天王寺湊は虹を駆ける (ジマリス)
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1 僕たちの終わりと始まり


優木(ゆうき)さん! 頼むから、戻ってきてくれ!」

 

 僕は一人の少女へ駆け寄る。

 情熱的で、かつクールな衣装に身を包んだ彼女は、とても綺麗だった。僕がイメージしたよりも、数倍輝きを放っていた。

 ライブが終わり、舞台裏にもよく聞こえてくる歓声と拍手がそれを証明している。

 ステージ上で完璧なパフォーマンスを見せつけた彼女は、アイドルとしてこれから大成していく……はずだった。

 

「いいえ、もうその必要はありません。私はスクールアイドルを辞めます」

「そんなこと言わないでくれ。お願いだから、もう一度話を……」

 

 辞める。

 衝撃的な一言を残して去ろうとする彼女を、僕は追いかけた。

 

 ここからのはずだった。

 今までのわだかまりも全部なくなって、再スタートするはずだった。

 なのに、どうして、どうして。

 

 もう二度と会えないような気がして、必死に追いすがる。

 がしっと、逃げる優木さんの腕を掴んだ。

 

「っ、離してください!」

 

 パシン。

 僕の手が弾かれる音が、空へこだました。

 

 

 

 

「はあ……」

 

 ため息をついて、目を揉む。

 今日はまったく集中できなかった。授業の内容もあまり覚えていない。

 がやがやと聞こえる話し声が、やたらと大きく聞こえた。

 

 ここ、虹ヶ咲(にじがさき)学園は東京のお台場にある私立中高一貫校だ。

 東京のお台場に位置し、全国から人が集まる人気校で、もれなく僕も一員。

 一学年で1000人ほどが在籍し、それらに学生生活を行わせるこの学校は、やたら広い。

 

 食堂でさえも、何百人と入れるくらいに大きい。その隅。窓際の席で、僕はぽつんと座っていた。

 頭が常に揺り動かされているようで、ぐわんぐわんと気持ち悪さが抜けない。

 自分のことを、決して強い人間だとは思っていなかったが、こんなにも脆いとも思わなかった。

 

 原因はわかりきっている。

 僕と五人の少女たちで立ち上げた同好会が、離れ離れになってしまったからだ。

 

 これから羽ばたくはずだったスクールアイドル同好会は、たった一年……いや半年ももたずに、解散してしまった。

 

「ここ、いいかな?」

 

 ほんわかした優しい声が耳に入ってくる。

 顔を上げると、赤毛三つ編みの少女がこちらを見ていた。

 ほんわかとした雰囲気は、こちらの警戒を瞬時に解いてしまうほどの魅力がある。

 純粋さと柔らかさを凝縮したような見た目とは裏腹に、意外と自己主張が強いところもある。

 

「エマさん」

 

 エマ・ヴェルデ。

 国際交流学科の三年生。

 スイスからやってきた留学生。僕と同じ同好会の一人だ。いや、元同好会。

 

 僕が頷くと、彼女は対面に座った。

 

「気分悪そうだね。大丈夫?」

 

 大丈夫そうに見えるか、という言葉を飲み込んだ。エマさんに当たってどうする。

 どうやら、睡眠不足で感情のコントロールも利かないらしい。

 

「ちょっと体調が悪いだけだよ。気にしないで」

 

 ふ、とガラス張りの壁を見る。

 外は晴れ。部活にいそしんでいる人たちも、今から下校するひとたちもちらほら。

 だけど、映っている僕の顔は、たしかにひどい顔だった。ずっと見ていたくなくて、顔を逸らした。

 視線がエマさんと会って、なんとなく気まずい。

 

「今日は来る?」

「……」

 

 僕の問いに、エマさんは否定の沈黙。

 最近は部室に顔を出す人すら少ない。少ないというか、僕含めて二人だけだ。

 目の前の彼女は、とある一件以来部室では見ない。こうやって顔を合わせるのは、たいがいここか、併設されているカフェくらいなものだ。

 

「……そうか」

 

 また沈黙。

 前までは、二人の間に会話がなくともなんとも思わなかったのに。

 どう場を繋げようかと思っていると、ポケットが震えた。そこからスマホを取り出して確認すると、ディスプレイには『中須(なかす)かすみ』と書かれていた。

 

「僕は行かないと。それじゃ」

「……うん」

 

 何か言いたげなエマさんを残して、僕は席を立った。

 

 

 スクールアイドル。

 明確な定義が決められているわけじゃないけど、主に高校生の、プロではないアイドルたちをそう呼ぶ。

 アマチュアではあるがみくびるなかれ、今やティーンの間では女優や歌手よりも有名なスクールアイドルがいるくらいだ。

 

「さて」

 

 虹ヶ咲は部活も盛んで、同好会だけでも百を超える。この部室棟はそんな多くの部・同好会の部室が集められている。

 三階以上あるうえに、一階分だけでも相当数の部室があるため、目的の場所を知らないと小一時間は迷う羽目になる。わざわざ案内板も設置されてるくらいだ。

 

 その一つ、スクールアイドル同好会に、僕は所属している。

 

「あっ、(みなと)先輩、こっちですこっち!」

 

 僕を呼ぶ声に振り向く。

 ショートボブを揺らしながら手を振る少女に、僕は手を振り返した。その子はたたたっ、と近づいてくる。

 

「中須さん」

「かすみんですっ」

 

 中須かすみ。

 一年生で、普通科。彼女もまた、スクールアイドル同好会に所属している。

 人懐っこい性格で、いじられやすく、ころころ変わる表情が魅力的な少女だ。

 今も、威嚇するリスのような可愛い顔でじっと見てくる。彼女としては、精いっぱい睨んでるつもりなんだろうけど。

 

 いったん中須さんを落ち着かせて、部室へと歩を進める。

 

「ほら、これ!」

 

 途中の道すがら、中須さんは鞄から板状の物を取り出した。

 

「生徒会長に取られましたが、取り返してやりました!」

 

 得意げに胸を逸らして、中須さんは言う。

 それは昨日、生徒会長が僕らの部室から外した同好会のネームプレートだ。

 どういう経緯でというのは、僕は昨日いなかったからわからないけれど、何かの間違いであろうと、中須さんは踏んでいた。

 

「そんなことして、生徒会長に何されても知らないぞ」

「いいんですっ。元はと言えばめちゃくちゃしたのは生徒会長のほうなんですから。かすみんは同好会が元に戻ればそれで……」

 

 ふふん、と殊勝だった中須さんの顔が固まった。その視線はある一点に集中している。

 扉、である。

 スクールアイドル同好会の部室の扉、その上。

 

「ワンダーフォーゲル部?」

 

 思わず口をついて出た。

 場所は間違っていないはず。なのに、外されたスクールアイドル同好会のネームプレートの代わりに、別の部のものが取りつけられていた。

 

「これはいったい……」

「ちょうど、よかったです。三年音楽科、天王寺(てんのうじ)湊さん」

 

 落ち着いた声が背中にかかる。

 

 エマさんよりも長い三つ編み。一見すると冷たさを感じる目。年相応よりも落ち着いた雰囲気。 

 生徒会長の中川菜々(なかがわなな)が、眼鏡を光らせながら近づいてきた。

 

「これはどういうことかな、生徒会長」

「中須さんには言いましたが、これは優木せつ()さんとの話し合いをした、合意のもとの結果です」

 

 有無を言わせない口調で、彼女は告げる。

 

「スクールアイドル同好会は、廃部となりました」

 

 

 

 

「あんの意地悪生徒会長~!」

 

 場所は再び食堂。

 コッペパンをやけ食いしながら、中須さんが恨めしそうにこちらを睨む。

 

「怖かったね。でも生徒会室に忍び込んだりするからだよ」

 

 そんな中須さんの頭を撫でるのは、一年生の桜坂(おうさか)しずく。

 儚げで年齢よりも大人びた空気を纏う彼女もまた、同好会の一員だ。掛け持ちで演劇部にも所属している。

 

「部室、なくなったんだ」

「やっぱり、桜坂さんのところにも連絡はいってないか」

「はい。寝耳に水です」

「てことは、本当に優木さんと生徒会長だけで決められた話らしいな」

 

 即廃部、なんて横暴すぎるけど……優木さんと生徒会長……ねえ。

 

 ともかく、彼女がそう言う以上、廃部は決定事項のようだ。部室も奪われたし。

 

「せつ菜先輩に問いただしたいところですけど……」

「どこの科かもわからないもんね」

 

 そう。スクールアイドル同好会の一員であり、部長だった優木せつ菜は、この虹ヶ咲の誰もが正体を知らない、神出鬼没の生徒なのだ。

 本人に正体に繋がることを訊いたことがあるが、いつも誤魔化されてうやむやになった。

 

「湊先輩は、連絡先とか知らないんですか?」

 

 僕は首を横に振った。

 優木さんは徹底して、自分の存在を隠している。このマンモス校の中で探そうとしても、大して収穫は得られないだろう。

 

「ごめんなさい、演劇部のほうにいかなくちゃ」

 

 考え込んでると、桜坂さんが席を立ちあがる。

 いってらっしゃい、と手を振る横で、中須さんは恨めしそうに彼女を睨んでいた。

 

 

 

 

「しず子の薄情者!」

「仕方ないよ。同好会がなくなったいま、演劇部に専念しろって先輩から言われてるんだろ」

 

 所変わって、学校の中庭。

 ベンチに座ってまたまたコッペパンをやけ食いする中須さんを、どうどうと宥める。

 

 桜坂さんの夢は女優。演劇部と掛け持ちしていて、潰れたスクールアイドル同好会にばかり構っている暇はない。

 あちらの部長とも何度もお話したことがあるが、桜坂さんに相当期待してるみたいだし。

 

「エマ先輩や彼方(かなた)先輩はどうしたんですか」

「今のところ、戻ってくるつもりはないってさ」

 

 同好会の残り二人からの返答もそっけなかった。

 つまり、六人いた同好会は、今やたった二人。しかも否認可。

 

「むむむ……!」

 

 他の反応と、状況のまずさに唸る中須さん。

 同好会解散を止められなかった僕を睨むのも仕方ないが……僕だってこのままで終わるつもりはない。

 

「廃部になったんなら、もう一度スクールアイドル同好会を立ち上げるしかないか……」

「! そうしましょう! すぐしましょう!」

「とはいえ、二人だけじゃなあ……」

 

 自由な校風を謳っている虹ヶ咲ゆえ、同好会設立の条件はそう難しくない。必要なのは人数だ。

 だが、問題のその人数が、なあ。五人要るのに、前向きなのは僕と中須さんの二人だけなのだ。

 どうしたものか……

 

「とりあえずは、一人のスクールアイドルとして活動するしか……」

「あ、あの」

 

 仕方ない、とため息交じりで口を開いたその瞬間である。おずおずといった様子で声をかけられ、振り返る。

 二人の美少女が、そこにいた。

 

「いま、スクールアイドルって言いました?」



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2 新しい風

 声をかけられるとは思わなくて、少しびっくりした。

 話しかけてきた子の一人は、ツインテールを揺らして輝いた目で見てくる。

 もう一人、髪の片側をシニヨンでまとめている女の子は、一歩下がってこちらを窺っていた。

 

 胸元のリボンの色は赤色……ということは、二年生か。

 

「あれあれ、お二人とも、スクールアイドルに興味があるんですか~?」

 

 先輩に物怖じせず、中須さんは二人の間に割って入るように懐に入った。

 

「でしたらでしたら、かすみんと一緒にやりませんか?」

「か、かすみん?」

「スクールアイドル同好会のかすみんこと、中須かすみで~す」

 

 中須さんの怒涛の勢いに押され、シニヨンの子がさらに後ずさる。

 落ち着かせて引き剥がしたいところだけど……まあいいや。

 

「元・スクールアイドル同好会ね。僕は天王寺湊」

 

 ツッコミを入れつつ、自己紹介。すると、中須さんが頬を膨らませた。

 

「むっ。いま新しく立ち上げるって言ったじゃないですか! だから、かすみんたちはもうスクールアイドル同好会なんです!」

「……というわけで、僕たちは、勝手に『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』を名乗ってる二人……ってことになるかな」

 

 よろしく、と手を軽く振る。

 

「私、高咲侑(たかさきゆう)です」

上原歩夢(うえはらあゆむ)です」

 

 相手方二人とも順番に頭を下げる。

 ツインテールが高咲さん。シニヨンが上原さん。

 律儀で礼儀正しい。良かった。ヤンキーみたいな人が来たらどうしようかと思った。

 

「本当に廃部になってたんだ……」

 

 呆然としたような口調で、上原さんが言う。

 

「生徒会長から聞いたのかな?」

「はい。昨日部室に行こうとしたら、そう言われて……」

 

 昨日、と言えば生徒会長が部室からネームプレートを奪った日。

 これまた災難な時に……

 

「あ、あの、ところで、湊さんはスクールアイドルじゃ……ないですよね?」

 

 そりゃそうに決まってる。

 

「僕は……なんて言うのかな。サポート役というか……」

「サポート……ですか?」

 

 高咲さんが首をかしげる。

 

「作曲・動画撮影&編集・スケジュール管理・練習メニュー考案……まあ、いろいろやってる人だね」

「へえ、すごい……そういうのって、メンバー内で分業制にしてるところが多いって聞きますけど」

「全部やってるってわけじゃないよ。衣装や小物は他の部の力を借りたりしてるしね」

 

 虹ヶ咲には服飾同好会やハンドメイド同好会とかもあって、 身に着ける物はそこに依頼していたりする。

 他同好会は『経験になる』とか『楽しそう』といった理由で、材料費と少しの手間賃で引き受けてくれているから頭が上がらない。

 プロに頼むお金もツテもないしね。あっても頼る気なんてないけど。

 

「じゃあじゃあ、私に色々教えてください!」

 

 ぴんと高らかに手を挙げて、高咲さんが言う。

 

「私、アイドル志望じゃなくて、歩夢を応援したくて入部しようと思ってたんです! せつ菜ちゃんみたいなトキメくスクールアイドルを、近くで見たいんです! この間、せつ菜ちゃんのライブを生で見て、私、これまでにないくらいトキメキを感じて、それで同好会に入ろうと……!」

「ゆ、侑ちゃん、近づきすぎだよ」

 

 ずいずいと寄ってくる高咲さんを、上原さんが抑える。

 危ない危ない。もうちょっとで逃げ場がなくなるところだった。

 

 高咲さんはアイドルにならないのか。もったいない気もするが、まあいい。

 

 それにしても、そうか……アレを見たのか。

 

「それは……残念というしかないね。優木さんはもういなくなったから」

「いえいえ、湊さんが謝るようなことじゃ……それに、歩夢をスクールアイドルにするって目標は変わりませんから。ね、歩夢」

「わ、私はまだちょっと迷ってるけど……」

「じーっ」

 

 いつの間にか、中須さんが僕を睨みつけていた。

 相変わらず、全く怖さは感じないくらいの可愛い目つきで。

 

「かすみんの曲作ってくれるって言ったのに……後回しですかぁ?」

「ちゃんと作ってるよ。可愛い系はちょっと難しいから、時間がかかってるだけで……」

「別に疑ってないですけど」

 

 ぷいっと顔を向ける中須さん。そんな彼女に、上原さんが反応した。

 

「可愛い系?」

「そうです! かすみんは、世界一可愛いアイドルを目指してるので! そんなかすみんがいるスクールアイドル同好会も、さいきょーに可愛い同好会にしてみせますよ!」

「可愛い……うん、だったら、やろうかな」

 

 へえ、かなり迷ってたみたいなのに、上原さんの決め手は『可愛い』か。

 たぶん中須さんのそれとベクトルは違うだろうけど……ピンクとか、フリフリとか、王道なのは気に入ってくれそうかな。

 

「ふふふ、入部決定ですね。湊先輩! 着々と同好会復活が進んでいますよ!」

「……うん、そうだね」

 

 ふむ、と指で顎を触る。

 高咲さんはもう入ることを決めてるみたいだから、あとは元同好会の人を呼び戻せば……

 

「さあ、張り切って活動しますよ!」

「うん、中須さん」

「もっと気軽に呼んでくださいよ!」

「だったら、かすかすだね」

「かすかすじゃなくてかすみんですっ」

 

 上原さんのあだ名に、中須さんがぷんすこと怒る。

 

「中須かすみだからかすかすかなって」

「もう、二度も言わないでください! かすみんってさんざんアピールしてるんだから、それで呼んでくださいよ!」

「アピールだったんだ……」

「かすかすって呼ぶと怒るから、気を付けて」

「は、はい」

 

 僕はこっそり、上原さんに囁く。かすかす可愛いのに。

 

「まあ、これだけ言っても全然呼んでくれない人もいますけど」

「へえ、酷い人もいたもんだね、中須さん」

「わかってて言ってますよね!?」

 

 何度したかわからないやりとり。

 いやだって、高三の男子が後輩の女子を「おーい、かすみーん」なんて呼んだらどんな目で見られることやら。

 

「さっそくこれから同好会を始めますよ! ……って、ああ!」

「どうしたの?」

 

「湊先輩……れ、練習場所、どうしましょう……」

 

 やる気満々だったのが一転、涙目になって縋るように見てくる。

 同好会でもなくて、申請も出していない以上、校内で活動するのは難しい。

 生徒会に見つかれば、目をつけられることになるし。まあすでに中須さんが盗みを働いたから、かなり危険視されてるだろうけど。

 

「そう言うと思って、良い場所見つけてあるよ」

 

 

 

 

 虹ヶ咲の恐ろしいところは、その敷地の広さである。

 屋外だけでも、全校生徒が散らばっても余りあるくらいの領域がある。だから、手入れされつつも誰も使っていない庭もあるのだ。

 木々に囲まれた小さなスペースだが、今の僕らにはちょうどいい。

 

 この時間、部活に勤しむ人はもっと広い場所を好む。僕調べでは。放課後にここを利用する人はいない。

 大声を出しても平気なので、練習場所にはもってこい。

 

「わあ、ここ良いですね。ずっと使ってるんですか?」

 

 いいや、と首を横に振る。

 

「同好会が廃部になったせいで、今までの場所は使えなくなったんだ。誰かさんがやらかしたせいで、まともに許可も取りづらいしね」

「しょ、しょうがないじゃないですか。これを捨てられるわけにはいかなかったんですから」

 

 そう言って彼女が取り出したのは、同好会のプレート。

 たかがネームプレート、されどネームプレート。何度でも作り直せるそれは、しかしスクールアイドル同好会の場所を示す象徴でもあった。

 正直、取り戻してくれた中須さんに感謝してる。

 これを、また部室扉に掛けるために、まずは……。

 

「さてさて、まずは自己紹介動画を撮りましょう!」

 

 中須さんが音頭を取る。彼女も、僕と同じ考えのようだ。

 まずは同好会として認められないと、活動がやりにくいったらありゃしない。

 

 戸惑う上原さんに指導する中須さんをしり目に、鞄からハンディカメラを取り出す。

 動作チェックをしていると、高咲さんがすぐ横にくっついてきた。

 

「歌って踊るところとか、撮らないんですか?」

 

 なにこの子。やたらと近いんですけど。

 思春期の健全な男子高校生に、その距離は毒です。

 心にスリップダメージを受ける前に、徐々に離れて、適切な距離を取る。

 

「中須さんも、まだ見せられるくらいにはなってないからね。でも、練習風景や自己紹介動画も立派な宣伝材料だよ」

 

 本当は、お披露目ライブの動画を撮って出すつもりだったんだけど。

 

「実際のパフォーマンスを見せる前に、こういった素のところを見せておくと人気が出たりするんだ。可愛い人が裏ではストイックだったとか、クールな人が意外とお茶目だったりとかでね」

 

 いわゆるギャップ萌えの布石を撒いておくわけである。

 

 スクールアイドルのちょっとした裏側を知れて嬉しいのか、高咲さんは目を輝かせて僕を見る。

 最近見始めたというのもあって、高咲さんの知識はまだ浅いけれど、学ぼうとする意欲と情熱は確かだ。

 

「他校のスクールアイドルは、ちょっと過激だったり外したことをやったりしてるね」

「外したこと?」

「ロシアンシュークリームだとか、ドッキリ企画だったりとか……有名じゃないところがやっても、首を絞めるだけなんだけど」

 

 一時的な人気獲得には繋がるだろうけど、それ目当てに群がってきたファンのうち、歌やダンスに見向きしてくれるのはどれくらいか。

 最終的には、バラエティのようなことばかりして低迷し、解散していったグループをいくつも知っている。

 

 こつこつやるのは時間がかかるけど、継続は力なりってことで。

 ……まあ、こつこつやっていこうとした結果、この同好会も一回潰れたんですけどね。

 

「というわけで、中須さん、お手本を」

「は~い」

 

 呼ばれると、中須さんはさっさっと前髪を直して、あざとくポーズを取った。

 

「やっほー! みんなのアイドルかすみんだよー。かすみん、虹ヶ咲スクールアイドル同好会の部長になったんだけどー、そんな大役が務まるかとっても不安、でも応援してくれるみんなのために日本一可愛いスクールアイドル目指して頑張るよ!」

「は?」

「わあ!」

「うんうん」

 

 三者三様。

 上原さんはよくわからないものを見た表情。

 高咲さんは感激したようだ。

 僕はいつも通り。

 

「スクールアイドルの自己紹介、初めて生で見た! トキメいたよ、かすみちゃん!」

「えへへ、侑先輩、さすがわかってますねえ。これを動画サイトに投稿して、部員募集をします。次は歩夢先輩ですよ。今みたいな感じでお願いしますね」

「ええ!? むりむりむりだよ。恥ずかしいよ!」

 

 ぶんぶんと手と首を振る上原さん。

 中須さんに慣れた僕にとっては、新鮮な画だ。なんかこの様子を撮るだけでも良いんじゃないかと思えてきた。

 

「恥ずかしがってちゃ、スクールアイドルは務まりませんよ! ね、湊先輩!」

「いや、僕はアリだと思うけど」

 

 カメラを構えたまま、返す。

 

「自信がある、あるいはそう見せているスクールアイドルが大半だからね。こうやって恥じらいを持ってる人ってのは、案外珍しいかも」

 

 色々なスクールアイドルをチェックしたけど、みんな映りたがりで、一見恥ずかしがり屋な人も、よく見れば意識して作ったキャラだというのがわかる。

 そんな中で、上原さんは本物だ。

 カメラ越しでもどきりとさせられる表情。天性のスクールアイドルと言ってもいい。

 

 と、僕が上原さんばかりを追っているのが気にくわないのか、中須さんがぷくっと頬を膨らませた。

 

「湊先輩は、どっちの味方なんですか?」

「どっちの味方とか、そういうんじゃなくてね……」

 

 それぞれ個性が合って、それを否定する気にはなれないだけだ。

 中須さんの『かわいい』に対する情熱はもちろん認めているけど、今の上原さんに無理やり当てはめるのは酷だというものだ。

 

「もう、湊先輩がそんなんだから、せつ菜先輩も……」

 

 中須さんはそう言いかけて、はっとして口を手でふさいだ。恐る恐る、といった感じでこちらをちらりと見る。

 

「ね、優柔不断なのは直さなきゃいけないと思ってるんだけどね」

 

 にっこりと笑って返すと、彼女はわかりやすくほっとした。

 

 

 そこからの中須さんのスパルタといったら……

 

「もっと可愛くしなきゃ、ファンの心は掴めませんよ!」

「か、可愛くって?」

「そうですね、語尾に『ぴょん』を付けてみましょう」

「え、えええ?」

 

 上原さんは助けを求めるかのようにこちらを見て、しかし高咲さんが期待の目で見ているのに気づく。

 しかたなく、といった感じで手を頭の上に持っていき、立った耳のようにして……

 

「あ、歩夢だぴょん……」

「声が小さい!」

「あ、歩夢だぴょん!」

「もっと!」

「歩夢だぴょーん!!」

 

 やりすぎかな。

 アイドル意識が人一倍強いのは知ってるけど、これじゃ……

 ため息をつきながら、どうしようかと考えていると、すすすと隣に高咲さんが並ぶ。

 

「一つ、聞きたいことがあるんですけど」

「いいよ、一つと言わず、いくらでも」

「どうして、同好会はなくなっちゃったんですか?」

 

 遠慮なく訊いてくる。まあ、そりゃ知りたいか。

 

「……中須さんと優木さんの方向性の違いだよ」

 

 当時のことを思い出しながら、僕は呟くように言う。

 

「中須さんは……まあ見ての通り『可愛い』を見せたくて、優木さんは『情熱』とか、自分の『大好き』を押し出したかった。そのせいでちょっと上手くいかなかったこともあったんだけど……お披露目ライブが近づいてくるにつれて、優木さんが焦って……」

 

 決定的だったのは、練習の時の言い合いだった。

 着実に成長してるはずのみんなに対して、優木さんは『足りない』と思ってしまったのだ。

 中須さんは反抗して、自分の目指す『可愛い』とは違うと言い放った。

 

「タイミングが悪かったんだ。ちょうど僕がいない時に言い争いが起きて、ヒートアップして、大きな亀裂が走った」

 

 ついに、同好会はバラバラになって、一人、また一人と離れていった。

 みんなのお披露目だったはずのライブは、優木さんがソロでパフォーマンスをすることになって、終わってしまった。

 裏方だった僕は、そこで何かが変わると思ってた。

 変わるわけなんてなかった。何もしてない僕が、そんな希望を持つことすらおこがましい。

 

「僕のせいだ。それ以前にグループ内の不和はわかってたから、もっと早くにどうにかしていたら、廃部は免れていたかも」

「湊さん……」

 

 スクールアイドルの全国大会ともいえる『ラブライブ』に出ることを考えれば、どっちも間違ってるとは言えない。

 そうやって決められず、優柔不断な僕だから……

 

『っ、離してください!』

 

 優木さんは、僕の手を振り払ったのだろう。

 

 僕はカメラの電源を落として、中須さんたちに近づく。

 

「中須さん」

「あ、湊先輩、もうちょっと待っててくださいね。もうちょっとで歩夢先輩を……」

「今日はもう終わろう」

「む、まだまだこれからですよ!」

「焦っても良いことはないよ。それに……」

 

 ちらりと上原さんを見ると、恥ずかしさで顔が赤くなっていた。

 これ以上は、もういくらやっても無意味だろう。

 

「上原さんも、限界みたいだしさ」

「あ……」

 

 そんな様子の上原さんを見て、中須さんは俯いた。



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3 それがやりたいことなら

「おはよう、お兄ちゃん」

 

 まだ眠気の残っている顔で、妹の璃奈(りな)が挨拶する。

 そこでようやく、僕は自宅のキッチンに立っていることを思い出した。

 ハッとして目の前のフライパンを見る。気を離したのは一瞬のようで、焼いているベーコンは焦げついていなかった。

 なんでもない顔を作って、後ろを振り向く。

 

「おはよう、璃奈。ご飯できてるぞ。先に顔洗ってきて」

「うん」

 

 とてとてと、150センチに満たない小さな体躯を揺らしながら、璃奈は洗面台へ向かう。

 姿が見えなくなったのを確認して、大きくため息をついた。

 朝から気分が悪い。変な夢を見たせいだ。

 

 嫌な気分を振り払って、朝食を卓に並べる。

 ベーコンと目玉焼き、そしてトーストとコーンスープ。ベタだけど、だからこそ朝食って感じがする。

 俺が机に座るのと同時、璃奈も顔を洗い終えて食卓についた。

 スプーンとお箸を渡して、手を合わせる。

 

「それじゃ、いただきます」

「いただきます」

 

 璃奈がもぐもぐと朝ごはんを食べる。

 僕が作り始めた当初は、あまりにも朝が弱くて食べてくれなかったけど……いまこうして食べてくれるのを見ると、なんだか感動を覚える。

 前に比べると、かなり血色も良くなってきたようだ。

 

 ぱっちりとした目と幼い顔つきは、まるで人形のように整っている。

 並んでいるところを見られると、いつも僕の妹かと疑われるくらい、僕に似ずに可愛い。

 

「お兄ちゃん、食べないの?」

「あ、ああ、食べるよ」

 

 ぼーっとしてた僕に疑問を覚えて、璃奈は首をかしげる。

 いかんいかん。変に思われるのは良くない。

 すぐに平静さを取り戻して、箸を進める。

 特に会話があるわけではないが、それはいつもの通りだ。僕も璃奈も、そんなに会話が得意なわけじゃない。 

 すぐに食べ終えて、食器をキッチンに運ぶ。

 

「はい」

「ありがとう、璃奈」

 

 空の皿を受け取って、軽く流す。ちゃんとした処理は食洗機任せ。

 ええと、洗剤洗剤……

 

「お兄ちゃん」

「どうした?」

「ペット、飼っちゃダメ?」

「ペット?」

 

 食洗機のセットを終えて、スタートボタンを押す。ちゃんと音を立てて動き出したのを見て、璃奈に向き直る。

 

「学校の近くで、猫見つけたんだけど……」

 

 曰く、捨てられてる猫を学校に匿っているが、それを家で飼えないかという相談だ。

 

「このマンション、ペット禁止だからなあ」

「そう……」

「その猫、もう学校に住み着いてたりする?」

 

 璃奈はこくりと頷いた。

 

「はんぺんって言うの」

「もう名前つけてるのか……」

 

 飼う気満々じゃん。

 知ってしまった以上、放ったらかしは可哀そうだとは思うが……ルールはルール。

 うーん、誰か飼ってくれそうな人探すか。

 

「あ、あと、そういえば、一昨日スクールアイドル同好会の部室を探してる人たちが……」

 

 そこまで言って、璃奈はしまったという表情をしたあと、しゅんとして俯く。

 

「ごめん、なさい」

「どうした、いきなり謝ったりなんかして」

「でも、お兄ちゃん……同好会の話をすると、つらそうだから」

 

 つらそう? 僕は、そんな顔をしてたのか?

 そんな表情を見せて、わざわざ妹に心配をかけるなんて、兄失格だな。

 なんでもないというふうに、僕はわざとその話題に突っ込んだ。

 

「その、部室探してた人って、ツインテールの子と、シニヨンの子?」

「そう。お兄ちゃんに連絡しようとしたけど……」

 

 ああ、やっぱり。高咲さんと上原さんか。

 

「昨日会ったよ。同好会に入ってくれるって。って言っても、廃部したからまた新しく作る必要があるけどね」

 

 僕がそう言うと、璃奈は少し驚いていた。

 

「また?」

「そう、また」

 

 璃奈に返しながら、お弁当を風呂敷で包む。

 また、と言いたいのもわかる。前に同好会を作ってから、ほんのちょっと経っただけで潰れて、また作ろうだなんて、呆れるよな。

 だけど、璃奈は、僕が予想した顔をしていなかった。

 

「無理しないで」

 

 今にも泣きそうな表情。

 璃奈の表情はあまり動かないから、他の人にはわからないだろうけど、僕にはわかる。璃奈は優しいから、こうやって心配してくれる。

 

 僕は兄として、払拭しなきゃいけない。

 つらいのも、無理してるのも、僕じゃない。だって僕は何もできなかったんだから。

 そう言い聞かせて、笑顔でお弁当を渡す。

 

「大丈夫だよ、璃奈」

 

 

 

 

「かすみちゃん、いませんね」

「そうだね」

 

 時は飛んで放課後。

 また今日も自己紹介動画を撮るために集まろうとしたのだが……

 上原さんは自主練習してから来るらしく、遅れるのは知っている。けれど、中須さんが来ない。連絡しても通じず。

 知り合いの後輩からの情報によると、授業が終わってからすぐに教室から出ていったらしい。しかし、めぼしい屋内施設にはいないみたいだった。

 

 そういうわけで、僕と高咲さんは校舎の外にまで探しに出かけている。

 屋外だけでも候補は多すぎるから、そうそう簡単には見つからない。庭とよばれる場所だけでも数か所あるうえに、一つひとつが広大なのだ。

 

「昨日の話ですけど」

 

 辺りを見渡しながら、高咲さんは口を開く。

 

「かすみちゃんもせつ菜ちゃんも、ただやりたいことをやりたかっただけなんですよね」

 

 僕は頷く。

 

「だったら諦める必要はないんじゃないかなって……入ったばかりの私が何言ってんだって話かもですけど」

 

 えへへ、と気恥ずかしそうに頬を掻きながら、彼女は続ける。

 

「私は、みんなが輝く姿を見たい。だから、やりたいことをやれるように支えたい。そう思うのは、私がまだ何も知らないから……かなぁ?」

 

 ……正直、驚いた。

 スクールアイドルをこんなに真剣に支えたいと思っているなんて。昨日の時点ではわからなかった。

 優木さんのライブを見て触発されたのがきっかけだろうけど、彼女は本当に、この同好会のことを考えてくれている。

 

「いいや、高咲さん。君は正しいよ」

 

 僕たちに足りなかったのは、彼女が言うような単純なことだったのかもしれない。

 

「こんがらがったみんなには、君みたいな真っすぐな人が必要なのかも」

「じゃあ、二人で盛り上げましょう!」

 

 おー! と手を挙げる高咲さんに合わせようとした瞬間……

 

「あ」

 

 いた。

 夕陽の塔のすぐそこ、東京湾が眼前に広がるところ。物憂げに手すりに身を預けていた。

 

「中須さん」

「湊先輩、侑先輩……」

 

 駆け寄ると、陰鬱な顔がはっきりと見えた。

 いつもの元気な表情はなりを潜めて、陰が差している。

 

「今日はずいぶんと元気なさそうじゃないか」

「……」

 

 なんとなく、理由は察している。

 僕たちが下を向いてしまうのは、同好会のことくらいなんだから。

 

「優木さんと同じこと、しちゃったってところかな」

「!」

 

 昨日、上原さんの様子を見てショックを受けてたようだったからもしや、と思ったけど、図星だったみたいだ。

 潤んだ瞳で見上げてくる中須さんは、胸に手をあてて、また俯く。風に消え入りそうな声で、ぽつり、と話し始めた。

 

「いつでもみんなが戻ってこられるように頑張ってたのに……」

 

 その先は、出来るだけ言わせたくなかった。言ってもつらいだけ。

 僕がやるべきなのは、出来るだけ近くに寄り添って、中須さんのことを理解できるように努めること。

 

「そうだね。君は一番頑張ってた」

 

 生徒会から同好会のネームプレートを奪ってきたのだって、それだけ彼女が同好会を存続させたいと思っている証だ。

 残ったアイドルが自分一人になっても、諦めずに練習して、上原さんを指導した。

 彼女なりに必死だったのだ。だけどそれが、上原さんに『可愛い』を押し付けていたことに気づいたんだ。優木さんが中須さんの『可愛い』を否定したように。

 

「優木さんも、同じように頑張ってたんだ。どうしても表現したいことや伝えたいことがあって、必死だった」

 

 一人ひとり、別の方向に努力が向いていた。そして全員が全力だったからこそ、ぶつかってしまったんだ。

 

「誰が正しいとか、僕にはわからない。でもやりたいことをやろうとする心に、間違いはないと信じたい」

 

 自分の中にある信念を否定しなくていい。

 どうしても譲れないものがあって、衝突するのは仕方ない。グループなんだから、意見のぶつかり合いも喧嘩もおおいに結構。

 だけど、押し付けるとか、否定するとか、そんなのはもう無しにしよう。

 

「だからさっき、高咲さんと話して決めたことがあるんだ。ね、高咲さん」

「はい」

 

 高咲さんは一歩前に出て、中須さんの肩を掴んだ。

 

「一人ひとり違うのは当然なんだからさ、じゃあ、みんなのやりたいことを叶えようよ。我慢してやるスクールアイドルなんて、そんなの楽しくないでしょ?」

「侑先輩……!」

 

 みんながバラバラでも、その個性は決して抑えるべきものじゃない。

 優木さんは高咲さんに情熱を与え、退屈なこの世界に、彩りを加えてみせたように、個々の色は人に影響を与える。

 スクールアイドルは単に歌って踊るだけじゃない。夢を体現しているのだ。

 そのスクールアイドル自身が夢を叶えなくてどうする。叶えさせなくて、僕らは支えていると言えるのか。

 

「もし、そんなことが出来るなら……」

「出来るよ、かすみちゃんなら」

 

 否定される痛みと押し付けてしまう傲慢さを知り、反省する心を持ち、芯がある彼女になら、と僕も頷く。

 俯きがちだった中須さんは、潤んでいた目をがしがしと拭い、満面の笑みを咲かせた。

 

「もちろんです! 可愛いかすみんに出来ないことなんてありませんから!」

 

 

「遅れてごめんなさーい」

「あの、自己紹介なんだけど……いま撮ってもらっていい?」

「虹ヶ咲学園普通科二年、上原歩夢です。自分の好きなこと、やりたいことを表現したくてスクールアイドル同好会に入りました。まだまだできないこともあるけど、一歩一歩、頑張る私を見守ってくれたらうれしいです。よろしくね」

 

 画面越しに見ても、息が止まってしまうくらいに素敵なアイドルがそこにいた。

 昨日までの躊躇や恥ずかしさもなく、真心を直撃させてくる真剣で優しい目。

 応援したくなるような女の子っていうのは、こういう感じなんだろうなあ。

 

「今のすっごく可愛かったですよね、湊先輩!?」

「うん。何の手を加えなくても……いやむしろ、そのまま投稿したほうが良いくらい」

 

 少し頭を捻ってイメージしても、どうしても編集が邪魔になる。

 まさか昨日の今日で、こんな真っすぐなものを仕上げて来るとは……

 

 上原さんは、中須さんの『可愛い』を信じた。そのうえで、自分らしさも大切にした。

 自分も相手も尊重するその姿勢は、本来最初に持つべきだったものなのに、僕たちに足りないものだった。

 

「中須さん、どう思う? 君のと比べて、可愛さを前面に押し出した自己紹介じゃないけど」

「ま、まあ及第点ってところですかね!」

 

 口は素直じゃないなあ。僕が話しかけるまで、目をきらきらさせてたくせに。

 でも、呆然とする気持ちもわかるよ。

 自分の指導を越えて、自分なりの真っすぐを表した上原さんは、直視するには眩しすぎる。

 

「でも、可愛さでは負けませんから!」

 

 強がりというか自分自身への宣言というか、中須さんは胸を張って、上原さんを指差す。

 すっかり立ち直ったようだ。

 うん、やっぱり、中須さんはそうやって自信満々で元気で可愛いのが一番似合う。

 

「じゃあ、そんな中須さんにプレゼントを一つ」

 

 僕は人差し指を立てて、彼女の注目を集める。

 

「ようやく出来たよ、曲が」

「本当ですか!?」

 

 ますます表情を輝かせて、詰め寄ってくる。

 そんな彼女の猛進を避けつつ、中身の入ったCDケースを手渡すと、まるで宝物を扱うように受け取った。

 

 僕が感じた、中須さんの可愛さを詰め込んだ一曲。

 けっこうな難産だったけど、その分かなーり自信がある。

 

「これから練習して、ちゃんと見せられるようにしないとね」

 

 感激のあまりこくこくと頷く中須さんの様子を見て、僕も報われた気持ちになる。

 こんなに喜んでくれて、作曲家冥利に尽きるってもの。

 

「それを、新生虹ヶ咲スクールアイドル同好会の最初の動画にしよう」

「さんせーい!」

 

 高咲さんがいの一番に手を挙げる。

 

 彼女はわかっているだろうか。ここにいてくれて、話してくれたことがどれだけ僕らの助けになっているか。

 高咲さんがいてくれたらきっと、集まったスクールアイドルたちは崩れることなく繋がってくれることだろう。

 

 虹ヶ咲スクールアイドル同好会は、まだ始まったばかりだ。



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4 虹ヶ咲学園スクールアイドル:中須かすみ

「湊さーん!」

 

 放課後、練習場所に向かおうと屋外に出たところで、僕を呼ぶ声が聞こえた。

 その方に振り向くと、高咲さんが軽快な足取りでこっちに向かってくるところだった。

 

「湊さん湊さん湊さん! アレ、見ました? かすみちゃんのMV! かすみちゃんの可愛いところがいっぱいで、トキメいちゃいました!」

 

 チャームポイントのツインテールをぴょこぴょこ揺らしながら、興奮気味に寄ってくる彼女に触れないよう、後ずさりする。

 見たっていうか、作ったん僕ぞ。

 

「MVが出来た時に見せたし、あの時感想も言い合ったじゃないか」

「でもでも、投稿されて世に放たれたって考えると、また違うように見えてきて……!」

「わかったわかった。とにかく、話は中でゆっくり聞くから……」

 

 もう、この子ほんと距離近いからお兄さん苦手だわ。

 

「侑ちゃん、走ったら危ないよ」

 

 後ろから、追いついてきた上原さんが現れて注意した。

 個性的な面々の中で、彼女は僕の癒しとなりつつある。というか中須さんと高咲さんが毎日元気すぎる。

 

「あ、湊さん、こんにちは」

「こんにちは」

「侑ちゃん、昨日からこんな調子で……」

「だってだって、かすみちゃんのMVだよ?」

「それで朝遅刻しそうになったんだよね?」

「う、ごめんなさい……」

 

 仲良いね、君たち。

 聞けば二人は幼いころから一緒の、つまり幼馴染であるが、それだけで普通そうはならない。お互いがお互いを想いあってなければ……

 

「湊せんぱ~い!」

「高咲さんガード」

「うわあ!?」

 

 いつもの場所に着いたその時、ロケットのように突っ込んでくる中須さん。その瞬間、僕は高咲さんの後ろに回った。

 勢いづいた中須さんに、高咲さんは押し倒されてしまったが……

 

「かすみんの動画に、こんなにいっぱいコメントが!」

 

 倒れたまま、ベンチの上に置いてあるPCを指差している。画面を見ると、MVの横に視聴者のコメントがずらりと並んでいた。

 

「うんうん、ちょっと心配だったけど、好評みたいだね」

 

 思っていたより、賞賛の声で埋め尽くされていた。

 なんと外国の人も見てくれているみたいで、英語やそれ以外の言語でコメントを打ってくれている人もいる。

 

「改めて見ると、やっぱりすごいなあ。撮ってる時にはこんなになるなんて、思ってもみなかったよ」

 

 今回カメラマンを務めた高咲さんが目をキラキラさせる。

 映像は編集で化けるが、何より元素材が良くなければいけない。今回の成功は、出演者である中須さんはもちろん、ちゃんと映した高咲さんの力によるところも大きいのだ。

 

「上原さんのは、もう少し後になるけど、許してね」

「いえいえ、作っていただけるだけで……」

 

 とは言ってくれるが、それほど待たせる気もない。せっかく毎日練習に参加してくれるのだから、ちゃんとしたことをさせたい。

 これは別に感謝の気持ちというだけじゃない。

 やはり歌って踊るのがアイドル。上原さんのモチベーションを保つためにも、スクールアイドルらしいことをさせるのは重要だ。

 

 それに知名度が上がれば、元メンバーもやる気を出して戻ってきてくれるかもしれない。

 つまりは、僕の都合で、僕のため。

 

「結構時間かかります?」

「うん。動画作るってなると、上原さんのイメージをもっと理解して、合うように演出を考えなきゃいけないからね」

 

 そこらへんは、幼馴染である高咲さんがいるからあまり心配はしてないけど。

 

「曲もそうだけど、衣装や小物だけでも打ち合わせに時間食うし……」

 

 一つの動画を作るのは、かなりの時間と体力を必要とする。クオリティを追及し続ければ、際限なくそれらがかかってしまう。

 だから、〆切を決めて、ある程度妥協はしなければ、と思うが……

 

「楽しみだね、歩夢!」

「うん。でも、かすみちゃんみたいに可愛くできるかなぁ」

「大丈夫です! かすみんには敵いませんが、歩夢先輩も可愛いですからね。それに、湊先輩ならきっとやってくれますよ!」

 

 プレッシャーかかるなあ。

 

 

 

 

 中須かすみ。

 『可愛い』を広めるためにスクールアイドルをしている、可愛い一年生。

 コッペパンが大好きで、自分でもよく作る。その腕前は、お店のものにも負けていない。

 

「あとは……」

「なにしてるんですか、湊先輩?」

 

 パソコンを前にうんうん唸っている僕。そのすぐ後ろから、中須さんが覗き込んできた。

 

 今は基礎体力のチェック中だったはずだけど……ちらりと向こう側を見ると、肩で息をしてる上原さんがいた。

 現時点では、やはり中須さんのほうが体力は上らしい。少し息が乱れている程度だ。

 

「これ、かすみんのことですか?」

 

 彼女が指差すのは、開かれているメモ帳アプリ。先ほどの中須かすみの紹介文が書かれていた。

 

「先日の動画で晴れてデビューしたからね。更新止めてたホームページに載せようかなって」

 

 ホームページは前に使っていたものをそのまま使用している。

 優木さん以外はほとんど顔出しもしていなかったから、書いてること少なかったし、なら引き継いで使っちゃおうということになったのだ。

 中須さん以外の写真はシルエットにして、上原さんを追加。あとは自己紹介動画と、昨日上げたMVのリンクを貼ってある。

 

 ただこれだけじゃ寂しすぎるので、それぞれのアイドルの簡単な紹介文も載せることにした。

 上原さんのは、高咲さんが担当。中須さん担当は僕だ。

 

 とりあえず、今はただ特徴をつらつら書いてるだけで、飾り気のない文章になっている。

 

「へ~、ふ~ん。湊先輩は、かすみんのこと可愛いと思ってるんですねぇ。ま、当然ですけど!」

「可愛さって尺度で言えば、中須さんが一番だよ」

 

 にまにまと口角を上げて、中須さんは上機嫌そうに胸を張った。

 

「えへへ、そんなに褒めても何も出ないですよぉ。それだけかすみんが湊先輩をメロメロにしちゃってるってことなんでしょうけど!」

 

 ……改めて考えると、確かにそうなのかもしれない。

 グループが解散しても、同好会がなくなっても、スクールアイドルのサポートを続けようと思ったのは、中須さんが諦めずに突き進んでいるからだ。

 そのひたむきさに惹かれて残っていると言っても過言じゃないのかも。

 

「そうだね。本当に、中須さんと一緒にいれて楽しいよ……ってなにその顔」

「い、いつもはいはいって感じで返してくるじゃないですか」

 

 何かを隠すように両頬に手をあて、そっぽを向いている。恥ずかしがってるのだろうか。なにげに、こういうの新鮮だなぁ。

 いつもは自信満々に胸を逸らすか、予想外のことに顔を歪めるかとかだから、乙女チックな表情は珍しい。

 

「その顔、撮っていい? 載せる用の写真として」

「だ、ダメです! この前、衣装着た時に写真撮ったじゃないですか。あれ使いましょうよ」

「当然、あれも使うよ。けどスクールアイドルなんだから、制服写真も撮っておかないと。はい、ピース」

「えへっ」

 

 両手でピースしてキメ顔ウインク。

 さすが、自分が一番良い写り方をする角度は研究済みのようで、文句なしにシャッターを押す。

 

「どうですか?」

「良い顔」

 

 カメラに映った彼女をしみじみと眺める。

 虹ヶ咲のスクールアイドル中須かすみ。その肩書きは、今や名実ともに伴っている。

 MV投稿から何度も思っていることだが、僕らはようやくスタートを切ることが出来たのだ。

 

「湊さーん! 次、どうします?」

 

 息を整える上原さんにタオルを渡す高咲さんが、こちらに声をかけてくる。上原さんの練習メニューは、状況を見て僕が調節することになっていた。

 基礎体力作りも大切だけど、無理をさせないことも同じくらい大事だ。倒れさせてしまったら、高咲さんからの信用を失うことにもなるだろうし。

 

「湊先輩。あの、ありがとうございます」

 

 立ち上がりかけたところで、改まってそんなことを言う彼女に驚いて、手と足が止まる。

 

「何の礼?」

「その、色々と。湊先輩がいてくれなかったらどうなってたか……」

 

 ああ、なんだ、と僕はコーヒーを飲む。

 

「君なら、きっと一人でも頑張れてたよ」

 

 スクールアイドルに対して並々ならぬ熱を持っている彼女なら、何度打ちのめされても立ち上がれる。部も部室もなくなろうが関係ない。

 少し暴走してしまうこともあるけれど、まあ可愛いもんだ。

 

「それでも、ありがとうございます。みんないなくなって、でも湊さんが残ってくれて、私はすごく……その、救われました」

 

 ……少しだけ。ほんの少しだけ、心が軽くなったような気がした。

 同好会が解散して、みんな散り散りになって……最近良いことなかったけど、ようやく努力が実を結んだ実感があった。

 高揚する気持ちを抑えて、冷静を装って、また一口飲む。

 

「礼はまだまだ早いよ。世界一可愛くなるんだろ」

「もう世界一です!」

「そうか。じゃあ世界に知らしめていかないとね」

 

 君は僕に救われたと言うけれど、僕のほうが救われてる。

 元気で前向きで、諦めない中須さんの姿を見たからこそ、僕はいまここにいる。

 

 だからどうか、君の『可愛い』が広がっていくまで……

 

「君がよければ、僕にその手伝いをさせてくれ」

 

 僕がお願いすると、中須さんはとびきりの笑顔を浮かべた。

 

「もちろんです! これからもかすみんの近くで、見ていてくださいね!」



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5 生徒会長=

 放課後になっても校内に居座る人は多い。

 虹ヶ咲学園は色々と設備が整っていて、娯楽には事欠かない。外で遊ぶより安上がりで済む。

 他にもおしゃれなカフェや、とんでもない蔵書量を誇る図書室なんかもある。

 大抵のことは学園内で済ますことができるため、最終下校時間になるまで居る生徒も少なくないのだ。

 

「お待たせ、湊くん」

 

 その施設の一つである学食で、窓近くの席に座っていた僕の前に、ようやく待ち人が現れた。

 エマさんは正面の椅子に座ると、にこにこ笑いながら鞄を床に置く。

 

「見たよ~、新しい動画。かすみちゃん、楽しそうだったね」

 

 言いながら、片手に持っていた明太フランスパンを頬張る。

 エマさんはよく食う人だ。にも関わらず同好会所属だった時と比べてもスタイルに変化がないのは、体質なのか裏で努力してるのか……

 

「それと、同好会に新しい人が入ったって?」

 

 耳が早い。中須さんあたりに聞いたのだろうか。

 

「スクールアイドル候補とマネージャー志望が一人ずつね」

「どんな子?」

「王道というか清純派というか……意外と君たちとタイプは被らない子だよ。もう一人は……まあやる気は十分だったね」

 

 言ったことはすぐさま吸収して、応用も利かせてくれる。僕にはないアイデアも遠慮なく提案してくれるおかげで、満足できるような出来の動画を作れた。

 中須さんのMVは、彼女がいたから完成したと言ってもいい。

 

「同好会の活動も、また出来るのかなあ?」

「さあどうかな。あのお固い生徒会長が認めてくれるかどうか」

 

 ルールには厳しそうだから、ちゃんと五人揃えたら認めてくれそうだけど。

 活動は順調だから、問題は人数だけ。けど、ここで、戻ってきてくれとはあえて言わない。

 エマさんはエマさんで、引っかかることがあるのだろう。十中八九、優木さんのことだろうが。

 なんのわだかまりもなく、戻ってこれる時に戻ってきたらいい。

 僕がやれることは、彼女の場所を作ること。

 

「で、僕に会わせたい人って?」

 

 話を変える。

 本来の用件は、エマさんが僕に紹介したい人がいるとのこと。

 だから彼女を待っていたんだが、一人で現れたことに疑問を持った。

 

「えと、もうちょっとで……あ、来た来た。おーい、果林(かりん)ちゃーん」

 

 エマさんが僕の後ろに手を振る。

 振り返ると、えらい美人がそこにいた。

 

 朝香(あさか)果林。

 女子中高生から絶大な人気を誇る現役ファッションモデル。

 

 綺麗な佇まいに、クールな雰囲気。誰もが憧れるような、オトナの女性を体現したような存在感。

 虹ヶ咲にいるのは知っていて、遠目で見たこともあるけど、実際目の前にするとその綺麗さに目を奪われる。

 

 まさか彼女が、僕に紹介したい人物?

 

「キミが噂の湊くん?」

 

 エマさんの隣に座る様も、なんだか気品があるように見える。

 

「噂……がどういうものか知らないけど。天王寺湊。よろしく」

「朝香果林よ」

 

 ずいっと手を伸ばしてくる。僕は思わず顔をしかめてしまった。

 

「握手はしない主義なんで」

 

 言うと、朝香さんはいまいち納得しない表情で座った。

 

「それで、僕に何の用? スクールアイドルになりたい……とかじゃなさそうだけど」

「ええ。モデルで手いっぱいだもの。他のことなんてやってる暇はないわ」

 

 釈然としない顔のまま返される。

 

 ま、僕が知ってるくらい有名なモデルだもんな。

 高校生活を送りながらだと、時間はないか。残念。

 

「ちょっと気になることがあって、ね」

「気になること?」

「ええ。ちょっとした事情で、優木せつ菜とお話がしたくてね」

 

 朝香さんは横目でエマさんを見たあと、鞄から一抱えあるほどの分厚いファイルを取り出した。

 

「だけど、これのどこにも載ってないの」

 

 僕はそれを受け取ると、中身をぱらぱらと見る。

 虹ヶ咲に在籍している生徒の名前や学科がずらりと記されてあった。

 

「生徒名簿……生徒会室から持ってきたの?」

「無断で、だけど」

 

 最近は生徒会室から盗みを働くのがトレンドなのだろうか。そんな目を引く物ないだろ、あそこ。

 

「彼女の連絡先、教えてくれないかしら」

 

 僕はじっと朝香さんを見て、小さくため息をつきながら背もたれに体重を預ける。

 

 エマさんから、彼女のことは何度か聞いたことがある。簡単に言えば、彼女たちは親友どうしだ。

 ここ最近のエマさんの元気のなさを見て、何かしてやりたいと動き出したのだろう。

 生徒名簿まで取ってきて調べるなんて……暇はないと言いつつ、本気ではあるみたい。

 

 ふむ、と僕は顎をさすった。

 

「知らないよ」

「だったら、取り次いでもらえると助かるのだけれど」

「何科かも知らない」

 

 こうやって答えていると、やっぱり僕は優木さんのこと、何も知らないんだな。ほんの表層部分だけ見て、理解した気になってただけだ。

 力になりたいところだけど、知らないものは知らない。

 

「だったら、どうやったら会えるのかしら?」

「……会えないだろうね」

 

 浮かんだのは、優木さんの顔。

 呼べたとしても、僕が呼んだらむしろ来ないだろう。優木さんは、こんな僕とは二度と顔を合わせたくないはずだ。

 きっと、()()()()()()()()()()を、僕に見せることはない。

 

 僕の微妙な表情の変化を感じ取ったのか、朝香さんはほんの少し口角を上げた。

 

「やっぱり、優木せつ菜がどこにいるか、知ってるみたいね」

「推測だけど。そういう朝香さんも、気づいているっぽいけど」

 

 そう答えると、妖艶な笑みで返してくる。

 

「……? どういうこと?」

 

 一人ついてこれていないエマさんが首を傾ける。

 

「優木せつ菜という人物は……」

「存在しない」

 

 朝香さんの言葉を、僕が継ぐ。

 

「え?」

 

 エマさんは目を見開いた。

 一緒に練習をしてきた彼女にとって、信じられないことだろう。

 だが、生徒名簿に載っていないということは、そういうことなのだ。

 

「でも、優木さんは生徒会長と話して、廃部に合意した。これって、どういうことなんだろうね?」

 

 

 

 

 朝香さんが納得したような表情をしたのを見て、話を切り上げた後、僕は練習場所に向かおうと外に出た。

 今日は外で体力づくりの基礎練習予定だ。

 僕がいなくても出来る……が、各々の体力については気になる。特に、上原さんはスクールアイドルなりたてだから注視しておかないと。

 これからの活動方針についても詳細を詰めておかないといけないし……

 

「それよりも問題は……」

 

 旧メンバーをいかにして復帰させるか、だ。同好会を新しく作り直すためには、彼女たちの協力が不可欠。

 だけど名ばかりの今じゃ、桜坂さんを引っ張ってくるのは難しいし、エマさんは消極的、残るもう一人は連絡を返してくれない。

 どうしたものか……

 

 と、頭を捻っていると、何かが飛び出して、僕の足元をかすめる。

 

「わ、とと……」

 

 僕の後ろに隠れようとするその小さな影は……猫?

 白猫が、ちらちらと周りを窺っている。

 そういえば璃奈が、白い猫のことを言っていたような……

 

「お前が、はんぺん?」

「追い詰めましたよ!」

 

 続いて、ジャージ姿の生徒会長がばっと姿を見せた。虫取り網まで持って、ところどころ葉っぱもくっつけて。

 どうやら、この白猫を捕まえようとしているらしい。

 

「中川さん」

「て、天王寺湊さん……」

「なに殺気立ってるんだ。この子、怖がってるじゃないか」

 

 中川さんを睨む白猫を抱え上げる。

 頭を撫でてやると、いくぶんか落ち着いたように顔を擦りつけてきた。

 

「学校の敷地内を走り回って、小動物を追いかけまわすのは、生徒会長のやることだとは思えないけど」

「うっ」

 

 痛いところを突かれて、たじろぐ中川さん。

 興奮気味だった彼女の熱はいくらか冷め、しかしじっと猫を見る目は逸らさない。

 

 膠着状態。

 彼女の目当ては僕が抱いてるし、かといって今の彼女へ素直に渡すわけにもいかない。

 それに……

 

「中川さん、少し、落ち着いて話さないか」

 

 彼女を通して、聞きたいことがあった。

 中川さんは眉間にしわを寄せて、網の柄をぎゅっと握り直す。

 

「私には、あなたと話すことはありません」

「そう言わずにさ」

 

 猫を下ろす。さっさと去ると思ったのに、逃げはせずに僕の足元に隠れた。

 

「君はこの子に用がある。この子は……なんでか僕に寄ってくる。穏便に済ませることが出来るかも」

 

 む、としわを深めて、彼女は僕と猫を交互に見る。

 ちょっとずるいけど、もう一押し生徒会長が断れない必殺文句を出すか。 

 

「生徒の悩みを解決すると思って、ちょっと付き合ってよ」

 

 

 

 

 虹ヶ咲食堂に併設されているカフェまで意外と素直についてきた中川さんを、テラス席まで案内し、座らせる。

 同好会メンバーには、遅れるとメッセージを打っておいた。

 

「はい」

「あ、ありがとうございます」

 

 モカフラペチーノを、待たせていた中川さんの前に置く。

 慌ててお金を取り出そうとする彼女を制す。

 

「いいよ。話に付き合ってもらう代として受け取って」

「そういうわけには……」

「いいから」

「で、では、いただきます」

 

 遠慮がちにカップを持った彼女は、差されたストローに口をつける。

 甘いもので一息。それだけなら和やかな放課後だ。

 ほんと、中川さんが人を寄せ付けないオーラを放ってなければ、内心こんなに緊張することもないのに。

 

「あなたに懐いていますね」

 

 膝に乗ってきた白猫を一瞥して、中川さんに視線を移す。

 

「なんでだろう。妹が世話してるからかな」

「妹……一年の天王寺璃奈さんですか?」

「そう。学校に住み着いた猫を引き取りたいって、この前聞いた。うちはペット禁止だから駄目だって言った」

 

 その猫がこいつかは確証がないけど。

 

「名前まで付けてるみたいだ。はんぺんって言うらしい」

「言っておかなければいけませんね。学校で動物に餌を与えるのはいけないと」

 

 ため息をつかれる。

 まさか、追いかけていた猫が生徒に世話されているとは思わなかったんだろう。

 

「こいつ、何かしたのか?」

「そういうわけではありませんが、学校の敷地内に動物がいるのは問題でしょう」

「問題?」

 

 実際、野良猫の鳴き声とか排泄が問題になることは多い。はんぺん(仮)も例に漏れず、だろう。

 しかし、だ。

 

「どうせ、生徒会に『学校に猫がいます』ってだけ連絡が来ただけだろ。何かしたわけじゃないなら、好きでここにいる子を追い出すこともあるまいよ」

「何かしてからじゃ遅いんですよ」

「刺々しいねえ。何をそんなに焦ってるんだか」

「べ、別に焦っているわけでは……」

 

 俯いて、もごもごと弁明する。

 僕は自分の飲み物を口に入れ、一息ついてから口を開いた。

 

「誰も君のことを責めてるわけじゃない。君がいたい場所にいて、そこが心地良いと思えるなら、離れなくてもいい」

「わ、私は別に……」

「猫だよ、猫に言ったの」

「な、なぁっ……」

 

 一気に顔が赤くなっていくのを見て、僕は苦笑する。

 彼女は恥ずかしさを紛らわすように一口飲むと、拗ねたように口を尖らせて、ふいと顔を背けた。

 

「それより、話があるのではなかったんですか?」

 

 幼さを見せる中川さんが新鮮で、嗜虐心が湧いたがここまでにしておこう。

 

「今ね、同好会を新しく立ち上げようとしてるんだ」

 

 少し目を見開いた。

 

「そう、ですか」

「今のところ、僕を抜いて三人集まってる」

「では、五人集まったら申請しに来てください。一応、部室は余っていますので」

 

 淡々と告げる中川さん。

 

「ずいぶんあっさりだな。てっきり、何か言われるかと思った」

「人のしたいことを、私は()()否定しませんよ」

 

 そう言ってみせた彼女は、あの時の優木さんとそっくりだった。

 そこで僕は確信した。

 ああやっぱり、彼女が()()なんだ。

 言葉尻を捉えることもできたけど、ここはまだ、気づいていないふりをして誤魔化す。

 

「そう。じゃ、その時が来たら、よろしく頼むよ」

「話はそれだけですか?」

「いやいや、本題はここから」

 

 より一層真剣な顔を作って、彼女の目を見据える。

 

「優木さんと直接話した君に訊きたいんだけど、あの人にお願いしたら、戻ってくると思う?」

 

 僕たちの話が聞こえる範囲には人はいない。()()が本音を言えるとしたら、ここ。

 もし『戻ってくる』と言ってくれたなら、それは『中川菜々の言った言葉』以上の意味を持つことになる。

 それを、僕は少しだけ期待した。

 

「僕らには優木さんが必要なんだ。戻ってきてほしくて、だから同好会を……」

「彼女は戻ってきませんよ」

 

 しかし、返ってきたのはそんな無慈悲な一言だった。

 

「あんなことをして、優木さんがあなたの前に現れるわけないじゃないですか」

 

 ぐさり、と胸にナイフが刺さったように痛む。

 簡単に言い切るじゃないか、なんて軽く言おうとしたのに、喉が詰まって言葉が出ない。

 冷えていく心臓を押さえて、耐えるだけで精いっぱいだった。

 

「それが、優木せつ菜さんの選んだ道ですから」



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6 大好きをもう一度

 集合場所である夕陽の塔に一番乗りだと思ったのに、意外な人物が先にいた。

 

「お、早いねえ、湊くん」

「そう言う近江(このえ)さんこそ、いつもゆったりしてるのに」

「今回ばかりは、さすがの彼方ちゃんもじっとしてられないから」

 

 近江彼方。

 ゆったりとした空気とウェーブがかかったロングの髪が特徴的な、独特のゆるさをもつ三年生。

 全体的に柔らかい印象で、言動も見た目通り。だからこうやって先に居ることに少し驚きを覚える。

 もしかしたらいつものようにどこかで寝ていて、呼びに行かなきゃいけないかもと考えていたくらいだ。

 

「こうやって話するの、久しぶりな気がする」

「実際は、一週間か二週間そこらだけどね」

 

 お互い、表面上はなんでもないというような喋り方をする。

 近江さんも、同じようにちょっと気まずさを感じてるみたいだ。

 

 早めに来たのは間違いだったかな。

 

「あの……」

「謝らないでくれよ」

 

 言うことを察して、僕は制する。

 

「優木さんと中須さんの衝突は君のせいじゃない」

「でも、お姉さんとして、彼方ちゃんたちが止めるべきだったんだよ」

「全員同じく、スクールアイドルとしては一年目なんだからしょうがない。止めるべきだったのは、僕だ」

 

 君たちを支えると、そう誓った。結果はこのぎくしゃくした関係。

 責められても文句は言えないし、彼女たちにはそうする権利がある。そう思うと、目を合わせづらい。

 

「湊くん!」

 

 重い空気を払うような、エマさんの明るい声が聞こえた。

 振り返ると、新旧同好会と朝香さんが勢ぞろいでこちらに向かってきていた。

 

 

 挨拶もそこそこに、朝香さんが本題に入る。

 

「生徒会長がせつ菜先輩!?」

 

 という驚愕の事実にのけ反ったのは、中須さん。

 元同好会のメンバーと朝香さんに呼び出された僕たちは、中川菜々=優木せつ菜だと聞かされた。

 本人を問い詰めて、認めさせたらしい。

 

 わかりやすく驚いてみせたのは中須さんと上原さんだ。

 僕はもう確証を得ていたから、やはり、と頷く。

 

「でもあの様子だと、戻ってくる気はないみたいだし……」

「だったら……どうしよう」

 

 みんな、優木さんのことを気にかけて、スクールアイドルに戻そうとしている。まるでそれが当たり前かのように。

 喧嘩して仲違いはした。だが優木さんを放っておくか否かは別の話だ。

 一度、同じ夢を見た仲間だ。

 

 全員の視線がこちらに向く。

 僕は口を開いた。

 

「やりたくないって言葉を、優木さんから一度も聞いてない」

 

 遠ざかって遠ざけて、でも気持ちを否定することはしなかった。

 優木さんはきっと、怖がっているんだと思う。自分の存在が、大切な仲間の重荷になってしまうことを。でも……

 

「やりたいことを我慢する優木さんなんて、僕は見たくない」

 

 彼女たちと出会って、虹ヶ咲のスクールアイドルたち……きらめく彼女たちの傍で支えたいと願った。

 願って、誓ったはずなんだ。

 だから……

 

「僕は……どうしても、優木さんに戻ってきてほしい」

「なんとか説得できないかな、湊くん」

 

 戻ってきてほしい……そう思っても、僕にそんな力はない。

 彼女に僕の言葉は届かない。憧れた一人のアイドルの力にすらなれない。

 

『あんなことをして、優木さんがあなたの前に現れるわけないじゃないですか』

 

 彼女のあのセリフは、嘘でもなんでもなかった。

 『あんなこと』とは、僕が同好会の解散を止められなかったことだろうか、それとも優木さんを無理に引き留めようとしたことだろうか。

 

「湊くん……湊くん?」

 

 エマさんの声ではっとして、僕は顔を上げた。

 

「残念だけど、僕には無理だ。だけど……」

 

 新しく入ったマネージャーに、目を向ける。

 

「高咲さん、君になら出来ると思う」

「え?」

 

 きょとんとする高咲さんに、言葉を続ける。

 

「君だからこそ、優木さんを動かせると信じてる」

 

 かつての優木さんと同じくらいの情熱と強さを持った彼女になら、出来るはずだ。

 上原さんがアイドルの一歩を踏み出せたように、中須さんが『可愛い』を貫きながらも他の道を認めたように。

 高咲侑は、アイドルをアイドルたらしめる何かを持ってる。僕が持つべきだった、僕に足りない何かを。

 

 他力本願で情けない限りだけど、これしかない。

 

「……はい、任せてください!」

 

 ぎゅっと握りこぶしを作って、前に突き出した。

 

「ですけど、湊さんも手伝ってくださいね」

 

 

 

 

 校舎の屋上から、外を眺める。

 夕陽は橙色に空を染めて、光は目を焼いてしまうほどに眩しい。

 

「呼び出したのは、あなたですか」

 

 風に乗って、中川さんの声が耳に届く。

 体を向き直し、手すりに背中を預けて、意を決して顔を直視した。

 そこにいた中川さんは、昨日と同じような暗い表情だった。

 

 放送部の知り合いに頼んで、校内放送で生徒会長と優木せつ菜の両方を呼び出させてもらった。

 思惑通り来てくれた。少なくとも一人は。

 

「もし、私が来なかったらどうしてたんですか」

「来るまで待つ、かな」

「笑い事じゃありません」

「笑い事だよ。こうやって来てくれるって信じてたから」

 

 言葉ではスクールアイドルを否定しつつも、望みを捨てきれないならきっと来る。

 生徒会長が呼び出しに応じないのはありえないだろうという打算もあるけど。

 

 はあ、とため息をついて、彼女は僕の正面に立つ。

 等身大の彼女を、久々に見た気がする。優木さんの時には熱い情熱で、中川さんの時には大人びた印象があるから、大きく見えていた。

 けど実際に近づいてよく見てみると、小さな少女だ。

 記憶が正しければ、身長は中須さんよりも少し低かったはず。その小さな体にどれほどの感情を溜め込んでいるのか。

 

 僕が話し始めないのに痺れを切らして、中川さんは口を開いた。

 

「朝香果林さんが言っていました。私のことについて、あなたから聞いたと……」

 

 厳密には推測を言っただけだ。

 

「いつから気づいていたんですか?」

「君が、優木せつ菜だってこと?」

 

 そこでようやく、僕は彼女の目を見た。

 

「出会ってから割とすぐだよ。動画でも間近でも何百何千と見てるからね」

 

 優木さんを映した動画を日夜編集している中で、生徒会長と何度も話し合いをしていれば気づく。

 まったく雰囲気が違うからスルーしかけたけど、だんだんと見ているうちに疑惑は確信に変わっていった。

 

「君は、どうしても戻ってくる気はないのかな」

 

 俯くままの中川さん……いや、優木さんに声をかける。

 

「君のあのラストライブ。あれは本当はスタートのはずだった」

 

 輝かしく、熱い始まり方だった。

 ステージ上の優木せつ菜から目を離せなくなった。

 この人が作り出すものを、もっと間近で見たいと思った。

 

「僕はまだまだ、君のステージが見たいんだ」

 

 そう。これは僕のわがままだ。

 彼女がスクールアイドルとして歌い、踊る姿を見ていたいと思う、僕のわがまま。

 

 なあ、そのわがままは、君も持ってるんじゃないのか。

 だからここに来たんじゃないのか。

 

「……私がいたらダメなんです。私がいたら、またバラバラになってしまいます!」

 

 惑いを振り切るように、彼女は叫んだ。

 

「あなたもわかってるでしょう? ラブライブで勝ち上がっていくには、中途半端ではダメなんです! 全員が一つの色に染まらないと……」

 

 団体として勝負していくなら、部員全員の方向性を一致させなければならない。だけど、それをするには、彼女たちは個性的すぎる。

 やりたいことに対する本気度はみんな同じだ。だからこそ、一つの色として混ざりきれない。

 

「でもそれは、みなさんのやりたいことを否定することになります」

 

 優木さんも、同じ結論に達していた。

 

「気付いたんです。『大好き』を伝えたいはずなのに、その私が、みなさんの『大好き』を否定してしまってることに」

 

 中須さんの『可愛い』を否定したように、このまま行けば、部員全員を壊してしまいかねないと思った。

 自己矛盾を抱えた彼女は、一つの答えに到達してしまったのだ。

 

 自分がいなければ、と。

 

「こんな私じゃ、誰にも何も届けられない」

 

 違う。違うよ。

 君の声は届いてる。伝えたいことも、感情も、全部届いてる。

 優木せつ菜は、君が思うような無力な人間じゃない。

 

 でも、僕には何も言えない。

 彼女が出ていく時に何もできなかった僕の言葉は、優木さんに響かない。

 

 ここまでだ。

 僕にできるのはここまで。本音を引きずり出すところまで。

 

「ラブライブを目指すなら、私の存在が邪魔に……」

「だったら!」

 

 卑下する優木さんを遮ったのは……高咲さんだ。

 

「だったら、ラブライブなんて出なくていい! ラブライブがせつ菜ちゃんの邪魔になるなら、そんなの、出なくていいよ!」

 

 叫ぶ勢いに気圧され、 優木さんは驚きに目を見開いた。

 

 全国のスクールアイドルが憧れる舞台、ラブライブ。

 そこに出ないという選択が、いったいどれほどのものか……それは、高咲さんにだってわかってる。

 それでもなお、そのためにスクールアイドルが潰れてしまうなら、いらないと言い切った。

 

 こんなこと、高咲さんにしか言えない。

 だからこそ僕はこの場に高咲さんも加わってもらったのだ。

 

「せつ菜ちゃんだって、ほんとは辞めたくないんでしょ!?」

「当たり前じゃないですか!」

「それなら!」

 

 優木さんを上回る大きな声を響かせて、高咲さんは手を握る。

 

「それなら、続けようよ、スクールアイドル。私はせつ菜ちゃんのことを知りたい。もっと見ていたい」

 

 その瞬間、ほんの少しだけ、僕の中のもやもやが吹き飛んだ気がした。

 そうだ。いるじゃないか。僕以外にも、優木せつ菜を認める人が。

 

 高咲さんはさらに何か言いたげで、でもまとまっていないみたいだ。

 優木さんは目が泳いでいる。悩んで悩んで、本当にいいのか、と訴えてくる。

 

 我慢できなくなって、僕は口を開いた。 

 

「高咲さんは、優木せつ菜のライブを見て、スクールアイドルを好きになったんだ。優木さんの『大好き』は、ちゃんと届いてるよ」

 

 戻ってきていいんだ。戻ってきてほしいんだ。

 たくさんの人に愛されているスクールアイドル優木せつ菜の帰りを、みんな待ってる。同好会のみんなも、僕も。

 ライブで見せた君の光、その先をもっと見せてほしいんだ。

 

 パシン!

 

 優木さんは自分の頬を強く叩いて、目元を拭った。

 

「なら、ここで諦めるなんて言えないですね」

 

 ばっと立ち上がり、髪紐をほどく。艶やかな黒い髪が、風に靡いて光に融けそうなほど美しく映える。

 

「私から私への宣戦布告です。私は二度と、『大好き』を諦めたりなんかしません!」

 

 ああ、これが優木せつ菜だ。

 僕の知ってる、『大好き』を体現するスクールアイドル優木せつ菜が、ここにいる。

 燃えるような綺麗な目で、決意を固めたかっこいい表情で、目の前にまた……

 

「湊さん、号令号令」

「あ、ああそうだな。用意!」

 

 高咲さんに言われて、僕は我に返る。

 

 掛け声とともに、物陰からみんなが飛び出してきて、持っている機材をセットし始めた。

 音源とスピーカーだけなら、繋ぐのに時間はかからない。

 

「こ、これ……」

「下には届くだろ」

 

 顎で示したのは、眼下に広がる生徒たち。

 下校途中だったり、部活中だったりしているが、どうせなら、みんなに聞かせてやろうじゃないか。

 察して、優木さんはぱあっと表情を明るくさせる。

 

 再び同好会に入る。その決意は、こんなところでこじんまりとお祝いしてもしょうがない。

 なら見せつけてやろう。声の届く限り、見える限りの人たちへ。

 

 優木せつ菜復活ライブだ。

 

「マイクは用意してないから、大きな声で頼むよ」

「望むところです! ところで、曲は何にします?」

 

 僕は繋げられたPCを操作して、曲を選択。

 

「お披露目ライブはやったんだ。ここは、二曲目で行こう」

「『DIVE!』ですね!」

「振付は覚えてる?」

「もちろんです!」

 

 パチン、とウインクして、優木さんは生徒たちがよく見える位置に立つ。

 

「だって私、スクールアイドルが大好きですから!」

 

 その返答に僕は満足して、曲の再生ボタンを押す。

 同時、スピーカーからは音が轟き、優木せつ菜の歌声は空へ響く。綺麗で、力強くて、何よりも『大好き』に満ち溢れていた。

 

 誰もが振り向いて、上を見る。

 スクールアイドル優木せつ菜の勇姿を。新しく一歩踏み出した、彼女の輝きを。

 



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7 虹ヶ咲学園スクールアイドル:優木せつ菜

 中川菜々。

 虹ヶ咲の生徒会長。

 真面目で勤勉。全生徒の名前と顔、学科を覚えている。

 

「前、見ないと危ないですよ?」

 

 性格は大人しく、眼鏡と三つ編みがそれに拍車をかけている。

 だけども、その見た目とは裏腹に、行動力はピカ一。生徒が困っていれば西から東へ。また、何かしら事件が起これば自らが率先して動く積極性もある。

 

「あ、あの……そう見つめられると、恥ずかしいです」

 

 中川さんの言葉に、はっと我に返る。

 隣を歩く彼女に、しばらく見惚れていたようだ。

 

「ああ、ごめん」

「私の顔に何かついていますか?」

「いや、やっぱり全然違うなって」

 

 優木せつ菜とはイメージが結びつかない。顔は同じなのに、スクールアイドル同好会以外にばれていないのはそのせいだろう。

 ホームページに載せる優木さん用の紹介文を考えていたのに、途中から逸れてしまったくらいだ。

 

 中川さんは可愛らしく、むっと頬を膨らませた。

 

「もう、部活動している時間以外は、私のことをせつ菜として扱うのは禁止って言ったじゃないですか」

「ごめんって。もう言いません」

 

 他愛のない話をしていると、目的地である生徒会室に着く。中川さんが鍵を開け、紙の束を抱えている僕を通してくれる。

 これは、学校各所に設置してある要望ボックスから回収してきたアンケート用紙の束だ。ようは目安箱みたいなもので、一枚一枚に生徒の望みが書いてある。

 最近は回収にいけなかったようで、かなりの数が溜まっていたらしい。中川さんが四苦八苦していたところ、通りがかった僕が手伝いを名乗り出たというわけだ。

 

「ここでいい?」

「はい。ありがとうございます」

 

 会長机の上に、三十センチにも届く用紙を置く。

 

「これくらいならお安い御用だよ」

 

 とは言いながら、崩さないように持ってくるのは大変だった。

 よかった、偶然通りがかって。中川さんがこれを持っていたら、前が見えなくて転んでいたかもしれない。

 

「それに、大変なのはこれをチェックする中川さんのほうでしょ」

「生徒会長たるもの、生徒の要望を知っておくのは当然です。もちろん無茶なものは即却下しますが」

「一割もまともなやつがあれば良いほうなんじゃないか?」

 

 僕がそう言うと、彼女はため息をついた。

 持ってくるときにちらりと見えたが、『映画館が欲しい』とか書いてあったしな。

 

「そうなんです。食堂にスターバックスを入れてほしいとか、授業で使ってる端末をもっと良いのにしてほしいとか……生徒会の枠を超えるものまで毎日毎日……」

 

 そこまで言って、彼女はばつが悪そうな顔でこちらを見た。

 

「あ、すみません。つい……」

「いいよ。生徒会長も溜まるものはあるだろうし、僕でよければいつでも話を聞くよ」

 

 虹ヶ咲はその施設・設備の充実さと、『自由』な校風がウリだ。

 それはつまり、生徒がのびのびと活動できる一方で、責任も生徒にのしかかってくるということ。

 何かあったら、生徒代表である中川さんの元へ話が飛び、解決のために奔走しなければならなくなる。

 前の、はんぺんを追いかけていたのは一つの例に過ぎない。

 

 いろいろと便宜を図ってもらってるぶん、僕もお返ししないと。

 

「ふふ、優しいんですね、天王寺さんは」

「どうかな。暇なだけかも」

「でしたら、少しだけお話を聞いても?」

 

 もちろん、と頷いて、僕は一つの椅子に座る。

 中川さんは棚からカップとソーサーを取り出して、部屋に置かれているポットから紅茶を注いだ。

 

「そんな、わざわざいいのに」

「お話を聞いていただくお代です」

 

 してやったり、みたいな顔で言ってくる。それを言われると断れないな。

 彼女は僕の前にカップを置いて、前に座った。

 

「その後のスクールアイドル同好会はどうでしょう」

「そんなの後で……」

 

 と、言いかけたところで止まった。

 

「いや、生徒会長たるもの部活動も把握しておかなきゃ、だもんね」

「ええ、そうです。あくまで生徒会長として、新設された部が気になるだけです」

 

 優木さんも戻ってきて復活したスクールアイドル同好会。傍目から見てどうなるのかが気になっているようだ。

 一度喧嘩別れした手前、優木せつ菜としてその質問をするのはちょっと気まずいんだろう。

 

「そうだな……前のメンバーに加えて、高咲さんと上原さんが入ったことで、活気づいてる。中須さんと優木さん、それにこの前上原さんのMVも投稿して、知名度がどんどん上がってきているね。それに触発されて、みんなやる気も上がってきてるし……うん、上手くいってると思うよ」

 

 天真爛漫な高咲さんが間に入ってくれているおかげで、ぎくしゃくした空気もない。

 ほんと、あの子がいてくれるだけで事が順調に進んでくれる。

 

 高咲さんは僕のことを、サポートの先輩として尊敬してくれているみたいだけど、僕のほうこそ尊敬の念でいっぱいだ。

 彼女がいなければ、同好会が復活するのはもっと遅く……下手したら、解散したままだったかもしれない。

 

「では……」

 

 言い淀んで、中川さんは続けた。

 

「では、天王寺さんから見て、優木せつ菜さんはどう思いますか?」

 

 怖がっている様子で訊いてくる。

 

 こっちが本命の質問か。

 

 一度抜けて、戻って来た優木せつ菜に対して、思うところはないか。

 そういえば、僕は改めてそんな話をしていなかったな。

 

「最初はちょっと固かったけど、最近はほぐれてて、良い感じだよ。みんなとのわだかまりも消えて、もう隔たりなく活動できてるみたい」

 

 元同好会の四人も、もう全然気にしてないようだった。あの時のことは水に流して、ただただ彼女が帰ってきてくれたことが嬉しいのだ。

 

「安心したよ。ふさぎ込んでたままじゃ、優木さんの魅力は発揮できないから」

「スクールアイドル同好会にいてもいい、と?」

「前に言った通り、いたい場所を離れる必要なんてないよ」

「それは、はんぺんさんに言ったんじゃありませんでしたっけ」

「そうだったかな」

 

 僕もまた、優木さんを待っていた一人だ。

 彼女に魅了され、ファンになった身としては、復帰を喜びこそすれ、負の感情を抱くはずがない。

 

「ファンも、君がまた歌って踊るのが嬉しいってのが全部で、勘繰ってくる人はいないしね。もう気に病む必要はないよ。動画だって、とっても元気が貰えるって好評だ。僕も大好きだよ」

 

 優木さんの炎のような情熱は、周りを巻き込む。

 以前はそれが悪いように作用してしまったけど、今回は高咲さんが包んでくれて、みんなも理解してくれている。

 このままいけば、予定通りに……と考えている途中で、中川さんの顔が赤くなっているのに気が付いた。

 

「わ、わ、わ、私じゃなくて、ですね。優木せつ菜さんのこと、です……」

「あ、ああそうだった。そう。優木さん、ね」

 

 禁止って言われたのに、また中川さんを優木さんと混同してしまった。いや、混同というか、同一人物なんだけど。

 約束を破ったせいか、あんなに顔を赤くさせて……怒らせてしまったみたいだ。

 

「でも、その……」

 

 中川さんは消え入りそうな声でこう言った。

 

「ありがとうございます」

 

 

 

 

 優木せつ菜。

 中川菜々のもう一つの姿で、世間的には正体不明のスクールアイドル。

 情熱とクールを持ち合わせた、かっこいいアイドル。

 みんなを引っ張るリーダー役で、一番人気。

 

「さあ、張り切って練習しますよ! いざとなれば、」

 

 前のめりになることがあって、ちょっと暴走することもあり。

 

「の、前に最終チェックだよ、優木さん」

 

 昨日屋上でやったゲリラライブ。その様子はこっそり撮っておいた。

 そのまま投稿したそれとは違って、今確認しているのはちゃんと録音して、ちゃんとカメラを回した動画だ。

 徹夜で編集をして、望み通りのエフェクトをもりもり入れている。

 元々それなりに有名だった優木さんの動画は再生数も期待できるから、ある程度魅せる編集も必要なのだ。

 

「くうぅ~、このアングル、爆発、たまりません! 流石です!」

「アイデアのほとんどは、高咲さんに出してもらったものだけどね」

「いやいやほんと、ちょっとだけ口を出しただけですよ」

「いやいやいや、高咲さんのアドバイスのおかげで、格段にクオリティが上がったよ」

 

 教えるついでに編集作業を見せているとき、高咲さんは色々と斬新かつ大胆なことを口に出し続けた。

 僕からは出ない良い案で、しかも優木さんにピッタリ合うアイデア。驚異的な後輩が味方になってくれたと驚愕したものだ。

 

「最高です! このまま投稿しましょう!」

「投稿するのは夜ね」

 

 見られやすい時間帯に動画載せて、少しでも再生数を稼いでおかなければ。

 うずうずする優木さんはいてもたってもいられないみたいで、頬を膨らませる。こういう年相応なところは、中川さんの時にはちらりとしか見えない。どっちが素なのかと訊かれれば、おそらくどっちもなのだろう。

 真面目と情熱。その二つを持ち合わせてるからこそ、彼女はこんなにも魅力的なのだろう。

 

「いつにもまして元気だねえ。いいことあった?」

「ふふふ、秘密、です!」

 

 近江さんが何かに気付いたのか、僕と優木さんを交互に見る。にやにやとした表情で。僕は関係ないとばかりに小刻みに顔を横に振る。

 だけども、優木さんはこれ見よがしに僕にウインクした。

 近江さんの口角がさらに上がるのを見て、僕はため息をついた。



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8 同好会再始動

 虹ヶ咲は生徒数も多いが、もちろん放課後には教室に残る生徒は少なく、各自帰宅したり部活へ赴く。

 音楽科の人間は特に、部に参加していない者も防音室や音楽室へ行き、練習する人が多い。

 そんなわけで誰もいなくなった教室で、僕とある女性は椅子に座ってお互いに向き合っていた。

 無遠慮に組んだ足をぷらぷらさせて、彼女の言葉を待つ。

 

「…………」

「昨日は、どれだけ眠れたの?」

 

 いつもの質問だ。

 これに何の意味があるかわからないけど、僕もいつも通りに返す。

 

「よく眠れたよ」

「学校生活は?」

「順調。何の不満もなく、楽しくやれてる」

 

 この相変わらずの返答に、彼女はなぜか引っかかりを覚えたみたいで、ほんの少し首を傾げた。

 

「……正直に話してくれないと、あなたを理解できないわ」

 

 なぜ。なぜ理解する必要があるんだ。

 喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込み、表情をそのままに口を開く。

 

「本当のことだよ。勉強も音楽も部活も全部、問題ない」

「あなたの親は心配してるみたいよ。家に帰れば、必ずあなたが出迎えてくれることに」

 

 急に親の話をされて面食らう。

 動揺したのを抑え込もうとするあまり、目が開いて、座り直してしまった。

 

「子が親の帰りを待つことに、心配することなんてないじゃないじゃないか。微笑ましい話だろう?」

「ええ。それが、日を越えるような深夜じゃなければ──毎日、掃除や料理、洗濯、その他もろもろ……一人でこなしていなければ、私も心配いらないと答えていたでしょうね」

 

 確信めいた言い方に、冷や汗が出そうになる。

 

「家事が好きなんだ」

「それでも、親や妹に一つの文句を言わず、甘えることもしないのは問題よ」

「知り合いに、特待生としての成績を維持しながら、家事もこなして、部活もして、バイトまでやってる人もいる。それくらいは珍しくもない話だ」

 

 僕がそう言うと、彼女は目を細めて、憐れむように頭を振った。

 

「見過ごされていい話ってわけでもないわ」

 

 

 

 

「みんなで一緒に活動するの、なんだか久しぶりに感じるねぇ」

「なんだか、嬉しいね」

 

 女子更衣室では、遅れて来ると湊から連絡を貰った同好会のメンバーが着替えを済ませていた。

 ここにいるのは総勢で七人。元よりも賑やかになって、特に彼方とエマは嬉しそうににこにこしていた。これから活発に活動できることを考えて、かすみもしずくもわくわくと目を輝かせている。

 ただ一人、せつ菜だけはほんの少しだけ陰りを見せていた。

 

「湊さんと侑さんのおかげで、これから上手くいきそうです。それなのに、私、あんなことをしてしまって……」

「あんなこと?」

「……私の最後のライブの時、ステージが終わった後、私は引退を告げました」

 

 勝手に一人で立ち、勝手に終わり、湊にステージの裏で言った言葉を思い出す。

 

「追いかけてきたあの人の手を……払ってしまったんです」

 

 ステージの調整も、衣装作成協力も、楽曲制作も、あらゆることを手伝ってくれた湊を裏切る行動に、彼はどう思っただろうか。

 怖くて聞けないままなのは良くないと思いつつも、せつ菜はいまだ面と向かって腹を割った話を出来ていない。

 

「きっと大丈夫ですよ! そんなの気にしてる素振りなんてなかったですから」

「そうだよ。戻ってきてほしいって、湊さんが一番言ってたんだから」

「ほ、本当ですか?」

 

 かすみと侑の励ます言葉に、せつ菜は顔を上げる。

 

「うん。元気なせつ菜ちゃんが見たいって。だから、せつ菜ちゃんが元気だったら、湊くんも嬉しいんだよ」

 

『僕はまだまだ、君のステージが見たいんだ』

 

 湊はそう言った。必死に呼び止めようとした。同好会に戻そうと動いてくれた。であれば、やるべきは不安を募らせることではなく、彼が思うようなアイドルであること。

 そう、そうですね。よぉし、とせつ菜は手を握った。

 

 

 

 

 みんなの着替えが済むまで、なんとなくぼーっとしたくなって、中庭のベンチに腰を下ろす。

 一度同好会が解散してからここまで、ものすごく長い時間が経ったような気がする。

 

 僕だけじゃ、どうしようもなかった。

 

『だったら、ラブライブなんて出なくていい!』

 

 高咲さんの叫びが、頭の中で反響する。

 

 あんなこと、僕は言えない。

 ラブライブはスクールアイドルにとって大切なイベント。それを捨ててしまおうなんて、言えなかった。

 でもそれをきっちり切り伏せる高咲さんの覚悟が、僕には眩しかった。

 

「強い、なあ……」

 

 みんな、心の中で折り合いをつけて、どんどんと前に進んでいく。その中で、たぶん、僕は……

 

「にゃあ」

 

 鳴き声とともに、足元に小さな感触があった。

 なんだ、と目線を下げると、白い猫がすり寄ってきていた。

 

「はんぺんか。お前、璃奈のところに行かなくていいのか?」

 

 抱き上げ、膝に乗せる。かつて生徒会長が追いかけ、今は璃奈が面倒を見ているあの猫だ。

 逃げられるかな、と思ったけど、意外とその場で寝転がりだした。猫ってもっと、人に懐かないと思ってたのに。

 あくびをしだしたはんぺんの頭を撫でる。

 

「気持ちいいか?」

 

 喉がごろごろ鳴っている。これは機嫌が良い時だったっけ。

 昔は、こうやって璃奈のことも撫でてた記憶がある。いまはもう高校生だから、喜ばないどころか嫌がるだろうけど。

 

「お前、生徒会お散歩役員になったんだってな。居場所があるって、落ち着くだろ」

 

 中川さんの計らいによって、はんぺんは生徒会役員の一人……一匹、学校の一員として扱われるようになった。

 そのおかげで、生徒たちのマスコットキャラクターとして可愛がられ、追い出されることもなくなった。

 無理やりな話だが、あの真面目な生徒会長が決めたことなら、と抗議する者はいない。

 

「お前が羨ましいよ」

 

 思わず、ぽつりと本音が出る。

 にゃあと鳴くだけの猫が相手だったのが幸いだ。こんな弱音、誰かに聞かれたら何を言われるかわかったもんじゃない。

 彼女たちは自分のことで手いっぱい。なのにサポーターである僕が、弱っていたり揺らいでいたら、不安にさせるだけだ。

 

 ポケットが震えた。優木さんから電話だ。ふう、一度深呼吸して、通話ボタンを押す。

 

<湊さん、みんな着替え終わりました>

「わかった。じゃあ、いつもの練習場所で」

 

 通話を切ってもう一度深呼吸。はんぺんを地面に下ろし、最後に背中を撫でた。

 

「それじゃあ、はんぺん、またな」

 

 

 

 

「どうですか?」

「やっぱり、優木さんは人気が高いね。動画再生数爆上がりだよ。つられて、中須さんと上原さんも知られていってる」

「よかったね、歩夢、かすみちゃん」

「ついでみたいなのが釈然としませんが……かすみんの可愛さが知れ渡ってるということで、よしとしましょう」

 

 練習もひと段落つき、僕の持つPCを囲んで、みんなが覗き込む。

 先日、ついに優木さんのMVが投稿された。

 優木せつ菜復活、ゲリラライブ、新MV。これだけの要素はスクールアイドル界を少なからず揺るがしたみたいで、虹ヶ咲スクールアイドル同好会の注目度も高まっている。

 

「あ、そうだ」

 

 僕は鞄から一枚の紙を出した。

 

「創部届。新しく同好会作るのに必要だから、生徒会に持っていってくれる?」

 

 今はまだ、スクールアイドル同好会は廃部状態。勝手に名乗っているだけだ。

 新しく作る必要があるため、僕が代わりに用意した。

 

「あれ、でもせつ菜ちゃん、ここにいますよ?」

「今日はまだ副会長がいると思いますから、そちらに渡していただければ」

「渡すのは副会長でもいいの?」

「はい。代理の権限があります。それに事前に話は通してあるので、スムーズにいくと思いますよ」

「へえ~」

 

 ここらへんの事情は、僕も何度も生徒会に足を運んでいることもあって知っている。

 副会長も中川さんに負けず劣らず優秀で、きっちりした仕事をこなしてくれるから、不備があればすぐさま指摘してくれるだろう。

 高咲さんもこれからお世話になることだし、顔を覚えてもらう意味も込めて、彼女に行ってもらったほうがいい。

 

「ん、じゃあこれよろしく」

「はい!」

 

 高咲さんは、僕が渡した紙一枚を大事そうに抱える。そのまま、たったったと駆けていった。

 

「これで、やっと正式に『スクールアイドル同好会』を名乗れるわけですね」

「かすみちゃんが頑張ってくれたおかげだよ~」

「ふふん、もっと褒めてください!」

 

 スクールアイドルとして一人で居場所を守ってくれた中須さんに、みんなが寄っていく。

 一人だけ、エマさんだけは僕の隣に立った。

 

「ようやく、再始動だね」

「うん」

「ありがとう。湊くんのおかげだよ」

「礼を言うなら高咲さんに言ってよ。ほとんどあの子のおかげだからさ」

 

 また頭に響く、『ラブライブなんて』という言葉。ラブライブに出ないと、みんなが納得した今でも口に出せない。

 

「湊くん、大丈夫~?」

 

 いつの間にか目の前まで迫ってきていた近江さんに、はっとする。

 

「いきなり近くに来るのはびっくりするからやめてくれ……」

「え~? 湊くんがぼーっとしてただけだと思うなあ。彼方ちゃん悪くない。で、何かお悩み?」

「みんな戻ってきてくれて良かったって思ってたんだよ。人数いないと、同好会設立すら出来ないしね」

「……あれ? それって……」

「とうちゃーく!」

 

 両腕を上げて帰ってきた高咲さんに、近江さんが考えていたことが吹き飛ばされる。

 彼女の言う『トキメキ』を感じているときの顔で、ぶんぶんと腕を振っている。

 

「早かったね」

「はい。無事に受理されましたので、今から私たち、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会、ですっ。とはいえ、部室が使えるのは明日からになりますが」

「おー」

 

 全員でパチパチ拍手。

 一度はどん底に落ちてしまったけど、全部が順調。上手くいっている。

 中須さんがいなければ同好会は残っていなかったし、高咲さんと上原さんがいなければ盛り上げることもできなかったし、元同好会メンバーが戻ってきてくれなければこんな和気藹々とした空気になっていなかった。

 このスクールアイドルたちと高咲さんの誰が欠けても駄目だった。

 

 僕は彼女たちの支えになれるように努めよう。

 再び壊れてしまわないように。

 

「さて、じゃあ練習の続きを始めよう」



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9 道

「よいせ」

 

 高咲さんが拭いてくれた床の上に、長机を置く。

 ようやくスクールアイドル同好会も復活して、部室を獲得できたのだ。

 

 部室棟の二階。奥の奥だった前と比べて、今回は一階への階段に近く、アクセスしやすい。

 今日はその新部室の掃除と、備品を揃えていた。

 校内で余っているソファや椅子、机を並べて、他部から貰ってきた本棚なども運び入れる。なんだかんだ、前の部室よりも豪華になった気がするな、これ。

 

「ようやく、出来上がりましたね」

 

 優木さんの言葉に頷く。

 やっぱり、場所があるのとないのとでは安心感が違う。

 

「これで、完成です!」

 

 中須さんが鞄から取り出したプレートを掲げる。スクールアイドル同好会の名が書いてある、例のやつだ。

 部室扉に掛けると、より一層ここが彼女たちの部室であると主張してくる。

 全員でそれを見て、うんうんと感慨深くなる。

 が、いつまでもこうやってぼうっとしてるわけにはいかない。僕はパンと手を叩いて、目を集める。

 

「さて、今日は……」

「スクールアイドル同好会の人たち?」

 

 この後のスケジュールを相談しようとした瞬間、快活な声が響いた。

 そちらを向くと、こちらに近づいてくる影が二つ。

 

 一人は金髪の、人懐っこそうな笑顔を見せる女の子。もう一人は、150センチないくらいの、小さな女の子。

 両方とも見覚えがありすぎる。

 

宮下(みやした)さんに、璃奈?」

「あ、みーくん!」

「みーくん!?」

「お兄ちゃん」

「お兄ちゃん!?」

 

 その場の全員が、特に中須さんが大きく反応して僕と璃奈と宮下さんを見比べる。

 

「湊先輩! この方とはどういった関係ですか?」

「知り合い」

「知り合いだなんてひどいなー、もー。アタシたち友達じゃーん」

 

 ケラケラと笑う宮下さん。それに対するポカンとした同好会メンバーの表情が対照的だった。

 

「あ、ごめんごめん。まずは自己紹介からだよね。情報処理学科二年、宮下(あい)だよ!」

「一年、天王寺璃奈、です」

 

 二人でぺこりと頭を下げる。

 続いて、宮下さんが高咲さんと上原さんに目を向ける。

 

「二人とも同好会入ってたんだ! 実は愛さんたちも、この前の屋上ライブ見て、なんかドキドキしてきちゃってさー」

「わかるよ! トキメいたんだね!」

「うん、そうそう!」

 

 一度話したことがあるらしく、しかしそれ以上の距離で会って即分かり合っている高咲さんと宮下さん。

 そこから一歩引いて、桜坂さんは璃奈をじっと見ていた。

 

「その、お兄ちゃんということは……」

「うん。璃奈は僕の妹だよ。似てないとはよく言われるけど」

 

 まさか妹がスクールアイドルに興味を持つなんて思いもしなかった。けれど、来るもの拒まず。僕個人としても突っぱねる理由はない。

 

「というわけで、二人とも入部希望です! やるからにはばっちり頑張るし、みんなのことも手伝うよ!」

 

 ピースしてやる気アピール。

 宮下さんは色んな部から助っ人を頼まれるようなスポーツ万能人。

 基礎的な体力や体の動かし方は問題ないはず。運動とダンスのそれは異なるが……ゼロからやるよりはマシだ。

 

「どうでしょう、湊さん?」

 

 高咲さんの声に、僕はハッとする。

 

「なんで僕に聞くのか」

「代表は湊さんですし」

「え、そーなの?」

「お手伝いだよ」

 

 それはない、というような目を向けられても、僕は本当にお手伝いさんなわけだし。

 二人を入れるかどうか、個人的にどうだという話なら、すでにどうプロデュースするかを考えるくらいには歓迎している。

 まあとにかく、みんなも否定的な意見はないようだし、代理として前に出る。

 

「ようこそ、スクールアイドル同好会へ。宮下さん、璃奈」

 

 宮下さんの顔がぱあっと輝く。璃奈も、ここ最近で一番の目の輝かせようだ。

 

「ところで、スクールアイドル同好会って何するの?」

 

 その質問で、僕らは眉を顰めることになったが。

 

 

 

 

「もちろん、やりたいことはあるんですよ!」

 

 持ってきたホワイトボードに、中須さんはバンと手をぶつける。

 でかでかと書かれた『ライブがやりたい』は、全員共通して持っている目標だ。

 

「やっぱり、スクールアイドルですから、ライブですよね」

「結局、まだやってないしね~」

 

 桜坂さんと近江さんが頷く。

 お披露目ライブをやろうと言っていた時とは違って、人数も増えてる。すでに動画を何本か上げてたりもするし、売り出し方も違うやりかたにする必要があるだろう。

 それに関しては問題ない。ただ……

 

「全国ツアーがやりたいです!」と中須さん。

「みんなと輪になって踊りたいなあ」とエマさん。

 

 他にも、曲の間にお芝居、お昼寝タイムが欲しい、みんなの大好きを爆発させたい、火薬も使いたいなどなど……

 

「みんな言ってることが違うけど、すごいやる気だね」

 

 宮下さんの言う通り、バラッバラなのである。

 まとまらないことは予想の範囲内。これだけ特徴の違うアイドルたちのやりたいことが同じになるはずがない。

 だが、それで一度不和が起きてる以上、全部無視も当然できない。

 

「湊先輩は何か意見あります?」

「焦って決める必要はないんじゃないかな。こればっかりは、すぐ決まるようなものでもないだろうし。何もすぐに全員でライブするってワケでもないから、そこらへんは後々で」

 

 後ろから見ていた僕はそう口にする。

 

「新しく二人入ったことだしね」

「そうですね。無理やりまとめて中途半端になっては意味がありませんし」

 

 うんうん、とみんなが頷いた。

 とりあえず、現状の目標としては全員のデビュー。大規模なライブはその後だ。

 

「ではライブはのことはおいおい考えるとして、まずは特訓です! どんなライブをするにしても、パフォーマンスが素敵じゃないとファンががっかりしちゃいますからね!」

 

 中須さんの言う通りだ。

 正直、彼女たちのレベルはそう高くない。知名度も低い。かろうじて、優木さんがそこそこというくらい。

 順当に人気を得ていくためには、まず努力が先だ。

 

「特訓って、歌にダンスとか?」

「私はまず、歌の練習がしたいなあ」

 

 ここでもバラバラ。しかし、これもいたしかたない。

 各々得意・苦手分野や重点的に伸ばしたいことなどがあるのだ。

 ライブをする……つまり最低一曲歌い踊りきることを目標とした場合、近江さんは身体が固くてダンスが苦手なのを克服しないとだし、上原さんは歌う声にブレがある。

 発声も出来て、体力もそれなりにある桜坂さんみたいなのもいるけど。

 

「だったら……」

 

 

「わあ、虹ヶ咲にこんな場所があるなんて!」

 

 僕と高咲さん、上原さん、優木さんがやってきたのは、白い壁に囲まれた大きな部屋だ。

 中央にはマイクスタンドがあり、その隣にはカラオケのデンモクがある。

 

 結局、各々やりたいことがあるなら、それぞれグループごとに分かれて練習することになった。

 こっちは歌チーム。あとは中須さん主導のアイドルの心構え講義と、近江さん向け柔軟・体力づくりチーム。

 新しく入った二人は、とりあえず全部体験してみるそうだ。

 

「映像系の学科や部活が使っている収録ブースです」

「今日は珍しく使う人が少ないから、簡単に場所予約取れたな」

 

 部屋の隅のソファにみんなを腰掛けさせて、僕はデンモクを取る。

 

「思いっきり歌っても大丈夫ですし、今日はここで練習しましょう」

 

 最近は体力作り優先で、あまり歌が出来なかったから、ちょうどいい。

 今の上原さんの実力は知っておきたいし。

 

 さて、設定を確認するか。

 マイク音量最大、エコー最大にしたまま放ったらかしにする奴とかいるし。

 

「それにしても、璃奈ちゃんが湊さんの妹だなんて」

「でもなんとなーく、納得いくよね。璃奈ちゃん妹っぽいし、湊さんお兄さんっぽいし」

「かすみちゃんと話してる時なんか、すっごいそれっぽいですよね」

「あ、それわかるかも」

「なんだか、甘えたくなっちゃうんですよね。いろいろとお世話も焼いてくれますし」

「わかるわかる! 優しく教えてくれるところとか、理想のお兄さんって感じで!」

「あー、あー」

 

 やっぱり前に使った奴、設定戻さずに帰ったな。音でかいし、めちゃめちゃエコーがかかってる。

 だから何も聞こえないなー。ほんと、女子三人が何言ってるのかわかんないや。

 

「さ、どっちが先に歌う?」

 

 設定も終わり、マイクを差し出す。

 お手本という意味では優木さん。まず練習ってことなら上原さん。どちらでもいいんだけど……

 

「せっかくだから、湊さん歌いません?」

「歌いません。君らの練習なんだから、僕が歌ってどうするよ」

「ぶーぶー」

 

 高咲さんがわかりやすくぶーたれる。

 あのね、君と僕が一番歌ってもしょうがないんだよ。

 

「いいじゃないですか、時間はまだあるんですから」

「わ、私も聞きたいなあ、なんて」

 

 なんで退路断つのん?

 ねえ、なんでじっとこっち見てマイク受け取ってくれないの?

 美少女三人にわくわくした目で見られた僕の運命やいかに。

 

「やっほー! 愛さんたちが来たぞー!」

 

 逃げられないか、と観念したところで、宮下さんと璃奈が勢いよく扉を開け、入ってくる。

 

「待ってたよ、入って。さあ、今すぐに」

「な、なんかみーくん必死じゃない?」

 

 ぶんぶんと手招き。視線の集中砲火から離れられるなら、なんだっていい。

 

「いまちょうど、湊さんが歌おうとしてたところなんですよ」

「おっ。愛さんも聞きたーい!」

「私も、お兄ちゃんの歌、久しぶりに聞きたい」

「だめだ」

 

 少し空気が変わったことで、僕の心は落ち着きを取り戻していた。毅然として断る。

 人数増えたから、さっきよりは時間がなくなったわけだし。

 

 それでも納得せずに、十個に増えた目が僕を見る。期待を上げられるほど、逆にやりづらい。

 

「また今度歌うから」

「言った。言質取ったからね、みーくん」

 

 してやったり、と宮下さんはにやりと笑う。

 まあ僕の歌のことなんて、すぐ忘れるだろう。

 そんなわけで、僕はなんとか危機を脱したのだった。

 

 さてさて、歌の特訓を所望した上原さんにトップバッターを任せ、僕は端のソファに座る。

 なんだか始まる前からどっと疲れたけど、練習はここから。

 

 上原さんの歌を、みんなで鑑賞する。

 本人はかなり恥ずかしがっているようで、頬を赤らめながら歌っている。そのせいか力が入りすぎて、声が多少ぶれていた。

 

「全然だめだった」

「そんなことないって」

「私も、歩夢さんの歌声大好きですよ」

 

 照れ臭そうに戻ってくる上原さんに、高咲さんと優木さんが声をかける。

 彼女らの言う通り、悪くはない。ほぼ素人の状態で、これだけ歌えるなら中々。

 

「ファンからも歌はすごく好評だよ。あとは肩の力を抜いて、踊りながらでも集中して歌えるようになることが出来れば、もっと良くなると思う」

「どうしても、踊りと歌どっちにも中途半端に意識がいっちゃって……」

「大勢の前で歌うって考えると、緊張しちゃうもんね。でも可愛く歌えてたよ」

「そ、そう?」

 

 高咲さんに褒められると、わかりやすく嬉しそうになるな、上原さん。

 モチベーションアップに繋がるなら、僕よりも彼女に任せた方がいいだろう。改善点や指示とか、高咲さんを通して伝えようか。

 

 人数も増えてきて、全員を僕が見ることは難しくなってきた。

 今だって『スクールアイドルとは何ぞや』みたいな講義を中須さんがやってるし、普段の練習でも発声練習は桜坂さんに、柔軟は各自に任せてるし。

 

「ねえねえ」

 

 呼ばれて、僕は顔を上げる。宮下さんがきょろきょろと部屋を見回していた。

 

「ここ、良い設備だね」

「虹ヶ咲は生徒のために投資は惜しまないから。体育系の部活だって、古臭いものとかないでしょ」

「確かに!」

 

 普段の授業でも、生徒全員にタブレットを配る大盤振る舞いっぷり。

 そういった大々的な援助あって、毎年有名大学へ進学する生徒も多いし、著名人に虹ヶ咲の卒業生が何人もいる。

 

「ここはこれからお世話になるよ。動画作るためにね」

「動画? MVとか、もう投稿されてるのに」

「いま投稿してる動画はなんちゃってMV……というか、ステージ動画だからね。歌はここで収録して、映像画像を編集して、ゆくゆくはマジのMVを投稿するつもりだよ」

 

 今はステージを組んで、衣装を着て、歌って踊ってるのをそのまま撮って出しているに過ぎない。

 MVと言うなら、歌は別撮りで、歌詞やメロディに沿ったカットを入れたりしなければ。

 

「すっごい! めっちゃ楽しみ! せっつーのとか、凄い熱いのになりそう!」

「せっつー……? 私のことですか?」

 

 優木さんが自分を指差す。

 

「うん、あだ名!」

「いいなあ、私は?」

「ゆうゆ!」

「じゃあ私は?」

「あゆぴょん」

「ぴょ、ぴょんはやめて……」

「え~、可愛いのに」

 

 中須さんのせいで『ぴょん』がトラウマになっているのを知ってか知らずか……

 宮下さんは持ち前のコミュ力で次々とメンバーと仲を深めていく。

 

 さて璃奈は……

 

「こ、これは!」

「新しく始まったアニメのエンディングだよね」

「見てるんですか、このシリーズを」

「うん、子供のころからずっと見てる」

「前のシリーズの第二十九話見ました? 自分を犠牲にしてマグマに飛び込もうとしたジャッカルを、コスモスが抱きしめるところ!」

「激熱だった」

「ですよね!」

 

 優木さんとアニメトークしてる……

 

「ほどほどにしろよ。いつも夜更かしして……たまには早く寝ないと。アイドルは身体が資本、健康第一なんだから」

「夜更かしのことは、お兄ちゃんに言われたくない」

「みーくんも遅くまで起きてんの?」

「スクールアイドルの動画見てたり、編集してたり、曲作ってたりしてる。お兄ちゃんが寝てるとこ、見たことない」

 

 璃奈がそう言うと、みんなの目がジト目に変わる。

 

「曲作ってるところも動画編集してるところも見ないと思ったら……」

 

 いつも元気な優木さんに呆れ顔で言われると、結構心が痛むなあ。

 

「いやあ、スクールアイドルの動画見てると、時間がいくらあっても足りないといいますか」

「そうそう、そうなんですよね! 私も気づいたら日越えちゃってるなんてザラで……」

「侑ちゃん?」

「あっ……」

 

 しまった、と高咲さんは口を閉じた。上原さん、笑顔だけど目が笑ってない……

 

「せ、せつ菜ちゃん、アニメ好きなんだ」

 

 威圧された高咲さんは、話題を逸らして優木さんに向き直った。

 

「親に禁止されているので、夜中にこっそり見てるんですが」

「おうち、厳しいの?」

「まあ、どちらかといえば……」

 

 アニメをこっそり見るなんて、『どちらかといえば』レベルではないと思うが。

 

「それで正体隠してたんだ」

「正体? あー! もしかして、生徒会長?」

「はい…」

「そーだったんだ! みずくさいなあ」

 

 にこにこしている宮下さんはずいずいと距離を詰める。

 いっけん合わなそうな二人だけど、彼女はそういうの飛び越えていくんだよな。

 人を、ちゃんと理解して受け入れようとする度量のでかさに惹かれる人も多い。

 

「愛さんも、せっつーが話してたアニメ、チェックするね! せっつーの熱い語り聞いてたら、楽しそうだなって思ったからさ」

「ふふ、楽しいですよ」

「……!」

 

 くす、とほほ笑む優木さんを見て、僕と璃奈は慄いた。

 

「お兄ちゃん、私はいま、凄いものを見ているのかも」

「僕もちょっと思った」

 

 オタクに優しいギャルがこの世に存在しているなんて……

 

 

 

 

「お、湊くん、お疲れ~」

「どうしたの、外で座り込んで」

「みんな着替え中」

 

 練習終わり、部室のすぐそこの階段で座り込んでいると、エマさんと近江さんがやってきた。

 

「そっちでの宮下さんと璃奈はどうだった?」

「二人ともいい子だよね~」

「うんうん、話してて楽しいよね」

「それに、愛ちゃんってすごいんだよ。柔軟してる時、体がぺたーって」

「彼方ちゃん、体柔らかくするコツ教えてもらっちゃった」

 

 思ったよりも、宮下さんは溶けこめているみたいだ。この二人が人に対して好き嫌いがあまりないというのもあるけど。

 

「璃奈ちゃんは体が固いけど、やる気は十分みたい。でも、その……」

 

 言葉に詰まるエマさんを見て、僕は察した。

 

「表情があまり出ない子でね」

 

 璃奈は、感情を表に出すことが苦手だ。その心の内では色々と感じているはずなのに、表情はほとんど変わらない。

 思い当たる原因は多々ある。治そうとしたことも何度もある。それでも結局、璃奈の顔は固まったままだった。

 その微細な変化に気づけるのは、僕や宮下さんくらい。

 

「そうなんだ……」

「でも楽しんでくれてるはずだよ。あんなに笑顔の璃奈は、久しぶりだから」



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10 笑顔の君なら

「お待たせしました」

「ん」

 

 着替えの終わったみんなが部室から出てくる。

 疲れた様子の璃奈がてててと寄ってきて、僕を見上げた。

 

「僕は優木さんと中須さんと話があるから、先に帰ってて」

「うん、わかった」

「あ、璃奈」

 

 去りかけた背中に声をかける。

 

「スクールアイドル同好会、どうだった」

「楽しい」

「そっか、良かった」

 

 もう嫌だと言われるのも覚悟していたが、楽しんでくれてるのならなんだっていい。

 熱中することが出来るのは良いことだ。特にこういう共通した夢を追う仲間と一緒にいられるのは、璃奈の人生にとっても良いことずくめ。

 僕としては、このまま続けてくれることを祈るばかりだ。

 

「でも、お兄ちゃんは……」

「湊さん、もう話し合い始めますが……」

 

 璃奈が何か言いかけたが、優木さんに遮られた。

 

「あ、うん。行くよ。じゃあ璃奈、また後で」

「……うん」

 

 

 

 

「ソロアイドルですか」

 

 人がいなくなって寂しい空気になった部室で、中須さんが呟く。

 同好会の今後の方針をどうするか、一番にデビューした中須さんと経験がある優木さんとでの話し合い。

 

「私たちだからできる、新しい一歩です。それぞれがソロアイドルとして、ステージに立つ。その選択肢は、みなさんの頭の中にもあるはずです」

 

 この前のごたごたを経て、優木さんの中で出した結論が、ソロアイドルだ。

 みんな同好会として活動するが、あくまでそれぞれが独立したスクールアイドルとして歌って踊る。

 何もかもバラバラな彼女たちにはそれが合ってる、とは僕も賛同したことだ。

 

「でもそれって……簡単には決められないですよね」

 

 一人でステージに立つとなると、そのぶん不安がのしかかってくる。ステージ上で味方のいないたった一人に、客の目は集中し、ともすれば圧迫感となって襲ってくる。

 スクールアイドルはグループでやるものという昔からの価値観もある。

 今までやってきたことを覆す難しさに立ち向かえるか。それだって気がかりだ。

 

「湊先輩……」

 

 助けを求めるように、中須さんが僕を見る。

 

「難しいだろうね。でも、伝えたいことがあるなら、やりたいことがあるなら、僕は全力で手伝うよ。それが僕のやるべきことだから」

 

 みんなに言ってきたことだ。

 今度こそ、みんながスクールアイドルになるまで逃げない。

 

「だから、君たちにはほんの少し、勇気を出してほしい」

 

 一瞬、しんと静まる。

 きょとんとした二人は、やがて口を押さえて笑い出すと、得意げな顔で胸を張った。

 

「ふふ、そう言われたら、やるしかありませんね」

「仕方ないですねえ。ここはスクールアイドルの先輩として、かすみんがみなさんを引っ張っていってあげますよ!」

 

 さて、じゃあ……このあとデビューさせるなら……

 

 

 

 土曜日。朝の八時。全員揃っての練習日。

 集合場所の公園に到着した僕は、よいしょ、とリュックサックとクーラーボックスを置く。

 複数人分ともなればなかなかの量だが、僕は運動しないわけだし、これくらいはやらないと。

 

「ちーす! おはよー、みーくん!」

 

 元気よく挨拶してきたのは、宮下さんだ。

 少し汗ばんで上気していて、健康的な彼女の印象をより一層元気そうに見させてくる。

 

「おはよう。早いね」

「みーくんこそ。まだ一時間前だよ?」

「ん、まあ色々準備があるからね」

 

 僕はそう言って、クーラーボックスから何本ものペットボトルを取り出す。

 2Lの容器に入っているのは、全てスポーツドリンクだ。

 

「わ、すごいいっぱい……これ全部ひとりで飲むの?」

「んなわけなかろう。全員分のだよ。ただ、あまり冷えすぎたのは良くないから、ちょっとぬるめに調整中」

 

 こんな暑い日に運動したらキンキンに冷えた飲み物が欲しくなるが、体調不良になったり食欲なくなったりするから適度な温度にしないと。

 地面にタオルを敷いて、その上にずらりと並べると、かなり多めに見えるが、僕も含めて十人いるからこれでも足りないくらいだ。

 

「りなりーは?」

「起こしてきたから、時間には来るはずだよ。で、君は?」

「あはは、なーんかいてもたってもいられなくてさ」

 

 大したことないように振舞っている。が、運動好きな彼女が、いまさら朝練くらいで緊張したりはしないだろう。

 なんとなくそわそわしているのは昨日から。なら……

 

「ソロアイドルで、って話で悩んでるとか?」

 

 僕がそう言うと、宮下さんは固まった。

 

「すご。よくわかんね」

「見てたらわかるよ」

 

 スクールアイドルが楽しいという彼女の言葉に嘘はないだろう。しかしどうにも、昨日の帰宅直前くらいから、珍しくお悩みの様子だった。

 

「少し話さないか? 言うだけでもすっきりするかもよ」

 

 紙コップに注いだドリンクを手渡して、石段に座る。

 照りつける太陽のせいで尻が熱いが、まあ許容範囲だ。

 

「ソロアイドルでいくって話、どう思った?」

「うーん、なんていうか……」

 

 一口飲み、足をパタパタさせる彼女の表情は、さっきよりも一層険しい。

 

「せっつーみたいに、きらきら輝いてるアイドルになりたいけど、どうやったらおんなじようにできるかなーって。考えても考えても、答えが見つからないんだよね」

 

 『なんていうか』という割には悩みはすらすら出てきた。さては昨日話が出てからずっと考えてたな。

 

「今日早かったのは、それでもやもやしてるからじゃないのか?」

「そーかも」

 

 コップを置いて、宮下さんは空を見上げた。

 

「スポーツってルールがあって、ゴールがあって、点取ったらいいじゃん。勉強も答えがあって、解けばいいじゃん」

 

 実際は、そう簡単に言えるほどのことじゃないけど、理屈としてはそうだ。僕は頷く。

 

「かすかすは、『ファンを喜ばせられるものなら、何でも正解』って教えてくれたんだけど、その正解がわかんないんだよねー。みんなその答えをもう持ってるのかもって思ったら、焦っちゃって……愛さん、こんなに悩んだの初めてかも」

 

 なるほど、ねえ。

 優木さんに憧れて同好会に入ったはいいが、その先が見えなくて不安なのか。

 

「楽しくやりたいってだけでスクールアイドルやるの、考えが浅いのかな」

 

 そうだろうか。

 少なくとも僕は、ずっと悩んで、なおも残っている『楽しく』っていう宮下さんの想いは、決して浅くも軽くもないと思う。

 きっと、彼女の根底にあるからこそ、変えられないものなんだ。

 

「いいんじゃないかな。中須さんの『可愛い』も、優木さんの『大好き』も、元は、ただ好きだから、やりたいからやってるってところから始まってるんだろうし。エマさんだってスクールアイドルになりたいって気持ちだけで始まって、上原さんもピンクのフリフリに憧れて、だからね」

 

 僕だって最初にこの世界に手を出したきっかけなんて大したものじゃないけど、その理由に貴賤はないはずだ。

 

「何かをやるのに、崇高な理由なんていらないよ。続けていくなら、やる気とかモチベーションとか、成長していくにはどうしたら~とか考えなくちゃいけないけどね」

 

 でも今は、一歩踏み出した今は……

 

「最初は、『好きなことをやる』、それだけでいいんじゃないかな」

 

 自信を持って、そう言える。

 後先考えてまごついてるよりも、一度飛び出してみたほうが話は早い。

 短絡的ではあるけど、長く悩めば偉いってわけでも、正しいわけでもない。

 

「正解がないなら、悔いのないように楽しくやる。君にはそれが合ってると思う。中須さんに言わせれば、それもまた正解だよ」

「正解……」

「楽しそうにしてる君を見てさ、同好会のみんなも楽しそうにしてた。それは、宮下さんが心から笑って、みんなを楽しませようとしてるからなんだ」

 

 楽しみたい、楽しませたいと思って、それが出来る宮下さんは凄い。そんな彼女の作る世界はきっと、愛と情熱と笑顔に満ちていることだろう。

 

「ほ、ほんとにそれでいいの?」

「もちろん」

 

 楽しんで、楽しませる。それがよくないわけがない。

 誰にも、宮下さんを否定できはしないのだ。どうしても怖いなら、支える人も同好会にたくさんいる。友だちや、家族だって。

 それに、これからはファンも出来てくる。宮下さんに共感し、好きになってくれるファンは、それ自体が彼女を肯定する存在だ。

 

「……うん」

 

 強く頷いて、宮下さんはばっと立ち上がった。

 

「アタシ、スクールアイドルやる。楽しんで、楽しませるようなスクールアイドルになる!」

 

 宮下愛の本領はこれだ。遠くからでも人目を引く太陽にも負けないような輝き。

 勉強ができるとかスポーツが上手いとか関係ない大きな引力。

 彼女自身の魅力。

 

 見惚れていると、彼女は、あ、と何かに気が付いた。目線の先には高咲さんと上原さん。

 

「おーい、こっちこっち!」

 

 宮下さんが手を振ると、二人はたたたっと駆け寄ってきた。

 

「おはよう、愛ちゃん」

「今日も元気だね!」

 

 宮下さんは強く頷くと、とびっきりの笑顔を輝かせて、ピースした。

 

「みーくんに話聞いてもらって、スッキリ!」

「何の話?」

「次のMVは宮下さんの番って話」

「え……ええ!?」

 

 宮下さんが一番のけ反った。その横で、高咲さんがぽんと手を打つ。

 

「ああ、昨日連絡もらった話ですか?」

「そう」

「え、ちょ、ちょっと! 聞いてない!」

「今言ったから」

 

 次に誰をデビューさせるかってのは、さっきまで決めてなかったからね。

 

「でででも、他の子たちのほうが先に同好会いるんだから……」

「その子たちのためにも、君に歌ってほしいんだ」

 

 狼狽える彼女を真っすぐ見て、僕は告げる。

 

「宮下さんと同じように、みんな不安を持ってる。一人でやることが怖くて、上手くいくか悩んで……」

 

 それは、すでにデビューを果たしている中須さんも上原さんも、優木さんだってそうだ。

 新たな一歩を踏み出すのは誰だって怖い。だけど……

 

「そんなこと考えなくていいよって、君が示してほしいんだ」

 

 ただ楽しむ。その気持ちさえあればいい。

 仲間も含めて、あらゆる人に勇気を与え、元気を湧かせるなら、宮下さん以上の適任はいない。

 

 後から同好会に入ったから遠慮していたようだが、どうやら納得してくれたみたいだ。

 あわあわしていた様子から一変、僕を見る目は情熱に燃えていた。

 

「うん! 気合入れていくよ! 『あい』だけに!」



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11 虹ヶ咲学園スクールアイドル:宮下愛

「歩夢、さいっこうに可愛いね! 高二だけに!」

 

 宮下愛。

 虹ヶ咲学園情報処理学科の二年生。

 最近同好会に加わった、金髪ギャル。

 成績優秀スポーツ万能。体育系の部活に引っ張りだこの、学内では超有名人。

 また、実家はもんじゃ焼きであり……

 

「走るのってらんらんするよね! ランだけに!」

「あははははは!」

 

 誰とでも打ち解けて、すぐ友達になれる。

 体育系部活の助っ人として活躍してることから、『部室棟のヒーロー』の二つ名を持つ。

 ダジャレが好き。

 あとは……

 

「次は同好会で、どうこういこうかい!」

「も、もうゆるしてぇ……!」

 

 高咲さんの笑い声に、キーボードを叩く手がぴたりと止まった。

 

「気が散る……」

「あはは、まあまあ、愛ちゃんも侑ちゃんも楽しそうだから、許してあげて」

 

 エマさんに宥められる。いやまあ怒ってるわけじゃない。というか練習行きなさい、君たち。

 

「すごくウケてますね」

「侑ちゃんは、笑いのレベルが赤ちゃんだから」

 

 優木さんと上原さんも苦笑いだ。

 不意にならともかく、こんな真正面でダジャレを言われて笑うのは……感受性が豊かな証拠だろう。たぶん。おそらく。

 

「じゃあさ、んふふ、みーくんあれやってよあれ」

「あれ? ……ああ、あれ」

「あれって?」

「みーくんのさ、ふふっ、とっておきのヤツ、ふふふ、ふ……んふふふふふふ」

 

 思い出し笑いがこらえられない宮下さんに、他のみんながきょとんとする。

 

「あれでしょ。安全ピンの物まね」

「くふふふふふ、ちょ、ちょっと待って。タイトル聞くと思い出しちゃうから」

「私もあれ大好き」

 

 璃奈も頷く。

 

「そんなに面白いんですか?」

「そうでもない」

「いやいや、あれやった後、バスケ部みんな笑い過ぎて練習にならなかったんだから! あれがあるから、みーくんの頼みを断れないって人もたくさんいるしねー」

 

 ごくり、と唾をのむ音が聞こえる。

 PCから目を離すと、獲物を狙う鷹のような眼光を放つ桜坂さんと目が合った。

 

「わ、私も見たいです! あくまで演劇の参考として!」

「何の参考にもならんよ、あれ」

「見せてください!」

「やだ」

 

 だって安全ピンぞ。習得しても、桜坂さんの今後の演劇人生で役に立つ機会が訪れるとは思わない。

 それに、別にとっておきの一発芸というわけでもない。その場の雰囲気で仕方なく、で生まれたものだ。やらずに済むならそれに越したことはない。

 

「それより、宮下さんのMVも好評だよ」

「あ、逃げた」

「逃げましたね」

 

 逃げてない。むしろこっちのほうが君たちにとって本題です。

 うわ、桜坂さん諦めきれずにめっちゃ見てくる。

 

「ほんと、昨日投稿されててびっくりしたよ」

「昨日上げるって言ったじゃないか」

「でも、自分が歌って踊ってる動画が上がってるなんて、今までなかったもん」

 

 一億総発信者時代と言われているが、実際本当に歌って踊る動画を作って出すのは一割もいないと思っている。

 宮下さんだってそうで、練習から本番までの何から何まで新鮮だと楽しんでいた。

 

 外でMVを撮影したからか、宮下さんがスクールアイドルを始めたという話はすでに回っていて、再生数が上がっている。

 校内のスポーツ部員に元からファンがいたのも大きな要因だ。つられてさらに全体の認知度が上がってきているのは、良い予想外。

 

「そういえば、愛さんってもともと湊先輩の知り合いなんでしたっけ?」

「そーそー。てか、みーくんは色んな人と仲良いよ」

「参考になりそうなこと、他の部活に聞き込みしてたからね。体育系の部活なら練習方法とかアイシングの仕方とか。そこで、部室棟のヒーロー様にもご意見いただいてたってわけ」

「はあ、どうりで演劇部の部長も湊先輩を知ってたんですね」

 

 クール&シニカル。圧倒的な演技力で知られる、演劇部の部長。

 あの人には演出面でお世話になりっぱなしだな。高校生とは思えないほど造詣が深くて、頼りにさせてもらっている。

 

「まさかみーくんと一緒の部活するなんてねー」

「嫌なら出てく」

「ちょちょちょ、なんでそうなるのさ! 冗談キツいよ、みーくん!」

「とにかく」

 

 話を遮って、僕は向き直る。

 

「みんなもソロアイドルとしてやっていくことに不安はなくなってきたと思う。あっても、先にデビューした組が助けてくれる」

 

 メンバーたちは頷いてくれる。その目にはまだ少々の怯えがあるけど、闘志のほうが勝っていた。

 

「ここからはどんどん君たちを出していこうと思う。そのためには練習と……」

「私たちのサポート、ですね!」

 

 その通り、と僕は高咲さんに頷く。

 曲作りに演出に動画編集に……こちら側もまた一段と気合を入れなければ。

 

 

 

 

「ゴール!」

「速っ」

 

 一番にランニングを終えた宮下さんに驚く。ストップウォッチを見ると、想定よりもかなり速い。

 やはり基礎的な体力は出来ているみたいだ。汗はかいているが、まだまだ余裕そう。校舎一周はけっこう距離があるはずなのに。

 

「一気に飲み干さないで」

「わかってるわかってる」

 

 僕からドリンクを受け取り、喉を潤す彼女から視線を移す。

 

「他はまだかかりそうだな」

 

 他のメンバー(と一緒に走ってる高咲さん)はまだ影も形も見えない。とは言っても、まだ悲観するようなタイムじゃない。

 毎日続けてるおかげで、着実にタイムは早まっている。走り終えた後に息切れを起こすなんてこともなくなってきた。

 

 ただし、それでも宮下さんはずば抜けている。

 運動だけでいえば、同好会の中で文句なくトップ。柔軟をするまでもなくすでに十分なほど体は柔らかい。

 アイドルをやるためにまず必要で、本来時間のかかる体づくりをクリアできているのは大きなアドバンテージだ。

 

「ね、みーくんってさ、どうしてそこまで頑張ってくれるの?」

「タイム計測してるだけだけど」

「そーじゃなくって、ほら、曲作りだけでもしんどいはずなのに、練習メニュー作りとか……アタシの悩みも聞いてくれたりとか」

「さあ。人に良く見られたいとか、そういう理由じゃないか」

「もー、真剣に答えてよ」

 

 そんなこと言われても、別に僕の話なんてどうでもいいし、そんなことに脳のリソースを割かせる必要もない。

 

「実はさ、みーくんのこと、りなりーから色々聞いてたんだ」

「僕の話?」

「優しくて、人のことよく見てて、いろんなことが出来る自慢のお兄ちゃんだって」

「身内の評価甘いな、璃奈は」

 

 と言いつつ顔がにやけてしまうのは、身内の評価だからだろう。

 

「アタシは、りなりーの言う通りだと思うよ。ほら、他の部の人に効率的な練習方法とかさ、協力依頼とかで頭下げてるの見て、なんかすごく一生懸命な人だなあって思ってたの。みんなのために、あんなに一途に頑張れる人、いないよ」

 

 真剣な顔で言ってみせる彼女の言葉。嬉しいけど……即座に頭の中で否定する。

 買いかぶり。僕はそんな……

 

「もっと自信持ちなって! みーくんカッコいいんだからさ!」

 

 背中を叩いてこようとする手を避け、ストップウォッチと前を見る。

 まだ誰かが来ようとする気配はない。

 

「『カッコいい』ねえ……君に言われたら嫌みに聞こえるよ」

「え゛」

「一生懸命ってことなら、君のほうが上だよ。いろんな部の助けになって、ムードメーカーでもある。こっちのみんなの刺激にもなってるしね」

「褒めてもなんにも出ないよ?」

「同好会にいてくれるなら十分。いてくれるだけで、僕は嬉しいよ」

 

 彼女の雰囲気に引っ張られて、みんなのやる気も上がっている。璃奈だってつらい練習を毎日こなせている。MVの出来と反応に、誰もが抱いていた不安が吹き飛ばされた。

 宮下さんがいてくれて、楽しんでくれているだけで刺激を貰っている。

 

 走った熱がいまさら上がってきたみたいで、宮下さんは顔がほんのりと赤くなってきた。

 

「ねえもしかして、そういうこと、みんなに言ってるの?」

「そういうこと?」

 

 やっとエマさんと中須さんの姿が見えてきた。ストップウォッチと交互に目比べながら返すと、宮下さんはやれやれ、とため息をついた。

 

「それどういう意味?」

「……やー、刺されないように祈っておくよ、みーくん」

「それどういう意味!?」



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12 エマさんのイメージ

「あ、湊さん」

「優木さん」

 

 廊下を歩いていると、後ろから練習着に着替えた優木さんが声をかけてきた。

 

「今から部室?」

「はい。少し生徒会の仕事を片付けていて。湊さんも?」

「先生が楽譜整理するっていうから、手伝ってたんだ」

 

 音楽室横の部屋に、教材としての楽譜を並べて置いてあるのだが、ここ最近は忙しくて適当に突っ込んでいたらしい。

 まったく、困ってそうだから声を掛けたら、あんなにこきつかわれるとは思わなかった。

 

「ふふ」

 

 そんなつまらない話なのに、優木さんは小さく笑った。

 

「どうした?」

「湊さんらしいと思いますよ」

「僕らしい?」

「はい」

 

 にこりと微笑んでいるが、言葉の真意がわからない。

 天王寺湊らしいとは、どういうことだろう。人にこきつかわれてるのが、だろうか。うーむ。

 

 他愛のない話を続けてるうちに、あっという間に部室前に着く。

 中ではすでに着替えを済ませていることは、連絡を貰っているのでそのまま開ける。

 

「こんにちはー」

「遅いですよ、せつ菜先輩、湊先輩!」

 

 開口一番、迫力のない怒った口調で中須さんが指差してくる。

 

「もしかして、もう話始めてた?」

「いいえ。せっかくですから、全員揃ってからにしようと待っていたところです」

 

 今日は、宮下さんや璃奈が入部したこともあって、それなりに大事な話をする予定だった。

 まだそのことについては触れていなかったみたいで、ここまでは各々でわいわい喋っていたようだ。

 

「話って?」

「これからの活動について、です」

 

 エマさんの疑問に、優木さんが返す。

 

「まずは、これを見てください!」

 

 中須さんはPCを広げ、とある動画を再生した。

 そこには、我らスクールアイドル同好会の初動画として上げた、上原さんの自己紹介映像が映っていた。

 

「あ、歩夢の動画だ」

「ど。どうしてこれをみんなで?」

「実はこれ、最近再生数めちゃめちゃ伸びてるんですよ」

 

 中須さんが指差したところに書かれている数字は、2000ちょっと。

 自己紹介動画でこの数字は、立ち上げたばかりのスクールアイドルとしてはめちゃめちゃ大きい。

 あらゆるジャンルを含めて、再生数1000を取ると上位10%に入るってどこかで見たな。それを考えると、ずいぶんとヒットしている。

 

「元々有名だった優木さんが復活して、新曲披露したのはかなりでかい話題だったみたいだ」

「あ、アタシの友達もみんな、せっつーの動画見てるって!」

「そういう宮下さんも、かなり見られてるみたいだよ」

 

 優木さんには劣るものの、宮下さんのMVは新人とは思えないほどの再生数と高評価を叩きだしている。

 彼女自身の知名度が校内外問わず高いおかげでもあるだろう。同好会メンバーに自信をつけさせるために宮下さんを選んだが、思わぬ副産物だ。

 

 このおかげで、虹ヶ咲のスクールアイドル同好会自体がそれなりに注目され始めている。

 そこで、と僕は人差し指を立てて、みんなの目を集めた。

 

「知名度はかなり稼げたし、次はどんな動画を出そうか話し合ったんだ」

「私たちもソロアイドルとして、プロモーションビデオを作りませんか?」

 

 僕に続いた優木さんの言葉に、みんなが首をかしげる。

 

「いま、自己紹介動画があるのは上原さんと中須さんだけだから、この際一気に撮って出しするのもアリかなって」

「へえ、面白そうじゃん」

 

 宮下さんは乗り気だ。

 既に顔見せしている彼女の分は早めに出すとして、他にも目的はある。

 まだ出てないアイドルを先に紹介しておくことで、『この子はどんなパフォーマンスを見せてくれるのだろう』と期待を煽ることができる。人気が出てきて、アツい今こそやるべき作戦だ。

 

「エマさん、家族に見せるのにもいいじゃない? どんなPVにしよっか」

「家族に?」

「湊さんが来る前、ちょうどエマさんの故郷についてお話を聞いていたところなんです」

 

 ああ、そうか。

 エマさんはスイスから来た留学生だ。家族にも、元気でスクールアイドルやれてるところを見せておきたいだろう。

 できればとびっきり良いのを作り上げたいところだが……

 

「どんな……かぁ」

 

 肝心のエマさんは、ふわふわした雰囲気のままだった。

 結局結論は出ず、参考のために過去に投稿した動画をじっと眺めることにした。

 

「やっぱりかっこいいね、せつ菜ちゃん」

 

 うんうん、と全員頷く。

 男女両方から見ても、文句なし。誰もが憧れるほどだ。人気あるのもわかるなあ。

 

「編集はみーくんだっけ?」

「……と、高咲さん」

「と言っても、私は横から口出ししてただけなんだけどね」

 

 謙遜しているが、高咲さんのアドバイスが無ければここまでのものは出来なかった。

 優木さんに合うような映像のイメージを具体化したのは誰であろう彼女なのだから。

 応えるのは骨だったけど、どんどん完成していく動画を見て手が止まらなかった。

 

「優木さんのは、テーマが決められてて作りやすかったよ。本人がやりたいこともはっきりしてるしね。中須さんも同じで、自分のことをわかってるとスムーズにアイデア出しができるから、曲も作りやすい」

「うんうん、かすみちゃんはやっぱり可愛い、だよね」

「さすが先輩! わかってくれてますね!」

 

 上原さんだって、彼女を良く知る高咲さんのおかげでそんなに難しくなかった。

 テーマ、イメージ、特徴……それらを先に決めておくと、サポーターであるこちらとしてもかなりやりやすくなる。

 

「イメージ。みんなのイメージ……か」

「お二人はこんなところでしょうか」

 

 ホワイトボードにそれぞれのぱっと思いつく特徴を書いていく。

 

 彼方先パイ

 ・パジャマ

 ・子守唄

 

 愛先パイ

 ・ダジャレ

 ・スポーツ

 

 深く突っ込みはせず、あくまで代表的な印象。

 初めから深堀りしても視聴者はついてこれないだろうし。

 

「エマさんはPVのイメージってありますか? 目指すアイドル像とか」

「私ね、人の心をぽかぽかさせちゃうアイドルになりたいと思ってて」

「エマさんぽいかも」

「でも、それがどんなアイドルなのかよくわからなくって」

 

 う~ん、と唸る。

 ぽかぽか、というのが抽象的すぎて、わかりづらい。高咲さんの言う通り、エマさんぽいといえばそうなんだが……

 

「演劇だったら、衣装を着るとイメージが湧いたりするんですけどね」

「なるほど」

 

 桜坂さんの案はなかなか良いかもしれない。まずは形から、なんて言葉もあるくらいだし。

 

「だったら……」

 

 

 

 

「これ良さそう」

「こっちも可愛いですよ」

 

 みんなが煌びやかな服を手に取るのを尻目に、僕もハンガーにかけられた衣装を吟味する。

 

 やってきたのは服飾同好会の部室。生徒作とは思えないほどの質の服が所狭しと並んでいる一室だ。

 

「こんな快く貸してくれるなんて」

「ここに優木さんのファンがいるから、これくらいなら交渉できるかなって」

 

 校内で優木せつ菜のファンは多い。服飾同好会の部長もそうで、以前から会わせてくれとせっつかれていたのだ。

 当の彼女は、数人に囲まれて握手を求められている。

 

「朝香さんも連れてきて正解だったよ」

 

 隣に並ぶ朝香さんに声をかける。

 彼女のクラスメイトがこの同好会に所属してたから、協力依頼してもらったのだ。

 僕もこの同好会とは、衣装を貸してもらったり作ってもらったりで交流はあるが、味方は多いほうがいい。

 

「まったく、私も暇じゃないのよ?」

「エマさんの活動のためって言ったらすっ飛んできたのは誰なんでしょうねえ」

「わあ、果林ちゃん、ありがとう!」

「あ、当たり前じゃない。エマにはいつもお世話になってるもの」

 

 エマさんの素直なお礼には弱いらしく、朝香さんは顔を赤くしてそっぽを向いた。

 初対面の時には食わせ者だと思ったが、それなりにわかりやすい人でもあるみたいだ。

 

 さて、メインはエマさんのイメージ模索。

 彼女の印象からのではなく、逆に形から入って思い描いてみようという作戦だ。

 

「お嬢様、おかえりなさいませ……なんて」

「ぐぬぬ、かわいい……」

 

 早速、メイド服でポーズをとるエマさん。嫉妬する中須さん。

 うーん、無限。無限に可愛い。

 

 続けて浴衣、チアリーダー、熊のきぐるみなどなど。どれも似合っていて甲乙つけがたい。きぐるみでもそれっぽいってなかなか反則級だな。

 普段はほんわかしているのに、いざとなったらきびきびしてるし、意外と聡かったり、快闊だったり……案外オールラウンダーなのかも。

 

「ねえエマさん。次の衣装に着替える前に、一緒に写真撮らせて」

「もちろん」

 

 高咲さんがうきうきとスマホを構える。

 これだけ良い姿を見せられて、写真を撮るなと言われるほうが厳しい。

 

「じゃ、僕が撮るよ」

「え~、湊先輩も写りましょうよ」

「写真撮られたら魂抜かれるからやだ」

「どんだけ昔の迷信ですか……」

「とにかく、僕はいいから。はい並んで並んで」

 

 半ば強引にスマホを受け取って構える。せっかく協力してくれてる服飾同好会の人たちも画角に入れて、ピントを合わせる。

 

「朝香さんは?」

「私もパス」

「入ったらいいじゃないか」

「私は、同好会の人間じゃないもの」

 

 そんなの別に気にしないでいいのに。親友のエマさんの隣に並ぶくらいの権利はあるのに。

 前に話した時より、少し冷たいような気がする。

 

「宮下さん、もうちょい寄って。ん、よし。はい、チーズ」

 

 同好会のみんなと、他の同好会の人たち。うん、()()()()アイドルって感じ。

 二、三枚続けて撮っていると、横から朝香さんが手を伸ばしてきた。

 

「やっぱり、あなたも入ってきたら? 私が撮るわよ」

「わざわざ朝香さんの手を煩わせるほどじゃないよ。それに、同好会の活動写真として使うつもりだから、僕が入ったら邪魔になる」

「邪魔だなんて、そんな……」

「いやいや、スクールアイドルの写真に男が写ってるって、それだけで炎上もの……らしいから」

「難儀ね」

「君もそうじゃないの?」

 

 プロのモデルとなれば、男性関係は特に気を付けなければいけないことだ。

 朝香さんもけっこう言い寄られてると聞く。断りの文句もなかなかパターン持ってそう。

 

「それに、僕も、だから」

「……?」

「はい、高咲さん。あとでその写真送ってくれる?」

「了解ですっ」

 

 スマホを持ち主に返すと、そのまま慣れた手つきで操作する。どうやらいま送ってくれているようだ。

 

「あら」

 

 隣を見ると、朝香さんもまたスマホを手にしていた。

 誰かから、たぶん恐らくお仕事関係で連絡が来たのだろう。

 

「悪いけど行くわね」

「ん、今日はありがとう。いや、今日も、かな」

「エマのためならいつだって」

 

 

 

 

 陽は傾いて、もう空は真っ赤に染まっている。

 部室棟外のベンチに身体を預けて、僕はぼーっと上を眺めていた。

 

「ごめんね、残ってもらっちゃって」

「いや、いいよ」

 

 衣装合わせのあと、僕を呼び出した張本人であるエマさんがやってきた。ベンチの端に身を寄せて、彼女が座るのに十分なスペースを空ける。

 彼女は縮こまるようにして、遠慮がちに腰かけた。

 

「で、相談って?」

 

 そう訊いても、エマさんは口を開かない。

 

「朝香さんのこと?」

 

 エマさんの肩がぴくりと動いた。

 

「今日ずっと、朝香さんのことを気にしてたみたいだから」

「あはは、湊くんには敵わないなあ」

 

 気づこうとしなければ本当に気づかないレベルだったけど、今日、エマさんはちらちらと朝香さんの反応をうかがっていた。

 この様子だと、この問題は今日だけじゃないみたい。

 

「私は、果林ちゃんとも一緒にスクールアイドルやれたらなって思ってるんだ」

 

 僕は目を丸くした。

 

「最近スクールアイドルの話もしてくれたりして、手伝ってくれたりもして……でもなんだか興味がないフリをしてるんだ」

「なるほど……」

 

 良い人なのは知ってる。彼女がやりたいなら歓迎もする。みんなだって拒否はしない。

 問題はやはり、本人の意志だ。どこまでいってもそれが壁になってくる。どこまでいっても。

 

「でも、私が訊いてもはぐらかされるばっかりで、どうしたらいいのかわからなくて……」

 

 そういうことか。

 エマさんのアイドル像がいまいち見えなかった理由がわかった。

 

「エマさん自身が、『ぽかぽか』になってないからだ。朝香さんをぽかぽかにできないからって、君自身も曇ってるんじゃないのかな」

「そう、かも」

 

 エマさんが顔を伏せる。

 

 写真を断った時に感じた朝香さんのそっけなさは、それが原因か。

 どういった心境かはともかく、スクールアイドルに対する何らかの憧れがあるのだろう。それを無理矢理抑えている、と。

 言葉と態度のちぐはぐさは、僕みたいな他人が違和感を覚えるくらいだ。当人であるエマさんはどれほどのもやもやを募らせて、悩んでいることだろうか。

 

「一番近い人を笑顔にできないで、私にアイドルなんてできるのかな……」

「できるよ」

 

 そんな暗い顔を見たくなくて、浮かんだ言葉をぱっと出す。

 

「根拠とか方法とか、そんなのは知らないけどさ。でもエマさんならできるって、信じてる」

 

 口から出るに任せているが、偽りのない純度百パーセントの本音だ。

 

「抑え込んでたり、恥ずかしいとかで言えないことはたくさんあると思う。朝香さんだって、普通の女子高生だしね。でもきっと、真正面から話したら、ちゃんと答えてくれるよ」

 

 きっと、誰であっても彼女の包容力には逆らえない。良くも悪くも純粋なエマ・ヴェルデの前では、素直に話してしまう気持ちになってしまう。

 親友である朝香さんでも、いやだからこそ、何度も何度も話を重ねれば、隠し事をすることに耐えられなくなる。

 反則だ。

 話を聞いてもらいたい。甘えたくなる。全てを曝け出したくなる。

 それは、受け入れてくれるだろうという安心感が、エマさんにはあるからだ。

 

「エマさんにはその力がある」

「……ふふ、ふ、あははっ」

 

 少しの沈黙のあと、エマさんは噴き出した。

 抑えられない、といったように大きく口を開けて大仰に笑っている。

 変なこと言ったか、と少し面食らったが、収まるまで待つ。

 

「なぁにそれ。全然、なんの証明にもなってないよ」

「いやいや、君ができたら証明完了だよ」

「えー、それ、私任せってこと?」

「結局、最後を左右するのは君の行動だよ。僕にできるのは、ちょっとした後押しだけ」

 

 そう。エマさんがどう動くのか、朝香さんがどういう決断をするのか、決めるのは彼女たち自身だ。

 僕は、せめて彼女たちが後悔しないように見守るくらいのことしかできない。全力で微力を尽くさせていただくだけだ。

 

「ありがとう、湊くん。元気出たよ」

「礼は、全部が上手くいってから」

「うん。その時は、果林ちゃんも一緒にね」

 

 差し込む夕日にエマさんの顔が照らされる。

 その姿はまるで、おとぎ話にでてくる女神様のようだった。



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13 親友だから

「や、朝香さん」

「湊くん?」

 

 校舎から出てくる朝香さんに声をかける。彼女は目を丸くして、僕をじっと見た。

 まさか放課後一番に話しかけられるとは思わなかったのだろう。それも僕に、なんて。

 

「もし時間があるなら、ほんの少しだけ、話でもどうかな」

 

 

 

 場所を少し変えて、校舎をぐるりと回って、植え込みの近くで足を止めた。

 彼女は意外にもすんなりついてきてくれたが、なんとなくこれからのことも予知しているようで、ちょっと固い。

 

「あそこで会ったのは偶然、じゃないのよね?」

「君がこの後に仕事も用事もないことは、エマさんから聞いた」

「それで、待ち伏せしてたってわけね。で、何の話をしたいのかしら?」

「スクールアイドルにならないか」

 

 朝香さんはほんの少し唖然として、すぐにいつもの調子に戻った。

 

「あら、スカウトもするの?」

「普通はしない。君は特別だよ」

「あら、口説かれちゃった」

 

 ふふ、と余裕さを見せて微笑む彼女に、手ごたえを感じない。どうしてもこの話題を避けたいような、終わらせたいような、そんな印象を受ける。

 

「エマに頼まれたってところかしら、ね」

「それだけならこんなことはしてないよ。単純に、朝香さんは綺麗だし、姿勢も良い。プロの現場にいる知識もある。こんな逸材を逃すのは惜しいと思った」

「……へえ。そうやってあの子たちを口説き落としたのね」

「くど……っ」

 

 平静を崩されそうになって、こほんと咳払いして一呼吸。

 

「同好会にいるみんなは、やりたい気持ちがあって集まってきたんだ。僕は何もしてない」

「その割には懐かれてるようだけど?」

「良い人たちばかりだから、分け隔てなく接してくれてるだけだよ」

 

 距離が近いのは感じてるが、彼女たちの性格に大きく起因してるだけ。

 そんなことは置いといて。

 

「で?」

 

 改めて聞きなおす。しかし彼女は即座に首を横に振った。

 

「返事はノーよ」

「どうして?」

「モデルもやってて忙しいし、それになにより、興味がないの」

 

 事前に用意していたようにすらすらと話し、ふいと顔を背ける。

 

「あなたこそ、どうしてそんなに私に突っかかってくるの?」

「放っておけたら楽なんだけどね、朝香さんが苦しいって表情するから」

 

 自分のコーヒーを置いて、僕は続ける。

 

「まるで、自分で自分を抑えつけてるような、ね」

「あなたに私の何が……っ」

「わかるよ」

 

 僕はぴしゃりと言い放った。

 

「いろんな理由つけて、やりたいことをやらずに我慢してる人の顔なら、飽きるくらい見てきた」

 

 さんざんこの目で見続けてきた。手が届くくらい近くで。最近、ようやくそのうちの一人を引き戻せたところだ。

 だから、出来ないと思って諦めるなんて出来ない。その相手がまだスクールアイドルじゃないとしても。

 高咲さんが優木さんの殻を壊したように、僕は僕に出来ることを頑張ると、そう決めたんだ。

 

 睨みつけてくる視線から目を逸らさずに、じっと見つめ返す。

 やがて、朝香さんは立ち上がりかけた腰を落ち着けた。口は固く結ばれ、肩はほんの少し震えているようにも見える。

 

「そう、よ。スクールアイドルに興味はあるわ。それどころか、やってみたいとさえ思ったの」

 

 ついに、朝香さんは滔々と語り始めた。

 

「最初はエマの手伝いだけのつもりだった。でも、みんなと一緒に何かをやるのが……とても、とても楽しかった。そんなこと、ずっとくだらなくてつまらないって思って、避けてきたことなのにね」

 

 堰を切ったように開いた口は留まらず、どんどんと溢れてくる。

 

「なんてことはないのよ。私は、私が築き上げてきた『朝香果林』が壊れるのが怖いだけ。新しい世界に踏み込んで、傷つくのが怖いだけなのよ」

 

 クールで大人っぽい。朝香果林を知っている大多数が、彼女にそんなイメージを持っている。そのイメージは、彼女を縛り上げ、彼女が自分にストップをかける理由にもなっている。

 『こんなこと、朝香果林のキャラとは合わない』。

 そうやって歩み出すことをしなくなった彼女は、いつしか怖くなったのだろう。作り上げられたアイデンティティが崩壊することに耐えられなくなった。

 だから、『朝香果林といえば』という存在に、自分が成った。

 

 真実の姿はこんなにも、普通の女の子なのに。

 

「本当は、私もみんなと……エマと一緒に、スクールアイドルやりたい……」

「だったら」

 

 思わず声が出た。

 朝香さんの想いを全部出し切らせてから受け止めるつもりだったけど、これ以上放っておけない。

 僕たちを助けてくれた恩人でもある人が、今にも泣きそうなのだから。

 

「だったら、止まる理由なんて無いじゃないか」

 

 朝香さんを見る視線はそのまま。出来るだけ熱が伝わるように。肝心の彼女は目を合わせないままだけど、それでも続ける。

 

「エマさんも僕も同好会のみんなも、君自身も、『朝香果林』と同好会をやれることを望んでる」

 

 誰も止めてない。ブレーキをかけるのはいつだって自分だ。そのブレーキを、彼女は他の人よりも多くかけてきた。だから、少しくらい緩めても文句を言われる筋合いはない。

 僕個人としてはもっと自分本位な朝香さんを見てみたいし、そのほうがエマさんにとっても、同好会にとってもいいだろう。

 

「それに、元気で可愛くてフリフリなのだけがアイドルじゃないよ。キャラじゃないって言うなら、君がやりたくて君に合うスクールアイドル『朝香果林』を、一緒に作ろう」

「そんな簡単に……」

「簡単じゃないだろうけど、実現はきっと出来る」

 

 根拠がないわけじゃない。すでに実現した例がうちの同好会にいるんだし。

 それに……

 

「僕は、そのためにいるんだから」

 

 思わず、といった様子で彼女は息を吸った。

 

 やりたいことはやっていいんだ。無理をして抑え込む必要はない。そんな当たり前のこと、高校三年生になっても気づかない人は多い。

 君たちは、気にしなくていいんだ。

 

「果林ちゃーん!」

「お、来た」

 

 聞き慣れた声は、エマさんのものだ。

 こちらに手を振りながら、髪が乱れるのも構わずに走ってくる。

 

「僕が呼んだんだ。エマさんも朝香さんも吹っ切れられるように」

 

 どうして、という表情の朝香さんに説明する。

 朝香さんに声をかけるよりも早く、エマさんには連絡しておいた。最後に彼女を説得できるのはエマさんしかいないと思って。

 

「正直に、自分の気持ちをエマさんに話してみて」

「え?」

「エマさんもそれを望んでる」

 

 あんな必死で駆けてきて、朝香さんしか目にないような視線を向けて、しかもその澄んだ目は親友のことを何も疑ってない純情さがこもってる。

 誰がどう見ても、朝香さんのことを考えて考えて、寄り添う素敵な友だち。友だち同士。

 ……少し、嫉妬するな。

 

「ごめんね、湊くん。果林ちゃん借りてくね!」

「え、え?」

「ああ、行ってらっしゃい」

「ええ!?」

 

 驚くまま、エマさんに手を取られて連れられるままの朝香さんに手を振る。

 あっという間に姿の見えなくなった二人を見送って確信した。

 あの二人は大丈夫だ。

 

 

 

 

 ぱしゃり、とシャッター音が鳴る。

 衣装に身を包んだエマさんは、花園のような柔らかい雰囲気を放っていて、レンズ越しでも癒されるほどだった。

 

 今日はエマさんのMVの撮影日。

 吹っ切れた彼女はどんどんと意見を言って、とんとん拍子にすべてが決まった。

 すぐに撮りたいという本人のご要望に合わせて、先に授業の終わった僕とエマさんが先に準備をしていた。

 

「どうかな」

「可愛いよ、すっごく」

「えへへ」

 

 にっこりと笑うエマさん。

 そう、これだ。彼女にはやっぱり笑顔が似合う。

 

「エマ、湊くん」

「果林ちゃん!」

 

 朝香さんがふりふりと手を振って、僕たちに近づいてきた。

 

「ちゃんと来てくれたんだね」

「ええ、約束したもの」

 

 前よりも柔らかい顔に、僕はほっとする。

 あの後、エマさん経由で連絡を貰って、彼女から礼を言われた。そして、同好会に入りたいということも。

 でも直接聞きたくて、ついつい訊いてしまう。

 

「昨日の今日で心境の変化がなければいいけど。スクールアイドル同好会には?」

「入らせていただくわ」

 

 即答。

 

「あなたが作ってくれる新しい『私』に、興味が湧いたの」

「元々興味あったんだろ。聞いたよ、エマさんに部屋を片づけされてる時に、アイドル雑誌持ってるのバレたってこと」

 

 ま、僕はそれよりも、君が部屋を片付けられない人だってことのほうが驚いたけど。

 目線で考えてることが分かったのか、珍しく狼狽し始めた。

 

「べ、別に片づけられないわけじゃないわ。その、いろんな物が手の届く範囲にあったほうが……」

「うちの妹もそう言う」

 

 苦笑する僕に、朝香さんは顔を赤らめてそっぽを向いた。

 

「じゃあ、はい」

 

 僕が持っていたカメラを受け取った彼女は、指でそれをさすりながら眉をひそめた。

 

「ねえ、やっぱり慣れてるあなたがやるべきじゃないかしら」

「なんで?」

「なんで、って……カメラの扱いは湊くんのほうが上手でしょ?」

「慣れてる慣れてないの話だったら、モデルの君のほうが良い角度とか知ってそうだけど」

「湊くんってほんと、ああ言えばこう言うの慣れてるわよね」

「褒めてる?」

「褒めてるわよ、これ以上なく。その口に唆された身としては、褒めざるを得ないの」

「唆されたなんて、人聞きの悪い」

「でも、事実でしょ?」

 

 事実じゃありません。勘違いされそうな言い回しをしないでほしい。

 

「あなたの言葉に乗って同好会に入るんだもの。責任はとってもらうわよ」

 

 ウインクする姿は、流石モデルと思えるほどサマになってる。

 ちょっとしたポーズでこれだ。その仕草を勉強すれば、みんなの実力アップにも繋がるだろう。

 

「わかってるよ。できうる限り、全力でサポートさせてもらいますとも」

「ふふ、すっかり仲良しだね。でも、近すぎじゃないかなあ」

「そうかしら。湊くんはどう思う?」

「僕に振るな」

 

 そんなこと言われても、僕としては適切な距離を保ってるつもりだ。朝香さんのパーソナルスペースが狭いのだ。

 

「あとは、みんなが来るまで待ちだね」

「ねえ」

 

 ほんのちょっとだけ、朝香さんの声が低くなった。

 

「みんな、私を受け入れてくれるかしら」

 

 ああ、エマさんはともかく、他の同好会メンバーが歓迎してくれるのかが不安なのか。

 既に出来ているコミュニティの中に入る気まずさというか難しさは、どこの世界でも一緒。でも受け止めるほうは割とオープンなものだ。

 

「大丈夫だよ」

「……あなたが言うなら、信じるわ」

 

 長々と説明するより、あえて一言だけで済ませたが、本当にそれだけで納得したみたいで、憑き物が落ちたようにスッキリとしていた。

 

「緊張してたんだね」

「そうよ。私だって、普通の女の子なんだから」

 

 分かってる。

 そうやってにこにこ笑ってるのが、何よりの証拠だ。

 

「むう」

 

 こちらは対照的に頬を膨らませるエマさん。さっきまでのいい顔はどこへやら。

 睨みつけてくるのも可愛らしくて怖くないが、踊る前に機嫌が悪くなるのはいただけない。

 

「今日は私の撮影なんだから、私を見てほしいなあ」

 

 珍しくわがままを言う彼女は、恥ずかしげに少し顔を俯かせて、上目遣いで僕をうかがう。

 

「ね?」

 

 エマさんにそんな顔で、そんなことを言われて断れる男がどれくらいいるのか。

 僕も例に漏れず、大多数の人間と変わりなく、彼女の期待に応えたい欲求に駆られる。

 そうじゃなくても……

 

「見てるよ、ずっと」

「うん、見てて。今日だけじゃなくて、ずっと」



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14 虹ヶ咲学園スクールアイドル:エマ・ヴェルデ

「ええ~!! 果林先輩もスクールアイドルに!?」

「うん、果林ちゃんがいれば、もっともっと楽しくなるよ」

 

 サプライズで朝香さんの入部をみんなに伝えると、それはそれは非常に驚いてくれた。特に中須さんはいつもの通りオーバーリアクションで。

 既に知らせていた優木さんと高咲さんは新人の手をぎゅっと握って歓迎する。

 

「ようこそ、スクールアイドル同好会へ!」

「ありがとう」

「でも、モデルもやってるのに同好会もやって大丈夫ですか~?」

「ええ、モデルでもスクールアイドルでも、トップを取ってみせるわ。支えてくれる人がいるしね」

 

 朝香さんが僕にウインクする。

 牽制のつもりだったのに軽く返された中須さんは、頬を膨らませて悔しがった。

 

「ぐぬぬ……湊先輩! 人数増えてもかすみんのことちゃんと見てくれますよね!? 最近なんか雑じゃないですか!?」

「そんなことないよ、かわいいかわいい」

「おざなりっ!」

 

 迫ってくる彼女に背を向けて、机に置いたPCを操作する。

 同好会のホームページから動画サイトに飛んで、一通り評価を確認。最後に一番最新の動画をチェック。

 

「エマさんの動画、再生数もコメントもすっごい伸びてる」

「ほんと?」

「すごい、エマさん!」

 

 高咲さんもまるで自分のことのように喜ぶ。

 今までの活動もあってまあまあ名の知れてきた虹ヶ咲スクールアイドル。投稿したばかりのエマさんのMVも、すでに再生数が千を超えている。

 新しく出来たスクールアイドルにしては、驚異的といっていい。

 

「スイスの家族からも電話があってね。すごい喜んでくれてたの」

 

 頬を緩ませて報告するエマさんは、抑えきれないといった感じでそわそわとしだす。

 今が喜ばしいってだけじゃなく、これからのことも期待してうずうずしているようだ。

 

「大成功だね」

「当然よ。私が撮ったんだもの」

 

 朝香さんが胸を張る。

 うん、やっぱり、彼女にカメラを任せて、彼女を誘って正解だった。

 足りなかった何かが、カチリと嵌った感じがする。

 

 

 

 

 別の日の放課後。

 だいぶ早めに授業が終わった僕は、食堂併設のカフェでコーヒーを飲んで時間を潰していた。

 スクールアイドルたちが集まって着替えをするのも含めると、まだまだ時間はかかるだろう。

 

「ふふ、みーなとくんっ」

 

 背もたれに体を預けて窓から外を眺めていると、優しい声が耳に入ってきた。

 

「やけに上機嫌だね、エマさん」

「うん!」

 

 授業が終わったばかりなのか、鞄を肩にかけたままのエマさんが駆け寄ってきた。

 いつも機嫌がいい彼女だが、今日はことさらにこにこしていて、ほんわかした空気が増している。

 

 僕は時間をちらっと確認する。まだ練習が始まるまではまだ余裕がありそうだ。

 向かいに座るエマさんはフレンチトーストを注文して、一息ついた。

 

「ありがとね。果林ちゃんから聞いたよ。湊くんも説得してくれたって」

「説得というか……まあちょっと話しただけ」

「湊くんの『ちょっと』が、みんなにとっては大きな力になってるよ、間違いなく。私も、そう思ったうちの一人だもん」

「……」

「本当だよ。あんなに楽しそうな果林ちゃん、初めて」

 

 朝香さんの親友である彼女がそう言ってくれるならそうなんだろう。楽しんでくれているのは見て分かってたけど、証言を貰ってようやく納得した。

 同時にエマさんも元気になっていいことずくめ。新しく撮ったMVも、癒されると評判だ。

 本来の彼女の力を発揮することができたということだな。

 

「でも、無理はしないでね」

「大丈夫だよ」

「湊くんを信頼してるけど、その言葉だけは信じられないなあ」

 

 そんな無理してるように見えるなら改善しないと。いや~な顔を表に出してると、他のモチベ―ションにも係わってくるだろうし。

 あと、信じられないってのも心外。

 

「果林ちゃんの『掃除する』くらい信用できないかな」

「そんなに?」

 

 雑誌は読んだら置きっぱなし、服も脱ぎっぱなしってことも多いということをよく聞く。

 ただ、愚痴ではなく、しょうがないなあという感じで言ってくるあたり、エマさんはお世話好きみたいだ。

 故郷に弟や妹がいるらしく、そのお世話ができなくなって寂しいみたいな話も聞いたことがある。近江さんを膝枕するのも、それが原因っぽい。

 

「だって、頼られたら断らないよね」

「そんなことは……ない、と思う」

 

 僕だってちゃんと断る時は断ってる。たぶん、きっと、おそらく、たしか。

 

「たまには嫌なものは嫌ですって言わないと、潰れちゃうよ。断ることも覚えようよ」

「嫌です」

「もう」

 

 ぷんすこ怒るエマさん。

 

「とにかく、無理しないでね。ちゃんと分かってる? つもり、じゃだめだよ?」

 

 肝に銘じておくと同時に、前向きに善処いたします。と曖昧に頷く。

 いや、待てよ。エマさんだって……とこれまでのことを振り返る。

 

「そんなこと言ったら、君もそうじゃないか。嫌とかダメとか本気で言ってるところ見たことないけど」

「ええ、そうかなあ?」

「そうだよ。近江さんに膝枕してあげる時とか」

「でも彼方ちゃんの寝顔、幸せそうだからこっちも癒されるんだもん。わかるでしょ?」

 

 首を横に振る。やったことないからわかんない。人の寝顔をじろじろ見るなんてこともしないし。

 

「湊くんにだったら、いつだってしてあげるよ?」

「しちゃダメだって。そうやって男にほいほい膝枕するもんじゃありません」

「だから、湊くんにだったらって言ってるのに……」

「はいはい。どうもありがとう」

「むう、湊くんのそういうところはキライ」

 

 口を尖らせて唸りはじめたところで頼んだものが届く。

 フレンチトーストのはちみつがけ、生クリーム乗せ。ここの人気メニューだ。

 早速、エマさんは甘さたっぷりのそれを口いっぱいに頬張る。

 

「う~ん、ボーノ!」

 

 練習前にそんなものを……と思ったが、よく食べるのは今に始まったことじゃないし、動けなくなるわけじゃないならいいか。

 美味しそうに食べるところ見ると、止めるのが悪いことのように思えるし。

 

「幸せ、だなあ」

 

 ふと漏らしたような言葉に、目を瞬かせる。

 

「こんなに幸せでいいのかな」

「デザートくらいでそう思うのは、君くらいだよ」

「そうじゃなくて、こうやってスクールアイドルとしてデビュー出来て、楽しくやれて、家族にも見てもらえて、美味しいものいっぱい食べて、みんなもいるのが本当に幸せなの」

 

 エマさんは、スクールアイドルに憧れてスイスからはるばるここまでやってきた。親元を離れて遠い日本で、不安もあって心細い時もあったに違いない。

 だけどこうやって屈託のない笑顔を見せてくれれば、こちらとしても心が休まる。

 彼女の夢を叶える一助になれて、少し誇りすら感じられる。

 

「君が幸せになることで、みんなだって嬉しくなる。だから楽しめばいいんだよ。誰に遠慮する必要もない」

 

 かつてエマさんが焦がれたように、誰かの憧れの存在になれたら……それが一つの到達点だ。

 そのためには、今の気持ちを忘れないことが大切だ。見る人を暖めるような彼女が変わらなければ、誰にとっても望んだ未来が待っているだろう。

 

「そんなこと言われると、わたし、もっと周りのこと見えなくなっちゃうよ」

 

 もう一口を乗せたフォークを持ち上げた手を止めて、エマさんが笑う。

 

「もっと? あれだけみんなのお世話してる君が、視野が狭くなるなんて考えられないけど」

「そんなことないよ。こうしてると、他のこと考えられないくらい、頭がいっぱいになっちゃう。湊くんにもこの幸せ、分けてあげたいくらい」

 

 ぱくり、と大きなかけらを食べて、満足そうなため息をつく。

 

「Le gioie più grandi vanno sempre divise con chi si ama……って言うしね」

「なんて?」

「ふふ、なんて言ったんだろうね~」

「イタリア語勉強するべきかな……」

 

 ドイツ語ならちょっとだけ話せるんだけど。

 いたずらっぽく微笑むエマさんが、こんないたずらっぽいこと言うなんて……と頬を掻く。

 なんとなく恥ずかしいことを言われた気がして黙っている間も、彼女はぱくぱくと食べ進める。あっという間に食べつくした時には、周りも賑やかになっていて、どの学年も学科も放課後になったらしいことがわかる。

 

「時間だ。もう着替えに行かないと、遅れるよ」

「湊くんは?」

「みんなが着替え終わるまで、もう少しいるよ」

 

 コーヒーもまだ飲み終えてないし。

 

「……私ももうちょっとここにいていい?」

「嬉しいお誘いだけど、これ以上は名残惜しくなるから」

 

 エマさんじゃなく、僕が。

 許されるなら、いつまでだってこうしていたい気持ちも無きにしも非ず。が、そうも言ってられない。エマさんのスクールアイドル活動はまだ始まったばかりなんだから。

 

