終結プログレス (カモカモ)
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終結プログレス

その日、全てが終わった。

サイガ-100が存在する理由だったあの狼は、自分自身の手で確かに砕いた。夢なのかと疑う自分がいるが、システムコールが確かにそれが現実だと教えてくれる。

実感が伴って喜びが込み上げるのと同時に、自分が空っぽになってしまったかのような感覚。サイガ-100が、斎賀百として生を受けてから始めての感覚かもしれないなと、ぼんやりと思う。

同じクランメンバーや、実の妹とその想い人、腐れ縁の外道達が所属するクランメンバーの歓声が聞こえているのに、どうしてかその中に加わる気がしない。

 

「あれ、リーダー何やってるんですか?」

「草餅め……」

「罵倒されるようなことしてないっすよね!?」

 

めざとく輪から離れていることに気づいたサブマスターに、つい毒づいてしまった。

 

「いやなに、感慨深いなと思っただけだ」

「まあ、確かに色々ありましたからね」

 

サービス開始と同時になんとなしにこのゲームを始めて、偶然-運命かもしれない-襲われた狼を追いかけて。思えば遠くまできたものだ。

 

「私はこれからどうすれば良いんだろうな」

 

そんな弱気な、すがるような言葉が、自分から出るとは想いもしなかった。それも、こいつ相手に。

果たしてその相手は、実に呆気からんと答えた。

 

「そんなのまずは獲得したユニーク報酬の扱いをどうするかの決定でしょう。リーダーもしかしてめんどくさいところから逃げようとしてませんか?」

「いや、そういうことではなくてだな」

「そういう話しでしょ。せっかく念願のユニークモンスターの討伐に成功したんですよ?ひょっとしたらこのシャングリラ・フロンティアの根幹に関わる新しい情報も獲得したでしょうし、前に進むしかないんですよ。それに、俺はワクワクしてますよ。リーダーは違うんですか?」

 

その相手は、当然のことを当然のように聞いてきた。その言葉は、サイガ-100にすとんと落ちる。

ああ、そうか。あの狼を討伐してからも、このシャングリラ・フロンティアは続いていくんだ。その気づきは、100の中で新しくくすぶる何かを産み出した。

 

「おのれ草餅……」

「へ、何か気にさわること言いました?」

「お前に諭されるのは、腹が立つ」

「ひどくないっすか!?」

 

ありがとうとは、何か気恥ずかしいので、言ってやらない。

100はひとつ息を吐くと、喜びの輪の中に加わることにした。

 

後日、見合いの釣書の中に、見たことある名前があって頭を抱えた御曹司と良家の令嬢がいたのだが、それはまた別の物語だ。



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隠れ蓑コントラクト

結婚。

今は意味合いが変わりつつあるが、それでも自分の実家ー斎賀家では、まだまだ一人前の証のようにとられたりする。結婚して、子供を、跡継ぎを作って、家を存続させる。そうして始めて、安心できる、らしい。

といっても、一昔前のように良い家柄の者と結ばれなければならない、みたいな堅苦しさはなくなっているのも事実だ。現に、妹の恋心は、家をあげて全力で応援している。

もっとも、姉の応援は、余計なお世話過ぎるとおもうが。現に昨日も、姉は妹の部屋から叩き出されていたらしい。確実に自業自得だろう。

そんなことを考えていると、

 

「さあ、そろそろ観念しなさい、百。いずれの方も、条件、家柄共に問題ないはずです」

「だから、私はお見合い何てするつもりは」

「だまらっしゃい。そもそも、聞きましたよ。あっちの世界で悲願を達成したと。それならば、以前ほど忙しくはないはずです」

 

斎賀百は、姉の仙から一息に捲し立てられて、一瞬言葉に詰まる。

まさか、あっちの世界での事を、把握されているとは思っていなかったのだ。

 

「だが、忙しさはそう変わっていな」

「それに」

 

ピシャリと姉が言い放つ。

 

「百。あなたは、約束をたがえるのですか?」

「ぐっ」

 

以前、といっても一月程前の事なのだが、リュカオーン討伐の大詰め段階で今回のようにお見合いを持ち込まれて、その時は目標達成までは、と言って断ったのだ。

 

「あなたは、確かに目標達成したら姉さんのお願いは、何でも聞くと言いましたね?」

「まて、そうは言ってないぞ」

「些細なことです」

 

かなり大事なことだ。この姉に、何でもなんて言うとどうなるか分かったもんじゃない。

 

「見合いをするとは、確かに言ったが……あ」

 

思わずそう反論すれば、姉はニヤリと笑った。

 

「おや、そう言えばそうでしたね。ならば、この釣書から一人選びなさい」

 

やられた。DITF法を使われた。

姉がしてやったりの顔で、五冊分の釣書を渡してくる。逃げ場はどこにもない。

斎賀百は、深刻に痛みだした頭を押さえた。

 

 

昨今、ゲーマーという人種は、そこまで異端な者と見られることは少ない。ただ、それでも旧時代の遺産のような家同士の見合い何てものを、現役で行うような家柄では、やはりゲームという「遊び」に対しての評価は低いと言わざるを得ない。だから、ただ一人趣味欄にオンラインゲームと記されていた男には、若干の興味を持った。

 

「姉さん、これで」

「分かりました、先方と話を進めます。ところで百、あなたしっかり選んだのですか?」

 

その質問を、背中で聞き流しながら、百は居間の襖を開ける。背後で、姉がため息を吐く気配を感じた。

 

自慢ではないが、百は百戦錬磨のお見合い熟練者である。その培われた経験から生まれた特技は、破談に持ち込むことである。

我ながら酷いなと、苦笑した。

 

(百、何が面白いのですか!)

(おっと)

 

姉に見咎められて、あわてて表情を取り繕う。

お見合い百戦錬磨の斎賀の女達は、唇の動きを読む程度の能力を有するので、百と姉の今の会話は相手方には悟られてないだろう。

 

「いやはや、お綺麗なお嬢様ですね」

 

口許だけで、そのお世辞に返事をしながら、

 

(このあと、これを即座に終わらせれば、恐らく19時にはログインできる……今日は指揮官が私含めて二人……しかし、草餅のやつも今日は予定があるとかで、遅れる可能性があると言っていてな……だが、ライブラとの交渉もあるからな……別働隊をもうけるか)

 

思考をあっちこっちに飛ばしていた。

 

あとは、若いお二人でタイムに突入した。

ここからが、百の破談持ち込みTA(タイムアタック)が始まる。といっても、難しいことは何もない。なぜか、百がつまらなさそうにしていると、相手が萎縮して破談になるのだ。

それはそれで、思うところがないわけではないのだが、まあまあ便利なので改善しようとは思わない。

特に、今日の相手はそんな百に話し掛ける勇気もなさそうなので、あと二時間もすれば斎賀百はサイガー100としてあっちの世界に飛び立てるだろう。

だが意外にも、

 

(おや?)

 

相手に動じた様子が見られない。普通の相手なら、この時点でもう顔色が悪くなったりするのだが。

そして、意外と度胸がある今日の相手は口を開いて、

 

「今日の夜は、ライブラとの交渉に、俺は行かなくても大丈夫ですかね、団長?」

「誰だ貴様」

 

割りと本気で睨み付けた。

団長と呼ぶということは、黒剣のメンバーか。いや、しかし、そんなことが起こるのか。クランメンバー同士が、偶々見合いをすることになるなんてことが。

百は、警戒を強める。百の中で今日の見合い相手が一気に、危険人物へと格上げされる。

返答次第では。だか、相手は両手をあげて、

 

「ちょ、ちょっと待ってください、冗談ですから!草餅です!というか、釣書見た時点で、ちょっとは察しているものと思っていました!」

「は、草餅?」

 

そう言えば、今日の相手方の名はなんだったか。確か、漢字は久佐持丹月。くさもち。草餅。

なるほど。

 

「……草餅、貴様ネーミングの理由が安易すぎないか?」

「……それ、団長が言います?」

 

百はそっと目を反らした。

 

「偶然って恐ろしいな……」

「そうですね……まさか、一番上に積んであった釣書が団長のだったなんて……」

 

中身すら見ていなかったらしい。相手の方が、百より不真面目だった。似たり寄ったりではあるが。

 

「待てならば貴様、どこで私だと気づいた?」

「最初の自己紹介と、あと殺気ですかね」

「ほう……つまり貴様は、私が常時殺気を放つような女だと思っていた、というわけなんだな?」

「失言でした!」

 

再び、彼は両手をあげる。降参の意を示しているのだが、どうしてかおちょくられている気がしてならない。

そして、百達はリアルエンカウントしたことを幸いに、色々と打ち合わせを始めることにした。

 

「それで、今晩どうしますか?」

「ああ……ライブラとの交渉、私の代わりに行ってくれないか?」

「だめっすよ、それは普通に」

「なら、命令だ」

「どんだけ行きたくないんすか……」

 

 

 

「なんだ、貴様も私と同じ口か」

「そうですね……忙しいって誤魔化してたら、いつの間にかリュカオーン討伐成功について知られていて……」

「一体どこから入手してきたんだ……」

「さぁ……?」

 

 

「なあ草餅、お前今後の見合い避け用の簑にならないか?」

「あー、あれば便利っすね」

「じゃあ、進めるか」

「そうしますか」

「それじゃあ」

「せいぜい末長く」

「「よろしくお願いします」」

 

その日、サイガー100は結局あっちの世界にはたどり着けなかった。前向きな返事を姉にしたところ、検査入院を勧められたためである。

一体、自分をなんだと思っているんだあの姉は。

 

なお、ライブラとの交渉は足元をみられまくったらしい。



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呼び名インシデント

まあ、分かりやすく言えば油断していたのだ。あのお見合いから半年が過ぎた。

久佐持丹月と斎賀百は、よくも悪くも利害の一致による「お付き合い状態」に慣れた。それは、要するに報告するときに仲睦まじい「ふり」をすることにも、慣れたということであり、それ故にボロが出てしまった。

端的に言えば、呼び方を間違えた。

 

「草餅」

「どうかしましたか団長……あ」

「お前こそそんな声を急に出し……あ」

「ふむ…………」

 

ズズズと斎賀仙、丹月からすれば義理の姉候補が、お茶をすする音が全てを支配する。

 

(こ、こわい……)

 

仙はただお茶を飲んでいるだけなのに、丹月は背中にひんやりとしたものを刺しこまれたような気分になる。隣に座っている契約相手の顔をみると、一見いつも通りなのだが多分今脳内はフル回転していると思う。

そして、恐怖の日本人形は口を開く。

 

「どうやら、私の想定以上にわが妹と丹月さんの仲は順調なようですね」

「は?」

「はい?」

 

丹月の想像と正反対のことをのたまった意外と脳内ピンクな糸目の女性は、

 

「二人の間だけでの呼び方なのでしょう?」

「い、いや、それは……」

「そうなんだ、うっかり姉さんがいることを忘れてしまっていてな」

「ええ、そうでしょうとも。まさか、別の世界での上司と部下のような関係性が継続していて、こちらの世界でもそのまま、あまつさえこちらの関係性は私に見せるために取り繕ったもののなはずは、ないですよね?」

 

ほとんど閉じているように細められた目が放つ威圧感は、まるで発光しているかのように丹月に幻覚を見せる。

 

(ば、ばれてるのでは)

「姉さん」

(だ、団長!)

 

やはり、頼れるのはこの人だ。丹月はこの絶体絶命の危機を打破してくれるのでは、と期待をこめて百に念を送る。

 

「何をバカなこと言ってるんだ?そんなわけないだろう」

「やはりそうですよね。閨での呼び方がうっかりと」

「ああ、そうだ」

「百さん!?」

 

「さて、だんち、百さん」

「なんだ」

「俺たち、あの人に高度なプレイしているってインプットされましたが」

 

ところ変わってファーストフード店だ。ざっくり言えば反省会である。

 

「悪かったとは思うが反省はしていない」

「ですよね!」

 

実際、あの場で百が誤魔化さなければ諸々がばれていただろう。だが、丹月としては思うところがあるわけで。

 

「団長と草餅ロールプレイって何なんだよ……」

「異常性癖だな」

「やかましいわ」

 

丹月は大きなため息を吐いた。

すっかり炭酸の抜けた甘ったるい汁を喉に流し込む。

 

「取り敢えず、今後ぼろがでないように日頃から名前呼びすることにしますか、百さん」

「そうだな、丹月」

 

 

ところで。

フルダイブVRシステムを用いたゲームは、従来のゲームよりも現実世界との連合を強めた。それはすなわち、現実世界の変化があちらの世界にも影響を多かれ少なかれ与えるということだ。

まあ、要するに、

 

「おい、ニツキのグループまだ数が足りてないぞ」

「すみませんモモさん、もう少しまって貰え」

『『『…………………………??????!!!』』』

「きゅようができたからきょうはかいさんだ」

「りょうかいです」

『『『…………落ちた』』』



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虫除けプレゼント

男は、力なく項垂れて去っていった。

それを見つめる女──斎賀百は重々しい溜め息を吐く。

男女交際に至るまでのプロセス、要するに″そういう″お誘いを近頃されることが多くなってしまった。

客観的に見て、自分の容姿は整っているらしい。それ故、入社当初は毎日のように声をかけられていたのだが、全て断っていたらいつしか快適な日々が訪れた。

だが、その穏やかな日々が崩れつつある。理由は分からない。ただ、今週に入って四人からお誘いされてしまった。心底、めんどくさい。

 

──やっと、家族から持ち込まれるお見合いという名前の面倒ごとを回避する手段を手に入れたばかりだというのに。

 

 

「聞いているのか、永遠」

「んー」

 

腐れ縁のカリスマモデルこと天音永遠は、悩ましい顔をしながら手元のストローの袋を芋虫みたいにしていた。ポチョポチョ水滴を落としては、ビローンと伸びる。

本日、百は休日だというのに、学生時代からの一応親友の女に呼び出されて連れまわされて、現在は休憩のためにカフェに居た。

 

「おい、トワ。お前が何か話せと言うから、喋ってやったんだろうが」

「まさか、そんなモテて困っちゃうみたいな話聞かされるとは思ってなかったんですぅー!」

 

永遠はそんなことを言いながら、またもやコップの縁についていた水滴を芋虫にぽちょりと落とした。その刺激をうけて芋虫が伸びる。

 

「そんなこと、言ってないだろう」

「誰が聞いても、私と同じリアクションとるよ」

 

そんなわけあるか。

 

「丁度良い。せっかく話してやったんだから、知恵を貸せ」

「えー」

 

不満ブウブウの永遠は、しかし飲み物に口をつけてから、

 

「そんなもん私じゃなくて、カレシさんに相談しなよ」

「……カレシ?」

 

誰のことだそれは。そんな奴、生まれてこの方存在したことは、ない。

 

「お付き合いしてるんでしょ、あのサブリーダーと」

「ああ……。 あいつのことか」

 

お見合いで顔を合わせて、利害関係の一致からなしくずし的に『お付き合い』している男の顔が浮かんだ。

 

「カレシではないぞ」

 

恋愛関係ではないし、お互いにそんな気持ちを持ってはいない。

 

「なら、婚約者でも何でも良いけどさ」

 

心底だるそうに、永遠はドリンクの氷をかき混ぜる。

 

「そうするか」

「そうしな、そうしな」

「トワ、機嫌悪くないか?」

「気のせいでしょ」

 

「というわけで、何か案を出してくれ」

「はあ……」

 

VRネットカフェの無料のドリンクコーナーで、百はことのあらましを、久佐持丹月に説明した。

月に一度、お付き合いの進捗を報告する必要があるため、デートと称してVRネットカフェを利用しているのだ。尚、お互いに別の個室を借りている。

 

「あー、百さんアクセサリーとかつける習慣ありますっけ?」

「ないな」

「だよなぁ」

 

丹月は、緑色の液体(ずんだ味らしい)に口をつける。そして、

 

「なら、雑貨屋でも帰りに寄りましょうか」

「別に良いが、それでどうにかなるのか」

「多分」

 

実に頼りない返事だった。

 

利用時間いっぱい滞在して、その後計画通り雑貨店に入った。

 

「で?」

「何でも良いんすけど……これにするか。百さん、好きなやつ選んでください」

「ああ」

 

マグカップコーナーで立ち止まった。

手近なやつを指差した。

 

「OKっす」

「こんなもので、どうにかできるのか?」

「まあ、半々かな」

「おい」

「大丈夫ですよ。後は、百さんが一言添えれば完璧になるから」

 

丹月はレジへと向かう。

百が支払おうとして、止められた。

 

「なぜ止める」

「百さんが、自分で買うと意味が何もないので、これくらいは払いますよ。うん、だから、睨まないで、怖いから!」

 

睨んでない。

 

結果として、丹月の作戦は成功した。

 

「あー、なるほどね。百ちゃん、そのマグカップを職場に持っていって、『男から貰ったキャハッ』てしたんだ」

「その心底腹立たしい女の物真似は私のつもりなのか?喧嘩なら喜んで買ってやる」

 

前回二人で会ってから一月後、永遠は尋ねてもいないのに、百からことの顛末を聞かされていた。

百のお相手という人物は、それなりに社会経験を積んできた男なのだなと、永遠はある程度安心する。

そんなことよりも、問題は。

 

「それで、百ちゃんの耳のそれはどうしたの?」

「これか?その雑貨屋が1000円以上お買い上げで、一割引セールをしていたので、あいつが一緒に買っていたものだ」

「へー、ほー、ふーん」

 

百の耳から、キラリと硬質な光が放たれる。

気づいているのだろうか、この腐れ縁は。世間一般的に、それはプレゼントと呼ばれるものであるということに。

そして、何より相手は気づいているのだろうか。この女にお洒落をさせるということが、どれ程の偉業を成し遂げているのかということに。

 

「ふーん」

「なんだその目は」

「ベツニィ」



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同棲ハプニング

とある昼下がりのネットカフェ。

 

「一緒に住まないか?」

「はい?」

 

斎賀百からなされた、久佐持丹月に向けての提案はあまりにも唐突であった。

否、唐突というのは厳密には正確でもない。少なくとも、彼らの関係性は『お見合い後、両家共に前向きに進めているお付き合い』というものであるからだ。一応。

利害関係の一致から始まったのだが、最近はずるずる結婚までいってしまいそうな気配を、少なくとも丹月は感じ取っていた。百が断ればそれまでだけど。

だからまあ、いずれ共に暮らすことになってもおかしくない関係で、イマドキのそういう関係のようにお試し同棲をしていても不思議ではない。

ないのだが。

 

「なぜ急に」

「合理化を図ろうと思ってな」

 

合理化。意味:工程や事務処理過程にある不合理を除き、能率的にすること。

つまりだ。

 

「ええと、このお出掛け時間を短縮したいってことですか?」

「そうだ。 考えても見ろ、丹月。 どうせやることは、自宅にいても変わらんことなのに、わざわざここへ移動するのは手間だろう?」

 

丹月と百は、一応のデートの振りをして月に一回は、ネットカフェで顔を合わせるようにしている。両家の顔を立てるためというか、お付き合いは順調ですよ~、というアリバイ作りのためだ。

普段はちょっとだけ挨拶してから、それぞれ別の部屋を借り、あっちの方に行くから確かにそれぞれの自室でゲームをしているのと何ら変わりはない。

なるほど、確かに無駄といえば無駄であろう。

百は極まったシャンフロ廃人であり、可能な限り日常の無駄を削ろうとすることも理解はできる。

できるが。

 

「あのさ、百さん」

「なんだ」

「一緒に住むって言うことは、一緒に住むってことだよね」

「同じことを繰り返すな」

「ひとつ屋根の下に、俺がいることになるけど、いいの?」

 

百は、不機嫌そうにドリンクバーから取ってきた、炭酸飲料をテーブルに強めに置く。

 

「お前は、私が一緒に暮らすのすら嫌な男に同居の提案をするとでも?」

「ないです、うん」

 

口角がデンジャラスなつり上がり方をしたので、丹月は首を振って否定する。

喉がやけに乾く。

無料のドリンクで喉を湿らせた。

厄介なことになってしまったと、丹月は思う。何が厄介かと言えば、百の提案を否定する材料がなく、そして別に流されてしまっても良いかなと思う自分がいることだ。

 

「さて、どうする?」

「返事は、今日じゃないとダメなんですかね」

 

秘技、先延ばし。

 

「合理化」

「すみません。 前向きに進めましょう」

 

百に睨まれて、丹月の心臓はドキドキした。怖かった。

 

 

「………………」

「……」

「……百さん」

 

一週間後のことである。

 

「もうちょい、猶予欲しかったかな」

「身内が……すまない」

 

一緒に住むといっても、家探しやら荷造りやらで、1ヶ月は先になると丹月は思っていた。だが、昨日グラサン黒服の一団により丹月の荷物は強制的にまとめられ、ついでに丹月もトラックへと乗せられて、気づけばマンションの一室だった。

ちなみに、陣頭で指揮を取っていたのはグラサン和服の女性だった。周りからは『コードネーム:千』と呼ばれていた。

 

「仙姉さんは何を考えているんだ……」

「百さんも?」

「仕事から帰ってきたら、黒服に襲撃されてな……」

 

深くは聞かない方がよさそうだ。というか、襲撃ってなんだ。

 

「不意討ちとはいえ、仙姉さんの一撃を躱せないとはな…………」

「姉妹でなにやってんだあんたら」

 

そんなこんなありつつも、丹月は改めて部屋をぐるりと見渡す。

2LDK。

それなりに広い。

 

「家賃、高そう」

「こんなもんらしいぞ」

 

指が六本。

 

「あー、まあ」

「 折半でいいな」

「そうですね」

 

結構、破格だった。

 

前の住人が残していった、イエスノークッションを封印するなどという、些事はあれど恙無く日々は過ぎていった。

宅配で、なにやらでっかい段ボールを受け取った百が、共有スペースで丹月に話しかける。

 

「棚をつけたいから手伝ってくれ」

「はいはい」

 

同居しているとはいえど、お互いにほぼ独立して過ごしているためそういったことを頼まれるのは、珍しい。

 

「どこに?」

「上」

「百さんの部屋の?」

「そうだ」

 

よっこらっしょと丹月はソファから立ち上がる。

午前十時。

今日のシャンフロへのログインは、昼頃になりそうだ。

 

◇◇◇◇

「やらかした……………!」

 

午後十六時。

作業開始から六時間が過ぎている。

オレンジ色の光が眩しい。

丹月は、頭を抱える。その身には、何も纏っていなかった。

百の部屋。

ベッド。

当然、すぐ隣には人ひとり分の塊。律動的に膨らんでいる。

 

棚を取り付けていて。

 

日頃の運動不足のせいか、バランスを崩して。

 

倒れこんで。

 

目と目が合わさって。

 

顔と、顔が自然と近づいて────。

 

(あああああああああ!)

