り逃がしちまった」

 

「いえ、おかげで『龍』を撃退できました。残りの敵にも、油断せずにあたりましょう」

 

「それが良さそうじゃのう」

 

「もう少し体を動かすか」

 

 残ったモンスターたちを掃討し、落ち着きを取り戻すにつれて、『火龍』を撃破したという高揚が静かに皆の間に広まっていった。

 

「この戦争も勝てるぞ!」

 

「おれたちには『龍殺し』がついてる!」

 

「また『龍』が蘇っても恐れるに足りない!」

 

 あちこちで声があがる。先の戦争で大いなる脅威となった『龍』の復活で立ち込めていた暗雲が、一気に晴れるかのようだった。

 

「ケガをしている人はこちらへ」

 

「オラたちが手当するべ~」

 

 オラシオンを中心とした負傷者の救出、戦後処理もスムーズに進んでいき、人々の間には明るい笑顔が交わされていた。

 

「ふう……」

 

 しかし、ジャックの顔は晴れなかった。

 モルガンに渡された鎧によってもたらされた疲労に加え、パーセクの復活、その正体らしき黒い鎧の男、謎はますます深まる一方であった。

 

「『龍殺し』の名に恥じない働きでした、ジャック」

 

「大隊長……おっさん……『火龍』は、どうして蘇ったんですか?」

 

 懐からオーブを取り出す。『火龍』が封じられているはずのそれは、内部で焔が燃えているかのように赤く輝いていた。

 

「おっさんは、ここに……それに、あいつはあの鎧の男だった」

 

「残念ながら、私にもそれはわかりません。このトゥトアスは今、過去にない時を進んでいます。あなた自身で、確かめるしかないでしょう」

 

「……そうっすね」

 

「忘れないでくださいジャック、時には皆で歩むことも大切です。どれだけ強くとも、賢くとも、それは不変です」

 

 それだけ言い残し、エルウェンはワルターに呼ばれてその場を後にした。

 何か知っているにしても、彼女の口から告げられた言葉では意味をなさない。そう含められているような気がした。

 

「よっしゃ」

 

 考えることは得意ではない。ならば、行動して真実を確かめよう。ジャックはそう思い直した。

 

「ジャック!」

 

「無事みたいだね」

 

 ナギサとヴァージニアが小走りでやってきた。手当はされているものの、あちこちに生傷が見て取れる。『火龍』との戦闘後も、ブラッドオークらに応戦していたのだろう。

 

「ところでさ、これだけのことしたんだからご褒美あるよね?」

 

「まだまだ剣技未熟なれど、いずれはお主を超える! 次なる『龍殺し』は我よ!」

 

 ジャックは、無言で二人を抱き寄せた。

 

「なっ⁉」

 

「ちょ、ちょっとジャック……」

 

「ありがとうな……」

 

 本心から出た言葉だった。

 二人の振る舞いは自分勝手なもの、だが、そこにジャックはたくましさを見出した気がした。

 

 それがありがたかった。ついつい陰に進みがちな今の自分には、これくらいの仲間がいてくれた方がいい。

 

「これからもよろしく頼むぜ! 二人とも!」

 

「わ、わかったから」

 

「離して!」

 

 ジャックに抱きしめられているのが嫌なのではない。

 照れくさいのと、尋常ならざる殺気を含んだ複数の視線がいくつも向けられていることに焦ったからだ。

 

 

 

 

 

 



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帰還

「ジャックはいるか~」

 

「こっちだぜおっさん!」

 

「おっさん言うな!」

 

 ほどなくして、レナードが率いる本隊が到着した。

 ジャック、エルウェンらから事の顛末を聞いたレナードは、負傷者の救出と騎士団の再編を図ると共に、各ギルドへ帰還命令を下した。

 

 少なくとも今は、この場にこれだけの戦力を残しておくことは得策ではない。第2、第3の『龍』が今すぐにでも蘇らないとは限らないのだ。

 

「ジャック、いずれラークス様から呼び出しがあるからな」

 

「おっけ」

 

 ジャックとしても、ラークスから何か情報が得られればと思っていた。ジーニアスの動向も気になる、レオナから渡された手紙は、彼には難解すぎる内容だったからだ。レオナですら解読が困難であったのだから、当人にしかわかりようがない。

 

「よく休んでおけよ、……多分、他の『龍』も復活する」

 

「だろうね……」

 

 これはレナードに限ったことではなく、誰もが薄々予感していることであった。

 その原因は定かではない、しかし、ザインらを喪った妖精たちが反攻の兆しを見せているという事は『そういうこと』なのだろうと想像できた。

 

「ま、この『龍殺し』のジャック様に任せておけって」

 

「調子に乗るな」

 

 へらへら笑いながら去っていくジャックに、しかしレナードは一抹の不安を感じずにはいられなかった。

 

 やはり、この少年は無理して明るく振る舞っている。

 

 

 

 

 

 招集した人々が一度に帰ると混乱が予想されたため、何組かに分かれての王国への帰還となった。

 ジャックは一番最初の集団に組み込まれ、同じく組み込まれたナギサ、ヴァージニアらと共に帰路につくのだった。

 

 『龍』を滅したとはいえ、妖精たちの報復、徘徊するモンスターたちの襲撃が予想されるため、遠征する時と同様に警戒体制での行軍となった。

 

「なんと、姉上が師匠と言うのか?」

 

「まあそうだな、それからは……師匠っていう師匠はいないかな」

 

 ナギサはジャックを質問責めにしていた。武を貴ぶ彼女は、『龍』を倒した彼を目の当たりにして、ますますその力へ関心を持ったのだった。

 

 それを上回るならば、出来るだけ情報を集めねばならない。

 

「う~む……」

 

「エアデールさんに弟子入りでもするの?」

 

「い、いや……そうではない」

 

 ヴァージニアは反対に、ジャックの身の回りの情報に興味を強めた。

 その実力は、かつてジャックが彼女の故郷を訪れた時に十分以上に理解させられた。『龍』を打倒したことも、納得の域である。

 

 ならば、それをどう利用し役立てるか。それこそが関心ごとだ。

 

「先の翁達も凄まじかった……格闘を磨くと言うのも……」

 

「どうにか言いなりにさせられれば……僕がヴォイドを……」

 

「ま、好きにしなよ」

 

 ジャックは周囲への警戒に気を張っていた、遠巻きにだが、妖精たちの姿が見え隠れする。

 こちらを見張っているのだ。

 仕掛けては来ないが、やはり戦争は、すでに始まっているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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在りし日

 見え隠れする妖精たちの姿とモンスターたちの襲撃に悩まされながらも、『火龍』討伐に駆り出されたジャックを含むギルドメンバーの第一陣は、ラジアータへ帰還を果たした。

 

「なんだあ?」

 

 到着と同時にジャックが漏らした言葉は、ダニエルやクライブからも聞こえた。

 

 ルプス門の外には騎士たちが立ち並び、鼓笛隊の奏でる音楽が響き紙吹雪の舞うパレードの様相を見せていたからだ。

 

 ニットやユーリら住民たちが歓声を上げている姿も見える、この前パレードがエルフたちの襲撃でご破算となった、アナスタシアや従者、エレナらも参加しているようだ。

 

 戸惑うジャックたちが立ち往生していると、騎士たちを引き連れながらナツメがその前へ歩み寄って来た。

 

「『火龍』討伐の義、誠に見事でした! 『桃色豚闘士団』副長ジャック・ラッセル殿! また各ギルドの皆さま! どうか城にて傷をお癒しください!」

 

 形式と仕草は完ぺきであったが、やはりどこかまだ貫禄に欠ける宣言であった。

 

 

 

 そのまま、ジャックたちは大歓声の中を連れられて城へと通された。

 待っていたのは国王からの直々の労いと、全員への報酬金の授与、贅を凝らした酒と料理の山だった。

 

「伝令からレナードの報告を受けています、『火龍』討伐へ参加した全ての方に同様の御礼をするつもりです」

 

 ナツメの宣言を受け、各ギルドの面々は思い思いにこの桃源郷を過ごすのだった。

 

 酒豪のジェラルドを始めとする戦士ギルドメンバーは、浴びるように滅多に口に出来ない上等酒を水のように呷り、貯蔵庫を空にする勢いで料理を腹に収めていた。

 

 『神聖オラシオン教団』の面々は、これを機に城の貴族、重臣らと新しい縁の構築、関係強化を狙う新体制派と、食事を持って帰り施しとして配るために保管する旧体制派、どちらでもなく飲食に夢中なものと3分されていた。

 

 『ヴァレス』の面々の姿は少なく、セシルが代表として来ているほかは生徒が数名見えるだけだった。

彼らに取っては祝宴よりも自身の研究が大事なのだろう。

 

 『ヴォイド』からは、オルトロスやノクターン、イリスと言った幹部らが出席し、不気味なほど品性正しく過ごしていた。

 

 

 さて、『龍殺し』の名に恥じぬ活躍をしたジャックはというと、うんざりするほど続いた『挨拶』を終わらせた後は、隅に座って何をするでもなくぼんやりと過ごしていた。

 食事を載せた皿を側に置いてはいるものの、少し手を付けた程度で放置され、すでに乾燥し始めている。

 

 ジャックを憂鬱にさせているのは、過去の記憶であった。

 

 騎士となって最初の任務、ドワーフのゴンドノビッチを護衛した帰り、凱旋パレードの有無をガンツに尋ねてリドリーに呆れられたのだった。

 

 その後、リドリーの誕生会に呼ばれて顔を合わせたが、そこそこで席を外した。

 

 そして……

 

「はあ……」

 

 欲しかった(どうかさえ定かではないが)ものが、否、それ以上のものが今目の前に広がっている。

 

 しかし、リドリーもガンツも、一番一緒にいて欲しい者はもう……。

 

「どしただ、腹でも痛えだか?」

 

 間の抜けた顔で、クライブがジャックをのぞきこんでいた。

 

「いや、ちょっと疲れただけだ」

 

「ほーん、まあ、体には気を付けるだぞ」

 

「わかってるよ」

 

「おめえも随分上にいっちまったけどよ、おらも頑張ってるだぞ。次は『龍』を倒して見せるだ」

 

 ジャックは失笑した。しかし、不愉快ではない。とことんマイペースなのがクライブの長所でもあるからだ。

 

「やめといた方がいいぞ、めちゃくちゃ強いんだから」

 

「んだと~?」

 

「クライブ、ちょっと手伝っておくれよ」

 

「お、わかっただ。そんじゃな」

 

 エドガーに呼ばれてとことこ去っていく彼の後ろ姿を見て、ジャックは少しだけ気が楽になった。

 

 



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杞憂

 気を取り直して、滅多に味わえない御馳走に舌鼓を打とうとしたジャックであったが、そこへラークスがやって来た。

 

「いえ、そのままで」

 

 以前のジャックであれば、「あ、ども」などと言って料理を取りに行っただろうが、流石に今の彼には多少の分別があった。立ち上がり、挨拶をして次の言葉を待つ。

 

「大人になりましたね」

 

 苦笑しつつ漏らしたその言葉には、どこか寂しさも混じっていた。かつてケアンともそっくり同じやりとりをした記憶がよみがえったからだ。

 

「何度目かですが、『火龍』討伐にお礼の言葉もありません」

 

「みんなに手伝ってもらったからっすよ」

 

 これは謙遜ではなかった、ジャック一人では勝てなかっただろう。良くて相打ちだ。

 

「レナードからの報告によると、その正体は黒い鎧を着た人物だそうで?」

 

「はい」

 

「仮初の姿という事でしょうか? これまでのように?」

 

「う~ん、それとかについても、ジーニアスと話したいんすけど」

 

「まだ戻って来ないようです……調査が長引いていると」

 

 ジーニアスの頭脳は知っていたし、彼の判断に異議はなかった。とはいえ、手紙を一通寄越しただけで報告が何もなしではいささかの苛立ちも覚える。

 

「待つしかなさそうですね」

 

「そうっすね……」

 

「それと、エアデールさんにもあなたの活躍を伝えてあります。謝礼金もお渡ししましたので」

 

「? ありがとうございます……」

 

 唐突に姉の話をされて戸惑うジャックであったが、彼が知らないだけでラークスはケアンの娘であるエアデールのことももちろん認知していた。

 

 残念ながら父ほどの剣才には恵まれなかったが、騎士として、そして友として良く知る男の娘とあれば気にかけない訳もない。

 

「ジャックさん、ここだけの話なのですが」

 

「はい?」

 

「妖精たちの動きが活発になっているとの報告が入っています、ヘレンシア砦の周辺で特に」

 

「戦争に?」

 

「いえ、まだ偵察の段階のようですが……『龍』はあと3体……場合によっては『銀龍』と『金龍』も残っているはずです」

 

 ジャックは唸った、『風龍』、『地龍』、『水龍』、そして因縁の『銀龍』、『金龍』は復活していない、というのは希望的観測に過ぎるだろう。それも強化された『龍』だ。

 

「ジャックさんには、ひと働きもふた働きもしてもらわねばならないでしょう」

 

「ですね……」

 

 ラジアータ、そこに暮らす人々を守るため。

 そして、リドリーと目される妖精を率いる少女。

 その結末を見届けるまでは、生き延びねばならない。

 

「期待していますよ」

 

「うっす……ま、どーんと任せてください」

 

「ふっ……長く時間を取らせてしまいましたね、さ、宴を楽しんでください」

 

「ジャック~」

 

「すっごくおいしいよ~」

 

「おう、今行く!」

 

「ジャックさん! 大きい声を出さないでください! アナスタシア様がお話し中です!」

 

「礼儀作法に欠けてるのね」

 

 ダニエルとナルシェ、その他に呼ばれ、ジャックは一礼して去った。その周囲には多くの仲間がいる、所属も歳もまるで違う、多くの人々が。

 

 ラークスは、その姿を見ると何故か安堵を覚えた。

 

 

 

 



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禍々しき聖女

 『火龍』討伐による盛大な宴の終った翌日、ラジアータの人々は大別して二つに分けられた。

 

「う~、頭痛え~」

 

「くそったれ、説法なんかいってられっか、休みだ休み」

 

「むにゃむにゃ……セバスチャン……」

 

 羽目を外し過ぎて日常に順応できないでいるものと、

 

「ゴードン、次の依頼はどこに行きゃいいんだ」

 

「おめえら、今日のヤマはでけえぞ。ぬかるんじゃねえ」

 

「人型ゴーレムに投資してくれそうな貴族がこんなに……ふふふ」

 

 オンとオフを完ぺきに分けて、いつも通りの日常を送る者だ。

 

 

「そろそろ行くぞ」

 

「はあい、リンカ姉さま」

 

 盗賊ギルドのリンカ、フラウのコンビは後者だった。

 

 『火龍』討伐へ参加しなかったため宴には出席できなかったものの、代わりにノクターン経由で『手ごろな』貴族の情報が流れて来た。

 

 後ろ暗いことで集めた金を貯め込んでいて、盗まれても出るところへ出ることができない。絶好の狙い目だ。

 

 コテツをゴドウィンの青空教室へ送り出し、二人はその貴族の邸宅へ侵入せんと準備を進めていた。『偶然』この時間はその貴族が会議に出ている手はずである。

 

 

 

「もし、そこのお方」

 

 だが、思いがけない障害が二人に襲い掛かろうとしていた。

 

 声をかけてきたのは、黒衣に身を包んだ少女である。

 宗教的な意匠を施されてはいるが、『オラシオン』のそれとは違う。第一、新体制派であろうと漆黒の衣装に身を包むことはないだろう。頭部のベールまで漆黒である。

 

 唯一、覗いている顔はあどけなさの残るそれだった。フラウよりも、年下だと思われた。

 端正な顔立ちで、柔和な笑みを浮かべている。

 

 だが、その笑顔にはどこか歪みがあった。どこがどう、と説明はできないが、一皮むけば底なしの悪意が渦巻いている、とでも言った様だ。その瞳も、濁り切った漆黒であった。

 

 見た目だけを言えば、何らおかしなところがない。

 が、相対した者にだけわかるひりつくような空気をまとっていた。

 

 

「……なんだい?」

 

「ジャック様、ジャック・ラッセル様はどちらにいらっしゃるかご存知ありませんか?」

 

 一瞬リンカとフラウの間で視線がかわされた。

 

「さあね、落ち着きのない奴だからね。家を張ってりゃ、いつかは戻るだろうから教えてやるよ」

 

「まあ、ご丁寧にありがとうございます」

 

 リンカは少女へ地図を描いてやった。

 丁寧な会釈と共に少女は去って行き、二人は『仕事』をこなすべく改めて歩み出した。

 

「いいのリンカ姉さま? どうみてもヤバい奴だよ」

 

「知り合いみたいだし、あとはあいつらの問題だ。それよりこっちの仕事に集中しな」

 

「はあい」

 

 あっさりジャックの家を教えたのは、裏社会に身を置く二人のドライな感性も一因であった。

 だが、それ以上に少女ともめたくない、というのが大きい。

 

 大事な仕事の前だから、でもあるが、何かを間違えれば命が危いと思わせる禍々しさが少女にはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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粗暴な探り

 少女はただ、歩いているだけであった。

 リンカにもらった地図に従い、『狂気と狂信の小道』を進んでいく。

 にもかかわらず、道行く人々や店員たちから注目を一身に集めていた。

 

 ここは、『ヴァレス』の教授や生徒たちがよく行き来し、『ヴォイド』の者たちも姿をよく見せる。

 モルガンやアドルフ、ディミトリといった強烈な恰好の人々はよく見かけるから、少女のそれも目立ちはするが、際立って奇妙とは言えない。

 

 少女の持つ、空気と云うべきかオーラと云うべきか、その禍々しい雰囲気が否が応にも衆目を吸い寄せているのだ。

 

「ここを真っすぐでしょうか?」

 

「おうおう、嬢ちゃん」

 

 そんな彼女へ、アルバが肩を揺らしながら絡みにいった。

 『ヴォイド』の舎弟頭補佐、極め付きの凶相を持った彼は、どこからどう見ても裏社会の人間にしか見えない。姿を見れば女子供はもちろん、大の男でも黙って道を譲るような迫力があった。

 

 短気で凶暴な男だが、損得勘定の出来る程度の頭はある。

 ラジアータの暗部に生きる者として、『余所者』でありただならぬ雰囲気をまとっている少女のことは見過ごせなかった。

 

「一体全体どこへ行こうってんだ? おおっ?」

 

「ジャック様のおうちへ向かっております」

 

 アルバは一瞬言葉を切った。

 ジャックのことはよく知っている、彼が頭角を現してきたころに因縁をつけて返り討ちにあい、その結果として力を貸すようになった。

 

 生意気でお調子者、能天気な子供というのが彼の持つジャックの印象であるが、決して嫌いな相手ではない。

 

「あのガキの知り合いか?」

 

「はい、以前お世話になりましてお礼をと」

 

 ここで流して、そのままアルバは歩き去って行っても良かった。

 だが、そう選択させなかったのは、少女に違和感を感じたからだった。同じ『ヴォイド』の連中や、『テアトル』の猛者たちならともかく、普通、自分と相対して平静でいられるわけがない。

 

「見ねえ顔だが、どっから来た?」

 

「南からです」

 

 質問した側でありながら、アルバは返答に詰まった。

 ラジアータからそう遠出したことのない彼には、彼女が南からやってきたと知ってもどう反応すればよいかわからなかったからだ。ニュクスやソナタは北の大地出身らしいが、聞けばわかるだろうか?

 

「あの」

 

「お?」

 

「もうよろしいでしょうか? ジャック様のお家へ参りたいのですが」

 

「お、おお……」

 

 悲しいかな、これ以上引止めるための理由付けがアルバには思いつかなった。

 いつものように腕力に訴えることも考えたが、相手は少女であるしジャックの知り合いであるならば、利よりも害が上回ると勘定できる。

 

 間違いなく堅気の雰囲気ではないが、後はもっとこういったことが得意な、ヘルツやジェイドへ任せようと判断したのは悪くない考えだった。

 

「もういい、どこにでも行けっ」

 

「はい、それでは……」

 

「ちょっとアータたち、そこどきなさい」

 

 だが、いつも不運はそこかしこに漂泊しているものである。

 アルバを訪問したそれは、アナスタシアという姿をしていた。



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浸蝕する黒

「アナスタシア様が通りをお歩きになっているんです。邪魔なのですけれど、あなたたち」

 

「脇へどいてってことね」

 

 行脚中のアナスタシア、エレナ、アディーナが、少女らと鉢合わせしたのだった。

 

「……けっ」

 

 アルバは大人しく退いた。流石にギルドの幹部ともなれば、王国の権力情勢についてもいくらかの情報はもっている。貴族社会において一強状態で、(彼女自身の意図か否かは別として)お得意様であるライアン家の現頭首に噛みつくのは避けねばならない。

 

「いけませんよ、傍若無人は」

 

「んまっ? アータ、アータシに指図する気かしら?」

 

 だが、少女は違った。

 にこやかな笑顔はそのまま、彼女を柔らかに指弾した。

 

「おいっ、やめろ、こいつあ……」

 

「神がそのようなことをお許しになるはずがありません、慎ましく、穏やかに過ごさねばならないのです」

 

「ムキーッ、よりによってアータシに説法する気⁉」

 

 (一応)アナスタシアは『オラシオン』の大司祭を務めている。

 カインを別にすれば、フェルナンドと並んで教団の最高権力者といって良い。それに対して神の名をもって苦言を呈するということは、(彼女にとっては)最大級の無礼なのだった。

 

「いい加減に消えなさい! エレナ!」

 

「はい、アナスタシア様! ちょっとあなた、アナスタシア様に無礼は許しませんよ。さ、視界から消えなさい」

 

 エレナが食ってかかった。モンクでない彼女であるが、ジャックについて冒険へ出ただけに、修羅場を潜り抜けた経験は何度もあり、それなりの戦闘はこなせる。

 

 この場合は黒衣の少女を少し突き飛ばすだけ、のはずだった。

 

 だが―

 

「暴力はいけませんよ、神はお許しになりません」

 

「う……」

 

 少女はたやすくエレナの腕をとった。

 

「姉さん?」

 

 アディーナが心配そうに声をかける。エレナの顔に苦痛が浮んでいたからだ。

 ただ腕を握られているだけ、なのに、骨まで至る軋みがあった。

 

「神に仕える身でありながら力に頼る、誠によろしくないです」

 

「ちょっと、エレナから手を離しなさい!」

 

 アディーナは少女へ食って掛かり、その腕をエレナから外そうとした。

 だが、まるで鋼鉄のようなそれはびくともせず、しかも、エレナの表情を見るに徐々に圧が加えられているようであった。

 

 とうとうエレナはうめき声をあげ始めた、このままでは遠からず、腕を砕かれてしまうだろう恐怖で顔から血の気が引いていく。

 周囲は見ているだけで、アナスタシアは自身の意にそわない展開に何やら喚き散らしている。

 

「おう、姉ちゃん、そこまでだぜ」

 

 皮肉にも、彼女を救おうとしたのはアルバだった。

 エレナとは顔と役職をしっているくらいで面識はなく、荒んだ生活を送って来た彼にとってライアン家の従者としてエリートコースを歩んできた彼女は好感の持てる相手ではない。

 だが、この場でこれ以上の荒事を起こすのを見過ごせるほど身勝手ではなかった。

 

「どっちもどっちだがよ、一先ずここはおいておいてあのガキのとこに行けや?」

 

 ダンビラをちらつかせて少女へ物騒な説得をする。

 少女は少しだけ逡巡すると、エレナから手を離して去って行った。

 

「ちょっと、何してるの追いなさい!」

 

 わめきちらすアナスタシアを無視して、アルバはダンビラを元に戻そうとして驚愕した。

 まるで、飴細工のように刃が捻じ曲げられていたのだ、一瞬のうちに、少女の怪力によってそうさせられたのだとわかった。

 

 ちらとエレナたちを一瞥し、アルバは『ヴォイド』へ足早に戻っていった。

 このことをオルトロス、最悪でもノクターンへ知らせねばならない。

 

 



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鉄腕

 黒衣の少女は、先ほどの一幕がまるでなかったかのように振る舞いつつジャックを求めて歩いていた。

 

 『星と信仰の白街』へと差し掛かり、『剣と賢が紡ぎ出す小道』へ向えば目当ての人物の家へとたどり着くところまで来た。

 

 しかし、ここにきて迷ってしまった。リンカの地図もそこまで詳細ではなく、ここには多数の伸びる道がある、初めて訪れた彼女が迷ってしまうのも無理はない。

 

 周囲にはガレス&エドガー、ルル、サイネリアらの姿もあるが、少女の異様な雰囲気に無意識に接近を避けていた。

 

「どうされましたか?」

 

 そんな彼女に声をかけたのは、ミランダであった。

 奇しくも、という訳ではない、生来のお節介焼きの彼女は、『困っている』相手を見ると誰であろうと声がけをしてしまうのだ。

 

「はい、道に迷ってしまいまして」

 

「それはお困りでしょう、ご案内差し上げます。それで、どちらへ?」

 

「ジャック・ラッセル様の元です」

 

 その名を聞いて、明らかにミランダの顔が引きつった。

 

「ジャックさん……にご用事ですか?」

 

「はい」

 

「えっと……どういった?」

 

 『いつも』は、このように踏み入ったことを聞きはしない。各々の事情があるのだし、犯罪に関係するものであれば助力はない。

 つまりこれは、彼女の『個人的』な欲求によって出た言葉だった。

 

「ジャック様には大変お世話になりました。その御礼をと」

 

「……なるほど」

 

 彼女を知るものであれば、その声の冷たさに驚いただろう。

 それでも、ミランダは精一杯の笑顔のままで、彼女をジャックの元へ案内しようとした。

 

「ジャックさんのお家はこちらです、すぐそこですから―」

 

「あそこです、アナスタシア様」

 

「みーつけたわよ~! こんガキャー!」

 

 が、そこへ先ほどのアナスタシアたちが駈けつけてしまった。

 しかも、『紫色山猫騎士団』の騎士を連れてだ。

 

「さ、アータたち! 捕まえて!」

 

「あの、アナスタシア様、何もしていないのに逮捕はできないんですよ」

 

「それに、まだ子供ですし」

 

「ムキー! アータたち! アータシに口答えする気⁉」

 

 騎士たちは溜息をついて、仕方なしに少女へと迫っていった。

 ライアン家当主の命令とあれば、一先ずしたがって見せるしかない。それでアナスタシアは満足するだろうから、あとは少し離れて少女に詫びて解放すればいいだろう。

 

「待って下さい、何をするんですか」

 

 だが、それに異議を唱える者がいた。ミランダだ。

 

「申し訳ございません、少しだけお付き合いを……」

 

「いけませんよ、いくら大司祭様の言いつけでも、無理やり逮捕するなんて」

 

「アナタ! アナスタシア様に楯突くつもりなの⁉」

 

 そこにエレナが噛みついて、事態はますます混迷していった。

 

「……落着け」

 

「まずは大司祭の話を聞こうじゃないか。どうして彼女を逮捕しようと?」

 

 流石に、ガレスとアルドーが割って入った。とはいえ、あくまで戦士ギルドの一戦士であり、ラジアータ有数の大貴族にして『オラシオン』の実力者たる彼女へ手を上げることは出来ない。

 

「もういい! いいから来なさい!」

 

 業を煮やした騎士が強引に少女の腕を掴んだ。ひとまずここを仕切り直そうとしたのだった。

 

「止めてください!」

 

「いい加減にしないと君も―」

 

 騎士が飛んでいた。

 否、殴り飛ばされていた。民家の壁に激突したそれは、鎧がへしゃげて微動だにしない。

 

「仕方ありませんね……」

 

 少女はそう言って首を鳴らした後、静かに微笑んだ。

 

 

 

 



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無垢の狂信

 少女以外の全員が、何が起きたのかわかりかねていた。

 

 だが、たとえわかっていても、少女の動きに対応できていたかははなはだ疑問である。

 

「ぐえっ⁉」

 

 もう一人の騎士も、『放り投げられた』。成人の男性、しかも鎧をまとっているにも関わらず、まるでボールのように『モーフ医院』の屋根まで跳んで、叩きつけられてそのまま動かなくなっていた。

 

 混乱する周囲の中、少女は微笑のままエレナへ手を伸ばしていた。そのままであれば、首を捕えていただろう。

 

「!」

 

 それを止めたのはミランダであった。止めたと言っても、両手で彼女の片腕を抑えようとしたが果たせず、僅かに鈍った動きのおかげでエレナが後退する隙を作ったに過ぎなかったが。

 

「お手をお放しください」

 

「だ、駄目です、エレナさんたちにも手を上げる気でしょ?」

 

「先に向かって来たのがこの方たちです」

 

 なんとかミランダは少女をエレナたちから引き離そうとした、対立する派閥に属し、個人的にも好感を持つ相手ではなかったが、傷つくのを黙って見ていることはできない。

 

「お放しください、あなたを傷つけたくありません」

 

「じゃあ、エレナさんたちも傷つけませんか?」

 

「それは無理ですね」

 

 こうしている間にも、少女はエレナへ迫りつつあった。もう、ミランダは羽交い絞めにせん勢いであったが、それでも全く制止することができない。

 

「止めろ」

 

「大事になるぞ」

 

 戦士ギルドの二人も加わったが、少女の勢いはやはり衰えない。ミランダはともかくとして、大男のガレスとアルドーが組み付いているのに苦にもしないのは、恐るべき怪力であった。

 

 エレナも逃げればよいのだが、アナスタシアの命令という絶対的な服従対象を前にそれが出来ないでいた。

 

「姉さんに手を出したら許さないわよ」

 

 ついにアディーナまで、少女の凶行阻止に加わった。

 傍目には幼い少女に大勢が殺到している風景にしか見えなかったが、内情は一人の少女にこれだけかかっても楔になっていないという異常事態なのだ。

 

「アータたちなにしてるの! さっさとひっとらえなさい!」

 

 アナスタシアががなり立てるが、ミランダらはあっさり弾き飛ばされてしまった。

 

「あ……」

 

「大丈夫です、神は改心した方には無上のお辞儀を―」

 

「こっちよジャックさん!」

 

「なんだなんだ……おおっ⁉」

 

 やや間の抜けた叫びが響き渡る、サイネリアに引っ張られたジャックが、この場に到着したのだ。

 

「ミランダ? ガレスに……って、お前はホリィ‼」

 

「まあ、ジャック様」

 

 ホリィと呼ばれた黒服の少女は、エレナに伸ばしていた手を引っ込め、ジャックへ恭しく頭を下げた。

 

「お久しぶりですね」

 

「おまっ……あ~……、よっしゃ……、とりあえず、サイネリア、皆を手当して……騎士もいんのかよ⁉」

 

「アータ! 知り合いなの⁉ こんの生意気な子を捕まえなさい!」

 

「わかったから! まずは―」

 

「ここか!」

 

「仲間がやられてるぞ!」

 

「レナード団長に報告しろ!」

 

 恐らく周囲の誰かが通報したのだろう、騎士たちも集まって来て周囲はごった返し、ますます混迷を極めていくのだった。

 



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取扱い説明書

 結局、レナードまで出張って来て、ジャックは釈明にてんやわんやさせられる羽目になった。

 

 どうにか彼をなだめると、次はアナスタシアが待っていた。『オラシオン教団』の彼女の部屋で、文字通りの傍若無人を鎮静化させるのにはひたすらにへりくだるしかなく、ようやく彼女が満足して去っていく頃にはすっかり夜も更けてしまっていた。

 

 

 

「あ~……疲れたあ……」

 

「おいたわしやジャック様、癒して差し上げましょう」

 

 そう言って、部屋から出て来た少女ホリィは手を合わせて、ジャックへ『奇跡』を施した。

 

 『オラシオン教団』で広く普及しているものと原理は同じで、信仰の力をもって、治癒や攻撃、かく乱を起こす技術であったが、彼女のそれは神々しい光を放つのではなく、禍々しい黒渦を巻き起こしていた。

 

 それでいて、カインやフェルナンド、フローラに劣らない治癒力があり、ジャックは確かに身が軽くなるのを感じるのだった。

 

「神の力を感じますか? よろしかったらぜひ信仰を―」

 

「しねえよっ、大体な―」

 

「ジャック」

 

「え? うおっ?」

 

 ジャックは思わず居住まいを正した、教皇カインとアキレスが、すぐそばにいたからだ。

 

「遅くまでご苦労様です、そして……あなたがホリィですね?」

 

「まあ、わたくしの名前をご存知で?」

 

「エンジェラ様からの手紙にあなたのことが」

 

「エンジェラ様! では、あなたが教皇カイン様ですね」

 

 ホリィは頭をさげた。礼儀作法にのっとっており、その姿勢にはわずかの邪念も感じられない。

 

「お目にかかれて光栄です」

 

「私もです、ホリィ。エンジェラ様から、あなたが『教団』を訪れた際は礼を尽くして欲しいと言伝を受けております。部屋を用意しておりますので、滞在中はそこへ」

 

「お礼の言葉もございません、ですが、わたくしはジェック様のお家でお世話になる予定でして」

 

「ちょっと待て! 聞いてねえぞ!」

 

「ホリィ、ジャックは今多忙を極める身です。彼を慮るなら、『教団』でお過ごしなさい」

 

「……かしこまりました、では、お言葉に甘えて」

 

「本日は休むと良いでしょう」

 

「はい、では、ジャック様、また明日」

 

「……ああ」

 

 音もなく歩いて扉の奥へと消えていく彼女を見送った後、カインはやや険しい顔でジャックに向き直った。

 

「ジャック、少し確認したいことがあります」

 

「うっす」

 

「彼女は、『鉄腕の聖女』で間違いないですね?」

 

 ジャックは頷いた。

 

「つーか、俺が一緒にその現場にいたっす」

 

「お前が? 『サガルヴィアの宣教』に?」

 

 アキレスが声をあげた。『サガルヴィアの宣教』というのは、とある王国を一人の少女と少年が制圧し、少女が信奉する狂信に染め上げたという事件のことだ。

 

 あくまで小国であり、そもそも荒唐無稽な内容とのこともあって、ここラジアータでその噂が流れて来た時もほとんど関心を集めてはいなかった。

 

 だが、『オラシオン教団』には無視できぬことだった。

 

「いや、殺されそうになったから必死にやってたら、そうなったっていうか……」

 

「話題に事欠かんな」

 

「そこに、エンジェラ様が?」

 

「いや、最初俺捕まって牢屋に入れられて、何もしてないよ? そこにホリィと、隣りに女の人がいて……色々あって、脱出して、その女の人がエンジェラって名乗って、カインにって手紙を、さ」

 

 その一件を子細に語れば、一晩は余裕で過ぎてしまうだろう。ジャックは出来るだけかいつまんで冒険譚を説明した。

 

「エンジェラ様が……」

 

「そう言ってただけなんだよ、俺その人の顔わからないし、手紙だって……」

 

「いえ、間違いなくこの文面はエンジェラ様のものです。……お戻りになられないということは、それだけの理由があるのでしょう……。わかりました、彼女のことはこちらで預かりましょう」

 

「大丈夫?」

 

 ジャックには珍しく、『オラシオン教団』を心配した。短期間行動を共にしたが、ホリィは『少々』危険な少女だ。

 

「ご心配なく」

 

 教皇カインにこう言われれば、ラジアータの住人ならば1も2もなく納得しただろう。それだけの手腕とカリスマ、人徳が彼にはあった。

 

 しかし、『鉄腕の聖女』を知るジャックには、それでも不安をぬぐえなかった。

 

 

 

 

 



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憂鬱な朝

 ジャックは少し休みたかった、『火龍』の一件からそれほど日は経っていないし、妖精たちの動きも無視できないが、幸いにもまだ動きは確認されておらず休息をとるにはちょうど良い機会だった。

 

「ジャック様、おはようございます」

 

「う~……」

 

 そして、そういう時に限って休息は妨げられるものだった。

 ようやく空が白み始めた早朝、ジャックの家を叩く『聖女』の声がした。

 

「なんだよお……」

 

「一緒にお祈りに参りましょう」

 

「やだっ、俺信者じゃないもん」

 

「いけませんよジャック様、信仰とは日々を生き抜く糧となるのです」

 

「どうしたのジャック? あら、『オラシオン教団』の方?」

 

 休息が取れないのには、エアデールの存在もあった。上京以来ジャックの家に泊まっている彼女だったが、何しろ几帳面でしっかり者であり、夜更かし寝坊を許さず食事や作法にまで口出しし、要するジャックは実家での(まっとうだった)日々を強いられているのだ。

 

「おはようございます、ジャックの姉、エアデール・ラッセルです」

 

「まあ、ジャック様にお姉さまが? 私、ホリィ・ファームと申します。ジャック様とはかねがね―」

 

「もういい、ほら、お祈りだっけ? 行こうぜ」

 

 ジャックは強引にホリィを連れて外へ出た、姉と話されるとまたややこしくなる。『サガルヴィア』のことは明かしていないのだから。

 

「こら、ジャック!」

 

「夜には帰るから~」

 

 エアデールはジャックの後ろ姿に溜息をついた、勉強や家事をさせようとすると、いつもああやって逃げ出していた。あれから何年も経ち様々なことがあったが、彼女にはジャックは昔のままだ。

 

「しょうがないんだから」

 

 父母は逝き、弟だけが彼女に残された家族だった。お節介と言われるかもしれないが、ジャックを放っておくこと等彼女には出来ない相談なのだ。

 

 

 

 

「あーあ、なんで俺がお祈りなんか」

 

「お祈りは一日の始まりですよ」

 

 ジャックとホリィは、まだ人の気配が希薄な早朝のラジアータを歩いていた。

 

「あれだけ言ったのに、やっぱりジャック様は信仰に目覚めておりませんね」

 

「目覚めるわけねーだろ」

 

 何しろジャックは、神が作るところの『トゥトアスの秩序』に翻弄された側である。神にあったことはないが、あまり仲良くできるとは思えなかった。

 

 さらに、ホリィ自身も問題だ。『サガルヴィア』の一件で行動を共にしたが、彼女の布教は要するに、反対者を腕力で黙らせるというめちゃくちゃなものだった。

 

 ジャックの知る限り、『サガルヴィア』は決して良いところではなかった。牢屋に入れられたのも何もしていないのを無理矢理にだし、アンジェラ(を名乗る女性)他の囚人もいずれも無罪の者たちばかりだった。

 

 そんな王国へ好感は持てず、結果として転覆に関与したことに後ろめたさはない。だが、ホリィは違う。あらゆるものをなぎ倒し、権力者を一掃し、まさに腕一本で国家を自身の信徒としてしまったのだ。

ならない者は滅せられたのだから、そうならざるを得ない。

 

 私腹を肥やしたり、苦行を強いたりはしない、彼女の信じる神と教義は真っ当そのものだが、それだけに一切の迷いがない厄介なものだ。

 

 『ラジアータ王国』でそれが起こらないか? それがジャックの心配だった。

 

 



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ひと悶着

「およ?」

 

「よお! 早いな!」

 

 『星と信仰の白街』へ差し掛かったところで、クライブとエルヴィスに出会った。

 

「おっす」

 

「おはようございます、信徒の皆さまですね」

 

「んあ? ああ、オラは『オラシオン』の僧侶だども」

 

「君は初めて見るな! おれはエルヴィス! よろしく!」

 

 初対面らしいホリィと二人に首を傾げたジャックだが、すぐに合点がいった。昨日絡んでいたのはアナスタシアとエレナ、アディーナ、それからカインとアキレスだ。

 

 解放されたのが深夜だから、まだカインは信徒に布告していないのだろう。ひょっとすると、朝の説法で知らせるつもりかもしれない。

 

「ホリィと申します、どうかお見知りおきを」

 

「んで、おめえはこんな朝早くにどうしただ? 『テアトル』の仕事か?」

 

「あ~……ちょっと、お祈りに」

 

 クライブとエルヴィスは顔を見合わせた。

 

「神への信仰に目覚めたのか⁉ 嬉しいぜ!」

 

「ひょっとしておらの説法で改心しただが? ひゃ~、おらも一人前だべ」

 

「違うよ……はあ」

 

 実際は姉から逃げるため&ごねるのも面倒という理由だが、流石に信徒相手にはバチアタリだろうと口を閉ざすだけの良識がジャックにはあった。

 

「丁度おれたちもカイン様の説法へいくところだ! 一緒にいこうぜ!」

 

「ゴドウィン翁に自慢できるだあ」

 

「いや、俺そこまで本格的な―」

 

 と、ジャックは周囲に鋭い目を走らせた。

 

「ジャック様……」

 

「ああ……クライブ、エルヴィス、ちょっとまずいぜ」

 

 その真意を二人が問う前に、朝もやの中から『それ』が姿を現した。

 

 バーグラー、盗賊である。皆一様に同じ格好で、袋を被って誰が誰やらわからないようにしている。

 悪事を働く際の『伝統的』な立姿で、『ヴォイド』の関係者、あるいは雇われた人間が素性を隠すのに好んで纏う。

 

「む! なんだお前ら!」

 

 エルヴィスの叫びを無視して、四方に展開したバーグラーたちはじりじりと距離を詰める。どうやらジャックらを害するのが目的のようだ。

 

「ひゃ~、物取りだべ」

 

「よし! 日頃の修行の成果を見せてやるぜ!」

 

 緊迫した状況なのにどこか間延びしたクライブと、気負って叫ぶエルヴィスをよそに、ジャックとホリィは冷静だった。

 

「ここも荒んだ場所のようです」

 

「まあ……、色々あるよな」

 

「悪しき方々でしょうか?」

 

「盗賊だからなあ……」

 

 ジャックは昔、『テアトル』の依頼で呼び出された場所で、こうやって囲まれたことがあったのを思い出していた。

 

 丁度、『アハト』の隊長として売り出し始めていた頃だ。とするとこれは、『龍殺し』を再び成し遂げた自分を誰かしらが狙っているのだろうか?