「いじわる」

「なんとでも言ってくれ」

 

 じゃあ、後でね。エマさんはそう告げると、お皿を持って立ち上がる。

 その後ろ姿が見えなくなるまで、僕は見送った。



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15 宮下さん家のもんじゃはボーノ

 朝が苦手だったのはもう何年も前の話。朝食を作るというルーティンが入ってから変わった。

 眠い目をこすって制服に着替えると、スイッチが入って体が動く。

 僕の周りは静かで、世も静か。リビングに入るとそれがより感じられる。日が昇り始めたところでまだ暗いのも拍車をかけていた。

 璃奈が起きてくるまでまだ一時間以上。いつもどおり、弁当を作り始めないと。

 

 顔を洗って無理矢理目を覚ますと、気配を感じて、僕は振り返る。

 あの女性だ。

 

「今からごはんの準備をしないと」

「なら、私に構ってる暇はないわね。代わりに誰かに話を聞いてもらわないと」

 

 用意していたかのように、彼女はつらつらと話す。

 

「話せる人はいないの?」

「こんなこと、話せるわけないじゃないか。だって……」

 

 喉が詰まる。

 

「言って」

「だってあなたは……いない」

 

 絞り出すように言葉を発すると、彼女はそれがとても大事だと言わんばかりに何度も頷いた。

 

「そう。重要なことよ。私はいないの。忘れちゃいけないこと」

 

 出尽くしたと思ってもため息は出る。今回もまた、だ。

 どれだけ言を重ねても、最後はこの事実を突きつけられて、突き放されてしまう。

 

「本当に、話せる人はいないの? あなた自身のことをさらけ出せる人は?」

 

 目を逸らして、今まで出会った人たちを思い返す。その中で、正面から話を出来る人は……

 

「いない」

 

 誰の顔も浮かばなかった。

 

 

 

 

「ふっふっふ、それでは愛さんの鉄板捌き、とくとご覧じろー!」

「おお~。話に聞いてた愛ちゃんのもんじゃ焼き、楽しみ~」

 

 鉄板捌き? と首をかしげながらも、僕たちはその手際に感心する。

 細かく切られた豚肉にそばにキャベツを鉄板の上で炒め、しんなりしてきたら刻む。真ん中を凹ませて、出汁を入れて、ふつふつと言い始めたら混ぜてさらに刻む。

 宮下さんの慣れた手つきを見てるだけで、結構楽しい。

 

 今日はみんなの用事が重なって、空いていたのはこの三人だけ。

 練習をしてもいいが、あまりにも寂しいということで今回はお休み。滞っていた学生の本分ってやつを進めるため、勉強会をした。

 学科が違うと勉強範囲が違うのもあって、お互い教え合うことも行った。

 

 宮下さんは文武両道。僕らよりも知っている知識が多く、教えられることも多い。

 エマさんは外国事情。特に彼女の故郷であるスイスと日本の違いについては面白い話がたくさんで、聞き入る。

 僕は音楽。スクールアイドルとして必要な基本知識を渡した。

 こういった機会はなかったけど、学生としてもスクールアイドルとしても結構重要なのかもしれない。

 

 三人とも熱心に話し合い、熱中していると外はすっかり暗くなっていた。気付いたのは、ぐう、とお腹が鳴った時。

 晩ごはんはどうしようかな。そういえば、冷蔵庫に食材はあまり残っていなかったはずだ。買いに行かないと。なんてことをぽつりと漏らすと、宮下さんが家に誘ってきたのだ。せっかくだから、家のもんじゃ焼きを食べてほしいと。

 今日は璃奈は外食してくると言ってたから、僕は彼女の厚意に甘えることにした。

 

「ボーノ!」

 

 小さなコテで掬って食べる。

 明太子や餅を混ぜたものとか様々な種類があるが、ご馳走になる側が初めてというのもあって、スタンダードなのを作ってもらっている。

 具材を見てお好み焼きみたいだな、と思ったが、食感も味もそれとはまったく異なる。

 とろとろとした口当たりはなかなか新鮮で、熱くてもするすると食べられる。長く焼かれたものはカリカリした歯ごたえ、焦げも美味しい。 

 いわゆる粉もんというのはそれほど食べたことはないが、なるほど繁盛するのもわかる。

 

「ところでさ、聞きたかったことがあるんだけど」

 

 次々にもんじゃ焼きを焼きながら、宮下さんは言う。

 

「みーくんって、なんでエマっちのことだけ名前で呼んでんの?」

 

 小さい一口をごくりと飲み込んだ僕は、エマさんをちらっと見る。

 

「私からお願いしたんだ。堅苦しいのっていやでしょ?」

「うーん、それだけであのみーくんが……」

「それだけってわけでもないけど」

 

 説明するより、見てみるのが一番。

 僕は衝撃に備えて、心の準備をして、口を開いた。

 

「問題あるなら、ヴェルデさん、って呼ぶけどね」

「エマ」

 

 びくり、と宮下さんが肩を振るわせた。

 エマさんの表情はいつもの通りなのに、声はまるで問い詰めるかのように低い。

 

「エマって呼んで。なーんにも問題ないから、ね、愛ちゃん」

「う、うん」

 

 あの宮下さんですら、たじたじとしている。

 おかしいなあ、もう暖かい時期で、熱いもの食べてるのに体が震えるぞ。ゴゴゴゴゴという擬音も聞こえてきそうだ。

 

 この話をすると、エマさんは有無を言わせない勢いを放つ。

 抵抗するとまずいことが起きる気がして、何も言えず、結局折れてしまったのだ。

 僕と宮下さんはお互い引きつった笑みで耳打ちする。

 

「これは確かに押し切られてもしゃーないね」

「夏もすぐそこだっていうのに底冷えしちゃったよ」

「どうしたの、二人とも?」

「いや、なんでも!」

 

 二人そろって、ぶんぶんと首を振る。

 本当に怖いのは、いつも怒ってる人じゃなくて、ふだん怒らない人。特に温厚なエマさんを怒らせたとあっては、天変地異級のことが起きても不思議じゃない。

 今のは見なかったことにして、宮下さんは話を続ける。

 

「最初からそんなに仲良かったの?」

「そうでもないよ。きっかけは校内で迷ってるエマさんを案内して……」

「その後、食堂にいる湊くんと喋るようになってから、かな?」

「ふーん。で、スクールアイドル同好会を作って、今に至る、と」

「そんなとこ」

 

 虹ヶ咲は広い。三年生でも迷う生徒は少なくないし、入ったことも見たこともない教室だっていっぱいある。

 当時ここに来たばっかりのエマさんにとっては、魔の森に見えても仕方ない。 

 

「愛ちゃんは? 前から湊くんとは知り合いだったんだよね?」

「うん。前にも言ったけど、みーくんって色んな部に協力貰ってたり、アドバイス聞きに行ってたりしてたんだよね。アタシもいろんなスポーツ系の部活に出てたから、みーくんと顔合わせる機会は多かったってわけ」

 

 どの部へ話しに行っても、なぜかいつも宮下さんと会うのが不思議だった。

 一年生時からすでに彼女が『部室棟のヒーロー』と呼ばれているのを知ったのは、バスケ部の部長に彼女の素性を訊いたからだったか。

 そこから、どういう噂の回り方をしたのか、僕が宮下さんを気にかけているという話が広がり、彼女のほうから話しかけてきたのだ。

 あらぬ噂の沈静には、そこから一か月ほどかかってしまったが。

 

「湊くんって、学校でどれだけの部と交流があるの? 服飾同好会や手芸部、ハンドメイド同好会にコネがあるし、演劇部の部長とも仲が良いんだよね?」

「えーと、体育会系と美術系は一通り知り合いで、あとは天文部、科学部、放送部、軽音楽部、調理部、新聞部、魔法少女研究部……」

「ちょちょちょ、ちょっと待った。思ったより多いね……」

 

 振り返ってみれば、それなりの数を相手にしているな。宮下さんですら、ぽかんとしている。

 

「まだ部だけしか言ってないよ。同好会も含めたらもっといるのに」

「交流無い部を挙げてったほうが早いんじゃ……」

「誤爆部とは一切喋ったことないな」

「そんなのあるの!?」

「しかも同好会じゃなくて部!?」

 

 驚く二人を尻目に水を飲む。

 他にもたぶん、関わりがない部はあるはず。無数の部がある虹ヶ咲の全てを把握するのは無理だ。いや、一人だけ全校生徒の名前から学科から覚えてるやつがいたな。

 

「それだけ関わりがあると、頼み事もされそう」

「曲作ってくれってのが多いかな。一つ受けると際限ないから断ってるけど」

 

 音楽系の部活からの依頼は少なくない。演奏するのと作曲はまた全然別の話だから、頼ることに関しては何も言わないけど、何も僕じゃなくても。

 

「ま、湊くんはお人好しだからねぇ」

「『そういうとこはキライ』だったっけ?」

「んーん、そこが湊くんの良いところ。私が言ったのは、湊くんが頑張りすぎて潰れないか心配ってこと」

「エマっちの言うこともわかるよ。アタシたちの練習も見て、曲も作って、ホームページだって運用してるのはみーくんだし……いつ寝てんの?」

「ちゃんと夜寝てるよ」

 

 そう返したが、二人とも口を尖らせて不満げに目を合わせた。

 

「本当だと思う?」

「いーやぁ、怪しいと思うよ。りなりーが、みーくんの寝顔見たことないって言ってたくらいだし」

「本人を目の前にして君たちね……」

 

 まったく、そんなに信用ならないかね。体力使って勉強も惜しまずやってる君たちのほうが心配なんだが。

 

「ほんと、休める時には休まないとダメだぞ~?」

「分かってるよ。分かってる」

 

 目の前で倒れられても困るだろうしね。もしぐっすり寝られるなら、せいぜい学校の中では元気に振舞えるくらいには寝ておくさ。

 訝しむ二人の視線から逃れるように、僕はまた水を飲んで誤魔化した。



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16 璃奈、頑張る

「ええ!? ライブ!?」

「うん」

 

 東京ジョイポリスで、ライブをやりたい。

 部室に入るなり、璃奈が急に発した言葉に、中須さんが大きく驚く。

 

「どうしてそんな話になったんだ?」

 

 僕もすっかり困惑する。

 昨日、璃奈と宮下さん、高咲さん、上原さんはジョイポリスに遊びに行っただけのはずなのに。

 

「いろいろ足りないのはわかってる。でも、みんなに見てほしくなって……」

「みんな?」

「昨日、クラスの子たちに偶然会って、その……」

 

 言葉を濁した。

 璃奈は変わりたいと願って、同好会に入った。自分から行動を起こして、一生懸命練習して、頑張っている。その姿を、先ほど言った通り『見てほしい』のだろう。

 

「それに、PVはキャラに頼っちゃったから。クラスの子たちは良いって言ってくれたけど。あれは、本当の私じゃないから」

 

 その通り、璃奈の自己紹介動画はイラストを動かして、声だけ当てて一切姿を出さずにプロモーションを行ったのだ。

 そういったアイドルがいないことはないが、珍しく、一般的ではない。

 ファンはつかみやすいが、実際の姿と乖離していたら期待を裏切ってしまって、ファンが離れてしまう。

 PVのキャラに負けないくらい可愛いけどね、うちの妹は。

 

「ダメ、かな」

 

 不安げに呟く璃奈に、みんなは首を横に振る。

 

「いいんじゃない?」

「決めるのは璃奈ちゃんだよ?」

「私は、璃奈さんの決めたことを応援しますよ」

「そうです。チャレンジしたいという気持ちは大事なものだと思います」

 

 みんなが次々に賛成していくうちに、璃奈の表情が明るくなっていく。

 傍目にはわからないだろうけど、僕から見れば明らかに輝いている。

 

「お兄ちゃんは、どう思う?」

「璃奈がやりたいなら、僕は止めないよ」

 

 人のやりたいことを応援する。それは妹だからといって変わらない。むしろ妹だからこそ、よりいっそう腕によりをかけたいと思うのは自然だろう。

 

「ありがとう」

「それで、いつやる予定なの?」

「たまたま空きが出たから、来週の土曜」

「ほんとに急じゃん!」

 

 中須さんが仰け反る。

 その場でスケジュールを確認して、すぐさま予約したらしい。思ったよりも時間がないな。

 

「まあまあ。私も手伝うよ」

 

 少し考えこんだ僕の代わりに、高咲さんが手を挙げる。

 そう、だ。璃奈がせっかくやると、やりたいと言ったんだ。今できる全力で叶えてあげるのが、僕らの役目だ。

 

「いいの?」

「愛さんも手伝う!」

「わ、私も!」

「もちろん私もです」

「結局みんな応援するんじゃーん」

 

 宮下さんだけじゃなく、上原さん、優木さん、近江さんも……いやみんなが頷いて返す。

 

「ありがとう」

 

 

 そんなわけで、早速作戦会議。

 ホワイトボードに【ソロライブ 璃奈ちゃんステージ大作戦!!】と書かれる。

 

「ステージ演出はある程度希望に沿ってくれるみたいだけど」

 

 会場は東京ジョイポリス。

 高咲さんの言う通り、こちらから音源や映像、照明の動かし方を決めておけば、おおよそその通りにしてくれるらしい。

 

 高咲さんは璃奈を見る。

 

「映像は自分で作れる」

「りなりー、得意だもんね」

「うん」

 

 情報処理学科だから……というわけではないが、璃奈はPCでの映像作成が得意。MVだって、高咲さんのアイデアと璃奈の技術によるところが大きい。

 自分の中にあるイメージを出力するのだから、ある程度は璃奈自身に任せるほうがいいだろう。面倒で時間のかかるところは僕や高咲さんが担当することにする。

 

「曲は?」

「ほとんど出来てる」

 

 僕は曲データが入ったUSBを璃奈に渡す。

 

「このデモで練習してくれ。あとちょっと音を足して調整したいから、最終調整は今週末くらいからになるけど」

「早いですね」

「元々ある程度は出来てたからね」

 

 驚く桜坂さんに返す。

 身内だから、メロディを連想するのはそう難しくなかった。彼女の想いはこれから作詞するときに詰めていこうと思う。

 

「でも、パフォーマンスは自信ない。だから、教えてほしい!」

 

 ぎゅっと拳を握って、璃奈は見上げる。

 もちろん断る人なんていない。優木さんと中須さん、宮下さん主導で基礎練習とダンスは進めることに決定した。

 僕と高咲さんは曲の調整と歌詞作り・会場演出に専念。他は各々サポートに回る。

 

 ステージが迫ってるのもあるけど、こうやってみんなで一丸となって協力するって、やっぱり良いなあ。

 璃奈ももう、一人じゃない。

 願わくば、この瞬間がずっと続けばいいのにと思う。

 

 

 

 

 照りつける太陽の光が降り注ぐ中、璃奈はガラスに映った自分の姿を見ながら、ダンスの動きを確認していた。

 毎日続けてるおかげで少しずつ体は柔らかくなってきてるし、体力もついてきてる。

 一曲だけなら、なんとか踊りきれるはずだ。そこに不安はない。

 

 結局練習風景を見に来た僕に、近江さんはやれやれといった様子で近づいてきた。

 

「今回は曲作りのほうに専念するんじゃなかったの?」

「そのつもり、だったけど」

「心配?」

 

 見透かしたような目で、顔を覗いてくる。

 僕は小さく頷いた。

 

「正直、毎日ハラハラしてるよ。怪我しないかとか、挫折してしまわないかとか」

 

 共にいた時間が長いせいか、実際よりも小さく見えてしまう。今の璃奈に、幼い姿を重ねてしまう。

 もう子どもじゃないとは頭では理解できているが、どうしても心配になってしまう。

 

「ずっと一緒にいられるわけじゃないって分かってるんだけど、でもやっぱり、大事な家族だから」

 

 兄離れしないと、とは思うんだけど……いつかは、『お兄ちゃんうざい』とか言われるんだろうか。

 

「いいお兄ちゃんだねえ」

 

 にやにやと笑って、近江さんが言う。

 

「からかわないでくれよ。これでも真剣なんだ」

「いやいや、からかうなんてそんな」

 

 そんなにやにやされても、説得力がない。

 

「璃奈が自分から一歩踏み出すのは珍しいことだから、兄としては応援しなきゃなって」

「うんうんわかる。わかるよ~」

「近江さんも妹がいるんだっけ?」

「うん。妹の遥ちゃんのためなら、どんなことでもなんのその」

 

 家事もこなしてバイトもしている近江さんのその台詞だけは重みがある。

 そう、どんなことだって、璃奈のためならやる覚悟はある。この世にたった一人しかいない大事な妹だから。

 璃奈が望むなら、なんだって後押ししたい。でも、前に進むためには危ないことがつきものだとはわかってるけど、傷ついてほしくないとも思ってしまう。

 

「ま、お兄ちゃんお姉ちゃんの贅沢な悩みだよね~」

 

 わがままとも言う。ただの兄のわがまま。それで成長を止めることはしてはいけない。

 璃奈ならきっと乗り越えられると信じることが、兄としてやるべきことだ。

 

 

 △

 

 

 さて、璃奈の初ライブが一週間後に迫った土曜日。

 時間がない中で作業を進めるべく、僕らの家に高咲さん、上原さん、宮下さんが来る予定だ。

 

 ちょっとした用事で外に出ていた僕が帰ってきたときには、すでに三人がやってきたばかりのタイミングだったらしく、特に面白みのないリビングをきょろきょろと見まわしていた。

 

「おじゃましてまーす!」

「いらっしゃい。飲み物持っていくよ。璃奈は案内してあげて」

「うん。みんな、こっち」

 

 璃奈が三人を奥に連れていく。僕はお盆の上にコップを並べた。

 冷蔵庫からジュースのペットボトルを取り出して……どうせみんなでいっぱい飲むだろうから、一緒に乗せる。

 

「こっちが璃奈ちゃんの部屋なんだ。じゃあ、湊さんの部屋は?」

「あっち」

「ご、ごくり」

「ねえ、ゆうゆ。どうやら考えてることは同じみたいだね」

「ここまで来たら一蓮托生だね。一緒に怒られよう、愛ちゃん」

「だ、だめだよ勝手に入っちゃ!」

「こら」

「わあっ!」

 

 人の家に来てやたらとテンションの上がってる二人……と台詞の割に止めようとしない上原さんの後ろから声をかける。

 

「み、湊さん……」

「不穏な会話が聞こえると思ったら……」

「あ、あはは、ごめんなさーい」

 

 ぺろりと舌を出す宮下さん。ま、別に見られて困るものはないけど、なんとなく女の子に探られるのは気恥ずかしい。てかそんな時間ないです、みなさん。

 

 軌道修正に成功し、みんなを璃奈の部屋に連れていく。

 こだわりにこだわったパソコンや周辺機器、コードが所狭しと部屋を埋めている。

 女の子らしい、とはちょっと離れているが、璃奈はこれで満足らしい。

 

「機械とか得意なんだね」

「うん」

 

 璃奈はパソコンの前に立ち、電源をつけた。

 

「私、小さい頃から表情出すの苦手で、友達いなかったから一人でできる遊びばっかりしてたんだ。だから、高校生になって、こんなに毎日わくわくするなんて思わなかった。こんなに変われるなんて思わなかった」

 

 カタカタとキーボードを叩く表情はいつも通りに見えるけど、凄く嬉しそうなのは僕には分かる。

 こうやって友達が家に来ることだって、璃奈にとってはきっと前代未聞、叶えたかった夢の一つ。

 

「みんなにすごく感謝してる。私、頑張るよ」

 

 自分のために、何より手伝ってくれるみんなのために。その両方とも璃奈にとってはほとんど初めてのこと。

 それが義務感や責任感からではなく、感謝からの気持ちが出ていることに気付いて、目頭が熱くなる。

 

 良かったな、璃奈。お前を理解してくれて、お前が理解できる人がこんなにもできて。



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17 隠すためじゃなくて、伝えるために

「天王寺璃奈、ライブ開催決定! 場所は東京ジョイポリス! みんな、来てねー、にゃん!」

 

 璃奈考案のキャラに喋らせた宣伝の動画を投稿。本当の姿のお披露目はステージにて。

 

「ダンス、良い感じになってきたね、りな子」

「そうかな」

「ええ、この調子で頑張りましょう」

 

 璃奈の踊りも中須さんと優木さんが見てくれていて、完成度も高くなってきている。

 歌も出来上がって、着々と準備は完了しつつあった。

 璃奈が入部してから何度も思ったが、まさか妹がスクールアイドルになるなんて。

 可愛さでいえばプロにも負けないが、彼女自身にそういったものに対する興味が全くないと思っていた。

 

「あ、天王寺さーん!」

「練習頑張ってるね」

「ライブ、今週だよね?」

 

 のほほんと眺めていると、練習している璃奈に駆け寄ってくる三人組が視界に入ってきた。

 リボンは黄色。一年生か。

 期待の目をしているあたり、璃奈のファンだろうか。

 

「この子たちが、ステージを見せたい友達?」

「うん」

 

 璃奈のことを少なからず知っているはずなのに、なんの色眼鏡もなく近寄ってくれている。

 虹ヶ咲は色々な人が集まるからか、こうやって何の偏見も持たずに接してくれる人が多い。

 

「もしよかったら……もしよかったら……」

 

 口を開こうとして、璃奈はふいにガラスを見た。

 誘うなら、普通に誘えばいいのに、なぜか言葉が止まっている。

 ガラスにはいつもの璃奈しか映っていない。だけど、ショックを受けて固まっていた。

 

「天王寺さん?」

「……なんでもない」

 

 はっとして、璃奈はぱっと鞄を持ちあげた。

 

「今日は、帰るね」

 

 着替えもせず、練習着のままで駆けていく彼女に、僕たちは呆気に取られた。

 一瞬の後、ただならぬ雰囲気を感じて僕も鞄をひっつかんで後を追う。

 

「璃奈!」

 

 背中に声を投げても、止まってくれない。

 放っておいたら何か取り返しのつかないことになる気がして、冷や汗が全身を伝う。

 

「ごめん。僕も帰るよ。みんなに伝えておいて!」

「み、湊先輩!」

 

 叫ぶ中須さんに振り向くこともせずに、僕は璃奈を追いかけた。

 

 

 

 

 僕が思っていたよりも、璃奈は体力づくりを頑張っていたみたいだ。

 追いつこうとしても追いつけない。一心不乱に駆け抜ける璃奈は、僕を振り返らずに家にまで到着した。

 目の前で閉じられた扉が、ひどく厚い壁のように感じられて一瞬ためらってしまう。

 息を整えて扉を開ける。陰鬱な空気が重く沈んでいて、纏わりついてくる。リビングを越えて、璃奈の部屋の前まで到達すると、さらにその濃さが増したような気がした。

 コンコンとノックしても返事はなかった。普段ならドアを開けることはないけど、今回ばかりはそうもいかない。

 ゆっくりと開けて目に入ったのは、ピンクのジャージとは対照的に暗い雰囲気を纏っている、部屋の真ん中でうずくまっている妹だった。

 

「璃奈」

 

 近づいて、目の前でしゃがむ。とても怯えた顔をしているのが見えて、胸が苦しくなる。

 

「……ごめんなさい」

「謝らなくていい」

 

 自分の腕をぎゅっと掴む璃奈。その頭に、そっと手を置く。昔から、悲しい表情をしたときにはこうやって落ち着かせていた。その手を小さな腕で握りしめてきて、震わせる。

 表情を出せなかったことで何度も失敗したことを知っている。宮下さんが友達になってくれて、スクールアイドルになって、頼れる仲間が増えて、克服したと思っていたけれど、心に刻みつけられたトラウマはそうそう癒えてくれないみたいだ。

 こんな時、どんな言葉をかけてやればいいんだろう。

 

 心痛をそのまま放たれたような静寂に、ピンポン、と家のインターホンが鳴った。同時にスマホから声が聞こえてくる。

 

「りなりー、いる?」

「愛さん、いきなり『りなりー』はどうかと思いますよ」

 

 うちは家に人がいないことも多く、スマホから来客対応が出来るようにしてある。

 画面には優木さんにたしなめられる宮下さん。いやそれだけじゃない。同好会の面々全員がそこに揃っていた。

 璃奈の様子を見て、心配して来てくれたんだ。

 

「みんな来てる。入れるよ」

「……」

 

 僕の腕を掴んだまま、璃奈は小さく頷いた。しかし、僕の背中を盾にして、隠れるようにして。

 

「いま開けるよ。入ってきて」

 

 エントランスにいるみんなにそう伝えて、開錠ボタンを押す。ほどなくして、玄関のインターホンも鳴った。

 入ってくるように言うと、おそるおそるといった感じで扉が開いた。

 

「お、お邪魔しまーす」

「璃奈ちゃーん」

 

 流石のみんなも重苦しい空気を察して、物色することも変に盛り上げるようなこともしない。

 

「ええと……」

「みんな来てくれてありがとう」

 

 視線を僕の背中にぶつけながら、璃奈はそう言った。

 

「どうしたの?」

「自分が恥ずかしくて……」

 

 今さら顔を隠す璃奈に疑問を持った宮下さんが一歩前に出る。すると、璃奈は僕の腕ごと一歩下がった。

 

「私は何も変わってなかった。昔から、楽しいのに『怒ってる?』って思われちゃったり、仲良くしたいのに誰とも仲良くなれなかった。今もクラスに友達はいないよ。全部私のせいなんだ。もちろん、それじゃだめだと思って、高校で変わろうとしたけど……最初はやっぱりだめで」

 

 抑揚はそのまま。しかし声も震えだして……それでも璃奈は続ける。

 

「でも、そんなときに、愛さんと会えた。スクールアイドルのすごさを知ることが出来た。もう一度、変わる努力をしてみようって思えた。歌でたくさんの人と繋がれるスクールアイドルなら、私は変われるかもって。でも、みんなはこんなことでって思うかもしれないけど、どうしても気になっちゃうんだ。自分の表情が……ずっとそれで失敗し続けてきたから。ああ、だめだ。誤解されるかもって思ったら、胸が痛くなって、きゅううって。こんなんじゃ、このままじゃ……」

 

 璃奈は顔を僕の背中に押し付けて、どんどん小さな声がくぐもる。

 

「私は、みんなと繋がることなんてできないよ。ごめんなさい。今もこうやって、お兄ちゃんに甘えて、隠れてる。そんなんじゃだめってわかってるのに……」

 

 ごめんなさい。消え入りそうな声で呟く璃奈は、僕の制服の裾を掴む。

 

 苦しんでることは、もちろんわかっていた。それも、宮下さんという友達もできて、同好会とも近くで接して、ある程度は緩和されたものだと思っていた。

 抱いている感情を伝えられない悩みを、知っていたはずなのに。知っていた、はずなのに。

 

 すっと、高咲さんが近づく。

 

「ありがとう。璃奈ちゃんの気持ち、教えてくれて」

「うん、愛さんもそう思うよ」

「私、璃奈ちゃんのライブ、見たいなあ」

 

 二人は璃奈に顔が見えるように回り込んだ。

 

「今はまだ出来ないことがあってもいいんじゃない?」

 

 はっと、璃奈は顔を上げた。信じられないようなことを聞いたような、欲しかった言葉を貰えたような、困惑と安堵が入り混じった表情で。

 

「そうですよね。璃奈さんには出来るところ、たくさんあるのに」

「そんなこと……」

「頑張り屋さんなところとか」

「諦めないところもね」

「機械に強いし」

「動物にも優しいですよね」

 

 否定しようとするのを許さないように、立て続けに畳みかける。

 璃奈が思ってるよりも、僕が思ってるよりも、見てくれている人がいる。認めてくれる人がいる。これでいいと言ってくれる人がいる。

 少し泣きそうになって、目を瞬かせる。

 

「みんな、どんどん言っちゃってずるいよ! ね、みーくん!」

「もう兄の面目丸つぶれ」

「よーし、愛さんも!」

 

 がばっと、宮下さんは璃奈を抱きとめる。

 

「ちょっと、はずかしい」

 

 そう言いつつも、抵抗しない璃奈の背中を押して、僕の腕から宮下さんへ送る。

 ぎゅうっと力を込める宮下さんの背中に、璃奈もまた両腕を回す。

 

「りな子。だめなところも武器に変えるのが、一人前のアイドルだよ」

「そうそう、できないことは、出来ることでカバーすればいいってね」

「一緒に考えてみようよ」

「まだ時間あるし」

 

 弱いところを見せても誰も離れない。たとえどれだけ卑下しても、相応しくないと嘆いても、誰も目を逸らさない。

 みんなが理解してる。みんながいる。隣にいてくれる。

 どうしようか逡巡した璃奈は、

 

「……ありがとう」

 

 受け入れて、今度は嬉しさを誤魔化すために俯いた。

 

「お兄ちゃん、ごめんなさい。いっぱい迷惑かけて」

「いいんだよ。璃奈は昔からわがまま言わない子だったから、いくら迷惑かけてもいいんだ」

 

 

 △

 

 

「よし、おっけー!」

 

 璃奈の衣装整えをしていた高咲さんが親指を立てて、合図する。

 それに合わせて、少し離れている僕はスタッフさんに伝令、あとは璃奈がステージ立つだけだ。

 こっそりステージ脇から観客席を見ると、予想よりも人が来ていた。学校の生徒だけじゃなく、サイリウムを持った一般客もいる。

 

「繋がることが出来ないなんて、そんなことないよ」

「何か言いました?」

 

 インカムを通じて、高咲さんに聞こえてしまったみたいだ。

 

「いいや、頑張ってって璃奈に伝えておいて」

「了解ですっ」

 

 カウントダウンをして、スタッフさんにスタートのサインを送った。

 

「にゃにゃーん!」

 

 スクリーンに、とあるキャラクターが が映し出される。

 モニターを模した顔に猫のような手。可愛らしい獣耳に、PCのコードに似た尻尾。

 これまで璃奈が使ってきた、代わりのキャラクター。 

 

「初めまして、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の、天王寺璃奈です。今日は、今の私に出来る精いっぱいのライブを見てもらいたいです。楽しんでくれると嬉しいな!」

 

 自己紹介が終わって、ステージにガスが噴射する。それと同時に、璃奈が壇上に立った。

 ガスが晴れるにつれ露わになる璃奈の姿に、観客が湧き上がり、歓声を上げる。その中には、あの璃奈の友達三人組もいた。

 

 初披露となるアイドルとしての姿。

 グレーを基調に蛍光色とピンクをアクセントとして加えた、シンプルめな衣装。小物として、小さな羽も背中に生やしている。

 しかし一番目を引くのは、ヘッドホンに取り付けた、顔を覆う白い電光ボード。

 

 技術的なことは分からないが、璃奈の感情に合わせてボードにドットの顔が表示されるというなんともハイテクな機械だ。

 本人や宮下さん、そして助けになりたいという同じ学科の人たちと協力して作り上げた至極の一品。

 名を『オートエモーションコンバート璃奈ちゃんボード』。隠すためじゃない。表現するための、天王寺璃奈を表に出すための顔だ。

 その顔で、たくさんの人と繋がろうとしている。

 

 大丈夫だよ、璃奈。一歩踏み出せば、きっと届くから。



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18 虹ヶ咲学園スクールアイドル:天王寺璃奈

「短い練習期間でどうなるかと思ったけど……」

「終わってみれば大盛況! だったね!」

 

 部室で、宮下さんと一緒に璃奈の動画を見ながら盛り上がる。

 学内でMVを撮ってた今までとは違って、外部の施設でステージをしたのは何気に璃奈が初。それだからこそできる照明や映像に釘付けになってしまうのも無理はない。

 

「これだけすごい演出……贔屓したっしょ?」

「正直めっちゃした」

「あー、ずるなんだー」

「しょうがないだろ。うちの妹が可愛すぎるのがいけない」

「それはそう。わかる。りなりーめっちゃかわいい」

 

 うんうんと二人で頷く。宮下さんなら分かってくれると思った。うちの妹は可愛い。世界一可愛い。

 璃奈のためなら、ジョイポリスのスタッフさんとのやりとりも、曲作成だって苦にならない。

 

「璃奈が妹なら、甘やかすのが兄の道ってものだ。僕は自分の使命に則って、璃奈を可愛がっているのだ!」

「よっ、お兄ちゃんの鑑!」

「は、恥ずかしい……」

 

 僕と宮下さんに挟まれている璃奈は、スケッチブックで顔を隠した。

 このスケッチブックは、あのライブ以降、彼女が感情を表したいときに使っている。いろんな表情が書いてあり、その時その時に合わせたものを見せる。いわば簡易的な『オートエモーションコンバート璃奈ちゃんボード』である。

 もっとも今は、顔を隠すために使っているが。

 

「や、やけに盛り上がってますね」

 

 僕ら二人のテンションについてこれない優木さんが、引き気味に呟く。

 

「だって可愛いだろ、璃奈は」

「は、はい。とても可愛らしいと思います」

「だったら問題はないだろ?」

「な、ないです」

 

 ずいずいと迫る僕に、優木さんは珍しく狼狽えた。横で見ている中須さんは呆れ気味に、ため息をこぼす。

 

「湊先輩って、兄バカなんですね」

「へへ、よせよ」

「褒めてないです」

 

 ……まあとにかく、可愛い可愛い璃奈のおかげで、虹ヶ咲スクールアイドル同好会のホームページにもいっぱい人が来てくれいる。

 外部のステージでやったというのが、かなり効いたようだ。

 

 虹ヶ咲内では、すでにスクールアイドルがいることは知られている。だけど、他の学校や一般の人には、まだまだ認知度は低い。

 ジョイポリスでのステージは、そういった人たちにも広く知ってもらって、新しいファン層を獲得できた。おかげでホームページのアクセスカウンターも回りに回っている。

 

「りなりーすごいじゃん! ほらほら、いっぱいコメント来てるよ!」

 

 投稿した動画にも、ホームページにも好意的なコメントがたくさん。

 璃奈ちゃんボードで顔を隠しているミステリアスさとキュートのアンマッチ感がツボに入っている人が多いようだ。

 

「……うれしい」

 

 そう呟く璃奈は、本当に嬉しそうに、顔を赤らめた。

 

 

 

 

 天王寺璃奈。

 恥ずかしがり屋で、小さくて、キュートな新スクールアイドル。

 情報処理学科らしくPCにはめっぽう強く、普段の動画編集のいくつかを担ってくれている。

 そして、僕の大事な妹。

 

「お兄ちゃん、楽しそう」

 

 夜ごはんも食べ終わって一息ついていると、隣に座る璃奈は嬉しそうに言った。

 相変わらず他の人から見たら無表情だけれど、手書きの璃奈ちゃんボードのおかげで、前よりも意思疎通は図れているようだ。その甲斐あって、同じ学年の友達も増えたという。

 

 変わったことはそれだけじゃない。

 体力も筋力もついてきたらしく、それに伴って食べる量も増えた。小さくて細いのは相変わらずだけど。

 それに、中須さんと桜坂さん、宮下さんたちに連れられて、外に出ることも多い。真っ白から色白程度には、肌に色がついてきた。

 

 璃奈が高校に上がったばかりのころはどうなるかと気を揉んでいたけれど、僕の予想以上に良い方向へ進んでいるみたいだ。

 

「楽しいよ。璃奈も入ってくれたことだし」

「迷惑じゃない?」

「まさか。僕にとっては、願ったり叶ったりだ」

 

 璃奈の友達が増えることも、璃奈にやりたいことができたのも、兄としては喜ばしいことだ。

 負担が増えたことは否定しないが、迷惑だなんて、ひとかけらも思ったことがない。

 

「よかった。お兄ちゃん、前まで元気がなかったから」

「僕のこと、なんで璃奈がそんなに心配するんだ?」

「なんでって……はぁ……」

 

 璃奈は心底呆れたように、大きなため息をついた。

 

「私が元気なくなったら、お兄ちゃんはどう思う?」

「心配する」

「そういうこと」

「そういうこと……なのか?」

「そうだよ」

 

 言い切られてしまった。

 確かに、身内が暗くなってたら気にはなるか。同好会が消滅した時は激動と消沈の日々だったせいで、上手く隠すことが出来なかった。

 璃奈にも、みんなにも心労はかけたくない。悩むなら、彼女たちのいないところで、だな。

 

「璃奈は何か不満とかないのか?」

「ない。みんな優しい。いっぱい仲良くしてくれる。喧嘩してたなんて、信じられない」

「……そうだな」

 

 今の同好会からは、激しく言い争いをしていた中須さんと優木さんの姿は想像つかないだろう。口を利かないどころか、姿も見せないくらいお互いギスギスして気まずかったなんて。

 だからこそ、あの時期はつらかった。同じ夢を見る彼女たちが、衝突してしまって崩れる様を見ると、どうしようもなく無力感に襲われる。

 今度は、今度こそはあんなことがないように努めなければ。部員も増えて、璃奈も入ってきたことだし。

 

 ふと、いつもと違う違和感を覚えて首をかしげる。

 普段は部屋でゲームをしたりしているのに、今日は珍しく、スマホ片手にリビングにいる。そういえば、帰ってきてからもずっと何かを見ているようだった。

 その様子に、僕は見覚えがあった。

 

「動画かホームページか……コメント見てるだろ」

「う」

 

 恥ずかしいことを言い当てられたように、璃奈は顔を逸らした。

 

「どうしてわかったの」

「みんな同じことしてるから」

 

 動画を上げた次の日、隙あらばスマホを眺める様は全員共通だ。

 アイドルに限らず、自分のやったことの反響を逐一見ておきたい気持ちは分かる。曲に対してお褒めの言葉が書いてあるときは、僕だって同じ顔になってるだろうから。

 

「歩夢さんもせつ菜さんも?」

「上原さんも優木さんも」

「愛さんもエマさんも?」

「宮下さんもエマさんも」

 

 璃奈は、信じられないといった顔をする。

 まあその四人については、『にこにこ』的なイメージはあれど、食い入るようにスマホを見てにやにやする姿は想像しづらいだろう。だけど実際、抑えきれずに頬が緩んでいる様子はまさに『にやにや』だった。

 言わずもがなの中須さんなんかは、授業中にも見ていたのがバレて怒られたなんて愚痴を言っていた。

 

「別に恥ずかしがることもないよ。ネット上で何かやってる人なら、みんな同じことしてるだろうから」

「お兄ちゃんに見られるのが恥ずかしい。せっかくスクールアイドルになって、かっこいい私を見せられたと思ったのに」

 

 可愛いことを言ってくれる。

 同じ家にいるんだから、気が緩んだり、かっこ悪いところだったりはお互いに見られて当然みたいなもの。出来るだけ見せたくないってのは、理解できるけど。

 

「かっこよかったよ、璃奈」

「本当?」

 

 僕が微笑んでるのを見て、璃奈はむう、と頬を膨らませつつ訊いてくる。

 

「かっこよくて、可愛かったよ。これ以上ないくらい」

「……お兄ちゃん、ずるい。愛さんの言ってたとおり」

「どんな会話してるんだ、いったい……」

「言えない。秘密」

 

 乙女の会話を暴こうとしたいわけじゃないけど、自分のことが話題に出ているならそれは別の話だ。

 僕のことだなんて、話のタネになるか?

 眉間に皺を寄せて考えているのが変なふうに映ったのか、璃奈は慌てて首を横に振った。 

 

「悪口とかじゃないから」

「心配してないよ、そんなこと」

 

 陰で悪口言う子たちじゃないことくらいわかってる。

 璃奈も他と変わらず、優しくて強い。今はまだ頼りないように見えるけど、いつかは一人で羽ばたけるくらいに成長するだろう。

 こうやって懐いてくれてるけど、いつかは離れていく。それも、遠くないうちに。

 寂しいけれど、たぶんそれは喜ばしいことで、覚悟しておかないといけないことだ。

 妹離れしないといけないなんて、本当は寂しいけれど。



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19 近江姉妹

「じゃーん、遥ちゃんでーす」

「今日はよろしくお願いします」

 

 校門前。近江さんが誇らしげに紹介したツインテールの少女が頭を下げた。

 えんじ色のブレザーに、同じ暖色系のスカート。東雲学院の制服だ。

 

「すごいすごーい! あの東雲学院で注目度ナンバーワンの近江遥ちゃんに会えるなんて。トキメいちゃうー!」

「いえ、そんな……」

 

 近江遥さん。

 都内にある東雲学院の一年生。下級生ながらも実力は高く、部員の多い同学の中でもセンターを張ることも少なくないくらい。

 僕らにとってはさらに、近江彼方の妹というのも注目点。

 その彼女がうちに見学に来たいと言ったらしく、僕らは歓迎した。

 

 朗らかな表情に、茶髪。第一印象の通り、明るい人物のようで、高咲さんの勢いに押されているところはあるが物怖じはしないみたいだ。

 

「侑ちゃん、他校のスクールアイドルもチェックしてるんだね」

「だって、あの東雲学院だよ。都内でも有名なスクールアイドル部に、期待の一年生現るって、ネットでも話題なんだから」

「そうなんだよ~。侑ちゃん、わかってる~」

 

 近江さんは自分のことのように嬉しがる。

 まあ僕も璃奈が褒められたらおんなじように喜ぶから、彼女の気持ちはよーくわかる。

 当の遥さんは恥ずかしげに、もう一度頭を下げて礼をした。

 

「急なお願いだったのに、ありがとうございます」

「いえ、お越しいただいて光栄です」

「可愛いうえに礼儀正しくて……天使!」

「でしょ~? なんかね、最近の彼方ちゃんがとーっても楽しそうだから、同好会に興味津々なんだって」

「うんうん、彼方さん、どんな練習も楽しそうだもんね」

 

 高咲さんと近江さんはずーっとテンションが高い。上原さんはおろおろしてるし、まともに対応できてるのは優木さんだけだ。

 と思ったら、遥さんまで目を輝かせているのに気が付いた。

 

「あ、あの、天王寺湊さんですよね?」

「は、はい」

「あのあの! 私、天王寺さんのファンです!」

 

 ふぁん。言われたことのない言葉に、僕の脳みそが少し止まった。

 

「近江さん。君の妹、いきなり扇風機発言しだしたけど」

「そっちのファンじゃないです!」

 

 即座に否定する遥さんはそう言って、興奮したまま遥さんは僕の手を握ってきた。

 

「えっと、あの、天王寺さんの作ってる曲とか演出とか、動画の作り方とか、東雲でも参考にさせてもらってます!」

「っ!」

「カメラカットとか、わざと正面から映さない見せ方とか!」

「あ、あの」

「曲も、一人ひとりに合ったメロディと歌詞で、いったいどんな人が作っているのか話題にもなってて!」

「こ、近江さん」

「日常動画も、みなさんの魅力が伝わるようなところを抜き出してるのが……」

「ちょ、ちょっとストップ!」

 

 怒涛の褒め殺しをなんとか制して、遥さんの勢いを止める。

 このまま止めなければ、延々と語っていきそうなのもあったけど……

 

「む~」

「ほら、お姉さんが睨んできてるから」

 

 姉のほうが、じーっと僕たちを見ていた。

 近江さんの妹への溺愛っぷりはよく聞いてるから、僕みたいな男に近寄らせたくないのだろう。

 

「わっ。ご、ごめんなさい。軽々しく手を握っちゃって……」

 

 はっと我に返った彼女がようやく手を離す。

 危ない危ない。もうちょっとで視線だけで殺されるところだった。

 

「遥ちゃんと湊くんの仲がいいのは良いことだけど……」

 

 むむむ、と眉間にしわを寄せる近江さん。そんな顔しても可愛いだけだが。

 気まずくなって、誰をも見ずに微妙に視線を逸らす。

 

「ええと、とにかく、歓迎するよ、妹さん」

「遥でいいですよ、湊さん」

 

 

 

「改めまして、ようこそ、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会へ!」

 

 お菓子に飲み物。常備してるものに加えて、今日のために用意したものも揃えた。

 種類は少ないが、量はまあまあある。十人以上いればすぐなくなるだろうけど。

 

「すごい……本格的!」

「喜んでいただけて嬉しいです」

「ほら、座って座って」

 

 二年生、三年生組が率先してもてなす。

 姉がいるとはいえ、遥さんにとってはここはアウェー。しかも一年生。気後れしてしまうのも無理はない。

 

「遥ちゃん、これ彼方ちゃんのイチオシ」

 

 近江さんは遥さんと一緒に居られていつもより嬉しそうに笑っている。うきうきと、中須さんが作ってくれたコッペパンを渡す。

 仲良きことは美しきかな。遥さんも遠慮なくつまんで、美味しそうに頬張っている。

 ステージ映像を見たことあるが、今の姿とあまり大差ない。その自然な姿が人気の一つでもあるのだろう。

 

「今日、見てみてどうだった?」

「あ、はい。お姉ちゃんもみなさんも楽しそうでした。それぞれの個性にあった練習もあって、素敵な同好会ですね」

「ほんと? 嬉しいな」

 

 仲睦まじくなのは高咲さんとも。お互いに刺激になってるようでなにより。

 今日は僕の出番ないな。などと思っていると、突然、近江さんが机に突っ伏した。

 

「お、お姉ちゃん?」

「大丈夫ですよ。枕はちゃんとありますから」

 

 狼狽する妹とは対照的に、桜坂さんは冷静に専用の枕を近江さんの頭の下に敷く。

 エマさんもいつもどおり、彼女の頭を撫でた

 

「この枕、彼方ちゃんのお気に入りなの。寝心地良いんだって」

「あ、あのお姉ちゃんはよく寝ちゃうんですか?」

「はい。私の知る限り、彼方さんは寝るのが大好きだと思いますよ」

「特に膝枕で寝るのが好きだよね」

 

 いつもどこかで寝ているのを起こしに行く桜坂さんと、お世話をしているエマさん。この二人が言うと説得力が違う。

 しかし遥さんは信じられないような目で口をあんぐりと開いた。

 

「膝枕……!?」

「そうそう、愛さんもしてあげたよ」

 

 後輩にまで、とさらに目を丸くした。

 

「お姉ちゃん、みなさんに膝枕をしてもらうほど、頻繁に寝ているんですね」

「そういわれると、最近いつにもましてよく寝ているような」

「確かに、練習しながら寝てた」

「この前も、全然起きないくらい熟睡してて……」

 

 次々に出る寝落ちトークに、妹はショックを受けているみたいだ。

 家事にバイトに特待生の勉強。家族からは、頼りになる姉に見えるだろう。実際そうだ。だから隙だらけの姿にギャップを感じてるんだろう。

 

 さて、話題は一転二転。

 他愛のない話から最近のスクールアイドル事情などなど、実のある話もそうでない話もたくさん。マシンガンのように話す女子高生に凄みを感じつつ、僕は黙っていることにした。

 

「そういえば、遥さんは湊さんのことよく知ってるの?」

「はい、お姉ちゃんからよく聞いてますし、それに湊さんってスクールアイドル界隈じゃ有名なんです」

「え」

「ほら、虹ヶ咲の曲、作曲は全部湊さんですし、普段投稿されてる動画も、概要欄のとこは湊さんの名前が書いてあるじゃないですか。だからどんな人なんだろうって噂でもちきりですよ」

 

 怖い怖い怖い。

 知らないところで僕の話されてんの? アイドルでも何でもないのに?

 

「あの優木せつ菜さんを有名にした名プロデューサーで、みなさんのMVを作ったすごい演出家で、動画編集も上手くて……」

 

 しかもすごい美化されてる……

 噂には尾ひれがつくものだけど……そんな大物なんかじゃないのに。

 

「そうなんだよ。湊さんは本当にすごくて……」

「おーい、高咲さん! おいおいおい! 高咲さん高咲さん! 集合集合!」

 

 流石に黙っていられなくなって、高咲さんを呼び出す。こっそりと顔を合わせて、余計なことを言わせないよう釘を刺しておかねば。

 

「あまり変なこと言わないでくれよ。これ以上おかしい噂が立ったら困るんだけど」

「でも、遥ちゃん、すごい期待の目で見てますよ。裏切っていいんですか?」

「裏切るも何も、噂は僕のせいじゃないんだが」

 

 クレジットされてる僕の名前を見た妄想魂たくましい視聴者が、あることないこと広めたに違いない。

 

「とにかく、言うなら過大評価せずに、ありのままを伝えて」

「了解です!」

 

 頷いて、高咲さんは遥さんに向き直る。

 よし、これで遥さんの口から、『天王寺湊は大した人物じゃなかった』と広まっていくだろう。女子高生のネットワークは恐ろしいくらいに早くて広いからね。

 

「湊さんはね、噂よりもっとすごい人だよ。作曲も衣装のイメージだって湊さんが大体決めるし、練習メニューもちゃんと全員分考えて組んでて……」

「た、た、た、高咲さん!? たか、高咲さん!?」

「わあ、やっぱり! うちの先輩方も、藤黄学園の人も、あれだけのことが出来る人は凄いって褒めてました!」

 

 やっぱり! じゃありませんけど!?

 

「朝香さん、誤解を解いて……」

「嫌よ。嘘はつけないもの」

 

 頼みの綱のクールレディにも断られる。なんで今日だけみんな敵になるんだ。

 

「……なんだかちょっと変だとは思ってたんだ。他の高校のスクールアイドルから作曲依頼や相談メールが頻繁に来るし、果てには『うちのマネージャーになってくれませんか』なんてのも……」

「ちょっと変ってレベルじゃないわよ」

「それで気づかないのはちょっと……」

 

 呆れた様子でみんなが見てくる。

 

「でも、名前が売れるのはいいことじゃないの?」

「作曲家としてならね。でも、遥さんの話を聞くと、どうもそうじゃないというか……」

 

 一言で言うと、持ち上げ過ぎなのだ。

 作曲はともかくとして、他のことは僕一人でやっているわけじゃない。

 歌詞や衣装も小物も、みんなや他同好会の人たちと綿密に打ち合わせして生まれたものだし、練習メニューも体育系の部活に教えてもらったものばかりだ。

 それを、まるで『一人で引き受けてやっている』みたいな言い方をされると、手助けしてくれている人たちに申し訳ない。

 僕のやっていること自体は、全体から見ればほんの少しなのに。

 

「あれ?」

 

 騒がしくしすぎたか、ぐっすりだった近江さんが頭を上げて、寝ぼけた目であたりを見回す。

 

「目、覚めた?」

 

 状況を理解して、みるみる間に顔を赤くして枕に顔を埋める近江さん。

 

「は、あ、くううう、遥ちゃんにお姉ちゃんの恥ずかしいところ見られてしまった~!」

「恥ずかしくなんてないよ、お姉ちゃん。疲れて当然だよ。いっぱい無理してるんだから」

「無理してるって何を?」

 

 きょとんとして、近江さんは顔を傾げた。

 

「やっぱり……」

「遥ちゃん?」

「お姉ちゃん、同好会が再開してからあんまり寝てないでしょ?」

「うん、つい楽しくて」

「私、お姉ちゃんが忙しすぎて倒れちゃうんじゃないかって心配で、それで今日見学に来たの」

 

 こればっかりは、僕たちも目を丸くした。

 妹が心配するほどなんて、相当無理してるように見えるに違いない。

 

「でも、今日のお姉ちゃんは疲れなんて感じさせないくらい元気で、すごくうれしかった。いつも私を優先してくれたお姉ちゃんが、やっとやりたいことに出会えたんだって」

 

 遥さんは眉に力を込めて、意を決して口を開いた。

 

「今のお姉ちゃんには、同好会がとても大事な場所だって、よくわかったの。だから私決めたよ」

「? なにを?」

「私、スクールアイドル辞める」

「えええええええ!?」

 

 高咲さんと近江さんが叫ぶ。他も声には出さねど、衝撃発言に唖然とするしかできなかった。

 一番に喋ることができたのは高咲さんだった。

 

「どうして!?」

「このままじゃ、お姉ちゃんが体壊しちゃうから」

「彼方ちゃんが寝ちゃったせいで、遥ちゃんのこと心配させちゃったの? 大丈夫だよ~」

「全然大丈夫じゃないよ!」

 

 安心させようといつもの口調で接する近江さんだが、遥さんは納得せずに声を荒げた。

 

「お姉ちゃんはお母さんが忙しいからって、おうちのこと全部して、家計を助けたいからって、アルバイト掛け持ちして、奨学金貰ってるからって勉強も頑張って、そのうえスクールアイドルもなんて、誰だって倒れちゃうよ!」

 

 一息に吐き出して、肩で息をして首を横に振る。

 

「もういいの。わたしのことより、お姉ちゃんにはやりたい事を全力でやってほしいの」

「遥ちゃん……」

 

 家庭のことも混じって、迂闊に言葉を挟めない。

 近江さんの気持ちもわかるし、遥さんの言うこともわかる。

 楽しく、健康的に、年相応に過ごしてほしい。近江さんは大人っぽくても、大人とは違う。無理はしてほしくない。何かあってからでは遅いのだ。

 自分のせいで何かを犠牲にさせてると感じてるなら、なおさら。

 

「あの、そのために遥さんはスクールアイドルを辞めるんですか?」

「はい」

 

 桜坂さんの質問に、即答する遥さんの目は真剣なものだった。

 

「だ、だめ! そんな、遥ちゃんは夢を諦めちゃだめ!」

「お姉ちゃんが苦労してるのわかってて、夢を追いかけるなんてできないよ!」

「そんなの、気にしなくていいんだよ。だって、遥ちゃんは大事な妹なんだもん」

「どうして。妹だったら、気にしちゃいけないの?」

 

 遥さんの手に力がこもる。近江さんは混乱して、ますます()()()()優しく柔らかく話しかける。

 

「心配させちゃってごめんね。彼方ちゃんもっと頑張るから」

 

 それが気に食わなくて、遥さんはキッと睨んだ。

 

「お姉ちゃんのわからず屋!」

 

 弾かれるようにして、彼女は部室から飛び出していった。



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20 お姉ちゃんはこんなにも強い

 昼休み。

 食堂の奥の席に腰かけた僕は、呼び出してきた張本人──近江さんを目の前にして黙々と弁当を食べる。

 彼女も弁当を机に広げて、ちまちまとおかずを口に運んだ。

 

「昨日の夜ね、遥ちゃんと話そうとしたの」

 

 不満げな顔を隠しもせず、近江さんは言葉を続けた。

 

「遥ちゃん、せっかくスクールアイドルになったのに心配かけちゃって。彼方ちゃんはやりたいことやってるんだから、心配しなくていいのに」

 

 ついには、はあ、とため息をついた。

 

「ね、湊くんが説得してくれない? 心配する必要ないよーって。遥ちゃん、湊くんに憧れてるみたいだから、言ってくれたら納得してくれると思うんだ」

「無理」

「えぇ~。なんでなんで?」

 

 僕は箸を置いた。

 憧れてる云々はこの際ツッコむのを置いといておく。

 

「近江さんは、遥さんのこと心配しなかった時なんてないだろ」

「それはもちろん」

「僕も大事な妹がいるからわかるよ。で、僕ら上の兄姉は言うわけだ、『心配いらないよ』って。妹のためにすることは苦になんかならないし、ちょっと無理してたとしてもそんなところを見せたくない」

「うんうん」

「でもね、近江さんが遥さんを心配するように、遥さんも近江さんを心配してる。遥さんはずっと、君が元気でいられることを祈ってる。やりたいことをやってほしいと願ってる。これはどんだけ言ってもやめてくれない。遥さんがどんなことをしても、君が何も思わないなら話は変わってくるけど」

「ど、どんなことをしても……」

 

 何を想像したのか、近江さんが首をぶんぶんと横に振る。

 僕だって無理。璃奈に危険なことはさせられない。そして同じようなことを、妹も思ってるんだろう。

 高校に上がるとそういう自覚も芽生えてくるころで、今の近江姉妹がやってるような言い合いをした覚えがある。

 

「だったら交渉は無理。押しつけるような言い方になれば喧嘩になるし、お互いしこりが残るような結果は嫌なんだろ」

「うぅ、だったらいっそ、彼方ちゃんがスクールアイドルを辞めれば……」

 

 僕は頭を振った。

 そんなことをすれば、遥さんはきっともっと怒る。同好会のみんなも。

 やりたい気持ちを否定するなら、僕たちは全力でそれを阻む。こんな状態で、近江さんを辞めさせる選択肢は存在しない。

 

「スクールアイドル、続けたいんだろ?」

「……うん。みんなと一緒に活動できるの楽しくて、やりたいこともいっぱいあって、幸せで……」

「やりたいなら、それを否定させることはさせないよ。じゃなきゃ、優木さんだって、いやみんな辞めちゃうことになる」

 

 僕の言ってることをよく理解してるようで、近江さんはわしゃわしゃと髪を掻きだした。

 

「もー! どうしたらいいのー!」

 

 一通り取り乱した後、彼女は机に突っ伏した。スライムのようにべったりと張り付くようにして、力なくうなだれている。

 

「遥ちゃんとすれ違って、悲しくなった彼方ちゃんは、湊くんに全てを託すのでした……」

「こらこら」

「だぁってぇ、あれもだめこれもだめで、私にはもう何も思いつかないんだもん」

 

 悩みに悩んだのだろう。それでも答えは出なかった。だからこうやって僕に打ち明けてきた。

 ふむ、と脳を巡らせる。

 家庭の話も入ってきて、勝手なことは言えない。それぞれ抱える事情はあり、解決法は千差万別だ。

 なんにしても、まずは話し合いの場を設けなければ先へは進めない。しかしそれもさせてもらえないとなると……

 

「言っても聞かないなら、スクールアイドルらしく歌で届けよう」

 

 お互いスクールアイドルなら、これしかない。

 言葉でダメなら態度と行動で。いつだって信頼を得るにはこれが一番のやり方だ。

 言いたいことは歌で、伝えたいことは踊りで、表現する方法ならいくらでもある。

 

「頑張ってる。無理もちょっとする。だけどお姉ちゃんはこんなにも強いぞ、って思い知らせてやろう。全部解消ってわけにはいかないだろうけど、和らげるくらいは出来るはずだよ」

「……出来るかなあ」

「やるしかない。ここからは意地の張り合いだよ」

 

 あっちが意地ならこっちも意地。

 姉としての意地と強さを見せつけるんだ。思ってるよりももっと頼りになる存在であると、対抗心剥き出しで示してやろうじゃないか。

 

 

 

 

 ヴィーナスフォート教会広場では、たくさんの人が集まっていた。

 何を隠そう今日ここで、今から東雲学院のスクールアイドルがライブを行うからだ。

 スクールアイドル激戦区の中でもトップクラスの東雲の人気は凄まじく、老若男女問わずごった返しだ。

 

「わ、来てくださってありがとうございます」

 

 僕と高咲さん、優木さんが挨拶しにステージ脇まで来たところ、ちょうどよく遥さんがやってきた。

 ステージ直前だというのに過度な緊張が感じられないところを見ると、やはり実力の高さがうかがえる。

 

「あの、お姉ちゃんは一緒じゃないんですか? 今日はどうしても見てほしいんです。だって……」

「遥ちゃん、彼方さんが待ってるよ、来て!」

 

 問答無用。高咲さんが手を引っ張る。飛び出して、ステージの下へ。つまり観客の側へ。

 

「あの、なんなんですか?」

 

 無言でステージを指差した。その瞬間、ぱっと照明が光りだす。

 遥さんは目を丸くした。だって、そこにいたのは近江さん。東雲のステージで出るはずのない、近江彼方だからだ。

 

 妖精のような、踊り子風の衣装。お姫様のようなティアラも頭に乗っけて、それまでのイメージとはマッチしながらも全く違う印象を混ぜている。

 醸し出す雰囲気もゆったりしながら、きゅっと引き締まった二つを見事に放っている。

 

 遥さんも、観客もまだ困惑する中、音楽が鳴り始めた。そして近江さんが踊り始める。

 

 これは近江彼方のファーストライブ。同時に、妹に向けた宣戦布告でもある。

 

 たった一人しかいない、味方のいないステージ。

 ともすれば誰も近江さんのことを知らないかもしれない。東雲学院のステージを期待していたのに、あれは誰だと不満を感じてる者もいるかもしれない。

 それでも、そんな中で逃げ出すことなんてせずに立ち向かう近江さんその姿に、弱さを感じる人なんていない。

 美しく舞い、艶やかに歌う近江さんに、やがて誰もが吐息を漏らし、目を奪われる。

 遥さんも同じで、一人のファンのように目を輝かせて、見入っている。

 

 強くて、強くて、強い。だから信じて。

 遥さんに届くように、近江さんは自分の思いを羽ばたかせる。

 

 気づけば、あっという間に近江さんのライブは終わった。

 最初は静かだった観客も、ぱちぱちと拍手しだし、ついには万雷と呼べるほどに称え始める。

 僕も、息するのを忘れてたのに気が付いて、遅れて手を叩いた。

 

 いてもたってもいられなくて、遥さんは壇上へと駆けていった。

 

「お姉ちゃん! 素敵なライブだった!」

 

 近江さんは、目じりに涙を浮かべる妹をよしよしと撫でる。

 

「ごめんね、遥ちゃんのことわかってなくて。遥ちゃん、彼方ちゃんのこと、とっても大事に思ってくれていたんだね。ありがとう」

 

 すれ違いのあった二人だが、ようやく目線を合わせられた。一方的な甘える、甘えられるだけの関係じゃなく、対等な姉妹として。

 

「あのね、二人とも同じ思いなら、お互いを支え合っていけると思うの」

「支え合って……」

「これからはうちのこと、いっぱい手伝ってね。お互い助け合って、スクールアイドル続けて行こう。二人で夢をかなえようよ」

「お姉ちゃんはそれでいいの? アルバイトしながらスクールアイドルって、やっぱり大変だよ?」

「平気平気。だって遥ちゃんがスクールアイドルをするのも、彼方ちゃんの夢なんだもん」

「お姉ちゃん……」

 

 まだ何か言いたげな遥さんだったが、近江さんは余裕のある笑みで返した。

 

「あれえ? 遥ちゃんは、彼方ちゃんはこんな素敵なライブをしたのに、今日で辞めるなんて悔しいって思わないの?」

「それは、思う」

「スクールアイドルではお互いライバルだよ。お互い頑張ろ」

「……うん!」

 

 姉妹の仲直りを見せつけられて、胸が熱くなる。見るのに夢中になっていて、高咲さんが隣でにっこり笑っているのにようやく気が付いた。

 

「ふふ、安心しきった顔ですね」

「大見得切ったのに失敗したらどうしようかと」

「心配だったんですか?」

「いいやまったく。近江さんならやってくれると思ってた」

 

 あんなに見事にやりきってくれたのは想定外だったけど。

 

「続ける決心をしたようですね」

 

 余韻に浸ってる間に後ろから声をかけてきたのは、クリスティーナさん。東雲学院のスクールアイドルだ。さらにその後方には、同学院代表の支倉かさねさんもいる。

 

「急なお願いだったのに、ステージを貸してくださり、ありがとうございます」

「あと、遥さんに黙っていてくれたのも」

 

 優木さんに続いて、僕も礼をする。

 このステージ、近江さんが踊れたのは、もちろん東雲学院が協力してくれたからだ。

 頼み込んで頼み込んで、いざとなれば土下座もするつもりだったけど、彼女たちは二つ返事で了承。しかもオープニングを任せてくれた。

 遥さんが辞めそうだという話は、あっちでも問題になってたらしい。そりゃそうか。

 

「おかげでメンバーの危機が救われたよ。それに、とっても素敵なライブで、やる気貰っちゃった!」

「本当にありがとうございました。僕に出来ることでしたら、なんでもご協力いたしますので」

「あら、その言葉、本気で受け取りますよ?」

「あの天王寺湊さんに『なんでも』……してほしいことがありすぎて、困っちゃうね」

「お、お手柔らかに」

 

 ああそうだった。変な噂が蔓延してるんだった。

 しかしここまでしてくれた彼女たちには、本当に返しきれない恩が出来た。無茶ぶりされても断れないなあ。

 なんて思いながら……とにかく今は、壇上で近江姉妹が抱き合う姿を、目に焼きつけておくとしよう。



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21 虹ヶ咲学園スクールアイドル:近江彼方

「む、むむ、この彼方ちゃんの舌を唸らせるとは……」

 

 東雲のステージで彼女が踊った、あの一件の一週間後である。

 近江さんが、昼食を一緒にとろうと連絡を取ってきたので、お弁当を並べてぱくつき合う。

 食堂は嫌がったので、部室で食べることにした。みんなでわいわいするのが嫌いなわけじゃないのに、そこは不思議に思うけど。

 

 僕のお弁当に興味を持ったらしく、なぜか今はそれぞれが作ったおかずを交換して、感想戦を行っている。

 

「普通の家庭料理だよ。レシピも本とかネットからで、材料も凝ったものじゃないし」

「でも、好みにアレンジしてるんでしょ?」

 

 なんでわかるんだ、と僕は目を丸くした。

 

「わかるよぉ。璃奈ちゃんのために、健康も考えてるみたいだしねぇ」

 

 にやにやとして、彼女は僕の箱から卵焼きを取る。

 

 レシピはあくまでレシピで、舌は千差万別。

 企業が出している公式レシピなども存在するが、自社品を使わせたくて多めの量を書いてあるとこもある。

 色々と計算して不健康にならないように、と気を付けているが、見ただけでそれが分かるのは料理を専攻しているからか、それとも近江さんだからか。

 なんにしろ、家族に合わせただけのものを、これだけ手放しで褒められるのは素直に嬉しい。

 璃奈も美味しい美味しいと食べてくれるが、身内以外の評価はまた別だ。

 

「放っておいたら、野菜食べないからな、璃奈は」

「うんうん。どうしても味の濃いものとか、わかりやすいもの食べたくなるよねえ」

「運動し始めたから、余計に気を遣うよ。塩分控えめだったけど、今じゃそのままだと足りないだろうし」

 

 塩は多くても駄目、少なくても駄目だ。絶食する人だって、水と塩だけは毎日摂取する。これからさらに暑くなってくるから、どんどん塩が抜けてくるようになるしね。

 あとは単純に、運動量に合わせて肉を多くしたりしている。作りすぎたかな、と思う時でも璃奈はぺろっと平らげてしまうから、練習は見た目よりハードなのかもしれない。

 

「それよりも、君のは凄いね。彩りも綺麗だし、なにより美味い」

「お褒めにあずかり光栄です。やっぱりフードデザイン専攻としては、そういうのも気にしちゃうんだよねえ」

 

 味と健康バランスを第一に気にする僕が作る弁当は、色のバリエーションが少ない。冷えることを考えると、念入りに焼いたり、痛みにくい食材を使ったり、どうしても種類が限られてしまう。

 綺麗じゃないご飯は、璃奈にとってちょっと恥ずかしいかもしれない。最近友達が増えてきたみたいだし、そういうのも考えなくちゃなあ。

 

「まあまあ難しい顔しないで。はい、あ~ん」

「こ、近江さん」

「あ~ん」

 

 ぐいぐいと、箸で掴んだだし巻きを押しつけてくる。

 こういうのは、そういう男女がやるものじゃないのか。しかし近江さんは気にせず、むしろ圧のある笑みで迫ってくる。机を挟んでいるのに、乗り越えてこようとせんばかりだ。

 ええい、こういうのは一発芸と同じで、あっさりやってしまったほうがいい。

 彼女の箸に口をつけないように細心の注意を払いつつ、いただいてしまう。

 

「んふふ、いい子いい子」

 

 周りに誰かいるわけじゃないが、それが余計に恥ずかしい。

 本当はめちゃめちゃ美味いはずのそれも、あんまり味が感じられなかった。

 たぶん甘かった、と思う。

 

 

 

 近江彼方。

 虹ヶ咲三年、ライフデザイン学科の女子で、スクールアイドル同好会所属。

 その彼女の特徴を一言で言えば……

 

「よく寝る」

「ん~?」

 

 昼食も終わり、良い機会だし、後回しにしていたホームページ用の文章を考える。

 近江さんは僕の隣に座って、うとうとしながら生返事をした。

 最初は画面を覗き込んで面白そうに見ていたが、結局は丸投げしてきた。

 

「『よく寝る』が一番に出てくる特徴って、どうなんだ?」

「いいんじゃないかなあ。よく寝ればよく育つ。彼方ちゃんは少年少女の育成を応援してまーす」

「適当言ってるだろ」

「えへ、ばれちゃった」

「まあおかげでギャップ狙えたのはいいけど……」

 

 セクシー系の衣装で、動きのあるダンス。近江さんを見てパッと思いつくイメージとはかなり離れた曲を、彼女は完璧にやり通した。

 今思えば、あれは完全に遥さんに向けた曲だったなあ。観客も満足してたようだから、大成功で良かったけど。

 

「んふふ、彼方ちゃんもやるときはやるんだぜ~」

「知ってるよ、近江さんが頑張り屋ってことは。妹に良いところ見せたいっていう意地っ張りお姉ちゃんってこともね」

「む」

「じゃなきゃ、完成してたのはあの曲じゃなかった」

 

 知れば知るほど、ゆったりとした外見とは裏腹に、努力家で負けず嫌いであることが見えてくる。

 特待生で頭も良く、バイトはきびきびとこなし、家族のご飯を作るために早起き。まだ体は固いけど、最初に比べたらだいぶ進歩した。

 いろんな面がある近江さんは、見ていて飽きない。もっと見ていたいと思うほどに、魅力に溢れている。

 君がそういう人だから、『Butterfly』は出来上がったんだ。

 

「近江さんが近江さんでいてくれるのが一番ってのは間違ってなかったよ」

 

 個人的にはけっこう挑戦的な曲だったから、それが出来たことも、彼女が表現しきってくれたこともすごく嬉しい。

 そのため練習はかなりきつめにしたから、ここ一週間のだらけ具合も多めに見てやろうという気持ちになる。

 

「……湊くんって」

「ん?」

「みんなが言ってたとおり、人たらしだねぇ」

「人たらしって、え、みんな言ってるの?」

「おやおや、自覚がないのも問題だ。そ~んなこと言ってくるくせに」

 

 そんなこと言われる筋合いはない。僕はあくまで思い浮かんだことを言ってるだけだ。

 デリカシーがないとか、もうちょっと考えて話してくれとか、そう言われても仕方ないとは思う。けど人たらしではない。決して。

 人たらしはあれだ、高咲さんのほうにこそ相応しい称号だ。

 

「自覚なしの問題なしは君もだろう。家族のために特待生であろうとして、家事もバイトもこなして、そのうえスクールアイドルもだなんて」

「その話は済んだのに……今は遥ちゃんだって手伝ってくれるから、彼方ちゃん元気元気だよ」

「知らないうちにキャパシティを越えて、ふらっと倒れそうなのが心配なんだ。唆した僕が言えたことじゃないけどね」

「そーそー。湊くんは彼方ちゃんを本気にさせた責任を取らなきゃいけないのだー」

 

 彼女は語尾と同じようにしなやかな伸びをすると、身体をこちらに倒してくる。

 

「あいた」

 

 すんでのところで避けると、彼女の身体はソファに沈んだ。

 

「膝枕してよぉ」

「しません。男の膝枕なんて何が楽しいのか」

「いいじゃんいいじゃん。減るもんじゃなし~」

「減る」

「けち」

「ケチで結構」

「むむむ」

 

 可愛く睨まれても駄目なものは駄目だ。

 エマさんも近江さんも、どうして膝枕がどうのこうの言ってくるのか。

 二人とももうちょっと、自分が可愛い女の子である自覚を持ったほうがいい。例えば僕の理性が外れて、襲ってしまう危険だってあるのだ。

 そんな度胸もないけど、万が一がないなんて言えない。

 

「食べた後すぐに寝たら、牛になるぞ」

「彼方ちゃんが牛になってもサポートしてくれる?」

「牛になった程度じゃ、やめないよ」

「じゃあ問題ないねぇ」

 

 寝ころんだまま、近くにある枕をもぞもぞしながら取る。それを頭に敷くと、満足げに目を閉じた。

 

「そうやって無防備なのも問題だと思うが」

「えー、湊くんのえっち」

 

 んふふ、と彼女は唇の端をつり上げた。

 男の前で寝ようとするほうが悪いと思うんですが。

 

 三年生組は、たびたびこうやってからかっては面白がってる節がある。時折似たような圧を醸し出すこともある。

 なんとか抵抗しようと試みても、それぞれ違ったベクトルで僕より上手だから、話してると勝てないと思わされる。みんな大人っぽいから余計に。

 おもちゃにされるだけなら、僕がなにかと我慢すればいいだけだから、諦め半分といったところ。

 

 もう一度PCに目を向ける。彼女の紹介文を考えながら、カタカタとキーボードを打ち込む。

 

「ところで、ちょぉっと小耳に挟んだことなんだけど」

 

 僕は手を止めて、近江さんを見る。

 

「遥ちゃんと連絡やり取りしてるって、ほんと?」

 

 仰向けで見上げてくる彼女は、なんとなく不満げに見えた。

 

「情報交換してるよ、他の東雲のスクールアイドルとも。せっかく知り合えたんだからってね」

 

 東雲は実力も人気もある学校だ。知り合ったんだから、繋がりは持っておいて損はない。

 それに、あのままさよならでは、僕の気が済まない。受けた借りはちゃんと返さないと。

 今のところ、何でもするとは言ったが、それに対する返事はまだ帰ってきていない。

 支倉さん情報によると、『天王寺湊にやらせたいことリスト』を作って、投票で決めようということになったらしい。話がどんどん大きくなってる気がする。

 

「浮気」

「心外。別に、東雲のサポートするってわけじゃないんだから」

「そういう意味じゃなくって……そういう意味でもあるけどぉ」

 

 口を尖らせる彼女を無視して、僕はまたキーボードを叩いた。



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22 ようこそ 天王寺家へ

「最近は?」

「妹が、前より笑うようになった」

 

 いつも顔を合わせる女性に返す。

 

「その割には、嬉しくなさそうね」

「そんなこと。璃奈が笑えるようになるのが、僕の願いだから。ただ……」

「ただ?」

「……」

「話してみて。ここで話したことは絶対に漏れないわ。それは分かってるはず。ゆっくりでいいから、思ってることを言ってみて」

「……僕じゃなかった」

 

 本当は、こんな弱音を吐くつもりじゃなかった。でも彼女に会うということは、僕が弱っている証拠だ。

 最近は特に頻度が多い。こんな状態じゃ、いつ誰に見られるかわかったもんじゃない。

 落ち着くためにも、ほんの少しだけ心の内に向き合うことは……必要なのかも。

 

「璃奈の表情が分かるのも、璃奈に必要な言葉をかけられるのも僕だけじゃなかった」

「それで、あなたはどう思ったの?」

 

 その問いには、答えられなかった。

 

「……つらいのね」

「そんなこと、思う資格なんて僕にはない」

 

 僕は俯いて、言葉を続けた。

 

「少しだけ背中を預けて、次の瞬間には何事もなかったかのように心残りもなく離れる。僕はそんな、その時たまたまあった壁にしか過ぎない」

 

 

 

 

「お邪魔してま~す」

「こ、こんにちは」

「いらっしゃい」

 

 用事があった僕が帰ってくると、すでに近江姉妹が我が家にやってきていた。

 

 今日は、この間のお弁当交換の際に言っていた料理会の日。

 お互い共に料理をしながら、気にしてることを言い合って、レベルアップを図ろうという集まりだ。

 近江さんが言いだして、社交辞令だと思ってたけど、とんとん拍子に話が進んだ。せっかくだから、遥さんも呼んで一緒に食べようという話になったのだ。

 その遥さんは、リビングの椅子に縮こまるように固まって座っている。

 

「遥さん、やけに緊張してるみたいだけど」

「彼方ちゃんのライブ見て以来、湊くんへの憧れがますます強くなったみたいで」

「なんで君のライブで、僕に憧れることに……」

「音楽とか映像とか演出とか、湊くんがやってくれたんだよ~って言ったからかな」

 

 まるで僕が全部やったかのような言い方。

 高咲さんもそうだったけど……一度、僕がやってることを羅列して、誤解を解いてやらねばいけんかもしれん。

 

「遥ちゃん、あの時以来だね。会いたかった」

「私もです。今日はお招きいただき、ありがとうございます」

「敬語いらないよ。同い年でしょ?」

「う、うん」

 

 璃奈が遥さんと距離を詰める。

 友達が増えてから、同年代に対しても積極的に話しかけるようになっていた。宮下さんの影響によるところが多いだろう。良い傾向だ。

 

「妹たちの心配はいらないみたいだ」

「うんうん。じゃあ彼方ちゃんも堪能しよ~っと」

「堪能て」

「この前は事情が事情なだけに、じっくりいられなかったから」

 

 そういえば、この間みんなで押し寄せてきてたな。

 じっくり家でくつろいでもらったのは、他には高咲さんと上原さん、宮下さんだけだ。

 

「湊くんの部屋見てみたいな~」

「……ちょっとだけだぞ」

 

 確か、見られて困るようなものはないはずだ。少なくともすぐ手に取れる場所には。

 やましいことはないですよ、と証明するために彼女を部屋に案内する。

 

「お~」

 

 PCと本、机とベッドがあるだけで、目を見張るものはない。なのに興味深げにきょろきょろと見回している。

 

「男の人の部屋って、もっと汚いかと思ってたのに」

「勉強かパソコン触ってるかくらいしかしないから」

 

 と話している間に、近江さんはおもむろに床に膝をついて、ベッドの下を覗きはじめた。

 

「うむむむ、何もない」

「何を探してるんだ」

「そりゃあ、健全な男子高校生には一つや二つくらい……ねえ?」

 

 ねえって言われても、君が見たいような面白いものはないよ。

 まあ、あっさり部屋へ案内したあたりからそのことは分かっていたようで、別に気にしてる様子はない。

 

「璃奈の部屋ならゲームあるよ。そっち行く?」

「ん~、それは後」

 

 捜索は諦め、近江さんはベッドにぽすっと腰を下ろした。

 なんだか、自分の寝てるとこに女の子が座っていると背徳感が湧き上がってくる。いやいやそんなことを思っていては失礼だ。

 

「ありがとう、湊くん」

 

 急にしっとりとした雰囲気で、彼女は礼を言ってくる。

 いつもより真剣で、真面目な目つきだった。

 

「それは何についての礼?」

「全部だよ、全部。スクールアイドル同好会を守ってくれたのも、みんなを戻してくれたのも、曲を作ってくれるのも、お悩み解決してくれたのも」

 

 元に戻って、問題が片付くまで、ずっと不安に思って胸が張り裂けそうな気持ちだったことは知っている。

 でなければ、連絡を無視するなんて彼女がするわけがない。そのつらさは、傷が癒えた後もずっと残ってる。経験として残ってる。

 そんな苦い記憶があるはずなのに、まだ僕を信じてくれる。

 感心するほどに殊勝。応えなくちゃな、って感じさせるほどに。

 

 

 

 

「これが、私が四歳の時」

「か、かわいい……こっちが湊さん?」

「そう。お兄ちゃん六歳」

「こっちもかわいい~」

「なにしてんの」

 

 なんて聞かなくてもわかる。璃奈が開いているのは、家族のアルバムだ。

 最近になるほど写真が残ってなくて、小っちゃい時のばっかりだけど。

 

「懐かしいもの出してきたな」

「わ、ほんとだ。璃奈ちゃんかわいい~」

 

 後ろからひょっこり顔を出した近江さんも覗き込む。

 わかる。璃奈かわいい。世界一。

 

「うちのも持ってきたらよかったねえ。遥ちゃんの可愛さを存分に教えてあげられたのに」

「お、お姉ちゃん!」

「今度見せて。興味ある」

「湊さんまで!」

「照れる遥ちゃんも最高だよ~」

 

 うりうりと妹に頬ずりする姉。

 この二人の小さいころ……なんとなく想像つくけど、実際に見るとそれ以上なんだろうな。

 

「ね、妹を称える歌でも作らない?」

「いいね」

「よくない」

「やめてくださいっ」

 

 姉である近江さんなら、ものすごーく感情込めて歌ってくれるだろうからちょうどいいと思ったのに、妹二人に猛烈に否定されてしまった。

 本気百%なんだが。

 

 さて、今日の本題である。

 

「よぉーし、璃奈ちゃんと遥ちゃんのため、腕によりをかけるぞー!」

「おー」

「わあ!」

「楽しみ」

 

 キッチンに食材を並べて、上の二人で拳を挙げる。

 近江さんが着けているエプロンは、本当は璃奈用だけど、全然使わないからほぼ新品だ。ちょっと小さいけど、今回限りだし我慢してもらおう。

 

 事前に揃えておいた食材を並べて、それぞれ使うぶんを手に取る。

 二人で下ごしらえをしても余裕あるほどキッチンが広くて助かった。

 

 ちらりと隣を見る。

 さすがに包丁さばきも速い。他人の家の台所なのに手際もいい。

 それよりもちょっと意外だったのは、イメージしていた作り方とは違うところだった。

 焼き色を細かく見ているわけじゃないし、調味料も目分量。適当というわけじゃない。これが家庭における近江彼方の料理の仕方なのだろう。

 当然といえば当然だが、ある程度入れるべき量が分かっていれば、いちいち計るよりこっちのほうが時間短縮になる。

 

「ボウルボウル……」

「そこの棚」

「あ、あった」

 

 頭上の棚から、目当ての物を取り出す。肩が触れそうなほど近づかれて、僕は慌てて目と体を逸らした。火にかけたばかりの鍋を不自然なほど注視する。

 

「料理」

「ん?」

「どうして料理専攻に?」

 

 近江さんの所属はライフデザイン学科フードデザイン専攻。実技だけでなく、もちろん栄養学などの理論にも基づいたちゃんとした勉学を行っている学科だ。

 最初、それを聞いた時には驚いた。なんというか……てきぱきこなしている印象が、見た目では無かったからだ。しかし、知れば知るほど、納得せざるを得なかった。緩い印象はまだだいぶ残っているが。

 

「うちはね、お母さんもお父さんもお仕事で忙しいから、彼方ちゃんがご飯を作るようになったんだ。で、お料理してるうちに好きになって、今に至るってわけ。半分は、遥ちゃんにいいものを食べさせてあげたいってのもあるけど」

「姉バカだな」

「兄バカな湊くんと一緒だねぇ」

 

 確かに、きっかけは似ている。妹に対する愛情も。さすがに極めようなんて思わなかったけど。

 

「将来は料理の道に?」

「ん~、そういうお仕事ができたらいいなって思うけど、まだわかんないなぁ」

「お店出すとかも?」

「憧れではあるけど、今は保留かな」

「もう三年生なのに」

「青春は今だけだよ、湊くん、今を楽しまないと」

 

 彼女は手を止め、じっとこちらを見た。

 

「ちゃんと楽しまないと」

「何度も言わなくても」

「何度も言わないと分からない人だから、湊くんは。や、何度言っても分からない人かも」

「そこまで分からず屋じゃない」

「鈍感ではあるけどね」

「どういう意味?」

「ほら、鈍感」

 

 得意げな顔になって、再び手を動かす。僕は頭にはてなを浮かべながらも、同じく調理に戻った。

 

 妹たちが楽しげに喋ってるのを見ながら、同級生と並んでご飯を作る。他人と料理するのってどういうのかと思ったけど、いつもより楽しい。

 近江さんはどう思ってるだろう、と横目で見ると、

 

「なんだかこうしてると夫婦みたいだねぇ」

 

 そんなことを不意に言われて、指を切りそうになる。

 

「急に変なこと言わないでくれ」

「んふふ、どきどきしちゃった?」

「ノーコメント」

 

 美人な近江さんにこんなこと言われて、平静でいられる奴なんているのか。

 エマさんも天然でそういうことを口にするし、朝香さんなんか分かっててからかってくる。

 同級生の男たちはさぞ困らされていることだろう。

 

「なんか、こういうのいいねぇ」

 

 本当に、困る。

 

 

 

 

 お互いのご飯は大成功。

 筍と鶏の煮物、かぶと人参の酢の物。わかめの味噌汁。あとはサラスパと玉ねぎときゅうりのサラダ。かぶの葉を使ったじゃこ炒めはお好みで。

 そんな凝ったものではないが、妹たちにも絶賛の言葉をいただいた。あの璃奈がおかわりをしてきたほどだ。

 近江さんの料理で舌が肥えている遥さんも美味しそうに頬張っていた。

 お互いに相手の作った料理を堪能し、褒め合い、レシピの交換をし合い、お茶も飲んで一息。そこから学校のことだったりスクールアイドルのことだったりを一通り喋り終わると、いい時間になった。

 今日はこれでお開きにすることにして、深々と礼をした近江姉妹に、こちらこそと返事して腰を上げる。

 

「送っていくよ」

「私も」

「璃奈は残っててくれ。もう夜遅いんだから」

「そんなのいいのに」

 

 スクールアイドル姉妹なんて美人二人組を、東京の夜に放り出すわけにはいかない。

 エプロンを外して、玄関に向かう。

 玄関を開けて外に出ると、どっぷりと更けているが、街灯がそこかしこにあって光は足りてる。

 それでも夜というのは危険極まりない時間帯だ。

 当の二人は、そんなの気にしてないみたい。

 

「今日はありがとうございました。湊さんのご飯、とっても美味しかったです」

「僕のほうこそ、来てくれてありがとう。楽しかったよ。近江さんの手料理も食べられたしね」

「ふっふっふ、湊くんの胃袋はがっちりいただいたぜ」

「私もお姉ちゃんに習ってるんですけど、まだまだで……」

 

 習ってる。ああ、そういえば、少しでも負担を減らすために、頼りきりだった家事を覚えようとしているんだっけ。健気な妹だ。

 近江さんとしては、居てくれるだけで癒しになるんだろうけどね。

 

「回数こなしていったら上手くなるよ」

「あ、あの……美味しくできるようになったら、食べてくれますか?」

「もちろん。楽しみにしてるよ」

 

 なにせあれだけ美味いものを作れる近江さんの教えを受けているんだ。今に僕以上の腕になることだろう。今から期待が持てる。

 

「あー、だめだめ。遥ちゃん口説くの禁止でーす」

「口説いてない」

「でも、遥ちゃん顔真っ赤」

「い、言わないでよ、お姉ちゃん!」

 

 暗くても分かるほど、頬を紅潮させた遥さん。庇うようにして抱き着く近江さんは、彼女に耳元で囁いた。

 

「お料理、頑張ろうね。それで湊くんの胃袋を掴んで二人占めして……」

「わ、私は別に、そんな……」

 

 というような会話は、聞こえないふりをしておこう。



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23 仮面

「可愛いよ、歩夢! 果林さん素敵! 愛ちゃん最高! みんな、すっごくいいよ!」

 

 パシャパシャとシャッター音が鳴るなか、それをかき消すように高咲さんがはしゃぐ。

 

 いま部室には、新聞部の部員が何人か入ってきている。勢いに乗っているスクールアイドル同好会に取材を申し込んできたのだ。

 もちろん断る理由はない。ちゃんとしていて綿密な取材を行い、流行も敏感に追いかけるうちの学内新聞を読む生徒は多いし、人気も高い。

 生徒数の多い虹ヶ咲にはまだまだスクールアイドル自体も知らない人もたくさんいるから、これを機にファンを増やすチャンスだ。

 

「では次に、桜坂さんがどんなスクールアイドルを目指しているのか、教えてください」

「私は、愛されるスクールアイドルを演じたいと思っています」

 

 部屋の隅では、別の新聞部員に桜坂さんがインタビューを受けていた。

 

「といいますと?」

「みなさんにとって理想のアイドルを想像して、その子になり切るんです」

「ではいまこの瞬間も、桜坂さんは理想のスクールアイドルを演じている、ということですか?」

「はい」

「なるほど。演劇部に所属している、桜坂さんらしいアイドル像ですね」

 

 お互い、まるでプロみたいにちゃんとした質問と受け答え。

 高校生の部活とはいえ、真剣さは大人にも負けず劣らず。桜坂さんはプロの女優を目指しているし、インタビューしてる側も生半可な責任感でやってるわけじゃない。

 

「そういえば今度、藤黄学園との合同演劇祭が開催されるそうですが」

「ええ。藤黄学園と虹ヶ咲が、それぞれ別の演目で公演を行うんです」

「虹ヶ咲の主役に抜擢されたのは桜坂さんだそうですね。ぜひとも校内新聞を読む生徒たちに一言お願いします」

「精いっぱい演じますので、ぜひ見に来てくださいね」

 

 そう言って、桜坂さんは微笑む。

 ただ、その笑顔に一瞬違和感を覚えた僕がいた。

 

 

 

 

「じゃーん!みんなの初めてのインタビューが校内新聞に載りましたー!」

 

 後日、高咲さんが高らかに新聞を掲げる。

 

「みんなめっちゃいい感じじゃーん」

 

 机に広げたそれに、わいわいと群がる。

 良い写真も使ってもらってるし、文章も事前のチェック通りでちゃんとしている。

 個人個人のことを細かく書いてくれてるだけじゃなく、同好会全体のこれまでとこれからも掲載してくれている。

 

「ね、演劇部の公演のことも載ってるよ」

 

 その通り、スクールアイドルのことに留まらず、桜坂さん個人へのインタビューのこともちゃんと載っていた。

 彼女が所属する演劇部が今度行う公演の場所と日付まで宣伝されている。

 

「それにしても、主役なんてすごいよねえ」

「彼方ちゃん、絶対見に行くよ」

「はい。ありがとうございます」

 

 一瞬、ほんの一瞬だけ、桜坂さんの表情が曇ったかに見えたが、次の瞬間にはいつもの彼女に戻っていた。

 思い過ごしかと首をかしげていると、盛り上がってるみんなをよそに、中須さんと璃奈がこっそりと近づいてきた。

 

「湊先輩、侑先輩、ちょおっといいですか?」

 

 小声でちょいちょいと手招きをする。呼ばれた僕らは顔を見合わせて、疑問に思いながらも従う。内緒の話らしいので、みんなの輪から静かに抜ける。

 中須さんと璃奈に連れられて、外へと移動する。念のため他の誰にも聞かれないように、屋外にまでという徹底っぷりだ。

 

「桜坂さんの様子がおかしい?」

「うん、なんだか、心ここにあらずって感じに見える」

 

 つい最近漠然と感じていた変な空気は、璃奈たちも感じ取っていたみたいだ。一年生だけで遊びに行くこともあるようだから、より不自然さは目にしていただろう。

 

「どう思う、高咲さん?」

「うーん、どうだろ。しずくちゃんが落ち込んでるところとか、見たことないですね。ただ……」

 

 ただ? と訊くと、彼女は話を続けた。

 

「何か隠してるって感じはするかも。話したくないことなら、無理に聞き出すこともないかなって思いますけど……」

「活動にまで影響が及んでくるなら、そうも言ってられない。ただ、隠してるってことは簡単には言ってくれないだろうね」

 

 ふむ。顎に手を当てて考える。

 同好会の活動に関しては、特に問題はなかったはずだ。未デビュー組ではあるが、それを気にする素振りもなかったし……

 

 素振りがないというのが一番厄介かもしれない。

 桜坂さんが悩みを自分の中に溜め込むタイプなら、誰も気づかないまま、潰れるまで自分を追い込んでしまうかもしれない。

 優等生とは得てしてそんなものだ。

 

「りな子、やっぱり……」

「うん」

 

 うんうん唸っていると、一年生二人は何かしら引っかかりがあるみたいで、顔を合わせて頷いていた。

 

「友達に聞いたんだけど、しずくちゃん、舞台の主役降ろされたって……」

「降ろされた?」

「理由は?」

「それは……よくわからなくて」

 

 桜坂さんが主役を張るのは、新聞部が載せるくらいに公開されてる情報だ。それを今さら覆すなんて、ない話ではないが、そうそうある話でもない。

 しかし、それが真実なら合点がいく。演劇部のほうで問題ごとが起きたなら、こちらの耳に入ってこないのもそりゃそうだという話。

 となれば当人に伺うのが一番だが、高咲さんの言う通り、桜坂さんにとっては話したくないことのようだし……

 

「演劇部か……」

 

 

 

 

「待たせた?」

「いや、僕もいま来たところ」

 

 食堂。いつもの窓際の席で待っていると、目当ての人物が来た。

 体幹のしっかりした佇まい、すらっとした中性的な顔立ち。女子だが、一部から王子様と呼ばれている人気者。演劇部の部長だ。

 

「君から連絡なんて珍しいね。また演出面で聞きたいことでもあるの?」

「いや、今日は違う話」

「だとすると、楽曲提供の話かな?」

「違うよ。桜坂さんについてだ」

「しずく?」

 

 いつも驚かない彼女が、ほんの少し目を見開いた。

 

「うちの妹が言うには、桜坂さんが元気をなくしてるらしい。で、聞いたところによると今度やる劇の主役を降ろされたせいだとかなんとか」

「それで、私を非難しにきたってわけ?」

「いいや。君の演劇にかける情熱は理解してるつもりだよ。大した理由もなしに降板させることはないって信じてる」

 

 彼女の真剣さは、演劇部どころか僕の知り合いの中でも群を抜いている。

 仮に、桜坂さんの演技が上手かったとして羨望を抱いても、引きずり下ろすような人じゃない。むしろ自分を高めるエネルギーにするような奴だ。

 そんな彼女が一度決めたことを覆すからには、それ相応の理由があるはずだ。

 

「気になるのは、その理由だよ。一度は桜坂さんに決まってたんだろう?」

「そうだね。でも今回の主役は、今のしずくには演じられない」

「ずいぶんはっきりと言い切るじゃないか。桜坂さんは、君のお気に入りだったはずだけど」

「うん。しずくの演技力は認めているよ。一年生であれだけの実力とポテンシャルを秘めた逸材はそうそういない。正直、嫉妬さえ覚えるくらい」

 

 だったらなぜ、と言う前に、彼女は続けた。

 

「それでも、今度の役はしずくには出来ない」

「そこまで言う理由は?」

「役に対する姿勢だよ」

「姿勢?」

 

 僕は首を傾げた。

 

「役が決められて、台本を読む。台詞や動作、そこに込められた感情を理解するために何度も読み返して、練習して……どうしても役に入り込めない場合は、自分の経験や、参考になる作品を見て感情を合わせる。そうやって、自分の中に一人のキャラクターを沁み込ませるんだ」

「よく聞く話だね。基本の技術ってことか」

「必須の工程でもある。役を理解できないままじゃ、人の心を動かす演技なんて出来ないからね」

 

 反芻して、自分が自然に振る舞えるようにする。歌や踊りと似ている。いや、あらゆることの基礎とも言えるだろう。

 

「桜坂さんには出来ていないと?」

「今の段階で、理解できないってだけならいいんだよ。まだ時間はあるから。だけどしずくは避けてる」

 

 避けてる?

 桜坂さんは、分からないものに対しては一度受け入れて、自分の中で噛み砕いて、自分なりに解釈する人だと思っていた。それが、演劇を通して培った彼女の特性なのだと。

 なのに今聞いた話は、僕の中のイメージと一致しない。

 

「……どんな役なんだ?」

「自分の本当の気持ちを怖がりながらも、向き合い、克服する役さ」

 

 ……それだけ聞くと、よくある話に聞こえる。が、桜坂さんにとっては、それを理解しようとするのを避けてる……のか。

 演劇のことばっかりは、どれだけ分かったつもりでも彼女には敵わない。領分は弁えてるつもりだ。

 が、口を挟まない選択肢はない。璃奈たちが心配するほどだ。演劇だスクールアイドルだと言ってられる段階は、とうに過ぎている。

 

「一つ、相談があるんだけど」



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24 素顔

 学年の違う教室に行くのはなぜか緊張する。学科が違うとなればなおさら。自分の領域と違うからか、知らない人がいるからか。

 だが、国際交流学科の教室には窓際に座る女子一人以外は誰もおらず、だいぶ緊張がほぐれた。

 ぼうっと窓の外を眺めるその人、桜坂しずくは、僕が入ってきたことにも気づいていない。

 

「練習してるって聞いたけど、休憩中かな」

 

 こほんと咳払いして存在をアピールする。彼女は驚くでもなく、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 いつもの柔和な笑顔はなりを潜め、影が差している。それはそれで目を見張るような美人に映るが、演技ならともかくプライベートで見たくはない。

 

「湊先輩……」

「聞いたよ、演劇部部長さんから」

 

 前の席に座りながら言うと、桜坂さんはそれだけで察して、目を逸らした。

 

「隠してて、ごめんなさい」

「いいよ別に。再オーディション受かれば、嘘じゃなくなるんだから」

 

 『頑張ります』や『受かってみせます』とか、いつもの彼女なら前向きな言葉を口にしてただろう。桜坂さんは首を横に振るだけだった。

 

「役のこと、聞きました? 自分のことを表に出すことを怖がっている主人公が、自分自身と向き合って、最終的には自分を曝け出すんです」

 

 悔しそうに唇を噛んで、必死に何かを押し殺そうとする彼女は、決して目を合わそうとはしなかった。

 

「私には、出来ません」

 

 ひどく震えた小さな声。

 

「嫌われるのが怖いんです。私は、小さいころから昔の小説や映画が好きです。変ですよね。みんなが外で遊んだり、おままごとしたりしてるのに、私はずっとそんな変な子で……だから、必死に、隠してきたんです」

 

 実際、変だと言われたんだろう。奇異の目で見られ、子ども特有の遠慮のない言葉を浴びせられたこともあったかもしれない。心無い言動を放つ大人だっている。

 それがどれだけ幼い桜坂さんを傷つけたか。高校生になってもこんなに苦しんでいる彼女を見れば、その深さが窺い知れる。

 

 凝り固まってしまった価値観を押し付けられて、彼女は自分に嘘をつき続けて、周りに合わせたんだ。

 周りが望む『桜坂しずく』を演じ続けてきた。自分を曝け出すということがどういうことか分からなくなってしまうくらいに。

 それを、僕は正しいとは言えない。傷つくのを怖がって自分を殺すなんて、そんなこと正解であってほしくない。

 

「普通じゃないのは、嫌われることとイコールか?」

 

 熱くなってしまいそうな感情を抑えて、できるだけ優しい声色で話す。

 

「例えば……中須さんは普通かな? あれだけ自分のことを可愛いって公言するのはかなり変だと思うけど。表情が出せない璃奈も、普通じゃない。で、そんな一年生の友達二人のことを、君は嫌うか?」

「き、嫌いなわけないじゃないですか!」

「だったら……」

 

 だったら、君だって同じだ。君が思うように周りだって思ってる。

 そう言いかけたが、彼女は苦々しい顔をする。

 

「理屈はなんとなくわかるけど、自分は例外かもしれないって顔」

「!」

 

 その悩みもわかる。

 大勢のことに当てはまることも、『変な自分』には当てはまらないんじゃないかと思い込んでしまう。だからいくら理由づけて説明されても、いまいちピンとこない。

 小さい時からずっと思ってきたことは、今さら簡単には変えられないのだ。

 

「だったら、よし、まずは一人、僕のことを信じてほしい。君にとっては難しいことかもしれないけど」

 

 人差し指を立てて、それで自分を差した。

 

「周りがゲームとかテレビとか、走り回る遊びに夢中になってる時、古い作品を好んで見る。まあ、普通じゃないとは思う。ちょっとばかしね。でもいいじゃないか、古い作品。当時の物には、その時にしか作れない味があるしね」

 

 有無を言わせず、余計なことを考えさせないように捲し立てる。

 

「その話を聞いても、僕は君のことを嫌いになんてならないよ。嫌いになるのが無理なくらい、桜坂さんは魅力的じゃないか」

 

 一つも嘘じゃないことを示すために、真っすぐに目を見る。

 

「演劇もスクールアイドルもひたむきに頑張ってるし、気が利くし、素直。かと思ったら譲れないところは譲らない決心の固さもある」

 

 それに、と僕は続ける。

 

「時折見える君の素顔は、何よりも綺麗だから」

 

 呆然と、桜坂さんが固まる。

 

「って、ごめん。なんだかクサい台詞吐いちゃったね」

 

 思い返したら、キザ男みたいな言葉を吐いてて恥ずかしくなってきた。顔が熱くなって、誤魔化すように頭を掻く。

 そんな僕の様子に、桜坂さんはくすりと笑った。

 

「ふふ、そうですね。演劇の台本だったら、書き直しを要求してます。でも、私としては……桜坂しずくとしては、とても嬉しく思います」

 

 うん、やっぱり、笑ってるほうがいい。そのほうがずっと綺麗だ。

 

 ガラガラガラ!

 お互いに見つめ合っていると、乱暴に扉を開ける音が聞こえた。そこには、ぜいぜいと肩を上下させる中須さんがいた。

 

「見つけた!」

「か、かすみさん?」

「遅いよ、中須さん」

「だったら、『教室にいる』なんて曖昧なメッセージ送ってこないでくださいよ!」

 

 ぷんすこ怒る中須さんを無視して、僕は立ち上がりながら、最後に桜坂さんに一言。

 

「君が思うより、君のことを好きな人間はたくさんいるよ」

 

 放っておけないと思って、こんなに息を切らして走ってくるくらい、君のことを思っている親友がいる。

 入ってくる中須さんと交代する形で、僕は教室を去ろうとする。後はお若い二人で、ってやつだ。

 

「後は任せるよ」

 

 去り際にそう言うと、中須さんは親指を立てて返した。

 

 

 

 

 練習場所に足を運ぶと、みんな休憩しているところのようで、汗をタオルで拭いていた。

 

「璃奈」

「お兄ちゃん」

 

 妹の隣に失礼して、腰を下ろす。

 

「しずくちゃん、大丈夫そう?」

「たぶんね。きっと中須さんがどうにかしてくれるよ」

 

 桜坂さんにとって大事なことを、必要な言葉を、中須さんはきっと伝えてくれる。

 包まず言うと馬鹿ではあるが、感情がストレートに出ているぶん説得力がある。嘘はつかないって信じさせてくれる。

 

「お兄ちゃんはそうやって、自分のこといつも言わない」

 

 問題が解決するってのに、璃奈は不満げに僕を見上げた。

 

「愛さんの悩みも解決したって聞いたけど……」

「解決したんじゃないよ。一つの考え方を示しただけ。踏ん切りをつけたのは、誰でもない宮下さん本人だ。どれだけ言われても、自分が踏み出さなきゃ意味がない」

 

 結局、自分だ。

 周りが間違っていると言ってきても、どうするのかは自分。

 桜坂さんがどういう決断をするのか、彼女次第なのだ。

 

 

 

 

「お邪魔しま~す」

 

 高咲さんと一緒に、集会や部の発表などに使われる多目的ホールに入ると、そこにいるのは演劇部員たち。

 僕らに気づいたのはほとんどおらず、みんな声出ししたり、台詞を復唱したりしている。

 

 今日は、桜坂さんが降板させられた演劇の再オーディションの日。

 枠は一つ。しかも主役とあらば熱の入りようは段違いで、ピリピリとした緊張感が伝わってくる。

 

「わあ、うかつに喋れませんね」

「ソロアイドルだと、オーディションはまあしないからね。あまり味わうことのない張り詰め感というか」

 

 こそこそとこの空気を邪魔しないように囁き合う。

 例に漏れず、演劇部も有名で、かなりの賞を貰っていたはずだ。特に部長さんは千変万化の声と、雰囲気を自在にスイッチできるのが得意で、部員から畏怖の念で見られているらしい。

 

「湊先輩、侑先輩!」

 

 さてどこに座ろうかと思案していると、見知った顔がぱたぱたと近づいてくる。

 今日の目当て。桜坂さんだ。

 

「どうしてここへ?」

「再オーディションをやるから、見学に来ないかって演劇部の部長に誘われてね」

「で、せっかくだからって、来ちゃった。集中してるとこ、邪魔しちゃったかな」

「み、見ていくんですか?」

「そのつもり。演劇も君の一部なら、知っておくべきだしね」

「うんうん、私もしずくちゃんの演技見てみたかったし。応援してるよ。私、しずくちゃんの色んな一面見たい!」

 

 高咲さんはぎゅっと手を掴んで、目を輝かせながら桜坂さんにエールを送る。

 

「準備はできてる?」

「自分なりに、私自身と向き合ってみました。まだ桜坂しずくの全てを曝け出すのは怖いですが……でも、本当の私を見てもらって、好きになってもらいたいんです。私を支えてくれる、みなさんに」

 

 怖がらず、すらっと答えるあたり、だいぶ吹っ切れたようだ。

 これも演技なら大したもので困ったものだが、オーディションを受ける時点でそれはないだろう。

 

 さて、もうすぐオーディションが始まる。

 その前に、誘ってくれた演劇部長に礼を言う。

 審査する側にもいろいろと準備が必要なようで、台本だとか採点するための紙だとか、客席通路に置いた机に広がっていた。

 

「どんなトリックを使ったのかな?」

「何のこと?」

「しずく、良い顔をしてた」

「ほんの少し、お節介を焼いただけ」

「ほんの少し、ね」

「それより、アレ、忘れてないよな?」

「しずくが受かったら、エンディングにステージで踊らせる。先方にも、顧問にも、みんなにも納得してもらったよ」

 

 よかった。だったら、桜坂さんにはしばらく演劇部と同好会を同時に頑張ってもらわなきゃな。

 無茶なスケジュールになるかもしれないけど、彼女なら出来る。

 

「だからといって、しずくが絶対に受かるわけじゃ……」

「わかってる。でも僕は信じてるから」



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25 虹ヶ咲学園スクールアイドル:桜坂しずく

 どんどんと陽が落ちる時間が遅くなっていく。放課後でも日差しが明るくて、夕方はまだ遠いと錯覚させられるほどだ。

 そのせいでまだ余裕があると勘違いしてしまい、気持ちがゆったりしてしまう。

 いつも通りみんなの着替えを待つ間、食堂の椅子に乗っけた腰がいつもより重い。

 

 桜坂さんはあれから相変わらず、演劇部とスクールアイドル同好会の掛け持ちをしている。

 しかしやる気は前よりもさらに感じられるようになって、表現の幅が広がったように見える。

 無理してる様子もないし、固さがなくなったのは良い兆候だ。

 

 突然、かちゃ、と目の前にカップとソーサーが置かれた。

 持って来た主を見ると、そこには爽やかな表情を携えたイケメン女子、演劇部の部長がいた。

 

「これは?」

「お礼」

「なんの?」

「しずくのこと。君が相談に乗ってくれたおかげだって言ってたよ」

 

 言い返そうとすると、それよりも早く彼女は制した。

 

「いいから、受け取ってよ。君がためになる話をして、しずくが一皮むけた。それが事実なんだから」

 

 問答無用、といった口ぶりだ。このぶんだと何を言っても無駄そうだな。返品できる物でもないし。

 

「わかったよ、貰っておく」

 

 カップを手元に引き寄せて、淹れたての香ばしい匂いを堪能する。決して詳しいわけではないが、良いか悪いかくらいは分かる。

 さすが虹ヶ咲。メインの客は学生だが、手は抜いてない。

 

「劇、感動したよ。君がまるで、本当にもう一人の桜坂さんに見えた」

「聞けてよかった。上手くできてたか聞けなかったから」

「絶賛されてただろ?」

「君から聞きたかったんだ」

「聞けてよかったか?」

「もう一声」

「最近の高校生はとんでもないと感じたよ」

「ありがとう。それは君もだよ、湊」

 

 自分に言い訳をしようとする主役は桜坂さんが、それに対して本音をぶつける心の内は彼女が担当した。

 ウィッグを被って、声色も変えて桜坂さんそっくりになった彼女にはびっくりした。知っていても腰を抜かしかけたほどだ。

 それだけのことができる演技力もさることながら、あの脚本に、ステージに、歌。全部が桜坂さんと彼女にかっちりとハマっていた。

 ……どこまでが彼女の思惑なのか、なんて勘繰ってしまうが、いまさらそんなことはどうでもいい。

 

「桜坂さんの心配はなくなったみたいだね」

「それどころか前よりもっと活躍してるよ。変幻自在の大女優の卵として」

 

 ニヒルな笑みを浮かべて、ウインクしてくる。

 なるほど女子にもモテるという噂に納得できるくらい嫌みのない整った顔。男役をやった時に上がる黄色い歓声も仕方ない。

 

「お互い、後輩にはやきもきさせられるみたいだな」

「後輩を導くのが先輩のお仕事でもあるからね。そこはどうしても避けられない道だよ」

「先輩のお仕事……ねえ」

 

 それが何なのかわかるほど、先輩経験はない。 

 

「そういえば、湊が部活に入ったのは三年になってから、だっけ?」

「そうだよ。それまでは帰宅部」

「その割には、立派に先輩を務めているじゃない。まさか君が、マネージャー以上のことをするなんてね。それも女の子相手に上手く」

「どうだか。結局僕がどうしても、何も変わらなかったのかも」

 

 果たして、僕がいて何かが好転したことはあっただろうか。どの結果も、遅かれ早かれじゃないかという印象だけど。

 

「…………」

 

 急に黙りだした彼女へ顔を向けると、呆れたような目が返ってきた。

 

「あの劇、好評だったよ、しずくの歌も含めて」

「いっぱい練習してたからね」

「……あの曲自体も、評価が良かった」

「ああ、あの部分だけ動画載せたけど、コメントもほとんどが好意的なものだった。君の言う、一皮むけた桜坂さんが好かれたみたいだね。最近じゃ、前よりもある程度わがままを言うようになった」

「はあ……」

 

 今度はため息をついて、またしても呆れたようなジト目になって、腕を組んだ。

 

「少しくらい自分の功績を誇ったらどうなの? しずくを立ち直らせたのもあなた。曲を作ったのもあなたでしょ?」

「だからって、僕の手柄だーなんて言うつもりはないよ。あれは、君たち演劇部の協力があって、桜坂さんの努力があっての結果だ」

 

 周りと本人の力で掴み取った成果があの舞台だ。功績を誇るだなんて、厚顔無恥なことはできない。

 

「前は、そんなんじゃなかった」

「前?」

「スクールアイドル部が出来たくらいの時、あなたはもっとぎらついてた。いろんな人にいろんなことを聞いて回るだけの情熱があって……もっと自信を持ってた。『何も』なんて、そんなつまらない冗談を言う人じゃなかった」

 

 まるで心底友達を心配するような眼差しで、訴えかけてくる。

 その視線から逃げるように、僕はテーブルに目を移した。

 

「何があったの?」

 

 僕はコーヒーの湯気を目で追いかけるだけで、何も答えなかった。

 

 

 

 

 桜坂しずく。

 普段はお淑やかながら、真面目で熱血な面もある、女優を目指している女の子。

 個性ある虹ヶ咲スクールアイドル同好会の中でも真面目な部類で、暴れ気味な中須さんやちょっとズレ気味な璃奈を抑える役目も自ら行っている。校内のどこかで寝ている近江さんを起こしに行く役割も買って出たくらいだ。

 遠慮がち……でもあるはずだったが……

 

 PCを持ったまま、部室のソファの端へ移る。そうすると、すすすと近づいてくる影があった。

 

「どうしたんですか?」

「近い」

 

 遠ざかったはずなのに、肩が触れるくらい近くに寄ってくる桜坂さんに、僕は苦言を呈した。

 

「しょうがないじゃないですか。画面を見るには、これくらい近づかないと」

「書いてから見せるから、今はほら、練習に行ってきたら?」

「一緒に見たほうが効率良いじゃないですか。それに、紹介文を書くために聞きたいことがあれば、すぐに答えられますし」

 

 言うことは理解できる。けども彼女の爽やかな匂いが鼻をくすぐるほど、近づく必要はないのではないか。

 毎回、ホームページの文章を考えてるときに、誰もがやけに接近してくる危機感のなさは教育すべきだろうか。

 

「なんでも聞いていいですよ。湊先輩になら、本当になんでも」

「あーもう! しず子ストップー!」

 

 顔を寄せてくる桜坂さんの腕を、中須さんがぐいっと引っ張る。

 

「えぇ、今日は私と湊先輩の二人っきりで作業するって約束なのに……」

「でも、でもなんか近すぎ!」

 

 ほんと、それ。もうちょっとで危ないところだった。本当なら僕が突き放すべきなんだろうけど。

 

「ほらほら、かすみちゃん、邪魔しちゃダメだよ」

 

 ああ、せっかく助かったと思ったのに、高咲さんが連れていってしまう。練習があるから、連れていかないでくれとは言えないし……ほら、桜坂さんがまた同じ位置に戻ってしまった。

 

「かすみさんのこと、甘やかしすぎじゃないですか? いたずらされても怒らないし、今だって……」

「そうしないと、調子が乱高下しまくるから」

 

 人によってモチベーションの上げ方下げ方は違う。

 中須さんのようにあまり厳しくすると良くない人もいれば、朝香さんや桜坂さんのように厳しくするとやる気が出るって人もいる。

 個人の特徴や性格を観察することは、僕らにとっては大事な日課だ。

 

「なんだか贅沢な気分です。湊先輩、いつもあっちこっちで引っ張りだこですから」

「贅沢て。別に、言ってくれれば時間作るよ」

「本当ですか? でも迷惑じゃ……」

「迷惑だなんて、そんなこと考えなくていいよ。今より上手くなりたいんだろ」

 

 遠くから来てるぶん、ちょっとくらい贔屓しても文句は言われない。

 神奈川県の鎌倉から毎日学校に通ってる彼女は、そのせいで早く帰らなければいけない時も多い。寮住みのエマさんや朝香さんよりちょっと重きを置いて相手をしてもいいだろう。

 それに、自分を抑え込んでいた桜坂さんをもっとよく知るためには、これまで以上によく見ておかないと。

 

「だったら、その、もう少しわがままになってみます」

「うん、それでいいと思う」

 

 一年生は上級生に言いづらいこともあるだろうから、僕からも気にかけておかないといけない。

 

「僕も頼られるに足るくらいには頑張らないと。信じてくれって言った手前、半端なところじゃ投げ出せないし」

「大丈夫ですよ、私、湊先輩のこと信じてますから」

「それは……嬉しいよ」

「それだけ、ですか?」

 

 その質問に、僕は顔をしかめる。

 

「だけ、とは?」

「はあ……」

 

 こういう反応を、つい最近何度か見たことがある。

 宮下さんと近江さんだったか。思わせぶりなことを言って、僕の何かに失望したようなため息。しかし振り返ってみても、特に失言した記憶はない。目の前で呆れられるようなことをした覚えはもっとない。

 

「あの時、湊先輩がそういうつもりで言ったのではないとわかってたつもりですけど……」

「そういうつもりってどういうつもり?」

「……かすみさんが悩んでたのもわかるなあ」

「おーい?」

「なんでもありません。湊先輩が、湊先輩だったというだけです」

「僕は悪い人?」

「湊先輩のことを、そう言いたくはありません」

「だったらやっぱり、悪い人だと思ってるんだ」

「知りません」

 

 ぷいと頬を膨らませて逸らされる。ちらちらとこちらを窺ってくるあたり、本気で怒ってるわけじゃなさそうだ。

 たぶん、これがいま彼女の曝け出せる精一杯のわがままなんだろう。中須さんと比べると、なんと可愛らしいことか。

 僕は苦笑して、そっぽを向く彼女に声をかける。

 

「機嫌直してくれよ。僕に出来ることなら、何でもするからさ」

「ほんとですかっ」

 

 きらきらと目を輝かせながら、ぐるりと振り向いた彼女は、

 

「せっかく一日独占できるんですから、歌かダンスか……演劇の練習に付き合ってもらうというのもいいですね。このままずっとお喋りというのも……」

 

 どんどんと案を出していっては自分で悩んでいる。

 そこにいたのは、年相応の女の子。

 当たり前だ。どれだけ能力が高くても、美人でも、達観していても、桜坂さんは高校一年生。

 遊びたい盛りしたいこと盛りの、普通の女子高生なのだ。

 

 そんな桜坂さんに、安全ピンのものまね以外で、と告げるとまた頬を膨らませた。

 

「悪い人ではありませんけど、湊先輩はいじわるです」



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26 人となり

「お邪魔します」

 

 同好会の部室に、珍しい客人が現れた。スクールアイドルのファンではない。それどころか虹ヶ咲の生徒でもなかった。

 現れたのは、東雲学院の期待の新星スクールアイドル。そして近江さんの妹である近江遥さんだった。

 

「今日はどうしたの?」

「実は……」

「大事なお話がありまして」

 

 そう言うと、彼女は後ろに目を配る。

 さらりとした長い髪をたなびかせて入ってきたのは、また違う学校の女子生徒。

 薄い黄色のシャツに、水色のジャンパースカート。この制服は確か……

 

「初めまして。藤黄学園スクールアイドル部の、綾小路姫乃と申します」

「藤黄って……」

 

 桜坂さんが反応する。

 前に彼女が主役の演劇をやった演劇祭。そこで別の演目をしたのが藤黄だったはず。

 そこのスクールアイドルといえば、東雲に負けず劣らず名高いグループだ。

 

 綾小路さんは綺麗な所作で一礼すると、落ち着き払った穏やかさを保ちつつ、顔を上げた。

 

「突然ですが、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のみなさん。私たちと一緒に、ライブに出ませんか?」

 

 

 

 ダイバーフェス。

 お台場で、毎年この時期にやっている音楽祭だ。ポップ、ロック、メタルなどジャンルを問わず、様々なアーティストが出て、盛況となっていることは知っている。

 

「今年はスクールアイドル枠に、藤黄学園と東雲学院が呼ばれたんですけど、遥さんと相談して、虹ヶ咲学園のみなさんを推薦させていただいたんです」

「どうして虹ヶ咲を?」

「この前の合同演劇祭で、しずくさんの歌を聞いたのがきっかけです。みなさんがどんなライブをするのか、見たくなったんです」

 

 芸術に身を置いている者からすると、『どこで誰が見てるかわからない』という言葉を耳にするが、まさか演劇からステージ獲得まで至るとは。

 

「特に、朝香果林さんは雑誌でよく拝見していましたし、人気の読者モデルがスクールアイドルをするなんて、すっごく魅力的じゃないですか」

「こここここれって、すっごくお客さん来るんですよね!?」

 

 スマホで調べていた中須さんが震えながら画面を指差す。遥さんは頷いた。

 

「はい。三千人くらい」

「さんぜん!? ひょええ……」

 

 悲鳴を上げるのも当然だ。その半分、いや三分の一である千人規模のライブすら経験したことがないのだから。

 しかもプロまで参加するステージに立つなんて、想像しただけで鳥肌が立つ。

 

「出ましょうよ! こんなおっきなライブに出るチャンスなんて、そうそうないですよ!」

「でも、一つだけ問題があって……私たちスクールアイドルが披露できるのは、全部で三曲だけなんです。東雲と藤黄はグループなので問題はないんですけど、虹ヶ咲の皆さんはソロアイドルですから……」

 

 遥さんの言葉に、虹ヶ咲の面々は押し黙った。

 全員が共通して披露できる曲はない。ある一人の曲を全員で、とも考えたが、それは他の八人の個性を消すことになる。

 理想は九人それぞれ九曲を歌うこと。が、出来るのは一曲。

 

 

 

 

 遥さんと綾小路さんを見送った後、僕たちは部室に戻るでもなく、適当な陰へ移動した。

 今日の練習内容は話し合いへ変更。当然、議題はダイバーフェスについて。

 

「め、メドレー形式ならどうかな」

「それなら一曲だよね」

「九人でやったら、十分は軽く超えてしまいますよ」

「どうしたもんだろうね」

 

 案が出ても、実現が難しいことを思い知らされるだけだった。

 

 どう考えても、九人全員でステージに立つのは無理だ。

 いや、曲をぎゅっと凝縮すれば不可能ではないが、あまりに中途半端になってしまうだろう。

 それならばいっそ……

 

「あれこれ考えるだけ無駄よ」

 

 ぴしゃり、と朝香さんが放つ。

 

「今回のステージに立てるのは、この中の一人だけ。誰が出るか決めましょうよ」

 

 考えていたことと同じことを、彼女は言う。

 

「く、くじ引きとかどうかな」

「そ、それがいいかも」

「互いに遠慮し合った結果、運頼み。そんなのでいいわけ? ねえ、湊くん?」

 

 一歩引いたところから見ていた僕に、視線が集まる。

 みんなが決めたことならどんなことでもついていくつもりだったが、みんなは逆に僕の意見も気にしているようだ。

 

「ダイバーフェスは今までやってきたステージよりも、格段に規模の違うステージだ。当然、君たちにとって相当プレッシャーがかかるけど、注目を集めるメリットもある」

「そのぶん、出来が良くないと私たち全員の力が疑われるわ」

 

 僕の言葉を継いで、朝香さんが続ける。

 

「実力と度胸がある誰か一人が代表としてステージに立つのがいいと思う」

 

 それを背負える覚悟と実力があるのか。誰にそれを任せられるのか。

 自分だけに迷惑がかかるならともかく、この場合はその限りじゃない。ステージに立つのは一人だけど、その結果は全員に降りかかる。

 ソロアイドルでありながら同じ同好会に所属しているからこその悩みだ。おそらく、似たようなことはこれからも起きる。どう乗り越えるかで、虹ヶ咲の今後が決まってくる。

 綾小路さんもそれを確かめたくて誘ってきた節があるようだった。

 

「湊さんは、誰がいいと思いますか?」

「客層やセットリストを吟味してみないことにはどうにも」

 

 枠が設定されているということは、スクールアイドルに需要があるということ。

 だが単純にアイドルイメージの強い中須さんや上原さんに、この舞台を耐えきれるとは思えない。

 そもそもアイドル然としたステージは、他の二校がやる。

 

 現状では、優木さんに軍配が上がる。

 ただ……僕としては、もう一人、これを任せられそうな人に目星はついていた。

 

 

 

 

 結局話し合いは進まず、誰がダイバーフェスに出るかは未定のまま、休日を迎えた。

 無理もない。いきなり一人で大舞台に立てなんて言われたら、それも虹ヶ咲代表だなんて、怖気づく。

 

「さてさて、どうしたものか」

 

 呟いた言葉は、風の中へ消えていく。

 もうすっかり暑くなってきて、じっとりとした熱がまとわりついてくる。外の日差しは強く、立ってるだけでも焼けそうだ。熱射病対策も本格的に始めないとな。

 

「エマに来てもらおうかしら」

 

 ぶらぶらと適当に歩いていると、知った名前が耳に飛び込んできて、思わず振り向いてしまう。

 

「……朝香さん?」

「あら、湊くん」

 

 お互いびっくりして目を開く。こうやって休日に顔を合わせるのは、練習以外では初じゃないか。

 知り合いにいきなり会うと驚きが勝って言葉に詰まる。それは向こうも同じようで、ぽかんと口を開けたまま止まっていた。

 スマホを見ながら周りをきょろきょろとしていたあたり……

 

「迷子?」

「ちょっと行き先がどこかわからなくなっただけよ」

 

 人、それを迷子と言う。

 エマさんから聞いたことがあるけど、朝香さんって本当に方向音痴なんだなあ。

 

「そんなに入り組んでるところ?」

「ここなんだけど」

 

 彼女のスマホを覗き込んで、現在地と目的地を確認する。

 

「そんなに遠くないね。えーと、ここをまっすぐ行って……」

 

 と説明しようとしたけど、彼女はどうも不安げだ。まあ、言われて行けるくらいなら、地図見て行けるからね。

 

「一緒について行こうか?」

「……お願いできるかしら」

 

 承って、並んで歩きだす。

 美人に対する引け目か劣等感か。僕とほとんど身長が変わらず、スタイルも良い朝香さんが隣に立つと、なんだか場違いな感じがする。

 

「頼んでおいてなんだけど、湊くんは大丈夫なの?」

「うん、もう用事は終わったから」

「じゃあ帰るとこだったのね。ごめんなさい、付き合わせて」

「困った時はお互い様。僕は君に助けられたんだから、これくらいなんともないよ」

 

 そう言うと、彼女は首を傾げた。

 

「ほら、優木さんの……」

 

 ああ、ぽんと手を叩く。

 

「いいのよ。私の友達のために、できることをしたかっただけ」

 

 だけ、とは言うがなかなかそれが出来る人ってのは少ない。

 特に生徒会室に乗り込んで、生徒会長に詰め寄ろうなんて度胸はとんでもない。

 

「私のほうこそ、あなたにお礼を言いたいわ。おかげで今すごく楽しいもの」

「それはよかった」

「君と侑ちゃんのおかげよ。あなたたちのサポートあってこそだもの」

「それ、高咲さんにも言ってやってよ」

「あら、つれない反応。ふふ、でも君のそういうところ、好きよ」

「はいはい」

 

 妖艶な笑みにどれだけの男が魅了されたことか。

 さらに勉強が苦手で部屋が汚くて、迷うことも多々あるという親しみやすさもあるとか、完璧でないがゆえに完璧なのではないだろうか。

 

「あれ、果林さん……湊さんも?」

 

 目的地が近くなり歩を止めると、後ろから知った声が聞こえてくる。

 振り向くと、そこには私服姿の高咲さん。上原さんに優木さんもいる。

 

「お買い物ですか?」

「もしかして、果林さんもこういうの好きだったんですか!?」

「え?」

 

 優木さんが指差す方を見る。ゲーマーズ。アニメや漫画のグッズを売っている店だ。

 そういえば、優木さんはアニメ好きだって話だったな。

 ライトノベルの新刊が出たそうで、ついでで寄ったらしい。

 

「ありました! 買ってきますね!」

 

 店に入るなり積まれてるそれを手に取り、足早にレジへ向かっていく。てきぱきしてるのはどっちの姿でも変わらずだな。

 

「せつ菜ちゃん、漫画とかラノベとかどうしてるんだろう。親に隠れて見てるって聞いたけど」

「生徒会室に隠してるらしいよ」

「それっていいんですか?」

「もちろん駄目」

 

 生徒会役員も先生も知らない秘密だ。

 生徒会長が真面目に仕事してる足元、鍵のついた引き出しにはぎっちりと趣味のものが入ってる。

 個人ロッカーや部室に私物置いてる人もいるから、僕としては別に気にならない範囲だけど。

 

 話している途中で、朝香さんの目が、ラノベが置いてある横のコーナーにいった。

 

「これって……」

 

 二次元ではなく、三次元の人間の写真が使われているグッズがたくさん。

 その中には遥さんをはじめ、知り合いの顔も並んでいる。

 スクールアイドル専門のコーナーである。

 

「最近、スクールアイドルのグッズも取り扱いはじめたらしくて」

「だからせつ菜ちゃんに連れてきてもらったんです」

 

 売っている物はうちわやキーホルダー、クリアファイルなどなど。

 確か、ちゃんと契約を結んでて、売れた分に応じていくらかお金が入ってくるはずである。

 活動費のことも考えると、こちらもこういうグッズを出していきたいが、いかんせんオファーがない。知名度が上がってきたとはいえ、まだまだだと思い知らされる。

 

「お待たせしました」

「ねえ、あなたのグッズはないの?」

 

 朝香さんが、袋を抱えた優木さんに話を振ると、彼女はふるふると頭を振った。

 

「ないですよ。ちょっと悔しいですけどね。いつか私たちも、ここに並べるようになりたいです」

 

 スクールアイドルのこういった契約は、契約料とか、手間とかも絡んでくる。なにより学校の名前を冠しているため、学校のお偉いさんも含めて話し合いをするケースが多い。

 個人で、となると需要などの事情もあって許可してるところは僕の知る限り、無い。

 何も言わずに勝手にグッズを出す悪徳店もなくはないけど。

 

「私、そろそろ行かなきゃ」

「用事あったんですか?」

「引き留めてしまってすみません」

「いいのよ。湊くんに連れてきてもらって、余裕があったから」

「連れて?」

 

 自らの失言に、朝香さんはしまったという顔をする。

 

「朝香さん、迷ってたから」

「ま、迷ってないわよ。迷ってないと思ったら迷ってないの」

「スマホをぐるぐる回してて、よく言うよ」

 

 追い打つ僕の言葉に、彼女は頬を赤くして反論した。

 負けを認めなければ負けじゃないみたいな理論、嫌いじゃないよ。

 

「それってどこなんですか?」

「そこだよ」

 

 ゲーマーズからちょうど道路を挟んで向こう。別に入り組んでも隠れてもいないビルの二階。窓には堂々と『ダンススクール』と書かれていて、ちょっと注意を向ければすぐ分かるはずだった。

 

「もしかして、方向音痴?」

 

 高咲さんのストレートな疑問に、うっと詰まった。

 

「わ、悪い?」

「意外だけど、可愛いです」

 

 うん、それには全面同意。朝香さんは恥ずかしいみたいで、微妙に目が泳いでいた。

 

「ダンス、習ってるんですか?」

「たまたま仕事でここの先生に会ってね」

「流石果林さん!」

「そうですね。陰で努力してるなんて、尊敬します」

 

 モデルもやってるのに、休日まで自己磨きなんて、そのバイタリティはどこから来るのか。

 

「努力しなきゃ、ライバルに追いつけないから」

 

 きょとんとする三人へ、朝香さんは視線を向けた。

 

「あなたたちのことよ。なんていうか、手を抜けないのよ。せっかく部活に入ったんだから楽しみたいって気持ちもあるんだけど……だから、その、あなたたちを困らせてるかもしれないわね」

「そんなことないですよ。果林さんがはっきり言ってくれなかったら、きっといろいろと曖昧な状態で進んじゃってたと思います」

 

 高咲さんの言う通りだ。たぶん、あのままではみんな遠慮がちになって、今日もぐだぐだとしていた。

 

「果林さん、優しいんですね。なんだかんだいって世話好きだし」

「そうかも」

 

 確かに、同好会に入る前から手伝ってくれたことも多いし、後輩の面倒も見てくれてる。厳しい現実をびしっと突きつけたりもする。

 エマさんに影響されたのか元々か、彼女も相当親切なのは違いない。

 

 優木さんが一つ提案をする。

 

「まだ少し時間ありますか? 誰がダイバーフェスのステージに立つか、みんなで相談しませんか?」

「今決めるの?」

「はい。果林さんの本気は、全員に届いているはずですから。私たち同好会が次のステップに進むために必要なことだと思うんです。どうでしょう?」

 

 優木さんは朝香さんを、朝香さんは僕を見る。

 やりたいように、やるべきことを、やろうと思った時に。そんな含みのある目で返すと、彼女は頷いた。



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27 強い人

 みんな、朝香さんから言われたことで、各々考え直したようだった。集まって、改めて立候補を募ると、全員が手を挙げた。

 自分の実力を試したいというのもあるだろう。なら精神的にはイーブン。誰がステージに立っても文句はない。

 だったら、と自分以外の誰かに投票をすることに決まり、全員が朝香さんを指すという結果になった。

 

 過去のことから衝突を嫌う虹ヶ咲スクールアイドル同好会の弱さをきっぱり指摘する強さ。それこそが今回必要だったものだ。

 隠れて努力してたおかげで実力も申し分なし。それに、綾小路さんの言う通り、モデルがスクールアイドルをやる話題性もある。

 精神的な話だけじゃなく、そういったもろもろを含めて、僕も支持した。

 

 ダイバーフェス当日は天気に恵まれ、雲一つない空には太陽しか浮かんでいない。

 リハも準備も滞りなく終わって、あとは順番を待つだけだ。

 着替えは高咲さんに任せて、僕は会場の様子を確認しに来ていた。

 ただでさえ気温は高いのに、それをさらに増すような熱気が漂っている。

 

 関係者の身分を活用して、ステージの近くをうろうろする。こういう大きなライブを直接見ることはかなり勉強になる。

 機材、スタッフの人数や役割、動線、バミリに至るまで、見える全てを頭に入れて、自分なりに解釈する。

 ふむふむ、これは高咲さんも一緒に連れてきたほうがよかったかな。他のみんなにも一度見てもらうのがいいだろう。

 

 踵を返して虹ヶ咲の控えテントに戻ろうとした瞬間、とある人物が目に映った。 

 今日のライブに誘ってくれた藤黄の綾小路さんが、彼女たちのテントから出てきたところだった。

 

「綾小路さん」

「天王寺さん。今日はお互い頑張りましょうね」

 

 突然声をかけられても、きちっとした立ち振る舞いをする彼女に感心する。 

 華道をやっているというのをどこかで見たことがある。それの賜物だろう。

 

「うん。と言っても、頑張るのは朝香さんだけど」

「その果林さんなら、先ほどお会いしました。スクールアイドルとして、虹ヶ咲学園代表として、恥ずかしくないパフォーマンスをする、と」

 

 大きく出たな。

 それが出来るだけの存在感と実力は確かにあるけど、豪語できるだけのメンタルまで持ってるなんて。

 僕からしたら超人だ。

 

「あの凛とした佇まい。なんでも着こなしてしまう美しさ。あの果林さんが立つステージを見られるなんて……」

 

 こちらが口をはさむ暇もなく、すらすらと褒める言葉が流れ出てくる。

 この早口で熱を持った喋り方、高咲さんがスクールアイドルを話す時や、優木さんがアニメの話をする時と似ている。

 人は好きなものを語る時、こうやって夢中になってしまうため、あらゆるスピードが速くなってしまうのだ。

 彼女がはっと気づいた時には、もう遅かった。

 

「なるほど、ファンだったってわけか」

「あ、ああぁぁ……」

 

 普段の大和撫子な姿から一転、顔を隠して伏せてしまう綾小路さん。

 いや、恥じることはないと思うけどね。誰だってこういう経験あるでしょ、いわゆる、オタク特有の早口。

 

「こ、このことは黙っておいていただけると……私情を挟んだとなれば、こちらもそちらもいい気はしないと思いますし……」

「そうすると、朝香さんに近づきづらくなるしね」

「天王寺さんっ」

 

 ちょっとからかうといい反応をする。藤黄の中でも意外といじられキャラだという情報は本当らしい。

 

「了解。遅かれ早かれだとは思うけど。でもあれだって嘘じゃないんでしょ。あの、桜坂さんの舞台を見たのがきっかけっていうのは」

「はい。あれだけの表現力をもって、劇も歌も踊りも高水準で歌えるスクールアイドルはそうそういません」

 

 桜坂さんは元々体力もあったし、声も張れた。それでもステージに間に合わせるにはそうとうしごいたけど、こうやって同業者が理解してくれると報われた気分になる。あとで伝えておこう。

 

「それも、遥さんの話を聞けば納得いきましたけど」

 

 僕をじっと見てくるのはなんの意味があるのか。

 もしかして、遥さん、僕のことをまた美化して伝えたんじゃないだろうな。

 あの子の誤解もそろそろ解かないと、とんでもない尾ひれがついてしまいそうで怖い。

 

「そういえば、以前、東雲学院に借りがあると」

「ああ。近江さんのことでちょっとあってね。ステージを貸してもらったんだ」

「聞けばその時、『なんでも』すると仰ったとか」

「まあ、そうだね」

「私たちにも、その権利はありますよね?」

 

 う、と僕は詰まる。

 確かにあの時、東雲の代表にそんなことは言った。別に冗談とか社交辞令とかではなく、本気で何でもやるつもりだった。

 それだけ、あれは必要なステージで、必要なお披露目だった。

 となると、藤黄にもこれだけでかいドでかいチャンスを貰ったんだから、仕方ない。

 

「ふふ、またご相談に行きますね」

 

 僕の沈黙を肯定と受け取って、彼女は含みのある表情で微笑んだ。

 

 

 

 

 時間は過ぎて、陽はとっくに落ちた。

 それでもダイバーフェスの賑わいは衰えることなく、スクールアイドルのお披露目タイムになったことで若者の声が増していた。

 東雲のライブが始まっている。もうあと十分も経たずに、虹ヶ咲の番だ。だが……

 

「遅いですね、果林さん」

「もうすぐ出番なのに……」

 

 みんなが揃っているテントの中に、肝心の朝香さんが見当たらない。戻ってもこない。連絡を取ろうにも、スマホを含めて荷物はここに置いていったきり。

 

「まさか迷子?」

「子供じゃあるまいし、そんなはずあるわけ……」

 

 高咲さんの呟きに呆れる中須さんだったが、方向音痴を知っている僕たちは困った顔をして、口を揃えた。

 

「あるかも」

「あるんですか!?」

 

 

 

 

「果林ちゃーん!」

 

 エマさんが走り出す。

 ステージからはそう離れていないところにあるベンチに、うなだれている朝香さんがいたからだ。

 

 電飾のラインを飾り付けられている紺色の衣装から見える素足、腰、腕は彼女のセクシーさを際立たせている。

 が、今はその体もひどく小さく見える。

 

「具合悪いの?」

「……ビビってるだけよ」

 

 璃奈の問いかけに、彼女は下唇を震わせた。

 

「我ながら情けないったらないわね。こんな土壇場でプレッシャー感じちゃうなんて。ほんと、みっともない。あんな偉そうなこと言ったくせに。ごめんなさい」

 

 朝香さんの小さな声をかき消すように、歓声が聞こえてくる。

 この舞台裏の向こうには、スクールアイドルを見に来ている人ばかりじゃない。虹ヶ咲も、朝香果林のことも知ってる人は極少数。そんな中で、何千人を相手に一人で、最高を演じなければいけない難しさと恐怖に直面したのだ。

 

 僕はエマさんと目を合わせ、頷く。

 エマさんはゆっくりと朝香さんに近づいて、目線を合わせて手を握る。

 

「大丈夫だよ、果林ちゃん」

「でも、こんなんじゃ」

 

 手も声も震えて、表情も作れなくて、足が竦んでいる。

 確かにこのままじゃステージで踊るどころか、ここから立つことすらできない。

 一人じゃ、もう限界なんだ。

 だけど……

 

「大丈夫」

 

 エマさんと同じく、璃奈が手を重ねる。近江さんと桜坂さんもさらに合わせた。

 

「私たちがいるじゃん」

「そうですよ。ソロアイドルだけど、一人じゃないんです」

 

 朝香さんは顔を上げる。その表情は、どうして、と物語っていた。

 

「なんで……そんなに優しいのよ」

「わかるでしょ、そんなの聞かなくたってさ」

 

 ソロアイドルでお互いライバル。だけど、同じ同好会に居て、同じ夢を見ている仲間だから。

 こんなに単純なこと、頭からすっかり抜け落ちていたみたいだ。

 

 彼女は深呼吸すると、ぱっと立ち上がった。

 

「うん、大丈夫」

「果林先輩!」

 

 覚悟を決めた彼女へ、中須さんが手を掲げる。

 

「ほらタッチですよ! かすみんのエネルギー、分けてあげます!」

 

 パン、と威勢のいい音が鳴る。中須さんに続いて、みんなが朝香さんの手を叩いていく。

 一発ごとに、彼女を圧し潰そうとしていたプレッシャーが消えていく。

 九回重なった後には、怯えていた朝香さんの姿なんてどこか遠くへ飛んで行っていた。

 

「行ってくる」

 

 背を向けて行こうとする朝香さんの隣に並んで、僕もついていく。

 

「一人で行くと迷うだろ」

 

 こんな土壇場で場所を間違えました、なんてしゃれにならないからね。サポート役として、ちゃんと連れて行かないと。

 

「そうね。あなたが引っ張って、湊くん」

 

 ぐいっと強引に袖を掴まれた。今回に限っては、振りほどく気もない。

 僕は、スクールアイドル朝香果林の実現を約束した。僕はそのためにいると大言を放った。

 大層な人間じゃないけど、その誓いだけは守らないと。

 

「ところで、今回の衣装、けっこう露出が多いのね。湊くんの趣味?」

「リサーチの結果! モデルの衣装とファン層から判断して、これがベストだと思っただけだよ」

「あら、顔が真っ赤よ」

「あんまりからかわないでくれよ……」

「ふふ、君のそういう初心なとこ、好きよ」

「僕は、君たちのそういうところが苦手だよ」

 

 軽口を叩きながら、ステージ袖に近づく。観客の盛り上がりは衰えることなく、ビリビリと伝わってくる。

 きゅっと、掴む力が強くなった。

 

「……あなたは、失望した?」

 

 弱さの残る声で、彼女は言った。

 

「私がほんとは、こんな怖がりだって知って、失望した?」

「いいや、むしろ安心したよ」

 

 まだどこかで、凄い人だという認識があったのかもしれない。モデルとして働いてるから、場慣れしてるかも、とも。それとこれとはまったくの別だということは分かっていたのに。

 だから彼女が弱音を吐いた時、僕は安堵した。

 朝香さんもやはり普通の女の子なのだ。大舞台を前にして心が竦んでしまう、普通の女の子。

 怖さを感じて、自覚して、吐露してくれたのもまた単純に嬉しかった。同好会を、心を預けられる場所として見てくれているってことだから。

 

「……また悪い癖が出ちゃったみたいね。どうも完璧にしなきゃって思っちゃうの。どうあがいても、私は私なのにね」

 

 言葉の雰囲気とは裏腹に、吹っ切れたような顔をしていた。

 朝香さんの言う通り、彼女は彼女だ。その朝香果林だけが出来るステージを待ってる人がいる。

 

「そうだね。方向音痴の朝香さん」

「……湊くんには、なんだか恥ずかしいところばかり見られてる気がするわ」

「君の怯えるところも見たしね」

「いじわるね」

「君には負ける」

 

 言い合いも、そろそろ終わりだ。

 舞台袖に来てみるといよいよという感じがしてくる。観客のはしゃぐ声は直に聞こえてきて、体を揺さぶってくる。

 そんな衝撃を一身に受けても、朝香さんは一歩も引かず、僕が何を言わずとも前へ踏み出した。

 最後に朝香さんはくるりと振り向いて、屈託のない笑顔をしてみせた。

 

「いってらっしゃい、朝香さん」

「ええ。見てて、湊くん」



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28 虹ヶ咲学園スクールアイドル:朝香果林

 食堂の端っこの席で、僕は高咲さんと並んでPCの画面にくぎ付けだった。

 映っているのは我らが虹ヶ咲スクールアイドル同好会のホームページ。

 ついに所属しているスクールアイドル全員を、MV付きで載せることが出来た感動に浸っているのだ。

 

「九人全員がデビューしましたね」

「うん。ようやくここまで来たかって感じ」

 

 むしろ、この短い間でよくやったと言うべきか。

 数か月で九人を、まったく別の曲で、MVまでつけてデビューさせるのはなかなか骨が折れた。

 これがグループならもう少し楽だったんだろうが、ソロアイドルという彼女たちの特性上仕方ないことなのである。

 

「うんうん! まさかこんなにトキメキを感じられるなんて、夢みたいです!」

「まだまだ、これから先も君には頑張ってもらわないと。もっとみんなの色んな姿を見たいんでしょ」

「はいっ。そのために、これからもごしどーごべんたつのほど、よろしくお願いします!」

「よろしい」

 

 高咲さんほど熱心なのは珍しい。

 みんなの様子を細かくチェックして、スクールアイドルの勉強も欠かさず、門外漢であるはずの音楽まで手を出している。

 なによりその明るい性格に助けられる。彼女がいるだけで自然と場が楽しくなるのだ。

 

「ところで、上原さんは?」

「先にダンスの練習に行きました。果林さんに触発されたみたいで」

 

 ああ、なるほどと僕は頷いた。

 先日の朝香さんのステージは、同好会内部にも衝撃を走らせた。

 安定した歌声、ブレないダンス、それに大きく跳ねる観客に、天まで響く歓声。スクールアイドルなら、いやステージに立とうとする者なら誰だってあの光景に憧れる。

 

「朝香さん、元のポテンシャルが高かったから、短い練習期間でも完成度が高かったね」

「なにより綺麗な手足! ステージで動くとすごく映えますよね! スタイルも良いし、さすがモデルって感じで。どうやったらあんなに綺麗になれるのかなあ」

「あら、そんなに褒められると照れるわね」

「わっ!?」

 

 ぬっと現れた朝香さんに、僕も高咲さんも飛び上がりそうになった。

 

「びっくりした……急に声かけるのやめてくれよ」

「ふふ、ごめんなさい。私の紹介文を書いてるって聞いて、来ちゃった」

「それは別にいいけど……」

「けど?」

「君がいると視線が集まる」

 

 朝香果林。

 一言で彼女を表すなら、セクシー、であろう。

 手足は長く、スタイルも良く、本当に高校生か疑わしいほど大人らしい雰囲気も持ち合わせていて、そのうえ美人。

 さらにライフデザイン学科ファッションデザインコース専攻ということもあって、服飾の知識も豊富。

 カリスマモデルであり、先日ダイバーフェスに出場した期待の新星スクールアイドル朝香果林の認知度は、今や優木さんを凌ぐほどになっている。

 当然、こんな人の目がたくさんあるところでは、その視線は一気に注がれることになる。

 

「アイドルだもの。視線を集めてなんぼよ」

「私たちは違うから、なんだかむず痒いです」

 

 照れ臭そうに、高咲さんは縮こまった。

 

「侑も慣れたほうがいいわよ。朝香果林や優木せつ菜擁するスクールアイドル同好会の美少女マネージャー、だものね」

「えぇっ、わ、私はそんな……」

「ね、湊くん」

「同意」

「湊さんまで!」

 

 うんうんと頷くと、高咲さんは顔を真っ赤にしてこちらを睨んだ。精いっぱい非難しているようだが、そうしてもまったく怖くないのは彼女と中須さんくらいだろう。

 

「最初、上原さんと来た時には君もアイドル志望なのかと思ったくらいだ」

「無理もないわね。侑はみんなのこと可愛い可愛いって言うけど、負けず劣らずよ」

「う、ううぅ……からかってますよね?」

「半分くらい?」

「七割本気。いや、八割かな」

 

 反応が面白くてついつい冷やかしてしまうのは否定しないが、可愛いっていうのも本音。

 今だって彼女がスクールアイドルに転身するなら全力でサポートする用意はある。彼女は本当に見てる側を楽しんでいるようだから、スクールアイドルになりたいと言い出すことはないだろうが。

 スクールアイドルのために必死で、そして楽しそうに頑張る彼女の隠れファンだっているのに、なんとも惜しい。

 

「い、今は私より、果林さんの話です!」

「私の話より侑の話しない?」

「アリ寄りのアリ」

「ナシです!」

 

 必死に手をわちゃわちゃ動かして話を元に戻そうとする高咲さん。その様子が可笑しくて、僕と朝香さんは顔を揃えてくすくすと笑った。

 

「じゃあ二割冗談は置いておいて」

 

 八割本気も置いてください、という高咲さんの言葉は無視した。

 

「ちょうどいい、書くのに手間取ってたところだ。いくつか君に聞きたいことがあるんだけど」

「へえ?」

 

 朝香さんの何か企んでそうな目がこっちに向いた。

 嫌な予感を感じ取ると、彼女は綺麗な手をゆっくりと胸元に持っていくと、リボンの端を手に取った。

 

「ええ、どうぞ。趣味? 特技? それとも、スリーサイズ?」

「最後のやつ以外」

「遠慮しないでいいのよ。調べたらすぐ出てくるものだもの。それとも、信じられないなら直接確かめてみる?」

「わ、わ……」

「朝香さん」

 

 彼女が制服のリボンを外し、第一ボタンに手をかけたところで、顔を真っ赤にしている高咲さんを指差した。

 

「後輩の教育に悪いよ」

「そうね。侑には刺激が強すぎたみたい」

「そういうのは君のファンにしてあげたらいい」

「スクールアイドル朝香果林のファン一号はあなたでしょう? だったらファンサービスの一環になるんじゃないかしら」

「訂正。僕以外のファンにしてやったらいい」

「こういうのは、特別なファンにしかしないわ」

 

 口の端をわずかにつり上げて、朝香さんはリボンを結び直す。

 危ない危ない。

 抜けてるところがあるのに、鋭いところもあって、会話のペースを掴んでもくる。なんだ、完璧超人か?

 

 そんな軽口とからかいの応酬多めの一問一答会は、思ったよりも楽しく、横道に逸れながら進んだ。

 気づけば外は深い橙色に染まっていて、暗くなるまでもう少しといったところだ。カフェの中も照明が点いている。

 

「ところで、もうすぐ一学期も終わるけど、朝香さんは進路決まってる?」

 

 ふと、気になって訊いてみる。

 

「そうね、事務所に入って本格的にモデルの仕事を続けるつもりだけど……進学するべきかはまだ迷ってるわ。勉強はあまり得意じゃないし」

()()()得意じゃない、ね」

「……なに?」

「いいや、別に」

 

 ずいぶんと控えめに言ったものだな、と思っただけ。相当ひどいらしいとは、エマさん談。

 

「私の進路、気になる?」

 

 そりゃあね、と僕は返して、ぬるくなったコーヒーを一口すすった。

 

「三年生は特に、時間を大切に使わないと。受験するなら部活ばかりに気を取られるわけにもいかない」

 

 それも加味して、練習メニューやステージを組まなきゃいけなくなる。

 青春を謳歌するのは結構だが、それで将来が潰れてしまったらどうしようもない。調整する立場が僕である以上、みんなの行く末は気になると言うもの。

 

「あ……」

 

 何かに気付いて、高咲さんの表情は一転、曇りのあるものになった。

 

「果林さんも湊さんも、卒業するんですよね」

「留年しなければね」

「なんで私を見るのよ」

「自分の胸かエマさんに聞いてみたらいい。もしくは通知表に」

 

 と、冗談混じりで言えるのは本人たちだけで、高咲さんはまだ俯き気味の暗い顔。

 先輩がいなくなってしまう寂しさはわからんでもない。今まで普通に喋っていた相手がいなくなるんだから。

 

「大丈夫よ、会えなくなるわけじゃないもの。それに、私たちがいなくなっても、みんながいるわ」

「それでも、寂しいです」

 

 周りの世界の一部がぽっかり空いてしまうような感覚。部活を全力でやって全力で楽しんでる人ほど感情が揺れる。

 時間が経てばすぐ解消されるような悩みだけど、感じている間は不安ばかりが募る。

 

「だったら、今のうちにちゃんといっぱい思い出を作っておきましょう」

 

 高咲さんの心情を見透かして、朝香さんはそう言った。

 僕ら見送られる側が最後まで出来ることといったら、跡を濁さないこと。せめて、これからもここにいる後輩のために引きずるものを残さないこと。終わりが来るその時まで、満足を与えてやること。

 

「高咲さんはやっておきたいことはない? 三年生がいる間にさ」

「やりたいことなんて多すぎて……」

「だったら、一つずつやっていこう。卒業まではまだ時間がある」

 

 今まで色々抱えていた他の人のと比べれば、可愛らしい悩みだ。が、ここまで同好会に関わってきた以上、当然そのまま放ったらかしにするわけにもいかない。

 こればっかりは、さすがに行動で示すしかない。彼女のためにも、練習以外の時間を作ってみるのもいいかもしれない。

 ひとまずはテストの後、夏休みに企てている計画をもっとボリューミーにしてみようか。

 

「後輩想いね、湊くんは」

「それは朝香さんも」

 

 頬を緩ませた朝香さんに、僕はそう返した。



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29 名前で呼ぶのは恥ずかしい

「力が抜けてる」

 

 現れて開口一番、彼女はそう言った。

 

「それは……良いこと? 悪いこと?」

「あくまで私個人としては……無気力に見える」

 

 僕はため息をつく。

 言い当てられて当然なんだけど、厭な気持ちになる。

 

「疲れてるだけだよ。放課後だし」

「隠すクセは変わらないのね」

 

 心底残念そうに、そして非難するような口調でそう言った。

 その顔は苦手だ。僕が悪いことをしたような気分になる。ひどい罪悪感に苛まれる。

 でも僕は決して、つらいだなんて言うつもりはなかった。言わなければ発散もできないが、どうせいつかは薄れていく。無いのと同じだ。

 であれば、わざわざ吹聴して回ることもない。

 

「私はあなたを助けたいの」

「助ける? どうして。どうして助ける必要なんて」

 

 自嘲気味な苦笑とともに、反射的に言葉が口をついて出た。

 

「あなただからって全部肯定することなんてないだろ。『君は間違ってる。酷い人間だ。助ける価値なんてない』って言っても、いいじゃないか」

 

 そう言ってくれたほうが楽になる。所詮その程度の人間なんだと納得できる。

 この人は、僕の心をざわつかせるようなことしか言わない。たまには、望むとおりの発言をしてくれてもいいのに。

 怒って、罵って、罵詈雑言を吐き捨てるくらいしても、僕は文句は言わない。言えない。

 

「そんなことないわ。自分を責めないで。あなたは被害者なのよ。だって家族を……」

「それはお父さんだって同じだ」

 

 その言葉で思い出した光景を、嗚咽ごと飲み込んだ。

 

「僕だけがつらい目に遭ってるわけじゃない」

 

 

 

 

「み・な・と・くん」

「っ!」

 

 ぽんと肩に手を置かれて、僕は飛び上がる。

 みんなが来るまでの間、部室で一人編集作業をしていたところだったから、気が緩んでいた。

 

 僕に挨拶した当の本人である朝香さんと、その後ろについてきていた桜坂さんは目を丸くしていた。

 

「そんな、取って食べたりしないわよ」

「びっくりした……」

 

 今の一瞬で、寿命が何年か縮んだ気がする。ほんと、いきなり話しかけられるのは心臓に悪い。

 すぐそこに来るまで気づかなかった僕が悪いんだけど。

 

「……ほんとに?」

「そんな感じには見えませんでしたけど。触られるのが嫌、とか?」

「そういえば、最初に会った時も握手しなかったわね。かすみちゃんのタックルも避けるし、遥ちゃんに手を握られた時は焦ってたみたいだし」

「女の子に免疫がないと、挙動不審になるもんだよ」

 

 特に、君たちみたいな美少女に僕が触れるなんて。ファンだってお願いしてからの握手が精いっぱいだっていうのに。

 

「だからって、今のは……ちょっと驚きすぎじゃないですか?」

「僕だって、急に話しかけられたりしなければ驚きはしないよ」

「なーにか隠してるように見えるのよね」

「白状するなら早いほうがいいですよ、湊先輩」

 

 まあ、たしかに、この二人相手ではことさら距離感に気を付けているのは認めよう。それにはいくつかの理由がある。

 本人に言いふらすのはあまり褒められたことではないが……仕方あるまい。

 

「実は、朝香さんと桜坂さんのスキンシップは危険だから気を付けろとお達しを受けまして……」

「誰からですか?」

「……君たちと同学年の方たち」

 

 曰く、しず子は強引なところがあるから注意してください。

 曰く、しずくちゃんがお兄ちゃんを見る目、本気の目だった。

 曰く、果林ちゃんと二人っきりになるのは絶対に避けてね。

 曰く、油断してたらぱっくりいかれちゃうかもね~。

 

 誰がどれを言ったかは、個人を尊重して伏せておこう。

 

「エマも彼方も、あなたに相当近づきすぎだと思うんだけど」

「璃奈さんとかすみさんも、やたらとベタベタしてる印象がありますが」

 

 そんなことはありません……ないよな?

 言葉に詰まっていると、二人はジト目で僕を睨んでくる。

 

「ずるいわよね。他はよくて、私たちはダメなんて」

「扱いに差があるのは、良くないですよ」

「つまり等しく距離を取れと」

「逆です」

「私たちとももっと仲良くすべきだと思うわ」

 

 迫ってくるなんてことはしてこないが、視線の迫力は異常に強い。

 思わずじりじりと下がってしまう。冷や汗も出てきた。

 

「今日はいやに聞き分けが悪いね」

「だって、同じ同好会の仲間なのに、湊先輩だけなんだか一歩離れてるんですもん」

 

 そんなこと言われましても。

 性別、学科、学年……感じようと思えば、壁なんていくらでも感じられるものなんだからしょうがないんじゃないかな。

 

「名前で呼び合うくらいしてもいいんじゃないかしら?」

「そうですよね。湊先輩、エマさんのことしか名前で呼びませんし」

「いやあ、それを言ったら、桜坂さんも……」

「今は湊先輩の話です」

「だったら、逆に僕を天王寺って呼べば……」

「それは璃奈さんと被るのでダメです」

「天王寺、と、璃奈で分けられるじゃないか」

「却下です」

 

 ひえぇ。

 有無を言わさない威圧感。この子本当に一年生か? 去年まで中学生とは信じられないんだが。

 持ち前の演技力をどこで活かしてるんだ、まったく。

 

「一回だけでいいですから」

「一回?」

「そう、一回だけ。演技すると思ったら、少しは楽じゃないですか?」

 

 こういうのは、一発芸と同じで、振られたら即やってしまうのが一番あっさりと終わるもんだ。

 長引かせれば長引かせるほど、どんどん深みにはまってしまう。

 よし。覚悟を決めよう。

 

「じゃあ……」

「あ、待ってください。目はちゃんとこっちに向けて、体も正面にして、そうそう、そうです。それでお願いします」

 

 互いに向き合うようにして、見つめ合う。

 まるでなんか、大事なシーンみたいじゃないか。

 そう、シーン。これは一つのシチュエーション。だから僕がすべきは、これに合うセリフを言うだけ。演技だ、演技。彼女の言う通り、演技をするように。

 後輩の名前を一度呼ぶだけだ。何を恐れることもない……はず。

 

「しずく」

「っ」

 

 息を呑んだ音がした。

 何かを抑えつけていた様子の桜坂さんは、みるみる耳まで赤くして、最終的には声にならない声を上げて顔を手で覆った。

 ええぇ、どういう反応?

 

「次は私の番ね」

「あの、桜坂さんは……」

「大丈夫よ」

「そう見えないけど」

 

 ソファに座って、近江さん専用の枕に顔を埋めているじゃないか。

 気に障ることをしてしまったか、あるいは可笑しかったか。

 朝香さんは、心配しておろおろしている僕と桜坂さんの間に割り込んで、強制的に視線を遮った。

 

「今は、私を見て」

 

 そんな挑発的なことを言って、彼女は立ちはだかる。

 これもまた仕方なし、だ。

 桜坂さんにした時と同じように、正面を向いて、目を合わせる。

 朝香さんの身長は女性にしては高く、僕とほぼ変わらない。だからだろうか、こうやって正対すると、実際よりも近くに感じて綺麗さがより際立って見えた。

 意識してしまうとまずい。静かにきらめく瞳に吸い込まれていきそうだ。

 

「果林」

 

 どうにかなってしまう前に言い切ると、彼女は硬直したまま、動かなくなった。

 ……

 …………

 ………………まだ動かない。石化魔法でも打たれたみたいに、一切微動だにしない。

 まばたきもしないし、なんなら呼吸をしている様子もない。

 

「朝香さん?」

 

 大丈夫か、と声をかけようとした直前、彼女は大きく息を吐いて髪先をいじり始めた。

 

「なるほど。なるほど、ね。これは危険だわ」

 

 何かを得たように、しきりに頷く朝香さん。まだプルプル震えている桜坂さんもこくこくと同意している。

 

「そうですね。こちらも甘く見ていたというか……とにかく、危険です」

 

 何をもって危険としているのかは分からないけれど、名前で呼ぶのは一旦諦めてくれたみたいだ。

 よかった。呼び方を変えるのは、大きくなればなるほど恥ずかしいものだ。

 仲良くするはずが、なんだかよそよそしくなってるのはちょっと寂しいけど。

 

「かすみんが来ましたよ! ……ってなんですかこの空気」

 

 ナイスタイミング!

 恥ずかしさと高鳴る心臓、あとなにかしらのせいでで誰も口を開けなくなった空間に、中須さんが来てくれた!

 この変な雰囲気を感じ取った彼女は、首をかしげてしばらく考えた後、目をパチクリさせた。

 

「はっ! まさか湊先輩が、しず子と果林先輩の毒牙に……」

「そんなこと思ってたのね、かすみちゃん」

 

 朝香さんががしっと、頭を掴む。

 微笑みを湛えてはいるが、手には青筋が浮かんでいる。あと、ミシミシ音が鳴ってるんだけど、中須さんの頭破裂したりしないかな。

 

「ちゃんとした教育が必要みたいね。ええ、気にしないで。先輩として、あなたをちゃぁんといい子にしてあげるから」

「かすみさん、湊先輩に『気を付けて』って警告したらしいね。そのことについて色々、聞きたいことがあるんだけどなあ」

 

 桜坂さんも、逃がすまいと腕を掴む。

 まあ、仲がよろしいこと、なんてのはこの状況を初めて見た人でも思わないだろう。だって二人とから黒いオーラが出てるんだもの。

 入ったら殺られそうな間合いが見える。

 

 状況を理解するにつれて、中須さんの顔がみるみる青くなる。

 気分が悪くて顔が真っ白になるとか、真っ青になるとかって、比喩表現じゃないんだなあ。

 

「それじゃ、私たちはお話合いがあるので」

「また後でね、湊くん」

 

 いい笑顔で、涙目を浮かべる中須さんを、ずるずると引きずっていく。

 助けを求める視線がぶつかってくるが、僕は首を横に振った。諦めろ。

 

「み、湊せんぱ~い! 助けてぇ!」

 

 すまない、僕に出来るのはこれだけ。

 手と手を合わせて、合掌。



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30 じゃあ逆に聞くけど、近江彼方のあ~んを断れるか?

