囚われの殺人貴 (三和)
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1

「……」

 

ページを捲る…悪くない…手持ちの本を読み尽くしてしまい、適当に普段読まないジャンルの本を注文したが中々どうして…面白い。作者の名前を確認する…ふむ、次からはこの作者の本を買い求めてみようか。

 

「おい志貴!これから将棋でもしようと思ってるんだが、お前も参加しねぇか!?」

 

そんな声が聞こえ、俺は本を閉じ、そちらに顔を向けた。

 

「良いですね、やりましょうか。」

 

本を仕舞い、俺がそちらに向かおうとした時…

 

「521番!遠野!」

 

部屋の外から呼ばれたので俺はそちらに顔を向けた。

 

「はい?何でしょうか?」

 

「面会だ。」

 

看守にそう言われ肩を竦め、さっき声をかけて来た同房の囚人の方を向いた。

 

「すみません、先に始めててください。」

 

「おう!分かった!」

 

「行くぞ。」

 

「はい。」

 

看守に促され、部屋を出る…やれやれ…恐らくまたアイツだろうな…今日はせっかく作業が無かったというのに…

 

「面会に来たのは誰でしょうか?」

 

先を歩く看守にダメ元で聞いてみる事にする…他に可能性は無いとはいえ、出来る事なら違う奴であって欲しい物だ…

 

「…妹さんだ。」

 

そう言われ、盛大に溜め息を吐く…普通こんな事を看守の前ですれば叱責物だが、今日は免業日だし、この人は俺の事情を多少なりとも知っているから苦笑する程度で収めてくれるだろう…

 

「…そういう反応をするな。お前からしたら他人かもしれないが、向こうはお前の事を想ってくれているんだぞ?」

 

「…すみません、それは分かるんですが…」

 

「私は良く分からないが、記憶そのものが無い、という訳じゃないんだろ?」

 

「ええ…ただ、俺にはどうしてもそれが自分の記憶だと思えないんですよ。」

 

今まで生きてきた軌跡…脳裏にあるそれが自分の記憶だと認識出来ない…他人の生涯を記録として見ているのと何も変わらない。

 

「家族であるという実感が無い以上、俺は彼女に他人としての反応しか返すつもりはありません。記憶があるからって彼女の兄としての自分を演じるのは、彼女の為にも良くないし、俺もしたくありません。」

 

「お前がここから出るには彼女の力を借りる必要があるぞ?」

 

「それは前にも言ったでしょう?俺は…ここから出るつもりはありません。俺は…」

 

「まあ意固地になる事も無いだろう。とにかく向こうは遠い所をわざわざ来たんだ…ここにいるのは皆、身内がいないか絶縁状態になってる者が多い…お前は恵まれているんだぞ?」

 

「…分かってますよ、嫌になるくらいには。」

 

彼女が俺に会い自分や、自分の所にいる従者二人、それからかつての俺の友人の近況…そんな話を早々に打ち切り、俺の方から拒絶の意志を示す度見せる…彼女の顔が…俺に罪悪感を抱かせる…

 

「なら、少しは彼女の話だけでも聞いてやれ。お前が彼女の話を遮ってその度に彼女が顔を曇らせているのは分かってるだろう?」

 

「俺みたいのに関わる必要も無いでしょう?さっさと諦めれば良いんです。」

 

そうだ…俺に構う必要は無い…俺は…人殺しなのだから。



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2

看守に促され、部屋に入る…アクリル板の向こうにすっかり見慣れた顔があった…黒く長い髪にカチューシャが特徴の少女、ではなく女性…遠野秋葉…俺の妹だと言い張る女が椅子に座っている…

 

「兄さん、お久しぶりです。」

 

「……ああ。」

 

笑顔で話しかけて来る彼女に気後れしつつ、返事をする…

 

「調子はどうですか?ちゃんとご飯食べてます?」

 

「ああ。ちゃんと三食出てるし、食べてるよ…最近はあまり貧血も出ないんだ。」

 

「そうですか、良かった…それで今日「秋葉、前置きは要らない。時間が無いからさっさと用件を言ってくれ。」…はい…兄さん、屋敷に戻って来て貰えませんか?」

 

「断る。俺は戻る気は無い。」

 

「兄さん…」

 

「今更俺が戻って何か変わるか?遠野家の当主はお前だろう?…学生の時のあの頃とは違うんだ。」

 

「私たちは…家族なんですよ…?」

 

「違う。俺たちは他人だ、血だって繋がってない…俺は、遠野の人間じゃない。」

 

「…なら、他人でも良いです…私は兄さんの事を「お前の気持ちに答えるつもりは無い…もう帰れ。」貴方はここで…一生を過ごすつもりなんですか!?」

 

「そうだ。俺はここを出ない。」

 

「……良いでしょう、分かりました…兄さんがそこまで言うなら私にも考えがあります…!」

 

「遠野家の力はここでは及ばない…何をやっても無駄だよ、秋葉。」

 

「…今日は帰ります…でも…私は諦め「秋葉」ッ!」

 

俺は眼鏡を外し、秋葉を睨みつける…口に出せばこの後俺は懲罰を食らうからな、だがこれだけで伝わる筈だ…今この場で俺はお前を確実に殺す事が出来る、と。

 

「帰れ、もう二度と来るな。」

 

そう言うと、眼鏡をかける…視界にあった線が見えなくなる…くそっ…!頭痛がする…!

 

「ッ!すみません…もう面会終了にして下さい…」

 

俺は後ろを向き、見張りとして立っていた看守に言った。

 

「…まだ時間は残っているが…」

 

「体調が悪いんです…」

 

「……確かに顔色が悪いな…分かった…ではこれで終了としよう…そちらも良いですか?」

 

「はい…」

 

「行くぞ、遠野。」

 

「分かりました。」

 

俺は席を立ち彼女に背を向けた。

 

「兄さん!」

 

足を止める。

 

「私は…諦めませんから…」

 

「……じゃあな。」

 

俺は看守の開けたドアから外に出た。

 

 

 

 

「大丈夫か?」

 

「はい…だいぶ良くなって来ました…」

 

「一応医務室に寄って「いえ、大丈夫です…何時もの頭痛ですから」しかし…」

 

「本当に大丈夫ですから…」

 

「分かった…部屋に戻るぞ。」

 

「はい…」

 

看守の後につき、部屋まで歩く…遠野秋葉…あいつは大体、月に一度のペースでやって来る…俺を屋敷に連れ戻す為に。……前の俺があの屋敷での生活をどう思っていたかは知らないが、”俺”はあんな生活はごめんだ…同じ籠の中にいるにしてもここの方が断然良い。

 

あいつは家族だの何だの、俺に言ってくるが、心が動く事は無い…そんな中身の無い説得は響かない。結局あいつは俺をただ、自分の手の届く所に置いておきたい、単に囲っておきたいだけなのだ。そこに俺の意思は介在していない。



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3

あれから数日後、俺はまた面会室に向かっている……ただ、今回は事情が少々異なる。

 

「久しぶりですね、遠野君?」

 

「どうも…シエルさん。」

 

刑務所には教誨師と呼ばれる人物が良くやって来る…まあ簡単に言えば宗教家だ…日本は他の宗教に比べて仏教が広く浸透してこそいるが、本気で信奉してる奴はそう多くは無い…が、刑務所、という特殊な場所柄故か、ここでは本気で信者になろうとする者が一定数出て来る

 

……とはいえ、別に俺は宗教に傾倒しているわけじゃない…ましてや目の前にいるのは教会の関係者、仏教でさえ本気で信じている訳じゃない俺には無縁の相手だ…本来なら。

 

「昔みたいに先輩…って呼んでくれても良いんですよ?」

 

「公私は別けるものでしょう?第一、そう呼んでいたのだって学生の頃の話だ。」

 

「そうですか…」

 

聖堂教会の始末屋…具体的に言えば人に害成す者…死徒等の化け物、あるいは人には過ぎた力を持ってしまった異端者を神に代わって裁き、狩る者…代行者。それが目の前の女、シエルの肩書きだ。

 

「で?よりにもよって就寝前に何の用ですか?面会時間はとうに過ぎてますけど?」

 

俺は後ろを向く…見張りの看守すらいない…高々教誨師にそこまでの権限があるのか?

 

「遠野君とちょっとお話したくてですね、ちょっと二人きりにさせてもらいました…後、この時間にしたのは他の人に話を聞かれないように、と思いまして。」

 

「俺は別にそこまでして聞いて欲しい話はありませんけどね…」

 

教誨師と話すのは大抵の場合、自分がしてしまった事の許しが欲しいから…その罪の重さを少しでも軽くしたいと宗教に救いを求めるのだ…教誨師は話を聞き、神に代わって許しを与え、死後の安寧を約束する……俺はそんなのはごめん被る…ここは長期刑の奴が多く長く一人で苦しんで来た奴が多い…そんな連中が救いを求める事を俺は否定しない。

 

だが、俺はいらない。これは俺の罪だ…誰にも勝手に終わらせない。俺が、一生背負って行く……許しも、ましてや救いなんて絶対いらない。

 

「分かってますよ。私が一方的に遠野君と話したいだけです。」

 

「それは仕事じゃないですね…人払いまでして一体どんな話がしたいんですか?」

 

「……私はですね、今日は生意気な後輩と昔話をしに来たんですよ。」

 

「……明日も早いんで房に帰って寝ても良いですか?」

 

今更他人同然のかつての自分に関する話など聞きたくは無い…大体、明日は平日、朝から作業がある…

 

「ダメです♪」

 

「……アンタにそんな事言う権限は無いでしょ?じゃ、俺は帰りますから。」

 

席を立ち、後ろを向く…ドアに手をかけ「あっ、言っておきますけど一時間は開けて貰えませんよ?」

 

「チッ…!」

 

この女…!俺は仕方無く席に戻ってシエルを睨み付けた…見張りはいないがカメラはある…あんまり迂闊な事は出来ない…この女は性格悪いからな、これ以上突っぱねると面倒な事になりそうだ…大人しく話を聞くとするか。



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4

「いやー、どうしても長くなって「もう良いでしょう?とっくに一時間なんか過ぎてる筈です」……遠野君、この部屋に時計はありませんよ?」

 

「ここに入って長いんですよ。最早体感である程度時間は分かります…が、どうやら開けられる様子は無さそうですね。ドアの向こうに気配がありませんから。」

 

「……」

 

「本題、入ってくださいよ。本当は何の話をしに来たんですか?」

 

「…もう少し、遠野君と普通のお話がしたかったんですがね…分かりました…ではお聞きしましょう。遠野君?貴方のその記憶を自分の物として認識出来ない症状、何が原因ですか?」

 

「……」

 

「どうしました?答えられま「事故ですよ、単なる事故。」…仮に消えてこそいないものの、記憶に障害をきたしているそれは単なる事故には当てはまりませんよ?」

 

「それは…別に良いでしょ?被害にあった俺が単なる事故と言っているんですが。」

 

「遠野君、いまこの部屋のカメラは停めてもらってます。」

 

……この女、何でここまで自由に出来るんだ?

 

「話してくれませんか?」

 

「……カメラが停めてあろうがどうだろうが…俺の答えは変わりませんよ。」

 

「そうですか。」

 

「話は終わりですか?なら、さっさと連絡取って開けて貰えますか「最後に一つだけ」…分かりました、何ですか?」

 

「アルクェイド。」

 

背筋に冷たいものが走る…

 

「…秋葉さんから聞いた所、貴方はここに来る前の時点で遠野家を出ていたそうですね、それはつまり彼女を選んだ、という事でしょう?」

 

「……」

 

「最後に聞かせてください、貴方は何故一人でこんな所に「答える義理はありませんよ」……何となく、そう言うんじゃないかと思ってました。」

 

彼女が携帯を取り出した。

 

「もしもし…ええ、終わりました…はい、失礼しますね。」

 

「今日の所は帰ります「もう来ないで欲しいんですがね」そう悲しい事言わないでくださいな、次は聞きませんから。」

 

「何度も言うように今の俺にとってアンタは他人です、会っても何の感慨もありません。」

 

「それでも…私は会いたいです…秋葉さんも同じじゃないですか?」

 

「恋愛感情も独占欲も…色々ドロドロしたものがごっちゃになって自分でも整理のついてない女なんて真っ平ですよ。」

 

「奔放な吸血鬼に振り回されるよりは楽かと思いますけど?それとも私が良いですか「アンタだって嫌ですよ。」じゃあ今の遠野君が好きな女の子ってどんな子ですか?」

 

「……俺の過去を気にしない、触れて来ない歳上の女性なんて良いんじゃないですかね。」

 

「あ♪歳上が良いんですか♪なら私「アンタさっきから俺の過去をほじくり返してただろ?死んでもゴメンだよ」あ~あ…ざ~んねん。 それじゃあお迎えが来たようなので帰りますね?」

 

そう言った所でドアが開き、看守が声をかけて来て俺は椅子から立ち上がり、背を向けた。

 

「遠野君?」

 

俺は足を止めた。

 

「またゆっくりお話しましょう?」

 

「……」

 

俺はドアの外に出た。



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5

「チッ!お前!こんな所で本気で一生を過ごす気かよ!?」

 

「ああ、本気だよ。…やっと手に入った平穏な生活だ…邪魔しないで欲しいな。」

 

 

 

この刑務所は年齢層が比較的幅広い…まあ突き詰めれば多分何処も似た様なもんなんだろうけど…より具体的に言えば、基本は二十代の若者から最年長は八十五の爺さんまでいるんだ…そんでこれだけ差がある中、他の刑務所もそうだが、受刑者の不満を減らす為に定期的に行事が行われている…そして今、行われようとしているのが最も盛り上がる行事だ。

 

 

 

「ふー…」

 

「……頑張るのは良いですが、あんまり無理しないでくださいよ?」

 

俺は横で屈伸をしている爺さんに声をかける…年に一度しかない行事の中でも特に人気があるのでこの運動会で、年齢層こそ幅広いと言ったが、実は比較的若い奴の方が圧倒的に多く、高齢者は人数が少ないので年齢毎に別れての競技は必然的に不可能…だから若いのに混ざって高齢者が一緒に走る…で、俺の横で張り切って屈伸やってるのがさっき言った八十五の爺さん…てかこの爺さん普段は所内を杖着いて歩いてるんだが…俺もいよいよ見慣れては来たがまだ慣れない…

 

……刑務官も苦笑いするだけだが…正直怪我されても困るし、見てて落ち着かない…っ!

 

「…志貴、今回はお預けだな。」

 

「…まあ、良いじゃないですか。これも運動みたいな物ですし。」

 

刑務所内に響き渡るサイレンの音…火事、ではなくこれは脱走者が出た合図だ…ここは特殊な事情を抱える受刑者が多く外出も基本的に出来無い…基本、房内が生活基盤にならざるを得ない俺たちが仮に脱走するとしたら…実はこのタイミングしか無かったりする…で、何故これを俺が運動と言ったかだが…

 

「…つってもお前らしか走らねぇじゃねぇか。」

 

「…どうせ一人じゃないでしょうし、連中も気が立ってる筈ですからね…怪我でもされたらこっちは寝覚めも悪くなりますから。」

 

ここは刑務官の数が少ない…だが、不思議な程ここは秩序が保たれており、普段は運営上は余り問題が無かったりする…とはいえ、人数が少ない以上、こういう有事の際は俺たちの様な若い受刑者にもお鉢が回って来るのだ…今回の役目は脱走者の確保になるだろうな…

 

「ほら、大人しく房に戻ってください。」

 

「ふん。ヘマすんなよ。」

 

……俺もお人好しの方かもしれないが、そこを差し引いても不思議とこの爺さんに怒る気になれないんだよな…それは俺の同房の他の奴や、刑務官も同じだろうな…おっと、刑務官が呼んでる…さっさと行くか。

 

 

 

 

で、持ち場を決められて待ってたら、早速やって来た奴がいた訳だ。

 

「…つーかここ、外にこそ出れないが、割とルールも緩いし、そんなに悪くないと思うが「うるせぇ!そこをどけ!」……」

 

こいつ入ったばかりの奴か…なら、キツいかもな…ま、同情はしないが。

 

……殴りかかって来たそいつの頭を蹴飛ばして昏倒させながら俺はそんな事を考えた。



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6

「すまない、助かったよ。」

 

「いえ、気にしないでください。」

 

あの一件の後、俺は刑務官の一人に連れられてやって来た所長室で俺は所長と話をしていた。

 

 

 

「…少々やり過ぎたかと心配していたのですが…相手は大丈夫でしたか?」

 

「…軽い脳震盪と、骨折程度だ…心配しなくても君の責任は問わない、そもそも、元々はこちらの落ち度だからな…」

 

最初に一人やって来た後、その後も数人やって来たが最後の一人がよりにもよって、警棒を持って襲って来た時は何の冗談かと思った…嘗ての記憶を自分の物と思えないとはいえ、人外と数多く戦った経験と、俺の身体に染み付いた人外と相対する為の体術のお陰で何とかなったものの…あまり加減が出来無かった…

 

「…警棒を奪われた奴には「いえ、俺は別に怒ってませんし、そういう事もあるでしょう…あまりキツく言わないでくれると」……いや、そういう訳にもいかない。そいつにはそれなりの罰は与えなければならない。」

 

「そうですか…」

 

ここの受刑者でしかない俺にはそれ以上何も言えないな…

 

「取り敢えず奴は大丈夫なんですね?」

 

「ああ…改めてすまなかった…もう戻ってくれて良いぞ。」

 

「はい。」

 

 

 

「おう!志貴!どうだったよ!」

 

