ダンジョンで拾ったアンドロイドがポンコツすぎる (たこふらい)
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1.初めまして<Hello! World!>

 眠りに落ちた意識の中で、記憶が海に浮かぶ泡のように再生される。

 

 埃一つなく朽ちた空間。かつての面影を残しながら時の流れに風化した聖堂のような広間で、『それ』は凪いだ湖面に浮かぶ月のように鎮座していた。

 鋼色の箱。或いは、(ひつぎ)とも呼ぶべきか。大きさは少し見上げるほどで、ちょうどひと一人を中にすっぽりと納められるほど。

 

 ただあるだけで古びた空気が冷たく澄んでいくような。そんな錯覚さえ覚える不思議な物体。その蓋は今、開け放たれていた。

 

 そこに在ったのは落日の空。黄昏色の人形(ヒトガタ)。右腕の欠けた一人の女。

 

 閉じられた双眸は死人のように固い。頭頂部から流れる群青色の長髪は半ばから赤々とした金に変わり、幻想的なグラデーションを描いている。華奢な手足は無骨な鋼の枷と鎖で(いまし)められ、女の一切の自由を認めていないかのよう。

 ともすれば罪人にも見える姿にしかし、痛々しさや悲壮さは感じられない。

 あまりにも純真で、穢れを知らない透明な彼女は、身を縛る枷のひとつやふたつで穢せない。

 

 ───シャラリ。

 呆然と女を見ていた俺の耳に、揺れた鎖がかすかに囁いた。

 

『ブート開始(スタート)。基幹システム再構築完了(コンプリート)稼働(アクティブ)状態に移行します』

 

 カシャカシャカシャ。

 軽く硬いものを擦るような音と共に、透明な言葉が紡がれる。硬く閉じられていたはずの彼女の目蓋がピクリと跳ねる。俺は身動ぎひとつも出来ずにその光景を目に焼き付けることしかできないでいる。

 

 ───目が、合った。

 山脈に沈む陽のように赤々しく、宝石のように無機質な瞳。しかし感情という色に染まらない無色の視線。それが一直線に、まっすぐ俺という存在を貫いた。

 

『マスター登録完了。初めまして、マイ・マスター』

 

 深い地の底、冥府のような迷宮回廊での邂逅。脳に焼き付いて消えない風景。

 この時の気持ちを、俺は一生忘れられなかった。

 

 灰色の中で過ごしてきた人生の中で、俺は初めて心の底からただ『綺麗』と思ったのだ。

 

 

 

1. 初めまして<Hello! World!>

 

 

 

「───ん」

 

 がさり、と。窓の外で揺れた木々の枝が擦れる音で覚醒した体がビクリと跳ねた。

 

 どうやら、とっくに朝という時間帯は終わっていたらしい。

 ほぼ真上まで昇った太陽、カーテンの隙間から差し込む光が眩しい。針で貫くような刺激が目の奥に走り、反射的に眉を顰める。

 逃れるように伸びをすると、背中でぎいぎいと椅子の背もたれが軋む音がした。どうやらまた座ったまま寝ていたらしい。

 

 ……はて、寝る前の俺はなにをしていたんだっけか。

 未だ覚醒半ばの思考を胡乱に回しながらぼうっと天井を見上げた。

 

 体の反応は鈍い。姿勢が悪かったのかところどころ筋に違和感さえある。

 記憶は抜け落ちたように朧気だ。大方、眠気に逆らえず気絶するように意識を落としたのだろう。おかげで直前まで何をやっていたのかさえ思い出せない。

 

 ふと視線を降ろす。

 枕代わりにしていた木の板。使い古した作業机の上に目を向ける。

 散乱した金属の破片。ゴミの山。それを見てようやく記憶がよみがえった。作業中の寝落ち。その一言でまとめられるほど陳腐な理由だった。

 

 ハ、と苦く笑う。

 立ち上がるついでにゴミ山の中心に置かれたものを、つまりは寝る直前まで作業していた自分の成果物───未完成で不細工な義肢のようなもの───を乱暴にゴミ箱へ投げ込む。ガコンと重い音がした。

 

 過去の自分の行動に対する呆れか、それとも他の何かか。起きたばかりだというのに気分はどこか刺々しい。

 

 ───全部、アレのせいだ。

 そう毒づいて舌打ちをする。

 最近の出来事も、俺がこんな気分になっているのも。全部アレがここに来てからだし。

 

 ぶつくさと口の中で文句を言い、カーテンの隙間から家の外を伺う。

 そこに見えるのは緑の樹。街から少し離れた森の入口。それが俺の家であり、工房の場所だった。

 

 家の周囲には誰もいない。

 こんな辺鄙な場所だからそんなことはわかっているが、それでもそう確信できるまで窓から外を念入りに探ったあと、ようやく部屋を振り返る。

 

 散らばっているのは腕。足。胴。頭。

 機械で出来た人形の、残骸のようながらくたたち。それらが散乱した部屋の風景の中で、唯一整然とした鈍色の箱。

 

 つまり、場所は違うが夢で見た光景とほぼ一致する。

 

 眠りの中で再生された記憶(かこ)と現在、どちらにも変わらず存在しているそれは、ほんの数日前にここに運び込まれたものだった。

 

 簡単に言ってしまえば……そう、拾い物だ。それもとびっきり厄介な。普段であれば関わろうとすら思わないし、触ることさえ躊躇うような代物。

 

 あの時の俺はどこかおかしかったのでは、と今になって思うくらいだ。

 

 

 話の発端は数日前。冒険者ギルドと騎士団、二つの組織が行った迷宮(ダンジョン)攻略。それに参加した時の話だ。

 

 迷宮(ダンジョン)。ある時を境に世界へボコボコと文字通り()()()()()謎の構造体。

 つまりはあれだ。中は文字通りの迷路で、魔物が巣くっていて、どこかに宝物がある。そんな冒険者御用達のような不思議なオブジェクト。

 

 世界各地で一斉に無差別に出現したダンジョンは、例に漏れず俺が住む街の近くにも出来ていて、それの攻略メンバーとして俺も呼び出されたというわけだ。

 

 通常、迷宮はかつてより冒険者ギルドの管轄だ。内部の調査や攻略隊の派遣、危険度の制定などなど。迷宮に関わることであれば一手に担っている。

 そこにあくまでも国の組織であり、治安維持が仕事である騎士団が関わることは早々無いのだが、今回は少しばかり事情が違った。

 

 冒険者ギルドだけでは手に負えず、かつ街の安全が脅かされるという事態。つまるところ、大量の魔物の群れが迷宮(ダンジョン)から湧いて出たというわけだ。

 

 魔物。人間に敵対する人外の総称。

 迷宮を根城としている魔物は本来ならば外へ出てくることはない。奴らの縄張りはあくまでも迷宮の中。中で追われたとしても外にさえ出てしまえば諦める。

 

 迷宮付近は危険地帯だが、街にまで戻ってくれば安全。それが常識だった。

 

 しかしそれは最近になってから事情が変わった。迷宮から魔物が出てくるようになったのだ。

 それ一体一体は決して強くはなく、魔術を使えない一般人が出会ってしまっても逃げに徹すれば十分に生き残れるほどの強さしかないが、何せ迷宮から出現する数が異常だった。

 少ない時でも一度に十、多い時は死体をまとめて山にできるほどの群れ。迷宮担当の冒険者たちだけでは到底対応しきれない数の暴力だ。それが昼夜問わずに街へ襲い掛かってくるとなれば騎士団も黙ってはいない。

 

 連日の対応で疲弊した街の防衛線。これ以上となればどこまで被害が拡大するかもわからず、ということで騎士団は一つの選択をした。

 

 この国の法、正義の象徴たる彼らが下した判断は迅速な迷宮攻略。すなわち電撃作戦。

 物量に限りが見られない相手に対し、騎士団が出せる最強の駒をぶつけることで早期の解決を求めたのだ。

 

 攻略組として集められたパーティは少人数。迅速に攻略を進めるメンバーに、それのサポートを行うメンバーの二種類。騎士団と冒険者ギルドの合同。

 招集を受けた俺は後者として攻略に参加していた。

 

 結果だけ言ってしまえば攻略は成功。サポートとして後方に下がっていたこともあり実際に現場を見たわけではないが、騎士団の最強は見事に攻略を完了したらしい。

 

 しかしその戦闘の影響か、普通ならば簡単に……というか尋常の手段は壊せないはずの迷宮が崩壊。俺はその崩壊に巻き込まれて、同じく後方に居たパーティとはぐれてしまったのだ。

 

 

 そして、『アレ』を見つけた。

 

 本来ならば絶対に立ち入ることなどできないであろう場所。迷宮のさらに下層。

 そこで、静かに瞳を閉じていた隻腕の人形を見つけたのだ。

 

 これが俺とコイツの出会い。今思い返してみれば、なんで俺はコイツを持って帰ろうと思ったのか理解に苦しむ。こんなもの、他人に見られたら一発アウトだというのに。

 

 躊躇いながらも柩を開く。

 その中に在るのは、一体の魔導人形(アンドロイド)

 流れるような黄昏色の長髪。冴えるような緋の瞳。白磁の肌。見た目だけは少女の、冷たい鉄の体。

 

「おはようございます。マスター」

 

 人ならざる美しさを持った目下頭痛のタネが、抑揚のない透き通るような声でそう言った。

 

「天候は晴れ、気温22度、湿度15%、大気魔力濃度は正常値を維持、不快指数は平均値。以上の要素から適切な単語をデータベースから検索しました。"今日もいい天気ですね"」

「…………」

 

 箱に収まったまま、女は人間性を欠いたような機微を感じさせない声色で囁く。

 否、人間性を欠いたような、ではない。事実彼女は人間ではないのだ。

 

 迷宮から持ち帰って数日。夜なべをして調べてみたが、わかったことはそう多くない。

 

 1つ、彼女の全身は金属で作られていること。

 2つ、『主人(マスター)』と認識した存在からの命令に従うということ。理由はわからないが、彼女は自身に命令をする主人とも言えるものを求めているということ。

 

 そして……そのマスターとやらが今は俺らしい、ということ。

 

「何なりと命令を、マスター。私の存在意義はマスターの命令遂行にのみ在ります」

「……命令、ね」

 

 立ったまま思索に耽っていた思考に、そんな無機質な声が響いて思わず繰り返す。

 命令。何かをしろと命ずること。つもりはそういう道具(もの)として自分を使えと、女はそう言っている。

 

 油断なく観察しながらチラリと彼女の四肢に目を向ける。

 じゃらりと垂れ下がるのは鉄の鎖と、枷。その端は柩の内側にがっちりと接合されている。人間の女ではいざ知らず、怪力で知られるオークでさえ、これから逃れることは不可能だろうと思わせるほど頑丈な拘束だ。

 

 自分でこの女を縛り付けたわけではないが、それはそのまま俺の意思を表しているに等しかった。

 

「命令なんかねぇ。そのままじっとしてろ」

 

 突き放すように吐き捨てた。

 俺はコイツに何か命令をするつもりも、ましてや使うなんて考えはさらさらなかった。

 第一に危険すぎる。どうやって動いているのかもわからないものを扱うほど、俺は不用心ではない。歴戦の魔術師が操る土人形(ゴーレム)でさえ制御不能の暴走を起こすことがあるくらいだ。命令をした途端、気が変わってこっちの首をねじ切りにきた、なんてことがないとは言い切れない。

 オマケにどうにも、コイツには()()というものがあるらしい。自立思考型の魔導人形(アンドロイド)なんて見たことも聞いたこともないが、いずれにせよ警戒するに越したことはない。

 

 故に、こちらから何か命令するなんてことはない。ましてや自由にするなんて、ありえない。

 俺の安全のためにはこのまま拘束。未知の塊であるコイツの解析が終わり次第さっさと廃棄。それが一番安定した選択だ。

 

 ……その、つもりなのだが。

 

 ピタリ、と。女の視線が俺の顔から離れない。

 瞬きもせずこちらを見つめる姿は、それこそ人形じみていて気味が悪い。人の形をしていながらヒトではなく、『居る』というより『在る』といったほうが適切ではないかと思うほどの無機質さは俺の理解の範疇にない。

 

 姿を見ているだけで形容しがたいナニカが胸を突く。いやに心臓の動悸が激しい。

 だから目を逸らしたい。コイツの視界に居たくない。でも目を離すこともしたくない。警戒しているのは間違いないけど、それ以上の何かがあって目を離せなくて───あぁもう訳が分からない。

 

 苛々とかき乱される頭の中。結局、そんな俺と女の無為なにらみ合いは俺の腹が音を上げるまで続けられた。

 

 

 ぐぅ、と気の抜けるような音がした。

 そう言えば、前回食べたのはいつだったか。ようやく意識を女から外してぼんやりと考えたとき、じゃらりと目の前で鎖が鳴る。魔導人形が動き始めた。

 

「マスターの健康状態をスキャン───報告、過度な空腹を検知。前回の摂食行動からおよそ30時間ほど経過しています。即座に栄養補給を推奨。待機時間3秒後に食事が行われなかった場合、当機による補助行動が開始されます」

「………………は? いや、飯くらい一人で、」

「指定時間を経過。これより補助行動を開始します」

 

 会話が通じているのかいないのか。抑揚のない声ですらすらと話していた女が、おもむろに身じろぎしたかと思うと、

 

「基幹システムから命令無受信行動(ノーオーダー)による警告。マスターの健康のため、無視。えい」

 

 ぶちん。ごとり。

 何かを言う暇もなく、そんな音が聞こえた。

 床に転がったのはねじれて広がり千切れた鉄の輪だったもの。つまり、鎖の成れ果て。

 

「えっ」

 

 ぶちん、ごとり。ぶちん、ごとり。

 理解する間もなく再び鳴り響く哀れな金属の悲鳴。

 

「これで万全な補助行動が可能になりました。何なりと命令を、マスター」

 

 じゃらりと意味を失った鎖が垂れ下がる。

 完全に拘束を破壊した鋼鉄の女が、変わらない無表情のまま部屋へと降り立った。

 

「……っ」

 

 もしや、こちらを襲う気か。

 そう気圧されて一歩下がると、女は頭上のアホ毛をぴょこりと跳ねさせて、

 

「キッチンはあちらですね。早急に食物を確保します」

 

 ペタペタと裸足のまま部屋の奥へと歩いて行った。

 

「───いや待てよ! 命令とかしてないだろ!?」

「自己判断です。現状維持では時間経過によりマスターの健康が害される可能性が高いと判断しました」

「……あぁクソッ!」

 

 お前あれを壊せるのかよ、とか、そもそもさっきじっとしてろって言ったよな、とか。いろいろ言いたいことを飲み込んで、頭を搔きむしりたい衝動に駆られながら追いかける。

 

 女はと言えば、勝手に食糧庫を漁っているところだった。

 

「塩漬けの肉、卵、劣化したパンを発見しました。衛生管理に警告を申し上げます」

「うるせぇ。最近街に出てねぇんだよ」

 

 それも勝手に文句を付けてくる始末。ますます意味が分からない。

 だが暴れられるよりはマシだ。腹が空いてることも事実だし、様子を見るために付き合ってみるのも悪くない。

 

「……このままではマスターの内臓器官がダメージを負う可能性76%。すぐさま殺菌を」

「いや、火通せば食えるだろ。……あー、じゃあそれでなんか作ってくれ。フライパンはそこにあるから」

命令(オーダー)受領。『なんか』を作成します」

 

 これ以上勝手に動き回られても困る。そう思って試しに言ってみたがどうやらうまくいったようだ。……なんだかニュアンスがおかしかったような気もするが、大丈夫だろうか。

 拘束は無駄だったし願わくばこのまま大人しくしてほしいものだが……。

 

 そんな期待は無情にも、ミシリとフライパンの柄が破壊される音と共に打ち砕かれた。

 

「…………なんだお前。お前アレか? もしかしてバカなのか!?」

 

 頭痛がしてきた。片手で頭を抑えずにはいられない。

 命令を聞く演技でもしているなら化けの皮を剥いでやろうとも思ったがそれどころではなかった。メッキだった。

 彼女はといえば、持ち手を粉砕されたフライパンの前で唯一残っている左手をワキワキと動かしている。かと思えばパンを手に取りフライパンに放り込み、卵を掴んで───、

 …………卵だったものをボタボタと垂らしながら殻ごと放り込んだ。なんだコイツ。

 

「否定。私のデータベースには理論上無限のレシピが存在しています。また当機のスペックを100%で発揮すれば失敗は」

「それ以前の問題なんだよお前は! つーか何考えてどうやったらこの短時間でここまでぶっ壊すことができるんだ!?」

「……む。これは出力調節不足によるものと考えられます。今得られたデータから再調整すればさらに確度の高い結果が得られるかと。───炉心点火、出力6%まで上昇。魔術観測式『十の指輪』を起動。この状況に適切な術式を検索します。検索中(ローディング)検索中(ローディング)……確定(ヒット)。焼却魔術『枝の破滅、太陽の如き炎の剣』の限定発動まで8びょ、」

「ちょっ……と待て。何だそれ」

 

 物騒な単語に思わず呼び止める。

 女はきょとん、としたように首を傾けて、

 

「かつて世界樹の森を焼いた巨人の炎、その熾火を操る魔術です。これで火を通(もや)します」

「神代級の魔術じゃねぇかそれ───いや待て待て待てやめろ! 家の中でそんなもん使うんじゃねぇ! 丸ごとぶっ飛ばす気かよ!? 一か百しかねぇのかよお前は!」

 

 キシキシキシ、と何かが稼働する音を立てて魔力を滾らせ始めた彼女を慌ててキッチンから押し出す。さすがにこれ以上壊されたというか……普通にここら一体が消し飛びそうだ。冗談じゃない。

 

 無表情でありながら、どこか拗ねているような目をして見つめてくる女を前に思わず天井を見上げるしかない。

 

 ……あぁ本当に。どうしてこんなのを拾ってきてしまったのか。

 言葉にならない思いがうめき声になって空気に漏れる。

 

 敢えて言葉にできたならばこう言っただろう。

 

 俺がダンジョンで拾ってきたアンドロイドがポンコツ過ぎる、と。

 

 



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2.陽光<Sunshine>

 コンコン、と。不意にそんな音が鳴り響いた。

 玄関からノックの音。

 つまり。家の前に、誰かいる。

 

「やっ───まずっ」

 

 まずい、不味すぎる。なんでこんなタイミングで来るんだ……!