「うううぅ~。こんな点数なんて……」

 

 恨めしそうに一枚の紙を睨みつける中須さん。

 しわがつくにも関わらず握られてるそれは期末テストの結果で、書かれている点数は二十二点。赤点である。

 

「二十二点でにゃんにゃん。可愛いじゃん」

「全然可愛くないよぉ!」

 

 猫の真似をする桜坂さんに、中須さんは憤慨する。

 怒るくらいなら勉強したらいいのに。

 

「まあまあ、テストの結果は置いといて。これで一学期はお終い!」

「明日から、いよいよ待ちに待った夏休み!」

「今から、スクールアイドル同好会、夏合宿出発です!」

 

 いいのか? と思いつつも、テンションの上がっている二年生に迎合する。

 

 そう。今から学業からは解き放たれ、遊びに部活にとやりたい放題の夏が始まるのだ。

 

 

 

 

 合宿、といっても場所は虹ヶ咲。別のところで宿泊するお金もないし、下手なところより設備は整っている。

 夏休みまるまる使うとなったら、ここほど適した場所はないのだ。

 

「わ~、こっちも広いですね」

 

 取っておいた一人用の部屋に、荷物を置くやいなや、高咲さんがやってきた。

 

「そっちはどう?」

「みんなが寝そべっても余裕ありますし、布団もちゃんとありました。まさかニジガクにこんな施設があるなんて知りませんでしたよ」

「名目上は研修施設だけど、泊まって練習する部も使ってるから覚えておいたほうがいいよ」

 

 部活動で使うなら、なんと使用料タダ。何日だって使い放題なのである。

 そのぶん人気が高くて、こういった長期休みの時は奪い合いになる。かなり前から予約しておいた。危うく忘れかけて部室で寝泊まりするところだった。

 

 女子たちは大部屋をひとつ貸し切っている。

 別に一人部屋が余っていなかったわけではないが、『せっかくだから同じ部屋で泊まろう』という宮下さんの提案に全員が乗ったのだ。

 璃奈も、こんなに大勢で一緒に泊まる経験がないからか、かなりわくわくしているようだった。

 

「かすみちゃんは、海辺の別荘がいいってぼやいてましたよ」

 

 そんなお金持ちキャラ、うちにはいない。

 

 

 

 

 さて、練習は明日から。

 今日は一学期お疲れ様会。

 調理室を占有して、買い込んだ食材を並べては調理していく。

 

「う~ん、いい匂い」

 

 近江さんがオーブンを空けると、チーズのいい匂いが漂う。彼女はいい具合に焼けたピザを取り出して、カッターで切り分けていく。

 

 料理専攻の近江さんを筆頭に、エマさんと宮下さんもその腕をいかんなく振るう。

 和と洋が揃ってるのを見て、僕は中華を担当。一年生たちはデザートを作っていた。

 今日はかなり豪華な夕食になりそうだ。

 

 そんな中で、たった一人鍋をかき混ぜ続けている人がいた。

 優木せつ菜である。

 彼女は満足そうに頷くと、

 

「どうですか! せつ菜スペシャルスープですっ!」

 

 にっこりと、自慢げに自分の作った料理を示した。

 

 鍋。鍋いっぱいの紫の液体。

 魚の頭とか、玉ねぎまるごととか、見えてはいけないものが浮かんでは沈んでいる。

 謎にとろみがあるのもなかなかのポイントだ。逆に。

 あと匂いが何もしないのが怖い。

 

「う、うん。なんというか、個性的だね。うわあ、スープなんだ、コレ……お、美味しそうだなぁ。じゃあこっちもすぐ出来るから、先にこれを運んでくれるかな」

「わかりましたっ」

 

 エビチリの乗ったお皿を渡すと、満面の笑みで駆けていく優木さん。その姿が消えるまで見送った後、振り返るとジト目の近江さんがいた

 

「……湊く~ん」

「見ないでくれ。僕にはこれを地獄だと言う勇気はなかった……」

 

 あんなペカっとした笑顔の前で、『いやこれクソ不味そうでんがな、ガッハッハ』なんて言えるわけもない。

 

「それに、見た目がアレなだけで、味は悪いかどうかなんてわからないし……」

「じゃあちょっと味見してみて味見」

「え、なんだ、殺す気かな?」

 

 にやにやと、近江さんが僕に近寄る。

 

「え~、美味しそうだって言ったのは湊くんじゃーん」

「本人目の前にして不味いとか言えるかいな」

 

 僕の抗議を無視して、近江さんはおたまで謎液体を掬うと、こちらに向けてくる。

 

「ほらほら、あ~ん」

 

 え、やば、この子本当に食べさせようとしてくる。

 

「大丈夫だよ~。味がアレだったら、彼方ちゃんが手直しするから」

「それは僕という屍が出来上がってからですよね!?」

 

 

 

 数分後、外のテーブル設置を済ませた朝香さんが、調理室に入るなりぎょっとした。

 

「なに、なにしてたの?」

「うーん、新婚さんごっこかなぁ」

「拷問されてました」

「えらくかけ離れた二つね」

 

 ぐったりしている僕を覗き込んできた二人の様子を見ると、まあまあ酷い顔色をしているみたいだ。

 

「だ、大丈夫なの?」

「無理させてごめんね~」

「いやまあ、結局飲んだのは僕だし」

 

 僕だって近江さんの『あ~ん』を拒否できるならしたかったよ。でも無理でした。勝てませんでした。敗訴。

 

 

 

 

 夜近くなっても、まだ陽は沈んでいない。夏はとっくに始まっているのに、実感できたのはいまさら。

 今日はいい具合に風もそよいでいて、しかも湿度も低い。屋外で食事するには、絶好の日だ。

 

「いただきまーす!」

「うーん、ピッツァ、ボーノ!」

「でしょでしょ~? 彼方ちゃん特製ピザ、生地から作ったんだよ~」

 

 両隣の二人が、美味しそうにピザを頬張る。

 

 学校で、外で、こんなにたくさんの、スクールアイドルが作ったご飯を食べれるなんて贅沢の極みだ。

 ファンに知られたら刺されるどころの騒ぎじゃないな。

 

「ほらほら、湊くんも食べて」

 

 一歩引いた目で見ていたのを、遠慮していると捉えられたのか、エマさんが大きなお皿にいろいろ盛って、目の前に差し出してくる。

 

「あ、ありがとう」

「食べたいものがあったら、なんでも言ってね。取ってあげるから」

 

 甲斐甲斐しくお世話をしてくれるのはありがたいが、僕はそんな人を顎で使う人間に見えるのだろうか。

 

「あなたはアピールしなくていいの、彼方?」

「彼方ちゃんは、さっき湊くんにあ~んしたから、ね」

 

 ね、じゃない。それは言わない約束だろうよ。ほら、他から向けられる視線が痛い。受けても逆に得意げになっているのはなんなんだ、近江さん。

 というかアピールってなんだ。僕が座った瞬間に始まった謎じゃんけんと関係があるのか。

 

「いつの間に……」

「料理できる人って、ずるい」

「ずるくない」

 

 ただの偏見じゃないか。

 

「でも湊くんはずるいけどね」

「うん、ずるい」

「訴えたいくらいずるいですよね」

「勝手なことを……出るとこ出たら僕の勝ちだが」

「出るとこ出てるですって、エマ」

「湊くんのえっち」

「んなこと言ってないよなあ!」

 

 どんどんと僕の評価がおかしいことになってる気がする。そのほとんどが僕のせいではなく、噂なり印象が独り歩きしているようだ。

 アイドルじゃないのに、どうしてこんなことに……

 

「これも食べよう」

 

 件の優木さん特製スープが入った鍋は、テーブルの中央にどんと置かれている。

 高咲さんは自分の椀に注いで、躊躇うことなく飲んだ。

 

「こっちも見た目よりマイルドで美味しい!」

「それは良かったです」

 

 まさか手を加えられてるとはつゆ知らず、ふふ、と笑う優木さん。

 それを見て、近江さんがこっそりと耳打ちしてくる。

 

「湊くんのおかげだね」

「一回死んだ甲斐があったよ。いや、ほんとに」

 

 苦笑して、僕もスープを掬う。

 二人で魔改造したそれは、紫色の見た目こそそのままだが、味はまあまあイケる。土台がアレだったのにここまで出来たのは素直に褒めてほしいところだ。

 

「ところで、湊せんぱ~い、みんな一曲ずつお披露目できたんですし、そろそろ二曲目作ってもらえませんか?」

「もう、あまり無理言っちゃダメだよ、かすみさん」

 

 甘える声の中須さんとたしなめる桜坂さん。

 

「だぁってぇ、私なんかもうしばらくずっと練習だけだよ? ね、いいですよね、湊先輩。湊先輩にとって、かすみんが一番なんだから」

「は?」

 

 穏やかだったはずの空気に、緊張感が張り詰めだした。一年生の間だけで。

 

「かすみさん、暑いからっておかしなこと言ってるよ?」

「もう休んだほうがいいと思う」

 

 三人ともあくまでにこやか。笑顔なんだけど、その背後からやけに黒いオーラが見え隠れしているのはなんなんだろう、幻覚かな。

 

「かすみんのためにずっと同好会に残ってくれたんだから、かすみんこそ一番っ!」

「アイドル活動だけじゃなくて、演劇のほうも手伝ってくれたりするよ。そこまでしてくれるのって、私が一番だからじゃないかな」

「何にも代えがたい妹。練習の時もライブの時だって、ずっと一緒にいてくれる。だから、私が一番」

「どうなんですか、湊先輩!」

 

 ぐりん、と三つの顔がこちらへ向く。

 

「はあ……桜坂さんも、璃奈も、そんな話に乗るほど馬鹿じゃなかっただろうに」

「かすみんも馬鹿じゃありませんよ!?」

 

 ちらりと一瞥して、ため息。

 

「仲が良いのは結構だけど、悪いところは影響されずに……」

「いま! いますごい呆れた顔しましたよね!?」

 

 そりゃ呆れもする。こんな男掴まえてする話でもない。華の女子高生が集まってるんだからもうちょっと楽しい会話を……

 

「でもここは譲れない。お兄ちゃんにとって、一番は私」

「私のことを、綺麗って言ってくれましたよね、湊先輩?」

「かすみんのことをこんなにいじってくるのは、愛がある証拠ですよね!?」

「あのねえ、誰が何番だとか、決められるわけないでしょ。君たちはそれぞれに良いところがあって、比べようがないんだから」

「あ、そういうのいいんで」

「いまめっちゃ良いこと言ったじゃん。納得してよ」

 

 そんな小競り合いを繰り広げながらも、早めに各々の二曲目を作ると約束したことでその場は収まってくれた。

 日は傾いてきても食べる手は止まらず、あっという間にデザートまで美味しくいただいて、空になった皿だけが積まれた。

 

「こんなに楽しいと、合宿だって忘れちゃいそう~」

「明日の朝ごはんもパーティみたいにしちゃおうか!」

「あ、みんなで卵かけごはんとかどう?」

「卵かけごはん、好き」

「なに言ってるんですか。そんな時間ありませんよ」

 

 盛り上がりかけたところを、優木さんが制する。

 

「この合宿では、日ごろ足りていない練習と、私たちのライブの内容をまとめるんですから」

 

 全員デビュー出来て、人気もどんどん上がっている。そこで、虹ヶ咲スクールアイドル同好会でライブを行うことにしたのだ。

 しかし、各々持ち歌一曲を披露するならともかく、それ以上をこなすとなると足りないものが多すぎる。

 単純に始めたばかりで練習時間が少ないのもあるが、自分をじっくり見直す機会がなかったのも大きな要因だ。

 

 この合宿では、普段やってることよりもっと踏み込んだ、高い難度の練習をしてもらうつもりだ。

 こういうのはいつかやらないといけないと思っていたが、途切れ途切れじゃ意味がない。夏休みはちょうどよかった。

 

「ライブかあ、ダイバーフェス、ほんとに凄かったなあ」

 

 高咲さんがキラキラと目を輝かせる。

 音や舞台だけじゃなく、数千人が掲げるサイリウムで彩られた景色。あのステージは、これまでとは全く違うものだった。

 観客側で見ていた彼女は、強くトキメキを感じたことだろう。

 

「かすみんも早くステージに立ちたいです! その時はかすみんのめちゃかわパワーで、お客さんをメロメロにしちゃいます!」

「私は自信をもって自分を表現したいです!」

「彼方ちゃんはベッドの上でリラックスしたいな~」

「愛さんは、ライブでダジャレぶちかましたい!」

「来てくれた人みんなと、手を繋いで踊ったりしたいな~」

「オンライン中継で、離れた人とも繋がりたい」

「ダイバーフェス以上に、本気の私を見せるつもりよ」

「私も、私の大好きを叫びたいです」

「ステージに立つだけで、胸がいっぱいになっちゃいそうだよ」

 

 九者九様。言ってることがバラバラなのが、やっぱり彼女たちらしい。でもその中心にあるのは、良いライブをしたいという気持ち。

 まったく別の方向を向いているのに一丸となっているなんて、なんだか不思議だ。だからこそ、彼女たちに惹かれるファンもいるのだろう。

 

 したいことが、たくさんある。

 叶えるのが僕の仕事。

 アイドルとファンを繋げることが、僕の責務。

 

 じゃあ、一番のファンともいえる高咲さんは……みんなを陰で引っ張ってきた高咲さんは、何が見たいんだろう。



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31 私を見て

 夜も更けてきて、窓から見える景色も暗くなってきた。

 あれだけわいわいとはしゃいでいた昼間と比べると、この一人部屋は寂しく感じる。

 一学期が終わってホッとしたからか、張り切ってたくさん料理をしたからか、疲れがどっと出てきた気がする。

 だからといって、休んでばかりもいられない。そう思ったところで、スマホが鳴った。通話。エマさんからだ。

 出てみると、あっちの部屋はいま人数が少ないのか、周りが静かだ。

 

〈湊くん、今なにしてるの?〉

「動画編集中」

 

 料理しているところ、食べているところを撮っていたので、その動画をPCに取り込んでカット作業から始めている。

 夏休みこそ動画再生数が上がる。特にこういう合宿動画は、レア感があって伸びやすいのだ。

 出来れば、今日投稿してしまいたい。

 

〈こっち来ようよ〉

「やだ」

〈えー、みんなも湊くんに来てほしいよね?〉

〈湊く~ん〉

〈一緒にお話ししましょうよ〉

 

 ちょっと遠めに、近江さんと朝香さんの声が聞こえる。

 

「君らね……もうちょっと危機感を持ちなさい」

 

 女子の部屋に男子を呼ぶなんてハレンチですよ。お兄さん許しませんからね。

 

〈むう、湊くんのけち〉

「けちで結構」

〈朴念仁、たらし、唐変木〉

「エマさんはどこでそういうの覚えてくるの?」

 

 好奇心旺盛なエマさんは言葉を教わるのにも物怖じしない。大体は親切心や良心でまともな日本語を教えるが、たまーにいたずらでズレたものを教える人もいる。

 ネットスラングだったり、死語だったり。あと本人が調べたりして、ガンガン使ってくることもある。

 前に『とってもエモエモで嬉しみが深くて草だよ!』なんて言った時は、犯人捜しだってしたくらいで……

 

〈きゃああああ!〉

「!」

 

 突然、高い叫び声が耳を貫いた。

 今のは、一年生の声だ。

 一体何が起こったのか、なんて考えるのは後だ。

 僕はスマホを握り締めたまま、すぐさま部屋を飛び出した。

 

 

 

 

「一体何してるんですか! おふざけにもほどがあります!」

 

 生徒会長モードの優木さんが、一年生と三年生を正座させて怒る。

 

「ちょおっと楽しくしようとしてただけなのに……」

「そうそう」

「そんなに目くじら立てなくても」

 

 結論から言えば、何も問題はなかった。

 みんなを驚かせようとしてホラーコスプレした中須さん率いる一年生が部屋に入った瞬間、同じことを考えていた三年生に返り討ちにあった、というわけだ。

 白塗りの三人を見た時、僕も面食らった。あー、びっくりした。

 

「まあまあ、怒るのはそれくらいにして。可愛いイタズラみたいなもんじゃないか」

 

 なおも眉間にしわを寄せる優木さんを、どうどうと落ち着かせる。生徒会長である彼女としては、納得いかないみたい。

 しかしまあ、僕としては浮かれてしまう気持ちも分からないでもない。夏休み、合宿、夜。シチュエーションとしては否が応にもテンションが上がる。

 

「明日も早いし、今日はもう寝るだけだね。じゃ、僕はここで」

「えーっ」

 

 なぜかブーイングの嵐。なんで優木さんまで驚いた顔するんだか。

 

「せっかく来たのに帰るんですか?」

「いや、あの、一般的には男女が同じ部屋にいるのはよろしくないと思いまして……」

 

 それも夜に。なんなら、いまこの瞬間も部屋から飛び出したい気分なんです。来た時と同じスピードで。

 非難を正面から受けながら後ずさると、桜坂さんが潤んでいる目で見上げてくる。

 

「だめ、ですか?」

「む、ぐ……」

 

 ずるい。

 桜坂さんほどの美少女に、上目遣いでそんな台詞を言われたら、くらっと来てしまう。

 

「今夜だけでいいですから、一緒にいたいです」

「ご、五分だけなら」

「一時間」

「一時間は長い長い。ほら、明日早いから、十時には寝ようって話だったでしょ」

「じゃああと三十分ありますね」

 

 三十分ありますね、じゃないんだよ。三十分ありますね、じゃないんだよ、ねえ!

 

「先輩……」

 

 演技だ。僕をここに留まらせようと、しおらしい後輩の演技をしている。

 それはわかってる。わかってるんだけど……

 

「……三十分だけ。十時になった瞬間に、僕は戻るからね」

「はいっ」

 

 彼女のぱっとした笑顔を見て、僕はしてやられたと思った。

 ……やっぱり、敵わないな。

 

「しず子! 今の教えて!」

「わ、私も」

 

 もう僕帰っていいかなぁ。

 

 

 

 

 次の日は、朝からランニング。

 特殊メニューを組んでいるが、基礎練習は欠かさない。何をするにもやはり体力があるに越したことはない。

 その様子を眺めながら、僕は寝不足の目をこすった。

 桜坂さんの指導により、おねだりの仕方を覚えたみんながそれを駆使して何回も留めてきたのだ。

 囲まれてそんなことをされてみろ。飛ぶぞ。

 

「はあ……」

 

 面白い反応をしてしまうからからかわれるのはわかってるんだけど、こればっかりはコントロールできるもんでもない。

 いや、結局は言い訳つけて、僕も楽しんでるだけなのかも。

 

「はあ……」

「なーに朝からため息ついてんの、みーくん!」

 

 先にノルマを達成した宮下さんが、あり余る元気を放ってくる。

 

「いや、僕はこんなに弱い人間だったかな、と思って」

 

 ダメだ、と強く払えるくらいの精神力があればいいんだが。でもどうしても、振り払えない。どうせ自分のためなんだ。自分が傷つきたくないから、強気にぶつかれないだけ。

 そうだよ。僕が弱い人間だなんて、わかりきってたことじゃないか。

 

「何の話?」

 

 また思考の渦に囚われるところを、宮下さんの言葉で引き戻される。

 僕は何を言ってるんだ。みんなのサポート役だぞ。悩みを聞きこそすれ、吐いてどうする。

 

「いやいや、何でもない。今日はなんだかポエミーな気分だなぁ。作詞が捗りそうだ」

「あはは、何それ」

 

 実際、こういう時のほうが作業が進んだりするのだ。

 沈んでる時こそ語彙力が増したり、腹が減ってるほうが集中力が増したり、人間とはなんとも不可思議で不便なものである。

 

「そんな暗い顔してると、みんな心配するよ?」

「それは良くないかな」

「だったら、ほらほら、みーくんも一緒に動こう!」

 

 無理やりに手を引っ張られる。

 タイムを計っていた高咲さんの手も取って、宮下さんは駆け出す。

 ランニングはいつの間にかみんなを巻き込んで、鬼ごっこに発展しだした。それだけじゃなく、かくれんぼとかケイドロとか、とにかく身一つでできる遊びがどんどん提案され、僕も付き合わされる。

 もちろん体力のない僕が一番に捕まり、次に高咲さん。順当に捕縛された非運動組は揃って部室に閉じ込められ、何をするでもなく、ただPCで動画を流し見していた。

 

「外国にもスクールアイドルっているんですかね?」

「少数だけど、いるにはいるよ」

 

 ぼうっと画面を眺めながら、僕は返す。

 

「でもやっぱり主流は日本だから、スクールアイドルやるのを目的に留学してくるってのもそれなりにいるらしいね」

「エマさんもそうですもんね。すごい情熱だなあ」

 

 僕も二年生の時に外国へ留学したことがあるけれど、それはあくまで一時的な、数か月間の留学だ。エマさんのとは全く毛色が異なる……と思う。

 思い立って、頼りになる人もいない外国へ行く勇気。さすがエマさんといえよう。

 

「外国の、か……『school idol』で検索したら出てくるかな……」

 

 高咲さんは見ていた動画を止めて、外国のスクールアイドルを調べ始める。

 さすがに『school idol』で検索してもたいがい日本のが引っかかってくるが、それを押しのけて何件かヒットする。

 

「わ、これとか凄い再生回数ですよ! ええと、A、l、p……」

「ようやく全員確保です!」

 

 高咲さんがその動画を再生しようとした瞬間、ガラっと扉が開いた。

 全員集まっているから、どうやら終了したらしい。

 最初は渋っていた優木さんもいい汗を出している。体力もついて楽しめたならまあいいか。

 

「みんな、お疲れ様」

「結局、トレーニングと変わらないくらい走りましたね」

「汗もびっしょり」

「だったら、もう次は決まりね」

「……次?」

 

 

 

 

 連れてこられたのはプール、である。

 虹ヶ咲には当然、水泳の施設だって良いものが揃っている。屋内プールには綺麗な水が張ってあり、ビート版や浮き輪、ビーチボールなんかもある。

 水泳部以外の生徒が使うこともあるから常設されていないが、飛び込み台だって用意しようと思えばあるのだ。

 

「やっぱりみんな水着持ってきてたんだね~」

「せつ菜もちゃんと可愛い水着あるんじゃない」

「え、ええ、まあ、一応念のため」

 

 本当に、ちらりとだけ目を見やる。

 水着というだけあって露出度が高い。当然衣装よりも肌色面積が多く、非常に目のやり場に困る。

 

 僕はいい、と言ったのに、めちゃめちゃ強引に連れてこられた。

 璃奈に言われて一応自分用の水着を持って来たが、こういうことか。

 

「泳がないの?」

 

 プールサイドに腰かけていると、すいすいと泳いできたエマさんがやってきた。

 

「パーカーまで着ちゃって」

「僕はいいって」

 

 下手に君たちに触ってしまったらなんて考えただけで悩んでしまう。それに、あんまり貧相な体を見せたくないし。

 

「エマさんもほら、あっちでみんなと遊んできたら」

 

 ビーチボールを浮かすみんなを指差す。にも関わらず、彼女はプールから上がって僕の隣に座った。

 

「料理の時みたいに、ビデオ回さないの?」

「水着なんて撮って出しできるか」

 

 世のスクールアイドルファンには刺激が強すぎます。

 それに、本人たちがいいと言うなら別だが、プライベートな水着姿を投稿するようなやり方はしないつもりだった。

 

「あんまり構ってくれないと、みんな寂しがっちゃうよ」

「幼子か。十人いて寂しくなるなんて贅沢すぎ。それに、男にじろじろ見られて楽しいもんでもなかろうに」

「私ならいいよ」

「君だと、僕が困る」

 

 エマさんのスタイルは高校生離れしている。健全な男子高校生としてはパンチが強すぎるのだ。

 ガン見して許されるなら穴が空くほど見つめてる。そして鼻血を噴出させるなんてみっともない姿を晒していることだろう。

 

「私だったら、困っちゃう?」

「そう、困る」

 

 エマさんが横目でにやっとしたのがわかった。

 あ、やばいと危機を察知したときにはもう遅い。

 

「えいっ」

「うわっ」

 

 ばしゃん、と水しぶきが上がる。

 エマさんが僕の手を掴んで、プールへと引きずり込んだのだ。濡らすつもりのなかった上着もびしゃびしゃだ。

 すぐさま水面に顔を出して息を吸うと、同時に彼女も目の前に現れる。肉感的な胸の谷間に目が行ってしまって、体が反応しそうになった。

 どぎまぎしていると、彼女はずいっと顔を寄せる。目と鼻の先まで近づいて、微笑んでくる。

 正面から見たエマさんはいつもより綺麗に見えた。このシチュエーションと水に反射された光で、余計に。

 

「やっと見てくれた」

 

 はにかむエマさんは、年相応に可愛らしく、しかし高校生よりもずっと大人っぽく見えた。

 顎から滴る水滴すら、艶めかしく映る。

 

「エマ、さん……」

 

 水の中にいるのに、やたらと体が熱く感じる。目を逸らしても、首を動かして目線を合わせてくる。熱を帯びた目は、だんだんと近づいてきて……

 

「湊せんぱーい!」

 

 ざばざばと波立つ音に振り返る。すると、中須さんがものすごい勢いでこちらに向かって泳いできていた。

 その鬼気迫る表情に恐怖を覚えて、僕は思わず反対方向へ向かう。諦めるかと思ったのに、逆に音が増えた。

 

「おっかけっこだね~、彼方ちゃんが捕まえちゃうよぉ」

「待て待てー!」

「なんで追いかけてくるんだ!」

 

 逃げるからでしょ、という朝香さんの呟きは、僕には届かなかった。



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32 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会:高咲侑

 走らされてひいひい言わされ、泳がされてひいひい言わされ、体はすっかり疲れきっていた。あんなに運動したのはいつぶりか。全身がだるいだるいと訴えてくる。

 夜、動画編集している間も頭が回らず、続けるでもなく、早めに寝てしまうでもなく、ぼーっとしていた。

 ふと、甘いものが欲しくなった。部屋を出て、暗い廊下を進むと、唯一光を放っている自販機の前に、先にお客さんがいた。

 僕が気づくのと、彼女がボタンを押すのは同時だった。彼女が缶を取り出すのを待って、声をかける。

 

「高咲さん」

 

 高咲さんは僕の方を振り返ると、嬉しそうに顔をほころばせた。

 いつもはツインテールだからか幼い印象だけど、髪を下ろすとぐっと大人っぽくなるなあ。

 

「湊さんも、飲み物買いに来たんですか?」

「うん、ちょっと疲れたし、甘いのが欲しくなってね」

 

 冷たいココアを選ぶ。

 プルタブを開けて喉に流し込むと、夜でもだいぶ暑い夏のせいで蒸した体にひんやりと染み込む。

 

「なんだか、夜の学校って不思議ですね。昼間は人が多いのに、今はこんなに静か」

「僕は不気味に感じるかな」

 

 普段、人が多いがゆえに、誰もいないこの時間・空間に寒気すら覚える。まるでここだけ、切り取られて隔絶されてしまったかのように錯覚してしまうのだ。

 

「お化けとか信じてるんですか? 私はあんまりだけど」

「僕も信じてるわけじゃないよ」

 

 そんな存在がいてくれるならもう会ってる。とかそんな話はどうでもよくて。

 

「今日、君が言ったこと、すごく良いと思ったよ」

 

 プールの後、彼女は一つの提案をした。

 スクールアイドル自身も、見てくれる人も、これからスクールアイドルを知る人も全員を楽しませるお祭りをしたいと。

 

 ファンとスクールアイドル、そしてスクールアイドル同士を結びつけ、知らない人もその旋風に巻き込む、題してスクールアイドルフェスティバル。

 それが叶えば、高咲さんや、虹ヶ咲スクールアイドル同好会の集大成になる。全国へのアピールにもなるし、同好会のみんなもきっと楽しんでくれる。

 現に、この話を聞いたみんなは賛同した。

 それがやりたいからってだけじゃなくて、高咲さんの情熱を受け取ったからでもある。

 熱に浮かされて、というと悪いように聞こえるけど、せっかくの夏休みなんだ。浮かれて浮かれて何が悪い。

 

「えへへ、実現するのは大変でしょうけどね」

「これまでよりも大きな仕事になる。僕らの力の見せ所だね」

「はいっ。頼りにしてくださいよっ」

 

 ぐっと拳を固める高咲さんを見ると、なんだか根拠もないのに出来そうな気がする。

 そうやって、彼女は今までみんなを励ましたり元気づけてきたり、一緒に遊んだり、分け隔てなく接してきたのだろう。

 彼女にとっては当たり前にやっていることかもしれないが、それでどれだけ救われた人がいることか。

 

 二人して、壁に寄り掛かりながら談笑を続ける。

 お互いの推しは誰だとか、これまでのラブライブの話だとか、スクールアイドルオタク同士、話に花を咲かせる。

 ここに優木さんやエマさんもいれば、もっと盛り上がったことだろう。

 こういう話を普段あまりできないからか、僕も高咲さんもペラペラと早口になってしまう。ひと段落ついたときには、少し息を切らすほどだ。

 

 ぬるくなった飲み物を一口飲むと、そういえば、と高咲さんは口を開いた。

 

「湊さんはどうして、スクールアイドルのサポートを続けてるんですか?」

「それは、『なんでお前ごときがサポートをやってるのか』という……」

「違う違う! 違いますよ! も~、ネガティブにとらないでくださいよ」

 

 慌てた様子で首を横に振る高咲さん。

 

「こういう、マネージャーとかプロデューサーみたいなことをしてる理由って、そういえば聞いたことないなあって思いまして」

 

 言ったことなかったっけ。そんな面白い話でもないから、わざわざ口に出したこともないのか。

 

「エマさんに誘われたんだ。スクールアイドルには曲が必要、だったら音楽を知ってる人が必要だってね。僕もスクールアイドルは前々から好きだったし、曲作りは経験もあるしね」

 

 当時、エマさんの音楽科の知り合いと言ったら僕くらいだったのだろう。だから声をかけてくれた。

 他の人に頼んでも、実際作曲する人はそう多くないし、何度も断られただろうから、僕を選んだのは早道ではある。

 

「それに、なんというか……みんな輝いてたんだよな。傍で見たいって思わせるほど、光ってた」

「わかります!」

 

 高咲さんはぶんぶんと頭を縦に振る。

 彼女は優木さんのステージを見て、トキメキを感じたのだからわかってくれる。

 東雲や藤黄にも負けないくらいのポテンシャルを、虹ヶ咲は持ってる。それを引き出してみたくなったのだ。

 

「君は、もともと上原さんを応援するためだよね」

「はい。歩夢の夢を応援して、一番近くで見られたら幸せだなって」

 

 普通の女の子がスクールアイドルに変わるその瞬間を見るのは、えもいわれぬ高揚感がある。それがよく知った相手ならなおさら。

 特に幼馴染なんて、しかも上原さんだなんて、憧れて応援してしまうのも頷ける。

 

「今は、みんなの夢を叶えたい。みんなの姿をもっと見たいって、そう思ってます」

 

 それは、普段の高咲さんを見ていればわかる。ただのファンというだけじゃなく、アイドルたちの理想を実現するために、自分も併走している。

 実はその健気さも推せると、校内で隠れファンクラブが存在するくらいなのだ。

 

 高咲侑。

 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の、唯一の女子マネージャー。

 人の夢を応援し、自分のトキメキのままに邁進する二年生。

 未熟なところは多いけれど、情熱は誰よりも強く、行動力はこっちが気後れするほど。みんなの中心と言えるほど、もう欠かせない存在だ。

 虹ヶ咲スクールアイドル同好会にとっての、夢の導き手。

 

「もっともっと力になりたい。もっともっとみんなのためにしてあげられることをやりたい! で、そのために相談したいことがありまして……」

 

 恥ずかしそうに、手をもじもじとさせる。

 

「実は、音楽科に転科しようかなあって思ってて。無謀、かもしれないけど」

 

 ……正直、面食らった。

 音楽のことについて、彼女から請われてほぼ毎日レクチャーしていた。音楽室を借りてピアノの練習まで付き合った。

 高咲さんはそれはもう熱心に、真面目に取り組んで、数か月習った程度とは思えないくらい上達している。『CHASE!』なら楽譜を見ずに弾ける。

 が、まさか、音楽科に移ろうと考えてるなんて、夢にも思わなかった。

 

「……転科試験は、簡単じゃないよ」

「はい、わかってます」

 

 即答する彼女の目に、舐めたような感情はない。大真面目だ。

 転科なんて並大抵の覚悟で出来ることじゃない。特に普通科から音楽科なんて、文系理系を選ぶよりもよっぽど修羅の道だ。

 否定するのは簡単だ。音楽科の立場から、芸術の道がどれだけ難しいことかを滔々と語ることだって出来る。

 しかし、だ。

 やりたいことをやる。それをスクールアイドルたちへ肯定し続けてきた。難しいこともしんどいこともある。でもその先にはきっと、望んだ景色が待っている。

 高咲さんにだって、自分の楽しいことをとことん追及して、行きたい未来へ進んでほしい。

 なら僕としては、後輩のためにやることをやるだけだ。

 

「わかった。僕でよかったら、試験対策とか練習にも付き合うよ」

「ほ、本当ですか!?」

「曲がりなりにも音楽科だしね。アドバイスは出来るよ」

 

 転科試験がどういうものなのか先生に訊けばわかるだろうし、たしか同じクラスに実際に転科してきた子がいたはずだ。その人たちに直接聞けるのが、音楽科にいる者の強みだ。このコネを使わない手はない。

 

「湊さん、ありがとうございます!」

「礼を言うのは、受かってからだよ」

「はいっ。絶対に受かってみせますから!」

 

 そう言ってVサインを掲げてみせる姿に、やはり失敗のイメージはなかった。

 

「実は、止められるかと思ってました」

 

 心底安心しきった顔で、彼女はそう言う。

 

「湊さんは、音楽をやる大変さを私よりもよくわかってますから」

 

 芸術の道で成功するのは、普通に勉強して進学してというのよりも遥かに難しい。

 高咲さんがこちらへやってくるのを歓迎するが、同時に心配する気持ちも湧いてくる。ほぼ素人がどこまで出来るのか。転科したとして、その後授業についていけるか。

 しかしそんなことは、きっと彼女は承知なのだろう。

 夢を語る高咲さんの目は真っすぐで、真剣そのもので、熱意がある。それを止めるような無責任な言葉を、僕は持ち合わせてはいない。

 

 それに音楽科に移ったからといって、音大に行かなければならない決まりもない。音楽に関係する仕事につく必要もない。

 将来のことに関しては、彼女が頑張る限りどこまでも可能性が広がる。

 ……まあ意外と彼女みたいな人が、大物作曲家になったりするんだけど。

 

「大変は大変だけど、楽しいよ。それに音楽を知ってくれる人が多くなるほうが、僕も嬉しい」

「『だからこれは僕のためでもある』ですか?」

 

 言おうとした言葉を先取りされて、僕は目を丸くした。

 

「よくわかったね」

「よく見てますから」

 

 じっと目を見つめて、高咲さんはそう言ってくれた。



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33 フェスティバルに向けて

 高咲さんが提案した、スクールアイドルのお祭り。題してスクールアイドルフェスティバル開催にあたって、まずお伺いを立てなければいけないのが、生徒会だ。

 スクールアイドルといえども同好会の活動であるし、学校の教室だったり設備を利用したいので、生徒会に企画書を持っていったのだが……

 

「そっかあ、せつ菜ちゃんがいるから、すっかり通ると思ったけど、そういうわけじゃないんだね」

「すみません。私も気持ちが逸っていました……」

「でも、ちゃんと指摘してもらえて、何が課題なのかわかったよ」

 

 まだ何も決まってない状態では受け入れてくれるわけもなく、生徒会へ行った高咲さんも中須さんも、生徒会長本人である優木さんも肩を落として帰ってきた。

 が、出鼻を挫かれたものの、前向きに事を捉えるのが高咲さん。こちらで考えている開催予定日までは、諸々を考えると時間に余裕があるわけではない。どんよりと悩んでる暇はないのだ。

 こういった切り替えの早さは、非常に裏方向きであると言えよう。

 

「侑ちゃん、私も手伝うよ」

「ありがとう。でも歩夢たちはフェスに向けての練習で忙しいでしょ。湊さんも根回ししてくれてるみたいだし」

「根回し?」

「他の部に、事前に協力依頼をしてるんだ。それによって、どこまで規模を大きくできるか違ってくるからね」

 

 だから知りうる限りの虹ヶ咲スクールアイドルファンに話を持ちかけている。

 服飾同好会、コッペパン同好会、演劇部……そういえば、璃奈の友達にも声をかけておかないと。

 

「こういうことをやるって噂だけで宣伝効果もあるし、噂が大きくなって期待も大きくなれば、生徒会も先生もおいそれとNGは出しづらくなるって目的もあるかな」

「こういう強気な交渉、生徒会としては頭が痛いというか……」

「もちろん、事前準備をして、生徒会を納得させられるものを決めるのが前提だけどね」

 

 表の話し合いは優木さんと高咲さんに任せて、僕は裏でこそこそしてるのがいい。

 さて、決めるべきはまずは会場と、あとは……

 

 

 

 

 優木さん、高咲さん、朝香さん、近江さん、僕は並んで座って、相手方の様子を伺っていた。

 対面に座るのは、東雲の近江遥、クリスティーナ、藤黄の綾小路姫乃、紫藤美咲。他校のスクールアイドル部の知り合いと、代表者だ。

 とあるカフェに集まってもらいフェスティバルの概要を説明して、その後は四者ともまとめた資料を興味深く読んでいる。反応は上々。その雰囲気を感じ取って、優木さんが沈黙を破った。

 

「いかがでしょうか。スクールアイドルフェスティバル、参加していただけませんか?」

「やってみたいです。お姉ちゃんから話を聞いて、ずっと楽しみで」

「私も賛成です。とても面白そうですし」

 

 優木さんの問いに、遥さんはこくりと頷いた。綾小路さんも賛同する。それぞれの高校の代表者も否定的な様子はないから、受け入れてくれたらしい。とりあえずは一安心。

 

「また果林さんと同じステージに立てるなんて……光栄です」

「こちらこそ、そんなふうに評価してもらえて光栄だわ」

 

 特に綾小路さんは、憧れの人を前にして目を輝かせている。一応朝香さんを連れてきて正解だった。

 

「この子、果林さんのファンなんですよ」

「美咲さん……!」

「あら、そうだったの」

 

 あっさりとバラされてあわあわする綾小路さんに、朝香さんは時折僕に見せるようないたずらっぽい笑顔で迫る。

 机越しだが、ぐいっと顔を寄せると綾小路さんは赤面した。そしてイケメンにしか許されない秘奥義、顎クイをされる。漫画でしか見たことない必殺技が炸裂。

 

「もっと早く教えてほしかったわ」

 

 朝香さんに興味のない人ですら虜にしてしまう妖艶な微笑み。ましてや綾小路さんは彼女の大ファンだ。某ゲーム風に言うなら、『こうかはばつぐんだ』といったところか。『きゅうしょにあたった』も付け加えてもいいかも。

 顔真っ赤で倒れそうなところを、紫藤さんが支える。

 

「魔性の女……だね」

「無自覚に人を落とす人もいるけどねぇ」

「誰?」

「さあ~?」

 

 謎めいたことを言う近江さんはにやにやとした笑みを向けてきた。

 意地悪な返答は無視して、ついでに夢現な綾小路さんも置いといて、とりあえず各校の代表お二人に顔を向けた。

 

「私も賛成です。スクールアイドル好きのみんなが楽しめるお祭りって、なんだかワクワクするわ」

「私も素敵だと思いました。正式なお返事はメンバーと話し合ってからになりますが、東雲学院のみんなもきっと参加したいはずです」

 

 紫藤さんもクリスティーナさんも頷く。

 よし、ちゃんとした返答はまた今度だが、実質二つのグループからOKを貰えた。これで、一歩前進。

 

「湊さんは、今回のフェスティバルで新しい曲を作るんですか?」

 

 名前を呼ばれてそっちを向くと、遥さんがわくわくした目を向けてきていた。

 

「企業秘密」

「え~? 聞かせてよー」

 

 紫藤さんも乗り気で聞いてくる。どころか、あとの二人も興味深げだ。

 

「そうだね……これに参加してくれる人は身内なわけだから、教えられるんだけど」

 

 含みのある言い方で返すと、紫藤さんはにやりと笑った。

 

「だいぶやり手だね、天王寺さん」

「どうも。いい返事を期待してるよ」

「こちらも、いい曲を期待してますよ」

 

 ふふ、と微笑んでクリスティーナさんは言う。

 まあ別に言っても問題はないが、協力してもらうためのタネはいくつ仕込んでもいい。この話はだいぶ強力だったようで、相手方は先ほどよりも断然食いついてきた。

 

 今日の話は、フェスティバルの提案のみ。

 あまり時間を拘束するのも悪いと思い、話を持って帰ってもらって解散した。

 あの二校とも、この夏休みに大きなライブはやらないはずだ。正式回答もYESで来るに違いない。

 

 学校へ戻る道すがら、概算で必要な設備を頭に浮かばせる。今までのよりもずっと、量と質が必要だ。同好会として、だと使えるお金にも限りがある。生徒会だけでなく、音楽系の部活にも声を話を通しておくべきだろう。

 

「湊くん、今日あまり話さなかったね?」

 

 一歩引いて二年生の様子を眺めていると、近江さんがこっそりと話しかけてきた。

 

「それが?」

「こういう話し合いは、湊くんが代表で進めていくものだって思ってたから」

 

 確かに、今までの交渉の場では、ほとんど僕が前に立っていた。撮影場所は生徒会や各役所、衣装は服飾同好会、そのほか振付や撮影機材など、協力してもらえるところに頭を下げてきた。

 おかげで知り合えた、助けてくれるたくさんの人は高咲さんにも分け隔てなく接してくれている。

 

「今回は、あの子が影の主役だよ。このフェスティバル自体も、高咲さんの案だしね」

 

 楽しげに先を歩く高咲さんの背中を視線で追いかける。

 入ったばかりの彼女に全てお任せするほど放任主義じゃない。だけど……

 

「僕のやることは変わらないよ。君たちのサポート。ただ、三年生としては引退も考えて、後輩に譲ることもそろそろ視野に入れないと」

 

 今後のことを考えると、作業をするのは僕ばっかりというのも良いことではない。僕はもうすぐいなくなる。そうなって、いざ矢面に立つことになるのは優木さんだ。

 サポートをしてスクールアイドルを支えたい高咲さんからすれば、優木さんにもスクールアイドルとしての活動を優先してほしいところだろう。だからこうやって、備えておかないと。生徒会や他校の生徒は、初めてとしてはちょうどいい相手だ。

 

「まだ夏休み。二学期も始まってないけれど」

「もう夏休みだよ」

 

 一学期は色々とあったせいで、あまり必要なものを残せていない。ここにいられる時間が少ないから焦っている心もあるけど、でもそれ以上にこのままではいけないという義務感がある。

 

「いつまでだって僕が曲を作れるわけじゃない。ステージの場所とったり、生徒会と話するのも、もう僕がやるべきじゃないんだ」

 

 

 

 

 翌日、部室にて打ち合わせの結果を共有する。

 藤黄と東雲が加わってくれるだろうということを報告すると、みんなパチパチと拍手してくれた。

 

「これでなんとかなりそうだね」

「はい。タイムスケジュールとステージが決まれば……」

「ステージ……ステージか」

 

 うむむ、と顎に手を当てる。

 東雲と藤黄を引き入れられたのは喜ばしいけど、ステージの問題が大きくなってくる。

 こちらはソロアイドルなぶん、時間を多く取ってしまって不平等になってしまう。それに舞台の飾り付けだって、アイドルの特色に合わせたものにしたいが、一ステージに集約してしまうと結局ぼやけた印象になってしまう。

 どうしたものか……

 

「それなら、いい案がありますよ!」

 

 意気揚々と手を挙げた中須さんが、とある物を机に置いた。

 デフォルメされた小さな中須さん。段ボールで作った『かすみんボックス』だ。そのかすみんボックスから紙がざらざらと出てくる。

 机いっぱいまで埋め尽くしたそれらには、一つひとつ場所の名前が書いてあった。

 やると決めてから、中須さんはスクールアイドルフェスティバルの会場をどこにしてほしいかのアンケートを、これで取ってたのだ。

 最初は全然入ってなかったようだが、噂が噂を呼び、フェスティバルを知った生徒が思い思いの希望を書いてくれたらしい。

 

「す、すごい数……」

 

 書いてあるものは、ステージから公園、学校の中など様々で、いろんなものを見たいという願いが溢れている。

 どこも良さげな場所で、スケジュールを抑えるのもそう難しくはなさそうだ。

 だが逆に、これだけ候補があると迷ってしまう。どこが一番今回のフェスティバルに相応しいのか吟味するだけでもかなり時間が……

 

「あ、そうだ」

 

 ピーン、と閃いて、僕は人差し指を立てる。同時に高咲さんも同じ考えに至ったようで、二人で顔を見合わせた。

 

「全部やっちゃえばいいんだ!」

 

 声が被る。

 詰め込んでやるのが無理で、これだけのステージ案があるなら、わざわざステージを一つに絞る意味はない。

 やりたい分をやりたいだけ、見たい分を見たいだけ、誰もが満足できるように全部やりきってしまえばいい。

 会場は一つに絞らない。

 街を巻き込んでやってやろうじゃないか。



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34 不穏

 さてさて、スクールアイドルフェスティバルをやるにあたって、様々なステージを借りることにした僕らは、当然その分忙しさが増した。

 なにせ、虹ヶ咲のスクールアイドル同好会だけで九ヶ所。東雲や藤黄、さらにその中あるユニットなども含めればなかなかの数だ。

 各々が希望するステージの予約がほとんど取れたのはいいが、会場設備を借りて、運搬したり、動作確認したりでてんてこ舞い。さらにはこの後にもまだまだ仕事が残っている。

 

 今日、正式な返事を東雲と藤黄から貰う予定だが、高咲さんと優木さんだけに行かせて正解だった。僕が行っても口をはさむことはないし、こっちの進捗具合が気になってたことだろう。

 

「はい、CD」

「わあ、ありがとうございます」

 

 新曲の入ったCDを渡すと、上原さんはにこやかに笑った。

 合宿あたりから話に出ていた、二曲目だ。といってもまだ未完成品。彼女に歌詞を考えてもらって、それに合うように曲を手直しする必要がある。

 上手くいけば、このスクールアイドルフェスティバル中にサプライズのような形で発表できるはずだ。

 

「呼んでくれたら、私のほうから行きましたよ?」

「他の誰かに見られたらうるさくなりそうだからね。特に中須さんあたりが」

「あはは……」

 

 順番で言えば、中須さんの曲がまず最初に作られるはず……と言われるのは目に見えているので、こうやってこそこそと渡しに来たのだ。

 いやまあ単純に、中須さんや璃奈のようなザ・キュートな曲を作るのが僕にとって難しいだけ。経験的に言うなら、優木さんや朝香さんのようなかっこいい系クール系のほうが作りやすい。

 

 外に出ると、じっとしているだけでも汗が出てくる。風もほどよく吹いているが、高温多湿の日本では多少気持ちよくなるくらいだ。それでも夏というのはやる気を出させる何かがあるみたいで、部活をしている人も楽しげに活動している。

 上原さんは、そうでもないみたいだけど。

 

「ステージ、まだ構想練れてないんだって?」

「はい。湊さんが来てくれてちょうどよかったです。何か、案とかあれば出してほしくて」

「そういうのは、高咲さんに頼んだほうがいいんじゃないかな。君のことをよく分かってるみたいだし」

 

 ステージ装飾にも、個人個人の特徴が現れる。その人特有の想いだったり、演出だったり。伝える手段は歌だけじゃない。だったら、ここに彼女を引っ張ってきた高咲さんなら良いアイデアを出してくれることだろう。

 しかし、そう言っても彼女の顔が晴れることはなかった。むしろますます曇って、目に見えて元気がなくなる。

 アイデアが出ない焦りとは違うようだった。

 

 これは……もしかしたらかなりまずい状況なのかもしれない。

 

「上原さん、大丈夫?」

「何がですか?」

「元気、無いように見える」

 

 ぐっと、彼女は胸の前で拳を握った。そしてその仕草を隠すように、手持無沙汰気味に忙しなく腕を後ろに隠した。

 

「あ、暑いからですかね。朝に練習もいっぱいしたし……」

 

 そんなわかりやすい動揺じゃ、隠せていない。それは彼女も重々わかっているようで、視線を逸らして、ついには俯いてしまった。

 

「……明日、また来るよ。その時に話し合おう」

 

 

 

 

「あ、湊さん」

 

 まだまだ太陽の光が照り付けてくる午後。校舎の影で涼んでいるところに、学校に戻ってきた優木さんが駆け寄ってきた。

 

「東雲と藤黄から、正式に参加のお返事をいただきました」

「これで、生徒会に言い訳せずに済むよ」

「すでに東雲と藤黄が参加するって言って、生徒会の承認をもらったんですもんね」

 

 それで、二校がノーと言ったらどうしていたかというと……その時はその時。

 生徒会の許可さえ貰えれば、学内で何でもし放題だ。活動するうえで最低ここだけは早めに抑えておきたかったのだ。

 

「湊さんはこうやって、たまーに危ないことをしますよね」

「企画書に書き忘れただけだよ。『参加表明(())をいただいています』」

 

 同好会内部の事情も知っている優木さんは、生徒会長としてはヒヤヒヤだったようだ。生徒会への対応は高咲さんと中須さんに任せていたから、僕はその様子を見れていないけれど。

 

「会場は?」

「候補全て、許可をもらいました」

「保健所のほうも許可もらったよ。屋台に関しても問題なし」

 

 つまり場所とやることに関しての許可は全てOK。

 

「あとはこっちで用意する分だけですね」

 

 僕は頷く。といっても、その用意する分が多いんだけどね。

 個人個人でステージが別だし、みんなやりたいことがバラバラなせいで、用意する物の種類も九通り。考えることが多すぎて、頭がくらくらする。

 

「ところで、歩夢さん、どうでしたか?」

 

 優木さんは話題を変えた。というより、今日はこっちが本題だ。

 合宿終わりくらいから、上原さんの様子が何かおかしいと相談を受けたのだ。表では特に変わった様子は見られないのだが、ふと落ち込んでいるような表情が見られる、と。

 僕が上原さんと一対一で会ったのは、それを確認するためでもある。結果は、彼女の言う通りだった。

 

「だめだった。なんでもないフリをされたよ」

「そうですか……」

 

 少し、焦りが出てくる。

 多感な高校生の時期に、溜め込んで悩むのは非常によろしくない。

 特に真面目な彼女だ。溜めて溜めて、知らない間に心がぽっきり折れてしまうような性格。手遅れにならないうちに、なんとかしないと。

 

 そして、変なのはもう一人。

 

「高咲さんも、元気なさそうだって?」

「はい。今日はぼうっとしてることが多いようでした」

 

 高咲さんとは今日会ってないからわからないけど、昨日まではとても楽しそうにしていた。それが急に、上原さんと同じようになったらしい。

 

「侑さんに聞いても、はぐらかされてしまって。でもやはり、歩夢さんと関係があるみたいですね。二人の間に何かあったんでしょうか」

 

 何か、か……

 その正体を掴み損ねている。まったく理解できないわけじゃなく、何かあと一歩、見落としている点がある気がする。

 それを知るためには……僕も高咲さんと話す必要があるだろう。

 

 

 

 

 会場準備は、全体的に予定通りに進んでいる。

 虹ヶ咲の有志が手伝ってくれているおかげで、幸いにも人員は足りている状態だ。

 とはいえ、スクールアイドル同好会にしか分からない・できないことがある。その上でさらに、僕ら裏方のみが把握していることも多々あり。

 それらを確認するために、毎日毎日僕と高咲さんは作った資料を片手にあっちからこっちへ体を動かしていた。

 

「当日警備はこことここにも置く必要があるね」

「むむ、結構人手がいりますね。手伝ってくれる人足りるかな」

「そこは、生徒会に交渉してちゃんとした警備の人を持ってくればいい。生徒だけじゃどうにもならないこともあるしね」

 

 当日の流れを確認しながら、必要なことを一つずつ決めていく。

 このあとは確保した機材がちゃんと使えるかどうかのチェックも待っている。会場に来られない人のために、ライブ中継も用意しなければならない。各会場の装飾確認もあるし、リハもしないと。

 

 やることが山積み。進めても進めても課題が出てくる。

 ライブ経験の豊富な東雲と藤黄に手伝ってもらわなければ、準備の段階で心折れてたことだろう。

 

「メインどころはちゃんと完成させておかないとね。他はともかく……上原さんが心配だよ。まだステージ作りに着手できてない。少し発破をかけないといけないかもしれないね」

 

 ほんの揺さぶりのつもりだったけど、こちらもわかりやすく目が泳いだ。

 

「えっと……歩夢には、湊さんから言っておいてもらえませんか?」

「どうして?」

「それは……」

 

 口ごもる高咲さんは珍しい。

 優木さんの言う通り、二人の間に何かしらあったようだ。ずっと一緒の幼馴染が、対面で話すことを躊躇うほどの何かが。

 

「喧嘩でもした?」

「そういうんじゃないです。本当に大丈夫ですから」

「それは僕が決める。あれだけ仲が良かったのに、お互い避けてるみたいになってて、大丈夫だとは思えないよ」

 

 だなんて、手いっぱいで気づかなかった僕が言えたことじゃないけど。

 でも優木さんだけに任せておくわけにはいかないし、なにより気になってしまえば心配が尽きない。

 

「はっきり言うよ。今の君が言う『大丈夫』は、信用できない」

 

 高咲さんも上原さんも根はとても真面目で優しい。そういう人の、具体的なことを言わないうえでの『大丈夫』は、心の内で答えが出ていないことが多い。希望的観測を口に出しているに過ぎない。

 自分は問題ない。『大丈夫』だと。自分で自分に言い聞かせて、そのくせ嘘をついている。

 見てると、無性に落ち着かなくなってくる。

 

「言わないなら……」

 

 僕は彼女の手から、ひったくるように資料を奪った。

 

「任せられない」

 

 酷いことを言ってることはわかってるが、こんな不安定な状態の新人を野放しにしておけない。

 僕はどうしても、何としてでも、彼女たちをその状態で留まらせるわけにはいかない。

 僕がどう思われようと、僕がどうなろうと。

 

 じりじりと、日の光が肌を焼く。額から汗が垂れてもじっと見つめる。

 必要なら倒れるまでこうするつもりだ。

 観念して、高咲さんは口を開いた。

 

「音楽科に行きたいって言ったら、歩夢、嫌だって言ったんです」

「嫌? どうして?」

 

 訊いてみるも、高咲さんは口を開かない。

 困ったことがあればなんでも言ってくる高咲さんがここまで黙るとなると、これ以上はプライベートなことなんだろう。

 勉強ついていけなくなるとか、学費とか、そんな問題じゃなくて……音楽科に行ってほしくない個人的な理由が、上原さんにはあるんだ。

 

 ……無意識に意固地になっている相手には、まず行動か。言葉はその後、だな。



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35 変わるものと変わらないこと

 夏休みの間、昼はいつもみんなで揃ってご飯を食べることになっていた。

 フェスティバルの準備で各々別の作業をするようになってから、顔を合わせる時間が少なくなってしまったからだ。

 お互いの報告会も兼ねたそれは、進捗の把握にもなるし、午後からの活動の指針にもなる。

 

 だけど今日は、僕はたった一人だけに用がある。

 屋外テラスでミーティングをしていた彼女に手を振ると、その場にいた他の子に頭を下げた。

 

「湊さん」

 

 こっちにやって来た上原さんは、表面上はなんともないように見えた。少なくとも、今この瞬間は本当に、ただ呼び出されたことに疑問を持っているだけだった。

 

「あれは、ファンの子?」

「はい。いっぱい手伝ってくれて、すごく助けられてるんですよ」

 

 大々的に宣伝をしてから、フェスティバルの手伝いをしたいという有志は日々増えている。スクールアイドルのファンというだけじゃなく、友達だからという理由で手を貸してくれる者も多い。あの子たちも、そういった人たちの一部なのだろう。

 

「このあと時間あるかな。フェスティバルの前に、話しておきたいことがあるんだ」

「はい、大丈夫ですけど……昨日言っていた、ステージ案のことですか?」

 

 僕は頭を振った。

 

「君と高咲さんとのこと」

 

 そう言うと、はっと顔が変わる。

 驚くような、焦るような、追い詰められたような表情。

 

 ああ、やっぱりだ。

 彼女は隠していたんだ。フェスティバルを成功させようとして、いま抱えている悩みを奥へ奥へと押しやった。

 高咲さんに詰め寄ってしまうほど追い詰められているはずなのに、高咲さんが望む成功を実現するために自分を殺している。

 大事な本番の前に、弱いところを見せまいとしているのだ。

 

 きっと、痛いに決まってる。

 あらゆる方向から引っ張られるような心の痛みが、止むことなく訴えてくるはずだ。

 その痛さは収まることはない。時間は解決してくれない。いつかは破れてしまう。そうなってしまえば、スクールフェスティバルの成功なんてなんの意味もない。

 

 彼女は一歩足を引いた。それを察して、僕は手を伸ばす。

 

「上原さん」

 

 去ろうとする彼女の腕を、がっしりと掴む。振り払われるかもしれないと感じて 心臓がどくどくと鳴っていた。

 しかし、だ。ここで逃がしてしまったら、僕は二度と上原さんに顔向けできない。

 彼女たちの進む道をサポートするって決めたんだ。たとえどれだけ怖くても、どれだけ傷ついても。

 

「逃げないで、話をしてくれないかな。お願いだから」

 

 

 

 逃げる女の子を捕まえるなんて、誰かに何か言われてもおかしくなかったけど、幸いにして通報するような人はいなかった。

 とっさのことだったけど、しかし、しゅんとして屋外のベンチに座る上原さんを見て、これ以上の機はないと思った。

 明日になれば、手を掴んで人を連れる強引さはなくなってるかもしれないし、上原さんが話す気を無くしてるかもしれない。

 

 自販機で冷たい缶ココアを二つ買って、片方を彼女に手渡す。

 

「まずは、一口飲んで。甘いもの飲んだら、少しは落ち着ける」

「ありがとう、ございます」

 

 遠慮がちに受け取ったのを見て、 ふう、と一息つく。ほんの少しだけ、上原さんが発しているピリピリとした空気が和らいだ気がした。とりあえず、拒否はないみたいだ。

 芝生が敷かれてあるここは、昼の時間になると陰になる。夏は涼むのによしで、割と人気のあるスポットだ。

 さすがに夏休みの今は、僕らの他に人はいないけど。

 

「侑ちゃんが……その……」

 

 上原さんはそこまで言って、言葉を詰まらせた。口を開こうとして、やめるを繰り返している。話したくない、というより、どう言語化すればいいのかわからないといった様子だ。

 

「高咲さんが知らないうちに、どこか知らない遠くに行きそうで、怖い」

 

 びくり、と上原さんは肩を震わせた。どうやら図星らしい。

 

「親友の成長は喜ばしいはずなのに、手の届かないところにまで行ってしまいそうなのが怖い。ずっと間近にいた幼馴染が離れて、自分の知らない人になってしまいそう」

 

 高咲さんが消えてしまうような恐怖。高咲さんの未来を先に自分以外の人間が知ってしまった嫉妬。長い間、それらを感じたことはないのだろう。

 幼馴染として一緒にいるのが当たり前で、お互い何かあったら話をする一番の相手。

 だからこそ、そうじゃなくなった時、自分の気持ちを上手く認識できず制御することも出来ない。世界が崩壊するような不安に絶えず押しつぶされそうになる。

 

「どうして、どうしてわかるんですか?」

「似たようなことを、思うことがある」

 

 大切な人が、もしかしたら、自分と別れるかもしれない。自分を置いていくかもしれない。それが事実でなく、幻想でも、不安を和らげる理由にはならない。

 一度心に芽生えてしまったものを取り除くのは、そう容易じゃないのだ。

 想像の中の相手はみるみる間に離れていき、距離ができ、手が届かなくなってしまう。嫌な気持ちはぐるぐると巡って増幅していき、やがては関係にヒビを入れる。

 

「抑え込まなくていい。今、僕に何を言っても怒らない。怖がりもしないし、失望もしない。だから思ってることを素直に話してほしい」

 

 上原さんは俯いて、ぎゅっとスカートの裾を掴んだ。

 僕が缶の中を飲みきるくらいの時間が経った後、彼女は話し出した。

 

「最初は、侑ちゃんが見てくれたらそれでいいって思ってたんです。人気になりたくはあったんですけど、でも、侑ちゃんがいてくれたらそれで……」

 

 一度話しだすと、堰を切ったように言葉が流れてくる。

 

「だってずっと一緒にいたんですよ! ちっちゃい時から一緒にいて、何をするにも一緒で、それがずっと続くと思ってたんです!」

 

 感情の蓋も取っ払って声を荒げる姿は、普段の上原さんからは想像もつかない。

 

「なのにだんだん侑ちゃんが、私の知らないことに挑戦して……どんどん前に進んで、私のことなんて見てくれなくなる気がして……」

 

 吐き出された言葉は尻すぼみになって、止まった。

 気づかずに缶が凹むほどに全身を強張らせた上原さんは、身を縮こまらせて、今にも涙を流しそうだ。

 

 たぶん、ずっとこの思いを蓄積させてきたのだろう、最初はほんの些細に思う程度だったんだろうが、積み重なって、爆発した。

 誰であれ、溜めているものがある。この数か月で特に実感した。

 解消する方法は、結局話すことと行動すること。

 

「高咲さんが努力して、どんどん大きくて高い存在になっていく。大人になっていくには必要なこと……なんて、そう簡単に割り切れることじゃない。やりたいことを応援したいけど、変わってほしくない。これは自分のわがままだから、高咲さんに打ち明けることもできない」

 

 上原さんの言葉を引き継いで、僕なりに噛み砕く。

 理詰めで突き詰めて納得できるならそれでいいけど、あいにく人間はそんな単純じゃない。高校生は特に不安定で曖昧な時期なのだ。

 

「湊さんは、どうやって克服したんですか?」

「僕の話は参考にならないよ」

 

 でもね、と続けて、僕は口を開く。

 

「高咲さんが変わっても、君たちの関係が変わるわけじゃない」

 

 そう告げて、次は僕が言葉を連ねていく。

 

「君だって変わった。入部当初より歌もダンスも上手くなって、カメラの前でも緊張することがなくなって、ファンとの交流もこなせるようになって……もはや別人みたいだ。それでも、上原歩夢の本質は変わらない。フリフリで可愛いものが好きで、アイドルに憧れる一人の少女。高咲侑の一番の親友で、幼馴染。高咲さんだって、そんな君だからこそずっと一緒にいるんだ。君が、他でもない上原歩夢だから」

 

 平等に接しようと思っても、無理だ。僕が璃奈を贔屓してしまうように。

 本人は近すぎて、一緒にいる時間が長すぎて分からないのだろうけど、他人が見たら一瞬で分かるくらいに、高咲さんは上原さんのことを特別視している。

 

「ちゃんと話して、ちゃんと受け止める。それができるのは上原さんだけだ。そこから逃げるなら、そこらへんの人間と何も変わらない」

「……」

「上原さんは、高咲さんと離れ離れになりたいわけじゃないだろう?」

「そんなの、当たり前に決まってるじゃないですか」

「だったら、近くにいられる今のうちに、想いを伝えに行くんだ」

 

 君は伝えたいことがあって、高咲さんは待ってる。そこに躊躇う理由なんてない。躊躇っていい言い訳なんて存在しない。

 

「繋がりが途切れてしまうのは一瞬、あっという間だ。本当に、君が思ってるよりもあっという間なんだ。伝えられるときに伝えたいことを伝えないと、きっと後悔することになる。明日、君の気持ちがどうなってるかわからない。怖くなって先へ伸ばしてしまうかもしれない。高咲さんがいなくなってしまうかもしれない。チャンスは君が思ってるより、簡単に消えるんだ」

 

 話さないうちにだんだんと絆が消えて、なんてフェードアウトはまだ救いのあるほうだ。

 目の前で、関係が突然断ち切られることだってある。どれだけ言葉を尽くしても、二度と届かなくなることだってある。

 この二人には、そんなことになってほしくない。

 

「だから、お願いだ。今、勇気があるうちに、このままじゃいけないと思ってるうちに、高咲さんと話をしてほしい」

 

 いつの間にか、熱くなっているのは僕のほうだった。

 心もざわついて、心臓も高鳴って、目じりに涙さえ浮かばせているのは、僕だった。

 

「二人の関係が変わらないように」



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36 虹ヶ咲学園スクールアイドル:上原歩夢

 上原さんと話をして、時間を置いた次の日。昨日までとは逆に、僕を呼び出した彼女のところへ足を運ぶ。

 

 虹ヶ咲の正門から出てすぐ、駅前でもある広場は一面花で埋め尽くされていた。

 生徒たちの憩いの場でもあるそこは普段、豊かな緑色が広がっているはずだった。植えられ整えられた草木と、道。 

 その入り口で待っている上原さんはこちらに気づくと、開いた花のような朗らかな笑顔を見せてくれた。

 

「湊さん、こっちです!」

 

 呼んでくる彼女のほうへ向かい、蒸し暑さを団扇で追いやりながら、彼女とその後ろを交互に見比べた。

 

「良いステージだね」

「はい」

 

 それまで構想が考えつかなかったとは思えないほど、完成度の高い舞台がそこにあった。

 特設のステージ。身長を越える木たちに装飾されたピンクのハート風船や、大きなリボンがそこかしこにちりばめられている。女の子らしいといえば古臭いが、古くから愛されている象徴に文句は出ない。

 

 完成するかどうか、一番気がかりだったここがこの様子なら心配はいらないだろう。

 右から左へ、下から上へ、見回してその綺麗さにため息をつく。この壇上に上がって歌う上原さんを見たら、誰だってファンになるに違いない。想像だけでもワクワクが止まらないくらいだ。

 

「私、侑ちゃんと……」

「もうわかったよ。このステージと……君と高咲さんを見ればね」

 

 迷いはなくなっている。ファンと作り上げたこのステージを、彼女が受け入れていることが全てだ。報告なんてなくとも、僕にとってはそれで十分。

 演者だからって、努力努力努力だけして頑張れ、なんて言うつもりはない。高校生らしく、部活らしく、真剣でありつつも楽しんでほしい。

 きっと今の上原さんと高咲さんなら……今の同好会のみんななら、それが実現できるはずだ。

 

「もう大丈夫そうだね。じゃあ僕は……」

「あ、あの……もう少しここにいてくれませんか?」

 

 去ろうとした僕を、上原さんは留める。

 

「えっとあの、昨日出来たばかりですし、いろいろ直さないといけないところがある、かも……?」

 

 なんで疑問形なんだ。

 

「それなら、高咲さんに見てもらおう。ちょっと待って、いま連絡取るから」

「ま、待ってください! み、湊さんの目線からステージ見てほしいなあ、なんて……」

 

 やたらと必死に、電話するのを辞めさせようとしてくる。仲直り……したんだよな?

 いやしかし、今まで上原さんのことは高咲さんに任せっきりだった。贔屓はよくないし、たまには時間をゆっくり取って確認してみようか。

 

 二人並んでステージを眺めながら、ゆっくり歩いて観察をする。手直しの必要なんてないくらい、完璧だった。もし僕が作ろうとしても、こうはならなかっただろう。

 ちょっと捻ったことをしたくなる僕のそれは、見方の一つとして、無駄あるいは蛇足だと感じる時がある。最近では朝香さんのステージがそうだ。衣装を着た彼女が壇上に上がるだけで、華々しい。

 上原さんも、きっとここで輝いてくれる。真っすぐなパフォーマンスには、余計な装飾はいらない。

 

「ありがとうございます。湊さんが背中を押してくれなかったら、私、侑ちゃんと離れ離れになってたかも……」

「そんなことないよ。他にもいっぱい、君のことを気にかけてた人たちはたくさんいる。ほら、あの子、君のファンの……」

「今日子ちゃん?」

「そう、その子。それに優木さんもすっごく心配してたよ」

「後で謝りにいかないとですね」

「謝るよりか、お礼を言ったほうが喜ぶよ、あの子たちは」

「そうですね」

 

 優木さんのことだ。謝られても困るだろう。手をぶんぶんと振って、『謝らないでください』と慌てる姿が目に浮かぶ。

 ファンの子だってそうだろう。好きなアイドルが申し訳なさそうな顔をされたら、逆に申し訳ない気持ちになる。逆に、感謝されたら天にも昇る気持ち。どちらが良いかは明白だ。

 ステージの周りを囲む花壇に、ずらりと差されたガーベラ。その中で小さく主張するように一輪だけ差してあるのは、ローダンセ。これは高咲さんが加えたものだろう。

 

「高咲さんとは、本当に仲が良いんだね」

「喧嘩しても、次の日には仲直りして遊びに行くくらいですから」

 

 なんか、容易に想像できるな。謝って謝り返して、そこでスッパリ喧嘩終了、笑顔でお出かけという図が浮かぶ。

 今回のことは、本当に珍しいことだったのだろうと察せられる。

 

「湊さんは、璃奈ちゃんと喧嘩したりしないんですか?」

「したことないね。璃奈も僕も怒ることないから。それに、璃奈が何しても、許しちゃうんだよ」

「璃奈ちゃん、可愛いですもんね」

「ほんとにそう」

「愛されてるなあ、璃奈ちゃん。ちょっと羨ましいかも」

「上原さんも、高咲さんからだーいぶ愛されてると思うけど」

「えへへ、そう見えます?」

「そうにしか見えない。お互いにまあまあ独占欲強いみたいだし」

「そ、それはもう言わないでくださいっ」

 

 昨日の夜、二人から別々に、電話で事の顛末を教えてくれた。僕が彼女たちに感じたことはある程度の推測でしかなかったが、どうやらそれなりに合っていたようだ。

 その心の引っかかりが解けた反動は大きかったようで、特に高咲さんは僕が訊くまでもなく、詳細を語ってくれた。たとえば、不安を感じた上原さんが高咲さんを押し倒したこととか。

 そんなことを嬉々として……とはいかないが、淀みなく話してみせるあたり、もう過去のこととしている。いつかは笑い話として二人の中で消化されていくことだろう。

 

「そういう湊さんは、もうちょっとこう……自分勝手な部分を出したほうがいいんじゃないですか?」

「それは、僕らしくない」

「らしくないのもたまにはいいですよ」

「嫉妬する上原さんみたいに?」

「必死になって私の腕を掴む湊さんみたいに」

 

 くすり、と微笑んで返してくる彼女に、僕は小さくため息をついた。こういう軽口は誰に似たんだか。三年生の面影を感じる。

 

「あの時はほんとびっくりして……でも今思えば嬉しい気持ちもありました。今まで頑張っていたのを知ってましたけど、心の底から同好会を……私たちを気にかけてくれていたのが分かって……湊さんの一生懸命な言葉が聞けるなら、もう一度強引に連れ去られてもいいって思えるくらいには、嬉しかったですよ」

 

 上原さんとはこれまで一定の距離があった。先輩と後輩という壁が大きかったし、彼女の練習は基本的に高咲さんが見ることが多く、一対一で喋ることもあまりしてこなかった。だからだろうか、僕に向けられていた笑顔は少し固い印象があった。

 だけど今は、自己紹介動画の時のような、ステージの上で見せるような、高咲さんと一緒にいる時のような柔らかい表情がそこにある。

 

「……僕が勝手になった姿を想像してみろ。例えば、君たちにわがままを言ったり、軽々しくあれやこれやと口出ししたり……気持ち悪いだろ」

「……悪くないかも」

 

 おいおいおい。

 そういうのは『ただしイケメンに限る』ってやつじゃないのか。僕がやっても到底許されそうにない。

 

「そこまで変わったら驚きますけど、でもちょっと見てみたいです」

「変わることを怖がった君が、言うようになったね」

「今はもう、怖くありませんから」

 

 ぽつり呟くように、上原さんは言った。

 

「最初は、侑ちゃんの、侑ちゃんだけのスクールアイドルでいれたらそれでいいって思ったんです。でもスクールアイドルになって、ファンが出来て、楽しくて……スクールアイドルになって、私は、侑ちゃんだけのアイドルじゃなくなりました。侑ちゃんも、私だけを見ることはなくなって、それがすごく怖かったんです」

 

 強い絆で結ばれたからこそ、離れる時に不安定になってしまう。それがどれだけ短い間でも、どれだけ近い場所でも。

 だから現状維持を選んだ。でも高咲さんは自分が留まることも、上原さんが止まってしまうことも考えなかった。

 彼女が望んだのは先。自らの夢を叶え、幼馴染の夢を推した、その先。

 

 この結果がどうなるか、誰にも予測はできない。

 高咲さんは、僕が危惧しているようにあくまで勉強程度に留まるかもしれないし、天才音楽家になるかもしれない。

 上原さんは、またしても不安を抱えるかもしれないし、まっすぐに成長するかもしれない。

 どうなるかは結局、その時、本人と見届ける人にしかわからない。

 

「後悔してる?」

「まだ分からないです。でも後悔しないように、やってみようと……」

 

 そこで彼女は言葉を止め、

 

「やってみせます」

 

 そう言い直した。

 

 上原歩夢。

 可愛く美人で清楚な、王道的な印象のスクールアイドル。

 初めに会った時は、流される性格に感じた。幼馴染に連れられて、あれよあれよという間になってしまったのだと。

 今はもうそんなイメージは払拭された。

 優木さん並に固い芯があって、ここぞという時ほどブレない人。周りを愛して、周りに愛される素晴らしい人。

 上原さんならきっと、この先も大丈夫。そう思わせるには十分な、晴れやかな顔をしていた。



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37 絆

 今日は、今日目の前に現れたのは、女性じゃない。優しい雰囲気を纏っている、柔和な表情の男性だ。

 その人はあの女性と同じく、僕を慈しむような、同情するような、悲しいような、複雑な顔を浮かべていた。

 

「もう終わりだ。虹ヶ咲のスクールアイドル同好会にすることは、もう終わった」

 

 男性が去っていくことを祈って、断定した口調で言う。男は逆に、僕に近づいてきた。

 

「責任を感じすぎてる。もっと楽に生きていいんだよ」

 

 ぎりり、と歯を食いしばる。髪を掻きむしる直前で手を止めて、あくまで平静を保とうと努める。

 

「いいって、どこがいいんだ。人の繋がりを守れなかったり、壊したりしてしまうやつのどこが。そんなやつのどこに、権利があるんだ」

「それは、湊の頑張りが足りないとか、技量がないとかってことじゃないんだ」

 

 今度は、止められずに自分の髪を掴む。眉間にしわを寄せて、全身をこわばらせる。

 この人の言うことを聞いてしまいそうになるのを、必死で抑える。

 

「本当にあなたがここにいれば、きっとそんなこと言わない」

 

 本物は、きっと恨んでる。あなたもあの人も。ここにいたなら、殴ってなじって去っていくはずだ。そのはずなんだ。だって僕のせいで……

 

「湊のせいじゃない」

 

 どうして、そんなことを言えるんだ。

 僕は裏切ったんだ。あなたたちがくれた愛を受け取るだけ受け取って、なのに僕が存在していたから、帰らぬ人にしてしまった。

 

 どうして、そんなことを言えるんだ。

 そんなの決まってる。この人は違うからだ。僕の大切な人ではないからだ。

 

「そう言ってくれる人は、もういない」

 

 男の目へ、そこに映る自分へ、いい加減分かれと言葉を叩きつける。

 

「どこにもいない。そうだろ。あなたは幻だ」

 

 触れなくてもわかってる。彼らは僕にしか見えない、頭の中にしか存在しない幻だ。

 そうだという事実は知ってるし、なによりそうやって甘い言葉を口にしてるのが証拠だ。

 

「自分で自分が嫌になるよ。欲しい言葉が、欲しい人から出てくる。そんな幻覚を見るほど、心が弱かったなんて」

 

 

 

 

「音楽科に転科?」

「確かにうちは学科が多くて、転科も認められていますけど」

 

 部室で、高咲さんが転科のことを打ち明けると、みんな大層びっくりした。

 

 桜坂さんの心配するような口調も理解できる。

 スポーツでも芸術でも、通常の勉強とは違う専門性を極めようとする者はだいたい、中学生、下手したら小学生からその道に触れているものだ。

 高校の二年生、しかも一学期が終わったタイミングで転科なんて、多くの生徒は避けようとする。が、その決定を心配しつつも、基本は歓迎ムードだ。

 

「思い切ったねえ、侑ちゃん」

「うん、きっかけをくれたのは歩夢。そして、みんなが私に勇気をくれたんだよ。スクールアイドルを頑張ってるみんなを見てたらね。本当にやってみたいことは、とにかくやってみようと思ったんだ。といってもまずは転科試験があるし、そもそも受かるかどうかわからないんだけど」

 

 ダメかどうか、合ってるかどうか、やってみなきゃわからない。後先は……多少は考えてほしいけど、ある程度は度外視して一歩踏み込んでみるのも大事だ。

 

「大丈夫だよ、こっちにはみーくんがいるしね」

 

 宮下さんがこちらへウインク。

 

「ちなみに、みーくんの見込みは?」

「五分五分ってとこかな」

 

 僕がそう言うと、高咲さんは嬉しさ半分がっくり半分といった様子。

 きっと大丈夫、とみんなが励ますなか、宮下さんはこっそり寄ってきて耳打ちしてきた。

 

「ほんとは?」

「ほぼほぼ合格だと思うよ。ただ、甘いこと言うと緩んじゃうかもしれないから」

「たしかに、みーくんに言われると安心しちゃうかも」

 

 毎日の勉強のおかげで、高咲さんはぐんぐんと腕を伸ばしている。過去問や課題を見る限り、今の彼女なら十中八九受かる。

 しかし転科テストはたった一回。油断せずにほどよい緊張を保ってもらいたいものだ。

 

 

 

 

 スクールアイドルフェスティバルまでもう日にちはない。が、藤黄や東雲だけでなく、虹ヶ咲の生徒たちも手伝ってくれたおかげでもう開催できるところまで準備ができた。

 校内にいる人たちも、ほとんど作業はしておらず、出来上がったステージを写真に収めたりしているだけだ。虹ヶ咲スクールアイドルも、今は本番に向けての練習に集中している。

 僕は生放送準備のため、三脚に乗せたカメラをステージ前に置き、画角を調整、動画サイトと繋がるかを確認していた。

 うちの公式チャンネルに映る画面をパソコンでチェックしながらズームしたり位置を変えたり……自分の担当場所を終えたころには、昼をとっくに過ぎていた。

 

 校舎横、ミーティングにも使われる屋外の休憩所に腰かける。この時間は陰になってて多少はマシだ。

 持っていたビニール袋をテーブルに置き、そこに入っていた蓋付きの発泡スチロール皿を取り出す。

 中からソースのいい匂いがしてくるが、疲れ切っていると逆に食欲がなくなるものだ。それに、 時折宮下さんだったりエマさんが来たりして、口に食べ物を突っ込んでくるから、腹の具合は悪くない。

 

「湊さーん」

 

 さて余った食料をどうしようか思案していると、上原さんがやってきた。

 

「部室に来ないから、みんな寂しがってましたよ」

「一昨日も昨日も、今日の朝も会ったじゃないか」

 

 しかも夏休みじゃなければ、顔を合わせるのはいつも放課後のみ。それなのに昼に会えなかったくらいで思うこともないだろう。もしかして、話を盛られたかな。

 彼女は僕の隣に座ると、ぱたぱたと手で顔を扇ぐ。午前中の練習はハードだったみたいで、シャツが肌にぴったりと張りついていた。

 

「それで、わざわざ探しに来て、何か用?」

「実は一つお願いしたいことが」

 

 おずおずと、上原さんは手を差しだしてきた。握られてるのは、彼女のスマホから伸びているイヤホン。

 促されるままにそれを耳にはめる。聞こえてきたのは、ピアノの音だった。

 ほんの数秒だけれど、惹きつけられる流れるような一節。思わず聞き入ってしまい、もっと、と思ったところでそれは途切れた。

 

「これ、侑ちゃんが作ったメロディなんですけど……」

「すごいじゃないか。まだまだ初心者なのに、これほどのメロディを作れるなんて」

 

 僕は素直に驚嘆した。

 高咲さんに音楽を教えているけど、総合的に見ればまだひよっこ程度だと思っていた。けれど、この旋律には、確かに心を動かす力がある。

 天性……という言葉で片づけてはいけない。高咲さんのたゆまぬ努力が実を結んだのだ。

 

「侑ちゃんには内緒で、これをもとに新しい曲を作りたいんです」

 

 高咲さんが作ったのはワンフレーズ。そこが彼女の限界だった。

 

「みんなから、今まで頑張ってくれた侑ちゃんに、ありがとうって伝えたいんです。だから、曲を完成させていただきたくて」

 

 フルを簡単に作れるほど作曲は単純じゃない

 これを完全なものにするころには、フェスティバルは終わってるどころか、二学期も始まってるだろう。

 

「これを……僕が……」

 

 高咲さんの曲をみんなが歌う。そこに僕が関われることはとても光栄だと思う。

 僕としても、高咲さんには助けられっぱなしだから、感謝の意を伝えたい。それに関してはみんなと同じ気持ちだ。

 だけど……

 

「『私の曲に変なもの付けて! もういい、辞める!』なんて言いださないかな」

「言わないですよ。侑ちゃんをなんだと思ってるんですか」

「一言で表すと、猪突猛進」

「それは否定しませんけど……侑ちゃんも湊さんのことは信頼してますから、きっと嬉しがると思います」

 

 ……幼馴染がそう言うなら、疑う余地はないな。上原さんも、僕のことをある程度信用してくれているから頼んできたんだろう。

 フェスティバルまで時間はないが……

 

「引き受けるよ」

「本当ですか!?」

「ただし、感謝(それ)がテーマなら歌詞はみんなで考えないとね」

「! はい!」

 

 にこりとした彼女は数舜後、僕の肩ごしに後ろを見て、はっとした。

 

「あ、おーい、歩夢ー」

 

 噂をすれば、高咲さんだ。上原さんはスマホを急いで隠す。

 

「なにしてたの?」

「ええと……」

「屋台で出すもんじゃの食べ比べを宮下さんからお願いされてて。上原さんにも感想聞いてたところ」

 

 つらつらと嘘が出るようになって、自分で悲しくなる。いやしかし、これはサプライズのためなのだから、仕方あるまい。

 

「ふうん……?」

「高咲さんも、ほら。多めに渡されたから」

 

 脇に置いていた、みんなの置き土産の一部を高咲さんに渡す。彼女は遠慮なく受け取ると、あっという間に口に放り込んだ。

 

「おいしーい!」

 

 満足げに頬張る彼女を見て、僕らはほっと胸をなでおろした。

 

「ごまかせましたね」

「疑うことを知らない性格で、嬉しいやら心配やら」

 

 悪い人に引っ掛かりそう。上原さんもしっかり者だけど、押しに弱いところがあるからなあ。

 

「? 何の話ですか?」

「いや、君が可愛い猪で助かったって話。あと心配でもある」

「いのしし?」

 

 首を傾げているところを置いておいて、ドーナツも渡す。これまた躊躇なしに口に溜め込んでいる。リスみたい。可愛い。

 

「味見もしてるんですか?」

「みんな勝手に渡してくるんだよ。もんじゃ五種類にからあげと焼きそば、クッキー、マフィン、マカロン、フィナンシェ、バウムクーヘン……」

「そんなに!?」

「そろそろ味の違いがわからなくなってきたころだよ」

 

 味の分かる人じゃない僕に感想を求められても困る。

 結局、どれも美味しいという参考になってるのかならないのか不明な返しをするしかない。それでも毎日毎日ちょっと変えたくらいのものが差し入られてくる。

 

 休憩がてら、ひとしきり食べ終わると、嬉しそうな表情はそのままに高咲さんは口を開いた。

 

「こうやってお話するの、久しぶりに感じますね。ほら、湊さん、フェスティバル準備中はあまり私と喋ってくれませんから」

「喋ってるじゃないか。設備とか備品とか……」

「そういうお仕事的なのじゃなくて、なんていうか……プライベートな会話、世間話とか」

「それは私も思ったかな。湊さん、なんだか二年生と一年生とちょっと距離があるみたい、って」

「それは……そうかもしれないけど、僕としては出来るだけ平等に接してるつもりだよ」

 

 上原さんに対しては、今までほとんど高咲さんにお任せしてたから、そう強く主張はできないけど。

 

「こういうのは受け取り側次第ですよ」

「じゃあセクハラだと受け止められないように、もう少し距離を……」

「最近だと、構わなすぎも問題だって」

「なんでも文句言える無敵論法じゃないか」

 

 どうあってもハラスメントと言われる時代なのだろうか。なかなか肩身の狭い世の中になったものだ。

 

「そもそも、湊さんにセクハラなんて言う人、同好会にいないような」

「そうそう。湊さんにとって私たちは、そんな距離の詰め方に四苦八苦するような相手じゃないってこと」

 

 高咲さんは人差し指を立てると、得意げに胸を逸らす。

 嫌な予感がしてきた。こういうときは大抵変なことを言い出すものだ。

 

「つまり、こう言えるんじゃないかな」

「言えない」

「甘やかしが足りない!」

 

 先に潰しておこうとしたのに、無視された。

 

 甘やかしぃ? この子はまた、何を言ってるんだか。

 いくらまだまだ子どもの高校二年生とはいえ、同じような子どもの僕に甘やかされても嬉しくないだろうに。ぐっと拳を握って力説するくらいなら、他の三年生に頼むべきだ。

 上原さんは苦笑しながら、つまり、と話しだした。

 

「もうちょっとこう、雑に扱ってくれてもいいってこと、かな」

「雑?」

「なんだか大事にされてるみたいで……それは嬉しいんですけど、もっと気楽に接してほしいなあって」

「さすが歩夢! その通り!」

 

 そう言われましても。

 後輩に対する接し方に関してはほとんどわからない。年下と過ごしたことがないわけではないが、その大体が特殊だ。

 だが、せっかくの申し出だ。努力はしてみようかな。

 

「気楽に、気楽にね。よし、どこからでもかかってこい」

「気楽にって言って構える人初めて見た」

「あはは、湊さんはこういうとこ不器用だなあ」

 

 いざ意識してみると、どう話していいのやら。中須さんみたいないじられキャラだと、二人が言うような『雑』な接し方もしやすいんだけど。

 女の子相手となると、どの程度近づいていいのか未だにわからない。女性比率の高い虹ヶ咲だとかなり致命的。とりあえず手を伸ばしても接触しないくらいだとお互い嫌な思いはしないってことは、経験で把握済み。

 そこから先は個人個人で領域が異なる。僕の周りはだいたい距離感バグってる人が多いような気が……

 

 なんてふうなことを考えてると、あることに気づいて、高咲さんを指差す。

 

「くま」

「猪じゃなくて、ですか?」

「目に隈ができてる」

 

 彼女の目にうっすらと黒い筋。それを指摘すると、しまったという顔をして目を逸らす。

 

「さ、最近フェスティバルの準備だけじゃなくて、音楽の勉強もしてるから」

「あと、スクールアイドルの動画も夜中に見てるんだよね。やめてって言ってるのに」

「うっ」

 

 上原さん、笑顔なのに目が笑っていない。

 前も、同じような話を聞いたな。そのせいで寝不足になっていたとか。

 

「無理はしないでくれよ。君が倒れたら、みんな心配する」

 

 フェスティバルそっちのけで看病ということになるかもしれない。それは誰の望むところでもないだろう。

 そうでなくても、夜更かしは美容の天敵という。可愛く整っている今の状態からわざわざ崩すこともない。

 

「よく言うだろ。苦しいことは分け合えばいいって。一人で背負えないなら二人で。それでも無理なら、同好会にはまだたくさんいる。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、ソロアイドルの集まりだけど、みんなちゃんとした仲間で、ライバルで、友だちなんだから」

 

 こうでも言っておかないと、彼女の言うところの『トキメキ』を優先しすぎて、突っ走りすぎてしまう。

 ただでさえその気があったのに、彼女の世界は、寝る間も惜しんでしまうほどにどんどんと広がり続けていっている。

 

「湊さんも、無理はしないでくださいね」

「おかげさまで楽させてもらってるよ」

 

 僕が言うと、彼女たちは唖然とした顔を見合わせて、やれやれとため息をついた。

 

「重症、だね」

「侑ちゃんよりもね」

 

 二人はもう一度、ため息をついた。



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38 スクールアイドルフェスティバル開催

 雲一つない晴天。歓声が空気を震わせる。それと同時に満足感が胸をいっぱいにした。

 地面も空気も揺れるほどの大喝采が、あたりをびりびりと響かせる。

 この日のために作った『スクールアイドルフェスティバル』の文字が書かれた黒いスタッフTシャツを着た僕は、舞台裏から覗き見をしてよしよしと頷いた。

 虹ヶ咲から数百メートル離れたステージでは、スクールアイドルフェスティバル開始と同時に藤黄のパフォーマンスが始まった。

 

 それを見ながら、僕は片耳に着けたワイヤレスイヤホンのボタンを押す。僕と高咲さんはスマホの無線アプリを常に繋いでいて、四六時中、誰からの緊急コールを受けられるようにしているのだ。

 

「そっちはどう?」

〈ステージばっちり、音もばっちりです。そちらも順調みたいですね〉

「うん。お客さんもいっぱいだし、だいぶ盛況だよ」

 

 キャパを大幅に超える人数が集まり、その全員が熱く迸るエネルギーを放っている。一曲終わり、一度スクールアイドルが袖にはけていったのも構わずに、拍手が止まない。

 僕はインカムを外して、一息つく。

 

「お疲れ様」

 

 汗をタオルで拭く紫藤さんに声をかける。

 

「天王寺さん、わざわざ確認に来てくれてありがとう」

「藤黄が盛り上がってくれると、後のステージにも人が集まってくれるだろうからね」

 

 フェスティバル最初のステージ。 各地で行われるそれらのうち、東雲は選ばれたアイドルたちのみが舞台に立ち、虹ヶ咲はそれぞれが対応。ほぼ全員が出演する藤黄だけ、僕が裏で音響と照明を調整していた。

 さすがと言うべきか、炎天下の中、続く曲を心待ちにしている観客はそこから動かない。

 

「あとはこっちでやるから、君は虹ヶ咲のステージを見てきたら?」

「気になるんですよね?」

「そりゃそうだけど……」

「なら、行った行った! そっちのみんなも、天王寺さんを待ってるだろうしさ」

「何かあったら、お呼びしますので」

 

 時計をちらりと見る。何か問題がないか、一通り回っておきたい。

 藤黄はあと、ユニット曲が多めで全体曲は数えるほど。さらにステージ運営はこちらより経験豊富。最初さえ上手くいけば、あとは彼女たちに任せておけば問題ないだろう。

 せっかくの申し出だ。僕はお言葉に甘えることにした。

 

「ありがとう」

 

 脇に置いておいた鞄を背負って、僕は会場を後にした。

 

 

 

 

「湊せんぱ~い!」

 

 行きかうたくさんの人がいても、中須さんの声はよく通る。おかげで、木陰で涼んでいる彼女たちを見つけられた。

 中須さん、桜坂さん、優木さんはまだまだ元気そうで、こちらに手を振ってきていた。

 

「こっちは上手くいった?」

「はい」

「大成功でした!」

「あーあ、湊先輩ももう少し早く来てくれれば、かすみんの可愛いやられ姿を見られたのに~」

 

 ちょっとした演劇。スモークを使ったり、手作りの大きな乗り物に乗ったり……ちょっとというには豪華で手間がかかってるけど。来てくれた人に楽しんでもらうための余興だ。

 脚本は桜坂さん。監督・演出は演劇部の部長。

 彼女たちと周りの客の笑顔を見れば、上出来だったことはわかる。

 

 出演したご本人たちは、揃いも揃ってジト目でこちらを見てくるけど。

 桜坂さんですら上目遣いで、拗ねるように口を尖らせた。

 

「私も、見てほしかったです」

「ごめんごめん」

「じゃあ、お詫びに次のかすみんのステージは最初から最後まで……」

 

 中須さんの言葉を、手で制した。耳元で宮下さんの声が聞こえたからだ。

 

「機材トラブル?」

 

 どうやら宮下さんのところで音が出なくなったようだ。話を聞く限り、音響機材に問題はないそうだから、おそらくPCの不調だろう。技術的な問題か、あるいは暑さのせいか。

 ここから彼女のステージまでは、急いでもかなりかかる。それまで舞台を空けておくのは……

 

〈お兄ちゃん、私が行く〉

 

 璃奈だ。

 距離的には、二人の位置は近いはず。璃奈の次の演目まではまだ時間があるし……

 

「任せるよ、璃奈。高咲さんもそっちに向かって、何かあったら対処できるようにしておいて」

〈了解ですっ〉

〈こっちもいいかしら〉

 

 お次は朝香さんだ。

 

〈衣装が少し破けちゃって。誰か裁縫道具持ってない?〉

「届けに行くよ。ちょっと待ってて」

 

 多少ではあるが、あちらこちらで不具合が起こり始めた。事が大きくならないように、早く向かわないと。

 

「そういうわけだから」

 

 ステージは見れない、と言おうとするよりも早く、優木さんが頷いた。

 

「大変ですね。頑張ってください。応援してますから」

「言う人と言われる人が逆な気がする」

 

 頑張るのは君たちで、応援するのは僕のはず。僕を応援してもしょうがない気がするのだが。

 

「そんなことありませんよ。湊さんがいてこそ……」

「じゃ、僕は急ぐから」

「最後まで聞いてくださいよ!」

 

 

 

 

「だ、大丈夫?」

 

 エマさんが、肩で息をする僕の顔を覗き込む。

 

「ここにきて、日ごろの運動不足を痛感してるよ」

 

 急いで来たから、予想以上に体力を奪われた。汗がだらだらと流れて止まらない。

 朝香さんはくすくすと笑った。

 

「これから一緒に練習するべきね、湊くんも」

「考えておくよ」

 

 学生でこの体力の無さは、自分でも心配になる。楽器を演奏するとき、最後まで表現を伝えようとするには、それなりの力と持久力がいる。

 最近ではインドアでも出来るフィットネスゲームがあるくらいだし、利用してみてもいいかもしれない。

 

 さて、と息を整え、腰に掛けたポーチから小さな裁縫箱を取り出す。

 

「糸と針が入ってるから、それで大丈夫?」

「うん。ありがとう、湊くん」

 

 こちらもすでに演目が終わっていて、二人ともすでに着替え終わっていた。

 問題となっている朝香さんのステージ衣装である短いスカートは、エマさんが持っている。子どもが強く掴んだらしく、スカートの端がほんの少し破けている。

 彼女はベンチに座って、慣れた手つきで針を動かした。

 

「今日は楽しんでほしいところだけど、そうもいかないみたいね」

「むしろ今日こそ気が抜けない日だよ。ぼーっとしていて問題に気が付きませんでした、じゃシャレにならないからね」

「だったら、出来るだけ心配かけないようにしないとね」

「じゃあ次のステージはどこかわかる?」

「もちろん。あっちよね」

「逆」

 

 朝香さんが指差したのは、見事に目的地の反対。訂正してやると、季節のせいとは別の汗が一筋、朝香さんの頬を流れた。

 

「……エマに連れて行ってもらうわ」

「エマさんがいない場合は、すぐ僕か高咲さんに連絡を取ること。いいね?」

「わかってるわよ。その時はちゃんと引っ張っていってね」

 

 了解、と軽く頷いて、ぱたぱたと手で顔を扇ぐ。

 蒸し暑さでじっとり。シャツも体に張りついている。それはここにいるスタイル抜群女子二人組も同じで、思わず視線が向いてしまいそうになる。

 いやいや、真面目にやらないと。彼女たちの信用を預かってる立場なんだから。

 

「出来た!」

 

 エマさんは直した衣装をこちらに向けてきた。煩悩を消してそちらに注目する。

 うん、これなら破けたところ目立たない。次も大丈夫そうだ。

 

「みんなの様子はどう?」

「上手くやってるみたいだよ。宮下さんのステージもトラブル直ったみたいだし。近江さんは……応答ないけど」

「一緒にお昼寝、なんてプログラムだものね」

 

 リハーサルもただ寝てるだけだったからなあ。ちょっと心配になってきた。

 

「そっちの様子も見てくるか」

「終わったら、また戻ってきてね」

「行けたら行く」

「それは、戻ってこない人の言い方ね」

 

 

 

 

 近江さんのステージへの道すがら、見知った顔がいた。

 

「遥さん」

 

 呼ぶとぱっと笑顔を咲かせて、僕のそばに寄ってきた。

 

「この時間、東雲は一旦休憩中だっけ」

「はい。この間にお姉ちゃんのステージを見ようと思って」

 

 それほど近くはないうえに長くない休憩のはずなのに、ここに来るあたり見た目以上に期待しているのがわかる。

 

「あ、あのあの、改めてお礼を言わせてください。このフェスティバルに誘っていただいて、ありがとうございます。それに、お姉ちゃんのことも」

 

 近江さんのこと?

 僕が不思議そうな顔をすると、遥さんは言葉を続けた。

 

「お姉ちゃん、毎日本当に楽しそうで……湊さんのおかげだって、いつも聞かされてるんですよ」

 

 璃奈や宮下さん、スクールアイドル界隈だけでなく、近江家でも僕の話か。姉妹での楽しい会話のタネになるなら、別に構わないけど。

 

「僕のほうこそ、何万回も君のことを聞かされてるよ。遥さんがいるから、近江さんは頑張れるんだって」

 

 可愛い遥ちゃん、という言葉を何度聞いたことか。思い返すだけで嬉しそうに喋る近江さんの顔が浮かぶ。

 

「今回のスクールアイドルフェスティバル、東雲も一緒にって言ったのは、近江さんなんだ」

「お姉ちゃんが?」

「このフェスティバルをやるにあたって、やりたいことは何か聞いたら、君と一緒に盛り上げたいって」

「お姉ちゃん……」

「あと、ファンとお昼寝したいってさ」

「お姉ちゃん……」

 

 同じセリフなのに、トーンは真逆。僕が遥さんだったとしても、同じ反応をしただろう。

 などと話していると、近江さんのステージに着いた。

 

 ヴィーナスフォート広場。

 壇上で人をダメにするソファに横たわっているのは、我らが近江彼方。衣装で、ああもぐっすり寝ていると、まるでどこかのお姫様みたいに見える。

 客席に用意されているソファにも、同じようにしてファンがいる。いるというより、ご就寝。

 

「今さらですけど、これってありなんですか?」

「なし……とは言えないかな。僕も生徒会もOK出したわけだし」

「自由、ですね……」

 

 姉の本当にやりたいことに、複雑な表情で返す遥さんだった。

 

 

 

 

 お祭りは、まだまだ続く。

 朝から始まってもうだいぶ経過したけど、客足は減らない。それどころか人が人を呼んで、どんどんと増えつつあった。

 いったん虹ヶ咲学園に戻ってきた僕は、校舎近くのベンチに腰を下ろす。背もたれにぐったりともたれながら、おにぎりを口に放り込んだ。

 

「天王寺さん」

 

 呼ばれて、首をひねった。

 最近、優木さんのファンになったらしい生徒会副会長が、いつの間にか後ろにやってきていた。彼女も他に漏れず、フェスティバルスタッフのTシャツを着ている。

 

「盛況ですね」

「ありがたいことに、予想の何倍もお客さんが来てくれてるみたいだね。どこのステージもパンパンだってさ」

 

 さらに、生放送視聴者数もとんでもない数値になっている。東京に来れないファンたちが一斉に見てくれているのだ。

 一つ終わったら次へ、もしくは違うステージへ、簡単に飛べるようにリンクも貼ってあるから、見だしたら止まらない。終わるころには推しが何人もできていることだろう。

 

「休憩ですか?」

「お昼ご飯」

「もうすぐ五時ですけど……」

「走り回ってたからね。気づいたらこんな時間」

「大変ですね」

「嬉しい悲鳴だよ。そんだけ色々なところで色々なことやってるってことなんだから」

 

 どこもかしこも激しい歓呼の声。それだけでみんなが素晴らしいパフォーマンスをしていることがわかる。

 ちょっとした機材の不具合とか、ファンの押しかけとかはあったけど、大きな危機もないままで終わりも近い。

 

「ありがとう。ステージの確保とか準備とか、色々手伝ってくれたみたいで」

「いえいえ、これも生徒会の仕事ですから」

「言うほどそうか?」

 

 学校生活を円満に、という意味では部活のサポートも職務の内なのだろうか。だとしたら僕が思うよりよっぽど、忙しいに違いない。

 勉強にスクールアイドルに生徒会長の中川さんを、もっと労わらなければならないかもしれないな。

 

「高咲さんとはご一緒ではないんですね」

「別々のところでアクシデントが起きた時、対処しやすいようにしてるんだ。それとは別に、今回は高咲さんにも目いっぱい楽しんでほしいから、ステージをやるところ重点的に見回るようにしてもらってる。これは内緒にしておいてね」

 

 今ごろはたぶん、宮下さんのところあたりにいるんじゃないかな。

 彼女はこのフェスティバルを実現させるためにたくさん頑張った。経験もないのに、調べて、人に聞きまくって、そしてようやくこの日を迎えられたのだ。そうして叶えられた夢を存分に見てほしい。

 もちろん、そのぶん仕事の量は僕に多く降りかかってくる。それがバレたら、不公平だと不満を言ってくるだろう。だから、ここだけの話。

 

「あなたは?」

「ん?」

「あなたは、みなさんのことを見に行かないのですか?」

「見に行ってるよ。さっきも映像機器のトラブルが……」

「そうではなくて」

 

 彼女は不思議そうに僕の目を見てきた。

 

「あなたは、同好会のみなさんのステージを、観ないのですか?」

 

 陽は傾いて、夜へと近づいていっている。

 しかしオレンジ一色になるはずの空には雲がかかっていて、太陽が隠れてしまっていた。



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39 九つの星が輝いて

 胸のざわつきは、その場で座ったままなのを許さなかった。

 比喩ではなく、雲行きが怪しくなってきた。さっきまで快晴だった空は、灰色に染まっている。嫌な予感は当たるもので、ぽつぽつと雨が降り始めた。急いで本部テントに着くころには、土砂降りと言えるほどにまで強まっていた。

 もう各校の代表は集まっていて、頭から足の先まで濡れた僕が最後だった。

 

「湊さん、大丈夫ですか!?」

「平気平気、蒸し暑いからちょうどよかったよ」

 

 余ってるタオルでガシガシと頭を拭きながら、僕は答える。

 雨足は弱まらず、むしろ勢いを増している。これが小雨程度ならともかく、打たれれば全身から滴るほどの大雨だ。続行は不可能。

 アナウンスするまでもなく、あれだけいた観客はどこかへ行ってしまった。

 

「もしも、この雨がずっと降ったら……」

 

 雨雲の流れは速く、長くはとどまらないだろう。通り雨だ。今日一日中振り続けることはないはず。それでも十分に邪魔だった。

 ステージが使えるのは十九時まで。スケジュールもそれに合わせて組んでいるため、雨が降る時間が長くなれば長くなるほど組み直しが難しくなる。

 最悪、ここからすべてが無くなってしまうおそれもある。それに加えて……

 

「湊さん……どうにもならないんですか?」

 

 上原さんが心配そうに見つめてくる。

 天気を変えられるなんて力はもちろんない。それでも願わずにはいられないのだ。ここで、こんなことで終わるわけにはいかないから。

 東雲と藤黄のスクールアイドルたち、裏方で手伝ってくれた生徒たちも巻き込んだこのお祭りが、こんなところで終わっていいわけがない。

 

 そしてなにより、同好会再結成からこのフェスティバルを通して、高咲さんも虹ヶ咲スクールアイドルのみんなも必死に頑張ってきた。

 その彼女たちの想いが込められた曲。そしてそこに込められたメッセージ。それを伝えられなくなるのは、一番良くない。

 僕はいつも通りの顔を作る。僕までおろおろしていたら収拾がつかなくなる。こういう時こそ、自信満々に見せるのだ。

 

「何とかするよ。だからそんな顔しないで。高咲さんに届けたい気持ちがあるんだろ」

 

 どうにか、どうにかしないといけない。僕に出来るのは、留まって祈ることじゃなくて……

 

「湊さん、どこに?」

 

 雨の中に飛び込もうとした僕に、彼女は問うた。

 

「ステージ時間の延長を頼みに行ってくる。上原さんは、雨が止んだらみんなをあのステージに呼んで」

 

 

 

 

 校内は、突然の雨から避難してきた生徒や一般の人たちで詰まっていた。

 みんながみんな、ガラスの外を気にしている。まだまだ降り止む気配はなく、フェスティバルがどうなるかを憂いていた。

 不安でごった返す屋内を、急いで駆け抜ける。

 

「すみません、道を開けてください!」

 

 大きく声を上げて、息を切らしながら進む。迫りくる時間の流れを変えることはできない。なら、決められた時間のほうを変える。

 本校舎の階段を上がって上がって、目的地へ向かう。

 

「天王寺さん!」

 

 走りながら声のするほうを振り向くと、副会長がいた。

 

「あとでいくらでも反省文は書くから、校内を走ってることは怒らないでくれ」

「それ、は……わかりました。でもフェスティバルは……」

 

 そこで、彼女も僕の向かう先に気付いたようだ。

 職員室。各部の顧問たちがいるはずだ。あくまで何か問題が起きた時のために休日出勤してくれている先生方に頼みごとをするのは気が引けるが、これしか手はない。

 一呼吸も置かず、扉を開ける。またまた全身びしょ濡れになってしまったせいで、職員室に入った時にはぎょっとされた。

 

 大丈夫、と駆け寄ってくれたのは、見知った人だった。三年の音楽科、僕のクラスを受け持っている先生だ。

 普段から大人らしく冷静な彼女は、珍しく目を丸くしている。

 

「ずぶ濡れじゃない」

「そんなことは後でいいんです」

 

 僕だって普段なら、こんな不躾なことは言わないが、今回は事が事だ。

 縋るように彼女を見て、息切れしたまま頭の中の言葉を連ねる。

 

「この雨のせいで、決められてたステージが次々に中止になってる。けどどうにか、最後のステージだけはやらせてやりたいんです」

 

 握る拳に力が入る。

 

「約束したんだ、どうにかするって。僕が嘘つきになるのは構わない。けど、だけど! あの子たちが夢を叶える邪魔だけは、誰にも、天気にもさせたくないんです!」

 

 せっかくここまで繋いできたんだ。ここで、こんなところでこんな終わり方なんて酷すぎる。

 

「お願いします。スクールアイドルフェスティバルはみんなの夢を叶える場所だって、ここまで積み上げてきた高咲さんに、みんなにちゃんと見せてあげたいんです!」

 

 がばっと、勢いよく頭を下げる。

 

「校内のステージだけでいいんです。三十分、時間を延長させてください」

「……」

 

 先生は考え込む。

 申請は十九時まで、で通している。虹ヶ咲は敷地が広く、学校の外にまで音が漏れることはほとんどないが……延長の決定を、その場で簡単に決められるわけもなく。

 そんなことは僕だって重々承知で、だからこそこうやって必死に頭を下げている。フェスティバルが続けられるなら、誰にだって土下座する覚悟もある。

 ぼたぼたと髪から水が滴り落ちる。そうして少しした後、先生は重い口を開いた。

 

「少し待ってなさい」

 

 そう言って、先生は職員室の中に戻っていく。一考してくれて、上の人に交渉してくれるのだろうか。

 とにかく、言われたとおりに待つしかない僕は、その場に立ち尽くすようにして、ため息もつけなかった。

 

 

 

 

「……」

 

 爪を噛み、耐える。下手に口を開いたら、不安が押し寄せてきそうだ。

 時間を確認する。まださきほどから数分しか経っていない。体感的には、何週間も待っている気分だ。

 

「天王寺さん、これを」

 

 副会長が何枚かのバスタオルを持ってきてくれた。シャワー室に常備されている物らしい。

 お礼を言って、体を拭く。かなりマシになったが、濡れた体では、エアコンの効いている屋内はひどく寒く感じる。真夏日なのに体は震えていた。

 

「お身体に障ります。別の場所で待っては?」

「一刻を争うんだ。みんな待ってる」

「でしたら、私が伝えに行きますから」

「悪いけど、これは僕の仕事だ」

 

 最後の最後、みんなが想いを届けるその瞬間までは僕に責任がある。

 何とかすると言った以上は、何とかしなきゃいけない。その義務がある。でないと、僕の存在意義は……

 

 それから何十分経っただろうか。 

 心臓がばくばく言って、嫌な想像を振り払ってもどんどんと湧いてくる。期待がしぼんできて、落ち着かない。

 こんなところ、みんなには見せられないな。

 

 気づけば、七時まであと少しのところまで回っていた。外はすっかり暗くなっている。それよりも……

 

「雨、止みましたね」

 

 窓の外を見て、副会長が呟く。

 あれだけ降っていた雨は消え、雨雲もどこかへ去っていた。やはり通り雨だったようだ。星すら見えるほど、空は澄んでいる。

 これならいける。問題は時間だけだ。

 

 もしこれが上手くいかなかったら……思考が底の底に落ちてしまう直前、職員室の扉が開いた。

 先生はいつもの落ち着き払った顔で出てきた。そのせいで、いまいち展開が読めない。

 どちらだ、と心臓が早鐘を打って、答えを待つ。

 

「七時三十分まで。それ以上は認められない」

 

 予想の中で一番嬉しい言葉が飛び出してきて、自分でも顔がほころんだのがわかる。

 

「ありがとうございます!」

 

 深く頭を下げ、頭からつま先まで痺れるような感覚に一瞬浸る。

 

「早く行きなさい。時間はそう残ってないんだから」

「はい!」

 

 そうだ。このチャンスを逃してなるものか。もう一度先生に礼をして、耳のイヤホンマイクを起動させる。

 

「みんな、聞こえてる?」

〈湊さん!〉

 

 すぐに返ってきたのは、上原さんの声だ。

 

「七時半までステージができるようにしてもらった。スムーズにいけば、三校とも一曲ずつはできる。学校中庭のステージだ。すぐそこに集まるように、みんなに言ってくれ」

 

 返事を待たずに、僕は満足げに一呼吸。踵を返して、また駆けだした。

 

「湊さん、ステージはあちらですよ」

「部室に、取りに行かなきゃいけない物がある」

 

 

 

 

 部室から急いでステージ前まで走った僕は、その景色に圧倒された。

 数えきれないくらいの人たちが、そこにいた。もう終わったと諦められても文句は言えないのに、まだ、こんなにも残ってくれていた。

 スクールアイドルたちの魅力が、人々をここに集めたのだ。

 ペンライトが、星の光を反射する海のように広がっている。

 

 すでに東雲がパフォーマンスをしていて、昼にも負けない歓声が空気を震わせている。

 

 涙ぐんでしまうけど、これで成功……というわけじゃない。みんなが歌って踊って、伝えられたら成功なのだ。

 客をかき分けかき分け、目あての人物にようやくたどり着いた。

 

「高咲さん!」

「み、湊さん!?」

「はいこれ」

 

 この時のために用意していた九色のペンライト。それが入った袋を彼女に渡す。この時のために、部室の中に隠してあったのだ。

 

「せっかく頑張ったんだ。楽しまなきゃ」

「湊さんは?」

「僕は裏方」

「じゃ、じゃあ私も……」

「こればっかりは譲れないよ。君には、観客としてステージを楽しんでほしいんだ」

 

 この場じゃ言えないけど、今からのステージは他でもない君へ宛てたもの。だから高咲さんはここにいなければならない。それに、開催した側にだって、祭りを楽しむ権利はある。

 中庭を埋め尽くさんばかりの人だかりを横目に、僕はステージ裏へ向かう。

 ちょうど、東雲からバトンタッチした藤黄が、舞台上で楽し気に舞いはじめたところだ。

 そして我らが虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の面々は、みんな待機中。

 

「湊さんっ」

 

 僕が声をかけるよりも早く、上原さんが反応した。

 

「驚いたよ。ここまで人が集まるなんて」

「最後にステージをやるって、みんなでお客さんに呼びかけたの」

 

 璃奈がスマホの画面を見せてくる。虹ヶ咲、東雲、藤黄の各公式SNSアカウントから、個人のアカウントからも、最後にスペシャルステージをする旨が発信されていた。

 

「もしやらないってなったら、どうするつもりだったんだ」

「それはその時。それに……」

「湊さんが、どうにかするって言ったんです。信じてましたよ」

 

 上原さんが言葉を継ぐ。

 何の根拠もないあのセリフを、彼女は、みんなは信じてくれた。その事実にこみあげるものを感じて、目頭が熱くなる。走り回った甲斐があるってもんだ。

 感傷に浸るのは後。落ち着くのも、泣くのも後。全部後回しだ。

 

「みんな、最後のステージだ。準備はいいな?」

 

 全員を見回してそう言うと、自信満々に頷いて返される。それに満足して、自分の仕事に移る。

 インカムを装備して、音響と照明に指示。言うまでもなく準備万端で、藤黄のパフォーマンスが終わるのと同時、暗転。

 そしてスポットライトが、各々へと照らしだされる。

 

 衣装は、それぞれのソロ曲のまま。統一性はない。それが虹ヶ咲らしさでもある。

 みんなが競い合うライバルで、同じ夢を見る仲間。

 

 九つの星が、ステージ上で瞬き始めた。



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40 僕はどこへ

 陽が完全に落ちて、空に星が見えるようになっても、虹ヶ咲学園校内はまだ熱気が冷めていない。部室棟でスクールアイドルフェスティバル成功を祝う色んな人が騒いでいるせいだ。

 片付けはまた明日から。今日の夜は、ただひたすら無邪気に喜ぶことだけが許される時間だ。

 僕も今は、校舎の外のベンチに座って、ゆったりと余韻に浸っていた。

 

 目を閉じれば、来てくれたお客さんたちの顔が浮かぶ。

 本当に、夢のような時間だった。自分たちの催しで、あんなにもたくさんの人たちの心を動かせた。スクールアイドルの凄さというものを再確認できた。

 それにあの最後のステージ。今回の立役者、高咲さんへのメッセージ。藤黄にも東雲にも負けてない、これ以上ないパフォーマンスだった。

 SNSや動画チャンネルを見てみれば、大絶賛の嵐が飛んでくる。あまりにも多すぎるもんで、パソコンが止まってしまったくらいだ。感想を届けてくれた人たちのお返しは、明日からにさせてもらおう。

 

 当の虹ヶ咲スクールアイドルたちは、すでに着替えを終えて部室で集まっている。打ち上げだ。

 遅くまで活動申請も出しているし、夜はまだまだこれから。

 屋台で余ったものや、労いで作ってくれたお菓子がたくさん部室に運びこまれていた。なかなか贅沢だが、罰は当たらないだろう。

 

 ようやくここまで来た。みんな立派になって、固い絆で結ばれて、どのスクールアイドルよりも断然輝いて見えた。

 贔屓目かもしれないけど、でも確かに、みんなそれぞれがとてつもなく大きな星になった。

 

 さて、と立ち上がる。そろそろ戻らないと、誰かが探しに来そうだ。

 中に入り、最低限の照明だけ点けられた屋内を進む。 階段を上がり、スクールアイドル同好会の手前まで来た。

 ドアノブに触れようとしたところで、中の声が聞こえた。

 

「大成功だね、みんな!」

「かすみんの可愛さがあれば、当然です!」

 

 今回の影の主役である高咲さんと、一度同好会が解散してもめげなかった中須さん。その二人を中心に、みんながわいわいとはしゃいでいる。

 達成感と解放感で、みんなとても喜んでいて、その上がった感情はここにまで届いてきていた。

 そして僕は……

 僕は……

 

 ひどく場違いな感覚に陥った。

 ここにいるのが、このすぐ外側にいるのすらいたたまれないような気がする。胸がきゅっと絞まって、手をその先に向けられない。

 一度思ってしまえば、その奔流は止まらない。嫌な思いがどんどんと溢れてしまう。

 僕がイレギュラーで、いないほうが自然なようで、まるで部屋の中の十人でもう完成されているような……

 

 ああ、そっか。そういうことか。

 僕の役割はもう……とっくに……

 

 ドアノブに伸ばしていた手を引っ込めて、音を出さないように離れて、、階段を下りた。

 他の部室からも聞こえてくる浮かれた声を背中に受けながら、部室棟の一階を横切って外に出ると、さっき感じたのとは違った、じめじめとした粘りある熱気がまとわりついてくる。

 

 静かだ。

 隔絶されたかと思うほど、内と外の差は激しい。

 一抹の寂しさを抱えながら、僕は歩を進めた。足が重いのは、疲れているからか、それとも進みたくないからか。

 

 不意にポケットが震える。スマホが鳴って、誰かから通話が来たことを知らせてきた。画面を見ると、璃奈だった。

 数舜ためらった後、通話ボタンを押す。

 

『お兄ちゃん、今どこ? もう打ち上げ始まっちゃう』

「今……」

 

 ここってどこだろう。

 一瞬、自分の立っている場所がわからなかった。先ほどよりも闇が深くなっていることに、遅れて気づく。

 

「ちょっと体の調子が悪くてね、雨に打たれたからかな」

『えっ、大丈夫?』

「シャワーも浴びて温まったんだけど、寒気が取れなくて……酷くなる前に帰って休もうかなって思ってたとこ」

 

 少しの沈黙。その後ろから、今日の感想をわいわいと言い合うみんなの声が聞こえてくる。

 その雰囲気を壊してしまわないよう、努めて明るい声を出した。

 

「打ち上げは僕抜きでやって。せっかくの大成功なんだから、ぱーっと祝わなきゃ」

『……うん』

 

 それじゃ、楽しんで。そう言って通話を切る。

 

 去年度までは、まさかスクールアイドル同好会を立ち上げるなんて思ってもみなかった。そこで作曲することも、マネージャー活動をすることも。何もかもが楽しかった。

 

 もう十分だ。もう僕がいなくても、上手くやっていける。いや、既にそれは分かっていることだった。

 変わった。璃奈もみんなも、見違えるほどに。僕は、彼女たちの力に、ほんの少しでもなれただろうか。何か変えられただろうか。

 

 ……もう十分だ。

 

 

 

 

「というわけで、後はお任せください」

「はい。ありがとうございます」

 

 フェスティバルが終わった翌日、ステージ作成業者さんと最後の挨拶を交わす。

 設備のいくつかはレンタルのものだったので、後片付けと撤収をお願いした。これでほとんどの仕事は終わり。残っているのは、全て片付いた後に、改めて見回りに来るくらい。

 一緒に業者さんと話をしていた高咲さんは、僕が一息つくと心配そうな表情で見てきた。

 

「湊さん、体は大丈夫なんですか?」

「ああ、うん」

「無理はしないでくださいよ」

「今日が終わったらゆっくり休むよ」

 

 もう無理に動く必要なんてないし、ここからは時間がだいぶ余るだろう。例えば休日にぐっすり昼寝、なんてことも出来てしまうわけだ。

 

「それにしても、あの曲、いつの間に作ってたんですか?」

 

 高咲さんが言っているのは、虹ヶ咲スクールアイドル全員で歌った曲『夢がここから始まるよ』だ。彼女の作ったメロディーをもとにして、僕が最後まで作った曲。

 

「フェスティバルのほとんど直前。歌詞はみんなで考えた」

「全然気づかなかった」

「じゃあちゃんと隠せてたってわけだ」

 

 歌詞が出来上がったのはなんと当日。高咲さんに見られないように歌詞ノートをみんなで回すのは大変だった。

 その苦労も、飛び上がりながらサイリウムを振る彼女の姿で報われた。彼女だけじゃない。たくさんの人が、虹ヶ咲スクールアイドルの姿に見入った。

 

「みんなの想いが伝わってきて……なんていうか……」

「トキメいた?」

「はいっ!」

 

 アイドル顔負けの笑顔。

 こんな真っすぐな人だから、誰もが力を貸す。彼女の努力を知り、情熱を知ればなおさら。

 高咲さんがみんなを支えて、みんなもそれに応えて、ようやくここまで来た。

 もう……もう、彼女がいれば大丈夫。

 

 僕は一度深呼吸をして、高咲さんの目をじっと見る。

 

「あとは、君に託すよ、高咲さん」

「え?」

 

 彼女はひどく驚いた顔をした。けどそれにかかわらず、僕は続ける。

 

「もう少しは作業が残ってるけどね。フェスの後処理の書類や領収書は、まとめて生徒会に出さないといけないし」

「みなと、さん?」

「でもそれが終わったら、後は君たちで好きにできる」

「湊さん……」

「ただ、これから忙しくなるよ。雑誌のインタビュー依頼とか来てるし、生放送見れなかった人のために、ステージの動画も切り抜いて投稿しないとだし」

「湊さんっ!」

 

 言葉は、叫びで消された。

 できるだけ視線を合わさないようにしていたけれど、ふと見ると困惑した顔で見つめられていた。

 

「どういうことですか? 託すって、どういうことですか?」

 

 高咲さんはぎゅうっと、まるで怪我をしているかのように胸を抑えつける。でも目は離さない。疑問の答えを、どうしても聞こうとしている。

 

「元々、そのつもりだったんだ。高咲さんが来てくれたから、同好会が復活した後にいなくなろうと思ってた。だけど、こんなに遅くなっちゃった」

 

 ここに、僕は必要ない。僕の役割は終わった。そう思ったのは今じゃない。昨日でもない。数か月前だ。なのに同好会とともに活動したのは、やらなきゃいけないことがあったから。

 最初は、引継ぎのためだった。何もかも未経験の彼女に、スクールアイドルをサポートする立場としてやるべきことを教えるためだけに残ったはずだった。みんなを引っ張っていけるだけの力を持つまで。

 あとは作曲。唯一音楽科の僕が、みんなの曲を作らないと、と背負った。

 

 それもまあ結局は、言い訳に過ぎなかった。

 優木さんがいれば、手続き云々のやり方は伝えられただろうし、作曲も僕以外に出来る人はこの学校に何人もいる。虹ヶ咲には人数も才能も揃ってる。

 なのに、こんなに長く一緒にいたのは……

 

「君たちのことを、見ていたくて……」

 

 輝く彼女たちを、もっと近くで、もっと長く見ていたかったという、身勝手な思いからだった。

 

「だったら、いなくなる必要なんてない。まだ教わりたいこともたくさんあるんです! ほ、ほら、私、まだまだ頼りないですよね?」

「フェスティバルを成功させた高咲さんなら、安心して任せられる」

「そんな、せっかく一緒に頑張ってきたじゃないですか! 私も湊さんもみんなも、同じ同好会の一員として……」

「僕は、同好会の一員じゃないよ」

 

 す、と風が通り過ぎた。

 何を言っているのか信じられないといった顔で、高咲さんは唖然としている。

 僕はあの時、一度スクールアイドル同好会が解散したあの時から、もうその一員じゃないのだ。

 

「おーい、ゆうゆ、みーくん! 東雲と藤黄の人たち、帰るって!」

 

 僕らを探していたのであろう、宮下さんがたたたと駆け寄ってきながら呼ぶ。

 

「ほら、高咲さん。見送らないと」

 

 悲しそうな顔をする彼女から逃げるように、踵を返した。



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41 僕は、違う

「今回はありがとう。とっても楽しかったよ!」

 

 東雲と藤黄のスクールアイドルが揃って頭を下げる。

 礼を言うのはこちらだ。彼女たちの協力あってこそ、今回の大成功がある。

 

「それはどうも。よければ、これからもあの子たちをよろしくお願いします」

「そうだね。まだまだ長い付き合いになりそうだよ。君にもまだ貸しが残ってるしね」

 

 東雲の支倉かさねさんがウインクする。以前のヴィーナスフォートでの件を言っているのだ。

 そうだね、と僕は小さく返す。忘れてたわけじゃない。ちゃんと覚えてる。だけどその貸しは、あくまであの時は僕個人が頼みにいって、叶えてもらった願いだ。虹ヶ咲を巻き込むわけにはいかない。

 練習を見るとか作曲するとか、僕個人だけで済む内容で留めてもらうようにしよう。

 

 見送って、その姿が見えなくなると、どっと疲れが押し寄せてきた。

 緊張の糸が切れたんだ。ここ最近張り詰めっぱなしだったから、その反動でだいぶ体がだるく感じる。

 背中と肩に重りが乗ったようなずしりとした疲労感と、膝まで沼に浸かっているような沈んでいく感覚。

 

「これで、フェスティバルも終わりかー」

「終わってみればあっという間だったね」

「この後、ちゃんとした打ち上げしよう。お兄ちゃんと一緒に」

「さんせ~い」

 

 照りつける太陽は。大好調で僕らに熱を向けているというのに、彼女らはまだまだ元気だ。

 そんなみんなの注目を、高咲さんは手を叩いて集めた。

 

「その前に休憩とろう。みんな朝から働きっぱなしだったからね。それに、ちゃんと話しておきたいこともあるし」

 

 彼女の目は、僕を捉えて離さなかった。

 

 

 

 

 フェスティバルの片付けも終わり、参加してもらった二校とも別れ、僕らは部室に戻ってきた。

 なぜか、高咲さんは優木さんを伴ってどこかに行ってしまった。すぐ戻るそうだが、何をしているのやら。

 

 ずっしりと重たい体を、パイプ椅子に預ける。もうお昼時だというのに、かなり動いたはずなのに、食欲がわかない。

 水を飲んで、休憩しつつも喋る女子たちを眺める。元気でいいね。僕はもうすっからかんだよ。

 

 やがて、高咲さんと優木さんは部室に戻ってきた。両方とも沈痛な面持ちだ。

 何枚かの紙を握り締めた優木さんは、笑顔を消して僕を見る。その前に、高咲さんは一歩踏み出した。

 

「ちょっと聞いてほしいことがあるんだ。湊さんのことについて」

 

 いつになく真剣な声色に、先ほどまでの楽しい雰囲気は霧散した。みんな姿勢を正して、次の言葉を待つ。

 高咲さんはさらに一歩、足を進めると、前置きもなくばっさりと言葉を放つ。

 

「さっきのはどういうことですか。いなくなる、って」

 

 え、と全員の目が、一斉にこっちに向く。

 急にそんなことを言われた八人分の困惑の目、そして高咲さんと優木さんの疑問の表情が、僕に注がれる。

 

「辞める気ですか? 私たちの前から、いなくなるつもりですか?」

 

 言い間違いのないよう、高咲さんは一語一語ゆっくりと問う。先ほどの僕が言ったことを、改めて聞くつもりだ。

 震える唇、そわそわと忙しない指。明らかに動揺が浮かんで見える。僕が答えないのを見て、他のみんなにも落ち着きのなさは伝播していく。

 もうこの時点でほとんど答えはわかったようなものだ。違うなら違うと言えばいい。そうしないということは、つまりそういうことなのだ。

 

 突きつけるように、あえて宣言する。

 

「そうだ」

 

 小さく頷く僕の様子を見て、彼女たちは息を呑んだ。

 疑念は確信に変わり、空気は鉛を含んだかのように重くなる。

 冗談でしょ、とは誰も言わなかった。

 

「どうして?」

 

 状況が飲み込めないまま、恐る恐るといった感じで、朝香さんが言う。そんな崩れてしまいそうな姿に僕は目を合わせられず……今度はエマさんが前に出た。

 僕は下がる。けど、扉近くには優木さん。逃げ場はない。

 

「悩みがあるなら言ってよ。同じ仲間でしょ?」

「僕は、そうじゃない」

 

 そこにいた誰もが、ひどく動揺して、追い詰められたようにたじろいだ。

 

「僕は、違うんだ」

 

 もう一度、念を押して言う。

 そこまで言うならしょうがない、と諦めてくれるのを待った。だけど一人として、納得した者はいない。

 

「それって、これに名前を書いてないからですか」

 

 バッと、証拠を叩きつけるように、一枚の紙を取り出した。新しくスクールアイドル同好会を立ち上げた時の、創部届だ。

 中須さん、高咲さん、上原さん、エマさん、近江さん、桜坂さん、優木さん。新しく作った同好会の初期メンバー七人の名前が書いてあった。続けて、宮下さん、璃奈、朝香さんの入部届も出してくる。

 

「さんざん探しましたが、どこにも、あなたの名前が書いてありませんでした」

「その通りだよ」

 

 優木さんがスクールアイドルとして復活し、同好会が再結成されたあの時、創部届を書いたのは僕だ。生徒会に出す書類は慣れているから、と()()で書いた。その時点で集まっていたのは僕を除いて七人。同好会結成に必要な人数は揃っていた。

 僕が書いたことを確認せずに、そのまま提出したのは高咲さんと中須さん。当時受理した副会長は、そんなこと露知らずだろう。もちろん、狙ってやった。優木さんなら……中川会長なら気づいただろうから。

 

 つまり、創部届と入部届に書いてある君たち十人は、スクールアイドル同好会。僕は違う。天王寺湊はあくまで協力者でしかない。

 思いきり乱暴な言い方をしてしまえば、部外者だ。

 

「そういうわけだから、僕はいなくなるんじゃない。元々、いなかったんだ」

 

 事実を突きつけられて、信じられないという顔で固まる同好会のメンバー。

 

「そんな……どうして」

 

 エマさんの呟きも、静寂な空気の中に消えていく。

 誰も声を発することができなかった。宮下さんでさえ笑顔をなくし、朝香さんも軽口や鋭い指摘はない。

 

「だめですよ、そんなの。湊先輩がいないと……私のこと、ずっと見てるって約束したじゃないですか」

 

 中須さんが顔に影を落とす。今にも泣きそうなくらいに肩は震えて、身長より小さく見える。その中須さんに手を添えて支えながら、宮下さんが僕を見る。

 

「みーくん、楽しくなかった?」

 

 首を横に振る。

 

「だったら!」

 

 詰め寄ってくる彼女から一歩後ずさりながら、また頭を振る。

 離れるたびに、拒むたびに胸が痛くなる。痛いのは彼女たちなのだから、僕がそう感じるなんて筋違いだ。

 歯噛んで、出かかった弱音を潰す。

 

「苦しいことは分け合うんですよね」

「僕にはそんな資格なんてない」

 

 上原さんへ、今度ははっきりと言い放った。

 まだ二学期も三学期も活動は続いていく。途中で抜け出すのは無責任だって分かってる。でもこれ以上はだめなんだ。

 君たち同士は、同じスクールアイドル同好会の仲間だ。ライバルだ。固く繋がった友だちだ。そこに僕の居場所はない。あってはいけない。

 僕が、僕自身が君たちの間にいることを許さない。たとえどれだけ君たちが僕のことを擁護してくれても。

 

「理屈はなんとなくわかるけど、自分は例外かもしれない」

 

 心を見抜くようなことを言ってみせたのは、桜坂さんだ。

 

「そうですよね。そう思ってるんですよね、湊先輩」

 

 これを言われているのが他の人だったら、僕も桜坂さんの言葉を後押ししただろう。そして、大丈夫だから安心してと言う。けど、突きつけられているのは自分自身。

 最後まで見守るのも、やりたいことをやるのも、他の人がするなら背中を押す。だけど……どうしても、自分が普通に、笑って過ごせて良いとは思えない。

 

 ――僕は、罰を受けなければならない。

 

 ずっとそう思ってきた。そう思わないといけないと、戒めてきた。

 

「昔から、お兄ちゃんはそうだった。つらいことも悲しいことも一人で抱えて、でもそんな態度を私の前で見せようとしなかった。ずっと、ずっと」

 

 膠着状態を破ったのは、璃奈だった。潤んだ小さな目が見上げてくる。

 

「私とお兄ちゃんが、本当の兄妹じゃないってことと関係があるの?」

 

 ビシリ。

 空気が一変した。先ほどとは違う緊張感に包まれ、僕も冷や汗が出る。ぞわっと総毛立つ。

 何を言われても言い返すつもりでいたのに、急に困惑して、上手く言葉が出てこない。う、とか、あ、とか戸惑って、ようやくほんの少しだけ頭が働きだした。

 

「誰に聞いたんだ」

「お父さん。高校に上がる時に、大事な話だからって」

 

 そうだ。決まってる。こんなこと、お父さんかお母さんしか言わない。

 璃奈に話して大丈夫な時になったら打ち明けるという約束で、黙ってもらっていた。

 『その時』は、もっと遠く、お互い大人になって、今よりもっと距離ができて、僕のことなんか気にならないくらいに来ると思っていた。

 なのにこんな早く……まだまだ一人で生きることなんてできないこんな時に……!

 

「関係、あるんだよね」

 

 今度は確信めいた口調で訊いてくる。璃奈の視線は、僕を射抜くようにまっすぐ。

 その目を怖いと思ったことはなかった。今も思ってない。だけど、押されるようにして、僕の足は後退を選ぶ。

 いつの間にか壁に追いやられて、動けない。傍目から見れば、なんと情けない姿だろう。それでも、璃奈はじっと見てくる。

 

 怖い。

 いつか真実を知られる覚悟はしていたはずなのに、急に言われて、心がざわめく。

 どうしようもない人間だと自覚して、言って、見せてきたはずなのに、そう思われるのが、怖い。

 

「家族の話だ。みんなには……」

「話して、お兄ちゃん。なにもかも、全部。じゃないと、私もみんなも納得しない」

 

 大事なところで、璃奈は決して引かない。、失望して、罵って、去ってしまってもいいこんな時にも。

 

「お願い」



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42 僕の人生

 僕は、天王寺湊は、普通の家庭の普通の男の子として生まれた。

 仲の良い夫婦のもとですくすくと、何不自由なく育った。天王寺家はそれなりに裕福で、その恩恵を受けていた。

 二人とも忙しかったから、僕と一緒にいられる時間は少なかったけど、恵まれていた。

 

 その運命は、たった一日で覆された。

 あれは、物心ついて初めての誕生日だった。

 何が欲しいか訊かれ、僕はぱっと頭に思い浮かんだ物を言った。

 大した値段もしない、その時流行っていたおもちゃ。

 そんなものでいいのか、と両親は眉をひそめたが、僕は満面の笑みで頷いた。

 別に特別な物なんていらなかった。ただお父さんとお母さんと一緒の時間が過ごせれば、それでよかった。

 一年に一度のわがままにかこつけて、僕はそれを望んだ。

 

 おもちゃ屋へ行く道も、店を回っている間も、両親といる時間はとても楽しかった。

 いつも同じ時間を過ごせないぶん、凝縮した時間を過ごした。

 おもちゃの入った袋を持ってもらって、僕は両親の真ん中で、両手を取られながら帰り道を歩く。

 

 まだ小学校にも入ってないような子どもが何を、と思うかもしれないけど、幸福の絶頂だった。

 母さんも父さんも、とてもとても僕を愛してるからこそ、僕は嬉しくてうれしくて、僕も親を愛していた。子ども特有のいきがりたい気持ちで隠そうとしたこともあったが、彼らの前でどれほど隠せただろうか。

 

 周りなんて気にならないほどの幸福の中、横断歩道を渡る。

 不意に、何かが勢いよく向かってくる音が、どんどんと近づいてくるのが聞こえてきた。

 視界の端に、車が迫ってくるのが見えた。その運転手がうつらうつらとしているのも、はっきりと見えた。

 父さんも母さんもはっと目を見開いて、がばっと僕に覆い被さった。

 覚えているのは、何かがぶつかった衝撃。それと何人もの悲鳴。生暖かい液体と、冷えていく体。

 

 すべては一瞬で、何もかもは一度に起きた。

 放り出された体は動かずに、目もぼやけて、何も理解できなかった。ただ流れる赤色が目に広がって……すぐに気絶してしまった。

 

 次の瞬間には、知らない部屋の知らないベッドに寝かされていた。

 

 そこから、色んな大人が会いに来て、色んな事を言ってきた。

 白衣の人は、助かったのは奇跡だとかなんとか。黒い服の人は、残念だとか、お悔やみを、とか。また違う人はお金の話とか、血縁がどうとか。

 言ってることがちぐはぐで、混乱した。

 ほとんどが理解できなくて、口を開けた阿呆のまま固まる。理解する気があったのかさえ怪しい。とにかく、大人たちの表情から、何か大変なことが起きたことだけは分かった。

 

「ねえ、なんで僕に話すの? お父さんとお母さんは?」

 

 そう言うと、大人たちはひどく困惑した顔で、悲しそうに口を閉じる。

 

 どうして、そんなよくわからない話を僕にするの?

 僕にはわからない。わからないよ。

 お父さんとお母さんは? どこにいるの?

 なんでここにいてくれないの?

 ねえ、会わせてよ。

 今日は家に帰って、僕の好きな物をお母さんが作ってくれるんだよ。ご飯をいっぱい食べて、その後にケーキも食べるんだ。

 そして明日からも、たくさん、たくさん話をして、ご飯を食べて……

 

 

 年に数度会う程度の、おぼろげに覚えている男の人にわけもわからないまま、綺麗めなマンションの一室に連れられて、なおも僕ははてなを浮かべた。

 

「どうして、僕はここにいるの?」

「ここが今日から、君の家だよ」

 

 その返答は、僕にとって答えになっていなかった。

 

「僕の家に帰りたい。お父さんとお母さんは? 会わせて、お願い」

「湊、お父さんとお母さんは戻ってこないんだ」

「いつ戻ってくるの?」

 

 ごく当たり前の質問をしたつもりなのに、男性は泣きそうに顔を歪めた。まるで僕が酷いことを言ってしまったような気がした。

 男性は息を大きく吸い込んで、先ほどよりも優しい口調になった。

 

「戻ってこれないんだ」

「どうして。僕のことが嫌いになったの?」

「違うんだ、湊。それは違う」

 

 彼はそう言ったが、僕には何が違うのか分からなかった。

 

「僕はどうなるの?」

「ここに住むんだ、僕たちと一緒にね。これからは、僕たちが湊の新しいお父さんとお母さんになるんだ」

 

 何を言ってるのかが分からなくて、眉をひそめて首を傾げる。すると、彼は笑いと嗚咽が混じったような声を出した。

 

「湊は、やっぱりお父さんに似ているな」

「お父さんを知ってるの?」

「君のお父さんは、私のお兄さんでもあるんだ」

 

 一度説明されたような気がする。たぶん言われたのだろう。けど初めて聞いたような衝撃にびっくりした。

 

「君も、お兄さんになるんだよ」

「お兄さんに?」

「君の妹、璃奈だ」

 

 男性は、傍らに立つ女性のそばの女の子を指差した。触れると壊れてしまいそうな小さな子。くりっとした瞳が見返してくる。お店で見るような綺麗で小さな人形みたいだった。

 

「りな」

 

 僕の、妹。

 その意味を理解するために、恐る恐る近づく。璃奈は怖がりもせず、きょとんとして僕を見上げた。

 そっと手を伸ばすと、ぎゅっと手を握ってきた。

 その瞬間、なぜだかわからないけれど涙がこぼれた。止めようとしても止まらず、むしろ溢れてくる。

 

 親がいなくなったことを、その時ようやく理解できた。

 もう母さんも父さんも現れてくれない。姿を見せることも、声を聞かせてくれることも、触れることも、触れられることもない。

 二度と。もう二度と。

 

 あの日が僕の誕生日じゃなかったら、と思わない日はない。

 誕生日なんてものが来なかったら、父さんも母さんも揃って出かけることはなく、家でゆっくり過ごしていただろう。

 今ごろは仕事とかして、僕も学校へ行って、いつもの日が続いてたはずだ。

 両親が僕を庇って死ぬなんてこと、起きるはずがなかった。あるいは……僕が生まれてこなかったら。そんなことさえ考えてしまう。

 

 それから、僕はお世話になっている立場であることも理解した。

 ご厚意でここに置かせてもらっている。甘えるなんてもってのほか。僕は報いなきゃいけない。僕を置いてくれている人たちのために。

 

 出来るだけ明るく振舞った。悲しくなんてないよ、お父さんとお母さんのおかげで、なんてことも言ってみせたりした。

 メソメソしてるところなんて絶対に見せなかった。事故のことがフラッシュバックするたびに胸が締め付けられるけど、部屋の中で声を押し殺して泣いた。

 ほとんど毎日のように悲しみは押し寄せてくるけど、心配をかけまいと嘆きは枕に吸い込ませた。

 

 負担をかけないように、この家族のためになれるように、勉強も家事も頑張った。頑張って頑張って、せめてこの家から追い出されないように。

 そうするたびに、新しい両親は困った顔をした。ならばと一段と力を入れた。もっと料理を上手く、もっと掃除して家を綺麗に。

 そんなことをしなくていいと言われても、余計に頑張った。足りないからそんなことを言われるのだと思った。

 やがて諦めたのか、仕事に集中できますようにという僕の願いが届いたのか、気まずさを感じたのか、二人は次第に何も言ってこなくなり、だんだんと帰ってくる時間が遅くなっていった。

 

 中学に上がるころ、しまった、と思った。あまりにも考えなしだった、と。

 僕はいい。けど璃奈は違う。璃奈はあの人たちの大事な娘で、あの人たちは璃奈の大切な親だ。両方、お互いの愛を必要とする存在じゃないか。

 気づいた時にはもう遅く、三人が顔を合わせることは、ほとんどなくなっていた。

 

 年月が経つにつれて、僕はとんでもないことをしてしまった罪悪感に襲われる。

 普通なら、学生の時分なんて、なにがあっても笑い、泣き、怒るような表情豊かな年ごろだ。だけども璃奈は、ほとんど顔が動かなかった。

 長い年月一緒にいる僕は、彼女の感情が分かるが、それで万事解決とはいかない。

 そのせいで思いが伝えられず、友達もできず、誤解されることも少なくない。なにより、自分を表現できないという悩みで、璃奈は苦しんでいた。

 

 璃奈の表情の原因のいくつかは……いや大半は僕にある。

 十分な愛を受けられなかった璃奈は、十分なコミュニケーションを取れず、そのまま育ってしまった。

 僕のせいで。

 

 ──僕は罰を受けなければならない。

 

 僕は幸せだ。親がいなくなっても、引き取ってくれて育ててくれる人がいて、可愛い妹がいる。友達もいて、仲間もいて、やりがいのあることに取り組めている。

 だがその幸せは、僕が享受すべきものだったのだろうか。このまま普通の人のように生きていていいんだろうか。

 両親が僕を庇って死んで、引き取られた先で守るべき妹の表情さえも犠牲にして……

 二つの家庭を崩壊させた罪を、僕は負っている。誰かの幸せを奪い取って、僕は生きている。

 

 それで気づいたんだ。そうか、そういうことかって。

 

 僕の居場所なんてどこにあってもいいわけがない。だから、いつでも捨てられる覚悟くらい持っておけ。

 たとえ拒否されても、嫌われても、置いていかれても、突き放されても、それが自分の人生なんだと、天王寺湊の行く末なんだと理解しろ。そういうふうに、自分の中で折り合いをつけた。

 

 これが僕の人生。僕の人生の価値。

 

 無価値な天王寺湊が贖うためには、人の役に立たなきゃいけない。

 高校生になって、エマさんがスクールアイドル同好会に誘ってくれた時、チャンスだと思った。曲作りに関しては経験がある。スクールアイドル活動についても、知識はある。ここで力になれば、ほんの少しは生きていいと言えるんじゃないかと。

 でも僕程度の人間は、どうしようもなく無力で、何も変えられなかった。

 

 強く感じたのはあの時だ。優木さんがスクールアイドルを辞めると言って、僕の手を振り払ったあの時。僕が触ることで壊れてしまう不安と、拒絶される恐怖が、体と心に充満した。

 結局僕は、ただ壊すだけの存在で、壊れるのを見ることしかできない存在でしかないと知った。 

 

 そして、高咲さんが「ラブライブなんて出なくていい」と言った時。空中分解したスクールアイドル同好会が、元に戻った時。何も変えられない僕は、頑張ったとしても誰かのつなぎの存在でしかないと感じた。

 だから、みんなのことをちゃんと見て、はっきりと物事を言えて、夢に向かって進んでいく高咲さんが加わったその瞬間。

 

 僕の役割は終わったんだ。



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43 夢を見て、夢を見せて

 全部話し終わった後、みんなは何も言わなかった。何も言えなかったというほうが正しいか。

 沈黙のまま、誰も動けずにいた。

 当然だ。こんなこといきなり聞かされて、困惑しないほうがおかしい。

 話してと言った璃奈も、様々な感情が入り混じった顔を向けてくる。

 

 同情するような目で見られて、いたたまれなくなって、一人で部室を出る。

 お互い、考える時間が必要だろう。僕をどう扱うのか、決めるのはスクールアイドル同好会である彼女たちだ。

 

 気づけば、校舎の屋上まで来ていた。優木さんを説得して、ゲリラライブを行ったあの場所だ。

 あの時も、こんなふうに空がオレンジ色で、少しの風が吹いていた。同じように手すりにもたれかかっていた記憶がある。

 そして……同じように、誰かが背中から近寄ってきていた。

 唯一違うのは、そこにいたのがエマさんだってこと。

 胸の前でぎゅっと拳を握る彼女は、足を踏み出した。

 

「……一度、同好会が解散したことがあっただろ」

 

 迫ってくるのを押しとどめるように、言葉で制する。

 

「僕が止めるべきだったんだ。そうすれば、君たち同士で亀裂が走ることもなく、途切れることなく、同好会は続いていた」

 

 実際はどうだったかなんて知らない。けど、まるで決まったことかの様に断言する。

 

「けど僕は出来なかった。怖かったんだ。僕が下手に口を出して、関係が壊れるのが。無力だった。どれだけ曲を作っても、練習メニューを考えても、人と人を繋ぐことが僕には出来ない。そう考えたら、なんだか全部薄っぺらく思えたんだ。僕の曲も思想も言葉も……全部が」

 

 同好会にいたのは……全部投げ出したくないちっぽけな責任感と、あの事態を引き起こした僕がどうにかしないとっていう義務感。

 

「高咲さんが優木さんを同好会に引き戻した時には、正直参ったよ。結局、僕は逃げ回ってるだけなんだって、思い知らされた」

 

 一番痛感したのは、この前のフェスティバルの打ち上げの時だ。扉の外から、みんなの笑い声が聞こえた。大きな催しを成功させた歓喜の声。

 それがとても楽しそうで、嬉しそうで……

 なんだか……十人で完成されてるような気がしたんだ。僕の居場所なんてどこにもないような、少しの隙間もない、ような……

 

「そういうことだ」

 

 辞めるって言っても、元々一員ですらないんだけど。それが正式にいなくなるってだけ。

 

「それだけの……話だよ」

「湊くんは、それでいいの?」

「もちろん」

 

 いいわけない。

 

「半年に満たないくらいだったけど、楽しかった」

 

 もっとみんなと一緒にいたい。

 

「これだけの人数のサポートなんて、滅多にできない経験だしね」

 

 もう限界だ。一人は嫌だ。これ以上は、耐えられない。耐えたくもないんだ。

 

「だから、これで良かっ……」

「嘘をつかないで!」

 

 エマさんの怒号に、僕は驚いた。

 これまで強気に出ることはあっても、こんなに声を荒げることなんてなかった。

 

「私たちから逃げないで」

 

 痛いところを突かれた。でも……

 

「これ以上、君たちを傷つけたくない」

 

 僕の無力さのせいで大切な人が悲しい顔をするのを見ると、自分で自分が情けなくなる。

 もっと何か出来た。何か変えられたはずだった。そして結局、僕なんかじゃ何も出来るはずはなかったと結論づく。何も。何もだ。

 だって僕だから。僕が僕だから。僕がそういう人間だから。

 

 もっと早くに話すべきだった。これ以上、僕の周りで何かが壊れてしまう前に。

 本当は、同好会が再始動する時にいなくなるつもりだった。それが、みんなをデビューさせるまでに変わって、フェスティバルが終わるまでに延ばされていった。

 わがままと弱さが原因だ。過ちを犯してなお、そんなことをしてしまう。どうあっても人に惹かれてしまう。

 だったら、だったらもう、一人になるしかない。璃奈にも僕のことがバレてしまったなら、早く独り立ちして、どこかでひっそりと暮らすしかない。

 

 突き放すような僕の言葉にも、エマさんはぶんぶんと頭を振った。

 

「傷つくなんて当たり前だよ。みんな真剣だから、出来なかったときは落ち込む。うまくいかなかったらへこむ。衝突もする。喧嘩だってする。それでも支え合って立ち上がる。湊くんが沈んだら、引っ張り上げたいって思う」

 

 どうして。どうして。

 人生の中で何度も問いかけた疑問が脳をかき混ぜる。

 その一方で、エマさんの言葉は頭の中にすっと入ってくる。

 

「それくらいさせてよ。湊くんが私を幸せにしてくれたみたいに、私だって湊くんを幸せにしたい。私のことをまだ強いって思ってくれてるなら、信じてくれるなら……だったら一緒にいて。私が傷つくくらい、覚悟してよ」

 

 その言葉に、僕は度肝を抜かれた。

 彼女たちの強さは知っているはずだった。だけど、それはまだまだだった。

 あんなにつらい思いをしたはずなのに、これからもそれ以上のことが待っているかもしれないというのに、前へ前へと進もうとしている。

 その彼女が、こうして必死に僕を呼び戻そうとしている。

 

 ああそうか。僕が信じきれていなかったんだ。エマさんや同好会のみんななら手を差し伸べてくれると、助けてくれると思ってなかった。

 優木さんが僕の手を振り払った時のように拒絶されるのが怖くて、自分から触れることも出来なかった。けど、もう一度信じていいのだろうか、エマさんたちを、自分自身を。

 甘えていいのだろうか。わがままを言ったことで、天から罰を受けたりはしないだろうか。

 心が傾くと、苦しくて、つらくなって、痛くなる。過去が押し寄せて、僕自身を抑えつけてくる。

 

 ――でも、でも。

 

 溢れ出る感情を、もう止められなかった。

 いや、最初から漏れ出ていたのだ。だって、僕はずっと……

 

 ――ここにいたい。

 

「僕は……」

 

 それを伝えていいのかわからないけれど、答えないことは今までのどんなことよりも酷いことのように思えて、口を開く。

 僕にならいくらでも罰を落とせばいい。だけども今は、今だけはどうか見逃してほしい。

 

「もし許されるなら……幸せになっていいなら、みんなの隣にいたい」

 

 彼女たちが、僕のことを可哀想だと思わないように、涙は決して見せないつもりだった。けど目は潤んで、声も涙声になる。

 親にも璃奈にも自分にも言ったことのない、ずっと抱えてきた嘘偽りのない願い。

 曝け出すのは、エマさんが初めてだ。

 

「許すとか許さないとか、そんなの関係なく、私の隣にいてほしいの。他の誰でもない、湊くんに」

 

 まるで夢かと思うくらい、望み通りの言葉が返ってきた。

 

「湊くんに私の姿を見ててほしい。話も歌も聞いてほしい。湊くんに触れてほしい」

 

 エマさんが近づく。反射的に一歩下がってしまう。だが、彼女は逃がさずに、距離を詰めて僕の手を掴む。

 暖かくて柔らかい手だった。離すまいとする強い力だった。 

 

「まだまだ一緒にやりたいことがたくさんあるの」

 

 顔を上げると、なんの恨みもない表情がそこにはあった。

 愛しいものを見るような、慈しむような、優しく綺麗な顔。それらに混じって、決してその場所をどくまいとする意志の固さがある。

 

「湊くん、来て。みんなが待ってる」

 

 

 

 

 エマさんは僕と手を繋いだまま、ずんずんと校内を進んでいく。連れられるがままに、僕は足を動かした。

 

「この中だよ」

 

 そう言って彼女が指差したのは、とある扉。閉ざされた扉。僕よりも少しだけ大きいだけなはずのそれは、今は途方もなく巨大に見える。

 ぴたりと、手と足が止まってしまった。

 

 怖い。

 何が起こるのかわからない恐怖が、心を支配しかけた。

 このままついていくのが、正しいことかどうかわからない。

 

「……ここで、あなたは帰ることもできる。でもそうしても、同好会は諦めてくれないわよ」

 

 たびたび僕の前に現れた女性が、後ろから声をかけてくる。

 何もかも見透かしたような瞳は、真っすぐに僕を射抜く。

 その人は母だった。僕が幼かった時の記憶そのままの母。ずっとずっと、僕の頭の中だけに存在して話しかけてきた幻覚。

 

「湊がどれだけ避けようとしても、あの子たちはきっと手を伸ばし続ける」

 

 父もいた。最後に直接見たのは十数年前。でも僕の目には、顔のしわまでくっきりと映し出されている。鏡で見るのと同じ目も、ごつごつした手の大きさも、優しい声も、鮮明に。

 その声で、これまでずっと、二人は言葉を投げかけてきた。本当にそこにいるかのように。

 

 どうして?

 両親たちが死んでから繰り返してきた同じ問いを、再び投げる。明確な解答なんて知らないくせに、駄々をこねる子どものように反芻する。

 母は、ふふ、とほほ笑んだ。もう分かってるくせに。そんなことを言いそうな表情だった。

 

「知りたいなら向き合うべきよ。だから自分の気持ちを伝えたんでしょう? 大丈夫。きっとあの子たちが、答えを教えてくれるはず」

 

 僕はエマさんのほうへ振り向く。

 『何故』を、他人にも自分にも問い続けてきた。返ってきた答えがわからないふりをした。桜坂さんに言われたように、自分だけは当てはまらないと逃げてきた。

 だけども、彼女たちと共にいたいなら、正面から受け止めるべきなのだ。言葉を、そのままに。

 

 エマさんが扉を開ける。意を決して、その中へ入る。

 僕を迎えたのは、薄暗い空間。全校生徒が入れる大きなホールだ。

 壇上にのみスポットライトが当たっていて、そこにはたった一人だけ、高咲さんが立っていた。

 

「湊さん。どうぞ、そこへ」

 

 高咲さんは目の前の最前列席を指差す。僕は少し呆気に取られたが、従って足を進めた。静寂なこの場では、この足音ですら響いているように感じる。

 一番前からステージまでは、ほんの数メートル。そこを見上げたのはいつぶりだろうか。

 

「どうぞ、座ってください」

 

 もう一度促してきた。 エマさんも僕の手を離して、頷く。

 何が始まるのかわからないけれど、逃げないと約束したんだ。怖くても、今回だけは避けられない。

 椅子に深く腰掛けると、高咲さんは後ろ手に持っていたマイクのスイッチを入れて、息を吸った。

 

「湊さん。私はあなたに助けられてきました。いろんなことを見てもらって、学んで、成長できました。今度は、みんなのことを湊さんに見てもらいたい。湊さんだけに向けた、このライブで」

 

 彼女はそれだけ言うと、一礼して舞台袖にはけていった。入れ替わるようにして、複数の足音が聞こえて、暗い壇上に人影たちが現れる。

 

 パッと、ステージに明かりが点いた。

 虹ヶ咲スクールアイドルのみんながステージ衣装を着て、あの時、スクールアイドルフェスみたいに九人並んで……まるで今からライブするみたいじゃないか。

 

 中須さんが一歩前へ出る。

 音楽が流れ、合わせて彼女は踊りを始める。

 

「目を逸らさないで見てください!」

 

 中須さんの『Poppin'Up!』だ。作るのに苦労した曲。

 可愛い曲はアイドルとしては王道だけど、僕は今まであまり触れてこなかった。他のスクールアイドルとかアニメの曲とか、聴きまくって参考にした記憶がある。

 おかげで、彼女の魅力を引き出せた一曲だと自負している。

 

「これは、あなたのための、あなただけのためのステージです!」

 

 『DIVE!』は、優木せつ菜のかっこよさの真骨頂。

 ロック調で、大きな声を出させるような曲に仕上げた。彼女の大好きをあますところなくファンに、世界に届けられるように。

 あの頃から変わらず、優木せつ菜というスクールアイドルは太陽の様に熱く、輝いている。

 

「みーくんに届けるよ、アタシたちの全部を!」

 

 『サイコーハート』

 誰をも楽しくさせ、元気づける宮下さんの応援ソングだ。

 彼女の大好きな笑顔を皆に与えられるように、明るさを前面に出すようにした。

 スクールアイドルになったばかりの彼女の決意、モットーも組み込んでいて、同好会のメンバーを勇気づけることもできた。

 

「夢を叶えられたのは、みんなと、なにより湊くんがいてくれたからだよ」

 

 『La Bella Patria』

 どこまでも晴れ渡るような爽やかさと、エマさん自身の柔らかさを表現した一曲。

 彼女の家族が聞くだろうことも考えてスイスの民謡要素を始めに入れつつも、オーソドックスなアイドル曲として完成させた。

 これも応援歌だ。夢を持つすべての、これから一歩踏み出す人への。

 

「私は、私たちはお兄ちゃんにずっと助けられてきた。お兄ちゃんがつらい思いをしてる時もずっと」

 

 『ツナガルコネクト』

 思っていることを伝えたい、でも伝わらない。それが怖い。それでも繋がりたいという璃奈の心を示した曲。

 小さい体で壇上を回る璃奈はとても愛らしい。体力がまったくなく、体も固かった璃奈がここまで出来るようになるなんて、あの時は思わなかった。

 璃奈ちゃんボードが、満面の笑みを浮かべている。にっこりん、と。

 

「今度から一人で抱え込まないでね。彼方ちゃんたちだって、力になれるんだから」

 

 『Butterfly』

 遥さんの心に火をつけるために仕上げた、姉として、スクールアイドルとしての近江さんの曲。

 それまでのイメージから一転、緩やかながらもキレが要求されるダンスと歌。そのギャップは、息を呑んでしまうほど美しい。

 妹の夢を励ます一方、自分の覚悟も証明するために彼女は妥協しなかった。

 

「思い出してください。私たちがいます。ずっと、湊先輩のそばに」

 

 桜坂さんの表現力を頼って生み出した、『Solitude Rain』。

 披露するときの劇の役が桜坂さん自身と重なる部分が多く、ならばその要素を合わせてやろうと考えた。

 自分の暗い部分と対峙するのはすごく怖くて大変だけど、それもちゃんとした自分なんだと認めて受け入れなきゃ、誰とも本気で触れ合えない。

 だから迷っても不安でも、飛び出していく勇敢さを持つべきなのだ。彼女のように。

 

「あなたが引っ張ってくれたぶん、今度は私たちが引っ張っていくわ」

 

 『VIVID WORLD』

 誰かと一緒にいることを望みながらも、自分の役割を気にして意固地になってしまっていた彼女を表した曲だ。

 たとえ自分がどれだけ弱い人間でも、それを支えてくれる人がいる。曝け出せる人がいる。それがどれだけ幸せで、嬉しいことか。孤独を感じる人へのメッセージ。

 今や小さな自分を乗り越えて、楽しそうに舞い、歌う朝香さんに目を奪われてしまう。

 

「だから、一緒にいてください」

 

 『Awakening Promise』

 どれだけ近くにいた人でも、いつかは違う道に進む。違う場所に行って、違うことをして、違うものを見る、感じる。

 でもそこで立ち止まる必要なんてない。伝えれば、きっと届くはずだから。

 そんな思いを込めた、大切な人への一曲。『私』から『あなた』へのメッセージ。

 

 全て、今まで僕が作った曲だ。

 彼女たちのために、彼女たちを待つファンのために、これから彼女たちを知る人たちに向けて作った、色とりどりの歌たち。

 それが今、たった一人、僕だけに対して披露されている。彼女たちが、いかに天王寺湊のことを想っているかを伝えるために。

 僕のために、こんな……僕のために……

 

「湊さん、ここにいてください。ここは、あなたが作った、あなたの居場所なんですから」

 

 いつの間にか立ち上がっていた。

 涙がこぼれて、拭っても拭っても止まらない。

 

 ぶつかってくる感情を真正面から受け止めたのはいつぶりだろうか。スクールアイドルのステージを、客として見たのはいつぶりだろうか。

 裏方でうだうだしている間に、僕は大事なものを失っていたようだった。

 

 ステージから下りてきたエマさんは、ぼろぼろと零れる涙を流す僕を包むように、抱きとめた。

 暖かくて、安心する。彼女の鼓動や息遣いが、ダイレクトに伝わってくる。

 触れるのが怖いなんて感情は、もうどこかに吹き飛んでいた。

 

「ごめん、最後までちゃんと見たかったのに」

 

 後になるにつれて、視界が滲んで見えなかったことが悔やまれる。せっかく、こんなことまでして想いを伝えてくれたのに。

 

「いいんだよ。君が望むならいつだって何回だって、歌って、踊ってみせるから」

「どうして、そこまで……」

「これが私たちのやりたいことだから。でも、それよりも大事なことは、一番大事なのは……」

 

 骨が折れてしまいそうなほど強い力で、彼女は抱きしめてくる。

 

「みんな、湊くんのことが好きってこと」



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44 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会:天王寺湊

『湊さん 今までありがとう!』

 

 僕のためのライブが開かれた次の日、部室に入るなり、チョコでそう書かれたホールケーキを手渡され、僕は絶句した。

 

 ―――!

 

「これは、つまり僕を追い出そうと……」

「ち、違う違う!」

「ああもう、日本語難しい!」

「ほ、ほら、今まで曲作りとか編集とか、色々してもらってたのにお礼できてなかったなあって」

「ああ、そういう……」

 

 『今までありがとう。じゃあね! 消えろ!』みたいな意味かと思った。

 他にも、マカロンとかクッキーとか甘いお菓子がたくさん用意されている。今日は少し遅めに来るように指示されたのは、これを準備するためだったのか。

 

 一歩近づいてきた高咲さんが、綺麗に腰を曲げた。

 

「本当にごめんなさい。私、甘えるだけ甘えて……」

「そんなこと……」

「湊くん」

 

 エマさんに耳打ちされて、僕は口を止める。

 『みんなの話を最後まで聞く』。あの後約束させられた、同好会での決め事だ。

 

「これからは、湊さんに頼りにされるように、頑張りますから!」

「……うん、期待してるよ」

 

 実際は、もう頼りにしてるんだけどね。

 他校との話し合いも高咲さんがやってくれたり、今は練習だってほとんど見てもらっている。曲の面で言えばまだまだなところはあるから、あえて『期待している』と告げる。

 

「うああああん、湊せんぱ~い!」

 

 お次は中須さん。遠慮なしに、がばっと体を押し付けてきた。

 

「ほんとに、ほんとに戻ってきたんですよね!?」

「心配かけたみたいで、ごめん」

「ほんとですよ、もぉ! かすみんを泣かせた罪は重いですよ! 撫でてくれないと許しません!」

「なんで撫で……」

「口答え禁止です!」

「……」

「ほらほら早く!」

「……わかったよ」

 

 勢いに押されて、恐る恐る手を頭に乗せる。

 髪型が崩れないように優しく撫でると、中須さんは満足げに頬を緩ませた。

 

「かすみちゃん、ずるい。私もケーキ作るの頑張った」

「よ、よしよし」

 

 ぐいっと詰めてきた璃奈にも、同じく手を乗せる。

 

「お兄ちゃんに撫でられるの久しぶり。好き」

 

 そういえば、ほんの小さいころはよく撫でてた気がする。

 年頃になって嫌がるだろうからと控えめになって、中学に上がる時にはほとんど触れることもやめたんだっけ。

 

「あー! 愛さんも愛さんも!」

「先輩……あの、私も……」

「ここは彼方ちゃんも乗るぜ~」

「もう好きにしてくれ……」

 

 感慨にふけることも許されず、僕は無心になって我も我もと突き出されてくる頭に手を乗せるのであった。

 

 

 

「はい、みーくん」

 

 一通りみんなが落ち着いた後、宮下さんが渡してきたのは、入部届。

 早速、すぐに必要事項を記入。あとは……

 

「で、これどうしたらいいの?」

「生徒会で預かりますので、私が持ちます」

「じゃ、はい」

 

 無遠慮に渡すと、優木さんは丁寧に折りたたんで大事そうに胸に抱えた。

 

「はい! 生徒会長の名にかけて、しっかりとこれを生徒会室まで持ち帰り、絶対に湊さんを入部させます!」

「そんな気負うほどの物でもないでしょうが。何回でも書き直せるただの入部届なんだから」

「じゃあ、もしこれ無くしちゃったら?」

「あ、口では歓迎してくれてるけど、本当は僕って歓迎されてないんだな~って思う」

「せっつー! 絶対無くさないでね!」

「せつ菜ちゃん! ちゃんと保管しておいてね!」

「ラミネート加工して、濡れても平気なようにしますか!?」

「頑丈なケースに入れましょう!」

「GPSも付けよう」

「全員で監視しながら持っていくっていうのもアリじゃないかしら」

「いいねぇ。ケースも持ってかれないように、手錠で腕と繋ごう」

「あ、あわわわわわ」

 

 わあ、大げさ。

 しかし、みんなの目は本気も本気。このままじゃ、たった一枚の紙に、核兵器の発射ボタン並みに強固なセキュリティが付けられそう。

 それはそれで面白そうだが、提出するのにも大変なのでやめさせておく。

 ええいと入部届を奪い返して、一つ簡単な代替案を出すことにした。

 

「だったら、今から生徒会に渡しに行ったほうがいいんじゃないか」

「そ、そうですね! 今行きましょう! すぐ行きましょう!」

 

 

 

 

「ゆう……中川さん。急ぎすぎ急ぎすぎ。こけちゃうよ」

「あ、すみません。つい……気持ちが逸ってしまって」

 

 早足と走りの中間みたいな速度で駆ける彼女を諫める。

 

「生徒会長ともあろう者が廊下を急いでたなんて、見つかったら何か言われるぞ」

 

 優木さんの姿ならともかく、すぐ承認を下ろすために中川さんになった今じゃ、一挙手一投足が生徒の見本なんだから。

 

「みんなも反応が大げさだし……」

「大げさなんかでは、ないです。それくらい必要なんです。私たちには、私には、あなたが……」

 

 言葉とともに足も勢いをだんだんと失って、生徒会室の前で、ぴたりと止まった。

 

「それなのに私……あなたのことを拒否してしまって……心の傷も知らずに……幻滅しましたよね」

「勝手に傷ついただけだ」

「傷つけたのは私です」

 

 今日までの僕みたいに、彼女は頑なに自分の非を譲らない。

 

「私、間違ってばっかりです。かすみさんと喧嘩したり、湊さんを困らせたり……湊さんの隣にいてもいいように、頑張ったつもりなのに……」

 

 ほんの少し、優木さんの手が動いた。僕に向かってきていたそれを、しかし彼女は引っ込める。

 

「頑張ってるよ、優木さんは。たくさんたくさん頑張ってる。それでも心にひっかかりを感じるなら……」

 

 今度は僕が手を伸ばして、強張る優木さんの手を握る。

 

「君が気にしなくなるまで、一緒にいるから」

 

 柔らかく、細い手だった。こんな手で、優木さんはいっぱい頑張ってきた。これからも全力なのは変わらない。

 その歩みがこんなところで止まってしまうのは、もったいない。

 

 僕の願いは、あの日、優木さんをスクールアイドル同好会に引き戻した日と同じ。

 彼女が輝く姿を、まだ見ていたい。

 

 優木さんは指から手、手から腕と、距離を詰めながら触れるところを移動させていく。

 やがて、恐る恐る、そっと抱き着いてきた。華奢な体に似つかわしく弱弱しい抱擁。怖がって震えている。

 

「ごめんなさい……」

「いいんだ、もう大丈夫」

 

 抱き返して、背中を撫でる。

 

「何とも思わなかった、てのは嘘だけど、もういいんだ。僕を認めてくれているのはわかったから。僕はそれで十分」

「よくない……よくないですよ」

 

 嗚咽を漏らす彼女を安心させるように、少しだけ腕の力を強める。

 優木さんは僕の胸に顔をうずめて、しばらくしゃくりあげた。だいぶ落ち着いたころには震えも止まって、恥ずかしさからか耳まで真っ赤に染まっていた。

 それでも、離すことはしない。

 

「入部届、くしゃくしゃになっちゃいます。大事な入部届なのに……」

「そうだね」

 

 実際、ここまで大切に持ってきたそれはしわくちゃになってしまっていた。

 

「でも、ただの紙だ」

 

 僕が本当の意味で同好会の一員になるための、大事な紙、けれども部室で言った通り、書き直しのできる紙だ。

 優木さんとどちらを優先させるべきか、比べるまでもない。

 

「あの、生徒会室の前で何を……」

 

 ガチャリ。

 生徒会室の扉から顔を覗かせた副会長が、僕と優木……中川さんを見て固まる。

 

「て、天王寺さんと……会長」

「あ、あの、これは違くて……」

「すみません、お邪魔してしまいました」

「閉じるな閉じるな! これこれ、これを提出しに来ただけだって!」

 

 閉じかけた扉に手をかけ、折り目のつきまくった入部届を目の前に突きつける。

 困惑と申し訳なさに染まった副会長の顔は、また数秒固まった。

 

「入部届……えっ?」

 

 信じられないようなものを見る目で、入部届と僕の顔を交互に見る。

 

「スクールアイドル同好会所属ではなかったんですか!?」

「タイミングがね……まあ色々あって。というか、創部届は君が受け取ったんだろう?」

「は、はあ……てっきり、とっくに後追いで入部届は出してるものかと……」

 

 とりあえず、どうぞ。と案内され、ようやく生徒会室へ入る。

 他の役員はおらず、作業机に何枚かの資料が積んであるだけだった。

 

 中川さんが会長印を取り出す間、副会長は訝し気な目で僕を見ていた。逃れるように、僕は世間話をする。

 

「夏休みなのに、生徒会はあるの?」

「いいえ、勉強していただけです。家よりこっちのほうが集中できるので」

 

 真面目だねえ。僕はまだ宿題大半残ってるや。

 

「ところで、会長と何を?」

 

 ぬぐ。まだ引っかかってくるか。

 

「たまたまそこで会って、一緒にこっちに来ただけだよ」

「たまたま……で、抱きしめ合っていた、と」

「目の錯覚じゃないかなあ、あはは……」

 

 じーっと見てくる副会長。僕はただ、冷や汗を垂らしながら笑うしかない。

 やがて、彼女はため息をついて、口を開いた。

 

「……深くは聞いておかないようにします」

「助かります」

 

 プライベートなことだからだろうか。しかしちらちらと僕と中川さんを窺うあたり、とても気になっているようだ。

 どう答えたものかと思案していると、一通りを終わらせた中川さんが満面の笑みでこちらに話しかけてきた。

 

「確かに、受理致しました。ではこれは、大切に保管しておきますので」

「お願いします、生徒会長」

 

 ビジネスライクに礼をしたが、かえってやりすぎたか。

 

「このために来たんですか、会長? まだ夏休みなのに……」

「はい。とても大事な事ですから」

 

 中川さんは慈しむような視線を僕に向ける。もちろんそれを見逃す副会長ではなかった。

 

「やっぱり」

「違う」

「まだ何も言ってませんよ」

「何を言うにしろ、違う」

「そういうことにしておきます」

 

 しばらく生徒会室には入りづらくなるな……

 

 

 

 

 無事に入部手続きも済ませ、早く報告したくて、足早に部室へ戻る。

 扉を開けた瞬間、

 

「湊せんぱ~い!」

「あぶなっ」

 

 中須さんが飛んできた。

 僕自身も驚くくらいの反射神経で、なんとか身をよじることに成功。

 

「げうっ」

 

 ターゲットに避けられた中須さんは、そのままべしゃりと床にダイブ。ああ、痛そう。

 

「どうして避けるんですか! もうトラウマ克服したんですよね!?」

「それはそれ。これはこれ。年頃の女の子が、男に抱き着こうとするもんじゃありません」

 

 はしたないと周りに思われるのは嫌だろうに。特にスクールアイドルはそういうのに気を付けないといけない。

 何もないところに火をつけるような奴がいる昨今、不穏な噂のタネは排除しておかなければ。

 

「ダメよ、かすみちゃん。ちょっと見てて」

 

 ずいっと前に出てきた朝香さんが、含みのある表情で手のひらを向けてきた。

 

「湊くん、手を出して」

「手?」

 

 嫌な予感がするが、手だけならいいか。

 言われた通り、手を差し出す。すると、朝香さんはそっと自分の手を重ねて、さらにもう一方の手で包んできた。

 

「次は腕」

 

 伸ばしてきた手はするすると僕の腕を登っていき、絡ませてくる。

 完全に密着したうえで、あろうことかさらに肩に頭まで乗っけてきた。

 

「肩も借りるわね」

「あ、あの」

「動かないで」

「でも……」

「動かないで」

「……はい」

 

 下手に動くとまずいことになりそうで、従うしかない。というかなんか柔らかいものが当たっておりますが。

 

「やるなら、こういう感じで徐々に慣らしていかないと」

「べ、勉強になります」

 

 せんでええ。

 

「朝香さん、そろそろ離してくれると……」

「だーめ。慣れていかないと」

「だからって、こんなにベタベタ触る必要はないんじゃ……」

「あら、本当に必要ないか、試してみる?」

 

 耳に、囁きと吐息混じりの誘惑が入り込んでくる。

 ぞくぞくと背中が震え、顔が硬直する。異様な緊張感に、頭の先から足のつま先まで熱くなった。

 何度か彼女にからかわれていなければ、耐性ができていなくて卒倒していたことだろう。

 

「果林ちゃん」

 

 底冷えするような声が割って入った。

 

「必要ないよね」

 

 エマさんだ。

 顔はにこやかに、しかし後ろに黒い瘴気のようなものが見える、オーラというか、威圧感というか、冷や汗が垂れるような何か。

 

「必要、ないよね?」

 

 もう一度、彼女は言う。

 しかし朝香さんも一歩も退かず、あえて挑発するような目つきをしてみせた。

 

「おお、火花が見える……」

「果林さん大胆……私もあれくらいできたら……」

「せんでいい」

 

 ごくりと唾をのんで、面白半分で様子を眺めている後輩たちにツッコミしつつ、目で助けを求める。

 恐怖と困惑、興味とそれぞれの表情が浮かんでいるが、手を出してくれる人はいないみたい。

 

「湊くん!」

「どっちを選ぶの?」

 

 この状況はいったいなんなんだ。なんで部室に入っただけでこんなことになってるんだ。

 横と正面から匂う、甘く刺激的な芳香に頭が回らない。

 誰か助けてくれ、と首を右往左往させていると、あるものが目に留まった。

 

「……ケーキ」

「ケーキ?」

「ほら、せっかく一年生が作ってくれたんだから、冷めないうちに食べないと」

 

 ケーキを指差す。二人ともすっかり毒気を抜かれたようで、張り詰めていた緊張の糸が切れた。

 ようやく朝香さんが解放してくれて、エマさんの視線も元に戻った。

 ふう、と安堵のため息をつく。

 

「ケーキは冷めてるものですけど」

「中須さん、静かに!」



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■□
45 第72回湊さんから名前で呼ばれよう会


 スクールアイドルフェスティバルを終えても、夏休みは終わらない。が、うだるような暑さに辟易しつつも、スクールアイドル同好会の活動と、高咲さんへの音楽指導のために、僕らはほぼ毎日学校へ通っている。

 だけど今日は、学校へ行く前に、僕は璃奈を連れてとある場所まで来ていた。

 同じような石の塊が並ぶ、こちら側の人がよりどころとする場所。

 墓だ。

 

 汲んできた水をかけ、たわしでごしごしと墓石を掃除、最後にもう一度水をかける。

 慣れた作業だけに、そう時間はかからなかった。あまり熱心にやりすぎると、熱射病になりかねないしね。

 

「お兄ちゃんの、お父さんとお母さん?」

「そう。僕の、父さんと母さん」

「時々、用事で出かけてたのは、これ?」

「そう。お墓参り」

 

 毎月、僕はここに来て、ここでだけ弱い顔を見せていた。ずいぶん情けないことを言った記憶もある。

 僕の両親について、そして僕と璃奈の関係を打ち明けるまで、璃奈には黙ってこっそりやっていたことだ。

 

 璃奈にとっては、会ったことのない人たちだ。会っていたとしてもまったく記憶にはないだろう。でも親戚だからか、僕の親だからか、手を合わせて真面目に祈る。

 僕も、璃奈の隣で合掌した。

 

 

 今日は報告に来たんだ。

 たくさんの人と話をした。これまでのこと、これからのこと。

 その話し合いをしている最中も、正直、逃げたい気持ちはずっとあった。でも、いろんな人が僕のことを考えくれてて、それから目を逸らせなくなったから。

 

 僕は反省して、今後は少しずつ言葉を額面通りに受け止めることにした。そう約束もさせられたことだしね。

 

 ふう、と息を吐いて、今度は目を開けて墓を見つめる。

 

 痛かったに違いない。苦しかったに違いない。

 なのに僕は、守ってくれた父さんと母さんの死を受け止められず、ずっと幻影を見ていた。

 

 何が起きたかなんて理解して、向き合えたはずなのに。頭では分かっていたけど、認めたくなくて、十年以上もずっと必死に目を背けてきた。

 逃げて逃げて逃げて、そのせいで色んな人に迷惑をかけた。色んな人の好意を無視してしまった。

 もう目を逸らすことは許されない。僕自身が許さない。家族のためにも、支えてくれるみんなのためにも、何より自分のために、受け入れて、進まなくては。

 

 ごめん。ごめんなさい。

 いや違う。そうじゃない。言いたいのは……僕が言いたいのは……

 

「守ってくれて、愛してくれてありがとう。立派な人間になるよ。父さんや母さんのような、立派な人間に」

 

 口に出して、伝える。

 

「愛してる」

 

 当然、墓からは何も返ってこない。

 誰も何も返してくれない。

 寂しいけれど、それでいい。

 それが現実で、事実で、変えようもないことで、僕が受け止めなきゃいけないことなのだ。

 

 枯れたわけじゃないけれど、つい先日さんざん泣き腫らした目から、涙は流れなかった。

 大きく息を吐く。

 ようやく、荷が下りた気がして、体も心も十数年ぶりに軽くなった。

 

「行こうか」

「待って」

 

 立ち上がって、掃除用具を返そうと踵を返した瞬間、璃奈は僕の袖を掴んで、引き留めてきた。

 

「お兄ちゃんは、私がお兄ちゃんを恨んでるのかもって、ずっと悩んでた」

 

 何年も、ずっと考えてきたことだ。

 両親があまり帰ってこないのは、僕がいると気まずいから、もしくは任せてても勝手にこなすからだと思ってた。つまり、璃奈が親に甘えられなかったのは、表情が動かなくなってしまったのは、僕のせいじゃないかと。

 

「そんなこと思ってない。思ったことない。お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんだから」

 

 泣きそうな震えた声で、璃奈は続ける。

 大丈夫。ちゃんと聞いてるよ。頭を撫でてやると、小さな体を密着させてくる。

 

「お兄ちゃん。好き。好き。大好き。私、伝えるの下手だけど、お兄ちゃんにそれだけは分かってほしい」

 

 今にも泣きそうな璃奈の頭と背中を撫でてやる。

 

 ああそうか。

 僕が抱えてたように、璃奈も重いものを抱えてたんだな。僕の話を聞いた時から、もしかしたらそれよりも前から、ずっと。

 

「だいぶ心配させたみたいだ」

「心配する。だって……」

「『お兄ちゃんだから』?」

 

 璃奈はうん、と頷く。

 

「ちゃんとわかってくれて、嬉しい……わかってるよね?」

「たぶん、きっとね」

 

 僕が眉をほんの少し眉をしかめると、彼女は同じ分だけ眉を下げた。

 

「今は、『きっと』でいい」

 

 最後は、呆れたような口調でそう言ってきた。

 

「大丈夫だよ、璃奈。わかってる。好きでいてくれてありがとう。僕も、璃奈のことが大好きだよ」

 

 

 

 

『第72回 湊さんから名前で呼ばれよう作戦会議』

 

 夏休みも半分が過ぎたというところで、今日は何をしようかと部室を開けた僕の目に飛び込んできたのは、そんな文字だった。

 ホワイトボードに書かれているそれを何度見ても変わらない。『第72回 湊さんから名前で呼ばれよう作戦会議』。周りにハートマーク付き。

 

「あー……これは?」

 

 すでに揃っている同好会員のうち、 ペンを持っていた高咲さんに訊く。

 

「『第72回 湊さんから名前で呼ばれよう作戦会議』です」

「それ以上の情報を出してくれって言ってるんだが」

 

 満面の笑みで言われても。

 

「そんな作戦会議、僕に見られていいの?」

「第71回で、こそこそ作戦を立てても効果がないって結論になったの」

「だから、本人に直談判しよ~ってなったわけなのさ」

 

 つまりこれは、僕の目に入るようにわざとでかでかと書いて待っていたわけだ。てか本当に今まで71回もやってたの? 全然気づかなかったんですけど?

