ありふれぬ魔王が世界最強 (合将鳥)
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第一話 異世界召喚とありふれぬ天職

今回は変身無しですよ。


 それは突然の事だった。

 

 春の終わりも近づいた、とある日の昼間の事。珍しく公務が午前中に片付き、かつて日本と呼ばれていた国の王・常磐ソウゴは、王城の私室にて寛いでいた。

「ふぅ、こんな時間から気を抜けるのも久しぶりだな」

 大きく伸びをし、一息ついたソウゴは窓を開いて城下の街を見下ろした。

 その眼下に広がるのは、見渡す限りの青空と地平線まで届く街並み。その中で無数の人々が夫々の思いで闊歩している。

「……」

 その光景に薄く笑顔を浮かべ、ソウゴは穏やかに吹く風を体で受け止めた。長年に渡って幾度となくこの景色を見てきたが、どれだけの時が経とうとその美しさに勝る景色は無い、とソウゴは常日頃から思っていた。

「…さて、偶には酒でも飲むか」

 気を良くしたソウゴが滅多に飲まない酒でも飲もうと部屋に引き返そうとした瞬間、

 

『……、…、………』

 

「……?」

 突如ソウゴの頭にノイズの様な音が響いた。壊れかけのラジオから流れる、回線の合わない無線電波の様にも聞こえる。

(少し耳障りだな…)

 なんて事を思っていると、今度はその足元に魔法陣らしき物が出現した。

「ふむ、これは転送…いや召喚か」

 ソウゴの言葉と共に、魔法陣は強い光を放つ。その光にソウゴは目を眇めて腕で覆った。

 

 

 腕で顔を庇い、目を細めていたソウゴは、ざわざわと騒ぐ無数の気配を感じて目を開いた。そして周囲を見渡す。

 

 先ず目に飛び込んできたのは、巨大な壁画だった。縦横十メートルはありそうなその壁画には、後光を背負い長い金髪を靡かせてうっすらと微笑む中性的な顔立ちの人物が描かれていた。背景には草原や湖、山々が描かれ、それらを包み込む様に、その人物は両手を広げている。美しい壁画だ。素晴らしい壁画だ。だがしかし、ソウゴはとても胡散臭いものを感じて視線を外した。

 

 するとそこには、どこかの学校の制服と思しき恰好をした数十人の少年少女達がいた。そのまま視線を下ろせば、いつの間にかソウゴ自身も彼らと同じ制服に身を包み、彼らと同じ程度の外見に戻っていた。

(時間操作を掛けた覚えはないが…、まぁいい)

 その事に疑問を持ちつつも周囲を見てみると、どうやら自分達は巨大な広間にいるらしいという事が分かった。素材は大理石だろうか? 美しい光沢を放つ滑らかな白い石造りの建造物の様で、これまた美しい彫刻が彫られた巨大な柱に支えられ、天井はドーム状になっている。大聖堂という言葉が自然に思い浮かぶ様な荘厳な雰囲気の広間である。

 ソウゴ達はその最奥にある台座の様な場所の上にいる様で、周囲より位置が高い。そして周りには、呆然と周囲を見渡している学生達。

 

「……?」

 

 ふと微かな物音が聞こえ、ソウゴはチラリと背後を振り返った。そこには呆然としてへたり込む少女の姿があった。どうやら怪我は無いらしい。

 それを確認した途端、ソウゴは興味を無くしたかの様に視線を外し、恐らくこの状況を説明できるであろう台座の周囲を取り囲む者達への観察に移った。

 

 そう、この広間にいるのはソウゴ達だけではない。少なくとも三十人近い人々がソウゴ達の乗っている台座の周囲に居たのだ。まるで祈りを捧げるかの様に跪き、両手を前で握った格好で。

 

 彼らは皆一様に白地に金の刺繍がなされた法衣の様なものを纏い、傍らに錫杖の様な物を置いている。その先端は扇状に広がっており、円環の代わりか円盤状の飾りが数枚吊り下げられている。

 その内の一人、法衣集団の中でも特に豪奢で煌びやかな衣装を纏い、三十センチ程のより細かな意匠の凝らされた烏帽子の様な物を被っている七十代位の老人が進み出てきた。尤も、老人と表現するには纏う覇気が些か好戦的だが。刻まれた皺や老熟した目が無ければ五十代と言っても通るかもしれない。

(まぁ、若作りに関して私が言えた義理ではないが…。さて、少し調べ物の時間だ)

 そうしてソウゴが集中し始めたのと同じ様に、老人は手に持った錫杖を鳴らしながら外見に見合う深みのある落ち着いた声音でソウゴ達に話しかけた。

 

「ようこそトータスへ。勇者様、そして御同胞の皆様、歓迎致しますぞ。私は聖教協会にて教皇の地位に就いております、イシュタル・ランゴバルドと申す者。以後宜しくお願い致しますぞ」

 

 そう言ってイシュタルと名乗った老人は、好々爺然とした微笑を見せた。そして、こんな場所では落ち着く事も出来ないだろうと、混乱覚めやらぬ少年少女達を促し落ち着ける場所——幾つもの長机と椅子が置かれた別の広間へと誘った。

 

 案内されたその広間も、例に漏れず煌びやかな造りだ。見慣れているソウゴは勿論、素人目にも調度品や飾られた絵画、壁紙が職人技の粋を集めたものなのだろうと解る。恐らく晩餐会や国賓をもてなす場に使うのだろう。上座に近い位置に教師の畑山愛子とこの集団の中心メンバーである天之川光輝達四人が座り、続いてその取り巻き達が適当に座っている(ここに着く迄の間に"地球(ほし)の本棚"の力で調べ上げた)。様子見の為、ソウゴは最後方に座った。

 

 ここに案内される迄誰も大して騒がなかったのは、未だ現実に認識が追いついていないからだろう。他にもイシュタルが事情を説明すると告げた事や、中心人物らしい光輝が皆を落ち着かせた事もあるだろう。教師より教師らしく生徒達を纏めていると愛子が涙目だった。

 

 全員が着席すると、タイミングを計った様にカートを押しながらメイド達が入って来た。その姿は、所謂世間一般が思い浮かべる様な『いかにもといった典型的』なメイドだった。こんな状況でも思春期男子の探求心と欲望は健在な様で、男子達の殆どがメイド達を凝視している。

 尤も、それを見ていた女子達の視線は氷河期もかくやという冷たさを宿していたが。

 

 当然ソウゴの傍にもメイドが飲み物を運びに来たが、一々反応する様な年齢でもないし、第一自身の城で見慣れている為、一言礼を言って飲み物を受け取っただけだった。

 すると視線を感じ、ソウゴはそちらへ顔を向ける。すると先程へたり込んでいた少女──香織がニコニコと笑みを浮かべてソウゴを見ていた。だがソウゴは特に反応するでもなく、視線を手元の飲み物に戻した。

(毒は…入ってない様だな)

 毒や何かしらの薬物が混入されてないかを確認したソウゴは、手に持った飲み物に口をつけた。

 一方、全員に飲み物が行き渡るのを確認すると、イシュタルが口を開いた。

「さて。貴方方におかれましてはさぞ混乱されている事でしょう。一から説明しますでな、先ずは私の話を最後までお聞き下され」

 そう言って始めたイシュタルの話は、実にファンタジーでテンプレで、どうしようもなく勝手なものだった……。

 

 曰く、この世界・トータスでは人間族と魔人族が数百年に渡って戦争を続けていたが、近年魔人族側が魔物を使役し始めた事によりパワーバランスが崩壊してしまったとの事だ。

 

「貴方方を召喚したのは"エヒト様"です。我々人間族が崇める守護神、聖教協会の唯一神にして、この世界を創られた至上の神。恐らくエヒト様は悟られたのでしょう、このままでは人間族は滅ぶと。それを回避する為に貴方方を呼ばれた。この世界よりも上位の世界の人間である貴方方は、この世界の人間よりも優れた力を有しているのです」

 そこで一度言葉を切ったイシュタルは、「神託で伝えられた受け売りですがな」と相好を崩しながら言葉を続けた。

「貴方方には是非その力を発揮しエヒト様の御意思の下、魔人族を打倒し我ら人間族を救って頂きたい」

 イシュタルはどこか恍惚とした表情を浮かべている。恐らく神託を聞いた時の事でも思い出しているのだろう。イシュタルによれば人間族の九割以上が創世神エヒトを崇める聖教協会の信徒らしく、度々降りる神託を聞いた者は例外無く聖教協会の高位に就くらしい。

 ソウゴは“神の意思”を疑う事無く、それどころか嬉々として従うのであろうこの世界の歪さにある種の呆れを覚えていると、突然立ち上がり猛然と抗議する人物が現れた。

 

「ふざけないで下さい! 要はこの子達に戦争させようって事でしょ!? そんなの許しません、ええ先生は絶対許しませんよ! 私達を早く帰して下さい! きっと御家族も心配している筈です! 貴方達のしている事はただの誘拐ですよ!」

 

 愛子だった。

 ぷりぷりと怒る愛子。彼女は今年二十五歳になる社会科の教師で、非常に人気がある。百四十センチ程の低身長に童顔、ボブカットの髪を跳ねさせながら生徒の為にと齷齪走り回る姿は何とも微笑ましく、その何時でも一生懸命な姿と大抵空回ってしまう残念さのギャップに庇護欲を掻き立てられる生徒は少なくない。“愛ちゃん”の愛称で呼ばれ親しまれているのだが、本人はそう呼ばれると直ぐに怒る。何でも威厳ある教師を目指しているのだとか("地球の本棚"調べ)。

 今回も理不尽な召喚理由に怒り、ウガーっと立ち上がったのだ。ほんわかした気持ちでイシュタルに食って掛かる愛子を眺めていた生徒達だったが、次のイシュタルの言葉に凍りついた。

 

 

「お気持ちはお察しします。しかし……貴方方の帰還は現状では不可能です」

 

 

「ほぉ…」

 ソウゴが小さく呟くのと同時、場に静寂が満ちる。重く冷たい空気が全身に圧し掛かっている様だ。生徒達は何を言われたのか分からないという表情でイシュタルを見やる。

「ふ、不可能って……、ど、どういう事ですか!? 喚べたのなら帰せるでしょう!?」

 愛子が叫ぶ。

「先程言った様に、貴方方を召喚したのはエヒト様です。我々があの場にいたのは、単に勇者様方を出迎える為と、エヒト様への祈りを捧げる為。人間に異世界に干渉する様な魔法は使えませんのでな、貴方方が帰還できるかどうかもエヒト様の御意思次第という事ですな」

「そ、そんな……」

 愛子が脱力した様にストンと椅子に腰を落とす。周りの生徒達も口々に騒ぎ始めた。

「嘘だろ…? 帰れないってなんだよ!」

「嫌よ! 何でもいいから帰してよ!」

「戦争なんて冗談じゃねぇ! ふざけんなよ!」

「なんで、なんで、なんで……」

 パニックになる生徒達。その誰もが狼狽える中、イシュタルは特に口を挟むでもなく静かにその様子を眺めていた。その視線に、ソウゴは侮蔑らしき意思を感じていた。今までの言動から考えると、「神に選ばれておいて何故喜べないのか」とでも思っているのだろうか。

(愚かな事だな。誰もが信心深い訳ではないというのに…)

 未だパニックが収まらない中、光輝が立ち上がりテーブルをバンッ、と叩いた。その音にビクッとなり注目する生徒達。ソウゴもチラリと視線を向けた。

 光輝は全員の注目が集まったのを確認すると、徐に話し始めた。

「皆、ここでイシュタルさんに文句を言っても意味が無い。彼にだってどうしようもないんだ。……俺は、俺は戦おうと思う。この世界の人達が滅亡の危機にあるのは事実なんだ。それを知って、放っておく事なんて俺には出来ない。それに、人類を救う為に召喚されたのなら、救済さえ終われば帰してくれるかもしれない。……イシュタルさん、どうですか?」

「そうですな、エヒト様も救世主の願いを無碍にはしますまい」

「俺達には大きな力があるんですよね? ここに来てから妙に力が漲ってる感じがします」

「えぇ、そうです。ざっとこの世界の者と比べると数倍から数十倍の力を持っている考えていいでしょうな」

「うん、なら大丈夫。俺は戦う、人々を救い、皆が家に帰れるように。俺が世界も皆も救ってみせる!!」

 ギュッと握り拳を作り、そう宣言する光輝。無駄に歯がキラリと光る。

 同時に、彼のカリスマ性は遺憾無く効果を発揮した。絶望の表情だった生徒達が活気と冷静さを取り戻し始めた。光輝を見る目はキラキラ輝いており、正に希望を見つけたという表情だ。女子生徒の半数以上は熱っぽい視線を送っている。

 

(青いな…。あれも若さ故か)

 

 ソウゴが心の中で呟く間にも、話は進んでいく。

「へっ、お前ならそう言うと思ったぜ。お前一人じゃ心配だからな……、俺もやるぜ?」

「今のところ、それしかないわよね。……気に食わないけど、私もやるわ」

「え、えっと、雫ちゃんがやるなら私も頑張るよ!」

「龍太郎、雫、香織……」

 同じグループのメンバーが賛同していき、後は当然という様にクラスメイト達も賛同していく。愛子はオロオロと「ダメですよ~」と涙目で訴えているが、光輝の作った流れの前では無力だった。

 

 結局、全員で戦争に参加する事になってしまった。恐らく、生徒達は本当の意味で戦争をするという事がどういう事か理解してはいないだろう。崩れそうな精神を守る為の一種の現実逃避とも言えるかもしれない。

 ソウゴはそんな事を考えながら、それとなくイシュタルを観察した。彼は実に満足そうな笑みを浮かべている。

 

 ソウゴは気が付いていた。イシュタルが事情説明をする間、それとなく光輝を観察し、どの言葉に、どんな話に反応するのか確かめていた事を。正義感の強い光輝が人間族の悲劇を語られた時の反応は実に判り易かった。その後は、殊更魔人族の冷酷非道さ、残酷さを強調する様に話していた。恐らくイシュタルは見抜いていたのだろう。この集団で誰が一番影響力を持っているのかを。

(見事な手際だな。まるで詐欺師だ)

 世界的宗教のトップなら当然なのだろうが、中々に食えない人物だとソウゴは記憶の片隅にイシュタルの名を留めておいた。

 

 

 戦争参加の決意をした以上、彼らは戦いの術を学ばなければならない。いくら規格外の力を潜在的に持っていると言っても、元は平和主義にどっぷり漬かりきった日本の高校生だ。いきなり魔物や魔人と戦う等不可能である(勿論ソウゴは例外中の例外)。

 しかしその辺の事情は当然予想していたらしい。イシュタル曰く、この聖教教会本山がある【神山】の麓の【ハイリヒ王国】にて受け入れ態勢が整っているらしい。

 

 王国は聖教教会と密接な関係があり、聖教教会の崇める神──創世神エヒトの眷属であるシャムル・バーンなる人物が建国した最も伝統ある国という事らしい。国の背後に教会があるのだからその繋がりの強さが分かるだろう。

 

 ソウゴ達は聖教教会の正面門にやって来た。下山してハイリヒ王国に行く為だ。聖教教会は【神山】の頂上にあるらしく、凱旋門もかくやという荘厳な門を潜るとそこには雲海が広がっていた。高山特有の息苦しさ等は感じない為、恐らく魔法で生活環境を整えているのだろう。生徒達は太陽の光を反射してキラキラと煌く雲海と、透き通る様な青空という雄大な景色に呆然と見惚れていた。

(中々の絶景だな…。まぁ私の国の方が美しいが)

 ソウゴが心の中で自慢する中、どこか自慢気なイシュタルに促されて先へ進むと、柵に囲まれた円形の白い台座が見えてきた。大聖堂の物と同様と思われる素材で出来た回廊を進みながら、促されるまま台座に乗る。台座には巨大な魔法陣が刻まれていた。柵の向こう側は雲海なので大多数の生徒が中央に身を寄せる。それでも興味が湧くのは止められない様で、キョロキョロと周りを見渡しているとイシュタルが何やら唱えだした。

「彼の者へと至る道、信仰と共に開かれん──"天道"」

 その途端、足元の魔法陣が燦然と輝きだした。そしてまるでロープウェイの様に滑らかに台座が動き出し、地上へ向かって斜めに下っていく。どうやら先程の詠唱で台座に刻まれた魔法陣を起動した様だ。この台座は正しくロープウェイなのだろう。ある意味初めて見る"魔法"に、生徒達がキャッキャと騒ぎ出す。雲海に突入する頃には大騒ぎだ。

「ふっ…」

 その生徒達の様子に、ソウゴは小さく笑みを溢していた。

 

 

 やがて雲海を抜け地上が見えてきた。眼下には大きな町、いや国が見える。山肌からせり出す様に建築された巨大な城と放射状に広がる城下町。ハイリヒ王国の王都である。台座のロープウェイは、王宮と空中回廊で繋がっている高い塔の屋上に続いている様だ。

 ソウゴは"らしい演出"だと冷めた視線を向けた。雲海を抜け天より降りたる"神の使徒"という構図そのままである。ソウゴ達の事だけでなく、聖教信者が教会関係者を神聖視するのも無理はない。

 ソウゴは無意識の内に、かつての戦いの記憶を思い出していた。理不尽な神々と、それに踊らされた人々。または妄信する狂信者たち。その手の相手と戦った経験はソウゴにとって一度や二度ではない。そういう手合いは、総じて最後の一人に至るまで自らの命を顧みない無茶をしてくる。故にソウゴの降伏勧告は受け入れられず、その命を奪うより他なかった。

「まったく……、神という存在は常に面倒事を持ってくる」

 小声で愚痴を溢しつつ、ソウゴは今後の行く末に天を睨んだ。

 

 

 王宮に着くと、ソウゴ達は真っ直ぐに玉座の間に案内された。教会に劣らぬ煌びやかな内装の廊下を歩く。道中、騎士らしき装備を身に付けた者や文官らしき者、メイド等の使用人とすれ違うのだが、皆一様に期待に満ちた、或いは畏敬の念に満ちた眼差しを向けてくる。ソウゴ達が何者か、ある程度知っている様だ。ソウゴは慣れたものだと受け流し、生徒達の後を付いていった。

 美しい意匠の施された巨大な両開きの扉の前に到着すると、その扉の両側で直立不動の姿勢を取っていた兵士二人がイシュタルと勇者一行が来た事を大声で告げ、中の返事も待たず扉を開け放った。

 イシュタルはそれが当然とばかりに悠々と扉を通る。光輝等一部の生徒を除いて、生徒達は恐る恐る扉を潜る。

 

 扉を潜った先には、真っ直ぐ伸びたレッドカーペットと、その奥に豪奢な椅子──玉座があった。その玉座の前で覇気と威厳を纏った初老の男性が立ち上がって待っている。その隣には王妃と思われる女性と、金髪碧眼の少女と少年が控えている。更に、カーペットの両サイドには武官や文官らしき者達がざっと三十人程整列していた。

 

 玉座の手前に着くと、イシュタルは生徒達をその場に留まらせ、自分は国王の隣へと進む。

 そこで徐に手を差し出すと国王は恭しくその手を取り、軽く触れない程度の口付けをした。どうやら教皇の方が立場は上の様だ。これで国を動かすのが"神"である事は確定だとソウゴは心の中で溜息を吐いた。

(他者に委ねる等、最も王がしてはならないというのに…)

 そこからはただの自己紹介だ。国王は名をエリヒド・S・B・ハイリヒといい、王妃はルルアリアというらしい。因みに少年は王子のランデル、少女は王女のリリアーナだそうだ。

 後は騎士団長や宰相等、高い地位にある者の紹介がなされ、続けて晩餐会が開かれ異世界料理を堪能する事になった(その際ランデル王子の視線が何度も香織の方へ向けられた)。

 その後王宮でソウゴ達の衣食住が保障されている旨と、訓練における教官達の紹介もなされた。現役の騎士団員や宮廷魔術師から選ばれた様で、いずれ来る戦争に備え親睦を深めておけという事だろう。

 

 晩餐が終わり解散になると、各自に一室ずつ与えられた部屋に案内された。その途端ソウゴは、部屋の内装や天蓋付きのベッドを無視して中空に手を翳した。

 すると先程まで何もなかった空間に、突如金色の光を放つ黒い渦が現れる。ソウゴが『時の抜け穴』と呼ぶその渦の先に、慣れ親しんだ王城の自室が見えてきた。試しに渦を潜ってみると、特に弾かれる事も無くあっさりとソウゴは自身の城に戻ってこれた。それを確認したソウゴは再び渦を潜り、ハイリヒに戻って来た。

「神の悪戯に付き合うのも暇つぶしにはなるか…」

 ソウゴはそう言うと、見慣れぬ制服から着慣れた普段着に着替えベッドに横になって瞼を閉じた。

 

 

 翌日から早速訓練と座学が始まった。

 すると先ず、集まった生徒達に十二センチ×七センチ位の銀色のプレートが配られた。不思議そうに配られたプレートを見る生徒達に、騎士団長メルド・ロギンスが直々に説明を始めた。

 騎士団長が訓練に付きっきりで良いのかと思うソウゴだが、対外的にも対内的にも“勇者様一行”を半端な者に預ける訳にもいかないという事らしい。抑々、暇潰しを理由に国を空けているソウゴにはブーメランもいいところだ。

 メルド本人も、「寧ろ面倒な雑事を副団長に押し付ける理由が出来て助かった!」と豪快に笑っていたので大丈夫なのだろう。

 尤も、肝心の副団長は大丈夫ではないだろうが。

 

「よし、全員に配り終わったな? このプレートは、ステータスプレートと呼ばれている。文字通り、自分の客観的なステータスを数値化してくれる物だ。最も信頼の置ける身分証明書でもある。これがあれば迷子になっても平気だからな、失くすなよ?」

 非常に気楽な喋り方をするメルド。彼は豪放磊落な性格で、「これから戦友になろうってのにいつまでも他人行儀に話せるか!」と、他の騎士団員達にも普通に接するよう忠告したらしい。

 生徒達もその方が良かったと安堵する。遥か年上の人達から慇懃な態度を取られると、居心地が悪くてしょうがないのだ。

「プレートの一面に魔法陣が刻まれているだろう? そこに一緒に渡した針で指に傷を作って血を一滴垂らしてくれ。それで所有者が登録される。“ステータスオープン”と言えば表に自分のステータスが表示される筈だ。あぁ、原理とか訊くなよ? そんなモン知らないからな、神代のアーティファクトの類だ」

「アーティファクト?」

 聞き慣れない言葉に光輝が質問する。

 

 メルド曰く、現在では再現できない強力な能力を持った魔術道具だそうだ。このステータスプレートは一般市民にも普及している唯一のアーティファクトで、プレート作成専用のアーティファクトを使って毎年教会が作製・配布しているらしい。

 それらの説明に「成程」と頷きつつ、生徒達は顔を顰めながら指先に針を軽く刺し、浮き上がった血を魔法陣に擦り付けた。すると魔法陣が一瞬淡く輝く。

 

 因みにソウゴもやろうとしたところ針が折れてしまった為、ソウゴは爪を伸ばして反対側の指を軽く切って血を擦り付けた。

 

 するとソウゴのプレートも一瞬淡く輝き、直後真綿にインクが染み込む様に黒黄金に変色していった。その変化にソウゴは片眉を軽く上げる。他の生徒達はもう少し大きく驚いている。

 そんな生徒達にメルドが説明を加える。曰く、魔力というものは人其々違う色を持っているらしく、プレートに自己の情報を登録すると所有者の魔力色に合わせて染まるのだそうだ。つまり、そのプレートの色と本人の魔力色の一致を以て身分証明とするのだろう。

(黒黄金か。まぁ、だろうな)

 内心予想通りと思いつつ、ソウゴは主要な者達に視線を向ける。

 因みに光輝が純白、龍太郎が深緑、香織が白菫、雫が瑠璃色である。

「珍しいのは分かるが、しっかり内容も確認してくれよ?」

 苦笑いしながらメルドが確認を促す。その声で生徒達はハッとした様に顔を上げて直ぐに確認に移った。

 ソウゴも自身のプレートに視線を落とす。そこには……

 

 

常磐ソウゴ 140346歳 男 レベル:1

天職:大魔王/統一時空大皇帝

筋力:16008809201

体力:17777077417

耐性:16548013317

敏捷:16080934837

魔力:32418198945

魔耐:32886383805

技能:『体力超速回復』『魔力超速回復』『魔力消費超緩和』『魔力完全制御』『魔神法』『闘神法』『魔力付与』『魔力分配』『魔法付与』『気力付与』『属性付与』『技能付与』『技能妨害』『技能改変』『技能吸収』『技能略奪』『技能創造』『魔法妨害』『魔法吸収』『神龍力』『神龍結界』『龍化』『神獣力』『神獣結界』『獣化』『鬼神力』『鬼神結界』『鬼化』『多重連撃』『多重並列詠唱』『詠唱破棄』『属性複合』『物理超強化』『精神超強化』『斬撃超強化』『貫通超強化』『破壊超強化』『打撃超強化』『衝撃超強化』『銃撃超強化』『狙撃超強化』『治癒超強化』『補助超強化』『障壁超強化』『結界超強化』『状態異常超強化』『火超強化』『炎超強化』『火炎超強化』『猛火超強化』『灼熱超強化』『煉獄超強化』『水超強化』『水流超強化』『激流超強化』『波濤超強化』『大渦超強化』『蒼海超強化』『風超強化』『疾風超強化』『烈風超強化』『嵐超強化』『暴風超強化』『颶嵐超強化』『土超強化』『泥超強化』『大地超強化』『泰山超強化』『地裂超強化』『地平超強化』『電気超強化』『雷超強化』『雷電超強化』『迅雷超強化』『轟雷超強化』『雷霆超強化』『氷超強化』『氷雪超強化』『氷結超強化』『凍結超強化』『吹雪超強化』『輝氷超強化』『光超強化』『聖超強化』『光明超強化』『閃光超強化』『聖光超強化』『恒星超強化』『影超強化』『陰超強化』『闇超強化』『暗闇超強化』『冥獄超強化』『深淵超強化』『爆破超強化』『消滅超強化』『龍超強化』『時間超強化』『虚無超強化』『毒超強化』『猛毒超強化』『麻痺超強化』『強麻痺超強化』『睡眠超強化』『魅了超強化』『酸超強化』『腐蝕超強化』『外道超強化』『邪眼超強化』『不可逆超強化』『経験値超増加』『熟練度超強化』『剣神』『大剣神』『短剣神』『双剣神』『刀神』『太刀神』『槍神』『双槍神』『弓神』『斧神』『杖神』『楽器神』『銃神』『狙撃神』『砲神』『槌神』『鎌神』『棍神』『格闘神』『爪神』『投擲神』『薙刀神』『鞭神』『弩神』『銃剣神』『楯神』『鎧神』『糸神』『旗神』『完全武装支配術』『武装記憶開放術』『火攻撃』『炎攻撃』『火炎攻撃』『猛火攻撃』『業火攻撃』『灼熱攻撃』『煉獄攻撃』『水攻撃』『水流攻撃』『激流攻撃』『波濤攻撃』『大渦攻撃』『蒼海攻撃』『風攻撃』『疾風攻撃』『烈風攻撃』『嵐攻撃』『暴風攻撃』『颶嵐攻撃』『土攻撃』『泥攻撃』『大地攻撃』『泰山攻撃』『地裂攻撃』『地平攻撃』『電気攻撃』『雷攻撃』『雷電攻撃』『迅雷攻撃』『轟雷攻撃』『雷霆攻撃』『氷攻撃』『氷雪攻撃』『氷結攻撃』『凍結攻撃』『吹雪攻撃』『輝氷攻撃』『光攻撃』『聖攻撃』『光明攻撃』『閃光攻撃』『聖光攻撃』『恒星攻撃』『影攻撃』『陰攻撃』『闇攻撃』『暗闇攻撃』『冥獄攻撃』『深淵攻撃』『爆破攻撃』『消滅攻撃』『龍攻撃』『時間攻撃』『虚無攻撃』『毒攻撃』『猛毒攻撃』『麻痺攻撃』『強麻痺攻撃』『睡眠攻撃』『魅了攻撃』『酸攻撃』『腐蝕攻撃』『外道攻撃』『武人の極致』『魔導の極致』『無尽蔵』『限界突破』『休息』『空間機動』『縮地』『悪路踏破』『神速移動』『神速飛翔』『神速遊泳』『黄金律』『鑑定』『錬成』『念動力』『射出』『念話』『超集中』『必中』『思考超加速』『並列思考』『超高速演算』『人心掌握』『先導』『扇動』『隠密』『隠蔽』『気配遮断』『認識阻害』『記憶阻害』『無音』『無臭』『暗殺』『透過』『憑依』『騎乗』『吸血』『簒奪』『暴虐』『絶滅』『狩猟』『大軍師』『確率操作』『未来視』『未来変更』『未来確定』『運命操作』『因果律操作』『探知』『洗脳』『薬毒合成』『言語理解』『軟体』『剛体』『天候操作』『重力操作』『眷属契約』『眷属支配』『地属支配』『天属支配』『海属支配』『時空移動』『生命創造』『召喚術』『錬金術』『忍術』『仙術』『陰陽術』『召喚術』『紋章術』『血鬼術』『精霊術』『天装術』『小宇宙の闘法』『学園都市能力開発』『通力』『神通力』『光技』『裏光技』『五星技』『剛力通』『金剛通』『天眼通』『天耳通』『神足通』『内活通』『闇術』『呪力』『太極』『真理探究』『八十八星座』『百八の魔星』『海将軍』『波紋』『幽波紋』『悪魔の実』『六式』『覇気』『魚人空手』『グルメ細胞』『チャクラ』『瞳術』『卍解』『異常』『過負荷』『悪平等』『言葉遣い』『トリオン』『ブラックトリガー』『英霊の宝具』『自在法』『嵐龍方陣』『機炎方陣』『海神方陣』『創樹方陣』『騎解方陣』『黒霧方陣』『灼滅の覇道』『氷逆の覇道』『裁考の覇道』『人馬の覇道』『妃光の覇道』『幻魔の覇道』『光の巨人』『神秘の巨人』『大地の巨人』『海の巨人』『慈愛の巨人』『宇宙正義』『M78』『U-40』『O-50』『自由の仮面』『絆の虹』『宇宙拳法』『宇宙技術』『コスモ幻獣拳』『赤心少林拳』『波動拳法』『天火星赤龍拳』『天幻星獅子拳』『天重星天馬拳』『天時星麒麟拳』『天風星鳳凰拳』『吼新星白虎拳』『獣拳』『超力』『アース』『天空聖魔法』『地底冥呪法』『冒険者の流儀』『秘宝探索』『志葉流』『過激気』『紫激気』『臨気』『怒臨気』『幻気』『海賊の流儀』『勇者』『大魔王』『幻魔王』『天魔王』『救世主』『皇帝』『王権』『皇帝特権』『神性』『傲慢』『真実』『総括』『審判』『正義』『支配』『強欲』『慈愛』『後悔』『成功』『賢明』『友情』『怠惰』『停滞』『誓約』『静寂』『空虚』『束縛』『憤怒』『勝利』『調和』『分解』『創造』『開拓』『崩壊』『嫉妬』『希望』『勇気』『幻想』『解放』『誠意』『期待』『暴食』『神聖』『無限』『発展』『幸福』『循環』『信仰』『邪淫』『終焉』『虚無』『安息』『博愛』『消滅』『永遠』『生命』『謙譲』『慈悲』『忍耐』『勤勉』『救恤』『節制』『純潔』『火魔法』『炎魔法』『火炎魔法』『猛火魔法』『灼熱魔法』『煉獄魔法』『水魔法』『水流魔法』『激流魔法』『波濤魔法』『大渦魔法』『蒼海魔法』『風魔法』『疾風魔法』『烈風魔法』『嵐魔法』『暴風魔法』『颶嵐魔法』『土魔法』『泥魔法』『大地魔法』『泰山魔法』『地裂魔法』『地平魔法』『電気魔法』『雷魔法』『雷電魔法』『迅雷魔法』『轟雷魔法』『雷霆魔法』『氷魔法』『氷雪魔法』『氷結魔法』『凍結魔法』『吹雪魔法』『輝氷魔法』『光魔法』『聖魔法』『光明魔法』『閃光魔法』『聖光魔法』『恒星魔法』『影魔法』『陰魔法』『闇魔法』『暗闇魔法』『冥獄魔法』『深淵魔法』『爆破魔法』『消滅魔法』『龍魔法』『時間魔法』『虚無魔法』『古代魔法』『毒魔法』『猛毒魔法』『麻痺魔法』『強麻痺魔法』『睡眠魔法』『魅了魔法』『酸魔法』『腐蝕魔法』『外道魔法』『治癒魔法』『補助魔法』『障壁魔法』『結界魔法』『空間魔法』『禁呪』『天変地異』『全反射』『物理無効』『精神無効』『状態異常無効』『煉獄無効』『蒼海無効』『颶嵐無効』『地平無効』『雷霆無効』『輝氷無効』『恒星無効』『深淵無効』『消滅無効』『龍無効』『時間無効』『虚無無効』『古代無効』『猛毒無効』『強麻痺無効』『睡眠無効』『石化無効』『魅了無効』『酸無効』『腐蝕無効』『外道無効』『禁呪無効』『苦痛無効』『痛覚無効』『薬物無効』『邪眼無効』『反動無効』『不可逆無効』『人狩り』『龍狩り』『神狩り』『天使狩り』『悪魔狩り』『獣狩り』『獣人狩り』『植物狩り』『虫狩り』『鬼狩り』『魔人狩り』『機械狩り』『怪異狩り』『霊狩り』『不死狩り』『幻獣狩り』『堕天狩り』『小人狩り』『巨人狩り』『妖精狩り』『精霊狩り』『長寿狩り』『吸血鬼狩り』『人魚狩り』『魚人狩り』『人王』『龍王』『神王』『天使王』『悪魔王』『獣王』『獣人王』『植物王』『蟲王』『鬼王』『魔人王』『機械王』『怪異王』『霊王』『不死王』『幻獣王』『堕天王』『小人王』『巨人王』『妖精王』『精霊王』『長寿王』『吸血王』『神龍』『炎龍』『水龍』『風龍』『地龍』『雷龍』『氷龍』『光龍』『闇龍』『滅龍』『刻龍』『無龍』『毒龍』『神性』『炎神』『水神』『風神』『地神』『雷神』『氷神』『光神』『闇神』『滅神』『刻神』『毒神』『美神』『戦神』『軍神』『荒神』『破壊神』『殺戮神』『星神』『武具神』『鍛冶神』『道化神』『英雄神』『聖王』『冥王』『賢王』『武王』『騎士王』『英雄王』『勇者殺し』『英雄殺し』『覇王』『覇道』『神器創造』『多重装備』『陣地作成』『領域展開』『固有結界』『統治』『天命』『剛毅』『堅牢』『韋駄天』『カリスマ』『開拓者』『天啓』『夜明けの術師』『天頂の騎士』『落陽の王』『月下の道化』『宵闇の狂人』『暗視』『万里眼』『透視』『魔眼』『邪眼』『呪いの邪眼』『死滅の邪眼』『麻痺の邪眼』『石化の邪眼』『狂気の邪眼』『魅了の邪眼』『催眠の邪眼』『恐慌の邪眼』『静止の邪眼』『忘却の邪眼』『強制の邪眼』『焼却の邪眼』『凍結の邪眼』『風化の邪眼』『五感超強化』『第六感』『第七感』『第八感』『第九感』『武の真祖』『魔の真祖』『火の真祖』『水の真祖』『風の真祖』『土の真祖』『雷の真祖』『氷の真祖』『光の真祖』『闇の真祖』『滅の真祖』『龍の真祖』『時の真祖』『無の真祖』『太陽の子』『悲しみの王子』『怒りの王子』『モーフィングパワー』『炎の如く邪悪を倒す戦士』『流水の如く邪悪を凪ぎ払う戦士』『疾風の如く邪悪を射抜く戦士』『地割の如く邪悪を切り裂く戦士』『金の力』『黒の金』『凄まじき戦士』『究極の闇に対する者』『可能性』『超越肉体の金』『超越精神の青』『超越感覚の赤』『三位一体の戦士』『燃え盛る業炎の戦士』『光輝への目覚め』『鏡面世界』『生存本能』『光血』『加速銀血』『超過熱血』『運命の切札』『金翼の大鷲』『十三の王鎧』『不死』『鍛錬』『夏の紅』『装甲・鋼鎧兜』『鬼幻術』『鬼闘術』『鬼棒術』『太陽神』『擬態』『クロックアップ』『時の守護者』『特異点』『十三魔族』『王の鎧』『魔皇力』『破壊者』『模倣』『地球の記憶』『地球の本棚』『欲望のメダル』『コンボ』『雷と緑と昆虫』『光と黄と猛獣』『重と白と巨獣』『炎と赤と鳥』『水と青と水獣』『無欲と氷と恐竜』『治癒と橙と爬虫類』『魂』『未来の三獣』『鋼の三鋏』『樹木の三角』『麻痺の三毒』『氷雪の三爪』『信仰の三海』『外道三悪』『六連骸』『伝説の三連』『コズミックエナジー』『青春銀河』『指環の魔法』『禁断の果実』『大将軍』『天下統一』『コアドライビア』『重加速』『機械生命体』『無限進化』『エナジーアイテム』『黄金遊戯』『無敵』『絶対不滅』『超天才』『完全無欠』『悪魔の科学』『鋼のムーンサルト』『輝きのデストロイヤー』『天空の暴れん坊』『忍びのエンターテイナー』『ぶっ飛びモノトーン』『レスキュー剣山』『鬣サイクロン』『封印のファンタジスタ』『定刻の反逆者』『稲妻テクニシャン』『不死身の兵器』『繋がる一匹狼』『情熱の扇風機』『未確認ジャングルハンター』『天駆けるビッグウェーブ』『嵐を呼ぶ巨塔』『蜂蜜ハイビジョン』『独走ハンター』『聖なる使者』『癒しの大爆音』『密林のスクープキング』『時を駆ける甲冑』『一角消去』『王家の守り神』『氷の滑り芸』『彷徨える超引力』『冷却のトラップマスター』『深海の仕事人』『超熱大陸』『暗黒の起動王』『水際の電波野郎』『高貴なる毒針』『音速の帝王』『即効元気』『極熱筋肉』『銀河無敵の筋肉野郎』『激凍心火』『ファーマーズフェスティバル』『大義晩成』『祝福の刻』『時の王者』『最高最善の魔王』『墓守の王』『平成の語り手』『最終王者』『終焉の刻』『宇宙最強の力』『臣民の総意』『経営術』『潜在能力』『滅亡迅雷』『剣の物語』『火炎剣』『水勢剣』『雷鳴剣』『土豪剣』『風双剣』『音銃剣』『光剛剣』『闇黒剣』『煙叡剣』『時国剣』『無銘剣』『刃王剣』『悪魔の押印』『知覚領域拡張』『神性領域拡張』『無効貫通』『無敵貫通』

 

 

 と表示されていた。

 

 まるでゲームのキャラにでもなった様だと感じながら、ソウゴは自身のステータスを眺める。他の生徒達もマジマジと自分のステータスに注目している。

 するとメルド団長から説明がなされた。

「全員見られたか? 説明するぞ? 先ず最初に“レベル”があるだろう? それは各ステータスの上昇と共に上がる。上限は100でそれがその人間の限界を示す。つまりレベルとは、その人間の到達できる領域の現在値を示しているという訳だ。レベル100という事は、自分の潜在能力を全て発揮した極致という事だからな。そんな奴はそうそういない」

 どうやらゲームの様にレベルが上がるからステータスが上がる訳ではないらしい。

「ステータスは日々の鍛錬で当然上昇するし、魔法や魔法具で上昇させる事もできる。また、魔力の高い者は自然と他のステータスも高くなる。詳しい事は分からんが、魔力が身体スペックを無意識に補助してるんじゃないかって話だ。それと、後でお前達用に装備を選んでもらうから楽しみにしておけ。何せ救国の勇者御一行だからな、国の宝物庫大解放だぞ!」

 メルドの言葉から推測すると、魔物を倒すだけでステータスが一気に上昇する事はないらしい。地道に腕を磨けという事だろう。

「次に"天職"ってのがあるだろう? それは言うならば"才能"だ。末尾にある"技能"と連動していて、その天職の領分において無類の才能を発揮する。戦闘系天職と非戦闘系天職に分類されるんだが、戦闘系は千人に一人、ものによっちゃ万人に一人の割合だ。非戦系も少ないっちゃあ少ないが……百人に一人はいるな。十人に一人なんて珍しくないのも結構ある。生産職は持ってる奴が多い」

 その言葉にソウゴは自身の天職を見返し、少しばかりの苦笑を溢す。

(この手の世界で『大魔王』は不味いだろうな。さてさて、どう誤魔化したものか…)

「後は……、各ステータスは見たままだ。大体レベル1の平均は10位だな。まぁお前達ならその数倍から数十倍は高いだろうがな、まったく羨ましい限りだ! あ、ステータスプレートの内容は報告してくれ、訓練内容の参考にしなきゃならんからな」

 羨ましいと言いつつも嬉しそうなメルドの呼び掛けに、早速光輝がステータスの報告をしに前に出た。そのステータスは……

 

 

天之川光輝 17歳 男 レベル:1

天職:勇者

筋力:100

体力:100

耐性:100

敏捷:100

魔力:100

魔耐:100

技能:『全属性適正』『全属性耐性』『物理耐性』『複合魔法』『剣術』『剛力』『縮地』『先読』『高速魔力回復』『気配感知』『魔力感知』『限界突破』『言語理解』

 

 

「ほぉ~、流石勇者様だな。レベル1で既に三桁か……、技能も普通は二つ三つなんだが…規格外な奴め! 頼もしい限りだ!」

「いや~、あはは……」

 光輝はメルドの称賛に照れた様に頭を掻いた。

 

 

「……………何?」

 

 

 そのステータスに、ソウゴは驚きを覚えた。

 

 低い。あまりにも低すぎる。天と地、という言葉では足りない程に。自身のステータスは全て十一桁あるのだから、自身が普通でない事を考慮しても、他の者ももう少しあると思っていたのだが。

 

 しかし話に由れば、メルドのレベルは62、ステータスは平均300前後。これがこの世界トップレベルの強さだそうだ。

 

 そして他の者も報告していくが、案の定光輝より劣る者ばかりだった。部分的に超える者もいたが、それもソウゴから見れば誤差とも呼べない程度の差だ。勇者である光輝が最高なのだから、当然と言えば当然だが。それでもほぼ全員が戦闘系天職なだけ凄いのだろう。

 そして報告の順番が回ってきて、ソウゴはメルドにプレートを見せた。

 今まで規格外のステータスばかり確認してきたメルドの表情はホクホクしている。多くの強力無比な戦友の誕生に喜んでいるのだろう。その表情がソウゴのプレートを見た瞬間に凍り付いた。次いでプレートをコツコツ叩いたり、光に翳したりする。

 そしてその反応を見越していたソウゴは、メルドに見えない位置で指をパチンッと鳴らした。

 

 ───その瞬間、先程までこの場を包んでいた喧騒がピタッと止んだ。

 

「なぁおい、これは一体どういう……」

 メルドはソウゴに質問しかけて、その背後の異変に気付く。ついさっきまで騒いでいた生徒達が、明らかに不自然な止まり方をしていた。

 メルドはぎこちなく、恐る恐るといった動きで、ソウゴを見た。

「これはお前……いや貴方が?」

 言い直したのは、恐らく年長者であるソウゴを立てたのだろう。戸惑いながらのメルドの問いに、ソウゴは肯定を返す。

「あぁ。騒がれても面倒なんで、少し止めさせてもらった」

「時間を、止めたと……?」

「得意分野だからな」

 そう言いながらソウゴは、人差し指を口に当てた。

「メルド。この事について、詳細は他言無用だ。彼らに騒がれても面倒だからな」

「な、何故?」

「どうも彼らの内の何人か、私に悪意を持っているようなのでな」

 ソウゴはそこまで言うと、再び指を鳴らして時間停止を解除した。それと共に、二人の周囲に喧騒が戻ってくる。

 そのままソウゴは呆けた顔のメルドに声を掛ける。

「どうかな、団長?」

「…あ、あぁ。まぁ、頑張れ……」

 突如纏う雰囲気を変えて話しかけてきたソウゴに、メルドは動揺しつつソウゴにプレートを返す。

 すると、そんなメルドの歯切れの悪さに複数人の男子生徒が食いついた。その内の一人、檜山大介がニヤニヤとしながら声を張り上げる。

「おいおい常磐。もしかしてお前、非戦闘系か?」

「まぁ、そんなところ」

「ほー! 常磐~、お前それで戦える訳?」

 檜山が実に下卑た表情でソウゴと肩を組む。彼以外に目を向ければ、周りの生徒──特に男子はニヤニヤと嗤っている。

「さぁね」

「おい、ちょっとステータス見せてみろよ?」

 メルドの表情の意味を理解できてないのだろう、執拗に聞く檜山。中々嫌味な性格をしている。取り巻きの三人も囃し立てた。強い者には媚び、弱い者には強く出る典型的な小物の行動だ。事実、香織やその友人の雫は不快気に眉を顰めている。ソウゴも同感だが、その事をおくびにも出さず適当に返答する。

「遠慮させてもらうよ。態々見せる程のものでもないから」

「おいおいおいおい! つまり見せられない位弱いって事か、傑作だな!」

 それを皮切りに、男子が次々と嗤いだす。その光景に香織が憤然と動き出そうとしたが、その前にウガーと怒りの声を発する人がいた。教師の愛子である。

「こらー! 何を笑ってるんですか! 仲間を笑うなんて先生許しませんよ、ええ、先生は絶対に許しません!」

 小さな体で精一杯怒りを表現する愛子。彼女はソウゴに向き直ると励ます様に肩を叩いた。

「常磐君、気にする事ありませんよ! 先生だって非戦闘系? とかいう職業ですし、ステータスだって殆ど平均です。常磐君は一人じゃありませんからね!」

 愛子は自分のステータスをソウゴを元気づけた。その様に皆毒気が抜かれたのか、その場はこれでお開きとなった。

 

 

 因みに愛子のステータスは、身も蓋もない言い方をすれば『貧弱』の一言に尽きた。

 

 

 

 一悶着あった訓練初日から二週間が過ぎた。

 

 現在、ソウゴは王立図書館にて調べ物をしていた。その手には“北大陸魔物大図鑑”という何の捻りも無いタイトル通りの巨大な図鑑があった。何故、訓練中である筈の時間に本を読んでいるのか。

 

 

 その答えは単純、ソウゴが訓練を免除されたからである。

 

 

 初日の訓練終了後、ソウゴは他の生徒達に内緒でメルドに呼び出されていた。

 そこでメルドに模擬戦を申し込まれたのだ。勿論ソウゴが勝ったのだが、その結果ソウゴはメルドの特権で訓練の参加義務を免除されたのだ。更には、ソウゴは国庫からのアーティファクトの貸し出しを断っていた(単純にソウゴの持つ武具の方が比べ物にならない程高位であった為)。故にソウゴは、昼間はこうして図書館で情報収集をするか、他の生徒達の訓練を見学したりで時間を潰しているのだ。

 

 因みにその事がメルドを通して生徒達に伝えられた際、皆はソウゴの数値が低すぎて訓練に参加できず、アーティファクトも与えられなかったのだと思ったらしく、大半の生徒、特に男子達が失笑していたとメルドから伝えられた。メルドは申し訳なさそうにしていたが、ソウゴは特になんとも思わなかったのでダメージは無い。

 その事を思い出し、ソウゴは徐にプレートを取り出し頬杖を突きながら眺めた。

 

 

常磐ソウゴ 140346歳 男 レベル:20

天職:大魔王/統一時空大皇帝

筋力:18229841201

体力:19998109417

耐性:18769045317

敏捷:18301966837

魔力:34639230945

魔耐:35107415805

 

 

 この二週間で、各ステータスが二十億程増えた。メルドに闘技場の夜間使用許可を得て行っている鍛錬の成果だ。ソウゴにとってはいつもの日課なだけだが。

 因みに勇者である光輝はというと、

 

 

天之川光輝 17歳 男 レベル:10

天職:勇者

筋力:200

体力:200

耐性:200

敏捷:200

魔力:200

魔耐:200

技能:『全属性適正』『全属性耐性』『物理耐性』『複合魔法』『剣術』『剛力』『縮地』『先読』『高速魔力回復』『気配感知』『魔力感知』『限界突破』『言語理解』

 

 