 

「報告。扉の前に生体反応を確認。マスターへの来客のようですが───、」

「んなこたぁわかってるんだよ! ええい、お前早くこっち来い!」

 

 今この瞬間ほど玄関に鍵を付けてなかったことを恨んだことはない。この家は街から外れた森の入口に建ててあるため、必然的に訪ねてきているのは知り合いに絞られる。さらに絞って、知り合いの中からわざわざこの家に訪ねてくるような人物とくれば、心当たりは一人程度だ。

 そいつは基本的に心遣いなんて言葉とは無縁の精神をしているため、下手をすればこのままいきなりドン! っと入ってくることも考えられる。いや、ノックをしてくれたことさえ幸運と受け止めたほうがいいかもしれない。なんにせよ、モタモタしている隙はない。

 

 ぼうっと玄関を見やっている少女の手を掴み、大股で部屋を横断する。

 今のコイツの姿を他人に見せるのは非常にまずい。

 

 細かい理由はいくつもあるが、第一に見た目がまずアウトだ。髪や目の色については多少珍しいものだと言い訳して目を瞑ることもできるだろうが、服装は言い訳の仕様がない。

 少女の服装……いや、これは服装と言えるのだろうか。それは端的に言えば下着のみ、控えめに言って布一枚に等しいだろう。

 上半身は薄い素材のインナーのようなもの。胸部や下腹部辺りにはインナーに被せるように薄い金属質のプレートが覆っている。それによってなんとか大惨事は免れているが、アウトよりのギリギリセーフ、いやアウトか? 少なくとも、人の目につくような場所は歩かせられないような恰好だ。

 

 さらに目立つのは少女の右腕。二の腕から先がストンと抜け落ちたかのように欠損しているその断面は、明らかにこの女が人ではないという証拠を示していた。

 断面には肉だとか、骨だとか、生物的なものはまるでなく。あるのは何かを繋げられるような、もしくはねじ込めるような金属の部品が作る凹凸が覗いているだけ。時々ぼんやりと発光しているという点も追加だ。

 欠損、損壊というよりも、どこか未完成を思わせる中途半端さ。人の目を引くには充分すぎる。

 

 ただまぁ、それさえ除けば普通の人間に見えなくもない。

 見た目は年齢にして十五歳か十六歳ほど。不思議な色合いの長髪に可憐な顔立ちは、風に吹かれて消えてしまいそうな儚さを持ちながら、同時に確かに存在している力感をも持っていて、芸術品のような魅力があった。。例えるなら磨き抜かれた大理石。冷たいがどこか柔らかい、そんな不思議な印象が目を惹いてやまない。初めて会ったときも、今でさえも。気を抜けばつい視線を向けてしまいそうになるのだから───、と。

 

 ブンブンと頭を振って、浮かんだ思考を吹き飛ばす。

 そんなこと、俺は思っていない。コイツはきっと毒だ。隙を晒せばぐっさりとやられるに違いない。それよりさっさとコイツをどうにか隠さなければ。

 

 開けっ放しだった箱に少女を押し込んで、念を押すように言い放つ。

 

「いいか、絶対出てくるなよ。ここで大人しくしてるんだ。絶対お前が居るってバレないようにしろよ」

命令(オーダー)受領。格納ユニットでの待機を実行します」

「……本当だな? 本当にわかってるんだろうな!?」

 

 わかっているのか、いないのか。変わらぬ無表情で淡々と返す少女に不安を抱きながらも速やかに、かつ静かに蓋を締める。単純な蓋というより、蝶番(ちょうつがい)のような構造になっていたのが幸いだった。

 

『起きてるかい? おーい。入っていいー? ねぇ入るよー?』

 

 ゴンゴン、と。陽気な声と共に、先ほどよりも主張するように扉を叩く音が響いた。

 

「うるせぇ聞こえてる! 今行くったら! クソッ───」

 

 なんで俺がこんなに焦ることにならなきゃいけないのか。

 いやあのポンコツを持ち帰ると決めたのは自分だし、半分以上は自業自得なのだが。それでも誰かに文句を言わずにはいられない。

 

 ぴったりと蓋がしまったことを確認して足早に玄関へと向かう。

 

 ガタガタと春の訪れが窓を揺らす。

 今日も日常、平常運転。そう言い切るには少し、風の強い朝だった。

 

 

 

2.陽光<Sunshine>

 

 

 

 がちゃりと開けたドアの前。視線を下げればそこにあった馴染みの顔に、わかっていたが呆れて開口一番ため息をつく。

 ……自分でも来客に対してこの態度はどうかと思うが、この心境でわざわざ取り繕う気にもなれないし、そもそもそんなことが必要なほど他人行儀な相手でもない。

 

 そこにあるのは太陽に温められたような金髪。雲一つない青空を思わせる碧眼。そして赤い外套を羽織った女。

 背は低いが存在感はデカい。ついでに言えば胸もデカい。絶対に本人に向かって言ったりはしないが。

 あの少女を花に例えるならこちらは動物的。野を力強く駆ける獣のような美しさとも言えるだろう。

 

 騎士の鑑のような正装で、事実騎士の一人である幼馴染───ベスティア=ディディエライトがそこに立っていた。

 

「やぁやぁ親友! 元気かな? なにか物音がしてたみたいだけど……さては寝起きだろう? もう昼過ぎだってのにさ」

「余計なお世話だよベス。いつも通りピンピンしてるさ。お前が来なけりゃ、もっとすっきり起きれたんだがな」

 

 ニコニコ笑顔のバカ一人をしかめっ面で出迎える。

 言外に『今こっちは忙しいんだ』と示しつつ当てつけに嫌味を言っても、

 

「あぁそれはよかった。つまり目覚まし代わりになれたってことだろう? キミが朝弱いのは知ってるけど、放っておけばいつまでも寝てるからね。惰眠を防いだんだ、褒めてくれてもいいんだよ?」

 

 などと。臆面もなく笑顔で言うものだから早々に諦めた。こいつはこういうやつなんだ。

 

 さっさと入るように促して背を向ける。

 

 ……一応じっとしてろと言ったとはいえ、アイツが居る中に幼馴染とはいえ他人を招き入れるのはちょっと、いやかなり『バレないようにする』という点で危ういような気もするが、ここで変に締め出しても追及されそうだ。ベスティアはバカみたいに笑ってるだけかと思いきや、妙に勘の鋭いところもあるし。

 

 ここはさっさと話を終わらせて、怪しまれる前に帰らせるに限る。

 

 アイツのほうは……大丈夫だ。蓋はきっちり、閉まっている。

 内側から開けられないようにしたかったところだが、生憎とそんな余裕も時間も用意もなかった。

 故に、どうかこのまま大人しくしてくれよと祈るばかりである。

 

 気を取り直してベスティアの方に向くと、ふぅーん、へぇ~、などと抜けた声を上げながら、ジロジロと作業机の上なんかを見てたりしている。

 

 ……しまった。肝心の物はゴミ箱に捨てていたが、まだいろいろ片付けていないものがいくつもあったんだった。

 

「珍しいね、解体専門の君が何かものを作ろうとしてたなんて。明日は槍でも降るかな。これは…………設計図?」

「勝手に見てんじゃねぇ。どうでもいいだろそんなこと」

 

 レオンの横から図面の描かれた羊皮紙をかっさらうと、不服そうな声が上がった。

 うるさいうるさい。こっちにだって都合があるんだ。最近は特に。

 

 くるりと巻き上げて中が見えないように紐で縛り上げる。

 フン、と息をつくと、ベスティアと目が合った。

 

 澄んだ青空を思わせるその碧眼は今、キラキラと好奇の色で輝いており───つまるところ、大人しく諦めるといった殊勝な気配は微塵もないということである。

 

「……ねぇねぇ、何を作ってたんだい? なんか、人の腕? のようだったけど。もしかして義手?」

「教えない。つーか関係ないだろ、おまえに」

「えぇーっ!? 冷たいこと言わないでくれよ親友! ねっ、教えてったら、ボクにだけ! 誰にも言わないからさぁ!」

「ええいしつこい───クソッ、まとわりつくなッこの馬鹿力!?」

 

 がらがらどん、と。足元でガラクタが崩れ落ちる。

 なおも諦めずに食い下がってくるベスティアの魔の手から逃れるべく、羊皮紙を掴んだ右手を頭上に掲げる。

 力に関しては敵わないが身長はこちらの方が上だ。背伸びをした状態でさらに手を伸ばしても俺の頭まで届かないベスティアの身長では、素で伸ばした俺の手までは届きっこない。というかいくら幼馴染とはいえ、そんなに寄られるとかなり困る。女の子らしいいろいろ柔らかい体が当たっていろいろ意識してしまいそうになるこっちの心臓にも配慮をしてくれ。具体的に言えば早めに諦めてくれ。

 

「んあっ!? ずるい! いつも猫背なのにこういう時だけ伸ばすんだ! ずーるーいー!」

「人の物勝手に盗み見ようとするようなやつの声なんて聞こえねーです。ほら、さっさと諦めろ」

 

 ようやく諦めてくれたのか、ぶーぶー言いながら離れたベスティアにため息一つ。いつまでも持っているわけにもいかないので、背伸びしても届かないような棚の上にでも羊皮紙を放り投げる。

 

 先ほどの取っ組み合いの最中にぶつかったのか、床に散らばったガラクタで狭い足場がさらに狭くなってしまったが、元から似たような散らかり具合だ。気にしてもしょうがない。

 

 ほっと溜息、難は去った。あとはこの怪力騎士ゴリラから要件を聞き出すだけだ。

 

 ───とまぁ、そうはうまくいかないのが現実で。

 

 ガチャン、と。部屋の隅から音がした。

 

「?」

 

 さっきの余波で他の山も崩れたかなー、なんて軽い気持ちで顔を向けたら、そこには予想通り、女を納めている箱の近くに積んでいた山が崩れた様子。そんでもって、なんで崩れたかと思えば、蓋の隙間から伸びた手が───、

 

「こっ──────、」

 

 このバカ、と反射的に飛び出しそうになった言葉を飲み込む。

 あんのやろう───出てくるなって言っただろうがっ!?

 

「リュカ? どしたのー?」

「───なんでもない。別になんでもないぞ。それよりお前はなんで来たんだよ、そっちだって別に暇じゃねぇだろ。例の大規模侵攻の処理だって残ってるんじゃなかったのか隊長さんよ」

 

 努めて冷静を装って、自然な風で箱の方へ近づいていく。

 

「んー、そうなんだけどね。ちょっと気になることもあったしみんなに任せてきちゃった」

「……そりゃ気の毒に」

 

 ベスティアは手持ち無沙汰に肩口で切り揃えられた自分の髪を弄っている。

 

 気の毒、というのはもちろん、ベスティアに任せられ───もとい、丸投げされた部下たちに対して、だ。コイツの下に居たら苦労が絶えなさそうで不安になる。まぁ俺には関係のない話だが。

 

「結局大規模侵攻の原因だって魔物の群れが『層主』っぽいボスに追い立てられて下層から逃げてきたってオチだしさ。ほら、大きめの石ひっくり返したら虫とかなんとかがうじゃうじゃ湧いてくるやつ、あれみたいなもの……らしいんだけどなーんか変でさぁ。今までこんなことなかったよね? ってそうだ! 『層主』と言えばね、ソイツがすっごいめんどくさくてさー。潰しても潰しても死なないし変な触手でベタベタになるし、もうムカつき過ぎて思いっきりぶっ飛ばしちゃったんだよね! でもたぶん逃がしちゃったんだよなぁ、あぁもうめんどくさいなー」

「はぁ、そうだなー」

「でしょ? そんでもってさぁ───」

 

 ベスティアの愚痴を話半分で聞き流しつつ箱に近づいてみれば、少女がなぜ片腕だけを出してごそごそやり始めたのか、なんてこともわかってきた。

 

 出てこようとしているのかと聞かれたらそれは否。片手でペタペタと瓦礫をまさぐっていたかと思えば、よく見ると掴んでいるのは特定のもの。先ほどコイツが自身で弾き飛ばした鎖の残骸だった。

 

 ……なんでこんなことをし始めたのか。考えてみればある程度予想を立てられなくもない。

 恐らくは先ほどの俺の『絶対お前が居るってことがバレないようにしろよ』という言葉に従ったのだろう。

 自分の存在が露見しないように、証拠を隠滅する。つまり、元々この部屋には無かったはずのものである鎖を隠す。そういう行動に繋がったのだとすれば、まぁ、わからなくもない。

 

 確かに、コイツに関係するものは、今部屋に散らばっているガラクタ類とは毛色が違うし、たとえ混じっていたとしてもすぐにわかる程度には浮いている。それくらい、纏っている空気というものが違っていたのだ。故に見つかる前に隠さなければ、という考えも、まぁ理解できなくもない。

 

 ちゃんと俺の言葉に従ってくれているのはわかる。俺からの指示に対して少しでも結果を近づけようと努力すしようとしているのはわかる。……でもそれって今のタイミングじゃねぇよな!? つーかお前に通じる手がかりを隠すにしても、お前自体が見つかったらなんの意味もないだろうが!?

 

 無言で近づき、ぺたぺたと動き回っている腕が陰になるようにしゃがみ込む。

 ちょいちょい、とその腕を突く。

 お前わかってるよな? 俺が何を言いたいのかわかってるんだろうな? と。そんな意を込めて。

 すると一瞬、腕の動きが止まって───力強いサムズアップが返ってきた。

 

「──────」

 

 迷わずサムズアップを蓋の隙間にねじこんだ後にぴったりと蓋を締めきる。

 口の端が自分の意思とは無関係にヒクヒクと痙攣する。やっぱりバカだろうこいつ……!

 

「───ということで明日都合がいい時に時計台のヴェルベット爺さんとこまで行ってほしいんだけど……ってリュカ? 聞いてる? っていうかさっきから何やってるのさ」

「なんでもない、気にすんな。んで…………っと、なんだっけ」

「ひっどーい! やっぱり聞いてないじゃないか! 全くもう……」

 

 内側から開けられないよう箱に背を預けてベスティアの方を見れば、いかにも『ボク、怒ってます』なんて言いたげな表情で、広げた羊皮紙をずいっと俺の眼前に押し付けてきた。

 

 ……目が滑る。というか近すぎてよく見えない。

 

「なにこれ」

「依頼書。キミにお仕事さ」

「ヤだよめんどくさい。他ァあたれ」

「むむっ。親友とは言えその返しは聞き捨てならないぞ。それともキミ、あの時の言葉を忘れたのかい? その迷宮遺物(アーティファクト)を持ち出すときに『俺一人じゃできないから手伝ってくれー』なんて言ってボクに手伝わせたじゃないか。それも『なんでもするから』って枕詞付きで。言っておくけど、騎士団とギルドの両方誤魔化すのも大変だったんだからね」

「そっ──────んなこと言ったかぁ?」

「言っただろう!? そうやってとぼけても誤魔化されてなんかやらないからね!」

「ってもなぁ……っていうか近い。近くて読めん」

 

 詳しい内容は読み取れないが、騎士団でもそこそこの地位にいるコイツがわざわざ直接出張ってくる時点で面倒事の予感しかしない。きっとまた迷宮行って来いだとか、迷宮主クラスの魔物を倒してこいだとか七面倒な依頼でもするつもりなのだ。俺、そういうの断固拒否。楽して適当に、できるだけ人と関わらずに生きていくってのが俺のモットーなのだ。

 

「……そう。そんなこと言うんだ。なら───」

 

 ふうん、と。ベスティアが呟く。碧色の瞳がじぃっとこちらを見てくる様は野生動物に獲物として狙われているかのようで、少し怖い。……まぁ、怖く感じる理由はこちらに心当たりがあるからなのだが。それでもここは負けるわけにはいかない。俺は梃子でも動きませんよっと。

 

 気まずさに目を逸らす。……と、そんな意地の張り合いに新たな一手。金髪騎士は外套の内側からなにかが詰まった袋を取り出して机に置いた。じゃらり、と重たい金属の音。ってまさか───、

 

「これは依頼の前金なんだけど。じゃあこれも渡せないね? あーあ、残念だなぁ。これだけあればきっと一月は遊んで暮らせると思うんだけど」

「よし、詳しい話を聞かせてくれ。お茶でも飲むか? あ、すまん。今この家に食べ物類は切らしてたんだった」

「ボクだってわかっててやったけど、キミほんとそういうところどうかと思うんだよね」

 

 ベスティアがじとっとした目で見てくる。視線が痛い。

 

 いやでもだって仕方ないのです。人間、生活するには金が要るのです。

 俺の稼ぎは壊れた迷宮遺物(アーティファクト)───迷宮に安置されているガラクタ───を分解したパーツや金属を売って稼いでいることがほとんどだ。高値で取引されているが、迷宮に潜ったところで確実に収穫があるとは言えない以上、安定した稼ぎとは言えない。

 収穫がある日は懐も温かいが、それ以外はすっからかん、ということもざらにある。

 最近は個人的な事情で出費もかさんでいることだし。

 

 ということで、こんな臨時収入を見逃す手はないのである。

 

「それじゃ受けるってことだよね? 助かるなぁ。詳しい話はヴェルベット爺さんによろしくね」

「はいはい。なんでお前もこんな俺に依頼なんか出すかね」

「もっちろん、ボクとキミは親友だからさ! ───っと、それとここからはボクの興味なんだけど……結局その箱? の中身ってなんだったのさ。万年無気力ぐうたら寝坊助のキミがあそこまで言うことって珍しいからね。ボクとしては興味があるんだけど」

「……これか? あー……───」

 

 ちょいちょい、と例の少女が入っている箱を指差してベスティアが首を傾げる。

 

 うん。そりゃあ聞いてくるよな。さすがにノータッチで帰ってくれるとは思っていなかったが。

 かと言って馬鹿正直に言うのも気が引ける。いや、ベスティアのことだ。例えなんだったとしてもギルドや騎士団にチクったりはしないだろうが、『見た目は人間にしか見えない女の子が箱詰めになってたよ』なんて言った日にはそれが俺の命日になるだろう。あの怪力でぽきっといかれること間違いなしだ。

 

 だから、

 

「───いや、特に。役に立ちそうなものはなにも」

 

 悩んだ末に、こう言って誤魔化すことにした。

 嘘は言っていない。役に立ちそうにないのは本当のことだしな。

 

 それを聞いて何を思ったのか。ベスティアは意味ありげに目を細めて、

 

「そう。わかったよ。でも迷宮遺物(アーティファクト)はまだまだ未知の部分が多い。多くがボクたちの文明にない『オーパーツ』だからね。扱いには気を付けたほうがいい。油断してるとぱくっと食べられちゃうかもよ? キミはおいしそうに見えるからね」

 

 人を食ったかのような笑みを浮かべ、そう言った。

 

「それじゃ。またね親友」

 

 それで満足したのか、金髪騎士は来たときと同じように、ニコニコと笑いながら出て行った。

 

 

 

「…………はぁ~~~っ」

 

 ベスティアが出て行った後の数秒。足音が完全にこの家から離れてから、ようやく深く息を吐く。

 いやな汗をかいた。

 

「…………絶対バレてたよな、あれ」

 

 ベスティアは単純なように見えて、時々怖くなるくらいの頭の回転を見せるのだ。勘も野生の獣かってくらい鋭いし。

 

 ……いや、今回ばかりは俺の隠し方が下手だっただけか。

 

 ほっとため息をつき振り向くと、その渦中の少女が箱からのそのそと出てきているところだった。

 

「お前なぁ……出てくるなって言っただろうが」

「肯定。私は格納ユニットにて待機していました。しかし待機中にユニットの拘束具が発見されることにより当機の存在が露見するリスクが浮上。よって速やかにリスク回避を実行する必要があると判断いたしました」

「拾ってる最中に見つかったら意味ないっての! ……まぁ、今回は俺の指示の出し方が悪かったかもしれねぇから、別にいいけどよ。っていうかあのジェスチャー何?」

「データベースを参照したところ命令が順調に実行可能の場合はあのような仕草をする、という検索結果がありました。発声機能を使用した場合の露見リスクが高かったため前述の動作を実行しましたがいかがでしょうか」

「うーんポンコツかなぁ」

 

 そもそも出てくるなと言う話である。それで見つかっていたら立てた親指を真下に下げるわ。

 

 ガシガシと頭を搔く。

 今度からコイツに何かやらせるときはふわっとした指示ではなくガッチガチに固めて命令したほうがうまく動けるのかもしれないな、と考えて。

 即座にその思考を破棄する。

 

 勘違いするな。コイツは人間を───俺のことを簡単に殺せるような人外なのだ。今はこっちの言うことを聞いているからいいかもしれないが、いつ気が変わって殺しに来るかもわからない。そう肝に銘じる。

 

「マスター」

「っ、な、なんだよ」

 

 没頭しかけた思考に無機質な声が入り込む。

 一瞬でも怯んだことを悟られないよう、思わず強気に返してしまう。

 

「要請。マスターの名前の開示」

「はい?」

 

 力が抜けた。

 

「要請。マスターの名前の開示」

「いや、聞こえてる。別に聞き取れなかったわけじゃない。……えっと、俺の名前がどうしたよ」

「当機のメモリー内において、マスターの本名が未登録状態になっています。速やかに登録を要請します」

「…………なんか、変なこと言うんだな。それってお前にとって必要なことか?」

「肯定。マスターの名前を登録することにより、当機の基礎スペックが0.01~0.1%ほど上昇する見込みになっております」

「誤差レベルだろそれ!」

 

 頭を抱える。

 何を言いだすかと身構えれば、名前と来た。

 

 おそらく、俺とベスティアの会話を聞いて思い立ったのだろうが、これでは警戒していたこっちがバカみたいだ。

 別に教えなくてもいいのだが……。

 

「ちなみに教えなかったらどうなんの?」

「60秒に一度要請プロセスが実行されることになっています」

「めんどくせぇな…………」

「……要請。マスターの名前の開示」

「いやまだ10秒も経ってないだろ」

「設定値55からカウントを開始しました。要請。マスターの名前の開示」

「壊れた時計か?」

 

 教えるまでずっと聞かれ続けるのはさすがに鬱陶しい。隠す理由もないし、自己紹介くらいしておくべきだろうか。

 

「リュコス。リュコス=イフェイオン。これが俺の名前だよ」

「『リュコス=イフェイオン』───登録完了しました。これからよろしくお願いします、マスター」

 

 思っていたよりもスムーズに自己紹介が口から出た。自分の性質を鑑みても、もう少しごねるかと思ったが。

 

 思うに。

 名前を知る、知られるということは人との繋がりができるということだ。個人的な事情もあって、人との繋がりというものを意図的に繋げないようにしてきた自分にとって、名前を教えるなんてことは避けるべきことだったはずなのに。

 

 ……きっと、コイツのせいだ。

 コイツが変なことを言うから、なんだかこっちも調子が狂ってしまう。だからきっとそのせいだ。

 

 慣れないことをしたせいか、妙に面はゆい。なんだか恥ずかしくなってきた。

 そんな気恥ずかしさを誤魔化すように今度はこちらから声を掛ける。

 

 名前を気にするところといい、実は誤解していただけで案外普通のやつなのかもしれない。

 

「んじゃ、次はお前だ。お前の名前はなんなんだよ。こっちは答えたんだ、そっちだって教えてもらわなきゃ釣り合わない」

「私に名前はありませんが」

「なんなのお前?」

 

 前言撤回。こいつはとびっきり変な奴だ。

 頭痛がしてくる。

 ベスティアの依頼より先にこいつをどうにかすべきなんじゃないかと思えてきた。




・リュコス=イフェイオン
主人公。ダンジョンで女の子を拾ってきた。特技は分解すること。カス。


・少女
片腕黄昏髪ポンコツロボ娘。ダンジョンで主人公に拾われた。


・ベスティア=ディディエライト
金髪巨乳低身長騎士ボクっ娘。主人公の幼馴染。よくリュコスの家のドアノブを引っこ抜く。筋力ゴリラ。


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3.師匠<Velvet>

 少し時は過ぎて夕方前。そろそろ日差しに赤みが差してくるかな、という頃。俺はぶらりと家を出て、街の通りを歩いていた。

 なぜかと言えば、ベスティアに渡された依頼書の件のためである。

 もっとも、依頼書というにはあまりにもあんまりだったが。読んだ時は思わず投げ捨てようかと思ったところだ。

 書かれてた内容はアイツらしい達筆な文字で一文。

 

『───やぁ親友! これを読んでるってことは多少はやる気になってくれたってことかな? お願いしたい内容なんだけど、詳しくは時計台の爺さんに言ってあるから、あとはよろしくね!』

 

 ……だそうだ。ふざけてやがる。反射的に破り捨てなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。

 とはいえ。依頼書も前金も受け取ってしまった手前、勝手に反故にするのも気が引ける。だからとりあえず話を聞くだけ聞いて、判断はそのあとにしようという腹積もりだ。よっぽどアレな依頼なら断ればいいし。

 加えて言えば、臨時収入は多いに越したことはない。最近はまぁ……いろいろあって出費が増えそうな予感もある。だから重い腰を上げて、気が進まないながらも街にやってきていたというわけだ。

 

 歩く度に結わえた髪の束が背中で跳ね、そういえばいい加減長くもなってきたなと独り言ちる。

 

「おい、いいか? 絶対に俺のそばから離れるんじゃねぇぞ。ただでさえ目立つんだから」

「了解しました。当機はマスターから離れません」

 

 気の進まない理由その一である隣を歩く少女に釘を刺せば、相変わらずわかっているんだか、わかってないんだか。よくわからない無表情で答えが返ってくる。本当に大丈夫なのだろうか?