 

誰が悪いかと言えば、確実に丹月が悪い。

後悔はないところが、もっと悪い。

 

(あああああああああ…………)

 

そして、今も。

 

瞳に写りこんでいる自分の姿や。

 

この人、かわいいなとか。

 

土下座である。

自分にできることは、誠心誠意を籠めた謝罪しかない。

百が目覚めたら、初手土下座をしよう。

なんなら、この関係性の解消……いや、そっちの方が最低だな。

一体。

どうすれば。

 

「丹月……?」

「んぐあ!?」

 

思考を巡らせている間に百が目覚めていたらしい。

別に、このまますぐに土下座に移行すれば問題はないのだが、動揺して行動に移れない。

百は、そんな丹月を気にした様子もなく、ぐいーと伸びをする。

そして。

 

「なあ丹月…………草餅」

「はい……なんなりと……」

「ひとつ聞きたいのだが、私の指の大きさは三号なのだろうか、四号なのだろうか」

「来週、確認しに行きましょう、できるだけ急ぎで!」

 

それがいい。百は返す。

 

「今日はもう、身体がだるいからな」

「すんませんした。 責任を是非とも取らせて頂きたく!」

 

久佐持丹月、人生初の全裸での土下座だった。



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指環ディスフォーリア/カレー+白Tシャツ=

◆指環ディスフォーリア

 

マグカップを手に取ろうとしてカンと、硬質な音が響く。

斎賀百は、少しの間眉を潜めてから音の正体に気づいた。

左手薬指の、アクセサリー。

先月、同居人と共に選んだものが昨日届いた。サイズ確認のために二人して指にはめて、

 

「まさか、こうなるとはな……」

 

と同時に呟いたのには笑った。

 

それにしても、と百は思う。

意外と違和感を感じる。考えてみれば、腕時計を持ちはじめた学生の頃にも、最初のころはちょっとしたその重みにも中々慣れられなかったので、このアクセサリーもいずれは着けていて当然となるのだろうか。

 

(なるのだろうな)

 

この先がどうなるかはわからない。

他人同士が共に生きていくことは難しい。

明日のことは誰も知らない。なんせ、サイガ100が草餅とリアルでお見合いをして、こうなってしまっとことなんて誰も予想はできなかっただろう。

だけど、まあ、今だけは。

 

(あっちはあっちで、違和感を覚えていれば良い)

 

百の口角が僅かに上がっていることは、同僚達しか知らない。

 

勇気を出した同僚の社員達から、質問責めにあう50分前のことであった。

 

◆カレー+白Tシャツ=

 

「百さん……今日は、いつものジャージの上着ないの?」

 

久佐持丹月は、落ち着かなさのあまり、そんなことを暫定婚約者に尋ねてしまう。

絶賛夕食のカップラーメンカレー味をすすり中の斎賀百は箸を動かす手を一旦止めて。

 

「なぜそんなことを聞く」

「いや、ちょっと気になりまして」

「暑い」

 

実に端的な返答が来た。確かに、そろそろ空調は必要のない季節になったとはいえ、汁物を食べるにはまだまだ気温は高い。体温調節の一環として、Tシャツで過ごすこと自体は、何ら不思議ではない。

ないのだが。

 

「ジャージの上、着ません?」

「くどい」

「なら、そのシャツ着替えるとか」

 

タァーン!と、音を立てて勢いよく割り箸が机に置かれた。丹月は、首をすくめる。

 

「言いたいことがあるなら、さっさと言え」

「そのTシャツ、結構良いやつですよね。カレー汁をつけるのは、大分と不味いと思うんだけど」

 

知識のリソースを大分と趣味関連に割いている丹月でさえ、名前を知っている最近流行のブランドのロゴ入りTシャツ(白色)に学生時代の体操服というのが、本日の百の装いであった。

 

「汁を飛ばさなければ良いだけだろう」

「そうですけどね」

 

丹月には、もう嫌な予感しかしていなかった。

 

「あ」

 

程なくして、百はそんな声を出した。

 

「はーい、さっさと替えのシャツ用意して、そっちはお湯で洗いましょうねー」

「食べ終わってからで」

「決めるのは百さんでも俺でもなく、カレーの染みだからねー、諦めてください」

 

迅速な処置がよかったのだろう、シャツは無事に白色を保てた。

後に、このブランドもののTシャツが、百の友人からの贈り物であったときいて、胸を撫で下ろしたのはまた別の物語だ。



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眼鏡テイキング

指に装着するタイプのお揃いのアクセサリーをなんやかんやあってつけることになった久佐持丹月の同居人、斎賀百がその日妙な格好をしていた。

厳密には、奇妙というところはないが丹月はこれまでに見たことがない姿という方が正しいが。

すなわち。

 

(メガネ……?)

 

眼に鏡と書いて、めがねと読むあの医療器具。

おしゃれアイテムでもあるが、やはり視力矯正器具としての側面が未だ根強いあれである。

 

(視力、悪かったっけ?)

 

寝室をともにする、なんてことは滅多にないが曲がりなりにも共同生活を送る相手である。例えば、コンタクトレンズだったら洗浄液の存在であったりといった痕跡に気づかないことはないはずで、丹月はそういったものの存在を感じたことはない。

 

(おしゃれ…………な訳はないな。 うん、ないない)

 

それこそ、これだけは絶対にありえない。なんせ、相手は、

 

(百さんだもん)

 

滅茶苦茶失礼なのだが、斎賀百という人物を知っている人間ならばほぼ全員が同意するだろう。とあるカリスマモデルならば、すさまじい速度のうなずきを見せてくれるはずである。

ならばこそ。余計になぞが深まる。

取りあえず、朝食のコーンフレークに牛乳を注ぎつつ、うんうんと難問に頭を悩ませていると、丹月の端末が震えた。

仕事を終えた牛乳パックは冷蔵庫に片付けて、端末を確認する。

 

『起きて早々、私の顔を見て唸るな。 気が散る』

「ああ、なるほど」

 

謎は解けた。

それはそれとして。

 

「普通に口で言ってくれれば良かったのに」

「ネットブラウジングをしながら、文字をうち、口で別のことを話す、なんてトリプルタスクをこなせと?」

 

百が顔から外したARグラスはコトンと音を立てた。

 

「できるが」

「できるんだ……」

 

流石である。

それにしても、と丹月は思う。

 

「百さんってメガネかけると」

「なんだ?」

 

怖い上司的な意味で。

 

「鬼感が増す……あ、いえ冗談ですよモチロン」

 

普段の百さんは鬼(ごとき)じゃないですからねー、と丹月はフォローになってないフォローをした。

人を威嚇するための笑みを顔に張り付けたままの百が怖すぎて、丹月は顔を伏せてコーンフレークを口に運ぶ。

 

「そういうお前はどうなんだ?」

「はい?」

「メガネ、かけてみろ」

 

テーブルを滑って、丹月の元へやってきたその器具を顔に装着。

すると、百の顔に張り付いていた笑みが険のとれたものへ変わっていく。

 

「そんなに変?」

「そのなんだ、丹月お前メガネかけると、パリピサークルに入ってる奴に毎回学生証を渡されてドアのところの機械にピッてやらされるタイプの学生みたいな見た目になるな」

「生々しい例え方やめて?」

 

ほぼ冗談だ、と百は笑った。



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壁ドンクライシス/壁ドンパニック

◆壁ドンクライシス

 

壁ドン。

それは一昔前、それこそ久佐持丹月の親世代にとっては胸キュンシチュとして人気だったらしい。

そんな知識を踏まえた上で丹月は、現在。

 

「おい」

 

斎賀百に壁に追い詰められ、ドンとやられ。

 

「ふぃへっ」

 

顎をグイっとやられていた。

ドキドキが止まらない。十割恐怖で。

 

「なんのつもりだ?」

 

土曜日の深夜四時。

深夜といえば深夜だが、オンゲーたるシャンフロではむしろ廃人達はそこそこ活発な時間帯。

丹月は、避けられない生理現象のため一旦ログアウトして用を足し、また自室に帰ろうとしたのだがそこで同居人に壁ドンをくらった。

 

「ふぁんふぉほふぉふぃふぅふぁ」

「なにをいってるかわからん」

 

そりゃ顎を掴まれてるからだよ、と反論したいがその理由により反論できない。

すさまじくよく分からない理由で明日から流動食になるのかもしれない、と涙目で色々と諦め始めたときに。

 

「こんなじかんにいったいなにも……Zzzz」

「寝惚けてた!?」

 

どうやら、不審者と思われていたらしい。

もたれ掛かって脱力し始めた百を抱えつつ、丹月もズルズルと床に座り込んだ。

 

◆壁ドンパニック

 

現在、斎賀百はこの上なくピンチを迎えていた。

 

「百さん」

「げ……」

 

壁ドン。

学生時代に、ふざけた腐れ縁にやるように促されたあれである。結局、そのときは同性同士だったのもあってか、百は鼻で笑い腐れ縁も微妙な顔をしていた。

では、異性である同居人{婚約者(一応)}によってなされているこれはどうかというと。

 

「うん、やっぱりかわいい」

「頭湧いたか、丹月」

 

困惑九割九分、残り一分はよくわからない感情。

 

「ひどくない?」

「この状況ほどは、ひどくない」

 

大体である。

かわいいとか宣まってやがるこの男、恐らく酔っぱらいである。

 

「このじょうきょう?」

 

訂正しよう。久佐持丹月という男は現在、へべれけであった。

 

「お前、今日どんだけ飲んできた」

「のんでないよ~」

「酔っぱらいは、みんなそう言う、……っ!?」

 

とすん、と百の左肩に軽い重み。丹月がもたれ掛かってきた。

 

「うん、ももさん、やっぱりきれいだ」

「…………」

 

…………………………。

 

「…………………………耳元で囁くな」

「こぺっ」

 

襟締め。 百ほどの実力者であれば、酔っぱらっている成人男性程度なら余裕で意識を刈り取れる。

 

「まったく」

 

熱っぽくなっている顔を冷ます。きっと怒りのせいだ。 多分、絶対そうだ。 断じて、やつの言葉に照れたとかそんなことはない。ないったらない。

もたれ掛かってきた丹月を、少々乱暴に床にと転がす。

 

「草餅め…………」

 



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草餅メイド/指輪スタンス

◆草餅メイド

 

メイド服。要するに、使用人の仕事着であったそれは、現代日本ではもはや別の意味をもつようになっている。

世の中には、それに対してものすごい好事家が存在していることは承知しているし、実際シャンフロ内にも腕の良い職人プレイヤーの一人がその類いであった。

ただ、まさかである。

 

「丹月。お前」

「見ないで…………」

 

メイド服着用者は男性。

 

「そういう趣味があるなら、前もって『大事な話があるんです……』と言ってからカミングアウトしてくれ」

「俺の! 趣味じゃ! ないです!」

 

斎賀百は、いぶかしむ。

 

「なら、誰の」

「せ」

「身内が誠に申し訳ないことを……」

 

深々と謝罪する。

だが、それでも疑問が残る。

 

「姉さんが迷惑をかけたということは重々に承知したが、何故草餅の方にメイド服を着せたんだ?」

「あー、なんか『婿どの、私は最近気づいたのです。 マンネリ回避のためには、男性側がシチュエーションを変えることも、けっして悪く、ない、と』って言ってました」

「分かるような分からんような」

 

そもそも、マンネリがどうこういうようなつきあい方はしてないのだが。お互いに色々と期待してないという意味で。

 

「それに、最近気づいたとは」

「触れない方がいいでしょうね、そこは」

 

ゲンナリした顔のメイドさんと目が合う。多分、百も同じような顔をしている。

 

「それにしても、草餅」

「なんですか? あと着替えたいのでこっち見ないか、どっか行ってて貰えるとありがたいのですが」

「お前、ガリガリだな」

 

胸板が薄っぺらいせいか、チラチラと素肌が見えている。

 

「何も反論できない……」

「せめて私くらいの力は欲しいな、男性の一般論としては」

「あんたレベルの力持ってる男は、一般人じゃなくて一般ゴリ…………ぎゃあぁぁ!」

「草餅め」

「あああああたまわれるぅぅぅぅぅ!」

 

◆指輪スタンス

 

「百さんって、案外指輪しっかりつける派なんですね」

 

久佐持丹月は、斎賀百という人物とお揃いの指輪をつける程度の仲である。さらに言えば、同居もしている程度の仲でもある。

この同居人の女性は合理性を追及しすぎた結果、仕事を除いてどこにいくときも体操服着用ということに行き着いてしまったらしい。

初めてその姿を見たときは、乾いた笑いが浮かんだものだが今となっては遠い昔。もはや最近は慣れてきてしまった。

とにもかくにも百という女性は、丹月からすれば基本的に効率重視な人間、という感じなのだ。だからこそ。

 

「意外」

「そうか?」

「だって」

 

結構、邪魔になりません? その指輪っていうアクセサリー。

 

「存外、そんなことないぞ」

 

リビングの共用のテーブルで、百は今日の昼食の蓋をめくる。丹月は、冷やご飯で適当に作られた焼き飯のようななにかをテーブルにおく。

 

「毎日してるし」

「そこも、割りと意外と言いますか」

 

百は、ずぞぞぞぞと麺をすすりつつジト目を向けた。

 

「お前は私をどういう人間と思ってるんだ」

「ネトゲ廃人」

「お前にだけは言われたくない」

 

お互いに目を合わせて、そして笑う。

 

「まあ、私が毎日着けてる理由も、外出時に忘れないようになんだが」

「そうなんだ」

 

らしいといえば、らしいが。

 

「これが、あるとないとでは、快適さが違いすぎてな」

「あー……」

 

丹月の同居人は普通に美人なのだ。全身ジャージという格好も、ひょっとしたら自衛に貢献しているのかもしれない。

 

「そういうお前はどうなんだ」

 

丹月の指にはなにも着いていない。

 

「なんとなく?」

「なぜ、疑問形なんだ。 特に理由がないなら、お前も日頃から着けろ」

「なんで?」

「私が一方的に、これを強情ったみたいに見えるのが、嫌すぎる」

「どういう意味ですか? まあ、別に良いんですけど」

「草餅め………」

「なんで俺あきれられてるの?」

 



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共寝ナイト/目の毒プロテクション

◆共寝ナイト

久佐持丹月は、かなり立派にゲーム廃人をしている。ほんの数年前までは、カフェイン漬け完徹なんてことも余裕でこなしていた。

しかし、それも今は昔。

 

「25歳の壁…………!」

 

分かりやすく、ガタが来る。

二十歳よりも、三十歳のほうがはるかに近くになってしまった今日この頃では徹夜なんてとてもとてもであり、エナジードリンクも最近は摂取するとお腹が緩くなるという代償を伴う危険な飲料になってしまった。

それゆえに、明日は休日ではあるが時計の短針が、2を指し示した頃に本日の業務は終了、ということにした。

 

丹月には、同居人がいる。同じゲームで、同じクランに所属し、なんなら向こうの方が上司の二歳年下の彼女とは紆余曲折あって、それなりの関係に落ち着いた。具体的には、ぼちぼち両家から『役所に早くいけ』とせっつかれている。

そんな彼女──斎賀百であるが、彼女も25歳の壁を通りすぎた。

しかし。

 

「まあ、団長だしな……」

 

丹月は、ヘッドギアを取り外しつつひとりごちる。

斎賀百という人間は、ただただスペックは高い。多分、寝溜めとかできるタイプだ。

おそらく少なくとも丹月よりは長い時間、あっちの世界にログインし続けるのだろう。つらつらと同居人の超人ぶりに想いを馳せていたらいよいよあくびが止まらなくなってきた。本音を言えば、このままベッドにダイブしてしまいたい。

 

もういいか。別にいいや。虫歯になっても自己責任。

 

理論武装(?)を完璧に構築しきった、段階で丹月は目を閉じ、しかしなぜかドアが部屋のドアは開いた。

 

「百さん……?」

「分かりやすく説明すれば──私の寝相は非常に悪い」

「そこは素直になりましょうよ……」

 

ベッドの半分を明け渡す。

 

「素直に、寝相が悪いことをカミングアウトしただろう」

 

丹月のすぐ横に、もうひとつの体温が増える。

 

「おやすみなさい」

 

声が揃って、闇にとけていった。

 

◆目の毒プロテクション

 

「あー、今十時くらいか?」

 

丹月は、ソファから上体を起こしてひとりごちた。掃除を終えて、昼にシャングリラ・フロンティアの世界に潜りはじめて八時間程だろうか。

彼女は、自室のベッドでまだあっちから帰ってきてないのだろう。

 

「しゅうかいがおわらねえ」

 

素材集めが終わらない。それほどレアなアイテムではないのに、どうやら物欲センサーがよく働いたようで、全く必要数が集まらなかった。一緒に狩りをしていたメンバーと相談の結界、一旦時間を置いてから再開しようという話しになったのだった。

 

(なんか、かいにいこ……)

 

気分転換は大事。

財布だけをもって、玄関に向かった。

 

 

「何だ草餅、サボリか?」

「あ、団長お疲れ様です」

 

靴を履いていると、彼女から声をかけられた。

 

「お前達は、ノルマを達成したのか?」

「まだ、半数ですね……。そっちは?」

「あと、少しだ……」

 

どうやら、彼女の方もそれなりに物欲センサーが働いたようだった。その証拠に、丹月のように遠い目をしている。

 

「ちょっと、コンビニに行くけど何かいる?」

「そうだな……私も一緒に行くことにするか」

「そう?なら、ちゃんと上着羽織ってくださいね」

「なぜだ?」

 

高校のジャージを着用する2◯歳の女性は心底不思議そうな表情をした。

丹月も、流石に彼女がジャージで外をうろつくのには、慣れてきたのでまあ服装はどうでも良い。

本当はどうでもよくないのだろうが、それ以上の問題がある。

 

「あんた、ノーブラでしょうが」

「別に問題はないだろう」

「いや、別に俺だけなら、どうでも良いですけどね」

 

お見合いをしてから何度も顔をあわせているどころか同居しているので今さら揺れようが跳ねようが気にしないが、世間の特に野郎共には毒でしかない。いや、体操服ジャージ女(美人)という時点で、劇薬ではあるのだが。

 

「草餅め」

「へいへい」

 

彼女のいうことは無視をして、自分が着ているパーカーを、羽織らせる。

チャックがなかなか閉まらなかったのには、少し焦った。



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座卓グラビティ/ご都合kiss

◆座卓グラビティ

 

ふと気づけば、久佐持丹月の同居人たる斎賀百が座卓に突っ伏していた。

厳密には、上半身を座卓に預けながら、こちらも同じく座卓の上でダランと伸びされた手に持った端末をぐでーとしながら眺めている。

なんというか。

 

「だらけてる、って言葉が最適すぎる写真撮れるねこれ」

「重力が…………憎い」

 

まじで、だるそうに吐息まじりにそんなことを百は言う。

 

「えらくまたピンポイントな恨みかたしますね」

 

少なくない数のラスボスを見てきたという自負が丹月にはあるが(あくまでもゲームである)、物理法則に憎しみを持った奴は初めて見た。

 

「せめて世界全般に恨み向けようよ」

「それはそれでどうなんだ」

 

そう言いつつ、百は上体を起こして壁にもたれる。

しかし、しばらくするとまたもや先程と同じ体制になっていた。

 

「おのれ重力…………」

「あっ(察し)」

 

重力とはすなわち、丹月の薄くなりかけている義務教育範囲の理科の知識では、重さのことであり。なんか、引力のせいでは、とも思わなくもないが。

まあ、つまり。

 

「どうしよう、解決策なにも思い浮かばない」

「草餅め…………」

「今回ばかりは八つ当たりを受け付けましょう」

 

◆ご都合KISS

 

あらすじ

久佐持丹月と斎賀百は、朝に目覚めるとキスをしないと出られない部屋に閉じ込められていた。こまけえこたあなんでも良いんだよ。誰が部屋の改造したんだよとかそういうことは気にしちゃいけねえんだよ。

 

キスしないと出られない部屋

 

「看板にそんなことが、書いてあったんですが」

「もうちょっと、待っていろ。そろそろ、いけそう……だ!」

 

めきょめきょめきょ! と、悲鳴を上げているのは出られない部屋の扉である。リンゴを潰せる握力によって、ドアノブくんがかわいそうなことになっていた。

 

「やっぱり、STRが正義ですね……」

「DEXもある程度は必要だぞ。 よし、外れた」

 

敗因は、百の攻撃力を見誤っていたことである。そして、ドアノブなどと言う無駄な突起物をつけていたことであろう。

 

「結局この部屋、何がしたかったんだろ……」

 