 ちっぽけという言葉では足りない程、ソウゴにとっては微々たる成長だった。

「まさか、強すぎて参加できないとはな……」

 そんな事を溢しつつ、ソウゴはこの図書館で得た知識を反芻する。

 

 この世界の魔術の概念と魔法陣、適正の関係。亜人達の住む【ハルツィナ樹海】。魔人達の国【ガーランド】。【海上の町エリセン】に【アンカジ公国】、【グリューエン大砂漠】に【グリューエン大火山】。七大迷宮に数えられる【オルクス大迷宮】、【ライセン大峡谷】、【シュネー雪原】の奥地【氷雪洞窟】。他国である【ヘルシャー帝国】に【中立商業都市フューレン】。

 

「いずれ機会があれば見てみたいものだ。…ふむ、今日は訓練を覗きに行くか」

 ソウゴは図鑑を閉じ、図書館を後にした。王宮までの道程は短く目と鼻の先だが、その途中には王都の喧騒が聞こえてくる。露店の店主の呼び込みや遊ぶ子供の声、はしゃぎ過ぎた子供を叱る声。実に日常的で平和だ。

(やはり、異界の地であっても民の笑顔とは良いものだな)

 ソウゴは目の前の光景に微笑みつつ、訓練場へと歩を進めた。

 

 

 訓練施設に到着すると既に何人もの生徒がやってきて、談笑や自主練に勤しんでいた。全員揃ってない辺り、どうやら案外早く着いた様である。ソウゴは施設上部の観覧席に向かおうとするが、それを邪魔するかの様に声が掛けられる。

 

 そこにいたのは、檜山大介率いる集団だった。ステータス騒動の時と同じく、訓練が始まってからも度々ちょっかいを掛けてきていた。

「よぉ常磐、何してんの? 来ても訓練参加できないだろうが。マジ無能なんだしよ~」

「ちょっ、檜山言い過ぎ! いくら本当だからってさ~、ギャハハハ!」

「何で参加できないのに顔出してる訳? 俺なら恥ずかしくて無理だわ!」

「なぁ大介。こいつさぁ、何かもう哀れだから俺等で稽古つけてやんね?」

 一体何がそんなに面白いのか、ニヤニヤゲラゲラと笑う檜山と取り巻きの中野、斎藤、近藤。

「あぁ? おいおい信治、お前マジ優しすぎじゃね? まぁ俺も優しいし? 稽古つけてやってもいいんだけどさぁ」

「おぉいいじゃん。俺等超優しいじゃん! 無能の為に時間使ってやるとかさ~。常磐、感謝しろよ~?」

 そんな事を言いながら狎れ狎れしく肩を組み、ソウゴを人目の付かない方へ連行していく檜山達。それにクラスメイト達は気が付いた様だが見て見ぬふりをする。

「放っておいてくれないか?」

 付きまとわれるのも面倒だと思い、やんわりと断るソウゴ。

「はぁ? 俺等が態々無能のお前を鍛えてやろうってのに何言ってんの? マジあり得ないんだけど? お前はただありがとうございますって言ってればいいんだよ!」

 そう言って殴りかかる檜山。段々暴力に躊躇いを覚えなくなってきている様だ。思春期男子がいきなり大きな力を得れば溺れるのは仕方ない事とはいえ、その矛先を向けられては鬱陶しい事この上ない。

(他に人目も無い、丁度いいか…)

 心中溜息を吐きつつ、ソウゴは適当に対処する事にした。

 

「"リキッド"」

 

 次の瞬間、ソウゴの身体が液体の様に流動して檜山の拳を躱し、四人の後方に移動して元の姿に戻る。

「……は?」

 四人共、何が何やら分かっていない呆けた顔をしている。ソウゴはそのまま次の手に移った。

「"封絶"、"サイレント"、"アナザーディメンション"」

 続けて自分達の周囲を外界から遮断し、更に"コネクト"を使用し"魔笛剣ハーメルケイン"を取り出し構えた。

 

 因みに、技名を口にしたのは彼らに合わせたソウゴの遊び心である。

 

「どうした、稽古をつけてくれるんだろう?」

 ソウゴが挑発すると、四人は青筋を立てて吠えてきた。

「ち、調子に乗んなっ! やれ!」

 檜山の号令に取り巻きの中野、斎藤が詠唱を開始する。

「ここに焼撃を望む、"火球"!」

「ここに風撃を望む、"風球"!」

 ソウゴに向かって火と風の魔術が飛んでくる。其々一節のみの下級魔術だが、彼らの適性と支給されたアーティファクトの関係でこの世界の人間のそれよりも威力は高い、らしい。

「ふっ」

 しかしソウゴにとってはそよ風にも及ばぬ程度。自身に向かう魔術の弾丸をハーメルケインで容易く弾く。

「「なっ!?」」

「このぉ!」

 二人が驚愕で固まるのと引き換えに、今度は近藤が迫って来た。鞘ではなくむき身の剣である辺りに余裕の無さが見える。ソウゴはその刀身をケインで弾き、隙だらけの胴を柄で突く。

「ぐふっ!」

「"鎮星"」

 ソウゴはそのまま近藤の顎を蹴り抜いた。本来二人のステータス差を鑑みれば近藤の頭は跡形も無く吹き飛ぶのだが、"鎮星"によりその破壊力は全て精神攻撃へと変換され近藤の意識を刈り取り、大きく吹き飛ばすだけに留まった。

「れ、礼一!」

 その光景に中野と斎藤が動揺した瞬間、ソウゴは光をも超えると言わしめる速度で詰め寄り一撃を見舞う。

 

「"剛勇衝打"」

 

 "鎮星"と掛け合わせて放たれたその拳撃は、一瞬の間も無く二人の意識を沈めて檜山の後方へ吹き飛ばした。

「は…、へ……?」

 あっという間に取り巻き達が沈み、開いた口が塞がらない檜山。ソウゴはそんな檜山に向かって口を開く。

「もう打ち止めか?」

「あっ…」

「ならこちらから仕掛けるとしよう」

 ハーメルケインを消失させながらそう言ったソウゴは両手首を交差させ、次に掌を合わせる。そのまま手を開くと、その空間に凄まじく放電する雷球が出現する。

 

「"アブソリュート・デストラクション"」

 

 宇宙の闇を切り裂く一等星の如き光を迸らせる雷球は、瞬く間もなく檜山に迫りその姿を光に飲み込んだ。

 光が晴れると、そこには意識を失くした檜山達四人が倒れ伏していた。ソウゴはまるで瞬間移動の様に檜山の傍に立ち、その頭を掴んだ。数秒程その手が光り、ソウゴは頭を離した。その様な治療と記憶処理を残る三人にもすると、ソウゴは結界を解除してその場を後にした。

 すると闘技場の死角から出た所で、不意に声を掛けられた。

 

「常磐くん!」

 

 その声に顔を向ければ、香織が手を振りながら駆け寄って来ていた。その後ろを光輝と龍太郎、苦笑気味の雫が歩いてくる。いつも勇者パーティ四人組だ。

「どうしたの? 貴方が下に来るなんて珍しいわね」

 雫にそう言われ、ソウゴは事前に用意してあったかの様にスラスラと答える。

「偶には近くで見学しようと思って。それで邪魔にならない場所を探してたら、ほら」

 そう言ってソウゴは先程までいた死角を指差す。そこには揃って気絶している檜山達四人の姿。

「先客がいたんだよ。昼寝中みたいで、邪魔しちゃ悪いから」

 そう頭を掻くと、雫が顔を押さえて溜息を吐いた。

「まったく、人目につかないからってこんな所でサボってたなんて…」

「普段から少し不真面目なところがあったけど、まさかここまでとは」

「ったく、こいつらは…」

 続けて口々に苦言を呈し、頭を振った。すると次の瞬間には檜山達の事は意識から消えたのか、香織が目を輝かせて距離を詰めてきた。

「ねぇ常磐くん! 折角なら私達と一緒に訓練しない?」

「嬉しい誘いだけど、遠慮しとくよ。急に入っても却って連携の邪魔になるし」

 香織の存在しない筈の尻尾を振りながらの提案を、礼を言いつつソウゴはやんわりと断る。「でも…」と尚も粘ろうとする香織の肩に雫が手を置いた。

「香織、常磐君も困ってるでしょ。彼の言う通りよ」

 親友にそう言われ、渋々ながら漸く香織も引き下がる。

「でも常磐君、何かあれば遠慮なく言って頂戴。香織もその方が納得するわ」

 渋い表情をしている香織を横目に、苦笑いしながら雫が言う。それにも礼を言うソウゴ。そこで終わればよかったのだが、水を差す者が一人。

「だが、常磐自身ももっと努力すべきだ。弱さを言い訳にしていては強くなれないだろう? 聞けば、この二週間は見学と読書ばかりだそうじゃないか。俺なら少しでも強くなる為に空いている時間も鍛錬に充てるよ。常磐も、参加できないからといってももう少し真面目になった方がいい」

 何をどう解釈すればそうなるのか。ソウゴは半ば驚きつつ、あぁそう言えばこの少年は基本的に性善説で人の行動を解釈すると"本棚"の情報にあったのを思い出した。

 

 光輝の思考パターンは、「基本的に人間はそう悪い事はしない。そう見える何かをしていたのなら相応の理由がある筈。もしかしたら相手の方に原因があるのかもしれない!」という過程を経るのである。しかも、光輝の言葉には本気で悪意が無い。真剣にソウゴを思って忠告しているのだ。

 

(何と、まぁ…)

 ソウゴは自身の行動が事情を知らない者から見れば誤解を招く行為である事は自覚している為、誤解を解くつもりは無かった。しかし、ここまで自分の思考(または正義感)に疑問を抱かない人間がいるのかと、心中驚きで開いた口が塞がらない。

 それが分かっているのか雫が顔を手で覆いながら溜息を吐き、ソウゴに小さく謝罪する。

「ごめんなさいね? 光輝も悪気がある訳じゃないのよ」

「アハハ、うん。分かってるから大丈夫、気にしないで」

 彼女は苦労人気質だと思い、ソウゴは大丈夫と返事をする。

「ほら、もう訓練が始まるよ? 行ってきなよ」

 ソウゴに促され一行は訓練に戻る。香織のみずっと未練がましそうな視線を向けていたが、ソウゴは気付かなかった事にして観覧席へ歩を進めた。

 

 そして訓練が終了した後、いつもなら夕食の時間まで自由時間となるのだが、今回はメルドから伝える事があると引き留められた。ソウゴも観覧席から耳を傾ける。

 何事かと注目する生徒達に、メルドは野太い声で告げる。

「明日から実戦訓練の一環として、【オルクス大迷宮】へ遠征に行く! 必要な物はこちらで用意してあるが、今までの王都外での魔物との実戦訓練とは一線を画すと思ってくれ! まぁ要は気合を入れろって事だ! 今日はゆっくり休めよ、では解散!」

 そう言ってメルドは一瞬ソウゴに視線を向け、伝える事だけ伝えるとさっさと行ってしまった。ざわざわと喧騒に包まれる生徒達を尻目に、ソウゴは静かに呟いた。

 

「……カメラを用意しておくか」

 

 思わぬ観光の機会に、内心ちょっとワクワクしているお茶目な魔王陛下だった。

 

 

 

【オルクス大迷宮】

 それは、全百階層からなると言われている大迷宮である。七大迷宮の一つで、階層が深くなるにつれ強力な魔物が出現する。にも拘わらず、この迷宮は冒険者や傭兵、新兵の訓練に非常に人気がある。それは階層により魔物の強さを測りやすいからという事と、出現する魔物が地上の魔物に比べ遥かに良質の魔石を体内に抱えているからだ。

 

 魔石とは、魔物を魔物たらしめる力の核を言う。強力な魔物程良質で大きな魔石を備えており、この魔石は魔法陣を作成する際の原料となる。魔法陣はただ描くだけでも発動するが、魔石を粉末にして刻み込むなり染料として使うなりした場合と比較すると、その効果は三分の一程度にまで減衰する。

 要するに魔石を使う方が魔力の通りが良く効率的という事だ。その他にも、日常生活用の魔術具等には魔石が原動力として使われる。魔石は軍関係だけでなく、日常生活にも必要な大変需要の高い品なのである。

 

 因みに、良質な魔石を持つ魔物ほど強力な固有魔術を使う。固有魔術とは、詠唱や魔法陣を使えない為に魔力はあっても多彩な魔法を使えない魔物が使う唯一の魔術である。一種類しか使えない代わりに、詠唱も魔法陣も無しに放つ事が出来る。魔物が油断ならない最大の理由だ。

 

 

 ソウゴ達は、メルド率いる騎士団員複数名と共に【オルクス大迷宮】へ挑戦する冒険者達のための宿場町【ホルアド】に到着した。新兵訓練によく利用するようで、王国直営の宿屋で宿泊するらしい。

 

 実に百年単位で久しぶりに普通の部屋を見たソウゴは、自身に割り振られた部屋のテーブルセットに座り込む。全員が最低でも二人部屋なのに対して、ソウゴのみ一人部屋だ。何故か他の部屋より少し綺麗で広いらしい。メルドが手を回した様だ。

「気遣われていると見るか、恐れられていると見るか…。まぁ、気を遣わなくていいのは間違いない」

 気を取り直したソウゴは、宝物庫と呼ばれる異空間から一台のカメラを取り出した。

 かつて、とある知人から死に際に譲り受けた古い二眼レフカメラだ。見た目こそ新品に見えるが、その実骨董品なんてレベルではない大昔の品物だ。何かあってはいけないと、ソウゴは整備にかかった。

 それから一時間程、室内にはカチ、カチ、という音だけが響いた。

 

 

「ふぅ…、この位で十分か」

 その後、調整を終えたソウゴはカメラから目を離し一息吐いた。ずっと凝視していた目を休める為、ソウゴは窓の外に目を向ける。そこには、夜闇を照らす綺麗な銀月が浮かんでいた。

(そういえば、何だかんだで飲めてなかったか)

 ふと、この世界に召喚される前は酒を飲もうとしていた事を思い出したソウゴは、月見酒でもと思い宝物庫から酒を取り出そうとする。

 すると、コンコンと控えめなノックの音が響く。

「? こんな時間に来客か」

 その事を不審に思いつつ、取り出しかけた酒と杯を宝物庫に戻すソウゴ。"透視"で来客者を確認しようとして、一足早く声がかかる。

「常磐くん、起きてる? 白崎です。ちょっといいかな?」

 何? と一瞬驚くも、ソウゴは扉に向かった。鍵を外して扉を開くと、そこには純白のネグリジェにカーディガンを羽織っただけの香織が立っていた。

「…………」

「常磐くん?」

「…何でもない。どうしたの?」

 ある意味衝撃的な光景に思わず硬直したソウゴだったが、すぐに気を取り直し香織を通した。

「その、少し常磐くんと話したくて……やっぱり迷惑だったかな?」

「構わないよ、どうぞ」

「うん!」

 すると香織は何の警戒心も無く嬉しそうに部屋に入り、テーブルセットに着席する。その様子にソウゴは、

(年頃の娘がこんな時間に、この様な恰好で男の部屋を訪ねるのは如何なものか…)

 実に年寄臭い(実際年寄だが)感想を浮かべながら、ソウゴは備え付けの紅茶擬きの準備をする。香織と自身の分を用意し、ソウゴも席に着きながら香織の分を渡す。

「ありがとう」

 嬉しそうに紅茶擬きを受け取り口を付ける香織。窓から月明かりが差し込み純白の彼女を照らす。黒髪にはエンジェルリングが浮かび、創作物の天使の様だ。

(アレらとはえらく違うな。彼女の方が余程天使らしい)

 その姿に自分の世界の天使にあたるテオスの眷属を思い浮かべ、思わず苦笑いを浮かべる。他所の世界の人間は、彼らが天使だと言われてもまず信じないだろう(一応それとは別に天使族というのがいるが)。

 香織がその様子を見てくすくすと笑う。ソウゴは頃合いかとカップを置き、話を促す。

「それで、話したいって何をかな。明日の事?」

 ソウゴの質問に「うん」と頷き、香織はさっきまでの笑顔が嘘のように思いつめた様な表情になった。

「明日の迷宮だけど……常磐くんには町で待っていて欲しいの。教官達やクラスの皆は私が必ず説得する、だから! お願い!」

 話している内に興奮したのか、身を乗り出して懇願する香織。それにソウゴは「落ち着いて」と言いながら着席を促す。更にこっそりと『冷静化』のエナジーアイテムを香織に撃ち込む。

 その途端、香織は乗り出した自分を恥じながら手を胸に当てて深呼吸する。すると冷静さを取り戻したようで「いきなり、ゴメンね」と謝った。それを見て、ソウゴは口を開く。

「理由を訊いても?」

 その言葉に促され、香織は静かに話し出す。

「あのね、なんだか凄く嫌な予感がするの。さっき少し眠ったんだけど……夢をみて……常磐くんが居たんだけど……声を掛けても全然気がついてくれなくて……走っても全然追いつけなくて……それで最後は……」

 その先を口に出す事を恐れるように押し黙る香織。ソウゴは、落ち着いた気持ちで続きを聞く。

「最後は?」

 香織はグッと唇を噛むと泣きそうな表情で顔を上げた。

「……消えてしまうの……」

「……そっか」

 暫く静寂が包む。再び俯く香織を見つめるソウゴ。確かに取りようによっては不吉な夢だろう。しかし実のところ、その夢の内容から推測できるのはソウゴが香織の前から姿を消すという事ぐらいしか情報が無いのだ。

(この少女は、とても繊細なのであろうな。夢一つで態々訪ねに来る程度には)

 思うところがあったのか、ソウゴは香織を安心させる様、なるべく優しい声音を心掛けながら話しかけた。

「夢は夢だよ、白崎さん。今回はメルド団長率いるベテランの騎士団員がついているし、クラス全員チートだ。敵が可哀想なくらいだよ?」

 語りかけるソウゴの言葉に耳を傾けながら、尚香織は不安そうな表情でソウゴを見つめる。

(ふむ、どうしたものか…)

 その表情に、ソウゴは少しばかり本気で考えこみそうになる。すると突然、香織が顔を上げた。

「それじゃあ、私に常磐くんを守らせて!」

「は?」

 ソウゴは思わずそう言ってしまった。

「ほ、ほら! 私は"治癒師"だし? 治癒系魔法に天性の才を示す天職。だから何があっても……例え、常磐くんが大怪我する事があっても、私なら治せるから! だから…」

 突然こんな事を言いだすのは、相当恥ずかしいという自覚があるのだろう。既に香織は羞恥で真っ赤になっている。月明かりで室内は明るく、ソウゴからその様子がよく分かった。

 それでも香織は決然とした眼差しでソウゴを見つめた。

「私が常磐くんを守るよ」

 暫く香織は、ジーっとソウゴを見つめる。ここは目を逸らしてはいけない場面だと、ソウゴは真剣な表情でその決意を受け取る。真っ直ぐ見返し、そして頷いた。

「ありがとう」

 それから直ぐソウゴは苦笑いした。これでは役者が男女あべこべである。すると釣られて香織も笑いだした。

 それから暫く雑談した後、香織は部屋に帰っていった。それを見送り、再び部屋に一人になったソウゴは曇り無き月夜を見上げ、今度こそ月見酒としゃれこむのだった。

「今宵の酒は、中々に旨そうだ」

 そう笑うソウゴの脳裏には、先程まで談笑していた香織の姿があった。

 

 

 

 ──ソウゴの部屋を出て自室に戻っていく香織。

 

 その背中を月明かりの影に潜んでいた者が静かに見つめていた。その表情が醜く歪んでいた事を知る者は……

 

 

 ───さて、何をするつもりやら。そう溜息混じりに呟いた。

 

 

 翌朝、まだ日が昇って間もない頃。ソウゴ達は【オルクス大迷宮】の正面入口がある広場に集まっていた。

 誰もが少しばかりの緊張と未知への好奇心を表情に浮かべている。尤も、その中でソウゴが少しばかり落胆した様な表情を浮かべていた。視線の先、【オルクス大迷宮】の入口を見て、少し興を削がれた気分になっていた。

 

 ソウゴとしては、この手の定番である仄暗く不気味な洞窟の入口というものを想像していたのだが、実際にあったのはまるで博物館の入場ゲートの様なしっかりした入口があり、どこぞの役所の様な受付窓口まであった。制服を着たお姉さんが笑顔で迷宮への出入りをチェックしている。なんでも、ここでステータスプレートをチェックし出入りを記録する事で死亡者数を正確に把握するのだとか。戦争を控えた現状、多大な死者を出さない為の措置だろう。 

 入口付近の広場には露店等も所狭しと並び建っており、其々の店の店主が鎬を削っている。まるでお祭り騒ぎだ。

 浅い階層の迷宮は良い稼ぎ場所として人気がある様で、人も自然と集まる。馬鹿騒ぎした者が勢いで迷宮に挑み命を散らしたり、裏路地宜しく迷宮を犯罪の拠点とする人間も多くいたようで、戦争を控えながら国内に問題を抱えたくないと冒険者ギルドと協力して王国が設立したのだとか。入場ゲート脇の窓口でも素材の売買はしてくれるので、迷宮に潜る者は重宝しているらしい。

 

 ソウゴは気を取り直す様に頭をポリポリと掻き、お上りさん丸出しでカルガモの雛の様にキョロキョロする他の生徒達と同じくメルドの後を付いていった。

 

 

 迷宮の中は、外の賑やかさとは無縁だった。縦横五メートル以上ある通路は明かりも無いのに薄ぼんやり発光しており、松明や明かりの魔法具が無くてもある程度視認が可能だ。緑光石という特殊な鉱物が多数埋まっているらしく、【オルクス大迷宮】はこの巨大な緑光石の鉱脈を掘って出来ているらしい。

 一行は隊列を組みながらゾロゾロと進む。暫く何事も無く進んでいると広間に出た。ドーム状の大きな場所で天井の高さは七、八メートル位ありそうだ。

 とその時、物珍しげに辺りを見渡している一行の前に、壁の隙間という隙間から灰色の毛玉が湧き出てきた。

「よし、光輝達が前に出ろ。他は下がれ! 交代で前に出てもらうからな、準備しておけ! あれはラットマンという魔物だ。すばしっこいが、大した敵じゃない。冷静に行け!」

 その言葉通り、ラットマンと呼ばれた魔物が結構な速度で飛びかかってきた。

 灰色の体毛に赤黒い目が不気味に光る。ラットマンという名称に相応しく外見は鼠らしいが……二足歩行で上半身がムキムキだった。八つに割れた腹筋と膨れあがった胸筋の部分だけ毛がない。まるで見せびらかす様に。

 正面に立つ光輝達──特に前衛である雫の頬が引き攣っている。やはり、気持ち悪いらしい。

 間合いに入ったラットマンを光輝、雫、龍太郎の三人で迎撃する。その間に、香織と特に親しい女子二人、メガネっ娘の中村恵里とロリ元気っ子の谷口鈴が詠唱を開始。魔法を発動する準備に入る。訓練通りの堅実なフォーメーションだ。

 

 光輝は純白に輝くバスタードソードを並大抵の者なら視認も難しい速度で振るって数体を纏めて葬っている。

 彼の持つその剣はハイリヒ王国が管理するアーティファクトの一つで、お約束に漏れず名称は"聖剣"である。光属性の性質が付与されており、光源に入る敵を弱体化させると同時に自身の身体能力を自動で強化してくれるという"聖なる"というには実に嫌らしい性能を誇っている。

 

 龍太郎は空手部らしく天職が"拳士"である事から、籠手と脛当てを付けている。これもアーティファクトで衝撃波を出す事が出来、また決して壊れないのだという。龍太郎はどっしりと構え、見事な拳撃と脚撃で敵を後ろに通さない。無手でありながら、その姿は盾役の重戦士の様だ。

 

 雫は"剣士"の天職持ちで、刀とシャムシールの中間の様な剣を抜刀術の要領で抜き放ち、一瞬で敵を切り裂いていく。その動きは洗練されていて、騎士団員をして感嘆させる程である。

 

 生徒達が光輝達の戦いぶりに見蕩れていると、詠唱が響き渡った。

「「「暗き炎渦巻いて、敵の尽く焼き払わん、灰となりて大地へ帰れ──"螺炎"!」」」

 三人同時に発動した螺旋状に渦巻く炎がラットマン達を吸い上げる様に巻き込み燃やし尽くしていく。「キィイイッ」という断末魔の悲鳴を上げながらパラパラと降り注ぐ灰へと変わり果て絶命する。

 

 気がつけば、広間のラットマンは全滅していた。他の生徒の出番は無しである。どうやら、光輝達召喚組の戦力では一階層の敵は弱すぎるらしい。

「ああ~、うん、よくやったぞ! 次はお前等にもやってもらうからな、気を緩めるなよ!」

 生徒の優秀さに苦笑いしながら気を抜かないよう注意するメルド。しかし、初めての迷宮の魔物討伐にテンションが上がるのは止められない。頬が緩む生徒達に「しょうがねぇな」とメルドは肩を竦めた。

「それとな……今回は訓練だからいいが、魔石の回収も念頭に置いておけよ。明らかにオーバーキルだからな?」

 メルドの言葉に香織達魔術支援組は、やりすぎを自覚して思わず頬を赤らめるのだった。

 そこでチラリとメルドはソウゴに視線を飛ばす。言外に「戦ってくれるのか?」と聞いている様で、ソウゴもまた声に出さずに伝える。「貴様が手に負えない様な状況なら動く」と。それを理解したメルドは、落胆した様に頭を振った。

 

 

 そこからは特に問題もなく交代しながら戦闘を繰り返し、順調に階層を下げて行った。

 

 そして、一流の冒険者か否かを分けると言われている二十階層に辿り着いた。現在の迷宮最高到達階層は六十五階層らしいのだが、それは百年以上前の冒険者が成した偉業であり、今では超一流で四十階層越え、二十階層を越えれば十分に一流扱いだという。

 生徒達は戦闘経験こそ少ないものの、全員がチート持ちなので割かしあっさりと降りる事ができた。

 

 尤も、迷宮で一番恐いのはトラップである。場合によっては致死性のトラップも数多くあるのだ。

 

 この点、トラップ対策として"フェアスコープ"という物がある。これは魔力の流れを感知してトラップを発見する事ができるという優れものだ。迷宮のトラップは殆どが魔法を用いた物であるから八割以上はフェアスコープで発見できる。但し、索敵範囲がかなり狭いのでスムーズに進もうと思えば使用者の経験による索敵範囲の選別が必要だ。

 従って、ソウゴ達が素早く階層を下げられたのは、偏に騎士団員達の誘導があったからだと言える。メルドからも、トラップの確認をしていない場所へは絶対に勝手に行ってはいけないと強く言われているのだ。

「よし、お前達。ここから先は一種類の魔物だけでなく複数種類の魔物が混在したり連携を組んで襲ってくる。今までが楽勝だったからと言ってくれぐれも油断するなよ! 今日はこの二十階層で訓練して終了だ! 気合入れろ!」

 メルドのかけ声がよく響く。

 

 ここまで、ソウゴは目立った事は何もしていない。一応、騎士団員が相手をして弱った魔物を何匹か仕留めただけだ。基本的にはどのパーティにも属さず、騎士団員の後方で待機していただけである。

(彼らが倒せる敵ばかりなら、手応えの無い事だな)

 そんな事を思っていると、再び騎士団員が弱った魔物をソウゴの方へ弾き飛ばしてきたので、溜息を吐きながら手に持った物を少し前に掲げる。すると魔物は苦しみだし、徐々に動かなくなっていった。

(しかし、皆が安全であるならばそれに超した事は無い)

 そう自分に言い聞かせ、ソウゴは魔物の身体から魔石を取り出す。騎士団員達はその様子を不思議そうに見ていた。

 

 

 ソウゴがどうやって魔物を倒しているかというと、その手に持っている"花"に秘密があった。

 

 ソウゴが手に持っていたのは、"魔宮薔薇(デモンローズ)"と呼ばれる毒薔薇である。匂いを嗅ぐ事すら死の危険があるその香気を、ソウゴは風を操って魔物だけにぶつけているのだ。

 実を言うと、騎士団員達もソウゴには全く期待していなかった。ただ、戦闘に余裕があるので所在無げに立ち尽くすソウゴを構ってやるかと魔物をけしかけてみたのだ。勿論、弱らせて。

 騎士団員達としては、ソウゴが碌に使えもしない剣で戦うと思っていた。ところが実際は、魔物は近づいた瞬間苦しみだし、ソウゴに辿り着く頃には確実に息の根を止めているのだ。

 

 ソウゴとしては、非戦闘系だと思われている以上は武器も魔術も使う訳にはいかず、しかし目立たずに仕留めなければならない。そうなると使える手は限られてくる。そこで思い付いたのが"魔宮薔薇"の香気を風に乗せるという方法だった。因みに万一にも団員や生徒達に行かない様に、彼らが認識できない程度の風を全員に纏わせている。

 その仕組みを知らない団員達は、それが不思議で仕方なかった。

 

 小休止に入り、ソウゴがふと前方を見ると香織と目が合った。彼女はソウゴの方を見て微笑んでいる。昨夜の"守る"という宣言通りに見守っている様で何となく微笑ましくなり苦笑いするソウゴ。すると、香織の表情がパァっと明るくなる。それを横目で見ていた雫が忍び笑いし、小声で話しかけた。

「香織、なに常磐君と見つめ合っているのよ? 迷宮の中でラブコメなんて随分と余裕じゃない?」

 揶揄う様な口調に思わず顔を赤らめる香織。怒った様に雫に反論する。

「もう、雫ちゃん! 変な事言わないで! 私はただ、常磐くん大丈夫かなって、それだけだよ!」

 「それがラブコメしてるって事でしょ?」と、雫は思ったが、これ以上言うと本格的に拗ねそうなので口を閉じる。だが、目が笑っている事は隠せず、それを見た香織が「もうっ」と呟いてやはり拗ねてしまった。

 そんな様子を横目に見ていたソウゴは、ふと視線を感じて意識を集中させる。粘つく様な、負の感情がたっぷりと乗った不快な視線だ。

 

 その視線は今が初めてという訳ではなかった。今日の朝から度々感じていたものだ。視線の主を探そうと視線を巡らせると途端に霧散する。朝から何度もそれを繰り返しており、ソウゴは先程までとは逆に少々イラついていた

 

(コソコソせずにさっさとかかってくればよいものを。鬱陶しい事この上ない)

 犯人が判っている上で手を出せない状況(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)に深々と溜息を吐くソウゴ。香織の言っていた嫌な予感というものを、ソウゴもまた感じ始めていた。

 

 

 一行は二十階層を探索する。

 迷宮の各階層は数キロ四方に及び、未知の階層では全てを探索しマッピングするのに数十人規模で半月から一ヶ月はかかるというのが普通だ。

 

 尤も、現在では四十七階層までは確実なマッピングがなされているので迷う事は無い。トラップに引っかかる心配も無い筈だった。

 

 二十階層の一番奥の部屋はまるで鍾乳洞の様に氷柱状の壁が飛び出していたり、溶けたりした様な複雑な地形をしていた。この先を進むと二十一階層への階段があるらしい。

 そこまで行けば今日の実戦訓練は終わりだ。神代の魔法の一つである転移魔法の様な便利なものは現代には無い(ソウゴは普通に使える)ので、また地道に帰らなければならない。一行は若干弛緩した空気の中、せり出す壁のせいで横列を組めないので縦列で進む。

 

 すると、先頭を行く光輝達やメルドが立ち止まった。訝しそうなクラスメイトを尻目に戦闘態勢に入る。どうやら魔物の様だ。

「擬態しているぞ! 周りをよ~く注意しておけ!」

 メルドの忠告が飛ぶ。

 

 その直後、前方でせり出していた壁が突如変色しながら起き上がった。壁と同化していた体は、今は褐色となり、二本足で立ち上がる。そして胸を叩きドラミングを始めた。どうやらカメレオンの様な擬態能力を持ったゴリラの魔物の様だ。

 

「ロックマウントだ! 二本の腕に注意しろ、豪腕だぞ!」

 メルドの声が響く。光輝達が相手をするようだ。飛びかかってきたロックマウントの豪腕を龍太郎が拳で弾き返す。光輝と雫が取り囲もうとするが、鍾乳洞的な地形のせいで足場が悪く思う様に囲む事が出来ない。

 龍太郎の人壁を抜けられないと感じたのか、ロックマウントは後ろに下がり仰け反りながら大きく息を吸った。

 直後、

 

 

「グゥガガガァァァァアアアアーーーー!!」

 

 

 部屋全体を震動させる様な強烈な咆哮が発せられた。

 

「ぐっ!?」

「うわっ!?」

「きゃあ!?」

 

 体をビリビリと衝撃が走り、ダメージ自体は無いものの硬直してしまう。ロックマウントの固有魔術"威圧の咆哮"だ。魔力を乗せた咆哮で一時的に相手を麻痺させる。まんまと食らってしまった光輝達前衛組が一瞬硬直してしまった。

 ロックマウントはその隙に突撃するかと思えばサイドステップし、傍らにあった岩を持ち上げ香織達後衛組に向かって投げつけた。それも見事な砲丸投げのフォームで。咄嗟に動けない前衛組の頭上を越えて、岩が香織達へと迫る。

 香織達が、準備していた魔術で迎撃せんと魔法陣が施された杖を向けた。避けるスペースが心許無いからだ。

 しかし発動しようとした瞬間、香織達は衝撃的光景に思わず硬直してしまう。

 

 なんと、投げられた岩もロックマウントだったのだ。

 

 空中で見事な一回転を決めると両腕をいっぱいに広げて香織達へと迫る。その姿は、さながらル○ンダイブだ。「か・お・り・ちゃ~ん!」という声が聞こえてきそうである。しかも、妙に目が血走り鼻息が荒い。香織も恵里も鈴も「ヒィ!」と思わず悲鳴を上げて魔術の発動を中断してしまった。

(まったく、私を"守る"のではなかったのか?)

 その光景にソウゴは苦笑しつつ、その腕に雷を走らせる。それと同時に、ソウゴはメルドに念話を飛ばす。

『メルド、少し興が乗った。一発だけ手を貸そう』

「っ!?」

「ふんっ」

 次の瞬間には誰にも知覚出来ない速度でソウゴの拳が閃き、香織に飛び掛かっていたロックマウントは黄金の獅子の輝きに木端微塵になって吹き飛んだ。すかさずソウゴはメルドに呼び掛ける。

『メルド、後は何とかしてみよ』

「っ、こらこら、戦闘中に何やってる!」

 ソウゴに急かされ、慌ててメルドが硬直する後衛組に向かって叫んだ。

 香織達は「す、すいません!」と謝るものの、相当気持ち悪かったらしくまだ顔が青褪めていた。そんな様子を見てキレる若者が一人。正義感と思い込みの塊、勇者の天之河光輝である。

 

「貴様……よくも香織達を……許さない!」

 

 どうやら気持ち悪さで青褪めているのを死の恐怖を感じたせいだと勘違いしたらしい。彼女達を怯えさせるなんて! と、何とも微妙な点で怒りを露わにする光輝。それに呼応してか彼の聖剣が輝き出す。

「万翔羽ばたき、天へと至れ──"天翔閃"!」

「あっ、こら、馬鹿者!」

 メルドの声を無視して、光輝は大上段に振りかぶった聖剣を一気に振り下ろした。

 その瞬間、詠唱により強烈な光を纏っていた聖剣から、その光自体が斬撃となって放たれた。逃げ場など無い。曲線を描く極太の輝く斬撃が僅かな抵抗も許さずロックマウントを縦に両断し、更に奥の壁を破壊し尽くして漸く止まった。

 パラパラと部屋の壁から破片が落ちる。「ふぅ~」と息を吐きイケメンスマイルで香織達へ振り返った光輝。香織達を怯えさせた魔物は自分が倒した。もう大丈夫だ! と声を掛けようとして、笑顔で迫っていたメルドの拳骨を食らった。

「へぶぅ!?」

「この馬鹿者が。気持ちはわかるがな、こんな狭いところで使う技じゃないだろうが! 崩落でもしたらどうすんだ!」

 メルドのお叱りに「うっ」と声を詰まらせ、バツが悪そうに謝罪する光輝。香織達が寄ってきて苦笑いしながら慰める。

 その時、ふと香織が崩れた壁の方に視線を向けた。

「……あれ、何かな? キラキラしてる……」

 その言葉に、全員が香織の指差す方へ目を向けた。

 

 そこには青白く発光する鉱物が花咲くように壁から生えていた。まるでインディコライトが内包された水晶のようである。香織を含め女子達は夢見る様に、その美しい姿にうっとりした表情になった。

「ほぉ~、あれはグランツ鉱石だな。大きさも中々だ、珍しい」

 グランツ鉱石とは、言わば宝石の原石みたいなものだ。特に何か効能がある訳ではないが、その涼やかで煌びやかな輝きが貴族のご婦人ご令嬢方に大人気であり、加工して指輪・イヤリング・ペンダント等にして贈ると大変喜ばれるらしい。求婚の際に選ばれる宝石としてもトップスリーに入るとか。

「素敵……」

 香織が、メルドの簡単な説明を聞いて頬を染めながら更にうっとりとする。そして、誰にも気づかれない程度にチラリとソウゴに視線を向けた。尤も、雫ともう一人だけは気がついていたが……

 

「だったら俺らで回収しようぜ!」

 

 そう言って唐突に動き出したのは檜山だった。グランツ鉱石に向けてヒョイヒョイと崩れた壁を登っていく。それに慌てたのはメルドだ。

「こら! 勝手な事をするな! 安全確認もまだなんだぞ!」

 しかし檜山は聞こえないふりをして、とうとう鉱石の場所に辿り着いてしまった。

 メルドは止めようと檜山を追いかける。同時に騎士団員の一人がフェアスコープで鉱石の辺りを確認する。そして、一気に青褪めた。

 

「団長! トラップです!」

「ッ!?」

 

 しかし、メルドも、騎士団員の警告も一歩遅かった。

 檜山がグランツ鉱石に触れた瞬間、鉱石を中心に魔法陣が広がる。グランツ鉱石の輝きに魅せられて不用意に触れた者へのトラップだ。美味しい話には裏がある。世の常である。

 魔法陣は瞬く間に部屋全体に広がり、輝きを増していった。まるで、召喚されたあの日の再現だ。

「くっ、撤退だ! 早くこの部屋から出ろ!」

 メルドの言葉に生徒達が急いで部屋の外に向かうが……間に合わなかった。

 部屋の中に光が満ち、ソウゴ達の視界を白一色に染めると同時に一瞬の浮遊感に包まれる。

 

 ソウゴは空気が変わったのを感じた。次いで、足に地面を踏む感覚が戻ってくる。

 

 ソウゴは周囲を見渡す。クラスメイトの殆どは尻餅をついていたが、メルドや騎士団員達、光輝達など一部の前衛職の生徒は既に立ち上がって周囲の警戒をしている。

 どうやら、先の魔法陣は転移させるものだったらしい。「現代の魔法使いには不可能な事を平然とやってのけるのだから神代の魔法は規格外だ」とは宮廷魔術師の談。

(世界規模なら兎も角、たかが洞窟内での転移如きで"魔法"とはな。魔法と言うのなら、最低でも死者蘇生程度は出来ねば話にならんが...)

 そんな事を思いつつ周囲を見渡すソウゴ。

 

 ソウゴ達が転移した場所は、巨大な石造りの橋の上だった。ざっと百メートルはありそうだ。天井も高く二十メートルはあるだろう。橋の下は川など無く、全く何も見えない深淵の如き闇が広がっていた。正に落ちれば奈落の底といった様子だ。

 橋の横幅は十メートル位ありそうだが、手摺どころか縁石すら無く、足を滑らせれば掴む物も無く真っ逆さまだ。ソウゴ達はその巨大な橋の中間にいた。橋の両サイドには其々、奥へと続く通路と上階への階段が見える。

 

 それを確認したメルドが、険しい表情をしながら指示を飛ばした。

「お前達、直ぐに立ち上がって、あの階段の場所まで行け。急げ!」

 雷の如く轟いた号令に、わたわたと動き出す生徒達。しかし迷宮のトラップがこの程度で済む訳もなく、撤退は叶わなかった。

 

 橋の両サイドに突如、赤黒い魔力の奔流と共に魔法陣が現れたからだ。通路側の魔法陣は十メートル近くあり、階段側の魔法陣は一メートル程度の大きさだが、その数が夥しい。

 赤黒い、血色にも見える不気味な魔法陣は、一度ドクンと脈打つと一拍後、大量の魔物を吐き出した。

 階段側の小さな無数の魔法陣からは、骨格だけの身体に剣を携えた魔物・トラウムソルジャーが溢れる様に出現する。空洞の眼窩からは魔法陣と同じ赤黒い光が煌々と輝き、目玉の様にギョロギョロと辺りを見回している。その数はほんの数秒の間に百体近くになっており、尚増え続けている様だ。

 

 しかし。百体の骸骨戦士より、反対の通路側の方がソウゴは興味を惹かれた。

 

 十メートル級の魔法陣からは、明らかに他の魔物とは一線を画している魔法陣と同サイズの、頭部に兜らしき物を取り付けた四足の魔物が出現した。

 最も近い既存の生物に例えるなら、トリケラトプスだろうか。但し、瞳は赤黒い光を放ち、鋭い爪と牙を打ち鳴らしながら、頭部の兜に生えた角から炎を放っているという付加要素が付くが……。

 生徒達が足を止め呆然としている中、メルド団長の呻く様な呟きがやけに明瞭に響いた。

 

「まさか……、ベヒモス、なのか……」

 

 いつだって余裕があり、生徒達に大樹の如き安心感を与えていたメルドが、冷や汗を掻きながら焦燥を露わにしている。

 その事に、やはりヤバい奴なのかと光輝がメルドに詳細を尋ねようとした。

 だが、王国最強の騎士をして戦慄させる魔物──ベヒモスは、そんな悠長な時間を与えてはくれない様だった。徐に大きく息を吸うと凄まじい咆哮を上げた。

 

「グルァァァァァアアアアア!!」

 

「ッ!?」

 その咆哮で正気に戻ったのか、メルドが矢継ぎ早に指示を飛ばす。

「アラン! 生徒達を率いてトラウムソルジャーを突破しろ! カイル、イヴァン、ベイル!全力で障壁を張れ! ヤツを食い止めるぞ! 光輝、お前達は早く階段へ向かえ!」

「待って下さい、メルドさん! 俺達もやります! あの恐竜みたいな奴が一番ヤバイでしょう! 俺達も……」

「馬鹿野郎! あれが本当にベヒモスなら、今のお前達では無理だ! 奴は六十五階層の魔物。かつて、"最強"と言わしめた冒険者をして歯が立たなかった化け物だ! さっさと行け! 私はお前達を死なせる訳にはいかないんだ!」

 メルドの鬼気迫る表情に一瞬怯むも、「見捨ててなど行けない!」と踏み止まる光輝。何とか撤退させようと再度メルドが光輝に話そうとした瞬間、ベヒモスが咆哮を上げながら突進してきた。このままでは、撤退中の生徒達を全員その巨体と突進力で轢殺してしまうだろう。

 そうはさせるかと、ハイリヒ王国最高戦力が全力の多重障壁を張る。

「「「全ての敵意と悪意を拒絶する、神の子らに絶対の守りを、ここは聖域なりて、神敵を通さず──"聖絶"!!」」」

 二メートル四方の最高級の紙に描かれた魔法陣と四節からなる詠唱、さらに三人同時発動。一回こっきり一分だけの防御であるが、何物にも破らせない絶対の守りが顕現する。純白に輝く半球状の障壁がベヒモスの突進を防ぐ。

 

 衝突の瞬間、凄まじい衝撃波が発生し、ベヒモスの足元が粉砕される。橋全体が石造りにも拘らず大きく揺れた。撤退中の生徒達から悲鳴が上がり、転倒する者が相次ぐ。

 

 トラウムソルジャーは三十八階層に現れる魔物だ。今までの魔物とは一線を画す戦闘能力を持っている。前方に立ちはだかる不気味な骸骨の魔物と、後ろから迫る恐ろしい気配に生徒達は半ばパニック状態だ。

 隊列など無視して我先にと階段を目指して我武者羅に進んでいく。騎士団員の一人、アランが必死にパニックを抑えようとするが、目前に迫る恐怖により耳を傾ける者はいない。

 

 その内、一人の女子生徒が後ろから突き飛ばされ転倒してしまった。「うっ」と呻きながら顔を上げると、眼前で一体のトラウムソルジャーが剣を振りかぶっていた。

「あっ」

 そんな一言と同時に彼女の頭部目掛けて剣が振り下ろされた。

 死ぬ──女子生徒がそう感じた次の瞬間、

 

 

 ──トラウムソルジャーが蒼い炎に包まれた。

 

 

 その炎は密接していた他のトラウムソルジャーにも燃え移り、彼らはこの世のものと思えない断末魔を上げながら灰すら残さず燃え尽きた。

 そして、先程まで彼らが立っていた位置の背後には、戦闘服を纏ったソウゴの姿があった。

 

 ソウゴは他の生徒達に気付かれない様にしつつトラウムソルジャーに対処していたのだが、ふと死の気配を感じ彼女の周りのトラウムソルジャーを焼き払ったのだ。

 ソウゴは肩掛けした法衣を翻しながら、悠然とした足取りで女子生徒の前に立った。ソウゴは倒れた彼女の手を取り立ち上がらせる。呆然としながら為されるがままの彼女に、ソウゴが声をかけた。

「怪我は?」

「え、あ…」

 突然の問い掛けにしどろもどろになっていると、ソウゴの背後からトラウムソルジャーが襲い掛かる。女子生徒が叫ぶ。

「あ、危な──!」

 

「"積尸気鬼蒼炎"」

 

 その言葉と共にソウゴが指を振るうと、トラウムソルジャーは先程の仲間と同じ様に灰も残さず焼き尽くされた。

「……!」

「道は作る。早く前へ」

 ソウゴはそう言って"鬼蒼炎"の火力を上げる。泰然自若、まるで従えている様に蒼い炎を操るソウゴをマジマジと見る女子生徒は、次の瞬間には「うん! ありがとう!」と元気に返事をして駆け出した。

 ソウゴは周囲のトラウムソルジャーを"鬼蒼炎"で焼き払いながら周囲を見渡す。

 

 誰も彼もがパニックになりながら滅茶苦茶に武器を振り回し、魔術を乱れ撃っている。このままでは、いずれ死者が出る可能性が高い。騎士アランが必死に纏めようとしているが上手くいっていない。そうしている間にも魔法陣から続々と増援が送られてくる。

「烏合の衆だな、まるで統率が取れていない。救うならば、あれらを纏める求心力と、骸骨共を蹴散らせる火力…」

 そう呟くソウゴの視線の先には、未だメルドに食い下がる光輝がいた。

「聞き分けの悪い、勇者の坊やにやらせるか」

 そう言ってソウゴは、蒼い炎に彩られた道を歩き出した。

 

 

 ベヒモスは依然、障壁に向かって突進を繰り返していた。障壁に衝突する度に壮絶な衝撃波が周囲に撒き散らされ、石造りの橋が悲鳴を上げる。障壁も既に全体に亀裂が入っており砕けるのは時間の問題だ。既にメルドも障壁の展開に加わっているが焼け石に水だった。

「ええい、くそ! もう持たんぞ! 光輝、早く撤退しろ! お前達も早く行け!」

「嫌です! メルドさん達を置いていく訳には行きません! 絶対、皆で生き残るんです!」

「くっ、こんな時に我儘を……」

 メルドは苦虫を噛み潰した様な表情になる。この限定された空間ではベヒモスの突進を回避するのは難しい。それ故、逃げ切る為には障壁を張り、押し出される様に撤退するのがベストだ。しかし、その微妙なさじ加減は戦闘のベテランだからこそ出来るのであって、今の光輝達には難しい注文だ。

 その辺の事情を掻い摘んで説明し撤退を促しているのだが、光輝は"置いていく"という事がどうしても納得できないらしく、また、自分ならベヒモスをどうにかできると思っているのか目の輝きが明らかに攻撃色を放っている。

 まだ若いから仕方ないとは言え、少し自分の力を過信してしまっている様である。戦闘素人の光輝達に自信を持たせようと、まずは褒めて伸ばす方針が裏目に出た様だ。

「光輝! 団長さんの言う通りにして撤退しましょう!」

 雫は状況がわかっている様で光輝を諌めようと腕を掴む。

「へっ、光輝の無茶は今に始まった事じゃねぇだろ? 付き合うぜ、光輝!」

「龍太郎……ありがとな」

 しかし、龍太郎の言葉に更にやる気を見せる光輝。それに雫は舌打ちする。

「状況に酔ってんじゃないわよ! この馬鹿ども!」

「雫ちゃん……」

 苛立つ雫に心配そうな香織。

 