 

 今の少女の姿は元々の半裸のような状態から、上着だけ俺のフードを羽織っているような形である。髪も目立つためそのまますっぽりとフードの内側に納めている。

 生憎、俺の家にコイツの体格に会うような服はない(有っても問題だが)ため、このようなその場繋ぎになってしまったが、大きく動かなければ体は陰になって見えないし、まぁきっと大丈夫だろう。

 

 ……何故コイツを連れてきたかというと、何の見張りもなしに家に放置するのはさすがに躊躇われる、ということである。前科もあるし、目を離した隙に何をしでかしやがるかわかったもんじゃない。

 家の何かを壊すくらいならどうにでもなるが、勝手に外へ出歩いたりするのはもっと困る。それならば最初から手元に置いておいた方が、いくらかマシだというものだ。

 

「にゃあ」

「なんて?」

「小型の四足動物を発見しました。当機のメモリ内においては初記録となります」

「あぁそうかい。……ってオイ! そっちじゃない! 変なとこ行くなバカっ!」

 

 ふらふらと猫に惹かれて突拍子もない方向へ歩き始めた少女の首根っこを引っ摑まえてなんとか軌道修正、ポンコツがすぎるだろう。

 

 チクチクと刺さり始めた周囲の視線に肩をすくめる。

 傍から見れば、長身でガラの悪い男に強引に引っ張られていく少女だ。誤解とは言え、今の自分にはそれを解く方法もない。早くも連れてきたことを後悔しそうで、行く先が不安である。

 

 人を呼ばれる前にさっさと用事を済ませてしまおうと足を早める。

 

「しっかしねぇ……」

 

 行き交う人々、露店の客引き、歩き回っている騎士たち。街は今日も平常運転。

 ……とは思ったのだが、なんとなく活気がない。人通りもまばらに見えるし、帯剣した騎士の数も多い。どことなく物々しい雰囲気があるようで、以前と比べて街は少し控えめな様相だった。

 

「……なんかあったのかね、これは」

 

 ま、俺には関係ないが。

 家だってわざわざ離れたところに立てているのだ。用事がない限り街には近づかない俺にとって、何があろうがあんまり気にならない話だ。

 

 大通りをぶらっと真っ直ぐ。右手に見える騎士学校を素通りして左に曲がり、放射状に広がる道を中心へと向かえば、ほらついた。

 

 街の中心ど真ん中に立つ、この辺りで二番目か三番目くらいに大きな建物は『時計台』。夜明けと日没に鐘を鳴らし、絡繰仕掛けで時を刻む街のシンボルのような建物だ。

 

 実を言うと本当に用があるのは時計台ではないのだが。

 

 用があるのはその地下。時計台の真下を盛大にくり抜いた後の空間に作られた図書館。歴史書神学書魔導書、書物であればなんでもござれの大書物庫である。

 

 鐘楼の真下に備えられた扉をくぐり、冷えた地下の空気が漏れている薄暗い階段を下っていく。当然日は射しこまないので真っ暗だが、そこは便利な魔術。火もなしに光源が照らし上げているので安心だ。

 

「質問。これからマスターが会う人物について」

「……難しいな。とりあえず、変な人だよ。それ以外は口で説明するのも難しいし直接会ってみたほうがわかりやすい───ってそうか。いきなり会わせるのもまずいか。……とりあえず、俺が良いって言うまで入口で待っててもらってもいいか」

「命令受領。待機します」

 

 こくん、と頷いたのを見て階段を下る。

 

 下った先でもう一枚扉を抜ければそこは既に大図書館、初見であれば思わず息を飲んでしまうような、圧巻な光景が広がっていた。

 広さで言えば、地上の鐘楼よりも遥かに広い。その広大な地下空間の壁は全て本棚になっており、みっちりと様々な蔵書が詰められている。

 

「うわ。いい加減片付けろよあのジジイ」

 

 詰め切れなかったのか、床に山積みにされている本の山を崩さないようにひょいひょいと足を進めていく。

 

 ここの書物のすべてが一人の人物のものであるというのだから驚きだ。

 こんなにたくさんの本を持っていたところで一生かけても読み切れるのかどうか疑問ではある。まぁ他人のことにとやかく口を出す主義でもないので黙っておくが、さすがに管理も大変そうだ。現にこんな状態になっているわけだし。

 

 などと、そんな感想が浮かんでくる。

 

 ふよふよと勝手に浮かびながら本棚へと向かっていく本を避けつつ、本棚の森を抜けた先。

 少し開けた空間には、これまた本の山に囲まれた机の上に天球儀やらフラスコやらなにやら、用途がわからないいろんな道具。しかし、そこに部屋の主はいなかった。

 

「……あれ、珍しい。留守かな」

 

 居ないのならしょうがない。しばらく待ってみて戻ってこなければ帰ろうかなー、などと。どこか適当に腰を下ろせる場所を探していると。

 

「───おい」

 

 ゾクリ、と。頭上から掛けられた声に悪寒が走る。自らよりも強大な存在を感知した本能が警告を発する。

 

 振り向いて顔を上げれば、そこに居たのは大きすぎるとんがり帽子をかぶった幼い少女の姿。中空へ、まるで腰かけるかのような姿勢で浮いている。

 幼い体躯でありながら発している空気は老練の魔術師のそれだ。容貌と纏う雰囲気があまりにも矛盾している。小さな栗鼠から古い霊峰の存在感を感じるようなもの。場違いで、印象が噛み合わない。あまりの乖離に認識が狂いそうになる。

 

 少女の瞳が俄かに光を放つ。

 ガタガタと部屋中の本が揺れる。空気が軋む。魔力を伴った視線が逃げようとした体の動きを縫い留める。この空間のすべてが敵に回ったかのような錯覚に思わず身震いし───、

 

「───って、何やってんですか師匠」

「ん、なんだつまらねぇ。少しくらいビビってもいいじゃねぇかコジャリ」

 

 即座に、危険な予感は霧散した。

 

 ふわりと着地し、てくてくと帽子を揺らしながら歩いてくる幼女。その顔はいたずらをした子供のように揶揄うような笑みが浮かんでおり、かと思えば口元を不満そうに尖らせてそう言い放った。

 

 コイツがこの部屋の主、『青金』の魔術師、ヴェルベット=ラズワルドである。

 騎士団が擁する中でも指折りの魔術師であり、それと同時に国を代表する賢人の一人であり、そしてドが付く変人として知られている。出会い頭に『魔眼』なんて使ってくるようなぶっ飛んだヤツはこの人以外に居ない。

 さらに言えば、俺が騎士学校に通っていたころの担当教師、あとは個人的に師匠と仰ぐ人でもある。半ば無理やり弟子にされたようなものだが、それでも尊敬できるところはなくもないので形式上は師匠と呼んでいる。

 

 真夏の空を梳ったような淡い水色の髪に深い蒼の瞳。

 粗野な口調に古めかしさを感じさせながらも、同時に驚くほどの瑞々しさをも感じさせる矛盾を持っている。

 見た目は完全に身目麗しい幼い少女にしか見えないが、残念なことにコイツは男だ。ジジイだ。

 年齢も見た目通りではなく、自分よりも相当年寄りなのは言うまでもない。なんでもエルフに近いらしく、以前帽子を外したときに尖がった耳を見たことがある。

 本人曰く、『昔はもっとイケメンでブイブイ言わせてた』との談だが、詳細は聞いたことはない。聞きたくもない。触らぬ神になんとやらだ。

 

「つーかなんですか今の。弟子を驚かせるのが師匠の趣味とは初めて知りましたよ」

「お前が来るのは()()()たからな。なかなか可愛い反応じゃないかクソガキ。我が弟子よ。会えてうれしいよ(オレ)は」

 

 ククッ、と悪びれる様子もなく笑う師匠。なにも知らなければその妖しげな魅力にくらっと来てたかもしれないが、生憎と師弟関係の腐れ縁、いいところも悪いところもお互い知っている間柄だ。今更動じたりはしない。

 

「んで、何の用だ? 悪ぃが最近忙しくてな。長丁場になりそうならまた別の機会にしてくれ」

「いや、すぐ済むんで大丈夫です。本題に入る前にちょっと紹介したいやつがいるんですけ───、」

 

 ど、と言い切る前に、唐突に世界が切り替わる。

 

 耳を聾する爆音。連続する破砕音。ビビる俺。

 慌てて振り向けば入口の方で花火のように炸裂する光の矢。煤けた匂い。そして入口の扉を粉砕し、追尾する光を振り切るように一直線にこちらへぶっ飛んでくる少女の姿。

 

「マスター、ご無事でしょうか」

「何やってんだお前ーーッ!?!?」

 

 たまらず叫んだ俺の声を爆音がかき消していく。

 

「……紹介したいやつって、もしかしてアレか?」

 

 呆れたように呟いた師匠に返事も出来ず、頭を抱えるしかなかった。

 

 

3.師匠<velvet>

 

 

「───んで。なんか言い訳はあるかこの野郎」

「その前に一つ質問してもいいでしょうか。なぜ私は拘束されて正座をさせられているのでしょう」

「お前がっ! せっかく気を使ってやってるこっちなんてお構いなしにっ! とんでもない行動するからだよっ!!」

 

 先ほどの余波であちこちが吹き飛んでいる破壊跡の中心で、はてな、と座ったまま首を傾げる少女に気が遠くなる。

 あれだけ派手に爆撃されたというのにその姿には傷一つ無い。頑丈が過ぎるだろう。

 だんだんとわかってきた。コイツには自覚の前に、なんというか、色々足りてないような気がしてならないのだが。突拍子がなさすぎる。

 

「まぁ、大抵の魔導人形(アンドロイド)ってのはマスター登録した人物を守るように構成されてるもんだからな。大方魔眼の魔力に反応して突っ込んできたってとこだろ。脅かしたこっちにも非がある、この場は水に流そうじゃねぇか」

「はぁ……───っていうか師匠」

「あんまり(オレ)を甞めるなよ? お前程度のことなら手に取るようにわからァ」

 

 ……バレている。アイツが並じゃないっていうのはさっきの光景を見ていれば誰でもわかるだろうが、それでも人じゃないというところまで把握しているとは。というかこっちが知っている以上のことを今の一瞬で見抜かれたような気がしてならない。

 

「あれだけ(オレ)の魔術が直撃しておいてピンピンしてる魔導人形ってのは興味があるが、それが本題ってワケじゃねーんだろ? いいぜ、今は置いておいてやる」

「マジすか師匠大物っすね。本とか結構壊しちゃったみたいですけど」

「それも『保護』してるから問題ねぇ。さ、早く要件をいいな」

 

 そう言って不敵な笑みを浮かべる師匠。あれ、なんだろう。珍しくめちゃくちゃ頼りになる気配がするぞ。

 

「それなんですけどね、ベスティアからなんか聞いてませんでした? こっちは詳しいこと何にも知らないんですよね」

「あぁ、あれね。それくらいならいいぜ、時間を作ってやる」

 

 師匠は体と比べると大きすぎる座椅子にひょいと飛び乗り、大きなとんがり帽子を本の山へ引っかけるように投げ捨てる。……あ、崩れた。あれじゃあ片付けるのも大変だろうに。

 

「気にすんな。どうせ一日も経てば自己補完の要領で元に戻るようにしてるから」

「なるほど、だから師匠の部屋はいつも散らかってるんですね」

「うるさい。お前も似たようなモンだろうが」

 

 半目で睨みつけてくる師匠。どうやらこの場が生活をする上で壊滅的であることは自覚しているらしい。だがこれ以上は自分自身にも返ってくるので言わないでおく。俺は引き際を弁える男だ。

 

「えーっと、なんだったかな。そう、巡回の件ね。ギルドから人借りてこいって騎士団のほうから言われててね。つーわけでお前指名、行ってこい」

「いや、ちょっと待てよ! 初耳なんだけど!?」

 

 あまりにも話が早すぎる、というか初めて聞いた。巡回ってなんだそれ。それは騎士団の仕事じゃなかったか?

 

「だから人手が足りないって話。この間の侵攻で負傷したやつらがわんさか出てな。普段の警備もままならねぇってんで、暇そうなお前をご指名だそうだ。言っておくけどギルドのほうに話は通してある。借用届も出してるしな」

「人をモノ扱いしないでください。というか警備なら他のやつでもできるでしょ、なんで俺なんですか」

「そりゃまぁあの光芒騎士さまから直々の指名だしな。ほら、両手を上げて喜べよ、並の騎士連中じゃ得られない栄誉だぜ」

「クソジジイが……」

 

 単に幼馴染から穴埋めに呼ばれただけじゃねぇか、と言っても師匠はどこ吹く風。こいつわかっててやりやがったな。

 ちなみに『光芒騎士』というのはベスティアが騎士団から付けられた称号、渾名のようなものだ。実力があり、年に一度の査定会議で名の上がった騎士へ与えられ、本人の戦闘スタイルや使う魔術など、本人を象徴するようなものに因んで名づけられる。

 ベスティアは戦闘となると、とにかくピカピカと光りまくるから光芒、なんて付けられたんだろう。

 

「……しかしなぁ、巡回か……」

 

 正直気乗りはしない。

 あんまり家を空けておけばあの少女がなにをしでかすかわかったもんじゃないし、できるだけ目を離したくないというのもある。かといってあの格好で連れ歩くわけにもいかないし……ということでさっくり早めに終われそうなものでなければ元々断るつもりでいたのだが。

 

「あ、断るのはナシだぜ。これだけ(オレ)の部屋を荒らしてくれたんだ、こっちの言うことも聞いてもらわなきゃ困る。師匠命令だ、やれ」

「さっき自分で放っておけば元に戻るって言ったじゃないですか!?」

「それとこれとは話が別。お前治るからって怪我させても責任取らないのか? 今はお前がその人形の主人、保護者なんだ。お前が責任取れ」

「…………む」

 

 珍しくまともな意見になんかちょっと納得してしまった。確かにコイツには責任なんか取れそうにないし、なら代わりに俺が取るのが筋……なのか?

 

「んじゃ単刀直入に。最近街で変死体が見つかってる、それも騎士連中とかも含めてだ。そーいうことで、この下手人を探してもらう」

「おいおい───」

 

 いきなり危険度がぶちあがったぞ。騎士まで死んでるとは。それも街中で。

 騎士とは基本的に剣術と魔術の双方を収めた天才ども、遠近両方に隙が無い戦闘のスペシャリストだ。例えごろつきが集団を組んだところで数の優位なんて簡単にひっくり返す化け物揃いのはずなんだが。

 

 魔術とは、学問によって体系化された神秘の一つだ。しかし学問と侮るなかれ、それらは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 『魔力』という代償を支払うことで神秘や秘蹟を元にした『魔術』、つまりは式を解き、そして解を世界へ出力する。とまぁ、ざっくり言えばすごい数式のようなものだ。簡単なものであれば、条件に従い示された行動をするだけで発動できるものもある。祈祷なんかはいい例だろう。

 その条件なんかも様々で、血縁や月齢、気温や光度などが指定されていることだってある。

 

 先ほどの師匠の魔術もこれに当てはまる。『聖域へ踏み込んだ悪霊が聖なる光に焼かれて蒸発した』という伝承を元に組み上げているのがここの自動防衛魔術だとか。

 後は例外的に体系化されていない神秘、つまりは突然変異じみた物も世の中にはあるのだが、それは今はいいだろう。

 つまりは誰でも学べば使えるようになるし、理解することはできるという代物。それが魔術だ。もっとも、そこに才能の有無が入り込む余地は通常の学問より大きいと言えるが。

 

 魔術は千差万別、それらを戦闘という極限状態において使いこなすのが騎士であり、端的に言えば天賦の才が選り取り見取りという集団なのだ。俺はそれを骨身に染みて知っている。

 そんな連中が一人で居たとはいえ簡単に殺されるというのは俄かに信じがたい。

 

「なんですかそれ、手あたり次第ですか?」

「いや、わかってることはいくつか。まず条件は基本的に夜、人通りの少ないところを一人でいるところをやられてる。例を挙げるんなら酒場の帰りとかだな。いっしょに飲んでたやつが、次の日さっぱり消えて死体で見つかったなんて話もあるくらいだ」

 

 なんとも空恐ろしい話である。街の妙な空気はそのせいか。

 

「っていうか、それ俺もやられませんか。巡回中の男一人なんてモロ条件じゃないですか」

「いんにゃ、騎士団からも一人借り受けた。ツーマンセルでやってもらう。まぁお前なら一人でも大丈夫だと思うけど」

「…………その一人でも大丈夫って根拠は?」

(オレ)の弟子だから」

「いやですよ俺死にたくないです」

 

 なんかきりっとした顔されても困る。まだ死ぬ予定はないんだ。

 

「まぁ最初っから巡回程度で下手人が見つかるとは思っちゃいねぇよ。だから抑止力、人の目を歩かせることで未然に防止しようってわけだ。だからそんなに気にしなくてもいいぞー。んで、ざっくり説明すればこれくらいだな。なんかあるか?」

「うす。借りた騎士って誰ですか? いやほら、師匠も知ってると思いますけど、例のあれで」

 

 例のあれ、というのは端的に言えば、昔騎士団関係でちょっくらやらかしてしまっているのだ。そのことを知っている騎士が来るとちょっと、いやかなり気まずくなってしまうのだが。

 

「ベスティアの部下らしいしそこらへんは大丈夫なんじゃない? たぶん」

「ざっくりすぎない?」

 

 なんというか、あまりにも雑すぎる答えだった。だがまぁ大丈夫というからには大丈夫なんだろう。そうじゃなかったら後で文句を言ってやろう。

 

 ともあれこれでベスティアの依頼の件は終わり、さっさと帰って準備でも、と背を向けようとするとなにやら師匠の呼び止める声。

 

「おいおいもう行くのか? ここからが本題だろ」

「? 本題って、なんですか」

 

 こっちはもう話は済んだつもりでいたが、忘れてることなんてあったかな、と首を傾げる。

 

 すると師匠はははぁ、なんて言いながら何やら下世話な笑みを浮かべている。嫌な予感しかしない。

 決まってるだろう、と師匠はこっそりと声をそばだてて、ちらりと少女の方を見る。

 

「あの魔導人形のことが知りたいんだろ? ベスティアのやつにも黙ってたみたいだし、相当なモンだと見たぜ」

「…………それは…………まぁ……はい」

 

 ……確かに。俺はアイツが何なのかを知りたい。気が向かないながらも師匠のところに連れてきたのは、師匠であれば何か知っているかもしれないという打算的な考えもあってのことだ。それのことを師匠は言っている。

 ちなみにベスティアに少女のことを隠したのは普通にめんどくさいからである。言いふらしたりとかはないが、文字通り死ぬほど揶揄ってくるに違いないのだ。

 

 考えを見抜かれて少しバツが悪いが、それよりも先にふと思っていたことが口に出る。

 

「……でもその人形って言い方やめてください。なんか、イヤです」

 

 確かにアイツは人形で、人ではないのかもしれないけど、面と向かってそれを言われるとなんだかおもしろくない。

 

「おっと、すまねぇ。そういうつもりはなかったんだが」

「別に構わないですよ。単に俺が気に食わないってだけなので」

「お前があの子のことをどう思ってるかってのは十分伝わったさ」

「っ、それで何ですかって。早く言ってください。弟子を揶揄ってもおもしろくねーですよ」

 

 くふふー、などと意地の悪い笑みを浮かべている師匠を睨む。ほんとこの人は調子に乗るとめんどくさい。それでもまぁまぁ尊敬できる点はあるのでこういうところは早く直して欲しいものなのだが。