 

「やれ」

 

 リーダー格らしい一人が呟くと、全員が一斉に動き出した。

 連携は確かで無駄がなく、中々の練度を誇っているらしい。しかも、狙いはホリィのようだった。

 

「覚悟し―」

 

 その時点で、彼らの命運は尽きていた。

切り込み隊長役らしき一人が、ホリィの蹴りで『弾き飛ばされ』、そのまま動かなくなった。

 

「なにっ―」

 

 それに次いでいた二人目は、ジャックに切り捨てられ斃れた。

 

 またたく間に、ジャックとホリィにより蹂躙され、盗賊たちは戦列を乱していた。

 

「引けっ」

 

 半数がやられた時点で、リーダー格の男は素早く撤退命令を出した。

 負傷、あるいは絶命した仲間を回収し、実に手際よく盗賊たちは姿を消した。情故に、ではない。置いていった場合の情報漏れを怖れてである。

 

 それなりに腕の立つ者たちであったが、相手が悪かった。

 

 



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緊急措置

 盗賊らを撃退後、なんとジャックたちはそのまま朝の説法へと参加した。

 

 これは、ホリィの意向とジャックの思惑が一致したためである。彼女は襲い掛かって来た盗賊などよりも神への祈りが重要であって、ジャックは考える時間が欲しかった。

 

(アナスタシアだよな……)

 

 皆を前にしてのカインの説法とホリィの紹介をする横で、ジャックは盗賊たちの『雇用主』が間違いなく、この場にいるライアン家当主であろうと当たりを付けていた。

 

 何しろ傍若無人が歩いているような彼女のことだ、面子をつぶした(と思い込んでいる)相手をただで済ませる訳がない。

 

 一方で、だとしてもあれほどまでに性急な動きを取るかという疑問はあった。流石の彼女でも、あれだけで命を取ろうとまではすまいと思える(確信はできなかったが)。

 

 ならば、彼女の『周辺』の先走りだろうか? 一強状態の『東方山猫家』、すでにある権力の強化を、あるいはその権勢に連なろうと考える者は多いはず。アナスタシアが意図したかどうかは別として、ホリィの一件を知った者が顔を売ろうと……。

 

「ジャックさん」

 

 フローラの咎める声で我に返ったジャックは、自分以外が立ち上がり壇上を下りるカインを見送っているのに気付いて慌てて立ち上がった。

 

(いっけね……)

 

 こんな『ややこしい』ことを考えるのは、自分には似合わない。だが、全く無視してもいられない、これは成長であるか妥協であるか。

 

 結局ジャックは、折角の説法の最中であるのに、一度も神へと意識を割かなかった。

 

 

 

「ホリィ、しばらく協力してもらうぞ」

 

「まあ、ジャック様からお声がけをいただけますとは。光栄です」

 

 説法が終わり、ジャックはホリィへそう声をかけた。

 しばらくは、アナスタシア『周辺』の影がちらつくかもしれない。そうなると、ホリィ自身よりも周囲が危険だ。『サガルヴィア』の再演は避けねばならない。

 

 朝の一件は、どうやら『表沙汰』になっていないようだ。その証拠に、騎士団が未だに尋ねて来ない。襲撃自体が『なかった』ものとして扱われているのだ。

 

 ラークスはどこまで関与しているだろうか? いずれにしても、彼でも『東方山猫家』の意向を完全に無視することはできまい。

 

「目も覚めちゃったし、よっしゃ、ギルドに行くか」

 

「お供します」

 

 その決定には、様々な彼なりの思惑があった。

 

 しかし、それが外からどう見えるか、それを失念していた。

 

 『オラシオン教団』の女性陣からの強い感情のこもった視線が、ジャックとホリィへと注がれているのだった。



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チーム・アハト⑤

「うへ、なんだこれ?」

 

 『テアトル』に向かったジャックたちは、タナトスから『ヴァレス』の依頼を紹介された。

 

 詳しくは学園へ行けばわかると、言われるまま足を踏み入れば、そこは人食いネズミが行きかう無法地帯と化していたのだった。

 

「あら! あら! ようやく来てくれたわね!」

 

 受付のローシェが、ネズミを本で押しのけながらジャックを認めて声をあげる。

 

「え、えっと……」

 

「ここはいいわ! 食堂をお願い!」

 

「お、おっす?」

 

 

 

 食堂もまた戦場であった。

 

「きゃー!」

 

「マリエッタもう動くな! 食器が―あああ!」

 

「くそ! いい加減にしろ!」

 

「ネズミは嫌いだよ~」

 

 『ヴァレス』の教授、生徒らが人食いネズミの群れとし烈な争いを繰り広げていたのだ。

 

 本来の彼らは、人食いネズミごときに苦戦する腕ではない。『魔砲』は戦争でも大いに有用だった。しかし、学び舎の中、室内や同僚たちに危害を加えないように、という条件だと、思うように力を振るえない。

 

 デレクら肉弾戦もある程度こなせる者を除いて、皆が右往左往の状況であった。そこにマリエッタ、レオナらの『ドジ』も加わってはたまらない。

 

「とりあえず蹴散らすぞ」

 

「かしこまりました」

 

 ジャックはひとまずホリィとともに、ネズミを蹴散らすことに専念した。

 

「協力感謝するぞ!」

 

 女性と見まごう美貌の持主、『ヴァレス』助教授のフェリックスが狙いを絞った『魔砲』でどうにかネズミたちを仕留めながら、ジャックへ語り掛けた。

 

「どうなってんの⁉」

 

「俺にもわからん! 誰かが実験でもして―」

 

 不意にジャックは思い出した。

 かつてダニエルと共に、『ヴァレス』で大量発生したネズミの駆除に当たったことがある。

 

 そのとき……

 

「黄色いデカい奴!」

 

「はあ⁉」

 

「黄色いデカいのがいる! そいつがリーダーだ! やっつければ―」

 

「それは違うね~」

 

 声の主を認めた時、その場にいた全員が固まった。

 

 フランクリン、ではある。それは間違いない。

 だが、ずいぶんと風貌が変わっている。一日たりとも手入れを欠かさないと豪語していた顔や髪は荒れ果て、周囲にはしびれネズミ、グンタイネズミが控え、何より頭の上にはキイロオオネズミが乗っていた。まるで密林の動物王者だ。

 

 

「まあ、ユニークな恰好ですね」

 

「フ、フランクリン?」

 

「リーダーはこの僕さ! そう、この美貌でね!」

 

「は?」

 

「理解不能だ」

 

 ヨハンとクローディアの呟きも耳に入らず、フランクリンは陶酔しきって演説を続ける。

 

「今やネズミたちは僕の意のまま、僕の隠れた才能が目覚めたんだよ! この美貌が魔物をも虜にしたんだ!」

 

「いや、多分この前のアドルフの薬が……」

 

「この力をもって、僕は世界を統べる! そう! 僕は『ヴァレス』を越えて―」

 

「ほりゃっ」

 

 ぽん、と何かがフランクリンに当たった。

 もうもうと煙が立ち込め、それを契機にネズミたちに異変が起こった。それまで統制下にあったのが秩序を乱し、てんでに逃げ惑い始めたのだ。

 

「お、おい?」

 

「間に合ったわい」

 

 その何かを投げつけたのはアドルフであった。同じようなピンク色の球を何個か持っている。

 

「何したんだよ?」

 

「惚れ薬の解毒薬じゃ、ほれほれ」

 

 そういって球を投げると、煙が立ち上がりネズミたちはわらわらと逃げ出していった。

 

「やっぱ、惚れ薬で?」

 

「そうじゃ、まったく解毒薬の調合に時間がかかったわい」

 

「あ、あの……」

 

「こら! 貴様ら!」

 

 騒ぎを聞きつけたのか、セシルを伴い、『ヴァレス』副学長のカーティスが顔を真っ赤にして現れた。

 

「助教授! 学院長がお呼びじゃ! 申し開きはそこでせい!」

 

「わ、ワシは何もしとらん! むしろ事態の収拾に―」

 

「アドルフ助教授、ここは大人しく学院長に弁明し謝罪すべきでしょう」

 

 密かにライバル視しているセシルからの諫めに、アドルフはぐっと不服を押し出したが、言いようからして抗弁は無意味だと押し黙ることにしたようだった。

 

「それと貴様も!」

 

「ええ⁉ なんで俺が!」

 

「その場におったことは調べがついておる! 観念せい!」

 

「だってあんなのどうしようもないじゃんか!」

 

 流石に理不尽だと抵抗したジャックであったが、流石に年の功には勝てず観念してアドルフと共に、学長レレ・C・ロスの前に出て『お叱り』を受けた。

 

 ホリィは、ジャックが戻るまで他の助教授、生徒らと一緒に片づけを手伝った。何が起きたのか全く分からなかったが、あの少年のことだ、後で思いもよらないことを話してくれるに違いない。

 

 そう思うと、なんだか頬が緩んだ。

 

「……シャワー浴びよっと」

 

 (ある意味)一連の騒動の核心にいたフランクリンだったが、誰からも言及されないとみて、全てなかったこととしてそろそろと学園を出、美を保持するために自室へ戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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チーム・アハト⑥

 レレ・C・ロスからの『お説教』からようやく解放されたジャックは、片付けに明け暮れる『ヴァレス』の面々の片づけを少し手伝ったあと、ホリィを伴って出立した。

 

「あらら~ん、あんさん見つけちゃったわあん」

 

 妙に悪寒のする声色に聞き覚えがあった。

 ジャックがふり返ってみると、違わずそこにはピーキィがいた。

 

 人目をひくアフロヘア、やや鋭角の男らしい顔立ち、そしてそれらを全て吹き飛ばすオネェ言葉。『ヴォイド』の幹部の一人である。

 

「オルトロスの旦那が呼んでるわよ~ん、探したんだからあ」

 

「あ~……、後でいい?」

 

「だめよ、あんさん。旦那が呼んでるんだからあん」

 

 口調も声色もなんら変化はないが、有無を言わせない圧があった。

 『ヴォイド』のメンバーの中では比較的温和な彼(彼女?)だが、そこは見誤らない。

 

「それにねえん、あんさんのためになる情報もあるってよ」

 

「はあ……わかったよ」

 

 こうした件で、オルトロスに無駄足を踏まされたことはなかった。

 決して尊敬や好意を寄せる相手ではないが、『信用』はできるのが『ヴォイド』の若頭なのだ。

 

 

 

 

 奈落獣を抜け、『ヴォイド』の事務所に通されたジャックたちは、呼び出された立場であるというのにしばし待たされた。

 

 

「神は全てに慈愛を授けてくださいます」

 

「んあ~? 肉をくれるのかあ?」

 

「うっす、悪の神様にしっかり毎日祈ってるっすよ」

 

「信仰を持つのは良い事です」

 

 ボディガード役のジョケルとアルマ相手に説法するホリィを横目に、ジャックはオルトロスから呼び出された理由と『情報』へと思いを馳せた。恐らくは―

 

 

「お待たせいたしました」

 

「やっほー」

 

 オルトロスと、ヴァージニアも一緒だった。気品と威厳にあふれたその姿は、物々しい義眼を除けば大物政治家か財界人にも見える。

 

「お呼び出てしながら申し訳ございませぬ」

 

「いいよ」

 

 正直、この『遅刻』が本物か、この場の主導権を握るための『手法』の一部かジャックには判別がつかない。ならば、下手に追求しないに限る。

 

「さて、ジャック様。ホリィ様の件で少々面倒なことになっておりますな」

 

「あら、私のお名前を御存じで?」

 

「よ~く知ってるよ、『鉄腕の聖女』さん」

 

 ジャックは苦虫を嚙み潰したようだった。やはり、今朝の襲撃の件だ。 

 

「お城の高貴な方々はもちろん、私どもも困惑しておりまして。ジャック様のお知り合いとは」

 

 老人は暗にこう言っている、『仕事を邪魔された』と。

 あの襲撃者たちは、『高貴な方』に依頼されて彼が手配した者たちであろう。

 

 つまり、『ヴォイドの法』によれば、ジャックは折角の『仕事』を邪魔したことになる。

 こと『ラジアータ』の裏社会では、表よりも裏の法が尊ばれるのだ。

 

「だって、放ってもおけないし……俺も殺そうとしたし」

 

「私どもこそ陳謝せねばなりません、『オラシオン教団』のお膝元で無法者を暴れさせ、ジャック様とご友人に襲い掛かるなどと……手抜かりでございます。ですがご安心を、以降、決してこのようなことはさせませぬ」

 

 オルトロスの言葉を額面通りに受け取ってはいけない。

 その裏には老獪で海千山千の裏社会の大物らしい『真意』が隠されている。

 かつてはそれに気づかず、『やけに丁寧なおっさん』程度にしか彼を理解していなかったジャックは、その頃が無性に懐かしくなった。

 

 

 

 

 

 



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チーム・アハト⑦

 オルトロスの『真意』は、要するに襲撃者撃退で生じた損失の埋め合わせの要求であった。

 

 襲撃者と言っても湧いて出るわけではない、『ヴォイド』で声をかけ、情報を与え、実行を任せる。

 

 それが成功しようと失敗に終わろうと、得られる損得は『ヴォイド』に降りかかる。今回の損は金銭的にはそれほど大きくはなかった、前払いの代金と装備や道具の経費、雀の涙といっていい。

 

 が、それ以外の損失は無視できなかった。今回の依頼者は新規の客であり、うまく運べば今後も何かと利がある相手であったし、懇意にしているラジアータ上層部の派閥の一員だったから、より覚えがめでたくなるというものだ。

 

 

 だが、結果は言うまでもない。

 それはそれとして活かすオルトロスであるが、方々へ、その分の『落とし前』は取らねばならなかった。

 

「う~……」

 

「大丈夫ですかジャック様?」

 

「こっち」

 

 今、ジャック、ホリィ、リーリエの3人は、『蜘蛛の道』を進んでいた。

 

 『蜘蛛の道』、ラジアータの地下、迷路のように張り巡らされた下水道である。

 悪臭と汚水に溢れ、モンスターらも生息しているとあって、出入りする人々はほとんどいない。

 

 が、だからこそ好都合とする者も存在する。密会場所として、隠れ家として、あるいは非合法な物の運搬通路として、多くは『ヴォイド』の関係者である。彼らにとっては庭と等しく、ラジアータ地下に別種の世界が存在していたのだった。

 

 さて、そんな地下道に近頃悩みの種ができた。急増したモンスターたちである。一説には『龍』の出現からその数を一気に増したとも言われているが、ともかく、その数は『仕事』に支障をきたすに十分すぎるほどだった。

 

 とすれば、当然の流れとして駆除を選ばねばならない。そこで問題となるのは、『誰に』駆除を願うかであった。最も手近なのは『テアトル』であるが、ジェラルドとノクターンは因縁の中であり、『余計な物』を見つけられても面倒だ。『ヴァレス』『オラシオン』が論外で、騎士団に頼めるならそもそも苦労はしない。

 

 となると、身内でどうにかするしかなかった。しかし、悲しいことに『ヴァレス』は裏方、非合法活動が主であり、戦力という点ではやや心もとない。

 

 オルトロス、ノクターン、イリス、ソナタと、凄腕のものは揃っているがいずれも上級幹部であって、些事に動かせない。

 

 かといって、アルバやヘルツ、ピーキィでは腕に不安があり、それ以下となっては心もとない。臨時雇いを募るにしても、腕に自信のある者は中々集まらないものだ。

 

 そこで、ジャックだった。『テアトル』所属だが、ある程度裏のことに理解がある(物事を深く考えていないともいう)、腕は申し分なく、人格もまあ及第点。かつ、『ヴォイド』への借りがある。

 

「うえ~」

 

「足もとが滑りますね」

 

 余計な娘が付いているが、彼が大丈夫というからには心配はないだろう。

 

 かくして、やや非合法めいた依頼が、ジャックに課せられたのだった。

 

 

 

 



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チーム・アハト⑧

 『蜘蛛の道』には、元々へドロポンやリトルオイリー、グンタイネズミなど、あまり清潔でないモンスターが多かった。

 

 それが爆発的に増殖する、ということは、すなわち―

 

「おえええ~」

 

「ちょ、ちょっと匂いが……」

 

「……ウプッ」

 

 駆除する側は、すさまじい臭気に苛まれることになる。

 

 いずれも、それほど手ごわい相手ではない。しかし、その数と臭いには閉口させられる。

 

 ジャック、ホリィ、そして感情の起伏に乏しいリーリエですら、悪臭にグロッキー寸前であった。

 

 それでも、流石と云うべきか3人の働きでモンスターたちは目に見えて減っていき、どうにか平静を取り戻したように見えた。

 

「い、一旦外出ようぜ……」

 

「賛成ですわ……」

 

「……ウエッ」

 

 そして、それがこの3人をもってしても限界だった。意見が完全一致した彼らは、出口を目指して重い脚を引きずっていった。

吐き気に加えて頭痛がしてきている。

 

「う~……」

 

 朦朧とする意識の中、ジャックは地下道に隠れるように存在する、『納骨堂』と『壁画』を思い出していた。

 

 古の英雄・アルフレッドが眠る『納骨堂』。ラジアータ最強の剣士エルウェン、そして『トリトン』隊長アリシアが、深くその英雄と関りがあることは知っていた。

 

 エルウェンは彼の姿をジャックに見出し、アリシアは血と決着をつけるべく戦い、そして敗れ力を貸すと誓った。

 

 『壁画』は、かつてジーニアスに見せられた、『ラジアータ』の歴史だ。

 

 今や下水道の隠し部屋にひっそりとたたずんでおり、その存在を知る者もごく一部。ラークスの命を受け『騎士団』が管理に乗り出し、解析を進めていた。

 

 大地 産声を上げしとき 一対の眼 生まれる

 眼 平衡を護り 交互に大地を照らす

 

 定まる大地 繁る森 根ざす塔

 四の光り 現れ 大地を照らす光 堅固となる

 

 終焉の日 塔高まり 歪む大地 翳る森

 塔の頂 天を突くとき 龍 現れこれを崩す

 

 一言一句、ジャックが憶えているわけではない。

 

 だが、その大まかなところはジーニアスに解説されていた。

 

人間の歴史は、その隆盛と同時に終焉へ向かっていく。文明が過渡を迎えて大地を蝕むとき、金龍あるいは銀龍によって滅ぼされる。

 

ジャックには、いや、人であれば受け入れがたい『定め』であった。

 

しかし、その『定め』もジャックにより砕かれ、新時代を迎えている。誰にも予測できない新たなる―

 

「ジャック様?」

 

「うおっ? ど、どした?」

 

「先ほどから難しいお顔をされていますが、どうかなさいました?」

 

「あ~……なんでもない」

 

 ジーニアスに会いたいが、彼はまだ戻らない。彼ならば、鎧の男や黒い『龍』たち、そして、少女のこともわかるだろうか?

 

「……」

 

「? リーリエ?」

 

「なにか、いる」

 

 正体を待つまでもなかった。下水から、ヘドロダイルが飛び出してきた。

 

 ヘドロで出来た巨大な体を持った、ワニのモンスター。この付近の生態系の頂点に立つ存在だ。

 

「……」

 

 リーリエの腕をもってすれば、勝てない相手ではない。きっちりと相手を視認し、しかも構えてもいる。

 

 だがー

 

「―‼」

 

「⁉」

 

 『二体目』がいることまでは読めなかった。一瞬の迷いが彼女を硬直させ、交互から迫る巨体が彼女を潰さんと襲い掛かる。 

 

「リーリエ!」

 

 それを救ったのはやはりジャックだった。彼女を抱きかかえつつ、ヘドロダイルの一体を両断する。

 

 しかし、もう一体は間に合わない―

 

「んあ~」

 

 閃光。

 

 ヘドロダイルの巨体が大きく揺らぎ、すかさずそこを蹴りつけたホリィによって、モンスターは下水へと帰宅する羽目になった。

 

「間に合ったなあ」

 

「トニー!」

 

 ラジアータ三大奇人の一人、『下水道のヌシ』トニーだ。その名の通りに下水道に暮らすとぼけた男だが、過去には騎士団に所属していた凄腕の戦士とも言われている。

 

 彼も、ジャックとは顔見知りの間柄だ。

 

「騒がしいんで見に来たんだあ」

 

「助かったぜ……っと、リーリエ、大丈夫か?」

 

「重い」

 

「うおっ」

 

 リーリエは、ジャックを乱暴に押しのけて立ち上がった。

 

「ちぇっ、お礼もなしかよ」

 

 ぶつくさ呟くジャックであったが、それが赤らんだ顔を彼から隠すためという、彼女の意に気づくことはなかった。

 

「……」

 

 ホリィは気づいたようで、心なしか微笑がひきつって見えた。

「おまあらのおかげで、暮らしやすくなるなあ」

 

「ま、仕事だよ」

 

「最近は、『騎士団』や『ヴァレス』の連中がよう出入りしとるなあ、あの壁画に何かあるんかあ?」

 

「! 壁画のこと知ってんの?」

 

「見たことあるなあ、おっかねえよなあ」

 

 このトニー、見かけによらず中々情報通である。下水を流れて来る新聞や雑誌から、世間のことを頭に入れる。

 

「『ヴァレス』……」

 

 連想されるのはジーニアス、あの壁画から、まだ何か得られる情報があるのだろうか? 果たして……。

 



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エアデールの上京日記③

 『蜘蛛の道』での任務を終え、リーリエと別れたジャックたちはすぐさま『テアトル』のシャワールームに直行した。

 

 念入りに3回は体を洗い、出てきたところでデニスに遭遇し、まだ臭いと指摘され、さらに2回体を洗った。

 

 ホリィと別れて帰宅すると、エアデールにも臭うと言われ、ジャックは泣く泣く6回目のシャワーを浴びる羽目となった。

 

「一体どこでなにをしてたの?」

 

「仕事だってば」

 

 ようやく帰宅(ジャックの家だが)を許されたかと思えば、今度は姉に連れ出された。折角だし、外食をしようと言うのだ。

 

「ジャック、悪い事してないでしょうね? 父さんが知ったら泣くわよ」

 

「してねえって!」

 

 姉と話すと9割方はお説教をされている気がする、せめて外ではやめて欲しいと思っているのだが、母親代わりの彼女に逆らえるわけもない。

 

「それで、おいしいお店くらいは知ってるんでしょうね?」

 

「う~ん……」

 

 『ビギン食堂』が真っ先に思い浮かんだが、『テアトル』の顔見知りに会うと色々と面倒だ。絶対にからかわれる。

 

 『クラブ・ヴァンパイア』のダン……、駄目だ、あんなところに連れて行ったら入り口の時点で血相を変えるに決まっている。

 

 『カンちゃん』……『ビギン食堂』と同じ理由で却下。

 

 ラジアータ城の食堂、『ヴァレス』食堂はどちらも、店ではない。

 

 参った、早くもジャックは万策尽きてしまっていた。

 

「むむっ、そこを行くは―」

 

「ジャックさん、今晩は」

 

「……」

 

 通りがかったのは、お馴染みスターたちであった。

 

「そちらの令嬢はどなたかな?」

 

「はじめまして、セバスチャンと申します」

 

「……同じく、マーク・Ⅱです」

 

「あ、はじめまして。ジャックの姉の、エアデールです」

 

 若干引きつりながらエアデールは挨拶を返した。スターはともかく、セバスチャンとマーク・Ⅱは故郷では見馴れないゴーレムであったからだ。

 

「なにっ、貴様に姉君がいたというのか!」

 

「ジャックさんには常々お世話になってます」

 

「……」

 

「い、いえ、こちらこそ……」

 

「うん、じゃあ―」

 

「待て待てえい!」

 

 ジャックは内心で舌打ちした、呼び止めるということは何か良くないことに巻き込まれるのだ。

 

「貴様らは運が良い! 吾輩のディナーに招待する!」

 

「……はい?」

 

 事態は意外な方向に転がり出した。

 

 

「どうかなお味は?」

 

「え、ええ、とってもおいしいです……」

 

 所は『テアトル』のスター隊の一室(と勝手にスターが呼んでる)、そこにジャックたちはいた。

 

 要は空き部屋であるから、中は簡素で広くもない。

 

 だが、そこに並んでいるのは、不釣り合いなほどに豪勢な料理の数々だった。ジャックですら、これほどのものは先日の城での慰労会でしか見たことがない。

 

「遠慮なく食べるがいい」

 

「ど、どうも……」

 

「おい、どうしたんだこれ?」

 

「シュテルン家からの差し入れです」

 

「スターの実家?」

 

「スター様はとかくお食事に不自由しておりまして……見かねたお父様が時々こうやって」

 

「理解不能ですね」

 

「スター様には内緒にしといてくださいね、ファンの方からの差し入れと言うことになっているんです」

 

「わかったよ……」

 

 何とも奇妙な晩餐であった。

 

「このラジアンエビのムニエルはまさに絶品である!」

 

「は、はい、とってもおいしいです」

 

 ジャックには、気圧されているエアデールが珍しく映った。彼女は基本的におしとやかで柔和な性格をしているが、弟に対しては早くに両親を亡くしたため厳しく接しており、それがジャックには普段の姿として映っていたのだ。

 

 ともあれ、奇妙な晩餐は緩やかに進んでいたのだが―

 

「ジャックさんはこちらに?」

 

 飛び込んできたゴードンにより終わりを告げられた。

 

 



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風龍セファイド①

「あ、良かった」

 

 チーム『ツヴァイド』の参謀役、ジェラルドからは拍子抜けする男と評される戦士に似合わぬ柔和な男だが、かなりの切れ者でもある。

 

「どしたの?」

 

「騎士団の方々が探してますよ、龍の出現です」

 

「―! 了解。姉ちゃん、ちょっと行ってくっから」

 

「あ―」

 

 何を言おうととしたわけでもなかった、気を付けろ、等と今更忠告しても仕方がない。

 

 ただ、やっぱり弟は心配だった。

 

「……しっかりするのよ」

 

「うっす」

 

 いくらか精悍に見える弟へ姉はそう告げ、弟は頷きつつ部屋を出た。

 

「待てい! 我がスター隊もゆくぞ!」

 

「あ、スター様!」

 

「龍か……興味深い」

 

 続いてスターたちも飛び出し、残されたゴードンはエアデールへ挨拶をし、もしもを考えて自宅に待機するように言い含めた。

 

 

 

 

 『騎士団』の面々から情報を聞いたジャックは、驚き半分確信半分の心境であった。

 

 風龍『セファイド』が出現したのは、『風虫の谷』。前回の戦争と同じ場所なのだ。

 

 火龍『パーセク』の場合と同様……、が、それに加えて今回は見過ごせない事態が起こっていた。

 

「本当にジーニアスが?」

 

「はい、帰国前に最後の調査といって……そこへ龍が!」

 

 ジーニアスが巻き込まれている。彼が調査に赴いたということは、何かしら重大な事象があるはずだった。

 

「護衛の騎士たちは壊滅状態だそうです。エルフたちも集まっていて、詳細な情報も掴めません」

 

 本当なら、ジャックは十分に準備をしてから向かいたかった。

 

 だが、ジーニアスが危機にあると聴いてはそうはいかない。彼には聞きたいことが山ほどある。

 

「大丈夫ですかスター様?」

 

「げほげほっ、ま、マーク・Ⅱよ、おんぶしてくれえ」

 

「軟弱すぎますよ」

 

 問題はスター隊の面々もついて来ていることだが……。

 

 

 『風虫の谷』の途上、『ヘレンシア砦』に差し掛かったところで、ジャックは思わぬ面々と出くわした。

 

「やあ、ジャック君」

 

「んだこらっ、遅えんだよ」

 

 『ヴォイド』の面々が、砦に集まっていたのである。

 

オルトロスの姿はなかったが、イリスが指示役として構成員たちをあちこちに動かしていた。

 

 正直予想していなかった。『テアトル』、もしくは負傷兵たちの治療役に『オラシオン』が招集されているものと踏んでいたが。

 

「いっとくけど、偶々さ」

 

 ジャックの疑問を感じ取ったか、イリスが告げる。

 

「『仕事』で来てたときに、『龍』が出てね、とんど誤算だよ」

 

「っけ、騎士団の連中め、顎で使いやがって」

 

 エリートや権力者を嫌うアルバが吐き捨てる。要はタイミングよく近くにいたため、協力を要請されたようだ。

 

「そっか……それで、どうなんだ『風龍』は?」

 

「正直わかりかねるわね、『風虫の谷』までずっと、エルフたちがゲリラ戦を仕掛けてきてて近づけない」

 

「おれえらでも無理だ、間抜けな騎士なんぞにわかるわけねえ」

 

「エルフか……」

 

 砦は負傷した騎士たちで溢れている、治療に忙殺されて、攻勢どころか情報収集すら覚束ないだろう。レナードの姿もない。

 

 本隊と各ギルドからの増援を待って、準備をしてから行動する。それが基本方針のはずだった。

 

 しかし、ジャックにはそれを待ってられない理由がある。

 

「よっしゃ……いっちょ行くか!」

 

「やっぱり」

 

「っち、バカには勝てねえぜ」

 

 ヴァージニアにアルバがダゴルを渡す、どうやらジャックがどうするかで賭けをしていたようだ。

 

「お待ちよ、行く気ならこの子を連れて行きな」

 

「よろしくね」

 

「あん?」

 

「頭からの言伝だよ、『龍殺し』の暁には『ヴォイド』の協力があったことをお忘れなく、ってさ」

 

 相変わらず、あの老人の頭のキレは怖ろしい。だが、今はそれに甘えるとしよう。

 

「よっしゃ、頼んだぜ」

 

「任せて」

 

「あ、こらワガハイを無視するでない!」

 

「待って下さ~い」

 

「ふむ……」

 

「あいつらはいいんですかい?」

 

「あたしたちが命じられたのは、あの子への言伝だけだよ。さ、こっちはこっちの仕事をこなすよ」

 



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風龍セファイド②

 ジャックとヴァージニア(+スター隊)は、『風虫の谷』を目指して進軍を開始した。

 

「妖精どもを薙ぎ払え!」

 

「ニンゲンは出てけ!」

 

 途上、騎士たちとエルフ、妖精らの激闘が繰り広げられていた。

 

 ジャックらはそれを回避し、『風龍』の元へ急がねばならかったが、その凄惨な光景は見ているだけでも堪えた。

 

「シャトが怪我した!」

 

「ミカエルを呼んで!」

 

 ことに、その中に顔見知りが何人もいるとあっては。ダークエルフの面々に、ドワーフ、ゴブリンらの姿もあった。いずれも、かつてはともに笑い合い冒険をしたこともある者たちだ。

 

 戦争で全ては一変し―

 

「ジャック君、平気かい?」

 

「! ……ああ、悪いボーっとしてた」

 

 珍しく、ヴァージニアがジャックを覗き込んできた。余ほど考え込んでいたように見えたのだろう。

 

「悪いけどね、『龍』の前には立てないよ。命が惜しいからね」

 

「わかってるよ」

 

 それも含めての、『ヴォイド』の貢献だろう。

 まだ脱落していないスター隊を伴って、ジャックたちは進んだ。

 

 

 『風虫の谷』は、摩訶不思議な場所だった。

 

 切り立った大地が点在し、そこを繋ぐのはトーテムポールであある。これを刺激すると突風が吹き、別の台地へと移動することができる。

 

 あまりにも無茶苦茶な仕組みである。それもそのはず、これは後付けの仕様であったからだ。

 

 かの地は、風龍セファイドが住まう聖地とされている。エルフの守護者たる龍を敬し、ライトエルフたちは参詣を忘れなかった。

 

 その後、ダークエルフが誕生すると、当然彼らも参詣を望んだが、翼を有さない彼らには叶わぬ願いだ。

 

 そこで、当時はライトエルフの族長であったノゲイラがドワーフへと依頼し、トーテムポールを設置した。ダークエルフたちは歓喜し、その縁が基でノゲイラは弟のザインへ地位を譲り、ダークエルフの長へとなったのだった。

 

 戦争の際、セファイドを討伐せんとした騎士たちが、多大な被害を出したのも、こうした地の利がエルフらにあったのも一因である。

 

 戦後処理を終えたラークスは、公式文書にこう記している。

 

「彼の地での戦闘は自死に等しい」

 

 しかし、今また、『龍殺し』は立たねばならなかった。

 

「ジーニアス!」

 

「ジャ、ジャックか⁉ 助けてくれ‼」

 

 まともに目も空けてられないほどの暴風が吹き荒れる谷で、ジーニアスは満身創痍ながら生き残っていた。

 

「待ってろよ!」

 

「スター隊とつげーぬおおっ!」

 

「スター様!」

 

「これが『龍』……」

 

 『風虫の谷』は、夜の如き漆黒の風に支配されていた。

 

 その風の根源は『風龍セファイド』。かつてジャックが相対し、

打破した姿そのままで鎮座している。雲をまとった巨人の姿の前では、ジーニアスが虫に見える。

 

 そして、やはりその巨躯は黒く染まっていた。

 



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風龍セファイド③

「うわああああ~⁉」

 

 ジーニアスが悲鳴をあげる。普段の傲慢で理知的な彼からは想像もつかない姿だ。

 

 だが、この惨状では無理もなかった。目が慣れてきたジャックは、あちこちに散らばる騎士たちの亡骸を見た。恐らく、ジーニアス以外は全滅してしまったのだろう。

 

 かくゆう彼自身も、風前の灯火だった。血まみれで、そばには円盤(ルーキッシュ)の残骸らしき破片が転がっている。はいずっているのは、立っている気力体力がないからだろう。

 

 絶え間なく吹きすさぶ暴風は今にも彼を谷底へ放り投げてしまいそうで、生じたカマイタチが地面を抉る。

 

「ヴァージニア! あいつを拾ってくるから、ここから離れてくれ!」

 

「早くしてくれよ? 今すぐにでもおさらばしたいんだから」

 

 

 ジャックは躊躇なくトーテムポールの風に乗って、ジーニアスの元へはせ参じた。

 

「しっかりしろ!」

 

「うう……」

 

 ジャックに担ぎ上げられた時点で、限界を迎えたのかジーニアスは失神してしまった。暴れずにいてくれるのは嬉しいが、問題は『風龍』の方だ。

 

「―」

 

 どうやら、素直に戻らせてはくれないらしい。明確にジャックを認識し、その前に立ちふさがった。

 

「悪い、ちょっと待っててくれよ……」

 

 ジーニアスを置いて、ゆっくりと『ヴェルバーン』を構える。

黒い雲の巨躯は、相対しただけで失神してしまいそうな迫力があった。

 

 対する『風龍』も、迂闊には動かない。目の前の青年が、侮れる相手ではないと見知っているようだ。

 

「あの黒い鎧のヤツなのか? お前も?」

 

 返事はない。ジャックも、答えを期待していたわけではなかった。

 

 撃破すれば、恐らくそれは判明する。『パーセク』と同じく、黒い鎧の男が変身した姿であるのだろうか?

 

 両者の睨み合いは刹那、当人たちの間では永遠に続くかと思われる間のことだった。

 

「うおおっ」

 

「着地成功です」

 

「分析を開始します」

 

 スター隊がトーテムポールの突風に乗ってやってきた時、近郊は崩れた。

 

「―」

 

 『風龍』の元から、強烈なカマイタチが放たれた。

 

「しゃあ!」

 

 迫りくるそれを、ジャックは『ヴェルバーン』の一薙ぎで霧散させる。

 

 スターには無論不可能であるから、セバスチャンが前に立って盾となったが、頑丈無比の彼でもしっかりと傷跡が残るほど衝撃に襲われていた。

 

「標準……OK!」

 

 最新型のマークⅡは、流石にその強烈な技を受けきっただけでなく、難なく反撃の体勢をとっていた。回転銃とミサイルポッドからの一斉掃射が、雲の巨人へ降り注ぐ。

 

 

「むっ……」

 

 が、それが届くことはなかった。

 

 暴風によって、マーク・Ⅱの攻撃は着弾前に飛散して次々に暴発、あるいは失速していったからだ。

 

「ならば……」

 

 レーザー砲へと攻撃を切り替える。だが、こちらも暴風には揺るがず巨人の肉体へと直撃したものの、いささかの損害も与えたようには見えなかった。

 

「むおっ」

 

 そればかりか、さらなる風撃によりマーク・Ⅱは吹き飛ばされてしまった。如何に頑強でも、風そのものを無効化はできない。

 

「らああ!」

 

 ジャックは果敢に斬りかかっていったが、『ヴェルバーン』を振り上げた時点で殺気を感じ取り、慌てて鎧を発現させた。

 

「っ……」

 

 頬に痛みが走り、血が流れる。間一髪、『風龍』の不可視のカマイタチから身を護ったのだ。少しでも鎧の発現が送れていれば、ジャックの細切れが出来ていただろう。

 

「‼」

 

 すさまじい風圧が叩きつけられる、モルガンによって勝手につけられてしまった銀龍の鎧だが、皮肉にもそのおかげでまたも命を拾った。

 

 どうにか態勢を立て直し、『ヴェルバーン』を担いで反撃を試みるジャックであったが、強烈な風圧とカマイタチの前に、接近すら許されなかった。

 

「くそっ……」

 

 千日手の様相を見せ始めた戦闘に、ジャックは舌打ちした。

 

 銀龍の鎧は、『デモンズメイル』のように刻一刻体力を奪っていく、長期戦は不利だ。

 

 一人であれば、技を全て回避すればよいが、気絶したジーニアスにも注意し、時には盾にならねばならない。

 

「ぬおおお~まずいのである~!」

 

「は、離してください」

 

 スターはすっかり怯えてマーク・Ⅱにすがりついていた。下手に動かれるよりは良かったが、戦力にはならない。

 



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風龍セファイド④

 ボルティブレイクで『中身』を引き出すことも考えたが、外してしまうと大きな隙を生んでしまう。

 

 かといって持久戦では……。

 

「ジャックさん、ここは私にお任せを」

 

 そんなジャックへ、セバスチャンが声をかけた。カマイタチのせいであちこちが凹み、火花が散っている。

 

「スターのそばにいてやれよ」

 

「いえいえ、スター様のために働くことが私のよろこびですから」

 

 そういって、腕を十字に組んだ。

 

 彼のボルティブレイク『セバス・イーリスキャノン』の体勢だ。

 

「やめとけ、当たるかわかんねえぞ」

 

「ジャックさん、こう見えて私、結構成長しているのです……はああ!」

 

 両腕から、閃光が放たれた。

 

 雲の巨人へそれは当たったが、やはり『本体』には当たらず、中を突き抜け雲の中へ消えゆく。

 

「むおお!」

 

 だが、『セバス・イーリスキャノン』はそこで終わらず、発射され続けた。雲の巨人の全身を駈け廻り、何かに直撃して大爆発を起こした。

 

「―‼」

 

「おお!」

 

 雲の巨人が崩れ、霧散し、龍の姿が露になった。

 

 火龍と比べれば随分小柄で、角と昆虫を思わせる羽根を持ち、小さな雲をまとった龍である。『セファイド』の本体だ。

 

「やっぱり……」

 

 だが、かつてジャックが相対した時濃緑色だったその体は、黒く染まっていた。

 

「鎧の奴なんだろ⁉」

 

「……」

 

 『セファイド』は答えない、代わりに、角から強烈な電撃をジャックへ見舞った。

 

「‼」

 

 『ヴェルバーン』でその一撃を払い、ジャックは深く息を吐く。

 

「ザ、ザンリョウエネルギー……10パーセント……」

 

「おお! セバスチャンしっかりするのだ! 立派だったぞ!」

 

「これだけの出力があるとは……」

 

 セバスチャンは、ボルティブレイクの反動でエネルギー切れを起こしているらしい。煙を吐きながら細かく痙攣していた。

 

「サンキュ……」

 

 小さく、ジャックは呟いた。

 

「―‼」

 

 『セファイド』はそこへ電撃を浴びせかける。

 

 直撃―するかに見えたそれが捉えたのは、残像だった。

 

「心応―」

 

 弧を描いて、『4人』のジャックが『セファイド』に向っていた。

 

 両手剣のボルティブレイク、『心応飛影斬』。

 

 3体の分身を出し、4方向から一斉に斬りつける奥義である。

敵は急に増えた分身に気を取られ、4つの斬撃を叩き込まれ撃破される。

 

「―‼」

 

 だが、『セファイド』は動じなかった。強烈な突風を放ち、ジャック『たち』を一挙に吹き飛ばす。

 

 勝負を焦ったジャックによる拙攻は打ち破られ―

 

「⁉」

 

 『セファイド』の頭部に、深々と『ヴェルバーン』が突き刺さった。

 

 セバスチャンが鍛錬(?)の末ボルティブレイクを強化させたように、ジャックもまた、苛烈な鍛錬で自らを鍛えていた。

 

 かつては3つの分身が限界であった『心応飛影斬』は、4人分身が可能となっていた。

 

 ジャックは真正面から全員で飛び掛かるのではなく、分身を囮にして、自身は奇襲を選んだのだ。

 

 見事にその賭けに勝ち、『セファイド』の肉体は霧散し始めー

 

「お前……」

 

 『火龍』と同じく、黒い鎧の男へと姿を変えた。

 

「逃がさねえぞこら!」

 

 ジャックはその黒い鎧の男へと襲い掛かった、なんとしても捕まえて、話を聞きださねばならない。

 

「うおっ⁉」

 

 だが、横やりが入った。無数の火球がジャックへ降り注いで来たのだ。

 

 一瞬、ジャックの脳裏に『火龍』の姿が浮んだ。

 

 だが、火球の主は―

 

「ミカエル……」

 

 ダークエルフたちだった。

 



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風龍セファイド⑤

 戦争の前、ジャックは妖精たちとも親交を深めていた。

 

 ダークエルフ、ドワーフ、グリーンゴブリン。国交を絶っているライトエルフ、オーク、ブラックゴブリンらは別として、彼らとともに冒険に出、同じ時を過ごした。

 

 だが、戦争は起こってしまった。個々人の間の感情を、戦争は容易く蹂躙してしまう。

 

 『戦争』の名のもと、ジャックと彼らは引き離され、守護者たる『龍』を殺した彼は、妖精たちにとって許されざる者となった。

 

 戦いに敗れた彼らは身を潜め、人の前に姿を現さなくなった。

ザイン、守護者の龍を喪い、ただおびえる日々を過ごしていた。

 

 しかし、今また彼らは現れた。新たなる指導者、リドリーに似た少女に導かれて。

 

「ハイアン、ロマーリオ……」

 

 『風虫の谷』、『セファイド』……否、黒い鎧の男を倒したジャックは、不意に現れたダークエルフたちの火球にさらされていた。

 

 黒い雲はいつの間にか消え、陽光が白日のもとに彼らをさらけ出している。

 

「みんな……」

 

 ジャックは、一瞬黒い鎧の男から注意をそらし、銀龍の鎧も解除してしまっていた。

 

「……」

 

「あっ!」

 

 その一瞬は、逃走に十分すぎる時間だった。黒い鎧の男は転げて台地から落ち、奈落へ消えて行った。

 

 自害した……とは到底思えなかった、間違いなくあの男は生きていて、近いうちにまたまみえることになると、ジャックは確信に近いものを抱いた。

 

「ジャック……」

 ミカエルに呼びかけられ、ジャックは我に返った。

 

「ジャック……だよね?」

 

 ダークエルフの酒造り職人、読書が好きで、ジーニアスとも親交があった少年だ。

 

「ミカエル……」

 

「ジーニアスは……大丈夫?」

 

「気絶してる」

 

「そっか……」

 

 ミカエルは俯いた。『セファイド』に処置を任せた以上、ジーニアスが命を落とすだろうと覚悟していた。

 

 彼が生きていたことに安堵する反面、自分にその資格があるのかとも逡巡しているのだった。

 

「ジャック! きみはどっちの味方なんだい⁉」

 

 ロマーリオが、ずいと前に出て叫んだ。

 

 正義の味方を自称する勝気な少女、だが、彼女が今掲げている正義は、かつての子供じみたものでなく悲壮さがあった。

 

「どっちなんだい⁉」

 

 ジャックは答えられなかった。迷ったのではなく、質問の意図がわからなかったのだ。

 

 『龍殺し』が、妖精たちの味方であるはずもない、現に自分はこうして戦っている。しかし、同様に疑念は他のダークエルフにも見えた。

 

「な―」

 

 真意をたださんとしたジャックだったが、雷に打たれたように硬直してしまった。

 

 ダークエルフたちの中に、淡く輝く少女の姿を見たからだ。

 

「リドリー……」

 

 リドリー・ティンバーレイクがそこにいた。

 



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風龍セファイド⑥

 誰であろうジャックが、見まごうはずがない。

 

 最高の鎧の一つである『ヴァリアントメイル』に身を包んだ、長い金髪を携えた少女。

 

かつて、その髪はツインテールにまとめられていた。

 

「リドリー‼」

 

 咽喉が枯れんばかりにジャックは叫んだ。

 

 『リドリー』はじっとジャックを見つめると、無言で周囲のダークエルフを手招きした。

 

「おい! リドリー! お前なんだろ⁉」

 

 『彼女』には、なんの表情も浮かんでいなかった。出会ったばかりの頃の、背伸びした険しいそれも、『霊継ぎ』の後の、憂いを含んだ顔も。

 

 全くの無だ。

 

「リドリー‼」

 

 ジャックは今にも飛び掛からんばかりだった。トーテムポールを使わず、台地へ飛び移ろうとしさせした。

 

「リドー」

 

 そんな『彼女』のそばに、黒い鎧の男がふわりと降り立った。奈落の底から飛び上ったのか、ともかく、消えたはずのそれは『リドリー』の傍に佇んだ。

 

「……」

 

 そして、兜に手をかけ―

 

「⁉」

 

 素顔を露にした。

 

「⁉ ……⁉⁉」

 

 ジャックを更なる混乱が襲った。

 

 兜の下にあったのは、龍でも妖精でもない。

 

 ジャックとうり二つの顔だった。

 

「……」

 

 『リドリー』が手をかざすと、彼女と周囲が光りに包まれ、程なく消え去った。魔法による瞬間移動だろうか?

 

 ジャックはと言えば、混乱の極致にあって動けずにいた。『リドリー』らを追うでもなく、ジーニアスたちを助けるでもなく、ただ立ち尽くしていた。

 

 『リドリー』、そして自身とうり二つの存在、ダークエルフたちの問いかけ、ほとんど彼はパンク寸前だった。

 

「……」

 

 ジャックがようやく動いたのは、結局『リドリー』を追おうと決めたからだった。ダークエルフと共にいたなら、『緑森京』に行けば何かわかるかもしれない。

 

 無論、敵である自分がいけば拒絶させるだろうが、押し通ってでも『彼女』について聞き出す。

 

 ほとんど無意識に、ジャックは『風虫の谷』の入り口まで戻ってきた。

 

 その前に、ヴァージニアが立ちはだかる。

 

「ジャック君?」

 

「ああ、うん、『風龍』は倒したから……」

 

 上の空で答えて行こうとしたジャックを、ヴァージニアが引止める。

 

「待って」

 

「お前のおかげでここまで来れたよ、ラークスさんにも伝えるからさ。……じゃ」

 

「待ってって」

 

「なんだよ⁉」

 

 悲鳴に似た叫びをジャックは上げていた。今は一秒でも早く、『リドリー』について知らねばならないのだ。

 

「あの眼鏡の学者さん……それから、『テアトル』のお仲間は?」

 

「ああ、お前から騎士団に助―って!」

 

 脛を蹴られてジャックは呻いた。

 

 ヴァージニアが、見たこともないほど冷徹な視線で見据えて来る。

 

「放っておくのかい? 一緒に戦ってくれた仲間を」

 

 ようやく、ジャックは我に返った。ジーニアスは勿論、スターたちも満身創痍のはずだった。

 

「僕は別にそれでもいいけどさ」

 

「……悪かった、サンキュ」

 

 ジャックは深呼吸をひとつ、彼らの元へ舞い戻った。ジーニアスを抱きかかえ、マーク・Ⅱにスターとセバスチャンを背負わせて、改めて入口へと立つ。

 

「砦に戻ろう、案内頼む」

 

「そこまでが仕事だからね」

 

 ヴァージニアはいつもの調子に戻っていた。

 

 もし、彼女を知る者がいたら、この光景を夢か幻かと疑うだろう。

 

 仲間を置き去りにすることを咎める。それを、『白狼』が『本心』から行っているのだ。

 



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『龍殺し』の名声

 砦に戻ったジャックは、『風龍』討伐の報告と、ジーニアスらの治療を騎士たちの手に任せた。

 

「よお、ジャック」

 

 ややあって、レナードらが到着すると、それまで混乱の中にあった砦が秩序を取戻した。親父ギャグ好きのおっさん呼ばわりされる彼だったが、ナツメの後任を任されるに足る実力を備えているのだ。

 

「団長殿、ダークエルフらは『緑森京』へと退却しました」

 

「『風龍』をジャックが討ったからだろうな」

 

「このまま、追撃して一気に……」

 

「待て待て、こっちも被害が大きい、よしんば『緑森京』を落とせても、他の妖精と『龍』にそこを襲われたらひとたまりもないぞ」

 

「そんな弱気では勝てるものも勝てません!」

 

「こちらには『龍殺し』のジャック・ラッセルがいます!」

 

 血気盛んな一部の騎士たちが異を唱える。『風龍』を下して勢いに乗っていると同時に、騎士たちの間でもジャックの実力が確固たるものとして認められている証でもあった。

 

「だとよジャック?」

 

「え~、おっさん、俺疲れたし帰りたいんだけど」

 

「僕も」

 

 拍子抜けするような答えがジャックから返って来て、ヴァージニアも便乗した。

 

 決して、ジャックはふざけているわけではない。『風龍』との戦い、そして『リドリー』との一連の遭遇でだいぶ消耗している。素直に休みたかった。

 

「私たちもいったん帰らせてもらうよ、拘束時間が長すぎるわ。ここまでの報酬をいただくわよ」

 

「オラ! しっかり金払えやゴラッ」

 

「なんだと!」

 

「王国の一大事に貴様!」

 

「待て待て、ここはワガハイに任すがいい」

 

 ひと悶着あったものの、結局ジャックが乗り気でないというのが大きく、『緑森京』攻撃は先送りとなった。

 

現状を維持しつつ、偵察と負傷者の救助に専念。ラークスに指示を仰ぐ、というのがレナードの方針だ。

 

 ジャックたちと『ヴォイド』の面々は、ジーニアスを始めとした負傷者たちを伴い、王国へと帰国する。

 

 当人が抱く思いとは裏腹に、『風龍』を倒した『龍殺し』と、その協力者として。

 

 

「ジャック~‼」

 

「元隊長として鼻が高いぞ! あ、我々は『テアトル』の『チーム・ヘクトン』です! 大小どんな依頼も受けます! 『龍殺し』もいた『ヘクトン』です!」

 

「お兄ちゃん!」

 

 『火龍』討伐の時と劣らぬ大歓待が、ジャックたちを出迎えた。

 

 フォコン門にさしかかった時点で、負傷者らとは別に、一行は用意された輿に乗せられ、そこからは歩く必要がなかった。

 

 夜と欲望の黒街は人々でごった返し、『ヴォイド』の面々の屋台が並んで動きが取れない程だった。

 

「うおおおー! 今度は俺も連れてってくれー!」

 

「んだあ、おらも綺麗なべべ着てえなあ」

 

「♪ハードなビートを奏でるゼ!」

 

「やっぱり彼じゃ花がないね、今からでもボクをあそこに置いた方がいいんじゃないか?」

 

 近場ということもあってか、『ヴァレス』と『オラシオン』の面々が多かった。

 

「むははは! ワガハイが新たなる『龍殺し』なのであーる!」

 

「ジュウデンチュウ……ジュウデンチュウ……」

 

「興味深いデータが取れました、これを改造に活かして―」

 

 ふと、ジャックはヴァージニアらが姿を消していることに気づいた。『こういう』場には、相応しくないと判断したのだろう。あるいは、オルトロスの指示だろうか。

 

「残りの龍もやっつけろ~!」

 

「妖精たちを今度こそ滅ぼすんだ~‼」

 

 血気盛んな声を受けながら、ジャックはひたすら本心を隠して、『ジャック』として振る舞った。

 

「おっし、このジャック様に任せろ! 『龍』も『妖精』もちょちょいのちょいだぜ!」

 

 その胸の内に気づくものは、限りなく少ない。

 



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幽霊の勘?