 その時、一人の男子が光輝に声を掛けた。

 

「勇者」

「な、常磐!?」

「常磐くん!?」

 驚く一同を他所に、ソウゴは光輝に話しかける。

「撤退だ、じゃなきゃ皆死ぬ」

「いきなりなんだ? それより、なんでこんな所にいるんだ! ここは君がいていい場所じゃない! ここは俺達に任せて常磐は……」

 

「……そんな事を言っている場合か!」

 

 ソウゴを言外に戦力外だと告げて撤退する様に促そうとした光輝の言葉を遮って、ソウゴは本来の口調で怒鳴り返した。

「あれが見えるか! 皆混乱しまるで統率が取れてない! 導く者がいないからだ!」

 光輝の胸ぐらを掴みながら指を差すソウゴ。

 

 その方向にはトラウムソルジャーに囲まれ右往左往しているクラスメイト達がいた。訓練の事等頭から抜け落ちた様に誰も彼もが好き勝手に戦っている。効率的に倒せていないから敵の増援により未だ突破できないでいた。スペックの高さが命を守っているが、それも時間の問題だろう。

 

「一撃で切り抜ける力が必要なのだ! 皆の恐怖を吹き飛ばす力が! それがリーダーの貴様の務めだろう! 前だけでなく後ろにも気を配れ愚か者!」

 呆然と、混乱に陥り怒号と悲鳴を上げるクラスメイトを見る光輝は、ぶんぶんと頭を振るとソウゴに頷いた。

「ああ、わかった。直ぐに行く! メルド団長! すいませ──」

 

「下がれえええええぇぇぇぇぇ!」

 

 先に撤退します──そう言おうとしてメルドを振り返った瞬間、メルドの悲鳴と同時に、遂に障壁が砕け散った。

 

「世話の焼ける…!」

「常磐くん!?」

 

 その瞬間、弾かれた様にソウゴが駆け出す。驚愕する香織も置き去りに、ソウゴはメルドの前に立ち新たな障壁を展開する。

「"オーマ・アイアス"!」

 その言葉と共に、ソウゴの前に時計の様な魔法陣の障壁が展開される。

 極薄の魔法陣が七層に重なり、その七層一組の陣が更に二十枚重なる事で形成されるその虹金の障壁に触れた瞬間、メルドの障壁を破ったベヒモスは自身の持つ突進力が災いして大きく吹き飛ばされた。

「............」

 その光景に、光輝達の目が点になる。それを無視してソウゴは障壁を消し、メルドに視線を向ける。

「メルド」

「!」

「私が時間を稼ぐ。彼等に指示を」

 その言葉を受け、メルドは直ぐ様行動に移る。

「香織! 治癒を頼む!」

「はい!」

 メルドの指示で香織は直ぐに詠唱を始める。その様を見たソウゴは、視線を正面に戻す。

 ベヒモスは低い唸り声を上げ、ソウゴを射殺さんばかりに睨んでいる。その直後、ベヒモスはスッと頭を掲げた。頭の角がキィィィッという甲高い音を立てながら赤熱化していく。そして、遂に頭部の兜全体がマグマの様に燃え滾った。

「防がれた程度で退きはしないか」

 ソウゴがそう呟いた瞬間、ベヒモスが突進を始める。

 すると光輝と龍太郎、雫が立ち向かおうとソウゴに近づく。そこへどうにか動けるようになったメルドも駆け寄ってくる。他の騎士団員は、まだ香織による治療の最中だ。

「常磐、今のは何だ!?」

 ベヒモスを睨みながら、光輝が質問してくる。

「なんて事はない、ただの障壁だ」

「どこがよ! 鈴のより凄いわよ!?」

 雫が困惑した様に叫び返すと、それと同時に状況が変化する。ベヒモスが跳躍の兆候を見せたのだ。

 それを見て光輝が飛び出して聖剣を構えようとするが、ソウゴが手で制した。

「な、おい!」

 抗議しようとする光輝を無視して、ソウゴは手を翳した。するとその前方が光り、その手には不死鳥を模した一振りの錫杖が握られていた。

「嘘!?」

「一体どこから…」

 困惑する周囲を他所に、ソウゴは『鳳凰召錫ゴルトバイザー』に雪の結晶が描かれたカードを装填する。

「少し大人しくしていろ」

『FREEZE VENT』

 バイザーの先端から冷気が迸り、ベヒモスの足を根元まで凍らせ地面に縫い止める。赤熱していた角も、熱を失い罅が入っている。

『メルド、少し耳を貸せ。返事はいい』

 そのままソウゴがメルドに向けて念話を送る。それにメルドは黙って耳を傾ける。

『───。以上だ、判ったか?』

 その言葉に、メルドは頷く。それにソウゴも頷き、今度は声で指示を出す。

「あのサイズではそう長くは持たない。今の内だ」

「感謝する!」

「きゃっ!」

「ちょっ、メルドさん!?」

 ソウゴの言葉を受け、メルドは光輝と香織を担いで駆け出した。雫と龍太郎がそれに追従する。それと同時に、ベヒモスは氷の拘束を抜け出そうと身動ぎする。そこへ、

「"雷の遠吠え"」

 ソウゴの掌から雷撃が飛び、ベヒモスの顔を直撃する。

「余所見はするな。今は私と遊ぶ時間だぞ?」

 ソウゴは口角を吊り上げ、ベヒモスに手招きした。

 

 

 その間に、メルドは回復した騎士団員を呼び集め、光輝達を担ぎ離脱しようとする。トラウムソルジャーの方は、どうやら幾人かの生徒が冷静さを取り戻した様で、周囲に声を掛け連携を取って対応し始めている様だ。立ち直りの原因は、実は先程ソウゴが助けた女子生徒だったりする。

 他にも、ソウゴがベヒモスとの戦闘中も意識を向けて“鬼蒼炎”を操り、他の生徒達に不審に思われない範囲でトラウムソルジャー達を焼却していたのも理由の一つだ。

「待って下さい! まだ、常磐くんがっ!」

 撤退を促すメルドに香織が猛抗議する。

「彼の作戦だ! ソルジャー共を突破して安全地帯を作ったら魔法で一斉攻撃を開始する! 勿論彼がある程度離脱してからだ! 魔法で足止めしている間に彼が帰還したら、上階に撤退だ!」

「なら私も残ります!」

「駄目だ! 撤退しながら、香織には皆を治癒してもらわにゃならん!」

「でも!」

 尚、言い募る香織にメルドの怒鳴り声が叩きつけられる。

「彼の思いを無駄にする気か!」

「ッ──」

 メルドを含めて、メンバーの中で最大の攻撃力を持っているのは間違いなく光輝である。しかし、それ以外の者も騎士団員達に比べれば遥かに高い。少しでも早く治癒魔術を掛け回復させなければ、ベヒモスを足止めするには火力不足に陥るかもしれない。そんな事態を避けるには、香織が移動しながら皆を回復させる必要があるのだ。

「天の息吹、満ち満ちて、聖浄と癒しをもたらさん──"天恵"」

 香織は泣きそうな顔で、それでもしっかりと詠唱を紡ぐ。淡い光がまず光輝を包む。体の傷と同時に魔力をも回復させる治癒魔術だ。

 メルドは香織の顔を見て頷く。香織も頷き、もう一度ソウゴを振り返った。そして光輝と共にメルドに担がれたまま、回復した騎士団員達に担がれた雫と龍太郎と共に撤退を開始した。

 トラウムソルジャーは依然増加を続けていた。既にその数は二百体はいるだろう。階段側へと続く橋を埋め尽くしている。

 

 だが、ある意味それでよかったのかもしれない。もしもっと隙間だらけだったなら、突貫した生徒が包囲され惨殺されていただろう。実際、最初の百体くらいの時に、それで窮地に陥っていた生徒は結構な数いたのだ。それでも未だ死人が出ていないのは、偏に騎士団員達とソウゴの"鬼蒼炎"のお陰だろう。彼等のカバーが、生徒達を生かしていたといっても過言ではない。

 代償に、既に騎士団員達は満身創痍だったが。更に、ソウゴがメルド達の撤退に併せて"鬼蒼炎"を解いているので尚更だ。

 尤も、それは彼等が追いつけば心配はないだろうという一種の信用の結果だが。

 

 騎士団員達のサポートが無くなり、続々と増え続ける魔物にパニックを起こし、魔術を使いもせずに剣やら槍やら武器を振り回す生徒が殆どである以上、もう数分もすれば完全に瓦解するだろう。

 生徒達もそれを何となく悟っているのか表情には絶望が張り付いている。先ほどソウゴが助けた女子生徒の呼びかけで少ないながらも連携をとり奮戦していた者達も限界が近いようで泣きそうな表情だ。

 誰もがもうダメかもしれない、そう思った時……

 

「──"天翔閃"!」

 

 純白の斬撃がトラウムソルジャー達のド真ん中を切り裂き吹き飛ばしながら炸裂した。

 橋の両側にいたソルジャー達も押し出されて奈落へと落ちていく。斬撃の後は、直ぐに雪崩れ込む様に集まったトラウムソルジャー達で埋まってしまったが、生徒達は確かに、一瞬空いた隙間から上階へと続く階段を見た。今まで渇望し、どれだけ剣を振るっても見えなかった希望が見えたのだ。

 

「皆! 諦めるな! 道は俺が切り開く!」

 

 そんなセリフと共に、再び“天翔閃”が敵を切り裂いていく。光輝が発するカリスマに生徒達が活気づく。

「お前達! 今まで何をやってきた! 訓練を思い出せ! さっさと連携をとらんか! 馬鹿者共が!」

 皆の頼れる団長が”天翔閃”に勝るとも劣らない一撃を放ち、敵を次々と打ち倒す。

 いつも通りの頼もしい声に、沈んでいた気持ちが復活する。手足に力が漲り、頭がクリアになっていく。実は、香織の魔術の効果も加わっている。精神を鎮める魔術だ。リラックスできる程度の魔術だが、光輝達の活躍と相まって効果は抜群だ。

 治癒魔術に適性のある者が挙って負傷者を癒し、魔術適性の高い者が後衛に下がって強力な魔術の詠唱を開始する。前衛職はしっかり隊列を組み、倒す事より後衛の守りを重視し堅実な動きを心がける。

 治癒が終わり復活した騎士団員達も加わり、反撃の狼煙が上がった。チート共の強力な魔術と武技の波状攻撃が、怒涛の如く敵目掛けて襲いかかる。凄まじい速度で殲滅していき、その速度は、遂に魔法陣による魔物の召喚速度を超えた。

 そして、階段への道が開ける。

 

「皆続け! 階段前を確保するぞ!」

 

 光輝が掛け声と同時に走り出す。

 ある程度回復した龍太郎と雫がそれに続き、バターを切り取る様にトラウムソルジャーの包囲網を切り裂いていく。

 そうして、遂に全員が包囲網を突破した。背後で再び橋との通路が肉壁ならぬ骨壁により閉じようとするが、そうはさせじと光輝が魔法を放ち蹴散らす。

 クラスメイトが訝しそうな表情をする。それもそうだろう。目の前に階段があるのだ。さっさと安全地帯に行きたいと思うのは当然である。

「皆待って! 常磐くんを助けなきゃ! 常磐くんがたった一人であの怪物を抑えてるの!」

 香織のその言葉に何を言っているんだという顔をするクラスメイト達。そう思うのも仕方ない。何せ、ソウゴは"無能"で通っているのだから。

 だが、困惑するクラスメイト達が、数の減ったトラウムソルジャー越しに橋の方を見ると、そこには確かにソウゴの姿があった。

「なんだよあれ、何してんだ?」

「あの魔物、下半身が凍ってる?」

 次々と疑問の声を漏らす生徒達にメルド団長が指示を飛ばす。

「そうだ! 彼がたった一人であの化け物を抑えているから撤退できたんだ! 前衛組! ソルジャーどもを寄せ付けるな! 後衛組は遠距離魔法準備! 彼が離脱したら一斉攻撃で、あの化け物を足止めしろ!」

 ビリビリと腹の底まで響く様な声に気を引き締め直す生徒達。中には階段の方向を未練に満ちた表情で見ている者もいる。

 無理もない。ついさっき死にかけたのだ。一秒でも早く安全を確保したいと思うのは当然だろう。しかし、団長の「早くしろ!」という怒声に未練を断ち切るように戦場へと戻った。

 

 

 

 その中には檜山大介もいた。自分の仕出かした事とはいえ、本気で恐怖を感じていた檜山は、直ぐにでもこの場から逃げ出したかった。

 

 しかしふと、脳裏にあの日の情景が浮かび上がる。

 

 それは迷宮に入る前日、ホルアドの町で宿泊していた時の事。

 緊張のせいか中々寝付けずにいた檜山は、トイレついでに外の風を浴びに行った。涼やかな風に気持ちが落ち着いたのを感じ部屋に戻ろうとしたのだが、その途中、ネグリジェ姿の香織を見かけたのだ。

 初めて見る香織の姿に思わず物陰に隠れて息を詰めていると、香織は檜山に気がつかずに通り過ぎて行った。

 気になって後を追うと、香織は、とある部屋の前で立ち止まりノックをした。その扉から出てきたのは……ソウゴだった。

 檜山は頭が真っ白になった。檜山は香織に好意を持っている。しかし、自分とでは釣り合わないと思っていた。それでも、光輝の様な相手なら、所詮住む世界が違うと諦められた。

 しかし、ソウゴは違う。自分より劣った存在(檜山はそう思っている)が香織の傍にいるのはおかしい。それなら自分でもいいじゃないか、と端から聞けば頭大丈夫? と言われそうな考えを檜山は本気で持っていた。

 ただでさえ溜まっていた不満は、すでに憎悪にまで膨れ上がっていた。香織が見蕩れていたグランツ鉱石を手に入れようとしたのも、その気持ちが焦りとなって表れたからだろう。

 その時の事を思い出した檜山は、たった一人でベヒモスを抑えるソウゴを見て、今も祈る様にソウゴを案じる香織を視界に捉え……仄暗い笑みを浮かべた。

 

 

 

「ふん。……む、準備ができたか」

 その頃、ソウゴは何度目かの攻撃を加えていた。ふと、後方の騒がしさを感じ取る。チラリと後ろを見ると、どうやら全員撤退出来た様である。隊列を組んで詠唱の準備に入っているのがわかる。

 ベヒモスは相変わらず藻掻いているが、氷の拘束にはまだ余裕がある。その間に距離を取るには充分時間がある。

 ソウゴは氷に罅が入り始めたタイミングを見計らい、必死に見える様に駆け出した。

 それから五秒程して、氷縛が破裂する様に粉砕されベヒモスが咆哮と共に起き上がる。その眼に、憤怒の色が宿っていると感じるのは勘違いではないだろう。鋭い眼光が己に無様を晒させた怨敵を探し……ソウゴを捉えた。再度、怒りの咆哮を上げるベヒモス。ソウゴを追いかけようと四肢に力を溜めた。

 

 だが次の瞬間、あらゆる属性の攻撃魔術が殺到した。

 

 夜空を流れる流星の如く、色とりどりの魔術がベヒモスを打ち据える。ダメージはやはり無い様だが、しっかりと足止めになっている。

 すぐ頭上を魔術が次々と通っていく光景は、新手の花火の様でソウゴの目を楽しませる。

 

 しかし次の瞬間、無数に飛び交う魔術の中で、一つの火球がクイッと軌道を僅かに曲げたのだ……ソウゴの方に向かって。

 明らかにソウゴを狙い誘導されたものだ。

 

(ほぅ、そう来たか)

 

 防ぐ事も避ける事も出来たが、ソウゴは敢えて何もしなかった。ソウゴの眼前に、その火球は突き刺さる。着弾の衝撃波をモロに浴びるが、ソウゴは小動もしない。

 すると背後で咆哮が鳴り響く。振り返ると再び角を赤熱化させたベヒモスの眼光が確りとソウゴを捉えていた。

 そして、赤熱化した頭部を盾の様に翳しながらソウゴに向かって突進する。

 ソウゴはその猛撃を防御せずに受け止める。やはりダメージは無い。

 直後、怒りの全てを集束した様な激烈な衝撃が橋全体を襲った。ベヒモスの攻撃で橋全体が震動する。受け止めたソウゴを中心に物凄い勢いで亀裂が走る。メキメキと橋が悲鳴を上げる。

 そして遂に……橋が崩壊を始めた。

 度重なる強大な攻撃にさらされ続けた石造りの橋は、遂に耐久限度を超えたのだ。

 

「グウァアアア!?」

 

 悲鳴を上げながら、崩壊し傾く石畳を爪で必死に引っ掻くベヒモス。しかし引っ掛けた場所すら崩壊し、抵抗も虚しく奈落へと消えていった。ベヒモスの断末魔が木霊する。

(さて、どうしたものか…)

 ここから生徒達の所まで戻るのは造作も無い。が、このまま落ちていけば煩わしい視線から解放される。そう思いながら対岸の生徒達の方へ視線を向けると、香織が飛び出そうとして雫や光輝に羽交い締めにされているのが見えた。他の生徒は青褪めたり、目や口元を手で覆ったりしている。メルド達騎士団の面々も悔しそうな表情でソウゴを見ていた。

 そしてソウゴは、先程自身を狙った犯人に視線を向け……、

 

(思惑に乗ってやるとしよう。さて…)

 

 ソウゴは落ちながら、メルドに視線を向ける。

『メルドよ。私は暫く離れる、彼等を導け』

「なっ、何故!?」

『不届き者の思惑に乗ってやろうと思ってな、くれぐれも他の者には他言無用で頼むぞ?』

 その後、ある事を伝えるとソウゴは念話を終え、不敵な笑みを浮かべたまま奈落へと姿を消していった……。

 

 

 

 響き渡り消えゆくベヒモスの断末魔。ガラガラと騒音を立てながら崩れ落ちてゆく石橋。そして……瓦礫と共に奈落へと吸い込まれるように消えてゆくソウゴ。

 その光景を、まるでスローモーションの様に緩やかになった時間の中で、ただ見ている事しかできない香織は自分に絶望する。

 香織の頭の中には、昨夜の光景が繰り返し流れていた。

 

 月明かりの射す部屋の中で、ソウゴの入れたお世辞にも美味しいとは言えない紅茶擬きを飲みながら二人きりで話をした。あんなにじっくり話したのは初めてだった。

 夢見が悪く不安に駆られて、いきなり訪ねた香織にも丁寧に接してくれたソウゴ。真剣に話を聞いてくれて、気がつけば不安は消え去り話に花を咲かせていた。

 浮かれた気分で部屋に戻った後、今更の様に自分が随分と大胆な格好をしていた事に気がつき、羞恥に身悶えると同時に、特に反応していなかったソウゴを思い出して自分には魅力が無いのかと落ち込んだりした。一人百面相する香織に、同室の雫が呆れた表情をしていたのも黒歴史だろう。

 

 そしてあの晩一番重要な事は、香織が約束をした事だ。

 

 "ソウゴを守る"という約束。奈落の底へ消えたソウゴを見つめながら、その時の記憶が何度も何度も脳裏を巡る。

 

 どこか遠くで聞こえていた悲鳴が実は自分のものだと気がついた香織は、急速に戻ってきた正常な感覚に顔を顰めた。

「離して! 常磐くんの所に行かないと! 約束したのに! 私がぁっ! 私が守るって! 離してぇ!」

 飛び出そうとする香織を雫と光輝が必死に羽交い締めにする。香織は、細い体のどこにそんな力があるのかと疑問に思う程尋常ではない力で引き剥がそうとする。

 このままでは香織の体の方が壊れるかもしれない。しかし、だからといって断じて離す訳にはいかない。今の香織を離せば、そのまま崖を飛び降りるだろう。それくらい、普段の穏やかさが見る影も無い程必死の形相だった。いや、悲痛というべきかもしれない。

「香織っ、ダメよ! 香織!」

 雫は香織の気持ちが分かっているからこそ、かけるべき言葉が見つからない。ただ必死に名前を呼ぶ事しか出来ない。

「香織! 君まで死ぬ気か! 常磐はもう無理だ! 落ち着くんだ! このままじゃ、体が壊れてしまう!」

 それは、光輝なりに精一杯、香織を気遣った言葉。しかし、今この場で錯乱する香織には言うべきではない言葉だった。

「無理って何!? 常磐くんは死んでない! 行かないと、きっと助けを求めてる!」

 誰がどう考えても常磐ソウゴは助からない。奈落の底と思しき崖に落ちていったのだから。

 しかし、その現実を受け止められる心の余裕は今の香織にはない。言ってしまえば反発して、更に無理を重ねるだけだ。龍太郎や周りの生徒もどうすればいいか分からず、オロオロとするばかり。

 

 その時、メルドがツカツカと歩み寄り、問答無用で香織の首筋に手刀を落とした。ビクッと一瞬痙攣し、そのまま意識を落とす香織。

 ぐったりする香織を抱きかかえ、光輝がキッとメルドを睨む。文句を言おうとした矢先、雫が遮る様に機先を制し、メルドに頭を下げた。

「すいません。ありがとうございます」

「礼など……止めてくれ、もう一人も死なせる訳にはいかない。全力で迷宮を離脱する……彼女を頼む」

「言われるまでもなく」

 離れていくメルドを見つめながら、口を挟めず憮然とした表情の光輝から香織を受け取った雫は、光輝に告げる。

「私達が止められないから団長が止めてくれたのよ、分かるでしょ? 今は時間がないの。香織の叫びが皆の心にもダメージを与えてしまう前に、何より香織が壊れる前に止める必要があった。……ほら、あんたが道を切り開くのよ。全員が脱出するまで……常磐君も言っていたでしょう?」

 そう説く雫の耳には、メルドの小さな呟きは入らなかった様だ。

 一方雫の言葉に、光輝は渋々ながら頷いた。

「そうだな、早く出よう」

 目の前でクラスメイトが一人死んだのだ。クラスメイト達の精神にも多大なダメージが刻まれている。誰もが茫然自失といった表情で石橋のあった方をボーっと眺めていた。中には「もう嫌!」と言って座り込んでしまう子もいる。

 ソウゴが光輝に説いた様に、今の彼等にはリーダーが必要なのだ。

 光輝がクラスメイト達に向けて声を張り上げる。

 

「皆! 今は生き残る事だけ考えるんだ、撤退するぞ!」

 

 その言葉に、クラスメイト達はノロノロと動き出す。トラウムソルジャーの魔法陣は未だ健在だ。続々とその数を増やしている。今の精神状態で戦う事は無謀であるし、戦う必要も無い。光輝は必死に声を張り上げ、クラスメイト達に脱出を促した。メルドや騎士団員達も生徒達を鼓舞する。そうして漸く、全員が階段への脱出を果たした。

 

 上階への階段は長かった。先が暗闇で見えない程ずっと上方へ続いており、感覚では既に三十階以上、上っている筈だ。魔術による身体強化をしていても、そろそろ疲労を感じる頃だ。先の戦いでのダメージもあり、薄暗く長い階段はそれだけで気が滅入るものだ。

 

 そろそろ小休止を挟むべきかとメルド団長が考え始めた時、遂に上方に魔法陣が描かれた大きな壁が現れた。

 クラスメイト達の顔に生気が戻り始める。メルド団長は扉に駆け寄り詳しく調べ始めた。フェアスコープを使うのも忘れない。

 その結果、どうやらトラップの可能性は無さそうである事がわかった。魔法陣に刻まれた式は、目の前の壁を動かす為の物の様だ。メルドは魔法陣に刻まれた式通りに一言の詠唱をして魔力を流し込む。すると、まるで忍者屋敷の隠し扉の様に扉がクルリと回転し奥の部屋へと道を開いた。

 扉を潜ると、そこは元の二十階層の部屋だった。

 

「帰ってきたの?」

「戻ったのか!」

「帰れた……帰れたよぉ……っ!」

 

 クラスメイト達が次々と安堵の吐息を漏らす。中には泣き出す子やへたり込む生徒もいた。光輝達ですら壁に凭れかかり、今にも座り込んでしまいそうだ。

 しかし、ここはまだ迷宮の中。低レベルとは言え、いつどこから魔物が現れるかわからない。完全に緊張の糸が切れてしまう前に、迷宮からの脱出を果たさなければならない。

 メルドは休ませてやりたいという気持ちを抑え、心を鬼にして生徒達を立ち上がらせた。

「お前達! 座り込むな! ここで気が抜けたら帰れなくなるぞ! 魔物との戦闘はなるべく避けて最短距離で脱出する! ほら、もう少しだ、踏ん張れ!」

 少しくらい休ませてくれよ、という生徒達の無言の訴えをギンッと目を吊り上げて封殺する。

 渋々、フラフラしながら立ち上がる生徒達。光輝が疲れを隠して率先して先をゆく。道中の敵を、騎士団員達が中心となって最小限だけ倒しながら一気に地上へ向けて突き進んだ。

 

 

 そして遂に、一階の正面門となんだか懐かしい気さえする受付が見えた。迷宮に入って一日も経っていない筈なのに、ここを通ったのがもう随分昔の様な気がしているのは、きっと少数ではないだろう。

 今度こそ本当に安堵の表情で外に出て行く生徒達。正面門の広場で大の字になって倒れ込む生徒もいる。一様に生き残ったことを喜び合っている様だ。

 だが、一部の生徒──未だ目を覚まさない香織を背負った雫や光輝、その様子を見る龍太郎、恵里、鈴、そしてソウゴが助けた女子生徒等は暗い表情だ。

 

 

 そんな生徒達を横目に気にしつつ、受付に報告に行くメルド団長。

 二十階層で発見した新たなトラップは危険すぎる。石橋が崩れてしまったので罠として未だ機能するかはわからないが報告は必要だ。

 

 そして、ソウゴの死亡報告(・・・・)もしなければならない。

 

 複雑な気持ちを顔に出さない様に苦労しながら、それでも溜息を吐かずにはいられないメルドだった。

 

 

 ホルアドの町に戻った一行は何かする元気もなく宿屋の部屋に入った。幾人かの生徒は生徒同士で話し合ったりしている様だが、殆どの生徒は真っ直ぐベッドにダイブし、そのまま深い眠りに落ちた。

 

 

 そんな中。檜山大介は一人、宿を出て町の一角にある目立たない場所で膝を抱えて座り込んでいた。顔を膝に埋め微動だにしない。もし、クラスメイトが彼のこの姿を見れば激しく落ち込んでいる様に見えただろう。だが実際は……

「ヒ、ヒヒヒ。ア、アイツが悪いんだ。雑魚のくせに……ちょ、調子に乗るから……て、天罰だ。……俺は間違ってない……白崎の為だ……あんな雑魚に……もう関わらなくていい……俺は間違ってない……ヒ、ヒヒ」

 暗い笑みと濁った瞳で自己弁護しているだけだった。

 そう、あの時、軌道を逸れてまるで誘導される様にソウゴを襲った火球は、この檜山が放ったものだったのだ。

 階段への脱出とソウゴの救出。それらを天秤にかけた時、ソウゴを見つめる香織が視界に入った瞬間、檜山の中の悪魔が囁いたのだ。今なら殺っても気づかれないぞ? と。

 

 そして、檜山は悪魔に魂を売り渡した。

 

 バレない様に絶妙なタイミングを狙って誘導性を持たせた火球をソウゴに着弾させた。流星の如く魔術が乱れ飛ぶあの状況では、誰が放った魔法か特定は難しいだろう。まして、檜山の適性属性は風だ。証拠も無いし分かる筈が無い。

 そう自分に言い聞かせながら暗い笑を浮かべる檜山。

 その時、不意に背後から声を掛けられた。

 

「へぇ~、やっぱり君だったんだ。異世界最初の殺人がクラスメイトか……中々やるね?」

 

「ッ!? だ、誰だ!」

 慌てて振り返る檜山。そこにいたのは見知ったクラスメイトの一人だった。

「お、お前、なんでここに……」

「そんな事はどうでもいいよ。それより……人殺しさん? 今どんな気持ち? 恋敵をどさくさに紛れて殺すのってどんな気持ち?」

 その人物はクスクスと笑いながら、まるで喜劇でも見た様に楽しそうな表情を浮かべる。檜山自身がやった事とは言え、クラスメイトが一人死んだというのに、その人物はまるで堪えていない。ついさっきまで他のクラスメイト達と同様に酷く疲れた表情でショックを受けていた筈なのに、そんな影は微塵も無かった。

「……それが、お前の本性なのか?」

 呆然と呟く檜山。

 それを、馬鹿にするような見下した態度で嘲笑う。

「本性? そんな大層なものじゃないよ。誰だって猫の一匹や二匹被っているのが普通だよ。そんな事よりさ……この事、皆に言いふらしたらどうなるかな? 特に……あの子が聞いたら……」

「ッ!? そ、そんな事……、信じる訳……証拠も……」

「無いって? でも、僕が話したら信じるんじゃないかな? あの窮地を招いた君の言葉には、既に力は無いと思うけど?」

 檜山は追い詰められる。まるで弱ったネズミを更に嬲るかの様な言葉。

 まさか、こんな奴だったとは誰も想像できないだろう。二重人格と言われた方がまだ信じられる。目の前で嗜虐的な表情で自分を見下す人物に、全身が悪寒を感じ震える。

「ど、どうしろってんだ!?」

「うん? 心外だね。まるで僕が脅している様じゃない? ふふ、別に直ぐにどうこうしろって訳じゃないよ。まぁ、取り敢えず、僕の手足となって従ってくれればいいよ」

「そ、そんなの……」

 実質的な奴隷宣言みたいなものだ、流石に躊躇する檜山。当然断りたいが、そうすれば容赦なくソウゴを殺したのは檜山だと言いふらすだろう。

 葛藤する檜山は、「いっそコイツも」と仄暗い思考に囚われ始める。しかし、その人物はそれも見越していたのか悪魔の誘惑をする。

 

「白崎香織、欲しくない?」

 

「ッ!? な、何を言って……」

 暗い考えを一瞬で吹き飛ばされ、驚愕に目を見開いてその人物を凝視する檜山。そんな檜山の様子をニヤニヤと見下ろし、その人物は誘惑の言葉を続ける。

「僕に従うなら……いずれ彼女が手に入るよ。本当はこの手の話は常磐にしようと思っていたのだけど……君が殺しちゃうから。まぁ、彼より君の方が適任だとは思うし結果オーライかな?」

「……何が目的なんだ、お前は何がしたいんだ!?」

 あまりに訳の分からない状況に檜山が声を荒らげる。

「ふふ、君には関係の無い事だよ。まぁ、欲しいモノがあるとだけ言っておくよ。……それで? 返答は?」

 あくまで小馬鹿にした態度を崩さないその人物に苛立ちを覚えるものの、それ以上にあまりの変貌ぶりに恐怖を強く感じた檜山は、どちらにしろ自分に選択肢など無いと諦めの表情で頷いた。

「……従う」

「アハハハハハ、それはよかった! 僕もクラスメイトを告発するのは心苦しかったからね! まぁ、仲良くやろうよ、人殺しさん? アハハハハハ」

 楽しそうに笑いながら踵を返し宿の方へ歩き去っていくその人物の後ろ姿を見ながら、檜山は「畜生……」と小さく呟いた。

 

 檜山の脳裏には忘れたくても、否定したくても絶対に消えてくれない光景がこびり付いている。ソウゴが奈落へと転落した時の香織の姿。どんな言葉より雄弁に彼女の気持ちを物語っていた。

 

 今は疲れ果て泥の様に眠っているクラスメイト達も、落ち着けばソウゴの死を実感し、香織の気持ちを悟るだろう。香織が決して善意だけでソウゴを構っていた訳ではなかったという事を。

 そして、憔悴する香織を見て、その原因に意識を向けるだろう。不注意な行為で自分達をも危険に晒した檜山の事を。

 

 上手く立ち回らなければならない、自分の居場所を確保する為に。もう檜山は一線を越えてしまったのだ、今更立ち止まれない。あの人物に従えば、消えたと思った可能性──香織をモノにできるという可能性すらあるのだ。

 

「ヒヒ、だ、大丈夫だ、上手くいく、俺は間違ってない……」

 

 再び膝に顔を埋め、ブツブツと呟き出す檜山。

 

 

 

 今度は誰の邪魔も入る事は無かった。

 




ソウゴが使った技で分かるのがあったら言って下さいね。


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第二話 奈落の底の魔王

今回も変身しません。ごめんなさい。

Pixivでもエイブラハム名義で投稿してます。


 ザァーと水の流れる音が響き、冷たい微風がソウゴの頬を撫でる。

 

「ふむ、存外風流な場所に着いたものだな」

 

 そんな場違いな感想を述べながら、ソウゴは辺りを見回す。

 周りは薄暗いが緑光石の発光と"暗視"の技能のお陰で昼間の様にくっきり見える。視線の先には幅五メートル程の川も確認できる。

 

 ソウゴがこの空間に辿り着いたのは、はっきり言って偶然だった。

 落下途中の崖の壁に穴が開いており、そこから鉄砲水の如く水が噴き出していたのだ。ちょっとした滝である。その様な滝が無数にあって、「流れに身を任せるのもありか」と思ったソウゴは濡れない様に障壁を張り、ウォータースライダーの如く流されたのである。

 

 もしかしたら、無意識下で"因果律操作"が発動したのかもしれないが。

 

「この件が済めば、遊興施設の視察も考えねばな」

 今後の事も考えつつ、ソウゴは奥に進む道を見つけ歩き出した。

 

 ソウゴが進む通路は、正しく洞窟といった感じだった。

 低層の四角い通路ではなく岩や壁があちこちからせり出し通路自体も複雑にうねっている。二十階層の最後の部屋に似ている。

 

 但し、大きさは比較にならない。複雑で障害物だらけでも通路の幅は優に二十メートルはある。狭い所でも十メートルはあるのだから相当な大きさだ。隠れる場所も豊富にあり、ソウゴは物陰に警戒しながら進んでいった。

 

 

 そうやってどれくらい歩いただろうか。遂に初めての分かれ道に辿り着いた。巨大な四辻である。ソウゴはどの道に進むべきか逡巡した。

 暫く考え込んでいると、視界の端で何かが動いた気がして岩陰に身を潜める。

 

 そっと顔を出して様子を窺うと、ソウゴのいる通路から直進方向の道に白い毛玉がピョンピョンと跳ねているのが分かった。長い耳もある。見た目はまんま兎だった。

 

 但し大きさが中型犬くらいあり、後ろ足がやたらと大きく発達している。そして何より赤黒い線がまるで血管の様に幾本も体を走り、ドクンドクンと心臓の様に脈打っていた。物凄く不気味である。

(あやつ、中々できるな。ベヒモスと同程度か?)

 ソウゴは兎の力量を測りながら、兎が後ろを向き地面に鼻を付けてフンフンと嗅ぎ出したところで一歩踏み出そうとした。

 

 その瞬間、兎がピクッと反応したかと思うとスッと背筋を伸ばし立ち上がった。警戒する様に耳が忙しなくあちこちに向いている。

 すると……

 

「グルゥア!!」

 

 獣の唸り声と共に、これまた白い毛並みの狼の様な魔物が兎目掛けて岩陰から飛び出したのだ。

 その白狼は大型犬くらいの大きさで尻尾が二本あり、兎と同じ様に赤黒い線が体に走って脈打っている。どこから現れたのか一体目が飛びかかった瞬間、別の岩陰から更に二体の二尾狼が飛び出す。

 再び岩陰から顔を覗かせその様子を観察するソウゴ。どう見ても、狼が兎を捕食する瞬間だ。

 だがしかし……

(この戦い、狼共の負けだ)

 ソウゴは心の中でそう言い切る。それと同時、

 

「キュウ!」

 

 可愛らしい鳴き声を洩らしたかと思った直後、兎がその場で飛び上がり、空中でくるりと一回転して、その太く長い兎足で一体目の二尾狼に回し蹴りを炸裂させた。

 

 ドパンッ!

 

 およそ蹴りが出せるとは思えない音を発生させて兎の足が二尾狼の頭部にクリーンヒットする。すると、

 

 ゴギャ!

 

 という鳴ってはいけない音を響かせながら狼の首があらぬ方向に捻じ曲がってしまった。

 兎はそのまま回し蹴りの遠心力を利用して更にくるりと空中で回転すると、逆さまの状態で空中を踏みしめて(・・・・・・・・)地上へ隕石の如く落下し、着地寸前で縦に回転。強烈な踵落としを着地点にいた二尾狼に炸裂させた。

 

 ベギャ!

 

 断末魔すら上げられずに頭部を粉砕される狼二匹目。その頃には更に二体の二尾狼が現れて、着地した瞬間の兎に飛びかかった。

 今度こそ兎の負けかと思われた瞬間、なんと兎はウサミミで逆立ちしブレイクダンスの様に足を広げたまま高速で回転をした。飛びかかっていた二尾狼二匹が竜巻の様な回転蹴りに弾き飛ばされ壁に叩きつけられる。グシャ、という音と共に血が壁に飛び散り、ズルズルと滑り落ち動かなくなった。

 最後の一匹が、グルルッと唸りながらその尻尾を逆立てる。すると、その尻尾がバチバチと放電を始めた。どうやら二尾狼の固有魔術の様だ。

「グルゥア!!」

 咆哮と共に電撃が兎目掛けて乱れ飛ぶ。

 しかし、高速で迫る雷撃を兎は華麗なステップで右に左にと躱していく。そして電撃が途切れた瞬間、一気に踏み込み二尾狼の顎にサマーソルトキックを叩き込んだ。

 二尾狼は仰け反りながら吹き飛び、グシャと音を立てて地面に叩きつけられた。二尾狼の首は、やはり折れてしまっている様だ。蹴り兎は「キュ!」と勝利の雄叫び? を上げ耳をファサ、と前足で払った。

 

 

「見事だ」

 それを見届け、ソウゴは拍手しながら物陰から出た。ゆっくりとした足取りで蹴り兎に近づく。

 当然、蹴り兎はばっちりソウゴを見ていた。

 赤黒いルビーの様な瞳がソウゴを捉え細められている。やがて、首だけで振り返っていた蹴り兎は体ごとソウゴの方を向き、足を撓めグッと力を溜める。

「だが……」

 ソウゴが呟くと同時、蹴り兎の足元が爆発した。後ろに残像を引き連れながら、途轍もない速度で突撃してくる。直後、ソウゴに砲弾の様な蹴りが突き刺ささり……

 

 

 ───蹴り兎の足が木端微塵に弾け飛んだ(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 そのまま何が起きたか理解できず呆然としている蹴り兎の頭を、ソウゴが鷲掴みにする。

「身の程は弁えるべきだったな。私は先程の野良犬共(・・・・)とは違うぞ?」

 そして、ソウゴは蹴り兎の頭を握り潰した。辺りに脳漿と血が飛び散り、後にはピクリともしない蹴り兎の死骸が残るのみ。

「今日は兎肉だな。どう調理したものか……ん?」

 そこでふと、新たな気配を感じてソウゴは視線を向ける。右の通路から現れた新たな魔物の存在に。

 

 その魔物は巨体だった。四メートルはあろう巨躯に白い毛皮。例に漏れず赤黒い線が幾本も体を走っている。その姿は、例えるなら熊だった。但し、足元まで伸びた太く長い腕に、三十センチはありそうな鋭い爪が三本生えているが。

 その爪熊がいつの間にか接近しており、ソウゴを睥睨していた。辺りを静寂が包む。

「……グルルル」

 すると突然、爪熊が低く唸り出した。

 そして爪熊が剛腕を振るい、ゴウッと風がうなる音が聞こえると同時に強烈な衝撃がソウゴの左側面に襲い掛かる。そして……

 

 

「……熊肉も追加か。鹿と猪がいればジビエのフルコースなんだがな」

 

 

 その攻撃を躱しながらそんな事を言いつつ、ソウゴはお返しとばかりに右手を軽く振るう。

 その瞬間。爪熊の動きが止まり、次いでその身が六つにずれて(・・・・・・)地に落ちる。この階層の主というべき魔物も、ソウゴの前では塵芥の如く吹けば飛ぶ程度のものだった。

 

「さて、そろそろ寝床を決めるとするか」

 そろそろ腰を落ち着けようと思い、ソウゴは少しでも魔物の少ない場所を探そうと"探知"を発動する。すると、

「何やら面白い反応があるではないか」

 何か気になるものを発見したのか、自身の右側にある壁に視線を向ける。ソウゴはそのまま壁に手を触れ"錬成"を発動する。

 すると壁が形を変え、人が一人通れる程度の穴ができる。ソウゴは兎と熊の肉を抱え、穴を潜っていった。

 その後暫くして、穴は独りでに塞がっていった。

 

 

「反応の元はこれか、中々のものだな…」

 "錬成"で掘り進めた先で、ソウゴはバスケットボールぐらいの大きさの青白く発光する鉱石を発見する。

 

 その鉱石は、周りの石壁に同化するように埋まっており下方へ向けて水滴を滴らせている。神秘的で美しい石だ。アクアマリンの青をもっと濃くして発光させた感じが一番しっくりくる表現だろう。

 

 ソウゴは徐に、鉱石の下に溜まっている水を掬って口にする。途端、何やら力が湧いてくる感覚を覚え、ソウゴは「ほぅ……」と片眉を上げた。

 

 

 ソウゴは知らない話だが、実はこの石は"神結晶"と呼ばれる歴史上でも最大級の秘宝で、既に遺失物と認識されている伝説の鉱物だったりする。

 神結晶は、大地に流れる魔力が千年という長い時をかけて偶然できた魔力溜りにより、その魔力そのものが結晶化したものだ。直径三十センチから四十センチ位の大きさで、結晶化した後更に数百年もの時間をかけて内包する魔力が飽和状態になると、液体となって溢れ出す。その液体を"神水"と呼び、これを飲んだ者はどんな怪我も病も治るという。

 欠損部位を再生する程の力は無いが、飲み続ける限り寿命が尽きないと言われており、その為不死の霊薬とも言われている。神代の物語に神水を使って人々を癒すエヒト神の姿が語られているという。

 

 

 それはさておき。

 ソウゴは抱えた肉を置いて腰を下ろす。空間を六畳一間程度の広さで固定し、ソウゴはふと言葉を漏らす。

「よく考えれば道具も無いのだから、調理も何もないな」

 誰に言うでもなく苦笑し、目前に下ろした肉に炎を浴びせる。自身の"宝物庫"に調理道具から調味料まで一式揃っているのは、この際目を瞑ろう。

「それに、こうして火を通すのみで食べた方が風情もあるだろう」

 どこに向けてか分からない言い訳をしながら、ある程度火を通したところでソウゴは肉を千切って口に放り込んだ。果たしてその味は……

 

 

「……不味いな」

 

 

 お世辞にも美味とは言えなかった。せめて調味料をかければよかったか、と思いながらソウゴは肉を飲み込む。それでも不味いだけで食べられない訳ではない為、ソウゴは残りの肉に手を掛けた。

 

 

 

 その後肉を残さず完食したソウゴは、神水を飲みながら寛いでいた。空間の中央に焚火の様に火を灯らせ、完全なリラックスムードが漂っている。

 その瞬間だった。

 

「……む?」

 

 不意に不快感を感じ、ソウゴは体を起こした。外から魔物が来る様な気配は無く、不快感は内側から感じる。ソウゴは直ぐ様心当たりがわかった。先程食べた魔物だ。

 

 

 魔物の肉は人間にとって猛毒だ。魔石という特殊な体内器官を持ち、魔力を直接体に巡らせ驚異的な身体能力を発揮する魔物。体内を巡り変質した魔力は肉や骨にも浸透して頑丈にする。

 この変質した魔力が詠唱も魔法陣も必要としない固有魔術を生み出しているとも考えられているが詳しくは分かっていない。

 兎に角、この変質した魔力が人間にとって致命的なのだ。人間の体内を侵食し、内側から細胞を破壊していくのである。

 過去、魔物の肉を喰った者は例外なく体をボロボロに砕けさせて死亡したとの事だ。

 

 

 図書館で読んだその記録を思い出している内に、ソウゴは不快感が消えたのを感じ取った。

「…何だったのだ?」

 ソウゴが疑問を覚えていると、ふと何かが落ちる音がした。視線を向けると、そこにはソウゴのステータスプレートが落ちていた。

 何とはなしにソウゴはプレートを起動してみる。すると、

 

 

常磐ソウゴ 140346歳 男 レベル:22

天職:大魔王/統一時空大皇帝

筋力:20595633201

体力:22363901417

耐性:21134837317

敏捷:20667758837

魔力:37005022945

魔耐:37473207805

 

 

「レベルが、上がっている…?」

 技能は増えていないが、レベルが二つ上がっていた。兎も熊もステータスが上がる様な戦闘にならなかった事を考えると、恐らくその肉を食べた事が原因だろう。

「どうやら、魔物の肉を喰らえばレベルが上がる様だな。これは情報が間違っていたというより、私が特別と考えた方がよいだろうな」

 そう締めくくると、ソウゴは何でもなかった様に火を消し眠りに就いた。

(今後進む時に魔物を見つければ、積極的に摂取すべきか…)

 そんな事を思いながら。

 

 

 

 ソウゴの体感時間で翌日、迷宮のとある場所に二尾狼の群れがいた。二尾狼は四~六頭くらいの群れで移動する習性がある。単体ではこの階層の魔物の中で最弱であるため群れの連携でそれを補っているのだ。この群れも例に漏れず四頭の群れを形成していた。

 

 周囲を警戒しながら岩壁に隠れつつ移動し絶好の狩場を探す。二尾狼の基本的な狩りの仕方は待ち伏せであるからだ。

 

 暫く彷徨いていた二尾狼達だったが、納得のいく狩場が見つかったのか其々四隅の岩陰に潜んだ。後は獲物が来るのを待つだけだ。その内の一頭が岩と壁の間に体を滑り込ませジッと気配を殺す。これからやって来るだろう獲物に舌舐りしていると、ふと違和感を覚えた。

 

 二尾狼の生存の要が連携である事から、彼らは独自の繋がりを持っている。明確に意思疎通出来る様なものではないが、仲間がどこにいて何をしようとしているのか何となくわかるのだ。

 その感覚がおかしい。自分達は四頭の群れの筈なのに三頭分の気配しか感じない。反対側の壁際で待機していた筈の一頭が忽然と消えてしまったのだ。

 どういう事だと不審を抱き、伏せていた体を起こそうと力を入れた瞬間、もう一体の気配も消える。

 救援に駆けつけようと反対側の二頭が起き上がる。混乱するまま急いで反対側の壁に行き、辺りを確認するがそこには何も無かった。残った二頭が困惑しながらも消えた二頭が潜んでいた場所に鼻を近づけフンフンと嗅ぎ出す。

 

 

 その瞬間、二頭の首が宙を舞った。

 

 

 残った胴がぐらりと傾き、地面に倒れる。一拍遅れて、何度か跳ねて首も地面に転がる。そこへ近づく人影が一つ。

 

 ソウゴだった。

 ソウゴは既に抱えていた二つに加え、地面に倒れている二つの首無し死骸を拾い、まとめて宝物庫に放り込んでいく。

「さて、こんなものでいいか…」

 ソウゴは進む為の当面の食料を確保しつつ、その場を後にした。

 

 

 

 

 一方、時間は少し進み。

 ハイリヒ王国王宮内、召喚者達に与えられた部屋の一室で、八重樫雫は、暗く沈んだ表情で未だに眠る親友を見つめていた。

 

 あの日、迷宮で死闘と喪失を味わった日から既に五日が過ぎている。

 あの後、宿場町ホルアドで一泊し、早朝には高速馬車に乗って一行は王国へと戻った。とても迷宮内で実戦訓練を続行できる雰囲気ではなかったし、無能扱いだったとは言え勇者の同胞が死んだ以上、国王にも教会にも報告は必要だった。

 

 それに厳しくはあるが、こんな所で折れてしまっては困るという騎士団側の意図もあった。致命的な障害が発生する前に、勇者一行のケアが必要だと判断されたのだ。

 

 雫は、王国に帰って来てからの事を思い出し、香織に早く目覚めて欲しいと思いながらも、同時に眠ったままで良かったとも思っていた。

 帰還を果たしソウゴの死亡が伝えられた時、王国側の人間は誰も彼もが愕然としたものの、それが"無能"のソウゴと知ると安堵の吐息を漏らしたのだ。

 国王やイシュタルですら同じだった。強力な力を持った勇者一行が迷宮で死ぬ事等あってはならない事。迷宮から生還できない者が魔人族に勝てるのかと不安が広がっては困るのだ。神の使徒たる勇者一行は無敵でなければならないのだから。

 

 だが、国王やイシュタルはまだ分別のある方だっただろう。中には悪し様にソウゴを罵る者までいたのだ。

 