 

「ほらほら、せっかく劇的な仲直りもしたことだし、みーくんも正式な同好会のメンバーになったことだし、いい機会だと思って」

「ん……」

「というわけで、名前で呼んでください!」

「んん……」

「嫌なんですか?」

「嫌……というわけじゃないんだ。ただ、まあうん……恥ずかしい」

「恥ずかしいって、イマドキ中学生でもそんなこと言いませんよ」

 

 本当かぁ? ちゃんと中学生にアンケートでも取ったのかなぁ?

 

「じゃあ、なんでエマは名前なの?」

「初めて会った時に、名前で呼べって押し切られた」

「他にも名前で呼んでる人は?」

「璃奈」

「妹じゃないですか……」

「じゃあじゃあ、遥ちゃんは?」

「だって『近江さん』って呼ぶとどっちがどっちかわかんないじゃないか」

「そこは彼方ちゃんのほうを名前で呼ぶべきじゃないのかなあ」

「だーもぅ、ああ言えばこう言うんだから、君らは」

「こっちのセリフですが」

 

 優木さんに呆れられ……呆れられる要素なくない? あるの? 僕が悪いの、これ?

 

「以前の時みたいに、役になりきってみたらどうでしょう?」

「以前?」

「演技みたいにやったら、って言って名前で呼んでもらったのよ」

「な、なんですか、それ! ずるいずるい!」

「卑怯だ! 差別はんたーい!」

「反対です! 平等な待遇を求めます!」

「は、はんたーい」

 

 中須さんや高咲さんだけでなく、優木さんに上原さんまで乗っかってくる。まずい、押し切られそうだ。 

 唯一静観しているエマさんに目を向けると、彼女はようやく動いてくれた。

 

「まあまあ、湊くんを困らせるのはやめようよ。こういうのはゆっくり……」

「エマ、私もしずくちゃんも呼び捨てで呼んでもらったわ」

「湊くん、差別はんたーい!」

 

 味方消えてもうた。

 

「じゃあ、役はそうですね……天然ジゴロで、女の子にさらっとキザなこと言えちゃう人って設定で」

「しず子、それなりきらなくてもなってる」

「それもそっか」

「どういう意味!?」

 

 それもそっか、じゃありませんが。

 

「別に、前だって役の設定なかったから今回もそれでいいじゃないか」

「じゃあやってくれるんですね!?」

「『さん』もなしですよ」

「ここまできたら逃げないよ……」

「逃げられないと言ったほうが正しいんじゃないかな」

「諦めたって言うほうが合ってる」

 

 口々に好きに言ってくれるねえ。まあその通り、抵抗する意思もなくしたんだけどさ。

 

「さあさあほらほら、観念して呼んじゃいなよ」

「わかった。呼ぶ、呼ぶから……」

 

 深呼吸して、心を整える。

 ただ名前で呼ぶだけというなかれ。呼び慣れた名を変えることは相当の労力が必要なのだ。特に女の子をあまり名前で呼んだことのない僕にとっては。

 

「でも、アタシにはわかんないなー。その、恥ずかしさっていうの?」

「それは……愛はぐいぐい行くタイプだからね」

 

 流れで呼べたと思ったら、彼女の動きがピタリと止まった。

 

「……ア、アハハ、けっこー恥ずいね、これ」

「会話止めるのやめようよ。こっちも恥ずかしくなるんだからさあ」

 

 せっかく会話の途中で自然に織り込めたと思ったのに、一瞬にして空気が止まるんだもん。心臓に悪い。

 顔もなんだかほんのり赤くなってるし。呼ぶたびにこれじゃ、もたないぞ。

 

「ふふん、愛先輩も大したことありませんね。かすみんはそんなのじゃ動じません! かわいーく受け流してあげますよ!」

「流すな。受け止めろ」

「だったら……湊さん湊さん」

 

 桜坂さんがちょいちょいと手招きする。

 耳でこそこそと言ってくる内容に、僕は怪訝な顔をした。

 

「なんでそんな……」

「ここは思いっきり行って、無理やりにでも慣れましょう」

 

 ショック療法……いや違うか。だけど確かに、慣れるために一度飛び込んでみるのも悪くない。

 

 こほんと咳をして、中須さんに近づいていく。何が来てもいいように彼女は身構えた。

 お互いの距離が三十センチもないくらいに距離を詰めたところで……

 

「たとえどんな呼ばれ方をしても……」

「可愛いよ、かすみ」

「ぴぅっ!」

 

 珍妙な叫び声をあげる中須さんの顔は面白いくらいに真っ赤になって、湯気が立ちそうなほど熱くなっていた。

 

「可愛い、は結構言ってるのに」

「な、名前がつくと全然違うっていうか……」

 

 得意げだったのに、今はあっちこっちに視線を泳がせている。言われ慣れてるだろうに、何を今さら照れることがあるのか。

 

「一年生も二年生もだらしがないなあ。ここは彼方ちゃんの出番だぜ~」

 

 次にずいっとやってきたのは近江さん。確かに彼女ならかるーく返事してきそうだ。

 

「彼方さんですか。それなら……」

「無茶なやつはやめてくれよ」

「湊さんの兄力なら、すんなりと出来るはずです」

「初めて聞いたよ、兄力なんて言葉」

 

 また耳打ち。これこれこう言ってくださいという指令に、僕はまたしても眉をひそめる。

 

「大丈夫です。彼方さんなら許してくれますから」

「どんなのでも、どーんとこーい」

「ほら」

 

 なんで二人ともそんな自信満々なんだろうか。特に、何されるかわからないはずの近江さん。

 

「セクハラだとか、騒がないでくれよ」

「言わないよ~」

 

 仕方がない。ここは勇気を振り絞って、腕を振り上げる。その手を徐々に、徐々に下げつつ、近江さんの反応を窺う。

 触れられようとしているのに、一切動じようとしない。

 やがて僕の手は、彼女の頭に到達。璃奈にするように、ゆっくりと撫でる。

 

「いつも頑張ってて、偉いぞ、彼方」

 

 労うように、よくやったと褒める。

 小さい時、手伝いをしてくれた璃奈にせがまれてよくやってたなあ。その時のことを、なんとなく思い出す。

 すると近江さんは手で顔を覆い、遥さんの前でだけ見せる機敏な動きでソファへとダイブした。

 

「~~~っ」

 

 顔も向けずに、何かしらのダメージを受けたみたいにじたばたとしだした。声にならない叫びをクッションに向けて、悶絶している。

 なんか……大丈夫か?

 

「さて、彼方さんも陥落させたところで、次はどんな言葉を言わせましょうか」

「ねえ、名前で呼ぶって目的忘れてない? 僕で遊んでない、これ?」

 

 僕の言葉は、わいわいと盛り上がる彼女たちに無視された。

 

「シチュエーションプレイよね、これ」

「プレイ言うな」

 

 朝香さんの言うような、そんないかがわしいものじゃない、なんて首を横に振っていると、高咲さんが目を輝かせてやってきた。

 

「これお願いしたらどんな湊さんでも見られるんですか? 好きな状況で名前呼んでもらえるんですか?」

「ねえ、これシチュ……」

「言わないでくれ、僕が悪かった」

 

 どんな感じで言ってもらおうか、なんて上原さんと盛り上がっているのを見ていると、否定できなくなってしまった。

 

 その後、彼女たちの変な様子は数十分続いた。

 例えば……

 

「私はとある国のお姫様で、湊先輩は別の国の王子様なんです。私の国と王子様の国はお互い敵同士なんですが、惹かれ合う二人……王道ですけど憧れますよね。ああでも、姫と従者なんて身分違いの恋も捨てがたい……これは難しい問題ですね。私が一般人の設定で、シンデレラストーリーの末に結ばれるなんてのも悪くないですし、そうなったら、私、先輩に強引に手を引かれて、衆人環視のなか口づけを……私を自分のものだと主張する強気な湊先輩、ありですね!」

 

 早口すぎて何言ってるのかわからん桜坂さんとか。

 

「なんでも……なんでも……」

 

 うわごとのように同じ言葉を繰り返す優木さんとか。

 なんでも言うとは言ってないんだが。

 

 だいぶ変な空気が流れている部室で、僕が解放されたのは何時間も後だった。



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46 たまにはファミレスでも

 練習終わり。いつも通り、部室棟の階段下でみんなが着替えるのを待っていると、先にエマさんがやってきた。

 

「エマさん」

「……」

 

 呼びかけても、頬を膨らませてそっぽを向く。その原因に、一つ心当たりがあった。

 何かを期待するようにちらちらと横目で向いてくる彼女へ、仕方ないとため息をついた。

 

「エマ」

「えへへ、なぁに?」

 

 今度は、さっきまでとは打って変わって太陽のような明るい笑みを浮かべた。

 

「名前呼びを浸透させるには、意地悪なやり方だと思わないかな」

 

 慣れさせるためとはいえ、なかなか強引な手を使う。七十二回も僕に名前を呼ばせる会議をしていたのだから痺れを切らしたのは、前に聞いたけど。

 

「それを言うなら、湊くんのほうが意地悪」

「僕が?」

「うん。とってもイジワル」

「例えば、どこが?」

「そうやって訊いてくるところ」

「それは……スイスの言い回し?」

「湊くんの言い方のマネだから……むしろ日本的?」

「僕はそんな言い方しないよ」

「するよ」

「しない」

「する。ずぅっと見てたから、自信あるもん」

「はいはい。いちゃつくのはそこまで」

 

 言い合いを、愛が割って止める。いつの間にかみんな着替え終わって、部室から出てきていた。

 

「いちゃついてないよ」

「それを何人が信じてくれるんだか」

 

 愛が後ろを見ると、みんながみんな、やれやれと呆れ気味に視線を返してきた。

 ええぇ、僕がおかしいの?

 

 うむむ、と唸っていると、璃奈がててて、と寄ってきた。今日もよく頑張りました、と頭を撫でる。

 最近、みんなを名前で呼ぶのと同時期、璃奈はこうやって甘えることが増えてきた。褒めて、とよく言ってくるし、校内でも見かけたらやたらと寄ってくる。お互いの友達がいるのにも関わらず寄ってくる。

 家では、テレビを観ていると急に膝に乗っかってきたりするし、そのまま寝落ちしたりする。もう高校生なのに。

 

「じゃあ、行ってくる」

「うん。迷惑かけないようにね。愛、うちの子をよろしくお願いします」

「愛さんに任せてよ!」

 

 璃奈は僕に手を振る。愛は璃奈の肩を掴んで、にっこりと笑った。

 

「あら、何かするの?」

「璃奈が愛の家に泊まるって」

 

 前々から、愛の家に遊びに行きたいと言っていたが、練習もあり勉強もありで中々忙しかった。

 しかしフェスティバルも終わり、夏休みの宿題も終えたいま、ようやくゆっくりできる時間が出来た。

 そんなわけで、璃奈は愛にお呼ばれして、遊び三昧食べ三昧の休日を過ごすらしい。

 去っていく二人を見送り、僕はふうと息を吐いた。

 

「晩御飯どうしようかな。帰って作る気力ないし……」

 

 このところ部活漬けだった反動か、休みたい欲が出てきた。うだるような暑さで気合も入らないし、璃奈がいないならなおさら。親も今日は帰ってこない。

 

「ね、湊くん。それなら、一緒にご飯いかない?」

 

 果林が言う。

 

「いいの?」

「誘ってるのは私よ」

 

 少し考え込む。確か、家に残ってる食材で足が早いのはなかったはず。僕は頷いて返した。

 

「あの、私もいいですか?」

「歩夢も?」

「今日親がいなくて。それに侑ちゃんもお母さんと一緒に出掛けるみたいだから、一人で寂しいんです」

「かすみんも行きます!」

 

 歩夢に続いて、かすみもぱっと手を挙げる。

 

「他、誰か一緒に行く?」

 

 残っている人たちに呼びかけると、みな一様に頭を振った。

 

「ごめんね~。遥ちゃんのご飯作らないとだから」

「うぅ、今日はもう遅いので、ご一緒できません……」

「今から夕食を食べて、となると、門限に間に合いませんので、残念ですが」

「行きたいけど、溜まってる課題があって、終わらせないといけないんだ」

 

 他の四人はそれぞれの事情でキャンセル。

 なら今回は、果林、かすみ、歩夢と外食としゃれこもうか。

 

 

 

 

 店はどう決めようか、という僕の悩みはすぐに解消された。

 練習終わりでお腹がすいている三人が、ファミレスを見つけるなり、そこにしようと言い出したのだ。

 

 晩御飯時だったけど席は空いていて、テーブル席に案内される。僕は奥側。隣にかすみ、正面には果林、斜めに歩夢が座った。

 店内は涼しく、まさに生き返る気持ちだ。ちょっとだけ休憩。

 一息つく僕とは対照的に、よほど空腹なのか、無言でメニューを睨む三人の姿はなかなか面白い。

 

 やがて食べるものを決め、注文を終え、ようやくかすみが口を開いた。

 

「歩夢先輩、ドリンクバー行きましょう」

「うん。湊さんと果林さんは、何がいいですか?」

「お茶」

「私も」

「えー、せっかくかすみんのスペシャルドリンクを作ろうと思ったのに」

「だめだよかすみちゃん、ドリンクバーで遊んじゃ」

 

 歩夢は軽くたしなめつつ、かすみを連れていく。

 仲いいなあ、あの二人。時々、侑を巡って静かな争いをしてるけど。当の侑は気づかずにいつものんきしている。ラブコメの主人公みたい。

 

 さて、と僕はおしぼりで手を拭く果林に向き直った。

 

「こういう時でも、カロリー気にするんだね」

「もちろん。このスタイルは、日々の積み重ねの賜物よ」

 

 見せつけるように、彼女は胸を逸らした。微妙に目を逸らしつつ、僕は続ける。

 

「そんな君のことを羨む声はよく聞くよ」

「あら偶然。私も、あなたのことが気になるって声をよく聞くわ」

 

 僕は眉をひそめた。

 

「幻聴じゃないのか」

「ちゃんと友達から直接聞いたのよ。ぜひあなたとお喋りしてみたいらしいわ」

「なんで僕と」

「女の子はいつだって、素敵な男の子に惹かれるものよ」

 

 いわゆる、白馬の王子だろうか。最近の女の子の流行などは追いかけてるつもりだけど、どれを思い返しても、僕が当てはまるものはないはず。

 

「優しく助けてくれるイケメン君をご所望なら、僕が一番相応しくないって伝えといて」

「嫌よ。私嘘つけないもの」

「それはどういう……いやいい、言わなくて」

「私はそう思ってるってこと」

 

 言わなくていいって言ったやん。

 返答に困っていると、ちょうど良いタイミングでかすみと歩夢が戻ってきた。

 ちゃんと理性を働かせてくれたみたいで、僕と果林の分はちゃんとお茶だ。

 

「何の話ですか?」

「ジャンル的には……恋バナかしら?」

「してない」

「湊さんの恋バナ聞きたいです! 恋人いたことあるんですか?」

 

 してない言うとろうに、かすみは飲み物を倒しそうな勢いで、僕に迫ってきた。

 

「なんだよ急に。僕の恋愛事情なんて、そんな気になること?」

「まあそれなりに需要はあると思いますけど。で、どうなんですか?」

「わ、私も気になるかな……」

 

 助けを求める前に、歩夢もそっち側に行ってしまった。女の子はそういう話好きね。

 璃奈もこういうの好きなのだろうか。もし璃奈が男を家に連れ込んできたりしたら、お兄ちゃん卒倒しちゃう。

 

「ないよ。いたことない」

「あー、やっぱりというか、意外というか」

 

 かすみはうんうんと頷く。

 

「彼女作りたくないの?」

「いや、作れるなら作りたいさ」

 

 僕だって健全な男子高校生だ。彼女を作ってデートして……なんてことに憧れもある。

 

「だったら、さっきの話は悪くないんじゃない?」

「知らない人に下心第一で近づいてもロクな結果にならないから、遠慮しとく」

「下心第一なのはあっちのほうだけれど……」

 

 果林が微妙に呆れたような顔をして呟く。

 

 それに、だ。仮に、万が一、僕に彼女が出来たとしよう。僕はその人を第一に優先することはできない。

 同好会の活動もあるし、そうでなくても、璃奈が何より大事だ。そんな気持ちで付き合うのは、相手に失礼。

 まあそもそも、僕を男として見る趣味の悪い人はいないと思うから、そういった心配は杞憂のまま終わるんだろうけど。

 

「君らはどうなんだ。引っかけようと思えば、男なんて何匹でも釣れるでしょ」

「言い方がアレですね……」

「でも実際、君たちなら選り取り見取りじゃないか」

 

 かすみも歩夢も果林も、多くいるニジガク生……いや、全国的に見てもトップクラスに可愛い。男なんて誘われるがままについていってしまう。

 そう言うと、かすみは口を尖らせた。

 

「選り取り見取りでも意味ありませんしぃ」

「?」

 

 男でも女でも、大なり小なりハーレム願望はあるもの。モテるならそれに越したことはない……んじゃないのか?

 

「それに、アイドルたるもの、恋愛禁止が昔からのルールです! 男の人と一緒に歩いてたってだけで取り上げられて炎上するんですから!」

「だったら、いまこうやって湊さんと一緒にいるのも問題なんじゃ……」

「うぐっ。そ、それじゃ歩夢先輩も果林先輩もダメになっちゃいますよ!」

「私はそういうの気にしないもの」

「私も、騒がれるのは嫌だけど、湊さんとなら……」

 

 かすみの熱いアイドル論を、二人はしれっとした顔でかわす。そこらへんの違いは、プロ意識的なものか、

 まあ実際そんなことになっても、プロならともかく、学生のプライベートを暴露するほうが責められるだろうけどね。

 

「話が逸れましたけど、結局、湊さんはどういう人が好みなんですか?」

「あれ、そんな話してたっけ……」

 

 さっきと話が微妙に変化してるような……

 

「いいからいいから、答えてくださいよ」

「どうだかなあ」

「ドキッとしたこととか、この人いいなとか思ったりしないの?」

「そりゃあ無いわけはないけど」

 

 例えばエマと話してる時とか、彼方と一緒に料理してる時とか、果林にからかわれている時とか。同好会内だけでもほぼ毎日どきりとさせられている。

 かと言って、まさか手を出すなんてアホなことをするわけにもいかない。断られるのは容易に想像できるし、そうなった後ギスギスしてしまうのは嫌だ。相手にも変な傷を残してしまうことだろう。

 ……とか本人たちに言えるわけもなく、言い淀んでいると歩夢が喋りだす。

 

「湊さんって、あんまり自信を持ってないんですか?」

「あるよ。曲とかステージ演出とか動画編集とか、あと料理も」

「そうじゃなくて、その、男性としての自信って言うんですか?」

「んなもん無い」

「即答!?」

「なんでですか? 湊さんかっこいいって、私……の、友達も言ってたりしますよ?」

「お世辞をどうも」

「むう……」

 

 なぜか頬を膨らませる歩夢。

 いやだって、と前置きして、指折り数えながらそう答えた理由を挙げていく。

 

「別にかっこいい(つら)でもないし、身長だって平均以下、学力もトップなわけじゃない。運動能力なんか下から数えたほうが早い」

「……それで人と付き合えるかどうかが決まるわけじゃないと思いますけど」

「え、でも男を選ぶときには重要な要素だって聞いたよ」

「誰からですか?」

「流しそうめん同好会」

「どこよそれ」

「え、流しそうめん同好会知ってるんですか?」

「歩夢先輩知ってるんですか?」

「ニジガクって流しそうめん同好会なんてあるの?」

「去年、世界一長い流しそうめんでギネス狙ってたじゃないか」

「知らない知らない知らない」

 

 ぶんぶんぶん、とかすみは勢いよく首を振る。校内にもそうめんのための道が張り巡らされてて、結構話題になったんだけどな。

 

「はー、ほんとに知り合いいっぱいいるんですねえ」

「スクールアイドル同好会だけかと思ったら、ライバルはいっぱいいるのかもね」

「ライバル? ああ、ダンス部とか軽音楽部とか? ステージの上じゃ、みんな敵だもんな」

「おまけに当の本人はこんなだし……」

 

 外れてないことを言ったつもりなのに、三人ともはあ……とため息をつく。

 この反応ばっかりは、ずーっと変わらないなあ。もしかして僕って、空気読めてない奴? 知らない間に変なことを言ってしまっているのか?

 恐る恐る訊こうとした僕の言葉は、運ばれてきた料理に遮られるのだった。



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47 家でお勉強会のはずだったのに

「……つまりここは、この公式を当てはめると解けるようになります」

「ほんとだ。ありがとう、せつ菜さん」

 

 カリカリとシャーペンの走る音が続く。生徒会長モードの……つまり中川さんの教えのもと、璃奈が問題をすらすらと解いていった。

 

「せつ菜、さっきから璃奈に教えてばっかりだけど、大丈夫?」

「はい。私の分はもう終わりましたので」

「優等生だなあ。僕も璃奈もまだこんだけ残ってるのに」

 

 もう夏休みも終わりが近いというのに、フェスティバルにかまけて、半分以上を残してしまっていた。

 それを一気に片づけようとしたところで、もうほとんど終わらせていた助っ人が家に来てくれた。

 一人はせつ菜。もう一人は……

 

「まあまあ。手伝ってあげるから、頑張ろう、ね?」

 

 僕の左手にいるエマだ。お手数おかけします……けど、あの……

 

「エマ、そんなに近寄ってこなくても……君のだって、まだ終わってないんだろ?」

「もうあとちょっとだけだから、湊くんのを手伝おうかなって」

 

 そうは言っても、そんなに身を向けてこなくてもいいはずだ。体、ほとんど密着状態で、顔を向けると間の距離が十五センチくらいしかないの、ドキドキしちゃうんだが。

 腕に柔らかい感触が……なんてベタなことが浮かぶくらい、集中できてない。

 

「まだわからないことはないから」

「でも湊くん、わからないところが出ても一人で悩みそう。こうやって監視しておかないと」

 

 薄着だから彼女の柔らかさが余計に、こう、ダイレクトに……うぶな男子高校生をからかってそんなに楽しいですか!

 

「近づいちゃうのは仕方ない。お兄ちゃんに抱きつくと、落ち着くから」

「わかります! なんというか、包み込まれる感覚がして、居心地がいいんですよね」

「せつ菜ちゃんも、抱きついたの?」

「あ……」

 

 口を手で抑えても、時すでに遅く、せつ菜のほうを向いた視線は再び僕に注がれた。

 

「湊くん、私は思うんだけどね、人には平等に接しなきゃいけないって」

「ご、ごもっともで」

「じゃあ、はい」

 

 立ち上がって腕を広げて、ウェルカムといった姿勢で待ち構えるエマ。わからないふりをしていると、ぷくっと頬を膨らませた。

 

「璃奈ちゃんにもせつ菜ちゃんにも抱きついたんでしょ?」

「す、すみません。弾みでつい話してしまいました……」

 

 ほんと、即反応してたよね。弾みすぎ。スーパーボールかな?

 

「いや、あの……璃奈は、抱きついてくるだけで僕からは抱きついてないし、せつ菜のも一回だけで……」

「ふーん。湊くんは、私と二人とで差別するんだあ」

 

 う。的確に抉ってくる。

 確かに、僕は出来るだけ平等にみんなと接しようとしている。でもね、それとこれとは違うんじゃないかなあ……ほらこういうの、他の人にもバレたら……

 

「してくれたら、他の人には言わないから」

 

 これまた的確に、僕が受け入れやすくなるような提案を投げてくる。

 なんか最近、エマに僕のことを全部見透かされてるような気がする。そんなに僕って分かりやすい人なんだろうか。

 

 じっと見てくる。他の二人も、僕がどうするのかを固唾をのんで見守っている。

 もろもろを考えて、僕はゆっくりと立ち上がった。遠慮気味に近づいて……そっとエマの背中に手を回す。

 璃奈やせつ菜よりも身長が高いぶん、より近くに感じる。

 女の子特有の柔らかさや、ほだされるような、うっとりしてしまうような甘く幸せな匂いが鼻をくすぐってくる。

 

 これはなんかヤバい。へんなハマり方しそうだ、と頭の隅っこが訴えてくる……けど、体は反して、彼女をもっと抱き寄せるように手が動く。

 すると、エマも抱き返してくる。それだけで終わらず、さらに首筋に顔を埋めてきた。

 

「わ、わ、わ……」

「エマさん、大胆」

 

 せつ菜も璃奈も顔を真っ赤にして、顔を覆う指の隙間から覗いてくる。

 後輩と妹の教育に悪い、と言いかけたところ――

 

「ね、もっと強く」

 

 果林なみの妖艶な吐息が耳にかかった。ぞくぞくと背中が震える。

 そんな甘えるようなことを言われて拒否できるはずもなく……いやいや、言うことを聞かないと離してくれなさそうだから、腕に力を込める。

 漏れてくる小さな声が僕を刺激して、だんだんと理性を削り取っていく。それはもう恐ろしいスピードで。

 

「湊くんもどきどきしてるね」

「そういうこと言わないで」

 

 心臓が破裂しそうなほど鼓動してるのを自覚してしまうじゃないか。鼓動するたびにかすかに揺れる彼女の胸も、それが薄い布を隔ててるだけで触れているという感覚も……

 

「こ、これ以上はダメです!」

 

 その小さな体から想像できないほどの力で、せつ菜が僕とエマを引きはがした。

 あ、あ、あ、危ない。危なかった。もうちょっとで、マジでダメになるところだった……あと一秒でもくっついたままだったら、どうなってたことか……

 

「ありがと、せつ菜ちゃん。もう戻れないとこだったよ」

「ど、どういたしまして……?」

 

 冷房ガンガンにつけてるはずなのに、あっついあっつい。

 顔を合わせづらくなって目を時計に移動させると、いつの間にか十二時を回っていた。

 

「休憩しよう休憩。お昼ご飯作るよ」

「わあ、楽しみ!」

「手伝えることがありましたら、何でも言ってください!」

「せつ菜さん、大人しく待ってよう」

 

 立ち上がりかけたせつ菜を、璃奈が引っ張る。そのまま押さえつけといてくれよ、頼むから。

 

 料理はいい。気分を落ち着かせてくれる。さっきまでのことを頭の隅に封印して、やるべきことに集中する。

 火も使うから危ないし、ちゃんと順序や量に気を付けないと美味しいものは出来ない。だからさっきの感触がまだ残ってるとか思ってる暇ないんですよ。そこんとこ分かって、天王寺湊。

 

 煩悩を振り払って完成させたものを、テーブルの上に置く。

 

「お待たせ」

「わあ、パスタ!」

「和パスタってやつ。最近作るのハマってるんだ」

「いい匂いだね」

 

 醤油だけじゃつまらない味になるけど、コンソメ入れることでパンチが出てくる。それだけだと味は濃いめになるが、バターで和えたパスタと混ぜると、マイルドになって食べやすい。

 で、醤油とバターといったら、具はほうれん草とベーコンで決まり。コーンも入れたかったけど、あいにく無かった。

 冷蔵庫にはもっと豪華な食事にできる材料が揃ってたけど、あんまり重めにしてもこの後の勉強に身が入らないし、それはまた今度にしよう。

 

「ん~~、ボーノ!」

「彼方さんが言ってただけあって、料理が上手ですね」

「お兄ちゃんのご飯、いつも美味しい」

 

 まるで自分のことかのように、璃奈は胸を逸らす。

 

「湊さん、ずっと料理してるんですか?」

「中学生になってからかな。外食やコンビニ飯ばっかりだと、璃奈の健康に良くないから」

「大変なんじゃない?」

「今はもう慣れたよ。それに、璃奈がちゃんと食べてくれたら、僕はそれで満足だから」

 

 空になった皿や弁当箱を見せてくる璃奈の可愛らしさといったら、それだけで苦労が泡のように消えていくほどだ。

 運動もするようになったし、ますます栄養や量に気を付けないと。多すぎず、少なすぎず。

 

「お兄ちゃんのおかげで、朝ごはんも食べるようになった」

「たしかに、こんなに美味しいと食べないのがもったいないですよね」

「それだけじゃなくて、ほら、この前キャラ弁も作ってくれた」

 

 璃奈がスマホを見せると、せつ菜はちょっと引いたような目で僕を見る。

 

「……なんだか、女子力でどんどんと引き離されていく感じがします」

「いいなあ。私も湊くんのご飯、毎日食べたい」

 

 んぐっ。

 喉にパスタが詰まりかけた。

 

「どうしたの?」

 

 もし言ったのが逆だったら、つまり僕がエマに言ったら、つまり男が女に言ったら、言葉以上の意味が含まれることになる。

 多様性に寛容な今の時代、女性から男性へも同じ意味を含むのかもしれないけど……エマ自身はきょとんとしていた。

 

「天然って恐ろしい……」

「天然なのかな。素ではあるとは思うけど」

 

 この中で最年少の璃奈だけが、僕の呟きの意味を理解していた。

 

 

 

 

 お昼も食べ終わり、さあ午後も頑張るぞ……とはならなかった。

 午前に極集中したせいか、お腹が膨れたからか、食休みがてら璃奈が自分の部屋に誘う。

 前に侑たちを家に招いた時から、多少変わっていて、寝る前に柔軟を行うためのヨガマットが一番目につくだろうか。

 

 そんな中で、璃奈が取り出しましたるはレースゲーム。

 ゲームをやる人にとってはおなじみのキャラを動かし、アイテムで逆転も狙える、世界で人気の一品だ。

 

「これ、みんなでやりたい」

「やりましょう! 大勢でやってみたかったんですよ!」

 

 せつ菜も乗り気なら止める者はおらず、僕とエマも頷く。

 予備も含めてちょうど四人分のコントローラーもあって、全員で出来る。せっかくだからとリビングの大きなテレビにゲーム本体を接続して、ソファに座る。

 

「懐かしいなあ。昔なんかは、こうやって人の家に集まってゲームしたもんだよ。コントローラー持ち寄ってさ」

「いつの話してるんですか」

 

 ええ、嘘ぉ。やったことない? コントローラーのスティックをぐりぐり回して手の平の皮剥けたりしないの? 爪立ててボタン連打しないの?

 

「お兄ちゃん、昔にやってたゲームしかしないから」

「最近のはね、もうついていけない」

 

 などと話して、簡単なゲーム説明もエマにして、ようやくスタート。

 流石に一番やりこんでいる璃奈がぶっちぎりで、続いてゲーム好きのせつ菜が追う。離れたところで、僕とエマが最下位争いをしていた。

 

「璃奈さん、負けませんよ!」

「望むところ」

 

 カチカチと冷静にボタンを押す璃奈。対して、せつ菜はコントローラを動かすのと同じく、体も動いている。

 

「わー、二人とも速いね」

「これもう追いつけないな」

 

 進行を妨害するようなアイテムもあるが、それを使っても追いつけないほどに距離が空いている。

 初心者でも難しくないようなステージなのだが、それゆえに二人の上手さが目立つ。

 

「むむむ」

「ぬぬぬ!」

 

 互いに一歩も譲らぬ熾烈なデッドヒート。一位を奪って奪われての大熱戦。

 制したのは……

 

「やりました!」

 

 せつ菜だった。

 ガッツポーズを掲げ、満面の笑みを咲かせる。

 

「璃奈に勝つなんてすごいじゃないか」

「はいっ。私もそれなりにやっているので!」

「せつ菜さん、すごい」

「全然追いつけなかったよ~」

 

 褒められて、頭を掻いて照れるせつ菜。

 僕に対することで思い詰めてたところもあったみたいだから、少しは発散できたようでなにより。

 やっぱりせつ菜には笑顔が似合う。

 

 そこからさらに、パーティゲーム、ガンシューティング、スポーツ系など、ありとあらゆるものをやり倒して……

 

「すっかり遊び倒してしまいましたね」

 

 気づけば、もう二人が帰る時間となってしまった。

 

「こんなにやるつもりじゃなかったのに」

「でも楽しかった」

 

 それについては完全同意。同好会のみんなとゲーム大会なんてのも面白そうだな、とふと思った。

 こういうテレビゲームじゃなくても、ボードゲームとかアナログなのでも、十分盛り上がることだろう。そういうのをたくさん持ってる部があったはずだから、貸してもらおうかな。

 

 まだまだ外は明るい。だけど、二人とも門限があるから、名残惜しくも片付けを始める。といっても、昼食の前に、テーブルに置いてあったノートやら教科書やらはもう鞄の中にしまわれてる。

 きょろきょろと周りを見渡して、忘れ物がないことを確認すると、見送りのために玄関へ向かう。

 

「また来てね」

「ここならどんだけ騒いでも大丈夫だからさ」

 

 親がちょっと厳しいらしい中川家と、学生寮じゃ遊びたい盛りの高校生には少しきついだろう。

 うちは休日でも親があんまりいないし、お高いマンションなだけあって防音もばっちり。二人で使うには持て余す。

 僕らもちょっと寂しい時があるし。

 

「うん。用事無くても、来ていい?」

「もちろん」

「次は、私特製のご飯をごちそうしてあげます!」

 

 それは勘弁。



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48 完璧な作戦だこれ

 困りごと、というのは常に襲いかかってくるもので、今日も僕の頭を悩ませている。

 原因は、みんなの危機感がないことである。

 スクールアイドル活動の話か? いや違う。

 練習にはまじめに、かつ楽しく取り組んでくれているし、撮影はビシッと決まっている。

 なら、学生の本分である勉強か? それも違う。

 かすみや果林の成績は心配だが、まあなんとか進級・卒業に足る点数を採れるくらいには、同学年がスパルタ教育をしてくれている。

 であれば、体力や精神面に問題が? いや。

 日々のレッスンで鍛えられた彼女たちの成長は著しく、毎日元気だ。

 忙しいはずの彼方も、僕と侑、遥さんの監視あって無理のないようにスケジュールを調整できている。つまり、今はかなり安定している。各々のファンも着実に増え、飛ぶ鳥を落とす勢いの虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会。順風満帆。絶好調。上り坂驀進中。

 さて、そんな中で何に悩んでるのかというと……

 

「みーくん、なーに見てんの?」

 

 肩に何かが乗っかるのと同時、耳元で愛の声が聞こえた。

 びくりと反応した僕に弾かれるようにして、僕の肩をアゴ置きにした彼女はケラケラと笑った。

 

「あはは、びっくりしすぎじゃない?」

「誰だってびっくりするよ……」

 

 止まりかけた心臓を抑えて振り向く。非難めいた目を向けても、愛はどこ吹く風だ。

 そう、問題はこれである。

 みんなの、距離が、近い。特に僕が正式に入部してから。

 おおよそ、接触を怖がっていた僕に慣れさせるためなんだろう。その厚意は嬉しい。だが、だがしかし年頃の女子が男子にベタベタとくっつくのはいかがなものだろうか。

 かすみや璃奈は所かまわず抱き着いてこようとする。しずく、侑、愛、果林はことあるごとにスキンシップを図ろうとしてくる。彼方とエマは膝枕(する・されるの以外はあるが)を、僕が拒否するのを分かってるくせに一日に一回は提案。こういうことに乗ってこなさそうな歩夢とせつ菜も、気づけば肩が触れ合うくらいに身を寄せてくることも少なくない。

 贅沢な悩みだというのは分かっている。美少女十人に囲まれて、それなりに慕われている状況は男の夢、ロマンであろう。

 しかし彼女らの相手が悪い。つまり、僕だ。控えめに言っても恋愛経験がほとんどない僕に、魅力的な女子が絡めばどうなるか。いつかは脳がオーバーヒートして、理性が飛んで……なんてこともあり得る。『万が一』よりは確率は大きいだろう。

 

「まーたムズかしいこと考えてるなー? たまには楽しないと、眉間にシワができちゃうぞ」

 

 愛が頬をつついてくる。この様子だと、僕が逃げても追っかけてくるだけのイタチごっこになるだけだ。

 そうなれば、これしかあるまい。

 

「決めた。やってやる」

 

 立ち上がり、決意する。

 僕が距離を置くのではない。彼女たちが僕から距離を取るように仕向けるのだ!

 

「お、よく分かんないけど、ガンバ!」

 

 

 

 

 まず、どうしようかと悩んで……その場にいた愛をターゲットにすることにした。

 大々的に何かをする必要はない。少し、気持ち悪いとでも思わせればいい。であれば、事は簡単。璃奈に対する僕の溺愛ぶりでも見せれば、引いてくれるだろう。

 

 休憩がてら飲み物でも買いに行く愛について行って、雑談混じりに近況を話し合う。勉強のことだとか練習のことだとか、この暑さにも関わらず彼女の家のもんじゃ屋が好調だとか。

 自販機で冷えたドリンクをゲットして戻る途中、そういえば、と訊きたいことを愛に問うた。

 

「自撮りのポイント?」

「そう。最近、璃奈と写真撮ることが多くて。せっかくなら良い写真を残しておきたいんだ」

「みーくんってほんと、りなりーのこと大好きだよね」

 

 にっこり笑顔でそう返してくる。

 ……作戦は失敗か? いやいや、きっと心の内では幻滅してるに違いない。ふふ、完璧だ。

 

「じゃあじゃあ、実際に撮ってみようよ」

 

 肩を掴んで、顔を寄せてくる。やだ、こんなことさっとできるなんて、この子イケメン……じゃなくて。

 構える暇もなく、一枚パシャリ。スマホでぱっと撮ったわりには、ちゃんと画角に収まっている。僕がやってたら、顔半分見切れてたことだろう。

 

「うーん、映えが足りないなあ」

「映え」

 

 アレだ。インフルエンサーが日々研究しているという、写りのいい物やポーズ。愛くらいだと、もう何もしなくても映えてると思うんですが。

 

「簡単にできるのだと、指ハートっていって、こうやって人差し指と親指で……」

「侑がよくやってるやつでしょ。僕がそういうのやると思う?」

「頼んだら一回ぐらいは」

 

 頼んだらって、そんなにチョロく見える?

 やんないよ。僕がやっても何も面白くないだろ。

 

「お、愛ー」

 

 あちら側から、女子生徒が手を振ってきた。だるっとした佇まいに、眠たそうな半目。俗っぽい言い方をすれば、ダウナー系というところか。

 ゆるふわウェーブの茶髪はこの湿気大国日本の中にあってもふわりとしている。制服も着崩していて、鎖骨まで見えるようなのはあまり褒められたものじゃない。暑いのは認めるけど、女子高じゃないんだし。

 背中にギターケースを背負っているところを見るに、軽音楽部だろう。

 

「スクールアイドルフェスティバルめちゃよかったよー」

「ありがと! 愛さんのほうからも見えてたよ。応援してくれてたんだよね」

 

 愛の友達であり、ファンのようだ。派手目ではない子だが、交友関係の広い愛の知り合いであることは驚くことでもない。

 

「紹介するよ。こっちが、スクールアイドル同好会のみーくん!」

「みーくん……あー、愛の言ってたピかぁ」

「ピ?」

 

 ピってなんだ。女子高生はよくわからない略語だったりをすぐ生み出すから、会話についていくのは困難だ。しかもヒントが一文字だけとあれば、推察もできない。

 

「ふんふん」

 

 彼女は僕を上から下まで、品定めするように視線を動かす。そうやって見られると、なんだか落ち着かないな。

 

「体の線は細いけど、イイ男じゃん。あの人でしょ、炎天下の中でも雨の中でも走り回って、この前のフェスティバル成功させた人って」

「そ。カッコイイでしょ」

「うむうむ。頑張ってる男の人ってマジ良き」

 

 こそこそ話してるつもりだろうが、丸聞こえだ。

 彼女は愛とその手元、そして僕を見比べると口の端をつり上げた。

 

「ツーショット?」

「じゃなくて、自撮りのやり方を教えてもらってたんだ。妹との写真撮るために」

 

 さりげなく、妹の話を出す。初対面の人にこんなことを言うなんて、シスコンぶりを見せつければ愛も度肝を抜かれるだろう。天才か?

 

「仲いいんすね。うちの兄は仕事一辺倒だから、ぜーんぜん構ってくれなかったす」

 

 あれ、引いてないぞ。

 

「それは酷い。君みたいな妹がいたら、僕ならなんでもしてあげたくなりそう」

「惜しげもなくそういうこと言えるの、マジ天然記念物級」

「それがみーくんの良いところだからね。悪いとこでもあるけど」

「愛も苦労ちゃんだぁ」

 

 見せる表情は……なんかあまり変わらないな。いやいやでも上手くいってる……はず。

 

「撮ったげるよ、ほらほら、みーくんさんも並んで並んで」

 

 みーくんさん……

 愛の手からスマホを奪うように取ると、僕をぐいぐいと押して、愛と密着させてくる。

 

「いやあの、自撮りのやり方を……」

「細かいことは言いっこなしすよ」

 

 結局押しに負けて、しばらく撮影会が始まってしまった。

 

 結局、ピってなんなんだ。わかんないッピ……

 

 

 

 

 第一の作戦は、おおむね上手くいったと言っていいだろう。

 

 だがそこで、僕の乏しい知識は底をついた。

 女子の嫌がることなんてわざわざ知ろうとしないんだから、当たり前だろう。リサーチ不足。なら調査して、やるのみ。幸い、ネットや雑誌にはその手の話は掃いて捨てるほどある。

 さて、その多くある情報の中で目についたのは、相手の話に頷かないということだ。

 なるほどたしかに、否定ばかりしてくるやつは好かれはしないだろう。

 

 次のターゲットはしずく。

 

「……というわけで、これは信頼し合えている男女の友情の話でもあるんだと思うんだよね。男と女が出てきたらすぐ恋愛に結び付けようとする人もいるけど、それはあまりにも短絡的すぎだと思うな」

「男女の間に友情はないと言う人もいますけど、それについては?」

「この作品だと友情を描いていて、それに対して『いや、そんなものないんですよ』なんて言うのは、見る側の姿勢が悪いんじゃないかな」

 

 しずくにオススメされた映画について、ネットでのレビューを見つつ、意見を交える。

 彼女の教えてくれるものは古いのばかりだが、よく知られていても自分からは見ようともしないものか、隠れた名作だから、きっかけになる。

 かすみも璃奈もそういうのにはあまり興味ないようで、こうやって作品についての話ができるのが楽しいようだ。目に見えてうきうきとしている。

 

 しずくには悪いが、チャンスだ。

 否定。否定ね。彼女の言うことに、いちいち反論してやればいいのか。

 

「ふふ、やっぱり、湊先輩のお話はためになります」

「いやいや、君の感想も、僕の視点からじゃたどり着けないから、はっとさせられるよ」

 

 他人の視点は、自分の偏見を吹き飛ばしてくれる。それはそのまま常識を見直すことに繋がり、曲作りにも役立つ。

 しずくは特に深い知見があるし、演劇部として鋭いものの見方をする。その所感にはいつも驚かされて、勉強にもなっている。

 

「じゃあ、これからもこうやって意見交換しましょう。まだまだ卵の私も、知見を広めないといけないですし」

「もう立派な女優だよ、しずく」

「そんなそんな。一流の演者は、もっと周りの空気を一変させるような実力を持ってるんです。それに比べたら、私は全然」

「そんなことはない。君の演じた姿……引き込まれたよ。演劇に関しては素人だけど、君の演技が凄いってことはわかる」

 

 見ろこの否定の連続を。言葉を途中で遮るというテクニックも合わせて使ってやったぞ。

 とりあえず反論することに重きを置いて、内容は自分の思ってることを素直に言っただけだけど、まあ話を切られていい気分の人なんていないからそこは問題ないだろう。

 

「湊さん、今日はなんだか……積極的ですね」

 

 そうだろうそうだろう。前のめりに嫌なことをしてくるアクティブさ……心は痛むが、まあ仕方あるまい。

 これでしずくも僕とは話す気が削がれたはずだ。

 

 

 

 

 さあ次だ。

 自分の話ばかりする人。

 これは確かにきつい。

 会話というのはキャッチボールのようなものによく例えられる。つまり双方向でこそ成り立つものなのに、一方的になってしまえばつまらないものになってしまう。

 

「うーん、うーん」

 

 部室の椅子に座って唸っているのは、侑だ。

 僕が貸している本に難しい顔を向けて、首をひねっている。

 

「楽譜読んでるの?」

「あ、はい。初見の楽譜はまだ理解するのに時間かかっちゃって」

 

 音楽科転科のための試験は終わった。今は合否を待っている身だが、待つだけの女じゃない。その先に向けて、自習もちゃんとやっているようだ。感心感心。

 

「僕も大変だったよ。最初は全然できなかった」

「へえ。なんだかあんまり想像できないなあ」

「誰でも最初はできないところから。僕も例に漏れずそうだったってだけ」

 

 懐かしいな。高校生になるころにはすんなり読めて弾けるようになったけど、始めたてのころはおんなじように楽譜を睨んで、必死に勉強したっけ。

 苦しそうに見えるけど、旋律を奏でられるようになるのは楽しい。それを今、侑は味わっているんだ。

 

「そういえば、僕が音楽をやるようになった理由って言ってなかったよね」

 

 彼女は頷く。

 せっかくだ。この機会に話しておこう。

 

「ほら僕は……小さいころから塞ぎこむことが多くてね。家族には見せなかったけど。そんな時、あるスクールアイドルが目に留まったんだ」

 

 当時、動画サイトでちらりとラブライブ予選を見ていた。その時は特に興味があったわけじゃないけど、世間的にも話題になっていて、話の種にでもなるかなと軽い気持ちで視聴した。

 

「有名なグループじゃなかったんだけど、僕はそのパフォーマンスに惹かれて、感動したんだ。悪い考えが少し吹き飛んでしまうくらいに」

 

 音楽のおの字も知らないようなガキでも、綺麗だとはっきり言えるほど。結局、結果は伴わなくて予選落ちしてしまったけど、あの時の衝撃は今でも忘れられない。

 こんな世界があるのかと、夢中になってしまった。

 

「僕は音楽で救われたんだ。だから、同じように良い音楽を生み出せたら、って、この道を選んだ」

 

 いつか誰かを、同じような苦しみを持つ誰かを一人でも救えたら、なんて夢を見た。それが僕の始まり。

 この間、捨ててしまおうかと思った夢だけど、捨てられなかった。捨てたくないと、彼女たちが思い出させてくれた。

 

「最初は諦めようとしたんだ。お金もかかるしね。だけどそういう本とかパンフレットとか集めているのが親にバレて……やらせてくれた」

 

 断る間もなく電子ピアノも買い与えてくれて、僕が理由を付けて諦めるなんて逃げ道を塞いできた。

 先生から連絡がいって、留学のことを知った時なんかは、行くようにやたらと勧めてきたっけ。

 親の遺産があるから、湊のやりたいことに使ってやりたいってお父さんは言ったけど、それがなくてもきっと買ってくれてたんだと思う。本当に遺産から出してるのかも怪しいし。

 

 そんなつまらない自分語りに対して、意外にも侑は頬を緩ませていた。

 

「自分から話しておいてなんだけど……そんなに笑う要素あった?」

「えへへ、湊さんの謎を、こうやって知れるのがなんだか嬉しくて」

「嬉しい?」

「だって、全然話さないんだもん。話したくないのかなって、遠慮しちゃってた」

 

 家族の話も知ってるみんなになら話してもいいことだったけど、面白い話でもないから黙っていただけだ。だからこんな、興味深そうにじっと見て聞いてくるなんて、予想外だった。

 

「どんな心境の変化ですか?」

「いやあ、それは言えないかな……」

 

 距離を置くためにぺらぺら喋ったなんて……言えるわけないよなあ。

 

 

 

 

 負けず嫌い。

 それだけ見れば問題ない。誰しもが持ってるものだ。

 しかし女の子に、意地でも張り合うような男はあまりにも情けなく映るだろう。負けたくない相手に教えを乞うなんていうのも、傍目から見てなんとプライドのないことか。これやでおい。

 

「ここに切れ込みを入れると……うさぎさんの完成~」

「ここを……こうか」

「そうそう。初めてなのに上手だねえ」

「僕だって何年も料理してきたからね。包丁扱いじゃ負けないよ」

 

 お弁当の見せ合い、そして遥さんと彼方を家に招いての料理会以降、時々僕の家でやっている彼方との料理教室。

 

 今日はキャラ弁の作り方をお互いに学んでいる。

 以前からやりはじめて、今日は三度目くらい。それまでは彼方もあまり作ったことはないらしいが、そこはさすがの特待生。参考写真を見ただけでぱぱっと出来上がりまで持っていった。

 僕も指導を受けながら、なんとか同じような可愛らしい造形のものを作っていく。にんじんでうさぎ。ご飯と海苔でパンダ。ハムで某なんでも吸い込む丸いキャラクター。

 材料は同じなのに、可愛らしさはまったく違う。それに楽しいな、これ。

 

「どうしていきなりこういうの、作る気になったの?」

「璃奈にもたくさん友達が出来たからね。色気のない弁当じゃ、見栄張れないだろ」

 

 ご飯とおかずが無機質的に並べられているより、こういうほうが見て楽しいし話のきっかけにもなる。璃奈だって、こっちのほうが堂々と弁当を開ける。

 あ、今、自然にシスコンの合わせ技までやってしまった。こっちの才能あるんじゃないか、僕。

 

「彼方ちゃんももっと、遥ちゃんに恥ずかしくないようなお弁当作るぞ~」

 

 ――

 ――――

 そして、朝から試行錯誤して、ようやく完成。出来上がった弁当は、相手に渡してお昼ご飯にすることにした。

 

「もったいないね」

 

 一通り眺めて楽しむ。彼方が作ったのは、僕と同じ物。だからこそ苦労も、完成形を崩したくない気持ちも分かる。

 しかしそうも言ってられない。これは結局、食べられるために作られたのだから。

 いただきます、と手を合わせて、二人同時に箸をつける。

 

「うんうん。うまうま」

 

 ……ぐぬぬ。

 

「あれ、美味しくなかった?」

「逆だよ。してやられたと思ってさ」

 

 ご飯に乗っけている海苔。パンダ模様にするため、普通に海苔を乗せるより面積は少なくなる。それを見越して、彼方はいつもより多めに醤油を漬けたようだ。

 僕は形を作るので精一杯で、そこまで頭が回らなかった。

 

「負けた……!」

「ふっふっふ、また彼方ちゃんの家庭的なところを見せてしまった」

「悔しいなあ、もうちょっと考えれば分かったことなのに」

 

 言ってこなかったあたり、彼方は無意識でやったのだろう。理論的に、そして食べる人のことを考えてそこまでできるのは、さすがフードデザイン専攻。

 

「湊くんのも美味しいよ。彼方ちゃんはこの味好きだなぁ」

 

 ぱくぱくとペースを落とすことなく口に詰め込んでいく彼方。

 そのおかず一つひとつにも、多分僕が無意識で工夫してる何かがあるのだろう。

 というわけで、今回は引き分け……ということにしておこう。

 

 

 

 

 さてさて、ここ数日で行ってきた、距離を置かせよう大作戦。

 言動に関しては、これ以上ないほど決まったはずだ。僕の振る舞いに彼女たちはきっと……

 

「みーくん、ほらこの前撮ったやつ。あの子が送ってくれたんだ。見て見て」

「湊先輩、この映画もおすすめで、見たら絶対感想ください」

「そういえば留学してたんですよね。その時の話も聞きたいなあ」

「キャラ弁、遥ちゃんも喜んでたよ~。また一緒に作ろうね、湊くん」

 

 嫌になってる……はず……なんだけど……

 

「えー、このお弁当すっごい可愛いじゃん! カナちゃんとみーくんが作ったの!?」

「そーなのだよ。妹への愛の結晶と呼びたまえ」

「湊先輩と侑先輩のお話、私も聞きたいです」

「私もしずくちゃんのおすすめ見たいな。教えてくれる?」

「もちろんです!」

 

 何故に、僕を囲んで話をしているのだろうか。

 ねえ、僕は上手くやったはずだよね。そうだよね?



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49 音楽科転入おめでとう

「侑ちゃん、まだかなあ」

 

 部室の前で、歩夢はそわそわとしている。さっきから、いやここに来てからずっとこんな調子だ。

 

「心配?」

「もちろんですよ。湊さんは心配じゃないんですか?」

「心配」

 

 今日は侑の音楽科転科試験合否発表の日。

 結果は郵送されてくるが、それよりも早く知りたい彼女は学校に来て、直接先生から聞くのだと。

 つまり次に侑の顔を見るときは、もう普通科所属か音楽科所属か変わっていると言うことだ。歩夢の落ち着きのなさっぷりも頷ける。

 そして、それは僕も同じ。なにしろ、教えたのは僕だ。侑が落ちれば僕の責任ということにもなる。そう考えると、吐き気がしてきた。あーもう早く帰ってこないかな。

 

「歩夢ーっ!」

 

 緊張が高まってきたところで、廊下の向こうから侑が走り寄ってくる。その声色も、顔も、嬉しさ満点といったご様子。スクールアイドルのステージを見ている時のように、爛々と輝いていた。

 

「侑ちゃん!」

 

 結果はどうだったか、なんて聞くまでもなく、歩夢も満面の笑みを浮かべて手を振る。ただ、僕だけは嫌な予感を感じていた。

 侑は勢いを止めず、そのまま近づいてきて……

 

「湊さん湊さん湊さーん!」

「ぐえっ」

 

 避ける間もなく、首に腕が極まった。感極まってるせいか、タップしても気づいていないようで、どんどんと腕の力が強まっていっている。

 

「受かりました! 受かったんです!」

「侑ちゃん、落ちてる落ちてる!」

「落ちてないよ、受かったんだよ!」

「そうじゃなくて!」

 

 

 △

 

 

 ややあって、歩夢のおかげでようやく解放された僕は、部室の中で正座する侑の前で仁王立ちしていた。

 彼女には『むやみに抱きつきません』というプラカードを首に提げて、反省してもらっている。

 

「侑、喜ぶのはわかるけど、やたらに人の首を絞めないこと」

「はいっ」

 

 良い返事すぎて分かってるのか分かってないのか……こっちは父さんと母さんが見えたんだが。

 まあいいか。転科試験合格なんていうせっかくのめでたい日だ。怖い顔で詰め寄るのはなしにして、侑へ微笑んだ。

 

「よく頑張ったね」

「はいっ。よーし、これからどんどん音楽の勉強して、曲作れるようになるぞー!」

「厳しいことを言うようだけれど、音楽科に入ってからが本番だからね。気を抜かないように」

「はーい」

 

 反省プラカードを取っ払って、歩夢と手を繋ぎながら、くるくると回る侑。ねえ聞いてる?

 

「音楽の勉強もあるのに、同好会の活動もして大丈夫なんですか?」

「へーきへーき。音楽科に受かって、いま漲ってるから!」

 

 かすみの心配する声も吹き飛ばすくらい、今までよりも体を熱くして、目を輝かせている。

 浮かれ調子は許すけど、先輩としてちゃんと注意もしておかないと。

 

「侑、くれぐれも無茶しないように」

「それはお兄ちゃんが一番言えないと思う」

「一人で溜め込むのもなしだぞ」

「それも、お兄ちゃんが言えないこと」

「悩んだら相談すること」

「お兄ちゃん」

「ちゃんと休息も取ること」

「お兄ちゃん……」

 

 最後のほうは、璃奈は呆れ気味に首を振った。

 

「侑ちゃんにとっては、湊くんは教師でも反面教師でもあるねぇ」

 

 追撃の彼方。

 面目ない。これまでの僕は、傍目から見てそれはそれは無理をしていたらしい。心持ちがスッキリした今だと、どれほどのことをしていたのか多少は自覚している。自分のことながら、よく体力がもったものだ。

 

 お説教も忠告も終わって、空気を一変させるために果林が手を叩いた。

 

「さて、お祝いね」

「合宿なみに力入れて、料理もお菓子も用意したんですよ!」

 

 テーブルの上にあるものを覆い隠していたシーツをはぎ取ると、いくつものお皿に載っている豪華な食事が待っていた。

 かすみの言う通り、フェスティバル前の合宿と遜色ないほど綺麗で美味しそうなものが、これでもかと並んでいる。

 

「わあっ! 私のために?」

「もっちろんだよ! ゆうゆ、合格おめでとー!」

 

 愛が後ろ手に持っていたクラッカーを鳴らし、続けて僕らも鳴らす。音に驚いて目を丸くしていた侑だが、すぐににっこりと笑顔に戻った。

 

「みんな、ありがとう」

 

 この表情が見られただけでも、面倒を見た甲斐があったというものだ。

 学年が上がってから一か月経つか経たないかくらいのころから、ここまでのたった数か月の間、侑の成長っぷりは凄まじい。

 応援したいという気持ちが膨らんで、企画立ち上げもできるようになって、まとめ役も任せられるようになって、ついには音楽科だ。

 これからも、ますます楽しみだな。

 

「侑先輩、これ食べてください。かすみんのお墨付きですよぉ!」

「侑さん、これ、私が作った」

「料理なら彼方ちゃんも負けないぜ~」

「いっぱい食べさせてあげるからね」

 

 感激する侑へ、甘やかすように右から左からかすみと璃奈が駆け寄る。彼方とエマも、負けじと寄り添って料理やお菓子の乗った皿を押し付けている。

 侑の合否を気にかけていたのは彼女らも同じで、ほっとしているのが行動に表れている。

 そんな四人の様子を見て、歩夢は微笑んだ。

 

「みんな嬉しそう」

「君が一番だけどね。ずーっと、にっこにこ」

「えぇ、ほんとですか?」

 

 恥ずかし気に頬を隠す歩夢に、しずくとせつ菜も笑って返す。

 

「はい。さっきの様子が嘘みたいですよ、歩夢先輩」

「でもわかります! 侑さんが合格して、嬉しいですよね!」

 

 うんうん。僕も歩夢も、試験の日から今日まで本人なみにドキドキしてた。その反動で、どうしても頬が緩んでしまう。

 絶食でもしてたのか、気分が高揚したせいか、歩夢はぱくぱくと皿の上のものを幸せそうに頬張る。

 さて僕も、と思ったところで手が止まる。もしかしてこの中に、とんでもないのが潜んでるんじゃ……

 

「大丈夫よ。せつ菜には配膳をお願いして、作る担当にしなかったから」

「せっつーには悪いけど、今日は前衛的なのはナシで」

「果林、愛、君たち最高だよ」

「そこまで言う?」

「よっぽどトラウマだったみたいね」

 

 君たちも一度、手の加えてないメイドインせつ菜料理を食ってみたら、あの時に僕が青い顔をしてたのがわかるよ。紫色のスープってどうやって作るんだよ。

 今回はないとのことで、安心した。戦々恐々と口に入れなくて済むってわけだ。

 

「うん、美味い」

 

 口に放り込んだクッキーの甘さに浸る。心配していた心に染みわたるのが感じられた。

 

 

 

 

 パーティーも終わり、家庭科室で皿洗いも済ませて、エマと一緒に部室へ戻る道すがら、僕は考える。

 これからどうするか。

 侑も音楽に携わるようになって、虹ヶ咲スクールアイドル同好会は出来ることの幅が増える。僕と侑の合作曲なんてのも夢じゃなくなってきた。

 とはいえ、だ。根を詰めすぎるのもよくない。

 

 スクールアイドルフェスティバル以降、ほぼ毎日集まりはするが、練習時間は大幅にカットされた。

 夏休みの始めから今までドタバタしすぎたし、まだ宿題を終わらせていない人もちらほらいる。よく学び、よく遊ぶ時間も大事だ。

 学生の本分である勉学をおろそかにしすぎて、留年系スクールアイドルを輩出するのだけは避けたい。

 そういうわけで、この間やっていたような勉強会の時間も取ることにしたのだ。

 かすみと果林は、毎回なにかと理由をつけて逃げようとするけど、しずくと璃奈・エマと彼方からはさすがに逃げられない。

 

「湊くん、機嫌良さそうだね」

「侑が合格したんだ。機嫌悪くなる人なんていないよ」

「お疲れ様。お勉強見てあげてたんだよね」

「肩の荷が下りたよ。二学期は平穏に過ごせそうだ」

「そうだね。もっといろいろとしたいけど、湊くんにはもうちょっと休んでもらわなきゃ」

「これからは、頑張るのは『それなり』にさせてもらうよ。とりあえずは、夏休みの残りは寝て過ごすかな」

「ふふ、寝たいときは言ってね。いつでもお膝貸すから」

 

 それはかなり魅力的な提案だ。本音を言えば今すぐにでもお借りしたい気分。だが、見つかったら他の人になんて言われるか。

 とにかく、それは置いておくとして、スクールアイドルフェスティバルの後処理も終わった僕は、この後の残り数日、彼女の言う通り休息期間に入ることに決めた。

 決めたというか、決めさせられたというか……とにかく周りが、僕をじっとさせようとしてくるのだ。『倒れてからでは遅い』なんて正論を言われたら、従うしかない。

 ま、ちょっとくらいは怠惰に過ごしても罰は当たらないだろう。まさか、あと少しで終わる夏休みで騒動が起こるなんて、そんなはずは……

 

 僕の考えは、遠くから聞こえる音に邪魔された。どどどどどという、猛獣が走るような音に。

 

「ミーナートーー!」

 

 部室棟中に響く声が、走る音と重なってどんどんと近づいてくる。聞き間違いでなければ、その主は僕のことを呼んだみたいだ。

 

「Hallo!」

「うぐっ」

 

 振り向く間もなく、衝撃が走った。またしても首に、である。誰かの腕が巻きついて、勢いよく押し倒された。

 花のような匂いのする誰かは、僕と一緒に倒れたのにもかかわらず離れようとしない。むしろ、頭を僕の胸に擦りつけてくる。

 いったい誰がこんなことを……混乱しながらも、僕の上に乗っている人物を見上げる。

 

「ミナト、久しぶリ!」

 

 僕にこれでもかというほど密着している少女と……

 

「会いに来たよ」

 

 もう一人、その傍らに佇む同じ顔。

 

「ろ、ロッティ……? ディアも、なんでここに」

 

 そこにいたのは、僕の知っている金髪の双子少女だった。



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50 Alphecca

 僕を押し倒した金髪の少女は、そのまま僕の胸に頭をぐりぐりと擦りつけた。

 その少女を、僕はよく知っている。

 

「ロッティ……どうしてここに?」

 

 傍らには、そっくりの顔をしたのがもう一人、手を小さく振りながらこちらを見下ろしていた。

 

「ディアも……」

「会いに来た」

 

 流暢な日本語で、ディアは返してくる。

 なぜこの二人がここにいるのか、混乱してまったく動けないでいる僕。

 

「えーと……どちら様?」

 

 隣に立っていたエマが、ようやく口を開いた。

 

 

 

 

「去年、僕がオーストリアに留学してた時の、ホームステイ先の娘さんたちだ」

 

 離れようとしないロッティをなんとか引き剥がして、部室の中に入れたあと、呆気に取られている同好会員へ紹介する。

 

「ワタシ、シャルロッテだヨ! ロッティって呼んでネ!」

「わたし、クラウディア」

 

 シャルロッテ・リーデルとクラウディア・リーデル。オーストリア出身の双子娘だ。

 透き通るように綺麗な青い目。通った鼻筋はいかにも外国人らしく、彼女たちのミステリアス感を高めている。

 顔は瓜二つだが、ロッティは腰までかかるほどの長い金髪。クラウディア……ディアはショートで切り揃えられていて、見分けがつく。

 

 二人とも、僕が音楽科として三か月ほど短期留学した時からの知り合いで、かれこれ一年くらいの付き合いになる。

 

「日本語、喋れるようになったんだな」

「モー勉強したんダ! ワ、アナタがリナ? 聞いてたとおりカワイイ! お人形サンみたいって、このことだネ!」

「わ、わ、あうあう」

 

 ロッティは早速、遠慮なく璃奈の頭を撫でたり頬をむにむにとつまんだりしている。やたらと距離が近いのは相変わらず。

 そして…・…僕はちらりとディアを見た。いつもクールなこちらも変わらずだ。

 

「で、なんで日本まで?」

「ジツは、留学生としてやってきたんだヨ!」

 

 ロッティはされるがままの璃奈を抱きしめて、答えた。

 虹ヶ咲は外国の学校への留学を斡旋しているのと同じように、外国からの留学生を歓迎している。エマだってそうだし、他にもたくさんいる。

 どうやら彼女たちは短期留学生として、少しの間だけ日本にやってきたらしい。言われてようやく気が付いたが、虹ヶ咲の制服を着ていた。

 

「言ってくれたらよかったのに」

「サプライズにしようって、ロッティが」

「ディアもノリノリだったヨ」

 

 お互いがお互いを指差す。

 サプライズは大成功。突進とともに、僕はだいぶ混乱させられた。それでも普通に会話できているのは、直接会えて僕も嬉しいからだろうか。

 

「じゃあ、しばらくはこっちにいるんだ」

「ソウ! で、その間にミナトに準備してもらおうと思っテ!」

「準備? なんの?」

「イエにクル準備!」

「?」

「ミナトが、わたしたちの家に来る」

「??」

「留学期間終わったら、一緒にオーストリア帰ろウ!」

「???」

 

 交互に説明されてもわからないのは、僕の理解力のせいか、はたまた彼女たちの日本語力のせいか。

 話をどこかで聞き逃したのだろうか。なぜ、彼女たちの留学の話から、僕がオーストリアに行く話になったのだろう。

 

「スクールアイドルのため。ミナトはわたしたちの活動に専念してもらう」

 

 ディアのその言葉に、僕はようやく合点がいった。

 

「つまり、高校生になった今、前より活発にスクールアイドル活動するから、僕にオーストリアに戻ってきてほしい、と」

「さすがミナト!」

「その通り」

 

 そういうことか。つまり彼女たちはただ勉強のために留学しに来たんではなく、僕を連れ出しにも来たのか。

 怒涛の展開についていけていない他のみんなは、まだ首を傾げていた。

 

「ええと? 私はまだ状況がわかっていませんが……どういうことですか? 『前より』って、まるでその人たちもスクールアイ……」

 

 そこまで言って、せつ菜はハッとした。

 

「ロッティとディアって、まさかあのAlphecca(アルフェッカ)の!?」

「あるふぇっか?」

「ヨーロッパの中高生に絶大な人気を誇る、オーストリアのスクールアイドルです!」

 

 ピンと来ていないのは、まだ界隈に精通していない果林と歩夢。その二人に、せつ菜はぶんぶんと手を振り回しながら説明した。

 

「そ、わたしたちが最強のスクールアイドルユニット、Alphecca」

「で、ミナトがAlpheccaの……エット、作曲家!」

「だから、ミナトを連れて帰る」

「ええええええぇぇ!!??」

 

 

 ……

 …………

 ………………

 Alpheccaは、オーストリアのスクールアイドルユニット。メンバーは双子のシャルロッテとクラウディアの姉妹。

 オリジナル楽曲『Ms.Wake up』を動画サイトで発表し、スクールアイドルデビュー。動画は瞬く間に拡散され、自国のみならず全世界でも……

 

 などとWikipediaにも載っている情報を見せて二人のことを理解させて、みんなが落ち着くのを待つ。

 

「ホラ、ニジガクの制服! 似合ってるでショ?」

「わざわざ着てきたのか」

「ミナトに見せたくテ!」

「学生証も、ほら」

 

 ディアが見せてきたのは、虹ヶ咲の生徒証明証。はっきりと彼女の名前と顔が映し出されていた。

 クラウディア・リーデル。虹ヶ咲学園高等部音楽科。

 

「身長も伸びたな」

「ン、四センチくらい」

「おかげで、ミナトに近づいタ」

 

 最後に別れた時は、もっともっと小さかったように思える。むしろ今が大きすぎるように見えるのか。たった一年会わなかっただけで、だいぶ成長したようだ。

 あれからもトレーニングは欠かしていないようで、すらっとした体で、しっかりした体幹があることが窺える。

 

「湊先輩、ど、どうして言わなかったんですか?」

「いや、あんまりバラしたくないんだ。面倒なことになるってわかってるから」

 

 いつの間にかAlpheccaの人気はとんでもないことになっていて、それに関わってるとなると今以上に問い合わせが殺到するだろう。

 

「アナタ、どこの人?」

「私はスイスから来たの。エマ・ヴェルデって言うんだ。よろしくね」

「……よろしく」

「ヨロシク! エマも一緒にオーストリアくる?」

「え、ええと……」

「あまりエマを困らせるなよ、ロッティ」

 

 目を離せばすぐ興味の対象が移るロッティたちを、ぐいぐいと引っ張る。いったん座らせて、その口にコッペパンを突っ込んだ。

 

「二人はどうしてスクールアイドルになったの?」

「留学してた時に、ロッティとディアに日本のスクールアイドルの動画を見せたらハマっちゃって、自分たちもやりたいって言いだしたのが始まりかな」

 

 そこから、僕が滞在している間に曲も作って、練習して、撮影して編集して、帰国する前日に最初の動画アップロードを済ませたんだっけな。

 慌ただしかったなあ。二、三か月そこらで全部済ませたのは、今でもはっきり覚えてる。

 

「さ、再生数凄いね」

「一、十、百、千、万、十万、百万……」

「この曲作ったのって……湊くん、なんだよねえ?」

「も、もしかして、湊さんってものすごい人なんじゃ……」

 

 部のパソコンで動画を見だした彼方と歩夢は、まるで化け物を見るような目を向けてきた。

 

「二人もみーくんにお世話になってるんだ~。じゃあうちら姉妹グループみたいなもんだね」

「ふふ、ライバルでもあるわね。気合入るわ」

 

 愛と果林の言葉に、何か返したいのか賛同したいのか、こくこくと頷くロッティとディア。

 口にものを入れたままなので喋らないのは、やはり育ちがいい証拠。

 

「気合入るっていったらこの二人のほうだろうね。スクールアイドルって言ったら、高校生ってイメージがあるから。ロッティとディアは今年から高校生だから、熱も入るだろ」

 

 スクールアイドルの定義的にはどうかわからないが、とりあえずAlpheccaはスクールアイドルと名乗っている。それが堂々と名乗れるようになったのだから感動もひとしおだろう。

 今年度は特に、もともと多かった練習量も増やしてるそうだし。

 

「え、あの二人高一!? この動画の時、中三!?」

「そうだけど」

「お、同い年か一個下くらいかと思ったわ」

 

 たった一、二歳の錯覚くらい……とも思ったが、学生からしたらその一年がとんでもない差に見えるんだよな。

 外国の人だから……かどうかはわからないけど、すらりと伸びた身長はエマや果林に次いでいるし、顔立ちもまあまあ大人びてるからなあ。

 

「ミナト、わたしたちのこと手伝うって言ってくれたのに」

 

 コッペパンを食べ終わったディアはむっとこちらを睨む、隣のロッティもぷくーっと頬を膨らませた。

 

「やってるじゃないか。こうやって作った曲を送って……」

「ヤダヤダヤーダー! ミナトといっぱいお話して、いっぱい遊んで、いっぱい教えてほしイ!」

 

 高一にもなって駄々こねだした……

 僕が日本に戻ってからも、週に何回も通話してるし、何曲も作って送ってるし、動画編集も手伝っている。それ以上望むことなんて、ないはずじゃないのか。

 苦笑していると、二人の前にわが妹、璃奈が立ちはだかった。

 

「お兄ちゃんは渡せない」

「じゃ、リナも一緒に行こウ? 三人で、ミナトにテトリアシトリ! ン、ミナトがテトリアシトリ?」

「手とり足とり……」

「璃奈さんがまんざらでもなさそう!」

「りな子、戻ってきて!」

 

 オーストリアに取り込まれそうな璃奈を、しずくとかすみが必死で引っ張る。まさか一瞬で篭絡するとは、ロッティ恐るべし。

 一年生同士による、璃奈争奪戦が始まりそうだったので、割って入ってお互いをどうどうと宥める。

 

「ロッティもディアも、いま僕は学生だからそうそうは会えないって話したじゃないか。卒業して、行ける時には行くから」

「どれくらい来てくれる?」

「年一」

「ネンイチ?」

「一年に一回」

「お、よくわかったな、ディア偉い」

「ヘェ、一年に一回……一年に一回!? 少なイ! この一年間だって、チェストバスター出てくると思うくらい、ムネ張り裂けそうだったのニ!」

 

 『エイリアン』は最近の若い子知らないから。

 

「でもほら、大学に進んでも暇になるわけじゃないし、飛行機も安くないし」

「わたしたちの家に住めば解決」

「……そもそも君らのご両親がどう言うか」

「許可なら取ってル!」

「ぜひ来てほしいって」

 

 用意周到~。

 僕が頷いたらもうリーデル家の子になっちゃうんじゃないか。双子は爛々と目を輝かせて、じりじりと距離を詰めてくる。

 

「ミナトが教えてくれたから。交渉する時にはまず先に外堀を埋める」

「……ちゃんと育ってくれて嬉しいよ」

 

 自分が追い詰められることになるなんて夢にも思わなかったけど。

 

「とにかく、無理だって。僕にはまだやることがあるんだし」

「ムー!」

「ミナト、わがまま」

 

 僕が悪いんかなあ、これ。わがままはそっちじゃない?

 

「そもそも日本に戻る時に言ったじゃないか。遠いし、時差もある。それに僕はこっちのスクールアイドルのサポーターをすることになったから、君たちにはあまり構ってられないぞって」

「……ニホンゴワカリマセンネー。ネ、ディア」

「ちょっと意味が分からない」

「それはもう分かってる人の言い方だ」

 

 練習メニューも考えて、曲も作って、衣装のアイデア出しもして、動画編集もしてるんだから、十分だと思ってたんだけど。放って置きっぱなしでもないし、何が不満なんだか。

 まったく、強引なところもそのままだな。色々なところに引っ張りまわされたのが思い出されるよ。

 

「とにかく! 湊先輩は渡せません!」

「そ、そうです! せっかく同好会に入ったばっかりなんですから、そんなすぐには手放せません!」

 

 かすみとしずくは、どっちつかずとなってしまった璃奈に代わり、僕の手を引っ張る。

 一年生同士の仁義なき戦いが、火蓋を切って落とされた……なんて呆れていると、ディアが衝撃的なことを口走った。

 

「じゃ、わたしたちも同好会に入る。それだったら、ミナトに見てもらえるんでしょ」

「それイイ! ディア天才?」

「知ってる」

 

 僕を連れて帰る、かと思いきや急ターン。いきなりの急展開に、またしても脳が追いつかない。

 が、切り替えの早い侑と愛は早速二人の手を掴んで、ぶんぶんと振った。

 

「うん、それだったら歓迎だよ!」

「うんうん、ナイスアイディアだね、ディアだけに!」

「あっはははは! 愛ちゃん最高!」

 

 手を振り回されながら、ロッティとディアは互いに目を見合わせた。

 

「イマの、笑うトコ?」

「日本語は難しい」



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51 新しい二人のこと

 『Ms.Wake up』

 どれだけ理不尽な目に遭っても、何度も立ち上がる強い女性をテーマにしたダンサブルな一曲。

 Alpheccaの最初の曲にして、一番人気のある楽曲だ。MVでは、当時中学生だったとは思えないほどキレのあるダンスが、美しい歌声とともに放たれる。

 

 そのデビュー曲を、ロッティとディアは中庭で踊りきった。

 二人の動きに一切のズレはなく、まるで二人で一つの生命体かのように、調和のとれた動きを見せる。

 衣装は白を基調としたクロップドシャツとパーカー。ワンポイントとして各所に入れられているライン――ロッティは赤、ディアは青――が、残像として宙に残るのも、演出の一役を担っている。

 

「す、すごい……」

 

 披露してから数秒、しんと静まった同好会メンバーの中で、侑が一番に声を上げた。

 

「すごいすごーい! 私、トキメいちゃった!」

「アハハ、ミナトに見せるのに、チュートハンパなのはダメだかラ」

「いっぱい練習した」

 

 Alpheccaと虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会による熾烈な争い……なんてものは起きることもなく、ロッティとディアはこちらに加わることに決まった。

 みんなも快く受けてくれた。実際には、彼女たちが虹ヶ咲の生徒になるのは二学期からだから、同好会メンバーになるのはそこから。

 

 自己紹介の一環で実力を見せることとなったAlphecca。軽めでもいいよと言ったが、二人は本気だった。わざわざ着替えて、PCにスピーカーを繋いで音まで出して。

 ダンスは指の先に至るまでぴんと張ってるし、歌声は動きながらでも揺らがない。

 彼女たちのパフォーマンスは、僕が知っているのよりもだいぶ上だった。送られてきたり投稿している動画をチェックしているが、生で見ると迫力が違う。さらにそういうのとは別の、気迫のようなものを感じる。

 

「うん、進化してる。頑張ってきたんだね」

「ミナトが久しぶりに褒めてくれた」

「ネ、感動!」

 

 きゃいきゃいと、二人は手を合わせて喜んでいる。一曲やり終わって、この季節だから汗は出ているが、まだまだやれるといった雰囲気。

 

「通話するたびに褒めてるだろ」

「直に褒めてくれるのは、って意味」

「これからこんな日が続くなんテ、夢みたイ!」

「ミナトに見てもらえて、練習も付き合ってもらって、毎日会える。天国」

「ここんちの子になりたイ!」

「わかる」

 

 ここまで手放しで喜んでもらえると、こちらとしても嬉しい。あまりにも正直すぎて、むず痒くもあるけど。

 なによりここまでちゃんと育ってくれてることに感動もする。久々に会えたからって、僕もセンチメンタルになったかな。

 

「や、やば……」

 

 盛り上がるAlpheccaと侑とは対照的に、虹ヶ咲のスクールアイドルたちはごくりと生唾を飲むだけだった。

 どうやら圧倒されたみたいで、目を開いたまま、ぽかんと口を開けている。

 

「言ったでしょ。わたしたちは最強のスクールアイドル」

「なんたっテ、ミナトが育てたスクールアイドルだからネ!」

 

 自信満々にそう告げる二人は、僕にウインクする。

 

「あ、あはは、二人のを見ると、自信を失くしちゃうっていうか……」

「湊くんがいるなら、追いつけるって気になるような……」

「……複雑ね」

 

 三年生組は、大きくため息をついた。

 

 

 

 

「ニジガク、広ーイ!」

「ウチくらいある」

 

 ついでだ、と思い、本棟を案内しようと校舎入り口に入ったところ、ロッティとディアは大いに盛り上がる。ついてきているせつ菜と侑、しずくは首を傾げた。

 他は、先ほどのに触発されたのか、緩やかな空気を切り替えて、練習に励み始めた。今日はお休みだったはずなのに。

 

「う、うち?」

「リーデル家はめちゃめちゃでかいよ。家の中だけでかくれんぼして一、二時間見つけられないくらいだから」

「そんな凄いお家なんですか?」

「両親とも、ものすごーい有名な音楽家だよ」

 

 リーデルといえば、世界的に名の知れた演奏家だ。

 彼女たちの父親であるエリオット・リーデルはチェリスト、母親のアリエ・リーデルはオペラ歌手として、とんでもない腕を誇っている。

 僕もその演奏と歌を聞いたことがあるが、いまだに鮮明に思い出せるほど心に焼きついてる。それ以前もそれ以降もたくさんの音楽を聞いたけど、あれ以上のものは聴いたことがないと断言できるほど。

 

「あの二人があれだけのパフォーマンスを披露できるのも、それのおかげなんですね」

「努力の賜物でもある」

 

 たしかに、センスは親譲りだろう。歌う、踊ることに関しては天才でもある。でもそれ以上に、彼女たちの努力量は桁違いだ。

 体力づくり、基礎的な歌い方やステップの反復など、地味な練習も弱音を吐いたことがない。それをさせるだけ、スクールアイドルが魅力的に映ったのだろう。

 

「シュギョウいっぱいしたからネ!」

「ミナトの指示のもと、無理難題をこなすわたしたち」

「時には崖を登リ、時には木を切っテ、運んデ、それをクリスマスツリーにしたリ……」

「やってないよ、そんなの」

 

 それ、なんかのアニメで見たな。実際はそんな無茶はやらせなかった。だいぶ詰め込んで練習はさせたけどね。

 

「でも、よかったあ。もしかしたら湊さんの取り合いになるかと思ったよ~」

「アッハハ、最初はソウしようかと思ったケド」

「もういいや。ミナトといられるし」

「刹那的な生き方してるな」

「セツナテキ? セツナ、敵?」

「何も考えずに、その場の勢いで生きてるよね、ってこと」

「セツナ! そんな生き方ダメ!」

「えっ、私ですか!?」

 

 コントみたい。

 ロッティはまだまだ日本語を勉強中で、ちょっと難しい言葉が出るとわからなくなるみたいだ。それでもこの一年間でそれだけ喋れるようになるって凄い。

 外国の人の中には、アニメなど日本のサブカルチャーで言葉を覚えた人も少なくない。その根底に共通しているのは、興味と情熱。この二人もそれだけ、日本が、スクールアイドルが好きってこと。

 その中には虹ヶ咲も含まれていて、だからこそ無駄な衝突もなく加わってくれた。

 

 その情熱と人懐こい性格のおかげで、もうすでに打ち解けたみたいだ。すでに僕を置いて、わいわいと盛り上がっている。

 

「っていうわけで、うちはラブライブを目指してるわけじゃないんだ。基本的にはソロで活動してるってわけ」

「大会とか興味ない?」

「ないわけじゃないけど……みんなが楽しくできるのが一番かなって」

「楽しい、大事」

「ウンウン。ミナトも言ってタ。ケド、目標持つのもダイジ! ワタシたち、最初はやりたイって気持ちだけだったケド、イマはイチバン目指してるヨ」

「やるならてっぺん」

 

 驚異的なパフォーマンスを発揮できる理由は、そういった明確な目標があってこそだ。ただだらだらと、漫然と練習をするだけでは身につかない。

 Alpheccaは、自分たちが高い実力を持っていることも自覚していて、なにより頂への貪欲な執着もある。

 

「シズクの目標ハ?」

「目標……私の表現力がどこまで届くか、試してみたいな」

「ヒョウゲンリョク?」

「演劇もやってて、ちょっとは自信あるんだ」

「エンゲキ! シズクの演劇見てみたイ!」

「では今度、公演の際には招待しようかな」

「やっター!」

 

 ロッティは手を挙げて小躍りしだす。

 天真爛漫で楽観的。ステージで見せるような、キレのあるダンスを見せるシャルロッテ・リーデルとはギャップがありすぎる。

 僕はもう慣れたけど、しずくはまだ頭が追いついていないようで、苦笑いした。

 

「セツナは?」

「私は、溢れ出る自分の大好きをファンのみなさんに届けたいからです」

「ダイスキ……」

「ええ。好きな気持ちは、抑える必要なんてありませんから」

 

 それを聞いて、ディアはうんうんと頷いた。

 

「セツナ、いい人。自分の気持ちって言うの大変。それを全力で出せるセツナ、尊敬する」

「え、えへへ、照れますね」

 

 ロッティもディアも、続いて侑を見る。

 

「ユウはなんでスクールアイドルやってるの?」

「私はスクールアイドルじゃないよ。湊さんと同じ、みんなのサポート」

 

 彼女がそう答えると、二人は心底驚いて、唖然とした。

 

「ユウ、アイドルじゃないノ!? こんナに可愛いのニ!? ナンデ!? ニホンの人はモッタイナイ精神があるって聞いたんですケド!?」

「今からでもデビューしよう」

「だ、だから、私はみんなの力になりたいだけで……」

「ユウもスクールアイドルしよう。楽しい」

「み、湊さん、助けて……」

 

 おお、あの侑が押されて僕の後ろに隠れた。

 この話題になると、たじたじになる侑。みんなに可愛いって言うのに、自分が言われるのは慣れていない。

 それにしても……

 

「デモデモ、カワイイ!」

「動画にもっと出たらいい」

「コッチの動画に出演してもらウ?」

「それいい。日本のチョーカワイイマネージャーとして紹介しよう」

「世界デビューだネ、ユウ!」

「勘弁してよぉ!」

 

 元気……だねえ。これは二学期も振り回されることになるかも。

 このはしゃぎよう。まるで……

 

「はんぺんさんみたいですね」

「オフィーリアみたい」

 

 おおっと、口に出さないでおいたのに、せつ菜としずくが言ってしまった。

 確かに、掴みどころがなく、一見クールだけど人懐っこく寄ってくるディアは猫っぽい。

 オフィーリアってのは……しずく家で飼っている大型犬だったかな。距離感がなく、ぐいぐいとやってくるロッティは、うん、それっぽい。

 ぶんぶんと振れ動く尻尾の幻影が見えるのは……黙っておこう。

 

 まあなんにしても、仲良くしてくれてよかった。

 

「どうしたんですか。そんな気の抜けた顔して」

「この二人も、受け入れる君たちにもうちょっと……確執的なものが生まれるかと」

「私たちのこと、そんな面倒くさい女だと思ってたんですか?」

「高校生は色んなものを抱えてるって、君らのおかげでわかったからね」

 

 最近は精神的に安定してきたとはいえ、まだまだ強い風が吹いたら簡単に吹っ飛んでしまう高校生。大きなお祭りが終わって緩んでる今、いきなり心乱されても仕方ない。

 それは、同好会のメンバーだけでなく……

 

「ロッティもディアはああやって楽しんでるけど、急激な環境の変化に戸惑わない人はいないから」

 

 この子たちも、憧れとはいえ慣れない日本に来て、その内心にあるストレスはどれほどのものか。留学した僕にはよくわかる。

 空気、食、文化、言葉……あらゆるものが、自分が住んでいたところとは違うのだ。日にちが経つにつれて、その違和感は心身にのしかかってくる。

 僕は彼女たちにお世話になった身として、そして友人として、最大限尽くそうと思う。

 

「隠し事は心に毒」

「湊さんが言うと説得力ありますね」

「僕は反面教師だからね」



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52 天王寺湊、身バレする

 長いようで短かった夏休みも終わり、二学期も始まった。

 昨日は新学期になって初日だったので授業はなかったが、今日からはいつも通りのスクールライフが再開される。

 

「ロッティちゃんとディアちゃん、あれから大丈夫だったのかな」

「楽しい楽しい寮生活を楽しんでるみたいだよ。毎日動画やら画像やら送られてきた」

 

 短期留学生である彼女らは、学校のすぐ近くにある寮にお世話になっている。

 同じく寮住みのエマが面倒を見てくれてるみたいで、寮や学校生活の注意点などについては、彼女が教えているらしい。

 この数日だけで、百枚近くの写真が送られてきた。どれも満喫している姿が映っていて、とりあえずは安心。

 

「璃奈から見て、あの二人はどう思う?」

「いっぱい仲良くしてくれる。楽しくなりそう」

「結構むにむにされてたけど」

「愛さんもよくやる」

 

 愛も距離近いよね。パソコンで作業してると、肩触れ合うレベルで覗き込んでくるし。それはみんなそうか。

 

「湊さーん」

 

 呼ぶ声に振り向くと、侑と歩夢がこちらに駆け寄ってくる。挨拶を返すと、彼女らはぺこりと頭を下げた。

 

「音楽科には馴染めそう?」

「はい。みんないい人で、初日から色々教えてもらっちゃった」

 

 屈託のない笑顔でそう言う侑の言葉に偽りはなさそうだ。

 天性のものか、誰かに似たのか、人たらしなところがあるからなあ。何かしてあげたい庇護欲が掻き立てられるのは、二年生の音楽科も同じようだ。

 とりあえず、邪険に扱われてないようで一安心。そんなことが耳に入れば、乗り込んでしまいそうだ。

 

「歩夢も、気にしてないようでなにより」

「何をですか?」

「侑がいなくて寂しいって言うかと」

「もー、私をなんだと思ってるんですか」

 

 ド重い幼馴染……と言うと睨まれそうなので黙っておく。

 他愛のない話をしていると、はた、と璃奈が足を止めた。

 

「人いっぱい」

 

 そう言って指を差した先へ、僕らも視線を動かす。

 校門に、明らかに生徒でない人がたくさんいた。男女問わず大人から子どもまで、生徒が通れないほどひしめきあっている。

 

「しかるべき手順を踏んで、許可を取ってください」

 

 対応しているのは、我らが生徒会長の中川菜々。集まっている一人ひとりに説明して、追い払っている。

 鞄を肩にかけたままだから、登校途中でこの状況を見て、一度も内にも入らずに応対してくれてるのだろう。やがてしぶしぶながらも納得した人たちは、ぞろぞろと校門から離れていく。

 その人たちとすれ違いながら、横目で追う。そちらも学校があるだろうに、他校の中高生が割合としては多い。混じっている大人たちには高そうなカメラを携えた人が何人かいた。

 

「せ……菜々ちゃん、大丈夫?」

 

 朝からお疲れの様子に、歩夢は声をかけた。

 

「歩夢さん。ええ、なんとか……」

 

 肩からずり落ちそうな鞄をかけ直して、中川さんはため息交じりに答えた。いつでも凛としている彼女にしては珍しい。

 

「なんであんな人だかりが?」

「それが……みなさん、Alpheccaに会わせろ、と言ってきて……」

「ロッティとディアに? なんでそれが知られてるんだ?」

「あれ、湊さん、あの動画見てないんですか?」

 

 代わりに答えた侑が、スマホを取り出して画面を見せてくる。とある動画サイトの、Alpheccaのチャンネルから投稿されている動画だ。

 

『Hallo! みなサン、コンニチハ! Alpheccaのロッティと!』

『ディア』

『イマ、ワタシたちはニホンに来てま~ス、ワーイ!』

『交換留学として、ニジガサキガクエンの生徒になった。しばらくこっちにいるけど、動画は続けて出していくよ』

『ニジガサキのスクールアイドルクラブにも入ったかラ、ソッチにも注目してネ! お楽しみニ~』

 

 そこには、虹ヶ咲の制服を着て宣伝する二人の姿があった。

 

 

 

 

 せつ菜のぐったり度合いは、放課後になるとより一層ひどくなった。部室に入った瞬間、緊張の糸が切れたのか、すぐにソファに横になるくらいだ。

 

「はあ……」

「災難だね」

「まさかあのお二人がここまでの影響力を持っているとは」

 

 今日一日、朝、校門で見たようなメディアから一般人まで、虹ヶ咲とコンタクトを取ろうとする人はたくさんいたらしい。

 先生方は電話対応に追われ、直接来ようとするのは警備の人だけでは人数が足りず……結果、放っておけずに彼女が対応したそうだ。

 それが休み時間のたびに、となればこの元気の無さも頷ける。

 

「すごい拡散されてる」

 

 カタカタとPCを動かす璃奈のほうを向くと、一面Alpheccaの文字で埋め尽くされていた。Webニュースでもあちらこちらで話題になってるし、SNSでトレンド一位を取るほど。

 もう学校も会社も始まっているのに、昨日の今日であんなに人だかりができるとは。日本でのAlpheccaの人気を、僕も見誤っていたみたいだ。

 

「アー、ミ、ミナト、怒ってル?」

 

 恐る恐る、といった感じで、ロッティは窺ってくる。

 

「……悪気がないのはわかってる。ただもうちょっと考えて行動しようね。君たちはもう有名も有名なんだから」

「ご、ごめんなさイ」

 

 急に手に入れた名声。現実と実感がまだ乖離しているのだろう。投稿されたあの動画だって、普通であればそれほど問題になるものじゃない。

 そこらへんも、こっちにいる間に教えてやらないと。

 

「でもまさか、こんなすぐに反応されるとは思わなかった」

「ネ~、ハヤーイ。教室でもたくさん人集まってきたよネ」

 

 まだだいぶ他人事みたいだし。

 

「せつ菜さん、これだけ話題になって、学校は大変じゃないの?」

「今のところは大丈夫です。幸い、虹ヶ咲は外部への対応に慣れてますし、過激な行動をしてくるマスコミやファンは今のところいないですから。今日はいきなりだったので私が対処しましたが、明日からは学校がなんとかしてくれます」

「ニジガク様様だよ」

 

 生徒のプライバシーにも繋がるから、寮の中までは取材許可は下りない。校内だったら、迷惑な取材スタイルは学校側が止める。となれば、あとは二人がどれだけファンサービスできるか、くらいだな。

 

「じゃあ、ワタシたち動いていいノ?」

「そうですね。先生方に確かめましたが、入部も問題ないそうです。この交換留学の目的は交流でもありますから、むしろ歓迎だそうで」

 

 仲が良いところを見せればアピールにもなる。メリットありあり。色々と面倒そうなこの二人相手でも、虹ヶ咲はその校風である『自由』を覆すつもりは一切ないようだ。

 

「ところでみなさんは?」

「とりあえず、通常通り練習。ロッティとディアも、体験って形で一緒にやらせようとしたところ」

「そうなると、良くも悪くもこちらに影響が出てきますね」

「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の名を売るいい機会だ」

 

 すでに二人組として活動して、独自の練習メニューも持っているロッティとディア。その二人が加わることによって活動になんらかの支障が出ないか心配してるのだろう。そこらへんのネガティブな面は、僕がコントロールしてやればいい。

 それよりも、これをチャンスと考えるべきだ。せっかく、これだけ注目されているなら、その波に乗らずしてどうする。

 

「たくましいですね」

「そうじゃなきゃやってられないよ」

 

 右往左往してて機会を逃してしまうのはもったいない。Alpheccaだって、ずっとこっちにいるわけじゃないんだし。

 

「でも、しばらくは、色々な人に色々と訊かれそうだ」

 

 その言葉が合図だったかの様に、机に置いたスマホが震えた。

 

「ほら早速」

 

 

 

 

「ほ、ほほ、本物だ……」

「本物のAlpheccaだ!」

「シノノメとトウオウ!」

「最高」

 

 学内の中庭で、Alpheccaと相対する一団がいる。両方とも感激で震えて、黄色い声を上げた。

 

 僕に連絡を寄こしたのは、東雲の支倉さん、藤黄の紫藤さん。Alpheccaの二人が虹ヶ咲に来たのを聞きつけてやってきたらしい。急なことだったので、部室にいた璃奈とせつ菜と僕で応対することにした。

 予想外なのは、部員のほとんどを連れてきたこと。スクールアイドルが大集合して、こちらの生徒も何事かと集まってきている。

 

「どうしてこの二人が虹ヶ咲に?」

 

 ロッティとディアの周りに集まるみんなをよそに、紫藤さんが僕に耳打ちする。

 

「交換留学で来たんだと」

「羨ましいなあ。Alpheccaと一緒に活動できるなんて、全国のスクールアイドルが嫉妬の涙を流すよ」

 

 Alpheccaは人気度外視。良いものを作るようにはしているが、時期や戦略などを考えずに動画投稿をしているため、その反響は一切調査していなかった。でもまさか、同じスクールアイドルにもきゃーきゃー言われるなんて。

 当の二人もスクールアイドルが大好きだから、ものすごいテンションが上がっている。

 

「ワ~! 知ってル! ハルカ!」

「え?」

「東雲学院のコノエハルカ。一度会ってみたかった」

「え、え?」

「ハジメマシテ! ワタシ、ロッティ!」

「ディア。よろしく」

「えええ~~!?」

 

 特に、目当ての人物を見つけると飛び上がらん勢いで近づいていく。

 

 璃奈は不思議そうに僕を見上げてきた。

 

「二人とも、遥ちゃんのこと、知ってるの?」

「みんながAlpheccaに憧れるように、あの二人にだって憧れてる子はいる」

「それが……遥ちゃん?」

「同じ高一のスクールアイドルではトップクラスに有名だからね」

 

 彼方が聞いたら首が外れそうな勢いで頷きそうだ。

 

 スクールアイドル激戦区の東京の中で、ラブライブ優勝候補の東雲、さらにその中でセンターを張る驚異の一年生。遥さんはとんでもない逸材で、それに魅入られる人は少なくない。

 ロッティとディアも例に漏れず、その憧れに会えた感激で握った手を振り回している。

 

「コンナにスクールアイドルに囲まれて、幸セ!」

「トーキョー最高。ニジガク最高」

 

 あんなに喜んじゃって。二人ともストレートに言うから、周りも裏を感じずに受け止めている。僕も、オーストリアにいたころはあのキャラにとても助けられた。

 ご両親もノリがいい方たちだったし、そこらへんは遺伝なのだろう。

 

「日本に来て、どうですか?」

「スクールアイドルたくさん。美味しいものたくさん」

「ミナトもいるしネ!」

「湊さんのこと知ってるんですか? 湊さんは作曲も動画編集も、演出も出来て凄いんですよ!」

「そうだよネ! サスガ、ワタシたちのプロデューサー!」

 

 しん、と場が一瞬で静まった。

 

「プロ」

「デュー」

「サー?」

 

 盛り上がっていた一行は、僕とロッティとを見比べる。

 やばい、と感じた時には遅く……

 

「ミナトはAlpheccaが出来た時から、わたしたちのプロデューサー。曲も作ってくれてる」

 

 ディアが爆弾を投下した。

 

「ア……」

 

 一瞬遅れて、ロッティが僕と同じ、『しまった』という表情をする。

 

「ロッティ、ディア……それ言っちゃダメなやつ」

「え、エヘ……?」

 

 

 

 

「あ、みーくん、そっちはどうだった……って大丈夫!?」

 

 今日のせつ菜と同じように、ソファに横になっている僕を見て、練習から戻ってきた愛がびっくりする。

 

「疲れた……」

 

 あれから、その場の全員の興味は僕に移った。数十人もの相手から質問が飛んできて、結局はぐらかすことはできず、正直に話すことしかできなかった。ちょっとでも違うこと言うと、ディアが訂正してくるし。

 

「お疲れ、ミナト」

 

 そのディアは飄々としてて、何も悪いことをしてないといった感じだ。

 

「まあ、予想は出来てたことだよ。君たちがいつまでも黙ってられるわけがないって」

「ウ、ミナト厳しイ」

「優しいほうだと思う」

 

 一応、他言無用でってお願いしたけど、どこまで守られるか……女子の話って回るの早いからなあ。



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53 想ってること

「とうちゃーく! 一位!」

「アイ、速スギ!」

「ロッティさんも」

 

 練習前の、体温めがてらの校舎一周。

 さすがに体育会系の愛が一位。続いて数秒遅れてロッティ。その後ろから、さらにしずくがやってきた。他はまだかかりそうで、影も形も見えない。

 

「みーくん、なにしてるん?」

 

 汗を拭きながら、愛がこちらに来た。

 普段ならタイム測定をしている僕だけど、今日ばかりはずーっとスマホとにらめっこだ。

 

「質問攻めにあってる。Alpheccaの裏方ってのがバレたからね。そのせいで昨日から、通知が止まらない止まらない」

「練習前からスマホを見てるのは、そういうわけだったんですね」

 

 僕のSNSアカウントには、国内外問わずメディア系だけでなく、いろーんな人から連絡が来ている。

 どうせ誰も見ないだろうと、本名で、しかもプロフィールに虹ヶ咲の学生だと書いていたのが運の尽き。Alpheccaのみならず、僕個人に対する取材依頼が飛んできていた。

 あと、普段は虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のメールアドレスに届くような、他校のスクールアイドルからの作曲依頼まで。

 

「悪い反応はほとんどないね。ならいいじゃん!」

「開き直って、大々的に発表したらどうでしょう」

「ネ、コッチでも紹介動画作ろウと思ってるんダケド」

「賛成! ほらほら、HPにもみーくんの情報載せちゃってさ」

「そうしたら、Alpheccaと虹ヶ咲も注目度が上がりますよ」

「仲良しアピールになル!」

 

 火のない所にも煙は立つ時代だ。不仲だなんて言われてその噂が拡散してしまうよりは……たしかにいいかも。

 

「そう言われると、断りづらくなるな……」

「いいじゃんいいじゃん! 前からみんなもそうしたほうが良いって言ってたし、正式な部員なんだからさ」

「そうですよ。侑先輩もプロフィール載ってるんですから、湊先輩を入れない理由がないですよね?」

 

 隙の無い連携で、僕が断れないような言い方でじりじりと追い詰めてくる。まだまだ暑い季節だというのに、冷たい汗が頬を流れた。

 

 

 

 

「で、HPを更新することにしたのね」

 

 結局、反対する者はおらず、僕も押し負けてしまった。

 この話を聞いた瞬間、侑と歩夢、ディアは飛び立つように部室へ戻っていった。

 

「湊先輩、今まで何かと避けてましたから、ようやくって感じですね」

「ロッティちゃんとディアちゃんに感謝だねえ」

 

 遅れてランニングを終えた果林、かすみ、彼方が休憩しつつ話に混じる。

 

「紹介ページはどうするんですか?」

「写真はなし。文章は、いま侑たちが考えてくれてるよ」

 

 今ごろ部室で唸っていることだろう。たった数行だけど、あれ考えるの意外と難しいから、まだまだ時間はかかるだろう。

 

「ロッティは考えなくていいの?」

「ワタシはそーいうのニガテ。それより、カリンたちとお喋りしたいなッテ」

 

 確かに、ロッティはなんというか天才肌で、考えるより体が先に動くタイプだからなあ。人に教える時も、半分以上が擬音になってしまうような子だ。

 

「そうだねぇ。せっかくだから、オーストリアでの湊くんのこと、聞きたいな」

 

 本人を目の前にして、彼方が言う。

 

「ミナトはネー、コッチでも凄い勉強してテ、Dienstmädchenの手伝いとかもイッパイしてタ」

「な、なんて?」

「ええと、お手伝いさんみたいな……メイドだよ、メイド」

「メイド!?」

「まあ、噂に聞く限りの大きな家だといるわよね、メイド」

 

 気にしなくていいとは言われたが、僕は居候の身だったし、何かされるだけというのが性に合わない。気づけば自分からお仕事をもらいにいくようにしていた。シェフとはお互い、料理を教え合ったりもしたな。

 

「ワタシたちとも遊んでくれたシ、パパとママともお話タクサン! アト、お友達も多いよネ。お別れパーティのトキ、ミナトの周り群がってタ」

「人たらしは外国でも相変わらずなのね」

「人たらして」

 

 僕のほうが外国人だから、言葉によるすれ違いがないように、できるだけ裏表ない感じで接しただけだ。

 変に躊躇して、お互い距離を測り損ねるなんてのは時間の無駄。長い間居るならともかく、数か月程度なら積極的に話しかけたほうがいい。

 

「アトネー、酔ったミナトはネー、甘やかしてくれるからスキ!」

「酔っ!?」

「甘やかっ!?」

 

 オーストリアでは、飲酒は十六歳から認められてるらしく、彼女らのお父さんにやたらと勧められた。

 日本では二十歳からだと一度断ったが、あまりにも熱心なもので一口だけいただいたのだ。ちょっと興味もあったし。

 覚えてるのは、すっごく苦かったことと、体がかっと熱くなる感覚。その後のことは覚えてない。

 

「普段してくれないのニ、すっごいナデナデしてくれル!」

「な、なでなで……」

「ほ、他には他には?」

 

 ぐっと身を乗り出した三人に、ロッティはにやりと笑って耳打ちする。

 ……………………え、なんかめっちゃ言ってない? ロッティが何か伝えるたびに、三人がこちらを信じられない目で見てくる。

 なんか、当時変なことをしてたみたいだ。璃奈がいない寂しさが溜まってたのかもしれない。

 

「ご、ごくり……」

「み、湊先輩、ちょーっと飲んでみませんか?」

「ダメ、絶対。お酒は二十歳になってから」

 

 

 

 

 個々人の練習に入ってから一時間が経過しても、まだ侑たちは帰ってこない。

 そこまで時間を駆けなくてもいいのに。そう思って、僕は果林と一緒に、彼女らを呼びに行くことにした。

 

「うーん、まとまらないなあ」

「書きたいことが多すぎて、収まらないね」

 

 部室の前までたどり着いたところで、中からそんな声が聞こえてきた。

 別に入ってしまってもいいが、真剣な空気を霧散させてしまわないように、立ち止まってしまった。

 

「ディアちゃんも一緒に考えてくれてありがとう」

「ミナトのためなら、どんとこい」

 

 どうやら書く文章が思いつかないということではないみたいだ。むしろ、何を削るかで悩んでいる。

 虹ヶ咲学園でのことだけ書くならともかく、Alpheccaのことも書くとなると、それなりに量が多くなってしまうのだろう。

 写真を載せないぶん、他のみんなよりも多少長く文字を打てるが、ぎっしりすぎても品がない。

 行き詰っているようで、タイピングの音は軽快とはいえない。

 

「そういえば、ディアちゃん。ここ最近は、あまり歌や踊りの動画上げてないよね」

「ミナトが忙しくて、あまり曲作れないから」

「あ、えっと、ごめんね? 私たちが湊さんに頼りきりだから」

「それはいい。ミナトが楽しいなら」

 

 とはいえ、ディアの口調に少し寂しさが混じっていた。

 一応、放ったらかしというわけじゃない。日本に戻ってきてからも二曲作ったし、毎週のように通話していた。

 けれど虹ヶ咲でスクールアイドル同好会を立ち上げてからは、Alpheccaのための時間は、なかなか安定してとれず、曲も作りかけだ。

 言い訳になるけど、精神的に不安定だったこともあって、忙しくて、焦っていた。

 

「ミナトが嫌な思いをしてるなら、ニジガクから引き離そうとも思った。通話してる感じだと、元気なさそうだった」

 

 見透かされてるわね、と果林が囁いてくる。

 一学期にディアたちが来なくてよかったよ。もっと話がややこしくなってた可能性がある。

 

「今のミナト、すごく楽しそう。わたし、ちょっとだけ我慢することにした」

「本当は、もっと歌いたいし……もっと甘えたいんだよね」

 

 歩夢がロッティの頭を撫でる。彼女はされるがままにそれを受け入れて、こくりと頷いた。

 育ち盛り、暴れたい盛りのディアにとって、僕との距離は実際のよりも遠く感じたのだろう。それは通話とか、曲を作ってあげるとかで解消できるものじゃなくて……部室で駄々こねてたのは、それが原因みたいだ。

 

「曲は、プロの人から提供してもらえるのを断ってるっていう話を聞いたことあるけど」

「わたしたちは、スクールアイドル。自分たちの力で一つのステージを作る。プロの手を借りたら、全然違う別のものになる。ミナトの受け売り。でも、わたしも心の底から思ってる」

 

 それは、僕が彼女たちに協力すると決めた時に言った言葉だ。

 曲、踊り、演出などなど、お金を出せばプロに依頼することもできる。それをしないのは、そうしてしまうと『スクールアイドル』ではなくなるから、だと僕は思っている。学生だからこそできる熱さだとか青臭さだとか、そういうのがスクールアイドルをスクールアイドルたらしめてるんじゃないかと。

 たとえ不出来で歪で未熟なものだったとしても、それでのみ伝えられるものがあるはずだと信じている。

 作れるものは自分たちで作ろうとして、助けを求めるならプロではなく他の部の人たちにしているのは、そういう意図があるのだ。

 これは個人的な考えだから、Alpheccaが嫌だと言えば曲げるのも……まあやぶさかではない。けど、ディアは僕の思いをしっかり受け継いでくれているみたいだ。

 

「三人でAlphecca。だから、オリジナルの曲は、ミナトが作ったの以外歌う気なんてない」

「信頼してるんだね」

「わたしをスクールアイドルにしてくれたのは、ミナトだから」

 

 クールに見えて、ディアは心の内に燃える炎を持っている。

 『スクールアイドルやりたい』と言ったのはロッティだが、『スクールアイドルにして』と言ってきたのは彼女だ。

 それを叶えたぶん、僕に懐いてくれていることは、わかっている。

 

「そのミナトの頑張りが、世間に知られてないのは嫌。だからわたしたちのプロデューサーだって暴露した」

「え、じゃああの時、みんなの前でああ言ったのって……」

「あれ、わざと」

 

 え。

 声が出そうになって、口をふさぐ。

 

「ミナトは自分が作曲家だって隠したがるけど、わたしは広めたい。わたしたちの歌、こんなに美しい歌を作ってるのが誰か、世界に知ってほしい。歌って踊るのはわたしたち。それをさせてくれるのは、ミナト」

 

 三人でAlphecca。

 さっきの言葉は、僕が思ったよりも、彼女らの根本にあるみたいだ。それが嬉しくて、こみあげてくるものがある。僕が初めて手掛けたスクールアイドルだから、余計に。

 

「自分のことダメダメだって言うけど、わたしたちよりチヤホヤされてもいいくらい、ミナトは良い人」

「そうだよね。うん、ちょっと嫌がるかもだけど、自己肯定感を高めてもらわないと」

「よーし、じゃあ続きやってくぞー!」

「おー」

 

 ……なんだよ、時間かかるならもういいなんて、言えなくなっちゃったな。

 

「まだもうちょっとかかるみたいね」

「そうみたいだね」

 

 僕と果林は扉から離れて、踵を返した。



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54 虹と星が交わる

「うーん……」

「ドキドキ」

「むむむ……」

「ワクワク」

 

 部室に入ると、かすみとロッティがにらめっこをしていた。いや、かすみが一方的に眉間に皺を寄せている。ロッティはふんすふんすと興奮気味に、かすみの何かを待っているようだ。

 その様子に首を傾げていると、かすみがこちらを向いた。

 

「あだ名をどうしようか考えてまして……・ディア子はディア子でいいと思うんですが……ロッ子? ロティ子?」

「シャル子でいいんじゃないか。シャルロッテの、シャル」

「はっ! それナイスです!」

 

 思ったよりもどうでもいいことで悩んでいた。

 ロッティはもうロッティがあだ名みたいなものなんだけど……本人も喜んでるみたいだし、まあいいか。

 

「あらためて、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会へようこそ!」

 

 パン、と侑がクラッカーを鳴らす。

 入部届がついに受理され、ロッティとディアは名実ともに僕らの仲間になった。ここまでちょっとしたドタバタもあったけど、丸く収まったことだし、よしとしよう。

 

「これで、正式にスクールアイドル」

「トモダチもこーんナに増えタ!」

 

 Alpheccaはハイタッチして、部室の中を走り回る。

 

「かすみんが部長だからね! 一番偉いんだから!」

「ヨッ、ブチョー!」

「可愛い、天使、女神」

「えへへ~、それほどでもありますよぅ」

 

 威厳を見せようとしたのに、ベタ褒めされて頬を緩ませるチョロいかすみ。それを苦笑いして眺めながら、歩夢は首を傾げた。

 

「正式に……?」

「あっちじゃ、アイドルとか部の考え方が違うから。ようは、今までは自称スクールアイドルだったわけだ」

 

 そこらへんは国の文化の違いだな。そういった事情も、日本以外のスクールアイドルがほとんどいないことと関係してくる。

 Alpheccaだって、日本以外だとスクールアイドルって肩書が外されて紹介されることもあるしね。

 詳しくはアイドルの語源から話す必要が出てくるが……まあそれはいいか。

 

「ワタシ、スクールアイドル!」

「うんうん。よかったね、ロッティちゃん」

 

 エマは、ぎゅむっと抱きついてくるロッティをよしよしと撫でる。エマもスクールアイドルになれた時は、たいそう喜んだものだ。同じ外国人同士で通じるものがあるのだろう。

 

「ちゃんとしたスクールアイドルになったんだから、何かしたい」

 

 ディアの提案に、侑が頷く。

 

「だったら、虹ヶ咲学園のスクールアイドルとして歌う?」

「いいノ!?」

「もう私たちの仲間なんだから、いいに決まってるよ」

 

 ね、と侑が見渡すと、みな一様に首を縦に振った。

 

「うん。虹ヶ咲学園スクールアイドルとAlpheccaが一緒になったよって見せたいよね」

「でも、新しい曲を作るってなると、お兄ちゃんに負担がかかる」

「ちょっと待ってくれたら、作るけど」

「ダメです! ただでさえ湊さんは働きすぎなんですから」

 

 せつ菜に押しとどめられてしまった。

 二学期が始まっても、この過保護は続くらしい。どこまで続くんだか。まさか二学期中ずっとってことはあるまい。

 

「ウーン、じゃ、どうすル?」

「二人に愛さんたちの曲を歌ってもらうってのはどうかな?」

「それいい!」

「二人はどう?」

「やりたーイ!」

「わたしも。今のミナトを知りたい」

 

 Alpheccaのほうも、両手を挙げてバンザイ。

 

「みんなも、ワタシたちの……」

 

 そこで、ロッティはディアをちらりと見る。彼女は見返しながら、ほんの少し、本当にわずかに首を横に振った。

 

「それなら……どうしましょう。私たちには二人のユニット曲はありませんし……」

「じゃあ、こっちから二人分の曲を選んで、それぞれやってもらうっていうのはどうかな?」

 

 歩夢の提案は受け入れられて、その通りに進めることになった。

 虹ヶ咲の動画チャンネルで投稿することに決まり。そうすれば、ファンの人たちからも虹ヶ咲所属のスクールアイドルとして認められるだろう。

 Alpheccaのチャンネルでは宣伝をしてもらう。こちらは早めに出して、世の期待を煽るとしよう。ファンも、虹ヶ咲を知らない人も事前に予習してくるだろうと考えて、こちらの再生数を伸ばす目的もある。

 

 これで後残るは……

 

「誰の曲をやってもらう?」

 

 

 

 

「いち、に、さん、し」

「ヨッ、ホッ」

 

 愛が手を打つのに合わせて、ロッティが身を振る。

 

 誰の曲をAlpheccaがやるのかは、じゃんけんで決められることになった。見事その権利を勝ち取った一人は、愛。

 早速、大まかな動きなどを教えることになり、中庭に移動。全員が芝生に座って、その様子を見学していた。

 

「君らは練習しなくていいのかね」

「部員を見守るのも部長の大事な役目ですから」

「それに、まだまだ暑いから、無理は禁物ってね」

 

 なんて言いつつ、目線はしっかりAlpheccaのほうを向いている。

 この前、ロッティとディアが曲を生でお披露目した時から、みんなのやる気は一段と増していた。

 こういったことは前にもあった。ダイバーフェスの後だ。熱を感じずにはいられない果林のステージを見た後、そこに立つ自分を夢見て、一生懸命になっていた。

 スクールアイドルフェスティバルでその熱も多少冷めたかと思ったけど、どうやらAlpheccaのキマッたパフォーマンスを見て、また燃え上がったらしい。

 燃え尽き症候群になるかな、という心配は杞憂に終わった。

 

「ここはどーんって感じ!」

「バーン、ピシッてことだネ。ワカルワカル!」

 

 愛から直接指導を受けているロッティは、その感覚的な指示についていけているようだ。

 まず踊ってみせて、その後おおざっぱに教えるやり方は、センスがあるあの二人ならではだろう。

 ロッティの素質を加味して、あれならすぐに追いついてきそうだ。

 対して……

 

「どうしてロッティちゃんはあれでわかるんだろう……」

「アユムは、ちゃんと教えて」

 

 もう一人、ディアに教える歩夢は、一緒に楽譜付きの歌詞を見ながら、全体の流れを説明して、細かいところも丁寧に教えている。

 イメージしにくいところは、実際に歌って、ディアの耳に馴染ませていった。ちなみに、本番も日本語で歌ってもらう予定だ。

 

「わあ……綺麗……」

 

 ディアの透き通る声と、歌詞を読みこんだうえで最大限の表現力をもって放たれる歌。

 空に響くようなその歌に、集まってきた野次馬も感嘆のため息をつく。対照的に、歩夢はうぅ、と肩を落とした。

 

「じゃんけんに勝ったのはいいけど、なんだかディアちゃん歌上手くて、自信なくなるなあ」

「わたしとは違う方向だけど、アユムの歌もキレイ。重要なのは歌。思いを届けるなら、ちゃんと通る声で歌う必要がある。そういう意味では、アユムはすごいアイドル」

「あ、ありがとう、ディアちゃん」

 

 ディアのまっすぐな称賛に、頬を掻く歩夢。こっちもこっちで相性は悪くないみたいだ。

 わざわざ突っかかる性格でもなし。むしろ、集団におけるチームワークの大切さを大事にしてる。歩夢は同好会を通じて、ディアはAlpheccaを通じて。

 

「あ、あの」

「?」

「そうやって見つめられると、照れちゃうな」

「しょうがない。ニジガクの中で、アユムは私の推し」

「え、ええっ?」

「正統派。まさにアイドルって感じ。わたしが目指すところ」

 

 ディアは親指をぐっと上げる。

 スクールアイドルは長年の歴史がある。その中で、ロック専門だったり、半分お笑いみたいなのもいたり、様々なジャンルのアイドルが生まれた。

 でもひときわ輝くのは、やっぱり歩夢のような王道の子だ。

 歩夢は、実力で劣ってると考えるかもしれないけど、日本のスクールアイドルに憧れるディアからすれば、歩夢こそが夢の体現者なのだ。

 

 じっと見られている歩夢は照れて目を逸らしながら、口を開く。

 

「ディアちゃんはどうして、私たちの歌を歌おうとしてくれるの?」

「どうして、とは」

「Alpheccaには、Alpheccaにしかない絆があって、ディアちゃんはそれをすごく大事にしてるのがわかるんだ。それって、ディアちゃんとロッティちゃんにとっては、三人だけのものにしたいんじゃないかなって。だから、湊さんがあなたたちのためだけに作った曲以外は、歌いたくないのかなって」

 

 ディアはこくりと頷いた。

 

「そう。Alpheccaは、三人でAlphecca。誰かを入れるつもりはない」

 

 けど、と続ける。

 

「わたしは、ニジガクのスクールアイドル。なら、知る必要がある。今のミナトのこと」

 

 去年の僕を、歩夢たちは知らない。今年の僕を、ディアたちは知らない。そのぽっかり空いている部分の中で、僕の感じたことや伝えたいことは、曲として残っている。

 あれこれべらべらと喋るより、そっちで理解するつもりのようだ。

 

「アナタたちを、信じさせて」



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55 虹ヶ咲学園スクールアイドル:ロッティ&ディア

「トーキョー!」

 

 街の喧騒に負けないほどの声量で、ロッティが叫ぶ。その隣では、ディアが周りをスマホで撮影していた。

 

「見て見て、ロッティ。あっちもこっちも、スクールアイドルの動画で見たことある」

「ワーオ……」

「聖地認定」

「ゼータク」

 

 首都東京が誇るトレンドの街に圧倒されているようだ。食でも娯楽でも撮影スポットでも最先端。日本の最新文化を知るには絶好の場所だ。

 

「本当にスクールアイドルが好きなんだね」

「今じゃ、たぶん僕よりハマってるよ」

 

 毎日毎日動画漁りをしているあたり、侑と似た者同士だ。この前試しに放っておいたら、せつ菜とエマも交えてスクールアイドルについて熱い談義を、最終下校時間までやってたくらいだ。

 相当知識があるその三人についていけるあたり、にわかではないことがわかる。

 

「エマ、休日なのに買い物付き合わせて悪いね」

「いいのいいの。今日は果林ちゃんもお仕事に行ってて、暇だったから」

「とことんお世話好きだね」

「それは湊くんもでしょ?」

 

 今日は僕も、璃奈がかすみとしずくと遊びに行くから、とやることがなくなった。

 だらだらとするのもいい……と思ったが、どうもじっとしているのが落ち着かず、東京案内をしてほしいというこの子たちの連絡は、渡りに船だった。

 

 他のみんなは都合がつかないらしく、今回は僕とエマが引率者だ。

 興味の赴くままに足を進めるロッティたちの後ろをついていく。僕が先に行くと、あちらこちらに目を向ける二人とはぐれてしまうおそれがあるからね。

 

 やがてある店を見つけると、二人とものけ反る勢いで目を丸くした。

 

「スクールアイドルショップ!?」

 

 名のとおり、スクールアイドル専門のグッズを扱う店だ。今やこういうのは珍しくもなく、点々と存在している。

 だが、もちろんそれは日本だけの話で、外国の人間であるロッティたちには夢の世界。店を指差しながら、こちらへキラキラとした目を向けてくる。

 

「ミナトミナト、ここ入りたイ!」

「はいはい。僕も見ておきたいものがあるからちょうどいい」

 

 ロッティに手を引かれて、僕たちは店の中に入っていく。

 所せましと並べられた物は各学校ごとに分けられ、すぐ目につくのはやはり東雲や藤黄といった大人気校。

 それらを通り過ぎて、僕は店の中央に作られた特設コーナーへ向かう。

 

「ほらこれ、君たちのグッズが並んでる」

「わあ……」

 

 あのスクールアイドルフェスティバルの開催校ということで、注目度が上がった虹ヶ咲学園スクールアイドルのコーナー。

 うちわやアクリルスタンド、キーホルダー、缶バッチなど、グッズといえばこれ! という物が並んでいる。

 棚には写真がいくつも貼られて、POPも作られて、今年出来たスクールアイドルとしては破格の扱いだ。

 

 夏休みの間にグッズ化の話が来たので、生徒会や先生方も含めて話し合い、通したのだ。

 学生の活動だから、金が絡む話の了承を得るのは相当難しかったが、事前にめちゃめちゃ他校のスクールアイドル部に情報収集して、説得する資料を揃えた。

 得た収益は、同好会名義の口座に貯められ、部費として使えるようになっている。使う前には使用目的を細かに記載して提出し、使った後は収支報告書を生徒会に出す義務がある。

 制約はあるが、使えるお金が増えるということは、それだけ活動の幅を広げられるということだ。悪い話ではない。

 

「ちゃんと許可出したものだけ出てるね」

「許可ないものとか売られることあるの?」

「ひと昔前はそっちのほうが多かったよ。今では問題視されて、ほとんど摘発された」

 

 スクールアイドルといってもただの学生だからと高をくくっていたのか、無許可でグッズを出していたところがあった。

 アイドル側も、知名度向上のためと、あとそういう知識がないため黙認していることがあったが、さすがに人道的にも権利的にも金銭的にもまずいとなって、一斉摘発。一時期は、スクールアイドルショップがほとんど消滅したくらいだ。

 そこからは、ちゃんとしましょうということで、業界はクリーンになった。まあ、少なくとも表に見えるところは。

 

 虹ヶ咲のグッズ第一弾は、とりあえず売れないことはないだろうといった無難な物にOKを出している。

 売れ行きは好調らしく、ところどころ売り切れの物もあった。しかもどうやら、何度も再販したうえで売り切れらしい。

 こういうのは流行りものだから、急ピッチで話を進めておいてよかった。

 

「アレもコレも欲しイ!」

「こっちの国じゃ手に入らない。激レア」

「とりあえずこの棚、全部買い占めよウ」

「アリアリのアリ」

「なしだよ」

「他にも買いたい人がいるから、一種類一個までだよ」

「はーイ」

「了解、エママ」

 

 エマ、マ? ママ?

 果林のことを起こしたり、みんなを優しく見守ったり、今もこうやってはしゃぐ子どもを抑えたり、母性を感じることがあるのは認めるけど……

 

「そんな呼び方してるの?」

「だって、エマ、同好会のママみたい」

「恥ずかしいからやめてって言ってるんだけどね」

「で、ミナトは同好会のパパ!」

 

 パパって言うな。道行く人に誤解されるでしょうが。

 

「エママとミナトパパ」

「だって、湊くん」

「なんで嬉しそうなんだ。さっき嫌がってたじゃないか」

「だって、ね?」

 

 ね、って言われましても……僕もまだまだ全然、パパって年齢じゃないんだが。

 家族がいない寂しさは、僕も留学した時に経験があるから、こういう戯言も多少は多めに見てやってもいい、のかな?

 

「それじゃ、エマお母さん、この手間のかかる二人を見張ろうか」

「うん、湊お父さん」

 

 お互いくすりと微笑んで、グッズをカゴに詰めだした二人へ目線を向ける。

 

「ロッティ、ハルカのもある」

「コッチはヒメノ!」

 

 他校のも観察すると、その種類の多さに圧倒される。ライブ用のサイリウムまで売ってるのか。デフォルメされたぬいぐるみなんかもある。

 一種類一個だけでも、カゴ二つ三つ程度じゃ収まりそうもない。

 うちもこういうのやろうかな。かすみんBOXとか、璃奈ちゃんボードを模したクッションとか。果林監修でおしゃれアイテムを作るのもいいなあ。

 

 さて、グッズをだいぶ購入し、一抱えもあるほどの袋を持って戻ってきたロッティとディア。その袋は僕とエマが持ち、二人には観光を楽しんでもらうことにした。

 

「ファッション!」

「ガチャガチャ」

「自動販売機いっぱイ!」

「スクランブル交差点」

「食品サンプル!」

「化粧品」

 

 何かを見つけては近づいて写真を撮る。僕らにとっては当たり前のものでも、彼女たちにとっては目新しいものばかりだ。

 立ち止まっては歩き、発見をしてまた立ち止まるのを繰り返してるのを見ると、微笑ましい気持ちになる。愛国心というものを特段持ち合わせてるつもりはなかったけど、自分の国を楽しんでもらえてるってのは嬉しい。

 念願の日本とだけあって、見たい箇所が多いようだ。ここらへん以外にも、歴史的なものも見たいらしい。それはまた後日。

 

「堪能した」

「ニホン楽しイ」

 

 ほくほく顔であちらこちらに行くもんだから、僕はついていくのが精いっぱいで、ちょっと休憩させてもらう。

 道中見つけたカフェに立ち寄り、涼みながら水を飲む。

 三人はといえば、アホみたいなでかさのパフェを一人ずつ頼んで、ばくばくと食べている。女の子にとってスイーツは別腹と聞いたことがあるが、それって複数人で一つ頼むようなやつじゃないの?

 アイスにウエハース、様々な果物が詰まっている容器のせいで、対面に座るディアの顔が見えない。

 

「日本独自のカルチャーは多いから、勉強になる」

「日本のカルチャーといったら、やはりアニメでしょう! ……って、せつ菜ちゃんなら言いそう」

「アニメ! マンガもいっぱい読んでル!」

「私はあまり見れてないなあ」

「ママがそういうの詳しいから。日本語もママに教わった」

「お母さん、日本のことすごく知ってるんだね」

「日本人だからね」

「えっ」

 

 僕が補足すると、エマは驚いて食べる手を止めた。

 

「ママはオシゴトでオーストリアに来たトキ、パパと出会ってそのまま移住してきたんだッテ」

「燃えるような恋だったらしい」

 

 オペラ歌手である彼女たちの母、有絵(アリエ)さんは、ロッティの母親だけあってノリのいい女性だ。勢いに服を着せたような人で、故郷である日本の留学生……つまり僕を引き入れた時も、特に悩まずにあっさり決めたらしい。

 そのせいで夫であるエリオットさんは苦労していると教えてもらった。『でも、いい女性(ひと)だろう?』とのろけ話付きで。

 

「じゃあ、二人ともハーフなんだね」

「ソウ!」

 

 彼女たちのルーツの半分は、ここ日本にある。それも興味が惹かれる要因の一つなのだろう。

 アリエさんの育ったところへ連れて行くのも、今後の計画に入れておこうか。

 

「エマはすごいよネ。ニホンにコネがあるわけでもなくテ、デモ情熱で乗り越えたんデショ?」

「日本語も、わたしたちより上手い」

「たくさん勉強したからね」

 

 えっへん、とエマは胸を逸らした。

 

「二人は、湊くんが留学してたころは日本語しゃべれなかったんだよね? そこから一年でそれだけ喋れるのも、とってもすごいよ」

「わたしたち、見た目より賢い」

「ツマリ、カナリ賢いってコト!」

「名門リーデル家ってだけはあるな」

 

 豪邸のうえに別荘があるようなご家庭だし。教育にお金は惜しまないご両親だし。それに彼女たち自身の才能も同年代から見て頭抜けている。勉学でも上位。歌やダンスはこの前見せた通り。

 

「名門って言っても、パパとママは自由にやらせてくれる」

「ケッキョク、音楽(Musik)やりたくなっちゃったんダケドネー」

「ん。パパとママかっこいい」

「ネ、エモエモで尊みが深イ」

「誰だ、そんな言葉教えたの」

「エマ」

 

 スプーンで指した先のエマを見ると、呆れた目で見られるとは思っていなかったらしく、彼女は首を傾げた。

 

「え、おかしい? 同じクラスの子に教えてもらったんだけど……」

「負の連鎖だ」

 

 僕が嘆くと、三人とも顔を見合わせてくすくすと笑う。

 

「困ってるミナトも面白い」

「コレカラモこんな楽しイ毎日が来るなんテ、シアワセ!」

 

 アハハ、と笑いながら、ディアもロッティも心の底から楽しそうにパフェを食べ進める。

 みるみる間に減らしていきながら、二人はさらに続ける。

 

「ミナトと離れたトキ、まさかこんなことになるとは思ってナカッタ!」

「わたしは思ってた」

 

 最後の一口を放り込んだあと、ディアはにこりと微笑む。

 

「わたしたちはもう家族だから」

 

 同じ時間を過ごした仲として、スクールアイドルという夢を持った者どうしとして、Alpheccaとして……僕らは確かに、一種の家族。

 そしてそれはあの、留学した時の数か月で終わったんじゃなく、まだ続いている。これからも続いていく。たぶん、僕が高校生じゃなくなった後も、彼女たちがスクールアイドルじゃなくなった後も変わらないんだろう。

 

「ディア、いいこと言ウ。ミナト、これからモ……」

「よろしく」



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■■
56 やるしかないんだって


「湊せんぱ~いっ」

 

 放課後、部室に行く道すがら、後ろから追いかけてきたかすみが声をかけてくる。

 やあ、と挨拶すると、飛びつく直前で彼女は止まった。この前僕が避けて、床にダイブしたのがだいぶ効いてるようだ。

 

「明日お暇ですか?」

「明日?」

「ほら、シャル子とディア子とエマ先輩と東京観光したんですよね? 私も連れて行ってくださいよ! 部員同士平等に仲良く!」

「なに言ってるんだ。僕らはもう十分仲良しだろ」

「湊先輩……」

「だから明日のお出かけはなしで」

「ちょいちょいちょい! も~、湊先輩の意地悪!」

 

 ぽかぽかと叩いてくる。何気に痛い。

 

「わかったわかった。明日……も明後日も無理だけど……」

「じゃあいつなら行けます?」

「ええと……」

「そんなにですか? ちなみに何の用事で……」

「歩夢とハンドメイド同好会と一緒に新しい衣装に着ける小物デザインを考えて、侑に音楽教えて、彼方と料理教室、せつ菜と勉強、璃奈とゲーム、果林と散歩……」

「さ、さんぽなんて三文字変えたらデートじゃないですか!」

「なに言ってるんだ」

 

 ついに頭が壊れたか。ここ最近も暑さ引かずに続いてたからなあ。

 果林のは別に、そんな意図ないだろう。ただ単純に、最新のファッションを教えてくれるってだけだ。単なるウインドウショッピングだよ。

 

「一緒に行く?」

「いえ、みなさん、湊先輩と二人がいいでしょうし」

 

 そうか? 勉強はともかく、ゲームとか料理とかは人が多いほうが良い気がするけど。

 

「だったら空いてるのは……二週間後かな」

「に゛っ!? ……とりあえずそこで予約させてください! むむむ……みなさん抜け目ないですね」

 

 抜け目てなんぞ。

 まあ、お休みを言い渡してくる割にガンガン誘ってくるのは何なんだろうと思ってはいるが。暇も暇なので気にはしてない。

 

 ぶすっとした表情を浮かべるかすみと部室に近づいていくと、なんだか声が漏れてきていた。

 なんだろう。言い争ってる感じじゃないな。なんだか、ポジティブな意味でヒートアップしてるような。

 今日は練習がないので、着替える人はいないと連絡は貰っているが、一応かすみに確認してもらう。中を一瞥して、通してくれた。

 

「そうだよね、もうやるしかないよね!」

「やるしかないってゆーか、やる!」

「やっぱりやったほうがいいッテ!」

「ほんと、やるべき」

 

 部室に入るなり、なぜかテンション高く盛り上がっている。その中心にいるのは侑と愛。煽っているのはロッティとディア。

 

「どうしたんだ、そんなに盛り上がって」

「いま議論してたところなんです」

「その割には、やらない派がいなかったような……で、何をやるって?」

「第二回スクールアイドルフェスティバル!」

「だ、第二回ですかあ!?」

 

 かすみが驚くことは予知していたので、耳をふさぐ。それでも貫通して聞こえるあたり、どんだけ大きな声出してるんだ。

 

「別に、一年に一回みたいな行事って決めたわけじゃないし、楽しいことは何回やってもいいしね」

「それに、見てよ、こんなに望む声があるんだよ!」

 

 一足早くこの話題でヒートアップしていた原因は、どうやら第一回をまとめた動画についているコメントのようだ。

 現地に来てくれた人、来れなかったけど動画で見てくれた人、そして全国のスクールアイドルが、『次はいつですか』と訊いてきている。

 これだけの人が希望しているなら、やらないわけにはいかないだろう、と第二回の話が持ち上がったというわけだ。

 

「私は賛成。もっともっと、ファンのみんなと繋がりたい」

「彼方ちゃんも、まだまだやり残したことたくさんあるしね~」

「ハイハイ! ワタシも出たイ!」

「話題総かっさらい」

 

 そりゃあ否定する人はいない。大盛況だったし、大成功だったし。Alpheccaの二人も、もうちょっと早く来ていれば、と後悔している。

 だったらもう一回やるしかないというのは、まさに彼女たちの言う通り。

 

 僕の中でもやる気持ちが固まってきたところで、みんなが一斉にこっちを向いた。

 

「どうして僕を見るんだ」

「だって、実質的なリーダーでしょ?」

「やりたいなら止めないよ。あとは部長がどう言うか」

「かすみんもやります! かすみんの可愛さをどんどん発信していきますよ!」

「サスガ! 世界で一番カワイイカスミン!」

「ベストプリティーキューティーガール」

「もう、そんなに褒めてもコッペパンしか出ませんよぉ」

 

 褒められて、だらしなく頬を緩ませる。チョロ可愛いよ、かすみん。どこからコッペパンを出したのかは聞かないでおくよ、かすみん。

 満場一致で開催が決定。となればガッツリ打ち合わせしておかなければならない。その前に……

 

「さて、じゃあ早速根回しに……」

「待った!」

 

 善は急げ。

 前回と同じく生徒会の許可を貰うのと、いろんな部の協力を得ようと腰を上げた瞬間、侑が制してきた。

 

「今回は、湊さんに任せっきりにしませんよ」

「戦力外通告……!?」

「違いますっ。今まで頼りきりでしたから、今回は私がメインで作り上げてみせます!」

「ユウ、その意気だヨ!」

 

 ぐっと拳を握る侑に、ロッティが拍手する。

 

「それに、湊さんには存分にみんなのステージを見ていてほしいです」

「そうですよ! 前の時は結局、かすみんのステージ見てくれなかったじゃないですか」

「私も、湊先輩に見てもらえてないです」

「愛さんとりなりーもだよね」

「あら、私とエマも終わった後にしか会ってないわよ」

「私も……せつ菜ちゃんは?」

「もちろん私もです!」

「彼方ちゃんのところには来てくれたらしいね。寝てたから知らないけど」

 

 もう終わったことだから何も言われないかと思ったけど、だいぶ根に持たれてるらしい。みんな軽い口調だけど、目が笑ってない。

 

「ほらほら、みんなのこと、ちゃんと見てあげないと」

「いやでも」

「開催した側にも、楽しむ権利はあるんですよね?」

 

 にっと笑って、侑が返してくる。ぐぬぬ。僕が言った手前、否定できない。

 

「ステージでやるのに、ミナトが見てくれないなんてヤダ!」

「見に来てくれないと、オーストリアに連れていく」

「……わかったよ」

 

 ため息をついて、了承する。十二人に押し寄せられてこられちゃ、さすがに勝てない。言うこと聞かないとオーストリアに連れてく妖怪もいることだし、ここは大人しくしていよう。

 

「今回のスクールアイドルフェスティバルの準備は?」

「侑がメイン」

「湊さんは?」

「お手伝い」

「フェスティバル中は?」

「みんなのステージを回る」

「ヨシ!」

 

 人差し指を僕に向けて、侑は満足げににこりと笑った。

 頼ると言ったのだから、信じて任せよう。どうしても、という時に手を貸せばいい。どうしても、僕が我慢できなくなった時にね。

 

「では、生徒会でもできるだけ補助できるようにします。話が確定するまでは、できるだけ内密に」

「それはもう遅いかな。第二回スクールアイドルフェスティバル開催って、もう呟かれてる。ハッシュタグ付きで」

「湊さん、SNSやってたんですか?」

「情報収集用だからほとんど呟いてないけど、Alpheccaの二人のせいでフォロワーが激増してる」

「千とか?」

「さあ……何万だったかな」

「え!?」

 

 顔も声も出してない、プロでもない高校生のフォロワー数としては、非常に多いことだけは確かだ。おかげで迂闊なことを呟けなくなってしまった。元からそうだけど、宣伝ばっかり。

 

「誰が第二回のことを?」

 

 僕はある一人に視線を向ける。その先のかすみは、冷や汗をだらだら流しながら、目を右往左往させた。

 

「いやぁ、だって……」

「人の口に戸は立てられない。この場合は手かな」

 

 まだ出来るかどうかも決まってないんだから、軽率に言ってしまうのはよろしくない。結局ダメでしたーとなると、期待を裏切ってしまうことになるし。

 ソロライブとかならまだしも、スクールアイドルフェスティバルだと注目度も段違い。

 まあ言ってしまったことは仕方がない。それに関してはとりあえず置いておいて……

 

「じゃあ、いつ開催にするか決めようか。それに大々的に宣伝もしないといけないし」

「宣伝なら、いいタイミングがありますよ」

 

 せつ菜が、ぴっと人差し指を立てた。

 

 

 

 

 本棟も部室棟では、あちらこちらが賑わっている。

 来るオープンキャンパスに向けて、生徒会も各学科も、そしてあらゆるクラブも準備に追われているのだ。

 特に部や同好会の気の入りようったらない。それもそのはず、虹ヶ咲に来るような人は、すでに第一志望として決めてる人がほとんどで、オープンキャンパスは下見の意味合いが強い。

 つまり、おおよそが未来の新入生なのだ。その取り合いは、もうこの瞬間から始まっている。

 多種多様な部がある虹ヶ咲にとっては、特に規模の小さい同好会にとっては、部員の数は死活問題。必死になるのも無理はない。

 

 スクールアイドル同好会はどうかと言うと、三年生が抜けると、二年生が四人、一年生が五人。ロッティとディアがオーストリアに戻っても、籍は残るらしく、今いるメンバーはそのまま同好会を続けられることが確定している。

 なので新規同好会員を必死に誘うなどということはせず、宣伝に振り切ることに決めたらしい。

 

 今ちょうど、先日決定した第二回スクールアイドルフェスティバルのPVを撮っている……らしい。監督・演出はしずく、カメラマンはロッティとディア、編集は侑と璃奈。

 それを、オープンキャンパスで披露することにしたのだ。

 僕はまだお休み指示を出されている。そのせいで、いつも慌ただしいはずの放課後に手持無沙汰になってしまった。

 こうやって校内をうろつくくらいしか……おっと。

 女子生徒が、何か詰まっている段ボール箱を運んでいる。それだけなら気にならなかったが、持っている箱にもう一つ、同じサイズのが積まれていた。

 かろうじて前は見えているようだが、あれだと足元が疎かになる。危ない目に遭う前に、僕はその子に近づいて、上の段ボール箱を持ち上げた。

 

「わ」

 

 いきなり横から荷物を掻っ攫われた美少女はきょとん顔をした。

 さらっとした艶のあるセミロングの髪、ぴしりと伸びた背筋と落ち着いた雰囲気は、生徒会長のように彼女を大人っぽく見させる。

 知ってる顔によく似ている。思わず、その顔を凝視してしまった。

 

「あの……?」

 

 しまった。不審者に思われてしまう。僕はすぐに普通の顔を作り、箱を持ち直す。

 

「これ、貰うよ。どこまで運んだらいい?」

「いえ、あの、ご迷惑をかけられません」

「いいや、持たせてもらうよ。荷物を持ってる女の子を放っておいた酷い男って言われたくないからね」

 

 というのが半分。暇だから何かしたいのが半分。

 

「ありがとうございます、天王寺さん」

「僕のこと、知ってるの?」

「学校中、あなたの話でもちきりですよ。ほら、スクールアイドル同好会のことで」

 

 この前、Alpheccaと虹ヶ咲のコラボレーション動画をアップするのと同時、僕の紹介文が載ったHPも更新された。

 今まで虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の作曲家であること、そして動画編集担当であることは、動画のクレジットに載せていたため知られていたことだった。今回、Alpheccaとの関係も公にしたことで、『公式が認めた』と界隈がざわついた……らしい。

 前はロッティとディアが口頭でバラしただけだから証拠がなかったけど、今回は完全に晒したからあらゆるところで派手に盛り上がっているようだ。

 ちなみに同好会のメールボックスはパンクしました。

 

 とある空室の中に持っていたものを運び入れ、設置されていたテーブルに置く。

 

「ありがとうございました。おかげで助かりました」

「気にしなくていいよ。僕が勝手にやったことだから。えーと……」

「三船。三船栞子です」

「三船さん」

「はい」

 

 八重歯を覗かせて微笑む彼女の胸元を見ると、リボンは黄色だった。てことは、一年生か。

 最近の一年生はしっかりしてるね。かすみとかロッティみたいに落ち着きがないのが一般的だと思ってた。

 

「天王寺さん、お忙しいのではないのですか? スクールアイドル同好会は確か……動画を作るんですよね? それに、第二回のスクールアイドルフェスティバルを行うという話も聞きました」

「よく知ってるね。けど僕は今回、お手伝いレベルしかさせてもらえないことになったんだ。働きすぎだって言われちゃってね」

 

 本当は今も同好会監視のもと、ソファで横になるか、お菓子を頬張るかしか許されていない。

 それならもう帰ってもよくない? と言ったが、帰ったら作業するでしょ、と返された。シナイヨ、ソンナコト。

 大人しく従うふりをして、一瞬の隙を突いて逃げ出してきたのだ。もうちょっとで駄目人間になるところだった。

 

「ますますこんなことをしてる場合では……」

「いいのいいの。何かしてないと落ち着かない性分でさ。僕を助けると思って」

「そういう言い方、ずるいですよ。断りにくいじゃないですか」

「それが狙い」

 

 三年生の圧というものを感じるがいい。僕にそんな威厳があれば、だけど。

 

 それに、本当に『僕を助けると思って』ほしい。

 だってさ、オープンキャンパスでもなんでも、学生同士で協力し合って一つのものを作るなんて、まさに青春じゃないか。

 最高学年である僕は、何をするにも最後のチャンス。こうやって校内が盛り上がってる中、その輪に入っておきたいのだ。

 

 運んできた箱の中身を見ると、紙がぎっしりと詰まっていた。そこにはこう書かていた。『オープンキャンパス ブース・出展申請書』。

 

「三船さんって、オープンキャンパスの実行委員?」

「はい。生徒会と協力してやってるんです」

 

 へえ。ますます立派に見えてきた。

 僕は箱から申請書を取り出し、机の上に置く。部や同好会の多い虹ヶ咲では、こういった申請書だけでも集めれば数十センチになる。まずは出展希望の部がどれだけあるかをまとめる必要があるようだ。

 

「よし、これだったら僕でもてつだ――」

「だめですよ」

「げ」

 

 ぽんと肩が置かれ、振り向くと歩夢がいた。思わず声が漏れる。

 

「大人しくしてると思ったら、いつの間にかいないんだもん。焦りましたよ」

「さ、撮影は……?」

「私の分は終わったので」

 

 目が笑ってない。顔は笑っているが、ちょっと怒ってる。

 

「ごめんね、この人を休ませたいから」

「いえ。もう十分に助かりましたので」

 

 僕を置いて話が進んでいく。

 何か言おうとすると、歩夢がにこりとこちらを向くものだから、言葉を挟めない。

 仕方なく、歩夢に連行されることに決めた。

 

「学校は広くて、たくさん部屋があるのに見つかるなんて……まさか僕にGPSとか付けてないよね?」

「…………付けてないですよ」

「その長い沈黙については深く聞かないでおくよ」

 

 軽い気持ちで訊いたら思わぬ闇を見そうだ。

 

「で、準備は?」

「ステージは取れなかったけど、動画は順調ですよ。今はもう侑ちゃんと璃奈ちゃんの編集も終わって、ほとんど完成だって」

 

 当日、ステージとして使えるのは講堂のみ。しかし、その枠を抑えることは出来なかったらしい。抽選で決めたようだが……倍率が高いから仕方ない。

 とはいえ、いま作っている動画が無駄になるわけでもなく、東棟で流させてもらえるみたい。

 

「僕も見たいなあ」

「当日までお預けです」

「それは残念」



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57 オープンキャンパス

 待ちに待ったオープンキャンパス当日。

 朝も早よから、虹ヶ咲の校舎へ人がぞろぞろと入っていく。見学に来た未来の後輩たちだ。

 それに混じって、僕らも校門を通る。すぐそこでは文化祭実行委員会のほか、有志のボランティアがパンフレットと地図を配っている。

 

 校舎の前で、案内係をしている三船さんを見つけた。あちらもこっちに気づいて、ふりふりと手を振ってくれる。

 

「三船さん」

「おはようございます、天王寺さん。今日は、スクールアイドル同好会のお仕事ですか?」

「ううん。この二人の校内案内」

 

 僕は後ろについている二人を指差す。ロッティとディアだ。

 虹ヶ咲に来てから日が浅い彼女たちは、まだこの学校の全貌を見きれていない。そのため、ちょっと知らないところへ行くとすぐ迷ってしまうらしい。

 無理もない。広大な敷地に、膨大な数の教室……僕だって一年生のころは地図を片手に持ってないと不安だった。

 そういうわけで、今日は色んな所を回りつつ、一般の人に混じってオープンキャンパスを楽しもうとなったのである。

 

「初めまして。三船栞子と申します」

「ワー、カワイイ!」

「逸材」

「こら、挨拶しなさい」

 

 子どもっぽくはしゃぐ二人をたしなめる。まったく、三船さんの落ち着きの一割でもくれたら多少はマシになるだろうに。

 

「クラウディアさんとシャルロッテさんですよね」

「ディアでいい。よろしく」

「ワタシはロッティ!」

 

 遠慮なく手を掴んで、ぶんぶんと振り回す。

 

「シオリコもスクールアイドルやらなイ?」

「スタイルも良いし、運動もできそう。やろう」

「あ、あの……」

「ダル絡みしない。ごめんね、三船さん」

 

 おろおろとしはじめた三船さんに助け舟を出す。

 彼女は苦笑しつつも曖昧に頷くと、僕の足元に擦り寄る白猫に気づいた。

 

「はんぺんさんも一緒なんですね」

「預かっておいて、って言われてね。だから今日の僕は、臨時のお散歩役員」

 

 はんぺんを持ち上げ、腕に抱く。優しく撫でてやると、ごろごろごろと喉を鳴らした。

 

「触ろうとすると、逃げられる人が大半だと聞きますが」

「そうなの? 結構人懐こいと思うけど」

 

 愛とか璃奈にも自分から寄ってくるくらいだ。人嫌いするような性格じゃないはずだけど。ほら、今も僕の腕に頭を擦りつけてきている。

 試しに、とはんぺんを三船さんに近づけてみる。

 はんぺんは数度鼻をひくつかせてにゃあと鳴いた後、じっと彼女を見た。三船さんは難しい顔をしながら、恐る恐る、といった感じで手を伸ばす。まるでドラゴンか何かに触れるような慎重さで背中をさすると、はんぺんは特に抵抗することもなく気持ちよさそうに目を細めた。

 

「ほら、大人しいでしょ」

「はい。可愛いです」

「動物は人を見る目があるから、三船さんは良い人ってことだね」

「ワタシにはすっごい怯えテるんダケド」

「構いすぎ。あんなにわしゃわしゃしてたら逃げるのも当然。そのせいでわたしも警戒されてる」

 

 ロッティがそっと手を近づけようとしても、はんぺんはびくりと反応する。

 ここに来るまで、やたらと撫ですぎたせいだ。ここまで嫌がられてるのは、あとは生徒会長の中川さんくらい。いまだに追いかけられた時のトラウマが残っているようで、目が合おうものなら脱兎のごとく逃げる。

 勘が良いもので、優木さんの姿でもはんぺんは避ける。本人は仲良くしたいと言っているが……叶うのはいつになることやら。

 

「長居しちゃ邪魔になるね。僕らはもう行くよ」

「シオリコ、スクールアイドルやるってなったら協力する」

「そのトキは呼んでネ!」

 

 まだ続けようとする二人を引っ張って、三船さんから引きはがす。ずるずると引きずられながらも、彼女たちは手を振って声を張り上げていた。

 

 

 

 

 中庭では、軽音楽部が熱演熱唱を繰り広げていた。部員数が多いこともあって、ステージの時間はかなり長い。

 それ目当ての子もいるみたいで、聞き入って動かない子がたくさんいた。

 

 僕たちもその一人となって、バンドを眺める。

 来てくれた人を快く迎え入れるためか、アップテンポの曲多めで繰り広げられるバンド演奏。ついついつられてテンションが上がる。

 うんうん。かき鳴らされるエレキギターとか、踊るドラムの音とか、打ち込みでは味わえない生の感覚はやっぱり良い。

 想定していたよりも長く堪能して、幕間にようやく引き戻される。僕自身はずっとここにいてもいい気持ちだけど、そうはいかない。

 さて次はどこへ行こうかと、脳内のニジガクマップを広げていると……

 

「お?」

 

 見知った顔がこちらへ歩いてきた。

 

「みーくんさんじゃないすか。はろはろです」

「やあ。夏休みぶりだね」

「ですです。Alpheccaの作曲家様が覚えててくれて光栄す」

 

 愛の友達の、ゆるふわウェーブ茶髪さんだ。今日も今日とて制服を着崩して、半分くらいしか目が開いていない。

 

「うちのステージ、見てくれたんすか?」

「うん。さっき、君の出番を見てた」

 

 前に会った時は確かアコースティックギターのケースを抱えていたけど、今日はベース。

 演奏する彼女は普段のだるっとした姿勢からは想像つかないくらい、かっこよかった。バンドは専門じゃないけど、披露していた曲は確実に彼女という柱があってのもの。

 

「にひひ。やー、嬉しいす。部の人に自慢できちゃうなー」

「自慢?」

「今やみーくんさんは注目の的すからね。あたしみたいな音楽してる人間からは特に矢印が向いてるすよ。Alpheccaは全世界の女の子の憧れすからねえ。あたしもあやかろあやかろ」

 

 へへへ、と言いながら、彼女はロッティとディアの手を握る。

 

「どもども、しがない軽音楽部のしがないベースですです」

「そんなことない。アナタのベースとてもよかった。あれがなかったら、あの曲は成り立ってない」

「ソウソウ! オナカに響く音だったヨ! エンノ、エンノ……」

「縁の下の力持ち」

そのとおり(Genau)!」

 

 二人も同じことを感じていた。

 ベースはあまり目立つようなポジションじゃない。でもだからこそ、僕たちは注目した。

 周りを引き立てるために陰から支えながら、そこにいるという存在感も放つ。そんなことは、生半可な努力じゃできないし、目立ちたがりな高校生バンドでは珍しい。

 

「ええ子やねえ、ほんと。お姉さん浄化されそう。お世辞でも嬉しみマリアナ海溝」

「おセージ?」

「お世辞。相手に気に入られるための言葉」

「オセジなんかじゃなイ! そうダ、今度ワタシたちと一緒にやろウ! ね、ディア!」

「…………まあ、オリジナル曲はあげられないけど、何かのカバーとかなら」

「マジでぇ!? でも……」

 

 彼女はちらりと僕を見る。

 

「いいんじゃないかな、面白そう。僕もピアノで参戦していい?」

「うえぇ、Alpheccaとみーくんさんの中に……あたしっすかあ!? ちなみにそれって……」

「撮影して、こっちの動画チャンネルで上げル! タイトルは……【生楽器で演奏】?」

「【生音演奏 ニジガクバージョン】かな」

「んじゃ、練習しなきゃネ! アナタはいつがいイ?」

「明日からでもいい?」

 

 どんどんと進んでいく話に、流石の彼女もしどろもどろになる。

 いやでもほんと、あんな調和を生み出せる彼女と一緒に演奏だなんて、興味が惹かれる。

 

「ややややばぁ……現実味無え~……助けて、みーくんさん」

「僕は明日からでもいけるよ」

「ひえぇ」

 

 

 

 

「サッキ演じてた人とおんなじ……ヒト?」

「……のはず。自信ない」

 

 珍しく、ロッティとディアはぽかんとしている。その相手は、僕もお世話になっている演劇部の部長。

 ホールで行われた演劇部による舞台劇を鑑賞したあと、入口まで観客を見送りに来た彼女に、労いついでに声をかけたのだ。

 

「ふうん。私の誘いを断ったのは、この子たちがいるから?」

「君のお誘いは冗談だと思ってたよ。演劇部のほうで忙しいって、しずくから聞いてたから」

「いつでも忙しいわけじゃないよ。この後は後輩たちに出番を譲るしね」

 

 午後の部は、一、二年生のみが裏方含めてほとんど任されるらしい。そっちも見てみたいな。年々レベル上がってるんだもの。

 

「声も全然違う」

「ジツは別人だったリ」

「でも顔は一緒」

 

 訝しむような目で見るロッティとディアに、演劇部部長さんは首を傾げる。

 

「この二人も演劇見たんだ。君の役と素のギャップが激しかったから、戸惑ってるみたい」

「役者冥利に尽きるね」

 

 彼女の変幻自在、千変万化ぶりは目を見張るものがある。

 優れた表現者は佇まいだけでその場の空気を変えてしまうと聞いたことがあるけれど、まさに彼女がそうだった。

 圧倒的な演技力に飲み込まれないようにするだけで、周りは苦労していることだろう。

 

 ふふ、とほほ笑んで、彼女は二人にウインクした。

 

「オトナ」

「オトナだネ」

 

 いまだ唖然としている二人を置いて、彼女は僕へ向き直った。

 

「ところで、湊はこの後は時間あるの?」

「この二人とまだ校内を回る予定。一緒に来る?」

「いや、邪魔しちゃ悪いから、やめておくよ。お詫びはカフェモカでいいよ」

「そうだね。君とは話したいこともあるし……また連絡するよ」

 

 僕に何があったのか。彼女もそれを気にしていた。

 知り合いってほど浅い関係でもない。心配してくれた彼女に、家族のことや同好会であったことを打ち明けるつもりだ。

 

「ちなみにその話って、私と君の二人で?」

「まああんまり他の人に聞かれたくない内容だからね。そう、二人で」

「それはそれは。しずくに悪いね。けど、ふふ、待ってるよ」

 

 ひらひらと手を振って、彼女は去っていく。その姿すら、様になっていた。

 

「オトナ」

「オトナだったネ」

 

 それしか言えない二人の気持ちも、なんとなくわかる。

 

 

 

 

「ミナト、やっぱり人たらしだった」

「ホント。女の子ばっかり声かけられてタ」

「虹ヶ咲は女の子のほうが多いから、必然的にそうなっただけ」

 

 ほら、ちゃんと見てみれば、あちらこちらに男子生徒がいるし、オープンキャンパスに来てくれている子たちの中にも男の子がちらほらいるだろう。

 

「てか、人たらしなんて言葉どこで覚えてきたんだ」

「エマ」

 

 またか。また負の連鎖か。

 

「ミナトはドンカンでボクネンジンでイジワルだって言ってタ」

「全部聞いたことあるな……僕ってそんなに嫌われてる?」

「いや、あれはむしろ……」

「あっ、ロッティちゃんだ!」

 

 高い声に振り向けば、小さな女の子がこちらを指差している。手を繋いでいるのは、近くの中学の制服を着た子。姉妹で虹ヶ咲に見学に来たようだ。

 声に反応して、周りにいた人が一斉にこちらを見た。

 

「ディアちゃんもいる!」

「虹ヶ咲に転入してきたのって、本当なんだ!」

 

 ざわざわと、Alpheccaを見る目が集まってくる。一瞬後には人だかりが、僕らを囲むようにして出来上がっていた。

 これまで騒がれてなかったのに。どうやらAlpheccaが転入しているのは知っていても、まさかすぐそこにいるなんて思いもしてなかったみたいだ。

 

「あ、あのあの、サインください!」

「いいヨ!」

「色紙とか持ってきたらよかった……!」

「そんなときのために持ち歩いてる。これに書いてあげる」

 

 手慣れたもので、突然のことだというのに、ロッティとディアは一人ひとりに丁寧に応対していく。

 普段もこうやって囲まれることがあるのだろうか。そういえば、彼女らの両親も路上で写真撮影頼まれてたなあ。

 

「てててて天王寺湊さんっ」

 

 気づけば、男の子が目を潤ませながら、僕の目の前で手を震わせていた。

 

「俺、マジで天王寺さんリスペクトなんです! 応援してます!」

「わ、わ、わ、私も! この前の動画で天王寺さんのこと知って、ファンになりました!」

 

 僕のほうにまで、人が集まってくる。サインも求められたけど、そんなの考えたことないからどうしよう……

 とりあえず、Alpheccaのロゴと自分の名前を書く。特に遊び心もないサインだけど――

 

「マジこれ一生の宝物にします!」

 

 好評だったのでなにより。

 中学生って、熱がすごい。それからもどんどんと寄ってくる子たちに、僕ら三人はしばらく握手やサインをせがまれた。

 来てくれたファンに対して逃げるとかあしらうとか出来るはずもなく……結局全員が満足し終わるまで、人の波に揉まれた。

 

「アハハ、ゆっくり回ルどころじゃなかったネ!」

「サイン書きすぎた。腕痛い」

「今日一日ぶんの元気を持ってかれたね」

 

 人が人を呼んで、書いても書いても減らないどころか増え続けてたのは軽くホラーだった。

 

「でも、有名になって嬉しいんじゃなイ?」

「僕は推しを影から支えたいのであって、推しになりたいわけじゃ……」

「お菓子ダ!」

「聞けよ」

 

 いつの間にか、部や同好会のブースがひしめき合う西棟までやってきていた。

 これまたファンだという駄菓子同好会から特別にひとつだけ駄菓子を貰って、再び回る。

 こう見るとやっぱりうちの部は多いね。いつもは人がいっぱいいても有りあまるスペースがあるはずのここでも、ブースでいっぱいになってる。

 

「あ、湊く~ん」

 

 こちらに声をかけてきたのは、我らがスクールアイドル同好会のエマ。

 他と同じく立てられたブースに残っているのはエマと果林だけだった。他はビラ配りだとか、動画編集の大詰めをしているとかで出払っているらしい。

 

「周りの様子はどうだった?」

「例年通り盛り上がってたよ。僕はもうへとへと」

「えぇ? なんで?」

「なんでって、迫りくる人々に、果敢にも挑んだから」

「?」

 

 まさか僕がサインをねだられたとは夢にも思うまい。

 

「二人は楽しめた?」

「ウン! ニジガク、みんナキラキラしてル!」

「駄菓子も貰った」

「よかったわね」

 

 果林はロッティとディアの頭を撫でる。

 落ち着いた雰囲気の彼女からは、エマとは別のお母さんみを感じる。そのうちカリンママとか言い出さないだろうな。

 

「あ、そうだ。さっきね、同好会に入りたいって人が来たんだ」

「へえ、中学生の子?」

「ううん。高二。香港からの短期留学生だって」

「スクールアイドルフェスティバルを見て、虹ヶ咲に来たらしいのよ」

「ホンコン! リュウガクセイってことは、ワタシたちと一緒ダ!」

「国際色豊か」

 

 スクールアイドルを目指して留学なんて、エマやロッティ、ディアと同じ。あのフェスティバルにそれほどの影響があったなんて……やってよかった。

 どんな子か楽しみだな。

 

 話し込んでいると、あっという間に時間が経っていた。ちらりと時計を見ると、目当てのものが始まるまでもうすぐまで迫ってきていた。

 

「そろそろ、スクールアイドル同好会の時間だ。それだけは見ないとね」

「じゃあ、一緒に見に行きましょう」

 

 『ただいま、席を外しています』。その文と、手を合わせて謝罪をしているデフォルメされたエマが描かれている小さなボードを置いて、果林は立ち上がる。

 各部のお披露目もそろそろ落ち着いてくるころ。ファンも後輩も、しばらくはここに来ないだろう。

 

「完成形見てないから楽しみ」

「あ、そうなんだ?」

「そもそもワタシたち、今回カメラマン!」

「第一回のフェスティバルにはわたしたちは参加してないから、動画に出るのは違うと思って」

「名前ダケは出るヨ。『Alphecca 参加決定!』ッテ」

 

 Alpheccaはあくまで、自分たちのことを主催者側ではなく参加者として見ている。

 今回は第二回の開催と参加者募集の告知なので、出演はきっぱり断っていた。あんまり気にしなくてもいいと思うが、二人には二人のこだわりがある。

 ま、名前を出すだけでも宣伝効果はありそうだ。

 

 僕らが目当ての場所に到着すると、すでにたくさんの人が押し寄せてきていた。

 一階にいる人も二階にいる人も、その視線は二階に設置されている超大型モニターに釘付けになっている。

 集まっている人はどうやらスクールアイドル同好会目当てのようで、耳をすませば期待する声が聞こえてくる。

 

「お、始まる始まる」

 

 真っ黒な画面に、ぱっと色がつく。

 おお、僕や見ている人の口から感嘆の息が漏れる。

 いきなりバーンと音が出るなんてことはなく、映ったのはどこかの草原。後ろに見える橋は、東京ゲートブリッジだろうか。

 そして原っぱの上を、スーツ姿のかすみが悠然と歩き……こけた。

 ぱっとシーンが変わり、今度はグリーンバックで、しずくがかっこよく……こけた。かと思えば、璃奈と彼方がすやすやと寝ている微笑ましい姿が映る。

 

 ……うーん、えーと?