房に戻れば先程の爺さんが声をかけてくる(実は同房の人間の一人)

 

……そこで遠巻きに見てる連中はもう少し何とかして欲しいんだけどな…正直今日は疲れたからあまり絡んで欲しくない…出にくくはなったとはいえ、貧血は無くなった訳じゃないし、体力にもあまり自信ある方じゃないから、あそこまで動くとそれなりに疲れる…

 

「…退屈だったのは分かってますが、疲れてるんで…出来れば明日にして貰えると…幸い、明日は休みですし…」

 

俺は自分のスペースに行くと読みかけの本を取り出し、開く…出来る事なら横になりたいが、さすがに就寝時間前に床に就く事は許されてない…本格的に寝込まなくてはならない程体調は崩してないからな…

 

「何だよ、つれねぇなぁ…」

 

「何なら将棋でもやりますか?静かにしてくれるなら付き合いますよ?」

 

「そうだな…うし!やるか!」

 

……だからそのテンションをどうにかして欲しいんだが…まあ、良いか。本当にこの人は何なんだろうな…何と言うか憎めない爺さんだ…

 

将棋をやっている内に就寝時間を示す音楽が聞こえて来たので片付けを始める…さて、と。

 

「521番!遠野!」

 

「はい?」

 

外から刑務官に声をかけられ返事をする。

 

「お前に面会だ。」

 

「は?就寝前ですよね?」

 

「……そうだ。」

 

ふと思う…こんな時間に来れる奴なんて一人しかいない気が…

 

「断る、って訳には行きませんよね…?」

 

無言で頷く刑務官に溜め息を吐きたくなったが、堪え、刑務官が開けたドアから俺は房の外に出た。



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7

「あ、良かった…心配していたんですよ?」

 

「また貴女ですか…シエルさん。」

 

俺はもう何度目かも分からない溜め息を吐いた…

 

 

 

 

「人の顔を見ていきなり溜め息吐かないでくださいな、失礼じゃないですか。」

 

「理由は…貴女が一番良く分かっている筈ですが?」

 

「…何で、昔の知り合いにそこまで冷たくされないといけないんですか。」

 

いつもの様な演技で無く、本気で傷付いた様な顔をするその女性を見て俺の方が狼狽える…何だって言うんだ…

 

「……何か有りました?」

 

「何か有ったのは遠野君じゃないですか…今日、ここで脱獄騒ぎが有ったって聞いて…慌てて飛んで来たんですよ?」

 

「…ここでは割と良く有る話です。今更騒ぐ様な事じゃない。」

 

「…それは…そうですけど…で、でも…武器を持った相手に襲われたって聞いて…」

 

「俺がその程度で負けるとでも?自分の事が曖昧でも…ちゃんと七夜の暗殺術はこの身体に今も染み付いている…素人に遅れは取りません。それは嘗てこの身体と刃を合わせる事の有った貴女なら俺以上に良くご存知でしょう?…言って下さい、本題は…何ですか?」

 

「……どうしても知りたいんです…貴方の身に何が有ったのか…覚えてない訳じゃ…無いんでしょう?」

 

「ふぅ…何で今になってそんなに俺に構うんです?貴女だってそれなりに忙しい身の筈だ…それもこんな時間にやって来て……ちゃんと睡眠取ってます?」

 

前々から思っていたが…"俺"の記憶の中に有る"シエル先輩"と…今ここに居る"シエルさん"は…見た目も雰囲気も明らかに異なる…取り敢えず見た目の面だけ具体的に言えば…顔はやけに化粧が濃いし…身体からは少々キツめの香水の匂いが漂う…恐らく顔に施した厚化粧は目のクマやこけた頬を少しでも誤魔化す為…匂いのキツい香水は体臭を目立たなくする為…単純に忙しくて風呂に入れてないだけか、あるいは……

 

「ここの職員、色々修羅場潜ってる様ですし…それなりに鋭い人たちが多いんですが…良く誤魔化せましたね…」

 

「!……分かるんですか?」

 

「まぁ…俺も初めて嗅ぐ匂いじゃないんで……お仕事の帰りですか?」

 

キツい香水の香りの中に僅かに混じる異質な生臭い匂い…それは多分血の匂いだ…俺も嘗てこの匂いに悩まされていた過去も有るし、ここでもたまに嗅ぐ事が有る…身体に染み付く様にも感じるそれは…ほとんどは気の所為だろうが、意識してしまうとそれなりにキツい匂いなのは確かだ…とは言えこうして対面してるだけの俺にまで分かるんだ…多分、今日実際に何人か仕留めてから来てるな…

 

「睡眠は元より、食事もろくに取っていないんでしょう?聖堂教会も…今はそれなりに人手不足の様ですね…」

 

「…私の事を…心配してくれるんですか…?」

 

「化粧で誤魔化せないくらいそんなに暗い顔されれば…ね…まぁ心配と言うより一種の同情ですけど。」

 

「やっぱり遠野君は優しいですね…」

 

今日は余程疲れているらしい…向こうはこのまま愚痴でも零しそうな雰囲気だが…その前に一つ訂正しておきたい。

 

「七夜。」

 

「え?」

 

「俺の事は七夜と…そう呼んでください…今の様になる前に既に俺はあの家を出ている…俺はもう遠野の人間じゃない…俺は…七夜志貴だ。」

 

「と…七夜君…」

 

「まぁ…軽い愚痴程度なら聞きますよ。貴女が来る頻度をもう少し減らしてくれればですけど…何も貴重な休みを浪費して…こんな所まで来る事無いでしょう?」

 

相手はほとんど記憶の中に有るだけの赤の他人と言っても良い存在だが、それでも今の様に凹んでいたら同情を寄せるくらいには大切な存在だったのかあるいは…単に今の俺がお人好しなだけか…記憶は有ってもそれに何の感情も持てない今の俺には分からないがな…

 

「それじゃあ少し聞いてくれませんか…その…実は…」

 

その後…軽い気持ちで話を聞いてしまった事を俺は後悔した…何せ彼女の話は朝になるまで続いたからな…元々イベントごとが有る筈だった日の翌日と言う事も有り、今日は休みだが……お陰で俺は寝不足だ…全く、安請け合いするんじゃなかった…これからはあの人とはもう少し慎重に話すとしよう…



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8

寝不足では有っても…ここは一応刑務所だ…余程体調が悪いとかでは無い限り、勝手に布団広げて仮眠を取ったりとかは出来無い…いつもの様に本を読んでいるとそのままうたた寝してしまいそうだし、ちょうど誘われた事も有ってこうして俺は爺さんと将棋を打っている。

 

「おっしゃ!王手!」

 

「…ん?では王を逃がしましょう……ここにしますかね。」

 

「んなっ!?そこじゃ取れねぇだろ!?」

 

「取られたら負けるでしょ?」

 

まぁ眠かろうがどうしようが…手を抜く気にはなれない。遊びでは有ってもコレは勝負なのだ…

 

「クソ!んじゃあ取り敢えずここに「ハイ、そこはアウト…飛車…貰いますよ?」あっ!?テメェ!」

 

「騒がない騒がない……怒られますよ?」

 

さっきも言った通りここは刑務所だ…休日とは言えあまり騒げば当然刑務官から注意される事になる…まぁ休みでは有るし、多少多めに見ては貰えるが。

 

「……いや、そこも駄目ですって…桂馬も頂きます。」

 

「クソが!」

 

「……そろそろ後が無いみたいですけど…まだやります?」

 

「っ!当然だ!」

 

「……既に、俺の駒がそっちの陣地に三枚入ってるんですが… 」

 

俺の駒は完全に爺さんの陣地を侵食しつつ有る…何なら普通に次手で王手に出来る…仮に手心を加えても…後二手で完全に王は取れるだろう…

 

「…次の対局に移りませんか?」

 

「待て!ちょっと考えさせろ…」

 

「どうぞ。」

 

まぁ、良いか……どう頑張っても負けるなら俺だってそう言うが…実は爺さんは後一手で俺の王を追い詰める事も可能だ…一件完璧に見えるこの鉄のカーテンにも穴が有る…問題は気付けるかどうか、だ…とは言え、ただ待つのは退屈だ…

 

この爺さん、最初は強気でガンガン打って来るが…今みたいに追い詰められた際に長考に入ると長い……何なら一時間近く悩む事も有る…

 

「俺は本でも読んでますから、次の手が決まったら呼んで下さい。」

 

寝てしまいそうだが、このまま何もせず待ってるのも辛い…

 

「チッ!余裕の表れかよ…絶対吠え面掻かせてやるからな!」

 

「ええ、出来るなら是非……あ、人に聞いたり駒を勝手に動かしたら駄目ですよ?」

 

「なっ!?俺がそんな事すると「つい数日前の勝負でどっちも実際にやったじゃないですか」ぐぬぬ…!」

 

ぐぬぬって…実際に口に出す奴居るんだな…それはそうと、この爺さんは本当に油断も隙も無い…実際分からなかったらこの房の他の受刑者に聞きに行く(基本的には教えないが、ちょっとした賄賂を出せば答える奴もいる…もちろんバレたら懲罰物の話になるが)最もそれだけならまだ良いが、駒をズラすのは俺もさすがに許容出来無い。一応人生の先輩に当たる訳だが、そこまでして俺みたいな若い奴に勝ちたいのかと呆れてしまう…

 

そんな事を考えながら自分の私物を入れてるロッカーまで行き、本を取り出す……おや、後100ページ程しかページの残りが無いな…この爺さんは俺が読み終わる前に手が浮かぶんだろうか?……まぁ良い、最悪他の奴に一冊借りれば良いか。



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9

結局あの後爺さんは二時間悩み続け、房仲間に借りた二冊目の本を半分程読んでいた所で俺に声を掛けて来た……正直、将棋の展開より今はこの本の続きが気になるんだが…まぁ仕方無い、か。

 

「どうだ!?」

 

「おお…」

 

とは言え実際に爺さんの打って来た手には驚いた…二時間悩んだだけ有り、爺さんの打った手はちゃんと俺の王にまで届いていた…この爺さん、時々こう言う奇跡を起こすから侮れないんだよな……まぁ勝率は俺が高いとは言え、普通に俺が負ける事も有るから元々爺さんが弱いと思った事は実は無いんだが…

 

「…分かりました、俺の負けです。」

 

「おっしゃ!」

 

俺よりずっと歳を重ねてる癖に、こうやって遊びに本気になって且つ勝ったら子供の様にはしゃぐ爺さんに何処か微笑ましい物を感じる…まぁここまで邪気無く喜ばれれば負けても俺もあまり悔しさは感じない。負けて失う物が無いと言う事も有るが…と、そこで俺に本を貸してくれた奴が声を掛けて来る。

 

「おい、志貴。」

 

「ん?」

 

「……お前、アレまだ勝つチャンス有ったろ。」

 

……声は潜めてくれているからまだ良いが、それでも言わなくて良いだろ…

 

「…向こうが散々悩んで出した答えだ、失礼だとは思うが…さすがに花を持たせてやりたくはなる……と言うか、ここで引かないとまた煩くなるからな。」

 

「お前それが本音だろ…つか、多分無駄じゃないか「おい志貴!何こそこそ喋ってやがる!もう一回やるぞ!」…ほらな。」

 

まぁそりゃもう一回挑んで来るだろうな…ただ…

 

「負けて根に持たれた状態でやるより遥かにマシだ。」

 

「確かに。」

 

結局次の勝負では余裕ぶちかましてた所為か、普通に俺がストレートに負けた…いやはや…本当に色々な意味で油断ならない爺さんだ……で、その後の三ゲーム目は本を貸して来た奴に押し付ける事にした…この爺さんの将棋熱は凄いからな…あまりに執拗い所為で付き合ってくれるのが俺だけのパターンが多いだけで、別に爺さんは俺に拘ってる訳でも無い…すぐに俺からそいつに矛先を変えた。そいつは初めこそ断っていたが、あまりの執拗さに結局折れた。

 

……いや、俺にそんな恨めしそうな視線向けられてもな…大体、俺より強いんだからさっさと終わらせれば良いだろうに。

 

結果…爺さんは何度か挑んだがそいつに結局一度も勝てなかった…(まぁコイツに爺さんはいつも負けてるが…)とは言え本人は元はプロで、そこからアマチュアの賭け棋士に堕ちたとか言ってる奴だから…それが事実なら趣味でやってるだけの爺さんが勝てる道理は無い。

 

……本当の事を言っている保証は無い。こんな場所だ…俺の様に素性を隠そうとする奴が大半の中で、ペラペラ自分の経歴を話す奴なんてほとんどが嘘吐きだ…まぁ一つ言える事が有るとすれば、コイツはこの房の中で一番将棋が強い…それだけは確かな事実だ(そもそも賭博が厳しく取り締まれるご時世にそんな生活が続けられる訳も無い。最も…だからこんな所に居る、とも言えるかも知れないが。)



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10

俺は…この場所に愛着は有った。今の"俺"として目覚めてから自分の物とは思えない記憶から読み取った俺の力…暗殺者一族『七夜』としての高い身体能力はまだしも…視界に入るこの線…ただ手や刃物などで軽くなぞるだけで物体を完膚無きまでに破壊出来る『直死の魔眼』…魔眼殺しとやらだっていつまで使えるか分からない…自分の事を恐れ、逃げる様に各地を放浪していた俺はある日…とある村で遭遇した死徒を狩り(その気は無かったが俺は人外から目を逸らせない…コロシたくて…堪らなくなる)生き残りの通報で殺人罪で牢にぶち込まれる事になる…が、警察の捜査によりそもそも俺が殺していた連中が明らかに人間では無い事が判明。

 

それどころか俺が国内の人間でない以上、この国の法律では裁けないと言われる(相手が人で無かったとは言え、仮にも殺人罪として捕まってるんだからそんな訳無いと思うのだが…まぁ俺の気にする事じゃない)そして…俺は恐らく数年振りに日本に帰って来る事になる…まぁ久々の母国を見て回るなんて事が出来る訳も無く…さっさと牢にぶち込まれる事になるんだけどな。

 

入る前は…そこは重犯罪者や特殊な事情の犯罪者など、表に出せない連中の収容場所とか聞いたからそれこそごみ溜めの様な場所を想像していた…結果、その予想は比較的良い意味で裏切られた。

 

房自体はそれなりに騒がしいが悪い雰囲気は無く、配給される物資だってさすがにそう多くないが…少ない中、刑務官まで含め…皆で協力して少しでも良い環境を作ろうとしている節が有った…と言うか、休業日や自由時間なら多少騒いでも多めに見られると言う時点でここは刑務所なのか?と不思議に思った。最も…それにもちゃんと理由が有る。

 

ここは島一つを使った監獄…要は基本的に外出が一切出来無いのだ(そもそも色々訳有りで表に出せない奴が収容されてるんだけどな)

 

映画とかなら外界から隔離されたこう言う場所は治外法権扱い…それこそ無法地帯にだってなりかねないここで受刑者たちが率先して秩序を守る理由、それは…それだけ内部の規律が緩いからだ…変に贅沢したりワガママを言わなければある意味で娑婆より天国…直接聞いてみた事は無いが、きっとそう思ってる連中も一定数居るだろう…

 

……長くなったが、今の俺にとってここは楽しい楽しい"我が家"なのだ。だからもし…

 

……ここの"平穏"を乱す奴が居たら…俺は…仮にそれが誰であろうと決して…決して俺は許さない…地の果てまでも追い掛けて…泣き叫び、命乞いをするそいつが事切れるまで手指から一本一本切り落とし、その行いを後悔させながらゆっくりと…絶命させるだろう。例え、それが誰であろうとだ…

 

地位や性別、年齢など関係無い、俺の拠り所はここなのだ…自分の家で意味が有ろうと無かろうと…暴れる馬鹿に容赦する理由は無いからな…だからさ…

 

「どんな存在だろうと関係無い…俺は…」

 

足元に目をやる…そこには物言わぬ骸となったあの爺さんが転がっていた…俺が…殺した…この手で。

 

……いっそ死徒にもならず死に至っていたなら…まだ幸せだっただろう…成り損ないのまま…しかも自我を残したまま…吸血衝動に抗いながら爺さんは懇願した…俺に、殺してくれ…と。

 

吸血鬼は普通の方法では殺せない…何故俺に殺れると思ったのか…藁をも縋る想いだったのか…あるいは…俺が普通の人間じゃないと気付いていたのか…それは分からない。だが、今はもうそんな事はどうだって良い。

 

「仇は…ちゃんと取りますから…ここで死ぬ気はもちろん有りませんけど…何れ…何れまた会えたら…また将棋でもやりましょう。」

 

その場で屈み…両目を見開き、苦悶の表情のまま逝った爺さんの目を何とか閉じさせる…裂ける程大きく開いた口と舌は…どうしようも無いな…俺に出来るのは"殺す"事だけだからな…俺は爺さんから視線を離し、立ち上がり…房内の窓に近寄る…相変わらず格子の無いその窓は割られ、唸り声を上げてウロウロする元受刑者たちと炎に包まれる俺の愛した場所の姿が見える…

 

「こちらにも何れ火が回る…早い所決着を着けないとならないな…」

 

生き残りが何人居ようとここはもう壊滅する…それは確実だ…現在別行動中のシエルさんの話によるとコレは…"タタリ"と呼ばれる有る吸血鬼の仕業で有る可能性が高いらしい…(そもそも俺に会いに来ていたのも、日本でタタリの調査をしていたついでとか言っていた…)そいつは元々実体を失っている吸血鬼で有り、一定のコミュニティでこうして事を起こすとか…何より厄介なのはタタリは自然現象であり、発生その物を防ぐのは不可能で、被害を抑える事は出来るが犠牲を出すのは避けられないし…何より、どうやっても"殺せない"らしい…

 

「……俺向きの相手じゃないか。」

 

綻びの無い物など…この世に存在しない。俺のこの眼なら何であろうと…この世に在る物なら全て…殺せる。

 

「報いは…受けさせる…何があろうとな…っ!」

 

後ろで気配を確認…眼鏡を取って振り向きつつ…割れたガラスの破片に囚人服のズボンに使われていた紐を巻いて持ち手にした手製のナイフを繰り出す…幸か不幸か、綺麗に線をなぞり…そいつは崩れ落ちた。

 

「…また、顔見知りか…」

 

帰巣本能か知らないが、どうも自我を失ってもここに戻って来ようとする奴が居る様だ…廊下を進み、この房に戻って来る時も二人程…殺している。爺さんと今の奴を含めてコレで四人…この房の残りの人数は俺含めて後四人…せめてあの三人には…生きていて欲しいんだけどな。そんな事を考えながらも俺はその場で再び屈む…

 

「なぁ、お前…自分の書いた小説が賞を取った!出版もされる!…そう言って騒いでいたじゃないか…こんな所で死んで…本当に良いのか?」

 

何の因果なんだろうな…そいつこそ例の将棋の強い奴だった…自分をモデルにして小説書いたとか言っていた…応募するまでずっと見せてくれなかったから結局内容は分からない…

 

「……」

 

色々言ったが、結局"殺した"のは俺だ…そんな俺が何を言っても仕方無い…ん?