 勿論公の場で発言したのではなく、物陰でこそこそと貴族同士の世間話という感じではあるが。やれ死んだのが無能でよかっただの、神の使徒でありながら役立たずなど死んで当然だの、それはもう好き放題に貶していた。正に死人に鞭打つ行為に、雫は憤激に駆られて何度も手が出そうになった。

 

 実際、正義感の強い光輝が真っ先に怒らなければ飛びかかっていてもおかしくなかった。光輝が激しく抗議した事で国王や教会も悪い印象を持たれては拙いと判断したのか、ソウゴを罵った人物達は処分を受けた様だが……

 逆に、光輝は無能にも心を砕く優しい勇者であると噂が広まり、結局光輝の株が上がっただけで、ソウゴは勇者の手を煩わせただけの無能であるという評価は覆らなかった。

 

 あの時、自分達を救ったのは紛れもなく、勇者も歯が立たなかった化け物をたった一人で食い止め続けたソウゴだというのに。そんな彼を死に追いやったのはクラスメイトの誰かが放った流れ弾(・・・)だというのに。

 

 クラスメイト達は図った様に、あの時の誤爆(・・)の話をしない。自分の魔術は把握していた筈だが、あの時は無数の魔術が嵐の如く吹き荒れており、"万一自分の魔法だったら"と思うと、どうしても話題に出せないのだ。それは、自分が人殺しである事を示してしまうから。

 

 結果、現実逃避をする様にあれはソウゴが自分で(・・・)何かしてドジったせいだと思う様にしている様だ。

 

 死人に口なし。

 

 無闇に犯人探しをするより、ソウゴの自業自得にしておけば誰もが悩まなくて済む。クラスメイト達の意見は意思の疎通を図る事も無く一致していた。

 

 

 

 一方メルドは、あの時の経緯を明らかにする為生徒達に事情聴取をする必要があると考えていた。生徒達の様に現実逃避して単純な誤爆であるとは考え難かった事もあるし、仮に過失だったのだとしても白黒はっきりさせた上で心理的ケアをした方が生徒達の為になると確信していたからだ。

 こういう事は有耶無耶にした方が、後で問題になるものなのである。何よりメルド自身、はっきりさせたかった。あの時ソウゴが言っていた事がメルドの頭に響く。

 

 ───白崎香織を守れ、ある生徒()が良からぬ事を企てているぞ、と。

 

 しかし、メルド団長が行動する事は叶わなかった。イシュタルが、生徒達への詮索を禁止したからだ。メルド団長は食い下がったが、国王にまで禁じられては堪えるしかなかった。

 

 

 

「あなたが知ったら……怒るのでしょうね?」

 あの日から一度も目を覚ましていない香織の手を取り、そう呟く雫。

 医者の診断では体に異常は無く、恐らく精神的ショックから心を守る為防衛措置として深い眠りについているのだろうという事だった。故に、時が経てば自然と目を覚ますと。

 雫は香織の手を握りながら、「どうかこれ以上、私の優しい親友を傷つけないで下さい」と、誰ともなしに祈った。

 

 その時不意に、握り締めた香織の手がピクッと動いた。

 

「!? 香織! 聞こえる!? 香織!」

 雫が必死に呼びかける。すると、閉じられた香織の目蓋がふるふると震え始めた。雫は更に呼びかけた。その声に反応してか香織の手がギュッと雫の手を握り返す。

 そして、香織はゆっくりと目を覚ました。

 

「香織!」

 

 ベッドに身を乗り出し、目の端に涙を浮かべながら香織を見下ろす雫。

 香織は、暫くボーっと焦点の合わない瞳で周囲を見渡していたのだが、やがて頭が活動を始めたのか見下ろす雫に焦点を合わせ、名前を呼んだ。

「……雫ちゃん?」

「ええ、そうよ。私よ。香織、体はどう? 違和感は無い?」

「う、うん。平気だよ。ちょっと怠いけど……寝てたからだろうし……」

「そうね、もう五日も眠っていたのだもの……怠くもなるわ」

 そうやって体を起こそうとする香織を補助し苦笑いしながら、どれくらい眠っていたのかを伝える雫。香織はそれに反応する。

「五日? そんなに……どうして……。私、確か迷宮に行って……それで……」

 徐々に焦点が合わなくなっていく目を見て、拙いと感じた雫が咄嗟に話を逸らそうとする。しかし、香織が記憶を取り戻す方が早かった。

 

 

「それで……あ…………………………常磐くんは?」

 

 

「ッ……それは」

 苦しげな表情でどう伝えるべきか悩む雫。そんな雫の様子で自分の記憶にある悲劇が現実であった事を悟る。だが、そんな現実を容易に受け入れられるほど香織はできていない。

「……嘘だよ、ね。そうでしょ? 雫ちゃん。私が気絶した後、常磐くんも助かったんだよね? ね、ね? そうでしょ? ここ、お城の部屋だよね? 皆で帰ってきたんだよね? 常磐くんは……訓練かな? 訓練所にいるよね? うん……私、ちょっと行ってくるね。常磐くんにお礼言わなきゃ……だから、離して? 雫ちゃん」

 現実逃避する様に次から次へと言葉を紡ぎソウゴを探しに行こうとする香織。そんな香織の腕を掴み離そうとしない雫。

 雫は悲痛な表情を浮かべながら、それでも決然と香織を見つめる。

 

「……香織、わかっているでしょう? ……ここに彼はいないわ」

「やめて……」

「香織の覚えている通りよ」

「やめてよ……」

「彼は、常磐君は……」

「いや、やめてよ……やめてったら!」

「香織! 彼は死んだのよ!」

「違う! 死んでなんかない! 絶対、そんなことない! どうして、そんな酷いこと言うの! いくら雫ちゃんでも許さないよ!」

 

 イヤイヤと首を振りながら、どうにか雫の拘束から逃れようと暴れる香織。雫は絶対離してなるものかときつく抱き締める。ギュッと抱き締め、凍える香織の心を温めようとする。

「離して! 離してよぉ! 常磐くんを探しに行かなきゃ! お願いだからぁ……絶対、生きてるんだからぁ……離してよぉ」

 いつしか香織は「離して」と叫びながら雫の胸に顔を埋め泣きじゃくっていた。

 縋り付く様にしがみつき、喉を枯らさんばかりに大声を上げて泣く。雫は、ただただ只管に己の親友を抱き締め続けた。そうする事で、少しでも傷ついた心が痛みを和らげます様にと願って。

 

 

 どれくらいそうしていたのか、窓から見える明るかった空は夕日に照らされ赤く染まっていた。香織はスンスンと鼻を鳴らしながら雫の腕の中で身動ぎした。雫が、心配そうに香織を伺う。

「香織……」

「……雫ちゃん。……常磐くんは……落ちたんだね……、ここにはいないんだね……」

 囁く様な、今にも消え入りそうな声で香織が呟く。雫は誤魔化さない。誤魔化して甘い言葉を囁けば一時的な慰めにはなるだろう。しかし、結局それは後で取り返しがつかないくらいの傷となって返ってくるのだ。これ以上、親友が傷つくのは見ていられない。

「そうよ」

「あの時、常磐くんは私達の魔法が当たりそうになってた……誰なの?」

「わからないわ。誰も、あの時の事には触れないようにしてる。怖いのね。もし、自分だったらって……」

「そっか」

「恨んでる?」

「……わからないよ、もし誰かわかったら……きっと恨むと思う。でも……分からないなら、……その方がいいと思う。きっと私、我慢できないと思うから……」

「そう……」

 俯いたままポツリポツリと会話する香織。やがて、真っ赤になった目をゴシゴシと拭いながら顔を上げ、雫を見つめる。そして決然と宣言した。

「雫ちゃん、私、信じないよ。常磐くんは生きてる。死んだなんて信じない」

「香織、それは……」

 香織の言葉に再び悲痛そうな表情で諭そうとする雫。しかし、香織は両手で雫の両頬を包むと、微笑みながら言葉を紡ぐ。

「わかってる、あそこに落ちて生きていると思う方がおかしいって。……でもね、確認した訳じゃない。可能性は一パーセントより低いけど、確認していないならゼロじゃない。……私、信じたいの」

「香織……」

「私、もっと強くなるよ。それで、あんな状況でも今度は守れる位強くなって、自分の目で確かめる、常磐くんの事。……雫ちゃん」

「何?」

「力を貸してください」

「……」

 雫はじっと自分を見つめる香織に目を合わせ見つめ返した。香織の目には狂気や現実逃避の色は見えない。ただ純粋に己が納得するまで諦めないという意志が宿っている。こうなった香織は梃でも動かない。雫どころか香織の家族も手を焼く頑固者になるのだ。

 

 普通に考えれば、香織の言っている可能性などゼロパーセントであると切って捨てていい話だ。あの奈落に落ちて生存を信じる等現実逃避と断じられるのが普通だ。

 恐らく、幼馴染である光輝や龍太郎も含めて殆どの人間が香織の考えを正そうとするだろう。

 だからこそ……

 

「勿論いいわよ。納得するまでとことん付き合うわ」

「雫ちゃん!」

 

 香織は雫に抱きつき「ありがとう!」と何度も礼をいう。「礼なんて不要よ、親友でしょ?」と、どこまでも男前な雫。現代のサムライガールの称号は伊達ではなかった。

 その時、不意に部屋の扉が開けられる。

 

「雫! 香織はめざ……め……」

「おう、香織はどう……だ……」

 

 光輝と龍太郎だ。香織の様子を見に来たのだろう。訓練着のまま来た様で、あちこち薄汚れている。

 あの日から、二人の訓練もより身が入ったものになった。二人もソウゴの死に思うところがあったのだろう。何せ、撤退を渋った挙句返り討ちにあい、あわや殺されるという危機を救ったのはソウゴなのだ。もう二度とあんな無様は晒さないと相当気合が入っている様である。

 そんな二人だが、現在、部屋の入り口で硬直していた。訝しそうに雫が尋ねる。

「あんた達、どうし……」

「す、すまん!」

「じゃ、邪魔したな!」

 雫の疑問に対して喰い気味に言葉を被せ、見てはいけないものを見てしまったという感じで慌てて部屋を出ていく。そんな二人を見て、香織もキョトンとしている。しかし、聡い雫はその原因に気がついた。

 現在、香織は雫の膝の上に座り、雫の両頬を両手で包みながら、今にもキスできそうな位置まで顔を近づけているのだ。雫の方も、香織を支えるように、その細い腰と肩に手を置き抱き締めている様に見える。

 つまり、激しく百合百合しい光景が出来上がっているのだ。ここが漫画の世界なら背景に百合の花が咲き乱れている事だろう。

 雫は深々と溜息を吐くと、未だ事態が飲み込めずキョトンとしている香織を尻目に声を張り上げた。

 

 

「さっさと戻ってきなさい! この大馬鹿者共!」

 




思ったより反応が早くて驚いてますよ私。


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第三話 魔王と吸血姫

なんやかんやで第三話。


「ふむ、やはり無いか……」

 

 上階へと続く道を探していたソウゴは、納得した様にそう呟いた。

 

 この階層でソウゴにとって脅威となる存在はおらず、広大ではあるものの探索は進められ、既に八割は探索を終えている。にも関わらず、いくら探しても何も見つからない。

 

 否、何も見つからないというのは語弊がある。正確には"上階"への道であり、階下への道なら発見している。ここが迷宮で階層状になっているのなら上階への道も必ずある筈なのだが、どうしても見つからないのだ。

「先に進むしかない、という事か」

 一応の確認をしたソウゴは、階下への階段がある場所へ向かった。

 

 その階段は、なんとも雑な作りだった。

 階段というより凸凹した坂道と言った方が正しいかもしれない。そしてその先は、緑光石が無いのか真っ暗な闇に閉ざされ、不気味な雰囲気を醸し出していた。まるで巨大な怪物の顎門の様だ。

「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか……」

 ソウゴは内心ワクワクしつつ、躊躇う事無く暗闇へと踏み込んだ。

 

 

 そうして暫く進んで分かったのが、どうやらこの階層には緑光石が存在しないらしいという事だ。その階層はとにかく暗かった。

 地下迷宮である以上それが当たり前なのだが、今まで潜った事のある階層は全て緑光石が存在し、薄暗くとも先を視認出来ない程ではなかった。

 

 だとしても、"暗視"を持つソウゴには関係無い事だったが。

 

 そして物陰に隠れるでもなく堂々と進んでいると、不意に気配を感じて視線を向ける。そこには体長二メートル程の灰色の蜥蜴が壁に張り付いており、金色の瞳でソウゴを睨んでいた。

 すると、その金眼が一瞬光を帯びた。次の瞬間、

 

「……何も起きんな」

 

 特に何も起きなかった。何をしたかったか気になったソウゴは、蜥蜴に向けて“鑑定”を使用する。すると程なくして意図が判明する。

(成程、"石化の邪眼"か…)

 恐らくソウゴの"邪眼無効"か"石化無効"、またはその両方でレジストされたのだろう。するとソウゴはお返しとばかりに石化蜥蜴──バジリスクの目を見た。

 

 その直後、バジリスクの身体が燃え上がった。

 

 バジリスクは一瞬で火達磨になり地面に転がる。生命活動が止まると同時に火は消え、ソウゴは焼き蜥蜴を拾って先に進んだ。

 

 

「ここらで一度休憩を取るか」

 

 その後暫く、出会った魔物を仕留めながら進んでいたソウゴだったが、空腹感を覚え休憩を取る事にした。

 ソウゴはその場で座り込み、宝物庫から照明代わりの神結晶(・・・)を取り出した。

 

 起床後あの空間から出た時に、液溜りの神水ごと回収したのだ。伝説の秘宝を照明代わりにする等、教会関係者が見たら卒倒ものだろうが。

 

 それはさておき、ソウゴは続けて食料を取り出した。メニューは降りる前に仕留めた二尾狼四頭とバジリスク、羽を散弾銃の様に飛ばしてくる梟、六本足の猫の丸焼きである。

「…………む、来たか」

 黙々と喰っていると次第に体に不快感を覚える。つまり、体が強化されているという事だ。だとすると、上階の狼を覗いてここの魔物は爪熊と同等以上の強さを持っているのだろう。だがそれより気になるのは…

「…やはり不味いな」

 どうにも味はイマイチだった。

 

 その後完食し、ステータスプレートを取り出すソウゴ。ソウゴの現状は……

 

 

常磐ソウゴ 140346歳 男 レベル:40

天職:大魔王/統一時空大皇帝

筋力:22721537201

体力:24489805417

耐性:23260741317

敏捷:22793662837

魔力:39130926945

魔耐:39599111805

 

 

 予想通り上昇していた。それを確認したソウゴは五分程休息した後、再び探索を再開した。まだ一階層しか降りていないのだ。この奈落がどこまで続いているのか見当もつかない。ソウゴは孤独な奈落の底で一歩一歩踏み締めつつ、偶然始まった迷宮攻略に精を出すのだった。

 暫く歩き回り、遂に階下への階段を見つける。ソウゴは躊躇い無く踏み込んだ。

 

 その階層は、地面がどこもかしこもタールの様に粘着く泥沼の様な場所だった。普通に歩けば足を取られ凄まじく動きにくいだろう。それを察したソウゴは"神足通・文曲"を発動する。あらゆる場所を足場とする"文曲"の歩法を用い、更にチャクラを足に纏わせただの地面と変わらないかの様に探索を開始する。

 そして途中で珍しい鉱石を拾ったり、この場が火気厳禁だと判明しつつ、暫く進むと三叉路に出た。取り敢えずはと左の通路から探索しようと足を踏み出した。

 

 その瞬間、ソウゴは上へ跳躍した。

 

 途端、鋭い歯が無数に並んだ巨大な顎門を開いて、鮫の様な魔物がタールの中から飛び出してきた。ソウゴの頭部を狙った顎門はガチンッと歯と歯を打ち鳴らしながら閉じられる。ソウゴを喰い損ねた鮫はドボンと音を立てながら再びタールの中に潜ろうとする。

「逃がすものか」

 しかしそうはさせまいと、ソウゴは跳躍と同時に呼び出した"ペガサスボウガン"を引き絞り、必殺の一矢を見舞った。

 その一撃は正確に鮫の頭を射抜き、事切れた鮫は飛沫を上げながらタールの床に横たわった。

「不意打ちのつもりだったのだろうが、殺気がだだ洩れだ」

 そう言いながらソウゴは鮫を解体して宝物庫に入れ先に進み、遂に階下への階段を発見した。

 

 

 

 タール鮫の階層から更に五十階層は進んだ。過去の記録を知らない為比べ様も無いが、驚異的な速度で進んできたのは間違いない。

 

 その間にも、様々な魔物を仕留め腹に収めてきた。

 

 例えば迷宮全体が薄い毒霧で覆われた階層では、毒の痰を吐き出す二メートルの虹色の蛙や、麻痺の鱗粉を撒き散らす蛾に襲われた。どちらもやはり不味かった事は変わらない(因みに、蛾の方が蛙よりマシな味だったのは未だによくわからない)。

 また、地下迷宮なのに密林の様な階層に出た事もあった。物凄く蒸し暑く鬱蒼としていて今までで一番不快な場所だった。この階層の魔物は巨大な百足と樹だ。密林を歩いていると、突然巨大な百足が木の上から降ってきた時は、流石のソウゴも一瞬固まった。余りにも気持ち悪かったのである。

 しかもこの百足、体の節ごとに分離して襲ってきたのだ。ソウゴはダークローチによく似た黒い虫を思い出した。

 

 そして樹の魔物は、所謂トレントに酷似していた。木の根を地中に潜らせ突いてきたり、ツルを鞭の様にしならせて襲ってきたり。

 

 しかし、このトレントモドキの最大の特徴はそんな些細な攻撃ではない。この魔物、ピンチなると頭部をわっさわっさと振り赤い果物を投げつけてくるのだ。これには全く攻撃力は無く、ソウゴは試しに食べてみた。

 

 

 滅茶苦茶美味かった。

 

 

 

 そんな感じで階層を突き進み、気がつけば五十層。未だ終わりが見える気配はない。因みに、現在のソウゴのステータスはこうである。

 

 

常磐ソウゴ 140346歳 男 レベル:51

天職:大魔王/統一時空大皇帝

筋力:24591009201

体力:26359277417

耐性:25130213317

敏捷:24663134837

魔力:41000398945

魔耐:41468583805

 

 

 

 

 そしてソウゴは、この五十層にて明らかに異質な場所を発見した。

 

 それは、なんとも不気味な空間だった。

 

 脇道の突き当りにある空けた場所には高さ三メートルの装飾された荘厳な両開きの扉が有り、その扉の脇には二対の一つ目巨人の彫刻が半分壁に埋め込まれる様に鎮座していたのだ。

 

 それを見たソウゴは、すぐに突撃する様な事はせず一旦引いた。装備を整える為だ。

 

 ソウゴは期待と嫌な予感を両方同時に感じていた。あの扉を開けば、確実になんらかの厄災と相対する事になる。だがしかし、同時に変り映えのしない迷宮攻略に新たな風が吹く様な気もしていた。

「さながらパンドラの箱だな」

 そう呟くソウゴの手元には、一振りの剣が鎮座していた。

 

 

 扉を見つけたソウゴは、それを機に一つ武器を作る事にしたのだ。

 

 戦力的にはサイキョウジカンギレードや乖離剣エアでも使えばいいのだろうが、ギレードはこの場の雰囲気には合わず、エアは元々の自分の持ち物ではない。こういう世界の雰囲気に合い、且つ自身オリジナルの武器がソウゴは欲しかったのだ。

 そうして出来たのが目の前の剣である。ソウゴの持つ無数の武具と同じ権能を宿し、"ディアマンテゴールド"や"ヒヒイロノオオガネ"、"魔皇石"、"アダマントストーン"、"飛電メタル"に加え、鋼鉄の1200倍の強度を持つ"ザバルダストグラフェニウム"や、重量と密度を自在に変化させられる"ダークマターインゴット"をメインに、その他様々な物質の長所を掛け合わせた珠玉の一品である。

 

「完成だ。銘は……"逢魔剣"とでもしておこう」

 名前を付けると鞘に納め、ソウゴは立ち上がる。そのままその足は、扉の間へと向かって行った。

 

 

 扉の部屋にやってきたソウゴは、油断無く歩みを進める。特に何事も無く扉の前にまでやって来た。近くで見れば益々、見事な装飾が施されていると分かる。そして、中央に二つの窪みのある魔法陣が描かれているのが分かった。

「ふむ……、これは図書館のどの文献にも無かったな」

 王国に居た頃は、訓練に参加しなかった事もあって座学に力を入れていた。勿論、全ての書物に目を通した訳ではないが、それでも魔法陣の式を全く読み取れないというのは些かおかしい。

 扉を調べるが特に何かが分かるという事もなかった。いかにも曰くありげなのでトラップを警戒して調べてみたが、トラップは無いという事が分かったのみだ。

「仕方ない、少々手荒にいくか」

 一応、扉に手をかけて押したり引いたりしたがビクともしない。なので、扉を破壊して無理矢理通ろうとする。ソウゴは右手を扉に触れさせその手を発光させる。

 しかしその途端、

 

 バチィイ!

 

「む……」

 扉から赤い放電が走りソウゴの手を弾き飛ばした。ソウゴの手にダメージ等は無いが、煙が吹き上がっている。直後に異変が起きた。

 

 ──オォォオオオオオオ!!

 

 突然、野太い雄叫びが部屋全体に響き渡ったのだ。

 ソウゴはバックステップで扉から距離をとり、背中の逢魔剣を抜いた。

「まぁ、当然と言えば当然だな」

 苦笑いしながら呟くソウゴの前で、扉の両側に彫られていた二体の一つ目巨人が周囲の壁をバラバラと砕きつつ現れた。いつの間にか壁と同化していた灰色の肌は暗緑色に変色している。

 

 一つ目巨人の容貌はまるっきりファンタジー常連のサイクロプスだ。手にはどこから出したのか四メートルはありそうな大剣を持っている。未だ埋まっている半身を強引に抜き出し無粋な侵入者を排除しようとソウゴの方に視線を向けた。

 

 その瞬間。その身に一本線が走り、サイクロプスは動きを止めた。

 

 左のサイクロプスがキョトンとした様子で隣のサイクロプスを見る。右のサイクロプスは縦に真っ二つに分かれながら、前のめりに倒れ伏した。巨体が倒れた衝撃が部屋全体を揺るがし、埃がもうもうと舞う。

「良い切れ味だ。試し斬りは成功だな」

 色んな意味で酷い攻撃だった。あまりにサイクロプス(右)が哀れだった。

 恐らく、この扉を守るガーディアンとして封印か何かされていたのだろう。こんな奈落の底の更に底の様な場所に訪れる者など皆無と言っていい筈だ。

 漸く来た役目を果たす時。もしかしたら彼(?)の胸中は歓喜で満たされていたのかもしれない。満を持しての登場だったのに相手を認識する前に真っ二つにされる。これを哀れと言わずしてなんと言うのか。

 サイクロプス(左)が戦慄の表情を浮かべソウゴに視線を転じる。その目は「コイツなんて事しやがる!」と言っている様な気がしない事もない。

 

 尤も、それはソウゴがその首を一閃した後の話だったが。

 

 恐らく何をされたか理解できないまま、サイクロプス(左)の意識は暗闇に沈む。それに遅れて、彼の首が土煙を上げながら地面に落ちた。

「こんなものか。肉は後で取るとして……」

 倒れる胴体には目もくれず、ソウゴはチラリと扉を見て少し思案する。

 そして、そのままサイクロプスを切り裂き体内から魔石を取り出した。血濡れを気にするでもなく二つの拳大の魔石を扉まで持って行き、それを窪みに合わせてみる。

 結果ピッタリとはまり込んだ。直後、魔石から赤黒い魔力光が迸り魔法陣に魔力が注ぎ込まれていく。そして、パキャンという何かが割れる様な音が響き光が収まった。同時に部屋全体に魔力が行き渡っているのか周囲の壁が発光し、久しく見なかった程の明かりに満たされる。

 ソウゴは少し目を瞬かせ、そっと扉を開いた。

 

 扉の奥は光一つなく真っ暗闇で、大きな空間が広がっている様だ。

 それでもソウゴの"暗視"の前に意味を成さず、手前の部屋の明りにも照らされて少しずつ全容が見えてきていたが。

 

 中は聖教教会の大神殿で見た大理石の様に艶やかな石造りで出来ており、幾本もの太い柱が規則正しく奥へ向かって二列に並んでいた。そして部屋の中央付近に巨大な立方体の石が置かれており、部屋に差し込んだ光を反射してツルリとした光沢を放っている。

 その立方体を注視していたソウゴは、次いで立方体の前面の中央辺りから生えている光るものに目を向ける。

 その正体を探ろうとソウゴが近づこうとした瞬間、それは動いた。

 

「……誰?」

 

 掠れた、弱々しい少女の声だ。尚もソウゴが進み続けると、先程の"生えている何か"がユラユラと動き出した。差し込んだ光がその正体を暴く。それを見てソウゴは呟いた。

「ほう……生きていたか」

 "生えていた何か"は、人だった。

 

 上半身から下と両手を立方体の中に埋めたまま顔だけが出ており、長い金髪が某ホラー映画の女幽霊の様に垂れ下がっていた。そしてその髪の隙間から、低高度の月を思わせる紅眼の瞳が覗いている。年の頃は十二、三歳位だろう。随分窶れているし垂れ下がった髪で分かりづらいが、それでも美しい容姿をしている事がよく分かる。

 生えていたのが人体だったのは一目見て分かっていたが、凡そ生命反応らしきものが無かった為に、生きていた事に少し驚きつつもソウゴは尚近づいていく。そして……

 

 逢魔剣の柄に手を掛けた。

 

 それに金髪紅眼の少女は慌てた。即座に命乞いを始める。尤も、その声はもう何年も出していなかった様に掠れて呟きの様だったが。

「ま、待って! ……お願い! ……助けて……」

「何故だ?」

 ソウゴは聞く耳持たんとばかりに剣を抜く。

「ど、どうして……なんでもする……だから……!」

 少女は必死だ。首から上しか動かないが、それでも必死に顔を上げ懇願する。

 しかしソウゴは取り合わず、剣を抜いた理由を告げる。

「貴様、人間ではないだろう(・・・・・・・・・)?」

 そしてそのまま、刃を少女の首に当てる。

「人外の存在がこの様な秘匿された場所に封印されているのだ、ならば貴様は明らかに何かしらの災厄を齎す存在と見るべきだろう。そして、どうやら自力では戒めを解けない状態だ。ならば滅する為に武器を取るというのは何ら間違っておらんだろう?」

 全くもって正論だった。

 すげなく断られた少女だが、もう泣きそうな表情で必死に声を張り上げる。

「ちがう! ケホッ……私、悪くない! ……待って! 私……」

 聞く気はないと言わんばかりにソウゴは振りかぶり、少女目掛けて逢魔剣を振り下ろして……

 

 

「裏切られただけ!」

 

 

 少女の首を両断する寸前で止められた。

 

 かなりギリギリのタイミングだった様で、薄皮が切れたらしく少女の首から薄っすら血の玉が浮かぶ。

 十秒、二十秒と過ぎ、ソウゴは逢魔剣を鞘に納めた。問い質す様に口を開く。

「裏切られたと言ったな? だがそれは貴様が封印された理由にはならん。その話が本当だとして、裏切った者は何故貴様をここに封印した?」

 ソウゴの質問が聞こえてないのか、呆然としている少女。ジッと、豊かだが薄汚れた金髪の間から覗く紅眼でソウゴを見つめる。

 何も答えない少女にソウゴが「貴様の来歴を話せ。話せないのなら…」と言いながら再び剣に手を掛ける。すると少女はハッと我を取り戻し、慌てて口を開いた。

「私、先祖返りの吸血鬼……凄い力持ってる、……だから国の皆の為に頑張った。でも……ある日……家臣の皆……お前はもう必要ないって。……叔父様、……これからは自分が王だって……。私……それでもよかった……でも、私、凄い力あるから危険だって……殺せないから……封印するって……それで、ここに……」

 枯れた喉で必死にポツリポツリと語る女の子。所々気になるワードがあるので、ソウゴは尋ねた。

「貴様、王族だったのか?」

 少女は頷く。

「殺せないとはなんだ?」

「……勝手に治る。怪我しても直ぐ治る。首落とされてもその内に治る」

「先程の"凄い力"とはそれか?」

「これもだけど……魔力、直接操れる……陣もいらない」

 そこまで聞き、ソウゴは納得を見せる。

 

 

 この世界(トータス)における魔術は、体内の魔力を詠唱により魔法陣に注ぎ込み、魔法陣に組み込まれた式通りの魔術が発動するというプロセスを経る。魔力を直接操作する事は出来ず、どの様な効果の魔法を使うかによって正しく魔法陣を構築しなければならない。

 そして、詠唱の長さに比例して流し込める魔力は多くなり、魔力量に比例して威力や効果も上がっていく。また、効果の複雑さや規模に比例して魔法陣に書き込む式も多くなる。それは必然的に魔法陣自体も大きくなるという事に繋がる。

 

 例えば、RPG等で定番の"火球"を直進で放つだけでも、一般に直径十センチ程の魔法陣が必要になる。基本は、属性・威力・射程・範囲・魔力吸収(体内から魔力を吸い取る)の式が必要で、後は誘導性や持続時間等付加要素が付く度に式を加えていき魔法陣が大きくなるという事だ。

 

 しかし、この原則にも例外がある。それが適性だ。

 

 適性とは、言ってみれば体質によりどれくらい式を省略できるかという問題である。例えば、火属性の適性があれば、式に属性を書き込む必要は無く、その分式を小さくできると言った具合だ。

 この省略はイメージによって補完される。式を書き込む必要がない代わりに、詠唱時に火をイメージする事で魔術に火属性が付加されるのである。

 因みに、魔法陣は一般には特殊な紙を使った使い捨てタイプか、鉱物に刻むタイプの二つがある。

 前者はバリエーションは豊かになるが、一回の使い捨てで威力も落ちる。後者は嵩張るので種類は持てないが、何度でも使えて威力も十全というメリット・デメリットがある。

 

 しかし、この少女は周りが詠唱やら魔法陣やら準備している間に一瞬で魔術を撃てるのだから、正直この世界の術師では勝負にならない。しかも不死身。恐らくソウゴと違い絶対的なものではないだろうが、それでも勇者すら凌駕しそうなチートである。

 

 

「……、たすけて……」

 ソウゴが一人で納得しているのをジッと眺めながら、ポツリと少女が懇願する。

「だが要は、貴様に臣下を従わせる人望も、反乱を鎮める力も足りなかった。だから封印されただけの話だろう? 自業自得ではないか」

 しかしソウゴにそう言われると少女は目を見開き、大きく俯いた。

 だが、その様子を見たソウゴは目を伏せ、

「しかしまぁ……どうやら嘘は言っていないらしい。正直に答えたのなら、こちらも誠意を見せねばな」

 溜息を吐きながらそう言ったソウゴは、少女を捕える立方体に手を置いた。

 

 直後、少女の周りの立方体が塵になった様に崩れていき、彼女の枷を一瞬で解いていく。

 

 それなりに膨らんだ胸部が露わになり、次いで腰、両腕、太腿が露出する。一糸纏わぬ彼女の裸体は痩せ衰えていたが、それでもどこか神秘性を感じさせる程美しかった。そのまま体の全てが解き放たれ、少女は地面にペタリと女の子座りで座り込んだ。どうやら立ち上がる力が無いらしい。少女は呆然とした表情で呟く。

「そんな……どうやって? ……どんな魔法も通らない筈なのに」

「ちょっとした手品だ」

 ソウゴは何でもない様にそう言った。

 

 ソウゴが行ったのは、"小宇宙の闘法"と"モーフィングパワー"の合わせ技だ。

 "小宇宙の闘法"の原子を砕くという仕組みと、"モーフィングパワー"の原子・分子を操るという原理を組み合わせたのだ。

 

 ソウゴは少女を立ち上がらせようと手を伸ばす。その手を女の子がギュッと握った。弱々しい、力の無い手だ。小さくて、ふるふると震えている。

 ソウゴが視線を向けると少女は真っ直ぐにソウゴを見つめている。顔は無表情だが、その奥にある紅眼には彼女の気持ちが溢れんばかりに宿っていた。

 そして、震える声で小さく、しかしはっきりと女の子は告げる。

「……ありがとう」

 

 その言葉を贈られた時の心情をどう表現すればいいのか、ソウゴには分からなかった。ただ少なくとも、「悪くない」と思ったのは確かだった。

 

 繋がった手はギュッと握られたままだ。いったいどれだけの間、ここにいたのだろうか。少なくともソウゴの知識にある吸血鬼族は数百年前に滅んだ筈だ。この世界の歴史を学んでいる時にそう記載されていたと記憶している。

 話している間も彼女の表情は動かなかった。それはつまり、声の出し方、表情の出し方を忘れる程長い間、たった一人この暗闇で孤独な時間を過ごしたという事だ。

 しかも、話しぶりからして信頼していた相手に裏切られて。よく発狂しなかったものである。もしかすると先程言っていた自動再生的な力のせいかもしれない。だとすれば、それは逆に拷問だっただろう。狂う事すら許されなかったという事なのだから。

「……名前、なに?」

 少女が囁く様な声でソウゴに尋ねる。そういえばお互い名乗っていなかった事を思いだしたソウゴは名乗りつつ、少女にも訊き返した。

「常磐ソウゴだ。貴様は?」

 少女は「ソウゴ、ソウゴ」と、さも大事なものを内に刻み込む様に繰り返し呟いた。そして問われた名前を答えようとして、思い直した様にソウゴにお願いをした。

「……名前、付けて」

「……ふざけているのか?」

 長い間幽閉されていた割に余裕だな、と少しばかり青筋を立てるソウゴだったが、少女はふるふると首を振る。

「もう、前の名前はいらない。……ソウゴの付けた名前がいい」

「そうは言うが……」

 少女は期待する様な目でソウゴを見ている。ソウゴはカリカリと頬を掻くと少し考える素振りを見せて、仕方ないという様に彼女の新しい名前を告げた。

「"ユエ"というのはどうだ? ネーミングセンスなど無いから気に入らなければまた考えるが……」

「ユエ? ……ユエ、ユエ」

「あぁ。ユエと言うのはな、私の国のある地域で"月"の事をそう呼ぶらしい。最初、この部屋に入った時にその金色の髪や紅い眼が夜に浮かぶ月の様に見えたんでな、……どうだ?」

 思いの外きちんとした理由がある事に驚いたのか、少女がパチパチと瞬きする。そして、相変わらず無表情ではあるが、どことなく嬉しそうに瞳を輝かせた。

「……んっ。今日からユエ。ありがとう」

「うむ。取り敢えずだ……」

「?」

 礼を言う少女改めユエの握っていた手を解き、ソウゴは宝物庫から適当な外套を取り出す。何も無い所から突然物を出したソウゴに目を丸くするユエに、ソウゴはその外套を被せた。

「それでも着ておけ。いつまでもそのままでは風邪をひくぞ」

「……」

 そう言われて差し出された服を反射的に受け取りながら自分を見下ろすユエ。確かに、大事な所とか丸見えである。ユエは一瞬で真っ赤になるとソウゴの外套をギュッと抱き寄せ上目遣いでポツリと呟いた。

「ソウゴのエッチ」

 その瞬間、ソウゴのデコピンがユエを襲った。

「あうっ」

「百年早いわ、小娘」

 そう言うソウゴは心底呆れた様な目を向ける。それに対してユエは頬を膨らませて反論しようとして……

 

 

 突如ソウゴに抱きかかえられた。

 

 

「…っ! ソウゴ…!?」

 驚愕するユエを抱えたまま、ソウゴはその場から飛び退いた。

 続いて、直前までいた場所にズドンッと地響きを立てながら一体の魔物が姿を現した。

 その魔物は体長五メートル程、四本の長い腕に巨大な鋏を持ち、八本の足をわしゃわしゃと動かしている。そして二本の尻尾の先端には鋭い針がついていた。

 

 一番分かりやすい例えをするなら蠍だろう。二本の尻尾は毒持ちと考えた方が賢明だ。

 

 目の前の蠍はつい数瞬前まで、ソウゴの“探知”に引っ掛からなかった。という事は少なくとも、この蠍擬きはユエの封印を解いた後に出てきたという事だ。つまり、ユエを逃がさない為の最後の仕掛けなのだろう。

 ソウゴは腕の中のユエをチラリと見る。彼女は、蠍擬きになど目もくれず一心にソウゴを見ていた。凪いだ水面の様に静かな、覚悟を決めた瞳。その瞳が何よりも雄弁に彼女の意思を伝えていた。ユエは自分の運命をソウゴに委ねたのだ。

 

 その瞳を見た瞬間、ソウゴの腹は決まった。

 

 酷い裏切りを受けたこの少女が、今一度、その身を託すというのだ。これに答えられなければ男が廃る。何より……

 

「"仮面ライダー"を名乗る資格が無いな」

 

「……?」

 ポツリと呟いたその一言に、ユエは不思議そうな顔をする。それに「何でもない」と返しつつ、ソウゴはユエを降ろした。

「ソウゴ?」

「少し待っていろ。直ぐに終わらせる」

 ソウゴはそう言いながら、ユエの額に触れる。すると衰え切った体に活力が戻ってくる感覚を覚え、ユエは驚いた様に目を見開いた。魔術の気配もなく、しかも魔法陣や詠唱を使用していない。つまりソウゴが自分と同じく、魔力を直接操作する術を持っているという事にユエは気がついたのである。

 

 自分と"同じ"、そして何故かこの奈落にいる。ユエはそんな場合ではないと分かっていながら、蠍擬きよりもソウゴを意識せずにはいられなかった。

 

 

 一方、ソウゴはユエの回復を終えると彼女から少し離れ、蠍擬きを正面に見据える。

 そして逢魔剣を抜き、その切っ先がゆらりと蠍擬きに向けられる。

 

 すると剣の柄から刀身に向かって罅割れの様な、或いは血管の様な赤光が走る。赤光は瞬く間に刃全体に及び、剣を焼けた鉄の様な有様に変える。

 そこに込められるは、『膨大な熱』。

 

 

 次の瞬間、部屋全体を灼かんばかりの光が溢れ、轟音と共に凄まじい熱線が蠍擬きに放たれた。

 

 

「……!」

 余りの眩しさにユエは腕で顔を覆う。圧倒的な熱がユエの肌をチリチリと焼いていく。

 ユエは痛みを感じつつ、ソウゴの圧倒的な力に驚愕する。それと同時に、ユエは肝を冷やした。

 何せ、その力がつい数分前まで自分に向けられていたのだ。いくら不死身でも、あれを受ければ確実に無事では済まない。九死に一生の気分だ。そんな事を考えていると、

 

「やり方を間違えたな、何一つ残ってない」

 

 ソウゴのそんな言葉が聞こえ、ユエの思考は中断される。ふと見れば、熱線はいつの間にか止んでいる。

 そして絶句した。ソウゴの正面が溶けている。蠍擬きがいた位置の遥か後方、つまりこの部屋の扉まで。その射線上には、ソウゴの言葉通り塵一つ残っていなかった。

「終わったぞ」

 そう言ってソウゴは剣を鞘に納め振り返る。ついでに軽く手を振ると、無表情ながらどことなく嬉しそうな眼差しで女の子座りしながらソウゴを見つめているユエがいた。迷宮攻略がいつ終わるのか分からないが、どうやら可愛らしい同行者ができたらしい。

 パンドラの箱には厄災と一握りの希望が入っていたという。この部屋に入る前に出したその例えは、中々どうして的を射ていたらしい。そんな事を思いながら、ソウゴはゆっくりと彼女のもとへ歩き出した。

 




感想くれると嬉しいです。

技の元ネタ分かる人、遠慮せず言って下さい。


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第四話 最奥の終焉

すかさず第四話投下。

作者は頭平成なので、ソウゴの強さはいくら盛ってもいいと思っています。




 蠍擬きを倒したソウゴは、サイクロプスの肉を宝物庫にしまいユエと共に次の階層を歩いていた。別に背負っていってもよかったのだが、長い封印で体力が衰えているユエのリハビリに丁度いいかと思い歩かせる事にしたのだ。

 そんな訳で現在ソウゴ達は攻略を進めながら、偶に出会う魔物を片手間で倒しつつお互いの事を話し合っていた。

 

「そうすると、ユエは少なくとも三百歳以上という事か?」

「……マナー違反」

 ユエが非難を込めたジト目でソウゴを見る。女性に年齢の話はどの世界でもタブーらしい。

 

 ソウゴの記憶では、三百年前の大規模な戦争の折に吸血鬼族は滅んだとされていた筈だ。実際、ユエも長年物音一つしない暗闇に居た為時間の感覚は殆ど無いそうだが、それ位経っていてもおかしくないと思える程には長い間封印されていたという。二十歳の時に封印されたというから三百歳ちょいという事だ。

「吸血鬼とは、皆その程度の寿命を?」

「……私が特別。"再生"で歳もとらない……」

 

 聞けば十二歳の時、魔力の直接操作や"自動再生"の固有魔術に目覚めてから歳をとっていないらしい。普通の吸血鬼族も血を吸う事で他の種族より長く生きるらしいが、それでも二百年位が限度なのだそうだ。

 因みに人間族の平均寿命は七十歳、魔人族は百二十歳、亜人族は種族によるらしい。エルフの中には何百年生きている者がいるとか。

 

 ユエは先祖返りで力に目覚めてから僅か数年で当時最強の一角に数えられていたそうで、十七歳の時に吸血鬼族の王位に就いたという。しかも、ほぼ不死身の肉体。行き着く先は"神"か"化け物"かといったところだろう。そして、ユエは後者だったという事だ。

 欲に目が眩んだ叔父がユエを化け物として周囲に浸透させ、大義名分の下殺そうとしたが"自動再生"により殺しきれず、止むを得ずあの地下に封印したのだという。

 ユエ自身、当時は突然の裏切りにショックを受けて碌に反撃もせず混乱したままなんらかの封印術を掛けられ、気がつけばあの封印部屋にいたらしい。

 その為、あの蠍擬きや封印の方法、どうやって奈落に連れられたのか分からないそうだ。

 

「ならば、ファンガイアの方が長命か」

「ファンガイア……?」

「私の国の吸血鬼達の事だ」

 ファンガイアの平均寿命は七、八百年。長い者は千年程生きる。それを聞いたユエは無表情ながら大変驚いた。

 

 ユエの力についても話を聞いた。それによると、ユエは全属性に適性があるらしい。多分そうだろうと思っていたソウゴは「だろうな」と特に驚きもせず返す。また、本人曰く接近戦は苦手らしく、一人だと身体強化で逃げ回りながら魔術を連射する位が関の山なのだそうだ。尤も、その魔術が強力無比なのだから大したハンデになっていないのだが。

 

 因みに無詠唱で魔術を発動できるそうだが、癖で術名だけは呟いてしまうらしい。魔術を補完するイメージを明確にする為になんらかの言動を加える者は少なくないので、この辺はユエも例に漏れない様だ。

 "自動再生"については、一種の固有魔術に分類出来るらしく、魔力が残存している間は一瞬で塵にでもされない限り死なないそうだ。逆に言えば、魔力が枯渇した状態で受けた傷は治らないという事。つまりあの時、長年の封印で魔力が枯渇していたユエは、蠍擬きの攻撃を受けていればあっさり死んでいたという事だ。

「そういえば、ユエはここがどの辺りか分かるか?」

「……わからない。でも……」

 ユエにもここが迷宮のどの辺なのかはわからないらしい。申し訳なさそうにしながら、何か知っている事があるのか話を続ける。

「……この迷宮は反逆者の一人が作ったと言われてる」

「反逆者?」

 この世界に来てから初めて耳にする言葉な上に、そこはかとなく不穏な響きにユエに視線を転じるソウゴ。ユエも合わせて視線を上げると、コクリと頷き続きを話し出した。

「反逆者……神代に神に挑んだ神の眷属の事。……世界を滅ぼそうとしたと伝わってる」

 ユエは言葉の少ない無表情娘なので、説明には時間がかかる。まだまだ下層への階段までは長そうで、二人は歩きながら話を続ける。

 

 ユエ曰く、神代に神に反逆し世界を滅ぼそうと画策した七人の眷属がいたそうだ。しかしその目論見は破られ、彼等は世界の果てに逃走した。

 その果てというのが、現在の七大迷宮といわれているらしい。この【オルクス大迷宮】もその一つで、奈落の底の最深部には反逆者の住まう場所があると言われているのだとか。

 

「……そこなら、地上への道があるかも……」

「成程。奈落の底から一々迷宮を上がってくるとは思えない。神代の魔法使いなら転移系の魔術で地上とのルートを作っていてもおかしくはないか」

 ユエの言葉に納得した様に返事しつつ、飛び掛かって来た魔物を見向きもせず真っ二つにするソウゴ。ユエはそれをジーっと見ている。

「……それ程驚く事か?」

 口には出さずコクコクと頷くユエ。だぶだぶの外套を着て、袖先からちょこんと小さな指を覗かせ膝を抱える姿はなんとも愛嬌があり、その途轍もなく整った容姿も相まって、そこらの人間なら思わず抱き締めたくなる様な可愛らしさだ。

 すると今度はユエがソウゴに質問し出した。

「……ソウゴ、どうしてここにいる?」

 当然の疑問だろう。ここは奈落の底、正真正銘の魔境だ。魔物以外の生き物がいていい場所ではない。

 

 ユエには他にも沢山聞きたい事があった。何故魔力を直接操れるのか、何故固有魔術らしき魔術を複数扱えるのか、何故魔物の肉を食って平気なのか。そもそもソウゴは人間なのか。

 

 ポツリポツリと、しかし途切れる事無く続く質問に律儀に答えていくソウゴ。面倒そうな素振りも見せず話に付き合っている。

 ソウゴが、自身の来歴や異界からこの世界に召喚された事から始まり、同時に召喚された学生達に何故か自身の記憶があり、その記憶の中で無能と呼ばれていた事、ベヒモスとの戦いでその生徒の一人に狙われ奈落に落ちた事等、今に至るまでの事をツラツラと話すと、ユエが目を点にしていた。

「どうした?」

「……ソウゴ様(・・・・)、不思議な人」

「…何だいきなり」

 突然自分に様付けしだし、思わず訊いたソウゴに対し、

「年上だから」

「……そうか」

 

 たった一言で無理矢理納得させたユエ。ある意味大物である。

 

 それはさておき、話を続けるユエ。

「……ソウゴ様は、いつでも帰れるの?」

「勿論。奈落からも、この世界からもな。まぁ、暫くは留まるつもりだが」

 ソウゴがそう言った途端、ユエは沈んだ表情で顔を俯かせる。そして、ポツリと呟いた。

「……私にはもう、帰る場所……ない……」

 その言葉に、ソウゴは足を止めた。

 ユエが自分に新たな居場所を見ているという事は察していた。新しい名前を求めたのもそういう事だろう。だからこそ、ソウゴが元の世界に戻るという事は、再び居場所を失うという事だとユエは悲しんでいるのだろう。

 

 だからこそ(・・・・・)、ソウゴは不思議に思った。

 

「何だ、付いてこないのか?」

「え?」

 ソウゴの言葉に驚愕を露わにして目を見開くユエ。涙で潤んだ紅い瞳にマジマジと見つめられる。

「先程話したが、私は王だぞ? 我が国には数多の人種・種族がいて、何なら異星人までいる。たかが吸血鬼一人の居場所を作るなど、造作も無い事だ」

 暫く呆然としていたユエだが、理解が追いついたのか、おずおずと「いいの?」と遠慮がちに尋ねる。それにソウゴは「最初からそのつもりでは無かったのか?」と訊き返した。

 すると今までの無表情が嘘の様に、ユエはふわりと花が咲いた様に微笑んだ。

 

 

 その後暫く歩き、魔物の気配の無いそこそこのスペースを見つけたソウゴ達は休憩を取る事にし、そこでサイクロプスの肉を焼いて食事をする事にした。

「ユエ、食事だ……おっと、魔物の肉は不味かったか?」

 魔物の肉を食べるのが日常になっていたのでソウゴは軽くユエを食事に誘ったのだが、果たして喰わせて大丈夫なのかと思い直し、ユエに視線を送る。

 ユエは「食事はいらない」と首を振った。

「まぁ、三百年封印されて生きてるのだから食わなくても大丈夫だろうが……飢餓感等感じたりしないか?」

「感じる。……でも、もっと気になるものがある」

「ほう? それは一体?」

 腹は空くがもっと気を惹かれるものがあるというユエに、興味深そうな眼差しを向けるソウゴ。ユエは真っ直ぐにソウゴを指差した。

「ソウゴ様の血」

「私の血か。ならば、吸血鬼は血が飲めれば特に食事は不要という事か?」

「……食事でも栄養はとれる。……でも血の方が効率的」

「ふむ……」

 吸血鬼は血さえあれば平気らしい。するとソウゴは少し思案顔になり、ユエに答えた。

「ユエ、血を吸うのは構わんが覚悟しておけよ?」

「……覚悟?」

 どういう事かわからないという顔のユエに、ソウゴは説明を始める。

「私が力を継いだ戦士の中には、その身に猛毒を宿した者もそれなりにいた。そして…」

 そう言いながらソウゴは袖をまくって手甲を消し、晒された腕をユエに見せながら話を続ける。

 