 

「怒るなよ少年、うぶだねぇ。まぁそれでだ。あの子について今わかることを教えてやってもいい。ただ(オレ)も興味がある。あれだけ直撃したのにピンピンしてるヤツなんざ初めて見たからな。そこで───」

 

 ごくりと唾を飲む。

 一体どんな無茶ぶりを対価として要求されるのか、と身構える。

 

()()()()()()()()中身まで見せてくれるか? いやぁ久しぶりに年甲斐もなくわくわくしてき───、」

「こ、の───失せろ変態ジジイ!!」

 

 ついニマニマとした横っ面を手近な本でフルスイングしてしまった。ホームラン。

 

 そのあと本の山に突っ込んだ師匠からアイツに関する話を聞いてみたが、結局のとことよくわからないことがわかった、くらいの成果だ。

 師匠でもわからないのであれば俺なんかじゃさっぱりに決まってる。だからひとまずコイツの正体というのは置いておく。

 

 それよりも押し付けられた仕事に頭を悩ませることになりそうだ。




・リュコス=イフェイオン
最近髪が長くなってきた。

・少女
アホ

・ヴェルベット=ラズワルド
合法ロリ水髪青眼魔法使い爺。属性過多。一日で全部片付く本棚を持っているがリュコスは書庫が片付いている様子を見たことがない。


ポンコツちゃん(仮称)の挿絵を頂きました。
インナーが良いですね。

【挿絵表示】


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4.肉親、あるいは妹<Albatross>

 階段を上り扉を開ける。瞬間差し込んで来る眩い日差し。明かりがあるとはいえ暗い地下に慣れた目には刺激が強い。思わず目を細めた。

 地下に居た時間は1時間かそこらだろうか。空が見えない空間に居ると時間の感覚がわからなくなる。影の角度を見るに、日が落ちるにはまだ早い。夜までは幾分余裕があるようだ。

 

「質問、今後の予定について。これからどうするつもりでしょうか、と当機はマスターに質問します。約束時間まで残り一日と六時間三十四分十四秒です」

 

 目深に被ったフードの下から聞こえてきた少女の声に、ゆるりと予定を考える。

 

 さっさと家に戻ってコイツをどうするか考えたいところではあるが、例の依頼のこともある。巡回は今日の深夜から、とのことらしいのでそれに向けた準備が必要だ。

 最悪、自分の命に関わりそうなことだ。しっかり準備しても損はない。

 俺はいたって普通の凡人、騎士というエリート連中などと天と地ほどの実力差がある。ベスティアの部下らしい騎士と組むにしたって最低でも足を引っ張らないくらいにはしておきたいところだ。

 

『見つかった死体の多くはどっかが()()()()。ひどいものだと腕一本しか見つかんねぇってくらいだ。あとは血を全部抜かれてカッサカサのミイラみたいになってることくらいか。探せば伝説の吸血鬼なんか見つかるかもしれねぇぜ?』

「…………」

 

 茶化すように言っていた師匠の言葉を思い出して顔をしかめる。吸血鬼ってなんだそりゃ。そんなのが街に入り込んでたら大惨事だ。そんな怪物とばったりと鉢合わせなんて死んでもしたくない。

 吸血鬼というのは詠んで字のごとく、人の血を吸い、喰らう人外の総称だ。日光に弱く、夜に紛れて人を襲う。スペック的に見れば、人外特有の高い筋力に魔術素養を併せ持つという理不尽の権化。あとは血を流しても死なないとか、吸った人間の血で傷を癒せるだとか、そんなところ。なんであれ会いたくない手合いなのは変わらない。

 気分が重くなってため息一つ。しかし師匠まで話が通っていた以上こっそり逃げるのもできないだろうし、いい加減腹を括らねばならないようだ。

 

「…………って、げ」

 

 不意に、道行く人々の群れの中に見知った顔ぶれを見掛けてしまった。いやまずい。完全に予想外だ。というか最近こういうことが多い気がする。間が悪いというか普段はそんなことないのになんで今日に限ってこっちが一番困るタイミングでエンカウントするんだ!?

 しかし隠れようとももう遅い。向こうもこちらに気が付いた。

 

「あら兄さん、せっかく偶然会えたというのに随分なあいさつですね。そんな蛙の潰れたような声を上げるなんて、そんなに私に会いたくなかったのでしょうか?」

 

 長い黒髪を腰まで垂らし、口元には微笑を浮かべ、しかしその切れ長の目はまさに絶対零度。ゴミでも見るかのように冷徹な視線がぐっさぐさに射抜いてくる。

 すらりと背筋を伸ばしてカツカツと石畳を踏みながら歩いてきたのは我が妹、アルバ=イフェイオンだった。

 ひと際目立つ特徴と言えば、黒髪の中にひと房だけ混じった白髪だろうか。

 シンプルな制服に身を包み、普段の丁寧な物腰はまさに模範的な優等生といった感じだが、無表情を装うように細められた目は元の形がいいだけに負の感情が混ざっていると怖いものがある。

 

「よ、よおアルバ、偶然だな。騎士学校のほうはどうしたんだ? まだ終わるには早いと思ってたんだが」

 

 咄嗟に少女を背後に隠して笑顔で返事をする。

 

「例の大規模侵攻の影響で先生方も後始末に駆り出されていまして。手が足りないとのことで今日は午前中で授業は終了しています。あと、誤魔化すのであればもっと上手な言い訳を用意してください」

 

 ぴしゃり、と取り付く島もなく言い捨てるアルバ。その口調の端々にこちらを責めるような棘があるのは気のせいではないだろう。

 幸いなことにまだ少女のことには気が付いていないようだ。口を開かなければ大人しく見えるんだから、頼むからこの場だけでもうまく乗り切らせてくれ。割と本気で。

 

 いやぁ、誤魔化すつもりはないんだけどなぁ、あはは……なんて半笑いをすると、みるみるうちにアルバの形のいい眉が吊り上がっていく。

 あ、マジで怒ってる。ヤバいぞ俺、なんとか宥めなきゃこのまま土の下まで真っ逆さまといった具合に叩きのめされる予感がプンプンする。

 

「おやおや~? そこにいらっしゃるのはリュコス様ではございませんか?」

 

 そんな具合で冷や汗をかいていたところ、横合いから掛けられた救いの言葉、ありがとう助かった。

 

 おっとりと笑いながらとことこと歩いてきたのは、白と黒のメイド服に身を包んだアルバの侍従、ヒナさんだ。

 なんというか、色々デカい。スレンダーな隣のアルバと比べるとそのデカさが浮き彫りになる。身長も俺より少し下くらいという女性にしてはかなりの高身長だし、他も言わずもがな。しかし浮かべている表情は人畜無害そのもので、なんというか野原で寝転がってるのが似合いそうな人だ。

 

 俺は早々に家を出たため今となっては関係のない話だが、実家は街の中でもそこそこ大きな商家らしく、小さい頃はたくさんのお手伝いさんが居たのを覚えている。ヒナさんはその一人だ。今はアルバ専属として勤めているらしいが。

 

「今日はですねぇ、アルバ様の授業がお早く終わられたとのことでしたので~、少しお買い物に付き合っていただいてたんですよ~」

「そういうことです。私は兄さんと違って無意味に時間を浪費することは避けるべきと考えていますので」

 

 フン、と鼻息荒くそっぽを向くアルバ。相変わらず言葉は刺々しいが、なんとなく険が取れている。よかった、ヒナさんのオーラで多少は鎮火してくれたようだ。

 

「それで、兄さんは? 何をしていたんです?」

「なにってそりゃぁ……仕事みたいなもんだよ」

 

 なおもじろりと睨みつけてくるアルバに誤魔化すようにそう返す。

 正確に言えば仕事を受けただけなのだが。

 世間的に言えば俺はまだ職なしだ。たまに会うたびに指摘してくるアルバはそれが気に入らないらしい。それでも稼ぐものは稼いでいるので見逃して欲しいものだ。

 

 そう言って目を逸らす俺に対し、アルバはピンと指を立てる。

 

「いいですか。兄さんはイフェイオン家の長男という自覚を、もっとしっかり持ってください。長男が家を出て明日をも知れぬ生活を送っているなどと親戚筋の方々に伝わったら貴族間の評価もどうなることか……」

「いやそこまでひどい生活はしてねーよ!? わぁってるって。目立たないようにやるからお前は気にしなくていいんだよ」

「違います。兄さんはわかっていません。私は、早くこちらに戻って来てくださいと───、」

「マスター、ご知り合いの方ですか?」

 

 あーもうおしまいです。

 今まで静かにしていたと思ってたらひょっこりと後ろからアイツが出てきやがった。元々黙って隠れてもらえるとは思ってなかったし適当なところで見つかると踏んでいたが、何もこのタイミングじゃなくてもいいだろう。どうするんだよこれ。

 

「…………兄さん。そちらの方は?」

 

 これ以上ないってくらい冷たかったアルバの視線が限界を超えてさらに冷たくなる。氷を通り越してもはや絶対零度、視線だけで人を殺せそうだってくらいの圧がグッサグサに俺の胸をえぐってくる。

 

「こ、こいつか? えーっとそのなんていうか色々複雑な事情があってだな……」

 

 まさか『ダンジョンでたまたま見つけて拾ってきたんだーそんでもって人間でもないらしいんだよなー』なんて馬鹿正直に答えるわけにもいかない。だがあのアルバの目を見ろ、嘘ついたら殺すと無言の視線が語っている。

 覚悟を決めろ俺。どうにかこの場を凌ぎ切るんだ。

 

「……拾ったんだよ。親とかも居ないっていうから、なし崩し的にな。ほら、最近街のほうも大規模侵攻の件で色々ゴタゴタしてただろ?」

 

 嘘は言っていない。拾ったのは事実だし、コイツに人間の親がいるようには思えないのも確かだし、最近街がごたついているのも事実である。いや苦しいか?

 

「……なるほど。街の中でも迷宮に近い外縁部では騎士の手配が間に合わずに被害が出た区画もあると聞きました。……申し訳ございません、無神経な質問をしてしまいました」

 

 とは思ったが何かがアルバの中で繋がったらしい。なにやら納得したように頷いて同情したように隣の少女を見ている。

 ……これはあれだな。なんというか、うまい具合に勘違いしてくれたようだ。ラッキー。ひとまずは凌げたようで安心した。

 

「お名前はなんというんですか?」

「……はい?」

「ですから、名前です」

 

 だから、不意に飛んできた問いに思わず固まってしまった。

 

 なまえ、ナマエ……名前!?

 しまった、そう言えばコイツの名前を知らない。知らないというか、元々無いとのことだったが。いやしかしどうする。ここで無いと言うのも変にこじれそうだし、かといって今この場で少女に付けたい名前を聞くのも不自然過ぎる。アルバからの追求を最小限に抑えるためにもここは上手く切り抜けねばならない。ただでさえ訝しまれているのだ、これ以上詰められるとボロを出してしまう。俺じゃなくてコイツが。

 

「………………トワ。トワ、だ」

 

 数瞬考えたあと、咄嗟にそう答えてしまった。その場しのぎの偽名もいいところだが今はなんとかこれで乗り切るしかない。

 

「トワさん、ですね。わかりました。よろしくお願いしますね、トワさん。私はアルバ、こちらはヒナ。何かあったら何でも相談してくださいね。きっと力になります。この愚兄のことでも構いませんので」

「……? 了解しました。よろしくお願いします、アルバ」

 

 アルバが差しだした手をまじまじと見た後、おぼつかない仕草で握手を返す少女。

 よかった、うまく合わせてくれたようだ。

 

 と、そのとき、ふと強い風が吹いた。

 勢いよくフードがめくれ、服ははためく。当然、抑えるなんてこともしない少女の服も翻るわけで。

 更に言えば、正面に立っていたアルバもがっつり少女のことを見てしまったわけで。

 

「……………………に・い・さ・ん?」

 

 あ、これ死んだわ。

 

 ギギギギ、と音が鳴りそうな。そしてにっこりと背筋が凍りそうなほどの完璧な笑みを浮かべてアルバがこっちを振り返る。

 その隣には苦笑いのヒナさん。そして自分のことなのに何もわかってなさそうにこてんと首を傾げている少女。

 パクパクと口の動きでヒナさんに助けを求めるものの、返ってきた答えは無慈悲なノー。おお神よ、死んだのですか。

 

 いや、まだ諦めるな。まだ間に合う。

 一縷の望みを掛けて言い訳をする、これしかない!

 

「いや待ってくれ! そいつ最近来たばっかりだし、こっちだって何の準備だってしてないし、そんな状態で女の服が俺の家にあるのもそれはそれでおかしいんじゃないかって───、」

「こっの…………変態!!!」

 

 鉄拳制裁。理不尽だー、などというささやかな抵抗の声を無視して放たれた怒りの拳が顔面に突き刺さった。

 

 

「……ひどい目にあった」

 

 まだヒリヒリとする頬をさすりながら一人呟く。

 場所は変わって服飾店の前。少女を連れたアルバとヒナさんが消えて早一時間、店内の盛り上がっている声を聞く限りでは未だに戻ってくる気配はない。女三人寄れば姦しいとは言うが、アイツを女にカウントしていいものかは謎だ。

 少女の服を見るために三人が、そして俺は一人男のため外で留守番兼荷物持ちというわけだ。

 

『女の子をこんな格好で連れまわすなんて、最低です。兄さんはいつからそんなロクデナシになったのでしょうか?』

 

 などと、異議を申し立てたいことを言われたが、事実も含まれているため言い返すことはできない。

 これ以上アルバを怒らせるわけにもいかないので大人しく荷物番をするに限る。

 

 少女───ひとまずはトワと呼ぶことにする───のことは、『ちょっと言動が個性的で、ある事情から右腕が欠損している女の子』とだけ伝えてある。

 家を出る前に、念のためと包帯をぐるっと覆うように巻いておいたのが幸いしたのか未だにトワの異常性には気づかれていないようだ。

 

 それはアイツが人によく似た存在であるからなのか、それとも元々人に近しい存在であるからなのか、俺にはわからない。

 

 そんなことをつらつらと考えていると、がらりと店の扉が開く。

 

「マスター、お待たせしました」

「おう。遅かったじゃねえ、か───、」

 

 振り返って、思わず息を飲んだ。

 

 体に合わないフードの代わりに身につけていたのはシンプルなワンピースだった。色は素朴な白で、首元には小さなリボンを結んだりしている。

 

「どうでしょうか。アルバが選んだものですが」

 

 そう言ってくるりとその場で回る少女。

 ふわりと裾を翻すその姿はまさに一輪の花のようで、あまりにも不意打ちのようだったから不覚にも綺麗だと思ってしまった。

 だから俺は、

 

「まぁ……似合ってるんじゃねぇの? さっきのよりはマシだな」

 

 ……なんて、見惚れていたことを誤魔化すために、そんなことしか言えなかった。

 

「マスターがそう言うのでしたら。当機はこの服飾を平時として設定します」

「はいはい、もう好きなようにしてくれ」

 

 目を逸らして店の出口の方を見れば、ホクホク顔で出てくるヒナさんと呆れたようにため息をついているアルバが出てきているところだった。

 

「いいですか兄さん。今後はこのようなことがないようにしてください。トワさんは女の子なんですから、兄さんのようないい加減さに任せないでしっかり見た目を整えてください。本当であればこちらで面倒を見たいところですが、断られてしまいましたので。ですから、今は兄さんが保護者です。そこをしっかりと、お願いします」

「わかったよ。肝に銘じとく」

 

 念押しするように語気を強めるアルバに若干押されつつ、はいはいと返事をする。

 

「それより時間は大丈夫なのか? 最近こっちの夜は物騒って聞いたけど」

 

 空を見上げればいつの間にか焼き付くようなオレンジ色。日没が近い証拠が空を望んでいる。

 

「問題ありません。この後は用事もありませんし、このまま屋敷に戻ります。……兄さんも、トワさんと家に戻るのでしょう?」

「ああ。こっちは街から離れてるしいつも通り平常運転さ。なーんにもないよ」

「……そう、ですよね。わかりました。けど兄さん、念のために言っておきますけど、危ないところには近づかないでくださいね。特に最近の夜は様子がおかしいですから。イフェイオン家の長男がごろつきと喧嘩になっていたなどと、そんな話は聞きたくありませんので」

「はいはい、わかってるって」

 

 最後まで絶対零度の眼差しでアルバは行ってしまった。小さい頃はもっとこう、あんなにツンツンしてなかったはずなんだが最近はなんだかずっと棘がある気がしてならない。いや、こっちが悪いのは分かってるんだが。

 

「……ああやって冷たくしよう~って態度ですけども、実はアルバ様、最近学校が少しでも早く終わるときは私のお買い物に付き合ってくださってるんですよ。これ、なんでかわかりますか~?」

「? さぁ……暇なのか?」

 

 アルバに聞こえないようになのか、こっそりと近づいてきたヒナさんが耳打ちしてくる。

 

「もう、言わせないでくださいまし! アルバ様はですね、街を歩いていればリュコス様に会えるかも! と思っていらっしゃるんですよ。ですので、あんまり誤解しないでくださいね。ほんとはとてもやさしい子なんですから」

「…………そうかぁ?」

 

 さっきの『嘘ついたら殺す』って感じの目は絶対に本気だったと思うぞ。

 つまり、口ではああは言ってるものの内心では一人家を飛び出したバカな兄貴を心配してくれてる……ってことなのか?

 

「……うーん、そうかぁ……?」

「絶対そうですってば! ということで、こんなにリュコス様とお喋りをしているとアルバ様に嫉妬されてしまいますので、私はこの辺りで~。それではリュコス様、またいずれお会いしましょう。たまにはご主人様に顔を見せにきてくださいね?」

「気が向いたらな」

 

 来たときと同じようにトコトコと歩いていくヒナさんを見送って、ようやく一息つく。なんだか今日一日だけでいろんなことが起こりすぎだ。

 

「……じゃ、俺たちも戻るか」

 

 見送りもそこそこに、少女を連れて帰路につく。……と。

 

「マスター、六十七分前からの疑問があります。質問してもいいでしょうか」

「いいけど。なんだよ?」

「『トワ』、とはなんでしょうか。マスター、アルバ、ヒナ、三人の反応を分析した結果、当機の個体名称と推測されますが」

「あー……」

 

 そうだった。そう言えばこいつには何も説明してないんだった。とりあえずその場しのぎで言ったんだから説明もなにもないんだが。

 

「いや、そう言えばお前の名前わかんなかったからつい咄嗟に。あの場で名前を答えられないのもアルバに勘繰られそうだし、ぱっと思いついたのを言っただけなんだが。……つーわけで、お前の本当の名前ってなんだよ? ないってことはないだろ」

 

 少なくとも何者かによって作られたものである以上、何らかの名前に類するものはあると思うのだが、どうなんだろうか。

 

「……私は」

 

 言いながら少女を見ると、僅かに無表情を綻ばせて瞳が揺れた。意を決したように、小さな口が開く。

 

「私は───トワ、です」

「おい」

「私の個体名称はトワです。今後もそうお呼びください、マスター」

「……いいのかよ?」

肯定(はい)。どうか、お願いします」

 

 そう言ってスタスタと歩き始める少女。

 釈然としないというか、なんというか。本当の名前があるならそっちで呼んだほうがいいんじゃないか、と思ったりするのだが。

 なんだが隣を歩くトワが満足そうに見えたので、そういうことにした。

 

「んじゃ、改めてお前はトワで。いつまでかはわかんねぇけど、それまではよろしく」

「了解です。マスター。機体寿命が尽きるまであなたと共に」

 

 思ったよりも重いなコイツ。機体寿命って、一体いつまで居るつもりだろうか。

 

 とまぁ、そんな感じで、その日は終わった。




名付けイベント。

・トワ
ハイスペックポンコツメカ娘。今回リュコスに名付けられた。

・アルバ=イフェイオン
黒髪メッシュツンツン丁寧口調妹。

・ヒナさん
身長も胸も尻も全部がでかい系おっとりメイド。リュコスが家にいた頃はリュコスの専属だった。弱点を握っている。


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5.先触れ<The Beginning>

 幼馴染に寝起きを襲撃されて、師匠に会って、妹にぶん殴られるという怒涛の勢いで過ぎていった前日。そして今日。俺はまた街へ繰り出していた。

 時間は草木も眠る丑三つ時。この時間になれば日中人通りの多い大通りでさえ人一人っ子いやしない街の中。カツカツと自分の足音だけを聞きながら待ち合わせに指定された時計台へと足を進める。

 

 隣には誰も居ない。正真正銘一人きりだ。少女───トワは家へ置いてきた。今日の仕事は一人で行くと言ったとき、

 

『───否定。この身はマスターを守るためのもの。離れていてはマスターを守ることができません。どうか私をお傍へ置いてください。()()()()()()()()()()()()()

 

 などと言って付いて来ようとするトワを説得するのは大変だった。なんでも隠匿されている濃い魔力の残滓が検知できたとかなんとか。魔力の探知なんて俺はできないから何とも言えなかったが、どうせそんな大したことでもないし、危険だとわかったらさっさと逃げるからと言い含めてようやく渋々といった具合で了承してくれたのだ。

 