そもそも、誰が作ったのか。そして、純粋な暴力でどうこうできてしまったわけだが、問題はないのか。問題があっても、丹月と百は全くもって困りはしないが。

まあ、外に出られるのならなんでも良いか。もろもろの突っ込みどころから丹月は、目をそらし、

 

「せっかくだし、キスでもしておくか?」

 

百がそんなことを言った。

 

「……………」

「冗談だからせめて、なにか言ってほ」

 

 

「くさもちめ」

 



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物干し竿クラッシュ/お粥ヒート

◆物干し竿クラッシュ

 

端的に言えば。

今現在、久佐持丹月の背中に。

 

「…………なんか、あたってるんですが」

「私が行きたい方にお前がいるせいでぶつかったんだ」

「そっすか……」

 

しゃーないので、一歩横にずれる。

 

「避けるな。 不服でもあるのか」

「どうしろっていうの?」

 

通りたきゃ、通ってほしいと丹月は思う。なんせ。

 

「というか、不服しかないよ。 物干し竿は、普通に痛い」

 

立派に長柄な凶器であった。

 

屋外に放置するせいか、意外と脆かったりもする物干し竿。長年放置することで、なんかたわんできたり、表面のコーティングが洗濯物に引っ付いたりという悲しき事故を起こしたりするなかなかに厄介な代物である。

 

「そういえば、届いてたんですね」

 

諸事情あって、最近同居を始めた丹月と百が、微妙に足りない諸々を注文していて、そのうちのひとつだった。

丹月は、その長ものを百の手から奪い取り、ベランダに出る。

 

「草餅め」

「強要するのは嫌なやつみたくなってしまいますけど、普通にそこはお礼を言いましょうよ、まさか今更気恥ずかしいとかそんなことはないでしょうし」

 

◆お粥ヒート

ピピピ、と電子音が計測が終わったことを告げる。

38.3℃。

まごうことなく、熱である。

 

「ばーーーーーー」

 

アラサーの身体に、この熱の高さはつらい。昨夜、面倒になってろくに身体もふかないままベッドにダイブしたのが悪かったのだろう、と久佐持丹月はぼんやりいまいちはっきりしない頭で思う。

 

「明日になっても下がらなかったら病院行くか……」

 

ひとまず、今は眠るべきだ。

体勢を変えることすら億劫に思いながら、目を閉じた。

 

同居人が熱でダウンした。

斎賀百は全力でため息をつく。

 

「草餅め……」

 

概ね、湯冷めとかそんなやつだろう。お前のお陰で、いつぶりか分からないお粥なんてものを作るはめになったじゃないか。それも仕事から帰宅して早々に。

 

「この貸しは高くつくぞ……」

 

コンロを眺めつつそう呟く。

ぐつぐつと音がしてきた。間もなく、出来上がるだろう。

 

ピピピ、と電子音。

37.6℃。

眠ったお陰か、大分と体温は下がった。身体も、本調子ではないとはいえ軽くなった。

 

「入るぞ」

「事後報告なんだよなあ……」

「なんだ、起きていたのか」

 

突然部屋が明るくなって、丹月は目を細める。

 

「熱はどうだ?」

「大分下がりました」

 

もう一息といったところだろうか。

 

「お粥、食べられそうか?」

 

そういわれたからか、腹の虫が鳴く。

 

「食べれそうみたいですね」

「そうだな」

 

持ってきてくれたトレーをベッドに一旦起き、百もベッドに腰かける。

ここで、丹月はひとつの疑問にぶち当たった。

 

「このお粥……まさか、百さんが……作れたの……?」

「お前は私をなんだと思っているのか、一度話し合う必要がありそうだな」

 

呆れたように百はそういいつつ、匙にお粥を掬って差し出してくる。

口にふくんだ結果。

 

「うわ、あっちぃ!?」

「ちゃんと冷ましてから食べろ」

 

ごもっともである。

 



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熱暑クリップ/目覚めクレンジング

◆熱暑クリップ

 

「あっづい…………」

 

蝉が鳴いている。屋内であるから、その音量は大分小さくなっているはずなのだが、それでもやかましい。

 

「あっづい…………」

 

エアコン起動。

まだ午前中だから、なんてことを考えられるのは体温感覚がバグってる奴だけだ。

 

「あっづい………………!」

「やかましいぞ、丹月」

「あ、いたんですね百さん」

 

いたぞ、と同居人はアイスキャンディーの個包装をぺりぺり剥がしながら答える。

 

「あ、いいなー」

「これが、最後の一本だ」

「あらま……」

「一口ならいいぞ」

「どうも」

 

そういって差し出されたキャンディーを、丹月は口に入れる。しゃきしゃきしたソーダの味が、身体のなかまで一気に冷やしてくれるようだ。

 

「ところで、百さん」

「ん?」

 

ぷん、と百の尻尾が揺れる。

夏の暑さを、百は髪型を少し変えるとかそんな工夫で乗り越えようとしているのはわかるのだが。

 

「なんで、目玉クリップで髪の毛をまとめようと思ったのさ」

「丁度、私のペンケースに入っていたからだな」

「それでいいの……?」

 

いいのだろうな、だって百さんだし。

 

「念のために聞くけど、ヘアゴムという製品ご存知? 持ってる?」

「バカにするな。 ちゃんと、一箱三百本入りのものを持っている」

「それ、絶対輪ゴムですよね、似て非なるものだよそこ二つは」

 

 

「草餅め」

「うたがってさーせんした」

 

◆目覚めクレンジング

月曜日の朝の寝起き。

脳の大半は覚醒していない状態だそうだ。なので例えばである。

 

「んー」

「うわあ……」

 

洗面所で久佐持丹月の背中に同居人が頭をグリグリ押し付けていても、それは仕方がないことなのかもしれない。

 

「百さーん」

「……………」

 

ためしに丹月が、歯ブラシと歯磨き粉を彼女に握らせると、完全に自動化された動きでしゃかしゃか磨き出した。

この同居人のすごいところは、完全に目を瞑っているのにしっかり歯を磨いているところかもしれない、と丹月は思いつつ。

 

「おーい」

「ん……?」

 

呼び掛けに、百はピクリと動きを止める。若干、目が醒めてきたのかもしれない。

 

「洗面台空くから、ぼちぼち正気に戻ってください」

 

そして、丹月もここから離れたい。

 

「………………せっぷくぁ!?」

「はい?」

 

なんて?

 

「なんでもない、取り乱した。 恥ずかしいところを見られてしまったから、切腹したいのだが白装束はブラウスでも問題ないと思うか?」

「なんも正気に戻ってないなこの人」

「しょうきだぞわたしは」

「なら、さっさと口をすすいで朝飯食ってください」

「草餅め」

「なんでだよ」

 



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夢現ヒート/あんこライオット

◆夢現ヒート

 

斎賀百の同居人が、

 

「んー……………」

 

グリグリと背中に頭を押し付けてきた。

 

「おい、やめろ丹月」

 

朝の忙しいこの時間に何をしてくるんだこいつは。

 

「んー? うん…………」

 

返事とも呻き声ともつかない反応をしつつ、丹月が百の腰に手を回してくる。

 

「お前まさか、寝ボケてないか?」

 

確かに、昨晩は遅くまであっちの世界にいた。だから、睡眠不足であっても何ら不思議はないが。

 

「おきてるぅ…………だめだよ百さん、ぬいぐるみを邪険に扱っちゃ…………」

「誰がぬいぐるみだ」

 

夢現、といった状態なのだろうおそらく。

「おひさまのにおい」

 

夢見てやがる男が、スンスンと鼻を寄せてくる。

 

「いい加減にしろ。 おい丹月」

「いいにおいする……落ち着く…………」

「嗅ぐな!」

 

限界である。ただでさえ時間がないのに、一体何をのたまってくれやがるのだこいつは。というか、落ち着くというのはどういう意味だ。おひさまのにおいに落ち着いているんだな?私の匂いじゃないだろうなまさか。

百も何か混乱してきて。

 

「このぬいぐるみは俺のもアッイタちょっと待ってください腕の皮膚剥がれちゃう骨むき出しになっちゃう!?!?」

「目覚めたか、草餅」

「起きました…………もろもろありがとうございます…………」

「草餅め」

 

百の顔がなんか熱いのは、セクハラ同居人に対する怒りで決してそれ以外の理由なんてありはしない絶対にマジでガチでだ。

 

◆あんこライオット

 

「くーさーもーちー」

 

地獄の底から響く音は、こんなんなんだろうな、と久佐持丹月は知る。

 

「にーつーきー」

 

斎賀百は笑顔を浮かべている。

しかし、それは獰猛としか形容できないものであった。

丹月は、両手をあげて微笑む。もしここに、第三者がいたら、こちらの方の笑みは「仏のような微笑」と称したであろう。つまるところ、全てを諦めて降参の意を示しているだけである。

そして、両手を挙げたまま丹月は仰向けにごろんと寝っ転がった。完全服従、降伏のポーズであった。

 

「私が冷蔵庫に入れておいたものがなくなっているんだが?」

「なんのことかさっぱりですね」

「そのポーズからまだ反論してくることあるのか」

 

百はめちゃくちゃ呆れながら、盗み食い男の腹のうえに腰かける。

 

「ぐえっ!?」

「あんこはどっちだった?」

「こしあん」

 

こいつ、反論するつもり1ミリも無いな。

 

「自白が早すぎる」

「早い方が罪も軽くなるんじゃないかと」

「なら」

 

百は同居人の上から下りて、代わりに太ももの肉を指で摘まんだ。

そして、ペンチのごとくつねる。

 

「手間をかけさせるな!」

「すみませんでした、補填はなるべく迅速に!」

「当たり前だ」

 

 

 

「草餅」

「なんですか?」

「うん? 私は補填されたものの名前を読んだだけだぞ、草餅」

「ややこしいからやめてほしい」

 



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点数集めマッサージ/跳ね飛びカップラーメン

◆点数集めマッサージ

 

「うん?」

 

リビングに一枚のカードが落ちていた。一体なんだろうか、と久佐持丹月が手に取ってみると何かのポイントカードのようであった。

 

「んー」

 

随分年季が入っているようで、うっすらと店名の印字が薄れているが、按摩と書かれているのがぎりぎり見えた。

なるほど、マッサージ。そして、丹月のものではないとなれば。

 

「めずらしく目覚めたんだな丹月」

 

確実に同居人のものだろう。

 

「毎日目覚めてるんだよなあ。 おはようございます百さん」

「ああ、おはよう」

 

今日も今日とて、ジャージ姿の彼女は大爆発を起こしている頭をボリボリ掻きつつふわりとあくびをする。

 

「寝癖すごいことなってる」

 

元々、触角のようなものが前髪に横たわるようにして生えている百だが、それが今はピンと前を向いていた。

 

「別に、誰かに見られる訳じゃないから構わないだろう」

「俺が見てるんですけど」

「今さら、お前に見られたところで何か問題が?」

 

あるかないかで言えば、全くもってないのはないが。

 

「触ると刺さる」

 

触角により、手を跳ね返される。

 

「触るな」

 

そう言いつつ、百は丹月の手を払いのけない。

 

「そういえば」

 

触角で遊んでいたせいで、本題を忘れていた。

 

「これ、百さんのですか?」

「……ああ、私のものだな。 ここに落ちていたか」

「マッサージとか行くんですね」

 

百は手渡されたカードを玩びつつ、

 

「学生の頃からな……」

「なんかやけに哀愁漂ってますけど」

 

勉強のしすぎとかだろうか。

 

「百さんの場合、俺みたいに徹夜で連日ゲームしてたとかじゃないだろうし」

「勉強ではない、な。 その頃から、物理的に重みを感じるようになってだな……」

「あっ(察し)」

 

物理的な重み。

 

「あー、言ってくれれば、肩揉みとかのマッサージくらいならやりますよ?」

「へんたいくさもちめ」

「冤罪がすぎる!」

 

◆跳ね飛びカップラーメン

三分。

それは、神が与えた時間。

これを長いと感じるか、短いと感じるかは人それぞれであるが、斎賀百にとって三分待つということは呼吸をするかのように当然の行為である。

 

「偉そうに言ってますけど。 普通にカップラーメン作ってるだけですよね……?」

「そうだが?」

 

なにか問題でも、と言いたげに見つめてくる目に久佐持丹月は肩をすくめる。

 

「しかしだ、丹月。 そもそも、カップラーメンとは、もとはいわゆる袋麺を食べる際にどんぶりを用いる文化がない人たちも食べやすいようにと開発されたものだ」

「なにか始まった……」

「そして、この三分というのは、不快を覚えずにギリギリ待てる時間、ということで設定されているんだ」

 

この女性は、その聡明な頭脳にカップラーメンの知識を詰め込んだのか……、と丹月は戦慄する。

 

「と、学○の学習漫画に書いてあったんだが」

「○研かあ……」

「しかし、こう考えると、あながち神によって与えられた時間というのも間違えではないだろう?」

「そうかなあ……」

 

そうかも……、と丹月が思考の迷宮に追いやられていると、ピピピと百の端末が鳴った。タイマーを設定していたらしい。

 

「まあ、私のマイブームは、2分半なんだが」

「三分の力説はなんだったの」

 

ずぞぞぞぞぞー、と麺をすする音が響き渡る。

 

「百さん」

「ん?」

「ネギ、ついてるよ」

「ん、ああ」

 

ずぞぞぞぞぞー、と麺をすする音。

 

「取らないのか……」

 

丹月は呆れつつ、手をのばす。

指先に、柔らかな感触が返ってくる。ネギは無事に取れた。

無事に取れたが。

 

「ぴ………………!?」

「あれ? 百さん。 百さーん?」

 

百、完全停止。

 

これが、斎賀の女が持つ恋愛クソザコ遺伝子が為す恐ろしき呪いであることを、丹月はまだ知らなかった──。

 

「待って、百さん息してますか!?」

 



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修羅場ドリーミング

「終わらない…………」

 

斎賀百の呟きは、しかし同僚たちの怒号によって掻き消される。

繁忙期、というわけではないが担当している雑誌の、コラムに二つ穴が空きそこを埋めるべく臨時で見つけてきたライター達の本当の締切日である今日は、もはや修羅場という言葉すらも生ぬるい様相を呈していた。

 

「終わらん…………」

 

虚ろな目で、ライオットブラッド1カートン分の封を切り、こくこくと喉を潤す。

 

「すみません斎賀さん、生きてま……ギリギリ耐えていますね」

「こんなところで、死ねるか……」

「まあ、確かにそれ飲んでるうちは死ねませんね!」

 

合法飲料すごい。

 

「それで、なにか用か?」

「ああ、その、今日も泊まりになりそうだから、差し入れとかご家族の人に連絡しといた方がいい、と課長からの伝言です」

「ご家族……」

 

あいにく、社会人になってから実家を出たため、血の繋がりのある家族に身の回りの品を要求するのは忍びない。

ただ、家族ではないが、同居している男は確かにいた。

 

「丹月に……連絡するか……………」

「ニツキ」

「丹月だ。 それが、どうかしたか」

 

なんでもないですよ、と同僚はパタパタと去っていく。半分以上死んだ脳みそで、なにか不味いことを言ってしまったか、と考えたが、

 

「さ、斎賀さん! 担当ライターが、『本当の本当の本当の本当の締切日はいつですか…………』、と泣き言を言い始めました!」

「泣いていても進まん! 書かせる、私が説得(脅迫)するから、電話をかわってくれ!」

 

迫り来る修羅場に思考はたちきられた。

 

「斎賀さんの婚約者の名前をゲットした」

「まじで!?」

「実在してんの?」

「ニツキ、っていう名前らしいよ」

「……それ、本当に婚約者の名前? 同姓の友人のなまえとかじゃない?」

「えー、でも、同棲までしてるらしいし、そこは婚約者さん本人じゃないの」

「そもそも、その婚約、っていうこと自体が疑わしいというか」

 

「わあ……」

 

一流どころの出版社に務める同居人からの、SOSで彼女の着替え一式を持ってこさせられた久佐持丹月の口から漏れたのはため息とも歓声ともつかない声だった。

ビル丸々ひとつ分、全てのフロアが同じ出版社の名前を冠している。しかも、それが五階建てくらいならわかるのだが、優に40階以上はあるだろうビルである。

それなりの、いいところの出である丹月ではあるが、さすがに親族経営の企業とは比べ物にもならない。

 

「さっさと、渡して、あと、いるものあれば買い足して……」

本人を呼び出すために、端末を操作しているのだが、出ない。

修羅場っている、という内容のメッセージは貰ったが、電話にすら出られない状況なのだろうか。

 

「ずっと待っておくわけにもなあ……」

 

丹月も一旦職場から抜け出してきた身であり、直帰せずに一旦顔を出せ、と上司にあたる兄から言付かっている。

受付にでも、預けておくか。

紙袋が、がさりと音を立てて風に揺れた。

 

 

「失礼致します、私、斎賀百の身内の久佐持丹月というも……」

「え、まじ!?」

「は?」

「ああ、いえ。 失礼いたしました。 ご案内します」

「え」

 

なんか、よく分からないうちに、丹月はあれよあれよのうちに、エレベーターに乗せられていた。

そんな、ノータイムで通しても大丈夫なのか、心配になってくる。

 

「突き当たって、奥のフロアにいらっしゃいますので、どうぞごゆっくり」

「はあ……」

 

ごゆっくり、で良いのか。

 

 

「きたきたきたきたきた!」

「実在してたよじつざいしてたよ!」

「いや……まだよ! 斎賀さんが、これで婚約者さんに甘える仕草とかしない限り、私は認めない………!」

「え、なにさっきから」

「なんでかたくなに認めたがらないの?」

 

からん、と三缶目の合法エナドリの空き缶が音を立てる。

ひとまず、一つ目の波はなんとか収まった。収まったというか、担当ライターにようやく書き始めさせることができただけだが。

百は、こめかみを揉みほぐしていた。

「百さん」

 

ああ、自分は相当に疲れているのだろう。

 

「百さーん」

 

そして、幻覚まで見えているらしい。

そこで、思い至った。

 

「夢か」

「夢じゃないよ?」

「夢なら、丹月が、ここにいるのも、なんら、おかしくはないな」

 

夢なんだから。

 

「手を、よこせ」

「え、は、はあ……」

 

百のものより、大きな手のひら。両手で掴んで、頬にあてがう。

 

「私は、疲れている」

「でしょうね!?」

「休む」

「え、ちょ、ももさん」

夢の中なのに、なぜかすぐに目蓋が落ちていった。

 

「きゃー!」

「きゃーー!」

「さすがね……まさか社内でいちゃいちゃを見せつけて、仮眠するなんて。 恐ろしい女…………!」

「だから、さっきからどこのポジションなのよあんたは」

 

「あー、あはは……」

 

丹月は、すやすや寝落ちた百と反対に、過覚醒状態に至った。

針のむしろ。

視線に釘を刺されている。

ざわつく、百の同僚社員達。

 

「その……なんというか、ご迷惑をお掛けしましたので、帰っても良いですか」

 

顔が熱い。

 

「う……うん…………」

人の手を枕にした女は、快適そうに寝てやがる。

ますますボルテージが上がる、周りの社員達。

 

「勘弁してくれよ…………」

「くさもちめ……」

「どっちかというと、俺が文句言いたいかなあ!」

 



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夢オチサイテー

同居人が、めちゃめちゃいい笑顔をしていた。どれくらい、いい笑顔かというと、効果音をつけるなら、ぺかーって感じの。

久佐持丹月は、思わず三度見をする。

一度目で、「え?」となり、二度目で、「え?」となり、三度目で「こんな顔するんだ……」となった。

 

「じろじろ見すぎだ、顔になにかついているか?」

「ついてるというか、レア差分の衝撃がでかかったというか」

 

丹月の同居人である斎賀百は、かわいいよりも美人と呼ぶのがふさわしい、と丹月は客観的に思っている。

ただ、さっきの、というか、今も口元がゆるっゆるになっている笑顔は。

 

「百さんって」

「うん?」

「かわいいんですね」

 

室温が二度ほど下がった。笑顔は保たれているのだが、よくわからない威圧感が出てきている。

 

「お前、私の機嫌が良くなかったら、通報していたぞ」

「なんの罪で!?」

「迷惑行為防止条例。 私の精神にダメージを与えた罪で」

 

百の精神は自治体規模らしい。

 

冗談は置いておき。

 

「冗談のつもりは、ないのだが…………」

「冗談ということにしといて下さい。 それで、なにかいいことが、あったの?」

 

あっちの世界関連だろうか。

 

「ああ、懸賞が当たってな」

「懸賞」

「秋のカップラーメン祭りに応募していたんだが」

「カップラーメン祭り自体が初耳なんだけど」

 

白い皿でも、もらえるのか。

 

「カップラーメン祭りも知らない素人か……」

「逆にそっちは、なんの玄人になるんですか?」

 

カップラーメン、と素直に返された。

 

「でしょうね! それで、何を貰えんの?」

「ああ、それなんだが。 カップラーメン365×3×10個だ」

「はい?」

 

何個って言った?