 

「もしもし?」

 

シエルさんから渡された携帯が鳴り、俺は出る(仕事用とプライベート用の二台を持ち歩いているらしい…)

 

「と…七夜君、今何処ですか?」

 

「…今は自分の房の方に居ます…タタリとやらは見付かりました?」

 

言ってから笑ってしまいそうになる。自然現象であるそれが目に見える訳が無い…発生源は何処かに有る筈との事だから適切な聞き方では有る筈だけどな…

 

「いえ、まだ…」

 

「そうですか…俺の方でも引き続き探してみます…この眼なら…恐らく見つけられるでしょうから。」

 

目に見えない筈の物…幽霊なんかでさえ、見えてしまうこの眼なら…見付ける事はきっと不可能では無い筈だ…火のない所に煙は立たない…それが現象で有る以上、必ず"起こり"が有る。

 

「はい、お願いします……七夜君?」

 

「…何ですか?」

 

「その…こんな事に巻き込んでしまって「さっきも言いましたが…謝らないでください。それは…貴女の責任じゃない」七夜君…」

 

「報いはこの現象を起こした張本人に受けさせます……俺は…割とここが気に入っていたんですよ……滅茶苦茶にされて…正直俺は今腸が煮えくり返っています。何が何が何でもこの件の報いは…絶対に受けさせる…!」

 

「…なので貴女が気に病む話じゃない、貴女は引き続きタタリの発生源を探してください…俺の眼はあまり乱用出来ませんし、タタリを殺す時に使えないと意味が無い。貴女が見付けるのが一番話が早いんですよ。」

 

「……分かりました、私も…全力を尽くします。…七夜君?」

 

「何ですか?」

 

「あまり…あまり無茶はしないでくださいね?」

 

「善処はしますけど、約束は出来ません…無理をしないと見つけられそうにないですし。」

 

俺は…この眼が無ければ…単に身体能力が高いだけのただの人間だからな…人外相手に何処まで迫れるか…怪しい物だ…

 

「まぁとにかく、俺も動ける内は動きます…何か進展が有ったらまた連絡してください。」

 

「……分かりました、頑張ってください。」

 

電話を切る…ポケットにしまうと同時に新たな闖入者の気配…俺は咄嗟に魔眼殺しを外す…

 

「…お、七夜じゃねぇか…無事だったか。」

 

そう言って開け放たれたドアから中に入って来る顔見知り…俺は身を低くし、滑る様に移動して奴の懐に入る…そして…同時に自分の得物を突き出した…奴が後ろに飛んで躱す。

 

「…何の真似だ?「惚けるな、俺には分かるんだ…何人の血を吸った?」参ったな…」

 

大抵死徒化する奴は自我を失い、血肉を求めるだけバケモノになる…ただ獣の様に暴れ、生者の血を吸い、肉を食らうだけのそいつらはハッキリ言って雑魚だ…何なら特別な力を持たない奴でも殺す事こそ出来無いかも知れないが、動きを封じる事だって可能だろう…だが、自我を持っている奴はまた違って来る…

 

「何だ…その目は…俺を見下してやがんのか…?」

 

「見下す?まさか…哀れんでいるんだよ…吸血鬼になっても血を吸うのを嫌がり、人として死んだ奴を知っているからな…」

 

俺は爺さんに目をやる…歳が歳である事を思えば吸血鬼にはなれずに死ぬ可能性の方が高かった…だが、この爺さんは吸血鬼になり、血を吸うのを厭い人として死んで行った…だからこそ…俺はコイツを認められない。

 

「そんな目で見るんじゃねぇ!俺はあのバケモノ共とは違「同じだ…お前は人の生き血を吸うバケモノだ」テメェ!」

 

「来いよ、せめて俺が…お前を終わらせてやる。」

 

雄叫びを上げて俺との距離を一気に詰めるそいつをすり抜ける様にして避け、俺に向かって突き出された左腕を切り落とす。

 

「んなっ!?」

 

「大した事無いな…俺が嘗て戦った奴らは…もっと歯応えが有ったぞ?」

 

厳密に言えば戦ったのは"俺"じゃないし、奴らは…自我を持つだけで無く、二十七祖と言う色々超越した連中だ…死徒として目覚めたばかりのコイツがあいつらと同クラスな訳は無いけどな。

 

「全力で来い…死にたくないならな。」

 

バケモノで有ろうと"生きていたい"…その想いまで否定しようとは思わない。だが、心までバケモノで有ろうとするコイツがただ気に食わない…ただそれだけの事だ。

 

 

 

「時間を食った…急がないとならないな…」

 

房内に有ったタオルで顔に付いた返り血を拭き取る…正確に線をなぞり、"殺せて"いれば問題は無かったが、何度か線をなぞれず出血させてしまった…やはり、今の"俺"ではムラが有るな…

 

「……」

 

既に事切れたそいつを見る…もう何の感情も浮かんで来ない…悲しむのは後にするとしよう…

 

俺は持っていたタオルを投げ捨て、房を出た……何故か、獣の様な唸り声やけたたましく今も鳴り響く警報の音に混じって…あいつらの…俺の房の仲間の…いつも通りの楽しそうな声が後ろから聞こえた気がした…



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11

数時間前…

 

「…またですか、シエルさん?」

 

「……来る度に私への扱いがぞんざいになって行ってませんか?」

 

「そろそろまともに相手するのも面倒なので。」

 

あの"身内"の遠野秋葉ですら月に一、二度来るくらいだ…しかもこの人はあの日以来休みを出来るだけ取るようにしたのが顔を見れば何となく分かるが…それでも週に一回のペースでやって来る…まぁ通常の日程の時も休日もお構い無しに週に三回くらいのペースで続けて来てた時よりはマシとも言える…実際今日に至るまで彼女がそのペースで来ていたら…さすがに俺も本気でうんざりしていただろう…

 

「過去の話はしたくない、愚痴なら聞く…俺はそう言いました。でも、最近の貴女は特に愚痴にしろ雑談にしろ…貴女は早々に話を切り上げる…それならそれでも良いですが…その後も貴女は結局ダラダラと居座る…まぁ前みたいに毎回就寝時間直前に来られるよりはマシですが。」

 

最近のシエルさんは通常日の作業終了後の自由時間以外に休日の日中を選んでやって来る…そして話が終わり、面会時間を過ぎても中々帰らないのだ…最近の俺はもう話が途切れる前から…持ち込んだ文庫本のページに目を落としている…真面目な話ならこっちもちゃんと聞いてやらなくも無いが、最近はそんな話をする為にわざわざこんな所まで来たのかと呆れる内容も多い…

 

「もう…人と話をする時は「目を見ろ、ですか?正直あまりにもくだらない内容が多いんで…大体今俺は就寝前…一日の疲れを癒す自由時間の最中です…休憩中なんですよ。まぁ飯時とか、さっき言った様に就寝直前に来られるよりマシですけど」その…私にとっては深刻で「嘘ですね、俺が解決策出せなくても明らかに気にしてないし、次に来た時は貴女は別の話を始めますし」……案外私の話…ちゃんと聞いてたんですね…」

 

それに対して何と返答しようか考える…刑務所で受刑者がやる作業はテレビとかでも良くやる様に工場作業が主だろう…実際ここもその例に漏れない。工場での作業は基本的には自分の持ち場で自分の仕事を淡々と熟せば良いのだが…突然予定に無い指示が飛ぶ事は有る……もし、自分に割り当てられたその作業に没頭し過ぎて指示を聞き逃せば…俺、あるいは他の誰かが怪我をする事だって有るのだ…絶対に気は抜けない…

 

要は何をしていても人の声は認識出来る様に俺はなっているのだ…だからこの状態でもシエルさんの話を聞き逃す事は無い…そして、今彼女がしてるのは真面目な話では決して無い…だから…俺は本から顔を上げる事は無い。

 

……まぁそんな事をつらつら考えていた…実際これが真実なのだが、何となく言い訳の様に聞こえるし…かと言って他の理由を答えても…結局彼女が穿った見方をして、調子に乗りそうな気がしないでも無い(ほぼ冗談なのだろうが、何となくそれはそれで癪に障る…)

 

「……」

 

「もう…返事ぐらいしてくださいな。」

 

なので俺は沈黙する方を選んだ…もう好きに解釈すれば良い…そう思いながら。

 

「…まぁ沈黙は肯定と言いますし、思ったより私はと…七夜君に嫌われてないと「質問のつもりだったんですか?独り言だと思ったので黙ってました」……」

 

さすがに黙っていられなくなり、ツッコミを入れた……魔眼を使った覚えは無いが、何故か俺の前に居るシエルさんに軽く致命の一撃が入った様な気がする…いや、こんな事で凹むのか…?…面倒だなと思いながら俺は本を閉じ、椅子から立つとシエルさんに目を向けた。

 

「さて、そろそろ就寝時間ですのでお引き取…!」

 

ジリリリとベルの音が鳴り響く…

 

「…コレって…例の脱走者が出た時の警報音ですか?」

 

「あー…聞いた事無いんですね…コレは違います…コレは火災報知器に付いてる非常ベルの音です。」

 

「成程…何故知ってるんですか?」

 

シエルさんは現実感が無いのか、それとも"代行者"としての勘か…その場を動こうとはしない。

 

「以前…ここを脱走しようとして押した奴が居るんですよ…この音聞いたら、先ずは真っ先に刑務官たちが様子を見に行きますから…」

 

「その後は…どうなったんですか?」

 

「刑務官の動きが予定より早くて火災報知器から離れ切る前に捕まりました…まぁそもそも就寝時間中にどうやって房から出て、廊下の火災報知器まで来れたのかは謎ですけど。」

 

鍵を刑務官から盗んでも脱出するまでの間その鍵を房内に隠しておくのは至難の業だ…仮に鍵を複製出来たとしても同じだ、隠し切れるもんじゃない…何より夜は手薄にはなるが、刑務官が必ず交代で見回りをしている…刑務官がすぐに奴の元に辿り着けた所を見るに巡回時間だった筈だ…一体どうやって火災報知器まで辿り着いたのか……いや、そんな事は今はどうでも良いんだ。

 

「コレが誤作動とか、さっき言った様な事が原因でなってるなら良いですが…問題はそうじゃなかった場合です…」

 

「コレが鳴るべくして鳴っている場合…ここで出火した事になりますね…」

 

シエルさんの言葉に頷く…そう、正当な理由で鳴ってる場合…ここで火事が起きてる事になる…この場合俺がすべきは…

 

「取り敢えず指示が有るまで俺たちはここから動かない方が良いでしょう…ただし、三分経っても何も無かったら独自に動きま…!」

 

俺の後ろのドアが開き、誰かが入って来た…見た目は普通に顔馴染みの刑務官だがどうも様子が可笑しい…腹と首から血を流し、顔は…片方の目玉が飛び出し、顎の辺りまで垂れ下がってい…

 

「七夜君!伏せて!」

 

「っ!」

 

咄嗟にその場にしゃがんだ俺の頭上を何かが通過する…ザクっと生々しい音が聞こえると同時にドサッと大きな音が響く…俺は立ち上がり、さっきまで刑務官が居た方に目を向けた…

 

「黒鍵を…使ったんですね…」

 

「すみません、既に手遅れで…助けられませんでした…」

 

黒鍵の刺さった"ソレ"は砂…いや、塵になり…崩れて行く…

 

「…一体何処から死徒が入り込んだのか分かりませんが…何か心当たり…有ったりしませんか?"代行者"の…シエルさん?」

 

 

 

……元々彼女が首謀者とは考えにくかった。だが、顔見知りの刑務官の変わり果てた姿を見て俺は…自分でも思った以上にブチ切れていたらしい…自然と彼女を責めるような口調にはなってしまった…まぁ、今は特に反省する気にもならないが。

 

「ふっ!」

 

廊下に四人程居た自我の無い死徒擬きをナイフを振るい、一気に解体する…少しづつ…無駄が削ぎ落とされて行く…俺の肉体が全盛期のソレに戻って行くのが分かる…俺は俺のまま…身体だけが、嘗ての"俺"に還って行く…まるで…まるで俺が作り替えられて行くみたいで…気持ちが悪い。

 

『"タタリ"…それが今回の原因かも知れません…』

 

『祟り?祟り神とかのアレですか?』

 

『そちらでは無く、私たちの様なアレを知る者は皆便宜上そう呼んでいるんです…要は…』

 

『死徒の通り名…ですか?』

 

『ええ…奴は死徒二十七祖第十三位…ワラキアの夜とも呼ばれています。』

 

『二十七祖…ネロ・カオスやロアの同類ですか?』

 

『ええ…彼らを倒したのは貴方でしたね。』

 

『厳密には…"俺"じゃないですけどね。』

 

二人を殺したのは昔の俺で、今の俺じゃない。

 

『そう…でしたね…』

 

『まぁそんな話はどうでも良いです…奴の攻撃方法とか、何か情報が有れば聞きたいのですが。』

 

『攻撃は…恐らく既に行われています。仮に相手が本当に"タタリ"で有るならですが…』

 

『?…どう言う事ですか?』

 

『奴は…"タタリ"は現象そのもの…一定の人数が集まっているコミュニティに現れては…そこで流れてる噂を具現化させます…止める事は出来ません…アレに実体はありません…』

 

『…ソレを…死徒と呼んでいるんですか?』

 

『最早便宜上そう呼んでいるだけです…さっきも言った様に…元になった死徒そのものは既に実体を失っています…実体が無い以上、倒し切る方法は有りません…私たちに出来るのは発生する場所、タイミングを見抜き…出現の際の被害を少しでも抑え、次の発生タイミングを少しでも遅らせる事だけです…』

 

 

 

「シエルさんには殺し切れない、俺が殺すしか無い…」

 

何処に向かえば良いのかなんて分からない…だが、俺の足は自然と所長室に向いている…目に着く死徒擬きをバラしつつ最短で俺の足はそちらへ駆けて行く…間違いならそれでも良い…その時は残りの死徒を全て殺せば良い…俺とシエルさん以外動く"物"が無くなれば向こうは出て来ざるを得ないんだからな…



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12

目の前のソレを見た時…俺の中に浮かんで来た感情を一言で表すなら…『郷愁』と言った所か。

 

「!…驚いたな…世の中には自分にそっくりな人が三人は居るって、聞いた事は有るけど…」

 

「…そうだな…確かに良く似ている…」

 

まぁ、アチラは学生服を着ているし…顔も俺より少し幼く見えなくも無い……と言うか…コイツはどう見ても過去の俺その物だ…

 

「案外…生き別れの兄弟とかだったり…?」

 

「さぁ…聞いた事無いな。まぁそうだとしたら…多分、俺が兄貴なんだろうけど。」

 

あの頃の俺との大きな違いは何かと言えば…消え切っていなかった『七夜志貴』だった頃の記憶も俺は参照出来る事か…まぁどちらも俺とは別人と言って差し支え無いが。

 

「……犯罪者の兄貴はちょっと困るな…さっき調べて知ったけど、ココって刑務所なんだろ?」

 

「そうだな…ココは刑務所で、俺は受刑者の一人だ……ところで一つ、聞いて良いか?」

 

「えっと、何かな?」

 

「…受刑者の俺が刑務所に居るのは当然だな。で、お前は何でこんな所に居る?何かやったのか?」

 

「!…ま、まさか!その…信じて貰えないだろうけど…気が付いたらココに居たんだ…」

 

「へぇ…」

 

気が付いたら、ね…

 

「…取り敢えず、その…出口とか教えて貰えると助かるんだけど…」

 

「…教えても構わないが、お前の侵入目的が分からないと出して貰えないぞ…まぁそもそも侵入して来てる時点で、本当は駄目なんだけどな。」

 

「いや、本当に理由が分からなくて…」

 

「…まぁ俺が今、出口に案内したところで別の問題が発生するけどな。」

 

「え?」

 

「ここはな、島なんだよ。」

 

「島?……いや、マジ?」

 

奴の顔色が悪くなる……演技じゃ、無さそうだな…

 

「マジだ。お前もここの連中を見て来ただろう…仮に生存者が居なかったら、お前はどうやってもこの島から出られないぞ?」

 

「いや、ちょっと待ってくれ!アンタ外の様子を見てないのか!?ココはもうすぐ焼け落ちるぞ!?」

 

「知ってるよ。だからケリを着けに来たのさ…」

 

ポケットに入れていたソレを取り出し、駆ける…!