 そのまま、一行は城へと運ばれ歓待を受けた。ジオラス王との謁見、祝賀パーティ、スターは有頂天で、散々はしゃいだあげくに酔いつぶれてそのまま眠ってしまい、充電と修復を終えたセバスチャンとマーク・Ⅱに実家へ運ばれていった。

 

 ジーニアスは病室に運ばれ、モーフの治療を受けた。曰く、命に別状はないが数日は安静にしておかねばならない。他の騎士たちも同様に、ベッドに寝かしつけられていた。

 

 ジャックは、『龍殺し』と友誼を結ばんとする貴族や有力者らとの顔合わせに忙殺された。

 

「ムホホホー! アータシの家来よー!」

 

「家来じゃねえって!」

 

「アナスタシア様は、あの『龍殺し』を従えているのです!」

 

「顔見知りってことなのね」

 

 当然、アナスタシアたちもいる。『東方山猫家』の威光を高めんがため、ジャックを連れまわす。

 

ようやく解放された頃にはパーティも終わっていた。結局、戻ってから食わずじまいだ。

 

「あ~……」

 

「お疲れ様です、ジャックさん」

 

 一人寂しく暗くなった会場で脱力していたジャックは、すっくと背筋を伸ばして立ち上がる。

 

 彼が姿勢を正す数少ない相手、ラークスがやってきたのだ。

 

「うっす」

 

「お疲れのところすいませんでした」

 

 ラークスとしては、『風龍』討伐の祝賀をここまで派手にするつもりはなかった。

 

 国民たちを高揚させ、安心させるために祝賀をしないわけにはいかないが、『火龍』に続いて騎士団に多大な被害が出ている。

決して手放しで喜べる勝利ではなかった。

 

 だが、『東方山猫家』、というよりもアナスタシアを御し得ず、押し切られる形で、盛大な出迎えとパーティが開催されてしまった。

 

 自他ともに認めるラジアータのNO2、軍権と政治を担い、ジオラス王が『象徴』であることを鑑みれば、実質的なラジアータの最高権力者がラークスである。

 

 彼をして、貴族社会の一強状態であるアナスタシアを無下には出来ないのだ。

 

「『風龍』の討伐、お見事でした」

 

「皆に助けてもらったっすから……」

 

「エアデールさんも、さぞお喜びでしょう」

 

「あ、そうだ姉ちゃん……こっちに来てるんすか?」

 

「いえ、お呼びしたのですが、自分はなんら称えられるようなことはしていないと。慎み深い方です、せめてもと、王からの恩賞を届けておきました」

 

「ありがとうございます」

 

「ジャックさん……やはり、残る『地龍』、『水龍』、さらには『金龍』と『銀龍』も復活すると思いますか?」

 

 ジャックは答えられなかった。『龍』は黒い鎧の男、自身と酷似した者が変身した姿である。果たして今後も立ち塞がるのだろうか? そもそもその正体は?

 

「恐らくは……現れるでしょうね。貴方には、また重責を負わせてしまうことになる」

 

「そんなヤワじゃないっすよ、ラークスさん。残りもちょちょいと、任せてください」

 

「……頼もしい限りですね」

 

 空元気とわかっても、この少年の陽性は周囲を活性化させる。

ケアンやガウェインらとはまた違った才能だとラークスは思った。

 

「そうだ、それに関してなんすけど。ジーニアスが元気になったら、教えてくれませんか? 色々聞きたいことがあって」

 

「もちろんです、すぐに知らせを遣りましょう」

 

「どもっす……それじゃ、俺もそろそろこの辺で」

 

「はい、お疲れ様でした。ゆっくりと休んでください」

 

 

 すっかり暗くなった城の中を進む途中、ジャックはふと懐に手を伸ばした。

 

「あ、そうだ……」

 

 今更ながら『オーブ』を取り出した。かつて風龍を封じたそれは、やはり淡い緑色に光りを放っていた。

 

 龍は、ここに封印されている。

 

 黒い鎧の男……もう一人のジャックは、4龍のいずれでもない。

ジーニアスであれば、その正体がわかるだろうか?

 

「きれいだね」

 

「ん? ああ、まあ宝石じゃな……っ!」

 

 ジャックはもう少しで悲鳴をあげるところだった。

 

 いつのまにか、トレニアがそばに立っていたのだ。

 

 見かけはあどけない少女。その実態は、城に住まう幽霊である。

 

「お、おまっ……心臓に悪いよ」

 

「ごめんね」

 

 子供たちと、ジャックを始めとした少数の大人たちにしかその姿は見えない。城が建て始められた頃から、ここにいるらしい。

 

「久しぶりだねお兄ちゃん」

 

「ああ、元気そう……って言っていいかわかんないけど、お前もな」

 

「近頃はトーマちゃんも忙しそうで、あんまり会えないの。お兄ちゃんも、お城に来たら遊んでね」

 

「わかったよ……じゃな」

 

 トレニアと別れ、ジャックは再び歩きだした。

 

 トレニアも夜の散歩に戻ろうとしたが、ジャックが気になってその背が見えなくなるまで見送ることにした。

 

 何か、他の人たちと違う妙な感じがした。どうとは言えないが、昔々に永い眠りから目覚めた時のような……。

 



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『バンパイア』の夜

 帰宅するために城を出たジャックであったが、その足が向く先は『奈落獣』であった。

 

 そのまま『ヴォイド』の事務所に行って、オルトロスと顔を合わせる。

 

「これはこれは、『風龍』の討伐おめでとうございます。私どもが安心して暮らせるのも、ひとえに貴方様のおかげでございます。

また、我等の微力な助けを過大に評価いただき、光栄の至りです」

 

「頼みたいことがあるんだ」

 

 慇懃なオルトロスの挨拶をよけて、ジャックは簡潔に要求を述べた。

 

 リドリー、そして黒い鎧の男の情報を教えて欲しい。

 

 『盗賊ギルド』であれば、何か情報を握っているのではと言う淡い希望だったが、生憎彼の口からは、両者とも正体不明であると決まりきった答えしか出てこなかった。

 

 あるいは、故意に何かを隠しているのかもしれない。であっても、それには彼らなりの理由があり、例え腕力に訴えても聞きだせるものではない。

 

 今後、新情報が入り次第知らせるとの言質をとって、ジャックはクラブ『ヴァンパイア』へ腰を降ろし、ダンの作る料理をぼうっと眺めていた。

 

「覇王―っ‼ クッキングファイティング‼」

 

 空腹であった。『ビギン食堂』は言わずもがな、『カンちゃん』も閉まっている。とすると、食事をするならここしかない。

 

 深夜とあって、『ヴォイド』の面々は『本業』に出ているのか顔を出さない。カジノも今日は閑古鳥が鳴いているらしく、シルビアが欠伸をしながらチップを磨いていた。

 

「ぼくにも同じのを、彼のおごりで」

 

 ひょいと、ジャックの隣りにヴァージニアが座った。

 

「よお」

 

「仕事終わりなんだ、いやあ、疲れたよ」

 

「お待ち、そっちも同じのだな」

 

 差し出されたダンの料理を口に運ぶ。大雑把だが、濃い味付けで中々うまい。

 

「あららん、デートかしら? アツアツだわあん」

 

「うっせえよ、飲み物でも持って来い」

 

 サルビアをあしらいながら、ジャックは黙々と料理を平らげた。

 

「『龍殺し』の英雄さんが、こんな時間に、こんなところでご飯?」

 

「こんなところとはなんだ」

 

「食いそびれちゃったんだよ。そっちこそ、こんな時間まで『仕事』?」

 

「出店の片付けとかあってね、盗賊も楽じゃないんだ」

 

 ふと、ジャックは気になっていたことを尋ねてみた。

 

「あのこと言わなかったのか?」

 

「何を? しっかりラークス卿には報告したけど?」

 

「リドリーと……あの黒い鎧のことだよ」

 

 リドリーは目撃情報がすでに挙げられている。しかし、黒い鎧の男の中身が『ジャック』であったことは、ラークスには無視できぬ話のはずだ。

 

 だが、先ほどの会話ではそれがあがらなかった。隠している、という風でもなく、知らないのだ。

 

「ああ、そうだったね、ついうっかり忘れちゃったよ」

 

「何を企んでんだよ」

 

 この『白狼』に限って、善意や思いやりなどということはあり得ない。しばらく一緒にいたジャックには、少なくともそう映った。

 

「やだなあ、ぼくとジャック君の仲じゃないか」

 

「変なこというな」

 

「ははっ、まあ、おいおいね。それにしても、君も隅に置けないね。リドリー君のことなんか何も言ってなかったじゃないか?」

 

「話すようなことじゃねえもん」

 

「ま、中々複雑な関係みたいだからね」

 

 オルトロスから何か聞いているのだろうか? だが、実際ジャックとリドリーの関係は一言では言い表せない。

 

 騎士団セレクションで戦い、同じ『桃色豚闘士団』に配属された。反発しながらも互いに理解を深めていたが、クロスの陰謀(ひいては銀龍)によるブラッドオーク襲撃を切欠に団は解散。

 

 ジャックは『テアトル』へ、リドリーは新騎士団の団長となったが、彼女は『霊継ぎ』の影響に悩んだ末妖精たちの元へ走り、人間の敵となった。

 

 片や人類の英雄『龍殺し』。

 

 片や人類の『裏切り者』。

 

 何度か顔を合わせることもあったが、その終わりは『白夜の都』での死別と言う悲劇に終わった。

 

 ジャックとリドリーの間にあったのは何か?

 

 親愛? 友愛? 情愛? 彼自身、未だに問い続けている。

 

「今度会ったらどうするんだい?」

 

「わかんねえよ……」

 

 だが、きっと彼の身体は動き剣を振るうだろう。そうでなければ、人々を護れない。

 

「すべて終わったら、また北の地にくるといいよ」

 

「もういかねえよ」

 

「そうかい? ほとぼりが冷めれば、中々過ごしやすいけどね……」

 

 ヴァージニアは、ジャックに体を傾け預けた。

 

「あそこなら、『龍殺し』でなく、ジャック君でいられるよ」

 

「俺は俺だよ」

 

「そうかな……」

 

 『バンパイア』に入ってこようとしたイオンは、二人の様子を見てドアそっと閉じて立ち去った。

 

 そのまま朝まで、ジャックとヴァージニアはカウンターで過ごして、どちらともなく帰っていった。

 

 ジャックは家に一歩足を踏み入れた途端、朝帰りを鬼の顔をしたエアデールに りつけられて、久しぶりに半泣きした。

 

 



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『ジャック』軍団①

 さて、妖精との再戦争、『龍』の復活といった大事が続くなかでも、人々は日常を過ごさねばならない。

 

 『テアトル』の戦士たちは依頼をこなし、『オラシオン』の面々は神へ信仰を捧げる。『ヴァレス』では研究に情熱が注がれ、『ヴォイド』は暗部を担う。

 

 そこに所属する以外の人々も、それぞれの責務を果たしていた。

 

 ローズは相変わらず高圧的な口調で接客し、ワークは商品の武器を売ることを拒み、エレフは新区画の工事を監督する。

 

「今日もいい天気」

 

 ユーリは、『ビギン食堂』で仕込みをしていた。そろそろ、『テアトル』の面々がどさっと駆け込んでくる頃だ。

 

「ユーリ~!」

 

 が、今日の初客はアクセサリー屋『サンパティ』の経営者にしてルームメイトのジャスミンであった。彼女が客としてここへ来るのは珍しくないが、どうにも様子がおかしい。

 

「どうしたの?」

 

「大変なのよ、ジャックさんが―」

 

「ハラヘッタナア」

 

 丁度、その『ジャック』が入ってきた。

 

「メシダメシ」

 

「オオモリニシヨウ」

 

 そしてまた、次々と『ジャック』たちが入ってきた。

 

 

 フリージアは、『ラストバイブル』に注文していた薬剤学の本を受け取りに来ていた。

 

「ウオオオーナケルゼエー」

 

「ナナカンヲヨコセ」

 

「オレガミテルンダ」

 

「あのう、立ち読みは困るんですけど……」

 

 そこには、『ジャック』たちがマンガを立ち読みし、店主チーチルが笑顔を引きつらせている光景が広がっていた。

 

 

「アニソンハイイナア」

 

「コッチカケヨウゼ」

 

「コッチモイイゾ」

 

 『シックレコード』でも、店を埋め尽くす『ジャック』たちがレコードを試聴していた。

 

 ソニアは肝が据わっており、動じることなくそれを眺めている。

 

 

「ヨコセ」

 

「オレンダ」

 

「やめんかこら!」

 

 『オラシオン』のゴドウィン青空教室では、困惑するニットらをよそに『ジャック』たちがクワガタを巡って争っており、ゴドウィンから喝を入れられていた。

 

 

「モットヤレー」

 

「ツギハリョウアシヲアゲテケンヲオテダマシロー」

 

「む、むおおおお! ワガハイならできる!」

 

「スター様はポージングの達人なのです」

 

「なぜジャック・ラッセルが複数人いるのでしょう?」

 

 ヴァンクール広場では、日課のポージングをしているスターを、ジュース片手に『ジャック』たちが野次る。

 

 

「ジャックさん! ジャックさん!」

 

「ふあい?」

 

「ジャックさんがお店を占領してるの! なんとかして!」

 

「……は?」

 

 エアデールのお叱りから解放され、惰眠を貪っていたジャックは、ノックから始まったユーリの不可解な懇願を受けて、思いがけない珍事に遭遇することとなった。

 



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『ジャック』軍団②

 パジャマのまま、ユーリに強引に連れ出されたジャックは、『ビギン食堂』の惨状を見てようやく眼を覚ました。

 

「ネーチャンメシマダー?」

 

「ジュースクレー」

 

「あ、あのね、私はアクセサリー屋さんなのよ?」

 

 『ジャック』たちが、好き勝手に振る舞っているのだ。

 

「ね?」

 

「いや、ねって言われても……」

 

「だって、ジャックさんでしょ?」

 

「自分で言ってておかしいと思わない?」

 

 確かに、『ジャック』ではあるが……。いや、そもそも自分はここにこうしているわけで……。

 

「なんとかして」

 

 この『ジャック』たちは一体? まさかあの黒い鎧の男……、違う、何かが違う。

 

「ロボスーツ?」

 

 ジャックが持つ鎧の一つに、ロボスーツというものがある。

 

 以前、スターが実家の鎧を持ち出して騒動になった際、礼にと渡されたものだ。

 

 防御は並みだが、あらゆる状態異常を防ぐという特筆すべき性能がある。さらに、着込むと見た目がゴーレムよろしく機械仕掛けになるのだ。

 

 『ジャック』たちは、丁度その時の姿だった。

 

「っていうか、俺じゃねえだろ!」

 

「ジャックさんじゃないどう見ても!」

 

「どこがだよ! 眼が光ってるしネジがついてるだろ!」

 

 当人にとっては真剣な問題について議論する間に、運悪く『テアトル』の面々が昼食をとりに来店してしまった。

 

「む……」

 

「分身? 影武者か?」

 

「にぎやかですねえ」

 

「うわー狭くなっちゃうよ~」

 

「おい、どうなってんだこりゃ!」

 

「俺が聞きたいくらいっすよ!」

 

 しばらく押し問答を繰り返していると、今度は『オラシオン』のエドガーが飛び込んできた。

 

「あ、いた。ちょっと君、君をどうにかしてくれよ」

 

「は……待て、他にもいるのか⁉」

 

 

 ジャックはエドガーに連れられ、何故か『ジャック』たちも伴って、『オラシオン』礼拝堂に駆けつけた。

 

「静かにせんか!」

 

「ヤダヨーヘッヘヘー」

 

「タノシイゼー」

 

 『ジャック』たちがあちこち駆け回り、モンクたちが捕まえようと躍起になっているのだ。

 

「ジャック様、静粛にしなければならない場所では、きちんと振る舞いを正されるのが神の―」

 

「おれはここにいるだろ!」

 

 ジャックは頭を抱えた。一体何が起こっている?

 

「アニキー!」

 

 アルマとジョケルが飛び込んできた時、ジャックは次の言葉を聞くまでもなく理解した。

 

 

「レッツソウルマッスル、ハイハイハイ」

 

「ヒュ~イカスゼー」

 

「モットヤッテクレー」

 

「んふふ、あんさんたちの応援を受けちゃ、頑張っちゃうわあ」

 

 『紅蓮京』で、ピーキィのパヤパヤダンスに興じる『ジャック』たちであった。

 

 これは害が少ない……と思うのは、他で毒された結果だろうか。唖然としながらジャックは呟いた。

 

「カッコイイゼ」

 

「オレタチモヤロウ」

 

 何故かついてきた『ジャック』たちもダンスに興じ始めた。

 どうしたものかと思案するジャックの前に―

 

「ふう、まったく手間がかかるわ」

 

 次なる来訪者は、アーシェラだった。

 



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『ジャック』軍団③

「これで全員かしら?」

 

「セメエヨー」

 

「クワガター」

 

「アイスクレー」

 

「はいはい」

 

「ちょっと待ってねー」

 

 今、『ジャック』たちは礼拝堂に集められていた。アーシェラがアイスをあげるからと言うと、ぶつくさ文句をいいつつそれに従ったのだった。

 

 同様の手法で『ジャック』たちは集められ、アーシェラを前に大人しくしていた。

 

「ニコクレー」

 

「だめですよ、お腹を壊します」

 

「トイレイキタイ」

 

「もうちょっと我慢してね」

 

 他にも、今回の件で被害を受けた面々が集められ、アイスの配布に駆り出されていた。

 

「で、こいつら何なんだ? ゴーレム?」

 

 憮然としながらジャックが問う。

 

「ご明察の通りよ、彼らは新世代ゴーレム『JACK』シリーズなんです。私の持てる技術の全てを注ぎ込んだの」

 

「はあ」

 

「思えば自信作のゴーレムをジャックさんに一蹴されて、私は絶望の底に沈んだわ……。けれど、泥をすすって再起し、借金を重ねついに、『JACK』シリーズを生み出したの」

 

「また借金したのかよ……」

 

「あの『龍殺し』の6割もの力をもつゴーレム、それをこんなにも大量に。ようやく私の努力が実を結んだわ」

 

「6割……それはいいんだけど、俺そっくりなのは?」

 

「『龍殺し』というネームバリューは大きいんです。今や、エルウェンさんよりも受けがいい」

 

「マジ? そっか俺はとうとう大隊長を……いやいや、待った、俺そんなの聞いてないぞ! 勝手にやるなよ!」

 

「ですけれど、一つ問題があります」

 

「一つじゃきかないだろ!」

 

「ジャックさんをモデルにしたせいで、デザインの他、知能に難があるんです」

 

「それは納得ね」

 

 ジャスミンが答えた。

 

「がさつ、バカ、能天気、見栄っ張り、調子に乗りやすい、ジャックさんの悪いところを全て備えてしまっています」

 

「喧嘩売ってんのか!」

 

「そのせいで制御がままならず、こうして脱走騒ぎを起こしてしまったんです」

 

 納得の声があちこちから聞こえて、ジャックはますます腹が立ってきた。

 

「アイスモットクレー」

 

「カエリタイー」

 

「ああ、モデルに致命的な知能面の欠陥がなければ、完璧だったのに」

 

「それじゃ困りますよ」

 

「そうです、ジャックさんがこんなにいたら大迷惑です」

 

「せめて制御はなされたほうが良いかと」

 

「ふざけんな!」

 

 ジャックの憤慨が空しく響いた。

 

「それで、どうするんですか?」

 

「そこなのよ、制御ができなければどれだけ強くても無意味なんです。どうにか制御が―」

 

「ジャック!」

 

「げげっ! 姉ちゃん⁉」

 

 何度目かの、そして一連の騒動への最後の乱入者はエアデール・ラッセルだった。

 

「あなた、あちこちでいたずらして回ったらしいわね?」

 

「「ヒーッ、ユ、ユルシテクレネエチャン」」

 

「しかもこんなに増えて……一体何をしてるの?」

 

「「コ、コレニハワケガアルンダヨ」」

 

「まあ、ジャック様たちが無垢な羊のようです」

 

「あの人誰ですか?」

 

「ジャックさんのお姉さんですよ」

 

「ち、違うんだよ姉ちゃん、アーシェラが勝手に……」

 

「朝帰りはする、女の子にちょっかいを出す、迷惑をかける、増える、いい加減になさい!」

 

「だから、俺のせいじゃない! ってか、増えてる時点でおかしいだろ!」

 

「いいから坐りなさい! 大体あなたは……」

 

「「ゴ、ゴメンナサーイ」」

 

 大勢のジャック『たち』がエアデールに平伏している異様な光景に、カインの説法を聞きにやって来た信徒たち、そしてカイン本人すら慄いて、礼拝堂に入ることができなかった。

 

 そして、それが済んでから勝手に礼拝堂を占拠したとして、アーシェラと『ジャック』たち、それから何故かジャックもお叱りを受けたのだった。

 

 この時、アーシェラの顔に不敵な笑みが浮かんでいるのを、誰も知らなかった。

 



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『ジャック』軍団④

 その知能故に、制御が利かないという重大な欠陥を持っていた、アーシェラ作の新世代ゴーレム『JACK』シリーズ(モデルには無許可で製造)。

 

 暗雲に乗りかけた彼女の計画と借金返済だが、思わぬところから解決策は現れた。

 

「ジャック! しっかりしなさい!」

 

「ヒエー」

 

「ワカッタヨネエチャン」

 

「オッカネエー」

 

 姉には逆らえない。

 

アーシェラは早速エアデールに言葉巧みに接近して、声のパターンを録音して、『JACK』シリーズへいつでも命令できる音声装置を発明した。

 

効果はてきめん、『JACK』たちは姉の声が聞こえるや、出来る限りその命令に従おうとするのだった。

 

 この時点で、アーシェラは当初の予定通りにラークスへと売り込みをかけた。国がスポンサーとなれば、借金問題は解決しより強力なゴーレムを作製できる。

 

 強かなラークスは、彼女の技術を認めつつ、最終的な判断を行うための条件を出した。

 

 実地試験である。

 

 エキドナ門の新開発区の護衛を、『JACK』シリーズへ当たらせた。今も尚モンスターたちの襲撃で被害が出ており、騎士団と『テアトル』だけでは手が足りていなかったからだ。

 

 結果は申し分なかった。毎日大工たちを悩ませていたモンスターたちは、その姿をすっかり消してしまった。

 

 スカルヘッド、スミロドン、ツインホーン、騎士や『テアトル』の戦士たちでも手こずる相手を、『JACK』シリーズはこともなげに殲滅した。

 

 片手剣、両手剣、斧、槍、『モデル』と同じくどんな武器も使いこなし、4人1隊体制で、無慈悲なほどの戦闘力を振るった。

 

 それは一方的な虐殺と言っていい。ゴーレム故に疲労もなく、完ぺきなコンビネーションで表情を変えずにモンスターたちを屠る『JACK』シリーズは、見る者に恐怖を植え付けた。

 

 アーシェラが、ジャックの6割といった実力は誇張ではない。腕試しに勝負を挑んだアルバやデイヴィッド、騎士たちはことごとく一蹴されてしまった。

 

 恐らく、ジェラルドやシーザークラスの実力で、ようやく拮抗できるだろう。さらに、充電によって半永久的に稼働する彼らは敵対者にとっての悪夢、無限に復活する兵士に他ならない。

 

 セバスチャン、メリッサ、マーク・Ⅱ、改良を重ねたゴーレムたちの一つの到達点であった。

 

 ラークスは『JACK』シリーズの採用を決定し、アーシェラを、新設した王国直属のゴーレム部隊総責任者に任命した。

 

 かくして、債権者は救われ、ラジアータに強力な戦力が加わった。その意味する本当のところを、まだ誰も知りえない。

 



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チーム・アハト⑨

「そこのお嬢さん!」

 

「む?」

 

 ナギサが振り返ると、そこに筋骨隆々の男が立っていた。やや後退した額と輝く白い歯、何より筋肉を誇示するようなポージングが目を引いた。

 

「『テアトル』所属のナギサさんですね?」

 

「そうだが……貴公は?」

 

「申し遅れました、武器工房『ジェフティ』社長、ライラック・ジェファーソン。『テアトル』のワルターさんの隊、『クイントム』でコンラッドがお世話になってます」

 

 ナギサにはピンとこない。一応所属はしているが、ジャック以外の隊員の名前と顔はまだまだ一致していなかった。

 

「そ、そうか、こちらこそ」

 

 そこで調子を合わせてしまうのが彼女の悪いところだ。

 

「早速ですが、依頼を頼みたいです」

 

 ポージングをしながら、ライラックは宣言した。

 

 

「モデル?」

 

「うむ」

 

 昼時、客で賑わう『ビギン食堂』の一角で、ジャックとナギサはそんな会話を交わしていた。

 

「モデルって、何すんの?」

 

「武器を持ち、指示された姿勢をとり、それを図写すると」

 

「ふーん、で?」

 

「タナトス殿に確認したところ、正式な依頼として受理されたそうだ。報酬も申し分ない」

 

「じゃ、いいじゃん」

 

「……一緒に来てくれぬか?」

 

「え、なんで」

 

「わしはライラック殿を良く知らんし……もでる、というのも初めてなのだ」

 

「大丈夫だよ、コンラッドの父ちゃんなんだから。……あんまり安心できねえか」

 

「なんだよーそれー」

 

 別席のコンラッドから不満の声があがった。

 

「相応の報酬は払おう」

 

「ん~、それならいいけど……でもさ、何か納得いかないよな」

 

「?」

 

「最初にさ、俺に話が来るんじゃない? 結構すごいんだし」

 

「前に、大隊長とアリシア様に似た様な話が来た」

 

 グレゴリーが告げる。

「そうなの?」

 

「無論、お二人とも断られたがな」

 

「じゃあ、ますます俺に話が来るべきじゃんか」

 

「モデルとして問題があるんじゃないでしょうか?」

 

 ゴードンがからかうように言うと、周囲から笑い声があがった。

 

 ジャックはぶすっとしつつ、茹でた芋にフォークを刺した。

 

 

「はい、いいですよ! そのままそのまま!」

 

「こ、こうか?」

 

 結局、ジャックはナギサに従い、『ジェフティ』の工房へ足を運んだ。実家とそん色ない大きさの一室へ案内され、モデルとしての写生が始まった。

 

 当初、ジャックはその光景を興味深げに眺めていたが、すぐに退屈して鍛錬を始めた。武器を構えたナギサを、絵描きが描写するだけで動きもほとんどなかったからだ。素早く、しかも緻密に描画する絵描きの技術には感心したが。

 

 だが、最後の製品が運ばれてきた時、流石の彼も呆気にとられた。

 

「こ、これを着るのか⁉」

 

 それは、アリシアのウィンドガープをさらに小型化した……言ってしまえば、ほとんど下着か水着かという代物だった。リンカのスティールガード並に、防御面積が小さい。

 

「我が社の最新モデルです! 『ヴァレス』の協力を得て作成した、防御力は従来の防具の10倍でありながら、重量は10分の1という逸品!」

 

「『ヴァレス』の誰に手伝ってもらったの?」

 

「モルガン教授、アドルフ助教授が中心のチームです」

 

「……」

 

 信頼してよいのだろうか?

 

「ちょ、ちょっとこれは……」

 

「我が社の一押しなんです! エルウェン大隊長やアリシアさんに着てもらいたかったのに、断られた!」

 

「だろうね」

 

 アリシアはともかく、エルウェンは絶対に応じないだろう。

 

「だから、ナギサさんに依頼したんです! お願いです! 報酬に加えてそのモデルも贈呈します!」

 

「い、いらん!」

 

 いくら高性能であろうとも、この恰好で戦場に出る度胸は彼女になかった。

 

「どうか!」

 

「無理だ!」

 

「お願い!」

 

 すったもんだの末、根負けしたナギサは依頼人に誠実であることを選んだ。

 

 顔を真っ赤にしながら、防具へ着替えてポーズをとる。いたたまれなくなって、ジャックは席を外そうとしたが、彼女はそれを許さなかった。

 

 こうしてできた『ジェフティ』新製品の広告は、売り上げの上昇に貢献しただけでなく、広告そのものが好事家の間で評判を呼んで、時として製品そのものよりも高値がついたという。

 

 



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幽霊騒動?

「う~……、遅くなっちゃったな」

 

 その夜、ダニエルは帰路を急いでいた。鍛錬に身が入りすぎて、気づけば『テアトル』に残っていたのは自分だけだった。

 

 イザベラがすっかりお腹を空かしているはずだ。すぐに帰りたかったが、途中で買い物を思い出し、遅くまで営業している『奈落獣』の店まで足を運ばねばならなかった。

 

 買い物を済ませて店を出ると、慣れない道が妙に暗く見えた。夜と欲望の黒街には、任務でもなければ足を踏み入れたことがなかった。何しろ、『ヴォイド』の面々に裏社会の人間がひしめいている。自由に出入りできるのは、構成員かジャックくらいだろう。

 

 もう少し行けば、奈落へと向かう小径から、水と英知の青街まで抜けられる。あそこなら、治安は悪くないし明かりも一杯―

 

「ん?」

 

 誰かが歩いて来る。かなり大柄だ。『ヴォイド』のならず者だろうか? 斧に手が伸びるダニエルだったが……

 

「え?」

 

 何かがおかしい、輝いている。いや、装飾品だろうか? ド派手な服をまとい―

 

「キャー‼」

 

 真っ白な顔には、巨大な笑みを浮かべる口だけが浮いていた。

 

 

「絶対にお化けだよ!」

 

 翌朝、ダニエルは『ヘクトン』の隊室でジャックとナルシェに訴えていた(ジャーバスは二日酔いで欠勤)。

 

「お化けなんていないよお」

 

「いや、あれは絶対にお化けだよ!」

 

 ナルシェは懐疑的で、ジャックは何とも言い難い顔をしていた。城のトレニア、ゴーブリと幽霊の知り合いがいるため、存在を否定できないためだ。

 

「あの巨体、真っ白な顔、歯並び……ひいいいいいい!」

 

「でもよ、何かされたわけじゃないんだろ?」

 

 遭遇後、ダニエルは無我夢中で走って、気づいたら家にいたという。少なくとも、怪我はしていない。

 

「何にもしなくても怖いよ! 退治しなきゃ!」

 

「『奈落獣』にいかなきゃいいんじゃない?」

 

 ナルシェは、エレナ、アディーナから、治安が悪いからと『ヴォイド』の近くへ行くことを禁止されていた。

 

「そ、それはそうだけど……でも、引っ越して『テアトル』の近くに来るかも」

 

「幽霊が引っ越し……?」

 

「依頼が来る前にやっちゃおうよ! ね⁉」

 

 

 結局、ダニエルの熱意に押されて、ジャックとナルシェはその夜、黒街で張り込みをすることになった。

 

「あれ~? まだやってんの~?」

 

「見回りだよ」

 

「ふ~ん、ご苦労様~」

 

 数時間が経った、行き来する人々の姿もまばらになり。中心街へ行ったヘルツが戻ってきて、からかいながら3人の目の前を通り過ぎる。

 

「ダニエル、そろそろ帰ろうぜ。幽霊もきっと今日は休みだよ」

 

「いや、きっとくるよ」

 

 ジャックはそれほど気乗りがしなかった。姉には仕事と説明したが、遅くなるとまた説教されるだろう。

 

 ナルシェは、幽霊は信じていないがうきうきしていた。厳しい姉たちの前では中々夜更かしはできず、立ち入りを禁止されている区画へ足を踏み入れているのに興奮しているのだ。

 

 ダニエルは真剣だった、幽霊がいるとわかっていては夜もおちおちトイレに行けない。かつ、一人きりではとても立ち向かう勇気がないのだ。

 

「絶対に―」

 

 と、通行人がやって来るのが見えた。それはー

 

「あ、あれだよ!」

 

「マジかよ⁉」

 

 昨夜の幽霊だ、巨体を着飾り、顔が暗闇の中でもわかるように真っ白だった。

 

「ジャ、ジャック! やっつけよう!」

 

「待て待て、そんないきなり斬りかかるなんてー」

 

「あれ、一人じゃないよ?」

 

 巨体のそばに、2つの人影があった。

 

「さささ、三人も!」

 

「あ~、そこの人~? 幽霊じゃなかったら返事をー」

 

「んま~! 何かしら道の真ん中を塞いでる無礼者は?」

 

「アナスタシア様、私がすぐにどかしますから……ジャックさん?」

 

「ああ……そういうことね」

 

 ジャックは全てを理解した。

 

 

 要するに、幽霊はアナスタシアなのだった。ややこしいのは、元々の彼女がかなり個性的ないで立ちであり、かつ、顔に美肌パックをつけていたため真っ白で、小さな目が闇夜ではほとんど消失するように見えたのだった。

 

 確かに、闇夜でいきなり遭遇したら、幽霊と見間違うだろう。

 

 一人きりでこんなところを歩いていたのは、健康と美容のために夜の散歩を楽しんでいたからだった。『東方山猫家』の当主へ手を出そうとするものは、この危険区域でもそうはいない。

 

「アータシの周りには常に誰かいるから、一人になりたい時もあるのよ」

 

 そうはいっても、従者であるエレナとアディーナは主を一人きりにはできない。彼女の一人きりの外出を知って、ついて来たのだった。

 

 これで事件は解決……といいたかったが。

 

「夜遊びに誘うなんて何を考えてるんですか!」

 

「い、いや、夜遊びじゃなくてな」

 

「ナルシェも! きちんと断りなさい!」

 

「ご、ごめんなさい」

 

「そもそも! ジャックさんあなた自覚が足りないんじゃないですか⁉ 仮にも騎士で隊も持ってるのにこんなところに出入りして!」

 

 エレナの猛烈な説教が待っていた。ナルシェは勿論、ジャックにも飛び火したそれは終わりが見えない。

 

「いや~、幽霊じゃなくてよかったよ」

 

「肝っ玉が小さいのね」

 

「そうだわ、今度はアータシ専用の散歩道を作ろうかしら」

 

 この騒動の張本人のダニエルはすっかり安堵し、のほほんと夜空の星を見上げるのだった。

 



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墓参り

 その日、ジャックは珍しく早起きすると、掃除道具と花を持って街を出た。

 

 向かう先は、リドリーの墓である。王国が一望できる丘の上に、それはあった。

 

「っと……」

 

 先客がいた、前家老のジャスネ・コルトン。リドリーの父である。

 

「……」

 

 ジャスネはしばらく墓前に佇んでいたが。ややあって、その場を後にした。

 

「うっす……」

 

「……」

 

 すれ違うジャックを無視して、王国へと歩いて行く。ジャックの記憶の中の彼は、赤ら顔の肥満体といった様相だったが。今は痩せて血色も悪く、髪も白くなっていた。年月以上に、心労が老いを進めているのだろう。

 

「よっ、来たぜ」

 

 ジャックは墓前に立つと、花を供えて掃除を始めた。

 

「なあ、お前は……ここにいるんだよな?」

 

 どうしても、あの『リドリー』の事が思い浮かぶ。確かに、自分はここに彼女を埋葬した。だが、あの姿は……。

 

「違うんならさ、言いに来いよ。オッサンだって心配するだろうし」

 

 正直、ジャスネとは良い思い出がないし、そもそも関りが殆どなかった。だが、娘を亡くした父として、不憫に思う。

 

「それとさ、あの鎧のやつ、俺? なんでだよ? 俺はここにいるのにさ」

 

 ジーニアスになら、わかるかもしれない。しかし、彼は以前として面会謝絶状態だった。

 

「色々わかんねえよな……せっかく強くなったのにさ」

 

 強くあれば、迷わないと思った。

 

 だから、『ラジアータ』を出て、世界を回り力を付けた。

 

 だが、今のジャックは、あの戦争の頃とまるで同じ、何もわからず、戦う事しかできない。

 

「また来るよ」

 

 それでも、立ち止まれない。

 

 

「やあ、久しぶり」

 

「あ、ども」

 

 帰り道、行商人のルイーズに会った。まだ、『ラジアータ』のいたころはよく世話になっていた。

 

「『龍』をまたやっつけたんだって? すごいね」

 

「まあね」

 

「何か買っていくかい? サービスするよ」

 

「いや、また今度」

 

「そっか、残念。あ、そうそう、あの元騎士の男の人に会ったよ」

 

「え? 団長?」

 

「うん、ぽちゃっとした人。オーレ地方の方だったかな」

 

「そうなんだ……」

 

 ガンツが戻ってきている。それはジャックの心を明るくした。何しろ、別れてから何の音沙汰もなかった。

 

「元気そうだった?」

 

「うん、だけど用があるからって、王国には向かわなかったみたいだよ」

 

「そっか、ありがとう」

 

 心配はしていない。実力は……秀でていなかったが、彼は強い人間であり、尊敬できる団長だ。

 

 彼には彼の考えと人生があり、縁があればまたきっと再会できるだろう。

 

 その時は、『桃色豚闘士団』団長として迎えたい。

 



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新しき世界へ

「はい? あら、あなたは……」

 

「おはようございます。『桃色豚闘士団』副長、ジャック・ラッセル殿はご在宅でしょうか?」

 

「げっ、姉ちゃん塩まいてくれ塩」

 

「こら、失礼でしょ」

 

 早朝、アルの訪問を受けたジャックは、早速彼を威嚇した。

 

「騙されちゃいけないよ、こいつはスゲー嫌な奴なんだ」

 

「こほん、心外ですな」

 

「取り繕ってんじゃねえよ。で、何なんだよ」

 

「ジーニアス様の面会謝絶が解かれまして、ジャック様をお呼びです」

 

「お!」

 

 待ちに待った時が来た。だが、続いてアルの口から出たのは思いがけない言葉だった。

 

「また、『テアトル』預りのナギサ様、同じく『オラシオン』のホリィ様、『ヴォイド』のヴァージニア様にもお越しいただきたい」

 

「え?」

 

 間抜けな答えは、しかし無理からぬことだった。

 

 

 城の一室に、彼らは集められた。

 

 ジーニアス、国王、ラークス、ナツメ、レナード、ジャック。

 

 そして、ナギサ、ヴァージニア、ホリィ。

 

「なぜわしらも?」

 

「俺が聞きてえよ」

 

 こほんとナツメが咳ばらいをした。

 

「それでは、ジーニアスさん、初めてください」

 

「はい、まず、この場を設けてくださったことを感謝します」

 

 ジャックは口笛を吹きそうになった、この傲慢な天才が礼節を尽くすのを見るのは初めてだった。

 

「この度集まってもらったのは、ラジアータ、ひいてはトゥトアスに起こる異変とその対策について情報を共有するためです」

 

「一体何が起こっているのだ? 龍は復活したのか?」

 

「ジオラス王、あくまで仮説となりますが、これは言うなればせき止められた川の流れが元に戻ろうとしていると思われます」

 

「……? ああ、そっか、そういうことね」

 

「お前絶対わかってないだろ」

 

「……わかりやすく言い換えましょう、トゥトアスの秩序が修正されているのです」

 

「?」

 

「ジーニアスさん、続きを」

 

「はい、そもそも秩序と言うのは、金龍と銀龍による人類文明のリセットなのです。前回……すなわち、銀龍の目覚めによる文明破壊は500年前」

 

 ジャックの脳裏に壁画が浮んだ。

 

「この様を記したのが例の壁画なのですが……僕は最初にこの壁画に疑問を抱きました」

 

「どういった疑問ですか?」

 

「すなわち、これを記したのは誰であるかという点です」

 

「そんなの昔の人に決まってんじゃん」

 

「あのなジャック、聞いてなかったのか? 人間は皆殺しにされてるのに誰が―」

 

「けどさオッサン、皆殺しにされたらそこからここまで増えねえじゃんか」

 

「オッサン言うな!」

 

「レナード!」

 

「す、すいませんナツメ殿」

 

 叱られて、レナードは頭を下げた。

 

「こほん……だが、今の発言は正鵠を射ている。銀龍と金龍による文明のリセット、人間の皆殺し。であれば、500年前からどうやって、今日にまで人口は回復した?」

 

「そりゃあ、産めよ増やせよでしょ」

 

「な、ななな、なんてことを言うのだ!」

 

 ナギサが真っ赤になって抗議した。

 

「そうだ、人間は繁殖しなければ増えない。つまり、皆殺しとは言っても、本当の意味での殲滅ではなく、文明を維持できなくなるほどに人口を激減させていたというのが真実だ」

 

「そうだよな、だけどさ、それと壁画がどう関係あるんだよ?」

 

「文明を維持できない程の大虐殺が起きた直後に、壁画を残す余裕があるとは考えずらい。それに、描かれている内容が詳細すぎる。恐らくこれは、銀龍自身が描き残したんだ」

 

「どうしてそんなことを?」

 

「銀龍、すなわちルシオンは銀龍は人間に好意を抱き、また眠りにつくことを嫌って、そのシステムの破壊を目論んだということですね」

 

 ラークスの言葉にジーニアスは頷いた。

 

「そうです。だが、知っての通りそれはうまくいかなかった。業を煮やした銀龍は、人の姿を借り、ルシオンとして王国に入り込んだのです」

 

 王とラークス、ナツメには嫌でもルシオンの姿が去来した。非常に有能な文官であり、ジャスネの腹心として妖精との融和政策を進めていた。

 

 当時は、その真の姿が銀龍などとは想像だにしなかった。

 

「ケアン・ラッセルによる水龍討伐が、恐らく切欠だったのでしょう。それからほどなく、ルシオンは台頭してきた」

 

「どうして父さんが切欠になるんだ?」

 

「歴史上、龍を討伐した最初の人間だからだ。つまり、それだけ人の力が強くなっていたという証明になる。そこに賭けたんだろう。いくつか矛盾した行動が見受けられるが、これは恐らく銀龍の本能と欲望のせめぎ合いだな」

 

「銀龍のことはわかった、して、今現在それがどう作用しておるのだ?」

 

「その銀龍も金龍も滅ぼされてしまいました。ですが、秩序はどうなります? 水が高きから低きに流れるように、秩序が消失してしまったトゥトアスは? ここで、最初の水の流れのくだりを思い出していただきたい」

 

「あるべき姿に世界が戻ろうとしている、そういうことですね?」

 

「はい、それを成さんとする者まではわかりませんが……それこそ、イセリア神、セレスタ神なのかもしれません」

 

 ジーニアスの言葉には苦さが混じっていた。明晰な頭脳を持つ自分が、「神」という存在に言及せねばならない、それは敗北に等しい。

 

「そしてもう一つ、他国についても仮説が立ちました」

 

「他国ですか?」

 

「調査の結果、ラジアータ王国以外では、あまりにも妖精と龍の影が薄いことがわかった。ナギサ嬢、ヴァージニア嬢、ホリィ嬢、その通りだね?」

 

「む……異国には龍という強大な魔物がいるとは聞いているが」

 

「妖精とは「商売」してないんだよね」

 

「トゥトアスに生きるものすべて、神の作りたもうた宝石なのです」

 

「妖精はともかくとして、龍の存在が希薄に過ぎる。恐らく、滅びの派生は王国を中心に起こっていたんだ」

 

「なんで?」

 

「これも仮説だが、王国の技術進歩、すなわち発展がトゥトアスの最先端だからだろう。『ヴァレス』があるしな」

 

「我が王国が……」

 

「ですが国王、もし、滅びを食い止めることができたなら、世界もまた免れるという証明になります。秩序に翻弄されるままであった我々が、より飛翔できるのです」

 

「うむ……」

 

 皮肉にも、この現状を誰よりも歓喜しただろうはルシオン(銀龍)であった。

 

 自らの望んだ未来のために、自らを贄とせねばならなかった。果たして銀龍はどう思うのだろうか。

 

「し、失礼します!」

 

 不意に、泡を喰って騎士が飛び込んできた。

 

「どうしたのです?」

 

 ラークスは彼の無礼を咎めはしなかった、それほど、彼の様相は切羽詰まっていたからだ。

 

「りゅ、龍です! 地龍が現れました!」

 



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真打登場

 『龍』が、かつての出現順と逆に現れている。

 

 幾人かの勘が鋭い者たちは、その事実に気づき。次なる『龍』が『地龍』であり、『ドワーフの谷』に姿を見せるだろうと推測していた。

 

 ラークスもその一人で、可能な限り、谷へ騎士たちを集めて監視を強化させていた。

 

 その読みは当たった、突如出現した『地龍』は騎士団を蹴散らし、王国へと迫っている。ドワーフ、ゴブリンたちも伴い、一大軍団となっているようだ。

 

 ひとつ読み違えがあるとすれば、『地龍』から攻勢してきたことだろう。被害を最小限にするために『地の谷』での決戦を想定していたラークスにとって、頭の痛いことだった。

 

「人間どもを滅ぼせー!」

 

「ゴブリンサイキョー!」

 

 妖精たちは士気も高く、数も多い。『地の谷』占領後、ドワーフたちは姿を消していたが、潜伏し反撃の機会を伺っていたのだろう。

 

 ただちに会議は終わり、騎士団と各ギルドが招集された。

 

「聞いたか? ここに向ってるそうじゃないか」

 

「流石に少し怖いですねえ」

 

 遠征と違い、戦力は十分にある。防衛は攻勢よりも有利とも言われている。だが、人々の間に不安は隠せなかった。

 

「心配すんなって、このジャック様がいるからよ」

 

「調子に乗るでない!」

 

「いでっ、な、なにすんだよジイさん!」

 

「油断禁物ですよジャックくん」

 

 その不安が士気を崩壊させるまでに至らないのは、やはりジャックの存在があったからだった。『ヴァレス』の副学長カーティス、セシルとの漫才じみたやり取りは人々の笑いを誘った。

 

「なんだよー、なんだかんだで龍を5匹も倒してるのによ」

 

「仲間の力があったからこそです」

 

 エルウェンがたしなめる。

 

「ことに、今回は防衛線です。今まで以上に皆の力が必要になるでしょう」

 

 エルウェンのまとめに皆が同意した。最もこれも、緊張をほぐさんとジャックが(バカなりに)考えた一種の寸劇であった。

 

 こと『龍』に対して、ジャックほど油断も慢心もしない相手もいないだろう。

 

「で、『地龍』とやらはどんな相手なのだ?」

 

「ぼくは後方支援ってことじゃダメかな?」

 