 

「ざっといえば、十年分だな。 やったな丹月、お前にも分けてやるから、ざっと五年は毎食カップラーメン生活が出きるぞ」

「嘘でしょ!?」

 

「嘘でしょ!?」

 

自らの叫び声で、目を覚ました丹月はめちゃくちゃに安堵した。

見慣れた天井。ベッドではないが、リビングに置かれてるソファー。どうやら、寝落ちしていたらしい。

夢で良かった。マジで。

 

「おい、丹月やかましいぞ」

 

百は、眉間に皺を寄せて突然の奇声をあげた同居人に不満をぶつけてくる。

そこで、丹月は、非常にそれはもう、非常に安心した。間違えても、カップラーメンの懸賞で十年分はあてていなさそうな顔だったので、それはつまり。

 

「やっぱ、百さんはこうじゃなきゃ」

「何を言っているんださっきから」

「俺の百さんだなって」

「そうか…………うん? まて、だれがおまえの何をいきなり言い出しておい、なにを満足そうにしてるんだ、おい、丹月部屋に戻ろうとするな突然……おい! おいきけ! くさもちめ!」

 

 



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不味クーリングオフ/秋眠暁を覚えず

◆不味クーリングオフ

 

「丹月、ちょっとこっちに来い」

 

同居人からの呼び出しが、かかってしまった。

重い腰は、まったくもって上げることができず、しゃーないので丹月は膝でずるずる移動する。

 

「百さん、なんすか」

「あーん」

 

ひゅっと、丹月の喉から変な音がなる。

 

「その反応は、どういうつもりだ」

「日頃からの乖離がもはや怖いレベルなんですよ!」

 

あと、百本人からも、不本意であるという感じが顔から出てるし。

 

「この行為でお互いに、幸せにならなさそうなことある?」

「少なくとも、お前は幸せになるだろう」

「……………」

「どういう感情に基づいた顔だ」

 

そんなこんなありつつ気を取り直して。

 

「あーん」

 

口いっぱいに広がるのは──タイヤの味。

 

「まっず!」

 

世界一不味いグミというやつらしく、アメリカ土産で貰い、百も無事に被害にあったそうだ。

 

「なるほど、私の味覚は正常だということが、確認できた。 これで、存分にあの馬鹿に、お返しができる。 礼を言うぞ、丹月」

 

百は獰猛に笑った。

しかし、丹月の口の中はそれどころではない。噛みごたえがありそうで、そんなことはまったくなく、鼻から抜ける匂いは実に刺激的だ。悪い意味で。

 

「うん? なんだ、丹月。 私の頭にごみでもついてい」

「クーリングオフ」

 

 

 

「あと、口直し」

「………………くさもちめ」

 

 

◆秋眠暁を覚えず

 

ほんの一昨日までは、秋の気配もなかったのに、今朝は秋を通り越して冬の寒さだった。

そのせいで、通常の衣替えだったり、寝具を冬用のものに変えたり、という季節の切り替わりに行うべきものができていない。

 

「そのせいかな……」

 

自身の脇の下から、にゅっと生えてきて胸元辺りでがっちり組まれている腕。

もちろん、丹月の腕が増えたというはずはなく、そうなると必然的にそれは同居人──斎賀百のものということになる。

 

「んぅ…………」

「寝てるなあ」

 

明け方ごろに、少し肌寒いなと感じた時に、バタンと音を立ててドアが開いた気がした。

ただ、それが、夢か現か分からなくて、さらには眠気から確認などが面倒で放置して、再び眠りからさめれば背中がポカポカしていたのである。

ためしに、頬でもつねってみるか、と企んだものの、その瞬間に腕を掴まえられて、今度は脇の下どころか丹月の腕の外側からがっちりロックされてしまう。

 

「起きてるでしょ」

 

絶対に。

しかし、丹月の確信に反して、すやすやと一定のリズムを刻んでいる同居人。

困った。

 

「起きれない」

 

振りほどこうとするも、どこをどうされたのか、うまく力が入れられない。

 

丹月は、あきらめた。

 

例えばである。

同じ屋根の元に住んでいる異性が、自身を抱き締めて寝ていたら、どのようなことが考えられるか。

 

「草餅め」

 

特に心当たりもなく、同居人の寝具で朝を迎えて、しかし同居人はぐっすり眠りながら百のことをしっかり抱き締めて寝ている。

腕だけならまだしも、その脚が百を挟み込むようにロックしてやがるのだ。

「おい、丹月起きろ」

 

せっかく眠っているのに起こすのもどうか、とは思ったのだが、時計の針がとっくに正午を過ぎて貴重な休日も後半戦に突入してしまっている。

既に十分睡眠はとれているだろうし。

 

「こら丹月、人を勝手に抱き枕にするな」

 

耳元で囁くと、丹月の目蓋はゆっくりと開かれる。

 

「…………ゆたんぽにしてきたのは、そっちじゃん…………」

「なんのことだ」

「………………ぐぅ」

「おい、説明が面倒くさくなったからといって、寝るな、やめろ背中を擦るな、私を寝かしつけようとするな」



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襲来カリスマモデル

「端的に言えば──アーサー・ペンシルゴンが来る」

「はい?」

 

端的、という言葉のとおり本当に端的な情報しかもらえなくて久佐持丹月は眉を潜めた。

朝一(といっても時計の短針は11を指し示している)で、顔を会わせた斎賀百はもっと眉間に皺がよっていた。

 

「アーサー・ペンシルゴンって、アーサー・ペンシルゴン?」

「あんな存在、他にいてたまるか」

 

そういえば、リアルからの知り合いという話は聞いていたし、「腐れ縁」とは度々聞いている。

アーサー・ペンシルゴン。

シャングリラ・フロンティアというMMOを、それこそ初期から長くやっていれば大体がその名前を聞いたことがあるという有名人。

決して、著名というわけではなく、最初期に毒でバリバリPKして名が知られて来たと思えば、とっとと一時期PKクランのトップであった阿修羅会を作り上げ、かと思えば自力で壊滅させ今は曲者揃いの旅狼のクランリーダーと、なっているプレイヤーである。

丹月の、というか草餅としての印象としては、イイ空気を吸っていそうなプレイスタイル、という感じである。

 

「あの、天音永遠アバターの?」

「まあ……そうだ。 うん、まあ、お前なら、直接会わせても、うん……どうなっても構わないからな…………」

「え、怖。 そんなリアルもヤバい感じなんですか、つーか、どうにかなったら困りますよ、百さんが」

「なぜ、私が困る」

 

胸に手を当てて考えてみれば分かるだろう。

百はおもむろに腕を軽く曲げ、テイクバックをし、胸に手を当てた。丹月の。

 

「こっちの胸じゃないし、それは突きとかそういうやつ」

「斎賀家では、手を当てるといえばこういうことなんだ」

「流石に嘘」

 

ガチだったらどうしよう。

ぷるるるぷるるる、と電話が鳴った。

といっても電話ではなく、インターホンである。百が受話器を上げて応答する。

 

「ああ、そうだ。 大きな道路を渡って、そこから右に折れると、警察署がある。 そこで、ちょっと休憩してこい」

「普通に部屋番号教えません?」

 

なぜ、そこまで嫌がるのだ。

 

いくらなんでも、本気ではなかったようで部屋番号を教えて三十秒後、扉が音を立てたので百と並んで玄関に立つ。

扉の向こうからは、キャップを被りサングラスをかけた女性が、

 

「泥棒猫ぉ!」

「俺ぇ?」

 

クセがすごい。

 

「だって、そこのジャージは、猫は猫でも、ライオンとかそっちの部類だし」

「確かに」

「おい」

 

ゴン、と背中を軽く拳で叩かれた。

「永遠。 一応初対面になるのだから、挨拶はちゃんとしろ。 貴様は知らなかったかもだが、それが人間のルールだ」

「おっと、モモちゃん。 それは私が美しすぎる傾国の人外って意味かな?」

 

なるほど、本当に昔からの知り合いなんだなあ、と丹月に思わせる軽妙なやり取りだ。しかし、それ以上に名前の部分が気になってしかたがない。

聞き間違いでなければ、とわ、と聞こえた気が

 

「はじめまして」

 

サングラスとキャップは、顔を隠すためだったのか。

目の前に、各種メディアで拝見したことのある顔があった。

 

「天音永遠──カリスマモデルだよ」

「中身はお前も知っての通り、あれ、だ」

 

ああ、と丹月は得心する。

 

「類は友を呼ぶっていう」

「「一緒にするな!(しないでほしいなあ!)」」

 




続くのかなあ


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赤色ハロウィン/多言語ファスナー

◆赤色ハロウィン

 

久佐持丹月が外出から帰ってきたら、無言の同居人が玄関で腕を組んで立っていた。

 

「…………」

「………………」

 

一度扉を閉めて、部屋番号を確認。どう見ても、自分達の部屋だった。

 

「ふーーーーー」

 

きっと、自分は疲れている。そうにちがいないので、目元のツボを押した。

再度、扉を開く。

 

「………………」

「…………………………なにやってるんですか、百さん」

「なにって……ハロウィンに決まっているだろう、丹月。 因みに、結構今後悔の念が沸き上がってきている」

「そうですか」

 

ならやらなきゃ良いのに、と丹月は思う。

第一、これは。

 

「……赤ずきんですかまさか」

「そうだ、見たままだが」

「見たまま……?」

 

見たままだと、赤ジャージ女がその上に赤いケープで頭に頭巾、当然こちらも赤である、を被っているというある種シュール極まりない状況なのだが。

 

「俺じゃなきゃ、泣いてますよこの光景」

「どういう意味だ」

 

言葉通りである。

 

「なんでまた、こんなことを」

「ハロウィンということで仙姉さんが、夜なべして」

「あっ、もういいです」

 

いつものだった。

 

「この場合、俺の配役はどうなるんですかね」

「ほれ」

 

示されたのは、ザ・コスプレ量産品な狼男コスチューム。

 

「まあ、ベタなラインですね」

「それで、丹月。 トリック・オア・デッド」

「殺意、高っ」

「当然だろう────。 赤ずきんは、狼殺しのプロだからな────」

「話の要点ねじ曲げすぎでしょ、プロなのは通りすがりの狩人さんですよ」

 

そんなじゃれ合いをしつつ。

普通にトリートって言ってくれれば、良いのにな、と思う。

珍しく、立ち寄ったケーキ屋で、せっかく一緒に食べようと購入した限定スイーツがあるのだが。

 

「ほれ、丹月。 トリック・オア・デッド」

「選択の余地無さすぎですよ。 ──デッドで」

「デッドでいいのか!?」

 

まあ、きっと。

この後に二人で食べる、スイーツは美味しいだろう。

なんとなく、そう思った。

 

「頚骨をずらすのが、一番手っ取り早いのだが」

「あっ、まって、この人ガチで殺れる人だった!」

 

 

◆多言語ファスナー

 

「ファスナーがしまらん」

 

同居人たる斎賀百の言葉に、久佐持丹月は頭に鈍い痛みを覚えた。

 

「チャックが上がらん」

「連続で言われなくても、わかりますよ」

 

赤いジャージの胸元には、斎賀という文字が縫い付けられている。正真正銘、百が高校時代から着用を続けている体操服である。

それを着用し始めてから、今まで色褪せはしているが大きな損傷はなかった耐久力は素晴らしいものがあるのかもしれない。

しかしながら、残念なことに、今日を持ってその使用記録は途絶えてしまうのかもしれない。

あろうことか、ジャージをジャージ足らしめるジッパー部分が、下から半分以上閉められなくなってしまったのだ。

 

「これは……ラーリェンのせいではないな。──草餅め」

「なんで、俺のせいになるの。 あと、その、ラーリェン?ってなに?」

 

ラーリェンとは、中国語圏の単語であり。

 

「ドイツ語で言うところの、ライスフェアシュールスだ」

「日本語で説明してほしいなあ」

「YKKがトップシェアだな」

「普通にチャックって言ってくださいよ。 なんで、多言語での言い回しに詳しいんですか」

 

なぜYKKでわかるんだ、と返された。

大抵はわからないとわかった上でそんな迂遠な説明をしたのか、と返す。

 

「それで、お前のせいという点だが」

「だが?」

 

わずかににらまれる。これは、いわゆるジト目、というやつなのかもしれない。

 

「以前は、つっかえていなかったものが、つっかえるようになったからだ」

 

つっかえているもの。

すなわち、チャックを閉めるのを阻害する程度には盛り上がったもの。もっといえば、ジャージの下のシャツも、押し上げているもの。

……なるほど。

 

「事実無根、だったらよかったな…………」

「草餅め」

「俺が悪い…………まあ、うん、俺が悪いですね、はい」

「分かれば、いい」

 

ジジジと、百は上半分もチャックを上げた。

 

「…………上げられるじゃねえか! さっきまでのやり取りはなんだったんですか!」

「茶番だな」

「自分でいわないでくださいよ」

 



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聖夜インベーダー/催眠トラブル

◆聖夜インベーダー

 

「どうして大人になったらサンタクロースが来なくなるかを考えたことはあるか?」

「ごめん。 目の前で起きてることが衝撃的すぎて、なに言われても頭に入ってこないと思う」

 

その日。

久佐持丹月が目覚めてリビングに向かうと。

 

「単純な話だ。 煙突から入ってくるのが無理なら、鍵を開けるしかない。 そして、それを見知らぬ他人がするなら──ただの不法侵入者、つまり刑事罰の対象になってしまうからだ」

 

斎賀百の手によって、サンタクロースが縛られていた。

 

「やめなさい、百。 悪い子のもとには、サンタさんが来なくなりますよ」

 

ただしそのサンタクロースは、百の姉の顔をしている。

 

「あんなもん! 望む者は! 確実に! 良い子では! ない!」

「待って百さん。 何を枕元に置かれて…………やっぱ聞くのは止めときますね」百の表情から、やぶ蛇どころか、やぶ八岐大蛇の気配を察したので咄嗟に口をふさいだ。

 

「婿殿」

「やべえ、こんなにも話を振られたくないの初めてかもしれません」

「マンネリとは──罪です」

「ほっとけ!」

 

多分、すげえ余計なお世話を焼かれようとしている。というか、わざわざそんなもんを届けるためだけに、ここまでやって来たのか。

 

なんて無駄なことを。

 

 

目も当てられない、というか丹月の目では追えない、ハイレベルな姉妹喧嘩の末、サンタクロースは家に帰っていった。

 

「衝撃波が起こる喧嘩ってなんなんだよ……」

 

効果音は、シュインシュイン!とかだった。

 

「全く……あの人は…………………」

「もはや、姉ということすら、嫌になってる……」

「嫌にもなるだろう」

 

曰く、目覚めたら枕元に箱が置かれていて、咄嗟に手元に有るものを扉付近に投げたら、姉にクリーンヒットしたそうだ。

 

「なんで、ムダにバトル漫画染みた挙動してんの?」

「バトル漫画かどうかは分からんが、斎賀流を修めるとこうなる」

 

まじかよ、すげえな斎賀流。

 

「それで、結局何が箱に入っていたんですか?」

「半分はお前も察していると思うが、そういうブツで……ああ、お前がもしそれに興味を示すようなら」

 

目は口ほどに物を言う。

そこには全力の侮蔑があった。

 

「示さないです」

「あとは、なぜか私のアルバ──おいやめろダッシュするな、おい止まれ! 草餅! 草餅め!」

 

◆催眠トラブル

 

あらすじ

どうしてもジャージ以外の衣服を斎賀百に着せたいカリスマモデルが催眠術で『ジャージは私服じゃない』と教え込んだ結果、ゾーニングが上がりかけている

 

 

「なんで、余計に悪化してるんですか、ジャージすら着なくなったじゃないですか!」

「私にも、分からないよ!」

「お前達、揃いも揃ってどうしたんだ?」

「百さんに困らされてるんですよ」

「は?」

 

とんでもねえことしてくれたな、このカリスマモデル、という気持ちが丹月から沸き上がってくる。

分かりやすく言えば、今百は──

 

「も、百ちゃん、ほーら、大好きなジャージだよ~」

「ジャージとはなんだ?」

「百さん──服を着てください」

 

試しに、丹月は直球を投げかけてみる。

 

「着てるじゃないか?」

 

きょとん、とした表情で返された。今の百は、下着オンリーである。一般的には、服とは認識されないにも関わらずだ。

諸々を諦めた丹月は、ひとまず根治を諦めて、対処療法に出ることにした。

 

「百さん」

「なんだ?」

「バスタオルって、服ですか?」

「何を言ってるんだお前は。 タオルに決まっているだろう」

「その通りです。 なので、それを体に巻き付けてください」

 

元より、寒かったのか、百は存外素直に体に巻き付けた。ひとまず、これでゾーニングはかろうじて守られることになる。

 

 

「天音さん、すげえ馬鹿げた質問していいですか?」

「なんとなく予想はつくけど、どうぞ」

「あんたの親友、まさか私服=ジャージって認識してません?」

「は、は、はは。 ……そんなまさか。 ももちゃんがそんなそんな。 …………はははは」

「はははは」

 

天音永遠、本気で絶叫。

丹月は、頭からバットで殴られたような痛みがしてきた。

 

「うるさいぞ」

「「誰のせいだよ!」」



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姫初めフォルテッシモ/合法カフェイン

◆姫初めフォルテッシモ

 

「正月と言えば」

「はあ」

 

当然のごとく実家から、帰ってこいとの命令は下っていたのだが、なんやかんやで丹月は百と、この日を共に過ごす(暫定二時間ほど残りは別行動)こととなった。

ただ、元日その日に帰省しないだけで、どっち道実家には帰ることになるので正月という行事を蔑ろにするわけでもなく、二人とも一応日本人の心は持ち合わせていたので、そういう話題になることも不思議ではなかった。

年越しそばならぬ、年明けカップヌードルを二人ですすりつつ。

 

「──姫初めだな」

 

鼻の中に麺が入って、ものすごく痛い。

 

「恥じらい、壊滅しました?」

「一体私が何を恥じらう必要があるんだ。 因みに、ここで言う姫初めは、今年一度めの白飯を食すことに当たるが、今はカップヌードルを啜っているから、微妙に姫初めれないが」

 

丹月は悟る。

 

「はめられた……!」

 

よくよくみれば、目元が微妙に笑っていることに気づく。今年初めて、からかわれてしまったようだ。

 

「まあ、冗談はさておき。正月と言えば、お年玉な訳だが」

「その手は何ですか」

「一般的には、年長者が手渡すものだろう?」

「嫌ですよ」

 

甥っ子とか、姪っ子とか、歳が離れたきょうだいとか。

あと。

 

「俺達の子供とかにならともかく…………あ」

「…………………」

「……………………」

「………………………草餅め」

 

◆合法カフェイン

 

恐怖というのは、今この時の為に使われる言葉なのだな、と久佐持丹月はそう思う。

先ほどから、正座を続けているがためにそろそろ両脚の感覚はない。

しかし。

 

「……………………」

 

真っ赤なジャージを身に纏い、丹月を見下している同居人──斎賀百に承諾を得ることは到底不可能であり、従って両脚が本格的に痺れ始めたことを訴える余地はなかった。

 

「丹月」

 

存外に穏やかな声なのが非常に怖い。気持ちとしては、ライオンの前に差し出された兎である。

 

「ジョイントは止めておけ、と私は忠告したはずだが」

「つ、つい……」

 

義弟というにはまだそのような事実はなく、正確に表現するのなら同居人(一応お揃いの指輪をつける関係)の妹の彼氏にあたる人物から、話の種として聞いたものを実行して──空き缶がバレたのが運の尽きだった。

「貴様は、本場のライオットブラッドを舐めているのか」

「………………」

「あれは死体すら──いや、いい。 これは秘匿事項だったから、忘れろ」

「え? 死体すらなんなの!? そこで止められると余計に気になるんですけど!?」

 

そしてなぜ秘匿事項を百は知っているのか。

 

「忘れておけ、その方が幸せだ。 大体だな、丹月。 お前の身体は、もう一人だけのものじゃないんだぞ」

 

 

「え?」

「あ?」

「 はい………………」



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節分ディスオリエンテッド/寝室モノローグ

◆節分ディスオリエンテッド

 

「別に、この季節のイベントに文句は無いんですけど」

「なんだ?」

「黙って食べるっていう風習はどっから生えてきたんでしょうね」

 

この日ばかりは、夕御飯に何を食べるかを考えなくても良いという、素晴らしきイベントといえば節分である。日頃、適当に各々が勝手なものを作ったり食べたりしている丹月と百であるが、今日ばかりは同じものを、つまるところ恵方巻を食していた。

 

「もはや、そのルールを守るつもりもないお前が、それに疑問を抱くな」

「それはそうですね。 百さんもですけど」

 

普通に向かい合って、会話を交わしつつの夕食である。

 

「そういえば、今更だが」

「はあ」

「今年の恵方は、どこになるんだ?」

 

今更も今更であり、丹月は既に恵方巻の四分の三は食べ終えてしまっているし、百もほぼ同じくらいの進捗状況だ。

「えーと、(4,-4)の方向ですかね」

「……………わざわざ座標で説明するな。 あと、それだと南東になるだろう」

「南南東って最初から知ってたんだ……」

 

◆寝室モノローグ

じっとりとした熱気は、まだ寝室内を漂っている。

体温を分けるということは、水の中を泳ぐことに似ている、と斎賀百は思う。自分という存在から、ほんのわずかな隔たりを経ればすぐそこに、自分ではないものが自分自身を包み込んでくる。

自分の温度はほんの少し、相手の温度に近づいて。

相手の温度はほんの少し、自分の温度に近づいていく。

 

(……だから、それが何なのだ、という話だが)

 

脈略のない思考が、生まれては消えていく。

 

大体全て草餅のせいである。

 

鼻を摘まんでみた。口呼吸を始めて、目覚める気配はない。

 

恋と愛の違いは、際限の無い渇望なのかもしれない。

成就して、もしくは成就しなくとも、一応の決着がある恋に対して、愛に終わりなんてものはない。

だとしたら、自分達はどうだろうか。

 

(いや……これも栓ないことだな…………)

 

大体草餅が悪い(二回目)。

 

眉間をぎゅうとつねれば、皺ができる。それでもまだ、目を覚まさない。

 

 

一人で生きてきた、なんてことは言わない。そんなことが可能な人間は、存在しないからだ。百とて例外ではない。

ただ、誰か一人とずっと寄り添って生きていくつもりも、なかった。

だから、今のこの状況は、百としてはかなり予想外なのだ。

 