 連れて行かない理由というのは、同じく同行する予定の騎士に変な目で見られたくないっていうのもある。アイツの見た目は、悔しいながら完全に女の子と認めざるを得ないため夜中に連れ歩くなんてことはできない。変死事件の犯人を見つける前に俺がお縄に付けられてしまうだろう。

 あとはなんとなく、危険が予想されるところに行ってほしくなかったというのもある。金属の鎖を柔らかい飴のように引きちぎる力を見ただけでも俺なんかよりも遥かに強いのだろうが、それとこれは話が別だ。仕事でもないのに危険がありそうなところに突っ込ませる必要はないだろう。

 

「……くそ、なんか変だな、俺」

 

 今まで一人で過ごしてきただけに、こうやって他人のことまで考える必要はなかった。自分の安全が確保できればそれでいい。後は野となれ山となれ、例え何か危険があったとしても自分だけ逃げることさえできればよかったと考えて生きてきたはずなのだが。

 『自分』の中に『他人』を含めたくない。()()()から、ずっとそう思って生きてきたし、今だってそうだ。そのはず、だ。

 人は簡単に変われない。変わろうと思ったところでその根元までは変わらない。

 だから俺は利己主義で他人のことなんてどうでもいい冷血野郎のはずだ。その、はずだ。

 

 それなのに、なんで一人で居るとこうもアイツのことを考えてしまうのか。

 ───もやもやする。なんだか頭の中に棘が刺さって、それがずっと疼いているようだ。気になってしょうがない。

 

「……やめやめ。今から仕事だぞ」

 

 頭を振って思考を切り替える。これから危険地帯と思われる場所で巡回なんてことをしなければならないのだ。ぼうっとしてたら命がいくつあっても足りないなんてものじゃない。

 どうでもいいことは置いておいて、今は集中しなければ。

 

 

 そんなことを考えながら歩いているとそこはいつの間にか時計台。待ち合わせ場所に到着していた。

 そこで今夜一緒に見回りをする騎士と合流して目的地に向かっているところなのだが。

 

「───まったく。ベスティアさまもベスティアさまです。なんでこのような得体のしれないボンクラなんかを……」

「はぁ……。そりゃどうも悪かったな。でも俺だって自分からやりたくてやってるわけでもねぇ、向こうに勝手にやらされたんだ。お相子だろ」

「うるさいです。燃やしますよ」

 

 今回のパートナーとして自分と同じように派遣されたらしいベスティアの部下が、むすむすと文句を言いながら如何にも怒ってます、なんてわかりやすく大股で足早に歩いていくところだった。

 ノワール=アルマディン。なんでもベスティア本人から見出されて騎士学校を飛び級、同年代の誰よりも早く騎士隊に所属したというまさに天才といったところか。あのベスティアに直接スカウトされたということで、学校外でも度々話題に上がっている若き新星(ルーキー)だ。

 

 俺と少女はこれが初対面になるわけだが、第一印象は『めちゃくちゃ嫌われてる』、だ。なんというか、道端で昼寝をしていた猫に近づいたら今まで聞いたこともないような強烈な声で威嚇されたような感じだ。

 

 夜闇の中でも映える赤髪に不機嫌そうに細められた緋色の目。身につけている装束はベスティアの部下、つまりは光芒騎士隊の一員という証拠の赤い外套。ただし騎士としては幾らか若すぎるため『着ている』というより『着られている』という印象が強い。

 それでも騎士ということは俺よりもよっぽど強いんだろうから才能というものはすごいものだ。飛び級だなんてここ数年聞いたこともない。途中でやめた身としては、年下だからといって嫉妬する気すら起きない才能の差というのを感じてしまう。

 

『言っておきますけど、私はあなたのことなんて認めないですからね!』

 

 と、開口一番にそう言われた衝撃は記憶に新しい。認めるも認めないもなにも、こちらには心当たりがないのだが。さすがに初対面の人にここまで嫌われるような所業は記憶にない。

 

 おっかしいなぁ、と首を傾げながらもズンズン進んでいく少女に遅れないように若干後ろについて歩いていく。

 

「んで、今日はどこ回るんだ?」

「そんなことも知らないんですか? 呆れました。なーにも知らないんですね」

「それはヴェルベットのジジイに文句言ってくれよ。あの人場所と時間しか伝えてこないし、今日の相方がアンタだって俺もさっき知ったんだからさ」

「……………………むぅ、わかりました。仕方がないので教えてあげます。今日の巡回ルートは街の南部、セクス区をぐるっと一周する形になります」

「セクス区って言ったら……あれか」

 

 セクス区は円形の街で言うところの、時計で言えばちょうど六時に当たる部分になる。家とは街を起点にすると正反対の位置にあるため、あまり近づくことはない場所だ。

 

「行方不明になった人や変死体はこの区画の住人が多いそうです。大方チンピラのサルの縄張り争いでしょうが、命令なら仕方ありません。さっさと終わらせましょう」

「言い方どうなん? ……ま、速く終わらせるってのは俺も賛成だが。というかさっきから歩くの早くない?」

「あなたが遅いのでは? 私は知りませんからっ」

 

 それだけ言ってガスガスと歩いていくノワール。

 ……しっかし、なんか恨まれるようなことしたかなぁ、俺。

 

 ガシガシと頭を掻く。まあ、どうせ今夜限りの付き合いだ。向こうだって今日が終われば俺なんかのこともすっきり忘れてくれるだろう。今後も関わりが続かないというのは気楽なものだ。それならどんなことを思われてようがどうでもいいだろうと思える。

 ……元々親密になることもないのだ。別れることを気にする必要がないというのは、ひどく楽だった。

 

 

「ところであなた。発動体は持ってきてるんですか?」

 

 歩いているうちに冷静になってきたのか、不意に歩調を緩めたノワールが聞いてくる。

 

「ん? まあ一応な。使わないことが一番だが」

 

 ほれ、と腰に提げた金属ナイフを見せる。

 

 発動体とは魔術を扱う際に必須となる触媒のようなものだ。付近にいる生物の魔力や精神状態に共鳴するという不思議な性質を持った金属で出来ていて、魔術師は必ずと言っていいほど自分用に調律したものを持っている。他人のものを使っても使えなくはないが、精度が落ちる。

 自分の場合は短刀、ナイフの形に調律してある。取り回しが効くし、なんとなく合うからだ。

 騎士の場合は片手剣、あるいは両手剣の発動体を好んでいる者が多いのだが……。

 

「お前のは……その…………ナニソレ?」

「何って……見て分かりませんか? メイスですけど。かわいいですよね」

 

 よっ、と、ノワールが掛け声と共に軽々と持ち上げたのは、人一人簡単に叩き潰せそうな威容を感じる戦棍(メイス)だった。鼻先を掠めた風圧にヒヤッとする。

 メイスの殴打部分にはこれ見よがしに痛々しいスパイクがあり、また先端にも槍のような穂先が付いている。見てるだけで鳥肌が立ってくるような武器だった。

 

 それにしても……、

 

「………………かわいい………………?」

「今何か言いました?」

「なにも言ってないです、はい」

 

 思わず敬語で返してしまった。

 なんというか、かなり独特な価値観だった。メイスをかわいいって。ミンチを作るのが趣味だったりするのだろうか。

 

「……ちなみにそれってどう使うの?」

「主に魔術と『魔法』の起点に……まぁあとは普通に叩き潰すくらい、ですね。人がボールみたいに吹っ飛んでいくのはちょっとクセになりますよ」

「こわい! 俺お前のことちょっと怖くなってきたんだけど!?」

「ピーピー喚かないでください、鬱陶しい。……はぁ、こんなことで騒ぐなんて、やっぱりベスティアさまは何を考えてるかわかりませんね。こんな男の何がいいんでしょうか」

 

 呆れたようにため息をつくノワールに突っ込みたくもなる。まるで俺がマイナーみたいな言い方をしないで欲しい。というかベスティアは一体俺のことをなんだと伝えているんだか。よろしくない誤解が生まれているような気がしてならない。

 

 ちなみに『魔法』というのが魔術の例外、体系化されていない神秘のことを指す。

 個人個人が持つ性質を元に発現するそれはその性質上、ある意味魔術よりも多彩と言えるがそれ故に体系化することができない。なぜならこの世にただ一人として同じ人間は生まれないから。あとは単純に魔法が発現する母数自体もあまり多くはない。魔術を扱える人間の中でも一握り、という具合だ。それ故に扱いの難しさは魔術の比ではない。なんせ教本なんかが全く存在しないのだから。

 

 単純な戦闘能力に加え魔術の素養、そこへ魔法も加わるとなれば、相当なものだ。あのベスティアがスカウトしたというのも納得の才能と努力の併せ持ちだ。

 

「すごいなぁお前」

「……なんですか急に、気持ち悪いんですけど。褒めたからって私はあなたのこと認めませんからね」

「普通に褒めただけだろうが! めんどくせぇ!」

「それであなたは? まさか私だけに喋らせるつもりはありませんよね。手の内をすべて晒せとは言いません、せめてどんな魔術が使えるくらいは教えなさい。早く」

「わかったわぁかったって! 頼むからその物騒なもんを向けるんじゃねぇ!」

 

 せっつくように語調を強くするノワールをなだめて答える。まぁ面白いものでもないのだが。

 

「いや、俺は()()()()()()使()()()()()()()()

 

 そう言うと少女は驚いたように目を丸くして、次の瞬間なぜか怒ったように睨みつけてきた。

 

「……どういうことですか? まさかそんなに私のことを馬鹿にしたいのですか? それとも私は信用できないので教えるつもりはないと?」

「いや違うって。普通にそのまんまの意味だよ。俺は普通の魔術は使えない」

 

 本当に言葉通りの意味である。リュコス=イフェイオンは魔術を使えない。これは師匠からも直々に言われていることだ。

 その理由は至極単純だ。つまるところ『才能ナシ』。どんなに頑張ったところで、俺は魔術の一つも発動できない。それが動かぬ事実である。

 

「……ふーん。そうなんですか。わかりました」

 

 それでもどこか納得の言っていない顔をしているノワールに睨みつけられて、ガリガリと誤魔化すように頭を掻く。

 

 それっきり目的地まで無言になった。なんとも気まずい沈黙だった。

 

 

 

 

「ここからは別行動にしましょう」

 

 セクス区の入口へたどり着いた時、唐突にノワールが口を開いたかと思うとそんなことを口走った。

 

「は? いや、二人で組んで巡回するって話だったろ?」

「気が変わりました。こんなもの、やっぱり私一人で出来ます。あなたは先に帰っててもらって結構です」

 

 思わず少女の顔を見ると妙に険しいものを感じる。勘だが、それは俺に対してではなく、どこか別のものへ向けられているような気がする。その原因が俺にはわからない。

 

「……っておい!? マジで一人で行くのか!?」

「付いてこないでください。今日はお疲れ様でした。では」

「お疲れ様ってまだ何にも───、」

 

 俺の止める声も聞かずにスタスタと歩いていくノワール。ちょっと自由過ぎないか?

 その後ろ姿はあっという間に夜に溶けて消えてしまった。

 

「……………………じゃ、帰るか──────ってわけにもいかないしな。仕事だし」

 

 呼び止めようとして挙がっていた腕を降ろし、何気なく自分も違う路地へと向かう。去り際のノワールの態度が気になるがおそらく大したこともないだろう。区を一周すると言っていたし、自分も反対側から回り込めばそれだけ早く済むだろう。さっさと合流して今日はそれで終わりだ。家で待っているはずのアイツも気になるところだし。

 

 ……本当に大人しく待っているのだろうか? なんだか怖くなってきた。戻ったら家ごとぶっ飛んでたなんて最悪な状況は見たくない。

 

 想像した光景にぶるりと背筋を振るわせて足早に歩き始める。一度気になると途端に不安になってきて仕方がない。

 

 

 

 コツコツ、と。自分の歩く音だけが暗い路地に響く。いつの間にか周りからは虫のさざめき一つ聞こえない。壁を挟んだ空間に人が住んでいるとは思えないほどの静けさだ。耳鳴りさえしてくるような静寂。忍び寄ってくるような緊張に、僅かに唾を飲みこんだ。

 

 今日は月が出ている。煌々と照る満月は夜闇の中でひと際明るく、歩くだけならば不自由しないほどに暗闇を照らしてくれている。

 それだけに、光の当たらない場所へ色濃く作られた影がやけに嫌な想像をかきたてる。

 無論、そこには何もない。嫌な想像というのも物騒な話を聞いていたために湧き上がった妄想の類に過ぎない。だから、何もあるはずがない。

 

 ───なら、この得体のしれない感覚は何なのだろうか。

 ざわざわと、影が動いているような錯覚。あるいは誰かに見られているという感覚。

 

 ふと。視界に異物が映り込んだ。

 道の真ん中に落とされたそれは、月明かりで僅かに光っていて。近づくと鼻に突く異臭。

 

 血痕だ。まだ新しく、乾き切っていない。

 

「──────」

 

 無言で腰に提げていたナイフを引き抜く。

 ───何かが、起こっている。根拠もなく、漠然とそんな予感が脳裏をかすめた。

 

 血痕は途切れなく路地の先へ続いていた。

 

 ───進むか。無視するか。

 ……僅かな逡巡の後、点々と続いた赤い染みを辿るように足を進め始めた。

 

 なぜかはわからない。この深夜に血の跡だ、たどり着いた先に居るのがただの怪我人、だなんて希望的観測をしているわけでもない。普通に考えれば無視をすればいいはずだ。後で騎士と合流した際にそういえば、とでも言って何気なく報告してやればいい。わざわざ自分が関わる必要なんてどこにもない。

 そう思うのと同時に、()()()()()()()()()()()()()、と。どこか確信めいた予感があった。これを見なかったことにすれば、何か重要なことを見落としてしまうと。そんな気がしていた。

 

 ゆっくりと、足音を立てないように。音を殺して歩いていく。普通、足を忍ばせる理由はただ一つ。誰かに気づかれないようにするためだ。今の俺もそうで、誰か、何者かもわからない『ソレ』に気づかれないように細心の注意を払っている。理由もわからずに被害妄想じみた警戒を張り詰める。

 

 目的地はもうすぐそこだ。正面の曲がり角。壁が邪魔でその先は見通せないが、そこにおそらく()()は居る。

 

 物音がかすかに聞こえ始めた。何の音までは判別できないが、音は断続的にこの先から響いてきている。

 それは血痕の正体へ確実に近づいていることを示していた。

 

 いつの間にかじっとりと汗をかいていた。短刀を握った手は不必要なほど異常に力が入っていて、喉はカラカラに乾いている。荒くなりそうな息を止め、震えそうな足を進める。

 

 ふと、風向きが変わった。同時に嗅覚が異常を捉える。

 ───瑞々しい、(にく)の匂い。

 それは確かに、この先から漂ってきていた。

 

 雲に月が隠されたのか、一瞬視界が漆黒に切り替わった。月明かりの無い路地は一層暗く、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 目は既に夜に慣れている。例え月が隠れようと問題はない。一歩進んで視界を左に向けたら、すぐにでも確認できる。だがしかし、果たしてそれでいいものか。

 

 微かに聞こえるだけの音は、もはや耳を澄ませる必要もないほど大きく近くなっていた。

 ぶちぶちと繊維を裂く音。何か硬いものが砕ける音。湿っぽいものが落ちる音。聞いているだけで身の毛がよだつ。

 

 ───潮時だ。

 頭の中で冷静な声が告げる。ここで退け、これ以上は引き返せない。見たら最後、きっとおぞましいものを見るだろうと。

 

 足を止め考える。考えようとして、考えるまでもないと振り切った。

 ここまで来たのだ。とっくに後戻りできる地点は過ぎている。ならあと残っていることは一つだけだろう。

 

 そう決めて路地の先を覗き込む。

 壁で遮られたその先の光景が視界に入り───、

 

「───え?」

 

 真っ白な声が漏れた。純粋な困惑という色に染まった反射的な動作。

 

 感じていた予感は、ある意味では当たっていた。だが、これはなんだ。

 理解できない。頭の奥が痺れたように冷えていく。

 

 真っ先に理解したのは暗闇の中でさえ鮮烈に視界へ焼き付いてくる赤だった。

 その次に、ようやくその赤の中でうごめいているものに気が付いた。

 

 路地の先。物音を立てていたのは複数の人間だった。

 手足があり、胴があり、頭があり、一心不乱に地面に置かれた何かへと向かってガツガツという音を立てている。

 

 ───否。人ではない。

 ()()が人であるはずがない。人であるならば、知性があるのならばあんな犬のように獲物へ食らい付いたりなどしない。いいや、それよりも、人は体の一部が欠けた状態で動けるような生き物だっただろうか?

 腕があらぬ方向を向いているもの。片足が取れているもの。頭が割れているもの。眼球が飛び出しているもの。

 赤の中で蠢いているナニカは人の形をしていながらも、到底人とは思えない。

 

 まるで腹を空かせた獣だ。

 

 完全に動きを止めた肉体をよそに、思考だけがどこか俯瞰しているかのように冷静に分析する。

 

 あれが獣だとすれば、()()()()()()()

 

 赤の中心を見る。

 それはたった今、人の形を失いつつあるものだった。

 

 周囲に散らばった赤い布きれと、赤く染まった糸の束のようなものと、赤く濡れた四つの棒状のものが無ければそもそもただの肉塊としか見れなかったかもしれない。いや、そう見れた方が幸運だったかも。

 

 獣が熱心に頭を動かすたびにビクビクと揺れて、断面から白いものが見え隠れする。それで辛うじて気が付いた。気が付いてしまった。

 

「──────、ぁ」

 

 そこでようやく理解する。

 赤いものは飛び散った血で、食っているのは人のようなナニカで、食われているのは人間なのだ。

 

 理解した瞬間に思考は一切の余地なく白く染まった。

 背筋が氷塊をねじ込まれたかのように冷えていく。べったりと嫌な汗が噴き出してくる。特大の異常を前に筋肉はこわばり、体が硬直し続ける。

 

 理解できない。したくない。

 そう思ったところで目は恨みたくなるほど正常で、容赦なく異常な現実を網膜に焼き付けてくる。

 月明かりでぬらぬらと照る赤色が正気を削る。叫び声を上げそうな喉を辛うじて残った理性で押しとどめる。

 

 行方不明とは、そういうことだったのだ。

 どこかにさらわれたとか、監禁されたなどといった文化的な理由ではなく。

 つまるところ、もっと原始的に、()()()()のだ。

 

 骨も残さず食われたから本人はどこにも見つからない。実に簡単な理屈だ。

 

 ───違う。そうじゃない。

 そんなことは今考えるべきことじゃない。

 

 この状況を見た自分はこれからどうするか。

 戦う? 冗談じゃない。()()()()()が一人増えるだけだ。

 逃げる? 当然で最善だ。一度身を引く。そのあとどこかにいるノワールと合流し、状況を伝えたあと撤退する。それが俺にできる唯一のことだ。

 

 そこまで考えて、はたと気づいた。

 路地の奥、目の届きにくい行き止まりにまだ生きている者がいる。

 夜目が効くことが災いした。この両目はしっかりとその姿を見て、知ってしまった。

 

 小さな女の子。まだ学校にも行っていない年齢だろう。

 暗がりにうずくまって、(ボウ)、と虚ろな瞳で目の前の惨劇を見ている。

 ……あの目は知っている。あれは、現実が心の許容範囲を超えた目だ。理解できず、しかし遠ざけることも出来ず。結果的に受け入れることしかできないということを突きつけられた目だ。

 

 …………なら、今食われているのは。

 

 思わずナイフを強く握りしめる。

 

 あの場に居て未だに襲われていないのは、あの獣が目の前の獲物に夢中になっているからか、子供が物音を立てずにじっとしているからのどちらか、あるいは両方だろう。

 ご馳走が無くなれば、すぐに子供にも気づくだろう。このままなら、俺の方にも。

 

「──────」

 

 時間はない。悠長に考えている暇はない。

 獣の数は五体ほど、どれもこちらに気づいている様子はない。

 

 このまま黙って立ち去れば、ひとまず俺は安全に撤退できる。その後あの子供がどうなるかは───想像に難くない。まともな未来はないだろう。

 

 子供を助けるのならあの中を突っ切って戻ってこなくてはならない。それも、帰りは子供を連れて。

 

 やつらが気づいていない今なら隙を突いてどうにかできるかもしれない。()()()()()()()()()()()()

 もしやつらの方が気づくのが早かったら。追いつかれてしまったら。もしも、もしも、もしも。可能性が泡のように浮かんでは消えていく。

 

 子供が顔を上げる。目が合う。思わず奥歯を噛み締める。その目からどうしようもなく『■■■■』と呼ぶ声が聞こえてしまったから。

 やめてくれ。俺にこういう役は向いていない。俺よりももっとふさわしいやつがいるだろう。そいつの方がもっと完璧で、完全に、こんな悲劇なんて打ち砕いてくれると知っているから。

 

 そう思っても願っても、今ここに居るのは俺なんだ。

 

 どうする。どうする。どうする。どうする。

 撤退。救助。逃走。戦闘。頭の中で繰り返される二択。思考はとっくに正常な判断を見失っていた。

 

 そのままゆっくりと足を動かす。前に動いたのか後ろに動いたのか、自分でもわからないままに。

 

 ───と。

 

 パキ、と。乾いた音が足元で響いた。

 反射的に視線を向ける。

 そこにあったのは薄黒く汚れた白い棒。

 それが乾いた血と肉のこびり付いた人の骨だということに気づくのにそう時間はかからなかった。

 

「なっ──────、」

 

 理解した時にはもう遅い。

 顔を上げると餓えた視線を向けてくる獣の群れ。食事をやめて、新たな獲物へと向かって標的を定めているのがわかる。わかったところで何の意味もないが、蛇に睨まれた蛙というのはこういうことなのだろうと他人事に思う。

 

 ───がちゃがちゃと背後からも足音が聞こえる。数は同じくらい、ちょうど倍になっただろうか。一体どこへ潜んでいたのだろうか、いつの間にか囲まれているようだった。無論振り向いて確認している余裕などないが。

 

 逃げる。どう逃げる? ここはとっくの昔に袋小路。もはや逃げることなどできない。

 

 なら、どうする?