「すべては神の御心のままに」

 

 異国3人娘も参加している。そればかりか、ジャックはこの3人を主力とするつもりだった。

 

 本来なら、エルウェン、カイン、ジェラルドといった猛者たちと戦いたかったが、そうしなかったのは妖精たちの軍団が尋常な数ではなかったからだ。

 

 『龍』はもちろんのこと、妖精たちも一筋縄でいく相手ではない。まして、ゴブリントリオのように強化されている個体もいる。

撃退はしたが、人的物的被害が大きすぎればそれもまた敗北に等しい。街に突入される前に決着をつけねばならない。

 

 さらに、姿を見せていないエルフやオーク、ブラックゴブリンたちの襲撃も警戒せねばならなかった。皮肉にも、ザインやガルバドスらを討ち取り、戦争の勝敗を決定づけた一戦の再現のようだった。

 

 誰もが緊張の極致にあった。この機に名を売ろうと目論んでいた、デイヴィッドや若手の騎士すらも口数が少なかった。

 

「ドワーフだ!」

 

 斥候に出ていたジェイドたちが叫ぶ。小さな一つの影が、徐々に門へ迫って来る。丸みを帯びた体系から、ドワーフのようだ。

 

 皆が固唾を吞んで見守る中、その命知らずは全容を露にした。

 

「あ、あれ? えっと……な、何か行事ですか?」

 

「団長お⁉」

 

 『桃色豚闘士団』団長にして、元騎士。四大貴族『西方獅子』家の現当主、ガンツ・ロートシルトだ。

 



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ドワーフの長

「団長!」

 

「ジャックさん⁉ いやはや、お懐かしいです!」

 

「元気そうっすね!」

 

 それまでの緊迫感はどこへやら、ジャックはガンツへ駆け寄ると手を取り合って、『団長』と再会を喜び合った。

 

「何度かジャックさんのお話を聞きました、いやはや、活躍なさっているようですね」

 

「ま、『龍殺し』っすからね」

 

「おお、言いますねジャックさん」

 

「団長もちょっとシュっとしたみたいですね」

 

「中々過酷な日々でしたから……でも、何とか乗り切りましたよ」

 

「さすが団長!」

 

「んだあ~、懐かしいだなあ~」

 

「おお、クライヴさんではないですか。お元気でしたか?」

 

「ああ~、何とか元気でやっとるだ~。団長も元気でなによりだ~」

 

「懐かしいですねえ、皆さんと一緒に『地の谷』に行ったのが昨日の事みたいです」

 

「本当っすね……」

 

「オラは大分昔んことだと思うけどなあ」

 

「あ、そうそう、団長、『桃色豚闘士団』復活したんすよ」

 

「なんですと!」

 

「団長はもちろん団長っす。あ、俺は副団長」

 

「おお! 私たちの『桃色豚闘士団』が……うう~」

 

「だ、団長? どうしたんすか泣き出して」

 

「嬉しいんですよジャックさん、僅かな間でしたが、あの団にはたくさんの思い出が残っていますから」

 

「そうっすよね……」

 

「オラも一員だど」

 

「もちろんです! ああ、これで少しは母上に顔向け―」

 

「はいはい、そこまで」

 

 そのまま夜まで話し込もうとする3人を、フラウが軌道修正した。

 

「フラウさん! ご無沙汰しております。リンカさんとコテツくんもお元気ですか?」

 

「うん、久しぶり。でもさ、今はそれどころじゃないんだよ」

 

「何か問題が?」

 

「見えたっス! 『地龍』と妖精たち!」

 

 アルマが叫んだ。

 

 地平の向こうに、太陽を背にした黒い蠢きが浮んでいる。ひときわ巨大なのは、間違いなく『地龍』だろう。

 

「……って感じなんすよ」

 

「なんと! 私のいない間にそんなことが……」

 

「ガンツ殿、今は助力をお願いします」

 

 レナードが出て来た。

 

「一人でも多くの戦士がいるんです」

 

「わかりました! このガンツ! 微力ながら力添えしましょう!」

 

「おっす!」

 

「だべ」

 

「危なくなったら逃げなさいよ」

 

「どんくさいからな」

 

 盛り上がる3人のそばで、フラウとリンカが嘆息した。『ヴォイド』で組んでいた二人にとって、ガンツは人柄は別として頼りない中年男であった。

 

「とりあえず『地龍』を何とかしないとっすね」

 

「わかりましたよジャックさん」

 

 一見すると、存亡をかけた戦いに挑む前の二人には見えない。

 

 だが、ジャックの体には、今までにない力強いものが湧き出てきていたのだった。

 

 粛々と『地龍』たちは迫り、ついに石を投げれば当たる距離で、相対することとなった。『地龍』の巨躯は空に届くほどで、大地の色であった過去と異なり、漆黒に染まっていた。

 

「よお」

 

 ジャックは、『地龍』に呟いた。この龍が、パーセク、セファイド同様にあの黒鎧が変化した姿であったら、その正体はジーニアスの言うところの、秩序を保たんとする力そのものであるはずだ。

 

 どうしてか、ジャックの姿を模している。そして、『リドリー』もまた……。そういえば、彼女の姿は見えないようだ。

 

「ジャック、ガンツ……久しいのう」

 

 ひと際豊かなひげを蓄えたドワーフが前に出て来た。

 

「ゴンドノビッチ殿……」

 

「再会を祝いたいとこじゃが……そうはいかんじゃろて」

 

 ドワーフの長。深い見識と力を併せ持ち、そして、『桃色豚闘士団』の初任務、国書の運搬を依頼してきた人物だ。

 



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妖精と人

 その国書こそがきっかけだった。内容は、産出量が落ちて来た『地の谷』の資源等の買取価格の値上げ要求であった。

 

 時の家老、妖精との融和政策を進めていたジャスネの眼をしても、それは過大な要求に映った。

 

 一部修正を行っての受諾回答を返そうとした彼に対して、クロスを始めとする強硬派は反発し、『地の谷』の軍事占拠を提案した。

 

 ラークスはそれを容れ、騎士団による『地の谷』への侵攻が実施されたのだった。ドワーフの抵抗、地龍の出現等で多くの犠牲を出したが、結果は地龍討伐及び占拠の成功を成し遂げたのだった。

 

 この時、ゴンドノビッチら一部ドワーフは逃走し行方をくらましている。支配を強固にするためにも、彼らの確保は急務であった。

 

 だが、程なくして戦争が勃発した。それは勝利に終わったものの、騎士団の損害は大きく、『地の谷』の管理運営には人員が不足し、半ば放置の状態が続いていたのだった。

 

 近年、ようやくラークスが改善に着手しようとした矢先、ゴンドノビッチらの蜂起と地龍の出現が知らされた。

 

 かくして、王国、否、人間の存亡を賭けた戦いへと至ったのだ。

 

「思えば少しの間に色々変わっちまったのう。ガウェインも逝ってしまった」

 

 ガンツ、そしてジャックの顔が曇った。

 

「ケアン、ガウェインの息子は……妖精の敵になったか」

 

「ゴンドノビッチ殿、私たちは決して争いを望んでおりません。どうか、刃を下げて話し合いをしようじゃありませんか」

 

「ああ、なんか色々、ややこしくなってるしな」

 

 かか、とゴンドノビッチは笑った。

 

「そういうところは、あいつらの子供だな。だがな、もう遅いようじゃ」

 

 ドワーフたちが前に出る、ウラジミールら、見知った顔だ。

 

「ジャックよ、おめえとあの娘っ子……そうリドリーだったな。

こっちにも、そっちにもおる。トゥトアスが乱れとる証拠じゃ」

 

「何か知っているのか?」

 

 ジーニアスが躍り出てきた。『戦いは専門外』と後方に下がっていたはずだが、学術的欲求には逆らえないようだ。

 

「おや? ジーニアスさん、お久しぶりですね」

 

「どうなんだ、ゴンドノビッチ殿?」

 

「お前さんは……そうか、学者さんかい」

 

 両者には面識があった。戦争以前、妖精たちと交流を図ろうとしていたジーニアスは、当然ドワーフにも接触していたのだ。

 

意志疎通が難しいゴブリンにオーク、完全に交流を絶っているライトエルフを除けば、ダークエルフの次にドワーフは友好的な妖精族だったからだ。

 

「確かに今、大地は大きな変化の中にある。だけど、必ずしもそれは種族の滅亡を意味しないんだ」

 

「相変わらず難しい言葉を使うの」

 

「争う必要はない、変化を受け容れれば、妖精たちももっと反映できるかもしれないんだ」

 

「なんと! ゴンドノビッチ殿! 今一度、交渉の場を設けませんか? このジーニアスさん、ラジアータ随一の頭脳の持ち主ですよ」

 

 ジャックは感心していた。ジーニアスは彼なりに、平和を模索している。或る意味、戦いに臨んでいる自分よりも、強く賢いのかもしれない。

 

 だが―

 

「あいにくの……わしらは人間のように、割り切れんのよ。何百、何千年も続けてきた生き様をの。『地の谷』のこともある……」

 

「オレタチャサイケッセイゴブリントリオ」

 

「ニンゲンハテキ」

 

「ナアジャック」

 

 『地龍』は咆哮した。

 

 『種族』の断絶は、埋めがたい。

 

「ジャック、ガンツ、どうにも今はややこしい……じゃからの」

 

 突如、地響きがジャックたちを襲った。

 

「白も黒も……戦って決めようぞ!」

 

 足元から、地下を進んできたギアゴーレムの大群が飛び出してきた。

 



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地龍ボイド①

 人間蔑視の傾向が強いドワーフだが、意外にも、妖精族の中では最も人間の文明を取り入れている種族であった。

 

 採鉱、鍛冶を生業とする彼らは、必然的に取引相手の大手が人間となる。自然交流が生れ、その文化を取り入れる機会が多かった。戦争前には、採掘に必要な資金提供も受けていた。

 

 ゴーレム製造技術も、その中の一部である。アーシェラのような人造人間としてよりは、掘削作業の補助作業員としてのものだったが、それは少し改造すれば容易に兵器化できるものだった。

 

「突撃じゃ!」

 

 ギアゴーレムの不意討ちに呼応して、ドワーフとゴブリンたちが突撃して来た。

 

「迎え撃て!」

 

 レナードの叫びで、人間たちもやや遅れて迎撃する。あっという間に戦場は混戦状態となり、敵味方の判別も付かない程になった。

 

「ノクターン、おめえももうろくしたんじゃねえか?」

 

「じゃかましい! 地面の下なんざどう見張れってんだ!」

 

 ジェラルド、ノクターンが軽口を叩き合った。斥候と見張りを担当した『ヴォイド』の失策ともいえる混戦だが、彼らにとってはじゃれないのようなものだ。

 

「さあ、ジャックさん! 予算獲得のために戦ってください!」

 

「ウオー」

 

「ヨッシャ」

 

 ゴーレム『JACK』シリーズが投入され、妖精たちを駆逐していく。

 

「ジャックじゃ!」

 

「兄弟がいたのか?」

 

 それなりに武闘派であるドワーフたちであるが、数の上ではゴブリンとゴーレムを足しても人間に劣っている。

 

 ゴンドノビッチらは良く戦っていたが、他のドワーフたちは次々に討ち取られ、劣勢を強いられるはずであった。

 

「―‼」

 

「『ゴブリンビーム』!」

 

 だが、現実には人間たちは攻めあぐねていた。『地龍』と、当初は戦力外とみなされていたゴブリンたちによってである。

 

「―‼」

 

「うわあああ!」

 

「退避するんだ!」

 

 『地龍』は言わずもがな、その巨体によって迫る人間たちを薙ぎ払っていた。土砂のブレス、尾での打撃、地震、近づくことすら困難で、『ヴァレス』の魔砲での遠距離攻撃が精いっぱいだった。

 

 ゴブリンたちは、以前ジャックが見たボルティブレイク『ゴブリンビーム』を連発して来た。破壊力もさることながら、なんとこの技、ゴブリンが3人いれば誰でも使えるようで、前線戦闘員への脅威となっていた。

 

「ブルースさん! シーザー隊長が!」

 

「ただいま!」

 

「……無念」

 

 直撃を受ければ、シーザーですら倒れてしまう。自然、それを警戒して及び腰になり、積極策がとれなかった。

 

「少し強引にいくか……」

 

 混戦を打破すべく、ジャックは勝負を仕掛けた。

 



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地龍ボイド②

 龍の鎧が宙へ飛び、槍を構えて台地へ突き刺した。

 

「百渦嶺嵐!」

 

 大地から、武器が芽吹く。槍のボルティブレイクだ。一気に多数の敵を倒したい時、ジャックはこの技を好んで使う。

 

「ぐあああ!」

 

「ギャー」

 

 矛先に、妖精たちの亡骸が飾られる。覚悟しているとはいえ、ジャックはその光景に苦いものを抑えられなかった。

 

 が、この一撃でゴーレム、そして妖精たちは多大な被害を受け、それまでの攻勢が一時途絶えた。

 

 この隙を逃さない手はなかった。『ヴァレス』は魔砲による攻撃を妖精たちに集中させ、一挙に戦局を変えんとした。

 

「ぬおっ!」

 

「はああ!」

 

 カーティスの『エクスプローション』、セシルの『アースクエイク』はその中でも抜きんでた威力だった。爆炎と地震により、妖精たちは秩序を失いつつあった。

 

「下がるんじゃねえ」

 

「アチー」

 

「ヒョエー」

 

 ゴブリンの『ゴブリンビーム』も、3匹が連携せねば使えないという弱点をさらけ出していた。威力は脅威だが、使わせなければ無害である。

 

 ただでさえ、団体行動に難のあるグリーンゴブリンたちは、統制を失って逃げ惑い、個々に討ち取られていった。

 

 ゴブリンたちを抑えることで、ドワーフたちへ対応する余力が出て来た。

 

「ヨッシャ」

 

「マダマダオレノテキジャナイネ」

 

 『JACK』シリーズは流石の働きで、このままいけば彼らだけで決着も付けられると思われた。

 

 がー

 

「―‼」

 

「ウワアアアアア」

 

 優勢だったのは一瞬、ドワーフを護らんとした『地龍』の尾の一撃で、新世代ゴーレムは哀れ残骸と化してしまったのだった。

 

「いやあああああああ!」

 

 戦場にアーシェラの悲痛な叫びが木霊した。後方で魔砲による援護に回っていた彼女だが、その光景は身を裂かれるよりも激しい痛みを与えていた。

 

「そんな……私のゴーレムが……」

 

「先生、しっかりしてよ」

 

「戦争中だゼ!」

 

 生徒のコーネリア、アーネストの励ましも耳に入らず、アーシェラはうなだれて天を仰いだ。

 

 今回、改良を施した『JACK』シリーズが活躍することで、さらなる予算獲得が見込める筈だったが……。

 

「王国からの先行投資に、闇金のお金までつぎ込んだのに……」

 

「ちゃーんと返さないとだめだよ~」

 

 ひょっこりとヘルツが顔を出して、手をひらひらさせながら戻っていった。仲介役は彼女のようだ。

 

 アーシェラの借金完済は、どうやらまだまだ先になりそうだった。

 

「『地龍』が壁になって、妖精たちに攻撃が届きません!」

 

「だったら先に『地龍』をやるぞ! 龍さえ倒せばなんとかなる!」

 

 戦況は刻一刻変化している。劣勢となった妖精たちを護るように、『地龍』が前に出て来ていた。

 



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地龍ボイド③

 レナードの檄は理にかなっている。妖精たちが進撃を決意したのも、人間たちが背水の陣を敷いているのも、『地龍』あってこそであった。

 

 故に『地龍』さえ打倒できれば、妖精たちは霧散し人間の勝利は確定される。

 

 だが―

 

「ぬおっ⁉ 硬えぞ!」

 

「むう……!」

 

 斬り込んだジェラルドは驚愕し、アキレスは初撃を加えたあと、顔をしかめて後退した。『地龍』の表皮は、この二人でさえ傷一つ付けられない程の硬質だった。

 

「くっ……」

 

「これは少々……」

 

「老体にこたえるのお」

 

 『オラシオン教団』の古老たちの鉄拳、そしてエルウェンの『アヴァクール』ですら龍を貫けない。この場にいない、ニュクスでも恐らく同様だったろう。

 

「くそっ! 通じねえ!」

 

「えいやっ! ……ほおおおお~」

 

 ジャックの『魔剣グラム』と『アービトレイター』ですら、どうにか皮を切れるだけでしかない。ガンツは大剣を振り下ろすも、弾かれ痺れで全身を震わせていた。

 

 龍には『時の癒し』がある。傷を負わせられない上に、無限に近い体力を有しているのだ。

 

「―‼」

 

 唯一、救いなのは魔砲はその限りではないという点だった。『ヴァレス』の面々から注がれるそれは、物理的なものとは別であるからか、『地龍』の足を止めてくれている。

 

 だが、それも長くは続かない。魔砲も無限に放ち続けられるわけではないのだ。いずれ来る魔力の枯渇を以て、いよいよ龍は手に負えなくなる。

 

「『ゴブリンビーム』!」

 

「うんがああ~」

 

「ああ、ジョケル! しっかりするッス!」

 

 さらに、『地龍』という壁を得て、態勢を立て直した妖精たちの反撃も始まった。狡猾なのは、前に出ずに龍の背後から、投石や酒瓶を利用した火炎瓶、『ゴブリンビーム』による嫌がらせに徹底している点だ。

 

 中々どうして、ゴンドノビッチは戦術家らしい。

 

「くそっ」

 

 ジャックは必死に考える。剣が通じない、辛うじて斧であれば重量で衝撃を与えることができるが、傷をつけられない。これではどうあっても勝ち目がない。

 

 どうにか『地龍』を、魔砲は通じる、だが―

 

「‼」

 

 そのひらめきを、ジャックは見逃さなかった。

 

「みんな! 一旦下がってくれ! おっさんのところまで!」

 

 最前線の面々に困惑が広がった。それでも皆が従ったのは、発言者がジャックであったからだ。

 

 魔砲によるけん制が続く中、『地龍』と前線の間に空白地帯ができた。これを利用し、レナードは陣形の再編成と休息を命じつつ、ジャックに問う。

 

「おい、ジャック、何か考えがあるんだろうな?」

 

「任せろよおっさん」

 

「おっさん言うな!」

 

「はは、で、ちょっとお願いがあるんだ……」

 

 

 数刻後、ジャックは、『エンシェントエイジ』を構え、一人『地龍』へと悠然と迫っていった。

 



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地龍ボイド④

「……『ギガントアクセル』!」

 

 斧のボルティブレイクであった。先に斧を放り投げ、回転するそれに飛びつき、回転力を増した一撃を見舞う。

 

 ジャックの技の中でも、最も破壊力に特化したものだ。

 

「―‼」

 

 『地龍』に激突したその一撃は、これまで不動だった龍を大きくのけぞらせた。だが、それでも目立った損傷は見受けられない。

 

「しゃあ!」

 

 が、ジャックは怯まない。『ツチノコだんご』をかじると、二度目の『ギガントアクセル』を見舞った。

 

「―‼」

 

 『地龍』には傷がつかない。構わず、ジャックは再び『ツチノコだんご』を口へ運んだ。

 

 『ツチノコだんご』、その存在は多くの人に知られているが、実物を目にしたものは少ない。

 

 ツチノコというモンスターに、解毒剤を与えることで得られるアイテムで、無上の美味の上に、気力体力が瞬時に回復するという代物であった。

 

 当然、多くの者がそれを求めたが、この一連の作業が明文化されておらず、さらにツチノコも稀にしか現れないとあって、幻の逸品とも言われている。

 

 ジャックですら、数えるほどしかツチノコに遭遇しておらず、

決して多数を所持してはいなかった。

 

「しゃああああ!」

 

 その『ツチノコだんご』をつぎ込んで、ダメージを与えられないボルティブレイクを見舞う。その意図に最初に気づいたのは、ジーニアスであった。

 

「穴に落とす気か」

 

 ジャックが狙うのは、『地龍』の撃破ではない。穴に落下させることだった。

 

 落下させて龍を倒せるのか? ジーニアスの頭脳は素早く働き、すぐさま『決して確実ではないにしろ、今取れる最良の手段である』との結論を下した。

 

 猛者たちですら、傷一つ付けられない相手である。このまま攻め続けたとして、勝機が見いだせない。

 

 ならば、地の底へ叩き落とし這い上がれないようにすれば、無力化できるのではないか。『地龍』には飛行する翼がない。

 

 しかしー

 

「できるのか?」

 

 ボルティブレイクは渾身の一撃である、それを何度も放つことは、ジャックの肉体に多大な負担を強いるだろう。

 

 だからこそー

 

「回復してくれ!」

 

「は、はい!」

 

 フローラが、『奇跡』でジャックを癒す。『オラシオン』の僧侶が総動員され、少しでもその負担を軽くすべく、彼を回復せんと待機していた。

 

「うおおおおお!」

 

 『ギガントアクセル』。『地龍』が流石に体勢を崩した。が、反撃を怠ることはなく、着地を狙って尾でジャックを叩き潰した。

 

「ジャックさー」

 

 巨大な岩石の尾を、無理やり『龍』が持ち上げる。モルガン謹製の『鎧』は、確かに堅牢だった。

 

「『ギガントアクセル』!」

 

 爆発が起きる。

 

 『ツチノコだんご』が切れた。あとは『奇跡』と、集中力で補うしかない。

 



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地龍ボイド⑤

 

「回復してくれ!」

 

 『オラシオン教団』信徒、ルルが祈りに合わせた手は震えていた。恐怖によってではない、目の前で戦う少年の姿に平静ではいられなかったのである。

 

 『龍』を思わせるその鎧に身を包んだ姿からは、慣れ親しんだお調子者でちょっと間の抜けた彼の姿はうかがえない。

 

だが、その戦いぶりと、時折聞こえる悲鳴にも似た叫びが否が応でもジャックとその鎧を重ねるのだった。

 

「か、回復……回復!」

 

 『地龍』の土砂の混じったブレスの直撃を受け、ジャックは『エンシェントエイジ』を地面に突き刺し、それに捕まってどうにか下がらずにいた。

 

 並の戦士であれば、土砂崩れにあったかのようにずたずたに四散していただろう。改めて、鎧と彼自身の強さが証明されていた。

 

 だが、無傷ではいかない。先刻から彼の発するのは、回復の要求に終始していた。

 

「らあああああ!」

 

 幾度目かの『ギガントアクセル』。余波が、信徒たちにまで届いてきた。

 

「大隊長! 俺たちも行きましょう!」

 

「少しでも助力にはなります!」

 

「却下します」

 

 グレゴリー、デイビッドらの要請をエルウェンは容れなかった。冷酷に見殺したのではない、近づくことが出来ないのだ。

 

 『地龍』を奈落へ落とす作戦の欠点、それは、そのための要因がジャックのみに限定されることにある。龍へ打撃を与えうるが、彼しかいないのだ。

 

 エルウェン、カイン、カーティス、そしてこの場にいないニュクスでも、『地龍』を傷つけることはかなわない。衝撃を以てその巨体を動かすこともまた、同様であった。

 

 あるいは、人海戦術で子供の遊びよろしく『地龍』を押せば可能かもしれない。ただし、それは『地龍』も、妖精たちもその間一切の抵抗をしないという夢のような条件があればだ。

 

 それらを瞬時に思案し、ジャックは一人で攻めることを決めたのだ。

 

「おりゃあああああ!」

 

 また、『ギガントアクセル』の連発は周囲への被害も甚大であり、仲間との連携に差し支える。協力を求めたくとも、出来ないのだった。

 

 せめてもは、遠方から攻撃できる『ヴァレス』の面々や飛び道具持ちが援護を続けていることだ。『地龍』へ損害を与えられずとも、妖精たちの攻勢を弱めることはできる。今現在、ジャックはそちらからの攻撃にも晒されているからだ。

 

「―‼」

 

「はああ!」

 

 『地龍』の巨体は、確実に奈落へ向かっていきつつあった。ジャックも、『奇跡』のおかげでまだ動ける。

 

ジーニアスは、このままいけば作戦は成功するだろうと予測した。まだまだ味方には余力がある。

 

 しかし、それとは別の問題もあった。

 

「……‼」

 

 飛び出さんとしたミランダを、アキレスが抱きとめる。

 

「待つんだミランダ!」

 

「で、でも、ジャックさんが!」

 

 作戦のかなめ、『奇跡』でジャックの治癒を援護する『オラシオン』の面々である。

 



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地龍ボイド⑥

 彼らのほとんどは、ジャックと面識があった。仲間としてともに冒険に出たこともある、程度は存在するが、彼に好意らしきものを抱いてもいた。

 

 その彼が、目をそむけたくなるような苦難に、自らを置いているのだ。比較的平静でいられるのは、カインらのように強固な精神を有しているか、アナスタシアのように自己中心的な思考を有しているかだろう。

 

「は……!」

 

 『ギガントアクセル』の反動で着地したジャックは、態勢を崩した。すでに、体力気力が限界にあるのだ。無理もない、すでに10数回もボルティブレイクを放っている。

 

 その間に受けた大小さまざまな攻撃により、鎧の隙間からは鮮血があふれ出ている。激しい動きに呼応してそれは吹き出し、大地に赤黒い模様を描いては、戦闘の余波によって書き消えていった。

 

「か、回復してくれ!」

 

 ミランダらの感じる疲労は、『奇跡』の連発に限らない。ジャックの苦境を、自らも味わっているためだった。

 

「待て!」

 

「離せよ! ちょっくら『龍』の鼻面殴ってやるからよ!」

 

 アキレスは、ミランダに続いてビシャスも制止せねばならなかった。回復術を持たない彼女の焦れは、他の信徒よりも強いものだった。

 

「ジャックは後方に下がっていろといった、困らせたいのか?」

 

 本心では、アキレスもビシャスに先んじて戦線に参加したかった。だが、ジャックの意図、そしてカインですら歯の絶たない『地龍』を前に、己が拳の脆弱さを呪わずにはいられなかった。

 

「かいふ―」

 

 『地龍』の尾による一撃が、ジャックを吹き飛ばした。奈落にかかる橋の縁に激突した彼は、どうにか立ち上がると、斧を構えて前進する。

 

「回復……回復して!」

 

 一番近くにいたエドガーが、震えながらそれに応じた。フェルナンド教絶対信者の彼だが、流石に顔見知りの惨状には思う所あるらしい。

 

「ね、ねえ君、少し休んだ方がいいんじゃないか? フェルナンド様に任せて……」

 

「サンキュ!」

 

 ジャック、龍の鎧をまとった戦士は、再び『地龍』へと向かって行った。

 

 この戦いは最早、ジャックに任せるしかなかった。

 

「『ギガントアクセル』!」

 

 一撃。ついに、ついに『地龍』の巨体が大きく揺らめき、奈落のすぐそばまで追いやられた。

 

「うおおおおおおお!」

 

 ジャックは次なる一撃を待たなかった。そのまま突進すると、あらん限りの力で『地龍』を押した。

 

「みんな! 手伝ってくれ!」

 

 文字通り血を吐く叫びに最初に反応したのは、ガンツだった。

決して早いと言えない足運びながらジャックの隣りに位置し、『地龍』を渾身の力で押し付ける。

 

「ぬおおおおお!」

 

 続いてクライヴが隣りと立った。

 

「だべええええ!」

 

「行きますよ!」

 

「今がその時です!」

 

「ふむ、助力しましょうか」

 

 せきを切ったように、各ギルドの長がそれに連なり、構成員らも後に続いた。

 



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地龍ボイド⑦

 ドワーフたちにとっては、またとない好機だった。『地龍』を押すことに専念している人間たちは無防備、ここで攻撃を集中できれば形勢は逆転する。

 

 だが、好機は彼らの手をすり抜けていった。

 

「妖精たちに攻撃の隙を与えるな!」

 

 カーティスの檄で、『ヴァレス』の面々は最後の力を注ぎ込んだ。フェリックスの『コールドアロー』が、ジルの『アースブレイク』が、ディミトリの『ダークメテオ』が、これが仕舞とばかりに妖精たちへ襲い掛かった。

 

 ドワーフたちは身を守るのに精いっぱい、ゴブリンは統率を失い右往左往。その短い間、ジャックたちは『押す』ことに全力を注ぎ込めた。

 

「―‼」

 

 巨山が揺らいだ。

 

『地龍』は踏みとどまろうと努力したが、奈落の『へり』が体重を支え切れず砕けると、その巨体は大きく傾き、ついには暗黒の底へと落下していった。

 

たっぷり、5呼吸を置いて、大地を揺れが襲った。その場に立ち続けるのも困難なほどのそれは、やがて収まり後に静寂が残った。

 

「地の底に、『地龍』が落下したようだ」

 

 ジーニアスが呟く。大多数は興奮による思考の麻痺で、少数の者は『地龍』が這いあがって来るのを警戒して、呼吸も忘れていた。

 

 妖精たちも同様だった。

 

 やがて、立ち上がったジャックは、鎧を解いて、『魔剣グラム』と『アービトレイター』へと武器を構え直すと、凍り付いていたドワーフらへ向かった。

 

 全身血まみれ、あざだらけの姿は、さながら戦鬼であった。

 

「『地龍』は倒したぞ」

 

 ややあって、ゴンドノビッチが呆けたように口を開いた。

 

「ボイド様……」

 

「違うよ……龍じゃない……何かだ」

 

「……ジャック、ジャックよ、お前さんらはなんなんじゃ? 娘っ子……リドリーと一緒にお前さんが来て……ボイド様に変わって……」

 

「俺もわかんねえ、でも……俺は俺だ。……また、ドワーフたちと仲良くできるなら……それでいい」

 

「ゴンドノビッチ殿、『地龍』は斃れました、どうかお引きください。そして後日、改めて外交を開こうじゃないですか」

 

「私からも、改めてお願いいたします」

 

 ジャックか、ジーニアスか、ガンツか、いずれかの言葉か、あるいは『地龍』の打倒がきっかけとなってか、ゴンドノビッチは残ったドワーフ、ゴブリンらとともに、退却を始めた。

 

「レナード団長! 今こそ追撃の時です!」

 

「こちらには騎士や戦士ギルドの面々が無傷で残っています! 殲滅の―」

 

「ふざけんじゃねえ‼」

 

 ジャックのすさまじい怒声は、王国全土へ響き渡るようだった。

追撃を具申した騎士たちはもちろん、集っていた面々も沈黙し、ヨハンやアデルに至っては迫力に若干目を潤ませた。

 

「ジャックさん、安心してください」

 

 ガンツだけが、変わらずにいた。

 

「レナードさんも、ラークス様も、そんなことするものですか」

 

「……すんません」

 

 ようやく、ジャックは剣を降ろした。

 

「いえいえ」

 

「……もう、戦いは終わりですね?」

 

「はい、ジャックさんのおかげで、無傷とはいきませんが、ラジアータも皆さんもご無事です」

 

「そうっすか……それじゃあ、ちょっと休むっす」

 

 それきり、ジャックは動かなくなった。

 

 サイネリアが慌てて駆け寄り、立ったまま彼が気絶していると認めると、アキレスらが抱きかかえ、そのまま『モーフ医院』へ全速力で運んでいった。

 



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約束

 夢は見なかった。少なくとも、ジャックが目覚めた時に覚えていた最も真新しい記憶は、失神する直前の、遠ざかっていくゴンドノビッチたちの後ろ姿だった。

 

全身を走る痛みは、無視はできないがどうにもできず、いつも通りに時と自己治癒力に任せることにした。

 

 次いで、見馴れない室内にしばし戸惑い、『モーフ医院』の一室であると理解できると、傍らで椅子に座って寝ているエアデールの姿を目にとめた。

 

「姉ちゃん?」

 

「おー、起きたか」

 

 帽子をかぶった白髪、白髭の老人医・モーフが、サイネリアを伴い部屋に入って来た。

 

 偏屈な物言いと行動から誤解されやすいが、医師としては間違いなくラジアータ1と衆目が一致するところである。

 

「くたばらずに済んだようじゃな」

 

「へいへい、おかげさまで……」

 

 エアデールを見やるジャックに気づいて、サイネリアが説明を代わった。

 

「ジャックさんが運ばれて来てから、ずっとここで看病してくれてたんです」

 

「どれくらい、俺はここにいたの?」

 

「2日じゃな」

 

 2日。その間、何もなかったのだろうか? 聞きたいことが山ほどある。

 

「明日まで寝とれ、面会も謝絶じゃ。薬も飲むんじゃぞ」

 

「苦かったら甘いのに変えてあげるわ」

 

「子供じゃねーよ」

 

「ん……」

 

 会話を聞きつけたのか、エアデールが目を開いた。それを合図に、モーフたちは部屋を出る。

 

「ジャック……」

 

「よ、姉ちゃん。おはよう」

 

 その時のエアデールは奇妙だった。しばしじっとジャックを見つめて、深く深く息を吐いた。

 

「姉ちゃん?」

 

 そしてそのまま、ベッドに上半身を預けて泣き出した。

 

 ジャックは困惑した、彼にとって姉は、厳格な母親代わりの女性であり、涙や弱さとは無縁の存在だったからだ。

 

故に、どうすればよいか皆目見当もつかず、ただ傍観するしかなかった。

 

 しばらくして、顔をあげた彼女はいつも通りの姉へ戻っていた。

 

「無茶して周りに迷惑をかけちゃダメよ、ジャック」

 

「迷惑って……俺は色々――」

 

「ジャック、私にはもう、あなたしかいないの」

 

 そう言われると、ジャックは弱い。物心ついたころからジャックには姉しかいなかったが、エアデールにはケアンと、そして母のがいた時期がある。

 

 一人、また一人と先立ち、残るは弟だけだ。

 

「どうしても、あなたがやらなきゃいけないの? 龍は……戦争は、まだ続くんでしょ?」

 

「……」

 

「ここに運ばれたあなたを見た時、死んでしまったんじゃないかって思ったわ。血まみれで、痣だらけで……戦争が続けば、またそんな目にあうとも……」

 

「やらなきゃ、ダメなんだ」

 

 姉の気持ちは痛いほどわかる。

 

 だが、絶対に譲れない思いも、また、ある。『リドリー』の正体を確かめるまでは、舞台を降りるわけにはいかない。

 

「ごめん、姉ちゃん」

 

 沈黙が部屋を支配した。

 

 さきに折れたのは、姉だった。

 

「わかったわ、でも、約束して。絶対に、帰って来るって」

 

「うん」

 

 ごく、軽い会話だった。それこそ、遊びに行く子供へ言い聞かせるように。

 

「さ、休みなさい。お医者様の言う通り」

 

「わかったよ」

 

 姉弟にとってそれは、何よりも重い誓いだった。

 



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見舞い

 翌日、面会謝絶が解かれたジャックは、『見舞客』への対応に追われ、終日ベッドから離れられなかった。

 

 最初に、ナツメらを伴ったラークスが訪れた。

 

宰相はごく短く、『地龍』討伐の成功報告、及びその功績を称え、更なる活躍を期待していると残して去った。ジャックの体調を慮ったのだろう。傍らのエアデールにも、簡単に挨拶をしただけだった。

 

次に、ガンツ、クライヴ、ジーニアスらが現れた。ここでようやく、ジャックの顔に柔らかさが戻った。

 

「ジャックさん、ゆっくり休んでくださいね」

 

「次は恐らく『水龍』だろう、さらに強大さを増して、銀龍、金龍も控えている」

 

「オラも『龍殺し』になれたかな? 押すの手伝ったべ」

 

 三者三葉、感謝から苦笑まで、だが、これこそジャックが欲した光景であったかもしれない。

 

 ガンツは退室時、エアデールを認めると、居住まいを正して別室で話が出来ないかと申し出て、彼女もそれに応じた。

 

 恐らく、彼の父ガウェインについて話すのだろう。ジャックはガウェインとの戦いの果て、たどり着いた思いを姉に伝えている。後は、ガンツと姉の事だ。

 

 それからしばらくは、王国の重臣やら大貴族やらの訪問が続いた。口々にジャックを褒め称え、『国家繁栄のため』と今後の綿密な関係を望んだが、化粧の下で見え隠れする欲や媚に彼は閉口するばかりだった。

 

 それと比べれば、アナスタシアらは潔かった。ずかずか入って来て、医院の部屋の狭さに不平を漏らし、見舞いにかかった労力と時間は後日埋め合わせてもらうと文句を言った。

 

「まったく、アータシに迷惑ばっかりかけるんじゃないわよ」

 

「危なっかしくて見てられません、ナルシェが影響されたらどうするんですか? もっと、身を労わってください」

 

「次は楽に勝たせてね」

 

 まあ、それぞれなりにジャックを労ってはいたが。

 

 エルウェンら各ギルドの長、構成員たちも顔を出した。少し面食らったのは、ミランダがジャックの顔を見た瞬間、腰を抜かしてしまった時だった。

 

「良かった……」

 

 戦場での激闘と血まみれの姿、面会謝絶が続いたことから、万が一を想像していたらしい。

 

「こいつが死ぬようなタマかよ」

 

 一緒に来たビシャスが笑って立たせたが、彼女も何か感じるところがあったらしく、ぶっきらぼうに、しっかり休めと言った。

 

 モルガンは、ジャックよりも鎧の方に興味があるようで、アーシェラと共に、データを取るために詳細に調査を行っていった。

 

「龍の攻撃を受けても健在ね」

 

「ゴーレムに応用できれば、借金も……」

 

 ナギサ、ヴァージニア、ホリィの異国三人娘も顔を出した。ナギサは活躍できなかったことを悔やみ、『白狼』はにこやかに勝利を祝い、狂信者は勝利を神の加護あってのものと祈るのだった。

 



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矛盾

 翌日、退院を果たしたジャックは姉と共に自室へ戻ったのだが、早々に姉に追い出された。

 

 留守にしていた間の掃除のため、とエアデールは述べたが、恐らくは日常に戻るため、少々の時間を欲したのだろうとジャックは想像した。

 

 思いがけず生じた間は、来訪者であるいけすかないアルによって埋められた。ラークスによる召還命令があったのだ。

 

 自室でジャックを迎えたラークスは、改めて『地龍』討伐を褒め称え、かつジャックの無事を祝った。

 

 『地龍』は、その後動き出すこともなく、『地の谷』にも異様は見られず、少なくとも無力化されたことは確実だった。

 

「今回も、皆のおかげっすよ」

 

 ジャックの答えは、ラークスには好ましかった。ケアンに似た、ガウェイン、ダイナスらとは別種の謙虚さがあった。

 

 ラークスはそのまま、ガンツの騎士団復帰と『桃色豚闘士』の団長就任が決定したことを告げた。

 

 ジャックは喜んだが、次いで、ジーニアス、クライブも、所属ギルドはそのままに、騎士として団に所属となったことも知らされると、さすがに戸惑いを見せた。

 

「ジーニアスさんは、ジャックさんたちと一緒にいたほうが都合が良いとのことです。クライブさんは……ガンツからの希望です」

 

「団長が?」

 

「クライブさんに頼まれたそうで……」

 

 引っ掛かりはしたが、それ時のジャックには、より大きな関心ごとがあった。

 

「ゴンドノビッチたち……ドワーフはどうなりましたか?」

 

「監視を送ってはいますが……」

 

 ドワーフたちは、何か拍子抜けしたかのように日常に戻っていた。無論、人間への敵意を維持し、戦闘準備も怠っていないものの、これまでのように隠れるのをやめ、採掘と鍛冶を再開している。

 

 ゴブリンたちも、これまで通りの生産性のない日々を取戻しているらしかった。

 

「少なくとも、今軍事行動を起こす予定も余力もありません、害がない限りは、不干渉が国王の方針です」

 

 ほっ、とジャックは息を吐いた。安心と悔恨が同時に湧いてくる、戦う覚悟を決めたはずなのに、その相手が無事と知って安堵する、偽善であり、矛盾だ。

 

 ラークスにも、少なからずその想いがある。かつて、ドワーフたちからの要求を受けた彼は、クロスの進言を受け容れて谷を占拠した。

 

 その時は、その判断が正しいと思った。ドワーフたちにはそれまで数多くの譲歩を行ってきていたが、もたらされる利益と見合っているとは言えなかった。

 

 また、その要求も過分に過ぎた。もともと人間に反発を持っていたドワーフへ武力を示し、正当な投資と見返りの均衡を取戻す、それがラークスの狙いであった。

 

 だが、クロスらは暴走し、大虐殺を引き起こした。その後も、独断専行や拙攻が目立ち、ダイナスの死の一因にもなったうえ、最後には『黒色山羊槍士団』は壊滅、彼自身も銀龍により殺害された。

 

さらに、妖精との戦争のきっかけに、彼は関与していた。全てがラークスの知らぬことであったが、結果として一個人の欲望に振り回されたことは、宰相として過去の事と忘却できなかった。

 



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英雄の憂鬱

 妖精との融和政策を進めていた前家老ジャスネと、ルシオンに対して、ラークスは軍事部門を司ることからも、実際の行動からも主戦派と見られている。 

 

 確かに、ラークス武力を政治交渉の手段として考えていた。しかし、決して好戦的でも、武力で万事を解決できると考える浅慮な人物でもなかった。

 

 妖精たちと親しいケアン、ガウェインらの重用。理知的で思慮深いダイナスの抜擢、彼なりに、妖精との融和を模索していたのだ。ただ、宰相という立場では、『万が一』の場合を想定せねばならない。何よりも王国を護らねばならず、時に強引、非情な決断を下す必要もあった。

 

「あの……また、国書とか運ぶなら、『桃色豚闘士』に任せてくれないっすか?」

 

「ええ、そのつもりです」

 

 ジャックは、実力はともかく、残念ながら頭脳面では先の面々とは比しえない。

 

 だが、怜悧な宰相は、この青年を前にすると、不思議とそういった役回りを任せてみたくなるのだった。

 

「まずは、ゆっくり休養してください。次は恐らく、水龍です」

 

「……はい」

 

 かつて、ジャックの父・ケアンが斃した龍。正確にはそれとは異なる存在ではあろうが、その息子が、再び挑むこととなる。

 

 

 執務室を出たジャックは、朝食を食べそこなったことを思い出して、食堂に足を向けた。

 

「おう、ケアンの息子じゃねえか」

 

「うっす、なんか食わせて」

 

 食堂の主たるアスターに声をかけ、手近なテーブルに腰を降ろす。短い騎士団時代、そして復帰後、それほど足を運んでいないというのもあったが、ここは変化が乏しいように見える。

 

「おい、『龍殺し』だぞ」

 

「ラジアータ最強の剣士だ」

 

 ジャックを認めると、騎士たちは興奮して囁いた。中には敬礼してくる者もある。

 

 適当に応対しつつ、ジャックはどうにも居心地が悪かった。

 

 そもそも、彼が騎士を目指したのは環境の要因が大きい。父の遺志を継ぐためと、姉に幼いころから訓練させられていた。

 

 厭わしくはなかったが、今思うと、それによって自然に自身の夢が騎士になることへと定められたようだった。

 

 紆余曲折の後、騎士となるも、さらに運命に乱され、ジャックの人生は何人も経験しえないものとなった。

 

 そして今、人間に迫る新たな危機と対面している。

 

 名誉、実力、人望、今のジャックには満ちている。楽しいことも、嬉しいこともある。しかし、心から幸福と言えるだろうか。

 

 リドリー、あの少女のいない世界で生きることは……。

 

「……やめやめ」

 

 体に残る痛みが増した気がして、ジャックは雑念を振り払った。

 



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強さと心

 アスターの料理(味はともかく、衛生観念と調理環境に不安がある)を腹に詰め込んだあと、城を去ろうとしたジャックは、ガンツが戻ってきていることを思い出して、挨拶に出向こうとした。

 

 だが、かつて彼の部屋だった空間は消滅しており、どこにもその姿が見えなかった。途中、女子トイレから出て来たチャーリーに問うと。

 

「ご実家におられるのでは?」

 

 との答えに、ジャックは間抜けな顔を晒した。何となく、ガンツはこの城で生活していると思い込んでいたのだが、よくよく考えれば『西方獅子』の名を持つ四大貴族でもある、実家があるに決まっていた。

 

「あのさ、隊長のお母さんって、どうしてる?」

 

「さあ……私もそこまでは。ご存命とは聞いてますけど、ご高齢ですしあまり人前には出られないのでは」

 

 ジャックは、チャーリーに礼を言って別れた。

 

 ガンツに対する思いは複雑なものがあった。個人としては、気さくで尊敬できる隊長である。

 

 だが、その父ガウェインは、親友であるジャックの父ケアンを殺し出奔した罪人とされている。それを切っかけに、『西方獅子』家は勢力を落とし、両騎士団は解体された。

 

そして、戦争の最中、ジャックはガウェインと邂逅し、幾度かの邂逅の後、果し合いとなった。

 

『花翁林』と『龍殺し』の決闘は、少年の勝利に終わる。だが、去来したのは歓喜でも達成感でもなく、徒労と違和感だけだった。

 

本当に、ガウェインは父を殺したのか? その答えはついぞ得られなかった。真実を知る機会は、永遠に失われてしまった。

 

 だが、ガンツは父との因縁に、少なくとも自身は決着をつけた。

ラジアータを出る際、手紙でそうジャックに伝えた。それは、力とは別種の強さだと、彼には思えた。

 

 また、すぐに会える。そう呟いて、ジャックは城を後にした。

 

 

 城門を出て、街をぶらつこうと思い至ったジャックだったが、やはりまだ体が本調子でなく、雑貨屋『黒薔薇』で小休止を取っていた。

 

「居座るんじゃないよ、クズなんだから」

 

「アイテム選んでんだよ」

 

 店主のローズほど、客商売に向かない性格の持主は存在しないだろう。美人だが、口の悪さはアルと引けを取らない。品揃えと美貌、そして一部の者に受けがいいのか、今日まで店は存続しているようだが。

 

「お、タイミングいいな」

 

 そこへ、『ヴァレス』のフェリックスが入って来た。瞬間記憶能力を持つ優秀な魔術師で、女性と見まごう美貌から、『男性の』ファンクラブが存在する程だ。

 

「ジーニアスがお前を探してたぞ」

 

「え? あいつ、『ヴァレス』にいんの?」

 

「ああ、今ならまだ、中にいるはずだ」

 

「ふ~ん、サンキュ」

 

 向こうから用があるとは珍しい、ジャックは『黒薔薇』を出、学院へと足を向けた。

 



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「あ、ジャ、ジャックさん……」

 

「久しぶりね」

 

 『ヴァレス』の門をくぐった途端、レオナとマリエッタに出くわした。

 

「おっす、ジーニアスどこ?」

 

「お、お兄ちゃん、ですか?」

 

「教授室じゃない?」

 

「そっか……ありがとな」

 

「あ、あの、お兄ちゃんのところに行くなら、い、一緒、に……」

 

「なんだ、レオナも用事あんの? じゃ、いこっか」

 

「あたしも行くわ」

 

 かくして、3人はジーニアスを探し学院を歩み出した。

 

 そして、当然の如く迷った。

 

「あれれ? ここはどこかしら」

 

「てか、『ヴァレス』の外じゃねえか⁉」

 

「こ、ここって、『ヴォイド』の……」

 

「……何してるんだい、アンタ達」

 

 教授室を探して右往左往、途中、デレクに場所を聞くもさらに迷い、倉庫や天井裏を徘徊した挙句、何故か『奈落獣』に迷い込んでしまった。イリスが不審な目で3人を見ている。

 

 その後も迷いに迷い、離散、再集合を経て、ようやく教授室にたどり着いたときには、日がとっぷり暮れていた。

 

「ん? おい、どこで油を売ってたんだ。僕の貴重な時間を浪費して、探してたんだぞ……レオナ? どういう組み合わせだ?」

 

「俺が聞きてえよ……」

 

「あ、脚がパンパン……」

 

「今日はよく眠れそうね」

 

 ジャックはしげしげと教授室を見回した。他の教室とは違って、工場か研究室といった様子だ。

 

 モルガンとアーシェラもいて、なにやら黒板に書かれた複雑な方程式を前に議論を重ねている。脇に積まれた山は、よく見ると『JACKシリーズ』の残骸だ。

 

「何やってんだ、あれ?」

 

「最新式ゴーレムに、お前が着ている鎧を装着させる実験だ」

 

「ふーん? っていうか、鎧を脱がせる研究は⁉ 俺、これ着っぱなしなんだけど」

 

「知らん」

 

「っ、こ、この……」

 

「それより、僕の用だ、お前に話しておくことがある」

 

「なんだよっ」

 

「アルガンダースについてだ」

 

 思わず、居住まいを正すジャックだった。

 

 アルガンダース、元は、古代エルフ王が統治した王国の古城の名。なのだが……その後、名を冠した事象が複数確認されている。

 

 一つは、不老のライトエルフたちに死をもたらす病。ダークエルフの族長、ノゲイラ、その弟ザインが魅入られている。意識を伝える『魂継ぎ』が封じられ、最後は苔に似た繭に包まれ終焉を迎えてしまう。

 

 一つは、人間を凶暴化させる病。戦争初期からラジアータでも流行し、シーラ等、ジャックの知り合いも冒された。

 

 ただ、その詳細は未だ解明されていなかった。ノゲイラは、人間たるリドリーへ『魂継ぎ』を行ったことで、『穢れ』を得たために罹患したとされている。一方、ザインはそれに当てはまらない。

 

 人間に感染する際も、症状は共通しているとして、感染経路、

感染方法、治癒の条件、再発、免疫等の存在など、不明な点が多すぎた。病自体が戦争終結と同時に消滅したため、研究の仕様もなかったのだ。

 



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アルガンダースという予兆

 すでに、人々の間では過去の流行り病の一つ、という存在に落着いている。

 

 ジャックにも、今一つピンと来ていなかった。病を目撃したこともあり、その鎮圧に狩り出されたこともある。

 

 アルガンダーズの古城へも、アドルフ、ディミトリらの依頼で向かい、アークデーモンを討伐した。

 

 だが、妖精、龍との激闘、リドリーとの別離の前では、希薄な印象しか残らなかった。

 

 そんなジャックの内心を見透かしたのか。ジーニアスはやれやれとかぶりを振る。

 

「やれやれ、これだから凡俗は……」

 

「なんだよ、アルガンダースが何なんだよ」

 

「考えてみろ、今、アルガンダースが流行しているか?」

 

「? してねえだろ」

 

「そうだ、世界の終りの兆候ともされるアルガンダース。それが影も形もない」

 

「う~ん……?」

 

「あ、そ、そのこと、ジャックさんの持って来てくれた本に、載ってました」

 

「うえっ? 俺がレオナに、本? ……あ、帰ってきた時に渡したやつか」

 

「は、はい、ルーン文字で書かれたのが……古代エルフ王の時代のもので、本というか、報告書なんですけど……」

 

「何が書いてあったの?」

 

 『ヴァレス』の生徒だけあって、幼く見える二人にも、学究への関心があった。

 

「王の死と、アルガンダースの発生から始まる、王国の崩壊の様子です……」

 

 アルガンダースに冒され、王は永久の眠りについた。『魂継ぎ』もできず、偉大なる指導者を失ったエルフたちは、死の病とそれに関連する疑心や争いで分裂、衰退を余儀なくされた。

 

 穢れを持って生まれた新種族、ダークエルフの誕生。人間や他種族の台頭による、トゥトアスの情勢変化。ライトエルフたちが『花の都』を新たな本拠地と定めたところで、記載は絶えていた。

 

 執筆者はライトエルフだったらしく、一連の出来事をトゥトアスに比類なき悲劇と記し、他種族への憎悪を隠さなかった。

 

「注目すべきは、アルガンダースによって大きくバランスが崩れた点だ。もし、それがなかったら、今もライトエルフの王国は健在だっただろう」

 

「それはわかったけど……、いや、だめだ、やっぱりわかんねえ。

どう関係してくんだよ、今のラジアータと?」

 

「エルフ王国の崩壊、妖精と人間の戦争、変化とアルガンダースは密接に関わっていた。だが、今この状況で息を潜めている……これまでの秩序が、力を失いつつあるんだと、僕は思う」

 

「それ、前言ってなかったか?」

 

「アルガンダースの事は含まれてなかった。僕の説が、また強化されたわけだ」

 

 ジャックには、やはりピン、と来ない。

 

「トゥトアスの在り方がいよいよ変わっていくなら、妖精たちの関係もまた変化を免れない。今までは、良くも悪くも龍の存在があったからな。全く新しい、人と妖精の共存が訪れるんだ」

 

「新しい……」

 

 それなら、ジャックにもわかる。龍による妖精の守護、人類文明のリセットがなくなる以上、これまで通りにはいくまい。

 

「もちろん、衝突もあるだろう、不和もだ。だが、密接な交流は発展を促す。今まで秘匿されていた歴史、技術が、大地を豊かにしてくれる……」

 

 いけ好かない、才能を鼻にかけた頭でっかち。それがジャックがジーニアスに抱いていた印象だ。それでも、忌避せず仲間と思えたのは、本質的には善人であるからだろう。

 

「だから、『桃色豚闘士』に入ったのか?」

 

「ああ、僕の研究に都合がいいからな」

 

 ジーニアスは、改まってジャックへ向き合った。

 

「この戦い、どう終わろうと世界は変化を強いられるだろう。ジャック、僕はお前に勝って欲しい」

 

「おう、任せとけって」

 



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将軍ジャック?