 

 僕が首をひねると、またシーンが変わった。

 本撮影に移る前の部室のようだ。頬杖をついて目を閉じている果林が、気持ちよさそうにして寝言を言っている。

 

〈もうちょっと寝かせて、エマぁ……〉

「は、早く消してー!」

 

 動画の中とは対照的に、珍しく顔を赤くした現実の果林が、屋内に響き渡るほどの叫びを上げる。

 

「アハハ、カリン、カワイイ!」

「あれが第二回フェスティバルの告知動画?」

「いや~、あれはボツにした動画だねえ」

 

 だろうね。果林があんな隙のある姿をでかでかと映すなんてこと、許すとは考えられない。

 これはこれで面白いが、かなりかっこいい作品に仕上がったって聞いてたから、これはつまり……

 

「トラブルっぽいね」

 

 それを示すように、ぷつりと映像が途切れた。

 たぶん同好会の誰かがミスに気付いたのだろう。しかしどうやら、すぐに再開しないところを見ると、正しい映像が入ったディスクなりメモリーなりは手元にないようだ。となれば、部室に取りにいかなきゃならない。

 すぐ誰かが動かないと……

 

「大丈夫大丈夫。ほら」

 

 彼方が僕を制して、向こうを指差す。

 音源や動画を流すためのコントロールルームから、璃奈が走っていくのが見えた。それに続いて、かすみ、しずく。ちゃんとした動画を取りに戻っているようだ。

 それはいいんだけど、それまでの空いた時間はどうしよう。

 集まってくれている人たちをずっと待たせるのも悪いし……そもそもあれで終わりだと思ってる人が大半のようで、集まっていた人はぞろぞろと別のところへ行こうとしている。

 引き留めるのは難しいか。他の部だって動画は流すし、そもそもここに来てくれた人だって、スクールアイドルだけが目的じゃない。もっと時間を取らせてください、とは言えないしなあ……

 

「アレ、誰?」

 

 ロッティが指差したのは、先ほどまで同好会メンバーの恥ずかしい姿が映っていた巨大モニター……ではなく、その前に現れた、一人の少女だ。

 すらりとした長い髪、遠目からでもわかる均整の取れたプロポーションの美しい人が、自信たっぷりの表情でそこに立っていた。

 赤いカーディガンを着ているが、その下は虹ヶ咲の制服。でも、あんな人見たことはないんだが……

 

「スクールアイドル、ショウ・ランジュのデビューステージよ!」

 

 自信満々に上着を脱ぎ捨てた彼女は、綺麗な通る声を轟かせた。

 

「伝説の始まりを、心に刻みなさい!」

 

 その言葉を合図に、音楽が流れだす。一瞬にして、その場の全員の視線が固定された。だってあまりにも、彼女の動作は優雅さに満ちていたからだ。

 マイクを通さずとも校内に響き渡る綺麗な歌声、同好会の誰よりも激しいダンス。EDMに合うだけのキレと華美さに、注目せずにはいられない。

 彼女は本当に制服でやってるのか、ちゃんとした衣装で踊ってるんじゃないかと錯覚してしまう。

 一瞬ごとに脳を揺らしてくるような衝撃に思わず、体でリズムを刻む。

 自分の世界に引き込んでしまうとは、素晴らしい傑物じゃないか。

 

 曲が終わり、すぐさま拍手が起こる。あれが誰だかわからないけれど、この場のみんなが雰囲気に呑まれ、束の間息を忘れていた。

 少女が賞賛を一身に受け、満足げに微笑んでいると、モニターの様子が変わった。黒い画面に、『NJIGASAKI HIGH SCHOOL』の文字と、侑のナレーション。こちらが正しい動画のようだ。

 あの子のおかげで、ほとんどの人が去っていかずにそれを目にし、歓声を上げる。

 

「新しいスクールアイドル……」

 

 だけど僕は、あの謎の美少女のことが気がかりになっていた。



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58 Y.G.国際学園

 オープンキャンパスも無事……無事? まあ大きな事故もなく終えることができた。

 流してしまったNG動画も、その後の正式版も大好評で、パンクを直したメールボックスがまたしても容量いっぱいに近づいていく。

 あのとき彗星のごとく現れた謎のスクールアイドル、鐘嵐珠(ショウ・ランジュ)。彼女が件の、同好会に入ろうとしていた人物だそうだ。しかし結局、同好会に入らないことに決めたらしい。挑発的な言葉と一緒にそれを告げられたと、かすみが憤慨していた。

 だが、敵対だとかそういうのじゃなく、ライバル関係としての発言らしいとは、侑の話。

 

 みんなはすでに面合わせしたようだけど、僕とロッティ、ディアはあの後、第二回フェスティバルの動画を見て、その場でショウ・ランジュのことも交えて感想を言い合っていたものだから、機会を逃してしまった。

 せっかくなんだから、呼んでくれたらよかったのに。

 

「内容的には、前回のをベースにする形でいいと思うんだけど」

「賛成でーす!」

「いいと思う! 愛さんもまだまだやりたいことたくさんあるよ!」

「湊さんは何か意見あります?」

 

 振られて、考え事に没頭していた僕ははっとする。

 

「いや、いいんじゃないかな。前の続編を希望してる人が多いから、何かを大きく変える理由はないと思うよ」

 

 今は部室で、第二回スクールアイドルフェスティバルの会議中。

 動画の宣伝効果が大きく、多数の高校から参加希望の連絡が来ていた。前からがらりと変えてしまうとコレジャナイ感が強くなってしまうし、とりあえずは規模を大きくするという方向で話がつく。

 あれこれ変えても手が回らないだろうし。

 

「一番怖いのは、天気ですね」

「たしかに」

 

 しずくと璃奈がもっともな懸案事項を言う。

 第一回の時は、雨で大幅なスケジュール変更を余儀なくされてしまった。仕方ない部分ではあるが、それに備えたプランも用意しておかなければならない。またびしょびしょになるのはごめんだ。

 

「すべてを屋内ステージで出来ればいいんだけど」

「その場合、大きな場所を探す必要がありますね。参加者も前回より増えそうですし」

 

 実際には現実的ではない。キャパが小さいならどうにでもなりそうだが、前よりもっと多い客が来るとなると、相当数になりそうだし。

 屋外であっても、屋根があるところならそれなりにありそうだから、そっちを当たる手もありだろう。

 

「じゃあ、これを窓に飾ろうよ~」

 

 彼方が代わりに、机にあるものをどんと置く。

 

「てるてる坊主だよ。遥ちゃんと二人で作ったんだ~」

 

 そこに置かれたのは、小さい彼方だった。

 寝ているときと同じ閉じた目、猫のような緩い口元。何より特筆すべきは、布団で簀巻きにされている風貌。

 妙……ではあるが、なんとも愛らしい。これ普通にぬいぐるみとしてグッズ化できるんじゃないか。

 

「テルテルボーズ?」

「晴れになりますように、って吊るすやつ」

 

 今まで黙っていたロッティが、彼方製てるてる坊主をつつきながら疑問を呈する。答えたのはディア。

 

「ヘェ、コレがテルテルボーズ」

「いや、これは全然一般的じゃないからね」

 

 本物はもっと簡単に……説明しなくていいや。後で一緒に作ろう。

 

「東雲と藤黄からは、参加決定の連絡が来てたし、そっちの打ち合わせも始めないとだね」

 

 東雲のクリスティーナさんと藤黄の紫藤さんに打診したら即座に、もちろん参加する、とのお返事をいただいた。

 これで、前回レベルの盛り上がりは保証されたといってもいい。あとはどれほど周りを巻き込めるか、だ。

 参加希望の高校はたくさんあるけれど、その全てが出られるかというと怪しい。学校間で許可が取れるかという心配もあるし、日程、距離の問題もある。

 より多くと繋がりたいという願いを叶えるなら……やっぱり手伝い程度で収まってるわけにはいかないよなあ。

 

「あ」

「どうしたの?」

 

 着々と話が進む中、スマホを眺めていたエマに、果林が反応する。

 

「他の高校でスクールアイドルをやってる友達からなんだけど、私たちと合同ライブやりたいって」

 

 

 

 

「Y.G.国際学園スクールアイドル部部長のジェニファーと」

「副部長のラクシャータです」

 

 エマさんに来た連絡に返事を出してからすぐ、その高校の代表が訪ねてきた。

 アメリカ出身、金髪ツインテールの、はきはきした快闊な印象を受けるジェニファーさん。

 インド出身、褐色の肌がエキゾチックな、落ち着いた雰囲気のラクシャータさん。

 

「Y.G.国際学園……」

「海外からの留学生が多く在籍する高校ですね」

 

 具体的には、『日本の高校相当』として認可されているインターナショナル・スクールだ。

 スクールアイドル部にも留学生が多い。確か……サイバー系の衣装が特徴のところだったかな。

 様々な国の人が集まっているからか、個性は虹ヶ咲並に強く、軍服着た子もいなかったっけか。

 

「うん。二人とは留学生が集まるネットコミュニティで知り合ったんだ。お互いスクールアイドルやってるってわかって」

「すっごく盛り上がったよね」

「エェ!? ワタシ知らなイ!」

「あ、後で教えてあげるから……」

 

 エマに詰め寄る勢いのロッティをこちらに引き寄せ、黙らせる。放っておくとすぐ話に混ざっちゃうんだから、この子は。

 黙らせるのは簡単。口にお菓子を放り込みます。するとあら不思議、座って頬張るだけの、大人しい子に大変身。

 

「もちろん、スクールアイドルフェスティバルにも参加したいです」

 

 二人の本題はそれ。かねてより虹ヶ咲とは交流したかったそうだ。先日の告知動画を見て、これはチャンスだと思ったらしい。それで、エマにコンタクトを取ってきたというわけだ。

 

「大歓迎だよ!」

「ありがとう。その前に、お互いのことをよく知りたいなって思って」

「だから合同ライブ」

 

 璃奈の言葉に、二人とも頷いた。

 

「いいですね! 私たちもY.G.国際のライブ見たいです!」

「決まりね」

 

 ジェニファーさんはパチンと指を鳴らす。

 こちらとしても、相手を全く知らないままフェスティバルを迎えるのはなんだかなあ、と思っていたところだ。

 それに強烈な個性のY.G.国際と、それをまとめている二人の手腕を見ておくことは、非常にためになるに違いない。

 

「昨日のランジュのライブもすごく良かったし、みんなのステージも楽しみ! ……どうしたの?」

 

 ジェニファーさんが、かすみを見て疑問符を浮かべる。当のかすみは、わなわなと身体を震わせているかと思いきや……

 

「ショウ・ランジュがライブやったんですか!?」

「行きたかったー!」

 

 ランジュのことを敵視してるかすみのリアクションも、心底悔しそうに拳を握る侑もなんか……ブレないって感じ。

 

「ゲリラライブでしたから、見られたのは途中からでしたけどね」

 

 ラクシャータさんが補足する。

 なるほど、デビューで一気に注目を集めた彼女が、さらに話題性を獲得しようとするなら、ゲリラライブは納得のいく戦略だ。

 噂が噂を呼び、ライブをやれば情報が拡散され、一層話題になる。

 ただし、他のアイドルは真似できないだろう。あの恐ろしいまでの高い基準の実力と、それをアウェーでやりきる気骨があるからこそだ。

 

「盛り上がったんですか!?」

「うん、とっても!」

「むっきー! 悔しいですー!!」

 

 口でむっきーなんて言う人初めて見た。それだけでなく、かすみは地団駄を踏み始めた。

 強気な態度で挑発されたことを根に持っているらしく、敵愾心を抱いているようで、ショウ・ランジュの話題となると怒るか、苦々しい顔をする。

 

「そういえば彼女、ここにはいないみたいですが……」

「ランジュさんは、同好会には所属していないんです」

「え、そうなの?」

 

 せつ菜の答えに、二人とも驚く。

 

「せっかくだし、ライブに出てくれたら嬉しいけど……」

「湊さんはそういうのお得意ですから、どうにかできないでしょうか」

 

 そういうの?

 

「いつもみたいに、お話してちょちょいと」

 

 いつもみたいに?

 

「ちょちょいって簡単に言うけどね、僕はそもそもまだそのショウ・ランジュとは会ってないし……」

「そっかあ」

 

 どういう心づもりで同好会に入らなかったのか、は聞いている。

 曰く、『アイドルは夢を与えるだけでいい』。

 ファンと交流して、ファンとともに作り上げる同好会のやり方と、彼女のやり方は全く違う。それが、ショウ・ランジュが同好会への入部を取り消した理由。

 

 ただ、実際に彼女の口から言葉を聞いてみないことには、どうとも言えない。

 話を総合してみると、敵対するわけでもなく、高め合う相手としてこちらを見ているようだし。

 

 スクールアイドル鐘嵐珠……か。



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59 鐘嵐珠という人

 Y.G.国際学園との話し合いは侑たちに任せ、僕は部室を抜け、食堂のいつもの奥の席へ座る。

 気になって、あの凄まじいパフォーマンスをやってのけた鐘嵐珠のことを調べていた。

 自らバシバシと情報を発信しているようで、プロフィールはちょっと検索しただけですぐ出てくる。もうファンサイトも作られていた。

 虹ヶ咲に短期留学してきた二年生で、香港からやってきたらしい。

 あのダンスに歌……生半かな練習量じゃ辿りつけないレベルだ。実力だけで言えば、Alpheccaとそう大差ないかもしれない。

 

「アナタ、天王寺湊ね?」

 

 噂をすれば、である。

 あの時と同じ、制服の上に赤いカーディガンを着た鐘嵐珠が立っていた。

 

「ショウ・ランジュ……」

「ランジュでいいわ。お互い堅苦しいのはナシにしましょ」

「じゃあ、ランジュ」

「物分かりが良いのは好きよ、湊」

 

 無遠慮に座るランジュ。僕はもう一人、彼女の傍らに座る少女に目をやった。

 プラチナブロンドのショートヘアと灰色の目、璃奈とはまた違ったベクトルの、人形のような端正な顔立ち。

 

「ミア・テイラーさんも、初めまして」

「ボクのこと、知ってるの?」

「音楽やってて君のことを知らないなんて、勉強不足もいいとこだよ」

 

 ミア・テイラー。音楽の名門テイラー家の天才娘。彼女自身が作った曲は聞いたことがあるが、その全てが素晴らしいの一言に尽きる。世界的な期待の新人という評価には納得しかない。

 とても十四歳とは思えないほど、音に対して真摯に向き合っている才女だ。その彼女の名前が、ランジュとともに出てきたのは驚きだった。

 先日のオープンキャンパスでランジュが披露した『Eutopia』も、ミア・テイラー作。であれば、あのクオリティの高さは頷ける。

 

 つまりこの二人は、最高の曲を作る作曲家と、最高のパフォーマンスをするアイドルのコンビなのだ。

 

「ここっていいところね。本当は二学期が始まるのと同時に転入してくるつもりだったんだけど、少し遅れちゃったわ」

 

 まるで普通の女の子のように、ふふっとほほ笑む。

 

「オープンキャンパスの時は助かったよ。君のおかげでなんとかなった……らしいね」

「ああ、あれくらいどうってことないわ。それにちょうどよかったわ。アタシの実力を知らしめることができたんだもの」

 

 知らしめる、という点では確かにあれ以上はない。

 虹ヶ咲で、虹ヶ咲の今と未来の学生を前に、圧倒的な舞いを見せつけた。あの場の全員が彼女に釘付けになって、虜になったのだ。

 僕もそのうちの一人。あのガツンと来るような衝撃は、いまだに頭に残っている。

 

「で、何か用?」

「用がなかったら、ここに座っちゃいけないのかしら?」

「用がなかったら、わざわざ僕の前に座らないだろう」

 

 スクールアイドル鐘嵐珠が、スクールアイドル同好会の天王寺湊の前に偶然現れて、ただ挨拶をするだけ……なんてことは思わない。

 口ぶりからして、探しに来たというほうが正しいだろう。

 

「単刀直入に言うわ。湊、私のところに来なさい」

 

 ズバリ、彼女は言い放ってきた。

 

「渦中も渦中の鐘嵐珠が、スクールアイドル同好会の僕に会いに来た理由はそれか」

「そ。あなたをスカウトしに来たの。アナタのこと、調べさせてもらったわ。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のプロデューサー兼作曲家。他の部や学校との交渉もこなして、いくつものステージを滞りなく終わらせた立役者」

 

 だいぶ良い評価を貰えているみたいだ。いや、HPを見たのかも。彼女が言ったのと似たような文章が書いてあった気がする。

 

「ただアタシは、もう一つの顔のほうに興味があるの」

「もう一つ?」

「Alphecca」

 

 僕の手がぴたりと止まったのを見て、彼女はにやりと笑う。

 

「オーストリアで大活躍のスクールアイドル。今はここ、虹ヶ咲にいる。アナタには説明不要よね。アタシよりも、誰よりも知ってるはずだもの」

 

 それはそう。なにせ僕はその一員なんだから。

 

「Alpheccaの爆発的人気の秘密。それはシャルロッテとクラウディア姉妹の高いパフォーマンス力だけじゃない。考えられたデザインの衣装や装飾、その時々に合った髪型や化粧」

「それはほとんど、彼女たちのセンスだ。作成もアレンジも二人の役割」

「その全てを差し置いて、何よりもAlpheccaを表してるのは……曲」

 

 ランジュは僕の顔を指差す。

 

「アナタ、留学してAlpheccaの二人と出会って、それからスクールアイドルをするように誘ったのよね?」

「逆。誘われたのは僕のほう」

 

 これは彼女が知っていても特に驚きはしない。校内新聞の一面を飾った同好会のインタビュー記事に書いてある。

 

「なんにしても、会ってからデビューまでの数か月間で、あれだけの曲を作るなんて大したものよ。そこまで情熱を燃やせるなんて……」

「熱心?」

「ほとんど病的。でもそんな人が、ランジュには必要なの。類いまれな才能と、狂ってるくらいのこだわりを持ってる人材が」

「作曲家ならテイラーさんがいるじゃないか。彼女がいれば、僕は必要ないと思うけど」

「頑固だと聞いていたけれど、話の分かる男みたいだね」

 

 テイラーさんは腕を組んで、やれやれといった口調で続ける。

 

「ボクもそう言ったんだけど、ランジュが聞かなくって。それにボク個人としても、キミに興味がある」

「という割には、すごい睨んでくるけど」

 

 先ほどから見ないようにしていたが、強い視線がずっとこちらに向けられていた。

 

「それは仕方ないわね。ミア、あなたのことライバル視してるもの」

「天下のテイラー様が、なんでまた」

 

 そう言うと、テイラーさんはむすっとして、ますます眉のしわを深くさせた。

 

「悔しいけど、Alpheccaの人気、動画再生数、評価は今のところランジュより上だから」

「それは曲だけで決まる話じゃない。タイミングや運だって絡んでくる。それにランジュはスクールアイドルになったばかりで……」

「結果が全てよ、湊」

 

 ランジュは言い放った。

 現状、これ以上ないほどのファーストパフォーマンスをして、彼女はその出来には満足しながら、結果には一切満足していない。

 目標は、トップオブトップ。

 そこに至るまでに足りていないものを冷静に分析して、埋めようとしている。

 

「だからランジュはアナタが欲しいの。ミアとアナタが組めば無敵よ」

「スクールアイドル向きの曲を作るのは、君に一日の長があるのは認めるよ。その技術を盗むなら、近くに置いたほうがいい」

「ほら、ミアも賛成ですって」

 

 どうやら二人とも本気らしい。

 貪欲なまでに上を行こうとするぎらついた目が燃えている。

 

「これはアナタにもチャンスなのよ。一流のミアの傍にいれば、アナタ自身も成長できる。これは、別に私だけが得する話じゃないの」

 

 かなり手強い。

 自身のカリスマに頼るだけじゃなく、ちゃんとした交渉術も使いこなしてくる。諦めさせるのは骨が折れそうだ。

 

 僕はいまいちこの話に乗り気じゃない。。

 彼女を手伝う程度ならともかく、完全にチームとしてやっていくという話なら無理だ。同好会だけで手いっぱいなのに、そちらに混ざる余裕はない。完全にキャパ超え。

 ロッティとディアも入ってきて、第二回スクールアイドルフェスティバルも控えているというのに、別グループに構うなんて、とてもじゃないが不可能。

 

 スクールアイドルを始めようとするランジュに手を貸してやりたい気持ちはあるが……あのパフォーマンスが出来るほどの実力と胆力、そして作曲家がミア・テイラーともなると、僕は別にいらないんじゃないかと思う。

 それに……

 

「お互い、知らない人間同士だろ」

「知れば、頷いてくれるのかしら?」

 

 そういうわけじゃ、と僕が反論する前に、ランジュは立ち上がっていた。

 

「ならついてきなさい、湊。私のこと、教えてあげる」

 

 

 

 

「これ食べてみて、湊! 不思議な味よ!」

「わかってるから、もうちょっと声を落として」

 

 僕はなんで……駄菓子屋になんているんだろう。

 ランジュは僕の手を引っ張ったかと思えば、お台場のハイカラ横丁まで着いてこさせた。

 ここは僕が生まれた時よりももっと前の時代を模したところで、当時流行っていたグッズやブロマイドなどなど、大人が来ればノスタルジーを感じるものがたくさん置いてある。

 

 梅ジャムせんぺいを渡してくるランジュを、どうどうと落ち着かせた。ちなみにテイラーさんは、『興味ない』と言ってさっさと帰ってしまった。

 

「なによ、その複雑な顔」

「いや、なんというかこう……ステージを見せてくるのかと」

 

 こういう展開は、実力を見せて頭を縦に振らせるというのが定石だと思ったけど、肩透かしを食らった気分だ。

 

「それは、この後に存分に見せてあげるわ。でも、アナタにはこういう面も見せておかなきゃ、でしょ?」

「どういう意味?」

「スクールアイドルのことをちゃんと見ていて、その人に合った曲を作るのが湊のやり方っていうのを見たけど」

「どこで?」

「アナタたちの公式HP。あのHP、なんでアナタの顔が載ってないの? おかげで探すのに少し苦労したわ」

「僕はアイドルじゃないし」

「でも別に隠してるわけじゃないんでしょ? ネットで検索したら、湊の写真がいくつか出てきたわよ」

「怖……」

 

 僕の肖像権はいずこへ。写真を流すほうも見るほうも、何を求めてるんだ。

 そんなことは置いておいて、次に向かったのは先ほどのお隣の施設、アクアシティ。東京湾が一望できる七階。

 ランジュは早速、ここに設置されたおみくじ販売機にお金を入れ、出てきた紙を見せつけてきた。

 

「大吉ですって!」

 

 僕は吉。願望(ねがいごと)、突き進めば叶う。

 こういうのって、大吉引いたことないんだよな。入ってる数は多いはずなのに。

 

「ぐぬぬ……どうしてショウ・ランジュなんかと親しげに……っ」

 

 引いたおみくじを見せ合っていると、なにやら怨念のこもった声が耳に入ってくる。

 

「湊、どうしたの?」

「……いや、なんでも」

 

 よく知った声が聞こえてきたような気がした。が、振り返っても誰もいない。

 首を傾げて、気のせいだと思い、僕はランジュに向き直った。

 

「君はどうして、同好会に入らないんだ? 僕に曲を作ってほしいって話なら、こっちに入ってきたほうが話は早いんじゃないかな」

「あそこじゃ、アタシのやりたいことを叶えられないわ」

 

 ランジュはきっぱりと言い放った。

 

「アタシはトップになる。誰よりも人に夢を与えるアイドルになる。ファンに支えられるなんて、アタシの目指すところとは違うわ」

「トップ、ね。グループじゃなくてソロでやってる虹ヶ咲に来たのは、それも理由?」

「ええ。トップは一人、このランジュがその座をいただくわ。そのためだったらどんな努力もいとわないし、必要な協力はとりつける」

「だから僕に協力しろと」

「なにも、同好会を抜けろなんて言うつもりはないわ。アナタにはアナタの理想とするところがあるでしょうし。ただ、その腕をアタシのためにも振るってほしいの」

 

 こうやって話をして、ようやくランジュがどういう人なのかが見えてきた。

 行動力があって、こうと決めたら一直線。決断したことを叶えるだけの自信と力もある。見る者の目を奪う華麗さは、この世代のカリスマ代表と言える。

 隙がないような、完璧を目指し、完璧に近い人。

 

 ランジュはおみくじに満足すると、まだまだ僕を引き連れまわした。

 

「せっかく東京に来たんだもの。スクールアイドル活動だけで済ますのはもったいないでしょ?」

 

 と言う通り、デザートビュッフェでしこたまアイスやらケーキを食べた後は、ゲーマーズに立ち寄る。

 店内をきょろきょろと見回して、CD・DVDコーナーは一瞥するだけ。何か特定の物を探しているのだろうか、と声を掛けようとした瞬間――

 

「あ、あったわ」

 

 ランジュのお目当ては、なんと虹ヶ咲学園スクールアイドルのグッズ。それぞれが衣装を着ている姿の、アクリルのキーホルダーだった。

 ああ、ここでも売られていたのか。言ってくれたら一緒に探したのに。

 彼女は一種類ずつ計九個を手に取り、顔を綻ばす。

 

「同好会のグッズは買うんだ」

「ええ。それはそれ、これはこれ。アタシはニジガクのスクールアイドルのファンだもの」

 

 彼女はにっこりと笑う。

 

「だったら合同ライブはどう? ちょうど虹ヶ咲とY.G.国際学園で今度、一緒にやるんだ」

「それ、エマにも言われたわ。そっちにも言ったけど、アタシはアタシで自由にやりたいの」

 

 彼女の意思は固い。

 やりたいことが決まっていて、目標もあって、そのために自分の道を進んで……そのためには確かに、同好会に入らないのも一つの手だ。

 それをちゃんと言葉にしてみせる彼女に、僕はどうにも心が揺らいでしまう。

 

「君が問答無用で同好会を潰してこようとする輩だったら、まだ強気に出れたんだけど」

「そんなことしないわ。アタシはアナタたちに夢を貰ったんだもの。ライバルとして見てるけど、潰すなんてそんなことしないわよ」

 

 うーん、ますます断りづらくなる。

 僕がそっちに行って済むなら、それでいいと思えてきた。ランジュが育っていく姿を間近で見たくないと言えば嘘になるし……

 

 レジへグッズを持っていく彼女を眺めながら、僕は額に指を当てる。

 こうやって僕の所へ話を持ちかけてくれているのだから、無下にするのはちょっと心無い。テイラーさんと共同で曲を作るというのも魅力的な話だ。

 しかし、同好会に入ったばかりでふらっと他のアイドルに目を向けるのは、あまりにも不義理だ。先ほども思ったように、Alpheccaも来て手いっぱいだし……

 

「待たせたわね、行きましょ」

 

 戻ってきたランジュは、袋を掲げて見せる。今日一番楽しそうな顔のおかげで、彼女がどれだけ同好会のスクールアイドルが好きなのかがわかる。そのせいでますます、僕の悩みは深くなってしまうのだ。

 そんな僕の手を、彼女は取って引っ張っていく。

 

「次はどこに?」

「お待ちかねの、アタシのステージ」

 

 そこは有明ガーデン五階、水のテラス。

 開放された屋外の広場で、子どもが遊べる噴水エリアもあって、夏場はよく家族連れで賑わっているところだ。

 真ん中に広がる芝生には、どこから情報を得たのか、すでに観客が集まっていた。

 

「もうこんなに人気なのか……」

 

 ランジュは、到着するなり準備に行ってしまった。

 一人残された僕は、できている人だかりの一番後ろに立つ。

 その瞬間、周りがざわざわとし始めた。視線の先、壇の上、みなが待ちわびていたランジュが現れる。

 噴水が上がるのと同時、

 

「よく来たわね、みんな!」

 

 ランジュは手を天に掲げ、存在をアピールする。

 彼女のスタイルを際立たせる黒のチャイナドレス風の衣装に、すねまで届くピンクのコート。

 それだけでもうただならぬ雰囲気を醸し出しているのに、動けば圧倒的なオーラがこれでもかと放たれる。

 あのオープンキャンパスから、たった数日しか経っていない。

 なのに、整えられたステージ、彼女のためだけの衣装が映えて、ますますランジュの美しさを引き立てる。

 ランジュ自身の成長も目を見張るものがあった。前だってビシっと決まっていたのに、今日はそれ以上に綺麗だった。

 

 集まってきた人だけじゃなくて、誰もが憧れてしまうほど、煌びやかに光っていた。

 

 

 

 

 ステージを終えて着替えも終わり、再び僕の前に現れたランジュは、 自信満々に微笑んでいた。

 

「どう、湊? 私のところに来てくれる気になった?」

 

 あんなのを見せられて、その本人に誘われて、首を横に振れる人間なんてどれほどいるだろうか。

 それくらい、彼女は強烈だった。振舞いも、その存在ですら輝いて見えるほどに。

 

 僕は……

 

「ダメです! 湊先輩は渡しません!」

 

 誰かがぶつかってきたと思ったら、腕をぎゅっと掴んでくる。

 

「アナタ、かすかすね!」

「かすかすじゃなくてかすみんですっ! ぐるるるる……っ」

 

 威嚇するような唸り声を上げながら、腕を掴む力をさらに強めるかすみ。

 急に現れた彼女に、僕は目を丸くした。

 

「どうしてここに?」

「はっ! えーとこれは、決して湊先輩とショウ・ランジュの後ろをあれやこれやしてたワケじゃなくてですね……!」

「かすみちゃーん、速いよー」

 

 慌てふためく彼女の後ろから、エマ、彼方、璃奈もやってくる。この反応と合わせると、ここで会ったのは偶然ではないようだ。

 

「尾行してたんだ、四人揃って」

「……うぅ、すみません」

 

 ついに認めて、かすみがしゅんとうなだれる。

 

「君らもついてながら、まったく」

「ごめんね~。かすみちゃんが気になるって言うから仕方なく」

「みなさんも乗り気でしたよね!?」

 

 全員同罪だよ。

 

「アナタたちも見てくれたのね、ランジュのステージ。ありがとう」

 

 そんなことは一切気にせず、ランジュは礼を言う。彼女が別に怒ってないなら、僕も言うことはない。

 かすみはまだ威嚇しているが、他の人の間に一触即発の空気なんてものは一切なかった。とりあえず今のところは。

 

 さて、どこから何を説明しようか、と考え始めたところで、妙案を思いついたようにランジュが手を叩いた。

 

「そうだ。せっかくだから、これからうちに来なさいよ」



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60 決意は優しさで固められる

 案内されたランジュの部屋は、ホテルのスイートルームかと思うほどゴージャスだった。

 

「お部屋広ーい」

「お風呂きれー」

「景色すごーい」

 

 と、見るもの見るものに逐一驚くばかり。

 同好会全員集まってパーティできそうなくらい広い部屋は、どこもかしこもピッカピカで、家具とかも見ただけで高級品と分かる。

 風呂だって、これ三、四人は一緒に入れるくらい大きい湯舟がある。

 部屋も風呂も、窓は一面、東京湾が広がるパノラマビュー。バルコニーがあるから風を感じつつ絶景を楽しむことが出来る。

 さらにはトレーニング部屋もあった。置いてある機器に設定されている負荷は、かすみじゃびくともしないくらい。ホワイトボードに書かれている練習メニューを見ると、毎日相当な訓練を積んでいるようだ。

 ひとしきり中を見学し終わった後、リビングの座り心地のいい椅子に腰を沈め、でかい机の上に差し出されたカップに入れられたお茶を飲む。

 種類だとか良し悪しはわからないが、これがすごく美味いということだけはわかる。

 

「ここで一人暮らししてるの?」

「ええ。人を招いたのは、あなたたちが初めてよ」

「短期留学の間は、ずっとここに?」

「そのつもりよ」

 

 セレブだ。一か月だけでもどれだけのお金が飛んでいくことやら。

 そんなことはどうでもいいと言いたげに、ランジュは自分から話を切りだした。

 

「ねえ、どうだった、ランジュのステージ?」

「そ、それは……」

「とってもよかった」

「本当にみんな、ランジュちゃんに夢中になってたね」

「初めて見た時もそうだけど、圧倒されたよ」

 

 かすみは言い淀んだが、璃奈、彼方、僕は正直な感想を述べる。それに対してランジュは――

 

「当然ね」

 

 ふふん、と笑った。

 

「これが私のやりたいスクールアイドル。鐘嵐珠は集まってくれたファンに最高のパフォーマンスを見せる。そしてファンは、鐘嵐珠のステージに満たされる」

 

 それを体現するかのように、彼女は僕にあのステージを見せた。大言壮語じゃない。出来るだけの力が、ランジュにはある。

 

「私に注目するみんなの顔を見るのは、最高の気分よ。きっかけをくれたあなたたちには感謝してるわ。でも、私はこれからも同好会とは違うソロを追求していく。私自身を証明するためにね」

 

 彼女が今日一日で主張してきたことだ。

 ファンと双方向の関係である同好会とは異なるやり方。それはスクールアイドル鐘嵐珠たった一人による、鐘嵐珠たった一人の価値を知らしめるのが目的。

 

「本当にそれでいいの?」

 

 異を唱えたのは、エマだ。

 

「どういうこと?」

「ランジュちゃんは本当に一人でやりたいの?」

「決まってるでしょ。私はソロでやりたいの。そのために日本に来た。もし同好会に入ってたら、今みたいに自由なステージだってできなかったわ」

「出来るよ」

 

 今度は璃奈が口を挟んだ。

 

「同好会は、そんな場所じゃないよ。もしそうだったら、私はスクールアイドルを続けられなかった」

「だから、ランジュちゃんはランジュちゃんのままで一緒にやれるはずだよ」

「一緒にしないで」

 

 二人の説得も虚しく、ランジュはぴしゃりと言い放つ。

 

「変なこと言うのね。あなたたちも同じスクールアイドルでしょ。なのに、人のことばかり気にして」

 

 心底変な人を見るような目がこちらに注がれる。

 

「私は自分の足で高みに上りたいの。ファンと一緒、なんて言ってる同好会に入ったら、パフォーマンスにも悪影響が出るわ」

 

 ランジュの言うことは、分からないでもない。

 孤高をよしとして、ファンにただ与えるだけを考えるなら、彼女の言い分は正しいだろう。けど――

 

「ランジュちゃん、そんなことないよ」

 

 続きは、彼方が代弁してくれた。

 ランジュは納得はしていない。だが、それ以上突っぱねる言葉は出してこなかった。

 

「そこまで言うなら、証明してみせてくれる? スクールアイドルなら、やり方は分かるわよね」

 

 

 

 

「いったいどういうことですか……? だいたい、なんでショウランジュにおせっかいするんです?」

 

 お互い宣戦布告を交わした後。近くの公園の滑り台に腰を下ろして、ランジュの部屋では終始他の人の言葉に狼狽していたかすみが、不満気にそう漏らす。

 彼女としては、立場上は一応敵であるランジュを気にかけるのが、少し気にくわないのだろう。

 

「エマちゃん、結構前から気にしてたよね」

「最初は私と同じ、スクールアイドルになりたくて日本にまで来た子だから、気になってた。でも、ランジュちゃんを見てたら、本当のことを言ってないんじゃないかって思えたんだ」

「彼方ちゃんもそう思ったよ。ランジュちゃんが言ったこと、わかることもあるけど、わからないこともあるよね」

「私も、そう思う」

 

 陽はもうほとんど傾いて、大きな影を作る。あと一時間ほどもすれば、あたりは暗くなるだろう。

 まだ夏の暑さが残っていて、寒さはない。けれど、秋が形作る侘しさの一端が、顔を覗かせてきていた。

 

「湊くんは?」

「そういえばお兄ちゃん、ランジュさんの家でもほとんど喋ってなかった」

「いや、ずっとズレが気になって」

「ズレ?」

「スクールアイドルフェスティバルがきっかけってランジュは言ってたけど、それならファンと支え合うやり方を否定するような言い方するかなって」

 

 目的もやり方も、一人でやっていくというのも理解は出来た。だけど納得は出来ない。

 

「ソロでやりたいってのは、本当なのかな。半分くらいは本当だとは思うけど……」

 

 ソロアイドルとしてやっていきたいというのは分かる。虹ヶ咲のアイドルを見たなら、グループよりもソロに憧れるのは頷ける。

 それだけなら別に問題はないのだ。同好会に入るも入らないも自由、やり方も自由、どういう考えを持って、目標を何にするかも自由。それがスクールアイドルなのだから。

 しかし、スクールアイドルフェスティバルに感銘を受けながら、一方通行を是とするアイドルになったのは、どうもひっかかる。

 それに、一人で、というのも納得できない。だったら最初からそうすればいい。同好会に入ろうとしなくてよかった。

 彼女自身の奥底に、そう決意させる何かがあるのかも。エマもそこらへんのズレを感じ取っているのだろう。

 

「気になる?」

「もちろん。隠し事は心に毒だからね」

 

 身に染みて理解してることだ。

 溜め込まれている強い思いは、いつかどこかで最悪の形で暴発してしまう。そうなる前に、ランジュの真意を知っておきたい。

 

「うん。私も放っておけない。だって私たちがきっかけでここに来てくれて、スクールアイドルになったんだもん」

 

 ファンと繋がって、支えて、支えられて。それが虹ヶ咲のスクールアイドルだ。そして、ランジュは同好会のファン。

 エマたちを見てスクールアイドルを志し、日本に来て、未来を作ろうとするくらい、同好会に魅せられた人。

 僕たちは、そんな彼女が別の道を行くからといって、何もしないことは選べない。

 

 かすみは唸って、ついに重い腰を上げた。

 

「わかりました! まあ実を言うとかすみんもちょおーっとだけ、ショウランジュのこと気にしてたんですよ」

 

 本当にちょっとか、と苦笑して、続きを促す。

 

「私たちであの人の本音を引っ張り出してあげましょう! そして、もし、同好会に入りたいです~って言ってきたら、全力で歓迎してやるんです! だって、同好会は色んなアイドルがいられる最高の場所なんですから」

「うん!」

 

 エマは満面の笑みで頷く。

 さすが、たった一人になっても同好会の場所を残した我らが部長。その部長が言うんだからやるしかあるまい。

 

 一つ、やることが決まったところで、さてと立ち上がる。

 留まっているのが嫌だったのかもしれない。でも、明確に何をするか答えを出さずに帰ってしまうのも嫌だった。

 小さな公園の中で、気分転換ってわけでもないけど、別のところに移ることでアイデアが湧いてくるかもしれない。揃ってそう思ったようで、何も言わずにブランコへ移る。

 僕は前の柵に腰を下ろして、ちょうど四つのブランコに座す四人を見比べた。似てるようで似てない四人。

 

「でもさっきの感じだと、話しても無理そうですよね」

「かなり意固地になってるみたいだからね」

「だから、スクールアイドルらしい方法でやるしかないんだよ」

 

 エマは真っすぐ前を見てそう言った。

 

 例えば、璃奈がファンと繋がりたいという願いを込めたように。

 例えば、彼方が妹へ自分自身を主張したように。

 ただ言うだけじゃなくて、歌うだけじゃなくて、踊るだけじゃなくて、一つひとつに意味を込めて、伝えたいこと伝える。それがスクールアイドルがやれることで、やるべきこと。

 

「想ってることを最大限伝える方法は、やっぱりそれしかないと思う」

「証人もいるしね」

 

 璃奈と彼方が僕のほうを見る。

 そう。例えば、僕への想いを伝えたように。

 

「ランジュのライブ、凄いと思ったんだろ。目には目を。こっちもやり返してやろう」

 

 確かに、ランジュのパフォーマンスはスクールアイドルとしては群を抜いている。だけど同好会とランジュには決定的に違うところがある。

 

「ファンや仲間との繋がりがあって、僕らは支え合ってる。ランジュからしたら、それは弱いってことなんだろうけど……僕の考えは違う」

 

 ステージでの結果は、実力のみで左右されるものじゃない。曲だけでも、衣装だけでも、装飾だけでもない。全てが一体となって、重なった時に素晴らしいと評されるものになる。

 先に挙げたものだけじゃなく、その場の雰囲気だとか、アイドルとファンの気持ちだとか……決して一定のものじゃないものも含まれる。その大事な一つひとつの要素を無視して、最高のものが作り上げられるだろうか。

 

 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、ランジュから見たら些細な一つを丁寧に掬い上げた。僕はそれで救われた。

 

「支え合わなきゃ、出来ないことだってある」

「支え合って……」

 

 キイキイと、バラバラだったブランコの音が重なる。

 

「ねえ、今度の合同ライブ、四人でやってみない?」

 

 エマの提案に、他の三人は思わず止まった。遅れて、エマも止まって、みんなを見る。

 

「一緒にやったら、もっともっと伝えられる気がするの」

「うん、やろうよ」

 

 彼方が賛同して、璃奈とかすみも頷く。

 もしランジュが本心から独りの道を行きたいのだとしても、この世界にはそれだけじゃないと教えることは出来る。

 願わくば僕らの道に納得してほしい。

 

「湊くん」

「お休み期間は終わりだね」

 

 ショウ・ランジュもミア・テイラーも怖いものか。

 こっちは虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会だ。



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61 ビシバシいくヨ!

 朝。

 二学期になったばかりの時は、登校するたびに僕のファンだというニジガク生徒たちが大勢詰めてきたものだが、ここ最近はその波も落ち着いてきていて、ようやく普段通りの学校生活を送れるようになった。

 ……と思ったのだが、何故だか、うちのクラスがざわざわしてる。他のクラスからも野次馬が集まってきていて、入口がごった返していた。

 

「ミアちゃん、実際に見ると可愛い~」

「ね、ちっちゃくて守ってあげたくなっちゃう」

「誰か話しかけたら?」

「恐れ多い……だってあのテイラーファミリーでしょ?」

 

 間を縫って教室に入ると、なんとクラスメートたちは自分の机には座らず、隅のほうに集まっていた。

 

「そんなに端に寄って、どうかした?」

「お、天王寺。あれあれ、あれだよ」

 

 指差した先は、窓際の席。そこにはあのミア・テイラーが座っていて、ヘッドホンで何かを聞いている。

 

「ミア・テイラー?」

「ここのクラスに転入なんだって」

 

 ここに? でも確か、彼女は十四歳だったはずだけど。

 

「飛び級で高三なんだって。やっぱ天才は頭の出来が根本から違うよねえー」

 

 なるほど。それで僕と同じ学年になってるのか。などと頭の片方で納得しつつ、もう片方では驚きが占めていた。彼女がどのクラスに来るのか気になってたけど、まさか同じクラスになるなんて。しかも、あそこは僕の後ろの席だ。

 みんなの反応もまあ分からんでもない。音楽に携わるならば知らぬ者はいないほどの超有名人、その期待の娘である少女が目の前にいるのだから。

 

 なにやら僕に視線が注がれている。何十もの目はこう訴えてきていた。近くの席のお前が早く話しかけてみろ、と。

 いやまあ、そのつもりだけど……そんな面白がるようなことを言うつもりはないよ。

 

 とんとん、と彼女の机を叩くと、こちらに気が付いた。テイラーさんは僕と目を合わすと、ヘッドホンを外す。

 

「おはよう、テイラーさん」

「Morning. ミアでいいよ。湊、キミもここのクラス?」

「そうだよ。同じクラスとは、因縁めいたものを感じるね」

「因縁の原因はここにいないけどね」

 

 名の通り、嵐のような共通の知り合いを頭に浮かべて、思わず苦笑する。

 

「昨日、あの後もさんざん勧誘されたよ。彼女、しつこいね」

「しつこいで済めばいいね。ボクは頷くまでずーっと話を聞かされた」

 

 その時のことを思い出したようで、彼女は辟易とした表情を見せる。パートナーを組まされたのは、半ば無理やりのようだ。

 

「それで、OKを出したんだ」

「ランジュのパフォーマンス、見ただろ? あれなら、埋もれてしまうなんてことはない。ボクの曲を世界に知らしめるチャンスだと思ってね」

「世界に、ね」

「スクールアイドルの認知度は、今や世界に広がってる。過去のアイドルや、キミのおかげでね。だから話に乗ったのさ」

 

 ふむふむ。ミアの目的は、自分と自分の曲を広めることか。上を目指しているランジュとはウィンウィンの関係ってわけだ。

 そういう合理的な考えや音楽の腕があるからだろうか、そこいらの中学生よりは大人びて見える。身長も侑と同じくらいだし。

 というか外国の人って年上に見えるよね。そっちの成長速度が半端ないのか、日本人が幼いのか。

 

「ところで、なんだか人が集まってきてるようだけど」

「君を一目見ようと集まった野次馬」

 

 僕はどんどんと集まってくる人たちに向かって、しっしっと手を振ったが、ミアが冷たい人ではないとわかって、ますます話したそうにじぃっと見てくる。

 

「日本人は大人しいって聞いたけど」

「残念ながら虹ヶ咲は割とミーハーな人の集まりなんだ」

 

 ミアはちらりと野次馬を見て、興味なさそうに視線を逸らした。

 

 

 

 

「ひい、ひい……シャル子スパルタすぎるよ~!」

「容赦なくやってイイって言ったノ、カスミン」

「そうだけどぉ……」

「休んでる暇あったラ、チョットでもダンス! ヒトリズレるだけデ、全体にエイキョウしてくル!」

 

 放課後。晴天の下、中庭の芝生に倒れ込み、へばった声を出すかすみと、それを叱るロッティ。どこで見つけてきたのか、ロッティは『鬼教官』と書かれたシャツを着ていた。

 

「うぅ、りな子~、助けて~」

「私ももう限界……ぱたり」

「だらしなイなァ」

 

 高密度高負荷なトレーニングを続けてきたロッティにとっては、かすみと璃奈の体力は物足りなく思うのだろう。過酷なダンスステップを課して、本番に耐えられる足腰を作ろうとしている。

 しかし容赦ない特訓に、二人とも虫の息だ。

 

 さてもう二人、彼方とエマを教えるのは……

 

「止まって。いま音違った」

「え、ほんとに?」

「ほんの少しだけリズムも音程も外してた。もう一回。合うようになったら、そこからさらに三十回」

「か、彼方ちゃん今日帰れるかなあ」

 

 『鬼』と書かれたシャツを着ているディアだ。こちらも歌に対して妥協なし。ちょっとでもズレたら、聞き逃さずにやり直しを要求している。

 歌もダンスと並んで、複数人の中でズレたら一目……というか一聞きでわかるところだ。四人となれば、それを合わせるのは至難の業。だからディアは、ぴったり重なるのを目標にしている。

 

 僕はその様子を、少し離れたところで見ていた。

 ふかふかの芝生に座り込み、足を投げだしていると、どこからともなくはんぺんがやってきて、乗ってくる。

 

「なにやってんの?」

「今度の合同ライブで、四人ユニットでやるんだって。だからこれまでユニットでやってきたあの二人に教えてもらってるんだ」

 

 ランニングを終えた愛と歩夢に説明する。

 同好会は今までソロでやってきたが、複数人でパフォーマンスしたのはスクールアイドルフェスティバルの一回だけ。なので、ユニットとして経験の深いロッティとディアに先生をお願いしたのだ。

 

「四人かあ……」

「二人でも合わせるのめちゃ大変そうなのに」

「うん。それにあの二人厳しいから、大丈夫かな」

 

 曲を教えるついでに、この二人はAlphecca式の練習に参加した経緯がある。愛ですら疲弊するくらいだったのだから、それはもう地獄だろう。

 けども、四人ユニットなら、相当密度の濃い練習しないといけないからね。あれはあのままにしておこう。

 

「みーくんのお休み期間も終わりかあ。もーちょっといけると思ったんだけどなー」

「もう限界だったと思うな。見ず知らずの子のお手伝いしようとしてたくらいだから」

 

 まだ根に持ってる、この子。

 

「湊さん、ブラック企業に入ったら染まりそうだよね」

「今だってどーせ、りなりーが心配だから見に来てるんだろうしね。ブラックに染まりそうっていうか、もう染まってるってゆーか」

「虹ヶ咲がブラックだってこと?」

「虹なのにブラックとはこれいかに。なんてね」

「はんぺん、後輩にいじめられてるよ、僕」

「にゃあ?」

 

 僕を癒してくれるのはこの白猫だけなのだろうか。世知辛いねえ。

 

「あ、はんぺんで思い出したけど、あの子に会ったよ。ランジュの曲作ってる子」

「ミアのこと?」

「そうそう、ミアち!」

 

 もうあだ名つけてんの。

 唯一面識のない歩夢が首を傾げた。

 

「どんな子?」

「ゆうゆくらいの身長で……猫みたいな子だったなあ。可愛いけどそっけない感じとか。はんぺんはこんなに素直なのにねー」

 

 僕の足上のはんぺんを、愛が撫でる。

 なんとなく言いたいことはわかる。猫耳とか似合いそうだなあ……と妄想をしてしまった。僕がこんなこと考えてるって、気持ち悪がられるじゃないか。やめやめ。

 

「湊さんはどこで知り合ったんですか?」

「教室。同じクラス」

「えっ」

「十四歳で高三なんでしょ? 参っちゃうよね、降参降参」

 

 愛はそこまで知ってるのか。ダジャレ混じりなのは置いておいて、僕は続ける。

 

「そのミア・テイラーが曲を作ってるとなると、ランジュに勝つのは相当難しいだろうね。テイラーって言ったら、一流の音楽家の家系だから」

「そうなんだ」

「って言っても、あの子たちは一切引く気はないみたいだけど」

 

 へたりつつも、どうにかロッティに食らいつこうとする璃奈とかすみ。歌声を合わせるために何度も同じところを繰り返すエマと彼方。

 その脳裏には、ランジュのパフォーマンスがよぎってることだろう。あれだけのライブに勝とうとするなら、中途半端なんて許されない。これまで以上のレベルが要求される。

 倒れてしまわないか、それだけが心配だ。まあそこは、僕が見ながら調整してやればいい。

 

「天王寺さん」

 

 突然、誰かが僕を呼ぶ。振り向くと、最近知り合った一年生が立っていた。

 

「やあ、三船さん」

「こんにちは。歩夢さんも」

 

 ぺこり、と彼女は頭を下げる。

 

「歩夢の知り合い?」

「うん。オープンキャンパスの実行委員をやってた子だよ」

「練習しているのが見えまして。かなり熱心に練習されてるんですね」

「うん。ショウ・ランジュにあてられて、必死の特訓中。といっても僕は見てるだけだけど」

「ランジュが……?」

 

 三船さんはほんの少し驚いたようで、目をちょっと見開いた。

 

「知り合い?」

「はい、幼馴染です」

 

 おや、意外も意外。接点なさそうな二人が、そんな間柄だなんて。

 いやしかし、ランジュも三船さんもいいとこのお嬢さんっぽいから、その繋がりだろうか。上流階級のお知り合いみたいな。

 

「天王寺さんも、ランジュと知り合っていたんですね」

「知り合いよりは親しいってところかな」

「なによぅ。同じ駄菓子を食べた仲じゃない」

 

 ひょっこりと、ランジュが三船さんの後ろから顔を出した。三船さんは特に動じもせず、彼女のほうを振り向く。

 凄い。僕なら飛び上がってたところだ。はんぺんも後ずさってる。

 

「はい、栞子、これ」

 

 ランジュは持っていた紙を三船さんに渡す。

 事前の申請もなく、勝手にライブしてしまったことの反省文だと。

 

「ちゃんと書いてきたんですね。内容もちゃんとしてるといいですが」

「しっかり書いたわよ。ランジュに出来ないことなんてないんだから」

「でしたら、ちゃんと許可を取ってライブをしてもらいたかったものです」

 

 おお。あの誰に対しても丁寧な三船さんが、ランジュには手厳しい。幼馴染っていうのは本当のようだ。

 

「ランジュ!」

 

 ロッティとディアが、主人を見つけた時の犬のようにやってきた。

 後ろではぐったりとした一年生を、三年生がうちわで扇いでいる。

 

「Alpheccaの二人ね。会いたかったわ」

「ワタシも!」

「わたしも話したかった」

 

 そういえば、ランジュとAlpheccaは初顔合わせか。

 

「ヤー、ワタシたちもウカウカしてらんなイ」

「ふふ、もう遅いわ。すぐそこまで、アタシは来てるもの」

 

 にやりと笑って、ランジュはロッティたちを指差す。

 

「スクールアイドルフェスティバルで、アナタたちを超えるつもりよ」

「ホウホウ……」

「へえ……」

 

 わかりやすい挑発に、ロッティとディアは容易く乗った。

 

「残念だけど、わたしたちは絶対に負けない」

「Alpheccaは、ランジュでも追いつけないヨ」

 

 メラメラと、熱く燃えるオーラが見える。どちらも好戦的がゆえ、譲る気はないみたいだ。

 

「期待しておきなさい。ランジュこそがトップだと、わからせてあげる」

「君も、期待しておくといい」

 

 Alpheccaに代わって……いや、僕もAlpheccaの一員だから、ちょっと違うか。ともかく、僕は口を挟んだ。

 

「僕たち虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、君よりも先を行く」



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62 お泊り

 Y.G.国際学園との合同ライブまで、もう残り一週間を切った。

 準備も進んでいて、みんなのパフォーマンスも仕上がってきている。件の四人以外は。

 

「うぅ、まとまりませんね~」

 

 我が家のリビングで顔を突っ伏しているのは、かすみ。

 四人でやると決めたのはいいが、何をどうしようかということは、話し合っても全く決められなかったようで、時間を少しでも使えるように、璃奈の提案で四人一緒に順繰りお泊りしているそうだ。

 一昨日は中須家、昨日は近江家、今日は天王寺家。つまり三回目のお泊りだが、肝心なことは一切決まっていないらしい。

 やりたい衣装も、ステージもバラバラで、まとまりがつかなかったのだとか。

 

 そんな女の子の集まりに僕が混ざるわけにもいかず。それに、『これは私たちで決めないといけないことだから』と璃奈に言われてしまった。

 そういうわけで、彼女たちの雰囲気やちょくちょく聞こえてくる話から連想して曲を作るだけにとどまっている。

 

 せっかくだから豪勢なものを、と思ったが、この後も集中できるように、いつも通りの夕食をちょっと軽めにして振る舞う。

 天王寺家で食べるのが初のかすみは、『女子力……』と唸っていたが、気にしないでおいてあげよう。

 

 食べ終わって、彼女らは少し休憩。眠くなってしまわないように、コーヒーを淹れた。

 

「そういえば湊先輩、どうしてショウ・ランジュと一緒にデー……お出かけしてたんですか?」

「ランジュの裏方として加わらないかって話をされた。で、ランジュのことを僕に知ってもらうために連れ出したんだと」

「ええっ!?」

 

 四人とも、一斉に驚く。

 

「断ったんですよね!?」

「答える前に君が来て、結局うやむやになったよ」

「受けるの?」

 

 璃奈に言われて、僕は顎に手を当てて考え込む。

 あの時どう答えようとしたのか、僕自身にもわからない。

 何を言おうとしたんだろうか。今は同好会だけに集中したいとも思ってたし、ランジュに手を加えたいとも思った。

 

「お兄ちゃんがやりたいなら、やめてとは言えない。けど……」

「行ってほしくない?」

 

 こくり、と璃奈は頷く。

 各々のライブをしたり、フェスティバルもしたが、僕も璃奈も同好会に入ったばかりなのだ。まだまだこれから一緒にやりたいこともたくさんあるのだろう。

 まあ僕としては……

 

「ランジュはこれからぐんぐん成長して磨きもかかってくるだろうし、作曲担当のミアは有名な音楽家の子だから、どんな作り方してるか見てみたい。正直に言って、すごく興味が惹かれる」

 

 う、とうなだれる璃奈に、僕は続ける。

 

「でも僕にとっては、いま君たちがやろうとしてることのほうが興味がある。今までソロでやってきた君たちが、ユニットになったらどんなステージを見せてくれるのか……最前列で見たい」

 

 かつては、同好会はグループとしてひとまとめでやっていこうとしていた。結局は不和が生じて、解散にまでなってしまった。その経験から、彼女たちはソロの道を選んだ。

 けど今は、やりたくてやろうとしてる。スクールアイドルはこうだからとか、無理にではなくて、明確な目標を持って。

 傍から見たら、グループでやるのは当たり前だと思うかもしれないけど、同好会にとってこれはとんでもない挑戦だ。

 

 『夢がここからはじまるよ』だって、あれはあえてバラバラなのを味にした部分がある。だからまったく別々の彼女たちが、一つになろうとするなんて、おおよそな想像もつかない。

 

「そうでなくても、手間のかかる同級生に後輩に、妹もいるしね」

 

 わしゃわしゃと璃奈の頭を撫でてやると、彼女は嬉しそうにしながらも、まだ窺うような目で僕を見た。

 

「お兄ちゃんは、それでいいの?」

「それでよかったと、璃奈たちが思わせてくれるんだろ」

 

 スクールアイドルの数だけ、組合せの数だけ可能性がある。ラブライブに出なくても、ファンに支えられる人たちであろうと、スクールアイドルを名乗っていいし、スクールアイドルであろうとしていい。

 ランジュに向けて言った『その先』は、まだ僕には具体的に見えないけど、この子たちが見せてくれると信じている。

 望むがままの夢を叶えてくれるのが、虹ヶ咲のスクールアイドルなのだから。

 

 がちゃり、と玄関の扉が開く音がした。

 それに気づいて、僕がぱたぱたとそちらへ急ぐと、いつものように少しくたびれた様子のお父さんが、靴を脱いでいるところだった。

 

「おかえり、お父さん。今日は早いんだね」

「仕事が片付いたからな」

 

 スーツのネクタイを緩めてリビングに上がると、なんだか先ほどより緊張感が増した空気が流れていた。

 

「こんばんは。お邪魔してます」

「ああ、聞いてるよ。ゆっくりしていってください」

 

 イマドキ女性高生VS友だちのお父さんとなれば、まあぎくしゃくした空気になるのも頷ける。

 

「それじゃみんな、私の部屋に行こう」

 

 間髪入れず、璃奈が助け舟を出す。

 時間は有限。リビングでだらだらと喋ってるわけにもいかない。

 

 ぱたん、と璃奈の部屋が閉じられた後、僕はお父さんのほうへ振り向く。

 

「ご飯は?」

「あるのか?」

「余ってるよ。いま温める」

 

 軽め、といいつつ誰がどれだけ食べるかわからなかったから、多めに作っておいた。余った分は明日の弁当にでも詰めればいいやと思っていたが、ちょうどいい。

 温くなっていたおかずを温めて、保温を切ったばかりの炊飯器からご飯をよそう。

 

「あの子たちが、アイドル部?」

「スクールアイドル同好会」

 

 ああ、そうだったか、と言ってお父さんは卓につく。

 

「前に大きなライブをやったそうじゃないか。若いのが話題に出してた。まさか自分の娘がアイドルになって、息子が曲を作ってるなんて驚いたよ」

 

 そう言われると、割ととんでもないことをしてる気がする。

 

「見に行きたいが、父さんも母さんも仕事が忙しくてなかなかな」

「分かってるよ。暇があった時にでも、動画で見てくれれば」

 

 彼らの仕事をよく知ってるわけじゃないが、なかなかに責任のある立場であることは理解してる。そのせいで忙しくて、休日もあまり家にいない。

 璃奈に対して放置気味なのはどうかと思うが、僕らのために頑張ってくれてることを思うと、どうも強く言えない。

 シャツのボタンまで緩めたお父さんの前にご飯を出すと、よほどお腹がすいていたのか、早いペースで食べ始めた。

 コンビニだとか外食が多い彼にとっては、こういった家庭の味はむしろ新鮮なのだろうか。味がイケるのもあるか。なにせ、彼方のお墨付きだ。

 

 あっという間に平らげてしまったのを見て、苦笑する。そんなに急がずに食べなさいなんて思うのは、ふつう逆だろうに。

 

「はい、お茶。ちょっと熱いかも」

「ああ、ありがとう」

 

 湯呑を渡すと、さすがにもう落ち着いたのか、ゆっくりと一口飲む。洗いものを済ませて、僕は自分にもお茶を用意して、お父さんの対面に座った。

 しばらく、沈黙が続いた。

 こうやって一対一で、向き合う形になるのはどれくらいぶりだろう。

 別に、何か話さなければいけないことはない。ただなんとなく、やることもないし、お父さんを一人ここに残すのも変な感じがした。

 

 お父さんがお茶を飲み終わるころ、そういえば、と僕は口を開いた。

 

「璃奈に言ったんだね、僕のこと。僕の、父さんと母さんのこと」

「高校生になったら言うって言っただろ。もう璃奈は子どもじゃない」

「まさか僕のいないところで言うなんて」

「お前はあの話を少しでも思い出したくないかと思ってな。だから璃奈にも、お前に直接訊くようなことはしないように言っておいた」

 

 だから、璃奈はずっと黙っていたのだろう。気になっていたに違いないのに、最後の最後、どうしようもなくなる一歩手前まで。

 

「璃奈に聞いたよ。ずっと……気にしてたんだな。今はもうだいぶ良くなってると思い込んでた」

 

 なら僕は、相当演技が上手かったらしい。

 

「つらいことを思い出させたくないから、今まで避けてきたが……お前とももっと、話し合うべきだったな」

 

 そうするべきだった。

 僕が自分で自分を傷つけて、溜め込んで、溢れてしまう前に、泣きついてでも言うべきだった。

 つらくて、悲しくて、苦しくて、痛くて、寂しかった。この十数年、ずっと。

 もう過ぎたことだ。今は……遠回りしてしまったな、くらいに落ちついている。

 

「その必要はもうなくなったのかも。あの子たちのおかげで僕は……」

「湊のせいじゃない」

 

 強い口調で、お父さんはきっぱりと言った。

 

「お前の父さんは、こうと決めたら譲らないやつだった。湊とそっくりだよ。お母さんも似てて、とても強い人だった。お前を守ったのは、あの人たちの意志。他の誰かに命令されたわけじゃない。そもそも、命令されて動くような人たちじゃない」

 

 一息に言って、お父さんは間髪入れずに続けた。

 

「湊、お前の父さんと母さんが死んだのは、お前のせいじゃない」

 

 それは、幼いころに何度か彼にも周りにも言われた言葉だ。幻覚の父と母が言ってきた言葉でもある。周りの大人たちに幾度となく、さんざん言われてきた。

 その時は受け止めることも出来ずに流していた。だけど今、お父さんに言われて、すーっと胸に沁みた。

 

「俺は父親失格かもしれないけど……」

 

 そんなことない、と言おうとしたが、お父さんに押しとどめられた。

 

「俺は父親失格かもしれないけど、お前が許してくれるなら、湊のお父さんでいさせてくれ」

「……」

 

 失格なんかじゃない。僕はお父さんのことを、ちゃんとお父さんだと思ってる。

 そんな言葉が出そうになるけど、お父さんが求めてるのは……僕が本当に言いたいのは、そんなことじゃない。

 僕を傷つけたと思っているせつ菜が、僕がもういいと言っても『よくない』と言ったように、お父さんもまたこの状況を良しとは思ってないのだろう。だから、このままでいいなんて、誠実ではない気がした。

 

「だったら……」

 

 僕は久しぶりに、ほとんど初めて、お父さんの目を正面から見た。

 

「だったら、お父さん、たまには今日みたいに早く帰ってきてよ」

 

 いつもよりほんの少し素直になって、僕はわがままを言う。

 優しく頷くお父さんを見て、ちょっと怖かった気持ちはどこかへ行ってしまった。

 変にぎくしゃくするところはあるし、普通とは言えないけど、たぶんこれが、親子ってやつなんじゃないだろうか。

 

 感傷に浸っていると、お父さんはにやりと口角を上げた。

 

「それで、誰が湊の彼女なんだ?」

 

 吹き出しそうになって、すんでのところで口を塞ぐ。

 

「きゅ、急に変なこと言わないでくれよ」

「なんだ違うのか? 父さんてっきり……」

「違うよ。僕はただの作曲家。曲を、作る、人」

 

 やれやれと首を振っても、まるで学生のように身を乗り出してくる。

 

「隠さなくてもいいだろう。家族なんだから」

「家族だからこそ、こういう話はしたくないんだよ」

 

 隣の部屋にエマ……たちがいるっていうのに……まったく、困ったお父さんだよ。



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63 映しだす純粋

「はあ~~~」

「大丈夫かしら」

「まだ、全然決まってないんだと」

 

 来る四人ユニットでのステージまでもう日にちはあまりない。だというのに、璃奈たちのやることがどうにも一致しないみたいで、ほとんどのことが未決状態で止まっている。

 焦りを通り越した四人分のため息が、部室に充満する。

 そして、悩める少女はもう一人。

 

「はあ……」

「侑さんも何か悩まれているんですか?」

「うん……」

 

 上の空で、せつ菜に返す侑。窓の外をぼうっと眺めるその姿には、明らかにいつもの元気さはない。

 はっとして、ガタガタと全員が立ち上がりだした。

 

「大丈夫!?」

 

 僕以外の、十一人の声が見事に重なった。

 

 ……

 …………

 ………………

 

「課題、上手くいってないんだね」

「ミアちゃんにアドバイスしてもらったんだけど……でもやっぱり出来ないんだよねえ。私以外の子は、みんな出来てるみたいなのに」

 

 音楽科に、というか、他の科に転科した生徒は、補講を受けなければならない。留学してきた生徒もそうだ。

 その補講、侑とミアは同じクラスになったらしい。

 そんなことよりも問題は、出された宿題。一人一曲、作曲しなければいけないというもの。

 楽譜を読めばピアノを弾けて、一度ワンフレーズだけ作ったこともあったけど、最初から最後までとなると話は全然違ってくる。

 

「湊先輩には、訊いてないんですか?」

「うん。あんまり人に頼りすぎるのもだめかなーって思って。私の課題なんだし」

「だから部屋の隅っこで落ち込んでるんですね」

 

 しずくの言う通り、僕はその話を聞いてから、部室の角で体育座りをしていた。

 

「ミアにはアドバイス貰ってるのにね……音楽科の、先輩である、僕のところに来ないとは……」

「湊くんって時々面倒くさいわよね」

「だ、だって湊さんには転科試験前からお世話になってるし、最近はお休み期間だったし」

「暇だったんだから、いくらでも声かけてくれたらよかったのに。それに、一人で溜め込まないように、って忠告したじゃないか」

「まあまあ、悩んでる子を追い詰めるものじゃないわよ」

 

 果林が僕を諭す。

 侑は、これは自分の課題だ、とちゃんとわかっているのだろう。だからミアにアドバイスを求める程度に留まった。明確な答えを教えてもらったり、例として作った曲を聞かせてもらったり……というのは避けている。

 僕へ相談しなかったのは、その流れと同じだろう。

 

「ワタシもユウから相談受けてナイ!」

「わたしも。同じ音楽科なのに」

「二人とも、話がややこしくなるから大人しくしてようね」

 

 がしっと、ロッティとディアを捕まえた歩夢が、そのまま続ける。

 

「侑ちゃんは、侑ちゃんのやりたいことをやってみたらいいと思うよ」

「でもそれだと……」

「大事なのは、侑先輩が満足できるかどうかじゃないでしょうか」

 

 テーマや課題があって、それだけを満たすのが、本当に曲を作るということなのか。侑が悩んでるのは、たぶんそういった、単純に曲を作れるかどうかという話ではないのだと思う。

 

「必ずしも、正解を出すために頑張らなくてもいいと思います」

「やってみて、ダメならダメでもいいじゃない」

「せっかくなら、侑さんらしい曲を聞いてみたい」

 

 僕としても、彼女が一から作った曲に興味がある。

 作品にはその人の性質が色濃く出てくる。侑がどんな感情で、何を伝えたいのか、音で聴いてみたい。

 

 もし失敗しても……たかが学校の課題だ。やりなおしのきかない事なんかじゃない。

 

「私らしさか……それはそれで難しいよ。私には、みんなみたいな個性はないし」

「えっ」

「何言ってるんですか!?」

 

 ある者は引くような目で、ある者は目を丸くして、侑の言葉に反論する。

 

「侑ちゃんには、侑ちゃんらしいところいっぱいあるよ」

「そ、そうかなあ」

「よくトキメいてるよね」

「人の気持ちがよくわかるし」

「私たちの気持ちに寄り添って、いつも応援してくれてる」

「カワイイ!」

「けっこう臆さなくて、前向き」

「え、私って、そんな感じ?」

 

 次々と言われて、嬉しいやら恥ずかしいやら、頬を染める侑。

 ほんと、スクールアイドルに負けないくらい強い個性を持ってるよ。それくらいでいてくれないと困る。

 虹ヶ咲のスクールアイドルを応援して、背中を押して、手を引っ張ってくれる人。そんな彼女がいてくれるから、今の同好会がある。

 

「でも、そうなんだね。なんか嬉しい。みんなにそう言ってもらえてやる気出てきたかも」

 

 

 

 

〈侑ちゃん、悩み事が解決したみたいでよかったね〉

「そうだね」

 

 夜。夕食も済ませて、勉強も一段落したところで通話をかけてきたエマに応える。

 四人はまだお泊り作戦を実施していて、今日はエマの部屋に集まっている。どれくらい広いかは知らないけれど、虹ヶ咲の寮はそれなりという噂を聞くので、四人でも窮屈ってことはないだろう。

 

「僕と話してていいの?」

〈みんな、もう寝ちゃった〉

「てことは、そっちも解決したみたいだね」

 

 うん、とエマは言った。

 

〈今日、侑ちゃんと話してたこと、私たちにも当てはまるものだったんだ。自分のことって、意外と自分じゃわからないものなんだねって〉

 

 侑は、自分のことを個性がないなんて言った。周りは呆れていたけれど、案外そういうものなのかもしれない。

 

〈でね、私たちが、お互いに思ってることを言い合ったんだ。みんなが思ってる自分を知ることで、より繋がれた気がするの〉

 

 自分らしさとは、自分が理解してるところとは遠く離れたところにある。その自意識のズレが、そのまま四人のズレになってしまったのだろう。

 それぞれどういう人なのか、何を持っていて、何がやりたくて、何をすべきなのか。その擦り合わせをして、ようやく伝えたいことがまとまったらしい。

 

〈……そっちも静かだね。もしかして、寝るところだった?〉

「いや、他に誰もいないだけ」

 

 璃奈がいなくて両親も帰りが遅いとあれば、この家に僕一人。自分の部屋にいると、他の空間から隔絶されたかのような静寂が満ちる。

 

〈寂しい?〉

「璃奈がいなかった日なんて今までいくらでもあったよ」

〈答えになってないよ〉

 

 そりゃ、本音を言えば寂しいよ。

 でも別に、落ち込むとかそんなんじゃない。単純に、誰かと一緒にいることが多くなったから、一人になると静かになるなって、それだけ……のはず。

 

〈元気出して。今日が終わったら、璃奈ちゃんは湊くんのところにお返しするから〉

「お返しって……璃奈には璃奈の思うようにさせればいいんだよ。別に僕のものってわけじゃないんだから」

 

 自分で言って、ああそうか、と納得する。

 

「そう、だよな。僕の妹ってだけじゃないんだよな」

 

 璃奈には璃奈の交友関係がある。クラスでも友達がいっぱいできたと聞く。先輩からも可愛がられ、来年には後輩もできる。その全てに僕が干渉できるわけないし、していいことでもない。

 僕が璃奈を守らないと、なんてガチガチに思ってたけど、お父さんの言ってたとおり、もう子どもじゃない。後ろをついてくるだけの幼い妹じゃないんだ。

 璃奈を信じるなら、背中を見守る程度に留めておかないと。

 

「いい加減、妹離れしないと」

〈璃奈ちゃんも、お兄ちゃん離れしないとだね〉

 

 幸いにして、ここまで反抗期が来ることはなかったが、これからはどうなることやら。愛の影響を受けて少し垢抜けるくらいなら歓迎なんだけど。

 

 ちょっとしんみりした気分を一転させようと、ベランダに出る。

 空を見上げると、雲一つなく、瞬く星がたくさん見えた。

 

「星、見える?」

〈うん、今日はよく見えるね。ねえ、知ってる? 星って、イタリア語で――〉

stella(ステラ)

 

 僕はエマの続きを答えた。

 

「たしか君には言ったと思うけど、イタリア語も勉強するって」

 

 まだちょっとした単語を覚える程度だけど、合間合間にイタリア語を学んでいた。幸い、虹ヶ咲には先生もたくさんいるし、参考図書もいっぱいあるし。

 

〈Ti voglio bene〉

「なんて? 文章になるとわからなくなるんだよ」

〈だと思った〉

 

 ふふ、とエマは笑った。いきなりリスニングとは卑怯な。

 

「意味は?」

〈また今度教えてあげるね〉

 

 

 

 

 Y.G.国際学園との合同ライブの日になった。

 スタッフさんと最終チェックを終えた僕がいるステージ裏に、衣装へ着替えたアイドルたちが次々とやってくる。

 そして虹ヶ咲も、おなじみのソロ衣装を着た面々が揃う。いつもと違うのは、揃いの衣装を着た例の四人。

 

「ぜったいぜったいぜーったい、ショウ・ランジュをぎゃふんと言わせてやりますよぉ~!」

「頑張る。璃奈ちゃんボード『むんっ』」

 

 やる気十分な様子を遠目で眺めていると、果林がぽんと肩を叩いてきた。

 

「声かけないの?」

「今回は、あの四人に任せるって決めたから。僕は一人の観客として楽しませてもらうよ」

 

 せっかくあの四人で一致団結したのだ。声をかけるなら、後でいくらでもかけれる。僕の言いたいことなら、曲に込めたしね。

 そろそろ全員が集まろうという時、せつ菜がこちらに来た。

 

「湊さん、もうそろそろ始まりますので、客席へどうぞ」

「準備は万端?」

「はい。侑さんのほうも、ばっちりです」

「何かあったら通話を……」

 

 ポケットからスマホを取り出すと、横から伸びてきた手にひょいと取り上げられる。

 

「開演中はスマホの電源をお切りください」

 

 しずくだった。

 

「大丈夫ですよ。私たちもいますし、いざとなったらY.G.国際の人たちに助けてもらいますから」

「心配性はなかなか治らないわね」

「これは、ライブが終わるまで預かっておきます」

 

 手を伸ばしても、ひょいと避けられてしまった。

 

「そんなに信用ない?」

「胸に手を当てて考えてください」

 

 山ほどある心当たりが浮かんで、僕は何も言えなかった。

 スクールアイドルフェスティバルのことを相当根に持っているみたいで、自分でちゃんと観客席に行こうとしてるのに、ぐいぐいと追い出されてしまった。

 

「ミナトー!」

 

 ステージ裏から下りて、開演まで待つ姿勢を取っていると、ロッティとディアがこちらへ来た。

 なんと虹ヶ咲だけでなく、Y.G.国際のスクールアイドルの缶バッジをいたるところに身に着け、指と指の間にサイリウムを何本も持っている。

 日本でもそんなオタクは絶滅危惧種だぞ。

 

「なんでこっちに。しかもそんな重装備で」

「ダッテダッテ、生ライブだもン!」

「わたしたちスクールアイドル大好き侍にとっては、垂涎もの」

「ダイジョブダイジョブ! ワタシたちの番になったラ、すぐに戻ル!」

 

 そういえば、彼女らが日本に来て、こういった規模の大きいライブを見るのはこれが初か。

 

「天王寺さん」

 

 もう一人、僕を呼ぶ声。三船さんだ。その後ろにはランジュもいる。

 

「三船さん、来てくれたんだね。ランジュも」

「もちろん。だって、見せてくれるんでしょ?」

 

 僕は答えずに、微笑むだけで返した。主役はステージに立つ四人。僕の想いは彼女たちに託している。

 その瞬間、会場の明かりが落ち、ステージにスポットライトが当たる。一人分ではなく、四人分。

 光の下では、かすみ、璃奈、彼方、エマが、四人お揃いの衣装で並んでいた。

 赤を基調としたワンピース。それぞれのイメージカラーのラインが何本か入っている。それと同じ色の大きなリボンが、胸に飾られている。

 ゆったりとした服は激しいダンスには向いていないが、彼女たちの柔らかい雰囲気によく似合っていて、見ているだけでどういうユニットなのかが分かる。

 

「みんなー!」

「初めまして!」

「私たち――」

「QU4RTZです!」

 

 それ以上の挨拶も説明もなし。

 必要ないのだ。彼女たちは、ここに集まってきてくれた人たちに、ランジュに話をしに来たわけじゃないのだ。

 

 爽やかなイントロ、そして重なった美しいハーモニーが始まりを告げる。全体として、優しく、じんわりと心に届く曲に仕上げた。

 サイリウムが振りやすいリズム、離れていてもファンと繋がることのできるクラップハンドを交えたパフォーマンス。

 ダンスも、要所要所簡単な振り付けにしていて、真似しやすく、真似したいと思えるようなものだ。

 

 これらは全て、ランジュの曲とはあらゆる意味で逆をいったつもりだ。 

 

 歌うということは、踊るということは、決してアイドルから客への一方通行じゃない。

 ステージは、演者と裏方と客が揃って、それぞれが楽しんで、お互いに作り上げるものだ。そこに上も下もない。

 一緒なのだ。ここにいる誰もが、一緒の気持ちでいる。いてくれる。QU4RTZは、それを繋げる架け橋なのだ。

 それを再認識させてくれたのは、ランジュだ。

 

「ワー! スゴーイ!!」

 

 曲が終わり、ぴょんぴょん跳ねるロッティ。だばあ、と涙を流すディア。

 あれだけ胸にくるライブを見てしまったら、教えた側は感無量だろう。かくいう僕も、鼓動の高まりを抑えられなかった。

 周りの歓声の中にあっても聞こえるくらい、胸がどきどきしている。

 

「これが、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会……なんですね」

 

 ぽつりと、まるで独り言のように、三船さんが呟く。実際それは独り言だったのかもしれない。心の内が口をついて出るほど、QU4RTZの素晴らしさに気圧されたのだろう。

 そうだ、と言ってやりたかったけど、それすら蛇足のような気がして、黙る。

 僕はランジュを見た。彼女は感心したような、それでいて睨んでいるような、そして無表情のような顔でこちらを見返してきた。

 

「アタシには、真似したくても出来ないステージだった。それは認めるわ」

 

 その表情を変えず、ランジュは踵を返した。

 

「でも」

 

 先は言わず、彼女は去っていった。拍手を惜しみなく続ける観客の、後ろへと。



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64 閑話:QU4RTZ

「ぽかぽかだね~」

「そうだねえ」

「芝生、気持ちいいね~」

「そうだねえ」

 

 のほほんと、練習着のままで中庭の芝生に寝転んでいるのは、先日ライブを大成功させたQU4RTZの四人だ。

 その中でもエマと彼方は、いつも以上にのんびりとした雰囲気を醸し出している。

 

「何してんの」

「ずーっとシャル子とディア子の特訓を受けてましたから、気が抜けちゃって」

「今日はゆったり過ごすことにしたの」

 

 かすみも璃奈も気持ちよさそうに地面に体を預けている。

 

「不思議だよね~。太陽の下にいると、元気になったり、落ち着いたり、こうやって気持ち良かったり」

「すやぴ……」

「彼方先輩はさすが、寝るの早いですねえ」

 

 太陽が出てるくせに、湿度もそう高くなく風もちょうどよく吹いていてじめじめしてない。絶好の練習日和でもあるのだが……あのランジュをして、『私には真似できない』とまで言わせたのだ。今日くらいはいいか。MVを撮るための打ち合わせは、また今度でもできる。

 ここ最近は、Alpheccaやランジュの出現で、同好会全体として負けじと練習量が増えている。特にユニットステージのため、いつもより多めに特訓していたこの四人には休息が必要だろう。

 欲を言えば、話題性のあるうちに次の燃料を投下したいところだが、心身の充実が一番だ。

 

「ほらほら、湊くんも一緒に」

「うわっ」

 

 油断していた僕は、エマに手を引っ張られて、彼女と彼方の間に横にさせられる。

 よく手入れされているこの場所は、いきなり倒れこんでも優しく受け入れてくれるほどふかふかで、四人が寝たままになってしまうのも無理はない。

 

「湊くんも一緒にお休みしよ?」

 

 優しく手を握ったまま、エマにそんな提案をされる。僕は僕でやることがあって、暇じゃないんですけど。

 じぃっと見てくる彼女から目を逸らすと、非難するように睨んでくる璃奈と目が合った。

 

「お兄ちゃん隙がありすぎ。女の人に簡単にスキンシップ許してる」

「許してるんじゃなくて勝手に──」

「うんうん。これでもっと甘えてくれたらいいのに。湊くんったら、一回も膝枕させてくれないんだよ。ひどいよね」

 

 ひどいのは、君の甘えさせたがりだ。

 

「ダメになってくれたら、お世話してあげられるんだけどなあ」

「湊先輩がダメになるのが先か、エマ先輩が我慢できずにお世話するのが先か……」

「それだと、どっちにしても僕がダメになっちゃう」

 

 モーニングコールや部屋の片づけもエマにお任せしている同学年のセクシーお姉さんが頭に浮かぶ。

 あれはあれで普段がかっこいいからギャップとして映えるが、僕ならただのどんくさい奴。

 エマのお世話したい欲は、彼方や果林で満たせている。足りないなら後輩もいる。わざわざ僕が甘えてしまわなくてもいいのだ。

 

「そういえば湊先輩、ここには練習見に来たんですか?」

「いや、どうしてるかなって気になっただけ」

「えぇ~。正直に言ってもいいんですよ。可愛い可愛いかすみんが心配だった~って」

「可愛い可愛い璃奈が心配だった」

「てれてれ」

「もー! このシスコン先輩!」

「へへ、よしてくれよ」

「褒めてないですっ!」

 

 ぷんすこ、とかすみのツッコミが空に響く。

 ころころと表情が変わる彼女のリアクションは、非常に面白い。ついついこうやって僕もボケに回ってしまう。

 

「冗談冗談。とびきり可愛いかすみのことも気にかけてたよ」

「そんなとってつけたような褒め言葉で、かすみんは騙されませんよ」

「でもかすみちゃん、顔にやけてる」

「うそっ?」

 

 指摘通り、かすみの顔はだらしなく緩んでいる。

 一年生は……二年生もだが、基本的に人懐っこい。僕が男だからって変に距離を取ってくることもない良い子たちばかりだ。たまにそれが困るときもあるんだけど。

 裏ではどう思ってるのかわからないが、表で露骨にハブにしてくることもない。目の前で嫌な顔をされて『キモイ』とか言われた日には枕を涙で濡らす自信がある。

 そんなことをしてくるなんて想像できないほどの子たちだけれど、それがいつまで続くんだろうか。ある日急に反抗期が来てもおかしくないのが思春期というものだそうだし。

 

 とにかく、である。そうやって急速に離れてしまう可能性もあり、そうでなくてもいずれ別れは来る。

 どういう結果になっても後悔しないように、僕は僕のやるべきことを、全力でやるしかないのだ。

 

「さて、僕はそろそろ行くよ」

「だめ」

 

 上体を起こそうとしたら、いつの間にやら傍らに座りに来ていた璃奈に抑えられて再び背中を芝生につけられてしまう。

 

「だめ。お兄ちゃんは今日、ここで休むの」

 

 いつになく強情な態度。

 起き上がろうとするたび、胸を押さえられて、う、とうめき声を上げてしまう。

 

「今後のスケジュールとか、予算分配とか、いろいろ考えなきゃいけないんだけど」

「だったら、抵抗すればいいのに。あんまり力入れてない」

(ここ)を押さえられると、起き上がれなくなるもんなの」

「……これくらいでも?」

 

 璃奈は少し力を緩める。といっても、人体の構造的に不可能なものは不可能なのだ。もっと筋肉があれば話は違っただろうけど。

 

「……」

 

 ほんの一瞬、璃奈の体が震えたような気がした。びっくりという感じではなく、擬音にするならば『ぞくり』という感じだろうか。

 目はいつもより見開かれていて、かつ獲物を狙うライオンのように鋭い。それになんだか見たことないくらい息が荒いような気がするんですが。

 

「璃奈?」

「っ」

 

 呼びかけると、バッと手を離してくれた。

 汗が飛び出てあわあわとした顔の璃奈ちゃんボードを顔に当てて、慌てた様子で後ずさる。

 

「り、りな子、もしかしてもうちょっとで……」

「う、うん。危なかった」

 

 深呼吸する璃奈に合わせて、その背中をかすみがさする。

 

「璃奈、大丈夫か?」

「大丈夫じゃない。お兄ちゃんのせいで」

「湊先輩、今後のために筋肉つけたおいたほうがいいですよ、マジで」

 

 妹にまで力負けするのがそんなに駄目なのだろうか。いや、男として駄目だろうとは思うけど。

 

「危機感も持ってもらったほうがいいかも」

「うん。いざとなったら押し倒せるって他の人が知ったら……」

 

 難しい顔をして、ごにょごにょと内緒話をし始めた。璃奈ちゃんボードを隠すための道具にするんじゃありません。

 

 筋肉か。彼女たちの基礎練習にちょいちょい参加してるとはいえ、体力も筋力もまだまだ超インドア人間の域を脱してない。体育の成績も下から数えたほうが早いし。

 女の子を振りほどけるくらいには鍛えておくべきなのだろうか。それが良いか悪いかは別として。

 話して穏便に距離を取ってくれる子たちばかりなら、こんなことで悩みはしなかっただろうに。

 

 しかし、強い男というのにはもちろん僕も憧れがある。

 普通科に腹筋が割れている友人がいるが、やっぱりかっこいいし、恋人がいるというのに女の子にもモテている。遊ばれてる僕とは違う。

 

「んぇ?」

 

 騒ぎすぎたか、彼方が重たそうなまぶたを半分開けた。

 

「あ~、湊くんだぁ~」

「っ!」

 

 そしてあろうことか、僕の腕を掴んで胸に抱きかかえながら、肩に顔を擦りつけ始めた。

 

「うぇへへ」

「ちょ、か、彼方、寝ぼけてないで放してくれ」

 

 ぐぐっと力を込めても、彼方は一向に放そうとしない。がっちりとホールドしてる。それ枕じゃないんですが。

 というか、このままはやばい。僕の腕がマシュマロよりも柔らかい彼女の体に押しつけられている。完全に起きた時に何を言われるか……

 もう一方の手を使って無理やり引きはがしてしまいたいところだが、そちらはずーっとエマに握られて拘束されている。

 

「湊先輩、りな子の言う通り隙ありすぎです」

「隙がある僕が悪いのか、いたずらしてくる君たちが悪いのか……」

 

 どんどんとスキンシップがエスカレートしてきてる気がする。普通、異性の友達同士でこんなことしないだろう……しないよな? てか見てないで助けて。

 密着しているから当然、体も顔もものすごく近くにあるわけで、そうなれば甘い匂いも襲ってくる。

 脳と精神が諦めてしまう前に抜け出すために腕を動かそうとするたび、彼方の体へ沈み込んでいくようだ。

 

「エマ、君もそろそろ解放して……寝てる……」

 

 さっきから喋らないと思ったら、すうすうと寝息を立てている。なのに手はがっしりと握られていて、外せない。

 これはまずい。え、動けないんだけど。振りほどこうとしても、それ以上の力で抑えつけられている。起きてんじゃないの、本当は。

 両隣から、温かい体温が伝わってくる。彼方のほうからは、心臓の鼓動すら感じる。とくんとくんと穏やかなそれを感じることが、彼女の触れちゃいけない部分に触ってる感じがして恥ずかしくなってくる。

 

 それ以上はダメだ。璃奈とかすみはこちらを睨みつけてはいるが、なぜか手を出してこない。

 僕の腕が解放されたのは、それから一時間が経ってからだった。

 

 やっぱり、筋肉をつけよう。そう強く決心した日のことだった。



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65 僕と果林と愛と

 Y.G.国際との合同ライブで披露したQU4RTZのパフォーマンスはかなり好評だった。SNSで反響を見ていると、絶賛の嵐。

 

「QU4RTZのライブ最高でした。スクールアイドルフェスティバルでも見たいです……だって」

 

 部室のPCでそれを覗き込んでいる侑も、同じく褒め称える投稿に満足げだ。

 

「わたしたちが育てました」

「間に合っテよかっタ! またやるナラ、特訓付き合ウ!」

「うっ、かすみんは遠慮しとこうかな~、なんて」

 

 ディアとロッティも自慢げに胸を逸らす。

 つきっきりで練習を見てくれていた彼女らには感謝だ。四人の呼吸を合わせるのに時間はあまりなかったけど、とんでもないところにまでレベルを上げさせたのだから。

 とはいえ、流石に毎日Alpheccaのメニューをこなすのは無理なようで、かすみは目を泳がせた。

 

「ユニットは初だったけど、どうだった?」

「四人で歌うの、楽しかった」

「ソロとはまた違う楽しさがあったよね」

 

 璃奈もエマもうんうんと頷く。彼方は、ライブも終わって気が抜けたようで、自分専用の枕で机に敷いて寝ている。

 

「これでまた同好会の名が広まりましたね。みなさんもどんどん活動して、来るスクールアイドルフェスティバルを大成功させましょう!」

「はーい」

 

 発破をかけるかすみの言葉に、愛が手を挙げる。

 

「それなら愛さん、オンラインライブやってみたい!」

「オンラインライブですか?」

「うん。会場に来られない人もいるだろうし、ネットでもライブを楽しめれば、みんなで盛り上がれるでしょ」

「おうちでごろごろすやぴしながらでも見られるしね~」

「見るならすやぴするな」

 

 オンラインライブは妙案だ。スクールアイドルフェスティバルだって、生放送を動画サイトで流したおかげで、全国のファンやスクールアイドルに見てもらえたんだし。

 

「なるほど。フェスの宣伝にもなるいいアイデアですね」

「映像研究部とかに相談すれば、実現できると思う」

「ほんと、りなりー!?」

 

 先にカメラ使うって決めておくと、また違う撮り方もできる。音楽番組みたいに、カメラをダイナミックに動くように指定して、視覚でより楽しんでもらえるようにするのも可能だ。

 

「私たちも手伝うよ」

「いいライブにしようね」

「みんなありがとー!」

 

 ますます一丸となってる感が増してきた同好会。活動の幅も広がってきていて、人気も上がってきていて、順風満帆だ。

 

「せっかくならユニットにも挑戦してみたいなー」

「おー、見てみたい!」

「まだ全然ノーアイデアだけどね」

 

 あはは、と愛は笑う。

 

「大人数でも楽しそうだし、二人でも面白そうだよね」

 

 基本的に、ステージの上では一人なぶん、誰かと一緒にやるとなると新鮮さがあるのだろう。他の学校だと、それが普通なんだけどね。

 ユニット、か……愛がユニットを組むなら、誰の隣が一番似合うんだろう。

 

 

 

 

 次の休日、その日は、果林とショッピングモールをぶらぶら歩く約束をしていた。

 時折店の中に入って、着こなしから色の使い方などのレクチャーを受ける。時々こうやって、果林からファッションについて教えてもらいながら、適当に歩いているのだ。

 女性ものだけでなく、男性ものにも詳しい彼女の話は、衣装や小物を考える時に活かせるし、普段の生活でも意識していれば、それなりには見えるようになる。

 

「そういえば、かすみちゃんから聞いたわよ。こうやってデートしてるの、私だけじゃないみたいね」

「それはみんなが誘って……デートじゃない」

 

 かすみにも言った通り、これは散歩に近い。別に何か買うわけでもなく、眺めているだけなのだから。

 

「男と女が一緒におでかけすれば、それはデートなんじゃない?」

「君が言うと、それ以上の意味があるように聞こえる」

「あら、それ以上ってどんな意味?」

 

 すっと寄ってこようとする果林から、一歩遠ざかる。

 

「いつもよりガードが固いわね」

「隙がありすぎだって言われてね。スキンシップを許し過ぎてるって」

「人と触れ合っていると、心が穏やかになるらしいわ」

「君相手だと、穏やかとは程遠くなる」

「ずばり言っていいのよ、魅力的でドキドキしちゃうって」

「魅力的でドキドキしちゃうから勘弁してください」

「そう言われると近づきたくなっちゃうのよね」

 

 どうしたらええねん。

 エマみたいな天然も困るけど、こういう自分の魅力を分かってるのも厄介だ。しかもそれが身近にいて、近づいてこようとする人ならなおさら。

 

「なんでそこまで警戒するのよ」

「それに対する答えは時系列順か、悪質だった順か、どっちで答えてほしい?」

「悪質だなんてひどい。傷ついたわ。人肌で癒してもらうしかないわね」

 

 こういう時、他に誰かがいると止めてくれるのに、一対一だとかわしきれない。

 僕の口撃にめげることなく、むしろ近づいてくる。

 突き放したら向かってくるとは、なんてあまのじゃくだ。そのくせ受け入れるようなことを言えば、素直に来るし。八方塞がりじゃないか。

 

「あれ、カリン、みーくん!」

 

 壁に追いやられる寸前、よく聞く声が果林の向こうから聞こえてきた。

 愛だ。果林とは違って、何の企みもない笑顔でやってくる。

 興が削がれたようで、果林は僕からすっと離れた。

 

「やっほー。何してるの?」

「デートよ」

「デートじゃない」

「じゃあ……二人きりでおでかけってとこかしら?」

「それってデートじゃん」

「デートじゃない」

 

 二人揃ってなんと聞き分けの悪いことか。

 はあ、とため息をついて視線を逸らすと、愛の横にいる女性に気づいた。

 

「そちらは?」

「紹介するね。こちらはアタシのお姉ちゃん!」

「え?」

「……的な存在の――」

川本美里(かわもとみさと)です。愛ちゃんとは家が近所で、昔からよく遊んでいたの」

 

 綺麗な女性だった。柔和な雰囲気で、言ってしまえば愛とは反対のような人。

 僕たちより十は歳上だろうか、大人っぽいとは別の、どこか儚げな空気を纏っている。

 

「お姉ちゃん、この子は朝香果林。アタシと同じスクールアイドル同好会のメンバーだよ。こっちはみーくん。同好会を支えてくれてる人!」

 

 ちゃんと紹介してくれ。軽音楽部の子にも未だ『みーくんさん』って呼ばれてるんだぞ、こっちは。

 

「初めまして。いつも愛ちゃんがお世話になってます」

「初めまして。天王寺です。天王寺湊」

「朝香果林です」

「愛ちゃんからよく聞いてるわ。果林ちゃん、湊くんって呼んでもいい?」

「ええ。もちろん」

 

 果林も僕も、微笑んで返す。

 

「そうだ! 二人も誘っていいかな?」

 

 

 

 

「上手すぎ……」

「二人とも、凄いわ」

 

 愛に連れられて向かったのは、複合アミューズメント施設。

 ここではスポーツだけでなく、ゲームもあり、様々な娯楽が楽しめる。一日中入り浸っても足りないくらいの種類の豊富さがウリだ。

 

 まず手始めにボウリング。今は一ゲーム終わったところ。愛も果林も上手で、何度もストライクやスペアを取っていた。

 二人とも高い点数で、僅差で愛が勝つ。川本さんはその半分くらい。次いで、最下位に僕。

 

「愛、もうワンゲームよ」

「望むところだよ」

 

 ギリギリで負けた果林はリベンジの闘志を燃やしていた。お互い負けず嫌いだから、そう簡単に退いたりしないだろう。

 ボウリングなんて人生の中で片手で数えられる程度の僕は、とりあえずコツを掴むところから始めないと。

 

「私はお休みしてるね」

「どうしたの? 具合悪い?」

「大丈夫。ちょっと疲れただけよ」

「そっか。でも少しでもおかしいって感じたら、ちゃんと教えてね」

「はいはい」

 

 よく愛の話に出てくるおばあちゃんならわかるが、川本さんはまだ全然衰えなんかを気にする年齢じゃない。

 それなのに、愛はやたらと彼女のことを心配している。違和感を感じて、僕も果林も、二人を交互に見た。

 

「みーくんは?」

「もう一ゲームだけなら」

 

 よーし、と愛はタッチパネルで次ゲーム開始のボタンを押す。『しばらくお待ちください』の文字が出ている間、座っていると、川本さんが話しかけてきた。

 

「愛ちゃんって、学校だとどんな感じ?」

「今と変わりませんよ。いつも楽しそうで、周りを笑顔にしてます」

「同好会でも、みんなを引っ張っていったり、ダンスを教えてくれたりもするわよね。みんなのムードメーカーですよ」

「元気に学校を過ごせてるみたいで、安心したわ」

 

 安堵の表情を見せる。まるで本当の姉のようだ。妹のことが気になるその気持ちは、僕には痛いほど分かる。

 

「川本さんは……その、お身体が悪いんですか?」

 

 ちょっと聞きにくいことだけど、さっきの違和感が気になって言う。

 

「私、最近までずっと、入院と退院を繰り返してたの。今はもう元気なんだけどね」

「だから今日は退院祝いなんだ」

「それは……私たちもご一緒してよかったのかしら」

 

 果林は困ったように僕を見る。せっかく水入らずだったのに、邪魔してしまったかな。即座に、川本さんは首を横に振った。

 

「誘ったのは私たちだもの」

「いーっぱい遊ぼうね!」

 

 そう言った愛は、今までの分を取り返すかのごとく、川本さんと僕たちを連れまわした。

 ダーツ、ビリヤード、音ゲー……この施設にあるものは片っ端から楽しんでいく。

 僕は愛や果林に圧倒的な差をつけられ、川本さんとどっこいどっこいの点数。唯一良いところを見せられたのはレースゲームくらい。

 めまぐるしく色んなことをして、気づけば何時間も経っていた。

 

 お次の目当てはお台場海浜公園から出る水上バス。だが、まだほんの少し出発までは時間がある。

 流石に体力もそこそこ消費してしまったので、外に出て体に風を当てる。結構白熱してたみたいで、かなり涼しく感じた。

 

「スクールアイドルの宮下愛ちゃんじゃん!」

 

 通りがかった同年代の女の子たちが、愛に近づく。ファンだったようで写真撮影を頼んできた。無論、彼女はOKを出して、ファンの子のスマホで一緒に写る。

 

「もうすっかり人気者なのね」

「そうですね。歌もダンスもハイレベルで、私にとっては負けられないライバルです」

「同好会のことはよく聞いてるわ。いつも、愛ちゃんは楽しそうに話してくれるの」

 

 そう言いながらも、川本さんは浮かない顔を見せた。疲れたのだろうか、とも思ったが、どうもそれとは違うような気がする。

 どうしたんですか、と声を掛けようとしたとき――

 

「お姉ちゃん、もうすぐ水上バス来るって!」

 

 愛の呼び声で、タイミングを失ってしまった。

 

 

 

 

 最後に、と愛が連れてきたのはもんじゃ焼き屋。

 愛の実家ではないが、おすすめのお店らしく、

 

 注文も作るのも愛に任せて、僕らは出来上がっていくのを見つめる。前にも思ったが、手際が良い。

 美人でコミュ力高くてスポーツ万能、勉強もできて料理も出来るなんて、改めてとんでもない。

 

「あとは、大きなもんじゃせんべいが出来るまで待つだけ」

「さすが、もんじゃ焼き屋の娘だわ」

「えへへ、どんなもんじゃい!」

 

 欠点があるとすれば、ダジャレがつまらないことか。いや、それすらも愛嬌に感じるのだから、ずるい。

 

「あのねお姉ちゃん、アタシ、今度オンラインライブするんだ! いきなりライブ会場はハードル高いかもだけど、オンラインなら……!」

「絶対見るよ。ありがとう、愛ちゃん」

 

 良いことを親に知らせる子どものように、愛は嬉しそうに報告した。

 

「オンラインライブは、美里さんのためだったのね」

「もちろんたくさんの人に見てほしいのも本当だよ。でもね、実は愛さん、小さい頃は結構泣き虫の人見知りだったんだ」

「冗談でしょ?」

 

 果林同様、僕も目を丸くした。笑顔を振りまいて周りを明るくする愛が、泣いてるところなんて想像ができない。

 

「ほんとほんと。でもお姉ちゃんがいつも笑いかけてくれて、たくさん遊びに連れて行ってくれたおかげでいっぱい友達も出来たし、体動かすのも大好きになったんだ」

「つまり、川本さんは今の愛にとっての原点だってこと?」

「そうそう。お姉ちゃんがいなかったら、アタシはまだ暗いままだったよ」

 

 当の本人は少し恥ずかしいようで、はにかんだ。

 良くも悪くも、子どもというのは近くにいる人の影響を受ける。今の愛がこれだけ愛される存在になったのは、川本さんのおかげなのだ。

 

「だから今度は愛さんの番。やっと元気になれたんだもん。色んな所に行って、楽しいこといっぱいしようね!」

「そうね」

「さあ、食べて食べて!」



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66 逆光

 愛が提案したオンラインライブは、思ったよりも簡単に実現できそうだ。

 会場にカメラを設置して、それをPCに繋いで生放送という形で動画サイトに映す。スクールアイドルフェスティバルでやったやつの小規模版だ。

 機材を貸してくれた映像研究部には愛や果林の大ファンが揃っているらしく、是非とも手伝わせてくれと協力に乗り気だった。おかげで使う機材が違うからと戸惑うこともなくなる。

 

「あ、天王寺さん」

 

 映像研究部との話し合いの帰り、部室に戻る途中で誰かが僕を呼んだ。

 振り返ると、三船さんがそこにいた。

 

「こんにちは」

「こんにちは、三船さん」

 

 僕の知っている一年生ならぱたぱたと駆けてくるところ、さすが三船さんだ。歩幅も速さも変えず、ぺこりと一礼してきた。

 

「スクールアイドル同好会のお仕事ですか?」

「そう。愛のオンラインライブをやるから、そのために協力をお願いしてたんだ」

 

 そうですか、と彼女は微笑んで、胸に抱えていた紙束から一枚取り出した。

 

「ちょうどよかったです。これをどうぞ」

 

 渡してきたのは、今度の文化祭についての議事録だ。

 三船さんは、オープンキャンパスでの実績を買われて、そのまま生徒会の会議にも参加している。これは、今日の話し合いの結果らしい。

 

「先ほど正式に決まったことなんですが、スクールアイドルフェスティバルと文化祭の合同開催が認められました」

「聞いてるよ、君がかなり尽力してくれたって」

 

 第二回フェスティバルの日程をどうするか、という話になった時、より多くの人が楽しめるように文化祭と一緒にできないかと提案したのが彼女だ。

 もちろん僕らはその案を歓迎。そこから三船さんは先生や生徒会に掛け合ってくれて、ついに承認を得た。

 これだけのことをしてくれた彼女には、どれだけ礼を言っても足りない。

 侑といい三船さんといい、どんどん凄い後輩が出てくるな。

 

「それで、文化祭の実行委員に抜擢されまして、受けることにしたんです」

「へえ、抜擢。凄いじゃないか」

「はい。生徒のために私が力になれるなら、頑張ります」

 

 めちゃめちゃいい子やん。僕なんて一年生のころ、学校のためになんて一度も思わなかったぞ。

 

「それで一つ、天王寺さんにお願いがあるのですが……」

 

 三船さんのためなら、一つと言わず二つでも三つでも……と言うと話が逸れてしまいそうなので、頷くだけにする。

 彼女が言った、文化祭に関わるあることに、僕はOKを出した。

 

「ああ、いいよ、ちょうど適任の盛り上げ役に心当たりがある」

「本当ですか!」

 

 ぱあ、と顔を綻ばせる。

 普段落ち着いていて、滅多に笑顔を見せない子だから、ギャップが突き刺さってくる。知ってる顔によく似てるから、より効いてくる。

 

「決まったら、また改めて連絡するよ」

「はい。よろしくお願いします」

 

 深くお辞儀をして、三船さんは踵を返す。その背中に、僕は声をかけた。

 

「三船さん、実行委員、僕も期待してるよ。でも無理はしないようにね」

「はい」

 

 

 

 

「……というわけで、せっかくだから練習中のやつ、そこで披露しようと思うんだけど」

「いいと思う。爆アゲ」

「本腰入れて練習しないとね」

「望むところ」

 

 食堂にディアを呼び出して、三船さんからの話をそのまま伝える。対面に座る彼女は快く頷いてくれた。

 ロッティにも言うべきなのだが、あの子は口が軽いから後で。

 せっかくだから大々的に宣伝することも考えたけど、さらにあと一人の賛同も得ないといけないから、それまでは秘密。

 

「ちょっといいかしら?」

 

 ちょうど話し終わった瞬間、果林が近づいてきた。

 

「愛と美里さんのことなんだけど」

 

 珍しく、しゅんとした縋るような顔。

 

「わたし、いないほうがいい?」

「……そうね。プライベートなことだから。ごめんなさいね」

「気にしないで」

 

 気を遣って立ち上がったディアに、果林は謝った。

 僕とディアの話は終わっていたから別に構わないが……果林が言う、『プライベートなこと』の内容が気にかかる。

 ディアが去っていくのを見送って、その席に彼女は座る。ほんの少し、軽いため息をつくと、テーブルに肘をついた。

 

「昨日、偶然美里さんに会ったの。本屋で英会話の本を見てたわ。その時に聞いた話なんだけど……」

 

 歯切れが悪い。隣から椅子を持ってきて座ると、彼女は続けた。

 

「美里さん、海外で働いてみたいって夢があったらしいの」

「良いことじゃないか」

「そう私も言ったわ。でもそのこと、愛には言ってないみたいなの」

 

 それは変だ。果林に言ってることなら、愛は既に知っていて普通なはずなのに。

 

「愛はやりたいことを進んでる。その愛に、やれるかどうかわからないことを相談して、邪魔したくないんですって」

 

 ふむ、と僕は顎に手を当てた。

 時折見せたアンニュイな顔は、そういうことだったのか。

 入院生活の長かった川本さんにとって、悩むことはたくさんあるに違いない。それを、愛に相談したくもあるだろう。

 しかし、だ。いま高校生活を続けていて、スクールアイドルもして、楽しんでいる愛にそれを聞かせるのは、妨げにしかならないと考えている。愛なら親身になって聞いてくれて悩んでくれるだろうと分かっているからこそ。

 

「愛も、美里さんが何かに悩んでることを分かってるみたいなの。さっき、美里さんが元気がないように見えるって、相談を受けたわ」

「それで、愛は?」

「美里さんに話をしに行ったわ。私はそっとしておいたほうがいいって言ったんだけど……」

 

 お姉ちゃんが悩んでるなら、放っておけない。そう言って、行ってしまったらしい。

 たぶんそれは、僕が璃奈に抱く感情と同じようなものだろう。困っているなら、力になりたい。それを、川本さんはさせたくない。嫌なすれ違いが二人の間で起きている。

 

「何が正解なのかしら」

 

 それは、誰にもわからないことだろう。渦中の二人はなおさら。

 果林の言う通り、そっとしておいて落ち着かせることも、親身になって相談するのも、どちらも正解に思える。

 あるいは、どちらも不正解か。川本さんにとっては、愛にだけはつつかれたくないことだし、だからといって放っておいたら負の連鎖が頭の中で起きる可能性も大だ。

 

「結局、答えはやっぱり決まってるんだと思う」

 

 僕は口を開いた。

 

「僕らは()()を力にして、ずっと大切にしてきた」

 

 入部した時も、練習している時も、ステージに立っている時も、僕たちはずっとずっと、一つの気持ちを心の底に抱いてやってきた。

 他人にも自分にも否定させちゃいけない、夢を叶えるための原動力。

 

「……美里さんにも、それは届くかしら」

「愛ならできる」

 

 彼女には周りを元気にできる力がある。燃えるような熱さに引っ張られて、心に火をつけられた人は多いだろう。

 僕が、同好会のライブを見て変わったように。

 

「愛にやる気があるなら、きっとできるさ」

 

 僕は断言する。

 

「そこまであなたに言わせるなんて……ちょっと嫉妬しちゃわね」

 

 いつも通り、大人な笑みを浮かべたあと、果林はぴしっと背筋を伸ばした。

 

「やる気、出させるしかないわね」



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67 輝いて太陽

 次の日、さあ練習だと気合を入れたみんなをよそに、愛は分かりやすく元気がなかった。川本さんとの話し合いが円満に解決しなかったであろうことは、それで分かった。

 僕と果林で声をかけて、校舎の屋上へと彼女を連れていく。放課後のここは全く人が通らず、しゅんとしている姿を誰にも見せたくない愛と対話するにはちょうどいい場所だ。

 

 ため息をついた愛は、手すりにもたれかかりながら話し始めた。

 

 川本さんは、ずっと隠してきた思いを、愛に吐露した。

 弱かった愛が元気に、強くなっていくのを間近で見て、弱いままの自分が嫌になったらしい。時間が経つにつれて、だんだんと曲がっていった心情は、愛に向けられた。

 憎い、とは違う。嫌いとも違う。けどそれに似た屈折した思いは一人の時間が多い入院期間に大きくなって、もう見て見ぬふりなんてできないくらいになってしまった。

 固まった思い込みは心の底にこびりついて、自分じゃ、自分だけじゃ剥がせない。それは痛いほど理解できる苦痛だった。

 

「そう、美里さんが……」

「あーあ、バカだな。お姉ちゃんの気持ちに全然気づけなくて……」

 

 自虐的にそう言って、愛はため息をついた。

 

「愛さんなら、笑顔に出来るって勝手に思い込んで、でもほんとはずっと傷つけてた。愛さんどうすればよかったのかな。カリンの言う通り、そっとしておけばよかった?」

 

 眉を八の字にして、彼女は僕たちを見る。

 

「それとも、スクールアイドルにならなければよかったの?」

「短絡的すぎだよ。そんな考え、前の僕と変わらない」

 

 今の愛の苦しみも、川本さんのも、他人事だとは思えない。同じ同好会の仲間とその身内だからってだけじゃなく、変なふうに疑念を抱いてしまうのが自分を見ているようだったからだ。

 これまでやってきたことを全て無に帰すようなそんな言葉、愛からは聞きたくなかった。

 

「ショックなのは分かるわ。でも、オンラインライブだって近いんだから、しっかりしなきゃ。あなたのファンが待ってるわよ」

「できない……できないよ!」

 

 愛は声を荒げた。

 

「楽しいことを教えてくれたお姉ちゃんを、アタシが傷つけた。そんなアタシがスクールアイドルなんて出来ないよ!」

 

 何かをやる、続けていくうえで、全ての人を傷つけずに終えるなんて不可能だ。

 愛にとって、それは受け入れがたいことなのだろう。全ての人に笑顔を届けたい彼女にとっては、特に。お姉さんと慕っていた人が、となれば猶更。

 

 本当に、鏡を見ているようだ。

 僕が、初期の同好会のメンバーに抱いていた罪悪感に似たものを、今度は愛が感じている。

 

「愛……」

 

 そんなことないと言おうとして、そんな言葉が一切役に立たないことを理解して、黙ってしまう。

 言い淀んでいる僕を、果林が制した。

 

「本当に辞めるつもり?」

 

 もし愛が首を縦に振れば、きっぱりとさよならを言ってしまいそうな口調で、果林は言った。

 

「わかったわ。じゃあ代わりに、私がステージに立ってあげる。いいわよね、湊くん?」

 

 果林は僕にウインクをした。そこで僕も、彼女がやろうとしていることを察した。

 

「愛がやりたくないなら、仕方ないな」

「私はやりたいわ。愛のファンをごっそりいただくチャンスだもの。きっと美里さんも私に魅了されて、ファンになっちゃうわね」

 

 思い描いて、彼女はうんうんと頷いた。すると、愛はぶんぶんと首を振る。

 

「い、嫌だよ、そんなの! お姉ちゃんやファンのみんなを、カリンに取られちゃうのはやだ!」

「でも、スクールアイドル辞めるんでしょう?」

「だったら、辞めるのやめる! だってアタシ……アタシ……ほんとはスクールアイドル、もっともっとやりたいよ!」

 

 さっきよりも大きな声で、愛は叫んだ。

 その実、誰よりも負けず嫌いで、スクールアイドルが大好きで、充実感を得ていたのは宮下愛だ。果林はただ手を引くのではなく、自覚させる方向で愛に発破をかけた。

 そうだ。愛がスクールアイドルを続けたいと思っているなんて、誰が見ても明らか。

 それを本人の口から言わせれば、話は早い。

 

「だったら……」

 

 僕は一歩近づく。それに合わせて、果林は一歩下がった。

 

「やりたいんだろ、愛。みんなを楽しませるスクールアイドルになるんだろ。なのに大切な人を笑顔にさせないで、諦めるつもりなのか?」

 

 同好会に入ってすぐ、愛が言ったんだ。楽しんで、楽しませるアイドルになるって。ずっと今までやってきて、ブレたことのない像。こんなところで終わりだなんて、彼女自身も望んでない。

 

「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、『やりたい』を優先して、叶えるところだ。君が教えてくれたんだぞ。君個人のライブで、スクールアイドルフェスティバルで……ずっとそう伝えてきた」

 

 それだけは変わってはいけないこと。僕らが作る夢の果て。宮下愛のスクールアイドル像と同好会の理念だ。

 

「僕に言ったことを、嘘にしないでくれ」

 

 あの日、愛は『みーくんに届けるよ、アタシたちの全部を!』と言った。それはあの時だけじゃなくて、この先もずっとだと解釈している。

 まだ僕は、君の底知れないポテンシャルの全てを見せてもらっていない。引き出せていない。

 だから、約束を破らせないためにも、ここで去るのを許すつもりなんて一切ない。

 

 まなじりに浮かべていた涙を拭って、愛はぎゅっと拳を握った。そして前を、僕のほうを向いた。

 

「みーくん!」

 

 心をさらけ出した勢いのまま、彼女は僕の手を握る。

 

「アタシに新しい曲作って! 絶対、お姉ちゃんに届けるから! んでカリン、愛さんと一緒にステージに立ってほしい!」

 

 僕の返事を聞かずに、愛は首をぐりんと動かした。

 

「私はそういうのに興味ないの」

「ううん、気持ちを合わせるとかじゃなくて、仲間っていうかライバルとして、同じ歌を歌って同じステージで競い合おうよ!」

 

 それって……つまり簡単に言えばユニットってことなんだろうけど、でも確実にQU4RTZとは違うユニットだ。

 

「アタシに火をつけてくれたカリンとなら、すっごいステージが出来そうな気がするんだ! だから……!」

 

 そこには、うじうじしていた愛はいなかった。僕らのよく知る、太陽のように明るくて熱い愛だけがいる。

 それこそが、そう、宮下愛だ。スクールアイドル宮下愛だ。

 

「競い合う……そんな形があるなら……」

 

 呆気に取られたように、そして――

 

「面白いかもね」

 

 ふふ、と笑って、果林は柔らかくも挑むような目つきになった。

 ああそういえば、果林も愛と同じく負けず嫌いなんだった。

 

「受けて立つわ、愛」

「うん、負けないよ!」

 

 

 

 

 学校からそう離れていない、普段は展示や体験館で使われている建物。そこが、今回のライブ場所だ。

 

 ステージの袖から客席を覗くと、人がどんどんと集まってきている様子が見られた。リアルタイム配信される動画サイトも、待機してる人が増えている。

 今回の目玉である愛と果林は、ベクトルは違うが、虹ヶ咲の中ではセクシー系で知られる。さらには高校生最高級のカリスマ性もあってファンは期待している。もちろん、それに応えるようなものを用意したつもりだ。

 あの二人なら、しっかりこなしてくれるだろう。

 

 始まるまであと十分。そろそろ来てくれないかな、と思ったのと同時──

 

「みーくん! じゃーん!」

 

 愛が後ろから声をかけてきた。

 振り向けば、もう準備万端の二人がそこにいた。

 

 エナメルの白い上下一体型のドレス。ぴっちりとしたそれは、くっきりと彼女たちの妖艶なスタイルを見せつける。

 丈が短いおかげで綺麗な足を惜しげもなく露わにし、肩から腕はシースルーで、隠れているけど見えるような、心を刺激するつくりにしている。

 果林監修の、彼女たちの強みを全面に押し出した衣装だ。

 

「どうどう?」

「…………これなら、みんなが君に注目する」

 

 数瞬、目も思考も奪われてしまった。それくらい、彼女たちの色香は群を抜いている。

 邪まな考えは取っ払って、なんとか当たり障りのない言葉を絞り出せた。

 

「愛、見せつけてこい」

「うん!」

 

 パチン、と勢いよくハイタッチをかます。

 じ~んと余韻が残る手が痛いが、それだけ彼女がやる気があるということだ。

 

「私には何もないのかしら?」

 

 わざとらしく眉を顰める果林を、僕は指差した。

 

「頑張れ。愛に負けたら、Alpheccaの地獄のしごきが待ってるぞ」

「勝ったら、ご褒美を貰える?」

「フレンチトーストは? 虹ヶ咲のカフェの、人気のやつ」

「甘い物は控えてるの。それより……湊くんのハグは?」

「誰に聞いた。璃奈か、せつ菜か、エマか」

「そんなにハグしてるの?」

 

 げ。しまった。

 

「えー、カリンずるい! じゃあじゃあ、愛さんが勝ったら、その権利貰うかんね!」

 

 もう始まるっていうのに、まるで部室で喋ってるみたいな空気感。

 カチコチに緊張するほど経験がないわけじゃないし、それにこっちのほうが彼女たちらしい。

 

「あと一分で開演でーす」

 

 手伝いに来てくれている映像研究部の人が知らせてくる。

 

「おっと、ほら、準備準備」

「期待してるわよ、湊くん」

「やっぱナシってのは、ダメだからね」

「いいから、行ってくれ」

 

 出来ればステージが終わった時に記憶から消えていますように、と祈りつつ、二人の背中を叩いた。

 暗転したステージの上に、二人は並び立つ。

 観客がそれに気づいて、ざわざわとし始めた瞬間、壇上にスポットライトが当たった。

 

「みなさんこんにちは。私たち、Diver Divaです!」

 

 登場して、たったそれだけ言っただけなのに、会場内が爆発したかのように歓喜の声が上がる。

 配信コメントも次々に打ち込まれ、目で追えないほど流れていく。

 

「今日はここにいるみんなも、画面の向こうの君も、全員魅了してあげるわ」

「みんなー! 楽しむ準備は出来てるー!? 出来てない人、いるんじゃないのー!?」

 

 愛は観客に向けて、そしてカメラに向かって指を差す。

 

「でも大丈夫! 愛さんの中には、小さい頃から貰ってきた、たくさんの『楽しい』があるから、それを今からみんなにあげる!」

 

 家族や友達、仲間やライバルからも受け取ってきた、愛の心を形作るもの。ただ受け取るだけじゃなく、何倍にもして広めていこうとしている。川本さんが彼女にそうしてくれたように。

 

「明日から一歩でも、進んでみようって思えるような、最高のライブをするから。だからここにいるみんな、配信を見ているみんな、笑顔になる覚悟は決まった?」

「逃がさないわよ」

 

 ぱちん、と果林がウインクしたのを合図に、曲が始まる。

 同時、競い合うようにして、なのにぴったりと息の合ったダンスで一気に目が惹きつけられる。

 火花散るような二人のパフォーマンスが、衝突して融合して、弾けたものが客席にも裏で見ている僕にも降りてくる。

 

 スクールアイドルは凄い。身近で毎日見ても、こうやって本気を見せつけられるといつも思う。

 同じ高校生とは思えないほど高いところにいるように見えて、熱く輝いている。

 

 大人は、それに合わせて苦いものを感じてしまうかもしれない。

 過ぎ去った時を思い出して、苦しくなってしまうかもしれない。あまりにも眩しい姿に、目を伏せて、背けて、避けてしまいたくなるかもしれない。

 それでも彼女たちは続ける。届け続ける。佇んでるだけじゃ、みんなに愛は伝わらないから。

 

 容赦なく照りつけてくる陽の光のように、あるいは暗い中を照らしてくる星のように、DiverDivaは自分の輝きを放つ。どんな人であろうと、見てくれている人へ平等に。

 

 否応なく心が躍る。体でリズムを刻む。誰もが、共に楽しみたいという気持ちから逃れられない。逃してはくれない。

 だから愛は言ったのだ。『笑顔になる覚悟は決まった?』と。

 

 ずっと続いてほしい時間は、最高潮のまま終わりを告げる。

 一つもミスすることなく歌いきり、ビシッと最後の決めポーズ。

 

 極まって涙しているファンもいる。配信の反応も好意的なものばかり。

 声援も拍手も鳴り止まない。これを見てくれているみんな、すっかり二人の虜になったようだ。

 僕もその一人。すぐにステージ裏にはけるように言うはずが、彼女たちの美しさに見惚れてしまっていて、口をぽかんと開けるだけだった。

 綺麗で、かっこよくて、見ていて楽しくなる。そんなの、目を離せなくなるに決まってるじゃないか。

 

 Diver Divaは観客に手を振り続ける。熱は冷めることがなく、拍手やサイリウムの波は止まない。

 愛が何かを見つけたかのように、動きが止まった。その視線を追うと、観客席の最前列に川本さんの姿があった。

 

 

 

 

「会場に来てくれるなんて思わなかったよ!」

 

 ライブが終わった後、僕たちは川本さんを控室に通した。

 せっかく来てくれたのだ。愛が伝えたかったことを受け入れてくれたかどうか、熱が冷めないうちに聞いておきたかった。

 

「体が勝手に動いちゃったの」

 

 その言葉と柔和な微笑みが、全てを物語っていた。

 遊んでいたときに見せていた陰はどこか遠くへ。代わりにそこにいたのは、愛や果林のように自信に満ち溢れた、大人の女性。

 多分それこそが、愛が大好きな川本美里さんなのだろう。

 

「胸が苦しいくらいにドキドキして、心が動き出して……楽しかった」

 

 愛にとって、そして一緒にステージを作り上げた僕たちにとって、一番の誉め言葉だ。

 感極まった川本さんは、前のような大人しいお姉さんの姿を置いて、感情のままに愛に抱きついた。

 

「私、愛ちゃんのファンになってもいい? 愛ちゃんのライブ、すっごく笑顔になれて、頑張る力が貰えるから」

「うん!」



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68 閑話:Diver Diva

 もうそろそろ残暑も消えてきたころ。

 外でストップウォッチ片手に立っている僕のところへ、果林とディアが練習着でやってきた。

 

「あら、まだ誰も来てないの?」

「ううん。もう愛とロッティが走ってるよ」

 

 今日は進路相談や生徒会会議などが重なって、メンバーが揃うのは遅れる。

 同時に一番乗りで部室に来た愛とロッティは、待っている間に競争を始めてしまった。僕は連れてこられた審判役、というわけだ。

 

「君たちも走る?」

「今日はいい」

「ユニットでのライブを終えたいま、Alpheccaのパフォーマンスを見ればもっと気づくことが多いんじゃないかって、ディアちゃんとロッティちゃんに踊ってもらうの」

 

 そのロッティはいま走ってるけど……まああの子は体力バカだから、ちょっと動いたほうが調子良いのかもしれない。愛も同様。

 ウォーミングアップというには、校舎をぐるっと一回りってかなりハードだけど。

 

「そういえば、昨日、美里さんに会ったわ」

 

 柔軟を始めた果林の声を耳で拾いながら、目は校舎のほうを向く。

 

「元気そうだった?」

「ええ。夢に向かって頑張るんだって言ってたわ」

「僕らも負けてられないな」

 

 川本さんを元気づけた手前、途中で諦めるなんてことはできない。川本さんにだけじゃなく、これまでファンになってくれた人、協力してくれた人、これから同好会を知る人に向けて、夢を見せなければ。

 

「そのミサトって人、どんな人?」

 

 果林はスマホを取り出して、写真を見せる。この間の、退院祝いで遊んだ時の写真だ。

 

「美人」

「実物はもっと綺麗よ。ね、湊くん」

 

 僕は頷く。

 あの人が普通の学生生活を送っていたら、寄ってくる男がわんさかいたであろうことは想像つくくらいだった。

 これからもたぶん、言い寄られることが多くなってくるのではないだろうか。

 

「ミナト、年上好き?」

「年下好きじゃないかしら。璃奈ちゃんをあれだけ溺愛してるんだもの」

「ミナト、『妹』に甘い」

「そういえばそうね。璃奈ちゃんだけじゃなく、遥ちゃんにも目をかけてたし……」

「アイが妹属性持ってるって知ったら、映研部にまで言って機材借りてた」

「あれは、川本さんの存在を知る前から交渉し始めてたからノーカン」

 

 というか、別に無差別に『妹』に対して甘く接しているわけじゃない。力になってあげたいな、という対象がたまたま誰かの妹だっただけで。

 

「ロッティにも甘い」

「ディアちゃんのほうがお姉さんなのね」

「双子だからそれもノーカン」

「意固地ね」

 

 それはどっちだか。

 シスコンなのは認めるが、見境ないみたいな言い方をされるのは心外だ。僕自身はちゃんと平等に接してるつもりなのに。

 

「で、どっちなの? 年下がいい? 年上? それとも、同い年のほうがいいかしら?」

 

 椅子を寄せて、こちらに近づいてくる果林。それに合わせて、僕は同じだけ遠のいた。

 

「そろそろ慣れてよ。ほら、美人は三日で飽きるって言うじゃない」

「君は普通の美人じゃないだろ」

「ミナト、遠ざける気ない」

「ね。焚きつけるようなこと言ってくれるじゃない」

「焚きつけるって……そんなつもりないぞ、僕は」

「なおさらね。あなた、私以上にタチが悪いわよ」

 

 タチが悪いことを自覚してるなら、やめてほしい。僕は一応、健全な男子高校生で通っているのだ。そんな誘惑みたいな真似事をして、理性の糸がプッツンってなったらどうするの。

 

「うおおおお!」

「ヌアアアア!!」

 

 バイソンが地面を蹴るような猛烈な音とともに、空に響く叫び声がこだまする。校舎の陰から、並んで走る愛とロッティが現れたのだ。

 かなりの距離を走ったはずなのに、陸上部もびっくりのスピードを落とさず、僕たちの前を通り過ぎる。そこから徐々にスピードを緩めて、Uターン。いい汗を流しながら、こちらにやってきた。

 

「みーくん、どっちが速かった?」

「同着」

「ビデオ判定シヨ!」

「撮ってません」

 

 あれだけの速度でランニングしながら、二人とも元気すぎ。さすが、部室棟のヒーローと、ずっとトレーニングを積んできた天才。

 

「だぁぁ、勝負はお預けかー」

「マタやろうネ、アイ!」

「もちろん!」

 

 さっきの拮抗ぶりを見るに、勝敗を判定するなら、ちゃんとした良いカメラを用意しなきゃいけないんじゃないか。

 映像研究部、また協力してくれるかなあ。元々ファンだったけど、前のDiver Divaのライブでさらにメロメロになってたから、ちょっとくらい融通してくれるとは思うけど。

 

「何か話してたっぽイ?」

「湊くんは女の敵って話」

 

 スポーツドリンクを一気飲みしながら質問するロッティに、果林はそう返した。

 

「ナルホド」

「わかるわかる」

「そんなノータイムで頷くほど?」

 

 女の人に、僕はどう映ってるんだか。

 

「そんな女の敵にハグを求めるなんて奇特な……」

 

 あ、やば。と思って、口を閉じたときにはもう遅い。

 

「そういえば、そんな約束をしてたわね」

「ミナト、ハグするの?」

「この前のライブ、良かったほうがハグしてもらえるって決めてたの」

「僕は了承してない」

「え~? ナシにするのはダメだって言ったじゃん」

 

 ずいずいと詰めてくる愛と果林。

 

「みーくん、嘘つくんだぁ。アタシには、言ったことを嘘にしないでって言ったくせに」

「エマたちにはしたのに私たちにはしないなんて、区別するような人じゃないわよね?」

 

 ユニットを組んでから、愛も果林のような攻撃方法を駆使してくるようになった。

 これは非常にまずい。ただでさえ果林一人でも大変なのに、三年生組に加えて、愛も加わってくるとなると、本格的にいじられキャラになってしまう。

 

「ニホンのラブコメ漫画でよく見ル、修羅場ってヤツだネ」

「ミナトの日常茶飯事」

 

 Alpheccaは他人事だし。

 

「で、どっちが」

「みーくんにとって良かった?」

 

 右から左から美人二人に詰め寄られて、しどろもどろになってしまう。

 

 そもそも、ベクトルの違う二人を比べるなんて不可能だ。

 愛はビシリと決まったダンスに、快活な歌。対する果林は、しなやかな動きと、綺麗な声。

 どちらがどれだけ良いとか悪いとかじゃなくて、両方とも他にはない魅力がある。それを、勝ち負けどうしようというのがナンセンスな話なわけで……

 

「引き分けってことね」

「ってことは、愛さんもカリンも勝ちってことだね!」

「待っ──」

「だってどっちが優れてるか決められないくらい、どっちも良かったってことだもんね?」

「それはそうだけど──」

「なら両方ともご褒美貰えるわよね?」

 

 引き分けなら両方とも無しじゃないんですか。

 

「湊くん、問答無用よ」

 

 言葉通り、有無を言わさない鋭い目つき。果林がじりじりと間を埋めてくる。

 

「ほん、ほんとに待って。それ以外、それ以外でお願いします」

 

 前に、エマを抱きしめた時は、あと一歩で理性が壊れるところだった。実際、せつ菜が止めてくれなければどうにかなってしまっていただろう。

 あれと同じ轍は踏んではいけない。

 あまりの必死さに、ひとまずは彼女らも僕を追い詰めるのをやめてくれた。

 

「どーする、カリン?」

「そうね、このままエマたちの後追いっていうのも癪だし……」

「他のみんながみーくんにやってなさそうなこと……あっ!」

 

 にっと口角を上げる愛に、僕は嫌な予感を感じた。

 

 

 

 

「あの……」

「動かないで」

「思ったより気持ちいーよ、みーくん」

「はい……」

 

 見上げてくる二つの顔に、力なく返事する。

 彼女らが呼吸をしてわずかに頭が動くたび、それを乗っけてある僕の膝に、その重さが布一枚を隔てて伝わってくる。

 

 わざわざ部室まで移動し僕をソファに座らせて、愛が提案してきたのは、膝枕である。

 片膝に頭が一つ。それが両膝ぶん。

 ほぼ真下からじっと見つめてこられるというのはなかなか新鮮であるし、甘さと爽やかさの混じった匂いにつられて、つい顔を近づけてしまいそうになる。

 それでもハグよりは断然マシなのだが、僕の中の理性という文字が端からガリガリと削られていく感じがする。

 

 しかし、だ。何度こう思ったかわからないが、こうなってしまったらもう仕方ない。

 強情な彼女達に、文句も抵抗も意味をなさないのだ。

 

「羨ま」

「仲良シ!」

 

 野次馬のAlpheccaがいたのが、なにげに救いだった。そっちと話すという名目で、顔を逸らせる。

 

「仲良しの線を越えてる気がする」

 

 虹ヶ咲は女子のほうが多いからか、男女入り混じった友達グループがよく見られる。だが、その中でもこんなことをしている人はいなかった。少なくとも、僕が知る限りでは。

 膝枕なんて、カップルでしかやってない印象を持っている。

 

「僕の膝なんて、何のご利益もないのに」

「そんなに嫌なら、今からハグに切り替えてもいいのよ」

「それか、愛さんたちに膝枕されるほうか」

「このままでお願いします」

 

 彼女らに膝枕されるなんて、男の夢だろう。だけど、されてしまったらどうなってしまうことやら。

 最近緩くなりつつある精神が、壊れてしまうかもしれない。そうなったら彼女らに申し訳ない。なんでもしていいと二人が望んでいるわけでもるまいし。

 

「みーくん、顔ガッチガチだよ」

「そりゃあ、こんなことして平静でいられるような人間じゃないから、僕は」

「りなりーにもしたことないの?」

「ないよ」

 

 意外そうな顔をされた。

 

 璃奈や彼方に何度もおねだりされたことはある。しかしそのたびに断ってきた。

 膝枕なら他の人のほうが気持ちいいだろうし、ちゃんと寝るならクッションや枕がそこらにある。

 それに、これは黙っているけど、一番の理由は……僕が手を出しかねないからだ。手のすぐそこ、ほんの少し動かすだけの位置に可愛い女の子がいるとなると、我慢ゲージが壊れてしまいそうなのだ。

 

「じゃあ、愛さんたちがハジメテなんだ?」

「優越感に浸れるわね」

「趣味悪いぞ」

 

 男の膝枕なんて何がいいんだか。特に僕のなんて、太くてむっちむちというわけでもなければ、筋肉モリモリというわけでもない。感触的にも面白いもんじゃない。

 だというのに、愛も果林も満足げに顔を綻ばせる。その表情に何か熱っぽいものを感じるのは、気のせいだと思いたい。

 

 二人同時だったのは正解だった。

 これがもし一対一だったら、人目がないのをいいことに、ハラスメント的なことが起きていたかもしれない。

 それくらい、彼女たちは目が離せない存在で……

 

「はっ!」

 

 気づけば、じっと果林と愛の目を見つめていた。

 吸い込まれそう、というのはこのことか。美人すぎるからちくしょう。

 

「もっと見ていいのよ」

 

 必死に逸らそうとしているのに、そんな挑発的なことを言われる。

 

「ゴクリ……」

「えっち」

 

 体の反応と心の呟きを、ロッティとディアが代弁する。

 妖艶に微笑んで、指を胸のあたりにもっていく視線誘導。

 愛もじーっと視線を注いできて、整った顔を真っすぐ向けてくる。

 この人たち本当に高校生か? 僕じゃ到底太刀打ちできないレベルの色香を放ってるんですけど?

 

「お、終わり! もういいだろ!」

 

 我慢の限界に達した僕は、無理やり顔を上げさせて、その場から脱出。立ち上がって、息を整える。愛と果林は、残念だというふうに口をとがらせながら起き上がった。

 

 ああもう、誰でもいいからこの空気を飛ばしてくれるような人が来てくれないか。

 熱くなった体を手で扇いで冷ましていると、願いが通じたのか、扉を開けて入ってきた人物がいた。

 

「こんにちは~……って、湊くん、顔赤いけど……大丈夫?」

 

 彼方だった。

 進路相談が終わったばかりで、少しくたびれた様子だ。

 

「大丈夫。なんにもないから」

「ほんとぉ? 湊くんは無理ばっかりの隠しごとばっかりだから、信用ならないなあ」

 

 何があったか、僕からは引き出せないと感じた彼方は、ちらりと果林のほうを向く。その視線に気づいた彼女は、得意げに胸を反らした。

 

「ふふ、本当に何でもないのよ、彼方。ただ、湊くんの膝枕を堪能したってだけよ」

「!?」

「ね、愛」

「うんうん。ちょー気持ちよかったよね、カリン」

「!!」

 

 珍しく目を見開き、彼方は果林と愛を交互に見比べたあと、傍観者たちのほうへ首を回した。

 

「ロッティちゃんたちも?」

「ううん。指をくわえテ見てタ」

「でも次はわたしたちの番」

 

 ぎらり、と三人の目がこちらへ向く。しかしその時、僕はすでに部室から抜け出していた。

 三十六計逃げるに如かず。

 立ち向かえなくなるような状況になる前に、逃げるのが一番の手なのだ。たとえ、後ろから追ってくる足音が聞こえてくるとしても……!



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69 いざゆかん、スクールアイドル展へ

「ミナト、取材受けてないんだ」

「エェー、もっとガツガツアピールすればいいのニ!」

 

 東京の文京区、後楽園のすぐそば。

 僕とディア、ロッティは雑談をしながら、とある人を待っている。先ほど、もう電車が到着するという連絡を受け取ったから、間もなく見えてくるはずだ。

 

「僕の写真を撮るっていうから断ったよ」

「デモデモ、ミナト、もっと有名になっテほしイ!」

「いいよ、高校生の間は。面倒くさい」

 

 最近、Webメディアから取材の申し込みが来たのだが、断った。理由は言った通り、面倒くさいのだ。特集されてどこかに載るというのは特に望んでいないし、外を歩いて指を差されるような生活も嫌だ。

 同好会の公式サイトでも僕の写真は載っけていない。しかし、名前を検索すれば顔が出てくるらしく、オープンキャンパスで出会った中学生とかは、それで知ったらしい。

 

「ミナト、モテるようになるよ」

「それはすっごい魅力的な話だけど……それもいいや」

「さすが、モテてる人は言うことが違う」

「普段の僕を見てたら、モテてないことが分かるだろ」

「普段のミナト見てたら、モテてないなんて口が裂けても言えない」

 

 人生でモテたためしなんて一度もない。そう反論しようとした時、視界に、大きく手を振りながら、こちらにやってくる人物が映った。

 

「湊、ロッティ、ディア!」

「ランジュー!」

 

 ロッティが叫ぶとおり、あのショウ・ランジュだ。

 にこにこと少女らしい笑みを浮かべて、タックルに等しいロッティの抱きつきを受け止める。

 

「今日を楽しみにしてたわ。なんたって──」

「スクールアイドル展」

「だもんネ!」

 

 そう、今日は後楽園でスクールアイドル記念展なるものが開かれている。

 これまでのスクールアイドルの歴史の紹介や、関連する物が展示されているらしい。スクールアイドルファンにとってはまさに夢のような記念展なのだ。

 

 僕は最初、一人で行こうとしたのだが、ロッティとディアもこれの存在を知って、行かせてくれとせがんできた。さらに、ランジュとも仲良くなりたいというので、誘ったのだ。

 他のメンバーも誘おうかとも思ったが、今日は開かれたばかりで人が多いし、どれくらいのものが展示されているかわからないので、また後日改めて誘おうということになった。

 

「ランジュの『Eutopia』、凄くいい曲」

「メチャ盛り上がっタよネ」

「ふふ、ありがとう。ミアにも伝えておくわ」

「アレ、ランジュにしか踊れなイ。ランジュ、スタイル良いシ、全身に気をツカってル!」

「特に足が綺麗」

「アナタたちも素敵だわ。二人であることを最大限に活かしたステージ、何回見ても飽きないもの」

 

 目的地に向かう途中、三人は早速意気投合する。

 みんな、思ったことをズバリと言う性格だからか、最短で距離を詰めるところが合うようだ。

 変に敵対することもなく、仲良くなってくれたようで何より。

 そんな三人の楽しげな声を背中で聞く僕に合わせて、ランジュが肩を並べた。

 

「フェスティバルの準備は進んでるの?」

「順調だよ。文化祭と合同でやることに決まって、ソロだけじゃなくユニット曲もやるって決まったんだ」

「ユニット、ね」

 

 何か思うところがあるのか、ランジュはほんの少し目を伏せた。かと思えば、すぐに表情を戻し、僕へ微笑んでくる。

 

「アナタが作る新曲も聞けるのかしら?」

「さあ、それはどうかな」

「なによう。教えてくれてもいいじゃない」

 

 むすっと頬を膨らませるランジュ。

 

「実はネー……」

 

 ロッティが得意げになって口を開こうとした瞬間、ディアがしゅばっと動いてその口に手を当てた。

 

「秘密」

「ン!」

 

 ハッと気づいて、コクコクと頷くロッティ。やっぱり彼女に隠し事は難しいようだ。

 

「徹底してるのね。そのぶん期待していいのかしら?」

「それはもちろん」

 

 僕は即答した。前回以上に派手に、楽しくなることは決まっている。

 他校とのコラボステージなどがあるうえに、他にも多少サプライズを用意していて、その全貌を知る者は限られている。

 そろそろそれを匂わせて、期待を煽るような宣伝でもしようか……などと考えていると、目当ての場所に到着。

 すでに開場していて、中は人でいっぱいのようだ。『特別展 スクールアイドルの軌跡』と書かれた看板の傍らでは、順番待ちの人たちがずらりと列をなしていた。

 

「結構並んでるわね」

「ま、無理もない。整理券貰ってくるよ」

 

 スタッフから、番号が記された券を貰う。このチケット一枚で四人入れるので、ちょうどだ。

 聞くところによると、あと二、三時間ほど待つ必要があるらしい。割と早めに来たと思ったけど、やはりそこは大流行しているスクールアイドルの力というわけだ。

 

「順番まで時間あるな……」

「だったラ、遊んデいこうヨ! ユウエンチユウエンチ!」

「ジェットコースター乗りたい」

 

 双子がぐいぐいと腕を引っ張ってくる。ここでじっと待つのも無駄だから、僕は賛成だけど……とランジュを見ると、

 

「アタシも遊んでみたいわ!」

 

 彼女も僕の手を掴んだ。

 

 

 

 

 スクールアイドル展のすぐ隣にある東京ドームシティアトラクションズは、お子様から大人まで楽しめる入園無料の遊園地。何度も出入り自由で、都心に位置していることから、観光の途中で立ち寄る人や、散歩目的で入る人もいる。

 というパンフレットを読んでるのは僕だけで、三人はあっちこっちを指差している。

 アトラクション乗り放題のチケットを買った瞬間、ついぞ我慢できなくなった子たちは僕を引っ張って──

 

「高ーイ」

「ドキドキ」

「ふふ、楽しみね」

「……」

 

 気づけば、僕らは遥か上空。ジェットコースターに乗り込んでいた。

 だんだんと高度が上がっていくにつれて、気が重くなってくる。こういうのは、ゆっくりであればあるほど恐怖を煽るものだ。

 体を支えるバーを軽めに掴んだり、もう手を離してるみんなとは対照的に、僕は力を込めていた。

 

「湊、そんながっしり掴んじゃって」

「こういうのはもうちょっと慣らしてからと思ったよ」

「たっぷり時間があるわけじゃないもの。少ない時間の中で、遊園地の醍醐味は味わっておかないと」

「だから断りはしなかっ……」

 

 ピタリ。コースターが最高点で止まる。ここばかりは、誰もが静かになった。

 前の人がいるおかげで見えなかった前方や地上が、先頭車両が下がり始めたせいでだんだん見えてくる。

 下にいる人たちは米粒くらいの大きさで、ここが地上80mというのを体感ではっきりと分からせてくる。その景色は、恐怖を抱くには十分。

 一瞬、加速の前兆のようなものを感じて、ぞわっと総毛立つ。

 あ、あ、やばい。などと思えたのもつかの間……

 

「ワー!」

「あははっ」

「っ……っ!」

 

 時速130kmの急降下。降りる、というより落ちるに近かった。体が浮いた感覚がして、手に込める力が強くなる。

 続けて左右に揺られ、上下に振られ、目まぐるしくGがかかる方向が変わる。

 振り回されて、終わった時には肩で息をするほど、消耗しきっていた。

 

「楽しイ!」

「次、何にする?」

 

 パンフレットを広げて、あれがいいこれがいいと話し合うロッティとランジュ。二人ともまだまだ元気だ。

 

「ミナトが怖がりすぎなだけ」

 

 僕の心の内を読んで、ディアがツッコむ。

 僕としては、まずは緩い乗り物から始まって、満を持してジェットコースターに乗り込むものだと思っていたから、心の準備ができていなかったのだ。

 

「ねえねえ、あれにしましょ!」

 

 矢継ぎ早に乗り込んだのは、ティーカップだ。こちらも、どこの遊園地でもよく見る定番だ。

 

「これ、どういうものなの?」

「このハンドルに力を込めると、このカップがすごーく回る。だから最初は──」

「最初からフルスロットルってわけね!」

「回セ回セー!」

「ちょっと手加減、ってうおお!?」

 

 スタート直後、ランジュとロッティはハンドルに手をかけ、ぐっと力を込めた。

 連動してカップが回転し、ぐんぐんとその勢いを増していく。体が横向きになってしまう。それでもかまわず、二人は手を緩めない。

 

「きゃあっ、すごい勢いね!」

「アッハハハ!」

「景色ぐるんぐるん」

「止めよう!? いったん止めよう!?」

 

 彼女たちの後ろに見える風景が過ぎ去っては戻ってくる。

 せめて酔わないように、と背景より手前へ視界を戻す。ディアはもう目をぐるぐる回していた。その横では、心底楽しそうなランジュたちが大きく口を開けて笑っている。

 僕はずっと、止めてとしか言えない情けない男になっていた。

 

 

 

 

 さすがに体力を持ってかれた僕は、ランジュと一緒に近くにあるベンチで休憩。

 メリーゴーラウンドに乗り、笑顔でこちらに手を振ってくるAlpheccaに反応を返す。

 遊園地なんていつぶりだろう。最後に楽しんだのは……本当に思い出せないや。

 

「ふふ、日本の遊園地も楽しいわね」

「初めて?」

 

 ランジュは頷いた。

 前に色んなところを回った時、楽しそうにしていた。だからそれからも普段は観光しているものかと思ったけど……

 

「こういうのって、一人で来ても楽しくないじゃない」

 

 親子連れやカップル、友達同士の客が多い。一人の人もいるけど、ごく少数。

 だったら……三船さんとは幼馴染だそうだし、彼女と来てもいいのに。他にも、ミアもいることだし。

 そういえば、学校内でランジュとミアの組み合わせをあまり見たことがない。虹ヶ咲は広いし、彼女たちは学科も違うから……っていうのは理由にならないよな。場所と時間を決めて、集合すればいいのだから。

 だけど、ミアは基本的に休み時間は一人だ。同じクラスの子たちが誘っても、ついてくることはないらしい。

 ランジュはどうなんだろう。ファンに囲まれているところは何度も見たことがあるけど……

 

「ミナトー! ランジュー!」

 

 またまた、一周して姿を現した双子が呼びかけてくる。僕も手を振り返すと、ピースしたり、サムズアップしたり、忙しない。

 

「仲が良いのね」

 

 ランジュがぽつりと呟いた。

 

「三か月も一緒にいたから、まあ多少はね」

 

 それだけ同じ家に住めば、良くも悪くも仲は進展する。僕と彼女たちは、さらにアイドルと作曲家でもあるから、単にホームステイしたよりも関係は深いと自負している。

 幸い、まだロッティもディアも懐いてくれていて、ついてきてくれる。そうしてくれている間は引っ張っていこうと思うし、そうじゃなくなってもこっそりと背中を押すくらいのことはしてあげたいと思う。

 いつからか、僕にとっては、あの二人は家族のようなものになっていた。

 

「Alpheccaは……すごいわ。湊、アナタも」

 

 急に、彼女はそんなことを口走った。

 

「才能があって、力があって、強いこだわりも、妥協しない心も持ってる」

 

 認めるところはちゃんと認める。それが彼女の良いところの一つだが、今はなんだかいつもより雰囲気が違った。

 

「ねえ、アナタはどうして、ひとりじゃないの?」

 

 ひどく寂しそうな顔だった。

 いつも気丈で、自信満々で、ステージの上でもあれだけのパフォーマンスをしてのける彼女が、今にも泣きそうな表情でこちらを見る。

 孤独。それが表れている表情は、いつかどこかで、よく見た。

 

「ごめんなさい。忘れて」

 

 すぐにその感情を引っ込めて、ランジュはふるふると頭を振った。

 なんでもない、と言外に伝えてくるそのしぐさも、見覚えがある。

 

「ランジュ、君は……」

「ミナト! ランジュ! 次、次、オバケ屋敷!」

 

 戻ってきたロッティたちに引っ張られ、僕もランジュも立ち上がる。

 何を言うかも決まっていなかった僕は、それ以上何も言えず、口を閉じた。

 

 

 

 

 ひたすらに遊んだ後、時間が来たので、記念館に戻る。ちょうど僕らの入れる番だったので、うきうきしながら中に入った。

 スクールアイドル展はちゃんと中身の充実したもので、スクールアイドルの歴史がずらりと書いてあるだけでなく、ラブライブの優勝旗や賞カップまで展示されていた。歴代ラブライブ優勝校や有名アイドルの写真がいくつも飾られている。

 はしゃぎっぱなしだったロッティも、口をぽかんと開けて見入ってしまうほどだ。

 

「トーキョーのスクールアイドルが多いネ」

「激戦区だからね。前年の優勝校がその次の年では予選落ちなんてことも珍しくない。新しいグループがどんどん出てきて、まさにスクールアイドル戦国時代って感じ」

 

 東京が特にスクールアイドルが多いのは、第一回と第二回優勝校が伝説と化しているから、というのが通説だ。

 それらのグループに憧れて、地方の者も東京に入ってくることが多い。現在もそうだ。

 だからって地方が弱小ってわけじゃない。北海道にも有名どころはいたし、静岡にも優勝した高校がある。そのことも、ちゃんと展示と説明が載せられている。

 しかも驚いたことに、スクールアイドルというものが出てくる前の事柄も詳しく書かれている。

 

「学校アイドル部の説明まであるのか」

「スクールアイドルとは違うの?」

「スクールアイドルの前身とも呼べる部活だよ。今から二十年……三十年くらい前かな、今のスクールアイドルと似たことをやってたんだ」

「けっこうレキシ長イんダ」

「これだけたくさんの人がやってきたおかげで、わたしたちがそれを知れた」

 

 ディアがじっと優勝旗を眺める。

 先人たちがこの界隈を盛り上げてきたからこそ、今もスクールアイドルをやろうとする人がいる。

 その歴史の中では、様々なジャンルや人数のスクールアイドルグループが出ては消え、栄光を掴んだり、功績を残せなかったり……

 そんなことは、スクールアイドルだけじゃなく、どの部活動でも言えることだ。しかし、優勝だけが全てじゃない。中にはそういう人もいるだろうけど、結局何で満足するかはそれぞれなのだ。

 

「どのグループも、なんていうか……良いわね」

 

 優勝校以外にも、有名だったスクールアイドルのグループの写真がずらりと並べられている。

 共通しているのは、どの人も笑顔で写っているという点だ。それだけで、彼女たちの軌跡が窺える。

 

「湊の推しグループはどれ?」

「ミナトの推しってアレでショ、シオリコに似てるアイドルだよネ」

「栞子に?」

「似てるっていうか、まあ……」

「どのグループ?」

「残念だけど、ここには載ってないよ」

 

 すでに、どこかにいないか探した。だけど、あの人のいた当時のグループはあまり名が知れたところではなかった。

 残念だけど、ここではそれほどの学校を紹介するスペースはないみたい。

 

「東京地区大会予選落ちだったんだ。もう三年か四年くらい前になるかな」

 

 それでも、あの人のパフォーマンスは、僕にとって忘れられないほど、最高だった。

 侑には言ったことがあるけど、僕はそのおかげで、音楽への道を進むことに決めた。

 スクールアイドルが好きになったのも、救われたから誰かを助けたいと思ったのも、いろいろなきっかけが詰まっている。

 

「僕の原点」

「そこまで言うってことは、とても素晴らしいグループだったんでしょうね」

 

 ランジュがそう言ったことに、僕は驚いた。

 

「トップを取れなきゃ意味がないとか言われるかと思った」

「そんなこと言わないわよ。だってアナタたちがそれを証明してるでしょ。ラブライブに出場しなくても、賞を貰えなくても、スクールアイドルはスクールアイドルなのよ」

 

 その通りだ。その通りなのだが……

 僕や同好会の子たちとも、それほど考え方は違うように見えない。同好会の可能性についても、ユニットの力についても、納得はしてくれているようだ。なのに、どうしてここまで違う道を行こうとするのか。

 彼女の家で話をした時から感じていた違和感は、ランジュのことを知れば知るほど大きくなっていく。

 今日、ランジュと話をして、いくつか分かったことがある。でも、彼女を理解するための大事な一ピースを、まだ掴めていない。

 

 

 

 

「良かったネ!」

「ええ、来なかったら後悔してたわ!」

 

 中を一通り回りきって、ロビーでほくほく顔の三人。

 今は、ここで売られているラブライブオフィシャルグッズを眺めている。

 置いてあるのはTシャツやCDやマスコットのぬいぐるみなど、変わったところでは法被とかサングラスとか。

 ランジュはその全て、大きな袋が二つも必要なくらいの量を購入した。ロッティもディアもそれぞれ同じ分だけ買う。

 

「全身ラブライブコーデにするのもいいんじゃないかしら!」

「いやあ、それはどうかな……」

「ちょっと待ってて! 着替えてくるわ!」

 

 止める間もなく、今買ったものを引っ提げて、ランジュはトイレに入っていく。

 

「ワタシたちも行く?」

「せっかくだし」

「やめろ。僕を一人にするな。まともなほうを少数派にしないでくれ」

 

 今にも飛び出していきそうな二人の肩を押さえる。

 遠足は帰るまでが遠足。お土産は帰ってから開けるもの。

 あと、全身ラブライブグッズが三人もいるともう収拾つかなくなる。逆に僕だけが浮いてしまう状況はなんとしても避けなければ。

 

 ランジュはさきほど入ったばかりのはずなのに、すぐさま出てきた。

 

「どう?」

 

 得意げに笑う彼女は、見せつけるようにその場で一回転した。

 上半身はハートが描かれているシャツに法被、下半身はスウェット。

 頭にはキャップを被り、ハートの形のサングラスを掛け、首にはメガホン、タオル、さらにリストバンド。腰にもタオルをかけている。

 それらの全てに『Love Live!』の文字がこれでもかと記されている。

 

 ライブ会場でも、これほどのオタク……いやいや、気合の入った客は珍しい。ここならなおさら目立つ。悪い意味で。これはコーデとは言わんだろう。

 

「カッコイイ!」

「最高」

「ふふ、そうでしょ。湊もそう思うわよね?」

「前衛的だと思うよ」

 

 肯定しているようで、別にしていない回答。だけどテンションが上がりきっているランジュは気づかなかったようだ。

 まあ、楽しいならなんでもいいか。

 

「あれ、もしかして……」

 

 不意に、知った声が聞こえた。

 振り返ると、見知った顔が四つ、ぽかんと口を開けてこちらに向いていた。

 

 侑としずく、それに歩夢とせつ菜だった。



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70 見たいもの

「奇遇だね。湊さんたちも来てたなんて!」

「そっちは四人でここに?」

「あ、ううん。歩夢とせつ菜ちゃんは偶然ばったり。最初は私としずくちゃんだけだったんだ」

 

 ばったりと会った僕たちは、外に出てちょうど近くにあった休憩所に移動する。

 丸いテーブルを囲むようにして椅子に座るやいなや話し始めた侑に、僕は首をかしげる。

 

「偶然?」

「ほんと、びっくりしたよね」

「う、うん……」

 

 いつもは侑の言葉にはにっこりと笑って頷くのに、今の歩夢は目が泳いでいる。

 偶然というには出来すぎている、と考えるのはおかしいだろうか。いやもちろん、東京ドームシティは都内有数の遊び場だし、スクールアイドル展目当ての人間が集まったというだけの可能性もあるにはある。が、いつも一緒の歩夢と侑がそれぞれバラバラで、まったく同じ場所に来たという状況はさすがに無視できないだろう。

 

「侑としずくは何しに?」

「せつ菜さんと歩夢さんのユニットに可能性を感じていまして、それについて侑さんに相談してたんです」

「それで、家に籠ってるより外のほうがいいアイデアがでないかな~って思って、一緒にお出かけしてたんだ」

「湊先輩にも話そうと思ったんですけど、もう少し形にしてからご相談したかったので」

 

 アイデアを具体的なものにしたかったってわけか。

 なるほど、歩夢とせつ菜を組ませるとしたら、僕もこういう楽しいところをメインに回ったりするだろうなあ。

 エンターテインメント、アミューズメント、アトラクション……そういったものを前に押し出したテーマでやるのが……って、それはいま考えてくれてるから、僕はいいか。

 

「歩夢とせつ菜は?」

「え、えーと、あの、ヒーローショーを見に行きたいって、せつ菜ちゃんが! ね!」

「え、ええ! それはもう、とても面白かったんですよ!」

 

 そう言う割には目を合わせてくれないのは、何か隠してると言っているようなものだ。二人とも嘘つけない性格だからなあ。

 侑が出かけるのを知った歩夢が、()()外で遊びに行こうと思って、()()ここで会った……と。

 

「なるほど」

「う」

 

 僕に視線を向けられて、歩夢は唸った。

 ……どうやら、尾行してたっぽいな。

 幼馴染が自分の誘いを蹴ってどこへ行くのか気になって、ストーキングしたってところか。

 おそらく突発的に動いた結果であるから、せつ菜と会ったのは偶然のようだ。

 

「み、みみみ湊さんたちは?」

 

 疑惑を逸らすためか、歩夢は急かしてくる。まあ、わざわざばらしてやることでもあるまい。

 

「いっぱイ遊んダ!」

「遊園地でどっぷり」

「メインの用事は、スクールアイドル展だけどね」

「よかったよね~、スクールアイドル展! 色んなアイドルの子たちを見られて、すっごく元気を貰えたよ!」

「グッズもこんナに買えテ、満足!」

「たくさん買ったんだね、ロッティさん、ディアさんも」

「全種類コンプリート」

 

 パンパンの紙袋を見せつけるようにして、ディアはにっと笑った。

 

「同好会のみんなも誘って、また来ようか!」

「相変わらずみたいね、アナタ」

 

 和気あいあいと話が弾んでいたところに、ランジュの冷たい口調が刺さる。言われた侑は首を傾げた。

 

「そうやって遊んでる暇あるの、って言ってるの。音楽科の成績、どうなのよ」

「ミアちゃんから聞いたの? 前より少しは上がってるんだけど……まあギリギリはギリギリかなあ」

「やっぱりそうなのね。中途半端なのって、見ててイライラするの」

 

 急に転科した侑は、まだまだ音楽科の勉強に追いつけていない。なんとか赤点を取らないくらいにはなっているが、逆を言えばその程度だということだ。

 

「いい加減、同好会の活動に付き合うのなんかやめて、もっと自分の夢に向き合ったら?」

「勝手なこと言わないで」

「そうですよ、侑さんは……」

「そうやって甘やかすからよくないのよ!」

 

 擁護する歩夢たちを、ランジュは睨みつける。

 

 歩夢たちに憧れ、日本にまでやってきた彼女にとっては、そこが彼女にとってぬるい環境であることが許せないのだろう。

 僕らと彼女の価値観は全く違う。常に高みを狙うランジュには、成績もいまいちなのに同好会活動を続ける侑の姿は、へらへらしたものに映っていることだろう。

 だからこうやって、ランジュは怒りだしたのだ。

 

「今のアナタは周りに自分の夢を重ね合わせてるだけよ。アナタはそれで満たされたとしても、何も生み出していないわ」

 

 裏方として、侑はずっと頑張ってきた。でも、音楽科に行って、そこで培った力をスクールアイドルを支えるために使えているかというと、そうではない。

 ランジュの言葉は、ハッキリと鋭く、その通りだった。

 

 くいくい、と僕の袖が引かれる。ディアがこっそりと掴んできていた。その目は、『何か言い返さないのか』と訴えている。

 僕は小さく頭を振った。

 侑は、そんなに弱い子じゃない。

 

「ありがとう、ランジュちゃんは優しいんだね」

 

 切りつけてくるような言い方に対して、侑の口調は穏やかだった。

 

「うん。私、まだまだなんだ。湊さんに教えてもらって、みんなにも助けてもらってるけど、目標には全然届かない。でも、でもね、ランジュちゃん。私は諦めないよ。ユニットの練習もロッティちゃんやディアちゃんに任せちゃって、曲も湊さんが全部作ってくれてて、今のままじゃ駄目だって思ってるから。ランジュちゃんもこうやってまっすぐ言葉をぶつけてくれるし」

 

 スクールアイドルに関わるようになって、そして音楽の道を志し始めた侑は、現在と理想のギャップに苦しんでいる。

 でも、彼女は……時には止まったりもするけど、一歩一歩着実に進んでいっている。諦めるつもりなんてないのだ。

 

「精一杯頑張るよ。だから、もし気にしてくれるんだったら、もう少しだけ見ててくれないかな」

「だ、誰が気にしてるなんて言ったのよ」

 

 図星か、ランジュは頬を染めてぷいと横を向く。それがわかりやすくて、僕は心の中で苦笑した。

 

「もういいわ。拜拜」

 

 生暖かい目で見られて居心地が悪くなったのか、ランジュは紙袋を手に立ち上がった。

 

「おっと、待ってよ、ランジュ」

「ミンナ、またネ!」

「今度は、みんなで一緒に遊園地」

 

 すたすたと無遠慮に去っていくランジュ。急な別れの挨拶に、反応が遅れた僕たちはすぐさまハッと気づいて、侑たちに手を振る。

 ディアたちと袋を持って、駆け出す。急いだおかげで、すぐ追いついた。

 

「ランジュ」

 

 呼びかけると、彼女はぴたりと歩を止める。

 

「……こっちに来ていいの?」

「今日はね」

 

 元々、今日の僕はランジュの付き添いだ。それに、挨拶もなしに、はいさよならなんて寂しい関係ではない。

 

「僕からも礼を言うよ。ありがとう。君の存在が、みんなの刺激になってる。言い方は少しきついけどね」

 

 とんでもない新人が現れたと、みんな燃えた。

 今までソロだった同好会のメンバーがユニットを組もうとしたのも、ランジュがきっかけだ。

 思惑のあるなしに関わらず、ランジュは可能性を広げてくれている。

 

 それに、さっきの言葉……侑だけじゃなくて、僕も反省させられた。

 音楽を触り始めた侑に、一から十まで出来るとは思ってない。けれど、少しは任せてもよかったと思っている。

 気づかせてくれたのも、彼女だ。

 

「湊、前の話の続きよ。私のところに来て。あんなところじゃ、力を持て余すだけよ」

 

 きゅっと口を結んで、僕を睨むようにして目を合わせてくる。力はこもっているけど、その奥には懇願が混ざっているように見えた。

 ……そうだね、ここではっきり言っておこう。

 

「断る。君の手伝いはしてやれるけど、専属になるのは無理だ」

「どうして? ランジュといれば、誰よりも完璧で人気なアイドルの作曲家になれるのよ?」

「言ってることが矛盾してないか。ラブライブに出なくても、頂点の称号がなくてもスクールアイドルがスクールアイドルであることは変わらないんだろう」

「中途半端がダメって言ったでしょ。肯定し合うぬるい環境は、才能を腐らせるだけだわ」

「厳しい環境に身を置くだけが、才能を開花させる手段ってわけでもない」

 

 褒め合うのがぬるい、ということ自体、僕は否定派だ。

 悪いところは嫌でも目につく。残念ながら、人はそういうネガティブな生き物だ。良いところに目をつけるというのは、本当は難しい。

 だから僕は、否定してしまうような()()なことはしたくない。

 ちゃんと相手を見て、良いところを見つけて、伸ばす。悪いところを潰すだけで出来上がるものは、結局面白みのないものなのだ。

 

「そもそもの話をしておこうか。君は確かに、このままいけば完璧なアイドルになるだろう。歌もダンスも一流、プロですら敵わない最強のアイドルになれる。でも、完璧なアイドルの作曲家でいることは、僕にとってメリットでもなんでもない」

 

 ランジュは目を丸くした。

 

「じゃあ、アナタの目指してるものはなに?」

「言っても今の君には理解できないよ」

「言ってみなさいよ」

 

 退かず、逸らさず。『他』に対して強さのみを見せる今の彼女には、決してたどり着けない。

 その僕の夢は……

 

「最高のスクールアイドルを見たい」

「最高の……スクールアイドル?」

 

 今にも掴みかからほどヒートアップしていたランジュが、目に見えてその勢いを落としていく。

 

「最高のアイドルが、僕の作った曲で歌って踊るところが見たいんだ」

 

 スクールアイドル同好会を立ち上げた時……いやそれよりずっと前からの僕の夢。

 まだ叶えられてはいない。高校生活の中で成就するかも分からないけど、それができたなら、きっと僕は僕を認められるのだろう。

 

「それだったらランジュが──」

「今の君じゃ、最強にはなれても最高にはなれない」

 

 僕の言葉の真意が分からず、ランジュは助けを求めるように、ロッティとディアを交互に見た。

 

「な、なによそれ、全然意味がわからないわ。完璧で最強のアイドルこそ、最高のアイドルでしょ? Alpheccaの二人だって、頂点を目指してるんでしょう?」

「目指してるヨ。ケドそれは……エート……」

「目標であって、手段。その先に、わたしたちが目指すものがある」

「そゆコト!」

 

 二人の言葉に、僕も頷いた。

 

「……理解できないわ」

「そう言った」

 

 今のままのランジュじゃ、きっとこの言葉の真意は分からない。だけど、分かってほしいと思う。

 

「理解したいと思うなら、同好会に来てくれ、ランジュ」

「……」

 

 ランジュは顔を俯かせた。遊園地で見せた、悲しい顔。それは何度も見た表情とそっくりだった。

 

「アタシは、アナタたちとは違うの」

 

 絞りだすように、彼女は震えた声でそれだけ言った。



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71 校内、活気づいてきております

「メイキング映像?」

 

 侑が首をかしげる。

 スクールアイドルフェスティバルと文化祭の合同祭の準備も本格化してきたころ、部室で映像研究部との打ち合わせをしていると、そんな単語が出てきた。

 

「ええ。今年の文化祭は、スクールアイドルの祭典と合体した記念すべきイベントだもの!」

 

 映研の子が、ぐっと拳を握って熱弁する。もう一人も強く頷いて賛同。

 最近、昼休みや放課後、そこかしこで生徒が動き回っている。どこもかしこも文化祭の準備が本格化してきているのだ。

 その様子を収めて、SNSなどで流して期待を煽ろうというわけだ。

 

「そういえば、生徒会に相談が来ていましたね」

 

 ぼそり、とせつ菜が呟く。

 

「スクールアイドルは今回の象徴的な存在だから、思いっきりフィーチャーしたいんです!」

「ニジガクの敏腕プロデューサーの天王寺湊さん、隠れファンの多い高咲侑さんの様子もチェックしておきたいな」

「お二人のことなら、かすみんがよーく分かってるので、いっぱい教えちゃいますよ!」

「ワタシも! ミナトとユウのこと、全部言ウ!」

 

 君らは自分の宣伝しようね。

 

「神出鬼没の謎アイドル、優木せつ菜ちゃんの正体にも迫っちゃいたいなー、なんて!」

「それだけは絶対に駄目です!」

 

 ぶんぶんと首を横に振り、せつ菜は叫んだ。

 

 

 

 

 映研部が去って行ったあと、僕らは外に出た。

 さあ練習だと意気込み始めたところで、Alpheccaの二人が袖をくいくいと引っ張ってきた。

 

「ショータイって、どゆコト?」

「さっきの子たち、せつ菜の正体がどうのこうのって」

 

 あれ、知らなかったっけ。同好会の中では共通認識だったから、彼女たちも知ってるものかと。

 

「実は、虹ヶ咲の生徒会長は、私……なんです」

「セツナっテ、カイチョーだったノ!?」

「びっくり珍百景」

 

 おずおずとせつ菜が手を挙げると、二人とも大きくのけ反ってリアクションした。

 

「そういえば言ってなかったか。本名は中川菜々。ほら、眼鏡で三つ編みの……見たことない?」

「菜々ちゃんの姿で部室に来ること、あんまりなかったから分かんないよね」

 

 生徒会で決まったことがあれば、せつ菜モードで伝えてくるから、最近はほとんど菜々の姿を見かけない。

 僕や侑は生徒会室に用事があるからちょいちょい目にするけど、他のメンバーはそういうのもないし。

 

「ニジガク七不思議の一つが解けた」

「七不思議?」

「ユウキセツナは一体何者なのかって、学校内でも話題になってる」

「へえ、せっつーって七不思議の一つだったんだね。菜々だけにっ」

「あはははははっ」

 

 生きている生徒が学校の不思議になるなんて、そうそうないことだよなあ。と言いつつ、僕もその噂は知っている。

 

「雰囲気が全然違うから、気づく人は少ないんだよね。自力で気づいた人はここに二人いるけど」

 

 歩夢が僕と果林を見る。もうだいぶ昔のことに思えるなあ。懐かしい懐かしい。

 このことは、生徒会長の近くにいて、せつ菜のファンである副会長ですら知らない。むしろ近すぎるから分からないのか。

 

「噂を放っておくと、どんどん大きくなっていくよ。さてさてその正体は超能力者か異世界人か未来人か、はたまた宇宙人か……みたいなね。果林はどう思う?」

「宇宙人に一票ね」

「僕は異世界人だと思うかな」

「もう、からかわないでくださいっ」

 

 冗談を言ってると、せつ菜がぽかぽかと叩いてくる。IQ低い攻撃をしてくるあたり、気恥ずかしいらしい。

 

「そういう噂が流れているのは知っています。私自身ミステリアスなのもいいなと思っていましたし、今さら夢を壊すようなことはできません。それに……生徒会長とスクールアイドルって、全然違うものですから。どちらも大好きでやりたい私としては、このままのほうがいいと思うんです」

 

 本人がそれでいいと言うなら、これ以上口を挟むことはない。

 優木せつ菜という偽名を使っているのは、家が厳しくてアイドル活動も認められないだろうからという理由だ。ならば堂々と言えるはずもなく、僕らも隠すのに必死なのだ。

 SNSや動画のコメントなどでもたびたび彼女の正体についての質問が来るが、黙殺している。

 

「まあ、僕らもバラす気はないよ。口が軽いのはいるけど」

「ダ、誰にモ言わないデス!」

 

 冷や汗をかきながら敬礼するロッティに、せつ菜は詰め寄る。

 彼女については、僕のことをバラした前科があるから必死になるのもわかる。

 

「ほんとのほんとのほんとにお願いしますからね!」

「大丈夫。わたしが後で記憶を消しておくから」

「そんナこと、ディアできないデショ!」

「ほら忘れてる」

「エ、怖……」

「それって冗談……だよね?」

 

 歩夢の疑問に、ディアはにっこりと笑顔で返した。

 

 

 

 

 スクールアイドルフェスティバルが待ち構えていようとも、毎日の授業がなくなるわけでもなく、平日の日中はいつもと変わらない学校生活が続いている。

 そう考えると、準備に関しては僕ももっと深くまで関わる必要があるんじゃないのか。侑はまだまだ音楽科についていくのに精一杯だそうだし。せつ菜も生徒会長として文化祭の仕事がたくさんあるらしい。

 ある程度みんなが手伝ってくれてるとはいえ、限度があるだろう。予算の話や他校との打ち合わせなどは、あまりアイドルたちに任せられるものじゃないし。

 

 帰りのホームルームが終わり、どこから手をつけようかと悩んでいると、ミアがとんとんと背中を叩いてきた。

 

「湊、はんぺんがどこにいるか知らない?」

 

 彼女はすっかりこのクラスに馴染んでいた。素っ気ないところは変わらないが、話しかければある程度返してくれる。

 最初怖気づいていたクラスメイトも、十四歳であるミアを可愛がることが増えてきている。

 あまり群れるのが好みでない彼女は、ふいと避けようとすることが多いが、このクラスはノリのいい人たちが多いから、いまいち逃げきれない状況もある。

 

「この学校、やたらと広いから探すのに苦労するよ」

「都内有数のマンモス校……生徒数が多い学校だからね」

 

 話しながら、ミアの手に、先に魚がついた小さな釣り竿のようなものが握られているのに気が付いた。

 

「それ、はんぺん用? 遊びたいの?」

「構ってあげてるんだよ。なんだよ、そのにやけ顔は」

 

 いやあ、別にぃ?