 

「っ!何のつもりだ!?」

 

「自分が何者か分かってないらしいな…お前は多分、人じゃない。」

 

奴の首元を狙って斬りつけたナイフを向こうが取り出した物で受け止められる…『七ッ夜』

 

「人じゃないだって?俺は「ここに来る前…お前は何をしていた?」それは…」

 

思い出せないか…そうだろうな…

 

「お前は多分…"タタリ"によってこの場に具現化された存在だ。」

 

「タタリ?」

 

「死徒二十七祖…第十三位、ワラキアの夜の通称だ…お前はソイツによってこの場に存在させられている……多分な。」

 

恐らく…俺の記憶の中に有る『遠野志貴』を再現しているのだろう…中々厄介な事をしてくれる…

 

「俺が人間じゃ、ない…」

 

「お前を殺せばワラキアの夜はこの場に現れるかも知れない…とにかく、俺にお前を逃がす理由は無い。」

 

「……分かった、やってくれ。」

 

「…何だと?」

 

「やってくれ、それで話は済むんだろ?俺も…自分の居場所に帰れるかも知れない…」

 

握っていた手を開き、『七ッ夜』を床に落とす…本当に抵抗する気が無いらしいな…このまま殺しても良いがどうにもモヤモヤする…本当にコイツを殺しても良いのか?

 

「…それで良いのか?」

 

「ん?」

 

「要するにお前は…"タタリ"によって呼び出された…俺を止める為だけに。」

 

わざわざピンポイントで過去の俺を呼び出しているんだ…確実に俺への牽制が目的だろう…

 

「利用されるだけ利用されて…無抵抗で俺に殺される…それで納得出来るのか?」

 

「…変な奴だな、俺を殺そうとした癖に…いざ俺が抵抗を止めたら俺を諭す……何がしたいんだ?」

 

「そもそも俺が嘘を吐いてるとは思わないのか?」

 

「う~ん…どうも嘘を吐いてるって気はしないんだよな…と言うかアンタが掛けてるその眼鏡、魔眼殺しじゃないか?」

 

「…そうだな。それで?」

 

「…アンタはそっくりさんじゃなくて多分未来の俺なんじゃないかって思ったんだ…そしたら…異物は俺の方って事になる…」

 

「だが、過去の存在で有ろうとお前は『遠野志貴』だ…死徒じゃないし、元々俺が狩るべき相手じゃない。」

 

「標的はその『ワラキアの夜』だけか。」

 

「そうだ……そこで一つ提案だ、俺と手を組まないか?」

 

「何だって?」

 

「俺と手を組まないか、と聞いた。」

 

「…いや、聞こえてはいたよ…要は手を貸せって事で良いのか?」

 

「そうだ…無理にとは言わない、奴を殺せばお前は確実に消滅するだろうしな…」

 

「…分かった、アンタに手を貸すよ。」

 

「……良いのか?」

 

「主語が抜けてる…何がだ?」

 

「ワラキアを殺したら…お前は消えるんだぞ?」

 

「いや…だから異物は間違い無く俺だろうし…そもそも俺がこの場で殺されてもワラキアが死んでも…俺が消える事実は変わらないだろう?消えたら帰れるかも知れないし…まぁ別に…多少帰るのが遅くなっても俺は構わないよ。」

 

そうだった…『遠野志貴』はこう言う奴だったな…

 

「まぁ手を貸してくれるんなら心強い。」

 

「つっても役に立つかは分からないけどな…アンタも魔眼持ちだろうし、未来の俺なんだから今の俺より強いだろうし「そうとは限らないさ」…え?」

 

俺は『七夜』としての身体能力を持て余しているからな…

 

「…行くぞ、ここが燃え尽きる前にケリを着ける…逃がしたら、次はいつ現れるか分からないらしいからな。」

 

「分かった、何処を探す?」



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13

「それで?アンタ迷い無く進んでるみたいだけど…その、タタリの発生源に目星は着けてるのか?」

 

「いや、取り敢えず勘で向かってるだけだ。」

 

コイツ…『遠野志貴』と会ってからシエルさんと連絡が取れない…恐らく、俺と同じく誰かに遭遇且つ…多分、足止めされてるんだろうな…

 

「勘って…またそんな「そう馬鹿にしたものじゃないさ、当てにしすぎるのはいけないが」…そう言う物なのか…?」

 

「魔眼にこそ頼り過ぎるな…脳が破壊されても良いなら、好きにしたら良いけどな。」

 

コイツは"タタリ"によって創り出された幻に過ぎない筈だ…ただ、もしかしたら本当に過去の俺なのかも知れない…そう思ったら…柄にも無くアドバイスをしたくなってしまった。

 

「それは困るな「死にたくないならそれ以外の人としての感覚器官をもっと磨け、そうすれば自ずと勘も鋭くなって来る」…そんなに当たるのか?アンタの勘…」

 

「いや?そうでも無い…割と普段は外す事の方が多いな「いや駄目だろ!?」…そう慌てるな、普段から当てる必要は無い…有事の際…本当に必要な時に当たるくらいの精度がちょうど良いのさ。」

 

まぁ例えばココで良くやってる将棋以外…ポーカーなんてゲームやったら俺の勝率はせいぜい四割位だからな……ココでこの手のゲームやると段々ヒートアップして来て、イカサマ何でもござれの酷い内容になるから最早運や勘だけの話じゃないが。

 

「…ハァ…それで?アンタの勘は何処を示してるんだ?」

 

ちなみに会話してる間も俺たちの手際は変わらない…死徒擬きたちを順調に屠って行く…中身は変わっても俺の身体に染み付いた『七夜』の体術、ナイフの腕前はそう変わらないし…何より俺たちには『直死の魔眼』が有る…

 

ただ本能で生者に食らいつくだけの連中に負ける事は無い。

 

「所長室だ。」

 

「…何で場所が分かるんだ?普通の受刑者は所長室になんて行かないだろ?」

 

最もな質問だ。

 

「まぁ色々と、な…元々ココ自体普通の刑務所じゃないしな…」

 

「そりゃ、普通の刑務所は他にろくに人の居ない島には作られないだろ。」

 

まぁ確かに。

 

「元々特殊な経歴で表に出せない連中が収容されてたんだ…ココはな。」

 

「……アンタも、か?」

 

「ああ。」

 

そこで俺は口を噤む…別に俺の経歴なんてこの場では関係の無い事だ…仮にここに居るコイツが本当に過去の俺だとして…同じ運命を辿るとは限らないしな。

 

「…随分歩いてる気がするが…まだなのか?」

 

「ここ広いんだよ、もう少し掛かるな…止まれ。」

 

先頭を歩く俺の更に前…向こう側から足音が聞こえて来る…いつの間にかこの辺りの照明はやられてしまっているらしく… 姿は見えて来ない…が、窓からの月明かりがその正体を照らす…っ!

 

「チッ!」

 

そいつの姿より先に銀閃が視界に入り、咄嗟に身を捩って躱し…体勢を崩しながらも俺もそいつに蹴りを入れた…手応えは無い…奴は繰り出された俺の足に手を着いて、逆立ちし…そこから前宙に移行して俺の背後に回った…!

 

「くそっ!志貴!」

 

俺が振り向いた時…そいつはもう『遠野志貴』に斬りつけていた。が、心配するまでも無くアイツは俺と同じく身を捩って斬撃を躱し…奴の脇腹に蹴りを入れる…今度は当たった様に見えたが、奴は意に介す事も無く衝撃を利用して飛び…天井に張り付くとそのまま今度はこっちに飛び掛って来る…相手の身体…天井までもを利用した三次元戦闘を行うその凄まじい身の熟し…間違い無い…コイツは…!

 

「クッ…!」

 

咄嗟に突き出されたソレ『七ッ夜』を例のガラスの破片で受け止める…が、すぐに離れた…強度が違う。まともにやり合ったらそのままコイツを破壊されかねない…そして逃げた俺をそのまま奴は追い、すぐに懐を取られる…『七夜』の体術の一つにその凄まじい足捌きが有る…どんな体勢からでも予備動作をほとんど取る事無くいきなり最高速を出し、任意に止まれるその足こそ奥義の一つと言っても過言では無いだろう…

 

「調子に乗るな!」

 

左手で魔眼殺しを取り、ガラスナイフを振るうが…

 

「おっと、魔眼か。」

 

今度は逃げられる…全く面倒だ。

 

「コイツ一体…」

 

「さぁな…さしずめ、魔眼を持たない『遠野志貴』ってところじゃないか?」

 

とは言え魔眼を持たない遠野志貴に関する記憶など俺の中には…いや、一度何処かで…見た様な気が…

 

「俺が三人、ね…何の冗談だ?」

 

俺が考えてる内に奴は『七ッ夜』をポケットにしまった。コイツも学生服を着ている…顔はそれこそ俺の後ろにいる『遠野志貴』にそっくりだ…だが、奴は眼鏡を掛けてないし…何よりその目は、独特の色合いこそしているが直死の魔眼特有の濃い蒼さは無い…直死の魔眼を持っていないのは確かだ…

 

「お前…何者だ?」

 

「さてね、死人に名なんて必要無いだろう?」

 

「…その言い方、自分がどう言う存在かは分かっているらしいな…」

 

「何となく、だけどね…」

 

さっき会った『遠野志貴』とは違う…コイツは警戒レベルを上げないとならない…!そう、俺の勘は告げている…

 

「さて、続きと行こうか…」

 

まだやる気なのか。

 

「何の為に?ここで俺たちが戦う理由が何処に有る?」

 

「お仲間だろ?アンタら。」

 

「…別に俺は見境無く殺す訳じゃない。」

 

「俺だってそうだ!」

 

「人殺しには違いないだろ?人殺し同士楽しく殺り合おうじゃないか…吾は面影糸を巣と張る蜘蛛。 …ようこそ、この素晴らしき惨殺空間へ…」

 

奴が目の前から消え…!

 

「アンタの足元だ!」

 

「なっ…!?」

 

「遅い…!」

 

脇腹を斬り付けられ、奴が俺をすり抜け前に出る…いや、あんまり俺を舐めて貰っては困るな…

 

「ん?」

 

「っ…ナイフを振るう右手には追い付けなかったが…左腕は殺させて貰った…」

 

俺を仕留めて無い癖に前に出て行くその瞬間…俺は奴の左腕の線をなぞり、殺した…足を殺すべきだったが…あの瞬間…俺の状況ではアレが限界だった。

 

「傷も浅い…俺の勝ちだ。」

 

「感心しないな…勝ち名乗りは殺してからするものだろう?」

 

「お前の理屈なんて知るか、大体こっちはお前に用は無いんだよ…さっさと退いてくれ。」

 

俺は改めてガラスナイフを構え、奴を睨み付けた。



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14

『おい、どうするんだ…えっと…』

 

うるさい、今色々考えてるんだ…!…いつの間にか俺のすぐ後ろに来ていた『遠野志貴』にそう怒鳴りつけてやりたかったが…この場では俺にとって唯一の味方だ…何も邪険にする事もないだろう…何より、取り乱しても可笑しくない状況で冷静に、俺に小声で声を掛けるくらいには配慮も出来ているんだ…評価には、値する…

 

『一々人の呼び方で悩むな…って、言われてもお前は困るのか…なら七夜で良い。それでだ、どうすると聞いたな?…どうもこうも無い…ここは一本道だ、奴をどうにかしないと所長室には辿り着けない…』

 

『勝算は?』

 

『…勝算と言われてもな…奴に対する俺たちのアドバンテージは…せいぜい魔眼を持ってる事くらいだ…』

 

あの淡い蒼色の眼…奴も恐らく浄眼持ちでは有るのだろう…ただ、浄眼はそもそも幽霊や思念体等の人が見えざる物を視るだけの眼で有り、実体(今俺の後ろに居る『遠野志貴』がどう言う扱いになるかは知らないが)を持つ"俺"に対しては優位な物にはなり得ない。 だが、それは俺たちが奴を崩す為の要素にはならない。

 

『奴と同じ動き…お前は出来るか?』

 

『……いや、さすがにあそこまで出鱈目なのは…』

 

最早それが答えだ。奴を目で追えてもあの動きについて行けなければ、突き崩すのは容易では無い。

 

…仮に客観的事実だけを口にするなら、所詮生身の人間でしか無い俺たちが人外じみた『七夜』の動きについて行けない以上…俺たちは奴が本気を出すと同時に、すぐにでも仕留められかねない…先の交錯のときだって、奴が本気なら俺の脇腹で無く、喉笛を狙っていれば終わっていた筈だ…(しかも傷は手を抜いたのが嫌でも分かる程に浅い…)強がってはみたが、本気なら俺は奴に殺されていた…その事実を無かった事には出来無い。やはりあの時殺すべきだったのは…ナイフを持ってすらいない左腕では無く足だった…到底狙える状況じゃなかったのも事実だが。

 

……結局の所…ハッキリ結論を言ってしまえば、俺以上に『七夜』としての体術が身体に染み付いている筈の『遠野志貴』が無理だと口にした時点で、既に俺たちに勝ちの目は無い…と言う事だ。

 

『じゃあどうするって言うんだ…!?』

 

ここまでの俺の考察を…要点を掻い摘んで話してやれば激高した『遠野志貴』からのがなり声が飛んで来る…小声で怒鳴りつけるとは中々器用な奴だ…まぁそれはそうと奴の言い分には物言いを付けたくも有る…まぁ奴より後の時を生きている俺だ…頼りたくなる気持ちも分からないでも無い。

 

だが、結局それはお門違いと言う物だし…わざわざ奴の信頼に応えないといけない理由は俺には無い…俺は、『遠野志貴』では無いからな…それに、だ…

 

『何故お前がそこまで奴に怒りを露わにする?』

 

『っ…え?』

 

『そもそもお前は元々今回の一件とは無関係…ここまで連れて来といて何だが、言ってしまえば部外者だ…何故そこまで奴を排除する事に固執する?あるいは…お前は奴にこの場で殺されれば…元居た場所に帰れるかも知れないぞ?』

 

呆れる程のお人好し…それが『遠野志貴』を知る者がコイツに抱く第一心象だ…確かに身内やクラスメイトを含む友人…果ては顔見知り程度の相手の為に命まで懸けて強大な相手に挑むその姿は…最早単なるお人好しを通り越して一種のヒーローと言っても良いのかも知れない…客観的に見るなら、コイツの記憶を見た俺の感想もそう言う事になる…

 

いやもう、自分の身を顧みず命を懸けるその姿は娯楽作品の主人公としては一級だろう…アクション映画の主役だって張れるんじゃないか?身体能力も無駄に高い事だしな。

 

……だが、その心の内にまで触れる事の出来た俺の感想はそれだけに留まらなくなる…コイツの本質は、何処まで行っても空っぽなだけの…ただの『偽善者』だ…俺の知る限り、本気で誰かの為に一つしか無い自分の命を懸けた事など…本当は一度として無いと言って良い。底抜けに、一種異常なまでに優しくて…自分の身を顧みず人を助けるコイツの行動指針はただ…「『先生』に言われたから」…その一言に尽きるのだ。

 

『わざわざお前が…この場で命を張る理由はそもそも無いんだよ、自覚が無いのか?』

 

『っ…こんな時に今更何を言ってんだよ…!大体、俺に力を貸せって言ったのはお前だろ…!?』

 

そう、頼んだのは俺だ…だが…こんな歪な姿を見せられるのは本意では無い…自分でもワガママだとは思うが、コイツの姿を見ていると怒りを通り越して吐き気すらして来る…

 

『別にな、俺でもお前でも…魔眼を持ってる奴なら…どちらでもワラキアを仕留める事は可能なんだよ。』

 

『!……何が言いたい?』

 

恐らくコレがコイツに対する最後のアドバイスになるだろう…命を懸けるなとは言わない。命の使い時を…賭けるべきタイミングを間違えるな、と言う話だ。

 

『一瞬だ…一瞬だけ…俺が何とか奴を止める…お前は魔眼を使ってタタリの発生源を見極めて……仕留めろ…それが一番勝つ可能性が高い。』

 

まともに戦って俺たちが奴に勝つ方法は無い…大体、『七夜』の体術を十全には使えず、ある意味衰えていると言って良い俺がワラキアの前に立つ方が間違いだ。ならば『遠野志貴』に…コイツに託す方が確実に勝率は上がる…まぁ所長室まで目星を付けといて、案内は出来ず結果…先程多用するなと言った魔眼をコイツに使わせるしか無いのは…俺としても業腹だが仕方が無い。

 

『……本当に良いのか?二人がかりなら…アイツを倒せるかも…』

 

『有り得ない事を説くな…分かってるんだろ?例え勝てたとして、コイツ相手に消耗し過ぎたら…ワラキアの前に立てても勝てなくなる…』

 

『……分かった、任せてくれ…その代わり…』

 

『心配するな、この命を懸けてでも…俺がアイツを止める…』

 

もちろん死ぬ気は更々無い…攻撃では無く防御に回せば、しばらく奴の攻撃には耐えられるだろうと踏んだまでの事だ。

 

「そろそろ作戦会議は終わったか?」

 

律儀に敵の話が終わるまで待っていたお人好しの声を聞きつつ…やはりコイツも『遠野志貴』なんだなと感じる…そして、決して暗殺者に向いているタイプでは無いなとも思う。無意識に遊びが出るのか、確信犯なのかは分からないが…こうして標的の俺たちと相対してる時点で暗殺者としては失格だし、何より仕留められる筈の局面で手を抜くのは暗殺者でなくてもやってはいけない事だろう……最も、その"癖"のお陰でこちらに付け入る隙が有る…!