「それらの毒が私に集中した結果、私の血には少なくとも七桁は下らない猛毒(・・・・・・・・・)が含まれている」

 

「……!」

「私自身で多少は制御するにしても、恐らく万の毒がその身体を襲うだろう。ユエならば即死なんて事は無いだろうが、それでも激痛に苛まれるのは違いない。それでもよいなら、好きにしろ」

「……頑張る」

 そう言って気合を入れたユエは、ソウゴの腕を掴む。「まぁこの先の事を考えれば、抗体を獲得するいい機会にはなるか」なんて考えるソウゴの腕に、ユエが噛みついて血を吸い始めた。

 

 

 そして案の定、想像を絶する激痛にのたうち回るユエにソウゴが「言わんこっちゃない」という表情で回復魔術を掛けるのだった。

 

 

 

 そして再び時間は進み。

 

 光輝達勇者一行は、再び【オルクス大迷宮】にやって来ていた。但し、訪れているのは光輝達勇者パーティと小悪党組、それに永山重吾という大柄な柔道部の男子生徒が率いる男女五人のパーティだけだった。

 

 理由は簡単だ。話題には出さなくとも、ソウゴの死が多くの生徒達の心に深く重い影を落としてしまったのである。"戦いの果ての死"というものを強く実感させられてしまい、真面に戦闘などできなくなったのだ。一種のトラウマというやつである。

 当然、聖教教会関係者はいい顔をしなかった。実戦を繰り返し、時が経てばまた戦えるだろうと毎日の様にやんわり復帰を促してくる。

 

 しかし、それに猛然と抗議した者がいた。愛子先生だ。

 

 愛子は当時、遠征には参加していなかった。"作農師"という特殊かつ激レアな天職の為、実戦訓練よりも教会側としては農地開拓の方に力を入れて欲しかったのである。愛子がいれば、糧食問題は解決してしまう可能性が限りなく高いからだ。

 そんな愛子はソウゴの死亡を知ると、ショックのあまり寝込んでしまった。自分が安全圏でのんびりしている間に生徒が死んでしまったという事実に、全員を日本に連れ帰る事が出来なくなったという事に、責任感の強い愛子は強いショックを受けたのだ。

 

 だからこそ、戦えないという生徒をこれ以上戦場に送り出す事など断じて許せなかった。

 愛子の天職は、この世界の食料関係を一変させる可能性がある激レア職である。その愛子が、不退転の意志で生徒達への戦闘訓練の強制に抗議しているのだ。関係の悪化を避けたい教会側は、愛子の抗議を受け入れた。

 

 結果、自ら戦闘訓練を望んだ勇者パーティと小悪党組、永山重吾のパーティのみが訓練を継続する事になった。そんな彼等は、再び訓練を兼ねて【オルクス大迷宮】に挑む事になったのだ。今回もメルドと数人の騎士団員が付き添っている。

 

 

 今日で迷宮攻略六日目。

 現在の階層は六十層だ。確認されている最高到達階数まで後五層である。

 しかし、光輝達は現在立ち往生していた。正確には先へ行けないのではなく、いつかの悪夢を思い出して思わず立ち止まってしまったのだ。

 

 そう、彼等の目の前にはいつかのものとは異なるが、同じ様な断崖絶壁が広がっていたのである。次の階層へ行くには崖にかかった吊り橋を進まなければならない。それ自体は問題ないが、やはり思い出してしまうのだろう。特に香織は、奈落へと続いているかの様な崖下の闇をジッと見つめたまま動かなかった。

「香織……」

 雫の心配そうな呼び掛けに、強い眼差しで眼下を眺めていた香織はゆっくりと頭を振ると、雫に微笑んだ。

「大丈夫だよ、雫ちゃん」

「そう……無理しないでね? 私に遠慮する事なんてないんだから」

「えへへ、ありがと、雫ちゃん」

 雫もまた親友に微笑んだ。香織の瞳は強い輝きを放っている。そこに現実逃避や絶望は見て取れない。洞察力に優れ、人の機微に敏感な雫には、香織が本心で大丈夫だと言っているのだと分かった。

 

(やっぱり、香織は強いわね)

 ソウゴの死はほぼ確定事項だ。その生存は絶望的と言うのも生温い。それでも逃避でも否定でもなく、自らの納得のため前へ進もうとする香織に、雫は親友として誇らしい気持ちで一杯だった。

 

 

 だが、そんな空気は読まないのが勇者クオリティ。

 

 

 光輝の目には、眼下を見つめる香織の姿がソウゴの死を思い出し嘆いている様に映った。クラスメイトの死に、優しい香織は今も苦しんでいるのだと結論づけた。故に思い込みというフィルターがかかり、微笑む香織の姿も無理している様にしか見えない。

 そして香織がソウゴを特別に想っていて、まだ生存の可能性を信じている等と露程にも思っていない光輝は、度々香織にズレた慰めの言葉をかけてしまうのだ。

「香織……君の優しいところ、俺は好きだ。でも、クラスメイトの死に何時までも囚われていちゃいけない! 前へ進むんだ。きっと、常磐もそれを望んでる」

「ちょっと、光輝……」

「雫は黙っていてくれ! 例え厳しくても、幼馴染である俺が言わないといけないんだ。……香織、大丈夫だ。俺が傍にいる、俺は死んだりしない、もう誰も死なせはしない。香織を悲しませたりしないと約束するよ」

「はぁ~、何時もの暴走ね……香織……」

「あはは、大丈夫だよ、雫ちゃん。……えっと、光輝くんも言いたい事は分かったから大丈夫だよ」

「そうか、わかってくれたか!」

 光輝の見当違い全開の言葉に、香織は苦笑いするしかない。

 

 恐らく、今の香織の気持ちを素直に話しても、光輝には伝わらないだろう。

 光輝の中でソウゴは既に死んだ事になっている。故に、香織の訓練への熱意や迷宮攻略の目的がソウゴの生存を信じてのものとは考えられない。自分の信じた事を疑わず貫き通す性分は、そんな香織の気持ちも現実逃避をしているか心を病んでしまっていると解釈するだろう。

 長い付き合い故に光輝の思考パターンを何となく分かってしまう香織は、だからこそ何も言わず合わせるのだった。

 

 因みに、完全に口説いている様にしか思えないセリフだが、本人は至って真面目に下心なく語っている。光輝の言動に慣れてしまっている雫と香織は普通にスルーしているが、他の女子生徒なら甘いマスクや雰囲気と相まって一発で落ちているだろう。

 

 普通、イケメンで性格もよく文武両道とくれば、その幼馴染の女の子は惚れていそうなものだが、雫は小さい頃から実家の道場で大人の門下生と接していた事、厳格な父親の影響、そして天性の洞察力で光輝の欠点とも言うべき正義感に気がついていた事から、それに振り回される事も多く幼馴染として以上の感情は抱いていなかった。尤も、他の人よりは大切である事に変わりはないが。

 香織は生来の恋愛鈍感スキルと雫から色々聞かされているので、光輝の言動にときめく事ができない。いい人だと思っているし、幼馴染として大切にも思っているが恋愛感情には結びつかなかった。

 

「香織ちゃん、私応援しているから、出来る事があったら言ってね」

「そうだよ~、鈴は何時でもカオリンの味方だからね!」

 光輝との会話を傍で聞いていて、会話に参加したのは中村恵里と谷口鈴だ。

 二人共、高校に入ってからではあるが香織達の親友と言っていい程仲の良い関係で、光輝率いる勇者パーティーにも加わっている実力者だ。

 

 中村恵里はメガネを掛け、ナチュラルボブにした黒髪の美人である。性格は温和で大人しく基本的に一歩引いて全体を見ているポジションだ。本が好きで、正に典型的な図書委員といった感じの少女である。実際、図書委員でもある。

 

 谷口鈴は、身長百四十二センチのちみっ子である。尤も、その小さな体には何処に隠しているのかと思う程無尽蔵の元気が詰まっており、常に楽しげでチョロリンと垂れたおさげと共にぴょんぴょんと跳ねている。その姿は微笑ましく、クラスのマスコット的な存在だ。

 

 そんな二人も、ソウゴが奈落に落ちた日の香織の取り乱し様にその気持ちを悟り、香織の目的にも賛同してくれている。

「うん、恵里ちゃん、鈴ちゃん、ありがとう」

 高校で出来た親友二人に、嬉しげに微笑む香織。

「うぅ~、カオリンは健気だねぇ~、常磐君め! 鈴のカオリンをこんなに悲しませて! 生きてなかったら鈴が殺っちゃうんだからね!」

「す、鈴? 生きてなかったら、その、こ、殺せないと思うよ?」

「細かい事はいいの! そうだ、死んでたらエリリンの降霊術でカオリンに侍せちゃえばいいんだよ!」

「す、鈴、デリカシーないよ! 香織ちゃんは、常磐君は生きてるって信じてるんだから! それに私、降霊術は……」

 鈴が暴走し恵里が諌める。それがデフォだ。

 いつも通りの光景を見せる姦しい二人に、楽しげな表情を見せる香織と雫。因みに、光輝達は少し離れているので聞こえていない。肝心な話やセリフに限って聞こえなくなる難聴スキルは、当然の如く光輝にも備わっている。

「恵里ちゃん、私は気にしてないから平気だよ?」

「鈴もそれくらいにしなさい。恵里が困ってるわよ?」

 香織と雫の苦笑い混じりの言葉に「むぅ~」と頬を膨らませる鈴。恵里は、香織が鈴の言葉を本気で気にしていない様子にホッとしながら、降霊術という言葉に顔を青褪めさせる。

「エリリン、やっぱり降霊術苦手? せっかくの天職なのに……」

「……うん、ごめんね。ちゃんと使えれば、もっと役に立てるのに……」

「恵里、誰にだって得手不得手はあるわ。魔法の適性だって高いんだから気にすることないわよ?」

「そうだよ、恵里ちゃん。天職って言っても、その分野の才能があるというだけで好き嫌いとは別なんだから。恵里ちゃんの魔法は的確で正確だから皆助かってるよ?」

「うん、でもやっぱり頑張って克服する。もっと皆の役に立ちたいから」

 恵里が小さく拳を握って決意を表す。鈴はそんな様子に「その意気だよ、エリリン!」とぴょんぴょん飛び跳ね、香織と雫は友人の頑張りに頬を緩める。

 

 恵里の天職は、"降霊術師"である。

 闇系魔術は精神や意識に作用する系統の魔術で、実戦等では基本的に対象にバッドステータスを与える魔術と認識されている。

 降霊術はその闇系魔術の中でも超高難度魔術で、死者の残留思念に作用する魔術だ。聖教教会の司祭の中にも幾人かの使い手がおり、死者の残留思念を汲み取り遺族等に伝えるという何とも聖職者らしい使用方法がなされている。

 

 尤も、この魔術の真髄はそこではない。この魔術の本当の使い方は、遺体の残留思念を魔術で包み実体化の能力を与えて使役したり、遺体に憑依させて傀儡化するというものだ。つまり、生前の技能や実力を劣化してはいるが発揮出来る死人、それを使役出来るのである。また、生身の人間に憑依させる事でその技術や能力をある程度トレースする事も出来る。

 

 しかし、ある程度の受け答えは出来るもののその見た目は青白い顔をした生気の無い、正に幽霊という印象であり、また死者を使役するという事に倫理的な嫌悪感を覚えてしまうので、恵里はこの術の才能があってもまるで使えていなかった。

 

 

 そんな女子四人の姿を、正確には香織を、後方から暗い瞳で見つめる者がいた。

 

 檜山大介である。あの日王都に戻ってしばらく経ち、生徒達にも落ち着きが戻ってきた頃、案の定あの窮地を招いた檜山には厳しい批難が待っていた。

 

 檜山は当然予想していたので、ただ只管土下座で謝罪するに徹した。こういう時、反論する事が下策以外の何物でもないと知っていたからだ。特に、謝罪するタイミングと場所は重要だ。

 檜山の狙いは光輝の目の前での土下座である。光輝なら確実に謝罪する自分を許しクラスメイトを執り成してくれると予想していたのである。

 その狙いは功を奏し、光輝の許しの言葉で檜山に対する批難は収まった。香織も元来の優しさから、涙ながらに謝罪する檜山を特段責めるような事はしなかった。檜山の計算通りである。

 

 尤も、雫は薄々檜山の魂胆に気がついており、幼馴染を利用した事に嫌悪感を抱いた様だが。

 

 また、例の人物からの命令も黙々と熟した。とても恐ろしい命令だった。戦慄すべき命令だった。強烈な忌避感を感じたが、一線を越えてしまった檜山はもう止まる事が出来なかった。

 しかし、クラスにごく自然と溶け込みながら裏では恐ろしい計画を練っているその人物に、檜山は畏怖と同時に歓喜の念も抱いていた。

(あいつは狂ってやがる。……だが、付いて行けば香織は俺の……)

 言う事を聞けば香織が手に入る、その言葉に暗い喜びを感じ思わず口元に笑みが浮かぶ檜山。

 

「おい、大介? どうかしたのか?」

 

 檜山のおかしな様子に、近藤や中野、斎藤が怪訝そうな表情をしている。この三人は今でも檜山とつるんでいる。元々、類は友を呼ぶと言う様に似た者同士の四人、一時期はギクシャクしたものの、檜山の殊勝な態度に友情を取り戻していた。

 尤も、それが本当の意味での友情と言えるかは甚だ微妙ではあるが……。

「い、いや、何でもない。もう六十層を越えたんだと思うと嬉しくてな」

「あ~、確かにな。あと五層で歴代最高だもんな~」

「俺等、相当強くなってるよな。全く、居残り組は根性無さ過ぎだろ」

「まぁ、そう言うなって。俺らみたいな方が特別なんだからよ」

 檜山の誤魔化しに、特に何の疑問も抱かず同調する三人。

 戦い続ける自分達を特別と思って調子づいているのは小悪党が小悪党たる所以だろう。王宮でも居残り組に対して実に態度がでかい。横柄な態度に苦情が出ているくらいだ。しかし六十層を突破できるだけの確かな実力があるので、強く文句を言えないところである。

 

 尤も、勇者パーティーには及ばないので彼らも光輝達の傍では実に大人しい。小物らしい行動原理である。

 

 

 一行は特に問題も無く、遂に歴代最高到達階層である六十五層に辿り着いた。

「気を引き締めろ! ここのマップは不完全だ。何が起こるか分からんからな!」

 付き添いのメルドの声が響く。光輝達は表情を引き締め未知の領域に足を踏み入れた。

 暫く進んでいると、大きな広間に出た。何となく嫌な予感がする一同。

 その予感は的中した。広間に侵入すると同時に、部屋の中央に魔法陣が浮かび上がったのだ。赤黒い脈動する直径十メートル程の魔法陣。それは、とても見覚えのある魔法陣だった。

 

「ま、まさか……アイツなのか!?」

 

 光輝が額に冷や汗を浮かべながら叫ぶ。他のメンバーの表情にも緊張の色がはっきりと浮かんでいた。

「マジかよ、アイツは死んだんじゃなかったのかよ!」

 龍太郎も驚愕を露わにして叫ぶ。それに応えたのは、険しい表情をしながらも冷静な声音のメルドだ。

「迷宮の魔物の発生原因は解明されていない。一度倒した魔物と何度も遭遇することも普通にある、気を引き締めろ! 退路の確保を忘れるな!」

 いざと言う時、確実に逃げられる様に先ず退路の確保を優先する指示を出すメルド。それに部下が即座に従う。だが、光輝がそれに不満そうに言葉を返した。

「メルドさん。俺達はもうあの時の俺達じゃありません。何倍も強くなったんだ! もう負けはしない! 必ず勝ってみせます!」

「へっ、その通りだぜ。何時までも負けっぱなしは性に合わねぇ。ここらでリベンジマッチだ!」

 龍太郎も不敵な笑みを浮かべて呼応する。メルドはやれやれと肩を竦め、確かに今の光輝達の実力なら大丈夫だろうと、同じく不敵な笑みを浮かべた。

 そして、遂に魔法陣が爆発したように輝き、かつての悪夢が再び光輝達の前に現れた。

 

「グゥガァアアア!!!」

 

 咆哮を上げ、地を踏み鳴らす異形。ベヒモスが光輝達を壮絶な殺意を宿らせた眼光で睨む。

 全員に緊張が走る中、そんなものとは無縁の決然とした表情で真っ直ぐ睨み返す女の子が一人。

 香織である。香織は誰にも聞こえない位の、しかし確かな意志の力を宿らせた声音で宣言した。

「もう誰も奪わせない。あなたを踏み越えて、私は彼の下へ行く」

 今、過去を乗り越える戦いが始まった。

 

 

 先手は光輝だった。

 

「万翔 羽ばたき、天へと至れ、"天翔閃"!」

 

 曲線状の光の斬撃がベヒモスに轟音を響かせながら直撃する。以前はソウゴに庇われて直ぐにメルドに抱えられ、真面に戦う事も出来なかった。しかし、いつまでもあの頃のままではないという光輝の宣言は、結果を以て証明された。

「グゥルガァアア!?」

 悲鳴を上げ地面を削りながら後退するベヒモスの胸にはくっきりと斜めの剣線が走り、赤黒い血を滴らせていたのだ。

「いける、俺達は確実に強くなってる! 永山達は左側から、檜山達は背後を、メルド団長達は右側から! 後衛は魔法準備、上級を頼む!」

 光輝が矢継ぎ早に指示を出す。メルド直々の指揮官訓練の賜物だ。

「ほぅ、迷いなくいい指示をする。聞いたな? 総員、光輝の指揮で行くぞ!」

 メルドが叫び騎士団員を引き連れベヒモスの右サイドに回り込むべく走り出した。それを機に一斉に動き出し、ベヒモスを包囲する。

 前衛組が暴れるベヒモスを後衛には行かすまいと必死の防衛線を張る。

「グルゥアアア!!」

 ベヒモスが踏み込みで地面を粉砕しながら突進を始める。

「させるかっ!」

「行かせん!」

 クラスの二大巨漢、坂上龍太郎と永山重吾がスクラムを組む様にベヒモスに組み付いた。

「「猛り地を割る力をここに! “剛力”!」」

 身体能力、特に膂力を強化する魔術を使い、地を滑りながらベヒモスの突進を受け止める。

「ガァアア!!」

「らぁあああ!!」

「おぉおおお!!」

 三者三様に雄叫びをあげ力を振り絞る。ベヒモスは矮小な人間如きに完全には止められないまでも勢いを殺され苛立つ様に地を踏み鳴らした。

 

 その隙を他のメンバーが逃さない。

 

「全てを切り裂く至上の一閃──"絶断"!」

 雫の抜刀術がベヒモスの角に直撃する。魔術によって切れ味を増したアーティファクトの剣が半ばまで食い込むが、切断するには至らない。

「ぐっ、相変わらず堅い!」

「任せろ! 粉砕せよ、破砕せよ、爆砕せよ、"豪撃"!」

 メルドが飛び込み、半ばまで刺さった雫の剣の上から自らの騎士剣を叩きつけた。魔術で剣速を上げると同時に腕力をも強化した鋭く重い一撃が雫の剣を押し込む様に衝撃を与える。

 そして、遂にベヒモスの角の一本が半ばから断ち切られた。

「ガァアアアア!?」

 角を切り落とされた衝撃にベヒモスが渾身の力で大暴れし、永山、龍太郎、雫、メルドの四人を吹き飛ばす。

「優しき光は全てを抱く "光輪"!」

 衝撃に息を詰まらせ地面に叩きつけられそうになった四人を光の輪が無数に合わさって出来た網が優しく包み込んだ。香織が行使した、形を変化させる事で衝撃を殺す光の防御魔術だ。

 香織は間髪入れず、回復系呪文を唱える。

「天恵よ、遍く子らに癒しを、"回天"」

 香織の詠唱完了と同時に、触れてもいないのに四人が同時に癒されていく。遠隔の、それも複数人を同時に癒せる中級光系回復魔術だ。以前使った"天恵"の上位版である。

 

 光輝が突きの構えを取り、未だ暴れるベヒモスに真っ直ぐ突進した。そして、先ほどの傷口に切っ先を差し込み、突進中に詠唱を終わらせて魔術発動の最後のトリガーを引く。

「"光爆"!」

 聖剣に蓄えられた膨大な魔力が、差し込まれた傷口からベヒモスへと流れ込み大爆発を起こした。

「ガァアアア!!」

 傷口を抉られ大量の出血をしながら、技後硬直中の僅かな隙を逃さずベヒモスが鋭い爪を光輝に振るった。

「ぐぅうう!!」

 呻き声を上げ吹き飛ばされる光輝。爪自体はアーティファクトの聖鎧が弾いてくれたが、衝撃が内部に通り激しく咳き込む。しかし、その苦しみも一瞬だ。すかさず香織の回復魔術がかけられる。

「天恵よ 彼の者に今一度力を "焦天"」

 先程の回復魔術が複数人を対象に同時回復できる代わりに効果が下がるものとすれば、これは個人を対象に回復効果を高めた魔術だ。光輝は光に包まれ一瞬で全快する。

 ベヒモスが、光輝が飛ばされた間奮闘していた他のメンバーを咆哮と跳躍による衝撃波で吹き飛ばし、折れた角にもお構いなく赤熱化させていく。

「……角が折れても出来るのね。あれが来るわよ!」

 雫の警告とベヒモスの跳躍は同時だった。ベヒモスの固有魔術は経験済みなので皆一斉に身構える。しかし、今回のベヒモスの跳躍距離は予想外だった。

 何と光輝達前衛組を置き去りにし、その頭上を軽々と超えて後衛組にまで跳んだのだ。大橋での戦いでは直近にしか跳躍しなかったし、あの巨体でここまで跳躍できるとは夢にも思わず、前衛組が焦りの表情を見せる。

 だが、後衛組の一人が呪文詠唱を中断して、一歩前に出た。谷口鈴だ。

 

「ここは聖域なりて、神敵を通さず "聖絶"!!」

 

 呪文の詠唱により光のドームが出来るのとベヒモスが隕石の如く着弾するのは同時だった。凄まじい衝撃音と衝撃波が辺りに撒き散らされ、周囲の石畳を蜘蛛の巣状に粉砕する。

 しかし、鈴の発動した絶対の防御は確りとベヒモスの必殺を受け止めた。だが、本来の四節からなる詠唱ではなく、二節で無理やり展開した詠唱省略の"聖絶"では本来の力は発揮出来ない。

 実際、既に障壁には罅が入り始めている。天職"結界師"を持つ鈴でなければ、ここまで持たせるどころか発動すら出来なかっただろう。鈴は歯を食いしばり、二節分しか注げない魔力を注ぎ込みながら必死に両手を掲げてそこに絶対の障壁をイメージする。罅割れた障壁など存在しない。自分の守りは絶対だと。

「ぅううう! 負けるもんかぁー!」

 障壁越しにベヒモスの殺意に満ちた眼光が鈴を貫き、全身を襲う恐怖と不安に、掲げた両手が震える。弱気を払って必死に叫ぶが限界はもうそこだ。ベヒモスの攻撃は未だ続いており、もう十秒も持たない。

 破られる! 鈴がそう心の内で叫んだ瞬間、

 

「天恵よ、神秘をここに、"譲天"」

 

 鈴の体が光に包まれ、"聖絶"に注がれる魔力量が跳ね上がった。香織の回復系魔術だ。本来は他者の魔力を回復させる魔術だが、魔法陣に注ぐ魔力に合わせて発動する事で、流入量を本来の量まで増幅させる事が出来る。"譲天"の応用技だ。天職"治癒師"である香織だからこそ出来る魔術である。

「これなら! カオリン愛してる!」

 鈴は、一気に本来の四節分の魔力が流れ込むと同時に完璧な"聖絶"を張り直す。パシンッと乾いた音を響かせ障壁の罅が一瞬で修復された。ベヒモスは障壁を突破できない事に苛立ち、怒りも表に生意気な術者を睨みつけるが、鈴も気丈に睨み返し一歩も引かない。

 

 そして遂に、ベヒモスの角の赤熱化が効果を失い始めた。ベヒモスが突進力を失って地に落ちる。同時に、鈴の"聖絶"も消滅した。

 

 肩で息をする鈴にベヒモスが狙いを定めるが、既に前衛組がベヒモスに肉薄している。

「後衛は後退しろ!」

 光輝の指示に後衛組が一気に下がり、前衛組が再び取り囲んだ。ヒット&アウェイでベヒモスを翻弄し続け、遂に待ちに待った後衛の詠唱が完了する。

「下がって!」

 後衛代表の恵里から合図がでる。光輝達は、渾身の一撃をベヒモスに放ちつつ、その反動も利用して一気に距離をとった。

 その直後、炎系上級攻撃魔術のトリガーが引かれた。

 

 

「「「「「"炎天"!」」」」」

 

 

 術者五人による上級魔術。超高温の炎が球体となり、さながら太陽の様に周囲一帯を焼き尽くす。ベヒモスの直上に創られた"炎天"は一瞬で直径八メートルに膨らみ、直後、ベヒモスへと落下した。

 

 絶大な熱量がベヒモスを襲う。あまりの威力の大きさに味方までダメージを負いそうになり、慌てて結界を張っていく。"炎天"はベヒモスに逃げる暇すら与えずに、その堅固な外殻を融解していった。

「グゥルァガァアアアア!!!!」

 ベヒモスの断末魔が広間に響き渡る。いつか聞いたあの絶叫だ。鼓膜が破れそうな程のその叫びは少しずつ細くなり、やがてその叫びすら燃やし尽くされたかの様に消えていった。

 そして、後には黒ずんだ広間の壁と……ベヒモスの物と思しき僅かな残骸だけが残った。

 

「か、勝ったのか?」

「勝ったんだろ……」

「勝っちまったよ……」

「マジか?」

「マジで?」

 

 皆が皆、呆然とベヒモスがいた場所を眺め、ポツリポツリと勝利を確認する様に呟く。同じく、呆然としていた光輝が、我を取り戻したのかスっと背筋を伸ばし聖剣を頭上へ真っ直ぐに掲げた。

 

「そうだ! 俺達の勝ちだ!」

 

 キラリと輝く聖剣を掲げながら勝鬨を上げる光輝。その声に漸く勝利を実感したのか、一斉に歓声が沸きあがった。男子連中は肩を叩き合い、女子達はお互いに抱き合って喜びを表にしている。メルド達も感慨深そうだ。

 そんな中、未だにボーっとベヒモスのいた場所を眺めている香織に雫が声を掛けた。

「香織? どうしたの?」

「えっ、ああ、雫ちゃん。……ううん、何でもないの。ただ、ここまで来たんだなってちょっと思っただけ」

 苦笑いしながら雫に答える香織。嘗ての悪夢を倒す事が出来る位強くなった事に対し感慨に浸っていたらしい。

「そうね。私達は確実に強くなってるわ」

「うん……雫ちゃん、もっと先へ行けば常磐くんも……」

「それを確かめに行くんでしょ?その為に頑張っているんじゃない」

「えへへ、そうだね」

 先へ進める。それはソウゴの安否を確かめる具体的な可能性がある事を示している。答えが出てしまう恐怖に、つい弱気が出たのだろう。それを察して、雫がグッと力を込めて香織の手を握った。

 その力強さに香織も弱気を払ったのか、笑みを見せる。

 そんな二人の所へ光輝達も集まってきた。

「二人共、無事か? 香織、最高の治癒魔法だったよ。香織がいれば何も怖くないな!」

 爽やかな笑みを浮かべながら香織と雫を労う光輝。

「ええ、大丈夫よ。光輝は……まぁ、大丈夫よね」

「うん、平気だよ、光輝くん。皆の役に立ててよかったよ」

 同じく微笑をもって返す二人。しかし、次ぐ光輝の言葉に少し心に影が差した。

「これで、常磐も浮かばれるな。自分を突き落とした魔物を自分が守ったクラスメイトが討伐したんだから」

 

「「……」」

 

 光輝は感慨に耽った表情で雫と香織の表情には気がついていない。どうやら光輝の中で、ソウゴを奈落に落としたのはベヒモスのみ(・・)という事になっているらしい。

 確かに間違いではない。直接の原因はベヒモスの固有魔術による衝撃で橋が崩落した事だ。しかしより正確には、撤退中のソウゴに魔術が撃ち込まれてしまった事だ。

 

 今では暗黙の了解としてその時の話はしない様になっているが、事実は変わらない。だが、光輝はその事実を忘れてしまったのか意識していないのかベヒモスさえ倒せばソウゴは浮かばれると思っている様だ。基本、人の善意を無条件で信じる光輝にとって、過失というものはいつまでも責めるものではないのだろう。まして、故意に為されたなどとは夢にも思わないだろう。

 

 しかし、香織は気にしない様にしていても忘れる事は出来ない。"誰か"を知らないから耐えられているだけで、知れば必ず責め立ててしまうのは確実だ。だからこそ、無かった事にしている光輝の言葉に少しショックを受けてしまった。

 雫が溜息を吐く。思わず文句を言いたくなったが、光輝に悪気が無いのはいつもの事だ。寧ろ精一杯、ソウゴの事も香織の事も思っての発言である。ある意味だからこそ性質が悪いのだが。それに、周りには喜びに沸くクラスメイトがいる。このタイミングであの時の話をする程雫は空気が読めない女ではなかった。

 若干微妙な空気が漂う中、クラス一の元気っ子が飛び込んできた。

「カッオリ~ン!」

 そんな奇怪な呼び声と共に鈴が香織にヒシッと抱きつく。

「ふわっ!?」

「えへへ、カオリン超愛してるよ~! カオリンが援護してくれなかったらペッシャンコになってるところだよ~」

「も、もう、鈴ちゃんったら。ってどこ触ってるの!」

「げへへ、ここがええのんか? ここがええんやっへぶぅ!?」

 鈴の言葉に照れていると、鈴が調子に乗り変態オヤジの如く香織の体を弄る。それに雫が手刀で対応。些か激しいツッコミが鈴の脳天に炸裂した。

「いい加減にしなさい。誰が鈴のものなのよ……香織は私のよ?」

「雫ちゃん!?」

「ふっ。そうはさせないよ~、カオリンとピーでピーな事するのは鈴なんだよ!」

「鈴ちゃん!? 一体何する気なの!?」

 雫と鈴の香織を挟んでのじゃれ合いに、香織が忙しそうにツッコミを入れる。いつしか微妙な空気は払拭されていた。

 これより先は完全に未知の領域。光輝達は過去の悪夢を振り払い先へと進むのだった。

 

 

 

 

「先程から倒し続けているが、中々鬱陶しいな」

「……ソウゴ様、ファイト……」

 

 

 一方、時間は戻りソウゴ側。

 

 現在、ソウゴはユエを背負いながら草むらの中で魔物達の首を次から次へと跳ねていた。周りは百六十センチメートル以上ある雑草が生い茂りソウゴの胸下付近まで隠してしまっている。ユエなら完全に姿が見えなくなっているだろう。

 そんな生い茂る雑草を鬱陶しそうに払い除けながら、

 

『シャァアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

 ソウゴは二百体近い魔物を捌いていた。

 

 

 

 時間は少し遡る。

 ユエがどうにかソウゴの血を吸って空腹感を満たした後、二人は十階層程経て現在の階層に降り立った。因みに、背中の逢魔剣は腰に提げる事にした。

 

 先ず見えたのは樹海だった。十メートルを超える木々が鬱蒼と茂っており、空気はどこか湿っぽい。しかし、以前通った熱帯林の階層と違ってそれ程暑くはないのが救いだろう。

 

 ソウゴとユエが階下への階段を探して探索していると、突然ズズンッという地響きが耳に届いた。何事かと視線を向ける二人の前に現れたのは、巨大な爬虫類を思わせる魔物だ。見た目は完全にティラノサウルスである。

 

 但し、なぜか頭に一輪の可憐な花を生やしていたが……。

 

 鋭い牙と迸ほとばしる殺気が議論の余地なくこの魔物の凶暴さを示していたが、ついっと視線を上に向けると向日葵に似た花がふりふりと動く。かつてないシュールさだった。

 ティラノサウルスが咆哮を上げソウゴ達に向かって突進してくる。

 ソウゴが逢魔剣を抜こうとすると、それを制するように前に出たユエがスッと手を掲げた。

 

「"緋槍"」

 

 ユエの手元に現れた炎は渦を巻いて円錐状の槍の形をとり、一直線にティラノの口内目掛けて飛翔し、あっさり突き刺さって、そのまま貫通。周囲の肉を容赦なく溶かして一瞬で絶命させた。地響きを立てながら横倒しになるティラノ。

 そして、頭の花がポトリと地面に落ちた。

「見事だ」

 それを見てソウゴは拍手と称賛の一言を送った。ユエは振り返ってソウゴを見ると、無表情ながらどこか不満気な顔をする。

「……褒めてくれるのは、嬉しい。でも……ソウゴ様に比べれば、まだまだ」

 どうやら封印の間で見たソウゴの一撃と自分の魔術を比べて落ち込んでいるらしい。そんなユエの頭をソウゴは撫でる。

「そう卑下するものではない。ユエの魔術はそう並ぶ者のいない素晴らしいものではないか」

「でも……」

「自分が足手まといだとでも思っているのか?」

 ソウゴにそう訊かれ、ユエはコクンと頷く。

「存外控えめな性格よな。いいか? ユエが後ろに控えているから、私は安心して前に出られるのだ。それに先程の魔術も、私の手を煩わせまいとしたのだろう? その気遣いで十分だ」

「……ソウゴ様……ん」

 ソウゴに注意されてしまい若干シュンとするユエ。

 

 ソウゴは、どうにもソウゴの役に立つ事に拘り過ぎるきらいのあるユエに苦笑いしながら、彼女の柔らかな髪を撫でる。それだけでユエはほっこりした表情になって機嫌が戻ってしまうのだから、ソウゴとしては微笑ましいものだ。

 

 すると、ソウゴの"感知"に続々と魔物が集まってくる気配が捉えられた。

 十体程の魔物が取り囲む様にソウゴ達の方へ向かってくる。統率の取れた動きに、二尾狼の様な群れの魔物か? と思いながら、ユエを促して集中させる。

 ソウゴは右手を翳し、掌にサッカーボール大の紫の球体を出現させる。

 球体はソウゴの頭上十メートル程で弾け、無数の針に形を変えてソウゴ達の周囲に降り注いだ。

 気配が消えた事を確認したソウゴは、ユエを伴ってその内の一体の場所へ向かう。

 そうして生い茂った草を払い除けた先には、全身に針が突き刺さった体長二メートル強の爬虫類、例えるならラプトル系の恐竜の様な魔物の死骸があった。

 

 頭の傍にチューリップの様な花を落として。

 

「……かわいい」

「……どういう事だ?」

 ユエが思わずほっこりしながら呟けば、ソウゴはシリアスブレイカーな魔物に訝し気な目を向ける。

 因みに残る九体も確認すると、皆同じく頭の傍にチューリップの様な花が落ちていた状態だった。違うのは花の色ぐらいだ。

 そうして十体目の確認が終わると同時、“感知”が再び魔物の接近を捉えた。全方位から夥しい数の魔物が集まってくる。

「ユエ。直近で三十……いや、四十以上の魔物が急速接近中だ。全方位から囲む様に集まっている」

「……逃げる?」

「……いや、面倒だ。一番高い樹の天辺から殲滅する」

「ん……特大のいく」

「任せよう」

 ソウゴとユエは高速で移動しながら周囲で一番高い樹を見つける。そして、その枝に飛び乗り、眼下の足がかりになりそうな太い枝を砕いて魔物が登り難い様にした。

 それと共にソウゴは"機召銃マグナバイザー"、"ブドウ龍砲"を出現させる。するとユエがそっとソウゴの服の裾を掴んだのがわかった。手が塞がっているので代わりに少しだけ体を寄せてやる。ユエの掴む手が少し強くなった。

 

 そして第一陣が登場した。ラプトルだけでなくティラノもいる。ティラノは樹に体当たりを始め、ラプトルは器用にカギ爪を使ってヒョイヒョイと樹を登ってくる。

 ソウゴは引き金を引いた。発砲音と共に閃光が幾筋も降り注ぎカギ爪で樹にしがみついていたラプトルを一体も残さず撃ち落とす。

 弾切れが存在しない銃撃の嵐に、二十を超える数が一瞬で地に落ちる。

 しかし、眼下にはまだ三十体を超えるラプトルと四体のティラノが犇めき合い、ソウゴ達のいる大木をへし折ろうと、或いは登って襲おうと群がっている。

「ソウゴ様?」

「まだだ」

 ユエの呼び掛けにラプトルを撃ち落としながら答えるソウゴ。ユエはソウゴを信じて只管魔力の集束に意識を集中させる。

 そして遂に眼下の魔物が総勢五十体を超え、"感知"で捉えた魔物の数に達したところでソウゴはユエに合図を送った。

「今だ」

「んっ! "凍獄"!」

 

 ユエが魔術のトリガーを引いた瞬間、ソウゴ達のいる樹を中心に眼下が一気に凍てつき始めた。ビキビキッと音を立てながら瞬く間に蒼氷に覆われていき、魔物に到達すると花が咲いたかの様に氷がそそり立って氷華を作り出していく。

 魔物は一瞬の抵抗も許されずに、その氷華の柩に閉じ込められ目から光を失っていった。氷結範囲は指定座標を中心に五十メートル四方。まさに"殲滅魔術"というに相応しい威力である。

 

「はぁ……はぁ……」

「よくやった。流石は吸血姫だ」

「……くふふ……」

 周囲一帯、まさに氷結地獄と化した光景を見てユエを労うソウゴ。ユエは最上級魔術を使った影響で魔力が一気に消費されてしまい肩で息をしている。恐らく酷い倦怠感に襲われている事だろう。

 ソウゴは傍らでへたり込むユエの腰に手を回して支えながら、首筋を差し出す。吸血させて回復させるのだ。それが一番効率がいい。

 

 因みに前回の吸血で一応の抗体はできたので、以前より問題は無い。

 

 ユエは、ソウゴの労いに僅かに口元を綻ばせながら照れた様に「くふふ」と笑いを漏らし、差し出された首筋に頬を赤らめながら口を付けようとした。

 だが、それを止める様に突如ソウゴが立ち上がる。ソウゴの"感知"が更に百体以上の魔物を捉えたからだ。

「ユエ、更に倍の数だ」

「!?」

「たった今、全滅したところでまた特攻、まるで強制されてる様に……。あの花、もしや」

「……寄生?」

「であろうな」

 そこまで言って、互いに頷く。

「……本体がいる筈」

「早急に叩かねばな。流石に面倒だ」

 ソウゴ達は物量で押しつぶされる前に、恐らく魔物達を操っているのであろう魔物の本体を探す事にした。でなければ、とても階下探しなどしていられない。

 座り込んでいるユエに吸血させている暇はないので、ソウゴはユエを背負う。

「ソウゴ様?」

「この状態なら血を吸えるだろう?」

 ソウゴがそう言うと、ユエは見た目相応の笑顔を浮かべてソウゴの背中に抱きついた。それを確認したソウゴは、樹から飛び降りた。

 

 

 そして場面は冒頭に戻る。

 

 ソウゴ達は現在、二百近い魔物に囲まれている。ユエは背中に背負われたままだ。

 後ろからは魔物が地響きを立てながら迫っている。背の高い草むらに隠れながらラプトルが併走し四方八方から飛びかかってくる。

「ここまでにしておくか」

「ソウゴ様…?」

「先の蠍擬きの反省から肉が残る様に対処していたが、この数になると流石に面倒だ。纏めて焼き払う。少し飛ぶ、しっかり掴まっていろ」

「……わかった」

 

 言うが早いか、ソウゴは飛び上がりラプトルが届かない高度で止まる。

 続けて、ソウゴは逢魔剣を掲げた。刹那、ソウゴの全身から黒金の魔力光が迸り、剣の切っ先を伝い上空へと打ち上がる。

 その光は到達と共に雷雲へと変化し、轟々と唸りながら夜よりも濃く黒い強大な空そのものになる。

「……なんて、規模…!」

「ふむ、ここはユエに倣うとするか」

「?」

 ソウゴの言葉に疑問符を浮かべるユエを他所に、ソウゴは自らが作り出した現象の名を告げる。

「"天災・崩天万雷"」

 

 その途端、光の瀑布が大地に降り注ぐ。

 世界を砕かんばかりの光と音。数えきれない程の稲妻が降り注ぐ。

 降り注ぐ万雷は眼下の魔物達に突き刺さり、その都度爆発を起こし魔物達を、地面を炎に包む。

 時間にして約十秒程して、雨の如く降り注いだ雷が止む。その跡には抉れた地面だけが残った。

 

「大体片付いたか」

 魔物達が一掃された事を確認し、ソウゴは地面に降りて再び"感知"を使う。そして今通っている草むらの向こう側にみえる迷宮の壁、その中央付近にある縦割れの洞窟らしき場所に目を付けた。

「ユエ、歩けるか?」

「……うん。ソウゴ様、やっぱり凄い」

 驚愕と尊敬に目を輝かせるユエを伴い、ソウゴは縦割れに向かって歩き出した。

 

 

 縦割れの洞窟は大の大人が二人並べば窮屈さを感じる狭さだ。ソウゴは先に入り、直近の危険が無い事を確認してからユエに入ってくる様促した。

 暫く道なりに進んでいると、やがて大きな広間に出た。広間の奥には更に縦割れの道が続いている。もしかすると階下への階段かもしれない。ソウゴは辺りを探る。"感知"には何も反応は無いが、万が一を考え警戒は怠らない。気配感知を誤魔化す魔物など、この迷宮にはごまんといるのだ。

 

 ソウゴ達が部屋の中央までやってきた時、それは起きた。

 

 全方位から緑色のピンポン玉の様な物が無数に飛んできたのだ。ソウゴとユエは一瞬で背中合わせになり、飛来する緑の球を迎撃する。

 ソウゴは周囲に同じ様な光の玉を複数出現させ、そこから幾筋もの閃光を迸らせ緑球を撃ち抜いていく。ユエの方も問題無く、速度と手数に優れる風系の魔術で迎撃している。

「さして脅威にも思えんが…、どう思う?」

「……」

「どうした?」

 敵の意図を探る為、ユエにも意見を求めるソウゴ。しかし、ソウゴの質問にユエは答えない。訝しみ尚話しかけるソウゴだが、その返答は……

 

「……逃げて……ソウゴ様!」

 

 いつの間にかユエの手がソウゴに向いていた。ユエの手に風が集束する。ソウゴは放たれた風刃を握り潰してユエを見た。

「……成程」

 ユエの頭の上にあるものを見て事態を理解する。そう、ユエの頭の上にも花が咲いていたのだ。それも、ユエに合わせたのか? と疑いたくなるぐらいよく似合う真っ赤な薔薇が。

「先程の緑玉が原因か……」

 ソウゴは原因に目星を付けながら、ユエの風の刃に対処し続ける。

「ソウゴ様……うぅ……」

 ユエが無表情を崩し悲痛な表情をする。花をつけられ操られている時も意識はあるという事だろう。体の自由だけを奪われる様だ。

 だが、それなら解放の仕方も判り易い。ソウゴはユエの花を焼き切ろうと光線を放とうとした。

 

 しかし、操っている者もソウゴが花を撃ち落とした事を知っている様で、そう簡単にはいかなかった。

 

 ユエを操り、花を庇う様な動きをし出したのだ。上下の運動を多用しており、外せばユエの顔面を吹き飛ばしてしまうだろう。ならばと接近し切り落とそうとすると、突然ユエが片方の手を自分の頭に当てるという行動に出た。

「……ほう」

 つまり、ソウゴが接近すればユエ自身を自らの魔術の的にすると警告しているのだろう。

 

 ユエは確かに不死身に近い。しかし、上級以上の魔術を使い一瞬で塵にされてなお"再生"出来るかと言われれば否定せざるを得ない。そしてユエは、最上級ですらノータイムで放てるのだ。特攻など分の悪そうな賭けは避けたいところだ。

 

 ソウゴの逡巡を察したのか、それは奥の縦割れの暗がりから現れた。

 アルラウネやドリアード等という人間の女性と植物が融合した様な魔物がRPGにはよく出てくる。ソウゴ達の前に現れた魔物は正しくそれだった。尤も、神話では美しい女性の姿で敵対しなかったり大切にすれば幸運を齎す等という伝承もあるが、目の前の似非アルラウネにはそんな印象皆無である。

 確かに見た目は人間の女なのだが、内面の醜さが溢れているかの様に醜悪な顔をしており、無数の蔓が触手の様にウネウネとうねっていて実に気味が悪い。その口元は何が楽しいのかニタニタと笑っている。

 ソウゴはすかさず似非アルラウネに光線を放とうとする。しかし、ソウゴが照射する前にユエが射線に入って妨害する。

「ソウゴ様……ごめんなさい……」

 悔しそうな表情で歯を食いしばっているユエ。自分が足手纏いなっている事が耐え難いのだろう。今も必死に抵抗している筈だ。口は動く様で、謝罪しながらも引き結ばれた口元からは血が滴り落ちている。鋭い犬歯が唇を傷つけているのだ。悔しい為か、呪縛を解く為か、或いはその両方か。

 ユエを盾にしながら似非アルラウネは緑の球をソウゴに打ち込む。

 ソウゴはそれを握り潰した。球が潰れ、目に見えないが恐らく花を咲かせる胞子が飛び散っているのだろう。

 しかし、ユエの様にソウゴの頭に花が咲く気配はない。ニタニタ笑いを止め怪訝そうな表情になる似非アルラウネ。ソウゴには胞子が効かない様だ。

(恐らく耐性系の技能でだろうな)

 

 ソウゴの推測通り、エセアルラウネの胞子は一種の神経毒である。その為"猛毒無効"、"状態異常無効"によりソウゴには効果が無いのだ。つまり、ソウゴが無事だとしてもユエが油断した事にはならない。ユエが悲痛を感じる必要はないのだ。

 

 似非アルラウネはソウゴに胞子が効かないと悟ったのか不機嫌そうにユエに命じて魔術を発動させる。また風の刃だ。もしかすると、ラプトル達の動きが単純だった事も考えると操る対象の実力を十全には発揮できないのかもしれない。

(不幸中の幸いだな)

 風の刃に対処しようとすると、これみよがしにユエの頭に手をやるのでその場に留まり、ソウゴはユエの攻撃を無防備で受ける。

 元々ソウゴのステータスを考えれば、例えユエの全力であったとしてもソウゴには傷一つ付けられない。その為この程度の攻撃は防御するまでもない。

 ソウゴがこの状況をどう打開すべきか思案していると、ユエが悲痛な叫びを上げる。

「ソウゴ様! ……私はいいから……攻撃して!」

 何やら覚悟を決めた様子でソウゴに攻撃してと叫ぶユエ。ソウゴの足手纏いになるどころか、攻撃してしまうぐらいなら自分ごと撃って欲しい、そんな意志を込めた紅い瞳が真っ直ぐソウゴを見つめる。

「まったく……、ユエは心配性だな?」

 ソウゴはそんなユエに苦笑しつつ、ソウゴは指を鳴らす。

 

 その瞬間、三つの事が同時に起きた。

 

 先ず、ユエの頭の薔薇が消えた。次に、ソウゴの姿が消えた。最後に、ユエの背後でブチッという音が鳴った。

 ユエがそっと両手で頭の上を確認すると、そこに花はない。続けて背後に目を向けると、そこには似非アルウラネの首無し死骸が転がり、後ろにその首を手に持ったソウゴがいた。

「ユエよ、大事ないか?」

 気軽な感じでユエの安否を確認するソウゴ。だが、ユエは未だに頭をさすりながら呆然とした目でソウゴを見る。

「……何したの?」

「"大噓憑き(オールフィクション)"という技があってな。それでユエが花に寄生された事を無かった事(・・・・・)にしたのだ」

「……過去に、干渉できるの?」

「まぁ、そんなところだ」

 何気なく言われたソウゴの言葉に、ユエは驚愕を隠せない。そんなユエを立ち上がらせ、ソウゴはそのまま奥に進んでいった。

 それからユエの目の尊敬の色が増したのは言うまでもない。

 