 

「──────、あ」

 

 考えてる時間など、もとよりなかった。

 飢えた獣の群れが歓喜の唸り声を上げながら、喰いつくすとばかりに俺の無防備な肉へと向かって牙を突き立てた。

 




・ノワール=アルマディン
赤髪赤眼メイス女。ベスティアが好き。リュコスが嫌い。


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6.生存衝動<Killing Arts>

 最初に正面の一体が飛びかかった。

 口からみっともなく涎と血を垂れ流しながら。猛然と。

 

 それなのに、麻痺した頭は戦うことも、逃げることも、選択してはくれなかった。

 

 近づく獣臭。大きく開いた口から覗いているのは、半ば砕けて不揃いになった粉砕機(口と牙)。獲物を食らうため、殺すために、それが勢いよく俺の首へと突き立てられようとする。

 

 混乱し切っている頭にとって、それは反応出来ない速さだった。回避も、防御も。迎撃なんてできるわけがない。動けない。

 

「あ───、ッ!」

 

 直前でようやく体が動く。

 咄嗟に自分と相手の間にナイフを握った手を差し込んだ。

 ぶすり、と。手を丸ごと口の中へ突っ込んでそのまま獣の口内に埋まる刃。しかし。

 

「こ、のぉ…………ッ!?」

 

 ()()()()()。それどころか、そのまま引き抜こうともせずにこちらの腕を食いちぎろうしている。

 ナイフを持つ手と腕の間、その柔らかい連結部を嚙み千切ろうと顎を閉じようとしてくる。

 

「ぎぃ、ぐ───、」

 

 歯が食い込んだ腕から、チリチリと火花のような痛みが走る。ゴリゴリと磨り潰されているような錯覚。あるいは、今この瞬間に錯覚ではなくなるかも。白く視界が明滅する。

 

「っ───!」

 

 ぐい、と押されて壁へ押し付けられる。伸びてくる腕を振り払い、顔面を掴んで腕へと力を込める。

 それでも腕は抜けない。閉じかけた顎が邪魔で引き抜くことができない。

 

 ───ふざけるな、人間は、こんな状態で物を噛める生き物じゃないだろう……!

 

「■■■───」

 

 喘ぐ獣の口からボタボタと血が垂れていく。それは腕を嚙み千切られようとしている俺の物なのか、口内を貫かれた獣の物なのか、判別はつかない。だがそもそも今この瞬間に食われかけている俺にとってはどうでもいいことだ。

 

「は───な、せ」

 

 逃れることはできない。獣はしっかりと俺の腕へと食らい付いている。

 引き抜いたところで、自由になった獣の顎が今度はこっちの喉笛を引き裂くだろう。

 

 そもそも最初から逃げることなどできない。

 今となっては逃げようとすら思っていない。

 俺は生きたいだけだ。こんなところで死にたくないだけだ。

 

 なら、やるべきことは決まっている。

 目の前の、コイツを殺せばいいだけだ。

 

 それなのになぜ躊躇う。殺さなければ殺されるという究極の現状において。手を下すことを恐れていてはただ死ぬだけだというのに。

 

 ……答えはきっと、呆気ないほどに単純だ。

 俺は責任なんて負いたくない。こんな選択なんてしたくない。きっと、ただそれだけのこと。

 

 かつて人だったナニカ。今はもう人ではないナニカ。

 そう()()()()()()と思うだけで思考が鈍る。

 

 馬鹿だ。自分で自分に呆れてしまう。

 そう自嘲しようとして───飛び散った血がいつかの記憶を思い返した。

 

 

 自分という個を確立した原風景。その一端。

 赤と、赤。そこに倒れ伏す幼馴染(アイツ)と、ナイフを持った自分の姿。

 

 ───そうだ。なにを躊躇う必要がある。

 

 倒れているアイツへ跨って、両手でナイフを振り上げる。

 

 ───俺は、既に一度。

 

 祈るように僅かに開いた目は、何を伝えたかったのだろうか。

 

 ───人を、殺している。

 

 

「………………あ」

 

 脳裏に浮かんだ光景に思わず動きが止まる。

 動きを止めた隙を突いた獣が動く。

 

 皮膚と肉と血管と骨を裂く音と共に鮮血が舞う。

 手首を食いちぎった獣は止まらず、そのまま俺の喉笛を噛み裂いた。

 

 リュコス=イフェイオンは死んだ。

 

 ───いいや、それはありえない。

 リュコス=イフェイオンはこの程度の獣に殺されたりなどしないし、死ぬつもりもない。ましてやこの程度の光景に我を忘れるなんてこともない。

 

 なぜなら。俺は既に、これ以上の惨劇を目にしたことがあるはずだから───、

 

「──────」

 

 ガチン。頭の中で、何かが切り替わる。

 理性が振り切れる。原初の欲求のままに体が動く。

 

 腕を噛み切られる直前。口内で持ち替えたナイフを真下へ振り下ろす。閉じようとする顎が邪魔だが、無視する。そのまま体重を掛けて顎を砕きながら胸の半ばまで強引に引き裂いた。正面から真っ二つ、がらんとした体腔はまるで不出来な魚の開きのようだ。

 

 獣の体は驚くほど軟らかかった。肉も皮膚もグズグズで、生命の鼓動というものがまるで感じられない。まるで枯れて干乾びた倒木のようだ。力を込めれば踏みつぶすのも造作ない。

 

 不格好な開きになった獣がなおも腕を伸ばす。こんな状態になってもまだ動くらしい。

 

 邪魔だ。簡潔に首を切り落とす。ごとり、と頭と体が地面に落ちる。それで完全に動かなくなった。

 どうやら頭部近くへ深い傷を負うと動けなくなるらしい。

 

 思考はあり得ないほど冷静だった。まるでここに居ながらどこか遠くで眺めているような俯瞰視点。自分の体が自分のものではないみたい。

 

 ナイフを逆手に持ちながら続く二体目と三体目を眺める。仲間が死んだというのにお構いなし、やつらにはそういったことを考える知性すら残っていないようだった。ただ喰らい、奪うだけの獣畜生。

 

 あぁ、だがしかし。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (ザン)(バツ)

 二つの音が鳴る。

 

 まず近い位置にいた二体目へと駆けより、必要最小限の動きで首の皮一枚残して頸椎を切断する。

 その体が地面へ落ちる前に続く三体目へ。駆ける勢いのまま蹴り倒し、倒れて動きの止まったその額へ深くナイフを突き刺した。

 

 動きは無駄なく正確に。まるで芸術のような殺人技巧(キリングアーツ)。忌々しくおぞましい負の産物。モノを殺すという行為に対してのみ、この体は全才能を発揮する。

 

 残るは七体。これだけやっても数の優位は覆せない。だが、それさえまるでどうでもいい。

 

 奴らは食うことしか頭にない畜生以下だ。その身肉は腐っていて動いているだけで生命の冒涜だ。俺を殺そうとしてくる敵だ。

 

 ───解体しろ(ころせ)蹂躙しろ(ころせ)。体に根付いた衝動が唸りを上げる。

 アレらを許すな。一匹たりとも逃がすな。今この場で、お前の手で解体してやれと。

 

「──────だま、れ」

 

 こんなの俺の意思じゃない。だって仕方がないんだ、殺さなければ殺されるのだから。

 俺はこんなこと望んでいない。こんなの俺の本心じゃない。

 ああ、でも───その声にひどく抗いがたいのも、また事実だった。

 

 これが俺の原理。巣くう呪い。忌々しい魔法に他ならない。

 

 あとの結果は言うまでもない。

 残った獣は斬られ、刺され、あるいは完膚なきまでにその五体を解体されて。

 子供の方へ向かう者はその腕を掴んで引き寄せて、壁へ頭を打ち付ければ柘榴のように砕けた。

 

 最後に残った一体の首が地面に落ちる音が終わりを告げた。

 これで全滅、残っているのは死屍累々。

 この場で生きているのは自分と、子供だけ。

 

「──────う、おぇっ」

 

 それを理解した瞬間に理性が戻ってきた。むせ返るような血の匂いに、ようやく吐き気がこみ上げてくる。

 

 気分が悪い。最悪だ。

 昇ってきた胃酸をなんとか飲み下す。

 昼飯を食べていたら吐いていたかもしれない。

 

「……くそっ、なんだこれ」

 

 転がっている獣の死体に目を向けて顔をしかめる。

 ナイフを突き刺した瞬間から感じていた違和感がわかった。

 

 こいつらは()()だ。死にながら動いていたのだ。

 どういう技術か、あるいは魔術の仕業なのかはわからない。

 それでも、すでに手遅れだったということだけはわかる。

 

 ……それがなんの慰めになるのだろうか。

 

 自己嫌悪を振り切って子供へと近づいていく。

 

「──────」

 

 大丈夫か、なんて白々しい言葉は言えない。俺がもっと早く来ていればこんなことにならなかったかもしれないのだ。『君だけでも生きていてよかった』───なんて偽善。俺にそんなことを言う資格はない。

 

 目の前で手を振ると、わずかばかりの反応が返ってくる。手を差し出すと怯えながらも手を掴んで来る。せめて安心させるようにその手を握った。

 

 地獄と化した路地。その中で、この子供だけが唯一の救いだった。

 

 俺には、かける言葉が見つからない。

 ただ苦い思いが胸に湧いてくる。

 

 だがこのままここに居るわけにもいかない。早く安全な場所へ移動しなければ。

 

「──────、ッ」

 

 そう考えた瞬間、ゴゥン、と。少し遠くで地響きが聞こえた。

 それと同時に感じる戦闘の気配。足音、破砕音、唸り声。肉の潰れる音。

 

 馬鹿か俺は。なにを勝手に終わった気になっている。

 それは、考えれば至極当然のことだった。今この時、巡回をしていたのは俺だけじゃない。もう一人、ノワール=アルマディンも居る。

 俺があの獣どもに襲われたのであれば。同じくノワールも襲われている可能性もあるということ。そんな当たり前のことを今の今まで失念していた自分に呆れと苛立ちが湧いてくる。

 

 咄嗟に走りだそうとして───自分の手を握っている子供のことが頭に過った。

 この場に置いていくのは論外だ。ならば連れて行くしかない。だが、それはこの子供を更なる危険に晒すことにならないだろうか。

 この戦闘音から察するに、十中八九あの少女騎士は襲われている。であれば、この子をその場に連れて行くのは危険だ。戦闘に巻き込むことになるし、庇いながら戦うなんてできっこない。

 

 だが、それでも。ここに置き去りにするなんてことは絶対にできない。

 

 なんという中途半端。だが関わってしまった命だ。途中で投げ出すことは、したくない。

 

「おい、返事はしなくていいから聞け。今からお前を連れて行く」

 

 子供を背負って茫洋とした瞳を覗き込む。

 ……反応はない。ただ服を掴んだ手に、僅かに力が入ったことだけは感じ取れた。

 

 

 音の下へひた走る。

 近づけば近づくほどに道端へ転がっている死体や血のシミが増えていく。

 背負った子供が見ないように手で目を覆いながら駆けていく。

 

 数が多い。俺を襲ってきた群れより、ずっと多い。二十やそこらでは効かないかずだ。もしかするとこの区画に住んでいる人数ほどもいるのではないか。この数に一斉に襲われたら、いくら誰だろうと太刀打ちできないのではないか。

 いやな想像が不安を掻き立てる。

 

 断続的に体を震わせるような衝撃と音が響いている。

 音はあの角を曲がった先だ。

 

「おい、大丈───」

 

 大丈夫か、という声が。広がっていた予想外の光景に思わず途切れた。

 

 視界に広がる真っ赤な色。つい先ほど見たばかりの惨状を拡大したかのような景色は、きっとあの獣どもの成れ果てだろう。

 バラバラにされた死体は執拗な攻撃でほとんどが原型を失っており、なぜかブスブスと煙を上げているものも。見ているこっちが鳥肌が立つような、ゾッとする肉片と化しているものすらある。

 

 その、中心で。一人の少女が踊っていた。

 

「もっと、もっとくださいな! もっとわたしを楽しませてくださいな! これで終わりではないのでしょう!? もっと私を昂らせてくださいな!!」

 

 否、踊ってなどいない。ただあまりにもその顔が場にそぐわないほど華やかで壮絶な笑みであったから、そう見えただけの話。

 

 少女は獣に囲まれていた。しかしそれになんら危機感を覚えない顔で楽しそうに、とても楽しそうに。哄笑を上げながらその手に盛った灼熱と化した煉獄のメイスを振るう。

 一つ、振るうたびに獣が纏めて薙ぎ払われる。赤熱した殴打部が接触した瞬間に獣の体を業火で包み、その身を燃やし尽くす前に圧倒的なまでの威力が文字通り()()()()()

 吹き飛ばす、などという言葉すら足りない。殴打された部位はそれこそ血煙と化し、はじけ飛んだ骨がまるで散弾のように他の獣を襲った。

 

 もはや獣の群れは脅威ではなかった。メイスという鈍重な武器でありながらその速さは獣の比ではない。振るった後の隙を突いて飛びかかろうがその前に返しの一撃が突き刺さる。

 獣の群れは既に狩られるだけの存在と化していた。

 

 おそらくはそれが彼女に宿った原理の一片。他者を『蹂躙』する極めて攻撃的な力の形。離れた場所で見ていながら、その光景に薄ら寒さを覚えるほど。

 

「なっ───、」

 

 ノワールのほうも襲撃されている、という予想は当たっていた。

 だがこれはどういうことか。

 予想外の光景に思考停止しかけて、頭を振って気を取り直す。

 

 既に大半は動かなくなった後。残っているのも、死体の量から察するに全体の2割ほど。

 それも彼女が動くたびに、風の前の蠟燭のように散って行く。

 

 というかアイツあんなにハイになるやつだったんだ。人は見かけによらないということか。割と大人しいという印象がなくもなかったのだが。ちょっと、ギャップがすごい。

 

 (ドウ)、と。最後の一体が血煙と化した。バラバラと肉片が落ちる音を最後に静寂が訪れる。少女は息荒く、口元に笑みを浮かべながら肩で息をしている。

 

 ……少しだけ、声を掛けることが躊躇われた。

 あの様子は尋常ではなかった。もしあの暴力性が見境なく周囲へ撒き散らされたのなら俺には対応する術がない。

 

 どうするか。悩んだ瞬間に、少女の体勢がぐらりと崩れる。

 

「ッ、おい!」

 

 迷いを振り切って駆け寄る。少しでもあの少女に脅威を感じた自分を叱責する。いくらあれほどの蹂躙劇を演じたとて、ノワール=アルマディンがただの女の子であることは変わらないのだ。

 現に今、返り血に濡れながらも膝を付きメイスを地面に突き立てて支えとしている姿は消耗し切っている。無傷だろうが、無事とは言えない。

 

「おい、大丈夫か」

「───ッ、あぁ……あなた、ですか。だから帰ってって、言ったはずなのに……」

 

 声を掛けると、夢見心地のような若干胡乱な目でこちらを見てくるノワール。よかった、あんな理性ぶっ飛びバーサーカーになるのは戦闘の時だけらしい。まだ怪しさはあるが、少なくとも会話はできる状態のようだ。

 

「その子供は?」

「成り行きで保護した。こっちにも()()が出てきたからな。お前の方よりは少なかったから何とかなったが。というかお前、ここがこうなってること、知ってたのか?」

「足を踏み入れた時から何となく。消えかけでしたが変な魔力の残滓があったので」

 

 ……なるほど。だから魔術の使えない俺を帰らせようとしたのか。確かに、あれは魔術もろくに使えない一般人では太刀打ちできない。

 この街の異常に真っ先に気づいたノワールはそうやって俺を逃がそうとしていたのだ。その事実に心の中で感謝する。

 

 そう思ってノワールの顔を見ると、どこかバツが悪そうに、申し訳なさそうに身を縮こませた。なんだろうか。

 

「……見てましたよね。さっきの私。おかしいですよね、魔法を使うとどうしてもこうなってしまって」

 

 恥じるように目を伏せる。

 

「気持ち悪いって言っていいですよ、自覚してるので」

「──────」

 

 まるで酔いが醒めたかのような表情で、少女は自虐する。

 

 ……確かに、先ほどの光景を見た瞬間に衝撃を受けたのは事実だ。自分より年下の女の子が鈍器を振り回して人の形をしたものを躊躇いなく粉々にしているのだ。驚かないはずがない。

 だが、あの獣は明らかに『敵』だった。放置すれば間違いなく更なる悲劇を生み出す化物だった。だからそれを一掃して止めた少女は、これから起こるはずだった惨劇を阻止したと言ってもいいはずだ。そこにどんな気持ちがあったとしてもその事実は変わらない。なら、彼女はそれを誇っていいはずなのに、なんで自分を卑しいとでも言うかのように目を伏せるのか。

 

 気に入らない。気に入らないから、ついムキになって口を出した。

 

「誰にだってそういうことはあるだろ。魔法ってのは自分の『原理』に直結してる、扱いの難しさは魔術の比じゃない。戦闘中に()()()()にまともに使えてるだけよっぽどすごいと思うよ、俺は」

「……変な、こと言うんですね。頭おかしい人だって心の中で思ってるんじゃないんですか?」

「なんでだよ。そりゃちょっとびっくりしたのは事実だけど、別に嘘付く理由はねーよ。お前は俺なんかよりもすごい。よくやったと思う」

「──────。なにそれ、変なの。よく変な人って言われませんか?」

「ますます何だよそれ、無いよそんなこと」

 

 失礼な。俺はいたって常識人だというのに。

 ムッとして言い返すと、ノワールははにかむように笑って立ち上がる。その顔に先ほどまでの憂いはもうない。それに少しほっとする。

 

 改めて周りに目を向ける。

 辺りに散らばる肉片はほとんどがノワールの大槌とその剛力によって潰されたものだ、中には地面の石畳や建物の壁ごとぶち壊されてるものある。

 

 ……と、そこでふと気づく。

 

「おい、ここらの住人は?」

「安心してください、私が見境なく手あたり次第に手を付けたというわけではありませんので。……どうにもこの辺りに人間は居なかったようで。音で気づく人も、逃げる人も居ませんでしたので遠慮なく全力でやりましたが」

「…………」

 

 言いようのない違和感。

 

「誰も居ないってのは、おかしくないか?」

 

 というか、これだけの数の歩く死体とでも言うべきものが徘徊していたら、一人くらいは気づいて騎士団に通報する人が居てもおかしくないと思うのだが。

 

 突如現れた大量の怪物。消えた住人。

 謎は深まるばかりだ。

 

「───いや、ちょっと、待て」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ゾクリ、と。足から百足が這いあがってくるような、怖気が走る。

 

 ───なにか。

 そこで、なにか。気づいてはいけないようなことに気づいてしまいそうな予感がして───、

 

「おにいちゃん」

「っ」

 

 背負った子供の声で現実に引き戻される。

 そうだ、今それを考えてる場合じゃない。今のところ危機は去ったとはいえ、未だ渦中ということは変わらないのだから。まずはこの異常事態を外部に知らせなければならない。師匠か誰か、話の通じる人に報告するために撤退しなければ。

 

「あそこ」

 

 子供が邪気なく指を指す。その先には。

 

「──────」

 

 

 それは、紛れもない『怪物』だった。

 ガリガリと、何かを削るような音を伴いながら街の暗闇からずるりと現れたそれは、霞を纏った一体の男だった。

 伸びた白い髪。血色の無い肌。口元から覗く牙。血に濡れた黒のコート、狩装束。髪の隙間から覗く瞳は、何かに取り憑かれているかのように()()()いた。

 まるで亡霊。直視するだけで引き込まれそうな錯覚。咄嗟に目を逸らす。

 

「"ハ──────ァ″」

 

 喘ぐような男の呼吸が聞こえた。それだけで全身が総毛立つ。

 

 右手に引き摺っていたのはあまりにも異様な武器だった。剣というには巨大すぎて、また異形。

 敢えて言葉にするならば、それは『(のこぎり)』。長大な全容、幅広の刀身の側面へ付いた乱ぐい歯のような歪な刃。持ち主である男よりも巨大なそれは、あらゆるものを刻み断つ大鋸と表現できる。

 

 気配が違う。空気が違う。格が違う。存在規模が違う。何もかもが普通の人間とは違う。

 

 先ほどまでの獣と比べれば、その姿は全うな人間に近しいはずなのに()()と本能が告げている。

 あれは関わってはいけない。見ることも触れることも、あれに()()()()()ということさえ避けるべきだと言っている。

 

 体が全力で逃走しようと努めている。恐怖がその信号伝達を妨害する。結果その場から動けずに体を震わせる。

 

 男が一歩踏み出すたびに、怖気が走る。

 ピシピシ、と周囲の建物が悲鳴を上げる。

 吐く息さえ凍てつくような恐怖が襲い掛かる。

 

 そしてそれは起こった。

 男の体からにじみ出る霞のようなものが道端に転がっている死体の一つを掠めたときに、それは起こった。

 

 (ゾブ)、と。音を立てて死体が崩れ落ちる。

 

 見ればわかる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 間違いなく尋常ではない。既存の法則に寄らない現象は間違いなくあの男の魔法によるものだ。だがあれはあまりにも常軌を逸している。

 今までのこの街の異常がすべてあの男の仕業であると言われたら、無意識のうちに納得できる。

 あれは一種の災害だ。敵視も殺意もなく、()()()()()()()というだけで命を殺す呪いの塊。歩くだけで草木を踏みつぶすように生き物を殺す、本物の怪物。

 

 ───どうする。

 

 脅威は去ってなど居なかった。否、これと比べれば先ほどの獣なぞ児戯にも等しい。

 

 ここでようやく始まりだ。

 意識せずともわかる。全力を尽くさねば死ぬだろうと。

 

 ───どうする。

 

 こちらには子供が一人。余力のない騎士が一人。凡人が一人、

 対して向こうは怪物だ。戦わずともわかる歴然とした生命としての規模の差。それはまさに嵐に対して挑むようなものだ。あまりにも馬鹿馬鹿しくなるほどの荒唐無稽な実力差。

 

 ───どうすれば、生き残れる?