 

「ああ、待たせたな…話は纏まったよ。」

 

「じゃあ始めるか…!」

 

そう言って極端な程に身を低くしたアイツが視界から消える…そう、奴が最も暗殺者として終わってる点がコレだ…奴は基本的に先ず正面から来る…そこから来る攻撃への予測が容易なのは良く考えれば分かる事だ…だが、お陰で助かった。

 

「っ!へぇ…!」

 

「必ず正面から挑む…その時点で暗殺者としては終わってる癖に一撃で決めようとする…それがお前の唯一の弱点だ。」

 

正面から来るが、そのスピードで相手を撹乱し…実際は死角から急所を狙う…こちらが動かなければ不思議と奴はソレをやると…俺は確信していた…だから、捕れた!

 

「行け!志貴!」

 

俺の指示に従い、奴がここまで来た事で開いた道をアイツが脇目も振らず駆けて行く…そうだ、それで良い…さて…

 

「まさかこの状態で捕まるとはな…」

 

『七夜』…その異常なまでの脚力は宙に跳んだ時の予備動作すら完全に消す事が可能で有り、その際に地面を踏み締める音すら当然聞こえない…だが、俺はコイツが俺の頭上を取ると予測出来ていた…だから捕らえる事が出来た。

 

空中で倒立を行うかの様な側宙の途中の体勢…そこから首を斬られる直前に俺は両腕で奴の腕を掴み、奴の動きを止めていた。

 

「で?ここからどうするんだ?分かるよな?俺はここからでも動けるぞ?」

 

確かにこのまま奴は足を振って強引に空中から降り、そこから俺に反動を利用した強力な蹴りを放つ事が可能だろう…瞬時にそれが出来るのにやらず、『遠野志貴』を見逃したのはコイツが"遊んだ"からに過ぎない…まぁだからと言って…

 

「っ!ふんっ!」

 

俺は渾身の力を込めて奴を床に叩き付ける…床に着く直前に奴が反動を利用して蹴りを放って来た…!咄嗟に手を離して後ろに逃げる…もちろん、捨てたガラスナイフの回収は忘れない。

 

「よっ、と。」

 

床にナイフを持った右手を着け、バク転を決めて少し後ろに奴が着地する…正直、一人でコイツを止めると宣言したのは失敗だったか、とは思う…ただ…俺が死なない限り奴は『遠野志貴』の元には向かわないだろう…つまり、俺はもう賭けには勝っているのだ…

 

「あ~あ…逃がしちまった…」

 

「…暗殺者としては失格だな…ただ、あまり落ち込んだ様には見えないのは気の所為か?」

 

『遠野志貴』が駆けて行った方を見ながらそうぼやく奴にそう声を掛ける…まぁこの程度では煽りにもならないだろうけどな…

 

「ああ、それなら問題無い…暗殺者としては俺は三流以下の…ただの殺人鬼だからさ…何より、獲物はまだここに居るからな…貴様は…逃がさない。」

 

奴の雰囲気が変わる…ここからが本番になるか…俺の勝利条件はシンプルだ…だが、それを熟すのは恐らく俺にとっては尋常で無く難しい…最もやらない訳には行かないが。

 

「来いよ、殺人鬼…暗殺者にも殺人鬼にもならない半端者で良いなら…相手を務めてやる。」

 

『遠野志貴』がワラキアを仕留めるまで全力で生き残る…俺がするのは…ただそれだけで良い。



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15

「ハハハ…!楽しい…!楽しいぜ、アンタ…!」

 

「っ…!あああああ…!」

 

奴の振るうナイフをガラスナイフで受け流し、落として行く…まともに打ち合えば、こんな物はすぐにでも砕かれる…こうして相対する事になって思うが…やはりあのナイフは強度が異常だ…全く、ここに入った時取り上げられた『七ッ夜』…多少無理をしてでも取りに行くべきだったかと思うが後の祭りだ…今はコイツでどうにかするしか無い……それにしても…あの時状況が状況だっただけにあまり詳しくは聞けなかったが…恐らくタタリ…ワラキアの夜の主立った能力は二つ…何らかの方法で特定のそう広くない範囲のコミュニティで噂を広め、それを一夜だけ現実の物にする事…もう一つはタタリの発生場所に居る人物個人の記憶や、渇望…あるいは恐怖の象徴を具象化させる事だ…

 

…今俺の目の前に居るのは恐らく『遠野志貴』の恐怖の根源でも有る奴自身の殺戮衝動が形になったか…あるいは…奴が心の何処かでこうなってたかも知れない、もしくはなりたかった自分がこうして形になって現れているのだろう…

 

……なので、ここに居る…そうだな…奴を遠野家に引き取られなかったifの存在の方と過程して暫定的に『七夜志貴』と考える…この違いはデカい、仮にコイツがそう言う存在だとしたら奴は『遠野志貴』より遥かに高いレベルで『七夜』の体術を扱える事になる……俺は…一度リセットされてから七夜で有った頃の記憶を一部参照出来る様になったとは言え、全てを覚えている訳じゃない…ましてや子供の頃の話だ、身体に染み付いてこそいるが体術そのものを頭で理解出来てる訳じゃ無い…

 

「……考え事か?この状況で他に意識を回すのは…感心しないな?」

 

「っ!」

 

右から振るわれた奴のナイフの軌道がいきなり変わる…咄嗟に後ろに飛んで離れたが、俺は袈裟に切り裂かれた…!

 

「逃がさん…!」

 

「クッ…!」

 

僅かにとは言え、離した距離が一瞬にしてゼロにされる…!

 

「蹴り穿つ!」

 

背面を向けた奴から飛んで来る後ろ飛び蹴り…スピード、タイミング…そして距離…その全てに置いてこいつは完璧だ…躱すのは…絶対に不可能。俺は咄嗟に両手を胸の辺りで交差して受け止めた…

 

「グアッ!?」

 

重い!?ガードをした俺の腕の下から奴の足は掬い上げる様に飛んで来て…何と俺の身体はそのまま奴と共に宙に打ち上がった…バカな…!正面からの蹴りや、回し蹴りならともかく…完全に背を向けた奴の飛んだ勢いだけでこちらの身体まで持ち上がるだと…!?

 

「寝てな!」

 

空中でこちらを向いた奴の逆の足の踵落としが俺の肩の上に落ちて来る…!これも…躱せ、ない…!

 

「グハッ!」

 

ろくに受け身も取れず、背中から床に叩き付けられ…俺はその場にのたうち回る…呼吸が出来無い!俺は咳き込みながらも何とか上体を起こし、こちらに向かって落ちて来る奴を睨み付ける…!

 

「怖い怖い…追撃は…止めておこうか。 」

 

俺に向かって落ちて来ていた奴は…空中で体勢を変えて向こう側に着地した…本当に出鱈目な身体能力だ…何せ奴は天井や壁すら足場にする事が可能な上…ああして宙に居ても体勢はいつでも変えられる…取り敢えず奴と空中戦はしない方が良さそうだ…

 

「ふむ…ナイフの扱いは互角か、僅かにアンタが上……体術は俺の方が遥かに上…かな?」

 

「ゲホッ…知るか…」

 

奴の言葉に答える気にもならず、俺は床に手を着いて立ち上がった…血を吐いてはいない辺り内臓は一応無事…ただ、恐らくさっきの蹴りで両腕にヒビが入った…もう一度さっきのを食らって折られたら…俺はもう戦えないだろう…奴程重く、速い蹴りを出す自信はさすがに無いし、何より打撃では奴を仕留められない…

 

「いや、しかし不思議なもんだな…」

 

「ケホッ…ハァ…何がだ?」

 

「体術そのものは鈍っているのに、ナイフの扱いは洗練されている…俺と…恐らく奴とも違う変化だ。」

 

「何が言いたいんだ…?」

 

「確かに俺にはナイフへの執着が有る…それは多分、奴も変わらない…だが、アンタはそれを扱う為の身体能力の方がなっちゃいない…」

 

顎に『七ッ夜』を持った手を当てながら、恐らく俺についての事を考え始めている『七夜志貴』……何がしたいのかは分からないが好都合。こっちは体力の回復が測れるし、何より…そもそも朝にはこの騒ぎも収まるんだ…仮に『遠野志貴』が失敗したとしてもその事実は変わらない…時間稼ぎが出来るなら…それに越した事は無い。

 

「何よりお前はあくまで"ソレ"を手段としてしか捉えていない……違うか?」

 

「……そうだな、確かにそうかも知れない。」

 

会話に付き合ってやるのは吝かでは無い…ただ、コイツが何を言いたいのかは良く分からないが…

 

「俺は別に刃物に執着が無い…単に魔眼と相性が良いから使うだけだ。」

 

と言うか…ここで脱走などの小競り合いが起きると大体俺は駆り出されるが、さすがに脱走した囚人を殺す必要は無い以上…魔眼無しでも殺傷可能なナイフを持つ理由そのものが無い。何なら殺傷性が低くて、使う必要が有るなら武器は何でも使う…が、下手に武器を使うと刃物以外でも普通の人間相手なら…俺は最悪殺してしまうから基本的に使わないだけだ。

 

「で?それを確認してどうする?」

 

「いや何…参考までに聞きたいのさ…どうすればお前の様になるのか、とな…」

 

「…参考も何も…所詮、一夜で消える存在なのに…か?」

 

「さぁて。それは分からないぞ?」

 

溜め息を一つ零す…まぁシエルさんは元より、『遠野志貴』には絶対に言えないが、コイツなら良いかも知れないな…と言うか…あるいはコイツも実は別の世界の"俺"で本当はちゃんと生きた存在なのかも知れない…ならば聞く権利は有るのか…

 

「要するに"俺"に何が有ったのか…お前はそれを聞きたいんだろう?」

 

「ああ。」

 

「分かった、良いだろう…」

 

頭の中に残っている嘗ての"俺"にして他人の記憶を参照する…さて、何処から語ろうか…



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16

「ハァ…取り敢えず座っても良いか…?こっちはお前ほどの体力は無いんだ。」

 

「軟弱だな。」

 

「何とでも言え…大体、生身じゃないお前に言われたくないね。」

 

日々普通の範囲の運動しかしてない俺と…人外を倒す事に特化した身体のコイツとじゃ根本的に違うんだ、全く……そんな事を考えながらその場に腰を下ろし、片膝を立てて座る…改めて奴の方を見る…基本的に俺は『魔眼殺し』はあまり外さない…常時魔眼を発動していた頃でどうせ俺は持て余すからな…だが、最初の交錯時に奴を斬り付けようとして、魔眼で奴を視た時…奴の身体に走る大量の線が視界に入っていた…それは…先の『遠野志貴』より遥かに多い量だった…こうして会話した感じ、自我はハッキリしてる様だが…仮に本当にコイツが何処かの世界で生きていたとしても…恐らくこっちに来る前から元々希薄な存在だったのだろうな……本当にコイツは何なんだ?

 

「…おっと、お前は魔眼持ちだったな。」

 

普通に考えたらこの場には居ない筈の『遠野志貴』と同じ存在だと言われていると考えるだろうが…どうやら俺の言いたい事はちゃんと伝わっているらしい…

 

「…お前の正体は気になるが…どうせ答える気は無いんだろう?」

 

「…ふむ、そうだな…アンタの話が楽しめるものなら考えてやっても良い。」

 

「それ確実に話す気無いだろ…」

 

「いや?あくまでアンタ次第さ。」

 

口から自然と溜め息が零れる……何やら最近溜め息ばかり吐いてる気がするのは気の所為か…?……少し考えただけで思い当たる節が色々有り過ぎて嫌になって来た…と言うか、このまま俺が口を開かなかったらこのバカはこのまままた飛びかかって来たそうだ…さっさと"過去"を振り返る作業にシフトした方が良さそうだな…さて。

 

「……」

 

「どうした?」

 

「…いや、本当に何処から語れば良いのか分からなくてな…」

 

自分の事を語るだけなのに何故そんな悩むのか、と言われそうだが…実際、本当に分からないのだ……別に後ろめたい事が有るから語れない訳じゃない…遠野秋葉やシエルさん…そして、『遠野志貴』…あいつらには少々刺激が強い話にはなるが、この場に居る暫定『七夜志貴』には語っても恐らく問題無いだろうな、と…何となくそうは思う…何故なら俺がそうである様に…奴にとっても"赤の他人"の人生の話になるだろうからだ…

 

……まぁ結局の所…コレは既に俺にとっては今も頭の中に有る誰かの生きて来た記録の様な物で…要はやっぱり他人の話だと言う事になる…それをどう纏めたら良いか…まるで分からない、が…今の心境として正しいか…

 

「…つっても所詮自分の記憶だろ?ソレを纏められないと言うのは…!…へぇ、成程…そういう話か。」

 

何やら『七夜志貴』が一人で勝手に納得した様な声を出し、ニヤニヤ笑っている…何かに気付いたのか?

 

「何だ?何を笑っている?」

 

「…いや、失礼…何となくだが…分かっちまったんだよ。」

 

「何をだ?」

 

「……アンタ、一回死んだんだろ?」

 

「!…ほう…どういう意味だ?俺は今もこうして生きてるだろ?」

 

俺は今、口角を上げて…きっと今奴が浮かべてるのと似た笑みを浮かべている事だろう…まぁ実際正直に言えば…奴の言ってる事はこの時点でもうほぼ正解に近い…俺は…今ここに居る『遠野志貴』は…確かに一度、死んでいる…

 

「『直死の魔眼』…それが鍵かな?」

 

奴自身、まだ確信が持てないのだろう…俺に質問をして来る…まぁ俺の考えが纏まるまで相槌を打ってやっても良いだろう。……そして、その答えはYESだ。

 

「フッ…良いぜ、着眼点は悪くない…だが、それだけじゃまだ不十分だな…続けてみろよ?」

 

「…今の様になる前にアンタは恐らく…まぁ内容は分からないが、何かに絶望でもしたかな?自殺をしようとした…そうだな…自分自身に走る線をなぞりでもしたのかな?」

 

「ククク…!合ってる合ってる!で、それから?」

 

「…本来ならそのままアンタは完全に死ぬ筈だったが…土壇場でしくじった…元のアンタの自我だけが死に…肉体は残ってしまった…そして、本来なら朽ちていくだけのその身体にアンタが何処からか入り込ん…いや…アンタがその身の裡に新たに"誕生"した…これで正解かな?」

 

「ハッハッハ…!いやはや…ブラボー!そうだ…確かに前の俺『遠野志貴』は…嘗て自殺を図った…が、失敗した…そして…新たに空っぽなこの身体に、この俺が誕生した!」

 

思わず両手を合わせ、叩いてしまった。ヒントこそ渡したが…こうしてハッキリ見抜かれたのはコレが初めてだ…遠野秋葉もシエルさんも…"俺"が最早『遠野志貴』とは完全な別人だと気付く事は出来無かった…いや…薄々そう思っていながら認める事が出来無かったんだろうな…何せそれを認めてしまえば…これまで二人は別人に何の意味も無い語り掛けを続けていた事になるからな…

 

こうして『遠野志貴』を知る者から別人だと言われた事が…今俺は堪らなく嬉しい!本当に嬉しくて仕方が無い!

 

「良いさ!話してやるよ!お前には知る資格も、権利だってもちろん有る!」

 

ちょうど考えも纏まった所だ!コイツに"俺"の知る全てを話してやるとしよう!