 

 そして遂に、次の階層でソウゴが最初にいた階層から百階目になる所まで来た。その一歩手前の階層でソウゴは逢魔剣の手入れにあたっていた。相変わらずユエは飽きもせずにソウゴの作業を見つめている。

「ソウゴ様……いつもより慎重……」

「うん? ああ、次で百階だからな。万が一不備があっては困ると思ってな。一般に認識されている上の迷宮も百階だと言われていたが、……まぁ念の為だ」

 ソウゴが最初にいた階層から八十階を超えた時点で、ここが地上で認識されている通常の【オルクス大迷宮】である可能性は消えた。奈落に落ちた時の感覚と、各階層を踏破してきた感覚からいえば、通常の迷宮の遥かに地下であるのは確実だ。故に、出来る時に出来る限りの準備をしておく。

 因みに今のソウゴのステータスはこうだ。

 

 

常磐ソウゴ 140346歳 男 レベル:68

天職:大魔王/統一時空大皇帝

筋力:26355013201

体力:28123281417

耐性:26894217317

敏捷:26427138837

魔力:42764402945

魔耐:43232587805

 

 

 暫くして、全ての準備を終えたソウゴとユエは、階下へと続く階段へと向かった。

 その階層は、無数の強大な柱に支えられた広大な空間だった。柱の一本一本が直径五メートルはあり、一つ一つに螺旋模様と木の蔓が巻きついた様な彫刻が彫られている。柱の並びは規則正しく一定間隔で並んでいる。天井までは三十メートルはありそうだ。地面も荒れた所は無く平で綺麗なものである。どこか荘厳さを感じさせる空間だった。

 

 ソウゴ達が足を踏み入れる。すると、全ての柱が淡く輝き始めた。警戒するソウゴとユエ。柱はソウゴ達を起点に奥の方へ順次輝いていく。

 ソウゴ達は暫く警戒していたが特に何も起こらないので先へ進む事にした。感知系の技能をフル活用しながら歩みを進める。二百メートルも進んだ頃、前方に行き止まりを見つけた。

 しかしそれは行き止まりではなく、巨大な扉だった。全長十メートルはある巨大な両開きの扉が有り、これまた美しい彫刻が彫られている。特に、七角形の頂点に描かれた何らかの文様が印象的だ。

「これはまた凄いな、もしや……」

「……反逆者の住処?」

 いかにもラスボスの部屋といった感じだ。実際、感知系技能には反応が無くともソウゴの経験がこの先に何かあると告げていた。ユエも感じているのか、うっすらと額に汗をかいている。

「つまり、漸くゴールに辿り着いたという事だ」

「……んっ!」

 ユエも覚悟を決めた表情で扉を睨みつける。

 そして、二人揃って扉の前に行こうと最後の柱の間を越えた。

 

 その瞬間、扉とソウゴ達の間の三十メートル程の空間に巨大な魔法陣が現れた。赤黒い光を放ち、脈打つ様にドクンドクンと音を響かせる。

 ソウゴは、その魔法陣に見覚えがあった。忘れようもない。昨日(・・)、ソウゴが奈落へと落ちた時に見たトラップと同じものだ。だが、ベヒモスの魔法陣が直径十メートル位だったのに対して、眼前の魔法陣は三倍の大きさがある上に、構築された式もより複雑で精密なものとなっている。

「さて、どれ程の相手か……」

「……大丈夫……私達、負けない……」

 ソウゴが試す様な笑みを浮かべ、ユエは決然とした表情を崩さずソウゴの腕をギュッと掴んだ。

 ユエの言葉に「そうだな」と頷き、苦笑いを浮かべながらソウゴも魔法陣を睨みつける。どうやらこの魔法陣から出てくる化物を倒さないと先へは進めないらしい。

 魔法陣はより一層輝くと遂に弾けるように光を放った。咄嗟に腕を翳し目を潰されないようにするソウゴとユエ。光が収まった時、そこに現れたのは……

 

 体長三十メートルの身体に六つの頭と長い首、鋭い牙と赤黒い眼の化け物。例えるなら神話の怪物ヒュドラだ。

 

「「「「「「クルゥァァアアン!!」」」」」」

 不思議な音色の絶叫をあげながら六対の眼光がソウゴ達を射貫く。身の程知らずな侵入者に裁きを与えようというのか、常人ならそれだけで心臓を止めてしまうかもしれない壮絶な殺気がソウゴ達に叩きつけられた。

 同時に赤い紋様が刻まれた頭がガパッと口を開き火炎放射を放った。それはもう炎の壁というに相応しい規模である。

「"フリージング・シールド"」

 ソウゴが絶対零度の氷壁で炎を防ぎ、その陰からユエが飛び出す。それに続いてソウゴは手の中に光の槍を創り出し、赤頭を狙い投げ放つ。光槍は狙い違わず赤頭を吹き飛ばした。

 まずは一つとソウゴが次のターゲットに移ろうとした時、白い文様の入った頭が「クルゥアン!」と叫び、吹き飛んだ赤頭を白い光が包み込んだ。すると、まるで逆再生でもしているかの様に赤頭が元に戻った。白頭は回復魔術を使えるらしい。

 ソウゴに少し遅れてユエの氷弾が緑の文様がある頭を吹き飛ばしたが、同じ様に白頭の叫びと共に回復してしまった。

 ソウゴは"念話"でユエに伝える。

『あの白頭を狙う。これではキリがない』

『んっ!』

 青い文様の頭が口から散弾の様に氷の礫を吐き出し、それをソウゴが炎で相殺しながらユエと共に白頭を狙う。

「"ルーベル・シドゥス・グングニル"」

「"緋槍"!」

 燃え盛る双槍が白頭に迫る。しかし直撃かと思われた瞬間、黄色の文様の頭がサッと射線に入りその頭を一瞬で肥大化させた。そして淡く黄色に輝きソウゴとユエの光槍が直撃する。衝撃と爆炎の後には黄頭の残骸があったが、白頭の雄叫びで回復して元通りだ。

「盾役も完備か。豪勢な事だ」

 ソウゴは"機召銃マグナバイザー"を取り出し、その弾倉部分にカードを差し込む。するとソウゴの眼前に『鋼の巨人マグナギガ』が出現し、その背中のジョイントにマグナバイザーの銃口を接続する。そして引き金を引くとマグナギガの各部装甲が展開し、銃砲撃の嵐"エンドオブワールド"が黄頭を襲う。それと同時に"携行用多目的巡航4連ミサイルランチャー・ギガント"を取り出し、間髪入れず発射する。ユエも合わせて"緋槍"を連発する。ユエの得意技"蒼天"なら黄頭を抜いて白頭に届くかもしれないが、最上級を使うと一発でユエは行動不能になる。吸血させれば直ぐに回復するが、その隙を他の頭が許してくれるとは思えなかった。せめて半数は減らさないと最上級は使えない。

 それらの連撃は黄頭を焼き払い、他の首にも無視できないダメージを与える。

「クルゥアン!」

 しかしすかさず白頭が回復させる。全くもって優秀な回復役である。しかしその直後、"エンドオブワールド"の何割かが直撃し、その苦痛に悲鳴を上げながら悶えている。

 チャンスと感じたソウゴは"念話"でユエに合図を送り、同時攻撃を仕掛けようとする。

 が、その前にユエの絶叫が響いた。

 

「いやぁああああ!!!」

「ユエ!」

 

 ソウゴは咄嗟に瞬間移動でユエの傍に飛び、近くにいた黒頭と青頭を斬り飛ばす。そのままユエを抱え、再び瞬間移動を使って柱の陰へ移動する。

「ユエ、しっかりしろ」

「……」

 ソウゴの呼びかけにも反応せず、青ざめた表情でガタガタと震えるユエ。ペシペシとユエの頬を叩き"念話"でも激しく呼びかけ、回復魔術と神水も同時に使う。暫くすると虚ろだったユエの瞳に光が宿り始めた。

「……ソウゴ様?」

「あぁ私だ。大丈夫か? 一体何をされた?」

 パチパチと瞬きしながらユエはソウゴの存在を確認する様に、その小さな手を伸ばしソウゴの顔に触れる。それで漸くソウゴがそこにいると実感したのか安堵の吐息を漏らし目の端に涙を溜め始めた。

「……よかった……見捨てられたと……また暗闇に一人で……」

「一体何の話だ?」

 怯えるユエに質問するソウゴ。ユエ曰く、突然強烈な不安感に襲われ気がつけばソウゴに見捨てられて再び封印される光景が頭いっぱいに広がっていたという。そして、何も考えられなくなり恐怖に縛られて動けなくなったと。

「成程、精神攻撃か。まったく、無駄にバランスのいい事だ」

「……ソウゴ様」

 敵の面倒さに呆れるソウゴに、ユエは不安そうな瞳を向ける。余程恐ろしい光景だったのだろう、ソウゴに見捨てられるというのは。何せ自分を三百年の封印から解き放ってくれた人物であり、吸血鬼と知っても変わらず接してくれるどころか、日々の吸血までさせてくれるのだ。心許すのも仕方ないだろう。

 そして、ユエにとってはソウゴの傍が唯一の居場所だ。一緒にソウゴの故郷に行くという約束がどれほど嬉しかったか。再び一人になるなんて想像もしたくない。それ故に植えつけられた悪夢はこびりついて離れず、ユエを蝕む。

「……私……」

 泣きそうな、不安そうな表情で震えるユエ。

 

 

 その瞬間、ソウゴは自分の中で何かが切れる音がした。

 

 

 ソウゴは服の裾を思わず掴んで震えているユエの頭を撫で、その小さな体を抱きしめた。

「……あ」

「ユエ、すぐ戻ってくる」

 それだけ言うと、ソウゴはユエを柱の陰に隠したまま瞬間移動を使いヒュドラの前にやってくる。そしてヒュドラを睨み、この世界に来てから初めて本気を出した。

 ソウゴの腰に雷が走り、精緻な装飾が施された黄金のベルトが出現する。ソウゴはベルト──"オーマジオウドライバー"の両端に触れ、その力を解放した。

 

 

祝福の時!

 

 

 その瞬間ソウゴの足元が時計状に割れ、マグマが吹き上がり稲妻が迸る。暴風と衝撃が部屋中を走り抜け、ヒュドラを後退させながらその鱗を剥ぎ肉体を焼いていく。

 

 

最高! 最善! 最大! 最強王!!

 

 

 そしてその全てがソウゴに収束し、究極にして絶対不可侵の装甲となってソウゴを包んでいく。

 

 

オーマジオウ!!

 

 そして一際強い衝撃波を放ち、変身が完了する。

 

 

 唯一にして絶対の大魔王、仮面ライダーオーマジオウ・フォーエバーフォームがトータスに降り立った瞬間である。

 

「…塵すら残らんと思え」

 

 その言葉と共にジオウは六人の分身を生み出し、其々が一つの首に襲い掛かる。

 

 

 

 

 ジオウAが黒頭に迫り、自身の周囲に八つの紫電の光球を浮かべて激しく放電させる。その迸りが最高潮に達した時、ジオウはその奔流を黒頭に放つ。

「"バルキーコーラス"」

 

 

 ジオウBが黄頭に迫り、逢魔剣を掲げる。それと共に万雷が降り注ぎ、その全てが逢魔剣に収束する。雷が光剣となり、ジオウは黄頭に振り下ろした。

「"ギガブレイク"」

 

 

 ジオウCが青頭に迫り、同じく剣を掲げる。するとその周囲に七人の虚像が出現し、光の弾丸を放つ。それと共にジオウも斬撃を放ち、更にそれらが八人の虚像に変化する。虚像達が連続で切り裂いていき、ジオウが最後の一太刀を浴びせる。

「"ゴーカイ・レジェンドリーム"」

 

 

 ジオウDが赤頭に迫り、逢魔剣の切っ先に魔力を集中させる。するとそこに黄金の魔法陣が広がる。赤頭が炎を吐き出そうとするが、その前に魔法陣から必滅の一撃が放出される。

「"スターライトブレイカー"」

 

 

 ジオウEが緑頭に迫り、拳を握り締め力を込める。九番目の意識領域・第九感覚(ナインセンシズ)を解放し、その拳に黄金の輝きと黒雷を纏って振り抜いた。

「"厳霊乃虚無(ライトニングボイド)"」

 

 

 ジオウFが白頭に迫り、逢魔剣を振りかぶる。その刀身に凄まじい量の魔力と闘気が迸り、光の柱と見紛うばかりの巨大なエネルギーの塊となる。そしてそれらが圧縮され、一振りの剣の形に収束する。白頭が行動する前に、伝説の聖剣の一撃が放たれた。

「"約束された勝利の剣(エクスカリバー)"」

 

 

 

 

 六つの衝撃が同時に迫り、ヒュドラの首は抵抗する間もなく光に飲まれる。その瞬間になって漸く命の危険を実感したのか、ヒュドラの隠された七番目の銀頭が現れる。

 だが銀頭が何かする前に、その視線は宙に立つジオウの本体に向けられる。

 

 

 

 その瞬間、ヒュドラは自らの命を諦め、抵抗する事の無意味さを悟った。

 

 

 

「………」

 

 ジオウはそれに何か思うでもなく、ただ淡々とドライバーに触れた。

 

 

 

終焉の時!

 

 

 

 それと同時に全てのエネルギーがジオウに集中していき、宇宙を照らす太陽の様に眩く、そして全てを飲み込むブラックホールの様に禍々しくその力が増していく。

 

 

 

 

 

逢魔時王必殺撃!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその力が臨界点に達し、ヒュドラは跡形も無く消し飛んだ。

 

 

 

 

「終わったぞ」

 

 ヒュドラが消えた部屋の中央で、変身を解いたソウゴは振り返ってユエに声を掛けた。

 するとユエは柱から恐る恐る顔を出し、次いで脇目も振らずソウゴに駆け寄って抱きついた。

「ソウゴ様……!」

「ユエよ、私はお前を見捨てん。言っただろう、我が国に来いと」

「ソウゴ様、ソウゴ様……!」

 その後暫く、ユエは泣き疲れて眠るまで、外見通りの子供の様にソウゴに抱きついて泣き続けた。

 

 こうしてソウゴは、奈落こと真の【オルクス大迷宮】をたった一日(・・・・・)で攻略したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここでまた時間は少し未来に飛ぶ。

 

 

 勇者一行は、一時迷宮攻略を中断してハイリヒ王国王都に戻っていた。

 道順のわかっている今までの階層と異なり、完全な探索攻略である事から、その攻略速度は一気に落ちた事、また魔物の強さも一筋縄では行かなくなって来た為メンバーの疲労が激しく一度中断して休養を取るべきという結論に至ったのだ。

 

 尤も、休養だけなら宿場町ホルアドでもよかった。王宮まで戻る必要があったのは、迎えが来たからである。何でも、ヘルシャー帝国から勇者一行に会いに使者が来るのだという。

 

 

 

 光輝達の脳裏に「何故、このタイミングで?」という疑問が浮かんだのは当然だろう。

 

 

 

 

 勇者召喚の際に同盟国である帝国の人間が居合わせなかったのは、エヒト神による"神託"がなされてから光輝達が召喚されるまで殆ど間がなかった為に同盟国である帝国に知らせが行く前に勇者召喚が行われてしまい、召喚直後の顔合わせができなかったのが理由である。

 

 尤も、仮に勇者召喚の知らせがあっても帝国は動かなかったと考えられる。何故なら、帝国は三百年前にとある名を馳せた傭兵が建国した国であり、冒険者や傭兵の聖地とも言うべき完全実力主義の国だからだ。

 突然現れ、人間族を率いる勇者と言われても納得はできないだろう。聖教教会は帝国にもあり、帝国民も例外なく信徒であるが、王国民に比べれば信仰度は低い。大多数の民が傭兵か傭兵業からの成り上がり者で占められている事から信仰よりも実益を取りたがる者が多いのだ。尤も、あくまでどちらかといえばという話であり、熱心な信者である事に変わりはないのだが。

 

 そんな訳で、召喚されたばかりの頃の光輝達と顔合わせをしても軽んじられる可能性があった。勿論教会を前に、神の使徒に対してあからさまな態度は取らないだろうが。王国が顔合わせを引き伸ばすのを幸いに、帝国側──特に皇帝陛下は興味を持っていなかったので、今まで関わる事が無かったのである。

 

 しかし、今回の【オルクス大迷宮】攻略で歴史上の最高記録である六十五層が突破されたという事実を以て、帝国側も光輝達に興味を持つに至った。帝国側から是非会ってみたいという知らせが来たのだ。王国側も聖教教会もいい時期だと了承したのである。

 

 

 

 

 

 そんな話を帰りの馬車の中でツラツラと教えられながら、光輝達は王宮に到着した。

 

 

 馬車が王宮に入り、全員が降車すると王宮の方から一人の少年が駆けて来るのが見えた。十歳位の金髪碧眼の美少年である。光輝と似た雰囲気を持つが、ずっとやんちゃそうだ。

 その正体はハイリヒ王国王子ランデル・S・B・ハイリヒである。

 ランデル殿下は、思わず犬耳とブンブンと振られた尻尾を幻視してしまいそうな雰囲気で駆け寄ってくると大声で叫んだ。

 

 

「香織、よく帰った! 待ちわびたぞ!」

 

 

 勿論この場には、香織だけでなく他にも帰還を果たした生徒達が勢揃いしている。その中で、香織以外見えないという様子のランデル殿下の態度を見ればどういう感情を持っているかは容易に想像がつくだろう。

 

 実は、召喚された翌日からランデル殿下は香織に猛アプローチを掛けていた。と言っても、彼は十歳。香織から見れば小さい子に懐かれている程度の認識であり、その思いが実る気配は微塵もない。生来の面倒見の良さから、弟の様に可愛く思ってはいる様だが。

「ランデル殿下、お久しぶりです」

 パタパタ振られる尻尾を幻視しながら微笑む香織。そんな香織の笑みに一瞬で顔を真っ赤にするランデル殿下は、それでも精一杯男らしい表情を作って香織にアプローチをかける。

「ああ、本当に久しぶりだな。お前が迷宮に行ってる間は生きた心地がしなかったぞ。怪我はしてないか? 余がもっと強ければお前にこんな事させないというのに……」

 ランデル殿下は悔しそうに唇を噛む。香織としては守られるだけなどお断りなのだが、少年の微笑ましい心意気に思わず頬が緩む。

「お気遣い下さりありがとうございます。ですが、私なら大丈夫ですよ? 自分で望んでやっている事ですから」

「いや、香織に戦いは似合わない。そ、その、ほら、もっとこう安全な仕事もあるだろう?」

「安全な仕事ですか?」

 ランデル殿下の言葉に首を傾げる香織。ランデル殿下の顔は更に赤みを増す。隣で面白そうに成り行きを見ている雫は察しがついて、少年の健気なアプローチに思わず苦笑いを浮かべる。

「う、うむ。例えば、侍女とかどうだ? その、今なら余の専属にしてやってもいいぞ」

「侍女ですか? いえ、すみません。私は治癒師ですから……」

「な、なら医療院に入ればいい。迷宮なんて危険な場所や前線なんて行く必要ないだろう?」

 医療院とは、国営の病院の事である。王宮の直ぐ傍にある。要するに、ランデル殿下は香織と離れるのが嫌なのだ。しかし、そんな少年の気持ちは鈍感な香織には届かない。

「いえ、前線でなければ直ぐに癒せませんから。心配して下さりありがとうございます」

「うぅ」

 ランデル殿下は、どうあっても香織の気持ちを動かすことができないと悟り小さく唸る。そこへ空気を読まない厄介な善意の塊、勇者光輝がにこやかに参戦する。

「ランデル殿下、香織は俺の大切な幼馴染です。俺がいる限り、絶対に守り抜きますよ」

 光輝としては、年下の少年を安心させるつもりで善意全開に言ったのだが、この場においては不適切な発言だった。恋するランデル殿下にはこう意訳される。

 

『俺の女に手ぇ出してんじゃねぇよ。俺がいる限り香織は誰にも渡さねぇ! 絶対にな!』

 

 親しげに寄り添う勇者と治癒師。実に様になる絵である。

 ランデル殿下は悔しげに表情を歪めると、不倶戴天の敵を見る様にキッと光輝を睨んだ。ランデル殿下の中では二人は恋人の様に見えているのである。

「香織を危険な場所に行かせることに何とも思っていないお前が何を言う! 絶対に負けぬぞ! 香織は余といる方がいいに決まっているのだからな!」

「え~と……」

 

 ランデル殿下の敵意むき出しの言葉に、香織はどうしたものかと苦笑いし、光輝はキョトンとしている。雫はそんな光輝を見て溜息だ。

 ガルルと吠えるランデル殿下に何か機嫌を損ねる事をしてしまったのかと、光輝が更に煽りそうなセリフを吐く前に、涼やかだが、少し厳しさを含んだ声が響いた。

 

「ランデル。いい加減にしなさい。香織が困っているでしょう? 光輝さんにもご迷惑ですよ」

 

「あ、姉上!? ……し、しかし」

「しかしではありません。皆さんお疲れなのに、こんな場所に引き止めて……相手の事を考えていないのは誰ですか?」

「うっ……で、ですが……」

「ランデル?」

「よ、用事を思い出しました! 失礼します!」

 ランデル殿下はどうしても自分の非を認めたくなかったのか、いきなり踵を返し駆けていってしまった。その背を見送りながら、王女リリアーナは溜息を吐く。

「香織、光輝さん、弟が失礼しました。代わってお詫び致しますわ」

 リリアーナはそう言って頭を下げた。美しいストレートの金髪がさらりと流れる。

「ううん、気にしてないよ、リリィ。ランデル殿下は気を使ってくれただけだよ」

「そうだな。なぜ、怒っていたのかわからないけど……何か失礼なことをしたんなら俺の方こそ謝らないと」

 香織と光輝の言葉に苦笑いするリリアーナ。姉として弟の恋心を察している為、意中の香織に全く意識されていないランデル殿下に多少同情してしまう。まして、ランデル殿下の不倶戴天の敵は別にいる事を知っているので尚更だった。

 

 

 因みに、ランデル殿下がその不倶戴天の敵に会った時、一騒動起こすのだが……それはまた別の話。

 

 

 リリアーナ姫は、現在十四歳の才媛だ。その容姿も非常に優れていて、国民にも大変人気のある金髪碧眼の美少女である。性格は真面目で温和、しかし、硬すぎるという事もない。TPOをわきまえつつも使用人達とも気さくに接する人当たりの良さを持っている。

 光輝達召喚された者にも、王女としての立場だけでなく一個人としても心を砕いてくれている。彼等を関係ない自分達の世界の問題に巻き込んでしまったと罪悪感もある様だ。

 

 そんな訳で、率先して生徒達と関わるリリアーナと彼等が親しくなるのに時間はかからなかった。特に同年代の香織や雫達との関係は非常に良好で、今では愛称と呼び捨て、タメ口で言葉を交わす仲である。

 

「いいえ光輝さん、ランデルの事は気にする必要ありませんわ。あの子が少々暴走気味なだけですから。それよりも……改めて、お帰りなさいませ皆様。無事のご帰還、心から嬉しく思いますわ」

 リリアーナはそう言うと、ふわりと微笑んだ。香織や雫といった美少女が身近にいるクラスメイト達だが、その笑顔を見てこぞって頬を染めた。リリアーナの美しさには二人にない洗練された王族としての気品や優雅さというものがあり、多少の美少女耐性で太刀打ち出来るものではなかった。

 現に、永山組や小悪党組の男子は顔を真っ赤にしてボーッと心を奪われているし、女子メンバーですら頬をうっすら染めている。異世界で出会った本物のお姫様オーラに現代の一般生徒が普通に接しろという方が無茶なのである。昔からの親友の様に接する事ができる香織達の方がおかしいのだ。

「ありがとう、リリィ。君の笑顔で疲れも吹っ飛んだよ。俺も、また君に会えて嬉しいよ」

 さらりとキザなセリフを爽やかな笑顔で言ってしまう光輝。繰り返し言うが、光輝に下心は一切ない。生きて戻り再び友人に会えて嬉しい、本当にそれだけなのだ。単に自分の容姿や言動の及ぼす効果に病的なレベルで鈍感なだけで。

「えっ、そ、そうですか? え、えっと」

 王女である以上、国の貴族や各都市、帝国の使者等からお世辞混じりの褒め言葉をもらうのは慣れている。なので、彼の笑顔の仮面の下に隠れた下心を見抜く目も自然と鍛えられている。それ故、光輝が一切下心なく素で言っているのがわかってしまう。そういう経験は家族以外ではほとんどないので、つい頬が赤くなってしまうリリアーナ。どう返すべきかオロオロとしてしまう。こういうギャップも人気の一つだったりする。

 光輝は相変わらず、ニコニコと笑っており自分の言動が及ぼした影響に気がついていない。それに、深々と溜息を吐くのはやはり雫だった。苦労性が板についてきている。本人は断固として認めないだろうが。

「えっと、とにかくお疲れ様でした。お食事の準備も、清めの準備もできておりますから、ゆっくりお寛ぎくださいませ。帝国からの使者様が来られるには未だ数日は掛かりますから、お気になさらず」

 どうにか乱れた精神を立て直したリリアーナは、光輝達を促した。

 光輝達が迷宮での疲れを癒しつつ、居残り組にベヒモスの討伐を伝え歓声が上がったり、これにより戦線復帰するメンバーが増えたり、愛子先生が一部で"豊穣の女神"と呼ばれ始めている事が話題になり彼女を身悶えさせたりと、色々あったが光輝達はゆっくり迷宮攻略で疲弊した体を癒した。

 香織は内心、迷宮攻略に戻りたくてそわそわしていたが。

 

 

 それから三日、遂に帝国の使者が訪れた。

 現在、光輝達迷宮攻略に赴いたメンバーと王国の重鎮達、そしてイシュタル率いる司祭数人が謁見の間に勢ぞろいし、レッドカーペットの中央に帝国の使者が五人程立ったままエリヒド陛下と向かい合っていた。

「使者殿、よく参られた。勇者方の至上の武勇、存分に確かめられるがよかろう」

「陛下、この度は急な訪問の願い、聞き入れて下さり誠に感謝いたします。して、どなたが勇者様なのでしょう?」

「うむ、まずは紹介させて頂こうか。光輝殿、前へ出てくれるか?」

「はい」

 陛下と使者の定型的な挨拶の後、早速光輝達のお披露目となった。陛下に促され前に出る光輝。召喚された頃と違い、まだ二ヶ月程度しか経っていないのに随分と精悍な顔つきになっている。

 ここにはいない王宮の侍女や貴族の令嬢、居残り組の光輝ファンが見れば間違いなく熱い吐息を漏らしうっとり見蕩れているに違いない。光輝にアプローチをかけている令嬢方だけで既に二桁はいるのだが……彼女達のアプローチですら「親切で気さくな人達だなぁ」としか感じていない辺り、光輝の鈍感は極まっている。正に鈍感系主人公を地で行っている。

 そして、光輝を筆頭に、次々と迷宮攻略のメンバーが紹介された。

「ほぅ、貴方が勇者様ですか。随分とお若いですな。失礼ですが、本当に六十五層を突破したので? 確か、あそこにはベヒモスという化物が出ると記憶しておりますが……」

 使者は光輝を観察するように見やると、イシュタルの手前露骨な態度は取らないものの、若干疑わしそうな眼差しを向けた。使者の護衛の一人は、値踏みする様に上から下までジロジロと眺めている。

 その視線に居心地悪そうに身じろぎしながら、光輝が答える。

「えっと、ではお話しましょうか? どの様に倒したかとか……あっ、六十六層のマップを見せるとかどうでしょう?」

 光輝は信じてもらおうと色々提案するが、使者はあっさり首を振りニヤッと不敵な笑みを浮かべた。

「いえ、お話は結構。それよりも手っ取り早い方法があります。私の護衛一人と模擬戦でもしてもらえませんか? それで、勇者殿の実力も一目瞭然でしょう」

「えっと、俺は構いませんが……」

 光輝は若干戸惑った様にエリヒド陛下を振り返る。エリヒド陛下は光輝の視線を受けてイシュタルに確認を取る。イシュタルは頷いた。神威をもって帝国に光輝を人間族のリーダーとして認めさせる事は簡単だが、完全実力主義の帝国を早々に本心から認めさせるには、実際戦ってもらうのが手っ取り早いと判断したのだ。

「構わんよ。光輝殿、その実力、存分に示されよ」

「決まりですな、では場所の用意をお願いします」

 こうして急遽、勇者対帝国使者の護衛という模擬戦の開催が決定し、一行はぞろぞろと場所を変えるのだった。

 

 

 光輝の対戦相手は、なんとも平凡そうな男だった。高すぎず低すぎない身長、特徴という特徴がなく、人ごみに紛れたらすぐ見失ってしまいそうな平凡な顔。一見すると全く強そうに見えない。

 刃引きした大型の剣をだらんと無造作にぶら下げており、構えらしい構えも取っていなかった。

 光輝は、舐められているのかと些か怒りを抱く。最初の一撃で度肝を抜いてやれば真面目にやるだろうと、最初の一撃は割かし本気で打ち込む事にした。

「いきます!」

 光輝が風となる。"縮地"により高速で踏み込むと豪風を伴って唐竹に剣を振り下ろした。並みの戦士なら視認する事も難しかったかもしれない。勿論、光輝としては寸止めするつもりだった。

 だが、その心配は無用だったらしい。寧ろ舐めていたのは光輝の方だと証明されてしまう結果となった。

 

 バキィ!!

 

「ガフッ!?」

 不意に襲った衝撃に短い悲鳴を上げながら吹き飛んだのは光輝の方だった。

 

 護衛の方は剣を掲げる様に振り抜いたまま光輝を睥睨している。光輝が寸止めの為に一瞬力を抜いた刹那に、だらんと無造作に下げられていた剣が跳ね上がり光輝を吹き飛ばしたのだ。

 

 光輝は地滑りしながら何とか体勢を整え、驚愕の面持ちで護衛を見る。寸止めに集中していたとは言え、護衛の攻撃が殆ど認識出来なかったのだ。護衛は掲げた剣をまた力を抜いた自然な体勢で構えている。そう、先程の攻撃も動きがあまりに自然すぎて危機感が働かず反応できなかったのである。

「はぁ~、おいおい。勇者ってのはこんなもんか? まるでなっちゃいねぇ、やる気あんのか?」

 平凡な顔に似合わない乱暴な口調で呆れた視線を送る護衛。その表情には失望が浮かんでいた。

 確かに、光輝は護衛を見た目で判断して無造作に正面から突っ込んでいき、あっさり返り討ちにあったというのが現在の構図だ。光輝は相手を舐めていたのは自分の方であったと自覚し、怒りを抱いた。今度は自分に向けて。

「すみませんでした。もう一度、お願いします」

 今度こそ本気の目になり、自分の無礼を謝罪する光輝。護衛はそんな光輝を見て「戦場じゃあ"次"なんて無いんだがな」と不機嫌そうに目元を歪めるが、相手はする様だ。先程と同様に自然体で立つ。

 

 光輝は気合を入れ直すと再び踏み込んだ。

 唐竹、袈裟斬り、切り上げ、突きと"縮地"を使いこなしながら超高速の剣撃を振るう。その速度は既に、光輝の体をブレさせて残像を生み出している程だ。

 

 しかしそんな嵐の様な剣撃を、護衛は最小限の動きで躱し捌き、隙あらば反撃に転じている。時々光輝の動きを見失っているにも拘らず、死角からの攻撃にしっかり反応している。

 光輝には護衛の動きに覚えがあった。それはメルドだ。彼と光輝のスペック差は既にかなりの開きが出ている。にも拘らず、未だ光輝はメルド団長との模擬戦で勝ち越せていないのだ。それは偏に、圧倒的な戦闘経験の差が原因である。

 恐らく護衛も、メルド団長と同じく数多の戦場に身を置いたのではないだろうか。その戦闘経験が光輝とのスペック差を埋めている。つまり、この護衛はメルド並かそれ以上の実力者という訳だ。

 

「ふん、確かに並の人間じゃ相手にならん程の身体能力だ。しかし……少々素直すぎる、元々戦いとは無縁か?」

 

 物理的にも精神的にも衝撃覚めやらぬ光輝に、少し目を眇めて考える様な素振りを見せていた護衛の男は、不意に随分と不遜さを感じさせる態度と声音で尋ねた。いきなりの質問に、光輝は息を詰まらせつつも答える。

「えっ? えっと、はい、そうです。俺は元々ただの学生ですから」

「……それが今や"神の使徒"か」

 チラッとイシュタル達聖教教会関係者を見ると護衛は不機嫌そうに鼻を鳴らした。そして、これまたごく自然な歩みを以て光輝との距離を詰める。

「おい勇者、構えろ。今度はこちらから行くぞ。気を抜くなよ? うっかり殺してしまうかもしれんからな」

 護衛はそう宣言するやいなや一気に踏み込んだ、強烈な殺気と共に。光輝の背中が泡立つ。光輝程の高速移動ではない、寧ろ遅く感じる程だ。だというのに……

 

「ッ!?」

 

 けたたましく警鐘を鳴らす本能に従って、咄嗟に聖剣を翳せたのは僥倖だった。

 気がつけば目の前に護衛が迫っており、剣が下方より跳ね上がってきていた。光輝は慌てて飛び退る。しかし、まるで磁石が引き合うかの様にピッタリと間合いを一定に保ちながら鞭の様な剣撃が光輝を襲った。

 不規則で軌道を読みづらい剣の動きに、"先読"で辛うじて対応しながら一度距離を取ろうとするが、まるで引き離せない。"縮地"で一気に距離を取ろうとしても、それを見越した様に先手を打たれて発動に至らない。次第に光輝の顔に焦りが生まれてくる。

 そして遂に、光輝がダメージ覚悟で剣を振ろうとした瞬間、その隙を逃さず護衛が魔術のトリガーを引く。

 

「穿て──"風撃"」

 

 呟く様な声で唱えられた詠唱は小さな風の礫を発生させ、光輝の片足を打ち据えた。

「うわっ!?」

 踏み込もうとした足を払われてバランスを崩す光輝。その瞬間、壮絶な殺気が光輝を射貫く。冷徹な眼光で光輝を睨む護衛の剣が途轍もない圧力を持って振り下ろされた。

 途端、更に濃密な殺気が光輝の身体を貫く様に叩きつけられた。

 

 刹那、光輝は悟る。彼は自分を殺すつもりだと。

 

 実際、護衛はそうなっても仕方ないと考えていた。自分の攻撃に対応できない位なら、本当の意味で殺し合いを知らない少年に人間族のリーダーを任せる気など毛頭無かった。例えそれで聖教教会からどの様な咎めが来ようとも、戦場で無能な味方を放置する方がずっと耐え難い。それならいっそと、そう考えたのだ。

 しかし、そうはならなかった。

 

「ぁ、っ、うぁわぁああああっ!!!」

 

 光輝は無意識に悲鳴とも雄叫びともつかない絶叫を上げて、全身から凄絶な魔力の奔流を走らせた。

「ガァ!?」

 先程の再現か、今度は護衛がその力に押されて吹き飛ぶ。護衛が地面を数度バウンドしながらも両手を使いながら勢いを殺して光輝を見る。光輝は全身から純白のオーラを吹き出しながら、護衛に向かって剣を振り抜いた姿で立っていた。

 護衛の剣が振り下ろされる瞬間、光輝は生存本能に突き動かされる様に"限界突破"を使ったのだ。

 

 これは一時的に全ステータスを三倍に引き上げてくれるという、ピンチの時に覚醒する主人公らしい技能である。

 

 だが、光輝の顔には一切余裕はなかった。恐怖を必死で押し殺す様に険しい表情で剣を構えている。

 そんな光輝の様子を見て、護衛はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「ハッ、少しはマシな顔する様になったじゃねぇか。さっきまでのビビリ顔より余程いいぞ!」

「ビビリ顔? 今の方が恐怖を感じてます。……さっき俺を殺す気ではありませんでしたか? これは模擬戦ですよ?」

「だからなんだ? まさか適当に戦って、はい終わり、とでもなると思ったか? この程度で死ぬならそれまでだったって事だろ。お前は、俺達人間の上に立って率いるんだぞ? その自覚があんのかよ?」

「自覚って……俺は勿論人々を救って……」

「傷つける事も、傷つく事も恐れているガキに何ができる? 剣に殺気一つ込められない奴が御大層な事言ってんじゃねぇよ。おら、しっかり構えな? 最初に言ったろ、気抜いてっと……死ぬってな!」

 護衛が再び尋常でない殺気を放ちながら光輝に迫ろう脚に力を溜める。光輝はその瞬間を突いて聖剣の一撃を繰り出した。しかし、相手に裂傷を刻もうかというタイミングで聖剣の動きが明らかに鈍る。それは模擬戦だからという寸止めの意思が働いたから、というよりももっと無意識的なものだった。護衛の目がスッと細められた。そして……

 

「やめだ」

 

 そんな冷めた呟きと共に、踏み込む為に溜めた力を抜いていとも簡単に光輝の一撃を躱して距離を取った。更にはそのまま剣まで鞘に収めてしまう。

「え? えっ?」

 当然、いきなりの中止に困惑するしかない光輝に、護衛は冷めた眼差しを向けながら口を開いた。

「なぁ。お前さん、一体何と戦うのか理解してんのか?」

「え、えと、それは当然、魔物とか魔人族とか……そういう人々を苦しめているものとです」

「"魔物とか魔人族とか(・・・・・・・・・)"ね。……そんな腑抜けた剣で出来んのか? 俺にはとてもそうは思えねぇな。まして俺達を率いて戦うなんざ、まるで夢物語でも騙られてる気分だ」

 光輝の返答を含みを以てリピートしながら、嘲るでも侮るでもなく、ただ淡々と事実を語るかの様に酷評する護衛。これには流石の光輝もカチンと来た様で咄嗟に反論を行おうとする。

「腑抜けとか夢物語とか……失礼じゃないですか? 俺は本気で──」

「さっきも言ったが、傷つける事も、傷つく事も恐れているガキに何ができる? "本気"なんて言葉はな、もうちょい現実ってもんを見てから言え」

 自分の言葉を遮って放たれた言葉に、光輝は思わず口を噤んだ。直ぐに「恐れてなどいない」と反論しようとするが、その前に護衛は踵を返してしまう。

 

 勇者に対して不遜な言動を取ったばかりか、自分達の方から模擬戦を申し込んでおいて、一方的に終わりを宣言するその態度に、王国や教会側の観戦者達も俄かにざわつき始めた。それに後押しされる様に光輝が抗議の声を上げようとするが、その前に老成した声音が護衛へと注がれた。

 

「ふむ、勇者殿は未だ発展途上。経験が足りぬのは仕方のない事、そう結論を急ぐ必要は無いでしょう。取り敢えず、今の発言は勇者殿を気遣ったものとして受け取っておきましょう。でなければ、如何に貴方と言えど聖教教会の教皇として信仰心を確かめなくてはならなくなりますからな。分かっておいででしょうな、──ガハルド皇帝陛下」

「……チッ、バレていたか。相変わらず食えない爺さんだ」

 護衛が周囲に聞こえない位の声量で悪態をつく。そして、興が削がれた様に振り返りながら右耳にしていたイヤリングを取った。

 すると、まるで霧がかかった様に護衛の周囲の空気が白くボヤけ始め、それが晴れる頃には全くの別人が現れた。

 

 四十代位の野性味溢れる男だ。短く切り上げた銀髪に狼を連想させる鋭い碧眼、スマートでありながらその体は極限まで引き絞られたかの様に筋肉がミッシリと詰まっているのが服越しでもわかる。その姿を見た瞬間、周囲が一斉に喧騒に包まれた。

 

「ガ、ガハルド殿!?」

「皇帝陛下!?」

 そうこの男、何を隠そうヘルシャー帝国現皇帝ガハルド・D・ヘルシャーその人である。まさかの事態にエリヒド陛下が眉間を揉み解しながら尋ねた。

「どういうおつもりですかな、ガハルド殿」

「これはこれはエリヒド殿。碌な挨拶もせず済まなかった。ただな、どうせなら自分で確認した方が早いだろうと一芝居打たせてもらったのよ。今後の戦争に関わる重要な事だ。無礼は許して頂きたい」

 謝罪すると言いながら、全く反省の色がないガハルド皇帝。それに溜息を吐きながら「もう良い」と頭を振るエリヒド陛下。

 光輝達は完全に置いてきぼりだ。なんでもこの皇帝陛下、フットワークが物凄く軽いらしく、この様なサプライズは日常茶飯事なのだとか。

「イシュタル殿。勿論貴方の言う通り、先の発言は危うい様子の勇者殿への助言のつもりだ。我等が神の使徒を侮る等ある筈が無い。粗野な言葉遣いは国柄という事でご容赦を」

 これまたどこか白々しさの滲む声音でイシュタルに謝罪なのかよく分からない感じの返答をするガハルドに、イシュタルは僅かに目を眇めつつも穏やかな表情を崩さずに「分かっているとも」という様に頷いた。

 

 なし崩しで模擬戦も終わってしまい、その後微妙な雰囲気を散らす様に場が取り繕われ、予定されていた形式的な会談がなされる晩餐で帝国からも将来性を理由に勇者を認めるとの何とも機械的な返答が成された事で、一応今回の訪問の目的は達成されたようだ。

 

 その晩、部屋で部下に本音を聞かれた皇帝陛下は鼻を鳴らして面倒臭そうに答えた。

「ありゃダメだな、ただの子供だ。理想とか正義とかそういう類のものを何の疑いもなく信じている口だ。なまじ実力とカリスマがあるから性質が悪い。自分の理想で周りを殺すタイプだな」

「確かに。それに、どうも魔物と魔人族を同列に語っている様でした。意識的であれば問題ありませんが……」

「まぁ間違いなく無意識だろうよ。それも"無知である事を良しとする故に"だ。ある意味、よくあんな在り方で生きてこれたもんだ。そういう世界だったのか、能力の高さ故か。どっちにしろ面倒な奴である事は変わりはねぇが"神の使徒"である以上蔑ろには出来ねぇ。取り敢えず、合わせて上手くやるしかねぇだろう」

 どうやら、皇帝陛下の中で勇者光輝の評価は赤点らしい。ただ、数ヵ月前まで戦いとは無縁のただの学生だったという点と、その能力の高さを思い出してガハルドは肩を竦めながら保留を付けて結論を口にした。

「まぁ、魔人共との戦争が本格化したら変わるかもな。見るとしてもそれからだろうよ。今は小僧共に巻き込まれない様、上手く立ち回る事が重要だ。教皇には気をつけろ」

「御意」

 

 そんな評価を下されているとは露にも思わず、光輝達は翌日に帰国するという皇帝陛下一行を見送る事になった。用事はもう済んだ以上留まる理由も無いという事だ。本当にフットワークの軽い皇帝である。

 

 因みに、早朝訓練をしている雫を見て気に入った皇帝が愛人にどうだと割かし本気で誘ったというハプニングがあった。雫は丁寧に断り、皇帝陛下も「まぁ、焦らんさ」と不敵に笑いながら引き下がったので特に大事になった訳ではなかったが、その時、光輝を見て鼻で笑った事で光輝はこの男とは絶対に馬が合わないと感じ、暫く不機嫌だった。

 

 

 雫の溜息が増えた事は言うまでもない。

 

 




この作品のソウゴがどういう存在かジャンプ作品に例えて分かりやすく言うと……

「神のカードに選ばれて卍解を覚えた上に幽波紋とグルメ細胞の悪魔を宿して悪魔の実を食べた人柱力なサイヤ人の黄金聖闘士……が本気を出すと仮面ライダーに変身して覇王色の覇気を纏って蹴りに来るよ」


※参考までに、黄金聖闘士は特殊能力抜きの素の身体能力で光速移動します。



関係無い上に今更ですが、作者の名前は「フィッツジェラルド」と読みます。


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第五話 旅立ち

サラッと真夜中の第五話。



 ユエは、体全体が何か温かで柔らかな物に包まれているのを感じた。随分と懐かしい感触だ。頭と背中を優しく受け止めるクッションと、体を包む羽毛の柔らかさを感じ、ユエの微睡む意識は混乱する。

 

(……何で、ベッドに……)

 

 まだ覚醒しきらない意識のまま手探りをしようとする。しかし、その意思に反して身体は動かない。すると、不意にユエは自分の頭が触られている感覚を覚えた。

 嫌な感じはしない。注意深く意識すれば、頭を撫でられていると分かる。ボーっとしながらも、ユエは徐々に目を開ける。そこには……

 

「……ソウゴ様?」

「起きたか」

 

 ソウゴがベットに座り、背を向けながらユエの頭を撫でていた。

 ユエはゆっくりと体を起こす。ユエは自分が本当にベッドで寝ている事に気がついた。純白のシーツに豪奢な天蓋付きの高級感溢れるベッドである。場所は、吹き抜けのテラスの様な場所で一段高い石畳の上にいる様だ。爽やかな風が天蓋とユエの頬、ソウゴの髪を撫でる。周りは太い柱と薄いカーテンに囲まれている。

 さっきまで暗い迷宮の中にいた筈なのに、とユエが混乱する。

「……ソウゴ様、あの後一体……」

「あぁ、実はな──」

 直ぐにソウゴに疑問をぶつけるユエに、ソウゴは簡単な説明を始める。

 

 

 あの後、泣き疲れて眠ったユエを移動させようと背負った瞬間、奥の扉が独りでに開いた。新手を警戒したソウゴだが少し待ってみても特に何も無く、ソウゴはそのままユエを背負って扉を潜った。

 そして、踏み込んだ扉の奥は……

 

「成程、ここが反逆者の住処か」

 

 広大な空間に住み心地の良さそうな住居があった。危険がない事を確認してベッドエリアを発見したソウゴは、ユエをベッドに寝かせたのだ。

 

 

 ソウゴが説明を終えると、ユエはよじよじと這って近づきソウゴに自身の頭をグリグリと押し付けた。ソウゴは一瞬驚くも、直ぐに微笑みを浮かべてユエの好きな様にさせた。

 

 

 その後、気が済んで落ち着いたユエを伴ってソウゴは周囲の探索を始めた。

 

 先ず目に入ったのは太陽だ。勿論ここは地下迷宮であり本物ではない。頭上には円錐状の物体が天井高く浮いており、その底面に煌々と輝く球体が浮いていたのである。僅かに温かみを感じる上、蛍光灯の様な無機質さを感じないため、思わず"太陽"と称したのである。

「人工太陽か。"プラズマスパーク"の様なエネルギーは感じないが、見事な物だな」

「プラズマ……?」

 

 

 次に注目するのは耳に心地良い水の音。扉の奥のこの部屋はちょっとした球場位の大きさがあるのだが、その部屋の奥の壁は一面が滝になっていた。天井近くの壁から大量の水が流れ落ち、川に合流して奥の洞窟へと流れ込んでいく。滝の傍特有のマイナスイオン溢れる清涼な風が心地いい。よく見れば魚も泳いでいる様だ。もしかすると地上の川から魚も一緒に流れ込んでいるのかもしれない。

 

 川から少し離れた所には大きな畑もある様である。今は何も植えられていない様だが。その周囲に広がっているのは、もしかしなくても家畜小屋である。動物の気配はしないが、水と魚、肉や野菜と素があれば、ここだけでなんでも自炊できそうだ。緑も豊かで、あちこちに様々な種類の樹が生えている。

 

 

 ソウゴ達は川や畑とは逆方向、ベッドエリアに隣接した建築物の方へ歩を勧めた。建築したというより岩壁をそのまま加工して住居にした感じだ。

「入った時は素通りしてきたんでな、まだ調べていない。ユエ、油断せずに行くぞ」

「ん……」

 石造りの住居は全体的に白く石灰の様な手触りだ。全体的に清潔感があり、エントランスには温かみのある光球が天井から突き出す台座の先端に灯っていた。どうやら三階建てらしく、上まで吹き抜けになっている。

 取り敢えず一階から見て回る。

 暖炉や柔らかな絨毯、ソファのあるリビングらしき場所、台所、トイレを発見した。どれも長年放置されていた様な気配はない。人の気配は感じないのだが……、言ってみれば旅行から帰った時の家の様と言えばわかるだろうか。暫く人が使っていなかったと分かる、あの空気だ。まるで、人は住んでいないが管理維持だけはしている様な……。

 