 年相応らしい可愛いところあるんだなって。これ言ったらますます不機嫌になりそうだから黙っておくけど。

 

「この時間なら、愛と璃奈がお世話してるはず。一緒に行こうか」

「あい、りな……スクールアイドル?」

「そうだよ」

 

 ミアを引き連れて、廊下へ出る。

 教室があるこの棟も、お祭りの準備で賑やかだ。

 凝った装飾や看板が次々と出来上がっていて、もうすぐ始まるという実感が湧いてくる。

 

「その、さ。スクールアイドルの動画、ボクも見てみたよ、色々と」

 

 外に出たあたりで、ミアは口を開いた。

 

「まあ言うほど悪くはなかった。色んなジャンルの音楽も聞けたし、面白い……とは思う」

 

 興味がない、と言っていた時から大きな進歩だ。

 スクールアイドル同好会として、そしてスクールアイドル好きとしては嬉しい。

 

「君もやってみる?」

「……やらないよ」

 

 なんだ。ミアもスクールアイドルの素質は十分だと思ったのに。しかし、本人にその気がないなら仕方ない。

 同じ音楽の道を進む者として、彼女の作曲環境や姿勢は気になるから、共同で曲を作るとかさせてもらえないだろうか。

 

「ボクには、出来ない」

 

 ぼそり、と彼女は呟いた。風に消えてしまいそうな声だけど、僕の耳ははっきりと拾った。

 

「……それって──」

「お、みーくん、ミアち」

 

 校舎の陰で、愛がハンディカメラを構えていた。練習着ではあるものの、隣にいる璃奈も含めて一切汗をかいていないところを見るに、着替えてから即ここに来たようだ。

 予想通り、はんぺんもここにいた。璃奈に撫でられて、気持ちよさそうに喉を鳴らしている。

 

「ミアち?」

 

 それが自分のことを指してると知り、ミアはむすっとした表情になった。

 

「ボクのほうが先輩だって言っただろ。なにそのカメラ。やめてよ」

 

 ミアはねこじゃらしでカメラを指した。同好会(うち)にあるやつだ。

 

「メイキングの撮影?」

「あったりー」

「なのに、璃奈とはんぺんが戯れてるのを映してるの?」

「可愛いでしょ?」

「それはそう」

 

 それはそうなんだよ、マジで。

 璃奈とはんぺんの映像とか需要しかない。もうメイキング映像全編それだけでいいんじゃないか。

 

 回り込んで、愛が持っているカメラをのぞき込む。液晶モニターには、しっかり二人と一匹が画角に収まっている。

 じっと見てくる璃奈に、ミアが視線を返した。

 

「……なんだよ」

「私、一年の天王寺璃奈」

「テンノウジ?」

 

 ミアは怪訝な顔のまま、僕を見た。

 

「僕の妹」

「ふーん。ボクは三年のミア・テイラー」

「知ってる。最近、新曲の動画たくさん上げてるよね」

「そうなの?」

「うん。凄い再生数」

「当然の結果さ」

 

 ミアは胸をそらす。

 彼女は自身の動画チャンネルで自作の曲をアップしており、そのどれもが普通の学生とは一線を画したクオリティのものだ。

 経験ならそれなりだと自負してる僕も、正直勝てないと思った。それほど彼女の作る曲は綺麗だった。

 

「はんぺんと遊びに来たの?」

「悪い?」

「悪くない」

 

 即答して、璃奈ははんぺんをミアに近づけた。

 はんぺんは不思議そうに見上げて、少し首を引っ込めた。

 

「まずは、自分の匂いを嗅がせるの」

 

 璃奈ははんぺんの鼻に、ゆっくりと自分の人差し指を近づけた。すると、はんぺんはくんくんと鼻を動かし、それをぺろぺろと舐める。

 猫は、目があまり良くない。その代わりに嗅覚が発達していて、こうやって近づけられたものの害のあるなしを判断しているのだ。

 だから仲良くなろうとして急に触ったりするのは、逆効果なのである。

 

 ミアは同じように、自分の指をそっと立てる。最初は警戒していたはんぺんだったが、やがて自分から顔を寄せていった。これで、ミアもはんぺんに認められた。

 よしよし、と璃奈は顎の下を撫でる。はんぺんは目を細めて、なすがままになっていた。

 

「ここ、撫でると喜ぶよ」

「ふーん」

 

 興味ないふりをしつつも、はんぺんを触るミアの顔は少し緩んでいた。

 

 

 

 

 そういえば、と僕は思い返す。

 テイラー家が音楽家として有名なのは、作曲家としての一面だけではない。むしろもう一つのほうがメインだ。

 歌手。特に父親は世界中から引っ張りだこのテノール歌手。姉は日本でも名の知れたポップシンガー。

 音楽科じゃなくても、その人たちの歌は聞いたことがあるはずだ。

 

 しかし、ミアが歌ったところは見たことがない。様々な種類の曲を上げているものの、全てがインストゥルメンタル。

 それは別になんらおかしいことではない。彼女が歌わない方針なのであれば、不思議でもなんでもない。僕だって自分で歌うことはせず、人に歌わせるために曲を作っているのだから。

 しかし、どうにも彼女の一言が気になった。

 

『ボクには、出来ない』

 

 出来ない、と言ったのだ。

 やらないというよりも、僕はそっちのほうが本音に聞こえた。

 なにかしら、問題があるのだろうか。歌えない理由が。

 

 ランジュといいミアといい、心の底に何か良くないものが溜まっている気がする。

 

「天王寺さん、大丈夫ですか?」

 

 部室棟に入る直前で、声をかけられた。三船さんだ

 

「大丈夫、とは?」

「難しい顔をしていましたから」

「ああ、平気平気。ちょっと気になることがあっただけだから」

「そう、ですか」

 

 いかんいかん。眉に力を込めてると、過保護なうちの同好会員がすっ飛んでくる。

 眉間を揉んでほぐしていると、三船さんが一枚の紙を胸に抱えているのに目がいった。

 

「どこかの部に用事?」

「はい。文化祭の書類なんですが、こけし同好会が一部記入していないところがありまして」

「こけし……大変だね、わざわざ部室棟まで」

「生徒のみなさんのためですから。天王寺さんは、今から部室へ?」

「そう。はんぺんの世話をしてたら遅くなっちゃってね」

「はんぺんさん、元気ですか?」

「元気も元気。最近じゃ、みんなおやつをあげたがるから、太らないか心配だよ」

「ふふ、愛されてますね」

 

 あのスリムな体形がデブっても、それはそれで可愛いに違いないだろうが……健康面では心配だ。などと世間話をしつつ、部室棟へ一緒に入る。

 

「前夜祭にもライブをするんですよね」

「総合演出担当の演劇部部長から、直々にお願いされてね。フェスティバルと合同開催なら、最初もスクールアイドルがやるべきだろうって」

 

 やらせてくれるなら、もちろん断る理由はない。僕は二つ返事で答えた。

 今のところまだ、誰が前夜祭のステージに立つかは決めていない。誰か一人を選んでもいいが、せっかくのお祭りなのだから複数人で賑やかしたい。

 QU4RTZかDiverDivaのどちらかというのを検討中だが、フェスティバルの始めとなると、もう少しエンターテインメント感が欲しい。

 例えば……

 

「このくらいなんでもありません! 今の私は、すっごく気合が入っているんですよ!」

 

 浮かんだ声が、そのまま耳に入ってきた。

 

「せつ菜さんの声……」

 

 半開きになっているスクールアイドル同好会の扉から、せつ菜の大きな声が響いている。

 

「せつ菜と菜々、二つの大好きを持っていますが、私は結局一人なわけで」

 

 あ、まずい。

 

「三船さん、あっちから行かない?」

「こけし同好会の部室へは、こちらが近道ですよ」

「あっちのほうが近い気がするけどなぁー」

「ついでに、部室の扉が開いていることを注意しておきましょう」

 

 この優等生め。

 幸い周りには誰もいないから、今まさにとんでもないことを言っているせつ菜の声は、僕らにしか聞こえていない。

 だけど、それすらも問題なわけで……

 

「二学期で会長の任期は終わりですし、スクールアイドルと生徒会長の職務を一緒にやれる機会なんて、もうないかもしれません。ですから、この行事を私の集大成にしたいんで──」

「なるほど。生徒会長は、優木せつ菜さんだったんですね」

 

 止める間もなく、三船さんは扉の中へ、そう言い放った。

 

 空気が固まるとはまさにこのことで、まるで部室の中だけ時間が止まったように、中にいたせつ菜、歩夢、しずくが唖然とした表情のまま動かなくなってしまった。

 唯一、彼女らの額から流れる冷や汗のみが、つぅーと肌を通る。

 

「な……ななななんのことでしょう? 私はえーと……菜々です! 中川菜々!」

「そ、そうだよ! 眼鏡してるし、どこからどうみても菜々ちゃんだってー!」

「せつ菜ならここにいますよ! せつ菜スカーレットストーム! ふう、今日もまた、世界を救ってしまいましたー!」

 

 あーあ。

 動き出したかと思えばこれである。

 確かに、せつ菜は眼鏡をかけた状態ではあるが、服は練習着、髪も三つ編みを解いている。

 つまり、『せつ菜っぽい中川さん』ではなく、『ただ眼鏡をかけたせつ菜』の状態だ。

 

 三船さんは微動だにせず、真っすぐにせつ菜を見る。数秒後にやっと首を動かして、僕へ視線を向けてきた。

 僕はふるふると首を横に振って、ため息をついた。

 前も思ったけど、歩夢もせつ菜も嘘が下手だ。しずくも、騙すならもっとこう、あるだろう。

 

 もう無理だ、と分かって、せつ菜は涙目になった。

 

「わ、悪気はなかったんです! ですから、このことはどうか内密に!」

「私たちからもお願いします」

「安心してください。誰にも言うつもりはないですよ」

 

 がばっと頭を下げたしずくたちだったが、三船さんの返答はあっさりしていた。

 

「私は、会長が学園のためにたくさん貢献されてきたことも、せつ菜さんがスクールアイドルとして人気を獲得したことも知っています。どちらにも適性があって、みなさんを幸せにできている。その邪魔をする理由など、ありません」

「あ、ありがとうございます!」

 

 せつ菜のことを知っても応援してくれるようだ。歩夢としずくも胸をなでおろし、安堵のため息をつく。

 

 三船さん、僕が思っているよりもスクールアイドルを肯定的に見てくれているみたいだ。QU4RTZのライブにも足を運んでくれたし、DiverDivaのもオンラインで見てくれたそうだし。

 幼馴染のランジュがやっているから、とか、ファンだからというよりはもっと何か重いものを感じるけど。

 何か彼女の中に、単なる興味で収まらないものがあるように見える。でなければ、文化祭とスクールアイドルフェスティバルの合同開催を提案しない、というのは僕の思い込みすぎだろうか。

 

 彼女を窺っても、表情からは何も掴めなかった。



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72 みんな一緒で

「そうですか。わかりました。ありがとうございます」

 

 部室。

 せつ菜と三船さんに期待の目を向けられている僕は、電話を切ってがっくりと肩を下ろした。

 

「どうでした?」

「駄目だった。やっぱり直前だとどこも無理みたいだね」

「そう、ですよね……」

 

 三人で、はあと深いため息をつく。

 

「ど、どうしたんですか? 緊急って言われたので来ましたけど……」

「まずいことが起きた」

 

 着替えるのも待ってもらって集まってもらったみんなに向き直る。

 スクールアイドルフェスティバルまであと一週間。ここに来て、とんでもないことが起こってしまった。

 

 僕は説明を始めた。

 ざっくり言うと、キャパオーバーだ。

 第二回スクールアイドルフェスティバルに参加したいという学校が、ここに来て急に増えたのだ。

 

「みなさんのユニットや、ランジュのライブが話題になっていたのは、もちろん把握していたのですが」

「締め切り直前に参加の応募が殺到してしまって、全てを行うのは不可能な状況です」

 

 三船さんとせつ菜がそれぞれ補足説明する。

 

「文化祭と合同というのが裏目に出てしまいましたね……」

「いや、フェスティバルだけだったとしても、虹ヶ咲じゃどうにもならない数だ」

「そんナに多いノ?」

「はい。予想を大きく上回っています。参加者を抽選で選び直すという方法も考えられますが」

「誰かが落ちちゃうなんてイヤだよ」

 

 愛の言う通り、せっかく参加したいと言ってくれたのに、ノーを突きつけるなんて出来ない。その人たちには何の落ち度もない。

 

「こんな話してたら、せつ菜先輩の正体バレちゃうんじゃ……」

「もうバレちゃったんだ」

「えっ、そうなの!?」

 

 こっそりと話していたかすみが驚き、しずくが苦笑する。

 そんなことよりも……

 

「それはともかく、校内が無理なら、前のフェスティバルみたいに外のステージを借りたら?」

「それだよ、果林ちゃん!」

「当たってはみましたが、急だったのでどこも無理でした」

 

 これに関しては、先ほど確認した。

 ここから遠いところとかは空いてるけど、あまりにも距離がありすぎる。学校とそこを行ったり来たりさせるのは、こちらにとってもお客さんにとっても良くない。

 今のところ、場所も時間も、全てのスクールアイドルが満足するには足りなすぎる。

 

 

 

 もろもろの事情を生徒会に伝えるために去っていったせつ菜を見送り、僕たちは暗い雰囲気のまま取り残された。

 

「どうなるのかな」

 

 かすみがぽつりと呟く。

 

 奇跡が起きてどうにかなれば、このまま開催可能になる。

 でも現実はそう甘くない。何度も何度も考えて、それでもどうしようもなかったのだ。

 

 もし、校内の全てをスクールアイドルフェスティバルのために使えるなら、話は別だ。

 だけどそれは許されてはいけない。当然だろう。文化祭は虹ヶ咲の生徒みんなでやる行事だ。他のクラスや部が使おうとしている場所を使わせてくれ、なんてわがままは言えない。

 たぶんせつ菜は、生徒会長として、文化祭のほうを優先するだろう。このままだとフェスティバルは白紙になる。

 その選択を責めることはできない。むしろそれが当たり前だ。

 

 そんな状況だと分かっているからこそ、みんな俯いている。

 悪い雰囲気が部室の中に充満していた。楽しみにしていたことがなくなるかもしれないと突き落とされたショックは、なによりもでかい。

 

 ここで終わりか…………なんて、僕は一切思ってなかった。

 

「どうしましょう」

「どうにかするしかない」

 

 僕と侑は、同時に目を見合わせた。

 気持ちは、第一回の、あの雨が降った時と同じ。こんなところで終わらせてたまるか、だ。

 早速、示し合わせたようにスマホを取り出して、それぞれとある人物たちに電話をかける。

 

 まだまだ、絶望に伏してしまうのは早い。

 

 

 

 

 時間は過ぎ、もう生徒会の話し合いは終了したはずだ。

 どうなったか聞くために生徒会室に足を運んだが、いたのは副会長だけ。中川会長は、どこかへ行ってしまったらしい。本人に連絡を取ろうとしても、返事は返ってこない。

 思いつめてないといいけど……僕たちはとりあえず、校内を探していく。こんな時、広い学校というのが鬱陶しかった。

 せつ菜が行きそうなところ、というのはあまり思いつかない。けど、行かなそうなところは分かる。こういう時……どうしようもない時、人がいる場所は避けるだろう。文化祭の準備で賑やかになっている学校の敷地内では、そんなところはほとんどないと言っていい。

 おかげで、探し始めてからニ十分も経たないくらいで彼女を見つけた。

 

 屋上。風が吹くここに、せつ菜は一人で心ここにあらずといった調子で空を眺めていた。

 見つけた歩夢としずくが一番に駆け寄る。

 

「せつ菜ちゃん」

「みんな探してたんですよ」

 

 声に振り向き、すみませんと頭を下げるせつ菜は明らかに元気がなかった。

 

「それで、どうなったの?」

「フェスティバルは延期になると思います。前回以上の規模になることもわかったので、次はいつ開催できるのかもわかりません」

 

 今にも泣きそうなのを必死で抑えて、せつ菜は続ける。

 

「参加を表明してくれたスクールアイドルやファンのみなさんには、今日中にお詫びの挨拶に行きます。ランジュさんにも謝らないといけませんね。納得はしてもらえないかもしれませんが、生徒会長として誠意をもって……」

「湊先輩の言う通りになりましたね」

「え……?」

 

 しずくは呆れ気味に苦笑した。

 

「セツナは生徒会長として、文化祭を優先させるって」

「それは……当然でしょう」

 

 たとえ生徒会長が他の誰だったとしても、その選択をしただろう。そうせざるを得ないのだ。

 しかし、スクールアイドル同好会でもあるせつ菜は、みんなの努力を知ってるからこそ、どうにかしなければという気持ちを背負っている。

 

「せつ菜ちゃん。こうなったのは、せつ菜ちゃんのせいじゃないよ」

「そうです。私たちの見通しが甘かったのもありますから」

「それは……」

「理屈はなんとなくわかるけど、自分は例外かもしれないって顔してます。前の湊先輩みたいですよ」

 

 前のしずくだって、同じ顔してただろうて。

 ぴしゃりと言い放った言葉は、せつ菜に刺さったようで、苦い顔をされた。

 

「悪いところだけそっくり。ね、湊さん」

「耳が痛い」

 

 たった一人で何もかも抱え込んで、どうしようもないと勝手に諦めて……僕は酷い先輩だった。

 その悪い系譜は、真面目なせつ菜に受け継がれてしまった。

 

「でも、もうあらゆることを考えたんです。方法なんて……」

「それハわからないヨ!」

 

 ロッティが声を張り上げる。

 

「だっテ、ワタシたちはマダなにも考えテないもン!」

「そんな自信満々に言うことじゃ……」

 

 だけど、ロッティの言う通り。案は出尽くしていない。

 

「せつ菜、スクールアイドルフェスティバルに関わっているのは君だけじゃない」

「そうですよ! 部長であるかすみんに黙って、勝手にやめるなんて決めないでください!」

「かすみちゃんの言う通りだよ。中止するなら、みんなの合意がないと」

 

 熱意に押され、せつ菜の目に涙が浮かぶ。

 誰にも重荷を背負わせたくない気持ちは痛いほど分かる。

 真っすぐで、頑張り屋で、だからこそ人一倍責任を感じてしまうせつ菜は、生徒会長の鑑だ。

 でも今くらいは、少しくらい人に押しつけてしまえばいい。ここには、同じものを背負う覚悟のある人間しかいない。

 

「だから一緒に、もう一度考えよう。一人じゃなくて、みんなで」

「そうですよ。諦めるのはまだ早すぎます」

「歩夢さん、しずくさん……」

 

 ぎゅっと、二人はせつ菜の手を強引に取った。

 僕らは一人じゃない。お互いに、信頼し合える仲間がいる。時には、その仲間に寄りかかってしまってもいいのだ。

 いつも頑張ってくれているせつ菜は、特に。

 

「どんな結果でも、頭を下げることになっても、ついていくよ。一緒にいるって、約束したから」

 

 僕が必要だと、彼女は言ってくれた。そしてもちろん、僕にも彼女が必要だ。優木せつ菜と中川菜々の両方とも。

 その彼女が苦しんでいるというなら、誰からどれだけ怒られるとしても、退く理由にはならない。

 

 せつ菜は二人の手を強く握った。

 

「力を……貸してください!」

 

 

 

 

 翌日。

 会議室を貸し切って、長机を四角の形に並べる。

 普段であれば講義で使うような大きな部屋だ。そこには生徒会、三船さん、東雲、藤黄、Y.G.の代表者がそれぞれ座っている。

 それだけでなく事前に参加表明をしてくれていた学校とも通話アプリで繋いで、話に参加できるようにした。

 虹ヶ咲(うち)からは、僕と侑、それに部長であるかすみ、さらにロッティとディアが出席している。

 

「急なお話ですみません」

 

 せつ菜を説得する前、僕と侑で呼びかけたメンツは全員揃っていた。昨日の今日で来てくれたことに、感謝してもしきれない。

 こちらの落ち度であるのに、誰も責めてこないのもありがたかった。

 何か言われることを見越して僕が矢面に立とうか、と言ったが、せつ菜は拒否した。

 これは学校全体の問題であるから、生徒会長が先頭に立たないといけない、ということらしい。もちろんここでは生徒会長の中川さんモードだ。

 

「謝らないでください」

「私たち全員の問題でしょ」

「そうそう。アタシがいなきゃ始まらないものね」

 

 ランジュはふふん、と胸を逸らすと、僕に向かってウインクしてきた。

 

「アタシを呼ぶなんて、英断ね、湊」

「すっごい自信」

 

 虹ヶ咲のスクールアイドルだが、僕たちとは所属を別にしているのだから、ちゃんとお呼びしないと不公平だろうと思ったのだ。

 

「オンラインでお集まりいただいたみなさんも、ありがとうございます。私たちなら、今の状況もきっと解決できるはずです」

 

 この場にいる全員、フェスティバルのことをうちに任せっきりにせず、自分のことだと思っている。

 これだけの人数がいれば、活路は見出せるはずだ。

 

 

 …………

 ……………………

 それから、二時間ほどが経過した。窓からの景色は、もう暗くなり始めていて、すっかり夜と言ってもいい。

 

「Give up. No idea……」

 

 ジェニファーさんが机に突っ伏す。

 意気込んだのは良かったが、やはりハマらない。

 

 ステージが出来る時間も場所も限られていて、参加希望のグループは予想の三倍ほど。どれだけ詰め込んだとしても、スケジュールにはまらない。

 各合間には準備や片付けの時間も必要と考えると、三倍よりももっと規模を大きくしなければならない。

 つまり、無理だ。

 

「これじゃどう考えても虹ヶ咲でやるのは難しいよ」

「私たちの学校が代われれば良かったんですが……」

 

 藤黄の二人も、はあとため息をこぼす。

 

「うちの学園も来週から文化祭ですが……そもそも、この中では虹ヶ咲が一番大きいですからね」

 

 ラクシャータさんの言う通り、ここに集まってくれた学校の中では、虹ヶ咲がダントツで敷地面積が広い。そこで無理というのだから、別の高校で代わりに開催というのも出来ない話。

 何か手があるかと思ったが、どうにもこうにもいかないようだ。

 緊張感の途切れた、弛緩した空気が漂い始める。これだけの人数がいて、知恵を絞り合っても難しいなら……と重い空気が沈殿したところへ、ロッティが声を発した。

 

「Y.G.も来週からブンカサイ?」

「はい。20日ですね」

 

 虹ヶ咲は22日だから、直前じゃないか。

 

「まあ文化祭って大体おんなじ時期にやるから、日程近くなるよね。ちなみに東雲と藤黄は?」

「東雲は18日です」

「藤黄は19日だよ」

「へえ、連続してるんだね。文化祭の時には男子も入れる?」

「ええ、文化祭や体育祭、他にも部の発表会の時なんかは、男女問わずに入れるようになってるよ」

「東雲も同じですね。湊さんも遊びに来ます?」

「こっちでの準備に追われてると思うよ」

「なぁーんだ。訊いてきたから、来てくれるかと思ったのに」

 

 行けたら行きます。

 

「藤黄と東雲ではスクールアイドルのステージ、しないの?」

「ううん。今回はフェスティバルのために、ってやらないようにしたんだ。毎年場所と時間取ってやってるけど、今年はそこ余りそうなんだよね」

 

 ディアの質問に、支倉さんが返す。

 スケジュールで空いたところがあると、争奪戦になるか、そのままぽっかり空いたままになるか。東雲は後者のようだ。

 虹ヶ咲みたいに部活動が盛んなところばかりじゃない。体育系は盛り上がってて、文化系はそれほどみたいなところもあるしね。

 

 文化祭に行きたい行きたいと駄々をこねだしたAlpheccaをいなしつつ、ふと中川さんを見ると、宙を見ながら難しい顔をしていた。

 

「一つの学校でやるのではなく、複数の学校で複数日やるなら……」

 

 ぼそり、と呟いた中川さんの言葉の意味をいち早く理解したのは、侑だった。

 

「複数? まさか……」

 

 中川さんは、くるりと振り返ってホワイトボードにあることを書いていく。 

 18日、東雲。19日、藤黄。20日、YG。22日、虹ヶ咲。

 

「まだ足りないかもしれませんが、チャレンジしてみる価値はありますね。未参加の学校にも声をかけてみましょう」

「それってつまり……」

 

 遅れて気づいた僕も、もしやと思って、逸る中川さんへ確認のために視線を送る。彼女はにっと笑って、頷いた。

 

「ええ。虹ヶ咲だけでなく、他の高校でも、スクールアイドルフェスティバルを合同開催するんです!」

 

 高らかに宣言した中川さんに、みんなが驚きの声を上げる。

 

「今からですか? もう一週間切ってるんですよ?」

「動いてみなきゃわからないよ」

「自分の学校でやったほうが、自分たちらしいライブができるかも。Yes!」

「うん、そのほうが面白くなりそう!」

 

 綾小路さんは冷や汗を垂らしたが、他の代表者は乗り気になっていた。それだけじゃなく、先ほどまでの停滞していた空気が嘘のように、確認事項や必要行動が次々出される。

 

「僕は21日に文化祭があるところがないか、探してみるよ」

「ランジュも手伝うわ。湊とアタシの名前を使えば、釣りやすくなるでしょ」

「ワタシたちも行く!」

「名前なら、わたしたちのほうが有名」

 

 バチバチと火花を散らし始めたAlpheccaとランジュを宥めつつ、中川さんに向かって頷く。

 霧散しかけていたフェスティバルと文化祭の合同開催が、現実味を帯びてきた。



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73 三船さん……の姉

「Y.G.国際もOK出ましたよ!」

「やったあ!」

「これでいけるかな」

「いえ、全部のライブと出し物をやるには、ギリギリ足りません。やはり、あと一校……」

 

 部室の目の前まで来たところで、そんな声が聞こえる。またしても部室の扉が開いていた。

 注意しないといけないが、それは後。

 

「朗報だよ」

 

 半開きの扉を開けて、僕はそう宣言するとともに、連れてきた女子二人を中に招き入れる。

 

「どなた?」

「ふふ、紫苑女学院の黒羽(くろばね)咲夜(さくや)と」

「黒羽……咲良(さくら)です」

 

 黒のブラウスに、紫のブレザーとスカートと、全体的に暗めな制服。

 最初に自己紹介をしたのは、黒羽咲夜さん。ウェーブのかかった銀髪。前髪は、眉の上でぱっつんに切り揃えられている。不敵な笑みを携えて、部室をざっと見まわす。

 

 次に声を発したのは、その妹の黒羽咲良さん。黒い長髪で、姉とは対照的に大人しい印象を受ける子だ。

 

 個性的な生徒が集う紫苑女学院のスクールアイドル部。そこに所属している二人だ。

 

「ショウ・ランジュから話は聞いた。内なる声に従い、今からフェスティバルに参加をするわ」

「ウチナルコエ?」

「しっ。見ちゃいけません」

 

 エマの教育に悪いので、目を塞ぐ。

 

「気にしないで。いつものことだから。紫苑の文化祭でも、ライブできるってことだから」

「ぜひ、お願いします!」

 

 必要なことだけ伝えてくれた黒羽咲良の言葉を聞いて、部室が活気づく。

 あと一個足りないというところに、ちょうどそれを埋めてくれる救世主が登場したのだ。

 連れてきた僕も改めて、頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

「いいのよ。全ては運命の輪に導かれるまま……」

「気にしないでって言ってる」

 

 こういうのって、逆じゃないのかなあ。妹がはっちゃけてて、姉がそれを諫めるみたいな。

 でも、姉がこうだから妹は反対に育ったと考えると、頷けるか。

 

 そんなことはともかく、早速打ち合わせを行う。

 話は滞りなく進み、ぽっかり空いていた21日が埋まる。後で精査してみないと決定とは言えないが、参加校全てがステージできるようにスケジュールを組めそうだ。少し時間が押しても余裕はありそうだから、特別ステージとかも出来そうだ。

 

 正式な内容は追って共有することにして、これから学校に戻る黒羽姉妹を見送った後で一息つく。

 これでやっと、文句なく開催できることが確定した。一時はどうなることかと思ったけど、なんとかなるもんだな。

 ソファにもたれかかって休んでいると、せつ菜がお茶を淹れてくれた。

 

「湊さん、お疲れ様です」

「それはランジュたちに言ってあげて」

 

 そう言うと、彼女は首を傾げた。

 

「ほら、紫苑女って女子高だから僕は入れなくて……交渉してくれたのは、全部ランジュとディアとロッティなんだ」

「ランジュ、わたしたちよりも先に頭下げてた」

「カッコよかっタ!」

 

 乗り込んだランジュたちは、紫苑女のスクールアイドルを連れだしてくる前に、話を済ませておいてくれたらしい。

 黒羽姉妹が言うところによると、とても熱心にお願いしたそうだ。

 

「そのランジュさんは?」

「僕と彼女たちを引き合わせた後、どっか行ったよ。恥ずかしいのかなんなのか……」

 

 まるでそれが当然かのように、ランジュは必要なことだけをして去っていった。

 お礼も言いそびれてしまった。次会った時にはちゃんとありがとうって言わないと。

 

「とにかく、これでどうにかできそうですね」

「本番はこっからだよ。もう一週間もないんだから、準備に練習に大忙しだ」

「はい!」

 

 

 

 

 フェスティバルを楽しみにしていた生徒は、僕の予想よりも多かったようで、中止するかもという噂が払しょくされたいま、準備が大変だろうと手伝ってくれるボランティアの人が爆増した。

 参加校が増えたこともあって必要なものも多くなったが、どうにかなりそうだ。つくづく僕たちは周りに恵まれている。

 

「ふうん。つまり、五校による五日連続の合同文化祭のトリってわけだね」

「そういうこと。とは言っても、前夜祭を虹ヶ咲でやることには変わりないから、変更箇所はあまりないんだけどね」

 

 今、食堂の隅っこで演劇部の部長と打ち合わせ中。文化祭の前夜祭は、彼女率いる演劇部が演出担当となっており、その目玉となっているステージの確認だ。

 舞台をどういった趣きにするかなどはもうほとんど決まっていて、五校が交わることによってあと何が必要かを洗い出している。

 前夜祭の内容で変わるのは、生徒会長による開催宣言の文言くらいだろうか。

 

「ふふ」

「楽しそうですね、部長」

 

 隣に座るしずくが、部長を見る。

 

「湊が有名になってからは、こうやって向かい合って話をするのも難しくなったからね」

「君までやめてくれよ。本当は、僕だってこんな正体を晒すつもりなかったんだから」

「隠しておいたままにするにはかっこよすぎるよ、湊は」

 

 はいはい、と聞き流していると、しずくは僕と彼女の顔を見比べて、不思議そうな表情を浮かべた。

 

「ずーっと訊きたかったんですけど、湊先輩と部長とはどういったご関係なんですか?」

「友人」

「にしては、こう、距離が近いといいますか、名前で呼び合ってますし」

「名前で呼び合うくらいなら、君たちともやってるじゃないか」

「それに至るまで紆余曲折ありましたけど」

 

 で、どうなんですか? と、僕に訊いても満足できる回答は得られないと思ったのか、しずくは相手を変えた。

 すると、部長さんはニヒルに口の端を吊り上げると、こう言った。

 

「恋人」

「こっ!? こここここいびとって、あの恋愛関係で運命の赤い糸がラブラブランデブーの、あの恋人ですか!?」

「わあ、しずくのこんな焦ってるところ、初めて見た」

 

 僕も。これほど顔が真っ赤な人自体、見るの初めて。

 放っておいても面白いけど、勘違いが広まってしまう前にちゃんと言っておくか。

 

()だよ、恋人()

「や、役?」

「そう。僕がこいつの演技力向上のために、恋人役だった時期があるってだけ」

 

 役。ここ大事ね。

 

「だって、そういう役をゲットしたんだから、仕方ないでしょ。そんなこと頼める男友達が、湊くらいしかいなかったからね」

 

 相手役をゲットしたのも、女の子だったからなあ。

 

「そういうのって、恋の始まりとしてはベタな設定なのでは……」

「ないよ」

「本当にお付き合いされていたりとかは……」

「ないない。湊、面倒だし」

「僕も、こいつには懲りたよ」

「何があったんですか!?」

 

 期間にして、彼女がその役に受かってから劇が終わるまでの数か月。割り切った関係だったから面倒も勘違いもなかったけど、ああいうのはもういい。

 

「心配しなくても、湊とはただの友人だよ、しずく」

「し、心配なんてしてませんっ」

「まあまあ。私にとっては、しずくのほうが羨ましいよ。湊の本当のこと、恋人だった時は言ってくれなかった」

「恋人()ね」

「友人としても、聞いたことなかった」

 

 ぷいと頬を膨らませたしずくを宥めると同時、彼女は僕をじっと見つめてきた。

 僕が小さい時のこと、親のこと、そして今。彼女には約束した通り全てを話した。とてもびっくりして絶句していたけれど、それ以上深く訊いてくることもなく、今まで通りに接してくれている。

 彼女には、これまでも話すタイミングはいくらでもあったが……

 

「あんな話されても困っただろ」

「そうかも。でも湊のためなら、話を聞くくらいは出来たよ」

 

 彼女の観察眼は鋭い。何度も僕を心配してくれたことがあった。

 つらい思い出がフラッシュバックしてしまった時も、璃奈が楽しい高校生活を送れているか気になってた時も、スクールアイドル同好会でいざこざがあった時も。

 

「嫉妬しちゃうなあ。私のほうが付き合いは長いのに」

「璃奈のほうが長い」

「璃奈ちゃんは反則でしょ」

 

 むむむ、とむくれたまま、しずくは部長を睨む。

 

「やっぱり、仲いいですね」

「一年の時からの付き合いだからね」

 

 ふふん、と彼女は得意げに笑った。

 

「毎年、校内だけで発表する一年生だけでやる演劇があるでしょ? 先輩の度肝を抜いてやろうと、何から何までクオリティの高いものを作ってやろうとしたの。で、音楽については、湊に白羽の矢が当たったってわけ」

「湊先輩に? でも演劇部にも音楽科の人はいますよね?」

「その音楽科の子が、湊を推薦したんだ。凄いやつがいるってね」

「それがきっかけで、まあなんやかんやあって、今に至るってわけ」

「そのなんやかんやも聞きたいです」

 

 身を乗り出してきたしずくの顔に、机に広げていたノートを突きつけた。

 

「そんなことより、今日は早くこれを決めてしまわないと」

 

 最後の最後、まだ決まっていないことがある。誰が前夜祭のステージに立つか、ということだ。

 せっかく広い舞台を用意してもらったのだから、四人ユニットのQU4RTZにやってもらうか、話題性を考えてAlpheccaか、DiverDivaに動き回ってもらうのもいい。

 だが前夜祭……お祭りの始まりであることを考えると、どのユニットもいまいち何かが欠けているような気がする。

 

「あの、それ、私たちにやらせていただけませんか?」

 

 ぱっと、しずくは手を挙げた。

 

「私とせつ菜さんと歩夢さんのユニットのお披露目を、ここでやりたいです」

 

 後楽園で話をしていた三人のユニット。

 歩夢とせつ菜も賛成したことにより、めでたく結成のはこびとなっていた。

 合同文化祭の最終日、虹ヶ咲のステージで初お披露目の予定だったが……

 

「私は良いと思うよ」

 

 僕も頷いた。確かに、彼女たちならぴったりだ。

 

「となると、曲もダンスも出来てるから……」

「私たちが仕上げないと、ですね」

 

 その通り。あと数日で、人に見せられるものに出来るかは彼女たち次第。

 

「じゃあ早速、侑さんにも確認しにいきましょう。賛成してくれるでしょうか」

「もちろん。きっと『トキメいちゃう!』とか言うよ」

 

 

 

 

「大賛成! 三人のユニットが見れるなんて、トキメいちゃう!」

 

 決定したことを部室に戻って伝えると、まず誰よりも早く侑が目をきらめかせた。

 ほら、と目配せすると、くすくすとしずくが声を抑えて笑う。

 

「責任重大だなあ」

「大丈夫。歩夢ならきっとできるよ」

「むう。他人事だと思って……侑ちゃんも、曲作らなきゃいけないんでしょ? 終わったの?」

「う、まだ途中です……」

 

 しゅん、と侑はうなだれる。今回の目玉予定のラストステージでの新曲、侑が作曲担当なのだ。だけど行き詰まっているようで、いまだに完成していない。

 

「湊さんに手伝ってもらう?」

「ううん。こればっかりは、私がやらないと意味ないからさ」

 

 うんうん。

 今回の彼女の作曲には、僕はほとんど口出ししていない。侑が望んだことだ。せっかくなら、自分の想いを書きあげきってみせたい、と。

 だから、僕が口にするのは曲作りにおける基本的なアドバイスくらいに留めている。テーマも曲調も、全部まかせっきりだ。

 

 前夜祭と新曲作成に向けて、四人が気合を入れなおしていると、とんとんと部室のドアがノックされた。一番近くにいた侑が開けると、そこにはスーツ姿の女性が……

 

「やっほー、高咲さん」

「あ、三船先生、こんにちは」

 

 !!?

 

「私のクラスに教育実習に来た先生だよ。三船薫子(かおるこ)先生」

「よろしくね。他の学校と連携して文化祭やるなんて、驚いたよ」

「生徒会長の案なんですけどね。でもみんな協力してくれて、なんとかできそうです」

「いい仲間がいるんだね、高咲さん」

「はいっ」

 

 端正な顔、赤いメッシュの入った黒の長髪。にこりと笑う口元からは八重歯が覗く。

 スカートスーツを着たその女性の突然の来訪に呼吸を忘れていた僕は、ようやく喉から声を絞り出した。

 

「三船……薫子さん?」

「栞子がお世話になってるみたいだね、天王寺くん」

 

 本物。本物の三船薫子さんだ。

 本当に本物なのか? そもそも本物ってなんだ? この世界が本物だってどう証明するんだ?

 

「固まってる」

「湊さんがこんなになるのなんて、珍しいね」

「お姉さんの魅力にあてられちゃったかな?」

「はっ!」

「あ、生き返った」

 

 あまりの衝撃に、思考の渦に囚われてしまうところだった。

 

「僕のこと……知ってるんですか?」

「そりゃあね。ニジガクの生徒の中で、今や君が一番有名なんじゃないかな。教師として知っておかないと。天王寺くんも、私のこと知ってるみたいだね」

「それはもう! もちろん! ファンですから!」

 

 僕が声を大にしているのを見て、他は少しのけぞった。

 抑えられない興奮になんとか蓋をして、息を整える。

 

「三船先生は、昔スクールアイドルだったんだよ」

「え、そうなんですか!?」

「うんうん、懐かしいなあ。もう何年も前なのに、ファンでいてくれるなんて嬉しいよ」

 

 にこり、と屈託のない笑顔で返してくれる。あの時も綺麗な人だったけど、ますます磨きがかかっていた。

 

「あの、会えたらお礼を言おうと思ってたんです。あなたがきっかけで、音楽の道に進もうと決めたんです」

「じゃあ前に話してくれたスクールアイドルって……」

「うん。三船先生が、僕の原点」

 

 僕の中の音楽、そしてスクールアイドルへの情熱。それらの源は、ここにいる三船薫子さんだ。

 

「いやあ、そんなに言ってくれるなんて、栞子に自慢できちゃうなあ」

「やっぱり、三船栞子さんはあなたの妹なんですね」

「そ。栞子も私に似て可愛いでしょ。性格は全然違うんだけどね」

 

 確かに、一見するだけでも柔和に微笑む彼女と、あの大人しい三船さんとは全くの正反対だ。

 ロッティとディアのように、兄弟姉妹とはそういうものなのかも。

 

「ごめんね、邪魔しちゃった。スクールアイドルフェスティバル楽しみにしてるよ」

 

 にこやかな表情のまま手を振って、三船先生は去っていく。

 侑は毎日会えるのか、いいなあ。僕も二年生に混じって授業受けようかな。そんなことが頭の半分を占める。

 もう半分は、あの人が見ているならますます下手なものは見せられないな、という見栄だった。



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74 前夜祭・the・dream

「天王寺さーん。ここでいいですかー?」

「うん。そこに貼り付けておいて」

「りょうかーい」

 

 講堂に組みあがったステージの下から、全体を見つつ指示を出す。

 指示通りに動いてくれる演劇部の子たちが、ステージを装飾してくれていた。総指揮者である部長は、当日のパフォーマンスのために猛練習中で来られないため、今は僕が見張っている。

 といっても、自分たちで舞台を作ることに慣れている演劇部は、文句のつけようのない仕事をしてくれている。みるみる間に、コンセプト通りに仕上がっていく。

 

「湊さん」

 

 演劇部の働きに感心していると、後ろから歩夢の声がかかる。ユニット練習をしていたはずだけど、他の二人は姿が見えない。

 

「ステージ見に来たの?」

「はい。部室で会議してたんですけど、誰もいなくなっちゃって。しずくちゃんは演劇部のほうに行っちゃって、せつ菜ちゃんも生徒会のほうへ」

「侑は?」

「侑ちゃんはまだ音楽室で唸ってますよ。曲ができなーいって」

 

 僕も彼女もくすくすと笑う。侑からすれば笑いごとじゃないのだろうが、みんなを支えてくれていた侑が、みんなと同じように悩んで迷っているのがなんだか一緒に成長している感があって微笑ましい。

 

「じゃ、あとは衣装を着て、リハーサルするのを待つだけかな」

「はい。早く着てみたいです。ああいうのは、ちょっと恥ずかしいですけれど」

 

 ああいうの。

 今回の衣装は動物をモチーフとしており、一部ある種のコスプレとも呼べるようなもの。可愛いは可愛いが、今までの王道なアイドルらしいドレスとは全く趣が違うものだ。

 つまり、まあ、普通の衣装ではない。ウサギの耳を模した被り物とか、通常のライブではそうそう見ないだろう。

 

「小さいころはそういうのいっぱいやってたんじゃないっけ、あゆぴょん」

「だ、誰から聞いたんですか!?」

 

 それは一人しかいないじゃないか。歩夢もそれがわかって、いま音楽室で頑張っている幼馴染へふくれっ面を向ける。おこりんぼあゆぴょん。

 僕がその様子に笑っていると、もう一人ホールの入口からこちらに早足で歩み寄ってくる影がいた。

 

「中川さん。視察かな?」

「それが半分と、もう半分はあなたに用事がありまして」

 

 落ち着いて話はしているが、多少息は乱れている。練習後、生徒会に向かった後、急いでこちらに来たようだ。

 用事ならスマホで済ませればいいのに、とも思ったがわざわざ面と向かって、声も若干潜めているとなると、緊急かつ周りには隠しておきたい事案だろうか。

 

 近くに僕たち以外の人がいないことをもう一度確認して、彼女は折りたたまれた紙を渡してきた。

 

「先ほどからずっと考えていたことなんですが……当日はこういうのも盛り込もうと思っていまして。それで、早く伝えなきゃって思ったらいてもたってもいられなくなりまして……」

 

 その言葉の通り、そこには一つのアイデアが書いてあって……

 

「これって……」

「せ……菜々ちゃん、いいの?」

 

 歩夢が訊くのも無理はない。それほど、そこに書かれていたのは、中川菜々にとっても、優木せつ菜にとっても一大事なことだった。

 しかし、彼女は全く、微塵も不安な顔は見せずに頷いた。

 

 

 

 

 そして時は数日過ぎ、ようやく五校合同文化祭の前の日となった。

 みんなの協力あって、準備は滞りなく終わり、後は時間が来るのを待つだけになった。

 

 陽は落ちたが、生徒たちはほとんど校内に残っている。この後の文化祭オープニングを見るためだ。

 三千人近くの生徒と全学科の先生たちがペンライトなり団扇なりを持って座っている景色は圧倒される。

 その他にも他校の関係者や抽選で当たった人も、ここに来てくれている。

 文化祭をやりまーすというような集まりのレベルじゃないが、それだけの人が手を貸してくれて、期待してくれているということだ。

 

 一番後ろの一番上の機材席から眺めていると、現実味がなくてぼーっとしてしまう。

 いけないいけないと自分の職務を思い出して、PC画面を操作。ここに来られない人のために、今回も第一回フェスティバルやDiver Divaと同じように生放送でお届け。

 十万なんてとっくに越えて、虹ヶ咲内のどの動画や放送よりも多い視聴者が集まっていた。

 僕らだけじゃなくて、参加校も大々的に宣伝してくれたし、Alpheccaの影響で海外からも続々接続されている。

 

「準備おっけーです」

「こっちも!」

「ちょっと待って……画面よし、音声も通ってる。いいよ、スタートして」

 

 僕が親指を立てると、映研部の子はスイッチを押した。

 

 スクリーンと画面の中で、同時に映像が流れる。

 物を運んだり、装飾を作ったり、ペンキまみれになりながら楽しそうに絵を描いている生徒たちの姿が映し出される。その中には、スクールアイドルや侑に、僕の姿まであった。

 

〈今年の文化祭は、スクールアイドルフェスティバルとの合同。そして、五つの学校による連続開催という、これまでにない形で行われることとなりました〉

 

 ぱ、と中川さんがカメラの正面に立っている画面に切り替わる。

 

〈虹ヶ咲学園生徒会長、中川菜々です。私自身、今回の出来事から、自分を支えてくれる人たちとの繋がりを、再認識することができました〉

 

 頭もよく仕事も出来て人一倍責任感のある中川さんが、今回人を頼ることを選んでくれたのは、大きな成長だ。

 生徒会も同好会も、仲間たちと一緒に活動していく場所だ。彼女のようにそれを改めて感じたのは、僕も、同好会のみんなも、そして他校の人たちもだ。

 

〈みなさんの大好きな気持ち、その全部が私を助けてくれて、それを感じて感謝するたびに、もう今の私は大好きを隠す必要はないんだって、気付くことが出来ました。だから今ここでみなさんに、生徒会長の私と一緒に、スクールアイドルの私も紹介しようと思います〉

 

 え、とざわめきたつ会場の観客をよそに、画面の中の彼女は三つ編みにしていた髪をほどき、眼鏡を外す。そして、いつもの髪留めで、いつもの髪型に固定した。

 そう。それはいつもの……

 

〈スクールアイドル同好会の優木せつ菜ですっ〉

「ええええええええっ!?」

 

 会場が揺れるほどのどよめきが起きて、その振動がここにまで伝わってくる。生放送のコメントもとんでもない勢いで流れていき、誰が何を言ってるのか追えないほどだ。

 

 前夜祭にやるようなサプライズじゃないけど、せつ菜はどうしてもやりたいと言っていた。理由は、彼女が言った通り、もう隠す必要がなくなったから。

 もうご両親には話をしているらしく、驚かれて少し小言を言われたが、歓迎してくれたそうだ。

 

「ええとつまり、会長がせつ菜ちゃんで、会長が天王寺さんと……ということは、せつ菜ちゃんと天王寺さんは……」

 

 ここにも、動揺している人が一人。副会長が口をパクパクさせて、震えた指で画面を差す。

 

「いわゆる、脳が破壊された状態」

「破壊しタのはミナト」

 

 物騒な。僕は何もしてないぞ。などと思いながら、口角が上がる。こういう驚きの反応は、事情を知ってる身からすると面白いものだ。前から知っていたという優越感もちょっと感じられる。僕の身バレとかじゃなければ、大歓迎だ。

 

 さてさて、まだまだやかましい外野たちは無視して、すぐさま次に移る。

 ステージ上の照明を点け、カメラをそちらに向ける。その中央にいつの間にか立っていた演劇部部長へスポットライトが当たった。

 マント付きのタキシードにハット、モノクルというマジシャン風の出で立ちの彼女は、その格好に違わず巧みに杖を振り回し、ぱっと掲げる。

 それと同時にガスがぷしゅーっと噴き出て、どこからともなく三人のスクールアイドルが現れる。

 今回の主役である歩夢にしずく、もちろん衝撃的なカミングアウトをしたせつ菜も、

 

「みんなー、お祭りが始まるよー!」

「まずは私たち三人が、みなさんを夢のようなステージにご招待します」

「たくさんの大好きが集まった私たちの夢の場所、楽しまないと損をしちゃいますよ」

 

 ふりふりと、三人が客席へ手を振る。その手、そして足も、動物モチーフのもふもふした手足袋に包まれている。

 衣装は、三人が共通して思っている『楽しませたい』という気持ちを汲んで、ピエロ風のものにした。近年ではホラーくらいでしか見ないけど、スクールアイドルが着ればこの通り、そんな怖い印象なんてどこかへ吹き飛ぶ。

 その魅力を十全に振りまいて、びしっとポーズ。

 

「私たち、A・ZU・NAです!」

 

 さあさあ、あっという間に現れ、あっという間に観客の心を掴んだA・ZU・NAの渾身の一曲が始まる。

 

 せつ菜の熱くかっこいいソロから始まり、歩夢の可愛さいっぱいの振りでほんわかさせ、しずくの物語性のある静かなパートへ続く。

 

 ワンコーラスごとに曲調を変えるこの曲は、全員の希望を極限まで盛り込んだ逸品だ。カオスになるかと危惧していたけれど、あの三人がちゃんと自分の中にあるスクールアイドル像を大切にして、しっかり表現してくれているから不思議とまとまっている。

 A・ZU・NAのユニットコンセプトは『七変化』。めくるめく変わる色とりどりの世界を展開し、見る人を誘う。

 そして最後には、それらは混ざり合って綺麗な旋律を生むのだ。

 

 人は、趣味嗜好もやりたいこともバラバラで、完全に一致するなんてことはほとんどない。けれど、別にそれをひた隠しにする必要はない。

 自分や誰かを楽しませることができるなら、こうやって混ぜてしまうのもまた一興。一緒に楽しめる仲間がいると、無茶なこともなんとかできてしまうものだ。

 

 様々な人や文化が入り乱れる今回の合同文化祭、そのスタートを切るに、A・ZU・NA以上にふさわしいユニットはいないだろう。

 

「シズクー! メチャ良かっター!」

「アユム、可愛さの直流電流」

「せつ菜ちゃーーーん!!」

 

 横がめっちゃうるさいし、副会長に至っては心配になるくらいぼろぼろと涙を流しているけど、拍手する気持ちには同意せざるを得ない。

 ここからスタートする文化祭、その期待を大きくさせるような、楽しく派手なステージだった。

 

 余韻に浸りたいところ……だけど、大事なことを忘れちゃいけない。

 画面を、校舎を映すカメラに切り替える。それと同時に、校舎をスクリーンにして、プロジェクターで文字を映す。

 『5校合同文化祭 第2回 School Idol Festival』。それは、万雷の拍手の中で始まった。



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75 閑話:A・ZU・NA

 前夜祭が終わったその後、着替えも終わって部室が使えるようになったと連絡を受けて、そちらに向かう。

 夜の学校は相変わらず不気味だけれど、先ほどのA・ZU・NAのライブが鮮明に残っているおかげか、怖いなどとは一切感じなかった。

 

 A・ZU・NAと侑以外のみんなは、先に合宿で使った施設に行ってもらってる。寝坊や遅刻をしないために、みんなでお泊り。

 今回は彼女たちの部屋に行かないようにしなければ。でないと、引きずり込まれそうな気がする。

 

 途中、せつ菜と合流した。中川さんではなく、制服姿のせつ菜だ。ほんの少しだけ生徒会室へ行っていたらしい。

 

「せつ菜、周りの反応はどうだった? 生徒会長が幻のスクールアイドルだってバラした反響は」

「あはは、それがもう友達から質問責めに遭いまして……特に副会長からの熱が凄くて……」

「A・ZU・NAのライブが終わった後、僕もめちゃめちゃ根掘り葉掘り聞かれたよ。泣きながら」

 

 ライブに感動したまま、肩をがっくんがっくん揺らされて問い詰められた。

 一体、生徒会長と、せつ菜とどういう関係なのかとか。どういう関係も何も、同好会のアイドルと作曲家ですが。

 

 優木せつ菜が正体をバラした事件は世間の関心を引いたようで、SNSのトレンド入りを果たしたところまでは確認した。

 おかげで、五校合同文化祭の存在を知った人もいて、当初の予定よりも来場者数は増える見込みとなった。せつ菜と中川さん様様だ。

 

「もう生徒会室に漫画やラノベを隠す必要もなくなったな」

「あはは、家の本棚に入りきるか心配ですけどね」

 

 そんなに貯蔵してんの。よく今までバレなかったね。僕が知ってるのは生徒会長机の中にあるだけだけど、そういえば毎週のように本もグッズも買ってるのだから収まるわけないのか。他にどこに収納してるんだか。

 

 そんなことはともかく、彼女の周りの変化は、学校の友達たちよりも家族のほうが大きいだろう。

 中川菜々=優木せつ菜ということを暴露する前、彼女はそのことを親に伝えた。もしも反対されるようなら、僕も説得に加わるつもりだった。

 結局は、拍子抜けするほど簡単に、あっけなくOKを貰ったんだけど。侑と一緒に書いた『いかに優木せつ菜が人を熱狂させ、感動させた素晴らしいスクールアイドルであるか』と題した五十枚の資料は無駄になってしまった。

 

 親に隠し事をするのは後ろめたさがあったに違いない。彼女の親もまた、聞く限りの人たちであれば、娘に我慢をさせていたことを心苦しく思ったに違いない。

 それがスタートラインだ。これからはだんだんと、家ではせつ菜が、僕らの前では中川さんが顔を出すことが多くなるだろう。それはきっと、たぶん良いことなのだと思う。

 正体不明のミステリアスなスクールアイドルという設定はなくなったけど、それを補って余りある魅力が彼女にはあるしね。

 

 部室の前まで来て、せつ菜はぴたりと足を止める。つられて僕も足を止めた。

 彼女が扉に手をかけるのを待つが、じっと動かない。しばらくして、声をかけようとしたところで、彼女は口を開いた。

 

「……私は……」

 

 せつ菜は深く息を吸って、吐いた後に僕を見上げた。

 

「少しは、あなたの隣にいていいようなアイドルになれたでしょうか」

 

 唇は震え、目を合わそうとして合わせず。とてもライブを大成功させたアイドルとは思えないほど、不安が表情いっぱいに表れていた。

 

 いくらここまでが上手くいったと言っても、その過程は順調だったとは言えない。

 特に同好会が一度解散した時は、彼女の熱く突っ走ってしまう癖が原因の一端であることは否定できない。

 文化祭とフェスティバルの合同開催が危ぶまれた時、その癖のせいでまた間違えてしまったと彼女は思っている。

 僕の手を払ってしまったこともまだ気にしてるようだ。僕はもうそんなことは一露も気にしてないんだけど……そう言っても納得はしてくれないだろう。

 だから──

 

「良いステージだった。君は素敵に成長してるよ、せつ菜」

 

 賞賛を送ると、せつ菜は嬉しそうにはにかんだ。

 そう。彼女にはこういう太陽のような晴れ渡る笑顔のほうが似合ってる。曇りに曇った俯き顔よりも、断然。

 

 さて、気を取り直したところで、部室の扉を開ける。

 

「あ、せつ菜ちゃん、湊さん」

 

 挨拶してくれたのは侑だ。歩夢としずくと一緒に机を囲んで、中央に置いたノートにペンを立てている。 

 鞄をソファに置いてその様子を見ていると、今まさに彼女がノートに書いた文字に目がいった。

 

「反省?」

 

 そこには『今回の反省点』と書かれていた。まだフェスティバル終わってもないのに。てか始まってもない。

 

「なんだかんだ、湊さんに頼っちゃったなって。せっかく楽にさせられると思ったのに」

「君が何でも出来たら、先輩(ぼく)の立つ瀬がないよ」

「でも、頼りきりなのは、やっぱり良くないですよね?」

 

 それは、まあ。僕もここにいられるのはもう半年もないわけだし。Alpheccaも次学期には帰ってるから、人手が半分くらいになってしまう。今のうちに全て任せておきたいところではあるが、しかし所属している限りは力になるのが筋だろう。

 

「まあまあそんなことはフェスティバルが終わった時にでも考えたらいいさ」

 

 手を伸ばしてノートを閉じる。

 

「湊先輩は、不安じゃないんですか?」

「全然」

 

 しずくの問いに、首を横に振りながらソファに座る。鞄からノートPCを取り出して、電源オン。寝る時間になるまでは、来ているコメントを出来るだけ多く読んでおきたい。

 そうしている間も、しずくたちが不思議そうにじっと見てくるのに気が付いた。

 

「どうして、そんなに言い切れるんですか?」

 

 またしても飛び出したしずくの疑問に、僕は思わず吹き出しそうになった。

 そうか、こういうのは本人たちにはわからないものなのか。

 フェスティバルの準備の大変なところをほとんどやってくれた侑。生徒会と掛け持ちしながらもなすべきことをやり遂げたせつ菜。スクールアイドルとしての練習も大変なのに、懸命にお互いを支え合ったみんな。

 これだけの人材がいて、何を恐れる必要があるのか。 

 

「もう、湊先輩、こっちは真剣なんですよ」

「悪かった悪かった。笑いそうになったのは謝るよ」

 

 なおもにやけてしまうのをなんとか抑えて、しずくに向き直る。

 

「いつか、君にも分かる時が来るよ」

 

 自覚するのか、それともしずくが先輩になった時か、必ずきっと僕の言葉を理解する時がやってくる。その時の楽しみを奪っておくのはやめておこう。

 

「うーん……」

 

 話が一段落ついたと思ったのに、はてなを浮かべるしずくの横で、歩夢も難しい顔をしていた。

 

「やっぱり、そっちとこっちで感じてる距離が違う、ような……」

 

 僕が首を傾げると、歩夢は続ける。

 

「湊さんは私たちをよく分かってるように言いますけど、私はまだ距離がある気がするなあって。あくまで私から見た湊さんとの距離ですけど」

「距離、ある?」

「ある気はするかな」

 

 侑に訊いても即答された。

 

「だって、エマさんや彼方さんとは添い寝して、果林さんには膝枕してあげたんでしょ? そういうの、私たちにはないもん」

 

 なくてええやろ。

 仲良くなるのは良い。スキンシップも、僕にとっては嬉しいことだ。こんなに可愛い女の子たちに触れてもらえるなんて、前世でどれだけの徳を積んだのか疑うレベル。

 だけど、君らが僕にべたべたすることで何のメリットがあるんだか。そんなことしなくても、心の距離を縮める方法なんていくらでもあるだろうに。

 

「そ、添い寝なんてしたんですか」

「そろそろルール決めて止めさせるべきかな。ルール1、僕に触れない、僕からも触れない」

「璃奈ちゃんとロッティちゃんとディアちゃんは守らなそう。思い浮かぶなあ、その姿」

「あとかすみさんも。私も守りませんよ」

 

 最初で躓いてしまった。確かに一年生は何かとタックルに近い勢いでやってくる。やめろと言ってなくなる習慣じゃなさそうだ。

 三年生も、三人ともむしろ対抗心燃やしてきそうだし。

 

「さ、先ほどから大胆なお話でついていけません……」

「だ、だよね」

 

 頬を赤くしてもじもじするせつ菜と歩夢。どうりでノリノリな侑としずくに混じらないで口を閉じていたわけだ。

 せつ菜はそういう話題に弱いのは知ってる。けど……

 

「幼馴染を押し倒した女の子が何か言ってるよ」

「歩夢は昔から私のこととなると豹変しちゃうから」

「思い浮かぶよ、その姿」

 

 こそりと侑に耳打ちすると、彼女はにやりと返してくる。

 昔から、ね。歩夢が嫉妬した数は、僕の思った数倍はありそうだ。数倍で済めばいいな。

 

「それはともかく、距離の話だっけ? だったら……例えば敬語をなくすとか」

「えっ」

 

 僕の提案に、歩夢が声を上げた。

 

「いやでも、上級生にタメ口なんて……」

「誰も気にしないよ。璃奈も愛も敬語使ってないし」

「ロッティちゃんとディアちゃんもだよね」

「こういうふうに、侑も敬語外してくるようになったし」

 

 一学期には敬語とタメ口半々くらいだったのが、今はタメ口九割くらい。そうなるにつれて間にあったぎこちなさは消えている。

 敬語を使うことで壁を感じてしまうのか、壁を感じて敬語を使ってしまうのか、どちらにせよその無駄なものを取っ払ってしまうには、敬語をなくすのが一助になるのではないだろうか。

 

「ラブライブに優勝したスクールアイドルグループに倣って、先輩後輩を禁止してるところもいっぱいありますよね」

「で、でも私たちはソロで……」

「ここまで一緒に活動してきて、ユニットまで組んでおいて何を今さら」

 

 エマも果林も彼方も、別にそんなこと気にはしないだろう。

 仲間でライバル。歳の上下はあるものの、関係としては対等なのだ。ですますが無くなったくらいで、先輩を軽んじているなんて思う人はいない。

 

「せつ菜ちゃんとしずくちゃんも一緒にするんだよね?」

「私は普段から気にせずに使えているので」

「私も誰にでも敬語なので、こっちのほうが楽なんです」

「二人ともずるいよぉ」

 

 しずくはいいとこのお嬢様っぽいし、せつ菜は後輩にも敬語だからなあ。もう染み付いているのだ。となると別に無理に変えさせる必要はない。

 期待した援護は得られず、むしろうずうずといった目で見られる歩夢。僕もタメ口で歩夢に話しかけられる新鮮さに胸が躍っていないと言えば嘘になる。

 四対一。この戦力差を覆すことはかなわず、歩夢は恥ずかしさ半分諦め半分の表情でファイティングポーズをとった。

 

「気楽に接してほしいって言ってた歩夢が身構えてるぞ」

「あはは、湊さんとおんなじ」

 

 そこから、歩夢が言葉を発するのに三十分かかった。



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76 回り回る文化祭

「どう、かな?」

「僕が良いって言ったら、君はそれで満足?」

 

 僕は、不安げに見てくる侑に意地悪く返した。

 

 文化祭初日、研修施設で寝泊まりして、予定通り朝早くから部室に集合した僕ら。五日間の大トリに披露する予定の新曲を、手掛けた侑から聞かされた。

 完成度自体は、悪くはない程度だ。それを彼女自身もわかってるからこそ、こうやって訊いてきているのだろう。

 

「侑はどう思ってるの?」

「正直、あと一歩だと思ってます……」

 

 がっくりとうなだれて、侑はため息をつく。

 

「待たせちゃって申し訳ないけど、もう少しだけ考えてもいい?」

 

 音楽に携わりだした時間を考えれば及第点の曲だが、それを歌うのはスクールアイドルで、聞くのは観客だ。妥協はしたくないし、許されないと思っているのだろう。

 

「もちろんだよ」

 

 歩夢はにっこりと笑う。

 曲を楽しみにしているのは、僕や侑自身だけでなく、アイドルたちもだ。むしろ彼女たちが一番期待してるかもしれない。

 なにせ、夢に向かって羽ばたき始めた侑が作る、自分たちのための曲なのだ。

 

 この作曲は、例えれば、ステージで歌って踊るために練習しているようなもので、その楽しさや苦しさを知っているみんなは急かすことなく待ってくれている。

 それは僕も同じで、焦ってもいいことにはならないし、思う存分悩むほど成長できるから、静観中。

 

「さて、そろそろ時間だ」

 

 時計を見ると、出発の時間。

 待ちに待ったスクールアイドルフェスティバル。さあ、気合を入れていこうか。

 

 

 

 

 一日目の舞台は東雲。

 黒いスタッフTシャツを着て、集まったスクールアイドルたちと挨拶を交わした後、ステージ裏に回って準備を進める。

 

「あ、天王寺さん」

 

 音源が入ってるPCを前に、他のスタッフとの最後のリハーサルが終わった後、副会長がやってきた。

 

「ご用意はいかがでしょうか?」

「ばっちりだよ。音響と照明に、天気も良い。あとは、アイドルたち次第かな。それより……」

 

 なんでここに、と口に出す前に副会長は焦って前に出てくる。

 

「私もニジガクの副生徒会長として、仕事をしなければなりませんから!」

「その団扇がなければ納得したんだけどな」

 

 せつ菜の名前が書かれた団扇を両手に抱える姿はファンでしかない。

 あわよくば会おうとでも思ってたのだろうか。職権濫用ですよ。

 

「おっと、来たぞ」

 

 ちらりと校門の方を覗くと、開場時間になった瞬間、門をくぐってくる人、人、人。

 親子連れにカップル、友だち同士、もちろん個人でのお客さんも。

 思ったよりもたくさんの人数が校内に入ってくるのは中々に圧巻だ。今まで色んなライブでもあったけど、文化祭となるとその層のバラエティの豊かさに驚く。

 

 問題はスクールアイドルのステージにどれだけのお客さんが来てくれるか。

 この日になるまで動画やSNSで期待値を煽り、前夜祭も大盛り上がりだったが、はてさて……なんて気にしていたのは杞憂だった。

 ライブ開始予定時間の三十分前から、屋外特設ステージの前には人がごった返している。

 

 入場の整理のため、副会長はすぐさま仕事モードに入ってそちらに向かう。僕は僕で、整っている準備をもう一度確認。

 始まりが肝心。前夜祭が始まりだろと言われても否定はできないけど。とにかく、一日目の最初だ。

 

「さて」

 

 一日目のオープニングを飾るのは、当然この学校のスクールアイドルたち。振り返れば、すでに用意は完了しているようだ。 

 

「みんな、いい?」

「もちろんです」

 

 クリスティーナさんが頷く。それを受けて、PCのエンターキーを押す。照明が輝くとともに、お腹を震わすサウンドが響く。

 東雲のアイドルたちはぱっと舞台上に並び、イントロとともに一糸乱れぬ踊りを披露した。

 その統率の取れた動きは、個人個人だけでなくチームで日々練習しているからこそ。僕らとは違う一つの道。

 

 今日、もちろんメインは東雲のスクールアイドルによるステージ。だがもちろんそれで終わりじゃないのが、このフェスティバルである。

 盛り上がりが最高潮に達したところで、サプライズとして壇上に上がったのは、東雲のスーパールーキー遥さんと、我らが虹ヶ咲の眠り姫である彼方だ。

 

 『近江姉妹が揃ったところが見たい』

 五つの学校が入り混じると決まった時、ファンの人から何通も届いた要望の中でも多かったものだ。

 それは彼女たちも望むところで、ならばやらない理由はないと着々準備を進めた。新曲ではなく、お互いの持ち曲を交互に歌う形だが、二人の息はぴったり合う。

 元々、遥さんはグループに所属しているから合わせるのは得意だっただろう。彼方も鬼教官のユニット練習を経て、足並み揃える経験を持っている。

 それになにより羨むほど仲の良い姉妹だからだろうか、とても楽しそうだ。

 

 ステージを終えて、裏に戻ってきた彼方は涙しながら遥さんに抱きついた。

 

「遥ちゃんと同じステージに立てるなんて……もう彼方ちゃん感激だよ~」

「もう、お姉ちゃんったら……でも私も同じ気持ちだよ」

 

 彼女たちのこれまでを思い出すと、今の光景に頬が緩む。

 東雲のスーパールーキーである遥さんに、追いつけ追い越せと彼方は一人でヴィーナスフォートで舞った。お互いを対等な存在として認め合ったのがだいぶ過去のように思える。

 それだけ、今のこの二人が一緒にいる時間の密度が濃いのだろう……なんて、微笑みながら思った。

 

 

 

 

「湊先輩、一緒に回りましょう」

 

 昼も過ぎ、客数はピークを迎えたと思えるほどたくさん。その中には、スクールアイドルの感想を言い合っている人たちも少なくない。

 それらをBGMにしながら校内を見回っていると、しずくとかすみがやってきた。

 

「そうか、もうそんな時間か」

 

 頭の中のタイムスケジュールを引っ張り出す。

 虹ヶ咲の一年生のステージが終わり、それ以降は出番はない。この二人にも文化祭を楽しんでもらいたいため、後の時間にも仕事は入れていない。

 

「かすみんみたいな可愛い女の子を連れ回せるなんて、湊先輩は幸せ者ですねえ」

「そうだね、じゃあ……一緒に行こうか」

「えっ」

 

 素直に受けたのに、言ってきたかすみもしずくも目を丸くした。

 

「こんなにあっさり……この人、ほんとに湊先輩?」

「もしかしたら宇宙人が湊先輩の皮を被ったりしてるのかもね、かすみさん」

「嫌なら別にいいんだぞ」

「いえいえ! ぜひ、ぜひ行きましょう!」

 

 五日間あるのだ。気を張りすぎても良くない。

 もしも何かが起きたら、基本は東雲の文化祭実行委員やスクールアイドル部が何とかしてくれるし。多少はめを外しても構わないだろう。

 

「なら、ご案内しますよ」

 

 そう声をかけてきたのは、衣装から着替えた遥さんだ。

 

「いいの? せっかくの合間の時間なのに」

「せっかく来てくれたんですから、楽しんでもらわないと困ります」

 

 人懐こい笑みを浮かべて、彼女はそう言った。

 一応パンフレットも持っているが、ここは一番詳しい校内の人がいてくれたほうが心強い。

 そういうわけで、僕らは彼女の親切に甘えることにした。

 

 すいすいと進んでいく遥さんを先頭に、周りを見ながらついていく僕ら三人。

 他の高校、ましてや女子高なんて中に入る機会もないから、なかなか興味深い。が、きょろきょろとしているのも恥ずかしいので、世間話も振る。

 遥さんはスクールアイドルや学校生活のことも話してくれたが、何より彼方の話が多い。この姉にしてこの妹あり。

 

 ここ最近は練習ずくめだったこともあって、かすみとしずくとも話が盛り上がっている。

 下級生ならではの苦労があるらしく、上級生との実力や成長の差を感じてしまったりとか、来年後輩が出来ることに憧れを持ちつつ先輩となった自分の姿が思い描けないだとか。

 僕も結局、先輩とはどうあるべきかという問題に対して答えられないレベルだ。去年・一昨年にお世話になった人はいるが、部活動での関係はまたそれと違ったものだし。

 良い先輩になれてるんだろうか。

 

 話題は、つい最近のことに移る。

 

「え、遥さんの料理食べたんだ」

「すーっごく美味しかったんですよ!」

「えっへん。お姉ちゃん直伝ですから」

 

 QU4RTZでそれぞれの家に泊まった時、彼女たちは遥さんの手料理をいただいたのだと。

 

「羨ましいなあ。私も遥さんの手料理食べてみたい」

「彼方に教えてもらったって、それだけでお墨付きみたいなもんだね」

 

 あんなの毎日食べてたら、コンビニ飯とか外食とか物足りなくなっちゃうよなあ。あんな美人から出てくる極上の料理をずっと食べられるとか、男からしたら至高の夢だ。

 

「お姉ちゃんが言ってましたよ。湊さんも料理上手だから、教えてもらうといいって」

「彼方と比べるとなあ……」

「でも、この間の、とても美味しかったですよ」

「遥さんに料理作ったんですか?」

「彼方と一緒に作ったやつをね」

「彼方先輩と一緒に作ったやつ!?」

「僕の家で」

「湊先輩の家で!?」

 

 僕が何か言うたびに、二人からは驚かれ、遥さんはにこにこする。

 

「お互いにためになることが多いから、今も時々やってるよ」

 

 月に三、四回程度、彼方とスーパー巡りをしている。容量の多い物を分けられて節約になるから、あちらもこちらも助かっている。

 その後は大体、料理の作り合い会。まあ、和洋中問わず彼方のほうが腕は上なんだけど。

 

「私にも教えてほしいなあ」

「あ、ずるい! 湊先輩は妹に甘いんだからそれ以上はダメ!」

「誰だそれ言ったの」

 

 璃奈以外には平等なつもりだぞ、僕は。

 

「湊先輩の家に行ったことないの、この中で私だけ……」

 

 しょぼんとするしずくを宥める人は、誰もいなかった。

 

 

 

 

「ここが私のクラスの出し物ですっ」

 

 じゃん、と効果音を口に出しながら、遥さんは一つの教室を指し示す。とは言うものの、扉の前は真っ黒のカーテンで仕切られ、向こう側は何も見えない。

 外には受付用の机が一つ。その周りにはおどろおどろしい化け物や骸骨が描かれた看板。極めつけはその中央に書いてある文字……

 

「お化け屋敷……せっかくですけどかすみんは──」

「三人一緒で」

 

 間髪入れず、受付にそう告げる。

 

「やだぁ! 私、外で待ってますぅ!」

「はいはい、迷惑になるから行こうね、かすみさん」

 

 しずくも容赦なくかすみの腕を引っ張って、闇の中へ向かっていく。

 

「いってらっしゃーい」

 

 三人とも中に入ったところで、ぴしゃりと扉が閉じられた。

 

 遥さんのクラスお手製のお化け屋敷は、作りとしてはよくあるものだ。

 段ボールで壁が作られていて、自分の周り数十センチ程度しか見えないくらい暗い。

 外の喧騒がほんのり聞こえてくるものの、雰囲気は本格的だ。何かいそうな空気が充満している。

 お化け屋敷はこういうところが妙だ。曲がり角に何かいるにしてもいないにしても、心は勝手にそこにいると思って怖がる。恐怖を生み出しているのは半分が自分自身なのだ。

 などと落ち着いていられるのは、ぎゅうっと全力で腕を掴んでくるかすみが──

 

「ひええっ!」

 

 カタリ、とどこからか音が鳴ったくらいで跳ねるほど怖がってるからである。

 人間というのは不思議なもので、近くに超絶ビビリがいると冷静になれるものだ。

 

「ぜ、ぜぜぜぜーんぜん怖くないですけど? ほほほほら、こうやって怖がってる後輩って可愛いですよね?」

 

 君の声でビビっちゃうんだけど。

 

「ぴぃっ。い、いい今、何かが背中触ったぁ!」

「私だよ」

「しず子なにしてんの!?」

 

 しずくは余裕らしく、かすみの反応を見て面白がっている。虹ヶ咲スクールアイドル同好会名物、味方だと思っていたら敵だった、である。

 というか、かすみ、痛い痛い。そんなに力込められるとうっ血しちゃう。

 

「私も怖いです、湊先輩」

「……もうちょっとアドリブ力を鍛えないといけないな」

「むぅ」

 

 暗い中でも膨れた顔が見えるほど近いのはやめてくれないですかね。違う意味でドキドキしちゃう。

 

 その後も突然、雷の響くような音が流れたり、

 

「うひぃ!」

 

 どこからか風が吹いたり、

 

「ひぇっ!」

 

 骸骨が急に目の前に現れたりもした。

 

「わあああああ!!」

 

 そのたびに悲鳴を上げ、力を増していくかすみ。離したいけど、そうすると泣き出しそうだからな、この子。

 

「早く出ましょう、今すぐ出ましょう!」

 

 ぐいぐいと背中を押される。そんなに出たいなら君が先に行けばいいのでは?

 しかし、その意見には賛成だ。このままだと僕の腕が壊死してしまう。

 急かされるままに早足になる。ほんの少し光が漏れ出ている窓を見つける。あれが出口だ。

 そこに近づいた瞬間──

 

「がおーっ」

 

 顔を白く塗った遥さんが、どこからかぱっと現れた。

 急ごしらえのためか、それ以外は黒い布を纏って姿を隠している程度だが、かすみには効果抜群だったみたいだ。声にならない悲鳴を上げている。

 

「ふふ、びっくりしました?」

「そこは普通、うらめしや、とかじゃないの? それか無言でぬっと出てくるか」

「あっ」

 

 がおーって、熊とかじゃないんだから。

 

「あとちなみに、そんな笑顔で来られても困るよ。そんな可愛いお化けはいません」

 

 そう告げると、遥さんの顔がますます赤く……というかピンクになっていく。わあ、白塗りでも顔色の変化ってわかるんだ。

 

「こんな状況でも口説きにかかる湊先輩……ぶれませんね」

「かすみん、ちょっと落ち着いてきちゃった」

 

 

 

 

 

 さてさて、文化祭二日目。本日の舞台は藤黄。

 

 今日のお客さんはまた一段と数が増えていた。昨日のがSNSのトレンドに乗り、テレビでも紹介されていたのが大きかったようだ。

 キャパ的な問題がある……のを見越して、学校の外にも屋台やステージを置いたのが功を奏した。校内に集まられたら捌ききれないほどの人が、いい具合に分散されている。

 

 今回のサプライズステージは、果林と綾小路さんによる限定ユニットだ。

 セクシーさを売りにした紺色の衣装を綾小路さんが着ても、その華美さが失われることはなく、新しい魅力を引き出している。

 二人ともお互いに負けることなく、それぞれの色を出し切って踊りきった。

 

「か、果林さんと同じステージに立てるなんて……感激です!」

 

 あれ、デジャブかな。昨日も同じセリフ聞いたような。

 

「負けないつもりでやったけれど、あなたも素敵だったわ」

「は、はい! ありがとうございます! 光栄です」

 

 ぐっと握手して、綾小路さんはキラキラとした目で

 スクールアイドルとそのファンみたい。いやまあ、実際そうなんだけど。

 

 彼女が果林のファンだってことは周知の事実で、なら一緒にやらないかと果林から声をかけたのだ。

 最初は、恐れ多いと固辞しようとしていたのだが、周りに押される形でステージに立たせることにした。ファンよりも彼女のほうがはしゃぐような結果になったから、やっぱりやらせて良かったな。紫藤さんと一緒になって攻めたてた楽し……苦労が報われたよ。

 

 ここのステージは、後はほとんど藤黄の出番。他にもステージはあり、そこでは他のアイドルや部活が活躍している。なのだが、虹ヶ咲が出られるのはまだまだ先。だいぶ時間が余ってしまった。ふむ。

 

「湊くんはこれからどこに行くの?」

 

 スタッフTシャツに着替え終わった果林が、訊いてくる。

 

「時間空いたし、ステージでも見て回ろうかな」

「それって、トラブルが起きてないか見回るって意味じゃないわよね?」

 

 それのどこが悪いんですか。人手は足りてるけど、仕事は探せばいくらでも湧いてくるものだ。

 何にも問題がなくてもね、ほら、設置されたごみ箱の袋とか交換しないといけないし。僕の仕事じゃなくて、文化祭実行委員の仕事だけど。

 

「……放っておいたらこれだものね」

 

 抗議する前に、盛大にため息をつかれてしまった。

 

「フェスティバルなのよ。時間が空いたら、遊ぶに限るわ」

「それは……まあそうだろうけど」

 

 同じようなことを僕はみんなに言っている。だったら、自分からやっていかないと示しがつかない……というのは分かってるけど、でも一人で回るの寂しいじゃないか。

 

「大丈夫よ。私がついていくわ」

 

 心を読んだかのようにそう言い、僕が避ける間もなく、彼女は腕を掴んできた。

 

「っ、果林……!」

「ふふ、なぁに?」

 

 ぎゅっと体を密着して、腕を絡めてくる。柔らかくもハリがある彼女の体が布越しに伝わってきて、非常によろしくない。

 

「人の目がいっぱいあるんだから、こういうことは……」

「人の目がないところだったらいいのかしら?」

「そういう意味じゃなくて」

「でも、放したらあなたはどこか行っちゃいそうだし、私は迷子になるわよ」

 

 そんな自信満々に言うことじゃありません。

 スクールアイドルとしてもモデルとしても名のある朝香果林が、こんなことしてちゃいけないだろ。

 

「だったら、彼方ちゃんもついていくよ~」

 

 どこからか、にゅっと彼方まで現れた。

 

「あら、彼方も?」

「暇になったところだったから、ちょーどよかったよ~」

「どこ回ろうかしら」

「お腹空いたから、とりあえずどこかご飯食べられるところがいいなぁ」

「決まりね」

 

 僕を挟んで会話してるのに、僕の意思ゼロのまま話が進んでいく。もう君ら二人で行ったらいいんじゃない。

 

「しゅっぱ~つ」

 

 僕が口を挟めないでいるのをいいことに、彼女たちは背中を押しつつ腕を引っ張りつつ、ずるずると僕を引き摺っていった。

 

 

 

 

「お、天王寺さんたち!」

 

 廊下を歩いていると、紫藤さんに呼び止められた。教室の前で看板を持ってる彼女は、黒のワンピースにフリルがついている白のエプロンのシックなメイド服に身を包んでいる。

 

「なんだかげっそりしてるね」

「連行されました」

 

 果林を腕から引き剥がすのに体力を持っていかれすぎた。おかげで好奇の目にさらされることはないけど……

 まあいいや。過ぎたことは頭から放り出すのが一番。

 

「ここ、君のクラス?」

「そ。メイド喫茶! おかえりなさいませ、ご主人様~」

 

 にっこりと笑みを浮かべ、彼女は教室の中を示した。いっぱいお客さんがいて賑わっている。

 まあガチ女子高生がメイドやってるなんて、ねえ? 男としちゃ、そりゃ吸い込まれますよね。

 

「盛況みたいだね」

「それはもう、私スクールアイドルですから。客寄せパンダとしては一流でしょ?」

 

 もうちょっと言い方あるだろうに。それこそ看板娘とか。

 

「ライブは?」

「さっき出番が終わって、ダッシュで来たんだ。さあ食べてって食べてって! カップル割もやってるよ!」

 

 元気だねえ、と感心していると、後ろから猛烈な圧を感じる。紫藤さんの言葉を聞いた瞬間、見えないけど後ろの二人の目が光った気がした。

 

「彼女で~す」

「彼女二号よ」

「悪名広がるからマジでやめてくれない?」

 

 とんでもないことを言い出した二人に焦る。

 二股してるとか言われたら嫌なんだけど。彼女、一人もいないのに。

 

「やるねえ、湊くん」

「君も、からかうのはよしてくれ」

「まあまあ。ちゃんと割引はしてあげるからさ。三名様カップルごあんな~い」

 

 高らかに宣言しながら案内するのやめてよ!

 ツッコみたい衝動を抑えたまま、奥の席に通される。学校机四つを合体させ、テーブルクロスをかけた座席。

 とりあえず適当にご飯とデザートを頼み、店内を見渡す。本物のメイド喫茶がどうなのかはわからないけど、全体的に壁紙や机、椅子もピンクに統一されている。カーテンがレースなのも雰囲気に一役買っている。

 そういったジェネリックメイド喫茶的な雰囲気を楽しもうとしている人が多いのか、老若男女関係なく客層がばらけている。

 紫藤さんの客寄せ作戦が成功しているのか、女子学生も楽しんでいるのを見ると、逆に僕が場違い感を感じる。

 その紫藤さんはかなりの人気で、メイドとしてはどうか知らないけど、格好は様になっているし、写真もいっぱい撮られている。さすが現役スクールアイドル。

 

「ふむ」

「湊くんはメイド服がお好み?」

「フリルがついてる服だけど、ステージ衣装やゴスロリ服とも違う印象を受けるよね。どうにかして、あれをライブで使えるようにできないかな」

 

 コスプレ衣装としては、メイド服は王道中の王道だろう。別に歌って踊らなくても、撮影するだけでも良い反響は貰えそうだし。

 

「も~、今はそういうの考えずに、お祭りを楽しもうよ」

「そうよ。それに、よその女の子をじろじろ見るのもダメよ。今は彼女が目の前にいるんだから」

 

 それ、いつまで続けるんだ。

 



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77 今とありし日の青春

 三日目も無事終わって、四日目の紫苑女の文化祭も危なげなくスタートして、危なげないまま午前が終わろうといていた。

 お客さんも多いというのに、何のトラブルもないと逆に怖くなってくる。いやいや、そんなネガティブでどうする。備えはしてある。なら想像するのは楽しいことのほうがいい。

 人手が薄くなってきた玄関ホールへ足を運ぶ。入場してきた人たちも各催しがやっているところへばらけているとはいえ、ここもまだまだ休憩したり、次はどこへ行こうかと悩んでる人がちらほらといる。

 

 そんな中で、存在感のある女性を発見した。ランジュだ。

 衣装を着て、ファンにサインを書いている。そのファンは感激してぺこぺこと何度も頭を下げた。キラキラした目で色紙を眺めながら去っていくその人へ、ランジュは笑顔で手を振り、見送る。

 

「ランジュ」

「あら、湊じゃない」

 

 周りに人がいなくなったタイミングで声をかけると、にっこりと笑って返してくる。

 

「ステージ終わってだいぶ時間が経つけど、着替えないの?」

「来てくれた人に、ちゃんとランジュの姿を見てほしいもの」

 

 パフォーマンスは終わったけど、スクールアイドルとしてのランジュの時間はまだ終わってないということか。

 わざわざ来てくれたファンへ最大限のサービスをしてあげようとするあたり、彼女のプロ根性が見える。

 

「スクールアイドルフェスティバルのご感想は?」

「最高よ。こんなに楽しいお祭りは初めて」

 

 ふふ、と余裕を崩さずに答えるランジュ。そこに、ほんの少し翳りが見えるのは、気のせいじゃないだろう。一度、心の底からの笑顔と落ち込んだ顔と困惑した顔を見たいまなら分かる。

 あの時、一緒にスクールアイドル展に行ったとき、いやそれよりも前の彼女の家に行ったときから、何かに追われるようにして彼女は必死だったように思える。楽しいというのは嘘じゃないだろう。でも憂いもなく楽しめてはいない。

 

 同じ同好会じゃなくても、僕らは同じくスクールアイドルを愛する者同士だ。それに、少なくとも僕は彼女のことを友人だと思っている。そんな友人が困っているなら、せめて話くらいは聞いておきたい。

 

「あ、ミア!」

 

 口を開いたタイミングで、ランジュは僕の向こうへ手を振る。

 振り返ると、なんと本当にミアがいた。璃奈、それにかすみとしずくに囲まれながら、毒々しい色のハンバーガーを食べている。

 そういえば、学校の中でもよくハンバーガーを食べるミアを見る気がする。好物なのだろうか。今度、彼方とかすみと一緒に作って誘い出してやろうかな。

 

「ミアも来てたのね」

「来るつもりじゃなかったけど」

 

 そっけなく返したミアは、睨むようにしてこちらを見た。

 

「湊、君の妹しつこいね」

 

 やれやれ、、と彼女はため息をついた。その様子だと、だいぶ食い下がったようだ。

 

「そんなに誘ったの?」

「ぐいぐい」

「よし」

 

 ぐっと親指を立てると、璃奈も同じ仕草をする。

 スクールアイドルにほんの少し興味を持ち始めてきたミアに、生の姿を見せるのはいい起爆剤になる。そのまま沼にはまってくれ。

 

「妹に甘いんじゃないの」

「湊先輩は、そういう人だから」

 

 出来た妹は褒めるのが普通だろうが。

 そのミアは一年生に任せ、僕はランジュに向き直る。

 

「この後は紫苑女とうちの二年生の合同ライブがあるけど……」

「いえ。アナタたちのステージは、明日たっぷり見させてもらうわ」

「そうか。だったら明日を楽しみにしてくれ。僕も明日の君を楽しみにしてる」

 

 そのまま別れるのはなんだか寂しく思い、踵を返した彼女へ声を投げる。

 

「ランジュ、改めてありがとう」

 

 ぴたり、と彼女の足が止まった。

 

「文化祭の話し合いにも来てくれて、紫苑女との交渉もしてくれて、助かったよ」

 

 別に、敵というわけじゃないけど、仲間というわけでもなかった彼女は、僕の呼びかけに応えてくれた。

 一緒に問題に向かって悩み、解決のために動いた。いの一番に動く行動力と誠実さも持っている。

 これまで何度も思ったけれど、そんな強力で素敵なライバルが現れたから、同好会も僕も闘志を燃やし、奮起した。

 

「君がいてくれてよかった」

「な、なによいきなり。アタシも出るんだもの。協力して当然よ」

「当然だったとしても、感謝してる」

 

 正面からこういった言葉をぶつけられるのには慣れていないのか、少し顔を赤くしてそっぽを向く。

 こんなふうに、ちゃんと高校生らしさを持っているところも彼女の魅力だ。

 本当に惜しいな。彼女が同好会に入ってくれたら、もっといろんな一面が見られるだろうに。

 

 

 

 

 ゴシックな衣装の先方とは違って、うちの二年生のそれは明るめだ。せつ菜のは赤が目を引くし、愛はオレンジ、歩夢はピンク。

 始めは悪目立ちしてしまうんじゃないかと心配したが、リハーサルの時にそんな考えは吹き飛んだ。

 黒や紫の中に、ワンポイントとして咲く三輪の花。彼女たちはそんなふうに自分たちを表現しきってみせた。ほんの少し、明るすぎるところはあったけれど。

 

「それじゃ、はいチーズ」

 

 ライブが終わり、控室に戻ってきたみんなを迎えた後、記念に集合写真を撮って、すぐさまSNSにアップ。

 

「送って」

「はい」

 

 黒羽咲良さんに、メッセージアプリ経由で写真を送信。彼女もすぐさまSNSに載せたようだ。こういうのは鮮度が大事。

 

「紫苑女は君の姉をはじめとして、なかなか、その……個性的な人が多いね」

 

 ゴシック調を着こなす彼女たちは、その雰囲気に負けず劣らず独特な感性をお持ちの方が多い。

 黒羽咲夜さんは重度の中二病だし、その他にも秩序に必要なのは力だと豪語する者もいる。この黒羽妹さんだって、ドールとお話できるらしい。

 

「変って言わないの?」

「言ってよければ」

「私もそう思ってる。なぜか、毎年そういうのが集まる」

 

 紫苑女とはそういうところなのだろう。類は友を呼ぶって言うし。ということは、今ここにいる僕もその類に入っているのだろうか。

 カテゴリとしては、普通の域を出てないつもりなんだけど。

 

「よし、次のステージまで時間あるし……みーくん、アタシたちと一緒に回ろっ」

 

 Diver Divaはさぁ! そうやって腕を組んできてさぁ! 楽しんでるよね!? そんなユニットに育てた覚えはないんですけど!

 

「そうだ。展示室でうちの歴代スクールアイドルの写真を展示してるの。良かったら見ていって」

 

 いいことを聞いた。アイドルたちを着替えさせて、僕らは早速そこへ向かう。

 その部屋は、展示室の名の通り、様々な部の功績が飾られていた。

 大会で結果を残した証であるトロフィー、生徒が作った生け花や陶器なども飾られている。

 その一角では、紫苑女スクールアイドルの過去が収められていた。

 まるで美術展みたく、写真や賞状がガラスケースに入れられていて、ちゃんと大事にされていた。

 

 ふと、ある写真が目に留まった。

 今の三船さんによく似た人が、三船さんをそのまま小さくしたような可愛らしい少女の頭に手を置いている。

 

「みんな、楽しんでる?」

 

 その写真を眺めていると、いつの間にかやってきていた三船先生が声をかけてきた。

 

「あら、懐かしいわね」

 

 元紫苑女の生徒でありスクールアイドルでもあった彼女は、並べられている写真を一瞥してそう言った。

 

「この人って、三船先生?」

「うん。で、こっちが妹の栞子」

 

 やっぱり。高校生の三船先生と、当時まだ小学生くらいの三船さんか。

 

「可愛いでしょ。高校生になったら、絶対スクールアイドルやるんだって言ってたんだよ」

 

 え、とみんなは反応する。

 

「私たちの代ってパッとしなくてさ。ラブライブも予選落ちだし、当時は栞子をがっかりさせちゃっただろうけど……でも、これは姉の勘なんだけど、あの子のやりたいって気持ちは変わってないと思うんだよね」

 

 それを聞いて、二年生たちは顔を見合わせる。

 今まで自分たちのために一緒に頑張ってくれていた三船さんもスクールアイドルへの夢を持っていると分かって、共感と嬉しさがこみ上げてきているのだろう。

 

「三船さんを勧誘しに行きましょう!」

「愛さんもさんせーい!」

 

 言うや否や、止める間もなく彼女たちは展示室を後にしていった。残された僕はため息をつく。

 

「フェスティバル主催が、他校を走るなんて……」

「まあまあ、元気でいいじゃない」

「教師のセリフじゃありませんよ」

「まだ教育実習生だから」

 

 なおさら注意しなければならないのでは。

 

「天王寺くんは行かないの?」

 

 僕は頭を振った。

 

「ただ単純にスクールアイドルをやりたいなら、三船さんはもう言ってきてると思います。それをしないってことは……」

「たぶん、私のせい」

 

 三船先生は、ほんの少し顔を俯かせた。

 

「さっき、栞子をがっかりさせちゃったって言ったでしょ? アイドル卒業の時もさ、いっぱい泣いちゃって……栞子には悪い面を見せちゃったなあ」

 

 ラブライブで結果を残せず、この紫苑女で最後の卒業ライブをして、薫子さんたちは儚く散っていった。

 予選を突破できるのは、東京でただ一校のみ。それ以外は涙を流すことになる。三船さんは、それを目にして……何を思ったのだろうか。

 

「でも私、時間を巻き戻せたとしてもスクールアイドルをやると思う。その理由は、君ならよくわかるでしょ?」

「はい」

 

 僕も、もし三年生をやり直せても、同好会に入るのは変わらないはずだ。

 他に素晴らしいことがあっても、こんなに楽しくて美しい世界を手放したくはない。忙しかったり、苦しいこともあるけれど、それだって後で笑い話になる。

 こればっかりは、本人にしかわからないこと。経験した本人にしか分からないことなのだ。

 

「つらいこともたくさんあるけどさ、それでもやっぱり、栞子にはスクールアイドルやってほしいよ。昔はね、私の横で一緒に練習してたんだよ、あの子」

 

 その時を思い出して、彼女はくすくすと笑う。

 

「楽しそうだったな」

 

 夢を目指した果て。この姉妹はそれを見た。でもそこで感じたものは全く違うものだったはずだ。でなければ、三船先生が今ここで、こうして、こんな話をすることはない。

 三船薫子のスクールアイドルとしての結末。それを三船さんが絶望として受け取ってしまったのなら、これほど悲しいことはない。そのせいで夢を諦めてしまったのなら、これほど寂しいことはない。

 

 三船さんがそういう状況だと知って、『確かに夢を叶えられるのはほんの一握りだから、諦めたほうがいい』なんて冷めた意見を持つほど、僕は大人じゃない。

 飛び出していった二年生たちと同じように、僕だって三船さんを迎え入れたい。個人のわがままとして、三船栞子がスクールアイドルをやっている姿を見せてほしい。

 

 それを伝えるには、きっと僕らだけじゃ足りないのだろう。

 だから──

 

「三船先生、お願いがあります」



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78 無駄じゃない

 三船さんをスクールアイドルに誘おうとした二年生たちの目論見は、僕が思った通り失敗したそうだ。

 本人に直接訊いてみたところ、『自分の適性を活かせる生き方をする』と言われて、にべもなく断られたようだ。

 

「やるやらないは本人の自由よ」

 

 みんな集められて、三船さんとの話を聞かされた後、沈黙を破ったのは果林だ。

 

「だけど、心を抑えつけてるなら話は別だ」

 

 君だってそうだっただろう、とそっけない彼女に返す。

 確かに彼女の言う通りだ。どうするかは三船さん次第。その三船さんが『やらない』と言っている以上、無理に引き入れることはない。

 実際、向いてないと思って身を引くのは、賢い選択だと思う。三年間という矢の如く過ぎ去っていく時間を、無為に過ごす意味はない。

 

 だけどそれは、全てを本心から言っているのであればの話だ。

 

「うん。なんだか、本当のことを言ってない気がした。本当にやりたくないならそれでいいよ。だけど、もしやりたいなら……このままじゃいけないと思う」

 

 侑が賛同する。

 

 人間というのはどうにも、素直になるより、嘘をついたり隠しごとをしたりすることが多い。

 それはこのスクールアイドル同好会の面々もそうだし、僕だってそうだ。

 

「あなたたちって本当にお人好しね」

 

 とか言って、焚きつけるためにわざと突き放したようなことを言ってきたくせに。

 本当はスクールアイドルをやりたい、という気持ち、果林は痛いほど分かってるはずなのだから。

 誰だって事情はある。素直になれない気持ちも、踏み出すのを躊躇う恐怖も、大なり小なり誰しもが持っている。

 三船さんがそれらに縛られて、解き放たれたいと望むなら、それはきっと僕らがやるべきことなのだろう。

 

「もう一度だけ、私たちの思いを三船さんに伝えましょう!」

「まあ待て」

 

 逸るせつ菜を押し留める。

 

「同じ話をしても、同じことになるだけだよ。ここは、三船さんを説得できる人に助けてもらおう」

 

 

 

 

 今にも三船さんのところに飛び出してしまいそうなせつ菜を抑えたのは、同じことの繰り返しを防ぐことと、三船さんに話が出来る人を探すため、というのにもう一つ理由がある。

 当然だけど、今はまだ文化祭中。僕らもその人も、今は文化祭を見回る立場としてゆっくりと話は出来ない。他のことにかまけてお祭りを失敗させちゃいました、なんてのは笑い話にもならない。

 まずは、やることをやってから、である。

 

 内容としては、学生のお祭りから大きく外れたところはない。

 ゴシックな制服が目を引くが、その中身はみんな普通の子だ。

 生徒たちはもちろん、先生も普通の人たち。黒羽咲良さんの言う通り、個性が強いのはスクールアイドル部に集結してしまっているようだ。

 そのおかげで、紫苑女の文化祭実行委員会と共にスムーズに仕事をこなすことができ、大きなトラブルも起きなかった。

 

 で、肝心の三船さんのことだが、二年生たちで遊びに誘ってもらった。

 スタッフだって楽しむ権利はある、出し物がちゃんと楽しいかどうか確認する必要もあると言ったら、しぶしぶついてきてくれたそうだ。生真面目な彼女には、こういう理由が通用するのだ。

 これで、逃げられるようなこともないだろう。いや、彼女が逃げるなんてことはしないだろうけど、念のため。

 

 準備は整った。

 日が傾きはじめ、校内に残る人もまばらになっていく。お祭りは終わり、片付けの時間だ。

 もうここまで来ると、僕らの仕事はほとんどない。教室の見回りとか、貸出器具の返却などは紫苑女の管轄だ。

 

 僕らは示し合わせて、とある場所へ集まっていく。

 どでかいモニターが鎮座する、紫苑女のライブステージ。

 スタッフの人たちにも、ここには立ち入らないように言ってある。

 

 時間通り、二年生たちは三船さんたちを連れてきてくれて、僕も間に合った。

 

 窓から差し込む夕陽に目を細めて、三船さんは壇上を見つめる。

 

「ここは……」

「ここが、三船さんの夢が始まった場所でしょ」

 

 紫苑女のスクールアイドルが、定期ライブの時、そして卒業ライブで絶対使うステージ。何人ものスクールアイドルが見送られた伝統の場所。

 薫子さんも例外ではなく、ここでスクールアイドル活動に終わりを告げた。

 そして同時に、ここは三船さんが姉を見続け、憧れ、スクールアイドルに夢見た場所でもある。

 

 そこを眺める彼女の目は、清濁混ざった複雑な色をしていた。

 

「どうして……」

「君のお姉さんが教えてくれた」

 

 僕は近づいて、三船さんと目を合わせた。

 

「三船さん、君のおかげで、スクールアイドルフェスティバルは今のところ大成功。僕らはもう十分、いや十分以上に君に助けてもらった」

「ですから、次は私たちに三船さんを手伝わせてください」

 

 僕の言葉を、せつ菜が継いだ。

 

「私がスクールアイドルと生徒会長を両立できたのは、同好会、生徒会、ファンのみんな……そして三船さん、あなたがいたからです」

 

 僕がこうやってフェスティバルを楽しめているのも、みんなが伸び伸びとステージに立てているのも、三船さんのおかげだ。

 彼女がたくさん頑張って支えてくれたおかげで、何もかもが上手くいった。

 

「そのあなたの夢も一緒に叶えたいんです」

「私の……夢……」

 

 三船さんの目に、ほんの少しだけ光が灯る。

 僕らの夢がこうやって現実のものとなったように、彼女のも実現させたい。しかもそれが、スクールアイドルになりたいという願いなら、ますます僕らが手を伸ばす必要があるような案件だ。

 しかし、三船さんは首を横に振る。

 

「でも、姉は泣いていました。夢を叶えようと、三年間努力し続けて……最後は……」

 

 ギリ、と歯を食いしばった。

 

「泣いていたんです! 後悔していたんです!」

 

 拳を握り、目には涙を溜めて、三船さんは叫んだ。この空間いっぱいまで響いた悲痛の声は、そのまま彼女の傷を表している。

 

 薫子さんが高校最後のステージをやりきった後、ここで、目の前の壇上で涙したことを、僕も知っている。

 ラブライブを勝ち抜いていたら、もう少し長くやれた。良い思い出ももっと生まれただろう。でも結果は予選落ち。悔しがって、ステージ後の挨拶でぼろぼろと泣いていた。

 

 それが、三船さんの恐怖の源。

 姉がどれだけ本気だったか、毎日毎日どれだけ励んだか、彼女はよく知ってることだろう。でも、どれだけ練習しても、報われないことがある。努力は決して実るというわけではないのだ。

 特に、ラブライブのような大きな大会となれば、何の賞も得られずに終わる人のほうが圧倒的に多い。

 気丈な薫子さんが、ファンの前で号泣する姿を見て、三船さんはその現実をまざまざと見せつけられた。

 三年間の果てが、表彰も賞状もなく、涙で終わるなら、一体何のためにやるのか……分からなくなってしまったのだ。

 

 二重生活をしていたせつ菜をあっさりと認めたのは、自分が出来ないことをやりきっているからだろう。

 適正という言葉で自分の憧れに蓋をして、人の手助けをしているのもきっと、他の誰にも悲しんでほしくないからだ。

 刻まれた記憶が呪いとなって、彼女を縛り上げている。可能性を狭めている。

 だけど……

 

「してないよ、後悔なんて」

 

 この場で唯一、反論できる薫子さんが即答した。

 僕に連れられて、今まで静観していた彼女は、三船さんの目を正面から見据えてきっぱりと言い放つ。

 

「確かにあの時は悔しかった。でも今では、やってよかったって思ってる。スポットライトの眩しさも、歌を届ける喜びも、可愛い妹にすごいって言ってもらう誇らしさも、スクールアイドルをやって知ることが出来たんだから」

 

 薫子さんの言葉と顔に、一切の嘘はなかった。

 やった者のみが得られる経験。誰にも否定できない思い出。そこには他人に、妹にも理解できないものが詰まっている。

 

「高咲さんたちが言う通り、私はあなたが応援してくれたから、幸せな高校生活を送れたと思ってる。それで今は教師になって、たくさんの生徒を、あなたを応援できる人になりたいって思ってる」

 

 薫子さんがスクールアイドルになったのも、教師になったのも、やらなければいけないという使命感でもない。

 僕らが活動を続けてきたように、『そうしたい』からだ。どうしようもなく心がうずいて、体が動いてしまうからだ。

 やりたい気持ちというのは、他のことが小さく思えてしまうほど、大きな原動力なのだ。そんな大きな力に、誰もが抗えない。そして、抗ってはいけない時がある。

 

「三船さんは、スクールアイドルやりたくないの?」

「……やりたいです」

 

 歩夢の問いかけに、三船さんはとうとう素直になって答えた。

 

「姉の綺麗な姿に憧れて、私はずっとスクールアイドルになりたいと思っていました。でも、でも……無意味に終わるのが怖いんです」

 

 ポタポタと、地面に涙が落ちる。

 

「私じゃどう頑張っても、何も残せないんじゃないかって……」

 

 一歩を踏み出すのは、人生で一番といっていいほど大変なことだと、僕は思う。

 ゼロの状態から、しがらみや心が作る茨を振りほどいて進むというのは、誰だって怖いし、痛いし、疲れる。

 だから誰かが、ほんの少しだけ背中を押すのは、必要なことなのだ。

 

「三船さん」

 

 彼女の目の前まで近づいて、少ししゃがんで顔の高さを合わせる。三船さんは、まだ俯いたままだけれど。

 

「僕は長い間、何度も何度も落ち込んでた。塞ぎこんで、夢なんて持たない人間だった。でもそんな時、あるスクールアイドルが目に飛び込んできた」

 

 多感な中学生の時期、両親の事故がフラッシュバックすることも多くなって、僕はひどく苛まれた。

 親や妹にバレないように、枕に顔を押しつけて、声を殺して泣いたことは数えきれないほどある。いっそ僕自身のことも終わらせてやろうかと悩んだ。

 そんな時だ。動画サイトで中継生放送をやっていたラブライブの予選。見始めたのは途中からで、ちょうど紫苑女のステージが始まるところだった。

 

「そのスクールアイドルは……三船薫子さんは、跳びぬけて人気があったわけじゃなかった。大会の結果も芳しくなかった。でもその歌と踊りには、素人でもわかるくらい輝くものがあって、僕は惹かれた。心が落ち着いた。救われたんだ。僕が音楽の道を志したのは、それがきっかけなんだ。僕でも、誰かの心を動かせるなら、って」

 

 不思議と心が躍った。目が離せなかった。気づけばかじりつくようにして見入っていた。

 心の重さがどこかに吹き飛んで、続きを、その先を見たいと思った。

 いつの間にか、僕の心には生き続けたいという思いが芽生えた。そう自覚させられたのかも。それから僕はほんの少しだけ前向きになった。

 

「実績はなかったかもしれない。けれど、薫子さんのパフォーマンスに感動した人がいる。夢を持った人がいる。ここにいるんだ」

 

 何もないどころか、こんなにも薫子さんは残してくれている。僕が、僕らが証人だ。

 

「君のお姉さんのしたことは、無駄なんかじゃない」

 

 はっと、三船さんがようやく顔を上げた。

 

「天王寺、さん……」

 

 きっと、三船さんもたくさんの人を後押しできる。その能力があり、それをやりたいという気持ちがある。それはつまり、彼女風に言えば、適性がある。

 だったら、僕が三船さんが一歩を踏み出す後押しを出来たら、と思う。

 薫子さんが僕にくれたものを、今度は僕から三船さんへ。続いていく夢のバトンは、少し遠回りをしたけれど、ちゃんと三船さんへと届いた。

 

 ぼろぼろと、三船さんはさっきよりも大粒の涙を流す。

 

「う、あ、あの……」

 

 しゃくりあげているせいで、上手く言葉にできないみたいだ。

 そんな様子の彼女の両脇をロッティとディアが挟み、腕を抱きかかえて、ハンカチで涙を拭ってあげた。

 

「やったらダメなんて、誰も言ってなイ」

「むしろ、わたしたちは最初から勧めてる」

「好きにしていいんだ、三船さん。君がやることは、無駄にはならない。無駄にはさせない」

 

 両脇の二人が、優しく頭を撫でたおかげで、三船さんはだんだんと落ち着きを取り戻す。

 目が軽く腫れるほどで、涙は収まった。

 

「いいんでしょうか、こんな、私が……」

「言っただろ、フェスは今のところは大成功だって。それが成功のまま終われるかは、君にかかってる」

 

 スクールアイドルフェスティバルは、夢を叶える場所。

 観客もアイドルも、もちろん裏方である僕らも、それは例外ではないのだ。

 

「お願い、します」

 

 差し出された手を、僕はそっと握った。



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79 虹ヶ咲学園スクールアイドル:三船栞子

 早朝、集合時間よりも早めに起きた僕は、誰もいない校舎を見上げつつ、伸びをした。

 今日は合同文化祭の大トリにして、我が虹ヶ咲学園の文化祭。より一層気を引き締めていかないと。

 どうか、トラブルが起きませんように。なんて祈っていると、こちらに寄ってくる足音が聞こえた。

 振り返ると、そこにいたのは三船さん。

 

「おはようございます、天王寺さん」

「おはよう、三船さん」

 

 ぺこりと頭を下げる。

 

「お早いんですね」

「フェスティバル最終日で、それが虹ヶ咲となれば、緊張してあんまり眠れないよ」

「大丈夫なんですか?」

「平気だよ、一日くらい」

 

 前のフェスティバルの時なんかは、あれやこれやと手を出していたせいで心身ともに大分削られてしまっていた。

 けれど、今回は侑やせつ菜、生徒会が表に立ってくれていたおかげで僕の担当部分はそれほど多くない。これまでの四日間、みんなと遊び回るくらいは。

 

「君も早いね」

「私はいつもこのくらいの時間に起きてますから」

 

 まだ日が昇り始めて少しくらいの時間なんですが。

 僕も弁当を作るからこれくらいに目を覚ますけど、三船さんはお家柄だろうか。結構いいとこのお嬢さんっぽいし。

 

「君はほんとしっかりしてるね」

「ありがとうございます。家が家ですし、姉がああだからかもしれません」

 

 やっぱりだった。

 気品があるもんね。同じくしずくもそうだし、先生も普通そうに見えて、腰がぴしっと伸びてたり佇まいが綺麗だ。まさに名家って感じ。調べたらとんでもない家系図とか出てきそう。お爺さんが凄い権力者だったりしない?

 

 さて、そんな三船栞子さんだが、スクールアイドルフェス中は職務に励み、終わってから正式に仲間になるつもりだそうだ。

 もっとも、同好会のメンバーはとっくに受け入れているから、実質彼女ももうメンバー。愛がしおってぃと、かすみがしお子と呼ぶくらいには可愛がられている。

 真面目なキャラっていじりたくなるよね、せつ菜とか。あんまり悪いことを教えるとお姉さんが怒りそうだから控えておくけど。

 

「練習始めたんです。まずは基礎的な体力づくりや体幹などを」

 

 フェスティバルが終わってからでもよかったのに、という言葉は飲み込んでおく。

 スクールアイドルをやるとなって、居ても立ってもいられなくなったのだろう。無理な量じゃなければ、口を挟むことでもあるまい。

 

「昔はよく姉さんに練習を見てもらっていましたが、ここ数年は……」

「僕や侑がサポートするよ。練習積まなきゃだね」

「そうですね。姉さんを追い越せるように」

「だったら、相当ハードになるけど」

「はい。よろしくお願いします」

 

 目標が近くにいることはいいことだ。迷ってしまった時にすぐ自分を見直し出来る。

 相談だって難しくはない。彼女たちの姉妹仲がどれほどかは分からないが、悪くはないだろう。

 自分に妹がいるからか、どうも他の兄弟姉妹の距離が良くないところを見ると、もやもやしてしまう。

 そういうわけもあってお節介を焼いてしまったが……三船姉妹の間にあるわだかまりは消え、先生の心残りも解消、三船さんもスクールアイドル同好会に加入。結果が良ければ全て良しだ。

 

 そうだ。彼女も仲間入りするんだから、サイトを更新しておかなきゃいけないな。

 

 三船栞子。

 新人の一年生。

 一見して表情は固く見えるが、その中に強い憧れと高い志を秘めている。

 もちろん、第二回スクールアイドルフェスティバルは彼女の尽力あって開催できたことも書いておかなければ。

 

「あの、天王寺さん」

 

 上履きに履き替えて、しんとしている部室棟に入ると、三船さんは口を開いた。

 

「あなたは姉さんに救われた、と仰ってましたよね」

「うん」

「私は、あなたに救われました。そのバトンを絶やしたくはありません」

 

 僕も彼女も、涙を流してしまうほどに自分に嘘をついていた。そんな苦しい思いをして、でもスクールアイドルからは離れられなかった。

 それだけ、その世界があまりにも美しかったのだ。そう感じさせてくれた三船薫子さんにもまた、憧れの存在はいるのだろう。ずっとずっと流れてきた煌めきは、きっとこれからも続いていくはず。

 

「こんな私でも、誰かを楽しませることはできるのでしょうか」

 

 不安が目に募っていた。

 当然だ。何年も抱え続けてきたものはそう簡単に洗い流されるものじゃない。

 しっかりしているが、まだ一年生。三年生の僕だって不安定なんだから、しゃんとしろなんて無理難題ふっかけられない。

 元気でいることが一番。それを支えられるのは、周りにいる僕たちだ。

 

「もちろん。一緒に見つけていこう、やれることを」

 

 特に僕には責任がある。

 大見得切って、三船さんのスクールアイドル活動を無駄にしないと宣言したのだ。彼女が少しでも崩れそうになったら、まずいの一番に気づいて駆け寄らなければならない。

 それに、フェスティバルのために頑張ってくれた三船さんに、まだ恩返しも出来ていないし。

 

 ぱあっと顔を綻ばせて、彼女は頷く。昨日の今日で、だいぶ表情筋がほぐされてきたみたいだ。

 

「ちなみに、天王寺さんどのようなアイドルが好みですか? やはり、姉さんのような元気なアイドルでしょうか?」

「一人ひとり、それぞれに魅力があるから……どれが一番だとは言えないかな」

 

 虹ヶ咲(うち)だけでも、全員個性がバラバラなのが分かる。そしてその誰もが、違った魅力があるのだ。比べようと思っても比べられるものじゃない。

 例えば、かすみと果林では、可愛い勝負だとかすみに軍配が上がり、美しい勝負だと果林が有利。だがスクールアイドルとしてどちらが優れているか、となると、その勝負を決定づけられる尺度は存在しないだろう。

 ファンの数や動画の再生数などで一応の決着はつけられることもあるが、それは本質ではない……と考える。

 

「私にも、その、魅力が?」

「なかったら誘ってないよ。例えば君のその笑った顔、お姉さんに似てて、でもちゃんと違う君だけの表情とか」

「笑顔……ですか?」

「うん。素敵だよ」

 

 良い笑顔を持ってる人は良い人。これだけ可愛い顔見せてくれるなら、すぐ人気になりそう。

 赤くなった顔を、ごまかすように俯いて隠される。あらまあ褒められて恥ずかしくなったのかな。

 

「また、元気づけられてしまいましたね」

「困ったらいつでも。卒業したらこうやって簡単には会えなくなるだろうから、今のうちに三年生にはいっぱい迷惑をかけるといい」

 

 気づけば、あと半年もなくなっている。スクールアイドル同好会でいられるのはあとほんの少しだと。寒さも顔を覗かせてきているのがさらに実感させてくる。

 おまけに最近はみんな自分のことは自分でやるようになってきて、僕の仕事量も減ってきて、寂しい心もちょっとある。もっとたくさん頼ってきてほしいのに。

 

「ふふ、天王寺さんも、何かあったら言ってくださいね。なんでもしますので」

「男に『なんでも』なんて言うんじゃありません。本当に『なんでも』要求してくる輩だっているんだから」

「わかりました。相手を見極めて言うようにします。というわけで、なんでも仰ってください」

 

 わかってないじゃないか。



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80 僕とエマの間

「ハグ」

「アウト」

「膝枕。するほう」

「アウト」

「一緒に寝転がる」

「アウト」

「頭を撫でる」

「アウト」

「厳しすぎないか?」

「これでも甘めに見てる」

 

 文化祭の喧騒が直に聞こえてくる中、普通科の教室の前の廊下で、隣の男に呆れられる。

 

 彼のクラスであるこの普通科特進クラスの出し物はラーメン。ツテでスープや麺を安く仕入れているらしく、しかも味も一級品ときた。聞けば、中学の文化祭で同じような物を作ったことがあるんだと。

 こうやって話している間も、客がひっきりなしに教室へ入っていく。

 

 そして、友人の彼はこのラーメンクラスの調理担当長。だが、仕込みは終わって、後は他の人に任せるそうだ。

 お互い待ち人がいるから、こうやって待っている。

 

「というか、そんなことを付き合ってもない女子としてるのか?」

「いや、例として、だよ。あくまで例」

「嘘だな」

 

 ズバリと迷いなく言ってくる。どういった特殊能力なのか、彼はいとも簡単に嘘を見抜いてくる。

 

「まさか現代日本で、しかもこんな身近にハーレムを築いてる奴がいるとはな」

「ハーレムじゃないよ。虹ヶ咲は女子のほうが多いから、周りに多くなっちゃうってだけで」

「そうやって集まる女子たちとイチャついてるのが、ハーレムじゃないってか」

「イチャついてない」

「抱きついて膝枕して共に寝転がって頭を撫でるのがそうじゃないなら、じゃあどこからがお前にとっての『イチャついてる』なんだ?」

「それは……」

 

 これまでのことを思い出して、それを他の誰かがやっていたらと想像する。

 つまり、男の子が十人以上の女の子と一緒に遊んだり遊ばれたりしているところを傍観している……という設定を頭に作り出す。

 ……舌打ちしたくなるくらいには、羨ましく思う。で、その男の子っていうのは、現実で言えば僕のことらしいと考えると、『イチャついてる』に対して否定しづらい。

 

 僕が言い淀んでると、彼はにやりと笑った。

 

「いいじゃないか。殴り合いをするよりかよっぽど健全だろ」

「そりゃそうだけど」

 

 殴られるなんて、それはイチャついてるとは言えないだろう。とかそういう文句は無視された。

 

「今のうちに楽しんだらいい。いつかは選ばなくちゃいけなくなる。誰かと付き合うか、付き合わないか。付き合うにしても、誰を選ぶか」

「僕はそんな……選べるような立場じゃないよ」

「謙遜も過ぎると嫌味に聞こえるぞ、天王寺」

 

 やれやれ、とため息をつかれた。

 

「ハーレム状態になるくらいには、お前は凄い奴なんだと思うぞ。音楽のことは俺には分からんが」

 

 だからハーレムなんかじゃ……と言っても無駄そうなので黙る。

 

 凄い奴、というのは別に間違いだとは思っていない。

 良い曲を作り続けていて、良いステージをプロデュースしてきた自負はある。元々、自分の技術に対しては自信があったのだ。

 おまけに、スクールアイドルたちやそのファン、さらにランジュやミアに引き抜きされそうだったこと、Alpheccaの世界的な認知度を鑑みると、天王寺湊はけっこう出来る奴なんだと気付かされる。

 

 だけどもそれと、男女の関係とか男としての価値というのとは別だろう。良い作曲家だからといって、良い男だというわけではない。

 世の中の女性がどういった男を求めているのかは知らないが、彼女がいると知られているのに何度も告白されている彼のような男がモテるやつなのであろう。

 背は百八十センチを超え、愛並みに運動部の助っ人を頼まれるほど身体能力も高い。

 さらに学内でも賢い奴の行く普通科特進の中で一、二位を争う頭の持ち主、という漫画かなにかの主人公のようなスペックだ。なんだこいつ。

 

「まためんどくさそうなことを考えてるな」

 

 ぎくり。

 

「自分がどうだとか立場が云々とか、全部取っ払って考えてみろ。他の誰をも差し置いて、目で追ってしまうやつがいるだろ」

 

 全部取っ払って、というのは難しいが……目で追ってしまう、ねえ。そんな、思わず反応してしまうみたいな思春期丸出しなことは普段からしていない。

 ほら、思い返そうとしたら、別に誰か特定の人が浮かぶわけじゃない。例えばそばかすがチャームポイントだとか、胸が大きいとか、お世話好きだとか……いや、思い当たりませんねえ。

 

「浮かんだって顔してるぞ。いるんだな、やっぱり」

「いや、そんな、僕は……」

「そうか? 一年の時からの付き合いだが、多少威圧された程度でほぼ初対面の女を名前呼ぶするような奴には見えなかったが」

「……目ざといね、君は」

「あいにく、目だけは良いもんで」

 

 そう言った彼は遠くに向かって手を振り始めた。その先には、笑顔でこちらに向かってくるボブカットの女の子がいる。

 あの子が、彼の恋人か。何度もツーショットを見せられたので分かる。

 あちらもぶんぶんと腕を振って、存在をアピールしている。その腕に着けている時計が、光を反射して輝いているように見えた。

 彼もそちらに歩んでいき、恋人と腕を絡めて去っていく。お熱いことで。

 

「湊くん、お待たせ」

 

 残された僕がぼーっと彼らを見送っていると、待ち人が到着する。エマだ。

 

「さっきの人は?」

「普通科の友達」

「湊くん、男の子の友達いたんだ」

「そりゃいるよ」

 

 僕を何だと思ってるんだ。

 虹ヶ咲は男子の比率が少ないから、科を越えて仲良くなるくらい横の繋がりが強いんだぞ。

 

「わあ、あの子たち仲がいいんだね。ほら、あんなにくっついてるよ」

「噂に違わぬバカップルだな。まるで……」

「まるで私と湊くんみたい、だね」

 

 空気が一瞬止まるほどのことを言い出した彼女に対して、僕の息が止まる。

 さっきの彼との会話もあって、なんだかとってもすっごーい勘違いが頭の中で渦巻くが、なんとか追い払う。

 

「さあ、どこから回ろうか」

「意気地なし」

 

 努めていつも通りに言った僕に、エマは不満そうに口を尖らせた。

 

 

 

 

 今朝、僕がこの後のためのとある準備をしていた時、みんなは部室でわいわいと四日間のことをお喋りしていたらしい。

 その中には、僕とお祭りを楽しんだ内容まで入っていて、唯一一緒に回っていないエマが膨れっ面でやってきたのだ。

 彼女の出してきた条件は、三つ。

 一、今日は最低でも一時間の休憩をとること。

 二、今日の文化祭をエマと回ること。

 三、回る際は二人で。

 ようは、一時間確保して、エマと二人きりでいろという内容だ。

 

 虹ヶ咲(ホーム)での開催ではあるものの、ボランティアや警備スタッフの人たち・先生がたくさんいてくれるおかげで、午前は手すきの時間が多い。

 ステージが始まるのは正午からだから、人がいっぱいになる午後は避け、午前はどうだと約束を取り付けた。

 というわけで、こうやって仕事に追われるでもなくのんびりしているわけだが……

 

「天王寺さん、これ食べてって!」

「お、天王寺。ちょうど焼きあがったところだ。ご馳走してやるよ」

「エマ先輩、この間はありがとうございました。これ、うちの部で作ってるやつです、どうぞ」

「エマちゃーん、これクリームいっぱいで美味しいよ~」

 

 …………

 

「なんだかいっぱい貰っちゃったね」

 

 行く先々で、見知った顔がやっている屋台が出し物を持たせてくれる。おかげで僕らの手に下がっている袋には出来立ての食べ物がいっぱいに詰められていた。

 第一回の時も、準備段階の時にやたらと食わされたなあ。たった数か月前のことなのに、やたらと懐かしい。

 それはそうと、みんな、僕とエマを見て、例外なく生暖かい目で見てくるのはなんだったんだろう。

 

「くれるって言ってたし、遠慮なく貰っておこう。そっちの袋持つよ」

 

 エマが持っているものへ手を伸ばす。が、ひょいと避けられてしまった。

 

「ううん、これは私が貰ったものだから、私が持っておくよ。湊くんには別のものを持ってほしいなあ」

「別のもの?」

 

 とんとん、とエマは指で僕の手の甲を叩いてくる。

 その行動に僕が首を傾げていると──

 

「あの人たち、仲良く手を繋いで楽しそうだったなあ。いいなあ」

 

 そこでようやく、僕は彼女の意図を理解した。察してないふりをして、このままとぼけることも出来るけど……

 

「迷子になったらいけないもんな」

「うん!」

 

 エマのすべすべした手をそっと握る。

 なんと触らないルールを制定する前に僕が破ってしまった。しかしエマのおねだりを回避できる者がいるのだろうか。

 あとあれ、こんなに人が多いところではぐれたらまずいから。

 

「ふふ、湊くん。みーなっとくん」

「?」

「みなとくーん」

「なに?」

「ううん、呼んだだけ」

 

 繋いだ手を振りながら、えへへとエマが笑う。可愛い。

 あれ、おかしいな。甘ったるい空気の濃度が増した気がする。よからぬ引力が発生している気がする。

 纏わりついてくる粘土の高い空気から抜け出そうと、目を逸らす。

 脳は半分動作してくれているみたいで、お客さんたちや屋台の人、各教室でやってる催しを見ていると、盛況だなと感じる。

 もう半分は、意外とひんやりしている手の感触に持ってかれてるんだけど。

 

 軽音楽部、琴部、吹奏楽部、ダンス部などなど、屋内外問わず盛り上がっているものをちょいと見させてもらいつつ、他にも、こけし部が誇る全国津々浦々のこけしを見たり、ゲーム部主催のガチンコレースゲーム大会や、クイズ部の全員参加型大会にも参加した。

 科学部は、小さい子向けにスライム作りをしていたり、化学反応を使った面白い実験なんかも実演してみせたり。映像研究部の自主製作映画もあったり。美術部VS漫画研究同好会のイラスト勝負が行われていたり。

 そこかしこで、楽しい企画が目白押し。ついつい足を止めて、首を突っ込んでしまう。そう思ってるのは僕だけじゃない。

 

「楽しそうだね」

「うん! 日本の学校の文化祭がこんなに楽しいなんて知らなかったよ。みんな、優しくて面白くて……本当にここに来てよかったって思ってる。湊くんもこうして一緒にいてくれるし」

 

 エマは心底楽しそうに、終始にこにこしている。主催側で演者であると同時、彼女も立派なお客さんなのだ。喜んでくれて何より。

 

「湊くんも楽しい?」

「うん、楽しいよ」

 

 即答する。

 この五日間、スクールアイドルだけじゃなく、各学校の生徒たちみんなが文化祭を盛り上げた。

 一体感というのだろうか、璃奈の言うような繋がりが目に見えて嬉しく思う。そういったのを通じて、どの学校のスクールアイドルもファンが増えたみたいだし。

 

 思い返すだけで口角が上がってきた僕の頬を、エマは急に両手で挟んできた。

 

「な、なに?」

「……うん。ほんとのこと言ってそう」

「そんなに信用ならない?」

「だって、いっぱい隠し事されたもん」

「それは……そうだけど」

 

 彼女の手を掴んで、顔から離す。

 

「湊くんはつらいことがあっても隠しちゃうからなあ。泣いたところも、一回しか見たことないもん」

「そう言うなら、僕は君が泣いたところを見たことないが」

「だって、私は幸せだもん」

「だったら、僕が泣くところももう見れないな」

 

 まだ心の中で消化しきれてないものもあるけど、ほとんど時間が経てば気にならなくなるものだろうし。

 

「そうだったらいいね」

「あまり、そんな姿なんて見せたくもないし」

「私は、湊くんの隠れた一面が見れて良かった……のかなあ?」

「訊かれても」

「でも、助けられてばっかりだったから、私が湊くんを助けられたのは嬉しかったよ」

 

 それほど『ばっかり』だった覚えはない。僕としてはむしろ、エマやみんなに色々してもらった思い出のほうが多い。

 僕がそう感じているように、彼女もそう感じているだけなのかも。

 

 中庭近くのベンチに座り、貰ったものを食べながら道行く人を眺める。

 午前中で目玉のイベントもまだだというのに、広い敷地が人で埋め尽くされている。ぱっと見ただけでも、第一回より集まっていることは確かだった。

 虹ヶ咲学園の文化祭といったらそれなりに有名で、その部活の多さから屋台やイベントも多く、またそのクオリティの高さから様々な趣味の人が来る。それでも、この数は異常と言わざるを得ない。

 自惚れではなく、スクールアイドルのおかげなのだろうと思うと心が躍る。

 

 人と人とが繋がって、これが実現した。そしてまたそれが人を呼び、さらに繋げる。一体どれだけの人数を巻き込んだのだろうか。

 でもまだ足りない……なんて思うのは、ちょっとわがまますぎるかな。

 

「湊くん? どうしたの、ぼーっとして。疲れちゃった?」

「いや。人っていうのはこれだけ無数にいて、そのほとんどとは出会うこともないんだなって」

 

 日本だけで一億五千万人近く。ここにいるのはその0.001%にも満たないだろう。そう考えると、歌の歌詞でよく見る『出会えた奇跡』というのも実感できる。

 ……いや、あまりにも膨大すぎてやっぱり想像しづらいかも。

 

「ね、初めて会った時のこと、覚えてる?」

 

 唸っていると、エマは急にそんなことを訊いてきた。

 

「君が学校の中で迷ってた時のこと?」

「そうそう。私が困ってるときに、湊くんは声をかけてくれて、一緒に次の授業の教室までついてきてくれたんだよね」

 

 僕も移動教室で廊下を歩いてるとき、たまたま地図とにらめっこしている彼女を見つけたのだ。トイレに行っている間に友達が既に行ってしまい、一人でパニクっていた。

 虹ヶ咲は広い。口で説明するだけじゃ足りないと思ったからついていった。ついてこさせたというほうが正しいか。

 今思えば、その友達をスマホで呼び出してもらえばよかったんだろうけど、僕も彼女もその時は気づかなかった。

 

「次に会ったのが……」

「食堂」

「うん。そこで、二人ともスクールアイドルが好きだって話をしたんだよね」

「それで、君がスクールアイドルになるからって、音楽科の僕が作曲担当に選ばれた」

 

 どんぶりいっぱいの卵かけご飯を美味しそうに頬張っているところに遭遇し、その席に引っ張られた。

 まさかスクールアイドルになるために留学してくるなんて、と心底驚いたものだ。彼女も、僕が音楽科で作曲したことがあると聞いて目を輝かせていた。

 

「たまたま出会って、どっちもスクールアイドルが大好きで、その湊くんが作曲できる人。えーと、一度目は偶然、二度目は必然、三度目は運命……って言うんだったかな?」

「僕が知ってるのは、一度目が偶然、二度目が奇跡、三度目が必然、四度目で運命」

「だったら──」

 

 エマは置いてある僕の手に、そっと自分の手を重ねた。 

 

「運命を感じるような四度目(なにか)を、一緒に見つけよ?」

 

 ──心臓が、どきりと跳ねた。

 

 正直、ここまでされて、ここまで言われて、つらつらと言い訳を並べるのは男らしくない。

 でも、迷う。

 僕のこれまでとこれからとか、エマのこと、みんな、スクールアイドル活動とか進路。頭の中がごちゃごちゃになってくらくらする。

 『自分がどうだとか立場が云々とか、全部取っ払って考えてみろ』という友人の言葉がリフレインする。そんな簡単にいけば、苦労しないんだよ。

 でももし出来たら、そんなことが出来たのなら、彼女の言葉に深い意味があるのだと、勘違いしてもいいのだろうか。

 いつかは受け入れることが出来るのだろうか。

 

「……エマ、僕は──」

 

 自分の口から何かが飛び出そうとしていたその時、ポケットが震えた。

 頭がぱっと仕事モードに切り替わり、急いでそこにしまっているスマホを取り出す。

 見れば侑からメッセージが飛んできていた。その内容はたった四文字だけ。

 

『助けて』



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81 Live and live

 侑からのSOSを受けた僕とエマが部室の前まで来ると、果林と彼方、ロッティにばったりと会った。

 

「湊くんも、侑ちゃんの様子見に来たの?」

「こんなの送られたら、気になるさ」

 

 スマホの画面を見せると、二人とも苦笑。上手くいってるとはお世辞にも言えない状況のようだが……

 とにかく現状確認のため、僕は扉を開ける。

 

「トキメキはどこー!?」

 

 部屋へ入ると、ちょうど侑が混乱の舞いを披露していた。

 よろよろと歩き回り、ごろごろと床を転がりまわり、かと思ったら逆立ちしてみせたり……そして僕を見つけるとゆらりゆらりとゾンビのような動きで近づいてきた。

 

「湊さん……トキメキを、トキメキをください……」

「僕はトキメキ製造機じゃありません」

「いつもトキメかせてくれるじゃないですかああ!」

 

 頭を抱えて叫びだした。これはもう相当だな……

 

「ゲンカイっぽイ?」

「限界超えてるわね」

「トキメキ欠乏症と名付けよう」

「なんでそんなに冷静なんですか」

 

 侑がジト目を向けてくる。睨むならそこの白紙の楽譜を睨みなさい。

 

「こんなになるまで放っておいたの?」

「今回は侑が作曲。アレンジや編曲はともかく、作ってる時にはアドバイスも何もなしって決めたから」

 

 意地悪してるわけじゃない。

 何か助言すると同時にきっと、僕は『僕が思う虹ヶ咲学園スクールアイドル』を語ってしまうだろう。それはよろしくない。侑が作る曲は、侑自身が思うスクールアイドル像を具体化したものであるべきだ。初めてとなると特に。

 生み出す苦しみはあるだろうが、そうやって出来たものがどんなものであれ、経験になり自信になる。

 その最初の時にあれやこれやと言ってしまったら、侑は今後それを引きずってしまうだろう。あるいは引きずられるか。

 彼女の言う『トキメキ』を濁してしまう。曲が早く完成するメリットと比べられないくらい重いデメリットだ。

 

 最後、虹ヶ咲のスクールアイドルが揃ってパフォーマンスするのは十九時二十分。曲が出来上がって、それを覚えてダンスも練習して、となるともう時間はない。

 だけど、僕には焦りはない。最悪どうにでもなるのだ。『夢はここからはじまるよ』をやってもいいし、ソロメドレーでもいい。

 曲が出来なかったからといって、別に失敗ということでもないのだ。

 

 侑はそうとは思ってないみたいで、アイデアを書き込んでいるノートを前に一生懸命うんうん唸っている。

 

「うーん、どうしても上手くいかないんだぁ。私の中の最高のもので、ランジュちゃんと張り合えるくらいで、ファンのみんなも盛り上がれるやつってなると……」

 

 ひょい、とロッティがノートを覗く。

 

「ユウ、十一人用の曲を作ロウとしてるノ? それハ、ちょっとキツいんじゃないカナ」

 

 一瞥した彼女は、首を傾げて続けた。

 

「ワタシタチは、ユウにパフォーマンスを見せタケド、それってAlpheccaとしてダカラ、エット、なんていうカ……」

「歩夢たち九人は、一緒に作り上げていったものだから落とし込みやすいけど、ロッティとディアの個人としての色っていうのはまだ掴み損ねてるんじゃないかな」

「ソレ!」

 

 あ、ついつい口を挟んでしまった。

 

 どのアイドルがどんな思いで活動をしているのかについて、侑は九人のことならよく分かっていることだろう。ならばその九人分を凝縮させようとするのも、難しくはない。

 しかし、そこにAlpheccaが混ざると一気に難易度が跳ね上がる。このユニットのことはいくらか話してはいるものの、その根底にあるものを知ってるのは当の本人たちと僕だけ。

 積み重ねてきたものもある彼女たちのことを、知り合ってそう経ってない侑が理解しようとするにはまだ時間がかかるだろう。

 

「ワタシタチは、ナシでいいヨ」

「でも……」

「ユウはずっと、一学期からみんなを見てきたんでショ。その気持ちを、出したいって思ってル?」

「もちろん」

「だったラ、九人に向けて作ったホウが、ワタシは良いと思ウ!」

 

 ロッティは侑の肩を掴んで、きらきらした目を向ける。

 

「ユウが最初ニ感じタ、スクールアイドルのミリョク、ソレが見たイ! ソレをオドるミンナが見たイ!」

「……いいの?」

「モチロン! だっテ、ワタシはミンナのファンだから」

「みんな揃って、じゃなくていいの?」

「シオリコもいないシ、ミンナ揃っテはまた次!」

 

 何度も確認する侑に、ロッティは変わらず返す。

 それは侑の中の何か、詰まっていたものを押し流したようで、あれだけ強張っていた体の力が抜けていく。

 

「ユウは、こんナに言ってくれるファンを、ガッカリさせるようナ作曲家じゃないよネ?」

「うん!」

 

 最後には、満面の笑みで侑は頷いた。

 

「考えすぎは良くないよ、侑ちゃん」

「そうそう、もっと余裕を持ったほうがいいよ。ゆうだけに」

「あははははは!」

 

 愛のお株を奪うようで悪いが、僕にしてやれるのはこれくらい。あとは彼女次第だ。

 

「うん。なんかすっきりしたよ。もうちょっとかかるけど、待っててくれる?」

 

 ここまで来て、待たないと言うはずもなく、もちろんと返して頷く。

 その前に、と僕は時計を見た。

 もうすぐ正午。ステージのオープニングアクトが迫ってきていた。

 

 

 

 

 ゆらゆらと船が揺れながら進む。

 手のひらサイズのそれは、流しそうめん同好会が作成した学校中に張り巡らされた水の道を行き、ゴールを目指す。

 目標とするところは中庭。ステージ前に設置された水の溜まっている桶というかバケツというか、とにかくそこへ達したのを合図に、オープニングが始まる予定だ。

 僕たちはステージの裏側で船を追う映像を食い入るように見る。朝早くから出発した船は順調に来ていて、もうすぐで到着する。

 はんぺんを抱きながら、僕もそわそわする。何事も始めが肝心。だからこそ有名になり、胆力も実力もあるランジュにオープニングを任せたのだ。

 それに関しては心配はしていない。二学期に彗星の如く現れ、そこから経験も積み、今のランジュには一種の安心感がある。

 気になるとすれば、音響や設備のトラブルだが──

 

 突然、船が止まった。画面を確認すると、最後のカーブのところで船体が詰まってしまったのが分かった。

 ちゃんとリハーサルもして大丈夫なのをチェックしたのに、嫌な予感は当たるものだ。

 

「止まっちゃった……」

 

 みんなが呆気に取られ、どうするんだという空気が静寂の中に漂っている。

 

「ランジュちゃん……」

 

 侑が恐る恐るオープニングを飾るアイドルであるランジュに目を向ける。当の彼女は、ふ、と笑って歩を進める。

 

「お膳立てなんて、最初から期待してないわ」

 

 自信満々のまま立ち止まらない彼女は、僕たちに向かってもその態度を崩さない。

 

「前に言ったでしょ、私は与えるだけでいいって。私は私を知らしめるために、ステージに上がるんだから」

 

 ランジュのスクールアイドル像は一切ブレない。真っすぐというにはあまりにも……頑固に見えた。

 

「私には、このやり方しかないの」

 

 聞こえるか聞こえないかくらいの声でそう呟いて、彼女は観客の前に姿を現す。

 ライトも音楽もないのに現れた彼女に、観客はまだ頭がついていけていない。

 それもその瞬間だけだった。

 

 ランジュは曲はまだ流れ始めてないのに、歌い始める。

 たった一人で、大勢の前で、乗るべき音楽もないのに空気を震わせた。

 アカペラなのにリズムは一切狂うことなく、声量は遠くまで響かせるに十分で、観客の視線を釘付けにする。

 ため息が出るほど美しい。

 

 見惚れるところだっが、僕は頭を切り替えた。ここからどうするか。

 はんぺんを下ろして、イヤホンを耳に着ける。頭の中が真っ白になっているであろうスタッフに指示を出すつもりだ。とにかくこの状況を──

 

「にゃう」

 

 足元で大人しくしていたはんぺんがたたたと駆けていった。

 気まぐれなんだろうけど、船の道を支える柱の近くにまで行き……足で体を掻いた。

 その足か体が柱に触れ、少し揺れる。船も上下し、衝撃で船体が傾いて道に隙間が出来た。そのおかげで詰まっていたのが解消されて、再び水とともに流れていき──

 

「あ」

 

 それを見ていたのは僕だけだった。

 船はゴールに辿り着く。待機していたスタッフがそれに気づいて、指示を出すまでもなくはっとしてスイッチを押した。

 

 静寂から一転、照明は煌めき音楽が鳴り響く。

 元々そういう演出だったかのように、ランジュは曲に合わせて歌うのを調整する。

 流れる踊りは、トラブルがあったなんて思わせないほど優雅で綺麗。

 

 やりきったランジュには、もちろん惜しみない称賛が与えられた。彼女もある程度の満足感は得たようで、得意げな顔で裏に戻ってきた。

 

「凄かったです、ランジュ」

「ありがと」

 

 三船さんに、彼女は笑顔で返した。

 

「あなたもスクールアイドルをやりたがってたなんて、知らなかった」

「それは……」

「別にいいわよ。こういうの慣れているから」

 

 ばつが悪そうな顔をする三船さんに、ランジュは気にしてないような素振りで踵を返した。

 

 こういうの、とはどういうのだろうか。

 いくつか考えうるものがあるが、そのどれもがお世辞にも良いものではない。彼女はそれに慣れていると言った。そのことは良いことか悪いことか。

 慣れは、言い換えれば心身の麻痺だ。僕にもよく覚えがある。

 

 気になることはいくつもあるけれど……とりあえず僕は、次の場所へと向かうことにした。

 

 

 

 

 講堂の舞台裏から、こっそりと客席を見る。全生徒が収容できるここの席はほとんど満杯で、立ち見する人すらいた。

 

「イッパイ」

「いっぱいだね。全校集会くらいでしかこんなの見たことないよ」

 

 ロッティの隣で僕は頷く。

 見渡しても人しか見えない。先生や生徒会長って、こんな人数の前で話してるんだ。

 

 ちらりと脇に置かれているデジタル時計に目をやる。予定まであと少し……と心配になり始めたところで、ディアが来た。

 

「お、ギリギリで来たな。調整は終わった?」

「ばっちり」

 

 ピースサインを向けてくる彼女の後ろでは、ひょこっと顔を覗かせて客数の多さに感嘆の声を漏らす人物が一人。

 愛の友達、軽音楽部のゆるふわウェーブちゃんだ。

 

「いやはや、緊張も緊張、ド緊張~。二人とも緊張しないん?」

「全然」

「コレをクライマックスにするツモリだヨ、ワタシは!」

「胆力やっべえ。みーくんさんも平気そうすね」

「音楽科の発表会とか、新曲をみんなに聞かせるときのほうが緊張するね」

 

 前者は値踏みされているような視線を感じるし、後者は期待度MAXの表情を向けられるのだ。期待という面では今回も同じだけど、ほとんど知らない人だし、身内も探さなければ分からないくらいだ。そっちのほうが、僕は気が楽。

 

「うえぇ、それとこれとは違うんじゃないすかぁ? うちもライブは何度かやったすけど、シチュエーションが全然……」

「ダイジョブダイジョブ! ワタシがいるカラ!」

「Alpheccaと一緒だから大丈夫じゃないんどす」

「何を今さら」

 

 そういう彼女だって、そう緊張しているように見えない。見えないだけで内心ガクガクなのかもしれないけど、余計な力が入ってたり青ざめていたり震えていたりということはない。

 

「大丈夫ですか、みなさん?」

 

 開演のご挨拶担当の三船さんが、本番五分前になった瞬間にこちらに声をかけてきた。

 

「平気。なんとかすればどうにかなる」

「ディアさん……それは大丈夫とは言わないのでは」

 

 呆れつつ、三船さんはゆるふわちゃんへ目を配る。彼女は覚悟を決めたようで、一度深呼吸するとやれやれと首を振った。 置いていたベースを抱え、ストラップを肩に掛ける。

 

「先輩が尻込みしてる場合じゃねえので」

「頼もしいです」

 

 にこり、と三船さんは返し、一枚の紙を見ながらマイクのスイッチをオンにする。

 

〈皆様、ご来場いただき真にありがとうございます。講堂での観覧につきまして、注意事項がございます──〉

 

 読み上げる彼女の邪魔にならないよう、僕らはこっそり手を重ねて、声を潜めた。

 

「やるぞーっ」

「おー!」

 

 気合入れ僕らは幕裏から姿を出し、所定の位置につく。

 ディアとゆるふわちゃんはセンター前に置かれた二つのスタンドマイクの前へ。ロッティはその後ろのドラム椅子へ座り、同じく後ろに配置されているキーボードへは僕が。

 

 この時点で、会場はざわざわとさらに色めき立つ。遠目でもAlpheccaの二人の姿はちゃんと見えるはずだから、そのおかげだろう。

 当然こちらからも、視界いっぱいに人が映る。

 じっと向いてくる人の目。それとたくさんのカメラ。まだ演奏前なのに写真を撮る音が聞こえるが、三船さんの注意をちゃんと聞いてくれているようで、邪魔になってしまう発光はない。 

 

 じゃあまずは、ちょっとばかし驚かせようか。

 

 僕がロッティに頷くと、彼女はドラムを激しく叩きだした。合わせて、ディアもギターをかき鳴らす。

 轟雷とも、洪水とも呼べる音の奔流が、一気に客へ押し寄せる。その激波に、一瞬暑さを忘れたほどだ。ゆるふわちゃんもベースで合わせる。

 あまりの衝撃で、あれだけざわついてたのがしんと静まったところで、三人がこちらへ振り返る。少し口角が上がったその顔を見て、僕はキーボードへ視線を向け直した。

 みんなの準備はOK。当然僕も。

 

 すう、と息を吸って、指を動かす。

 ピアノから始まり、ギターとベースが混ざり、ドラムが追いかけてくるイントロ。先ほどのに負けないくらいに、音を放つ。

 

「♪~~」

 

 ディアが歌いだす。この激音の中でも彼女の歌声はブレず、綺麗で力強い。それを支えるようなロッティたちのコーラスもハマっている。

 

 呆気に取られていた観客も、次第に体が動き、ハンドクラップで混ざってくる。よし、いいぞ。盛り上がってきた!

 汗がだらだら流れてくるのにも関わらず、僕もみんなも客たちも、一体となって場を作る。

 サビまでくると、もはやどこまでも届いてるんじゃないかと思うくらい、誰もが音を出していた。

 これだ。この感覚、スクールアイドルのみんながいつも味わっているであろうこの感覚。普段はダウナーなゆるふわちゃんも、ディアたちにノリノリで合わせていく。

 

 爽やかに駆け抜けるアウトロでフィニッシュ。

 集まってくれた人たちの拍手が、耳をつんざく。楽器や、マイクからの歌声よりも明らかに大きい音が身体に染みわたってくるようだった。

 

「アリガトー!」

「文化祭、楽しんでね」

 

 最後にAlpheccaの二人がそう言って、僕らは舞台を去っていく。

 まだ講堂での最初だというのに、盛り上がりは最高潮。ステージ裏に戻って一呼吸しても、まだ歓声が鳴りやまなかった。

 

「やりきったぁ」

「言ってた割には、余裕そうだったじゃないか」

 

 はは、と笑って、大きく息を吐いた。

 終わってみればあっという間。しかしながら充足感が胸いっぱいに広がるほど、濃い時間だった。

 

「楽しかったネ!」

「大成功」

「イエーイ!」

 

 四人でハイタッチ。

 

「またやろウ! アナタのベース、サイコー!」

「その時は、僕もまた混ざりたいな」

「オ、ミナトもアイドルデビュー!?」

「それはしない」

「男性アイドルとしてでも、女装するでも、どっちでも用意はしてる」

「そんな用意はせんでええ」

 

 一曲終わった後でも変わらず、僕をからかってくる彼女たちを避け、ゆるふわちゃんに「君はどう?」と目で訊く。

 

「はは、もう勘弁と言おうとしたんすけど……」

 

 汗を拭いながら、ゆるふわちゃんは力なく笑った。

 

「悪くなかったす」

 

 

 

 

 そこかしこで、僕を見つけた友人たちがもみくちゃにしてくる。あのライブ良かっただとか、かっこよかっただとか言いながら。

 校内に知り合いが多いがゆえ、どこへ行っても同じような反応をされる。サプライズだったことに目を丸くされ、拍手され、一歩歩くたびに激励の言葉が飛ぶ。

 単純に嬉しかった。僕の作ったスクールアイドルの曲を認められることはいっぱいあったけど、演奏自体を褒められるのは授業くらいだったから。

 手放しで祝われるむず痒さもあり、仕事があるからとそそくさと逃げる。ロッティとディアを身代わりに置いてきたから、なんとか事なきを得た。

 

 講堂での一番目。三船さんに、誰か盛り上げるのに最適な人はいないかと言われた。

 演劇部も思いついたけど、せっかくネームバリューのあるAlpheccaがいるのだ。それを使わない手はない。そこで、さらに一緒に演奏すると約束していたゆるふわちゃんも誘ってバンドをすることになったのだ。

 ただ演奏するところを動画に撮るだけくらいだと思っていた彼女は、その話を聞いた時に狼狽したが、僕も参加するならと条件付きで頷いてくれた。

 

 披露したのは、二年生の時にAlphecca用に作ってボツにした曲をアレンジしたもの。

 一度捨てておいてなんだが、結構いい具合に仕上がったのは、僕自身も成長している証だろう。

 あの時書いたノートを完全に消さないでおいてよかった。どういうところでどういうものが役立つのか分からないものだな。

 

 予想以上の反響に満足感を覚え、お仕事モードに頭を切り替えながら校舎の中に入っていくと、ばったりと両親に鉢合わせた。

 この五日間、学校に泊まっていたからか、ずいぶんと懐かしいように思える。普段からそんなに顔を合わせられているわけじゃないんだけど。

 珍しく、スーツ姿じゃない。綺麗目だが、いかにもよそいきの私服だった。

 

 突然顔を合わせたことでお互いに唖然としつつ、数秒が流れる。

 色々と言葉が浮かんでは消えるが、口をついて出たのは単純な言葉だった。

 

「来たんだ」

「行けたら行くって言ったはずだけど」

「それは行かないときの常套句だよ

「ついさっき着いたんだ。予想以上に混んでてな」

「もっと早く来てたら、僕が演奏するところ見れたのに」

 

 苦笑しつつ、来てくれたことに心の底から嬉しさが溢れ出る。

 今までは、かっちりとした服を着こむような、本当に大事な節目くらいにしか来てくれなかったから。

 

「湊はいい子たちに囲まれて、仲良くやってそうだったよ。ただ、誰が好きなのかははぐらかされちゃって」

「あら、それ聞きたいわ」

「分かった分かった。帰ったら聞かせるから、行った行った」

「つれないわね」

「文化祭で親と一緒だなんて、よほど寂しいやつだと思われるんだよ」

 

 ああ、同級生が親に対して強く出るのがなんとなくわかった気がする。嫌いなわけじゃない。ちょっとした恥ずかしさを隠す反抗心だ。

 だいぶ素直なほうだと自負する僕にも、そういう心はあるみたい。

 

「スクールアイドルのステージも見に行く。お前が作った曲が聞けるんだろう?」

「楽しみだわ」

 

 くしゃくしゃと頭を撫でられる。

 もう高校三年生にもなるのに、こんなので嬉しくなると思わなかった。璃奈のこと馬鹿にできないな。

 二人して僕の髪をぐちゃぐちゃにしていき、並んで去っていく。文化祭の感想は、帰ってから聞こう。

 

「湊さん湊さん」

 

 今度は、中川さんだ。

 生徒会長モードではあるが、正体はもうバレているので、周りから好奇の目で見られている。

 

「中川さん。見回り?」

「はい。それで、今の方たちは?」

「両親」

「み、湊さんのご両親ですか!?」

 

 中川さんはもう遠くなった両親へ顔を向けた。

 

「わ、私もご挨拶したほうがよかったですか?」

「生徒会長に挨拶されても困っただろうよ」

 

 学科も学年も違うし、どう説明しても反応しづらい。いっぱいお世話にはなってるんだけどね。いや、今なら優木せつ菜だと言ったほうが紹介しやすいか。

 

「でもなんていうかその……湊さんのご両親って……」

「なに?」

「案外普通、ですね」

「なんだと思ってたんだ」

「いえもっと厳しいとか……そういうのを想像してました」

 

 まあ、璃奈や僕の話からは変な親像を浮かべても仕方がない。特に、親に関しては苦労しつつされつつだし。

 

「普通だよ。普通の親子」

 

 実際は普通とはかけ離れているんだろうけど、でも両親は僕を愛して、僕も両親を愛してる。だからまあ……総合して普通ということでここはひとつ。

 

「あー! いたー! みーく~ん!」

 

 人ごみの中でも響いてくる声に振り向くと、愛がみんなを引き連れてやってきた。知り合いと同じく興奮したご様子で、瞬く間に囲まれてしまう。

 

「バンド、ちょーカッコよかったよ!」

「あんなことするなんて、聞いてなかったですよ!」

 

 それはだって、言ってないから。

 

「お父さんたちといい、今日は騒がしいな」

「お父さんとお母さん、来てるの?」

「うん。さっき会ってね。いまは……どっか回ってるよ」

「ええ、私も先ほど見かけました。ご挨拶しそびれましたけど」

 

 だから、しなくていいって。

 

「えーいいなー、愛さんも会いたかった! あいだけに!」

「私も挨拶したかったわね。お世話になってる身として」

 

 愛も果林も、なんでそんなに人の親に挨拶したがるの。

 

「私はお父さんにはもう挨拶したもん」

「かすみんもです!」

「彼方ちゃんも~」

 

 なんでそんなに挨拶したことを自慢げに言うの。

 なんで両者睨み合ってるの。なんでそんなに火花バチバチと散らしてるの。



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82 トキメキ

 僕を囲んでいたアイドルたちも、ステージのために散っていく。それらを見送った後、僕はそこらを見回っていた。

 ほんの少し手が必要なところもあったけど、基本的には平穏に盛り上がっていた。思ったよりも人が多くてどこも忙しそうだったが、嬉しい悲鳴というやつだろう。

 満足しながら屋外に出ると、ある人物と目が合った。

 

「ミア」

「や、湊。見てたよ」

 

 軽く手を挙げて返してくる彼女もまた、僕らのバンドを見てくれていたらしい。

 

「どうだった?」

「荒削り」

 

 手厳しい。まあ、場の雰囲気に呑まれて多少ハジけてしまったことは認めよう。練習期間も十分に取れたわけじゃなかったし。

 でも、とミアは続けた。

 

「不思議と熱くなった」

「お褒めにあずかり光栄です」

「褒めてない」

「褒めたよ」

 

 もう肌寒い季節にそう感じ取ってくれたということは、彼女も少しは楽しんでくれたということだ。

 そう言ったも同じと気づいて、ミアは恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 

「ところで、ベイビーちゃんの様子はどうだい?」

「ベイビーちゃん?」

「ほら、キミと同じ同好会の……高咲侑」

「作曲して、大いに悩んでるところ」

 

 当日の今日になっても出来上がっていないのは心配だったが、あの様子だともう少しだろう。

 間に合うか間に合わないか、ほんとギリギリ。

 

「キミは助けに行かないの?」

「今回はね」

 

 微笑んで返すと、彼女は怪訝そうに顔を顰めた。

 

「……湊が作ったほうがいいんじゃないの。そのほうが良いものを作れるし、ファンも喜ぶんじゃない」

「そうかもね。でもそうじゃない」

「は?」

「今回は、侑が作曲しないと意味がないんだ」

「……?」

 

 ミアが顔を傾げる。

 

「今回の曲はさ、侑がみんなのために考えて作る初めての曲なんだ。だから、僕の色は混ぜたくないし、混ぜてほしくない」

 

 この言葉には納得してくれた。

 どんなものにでも、製作者の色がある。見る人はもちろん作る人なら当然分かることだ。

 

「だったら、抑えてやればいいじゃないか」

「それが出来るほど、僕は多彩じゃないよ」

 

 世の中には人の色を真似たり、自分の色をあえてなくしたり変えたり出来る人もいるけど、僕はまだ無理だ。

 スクールアイドルの曲を作る時、どうしても僕が思う像が出てくる。こと今回に限って、それは不純物なのである。

 

 そこで僕は気づいた。

 僕よりも達者で、自らの色を消せる人が目の前にいる。曲を、しかもスクールアイドルの曲を作ったことのある経験者。

 

 

 

 

 再び部室に入ると、先ほどまでの唸り声や叫び声はなく、侑は真剣な面持ちでパソコンに向かっていた。

 

「あれ、湊さん?」

「進んでる?」

「さっきよりは、まあ」

 

 力なく、あははと笑う、

 順調ではあるが、エンジンがかかるのが遅かったせいで時間が足りないといったところか。

 なら良かった、と僕は後ろを示した。

 

「ミアちゃん!」

「ミア先輩、だろ」

 

 むすっとしてミアは言う。

 

「で?」

「ん?」

「ここにボクを連れてきた理由は?」

「編曲お願い」

「What?」

 

 まさかの申し出に、彼女は少し仰け反った。

 

「いやだから、作曲はもう出来るから、編曲してくれない?」

「なんでボクが……」

「私からもお願い、ミアちゃん! もう時間なくて……」

 

 侑が手を合わせて頼む。そんな必死に懇願されては、ミアも流石に断りづらいのか、う、と呻いた。

 

「ベイビーちゃんが作らないと意味がないって話だったんじゃなかったのか?」

「僕が混ざると駄目になるって話」

「聞いてよ、ミアちゃん。湊さん全然手伝ってくれないんだよ~」

「お互い合意の上で、手出ししないって決めたじゃないか」

「ロッティちゃんとディアちゃんと一緒にバンドやってたみたいだし……見たかったー!」

 

 ランジュのオープニングアクトから、ちゃんとここに缶詰になってたみたいだ。みんなのステージも見たいだろうに、それだけこの曲に懸けているのだろう。

 そこまでいって、やっぱり出来ませんでしたじゃ後味が悪くなってしまう。

 僕は手伝わないというスタンスを崩さないけど、まあ、これくらいなら。

 

「スクールアイドルの曲を作るなら、きっと参考になるよ。僕が保証する」

「……ま、いいけどさ」

 

 言っても無駄だと思ったのか、渋々ミアは納得してくれた。

 

「ありがとう、ミアちゃん。それで早速なんだけどね、ここが……」

「見せてみて」

 

 ミアは近くの椅子を引っ張ってきて、侑の隣に座る。

 後はお若い二人にお任せするとしよう。楽しみは後にとっておきたいからね。

 

 

 

 

 十九時。ほとんどすべての屋台もイベントも終わり、残るは中庭のステージのみ。空も暗くなり、寒くなってきたにも関わらず、そこにはたくさんの人が押し寄せていた。

 ライトが当たらないステージの下も、ペンライトで光の海が出来ていた。

 

 今はY.G.国際の番。あと十分後には、大トリとして虹ヶ咲がパフォ-マンスをする。そのことは伏せられているけれど、会場の期待値は上がりきっていた。

 

「あ、湊さん!」

 

 ロッティとディアと一緒にステージを見ていると、 本日のスケジュールを全てこなした東雲の遥さんが駆け寄ってきた。

 

「遥さん、お疲れ様」

「ハルカ、はいペンライト」

 

 挨拶もそこそこに、ディアはどこからともなく予備のペンライトを渡した。

 

「ファンたるもの同担には優しくすべし」

「布教のタメにグッズは多々買いするベシ!」

 

 同担っていっても君らのそれはスクールアイドル好きな人全員指してるだろ。あと買うのは常識的な数にしようね。

 

 遥さんの傍らには彼方と雰囲気が似た美人な女性がいる。その女性は綺麗に礼をすると、にこやかに挨拶をしてきた。

 

「あなたが天王寺湊くん? 初めまして」

「初めまして。えーと……遥さんのお姉さん?」

 

 三人姉妹だとは聞いてなかったけど。そう言うと、女性はくすくすと笑った。

 

「あら、お上手ね」

「お母さんですよ」

「え!?」

「そんな」

「ワオ!」

 

 驚きすぎて三人とものけ反ってしまった。

 遥さんのお母さんとやら、三十代どころか二十代と言っても通用するくらい若々しい。いや何歳か知らんけど、間違っても高校生のお子さんが二人いるようには見えない。ドッキリか?