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17

一息吐き、一度落ち着いてから俺は口を開く…

 

「一応確認するが…お前、本来の『遠野志貴』の事を知っているな?」

 

コイツは見た目的にさっきまでここに居た『遠野志貴』と年齢はそう変わらないだろう…しかし性格はほとんど真逆と言って良い…そして『遠野志貴』では扱い切れない『七夜』としての身体能力、体術…それにナイフの上手さ…そこら辺を鑑みるにコイツは、もう出自からして『遠野志貴』とはまるっきり別物と思って良いだろう…

 

…だが、コイツはハッキリ『遠野志貴』と俺は別人と言い切った。つまりコイツは…『遠野志貴』と何らかの形で出会っている…まぁさっきの『遠野志貴』の反応を見るに、完全に初対面だったがな…恐らくコイツとは別の世界から来ているのだろう…並行世界なんて物が本当に有るかなんて考えるのは時間の無駄だ…何せ証拠は俺の目の前に実際に居るからな…

 

『遠野志貴』は何れ"俺"になるかも知れないが、コイツは恐らく俺と同じ末路を辿る事は無いだろう…何せ絶望など何があってもしないだろうからな…

 

「!…ああ、知っている。」

 

笑みを消し、何処か複雑そうな顔をしながら俺の質問に答えた『七夜志貴』…へぇ、面白い反応だな。

 

「…『遠野志貴』が気に入らないか?」

 

「さて…まぁ確かに色々と有ったがな…」

 

相容れ無いのは間違い無いだろう…言ってしまえばコイツと『遠野志貴』はコインの表と裏…どちらか片方が陽の当たる場所に出て行けば、必然的にもう片方は日陰でしか生きられない…と言うより、最早その存在は居ない物として扱われるも同然。だが、元々そのコインは一枚しか無いのだ…同一存在で有る以上、当人たちはお互いの事を認識するのは本来不可能。

 

どちらが表でどちらが裏かなんてのは…出会う事が無い以上分からないのだ…『遠野志貴』にとって『七夜志貴』は遠野家に引き取られなければ有り得たかも知れないあくまでもしもの存在…それは『七夜志貴』にとってもまた然りだ。

 

…ただ、仮に『七夜志貴』として闇の中たった一人で生きていたとすれば…色々苦悩しつつも明るい道を歩けていた『遠野志貴』を…どうあっても認められる訳無いだろう…もし何らかの理由で出会ってしまえば殺しにかかるのは容易に想像がつく…が、コイツの今の顔からはどうも恨んでるのとはまた違う色を感じる…

 

「既に吹っ切れているらしいな?」

 

「!…人の顔色を一々読まないで貰えるか?」

 

「ククク…いや、失礼。」

 

俺としてはどちらの抱く想いもある程度想像がついてしまうから…つい、な。

 

「まぁそれなら生い立ちについてはおさらいとしてざっと話すだけにしよう…紅赤朱…軋間紅摩に故郷を滅ぼされた志貴は混血の遠野家に引き取られ、『遠野志貴』になった…自分の存在に極たまに疑問を抱く事は合っても自分を遠野の人間と思い、生きて来た…ここまでは良いな?」

 

「ああ、その辺はきっと"奴"も変わらないだろう。」

 

奴、ね…

 

「まぁ自分の事を疑問視しなくなるまでそれなりに色々と有ったが、その辺は良いだろう…」

 

遠野四季によって傷を付けられた事が原因で、そのまま一時的に死亡…蘇生はしたが、記憶を消され…遠野の分家…有間家に送られていたと言うのは…この場では関係の無い話だ。

 

「そして志貴は"自分の運命"と出会う…真祖の姫…アルクェイド・ブリュンスタッド…」

 

そこまで言ったところで俺は苦笑を浮かべそうになる…"運命"とは…俺の事を話している訳では無いが、中々陳腐な表現だな…俺らしくも無いが、さっき上がったテンションがまだ下がりきっていないらしい…

 

「彼女と出会い…出会ったその日に殺人衝動により、訳も分からぬままいきなりバラバラに彼女を解体…その後彼女曰く「責任を取って貰う」為、彼女と共に町に現れた死徒との戦い…その内二人は結ばれ「なぁ?」…何だ?」

 

「その下りは必要なのか?」

 

あからさまにうんざりした顔をした『七夜志貴』から紡がれたその言葉に思わず吹き出す…これでも端折ってるつもりなんだけどな…まぁそりゃ、いくら暈してるとは言え…自分の同一存在のそんな話聞きたくは無いだろう…俺としてもわざわざ口に出したくは無い…ただな…

 

「ククク…いや、悪い…だが…コレは一応必要な話なんだよ。」

 

「本当か?」

 

「ああ…とにかくだ、『遠野志貴』は『真祖の姫』と結ばれ…遠野家を離れ、彼女と行動を共にする様になった…そこだけ頭に入れてくれれば良い。」

 

「分かった…それで?」

 

「…真祖の姫を狙う死徒や代行者などの者たちを狩って行く志貴…いつからか「死神」なんて言う物騒な二つ名で裏の世界では呼ばれる様になって行く……本人はただ心の底から愛する女を守ろうとしただけなんだがな。」

 

「だからそういう話は要らん。こっちは時間が無いんだ、事実だけを客観的に話せ……お前の話じゃないんだろう?」

 

つい悪ノリしたくなるんだ、許せ…とは言えこのまま話してたら脱線して終わらなさそうだな…下手な小説よりずっと濃くて面白い人生送ってる『遠野志貴』が悪いと言うのは…さすがにお門違いが過ぎるか…

 

「そうだな…じゃあここからは少し端折って話す…吸血鬼で有る以上、避けられない吸血鬼衝動…それが吸血そのものを厭う彼女にも起こってしまった…それが、『遠野志貴』にとっての悲劇の始まりだった…」

 

俺はそこで一旦言葉を切った…上がっていたテンションが一気に下がって行くのが分かる…それでも今も妙に芝居がかった言い方になってる自覚も有る…こんな物、結論だけ言えば物語どころか現実には有り触れた話と言っても過言では無い…だが、その時の『遠野志貴』の慟哭を…怒りを記録として知ってしまった俺には…ここからの話を感情を排して簡潔に…客観的に語るなんて芸当は…俺には到底出来そうも無かった…



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18

「表出した吸血衝動を必死に抑え込もうとするアルクェイドに自分の血を吸え、と言った志貴だが当人はそれを拒む…半ば狂い掛けている彼女から言われたのは自分を今この場で殺すか、自分の前から消えて欲しいの二択だ。」

 

「……」

 

何か思う所が有ったのか、奴は黙っている…まぁ反応を気にしてても仕方が無いか…今は話を続けるとしよう。

 

「志貴はアルクェイドの前から姿を消す事を選んだ…ただ、それは彼女を我が身可愛さに見限ったのでは無く…彼女を助ける方法を探す為だ。」

 

「助けるも何も…吸血鬼、それもこの世に生を受けた時からそう言う生き方を定められた真祖の吸血衝動を抑える方法など先ず存在すまい…遠回りにも程が有るな。」

 

そうだな、今の俺からしても…無駄に苦しませるくらいならそれこそ自分の存在を懸けてでも殺すべきだっただろうと思う……一度出来たんだ、二度目は出来無いと言う事は無い。寧ろ彼女も最初に殺される前よりは確実に劣化していたらしいしな…

 

ただまぁ…

 

「それが出来無かったんだよ…奴にはな。」

 

「ふむ、俺には理解出来無い理屈だな…仮にも愛していたと言うなら…それこそさっさと殺してやるべきじゃないのか?長く苦しませると言う業も含んでの愛だと言うなら…話もまた違うが。」

 

……興味が無いどころか、ついさっきまでただ聞くのも本気で嫌そうな顔をしていたのに良く喋るものだ。

 

しかも俺と違って客観的に見ているのでは無く、何処と無く奴自身の心境を語っている様な気がする……まぁ良い。

 

「とにかく、『遠野志貴』は彼女を助ける為に数年振りに外の世界に出た…俺もそこら辺の記憶があまり残ってないので分からんが…ほぼ完全にこちらからは切り離された所に居たらしい…」

 

「へぇ…それで?」

 

奴はまたニヤニヤしている…まぁ、既にオチが見えてるからだろう。

 

「…奴は吸血衝動を止める方法の情報を得ようとして必死だった為に、外に出た時に漸く気付く…そんな方法仮に有るとしてもその情報を持ってそうなのは精々今まで狩り、散々追い返して来た死徒や代行者位だと言う事にな…」

 

「今まで敵対して来た相手に、自分が困ってるからって助けてくれと縋るのは虫の良過ぎる話だな…しかも『遠野志貴』が助けようとしてるのはそいつらが狙う真祖の姫だ…仮に情報を持っていたとしても教える理由は無いな。」

 

その通り…『遠野志貴』には嘗ての敵に縋り付く以外の方法は無いが、向こうはまともに取り合ってくれる訳が無い…何よりも…

 

「一番の問題として…『遠野志貴』はその身体能力と『直死の魔眼』以外の異能は無い…そして…奴には元々死徒や聖堂教会の連中に自分から接触するツテなど無い。だから…」

 

「だから?」

 

「…自分を囮にすれば、いつかは向こうから接触して来るかと考え…各地を放浪する様になった。」

 

俺がそう告げると奴は声を上げて笑い始めた…ああ、俺も正直同感だ…奴の嘆きを"知って"はいても…コレは完全に笑い話だと言う他無い。

 

「アッハッハッハッハッ…!じゃあ何か!?ソイツは時間が無いのにも関わらず、無駄に世界各地を回ったと言うのか!?」

 

「そうだ…道中本人の目論見通り死徒にも代行者にも遭遇出来たが、結果は惨敗…『遠野志貴』は死ぬ事こそ無かったものの結局少しでも使える情報を喋ってくれた者は居なかった…そして更に数年が経ち、失意のまま…『遠野志貴』は彼女の元へ帰って来る…」

 

「…で、真祖の姫はどうなってた?」

 

「…戻った先で見たのは彼女を囲む多数の死徒と代行者…そして、笑いながら暴れている彼女だった。」

 

「『遠野志貴』は死徒と代行者の亡骸を掻き分け…生き残って彼女と対峙する死徒と代行者を片っ端から殺しながら彼女の元まで辿り着き…もう『遠野志貴』の事も分からない程に狂気に駆られている彼女を泣きながら解体した……初めて解体した時と違い…彼女は、もう蘇らなかった。」

 

「それで絶望して自殺…か?」

 

「ああ。…結局失敗したがな…ただ、次に目覚めた時は何故か何処かの村の民家でな…その時は既に奴では無く"俺"になっていた…」

 

「漸く、ここからはアンタの話か。」

 

「ああ…だが、別に『遠野志貴』程面白い話じゃないぞ?それでも聞きたいか?」

 

「ああ、是非聞きたいね…産まれ立てで真っ更だった筈のアンタが…どうやって今の様になったかを、ね…」

 

「物好きだな、まぁ話すと言ったし…お前が聞きたいなら別に良いが。」

 

今の所、コイツは消える気配は無い…どうやら『遠野志貴』は未だにタタリを仕留められていない様だ…このままだと結局俺は、コイツと決着を着けないといけなくなるかもな…



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19

「まぁ、それで目覚めた俺だが…不思議と自分は死んだ筈じゃないか?と言う感覚は有った……が、直後に別の異常に見舞われるんだがな…」

 

「異常?」

 

「…突然俺の頭の中に流れこむいくつかに分かれた『遠野志貴』の記憶…自分がソイツとして一度死んだのは確かなんだろうが、生憎その尽くに自覚が無かった…ソイツが、自分だとは決して思えなかった……たまたま部屋の中に有った鏡を確認して結局同一人物だと気付くんだがな…そして、鏡を見ている時に更に俺の中で異変が起きる…俺の中に実質もう一人分の記憶…『幼少期の七夜志貴』の記憶だ…こちらも断片的な内容だったがな…先程までの遠野志貴とは似つかないその子供が…不思議と、今の俺に一番近いのでは無いかと感じた…」

 

「…その後に俺の居る部屋に入って来た老夫婦…少なくとも日本人では無かったな…ただ、幸い俺は世界各地を巡った『遠野志貴』の経験も有しているからな…言葉が分からないと言う事は無かった…で、どうやらその二人が…自分たちの住んでいる村の前に倒れていたと言う俺を…部屋まで運んでくれたらしい…」

 

「…その後はまぁ…多分半年くらいかな、俗世から離れていて暦も無い様な村だったからハッキリとは分からないが…その家で俺は暮らしてたんだ…日本で言う限界集落って奴かな…若い奴が少ないもんだから色々頼りにはされた…都会での生活の記憶をほぼ他人の物として認識しているとは言え、有している俺には退屈では有ったが…その村での生活は…時折俺の脳裏に過ぎる血なまぐさい光景を薄れさせて行った……まぁ要はお前の感覚で言えば鈍った、あるいは腑抜けて行ったんだな…」

 

「居場所を得た、と…逆に暮らしやすかったんだろうな…アンタの事を知る者は、そこには誰も居なかったんだろう?」

 

「ああ、基本的にその村の生活は一切外部に頼らず完結していたからな…外から人が来る事も無いし、俺の正体を知られる事は無かった……何より俺は…異形のモノが目の前に現れない限りは正常に近かったからな…幸い、お前の様に刃物に執着する事も無かった…」

 

「…で、半年間そこで生きていたのに…今、アンタはこんな所に居る…何があったんだ?」

 

「退屈なのは分かるが、そう慌てるな…今話す。」

 

俺はそこで目を閉じる……あの村での生活は酷く退屈で平穏だった…それが壊れた日の事は、今でも昨日の事の様に思い出せる…

 

「ある日の事だ…"外"から身なりの良い男が村に入って来た……当時の俺よりは歳上だろうが、それでもまだ若いと言って差し支えの無い男だ…30代前半くらいかな「それは若くないんじゃないか?」…あの村には老人しか居なかったからな…格好も相まってかなり浮いていたよ…」

 

「俺は村から出ないから知らなかったんだが…村を出て少し行った所に遺跡が有ったらしい…ソイツはそれを求めてやって来たんだ…」

 

「村の長に、報酬は出すからその遺跡まで案内して欲しいと言う男に…村の連中は渋った…曰く、あそこは聖地で我々が崇める神が眠っている、と……まぁあの脅えようと、崇めていると言いながら村の奴らは基本的に近付こうともしてなかったのは日常的に村に居た俺には分かるからな…ほとんど忌み地について語っている様だった…」

 

「何でも望む物を渡す、ここから外に出す事も出来ると言うその男に我々は長年ここで生きて来た…今更外に出るつもりは無いと長が答えた辺りでその男の雰囲気が変わる……まぁ…元々生活全てが産まれてからずっと村内で完結していた上に、あそこに居たのは既に先の無い人たちだ…出て行った所で今更外での生活に馴染める訳も無いし、外に出ないんだから金銭的報酬に意味は無い。交渉が決裂するのは当然と言ったところだな…」

 

「それで?雰囲気が変わったと言うのは?」

 

「奴から急に漂い始めたモノ…今まで良く隠していたと褒めるべきかも知れんな…それは濃密な死の気配だ…俺はその時確信した…コイツは…要は俺と同じ、裏の人間だと……当時平和ボケしてなかったら、もっと早く気付けてたかもな…」

 

「近くで見ていて、さすがに不味いと感じた俺は二人の間に割って入り…怯えている長の爺さんを背にして俺は男の前に立った…いざ目の前まで近付いた事で先程より更に濃くなった吐き気がする程の強い死の気配…その時の俺はそれに耐えつつ頭をフル回転させていた……この場に使える武器は無い…今の鈍り切った俺では、恐らく素手でコイツに勝つ事は出来無い…七ッ夜は俺を拾ってくれた老夫婦の家に有る…取りに行くとコイツから目を逸らす事になる…それは駄目だ…俺は生き残れるかも知れないが、後ろの爺さんは確実に死ぬし…何なら追加で他の奴も死ぬ……俺の出した結論は…ソイツの事を只管に睨み付けて牽制する事しか…この場では出来無い、だった。」

 

「そんな奴が本当にふらっと現れたのか?」

 

「信じられなくても無理は無い…俺だって今ならアレは本当に有った出来事なのかと思ってしまう…だが、あの日俺たちの前に確かに居たんだ…」

 

「ソイツは何者なんだ?死徒じゃないのか?」

 

「死徒でも真祖でも無い…ソイツは吸血鬼なんかじゃない…ましてやそれ以外の人外の化け物とも違う…アレは間違い無く人間だ…何故なら、異形に対する殺害衝動が出なかったからな…ただ、殺気とは違う…死、そのものとしか言えない気配…まるで本物の死神を見たかの様な気分だった……あるいは、殺し合いから離れて久しい俺が、実に半年ぶりに出逢った裏の住人に対して感じた恐怖が…そう錯覚させたのかも知れないが…だが、全てが間違いでは無いと確信出来ていた…コイツから感じる死の気配…ソレは、数え切れない程の同胞を殺したせいだと…あの時の俺には分かったんだ……まぁ、何故って聞かれても理由は分からないけどな…」

 

「未だ気配を放ったまま動かないその男…最も、その気配に当てられた俺も動く事が出来無かった…動けば、死ぬ…それも恐らく俺以外の誰かが…何があっても死なせたくないと思ってしまうくらいにはそこの村人に俺は恩が有ったし、情も移っていた…」

 

「だが、そのまま動かなければアンタは為す術も無く殺されて…結局村人も殺されるんだろう?」

 

俺は頷いた。

 

「奴に先に攻撃させる訳には行かない…お前が言った通り、俺が死ねば…結局村人も死ぬ…牽制しているだけでは駄目だ…俺は人1人分くらいは空いていた距離を詰めようとして、擦る様に…僅かに足を前に出した…次の瞬間、俺の首が飛んだ…」

 

「……幻覚だな。」

 

さすがに察しが早い…俺はまたも頷きを返す。

 

「俺が足を前に出した瞬間に、奴から発せられた殺気が俺にほんの一時、死の幻を見せた…一瞬意識が暗転して、即座に光が戻る…幻視してしまったソレは…本当に極一瞬の出来事なんだろうが…俺にはもう少し長い時間に思えたな…視界に飛び込んで来た奴から目を逸らさない様にしながら、咄嗟に喉元を押さえた…首が付いてるのが確認出来たが、安堵は出来無い…俺は視界から外さない様にしながらもう一歩足を踏み出そうとした……そこで老夫婦の内、旦那の方が俺と奴との間に入って来て、『儂がそこに案内をする!』と叫んだんだ……情けない話だが、奴の姿が視界から消えると同時に…俺は膝から崩れ落ちそうになったよ。太腿を叩いて喝を入れて、踏ん張ったがな…」

 

「気付けば奴からの気配は消えていた…そして爺さんは奴の横を通り過ぎて、先導するように村を出て歩いて行く…もちろん、他の村人以上に世話になっていた爺さんを放っておく気は無い…俺はすぐ待ったを掛けて、俺も行くから少し待ってくれと行ったんだ…そして老夫婦の家まで走った……七ッ夜を取りにな。」

 

「何処が退屈なんだ…中々ワクワクする話じゃないか。」

 

「ニヤニヤするな、あの時は…こっちは生きた心地がしなかったんだ…」

 