 この頃、ラジアータ王国上層部で頻繁に囁かれる話題があった。

 

 『龍殺し』ジャック・ラッセル将軍の誕生である。

 

 一笑に付される、という程に、それは夢物語でもなかった。実績、名声、各ギルドへとの信頼関係、そしてラークスからの絶大な支持。

 

 現将軍のナツメが、実力、人望共に及第していながら、どうにも器に欠けている。との評もそれを助長した。レナードやナツメが聞けば激怒しただろうが、当人にも(表には出さないが)その悩みは存在した。

 

 ジャックには、知能面で問題があるとの指摘もあった。それは万人が認めるところであるが、それは周囲が補佐すれば良い。

 

 そもそも、将軍と言えど王、宰相の指示なくしては動けない。

前任者のダイナスですら、その思慮深さと実力は比類なきものの、あくまで命令者はラークスであった。

 

 ケアン・ラッセルの息子、比類なき『龍殺し』の英雄。若すぎる年齢を除けば、誰も異を唱えられない。年齢も、新しい時代の訪れを喧伝するには好条件ですらあった。

 

 今のうちに陣営に引き込んでおかねば。ラジアータの権力機構は少年を標的に定めた。

 

 

 そして、騎士団に復帰した、ガンツ・ロートシルトの存在。人格はともかくとして、実力は並みで指揮能力も平凡。

 

何より、ガウェインの息子という汚点がある。実家の『西方獅子』も勢力を落としていて、貴族社会において何らの存在感を発揮できぬはずだった。

 

しかし、彼にはジャックから多大な信頼を寄せられていた。しかも、『桃色豚闘士』団長であるから、名目上少年の上司となる。

無下に扱えば、ジャックからの心象を悪化させる恐れがあった。

 

 関連して、『東方山猫』アナスタシアの周囲にも波紋が広がりつつあった。

 

 これまで、ジャックと最も近しい権力者と言えば、ラークスを除けば彼女であった。各ギルドの長は、実力はあれど政治力で劣り、王女ベルフラワーはまだ権力を持っていない。

 

 故に、『東方山猫』はジャックを虎とし、その威を本人の意図せぬところで振りかざすことができた。

 

 そこへ、『西方獅子』ガンツの登場である。アナスタシアの側近で、彼女の全てを肯定するエレナであっても、ガンツとアナスタシアの二択を選ぶことになったジャックが、後者をとるとは思えなかった。

 

 それとなく、対処をすべきでないかと進言した部下に、アナスタシアは傲然と言い放った。

 

「アータ、アータシにあんな子どものご機嫌をとれっての? バカいわないで頂戴」

 

 大いなる力を持った者は、預り知らぬところで、大小さまざまな波を立たせるものらしい。

 



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花火大会

 『火龍』、『風龍』、『地龍』。より強大に蘇った龍たちも、『龍殺し』により屠られた。

 

 妖精たちも、一時期の勢いを失い、ドワーフ、ゴブリンは表立った敵対行動を放棄し、『ヘレンシア砦』にもつかの間の平穏が訪れていた。

 

 これまで、決して楽な戦いではなく、恐らくは水龍、そして銀龍、金龍も控えている。エルフ、オーク、ブラックゴブリンは未だ健在で、予断を許さない状況であった。

 

 だが、常に警戒と緊張の中にあることは、心身に多大な消耗を強いるものである。それを熟知しているラークスは、次なる戦いの準備は怠らず、人心を安定させるべく手を打っていた。

 

 『龍』撃退の、戦勝記念花火大会である。

 

 花火大会は、毎年ラジアータで行われている。今回はそれに、より大きな付加価値を付けようというのだ。

 

 アナスタシアをおだて、『東方山猫』家の後援のもと、例年にない大規模かつ豪華な大会となる予定であった。警備関係は騎士の担当となり、各ギルド、市民たちには特別金が支払われる上、存分に楽しんでいただく、との布告がされた。

 

 騎士たちは、(一部を除けば)セレクション通過後に英才教育を施された、精鋭中の精鋭である。だが、それゆえ、人員の確保が難しいという弱点があった。

 

 各ギルドは、それに比べれば門戸が広く、数の上で優位である。

さらに、各関係との折衝が少なく、迅速な行動がとれる等の長所もあった。

 

 ギルド長、戦士ギルドの強者たち、オラシオンのモンクマスター、『ヴァレス』の魔術師、そして闇を行き交う盗賊たち。一部には、騎士を軽く凌駕する力を持つものもいた。

 

ジャックも、そうした面々と触れ合って完成した戦士である。

 

 王国にとっては、欠かすべからざる戦力だった。これからの戦いでも、大いに戦果を期待されている。

 

 この大会は、彼らへ向けての慰労の側面もあった。戦果を挙げれば名誉や昇進が約束される騎士たちとは違い、ギルドメンバーには、目に見える恩賞が必要だったのだ。

 

 そういった裏の事情に聡い者たちは、終わらぬ戦いに一抹の不安を感じつつも、無暗に表には出さず、皆へ休暇を与え鋭気を養うよう通達した。

 

 当人たちの反応は様々である。

 

ユージンなどはただ酒が好きなだけ飲めると歓喜し、より旨い晩酌のためと当日まで禁酒を始めた。

 

エリート層や権力者を嫌うアルバは、特別金を突っぱね、強者の施しを良しとせず不参加を宣言した。

 

 ガレスはそういった催しに関心がなく、いつも通りに鍛錬を続けるつもりでいる。

 

 アーシェラは、警備員に新生『JACK』シリーズを投入し、ラークスへ存在感を示そうと、不眠不休の毎日を送っていた。

 

 そして、『ヴォイド』の構成員、フラウはジャックの家へ向かって、軽やかに裏道を跳ねていた。

 



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花火大会①

 ジャックがラジアータへ帰還したことで、彼女には以前同様に彼の家の監視任務が課せられた。『定位置』へ、いつも通りに座っていなければならない。

 

 加えて、今日はジャックに伝言があった。

 

「リンカ姉さまも、自分で言いに行けばいいのにさ」

 

 姉貴分のリンカから頼まれたものだ。

 

花火大会に際して、彼女の息子であるコテツが、帰って来たガンツと一緒に行きたいと切望しているのだ。彼が出奔する前は、亡くした父と重ねて懐いていた相手である。

 

 リンカもそれを叶えてやりたいが、騎士団に復帰した貴族というガンツの身分がネックであった。彼は気にしないだろうが、公然と『ヴォイド』の人間が会える相手ではない。もし、実行すれば、ガンツに反感を持つものに、恰好の攻撃材料を与えてしまうかもしれない。

 

 というわけで、ジャックを介して意志を伝える道を選んだ。同じ騎士の団長と副団長、そして、それ以上に個人的にも親しい間柄であるし、リンカとも顔見知りであった。

 

 確かに、フラウの言うとおりに自分で言いに行けば良い。が、彼女は結局照れ臭かったのだ。個人的に抱く、ガンツへの感情が素直さを阻害していた。

 

 泣く子も黙る女盗賊にも、可愛い所がある。半ば口に出しかけたところで、フラウはそれを振り払った。

 

信頼する姉貴分であるし、その気持ちがわからなくもないからだ。

 

「ま、ついでだし……」

 

 彼女の場合、『その相手』は誰か? 自身もまだわかっていない。

 

 だが、ついで、そう、ついでに、リンカの願いを伝えた後、花火大会に暇をしているだろうあの青年を誘ってみようか。と、懸想していた。

 

 

「げっ」

 

 その声が出たのは、ジャックの家に先客がいたことと、その先客が好ましからぬ人物であったのが要因である。

 

「あなた……」

 

 エレナ。『オラシオン教団』の司祭にして、アナスタシアの腹心である少女だ。

 

 好戦的で高慢、エレナの性格もフラウの好むところではなかったが、問題は彼女の崇拝するアナスタシアにあった。

 

 フラウの生は、『オラシオン』の前に、へその緒がついたまま捨てられていたところから始まる。

 

 それを発見したのが、当時教団へ入信したばかりのアナスタシアだった。

 

 信心ではなく、教団を介して発生する権力に目覚め入信した。当時から存在した批判をかわすためか、あるいは気まぐれか、彼女は赤子を拾い育てるようになった(善意によってとは未だかつて評されない)。

 

 フラウ、と名づけられた赤子は、少女へと成長するまで、王侯貴族とまではいかないが、空腹とも惨めさとも無縁の日々を送ることができた。

 

 だが、アナスタシア、そしてドワイトら新体制派の在り様は、間近で見ながら育った彼女に、感謝よりも嫌悪の感情を強く育ませた。

 

 その感情が和らぐことはなく、ある日、限界を迎えた彼女は庇護のもとを飛び出すと、そのまま『ヴォイド』へ身を寄せた。以来、盗賊一筋で今日まで至る。

 

 アナスタシアからの愛情を感じる場面はなかったが、物質的には満たされていたし、彼女がいなければ赤子のまま生を終えたかもしれない。飛び出す直前に贈られた、青い余所行き用の洋服、これだけは捨てずにいる。

 

 しかし、彼女と支持者、引いては『オラシオン』への反発心は終生消えることはなかろうと断言出来た。

 

 エレナ、アディーナ、弟は……ナルシェといっただろうか? 彼女たちとの面識は、アナスタシアの元にいた時には存在しない。

当時彼女らは、従者となるべく、英才教育を受けていたからだ。

 

 アナスタシアほどの権勢家であれば、フラウがどこで何をしているか、当然把握しているはずである。同じ町で、ギルドにも所属していれば猶更だ。

 

 にも拘らず、飛び出して以降、彼女から何かしらの接触があったことはない。予想していたとはいえ、愉快ではなかった。

 

 宗教組織への嫌悪感、育ての親への複雑な感情、自己評価への戸惑い。それらが合わさって、寂しがり屋でありながら、容易に人を信用できないフラウの精神が形成されていた。

 

 それを溶かせたのは、リンカ、コテツら『ヴォイド』の面々と、ガンツ、そしてジャックだけだった。

 



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花火大会②

 

「……」

 

「……」

 

 数刻、フラウとエレナの気まずい沈黙は続いた。

 

 どちらともなく、先に目をそらした方が負けと、つまらない意地が先行したのだ。

 

 ぶつかる視線が発する殺気が周囲を満たしていき、通りがかりの野良猫は悲鳴をあげて逃げ出し、出勤途中のローレックが怯えて家へと逃げ帰った。

 

「あら?」

 

 均衡を破ったのは、ジャックの家から顔を出したエアデールだった。

 

「あなたたちは……?」

 

「あ、す、すいません、ジャックさんはいらっしゃいますか?」

 

「ちょっと用事があって」

 

「ごめんなさい、朝早くにどこかに出掛けちゃったのよ」

 

 エアデールは声を潜めた。

 

「あの子、何かまたしちゃったの?」

 

 思わず、エレナとフラウは顔を見合わせた。

 

「今日はお客さんがいっぱい来てるのよ。それから手紙も、悪い事じゃないといいけど……」

 

 玄関わきに、詰まれた手紙の束が見えた。いずれも、女性らしい装飾が施されている。

 

 二人は確信した。

 

((先を越された……!))

 

 

 花火大会開催の告知後、一部の人々の間で沸き起こる欲求があった。

 

 意中の相手と一緒に行きたい。

 

 これまでの花火大会でも、恋人同士で連れ立っている様はありふれた光景だった。自然な流れである。

 

 問題は、基本的に恋人を構成しているのは、当人と相手を合わせて二人である、という点だった。

 

 つまり、AがBを好きだとして、一緒に花火を見るということは、AとB二人きりでの状況を指す。ここにCという人物が混じってはいけないし、AとCが一緒に花火を見ても、Aの願いは満たされない。

 

 故に、AはBを誘う。が、Cも同様にBを誘いたがっていたらどうなるだろうか? ばかりか、D,E、もBを誘っていたら?

 

 BがAを選べば、C、D、Eの願いは叶わず、組み合わせが異なっても、誰かは涙を呑まねばならない。当然のことだ。

 

 しかし、こと恋愛感情が絡むと、単純には済ませられない。

 

 ラジアータ王国、戦勝記念花火大会において、その単純には済ませられない大事件が起ろうとしていた。

 

 渦中の人物は、『龍殺し』ことジャック・ラッセル。以前よりは大人びて思慮深くなっているが、基本的にはお気楽で元気いっぱいの青年だ。

 

 彼は過去、そして今に至るまで、多くのギルドの女性と友誼を結んでいた。時に悩みを解消し、時に実力を見せつけ、時に要求に応えて。

 

それは彼女たちの力を、依頼や冒険達成のために貸して欲しかったためであり、好感はあっても好意のためでは決してなかった。

 

だが、当人の想いと、先方の想いは必ずしも一致を見ないことが多々ある。

 

日々の任務で、彼は仲間を気遣い礼を忘れず、善性を失わなかった。戦争では多くの出会いと喪失による痛みを経て、少年は『龍殺し』となり、より人として成熟していった。

 

 共に過ごす中、淡い思いを抱く仲間達が現れた。しかし、戦争終結後、ジャックはラジアータを去ってしまった。月日がたつごとに、淡い思いは、いつの日にか思い出す、懐かしき日々の一部に収まっていった。

 

 が、ジャックは戻って来た。思いは再燃し、この機を逃すまいと、仲間たちは行動を開始したのだった。

 



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花火大会③

 行動といっても、要するにジャックへ『花火大会へ一緒に行こう』と伝えるだけである。

 

流石に正面から言うのは気恥ずかしく、仲間たちは手紙でその旨を伝えたわけだが、肝心のジャックが朝からどこかへ姿を消していた。

 

 

「おっ」

 

 その日、彼を最初に発見したのはヘルツであった。情報に関しては『ヴォイド』に一日の長がある。日課の情報収集に勤しんでいる最中、城から出て来たジャックを認め、後をつけた。

 

「ん?」

 

「やっほ」

 

 数歩とかからず気づいたジャックに軽く挨拶すると、隣りに立って探りを入れる。

 

「宰相と内緒話?」

 

「ん、色々とね」

 

「内緒話は人に話したくなるよねえ」

 

「ダメダメ、口止めされてるんだから」

 

「な~んだツマンナイ。……ところで、花火大会は誰と行くか決めた?」

 

 実のところ、これが本命の質問だった。彼女自身、手紙をしたためた一人である。

 

「あん? 花火大会?」

 

「一緒に行こうって手紙が来てたでしょ」

 

「……あ、俺、朝から城行ってたからさ。そっか、花火大会か……」

 

「まだ見てないのね、よっ、イロオトコ。よりどりみどりで、誰選ぶのかな?」

 

「ん……いや、あのさ」

 

 ジャックは困ったように頭を掻いた。

 

「もう、予定いれちゃってんだよね……悪いことしたかな」

 

 

 ヘルツを出発点に、その情報は手紙を出した仲間たちへ雷光の如く広まった。

 

 落胆、悲嘆、逆上、反応は様々だが、終着点は皆一様に同じだった。

 

 予定の相手は誰⁉

 

 手紙を見る前から決めていた、ということは、花火大会を知ってからすぐに彼ないし相手から誘ったことになる。

 

 朴念仁のジャックが? あり得ない、ならば、やはり誘われたとみるべきだろう。

 

 誰が?

 

(同じ戦士ギルドのアリシアさんでしょうか)

 

(ミランダかな、隅に置けねえな)

 

(お、お兄ちゃんから聞いてもらって……だ、ダメよそんなの……)

 

(案外、エレナだったりして。あれはフェイクで……)

 

(きっと『ヴァレス』の誰かよ、汚い手を使って……)

 

(『ビギン食堂』のユーリさんかしら……よくジャックさん利用しているし)

 

 直接、ジャックに聞けばはっきりするだろう。

 

 しかし、それをためらわせる空気が確かにあった。ジャックが誰と花火大会に行こうと、それは彼の自由である。おまけに、帰宅してから手紙を確認した彼は、一人一人へ断りの挨拶をしに回った。

 

 本来、話はそこで終わりだ。が、道理で感情の整理が付けられれば、誰も苦労はしない。

 

ジャックと過ごす相手が知りたい、その想いは大小の差こそあれ、個々人の間で高まっていった。

 



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花火大会④

 さて、ここに、そういった者たちとやや事情の異なる3人の女性がいる。

 

 いずれも異邦人の、ナギサ、ヴァージニア、ホリィである。

 

 彼女らが、ジャックと過ごした時間はそれほど長くはない。だが、その間、終生忘れえぬ大事件の渦中にあり、嫌でも記憶に残る相手となっていた。

 

 そういった意味では、リドリーと似ている。

 

 他の理由も立てているが、遠く異国ラジアータまで後を追ってきて、戦争や『龍』の襲撃に巻き込まれながらも、生活基盤を築いてまでそばにあり続けている。

 

 故に、ジャックの花火大会の過ごし方は、無視できぬ事象であった。

 

 

「花火大会だとっ?」

 

「ああ、俺もミントを誘おうと思ってんだ。……そろそろ、幼馴染から進展してもいい頃合いーー」

 

 『テアトル』での訓練仲間となった、デイヴィッドからそう教えられて、ナギサの心は大きく揺らいでいた。

 

 

「ふ~ん」

 

「気になんないの?」

 

「誰と行くかは、ジャック君の自由だからね」

 

 『ヴァンパイア』でフラウからもたらされた情報を前にしても、ヴァージニアは軽く流して酒で喉を潤した。一見平静そうな彼女ではあるが、その瞳は『白狼』の異名に違わぬ鋭い光りを発したいた。

 

 

「いけませんねぇ、浮ついては」

 

 礼拝堂で、祈りながらホリィは呟いた。その後、広場に出ると、木を蹴りつけ、へし折ってしまった。

 

 三者三葉である。

 

 

 当のジャックは多忙を極めていた。

 

 傷が癒えると、鍛錬と任務の日々に戻った。以前よりも、城に呼ばれる頻度は多くなっていたが、『桃色豚闘士』が本格始動することを思えばやむを得ない。

 

 また、『水龍』への対策も考えねばならなかった。ラークス、ジーニアスらは、かの龍が現れるのは、オークの住処『ボルゴンディアーゾ』と予測しており、準備が進められた。

 

 これまでの『龍』たちと同じく、過去に出現した場に現れると判断されたためだ。『地龍』の時のように、王国まで攻め込まれる前に、カタを付けねばならない。

 

 戦力の中核は『桃色豚闘士』、というよりもジャックが担う。ナツメと『紫色山猫』は、本国防衛を務める。

 

初めて、現場でジャック(団長はガンツだが)がトップとなることへ批判もあったが、代替を提示できない以上はラークスへ異を唱えられなかった。

 

ドワーフらとの国交再生のこともある。

 

 『水龍』討伐は、当然、団員だけでは叶わない。各ギルドから派遣してもらう人員の調整もあって、花火大会当日まで、ジャックはほとんどその行事を忘れてしまっている有様だった。

 

 お馴染みアルが、開会式へ出席するよう言いに来なければ、そのまますっぽかしてしまったかもしれない。

 



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花火大会⑤

 花火大会は、以前のパレードで、妖精の襲撃という凶事があったのを糊塗するためか、アナスタシアの豊富な財力がこれでもかという程につぎ込まれていた。

 

「オホホホホー、ライアン家の力を目に焼き付けなさーい!」

 

 飲み食いはし放題、終始花火が絶えることはなく、警備は騎士団が全て責任を持つと豪語しただけあり、市民だけでなくギルド所属の人々も、仕事を忘れて束の間の休息を楽しんでいた。

 

 『テアトル』と『ヴォイド』の飲み比べ大会は大いに盛り上がり、飛び入り参加のユージンが優勝したのをアキレスが見咎めて、

ちょっとした喧嘩騒ぎが起きた。

 

 『ヴァレス』のアーシェラは、自信満々で新生『JACK』シリーズを警備に投入したが、やはりというべきか花火や屋台に夢中になり、むしろ騎士たちの手を煩わせてしまっていた。

 

 ただ、キラやニットらが迷子になった時は素早く探し当てており、一定の評価は得られたようだった。

 

 『ヴォイド』の関係者も、今回ばかりは商売気を出さなかった。なんでも無料配布を前にしては、金をとる店は分が悪い。

 

 ジャックは開会式が終わっても、重臣や貴族たちからのうんざりするような『挨拶』に巻き込まれて、中々自由になれなかった。

 

 ようやく解放されると、声をかけて来る知り合いをあしらい、いそいそとどこかへ歩き出した。

 

 それを待っていた一団が、彼を尾行すべく動き出した。互いを認識しつつも無視している、奇妙な集団だった。

 

「動いたな」

 

「悪しき道に進まれそうになったら、止めねばなりません」

 

 ジャックを誘おうとしていた乙女たちの中でも、どうしても諦めきれない者たちである。その名は敢えて記さない。

 

 どんどん町の中心を外れ、城外へ出ようとしているらしき彼を追い、乙女らは花火には目もくれず歩いていった。

 

 そしてとうとう門に差し掛かったころ、ジャックが通り過ぎるのと入れ違いに、乙女たちの前に姿を現した影があった。

 

「リンカさん?」

 

「静かに、アンタらの気持ちはわかるけど……今日はあいつらの好きにさせてやれ」

「わ、私はただ、用事があるだけですけれど」

 

「よくないとは思いますけど……気になって」

 

 小声で抗議する乙女たちに、リンカは手招きでついてこいと伝えた。

 

 

 ジャックがたどり着いた場所には、先客がいた。

 

ジャック「どもっす」

 

ガンツ「おお、ジャックさん」

 

ジャック「やっぱり、団長も来てましたね」

 

 敬愛する団長、その傍には、真新しい花が供えられている小さな墓がある。

 

ジャック「お待たせ、リドリー」

 

 ガンツのそばに腰掛け、墓に眠る少女にジャックは優しく語り掛けた。

 



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花火大会⑥

ジャック「団長、お母さんとは話しできたんですか?」

 

ガンツ「はい、今まで散々苦労をかけまして……」

 

 連続して花火が打ちあがる。リンカと乙女たちは、少し離れたところから二人を見守った。

 

ジャック「なんか、大変なことになっちゃいましたね」

 

ガンツ「そうですね……騎士団に復帰できたのは嬉しいですけど、龍と戦うのは……いや、今まではジャックさんにそれを任せきりでしたから、少しは楽をしてもらいませんと」

 

ジャック「はは、まあ、皆の助けがあったからできたんですけど」

 

 ガンツが、高価そうなワインを取り出し3つの杯へ注いだ。

 

ガンツ「さ、どうぞ。家にあった一番良いワインです」

 

ジャック「いいんですか?」

 

ガンツ「今やジャックさんは副団長、お酒くらいいいでしょう」

 

 互いに杯をとり、一つはリドリーへ捧げ、二人は乾杯し一気に

ワインを飲み干す。

 

「ひゃあ~!」

 

「ふふ、まだジャックさんには早かったようですね」

 

「……リドリーは、お酒はどうだったんでしょうね」

 

「そうですねえ……ジャスネさまは中々の酒豪でしたが……」

 

 乙女たちは言葉を発しない、そうすべきでない場が形成されて

いると肌で感じられるからだ。

 

「団長も聞いてると思いますけど、向こうにはリドリー……がい

ます」

 

「ええ、ラークス様とジーニアスさんから伺いました」

 

「ジーニアスの言うように、秩序の修正とかいうのだったら……

また、リドリーを……」

 

「ジャックさん、まだわからないじゃないですか」

 

「え?」

 

「ジーニアスさんは優れた頭脳をお持ちです、でも、推測が全部

正しいとは限らないかもしれません」

 

 続く言葉のためか、ガンツはワインを一気に呷った。

 

「……そのリドリーさんは、本当のリドリーさんで、何かがあっ

て記憶を失ってしまってるだけかも」

 

 『リドリー』の姿を見てから、一瞬たりともジャックの頭脳か

ら離れない誘惑であった。

 

 そして、先の戦争の終わり、『白夜の都』から彼女の亡骸を抱い

て脱出し、この墓へ埋葬した記憶がそれを否定し続けている。

 

 リドリーは、間違いなく死んだ。

 

「だから、結論を出すのはまだにしましょう」

 

 他の人間の口から出ていたら、平静でいられない台詞だった。

 

 だが、この人の好い団長から発せられたそれは、悪意なく、そ

して彼自身が信じたがっているものだと信じられた。

 

 ガンツとリドリーの面識はそれほど深くない、彼女の方は、当

初、頼りない団長を不安がっていた。しかし、激動の運命の中、

同じ仲間として、人として信頼があったのは確かであった。

 

「そうかも……しれないですね」

 

「ええ、だからジャックさん、最後まであきらめないでおきましょう」

 

「はい」

 

 それきり、リドリーの話題は出なくなった。ラジアータを離れている間の出来事や、『水龍』への対策について語り合った。

 

 

「リンカ姉さま、知ってたの?」

 

「まさか、コテツの誘いを断ってまで会う奴が、ろくでもないのだったら一発殴ってやろうって思ってたけど……ろくでなしはあたしだったね」

 

 リンカは乙女たちへ小さく手を叩いた。

 

「さ、戻るんだよお嬢さんたち。今夜のあいつらは、二人きりにしてやらなきゃダメさ」

 

 乙女たちは素直に従った。

 

 その心に浮かぶのは、淡い想いの終焉、諦めきれない決意、リドリーという少女への憧憬……様々であるが、リンカの助言が正しいとの認識は共通していた。

 



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『水龍』討伐計画

 翌日、街中で花火大会の後片付けに奔走する騎士らの間を抜け、

ワインの残る頭を抑えながら、ジャックは城へ出向いた。

 

 呼び出された宰相室には、ガンツの他にジーニアス、クライブの姿もあった。『桃色豚闘士団』勢ぞろいである。

 

「お忙しい所すいません。『水龍』についてお話があります」

 

「出たんですか?」

 

「いや、だが、オーク、ブラックゴブリンに動きがあると報告があった」

 

 いきるジャックをジーニアスが制した。

 

「『ヴォイド』からの情報だ、グリーンオークの族長ジェイジェイが、ブラッドオークをまとめているらしい。ブラックゴブリンは……少しわからないが」

 

 前回の戦争で、ブラッドオーク族長ガルヴァドスはジャックに倒されたが、ジェイジェイの死は確認されず、グリーンオークは種族としての参戦を回避したのではとの見方があった。

 

 ブラックゴブリンは、明確に参戦していないとされている。胞子の雪が舞うゴブランヘブンにて酩酊しており、戦場でその姿を見た者がいないからだ。

 

 この二種族に関しては、時間的猶予がなかったのか、あるいはザインが敢えて参加を求めなかったとの考察もある。グリーンオークは、ブラッドオークの持つ『強きものに従え』という掟すら持っておらず、意志薄弱で戦場で混乱を招くからだ。キノコ中毒のブラックゴブリンも言うまでもない。

 

 ただ、両族長、ジェイジェイとブラッキーに関しては、その頭脳、実力ともに抜きん出ているとの報告もある。

 

 ブラックゴブリンの一部とは面識のあるジャックだが、流石にこの二人については全く知り得なかった。ジーニアスも、ダークエルフたちから、かつて聞いた程度である。

 

「エルフたちはどうなんでしょう?」

 

「ライトエルフ、ダークエルフ共に頻繁に行き来しているらしい。

最後に残った『龍』だ、堕ちれば士気に大きく響く」

 

 妖精たちも、前回の戦争から学んでいる。世界の昼夜を行き交う金と銀の龍は、その存在が保たれているかも不明で、かつ銀龍は人間の味方をしようとしていた。

 

味方と断言できるのは、今や『リドリー』と、『ジャック』が変じる『水龍』のみ。それすら打ち倒されてしまえば、士気を保つことは出来ないだろう。

 

ドワーフ、グリーンゴブリンは戦いを放棄した、死に物狂いで残された妖精たちは向かってくるに違いない。

「作戦は全て、『桃色豚闘士団』にお任せします。本国を護る最低限の兵だけは残し、『水龍』討伐に全力を尽くしてください」

 

 言われるまでもなかった。

 

「ひゃ~、なんかすっげえことになっただなあ。田舎に手紙で、知らせておくべか」

 

 宰相室を出、研究を続けると足早に去ったジーニアスを見送ると、のんきに呟いているクライブを見ながら、ジャックはガンツに耳打ちした。

 

「団長、クライブまで騎士にしちゃって大丈夫なんすか? 俺が言う事じゃないけど……」

 

 友人として、一個人としてこの純朴な青年は善良で信頼に値する人物とジャックは断言出来たが、些か能力が頼りなかった。

 

「いやぁ、騎士団復帰の話の時、どうしてかクライブさんまでついて来ちゃいまして……つい、勢いで」

 

「勢いって……」

 

「そういや、おらは副団長でいいだか?」

 

「あのな、副団長は俺だぞ?」

 

「二人いてもいいんでねえか?」

 

「クライブさん……その話はおいおい……」

 

 時々、ジャックはクライブが羨ましくなった。悩まないと言う事は、一つの救いなのではないだろうか。

 



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アリシアの葛藤

 トゥトアスの新たなる秩序、『龍』の復活、妖精たちの反攻と和解への微かな希望。『ラジアータ』の歴史を記すうえで、この年を避けては通れないだろう。

 

 そんな激動の中でも、人々にはそれぞれの人生と悲喜こもごもがあった。

 

 ジーンは新しく増えた同居人のナギサが気になって、そろそろ実家を出ようと考え出していたが、給料に見合う住処が中々見つからない。

 

 エルヴィスは、フェルナンド直伝の八気掌をとうとうものにしたが、出すのに多大な隙を生じてしまっており、新たな悩みを抱いていた。

 

 発明家クリストフは、アーシェラらに触発されて自身もラークスへ売り込みをしようとしたが、騎士の安眠を約束するというワンちゃん抱き枕が門前払いを食らった。

 

 インタルードは変わりなく、オルトロスの命じるままに暗殺任務に従事し、幾人かが永遠に地上から姿を消した。

 

 いつの世も変わらぬ人の営みである。善も悪も、有意も無為も呑み込んで、時間は平等に流れていく。

 

 

 『テアトル』の戦士、アリシアのそれもまた、歴史の上ではひどく小さな出来事に過ぎない。

 

「悪かったわね、忙しいのに」

 

「いや、別にいいんだけど……」

 

 アリシアの謝罪に、ジャックは怪訝そうに応じた。地下水道『蜘蛛の巣』、その奥にある納骨堂で両者は相対していたのだった。

 

 英雄アルフレッドの眠る墓地、その存在は従者であったエルウェン、子孫のアリシア、ジャックらほんの数名が知る程度である。

 

 アルフレッドの名は、『ラジアータ』の歴史に確かに刻まれていた。まだ『ラジアータ』が王国どころか、村と呼ぶにもおこがましいような集落でしかなかった時代の偉大なる戦士である。

 

 大自然、魔物、妖精たち、か弱く数も少なかった人間たちが生き延びる上で、彼は敵を倒し、皆を鼓舞して導いたとされる。

 

 ただ、黎明期の人物であるだけに、その勇名は絵物語のそれと混同されがちであった。唯一、彼の詳細を知るエルウェンは黙して語らず、現在ではケアン、ジャックら『龍殺し』と比して地味な印象を拭えない。

 

 その血を引くアリシアは、それに表立って異議を唱えたりはしなかった。だが、心のうちに芽生えるものが無いと言えばうそになる。

 

「お手合わせ、お願いするわ」

 

「うん……」

 

 特に、このジャックを間近で見て来たのもある。

 

 最初に彼が『テアトル』に入って来た時、彼女はほとんど関心を持たなかった。にぎやかで能天気、元騎士の触れ込みの割には腕はからきしな少年だ。

 

 だが、少年はめきめきと頭角を現し、隊を預かるようになった。勃発した妖精戦争での活躍は言うまでもない。

 

 大隊長も目をかけており、アリシアはその真意を確かめるべくジャックへ挑み、破れ力を貸すと誓った。

 

 その後の冒険や任務の中、彼の人柄に触れ、そして同じ英雄の血を引く人物だと知った。

 

 それからだ、意識するようになったのは。

 

 アリシアは、英雄の子孫に恥じない才能と実力を持っている。若くして隊長に任命され、暗部を担うものとしてデニスの信頼も得ている。『テアトル』でも5指に入る強者で、その若さを考えれば、いずれジェラルドらも凌駕すると見られている。

 

 しかし、その輝かしい実績は彼女を満足させはしなかった。もっといける、もっとできる、柔和な美貌の下には烈しい克己心が燃えていた。

 

 が、少年はそれを軽々と飛び越えていった。ジェラルドどころかエルウェンを倒し、『龍』すら討伐した。

 



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強さへの渇望

 現実から逃避することも、嫉みに身をやつすこともアリシアは選ばなかった。ただ、ひたすらに少年を越えるべく鍛錬を重ねた。彼が王国を離れても、怠ることはなかった。

 

 そして、その努力と才能により、彼女の実力はさらなる飛躍を遂げた。

 

帰還した少年……すでに青年となった『龍殺し』は、その数段上をいっていたが。

 

「行くわよ……」

 

「おう」

 

 どうすれば良かったのか、聡明な彼女にしてもわからなかった。例え少年と出会った時、否、それ以前に戻れたとして、どう努力しようとも追いつける気がしなかった。かといって、諦観することもできない。

 

 だから、けじめを付けたかった。

 

「はあっ!」

 

 個人として、ジャックに依頼を出した。一騎打ちをしてくれと。せめて、直に彼との差を知りたかった。

 

「やあっ!」

 

 アリシアの剣技は卓越したものであった、幾人が、斬られたことに気づかぬままに倒れただろうか。エルウェンとも、ある程度は打ち合えるようになっていた。

 

「おっと」

 

 そして、それはジャックにかすりもしなかった。決して技量が低いわけではなく、彼の技量と経験がはるか上をいっているだけだ。それが、ますますアリシアを焦燥させた。

 

 ジャックは未だ攻撃を仕掛けて来ない、手に持った『魔剣グラム』で打ち合う事もしなかった。彼女を軽視しているのではなく、間違っても怪我をさせないためだ。

 

 アリシアは仲間であり優秀な戦士だ、次の戦いでもきっと力を借りるだろう、ここで怪我をさせては本末転倒である。

 

彼自身、理由の所在は不明ながら一騎打ちを望んできた彼女に対して礼を欠くとは思う。だからといって、忖度したり接待をしたりといった器用なマネもできない。

 

「よっ……」

 

「――!」

 

 ジャックの掌底が、剣を振り上げようとしたアリシアの腹に叩き込まれていた。カインの八気掌にも劣らない重い一撃だった。

 

 ジャックはそのまま崩れ落ちる彼女を支えて、祭壇へ背を預けさせた。しばしアリシアは呼吸を忘れ、一気に取り戻したときにせき込んだ。

 

「つ……」

 

 ダメージはそれほどではない、骨も内臓も痛んではいないが、衝撃でしばらく動きがとれない。回復まで、たっぷり10回は致命傷を受ける時間がかかった。

 

「大丈夫か?」

 

「ええ……」

 

 ジャックは息も切らしていない。これが、今の二人の実力の差だ。

 

 実戦なら……という無意味な仮定をアリシアは振り払った、その場合は、ジャックはアイテムや武器を自由に振るい、その差はさらに開くはずだ。

 

「悔しいわ……」

 

 ジャックは、何も言わなかった。

 

 アリシアの心情はわからない、だが、かつてのかけがえのない友を思い出す何かがあったからだ。

 



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交易

 現在、『ラジアータ王国』において、龍と妖精たちとの戦争、国内の権力闘争の行方に次いで重視されているのが、他国との交易である。

 

 これまで、王国は外交に重点を置いていなかった。一つに、距離的な問題がある。北の大地や東の国、南の国家群までは遠く、間には妖精の住処があり容易に行き来が出来なかった。

 

 そして、ラジアータでは輸入輸出に頼らず、国内での自給自足が成っていた。かつてのドワーフやダークエルフ、村々の特産品を除けば、交易自体が存在しないと言って良い。

 

 だが、今やその『理』も変わろうとしている。

 

 『龍』と妖精の脅威は、『龍殺し』によって取り除かれつつある。文字通りの新時代が訪れるのだ。現に、ラークスによって、異邦人3人娘が頻繁に城に召喚されていることも説得力を高めていた。

 

 最も、これは早合点であった。確かに、ラークスは3人娘からそれぞれの国の様子を聞き出してはいたが、すぐにでも交易を始めるというほどに準備は進んでいない。

 

 交易と一口に言っても、国家間のそれは莫大な資金と資源が発生する。必然的に、関わる人数も膨大なものとなり、利害関係の調整にも年単位の時間を要するほどだった。

 

 むしろ、ニュクスを擁する『ヴォイド』の方が、アドルフを引き込んで、積極的に北の大地とコンタクトを取ろうとしていた。

 

 よって、ラークスのそれは。ナギサ、ヴァージニア、ホリィより、謎多き異国の地のことを少しでも探ろうという動きに過ぎなかった。そして、前者二人はともかく、ホリィは自身の狂信を信じぬ国々を辛らつに評するため、正確性に欠けた。

 

 また、彼の本当の目的は別にあった。

 

 

「『桃色豚闘士団』にい⁉」

 

「ああ、ラークス殿から乞われた」

 

 『テアトル』の訓練場で、ナギサとばったり出会ったジャックは、彼女が『桃色豚闘士団』への加入を打診されたと知って心底驚いた。

 

「『白狼』と『鉄腕』もだそうだ」

 

「ええ……、団長は……知らないわけないか」

 

 3人の腕についてジャックは不満はない。だが、他国の人間を勝手に騎士団に所属させていいものだろうか? 多少なりとも世間にもまれて来たジャックなりの懸念だった。

 

 最も、ラークスから提案したことであれば、ジャックの懸念など無意味な次元のことであろうが。

 

「あくまで仮の立場ではあると言われたがな」

 

「ふーん、で、どうすんの?」

 

「目下検討中といったところだが……それよりも、次なる龍討伐に私は参加するのか?」

 

「うん、お願いするつもり」

 

「そうか……」

 

 少しだけ、ナギサは嬉しそうに見えた。

 

 雪辱を果たす、潜伏、布教、3人娘のラジアータ訪問の目的はそれぞれ異なるが、ジャックに必要とされるのはやはり、喜ばしい事なのだった。

 



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ゴブリン曰く……

 それらが噂となって城下町を走り出したあくる日、ジャックは一人『シャングリラ』を目指していた。

 

 グリーンゴブリンたちの本拠地、というか廃材アートといった趣の洞窟に築かれた一画で、彼らはここに寝泊まりをしている。

 

「おーい」

 

 用心深く、ジャックは声をかける。一応停戦状態にあるとはいえ、戦いになるとあの『ゴブリンビーム』が怖ろしい。シーザーですら一撃で戦闘不能になるのだから。

 

「……」

 

 ややあって、数匹のゴブリンが姿を現してきた。

 

 ゴブ、リン、モンキ、いずれもジャックと面識があるが、その小さな青い目には警戒に満ちていた。

 

「おっす」

 

「ナンノヨウダ……」

 

「そう怖い顔すんなって、聞きたいことがあるだけだよ。……お前ら、俺に会ったんだよな?」

 

 ここでいう『ジャック』は、『リドリー』と共に行動し、『龍』

に変身した者のことである。

 

「オマエハオマエダ」

 

「そうなんだけど……、どういう風に来たんだよ? それから、ボルティブレイクも教えてくれたんだろ」

 

 質問相手にゴブリンを選ぶのは、間違っているとジャックも思う。

 

 しかし、エルフたちは未だ敵対関係、ブラックゴブリン、オークは論外、ドワーフたちも刺激したくない、となると、グリーンゴブリンしか選択肢がないのだった。

 

「フラッテ、ヤギオンナとイッショニキタ」

 

「山羊? ……ああ」

 

 ゴブリントリオとジャック、というよりも『桃色豚闘士団』の出会いは、初任務地である『地の谷』からの帰り道だった。

 

 ドワドノビッチを護送するにあたり、運搬役の山羊を狙ったゴブリントリオは、しりとり勝負等の紆余曲折の末、懲らしめられてしまった。

 

 その後、ひょんなことからジャックの仲間となるも、戦争を契機に決裂、直接戦うことはなかったが、敗戦を迎えて姿を消したのだった。

 

「トゥトアスノ、アタラシイチツジョノタメダッテ、オマエ、ゴブリンビームオシエタ」

 

「他の妖精たちにもか?」

 

「シラン」

 

 『ジャック』が、妖精たちの味方であることは疑いようがない。ジーニアスが云うように、かつての秩序の復古を目指しているなら、それは理にかなっている。

 

問題は、何故ジャックの姿であるか。そして、『リドリー』もだ。

 

「モウイイカ、サッサトカエリヤガレニンゲン」

 

「わーったよ」

 

 リンに恫喝され、ジャックは踵を返した。ここで考えていても仕方がないと思ったのもあるが、戦争によって生じてしまった断絶を改めて認識したからでもある。

 

 過去にはどうやったとて、戻ることはできない。

 



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宗教戦争?