 

「そちらにはかなちゃんとはるちゃんがお世話になってるみたいで」

「い、いえいえ、僕のほうこそお二人には助けられっぱなしで」

 

 衝撃が抜けないまま、ぺこぺこと礼をする。

 そんなことない、と遥さんが言うが、彼女たちが力になってくれたことは多い。彼方とは言わずもがな。遥さんとも定期的に演出等の相談会をしている。

 それ以外だと、直近で言えば、QU4RTZの合宿と称したお泊り会だ。あの時はうちの妹の面倒を見ていただきましてどうも。

 そんな保護者同士の会話をいくつか重ねて、邪魔になっちゃうからと遥さんが母を連れていく。と言っても僕の仕事はもうほとんどないのだけれど。

 

「驚き桃の木山椒の木」

「あれ絶対ウソだろ」

「だよネ!? 全然シワとかなかったもんネ!?」

 

 夜の暗がりとはいえ、姿は照明でちゃんと見えていた。その限り、姉にしか見えなかった。あの人が母親なら彼方と遥さんの美人っぷりにも頷けるが……

 

「天王寺湊さん」

 

 続けて、また声をかけられた。変なことを考えていたせいか、急に来られたせいで飛び上がりそうになったけど、なんとか抑えた。

 近江母とはまた別ベクトルで落ち着き払った雰囲気を纏っている女性だった。

 

「菜々の母です」

「て、天王寺湊です」

 

 ほんわかしていた先ほどとは違って、ぴしっと背筋が整えられているこちらの女性に合わせて、僕も背が伸びる。

 スクールアイドルをやることについて話はついたとせつ菜は言っていたが、もしかして僕には何か文句を──

 

「うちの娘が、大変お世話になっております」

「あ、頭上げてください!」

 

 急に深々と頭を下げた彼女に慌てる。

 どうにかこうにかして元に戻したが、油断しているとまたすぐに腰が九十度傾きそうだ。

 

「菜々から聞きました。今まで正体を隠しながスクールアイドルをしていたこと、そのことについてあなたたちにご協力いただいていたことも」

 

 ロッティはディアの手を取って一歩後ろへ。

 せつ菜のことは、一学期から続くことだ。歩夢と侑がやってくるよりも、さらに前。その時点から関わっているのは、ここにいるうちで僕しかいない。そう思って下がってくれたのだろう。

 

「私、娘には真面目でいてほしかったんです。中途半端な子にはなってほしくないと思って、厳しく躾けてきました。でもそれは、やりたいことを我慢するということではなくて……でも、私がやってきたことが、あの子を縛ってしまっていたって気づいたんです。それを認めたところで、今さら許されるとも思っていませんけど」

 

 彼女は目を逸らす。

 

 勉強が大事、正直が一番、その他にも大人になるまでで必要なことを、これまで口酸っぱく言ってきたのだろう。品行方正を指針として、寄り道をさせなかったことだろう。

 中川菜々という人物の表だけを見れば、その教育は成功だったと言える。ただしその裏では多くの抑圧された感情が隠れている。

 優木せつ菜という存在が、その証明だった。

 

 それを思い知らされて、この人は混乱したのだと思う。娘に何をして、()()()()()()()()()、その重さが圧し掛かってきている。

 表情は、ぼろぼろと泣いていたせつ菜とそっくりだった。

 この人もまた、せつ菜と同じく自罰的な人だ。その姿がせつ菜と重なってしまうから、彼女の言葉にはいともいいえとも言えなかった。

 

「せつ菜さんは……菜々さんは凄い人です。文武両道で、冷静と情熱を併せ持った素晴らしい娘さんです。勉学も生徒会長としての役割もこなして、スクールアイドルとしてもひたすらに努力する姿は誰もが憧れる」

 

 代わりの言葉を、僕は口にする。

 

「真面目なあの子が、二重の生活をするのは楽ではなかったと思います。時には傷ついてしまったこともある。それは同好会にいるせいでもあったし、僕のせいでもあったこともあります。あなたのせい、というのも否定できません。僕たちの想像以上に、中川菜々と優木せつ菜は苦しんできたはずです」

 

 両方の面があるから、単純計算で二倍苦しむ。それぞれが負う責任を考えたらもっと。

 たくさん悩んでたくさん泣いて、たくさん諦めかけた。その姿を、僕は目の前で見てきた。

 それでも──

 

「でも、今はあの子は心の底から楽しんで活動していますよ。それはもうあなたも分かっているでしょう?」

 

 前夜祭のA・ZU・NAのライブを、彼女も見たはずだ。ひたすらに真っすぐ自分を貫く、スクールアイドル優木せつ菜を。

 だからこうやって、ここまで足を運んできたのだ。

 

「今度は直接見てあげてください。優木せつ菜がどんなアイドルか、あなたの目でしっかりと」

 

 僕は手で先を示す。

 

「こちらにどうぞ。関係者席空いてますから」

「関係者席って、私が行って大丈夫ですか?」

 

 戸惑う彼女に、僕は笑顔で答えた。

 

「もちろん。あなたは優木せつ菜のご家族ですから」

「セツナのママ、ドウゾ!」

 

 観客席の最前列に中川母を連れていき、ペンライトも持たせてやる。

 その時、大きな拍手が起きた。Y.G.国際のステージが終わったのだ。

 つまり今から、僕もこの人も待ちわびているものが始まる。

 段々と心臓の鼓動が上がっていく。どんなのが来るかという期待のドキドキとワクワクが止まらない。

 

 静かに待つ客の前に、やっと九人が姿を現した。第一回の最後の時と同じ、それぞれの固有衣装で。

 いつ見てもバラバラだなと思う。それと同時に、これしかないとも思う。

 

「五日間に渡った合同文化祭、スクールアイドルフェスティバルも最後のステージとなりました」

「参加していただいたたくさんの学校、スクールアイドル、ご来場のみなさんに、この場を借りてお礼を言わせてください」

「ありがとうございました」

 

 彼方と果林に合わせて、全員が礼をする。

 届けてくれる感謝の言葉を、観客は何も喋らずに受け取った。

 

「次が、最後の曲となります。私たちの大切な仲間が作ってくれた曲です」

「これから歌う曲、そしてこのステージは今日まで出会ってきたみんなのおかげで出来たものです」

「たくさんの出会いが、私たちに力をくれました」

 

 ──様々な部や同好会、生徒会、有志のボランティア、他校の生徒が手を貸してくれた。

 

「ある人が助けてくれたから、新しい歌は生まれました」

 

 ──ミアが渋々ながらも手伝ってくれた。

 

「ある人が提案してくれたから、今回のフェスティバルは実現しました」

 

 ──三船さんが生徒たちや僕たちのためにしてくれた。

 

「ある人が素敵なライブを見せてくれたから、私たちはもっと成長することが出来ました」

 

 ──新しいスクールアイドルのランジュが全身全霊をもって挑んできた。

 

「そして、ここに集まってくれたスクールアイドルを愛してくれるみなさんがいてくれたから、このフェスティバルは無事、フィナーレを迎えることが出来ました」

 

 こんなにも僕らは周りの人たちに恵まれていて、助けられて、好かれている。それを抜きにして、全て自分たちの力だと言うほど自惚れていない。

 この素晴らしい人の輪の中にいるからこそ、彼女たちはスクールアイドルとして輝ける。引っ張り上げて引っ張り上げられて、ファンやスタッフ、家族や友人と一緒に、どこまでも。

 

「そしてまた、ここから次の夢は始まります。私たちと一緒に、走り出していきましょう」

 

 歩夢は観客へ手を伸ばす。

 圧倒的なカリスマで、与えるだけ与えるランジュとは違って、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は──

 

 そして曲が……始まりはせず、客席側の後ろにもライトが当たる。

 そこにあるのはピアノ。そして傍で立っているのは侑だ。彼女は礼をして、椅子に座った。何をするのかはだれの目にも明らかだった。

 彼女が作った曲を、彼女自身で始める。そのために、場所は離れていても同じく壇上に上がったのだ。

 

 静まった空気の中、観客の視線が一気に注がれる。

 侑は一度深呼吸して、そっと手を鍵盤の上に持っていく。

 

 その手が、震えていた。

 そりゃそうだ。アイドルじゃないのに壇上に上がって、しかもこんな大人数の注視の中。さらに、侑はまだ始めたてといっていいレベル。ミスをしたら……なんてのがよぎる。

 だけど、僕やミアが代わりに、なんてのは出来ない。

 今から披露されるのは、侑の曲。侑が作って、侑がみんなに伝える曲。だからこの場でだけは、侑が弾くしかないのだ。

 

 ──頑張れ。

 

 アイドルだけじゃなく、観客の心までもが一致した気がした。

 大声でエールを送りたい気持ちを、ぐっと堪える。

 大丈夫。出来る。侑ならきっと出来る。

 声が口をついて出そうなほど感情がピークに達したとき──侑の指が、滑るように、なめらかに動いた。

 

 新しい曲が生まれたとさっき言っていた。つまり当然、それは僕の知らないメロディーだ。

 アイドルが届ける高咲侑の曲。

 ずっとステージの下から応援してきた侑が、みんなと同じ目線に立って叶える夢の結晶。

 

 ──侑、君は、君たちは……

 

 思わず頬が緩む。

 成長した侑が奏でる音と、調和するスクールアイドルたち。明るく光る太陽のような、個々に優しく照らしてくれる星のような、まさにこれがトキメキなのだろう。

 

 前に、僕を除いた十人で完成されていると感じたことがあった。今、それがどれだけばかばかしい考えだったか分かる。

 ソロでもユニットでも九人揃ってでも、まだまだ僕が知らない可能性が眠ってる。それを起こせるのは、彼女たち自身であり、僕でもある。

 新しく入った三船さんも、ライバルであるランジュやミアも、競い合いつつ助け合う他のスクールアイドルたちも、駆けつけてくれるファンたちも、誰もが可能性を広げてくれる欠片なのだ。

 

 どこまでいっても多分、完全完璧に完成することなんてないんだろうけど、でもきっと僕の望む最高のスクールアイドルはここで見つかる。

 そう思わせてくれるほど、この曲はこの先の世界を大きくした。

 

「いつの間にここまで……」

 

 ずっと近くで見てきたつもりだった。侑に音楽を教えたのは僕だし、同好会活動についても指導した。

 だけど、よくぞここまで辿り着いたものだと感心する。

 音楽の道を進むと決めてからまだ数か月。本来なら作曲なんてまだ先の先の話だと思ってたのに、驚くようなスピードで咲き誇っていく。

 

 それが嬉しすぎて楽しすぎて、体が勝手に動いて、いつの間にかペンライトを振っている。

 ちらりと横を見れば、彼方の母もせつ菜の母もリズムに乗って大きく体を動かしている。

 

「お姉ちゃーん!」

「ミンナー!」

「あっぱれ」

 

 もちろん、今は客となっているスクールアイドルたちも同様。勢いあまって吹いてくる熱風から察するに、後ろのファンも五校の生徒たちも当然。

 きっとあのステージに立っているみんなには、色とりどりの光が視界いっぱいに広がっていることだろう。

 

 侑だけでなく、虹ヶ咲のスクールアイドルが、あの九人がしっかり曲を自分たちのものにしているからの結果でもある。

 完成してから数時間しかないのにも関わらず、ダンスも歌も一糸乱れることはない。それだって、ロッティやディアが今までユニット練習に付き合ってくれて、誰かと一緒に魅せる真髄を教えたからだ。

 

 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は色んな人から受け継いで、受け取ったものをたくさんの人に渡そうとしている。

 その中には僕もいて──

 

 素敵なことも嫌なこともあって、特別が詰まっていて、思い返すことも出来ないような普通がある。

 これまで一緒だったあなたと、今共にいる君、そしてまだ見ぬみんなで見るトキメキ。

 この曲はきっとそんな物語なんだ。



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83 みんなお疲れ様

「えーそれでは……スクールアイドルフェスティバルと文化祭が無事に大成功となりまして、ご協力いただいたみなさんには──」

「かんぱーい!」

 

 せつ菜の堅苦しいあいさつを遮って、みんなが飲み物が入ったグラスを掲げる。

 

 ラストステージが終わって、貸し切り状態の食堂にみんなが集まっていた。他の高校の人たちは明日各校のお片付けがあって、集まれているのはこの学校に宿泊許可を貰っている一部の虹ヶ咲生だけだけど。

 お菓子もジュースもたくさん。焼き菓子同好会はじめ、色んな部が提供してくれたのだ。しかも文化祭の残りじゃなくて、わざわざこれ用に作ってくれたらしい。

 

「雨が降らなくてよかったです。また天王寺さんがびしょびしょになって走ることもなかったですし」

 

 毎度毎度お世話になっている副会長が胸をなでおろす。

 せつ菜がスクールアイドルとして表に立っている時間が長かった分、今回の最高責任者は彼女だった場面が多かったから、ようやく終わって肩の荷が下りたのだろう。

 

「その節はどうも。僕も、もう反省文書きたくないからね」

「反省文なんて書いたんですか」

「十枚」

 

 苦情は来なかったらしいけど、生徒のみならず外部の人たちにも走ってるところを見られてしまった。

 事情が事情だけにお小言は最低限だったし、罰もそれだけで済んだのは御の字だ。

 

「もうあんなことはしないようにお願いしますね」

「なんだろう。お願いされてる立場なのに圧を感じる」

 

 まあそりゃ、生徒会の人からしたら見過ごせないことなのだからしょうがないんだけど。

 

「はんぺんも、今日はよくやってくれたね」

 

 オープニングの時にまさかの大活躍をしてくれた白猫を抱きかかえたまま、撫でてやる。ごろごろと喉を鳴らしてご機嫌なやつめ。今度良いご飯とおやつを買ってきてやろう。

 

「あ、天王寺くん、ちょっといい?」

「はい?」

 

 不意に三船先生に呼ばれ、左手にはんぺん、右手にグラスを持ったままそちらに赴く。

 

「栞子がね、天王寺くんと距離を感じるーって悩んでるの。どうにかしてあげて」

「ねねね姉さん!?」

 

 傍らにいた三船さんが珍しく動揺する。信じられない、といった顔で姉を見た後、目を泳がせながら僕へ向き直った。

 

「あの、同好会のみなさんは名前で呼び合っているのに、私たちだけそうじゃないな、と。わ、忘れてください!」

 

 名前呼びで関係がどうのこうの……というのは同好会の子たちに散々言ってきたけど、現状だとそれは通用しない。

 せっかく同好会の一員となってくれるのに、一人だけ苗字呼びで距離を感じてしまうのは、あまりよろしくないだろう。

 

「好きに呼んでくれたらいいよ、栞子」

 

 彼女が気にしないように、努めてなんでもないふうを装う。

 

「さらっと言う感じのあの顔と口調さあ、天王寺くんってたらしなの?」

「そうですよ。泣かした女は数知れず」

「誰もが、チャンスあるんじゃないかと思って」

「淡い希望を捨てきれずに溺れていく」

 

 そこ、うるさいぞ三年生三人。

 僕だって呼び方をシフトするのには慣れていなくて、気にしてるんだから。

 

「み、みみ、みみみな……湊、さん……」

 

 僕の恥ずかしさなんて、栞子のに比べると極小の点だけど。

 最後のほうは声がしぼんでほとんど聞こえなかったが、彼女なりに努力してくれていることは伝わってきた。

 

「な、慣れませんね」

「そのうち気にならなくなるよ」

「そうそう。湊くんも昔は頑なにみんなのこと名前で呼ばなかったし」

「歩夢ちゃんもようやく敬語外れたしね」

 

 にこにこと、いやにやにやとこちらを見る三年生たちは、もうちょっと無視しておこう。

 

「妹が悪い男に引っ掛かりそうで心配」

「今まさに悪い男に引っ掛かってますよ。いえ、良い人なんですけど」

 

 

 

 

「湊先輩、最近私たち以外に構いすぎじゃないですか!」

 

 打ち上げスタートから三十分ほどが経って、それぞれ話も盛り上がってきたところで、かすみがそんなことを言い出した、

 

「そんなこと……ある、かも」

 

 違うと言いかけたが、思い返してみると心当たりはある。璃奈にも指摘されたことだ。

 フェスティバルの準備期間は、自分のことは自分に任せて、統括は侑がしていた。

 その間、ランジュや栞子、それに他校のスクールアイドルと連携が取れるようによく顔を合わせていたが、虹ヶ咲のメンツとは入れ違いになることも多々。

 

「でも構うって言ってもね……」

「口答え禁止ですっ。なんですか、その顔。まるで私を駄々っ子みたいに見て」

「今まさにそう言おうとしたところ。君、エスパーの才能あるよ」

「む~~っ」

「まあまあ、かすみさん」

 

 しずくはぽんぽんとかすみの肩を叩いて宥める。

 

「湊先輩が忙しいのは知っていますが、それでも寂しかったんです。文化祭を一緒に回ろうと言ったのも、それが理由なんですよ」

「し、しず子、それは内緒だって言ってたじゃん!」

 

 へえ、可愛いところあるじゃないか。いや可愛いところしかないな。

 僕のことで寂しさを感じさせてしまうのは反省。同時に嬉しくもある。いてもいなくても同じだなんて、もうどこかへ吹き飛んでいった。

 

「どうしてボクまで……」

 

 この打ち上げにはミアも呼んである。というか連れてきた。璃奈と侑が両腕を掴んで連れてきた。

 

「手伝ってくれたじゃないか。最後のステージは、君のおかげでもある。璃奈が言ってたじゃないか。だからだよ。遠慮しないで。お菓子もお茶も、他にもいろいろあるよ。どれがいい?」

「……ハンバーガー」

 

 ちょうどある。

 晩御飯時はちょっと過ぎてるけど、食べてなかった僕らのために、先生方が自腹で買ってきてくれたらしい。

 

「ハンバーガー、好きなの?」

「悪い?」

「悪くない」

 

 かぶりつくミアに、思わず笑みがこぼれる。さっさと帰ってしまおうという感じではない。同じ音楽科として、スクールアイドルの作曲を手掛ける者として、共に楽しんでほしいものだ。

 僕もハンバーガーを手に取る。その隣を侑も取った。

 

「湊さん、私の演奏どうだったかな?」

「最高。感無量。まさかあんな良い曲を作り上げるなんてね」

「ま、ボクも手伝ったんだ。当然だよ」

「うん、ありがとう、ミアちゃん」

「だから、先輩を付けろって」

 

 このやりとり、もうパターン化してきたな。ミアは先輩って感じしないから。十四歳なんだから当たり前っちゃ当たり前。

 

「ミアちゃんも聞いてくれた?」

「聞いてなきゃ、こんな時間まで学校にいないよね」

「べ、別に。ベイビーちゃんがちゃんと出来るか見てただけさ」

 

 分かりやすいツンデレいただきました。

 普段はクールで技術も高いミア。からかわれて照れるところは年相応なの、可愛いな。

 

「次は三人で合作するとかどうかな?」

「それいい! 考えただけでトキメいちゃう! 三人と言わず、ロッティちゃんとディアちゃんも誘って、五人で!」

「お、おい、ボクはやるとは言ってないぞ」

 

 後ずさる彼女を、僕と侑で挟む。

 

「もちろん、侑の曲に何も感じなくて、編曲も楽しくなくて、もうこりごりだって言うなら無理に誘わないけど」

「それ、は……ずるいぞ、湊」

 

 そう言ってくるのは君で何人目だったかな。

 

 文化祭に参加して、曲作りも手伝ってくれて、ここまで来てくれて、何も思ってないなんてことはないのはわかりきってるからね。

 明確に拒否してこないならもうこっちのもんよ。バンドやった時みたいに、話を進めて進めていつの間にか戻れないところまで行ってやろう。

 

「それにしても、本当に終わったんだよね。まだ半分くらい実感わかないかも」

「燃え尽き症候群にならないようにね」

「もちろん。みんなからいっぱトキメキを貰ったから、もっと頑張れるよ! 急に辞めるなんて言うつもりなんてないもん」

「後輩がいじめてくる」

 

 あの時のことは、もういいじゃない。それはそれはもう反省してますから。

 

「……なんか、楽しそうだね、キミたち」

「楽しくやるのが同好会のモットーだからね。ミアちゃんも入る?」

「……」

 

 ミアの目が少し泳いだ。

 ランジュが入らない以上は彼女を引き入れるのも難しいと思ったけど、スクールアイドルに興味を持ち始めてきた今ならもしかして……

 と、その噂のランジュが食堂に入ってきた。彼女も今回の立役者の一人。打ち上げには絶対に来てくれと誘い出していた。

 彼女は一度見渡した後、真っすぐこちらへ、侑のほうへ向かってきた。

 

「最後の曲、私が作ったんだ。ミアちゃんにも手伝ってもらったけど……でも、あれが私の全力。どうだったかな」

 

 目の前まで来たところで、侑が真っすぐランジュを見据えて言う。

 オープンキャンパスから始まった同好会とランジュのライバル関係。お互いここで決着をつけるつもりだった。

 勝ち負けとか優劣じゃなくて、スクールアイドルは孤高であるべきか否かを相手に認めさせるステージ。

 ランジュはオープニングアクトで、その実力で見事に客へ自らの煌めきを与えた。対して同好会は、最後にみんなで辿りついたトキメキを見せた。

 

「良かったわよ」

 

 あっさりと、ランジュは認めた。

 そこには、自分だけが正しいなんて思いは一切ない。

 晴れやかとは違うけど、憑き物が落ちたみたいな顔で、侑に微笑みかける。

 

「アナタの覚悟、伝わったわ」

 

 負け惜しみの一切ないその表情で、今度はここにいるみんなを、スクールアイドルたちを見る。

 

「アナタたちも、見事に互いさを証明してみせた。私は百パーセントやりきったけど、同好会はそれ以上だった。ここに来た価値は十分あった。後悔はないわ」

 

 言うだけ言って、僕らが引き留めるよりも先にランジュは踵を返して去っていった。

 

 彼女に認めてもらって、目標を達成できた。そのはずだ。やったという達成感がある。

 でも、それと同時に何とも言えないもやもやが、心に残っていた。



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84 君の歌

「つーわけで、あれからどんどこ有名になりまして、SNSも外国人からフォローされたりでして」

 

 文化祭も無事終了し、授業も通常通りに戻ってきた。

 その放課後、いつもの通りみんなが着替え終わるのを食堂で待っていると、偶然通りがかったゆるふわウェーブちゃんに相席を申し込まれた。

 もちろん断る理由もなく、その後のことも聞きたかったので快諾した。

 聞けば、Alpheccaと僕と一緒に講堂ステージでやったバンドがかなりの好評だったようで、その反響についていけていないみたいだ。

 フラッシュを焚かなければ写真動画撮影OKだったし、学校のサイトでもステージの様子を流していたから、何人があれを見たのか。僕はもう自分のアカウントの通知切ってるし、毎日適当に呟くくらいしかしてないから影響度合いが分からない。

 クラスの人たちにはめちゃめちゃひゅーひゅー言われたけど。

 

「そりゃあAlpheccaとバンドなんて願ってもない夢っすし、実際めちゃ楽しかったすけど、ここまで有名になるかーと思て」

「いいじゃないか。承認欲求が満たされない人が多い中で、これだけ認められるのは」

「ゆーて、うちにその名声に合う実力があるかってーと」

「まあ、ちょっと足りないかな」

「みーくんさんのちょっとって、富士山くらいありそうすね」

 

 いや、これは本当にちょっと。なにせ、彼女のベースの技術はお世辞抜きに高い。

 これが中途半端なレベルだったら僕もディアももちろん、ロッティだって誘っていない。

 

「でもなー。うちは普通科ですし、軽音も高校卒業したらやり続けるかどうか……」

「そんななのに、あんなに上手いの?」

「まーこう見えてうちは頑張り屋さんすから。流石に、ガチの天才を前にして才があるなんて言えないすけど」

「天才?」

「いやだって!」

 

 ばん、と机を叩いて彼女は声を上げた。

 

「みーくんさんはぱっと曲を作るわ、ロッティちゃんは一目見ただけで覚えるわ、ディアちゃんはあっという間に歌を完璧に歌い上げるわで、コツコツやってるうちは追いつくので精一杯だったんすからね!」

 

 まあ音楽に関しては携わってきた年数が違うからね。年季の成せる業よ。

 というか、あの二人についていけるだけこの子も自信持っていいと思うんだけど。この子が自分と比べてるのは、名門リーデル家の音楽英才教育を受けた最強の双子なのだから。

 

「そのくせちゃんとこっちが出来るのを待ってくれて、教える時も分かりやすく教えてくれて、優しいかよ!」

 

 そりゃこっちが巻き込んだんだから丁寧に教えるに決まってるじゃないか。そんな声を荒げるほどでもない。

 あーもう、と力なく呟いて、彼女は机に突っ伏した。

 

「愛がピって言うのも分かるすねえ」

「だからそのピって──」

 

 なんなんだ、と言いかけたその時、こちらに駆け寄ってくる知り合いが見えた。

 

「湊っ!」

「どうしたんだ。そんな息荒くして」

 

 その人──ミアは息を切らして、スマホの画面をこちらに向けてきた。

 

「これ、これ見てくれ」

 

 彼女の震える手を抑えて、映っているものを見る。

 ランジュとのトークアプリでのやり取りだ。そこに書かれていた文字を見て、僕は眉をひそめた。

 

「……帰国?」

 

 

 

 

「じゃあ、しおってぃーも突然知らされたの?」

「はい」

 

 早速部室に全員を集合させ事情を説明する。

 

 他の誰でもない、ランジュのことだ。

 フェスティバルが終わってから何も言ってこなくなったと思ったら、今日突然、近いうちに帰国するとだけメッセージが飛んできた。

 それを知らされたのはミアと栞子だけ。

 僕らのほうには誰一人としてそんな話は来ていなかった。

 

「何か、詳しい事情は聞いてませんか?」

「いえ」

「どういうことですかね……しお子にも話さないなんて」

 

 帰国を知らされたミアにも栞子にも、その理由は伝えられていない。ランジュが発したのは一言二言程度で、本当に最低限って感じだ。

 このあまりにも急すぎる事態をまだ飲み込めきれないままだが、とにかく何かしないといけないと感じる。

 

「ミアちゃんは?」

「最高の曲を作ることを条件に、ランジュの帰国を止める約束をしたって」

 

 こんな一方的なのを許すミアじゃない。既に本人に話を聞きに行っている。返ってきたのは、そっけない反応だけだったようだけど。

 でもミアは諦めなかった。押しても引いても頑ななランジュを説得するために、彼女の思う最高の曲を作っている。

 

「湊くんの見立ては?」

「……どうかな」

「珍しいね、みーくんがそんなこと言うなんて」

 

 珍しいも何も、人の心なんてそう簡単に推し量れるものじゃないだろう。ランジュのような人間の心は、特に。

 

「とにかく話をしてみないことにはわからない。ちょっと行ってくるよ」

 

 

 

 

 帰国すると言って、僕たちと連絡も取ろうとしていないが、ちゃんと学校に来て、授業を受けている。

 今までと違うのは、あれだけストイックにやっていた練習をしていないということだ。それに、僕たちを避けるように、休み時間にはふらっとどこかへ行き、授業が終わるとすぐ帰っているらしい。

 そうやって数日。放課後のチャイムが鳴りった瞬間に教室を出て、すぐ帰ろうと校舎を出ようとするランジュを見つけて声をかける。

 彼女は振り返って僕を見ると、毅然とした態度のまま、覇気のない状態で口を開いた。

 

「帰国するってどういうこと……って言いたそうな顔ね」

 

 僕が喋るよりも先に言い当てられた。

 

「言葉のとおりよ。日本でやれることはやりきった。全部出し切ったの。これ以上、ここにいる理由はないわ」

「理由がないだなんて……」

「アナタなら分かるでしょ。あれがアタシの全力。言い換えれば、限界なの。それでもアナタたちには勝てなかった。だから、もういいの」

 

 その言葉に、僕は引っ掛かりを覚えた。似たようなことを聞いたことがあるような気がした。

 自分で勝手に限界を決めて、勝手にいなくなろうとするその態度や言動を、ものすごく間近で見た気がする。

 

「ミアが曲を作ってくれたわ。あの子も私を引き留めようとして、必死になってくれたのね。すごくクオリティの高い曲だったわ。ありがたかった。けど……」

 

 残るつもりはない。口に出さずとも伝わってきた言葉に、僕は頭を振った。

 

「それでいいの? 一番だと証明するんじゃないのか」

「そのつもりだったわ。でも完敗よ」

「らしくないよ」

「そうね。鐘嵐珠らしくないわよね」

 

 ふ、とランジュの顔に陰りが生まれた。

 その姿に違和感を覚えて……そう感じる僕自身にズレを感じた。

 

「とにかく、もう放っておいて」

 

 彼女は僕に背を向けて、遠ざかっていく。

 

「ランジュ!」

 

 呼びかけても、彼女が止まることはなかった。

 

 

 

 

「それで、だめだったの?」

「思いっきり逃げられたよ」

 

 校内に戻って、顛末を璃奈に話す。

 情けないことに何も引き出せなかった僕を、璃奈は気分転換のために屋上へ誘った。

 階段を上りながらお互いの進捗を話すと、どうやら他の人もランジュを引き留めようとしたらしい。結果は、どれも似たり寄ったり。

 

「ランジュさん、頑固だから。お兄ちゃんと同じくらい頑固」

「僕と?」

「一度そうだと思い込んだら、ずっとそう思い込んでる」

 

 人間とはそういうものだ。

 一度定着したものはなかなか剥がれてくれない。良くも悪くも、それが癖や個性となって表れる。

 璃奈の言うそれも、良い言い方をすれば『決意が固い』となるのだろう。

 

 屋上に繋がる扉を開けて外に出ると、まだ落ちそうもない陽の光が飛び込んでくる。

 目を凝らして辺りを見ると、一人先客がいた。

 その人は──ミアは手すりに小さい体を預けていて、どこかへ向けた表情はお世辞にもご機嫌だとは言えず、ランジュとミアの間で交渉は決裂したことが分かる。

 

「あ、ミアちゃん」

 

 とてとてと、璃奈は近づいていく。

 

「聞いたよ。ランジュに曲持って行ったんだって?」

「ああ。でも意味なかった。ボクの最高傑作だったのに、なんの意味も……っ」

 

 歯を食いしばって、手を震わせていた。悔しいというのが体全体から伝わってくる。

 

「ミアちゃん……」

「同情なんていらないよ!」

 

 璃奈が伸ばそうとした手を、ミアは怒号で弾いた。

 

「ボクにはランジュが必要なんだ。いなくなられちゃ困るんだよ。せっかくのチャンスなんだ!」

 

 璃奈が僕を見る。

 怒りと絶望と悲しみと……色々なものがごちゃまぜになってしまっている。

 こういう時は……

 

「だからボクは──」

「確保」

「合点」

 

 僕が指示すると、璃奈は彼女を羽交い絞めにする。

 

「ちょ、何するんだ!」

「連行」

「了解」

 

 

 

 

 屋上から一階へ、そして外に出る。校舎から少し離れた、海を見下ろす公園のベンチまでミアを連れていく。

 さっきよりも当然地面に近くて、その分浮いていた心も地についた感じがする。

 最初は暴れていたミアも、そこに着くころには抵抗しても無駄だと思ったのか大人しくなっていた。

 

「逃げないから、離してよ」

 

 僕は璃奈に頷いて、ぱっと解放させてやる。

 ミアはため息をついて、その場に腰を下ろした。

 

「はい」

 

 途中で購入したハンバーガーを渡す。

 

 興奮して、イライラして、落ち込んで……感情の急激なジェットコースターは、明らかに、まともな生活を送れていない人の反応だった。

 恐らく、彼女の言う最高傑作を作るために寝食を惜しんだのだろう。僕も経験がある。

 ちゃんと寝れていないことで精神が不安定になり、ご飯を食べられていないことでイライラが増し、そこにランジュのことが加わったのだ。

 

 だからとりあえず、彼女の好きなハンバーガーを問答無用で食べさせる。

 本当はエマを呼んで膝枕でもさせてあげたいところだが、こんなもやもやしてる状態じゃ素直に寝てくれないだろう。いざとなったら彼方とともに強制的に夢の世界へ旅立ってもらうが。

 

 目論見通りお腹が空いていたようで、一口食べ始めたら止まらず、そのまま息をつく間もなくがぶりついていた。

 僕らも一緒になって、それぞれ買ったのを頬張る。食べ終わるころには、さっきまでの攻撃的な姿勢は身を潜め、すっかり棘が収まった。

 

「落ち着いた?」

「……うん」

 

 ミアは深いため息をついて、 空を見上げた。

 

「ランジュはさ、ボクを誘って日本までついてこさせたんだ。なのに急に帰るなんて、勝手すぎるよ」

「ミアちゃんは、どうしてランジュさんについてきたの?」

「チャンスだと思ったんだ」

 

 璃奈は首を傾げた。

 

「スクールアイドルが世界的に知られるようになったのは、ボクも知ってる。ランジュのパフォーマンスがあれば、ボクの作った曲がより広まるって、そう考えたんだ。歌えないから、せめて作曲で、ミア・テイラーとして認められないと意味がない」

「歌、嫌いなの?」

 

 ミアは頭を振った。

 

「歌は好きだった。でも、歌えないんだ。だからもう、歌いたいって気持ちなんて捨てた。だから作曲しかなかったのに」

 

 幼いころ、ミアは親の影響で音楽に触れた。そうして、その素晴らしさに感化され、歌うことに楽しみを見出していた。

 当時の歳にしてはとても上手で綺麗な歌声だったと、ある人から聞いたことがある。

 その彼女は、ちゃんと練習も積んで、上達していくことに快感を覚えて、ますます歌にはまっていった。両親とも大層喜んでいたらしい。

 

 ある時、発表の場が設けられた。大きなホールで、ぎっしりと詰められた大人を前に歌う機会を与えられた。

 好奇の目に晒されることはいくらか覚悟していたはずだが、実際に舞台裏から観客席を覗いて、その覚悟が崩れてしまった。

 

 テイラー家の娘の晴れ舞台となったら、その注目度は桁違いだ。会場にいる誰もが、何百を超える大人たちが期待の目で自分だけを見てくる。

 積み上げられたテイラーファミリーという壁が逃げ場をなくし、評価を受けることを強要し、心を圧迫してくる。

 小さな少女が耐えられるわけもなく、恐怖さえ覚えた。その怖さはミアの心を侵食して、歌うという行為自体にすら手を伸ばした。

 そんな経験があって、ミアは人前で歌うことが出来なくなったのだ。

 

「笑っちゃうだろ。テイラーのくせに歌えもしない、曲も認めてもらえない。ボクに価値なんてないんだ」

 

 自嘲する彼女の姿はとても痛々しくて、悲しくて、寂しそうだった。

 したいのに、出来ない。それはとんでもなく苦しいことで、簡単に心を潰そうとしてくる。

 ミアの心は、一度折れてしまったのだ。それでも夢は追いかけてきて、諦めさせてくれない。だからランジュに託したのだ。

 

 今のミアに、僕が出来ることと言えば……

 

「ミア、作った曲聞かせてくれないかな」

「……いいよ。ほら」

 

 渡してきた音楽プレーヤーを操作して、その場で流す。

 学生が作るものとは桁違いで、彼女がネットに流しているものからも頭が一つ抜けている。最高傑作というのに相応しいクオリティで、確かにそれ単体ではこれ以上はないような気がする。

 でもそれを聞いて、中盤くらいから、ああやはりと僕は納得した。

 

「良い曲だよ。僕には作れない」

「だろう? なのにランジュは……」

「ランジュの曲じゃない、とか言ったんじゃないか」

 

 ミアは目を丸くした。図星だったようだ。

 

「良い曲なんだろ?」

「間違いなくね」

「ランジュにとっての、最高の曲だろ?」

「それは違う」

「は?」

「これはランジュの曲じゃない」

「どういうことだよ。ボクには……わかんないよ」

 

 音楽に対する情熱もあり、実力もあり、それに合うプライドもある。でも、どれだけ技術を持っていても、どれだけ大人びてても、飛び級で三年生だろうと、まだ十四歳なのだ。抜けている部分に自分で気づくのはまだ難しい。

 なら遠回しな言い方やきっかけを与える物言いなんかじゃなくて、直接的に伝えるのが僕の役目だろう。

 

「確かにこれは凄い曲だよ。誰が歌っても、きっと評価が貰える。ランジュが歌ったならさらに、だろうね」

「なら──」

「でもこれじゃ、ランジュを、鐘嵐珠を表現していない」

 

 流石、曲のクオリティはランジュの言う通り一級品。しかしこの曲の中にランジュは存在しない。

 ランジュの強さか弱さか、情熱か冷静か、彼女を示すような要素が入っていないのだ。

 その代わりに──

 

「君はきっと、ランジュのことを思い浮かべてこの曲を書いたんだろうけど、この中にスクールアイドル鐘嵐珠はいない。別の人の心が入ってる」

「別の……?」

「君だ、ミア」

 

 そう言っても、彼女は呆けた顔のまま、何を言ってるのかわからないと訴えてくる。

 

「ミア、君は君が思う最高の曲を作ったんだろ」

「そうだよ」

「君が作った、これ以上ない曲なんだよね」

「さっきからそう言ってるじゃないか」

 

 もう答えは出ている。

 僕はそれを直接突きつけた。

 

「それは、君が歌いたい曲なんじゃないのか」

「そんなこと……」

 

 ミアは俯いた。

 気持ちを捨てただなんて言ってたから、自分が歌うための曲を作ったなんて認められないのだろう。

 それはつまり、悪く言えば未練たらたらということ。ミアはそう思ってる。

 だけど僕から言わせてみれば、それだけの熱が残っているということだ。

 ここには確かに君の心が入ってる。どうしても諦められない心が。それを捨てるなんて、もったいないにも程がある。

 

「ミアちゃん。私、ミアちゃんの歌が聞きたい」

 

 璃奈は真っすぐミアの目を見て言った。

 

「怖いと思う。私も最初は怖かった。私にスクールアイドルが出来るか、ちゃんと歌って踊れるか心配だった。でもね、同好会のみんなが力をくれるの。ステージに立つ勇気をくれる。やりたいって気持ちを応援してくれる。ね、お兄ちゃん」

「うん。君が歌いたいと願うなら、それを叶えるのが僕の願い。どうか僕の願いを叶えさせてくれないかな」

 

 怖いのなら支える。たった一人だけという気持ちでステージに立たせることはさせない。

 弱いと言われてもいいじゃないか。それで好きなことが出来るなら、歌えるなら、きっと縮こまって怯えてた時より立派になれたってことなんだからさ。

 

「出来る、かな」

「もちろん。テイラーだとか作曲家だとか小難しいことは取っ払ってさ、とりあえず目の前のファンのためだと思ったら、ちょっとは気が楽になるだろ?」

「まだ何も始めてないボクにファンなんて……」

「いるじゃないか、ここに二人」

 

 僕と璃奈はそれぞれ自分を指差した。

 

「君ならきっとやれる。そう信じているファンに、君の歌を聞かせてくれ、ミア」



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85 僕たちが伸ばす手

「帰国って、今日なのっ?」

 

 エマの驚いた声が部室に響く。

 それもそのはず、息を切らしてここにやってきた栞子が急に、『ランジュが今日帰国する』のだと伝えてきたからだ。

 

「はい。もう空港だと思うんですけど」

「早ク追いかけないト!」

 

 息を整えながら、どうしたらいいか分からないというように視線を右往左往させる栞子の肩を、ロッティが揺らす。

 僕も賛成。せっかくミアもこちら側に来たというのに、ランジュだけを手放すわけにはいかない。

 それにまだ、僕も栞子もミアも、伝えたいことを伝えきっていない。

 

「侑、ミアの様子は?」

「まだもう少しかかるから、ランジュちゃんを引き留めてほしいって」

 

 ミアは今、ランジュに聞かせるための曲を作っている。同好会みんなで協力した曲だ。あと少しで完成するはずのそれを披露せずして終われない。

 

「ランジュちゃんを見つけなきゃ」

 

 歩夢の言葉に、みんなが頷いた。

 

 

 

 空港の展望デッキには寒い風が吹いていて、朝からコートを引っ張り出してきたのは正解だと感じる。

 そこに、彼女はいた。

 たった一人で佇んで、星か飛行機が発する光か……あるいはその隙間を埋め尽くす闇を見上げていた。

 

「ランジュ!」

 

 間には遮るものは何もない。

 栞子の悲痛な叫びは、風に吹かれるランジュに届いた。

 

「栞子……」

 

 振り向いた彼女は、 僕たちに気づいて目を丸くした。

 

「一体、何なの?」

「少しだけ、時間をくれないかな」

「ミアがあなたのために曲を作ってるわ」

「悪いけど、どんな曲を作ってきても、答えはノーよ」

 

 必死に説得しても、ランジュは頭を振るだけだった。

 

「言ったでしょ。全部やりきったの。未練はないわ」

 

 誰の目から見ても、嘘だと分かる。

 彼女は今にも泣きだしそうな暗い表情で、僕たちとは目を合わせずに下を向いている。

 普段の自信満々なのも素であるだろうが、こちらもランジュなのだろう。強がっても強がりきれない女の子。

 素直になれない普通の女の子。

 

「ショウ・ランジュが、それでいいのか」

 

 答えたのは、ミアだった。

 どうやら間に合ったみたいで、肩で息をしながら近づいてくる。

 すれ違いざま、目で、任せてと訴えてくる。僕は従って、一歩下がった。

 

「ボクはずっと思ってたよ。ショウ・ランジュほどパーフェクトなやつはいないって。歌もパフォーマンスもプライドも努力も嫌味なくらい全部。そんなやつが本当の夢には手を伸ばさず、諦めて帰ろうとするなんて、らしくないだろ」

「たとえどんな曲を作ってきても、私には──」

「これはキミの曲じゃない」

 

 手の平に収まる音楽プレーヤーを差し出しながら、ミアはさらに距離を詰めた。

 

「ボクもずっと、手を伸ばせずにいた夢があった。でも諦めるのはもうおしまいにする。キミと違ってね」

 

 痛いところを突かれたランジュが目を伏せる。

 

「歌が好きだったのに、自信がなくて目を逸らしていた。でも教えてもらったんだ。スクールアイドルは、やりたい気持ちがあれば、誰でも受け入れてくれる」

 

 ちらりと僕と璃奈を見て、彼女はまたランジュへ向き直った。

 

「だったら、ボクの手もきっと届く。ボクは夢を掴むよ」

 

 ずいっと音楽プレーヤーを押しつけてくるミアに根負けして、ランジュはそれを受け取った。

 再生ボタンを押した直後、はっと目を見開く。

 美麗な歌声から始まるその曲は、一度ランジュに聞かせたものを再構成したものだ。が、受ける印象は全く違う。

 ミアが作り、ミアが歌う、ミアの理想の歌。

 

 閉じ込めていた星への憧れ。廻り廻って、それはまた輝きを放って自らを動かす。

 一度は追うことを諦めてしまった星、遠くで輝くそれをもう一度追いかける。自分の手でそんな思いが歌詞にもメロディーにも含まれている。

 その星が何を指していて、ミアがどうしたかは、伸び伸びと楽しそうな声で分かるだろう。野暮なことは伝えなくても、ランジュなら理解してくれる。

 今のミアは、人に歌を託すだけの少女じゃない。ここにいるみんなと同じ、自分を伝える表現者だ。

 

 曲を全て聞き終わってからも、ランジュは動けずにいた。その目は先ほどまでとは違って、揺れて、動いて、潤んでいる。

 けども……

 

「ランジュ……」

 

 栞子が声をかける。しかし、ランジュは涙を留めて、ふるふると首を振った。

 

「ランジュ、私はあなたと一緒にスクールアイドルをやりたい。私と一緒にステージに──」

「無理よ!」

 

 ついには涙を流して、ランジュは叫んで言葉を遮る。

 

「無理なのよ。アタシは、誰とも一緒にいられないの。昔からそうなの。仲良くなりたいと思うのに、どうしても上手くいかない」

「そんなことは……」

「栞子だけよ、アタシと友達になってくれた人は。他の人はみんな、始めはよくてもだんだん遠巻きになって離れていった」

 

 孤高だと思っていた。僕も周りもみんなそう思っていた。

 実際、ランジュはそういう風に振舞っていたから誤解してた。スクールアイドル鐘嵐珠は高みへ一人で登る人なのだと。

 だけど違う。ランジュの本音はそうじゃない。孤高、などではないのだ。

 

「独りだったんだな、ランジュ」

 

 誰かに似ていると、ずっと感じていた。その誰かは、自分の方向性を貫こうとしたせつ菜やかすみであり、何が出来るかと模索していた愛やエマであり、強さを表した彼方や侑であり、素直になれずに仮面を被ったしずくや果林であり、自分を押し殺した璃奈や歩夢であり、そして僕でもあった。

 

「ずっと気にはなってたんだ。君は何故そんなにも独りでやろうとするのか。それを理解するのが遅れたせいで、あと一歩で君を帰すところだった」

 

 自分を誤魔化して、一人でいることに理由をつけて正当化した。

 でも、独りを望んでいたわけじゃない。決して、孤独を感じていたいわけじゃなかった。

 

「ソロだけなのかと思ったらユニットも組んで……あなただってそうよ、ランジュの誘いは断るくせに引き込もうとして……あなたは、あなたたちは一体何がしたいのよ!」

 

 何も分からないというふうに、彼女は首を振って、涙を浮かべて、その場にしゃがみこんで、顔を覆った。

 その姿は実際の彼女よりもずっと小さく見える。

 僕も膝をついて、ランジュへ言葉をかけ続ける。

 

「やれることと、やりたいこと」

 

 前にもそう言った。僕の、僕らの、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の方針。

 

「僕らは決めたんだ。自分たちの中にある夢から目を逸らさずに、追いかけ続けるって」

 

 無理にグループで活動するでもなく、ラブライブに出るでもなく、ただひたすらにやりたいことに手を伸ばす。

 ユニットで踊ったりするし、他の高校とも合同ライブをしたりするのは、傍から見ればブレているのかもしれないけど、その中身はずっと真っすぐ正面を向いている。

 やりたいことを、やりたいままに、力の限りやる。それを願う人の夢も叶える。僕らはそんな人間の集まりで、スクールアイドルフェスティバルは夢を持つ人の背中を押す場所だった。

 

 実際、それは叶った。

 五校のスクールアイドルは百パーセントを見せつけ、三船さんもスクールアイドルとなり、侑も自分の納得する曲を作り上げた。

 

 だけど全部は叶わなかった。ミアも混じった打ち上げに、ランジュだけは混ざらず、交わらなかった。

 あの時には既に、ランジュは殻に閉じこもっていた。

 そうやって、意固地になってしまった人を何人も知っている。

 かつてのかすみもせつ菜も愛も、エマも璃奈も彼方も、しずくも果林も歩夢も、侑も栞子もミアも、そして……僕も。

 悩んで苦しんで、それでもみんなで手を取り合った。独りでいる寂しさを知っているから、誰もがみんなを独りにさせなかった。

 

 ランジュもまた、独りでいることに寂しさを覚える一人の少女だ。

 そんな彼女を、僕は、僕らは独りにできない。

 

「求めるものはここにある。それでも迷うなら、僕を信じてほしい」

 

 強引に彼女の手を取る。

 

 僕は彼女のことを見誤った。強く気高い女性だと決めつけてしまっていた。表で見せる姿と本心が違うなんてこと、分かりきっていたはずなのに。

 閉じ込められているランジュの心を、そっとノックするつもりで語りかける。

 

「きっと、答えを教えてあげられるから」

 

 夜の風に当てられ、すっかり冷たくなった彼女の手に、僕の熱が移る。

 頑固なランジュには、これくらいこっちも意地で返さなきゃいけないだろう。強い彼女が認めた僕たちが、弱い彼女を彼女自身から守る。それくらい自惚れなきゃ。

 

「なんでそこまで私に構うのよ……」

 

 どうして、と僕も自問自答し続けた日々があった。

 僕も、一人でいるべきだと考えて悔いのないようにやるだけやって、最後は去ろうとした。みんなのことを突っぱねもした。

 でもどうやっても、僕を引っ張り上げてくる手は離れなかった。それどころか、どんどんと増えて、いつしか沈んでいくのが難しくなるほどにまでなっていた。

 

 どうして。

 その答えはもの凄くシンプルで、でも口に出してくれなきゃ分からないくらい難解なこと。

 

「友達だから」

 

 ランジュが認めなくても、僕はそう思う。

 切磋琢磨して、一緒に東京観光したりスクールアイドル展に行ったり、文化祭を共に盛り上げたり……これで友達じゃないなんて言うほうがおかしい。

 そしてその友達が泣いているのだ。どうにかしたいと思うのは当然だろう。

 

「ランジュ、君は僕たちの仲間でライバルで、友達だ」

 

 ゆっくり、ランジュがその意味を噛み砕けるように言う。

 

「そうだよ。じゃなきゃ、こんなところにまで来ないさ。それに、ボクを巻き込んだのに、勝手に出ていくなんてさせないよ」

 

 ミアが手を伸ばした。ランジュの空いていた手を掴む。

 僕らは同時に引っ張り上げて、縮こまっていたランジュを立たせる。

 

「……いいの?」

「良いか悪いかじゃなくて、僕は、僕たちは君にいてほしいと思ってる」

 

 元からずっと、みんなそう思っていた。彼女が僕たちの輪の中にいたなら、どれだけ心強くどれだけ刺激的かと。そうじゃなくても、ただの友人として一緒にいたい。

 

「アタシ、めんどくさいわよ? 空気も読めないし、みんなを置いてけぼりにしちゃうかもしれないし……」

「オイテケボリなんテ、ワタシに追いついテかラ言ってネ!」

「まだわたしたちを越えてもないのに、やりきったって言われるのは心外」

 

 にっと笑いながら、ロッティとディアが答える。

 

「ま、こんな感じで、君のめんどくささなんて序の口なメンバーが揃ってるんだ。それで僕らが怖気づくとでも思った?」

 

 どれだけ離れようとしても、絶対に離してなんかやらない。しつこいぞ、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は。なんたってこの厄介な男を仲間にしたくらいなんだから。

 

「ランジュ、怖がることはありません。同好会の方たちは、誰であっても夢を追う人の味方になってくれます」

 

 栞子がそっと、ランジュの頬に触れる。

 僕とミアに手を塞がれている彼女には抵抗する術はなく、また抵抗する気もなく、その手を甘んじて受け入れた。

 きっとその手は、冷たくも温かいのだろう。憑き物が落ちたようなランジュの顔を見れば分かる。

 

「私ともう一度、最初から始めましょう」



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86 虹ヶ咲学園スクールアイドル:ミア・テイラー

「では改めて……」

「スクールアイドル同好会へようこそ!」

 

 新しく入部することになった栞子、ミア、ランジュを部室に迎えて、みんなで拍手。

 一学期と同じような騒動もあり、感覚的には半年以上経ったんじゃないかと錯覚するくらい濃密だった。が、 栞子が自分から目を逸らすこともなく、ミアは歌を人に届けられるようになり、ランジュも帰国せずに僕らと活動。最終的には丸く収まった。

 

「こんなに歓迎されてるなんて……なんだか変な気分だわ」

 

 今まで一人でやってきたからだろう、こんな大人数に迎え入れられるのは、ランジュにとって異様らしい。

 いきなり慣れろ、なんて言わないから徐々にでもこれが当たり前になってくれたらいい。

 

「同好会のみなさん、まだ分からないことばかりですが、どうぞよろしくお願いします」

「そんな堅っ苦しくなくてもいいんじゃない?」

「そういうミアちは、前から同好会にいるみたいだけどね~」

「み、ミアちはやめろよ」

 

 愛がからかうのを、ミアは恥ずかしげにしながら止める。以前だったら『先輩だぞ』とクールに言ってたのが嘘みたいだ。

 

 さて、新人を迎えて、我が虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は総勢十六名。一年生が六人、二年生が五人、三年生が五人となったわけだ。

 Alpheccaの二人が入ってきた時点でも各学年の人数バランスは良かった。今回はそれぞれの学年に一人ずつ入ったから、そのバランスは崩れない。

 男女比はだいぶ傾いてるけど。スクールアイドル同好会だから女の子が多くなるのは当然だけど、段々と肩身が狭くなってくるねえ。

 

「あの部長、入部届を提出したいのですが……」

 

 栞子がおずおずと名前を書いた入部届を差し出してくる。

 

「僕じゃないよ」

「そうなのですか? では……」

 

 続いて、栞子はせつ菜と侑を見る。

 それを見て、僕は苦笑した。一番最初にステージをお披露目したうえに生徒会長のせつ菜、裏方で活躍を見せる侑、この二人は基本的に対外交渉も多く行っているため、同好会代表として見られることも多い。栞子が間違えるのも無理はない。

 

「私でもありません」

「あ、部長はね……」

「この同好会の部長は、この中で一番人気があって実力があって、とびきり可愛い子ですよっ」

 

 答えたのは真の部長であるかすみ。だがランジュはきょとんとして……

 

「え、ランジュ?」

「んなわけないだろ」

 

 ミアにツッコまれていた。

 

「湊さんも侑さんも部長ではないのですね」

「というか、部員になった順番としては、僕は新しいほうだからね。十一番目」

 

 驚いた顔をされた。

 まあその気持ちは分かる。が、僕が正式にここの一員になったのは第一回スクールアイドルフェスティバルが終わってからなのだ。

 

「同好会の部長はかすかすだよ」

「かすかすじゃありません! ていうか部長はかすみんですけど、かすかすって呼ばないでください」

「きゃんきゃんうるさいなあ、子犬みたいだ」

「こ、子犬……かすみんは子犬でもありません! がるるるる……」

「まあまあ」

 

 そういう仕草が子犬っぽいんだって。しずくに宥められるのも含めて。

 

「もう、こんなんじゃ先が思いやられます……あ、そうだ! ねえ、しず子ん家って広いよね。みんなで泊まれる?」

「え、あ、うん。大丈夫だよ」

「みーなさーん。今度の連休は、同好会のみんなで親睦を深めるために、お泊り会を開いちゃいましょう!」

 

 しずくの返答を受けて、かすみは高らかに宣言する。

 何を企んでいるかはともかく、その提案は楽しそうだ。みんなも空いているみたいで、断る人はいなかった。

 

 いやしかし、即答するなんてよっぽどの豪邸なんだろうなあ。だって、彼女自身を除けば十五人だぞ。

 

 

 

 

「へえ、こういう音の重ね方もしてるんだ」

 

 音楽室で、僕とミアは椅子を並べて一つのノートパソコンを見ている。

 他の学校のスクールアイドルの楽曲だったり、僕が今まで作ってきたものを彼女に聞かせているのだ。

 その横顔をちらりと見れば、綺麗ながらもまだ幼さの残る顔で真剣に画面に見入っている。

 

 ミア・テイラー。

 その天性と努力によって磨かれた音楽センスは、この時点で僕より数段上だ。

 既に世間から認知されてる通り、作曲においては学校に通う必要もないくらい上手。また、歌声は年相応の幼さを残しつつも、大人顔負けの綺麗さを誇る。

 アーティストとしてはもう一流なレベルだが、スクールアイドルとしてはまだまだ新人。日本のアイドルやアニメの曲に見られるような特徴はまだ掴み損ねているらしく、僕が教えているのだが……

 

「そんな近くなくてもよくないか」

 

 机を二つ並べて、その真ん中に僕のパソコンを置いてるのに、彼女はわざわざ僕のほうへ椅子と身を寄せてきていた。

 

「差別するの? 璃奈はいつもこれくらい近づいてるって」

「璃奈に聞くのはずるいだろ。妹なんだから」

 

 かすみとロッティに聞くのも禁止。あの子たちもほとんどゼロ距離だから。

 

「それに、最初に言っただろ。湊をボクの隣に置くって」

「こんな物理的な意味だとは思わなかったよ」

 

 ランジュが僕を勧誘しに来た時、ミアも彼女に賛同した。

 その時は、スクールアイドルをよく知る者としての補佐というつもりで聞いていたんだけど。

 

「湊は、イヤ?」

「……果林だな」

「こう言うと湊は断れなくなるって」

 

 まーた変なこと教えてる。教育に悪い。別にそんなことしなくても、やってほしいことがあるなら叶えるのに……無茶なものじゃなければ。ちなみに果林のお願いは大体無茶。

 十四歳とはいえ、既にその美少女っぷりは同い年の中でずば抜けているだろう。それが果林のような色香まで出し始めたらと思うと……末恐ろしい。

 

「スクールアイドルについてだったら、侑もせつ菜も詳しいから訊いてみるといいよ」

「ベイビーちゃんもせつ菜も、早口で迫ってくるからやだ」

 

 オタクあるある。好きなものを語る時に喋るスピードが爆上がりする。

 特にあの二人にスクールアイドルを語らせたら、いつまでも喋ってるからなあ。どんだけチェックしてるんだと。

 侑が音楽科に入って間もないのに作曲できたのは、ひとえにその情熱があるからだろう。

 そういう意味でもミアはまだまだ新参者。追いついてくるにはまだ時間が必要だ。

 

 しかし放っておくのはあまりよろしくないだろう。

 この前、ランジュを引き留めるための曲を作っている間、寮に引きこもってエナジードリンクとコーラ、パワーバーで済ませていたという報告を受けている。

 今は同じ寮住まいのエマが気にかけてくれているようで改善はされているが、染み付いた習慣がそう簡単に変わるわけもなく、目を離すとすぐに偏ったものに手を出すらしい。

 食に関心がないみたいで、とりあえず腹を満たせればそれでいいという考えっぽい。外に食べに行くと思えば、好物のハンバーガーしか口にしないようだし。

 

 ……ふむ。

 

 

 

 

「彼方ちゃんと」

「天王寺湊の」

「愛情クッキング~」

「いえーい!」

「待ってましたー!」

「ヒューッ!」

 

 家庭科室。エプロンに着替えた僕と彼方を、侑・愛・ロッティが囃し立てる。他のみんなもぱちぱちと拍手。

 ただ一人ミアだけが『は?』と言いたげに口を開けている。

 

「さて今回はハンバーガーを作っていこうと思うんだけど、僕は作ったことないなあ」

「彼方ちゃんはあるよ~、授業でね。ばっちり任せておきたまえ」

「じゃあ早速作っていこうか」

「レッツクッキング~!」

「おい」

 

 流石に看過できなくなったのか、キッチンの向こう側、みんなが座っているその中心でミアが声を上げた。

 

「なんだよ、この茶番は」

「え~、せっかく楽しませようとしたのに」

「料理するのをただ眺めてるっていうのも暇だと思って」

「そういうのいいよ。あ、まさかこの様子をどこかで撮ってるんじゃ……」

「撮ってたらこんなことしないよ」

「撮ってないのにこんなことしてるほうがおかしいだろ」

 

 そうかな。そうかも。

 

「栄養とか大丈夫なのかしら? あまり偏るようなら、少し遠慮したいのだけど」

「いい質問ですねえ、果林ちゃん」

 

 なにキャラか分からないけど、ぴしっと人差し指を立てて彼方が答える。

 

「ハンバーガーは結構栄養バランスが良いんだよ。三大栄養素と言われる炭水化物、たんぱく質、脂質に加えて、野菜もちゃんと入れることでビタミンやミネラルとかも取れるんだ~」

「一般に栄養が悪いってイメージがあるのは、店で売ってるのは保存料とか着色料を使ってるとか、濃い味にするために色々カロリーの高いものを入れてたり、あとサイドメニューが揚げ物が多いっていうのもあるだろうね」

 

 ようは、入れるもの次第ってわけ。鍋と同じだ。

 へえ~とみんなは頷く。

 

「肉は全てを解決するってわけね!」

「野菜もちゃんと入れるって言ってただろ……なんだかランジュのIQが下がってる気がする」

「大丈夫。ここに入ったらみんなIQ下がるから」

「大丈夫な要素ゼロじゃないか」

 

 元からIQ下がってる人もいるけど。

 

「なんですか。なんでかすみんを見るんですか」

 

 いやなんでもないよ、なんでも。さぁて、お兄ちゃん張り切って作っちゃうぞ~。

 

「ところで、ミアちってみーくんと同じクラスなんでしょ?」

「そうだよ」

「ちゃんと馴染めてる?」

「……まあまあ」

「最近はしぶしぶって感じでみんなとも喋ってるよ」

 

 テイラー家であり新人スクールアイドルにもなった彼女を、音楽科のミーハー集団が逃すわけもなく、特にここ数日は休み時間になるたびに引っ張りだこ状態だ。

 助けて、という嬉しい悲鳴を聞かないふりして、いつも見送ってる。

 

「でもやっぱり湊とが多いけどね。前と後ろの席だから」

 

 ふふんとミアが胸を逸らす。

 

「ずるい」

「ね、私もミアちゃんと湊さんと音楽トークしたいのに」

 

 同じ音楽科であるディアと侑が口を尖らせる。音楽の話なら部室でもしてるし、帰った後も通話アプリでやり取りしてるのに、まだ足りないのかこの子らは。

 

 これだけの人数が集まると、共通の話題を持った者が多くなる。

 先ほどの音楽もそうだし、例えばせつ菜や璃奈はアニメトークで盛り上がる。ミアとランジュが加わったことで、外国人から見る日本の話もよく聞く。

 

「最初に比べると、人数も増えてきたね」

「かすみんとしず子、せつ菜先輩に、エマ先輩と彼方先輩と湊先輩だけでしたからね」

「もっと言えば、一度解散したから、再スタートは僕とかすみだけの状態から」

「解散?」

 

 ランジュが首を傾げる。ミアと栞子も。その反応に、僕らは一斉に「あー……」と口を揃えた。

 

 

 ……

 …………

 ………………

 

「そんなことが……」

 

 代表して璃奈が今までのことを説明し終わると、栞子はおそるおそる僕へ目を向けた。

 

「湊さん、きっと今も──」

「出来た、綺麗な真っ平パティ」

「すご、お店のやつみたいじゃん!」

「湊くん上手~」

「これミアの分ね」

 

 そんなことはともかく、五個目にして思った通りの形を作れて、僕は悦に入る。

 それを一旦お皿に乗っけると、呆気にとられた新人三人と目が合った。

 

「こっちセンチメンタルな気分だったのに」

「そりゃあ昔はいっぱいいっぱいだったけど、もう『色々あった』くらいにしか思わないから」

 

 相当傷ついたことは確かだ。けどそれを帳消しにして過去にするくらい、今が楽しい。そう思わせてくれるのはみんながいるから。

 せっかくこんな輝かしい毎日があるのだ。過去を背負うのは変わらないけど、引きずるのはもう止めにしたのだ。

 

「どうしたの、せつ菜ちゃん?」

「いえ、その、『色々』の発端が私だったことが多いなあって思いまして……」

 

 歩夢に訊かれて、せつ菜はしゅんと顔を俯かせる。

 

「気にするなとは言わないけど、でも僕の言ったことに偽りはないよ」

「……『素敵に成長している』ですよね」

「そんなこと言ったの!?」

「相変わらず、隙あらば口説くんだから」

「口説いてないって」

「それはそれで問題なんだけどね」

 

 口説いてないなら問題なんてないじゃないか。僕はあくまで、その時思ったことを素直に言ってるだけ。

 

「ところで、ロッティはさっきからだんまりだけど、大丈夫なのか?」

「ロッティは肉を目の前にするとそっちに意識が集中する」

「獣みたい」

 

 そう。いつもならマシンガンのように絶え間なく喋るロッティは、今ひたすらに僕が肉を焼く様子をじっと見てくるのだ。

 ここで手を出したり急かしてこないあたりは、リーデル家の教育が行き届いてる証だ。とはいえあまり焦らしても良いことはないし、手早く済ませよう。

 

 肉にレタスにトマト。スタンダードにまとめて、バンズで挟む。

 人数が多いから作るのも少し手間取ったけど、ロッティの忍耐が決壊する前にはみんなの手に行き届いた。

 僕たちも腰を落ち着けて……

 

「それでは……」

「いただきまーす!」

 

 良い匂いを充満させていたせいで我慢できなくなったみんながかぶりつく。

 僕も一口。

 彼方のつけてくれた下味が支える肉と、瑞々しいレタスのシャキシャキとした食感とトマトの酸味が程よく噛み合って、しつこさを感じさせずに流してくれる。

 

美味しい(lecker)!」

 

 半分以上食べ終わって、ロッティがやっと言葉を発する。

 よほど美味しかったようで、隣のエマと幸せそうな笑みを浮かべた。

 

「凄い食べっぷり……」

「ミナトとカナタのハンバーガーって聞いテ、お菓子ガマンしてタ!」

 

 みるみる間に一つを食い尽くしていくロッティ。普段運動してるから基礎代謝が高めだし、いつも全力だからお腹空きやすいんだろうなあ。

 

「きゃあっ、凄いわ! お店のって言われても分からないくらいよ!」

「柔らかくて肉汁が溢れてきて……ボーノ♪」

「あまりこういうのは食べてきませんでしたが、こんなにも美味しいのですね」

「栞子ちゃんもお兄ちゃんと彼方さんの料理にハマったら、外で何も食べられなくなるよ」

 

 口々に褒められて、彼方と僕は顔を見合わせて笑顔になる。

 

「焼き方にもコツがあってね、ただ油を引いて焼いて~だけじゃないのだよ」

「流石、フードデザイン学科だね」

 

 料理の腕は、やっぱり全然敵う気がしないなあ。遥さんがどんどん上達しているらしいのも頷ける。

 

「ミアさんもすっかり虜みたい」

「そ、それはキミもそうだろ」

 

 指摘されて、顔を赤くするミア。彼女のみならず、栞子もランジュももうすっかり同好会の一員って感じだ。

 同じ釜の飯……ではないけど、一緒にご飯を食べれば、大抵距離は縮まるもの。

 

 三人の歓迎会が成功に終わったことは、彼女たちの笑顔が証明してくれた。



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87 両手に花じゃすまない

「よぉし、これで全員ですね」

 

 キャリーケースを傍らに置き、点呼を終えたかすみがうんうんと頷く。

 

 以前言っていた通り、今日はしずくの家へみんなでお泊りする日だ。

 それだけでなく、せっかく全員揃うなら早めに集まって一緒に遊ぼうということで、朝から横浜に集合していた。

 

「両手に花……どころじゃないわね。両指に花よ、湊」

「君たちを表すのに花で足りるならね」

 

 男子一人に対して女子十五人。傍から見たらどういうふうに映るか。とんでもなく羨ましいと嫉妬されるだろう。しかもそれらが今大人気の虹ヶ咲学園のスクールアイドルとなればなおさらだ。

 ランジュは僕の言葉に眉を顰め、そのまま一年生のほうへ振り向いた。

 

「こういう人なんです」

「ミナト、マジで気を付けたほうがいイ」

 

 かすみもロッティも指差してくる。

 

「なんだよ、僕変なこと言った?」

「こういう人なんです、ほんとに」

「心臓を撃ち抜いてきた回数は、それこそ両手じゃ足りないくらいね」

 

 心臓? 生徒会副会長の脳を破壊したらしいことくらいしか覚えがないけど。

 

「湊先輩は、目を離したらすぐに女の子口説いてますからねえ」

「そんなに?」

「口説き文句でかるた出来るくらい」

「それも二セット」

 

 一枚も出来ません。

 

 さて、最初に何をするかと言ったら、ショッピングだ。

 この近くにはバラエティに富んだ店がたくさんあり、商店街なんかもある。

 しかし、こんな大勢で一斉に店に入るのも迷惑になるので、何組かに分かれることにした。

 

「じゃあ、誰が湊くんと一緒に回るか、勝負ね」

「よし、じゃんけんで決めよう! 恨みっこなしね」

「もちろん。けどわたしが負けたら、勝ったやつを呪う」

「恨みっこありじゃん!」

 

 

 

 

 寒気を吹っ飛ばしてしまうほどの激戦が終わった。その後、元から仲の良かった者たち、まだあまり深くは話したことはない者たち、普段は見ないような組み合わせなど、各々好きに組む。

 他の組が去ってから、僕らも行動を始める。

 

「あっちは土地勘のないミアに、迷子癖の果林……か」

「大丈夫。果林さんにはちゃんとGPS付けてる。エマさん発案」

 

 他のグループを心配する僕へ、璃奈はピースサインを向ける。

 こちらは僕、璃奈、歩夢、愛の四人組。ファッションに興味がある彼女たちに行く先を任せ、僕は後ろからついていく。

 

「だから今はデートに集中っ」

「デート、ねえ」

「でもこうやって──」

「分かってるよ。男と女が一緒に出かければそれはもうデート」

「認めるんだ……」

「というか諦めと開き直りかな」

 

 真実はどうあれそういう気持ちでいたほうが楽しいのも事実だ。少なくとも、名目上はデートということで問題はなかろうて。

 それに、愛に何言っても無駄なのはもう分かりきってるし。否定否定のツッコミだらけだと、今日は特に人数が多いのだから疲弊してしまう。

 丸くなったというか寛容になったというか、毒されているというか。自覚できるくらいに変わっていっているなあ。

 それは僕だけじゃなくて……

 

「……?」

 

 歩夢をじっと見ていたら、首を傾げられた。

 

「歩夢が侑と一緒にいないところを見るのは、なんだか新鮮に思えて。一学期のころは、歩夢と侑はなんていうか、セットみたいな感じだったから」

「そんなに?」

「そんなに」

「うーん……?」

 

 さらに顔を傾ける彼女に、僕は苦笑した。

 

「離れるのを許さないレベルで近くにいたからね。今思えば、かすみが侑に抱き着いたりしてる時に凄い顔をしていたような気も」

「してないよぉ」

「音楽のことでお兄ちゃんが侑さんを独占したの恨まれてそう」

「ありそう」

 

 侑が音楽科に入ろうと頑張って練習していた時だけで言えば、一番同じ時間を過ごしたのは僕だろう。ひけらかすつもりはないが、盗られたと思われても仕方あるまい。

 ……というようなことを冗談交じりに言ってみると、目を逸らした。

 

「な、ないよ……?」

「あるじゃん! これあるよ、みーくん!」

「土下座までだったら覚悟出来てる」

「もー、からかわないでよぉ」

 

 いつ見ても歩夢の怒る姿はなんか笑ってしまう。怒り慣れていないからか、精一杯頬を膨らませる姿はまるでリス。あゆぴょんに続いてリスである。多彩だね。

 

「で、寂しかった?」

「寂しかったのは確かだけど……侑ちゃんが離れていきそうで」

「ないな」

「ない」

「ないでしょ。全然想像できないって」

 

 僕たちは三人で口々に否定する。

 侑が歩夢から離れるなんて、あり得ないと言ってもいいほどだ。

 普通科から音楽科に行った後だって、二人の様子は全く変わらず、むしろ近くなっている。

 歩夢がスクールアイドルになるのを侑が応援して、侑が音楽に携わることを歩夢が応援して、お互いの夢を尊重しながら負けじと成長し続けている。仲間でライバルというのはここにも存在していた。

 

「近すぎて見えないってことなのかもね。意外とそういうのは第三者のほうが分かるのかも」

「そうそう。みーくんとりなりーみたいに、もう切っても切れない関係なんだって」

「そう。愛と川本さんみたいにね」

 

 近くにいすぎて当たり前になってるから、絆が深いことに気づかないなんてことはざらにある。

 相手を大切にしていれば、別にそれは悪くないものだ。

 

「みんなとも、そういう関係になれたらいいな」

「りなりー可愛すぎっ!」

「いいなあ、私、璃奈ちゃんのお姉ちゃんになりたかった」

 

 ふふん。

 

「みーくん、またシスコンが出てるよ」

「出してるんだよ」

 

 みんなが可愛い可愛いという璃奈の兄は僕なんだから。そりゃ誇らしくもなりますよ。

 

 数分歩いたところで、目についたお店に入る。帽子屋だ。

 服屋の一コーナーとかでちらりと目にすることはあるけど、こういった専門店は初めて。

 それほど広いわけじゃないけど、所狭しと様々な種類のものがある。時期柄だろうか、ニット系のものが推されている。

 

「これ、歩夢さんに似合いそう」

「わ、可愛い」

 

 歩夢は、璃奈から手渡されたニットベレー帽を試しに被る。元から着けていたみたいに自然だ。

 ふわふわしてるものって、歩夢に合う。A・ZU・NAの衣装であるアニマル系のも違和感なかったし、今度もっこもこの全身毛皮衣装とか提案してみるのも面白そうだ。

 

「歩夢って、正統派って感じで可愛いよね」

「そうだね。君も、元々アイドルやってなかったのが信じられないくらい可愛いよ」

 

 モデルの果林と並んで全く負けないというのが凄い。ネットでは、ネタとして『Diver Divaの美人なほうってさ……』とか『Diver Divaのスタイル良いほうのファンなんだが』みたいなのに、いやどっちやねんとツッコむ流れが出来ている。 

 

「みーくんって、そうやって簡単に可愛いって言うよね」

「だったら何て言ったらいいの? そういうので嘘は言えないよ」

「ほんとに、そういうさあ……もうちょっと言うのを控えるとかしようよ」

「控えてるよ」

 

 そう言ったら、愛はのけ反りそうな勢いで濁点付きの驚きの声を上げた。

 本当だったら、何がどれだけ可愛いか美しいかという話を半日くらい話し続けたいところだ。だけど、僕がそんなことやったら気持ち悪いだろう。だから、こうやってちょっと言うだけに留めているのだ。

 

「……やっぱりみーくんはそのままでいいや」

 

 

 

 

「ボーノ♪」

「おいひい」

「あまあま」

「君たち、よくこんな寒い日にアイス食べられるね」

 

 集合時間ちょっと前に、あらかじめ決めておいた場所に着いた僕らは、その後すぐにやってきたエマたちと共に他のメンバーを待っていた。

 その間、近くのアイス屋で注文したエマ、璃奈、ディアを横目に呆れる。

 もう長袖どころかコートまで着込んでくるような季節なのに、なんでアイスを……と思ったが、冬にアイスというのは意外に人気なようで、店に入っていく人は多い。

 それでも、屋内で食べるならまだしも外で食べるのは理解できないけど。

 

「湊くんも食べる?」

「いいよ。お腹壊しそう」

「美味しいから大丈夫だよ?」

 

 美味しいのとお腹壊すのは関係ないのでは?

 そうやって待っていると、みんなどんどん集まってきて、最終的にほとんどが時間通りに到着したが……

 

「果林とミア、来ないな」

 

 時間を過ぎても、やはり懸念した通りの二人がいない。予想していた展開に、少しため息をつく。

 

「ここは部長のかすみんに任せてくださいっ」

「大丈夫。果林さんにGPS付けてるから」

「えっ」

 

 璃奈はスマホを取り出すと、画面を向ける。映されているマップには、僕らがいる地点ともう一つを点で指し示していた。遠いとはいえないくらいの距離だ。

 

 その場所は野球場。

 まだまだ試合が始まる時間は遠いから周りに人はいない。そんな入口前に、目当ての人物はいた。

 

「こんなところに……おーい、果林、ミア」

 

 呼びかけながら手を振ると、僕らに気づいた彼女たちはほっと胸をなでおろした。

 

「湊くん、助かったわ。ここがどこかわからなくなっちゃって」

 

 目の前に大きな野球場があるのに、どこか……か。まあ、そんな簡単に解決するようなものなら迷子にならないか。果林のこれはもうそういうものと捉えるしかない。

 

「それにしても、よく見つけられたね?」

「まあ……そうだね……勘かな」

 

 まさかGPS付けてましたとは言えず、僕は曖昧に答える。

 

「ぐぬぬぬ」

 

 ちゃんと合流できた、というのにかすみだけ悔しそうな表情をしている。

 どうしたの、と訊いてみると……

 

「かすみんの名推理で見つけ出すはずだったのに……」

「それはまた今度聞かせてもらうよ。とにかく見つかったんだからそれでいいだろう?」

「でもぉ」

 

 納得してない様子の彼女に、僕は首を傾げた。

 

 

 

 

 場所を移動して、ここは芝生が広がる公園。

 かすみ特製の旅のしおりには、この時間にやることとして『スポーツで連帯感アップ!』と書かれていた。

 そういえば、部室でお喋りしたり、練習で競い合ったりしたりはするが、こういう体を使った遊びはあまりやらないかも。

 

 持ってきたバレー用のボールは二つしかないので、まず先にやりたいと手を挙げた八人が四人ずつに分かれる。それ以外はレジャーシート敷いて木陰でお休み。

 歩き回ったぶん少し火照っていた体が、寒い風に吹かれて少し震える。もうすっかりそんな季節かあ。

 

「よーし、愛さんの実力見せてやるっ」

「受けて立つ」

 

 お、始まる始まる。愛・ランジュチームとAlpheccaチームで対戦するようで、両陣営とも闘志が目に宿っている。

 

「あんまり激しくしないようにね」

「わかってるって! せいっ!」

「甘い」

「セァッ!」

「あぶなっ」

「ランジュに任せなさい!」

 

 目にも止まらぬ速さで、ボールがあっちこっちへ飛ぶ。

 僕の言葉を無視しているのか、彼女たちにとってはアレが激しくないのか。フィジカル強い組による一進一退の攻防が繰り広げられ、一度も球が地面に落ちることはない。

 

「いいの、あれ?」

「怪我しなかったらいいやもう」

 

 あの四人は手加減しろって言って出来る子たちじゃないから。

 

「こういう機会は、今までに何度もあったんですか? その、みなさんでお泊りするようなことは」

 

 体を冷やさないように、魔法瓶に入れていた温かいお茶を配る。それを一口飲んで、栞子が尋ねた。

 

「全員でってなると……第一回のスクールアイドルフェスティバル以来?」

「そうね。それぞれの家には遊びにいったりしてるけど、こんなに人数が多いのはそれくらいかしら」

 

 一年生だけでとか、二年生で勉強会やらアニメ視聴会とかやってるのは聞いたことがある。ユニット単位でもやったことがあるし、いろんな組み合わせで少なくない回数そういう経験はあるはずだ。

 しかし、全員参加は珍しい。スケジュールを合わせたり、場所を確保するのも大変だったりするし。今回、みんなの予定が空いてたのは奇跡に近い。

 

「私はお友達とお泊りすること自体が初めてですので……」

「大丈夫だよ、栞子ちゃん。リラックスリラックス~」

「あなたはリラックスしすぎよ」

 

 果林に膝枕をしてもらっている彼方が気の抜ける返事をする。

 多分、栞子だけじゃなくてランジュもそうだろうし、ミアだって少なくとも日本でのお泊り経験はないだろう。

 緊張するなっていうのは無理だが……それ以上に楽しんでもらいたいものだ。っていう僕も全然経験ないんだけど。

 しかも女子の家。考えれば考えるほど恐ろしくなってきたな。バレーを見て気を紛らわせよう。

 

 愛たちとは少し離れたところで緩めにバレーをしているのは、エマ、侑、歩夢、それにしずくとかすみ。

 こちらは対戦というわけではなく、みんなで浮かして、チャンスがあったら強めに叩く……みたいな休み時間っぽい遊びをしていた。

 

「湊くんはやらないの?」

「いいや。僕がやると……」

「きゃんっ」

 

 可愛らしい悲鳴を上げたのは、レシーブをしようとして顔にボールを受けてしまったしずく。スポーツはそんなに得意じゃないのか、そのままふらふらと尻もちをついた。

 

「あれ以上にみっともない姿になるからやめとくよ」



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88 しずく家、犬、お泊り

「それじゃ、君も今は虹ヶ咲の寮に住んでるんだ」

「そうなの。元々の部屋も広すぎたし、こっちのほうがみんなとも近いからちょうどよかったわ」

 

 外でのレクリエーションも終わり、電車でしずくの家へ向かう途中、最近の学校生活についてランジュと話す。

 帰国しようとしていた時にあの豪華な部屋を引き払い、女子寮に移ったそうだ。

 

「学校から近くなると遅刻する人が多い印象だけど、君はちゃんと毎朝決まった時間に起きてそうだね」

「ええ、いつもエマと一緒に果林を起こしに行ってるわ」

「ちょ、ちょっと、あまり変なこと言わないで」

 

 急に話のタネになった果林がほんの少し顔を赤くして焦る。

 

「君が朝弱いことはもう知ってるから、今さらだけどね。QU4RTZでお泊り会してた時は、愛にモーニングコールお願いしてたんだろ?」

 

 今度は、情報をリークした本人へ鋭い目を向ける。美人の怒った顔って怖い。

 

「言わないでって言ったわよね、私」

「あはは、カリン、今日はいじられてばっかりんだね!」

「ぷっ、あははは!」

 

 詰め寄る果林にたじろぎもせず、むしろ愛はギャグをかます。侑にも笑われて、ますます果林の目つきが鋭くなった。

 

「もう、あなたのせいでしょ!」

「ごめんごめん、ごめんってばー」

 

 

 

 

 でかい。

 しずくは貴族なんじゃないかって、半ば冗談のつもりだったけど、本当にいいとこのお嬢さんだったとは。

 左から右まで、見える範囲は綺麗に選定された植物が広がり、その奥にはでんと洋風建築のでっかい家がある。

 

 その光景に見惚れていたが、いつまでも入口でたむろしていてもしょうがないので、しずくを先頭に入ってく。

 玄関も広い。旅館みたいとは言わないが、半分の八人が一気には入れるのは十分以上のスペースだろう。

 お邪魔しますと言って靴を脱ごうとすると、たたたと軽快な音とともに何か白い物体が奥からやってきた。

 

「オフィーリア、お出迎えしてくれたのね」

「わんっ」

 

 その大きな生物は、桜坂家で飼っているペットだ。四足歩行なので単純には比べられないが、同じ格好をしたら人間と同じってくらい大きい。

 それはいい。それはいいんだが……

 

「犬……」

 

 僕は呟く。

 犬。犬かあ……そういえば犬飼ってるって、結構写真見せてくれたことがあったなあ。

 

「見テ見テ! こんナに撫でテモ、嫌がらナイ!」

「お手」

「わうっ」

 

 オフィーリアを見るなり、やりたい放題するリーデル姉妹。オフィーリアはされるがままになっている。

 

「シャル子もディア子も、遠慮なし……」

「まあまあ、オフィーリアも喜んでるみたいだし」

「ワタシ、オフィーリアの毛の中に住ム」

「わたしは肉球の中」

 

 ついにふわふわの毛に顔を埋めだしたロッティたちのスキンシップが嬉しいのか、垂れた目は変わらないけど尻尾がぶんぶんと振られている。

 その尻尾もでか……

 

 靴を脱ぎかけた姿勢のまま固まっている僕を、しずくが不思議に思った。

 

「どうしたんですか、湊先輩?」

「ミナトはイヌがニガテなんだヨ」

「苦手なんじゃないよ。大きくて何してくるかわかんないし、噛まれたら痛いし、ものすごい勢いで向かってくる。あとでっかい声で吠える」

「それを全部ひっくるめて、苦手って言うんですよ」

 

 しずくは苦笑して、オフィーリアの頭を撫でる。

 

「大丈夫ですよ、噛まないですし、走り回ったりもしないですから、たぶん」

「たった三文字で信用度ガタ落ちさせるあたり、すごいと思うよ」

「褒めてます?」

「褒めてない」

 

 触るのは遠慮しておくとして、さっさと横を通ってしまおう。うわ、めっちゃ見てくる。

 

「湊先輩に興味津々みたいです」

「怖いこと言わないで」

 

 なんとか刺激しないように横を通っている間もじーっと目を向けてきたけど、大人しくしておすわりをしていた。

 

 一泊お世話になるのだから親御さんに挨拶するのが礼儀というものだ。

 大勢で押しかけても困らせるだけだろうということで、ここは代表して僕が。他のみんなは先に行かせ、勝手知ったるかすみと璃奈に先導をお任せ。僕はしずくに連れられ、そのまま別の方向へ。

 こうやって家の中を歩いていると、やっぱり広いということが実感できる。廊下は長ーいし、途中にいくつも部屋がある。こんなにいっぱいあって全部使うんだろうか。

 廊下の角を曲がりかけたところで、着物を着た妙齢の女性とばったり会う。この人は確か、文化祭のラストステージの特別観客席で見た。雰囲気からして……

 

「しずくの母です」

 

 やはり。

 しずく母がぺこりと礼をする。綺麗な所作だ。しずくの丁寧な言動も、この親から受け継がれてきたものだと納得させるほど。

 こんな大人数で来てしまったのだから、こちらもちゃんと挨拶せんばと思っていたところだ。

 

「天王寺湊と申します。本日はお世話になります」

「あら、ではあなたがいつもしずくがお話している……」

「み、湊先輩! みなさん待ってますから行きましょう!」

「まだ挨拶の途中なんだけど」

「もう大丈夫、大丈夫ですから」

 

 ぐいぐいと腕を引っ張られる僕に、しずく母はもう一度礼をする。そんなところも礼儀正しい。あなたの娘さんは、いま先輩の腕を外す勢いで引いてますけど。

 

「ごゆっくりなさってくださいね」

「ありがとうございます」

 

 最後にそれだけ交わして、僕は数分引き戻されて襖の向こうの大きな部屋に無理やり通された。

 既にみんなが部屋の隅に荷物を下ろしている。僕もそうしている間、しずくはきょろきょろと廊下を見渡した後、襖を閉めて深く息を吐いた。

 

「もうお母さんったら、余計なこと言って……」

「いいお母さんじゃないか。みんなやっぱり、親御さんがしっかりしてるね」

「他の人にも会ったんですか?」

「文化祭の時に、せつ菜の母親と彼方の母親にね」

 

 どちらもベクトルの違う美人さんで、遺伝子の凄さを思い知らされた。

 

「あ、お母さん言ってたよ。丁寧でいい子だって」

「僕はいまだにあの人は君のお姉さんだと疑ってるけど」

 

 二人の子どもがいるにしては、あまりにも見た目が若すぎた近江母。美人なスクールアイドル姉妹の親というのは伊達じゃない。

 多分、他の子の親もそうなのだろう。うちは……身内だから判断できるかって感じ。

 

 移動時間も長く、外でいっぱい遊んだのにも関わらず、みんなまだまだ元気だ。僕もお泊りということでテンションが上がっているせいか、全然眠くない。

 

 有り余る元気を使ってお喋りをしていると、いつの間にか晩御飯の時間になった。

 なんと桜坂家が一から十まで用意してくれて、しかもその内容が豪華すぎる。

 天ぷら、味噌汁、好きな人には漬物まで用意してくれるというホスピタリティ。

 メインは手巻き寿司で、適度に酢のかかった米が桶に盛りつけられている。その横の大皿には、具となるものが種類も数も豊富に揃えられていた。

 

「……これだけ用意してくれて、本当に、何とお礼をしたらいいか」

「いいんですよ。みなさん、しずくと仲良くしてくれて、こちらこそお礼を申し上げたかったところです。虹ヶ咲学園に入学してから、しずくはいつも楽しそうで……」

「お母さんっ」

 

 言い終わる前に、しずくがぐいぐいと押していく。

 最後まで笑顔でこちらを見てきたしずくの母に、僕たちもまた笑顔で会釈する。

 

「そ、そういうわけなので、遠慮なくいただいちゃってください」

「はーい」

 

 いいね。こんな豪華な家で、親子も綺麗。けどその関係は普通なのがとてもよろしい。

 それはさておき、お腹も空いていることだし、許しも得たし、早速食べるとしよう。

 

「手巻き寿司なんて、久しぶりだな」

「テマキズシ?」

「そう。今から一個作るから、見ておいてね」

 

 初めてであろう外国人向けに、手本をお披露目といこう。

 

「まずは海苔の上に酢飯を乗っける。この時、あまり多すぎると巻くのが大変だし、具とのバランスも良くないことになるから、適度な量を平べったく乗せる」

 

 と言葉で言っても分からないので、実際にやりながら教える。具の味をよく感じるためにも、米の量は思ったより少なめでよいのだ。

 

「その上、真ん中に好きな具を乗せる。どう組み合わせてもいいからね。で、巻く」

「巻く」

 

 今回はストレートにマグロの寿司にしよう。同じように見様見真似でやっていたディアが復唱。

 そして、端のほうにほんの少しだけ醤油をつけて一口。

 海苔もいいのをパリっと小気味よい音が鳴って、磯の香りが鼻に広がる。米も魚も凄く良いのを使ってるみたいで、醤油をつけなくても良かったくらいだ。

 

「簡単なのに、美味しい」

「準備は大変だけどね」

 

 飯炊いて酢をかけて混ぜ合わせる。魚は手巻き寿司に合うように、また刺身でも食べられるように絶妙な大きさに切る。どちらも手間と時間がかかる作業だ。下ごしらえをしてくれた人に感謝。

 

「ミナト、次何食べるの?」

「うーん。順番にいこうかな。サーモンで」

 

 綺麗なピンク色の刺身を箸で取り、先ほどの要領で巻く。そして、醤油の入った小皿に、ほんの少しだけわさびを溶かす。

 それもロッティとディアは真似して、豪快にぱくりと食べる。

 

「ツーン……ッ」

「あはは、わさびは早かったか」

「大将、さび抜きで」

「はい、これならわさび入ってないから」

 

 鼻を抑えながら涙目になったロッティとディアに、エマが自分の作ったのを渡す。

 慣れないうちはクるよな。僕もこれの良さが分かったのはごく最近で、それまでは人間が食べる物じゃないとまで思ってた。

 

「ディアたちはこういうの食べたことないの?」

「寿司屋はあるけど、こういう感じじゃない」

「コッチの国のハ、イコクジョウチョ感あル」

「これはツッコミ待ちなのか?」

 

 まあ国ごとに求められる味なんか違うからね。

 日本だって外国料理を国民に受け入れられるようにしてアレンジしまくりだし。中華料理しかり、カレーしかり。健康を害さないで美味かったらそれでいいのだ。

 

「ミアちゃんは大丈夫? 海苔って、外国の人だと消化できないって聞いたことあるけど」

「ステイツでも何度か食べたことあるから大丈夫だよ。だけど、ライスを盛るのは難しいね……」

「最初は誰でもそんなもんだよ」

 

 言いつつ、彼女の失敗作を受け取り、僕のを渡す。大いに間違いたまえ。

 

「そういえば、みーくんあれからどうだった? バンド、めちゃめちゃ好評だったんでしょ?」

「SNSにものっすごくメッセージが来て、もう返すの諦めた」

「ニジガクスクールアイドル同好会のプロデューサー兼マネージャー兼作曲家で、その前からも世界中で大人気のAlpheccaの担当も務める謎の人物が姿を現してパフォーマンスしたって、なかなか大事件だもんね」

「ネットはしばらくその話題でもちきりだった」

 

 璃奈が自慢げに胸をそらす。

 どんどん肩書というか実績が増えていっているような気がする。

 

「せっかく人気なんだから、湊くんも動画サイトで個人チャンネルを持ったらいいんじゃない?」

「高校生の間はいいかな。大学生になったら考えるよ」

 

 音楽の仕事をしたいと思いつつも、具体的な姿は思い描けていない。演奏家なのか作曲家なのか……そのどちらにも憧れはあるから、捨てきれないのだ。

 かと言って、どちらも叶えてしまおうなんて生易しい世界じゃないのはよく知っている。そもそも音楽で食っていける人なんてほんの一握りなのだ。

 そんな厳しい世界に飛び込む前に、顔と名前を売っておくことは重要だろう。学生の時からそうやって有名になった人は何人もいる。そういう先輩たちに倣って、僕もただ腕を磨くだけじゃなくて色々手を出してみようかな。

 

 

 

 

 ご飯も食べ終えて、いっぱい遊んでいっぱい喋って、夜もどっぷり更けてきた。

 各々お風呂もいただいて、最後だった僕は、連れられた部屋の中を見て目を凝らした。

 

「しずく」

「はい」

「僕の目には、布団が十六あるように見えるんだけど」

「そうですね」

「で、同好会は全員で十六人だった気がする」

「合ってますよ」

「僕を含めて、十六人」

「大正解です」

 

 寝室だと案内された部屋旅館かと思うほど大きな部屋だ。みんなが入ってもゆったりできるほどのスペースがある。それはいい。

 問題なのは、みんなが敷いた布団だ。しずくに訊いた通り、何度数えても十六ある。

 一縷の望みをかけて、もう一度同じことを訊く。

 

「僕用の布団もここにあるように見えるんだけど」

「そうですが」

 

 そうですが、じゃないんですが。

 

「冗談なら面白い反応できなくてごめんだけど、僕の寝るところに案内してくれないかな。本当のところに」

「ここです」

「……君たち、女子。僕、男子。混ざるのは何かとまずいと思うんだ」

「全然問題ないと思います」

 

 ないわけあるかい!

 

「部長!」

「どの布団にします、湊先輩?」

「生徒会長!」

「今はせつ菜ですから!」

「栞子!」

「諦めてください。私にはどうにもできません」

 

 もう! バカ!

 頼みの綱はどいつもこいつも示し合わせたように、僕の主張を退けてくる。

 仕方なく、僕はもう一度しずくに向き直った。

 

「他の部屋は?」

「ありません」

「物置とかでもいいから」

「湊先輩はお客さんなんですから、そんなところで寝させられません」

「じゃあ外で……」

「逃げるならオフィーリアに追いかけさせますよ」

「本気じゃないよね?」

「本気じゃないと思ってるんですか?」

 

 笑ってるけど、目がマジだ。

 オフィーリアがよく躾けられた犬だってのは分かったけど、あの大きな体に追いかけられると考えると……

 

「大丈夫よ。湊くんは手を出してくれ……手を出してくる人じゃないでしょ? みんなもそれが分かってるし、せっかくだから一緒の部屋で過ごしたいのよ」

「湊さん、諦めよ? 一対十五なんだから勝てっこないって」

「それとも、嫌?」

 

 嫌とか嫌じゃないとか、そういう問題じゃなくて。

 

「なんにしろ逃げ場はないんだから、観念したらいいのに」

「そうよ、さっさと切り替えたほうが楽になるわ」

 

 ……正直、どうにもならないことは既に分かってる。これは最初に確認しなかった僕の落ち度……なわけないと思うんだけど、そう思わないといけないみたいだ。

 

「……わかった。後でクレームは受け付けないからな」

「やったー!」

 

 僕が仕方なく承諾すると、みんな飛び上がらん勢いで喜ぶ。こういうのは、普通逆だと思うんだ、僕は。

 

「根負けミナト」

「押しに弱いノ、変わんなイネ」

「こっちとしては手を出してもらったほうがいいんだけど……」

「というか、私たちより湊くんのほうが危ないような」

「ライオンの群れにウサギが一匹」

 

 不穏な言葉が聞こえてきたのを無視。

 条件付けとして、壁際端っこの布団を僕のスペースにさせてもらう。

 早速そこに寝ころんで、布団を被り──

 

「それじゃ、おやすみ」

「えぇー、せっかくなんだから、お喋りしましょうよ」

「いいよ、好きに喋ってて。十四人も聞いてくれる人がいるじゃないか」

「むぅ」

「湊くーん、こっちに来てよー」

 

 呼ばれて、体を揺さぶられもするが、いやいやここで負けてはいけない。

 万が一にも、何かを間違えて手を出してしまうわけにはいかないのだ。ならば危険なものから封印しておくのが最善。つまり僕が深い眠りについてしまえばいいのだ。

 彼女たちがいるのとは逆の方向に顔を向け、目を閉じる。

 

「仕方ない。アレをやるしかない」

「アレ?」

「ロッティ、アイ、シオリコ、リナ、集合」

 

 ディアの掛け声に、呼ばれた四人が集まっていく音がする。そして何やらこそこそと内緒話をしたかと思えば、すぐそばまで近づいてくる気配がした。

 

「ネ、ミナト起きテー」

「みーくん、だめ?」

「あの、湊さん、私からもお願いします」

「お兄ちゃん、一緒にお話ししよ」

 

 ……

 …………

 

「……ちょっとだけだぞ」

 

 むくりと起きて、ため息をつく。すぐそばにまで迫ってきていた四人の奥で、ディアがにやりと笑っていた。

 

「妹作戦成功」

「さすが~」

 

 ディアと彼方がハイタッチする。まんまと引っ掛かってしまった形だ。

 

「ああ、もうだんだんダメになっていってる気がする……」

「よしよし、大変だね、湊くん」

 

 これが一学期とかだったら、断固としてこの布団に入らなかっただろうに。夏休みと二学期を通じて、パーソナルスペースとモラルがなくなっている気がする。

 男である僕が、まず第一に線を引いて適度な距離を保たなければいけないというのに。

 

「妹作戦……?」

「ミナト、『妹』に甘いから」

「ふーん」

 

 ディアがミアに余計なことを吹き込む。

 

「湊、ちなみにボクも妹なんだけど」

「知ってる……」



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89 今日は、僕らが紡いだ明日

 お泊り会二日目。

 みんな、普段から規則正しい生活を送っているようで、遅くまでお喋りしていた割には早くに起きた。

 目が覚めた瞬間、美少女が近くに十五人もいるなんて状況に僕が耐えられるはずもなく、着替えだけ持ってぱぱっと部屋を出る。

 そういえばどこで着替えたらいいんだろうと悩んで、仕方なくトイレをお借りして手早く済ませる。その後、みんなのいる部屋の前に待機するのも変態的なので、このでかい家を回ってみることにした。

 

 家の中でもきれいな空気が循環しているのは、毎日丁寧に掃除されているから、そして家の周りが緑で溢れているからだろう。

 昨日は玄関からしか見えなかったが、庭にはなんとも荘厳さを感じさせる盆栽が並べられていたり、低木が身近に自然を感じさせてくれる。

 朝からこれほどのものを拝めるなんて、贅沢だ。

 

 すっかり見惚れていると、ゆったりとした足音が近づいてきた。そちらを向くと、しずくのお母さんがすでに着物に着替えていて、にこりと笑顔を向けてくる。

 

「あら、天王寺さん、おはようございます」

「おはようございます」

 

 ぺこりと一礼。

 

「昨夜はよく眠れましたか?」

「それはもう、ぐっすりと」

 

 夜更かししてお喋りしたのは黙っておこう。いや、それ以前に女子たちと同じ部屋だったのも伏せておこう。

 娘も含めた年頃の女子が、男子と同部屋で寝ていたなどとは知りたくないだろう。

 

「わんっ」

「うおっ」

 

 不意打ちの鳴き声に、思わず素の驚き声が出た。

 いつの間にかオフィーリアが寄ってきている。それだけでなく、何かを催促するようにじーっとこちらを見てきていた。

 

「撫でてほしいそうですよ」

 

 え、と僕は狼狽する。

 

「ふふ、大丈夫ですよ。噛みついたりしませんから。たぶん」 

 

 わあ、セリフも言い方もそっくりだ。さすが親子。

 硬直していた僕は、おそるおそる膝をついて、ゆっくりと手を伸ばしてみる。たしか昨日、しずくやロッティは体の側面を撫でていたような。

 丁寧に手入れされているのだろう、毛はふわふわで、ロッティやディアがあれだけ夢中になるのも分かる。

 ぎこちない手つきで撫でている間も、オフィーリアは大人しくしていて、僕のほうもだんだんと緊張が解けてくる。と思ったら、くうん、と甘えた声を出して、体を擦りつけてきた。ひい、でかい。

 

「あ、湊先輩」

 

 オフィーリアがのしのしと僕の膝に前足を乗っけてきたところで、さらにしずくも登場した。

 寝巻からよそいきの私服になった彼女は、僕と母、そしてオフィーリアを順番に見る。

 

「お母さん、おはようございます。オフィーリアもおはよう。湊先輩に撫でてもらってたんだね」

 

 オフィーリアは僕から離れて、しずくに寄っていく。少し強張っていた僕の体から、ようやく力が抜けた。

 

「みなさん着替え終わりましたよ」

「あ、ああ。ありがとう。じゃあ行こうか」

 

 押し倒されそうだった姿勢から立ち直り、戻ろうとするしずくについていこうとする。

 

「楽しんでくださいね」

「ありがとうございます」

 

 去り際にかけられた声に、また一礼。

 いやあ、本当に礼儀正しい人だな。ここで育ったオフィーリアがあんなに大人しいのも頷ける。最後は迫られて怖かったけど。

 

 

 

 

「今日の鎌倉観光は、オリエンテーリング形式にしたいと思いますっ」

「オリエンテーリング?」

 

 朝食も食べ終わり、玄関前に集合した僕たちは、かすみの一声に首を傾げた。

 

「詳しくはりな子からどうぞ」

 

 一任された璃奈は、自分のスマホ画面をみんなに向けた。

 中央には『ニジガクGO』の文字、その周りには十を超える可愛い猫の絵が配置されている。

 

「スマホを使って、鎌倉を散策しながらあちこちランダムに現れるバーチャル猫を集めるってゲーム」

 

 最近よくある、スマホの位置情報とカメラを利用したARゲーム。街中の風景にカメラを向けることで、そこに目的のものがあれば映る仕組みだ。

 目当てとする猫は、それぞれ同好会のメンバーをモチーフとしているみたいで、つまり全部で十六匹が捕獲対象らしい。

 てかゲーム作ったの、璃奈。天才すぎんか?

 

「猫に近づくと音がして、地図上に出てくる。誰かが先に捕まえても、同じ猫が発生するから取り合わなくてOK。時間内にたくさん集めた人が優勝」

「我が同好会はライバルだけど仲間、仲間だけどライバルです。競い合いつつも、絆を深めていきましょう」

 

 おーっ、とみんなが賛成したところで、愛がばっと手を挙げた。

 

「ところで、優勝したら賞品ってあるの?」

「へ、特に考えてなかったですけど……」

「じゃあ優勝した人のお願いを、みんなで叶えてあげるのはどうかな?」

「いいですね」

 

 競い合うなら、何かしらの報酬があるほうが燃えるだろう。僕も賛成。無茶なことを言ってくる子はいないはずだし。たぶん。

 

「だったら私はみなさんと十二時間耐久アニソンカラオケ大会がしたいです!」

「愛さんはみんなに胴上げしてもらいたいな」

「スポーツ大会やりたイ!」

「もう一回お泊り」

 

 別に普段言っても叶えてくれるものばかり。まあそれだけ通常状態で満たされてるってことなんだろうけど。

 この分だと、変に無茶なことを言ってくる人はいなさそうだ。

 

「湊先輩は、勝ったら何をお願いするんですか?」

「僕の心の平和と安寧」

「昨日の、根に持ってます?」

 

 傍から見たら恨まれるほど贅沢な場面だったのは認めよう。だけど、実際に体感してみると、理性がごりごり削れる生殺しの拷問だった。

 今回はそういうのはないと油断していたのに、数の暴力というのは恐ろしい。これなら、一晩中オフィーリアに追いかけ回されるほうがマシだったかもしれない。

 

「よーし、絶対全部見つけますよ~!」

 

 そんな僕の後悔をよそに、かすみは張り切っている。

 

 全員が固まって移動しても競争にはならない。しかしそれぞれバラバラで動くのも、今回の目的の一つである部員同士の交流や観光とは離れたものになってしまうので、数人ずつで探すことにした。

 

 僕は気になっていることもあり、かすみと二人での行動を申し入れた。それに関して多少のブーイングや冷やかしが起きたが、なんとか宥めて納得してもらう。

 スタートの合図とともに、かすみはずんずん進んでいく。あっちでもないこっちでもないとスマホを振り回す姿は、遊びというよりかは真剣勝負をやっているように見える。

 元々ご褒美なんか用意していなかったのに、やたらと張り切っているのは主催だからだろうか。

 

「全然見つかんないじゃんっ」

 

 散策を初めてから数十分後。アプリを見る限り、他のメンバーは順調に猫を見つけていっているようだが、僕らはまったく収穫がなかった。

 他に漏れず負けず嫌いだが、それ以上の落胆ぶりと焦りを見せるかすみが地団駄を踏む。

 

「どうしよう……かすみん部長化計画が全部ダメだったら、部長じゃいられなくなっちゃいますよぅ」

 

 かすみん部長化計画? 聞こえてきた単語に首を傾げる。部長化もなにも、かすみは元から部長なのに。

 どういうことかと考えていると、前から見知った二人がやってきた。

 

「かすみさん、どうかされましたか?」

「しお子にランジュ先輩……0匹仲間じゃないですか」

 

 かすみはさらにがっくり肩を落とした。

 やってきたのは最近うちに入ってきた中の二人で、アプリを見る限り僕たちと同じでまだ猫を見つけられていないみたいだ。

 

「親睦会だっていうのに、君たちはその二人なんだね」

「幼馴染として、ストッパーにならないといけませんから」

 

 栞子にこそっと言うと、そう返された。

 確かに。以前、僕を振り回した時もランジュはやたらとテンションが高かった。観光となれば、そりゃあっちへこっちへ行きたくなるだろう。

 今回も、そういうものだと思っていた。だが……

 

「そのランジュは、今日は大人しいみたいだけどね」

「分かりますか?」

「そりゃあね。昨日あれだけはしゃいでたのに、今日はこれだから」

 

 今日の彼女は、人を振り回すどころか、並んで歩いて落ち着いている。散策も猫探しも楽しんでいないわけではなさそうなのだが。

 

「ちょっと訊いてみる?」

「いえ、私に任せてください」

 

 僕の申し出を、栞子はきっぱりと断った。

 

「ランジュの気持ちを、ちゃんと分かってあげたいんです」

「……そうか。それじゃ、任せるよ」

 

 幼馴染だったのに苦しみに気付けなかったという栞子の思いは、察するに余りある。が、そんな思いをして、させてしまったからこそ、栞子はランジュと再び最初からやり直そうと言ったのだ。

 わざわざその間に入っていくのは、お節介でも手助けでもなくただの邪魔。今は見守るとしよう。

 

「かすみも湊も0匹なのね」

「探してるけど全然見つからなくてね」

 

 肩をすくめる。結構歩き回ったつもりだが、どうも運が悪いらしい。他のメンバーが順調に見つけているところを見ると、ここらへんから離れたほうがいいのかも。

 

「よぉし、四人で探しましょう! 見つかる可能性は倍ですよ、倍!」

「0を倍しても0なのでは」

「それは僕も思った」

「しお子、湊先輩、うるさいですよっ!」

 

 再び意気揚々とかすみはずんずんと進んでいく。スマホを片手に、栞子とランジュもついてくる。

 感覚的には、確率は倍以上。だけれども……

 

「むきーっ、こんなに探してるのにー!」

「お、落ち着いてください」

 

 結果はお察しの通り、未だ0匹。かすみが地団駄を踏むに至ってしまった。

 

「かすみったら、よっぽど優勝したいのね」

「だって、優勝したら凄いって思われるじゃないですか。そしたらきっと、かすみんなら部長として立派にやれるって認めて……はっ」

 

 訊いてないことまで暴露したかすみに、ああなるほどと僕は納得した。

 

「……というのは冗談で、もしかすみんが優勝したらみんなに百万回可愛いって言ってもらいますからね! あーあっちのほうに猫の気配がするー! さらばです!」

 

 逃げるように……実際逃げるために駆け出したかすみ。早く追いかけないと見失ってしまいそうだ。

 

「ああもう。栞子、ランジュ、また後で」

 

 二人に小さく手を振って駆け出す。もう一度振り返って、栞子に向かって親指を立てた。

 

 かすみは本当にただ逃げるだけで、ほんの少し走ったところですぐ見つかった。

 

「かすみ」

「わあっ!?」

 

 別に足音を消していたわけでもないのに、彼女は気付かなかったみたいで、素直に驚いた。かと思えば、先ほどのを恥ずかしく思っているのか、視線を逸らす。

 

「湊先輩……えーと、さっきのは聞かなかったことに……」

 

 と言っているが、聞いてしまったからにはそんなこと出来るはずもない。

 とりあえず、逃げられても困るし、彼女の手を掴んで、僕は通りのほうを指差した。

 

「かすみ、ちょっとついてきて」

 

 人のいるところに出て、ちょうどそこにあった和菓子屋さんに入る。

 ここで、いくつか目についたものを適当にセレクト。ここで食べる、と伝えればお茶も用意してくれた。

 

「食べてる場合じゃ……」

「まあまあ、座って」

 

 店先に備え付けられたベンチに座る。僕がそこから動かず一口お菓子を頬張ると、かすみは渋々と言った様子で隣に腰を下ろした。

 一息ついて、食べて、お茶をすする。

 甘すぎない和菓子に合う、少し濃いめの緑茶。歩き回って疲れていた体を癒してくれて、すっかり落ち着いたムードになった。先ほどまであれだけ焦っていたかすみも、今はすっかり落ち着いている。買ってあげた団子を手にしたまま、口にはしてないけど。

 そんな彼女に僕は、さてと前置きして向き直った。

 

「かすみ、話してもらおうか」

 

 う、とかすみは顔を顰める。

 元々今回、しずくの家でのお泊り会を提案したのは彼女だ。それ自体は特に何とも思わなかったが、あまりにも急すぎたというのが少し引っかかっていた。

 昨日の一連の言動も含めると、仲を深める以外で何かしら思惑があることには気付く。それが何か、というのもある程度推測が立つけれど、やっぱり本人に訊くのが一番だ。

 かすみと組んだのも、それを問うのが目的だった。

 

「頼りになるってところ、見せたかったんです」

 

 お菓子を食べ終わってお茶もいただいた後、しばらく経ってから彼女は口を開いた。

 

「私、部長って言われてますけど、一年生ですし、実力だって……」

 

 まあ、確かに部長と言えばイメージ的には上級生がなるものだ。あるいはみんなを引っ張るような役回りの人だったり。

 この間、栞子が僕やせつ菜、侑に入部届を出そうとしたのもそのせいだろう。同時に、かすみはそれで自信を無くしたのかもしれない。

 

「みんな、君を軽んじてるわけじゃないよ」

 

 それはかすみも分かっている。けれど、部長の責を全う出来ているか気になっている。Alpheccaに加えてランジュ、ミアといった才能溢れる新メンバーも増えて、焦りと恐怖心が肥大化した結果の部長化作戦といったところだろうか。

 だから、今さらになって仕切ろうとしているのだ。今回のしおりを作ったり、果林たちが迷子になった際にはいの一番に動こうとしたり、こういう遊びを企画したり。

 しかし、だ。何も万能なのが部長というわけではない。

 

「かすみ、そんなに自分を卑下することはないよ」

 

 僕は彼女から団子の串を奪い取って、目の前で揺らしてやる。そうしてようやく、かすみはそれを口にした。

 

「君がいたから同好会は残った。僕も残った。侑と歩夢がやってきて、今の同好会になった。今の同好会があるのは、君が場所を残してくれたからだ」

 

 みんながバラバラになった時、彼女は諦めなかった。スクールアイドルになることも、世界一可愛くなることも、みんなが帰ってくることも。

 その強さは、初期メンバーの中で唯一、彼女だけが持っていたものだ。僕は付き添っていただけで、彼女がいなければ同好会は跡形もなく消えていただろう。

 

「同好会があって、同好会の全員がスクールアイドルになれて、僕もそこにいられて、新しい人を迎える場所になった。それは君が諦めなかったからで……だからこそ、君が一番部長に相応しいってみんな思ってる。その証拠に、かすみが部長だと分かった時、驚いてはいても誰も文句は言わなかっただろ?」

 

 一見して、僕や侑が部長だと勘違いしてしまうのは仕方がない。だけども、かすみだって僕らが誇る部長だ。僕らを繋いだ立派な部長だ。

 それを伝え終わると、スマホが震えた。画面を見ると、どうやらこの近くにバーチャル猫がいるらしいとのお知らせ。

 スマホを通して周りを見てみると……

 

「あ」

「猫ですよ、湊先輩!」

 

 僕のスマホを覗き込んでいたかすみが声を上げた。なんと僕らの真ん前、道の向こう側にじっとこちらを見ている猫がいる。

 バーチャル猫だからか、ほとんど動かず尻尾をゆらゆらと揺らしてこちらの動向を窺っているようだ。

 

「どうして急に現れたんでしょう」

「現れたんじゃないんだろ。ずっとそこにいたんだ」

 

 これまではかすみが焦って次へ次へと場所を変えていたせいで見つからなかったのだろう。

 急いでる場合、時には走るより歩くほうが早く着いたりするものだ。今回のことみたいに。

 

「ゆっくり探そう。かすみん部長」

 

 

 

 

 急いていたかすみが嘘のようにスローペースでついてきてからおおよそ一時間後、タイムアップとなって僕らは再び集合した。

 座っていても僕らより数倍大きな鎌倉の大仏前で、十六人が揃う。

 

「優勝は、十六匹全部捕まえた、侑さーん」

「やったー!」

 

 ぱちぱちとみんなで拍手。

 僕が見つけられたのは結局あの一匹だけ。大逆転……なんてのは叶わなかったけど、みんな楽しく終えることが出来たのだから文句はない。

 

「で、ゆうゆのお願いはなんなの?」

 

 愛が訊く。

 ああ、そういえばそんなルールだったっけ。

 

「実は、みんなのために前から曲を作ってて、その曲にみんなで歌詞をつけてほしいんだ。ダメ、かな?」

「そんなのもちろん良いに決まってるよ」

「最高のお願いだね」

 

 侑だけが作った曲といえば、まだ一曲。期待していたみんなからすると、物足りなくて仕方ないのだろう。ほとんどが二つ返事で引き受けた。

 そういったお願いなら普通に言ってくれても聞くのに、というのは野暮だな。

 

「かすみちゃん、昨日も今日も最高に楽しかった。これも全部かすみん部長のおかげだね」

「へぇっ? あの、その……」

「そうよ。かすみは立派な部長だわ」

「それに、かすみさんがいるだけで、同好会がとても輝きます」

 

 口々に、かすみを褒める言葉が飛び交う。かすみが何かで思い悩んでいるであろうことは、みんな分かっているのだ。そして、僕が言ったことをみんなも思っている。

 今回もまた出しゃばりすぎたかな……とは思わない。気持ちを伝えておく機会が必要だとは思っていたからね。

 

「えへへ、まーそんなことありますよ!」

「やるねー、かすかす部長」

「Nice. 子犬ちゃん部長」

「だーかーら、かすかすでも子犬でもありませんってば!」

 

 頬を膨らませて抗議しているけど、嬉しそうな雰囲気は全身からだだ洩れているかすみなのであった。

 

 

 

 

 夜は、桜坂家の庭でバーベキューをさせてもらった。

 昨日同様、肉も野菜も良いものが揃えられていて、彼方と目を見合わせて驚いた。

 自分の家でやろうとするとなかなか手の出せないそれを、今日も遠慮なくいただく。人数がいるのにも加えて、何人か大食いがいたため、大量に用意されていた食材は余ることなく、全て食べきった。

 お腹がいっぱいとなったところで終わりとならないのが今回のお泊り会だ。

 

 用意していた大量の花火を並べ、それぞれ適当に、本数すらも思い思いに取っていく。

 今日の準備のために買い物に行った時に、売れ残ってやたらと安いこれらを見つけて、やろうとなったらしい。しずくも即OKを出した……というより、その買い物班の一員であり、率先したうちの一人だ。

 

 花火なんていつぶりだろう。

 最後にやったのは……だいぶ小さい頃だったように思える。そのせいか、着火した時に勢いよく散る火花に少しびびったりもしながら、テンションが上がる。

 流石に、ロッティみたいにくるくると円を描いたりはしないけど。

 

「ハナビが気軽に出来ルなんテ、ゼイタク!」

「そうなの?」

「日本以外だと、許可が必要だったり、特定の日にしか出来なかったりですから」

 

 首を傾げた歩夢に、しずくが補足する。

 手持ち花火がこんな簡単に買えて使えるのは世界的に見ても珍しい。だからか、特に外国人勢は楽しそうに花火を振っている。

 昼に歩き回ったっていうのに、元気ですこと。

 

 大量に用意した花火も十六人で使えばすぐに無くなる。気づけば、もう最後、線香花火だけが残っていた。

 特に示し合わせたわけでもないが、エマ、果林、彼方と身を寄せ合ってしゃがみ、中心で火を点ける。

 ぱちぱちと、先ほどまでの派手さはないが、控えめな光と熱と音がじわじわと一日の終わりを知らしめてくるようだった。

 

 火を見ていて落ち着くのは何故なんだろう。人間の奥底に刻まれた感覚なのだろうか。

 世の中にはたき火や暖炉の火をずっと映しているだけの動画チャンネルや番組があるというが、それも納得できるくらい、迸る火花を見入る。

 

「風流だねえ」

「綺麗だね」

「季節外れではあるけど」

 

 もうすぐ暦上でも冬なのだ。あれ、もう冬だっけ。ともかく花火をやるのとはまったく逆の季節。そんな時期にこんな人数でこんなことをやってるなんて、僕らくらいのものじゃないのか。

 

「君のほうが綺麗だよ、とは言ってくれないの?」

「そんなキザなセリフが言えるかい」

「えぇ、今さら……?」

 

 なんだ、その今さらって……みたいなことを思うのも何度目だか。

 僕のそんな思いを知ってか知らずか、彼女たちは苦笑。その様子を見て、僕はさらに呆れる。

 小さく鳴る花火の音をBGMに、そういった反応を見て反応を返すのを二、三往復ほどした。

 

「三年生になった時は、こんなに毎日が楽しくなるなんて思わなかったわ」

 

 ぼそり、と果林が呟いた。

 振り返ってみれば、そう、同じことを何度も思うくらい、同じことで何度も悩むくらい、濃く長い時間をみんなと過ごしてきた。それ以上に楽しい思いもたくさんしてきた。

 スクールアイドル同好会を立ち上げて、作曲もたくさん出来て、それが認められて、大きなイベントもこなして、たまにはこういう休日も過ごして……

 

「もっとこんな時間が続けばいいのに」

 

 小さな火の玉がぽとりと落ちる。ああ、もうちょっと楽しめると思ったんだけど。

 地面に着いて間もなく赤色が消えても、僕たちはずっとその跡を見つめる。

 言いようがないくらいの切なさというか、心に穴が開いた感覚というか……この夜のように広がる漠然とした何かが胸を占める。

 きっとそれは……

 

「ねえ、みんな。お願いがあるんだけど」

 

 僕たちの内がその何かで満たされる直前、ランジュがみんなに聞こえるように声を張った。

 

 ランジュのお願いは、みんなで写真を撮ることだった。

 今回のお泊り会の締めくくりとして、全員が映っている

 ずっとそれがしたいと言い出せずに悩んでいて、落ち着いて見えたのはそれが原因だと栞子が教えてくれた。

 当然それを嫌がる者はおらず、むしろ我先にと位置取りで争いが始まった。僕がスマホカメラを立てて、タイマーを設置するときにはもう全員が画角に収まっていて、既にピースまでしている。

 

「湊先輩もはやく~」

「分かってるよ。僕の場所空けといて……って、なにその顔」

 

 輪に入ろうとする僕を、みんなは目を丸くして見てくる。

 

「いや、そんな素直に写真撮られるなんて……」

「偽物なのでは」

「何かに体を乗っ取られてたりして」

「宇宙人とかに?」

「宇宙人はせつ菜」

「宇宙人じゃありませんっ」

「ほらほら、早くしないと撮られちゃうわよ」

「お兄ちゃん、ここ空いてる」

「あっ、りな子ずるい!」

「ミア、もうチョット寄っテ寄っテ!」

「そ、そんなにくっつくなよ」

 

 シャッター音が鳴る時まで、わちゃわちゃとあっちこっちへ言葉が飛び交う。

 そうやって撮られた一枚目の写真は、体勢を崩していたり、レンズのほうを向いていなかったりで、なんとも締まらないものだった。



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90 虹ヶ咲学園スクールアイドル:鐘嵐珠

 この日は珍しく、放課後というのに部室が静かだった。

 聞こえる音といえば、僕がキーボードをカタカタ鳴らす音と……

 

「ふふっ」

 

 時折ランジュの口から洩れる声だけ。

 今、部室には僕ら二人しかいない。そのせいで全員揃えば狭く感じるここも、いつもより広く感じる。

 他は、課題やら補習やら面談やらで遅れて来るそうで、それまで第二回スクールアイドルフェスティバルの評判だったり、来るラブライブの情報だったりを眺めているつもりなのだが、まだまだ集まる気配がなさそう。

 先に練習着になったランジュだが、今は待ちの姿勢だ。

 

「上機嫌だね、ランジュ」

「ええ。だって、最近とても楽しいもの」

 

 そう言って見せてきたのは、この前しずくの家で泊まった時に撮った集合写真だ。さらに、侑や歩夢、他のみんなとのツーショット写真も次々に見せてくる。

 写真を撮りたいと言い出せずに悩んでいた時とは大違い。タガが外れたようにいろんな場面をいろんな人と撮っているようだ。普通の女の子らしくて、実にいい。

 

「ほらほら湊も、一緒に写真撮りましょ!」

「どこにもアップしないならいいよ」

「見せるだけならいいわよね?」

「見せる人による」

 

 半ば無理やりソファに座らされ、彼女が構えるカメラの枠に大人しく収まる。にっこりと笑みを浮かべるランジュに合わせて、僕も形だけは作っておく。ピース。

 ぱしゃり、とシャッター音が鳴った。

 

「湊は笑顔を作るのが下手ね」

「君たちみたいに練習してるわけじゃないからね」

 

 ランジュが見せてくる写真を見ると、明らかに二人の笑顔のぎこちなさが違う。僕のほうは、お世辞にも上手いとは言えない。

 

「以前の君も下手だったぞ」

「嘘よ。ランジュは完璧だったわ」

「いいや、今の顔と、前までの顔が全然違う」

 

 彼女のほうはといえば、うちでも屈指の笑顔の達人である愛に引けを取らないほど輝いた顔を見せている。たったこれだけ、一枚の写真でもファンになってしまうのも無理はないほどだ。

 それは以前までのどこか張り詰めたのとは全く違って、心の底からのものであることは、比べて見ていた僕にはまるわかり。

 

「まだ成長途中だね」

「ふふ、そうみたいね」

 

 また笑みをこぼすランジュにつられて、僕の口角も上がる。

 最初に会った時とは……いや、最初からこんな感じだったか。詰めて詰めて詰めるところがあるけれど、奥底には純粋な女の子の部分がある。それが表層化してきただけだ。

 

 鐘嵐珠。

 今や彼女は、孤高のスクールアイドルなんかじゃなく、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の一員なのだ。

 実力も人気も抜群。プロ顔負けの度胸も影響力もある、新人ながらうちのエースと言っていい存在だ。

 その内面は子どもっぽく、興味のある事柄には突進するが如く手を突っ込み頭を突っ込む好奇心と行動力がある。

 誇っていい武器だ……って言うには弾丸すぎるけど、とにかくそういう性格だから、彼女はここに来てくれた。

 

「ここにいると、以前までの自分がまだまだだって思い知らされるわ。歌もダンスも完璧だったのに……スクールアイドルって、それだけじゃないのね」

 

 時代が変わればスクールアイドルに求められるものも違ってくる。昔はともかく今は容姿や実力だけでは足りない世界になっている。

 それもまた変わっていくのだろう。だけどその時に人気が出るのは、流れについていき進化していく者だというのは変わらないんだと思う。

 

「ところで、みんな遅いわね。いつもだったら集まってるはずなのに……」

「進路相談とか補習とか重なってるみたいだからね。あともうちょっとかかるよ」

「ランジュ、先に練習いこうかしら」

「まあ待て待て」

 

 立ち上がろうとする彼女を引き留める。

 

「そう焦ることもないよ。もうちょっとだから、ゆっくり待っていよう」

「そんなのでいいの?」

「そんなんでいいの」

 

 実際はソロアイドルなのだから待つ必然性はないのだが、せっかく同じ同好会に所属しているのだ。何もかもバラバラというのは寂しい。

 あともう少しすれば何人か来るはずだ。だから腰を落ち着けて、どっしり待っていればいい。

 一人の時は緻密なスケジュールを立てて、濃いトレーニングを積んでいたランジュから見ると緩いのだろうが。

 

 全く動く気配のない僕を見て、立ち上がりかけたランジュは逡巡した後、再びソファに腰を下ろした。

 

「なんだか落ち着かないわ。みんなとお泊りした時もそうだけど……」

「誰かといるのが、新鮮だから?」

 

 同好会に入った時も、しずくの家に泊まりに行った時もそうだったけど、いわゆる友達と一緒にいるランジュは普段より幾分か大人しい。

 大人しいというだけで冷静なわけじゃなく、そわそわしていてじっとはしていないけど。

 

「……そうかも」

「だったら慣れるべきだな。これからはずっとそうなんだから」

 

 これまで一人でやってきたからと言って、その方法をずっと続けていくことはない。同じ所にいるならなおさら。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会にいるならもっと。

 急にそうしろと言われても戸惑うだろう。だけどそうしなければいつまで経ってもランジュは一人なのだ。

 

「アタシは──」

「僕は君にいてほしい。他のみんなも、ランジュがここにいることを望んでる」

 

 ネガティブなことを言われる前に遮る。どうせ、ここにいていいかとかどうしたらいいかとか訊いてくるつもりだったのだろう。

 本人にとっては深い悩みだ。決して取り除けないくらい固まってしまってこびりついているものかもしれない。どうにかしようと思うなら、その部分を壊してしまうくらいの荒療治が必要になる。

 だから僕は彼女の存在を肯定しつつも、彼女のそういったところは否定していき続けるつもりだ。悪いところを固めてしまった周りも。

 

 かつて彼女と一緒にいた者は、同じものを見たくて、同じことをして、同じものを感じたくて、ランジュは引っ張り続けてきたことだろう。

 太陽のような強い眩さに人々は憧れ、最初はついていこうとする。そしてやがて、ついていけなくなる。ランジュは強いから、特別だからと言って、自分とは違う世界の人間だと一線を引いた。

 ランジュとの付き合い方というのは、そういうのじゃない。

 

「だからあとちょっと待ってて」

 

 生き急ぐ彼女に、ちょっと待ってと伝えるだけでいいのだ。一緒にいるから、少し止まってくれと言うだけでいい。無理についていこうとせずに。

 

「……分かったわ。みんな来るんだものね」

「そう。みんな来る」

 

 馬力のある彼女だから留めるには何人もの力が要る時もあるけど、根気強く付き合えばいつかは僕らも彼女も力を緩められる時が来るだろう。願わくば、それが今年度中であればいいんだけど。

 あとは、逆に彼女を牽引していくようなパワフルな友達でもいれば……と何人かの顔が頭に浮かんだところで、ガラッと扉が開いた。

 

「やっと課題終わったよー」

「うう、かすみん赤点取ってなかったのに……」

「これまでギリギリだったからしょうがないよ、かすみさん」

 

 ちょうどそれぞれの用事が終わるタイミングが重なったのか、みんな一斉に入ってきた。

 既に着替えてきたのも何人かいて、早く練習を始めたいと目が爛々としている。

 

「お、ランジュやる気満々だね。愛さんも準備万端だよ!」

「ワタシも全開モード! ランジュ、400m勝負シヨ!」

「ニジガク最速を決めよう」

「負けませんよ!」

 

 来たばかりだというのに、スポーツ得意なのと熱血なのがバッグを置いて早々外へ行こうと囃し立てる。

 競争はいいけど、ちゃんとウォーミングアップしてからにしなさいね。

 

「ほらほら、ランジュこっちこっち」

「え、ちょ、ちょっと……!」

「ヨーシ、ぶっちぎりデ勝っちゃウ!」

 

 愛が手を引っ張り、ロッティが背中を押す。その有無の言わせなさはランジュ以上で、当の彼女は……

 

「仕方ないわね。ランジュがトップだってこと、思い知らせてあげる!」

 

 ほんの少し困ったような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべていた。



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91 ここそこ戯れ

「同好会のルール?」

「はい。郷に入っては郷に従えと言いますし、まずは同好会の中でのルールを知らないと、と思いまして」

 

 練習が始まる前、部室で栞子はそんなことを言ってきた。

 言ってることは分かる。人が集まればルールが出来て、それを守らなければ村八分なんてこともあるくらいだ。あとから入部してきた彼女、後ろにいるミアやランジュにとってはまず最初に頭に叩き込む必要があるのだろう。

 しかし……

 

「ルール……ね。そんなのあったっけ」

「先輩の言うことは絶対だと聞きました。なので、その、どういったことでもお受けするつもりです」

「君は僕に委ねるのやめなね、ほんと」

「えっちなのはダメよ!」

「しないよ」

「え、しないの?」

「ちょっとあれだな。ルールより君たちの認識を正すところから始めないとだな」

 

 どうしてこんな馬鹿みたいな齟齬が起きてるんだか。

 僕はため息をついて、ホワイトボードを引っ張ってくる。大きな丸を書いて、その中に全員の名前を場所はばらばらにして書いた。

 

「この同好会はお互いが仲間でライバルっていうのを掲げてて、先輩後輩はあるけど、それぞれ上下関係なんてものはないんだ」

「湊が唯一トップで、あとはみんな言うこと聞いてるって聞いたわ」

「そうなんですか……!」

「だからみんな、湊の言うことにはしっかり従ってるのねって思ったんだけど」

「王政だったのか、この同好会は」

「違うよ。なんでちょっと納得してるんだよ」

 

 誰だ、そんな適当なことを言いふらしたのは。さては面白がって変なこと言ったな。みんなのほうに目を向けると、全員さっと目を逸らした。

 

「僕と侑の立場はマネージャーで、サポーターで、作曲家。みんなを支えるのが役目で、それにも上下関係はなし」

「みなさん対等ということですね」

「そういうこと。これが大前提。分かった?」

 

 学年も入部した順番も関係ない。全員平等。

 誰かが妙なことを吹き込んだせいで、しなくていい遠回りをしてしまった。

 

「で、めでたく認識を改められたところで、同好会のルールについてだけど……あったっけ、部長?」

「かすみんを毎日可愛いって褒めることでーすっ」

「無いってさ」

「ちょっとぉ!」

 

 校風も自由なら、同好会活動も自由。基本的に、あれをしろとかこれをするなみたいな厳格な決め事は存在しない。

 みんながちゃんとものを考えられているなら、わざわざ縛る必要はないのだ。当たり前のことをルールとして定めておくことは重要だけど、守れているなら特に書き出しておくこともないし。

 

 ホワイトボードに書いてあるものを消していると、 ランジュが手を挙げた。

 

「じゃあ、なんでもあり?」

「常識の範囲内でなら」

「アピール抜け駆け策謀あり?」

「ありよ。ありあり。スキンシップにデートにお家に誘うのも。ただあまり激しすぎると、湊くんの体がもたなくなるから注意よ」

 

 他のアイドルよりも自分を良く見せるためのことかと思いきや、そうじゃない返答が後ろの果林から返ってきた。

 

「僕の知らないところで、僕のことに関するルールが出来てるっぽいんだが」

「そうね」

「そうねじゃなくてね」

 

 

 

 

 新しく同好会に入った三人は他のメンバーに追いつくために、いつもの練習メニューとは別にさらなる特訓を自らに課していた。

 しかし練習はまだまだ始めたてのミアと栞子、複数人での練習の経験は全くと言っていいほどないランジュ。そのせいで必要かつ効率的な練習方法というのが思いつかないようで、僕を頼ってきた。

 もちろん、僕は二つ返事で了承。他には成長した自分たちの姿を見せたいため内緒にしていてくれという申し出にも、首を縦に振った。

 幸い、虹ヶ咲は広い。人目につかない場所はたくさんある。

 

 密度の高い練習を積んできたランジュは言わずもがな、栞子やミアの成長は著しいものだった。元々持っていた才能のおかげもあるのだろう。

 これからを楽しみにさせてくれるようなこの三人に、僕は少しだけわがままを出した。事前に考えていたよりも厳しめの練習をさせてしまった。体力のあるランジュはまだ余裕が残ってそうだったが、栞子とミアは流石にへとへとになっていた。

 クールダウンをさせた後は、もういい時間になっていたので今日のところは終了。特訓場所としていた教室から満足げな三人と僕は、部室へ戻ろうとしてた。

 途中、廊下の壁の電子掲示板には、たくさんのお知らせが表示されている。吹奏楽部や軽音楽部の卒業公演とか、大学願書取り寄せを忘れないように、とか。

 その一つ、特に僕の目に留まったのは、生徒会長の立候補者を募集する掲示だ。

 

「ああ、もうそんな時期か」

「生徒会メンバーの募集ですか」

 

 栞子が興味ありげに覗き込む。

 

「うん。二学期で任期は終わり。三学期からは新体制。基本的には立候補だけど……今回は何人集まるかな」

「そんなに人気なの?」

「虹ヶ咲で生徒会をやっていた、ってかなりの点になるみたいでね。会長だけじゃなくて他の役職も毎年それなりに立候補者が出てくるよ」

 

 生徒、部や同好会が多く、ルールが少ない虹ヶ咲はその特性上、生徒会に多くの仕事が舞い込んでくることで内外問わず有名だ。

 そこで見事な運営を果たしたと言えば、相当なプラスになるらしく、意外にもやる気の人は少なくない。

 点数目的の人もいるので不安になるところだが、元々能力のある人が生徒会入りとなるのか、それとも生徒会に入ったから有能になるのかは分からないが、未だ自由が失われていない虹ヶ咲を見るにどの代もちゃんと責務を全うしているらしい。

 

「それって、誰でもなれるの?」

 

 ミアの問いに、僕は頷いた。

 

「短期留学生じゃなければ。だから、ミアとランジュは残念ながらなれないね」

「いや、別に興味があったわけじゃないんだけどさ。じゃあ例えば、一年生とかでもなれるわけ?」

「なれるよ。流石に三年生は無理だけど、一年生でも二年生でも、せつ菜が続投することも出来る。その前の生徒会長だって……」

「だったら、栞子もなれるってわけね!」

「私が、ですか?」

 

 ランジュが不意にそんなことを言うと、栞子は首を傾げた。

 

「今だって、生徒会の仕事を手伝ってるんでしょ? そのまま会長を襲名しちゃったらいいじゃない」

「そんな簡単に立候補していいものではありませんよ、ランジュ」

「ええー?」

 

 ランジュは不満げだが、栞子は首を横に振った。

 

「生徒会長というのは、生徒のことを第一に考えて、実行できる能力が必要です。安易に出来ると思ってやれるものではありません」

「ボクはいいと思うけどな。栞子はしっかりしてるし、周りのこともちゃんと見てる。スクールアイドルフェスティバルと文化祭だって、栞子が提案して成功させたんだろ? 実績だって十分だし」

「僕も全く同意」

「ミ、ミアさん。湊さんまで……」

 

 実際、栞子がしてきてくれたことを考えると、文化祭の実行委員などの一時的に組織されるグループに収まるような器じゃない。

 いろんな部や有志の人たち、先生とも交渉し合って大きなお祭りを成功に導いた手腕は誰もが認めるところだし、本人もそれにやりがいを感じている。となれば生徒会は彼女にぴったりの場所だ。

 

「やれって言ってるわけじゃなくてね。ただ、栞子風に言うと、『素質があります』」

 

 つまり同好会にもメリットはあるということだ。

 生徒会の動向や各部活の状況をいち早く知ることが出来るのは、なかなか便利なのだ。様々な活動をするにあたって先手を打つことが出来るし、トラブルが起きてしまった時にも早め早めの対処が出来る。生徒会に知り合いがいると、何かと融通が利いたりするしね。

 

「栞子は、生徒会長に興味ないの?」

「この学校みなさんの為になることをしたいというのは、ずっと思っていることですが……」

 

 顎に手を当てて思案し始めた栞子を見て、ミアはこっそりと口を僕の耳に寄せた。

 

「それって、適性があるどころじゃないと思うんだけど」

「時間の問題かな」

 

 にっと笑って返して、すぐさま栞子に向き直る。

 

「募集期限まではまだもう少しある、けど、逃したら一年待つことになる。悩みどころだね」

「悩ませるようにしたのはみなさんです」

 

 この高校三年間だけでも、悩みは尽きない。これからもたくさん頭を抱えることになる。そうやって迷うことを、僕は悪いことだとは思わない。

 紆余曲折あって解決して、進んでいくのが人生だ。

 どうしようもないとなったら、うちには頼りになる先輩たちも現生徒会長様もいることだしね。



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92 同好会であること

「でね、これが湊とロッティとディアと一緒に遊園地に行ったときの写真!」

「遊園地……羨ましい」

 

 放課後、僕が部室に着いた時には、ランジュが今までに撮った写真を見る会が始まっていた。

 丸テーブルの上に置かれたスマホを囲んで、まだ来ていないかすみ以外が一枚ずつにリアクションしている。

 今はスクールアイドル展に行った時の写真を見せているみたいで、その待ち時間で寄った遊園地の話題になっている。

 

「あの時は私たちも行きましたけど、別グループでしたから……」

「いいなあ。ロッティちゃんもディアちゃんも楽しそう」

「ドヤ」

「えっへん」

 

 メインの用事ではなかったんだけどね。

 

「えぇー? アタシも行きたかったな、ね、カリン」

「そうね。ハブられた同士で一緒に行きましょうか」

「さんせ~い。みんなが妬むくらい楽しむぞ~」

「湊くんにいじわるされたぶん、返しちゃうんだから」

「意地悪してたんじゃなくて、君たち都合つかなかったんだろ、あの時」

 

 そう言っても、納得してくれないみたいだ。めっちゃ睨んでくる。こういう場合は、すぐ負けを認めてしまったほうがいい。

 

「分かった分かった。今度一緒に行こう、みんなで」

「やったー!」

 

 そうやって和気あいあいと会話していると……

 

「大ニュースです!」

 

 大げさに扉を開けて、かすみが入ってきてそんなことを言った。

 

「なんと、私たちスクールアイドル同好会が、スクールアイドル部になっちゃうそうなんです!」

 

 彼女が叫んだ、あまりにも急なことに僕らはぽかんとする。

 なっちゃう、とは一体どういう意味なのかが理解できず固まったままでいると、信じられていないと感じたのかかすみは続ける。

 

「確かに聞いたんですよ。みなさんが話してるのを!」

「ただの噂話ですね。そもそも部への昇格は希望制です」

 

 せつ菜がぴしゃりと否定した。

 そういう話を第一に知れる彼女の言葉には説得力があり、みんなは噂話よりもそちらを信じて息を吐いた。

 

「なぁんだ。ちょっとびっくりしたよ」

「ですが実際、部になることは可能だと思います。実績は十分ですし」

 

 栞子の言う通り、たくさんライブも行って、文化祭と一緒に規模の大きいフェスティバルも行った。同好会がやることのスケールはとうの前に超している。

 この同好会が部になりたいと申請を出してそれがあっさり受け入れられても、学内でも外でも誰の文句も出ないだろう。

 

「部になると、何が変わるの?」

「分かりやすいところだと、予算増額かな」

「より広い部室や、トレーニングルームが使用できるようになったり、あとは正式に学校の公認となるので公式大会に出場することができます」

「ラブライブだネ!」

「ラブライブは、部であることが出場資格の一つだから、元々は部の昇格も目指していたところだけど……この同好会はもう出る気はないから、どうしようか」

 

 予算増額は魅力的だけど、今は特に困っているわけじゃないし。

 

「出場したかった?」

「別に。ボクは歌えればそれでいい」

 

 璃奈の問いに、ミアは即答した。こういうふうに、ラブライブに関心がない者もいたりする。

 そこで、不思議そうにきょろきょろとみんなを見ていたディアが手を挙げる。

 

「でも、部になるとメリットはある」

「受けられる恩恵は大きくなるんだけどね」

「だけど?」

「実績があると部として認められるってことは、部であるためには実績がないとだめってことなんだ。今まで僕らはやりたいことをやってきて、その結果として実績がついてきたけど、部になると実績(それ)が目的になって手段になる。それが悪いとは言わないけど、僕らのやり方とはかけ離れたものになってしまう」

 

 いろんな学校で、同じような部が二つ以上あることは少なくない。虹ヶ咲だってそうだ。一見して似たような同好会がたくさんある。本気で賞を狙いに行ったり、楽しむだけしたいとか、ここのスクールアイドルみたいにみんなやりたいことがばらばらだからだ。それが部というものになってしまえば、ある程度の制限なり制約が挟まってくる。

 

「もちろん今言ったのは可能性の話であって、絶対にそうなるってわけじゃない。部でも楽しくやってるところはある」

「デモ、新しイ人が入ってきたラ、このままジャいられなくなるカモ?」

「そういうこと」

 

 自由がこの同好会のカラーだ。それでやってきたし、それで認知されている。しかし来年度から新しく入ってくる人がいて、ここが部になっていたらそれで納得してくれるかどうか。そしてそれを否定する権利が先輩になる彼女たちにあるかどうか。難問だ。

 

「まあ、急いで答えを出す必要はないんじゃない?」

「そうだね。もうすぐ定期試験も始まるし、考えるのはその後でいいかも」

 

 侑たちがこの件を一旦保留にさせると同時に、果林がぐぬぬと歯嚙みする。そんな顔をするのは彼女だけじゃなく……

 

「て、定期試験……!」

 

 かすみもだ。

 

「学生の本分は勉強。最優先事項だ。あまり酷い点数を取ってしまうと、先生方に睨まれて同好会活動にも支障が出てしまうから頑張らないとね」

 

 念押ししておくと、かすみと果林は揃ってさらに苦い顔をした。追い詰めるのはあまりよろしくないけど、かすみは特に以前赤点を取ってるし、果林も三年生で低すぎる点数だと留年の危機がある。

 スクールアイドル同好会の活動をしていたせいで成績が悪くなりました、なんて言われることは避けたい。

 

「大丈夫。一緒に勉強しよ」

「えいえいおー」

 

 一年生は大丈夫そうだ。しずくも璃奈も科が違うとはいえ共通している教科は教えられるくらい成績がいい。

 二年生もせつ菜と愛がいるから問題ないだろう。

 

「じゃあ僕たちも……」

「そうだね。集まって勉強しようか」

「では、各学年それぞれ協力しあって、ベストな成績を目指しましょう!」

 

 せつ菜の号令に、僕たちは拳を挙げる。かすみと果林は、やっぱり乗り気じゃなかった。

 

 

 

 

 音楽科と国際交流学科、ライフデザイン学科とそれぞれ特殊な科にいる三年生の勉強場所は、特にこだわりがあるわけではなかったので僕の教室でやることに決まった。

 

 科も違えば範囲も違う。特に専門の科目は他の人にはどうしようもないが……共通している範囲は十分助けになった。

 ふう、と一息ついて顔を上げると、正面に座っていた果林は上の空だった。僕が声をかける前に、彼女は頬をエマにつつかれる。

 

「果林ちゃん、ぼーっとしてる」

「疲れたんなら、お昼寝が一番だよ。はい、どーぞ」

 

 そう言って彼方はずっと抱えていた枕を差し出す。流石に、この申し出を果林は苦笑しながら断った。

 

「ちょっと部の昇格のことを考えてただけ」

「確かに悩むよねぇ。湊くんは同好会派?」

「どうかな。まあ部になることでステージ使用の優先度が上がって使いやすくなるとかはあるけど」

「もう、三人とも」

 

 勉強から脱線しかけたところを、エマが注意する。

 

「果林ちゃんは特に、前回も赤点ぎりぎりだったんだから」

「う」

「大変そうだね、果林は」

 

 教科書を広げるでもなく、ずっとドリンクを飲んで眺めていたミアがにやにやとしながら入ってきた。

 

「ミア、あなたは勉強しなくていいの?」

「No. No need to. ボクはステイツじゃ大学に通ってたんだよ」

 

 僕らは目を丸くする。

 十四歳で高校三年生だというのにも驚きなのに、あっちだと大学生。飛び級制度があるとはいえ、高校すっ飛ばしてしまうなんて……

 

「勉強、教えてあげようか、果林?」

 

 ふふ、と笑ってミアは挑発するような顔をする。負けじと表面上は余裕な顔で返す果林。

 

「ありがとう、ミア。なんだか無性にやる気が出てきたわ」

 

 

 

 

 たった一日勉強会をしたところでお疲れ様でも何でもないが、せっかくみんな揃っているのにすぐ解散というのも面白くない。

 というわけで、束の間の気分転換ということで、近くのクレープ屋台で各々好きなものを注文し、ベンチに座って舌鼓を打っていた。

 

「このチョコクレープ、とってもボーノ♪ みんなも食べて」

「じゃあ、私のハムチーズも食べてみて」

「私、甘くないクレープって食べたことないです」

 

 こういうところでもバラバラなため、食べさせ合いっこをする女の子たち。よほど疲れたのか、甘いのもしょっぱいのも欲しがる気持ちはわかる。

 

「お兄ちゃん、私たちも交換する?」

「そう言ってくれるなら、違うやつを注文したらよかった」

 

 自分のを一口食べて、僕は周りを見渡す。果林は相変わらず考えたままの様子で……同じのがもう一人。かすみだ。

 

「まだ悩んでる?」

 

 かすみはこくりと頷いて、ぱっと立ち上がった。

 

「みなさん! 部の昇格のこと、ここで決めちゃいませんか? ……とは言っても、かすみんはまだはっきりした答えが出てないんですが」

「やっぱり、もう少し考えてみたほうが──」

「でも!」

 

 果林が言い返すが、かすみは遮った。

 

「こうやって悩んでる時点で違うかなって思うんです」

 

 みんなはそれを否定しない。

 居場所の在り方が変わってしまうということは、それぞれのアイドルとしての在り方も変わるということで……誰の望むところでもない。

 分かっているから、部にしようと言い出す人がいないのだ。

 

「そうかもしれません」

「私たちは、いつでも団結してるわけじゃない」

「やりたいことも叶えたい夢も違うしね」

「それでも私たちが一緒にいるのは、思いが一つだから」

 

 一度せつ菜が始めたら、それぞれ溜まっていたものを吐き出す。

 

「ステージに立つときはバラバラでも、みなさんとスクールアイドルがしたいです」

「それに、スクールアイドルが好きなところは一緒だよね」

「まさに同好会だね」

「ワタシ、イマの同好会が好キ!」

「みんながいるから、同じものが好きだから、ここが好き」

 

 これまでずっといた子も途中から入ってきた子も、全部バラバラだ。年齢、科、スクールアイドルになった経緯も、やりたいことも、人種すら。

 それでも同じ場所にいるのは、ここがその全てを包み込んでくれる場所だからだ。

 

「ランジュも大好きよ。スクールアイドルも、ランジュのことを受け入れてくれたみんなも」

「私、虹ヶ咲じゃなかったら、スクールアイドルになっていなかったかもしれません」

「ボクも、この場所は気に入ってるよ」

 

 最近加入した三人も、共通した認識を持っている。不思議と、というような枕詞はつかない。そういう場所にしたんだ。ここにいる全員で。

 

「だったら、これから入る誰かのためにも、今の私たちでいたいです」

「決まりだね」

「ええ。部の申請はしません。私たちはこれからもずーっと、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会です!」

 

 われらが部長が、悩みを振り切って高らかに宣言する。

 これは停滞じゃなく、前進するために必要なこと。やりたいことをやるために、やれることの幅を広げるための無変化。そういうのもありだろう。

 同好会は変わらない。変わらない、僕らの居場所。



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93 塗りつぶし

 昼休みは、学内のどこもかしこも賑わっている。食堂なんか行けば、座れる席を探すのが大変で、結局購買のパンを買うなんて生徒も少なくない。

 僕は弁当を作ってきているから大人しく教室で食べようかとも思ったけれど、どうしても誰かに話を聞いてもらいたくて普通科の教室にお邪魔した。

 向かった先は普通科特進クラス。この学校でもトップクラスに頭が良い集団の、さらに上澄みである彼の隣の席を使わせてもらう。

 彼も同じく自作の弁当で、栄養バランスは取れているが僕のより二回りほど大きい。普段、勉強とスポーツに打ち込んでいて、使うエネルギーがとんでもないのだろう。

 

「期末テスト、もうすぐだな。お前は大丈夫なのか?」

「ぼちぼち。君は?」

「完璧」

 

 冗談めいているが、本当に完璧に仕上げてくるのが彼だ。その脳みその十分の一でも貰えれば悩みが一つか二つ減るのだろうけど。

 そんなことは置いておいて、僕は誰かに聞いてもらいたいこと、最近の同好会について余すことなく話をした。

 

「それで、同好会のまま、部にはならないと」

 

 僕の話をじっと聞いた後、彼はそう言った。

 

「まあ、いいんじゃないのか。そこにいる奴がいいと言うなら、それがいいんだろ。止まってるってわけじゃなさそうだしな」

 

 同好会でいつづける選択を、彼はなるほどと頷いて肯定した。

 頭でっかちでなく、ちゃんと理解してくれるから話を聞いてもらったが、やはり正解のようだ。

 

「だけどお前はスッキリしてないって顔だな」

「相変わらず目ざといね」

「今のお前を見たら、みんなそう言う」

 

 そんなに分かりやすい? あっさりと言い当てられるあたり、太文字のゴシック体で書いてあるんだろうか。

 冗談は置いておいて、僕はその通りと言って続ける。話したいこととしては、こっちが本命だ。

 

「スクールアイドルフェスティバルやってる時には全く感じてなかったんだけど、なんかさ、何もやってないときにこう……モヤモヤしたものが……」

 

 最近どうにも落ち着かない。合間合間の時間に、ふと心を覆うような何かがやってくるのだ。それがいまいち何か測りかねている。

 別のことを考えていたり、体を動かしている時にはそれが頭の隅に追いやられるから、そういった不安を感じた時には何かしら出来ることはないかと探している。

 おかげで一学期の時のような、忙しい日々に逆戻りだ。

 

「スクールアイドル同好会には相談したのか?」

「それはなんか……あの子たちには言いづらくて」

 

 そう。そしてこれが不思議なことなのだが、どうも同好会のみんなには……特に年下にこの話を持ち掛けようとすると、口が止まってしまう。同じクラスのミアに言わずにここに来たのも、それが原因の一つだ。

 

「なるほど」

 

 僕がかなりの時間をかけて悩んでいることに心当たりがあるようで、彼はまた頷いた。

 

「分かったの?」

「大体な。そうか。前までの天王寺ならともかく、今の天王寺がねえ……」

 

 彼はにやりとした。

 

「答えだけ教えておいてやろうか」

 

 僕が頷くと、彼は人差し指をぴんと立てた。

 

「後で悔やむと書いて後悔」

「そりゃ当然そうなんじゃ……」

「それが分かってる奴なんて、世界で1%もいない」

 

 そうは言われても、そんな当たり前のことをいきなり言われて、それが答えだなんて示されても困る。ただ、読んで字のごとくってだけじゃないか。

 

「……もうちょっと分かりやすく教えてくれない?」

「言ったら全部言うことになる」

 

 

 

 

 天気が良くない。

 分厚い雲が太陽の光を遮って、朝から暗い雰囲気がずっと続いていた。

 放課後になってもそれは変わらず、外に出ると陰気な空と寒い風が身も心も凍らせてくる。

 

 今日は練習が休みの日だ。ただ、こういう時にも一人で過ごすことは少なくて、誰かを誘ったり誘われたりして、遊びに行くのがいつものこと。

 しかし、僕は、遊びに行く気分じゃなくて、かと言って勉強にも身が入らなくて、なんとなく外に出てため息をつけば白い息。

 いつもは何かやらなきゃいけないことがあってそれに従事しているけれど、今日ばかりは全く、何にも手がつかない。

 帰って、適当にご飯を済ませて寝てしまおうか。璃奈は外で食べてくるそうだし。

 校門を出たところでまたしてもため息が出て、その跡を目で追っていると、視界に見知った顔が映った。

 

「果林」

 

 近寄って声をかけると、彼女はこちらに振り返った。

 

「湊くん、どうしたの?」

 

 そこで、数秒の沈黙が流れる。

 声をかけておいてなんだが、何か用があったわけじゃない。ただ何というか、そうした気持ちが勝ったのだ。

 何も言えないままの僕に対して、彼女は踵を返す。

 

「ごめんなさい……今、一人でいたいの」

「奇遇だね。それは僕も同じ」

 

 気分が少し落ち込んで、モヤモヤしたものが胸の中にあって、それを整理したい。それには誰にも邪魔されず、一人でいられる空間と時間が必要だ。

 僕はこのまま家に帰って、あるいは静かな図書館とかに行って、明日からを普通に過ごせるように考えを詰めたほうがいいのかもしれない。

 

「でも来てほしい」

 

 自分の中で出た答えとは裏腹に、モヤモヤが僕を突き動かす。

 何をするか、どこへ向かうか、そんなことすら決めずに彼女の手を引く。

 

「あ、もう。強引ね」

 

 果林は困ったような顔をしながら、抵抗もせずについてきた。

 

 

 

 

 ほとんど会話を挟まずにゆりかもめに揺られること約十分。お台場海浜公園駅で降りた僕たちはゆっくりと歩く。

 

「もうすっかり冬だね」

「ええ。しっかり着込まないと風邪引いちゃうかも」

 

 目の前は川。柵の手すりに指を這わせながら、いつか来た場所で止まる。

 

「ここに来るとあれ思い出すね、水上バス」

「……前に乗った時は、愛と美里さんが一緒だったわね」

「そうだね。あの時は楽しかったな」

「昨日のことのように思い出せるわ」

 

 僕も同じだ。ほとんど一日中遊び回って帰った時にはへとへとだったけど、あれくらいはしゃげたのは久しぶりだった。

 思い返せば、同好会を始めてからあったことは鮮明に覚えている。みんなそれぞれの加入やライブ、フェスティバルみたいな大きなことから、普段の他愛ない会話まで。

 一学期と二学期、短い間だけれども濃く長くその中にいることができた。けど、過ぎてしまえば、やっぱり短かったとも思える。

 

「ねえ、湊くん。どうして今日──」

「果林ちゃーん! 湊くーん!」

 

 果林の声を遮ったのは、向こうから駆けてくる二人の女子。驚くことにそれは、ここにいるはずのないエマと彼方だった。

 

「エマ、彼方、どうしたの?」

「電車から二人が見えて、もしかしてこの公園に行くのかなって」

「隣の駅から走ってきちゃった」

 

 息を切らしてそう言う二人に、僕らは目を見合わせた。

 

「走ってって……来るなら連絡してくれたらよかったのに」

 

 そのことにいまさら気づいたようで、エマも彼方もあははと笑ってごまかした。

 

「なにしてたの?」

「果林を連れまわしてた」

「目的地はないみたいだけど」

 

 陽はもう落ちそうな時間だが、雲のせいで辺りは真っ暗……とは言わないが、灰色一色になっていた。そう見えてしまうのは天気のせいか、僕の気分がその色と一緒だからか。

 大した反応も返せないまま、四人で手すりにもたれかかる。

 沈黙が流れるまま、ふと横を見るとエマと彼方がこちらを見ていた。僕と果林のほうを。

 

「もしかして、私のこと心配してくれてるの?」

「えっ」

 

 先に言ったのは果林だ。いかにも図星を突かれたという様子の二人に、くすりと笑う。

 

「やっぱり。お節介ね」

「ばれちゃったか~」

「おかしいと思ったのよ。あなたたちがわざわざここまで走ってきたのも、湊くんが誘ってきたのも」

「僕は、そういうのじゃないよ。自分のことで手一杯」

「自分のこと?」

 

 僕は曖昧に頷いた。

 

「自分でもよく分からないんだ。ただ、このままでいたいけど、このままでいたくない、みたいな……」

 

 矛盾しているのかどうかも分からない感情が渦巻いている。激しく、ではなく、ゆっくりと飲み物でもかき混ぜるように。

 

 そう言って、再び沈黙が訪れた。

 十分もすればそこかしこの照明がつくくらいの闇が来て、川の向こうに見えるビル群が小規模なイルミネーションみたいに映った。

 

「同好会に入って半年と少し、これまでじゃ考えられないくらい楽しかった」

 

 光を反射する水面を見つめながら、果林が口を開く。

 

「みんなで、なんてしてこなかった私が、こんなにも多くの仲間と過ごして、いろんなことに挑戦して、叶えて……その中で、そう、あともう少ししかないんだって気づいちゃったの。湊くんも、同じことで悩んでるんじゃない?」

 

 言い返そうとして……僕は「そうかも」と呟いた。

 

「僕ら三年生は、もうすぐでいなくなる。一学期の時にはそれを待ち望んでた時もあったけど、今は……来てほしくない」

 

 同好会から遠ざかろうとした僕はもういない。代わりに残ったのは、今を延ばして先へ行きたくないただの男だ。

 

「寂しくなっちゃったんだね。昨日までの時間が楽しすぎちゃったから」

「分かるよ。同じ気持ちだから」

 

 寂しい。そう、寂しい。複雑なものじゃなく、ただそれだけのことに僕はこんなに惑わされてしまっている。

 

「もっと早く始めていたら、もっと長くいられたら。そんなことをずーっと考えてる」

 

 感じていたモヤモヤの正体を、僕はずっと分かっていた。

 他のみんなは学年が一つ上がるだけ。けど僕らはこの学校からいなくなる。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のメンバーとしていられるのも、あと半年もないのだ。

 そうしたら、もう気軽に会えなくなる。少なくとも今のように毎日顔を合わせることは出来なくなる。その実感が湧いてきて、すごく胸が切なくなってしまうのだ。

 

「やっぱり、あなたも同じなんじゃない」

「だから果林ちゃんを誘ったんだね」

 

 僕は頷いた。

 果林が同じような悩みを抱えているであろうことは、顔を見て分かった。

 一人で考えたいけど、一人でいたくない。だから果林と一緒にいて、余計な会話を挟まずにいれば、答えを出せるかと思った。

 結局、寂しいという感情が増幅されただけだったけど。

 

 エマが果林の手を包む。

 

「もったいないよ。過ぎたことやまだ起きてないことでそんなに悩んでたら、今がどんどん過ぎてっちゃう」

「そうだよ。みんな、今やりたいことを重ねて、楽しい時間を作ってきたんでしょ? だったら、これからも今を楽しまなきゃ」

 

 彼方はその上からさらに自分の手を重ねた。

 

「それでいいのかしら」

 

 迷う果林は、二人から目を逸らして僕のほうを見る。

 

「え、僕? 僕も果林側なんだけど」

「こういう時、背中を押してくれるのがあなたでしょ?」

「プレッシャーをかけてくるね、君は」

 

 悩みを自覚したのがついさっきだというのに、無茶なことを仰る……

 

 重ねられた三人の手を見る。

 高校三年間、大したこともなく過ぎて終わるかと思っていた。それが、山あり谷ありの人生に激変した。刺激がなかったと言えば嘘になる。大嘘だ。

 そしてそれは……今さら言うまでもなく楽しかった。つまり、今までを総括すると花丸をつけられるくらいには良いということだ。

 その『良い』が『良かった』に変わるのは今じゃなく、これから先、もっと先だ。

 

「果林、一人でステージに立つのは好き?」

「ええ、好きよ」

「ユニットで……Diver Divaでステージに立つのは?」

「好き」

「みんなでは?」

「もちろん好き。これまでにないくらい、今までの人生じゃ考えられなかったくらい、楽しかったわ」

 

 僕だって好きだ。みんなといるのが、みんなのために曲を作るのが、作った曲を歌うみんなを見るのが。

 それは今しか楽しめないことで、今だからこそ出来ることで……

 

「だったら、それを続けよう」

 

 彼方の手の上に、さらに僕の手を乗っける。

 

「今まで通り、好きなことを、全力で。寂しさを感じないくらい、考えつくこと全部やってさ、泣くなら後で泣いてやろう」

 

 どうせ多分、最後の時には感極まってしまう。だったら、寂しいとか悲しいとか感じるのはその時に任せて、今この時、これからは残された高校生活をやりたい放題するほうが有意義だ。

 

「そうね。だったら……」

「私たちのやりたいことをやろう」

 

 そしてそれが何かは、もう決まっている。

 果林は早速スマホを取り出すと、みんなにメッセ―ジアプリで、次のイベントを提案する。すると、すぐに返事が来た。

 

 大きく離れた場所にいる人はいなかったようで、送信してから三十分以内には、みんなが息せき切って現れた。正式な返事は明日、と書いたのに待ちきれなかったようだ。

 寒い中走ったにも関わらず、わくわくを隠せない表情の愛が、がばっと果林に抱き着く。

 

「いいよ、めっちゃいいじゃん!」

「私たち同好会のファーストライブ。すっごく面白いことができそう!」

 

 僕たちが提案したのは、全員のやりたいことを詰め込んだ、集大成となる虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会だけのライブだ。

 僕も侑も、新しく入った子も、みんなで一緒に同じ場所から同じものを見られる、僕たちだけの思い出。

 

「ソロもユニットもグループも、私たちの全てを詰め込んだステージですね」

「楽しソウ!」

 

 賛成が大前提となって、まだコンセプトも何も決まってないうちから、あれもやりたいこれもやりたいと口々にアイデアが飛び出してくる。

 ライブをしよう、と持ち掛けた僕たちより前のめりな子たちを見て、気圧されると同時に頬が緩んだ。

 果林も、ふふ、と笑って顔を近づけてきた。

 

「満場一致ね」

「これなら当分は忙しくて寂しくなる暇もなくなるな」

 

 時間が経つごとに夜はどんどん冷えていく。でも、いつの間にか心の中にあった穴はどこかへいっていた。



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94 そぞろぞろぞろ

 ファーストライブに向けた準備が本格的に始まった。

 今回ばかりは流石に、フェスティバルの時のように後輩に任せることはしない。今年の全てを詰め込んだステージになるのだ。一員として、僕も全力で関わる。

 例によって、やることは山積み。場所を抑えるのはもう済んだが、ライブの構成、演出、大道具小道具作成、告知もろもろ……

 今、その仕事の一つ、服飾同好会と衣装の打ち合わせを終わらせた僕と果林は、早速成果報告のために部室へ戻ろうと廊下を歩いていた。

 

「相変わらずモテモテだったね、君は」

 

 打ち合わせ時に、ファッションに詳しい果林を連れて行ったところ、あちらの部員がキャーキャーと騒いだのだ。

 まあ女子中高生の憧れのモデルで、大人気スクールアイドルとなった彼女を目の前にすればそうなってしまうのも無理はない。

 そういうわけで最初のほうは多少横道に逸れることもあったが、いざ話し合いが始まるとやる気満々の服飾同好会は僕らの提案以上のアイデアを次々と出してきて、しかもスムーズに進んだ。

 

「それは嬉しいけど、肝心の人が私だけに夢中になってくれないのは、少しショックね」

「へえ。君にも独占欲があったとはね。そうしたいほどの人?」

「ええ。優しくて頼りになって、音楽科にいる素敵な男の子なんだけど」

「へえ。そんな人がいるんだ」

 

 虹ヶ咲には男子は少ないほうだから、科が一緒なら学年が違くても見知ってるはずだけど、果林がそれほど熱を上げる人がいるとは。

 

「……料理も上手で、家族も仲間も大切にしていて、人気のある曲をたくさん作った人」

「そんなのいるの? 聞いたことないな……」

 

 知っている男子を頭に浮かべてみるも、そんな人はいなかった気がする。大体は授業である程度作曲させられるけど、人気のある、となると……うん、やっぱりいない。匿名で活動しているとかだったらお手上げだ。

 

「はあ……どうしてこんな鈍感な男に、私もエマも彼方も……」

 

 果林は心底呆れたようなため息をついた。

 

「湊くん、刺されないように気を付けてね」

「なんでそこで僕が出てくるんだ」

「さっきからずっとあなたの話しかしてないわよ」

 

 してなくない?