まぁ二人について行った後…最終的に事態は俺の手には到底負えなくなってしまう…そう言う意味では…退屈で下らない一件だったと言えるだろう…あの時俺がもう少し上手く立ち回れていれば、あるいは…今とは違った道を歩んでいたのだろうか…

 

「で、二人について行ってどうなったんだ…?」

 

「待て、一旦休憩させろ「拒否する…殺し合いの続きなら乗ってやるし、何なら続きを話さなくても良いが?」……分かったよ。」

 

まぁ、奴には時間が無いからな…最も『遠野志貴』ならまだしも…どうして俺の話を聞きたいのか分からんのだがな…

 

「爺さんを守る為に、俺は爺さんの横を歩く…二人で歩く間爺さんは一度も口を開かなかった……まぁ、俺からも話掛けようとはしなかったがな…何せ、後ろにあの男が居る…」

 

その時後ろに居たソイツの気配は…一般人のソレと大差は無かった…まるでさっきまでの事が嘘だった様に…だが、アレは間違い無く現実だと…俺の本能が告げていた…

 

「黙ってついて来るソイツを俺はずっと警戒していたが…特に何かを仕掛けて来る様子は無かった…まぁ村に来た時ベラベラ喋っていたのが嘘の様に静かになっていたがな…ま、本来はそれが奴の本当の姿なんだろう…やがて俺たちの前に一軒の大きな屋敷が見えて来た…不思議な気分だったな…荒野の中にポツンと建つその屋敷は…造りこそ古くは見えたが……そうだな、何て言うのかは俺は知らないが…少なくともその屋敷は村に有った家屋に比べてずっと近代的な造りだった……まぁ、普通で有れば文化遺産にでも登録されてそうなソコは…荒れ果てて見る影も無かったがな…」

 

嵌め込まれている窓ガラスは無惨に割れ、破片の多くは砂に塗れ、大半が埋もれており…入り口のドアに至っては外れて地面に落ちている…

 

「ただ、更に不思議だったのはその屋敷は恐らく、内側から破壊されていたと言う事だ…少なくとも経年劣化で自然に壊れた訳じゃない、と言うのも判別出来た…当時の痕跡が見て取れた辺り、建ったのはそれ程昔では無いのも間違い無いだろうな…最も、それにしてはやけに造りが古いな、とは感じたが…まぁそもそも…街からは確実に離れた所に有るだろう、荒野のド真ん中に近代的な屋敷が建っている時点で既に可笑しいが。」

 

「…そして…爺さんはその屋敷の入り口側まで歩き、屋敷をしばらく眺めていたが、やがて後ろに振り向いた…」

 

『案内は終わった…儂らは帰らせて『貴方は屋敷の中がどうなっているのかご存知で?』!…しっ、知らん…!』

 

「……最早、知っているとしか思えない言葉だったな…直後に一気に距離を詰めた男に爺さんが蹴飛ばされ、後ろに吹っ飛び…地面に倒れた爺さんに慌てて駆け寄った所で…俺は動けなくなった…」

 

「動けなくなった?男が何かしたのか?」

 

「……いや、違う。アレが出たのさ…」

 

「アレ?」

 

「俺たちに掛けられた一種の呪い…人外に反応する殺害衝動だ…」

 

「ん?男は人間だろ?……まさか、爺さんが人じゃなかったのか?」

 

「それも違う…何よりそれなら、爺さんに最初に会った時点で俺は気付けた筈だ…反応の元は爺さんのすぐ横に有る屋敷の入り口だ…戸惑いつつも俺は首を横に向けた…」

 

「……感じたんだ…中から人外の気配を…そして、明らかにソイツは…目の前の男を遥かに超える脅威だと判断出来たんだ…」

 

本当なら…あの日の事はもう思い出したくない…だが…アレを忘れる事など…これから先、一生出来無いだろう…

 

「男の方も中の奴に気付いたらしくてな…俺たちの横を走り抜けて屋敷に入って行った…俺はすぐに奴を追った…爺さんが何か叫んでいた様な記憶も有るが…あの時の俺にはそんな事どうでも良かった…あの男より危険なアレをすぐにでも排除すべきだと…あの時はそれしか考えられなかったんだ…」

 

あの日、爺さんと奴について行かなければ…いや、男が来た事自体は俺にはどうしようも無い事だった…あの時俺は…命を懸けてでも男を村に現れたあの時に始末すべきだった…それさえ出来ていれば…アレは防げていた筈だった……それでも出来無かったのは、きっと奴にビビっていた事だけが理由じゃない…

 

俺の本当の姿を知られて、村の連中に嫌われる事が怖かった…その俺の恐れが、全ての引き金になった…



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20

「奴の足は思いの外速かった…俺が鈍っていたのは有るだろうが、その背はすぐに見えなくなった…」

 

「奴の姿が見えなくなって俺は途方に暮れた…あの屋敷はせいぜい二階建て程度だったが、とにかく横に広くてな…実際に家屋として使われていたのかは分からなかったが…横に一直線に伸びる廊下の左右の壁にいくつかの部屋が並んでいた…」

 

「今思えば、ゆっくり探すのも手だったのかも知れないが……ああ…いや、そうじゃないな…あの時の俺は漠然と分かっていたんだよ…とっととあの男を見付けて始末すべきだと…そうしなければ奴は酷く、致命的な何かをやらかす、とな…」

 

「?…その男は後回しにする筈だったんじゃないのか?」

 

「そのつもりで屋敷に飛び込んだ筈だったんだがな…中で感じた…外に居た時とは到底比べ物にならない程の強大な人外の気配と、最早呼吸に影響が出る程に早くなって行く胸の鼓動……殺害衝動に飲まれつつも、俺の理性は既に結論を出していた。」

 

「コイツは…確実に俺の手には負えない。どう言う訳か知らんが…このボロボロの屋敷は奴にとっての"檻"だ…外からは入り放題で、中から出ようと思えばすぐに出られる筈のこの無惨な姿の屋敷が…この気配の主を繋ぎ止めている…もし、あの男が余計な事をして…この気配の主が外に出る様な事が有ればどれ程の被害が出るかまるで予想が付かなかった…少なくともあの村は確実に、跡形も無くなる…」

 

「殺害衝動とそれを誘発する、今にも俺を押し潰してしまいそうな強大な気配…そして、事態を早く鎮圧しなければと言う焦りが…俺から僅かに残っていた冷静さと体力を奪って行く…早鐘を打ち続ける心臓を黙らせる様に何度か胸の辺りを叩きながら俺は屋敷の部屋を探って行く……あからさまに壊れているドアはまだ良いが、そうでないドアはふざけた事に鍵が掛かっていたからな…余計に体力を消費するのは分かっていたから、その時も掛けていた魔眼殺しは外せない…蹴り壊して行ったが、それにより俺は疲労が蓄積して行く……だからニヤニヤするな。」

 

こっちは真面目に当時の事を語っていると言うのに、笑みを浮かべている『七夜志貴』の姿に溜め息を吐く…冗談じゃない…こっちはあの時、気を抜いたら戦う前に絶対に死ぬと感じたんだ…!

 

「最高じゃないか…本にして出せば売れるんじゃないか?」

 

「ふざけるな…こんな話、誰が信じると思っている…大体これはな…創作の話なんかじゃないんだよ…あの日、確かに俺が体験した出来事だ…」

 

「ククク…で、続きは?」

 

「…一階西側の部屋を探索し終わったところで強い頭痛が走り、俺はその場に蹲った…どっちが先か最早分からんが…屋敷の中の人外の気配が更に膨れ上がったのを俺は感じ取った…こめかみの辺りを手で押えながら、頭痛を感じた瞬間にギュッと閉じていた目を開いた…」

 

『っ!アイツ…!一体何をした…!?』

 

「…視界は真っ赤に染まり、更に視界を遮る様に見えて来る無数の黒い線……早い話が、今感じている人外の気配があまりにも強過ぎて、魔眼殺しが機能しなくなったらしい…俺は役に立たなくなった眼鏡を外して、普段着と化していた学生服の胸ポケットにしまった。」

 

『っ…!くそ…上か…!?』

 

「気配が強くなった為に主が何処に居るのかは分かりやすくなったのは幸いだった……まぁ、行っても最早手遅れだろうとは分かっていたがな…」

 

「俺はとにかく廊下をその時出せる全力で駆け抜け、見えて来た階段を駆け上がった…」

 

『痛…!クッ…何処だ!?』

 

「二階の廊下を走り、気配を追って漸く辿り着いた先は行き止まり…どうするか悩む時間も惜しい…俺は咄嗟に目の前の壁の線をなぞり、破壊した。」

 

「無茶をするものだ…屋敷ごと斬り刻んでいた可能性も有ったんじゃないか?」

 

「そんなヘマしない…とは言えないな…ただ、あの場に居れば恐らくお前も同じ事をした筈だ。」

 

断言出来る…コイツがもしあの時…俺と同じ立場だったなら…俺と違い、村人を守る意思がコイツに無くてもコイツは気配に誘われて屋敷に侵入し、気配の主を狩りに行っただろう、と…そして俺とは違い早く戦いたいが為の性急さから気配の主がいる空間の壁を破壊していただろう…と。

 

「ふむ、それで…壁の向こうには何が有ったんだ?」

 

「屋敷の数部屋の壁をぶち抜いて作ったかの様な広大な空間…その真ん中に鎮座する…巨大な肉塊とそれを取り囲む十数本の鎖…その肉塊の前に、あの男が立ち、何やら呪文を唱えていた…そして奴が詠唱を終えると同時に鎖の内一本が千切れ、ガラスが割れる様な音を立てて消滅する光景だ。」

 

『何をしている!?止めろ!』

 

「俺が叫んで奴の方まで駆け寄ろうとした時、奴がこちらに振り向き、掌をこちらに向けた…その瞬間、見えない力に俺は吹き飛ばされ、壁の穴から出て向こう側の壁に背中から叩き付けられた…」

 

『がはっ…!クッ…ゲホッ!ゲホッ!』

 

「…床に倒れ込みながらも手を着いて立ち上がると…壁の穴の方から奴の声が聞こえて来た…」

 

『邪魔をしないで貰えますか?漸く、私の悲願が叶うのですから…』

 

『クッ…!馬鹿か!?悲願だかなんだか知らないが…!ソイツは確実に人間の手に負える相手じゃないぞ!?』

 

『ええ、それで良いのですよ。』

 

『何だと!?』

 

『コイツを解き放つ…それだけで、私の望みは叶うのです…そこで見ていなさい。』

 

『ふざけるな!』

 

「あの時俺がしなければならなかった事はただ一つ…あの男を解体して、馬鹿げた行いを止める事だった…最も、勝算は無いに等しかったがな…」

 

「『直死の魔眼』は万物の終わりを見る目…その中に例外は存在しない…"ソレ"の死を想像さえ出来るなら、悉く全てを殺す事が出来る…ただ、元々形の無い物に死を与える事は出来んな…」

 

「そうだ…そして、奴が使っているのは不可視の力…だが、俺の眼なら力そのものだって本来は見る事が出来る…見えさえすればソレにも死は有る…終わりを与える事が出来る……でも、俺の眼にもその力の形はまるで見えなかった…見えなければ…殺す事は出来無い。」

 

俺があの時、あの男に勝つ方法は…存在しなかった。



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21

「例え勝つ見込みが無くても、ここまで来て諦める理由も無い…とは言え、俺の使える武器は手に持つ七ッ夜…つまり、ナイフ一本…それ以外はこの身そのものしか無い…別に刃物に拘るつもりは無かったから、探索中に侵入した部屋の中に使えそうな物でも有れば、持ち出していたかも知れないが…残念ながら、俺の入った部屋にはどれも家具一つ無かった…運び出されたのか、元から置かれて無かったのかは知らないがな…」

 

「…で、結局アンタはどうした?」

 

「そのまま突っ込んだ。」

 

「は?」

 

「だから、そのまま突っ込んだんだ。あの男に向かってな…」

 

「……馬鹿もここまで極まると、最早笑えて来るな。」

 

「仕方無いだろう?力の流れが一切見えないければ躱す事すら出来無い…さっきは不意打ちだから分からなかったが、食らってればその内何か分かるかと思ったんだ…そんなに笑うなよ、なら…お前だったらどうするんだ?」

 

「俺なら…さっさと撤退して、村人を避難させに行くがな。俺やアンタが出来るのは所詮は近接戦のみ…近寄れないなら、はなから勝負にもならん。」

 

「それは無理だな。」

 

「何故だ?」

 

「あの人たちはあそこで生まれ、生きて…死ぬ…それが、宿命だと信じているからな…そもそも既に足を悪くして動けない人や、寝たきりの人も居たからな…」

 

「ならば仕方有るまい…この場合、その宿命とやらに従って死ぬのが…結局、そいつらの寿命だっただけの話だろう。」

 

「俺はそうは思いたくなかったんだ…だから、逃げる気は無かった。」

 

『ガハッ!…くそっ…』

 

『もう諦めたらどうですか?その手に持つ物を見るに、貴方は私に近付かないと攻撃出来無いのでしょう?』

 

『ハッ!誰が!』

 

「…咄嗟の行動だった……最早自分の意思ですら無かったのかも知れないな…奴がまた俺に掌を向けた瞬間、俺はその場で床に片手を着いて側転をした…今度はあの謎の衝撃波が俺に当たらなかったんだ。この時、漸く俺は突破口が見えた気がした…」

 

『ほう…!』

 

『ハッ…ハハハ!そう言う事か…!』

 

「奴はあの衝撃波を飛ばすのに、一々掌を俺の方に向ける動作が必要だ…ならば…」

 

「向けられる度に、その掌の向いている場所から位置をずらせば衝撃波は当たらない…そう言う事だな?…で、そこに気付くまでに、一体何度食らったんだ?」

 

「さぁな…途中から頭痛と、散々壁に打ち付けられた時の身体の痛みで半分朦朧としてたからな…」

 

『その身体で良く動く…しかし、いつまでもちますかね?』

 

『ふざけるな!お前を解体するまで、止まる訳無いだろ!?』

 

『では、これはどうしますか!』

 

『なっ…!』

 

「例の衝撃波が僅かに掠ったらしく、それに何度か身体を切り裂かれながら…それでも、何とか俺が奴の近くまで来れた瞬間、奴が掌を床に向けた。ちょうど、俺の足元くらいの位置にな…」

 

「アンタは空中に飛ばされた、か?」

 

「ああ…重力に逆らう様に俺の身体は天井近くまで飛んで行った…それでも、幸い天井に当たる事は無かったが…元々自分で飛んだ訳じゃない上、俺の身体はもうまともに動く状態じゃない…本来なら、それこそ自力で下に戻る事も出来た筈だが…あの時の俺に、そんな余裕は無かった…その状況で奴は下から掌を向けて来た…」

 

『空中ではもう躱せないでしょう…これで終わりです!』

 

『くそ…』

 

「次アレを食らったら…仮に生きていても俺はただでは済まない…それこそ意識を失い、俺は恐らく重力に引かれるように頭から下の床に落下する…確実に俺は死ぬ…だが、逃れる方法は一つだけ有った。」

 

「奴の力を魔眼で目視し、殺す…アンタが生き延びるにはそれしか無いな。」

 

「あの時、俺は見た…床に向けられた手が何故かゆっくり俺の方を向く…結構距離が有ったのに、奴の掌の模様までハッキリと見えていた…そして、奴の掌が僅かだがブレるのが確認出来た…奴の手そのものはほとんど動いた様子が無いのにだ…そして俺は、今思えばほぼ無意識の行動だろうな…ナイフを持つ右手を振るった。」

 

「線が見えたのか?」

 

「いや、恐らくだが…空気の振動から、奴の衝撃波が飛んで来るタイミングが何となくだが分かった…魔眼は関係無い…俺は衝撃波そのものを、斬り裂いたんだ。」

 

「何ともまぁ、デタラメな話だな…」

 

「斬れたんだから仕方無いだろ。斬り裂けたのが分かった瞬間…何故か妙に俺の身体が軽くなったのを感じた…そのまま俺は空中で無理矢理体勢を変え、下まで一気に落下する…」

 

『馬鹿な…!?』

 

『斬る…!』

 

「苦し紛れに俺に掌を向けようとした手を腕ごと落とし、咄嗟に奴はもう片方の手に持っていた本を捨て「待て、本だと?」ああ…屋敷に入るまで、奴は手ぶらだった筈だが…あの時は何故か分厚い本を持っていたんだ…恐らく、奴の唱えていた呪文の書いてあった本じゃないかと思う…とにかく俺は…もう片方の手も落とし、床に落ちる直前に本を遠くまで蹴り飛ばしてから残りの部分の解体に移る…もう、奴は何の抵抗もせず…俺は淡々と線をなぞって行き、奴の身体は崩れた…だが、そこで話は終わらなかった…」

 

『ハァ…全く、手間をかけさせてくれたな…』

 

「取り敢えず、あの本ももう読めない様にバラバラにしておくか…そう考え、奴から視線を逸らした瞬間に奴の声が聞こえた…」

 

『ハッ…ハッハッハ…!』

 

『何だ…まだ息が有るのか…何が可笑しい?』

 

『終わったと思ったのですか!あれを見なさい!』

 

「アレ、と言われてもその時の俺にはすぐには何を差してるかは分からなかった…奴はもう動かす手も無いからな…だが、その意味はすぐに分かった…」

 

『……嘘だろ?』

 

『ハッハッハ!既に、手遅れだったのですよ!』

 

「例の肉塊を縛っていた鎖が…一本ずつガラスの割れる様な音を立てて、どんどん砕けて消えて行った…」

 

『くそ…!どういう事だ!?…チッ!死んでやがる…』

 