自分の内側から沸き上がってくる、温かいもの。この正体は何か。

ただ、それをはっきりさせることは、なんとなく良くないような気がする。

けれど、ひとつはっきりしているとこは。

 

「丹月。 そろそろ、起きろ」

 

大体、全ては草餅のせいなのだ。



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生誕バレンタイン/混迷ホワイトデー

◆生誕バレンタイン

「おめでとうございます」

 

誕生日という日にかけられる言葉としては至極全うなそれだが、斎賀百は思わず数秒静止してしまう。

 

「そこまでビックリされることあります?」

 

同居人の久佐持丹月はややあきれ顔だ。

 

「いや、なんというか予想外だった。お前、どんな手を使って私の誕生日を把握した?」

「むしろ、ここまできて俺が誕生日を知らない方が問題になりますよ」

 

百と丹月は、世間一般的にはそれなりに深い仲と受け取られても仕方がない関係の名前がつけられていた。

 

「それはそうなのだが」

 

2月14日という日は、全国的には言わずと知れたバレンタインデーである。

 

「てっきりそっちにかまけているものかと」

「俺のことを何だと思ってるんですか?」

 

そりゃもちろん、草餅だと思っている。

 

「影に徹していると思いきや、要領よくちゃっかり漁夫の利を得るような男だと思ってるさ」

「褒められてるのか貶されてるのか微妙すぎるライン……!」

「なら、お前はこの私からのバレンタインに渡されるブツは必要ないか」

「いる」

 

そこはノータイムなのか、と思う。

 

「まあ、冗談は置いておくとして。 以前お願いした通り、今日は外食だから」

「ああ。 楽しみにしている」

 

何はともあれ、特別な日であろうと何だろうと平日であるため、百は出勤するし丹月もそうらしい。本日の必須の品が入った手さげ袋を肩にかける。帰りもチョコレートの手荷物は増えるだろうがそれも仕方がない。

 

「ついでにその時にプロポーズの返事下さい」

「ああ……………………ああ!?」

 

丹月はダッシュでドアを開けて去っていく。

 

「…………草餅め」

 

◆混迷ホワイトデー

「一説によれば、ホワイトデーの贈り物にはそれぞれ意味があるそうだ」

「はあ」

 

百から半目で見つめられたので丹月は両の掌を空に掲げて反抗の意思はないことを主張する。

 

「ならば、この場合──一つの袋にキャンディとマシュマロとクッキーとチョコレートをまとめて封入されている場合、どう捉えるべきなんだろうか」

「信じるままで良いんじゃない?」

「ややこしくしてる張本人が他人事みたいに答えるな」

「俺がそういうのを知らなかった可能性もあるじゃないですか」

 

というよりも、百がそういうことに詳しいというのが、かなり予想外だった。あと、気にするタイプというのも。

 

「学生時代に少し、な……」

「なんですか? まさかお返しでキャンディーとか渡して既成事実扱いされたとかそんな体験」

「お返し一つで号泣されたり半年間の争いの種になった」

「すみませんでした、まじでごめんなさい」

 

丹月の想定以上に凄絶な経験をしてきたのだろう。淡々と真顔で語られるのもかなり怖い。

 

「まあ、とっておきのマカロンでも食べて心を落ち着けてもらって……」

「お前確実に確信犯だろう」

「なんのことでしょう」

「草餅め」



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お魚クッキング/二日酔ヘッドクエイク

◆お魚クッキング

 

非常に困ったことになった。

なったので。

 

「なあ、丹月」

「はい」

「電気ウナギとフグのどちらが食べたい?」

「なんで」

 

同居人は非常に困惑している。それはそうだろう。斎賀百も、なんで、と思ってる。

しかしである。

 

「仕方ないだろう、届いてしまったんだから」

 

日本のクール宅急便は非常に有能であり、取れ立てピチピチでも宅配してくれるのだ。

 

「百さんって、実は配信者だったりします?」

「なんだそれは」

 

そんなものの筈はないことは、知っているだろうに。

 

「フグはともかく、電気ウナギなんて一般的に生活してたら食用のものには出会うことないでしょ」

 

百はため息をついた。全くもって、この男の認識は甘い、と言わざるを得ない。

 

「釣りバカを舐めてはいけない」

「財力と時間と行動力に余裕がある釣りバカかあ……」

 

最近は、実の妹の義理の父という元からの釣り仲間との関係性が強固になった為か、余計に悪化してきたと思う。

死んだ目をした義弟から、『うちの父が、義祖父さんが地元のマフィアとやりあったなんて言ってるんですけど、流石に冗談っすよね』と問いかけて来られたときは、百は聞かなかったことにした。

 

「それで、最初の質問に戻るんだが、フグと電気ウナギどちらが良い?」

「フグの免許もってる人?」

「鰯ならば、捌いたことがあるが」

「論外じゃん……」

 

一般企業に務める社会人がフグを捌く免許を持っている方が珍しいから仕方がないだろう。

 

「電気ウナギでお願いします」

「ほう。 電気ウナギだな、分かった。 因みに、電気ウナギも毒があるし、捌くのはお前だし、うなぎ裂きなんてものは当然ないが」

「クーリングオフ!」

 

◆二日酔ヘッドクエイク

斎賀百の同居人が床に転がっていた。百はそれに気づいてあわてて駆け寄る。

ぷんと、ある意味での刺激臭が辺りを漂っていた。

 

「しっかりしろ! 何があった!」

「うっ……」

 

百の呼び掛けに閉じていた目を薄く見開く。

 

「頭が……頭が……………」

「どうしたんだ! 悪いのか!?」

「割れるように痛い……きもちわるい…………」

 

からんと、音を立ててロング缶がたおれる。

9%と書かれていた。

 

「寝てろ」

 

二日酔い。

そういえば、昨夜はオンラインで飲み会があると言っていたことを思い出した。

 

「お前もうかなり良い歳になってるのに、まだ酒の飲み方も覚えてないのか?」

「百さん……それは違うよ…………」

 

顔をしかめながら、丹月は言葉を紡ぐ。

百は心優しいので、ミネラルウォーターのペットボトルを寝そべっている同居人の頭の上に乗せてやった。

二日酔い男は文句を言う気力もないようで、黙ってペットボトルを頭からどけて、上体を起こしキャップを開けて水をがぶ飲みした。ふう、と一息吐いて。

 

「20歳頃に覚えた宅飲みでの許容範囲で、こうなったんだ……」

「何が違うんだ」

「お酒の飲み方を覚えていない訳じゃない。 ただ──加齢に伴う修正ができなかっただけなんだ」

「アホか」

「お酒は二十歳まで!」

「一瞬で常識外れなことを言うなコンプライアンスに配慮しろ歳を重ねた大人ならば!」



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肥やしクロッシーズ/ナイトインナイト

◆肥やしクロッシーズ

 

前々から思っていたことであるが。

 

「百さんって、意外と衣装持ちですよね」

「タンスで肥えているだけだぞ」

 

そう言うならば、着れば良いのにと丹月は思う。

 

「しかも、うわ、これもブランドだ……」

 

同世代と比べて、衣服について特別詳しい訳ではないが、それでも丹月でも知っているレベルの一般的に広く昔から知られてきたブランドのものがちらほらと。

おそらく、丹月が知らないだけで他にも高級品がゴロゴロ転がっているのだろうな、とタンスの整理を手伝わされながら思う。

ちらりと百の方を見る。

安定の赤ジャージ。

彼女は職場用の、いわゆるオフィスカジュアル系の衣服を覗けば、圧倒的採用率が高いのは体操服である。

 

「着れば良いのに」

「利便性で、ジャージに勝るのなら考えなくもない」

「絶対似合うのに」

 

丹月にとって、赤ジャージが一番馴染んでいるというのは置いておいて。

タンスで肥やされている衣服も、ちゃんと彼女に合うものが選ばれてるんだろうな、とは思う。

 

「それは、似合うに決まっているだろう。 なにせ、それらを選んだのはどこぞのカリスマモデルだからな」

「うわあ……」

 

なんか、余計に肥やしにする勿体無さを強く感じる。贈り主が、贈り主である。

後、なんやかんやであの人物のそのセンスは絶対的に信頼してるのだなとも。

 

「因みに、タンスにゴ○ゴ○まで入れて、自宅で可能な範囲では衣服をちゃんと管理してるのに、着ない理由は」

「何を着るかを悩んでタンスから掘り返すのがめんどい。 洗濯の方法がいろいろ指定されてめんどい。 色移りがありそうでめんどい。 TPOさえ弁えてればジャージでも一切の問題は発生しないから、わざわざブランドものである必要性を感じない」

 

丹月もちょっと気持ちは分かってしまう。

分かってしまうが。こうも、高そうな服がごろごろと無駄になってしまっていると、庶民的な感覚としては。

 

「そのうち、ブランド服の怨念で夜中に怪奇現象起きそう」

「安心しろ。 斎賀流には、そういったものを相手取る型がある」

「ダウト」

 

…………流石に嘘だよね?

 

◆ナイトインナイト

ふと。

横抱きにしてから思った。

 

「いつも思うんだけど、意外と軽い」

「意外と、は余計だ」

 

失言なのかもしれないが、そもそも全うな身長から加味した場合、やはりそれでも些か。

 

「軽すぎません?」

 

あんな食生活で。というか、生活をしていて。

なんなら、物理的なサイズを思うと余計に。

 

「筋肉の代謝が高いということは、常識だろう」

「筋肉の方が重いっていうのも常識ですよ」

 

まあ、話を聞く限り昔から武術を修めてきたらしいので、身体作りはしっかりしているのだろうけども。

 

「食べてるもんどこいってんの?」

 

カップラーメンとか。

 

「虚空の彼方に」

「ブラックホールでも身体の中にあるんですか?」

 

目的地にたどり着いたので、腕の中の女性を下ろす。

 

「あるかもしれない、な」

 

明かりを消した。

 

 

暗闇が濃くなる。

それでも、互いの距離が近いことだけはよく分かった。



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日常ダイアログ/啓蒙カップラーメン

◆日常ダイアログ

「すっげえどうでもいい話なんですけど」

「わざわざ前置きするということは、さぞかし自信のある無駄話なのだな」

 

 

向かい合って座っているけど互いに顔は見ない。別段、百達が仲違いをしているという訳ではなく、単純に各々が異なる作業をしているがゆえだ。

 

「旨味調味料の蓋ってあるじゃないですか」

「ああ」

「あれ、なんで赤色なんでしょうかね」

 

想定以上に、どうでもいいテーマだった。

 

「赤色は食欲をそそる色だからだろう」

「知ってるんだ……」

「適当に言ってみただけだが」

 

こてん、と話し相手の肩が傾いた。わざわざ大仰なリアクションをとりやがった。

 

「普通に騙されたんですけど」

「騙してはいない」

 

よく知らないことを適当な推論に基づいて告げただけだ。

 

「無知は罪だし、発言には責任が伴うんだよ」

「前半の方はお前だろう」

 

会話が一旦途切れる。本当にどうでもいい話題だったな、と百は思う。不快ではないから、話に付き合ってる訳だけど。

そういえば。

 

「私からもどうでもいい話をしていいか」

「はあ」

 

ついさっき、端末に届いたメッセージを読み上げる。

 

「妹から連絡が来たのだが。 イワシが百匹これから届くそうだ」

「割りとどうでもよくねえよ」

 

◆啓蒙カップラーメン

「カップラーメン道は、カップラーメンをいかに正しく食すかが、すべての根底に在る」

「何言いだしたんだこの人」

 

あまりにも、何を言い始めたかがさっぱり分からなさすぎて、丹月の言葉も少々荒っぽくなってしまった。

 

「近年はカップラーメンのアレンジレシピなるものも、溢れるようになってきた。 だが──」

 

百は全く丹月の言葉を意に介さず、虚空を見つめながらしかし熱っぽく語り続ける。

 

「それは本当にアレンジと言えるのか。 本当に真のカップラーメンの姿にたどり着けている、アレンジレシピの提唱者はいかほど、現代に存在するのか」

「カップラーメンについて、ここまで熱意持ってる人自体が、百さんかメーカーさん位しかいないんじゃないですかね」

「こうした、浅薄なカップラーメン観が跋扈する今の世の中に、渇を入れるべく日々その一杯を全力で食す──そこには一切の妥協があってはならない──これを教義とするのがカップラーメン教だ」

勝手に宗教の話が始まってしまった。

 

「………………」

 

丹月は、頬を心なしか赤く染めながら熱弁している百の額に非接触型体温計を近づけてみた。

 

(38.9度と表示されている)

「…………高熱ぅ!」

 

この後めちゃくちゃ寝かせた。



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惚気フォルス

人間の口を合法的に軽くする代表的な方法は、飲酒であるけれど、別にそれだけではないな、と久佐持丹月は思う。

雰囲気に酔う、という言葉がある。例えば親戚一同が会す場で、もれなく親戚一同の良家故に溢れるオーラ的なものに当てられて、そんな人たちから恋ばなしろよおい、という圧をかけられてしまった義理の弟(厳密には、同居人の妹のカレシ)の陽務楽郎君が、しどろもどろに赤裸々に惚気を披露しているこれも、雰囲気に当てられてのことだろうと思う。

曰く。

 

「俺の前だけでバグ……ポンコツ…………ちょっとだけおっちょこちょいになるところ」

 

とか。

 

「未だに、手を繋いだら一瞬固まるところ」

 

とか。

それは、好きなところなのか、かわいいところなのかと判別し難く、まあ総じて惚気の類いを暴露し始めて5分ほど経過した。

相変わらず、この斎賀の一族というのは、一定数がこういう甘酸っぱい話に飢えているのか、興味津々で特に丹月からしたら義理の姉にあたる(予定)人物は、筆舌に尽くしがたかった。

だけどまあ。

 

(分からなくもないか……)

 

丹月の同居人たる百とその妹の年齢差は7歳で、その恋人も同じ年齢なので、丹月からしたら彼ら彼女らは9歳の差があることになる。

そんな二人の惚気とかリアクションは、もう既に自分達からは失われたもので、そういうものは総じて眩しく見える。

若い二人の──というか片方はもう意識すら失ってしまったようで百に介抱されている──そんな爽やかな甘さを感じるエピソードをBGMとしてアルコールを呷り、ふと、思う。

 

(俺って百さんのこと、好きだよな)

 

一般的に好きという感情は、嫌いという感情と対極的なものとして扱われる。だが、それは理論としてはすっきりするが、実際とはかけ離れている様に思う。

嫌いではない、から好きなんて分かりやすく人間の心は動かないし。好きじゃない、から嫌いとも言えないことの方が多い。

でも、丹月は自らの百への気持ちを、好き、と定めた。

この定義付けが、誤っているとは思わないし、実際にそうだろう。なんせ、判定しているのは自分自身なので。

けど。

 

(あんな風に、いろいろ言えるかな)

 

好き。

でも、どこが、と聞かれたら困る。

 

流石に、三十分もすれば若い二人のエピソードも弾切れになりそうで、そうなったら確実に矛先が向くのは自分と百だ。そうなる前に、具体的なエピソードを掘り出さなければならない。

困ったときは、当事者に聞くのが手っ取り早いように思った。

ので。

ちょんちょんと、百の肩を叩く。

怪訝な表情。

丹月は、あの二人の会話の邪魔にならないように、邪魔をしたらとんでもない流れ弾が飛んで来かねないので、右手で音が漏れないように百の耳を覆って。

 

「俺って、百さんのどこが、好きなんでしょうか」

「お前…………本気でアホなのか」

 

返ってきたのは答えじゃなくて、罵倒。

なんで?と思って、普通に気づいた。

 

恋ばなハイエナな親類ども。

そいつらの前で、客観的に見たらこそこそ話を。

 

つまり。

斎賀一同の目がギラリと光ったような感じが。

これから一緒に流れ弾を食らうことになる斎賀百は心底めんどくさそうに、ため息混じりに。

 

「草餅め」

 

やらかしでしかない。

 

「腹、切りたい…………」

「「辞世の句を」」

「楽郎君!? 京極ちゃん!?」



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心情コンクルージョン

惚気フォルスからの続きとなっています


斎賀百の妹は、確かに間違いなく、恋、をしている。

好き、から始めて、追いかけて、追いついて。相手を振り向かせて。

勿論、こんなわかりやすいものじゃなくて、それは相当に紆余曲折はあったのだろうけど。まるで、物語の様にそれを成就させた。

それは、瑞々しくて、眩しくて、尊いものだと百も姉として思う。

 

けど。

人間にはどうしても向き不向きというものがあって、百は好きから始めるものにすさまじく向いていなかった。というか、斎賀の女は基本的に好きから始まる恋というものに向かない。

好き、から始めるのにはあまりにもエネルギーが必要すぎて、ひたむきになるのも、その感情に向き合うのも非合理であると感じてしまう。

だから、本当にコイバナというものは、面倒だと思うし。

 

「それで、だ。 何をどう思って、『俺って、百さんのどこが好きなんですか』と、戯けたことを尋ねようと?」

 

訳のわからないというか、なるべく関わりたくない事を、疑問という形で提示してきやがったこの男は、まじでどうしてくれようか。

 

「大体、だな」

 

まず、根本的な所から、なのだが。

 

「親戚どもの好奇心に真面目に答えてやる必要はどこにもなかった」

「それは……そう。 まじで、そう」

 

丹月は、正座をして項垂れている。過ぎたことだし、今更言及しても遅いことは百も重々承知の上なのだが、まあ、八つ当たりくらいさせてもらいたい。

本当に、面倒だったのだ。こそこそ話なんて格好の餌を見つけて、食いついて群がってきた酔っぱらい達をあしらうのは。

 

「それを、踏まえてだ、草餅め」

「はい……」

「私のどこが、好きか、だと?」

「殺してください」

 

はあー、と深いため息が百の口から漏れていく。

なんという質問をしてくれたんだこいつは。

 

「それくらい、お前が考えろ」

「おっしゃる通り」

 

大体だ。

 

「お前良くもまあ、恥ずかしげもなくそんなことを」

 

この私に聞くことができたな、と思う。

 

「恥ずかしくないのか?」

「今、死ぬほど穴掘りたい」

 

そりゃそうだ。百だってこんなテーマを追及なんててしたくなかった。どこが、好きか、なんて。

けど、受け流すこともできなかったということは、この男のその質問が引っ掛かってしまっているということの証左であり。

それが、非常に嫌だ。

めんどくさい、そこに思考をなるべく回したくない。だから、百は今、怒っているのだ。そして、その怒りを相手にぶつけているということ自体が、この相手に甘えているということの現れのようであって。

 

「それで?」

「はい」

「答えは出たのか?」

 

ああ、本当に嫌だ。

こんなこと、聞くのは。というか、不毛すぎる。

でも、コントロールから外れた自分が勝手に聞いてしまう。

 

「総じて──斎賀百という人物そのものが、好ましいのかな、という結論になりました」

「……その心は」

「消去法的に。 少なくとも、自分はお見合いの時に一目惚れしたわけではなく」

「私も違う、と」

「なら、外見的要素は消せるかな、と。 いや、勿論それは少なからず外見要素を好ましいとは思っていても、それ100%というわけではないという理由で」

 

丹月は、しどろもどろに続ける。

百は、まるで丹月がやましいことを、たとえば浮気とか、したあとにそういうのを問い詰めてるみたいだな、と感想を持つ。

 

「なら、何か具体的なエピソードがあるかといわれると」

「ないな」

「ない、んですよ。 俺達の始まりが、お見合いっていうのは少なからず理由としてありますが」

 

好き、から始まるのではなく、恋みたいに駆け引きがあるわけでもなく、ゴールが最初から定められた出逢い方。

 

「けど、まあ、こういう関係まで行き着いてしまった訳で。 となると、俺はきっと百さんだから、斎賀百という人物自体に好意を持ってるとしか、考えられないな、って」

「…………」

 

百は後悔する。

だって、こんなの。

 

「なんで俺、プロポーズとっくに済んだ後に今更愛の告白みたいなことする羽目になってんの…………………?」

 

同じことを思うな。

お前が全て悪い。妙に気恥ずかしい気持ちにさせられているのも、なにもかも。

 

「…………くさもちめ」



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洗浄ジャージ/肩ずんスリーピング

◆洗浄ジャージ

 

「あー」

「んー」

 

風呂から上がったらしい。もはや言葉ですらないやり取りを経て、久佐持丹月の同居人たる斎賀百は、目の前を通りすぎようとする。

 

「ちょいちょいちょいちょい」

 

とんでもない事に気づいた丹月は、百の襟を後ろから掴んで引き留めた。

 

「なんだ?」

「俺の方がなんだって言いたい。 なにをどうしたら風呂上がりにそんな格好になることあるんですか」

 

襟のある服。

白。

ずっと畳まれていたがために、折々に筋がついている。

すなわち、

 

「俺のシャツですけど?」

 

極めて正直に丹月は思った。扇情的だ。

「着るものがなかった」

「わざわざ俺のタンスの奥底に眠ってるそれ引っ張り出すことないんだよな……」

 

丹月も、いつぶりに見たかわからないレベルのやつである。

 

「他意はないが──明日は昼まで寝ていても問題がない」

「そっかあ。 俺も他意はないんすけど、同じくですね」

「他意はないが」

「うん、他意はない」

 

ばたんと音を立てて、扉が閉まった。

 

◆肩ズンスリーピング

 

「草餅め」

 

先程まで、かくかくと船を漕いでいた同居人が、遂に沈没して百にもたれかかってきやがった。一応なんとかしようという気持ちはあるようで、一瞬身を起こしてすぐにまた凭れかかってくるというのを繰り返す。

 

「おい、丹月」

 