 ソウゴとユエは、より警戒しながら進む。更に奥へ行くと再び外に出た。そこには大きな円状の穴があり、その淵にはライオンっぽい動物の彫刻が口を開いた状態で鎮座している。彫刻の隣には魔法陣が刻まれている。試しに魔力を注いでみると、ライオン擬きの口から勢いよく温水が飛び出した。どこの世界でも、水を吐くのはライオンというのがお約束らしい。

「ここは浴場だな、どう見ても」

「……入る? 一緒に……」

「頭でも洗ってやろうか?」

「むぅ……」

 

 

 それから二階で、書斎や工房らしき部屋を発見した。しかし、書棚も工房の中の扉も封印がされているらしく開ける事は出来なかった。破壊する事も出来たが、それでは風情が無い。仕方なく諦め、探索を続ける。

 二人は三階の奥の部屋に向かった。三階は一部屋しかない様だ。奥の扉を開けると、そこには直径七、八メートルの、この世界では今まで見た事も無い程に精緻で繊細な魔法陣が部屋の中央の床に刻まれていた。いっそ一つの芸術といってもいい程、見事な幾何学模様である。

 しかし、それよりも注目すべきなのは、その魔法陣の向こう側。豪奢な椅子に座った人影である。

 

 人影は骸だった。既に白骨化しており、黒に金の刺繍が施された見事なローブを羽織っている。薄汚れた印象は無く、お化け屋敷等にあるそういうオブジェと言われれば納得してしまいそうだ。

 

 その骸は椅子に凭れ掛かりながら俯いている。その姿勢のまま朽ちて白骨化したのだろう。魔法陣しかないこの部屋で骸は何を思っていたのか。寝室やリビングではなく、この場所を選んで果てた意図はなんなのか……。

「……怪しい……どうする?」

 ユエもこの骸に疑問を抱いた様だ。恐らく反逆者と言われる者達の一人なのだろうが、苦しんだ様子も無く座ったまま果てたその姿は、まるで誰かを待っている様である。

「地上への道を調べるには、この部屋が鍵であろう。下の部屋を開けるヒントである可能性が多分にある以上、調べるしかないだろう」

「ん……行こう」

 ソウゴはそう言うと、ユエと共に魔法陣へ向けて踏み出した。そしてソウゴが魔法陣の中央に足を踏み込んだ瞬間、カッと純白の光が爆ぜ部屋を真っ白に染め上げる。

 眩しさに目を閉じる二人。直後、何かが頭の中に侵入し、まるで走馬灯の様にこの世界に来てからの事が駆け巡った。

 やがて光が収まり、目を開けたソウゴとユエの目の前には、黒衣の青年が立っていた。

 

 魔法陣が淡く輝き部屋を神秘的な光で満たす中咄嗟に身構えたソウゴは、しかし直ぐに警戒態勢を解いた。どうにも目の前の青年からは敵意や悪意どころか、存在感そのものが感じられなかったからだ。またよく見れば、後ろの骸と同じローブを羽織っており、その事も相まって自然と青年の正体がわかってくる。

 

『試練を乗り越えよく辿り着いた。私の名はオスカー・オルクス。この迷宮を創った者だ。反逆者と言えばわかるかな?』

 

 話し始めた彼は、オスカー・オルクスというらしい。【オルクス大迷宮】の創造者の様だ。ソウゴはやはりと思いながら話に耳を傾ける。

 

『ああ、質問は許して欲しい。これはただの記録映像の様なものでね、生憎と君の質問には答えられない。だが、この場所に辿り着いた者に世界の真実を知る者として、我々が何の為に戦ったのか……メッセージを残したくてね。この様な形を取らせてもらった。どうか聞いて欲しい。……我々は反逆者であって反逆者ではないという事を』

 

 そうして始まったオスカーの話は、ソウゴが聖教教会で教わった歴史やユエに聞かされた反逆者の話とは大きく異なったものだった。

 

 

 

 

 それは狂った神とその子孫達の戦いの物語。

 

 

 神代の少し後の時代、世界は争いで満たされていた。

 人間と魔人、様々な亜人達が絶えず戦争を続けていた。争う理由は様々だ。領土拡大、種族的価値観、支配欲、他にも色々あるが、その一番は"神敵"だから。今よりずっと種族も国も細かく分かれていた時代、其々の種族、国が其々に神を祭っていた。その神からの神託で人々は争い続けていたのだ。

 

 だが、そんな何百年と続く争いに終止符を討たんとする者達が現れた。それが当時"解放者"と呼ばれた集団である。

 

 彼らには共通する繋がりがあった。それは全員が神代から続く神々の直系の子孫であったという事だ。その為か"解放者"のリーダーは、ある時偶然にも神々の真意を知ってしまった。何と神々は、人々を駒に遊戯のつもりで戦争を促していたのだ。"解放者"のリーダーは、神々が裏で人々を巧みに操り戦争へと駆り立てている事に耐えられなくなり志を同じくする者を集めたのだ。

 彼等は"神域"と呼ばれる、神々がいると言われている場所を突き止めた。"解放者"のメンバーでも先祖返りと言われる強力な力を持った七人を中心に、彼等は神々に戦いを挑んだ。

 

 しかしその目論見は、戦う前に破綻してしまう。何と神は、人々を巧みに操り"解放者"達を世界に破滅を齎そうとする神敵であると認識させて、人々自身に相手をさせたのである。

 

 その過程にも紆余曲折はあったのだが、結局守るべき人々に力を振るう訳にもいかず、神の恩恵も忘れて世界を滅ぼさんと神に仇なした"反逆者"のレッテルを貼られ"解放者"達は討たれていった。

 

 最後まで残ったのは中心の七人だけだった。世界を敵に回し、彼等はもはや自分達では神を討つ事は出来ないと判断した。そして、バラバラに大陸の果てに迷宮を創り潜伏する事にしたのだ。試練を用意し、それを突破した強者に自分達の力を譲り、いつの日か神の遊戯を終わらせる者が現れる事を願って。

 

 

 

 

 長い話が終わり、オスカーは穏やかに微笑む。

 

『君が何者で何の目的でここに辿り着いたのかはわからない。君に神殺しを強要するつもりもない。ただ、知っておいて欲しかった。我々が何の為に立ち上がったのか。……君に私の力を授ける。どの様に使うも君の自由だ。だが、願わくば悪しき心を満たす為には振るわないで欲しい。話は以上だ。聞いてくれてありがとう。君のこれからが、自由な意志の下にあらん事を』

 

 そう話を締めくくり、オスカーの記録映像はスっと消えた。同時に、ソウゴとユエの脳裏に何かが侵入してくる。不快感を覚えるが、それがとある術を刷り込んでいる為と理解できたので大人しく耐えた。

 やがて、不快感も収まり魔法陣の光も収まる。ソウゴはゆっくり息を吐いた。

「ソウゴ様……大丈夫?」

「ああ、平気だ……にしても、世界規模の詐欺の種明かしとはな」

「……ん……どうするの?」

 ユエがオスカーの話を聞いてどうするのかと尋ねる。

「ふむ、取り敢えず……」

 ソウゴはそう言うと二、三歩前に出てオスカーの骸の前で手を動かす。

 

 するとその軌跡に目の様な紋様が浮かび上がる。すると骸が紋様を通り、目玉の様な物に変化した。更にそれがソウゴの手に収まった瞬間、少し大きめのストップウォッチの様な物に変化する。

 

「オスカー・オルクス。貴様の願い、確とこの王が聞き届けた」

 この場にいない者に伝えるかの様に力強く呟いたソウゴは、次にユエに言葉を向ける。

「さて、先ずは他の大迷宮の探索でもしようか」

「……私も一緒に?」

「勿論、ユエも一緒にだ」

 そう言ってソウゴが頭を撫でると、ユエは相好を崩す。

 それはさておき、とソウゴは話を変える。

「それでユエよ、先程の現象だが……」

「……ん。神代魔法、覚えた」

「どうやらこの床の魔法陣が、神代魔術を使えるように頭を弄るらしいな。……しかし、私にはあまり意味の無いものだったな」

「え?」

 その言葉に信じられないといった表情のユエ。それも仕方ないだろう。何せ神代魔法とは文字通り、神代に使われていた現代では失伝した魔法だ。今回得たのは"生成魔法"。魔法を鉱物に付加して特殊な性質を持った鉱物を生成出来る魔法、つまり神代においてアーティファクトを作る為の魔法だ。それを意味の無いとは、一体どういう事かユエが質問すると、

 

「神代と銘打たれても、所詮は魔術の域を出ん魔法の真似事だったというのもある。だが何より、既に似たような事が出来る能力を幾つか持っているからな」

 

 そんな返事が返って来た。ユエは驚愕するしかなかった。

 

 

 

 

 その後ソウゴの提案で形だけだがオスカーの墓を作り、骸の消えた後に遺された彼の指環を拾ってソウゴとユエは封印されていた場所へ向かった。その指輪には十字に円が重った文様が刻まれており、それが書斎や工房にあった封印の紋様と同じだったのだ。

 

 まずは書斎だ。

 一番の目的である地上への道を探らなければならない。ソウゴとユエは書棚にかけられた封印を解き、めぼしい物を調べていく。すると、この住居の施設設計図らしき物を発見した。通常の青写真程確りした物ではないが、どこに何を作るのか、どの様な構造にするのかという事がメモの様に綴られた物だ。

「ビンゴだ」

「んっ」

 設計図によれば、どうやら先程の三階にある魔法陣がそのまま地上に施した魔法陣と繋がっているらしい。オルクスの指輪を持っていないと起動しない様だ。

 更に設計図を調べていると、どうやら一定期間ごとに清掃をする自律型ゴーレムが工房の小部屋の一つにあったり、天上の球体が太陽光と同じ性質を持ち作物の育成が可能等という事もわかった。人の気配が無いのに清潔感があったのは清掃ゴーレムのお陰だった様だ。工房には、生前オスカーが作成したアーティファクトや素材類が保管されているらしい。

「ソウゴ様……これ」

「うん?」

 ソウゴが設計図をチェックしていると、他の資料を探っていたユエが一冊の本を持ってきた。どうやらオスカーの手記の様だ。かつての仲間、特に中心の七人との何気ない日常について書いた物の様である。

 その内の一節に、他の六人の迷宮に関する事が書かれていた。

「やはり他の迷宮も攻略すると、創設者の神代魔術が手に入るらしい」

 手記によれば、オスカーと同様に他の六人の“解放者”達も迷宮の最深部で攻略者に神代魔術を教授する用意をしているようだ。生憎とどんな魔術かまでは書かれていなかったが。

「……そういえばソウゴ様」

「何だ?」

 そのまま解読を進めようとすると、不意にユエが質問を投げた。

「……何でソウゴ様は、魔法の事を魔術って呼んでる?」

「あぁ、その事か。それに関しては、私が多岐に渡る旅で得た見識の一つだ。一応教えるが、参考程度で聞き流して構わんからな」

 そう前置いてから、ソウゴは適当な椅子に腰を降ろして『魔術と魔法の違い』について説明を始めた。

 

「まずはユエよ。この世界において、所謂魔法を使う者を何と呼ぶ?」

「……基本的には、魔法師」

「その通りだ。だが私の基準で言えば、それは正しい呼称とは言えん」

「……魔術師?」

「そうだ。それ以外にも魔導師という言い方もある。他にもメイガス、キャスター、メイジ、ウィザード、ソーサラー、黒魔、呼び方は様々だ」

「……魔導? 魔法と魔術も含めて、どう違う?」

 ソウゴの言葉に、眉間の皺が深くなるユエ。そんなユエの頭を撫でて、ソウゴは続ける。

「まず魔導、または魔道とは、魔法・魔術を含め魔力を操る技術体系の総称だ。武術に様々な流派はあれど、その全てを武術と呼ぶのと似た様なものだ。これは理解できるか?」

「んっ」

「良し。だがこれは今回の主題とは関係無い事だ、頭の片隅にでも留めておけ」

 『魔導/魔道とは何か』という事と『魔術と魔法の違い』は無関係だと教え、ソウゴは本題に入る。

「それで肝心の違いについてだが、これは魔法がどの様なものを指すか、が一番分かりやすい」

「……?」

「魔法とは魔導の極致であり、神が振るう奇跡、権能の再現。神の域に達する程の極大魔術。早い話が、世界の法則や真理を書き換える程の魔術で以て、初めて"魔法"と呼べるのだ」

「……! それが、魔法...」

「そうだ。そして魔法程の影響力を持たない代わりに、万人に使える様に簡略・格下げした物が魔術。ユエ達が使う、この世界においての魔法と呼ぶ術だ」

「……じゃあ、ソウゴ様にとって、私は魔術師?」

「そうだな、……大魔術師か、或いは魔女か」

「魔女?」

「あぁ。女性の魔術師の中で、特に優秀且つ唯一の才能を持つ者を魔女と称するのだ」

「……じゃあ私は、これからは魔女。そして……魔法を覚えてみせる」

 ソウゴの言葉に対し、ユエが小さくとも力強く宣言した事で授業はお開きとなった。

 

 それから暫く探したが、正確な迷宮の場所を示す様な資料は発見できなかった。現在、確認されている【グリューエン大砂漠の大火山】【ハルツィナ樹海】、目星をつけられている【ライセン大峡谷】【シュネー雪原の氷雪洞窟】辺りから調べていくしかないだろう。

 

 暫くして書斎を調べ尽くした二人は、工房へと移動した。

 工房には小部屋が幾つもあり、その全てをオルクスの指輪で開く事ができた。中には、様々な鉱石や作業道具、理論書等が所狭しと保管されている。

 ソウゴは、それらを見ながら腕を組み少し思案する。そんなソウゴの様子を見て、ユエが首を傾げながら尋ねた。

「……どうしたの?」

 ソウゴはしばらく考え込んだ後、ユエに提案した。

「ユエ。明日一日ここに留まらないか? 他の迷宮攻略の事を考えても、ここで少し準備しておきたい、どうだ?」

 ユエは三百年も地下深くに封印されていたのだから一秒でも早く外に出たいだろうと思ったのだが、ソウゴの提案にキョトンとした後、直ぐに了承した。

「……ソウゴ様と一緒ならどこでもいい」

 そう言ってユエは笑った。

 

 

 

 

 その日の晩、天井の太陽が月に変わり淡い光を放つ様を、ソウゴは風呂に浸かりながら眺めていた。風呂は心の洗濯とはよく言ったものだ。どこぞの風来坊は関係無い。

「うむ、悪くないな……」

 適度に力を抜いて湯舟を堪能していると、突如、ヒタヒタと足音が聞こえ始めた。ソウゴは音の方へ視線を向ける。

 タプンと音を立てて湯船に入ってきたのは勿論……

「んっ……気持ちいい……」

 

 ユエだった。一糸纏わぬ姿でソウゴのすぐ隣に腰を下ろす。

 

 淡い月明かりが、その芸術品の如き白磁の肌を照らし出す。ゆるふわの髪は、ソウゴも初めて見るアップに纏められた状態で、晒された白く滑らかな項が艶かしい。

「どうした、本当に頭を洗ってほしかったのか?」

「……」

 ソウゴの問いに、ユエは静かに首を振る。

「……せめて前を隠せ。タオルは沢山あっただろう」

「寧ろ見て」

 ソウゴの注意に、ユエは真っ向から対峙する。

 その言葉と共に、少し上気し始めたユエの肌。頬も淡く染まり、得も言われぬ色気を放っていた。

「……ん。ソウゴ様……見て?」

 ユエの追撃。その得意げな顔に、ソウゴは大きく嘆息する。

「……私、好みじゃない?」

「取り敢えず、一ついいか?」

「?」

 そう前置くと、ソウゴは疑問に首を傾けるユエに伝える。

 

 

 

「私は既に妻も子もいる。お前を含めて、他の女を抱くつもりは無い」

 

 

 

 その言葉と共に左手に填めた結婚指輪を見せると、ユエは衝撃を受けた様に固まった。

 

 

 その後尚も迫るユエに、流石にイラついたソウゴが浴場から追い出したのはここだけの話。

 

 

 

 

 そんな事もありつつ、二日後の朝になった。ソウゴとユエは、三階の魔法陣の部屋に立つ。

 昨日をまるっと一日修行に宛がい、二人の実力は大きく変容している。例えば、ソウゴのステータスはこうだ。

 

 

常磐ソウゴ 140346歳 男 レベル:????

天職:大魔王/統一時空大皇帝

筋力:29525647486665

体力:29341194528349

耐性:29308586337437

敏捷:29308117707957

魔力:29324566408105

魔耐:29324934448205

 

 

 レベルは100を成長限度とするその人物の現在の成長度合いを示す。しかし、ソウゴのレベルはそれを遥かに超え2121まで表示され、それ以降はハテナの文字化けになってしまった。とある巨人風に言うなら「俺に限界は無ぇ!」という事なのだろうが、それでも異常な程の成長速度だ。

 

 因みに、後のベヒモス討伐辺りの勇者である光輝の限界は全ステータス1500といったところである。限界突破の技能で更に三倍に上昇させる事ができるが、それでも圧倒的な開きがある。しかも、ソウゴは魔力の直接操作や技能、変身で現在のステータスの更なる上昇を図る事が可能であるから、如何にチートな存在かが分かるだろう。

 

 一応比較すると、通常の人族の限界が100から200、天職持ちで300から400、魔人族や亜人族は種族特性から一部のステータスで300から600辺りが限度である。勇者がチートなら、ソウゴは化物としか言い様がない。本人的にも人間か怪しいと思っているのであながち間違いでもないが……。

 

 

 他には、ソウゴは館の探索で様々なアーティファクトを発見した。

 

 その最たる物が"宝物庫"という指環である。

 

 これはオスカーが保管していた指輪型アーティファクトで、ソウゴの宝物庫の様に異空間を作り出すのではなく、指輪に取り付けられている一センチ程の紅い宝石の中に創られた空間に物を保管して置けるという物だ。要は、勇者の道具袋の様な物である。空間の大きさは、正確には分からないが相当な物だと推測している。これまで倒してきた魔物達の肉を全て詰め込んでも、まだまだ余裕がありそうだからだ。そして、この指輪に刻まれた魔法陣に魔力を流し込むだけで物の出し入れが可能だ。半径一メートル以内なら任意の場所に出す事が出来る。

 物凄く便利なアーティファクトなのだが、ソウゴにとっては必要の無い無用の長物である為、ユエに渡して使わせる事にした。

 

 他にもソウゴは、神結晶の膨大な魔力を内包するという特性を利用し、一部を錬成でネックレスやイヤリング、指輪等のアクセサリーに加工し、それをユエに贈ったのだ。ユエは強力な魔術を行使できるが最上級魔術等は魔力消費が激しく、一発で魔力枯渇に追い込まれる。しかし電池の様に外部に魔力をストックしておけば最上級魔術でも連発出来、且つ魔力枯渇で動けなくなるという事も無くなる。

 

 そう思って、ユエに"魔晶石シリーズ"と名付けたアクセサリー一式を贈ったのだが、その時のユエの反応は……

「……プロポーズ?」

 なんて答えが返って来た為、ソウゴはまたデコピンを披露する羽目になった。

 

 

 それが一時間程前の事。二人はいよいよ地上に出る。三階の魔法陣を起動させながら、ソウゴはユエに静かな声で告げる。

「ユエ、私達の力は地上では異端だ。聖教教会や各国が黙っているという事は無いだろう。アーティファクトを要求されたり、戦争参加を強制される可能性も極めて高い。教会や国だけでなく、傍迷惑な神共とも敵対するかもしれん。それでも構わんな?」

「今更……」

 ユエの言葉に思わず苦笑いするソウゴ。真っ直ぐ自分を見つめてくるユエのふわふわな髪を優しく撫でる。気持ちよさそうに目を細めるユエに、ソウゴは一呼吸を置くと、キラキラと輝く紅眼を見つめ返す。

「まぁ、それ程気負う事もあるまい。折角の旅だ、楽しんでいくぞ」

 ソウゴの言葉を、ユエはまるで抱きしめる様に両手を胸の前でギュッと握り締めた。そして、無表情を崩し花が咲く様な笑みを浮かべた。返事はいつもの通り、

「んっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 大地に刻まれた傷跡とも言うべき深い峡谷の底、水など一滴も流れていない渇いたその場所には、大小様々な岩石がゴロゴロと転がっている。耳を澄ませる必要も無く、常にどこからか凶暴な魔物の唸り声が反響し、或いは弱肉強食の音色が響く。

 

 ここでは、人類の強力な武器である“魔法”が使えず、食料になりそうな物も殆ど無い。谷の上に登り峡谷から脱出するには、何百メートルもある絶壁を自力で登らねばならず、そんな目立つ事をしていれば十中八九魔物の餌となる。

 

 一応、東西の端に谷から出る為の階段が建設されてはいるが、目敏い魔物は折角谷底に落ちてきた餌を逃す事は無いだろう。

 

 

 それ故に、そこは人々にとっては地獄と同義。或いは、便利な処刑場であった。

 

 

 そんな人の生存が頗る困難な場所で、一つの影が動いた。

 大きな岩と岩の隙間からピョコリと生えた……ウサミミである。およそ地獄の谷底には不釣り合いなファンシーで愛嬌のあるウサミミは、暫く右に左にとまるで気配を探るかの様にピコピコと動いていた。

 やがて周囲に危険は無いと納得できたのか、その本体がひょこっと岩から顔を出した。ウサミミの下は、どうやら動物ではなく人だった様だ。ウサミミを生やした十代半ばの少女が、今度は視線で周囲の安全を確認している。

 

 美しい少女だった。たとえ峡谷の劣悪で過酷な環境のせいで薄汚れてしまい、服装も襤褸を纏っただけの見窄らしいものだったとしても、男なら誰でも視線を奪われる程に。青みがかった白髪と蒼穹の瞳は、いっそ神秘的ですらある。

 そんな神秘的な少女は……

 

「うぅ~、めっちゃ怖いですぅ~。お布団の上でゴロゴロしながら、オヤツを貪りたいですぅ~」

 

 何だか、色々と残念な性格をしている様だった。

 暫くめそめそと泣き言を呟いていた残念美人なウサミミ少女は、しかし自分の頬をペチペチと叩いて気合を入れると、「でもこのままじゃ、私や家族の方が魔物のオヤツですぅ」と呟きながら、瞳に力を込めて峡谷の奥を見つめだした。

「……早く行かなくちゃです。あの未来へ、あの人達の下へ」

 決然と立ち上がったウサミミ少女は、見つめる先へと駆け出した。

 

 

 

 ……数分後、「ひ~ん! 私は美味しくないですよぉ!」という何とも情けない叫び声が峡谷に木霊した。

 

 




ここで簡単なソウゴの経歴


19歳
最高最善の魔王として即位、仮面ライダー世界を平定。逢魔城及び初変身の像を建設。

スーパー戦隊世界を平定。

ウルトラマン世界を平定。仮面ライダーオーマジオウ・フォーエバーフォーム誕生。

25歳頃
国名を逢魔国に改名。その後数十年は様々な世界へ遠征、平定。その世界の力を継承して自身の力と国力を高めつつ内政にも務める。

30歳頃
常磐順一郎 死去。

70歳頃
ツクヨミ(アルピナ) 死去。

80歳頃
明光院ゲイツ 死去。

300歳頃
ウォズ 死去。

それから十数万年、様々な世界へ遠征、その世界の住人と力を合わせたり覇を競ったり(後者が圧倒的に多かった)して平定、力を継承。色々あった。本当に色々あった。
ある少女にプロポーズし、断られる。

136331歳
プリキュア世界へ遠征。この遠征にて結婚し、王妃を伴い凱旋。またその際に義娘、義妹が出来る。他にも何人かスカウトし国に迎える。またも色々あった(愛人を自称するストーカーが現れたり、全生命の脅威的な何かが誕生したり)。

本来ソウゴの遠征は数ヵ月、長くても二、三年であり、十年以上時間が掛かったのは今のところこの世界のみ。

それから約四千年、ソウゴ自身だけでなく王妃や娘達も遠征を行い国を広げる。偶に家族総出で遠征する事もあった。

140329歳
王妃との間に第一子誕生(因みにその後、小学校入学と同時に異世界に家出した)。

140346歳
ありふれ世界に召喚される。


妻一人、養子四人、実子一人の七人家族。



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第六話 キング・ミーツ・ラビッツ

人は死ぬよ~、必ず~死ぬ~♪

……第六話です、どうぞ。


 僅かな光も無い暗闇に包まれた洞窟の中。

 小さな虫の這いずる音すらも感じられないひっそりとしたその空間は、人の手が入っている様には見えない、凸凹とした極めて自然的な様子だった。

 但し、自然的な洞窟でありながら出入口が無い、閉ざされた空間であるという極めて不自然な点を除けばだが。

 

 自然的に、或いは偶発的に地中にエアポケットが出来るという事はあり得ない事でもない。しかし、この閉ざされた洞窟が不自然である事を裏付ける決定的な異様さが一つ、洞窟の中央に存在していた。

 

 それは地面に刻まれた、複雑にして精緻な円陣に囲まれた幾何学模様だ。所謂魔法陣である。尤も、この直径三メートル程の魔法陣を現代の魔術に携わる者が見たのなら、きっと驚愕に目を剥くか、場合によっては卒倒するに違いない。それ程までに極まった魔法陣だった。

 しかし国宝として扱われそうな程壮麗な魔法陣であっても、現在は埃に塗れて薄汚れておりなんとも物悲しい雰囲気を漂わせている。十年や百年ではきかない程長い年月使われていないのは明白だ。まるで、いつか資格を持つ者が現れて引き抜かれるのを待っている御伽噺の中の伝説の剣の様に、ひっそりと存在していた。

 

 そんな魔法陣に一体どれ程振りなのか、遂に変化が現れた。魔法陣が刻まれた溝に沿って、僅かに金色の光が迸り始めたのだ。最初は蛍火の様に儚く仄かに、そして次第に強く強く輝きを増していく。

 一拍して、光が爆ぜた。鮮やかな黄金の魔法陣を燦然と輝かせ、更には洞窟の暗闇を薙ぎ払っていく。更にその余波で岩壁を焼くという、神秘的でありながら禍々しい壮麗で凄絶な光景。この場に立ち会う者が居たのなら、きっと超常的存在の顕現をイメージし、その途端に何が起きたか解らぬままその生涯を閉じていただろう。

 やがて光が宙に溶け込む様に霧散していき、魔法陣の上に人影が二つ見え始めた頃、木霊したのは……

 

「ほう、すっかり地上に出るものと思っていたが…」

 

 不思議そうな感想の声だった。

 完全に光が収まり暗闇が戻った洞窟内で、興味深そうな表情で佇む声の主。それは三日前、とある生徒の悪意によって【オルクス大迷宮】の奈落に落ちた、異世界からの来訪者──常磐ソウゴだ。

 ソウゴは全百階層と考えられている【オルクス大迷宮】の更に百階層下の最深部において、大迷宮の創設者にしてこの世界トータスで信仰されている神の反逆者"解放者オスカー・オルクス"の隠れ家から、地上に繋がっていると思われる魔法陣から転移してきたのだ。

 にも拘わらず、開けた視界に映ったのは代り映えしない岩壁、岩壁、岩壁……。不思議に思っても仕方無いだろう。

 

 そんなソウゴの裾がクイクイと引っ張られた。ソウゴが「何だ?」と顔を向ければ、そこにはソウゴの腹部辺りまでしかない小柄な体格のユエの姿。

 ユエはほんのりと目元を緩めながら自分の推測を話した。

「……秘密の通路……隠すのが普通」

「それもそうか。解放者の隠れ家への直通の道だ、隠蔽していて当然か」

 そんな簡単な事にも頭が回らないとは、どうやら自分は相当浮かれていたらしい。ソウゴは恥じ入った様に頭を掻いた。

 そうして気を取り直す様にユエは魔術で明かりを付け、ソウゴは“暗視”の技能で洞窟を進む。

「ん? あれは……」

 少し進んだ視線の先、洞窟の奥に異変を見つける。綺麗な縦線の刻まれた壁があり、ソウゴの目線くらいの高さに掌大の七角形が描かれていたのだ。各頂点には異なる紋様も描かれていて、その内の一つはつい最近見たばかりのものだ。即ち、オスカー・オルクスの紋章だ。

 ソウゴはその壁に歩み寄り、“宝物庫”から取り出した【オルクス大迷宮】攻略の証である指環を翳してみた。すると直後にゴゴゴッと雰囲気たっぷりに音を響かせて壁が左右に開き、その奥の通路を晒した。

 ソウゴとユエは顔を見合わせ一つ頷くと、その通路へと踏み出す。分かれ道は見当たらないので道なりに進む。

 途中、幾つか封印が施された扉やトラップがあったが、オルクスの指輪が反応して尽く勝手に解除されていった。二人は一応警戒していたのだが、拍子抜けする程何事も無く洞窟内を進み……遂に光を見つけた。

 

 外の光、陽の光だ。ユエに至っては三百年間、求めてやまなかった光。

 

 ソウゴとユエはそれを見つけた瞬間、思わず立ち止まりお互いに顔を見合わせた。ユエは湧き上がる感情を抑えきれず思わず溢れ出たという様な笑みを浮かべ、ソウゴはそんなユエに微笑み、同時に求めた光に向かって進む。

 近づくにつれ徐々に大きくなる光。外から風も吹き込んでくる。奈落の様な澱んだ空気ではない、ずっと清涼で新鮮な風だ。そして、ソウゴとユエは同時に光に飛び込み……、

 

 

 待望の地上へ出た。

 

 

 

 そこは地上の人間にとって、地獄にして処刑場だ。断崖の下は殆ど魔術が使えず、にも拘らず多数の強力にして凶悪な魔物が生息する。深さの平均は一・二キロメートル、幅は九百メートルから最大八キロメートル、西の【グリューエン大砂漠】から東の【ハルツィナ樹海】まで大陸を南北に分断するその大地の傷跡を、人々はこう呼ぶ。

 

 【ライセン大峡谷】と。

 

 ソウゴ達は、そのライセン大峡谷の谷底にある洞窟の入口にいた。地の底とはいえ頭上の太陽は燦々と暖かな光を降り注ぎ、大地の匂いが混じった風が鼻腔をくすぐる。

 たとえどんな場所だろうと、確かにそこは地上だった。呆然と頭上の太陽を仰ぎ見ていたユエの表情が次第に笑みを作る。無表情がデフォルトのユエが、誰が見ても分かる程頬が綻んでいる。

「戻って来たな?」

「……んっ」

 優し気な声音でソウゴが訊けば、ユエは目一杯力の籠った返事をする。それで漸く実感が湧いたのか、ユエは太陽から目を逸らすとソウゴを見つめ、そしてガバッとソウゴに抱きついて魂の叫びを迸らせる。

 

「んーーっ!!」

 

 感極まったのか、ユエはソウゴに飛び掛かる様に抱きついた。小柄とはいえ人一人に抱きつかれても、ソウゴは小動もせずユエの頭を撫でて微笑みかける。ソウゴはそのまま、ユエの気が済むまで好きな様にさせた。暫くの間、峡谷にはユエの笑い声が響いた。

 

 

 

 漸く笑いが収まった頃には……すっかり魔物に囲まれていた。

 

 魔物達の唸り声が四方八方から響く中、ソウゴはゆっくりとユエを離して溜息を吐く。

「全く無粋な連中め、もう少し余韻に浸らせてやってもよいだろう」

 そう言いながら魔物を観察していたソウゴは、「そういえば、この場所は魔術が使えないのだったか」と溢す。王国の図書館に出入りしていた頃、有り余る時間で座学に勤しんでいたソウゴは【ライセン大峡谷】最大の特徴を頭に入れていたのだ。

 因みに、その特徴がソウゴに牙を向く事は勿論無い。あらゆる不条理も、ソウゴの理不尽を縛る事は出来ないのだ。

「……分解される。でも、問題無い」

 【ライセン大峡谷】で魔術が使えない理由は、発動した魔術に込められた魔力が分解され散らされてしまうからである。勿論、ユエの魔術も例外ではない。しかし、ユエは嘗て世界最強の一角として周知されていた吸血姫であり、内包魔力は最高位である上に今は外付け魔力タンクである"魔晶石シリーズ"を所持している。

 つまり、大峡谷の特性を以てしても瞬時には分解しきれない程の大威力を以て魔術を放ち、一気に殲滅してしまえばいいという訳だ。

 ふんすっ、と鼻息荒くし何とも豪快な発想を口にするユエに、ソウゴは苦笑いしつつ尋ねる。

「力づくか……効率は?」

「……十倍位」

 どうやら、初級魔術を放つのに上級レベルの魔力が必要らしい。射程も相当短くなる様だ。

「それなら私がやろう。ユエは身を守る程度にしておけ」

「うっ……でも」

「適材適所だ。ここは魔術師にとって鬼門だ、任せておけ」

「ん……分かった」

 ユエが渋々といった感じで引き下がる。折角地上に出たのに、最初の戦いで戦力外とは納得し難いのだろう。少し矜持が傷ついた様だ。唇を尖らせて拗ねている。

 そんなユエの頭を撫でつつ一歩前に出て、徐に両手を上げる。

 

 するとその周囲に、いつの間にか複数のブーメランの様な刃物が現れる。ソウゴが軽く腕を倒すと、目にも止まらぬ速さで刃物群は飛んで行った。

 

「"アイコサプルスラッガー"」

 

 破裂音と共に飛び出した二十のスラッガーはものの数瞬でソウゴの下に戻り、まるで最初から無かったかの様に跡形も無く消失する。

 するとそれが引き金になった様に、二人の周囲の魔物達がサイコロステーキの様に崩れて辺りに散らばった。

 

 それらの一連の流れを見たソウゴは、まるで落胆した様に溜息を吐いて周囲の死体の山を見やる。

 その傍に、トコトコとユエが寄って来た。

「……どうしたの?」

「いや、あまりにあっけなかったんでな。……ライセン大峡谷の魔物と言えば相当凶悪という話だったんで、少しは楽しめると思ったんだが」

「……ソウゴ様が化物なだけ」

「否定できんな。まぁ所詮は野生動物、期待するだけ無駄か」

 そう言って肩を竦めたソウゴは、もう興味が無いという様に魔物の残骸から視線を転じ、峡谷の絶壁を見上げる。

「さて、この絶壁、登ろうと思えば登れるだろうが……どうする? ライセン大峡谷と言えば、七大迷宮があると考えられている場所だ。樹海側に向けて探索でもしながら進むか?」

「……何故、樹海側?」

「貴様の事を考えれば、砂漠横断よりは樹海側の方が楽だ。それに町にも近いだろう」

「……ん、確かに」

 ソウゴの提案にユエも頷いた。魔物の弱さから考えても、この峡谷自体が迷宮という訳ではなさそうだ。ならば、別に迷宮への入口が存在する可能性はある。ソウゴの飛行系技能やユエの風系魔術を使えば絶壁を超える事は可能だろうが、どちらにしろライセン大峡谷は探索の必要があったので特に反対する理由も無い。

 早速進行方向を決めたソウゴは、懐からある物を取り出す。

「ソウゴ様、それは……?」

「これはライドウォッチと言ってな、こう使うんだ」

 

『バイク!』

 

 ソウゴがウォッチを放ると、空中でソウゴの専用機である複合動力駆動二輪"ロードストライカー・グランド"に変形した。

 

 

 

 ソウゴがこの世界に召喚される一ヶ月程前に完成した、ソウゴの専用マシンである。

 

 以前まで使っていた通常のライドストライカーの改造品で、他のライダーマシンをメインに様々な機体の技術が盛り込まれている。

 主な特徴として内蔵された"クラインの壺"により無尽蔵にエネルギーを供給し、燃料切れが発生しない。また、万が一の場合にも通常のガソリンエンジンや原子力エンジン"AB-27Eアトミックブラスト"、水素エンジンや魔石による魔力エンジンも搭載しており、他にもECR放電におけるプラズマ生成でイオン加速による超スピード走行や、空気中のエネルギーを吸収し電力に変換する事も可能で、内部に納められた馬型モンスターの脳による自立駆動も可能等、走行不可という事態は完全に等しいレベルで存在しない。

 外気を特殊タービンで圧縮した超圧縮噴流を4カ所のスラスターから噴射し、その反作用で凄まじい推進力を得ている。また、タービンの動力源となる超伝導モーターによる走行も可能。

小回りや運動性能に優れており、飛行と言える程の大ジャンプを可能にしている。外部装甲に宇宙合金「スペースヒデンアロイ」を使用しており、大気圏突入を可能にする程の防御力を誇る。

 その他にも変形機構、"装甲機ゴウラム"や"魔像ブロン"との合体機構も備えており、その最高時速は6800km/hに至る。走行時には、"シャドウベール"という見えないバリアが車体の周囲を覆い、運転者をあらゆる衝撃から防御する。

 

 その他にも多種多様な機能があるが、それについてはまた別の機会。

 

 

 

「行くぞ」

 ソウゴは驚愕で固まるユエに声を掛け、ストライカーに跨る。正気に戻ったユエがその後ろにピョンと跳び乗ってソウゴの腰にしがみついた。自分の腹部に回されたユエの手をポンポンと軽く叩くと、ソウゴはエンジンを起動してストライカーを発進させた。

 【ライセン大峡谷】は基本的に東西に真っ直ぐ伸びた断崖だ。その為脇道などは殆ど無く、道なりに進めば迷う事無く樹海に到着する。ソウゴもユエも迷う心配が無いので、迷宮への入口らしき場所がないか注意しつつ、軽快にストライカーを走らせていく。

 かの伝説の名機"ビートチェイサー2000"から続くビートチェイサーシリーズの技術を組み込んでいるだけあり、その悪路走破性能で谷底の道も実に軽快な道程となった。

「良い乗り心地だ」

「……ん。すごく」

 風を切りながら太陽の光と土の匂い混じりの空気を存分に堪能し、疑似的なドライブを楽しむソウゴとユエ。ユエはソウゴの背中に頭を軽く預けつつ、実に幸せそうな表情だ。ソウゴもソウゴで、改造後初運転となるストライカーの調子を確かめつつ、搭載された武装や邪眼で襲い来る魔物の群れを蹴散らしている。

 

 暫くストライカーを走らせていると、それほど遠くない場所で魔物の咆哮が聞こえてきた。中々の威圧である、少なくとも今まで相対した谷底の魔物とは一線を画す様だ。もう三十秒もしない内に会敵するだろう。

 ストライカーを走らせ大きくカーブした崖に回り込むと、その向こう側に大型の魔物が見えた。嘗て見たティラノモドキに似ているが、それとは異なり頭が二つある。双頭のティラノサウルス擬きだ。

 だが、真に注目すべきは双頭ティラノではなく、その足元をぴょんぴょんと跳ね回りながら半泣きで逃げ惑うウサミミを生やした少女だろう。

 ソウゴはストライカーを止めて訝し気な眼差しで今にも喰われそうなウサミミ少女を見やる。

「……あれは何だ?」

「……兎人族?」

「何故こんな所に? 兎人族とは谷底が住処なのか?」

「……聞いた事無い」

 ソウゴとユエは首を傾げながら、逃げ惑うウサミミ少女を見る。

 

 すると、そんなソウゴとユエをウサミミ少女の方が発見したらしい。双頭ティラノに吹き飛ばされ岩陰に落ちた後、四つん這いになりながら這う這うの体で逃げ出し、その格好のままソウゴ達を凝視している。

 そして再び双頭ティラノが爪を振い隠れた岩ごと吹き飛ばされ、ゴロゴロと地面を転がるとその勢いを殺さず猛然と逃げ出した。

 

 

 ……ソウゴ達の方へ。

 

 

 それなりの距離があるのだが、ウサミミ少女の必死の叫びが峡谷に木霊しソウゴ達に届く。

「みづげだぁ!! やっどみづげまじだよぉ~~! だずげでぐだざ~い! ひぃいいい、死んじゃう! 死んじゃうよぉ! だずけてぇ~、おねがいじますぅ~!」

 滂沱の涙を流し顔をぐしゃぐしゃにして必死に駆けてくる。そのすぐ後ろには、双頭ティラノが迫っていて今にもウサミミ少女に食らいつこうとしていた。このままでは、ソウゴ達の下に辿り着く前にウサミミ少女は魔物の腹に収まる事になるだろう。

 

「……はぁ。ユエ、少し待っていろ」

「……助けるの?」

「流石にな」

 

 それだけ言ってソウゴは瞬間移動し、ウサミミ少女の前に立つ。

 離れた所にいたソウゴがいきなり目の前に現れ、ウサミミ少女は当然混乱する。

「えっ? あれっ!?」

「『やっと見つけた』というのがどういう事か、後で説明してもらうぞ」

 ソウゴはそう言うと掌を合わせ、外側に開く様に両腕を振るう。

「"バーチカルギロチン"」

 その言葉と共に光刃が飛び、双頭ティラノは真っ二つに裂ける。その身体は慣性に従いソウゴとウサミミ少女の左右に分かれて前のめりに倒れこんだ。

 

 その振動と音にウサミミ少女が思わず「へっ?」と間抜けな声を出し、恐る恐るソウゴの背後で顔を左右に振ってティラノの末路を確認する。

「し、死んでます…そんなダイヘドアが一撃なんて…」

 ウサミミ少女は驚愕も顕に目を見開いている。どうやらあの双頭ティラノは“ダイヘドア”というらしい。

 呆然としたままダイヘドアの死骸を見つめ硬直しているウサミミ少女だが、次の瞬間ソウゴに声を掛けられる。

「さて、怪我は無いか?」

「…! はい! 助けて頂きありがとうございました! 私は兎人族ハウリアの一人、シアといいます! 取り敢えず私の家族を助けて下さい! ものすっごくお願いしますっ! ……助けてくれたら……、そ、その、貴方のお願いを、な、何でも一つ、聞きますよ?」

 

 頬を染めて上目遣いで迫るウサミミ少女。図々しい、そしてあざとい。実にあざとい仕草だ。涙や鼻水で汚れてなければ、さぞ魅力的だっただろう。実際に、近くで見れば汚れてはいるものの自分で美少女と言うだけあって、かなり整った容姿をしている様だ。青みがかった白髪碧眼の美少女である。しかもその格好はボロボロで、女の子としては見えてはいけない場所が盛大に見えてしまっている。そんな姿で迫られたら並の男ならイチコロだろう。

 

「お願いです! お願いします、私の家族を助けて下さい!」

「なら落ち着け、そして事情を話せ。まるで話が見えん」

 峡谷にシアの叫ぶ様な懇願の言葉が響く。そんな彼女を宥めつつ、ソウゴは愛機とユエを自分の傍へ引き寄せる。ユエは自身がいきなり瞬間移動した事に驚きつつも、直ぐに気を取り直してソウゴの傍に駆ける。

「でも早く行かないと! 間に合わなくなるんですっ! …って言うか、普通私みたいな美少女のお願いなら一も二も無く了承しませんか!?」

「そういう事は自分で言うものではないぞ」

 ソウゴが呆れた様に漏らす。実際、彼女はソウゴの目から見ても十分な美少女と言える。

 少し青みがかったロングストレートの白髪に、蒼穹の瞳。眉や睫毛まで白く、肌の白さとも相まって黙っていれば神秘的な容姿とも言えるだろう。手足もスラリと長く、ウサミミやウサ尻尾がふりふりと揺れる様は何とも愛らしい。ケモナー達が見れば感動して思わず滂沱の涙を流すに違いない。

 

 何より、シアは大変な巨乳の持ち主だった。ボロボロの布切れの様な物を纏っているだけなので殊更強調されてしまっているソレは固定もされていないのだろう、彼女が動く度にぶるんぶるんと揺れ激しく自己を主張している。ぷるんぷるんではなくぶるんぶるんだ。

 

 要するに、彼女が自分の容姿やスタイルに自信を持っていても何らおかしくないのである。寧ろ特に反応も興味も示さないソウゴが異常なのだ。

 それ故に、矜持を傷つけられたシアは言ってしまった。言ってはならない言葉を……

「それともあれですか!? あそこの女の子みたいな小っちゃくてペッタンコなのが好みなんですか! ロリコンなんですか!?」

 

 ───ペッタンコ……ロリコン……

 ───ペッタンコ……ロリコン……

 ───ペッタンコ……ロリコン……

 

 峡谷に命知らずなウサミミ少女の叫びが木霊する。そんな彼女が数秒後どうなったかは……語るまでも無いだろう。

 

 

 

「さて、そろそろ話してもらおうか?」

 

 その後ソウゴは宝物庫から荘厳な装飾の施された玉座を取り出して、肘を突き足を組んで座り込む。その隣には腕を組んで如何にも怒ってますという顔のユエ。

 その眼前にはガタガタと震えて地面に座り込むシア。

 

「改めまして。私は兎人族ハウリアの長の娘、シア・ハウリアと言います。実は……」

 

 

 語り始めたシアの話を要約するとこうだ。

 

 シア達ハウリアと名乗る兎人族達は、【ハルツィナ樹海】にて数百人規模の集落を作りひっそりと暮らしていた。

 兎人族は聴覚や隠密行動に優れているものの、他の亜人族に比べればスペックは低いらしく、突出したものが無いので亜人族の中でも格下と見られる傾向が強いらしい。性格は総じて温厚で争いを嫌い、一つの集落全体を家族として扱う仲間同士の絆が深い種族だ。また総じて容姿に優れており、エルフの様な美しさとは異なった可愛らしさがあるので、帝国等に捕まり奴隷にされた時は愛玩用として人気の商品となる。

 

 そんな兎人族の一つのハウリア族に、ある日異常な女の子が生まれた。兎人族は基本的に濃紺の髪をしているのだが、その子の髪は青みがかった白髪だったのだ。しかも、亜人族には無い筈の魔力まで有しており、直接魔力を操る術と、とある固有魔術まで使えたのだ。

 

 当然、一族は大いに困惑した。兎人族として、いや亜人族として有り得ない子が生まれたのだ。魔物と同様の力を持っているなど、普通なら迫害の対象となるだろう。しかし、彼女が生まれたのは亜人族一家族の情が深い種族である兎人族だ。百数十人全員を一つの家族と称する種族なのだ。ハウリア族は女の子を見捨てるという選択肢を持たなかった。

 しかし、樹海深部に存在する亜人族の国【フェアベルゲン】に少女の存在がバレれば間違いなく処刑される。魔物とはそれだけ忌み嫌われており、不倶戴天の敵なのである。国の規律にも魔物を見つけ次第、出来る限り殲滅しなければならないと有り、過去にわざと魔物を逃がした人物が追放処分を受けたという記録もある。また、被差別種族という事もあり、魔術を振りかざして自分達亜人族を迫害する人間族や魔人族に対してもいい感情など持っていない。樹海に侵入した魔力を持つ他種族は、総じて即殺が暗黙の了解となっている程だ。

 

 故に、ハウリア族は少女を隠し、十六年もの間ひっそりと育ててきた。だが、先日とうとう彼女の存在がばれてしまった。その為、ハウリア族はフェアベルゲンに捕まる前に一族ごと樹海を出たのだ。

 行く宛もない彼等は、一先ず北の山脈地帯を目指す事にした。山の幸があれば生きていけるかもしれないと考えたからだ。未開地ではあるが、帝国や奴隷商に捕まり奴隷に堕とされてしまうよりはマシだ。

 

 しかし彼等の試みは、その帝国により潰えた。樹海を出て直ぐに運悪く帝国兵に見つかってしまったのだ。巡回中だったのか訓練だったのかは分からないが、一個中隊規模と出くわしたハウリア族は南に逃げるしかなかった。

 

 女子供を逃がす為男達が追っ手の妨害を試みるが、元々温厚で平和的な兎人族と魔術を使える訓練された帝国兵では比べるまでもない歴然とした戦力差があり、気がつけば半数以上が捕らわれてしまった。

 全滅を避ける為に必死に逃げ続け、ライセン大峡谷に辿り着いた彼等は、苦肉の策として峡谷へと逃げ込んだ。流石に、魔術の使えない峡谷にまで帝国兵も追って来ないだろうし、ほとぼりが冷めていなくなるのを待とうとしたのである。魔物に襲われるのと帝国兵がいなくなるのとどちらが早いかという賭けだった。

 

 しかし、予想に反して帝国兵は一向に撤退しようとはしなかった。小隊が峡谷の出入り口である階段状に加工された崖の入口に陣取り、兎人族が魔物に襲われ出てくるのを待つ事にしたのだ。

 そうこうしている内に、案の定魔物が襲来した。もう無理だと帝国に投降しようとしたが、峡谷から逃がすものかと魔物が回り込み、ハウリア族は峡谷の奥へと逃げるしかなかった。そうやって、追い立てられる様に峡谷を逃げ惑い……

 

 

「……気がつけば、六十人はいた家族も、今は四十人程しかいません。このままでは全滅です。どうか助けて下さい!」

 

 最初の残念な印象とは打って変わって悲痛な表情で懇願するシア。

 話を一通り聞いたソウゴは「ほぅ…」と顎に手を当てて思案顔になる。どうやらシアは、ユエやソウゴと同じ、この世界の例外というヤツらしい。特に、ユエと同じ先祖返りと言うやつなのかもしれない。

「事情は理解した。それで? 先程の"見つけた"とはどういう意味だ?」

 先程から何度か呟かれている不思議な言葉は、何故シアが仲間と離れて単独行動をしていたのかという点と相まって甚だ疑問である。

 

 その気になれば自身で調べる事もできるが、そこまで労力を払う程知りたい事でもなかった。だがここまでくれば話の流れで訊かずにはいられない。ソウゴの質問にシアは一瞬呆けたものの、これはチャンスだと身振り手振りを加えて一生懸命話し出す。

「あ、はい。"未来視"といいまして、仮定した未来が見えます。もしこれを選択したら、その先どうなるか? みたいな……。後、危険が迫っている時は勝手に見えたりします。まぁ、見えた未来が絶対というわけではないですけど……そ、そうです! 私、役に立ちますよ! "未来視"があれば危険とかも分かりやすいですし! 少し前に見たんです! 貴方が私達を助けてくれている姿が! 実際、ちゃんと貴方に会えて助けられました!」

 

 シアの説明する"未来視"は彼女の説明通り、任意で発動する場合は仮定した選択の結果としての未来が見えるというものだ。これには莫大な魔力を消費する。一回で枯渇寸前になる程である。また、自動で発動する場合もあり、これは直接・間接を問わず、シアにとって危険と思える状況が急迫している場合に発動する。これも多大な魔力を消費するが、任意発動程ではなく三分の一程消費するらしい。

 どうやらシアは、元いた場所でソウゴ達がいる方へ行けばどうなるか? という仮定選択をし、結果自分と家族を守るソウゴの姿が見えた様だ。そしてソウゴを探す為に飛び出してきた。こんな危険な場所で単独行動とは、余程興奮していたのだろう。

「その様な固有魔術を持っていて、何故露見した。危険を察知できるならフェアベルゲンの者共にも隠し通せたのではないのか?」

 ソウゴの指摘に、シアは何とも表現し難い表情を見せた。苦笑いとも強がりとも、或いは酷く悲しんでいるとも取れる、そんな不思議な表情。声音までどこか不思議な色を宿している。

「……未来は、一生懸命頑張れば変えられます。少なくとも、私はそう信じています。でも、頑張りが足りなくて、変えられなかった未来も……。いつも後になって思うんです、私が本当に変えたいと願った未来が変えられなかった時、もっともっと頑張っていればよかったのにって……」

「……ふむ」

 シアの言葉にソウゴは思案顔になる。そしてそれと同時に、彼女の辛さを理解できない事を自覚した。

 

 

 同じく未来視を持つソウゴとシアでも、その在り方は大きく異なる。

 ソウゴの持つ未来視はシアと同じく"仮定した未来を視るもの"と、"仮定も含めた数多の可能性を排して結果を覗くもの"の両方を備えている。その為ソウゴの未来的中率は十割、つまり何もしない場合の未来はソウゴの見たものに確定される。

 

 

 そして、そうなった後の事象がシアの場合とは異なる。

 

 

 ソウゴの場合、基本的に未来を変える事に苦労は無い。それが出来るだけの力を持つからだ。更にその気になれば、文字通り未来を書き換える事もできる。何もかも規格外なのだ。

 

 だが、シアは非力な兎人族。あらゆる傲慢が許されるソウゴとは違うのだ。

 

 希望に満ちた未来ならば、迎える夜と明ける朝を指折り数えて心躍らせていればいい。だが見えた未来が悲劇なら? 刻一刻と迫るタイムリミットに、心は悲鳴を上げずにいられるだろうか?