「奴は…さっきまで流暢に喋っていたのがまるで嘘の様に、既に事切れていた……ムカつく事に、俺を嘲り笑う顔のままでな…」

 

「とにかく、奴が何をしたかったのかは分からんが…封印とやらは解けてしまった訳だ…で、結局アンタはどうしたんだ?」

 

「もちろん残ったさ…と言うより、封印が解けたせいか…散々俺を圧迫していた存在感は更に大きくなっていて…もう立ってるのがやっとの状態だ…ついでに言うと、奴の衝撃波を斬り裂いた瞬間消えた筈のさっきの戦闘のダメージも戻って来たからな…文字通り、一歩も動けなくなったんだ…」

 

『チッ…』

 

「正直、もう何もする気力が湧かなかったな…俺がそのまま目の前の床に倒れ込みそうになった所で、俺が破壊した壁の穴の辺りに気配を感じた…」

 

『なっ…何でここに!?来るな!危ないぞ!?』

 

「いつ屋敷に入って来たのか…村人たちが穴の前に立っていたんだ…良く良く見ればもう寝たきりで、自力で動けない筈の爺さんもしっかりと両の足で立っていたんだ…」

 

「村人たちは、俺の声は全く聞こえない様子でな…やがて俺が見てる中…その寝たきりだった筈の爺さんが歩みこそ遅く…ゆっくりとだが、歩いて部屋の中に入って来たんだ…」

 

『おい!聞こえないのか!?逃げろ!』

 

「……俺は大声で呼び掛けたが、やはり聞こえてない様でな…そのまま爺さんはどんどん肉塊の方まで歩いて行くんだ…そして、爺さんが肉塊の前に着いた時…爺さんが目を閉じ、涙を流しながら両の手を合わせた……ちょうど神社で、願掛けをする時の様にな…そこであの肉塊が自分の身体の一部を伸ばして来たんだ…触手の様に。」

 

『くそ…!何だ!?』

 

「もう倒れてる場合じゃないからな、何とか俺は…ボロボロの自分の身体に鞭打って動こうとしたが…今度は疲れやダメージは関係無く、本当に全く動けなかったんだ……足を何かに掴まれている…それに気付き、俺は自分の足元を見た。」

 

『なっ…!くそっ、離せ!』

 

「例の触手が…俺の左足の足首に巻き付いていた…線をなぞり、斬り裂いたが…すぐに新しい触手が生えて来る…とても躱せないスピードでな。」

 

「本体を、解体すれば良かったんじゃないのか?」

 

「さすがにそんな体力残ってなかったし、そもそもそんな事も浮かばないくらい…俺はあの時、体力的にも精神的にも…追い詰められていた。」

 

『くそっ…!くそっ…!止せ!』

 

「爺さんの方に伸びた触手は首の辺りに巻き付いていたが…有れは締め上げてたんじゃない…首に張り付き、血を吸っていたんだと察せられた…爺さんの顔色がどんどん悪くなって行ったからな…だが、爺さんは振り払おうともしなかった…ただ目を閉じ、涙を流しながら何処か恍惚とした顔で…黙って受け入れていたんだ…やがて爺さんから触手が離れた時、爺さんが床に向かって倒れ始めたんだ…俺はもう一度足に巻き付いていた触手を斬り裂き、走った…何故か、今度は触手が伸びて来なかった…」

 

「…で、その爺さんはどうなってた?」

 

「死んでいた…血を吸われ、完全に干からびていた…そして、気が付くと俺のそばに誰かが立っていた…あの日、俺を拾ってくれた爺さんと婆さんだ…」

 

「二人も、俺の抱えている爺さんと同じ様に黙って血を吸われていた…止めようにも、明らかに手遅れなのが分かってな…そして、俺自身も…その異様な光景に魅入られた様に動く気にならなかった…」

 

「気付けば…俺の周りは村人の死体だらけになっていた…」

 

『……満足か?腹、一杯に…なったのか?』

 

「奴はもう、俺には触手を伸ばしては来ない。結局奴は…村人全員の血を吸い、殺したが…俺には、そもそも手を出す気が無かったのかも知れないな…」

 

『なぁ、何とか言ったらどうなんだ?…それとも、喋れないのか?』

 

「呼び掛けても奴から返事が返っては来なかった。ただ…何となく感じていた……奴は、俺を観察しているのだと…俺は奴から視線を外さなかった…睨んでるんじゃない…ただ、見ていた…やがて…奴の姿は俺の前で薄れて行き、最後には…消えた。」

 

「消えた、だと?」

 

「ああ。まるで…初めからそんな物は存在しなかったかの様にな…だが、幻でない証拠に…俺の周りには村人の干からびた死体が転がっている…俺はその場で座り込んだ…」

 

『ハッ…ハッハッハ…アッハッハッハッハ…!』

 

「俺は嗤っていた…何も出来無かった自分の事をな…何かに取り憑かれたかの様に、泣きながら…狂った嗤い声を挙げ続けた……そして、そんな俺の周りにいた村人たちは…突然、起き上がった。」

 

「起き上がった?そいつらは死んでいたんじゃないのか?」

 

「ああ、死んでいたよ…死んで、死徒化して戻って来た…」

 

「俺は嗤いながらも立ち上がり、先ずは俺のすぐ横にいた寝たきりの爺さんの足を斬り、倒れた爺さんにトドメを刺すと、次の標的を解体して行った…もう、どうでも良かった…あれだけ守りたがっていた村人を…目の前で何も出来ずに死なせ、挙句に村人たちの仇を取ろうともせず、黙って見逃し…そして…今度は死徒化して蘇ったそいつらを俺が作業の様に解体していく現実…それを、全て否定したかった……その場に立っているのが俺だけになった時、既に日は沈んでいた。」

 

「俺は…一人で何日も掛けて村人たちの死体を運び、それぞれの家の前に埋めた。その後は三日ほど…村に残っていた物を食べながら生活し、俺は村を出た。」

 

「まぁその後は…出会す代行者や、死徒を片っ端から狩りつつ…あちこち彷徨い歩いて…有る時辿り着いた街で死徒を狩ったのを一般人に見られてな、そこの警察に捕まって…俺は日本に帰され、こんな所に来た訳だ…」

 

「……それは、本当の話か?」

 

「ああ、本当だよ…酷く退屈な、話だろ?」

 

俺が奴の質問に答えると、奴は何やら考え込み始めた……遠野志貴、一体何をしている?いつになったら、終わるんだ?

 

「ククク…成程、そう言う事か…面白くなって来たな…」

 

「何がだ?」

 

「敢えて俺からも七夜、と…呼ばせて貰うが…七夜、遠野志貴は今どうしてるんだろうな…さすがにもうとっくに、この馬鹿騒ぎの黒幕の所に辿り着いていても…良い頃合いだと思わないか?」

 

「何が言いたい?」

 

「俺やあいつは恐らく…アンタが居たからこの場に呼び出された…要はアンタの記憶を読み取っているんだろう…で、ここに来ているのは俺たちだけだと思うか?」

 

「まさか…奴も、ここに…?」

 

「その可能性が高いだろうな…それだけの内容なら、俺たちの事より強くアンタの記憶に刻まれてるだろうしな…」

 

チッ…道理で遅い訳だな…!

 

「くそっ…おい!七夜志貴!そこを、退いて貰うぞ…!」

 

俺はガラスナイフを向ける…今は、コイツに構っている場合じゃない…

 

「……心配するな、今はアンタの邪魔をするつもりは無い…そうだな、どうせなら俺も連れて行かないか?アンタと遠野志貴だけじゃ…さすがに荷が重いと思わないか?」

 

「チッ…話してる場合じゃない!ついて来るなら、勝手について来い!」

 

「ククク…仰せのままに、ってね。」



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22

「成程、こうして見ていると良く分かる…相当鈍っているな、オマエ…そら、もっと疾く走れよ…追い抜いてしまうぞ?」

 

「があっ…!ハァ…!ハァ…!煩い…!勝手に追い抜けば良いだろ!?」

 

さっきまでの戦闘…雑魚ばかりだったとは言え、やはり疲労は溜まっている…全力疾走していた筈の俺のスピードは相当に落ちているらしく、先程まで後ろを大人しく走っていた七夜志貴は『飽きた』と言って今では俺の横に着き、こっちを嘲弄しながら併走している……全く、コイツの言葉は一々鼻につく…!『七夜』の奥義書には、煽りの文言でも書いてあるのか…!?

 

「……そう言えば聞くのを忘れていたが、アンタは警察に捕まってここに来たんだったな?」

 

「ハァ!ハァ!それがどうした…!?」

 

「ふむ、ではここは刑務所か…どれくらいの時間ここに居たかは知らんが、相当安穏な暮らしだったらしいな…戦い漬けの毎日の果てに来たにしては…今のアンタは明らかに全盛期には程遠い…だが、体術そのものはやけに鋭い…時折、スピードで勝る俺にも追従して来た…あまりにも歪…普段、ここでどんな生活をして来たんだ?」

 

「ハァ…ハァ…今、そんな事どうでも良いだろ…」

 

正直、奴の言葉に返事すればする程…余計に体力を消費している気がしてならない…いっそもう、辿り着けたらその後はもう動けなくなっても構わないくらいの勢いで走っているつもりだが、奴は特に疲れた様子は無い…今も涼しい顔で、全力で走っている俺との併走を続けながら疑問を投げ掛けて来る……この場合、律儀に返事を返している俺も悪いんだろうけどな…

 

「ふむ、仕方無いか…そら!」

 

「!…何の真似だ!?」

 

俺の左側を走っていた七夜志貴が、突如ポケットから出した七ッ夜を俺の首に向けて振るって来て、俺は咄嗟に左手の甲で下からナイフの側面を叩いて逸らす…この…!急いでいると言うのに…!

 

「ほら、足を止めるなよ!」

 

「くそっ…!止めろ!」

 

続けて再び俺を狙って振るわれるナイフを逸らして行く…チッ、いくつか掠っている…奴の左手は先程殺してある…奴も走るのは止めていないから、無理にでも奴の左側に回れば必然的に奴がちょっかいを掛けて来る事は無いだろうが…ここは構造は広いものの、今走っている廊下そのものは比較的狭く、二人並んで進むのが限界だ…奴の左側は壁が近く、俺が入り込むスペースは無い…無理にでも俺たちの位置を入れ替えるには、少なくとも奴のナイフを止める必要が有る…

 

……何とかこの状況を打破しようと奴のナイフを捌きながら頭を巡らせる俺に、いくつかの選択肢が浮かんで来る…

 

1.奴の七ッ夜を強引に奪う……不可能。俺の方から腕を取りに行けば奴は俺の手から逃れ、その瞬間の隙を突いて俺の喉笛を掻き斬るだろう…

 

2.俺の方もガラスナイフで応戦する……却下。頑丈な七ッ夜で打ち合えばすぐにでも破壊される…何より、俺のガラスナイフは囚人服の右のポケットにしまい込んでいる…右手のナイフで対応するには距離が足りていない…左手に持ち替えようとすればそこが隙になる…そんな暇は与えてくれないだろう…

 

3.魔眼を使い奴に残った腕を殺す……論外。ナイフ無しでも線はなぞれるが、コイツが戦力外になっては困る…

 

4.蹴りを入れる…やっても良いが横を走っているコイツにそれをやるには一度止まる必要が有って……いや、良いんじゃないか?このままこうしていて、俺の集中力が切れてコイツに殺されたら元も子も無い…隙だって出来るが、コイツの動きを止められれば今はそれで良いんじゃないか?……いや、違うな…そもそも止まってから蹴る必要なんて無い…このまま、奴の方を向けば良い…!

 

「フンッ!」

 

奴のナイフを逸らすのと同時に、俺は床を踏み締めた右足に、力を掛け…そこから床に着いている左の爪先を軸に半回転…奴の方を向きつつ右足を振り上げる…

 

「ほう、そう来るか…!」

 

「ハァッ…!」

 

振り上げた足は曲げていた膝が伸び、更に半回転程度とは言え…遠心力もついている…仮にこのまま綺麗に入ってれば、如何に頑丈だろうコイツでも立ち上がるのすら難しい威力だっただろうな…

 

「くっ…痛いな…」

 

七夜志貴は今、ヒビの入った壁を背に座り込んでいる…

 

「良く言う…あの状況で半身になっていたのを、走る足を止めて強引に俺の方を向き、肝臓が存在する為に急所になる脇腹に当たるのを防ぎ…しかもそこからお前、俺の足がお前の腹に触れた辺りですぐ後ろに飛んだだろう?後ろは壁だが、それでも衝撃をある程度逃がすスペースは有った。もういっそ、こっちは内臓を破裂させる気でやったんだけどな…」

 

正直、加減する余裕は無かった…絶えず首筋を狙って、殺す気でナイフを振るうコイツを止める手段が俺には…コレしか浮かばなかった。

 

「何がしたかったのか知らないが、さっさと立てよ。俺の蹴りは比較的柔らかい腹の辺りに当たった上に、威力はほとんど殺されてるんだ…そこまでのダメージじゃないだろう?」

 

一応本気ではやってるし、奴が後ろに逃げれたのは俺の足が触れた瞬間…まぁそれでも、衝撃は内臓には到達してない筈だ。

 

「たくっ…痛いのには変わりないぞ?」

 

「自業自得だろ?飛んだ時に壁に打ち付けた背中の痛みも含めてな…全く、こっちは急いでいると言うのに…一体何がしたかったんだ?」

 

「っ…クク…何、ちょっと試したくなったんだ…」

 

奴が背中と尻を右手で払いながら立ち上がり、七ッ夜をズボンのポケットにしまった。

 

「何をだ?」

 

「アンタのその、無様とも言える鈍りの原因…それは危機感の欠如だ。」

 

「危機感?」

 

「刑務所なんて場所にもなれば日々の生活にはほとんど困らんし、日常的にやってる作業では運動能力は上がっても下がる事は無いが…先ず使う事も無い殺しの技術やカンは鈍る…まぁ、ここでは小競り合いは有るのかアンタは体術そのものは俺より上を行っている様だが…どうせその時だって相手は格下で、場所と立場故に殺す事も当然無い…」

 

「結局、お前は何が言いたい?」

 

「『七夜』の暗殺術の真骨頂は…その異常とも言える身体能力もそうだが、それだけじゃない…人の限界、その制約を取り払えるのが奥義の真髄だ。」

 

「これ以上やるとコイツは死ぬからやってはいけない…これ以上無理をしたら自分の身体が壊れる…そう言った理性から発せられる逃れる事の出来無い人間の強い思い込み、それを外せるのが『七夜』の本当の奥義って事なのか?」

 

「そう…異常なまでの肉体の頑強さと、最早寝ていても殺気を感じ取り…無意識のままでも襲撃者の命を狩り取れる程の狂気染みた戦闘能力はほとんどおまけに過ぎん…アンタは今まで、自ら自分の身体に制限を掛けてたのさ…アンタも結局肉体は『七夜』として生まれている以上、常人とは違う。」

 

「すぅ……ハァ……成程、意味が分かった。」

 

一度、深呼吸しただけで今まで感じていた疲労は消し飛んで行く…どうやら確かに、俺はまだ先が有ったらしい。

 

「アンタの居場所はもう無くなった…これからはまた殺し合いの日常に戻って行くだろう…理解したその感覚、忘れるなよ?」

 

「ああ…ところで七夜志貴?お前が散々余計な事に時間を使わせてくれたお陰で…こっちもいつの間にか炎に巻かれそうなんだが、その責任はどう取ってくれるんだ?」

 

いつの間にか火の手が向こうの廊下からこちらまで迫って来ている…何ともまぁタイミングの良い事だ…

 

「ククク…責任ね…良いだろう、それは例のバケモノに奥義を尽くす事で返す、と言うのは?」

 

「ふむ、割に合わない気がするが…良いだろう。」

 

「まぁそのついでと言っては何だがな…せっかくだからもう少し働いてくれ。この鬱陶しい炎の壁、さっさと殺してくれないか?」

 

「簡単に言ってくれる…」

 

ま、確かに視界を遮ろうとして来るこの炎…煩わしい事この上無い…

 

「どうせ、正面の炎を殺しても左右がまた塞ぐ…全部消えるまで殺していては…あまりに時間が掛かるからな…正面の炎が消えたら全力で走れ……出来るな?」

 

「誰に言ってるのかな?」

 

「ふん、まぁ良い…」

 

俺は左手で魔眼殺しを外し、ナイフを振るって目の前の炎を消し去り…空いたスペースを一気に走り抜けた……横を見るまでも無い…奴が併走して来ている……!

 

「これ以上邪魔をするなら俺はお前を殺すが、それでも構わないか?」

 

「いや、止めておこう。」

 

奴が七ッ夜を出すより先に、俺は既に左手に持ち替えたガラスナイフを奴の方に向けている…魔眼殺しは今も外したままだ…すぐにでも俺は…目の前のコイツを殺す事が出来る。

 

さて、図らずして回って来た再戦の機会…逃す手は無い。暗殺術を駆使する者として、二度も標的を見逃すなど…有ってはならない。今度こそ俺は…アレをバラバラに解体する。

 

その後の事は…まぁ、どうでも良い。どうせこの一件は夢幻、泡と消えさって行く事だろう…下手すれば俺の記憶にも残るのかさえ分からん。全てが終われば…七夜志貴の言う通り、ここに来る前の殺し合いの中に戻って行くのかも知れないし…あるいは全ては一夜の夢となり、また退屈な日常の中で目を覚ますなんて事も有るかも知れん…所詮は考えるだけ、無駄な事だ…



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