名前を耳元で呼んでみるが、そんな程度では目を覚まさない。ゆっくりと百の肩の重みが増してくる。

大声を出すわけにいかず、つむじでも押せば目を覚まさないかと考えて、髪を掻き分けてみる。

 

「ううん……」

 

唸るだけで、覚醒することはなかった。

 

「丹月」

 

名前を呼んでみる。ついでに、髪を掻き分けてつむじをもう一度押す。だが、どうにもなら無かった。

しょうがないか、と百は諦めて、すやすやと眠る同居人の額を少し揉んでから、やがて飽きたのか携帯端末に目を落とした。

 

 

「寝違えた……」

「あんな寝方をすれば当然だろう」

「それになんか、お腹の具合が」

「下痢が出やすくなるツボが人間にはあるらしい」

「なんかやったの!?」

 

左肩に、自分ではない体温を感じる。

 

「百さん?」

 

丹月の同居人は、うっつらうっつらと体を前後に揺すりながら、結局睡魔に負けてしまったらしい。

 

「百さん、髪の毛食ってるよ」

「んうん……」

 

返事とも呻き声ともつかない音を立てたが、百はそのまま丹月の肩というか二の腕辺りにもたれ掛かる。

髪を食ったままなのもあまりよろしくないかと思って、苦労しながらもなんとか口からそれを排除した。

 

「リュカ……お…………ん」

「夢の中でも団長は団長なんですね……」

 

さすがの狼狂いだなあ、と思いつつ眉間のシワでもほぐすかあと丹月が伸ばした腕に、ピシリと痛みが走る。

 

「え?」

「従……剣劇………………」

「え、ちょ!?」

 

手刀による的確な連劇が丹月を襲いかかる。

 

「起きてる? 起きてない? むしろ起きていろよ百さん!?」

「……………………ぐぅ」

 

あ、だめだこれ。

 

 

 

 

「やっぱり、剣聖はナーフされるべきだと思うんすよ」

「私が目を覚ました早々にそれを言う理由はあるのか草餅。 あと、なぜ私はお前に引っ付いていたんだ」




30話まできちまったよ…………


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呼称クエリー

「斎賀さんって、彼氏さんとどんなこと話すんですか」

「あー…………」

 

世間一般的に、婚約というといわゆる恋愛関係から発展したものであるととらえられがちだなということを、今現在斎賀百は身をもって体験している。めんどくさい。

もちろん、雑談というものが日々の生活──それも社会人もなると必要なものであるとは理解するが、なるべく避けたい話題というものは存在し、最近は──選択をしたのは自分自身とはいえ──そのなるべく関わりたくない話題の渦中に巻き込まれることが増えてしまった。

どうやらこの左手薬指のアクセサリーというものは、厄介事を引き起こしやすくするものなのかもしれない。

 

(草餅め)

 

どう乗りきるか、というのも大袈裟ではあるが、百にとって真面目に答える必要もないように思えるテーマの最たるもの。すなわちコイバナ。

なんでも燃え上がるようなとか、命をかけても良い、とまで思えるのが恋の好きらしく。

生まれてこの方、そんなことになったことは百にはない。

そもそもである。

 

彼氏。

 

この場合は、十中八九この指輪の送り主のことを指すのだろうが。

あれをそう呼ぶこと自体が違和感なのだ。

 

「ということで、私はお前をなんと呼ぶべきだろうか」

「諦めて、婚約者で良いんじゃないですか」

 

唐突に同居人から、そもそもなぜ婚約者は、婚約者という統合的な呼称しかなくいわゆる彼氏彼女のような性別による分類はないのか、と投げ掛けてこられても、この場合の適切な単語を久佐持丹月は持ち合わせていなかった。

「丹月を私と関係付けるためだけに、わざわざ5文字分の体力を使いたくない」

「省エネが過ぎる……」

 

第一である。

「普通に名前で呼んだら良いじゃないですか」

 

百の理屈からすれば、たったの三文字ですむため最大の省エネだろう。

 

「その場合、お前関連の話題で『私と丹月は』から始めることになり六文字となってしまうじゃないか。 あと、わざわざ名前呼びするのは違和感になるだろう、この場合」

「もう、彼氏でいいんじゃないっすか」

 

いささかなげやりに、丹月は返す。

 

「その場合──お前は必然的に私のことを、例えば友人との会話なんかで、彼女と呼称する必要が発生するが、想像してみろ」

 

言われてから、丹月はちょっと想像する。

彼女。

カノジョである。

百を見つめる。今日も今日とて、赤ジャージ。

 

「うわあ……違和感」

 

なんというか、彼女と呼称するには、いささか甘味が足りないように、丹月も思った。

この関係性に甘味が無いとは、少なくとも丹月は思わないけれど、彼女という単語に籠められているものとは、別種の甘味だと感じる。

例えば、あちらが柑橘系なら、百との関係はもっともっとさっぱりして、けれど別の味も入っているような。

となると、もっとも近いのは。

 

「ステークホルダー……?」

「利害関係…………か。 確かに間違えてはいないが………………文字数が増えている」

「あ」

 



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ほろ酔いプロフェッション

『好き』なんて気持ちを、ストレートに伝えるのはせいぜいが十代までで、ギリギリまで粘って二十代の前半が限界なのだと久佐持丹月は思う。もちろん、ナンパな奴とかそういうお店のお兄さんならまた別の話だろうが、ごくごく一般的に恥じらいという感覚を装備している人種には大変厳しかった。

それ故に、あの時──婚約者の実家での集まりで、限りなくというか比較的というかかろうじてストレートと言えないこともない言葉で丹月が気持ちを告げてしまえたのは、確実に酒の力でしかない、のだろう。多分。

 

「というあたりで、いかがでしょうか」

「なるほど。ところで、なんで急にそんな言い訳を、お前は始めたんだ」

「聞いてきたのそっちでしょ」

 

あの時は、丹月が酔っていたが、今は同居人兼婚約者の斎賀百の方が酔っているらしい。

 

「百さんも、酔うことあるんですね」

「あんな酒を飲ませたのはお前だろう」

「勝手に飲み始めたのそっちなんだよなあ」

 

飲もう、と言う話になって、コンビニでそれなりに度数の高いロング缶のみを、カゴに詰め込んだのは断じて丹月ではない。

そして、珍しく(普段は著しく酒に強いため)ほろ酔いになった百が、聞いてきやがったのだ。曰く。『私に告白まがいの発言をした瞬間の気持ちはどんなものだったのか』、と。

 

「まあ、つまりですね。 はい。 要するに、素面の時でも、何らかの好意を俺はあなたに抱いているということかもしれなくもないです」

「つくづく、回りくどいなお前は。 この期に及んで」

「凝り固まってんのこっちは、もろもろいろんなもんで」

 

男の良く分からないプライドからくる気恥ずかしさとかそういうもので。

 

「ところで、百さん」

「なんだ丹月」

「飲み方ヤバイね」

 

ガランガランと、空き缶が増えていく。

 

「おいしい?」

「炭酸が強すぎる」

「そういうもんだよ」

 

名前からして、強さアピールが激しいのだ。

 

「こういうのあんまり飲まないでしょ」

 

「まあ確かに。 リピートをしたいとは、あまり思わない」

 

贔屓目無しに、百はそれこそもっと格式高いバーでも絵になるだろう。あと、どっちかというと。

 

「ワインとかの方が似合う」

「私に似合うかどうかは置いておいて、安いワインを飲むくらいなら、いっそこっちの方が良い」

「そういうもんですか」

「そういうもんだ」

 

丹月がプルタブを開けると、プシュっと温くなった炭酸が音を立てて少し吹き出た。

 

「そういえば丹月」

「うん?」

 

耳を貸せと言われて、なんでだと思いつつ素直にそうする。吐息が近づく。

 

「──」

 

その思いもよらない言葉のせいか、アルコールのせいか。

丹月の顔が熱くなる。思わず、顔を手で覆った。

 

「百さん」

「なんだ丹月」

ついさっきのほんの一瞬は。

 

「どういう気持ちでした?」

「まあ、そうだな。 酒の力だろうな」

「百さんさあ……」

「思うに、勇気を出すために酒を飲むという方法もこの世にはあるのだろう」

「他人事みたいに、よく言いますね」

 

左手を眼前の女性に伸ばす。指先が絡んだ。

 

アメジストの瞳は静かに丹月を見つめていた。



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人力リクライニング/ほっぺたテスト/服装ギャップ

◆人力リクライニング

 

「座り心地が悪い」

 

そんなことを言われても、というのが久佐持丹月の正直な気持ちである。そして、そんな文句をつけてくる同居人は同居人で、そのクセに丹月の前から動こうとしない。

 

「クッション性が悪いな、お前は」

「そもそも、人間にクッションの機能を求めないで下さいよ」

 

トン、と丹月の胸板に頭を引っ付けて見上げてくる同居人の斎賀百は、丹月のクレームもどこ吹く風だ。

 

「仕方がないだろう」

「なにが?」

「私が座ろうとしたところにお前が既に座っていた」

「別の場所に座れよ」

「椅子があるから座るんじゃない、座るからそこが椅子になるんだ」

「パイオニアみたいなこと言わないで下さいよ」

 

しかも、なんも含蓄もない。

はあ、と隠すこともなく丹月はため息をついて、腕を緩く百に巻き付けた。

 

「勝手なことをするな」

「知らなかった? 最近の座椅子はシートベルトもついてるってこと」

「そんなわけあるか。 草餅め」

「なら、退いてください」

 

◆ほっぺたテスト

物は試しと婚約者な同居人の頬をつついたら、普通に睨まれた。丹月は素早く両の掌を天に掲げて無抵抗の意を示す。

 

「何がしたいんだお前は」

「表情筋が動きにくい人は、頬が柔らかいという噂が本当なのか気になっただけで、他意は無いです」

「アホなのか?」

 

百は無駄な言葉を費やすことなく端的に思いを丹月に告げる。

 

「検証は基本かなと」

「この件に関しては検証の必要性は皆無だろう」

「そうですかね」

 

百が人差し指を伸ばして、丹月の頬をつついてきた。

 

「自分のもので試せば良かっただろう」

「比較対照は必要ですよ、何事も」

 

嫌がられてはいないようなので、丹月は再度掌を百の方に伸ばしてみる。

こてんと、百は首を傾けてその掌に自らの頬をあてがった。

 

「…………え」

「なんだ?」

「そんなかわいい仕草、どこで覚えたの? さては、偽物ですか」

「草餅め」

 

◆服装ギャップ

 

「百さんが普通に美人してる……」

「いきなりなにを、言い出すんだお前は」

 

斎賀百という人物は、一応美女の類いである、とは久佐持丹月の評価だ。この『一応』というのが、ミソであり何をもって素直な評価を下し難くしているかというと、ずばりそのファッションにある。

 

「だって、体操服じゃない」

「社会人が、常時体操服で社会に出られるとでも?」

「少なくとも、家の周辺程度なら常時体操服なんだよなあこの人……」

 

丹月と百は、珍しく帰宅時刻が被り最寄駅でばったり遭遇したのだ。

そして、丹月の冒頭の言葉に繋がったのである。

 

「なにも、見慣れない姿では無いだろうが」

「それはそうですけど、新鮮な気持ちは口にしておこうかなと」

「草餅め」

 

本日の百の装いは、黒のパンツに白のニット、まだ朝夕は冷えるためかジャケットを羽織ってなんならメガネまでかけている。

 

「なにか新情報入りましたか?」

「ト、旅狼がやらかしたらしい」

 

ある意味の問題児集団クランの名を告げた百は、ニイっと笑みを浮かべる。丹月は、なんとなく空腹な肉食獣の姿が思い浮かんだ。

 

「大体、私に…………いや、止めておこう。 こう、特徴が無さすぎて、お前になにも言えることがない」

「その通りですけど、口にされるとちょっと悲しくなりますねこれ」

「半分は冗談だ」

 

半歩、互いの距離が縮まった。

 

「ひでえ」

 

隣同士で並ぶ。

 

「せっかくだし、なんか食べて帰る?」

「たまには、良いな」

 

歩くスピードが揃う。

 

夕日は沈み、空は紺碧に染まりつつあった。



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合コンブレイク

騙された。

久佐持丹月は、今の状況を作り上げやがった奴を睨み付ける。そいつは、流石に自覚はあるようで申し訳なさそうにしているが、だからといってそれで怒りが収まるわけでもなかった。

なんせ。

 

「相手の子達、レベル高いって本当?」

「よくそんなメンツ、セッティングできたな」

「…………」

 

合コンに巻き込まれたのだ。

 

ことの発端は、学生時代の友人からの食事の誘いだった。趣味がインドアによっているとはいえ、人との交流を完全に断っているということはなく、だからほいほいとその誘いに乗った。そしたら、なぜかテーブルに横一列で男達が並んで座ることになったのだ。

 

「帰る」

「タンマタンマ! いや、すまんかったそれは本当に。 でも、急に一人来れなくなって困ってたんだよ!」

「その事情が、俺が合コンに参加する意味にはならないよな」

「飯代奢るから!」

 

食費が浮こうが浮くまいが、問題はそこではないのだ。婚約者がいる身だし、変なリスクを負いたくない。欠片も、女性とお食事する出会いの場に魅力を感じていないのだが、端から見ていればそんなことはわからない。

丹月は、あの人から痛くない腹を探られたくないのである。

 

「乾杯の時だけ! 乾杯の時だけで良いから!」

「そういう問題じゃなくて、そもそも俺、こ」

「女の子達が来たぞ」

「うっわ、すっげえ美人いる」

「お前ら、早く席に座れよ」

「分かった! 頼む一生のお願いだから、ちょっとだけちょっとだけだから!」

「…………………」

 

さっさと帰ろうと、丹月は大いに誓い。左手薬指のアクセサリーに、軽く触れた。

 

開始三十秒。

すげえ美人から、なぜいるんだお前、と呼び掛けられたので、無実、と返す。

なお、互いに言葉はなく、要するに『すげえ美人』とアイコンタクトを丹月は交わしているのだ。

 

「えー、それじゃあ自己紹介を」

 

丹月は『すげえ美人』に、帰りたい、という旨を告げると、同じく、と返ってくる。

事情は後で、普通に聞けばいいか。

参加者達、おもに男性陣は『すげえ美人』とお近づきになりたいのだろうが、それも面白くない。

ので。

さっと、席を立ち上がり、他の奴らが呆気にとられている隙に、百の側へ。

 

「お手を拝借」

 

百の手を取って、二人でさっさと店の外へ。背後から、悲鳴が聞こえてきた。

 

「なんで、また、こんな目立つことを……」

「こっちの方が早い、かなと」

あと、普通に丹月は怒ってるし、主催者とはこれっきりになるだろうし。

「手が早いな」

「言い方ぁ……。 ゆっくりの方が良かったですか?」

「いや」

 

 

「ということが、最近あったのだが。 玲? どうした、そんな背後に宇宙を背負いそうな顔をして」

「も、百姉さんから、のろけられる日がくるなんて思ってもいなかったと言いますか」

「のろけ?」

 

どこがだ。



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膝枕リラクゼーション/幸福アセッション

◆膝枕リラクゼーション

 

「なんでこんなことになってんの?」

「体重がかかっている腕の支点を少し崩してやれば、自重に耐えきれなくなり」

「方法じゃないんですよ……」

 

丹月は、真上に視線をやるが絶妙に影になっているが故に婚約者の顔は見られなかった。

 

「セクハラ餅」

「冤罪」

 

ほどよく弾力のある枕の上でもぞもぞと頭の位置を調節して、少しだけ頭を傾けてようやく百の顔を見ることができた。

できたが。

 

「なんも表情からわかる情報がない……」

 

圧倒的なポーカーフェイスであり、さらに百が装着しているARグラスは謎に発光していて目元が一切見えなかった。

 

「その機能、なんですか?」

「プライバシー保護機能だそうだ」

「表情を拝むことすら許されない時代の到来かあ」

 

ブリッジに指を当てて位置を調整するその様は──。

 

「知能派キャラっぽいですね……」

「何を言ってるんだお前は」

 

逆になぜ伝わらないのか。

そして、結局どうしてこんなことを──一説によればこの状態は、膝枕と呼称するそうだ──されているのかが分からなかった。ので、丹月は好き勝手することにした。

 

「百さん、ポテチ取って」

 

すっと、百の手が伸びて丹月の髪の毛に触れた。そして、容赦なく引っ張られる。

 

「あ?」

「っす。 調子乗りました。申し訳ありません」

「草餅め」

◆幸福アセッション

 

「ん」

 

両腕を広げて待てば、怪訝な顔をしながらも同居人は、久佐持丹月の両腕に収まった。

腕を背中に回せば、同じ様に腕が回されて、ぎゅうとその距離が縮まる。

 

「で?」

「はい」

「なんのつもりだ、丹月」

 

丹月の肩に、ぽんと斎賀百の顔が置かれる。

 

「オキシトシン、出るらしいですよ」

「H2O2?」

「それはオキシドール……咄嗟に答えれた俺すごくないですか?」

 

義務教育知識で誇るな、と言われた。

義務教育から離れて何年だと思ってるんですか、と返す。

 

「そうじゃなくて」

 

幸せホルモン?とか呼ばれてるやつです。

 

「ホルモン……ああ、まあ、知ってたが」

「でしょうね」

 

もぞりと、背中に回されてる両手が動いてやがて首もとまでやってくる。心なしか、百との顔の距離が縮まった気がする。

 

「そんなものが、必要か?お前に?」

「俺のこと、なんだと思ってます?」

 

人間なんだから、幸福感味わいたいに決まってるじゃないですか。

しかし、その反論は首をふるふると振って否定される。

 

「常時出てるのだから、出しすぎはよくないだろう」

「どういう意味ですか」

 

でも、まあ。

百がそう言うのなら。

 

「じゃあ、お裾分けってことで。百さんも、今オキシトシン出てるでしょうし」

「草餅め」



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夏祭りゴーアラウンド

「今って、祇園祭の時期なんですか」

 

久佐持丹月の婚約者たる斎賀百の血縁は、京の都までにも及ぶらしく、その親戚の集まりとやらに丹月が連れてこられたが故の発言だった。

だったのだが。

 

「確かに、その時期だが」

 

百はなぜかため息をついて頭を押さえ、親戚一同はそんな百と、丹月の方を向いて哀れみの表情を向けてきた。

 

「いきたいか……?」

「え、いや、そんな反応されるなら」

「丹月、正直に言え」

「ちょっと、興味あります、はい」

 

分かった、と非常に重々しく百が頷く。

そんな大儀そうになるなら、行きたくないな、と丹月は若干思わなくもなかったが、別にお祭りくらいなら、とも思っていたのだ。この時は。

 

夕刻。ぼちぼち良い頃合いとのことで、丹月と百は外に出ることにした。

 

「普通の服だ……」

「は?」

「いや、なんか百さんのお姉さんってこう言うときに、嬉々として衣装もってくるじゃん。セクハラ発言付きで」

 

夏祭りともなれば、浴衣の一枚や二枚は、用立てて来そうだ。

 

「お前は、死にたいのか?」

「死!?」

「良いか、丹月。 祇園祭とは──戦いだ」

「なに言ってるんだこの人」

 

外出た瞬間丹月は悟った。

 

「大浴場」

 

脈絡のない言葉のはずなのに、百はその意味を十全に理解できる。

 

「これが京都であり──祇園祭の時期だ」

 

夕方になったはずなのに、一向に気温が和らぐ感じはない。そして、極めつけはその湿度である。風が吹いても、涼しさはまったくなく、肌に暑さがまとわりついてくる。汗が流れることすらなく、肌の表面で何かべとべとした感覚を味わうのも不快だ。

 

「さて、丹月。浴衣で歩きたいか?」

「俺はまだ死にたくない」

「よろしい」

 

このお祭りは、一ヶ月以上も続くものだそうだ。

 

「知らなかった……」

「まあ、そうだろう。 有名なのは、今日の山鉾巡行だろうし」

 

駅周辺の大きな道路は、交通規制がされて歩行者天国となっている。さすがに、日本有数の祭りであるからか、人の数が尋常ではない。

丹月の手は先程からずっと百と繋いだままだ。

 

「ねえ、百さん」

「なんだ?」

「暑すぎませんか」

「当たり前だろう。この人に、しかも京都の夏だぞ。盆地を舐めるなよ」

 

立ち並ぶ個人商店はもとより、チェーン店もこの日のために、特別出店という名目で、店先で食べ物だったり、飲み物、もちろんアルコールも販売していた。

ふらふらと足が引き寄せられてしまうのは人の性だろう。

 

ビール一杯ワンコイン。

缶ビールを買う方がお得なのは、理解はするが仕方がないだろう。キンキンに冷えているとは言いがたいそれを口に含む。

 

「美味しく感じるのは何でなんでしょうね」

「ほふは?」

「なに食ってんの?」

「唐揚げ棒」

「いつの間に……」

 

丹月の目の前に差し出されたので、ありがたく一齧りする。いつでも買える、いつもの味だが、今このときは確実に通常ましで美味しい。

 

「そっちも一口寄越せ」

「買ったら?」

「持つ手がなくなる」

「あー」

 

一口じゃない量を減らされる。

百が、いける口ということは知っていたので、丹月に驚きはない。仕方ないので次なるアルコールとして、ロング缶のチューハイを購入した。

 

「ワインボトル一本購入すればどうだ」

「食べ歩き初心者すぎません?」

 

ワイン一本ラッパ飲みは、人としてやってはいけない。

 

「あと、重いでしょ、そんなもん買ったら」

「飲めば軽くなる」

 

普通に冗談なので、百の目は弧を描いていた。

 

「嵩は減らないんですよ」

 

 

だんだんと人ごみの、密が高まっていく。

 