 帰宅し、姉の料理を食べて寝入ったジャックを、早朝ノックの音が目覚めさせた。

 

「なんかパターン化してきたな……」

 

 独り言ちながらジャックがパジャマのままドアを開けると、そこにはミランダが立っていた。

 

「朝早くにすいません、ジャックさん」

 

「ん……どしたの?」

 

「大変なんです、来てくださいますか?」

 

 

 『龍』か『妖精』か、あるいはモンスターの襲撃を予想していたジャックであったが、連れてこられたのはエキドナ門付近の新興開発地で、特に混乱は見受けられなかった。

 

「神を信じるのです」

 

「「「神を信じる~」」」

 

 ホリィがエレフたちやヒッポらに、集会めいたことをさせているのを除けば。

 

「見てください、あれ」

 

「うん……なに?」

 

「わからないんですか? 新興宗教の勧誘ですよ」

 

「新興宗教……なのか、あいつの?」

 

「だってそうじゃないですか、『オラシオン』じゃない、怪しい教えを広めてるんですよ」

 

「ダメなの?」

 

「はあ⁉」

 

「いっ? ま、まあ無理やりやってるんなら……」

 

「あら、ジャック様」

 

 しずしずとホリィが二人の前にやってきた。

 

「おはようございます、ようやく神の慈愛にお目覚めになられたのですね」

 

「それはないけど……」

 

「ホリィさん、今すぐに止めてください」

 

「はて? 何をでしょうか?」

 

「違法な宗教勧誘をです!」

 

 熱心なミランダと比べて、ジャックはいまいち身が入らない。

 

 ホリィが異常人物であることは、しばらく一緒に行動した経験のあるジャックが一番よくわかっている。自身の宗教観を、その腕力で以て無理やり押して来る狂信者だ。そのせいで、一国がめちゃくちゃになっている。

 

 しかし、ラジアータにやって来てからは、カインの導きのおかげかそれなりに社会と折り合いを付けたのか、ジャックの知る限りは騒動を起こしていなかった。

 

 今目の前にいるエレフたちからも、無理やりやらされている感じはしない。

 

「オッサン、なんでまたお祈りなんかしてんだよ」

 

「色々手伝ってもらったんでな」

 

 実は、エレフは中々祭事や縁起担ぎにはこだわる方であった。大工仕事には欠かせない要素であり、『オラシオン教団』の信徒でこそないが、イセリア神、セレスタ神への奉納は、大仕事の前には忘れずにやっている。

 

 エキドナ門付近の新興住宅地の仕事でも、それは変わらない。しかし、今回、黒装束の怪しい少女が手を貸すと言ってきた。

 

 最初は邪険にしていたのだが、その怪力のおかげで仕事は飛躍的にはかどっていき、無視するのも忍びなくなってきた。

 

 礼を言うと、その少女、すなわちホリィは、報酬はいらないから神への祈りを一緒にやって欲しいと申し出たのだった。

 

 当然、怪しい宗教の勧誘かとエレフらは警戒した。しかし、ホリィはただただ、祈りを求めるのみであり、ついに彼らは折れたのだった。

 

 実際にやってみると、お祈りをするだけでいいし『オラシオン教団』のように寄進を求められるわけでもないしで、すっかり日課の一つになっていた。 

 



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宗教論争?

 

「う~ん……」

 

 ジャックは悩まざるを得ない。ホリィは明らかに異常者であるが、この件に関しては(一応)正当な手段で信徒(?)を得ている。

 

 また、ミランダは疑いなく善人だが、オラシオンの教えを絶対視しすぎるきらいがあった(フェルナンド派に大小あれど共通することでもある)。

 

オラシオン以外の宗教を認めない(られない)ことが、ホリィへの敵愾心へと変換されているのだ。

 

そして、厄介なのは(繰り返すが)、ホリィ自身は異常者であることだった。

 

「わかんねえ」

 

 ジャックとしては、そう言うしかなかった。流石に、『ラジアータ』の宗教関連の法律について詳しくはない。

 

「そんないい加減じゃダメですよ!」

 

 それがミランダを怒らせた。

 

「ジャックさんが連れて来た方でしょう」

 

「ええ……い、いや、連れて来てはないけど」

 

「神の教えがお嫌いですか?」

 

 にこやかにホリィがミランダに話しかけた。

 

「同じ信徒ではございませんか」

 

「一緒にしないでください! 私はセレスタ神とイセリア神を崇めてーー」

 

「私も、セレスタ神とイセリア神を尊んでおりますわ」

 

「嘘です、全然教義が違うじゃないですか……ジャックさん、逃げないで!」

 

「いっ?」

 

「おい、聖女さん、俺たちは仕事に戻っていいのか?」

 

「はい、お祈りは終わりましたよ」

 

「皆さんは騙されています! 『オラシオン』の教義こそが正しいんです!」

 

「俺いなきゃダメかな?」

 

 ミランダとホリィの言い合いは平行線を辿った。

 

 さすがに附き合いきれなくなったジャックが、やや強引にお開きにさせようとして、ますますミランダを焚きつけてしまった。

 

 教団から、姿の見えない彼女を探すようビシャスが送られてきた時、ジャックはこれで収まると安堵した。

 

 しかし、そこからが本番だった。

 

 本部まで連れていかれたホリィは、カインらと共に布教についての説法を聞かされることとなった。

 

 しかし、あくまで自身の宗教観を優先する彼女と、旧体制派のフェルナンドらは激しくぶつかることとなる。

 

「教えを曲解するでない!」

 

「神の御意思は一つです」

 

 意外にも、カインは仲裁に立たずに双方の主張を見守っていた。

旧体制派は、神の教えに忠実であろうとするあまり、ともすれば保守的、頑迷な傾向にあった。

 

 新体制派は、それ自体はカインにとって歓迎すべきものである。一つの思想を絶対としていては、組織は硬直し腐敗していく、相反する勢力は必須と言える。

 

 ただし、新体制派の旗手がアナスタシアなのは問題だった。その目的は自身の栄達と営利にあったからだ。そのため、ホリィの登場は、カインにとっては好都合でもあったのだ。

 

 前教皇エンジェラの手紙にも、その旨は書いてあった。カンフル剤というには刺激が強すぎるが……。

 

「うう……」

 

 そして、その場に何故かジャックも立たされていた。

 

 間違いなく信徒ではないし、宗教論争にも興味がないが、その場にいたため連れて来られてしまったのだ。

 

 帰ろうとするとアキレスに睨まれ、一日中付き合わされた末帰宅したところで、エアデールに無断外出を叱られ、散々な一日となった。

 



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会談

 『水龍』との戦いに各々が備えていたある日、珍しくジーニアスに呼ばれてジャックは城へと向かった。

 

「団長、クライブも」

 

「おはようございますジャックさん」

 

「んあ~」

 

 懐かしき『桃色豚闘士団』の一室で待つこと数刻、ジーニアスがやってきた。

 

「ヘレンシア砦へ行くぞ」

 

「待て、待て」

 

 ジャックが待ったをかけた。

 

「いきなりなんだよ、ちゃんと説明しろ」

 

「行きながら話す」

 

「いや、今話せよ」

 

「時間が惜しい」

 

「お前な……」

 

 これまた珍しいことに、ジーニアスは少々焦りながらジャックを見やった。

 

「オークの族長ジェイジェイ、ブラックゴブリン族長ブラッキーが、会談を申し込んできたんだ。これでわかるだろう」

 

 

 ヘレンシア砦は物々しい雰囲気に包まれていた。レナードが騎士たちに指示を飛ばし、滞れば怒声をあげる。何か一つでも間違えればその場で戦争となる、そのプレッシャーが彼をピリピリさせていた。

 

 すでにラークスは現地入りしている、部下らとやりとりをし、ひりつくような空気を醸し出していた。

 

 『桃色豚闘士団』の面々も、緊張を隠せない(クライブを除く)。ガンツとジャックは武器の手入れに余念がなく、ジーニアスは古い書物を手当たり次第に読み漁っていた。

 

 間もなく、ジェイジェイ、ブラッキーが現れるはずである。

 

「ミカエルから知らせがあった」

 

 ジーニアスからそう聞いたとき、ジャックは驚いた。断交しているはずのダークエルフの青年の名が出たからだ。

 

「族長たちが、人間と話し合いの場を設けたがっていると」

 

 『リドリー』はどうしている? 『ジャック』は? ダークエルフたちの前に彼らはどう現れた? 知ってることを全部教えて欲しい、舌先まで出かかった言葉を、ジャックは苦労して呑み込んだ。

 

 ジーニアスが、聞いていないわけがない。話さないということは、聞きだせなかったか、今はまだ伝えるべきではないということだろう。

 

「あいつらと話せるようになったのかよ?」

 

「いや、あくまで仲介のためだ、人間たちへの反感は消えてない」

 

 ジャックはミカエルのことを思った、本が好きで酒造りに精を出している少年。かつては、仲間として一緒に冒険の日々を送ったものだ。

 

「そっか……」

 

「いずれまた、交流ができるようになる。そのためにも、今回の会談を成功させるんだ」

 

「おう」

 

 

 人間側からの出席者は、ラークスと『桃色豚闘士団』の面々だった。本来ならラークスとジーニアスでよかったのだが、彼のたっての希望でジャックらも参加の運びとなった。

 

「レナード団長! オークらが現れました!」

 

「よし! みんな気合い入れていけよ!」

 

 レナードは、少々気合が入りすぎていた。弓隊や『ヴァレス』の魔砲部隊が後方に待機し、完全武装の騎士たちが控える。

 

 だが、ラークスは咎めなかった。オークとブラックゴブリンを相手にするのに、度が過ぎるということはない。

 

 程なく、森の中からオーク達とブラックゴブリンが現れた。

 

 ブラックゴブリンたちの中には、ジャックの顔見知りもちらほらいたが、流石に気安く挨拶を交わすような空気ではなかった。

 

 ひと際大きなオークが地響きを起こしながら前に出て、同じく巨体のブラックゴブリンが部下らに輿を運ばせながら出て来た。

 

 族長のジェイジェイ、ブラッキーである。

 



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停戦協定

「ニンゲンヨオ、話し合いニオウジテクレテ、感謝スルゾ」

 

「ココニハ、キノコガスクナイノオ」

 

 ジェイジェイは粗暴そうな外見に反して、理知的な瞳と話し方をしていたが、ブラッキーは一見して酔っぱらっているように顔を赤くしている。

 

「こちらこそ、私は、ラジアータ王国宰相のラークスと申します。

来度は、ジオラス王の代理として参りました」

 

「ワシャア、マワリクドイノハ得意ジャナイ。率直ニイカセテモラウゾ」

 

 緊張が走った。

 

「コタビノ争イカラ、双方テヲヒイテイママデドオリニクラソウ」

 

 静寂、そしてざわめきが広がる。

 

「手を引くというのは……相互に不干渉を貫くのですか?」

 

 ラークスは冷静ではあったが、声色に戸惑いが隠せない。

 

「ソウジャ、ワシャアラハ今マデドオリヒッソリクラス、ニンゲンタチハ、ホウッテオイテクレエ」

 

「それはいささか、虫の良い話ではありませんか? 戦争をしかけてきたのはそちらからと記憶しています」

 

「ドッチガサキカナンテノハ、些細ナコトヨ」

 

 ブラッキーが返した。

 

「ワシャアラハ、無駄ニチヲナガシトウナインジャ」

 

「私たちもそれには賛成します。ですが、あなたたちには龍がついている。いつでも私たちを容易に滅ぼせる存在が側にいるのに、信じろと?」

 

「ソレハオタガイサマジャ、ソッチニハモ龍ガオロウ」

 

 さしものラークスも、一瞬言葉を失った。

 

「何と?」

 

「スデニ龍ヲナンビキモクットルリュウガ、ノウ」

 

 ジェイジェイとブラッキーの視線が、自身に向いているのにジャックは気づいた。

 

「ニンゲンヲマモルリュウ、ジャックヨ」

 

「……は?」

 

「彼は龍ではありません、騎士団の一員です」

 

「ニンゲンヨオ、イマトゥトアスハ、アタラシイジダイヲムカエトル」

 

「妖精ニダケオッタシュゴシャガ、ニンゲンニモアラワレタダケノコトヨ」

 

「ジャック……彼が龍と言う根拠は? 確かに火龍や銀龍は人間の姿を持っていたが、本体は龍そのものだ。彼は人間に過ぎない」

 

 ラークスとジーニアスの言葉で、ジャックは沸騰しかけた血を鎮めた。龍と何かと縁深い彼だが、同一視されて愉快なはずはない。

 

「コレマデニナイ、龍ノスガタチュウコトダナ」

 

「カズデマサリ、好戦的デ龍マデオルニンゲントタタカエバ、カッテモワシャアラモタダジャスマン」

 

「故に、停戦を提案すると?」

 

「ソウイウコトジャ、ワシラノスミカヲオカサネバ、手出シハセン」

 

「ソレダケノ願イジャ」

 

「……受け入れるのに、条件があります」

 

「ナンジャ?」

 

「あなたたちの元にいる龍……それから少女の抹殺です」

 

 不穏なラークスの言葉に、ガンツらはもちろん、レナード達騎士にもざわめきが広がった。

 



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それぞれの道理

「無茶ヲイウノウ」

 

「そうでしょうか? そもそも、この戦争の原因はその二人によるところが大きい……妖精たちを先導する少女と、龍の姿に変じる力を持った鎧の人物……一体、彼らは何者なのです?」

 

 ラークスは、ジェイジェイとブラッキーを揺らぎなく見据えた。

 

「その正体、目的、あなたたちの持つ情報を全て提供していただきたい。人間と敵対する強大な力を有しながら、その謎を隠したまま融和を求めるのは不可能でしょう」

 

「ンン?」

 

「さらに、貴方たちの言う人間の守護者たちは、確かに大いなる力を有していますが、あくまで人間です。数十年でその力は衰え、命を終えてしまう。その時、抑止力を失った人間の前に、少女と龍が立ちはだかることになるのではありませんか?」

 

「ウヒャヒャヒャ」

 

 ブラッキーが愉快そうに笑った。

 

「ニンゲン、天晴ジャ。ワシャアハハンロンガデキン。ソウナッタラ、マチガイナク、ニンゲンヲホロボスジャロウナ」

 

「認めるのですか?」

 

「アア、マッタクミョウナジダイニイキテシモウタ。リュウヲホロボスチカラト、オノレガ死シタアトノコトマデカンガエヌク、ニンゲンガオル」

 

「誉め言葉と受け取っておきましょう……。それで、こちらの要求については?」

 

「少々ムズカシイノウ」

 

 ジェイジェイが答えた。

 

「最大で、最低限の譲歩がそれです。他に、王国としては求めるものはありません」

 

「ソレガ、ムズカシインジャ。ヨウセイニリュウヲ裏切レトイウトルンジャカラナ」

 

「新しい時代と平和を望むのであれば……、妥当と判断します」

 

 沈黙が場を支配した。

 

 ラークスの言い分は正しい、結局のところ妖精たちの手に龍がある以上、対等な立ち位置での平和はあり得ない。

 

 一方の妖精たちにとって、守護者たる龍は絶対的な存在だ。裏切りを考えることすら、許されぬほどに。

 

 妖精戦争からしばらくして、龍とは兵器なのだと、『ヴァレス』のジーニアスをリーダーとした研究集団がラークスに上奏したことがある。

 

 個々では人を上回る力を持つが、欲望の弱さと個体数の少なさ、種族による隔絶で人間と対して滅んでしまうと見越した『秩序』が遣わした、兵器。

 

 一個体で人間を滅ぼし得る力を持ち、傷ついても癒しの眠りにつけば蘇ることができる。オーブでの封印ですら、脅威を先送りにしているに過ぎない。

 

 ケアン、ジャックらが、龍殺しに成功したが、それは異例中の異例である。彼らをもってしても、龍を消滅させることは出来なかった。

 

 ジャックの持つオーブはいずれ、力を取戻し龍へと戻るはずなのである。

 

 確かに、人間が主役となる新たなる時代を迎えつつあるトゥトアスだが、妖精たちの出番が完全に消失したわけではない。

 



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会談の終り

 現に、『リドリー』と新たなる『龍』の出現により、これまで彼らは攻勢を強めていた。

 

 

 人間たちは、今は数と力で妖精を上回っているが、寿命という覆しようのない懸念を抱えている。

 

 妖精たちには時間と龍の復活という切り札があるが、現在の勢いのまま人間の攻勢を受ければ、その前に殲滅させられてしまう危険がある。

 

 何より問題なのは、互いの予測と準備が、金龍と銀龍を欠いたかつてない時代において、確固たるものではないことだった。

 

 龍がこのまま復活しなかったら?

 

 あるいは時間を経ずに復活したら?

 

 未来を見れば、無限の手を打ち続けねばならなくなる。

 

 故に、ラークスが今最優先に対処すべきなのは、その正体が憶測でしか語れない『リドリー』と『龍』の危険を排除することだ。

 

「私たちは、貴方たちの少女たちの正体を、トゥトアスの秩序を修正すべく遣わされた、金銀の龍の代替ではと推測しています……。これについては?」

 

 族長たちは答えなかった。答えられなかったというのが正しい。

実のところ、彼らも『リドリー』らの正体を見定めてはいなかったのだ。

 

 かつて金龍の器となり、妖精の味方となった人間の少女が、再びその姿を現した。そばには黒い鎧の男、龍殺しとして知らぬ者はないジャックと名乗る存在がおり、力を与え、かつその身を『龍』へと変じた。

 

 多くの妖精は、救世主が神から遣わされたのだと信じた。龍を失い、ザインら指導者を失った彼らには、すがる以外の選択肢がなかったのだ。

 

 彼らは妖精の味方だった、ただ、その正体を黙して語らず、真意も掴み損ねている。

 

 戦争において傍観者の立場をとっていた両族長も、『龍』の度重なる敗北、ドワーフ、グリーンゴブリンの戦線離脱を受け、悠長な姿勢ではいられなくなった。今や、妖精たちの指導者は彼らをおいてはいないからだ。

 

もし、少女と『龍』が敗北した場合、妖精たちへの徹底した掃討が今度こそ実施され、オークもブラックゴブリンも否応なく幕こまれる。

 

それを回避せんがための、今回の交渉であった。

 

 だが、彼らには、一連の戦争のきっかけであり、ラークスらの危惧の大元でもある『リドリー』らの身柄はおろか、所在すら掌握できていない。

 

 二人は代表者でありながら、何らの情報も権限もなく、なし崩し的に矢面に立たされていたのだ。とはいえ、これには彼らの消極的姿勢も一因としてあり、今さらそれを言っても始まらなかった。

 

「繰り返します、少女と龍の抹殺、それが無理であれば無力化を

示していただきたい。そうすれば、武力衝突は避けられます。不干渉を望むのであれば、応じましょう」

 

「……妖精ノ都合バカリフリカザスワケニハ、イカンカ……」

 

「サテサテ、ドウシタモノカノウ」

 

 族長たちは、腰をあげた。

 

 それを合図に、妖精たちも引き上げを始めた。ラークスも突然の離席を咎めず、去るがままに任せたため、会談はここで終わり

となった。

 

 

 後日、一般に『降りて』きたこの会談の顛末を聞いた、『ヴァレス』のディミトリは、自身の著書にこう記している。

 

「和平の提案は喜ばしいことであるが、エルフやドワーフでなく、粗暴で知られるオークと謎に満ちたブラックゴブリンからそれがもたらされたことは、実に皮肉なことと言えよう」

 



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渦中のジャック

 思いがけない和平の提案に関して、ラジアータ王国の重臣たちの間で意見が割れた。和平を前提にして今後の行動を決するか、あくまで対決姿勢を崩さないか。

 

 騎士たちの間では、後者の意見を支持する声が大きい。蘇った『龍』をことごとく撃破してきており、残りも殲滅し得ると。これは、対『龍』と妖精の最前線にいる彼らが受けた被害への憎悪の感情も大きい。

 

 一方、それを束ねるラークスは、和平に前向きな姿勢を見せていた。ジーニアスらと折衝を重ね、これを契機にエルフやドワーフらとも和平を結べれば最上である。

 

 これを受け、一部騎士たちの間で不満の声が挙がり、ナツメとレナードはそれを抑えるのに奔走させられることになる。両者とも好戦的な性格ではないが、やはり『龍』や妖精への反感は持っているのだ。

 

 和平へ賛同する側にしても、『リドリー』たちは懸念材料であり、その処遇について妖精らが明言しなかったことは疑惑を生んでいた。

 

 この会談自体が時間稼ぎであり、その隙に戦争の準備を進めているのではないかと。

 

 とかく、敵首魁の情報が不足していた。諜報部だけでなく『ヴォイド』の構成員を総動員しているが、彼女たちの行方は依然として知れなかった。

 

 会談終了後、ラークスは今後の方針を決定するまでは、各自戦闘が起こり得る前提で準備を進めるように通達した。

 

 騎士たちは訓練と見張りに励み、各ギルドもそれぞれに行動を開始した。

 

 

 さて、いずれの道へ進むにしても無視しえない存在、今や人間側の武力の象徴たる『龍殺し』のジャックは、この激動の世相の中、リドリーの墓の側で寝転がり、ぼうっと空を見上げていた。

 

 近頃は、家を出て夜までここで過ごしている。鍛錬を欠かしはしないが、任務を受けるでもなく、冒険に出るでもない。

 

「龍かあ……」

 

 彼をとらえているのは、ジェイジェイとブラッキーが発した『人間を守護する龍』という一節である。

 

 落ち着いて考えてみれば、なんということはなかった。ジャックは龍ではない、『龍殺し』の異名の通り、むしろその対極にある存在だった。

 

ギル、ザイン、ガルヴァドスら妖精の強者たちを倒し、世界の秩序を司る銀龍すら滅ぼした。戦争以降、一貫して彼は、人間の味方で妖精の敵であり続けた。

 

だが、何も思わぬわけではない。楽天家、バカ、考え無し、足癖の悪いヤツ、無神経、無駄に元気、彼を評する言葉は数多いが、

ジャックも悩み、苦しむことがあるのだ。

 

 それは、今は亡き友の姿を重ねているようにも見えた。彼女は悩み、苦しみ、そして若き命を散らした。

 



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父と息子

「こんにちはジャックさん」

 

「あ、団長」

 

 ガンツの丸顔が、ジャックの見上げる風景に入って来た。

 

「ジャックさんもお墓参りですか?」

 

「あ、いや……」

 

 リドリーの墓へ備える花を持っているガンツを見ると、ジャックはバツが悪かった。足はここへ向くものの、肝心の土産を持ってきていない。

 

「いやはや、最近は色々ありすぎますよね、私も少し息抜きをしようと思いまして」

 

 そう言いながら、瓶を取り出した。流石に酒ではなく、果実ジュースである。2つのコップに注ぐと、1つをジャックへ勧める。

 

 二人を爽やかな風が包んだ。しばし、言葉もなくコップを口へ運ぶ。

 

「ジャックさん」

 

「はい」

 

「私、近頃ようやく父上のことがわかってきたような気がします」

 

 ガウェインの名を出され、ジャックは思わず身を固くする。彼を討ったのは自分であるが、父ケアンを暗殺した仇でもあるからだ。

 

 もっとも、刃を交えた後で、以前と同じようにその風評を信じ切ることはできなかったが。

 

「いえいえ、ジャックさんが気にすることはないんです。父上にも相応の理由がありましたが、何ら釈明もしなかったのですから」

 

 ジャックは答えられなかった。

 

「ジャックさん、父上も、ケアン殿も、そしてザイン殿たちも、

そしてリドリーさんも、秩序に囚われていたんじゃないでしょうか」

 

「秩序?」

 

「トゥトアスの秩序、妖精の秩序、人の秩序、騎士の秩序、金龍としての秩序。それぞれがそれぞれの正義にのっとって、行動を起こしました」

 

 ガンツは一気にコップの中身を飲み干した。

 

「その結果、皆が幸福でない最期を遂げてしまいましたそうせざるを得なかったんです。何千年も続く秩序をそう簡単に変えられるものではないでしょうから。私がお酒を辞められないのと一緒で」

 

「いや、それとこれとは違う気がしますけど……」

 

「だから、ジャックさん。今度こそ、秩序を全部取っ払ってしまおうじゃないですか。簡単じゃないでしょう、新しい悲劇も生まれるでしょう。でも、やってみる価値はありますよ」

 

 どうやら、ガンツなりにジャックを励まそうとしているらしかった。恐らく、ジーニアスらの受け売りだろうが。

 

「……ありがとうございます、団長」

 

「いえいえ」

 

 彼らの父であるケアンとガウェインは、無二の親友であった。

 

 ジャックとガンツの間には、年齢や地位といった隔てるものがあり、父たちのような仲とはいかない。

 

 だが、確かな信頼と尊敬があった。もし、二人の父がこの光景を見ていたら、喜ばしく思っただろう。

 



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異邦人たちの日常

 ラジアータ最強の剣士は誰か? 多くはジャックだと答えるだろう。だが、こと剣術に限っては彼と同等、あるいは上回るだろう人物が一人だけいる。

 

 『テアトル・ヴァンクール』の大隊長、エルウェンその人である。

 

 甲冑に身を包んだ女傑で、古の英雄アルフレッドの武器であった聖剣『アヴクール』を使いこなす。その実力はラークスですら一目置いており、度々騎士団の指南に招かれる程だった。

 

 来歴や年齢、容姿を含め謎の多い人物であるが、厳しくも公明正大であることから信望を集めている。ジェラルドが彼女には絶対的な信頼と忠誠を誓っている点でも、その器量が伺える。

 

 かつてジャックはエルウェンと戦い勝利したが、それですら紙一重の結果であった。調子に乗りやすい彼でも、今も尚確実に勝てるかはわからないと断言するほどだった。

 

 それ故に、腕に覚えのあるものにとって、彼女に勝利することは無上の栄誉であった。ただし、未だかつて。ジャック以外にそれを達成した者はおらず、生半可な腕では挑戦すら許されない。

 

 『テアトル』では、グレゴリー、ガレスら数名の上級戦士が手合わせを達成したが、数手打ち合うのがやっとだった。

 

「はあっ!」

 

 よって、短期間で挑戦を認められたナギサの腕は確かなものだと、太鼓判を押されたようなものだった。この日も、屋上で彼女はエルウェンと剣を交えていた。

 

「くああっ!」

 

 ジャックをして、シーザーと同格と評した剣技は、訓練する姿を見ていたガレス、デニスはもちろん、血気盛んなデイヴィッドですら数段上だと認める程であった。

 

 鋭く、重く、速い。

 

「はっ!」

 

「ああっ⁉」

 

 だが、大隊長の『敵』たり得なかった。剣圧で押し倒され、立ち上がろうとしたところへ切っ先を向けられ、勝負はついた。

 

「今日の分は終わりです」

 

「くっ……!」

 

 エルウェンが静かに告げた。『戦士ギルド』の長として多忙を極める彼女であったが、後進の育成には余念がない。

 

「手合わせ……感謝する」

 

 ナギサは姿勢を正して、頭を下げた。言葉遣いはともかく、礼節はわきまえている。

 

「鍛錬を怠らない事です、あなたなら、遠からずひとかどの剣士になれるでしょう」

 

 こと剣技に関しては、エルウェンは嘘や世辞を言いはしない。ナギサの実力と才能は確かなのだろう。

 

 だが、ナギサには屈辱であった。

 

 

「あら、お帰りなさい」

 

「ああ、戻った……。バーベナ殿」

 

 寝床としている『剣と銀貨亭』に戻った彼女は、女主人のバーベナに不愛想に挨拶すると部屋に引っ込んだ。

 

 普通の感覚なら不快の念を抱かせずにいられない行為だが、先人たるジーンがそれに輪をかけた不愛想であったため、バーベナは在りし日の息子を思い出し、懐かしさすら感じていた。

 

 鎧を脱いでベッドに横になると、ナギサの自問が始まった。一体、自分は何をしているのだろうか?

 



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水龍ケルビン①

 異国の地で、戦士ギルドなるものに加入して、任務と龍や妖精との戦いに明け暮れる。数カ月前の彼女なら想像もし得なかったことだ。

 

 最初はただ、自分に土をつけたジャックに雪辱を果たすためにこの地へやって来たのだ。それがあれよあれよと、戦争に巻き込まれている。

 

 強要されているわけではない。投げ出さないのは、生来の気真面目さと、ジャックへの複雑な思いからだ。

 

 ただ強いだけでない、あの少年はーー

 

「!」

 

 ノック音が少女を思考の迷路から引き戻した。戸を開けてみると、そこにはジーンが立っていた。

 

「……」

 

「……」

 

 たっぷりと沈黙が訪れた。社交的でない娘と、ラジアータ一の無口と称される戦士。どちらが話を切り出すか、見えざる戦いが繰り広げられている。

 

「……『龍』が出たそうだ」

 

 軍配はナギサに上がった。

 

 

 『水龍』現る! そのニュースはまたたく間にラジアータを駆け巡り、人々の不安と期待をあおった。今度もジャックが何とかしてくれる、いや、龍は手強く彼でもわからない、実は龍はまだ残っている、様々な言葉が交わされた。

 

 騎士団は慌しく動き出した。将軍ナツメは迅速かつ的確に指示を下していったが、その顔から不機嫌がはがれることはなかった。

 

「『桃色豚闘士団』を除く騎士たちは、本国の防衛にあたります」

 

 開口一番、ラークスにそう宣告されたからだ。

 

 斥候と『ヴォイド』からの報告を精査すると、『水龍』がオークの拠点ボルゴンディアーゾに出現すると同時に、オークとブラックゴブリン、エルフたちの連合軍がラジアータへの進軍を開始したことが判明した。

 

 前回の『地龍』とドワーフ、ゴブリンらの侵攻と似た状況である。異なる点は、『龍』が動く気配を見せていないところだ。

 

 誘っている。ラークスはそう推測した。

 

 人間側の最強戦力にして、その士気を高めているジャックを誘い出すのが目的だ。もし、彼が倒れれば戦力も士気も底をついてしまい、なすすべなく人間は敗れてしまうだろう。

 

 そして、妖精たちには『水龍』にはそれが可能だという自信がある。

 

 当初、ラークスはジャックたちを中心に、妖精たちを迎撃し、孤立した『水龍』を後日撃破する策を考えた。

 

 ただ、これは『水龍』が不動であることが条件だ。妖精たちを迎撃して疲労困憊のところを襲われては、さすがのジャックも危いだろう。

 

 かといって、王国を手薄にするわけにもいかない。数では劣っていても、腕力に秀でたオークに背水の陣で挑む他の妖精らは、軽んじられる相手ではなかったからだ。

 

 結果、彼は騎士団を防衛に、『桃色豚闘士団』他少数精鋭で『水龍』討伐へ向かわせることを決定した。

 



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水龍ケルビン②

 その決定は、少なからず騎士たちの間に不満を募らせた。

 

 『龍殺し』の栄光は、誰もが欲する宝物である。当然、龍と戦わねば得る機会は訪れない。

 

最も、宝物を望む多くはその機会が訪れたとたんに塵と化す凡愚であったが。

 

 ラークスの言い分としては、騎士たちの中で、どうにか龍とやり合えるのはナツメやレナードといったごく一部である。

 

認めるのはしゃくだったが、ケアンらの世代から騎士の質は低下する一方だった。わざわざ龍の犠牲者を出すよりも、防衛任務に回した方がいい。

 

 『桃色豚闘士団』が龍討伐の本丸となった。反発するものたちも、本物の『龍殺し』を出されては沈黙を余儀なくされた。

 

 よってーー

 

「団長、お客さんだべ」

 

「ああ、もう。討伐隊に参加希望の方なら、ただいま選考中のた 

 めお答えできませんと言ってください」

 

「おい、どうにかならないのか。これじゃ集中できん」

 

「俺だって参ってるよ」

 

 『桃色豚闘士団』には、どうにか龍討伐に同行させてくれとの申し出が引きも切らなかった。

 

 騎士たちはもちろん、貴族や重臣の関係者、各ギルドからもだ。

 

 討伐隊の選考、戦術を練っていたジャックたちは、途絶えない訪問者に閉口させられていた。

 

「なんでまた急に……」

 

「最後の機会だからだろう。銀龍と金龍については、外にはあまり漏れていないからな」

 

 正直、ジャックは同行希望者達に舌打ちの一つもしてやりたい気分だった。

 

龍によって、直接的間接的問わず何人が命を刈り取られただろうか。しかも、つい先日は『地龍』との戦いが王国のすぐそばで起こっている。

 

死者は奇跡的に出なかったとはいえ、あの強大な力を目の当たりにしてなお、功名心に駆られる気持ちが理解できない。

 

「仕方ありませんよジャックさん、あの戦争に参加していない騎士や貴族の方も増えてますから。平和で望ましい事なんですけどね」

 

「わかってますけど……」

 

「幸い、ラークス様から全面的な権限をいただいてますから、それでよしとしようじゃありませんか」

 

「うっす」

 

「『水龍』も厄介だが、ジェイジェイとブラッキーも油断できんぞ」

 

「やはり、族長さんたちも参戦すると?」

 

「龍は妖精にとって絶対の守護者だ。彼ら個人が内心で争いを避けたがっても、周囲がそれを許さない」

 

 この青年には珍しいことに、ジーニアスは苦々し気に吐いて捨てた。

 

「もう少し時間があれば和平も成り立つと思うんだが……ラークス卿も、周囲の突き上げを無視できないようだ」

 

 当初、ラークスは『地龍』の襲撃から間もない事、和平の提案があったことを理由に、即時の軍事行動を回避しようとしていた。

 

 政治と軍事の頂点に位置しながら、その指針は皮肉にもかつての政敵ジャスネと同じ方向を指しているのだ。

 

 だが、思わぬ方向から矢が飛んできた。唯一の上役とも言える、国王ジオラス8世からだった。

 



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水龍ケルビン③

「龍が出た以上、静観するわけにもいくまい」

 

「ですが国王、和平が成立すれば今後の対妖精政策にも有益と判断します」

 

「だが、オークとブラックゴブリンがドワーフのようにゆくか?」

 

 ジオラスは決して暗愚ではない。己より有能な臣下に自由に討議をさせ、自身は最終的な判断を下す決定役の立場を貫くことこそが王国の利益を生むと理解し、実行して来た。

 

 ラークスらも、王を尊重し臣下の域を出ず、ラジアータの国政は至極風通し良く回っていた。

 

 その歯車が、ここにきて狂いを見せたのだ。

 

「彼らの申し出が嘘だとお考えで?」

 

「そうは申しておらぬが、軍備を整えているとの報告もある。龍が出現したことは、妖精と人間双方に大きな意味を持とう。和平を望むならば、何かしらの接触があるべきではないか?」

 

 王の意見は正しい、だが、その発祥が問題であった。それは、貴族らが意図的に広めたものだからだ。

 

 ケアン、そしてジャック(クロスがここに入れるかは未だに決着を見ていない)ら『龍殺し』が、絶対的な龍を倒したことは人々に希望を与えた。

 

 だが、それでもなお、龍は強大な存在であった。現に、龍によって与えられた人的被害は甚大に過ぎる。妖精との戦争で人間たちが負った傷は、決して浅くはない。

 

 その傷は、憎悪と怒りと、恐怖を残した。龍の復活と妖精の再侵攻は、戦争の記憶覚めやらぬ人々の間に傷を思い出させた。

 

 今度こそ、妖精を、龍を、滅ぼさねばならぬ。でなければ王国はおろか、人間が滅ぼされてしまう。和平に前向きであった者らも、龍の出現を受けてはその姿勢を維持しえない。

 

 恐怖が人々を突き動かし、無意識に、あるいは意図的に王へその思想を植え付けた。それに揺らぐ王ではないが、多数の意志がそれを望んでいると言う事は脳裏に記憶される。

 

 ラークスにも、王の決定が貴族らの意志誘導の結果ではないとわかっている。だが、貴族らはそうは思わないだろう。

 

多数で植え込めば、王の意志は操作できると、必ず思い上がる。そうなれば今後の国政に必ず悪影響を及ぼす。

 

故に、今回ばかりは異様なほどの粘り強さで、ラークスは決定を覆そうとしたのだが、王の決意は変わらなかった。

 

 かくして、やや性急で強引な軍事行動と派兵が決定した。

 

 『水龍』討伐隊を『桃色豚闘士団』に任せたのは、実力以外にもそうした政治上の束縛を受けないようにとの狙いがあり、功を狙う貴族らへの抵抗でもあった。

 

「色々面倒っすね」

 

「ラークス様もお辛い立場です、せめて我々で少しでも負担を減らせるといいのですが」

 

「んあ~、よくわからんべ」

 

「『水龍』に集中すればいいんだ」

 

 『桃色豚闘士団』の会議は、翌朝になるまで続いた。

 



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水龍ケルビン④

 『水龍』討伐隊の選出が終わり、ラークスの認可をもって各ギルドへ通達が成された。

 

 最強の剣士エルウェン、斬鉄のジェラルド、教皇カイン、モンクマスターアキレス、副学長カーティス、レオナ、影走のノクターン、ニュクスの懐刀ソナタ、後方治療担当としてブルース、ファラウス、フローラ、ミランダ。そして、ナギサ、ヴァージニア、ホリィの異邦人3人娘。

 

 これを、『桃色豚闘士団』が統率する。

 

 人員的にはいずれも一線級の者ばかりだが、少数すぎるのではとの声もあった。最後の『龍』ともなれば、総力をあげて挑むべきだと、特に武功を狙う者たちからのものが大きかった。

 

 実際、ジャックにもまだまだ同行を求めたい実力者が多くいた。アリシア、シーザー、フェルナンドやゴドウィン、ロッコ、イリス等々。

 

 だが、王国の守備兵力も残さねばならない。『水龍』に注力しすぎてラジアータが陥落してしまっては本末転倒、それらを考慮しての人選であった。

 

 

 決戦に向けての準備が各所で進められた。ジャックも多忙を極めたが、できるだけ姉の待つ我が家へは帰るようにしていた。

 

世間の喧騒と、エアデールは隔絶しているように見えた。家事をこなし、時折外へ出てはジャックの関係者にあいさつ回りをする。

 

「良いお姉さんを持ちましたね」

 

 とは、エルウェンの評である。

 

 実際、エアデールは常にジャックにとって頭の上がらない姉であり続けた。

 

 姉と食卓を囲み、作法や礼儀についてたしなめられる時だけが、唯一不変のものに彼には思えた。

 

 

 そして、ついに時が来た。

 

「武運を祈ります」

 

「はっ!」

 

 妖精の大軍団がヘレンシア砦の目と鼻の先にまで到達したのだ。ラークスは騎士とギルド構成員らの連合軍を派兵し、『桃色豚闘士団』へも出兵を命じた。

 

 王国防衛軍、ヘレンシア砦防衛隊、『桃色豚闘士団』がそれぞれの責務を果たすべく、戦いへと赴くのだった。

 

 

 『桃色豚闘士団』は妖精らとの接触を避けるため、本道をそれて一路『ボルゴンディア―ゾ』を目指した。

 

元々、妖精軍の進路が反対方向にあったためか、ドワーフらの姿もなく、モンスターを除いて敵と遭遇はしなかった。

 

 ドヴァ地方、オーチョ地方を通過し、ディズヌフ地方に至った時点で、いったん休憩を挟むこととなった。この周辺はほとんど人が立ち入ったことがなく、地理に不明瞭な点が多いためだ。

 

「ラジアータは大丈夫でしょうか?」

 

「心配はいらないよ、ナツメとオッサンたちがいるんだから」

 

 不安げなフローラを、ジャックは励ました。大なり小なり、皆が本国の防衛に不安を抱いている。何しろ祖国であり我が家のある地であり、無理からぬことだった。

 



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水龍ケルビン⑤

 ジャックとてその想いはあったが、ナツメやレナード、他の戦士たちは確かな実力を持っている。水龍討伐隊に彼らを選ばなかったからといって、脆弱では決してない。本国防衛任務を十分叶え得る者たちだ。

 

「俺たちは、『水龍』に集中しよう」

 

「はい」

 

 フローラは少し安心したようだった。

 

「ジャック、『水龍』とやらは水と冷気を操るのだな?」

 

 今度はナギサが問いかけて来た。

 

「うん」

 

「加えて、他の龍と同じく異能を宿しているそうじゃな」

 

「だろうな……」

 

 『火龍』は鎧や剣を易々融解させる青い炎を、『風龍』は岩も砕く暴風と雷を、『地龍』は巨大化と硬化。『水龍』は例外と見るのは楽観が過ぎる。

 

「正直、何をして来るかわからない」

 

 ジーニアスが説明を継いだ。

 

「研究する時間が欲しかったが、そうもいかなかったな」

 

「ま、このジャック様に任せろってこった」

 

「調子に乗るんじゃねえ」

 

「あたっ?」

 

 ジェラルドがジャックにげんこつを落とした。

 

「いいか、オメエは騎士様だが、『アハト』の隊長、大隊長の部下でもあんだ。大隊長と『テアトル』に泥を塗るんじゃねえぞ」

 

「なんだよ、皆を勇気づけようとしたのにさ」

 

 思わず、フローラとミランダが笑った。

 

「ジェラルド、その辺にしておきなさい」

 

「あ、すいません」

 

「意気込んでんじゃねえかジェラルド、でけえトカゲ退治にビビってんのか?」

 

「なんだと」

 

「ノクターン」

 

「へへ、ちょっとした冗談でさあ」

 

 『テアトル』出奔から長い時を裏社会で過ごしてきたノクターンだが、エルウェンへの畏敬の念は微塵も揺らがず早々に舌を引っ込めた。

 

 

 休憩を切り上げ、一行は再びボルゴンディアーゾを目指す。今度はモンスターの姿も見えず、とうとうオークの本拠地が目の前に広がった。

 

「あんまり長居したいとこじゃなさそうだね」

 

 ヴァージニアの言葉は全員の賛成を得るものだった。禍々しささえ感じる巨大な山洞は、ところどころに得体の知れないスライム状のものがぶよついていた。

 

 なにより、足を踏み入れる前から感じるすさまじい殺気は、否が応でも『水龍』の姿を想像させた。

 

「待ち構えているようですね……」

 

 震えを起していないのは流石であったが、ブルースが斧を握る手は必要以上に強かった。

 

「ジーニアス様、妖精の族長様たちもいらっしゃるのですね?」

 

「ああ、『水龍』はオークの守護神、少なくともジェイジェイは傍にいるはずだ」

 

「もう一人の、ブラッキーさんもでしょうか?」

 

「わからない、ブラックゴブリンは他の種族とほとんど交流がなくて、どう動くのか」

 

 ジャックが知るブラックゴブリンは、キノコの胞子にどっぷりつかったエキセントリックな者たちだった。一度会ったとはいえ、族長たるブラッキーの行動までは予測できない。

 

「ここに至っては進むしかあるまい」

 

 アキレスが宣言した。

 

「同意」

 

 短くソナタが賛同した。確かに、躊躇していたとて事態は好転せず退却は論外だ。

 

『桃色豚闘士団』の任務は、『水龍』の討伐にある。

 



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水龍ケルビン⑥

 ボルゴンディアーゾの内部は不気味に静まり返っていた。予想されたオークやゴブリンらの姿も、モンスターの姿もない。

 

「罠であろうな」

 

「こ、怖くない、怖くない……」

 

 カーティス、レオナ、ファラウスが魔砲による索敵を行った。それぞれ得手とする魔砲と別に、基礎的な魔法を扱える。

 

「奥の方にとてつもない力の反応があります」

 

「『龍』だろうな、より詳細な情報は?」

 

「力が強すぎてわからないの……ごめんなさい」

 

「いえいえレオナさん、貴重な情報をありがとうございます。さて、どうしましょうか?」

 

「俺がいっちょ行ってきますよ」

 

 ジャックが手をあげた。

 

「ならぼくも、ジャックくんよりも斥候は得意だよ」

 

「私も赴く」

 

 ヴァージニアとソナタが名乗りをあげた。オルトロスから、多少なりとも『点数稼ぎ』をするように言いつけられているからだ。

ジャックとしても断る理由はなく、先行して偵察に向った。

 

 

 結論から言ってしまうと、『敵』はあっけなく見つかった。

 

 ジェイジェイとブラッキーが、大きな横穴の前に鎮座していたのだ。恐らくその先に、『水龍』がいるのだろう。

 

「ああも堂々とされてるとやりにくいよね」

 

「戻ってみんなとどうするか話そう」

 

 ジーニアスなら、あるいは説得できるかもしれない。そう考えたジャックだったが、甘い目論みへの後悔はすぐにやってきた。

 

「敵襲なり」

 

 ソナタがかぎ爪を構えるのとほとんど同時に、狼たちがジャックを襲った。

 

 グラムを抜き放ちながらジャックは思い切り舌打ちした。ブラックゴブリンは、ウルフライダーを始めとして狼との交流が深い。

 

 族長のブラッキーが狼を操れると予想していなかった、己を恥じた。

 

「おりゃっ!」

 

 幸い、狼たちはジャックの敵ではなかった。だが、物音を聞きつけた妖精たちが迫って来る。

 

「団長たちのとこまで戻るぞ!」

 

 そのまま戦っても勝てたかもしれない。だが、ジャックは自分よりもヴァージニアとソナタが怪我を負う危険を避けたのだった。

 

 

「団長~! 見つかっちゃいました!」

 

「なんとっ!」

 

「あちゃ~、まずいだなあ」

 

 この三人にかかっては、どんな深刻な事態もつまみ食いをしようとして見つかったかのような暢気さになってしまう。かつてはここに、もう一人少女の姿があったのだが。

 

「つーわけで、じーさんたち頼んだ!」

 

「年寄りをこき使いおって」

 

「が、頑張ります」

 

「荒事は得意じゃないですが、全力を尽くしましょう」

 

 ジャックたちを追跡してきたオークとブラックゴブリンたちに、『ヴァレス』自慢の魔砲が叩きつけられた。

 

 カーティスの着弾すると爆発を起こす火球、レオナのルーンを用いた光線、ファラウスの氷の矢。予想だにしなかった奇襲を受けて妖精たちは大きく戦列を乱した。

 