 

「……さっきの男の子の話、付け加えるわ。人の気持ちに鈍いところはあるし、かと思ったら人たらしだし、女の子を侍らせるし……」

 

 なんだそれ。さっきの話とは打って変わって、良くない印象がすらすらと出てくる。

 

「その人から離れたほうがいいんじゃない」

「出来ないし、出来たとしてもそうしたくないのよ、残念なことに」

 

 もう一度大きなため息をついて、彼女はこちらをじろりと睨んだ。美人の真顔は怖いのだからやめてほしい。

 離れられないとは奇妙な。科も違うんだから、そっとフェードアウトすればいいのに。

 

「今度こそ私だけしか見れなくしてみせるわ」

「ああ、えっと……が、頑張れ。君ならきっと魅了できるよ」

「そう思う?」

「保証するよ。僕はその一人だからね」

 

 そう言うと、彼女は拳で僕の肩を小突いてきた。一度だけじゃなく、二度、三度。

 

「いたいいたい。何するんだ」

「これでチャラにしてあげる」

 

 応援したんだから殴られる筋合いありませんことよ。

 

「……まあ、元気になってよかったよ。この前まで寂しいってなってたのに」

 

 それはあなたもでしょ? と果林は言って、続けた。

 

「エマと彼方が言った通りよ。今を楽しまなくちゃ。三年生なのに、こんなわがままばっかりでいいのかって気持ちもあるけれど」

「いいんじゃない」

「でも、せっかくだし何か残したいじゃない。先輩として」

 

 それは分かる。後輩たちに、ためになることやものを置いていくのは、去っていく者の権利だ。

 でもね、と僕は返す。

 

「必死になって、焦って無理やり何か残そうとしなくてもいいんじゃないかな。あの子たちは僕たちのこと、ちゃんと引き継いでくれる」

「信頼してるのね」

「二学期になってから、僕は一歩引いて見てきた。侑主導でどこまでやれるんだろうって。君たちが働き方改革も押しつけてきたしね。あの子たちが他の人も巻き込んで、大きなことを成し遂げて、満足したよ。ネガティブな話じゃなくて、僕がいなくてももう平気だって再認識した」

 

 手を離れる寂しさはちょっとあるけれど、それ以上に彼女たちがちゃんと育ってくれたことに嬉しさを感じる。

 僕たち三年生がいる間に、もう心配いらないくらい頼もしくなったあの子たちは、きっとこれからさらに先へ行くのだろう。

 

「だから、あの子たちは大丈夫」

 

 

 

 

 ファーストライブをするにあたって何を一番に決めないといけないかというと、当然それは日程。

 もう十二月に入ったところだが、今までの集大成というなら年内に済ませておきたいところではある。より盛り上げようとするなら、世間のイベントとも繋げたいところだ。

 近く印象付けられる日といえば、クリスマスか大晦日の二択。だがクリスマスはなんとラブライブの東京予選の日だ。スクールアイドルに携わる者として、観戦必須のイベント。

 となればこちらのライブは大晦日に決まり、気がかりなのはAlpheccaの二人。

 短期留学生として虹ヶ咲に来たロッティとディアは、三学期が始まる前にはオーストリアに帰ってしまう。そのため、年末年始のスケジュールをちゃんと整理して臨む必要があるのだ。

 

「ライブやっテ、そのままお出かケしテ、ハツ……ハツ……」

「初詣」

「ソレ! ソレして帰ル!」

「じゃあ、あと一か月もないのかあ」

 

 今後の参考に、と食堂までついてきた侑が残念そうな声を上げる。

 

 夏休みにタックル再会してから、あっという間だった気がする。

 この二人にはお世話になりっぱなしだった。第一回スクールアイドルフェスティバルが終わったところ、また奮起させてくれるようなパフォーマンスをしてくれたり、同好会内でユニットを組むようになってから練習を見てもらったり。

 たくさん遊びにも行ったこの子たちが、嵐のようにやってきたと思ったら、ぱっといなくなってしまうのか。

 

「もっと二人と一緒にいたかったなあ」

「はい可愛い」

「サスガ、ミナトの弟子だネ。ヒトタラシ」

 

 なーにを馬鹿なことを。

 侑の人たらしはに僕の関与はなし。純粋な侑の才能だ。

 

「湊さん、失礼なこと考えてません?」

「気のせい」

 

 目を逸らしてコーヒーを啜ると、ジト目で見られる。だって事実なんだからしょうがないじゃないか。

 

「そういえば、ミナトは作曲コンクールに曲出すの?」

「コンクール?」

 

 ロッティがはてなを浮かべた。

 

「関東作曲コンクール。音楽科なら一度経験したほうがいいって先生が言ってた」

「ロッティ、ちゃんと授業聞いてるのか?」

「き、聞いてル聞いてル! やだナァ、もう、ワタシほど聞いてル人いないヨ?」

「まるでちゃんと授業受けてない人みたいな言い方。けど、ちゃんとしてるから安心して、ミナト」

 

 まあ、音楽科一年生レベルの内容ならこの子たちには楽勝だろうけど。

 

「関東在住が条件だから、わたしたちには参加する権利はないけど、ミナトは?」

「曲出すよ、もちろん」

「ユウは?」

「うーん、実は迷ってて……」

 

 スクールアイドルが絡んでない場合、彼女はどう出るだろう。目を輝かせて、出たいと言うのも想像できる。今回はいいかな、と辞退する姿も浮かぶ。

 しかし、実際はそのどちらでもなく、やるかやらないか不明、と言う。

 

「音楽科に追いつくための勉強もあるからね、侑は。僕も君たちの新曲と並行してやるけど」

 

 言いつつ、侑を窺う。しかし、どうもそういうのとも違うようだ。となると、迷ってる原因は……

 

「ライブ、新曲やるの?」

「やりたイやりたイ!」

「そうだね……考えてはいるんだけど」

 

 ディアをちらり。ロッティも彼女をちらり。当のディアは、決まったことをスマホに打ち込むのに集中している。

 

「ナニカ、ユニットだけじゃないコトもしたいナァ」

「……」

 

 反応が薄い……というより、ない。元々それほど浮き沈みがある子ではないけど、今日のそれは明らかに、性格のせいじゃなかった。

 なんとかリアクションを引き出せないかと、僕はロッティに向き直る。

 

「学年対抗でMC対決とか?」

「エンシュツはシズク!」

「面白そうだし、盛り上がりそうだね」

 

 盛り上がる僕らをよそに、まだ無反応……と思ったが、彼女はようやく顔を上げた。

 

「……それよりも、お客さんと何かしたい。オーストリアにいた時は、ニホンのファンとは直接触れ合えなかったから。ありきたりなところだと、クイズ大会とかじゃんけん大会とか」

「ソレイイ!」

「やったことないからやりたい」

 

 ディアが挙げたのは、日本のライブやイベントなどではよく見るレクリエーション。

 ずっと動画出して生配信して、だったAlpheccaが直接ファンの顔を見ながらライブできたのは、この前のフェスティバルが初めて。それを通じて、ファンと交流したいという欲が出てきたのだろう。いい傾向だ。

 

 しかし、肝心なことを避けようとするディアの振舞いはいただけない。

 やっぱり、彼女たちを帰す前にこれをどうにかしないといけないなあ。

 

「あ、おーい、湊くーん」

 

 頭を捻っていると、ゆったりとした声に呼びかけられる。

 部室でQU4RTZのステージ案を話し合っているはずの彼方が、手を僕の肩に乗っけてきた。

 

「三人とも、ちょっと湊くん借りていっていいかな?」

「ダイジョウブ!」

「新作なので、二泊三日までとなってます」

「それまでには返してくださいね」

 

 息合ってるね、君たち。仲良くしてて嬉しいよ、ほんと。

 

 

 

 

 当てもなく、という感じでぶらぶらと僕を連れる彼方。

 何か悩み事だろうが、落ち着いて話すにはまだどこも人が多い。かといって外は寒い。

 結局、部室棟一階の隅、壁にもたれかかる。放課後なので当然ここも人が往来するが、広いぶん、目立たないだろう。と言っても、他よりほんの少しだけマシというレベルだけど。

 

「ラブライブで、遥ちゃんセンターになるんだって」

「へえ、凄いじゃないか。あの東雲で一年生でセンターだなんて」

「うん。彼方ちゃんも大喜びしたんだけど、それだけ遥ちゃんにプレッシャーがかかってるみたいで……毎日頑張ってるんだけど……」

 

 彼方は俯いて暗い表情をしていた。

 話を聞く限り喜ばしいことで、妹大好きな彼方にとってはいち早く共有というか自慢したいことだから言ってきたのだと思ったけど、どうやら違うようだ。

 その理由は容易に想像がつく。

 

「気負いすぎに見える?」

 

 彼方はこくりと頷いた。

 強豪校である東雲のセンターに選ばれたということは、他の多数を蹴落としたとも見える。

 彼方の妹で、真面目な遥さんのことだ。だからこそ、絶対に優勝旗を持ち帰ってやるんだと気を張って、周りから見れば無茶とも思える練習を積んでるのだろう。

 普段の練習でも相当ハイレベルなことをしているのに、きっと朝も夜も追加で自主練をしているに違いない。

 

「どうしたもんかなあって思って」

「スクールアイドルの活動は、たとえ妹相手でも下手に何か言ったり出来ないからね」

「うん。遥ちゃんと違って私たちはラブライブに出ないから、その苦労を知ってるなんて言えない。余計なこと言って遥ちゃんが変になっちゃっても困るし……」

 

 同じスクールアイドルでも、目指すところは姉妹で全く違う。そうだからこそ、無責任に責任あることを言えない。

 無理をするなと言っても、それこそ無理言うなって話で、遥さんに届きはしない。

 姉妹で、スクールアイドルだから何言っても意味がなくなるなんて、珍しいこともあるもんだ。

 

 ふむ。



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95 思う存分したらいい

「横断幕ヨシ!」

「よ~し」

「墨と筆ヨシ!」

「よ~し」

「存分に書けー!」

「いえ~い。妹のこととなるとノリノリになる湊くんだいすき~」

 

 彼方から相談を受けた翌日、身の丈を優に超える大きさの紙とこれまた身の丈ほどの筆を用意して、僕たちは学校の三階の外に出ていた。

 

「道具や衣装もろもろは書道部にお借りしました」

「彼方ちゃん、やったるぜ~」

 

 本日快晴。絶好の習字日和。

 着物に足袋、髪は墨に触れないようにポニーテールと、完全書道形態となった彼方が筆に墨をつける。

 書道部に彼方のファンがいて、サインとツーショットで快く貸してくれた。聞くと、道具はどれも結構いいお値段するのだが、ここはお言葉に甘えまして。

 さっそく一筆入魂する彼方を後ろで眺めていると、後ろから声をかけられた。

 

「な、なにやってるんですか?」

 

 侑だ。偶然僕たちを見かけて、寄ってきたらしい。

 

「遥さんの応援用に、横断幕を作りたいって言うから。見て、これ完成予定の図案」

 

 手に持った紙を見せる。そこにはでかでかと『Lovely HARUKA』の文字。会心。

 

「湊さん、『妹』が絡むと途端にネジ外れますよね」

 

 失礼な。僕の頭のネジが緩むのは璃奈が絡む時だけだ。

 

「こんな大きいの作るなんて……」

「ちゃんと生徒会の許可は貰ってるよ」

「そんなこと聞いてないです」

 

 呆れたような、許可を貰いに行った時の会長と副会長と同じ顔をして、侑はぴしゃりと言い放つ。

 そうこうしている間に、彼方の渾身の筆書きが終わった。見事、図案と同じものが出来上がっていた。とめはねはらいに情熱が籠っていて素晴らしい。

 

「大きすぎたかな?」

「いや、完璧」

「あはは……」

 

 侑はただ苦笑いをするだけで、感想は避けられた。

 

「ところで侑ちゃん。最近何か悩んでるよね?」

「えっ」

「大方、作曲コンクールのことだろうけど」

「ええっ」

 

 急に話を振られて、しかもズバリだったようで、侑は大きく驚いた。

 僕と同じく異変を察知していた彼方は、その中身にまでは気が付かなかったみたいで、首を傾げる。

 

「作曲コンクール?」

「その名の通り、オリジナルの曲のコンクールだよ。高校生の部もあって、うちの学生も参加したい人は参加する」

 

 今回のは学校のイベントではなく、関東全域を対象とした地方イベントのようなもので、学生でも社会人でもプロアマ経験問わず、優れた曲を目指して音楽文化を発展させようという催しだ。

 いくつか区分があって、僕が高校生の部に参加できるのは今年で最後だ。

 昨日悩んでいたことを、引きずっていたみたいだ。

 

 ベンチに侑を座らせ、僕たちはその両隣に腰を下ろす。

 違和感に気付いていた僕らがいるところに来たのだ。ここで全部吐いていきなさい。

 

「歩夢には、コンクールには応募しないって言ったけど、少しだけ挑戦してみたい気持ちもあるんです。結局、怖い気持ちのほうが勝っちゃってるんですけど」

「そっかあ……」

「湊さんはどう思います?」

「参加したらいいんじゃない」

「そんな簡単に……」

「明確な目標があろうがなかろうが、軽い気持ちだろうが重い決意だろうが、自分の立ち位置がどこにあるのかを確認するってのは大事だと思うよ。過小評価も過大評価も自分の成長を阻んでしまうものだから、ここいらで自分のやれることをはっきりさせておくのも重要だしね」

 

 勉強勉強、たまに作曲をしてきた彼女が受ける反応は、同好会のファンからのものがほとんどだった。音楽に携わる者の評価は、同級生や先輩、学校の先生で……しかし外にはもっとたくさん第一線で活躍している人もいる。そんな人たちから批評を受けるのは普段ではできない経験だ。

 

「あとは結局、自分がやりたいかどうか。その大切さは、今さら言うまでもないよね? やりたいならやる。やりたくないものは、自分のためにならないと思ったらやらない。それくらい簡単でいいんだよ……っていうのは、あくまでずっと音楽科にいた僕の意見だけど」

 

 作ったものを誰かに、特に知らない不特定多数に見せるというのは確かに怖い。僕だって初めのころは異様に緊張していた。今だってその気持ちが残っている。

 今後どうするかどうなるかはともかく、経験して慣れておいて損はない。

 

「そんなもんかなあ」

 

 うーん、と侑は納得いかない様子。

 ここらへんの感じ方は、三年間音楽科にいた者と入ったばかりの者でだいぶ違う。だからよくある『頭では理解できるけど』状態になってるようだ。

 

「なんで侑ちゃんは、それを歩夢ちゃんに伝えなかったのかな」

「それは……なんでだろう」

 

 彼方の問いにも、侑は歯切れが悪かった。

 

「たぶん、私と歩夢は同好会に入ってから、お互いに相手の背中を押して、ここまで来たから……私が立ち止まっている時は歩夢がまた押してくれるって、勝手にそう思ってるのかも」

 

 侑と歩夢はいつだって傍にいた。それがマネージャーとスクールアイドルに、音楽科と普通科に分かれて、着実に少しずつ手が届かないところに行ってしまっている。

 侑が音楽科に転科すると決めた時にした話が、現実味を帯びてやってきたのだ。覚悟していたとはいえ、いざ目の前にして体感すると、揺らいでしまう。

 

「待ってるだけじゃ、だめなのかな」

 

 そう言ってしまうほどに、彼女は自分の立ち位置を見失ってしまった。

 

 僕は彼方と目を合わせる。

 音楽科の先輩としての意見は言った。それでも道が見えないというなら、ここは彼方先輩にお任せするとしよう。

 

「そんなことないよ。侑ちゃんはここまでいっぱい頑張って、たくさん進んできたんだから。だから、ちょっと立ち止まってみた時に不安になっちゃったんだよね?」

「……そうかもしれないです」

「だったら、歩夢ちゃんを待ってみてもいいと思うよ。焦ってもいいことなんてないからね。それに、歩夢ちゃんだったら侑ちゃんのことは分かってるはずだから、ちゃんと良い道を示してくれるはずだよ。彼方ちゃんも侑ちゃんの背中を押してあげたいけど、今は我慢しとくね」

「彼方さん……そうしてみます」

 

 いくらかすっきりした顔で、頭を下げて去っていく侑に手を振る。

 待つ……か。彼方の言う通り、あっちもこっちも手を出してきた侑には、肩の力を緩める期間が必要だろう。

 一日二日、一週間くらい何もしなかったところで取り返しのつかないことになんてならないし。

 

「君は我慢したけど、僕思いっきり背中押した気がする」

「いいんじゃない? いかにもアドバイスって感じで」

「二学期の終盤で、ようやく先輩っぽさが板についてきたかな」

「これを見られた後だと、説得力ないかな~」

 

 眼前に広がる『Lovely HARUKA』を見て、二人で笑う。冷静になってみると、これだと確かにシスコンだとは思われても、頼りになる先輩だとは思われないな。

 二人で軽く笑っていると、後ろからそっと、見知った顔がぬっと近づいてきていた。

 

「湊さん」

 

 歩夢だった。

 続いて彼女は彼方を見て、その恰好に一瞬ぎょっとして……首を少し捻るだけで済ませた。ひとまず置いておくことにしたようだ。

 

「彼方さんも、あの、今……大丈夫ですか」

 

 これ、お悩みを告白する前振りだ。

 今、僕は結構解決すべきことを抱えてるんだけど……こうやって来てくれた後輩にノーを突きつけられるわけない。僕らは顔を見合わせ、ぎこちなく首を縦に振った。

 いらっしゃいませ、と先ほどまで侑が座っていたスペースにご案内すると、歩夢はぽつりぽつりと話し出した。

 

「──海外留学?」

「二週間の短期留学なんだけど、メールをくれた子たちが住んでる街で、直接会って手助けできるかもって」

 

 彼女の話をまとめると、こうだ。

 歩夢のステージを生放送で見てファンになったロンドンの子が、自分もスクールアイドルになると決めた。その子の幼馴染であるメールをくれた子は応援して協力したいけれど、そういうことをやる文化も経験もないから手探りで色々と試しているらしい。

 自分をきっかけにスクールアイドルを始めようとしているその子たちの力になれないかと思っていたところ、ちょうど学校がロンドンへの留学希望者を募集している掲示を見つけた。

 行くべきかどうか、歩夢は決めかねているようで……

 

「それで、僕のところに?」

「はい。湊さんは留学経験があるから……」

 

 ふむ、と僕は顎に指を当てた。

 

「難しい話だね。二週間で何か出来るのかってのもあるけど、そもそもそういうのをやる文化が日本と比べてなあ……」

「そんなに違うの?」

「アイドルの捉え方も違うし、部活のシステムとかも日本とはまるで違うからね。文化が違うと、好みも違う。制約もあるし……」

「エマちゃんもわざわざ日本に来るくらいだもんねえ。そんな中でAlpheccaがあれだけ人気になったのって凄いんだね」

「そうは言っても、『見る』ってこと自体にはそれほど抵抗はないんだ。あらゆる文化や芸術においてアジア圏は優秀だって認められているから、それを受け入れる土壌はあるわけで。問題は『やる』ことなんだけど……」

 

 と言いかけて、僕は一度口を閉じた。そのまま喋るとアイドルの歴史についてべらべらと話してしまいそうだ。遡ると宗教の話が絡んでくるから、数時間じゃ絶対終わらなくなる。

 

 ともかく留学の話かあ。留学する人はみんな成功の保証がないまま行ってる……ってのはなんの理由にもならないし。

 悩んでるのは言語の壁じゃないから、翻訳アプリでもあればなんとかなるというのも的外れだ。

 

「侑ちゃんに言ってないの?」

「離れてしまうのが怖くて……」

 

 あれ、デジャブだな。

 

「侑ちゃんとは同好会に入ってからもずっと一緒に進んできて、けどやりたいことは同じじゃないから、このままお互いが進めば進むほど距離は離れていって、そのうち同じ場所にはいられなくなってしまう……今は大げさな話だけど、いつかはそんな現実が来るんじゃないかって」

「今じゃなくて将来の話かあ……みんな考えることは一緒だね」

「みんなというか、この子達というか……」

「え?」

「ううん、こっちの話」

「こっちの話というか、そっちの話というか……」

「もう、湊くん、しーっ」

 

 結局、この話に決着をつけることは出来ず、一旦保留ということで持ち帰らせてもらう。

 打ち明けたことで歩夢は多少肩の荷が下りたようで、ちょっとだけ明るい顔になって去っていった。

 残された僕たちは、大きく息を吐いて背もたれに体を預ける。

 

「湊くんでも出せない答えかあ」

「君なら出来る! って言うだけなら簡単なんだけどね。それだけ難しいんだよ」

 

 Alpheccaが成功したのだって、あの子たちの才能や運が占めるところが大きい。

 良いものが確実に認められるわけでもなく、努力したところで必ず実るものでもない。だから、確信があるならともかく、『君なら出来る!』と無責任には言えない。

 

「にしても、驚いたね、まさか侑と歩夢がそれぞれ似たような悩みを持ってくるなんて」

「ね、ちょっとびっくりしちゃった」

「あの子たちが一人で悩んでた時のことが嘘みたいだよ」

「そんなことあったの?」

「もう昔々の話だけどね。そこから比べると、相談してくるなんて大した成長じゃないか」

「湊くんは、いつだって彼方ちゃんたちを助けてくれたから、みんな頼りたくなっちゃうんだよねえ」

 

 やれやれ、と困ったような顔つきで彼方はため息をつく。

 

「頼るのも頼られるのも良いことじゃないの? みんなは楽になるし、僕は嬉しいし」

 

 頼りっぱなしだったら問題あるけど、困ったときに駆け込むだけならよくあることだろう。

 

「でもその分、湊くんはいっぱい働いて、いっぱいしんどくなるよね。何でも一人でしようとして……そういうの、慣れちゃいけないことだよ。今はだいぶましになってるけど、それでも私は心配」

 

 はあ、ともう一度ため息をつく彼方。

 

「そういう君も僕に悩みを相談してきたじゃないか」

「良くないよねえ。分かっていながら甘えちゃうなんてさ。湊くんが、放っておいてくれる人だったら良かったのに」

「二泊三日でレンタルしておいて……」

「断ればいいじゃん」

「断るわけないだろ。君が困ってるって言うんだから」

「そういうとこ、そういうとこだよ、湊くん」

 

 あーもぅ、と呟いた彼方が僕の肩に頭をこつんとぶつけてきたと思ったら、ぐりぐりと擦りつけてくる。

 

「放っとかないよねえ。湊くんは湊くんだもん」

「心配をかけるね」

「ほんとだよ、もう。仕方のない人なんだから」

 

 横断幕作成や後輩からの相談もあって、いつの間にか空はオレンジ色に染まっていた。

 沈む前の強い日差しに晒されても僕から離れようとしない彼方を立たせて、こんな寒空の下にいさせないでさっさと着替えさせる。

 

 彼女が戻ってくるまでに横断幕を丸めて抱える。重くはないけれど、大きくて邪魔だなこれ。

 

「湊くん、お待たせ~」

「ん。じゃあ帰るか」

「それ持つよ」

「いいよ。君の家までお届けします」

「え~?」

 

 奪おうとしてくる彼女の手を躱す。女の子に荷物持たせる男みたいな構図が出来上がってしまうのを避けたいのだ。それを言って、彼女は渋々、半分くらいは納得できないままどうにか頷いた。

 

「侑ちゃんも歩夢ちゃんも、同じことで悩んでるんだね。自分の道を進んで、お互いを応援し合ってたら、いつかは離れ離れになっちゃうって」

「まあ、そうだね」

 

 前にも思ったことだけど、あの二人が離れるなんてことはまあないだろう。進むにつれて、今より多少会えなくなる時間は多くなるだろうけど、それもちょっぴりだけだ。

 

「湊くん、なんだか気楽そう。もしかして、もう解決策あったりするの?」

「あの子たちは、もう答えを知ってるから」

「……?」

 

 だから、策も何もって感じかな。結局どうにかなるわけで……

 

「見つけた! 近江彼方さんですね!」

 

 校門を出てすぐのところで、学生服を来た女子三人組が素早く彼方を囲んだ。東雲の制服だ。

 

「こ、これはあげないよ」

 

 彼方は身を挺して僕の腕の中にある横断幕を守ろうとする。他の人はいらんだろ、それ。

 

 

 

 

 相談があると頭を下げられた彼方は、とりあえず寒空の下から逃れるために喫茶店へ女の子たちを連れて入った。

 そこに僕も連れてこられたわけだが……

 

「僕、邪魔じゃないかな」

「そんなことないよ。彼方ちゃんいるところに湊くんあり。頼られるの好きなんでしょ、湊くん」

「さっきと言ってたこと違うよ、彼方」

「それに、彼方ちゃん、湊くんのことレンタルしてるから」

「あの……」

「あ、ごめんね。こっちの話」

 

 こそこそ話を中断して、女の子たちに向き直る。

 彼女たちはまず会員カードのようなものを出して、僕たちに見えるように机に置いた。

 

「私たち、東雲学院スクールアイドルのファンクラブをしております」

「おお、いつも遥ちゃんがお世話になっております」

 

 ファンクラブか。そういうのが存在するとは聞いていたけど、まさか入会してる人に出会うとは……

 そういえばうちの同好会にも非公式のファンクラブがあるというのは聞いたことがある。特色上、同好会のというより、それぞれのアイドルのファンクラブが乱立しているらしい。

 それはともかく、今は彼女たちの話だ。

 

「私たち、みんな違う部活やってるんですけど、スクールアイドルフェスティバルをきっかけにすっかり意気投合しちゃって」

「スクールアイドルって最高ですよね。勉強や部活で疲れても、動画を見たら元気を貰えるし」

「うんうん、わかる」

 

 わかる。

 

「これまでのお礼に、ラブライブという大舞台に挑戦する遥ちゃんたちにエールを届けたいんです」

「なんと!」

「会場には行けないけど、とびきりの応援をしてあげたくて……お力を貸してもらえませんか?」

「もちろん! ね、湊くん」

「ちょうどいいものがあるしね」

 

 僕らは隣の席まで侵食して鎮座している丸められた横断幕に目をやって、にやりと笑った。



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96 ファンからアイドルへ

 クリスマス。

 街は照明が煌めき、カップルが闊歩し、世間一般的にはまあ輝かしい日だ。

 こちらの界隈でも盛り上がっているのは変わらない。なにせ今日はラブライブ東京予選当日。スクールアイドルもファンも、誰もが待ち望んでいた日だった。

 しのぎを削る戦いが始まるのは17時から。そのちょっと前に、僕らはお台場海浜公園に集まっていた。

 彼方と話し合い、みんなにも協力を得て、あることをするためだ。

 今日は晴れだと天気予報は言っていたけど、万が一雨でも雪でも降ってこられちゃ困る。テントを立てて、パソコンやプロジェクターなどの機材を運び込んだ。

 その機材を繋ぎ、華麗に準備を進めるのは我らが璃奈と愛。

 

「璃奈、そっちはどう?」

「ばっちり」

 

 ソフト面での準備を行ってくれていた璃奈と愛の後ろから、僕と果林は感心したように頷く。

 もうあとボタン一つで始められるところまで完了していた。もっと時間がかかるもんだと思っていたから早めに来たけど……まあ余裕があるのはいいことだ。

 

「慣れたもんだね」

「何度もやってるから」

「こんな複雑なの、私には出来ないわ。璃奈ちゃんは賢いのね」

「照れる」

 

 果林に撫でられて、頬を染めたボードを顔に当てる璃奈。

 スクールアイドルフェスティバルをきっかけに、映研部と一緒に中継放送をたくさんやってきたから、これくらいの規模ならお手のものだそうだ。僕がやろうとすると三倍の時間はかかったろうな。

 

「愛も、見た目とは裏腹にこういうの得意なのね」

「こーみえても愛さんはりなりーと同じ情報処理学科だからね。愛さんのことも褒めていーよっ」

「璃奈ちゃんかっこいいわ」

「璃奈ちゃんボード『てれてれ』」

「ちょ、カリーン!」

 

 コントか。

 このままだと、DiverDivaはMCで漫才できるくらいになってしまうかもしれない。うーん、アリだな。

 

「湊くん、変なこと考えてる顔だぁ」

 

 僕を覗き込んできた彼方がそう言う。

 

「君のほうはいつになく真剣だね、彼方」

「ええ~、彼方ちゃんはいつでも真面目だよ」

「ん……そうだね」

「今適当に流したでしょ」

 

 ソンナコトナイヨ。

 いや本当に。遥さんが絡む時とそれ以外の時のパワーが段違いだなんて、ねえ、思ってませんよ。

 

「湊くんだって、用意早かったね」

「今回のことをやるにあたって、大したものは必要なかったからね。それに、遥さんをはじめ、友達のためだから」

「かっこい~」

「そういう茶化し方はやめて」

「茶化してないよ~。ほんとにかっこいいって思ってるよ」

 

 彼方はさらに顔を近づけて、にっと笑ってくる。そうやってじっと見られると、本気にしてしまいそうだ。

 美少女からかっこいいと言われたせいで浮き立つものを抑えて、僕はなんとか彼女から目を逸らした。

 

「……さて、侑、そっちの準備は?」

「あ、逃げた」

 

 戦略的撤退と言ってほしいね。

 ハード班、つまり侑のほうはカメラの設置に手間取っているようだ。

 

「ちょっと待ってくださーい」

「侑先輩、かすみんの可愛い姿撮れてます?」

「うんうん、バッチリ!」

 

 バッチリなのはカメラのほうか、かすみのほうか。どちらにせよOKみたいだ。

 

「よし、始めよう。彼方」

「うん」

 

 彼方がスマホをタップする。

 それは、ある人たちに向けた、生放送のURLを付けたメッセージだ。

 

「おっけ~」

「よし、璃奈」

「任せて」

 

 璃奈が放送開始のボタンを押す。これで、メッセージを受け取った人たちはカメラが映しているものが見えているはずだ。

 つまり、レンズの目の前にいるかすみが。

 

「本当に見てもらえてるんですかね~」

「もう繋がってるよ」

「ええっ、ほんと~!?」

 

 早く言ってよ、と抗議しながら急いで画面外へ去っていくかすみの代わりに映るのは、苦笑いする彼方。

 

「ラブライブ東京予選に出てるみんな。今日私たちは会場には行けないけど、今から気持ちを届けたいと思います」

 

 彼方が画面を振ると、そこには大勢の人がいた。

 そう。ここにいる僕らとは、虹ヶ咲のスクールアイドルだけじゃない。この間相談に来た東雲の子たちだけでもない。

 藤黄もY.G.も紫苑女も、それぞれのスクールアイドルのファンたちが勢揃いしていた。揃いすぎて、その後ろの横断幕が半分くらいしか見えないほどだ。

 

 その人たちが、これを見てくれている人……つまり今からラブライブに挑もうとするスクールアイドルたちへ声援を上げる。

 

 これが、僕たちが考えたこと。

 東京予選にはたくさんの学校が出場する。虹ヶ咲がお世話になったところも。その全てに応援を捧げたかった。だから色んな学校のファンクラブなどに声をかけて集まってもらった。

 予選は中継のみだから会場には行けないけど、だからって声を届けられないってことじゃない。

 

「遥ちゃん、最高~!」

「私たちがついてるからね!」

「ちゃんと見守ってるから!」

「楽しんでね!」

「いつも通りの咲夜ちゃんが見られたら、私たちは幸せです」

 

 カメラが一人一人を映しながら、声を拾い上げている。

 

 ラブライブは、スクールアイドルの全国大会。それゆえに、出場する人たちはいっぱいいっぱいになってしまっている。

 その彼女たちへ、元気を貰ったぶん、夢を見せてもらったぶん、お返しができたらファン冥利に尽きる。

 

「ミンナ! イッパイイッパイ盛り上げルかラ、イッパイイッパイ盛り上げてネ!」

「わたしたち、今日はずっとみんなに頑張れって応援する。わっしょいわっしょい」

 

 まだ始まってもないのにペンライトを点けているロッティとディアも。

 

「ほら、ランジュちゃんも」

「え、アタシも? えーと、なんて応援すればいいのかしら」

「難しく考える必要はありませんよ」

「思ったこと言えばいいんだよ」

「そ、そっか……じゃあ……無問題(モーマンタイ)ラ! ベストを尽くしなさい」

 

 始めたばかりの人も、ずっと始めたかった人も、ようやく始められた人も。ここにはスクールアイドルに勇気を分けてもらった人たちがたくさんいる。夢の続きを継ぐ人たちがいる。

 その先頭に立つアイドルたちへ、感謝とエールを送る。

 

「湊さん」

 

 侑にカメラを振られて、満足げに眺めていた僕はびくりと飛び上がりそうになった。

 しまった。僕も言うこと考えてなかった……けど、ここはランジュに倣って……

 

「悔いのないようにって言うと堅苦しいから……みんな、楽しんできて。そして、ファンである僕たちのことを楽しませてくれるよう期待してるよ」

 

 緊張しているところにこれは難しい注文かもしれないけど、でもスクールアイドルである以上は、見ている人のためにしてもらわなきゃ。

 

「こっちはもう楽しむ準備は出来てるからね!」

 

 愛とせつ菜がアップで画面に映りこむ。君らもペンライト用意するの早いよ。

 

 それから何人も何校も、代わる代わる画角に入る人が変わり、ファンであることを発していく。目の前に現れることは出来ないけれど、確かにいるとアピールする。

 時間ギリギリまで力づける力強い言葉を重ねて、最後、画面が引いて、再び今日ここに集まったみんなが映った。

 

「せーの」

「頑張れー! スクールアイドル!」

 

 全員で一斉に叫ぶ。あまりにも声量が大きすぎて、音割れしてしまった。それだけ本気だってことだ。

 

 さあ、これ以上は心の準備の時間まで奪ってしまう。生配信をストップして、ご武運を祈る。

 短い時間だったけど、これで十分かな。あとは彼女たち、実際に舞台に立つ者たち次第だ。

 

「それじゃ、今日のメインイベントを始めようか」

 

 スマホで時計を見ながら、心の中でカウントダウン。

 三秒、二秒、一秒……17時。噴水広場前に置いたプロジェクターが稼働したのと、水が噴きあがったのは同時だった。

 

 メインと言えばもちろんラブライブ鑑賞会。

 噴水にプロジェクターでパソコン画面を映すというおしゃれなことをして、集まったみんなで見る。

 この時間から外でじっとしていると流石に寒いので厚めの防寒着を各自で用意してもらっていた。それでも足りないかもとこちらで準備していた毛布を借りていった人たちは噴水の前に陣取り、最前線で座りはじめた。

 パフォーマンスがついに始まると、ペンライトがなん十本と掲げられ、街中にも負けないイルミネーションと化している。

 

 僕はテントの下でパイプ椅子に座りながら、パソコンの画面と噴水を見比べる。

 歌って踊る彼女たちは、とても自信に満ちた表情を見せてくれた。

 特に東雲、センターの遥さんは一年生だというのに誰にも負けないくらいの輝きを放っている。これって贔屓目かな。

 ともかく、こうやって見る限り、重すぎるプレッシャーは消すことが出来ている。これが本来の彼女の実力。それがどういう評価を受けるかは……まだ後の話。今は他のみんなのように、リズムに乗ったり、合わせて飛んだり、心のままに動くのが楽しく正しい楽しみ方だ。

 侑も歩夢も、座るのを忘れて見入っていた。

 

「離れてても、届かせることが出来るんだ」

 

 そう呟いた侑と歩夢の間には、相談に来た時のような気まずさや迷いなんてものはなく……

 

「歩夢、多分これから、私たちは離れることもあるんだろうけど……」

「ずっと一緒、だよね」

 

 寄り添う二人を見て、笑みが零れる。

 思い通りすぎて達成感だどうだというのはないが、仲睦まじい後輩は眼福ですわ。

 

「あの二人、やっぱり隣にいるのが似合ってるね」

 

 彼女たちの行く末を見届けた彼方は、手に息を吐いて温めながら僕の隣に座った。

 

「お疲れ様」

「湊くんも、手伝ってくれてありがと。時間はかかっちゃったけど、解決してよかったね。あっちこっちから相談受けて、彼方ちゃんもう頭パンパン」

「いいんじゃないかな。みんなの駆け込み寺って感じで」

「えっへん。彼方ちゃんは頼れる先輩なのです」

 

 それに、頼れる姉でもある、と足元で丸められている横断幕をちらりと見て苦笑する。

 

「あの二人がこうなるって、湊くんは最初から分かってたみたいだけど」

「離れていても一緒だっていうのは、前にも言ったからね」

 

 侑が音楽科に行くと決めた時、同じようなことを彼女たちに言った。

 それと似ていて違うこと、違うように見えて似たことで悩んでいた。

 離れると感じてしまうのを覚悟して、いざその時が来たら迷ってしまう。よくあることだ。

 

「似たようなことで悩んでたんだ」

「一度解消されたことでも、また不安に思う時は出てくるからね。何度でも同じことで躓けばいいさ。その度に、あの子たちはお互いが大事な存在だって再認識できる」

 

 だから心配はしてなかった。近く、二人は自分の道を見つけなおすだろうと踏んでいた。

 これほど早く解決したのは、彼方が何かしてやりたいと思って行動したからだけど。

 

「遥さんだって、来年再来年とまた同じ悩みにぶつかるかもしれない。ラブライブのステージに立つ前に怖くなるかもしれない。でもそれでいいんだよ。今度また君か、それともここにいる誰かが思い出させてくれる」

 

 特に遥さんの場合は、こんなによく気付く姉がいるのだ。ラブライブの結果はともかく、高校生活は安泰だろう。

 

 彼方はぱちくりと瞬きをして、自分の袖をきゅっと掴む。その後少し躊躇ってから、僕を見上げた。 

 

「彼方ちゃんも、遥ちゃんのことでもやもやしちゃうかも。その時は……湊くん、私を助けてくれる?」

「もちろん。僕でよければ、何度でも」

 

 彼方の力になれるなら、いつでも……は無理かもしれないけれど、何度だって、それが同じ悩みでも事件でも、きっと助けに行く。

 僕にとっては彼方も、みんなもそれくらい大事なんだ。

 

「もう、もうっ」

 

 彼方は顔を真っ赤にしたと思うと、肩をぽかぽかと叩いてきた。最近、こんな攻撃を食らったような気がする。

 

「またそんなこと言う」

「君が訊いてきたのに答えただけなのに」

「そうだけどぉ」

 

 頬をぷっくりと膨らませ、彼女はぎゅっと僕の腕を掴んで、頭を力なく僕の胸に押しつけてきた。

 

「彼方?」

「……そんなこと言うから、手に入れられるって思っちゃうじゃん」

 

 ぼそり、とそれだけ呟いて、彼方はじっと動かなくなった。

 あの、傍目から見たら抱き着かれてるように見えるんですけど。ていうか実際に、ほとんどそうっていうか。

 

 ぽんぽんと叩いても、反応がない。

 おいおい、こんな寒い中で寝てしまったら、体調崩すどころの騒ぎじゃなくなるぞ。

 

「か、彼方、おーい」

「もうちょっと、このまま」

 

 やっと言葉が返ってきたと思ったら、わがまま追加されちゃった。

 顔寒かったとかだろうか。そうだったらマフラーとかカイロとか貸すのに。

 

「彼方」

「んー」

 

 引き剥がそうとちょっと力を込めても抵抗されてしまう。押しつけてくる頭の圧が強くなってきて、圧し潰される前にお手上げした。

 仕方のない人だよ、まったく。

 

「……もうちょっとだけだからな」

「ん」



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97 靄

「侑ちゃんはコンクールにチャレンジで、歩夢ちゃんは留学かあ」

「すぐ戻ってくるけどね」

 

 ラブライブ東京予選が終わった翌日、興奮冷めやらぬままのスクールアイドル界隈。僕たちとしても余韻に浸っておきたいところではあるが、こちらのファーストライブも迫ってきている。

 ので、学校自体は冬休みに突入しているが、同好会は朝から部室に集まっていた。

 

 その中で、侑と歩夢はこれから挑むことをみんなに話す。

 二人ともすっきりした顔で、それぞれの決めたことに対する悩みは一片もなくなったみたいだ。

 

「ロンドンだよネ?」

「うん。ちょっと不安だけど、頑張ってくるよ」

「アユム、応援してる」

「ふふ、二人とも相談に乗ってくれてありがとう」

 

 歩夢はロッティとディアの頭を撫でる。

 

「この子たちにも相談してたのか」

「外国はどんなだって、ボクもランジュもエマもね」

 

 手当たり次第……というわけでもないんだろうけど、とにかく話の参考になりそうな人に片っ端から訊いて回っていたようだ。それだけ歩夢が本気だということだろう。

 その彼女に対して、答えを返せるほど色んな科がいて、留学経験のあるのも何人かいて、グローバルで手厚いねこの同好会は。

 

「湊くんも彼方ちゃんも頑張ったもん。ね、湊くん。湊くん、と、彼方ちゃん、で」

 

 彼方の言う通り。他校に連絡を取るところからテント借用、プロジェクターとか放送の準備とか、寒い中でようやりましたよ。

 しかし、やたらと僕と彼女の名前を強調してくるのはなんなんだ。頑張りましたアピールか?

 触れ合うくらいに寄ってきた彼方へ、特に果林が鋭い目つきで視線を注いだ。

 

「彼方、あなた最近湊くんに近づきすぎよ」

「ええ~、果林ちゃんに言われたくないな~。湊くんはどう思う?」

「ウィナー、果林」

 

 どっちの言い分も正しいから引き分けにしたいところであるが、このまま彼方の距離感がバグってしまうのは避けたい。

 よって、果林の勝ち。

 

「ウィナーってことは、私にはご褒美あるのよね?」

「等身大近江彼方を進呈しよう」

 

 景品をお渡しすると、果林にもたれかかりながら彼方はこちらへ不機嫌そうな顔を向けた。

 

「この前はべったりさせてくれたのに」

「あれは、あの時のちょっとだけだって言ったじゃないか」

「いいじゃーん、減るもんじゃないし」

「減るよ」

「けち」

「ケチね」

「ケチで結構」

 

 君らね、自分の魅力をちゃんと理解してくれって五億回言ってる。スキンシップが段々激しくなって。僕の理性もうこれっぽっちしか残ってないぞ。

 ブーイングしてくる二人を適当に流して、僕は歩夢のほうへ向き直る。

 

「歩夢、あまり気負いすぎもよくないからね。観光100%気分だと困るけど……でも楽しんでおいで」

「うん。もう今から待ちきれないよ」

 

 ちょっとの不安と大きな期待。新しいことをする時の醍醐味だよなあ。その経験は、歩夢がこれからスクールアイドルをやっていく中で、そして人生を進んでいく中で力になってくれることだろう。

 

「私も、トキメキ全開だよ! だから、その勢いで全員のソロ曲作っちゃった!」

 

 今朝からずっと目を輝かせている侑が、冊子をテーブルに置く。十四冊もあるそれは、なんと虹ヶ咲学園スクールアイドル全員分の新曲楽譜。

 その勢いで、というには多すぎる数に僕たちは目を丸くする。

 デモとして録音してきたものも聞かせてもらう。一曲目で一回、全て終わった後でもう一回、ミアと僕は目を見合わせた。

 

「これ、全部良い曲じゃないか」

「それぞれの特徴も抑えてる。僕らはとんでもない作曲家を生み出して育てたのかも……」

 

 十四曲を作ってくるなんてそれだけで怪物級の仕事だが、その全てが本人が歌っているところを想像できるくらい合っている。

 そんなこと、曲を作り慣れてる僕にもミアにも無理だ。

 

「えへへ、ミアちゃんと湊さんに褒められちゃった」

「これだけの曲を作るって、君、ちゃんと寝たの?」

「……も、もちろん!」

「歩夢」

「侑ちゃん嘘ついてる」

「歩夢に聞くのはずるじゃんっ」

 

 目がキラキラのギンギンなせいでわかりづらいが、これだけのことをしているなら徹夜してんじゃないかという予想は当たった。

 にしても、見た感じ顔はいつも通りなのに、一目で分かるなんて幼馴染おそるべし。

 

「もー、侑ちゃん。今日は絶対早めに寝ようね」

「はーい」

 

 分かってるのか分かってないのか、侑は目を逸らしてみんなのほうに向きなおった。

 

「それで、みんなはどうかな?」

「侑先輩が作ってくれたソロ曲をやれるのを待ってたんですよ!」

「うんうん。すっごく楽しみだよ~」

 

 ちょいちょい作曲してたとはいえ、侑が手掛けたソロ曲というのは初めてだ。待ち望んでいた子たちからすると、やらない理由なんて一切浮かばない。

 

「ユウの曲! やってみたイ!」

「ほんとに!?」

 

 ロッティも興奮して手を挙げる。僕がAlphecca用に作ったのとは全く異なる曲を歌っている自分を想像して、もう待ちきれんとばかりの様子だ。

 そんな彼女を見て、侑は嬉しさ半分驚き半分の表情を浮かべた。

 

「いやあ、Alpheccaは湊さんの曲しかやりたくないかなって……」

「元々、同好会に入ったのだって、湊さんに練習見てもらえるからだもんね」

 

 ああ、なるほど。

 体力づくりや柔軟など、全員が共通して行う練習はみんなでやるけど、Alpheccaの練習を担当しているのは僕だ。僕だけ。

 それはAlpheccaの高いレベルにまだ侑がついていけないというのもあるけど、この二人が僕を求めてわざわざ日本にまで来たのだから構ってあげてというみんなの要望もある。

 しかし、必ず僕でなければいけないという意識はロッティにはない。

 問題は……

 

「ディアも、ソレでイイ?」

「……考えさせて」

 

 

 

 

 少し困ったことになった。先に解決しておくべきことを、先延ばしにしたからだ。

 出ていったディアを探しに行くついでに、僕は反省してこの問題の答えを考える。だけど、どれもいまいち。根本的な解決とはいかなそうだ。

 

「湊さーん」

 

 考え込んで屋外に出たところで、侑と歩夢が追いかけてきた。

 

「二人とも、どうしたの」

 

 二人は目の前まで駆け寄ってくると、きょろきょろと辺りを見回した後、少し声を潜めた。

 

「歩夢とも話してたんだけど、ロッティちゃんとディアちゃんが……特にディアちゃんが調子悪そうで……」

「直接聞こうと思ってたんだけど、その前に湊さんに相談しておこうと思って」

 

 ディアもロッティもいつもと同じ調子に見せていたけれど、やっぱり変だって気づくか。

 ライブの打ち合わせももうすぐ始まる時間だっていうのに、二人はまだ戻ってこない。

 

「ディアちゃん、どうしたんだろう」

「まさか、私の作った曲がダメダメだった、とか……」

「やり直しならその場で言ってたよ、ディアは」

 

 悪いものにははっきり悪いと言うタイプだ。しかし、侑の作った曲はそう言わせないほどの、ワクワクとさせるものがある。

 だから悩んでいるんだろう。

 

「これはあの子の問題で、Alpheccaの問題だ」

「問題……」

 

 もっと早くに話し合うべきことだったんだろう。だけどディアの意思が凝り固まってしまったいまは、逆にAlpheccaでは解決できない問題になってしまっている。

 

「前に調べたんだけどさ、Alpheccaって、色んなアーティストから曲提供されるくらいなんだけど、全部断ってるんだよね。それって、スクールアイドルだからプロに曲を作ってもらうっていうのは違うっていう意識があるらしいんだけど……ディアちゃんはそれ以上に湊さんの曲しかやりたくないのかなって」

「でも、合宿の時にはディアちゃんも参加してたよね?」

「あれはどこに出すってわけじゃなかったからなんじゃないかな」

 

 侑が鋭く指摘をする。

 

「だから、やりたくないんじゃなくて……湊さんの曲だけをやらないといけないって感じてるんじゃないかって、そう思ったんだ」

「そうだと思う。ディアに直接聞いたわけじゃないけど……多分あの子は、僕に対して恩みたいなのを感じてて、それで必要以上に自分を縛ってる」

 

 Alphecca結成の最初の要因は、僕が彼女たちにスクールアイドルを教えたこと。あくまでちょっとしたきっかけに過ぎないそれを、ディアは大きく感じすぎている。

 初心をずっと覚えているという点では良いのかもしれないが、そのせいで自分の世界から脱し切れていないというと……あらゆる点で致命的と言える。

 

「やらせることは出来るよ。僕が言ったらやってくれると思う。でもそれじゃ……」

「意味ないよね。やるんじゃなくてやらせるっていうのは、私たちの方針とは真逆だし」

「でもディアちゃんも、きっと侑ちゃんの曲をやりたいんだと思う。じゃないと、保留なんてしないはずだから」

 

 僕もそれについては同意見。

 この同好会に入って、みんなが自由にやっていたりしているのを見たり、文化祭でバンドを組んだりして様子を見たが……明らかにあの子は無理してる。

 

「やりたいのに、やらない……高校生はほんと、どいつも面倒だな」

「面倒筆頭は湊さんだけどね」

「人ってここまで棚に上げることが出来るんだ」



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98 わたし

 侑と歩夢を連れて、校内を歩き回る……までもなく、目的の人物を見つけた。やはり、とも言うべきか、この学校で誰にも言えない悩みを持っている人はここに来るらしい。

 学校の屋上は、なぜか迷った生徒の行きつく先にある。せつ菜も僕もそうだった。そして今は、ディアの場所。そして後ろに続くロッティの場所だ。

 言葉がまだ見つからない僕は、後輩二人と陰に隠れて、様子を伺った。

 

「ユウの曲、しないノ?」

「……考え中」

 

 ロッティのほうを振り向くこともせず、ディアは言った。

 

「ミナトの曲しか、やらないツモリ?」

 

 それを聞いて、ディアは眉間にしわを寄せ、睨みつける。

 普段あっさりとしている彼女からは想像がつかないほど、怒っていた。

 

「Alpheccaは、元々そういうつもりだったんじゃないの? ミナトとわたしたちで、三人だけで、三人だけだからこそAlpheccaなんじゃないの?」

「半分ダケ、正解」

 

 でも、とロッティは続ける。

 

「Alpheccaは、そうじゃなイ。ワタシたちは、ワタシたちだけジャなくテ……」

「ロッティにはわかんないよ!」

 

 空にこだまするほど、ディアの声が響く。

 普段落ち着きのある彼女から発せられた叫びに気圧され、ロッティはびくりと体を震わせた。

 自分でも驚いたみたいで、ディアははっとして俯き、ロッティの脇をすり抜け、屋内へ入っていく。

 多少の口喧嘩なら、僕がホームステイしていた時にもよくあった。だけどこれは、そういうのとは違う。

 四の五の言ってる場合じゃない。そう思って僕が出ていこうとすると……侑が手で制してきた。

 

「私たちに任せてください」

 

 そう言って、僕の返事も待たずに、ディアを追いかけていった。

 残されたのは、ぽつんと佇むロッティだけ。三人の姿が見えなくなるのを待って、僕はようやく彼女の前に姿を現した。

 

「ロッティ」

「……ワタシじゃ、ミナトのようにハいかなイみたイ」

 

 いつも爛漫な彼女が嘘のように、俯いて曇りの表情を見せていた。

 ディアの悩みはロッティだって気づいていた。

 姉妹だから、Alpheccaだから何とかしたいという気持ちがあって、僕と同じようにして偏った方向へ進まないようにしてきた。

 だけど頑ななディアには届かない。

 

「僕だって無理だよ。今のディアは、僕たちだけじゃどうしようもできない。あの子たちに託すしかない」

 

 

 

 

 僕たちは、こそこそと侑たちの後をついていく。

 ディアは急に走り出す、なんてことはせずに立ち去っていったおかげで、そして侑と歩夢が彼女を止めたおかげで、すぐさま追いつくことができた。

 二人はディアを落ち着かせるために、食堂の端の席に座らせた。ちょこんと座らせられたディアの前に、侑がマグに入ったココアを置く。

 

「それを飲み終わるまでは、一緒にいさせて」

 

 同じものを自分の前にも置いた侑と歩夢は、ディアの横に椅子を移動させて腰を下ろした。

 

 良い手だ。

 冬に気が立ってしまった時は、とりあえずあったかくて甘いものが効く。

 それに、ディアが一人にしてほしいと思っていても、それを叶えようと一気に飲み干すには濃いし、熱い。何にしろ待つ必要が出てきて、ある程度時間が経てば頭も冷えてくる。そうしたら自分の話を聞いてほしくなるかもしれない。そうした時に、ディアにとっては僕やロッティじゃなければ誰でもいいだろう。そしてそこには、ちょうど侑と歩夢がいる。

 逆に、いてほしいということなら、飲まなければずっといてくれるということだ。

 

 優しくありつつも強引なんて、こんなやり方どこで身に付けてきたんだか。

 僕は後輩たちに行く末を任せ、ロッティと一緒に柱の陰から見守るだけに留まっている。

 

 侑は、ディアがこくりと小さな一口を飲んだところで話しかけた。

 

「ごめんね、ディアちゃん。急に曲作ったって言って……迷惑だったかな」

 

 ディアは首を横に振る。力なく、ではあるが明確な否定だった。

 自分のために曲を作ってくれるというのは、スクールアイドルでなくても嬉しいだろう。それを作ったのが親しい友人で、しかも自分に合った曲であればなおさらだ。

 それを抜きにしても、侑の曲は素晴らしかった。あれを否定するなんてことは、音楽に携わる者としては不可能。迷惑だなんて認めるわけにはいかなかった。

 

 ディアは顔を上げて、少し躊躇って、また顔を俯かせた。

 

「わたし、ずっと何もやる気なかった」

 

 ぼそり、と彼女は呟いた。

 

「ロッティってああ見えて天才で、なんでもすぐにそつなくこなす。でもわたしはそうじゃない。音楽もやってたけど、そこそこで終わるんだって思ってた。ミナトが来てすぐの時も」

 

 初めて出会ったとき、彼女はそっけないなんてもんじゃなかった。最低限の挨拶はするけど、積極的にこちらに関わってこようとはしてこなかった。

 心の奥底で、自分への諦念があったからだろう。他人と関わる余裕なんかなかったんだと思う。

 才能とは時として暴力になる。ロッティなんていう才能の塊を見せつけられて、双子であるディアは僕が思っている以上に自分のことが嫌いになっていたのだ。

 

「でも、ミナトが見せてくれたスクールアイドルの動画で、わたしは変われた。今までやりたいことなかったけど、スクールアイドルは初めて自分でやってみたいと思えた」

 

 日本の流行りをロッティに訊かれて、僕が見せたのはその前の年のラブライブ。予選も含めれば長ったらしいそれを、ロッティだけじゃなくディアも食い入るように見ていたのを覚えている。

 そこから、ロッティが自分もやりたいと言って、僕が手伝うと言って、彼女らの両親ともに後押ししてくれて、ディアを無理やり引っ張るようにして誘った。

 体力作りから歌やダンスの練習、衣装作りなんかもあって、大変だった。けど、ディアは一緒になって幸せそうにやってきた。

 

「ミナトが、わたしを照らしてくれた太陽だった。だから、ミナトの作った曲以外は歌いたくないって、わがまま言った。それしかやっちゃいけないって、それがミナトへの恩返しだって……」

 

 そう思っていたのを知っている。だから三人だけで全てやってきた。

 最初は僕もそれに賛成だった。このユニットは、このメンバーだけで完結させるべきものだと思っていたから。

 

「それはロッティもわかってたはずなのに、あんな簡単に……」

 

 ディアは机の下で拳を握った。

 

「それが許せない自分が嫌。ロッティは、ミナトが言ってるように自分のやりたいことをやろうとしてるだけなのに、わたしを押し付けちゃってる」

 

 周りへの怒りを感じる自分への嫌悪。それは特に最近急激に、彼女の中に溜め込まれたものだろう。

 ディアの意識を変えようとした僕やロッティの目論見が仇となってしまった。はじめはほんの少しの意地だったのかもしれない。それが時間を経るごとに大きくなり、打てば打つほど固くなる。

 それはあの子の優しさのせいであり、僕たちの愚かさのせいだ。大事に思うがあまり、解すことができずにいた。

 

「ディアちゃんは、湊さんのこともロッティちゃんのことも大好きなんだね」

 

 歩夢の言葉に、ディアはこくりと頷いた。

 

「私たちのことは嫌い?」

「大好き。最初は、わたしたちとミナトの邪魔をするなら引き剥がそうと思ってたけど、ミナトが心の底からここにいるのを楽しんでるのが分かった。だからわたしたちのほうから同好会に入った。みんな優しくて、かっこよくて、可愛くて、嫌いになるほうが難しい」

 

 一息に喋って、息を吸う。

 

「でもちょっと嫉妬がある。ミナトが悩んでるのは知ってたけど、わたしじゃ何も出来なかった。それを、同好会のみんなは解消した。わたしの役目だって思ってたから、もやもやする。みんな、良い人。そのみんなにもロッティにも嫉妬してしまうわたしが大嫌い」

 

 全てを話し終わり、ディアは涙を浮かべた目を伏せた。その垂れた頭を、歩夢は壊れものを扱うようにそっと撫でる。

 

「ずっと溜め込んでたんだね」

「こんなこと、ミナトに言えない。幻滅される」

 

 そんなことない、と言うのは簡単だ。今飛び出してそう言えばいい。けれどそれで解決するかというのは別の話で、それは侑たちも分かっていた。

 

「ディアちゃんはどうしたいのかな」

 

 侑はゆっくり、諭すようにして言った。

 

「例えば、このまま二人組だけでずっとやりたい? それともたまには他の人と組んでみたりしたい? 曲は、やっぱり私が作ったのじゃダメ?」

「……」

「役目とか、こうしなくちゃじゃなくて、ディアちゃんが何を思ってどうしたいのか。ここじゃ、それが一番大事なんだよ」

「わたしは……」

「ディアちゃんが文化祭でバンドを組んでた時、すごく楽しそうだった。あれが嘘じゃないなら、ほんとはみんなと一緒にやりたいんじゃないかな」

 

 否定を許さず、間を置かずに侑は話を続ける。

 

「ロッティちゃんとは違う人と組んで、湊さんとは違う人の作った曲で歌って、自分で考えたのじゃないダンスを踊ってみるのって、想像しただけでもわくわくしない?」

 

 例えば違う国の人と、例えば違う学校の人と、例えば違う部の人と。自分が思っているよりも世界は広く、人は多く、繋がりは無限。そこへ飛び込んだなら、その景色に魅了される。夢を見て追いかけている者ほど、景色の美しさが分かる。

 同好会のみんな、そうだから、そうだから……

 

「……やりたい」

 

 ぱっと顔を上げたディアの目は、まるでスクールアイドルを始めたての時のように輝いていた。

 

「ミナトともロッティとも、みんなとももっともっと一緒に色んなことをやりたい。衣装も、他の人が手掛けたやつが着たい。誰かの弾く音でパフォーマンスしたい。わたしが知る世界の外側で歌いたい」

 

 一世一代とも言える告白を浴びた二人は茶化すことなく、しっかりと頷いて理解を示した。

 

「素直に、好きなことをしようよ。そしたら、ディアちゃんはきっと自分のこと好きになれるよ」

「湊さんもロッティちゃんも驚くくらい成長してさ、二人の度肝を抜いてみせよう」

「……うんっ」

 

 よーし、と早速いくつもの提案を出す侑と、撫で続ける歩夢に引っ張られて、盛り上がるテーブルを見て、僕らはようやく安堵のため息をついた。

 

「解決しタ」

「したね」

「ディアがああやっテ苦しんでルの、知ってタ。でも、でもネ、ミナトはずっとイッショにいるワケじゃなイ。だったラ、ミナトに頼っテばっかじゃダメ。ワタシたちはワタシたちなりに進化しないトいけなイ。歌っテ踊ルのは、ワタシたち二人。でも、やり方を変えれば、モット色んナことができル。可能性が広がル」

 

 Alpheccaを形作るのは僕たち。三人がいなければそもそも存在自体がないし、それが続くなんてことももちろんない。

 しかし、その活動を支えてくれるのはファンのみんなや仲間たち。その人たちの助けや応援を受けて、Alpheccaはより高みへ行く。

 だから、僕たち三人だけで、というのは半分だけ正解なのだ。スクールアイドルとは与えるだけの存在ではなく、与えられる存在でもある。

 一緒に、だ。力を貸してくれる人、応援してくれる人、見てくれる人、全てと、だ。その人たちと共に行く。そうしたいなら、無理に抑え込む必要はない。

 それは栞子へ、ミアへ、ランジュへ伝えてきたことだし、彼女たちが証明してきたことでもある。

 

「ディアにはソレ、Alpheccaはそうするベキだって知ってほしかっタ。寂しいナラ、イッショにいルときにいっぱい甘えル! それでおしまイ!」

「ちゃんとスクールアイドルしてるんだな、ロッティ」

「……まだ、足りなイケド」

「……そうだね。僕らはまだ足りない」

 

 自分で完璧だと思っていたランジュも、とてつもない人気を誇るAlpheccaも、パフォーマーとしては一流でもスクールアイドルとしてはまだまだ未熟。たぶん、どれだけ経っても完璧に辿り着けることはない。理想とはそれほど高く遠いものなのだ。

 

「それにしても、侑と歩夢……あんなに逞しくなっちゃってまあ」

「ミナト、パパみたイ」

 

 

 

 

「ロッティ、ごめんなさい。わたし……」

「許ス!」

 

 部室まで戻ってくるなり頭を下げるディアを手で制し、ロッティは声を張り上げた。

 

「そんなあっさり……」

「だっテ、引きずっててモ良いことないモン!」

 

 実際には、心情をこれでもかというくらい聞いたからなのだけど。

 謝ろうとするのを何度も止められて、ディアはついに諦めてロッティの恩赦を受け取った。

 

「それデ、ユウの曲はどうするノ?」

「やる。わたしは自分の可能性を広げて、ミナトやユウ、ファンの一番になる」

 

 迷いなんて一切ない顔できりっと言い放つ。

 僕やロッティだけを見ているような、曇った目じゃない。僕がずっと見たかった目だ。

 ディアのスクールアイドル道はここから。まだまだ満足しちゃいけない。でも、満たされた感覚が胸に広がった。

 

「イチバンはワタシ!」

「や、わたしがいただく」

「いいえ、一番はランジュよ!」

「かすみんですっ。会場に来た人だけじゃなく、配信を見てくれるファンもぜーんいん、かすみんのトリコにしちゃいますから!」

 

 ああもう、せっかくいい気分だったのに、いつもの感じに戻るんだから。

 そう、これはいつもの光景。でも、いつもより一歩進んだ景色なのだ。



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99 幕が上がる

 東京ガーデンシアターというイベントホールは、なんと最大八千人も収容できる施設だ。

 客席も四階席まであり、どの席からでもステージをしっかり見ることができる。逆に、ステージに立つ者からも客がはっきり見える。

 そんなとんでもない場所をファーストライブの場に選んだのにはいくつか理由がある。

 

 まずは我が同好会の人気。

 第一回、第二回と続けてきたスクールアイドルフェスティバルを通したうえに、Alpheccaやランジュも加わって、合算したファン総数は万を超えるに至った。

 ファーストライブでももちろん動画サイトでの生放送をするが、現地で直接見てほしい気持ちももちろんあり、でかければでかいほどええやろの精神でここが候補に挙がった。

 

 もう一つの理由は、ここが虹ヶ咲学園に近いから。

 スクールアイドルとして、やはり縁のある地でやりたいというのがある。だから東京から離れることは考えず、お台場に近いところに設定した。学校のみんなにも来てもらいたいしね。

 

 他にも、準備のために学校と行き来しやすいからとかいろいろあるけど、そういった希望を満たしていたここに白羽の矢が立ったのだ。

 そうして決まったこのホールを改めて見渡すと、やはりでかいというのが一番先に来る。

 下見とか打ち合わせで何度も足を運んだけれど、いざライブ当日の今日、ここにお客さんが来るんだというのを思うとより広く感じる。

 

 ステージ上では、最終の音チェックをそれぞれのアイドルが行っている。といっても、これだけの大きなところでやる経験はないので、基本的には音楽機器に詳しいスタッフやミアたち音楽科に任せられている。

 僕はイヤホンマイクを通して、その向こうの人へ話しかけた。

 

「マイクテストマイクテスト。えー、こちら天王寺湊。侑、聞こえる?」

〈聞こえてますよ〉

「リハーサルは順調?」

〈うん。今のところ問題なしです……って、湊さんも見てるんでしょ?〉

「もちろん。ここだよ、二階席」

 

 階下に向かって手を振ると、こちらを見つけた侑と目が合う。

 会場後方には機材がずらりと並んでいて、複数台のPCも置いてある。音響・照明・生放送などなど、各用途に合わせて一台ずつ。それを操るのは映研部に演劇部、そして生徒会。みんな快く協力してくれていて、我が事のように真剣だ。

 

〈湊さん、そっちで音聞いた感じどうですか?〉

「十分届いてるよ。後は、みんながリハ通りの声量でやってくれることを期待するしかないね」

〈だってさ、みんな〉

〈湊くんの耳潰してあげるわ〉

〈こっちの喉が潰れるか、湊くんの耳が潰れるか勝負しよう〉

〈それいい!〉

〈潰した側が潰された側にご褒美っていうのはどうでしょうか〉

〈決まりだね〉

「決まるな」

 

 あちらで誰が喋ってるのか分からないくらい盛り上がっているが、潰すなら観客の耳にしてくれ。

 

 

 

 

「みんなちゃんと居るな」

 

 スクールアイドル同好会に用意された控室に入り、確認する。

 リハーサルが終了して、あともう少しで開場時間となる。誰か緊張しすぎて急に逃げるなんてことがなくてよかった。

 

「湊さんもようやく休憩?」

「うん。あとは他のスタッフに任せてきた」

 

 本番までもうやることない……はず。気にしだしたら全部気になるから、不安は喉元あたりで留めておくとしよう。

 

「お菓子おいしい」

「ハルカの作ってくれタのもオイシイ!」

 

 焼き菓子同好会のクッキーや既製品のお菓子、用意されている弁当に、遥さんからは彼女お手製の厚焼き玉子サンド。十六人いても食べきれないほどのものがずらりと並んでいた。

 それだけじゃなく、さらにお手製のグッズやらなんやら、ここだけで一種の展示室みたいになっている。

 

「あんまり詰め込みすぎないようにね。本番で動けなくなりましたーなんて困るから」

 

 と言いつつ、玉子サンドに手を出す。

 見た目ぎっしりだが、絶妙な焼き加減によってふわふわの玉子。パンと柔らかさが似てるおかげで、食感の違和感もない。甘いのとしょっぱいのが用意されていて、軽食としては申し分ない。

 あー、近江姉妹が作ったもの三食で一日過ごしたいなあ。

 

「湊先輩、いつも通り落ち着いてますね」

「僕だって緊張してるよ、君たちが思ってるよりもずっとね。今だって気を抜いたら足が震える」

「そういう時は手のひらに人の字を書いて……」

「もう五十人くらい飲み込んだよ」

 

 いや、下手したら僕の胃にはもう百人くらい人の字が入ってるかもしれない。

 こんな大舞台で、裏方以外の仕事が待っているのだ。そりゃあ心臓も破れそうになる。

 

「けどそれより、君たちを見ているほうが落ち着くよ。だってほら」

「かすかす、もっと寄って寄って!」

「かすかすじゃありませんっ」

 

 僕が指差した先には、記念に写真を撮ろうとする愛と、巻き込まれたかすかす。

 部室でやっているようなやりとりに、周りも思わず微笑みを向ける。つまり、いつも通りの光景である。

 

「ああいうの見てると緊張感が薄れる」

「あはは……」

 

 腹も丁度よく膨れたところで、そういえば、とみんなを控室から連れ出す。

 僕らには内緒で飾りつけられたものがあると副会長から報告を受けていたんだった。

 一階から二階への階段、その途中の踊り場に、それらはあった。

 

「すごい……」

 

 見上げるほどに大きなフラワースタンドがいくつも。バルーンで装飾されていたりするものもある。

 あまりお金のことを言うのは野暮だけど、これってかなりお高いんじゃ……

 

「メッセージもたくさん……あ、かすみちゃん宛てのもいっぱいあるよ」

「『かすみんが世界一可愛いよ』……ふふーん、やっぱりファンのみなさんは分かってくれていますねえ!」

 

 近くの壁を埋め尽くすほどに、手のひらくらいのサイズの紙がぎっしりと貼られている。そこにはライブの開催を祝う言葉や励ましのコメントが添えられていた。中には似顔絵やデフォルメ絵を描いてくれていたりするものもある。

 虹ヶ咲の生徒だけじゃない。教師、他の学校の学生、小さい子に、大人まで。それが東京のみならず、全国から。

 

 思わず感嘆の息が漏れる。

 書くのも描くのも、そしてそれを届けるのも、一見簡単なように見えてその実難しい。躊躇してしまう人もいるだろう。つまりこれ一枚一枚が応援してくれている人、人たちの結晶であり、その一部分。世界にはもっとたくさん僕たちを見てくれている人がいることの証でもある。

 

「ボクたちももうこんなに認められてるんだ」

「そりゃあ君も立派なスクールアイドルだからね」

 

 活動期間はまだ短いけれど、彼女にはテイラー家の娘ではなくスクールアイドルのミア・テイラーとしてのファンがついている。

 これこそ、ミアの望んだ景色なのだろう。それは、彼女の嬉しそうな顔を見れば分かる。

 そして、同じような顔をしているのがもう一人。

 

「せつ菜?」

「……ここまで来たんですね、私たち。みんなで大きなライブが出来るくらいに……」

 

 最初は、たった六人だった。

 僕、エマ、彼方、せつ菜、しずく、かすみ。それぞれまったく別の個性を持った彼女たちは一度危機を迎え、崩壊し、踏みとどまり、立ち上がった。

 こんなに仲間もファンも増えて、各々が思い描くスクールアイドルの道を歩めているなんて、あの時の僕らに言っても信じられなかっただろう。

 それだけに、ここに来れた感動もひとしお。たったそれだけで、充足感に満たされるところだ。

 

「そうだね。でも実感するにはまだ早いよ」

 

 ライブも始まってない。だから『良かった』なんて気が早すぎる。

 この胸の内で輝く想いを届けなければいけないのだし、そしてきっと放った分よりも多く大きいエールを、ファンの人たちが与えてくれるだろうから。

 

 僕がそう言うと、せつ菜は思いっきり弾けるような笑顔をこちらに向けた。

 

 

 

 

 開場時間となった。

 受付はイベントスタッフに任せ、スクールアイドルは着替え、僕と侑はお先にステージ裏で待機していた。

 本当は最後まで裏方調整するつもりだったのだが、副会長に「もうすぐ開演時間になります。天王寺さん、高咲さん、後は任せてください」と言われてしまっては甘えるほかないだろう。

 

 ステージの陰から、集まってきた客をそっとを見る。

 練習の時にはしんとしていた観客席は、あれよあれよという間に人で埋め尽くされ、見知った顔も多数見受けられる。

 招待した人だけでも相当の人数。ファンが混じってとんでもない人数。SNSでメッセージを送ってくれた人たちによると、県外からも来てくれた人がいるらしい。そんなこんなで、当初はあまりにもキャパが大きすぎると不安だったが、むしろ足りない事態になってしまい、チケット争奪戦が行われたくらいだ。

 

「わあ……」

 

 侑は感嘆の声を漏らした。

 

「こんなにお客さんいっぱいなの、初めて見るかも」

「しまったな。物販もやってれば儲けられたかもしれないのに」

「流石にそこまでは手が回らなかったもんね」

 

 このライブのためのスケジュール調整、色んな人との交渉、侑の作った曲の編曲、それに当然練習も見なきゃならない。グッズまでなんとかできる余裕は一切なかった。

 会場のキャパ含めて、次回の課題だな。

 

 開演を今か今かと待つお客さんの期待の眼差し、これだけの人がいるからこその騒がしさ。いいよな、このざわざわ感。いかにも始まるって感じ。

 

「わ、すごっ」

「圧倒されるわね」

 

 衣装に着替え終わり集まってきたみんなも、人の多さに目を丸くしている。

 当然だ。今ここにいる人たちは、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会だけを目当てに来ている人たち。今までの、他校と合同とか文化祭と同時開催だとかは全く違って、純粋に同好会のファンが集結しているのだ。

 しかも生放送も、これまでにないくらいに視聴者が来ている。果林の言う通り、圧倒だ。圧巻とも言う。

 対してこちら側は、慣れていたり肝が据わっていたりするのばかりじゃない。

 

「ミアちゃん?」

「……ちょっとだけ怖いかも」

「大丈夫。ここにも向こうにも、ミアちゃんの味方しかいないよ」

 

 璃奈に手を包まれ、震えていた体が収まったミアに……

 

「これが全部わたしのファンになるんだ」

「ディアさんのその自信はどこから……」

「だってわたしだもん。ミナトに認められたわたしだから。つまりシオリコも素質あり」

「そうでしょうか……」

「モチロン! だっテ、シオリコカワイイ!」

「シオリコかわいい」

「そ、そうやって連呼するのはやめてください……っ」

 

 ディアとロッティに褒められ、恥ずかしそうに、そしてまんざらでもなさそうな栞子。

 あまりにも固まるようなら一言声をかけようとも思ったが、なんとかなったようだ。

 ガチガチ緊張がド緊張に変わったくらいだが、少しは強張りが抜けた。あとは、みんなのステージを見ている間に解れるだろう。

 魅せるのはこっち。圧倒させるのもこっちだ。ちゃんと見ろよ、くらい強気でいくのがいいのさ。

 

 安心していると、ランジュが僕の袖をくいくいと引っ張った。

 

「湊、あれ、ああいうのアタシにもやってほしい!」

「今さら君に必要か?」

「うぅ、だってミアも栞子もああやって励まされてるのに。ランジュだって同好会員としては新参なんだから優しくしてよ!」

「君なら平気だろ。じゃなかったら、文化祭の時も今回も一番槍を任せたりしないよ」

 

 やれやれと呆れ気味にそう言うと、ランジュはにまっと破顔して胸を張った。

 

「そうよね! ランジュが湊にとっての一番だからよね! も~、湊ってば、ランジュのこと好きすぎるんだから!」

「それ外で言うなよ」

 

 誤解招きそうなことを大きな声で言うな。

 ……あれ、おかしいな。人も集まって暖かくなってきたのに、急に背中が冷たく……

 

「湊くん、今の話、詳しく聞きたいなあ」

「内でも言っちゃ駄目だからな、ランジュ」

 

 ひんやりした手が肩に触れる。その瞬間、ランジュへさらに釘を刺しておいた。

 ね、これでいいだろ。だからエマ、圧のある笑顔でこっちを見ないでください。

 

〈あと五分で開演です〉

「ほら、もう始まるよ」

 

 降ってきた副会長からの助けに乗って、僕は空気を変える。

 ほら、ちょっとは緊張感ある空気作っておかないと、へにょっとした雰囲気のままになってしまうから。ね、だから手を、手を離して。

 

「よーし、円陣組むぞー!」

「おー!」

「円陣組むこと自体に盛り上がるんじゃない」

 

 テンションの高い愛やせつ菜たちを手招きし、十六人で輪を作る。

 

「ランジュ、こういうの初めてよ」

「ワタシもハジメテ!」

 

 うきうきとしているランジュとロッティ、無言ながらもそわそわしているディアに苦笑しつつ、人差し指を出す。みんな、それに合わせて同じく中心を指で示す。

 

 僕はちらりとかすみを見た。部長である彼女からの一言を待つ。

 が、待っても待っても彼女は口を開かない。それどころか、不思議そうな顔をしてこちらを見てきた。

 せつ菜……も僕を見ている。侑も。というか、みんなの視線がこちらを向いている。

 

「え、もしかして発破かけるの僕?」

「え、違うんですか?」

 

 何を言ってるんだ、みたいな目が十五人分、三十個ある。

 ええ、そんな急に言われても何も考えてないのに。しかし、このまま黙っていたらぐだぐだなままライブが始まってしまう。

 こほん、と咳払いをして、僕は沈黙を破った。

 

「今まで個人やユニットでの活動はいっぱいやってきたけど、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会としてはこれが初めてになる。だからといって完璧にやれとは言わない。ミスしてもいいんだ。それをどうにか出来る人たちがここにいる。それよりも大切なのは、ファンを楽しませて、自分も楽しむこと。それが出来れば今回のライブは成功したってことになる。だから僕らは今まで通り、いつも通りで……行くぞっ!」

「おおーっ!」

 

 重なった鬨の声が、お互いの胸を震わせ、勇気を生み出す。

 さあ行こう、僕らの目指したその先へ、夢の向こうへ、みんなで一緒に。

 

 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のファーストライブ、その幕が上がった。



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100 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会ファーストライブ

「行ってくるわ、みんな!」

 

 ライブのスタートを担うのはランジュ。

 文化祭のオープニングアクトと同じ理由で相応しいと判断された彼女は、いつも通りの自信たっぷりの笑みを浮かべていた。

 本番である今日だってずっと、ほどよい緊張と恐れ知らずの度胸を失っていない。そんな彼女が先頭に立つことに、誰も異論は唱えなかった。

 

「ランジュ」

 

 僕はすっと手を挙げる。察したランジュが、ぱあっと顔を輝かせて、その手を叩いた。

 

 ハイタッチ。

 バチンと威勢のいい音が鳴って、それに満足した顔をして、ランジュはステージへ向かっていく。

 彼女が立ちライトが当たると、待ってましたと観客が声援を上げる。

 

「いっっっったぁ~。本気で叩いてきたな、ランジュのやつ……」

 

 一方、僕はじんじんと感触の残る手を抑えていた。手を合わせる程度かと思ったのに、思いっきり手を振ってくるんだもんな。

 

「でも、その分良いパフォーマンスしてるね。叩かれ損じゃなくて良かったねぇ」

「戻ってきたら思いっきり褒めてやるから覚悟してろよ、ランジュ」

「どういうやり返しなのよ」

 

 言われた通り、ランジュは練習以上の成果を披露している。

 スクールアイドル界に彗星の如く現れた彼女だが、歌と踊りだけで人を虜にする力は同好会に入っても健在どころか、ますます磨かれていた。

 これで、意外と子どもっぽいギャップがあるのはずるいよなあ。

 

 さて、いつまでも見ていたいところだが……そろそろ次の準備だ。

 

「かすみ」

 

 ネクストパフォーマーへ声をかける。

 我らが部長のかすみは、ランジュを見て闘志を燃やしているようで、今にも飛び出しそうにうずうずしていた。

 そんな彼女のずれた帽子の位置を戻す。

 

「これでよし」

「キマってますか?」

「これ以上ないくらいにね。非の打ち所がないよ」

「当然ですっ。なんてったって、かすみんは世界一可愛いですから!」

 

 僕は頷いた。

 

 ちょうど戻ってきたランジュとかすみが相対し、バトンタッチと、よくやったと、頑張ってこいの軽い音が響くハイタッチをかます。

 ダメージのないハイタッチ出来るなら僕にもそうしてくれ。 

 

「後は大丈夫かな。副会長たちのところに行ってくるよ」

「え~、彼方ちゃん、不安だなあ」

「私も」

「じゃあちょっとは不安そうな顔しなね」

 

 次の彼方もその次のエマも、言う割に楽しみ十割な顔をしていて、ちっとも心配そうじゃない。

 まったく、と小さくため息をつく。

 

「彼方、エマ、任せたよ」

「湊くんがそこまで言うなら」

「任されました」

 

 ふんす、と気合を入れる二人。こうしなくてもちゃんとやってくれるだろうに。

 

 

 

 

 観客席の後ろ、ずらりと機材が並べられているのを一瞥する。どれも正常に動いていて、置いてあるPCを見る限り生放送も止まったりはしてない。

 

「どう?」

「順調です。そちらは?」

 

 くるりと振り返った副会長へ返事を返そうとした瞬間──

 

〈みーくん、りなりーのボードが故障してて、直んないんだけど……〉

 

 控室で出番を待っている愛からのSOSだ。

 璃奈ちゃんボードに、映したいのとは別の表情が出てしまうらしい。ちょっとした故障ならともかくとして、すぐには原因が分からずに直りそうもないようだ。

 あれはただの装置じゃない。璃奈の気持ちを客へ繋げるための手段。それが使えないとなると……

 

〈ボクが先に行こうか?〉

 

 璃奈の後番であるミアが言う。

 それが出来れば、多少時間は稼げるだろう。だけど……

 

「璃奈、どうする?」

〈このままでやる。やらせて〉

「分かった。スケジュールはこのまま、璃奈のステージだ」

 

 即答した璃奈に、僕も即答する。

 ほんの少しだけひやりとしたが、調整のためにあれこれせずに済んだ。璃奈の、というかみんなのためなら走り回るのも嫌ではないが、トラブルがないに越したことはない。

 

「大丈夫なんですか?」

「大丈夫」

 

 訊いてきた副会長に、頷く。

 そう、璃奈ちゃんボードは手段だ。璃奈のことが伝わるなら、無くたっていい。璃奈がそれを一番分かってる。あの子がやると言ったなら、きっとやれるんだ。それを、まず兄の僕が信じなきゃ。

 ほら、見てみなよ。出てきた璃奈の、なんと堂々としていることか。それを見るファンのなんと楽しそうなことか。

 

 ボードのない璃奈を見て何かを察したのか、ファンたちが協力してペンライトの光で璃奈ちゃんボードの顔を再現する。

 事前に打ち合わせでもしていたのだろうか、一糸乱れる連携に、どちらがパフォーマンスする側なんだか、と感心した。

 その顔は満面の笑みを浮かべていて……

 

「ほらやっぱり、伝わってるじゃないか」

 

 歓声の中で、誰にも聞こえないような声で僕は呟く。

 いつの間にか、僕も璃奈たちにつられて笑みが漏れていた。

 

 

 

 

 何事もなく、全てが思ったように進み、余裕をもって再びステージ裏に戻る。

 璃奈の曲が半分終わったところで、ミアが深呼吸していた。

 

「次、ミアか」

「うん」

 

 ミアにとっては初めてのでかいステージだ。怖い気持ちもあるだろう。さっき、璃奈の代わりに出ようとした時の声がちょっと震えていたし。

 でもここでいくな、とか、順番を下げられる、とかそんなことは一切言うつもりはない。

 いけるか? と訊こうとしたが、寸前で思い留まって、別の言葉に変える。

 

「いけるよな」

 

 ミアは自信満々に頷いた。

 

「璃奈がボクに勇気をくれた。もう怖くないよ」

「その意気だよ、ミア子!」

 

 かすみの声に押され、ミアは光へ向かう。

 入れ違いに戻ってきた璃奈がたたたっと駆けてきた。

 

「お兄ちゃん!」

 

 そのままの勢いで、肩で息をしながら抱き着いてくる。

 長年璃奈と一緒にいるけど、こんな興奮冷めやらぬといった様子のは珍しい。それも仕方ない。あんなのを見せられちゃね。

「お兄ちゃん、みんな私を受け入れてくれた。私、スクールアイドルを始めて良かったって思って、それで……」

「分かってるよ、璃奈」

 

 まくしたててくる璃奈の頭を撫でる。

 ファンだけじゃない。仲間にも、璃奈の勇気は繋がっていっている。

 その証拠に普段クールなミアが、感動や痛快、満足に期待といった感情の全てをぶちまけている。

 正しい。ステージの上で自らの全て、衣装も歌もダンスも練習の成果も思っていることも見せつける。スクールアイドルとして、これ以上正しい姿はないだろう。

 ミアは同好会に入ってまだ日が浅い。スクールアイドルの理解もまだまだだ。

 だけど、ようやくスクールアイドルに成った。

 

「……」

 

 いつだって新しい星が生まれる瞬間は美しい。それが自分が育てたスクールアイドルならなおさら。

 

「綺麗、だな」

「あら、ミアにご執心?」

「ミアち頑張ってるもんね。でも、愛さんたちだって負けてないぞ~? なんてったって、みーくんをメロメロにしたユニットだもんね」

 

 両サイドから迫ってきた果林と愛に挟まれそうになって、すんでのところで回避。

 

「からかわないでくれよ」

「でも、アタシたちにメロメロになったのは本当でしょ?」

「メロメロって言葉、古いぞ」

「ごまかしてるわね。分かりやすいんだから」

 

 はいはい、と僕は流して、二人の背中を押す。

 

 果林、続いて愛、そしてDiver Divaによるステージが立て続けに行われる。

 直前まで軽いお喋りをしていたとは思えないくらい、心を込めた歌声ときりっとしたダンスが披露される。

 切ないほど綺麗でどこを切り取っても映える果林、自分だけでなく人を照らしてどこまでも笑顔な愛。

 これだから、あの子たちには文句を言えないのだ。最後に見たのよりもっと仕上げてやってくるんだから。

 

 そんな二人の終わり際、次のアイドルが、こつこつとブーツの音を鳴らしながら、僕の横を過ぎ去ろうとする。

 

「いってくる」

 

 ディアだ。

 ソロは初だが、今や何の心配もないだろう。

 他のみんなと同じく、大層な言葉をかけるつもりはなかった。

 

「期待してる」

「ん。目を離さないでね」

「言われなくても」

 

 侑が作った曲は、彼女の綺麗な歌声で会場を包み込ませるようなバラードだった。

 音は静かで少なく、歌の上手い下手が如実に表れる。難易度の高い曲だが、練習に練習を重ねたディアは自分のものにした。

 喉からCD音源が流れてるんじゃないかと思わせるような澄み切った声に、観客はじっと聞き入っていた。

 この場の空気が完全に彼女によって支配され、一秒も聞き逃したくないと耳に神経が集う。

 歌い終わっても拍手がないのは、最大級の賛辞ととれるだろう。

 

 表も裏も静まり返る。そんな中で唯一、駆け出していく影があった。

 

「ヨーシ! ワタシの番!」

 

 ロッティだ。

 

 彼女の情熱を表すようなダンサブルなイントロが入り、先ほどはサイリウムを振るのも忘れていた観客は一気にボルテージを上げていく。

 ディアとは真反対の曲調で情緒がどうにかなってしまいそうだったが、彼女は無理やり引っ張り上げるように熱を放出する。

 ロッティにつられてノって声援を出すのは何千人といるのに、それに負けじと激しく声を発し、体を動かす。

 そのダンスを僕が真似れば、一分も経たずに倒れてしまいそうなステージ。それを彼女は最後まで手を抜くことなくやりきった。

 

 そこまでして盛り上げた観客を、リーデル姉妹が離すわけもなく……

 

「ミンナ! ワタシと──」

「わたしがステージをやったってことは……」

「トウゼン、次はワタシ()()!」

 

 間髪入れずAlpheccaとしてのステージへ塗り替える。

 このために僕が新しく拵えた曲は、今までのAlpheccaのよりも自信がある一品だ。

 

 『krone』

 最高、とか、冠、という意味をもつこの曲は、当然ファンに向けて作った。だがそれ以上に同好会のメンバーに向けてもいる。

 この時点での、僕が積み上げてきたものを全てぶちこんだつもりだ。僕が目指す『最高のスクールアイドル』をイメージした。

 そう、最高、だ。これを超えられるなら、超えてみせろという宣戦布告。

 

 たとえ素人でも、そのクオリティに目を奪われる。特に生放送のコメントが多く、海外の言語が目を滑るほど流れてくる。

 

「あ、あんなのの後に私……」

 

 ごくり、と栞子が喉を鳴らした。

 怖気づいてしまうのも無理はない。新人である彼女に、Alpheccaの後は荷が重い。

 本来ならば、だが。

 

「大丈夫よ、栞子」

 

 ランジュが、萎縮しきりそうな栞子の肩に手を添える。

 

「あの二人以上を見せつければいいんだから」

「そうは言っても……」

 

 ランジュは不安そうな幼馴染の頬をむにゅっとつまんだ。

 

「アナタなら出来るわ。だって……」

「ボクたちがついてるからね」

 

 もう一方をミアが掴む。

 

「そうでしょ、湊。こんな意地悪、栞子と私たちなら乗り越えられるって、信じてるんでしょ」

「意外とスパルタだからね、湊は」

「僕は言わないようにしてたのに」

「そうなんですか?」

 

 彼女は二人の手を掴んで離させて、僕の顔を見上げる。

 

「ここまで来たら分かるだろ」

「分かります。でも、聞かせてください。聞かなくても分かることを、あなたの口から聞きたいんです」

 

 しっかりしてるから忘れそうになるけどこの子はまだ一年生なんだよな。学年もそうだし、スクールアイドルとしてもそう。

 だから今回は……まあちょっと反省かな。始めたばかりの栞子を追い詰めすぎた。

 それでも僕は──

 

「栞子、君ならやれる。僕は栞子を信じてる」

「それは……三船薫子の妹だからですか?」

「栞子だからだよ。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の三船栞子だから」

 

 先輩として、同好会に誘った者として、栞子には目をかけてきた。当初そこには、薫子さんの妹だからというのもあったかもしれない。

 今は、そういうのはどんどんと隅に追いやられている。彼女自身のスクールアイドル像が形成されていったからだろう。誰かの何かというフィルターが取っ払われて彼女を見た時には、こんな大舞台でも晴れ晴れと踊る栞子の姿が浮かんだ。

 

 彼女はすう、と息を吸って、深く吐いた。

 もう一度顔を上げた時には、先ほどの固まった表情は消えていて、ちょっとだけ唇を尖らせていた。

 

「意地悪が過ぎます、湊さん」

「悪かったよ。だからそんなむくれてないで、笑顔で。いってらっしゃい」

 

 頷いて、栞子はランジュとミアを引っ張る。栞子だけ、から三人ステージへ移り変わる。

 こんな新人がいてたまるか、というような高いクオリティで見せつけてきて、栞子とミアはスクールアイドルとしてのファンが少ないはずなのに熱狂の渦を作り出している。

 経験でまだ足りないところは、ランジュがしっかり補って隙が無い。

 正式なユニットではないものの、これを機に正式に組ませてもいいと思えるくらいに息が合っている。

 最後まで連携が途切れることはなく、行ってきた時よりも良い表情で三人はステージを後にした。

 

「三人でやるなんて、聞いてないよ!」

「言ってないからね」

「凄かったでしょ?」

 

 得意げに胸を張る三人。

 

「湊先輩は知ってたんですか?」

「当然。サプライズだよ、サプライズ」

 

 驚かせたい一心で、ランジュが提案してきたのだ。練習量の凄さを見て、首を縦に振らざるを得なかった。

 そう言うとしずくはさっきの栞子みたいに、頬を膨らませた。

 

「むう。私たちも行きますよ!」

 

 振り返ってそこにいた歩夢とせつ菜は、えっ、と目を丸くした。

 

「しずくちゃんも負けず嫌いだよね」

「でも楽しそうです! やりましょう!」

 

 やりたいならやらせたいところだが……とは言ってもこんな直前で他の人がついてこれるか。

 僕はイヤホンマイクで向こうに確認してみる。

 

「演劇部部長。君の後輩が三人でステージやりたいって」

〈OK。予定通りだね〉

「予定通り?」

「お待たせしました、A・ZU・NAのみなさん! これに着替えてください!」

 

 僕が首を傾げるのと同時、スタッフがレインコート風の衣装を二つ持ってきた。しずく用の衣装の色違いだ。

 呆然としている僕をよそに、それを受け取ったのは侑だ。

 

「こんなこともあろうかと、ってね」

「あろうかと思うかな、普通」

「Alpheccaの後に栞子ちゃんだなんて、絶対何か企んでるんだろうなあって。それに、残念ながらこの同好会は普通じゃないんですよ。や、良いことかな?」

 

 栞子のことを僕が信じていたように、しずくがどう思うか先んじていたわけだ。なんと、ステージが始まるよりもずっと前、企画段階から。

 

 A・ZU・NAとして一緒にいる時間が多かったからか、せつ菜も歩夢もしずくのソロを彩るような絶妙な加減でお供する。

 僕らに見せつけるような、ようは対抗意識じみたものが混ざってて、多面的な要素をもつA・ZU・NAのスパイスになっている。負けず嫌いはしずく以外もってことだ。

 

 かと思えば、せつ菜のソロステージになると炎に赤色に、これでもかというほど熱さが前面に押し出される。

 と思っていたら、歩夢が王道の可愛さで締める。

 どのスクールアイドルもそれぞれの個性があるのに不思議とまとまりがあるのは、僕が近くで見てきて慣れたからか。いや、お客さんの反応を見るに贔屓目でもないらしい。

 誰もが、あの日侑が入部を決めた時のような輝いた目をしていたから。

 

 

 

 

 最後の曲を披露するためには準備が必要。その準備時間を埋めるための幕間映像が流れたのを確認して、控室まで戻る。

 みんな既に着替え終わっていた。

 白のジャケットとスカートには黒のラインが入っていて、胸にはそれぞれのメンバーカラーのリボンが添えられている。頭には八分音符の形をしたアクセサリーが付いていた。

 今のメンバーでお揃いの衣装というのは初めてだから、こうやって並ばれると壮観だ。

 

「あ、湊くん」

 

 エマが一番に気づき、こちらに寄って来る。何か手に抱えていると思ったら、白色の花で作られたブーケを持っている。その中心には『天王寺湊様』と書かれたメッセージカードが置いてある。

 

「見てみて」

 

 彼女が言う通り、僕はそれを取って中身を見る。

 そこには、スクールアイドル宛てではなく、僕個人へ寄せられた言葉が所せましと並べられていた。

 頑張って、とか、これからもたくさんの曲を作ってください、とか……ただ一人の作曲家への純粋な激励と感謝の気持ちがずらりと書かれている。

 

「ほら、侑ちゃんも」

 

 歩夢が侑に渡したのも、同じくこの同好会の一員としてやってきた侑への言葉。

 僕らはお互いに目を丸くした表情を見合わせた。

 

「これ……」

「みんな、二人がしてくれたことを分かってるんだよ」

「ランジュに負けず劣らずファンが多いわね。こんな身近に強力なライバルがいたなんて」

 

 みんな誇らしげに僕たちを見る。

 

「湊先輩も侑先輩も、スクールアイドルしてますねえ」

「えっ」

「夢や元気を与えるのがスクールアイドルなら、ミナトもユウもスクールアイドル」

「否定しづらいタイミングで言ってくるのはずるいぞ」

 

 ファンレターまで貰っちゃって、こんなんじゃどんな言い訳をしても否定の材料にならないじゃないか。まったく……

 僕はこみ上げてくるものを一旦抑えて、カードをポケットにしまう。

 これだけ言ってくれる人たちが、僕にもいる。同好会じゃなくても、家族じゃなくても、友人じゃなくても、きっと世界中にたくさん。

 それだけのことを豪語できるだけの自信を、ファンがくれた。まさにそれは、スクールアイドルと応援するファンとの繋がりによく似てる。

 

「侑ちゃんも湊さんも、仲間でライバルだもんね」

 

 このライブだけでも、僕たちはみんなを助けて、みんなに支えられて、焚きつけて挑発して、笑い合って信じ合って、一つになってる。

 それが、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の目指す姿で、きっとあるべき姿だ。

 その中に僕と侑はいる。歩夢の言う通りなのかも……いや、そうだね、君たちや見てくれる人がそう思うなら、きっとそうなんだろうな。

 

 

 

 

 映像も終わり、真っ暗になったステージにスポットライトが当たる。スクールアイドル十四人が並んでいて、いかにも『いよいよ』という空気が会場に広がった。

 照明がゆっくりと点き、やがて壇上を全て露わにすると、まずはかすみがぺこりと礼をする。

 

「みなさん、来てくれて、見てくれてありがとうございます」

 

 続けて、みんなも礼。

 

「私たちのことは知ってくれていると思います。知ってなかったとしても、このライブで知ってもらえたと思います」

「だけどもう二人、知ってほしい人がいます」

 

 ん?

 ステージ傍に設置されたピアノに座っていた僕と侑は顔を見合わせる。こんな台詞は台本になかったはずだけど……と疑問に思ったのも束の間、彼女たちはばっと手をこちらに向けた。

 

「天王寺湊さんと高咲侑さんです!」

 

 壇上のみんなを映していたステージ上のスクリーン映像が、ぱっと切り替わる。

 

「ええっ!?」

「やられた……」

 

 いま紹介にあずかった僕と侑が、音楽室で作曲しているところを撮った写真がでかでかと表示された。

 どうやって撮ったんだろうこれ。全然気づかなかった……

 

「裏方だからって、こうやって紹介されるのも嫌がってたんだけど、それでも私たちはこの人をみんなに知ってもらいたかった」

「同好会が始まってから、ずっと私たちを支えてきてくれたのが、この二人です」

「ここにいるメンバーがスクールアイドルになったのも、続けてこれたのも湊くんと侑ちゃんのおかげ。そのことを、よく知ってる人もこの中にはたくさんいると思います」

「アタシを、アタシたちを引っ張ってきて夢を叶えてくれた人、アナタたちファンにアタシたちを届けてくれた人なの」

 

 僕らは別に、称賛されたいわけじゃない。ただ応援して、手を貸して、共に歩んできただけだ。そう思ってた。

 だけどみんなは思ってたよりももっともっと僕らに感謝してて……もし彼女たちの言うように、僕らもスクールアイドルなら、仲間でライバルなら、ただの裏方で終わってほしくないと思ったのだろう。

 

「湊先輩、侑先輩」

「どうもありがとう!」

 

 揃って、こちらに礼をする。

 たった二人へ向けられた『ありがとう』が、お客さんに広がり、世界中の人たちへ繋がる。

 気づけば、万雷の拍手が僕たちの身を打っていた。感謝や激励がコメントで流れる。他の誰でもない、天王寺湊と高咲侑へ、抱えきれないほどのメッセージが届いてくる。

 男子である僕が表に出すぎるのはよくないと避けてきた。でも今、そんなこと気にしなくていいんだよと認められてる気がした。

 

 まったくもう、盗撮した写真を使うなんて、って怒ろうとしたのにこれじゃ……

 

「え、えーと……あはは、泣いちゃいそうだよ」

 

 僕だって侑と同じ気持ちだ。潤んで前がぼやけそうになる。

 目元を拭ってもう一度アイドルたちがを見ると、彼女たちはまだ目線をこっちに向けている。そして歩夢は、迎えるように手を差し出してきた。

 それの意味するところは、侑は分かってる。でもそうしていいのかと僕に目で訴えかけてきた。

 

「行っておいで」

 

 ぽん、と背中を押す。

 一歩、一歩。ためらいがちに進む。

 

「副会長、侑のマイクを繋げて」

〈分かりました〉

 

 半ばよろけていると言ってもいい足取りの侑を歩夢が支える。そうして、拍手の止んだ静寂の中でようやく中央に立つ。

 会場のスピーカーと繋がれたマイクは、彼女の落ち着こうとする息も拾った。

 

「えーと……急に出てきちゃってごめんね。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の高咲侑です。って、わあ!」

 

 自己紹介すると同時に、まるでアイドルが登場したかのような拍手を受けて、侑が驚く。

 その様子にアイドルからも観客からも笑いが漏れ、侑は恥ずかしそうにごほんと咳払いをしてごまかした。

 

「私は……」

 

 言葉を紡ごうとして、侑は一度止まり、考え、また口を動かす。

 

「スクールアイドルに関わるようになったのも今年から、音楽に携わるようになったのもつい最近で、私はまだまだ未熟なんだ。そんな私がここまでやってこれたのは、みんながいてくれたから。みんなを支えたいって思ったから。それも元々は、歩夢の応援が出来たらいいなっていうのが始まり。最初はたったそれだけ。その一があったから、今の私がある」

 

「私は今までずっと支えられ続けてきた。今度はみんなのためになることをしたい」

 

 侑は差し出すように、手を前に突き出す。

 

「まずは一歩。その一歩が難しいかもしれないけど、踏み出してみて。私たち虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、あなたが進むことを応援するから」

 

 言葉を一気に吐き出した侑へ、観客からの拍手が再び起こる。

 彼女は、逃げるようにして僕のもとへ戻ってきた。

 

「湊さんはお客さんに何か言わないの?」

「僕は、自分の言いたいことは全部曲に込めたから」

「ずるい! そっちのほうがなんかかっこいいじゃん」

「次にやるとき真似していいよ」

「ちょっと、そこで言い合いしないの」

 

 どっと観客が笑う。

 侑のマイクがONになったままのせいで、いつものようなお喋りが流出してしまった。

 しまった、と僕と侑は口を口を噤み、身振り手振りで早く次の台詞を言うように促した。

 生暖かい視線をこっちに向けるんじゃない。

 

「それではみなさん。最後の曲は、私たちスクールアイドル十四人のパフォーマンスと二人の演奏による、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会全員で魅せるステージです」

「見逃したら、後悔するヨ!」

 

 音楽科のみんなで作曲し、十六人全員で作詞を手掛けた一曲。

 これは、このみんなじゃないと出来ない曲だ。十六人より多くても少なくても意味がない。他の誰かが代わりに入っても崩れる。

 この曲で、聞いてくれた人たちが僕からのメッセージに気付いてくれたなら、喜ばしい限りだ。

 

 さあ、始めよう。

 僕と侑は鍵盤に手を置き、ゆっくりと指に力を込めた。



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101 stella

 全ての曲が終了して、会場が壊れるんじゃないかというくらいの拍手も受けて、アンコールまでやって、同好会のファーストライブは大盛況で幕を閉じた。

 

 本当は出て行って、帰る人たち一人ひとりに直で感謝を伝えたいところだったけど、僕らが表に出ちゃうと人の流れが止まってしまう。それに、伝えたいことは音楽で、と豪語してしまったわけだしね。

 そういうわけで、僕らはステージの裏に集まって観客がいなくなるまで待機していた。

 出し切って満足したからか、頭が回っていないからか、細かいところを指して感想を言えるものはおらず、凄いだのやばいだのが興奮冷めやらぬ中で飛び交う。

 

 一人、一人と去って行って、やがて誰もいなくなって、しんと静まり返った舞台を後にして、夢見心地のまま廊下へ出る。

 控室に戻る途中で先ほどまでのライブを思い返す。誰も彼もが盛り上がって、たくさんの声援も送られ、その中には僕だけに向けたものもあった。

 やってよかったと心から思える瞬間だった。あーあ、あんまり出しゃばる気はなかったのに、これじゃ──

 

「ミ・ナ・トくーんっ」

「わあっ」

 

 後ろからがばっと誰かが抱き着いてきた。倒れそうになるがなんとかこらえて立ち止まる。

 この、この遠慮なく飛びついてくる感じは……

 

「すっかりいい男に育っちゃって、このこの~」

「こらこらアリエ。ミナトくんが困ってるよ」

 

 にこにこと底なしの笑顔を向けてくる女性を、傍らの金髪の男性が剥がす。

 その二人は……

 

「アリエさん、エリオットさん!」

 

 ロッティとディアの両親だ。

 どちらも音楽界では知らぬ者がいないと言われるほどのとんでも夫婦で、世界中から年がら年中お呼び出しがかかるほどの人物だ。その二人が、なんと揃って目の前にいる。

 

「来てくれてたなら、言ってくれればよかったじゃないですか」

「この人のコンサートが時間通りに終わるかどうかわからなかったからね。ギリに終わってダッシュで来てやったわ!」

「それはどうも……なんというか……」

 

 アリエさんは相変わらずの猪突猛進っぷりだ。

 昨日、エリオットさんが所属する楽団がヨーロッパで演奏をしていて、そこから即飛行機に乗らないと間に合わないはずなのに……

 二人ともこちらに見に来ると言っていたが、正直無理だろうと思っていた。まさか本当に来るなんて……いや、今さら驚くことはないのかもしれない。

 僕が留学している間も、市を出るような仕事は断って近くにいてくれたくらいだし。

 

「パパ、ママ!」

 

 さらにやってきた双子姉妹が両親を挟んで抱き合う。連絡は取り合っていても、実際に会うのは四か月ぶりくらい。親子仲が良い彼女らにとっては長すぎるくらいだ。

 

「よかったよ、ロッティ、ディア」

「忙しいはずなのに、来てくれたの?」

「それはもちろん。大切な娘たちと……大事な弟子の晴れ舞台だからね」

 

 エリオットさんは僕にウインクした。もう五十近いはずなのに爽やかに見えるのはずるいなあ。

 

「どうだっタ?」

「うん、立派になったね、三人とも」

「そうよ、もうプロみたいになっちゃって! 撫でてあげちゃう!」

 

 わしゃわしゃと、アリエさんは二人の頭を撫でる。ついでに、ちょっと距離を取っていたはずの僕もいつの間にか抱き寄せられていて、撫でられた。

 もうすぐで高校も卒業するっていうのに、なんというか、恥ずかしいより安心するほうが先に来る。こんなに近づいて、日本のものとは違う彼女らの匂いが感じられるせいだ。

 

「ミナト」

「は、はい」

 

 とてつもない力で拘束されている僕の頭に、エリオットさんもぽんと手を置いた。

 

「君の曲、心に響いた。成長したね」

 

 エリオットさんは、僕の音楽の師匠だ。

 学校で良い成績を修められる程度だった僕に、彼は持ちうるすべてを教えてくれた。文字通り、音を楽しむことを。

 それは今の僕の礎でもあり、Alpheccaや同好会のみんなの曲の中に息づいている。僕の行く道に残している……つもりだった。

 僕が作った曲は良い曲ばかりだ。だけど実際はちゃんとエリオットさんの教えを継げているか分からなくて、そこだけが気がかりだった。

 

 だって、世界最高峰のチェリストだもの。こんな若造があと十年二十年頑張っても追いつけないとは分かっていても、せっかく教えられたのだからちゃんと生かしたいじゃないか。

 そんなワールドクラスの音楽家に認められて、三人目の父親みたいな人に良い顔をさせてあげられることが出来て、感極まるなってほうが無理だ。

 

「あーあ、パパったら泣ーかせた泣ーかせた」

「パパひどイ!」

「パパ、息子泣かせ」

「ええ……」

 

 くそう、弁明しようにも涙が止まらなくて上手く喋れない。とは思いつつも、アリエさんもロッティもディアもにやにやとしていじってるだけみたいだ。

 

「お兄ちゃん?」

 

 目を拭いながら振り返ると、璃奈がいた。僕たちがまだ控室に戻ってないことを不思議に思ったのだろう。

 璃奈は、僕を拘束に近い強さで抱いている男女を見て、首を傾げた。

 

「あなたがリナちゃんね!」

 

 ぎゅん、とアリエさんが距離を詰める。僕とロッティとディアを抱えたままなのに、一瞬で璃奈の目の前まで迫ったアリエさんは、ますます目を輝かせて璃奈の手を握った。どうやってるんだ全部。

 

「は。はい」

「聞いてたより可愛いわぁ! ね、あたしの娘にならない? 今ならミナトくんとロッティとディアがついてくるわよ」

「ごくり」

「こらこらアリエさん、うちの妹を勧誘しないでください。璃奈も乗り気にならないの」

 

 ようやく涙が止まったので、というか引っ込んだのでアリエさんの暴走を止める。ロッティと同じで、誰かがストップをかけないとどこまでも行くバイタリティと行動力があるのだ。

 やれやれ、と首を振って、エリオットさんがアリエさんを羽交い絞めにする。

 

「ここはボクが抑えておくから、逃げるんだ!」

「離してよー!」

 

 四、五十の夫婦のやり取りじゃない。あと飛行機で何時間も揺られてそのままライブに来た人のはしゃぎ方じゃない、と僕たちは苦笑して、ご厚意に甘えて離れる。

 

「まったく、相変わらずだな」

「あんな元気なお母さんとお父さんと、ロッティちゃんとディアちゃんと一緒に過ごしてたんだ。大変そう」

「大変だったよ、ほんと」

 

 慣れない土地での生活、学校、音楽の勉強、スクールアイドル活動に手伝い。

 あの元気すぎる家族と、たった数ヶ月しかない中でよくやったと思う。いや、あのリーデル一家だからこそ、上手くやれたんだろうな。

 

「ミナトの『大変だった』は、それだけ手間をかけてくれたってこと」

 

 それは否定しない。

 

「ミナトとリナのパパとママは来てくれてたノ?」

「うん。最初から最後まで見てたらしいよ」

「私が招待チケット渡して、呼んだ」

 

 ふんす、と璃奈が胸を逸らす。

 さっき、お父さんからメッセージが来てた。めちゃめちゃ長文だったから、後で見るとだけ返した。

 お父さんもお母さんも忙しいから、エリオットさんたちと同様来れないかと……

 

「お母さんたちが、私とお兄ちゃんが一緒にやってるのを見るのは、これが初めて」

「きっと会社の人たちに自慢するぞ」

 

 お父さんの会社には、スクールアイドルを知っている若い人がいるみたいだし。

 

「どうだっタって、聞かなくテいいノ?」

「いいよ、後で。言っただろ、僕は曲に全部込めたんだ。聞いたなら、全部分かってくれるはず」

 

 なにせ世界最高峰の音楽家に認められた僕の曲だからね。

 まあそうだな。泣いたかどうかくらいは、家に帰ったら問い詰めてやろうかな。

 

 

 

 

 一足先に会場から外へ出る。

 今日一日をかけてのライブも終わり、辺りはすっかり冷え込んでいた。

 もう会場の周りには誰もいない。けれど、みんなの歌声も、盛り上げてくれたファンの歓声も、僕への応援もまだ耳に残っている。

 あれだけの大きなライブをやった実感はまだあんまりなくて、あれはちゃんとした現実だよと余韻だけが教えてくれる。

 

 そう、僕らはやったんだ。自分たちのやりたいことを詰め込んだ、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のファーストライブ。

 伝えたいことは伝えきった。それが聞いてくれたみんなに届いているかは……SNSや生放送のコメント欄に来ているであろう感想を見て判断するとしよう。

 とにかく今は無事に終わったことに安堵して、駆け抜けてきた足の速度を緩めるターンだ。なにせ、今日は今年最後の夜である。

 せっかくだから、このままみんなで一緒にご飯を食べて、それから初詣に行こうと話はつけている。

 もしライブが失敗してたら、どよんとした空気のまま年越してたことになったんだろうなあ、恐ろしい。

 

「おーい、湊くーん」

 

 白い息の行方を追っていると、一人だけでこちらに寄ってきた。

 コートに身を包んだエマが、マフラーを巻きながらやってくる。戯れに僕にちょんとぶつかった後、肩を触れ合わせたまま並んだ。

 

「終わったねー」

「そうだね」

 

 彼女もまだ夢見心地なのか、いつも以上にぽわぽわとした空気を纏わせている。

 二人して空を見上げる。今日は雲一つない。おかげで視界いっぱいに星を映すことが出来た。

 

「まさか僕らだけのライブが出来るなんて」

「これも、湊くんのおかげだね」

「十六分の一は僕のおかげだね」

「もうちょっと貰ってもいいんじゃない?」

「これが多すぎず少なすぎず、ちょうどいいんだよ。みんな同じくらい頑張ってて……誰が欠けても成り立たなかった」

 

 ずっとやってきた子たち、Alpheccaや二学期に入って新しく入った三人も含めて、十六人のうち誰がいなくなってもこのライブは同じようなものにならなかった。

 それがより良いものになったのかどうかは分からないけれど、僕はこれで満足している。だからこれ以上はきっとなかったんだと、そう信じている。

 

「うん。私もそう思う」

 

 ふふ、と笑いながらエマも同意する。

 

「湊くん、変わったね」

「変わった?」

「だって、前までの湊くんだったら、自分を『みんな』に入れてなかったもん」

 

 まあそりゃ、みんなが強引なほどに輪に入れてくるもんだから。

 

「自意識過剰だって笑う?」

「ううん。そうやって変わって、『みんな』の一人になっていくのって、素敵だと思う」

 

 たった独りじゃなく、人たちの中の一人であり続ける。人とはそうやって、貰って受けて大切にして、そして渡して託して残していくのだろう。

 卒業して大学に行っても、大人になっても、もっと歳を取っても、僕は誰かに残り続ける何かを託すことが出来るだろうか。

 

「そうやって誰あの一部になって……一緒に居続けるって、僕に出来るかな」

「出来るよ、湊くんなら」

 

 エマは僕の目の前に立って、逃がさないように目を覗き込んできた。

 

「前に、湊くんは、置いていかれても仕方ないなんて言ってたけど……きっと、湊くんが湊くんじゃなくならない限り、みんな放っておかないと思う。あなたがこんなにも素敵な人だから、つらい時には手を伸ばしたくなっちゃう。みんな、あなたの周りに集まっていく」

 

 彼女は僕の手をきゅっと握る。お互いの手が冷たい。でも離したくはなかった。

 

「一人じゃない。それが、湊くんの人生」

 

 自分を孤独にしていたのは自分自身で、でもそんな思いはもう欠片もない。

 みんなが、エマが、こうやって僕の傍にいてくれて、僕の足りない部分を埋めてくれた。それがこれからも続くなら……

 

「そうだったら嬉しいな」

「そうだよ。だってほら、まず私がいるもん」

 

 そう言われたところでやっと、僕ははっとした。

 その、友人や仲間だったとしても、男女としては近すぎるんじゃないだろうか。

 スキンシップしてくる子もいて、最近多少は慣れてきたけれど、これって慣れていいものなんだろうか。もしかしたら僕自身の教育に悪いかも……

 でも、そう思っても、離れられない。手を握られてるからじゃない。僕自身が、退きたくないと思ってる。

 

 これって、今、もしかしてそういう時間なのだろうか。ほら、お互いの気持ちを知る時間、みたいな。

 

「エマ」

 

 こほん、と気を整えるための咳払いをして、彼女に向き直り、名前を呼びかける。

 

「君は僕の願いを叶えてくれた。最高のスクールアイドルを見たいっていう、僕の願いを」

「湊くんも私の願いを叶えてくれた。色んな人に私の歌を届けたいっていう、私の願い」

 

 エマの手の力が増す。それだけで、冷えかかっていた僕の体が燃え上がるように熱くなった。

 

「その、一年間一緒に過ごしてきて、そういうこともあって……僕らはそれほど相性は悪くないんじゃないかと思ってる」

 

 しどろもどろになりながら、ちょいちょい目を逸らしながらではキマらないが、それでもここでやっぱりやめなんて出来ない。もうブレーキは壊れてしまった。

 

「だから……少し考えてみてほしい。僕と君との関係について」

「私と湊くんの関係?」

 

 エマはいたずらっぽく笑って返してくる。絶対、僕が何を言いたいのか分かってる顔だ。

 

「私と湊くんって、どんな関係なのかなあ?」

 

 そんな意地悪なことも言ってよこす。僕はその手に、もう一方の手を添えた。

 

「だから、その……認めるよ、世界中にエマを届けられたのが、僕らにとっての四度目だって」

「…………ほんと? 湊くん、何を言ってるかちゃんと分かってる?」

「もちろん」

 

 いつか一緒に見つけようと言われた、偶然も奇跡も必然も超えたもの。それはとっくに目の当たりにしていた。だからこれは実際には四度目なんかじゃなく、千度目くらいなんだけど……とにかく、離そうとするには手遅れなくらい、エマに惹かれていたのだ。

 

「エマ、君は僕の(stella)

 

 届かないと思っていたけど諦められなくて、焦がれて、追いかけて、ようやく掴めた星。僕にとってのエマは、それだけ光っていて眩しく、大きい存在。

 エマの体も熱を持ったのが伝わってくる。

 彼女は数秒固まって、僕の言葉を反芻するように目を細めた。言ってやったと心臓が飛び出しそうなほど鳴って正気じゃいられないほどだけど、急かすことはしない。

 僕のほうが、エマをずいぶん待たせてしまったから。

 

 長いこと息を止めていたエマが、はあ、と僕の胸に向かって息を吐く。肌にかかったわけでもないのに、異様に熱く感じられた。

 そうして顔を上げたエマは、初めて会った時よりも、スクールアイドルが好きだと知った時よりも、僕が作曲できると知った時よりも、嬉しそうに口角を上げていた。

 

「湊くん……あなたは私の太陽(la mio sole)



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102 さよならまたね

 空港に来るのは一年ぶりだけど、まあ別に感慨深くなることもなかった。

 

 去年、あちらの空港ではリーデル家や留学先の学校で出来た友達が見送ってくれたけど、日本に帰ってきたら誰も出迎えてこなかったのが思い出される。

 あの時も両親は忙しかったし、まだ中学生の璃奈一人にここに来させるわけにはいかなかったし、日本の友達にはいつ帰るか知らせてなかったし。と、まあ、僕にとってはそれくらいの場所である。

 今年は来ないと思ってたのに、ランジュの帰国差し止めも数えると、今日で二回目。ただし、今度は見送る番である。

 

「いっぱイ楽しかっタ!」

「うん。アタシも楽しかったよ、ロッティ」

「アユムはこんな時までふわふわ」

「え、もしかしてお正月食べすぎたかな……」

 

 空港のエントランスにて、ロッティもディアも、圧し潰しそうなくらいの力で同好会のみんなに抱き着いている。

 今日、彼女たちはオーストリアに戻る。短期留学のため一学期しかいられなかったけど、もっといたようにも感じるくらい濃い日々を過ごしたし、もっと短かったようなくらい時の流れは早かった。

 そんな日常の中で、リーデル姉妹は駆け抜け続けた。その結果が、こうやって別れを惜しむ仲間たち。

 本当は音楽科の友人や他校のスクールアイドルも来たがっていたが、空港の迷惑になってしまうので前日までで済ませておいた。それを許してたら、今ごろ百人以上の大所帯となっていただろう。

 

「友達いっぱいでいいわね、さすが私の娘」

「来た瞬間から仲良くなってましたからね」

「ディアもあんなに楽しそうに……」

「いい仲間を持ったね」

 

 一緒に帰るアリエさんもエリオットさんも、娘たちの成長を喜んでいる。それは僕も同じ。

 最初、彼女たちが急に現れた時は僕を連れて帰ろうとしたからどうなることかと思ったけど、最終的には収まるところに収まった。

 二人が同好会の部員であることは卒業まで残り続ける。あっちに帰っても、どこに行っても。二人だって、同好会が大規模なライブをやる時にはまた日本にやってくるつもりらしい。

 最後に、というふうにこちらにやってきた二人に、僕は微笑む。

 

「お別れは済んだ?」

「うん、みんなからいろいろ貰った」

 

 二学期終業式から昨日まで、クラスメイトやファン、スクールアイドルたちから両手ではとても持ちきれない量の荷物を渡されていたのを覚えている。それに、こちらで買ったお土産とか思い出の品とかも。

 今はもうそれらは預けて手荷物だけ。その中にもぎっしりと様々な人からのものが詰められている。

 それだけじゃない。手元には残らず、しかし彼女たちの中に残るものもしっかり受け取っているはずだ。

 

「わたしたちも一緒に過ごして、ミナトが楽しくしてる理由が分かった。ニジガクは、ミナトにとって大事な居場所。だから、ついてきてって言えない」

「僕も、ずっとこっちに残って、とは言えないな」

「言ってくれたら残る」

 

 半分冗談半分本気の目だった。ここで僕がそう言ったら、きっと彼女たちは親にワガママを言ってでも日本にいることを選ぶだろう。それは素直に嬉しい。だけど……

 

「君たちには君たちの世界がある。君たちの生活や目標や夢がある。だから進め。いや違うな。僕たちなりのやり方で進もう、Alpheccaとして」

「うん」

「頑張ル!」

 

 よしよし、と二人の頭を撫でる。三学期の活動方針や、僕が高校生でなくなったらどうするかとかも考えないといけないし、まだまだ腰を落ち着けて引退は出来ないな。

 

「今年、わたし、もっと経験積んで成長する。あと二年生まれてくるのが遅かったらよかったのにって後悔させてあげる」

「それだと璃奈の兄じゃなくなる」

「シスコン」

「ありがとう」

「むう」

「それに、二年遅かったら、君たちがスクールアイドルになるのも遅れてた。そっちのほうが致命的じゃないのか」

 

 膨らませたディアの頬をつつく。すると、ぷしゅっと音を立てて空気が口から抜けた。

 

「ミナト、意地悪」

「よく言われる」

「ミナトはドンカンなトーヘンボクでボクネンジンだもんネ」

「後で日本語直さないとな」

 

 どうせ同じクラスの友達がまた変なこと教えたんだろう。エマも含めて、ちゃんと認識を正さないと。

 「間違ってないような……」というディアの呟きは無視。

 

「あ、そうだ。僕からも渡す物があるんだった」

 

 抱えていた小さな袋を一つずつ渡す。早速二人が開けて、中の物を取り出した。

 ブレスレットとしてもアンクレットとしても、チョーカーとしても使えるコードブレスレット。

 ゴテゴテした装飾はなく、小さく丸い銀色の宝石がアクセントとして映える。ロッティには赤色の紐のを、ディアには青を渡した。

 

「三つある。一つは僕の」

「じゃあコレ、お揃い?」

 

 僕は頷いて、ほら、と腕を見せる。僕のは白色。

 

「こういうの、持ってたほうがいいかと思って。この三人だけの、Alpheccaだけの物。まあそんな大した物じゃないけどね」

「……っ、ミナト!」

 

 止まれ、と言う暇もなく、二人が左右から腕を抱いてくる。

 うっ血しそうなくらい容赦なく締めてくるけど、また長らく会えないことになるのだ。我慢我慢。

 

「大事にすル!」

「一生持っておく」

 

 いや一生は長いよ。そんな高い物でもないし。でも、うん、ここまで喜ばれるのは嬉しいかな。せっかく日本に来てくれたわけだし、僕も何か渡さないとと思ってオーダーメイドしてもらった甲斐があった。

 よしよし、と頭を撫でるとより一層力を強めてくる。アリエさん、エリオットさん、微笑んでないで助けてくれないかな。

 

「ミナトくん。いつだって来てくれていいんだからね。今度はみんなも連れてきて!」

「その時が来るのを待ってるよ。仕事も無しにして一緒に過ごそう」

「世界飛び回ってるオペラ歌手とチェリスト相手にそんな贅沢な……」

 

 留学してた時はあんまり意識してなかったけど、結構羨ましい環境にいたんだな、僕って。

 

「なーに言ってんの! 息子のために時間作るなんて当然でしょ?」

「そうかな?」

「そうだよ。そうなの」

 

 僕を諭すように言って、エリオットさんはようやく双子を引き剥がした。

 ちょっと名残惜しい気もするけど、というか二人ともめっちゃ抵抗してるけど、まあ続きはまた今度。彼らの言うように、また一緒になった時にでも。

 

 さて、もう一人、日本から飛び立とうとしている人物がいる。

 その人……歩夢は侑と手を重ねて、握り合っていた。

 

「歩夢、気を付けてね」

「侑ちゃんも、夜更かししすぎはだめだよ」

 

 歩夢に憧れてスクールアイドルを始めたというメールをくれた子のために、ロンドンへの留学を決めた歩夢の旅立ちの日も今日だ。

 二週間という長くはない期間ではあるが、あの二人にとってはどうだか。

 忙しすぎて短く感じるか、会えない時間を意識してしまって長く感じるか。ちなみに僕の時はそれらが混在して、自分の中で時空が歪んでた。これマジね。

 

「どっちが先に寂しくなって電話するか賭ける?」

「歩夢にベット」

「いやー、ゆうゆなんじゃない?」

「いーえ、侑先輩は大丈夫ですよっ。可愛い可愛いかすみんが満たしてあげますから!」

「歩夢、あんまり寂しい思いをさせてると侑が取られるわよ」

「それか、あっちの子に歩夢が取られるか」

「歩夢ちゃんにべったりじゃない侑ちゃんか、侑ちゃんにべったりじゃない歩夢ちゃんになるのかなあ」

「いまいち想像がつかないかな」

 

 見送るメンバーは僕を含めて好き勝手言う。

 この二週間を無駄に浪費するだけのことは、二人ともしないだろう。男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ。女子なら一日半で大変貌を遂げる。

 

「ううぅ、侑ちゃん、帰るまで変わらないでね?」

「大丈夫だよ、私の傍は歩夢以外考えられないもん」

 

 まるで数年離れるみたいなシチュエーションだな。いなくなるのたった二週間でしょうが。

 

「侑さん、やっぱり人たらし」

「まあ、湊の後輩だからね」

 

 それずっと言われてるけど、依然として遺憾の意です。

 

「そんな顔しないで、歩夢。アナタなら大丈夫よ!」

「まあ、歩夢がいなくなって侑にべったりする人の筆頭がランジュなんだけどね」

「幼馴染として、あまりにも行き過ぎたら止めます」

 

 その時は二人で止めよう、栞子。止められたらだけど。

 ここぞとばかりに侑とスキンシップを取る子に心当たりが多すぎる。で、歩夢が嫉妬したりして、湿度の高いすれ違いが起きてしまうのだ。

 二週間、バランスが崩れないように見ておかないと。

 

「そろそろ行くね。これ以上いると遅れちゃう」

 

 歩夢は侑から手を離して、床に下ろしていた荷を肩に掛けた。

 

「あたしたちも行こっか。湊くん、本当に来なくていいの?」

「まだやり残したことがたくさんあるので」 

「そっか」

 

 アリエさんはすんなりと引っ込んだ。って言っても、この数日でめちゃめちゃ連れて行かれそうになったんだけど。

 

「それじゃ、また」

「また来ル! ミンナも来てネ!」

 

 ぶんぶんと手を振って、歩夢もリーデル一家も去っていく。

 行ってしまえば、すぐ会うことは出来なくなる。でも、このご時世、離れていても顔を見て話す手段はいくらでもある。歩夢は二週間くらいなら耐えられるだろうし、ロッティとディアも僕が卒業するくらいまでは待っていてくれるだろう。

 だからその歩みを止めるわけにはいかない。突き進むなら、それを応援するまでだ。

 

「またいつか」

 

 そう呟いて、彼女たちの姿が消えるまで、僕たちは手を振り続けた。



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103 少しだけ後のお話

「おはよう、お兄ちゃん」

 

 もう朝ご飯が出来上がるという時になって、ちょうどよく璃奈が挨拶する。

 顔も洗って制服にも着替えて、朝の用意はばっちりのようだ。

 

 出来上がったものを皿に盛って食卓へ。いただきますをして食べる。

 天王寺家の朝は毎日大して変わらず、けど結構進歩したっぽい。璃奈は特に。同好会に入って朝練をすることも増え、毎日きっちり朝ご飯を食べさせた甲斐がある。起こして食べさせて、ってやってた頃が懐かしい。

 ただ、いまだに夜更かしするときがあるのは、お兄ちゃん心配。とか言ったら、お兄ちゃんに言われたくないって返されるんだけど。

 

 食器を片付けて、ソファに座ってお茶を一杯。さらに天気予報をゆっくり見るくらいには余裕が出来る。

 そうしてようやく時間になると、二人して鞄を持って、一緒に玄関へ向かう。

 

「璃奈、弁当持った?」

「うん」

 

 僕ももう一度自分の忘れ物がないことを確認して、靴を履く。

 

「それじゃ、行こうか」

 

 

 

 

 年を越して、三学期が始まって少し。

 三年生にとっては高校生活も終わりに近づき、大学進学を希望している者は受験のラストスパートにかかり、卒業後に働く者は大体行き先が決まっていて、卒業と内定に傷がつかないように残りを謳歌している。

 僕は前者。音楽大学に進学する予定で、筆記試験と実技試験の両方を対策中。

 

 部活動については、部によっては引退している者もいて後輩に後を託してすっきりしたり、不安がったり。

 軽音学部ベースのゆるふわウェーブちゃんは上がいなくなってやりやすくなった分、自分が一番上になって後輩の世話をしなくならなきゃいけないことを面倒くさがっていた。

 

 

 昼休み。

 雲一つない空から日差しが降っていても外は寒く、好んで出ようという者はほとんどいない。そのせいで、暖房が効いている教室も食堂も、この時期はより一層混む。

 逆に、ゆっくり食べようとなったら外のベンチは結構狙い目だったり。

 今日は今後の作曲のことなどを話し合うため、同好会の音楽科メンバーである僕と侑とミアで集まっていた。

 ミアはカロリーの高そうなパンを三つほど買って、満足そうに食べている。栄養偏りそうだな……少しは注意しておかないと。

 

「見て見て! 歩夢から写真が遅れられてきたんだ!」

 

 さて侑はといえば、歩夢がいなくなって何か変わるかと思ったら、見ての通り平常運転。

 トキメキを求めるのもいつも通り、作曲の早さもいつも通り。音楽科の授業もひいひい言いながら追っていたのが、今はかなり余裕が出来たみたいで補習を受けるなんて話はないみたい。これは彼女の担任の先生から仕入れた話だからまず信じていいだろう。

 ミアと顔を合わせて肩をすくめる。

 

「どうしたの、二人とも?」

「いや、元気そうでなによりって思って」

「幼馴染がいなくなって寂しがることも、今のところはないしね」

「それって歩夢の話? 私の話?」

 

 僕は顔を逸らした。

 

「そういえば、ミアはどうするんだ」

「しばらくは帰るつもりはないよ。せっかくこんなに楽しいことが見つかったのに」

 

 短期留学のはずだったミアもランジュも、三学期になっても虹ヶ咲にいることを決めた。

 本来はランジュとともに話題をかっさらっていなくなるつもりだったようだけど、同好会の引力からは逃げられなかった。

 来年度はどうなってるか分からないけど、とにかく今はまだ虹ヶ咲の生徒。

 

「離れてても出来るってことはAlpheccaを見て分かったけど、でもここにいたい」

 

 嬉しいことを言ってくれる。

 彼女の国では飛び級で大学に通っていたらしいが、大学というものに未練があるわけでもないそうで、とりあえず今年度は在籍。

 僕もミアにスクールアイドルとはなんたるかを叩き込む必要があるし、まだまだいてくれないと困る。

 音楽科としても、友人がいなくなるのは寂しいからね。

 

 

 

 

「生徒会長就任おめでとう」

「ありがとうございます」

 

 虹ヶ咲内の設備を使うために申請を出しに行った生徒会室で、会長机に座っている栞子が頭を下げる。

 

 中川菜々の生徒会長任期は二学期までで終わり、次の生徒会長はこの三船栞子となった。

 他に対抗馬がいなかったのもあるけど、今までの実績もあってすんなりと通った。僕は心配してなかったけど、当選した時の彼女の喜びっぷりといったらない。

 今でもたまーに思い出す。

 

「私に務まるかは、まだ心配ですが」

「大丈夫じゃないか。大抵のことは、大体何とかなるもんだよ。根拠はないけど」

 

 友人がよく言う言葉だ。

 早めに対処すれば大抵のトラブルは収まる。なぜと言われたら、僕がそうだったからとしか言いようがないんだけど。

 栞子はほんの少しの呆れと不安を見せて返してきた。

 

「そんなに怖がることはないさ。栞子ならやれる」

「それも根拠のない言葉ですか?」

「いや、これは栞子を見てきた先輩としての自信のあるお言葉」

 

 やれることとやるべきことをしっかり理解出来て、そのために真っすぐ行動出来る子だ。

 それに、前期から続投している経験のある副会長や会計・庶務もいるし、僕らだってお世話になった分、力になりたいと考えてる。

 これだけのメンツがいるのは、栞子が頑張ってきた結果だ。だからふんぞり返って指示を出すくらいになってほしい。ちょっと見てみたい。

 

「湊さんにそう言っていただけて、自信が湧いてきそうです」

 

 今はそれでいい。積み重ねて積み重ねていけば、来年には後輩に憧れられる存在になるさ。またスクールアイドル同好会から出馬したりして。生徒会長系スクールアイドル。

 

「今のところは順調?」

「侑さんがかなり強気な交渉をしてくるのが、生徒会としては少し悩みどころですね」

「彼女にアドバイスした人がいるからね。話を有利に進めるには、強引に行くのも一つの手だって」

「どこのどなたが……」

 

 訊きかけて、そんな人物は一人しかいないと気付いた彼女は僕にジト目を向けた。

 

「……湊さん」

「可愛い後輩のためだよ。君には苦労をかけるけど」

「私は、『可愛い後輩』に入ってないんですか?」

「入ってるよ。生徒会長としての君も、スクールアイドルの君も、一人の人としても、もちろんね」

「……そういうこと言うからですよ、湊さん」

 

 

 

 

「モデルだけじゃなくて、他の可能性も探してみようと思うの。将来、出来ることが大いに越したことはないでしょ?」

「それで、しずくに相談してたってわけか」

「果林さんのような綺麗な人だったら、きっと舞台で映えますよ!」

 

 食堂でたまたま見かけた果林としずくと相席になって話を聞く。

 

 果林は今の仕事を続けていくようで、それだけでは足りないと演劇に手を出そうとしている。

 僕もしずくと同意見。そんな簡単に行く世界でもないだろうけど、果林は補って余りあるほど存在感がある。

 それに、モデルやスクールアイドルとしての果林ファンが既についている状態は非常に強いアドバンテージとして働くだろう。

 

「湊先輩はお勉強ですか?」

 

 しずくが僕の手を指差す。鉛筆のせいで一部が黒く汚れていた。

 

「もう受験まで後がないからね。詰め込みに詰め込む段階に入ってる」

「大変そうね、湊くんは」

「そりゃもう。いくらやっても足りない感じがするよ。受験って恐ろしい。戦争って言われるだけはあるね」

 

 ファーストライブが終わって平和な日常が……なんてことはなく、もうあっという間に受験日がやってくる。

 全国有数の音楽大学を目指す僕にとっては、座学も実技も手が抜けず、ひたすらに机と楽器に向かい合う毎日だ。

 

「それなのに同好会に来てていいんですか?」

「君らの曲作ってる時が一番楽しいからね。息抜きだよ、息抜き」

 

 忙しい中でも同好会の活動は続けている。曲を作っていたり、練習を見ていたりするのがストレス発散として一番効率がいいのだ。時間を忘れてしまう時があるのが玉に瑕。

 

「音楽勉強の息抜きのために音楽するの、もう極まってる感じするわね」

「音楽馬鹿、いえ、音楽好きですからね、湊先輩は」

「全部言った後に訂正しても意味ないぞ」

 

 否定は出来ないけど。

 

「でも、無茶は駄目よ」

「そうです。湊先輩が倒れたってなったら、同好会に来るの禁止にしますからね」

「気を付けるよ。君たちに会えなくなると寂しいから」

 

 ぶっ倒れて入院したりなんかしたら、せっかくの残り少ない学校生活が台無しになってしまう。

 みんなの姿を間近で見られるのはあとちょっとだけなのに、潰してしまうのはもったいない。それは至極まっとうな気持ちのはず。だけど、二人とも非難するような目で見てきた。

 

「どう思います、果林先輩?」

「絶対わざとね」

「一回わからせたほうがいいと思うんです」

 

 怖いこと言うな。

 

 

 

 

 三学期が始まって、まだちょっと。三年生になってからと考えると、だいたい九か月。その間にどれだけ進めただろうかと考える。

 自分では結構な進歩をしたと自負している。

 自覚していることもしていないことも、きっとたくさん変わった。悪くなったこともあるかもしれない。それでも、今の僕は、今の僕に大した不満はない。

 

「あれ、エマだけ?」

 

 部室に入ると、その中にはたった一人、ソファに座るエマだけがいた。

 他のメンバーは勉強や遊びに行っていたりして、ここにはいない。

 

「湊くん、こっち」

 

 エマは自分の隣をぽんぽんと叩く。

 彼女の示す通り、僕はそこに座る。ちょっと空けたスペースは、すぐさまエマによって埋められた。

 ファーストライブ以来、厳密に言えばその夜以降、元々近かった彼女との距離はさらに近くなった。具体的には、彼女のスタイルの良さが直に感じられる程度に。

 所在なさげにしていた手をきゅっと握られる。

 

「エマ、こういうのは……」

「でも今は二人きりだよ」

 

 いや二人だけじゃなくてもこういうことしてきますよね? 前、ここに同好会のメンバーが揃ってた時も同じようなことしましたよね?

 彼女曰く牽制のためらしいけど、必要かどうかはともかくとして、もう我慢の限界いっぱいいっぱいになってるんだから一度落ち着かせてほしい。この前だって……いや、この話はよそう。

 

「嫌だったら離したらいいのに」

「出来たらやってる」

 

 離そうとしたら毎回力込めて抵抗してくるじゃないか。

 それに、触れられた時点で放す気力がごっそり削がれる。エマみたいな子に手を握られると、無理やりにでも引き剥がしてやろうなんてしたくないって気持ちが大きくなる。

 エマを含めてみんな、僕のことを散々言ってくるけど、君たちのほうが魔性だと思う。

 

「練習は?」

「ちょっと体動かしたよ。今日はそれだけ。みんないないし」

「じゃあ君ももう帰る?」

「うーん……」

 

 小指を優しくさすられたり、ゆっくりと指を絡ませてきたり。僕の指を弄ぶようにしながら、エマは思案する。

 長……長い。帰るかどうかだけなのに、そんなに考え込まなくても。

 

「もうちょっとこうしていたいな。湊くんは、いや?」

「……今日、璃奈は愛の家に泊まるらしいから、時間あるよ」

「それ、私の質問に答えてないよ」

 

 気づくよね、知ってた。

 

「僕もこうしていたいです」

「よくできました。湊くんがそんなに言うなら、あとちょっとだけ」

 

 ……エマには一生敵わない気がする。

 

「ね、これからどうしよっか」

「今日のこと?」

「今日のことも、今後のことも」

 

 エマは、虹ヶ咲を卒業した後どうするかをまだ決めかねている。

 夢を叶えたのだから、スクールアイドルがどうという話はない。ただ、故郷のこと、こっちで出来た関係のこと、僕のこと。色んなことが絡まりあって、このまま日本で過ごそうかとも考えている。

 人生を左右するくらい大切なことだ。自分だけじゃない。僕や、彼女の弟妹にも関係してくる。

 ここ一、二週間ずっと相談されていることだが、その短い期間では結論は出せない。

 しかし、日本に住むにしても、すぐに決めなければいけないことではない。ややこしい手続きがあるから早めに決断したほうがいいのはそうなんだけど。

 だから……

 

「ゆっくり考えよう。君と、君の家族と……僕とで」

 

 急いてもいいことはない。

 僕がそっちに行く話だってないわけではないのだし。

 この話は、みんなが納得できるように着地させよう。

 

 僕としては、彼女が傍にいてくれるならどうなってもいい。なんて、欲張りすぎかな。

 

「じゃあ、今日はどうしたらいいと思う?」

「そうだな、今日はとりあえず、さっき言ったように……」

 

 僕はエマの手を握り返した。

 

「一緒にいよう。あと少しだけ」



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■■□
間話1 文化祭の三日目


 

 学園祭三日目はY.G.国際学園。

 この学校の中で一番大きなステージである体育館舞台の裏で、ロッティとディアが衣装姿のラクシャータさんを見てぱちぱちと拍手をしていた。

 

「えっちダ……」

「すごいえっち」

「これは民族衣装をアレンジしたものでですね……」

「デモ、民族衣装ってえっちだよネ」

「わかりみマリアナ海溝」

 

 全民族に謝れ。出演直前になってもアホらしい会話をするAlpheccaたちにツッコむ。

 

「ジェニファーちゃん、今日はよろしくね」

「ええ。スクールアイドルは日本人だけじゃないってわからせてあげましょ」

 

 対して、エマとジェニファーさんは静かに奮起していた。

 このY.G.国際でのステージ、エマとAlpheccaを連れてきたのは、国内外に対して、外国の人でもスクールアイドルやれるんだぞってところを見せつけるためだ。そうすることで、もっと世界的にスクールアイドルが流行していってくれたら嬉しい。

 当の本人たちも、後進が増えるなら、とやる気満々で挑む気でいる。

 その意気込み通り、彼女たちが共にするパフォーマンスは、思わず笑みがこぼれてしまうほどの出来だった。

 

 彼女たちにしか出せない国柄と、日本のアイドル像を混ぜたスクールアイドルの新しい境地。

 

 もちろん今までのスクールアイドルにだって外国人はいて、個人のキャラとしてそれを前面に押し出すようなのはいたけれど、グループで活動するうえでは、大多数の日本人に合わせるのが普通。

 それが、このステージはどうだ。様々な言語の歌が流れ、国際色豊かでありながら、アイドルという像を決して崩してはいない。お客さんたちも乗りに乗っている。

 エマとY.G.の情熱的なコラボも、Alpheccaのクールな単独ライブも、どちらも映える。

 

 音楽は国境を越えると言うが、まさにその通りだった。

 僕だって発音や意味なんて分からないけれど、この歌や踊りが素晴らしいってことは分かる。とりあえずは、それだけでもいいんじゃないかな。

 

 

 ステージが終わってしばらく休憩の時間となっても、僕の頭には先ほどのが強く残っていた。

 外国人だけで組ませるのも面白そうだな。エマとロッティ、ディアに……ランジュも加えたら見ごたえのあるユニットが出来上がるだろう。

 そのランジュは、こういった合同のステージに興味を示してくれなかったけれど。

 

「あ、ミナト」

 

 体育館から出て一息ついているところで、名前を呼ぶ声に顔を上げる。ディアがこちらを指差していた。傍らには璃奈とロッティがいて、そのロッティはこちらへダッシュで──

 

Halt(止まれ)!」

「!」

 

 今にも激突しそうだった彼女が、はっと急ブレーキして止まる。危ない危ない。去年仕込んでおいてよかった。

 

「イマ、リナと色々見てルんダ! ミナトも一緒にドウ?」

 

 タックルしてくる代わりに、腕を持ってぶんぶんと振ってくる。さっきパフォーマンスし終えたばかりなのに元気すぎやしないか。

 

「お兄ちゃん、来てほしい」

「わたしも」

 

 くいくいと、両側から袖を引っ張られる。

 可愛い妹と妹同然の子たちのお願いだ。僕が断るはずもなく、四人で回ることにする。

 

「最近忙しかったから、家以外でお兄ちゃんと一緒なの、久しぶり」

 

 第二回スクールアイドルフェスティバルの準備が本格化してから、僕は打ち合わせなどであっちへ、璃奈は練習や企画でこっちへ、というように校内では入れ違いになることが多かった。

 その間、同級生やエマたちに可愛がられているという話は聞いていたが……

 

「ごめん、寂しい思いさせて」

 

 元より会えないなら諦めもつくだろうが、会えるはずなのに会えないというのは心にくる。

 帰ったらお互いいるんだけど、同好会に入ってから学校でも一緒になったから、共にいられない時間が余計に印象づいてしまうみたいだ。

 いい加減、妹離れしないとなんてずっと思ってるのに、まだまだ無理のようだ。

 

「ミナトミナト! ワタシもいっぱい寂しかっタ!」

「わたしも、たくさん」

「はいはい。今日は使える時間、全部君たちに使うよ」

「ヤッター!」

「璃奈ちゃんボード『わくわく』」

 

 ま、この子たちから離れてこない限りは、このままでもいいんじゃないかな、とか思ってしまうのであった。

 

 

 

 

「で、その時のミナトとは学校が違うかったから、休日に連れ回してた」

「パパがネ、息子が出来たみたいダーってイチバンはりきってタ!」

「そうなんだ。もっと聞かせて」

「次はリナの番」

 

 三人を引き連れていると、ターン制で話題を振り合う三人の声が耳に入ってくる。

 どうやら僕のことについて話をしているらしい。ロッティとディアは留学中のことを、璃奈はそれ以外の時のことを。

 

「それは直接僕に訊けばいいんじゃないのか」

「ミナトが自分の話するトキ、その内容信用ならないカラ」

「彼方さんが寝ないっていうくらい信用できない」

「言い得て妙」

 

 そりゃ面白おかしくなことは言えないけど……そんなに言われるほど?

 

「それに、お兄ちゃん、オーストリア(あっち)では私のこと毎日話してたっていうからお互い様」

「カワイイ妹がいるッテ、毎日ジマンしてタ」

「実物はそれよりもっと可愛い」

 

 あたぼうよ。璃奈は言葉で言い尽くせないほど可愛いんだ。世界の真理。

 

「私も二人のことは聞いてた。手間のかかる妹みたいだって」

「褒めてル?」

「お兄ちゃんにとっては、最大級の褒め言葉だと思う」

「ならヨシ!」

「ふふん」

 

 誰に勝ち誇っているのか分からないが、満足げだからいいか。

 

「どこ行こうか」

 

 事前に貰っていたマップを手にしながら、校内を進んでいく。

 国際学園だけあって、結構バラエティ豊かな出し物が揃っている。定番のお化け屋敷とかもあって、全部回りきるには一日使って走り回るくらいが必要だ。

 それぞれの部が店を出していたりもする。そこかしこで演奏している軽音楽部はじめ、野球部はストラックアウトだとか、クイズ研究会がクイズ大会を開いたり。

 

 そういえば、海外だとこういった部活というシステム自体があったりなかったりするんだっけ。部というものがそもそもなかったり、入れる人数が決まっていたり、シーズンごとで部を変えたり。

 スクールアイドルが認知されてても、海外であまりいないのはそういうのが関係しているのかも、と前にも考えたことがある。誰か一回調査してまとめてくれないかな。

 

「あ、ロッティ、焼きそばある」

「行こウ行こウ!」

 

 二人とも店を見つけるなり、脱兎のごとく駆けていく。

 そこは教室の中に大きな鉄板を設置していて、そこで焼いたのを提供しているようだ。中々盛況で、まだ午前中なのにちょっとした列が出来ている。

 最後尾に並んだ僕も、漂ってくるいい匂いにお腹が空いてきた。

 

「焼きそば好きなの?」

「ブンカサイと言えばヤキソバタコヤキ! 今マデのモ食べ比べしてるんダ!」

 

 もはや伝統とも呼べるレベルだが、外国人からしたら物珍しいものだ。それゆえの行動なのかもしれない。どうあれ、気に入ってくれているようでなによりだ。

 少し経って番が回ってきて、一人前を頼んだ天王寺家とは異なり、両手いっぱいに袋を引っ提げて戻ってきた二人へ、璃奈が目を丸くした。

 

「よく食べるね」

「ご飯は元気の源」

「イッパイ食べないト、大きクなれないヨ!」

 

 リーデル姉妹は本当によく食べる。僕の何倍やねんってくらい食べる。

 それでもこれだけスリムなプロポーションを保てているのは、彼女たちの運動量が凄まじいからだ。いや逆か。運動量が凄いから、これだけのエネルギーを必要としているのか。

 

「エマさんや果林さんみたいになれるかな」

「エマは絶対自然の力を吸い取ってる」

「ネ、あれはサスガに無理カナ~」

 

 身長高いんだよな、エマも果林も。百六十六センチと百六十七だったっけ。

 天王寺家は全体的に身長低い。親族大体平均以下だったような気がする。肉も付きにくくて細いのは、女の子からしたら羨ましい遺伝子なのだろう。男からしたらちょっと嫌だけど。

 

「ミナトもエマくらいのが好き?」

「大きくても小さくても、それぞれに良いところがあるから一概には──」

「ミナト・ザ・エッチ」

「なんでさ」

 

 身長が低かろうが高かろうが、スクールアイドルとしてはどちらでも強みがあって、女性としてもどちらも魅力あるだろうが。

 僕がツッコむのよりも早く、彼女たちはこそこそと話しはじめた。

 

「ミナト、シスコンだかラちっちゃいのが好きなんじゃなイ?」

「ううん。お兄ちゃんはああ見えて、大きければ大きいほどいいってタイプ」

「大盛りの三年生が有利」

 

 謂れなき悪口を言われてる気がする。

 女三人での聞こえる内緒話が数秒。何かしらの答えが出たようで、ロッティが手を挙げた。

 

「結論言いマス!」

「はい」

「どぅるるるるるるるるる……」

 

 ディアがやたらと上手いドラムロール風の音を口から発する。

 でん!

 

「お兄ちゃん、健全」

「おめでトウ!」

「勝訴」

 

 …………

 なんだか分からないけど、楽しそうだからヨシ!



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間話2 恋バナ

「湊くんってどんなタイプが好き?」

「草タイプ」

「今はゲームの話してません」

 

 しずくの家に泊まることとなった夜。

 大部屋に布団が敷かれ、僕もその中で寝ないといけない罠にかけられた。

 結局、観念して端っこですぐさま寝ようとしたのも遮られ、僕は彼女たちと輪になって寝る前のトークに混ぜられてしまった。

 

 そしてかすみが、

 

「恋バナですよ恋バナ! 夜寝る前といったら恋バナと相場が決まってるんです!」

 

 と言い始めたのだ。それって、僕いないほうがいいのでは? 眠たいから寝ていい?

 

「そーいえば、みーくんの好みって知らないなあ」

「どんな人が好きなの?」

「え、うーん……」

 

 何気に興味津々なのね、君たち。

 

 半分寝かけの頭を動かして、顎に手を当てて考えてみる。

 自分の好みについて、深堀りしたことないな……小学生の時も、中学生の時も恋愛に目を向けられるほど余裕があったわけでもないし、例がない。

 

 例えば容姿。

 髪が長いだとか短いだとか、スリムだとかふくよかだとか、足が長いだと目がぱっちりしてるだの……その人にとって似合うのが一番では、みたいな結論に落ち着く。

 

「じゃあ、同好会で言えば誰?」

「それいっちばん答えづらいやつね。ハラスメント一歩手前」

「いいからいいから」

 

 よくないだろ。答えたら気まずくなっちゃうだろ。

 まずいな。この話題だと追い詰められていく気がする。止める人いないし。

 

「僕だけなのは不公平だ。君たちは?」

 

 逸らして、彼女たちに話を向ける。

 女の子ならきっと恥ずかしがって答えるのに時間がかかるか、答えられないかだろう。ここで時間稼ぎをしてやる。

 

「困ってる人に手を差し伸べる人でしょうか」

「優しい人ですっ」

「みんなのために頑張ってくれる人かなー」

「ランジュに根気強くついてこれる人ね!」

 

 即答でした。

 

「え、そんなすらすら出てくるのが普通なの?」

 

 乙女はそんなに恋バナに飢えてるの?

 

「ちなみに私は、みなさんのことも私のこともちゃんと見ていて、演劇のことも手伝ってくれたりして、頼もしい年上の男の人が好きです」

「いやに具体的だね、しずくは」

「むむう」

 

 彼女は頬を膨らませる。なんでいきなり不機嫌になるのさ。恋バナ楽しいんじゃないのか。

 

「見てなさい、しずくちゃん。湊くんにはこれくらいやらなきゃいけないのよ」

 

 ふふ、と何か企んでいそうな果林に嫌な予感を覚えつつ、顔をじっと見てくる彼女を見る。

 果林は柔和な笑みを向けてきた。

 

「私の好みは、湊くんみたいな人」

「趣味悪……」

「しずくちゃん、笑ってちょうだい。これが自信満々に挑んで負けた女の姿よ」

「か、果林さんがこんなに落ち込んでるの初めて見ました……」

「これもうダーメだ。鈍感通り越して神経死んでるんじゃない?」

 

 失敬な。背中とか結構敏感だぞ。

 

「で、ここまで言わせたんだから、湊の好みも教えてもらえるのよね?」

 

 ランジュまで身を乗り出してきた。栞子とミアも何か期待するような眼差しを向けてくる。

 

「好み、好みかあ……」

「ミナト、目を閉じて、理想の女の子を思い浮かべて」

「うーん……」

 

 …………

 

「あれ、これ寝てる?」

「もうちょっと起きてたら催眠かけられたのに」

「起きろー」

 

 彼方にゆさゆさと揺られ、まどろみかけたところを引き上げられる。

 

「……なんだっけ。なんの話?」

「むむむ、気になるところをはぐらかすなんて、策士ですねえ」

「湊さんはそういうの考えてないと思うよ」

 

 歩夢が苦笑した。

 

「罪な男だねえ、湊くんは」

「最初は頼りなさそうに見えて、でも一緒にいると一番に頼りになるの、本当に悪質だと思います」

「こうやって隙があるのもね。湊さんってどれだけの女の子引っかけてきたんですか?」

「言い方悪いぞ、三人とも」

 

 彼方、しずく、侑へそれぞれ指差す。

 引っかけたことなんてありません。ゼロです、ゼロ。

 

「でもホントに、湊の周りには女子が多いよね。この同好会だってそうだし、クラスもそうだし」

「そもそも虹ヶ咲に女子が多いからだよ」

「え~、本当ですかあ?」

 

 スクールアイドル同好会は顕著すぎるけど、他の部だって女子比率が多い。どこを見たって、『こいつの周り、女子しかいない』状況になるのは珍しくないのだ。

 

「かすみんたちが知ってるより、多くの女の子がやられているのかもしれませんね」

「能ある鷹は爪を隠すって言うものね」

 

 復活した果林が、非難するように見てくる。

 

「御大層な爪なんか持ってないよ」

「そうね。あなたのは牙だもの。毒牙よ、毒牙」

「それも依存性のある毒牙だよね~」

「今日のこれは僕を追い詰める会だったっけ?」

 

 寝るまで一緒にお話しようって言われたんですけど。新型トラップ?

 

「あのね、何度でも言うけど、僕はそんな良い男でも悪い男でもないよ。ただのどこにでもいる男」

「ミナト、説得力皆無」

「ラノベやアニメだと、大抵そう言う人は普通じゃないんですよ」

「湊さん……」

 

 栞子にまで呆れられた感じで見られるのが一番ショックかも。

 いやいや音楽については、結構良いものを持ってるって自覚はしてるよ。

 だけどほら、見てみてよ。大して筋肉のない、身長も並み以下の体。音楽以外の成績は飛び抜けていいわけでもない。

 ね?

 

「あ、みーくん『ほら、自分に魅力ないでしょ』って顔してる」

「お兄ちゃんはずーーーーーーーーっとそういう顔」

「そういうことでいいよ、もう」

 

 ふああ、とあくびが出る。本格的に眠くなってきたかも。瞼も落ちてきた。いやとっくに落ちてる。

 

「湊くん、大丈夫?」

「ん……ギリギリ……」

「まだ元気だって」

 

 言ってない。

 

「誰かと付き合ってるかと思ってタケド、この鈍感力と周りの牽制で拮抗が保たれてルんダネ」

「なるほど、そうなのね。ランジュも不思議に思ってたのよ」

「実はボクも」

「でもどんどんライバルが増えるから、早く決めにかかったほうがいいと思う。ね、ミナト」

「ん? うん……」

 

 話が半分以上脳みそに留まってくれない。なんて言ったんだ?

 

「眠たそう」

「あはは、湊さん、いつも頑張ってくれてるから疲れてるのかな」

「毎日遅くまで曲作ったり、練習メニュー考えたり、スクールアイドルの流行調べたりしてる」

 

 ほとんど目を閉じて、うつらうつらと船を漕ぎ始めていると、エマがつんつんと頬をつついてきた。

 

「湊くーん、もう寝ちゃう?」

「いや全然、全然まだ食べられる」

「だめっぽいね」

 

 だめです。

 

「湊くんのこんな顔、始めて見るかも」

「普段から、眠たそうな気配すらあんまり見せないもんね」

「君のこと狙ってる女の子の前で、無防備すぎだぞ~、このこの」

 

 今度は肩を突かれた。

 

「え、湊先輩の前で言うんですか、それ?」

「大丈夫大丈夫、聞こえてないわよ。そうよね、湊くん」

「八辛でお願いします……」

 

 誰が喋ってるかは薄く開いた瞼の間から見える。でも何喋ってるんだろう。楽しそう。

 僕が参加してなくて楽しいなら、もうこのままフェードアウトしていいかな。

 

「湊のこと好きな人って、今で何人いるの?」

「一、二、三……アレ、両手の指じゃ足らなくなっちゃっタ」

「分かりづらい人もいるよね。すごく仲が良いけど、何とも思ってなさそうな人とか」

「でも、まあ……」

「うん……」

「人たらしだよねえ」

 

 僕をつっつく手が増えた。

 

「もうそういうフェロモンとか出てるんじゃないの?」

「一回調べてもらったほうがいいんじゃない」

「マジで出てたりして」

「諸説ありますが、フェロモンは脇の下や首から出ているみたいです」

「湊くん、失礼しま~す」

 

 何か、良い匂いが鼻をくすぐった。

 なんだこれ。石鹸? ボディソープ? シャンプー? とにかくそんな、くらくらとしてしまうような良い匂いが……

 

「くんくん」

「ん、んん、んうおっ」

 

 首筋に何かが当てられた。エマだった。彼女の顔が思いっきり僕に密着してる。

 

「あ、こら、エマ。嗅ぐんじゃない」

 

 首に鼻を当てて、めちゃめちゃ嗅いでる。そのせいで完全に目が覚めてしまった。

 

「エマさん、どう?」

「くんくん」

「え、なに、何してんの? ちょっと、力つよっ……」

 

 僕がちょっと寝てる間に何があったの? ねえ、引き剥がそうとしても余計にくっついてくるんだけど。

 あ、ちょい、嗅ぎながら抱き着いてくるのは反則だろ。レッドカード、レッドカード!

 

「湊くん、いい匂い……」

「捕食されてる……」

「わ、わあ」

「ごくり」

「見てないで助けて!」

 

 他に十何人もいるはずのなのに、みんな顔を赤くして様子を窺っている。

 いや早く手を貸して! こんなにくっつかれた状態だと、僕一人じゃどうにも出来ない!

 

「湊くん……っ、湊くんっ」

「エマ、ほんとに、これ以上は……」

「ああっ、エマさんが押し倒そうとしてる!」

「エマさん、それはまずいです!」

「エマ、エマ! 一回離して一回離して!」



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間話3 ホラー映画観賞会

「お、これだ。しずく、あったよ」

 

 レンタルビデオショップに並べられているDVDの中から、目当ての物を見つけて、少し離れていたしずくに声をかける。

 

「これが、湊先輩のご友人がオススメした映画ですか?」

「うん。かなり怖いらしいよ」

 

 ホラーものはパッケージにメインとなる幽霊やら化け物やらがでかでかと描かれてるものだけど、これに関してはそういうのが一切ない。写ってるのは誰かの素足だけ。

 

 なぜこんなものを探していたのかというと、しずくがいることで察しがつくと思うが、演劇関係だ。

 演劇部で今度怖い劇をやるらしくて、しずくはそのヒロインに大抜擢されたのだと。

 ホラーヒロインといえば、その肝となるのは絶叫の演技。それは昔から今に至るまで変わらない。しかし、しずくはそれほどそちら方面に詳しくなくて、色々な人に助言を求めた。

 

 怖い演劇については、僕なんかよりも演劇部のほうが詳しい。そこで僕が友人に『なんかいいホラー映画ない?』と訊いたところ、これを推された。

 

 

 

 

「というわけで、鑑賞会するつもりだけど……」

「私は見たい」

 

 翌日、放課後の部室にて。

 練習のない日だからちょうどいい、と同好会の部屋を使うことにした僕らは、せっかくなのでと他の人も誘うことにした。

 璃奈は賛成。後ここにいるのは、かすみとミアだが……

 

「無理には誘えないな」

「そうですね。私と璃奈さんと湊先輩だけで見ましょう」

 

 明らかに嫌そうな顔をしているので、今回は三人でいいか。

 同じクラスだから僕はミアを、一年生組はしずくが連れてきたが、ホラーと聞いて彼女たちの眉間にしわが寄る。

 最初に映画を見るとしか説明してなかったから、みんなで見れるものだと勘違いしたみたいだ。しまったな。

 

 嫌なら見なくていいよと言ったが、しずくが『だけ』を殊更強調するのが、二人の何かに触れたようだ。

 

「か、かすみんだってホラー映画くらい見れますけど!」

「ぼ、ボクだってそんなの全然へっちゃらさ!」

 

 嘘つけ。

 言ったそばから『ああ、言っちゃった』みたいな顔してるじゃないか。体も震えはじめている。

 

「いや、見たいものを見ればいいんじゃないかな。わざわざこれを──」

「二人が見れるように、今度は怖くない映画選んであげるからね」

 

 おおっと、それはフォロー風煽りじゃないかしずくさん?

 

「はぁ? ボクが怖がるとでも思ってるの?」

「僕はそんなことは言って──」

「湊と同じ三年生なんだから、こんなの平気に決まってるだろ。全然大丈夫だから見せてみなよっ」

 

 あーあ、乗せられちゃったな。

 もうこうなったら意地でも見ることになるだろうから、何言っても無駄だろう。かすみも同じだ。

 

「カーテンも閉めて……」

「電気も消して……」

 

 DVDは同好会の共有パソコンで見れる。画面は大きめのモニターに映すことにした。璃奈がその準備をしている間、僕としずくは部室の光を出来るだけシャットアウト。

 

「なんで暗くするんですか?」

「雰囲気出るから」

「え、えっと、目が悪くなっちゃうんじゃないかなーって」

「ちょっとくらい大丈夫だよ、かすみさん」

 

 僕たちが準備するのをかすみたちが眺めている間、しずくはずっとにこにこしていた。今からホラー見る人の顔じゃないよ、それ。

 

 ソファに座って再生ボタンぽち。

 制作会社とか配給会社とかのロゴが出てくる。ここらへんで既にホラー特有の、何か来るという雰囲気が醸し出されている。

 既にこの時点で、ミアとかすみは真ん中に座るしずくにひっついていた。

 

「こここ、これってもしかしてR15? だったらボクは見ちゃいけないよね?」

「いや、全年齢対象だよ。寝れなくなるくらい怖いって話だけど」

「うぅ……」

 

 流石にR18を避けるためにパッケージは確認してる。

 

 見ると言った手前、やっぱりナシと出ていくようなことはしない。でもその代わり、しずくの腕をめっちゃ掴んでる。ミアがこんな怯えてるの初めて見た。

 

 映画の内容は、自分にしか見えない得体の知れない何かがどんどん近づいてくるというもの。

 ホラー映画界隈では結構有名らしくて、そちらに明るくない僕は初見だ。もちろんしずくも。

 

 あ、最初しずかーに始まったと思ったらすぐ、死体が出てきた。

 

「~~~~っ!!」

「っ、っ、っ!」

 

 ホラー映画っていうのはかなりの大枠で、その中にはスプラッタとかいわゆるグロい系も含まれる(諸説あり)。

 大体のもので、それらのメインとなるのはゾンビやら殺人鬼やら幽霊に悪魔とか。今回のやつは正体不明の何かであり、それがまた恐怖を駆り立ててくる。

 見させる演出が多くてついつい見ちゃうんだよなあ。

 苦手なんだけど、半分くらい冷静になっている僕がいた。それはなぜかと言うと、何度か驚かせてくる演出が入る度に……

 

「ひうっ」

「ううっ」

 

 二人分の悲鳴が上がるからだ。自分より怖がってる人がいたらなんか落ち着く理論である。ほとんど同じこと前にも思ったな。

 

「ぼ、ボクは十四歳だぞ。もうちょっと手加減しろよぉ」

「よしよし」

 

 ミアもかすみもしずくに抱き着いて撫でられている。元凶その子だぞ。

 それはそれとして、物語が進むにつれてしずくだけでなく僕も鑑賞に真剣になる。

 恐怖を煽るのはスクールアイドルには活かしづらいところだけど、感情を煽るための演出やカメラワークは参考になるからね。

 

 ストーリーが序盤を越えると、脅かしてくるペースも早くなる。

 急に音を出したりとか古典的なことをやりつつ、何の前触れもなく事が起きるみたいなのも見せられて、流石にびくついた。

 

「今の、あえて音を出さないことで、視聴者にも主人公が味わってる混乱や困惑を体験させる狙いがあると思う」

「はい。急に音を出すとびっくりしちゃいますけど、これはそれとは違うアプローチですね。演出を演出として気付かせずに恐怖を表してます」

「ぬるっと家に入ってくるのも面白いね」

「日常と非日常の境目をだんだん曖昧にしていってますね。家の中だから大丈夫だろうって視聴者にも思わせて裏切るとは……」

「冷静に分析しないでよ、しず子ぉ……」

 

 いや、分析するのが目的なんですけど。

 しかし、ホラー映画の怖がる女性の演技って凄いよなあ。本当にやばいものを目にした時の反応だもん。

 しずくがこれをやるのか。叫んでるところとかあまり頭に浮かばないけど、映えるんだろうな、しずくだし。

 

 ふむ。

 

 僕たちがあれは良いこれは良いと話し合ってるせいか、ビビリが和らいできたらしい。相変わらず涙目の二人だが、震えは落ち着いてきた。

 璃奈はと言うと、僕の腕に抱き着く家スタイルで、時折びくりとなるくらいだ。可愛い。

 

 そういった反応ややりとりが合計百分続き、映画は不穏な余韻を残して終わった。

 

「この映画良かったね、璃奈さん」

「うん、すごく怖かった」

「これはしばらく頭に残りそうだなあ」

 

 しゃっとカーテンを開く。放課後から大体百分経ってるから、もう陽は落ちかけ。思ったよりは眩しくなかった。

 部室の照明も点けると、

 

「しず子の鬼!」

「怖いって言っても限度があるだろ!」

「あはははは」

 

 かすみとミアは指差して非難する。対して、しずくは珍しく大笑い。僕は、二人に悪かったなとちょっと思ってるのに。

 

「しずくちゃん、演劇に活かせそうだった?」

「うん、演技の方向性が見えてきたかも」

「映画に演劇に……他に参考になるものと言えば、おばけ屋敷とか?」

 

 自分が驚かされる体験をするという点では、もしかしたらそれが一番ためになるかも。

 

「おばけ屋敷といえば、湊先輩と私で行きましたね」

「ちょっとしず子、かすみんも一緒だったでしょ!」

「お兄ちゃん、行ったの?」

「東雲の学園祭でね。あれもなかなかだったな」

「もう湊先輩がおばけを口説いてたことしか覚えてないですけど」

「見境ないな、湊……」

 

 遺憾の意。

 口説いてなんかなく、ちゃんとおばけ屋敷を堪能してましたけど!

 

 ひとしきり文句を垂れ流した後、かすみはうなだれた。

 

「今日寝られるかなあ」

 

 ホラーを避けてきた人間にとっては、かなりショッキングだったからね。

 一人でベッドの中にいたら、じわじわと恐怖がやってくること間違いなし。

 夜寝られないってなって、授業中に寝てしまうことになったら、他はともかくかすみの点数がいよいよ一桁台に突入するところである。

 

「お兄ちゃん、いい?」

 

 璃奈が僕を見上げる。

 何を訊いているのかは、もちろんその一言だけで分かる。

 まあ、意地張ったのは向こうとは言え、巻き込んでしまったのは悪いと思ってるし、仕方ない。

 

 頷くと、璃奈は彼女たちのほうを向いた。

 

「みんな、うちに泊まる?」

「「泊まるっ!」」

 

 食い気味に、かすみとミアは答えた。

 

「私も怖かったから、今日は一緒に寝よう」

「ありがと~、りな子~!」

「ほんと、璃奈は天才だよ!」

 

 怖いの回避できるからって大げさな。家でバラエティでも流せば元に戻るだろうか。

 

「……湊先輩、私も怖いです」

「演技しなくても泊まっていっていいから」



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間話4 ハロウィン

「ハッピーハロウィーン!」

 

 十月三十一日と言えば何ですか。そう、ハロウィンである。

 虹ヶ咲の中でそれに乗っかる部も少なくなく、洋菓子同好会はカボチャを使ったクッキーやらケーキやらを作り、服飾同好会は校内を変わった格好で闊歩したり。

 そんな中、個人ではっちゃける人もいないわけではないが……

 

「わー、可愛い! 撮らせて撮らせて!」

「フフーン!」

「イタズラしちゃうぞー」

「きゃー、お菓子あげるから許してー」

 

 休み時間の我が三年生音楽科クラスに襲来したのは、魔女の恰好をしたロッティとディア。その黒いドレスもとんがり帽子もどこで用意してきたんだか。

 ノリのいい生徒たちはむしろ彼女たちに群がっていき、これでもかというくらいお菓子を渡している。

 最終的には、お菓子をあげたらツーショットを撮らせてくれる会になってた。もう趣旨違ってきてるじゃないか。

 

「ミナト~!」

 

 抱えるくらいの量のお菓子を手に入れた二人は、満足顔でこっちにやってきた。

 

「ミアは?」

「どっか行ってる」

「ムム、イタズラしよウと思ったのニ」

 

 そっちメインなのね。

 

「これ、どう?」

「いい生地っぽそう」

「服飾同好会から借りた」

 

 どうやら服飾同好会にもAlpheccaファンがいるようで、衣装選びから小物合わせまでノリノリでやってくれたらしい。

 色々とお世話になってます、ほんとに。

 

「そんナことヨリ、ミナト、トリックオアトリート!」

「それだけ持ってて、まだいるの?」

 

 誰かから貰ったビニール袋パンパンにして、この欲しがりさんめ。

 

「はい、クッキー」

 

 今日のために持ってきた紙袋から、小さな透明の袋を渡してやると、おお、と目を輝かせた。

 

「用意してるなんて、さすがミナト」

「ゴホービにイタズラしてあげル!」

「ハロウィン調べてこい」

 

 

 

 

「みーくん、トリックオアトリート!」

 

 放課後、部室へ行く途中、ぱたぱたとこちらに向かってきたのは愛だ。

 こらこら、走らない。

 

「お菓子くれなきゃイタズラするぞー!」

「あるよ」

「あるんだ……」

 

 露骨にテンション下がるのなんでなん? イタズラしたかったの?

 双子に渡したのと同じ、袋に入れたクッキーを渡すと、

 

「ありがとっ」

 

 ぱっと満面の笑みを浮かべて、愛は中を開けて食べ始めた。

 一つの袋につき、ほんの三、四個しか入ってないのですぐ食べ終わり、満ち満ちた表情を向けてくる。

 

「これ美味しいね。どこで買ったの?」

「手作り」

「うえっ!? みーくんの!?」

 

 僕は頷いた。

 クッキーってあんなに砂糖使うんだ……思わずレシピ五度見しちゃった。

 

「もー、それなら早く言ってよ! もっと味わって食べたのにー」

「また作ってくるよ」

 

 ほんと!? と顔を寄せてくる彼女を押しのけて約束する。

 言うほど簡単じゃないけど、そんなに喜んでくれるなら何度だって作ってやろうじゃないか。

 

「クッキー作ってきたの、ハロウィン用?」

「璃奈が、お菓子用意しておいたほうがいいって言うから。前から興味あったお菓子にチャレンジのついで」

「あー」

 

 今日はもう一生分の『イタズラしてやるぞ』を聞いたよ。

 そのたびにクッキーを渡して、ちょっと不満げな顔をされた。そんなにイタズラしたいのか、みんな。

 

「多めに作ってきたのに、配りきるとはね。君のが最後」

「あと一人分待てば、みーくんにイタズラ出来たのか……でも手作りクッキーも捨てがたいしなー」

 

 むむむ、と愛は唸りだす。

 

「ちなみに、イタズラってなにするつもりだったの」

「え、そんな、みーくんのエッチ」

「これ以上聞かないからイタズラしないでくれよ」

 

 本当に何するつもりだったんだ。こわ……

 この子、パーソナルスペースが狭いせいでスキンシップ激しめだから、こういう口実があったら余計に……いや、いいや考えなくて。回避出来たんだし。

 お菓子作ってこなかったら僕は今日まともさを保ってられただろうかと少し冷や汗を流しながら、部室の扉を開ける。

 

「トリックオアトリート!」

 

 ドアを開けた僕たちを迎えたのは、璃奈とミア。

 我が妹は制服の上からマントを着けているだけだけど、外地が黒で、中が赤ってだけで吸血鬼のコスプレって分かるもんなんだね。

 ミアはもふもふのつけ耳。狼……かな、これは。暖かそうな獣手もグッド。がお、と襲いかかってくるような手をして、どうだ驚いたかと自慢げな顔をしていた。

 

「みーくん、りなりーとミアち持ち帰っていい?」

「いいや、僕が持ち帰る」

「二人とも目がマジなんだよな」

 

 恐怖演出のためか部室の光を遮っていてもホラー感は一切ないが、逆に可愛い感は詰まってる。かすみがみたら嫉妬するんじゃないか。

 へへ、この中の一人、うちの妹なんすよ。

 

「参ったな。さっきのでお菓子なくなっちゃった」

「放課後になれば、お兄ちゃんの手持ちがなくなることは予測済み」

 

 賢い。

 

「お兄ちゃん、覚悟」

 

 璃奈はそう言うと、僕のほうへ寄ってきて、指を掴んでくる。

 何をする気なんだろうと眺めていると、彼女は僕の人差し指に口を当て、甘噛みしはじめた。

 

「これでお兄ちゃんは私のことを撫でたくなるウイルスに感染した」

 

 なんだって。そんな恐ろしいウイルスに罹ってしまったのか。あ、本当だ。手が勝手に動いて、璃奈の頭を撫でてしまう。よしよし。

 

「うー、やっぱみーくんには勝てないか。じゃー、ミアちは愛さんのものだーっ」

「ちょ、Wait! イタズラするのはボクのほうだろ!」

「攻防がめまぐるしく入れ替わるのが日本のハロウィンなんだよ」

「適当なこと言うなっ!」

 

 

 

 

「くくく、さあ勇者セツナよ、闇の眷属であるこのヴァンパイアクイーン・シズクを倒してみよ!」

「た、助けて、勇者セツナ!」

「待っててください、アユム姫! この世界の闇は私が払いますっ!」

 

 ミアにひたすら可愛がりをする愛を置いて、璃奈と一緒に外へ出ると、風に乗って響く声が聞こえてきた。

 特に行く当てもなかった僕たちがそこへ──中庭へ向かうと、なんと制服姿ではないA・ZU・NAが勢ぞろいしていた。

 

「せつ菜ちゃん、かっこい~!」

 

 黄色い声を発しながら、その様子を撮影しているのは侑。

 持ち運びできるグリーンバックまで用意しちゃってまあ。

 

「カット!」

 

 桜坂監督のカットがかかり、一旦撮影が止まる。

 一息つく演者をよそに撮った映像をチェックする侑は、いつになく楽しそうな顔だった。

 満足そうに頷く彼女へ、声をかけてみる。

 

「撮影は順調?」

「うん。後は編集して、今日中にアップするつもりだよ」

「こういうのって事前にやって準備しておくものじゃないのか」

「だって三人が急にやりたいって言うから」

 

 せっかくの季節イベントなんだから、とA・ZU・NAは即興演劇の動画を撮ることにしたらしい。

 基本的な流れはしずくが作り、せつ菜が乗って、歩夢がついていく形。彼女らはイメージを共有するためにこういうのも練習に取り入れていて、時々演劇してるのを見かける。

 で、そのいつもの練習を本格化させたのが、今回だ。

 黒スーツに身を包んだしずくに、軽装鎧を纏ったせつ菜、いかにもお姫様ドレスの歩夢。ハロウィンの一イベントにしては手が凝ってる。台本まであるみたいだし。

 

「せつ菜、似合ってるね」

「そ、そうですか?」

「うん。いかにも勇者って感じがして、かっこいいよ」

 

 普段の衣装とは違って、ファンタジー的な要素なのが良い。こういう路線もいけるなら、同好会みんなを巻き込んで演劇動画を作るのもよさそう。

 

「璃奈ちゃん、かわいー!」

「てれてれ」

「むう、侑先輩、私も吸血鬼ですよ」

 

 しずくも、第二回スクールアイドルフェスティバルの告知動画を作った時のスーツをびしっと着こなしている。

 みんなのスーツ姿って結構人気だったんだよな。あの時は個別でポーズ取って撮影なんてしてる暇なかったから、今度やってみるのもいいかも。Alpheccaにランジュたちも増えたことだし。

 ハロウィン侮りがたいな。今日だけでこんなに刺激を貰えるなんて。

 

「……って、なんで璃奈ちゃんのこと撫でてるの?」

「璃奈に噛まれてこうなった」

「ウイルス感染させた」

「???」

 

 説明しても分かりづらいだろうから、体験してもらうのが一番だ。

 璃奈、歩夢へ攻撃。

 

「歩夢さん、撫でて?」

「うっ」

 

 璃奈のお願いには抗えず、歩夢も優しく璃奈の頭に手を置いた。

 

「湊さんがあんなに璃奈ちゃんのこと可愛がるの、分かる気がします……」

 

 そうだろうそうだろう。よく分かってるじゃないか。これで君も璃奈のこと撫でたくなる病だ。僕の時と感染のさせ方違うけど。

 

「あ!」

 

 おっと、この大きな声は……

 振り返ると、思った通りランジュだ。たったったと駆けてきて、みるみるうちに近づいてくる。

 あと一歩でぶつかる……というところで止まった彼女は、何か期待するような目で僕を見た。

 

「湊、聞いたわよ。あなたからクッキー貰えるって!」

「ランジュ、校内を走ってはいけませんよ」

 

 歩いて追いついてきた栞子が注意するが、ランジュは意に介さないというふうだ。

 

 僕のクッキー、どこまで噂が広がってるんだか。二年生にも何人かあげたけど、誰が犯人かな。

 

「残念ながら、配り終わってもう手元にないよ」

「えーっ」

「そんな残念がることもないだろうに。ランジュが一声かければ高級クッキー詰め合わせが手元に届くくらいお金持ちじゃないか」

「そうだけど、それでも湊のクッキーは手に入らないでしょ?」

 

 いや、愛にも言ったけど、言ってくれれば別に作るのはやぶさかじゃないよ。

 いつもは作る気がないのと、他の人が作ったほうが美味しいってだけ。あれ、じゃあランジュも他の人に作ってもらったほうが良いのでは。

 

「栞子ちゃん、お兄ちゃんにイタズラする?」

「えっ」

 

 えっ。

 僕がランジュとやりとりしてる間に、璃奈がとんでもないこと言い出した。

 

「今ならお兄ちゃんにイタズラし放題。どこにどれだけ触っても許される」

「ど、どこに、どれだけでも……」

「栞子ちゃんは普段から頑張ってるけどわがまま言わないから、今日くらいお兄ちゃんは許してくれる」

 

 どんどん断りづらくしてくるじゃん。

 

「い、いいですか、湊さん?」

「イタズラするのに許可得てくるの初めて見た」

「やっちゃえ、栞子ちゃん」

「み、湊さん……失礼します」

 

 一世一代という感じで、僕の手を掴んでくる。かと思うと、握ったり、指を擦りつけるようにして撫でたりしてくる。

 まあこれくらいなら、戯れみたいなものかなって思うけど……いつの間にか心のボーダーラインがずれてきてるような気がする。駄目なほうに。

 

「ふふふ、これで動けなくなったわね、湊」

「……もしかして君も何かしてくるつもり?」

「ええ! 聞いたのよ、湊の抱き心地は最高だって! ランジュも試してみたいわ!」

「やば」

 

 誰だ一番言っちゃいけない人に言ったの。

 

「ランジュを受け止めなさい!」

 

 そう言いながら、彼女は容赦なく僕を抱き留めた。あまりの勢いに、のけ反って体勢を崩しそうなのを栞子が支えてくれる。

 ほんとに遠慮なく力いっぱい抱きしめてくるせいで、僕としては締められている気持ちが半分。

 

「ちょ、ランジュ。こんなことしてるの見られたら……」

「見られないところだったらいいの?」

「その台詞、果林に教えてもらっただろ」

「正解! ご褒美にもっと抱きしめてあげるわ!」

「ちょ、やめっ……」

「なによぅ、ランジュにハグされて嬉しくないの?」

「ハグはハグでもベアハッグだろ、これは」

 

 折れる折れる、と必死でタップしたのもあって、せつ菜たちが無理やり引き剥がしてくれる。

 あーもうちょっとであばらが二、三本いかれるところだった。

 

「ちょっと物足りないけど、満足したわ、湊」

「僕は今ので色々なものがごっそり削られたよ」

 

 ハロウィンって、恐ろしいイベントなんだな……



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間話5 クリスマスイヴ前編

「年末はライブして、年越したら受験か。天王寺は大変だな」

 

 昼、食堂の丸テーブルを普通科特進クラスの彼と囲んで、お弁当をつついてると、唐突にそんなことを言われた。

 今日は十二月二十四日。クリスマスイヴというのもあってか、この一週間は食堂で特別メニューがあったり、購買で限定品を売ってたりして賑わっている。そんな喧騒の中でも、彼の通る声のおかげで聞き返すことはせずに済んだ。

 

「君のほうが大変じゃないの。上のほうの大学受けるんでしょ」

「ああ。だが、勉強漬けのおかげで勝算はそれなりにあるみたいだ」

 

 私立大学の出願期間は一月。そこに行くつもりの彼は、もう追い込みすら過ぎている時期だというのにぱっと見では焦ってる様子は一切ない。流石、特進クラス。

 

「年始からも勉強漬け?」

「多少は息抜きする。初詣は彼女と一緒に行く約束してるし、二月は彼女の誕生日だしな」

「勉学に励みながら、ちゃんと彼女さんとも過ごすって、青春してるなあ」

「そう言うお前は?」

「僕?」

「明日はクリスマスだろ。お前の予定は?」

「みんなでラブライブ見るんだ」

「みんな?」

「同好会のみんな」

 

 そう言うと、彼は目を丸くした。

 

「クリスマスに女子と」

「女子……うん、まあそうだけど、君の思ってるようなことはないよ。他の高校とかの子も呼んで、見るだけ」

「大勢の女子と」

「ん、うん、そうだね」

「お前……進んでるな」

「なにが?」

 

 そんなおかしいこと?

 

「じゃあ今日は?」

「今日はその準備。って言っても、昨日まででほとんど終わってるから、あまりすることないけど」

「誰か誘って外ぶらついたりとかは?」

 

 多くの疑問符をぶつけてくる彼が珍しくて、僕は苦笑した。

 

「やけにつっかかってくるね」

「気になるだろ、ニジガク一のモテ男が聖夜を誰と一緒に過ごすのか」

「あのね、僕はそんなご大層な称号を持てるほどの男じゃないよ」

 

 虹ヶ咲は女子が多い分、周囲に女子がいる状況が生まれやすいという恵まれた環境なだけで、僕そのものに魅力があるわけじゃない。ほんと、端っこにいるだけだよ。

 モテ男というなら、それは彼のほうだ。

 

「天王寺は人の好き好きオーラ察するの苦手だよな」

「は、え、なに? 好き好きオーラ?」

「傍目から見て、こいつってあいつのこと好きなんだなーって分かるだろ。目線とか仕草で好意を隠し切れないっていうか」

「分かるかなあ」

 

 観察眼の鋭い彼だからこそそう言えるってだけじゃないの。

 

「というか、君だってそういうの察しないじゃないか。結構な数の女の子にアピールされてるみたいなのに」

「俺にはちゃんと世界一可愛い彼女がいるからな。他の女子に見向きする必要はない」

「好きだね、ほんと」

 

 文化祭の時に彼の恋人を見たな。エマと校内を回ってるときにもちょくちょく視界に入ったりもしたけど、お互い想い合ってて間に入れない雰囲気を醸し出してて声をかけられなかった。

 彼はむしろ、周囲に彼女さんを自慢して回ってたけど。

 

「面白い話してるね。相席いい?」

 

 声のほうを向くと、ご飯の乗ったトレーを持っている演劇部部長がそこにいた。

 クリスマスメニューに浮気することなく気分のまま定食を選んだ彼女は、僕らが首肯すると遠慮なく座った。

 

「で、なんだっけ。湊が同好会の女の子を手籠めにしたって話だっけ?」

「学外にまで手を伸ばしたって話」

「してない」

「学内だけでも、数えようと思っても両手じゃ足りないってのに」

「足入れてもギリギリ足りないくらいだっけ」

「願わくば聞け、僕の話を」

 

 連携して嘘話すな。

 

「色恋沙汰の話が好きなのはいいけど、もうちょっと現実見ようよ。同好会は同好会で、他校の人はよくしてくれてる協力者ってだけ」

「現実見ろって、湊に言いたいんだけどな、私は」

「私『たち』、な」

 

 この話になると大抵、僕をからかおうとして一対多数になるから嫌なんだよな。

 

「これ何度目かな……別にほら、魅力的な何かがあるわけじゃないだろ?」

 

 でしょ? なんでそこで首傾げるの。

 

「例えば、音楽的な才能もプロデュースの腕もあるし、将来性という意味では結構期待できるんじゃないかな」

「音楽で食っていくのはそう簡単なことじゃないだろうが、なんていうか、こいつが困った大人になってる未来が想像できんしな」

「親はお金持ちだしね」

 

 高校生の時の成功を社会人になってからに当てはめるのってどうなのか。あと親の財力を当てにするのもどうなの。

 

「でもそんなの無くても、私は湊のこと好きだよ」

「んぐっ!?」

 

 そっちで話盛り上がってるから食べ進めてたら、喉に詰まりそうになった。

 二人はにやりと笑って……楽しそう。

 

「今のどう?」

「演技上手くなったな」

「僕は心臓がきゅってなったよ……」

「人にそういうこと言ってのけるくせに、ストレートに来られたら弱いんだな、お前」

「これが、湊がフリーな理由だと思うよ。直接的じゃないとダメージ与えられないっていうさ」

 

 こんなこと言われて何の反応もしない人がいたら見てみたいよ。

 

「まあ牽制し合ってるのも今の内だけどな。近いうち決着がつくだろ」

「それは同意」

「牽制?」

「そう。一人の男を中心にした、陰謀渦巻くバトルロイヤル」

「夥しい罠を避け、誰が先にお宝を手に入れられるかの大勝負」

「僕もそっち側だったら楽しかったのかな……」

 

 開き直って、『いやー、モテてモテて困っちゃうよ』とか言えたらどんなに楽なことか。でも女子の多い学校に入って、女子の多い部に入ってそれを言うのは滑稽じゃなかろうか。

 

「でも湊の彼女になる人は大変だね。湊は見ての通り、人を放っておけない性格だから。困ってない恋人より困ってる他人を優先しちゃう時あるし」

「説得力あるな」

「恋人だからね」

「役をつけてくれよ、本当に。それのせいで何度、一から説明しなきゃならなかったか……」

 

 どこでも言いふらすもんだから、演劇の役作りのためだって誤解を解いて回ったのが懐かしいよ。

 

「でも湊を好きになる女の子たちは、そういうところに惹かれたんだろうから、難儀だよね。だってほら、見てほしいじゃん、私のことだけを」

「そう言うってことは、天王寺は恋人役として適任だったみたいだな」

「そうかも。結構もやもやさせられたりしたのは、今となっては良い経験かもね」

 

 総評。良い経験だったのなら、それでヨシ……ということでまとめておこう。深く突っ込むととんでもない話が出てきそうだ。

 

「そろそろ誰が湊の彼女になるか賭けする?」

「乗った」

 

 乗るな。

 

 

 

 

 明日の用意で、今日は活動は無し。とはいってもすることがない僕はいつもの癖で同好会の部室へ足を運ぶ。ああそうだ、誰も来ないんだと気付いたのは、ソファに座って置いてあった雑誌をペラペラと捲っていた時だった。

 

「どうしたの、そんなに難しい顔して」

 

 半分流し見していると、不意に声をかけられる。いつの間にか果林が背後に立っていた。

 

「この時期になると、恋愛がらみの話が多くなるのはどこも共通だなって」

 

 そう言うと、果林は納得した。

 

「私の周りにも、クリスマス前だからって出来上がったカップルいるわよ。写真撮ってもらう時の服も、デートコーデのが求められたりもするわね」

「今ちょうど見てる。君のちょっと大人コーデ」

「じゃあなおさらそんな顔しないでほしいわね」

 

 彼女は鞄を下ろして僕の隣に座ると、雑誌を覗き込んできた。

 

「そういうの嫌なの?」

「まさか。僕だって彼女って存在に憧れはあるし、こういう人とデートに行ってみたいって気持ちもある」

「こういう人、って本物が目の前にいるじゃない。この服着てたら誘ってくれたのかしら?」

「制服でも十分大人っぽいよ、果林は。あいたっ」

 

 ほぼノーモーションでチョップされた。

 

「褒めたのに」

「褒めたからチョップしたの」

 

 女性のこと、一生分からんかもしれん。

 

「ところで、この後何するの?」

「特になにも」

 

 明日はラブライブ予選から始まる。そして年末は僕ら同好会のライブ。動画サイトに向く目は少なくなるだろう。

 それを見越して、年が明けてから投稿する動画の編集をしていたんだけど、ほとんど出来ているうえにすぐ仕上げなければいけないものでもない。明日以降合間合間でやるとして、今はラブライブを待つ観客気分で過ごすつもりだ。

 

「他に用事は?」

「ないよ。明日は、機材とかテントを運び入れるだけだから……明日の放課後までは何もなし」

 

 じゃなければ、ここでこうやって雑誌に目を通してない。

 

「だったら、一緒に出掛けない? イルミネーションとか見に」

「僕と?」

「せっかくのクリスマスイヴを一人寂しく過ごす予定の湊くんに、良い時間を提供しようとしてるんだけど」

「うんうん。彼方ちゃんもさんせ~い」

 

 わっ。どこから湧いてきたんだ。

 彼方とエマが、突然現れたみたいに目の前にいた。特に、エマはしゃがんでじーっと期待するような目で見てきている。

 

「湊くんと一緒に行きたいなー。きっと楽しいんだろうなー」

「うんうん。ゆっくりお話ししたいしね~」

「私たちの誘いを断るほど酷い男じゃないって信じてるわよ」

 

 そんなフリをしなくても、普通に言ってくれれば喜んで同行しますとも。



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