「おお、あれが……」

 

遠くにある、木製のオブジェクトが丹月の目に入った。明かりがいくつもつけられていて、多分それは提灯だろう。

 

「山鉾ですか?」

「ああ」

 

ある意味で、丹月達の今日の目的地であり、すなわち今ここに来ている人々のほとんどの目的地でもある。

だから、すげえ混み合っていた。

 

「近づくのも一苦労ですね……」

「何を言ってるんだ、丹月」

「ん?」

「あんなとこに行くはずが無いだろう」

 

ぐいっと手が引かれる。少し丹月はバランスを崩しつつ、百の先導に従う。

百は遠くに見える山鉾の方向ではなく、くきっと九十度曲がり大通りから外れた路地の様なところに進んでいく。

 

「え、ここまできて帰るんですか?」

「そんなはず無いだろう」

 

大通りとは違って、人の圧がなく、心なしか涼しさすら感じる。

そして。

 

「おお」

 

出てきたのは、山鉾だった。

 

「有名なのは、あっちだがこっちの方が快適だろう」

 

手伝いなのか、子ども達がその鉾の下に集まって、『手拭いどうぞ、扇子どうぞ、団扇どうぞ』と独特の節をつけて歌っている。少し風が吹く。

町内会の人たちが、休めるようにと用意してくれているベンチに、二人で腰かける。

丹月は大きく伸びをして、空を見上げる。提灯が揺れていた。

 

「こっちの方が、なんとなくなんですけど、ぽいですね」

「ぽい?」

「京都のイメージっぽい」

「言わんとすることは、分からないでもない」

 

少し不思議で、今でもナニかが潜んでいそうな、現代にありながら過去の雰囲気が残り続けている、そういうイメージ。

きっと今の気持ちを言葉にするなら。

 

「楽しいですね」

「なら、よかった」

 

 

 

 

「そんで、なに食ってんの?」

「牛串」

「いつの間に……しかも、ちゃっかりなんか飲み物まで買ってるし、なにそれ」

「そこの日本酒バーが出している試飲セットだ。今は両手が塞がっても今は問題ないからな」



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大混乱プロポーズアフター

爽やかな昼だった。午前中もなんとか乗りきり、午後に向けて英気を養うべく貴重な昼休みである。

 

『そろそろ、籍入れませんか?』

 

斎賀百の頭は痛かった。

 

昨夜突然、こんなことをほざいた男に頭突きを入れたから、という理由も多少なくは無いが、決して主因ではなかった。外傷というよりは、確実に別の。具体的には。

 

「プロポーズというやつで、間違いないだろう、残念ながら」

 

あれはそう、多分プロポーズだ。つまるところ、結婚しましょう、というやつである。結婚とは言われてないし、実際の言葉は『籍入れませんか?』だったけれど、一般的に籍を入れるということは結婚とイコールで結んでしまっても問題はないはずだ。多分。細かい法学的な根拠とかは、さすがに百もしらないけれど。

そう、昨夜のプロポーズ。あれこそが頭痛のタネである。

イヤ、ということではない。イヤ、ならあのときにこんなものを。

 

「指輪を揃えようとは言わないはずだ、私ならば」

 

そもそも、あのときに、なんでそんなことを言ってしまったのか。きっかけは、あのときの少し前に、あれと身体的に結ばれたことで。けど、あくまでもそれはきっかけに過ぎなかったということもまた、百はよく分かってしまっている。

 

だから、ゆえに、あれが、久佐持丹月という男(婚約関係にある)が、あんなことを突然言い出したのも──突然というにはそれなりに積み重ねはあったけれど──分からなくはない、心外なのだが。

 

「草餅め……」

 

その答えは、多分きっと、百と同じなのだろうとも思う。

 

覚悟、というには大袈裟だけれど、行き着くところまで行ってしまっても良いか、という気持ちは確かにあった。

 

それで、一緒に暮らして。

 

指輪まで揃いでつけて。

多分。ほとんどの人はそんな百と丹月を見て、お互いに準備はできていた、と思うだろう。

実際そうだった。

 

だからまあ、昨夜のことは、あくまで、単純に。

 

「タイミングだったの、だろう」

 

そう、結論とも言えぬ結論を、考えをまとめるためにあくまでも小声で、自分の内側から外界に排出して、その時に昼休みの終了を告げるチャイムがなってしまった。

 

なんか、あんまり休めた気がしない。

 

「草餅め………………!」

 

貴重な休憩時間を奪いやがって。

 

 

 

「おい見ろよ、斎賀さんのあの鋭い目付き」

「あ、あれは!?」

「知ってるんですか部長」

「年に数度訪れるという伝説の斎賀君だ。この日の彼女は、この世のあらゆるものを見通し、その鋭い眼差しは未来をも予測するという! 今日の斎賀君は次世代の流行すらも答えてくれるだろう!」

「な、なんだってー!!!!」



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暇潰しちくわトーク

「日本のカブトムシって意外と強いんだ……」

 

端的に言えば、その日の久佐持丹月は暇をもてあましまくっていた。

世間的には、まだまだ暇潰しといわれることもあるゲームに可能な限り時間を使うのがゲーマーと呼ばれる人種であって、丹月もその例に漏れない。その中でも、いわずと知れたシャンフロで廃人クランのサブリーダーを務めるような丹月だから、暇があるのならば可能な限りあっちの世界にいるのが常である。

ようするに、暇を持て余すということが、仕事中ならばともかく自宅では、まあまあにあり得ない事態なのだ。

 

(ハードがやられちゃうとなあ……)

 

まさかの強制ログアウトをくらい、目覚めてみれば焦げ臭かった。なんとか自前で修理を試みたが、ゲーマーとはいえ丹月は機械に強いわけではなく、一縷の望みをかけた同居人も「実家のテレビは叩けば直ったが」との回答。

丹月はあきらめて、メーカーに修理を出したのだ。

こうして、一日フリーな今日という日を、特にやることもなくソファでごろごろして、携帯端末で適当な動画を見て過ごすしかない状態に陥ったのだ。

 

「丹月」

「百さん、お昼?」

「そうだ」

 

同居人が生理現象に負けてこっちに帰ってきた。

 

「なにか作りますね」

「丹月お前、相当暇をもて余しているな」

 

やや呆れ顔。

 

「見ての通り」

 

メーカーから、丹月の自機が戻ってくるのは一週間後らしい。そして、今日が壊れて三日目だ。

初日はそれなりにネットサーフィンをして楽しく過ごし、二日目に大掃除を敢行。そしていよいよやることがなくなった今日である。

もはや、丹月に残されたのは、食事作りしかなかった。

 

 

大層なものを作るわけでもなく、大層なものを作りたいわけでもなく、だから出来上がったのは冷蔵庫に入っていたものが全てぶちこまれた焼きそばだ。

丹月はちくわの欠片を箸でつかむ。

 

「思うんですけど」

「ん?」

「ちくわの本体部分って、輪っかの空洞部分なんじゃないですかね」

「ああ、なるほど。ゲーム廃人の禁断症状はこういう形で表れてくるんだな」

「別に頭おかしくなったわけじゃないんですよ」

 

暇すぎて思考が変なところに飛び交ってるのは否めないが。

 

「だって思いません?」

「少なくとも現代社会が抱える問題に直面している事実には思うところはある」

 

丹月は無視をした。

 

「ちくわって、この形だからちくわってわかりますけど」

 

百が箸でちくわをつかんで、輪っかから丹月の顔を見てくる。

丹月はかまぼこの切れ端をつかんだ。

 

「この状態だったら、ちくわなのか、かまぼこなのか、区別できないと思うんですよ」

「そうか?」

 

ずずずっと麺をすすりながら、

 

「なら、お前は、おでんの具材のごぼう天とちくわを見間違えるか?」

「ありえませんよ」

「そうか、それはおかしいな」

 

丹月がトッピングにかつおぶしを振りかけていたら、物欲しそうな顔がそこにあった。袋を手渡す。

百はチャックをすーと開けながら、

 

「空洞部分が本体というのなら、ごぼうが抜け落ちたゴボ天も、ちくわということになるだろう」

「う……」

 

敗けた。完全に丹月は論破された。

だからなにということも全くないのだが。

 

 

だらだら喋りながら焼きそばを啜ったとしても、コース料理ではあるまいし、そうそう長時間かかることもない。

 

「それで、丹月」

「はい」

「お前、暇なら非VRゲームでもやればどうだ?」

「あ!」

 

なるほど、その手があった。

VRゲームが全盛とはいえ、それはここまで普及したのは最近の出来事であって、丹月が小学生の頃はむしろVRゲームは本流ではなかった。

折よく、丹月が実家からそれらの機器を引き上げてきたばかりでもある。

 

「確かに。 久々にやろうかな」

 

取りあえず引き上げてきたのはパーティーゲームばかりであるが、CPU対戦が出来ないわけではない。少々味気なさもあるが、そこは仕方ないだろう。

 

「コントローラーは何個あるんだ?」

「一応、三個くらいあった、はず」

「じゃあ、私が相手をしてやろう」

「え」

「その、先程から素材のドロップ率に大いな偏りが発生していて……」

「あー、乱数調整」



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百=ハンドレッド/客観的いちゃいちゃ

◆百=ハンドレッド

「草餅」

「どうしました、ハンドレッドさん」

 

机の下で、スリッパが丹月にぶつかってきた。サッカーの要領で、それを百に蹴り返す。

 

「ももだ」

「じゃあ、俺も草餅じゃないですね」

 

今度は直接足が飛んでくる。丹月はそれを、両の脚で挟み込む。睨まれたが、そしらぬ顔をした。

 

「お前はくさもちだろう。こっちでも」

「そっちだって、百(ひゃく)じゃないですかこっちでも」

「読みが違う」

「俺も字が違いますね」

 

ぬっと手が伸びてきたから、捕まえた。指が絡んでくるのでそれにならって、きゅっと締めた。

 

「いいか、草餅。覚えておけ」

 

ぎゅうと、手が強く握られる。

 

「ひゃくよりも、ハンドレッドの方が──良いじゃないか」

「はあ」

 

力をこめて何を言ってるんだこの人は。というか感性が案外、

「大変若々しいものをお持ちですね」

「喧嘩を売っているなら、喜んで買うぞ?」

「なんのことかさっぱり」

 

肩をすくめて首を横にふりふりしていたら、挟んでいた足が、がこんと揺れた。丹月の膝が机に当たる。ちょっといたい。

 

「第一、今までも私は普通に草餅と呼び掛けていたと思うが?」

「いやだって、ぼちぼち名字一緒になるじゃないですか」

 

互いに年貢を納めることに決めたのは、つい最近のことだ。

 

「……草餅め」

「どっちのこと?」

 

◆客観いちゃいちゃ

川の流れは絶えることなく、しかし元の水のままではないと言ったのは昔の人だけれど、本当にその通りなのだなあ、と斎賀玲はぼんやりと思う。

大事な話がある、と姉である百から呼び出されて、家に──といっても彼女一人が住む家ではなく婚約者と住んでいる──来てみたら、想像通りというか結婚の報告だった。

玲達とは違って、姉はお見合いだったから、ここに至るまでが長いかと言われるとそうでもないような気はする。けれど、姉のお相手というのがあのサブリーダーだということも加味したら、かなり長い期間かかっていたようにも思う。

まあいずれにせよ、おめでたいことにな変わり無いのだから、そこはシンプルに祝福をした。

(そして、お手洗いから帰ってきてみたら……)

 

 

姉達がいちゃいちゃしていた。

何やら言い争いを──ハンドレッドやら草餅やら聞こえてきた──しているのに、手と手はテーブルの上で絡まっていて。

極めつけはその目だった。

ああ、と斎賀玲は思う。

(百姉さんは、今、幸せなんだ)

幸福というものはいろんな側面があって、いろんな形をしている。

だからきっと、玲の姉は。

 

狼を追っているとき。

 

カップラーメンを食べ『名水で作ってみたのだが、どうだ?』…………ちょっとノイズが走ったのでここは据え置きにしておきたい、妹としては。

 

そこに新しい形を、ものを加えていこうとしているのだろう。

それは、とても喜ばしい。女の幸せがどう、とかは玲は思わないけど。

幸せの総数が多いことに越したことはないということも、今の玲は知っていた。

 

それはそれとして。

 

「コホン」

 

ガタガタと、面白いように焦った椅子が動く。

 

「その……一応…………私もいますので……」

 

「ということで」

「へえ。 お祝いとかも、しないとだめだね」

「そうですね」

「ところで何ですけど玲さん」

「はい?」

「この体勢、しんどくない?」

「それは、重い、ということですか」

「そんなことは全然無いし、俺から抱き上げといて今更だけど、膝の上ってしんどくないのかなあ、と」

 



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ぬいぐるみチョイス

何もかもが完璧に気が合う人間というのは、相当に得難いものであって、久佐持丹月と斎賀百の場合は、どちらかといえば合わない部類だ。

ただ、だからといって、全てが全く合わないということでもなく、その数少ない共通点は妙に噛み合ってしまい、故に今に至ってしまう。

じゃあ、それは何か、といえば、もちろん生活の中で細々した部分でも、合致する部分はあるのだが、とりわけもっとも大きいのはとあるVRMMOに関するものだろう。

つまるところ。

 

「シャンフロって、こういうイベントやるんだ……」

「だが、私もあまり詳しくないが、これだけのゲームなのだから、グッズがでることは不思議ではないだろう」

「それはそうなんだけど……」

 

百の言うことには一理あるが、丹月は何となくシャンフロの運営はこういうリアルの方でこういうショップを出したりしないと思っていた。

さすがというべきか、かなりの賑わいで、とあるデパートのワンフロアとまではいかないが、催事場スペースを貸しきっての開催となっている。

 

「普通、こういうのって、何個か別のイベントと同時開催するもんだと思うんだけど」

「そうなのか」

「いや、大体北海道展があったら同時開催で世界のパン展とかもやるもんじゃないですか」

「小さい頃はこういう所に来るとなると、大体裏から通して貰っていた」

「あっ外事!」

 

実在するのか。

 

「そして、最近になると、特段こういうフロアに用が無くてだな」

この百貨店の駅直結のフロアにある、百円均一ショップで用事が事足りているらしい。

「百貨店のこと、なんだと思ってます?」

「駅チカ総合商店」

「否定しきれない……」

 

閑話休題。

 

「それで、一人あたり五千円でしたっけ」

「ああ。 それで、シリアルナンバー付きのレシートが発券されるそうだ」

「資本主義ぃ……」

 

最も、ある意味で五千円が上限でそれ以上払ったとしても特典の中身は変わらない辺りは、良心的とも、言えるが。

 

「今まで、こういう特典的なものやったことありましたっけ」

「ゲーム内でなら、何度か。 しかし、こういうリアル絡みとなると、少なくとも私はイマイチ印象には残っていないな。 だが、噂というか玲によれば、JGEの際に似たことがあったようだが」

「うーん」

 

まあ、丹月が気にすることでも無いか。パッケージ版購入者特典なんかも、有りがたく利用した記憶もあるので。

 

とにもかくにも。

「貰えるものは貰う方が賢いですもんね」

「貰うというべきか、買うというべきか……」

 

 

「ユニークぬいぐるみかあ……」

 

お一人様一点限り、との表記もユニークということをアピールしているのだろうか。

すべての最強種の討伐が済み、ワールドストーリー進行のアナウンスが全プレイヤーに流れたのも、つい先頃のことだ。

ある意味で、シャングリラ・フロンティアの全プレイヤーがその存在を知るモンスターなので、グッズ化することは不思議ではないのだけれど。

 

「めっちゃ人気じゃん」

 

間違いなく、この周りだけ人口密度が高い。ついでに、熱気も高い。

そして、意外なことなのだが。

 

「………………」

 

熱気を高めるのに、百も一役を買っているのである。

 

「……………やはり、右側の方が顔がしゅっとしている」

 

両手に、別々のリュカオーンぬいぐるみ。真剣な面持ちで、顔を見比べている。そして、意を決したようで片方のリュカオーンを棚へと戻し──そして新たなぬいぐるみを取り出す。

今度は、毛並みを確かめて。ついでに、抱きごこちまで試し始める。

真剣さの中に、なんらかのほの暗い感情が籠る笑みを浮かべる百。

 

「こわ……」

 

丹月の声は、百には聞こえていないようで、またもや棚に一体戻して、新たにもう一体のぬいぐるみを取り出す。重さを測るのか、鉄アレイを持つようにして、二体のリュカオーンを新たに比べ始めた。

 

「これ、まだまだかかるな……」

 

 

「おい、丹月」

「百さん、ちょっと待ってください。 いま、こっちのマッドフロッグぬいと目が合ってしまったけど、俺が今抱いてるマッドフロッグ君は、俺のもとを離れたくないそうだから」

「何を言ってるんだ草餅め」

 



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気の迷いトリックトリート

一時の気の迷いというものは、イベントごとの度に喚起されやすいらしく、久佐持丹月が何気なく入った無茶安の殿堂で割引されていたコスプレグッズを購入し、自室の姿見の前でポージングしていたのも、そういう理由だった。

 

「何やってるんだろ……」

 

ワクワクしながら、ということは微塵もなく、なんなら帰宅の道中で既に気づいていたことではあった。ただ、なんかせっかく購入したのに何もしないのは、勿体無いなどとよくわからない熱意に浮かされて、牙やら角やらを装着したことを、今はただただ後悔している。

こういうのは、似合う、似合わないではないことは、うっすらと感ずいていたことではあるが、じゃあ浮かれてもいない全くの正気で、似合う、似合わないという二次元の尺度以外で、何かを判断する基準は無く。

要するに。

 

「似合わないな……。さっさと、無かったことにするかあ……」

 

こんな姿を同居人に見られたら、どんな反応されるか分かったものじゃない。コスプレグッズは使用時間わずか5分でゴミ箱行きの運命が確定するが、値段を思えば全くもって残念ではない。

が。

 

「入るぞ、丹月」

「げ」

 

お互いに、ノックする程度の分別はあるが、半ば習慣としてノックと同時に部屋に入るようになってしまっていた。それが、今から悲劇を──百からすれば喜劇かもしれない──を産み出した。

 

「…………」

「……………………あの、百さん。これはですね」

「ああ、ゾンビの仮装か」

「違いますからね!牙と角は生えてねえよ多分!どこみてそう思ったのさ」

「顔」

「俺の顔、そこまでは多分死んでないよ!」

「冗談だ」

 

本当に冗談か判別しがたいくらいに、表情を全く動かすことのない同居人。

 

「しかしまさか、当日ならともかく、数日遅れでいまだにハロウィン気分から抜け出せないのが、ここまで身近に居たとはな……」

「これには極めて深遠な経緯があるけど、客観的に見たら誰がどうみてもそうにしか思えないですね分かっています」

 

なんかもう、部屋に帰って、あっちの世界にダイブして穴掘りたい。自分の部屋はここだが。

膝から崩れ落ちかけている丹月を尻目に、百は床に投げ捨てられていた角を拾い上げて、何を思ったか彼女自身の頭に装着し始めた。

そして、くるりと丹月の方を向いた。微妙に口元もなぜか綻んでいる。

 

「trick treat」

「なんか発音おかしくない?」

 

言いつつ、丹月は買い置きのお安いチョコレートを一粒取って、百にごくごく緩い力で投げた。

 

「なぜ、お前の部屋に菓子が常備されているんだ」

「長時間ゲームしたあとって、無性に甘いもの食べたくなりません?」

「それはまあ、分かるが」

 

角だけ着けた婚約者は、かさりと音をさせながら包み紙を開けて、茶色の立方体を口に入れた。

 

「丹月」

「はい?」

 

 

後頭部に手が回されて。

 

一秒。

 

二秒。

 

三秒。

 

 

雑な甘さの中に潜むほら苦さが口の中に広がっている。

 

「ど……うしたんですかいきなり」

「さっき宣言したじゃないか」

 

 

「もう一回、してもいい?」

「草餅め…………。ルールは守れよ?」



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朝焼けコーヒー/散漫ポッキー

◆朝焼けコーヒー

 

ふくよかな香りが丹月の鼻腔をくすぐる。自宅でわざわざコーヒーを挽く、淹れるというほど、やる気はないがそれはそれとして美味しいコーヒーは飲みたいという気持ちもあって、だから今日も朝早くから近くのコンビニへと向かい、持ち帰ってきた。といっても、そこまで味の違いが分かるということもなく、ひょっとしたら自己満足以上のものではないのかもしれないと思わなくもない。

コトンと、丹月の向かいでも紙コップが音を立てて机の上に置かれる。一人分だけ買って帰るのもおかしな話、ということで同居人の分も買って帰ってきたのだ。

 

「さて、丹月」

「百さん、コーヒー美味しい?」

「さほど嗜まないから、良し悪しはいまいち分からないが、悪くはない」

 

そう言いつつ、百はにっこり笑ったままでずっと丹月を見つめてきていた。

 

「それでだ、草餅」

 

美人の笑顔は怖い。己にやましいことがあるのならなおさらであると、丹月は実感した。

 

「目立つところに、つけるのは止めろと、私は再三静止したと思うのだが」

 

百はとんとんと、彼女自身の首筋を叩く。そして、にいっと口角をつり上げた。

 

「どうしてくれるんだ」

 

めちゃくちゃ土下座した。

 

◆散漫ポッキー

同居人がリビングでチョコレート菓子を齧っていた。別段それがどうというわけでもないのだけれど。

 

「珍しいな」

「百さんも食います?」

 

チョコレートをコーティングしたクッキー菓子を差し出されたので、百は口で受けとる。さくさくと食べ進めて、残りわずかになったので一息に全て口のなかに吸い込んだ。

 

「……まあ、久々に食べると美味しいことは美味しいな」

「なんで微妙に納得してない感じなの」

「お前手ずから食わされたのが気に食わん」

「勝手に食い始めたのそっちじゃん」

「草餅め」

 

なんでだよ、と同居人は返してきつつ、もう一本咥えた。ん、と咥えながら百の方にも差し出してきたのでありがたく頂くことにする。

 

「なぜ、こんなものを?」

「なんでって、ポッキーの日だかで、スーパーで安くなってて、つい」

「ああ……」

 

そんな日もあったな、と百はぽりぽり齧りながら思い出した。学生時代に、どこぞの腐れ縁がポッキーゲームやらなんやらと言い出して、互いに引かずそしてそのまま──

 

「腐ったポッキーでも食べてる?」

 

そんなんわけあるか。単に。

 

「古い記憶を引っ張りだしてしまっただけだ。 あれだ、世の中には忘れておいた方がいい記憶もあるということだ」

「なんのことかはわからないですけど、言いたいことはわかります」

さくさくと二人がポッキーを齧る音が部屋に響く。

「にしても、百さん」

「なんだ」

「今日、スーパー行ってましたよね。入り口すぐのところに、めちゃくちゃ大々的に宣伝されてたと思うんですけど」

 

そうだったろうか。

丹月に言われて、百は改めて己の脳内を精査してみる。

が。

 

「…………カップラーメンが全品108円セールをしていたことしか、思い出せない、な」

「カップラーメンに対する集中力どうなってんの?」



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現実ファンタズム/粗品スリップ

◆現実ファンタズム

 

「俺みたいな、悪い男もいるんだよ?」

「…………」

 

斎賀百は思うより先に行動した。すなわち、一丁前に壁ドンなんてしようとしてる腕を全力で掴み、捻りあげる。

 

「鳥肌がたったが、どうしてくれるんだ」

「ギブ!ギブ!俺が悪かったですから!」

 

タッピングを三回されてしまっては、仕方がない。悪い男(笑)こと、久佐持丹月を解放してやる。

 

「で?」

「正気の沙汰じゃないなと思いました」

「わかりきっていたことだ」

 

わざわざこんなことを検証する必要もなかったろうに。百は呆れたため息を吐いた。

 

 

ことの発端は丹月が、友達のトモダチという完全なる他人のエピソードを訊いてきたことからだった。

曰く。

女性を口説くときに「俺みたいな、悪い男もいるんだよ?」を、決まり文句にしている、と。そして、それで成功している、と。

丹月はこう思ったらしい。

きっしょ、と。

百はこう思った。

は?