 

 

 絶望が、来る。

 




・ノワール=アルマディン
魔法によって加圧白熱したメイスであらゆるもの叩き潰す。大出力だが消費も大きく、原理に目覚めたばかりなので加減が効かない。

『蹂躙』の原理所持者。


・魔法
自らに宿る原理を外界に出力する魔術のこと。自分の持つ原理を自覚していなければ使えないという条件から使用できる者は少数。
この世に同じ人間が二人と生まれないように同じ魔法は存在しない。


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7.破滅の杖Ⅰ<Lvateinn>

 

 己を苛む強烈な飢えと渇きで、()()は目が覚めた。

 

『"ア──────ァ"』

 

 暗闇の中で絶叫する。まるで胃をとろ火で炙られているかのような食欲。刺すような渇き。それらが強制的に意識を覚醒させる。

 

 耐え難くて喉を搔きむしった。爪が皮膚を食い破り肉を抉り血が噴き出す。

 逃れたくて頭を打ち付けた。額が割れ頭蓋が割れ、血とか、脳漿とか、そういったとろとろとしたものが垂れてくる。

 

 そこまでしても一向にその餓えは収まらない。気を紛らわせることさえできない。

 満たしても満たしても満たされぬ衝動。まるで底が抜けたかのように際限なく懇々と湧き出る渇望。気が狂いそうになって、己の体に爪を立てる。己を破壊してそこから得られる痛みだけに集中する。

 

 完全な無意味だ。正気などとうに失っているが故に、ただ自分の体を壊すだけでそれは終わる。

 

(……忌、々、しい。女狐、め)

 

 己がこの街を訪れた理由を思い浮かべようとし───すぐにその思考能力は膨大な衝動に掻き消される。怒りも、屈辱も、すべてが一つに呑まれて消え去っていく。

 

 人外、吸血種であるそれが持つ本来の吸血衝動。そして掛けられた渇望の呪い。二つは混ざり合い、もはや男一人では逃れられぬ鎖となってその体を縛りつけていた。

 

 故に、男は活動を再開する。もはやその体は衝動のままに血を求めるだけの動物と化してるがために。無意味と理解としていても、耐え難い渇きが男の体を突き動かす。

 

 その鎖が断たれるまで、幾億の血の川が流されようと止まることは無い。

 

 それはゆらりと立ち上がり、武器を手にして歩き出した。

 日は沈んだ。狩りの時間だ。

 

 例え満たされることがなかろうと、今はただ暖かな血と肉が欲しかった。

 

 

 ……現状を確認しよう。

 

 茫洋とした歩みで近づいてくる男を見据える。

 まず間違いなくアレは敵だ。関わってはいけない怪物そのものだ。立ち向かってはいけない。塵芥のように命が消し飛ぶ未来が見える。

 

 次に『こちら側』を確認する。

 保護対象である子供が一人。疲労困憊の騎士が一人。そして自分。

 

 ───()()だ。

 

 ただ怪物に刈り取られるだけの獲物。それが今の俺たちだ。戦うなんて二の次だ。今すぐ全力で逃げ出すべきだ。

 

 怯えを嚙み殺して勝利とは何かを定義する。

 この場において何をもって勝ちとするのか。またどうすればそれを成し遂げられるのか。方法と手段を導き出す。

 

「……動けるか?」

「なんとか。大きいのを一発ぶち込められるかどうか、と言ったところですが」

「仕留める自信は?」

「やってみなければ分からないでしょう」

 

 ちらりと横顔を盗み見る。意外にも、気丈に男を睨みつけているノワールの鋭い目が見えた。が、そこが限界だろう。額にはびっしりと汗が浮き、メイスを持つ腕は小刻みに震えている。恐怖、ではないだろう。おそらくは純粋に消耗している。

 魔法は慣れていても加減が効かないものだ。余裕がない今、挑んだところでまともな勝負にすらならないだろう。死体が一つ増えるだけだ。

 

 つまるところ戦力外。もしノワールにヤツを倒す余力が残っていたとして、それが自滅前提の特攻になるのならば話にならない。その特攻さえ不確定と言えるなら尚更だ。戦闘は回避しなければならない。

 

 ……もう考えない振りは出来ないだろう。この前提をおいて、俺はどうするべきだろうか、と。

 

 ノワールと二人残り、子供を逃がす。

 ダメだ。あの獣がヤツの仕業と言うのならまだどこかに潜んでいる可能性がある。子供を一人だけ逃がしても逃げきれずに死ぬ可能性の方が高いだろう。

 

 ノワールの言葉を信じ、この場はノワールに任せ俺が子供を連れて逃げる。

 歓迎したいところだ。ノワールがあの怪物を倒せるというのなら。だがそれは無理だというのはわかっている。万全の状態ですら勝てるか怪しいのだ、この選択肢は選べない。

 

 子供を置き去りにして逃げる。

 戦力を生かすという意味では最も合理的な選択だ。考えたくもない。俺は決して選べない。

 

 勝利とはこの場の全員が生き残ることと定義した。なら、選択はとうに決まっている。

 

「ちょっと聞きたいんだが、子供抱えて走ったことってあるか? あとついでにどのくらい走れるかも聞いておきたい」

「荷物があってもこの区画から脱出する程度であれば持ちますけど、なにか?」

「ならこの子頼んだ。さっさと逃げちまってくれ」

「はぁ…………───はぁ!?」

 

 そう言って子供をノワールに渡す。

 予想外だったのかきょとん、とした顔で促されるままに子供を抱えると、ノワールは急に顔色を変えきっと睨みつけてきた。

 まるで何かを裏切られたような、そんな表情。見てるこちらの胸が痛くなる。

 

「まさか、この私に逃げろと言いたいのですか? ふざけないでください……! 私はまだ!」

「戦えるってか? 無理だろ、無理無理。はっきり言っておくが、アレ相手にお前が残っても邪魔だ、足手まといだ。万全じゃないやつに残られても迷惑極まりない。こっちは庇いながら戦うなんて器用な真似はできないからな。ほら、わかったらさっさとその子を連れてってくれ。ついでに増援でも呼んできてくれたら助かるんだが」

「…………ッ!」

 

 ギリ、と。強烈に歯を噛む音が聞こえた。それと共に向けられる強烈な敵意。ともすれば、殺意とも受け取れるそれ。

 それを無視する。ここでこちらが日和って残られでもしたら、それこそ最悪だ。べスティアの部下をこんなところで死なせるわけにもいかないし、子供を死なせるわけにもいかない。さっさと行ってもらわなければ困る。

 

「───あなた一人で残るつもりですか」

「まぁ、そうなるな。でも勘違いするんじゃねえよ、別にお前らのために残るわけじゃない。それにキリがいい所でさくっとトンズラして、あとは騎士連中に任せるからさ」

「…………死んだら殺しますからね」

「墓の下まで来るつもりか? いいから行けよほら」

 

 僅かな間の後、駆けていく音。それが段々と遠ざかる。ひとまずこれで全員が死ぬという確率が格段に下がった。ノワールが脱出出来たら今のことを騎士団に伝えて応援を呼んでくれるということも出来るだろう。

 

 あとは、俺がどうにかしなければ。

 

 グッ、と。柄を握る手に力が入る。

 普段特別なにも考えずに使っていた短刀だが、この状況では頼りないことこの上ない。だが今、これに命を預けるしかない。ナイフにこの身一つ。頼れるものはこれだけだ。

 

 らしくない、と乾いた笑みが漏れる。

 だがこれが最善だと認識している。

 

 三人で逃げる選択肢もあった。

 だがその場合、野放しにされたあの怪物はどうなる?

 

 あれが行方不明や変死体の元凶だとすれば、また災禍が繰り広げられるだろう。被害は拡大する一方だ。

 なら、誰かがそれを止めねばならない。

 

 無論、そんな正義漢めいたことを素面で考えていたわけではない。

 本音を言えば今でも逃げたいし、あんな奴と向き合うこと自体本気で遠慮したい。依頼を受けたことを後悔だってしている。

 

 ()()()()()()

 

 脳裏に浮かぶのは騎士として立つ幼馴染の姿。

 もしこの場に居たのがアイツなら、きっとこうしただろうと思うから。

 

 歩みを遮るように正面へ立つ。

 

「……悪いが、ここは通せない」

 

 怯えを覆い隠すように短刀を構え、虚勢を張った。

 

 

「一応聞いとくぜ。ここは一旦、お互いに引いとくって選択はないか? 戦いなんて無駄だろ?」

 

 ゆっくりと、濃密な死を撒き散らしながら近づいてくる怪物の歩み。それに向かって声を上げる。

 人の形をしているのなら言葉が通じても不思議ではない。言葉が通じるなら御の字、気を引いて動きでも止まれば万々歳。近づく隙さえあれば、こちらにもチャンスはあるはずだ。

 

 ───その時までは、そう思っていた。

 

『”なんだ、お前は”』

 

 男が顔を上げる。目が合った。その瞬間、そんな甘えた考えは消し飛ばされた。

 

 男の目は、まるで(くら)い穴のようだった。一つの強迫観念にも似た衝動に囚われ、暗く濁った狂気の瞳。

 

 その目はこちらを見ていない。視界に入っていても、目が合っていたとしても、真の意味でこちらを見ていない。同じ知性を持つ生き物だと認識していない。

 障害とさえ見られていない。そもそも───会話を成立させることができる理性が残っていない。

 

『”いいやなんでもいい。……寄越せ、寄越せ寄越せ寄越せッ、お前の魂をッ。その暖かな血と肉を、我が手に!”』

 

 男が左手を持ち上げる。何かを掴むように、こちらに向かって。

 それが合図だった。

 

 ぐずり、と。男の体が蠢動した。

 見かけ上に変化はなくとも、その(うち)(わだか)った呪いの蠢きで男の体が崩れたかのような錯覚が引き起こされる。

 

 全身に怖気が走る。

 

 瞬間、全力で真横に跳んでいた。何かを考える思考の余白さえなく、ただ全力で。死にたくないと叫ぶ肉体に従って、体の全てを使って回避行動に専念した。

 

 勢いのまま地面に体が打ち付けられる。横に滑ったまま、その痛みに喘ぐ間もなく体を起こして、その結果を見た。

 

 ───絶句、というのはこういうことだろう。

 

 つくづく、同じ生命としての規格の隔絶を認識して思わず笑いがこみ上げてくる。

 こちらは全身全霊で逃げ出したいと叫ぶ本能を押さえつけているというのに、向こうと来たらまるで眼中になしだ。

 

 体を起こして先程まで居た場所を見れば、そこは凄惨たる光景だった。

 (ジュウ)、と音をあげる石畳だったもの。大きく抉れてもはや原型を留めてさえいない。その背後にある家だったもの。壁には大きく穴が空き、その向こう側まで見えるほど。こびりついた粘液のような闇が、音を立てながら建材を溶かしていく。

 男を起点に俺の方向へと放たれたそれは、俺が立っていた場所を吹き飛ばすだけに留まらずその射線上にあった家々さえ飲み込んで蹂躙した。

 

 放たれたのは濁流のような泥。肉眼で認識できるほどに凝縮された呪い。『■■』。男の原理、その一端。

 飲み込まれたものはいずれの例外もなく崩壊した。有機物は一瞬のうちに腐敗し、それ以外はただその圧力により削られ、捻じ曲げられ、押しつぶされた。

 

 ───甘かった。

 認識が甘かった。想定が不足していた。そもそも戦おうとしたところで立っている土台が違いすぎる。

 

 足止め? なんて馬鹿なことを。アレが止まるようなものか。いや、それ以前に足止めなんてして時間を稼いだところで何も解決しない。騎士が駆けつけてくるまでどれくらいだろうか。それまでアレが生きていたのなら、それだけで街が死に絶える。

 

 だが。俺に何ができるというのか。

 

 あまりにも逸脱しすぎている。男にとって、これは目の前のハエを払っただけの一蹴に過ぎないというのに。

 相対するなぞ、最初から思うべきではなかった。間違いなく逃げるべきだった。何も顧みずに、ただ生きるそれだけのために逃げるべきだった。

 後戻りできる地点はとっくに過ぎた。今更逃げることも出来はしない。

 

 ───近づく、どころではない。これでは辛うじて避けるのが精一杯だ。死なないことに全力を尽くすことが限界だ。とても間合いまで踏み込めない。

 

 近づきさえすれば、と。無意識のうちに考えていた自分に呆れる。

 

 そうだ。()()()()()()()()()()()()()()()。ノワールには言わなかったが。

 だがそれは、ナイフが当たる距離まで詰めることが最低条件だ。つまりは超至近距離。これでは不可能と変わらない。

 次々と放たれる呪いの奔流を掻い潜って近づくなど、まさに曲芸じみている。とてもできない。いいや、たとえ近付けたとしても、そもそも呪いの発生源は男自身なのだ。距離が縮まれば縮まるほど危険度が増す。ナイフを当てられる距離など、その場にいるだけで腐るだろう。

 

 ジリ貧だ。

 その認識通り、現実は追い詰められていく。

 

「は───あ、はぁ──────!」

 

 息を切らせそうになりながらも必死に体を動かす。

 

 男が放った呪いはまるで黒い大蛇のようにうねりながら、地面を、空を這ってくる。

 それ自体は決して速い速度ではない。動きも単調で捻りがない。落ち着いていれば、躱すことは容易と言える。

 しかし。

 

「く、あ───ッ、はあ、は───、」

 

 折り重なるように降り注ぐ濁流を前方に転がることで危うく回避に成功する。

 

 そう。問題はその量だ。いくら回避ができるとはいえども、人一人飲み込んで余りある量が、こうも連続で来られると息をつく暇さえない。さらに言えば、呪いに触れることはおろか近づくことでもこちらは死に近づくのだ。どうしても大げさに動くしかない。

 そして一番厄介なのが、

 

「はッ───、クソッ」

 

 転がりながら背後を見る。そこは一面呪いの渦。

 ……最も厄介なのは、放たれた呪いはしばらくその場に残留するということだ。動けば動くほど、躱せば躱すほど、次に動ける場所が制限されていく。こちらの死期が近づいてくる。

 

 そして、それはもう目に見えるほどに迫ってきていた。

 

 見渡せば周囲は闇。腐敗に蠢く黒。何者も逃れられない檻。

 左右に逃れる隙間はなく、背後も先ほど潰された。───避ける場所が、ない。

 

 正面、視線の先には男の姿。右手に持った大鋸は振るわれることのないまま、こちらは死に瀕している。

 その事実に悔しさを感じる余裕すらない。

 

 命を切望するかのように、男の手が伸ばされる。

 溢れ出した黒い粘液に指向性が与えられ、獲物を狙う触手のようにこちらへ伸びる。

 

 ───切り札をひとつ。切るべきか、隠すべきか。

 否、使えない。()()()()呪いという性質が、致命的に、どうしようもないほどに俺の魔法と相性が悪い。

 

 防げない。躱せない───どうしようもなく死が迫る。

 

 俺は、それを避けられない。

 地響きと共に迫る黒の先端。

 俺は、それを認識できない。

 

 何故なら、この場に置いて、この命の危機を前に。この目は全く別のものを見ていたから。

 

 ───見上げた空に浮かぶ真円の月。闇を弾いて、黄昏の化身が夜に咲く。

 



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8.破壊の剣Ⅱ<Lvateinn>

 

 この世のものとは思えない光景に一瞬、我を忘れる。

 視界が魅了されたかのように釘付けになる。

 あまりにも幻想的で、時間感覚が鈍化する。

 

 すぐそこまで命の危機が迫っているというのに、どうしようもなく見惚れてしまう。

 

 雲を引き裂いて上空へ現れた黄昏の彼女は、暗夜を流れる雲の下、一輪の鮮やかな花のように宙に浮かんでいた。

 

 落下するはずの体を、大気が当然のように受け止める。

 

 引力の鎖は彼女の下で弾け飛び、重力の枷は解き放たれた。

 

 波間を漂う舟。あるいは、ソラに浮かぶ星のように、彼女は夜に流離(さすら)う。

 

「───マスター、及び敵性個体の存在を確認。これより迎撃態勢に移行します」

 

 上空から夜の街へ、凛とした声が染みわたる。

 

攻性鎧装(コードアサルト)、起動。射角確保───完了」

 

 くるりと、身を切り返した彼女の服装が変化する。

 月が雲に隠れ、また現れる。その一瞬で、少女の姿は一変していた。

 

 見る者に柔らかな印象を与えていた服は空気に解けるように消えていく。

 

 代わりに現れたのは武骨な鎧。

 要所を覆うように展開される堅牢な鎧。目元を覆い隠すバイザー。そして淡く赤色に舞う燐光が少女を包む。

 

 鋭角。今まさに、少女の姿は研がれた刃そのものだった。

 

「準備完了。───射出」

 

 一瞬の後に、全身を兵器へと換装した彼女がその身を弾丸として撃ち放った。

 

 空の星は地を裂く花となり咲き誇る。

 

 (ゴウ)(ガツ)、と。落下地点を叩き割り吹き飛ばしながら、弾丸が炸裂した。

 位置はちょうど俺と男の中間。迫る呪いの濁流を遮るように、落下した星は、圧倒的なまでの破壊力を持って大地を(めく)り上げ、闇を吹き飛ばした。

 

 はじけ飛んでくる砂塵から身を守りながらなんとか顔を上げれば、罅割れ陥没した地面の中心で右手を大地に突き立てて着地姿勢を取った少女の姿。

 

 ───なぜか。その姿に、振り下ろされた一本の剣を想起した。

 バチバチ、と。何かが爆ぜる音がする。

 

「お待たせしました、マスター。現時刻を持って当機の到着が完了しました」

「──────」

 

 驚きのあまりに言葉が出ない。彼女の出で立ちの変化も、ここに居る理由にも。考えが及ばずに思考が停止する。

 そんな俺とは対照的に少女は冷静そのものだ。

 ただ冷徹に現状を認識し、敵を補足し、殲滅すべくその回路(しこう)を働かせている。

 

「強大な魔力反応、及びマスターの精神状態の変化を検知しました。戦闘中と予測、その後高速機動によって現在位置に到着。以上が現状報告になります」

 

 報告書を読み上げるかのように、言い切って、トワは男に相対する。

 

「第八層主『執行者』───オーガスト=クロイゼルング。平時であれば戦闘は回避するべき個体ですが、現在は由来不明の強力な呪いに侵されているようです。今ならば殺せます」

 

 パキキキ、と。硝子が砕けるような音と共に、光の粒子が女の両手に収束する。そして白い閃光と後に形成されたのは半透明の鋭い刀身。魔力で作られたそれは実体の無いまますべてを切り裂く光の剣、破壊の刃に他ならない。

 左手へ長刀を、欠けた右手から短剣を伸ばし、鉄の少女が構える。

 一連の動作は澱みなく正確に。冷たい鋼のようだった。

 

「───行きます。マスターは後方へ」

 

 瞬間、その姿が爆発した。否、爆発したかと見紛うほどの速さで駆けたのだ。

 

 放たれた矢のように一直線と向かってくる少女に対し、変わらず男は不動。ただ俺にしたことと同じように、黒い蛇が鎌首を擡げただけだ。

 

「──────」

 

 進路を阻む呪いの壁にあくまで少女は冷静そのもので。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 避けろと声を上げる暇さえなかった。そして、すぐにその必要さえなかったと思い知った。

 

 黒が割れる。

 鋼が飛び出す。

 

 少しの減速もないままに少女は呪いの壁を突き破った。その身には僅かな陰りもない。纏った燐光があらゆる障害を焼き焦がした。少女を押しつぶすはずだった漆黒は、逆に焼かれ浄滅され、大きくその量を減らしていた。

 

 今まで不動だった男がそれを見て動き出す。理性の無いまま本能だけで警戒心を引き上げ、初めて戦闘を意識した行動を実行する。

 すなわち迎撃。今までただ提げていただけの大鋸が、呪いを纏って振るわれる。

 

 上段から力任せに一閃。工夫の欠片も見られないその剣戟は紛れもなくただの駄剣であり、純粋な暴力であり───逆に言えば、技などに寄らずとも十分であるという証明でもあった。鍛えずとも考えずとも、人外の膂力を伴って振るわれるそれはあらゆるものが必殺に等しい。まともにぶつかれば、例え岩塊であろうとも粉微塵に成り果てる。

 

 それを、真っ向から弾き返す影があった。

 男の攻撃が巌ならば、少女の一撃は雷だ。正確無比、迅速迅雷。面で制圧する男の大剣を、それより速く、刺すような鋭さで力みの一点を抑え、押し返す。

 

「なっ───」

 

 驚きの声は俺のものか、それとも男のものか。見ているこちらでさえ信じられないのだ。それをその身で受けている男の驚愕は計り知れない。

 

 防がれることなんて予期していなかったであろう男がたたらを踏む。明確な隙を晒した吸血鬼に反撃が突き刺さる。その身から滲む呪いごと、袈裟に体が切り裂かれた。

 

『"───!"』

 

 さらなる追撃を男は飛び退いて躱す。その一挙動で路地の向こうまで退いていく。

 

 飛び退いた男の体には、およそ骨まで達している傷が見えた。人であれば例外なく致命傷だろうが、吸血鬼であるヤツにとってはありえない。グズリ、と、傷口が脈動し、溢れ出した血液により傷そのものが無かったかのように再生する。

 

 吸血鬼は血のある限りは不死身であり、吸い取った命を大量にストックしているのだと、いつか師匠が言っていた。

 

 確かに、人間の尺度で計ればヤツはほとんど不死身だ。人であれば三度は死んでいるであろう深手も、男は当然のように()()()()ことにする。しかし傷を負ったという事実は無くならない。見かけ上は元通りでも、少女の一撃は確かに、確実に男の体を削っている……!