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水龍ケルビン⑦

 だが、トゥトアス随一の凶暴性と腕力は伊達ではない。オークらは巨大な岩石を易々と持ち上げて、こちらへ投げつけて来た。

 

「散らばって逃げるんだ!」

 

 レオナを脇に抱えてジャックは叫んだ。さながら隕石群のような岩落としには、逃げの一手を取るしかなかった。

 

「まずはオークを倒すぞ! このままじゃ全滅だ!」

 

「言われんでもわかってる!」

 

 一喝しつつ、ジェラルドがオークを斬り捨てた。負けじとノクターンが、そしてアキレスたちがオークへ向かっていく。さすがに実力者揃いであるだけあって、頑強なオーク達と対しても引いていない。

 

 レオナを後方組に任せてジャックも突撃し、形勢を立て直した『桃色豚闘士団』は優位に立ったかに見えた。

 

「ぐおっ⁉」

 

「ぺっ、なんだこりゃ⁉」

 

 だが、思わぬ伏兵が潜んでいた。ブラックゴブリンたちが投げつけて来た飛び道具、キノコパウダーである。

 

 毒キノコの胞子をまとめたそれは、着弾すると胞子を撒き散らして時として対象を毒とする。それ単体で命にかかわるというものではないが、胞子で器官をやられ、毒となれば徐々に生命を削られてしまう。

 

「ブルース! フローラ! 治療してくれ!」

 

「は、はい」

 

「くそっ」

 

「ざまあねえ」

 

 ジェラルドらは治療のため一時前線を退いた。代わって、あらゆる状態異常を克服しているエルウェン、カイン、ラークスが前に出たが、キノコパウダーにより視界と器官をやられて本来の実力が発揮できなかった。

 

 毒とならずとも、粘膜や器官に胞子が入っては戦闘ができなくなる。生物である以上、克服できぬ弱点だ。

 

「だったらこっちも飛び道具だ! じいさんやっちゃって!」

 

「言われずとも!」

 

 カーティスが妖精たちに魔砲エクスプロージョンを放った。

 

「待て! それはー」

 

 ジーニアスの警告も空しく、着弾した魔砲は充満していた胞子に引火して、粉塵爆発を起こした。

 

「ひゃ~!」

 

「あちちっ! あついですよ~!」

 

「ぬおおっ、すまん! 不覚じゃ!」

 

「そいつの頭の出来を考えてください!」

 

「俺の事がコンチクショー!」

 

 のしかかろうとするオークをアービトレイダーで切り伏せながらジャックは立上った。

 

 仲間は散り散りになっているが、妖精たちも混乱の中にある。もう一度集結して陣形をー

 

「うお!」

 

 ジャックは飛んできた『それ』を反射的に切り落とした際に生じた隙に、オークに殴られ吹き飛ばされてしまった。

 

「ジャックさん!」

 

「って~……」

 

 ブルースに抱き起されながら頭を振る。先ほど飛んできたものは何か? 岩にしては感触がおかしかった。

 

「ジャック様、治療を」

 

「待って」

 

 戦況を把握するのが先だ。洞窟内で気流がなく、煙が晴れずに個々を確認しずらい。荒事に慣れていないフローラたちを優先して助け出さねば。

 

「コウナッチマッタカア」

 

「! ジェイジェイ……」

 

 ひと際大きな影が姿を現した。オークの族長、ジェイジェイである。

 

「ニンゲンヨオ、ウマクイカンモンダナア」

 

「俺は……あんたたたちと戦いに来たんじゃない。『水龍』と戦いに来たんだ」

 

「ダカラ、ワシャアラガキタンジャ。ケルビンサマヲマモラニャナラン」

 

 そこに潜む皮肉にジャックが気づくことはなかった。

 

 守護神である龍を、妖精が守らんとしている。それは、『龍殺し』と呼ばれる人間の『龍』にかかっては、龍すら危ういと妖精たちが思っていることの現れだった。

 

 さらに、この『龍』は絶対の守護者と言って良いかわからない。よりによってその『龍殺し』と同じ姿をした鎧の戦士が変化したものだ。

 

 何もかもが不確かな中にあっても、ジェイジェイは己が責務を果たせねばならない。結局彼は、妖精の一員なのだから。

 



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水龍ケルビン⑧

「みなさん! ご無事ですか! 私ガンツとクライブさん、ジーニアスさんにフローラさんは無事です!」

 

「ジェラルドだ! 大隊長と教皇、アキレスと一緒にいる、『ヴォイド』の連中程ヤワじゃねえからな!」

 

「ヤワな『ヴォイド』様はかすり傷ひとつねえぜ! 『ヴァレス』の連中もここにいる!」

 

「おおっ、ジャックだ、ジャックが見える! 儂はジャックの近くにおる、ブルースとホリィも見えるぞ!」

 

 声を聴き分ける限り、ソナタとヴァージニアの所在が確認できない。だが、この曲者二人の事、何かしら意図があるのだろう。

 

「みんな、俺は今ジェイジェイと向かい合ってる……悪いけど、

集中させてもらうぜ」

 

 かつて対峙したガルヴァドスに勝るとも劣らない迫力だった。どれだけ人間が鍛えようとも到達できない巨躯と筋力、妖精族オークにのみ許された力が伝わって来る。

 

「ジェイジェイ⁉ 待てジャック、僕が行く!」

 

「ジーニアスさん、不用意に動いては……うひゃっ⁉」

 

「気いつけろ! オークとゴブリンどもは健在だぞ!」

 

 あちこちで、健在の妖精たちと面々の戦いが始まっていた。

 

「引けねえんだよな」

 

「アア」

 

 一瞬、ジャックは不可思議な幻視に襲われた。人間と妖精との戦争の様子、しかし、何かが違う。

 

 ジャックは『人間と戦っていた』。

 

 妖精たちを鼓舞し、仲間たちと剣を交える。そして、隣にはリドリーが……。幻視と云うにはそれはあまりにも実体を伴っていた。

 

「ヌガアア!」

 

 刹那の弛緩を見逃すジェイジェイではなかった。人間の背丈以上もあるギロンの木を軽々と振り上げて、ジャックの頭蓋へ叩き込んだ。

 

 頭部どころか、全身が肉塊へ易々変じるほどの威力であった。

 

 ジャックは躱さなかったー

 

 ブルースにはそう見えた、直後にギロンの木が地面に叩きつけられた衝撃で、危く倒れそうになるのを必死にこらえる。

 

 そして、視界の端に健在なジャックを認めた。少なくとも、人の形を保って直立している。その傍には岩盤を砕きめり込んでいるギロンの木がある。

 

 ジャックは、迫る巨木を前に意識を取り戻し、最小限の動きでそれを受け流したのだった。あまりにも動きが微小であったため、ブルースの目には不動であると見えた。

 

「……」

 

 その実、ジャックが幻視から受けたショックは小さくなかった。

その内容、何よりリドリーの姿があったことが大きく心を揺さぶった。

 

 だが、喜ぶべきか嘆くべきか、彼の戦士の本能は意志とは関係なしに『敵』を倒すために動いていた。

 

 その手には『神槍パラダイム』が握られ、身体をねじり、ジェイジェイへ勢いよく投擲を仕掛けた。

 

 ジェイジェイの反応は迅速だった。ギロンの木を素早く持ち上げると、受け止めるべく槍へ対応した。鈍重に見えるオークであるが、全身これ筋肉の塊という肉体はトゥトアス随一で、敏捷性にも優れているのだ。

 

 槍を受け止め、今度は薙ぎ払いジャックを仕留める。ジェイジェイは脳裏に浮かべた光景を実現すべく、身を引き締めた。

 



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水龍ケルビン⑨

 

「……?」

 

 来るべきものが来なかった。槍は彼の構えた大木に到達しなかったのだ。軌道を変えた? 消滅した? 最初から幻影であった?

 

「ムオッ⁉」

 

 直後、わき腹に鋭い痛みが走った。咄嗟に体をねじって急所を外したものの、立ち続けることすら厳しい重傷を負っていた。

 

 刹那の弛緩には刹那の弛緩で応える。ジャックは『神槍パラダイム』を囮とし、ジェイジェイに防御態勢をとらせた。

 

そして、ギロンの木へ槍が到達する瞬間に消失させ(ジャックが持つ武器だからこそ可能な技だ)、来るべき衝撃に備えていたオークの長が違和感に戸惑ったほんの一瞬の間、側面へ潜り込み、大剣『ヴェルバーン』による二撃を見舞ったのだ。

 

「グオオ!」

 

 痛みに怯んだのは束の間、ジェイジェイはジャックに向って大木を薙いだ。

 

 手ごたえはない、たっぷり間合いの外へ距離を取り、ジャックはブルースとホリィを抱えていた。

 

「ジャック!」

 

 ナギサが躍り出て、ジャックに迫っていた『何か』を切り落とした。ブラックゴブリンのキノコパウダーだろうか?

 

「ヌウ……」

 

 違った。発射主はブラッキーであり、彼の担いでいたキノコバズーカから発射された弾丸である。

 

 先ほどジャックの体勢を崩したのも、恐らくこれだろう。

 

「チョコザイナッ」

 

「上等じゃ」

 

 複数発射された弾をナギサが弾いていく。両者ともに互角、しかし、ナギサは弾に足を取られてゴーブリへ接近できない。

 

 そして、ゴーブリの武器は自身だけではなかった。四方から煙幕に紛れて接近していた狼が一斉に彼女に襲い掛かった。

 

「ぬあ!」

 

 それもナギサは捌き切った。だが、ゴーブリは一枚上手であった。

 

「『バレットウルフ』!」

 

 本命のキノコ弾が着弾、爆発してナギサを吹き飛ばした。一連の動きは全て『ボルティブレイク』だったのだ。

 

「ナギサ! ホリィ、助けてやってくれ」

 

「ジャック様の治療がまだー」

 

「俺はいい!」

 

 ブラッキーは相当の実力者のようだ。放置しておいては味方の被害が増していく。

 

「みんな! とにかくお互いにー」

 

 悪寒。ジャックは咄嗟に龍の鎧をまとった。

 

 予感は違わず、すさまじい衝撃が背後から襲いかかり、勢いのまま彼は岩壁に叩きつけられていた。

 

 鎧をまとっていたとはいえ、堪えた。岸壁から大地を紹介されたジャックは跳ね、今度は天から贈物を受け取った。

 

「ヌガガアア!」

 

 ジェイジェイが、ギロンの木をしたたかに振り下ろしていた。わき腹の負傷をものともせず、一撃一撃が岩盤へクレーターを拡げる。

 

「そこまでですわ!」

 

 ホリィの蹴りがジェイジェイを弾き飛ばした。

 

「ジャック様!」

 

「た、助かった……」

 

 鎧がなければ、優に二桁は死んでいただろう。

 

「今すぐ回復をー」

 

 鬼の形相で迫って来たジェイジェイの一撃を、ホリィを抱きかかえながらジャックは躱した。息も絶え絶えで、どうにか九死に一生を得た。

 

 ここで追撃を受けていれば、恐らく死んでいただろう。

 



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水龍ケルビン⑩

「グウウ……」

 

 だが、ジェイジェイは崩れ落ちた。さしもの彼も、ジャックから受けた一撃が響き、体力がつづかなかったのだ。

 

「ジャック様、鎧を解いていただけませんか? 奇跡の効果が遮断されているようでしてー」

 

「もうちょっと待って」

 

 体中が悲鳴をあげていたが、鎧をとく訳にはいかなかった。未だにブラッキーは健在だし、ブラックゴブリンやオークも稼働している。

 

「ウシャッ!」

 

 キノコバズーカがジャックに襲いかかってきた。ホリィやブルースたちへの被弾を避けるべく、一人走り出す。

 

「ウシャシャシャシャ!」

 

 龍の鎧はまとっているだけで体力を奪っていく。だが、ジャックは解除できなかった。生身で攻撃を受ければ、いともたやすく人間は死ぬ。

 

「グアア!」

 

 オークが一匹ジャックの前に立ちふさがった。ジャックは速度をゆるめず、ヴェルバーンの一閃で妖精の生に終焉を告知した。

 

「うわあっ⁉」

 

 その一瞬の隙に、キノコバズーカが直撃した。吹き飛ばされ、先ほどと同じく岩壁に叩きつけられたジャックは、受け身を取ることもできなかった。

 

(や、やばい)

 

 鎧による消耗は予想以上だった。たまらず鎧を解除して、回復ができるミランダたちを探そうとした。

 

「うお!」

 

 だが、ブラッキーがそれを許さない。キノコバズーカによる弾幕でジャックを足止めする。このまま続けばじり貧でいずれはー

 

「ぬおお!」

 

「ウヌッ⁉」

 

「ハッ!」

 

「それ!」

 

 アキレス、ソナタ、ヴァージニアがブラックゴブリンの長へ攻撃を叩き込んだ。致命傷を躱し反撃までしたブラッキーは流石の実力であったが、ジャックを攻撃する余裕はなくなった。

 

「しっかり!」

 

 ファラウスに抱き起され、ジャックはようやく鎧を解いた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「結構しんどいかな……」

 

「ジャックさん!」

 

「動かないで!」

 

 ミランダとフローラが奇跡でジャックを癒す。ようやく、一呼吸着くことができた。

 

 ブラッキーとアキレスらの戦いの形勢は、徐々にアキレスたちに傾きつつあった。人数で勝り、カインによる回復で持久力もある彼らの相手は骨が折れる。

 

「おらあ!」

 

「しゃあ!」

 

 分断されていた仲間も、ジェラルドとノクターンを中心に集結しオークらを倒していった。視界も回復しつつあり、もう動ける妖精は数えるほどしかいない。

 

「そいや!」

 

「ヌグウ⁉」

 

 そしてとうとう、アキレスの強烈な下段蹴りを受けたブラッキーは膝をついた。

 

「ウシャア!」

 

 それでも、キノコバズーカを振り回して彼を遠のけ、キノコを食して体力を回復する。

 



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水龍ケルビン⑪

「ヌウ、ブガワルイノウ」

 

 ぼやきの通り、妖精たちは敗北の一途をたどっていた。すでに味方は数えるほどで、生き残りも逃げ出す始末であった。

 

「投降するんだ、ブラッキー」

 

 ジェイジェイは負傷しており、ブラッキーもこれだけの人数を相手にしてそう長くは抵抗できない。ガンツらとともにジャックの隣りに立ったジーニアスがそう勧告するのも無理はない。

 

「ソウハイカンノジャ」

 

「トゥトアスは変化を遂げつつある、オークとゴブリンがそれに背を向けても仕方ない」

 

 和解を選べるのであれば、それに越したことはない。だが、ジャックには無視できない懸念があった。

 

 仮に、この場をおさめたとして、『水龍』との戦いに際して参戦されたら? あり得ない話ではない。そうなればただでさえ困難な戦いがより過酷なものとなろう。

 

 かつて仲間であった妖精たちへの想いと矛盾する。何とか和解したい。だが、ジャックはそれ以前に人間の戦士であり騎士であり『龍殺し』であった。

 

 仲間達に目立った怪我はない、しかし、この戦いで肉体的精神的な疲れは確かに残る。エルウェンほどの戦士ですらそれは免れない。

 

 できれば無力化しておきたい。そう思うのは至極当然の気持ちである。

 

「ねえ、あれは?」

 

 そして戦いは、迷う暇を与えてくれない。

 

 ヴァージニアの言にふり返ったジャックが見たのは、たたずむ『自分』であった。

 

「! 『水龍』だ!」

 

 叫びと同時に、『ジャック』の姿は『龍』へと変化した。

 

 流水の身体を持つ双頭の『龍』。かつてケアン・ラッセルが倒した『水龍ケルビン』が再び現れた。

 

「みんな散らばれ、固まるんじゃない!」

 

 ジャックは怒鳴って、半ば突き飛ばす様にガンツたちを散会させた。

 

 『水龍』から氷の刃が降り注いできた。ジャックたちは勿論、ジェイジェイらにも襲い掛かる。

 

「見境なしか!」

 

「貴方達はこちらへ」

 

 ジェラルドらが刃を撃ち落とし、エルウェンはフローラファラウスら戦いに慣れていないものを岩陰へ避難させた。

 

「ぬうう!」

 

 カーティスが魔砲を撃ち込む。龍の身体を抉り爆発を起こす火球だったが、瞬時に再生してしまい意味を成さない。

 

 ジャックは『神槍パラダイム』を投擲してみたが、貫通こそすれ傷を与えられたようには見えなかった。

 

「魔砲で攻めてみる」

 

 ジーニアス、ファラウス、レオナの攻撃が『水龍』に降り注ぐ。いずれもその体を貫き、切り落とし、凍結させることができたが、やはり瞬時に再生してしまう。

 

「俺たちもいくぞ!」

 

 ジェラルド、ノクターン、アキレスが飛び掛かった。しかし、いずれの斬撃も打撃も通用しない。

 

「―‼」

 

「回避ィ!」

 

 龍の吐き出した水のブレスに這う這うの体で逃げ出す。まさに、激流と相対しているかのようだ。

 

「光之利剣!」

 

 エルウェンのボルティブレイクにより、龍は両断された。だが、すぐさまに再生し水弾により反撃を仕掛けて来る。

 

「不死身か……?」

 

 ナギサの不安な呟きが聞こえた。倒せない相手ほど怖ろしい者はない、まして人類の最高峰達が集まってすら、傷一つつけられない状況は、精神へ多大な重圧をかけてくる。

 



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水龍ケルビン⑫

「さすがにないっしょ」

 

 ジャックが答えた。人も、妖精も、龍も、等しく彼の前で死んでいった。例え相手が『秩序』そのものであろうと、不滅のはずがない。

 

「だけど、打つ手がないじゃないかジャックくん」

 

「んまあ、それはそう」

 

 雨のように注ぐ氷の矢を回避しつつ、愚痴るようにジャックは続けた。大隊長の剣戟でも、カーティスの魔砲でも傷つけられないのは事実だ。

 

「ジャックさん、一旦引いてみましょうか?」

 

「追って来ますよ団長。絶対」

 

「だが、このままだと打つ手がないぞ」

 

 ジーニアスの言わんとすることはわかる。しかし、退避しては追撃を受け、それを回避しつつラジアータまで戻るのは至難の業だ。

 

「ほいやっ、ほいっ」

 

「クライヴさん、危ないですよ!」

 

「だけんども司祭長、ちいっとでも攻撃しないと倒せねえべ」

 

 物陰から忠告するフローラに、クライヴは平素と変わらぬ暢気さで応じた。確かに、彼に出来る攻撃と言えば毒薬を投げることだけだ。

 

 だがー

 

(ん?)

 

 それが突破口となった。

 

「クライヴ! 続けてくれ!」

 

「ん~?」

 

「袋……フローラもやってくれ! 皆は二人を守って!」

 

「何か妙案がありまして?」

 

「まだわかんないけど……とにかくやってくれ!」

 

 ここで仲間たちがそれに異を唱えたりサボタージュをしないあたり、ジャックの統率力の高さがうかがえた。

 

 困惑しつつ、クライヴと並んでフローラは彼女の持つ石化袋を投げつける。もちろん、龍の前に売店で買えるそれが通じる訳もない。

 

「これは……?」

 

 だが、その目的は別にあった。毒薬と石化袋が龍の身体に入り込み、流水に乗って泥のように濁らせていったのだ。

 

「あれだ!」

 

 ジャックが指さす先には、流水に乗って走る玉のようなものがあった。

 

「な、なんなんでしょう?」

 

「心臓か? ジャック」

 

「多分ね、あれさえ潰しちゃえば……おおっと!」

 

 押し寄せる濁流を必死に回避する。残念ながら『龍』はただ話し合うだけの時間を与えてはくれない。

 

「二人は投げ続けてくれ! 俺があれを潰すから!」

 

 氷の矢、急流の刃、巨大な水の塊、容赦なく降り注ぐ攻撃をかわしながら、ジャックは『心臓』をつけ狙う。

 

 斧や大剣では遅くて駄目だ。片手剣か槍で一撃を加えなくては。

 

(! 今だ!)

 

 跳躍して、『魔剣グラム』で一閃する。『龍』の身体を巡っていた玉は半分に引き裂かれた。

 

「やったか⁉」

 

 アキレスが拳を握った。その瞬間確かに、『水龍』は動きを止めた。

 

「倒したー」

 

「いや、待て。ぬか喜びだったみたいだぜ」

 

 ノクターンが毒づいたのを契機とするように、『水龍』は再び活動を始めてしまった。

 

「くそ! あれ、心臓じゃねえのかよ!」

 

「待ちなさいジャック、『水龍』の身体にはもう一つ玉が流れているようです」

 

 カインが指さす先に、濁った『龍』の肉体を駆け巡る二つの玉が確かに見えた。ジャックが発見したものよりも小さく、しっかりと観察せねばすぐに見逃してしまうほどだ。

 

「二つ……」

 

 しかも、一方を潰しても意味がない。先ほどジャックが切り裂いた玉も復活している以上、恐らく同時に破壊せねば効果がないだろう。

 



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水龍ケルビン⑬

 

体内を高速で移動する物体を全く同時に両断する……至難の業だ。

 

「大隊長! 小さいほう頼みました!」

 

「簡単に言ってくれますね」

 

 一方は自分が、一方はラジアータ最強の剣士が担う。

 

「みんな、俺たちはこれから集中すっから……迎撃任せた!」

 

「っち、仕方ねえか」

 

「貸しだぜ」

 

 真っ先にジェラルドとノクターンが応じたのには理由がある。つまり、この二人でもジャックとエルウェンの代役は不可能だと理解しているからだ。

 

 『龍殺し』とテアトル大隊長であっても、回避に気をやっていてはこの難事は達成できない。そして、自分たちが『水龍』の攻撃を通せば、二人は容易く沈んでしまう。

 

「気合い入れろオラア‼」

 

 ジェラルドの咆哮をあざ笑うかのように、『水龍』はボルゴンディアーゾの天井を覆うほどの氷の矢を放ってきた。

 

 斬鉄と影走りが、その名に違わぬ剣技でその矢を叩き落とす。だが、如何に強者たちといえどすべてを防ぐことは出来ず、幾本かが二人の間近に着弾した。

 

 だが、ジャックとエルウェンは微動だにしなかった。全ては『水龍』を巡る二つの玉を捉えるために、意識を集中させているのだ。

 

 防御を担う者たちの負担は尋常ではない。その場を動かない(動けない)二人を守るためには、ただ『水龍』の攻撃を防ぐだけではなく、矛先をそらす必要もあるからだ。

 

「うぬ!」

 

「こっちだよ」

 

 アキレスとヴァージニアが、囮になろうと左右に走り出した。

 

『ヴァレス』の面々は、少しでも『水龍』の攻撃を妨害しようと距離を置いて魔砲を叩きつけた。

 

カインは前線に出ようとするミランダとホリィをたしなめ、後方より奇跡による回復に専念させた。

 

ナギサとソナタは、ヒット&アウェイで『龍』に攻撃を加える。効いてはいないが、しないよりはマシだ。

 

クライヴとフローラは、あらん限りの毒薬と石化袋を投げ続け、体内の流れを可視化せんと挑んだ。

 

エルウェンにはジェラルドとノクターン、ブルースが付いて『龍』の攻撃を防ぐ。

 

ジャックを守るのは、ガンツとジーニアスの役目だ。

 

「ジャックさん! お願いしますよ!」

 

「全く、せっかくの頭脳を戦いなどに使いたくはないよ」

 

 各々が最善を尽くしても、尚針の穴へ巨像を通すかのような困難が待っている。

 

「あ! りゅ、『龍』が……」

 

「ひゃあ~! 真っ黒になっちまったべえ~!」

 

 これまでの3龍と同様に、それまで水の如くに透明であった『水龍』の身体が黒化した。

「今更かよ」

 

 ジャックは愚痴った。これまでの『龍』が漆黒の身体を持っていたこともあり、『水龍』の体色に多少の違和感を抱きはしたが、こうした意図があるとは読めなかった。

 

「集中しなさい、ジャック」

 

「うっす」

 

「『龍』の玉、核部分の移動する軌道、速さは一定でした。タイミングを逃さないことです」

 

「はい……」

 

 刹那、『水龍』の双頭がジャックとエルウェンを見据えた。の共が大きく膨らみ、口の端から水が飛び散る。

 

「仕掛けて来るぞ!」

 

 全員が必死に注意を逸らそうと挑んだが、『水龍』の狙いは二人以外になかった。

 

「ジャックさん!」

 

「大隊長!」

 

 妨害空しく、『水龍』の双頭から濁流が吐き出された。ジェラルドらであってもひとたまりもなく、二人の救出よりも退避を選ばなければならない程だった。

 

 そしてー

 

「大隊長!」

 

「いきますよ……」

 

 自らをめがけ襲い掛かる濁流に、ジャックとエルウェンは向っていった。

 



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水龍ケルビン⑭

 その様を見ていたブルースは、後にこう述懐している。大隊長とジャックが降り注ぐ濁流を遡っていったと。

 

 無論、それは錯覚に過ぎない。二人は濁流のすぐそばを、ほとんど肌に触れるか否かの境で跳躍したのだ。僅かでも軌道がずれれば、濁流にのまれ圧死するか、見当違いの方向へ飛んでいっただろう。

 

 狙うは『水龍』の双頭、口腔の奥にある二つの玉だ。攻撃のたび、この二個は必ず頭部へと上っていた。

 

 『アービトレイダー』、『聖剣アヴクール』が一閃したのは、『類龍』が濁流を吐き終わった直後であった。一刻速くとも遅くとも、ジャックとエルウェンは無防備な双頭へ攻撃を加えられなかった。

 

 見惚れるほどの絶技である。

 

 ただ、その後については明暗が分かれた。しっかり着地を果たしたエルウェンに比して、ジャックは足を滑らせ背中を打って悶絶した。

 

「てて……龍は……」

 

 『水龍』には何らの変化もないように見えた。攻撃は失敗に終わったのだろうか?

 

「お」

 

 瞬間、その巨躯が弾けた。黒く、毒薬と石化袋の混じった鉄砲水が四方に飛び散り、岩盤を抉る。

 

「最後っ屁か畜生!」

 

「皆! 物陰に隠れるのです!」

 

 幸いしたのは、直前まで『水龍』の濁流から身を守るべく全員が岩を盾にしていたことだった。直撃は受けず、余波と砕けた石片でアキレスが腕を少し切っただけで済んだ。

 

「うおっ⁉」

 

 だが、飛び出して来たのは水だけではなかった。

 

「お前⁉」

 

 『ジャック』すなわち、黒い鎧をまとい『龍』へと変じていた少年が、ジャックに飛び掛かっていた。

 

「くっ!」

 

 またたく間に打ち合いが始まった。片手剣、両手剣、斧、槍。

瞬きごとに武器が代わり火花が散る。ジャックも龍の鎧を組成して、決死の攻撃を仕掛けた。

 

「おら!」

 

「……」

 

 その技量は全くの互角であった。僅かの隙、僅かの誤差で確実にどちらかが倒れる。

 

「だ、ダメです……早すぎて狙えません……」

 

「っち、横槍を入れられねえか……」

 

 目まぐるしく互いの立ち位置が入れ替わり、ほとんど動きが目に留まらない程である。ここで加勢すれば、逆にジャックに不利になってしまう。

 

 せめてもとホリィらは奇跡による回復をせんとしたが、素早すぎる動きに対応できず、また、できたとしても龍の鎧により阻害されてしまって無意味であった。

 

 この時、両者の戦いを確かに視認できていた数少ない一人であるソナタはこう漏らしていた。

 

「龍……」

 

 『ジャック』を指してはいない。龍の鎧を纏って奔るジャックへ対してのものだった。

 



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水龍ケルビン⑮

「この野郎!」

 

 二匹の『龍』の戦いは、素手での取っ組み合いに移行していた。両者の力量が全くの互角であるため、武器で打ち合っては相殺されてしまう。 

 

 どちらが先にしびれを切らしたのかは定かではない、きっと当人たちにもわからなかったろう。

 

「ぐっ!」

 

「……」

 

 素手での戦闘は、正直ジャックの得意分野ではない。それでも、その殴り合いは壮絶を極めた。

 

 一撃一撃が重く、そして早い。アキレスは無理でも、ミランダやエルヴィスが相手でも殴り勝てる程の威力だ。加えて、モンクには禁じられている目付きや急所突きも容赦なく繰り出されている。

 

「ぐえっ!」

 

 腹に叩き込まれた拳が、龍の鎧を砕いてジャックに胃液を吐かせる。

 

「―!」

 

 負けじと放った蹴りが、『ジャック』の脚をあらぬ方向へ曲げた。

 

「うおおお!」

 

「!」

 

 互いに鎧が砕けていく。『龍』は徐々にその姿を失い、本来の人間の姿をさらけ出していった。

 

 そして、両者は『ジャック』へと戻った。

 

 鈍い金属音が肉を打つ音へと代わった。血にまみれ、赤黒く腫れた生身をさらしながら、二人の殴り合いは衰えを見せなかった。

 

 少なくともこの時、鎧を失ったジャックには奇蹟による回復が可能であった。

 

だが、『オラシオン教団』の面々もホリィも動くことができなかった。

 

「手え出すなよお前ら!」

 

 血を被った『龍殺し』が、燃える目で射貫いてきたからだ。カインですら一瞬揺らぐほどの覇気であった。

 

 その顔面を『ジャック』の拳が撃ち抜いた。ぐらりと揺らいだ『龍殺し』であったが、負けじとその拳ごと腕を抱え込んで関節技をかけた。腕をへし折ろうというのだ。

 

 抵抗と攻勢がせめぎ合い、抵抗が勝利して腕は守られたが、代償として蹴りが顔面へ突き刺さった。

 

 血にまみれた顔面に、『龍殺し』の頭突きが叩き込まれる。2度、3度目で抑え込まれると、膝蹴りによる逆襲を受けた。

 

「くぬおおおお!」

 

 足に噛みついて肉を食いちぎらんとする。最早、獣同士の殺し合いだ。

 

 何故、『龍殺し』はこれほどまでに殺気立ったのか? 

 

 四龍最後の『水龍』を倒せば脅威は取り除けると踏んで気合が入った? 仲間に被害が及ぶのを怖れた? 殺気立たねば勝てぬほどに実力があった?

 

 否、理由は一つ。

 

 『ジャック』の先には『リドリー』がいるからだ。

 

 絡み合っていた二体は弾け合い、同時に突進した。

 

「おら!」

 

「!」

 

 『龍殺し』の叩き込んだ拳が爆発した。驚くべきことに、彼はマグマ袋を握り込んで突きを放ったのだ。

 

 当然、『ジャック』に深刻な傷をつけることができたが、彼の拳も無事であろうはずもない。にもかかわらず、全く怯む様子をみせずに、倒れ込んだ『ジャック』を執拗に追撃した。

 

 『龍』の力の余波か、『ジャック』の傷は時と共に癒されていく。だが、それを凌駕する速度で『龍殺し』の打撃が叩き込まれた。

 

 無論、『ジャック』も反撃していく。両者とも血にまみれ、その光景は凄惨を極めた。

 

「! じゃ、ジャックさん! 落ち着いてください!」

 

「イッちゃってるべ」

 

「くっ、これだから凡俗は」

 

 我に返って止めに入ったのは、やはり『桃色豚闘士』の面々だった。3人がかりで彼を引きはがすが、振り回されて無様に倒れ込む。

 

「離せよオラ!」

 

「い、いい加減にしなさいジャックさん!」

 

 ガンツの張り手が『龍殺し』の頬をとらえた。それまで猛獣の如く暴れていたのが嘘のように、きょとんとした様子のジャックがそこにいた。

 

「あ、ああっ、す、すいませんジャックさん!」

 

「団長……う、い、痛てて⁉」

 

 緊張が切れたのか、我をとり戻すと共に痛みがジャックに襲い掛かった。マグマ袋ごと殴りつけた腕はもちろん、激情に任せて動かしていた肉体もあちこちで筋肉痛を起している。

 

「大丈夫だか? こんな時こそ神頼みだべ~」

 

「負けちまったか……」

 

 それは、ジャックの声であったがジャックが発したものではなかった。

 

 血にまみれて大の字に倒れている、『ジャック』の呟きだった。

 

「お前は一体何なんだ?」

 

 ジーニアスは鋭く問いただす。それこそが本質であった。

 

「『龍』……秩序の再生なのか? それとも全く別の存在か……答えるんだ」

 

 『ジャック』は答えなかった。彼が残したものは、只一つの独白であった。

 

「ごめん、リドリー」

 

 そして、消えた。

 

「あ、待て、リドリーって……」

 

「おおいっ、動くんじゃねえべ」

 

「ジャックさん、まずは傷の手当てを」

 

 仲間達も、激闘の終息を見て集まって来た。当面の敵は滅し、援軍や伏兵に備えるためにもジャックはガンツの言葉に従った。

 



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終わりの始まり

 『オラシオン教団』の面々とブルース、ファラウスが集いながら、ジャックの治癒には時間を要した。それだけ彼の傷は深いものであり、特にマグマ袋で焼けた拳は下手をすれば後遺症が残る恐れもあった。

 

「『龍』はやったんだろう? 解散か?」

 

「待ちな、まだ確認が済んでねえ」

 

 『水龍』は討ち取られ、『ジャック』も消滅した。しかし、それで終わりかどうか判然としなかった。

 

「こうなっては、当面の敵対は無意味と思うが」

 

「フム……」

 

「ムムウ……」

 

 また、ジェイジェイとブラッキーも未だに健在であった。ジャックは気づかなかったが、『水龍』戦に突入した時、たまたまミランダらと同じ岩陰に隠れた際、座視できず回復させたのだった。

 

 そのこともあってか、両族長ともに抗戦の意志は著しく低下しているようだった。ジーニアスの説得もあり、恐らくはこの場でこれ以上の争いは起らないだろう。

 

「最後の『龍』も滅した、新たな時代が始まるんだ」

 

「ワシャアラハ、コレマデドオリヨ」

 

「ソウモイットレン、ニンゲンノジダイガハジマルヨウジャ」

 

それに留まらず、今後の友好的な交流も期待できそうだ。

 

 肉体を走る激痛と戦いつつ、ジャックはその光景に奇妙な虚無感を感じていた。目指したのは融和であり、血の流れない交流のはずである。

 

 そのために、どれほどの血を流したのだろうか? 悪趣味な喜劇を見せられた気分になり、ひどく気分が悪くなった。

 

「ジャック様、これは応急処置ですわ」

 

「帰ったら療養しないといけませんよ」

 

「わかったよ」

 

「お前は相変わらずだな、ジャック」

 

「あのなあ、これでも俺はー」

 

 きょとんとして、ジャックは振り返った。

 

 警戒を続けるアキレスとソナタの間に、『リドリー』が立っていた。

 

「待っているぞ、ジャック」

 

 言い残して、彼女は消えた。

 

 幻覚だとジャックは思った。だが、ガンツも目を見開いて固まっており、クライヴも(わかりにくいが)驚愕しているようだった。

 

 ジャックの治療に当たっていた者たちは、一呼吸遅れて振り返ったためその姿を視認しなかった。他のメンバーも同様で、周囲の警戒にあたっていたため『リドリー』には気づいていない。

 

「団長……」

 

「み、見ました」

 

「懐かしいなあ」

 

 幻覚であろうか? だが、『リドリー』と呼ばれる少女がまだ残っていることは確かなはずだった。

 

 

 同刻、『ラジアータ』では、防衛に当たっていた騎士たちやギルドメンバーの間に弛緩した空気が漂っていた。

 

 予想された妖精の侵攻はなく、斥候からの報告も動きなしとのことである。人間の集中力には限界がある、どれだけ気を張ったとて無限に意識を保ち続けられるはずもない。故に、短期決戦は有用なのだ。

 

 さらに、騎士にしろギルドメンバーにしろ、防衛に専念すれば良いというものではなかった。各個に責務があり、如何に補償されるといえどそれを中断するというのは精神に良くない影響を与える。

 

 ラークスにしても、この状態が続く場合に発生するだろう副次災害(喧嘩や器物損壊などの軽微なものだが)を考えると、一旦この状態を解除するという選択肢も視野にいれねばならなかった。

 

 『ヴォイド』の面々は、これを奇貨居くべしと何やら動いていたようだが。

 

 そんな弛緩の空気がより濃さを増す中、最初に『それ』が現れたのは、前家老ジャスネ・コルトンの邸宅であった。

 



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ジャスネ・コルトンの幻覚

 4大貴族『ティンバーレイク家』の名に恥じぬ豪奢な邸宅だが、およそ活気とは程遠い、幽霊屋敷の趣きすら漂わせていた。

 

 邸内に最小限の人員しかいないのもあるが、最大の理由は仮の主が人を嫌い、また人々も彼を忌避しているせいだった。

 

 ジャスネ・コルトン。王国の家老を務めた辣腕の政治家であり、人格はともかくその手腕は他の追随を許さない。国王の信任も厚く、その地位が揺らぐことはないと思われていた。

 

 娘、リドリー・ティンバーレイクが騎士となるまでは。

 

 詳細は省くが、彼女は王国に反旗を翻した末に死亡。彼は反逆者の父となった。さらに、腹心であったルシオンの正体が銀龍であったという醜聞により、権力の座を追われたのだった。

 

 それは彼の尊厳を粉砕した。だが、何よりも溺愛する愛娘を喪った痛みは筆舌に尽くし難い。

 

失脚後、かつては引きも切らなかった邸宅への訪問者の姿は皆無となり、酒が孤独な彼の唯一の友となった。

 

従者たちは流石に見捨てるに忍びなく身の回りの世話のため残ったのだが、ジャスネは彼らの存在を無視し、また彼らの側からも捧げる忠勤が単なる義務感と憐憫を超える事はなかった。

 

皮肉なことに、そうした日々による財政の破綻を防いでいたのはかつての政敵ラークスであった。過度でない限りは彼の生活を維持できるよう取り計らう、彼自身の意志も介在していたが、国王による温情でもあったのだった。

 

当人はそれを知ったところで、酒臭い息を吐きながら濁った眼で新たな酒を捜すだけだったろうが。

 

失意の日々と酒毒により、かつて丸々と肥えていたジャスネは骨と皮ばかりの死人の如き容貌となっていた。外出は娘の墓へ花を捧げに行くときのみ、最早同家の遠からぬ断絶は誰の目にも明らかであった。

 

『龍』の復活と妖精との関係の緊張、『リドリー』らしき少女の登場にも彼は無関心であった。そもそも、それを伝える者がいなかったし、従者たちもこれ以上の負担をかけることを避けたためである。

 

「お父様」

 

 その日、自室で空になった酒瓶を弄びながら、ジャスネは声のした方へ充血した靄のかかったような瞳を向けた。

 

「おお、リドリー……」

 

 初めての『再会』ではなかった。娘を喪って以来、彼女の幻影と出会う事は度々あった。酒の力を借りれば猶更だ。

 

 今回は非常に鮮明な幻影であった。時を経るごとに朧げになっていく姿が、まるで実在しているかのようだ。

 

「お父様、ごめんなさい」

 

「いいんだよリドリー、ワシこそ済まなかった……」

 

 ジャスネの行動の全ては、愛する娘を想ってのものだ。任務で負傷した彼女に対する責を取らせ、『桃色豚闘士団』を解散させ、ガンツとジャックを解雇したことは正しいことでは決してない。新たな騎士団を創設し、リドリーを団長にしたのも権力の濫用と言われても仕方のないことである。

 

 ただ、親馬鹿でこそあれ娘の幸福を願った故なのは確かだった。

 

「私はまもなく、行かねばなりません」

 

「ああ、リドリー、ずっといておくれ。ワシはそれだけが望みだ」

 

「私もそうしたい……でも、叶わないのです」

 

「リドリー」

 

「最後にお母様にも会いたかった……。お父様、お酒はほどほどになさってください」

「ああ、ああ……きっと、リドリー……」

 

「本当に……ごめんなさいお父様。そして、ありがとうございました……」

 

 いつものように『リドリー』は消えた。ジャスネは嘆息しながら、昏迷に落下していく。

 

 これが真の意味での、愛娘との最後の再会だと、彼が認識することはなかった。

 

 焦がれ求め続ける娘の姿をした、数ある幻影の一部だった。

 



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『桃色豚闘士団』の帰還

 ジャスネが幻覚と邂逅していたのと同時刻、ラジアータ城には、コロシアムに向かうレフェリー・ジュンザブロウの姿があった。

 

 騎士団セレクション、模擬試合といった、審判が必要となる場に駆り出されるのが師のサクラザキであり、弟子たるジュンザブロウなのだ。この日も、ジャッジ道の訓練のため、コロシアムを目指していた。

 

 戦争が勃発せんとするこの状況で、実戦において何の意味もない審判の鍛錬など。と、一部から揶揄されている彼であるが、それが彼の仕事であって、誇りをもって取り組んでいた。

 

 さて、コロシアムに足を踏み入れた彼は、『先客』の姿を認めた。珍しくはあるが、驚きはしなかった。巡回の騎士や訓練をするニーナ、単なる迷子等と遭遇することは前にもあった。

 

 ただ、今回の『先客』は何かが奇妙だった。その故に気づく前に、『彼女』の透き通るような声が響いていた。

 

「すみません。ラークス様を呼んでいただけませんか?」

 

 ジュンザブロウの頭の中で、何かがかちりと音を立てて符合した。見慣れぬ鎧、どこか見覚えのある、気品と神秘に満ちた金髪の少女。

 

「リ、リドリー……様」

 

 

 『桃色豚闘士団』の面々は、それから数日して帰還を果たした。

 

 両族長との一応の停戦交渉を終え、行きと同じく妖精らとの接触を避けた行軍の故である。『水龍』を下したものの、彼らの動きが読めなかったからだ。

 

「自棄になって襲い掛かってくるかもしれない。王国への襲撃もあり得るぞ」

 

 そう推測したのはジーニアスである。妖精族との融和を求める彼だが、夢想家では決してない。

 

蘇った守護者すら喪失した彼らが、大人しくしているという保証はなかった。

 

 結果、行きと同様に帰りも細心をもっての行程となったのだった。

 

 

「おっす、英雄ジャック様のお帰りだぜ!」

 

「オラも『龍殺し』だべ~」

 

 門を守っていた騎士たちへ、ジャックとクライブが殊更に胸を張る。無論、演技である。ジャックには殊更に、かつての能天気な自分を再現しようとする傾向があった。

 

もし、王国が妖精たちの攻勢を受けていれば、自分の帰還で士気を上げようと思っていた(クライヴは素であったが)。

 

 騎士たちの反応は、緊張した様子で敬礼を返すというものだった。幾人かが誰かを呼びに戻ったのか、急いで駈け出す。

 

「なんだよ、宴会の用意とかないのかよお」

 

「調子に乗るでないわい」

 

 しばらくして、レナードが血相を変えて走って来た。

 

「よ、オッサン。『水龍』も倒したぜ」

 

 のほほん(を装っていた)ジャックも、蒼白なレナードの顔を見るとそれを脱がずにはいられなかった。何かが起こっているのは確かである。

 



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リドリー①

 一行はそのまま、城へと通された。入城前、城の周囲を騎士らが慌しく行き交っているのが見えた。無論、城は最重要防衛拠点であるが、何か違和感を感じるものもあった。

 

 ほどなく、ジャック、ガンツ、クライブ、ジーニアス、エルウェン、カイン、カーティスが会議室に通され、オルトロスも姿を現した。各ギルドの頭が揃ったことになる。

 

「これはこれは、『水龍』討伐の武功誠めでたく存じます。『ヴォイド』一同を代表し深く感謝いたしますぞ」

 

 うやうやしく頭を下げたオルトロスの言葉を額面通りに受け取る者はいなかった。人の好いガンツも、クライヴでさえ。

 

ヴァージニアとソナタが参加していたとはいえ、帰還した矢先に既に討伐の事実を把握しているこの老紳士は、相変わらず底が知れない。

 

 重い沈黙を破るように、レナード、ナツメ、ラークスが姿を現した。いずれも険が深い。

 

「皆さん、『水龍』の討伐を成し遂げていただきありがとうございます。国王、そしてラジアータの民全員に代わって御礼申し上げます」

 

 ラークスに応じるように全員が頭を下げたが、それだけのためにここに招集されたとはさらさら思えず、次の言葉を待ち受けた。間違いなく、吉報ではない。

 

「ジャックさん、落ち着いて聞いてください」

 

 名指しされたジャックは身をこわばらせた。嫌でも、数日前に再会を果たした少女の姿が脳裏に蘇ってくる。

 

 ラークスは、この沈着な男には珍しく言いよどんで、意を決して口を開いた。

 

「ラジアータ城に、リドリー・ティンバーレイクが現れ、コロシアムを占拠してー」

 

 

「あれ?」

 

 ジャックは医療室のベッドの上で目を覚ました。混乱していると、聞きなれた声が耳に飛び込んでくる。

 

「あ、お目覚めですかジャックさん」

 

「全く世話のかかるやつだ」

 

 ガンツとジーニアスである。

 

「団長? ジーニアスも……え?」

 

「何も覚えていませんか?」

 

 ガンツの語るところによると、ラークスから『リドリー』のことを聞かされた途端、弾かれたようにジャックは席を立ったそうだった。

 

 予測していたのか、レナードに捕まりもみ合いになった。流石に武器を出すまではいかなかったものの、ジャックは立ちはだかるなら実力行使も辞さない勢いで、エルウェンとカインが加勢して、やむを得ず気絶させた。とのことだった。

 

「落ち着いてください、ジャックさん」

 

 まず間違いない、とジャックは判断した。そのもみ合いは覚えていないが、ラークスの言を思い出すと、もう少しで部屋から飛び出しそうだった。

 

「……すいません」

 

「ラークス卿からの言伝だ。明日からリドリー嬢についての対策を協議する、今日は休息するように」

 

「わかったよ……」

 

 本音を言えば、今すぐにでもコロシアムへ駆け込みたい。だが、『水龍』討伐後も行軍は続き体は本調子ではなく、戦闘が予想される今、突貫は命取りに成りかねない。

 

 また、ラークスが休息を指示したということは、少なくとも差し迫った害を『リドリー』が与えていないのだろう。でなければ、休息を与える余裕はない。

 



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姉弟

「ジャックさん、今はゆっくり休みましょう」

 

「はい……、あれ? そういえばクライヴは?」

 

「あ、迷子になってしまいまして。今探してもらってます」

 

 少しして、何故か謁見の間にいたクライヴが見付かった。アルに嫌味を言われながら城を退去した一行は、それぞれガンツは実家、ジーニアスは『ヴァレス』、クライヴは自宅へと別れた。

 

 ジャックも自室へ戻ろうとしたが、カインとエルウェンに手間をかけたことを思い出し、挨拶へ向おうと踵を返した。レナードとも揉めたようだが、それは明日、嫌でも会えるだろうからその時に謝ればいい。

 

 『オラシオン教団』では、カインに滔々と説教された。無論、非はジャックにあるのだから反発をする資格もないのだが、正直説法を聞かされているようで瞼を押し上げるのに苦労した。

 

『テアトル』では、エルウェンには淡々と自己を見失わないようにと言われただけで終わったが、本当の説教はそこからで、ジェラルドにこってりと絞られてしまった。

 

 

 ようやく解放され帰宅すると、エアデールが食事を用意してくれていた。かなり豪勢な内容で、いずれもジャックの好物ばかりだ。

 

「ジャック、お帰り。やったわね」

 

「うん、皆に助けてもらって……」

 

「まずは食べなさい、お腹空いたでしょ?」

 

「うん……いただきます」

 

 懐かしく、安心する味のはずだった。幼少より親しんだ姉の手料理、わざわざ市場を回り材料を準備してくれたのだろう。

 

「父さんも母さんも、あなたを誇りに思ってるわ」

 

「ん?」

 

「騎士になって、龍も退治して。私も鼻が高いわよ」

 

 一瞬、ジャックはエアデールが羨ましく思えた。秩序の行方や、戦いの悲劇、『リドリー』、そういったあれこれと無縁でいられる。

 

 だが、すぐにそれを振り払った。それこそ、傲慢な思考であろう。

 

「どうかしたの?」

 

「あ、ううん、なんでもないよ」

 

 ジャックは、『いつも通り』に姉の料理を残さず平らげた。

 

「ごちそうさま」

 

「少し散歩でもしてきたら?」

 

「ん? ……うん」

 

 エアデールにはわからない。ジャックは、明らかに『いつも通り』ではない。だが、その理由がわからない。

 

 戦いの日々、敵首魁がどうやら同期の騎士であった少女らしい、妖精との関係、一個人に過ぎない彼女でも、そういった諸事情が僅かながら耳に入って来る。

 

 ただ、受け止める側によってそれは大いに変容する。自己を投影したところで、ある情報に対する個人の想いなど、その個人にしかわからない。

 

 そとへ出る弟の後ろ姿を見やって、エアデールはひどく自分が歳を取ったような感覚に襲われた。

 



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幻影は手ぐすねを引く

 散歩に出たジャックであったが、特にあてがあるわけでもなく、何となく『ヴァンクール広場』に落着き噴水を眺めていた。

 

 人通りは少なく、巡回の衛兵と店から出て来たロビンが通ったきり、ジャックは一人きりであった。

 

 『リドリー』のことは、恐らくラークスが情報統制しているのだろう。動揺を避けるためではあるが、人の口には戸が立てられない。何かを察しているのか、住民たちは外出を控えている。

 

「リドリー……」

 

 溜息と共に、ジャックは少女の名を呼ぶ。コロシアムにいるという『リドリー』は、果たして彼女なのであろうか? その目的は? 何故姿を現し、そして何も行動しないのか?