そしてこうも思った。恋、というものは、そこまで盲目になれるものなのか、と。そして、己の妹ならあの彼にこれを言われたならそれはそれで、受け入れそうだなと思い、遠い目になった。つくづく、百は恋というものに向かないらしい。

そして、検証してみようとなったのは、完全に戯れだった。というか、丹月がなんかノリノリになってやがった。

その結果は、まあ。先ほどの、百の行動が全てだろう。

 

「あれですね。自分に相当自信がないと、こんなこと言っちゃだめですね……」

「つまり、お前の友人の友人というのは」

「世界って、広い、よねえ……」

 

事実は小説より奇なり、とはよく言ったものだ。

それはそうと。

 

「丹月、少し立ってみろ」

「はあ」

 

戸惑いが丹月の目に広がっていくのを見つめつつ、百はむくむく沸き起こるイタズラ心に従う。軽く丹月の肩を押すと、徐々に彼は壁際に追いやられる。

百は彼が逃げられないように、壁に腕を支えにするようにもたれ掛かり。耳元で。

 

 

「私みたいな、悪い女もいるんだぞ」

 

 

 

「どうだ」

「参りましたあ!」

 

◆粗品スリップ

 

「丹月……助かった」

 

斎賀百はどこまでも真剣な表情をしていた。その眼差しに嘘はないことは十全と、久佐持丹月に伝わってくる。人の入りが激しく、ざわざわと騒がしいが、少なくとも今この一瞬──ほんの1/10フレームくらいの間は、彼女の瞳に丹月しか映っていないことが、確信できる程度には真っ直ぐ見つめてくる──つまり、わりかし普段通りだった。

 

「初めて、お前がいてくれて良かったと思う」

 

二人の前にはそれぞれラーメン鉢が置かれている。それは決して発泡スチロールの使い捨て容器ではない。

要するに、丹月と百はラーメン屋にいた。

 

「もうちょい……そういう気持ち普段も持ってくれても良かったんじゃないかな…………。 ラーメン屋に来る以外も、もうちょいなんかこう……あると思うんですよ俺の価値」

「冗談だ」

 

カウンター式で、味に集中できるように設計された衝立があるタイプのラーメン屋で、わざわざ衝立を動かして二人で並んで食べられるようにする程度の関係性の片割れの女は、割り箸を二つに分けながらたんたんと麺をすすっている。

 

「思うんだけど」

「ん?」

 

双方が、替え玉を注文したが故に生まれた僅かな間隙。

 

「百さんはなんのためにここに」

「勿論──替え玉こみで五杯ラーメンを食べることでカップラーメンを無料でもらえるからだが?」

「主客転倒もいいところじゃん……」

 

それはいわゆる、粗品とか試供品的なやつなのではないのだろうか。

店員さんが、ごとりと麺が乗ったさらを二つ持ってきてくれる。

 

「価値をどこに置くのか。それをまず理解することはコミュニケーションにおける第一歩だからな」

「なに言ってんだこの人。あと、ラーメンのタレ使い終わったら俺にもください」

「コショウをくれ」

 

 

 

「それでこの前のカップラーメンの味はどうでした?」

「挑戦することにこそ、意義がありつまりそういう意味では成功と言える、かもしれない」

「微妙だったんですね……」

「草餅め」



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ほっぺたホット/突発的コールド

◆ほっぺたホット

久佐持丹月は困惑していた。

 

「なにやってんの、百さん」

同居人が帰宅して早々に、丹月の顔を両手で包み込むようにして、静止しているからだ。

 

「お前は知らないことかもしれないが、冬は寒い」

「知らないわけないでしょ」

「今日外出したか?」

 

丹月は首を横に振りたかったのだが、頬を挟み込む手によって固定されているからそれも叶わなかった。

 

「してないです」

「なら、お前の頬は私の手よりも温かいはずだろう?」

「暖をとるなら、もうちょいいい方法あるでしょ……」

 

百の手の甲を、丹月の掌で覆いかくす。言われてみれば、そこそこ冷たい。

 

「百さんって、手のひらと手の甲で温度違うヒト……?」

「そんなこと、あるのか……?」

「さあ……?」

 

ただ、実際に丹月が、頬で感じているのはどちらかといえば温かさで。

 

「温もってきた?」

「正直なところ……微妙だ。この部屋の方が温かい、しっかりしろ丹月」

 

そりゃそうだ。

 

「さっさと、お風呂入って来てください」

「草餅め」

「あ、一緒に入ります?」

「ちっ」

「がちの舌打ち……」

 

◆突発コールド

 

斎賀百が玄関で引っ掛かっている。そもそもとしてゲームでなら割りと起きることではあるのだが、リアルでそんなことが起きるのかと言われると、久佐持丹月としては実際目の前で。

 

「…………」

「百さん?」

 

同居人が玄関から前に進めていないため、起きると断言せざるを得なかった。

ピュウと冬らしい風が、虎落笛を元気にならしている。

 

「丹月私のことはいいから、先にいけ。後から必ずに追い付く」

「百さん……!」

 

こくんと百は頷く。丹月は呆れていることを隠しもせずそれを薄目で睨めつけつつ。

 

「素直に、思ってたよりも寒かったって、言いましょうよ。そりゃ、真冬にジャージは、いくら近場のコンビニ行くだけとはいえ無謀ですって」

「去年までは、問題なかったんだ」

「じゃあ、今年から無理になったんですね」

 

玄関でつっかえてる、上着だけはがっつり防寒してる体操服ジャージ女は、こちらは完全防備の男の頬を無言でつねる。数分とはいえ、外気にさらされてる男は、既にいくらか冷たくなった手をまだ温かみが残ってる女の頬に、無言で触れさせた。びくりと百の体が揺れた。

 

「諦めて、せめてズボン二枚重ねにするとかさあ」

「丹月」

 

百は大きくため息を吐きながら、首を横にふり肩を竦めた。

 

「ファッション的にそれはいかがなものか」

「上下体操服ジャージでコンビニ行こうとしてるあんただけには言われたくねえ」

「草餅め」



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大富豪フリータイム/節分アサシネイト

◆大富豪フリータイム

 

「思うんですよ」

「何をだ?」

 

場に出たのは、スペードの8。特殊ルールの適用により、場の札は全て流されていく。手番は依然、百のままである。

ダイヤの3。まごうことなく、最弱のカード。

丹月は、ハートの7を手札から出した。

 

「大富豪って、二人でやる遊びじゃないでしょ」

「そんなことくらい、始める前から分かっていたことだろう。 クローバーの9を出したから、栗拾いだ」

 

百は、山札から迷うことなく、ジョーカーを選ぶ。

 

「ローカルルール特有の謎の強カード……!」

 

大富豪か大貧民か。資本主義社会の権化のようなゲームは、まだまだ終わりが見えないようだ。

 

 

VRゲーム全盛期と呼ばれて久しいが、久佐持丹月個人としては、VR機器は万能などではないと思う。

そもそもとして、いつでもどこでもという簡便性に関して、VRゲームは決して優れているとはいえない。機器を装着してしまえば、現実世界からは意識を失っているのと違いが分からない状態の人間が一人出来上がることになる。故に、ちょっとした隙間時間で、という風なプレイは到底できない。

まあ要するに、VRゲームをプレイするにはそこそこの空間と時間が必要で、さらにはこちらは電気を必要とするゲーム全般に言えることだが通信環境やら電力やら、なにかと環境的に設定しなければならなくなるのだ。

つまり。

丹月と百は今。アナログゲームの方が得意な環境下におり、そして選ばれたのはトランプだったのである。

 

「大体、大富豪をやろうと言い始めたのはお前の方だろう、丹月」

「だってさあ……」

 

神経衰弱──百の圧勝。

スピード──百の圧勝。

ババ抜き──百の圧倒的敗北。

 

「なんで、ジョーカーは絶対百さんの方にいくんだろうね」

「私が知りたい」

「どっちかつうと、キングなのにね」

 

数多の二人で出来るトランプのルールを試みて、勝負は成立するが楽しいか問われると微妙なことが続き、大富豪に至ったのである。

 

「あ」

丹月に運がめぐってくる。口角が自然とつり上がる。

「よっしゃ、革命!」

「草餅め…………革命返しだ」

「つっよ!?」

 

◆節分アサシネイト

 

「草餅……貴様いい度胸だな」

 

そこに、鬼がいた。

 

「冤罪です冤罪」

「ほう……。確信犯ではない、と」

 

鬼の面を手にする百は、豆をひとつつかむ。

 

「いや、だって。この状況なら、鬼側は百さんの方かなって」

 

ピシリと、壁に豆があたった。つうと、丹月の頬に一筋の汗が伝う。

 

「今のは、警告だ。この距離ならば、次は外さんぞ」

「いや、今どうやったの?!」

 

百は、中指と親指で輪を作り、人差し指と薬指で豆を挟む。

 

「暗器だな」

「あんき」

「斎賀流は、実践的だからな」

「どういう方向に実践しようとしてんの」

 

緩やかな弧を描く豆が百から飛んできて、丹月は口で受け止める。

 

「基本は護身なのだが、いざというときに必要になるかもしれないだろう」

「少なくとも、今はいざというときじゃないんじゃないと思うんですけど」

「斎賀流の基本は舐められる前にぶっ飛ばせ、なんだ」

「護身が基本じゃないんですか!?」

「当然、嘘だが」

「嘘かい」



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しぶしぶチョコレート/草餅デイズ

◆しぶしぶチョコレート

 

2月14日という日は、世に言うところのバレンタインにあたるが、久佐持丹月のここ数年は少々事情がことなっていた。

人が一つ歳をとる日、要するに誕生日でそれは丹月自身のものではなく、同居人よりかは些か他の関係性の名称が最近はぴったりはまるようになってしまった百のものに他ならなかった。

丹月は、仮にもぼちぼち同じ名を名乗ることになろうかという人物のお祝いを欠かすなんて不義理な人間ではなく、だからなんかしらの贈り物をすることは確定事項であった。

あったのだが。

 

「今年はどうなるんだろう……」

 

チョコレートという物品が欲しいかと問われると、男心としてはビミョウに欲しかったりするのだが、そこを汲み取られるのはそれはそれで恥ずかしかったり。

まあ、要するに。素直に、あなたからのチョコレートが欲しいです、とは言い出しずらいおとしごろ(アラサー)。

 

「残り物くらい、あるかなあ」

 

会社でばらまくらしいお高いチョコレートは、荷持ち要員としてフェアに駆り出されたのでかなりぎりぎりの個数しか確保されていないことは既に把握していた。

などなど、諸々理論武装していたがゆえに。

 

 

 

「ん」

「………………は?」

 

予想外の百からの攻撃──なんかチョコレートを咥えたままの体勢で、死んだ目で見つめられること──をまったく予測しておらず普通に度肝を抜かれまくった。

まあ、そういうことだよな、と取りあえずチョコレートを食べつつ唇が触れあう。

 

「ありがとうございます????」

「混乱してるなお前」

「しますよ、そりゃ。あと、混乱してるせいでチョコレートの味がよく分からなかった」

「貧乏舌め」

 

誰のせいだ、誰の。

あと、味に関しては。

 

「あと、何個か食べたら分かるようになると思う」

「しょうがないな。なら、場所を変える方がいいかもしれないな」

「そうですね、なぜか分からないけど、そんな気がします。それと、百さんが次も食べさせてくれるの?」

「草餅め」

 

◆草餅デイズ

 

定位置というほど厳密に定めている訳ではないけど、二人で暮らすうちに自然と決まってきた丹月のいつもの位置に、なんか草餅が置いてあった。

 

「なにこれえ?」

 

何かというと、緑色のお餅でそれはいかにも草餅としか呼べ無いのだが、それがここにあることが不可解である。

ただ、丹月のいつもの位置にこれがあると言うことは、十中八九は同居人たる百の仕業であることには間違いなく。

 

「食べろってことか……?」

 

ならまあ、貰えるもんはありがたく貰っておくことにする。幸いというべきか、折よく小腹も空いていることだし。

微妙に剥がしにくいフィルムをやっつけて、かじりつく。口に広がるあんこの味と、わずかに鼻腔をくすぐるような青っぽい匂い。要するに、何てことはない草餅であった。

 

「草餅が共食いしている」

「あんた、それ言うためだけに、ここにおいたんすか」

 

同居人は暇なのだろうか。俺が食べる様子多分ずっと見てたんだろうし。

 

「何を言っているんだ、そんな訳ないだろう草餅。私は、偶然草餅を購入してきて、それをテーブルに置いておいたところ、卑しい草餅が勝手に草餅を食べただけだ」

「…………」

 

丹月は、手の上の草餅をちぎって、百の口元まで持っていく。百はためらうことなく、それを口に入れた。

 

「うわー!百さんが、草餅食べてる!」

 

百はため息混じりに、やれやれと首を横に振って、軽蔑した目で丹月を睥睨し。

 

「小学生か貴様」

「先にやってきたのそっちじゃん!」

「覚えておけ草餅。こういう時は、先に精神的優位に立たれたと相手に思わせた方が勝つ」

「クズのテクニックかな?」

 



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三分チェンジ/刺激的デイリーライフ/本体デュエル

◆三分チェンジ

「3分──それだけあれば、世界変えれると思うんですよ」

「何言ってるんだお前」

 

同居人がぶっ壊れた。百とて、ただ無為に生きてきたということはなく、だからこういう時はどうすれば良いかは十二分に把握していた。

 

 

即ち。

 

 

「叩けば治る」

 

掌を天にかかげ、そこそこ手加減して同居人の脳天に落とす。

 

「それで治るの、電化製品だけだよ!」

 

治った。

 

「最初から、壊れてないからね」

「え」

「え?」

「廃人プレイヤーの廃という漢字の成り立ちは──」

「その場合、そっちにも当てはまるじゃないっすか」

「草餅め」

「何でも俺のせいにしとけば良いと思ってる?」

「気のせいだ」

「その言い訳は無理筋じゃないかなあ……」

 

◆刺激的デイリーライフ

 

「粉を買ってみたんですよ」

「その……白い、粉か」

「その名も、マジカルパウダー」

「マジカルパウダー」

「すごくよくて……その場で決めたんですよ」

「その場でキメた」

「百さんも使いますか?」

「…………警察を呼ぶ。失望したぞ丹月」

「なんで!?!?」

 

全国展開している中華料理チェーンで使用されている味塩こしょうを、百に勧めたらなぜか通報されそうになってしまった。

 

「紛らわしい言い方をするな」

「そんな勘違い生まれると思わないじゃないですか」

 

その白い粉を少しだけ振りかけて使っていた百は、物足りなかったのか追加で粉の量を増やしてカップラーメンに投入する。

 

「お前のようなタイプは、刺激を求めてそういうのに手を出すというのが、相場だろう」

「偏見ひどくない?」

 

あと、別にそういうやつの入り口は、刺激のためだけではないと思う。多分。丹月は全く詳しくないけど。

それと、そもそもの話だが。

 

「刺激なら、かなり足りてるから要らないかなあ……」

「私の目を見つめながらそんなことを言ったのは、どういう意味だ?」

「そういう意味じゃないっすかね」

「草餅め」

◆本体デュエル

 

「百さん、本体忘れてますよ」

赤い上着を指してそんなことを抜かしやがったのは同居人であった。

 

「…………」

 

失礼、という単語がある。要するに、礼を失するという意味で、人間関係においては、礼というものは失するとろくでもない結果を導きかねない。親しき仲にも礼儀ありという、言葉だってあるくらいである。

つまるところ、今の発言は、

「失礼が過ぎないか丹月」

「その辺の床にジャージを放り出してる人も大概じゃないかなあ」

「私の本体を衣服の方ととらえているのか?」

「トレードマークには違いないじゃん」

やはり、普通に失礼なのではないかこいつは。

「その理屈でいえば、お前はジャージの付属品と寝た──そういうことになるが?」

「それなら百さんは、和菓子と一緒の寝具を使ってることになりますねえ」

「しょうがないだろう。なにやらその和菓子とやらは、私のことを捕まえることに精を出しているようだからな」

「……どういう感情でそれ言ってます?」

「そもそも──私がこれを脱ぎ捨てる羽目になったのは、誰のせいだ?なあ、草餅」

「…………」

 

勝った。

 

 



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落ちものスプリング/三十路フォール

◆落ちものスプリング

玄関に百が落ちていた。もうちょい表現のしようはないのかと、丹月は一瞬宙を見てなんとか考えようとしたが、もろもろ含めて落ちているとしか言いようがやはりない。

 

「おーい、百さん……?」

「草餅め……」

「息はある、と」

「当たり前だろう……」

 

いつになく語気が弱々しい。そういえば、この春から配置が転換されるとか朝方に言ってたような。

 

「引き継ぎが、な…………」

「あー……」

 

要するに、新環境一日目ともなれば、さしもの百であっても疲労は感じるということだろう。

 

「動きます?」

「寝……る……………」

「ここで寝られたら普通にに邪魔」

 

しかしというか、やはりというか。

丹月の苦言(というにはやや弱い)を聞いたか聞かずして、かくんと百の首が揺れ動く。地面でも舟って漕げるんだ……と、なす術もなく眠りに落ちてしまった同居人を遠い目で見つめる。

そうこうしている内に、心地よさそうな寝息が聞こえてきてしまう。

 

「運べってことかあ……」

 

いやまあ、別に直接いわれたことではないのだけれども。流石に、ここに百を放置するわけにはいかなかった。本人はなんだかんだで玄関で目を覚めしても気にしなさそうではあるが。

衣類をどうするかは取りあえず、寝具に運び込んでから考えることにした丹月は、百の首裏とひざ裏へと手を回して、お姫様を抱っこする要領で持ち上げる。

 

ところで。

人間というものはかなり重く。持ち上げられる側の協力の有無がその難易度を大きく変える。故に、熟睡した人間を持ち上げると。

 

「重」

「すぅ……」(顔面に振り上げた腕をクリーンヒットさせる)

「いった!?」

「くさ……もち…………め」

「起きてる!?」

 

めちゃめちゃ寝てた。

 

◆三十路フォール

 

リビングに丹月が落ちていた。厳密には食卓というほど立派なものではないが、もろもろ便利に使う小さな四本足のテーブルに足を突っ込んで落ちていた。

普通に邪魔なので、百は足で転がそうとする。

 

「やめて!」

「草餅め」

 

成人男性の悲痛な悲鳴。良心に訴えてくるという実に卑怯な手に出た同居人に対して、自認では鬼ではない百は流石に足を止める。

 

「何をやってるんだお前は」

「話しても別に長くも無いんですけど」

「さっさといえ」

 

再度、足を構える。丹月は全力で止めてくれとばかりに手を振る。

 

「こうさ、ここで机に顔を乗っけながら端末を触ってたんですよ」

「ああ、まあ」

 

そこそこ見かける光景ではあった。百の実家ならば、確実に許されなかったろうが。姉の顔を百は思い浮かべつつそんなことを思う。

 

「で、ちょっと伸びをしようとしたんですよね」

百はよく伸びる緑色のお餅を想像する。

「俺が人間ってこと百さんも知ってるでしょ。で、伸びをしようとしたら、こう、ピキって」

「背中をつったと」

 

百はため息をつく。

 

「おっさんめ」

「百さんもこうなるのは言ってる間にですからね」

「草餅め!」

 



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