 

 再び相対する男と少女。焼き直しにも見えるそれは先程のものとは大きく意味が違っていた。

 

「私は、破壊する」

 

 鈴が鳴るような声で少女が宣言する。

 

「破壊する。それが、私の機能」

 

 狩るものは狩られるものへ。立場が逆転する。

 少女にとって男の攻撃は対処可能なものでしかなく、男にとって少女は天敵だ。

 

「砲身形成、術式装填───発射」

 

 闇蠢く瓦礫の群れを、鋼鉄の狩人が疾駆する。

 呪いの渦を飛び越えながら、動きを止めないままにその右手の光が変化する。短剣から砲塔へ。男へと向けられたそれが連続で火を吹いた。

 一撃一撃が身を抉って余りある威力。たまらず男は防御に動いた。

 尾を引いて着弾する光の矢。盾として砲撃を受けた大鋸が大きく軋む。ボロボロと破片が飛び散る。そして生まれた隙を、あの少女が見逃すはずがない。

 

 すれ違いざまに一閃、男の体に再び大きな傷が走る。肉が抉れ骨が削れる。苦悶の声を上げた怪物が、闇雲に獲物を振り回す。

 繰り出される死の嵐。まともに当たれば少女でさえ無事ではいられず───しかしそれさえもまるで問題がない。

 何度も振るわれる無骨な凶器を、まるで重さなんて感じさせない軽やかな動きで避けていく。まるで風に吹かれる花びらのようだ。大鋸は少女を掠めはすれど、その芯を捉えることはできずに素通りしていく。

 一歩間違えれば死に至る嵐の舞。その中で表情一つ崩さない彼女は、どこか異常で───目が離せない。あの怪物さえ目に入らない。

 

 やがて躱すのみだったその動きが変化する。体全体を回し、捻じるように。大鋸が命中するその瞬間に、蓄えられた力が解放される。

 渾身のカウンター。

 バキリ、と。弾き飛ばされた男の得物が破片と共に悲鳴を上げた。堪えきれずにその長身が後退する。

 

 突き刺さる追撃、怨嗟の声を上げながら退こうとする怪物、退かすまいと追い詰める狩人。

 

 ───圧倒的だった。

 破壊という行為に対して少女の性能は群を抜いていた。

 

 幾度も衝撃音が木霊する。

 その度に男の体だけが削れ、治り、また削れる。

 

『───、───、───!』

 

 怪物の呼吸が狂っていく。

 

 繰り出される呪いの奔流に、彼女は無造作に左手を振るうだけ。

 それだけで黒は弾かれる。あれは至高、かつて世界を焼いた炎。例え熾火であろうともその輝きを穢すことは能わない。

 

 舞い散る赤に身を焼かれ、平伏した黒が道を開ける。

 黄昏色の髪が流星のように尾を引き駆けていく。

 

 そして怪物へ致命傷を重ね続ける。間断なく、緩みなく、余すことなく、確実にその身を削り続けていく。

 

 もはや、これは戦いではなくなった。

 男を接近不可能の砦にしていた呪いは通用せず、その手に持つ武器ですら歯が立たない。何度も少女の攻撃を受け、その表面はボロボロだ。

 

 勝負は決まった。あと数撃で決着がつくだろう。

 圧倒的なまでの性能差だ。逆転はあり得ない。狂気に苛まれている男はただ飢えた獣としてだけ少女に討伐されるだろう。

 

 なにも心配はいらない。文字通り降って湧いた幸運がこの身を救ったのだ。あとは少女が勝利する瞬間を見届ければいいだけだ。

 人間の援護なんて必要ない。あの戦場はまさに魔境。人が入り込む余地もない。だからこのまま見ていればそれだけで片が付く。はずだ。

 

 なのに。

 それなのに、どうしようもなく胸騒ぎがする。

 

 ()()。ヤツという怪物を倒すということは、きっとそういうことじゃない。だがそう思う根拠が見つからない。

 

 今も俺は心の底から少女の勝利を疑ってはいない。あれは誰が見てもきっとそう答えるに違いない。

 

 だが何かを見落としている。おそらくは前提から間違えている。

 不安が胸中を覆っていく。些細なことだと無視できないほどに大きくなっていく。

 

『"───やめ、ろ"』

 

 男が苦悶と共に命乞いの喘ぎを漏らす。

 その姿は追いつめられた獲物そのものだ。逆転の余地のない敗北者のはずだ。───それなのに、その姿へどこか不吉なものを覚える。

 

 まるで───追い詰めている側が、追い詰められているような。

 

 俺はヤツを『狂った怪物』だと認識した。おそらくは少女も似たような認識だろう。己の奥底から湧き出る衝動に呑まれ、正気を失った化物。ただ闇雲に原理を振るうだけのモノと化した憐れな吸血鬼。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 あれはヤツ本来の姿ではなく、仮初のものだと言うのなら?

 

 ……答えは出ない。

 もし気づいたとしても既に手遅れだ。

 

「……ダメだ」

 

 戦場では男に向かって駆ける少女の姿。その姿勢の力強さから、これがとどめの一撃だということが見て取れる。

 同感だ。ヤツに反撃の手段はない。これできっと勝負がつく。

 

 だからきっと───何かを、致命的に見落としている。

 

「ダメだ、よせ───やめろ、トワ───!」

 

 思わず叫んだ。

 見落としているものがあるとするならば、それは今この瞬間に牙を剥く。

 だが叫んだところで届かない。届いたとしても止まれない。

 

 鋼鉄の少女は止まらぬまま、その左手で男の心臓を貫いた。

 

 

 ───寸前。その凶手を止めるものがあった。

 受け止めたのは男の大鋸。だがそれで限界なのか、ピシリ、と。大きくひび割れる。

 

 その隙間から()が覗いた。目を疑う。あの負の化身の如き化物の得物からなぜそのようなものが見えるのか、一瞬思考が停滞する。

 

 それは決して眩いものではない。ただ、もとある光を反射しただけの鏡のようなもの。つまりは。それだけ純化された何かが、そこにはある。

 

「───ようやく、目が覚めた。血の通わぬ人形よ」

 

 狂気を上回った生存本能が渇望の呪いを打ち砕く。

 解き放たれた自我が産声を上げる。

 

 濁った黒が搔き消される。

 巡り廻りながら凝縮する呪いは次第にその姿を変えていく。反転する。

 

 泥の代わりに流れ出したのは清水。一秒後にはその形を変え決して留まることのない無常の権化。

 

 大鋸だったものがボロボロと崩れていく。その暴力的な外殻の中から、真なる鋼が本性を露わにする。

 

 それは呪いなどではなかった。『腐敗』など、男の持つ原理の一側面に過ぎない。

 あれは、世界の在り方だ。絶えず巡り、一つとして変わらぬものなど無い、全てがあるがままに終わる世界。───『流転』の理。

 

原理展開(ロウ・バースト)───『■■■■■■、■■■』」

 

 そして万物は流転する。一節の呪文と共に、吸血鬼の真の姿が顕現した。

 

 理性の灯った声は心の底からの謝意を示し。

 

「───貴様に感謝を」

 

 激流が、眼前の少女の全身を吞み込んだ。

 

 

「──────、は?」

 

 呆けた声が自分の喉から漏れる。

 それは、あまりにも一瞬の変化だった。

 何かが、高速で自分の真横を吹き飛んでいった事実だけが今の自分に理解できたことだった。

 

 吸血鬼の黒い呪いは純化を重ね、澱みない清水と化し、激流の一撃となって少女を穿った。

 振りぬいた姿勢で残心をとる男の得物は、主に従うようにその姿を変えていた。

 水流を纏ったそれは、一本のこの世ならざる幻想の剣槍。男が目覚めた瞬間に、あの大鋸の内側から、引き抜かれるように現れた神秘の結晶だった。迸る魔力も、宿した歴史も、まるで別格。

 

 その結果、どうなったか。

 

 ───ダメだ。信じられない。まさか。

 

 振り向く。

 そこには、男の下からこちらまで吹き飛ばされた少女の姿が、瓦礫に埋もれて倒れていた。

 鎧は砕け散った。破損したバイザーの下に覗く瞳は閉じられていた。───ピクリとも動かない。

 

 あの直前。彼女は一瞬こちらを振り向いた。

 吸血鬼の攻撃範囲に俺が居ることを理解し、俺を見捨てれば回避できると理解していながら、それでも彼女はその身で受けた。

 

 その結果が、これだ。

 

 勝負の天秤は一瞬でひっくり返った。

 俺たちは目覚めさせてはいけないものを目覚めさせてしまった。

 

 ヤツを殺すのであれば先ほどまでの瞬間しかなかった。ただ飢えに喘ぎ、狂気のままに暴れるだけの怪物のまま倒すしかなかった。

 

 コツ、コツと。死が迫る。男が近づいてくる。

 そこに先ほどまでの狂気はない。あるのは理性、冷徹な意思。

 人ならざるものでありながら己を高め続けた一人の戦士の姿がそこにはあった。

 踏み出すたびに剣槍の先端が殺意に研ぎ澄まされる。狙いは───言うまでもない。

 

 勝機は、失われた。

 選択肢は見失った。

 

 俺はすぐそこまで迫った結末を想像し、破裂しそうなほど脈打つ心臓を搔きむしる。

 

 少女、トワは殺される。これは現時点で確定された結末だ。

 それを俺はただ黙って眺めている。

 このまま路傍の石のようにじっとしていれば見逃されるという微かな希望にすがって、ただ眺めている。

 

 全身は恐怖に支配された。

 勝てるわけがない。倒せるだなんて思いあがりも甚だしかった。

 

 生存しようとする体の意思が今この瞬間に全力で逃げろと叫んでいる。怪物が女に夢中になっている間に逃げろと。

 だってしょうがない。アレを相手にただの人間が何ができる。無理だ。不可能だ。歯向かう意思さえ持てはしない、逃げてしまえばいい、誰も責めない、だってそれが普通の反応だ、正常な人間の判断だ、自分から命の危険に飛び込むなんてとてもできない、仕方がなかった、だから、

 

 目が合う。死の寸前に意識を取り戻した少女と目が合う。

 間に合わない。あと数秒で少女は動けるようになるだろうが、それより速く男の凶器が振り下ろされる。確実に手遅れだ。それはあの少女自身が一番わかっているはずなのに。

 

 その目が俺に促した。ただ『逃げろ』と。自分のことは気にせずにこの場から逃走しろと。

 

 一瞬、すべてを忘我した。

 頭の中で渦を巻いていた何もかもを吹き飛ばして真っ白に染まった。

 

 ───それで、固まっていた体は解けた。

 

「ふっざけんじゃねぇぞクソがあああああああぁァッッッ!!!!!!」

 

 すべての恐怖は赫怒と成った。

 体を縛り付けていた怯えは進むための推進剤となった。

 

 走る。怒りのままに全力で地を蹴る。心臓は一秒で最高速度に達し血液を全身へ吐き出し始める。

 足りない。それでは足りない。それではあの領域に届かない。それだけでは間に合わない!

 

 更に加速する。生涯の最高速を更新する。ブチブチと足の筋線維が千切れる音がする。突然の急加速に体の方が追い付かない。どうでもいい。そこまでしてようやく振り下ろされようとしていた凶器の前へたどり着く。

 だがこれではダメだ。割って入ることはできても無駄だ。俺の体では盾にはならない。ならばどうにかして防ぐしかない。

 

 全身の骨、筋肉、内臓から足の指先まですべてを使って生み出した力を構えたナイフの一点に集中させる。

 受けることはできない。受ければ最後押しとどめることもできずに圧殺される。ならば、

 

「ヅッ、───あァッ!」

「マスター!?」

 

 弾いた。

 振り下ろされる穂先に合わせて横合いから一閃。僅かにブレた剣槍は的を外して地面を抉るだけに留まった。

 

 たったそれだけの行為で腕の骨が軋んだ。無理やり動かした筋肉はいくつかが断裂した。ナイフは今の一合で刃毀れを起こした。あと持って数回、それ以上は折れる。ヤツにとっては攻撃にも満たないとどめを刺す行為だろうと、こちらにとっては必殺に変わりない。肉体という決定的な性能差が生んだ当然の結果。

 

 そこまでして稼げたのはたったの数秒。それでも後悔はしていない。あのまま見ているだけだったなら、きっと俺は俺を許せなくて自分を殺したくなっていただろう。

 

「───なんだ。お前はなんだ?」

 

 怪物が疑問の声を上げる。当然だろう。俺が奴だったのなら俺だってそう思う。ヤツにとって俺は眼前を飛ぶ小虫に過ぎない。端から敵とさえ認識していなかったのだから。

 

「どけ。……いいや、お前もそのまま死んでいろ」

 

 逡巡の後、再び剣槍が牙を剥く。今度こそ防げる自信はない。

 だがしかし、その数瞬ばかりの隙は少女が動くのに十分な時間だった。

 

「チッ───」

 

 再起動を果たした少女が復帰する。

 瓦礫を吹き飛ばす勢いで立ち上がり、止まらぬままに掌打を男へ叩き込む。

 全霊の一撃。人ならざる膂力の込められたそれは受けた相手が人間であれば全身が破裂しているであろう威力だ。人外である男を殺すには至らなくとも、この場から移動させることには十分過ぎる。

 

 掌を受け大きく後方へ跳ぶ吸血鬼。真に驚くべきはまともに受けたように見えながらも今の一撃でヤツにはダメージはほとんどないということか。持ち手のしなりで衝撃の大部分を殺し、自らも後方へ跳ぶことで受けるダメージを最小限にまで軽減する。

 それはまさしく技術の粋だった。あの理性の無い姿からは想像もできないほどに冴えわたる体術の極み。ただの獣であった先ほどよりもよほど脅威と言っていい。

 

「……マスター、」

「言うな。俺だってわかってる。無謀なことだってのは理解してる」

 

 膝を付きそうな体を持ち上げて、少女を見る。

 

 ───少女は、俺なんかよりもずっとボロボロだった。身を守るための鎧はとっくに砕けていた。元の服は破れ、剣槍が命中した付近は大きく欠けて中身が見えそうになっている場所さえある。俺を庇うなんてことをしなければ負う必要のない傷、だったはずなのに。

 

「でも、あのままじゃお前が殺されてた。それを黙って見てることなんて、俺にはできない」

 

 吐き出すように言い切った。それは今まで交わした言葉の中で、ずっと本心に近いものだった。

 

 それを納得できないような無表情で、どこか責めるような色さえある少女の顔を見て一つ納得がいった。

 自分でもわからなかった正体不明の怒りの理由がわかった。

 

 ───単に、気に食わなかったのだ。この少女が、ただ道具のように振る舞う姿が。目的のためならば消費されて当然という態度がどうしようもなく癇に障った。

 命じられれば遂行する。そこに可能と不可能の区分はない。

 

 違う。

 違うだろう。お前はそんな冷たいものじゃない。

 ただ命令に従うだけの道具なら身を挺して俺を助けたりなどしない。命令もないのに動いたりしない。

 

 なら、それは少女の意思だ。例え人間ではなくとも少女自身が想い、考え、そして行動したのだ。その尊いものを、どうして俺のためなんかに踏みにじることができるだろうか。

 

「俺は死にたくない。でもお前を殺させたくもない。だから俺は逃げない」

 

 少女の瞳が揺れる。つっ、と。何かが刺さったかのように、僅かに瞼が閉じる。初めて見る表情。

 だがそれも一瞬のこと。すぐにいつもの無表情へと戻る。

 

「…………マスターの考えは、理解しました。しかし、現状ではそれは困難と判断します」

 

 少女が見据える先には無傷のまま立ち上がる男の姿。その目には殺意が迸っている。だがすぐには動き出さないところを見ると、ヤツも相応に消耗しているらしい。先ほどまでの猛攻が効いている。

 

「マスターが選べる選択肢は二つ。一つは私が交戦している間に逃走すること。オーガスト=クロイゼルングは強敵ですが、なんとか時間は稼ぎます」

「却下だ。次」

「………………………………、こちらはマスターに多大なリスクを生じる可能性が高い、と予測できます。当機の立場からは推奨されません」

「ならそれでいこう。言っておくがお前が逃げないのなら俺だって逃げない。梃子でも動かないからな」

「言っても───聞かない、ようですね。もうそれしかないようです、と当機は了承します」

 

 残った猶予はあと僅か。

 それまでにできることをする。

 

 とは言ってもこちらに案はない。トワにすべてを任せる形になる。

 

「マスターがすることはただ一つ。───『契約しろ』と、当機に命令を下してください。その後に必要なことは私が代行して処理を行います」

 

 疑問を挟む余地すらない。少女を疑うという機能はとっくの昔に消え去った。

 

 頷いて、『命令』する。今までの漠然とした目的のないお願いではなく、ただ一つの目的のために、己の意思で鋼の少女へ命を下す。

 

「契約しろ、トワ。俺にはお前が必要だ。力を貸せ!」

「───命令(オーダー)、受領。結びの誓いは今ここに。我がすべては盾となり、剣となり、貴方を阻むすべての災禍を破壊しましょう」

 

 自分と少女、二つの間に見えない何かが紡がれる。少女のナニカが音を立てて駆動し始める。その本質が、表層へと現れていく。

 少女が何かを受け入れるかのように両手を広げる。その左胸に光が灯る。

 

「───マスター。()()()()()()()

 

 導かれるままに、それに手を伸ばした。

 

 

 ───それは、柄だった。少女の胸から伸びるそれは、どう見たって剣の柄だった。

 

 手を伸ばす。

 触れる寸前、頭の中に警告が走る。───それを手に取ったら最後、滅びの運命は避けられない。後戻りはできないよ───何者かが、そう囁いた。

 

「───構わない」

 

 覚悟はとうにできている。あらゆる手段を使って彼女を失わないと決めた。後戻りできる地点はとっくに過ぎている。───故に、躊躇はしない。

 

 触れた瞬間に灼熱が体に流れ込む。全身を満たす火焔に不思議と恐怖はない。ただ、何かが繋がったという感覚だけがあった。

 

 それを握りこみ、そして───一息に引き抜いた。

  

「───そうか、貴様が()()()だったか───人間!」

 

 戦士の眼光に険が宿る。有象無象の塵芥から、打倒すべき『敵』へと認識が入れ替わる。

 

「その熱さは知らない。その炎は知らない」

 

 ()()()()()()()()、と。男が言う。

 

 自らの記憶になくともその()()が覚えている。記録している。忘れられるはずがない出来事。

 

 現れたのは灼熱の光輝。翳りもなく燦々と光を放つ星の炎。かつて時代を七度に渡って焼き尽くした終焉の象徴。

 

 清澄の蒼の刀身。吹き上がるは赤の炎。

 

 神造兵器。神々の黄昏。終端機構。

 

 それは───、

 

「───破壊の剣(レーヴァテイン)

 



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