 

 何より、どうしてラジアータにやってきて、自分の前に現れなかったのか?

 

 ジャックの心中は、己でも把握しかねるほど複雑であった。

 

「しゃーねえか……」

 

 そんな時は、寝るしかない。単純明快だが、それしかない。

 

 腰をあげ、夜空を見る。いつも通り、何ら変わりのない黒天が広がっている。

 

「なんとかなるっしょ」

 

 ジャックは歩き出した。帰るには少し早い気がする、クラブ『バンパイア』にでも寄ろうと、爪先を『奈落獣』へと向けた。

 

 ピーキィを顔パスで通り抜け、ジャックはドアを開けた。むっとするような香水の匂いといかがわしい人々の気配、毒々しいネオン。一部を除いた『オラシオン教団』の面々なら顔を顰めそうな光景だ。

 

「第一試合を開始いたします。ジャック・ラッセル殿、コロシアムへお進みください」

 

 軽く挨拶を返して、ジャックは席に座った。酒は飲めないが、こういう雰囲気は嫌いではない。

 

「リドリー・ティンバーレイク殿、コロシアムへ」

 

 今夜は珍しい顔が多い、ダンやブライはともかく、スターやガルシア、ダニエルの姿もある。

 

「ジャック・ラッセル殿。コロシアムの試合会場へ」

 

 と、呼ばれているようだ。オルトロスの密談であろうか?

 

 カジノを抜け、『ヴォイド』の事務所であるコロシアムに出る。セレクションの日ということもあってか、客席に人の姿はなかった。

 

 いや、メガネをかけた理知的そうな男と、口ひげを生やした丸っこい男がいる。騎士団の偉いさんだろうか? だとしたらしっかりとアピールをしなければいけない。

 

 何しろ、姉に父の形見『アービトレイダー』を渡され、騎士になるように送り出されたのだ。もしセレクションに落ちでもしたら、殺されるかもしれない。

 

「ひゃ~、勘弁勘弁」

 

 この世に姉より怖いものはない。幸い対戦相手は同年代の、しかも女の子だ。鍛えられた自分が負ける事もないだろう。

 

 それにしても、オルトロスは人を待たせ過ぎではないだろうか?

 



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騎士団セレクション第2回戦

「セレクション第2試合! リドリー・ティンバーレイク対ジャック・ラッセル! はじめーいっ!」

 

 ジュンザブロウが宣言した。そう言えば、第一試合はスターとポールが戦ったのだ。あえなくスターはボコボコにされてしまったが。

 

「やあっ!」

 

「おっと」

 

 リドリーという少女は、斧を使う割に中々素早い。筋も良い、成長すればワルターにも劣らぬ使い手になるだろう。

 

 ツインテールに結った金髪の勝気そうな顔の少女。だが、その実内面は一度迷うと答えを得るのに長い時間がかかる繊細な心を持っている。

 

 騎士として、そして家名に押しつぶされぬように意地を張っていたのだ。だが、それが溶けかけたころにブラッドオークにー

 

「そりゃっ」

 

「くっ!」

 

 だが、如何せん自身のの敵ではない。『龍殺し』と対等に打ち合えるものはそうはいない。

 

 ……いや、『龍殺し』は父ケアンだ、自分はそれに倣うべく、こうして騎士団セレクションを受けているのだから。

 

「はあ!」

 

 この三段目だ、少女は三段目の攻撃で態勢を崩してしまう癖がある。やはりまだ、斧の重さに振り回されているのだ。

 

「しゃっ」

 

「うあっ!」

 

 すかさず攻撃を叩きつける。かろうじて躱したものの、痛みに顔を歪めている。どうだ、効くだろうリドリー? 

 

「……っ、ふう」

 

 さっきから何か奇妙な感じがする。早めに決着をつけよう。

 

「まだまだ……」

 

 戦意は十分。だが、それだけで勝てるなら苦労はしない。

 

 思えば、ラジアータへやってきてから多くの敗北を喫した。どれも、今でも覚えている。確かにそれは自分を成長させたが、同時に屈辱も刻み込んだ。

 

「はああ! 『ワイルドピッチ』!」

 

 ボルティブレイク。大旋回して遠心力を溜めた斧を投擲する、リドリー渾身の一撃だ。

 

 確か、これを食らってセレクションでは敗退したのだ。あの時はただの女の事しか思ってなかった彼女に食らった一撃は、殊の外こたえた。

 

「!」

 

 いや、違う。また妙なことを考えている。そのセレクションとは、今こうして挑んでいるものではないか。

 

 トリア村からここへ来るだけで疲れてしまったのか? そこまでヤワではない。現に、『ワイルドピッチ』を簡単にいなしてかすりもさせていない。

 

「ううっ……」

 

 武器を喪ったリドリーは、力なく横たえた。ジャックは勝利を手にしたのだ。

 

「おめでとうございます」

 

「うむ、流石だぞジャック」

 

 ラークスにダイナス、ナツメにレナード、ニーナやチャーリーの姿もある。ダニエルたちも控室から出てきて祝福してくれる。

 

「騎士団への入団を許可します。ケアンに恥じぬ立派な騎士になってください」

 

「うっす!」

 

 とうとうジャックは騎士になったのだ。

 

「ジャック・ラッセル殿。リドリーへ止めを」

 

「あ、そうだった」

 

「相変わらずそそっかしい奴だな」

 

 レナードが苦笑し、それが周囲に伝播する。

 

 ジャックは頭をかきつつ、倒れるリドリーの傍までやってきた。

 

 少女は無表情に天井を見つめている。

 

「さ、手早く」

 

「うっす」

 

 剣先を喉へと向ける。首を刎ねてもいいが、気管と血管を切り裂くだけで事足りる。モーフでも治癒できない傷を加えればいいのだ。

 

「さよなら、ジャック」

 

 柄に手をやり、一突き。それで終わりだ。

 

「ああ、じゃあな、リドリー」

 



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リドリー②

「どうしたジャック?」

 

「ケアン殿譲りの気概を見せよ」

 

 自分でもわからない。だが、その一突きが放てなかった。

 

「なにをしているのです?」

 

「騎士の本分を果たすのです」

 

「騎士になるんだろ?」

 

 周囲からは諫める声が聞こえる。そうだ、騎士になるためにわざわざ上京して、セレクションに参加したのだ。

 

 しかしー

「ジャック」

 

「リドリー……」

 

 先刻会ったばかりの少女が、数年来の知古、否、それ以上の存在に思えてならなくなっている。一体どうしてしまったのか?

 

「ジャック」

 

「決着をつけるのだ」

 

 奇妙な記憶の混濁が関係しているのだろうか? エルウェンやカイン、ニュクスまでやってきている。確かに、『リドリー』を倒せばすべては終わる。

 

『リドリー』?

 

 そうだ、リドリーは『リドリー』となり再び現れたのだ、そしてコロシアム……

 

「ううっ⁉」

 

 身を裂くような痛みがジャックに襲い掛かった。剣を握り続けるどころか、立つことすら覚束ない。

 

「ジャック。ジャック。じゃっく、じゃっく。じゃっく……」

 

 ありとあらゆる声が呼びかけて来る。そのたびに、リドリーへ止めを刺さなくてはと苛んでくる。

 

「団長……」

 

 ジャックはガンツを見やった。いつの間にかコロシアムを埋め尽くすラジアータの人々。『騎士団』『テアトル』『オラシオン』『ヴァレス』『ヴォイド』、そこに属していない人々までおり。全員が

リドリーへ止めを刺すように叫んでいる。

 

その中で、唯一人彼だけが、ただ悲しそうに首を横へ振っていた。

 

 ……待て。

 

「俺、まだ、団長のこと知らないはずだぞ……」

 

 ジャックがガンツ・ロートシルトの名を初めて知ったのは、セレクションにリドリーと共に合格した後の顔合わせでだ。

 

「⁉」

 

 そうだ、セレクションでリドリーに敗けてしまった。でも、合格できた。

 

 それから数えきれないほどの出会いと別れがあり、永遠の別離を迎えてしまった者の中に、彼女が刻み込まれた。埋葬も、自分でやった。

 

 だが、その彼女の姿が妖精らの中にあったと聞きー

 

 

「!!!!!!!」

 

 ジャック・ラッセルは覚醒した。

 

 『ラジアータ城』コロシアム、その中心部で横たわっている『リドリー』の首元へ『アービトレイダー』を突き立てている。

 

 切っ先が白い皮膚を裂き、数筋の赤い血が首飾りのように映えていた。

 

「リドリー……」

 

 金髪をほどき、ヴァリアントメイルに身を包んだ少女。かつて『白夜の都』でその躯を抱き、『風虫の谷』で垣間見た時と寸分変わらぬ彼女がそこにいた。

 

「ジャック……」

 

 寂しそうな、それでいて安堵したような微笑を浮かべていた。

 



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騎士団セレクション第2回戦

「セレクション第2試合! リドリー・ティンバーレイク対ジャック・ラッセル! はじめーいっ!」

 

 ジュンザブロウが宣言した。そう言えば、第一試合はスターとポールが戦ったのだ。あえなくスターはボコボコにされてしまったが。

 

「やあっ!」

 

「おっと」

 

 リドリーという少女は、斧を使う割に中々素早い。筋も良い、成長すればワルターにも劣らぬ使い手になるだろう。

 

 ツインテールに結った金髪の勝気そうな顔の少女。だが、その実内面は一度迷うと答えを得るのに長い時間がかかる繊細な心を持っている。

 

 騎士として、そして家名に押しつぶされぬように意地を張っていたのだ。だが、それが溶けかけたころにブラッドオークにー

 

「そりゃっ」

 

「くっ!」

 

 だが、如何せん自身のの敵ではない。『龍殺し』と対等に打ち合えるものはそうはいない。

 

 ……いや、『龍殺し』は父ケアンだ、自分はそれに倣うべく、こうして騎士団セレクションを受けているのだから。

 

「はあ!」

 

 この三段目だ、少女は三段目の攻撃で態勢を崩してしまう癖がある。やはりまだ、斧の重さに振り回されているのだ。

 

「しゃっ」

 

「うあっ!」

 

 すかさず攻撃を叩きつける。かろうじて躱したものの、痛みに顔を歪めている。どうだ、効くだろうリドリー? 

 

「……っ、ふう」

 

 さっきから何か奇妙な感じがする。早めに決着をつけよう。

 

「まだまだ……」

 

 戦意は十分。だが、それだけで勝てるなら苦労はしない。

 

 思えば、ラジアータへやってきてから多くの敗北を喫した。どれも、今でも覚えている。確かにそれは自分を成長させたが、同時に屈辱も刻み込んだ。

 

「はああ! 『ワイルドピッチ』!」

 

 ボルティブレイク。大旋回して遠心力を溜めた斧を投擲する、リドリー渾身の一撃だ。

 

 確か、これを食らってセレクションでは敗退したのだ。あの時はただの女の事しか思ってなかった彼女に食らった一撃は、殊の外こたえた。

 

「!」

 

 いや、違う。また妙なことを考えている。そのセレクションとは、今こうして挑んでいるものではないか。

 

 トリア村からここへ来るだけで疲れてしまったのか? そこまでヤワではない。現に、『ワイルドピッチ』を簡単にいなしてかすりもさせていない。

 

「ううっ……」

 

 武器を喪ったリドリーは、力なく横たえた。ジャックは勝利を手にしたのだ。

 

「おめでとうございます」

 

「うむ、流石だぞジャック」

 

 ラークスにダイナス、ナツメにレナード、ニーナやチャーリーの姿もある。ダニエルたちも控室から出てきて祝福してくれる。

 

「騎士団への入団を許可します。ケアンに恥じぬ立派な騎士になってください」

 

「うっす!」

 

 とうとうジャックは騎士になったのだ。

 

「ジャック・ラッセル殿。リドリーへ止めを」

 

「あ、そうだった」

 

「相変わらずそそっかしい奴だな」

 

 レナードが苦笑し、それが周囲に伝播する。

 

 ジャックは頭をかきつつ、倒れるリドリーの傍までやってきた。

 

 少女は無表情に天井を見つめている。

 

「さ、手早く」

 

「うっす」

 

 剣先を喉へと向ける。首を刎ねてもいいが、気管と血管を切り裂くだけで事足りる。モーフでも治癒できない傷を加えればいいのだ。

 

「さよなら、ジャック」

 

 柄に手をやり、一突き。それで終わりだ。

 

「ああ、じゃあな、リドリー」

 



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リドリー③

「お前……なんで……」

 

慌てて首筋から『アービトレイダー』を離したジャックを見て、

『リドリー』は眼を閉じた。

 

「ダメだったか……」

 

「おい!」

 

「ジャック、私はもういい……お前に、お前になら……終わっても……」

 

「何言ってんだよ⁉ てかここは……コロシアム?」

 

 ジャックには訳がわからない。クラブ『バンパイア』へ行くつもりだったのが、何故かコロシアムにいる。

 

 しかも、目の前には『リドリー』がいて、今一歩で手にかけるところだった。騎士団セレクションの日と錯覚していたような、幻覚を見ていた記憶もある。

 

「とにかくー」

 

 と、ジャックは『見物客』に気づいた。騎士らが出入口、そして客席を固めているのだ。

 

「おいー」

 

 怒鳴りかけて気づいた。いずれも、どうしたらいいかわからず、途方に暮れているのだ。

 

「ジャック……」

 

「おっさん……」

 

 出入口を固めていた騎士たちの間から、ぬうとレナードが割って出た。

 

「な、なあ、どうなってんだよ?」

 

「お前また、何も憶えてないのか?」

 

 また。その言葉で、大体のことをジャックは察した。

 

「リドリー……お前が呼んだのか?」

 

「ああ……」

 

 少女は眼を開けた。

 

「お前に、討ってほしかった。けど、ダメだな……幻影を解かれてしまった」

 

「なんでだよ⁉ 大体お前……どうしちゃったんだよ⁉ ええ⁉」

 

「そうだな……幻影が解けてしまったなら……話しておこうか」

 

「ジャックさん‼ ……⁉ リドリーさんも……?」

 

「団長……」

 

「ガンツ団長、お久しぶりです……」

 

 ガンツも姿を現した。誰かが呼びに行っていたのだろう。

 

「り、リドリーさん……なんですよね?」

 

「はい、団長……」

 

 戸惑いながらも、ガンツはリドリーの傍までいって手を取った。

 

「また会えると思ってました」

 

「私もです……」

 

 一時だけ、3人の間に和やかな空気が流れた。元祖『桃色豚闘士団』の再結成が成された瞬間だった。

 

「二人とも、聞いてくれ。私はリドリーであって、リドリーじゃない……」

 

「……ああ、わかってる」

 

 リドリー・ティンバーレイクは、墓の下で永い眠りについている。他ならぬジャックが、その寝室へ案内したのだ。

 

「では?」

 

「金龍……トゥトアスの秩序の残滓といったところか……」

 

「待て待て待ってくれえ!」

 

 突然の乱入者はジーニスであった。この青年には似つかわしくなく、昂奮した様子で騎士たちをかきわけて飛び込んできた。

 

「ジーニアス」

 

「リドリー嬢……本物だな」

 

「ジーニアス……」

 

 彼女の側に身をかがめた彼は、昂奮を隠しきれずに一気にまくしたてた。

 

「ラークス殿から知らされた! 君は、君はやはりトゥトアスの秩序の回復措置なのか? であれば僕の推測は正しかったことになる! どうなんだ⁉」

 

「お、おい、落着けよ」

 

「さすがだなジーニアス……まさしくその通りだ」

 

 震えさえ見せながら、ジーニアスは天を仰いだ。

 

「やはり……、僕は間違ってなかった……」

 

「なあ……、頼むからわかるように教えてくれよ……お前も、リドリーもさ……」

 



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リドリー④

「む、そうだな……これはラジアータに関わる者全てが師って言置くべきことだ」

 

 咳ばらいをひとつ、ジーニアスは語り始めた。

 

「ジャック、前に僕が語った内容は覚えてるな? 『リドリー』と『龍』たち……実際にはお前の姿を模してたが、それがトゥトアスの秩序の修正作用だという仮説だ」

 

 ジャックは頷いた。

 

「それは正しかった、4龍による妖精の庇護、そして金龍銀龍による人類文明のリセット……長き時の中で続いたその秩序は、易々と破壊されない」

 

「人間により龍たちは斃れ、フォティーノによりクェーサーの目覚めは阻まれた。そして、フォティーノ自身すら……」

 

「リドリー?」

 

「ジャック、そこにいるのはリドリー嬢だが、同時に金龍の残滓でもあるんだ」

 

「なに?」

 

「トゥトアスの秩序は砕けた、だが、私は金龍としての務めを果たさぬわけにはいかぬ……」

 

 『リドリー』の口調がいつの間にか変わっていた。瞳が虚ろになって、まるで操られているかのようだ。

 

「リドリー!」

 

「我が依り代となるはずの器を用いて、私は蘇生を果たした。だがー」

 

「それは不完全だった……」

 

 またも、もとの『リドリー』へと戻った。

 

「金龍が蘇生を成した時、私とハップの意識も共に蘇ってしまったんだ」

 

「ハップ……」

 

 ライトエルフの名である。かつてリドリーは死に瀕し、彼と『魂継ぎ』の儀式を行ったことで生還を果たした。

 

 だが、同時にダークエルフ族長ノゲイラがアルガンダーズに侵され死亡し、リドリー本人も意識の混濁に苦しめられ、金龍の器と定められてしまった。

 

「なるほど……これまでの矛盾した行動は、意識の混線が原因だったんだな。金龍は滅亡のため、ハップは妖精族を救うため、人間へ攻め入った」

 

「でも、徹底されてなかった……。ギリギリだけど、俺たちは勝てた」

 

「リドリーさんがそうした?」

 

「虫のいい話だ……、かつては妖精族についた私が、人間たちを助けるために……」

 

 『リドリー』はジャックの頬を撫でた。

 

「無用だったがな……、お前がいたからだ、ジャック」

 

「……ああ、『龍殺し』だからな」

 

「『龍』……黒い鎧の『ジャック』も、秩序の一部なのか?」

 

「私が望んだ……強く、共に隣りにいてくれる強き者として……

クェーサーの意志も反映されていたがな」

 

「だったら……、だったら、俺に言えよ、リドリー……」

 

「すまない……」

 

 『リドリー』は微笑んだ。

 

「あの夜のようにできれば、よかったんだが」

 

 瞬間、ジャックの心臓を氷の剣が貫き血管まで凍らせた。そうだ、あの世の少女の助けを自分は……。

 

「同じく残滓と言う事か……4龍はオーブに封印されている以上、別の存在だと睨んではいたが」

 

「それも全て滅した。妖精たちももう、立たない。残るは私だけだ……」

 

「私の力を持てば、人間を滅するは容易い」

 

 再び、『金龍』の意識が支配したようだ。

 



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リドリー⑤

「だが、器に悉く妨げられた……2つの魂を持ちし器……、誠、奇怪だ」

 

「『金龍』……さん、貴方は今も、私たち人間を滅亡させようと?」

 

「滅びは定め、トゥトアスの秩序なり」

 

「だが、銀龍フォティーノはそれに疑問を持ち、秩序を変えようとした。秩序が永遠不滅のものでなければならない理由はないはずだ。人間の文明の果てがどうなるかは、龍ですら見届けていない」

 

「……あやつと同じことをぬかす」

 

 『リドリー』の笑みは酷薄だった。

 

「陰に陽、太陽に月、生に死、それが秩序」

 

「人間の文明を破壊するのもか?」

 

「人間の築きし塔が天に達す時、大地は死する」

 

「それが錯覚だと言ってるんだ!」

 

 いつになく激しい口調でジーニアスは叫んだ。

 

「妖精と人間、龍とも共存はできるはずなんだ! トゥトアスはラジアータに留まらない、世界中を見通せば、きっと!」

 

「それをせぬが秩序よ」

 

「私も何度も問いかけたが、駄目だった」

 

「リドリー……戻ったのか」

 

「ああ……、要するにな、ジャック。残っていた金龍の思念が私を形作り……、再び戦争をしかけたんだ」

 

「……わかりやすいな、やっぱリドリーは頭がいい」

 

「お前が馬鹿なだけだ」

 

「言ってろよ、ちょっとは勉強もしたんだ」

 

「リドリーさん、それで、私たちは……これからどうすれば良いのでしょうか?」

 

「『金龍』を倒すしかありません」

 

 感情を抑えた冷静な声が響いた。宰相ラークスが、ナツメを伴いコロシアムへ足を踏み入れた。

 

「ラークス様」

 

「ラークスさん……」

 

「ラークス卿……」

 

「リドリーさん……失敗してしまったようですね」

 

「ええ、申し訳ありません」

 

 事情を知らぬ者には、意味不明なやり取りであった。ガンツにも、レナードにも、ジーニアスでさえも。

 

 おそらく単純な学力ではこの場で最も劣るジャックが、『それ』に気づいてしまったのは皮肉としか言いようがない。

 

「ラークスさん……、俺に、リドリーを殺させようと……」

 

「はい」

 

 あくまで、ラークスは冷静に答えた。

 

 それまで息を呑んで見守っていた騎士たちに、どよめきが走った。ガンツも、レナードも動揺を隠せない。

 

「どうして⁉」

 

「止せ、ジャック。それを仕向けたのは私だ……」

 

「昨日、コロシアムに現れたリドリーさんは、私にこう持ちかけました」

 

 

 時は遡る。

 

 血相を変えたジュンザブロウの報告を受けたナツメは、決死の覚悟でラークスへと上奏した。

 

「私とレナード、選りすぐりの騎士たちで対処します」

 

 当然、騎士団へ招集がかけられるものだと思い込んでいた。

 

 ナツメの『リドリー』への感情は複雑である。(様々な意味で)敬愛するジャスネの愛娘であり、かつ彼の破滅の要因となった少女だ。

 

 だが、それ以上に王国に敵対する立場にあっては放置しておくわけにはいかない。まして、大胆不敵にもラジアータ城に現れている。

 



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リドリー⑥

 

 騎士として知恵も力も兼ね備えている彼女は、自分がジャックやエルウェンといった在野の者に及ばないと自覚できている。

 

 そもそもが、ダイナスもクロスも死して転がり込んだ『幸運』の将軍職である。周囲の『雑音』は彼女にも及んでいた。

 

その上で、座視できぬと行動を起こそうというのだった。避け得ぬ死を恐れる怯懦と、彼女は無縁であった。

 

「落ち着きなさい、ナツメ」

 

 ラークスの返答は冷静でそつがなかった。些か以上に気勢をそがれ、気分を害した様子の部下に対して非礼を見て取ったのか、宰相はやや口調をやわらげて続けた。

 

「暴れるでなく、私を指名しています。もし、我々を打倒するのが目的なら、そうする理由がない」

 

「ですが……」

 

「敵首魁の情報は、姿かたち以外はほぼ謎に包まれていました。今回、改めてリドリーの姿を模していることがわかったうえ、利性も知性も備えているようです。平和的解決を模索してみてもいいでしょう」

 

「ラークス様、すでに多くの仲間が『龍』と妖精たちにより倒れています。それを差し向けたのは……」

 

「あなたの懸念もわかります。ですから、護衛として控えてもらいましょう」

 

 ようやく、ナツメの顔に安堵が浮んだ。と、同時に別の疑問が湧き出て来る。

 

「仮にも騎士がこのような物言いをすることをお許しください。『桃色豚闘士団』の到着を待つわけにはいきませんか?」

 

 声色に緊張感が滲む。それは、将軍を担う者が自分以上に頼るべき相手がいると独白しているに等しいからだ。

 

「ジャックさんたちがいれば、より私も安心できますね。エルウェンやカインらもいれば百人力でしょう」

 

「であれば……」

 

「しかし、行動しないわけにはいかないのです」

 

 皮肉な話であるが、ラークスは『ジャックたちが戻る前』に、『リドリー』に対せねばならないのであった。

 

 ジャック及び『桃色豚闘士団』の功績は、今や並ぶべきものもない。だが、万物がそうであるように、事象には良い側面と悪い側面がある。

 

 『桃色豚闘士団』は、あくまでラークス麾下の一騎士団に過ぎない。しかし、巨大すぎる武功とその特異な立場が、その単純な仕組みをややこしいものにしていた。

 

 最早説明不要の『龍殺し』ジャック。勢力を落としているとはいえ、4大貴族であるロートシルト家の当主であるガンツ。ラジアータ最高の頭脳を持つと謳われるジーニアス。そして各ギルド

の精鋭らが力を貸すことを惜しまない人望。

 

 騎士団でありながら、同隊には騎士の影響が限りなく薄く、それでいて最強と称するに些かの迷いもない。するとどうなるか?

 

 非主流派にとっては、取り入る恰好の相手である。功績は十分、派閥の影響もなく、神輿としてこれ以上ない対象だった。現に、貴族や重臣らが時間を見つけては、縁を結ぼうと蠢いているのだった。

 

 無論、ラークスとて座視しているわけではないが、多忙を極める彼は全てを監視することなどできない。

 

 最悪の場合、『桃色豚闘士団』がラジアータの一大勢力と化し、混乱をもたらす恐れがあった。

 

 ジャック、ガンツとも政治的な野心も手腕も乏しく、人格的にも望んでそうなる可能性は低かったが、周囲が結託すれば悪夢も正夢と化すだろう。

 

 ラークスは、それを阻止せねばならない。王国のためにも、自身のためにも。

 

 ジャックらは『水龍』を討伐するだろう。となれば、さらなる武功が彼らにもたらされることになる。

 

 すでに、騎士団は『龍殺し』に頼り切っており、ラークスでさえ頭が上がらなくなっている等との中傷も流れていた。

 

国王の信任厚く、有能で清廉な宰相の地位を揺るがすためには、そうした姑息な手段に頼るしかないと一部の者は思っているのだ。

 

 それらを払しょくするためにも、ラークスはここで静観するという態度を取れないのだった。

 



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リドリー⑦

「ラークス様……」

 

「お久しぶりですね、リドリーさん……で、よろしいでしょうか」

 

 ナツメ、レナード以下数十名に護衛され、ラークスは『リドリー』の待つコロシアムへ赴いた。

 

 いずれも名にし負う騎士であるが、血の気の失せた、あるいはめぐりが良すぎた顔色を隠せなかった。

 

 何しろ目の前にいるのは、敵の首領にして『龍』に劣らぬ力を持つと囁かれる存在なのだ。元騎士の少女の姿をとっているのも、恐怖しか呼び起こさない。

 

「ご迷惑をおかけしております」

 

「ふむ、確かに色々と難儀しましたが……今はそれは置いておきましょうか」

 

 ナツメはラークスに感嘆していた。自分たちを一瞬で屠れるかもしれない相手を前に、些かの動揺もせず、あるいはそれを表に出さない。

 

「私をお呼びとのことでしたが、どのような用向きでしょうか?」

 

「はい、お話します……」

 

 『リドリー』は語った。自らが、秩序の修正力により金龍、ハップ、リドリーの混じり合った存在であることを。

 

 その3者の意志が競合した結果が、ある意味中途半端な形での襲撃となっていた。

 

 だが、それももう終わる。妖精たちに余力はなく、『ジャック』も倒された。

 

 残るは自分だけだ。

 

「投降の申し出ですか?」

 

「いえ、金龍とハップ……エルフの想いは消えない……こうして抑えていてもいずれはまた……」

 

「それでは?」

 

「まだ、私が私であるうちに、終わらせて欲しいのです」

 

 ナツメの目が見開かれた。つまりは、介錯を求めているのだ。

 

「……率直に申します。それならなぜ、ラジアータ城へ?」

 

 ラークスの問いは冷厳であったが、理に適っている。それなら、自身で『実行』すれば良いだけだ。

 

「できないんです……」

 

 弱弱しく、『リドリー』は微笑んだ。

 

「この身体は、私だけのものではないから……」

 

「……ジャックさんですね?」

 

 初めて喜びを見せ、彼女は頷いた。

 

「最後に、ジャックに会いたい……」

 

「私が言うのもおかしなことですが……彼は応じないと思いますよ。むしろ……」

 

「だから、ジャックにはそうと知らせずに……、幻想の中で……」

 

「ジャックさんが喜ぶと?」

 

「怒って……恨むでしょう……でも……」

 

 ゆっくりと、『リドリー』は胸に手を置いた。

 

「ジャックなら……私は……」

 

「ジャスネ様には、お会いに?」

 

「はい……もう、思い残すことは……」

 

 結局、ラークスは『リドリー』の提案を呑んだ。

 

 帰還したジャックに休息と称して猶予をやり、『リドリー』の力で催眠状態のまま誘導、彼女を倒すという策を取ったのだ。

 

 当然、多くの異論があった。ナツメでさえ反対し、王からも戸惑いの上で何度も確認をされた。

 

 それでも、ラークスが押し通したのは彼の冷徹なまでの危機管理能力からである。この方法が成功した場合、最後の脅威である『リドリー』を犠牲なく倒すことができる。

 

 そして、予想されるジャックの悲嘆と関係の破綻についても、処理できると計算したのだ。

 

 我に返ったとき、ジャックは間違いなくラークスへ不信感を持つ。だが、それでも反逆を起こしたりはしない。その『信頼』が確かにあった。

 

 もし、失敗した時も同様である。ラークスは確信していた。

 

 

「私は彼女の願いを聞き入れました。ジャックさん、貴方に手を汚させようとしたのです」

 

 一瞬、コロシアムの壁にひびが入り、騎士たちがよろめくほどの怒りを内包した殺気が広まった。

 

 『龍殺し』が、宰相に向けて恐らく生涯最大の怒りを放出している。

 

 平静だったのは、当人らとジーニアスくらいのものだった。

 

「……はあ」

 

 だが、その充満する殺気も瞬時に搔き消えた。ラークスの予想通り、ジャックは彼の正しさを理解し、ここで怒りを発露したとてどうにもならないとわかっていた。

 

 それが成長であるか妥協であるかの区別はつかなかったが。

 

「龍の力はそんなに凄まじいのか、いや、催眠状態に陥らせることなど容易い……」

 

「ジャックさん……」

 

 ジャックは『リドリー』を抱きかかえ、コロシアムの外へ向って歩き出した。

 

「ジャックさん⁉」

 

「おい、ジャック! まだ僕は聞きたいことがあるんだぞ!」

 

 ジャックは答えない。

 

「お、おい、お前……」

 

「何をする気ですか? ここからはー」

 

「ジャックさんを通してあげてください」

 

 立ちはだかるナツメとレナードを、ラークスの鶴の一声が叩いた。

 

 流石に一瞬ためらったものの、騎士である以上宰相の命令には逆らいようがなく。少女を抱えた青年を通した。

 

「ジャックさん、もう戻れないのです。ジーニアスさんの予測は正しかった。トゥトアスの秩序の残滓を認めれば、また同じことが起こります」

 

 突き放すでもなく諭すでもなく、ラークスは彼へ呼びかけた。

 

 ジャックは答えず振り向くこともなく、そのままコロシアムを出て、城の外へ向っていく。

 

 慌ててガンツとジーニアスが後を追うが、ラークスは騎士たちには行動を起こさせなかった。

 



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リドリー⑧

 城の外に出たジャックは、『白夜の都』を思い出していた。あの時もリドリーを抱いて……だが、今彼女は生きている。

 

「止めろジャック」

 

「とりあえず、どっかで落ち着こうぜ」

 

 ジャックは歩き出した。ガンツとジーニアスが追い付くが、その異様な雰囲気に、ガンツは言葉をかけるのがためらわれた。

 

「金龍、ハップの記憶も知りたい。秩序が作られる以前の歴史や、太古の妖精時代のことも記録したいんだ」

 

 ジーニアスは、そうでもなさそうだったが。

 

 ジャックはそんな二人を無視していた。というよりも、『リドリー』しか見えていなかった。

 

「遠い遠いところでさ、そこならお前が暴れても大丈夫だろ」

 

「わかってるだろ、ジャック……私は……」

 

「俺強くなったからさ、『龍殺し』だぞ?」

 

「ジャック……」

 

「ここじゃさ、みんなどうしても怖がっちゃうから……な?」

 

 門へ向けて、粛々と歩いていく。もう夜も遅い時間であり、流石に人気は少ない。

 

 だが、皆無ではなく、『ヴォイド』の張っていた根に足をとられずにいることは不可能であった。

 

「あれれ~、ジャックったらお熱いー」

 

 ひょこっと顔を出したヘルツが、『リドリー』を見つめて神妙な顔になった。流石の彼女も、城内で起きていることをまだ知り得ていない。

 

「ごめん、今ちょっと……」

 

「ん~、訳アリ? ならしょうがないっか」

 

 ひらひらと手を振って、ヘルツは去っていった。当然、オルトロスに報告するのだろう。

 

「ジャック……」

 

「大丈夫だって、リドリー」

 

 あくまで、ジャックの声は優しい。

 

 夜の街を行き交うのは大人たちだった。『桃色豚闘士団』に参戦していた者たちの姿はない。そもそも、長い任務から戻って休息をとっているはずなのだ。

 

 ジャックも、そうだったのだが……。

 

「うい~、あ~、嫁さん欲しい~」

 

「げっ、隊長」

 

「ん~、なんだあ、ケッ、女連れかあ~」

 

 出来るだけ早くその場を去りたかったが。泥酔したジャーバスはそれを許さない。

 

「騎士様は違うよなあ~」

 

「呑みすぎだよ隊長……」

 

「いいか、よく聞けよおジャック……」

 

 ジャーバスは『カンちゃん』でいつものように痛飲し(ツケ)、ギスケに叩きだされて虫の居所が悪かった。

 

『ヘクトン』は相変わらず依頼無沙汰で、日々貧窮にあえぐ彼は酒に逃げるしかない。

 

「お前ひとりでなあ、何でもできると思うんじゃないぞお」

 

「わかってるよ」

 

「『龍殺し』だなんて言ってなあ、一人で全部……大隊長や副長の助けもあって……うええっ、気持ち悪い~」

 

 ふらふらと、ジャーバスは去って言った。

 

 大出世を果たした元部下への恨みつらみが、酒も手伝って口を突いて出た。それだけだ。

 

 そしてそれが、ジャックの人生の一部に大きな変化をもたらした。

 



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ジャックとリドリー

 『太陽と栄光の黄街』を通り抜け、ジャックと『リドリー』はルプス門へ差し掛かった。

 

 少し離れて、ガンツとジーニアスが付いて来ているが、見守っているだけだ。

 

 不思議なほど人影も、街の明かりも少なく見える。

 

「行こう、『リドリー』」

 

「もう十分だ、ジャック」

 

 少女の頬を涙が横切った。

 

「本当に……ありがとう」

 

「あのな、これから出発するんだぞ? とりあえず……どうかな、北の大地とかに……」

 

「ジャック、本当にもう、後少しなんだ……」

 

 『リドリー』はジャックの手を握った。

 

「私が私でいられるのは……」

 

「大丈夫だって」

 

 少女を覗き込む青年の瞳はどこまでも優しく、悲しい。

 

「俺を信じてくれよ。リドリー」

 

「ジャック……」

 

「あの日、俺はお前と一緒に行かなかった。だから、今日は一緒に行こう、な?」

 

「ジャック、ジャック……」

 

 『リドリー』はほとんどジャックに抱き着いていた。

 

「共に、共に生きたかった……」

 

「今からだって遅くないよ」

 

「私が間違ってたんだ……全ては……」

 

「もうやめろリドリー、とにかく行こう」

 

「全ては私の罪……」

 

 瞬間、『リドリー』はジャックから弾けるように離れていた。

 

 ガンツとジーニアスの目からは、その体が金色に輝いているように見え、さらに背なにエルフのものらしく光の翼が生えていた。

 

「金龍とエルフの発現⁉」

 

 ジーニスアが昂奮して叫んだ。

 

「リドリー!」

 

「滅びは定め……トゥトアスの秩序……」

 

 振りかざした手に、禍々しい輝きを放つエネルギーが集っていく。

 

「リドリーさん⁉」

 

「やめろ、リドリー!」

 

「人は滅び、大地は蘇る」

 

「やめるんだ! 秩序の輪廻を外れ、なお繁栄を得る道がー」

 

「妖精たちの未来のために、ザイン様達の犠牲が無駄じゃなかった証のために」

 

 エネルギーが集約し、光球となった。かつてノゲイラやザインが見せた光弾の数百倍の力が、その中で暴風雨の如く渦巻いている。

 

 それが着弾すれば、ラジアータ王国は一瞬で灰燼と化すだろう。

 

「リドリー!」

 

「リドリーさん! 止めて!」

 

「妖精と人間は手を繋げられる! もう少し、もう少し待ってくれ!」

 

「全てはトゥトアスのため」

 

「リドリーイイイイイ!」

 

「ジャック」

 

 その時、『金龍』と『ハップ』の隙間から、リドリーが顔を出した。

 

「ありがとう」

 

「……!」

 

 

 その日、ラジアータ王国が消滅を免れついに新たなる秩序を確立した理由を知るのは、ガンツとジーニアス、ラークス。

 

 そして、『龍殺し』として『全て』の龍を滅ぼした、ジャック・ラッセルのみである。

 



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変わる世界と変わらぬ思い

 蘇りし『龍』は討たれ、妖精たちも抵抗を止めた。ドワーフとは以前のような平和的外交の道が模索され、グリーンオーク、ブラックゴブリンとも和平が結ばれる予定である。

 

 危機は去ったのだ。

 

 そう布告があったのは、ジャックが『リドリー』を抱いて城を出てから数日後であった。

 

 多くの人々は、訪れた平和に歓喜し、また新たなる時代にあっての道を模索し始めた。妖精らとの交易が復活するなら、巨大な富と利権が生れるはずだ。

 

 貴族や重臣、『ジェフティ』らは奔走し、ワークは新たなドワーフの武器が入って来ると喜び勇んだ。

 

 次の英雄を目指していたデイヴィッドやフランクリンは肩を落とし、アリシアの胸にはまた劣等感が湧いていた。

 

 いずれも、ジャックがそれを成したことを疑いもしなかった。

 

 事実、成し遂げたのはジャックだ。ただ、その胸に去来するものが栄光でも喜びでもないと知る者は少ない。

 

 

「それじゃ、行くわよ」

 

「うん、気いつけて」

 

「いい? しっかり掃除洗濯をするのよ。他の子にやってもらうなんてダメなんだからね」

 

「わかったよ」

 

 その日は、エアデールの出立日だった。相変わらず口うるさい姉に閉口しつつ、ジャックは唯々諾々と小言を受け容れた。

 

「ラークスさんにも挨拶したかったんだけど、忙しいみたいね」

 

「うん、色々あるって」

 

「失礼のないようにしなさいよ。お父さんの上司でもあったんだから」

 

「わかってるってば」

 

「それから、たまには家に帰って来なさい」

 

「……うん」

 

 姉を見送り、ジャックはそのまま自室に戻らず、とある場所を目指した。

 

 

「ジャックさん」

 

「団長……ジーニアスにクライヴも」

 

「僕は仕方なくだ」

 

「何か知らんけど呼ばれただあ」

 

 リドリーが、そして『リドリー』も共に眠る丘の一角。先客がいたのか、真新しい花が供えてあった。

 

 ジャックは、膝をついて祈った。あの日、ジャックが決断を下した末『リドリー』は消滅した。

 

 『アービトレイダー』でその胸を貫いたとき、確かにあった感触は消え、後には粒子が舞い……空へ溶けた。

 

 埋葬すべき肉体もなかったが、それでもジャックは『リドリー』を弔いたかった。

 

 祈りを終えると、ジャックは立上り街を見た。

 

 活気あふれ、一癖もふた癖もある人々が行きかう見馴れた光景。

『テアトル』では戦士たちが依頼をこなし、『オラシオン教団』では祈りと信仰を尊び、『ヴァレス』は科学と魔術を探求している。『ヴォイド』の深淵は、誰にも見通せない。

 

 それが今、無性に腹立たしかった。

 



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ラジアータストーリーズ

「行ってしまうんですか? ジャックさん」

 

「すいません、団長」

 

 全ての決断はジャックがしたものだ。彼は『リドリー』より、ラジアータに生ける全ての人々を選んだ。

 

 それは、かつてのように何も知らず翻弄された末ではなく、自我を押し通せるだけの力を得た末のもの。

 

 そしてまた、失ってしまった。

 

 多くの思い出を残して。

 

「好きにしろ、僕は新たなるトゥトアスの研究に忙しい。一つ言っておけば……お前の行動は間違いなく、人類を救ったぞ」

 

「およ、おめえまた行っちまうだか? せわしねえなあ」

 

 楽しく、苦しく、悲しく、忘れ得ない思い出を。

 

「ジャックさん、これから騎士団の再編成があるそうです。できれば一緒に……」

 

「大丈夫っすよ団長」

 

 アーシェラの『ジャック』シリーズは何と『桃色豚闘士団』に配属されることが決まった。この戦いで見せた功績を評価され、史上初のゴーレムの騎士が誕生したのだ。

 

 さらに、モルガンの『鎧』は改良を重ねて騎士団へ提供されることになっている。ついに砕けたとはいえ、『龍』と渡り合ったその性能はお墨付きである。

 

 だが、何よりもジャックが残る方が皆に心強いはずだった。それを、青年は拒否した。

 

 ラークスにも、エルウェンにもしっかりとそのことを告げた。

 

 二人とも、黙ってそれを容れた。

 

「それに、また戻ってきますって」

 

「……わかりました、でも、忘れないでください。私と『桃色豚闘士団』はいつでもあなたを待っています。もちろん、リドリーさんもです」

 

「……はい!」

 

 ジャックとガンツは固く握手を交わした。そして、『龍殺し』は人知れず王国を後にしたのだった。

 

 

「やあ」

 

「あれっ?」

 

 団長たちの姿が小さくなり、消え、気を引き締め直そうかというとき、彼女たちと出会った。

 

 ヴァージニア、ホリィ、ナギサ。異国三人娘である。

 

「挨拶もなしとは無粋なやつじゃ」

 

「水臭いですわよジャック様」

 

「ん~、そっか、やっぱ『ヴォイド』にはバレてたのか」

 

「みんな残念がってたよお、特に女の子たち……罪作りだねえ」

 

「と、ところでみんなどうして?」

 

「決まっている、帰してもらうのだ」

 

「はい?」

 

「ラジアータへやって来てから早幾年……とまでは行きませんが、そろそろ故郷が恋しくなってきましたわ」

 

「待て待て、ナギサはともかく、お前らはそんな簡単に……」

 

「ところがそうじゃないんだなあ」

 

 ヴァージニアが、封のされた書類を見せた。

 

「宰相ラークス様からの新善書。これがあるとちょっと違う」

 

「……なるほどなあ」

 

 ジャックはラークスの意図を察した。ラジアータを離れるこの機会を利用して、国交を結ぶ第一手を打って来たのだ。

 

 3人娘へそれを託すという形で。無論、正式な依頼であり他にも様々な策を講じているはずだ。

 

「ワシらはお主のせいでここへ来た、よって、お主が帰す義務があろう」

 

「その理屈はおかしいけど……かなわないなあ」

 

 こうなるとジャックと言えど苦笑するしかない。どれだけ強くなろうと、上には上がいるものだ。

 

「ま、いいか、どこにいくかも決めてないし」

 

「そういうことで」

 

「よし、まずはワシの家に……」

 

「いえいえ、私の故国へ参りましょう。正しき信仰が続いているか確かめませんと」

 

 早速言い争いを始めたナギサとホリィに呆れるジャックに、ヴァージニアが悪戯ぽく囁いた。

 

「それで? リドリーくんについて教えてくれるかい? どういう関係なのかなあ」

 

「……」

 

 大空を見上げる。澄み渡るような快晴だった。

 

「『桃色豚闘士団』の……一員さ。大事な仲間だ」

 

 新たな世界の、新たな物語が始まろうとしている。

 

 だがそれは、過去を消し去ったのではなく、綿々と続く思いを受け継ぎ続けるのだ。

 

 世界が変わろうと、思いは変わらない。

 

 これは、ラジアータの数多ある物語(ストーリー)。

 

 ジャック・ラッセルが紡いだ中の、一つの物語。

 



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