 そんな悲鳴を今も上げているのかもしれない。今までも幾度となく上げてきたのかもしれない。目の前のウサミミ少女は。

 実際、一族は樹海を追われ。多くの家族が傷つき、倒れ、捕われた。死に物狂いで助力を懇願する姿は、文字通り"一生懸命"なのだろう。

 シア・ハウリアは、一族の命運を賭けてソウゴという未来を掴もうとしているのだ。

 

 

 それについてソウゴが何か発する前に、意外な援護がシアに届く。

 

「……ソウゴ様、連れて行こう」

 

「ほう?」

「!? 最初から貴女の事良い人だと思ってました! ペッタンコって言ってゴメンなッあふんっ!」

 ユエの言葉にソウゴは面白そうに、シアは興奮して目をキラキラさせて調子のいい事を言う。次いでに余計な事も言い、ユエにビンタを食らって頬を抑えながら崩れ落ちた。一瞬前までのシリアスで心に迫る雰囲気は何だったのか。恐らく態とではない、直ぐに調子に乗る残念なところは、狙いでもなく彼女の素だ。

 めそっとしながら頬を押さえるシアを尻目に、ユエは理由を告げる。

「……樹海の案内に丁度いい」

「そんな理由か」

 

 確かに【ハルツィナ樹海】は充満する濃霧により、亜人族以外では必ず迷うと言われている。その為兎人族の案内があれば心強い。ソウゴ自身は恐らく濃霧の影響を受けない為、方向さえ合っていればいずれ辿り着くと思っていたが、自ら進んで案内してくれる亜人がいるならばそれに超した事は無い。

「まぁユエが良いのなら構わんか。ではシア・ハウリアよ、貴様の願いを引き受けよう。一族の下へ案内せよ」

 その言動は明らかに上から目線の命令口調だが、実際命令できる身分なのだから仕方ない。それでも峡谷に於いて強力な魔物を片手間で屠れる強者との約束を取り付けた事に変わりはない。そして、望んだ未来への分岐点を無事に進む事が出来たと確信したシアは、飛び上がらんばかりに喜びを露わにした。

「あ、ありがとうございます! うぅ~、よがっだよぉ~、ほんどによがったよぉ~」

 ぐしぐしと嬉し泣きするシア。しかし、仲間の為にもグズグズしていられないと直ぐに立ち上がる。

「あ、あの、宜しくお願いします! そ、それでお二人の事は何と呼べば……」

「そう言えば名乗ってなかったか……私は常磐ソウゴだ」

「……ユエ」

「ソウゴさんとユエちゃんですね」

 二人の名前を何度か反芻し覚えるシア。しかし、ユエが不満顔で抗議する。

「……さんを付けろ。残念ウサギ」

「ふぇ!?」

 

 ユエらしからぬ命令口調に戸惑うシアは、ユエの外見から年下と思っているらしく、ユエが吸血鬼族で遥に年上と知ると土下座する勢いで謝罪した。どうもユエは、シアが気に食わないらしい。何故かは分からないが……。例え、ユエの視線がシアの体の一部を憎々しげに睨んでいたとしても、理由は定かではないのだ。

 

「さて、では二人も早く乗れ」

 ソウゴがユエの内心を華麗にスルーしながらストライカーに跨り、シアに指示を出す。シアは少し戸惑っている様だ。それも無理はない。なにせこの世界にバイク等と言う乗り物は存在しないのだ。しかし、取り敢えず何らかの乗り物である事は分かるので、シアは恐る恐るユエの後ろに跨った。

 ユエが小柄なので、十分に乗るスペースはある。シアはシートの柔らかさに驚きつつ、前方のユエに捕まった。その凶器を押し付けながら。

 その感触にビクッとしたユエは、徐に立ち上がると器用にソウゴの前に潜り込む。ユエの小柄な体格は、問題無くソウゴの腕の間にすっぽりと収まった。どうやら、背中に当たる凶器の感触に耐え切れなかったらしい。苦い表情で背後のソウゴに体重を預けるユエに、ソウゴは事情を察して溜息を吐く。

 

 シアは「え? 何で?」と何も分かっていない様子だったが、いそいそと前方にズレるとソウゴの腰にしがみついた。ソウゴは特に反応する事も無くストライカーの動力を作動させる。

 

 そんなユエの微妙な内心には微塵も気づかずに、シアはソウゴの肩越しに疑問をぶつける。

「あ、あの。助けてもらうのに必死で、つい流してしまったのですが……この乗り物? 何なのでしょう? それに、ソウゴさんもユエさん魔法使いましたよね? ここでは使えない筈なのに……」

「それは道中でな」

 

 そう言いながら、ソウゴはストライカーを一気に加速させ出発した。悪路をものともせず爆走する乗り物に、シアがソウゴの肩越しに「きゃぁああ~!」と悲鳴を上げた。地面も壁も流れる様に後ろへ飛んでいく。

 

 

 谷底では有り得ない速度に目を瞑ってギュッとソウゴにしがみついていたシアも、暫くして慣れてきたのか、次第に興奮して来たようだ。ソウゴがカーブを曲がったり、大きめの岩を破壊する度にきゃっきゃっと騒いでいる。

 ソウゴは道中、魔力駆動二輪の事やユエが魔法を使える理由、ソウゴの武器がアーティファクトの様な物だと簡潔に説明した。すると、シアは目を見開いて驚愕を表にした。

「え、それじゃあ、お二人も魔力を直接操れたり、固有魔法が使えると……」

「そんなところだ」

「……ん」

 暫く呆然としていたシアだったが、突然何かを堪える様にソウゴの肩に顔を埋めた。そして、何故か泣きべそをかき始めた。

「……いきなりどうした? 騒いだり落ち込んだり泣きだしたり……一度診ておいた方が良いか?」

「……手遅れ?」

「手遅れって何ですか手遅れって! 私は至って正常です! ……ただ、一人じゃなかったんだな、と思ったら……何だか嬉しくなってしまって……」

 

「「……」」

 

 どうやら魔物と同じ性質や能力を有するという事、この世界で自分が余りに特異な存在である事に孤独を感じていた様だ。

 

 家族だと言って十六年もの間危険を背負ってくれた一族、シアの為に故郷である樹海までも捨てて共にいてくれる家族に囲まれていた以上、きっと多くの愛情を感じていた筈だ。それでも、いやだからこそ、"他とは異なる自分"に余計孤独を感じていたのかもしれない。

 

 シアの言葉に、ユエは思うところがあるのか考え込む様に押し黙ってしまった。いつもの無表情がより色を失っている様に見える。ソウゴには何となく、今ユエが感じているものが分かった。恐らくユエは、自分とシアの境遇を重ねているのではないだろうか。共に、魔力の直接操作や固有魔術という異質な力を持ち、その時代において"同類"というべき存在は持たなかった。

 

 だが、ユエとシアでは決定的な違いがある。ユエには愛してくれる家族が居なかったのに対して、シアにはいるという事だ。それがユエに、嫉妬とまではいかないまでも複雑な心情を抱かせているのだろう。しかも、シアから見れば結局、その"同類"とすら出会う事が出来たのだ。中々に恵まれた境遇とも言える。

 

 そんなユエの頭をソウゴはポンポンと撫でた。

 日本という豊かな国で、僅か九歳で死別してしまったとはいえ親の愛情をしっかり受けて育ったソウゴ。その後魔王となり、世界を一つの国に統一したソウゴの傍には、常に敵がいた。そしてそれ以上に信頼する家臣、仲間がいた。

 だから、特異な存在として女王という孤高の存在に祭り上げられたユエの孤独を、本当の意味では理解できない。それ故、かけるべき言葉も持ち合わせなかった。出来る事は、"今は"一人でない事を示す事だけだ。

 

 

 ソウゴのユエを慰めようという不器用ながらも心の籠った気遣いの気持ちが伝わったのか、ユエは無意識に入っていた体の力を抜いて、より一層ソウゴに背を預けた。ゴロゴロと喉を鳴らしながら主人に甘える猫の様に。

「あの~、私の事忘れてませんか? ここは『大変だったね。もう一人じゃないよ。傍にいてあげるから』とか言って慰めるところでは? 私、コロっと堕ちゃいますよ? チョロインですよ? なのに、折角のチャンスをスルーして、何でいきなり二人の世界を作っているんですか! 寂しいです! 私も仲間に入れて下さい! 大体、お二人は……」

 

「大人しくしていろ。運転に集中できん」

「黙れ残念ウサギ」

 

「……はい……ぐすっ……」

 泣きべそかいていたシアが、いきなり耳元で騒ぎ始めたので、思わず注意と罵倒を飛ばすソウゴとユエ。しかし、泣いている女の子を放置して二人の世界を作っているのも十分酷い話である。その上、逆ギレされて怒られてと、何とも不憫なシアであった。ただ、シアの売りはその打たれ強さ。内心では既に「まずは名前を呼ばせますよぉ~せっかく見つけたお仲間です。逃しませんからねぇ~!」と新たな目標に向けて闘志を燃やしていた。

 暫く、シアが騒いでユエに怒鳴られるという事を繰り返していると、遠くで魔物の咆哮が聞こえた。どうやら相当な数の魔物が騒いでいる様だ。

 

「! ソウゴさん! もう直ぐ皆がいる場所です! あの魔物の声……ち、近いです! 父様達がいる場所に近いです!」

「把握している、しっかり掴まっていろ」

 

 ソウゴは魔力と電気を注ぎ、ストライカーを一気に加速させた。壁や地面が物凄い勢いで後ろへ流れていく。

 多大なエネルギー供給によりストライカーが黄金の燐光を放ちながら走る事十五秒。ドリフトしながら最後の大岩を迂回した先には、今正に襲われようとしている数十人の兎人族達がいた。

 

 【ライセン大峡谷】に悲鳴と怒号が木霊する。ウサミミを生やした人影が岩陰に逃げ込み必死に身体を縮めている。あちこちの岩陰からウサミミがちょこんと見えており、数からすると二十人ちょっと。見えない部分も合わせれば四十人といったところか。

 そんな怯えながら必死に隠れている兎人族を上空から睥睨しているのは、奈落の底でも滅多に見なかった飛行型の魔物だ。姿は俗に言うワイバーンというのが一番近い例えだろう。体長は三~五メートル程で、鋭い牙と爪、モーニングスターの様な先端が膨らみ棘が付いている長い尻尾を持っていた。

 

「ハ、ハイベリア……!」

 

 肩越しにシアの震える声が聞こえた。あのワイバーン擬きは"ハイベリア"と言うらしい。全部で六体確認できる。兎人族の上空を旋回しながら、獲物の品定めでもしている様だ。

 その内の一体が遂に行動を起こした。大きな岩と岩の間に隠れていた兎人族の下へ急降下すると一回転し、遠心力のたっぷり乗った尻尾で岩を殴りつけた。轟音と共に岩が粉砕され、兎人族が悲鳴を上げながら這い出してくる。

 ハイベリアは「待ってました」と言わんばかりに、その顎門を開き無力な獲物を喰らおうとする。狙われたのは二人の兎人族。ハイベリアの一撃で腰が抜けたのか、動けない小さな子供に男性の兎人族が覆い被さって庇おうとしている。

 周囲の兎人族がその光景を見て瞳に絶望を浮かべた。誰もが次の瞬間には二人が無残にもハイベリアの餌になるところを想像しただろう。

 

 しかし、それは有り得ない。

 

 何故なら、ここには彼らを守ると契約した異界の魔王がいるのだから。

 

 

「スペシウム弾頭弾、発射」

 

 

 その声と共に、峡谷に六発の破裂音が響く。同時に、六条の煙線が虚空を奔る。その内の一発が、今正に二人の兎人族に喰らいつこうとしていたハイベリアに着弾する。爆音が響き、二人の身体にハイベリアの血肉が降り注ぐ。

 同時に、後方で同じ様な爆発音が轟いた。呆然とする暇も無く視線を転じた兎人族が見たものは、先程までハイベリアだった物の欠片がバラバラと降ってくる光景だった。

 

「な、何が……」

 

 先程、子供を庇っていた男の兎人族が呆然としながら目の前の光景を眺めていた。

 それから程なくして、兎人族達の優秀なウサミミに、今まで一度も聞いた事の無い異音が聞こえた。キィィイイイという蒸気が噴出する様な甲高い音だ。今度は何事かと音の聞こえる方へ視線を向けた兎人族達の目に飛び込んできたのは、見た事も無い乗り物に乗って超高速でこちらに向かって来る三人の人影。

 

 その内の一人は見覚えがあり過ぎる。今朝方突如姿を消し、ついさっきまで一族総出で捜していた少女。一族が陥っている今の状況に酷く心を痛めて責任を感じていた様で、普段の元気の良さが鳴りを潜め、思いつめた表情をしていた。何か無茶をするのではと心配していた矢先の失踪に、つい慎重さを忘れて捜索し、ハイベリアに見つかってしまった。彼女を見つける前に、一族の全滅も覚悟していたのだが……

 

 その彼女が謎の乗り物の後ろで立ち上がり、手をブンブンと振っている。その表情には、普段の天真爛漫な明るさが見て取れた。信じられない思いで彼女を見つめる兎人族達。

 

「みんな~、助けを呼んできましたよぉ~!」

 

 その聞き慣れた声音に、これは現実なのだと漸く理解した兎人族達が一斉に彼女の名を呼んだ。

 

 

『『『『シア!?』』』』

 

 

 

「シア! 無事だったのか!」

「父様!」

 真っ先に声を掛けてきたのは、濃紺の短髪にウサミミを生やした初老の男性だった。彼はシアと一言二言話をすると、互いの無事を喜んでからソウゴに向き直った。

「ソウゴ殿で宜しいか? 私はカム・ハウリア。シアの父であり、ハウリアの族長をしております。この度はシアのみならず我が一族の窮地をお助け頂き、何とお礼を言えばいいか……。しかも、脱出までご助力くださるとか。父として、族長として、深く感謝致します」

 そう言って、カムと名乗ったハウリア族の族長は深々と頭を下げた。後ろには同じ様に頭を下げるハウリア族一同がいる。

「礼は受け取っておく。だが樹海の案内と引き換えだ、それは忘れるな。それより、随分簡単に信用するのだな。亜人は人間族にはいい感情を持っていないだろうに……」

 

 シアの存在で忘れそうになるが、亜人族は被差別種族である。実際峡谷に追い詰められたのも人間族のせいだ。にも関わらず、同じ人間族であるソウゴに頭を下げ、しかもソウゴの助力を受け入れるという。それしか方法が無いとは言え、あまりにあっさりしているというか、嫌悪感の様なものが全く見えない事にソウゴは疑問を抱いた。

 カムは、それに苦笑いで返した。

 

「シアが信頼する相手です。ならば我らも信頼しなくてどうします。我らは家族なのですから……」

 

 その言葉にソウゴは感心半分呆れ半分だった。一人の為に一族ごと故郷を出て行く位だから情の深い一族だとは思っていたが、初対面の人間族相手にあっさり信頼を向けるとは警戒心が薄すぎる。というより人がいいにも程があるというものだろう。

 

 それはさておき、何時までもグズグズしていては魔物が集まってきて面倒になるので、ソウゴは出発を促した。ウサミミ四十二人をぞろぞろ引き連れて峡谷を行く。

 当然、数多の魔物が絶好の獲物だとこぞって襲ってくるのだが、ただの一匹もそれが成功した者はいなかった。例外なく、兎人族に触れる事すら叶わず、接近した時点でソウゴとユエの攻撃が飛びその身体を粉砕されるからである。

 鳴き声と共に崩れ落ち、気がつけばライセン大峡谷の凶悪な魔物が為すすべなく絶命していく光景に、兎人族達は唖然として、次いで、それを成し遂げている人物であるソウゴに対して畏敬の念を向けていた。

 

 尤も、小さな子供達は総じてそのつぶらな瞳をキラキラさせて圧倒的な力を振るうソウゴをヒーローだとでも言うように見つめている。

 

「ふふふ、ソウゴさん。チビッコ達が見つめていますよ~、手でも振ってあげたらどうですか?」

 子供に純粋な眼差しを向けられても何の反応も無いソウゴに、シアが実にウザイ表情で「うりうり~」とちょっかいを掛ける。鬱陶しく思ったソウゴは、「黙れ」と言わんばかりにシアの頭を乱暴に撫でた。

「あわわわわわわわっ!?」

 撫でるというより擦る様なそれに、ぐわんぐわんと頭を揺らして目を回すシア。道中何度も見られた光景に、シアの父カムは苦笑いを、ユエは呆れを乗せた眼差しを向ける。

「はっはっは、シアは随分とソウゴ殿を気に入ったのだな。そんなに懐いて……シアももうそんな年頃か、父様は少し寂しいよ。だが、ソウゴ殿なら安心か……」

 目尻に涙を貯めて娘の門出を祝う父親のような表情をしているカム。周りの兎人族達も「たすけてぇ~」と悲鳴を上げるシアに生暖かい眼差しを向けている。

「この状況を見て出てくる感想がそれか?」

「……ズレてる」

 ユエの言う通り、どうやら兎人族は少し常識的にズレているというか、天然が入っている種族らしい。それが兎人族全体なのかハウリアの一族だけなのかは分からないが。

 そうこうしている内に、一行は遂に【ライセン大峡谷】から脱出できる場所に辿り着いた。ソウゴが“万里眼”で見る限り、中々に立派な階段がある。岸壁に沿って壁を削って作ったのであろう階段は、五十メートル程進む度に反対側に折り返すタイプの様だ。階段のある岸壁の先には樹海も薄らと見える。【ライセン大峡谷】の出口から、徒歩で半日くらいの場所が【ハルツィナ樹海】になっている様だ。

 ソウゴが何となしに遠くを見ていると、シアが不安そうに話しかけてきた。

「帝国兵はまだいるでしょうか?」

「どうだろうな。もう全滅したと諦めて帰ってる可能性も高いが……」

「そ、その、もし、まだ帝国兵がいたら……、ソウゴさん……どうするのですか?」

「どうするとは?」

 質問の意図が分からず問い返すソウゴに、意を決した様にシアが尋ねる。周囲の兎人族も聞きウサミミを立てているようだ。

「今まで倒した魔物と違って、相手は帝国兵……人間族です。ソウゴさんと同じ。……敵対できますか?」

「シア、貴様は未来が見えていたんじゃないのか?」

「はい、見ました。帝国兵と相対するソウゴさんを……」

「だったら何が疑問なんだ?」

「疑問というより確認です。帝国兵から私達を守るという事は、人間族と敵対する事と言っても過言じゃありません。同族と敵対しても本当にいいのかと……」

 シアの言葉に周りの兎人族達も神妙な顔付きでソウゴを見ている。小さな子供達はよく分からないとった顔をしながらも不穏な空気を察してか大人達とソウゴを交互に忙しなく見ている。

 しかしソウゴは、そんなシリアスな雰囲気などまるで気にした様子もなくあっさり言ってのけた。

 

「それがどうかしたのか?」

 

「えっ?」

 疑問顔を浮かべるシアに、ソウゴは特に気負った様子もなく世間話でもする様に話を続けた。

「だから、人間族と敵対する事の何か問題なのかって言っているんだ」

「そ、それは、だって同族じゃないですか……」

「貴様等とて、同族に追い出されているではないか」

「それは、まぁ、そうなんですが……」

「大体、前提が間違っているぞ」

「前提?」

 更に首を捻るシア。周りの兎人族も疑問顔だ。

 

「まさかこの様な力を持つ私が、人を殺した事が無いとでも? 今更相手にしたところで、何とも思わんよ」

 

「…………」

 さも当然の様に言うソウゴに、絶句しつつも納得するシア。"未来視"で帝国と相対するソウゴを見たといっても、未来というものは絶対ではないから実際はどうなるか分からない。見えた未来の確度は高いが、万一、帝国側につかれては今度こそ死より辛い奴隷生活が待っている。表には出さないが"自分のせいで"という負い目があるシアは、どうしても確認せずにはいられなかったのだ。

「はっはっは、分かりやすくていいですな。樹海の案内はお任せくだされ」

 カムが快活に笑う。下手に正義感を持ち出されるよりも信用に値したのだろう。その表情に含むところは全くなかった。

 

 

 一行は、階段に差し掛かった。ソウゴを先頭に順調に登っていく。帝国兵からの逃亡を含めて、殆ど飲まず食わずだった筈のハウリア族だが、その足取りは軽かった。亜人族が魔力を持たない代わりに身体能力が高いというのは嘘ではない様だ。

 そして遂に階段を上りきり、ソウゴ達は【ライセン大峡谷】からの脱出を果たす。

 登りきった崖の上、そこには……

 

「おいおい、マジかよ。生き残ってやがったのか。隊長の命令だから仕方なく残ってただけなんだがなぁ~。こりゃあ、いい土産ができそうだ」

 

 三十人の帝国兵が屯していた。周りには大型の馬車数台と、野営跡が残っている。全員がカーキ色の軍服らしき衣服を纏い、剣や槍、盾を携えていた。ソウゴ達を見るなり驚いた表情を見せたが、それも一瞬の事。直ぐに喜色を浮かべ、品定めでもする様に兎人族を見渡した。

「小隊長! 白髪の兎人もいますよ! 隊長が欲しがってましたよね?」

「おお、ますますツイてるな。年寄りは別にいいが、あれは絶対殺すなよ?」

「小隊長ぉ~、女も結構いますし、ちょっとくらい味見してもいいっすよねぇ? こちとら何もないとこで三日も待たされたんだ。役得の一つや二つ大目に見てくださいよぉ~」

「ったく、全部はやめとけ。二、三人なら好きにしろ」

「ひゃっほ~、流石、小隊長! 話がわかる!」

 帝国兵は、兎人族達を完全に獲物としてしか見ていないのか戦闘態勢を取る事もなく、下卑た笑みを浮かべ舐めるような視線を兎人族の女性達に向けている。兎人族は、その視線にただ怯えて震えるばかりだ。

 帝国兵達が好き勝手に騒いでいると、兎人族にニヤついた笑みを浮かべていた小隊長と呼ばれた男が、漸くソウゴの存在に気がついた。

「あぁ? お前誰だ? 兎人族……じゃあねぇよな?」

 ソウゴは帝国兵の態度から彼らの処遇を考えながら、一応会話に応じる。

「ああ、人間だ」

「はぁ~? なんで人間が兎人族と一緒にいるんだ? しかも峡谷から。あぁ、もしかして奴隷商か? 情報掴んで追っかけたとか? そいつぁまた商売魂が逞しいねぇ。まぁいいや、そいつら皆国で引き取るから、置いていけ?」

 勝手に推測し勝手に結論づけた小隊長は、さも自分の言う事を聞いて当たり前、断られる事など有り得ないと信じきった様子で、そうソウゴに命令した。

 当然、ソウゴが従う筈も無い。

「断る」

「……今、何て言った?」

「断ると言ったんだ。彼らは既に私の民だ。貴様等には一人として渡すつもりはない。諦めて国へ帰るがいい」

 聞き間違いかと問い返し、返って来たのは不遜な物言い。小隊長の額に青筋が浮かぶ。

「……小僧、口の利き方には気をつけろ。俺達が誰かわからないほど頭が悪いのか?」

「貴様こそ立場を弁えろ。その不敬、既に万死に値するぞ?」

 

 ソウゴの言葉にスっと表情を消す小隊長。周囲の兵士達も剣呑な雰囲気でソウゴを睨んでいる。その時、小隊長が剣呑な雰囲気に背中を押されたのか、ソウゴの後ろから出てきたユエに気がついた。幼い容姿でありながら纏う雰囲気に艶があり、そのギャップからか、えもいわれぬ魅力を放っている美貌の少女に一瞬呆けるものの、ソウゴの服の裾をギュッと握っている事から余程近しい存在なのだろうと当たりをつけ、再び下碑た笑みを浮かべた。

「あぁ~成程、よぉ~く分かった。てめぇが唯の世間知らず糞ガキだって事がな。ちょいと世の中の厳しさってヤツを教えてやる。くっくっく、そっちの嬢ちゃんえらい別嬪じゃねぇか。テメェの四肢を切り落とした後、目の前で犯して、奴隷商に売っぱらってやるよ」

 その言葉が彼らの運命を決した。ユエは無表情でありながら誰でも分かるほど嫌悪感を丸出しにしている。目の前の男が存在する事自体が許せないと言わんばかり、ユエが右手を掲げようとした。

 それを制する様にソウゴは手を翳し、訝しむユエを他所に一言呟く。

「"ドミネーションランゲージ"」

 その行動を理解出来ない小隊長は、イラついた様に言葉を荒げる。

「あぁ!? まだ状況が理解できてねぇのか! てめぇは、震えながら許しをこッ───」

 

 

「『自害せよ』」

 

 

 ザシュッ───

 

 

 恫喝の言葉を全て言い切る前に一言、ソウゴの言葉が響く。

 

 その瞬間、武器を構えていた前衛達は己の武器を自身の首や頭、心臓に突き立て、後衛達はその口腔に向けて術を放って自ら命を絶った。皆一様に、その顔に恐怖や絶望を浮かべて。

 

「私が直接手を下してもよかったのだが、この方が面倒が無いな」

 そんなソウゴの言葉に、息を呑むハウリア族達。あまりに容赦の無いソウゴの行動に完全に引いている様である。その瞳には若干の恐怖が宿っていた。それはシアも同じだったのか、おずおずとソウゴに尋ねた。

「あ、あのっ、……今のは、全員殺す必要は無かったのでは?」

 その言葉を受けて、分かりやすく溜息を吐くソウゴに「うっ」と唸るシア。自分達の同胞を殺し、奴隷にしようとした相手にも慈悲を持つようで、兎人族とはとことん温厚というか平和主義らしい。ソウゴが言葉を発しようとしたが、その機先を制する様にユエが反論した。

「……一度剣を抜いた者が、結果相手の方が強かったからと言って見逃してもらおうなんて都合が良すぎ」

「そ、それは……」

「……そもそも、守られているだけのあなた達がそんな目をソウゴ様に向けるのはお門違い」

「……」

 ユエは静かに怒っている様だ。守られておきながら、ソウゴに向ける視線に負の感情を宿すなど許さないと言わんばかりである。当然といえば当然なので、兎人族達もバツが悪そうな表情をしている。

 

「ふむ。ソウゴ殿、申し訳ない。別に、貴方に含むところがある訳では無いのだ。ただ、こういう争いに我等は慣れておらんのでな……少々、驚いただけなのだ」

「ソウゴさん、すみません」

 

 シアとカムが代表して謝罪するが、ソウゴは気にしてないという様に視線を外すだけだった。

 ソウゴは無傷の馬車や馬の所へ行き、兎人族達を手招きする。樹海まで徒歩で半日くらいかかりそうなので、折角の馬と馬車を有効活用しようという訳だ。ストライカーを起動し、馬車に連結させる。ストライカーに牽引される馬車と、直接馬に乗る者と分けて一行は樹海へと進路をとった。

 

 

 無残な帝国兵の死体は、ソウゴが呼び出したミラーモンスター達の餌となる。後にはただ、彼等が零した血だまりだけが残された。

 

 

 七大迷宮の一つにして、深部に亜人族の国【フェアベルゲン】を抱える【ハルツィナ樹海】が遠くに見える。少しずつ樹海の輪郭が大きくなっているので、近づいているのがよく分かった。

 

 ストライカーにはソウゴの前にユエが、後ろにシアが乗っている。当初、シアには馬車に乗る様に言ったのだが、断固としてストライカーに乗る旨を主張し言う事を聞かなかった。ユエが何度叩き落としても、ゾンビの様に起き上がりヒシッとしがみつくので、遂にユエの方が根負けしたという事情があったりする。

 

 シアとしては、初めて出会った"同類"である二人ともっと色々話がしたい様だった。ソウゴにしがみつき上機嫌な様子のシア。果たして、シアが気に入ったのはストライカーの座席かソウゴの後ろか……場合によっては手足をふん縛って引きずってやる! とユエは内心決意していた。

 

 若干不機嫌そうなユエと上機嫌なシアに挟まれたソウゴは、遠くを見つつストライカーを走らせていた。

 そんなソウゴにユエが声をかける。

「……ソウゴ様、さっきのは何?」

「さっきのとは?」

 

 ユエが言っているのは帝国兵との戦いの事だ。先程のソウゴの攻撃は、最早神の所業と言っても差し支えないものだった。魔術の天才と言われたユエですら出来ない領域の術に、ユエはどうしても訊きたくなったのだ。その旨を伝えると、ソウゴは簡潔な説明をする。

「あれは"ドミネーションランゲージ"と言ってな。早い話が相手の肉体を自らの発した言葉通りに操る技だ」

「……言葉通りに、従わせる」

「ある神に仕えていた、裏切り者の技だ」

「……そんなの、私にも出来ない」

 そのやり取りに、ソウゴの底の無さに内心驚嘆するシア。そして改めて、自分はソウゴやユエの事を何も知らないのだなぁと少し寂しい気持ちなった。

「あの、あの! ソウゴさんとユエさんの事、教えてくれませんか?」

「私達の事は話した筈だが?」

「いえ、能力とかそういう事ではなくて、何故奈落? という場所にいたのかとか、旅の目的って何なのかとか、今まで何をしていたのか、とか。お二人自身の事が知りたいです」

「……聞いてどうするの?」

 

「どうするという訳ではなく、ただ知りたいだけです。……私、この体質のせいで家族には沢山迷惑をかけました。小さい時はそれがすごく嫌で……もちろん、皆はそんな事ないって言ってくれましたし、今は、自分を嫌ってはいませんが……それでも、やっぱり、この世界のはみだし者のような気がして……だから、私、嬉しかったのです。お二人に出会って、私みたいな存在は他にもいるのだと知って、一人じゃない、はみだし者なんかじゃないって思えて……勝手ながら、そ、その、な、仲間みたいに思えて……だから、その、もっとお二人のことを知りたいといいますか……何といいますか……」

 

 シアは話の途中で恥ずかしくなってきたのか、次第に小声になってソウゴの背に隠れる様に身を縮こまらせた。出会った当初も、そう言えば随分嬉しそうにしていたとソウゴとユエは思い出し、ユエはシアの様子に何とも言えない表情をする。あの時はユエの複雑な心情により有耶無耶になった挙句、すぐハウリア達を襲う魔物と戦闘になったので、谷底でも魔術が使える理由など簡単な事しか話していなかった。きっとシアは、ずっと気になっていたのだろう。

 

 確かに、この世界で、魔物と同じ体質を持った人など受け入れがたい存在だろう。仲間意識を感じてしまうのも無理はない。かと言って、ソウゴやユエの側が、シアに対して直ちに仲間意識を持つ訳ではない。が……樹海に到着するまでまだ少し時間がかかる。特段隠す事でもないので、暇潰しにいいだろうとソウゴとユエはこれまでの経緯を語り始めた。

 

 

 結果……

 

「うぇ、ぐすっ……ひどい、ひどすぎまずぅ~、ユエさんがわいぞうですぅ~。そ、それ比べたら、私はなんで恵まれて……うぅ~、自分がなざけないですぅ~」

 

 号泣した。滂沱の涙を流しながら「私は、甘ちゃんですぅ」とか「もう、弱音は吐かないですぅ」と呟いている。そしてさり気なく、ソウゴの法衣で顔を拭いている。どうやら、自分は大変な境遇だと思っていたら、ユエが自分以上に大変な思いをしていた事を知り、不幸顔していた自分が情けなくなったらしい。

 しばらくメソメソしていたシアだが、突如決然とした表情でガバッと顔を上げると拳を握り元気よく宣言した。

「ソウゴさん! ユエさん! 私決めました! お二人の旅に着いていきます! これからは、このシア・ハウリアが陰に日向にお二人を助けて差し上げます! 遠慮なんて必要ありませんよ。私達はたった三人の仲間。共に苦難を乗り越え、望みを果たしましょう!」

 勝手に盛り上がっているシアに、ソウゴとユエが実に冷めた視線を送る。

「現在進行形で守られていて何を言っている?」

「……さり気なく『仲間みたい』から『仲間』に格上げしている……厚皮ウサギ」

「な、何て冷たい目で見るんですか……心に罅が入りそう……」

 意気込みに反して、冷めた反応を返され若干動揺するシア。そんな彼女に追い討ちがかかる。

 

「……貴様、単純に旅の仲間が欲しいだけだろう?」

 

「!?」

 ソウゴの言葉に、シアの体がビクッと跳ねる。

「一族の安全が一先ず確保できたら、貴様は奴等から離れる気だろう? そこにうまい具合に“同類”の我々が現れたから、これ幸いと同行しようという魂胆という訳か。その様な珍しい髪色の兎人族が一人で旅を出来るとは思えんからな」

「……あの、それは、それだけでは……私は本当にお二人を……」

 図星だったのか、しどろもどろになるシア。実はシアは既に決意していた。何としてでもソウゴの協力を得て一族の安全を確保したら、自らは家族の元を離れると。自分がいる限り、一族は常に危険に晒される。今回も多くの家族を失った。次は本当に全滅するかもしれない。それだけは、シアには耐えられそうになかった。勿論その考えが一族の意に反する、ある意味裏切りとも言える行為だとは分かっている。だが"それでも"と決めたのだ。

 

 最悪、一人でも旅に出るつもりだったが、それでは心配性の家族は追ってくる可能性が高い。しかし、圧倒的強者であるソウゴ達に恩返しも含めて着いて行くと言えば、割りかし容易に一族を説得できて離れられると考えたのだ。見た目の言動に反してシアは、今この瞬間も"必死"なのである。

 

 勿論、シア自身がソウゴとユエに強い興味を惹かれているというのも事実だ。ソウゴの言う通り"同類"であるソウゴ達に、シアは理屈を超えた強い仲間意識を感じていた。一族の事も考えると、正にシアにとってソウゴ達との出会いは"運命的"だったのだ。

「別に責めている訳ではない。だが妙な期待はするな。私達の目的は七大迷宮の攻略だ。恐らく奈落と同じで本当の迷宮の奥は珍獣バケモノ揃いだ。今の貴様では瞬殺されて終わりだ。ならば、同行を許すつもりは毛頭ない」

「……」

 ソウゴの全く容赦ない言葉にシアは落ち込んだ様に黙り込んでしまった。ソウゴもユエも特に気にした様子がないあたりが、更に追い討ちをかける。

 シアはそれからの道中、大人しく二輪の座席に座りながら、何かを考え込む様に難しい表情をしていた。

 

 

 それから数十分して、遂に一行は【ハルツィナ樹海】と平原の境界に到着した。樹海の外から見る限り、ただの鬱蒼とした森にしか見えないのだが、一度中に入ると直ぐさま霧に覆われるらしい。

 

「それではソウゴ殿、ユエ殿。中に入ったら決して我らから離れないで下さい。お二人を中心にして進みますが、万一はぐれると厄介ですからな。それと行き先は森の深部、大樹の下で宜しいのですな?」

「ああ、聞いた限りでは、そこが本当の迷宮と関係してそうだからな」

 カムがソウゴに対して樹海での注意と行き先の確認をする。カムが言った"大樹"とは、【ハルツィナ樹海】の最深部にある巨大な一本樹で、亜人達には"大樹ウーア・アルト"と呼ばれており、神聖な場所として滅多に近づく者はいないらしい。峡谷脱出時にカムから聞いた話だ。

 

 当初ソウゴは【ハルツィナ樹海】そのものが大迷宮かと思っていたのだが、よく考えればそれなら奈落の底の魔物と同レベルの魔物が彷徨いている魔境という事になり、とても亜人達が住める場所ではなくなってしまう。なので【オルクス大迷宮】の様に、真の迷宮の入口が何処かにあるのだろうと推測した。そしてカムから聞いた"大樹"が怪しいと踏んだのである。

 

 カムはソウゴの言葉に頷くと、周囲の兎人族に合図をしてソウゴ達の周りを固めた。

「ソウゴ殿、できる限り気配は消してもらえますかな。大樹は神聖な場所とされておりますから、あまり近づく者はおりませんが特別禁止されている訳でもないので、フェアベルゲンや他の集落の者達と遭遇してしまうかもしれません。我々はお尋ね者なので見つかると厄介です」

「ああ、承知している。私もユエもある程度の隠密行動は可能だ」

 ソウゴはそう言うと"気配遮断"を使う。ユエも、奈落でソウゴに教わった方法で気配を薄くした。

「ッ!? これは、また……。ソウゴ殿、できればユエ殿くらいにしてもらえますかな?」

「……こんなものか?」

「はい、結構です。さっきのレベルで気配を殺されては、我々でも見つけるのは不可能ですからな。いや全く、流石ですな!」

 

 元々兎人族は全体的にスペックが低い分、聴覚による索敵や気配を断つ隠密行動に秀でている。地上にいながら、奈落で鍛えたユエと同レベルと言えばその優秀さが分かるだろうか。普通に達人級といえる。

 しかし、ソウゴの"気配遮断"は更にその上を行く。普通の場所でも一度認識しても直ぐ様見失いそうで、こと樹海の中では、兎人族の索敵能力を以てしても見失ってしまったハイレベルなものだった。

 その後にソウゴは他にも同系統の技能を持っており、それらも併用すれば他者の記憶や記録からも消える事が可能という事を知らされた一同は開いた口が塞がらなかった。

 

 カムは人間族でありながら自分達の唯一の強みを凌駕され、もはや苦笑いだ。隣では、何故かユエが自慢げに胸を張っている。一方シアは、どこか複雑そうだった。ソウゴの言う実力差を改めて示されたせいだろう。

「それでは、行きましょうか」

 カムの号令と共に準備を整えた一行は、カムとシアを先頭に樹海へと踏み込んだ。

 暫く道ならぬ道を突き進む。直ぐに濃い霧が発生し視界を塞いでくるが、カムの足取りに迷いは全くなかった。現在位置も方角も完全に把握している様だ。理由は分かっていないが、亜人族は亜人族であるというだけで、樹海の中でも正確に現在地も方角も把握できるらしい。

 順調に進んでいると、突然カム達が立ち止まり周囲を警戒し始めた。魔物の気配だ。当然ソウゴとユエも感知している。どうやら複数匹の魔物に囲まれている様だ。樹海に入るに当たって、ソウゴが貸し与えたナイフ類を構える兎人族達。彼等は本来なら、その優秀な隠密能力で逃走を図るのだそうだが、今回はそういう訳には行かない。皆一様に緊張の表情を浮かべている。

 

「"星の杖(オルガノン)"」

 

 すると突然、ソウゴが静かに呟いた。微かに、ブゥン…という風切り音が響く。

 直後、

 

 ドサッ、ドサッ、ドサッ

 

「「「キィイイイ!?」」」

 

 三つの何かが倒れる音と、悲鳴が聞こえた。途端慌てた様に霧を描き分けて、腕を四本生やした体長六十センチ程の猿が三匹滑り落ちてきた。その全てが両足を切断されている。

 バランスを失った猿の群れに向けてユエが手をかざし、一言囁く様に呟く。

「"風刃"」

 魔術名と共に風の刃が高速で飛び出し、空中にある猿を何の抵抗も許さずに上下に分断する。猿共は悲鳴も上げられずにドシャと音を立てて地に落ちた。

 

 その後も度々魔物に襲われたが、ソウゴとユエが静かに片付けていく。樹海の魔物は一般的には相当厄介なものとして認識されているのだが、何の問題も無かった。

 しかし樹海に入って数十分が過ぎた頃、今までにない無数の気配に囲まれ、ソウゴ達は歩みを止める。数も殺気も、連携の練度も、今までの魔物とは比べ物にならない。カム達は忙しなくウサミミを動かし索敵をしている。

 そして、何かを掴んだのか苦虫を噛み潰したような表情を見せた。シアに至っては、その顔を青褪めさせている。ソウゴとユエも相手の正体に気がつき、面倒そうな表情になった。その相手の正体は……

 

「お前達……何故人間といる! 種族と族名を名乗れ!」

 

 虎模様の耳と尻尾を付けた、筋骨隆々の亜人だった。

 

 

 樹海の中で人間族と亜人族が共に歩いている。その有り得ない光景に、目の前の虎の亜人と思しき人物はカム達に裏切り者を見るような眼差しを向けた。その手には両刃の剣が抜身の状態で握られている。周囲にも数十人の亜人が殺気を滾らせながら包囲網を敷いている様だ。

「あ、あの私達は……」

 カムが何とか誤魔化そうと額に冷汗を流しながら弁明を試みるが、その前に虎の亜人の視線がシアを捉え、その眼が大きく見開かれる。

「白い髪の兎人族…だと? ……貴様ら……報告のあったハウリア族か。……亜人族の面汚し共め! 長年同胞を騙し続け、忌み子を匿うだけでなく、今度は人間族を招き入れるとは! 反逆罪だ! もはや弁明など聞く必要もない、全員この場で処刑する! 総員か──」

 

 ドパンッ!!

 

 虎の亜人が問答無用で攻撃命令を下そうとしたその瞬間、一本の槍が飛来して轟音と共に一条の閃光が彼の頬を掠めて背後の樹を抉り飛ばし樹海の奥へと消えていった。

 理解不能な攻撃に凍りつく虎の亜人の頬に擦過傷が出来る。もし人間の様に耳が横についていれば、確実に弾け飛んでいただろう。滅多に聞かない様な炸裂音と反応を許さない超速の攻撃に誰もが硬直している。

 そこに、気負った様子もないのに途轍もない圧力を伴ったソウゴの声が響いた。"気配遮断"を解いて、技能ではないただの威嚇をしただけで全員が動けなくなる。

「今の攻撃は、刹那の間に数億単位で連射出来る。周囲を囲んでいる者共も全て把握している。貴様等がいる場所は、既に私の間合いだ」

「な、なっ……詠唱がっ……」

 

 詠唱も無く、見た事も無い強烈な攻撃を連射出来る上、味方の場所も把握していると告げられ思わず吃る虎の亜人。それを証明する様にソウゴの背後に不自然な揺らぎが発生し、その中から無数の武器の切っ先が出現する。その先には、奇しくも虎の亜人の腹心の部下がいる場所だった。霧の向こう側で動揺している気配がする。

「戦うというのなら容赦はしない。契約が果たされるまで、これらの命は私の物だからな。……ただの一人でも生き残れる等と思うなよ?」

 威圧感に加え、ソウゴが目線を鋭くする。その視線に込められた殺気を真正面から叩きつけられている虎の亜人は冷や汗を大量に流しながら、ヘタをすれば恐慌に陥って意味もなく喚いてしまいそうな自分を必死に押さえ込んだ。

 

(冗談だろ! こんな、こんなものが人間だというのか! まるっきり化物じゃないか!)

 恐怖心に負けない様に内心で盛大に喚く虎の亜人など知った事かという様に、ソウゴが逢魔剣の柄に手を掛けながら言葉を続ける。

 

「だが、この場を引くというのなら追いもしない。敵対しないなら殺す理由もないからな。さぁ選べ。敵対して無意味に全滅するか、大人しく家に帰るか」

 虎の亜人は確信した。攻撃命令を下した瞬間、先程の閃光が一瞬で自分達を蹂躙する事を。その場合、万に一つも生き残れる可能性は無いという事を。

 

 虎の亜人は、フェアベルゲンの第二警備隊隊長だった。フェアベルゲンと周辺の集落間における警備が主な仕事で、魔物や侵入者から同胞を守るというこの仕事に誇りと覚悟を持っていた。その為、例え部下共々全滅を確信していても安易に引く事等出来なかった。

「……その前に、一つ聞きたい」

 虎の亜人は掠れそうになる声に必死で力を込めてソウゴに尋ねた。ソウゴは視線で話を促した。

「……何が目的だ?」

 端的な質問。しかし返答次第では、ここを死地と定めて身命を賭す覚悟があると言外に込めた覚悟の質問だ。虎の亜人は、フェアベルゲンや集落の亜人達を傷つけるつもりなら、自分達が引く事は有り得ないと不退転の意志を眼に込めて気丈にソウゴを睨みつけた。

「樹海の深部、大樹の下へ行きたい」

「大樹の下へ……だと? 何の為に?」

 

 てっきり亜人を奴隷にする為等という自分達を害する目的なのかと思っていたら、神聖視はされているものの大して重要視はされていない"大樹"が目的と言われ若干困惑する虎の亜人。"大樹"は亜人達にしてみれば、言わば樹海の名所の様な場所に過ぎないのだ。

 

「そこに、本当の大迷宮への入口があるかもしれんのでな。私達は七大迷宮の攻略を目指して旅をしている。ハウリアは案内の為に契約を結んだ」

「本当の迷宮? 何を言っている? 七大迷宮とは、この樹海そのものだ。一度踏み込んだが最後、亜人以外には決して進むことも帰る事も叶わない天然の迷宮だ」

「それはないな」

「なんだと?」

 妙に自信のあるソウゴの断言に虎の亜人は訝しそうに問い返した。

「大迷宮というには、ここの魔物は脆弱すぎる」

「……弱いと?」

「そうだ。大迷宮の魔物というのは、ここに比べればもう少し楽しめるぞ。少なくとも【オルクス大迷宮】の奈落はそうだった。それに……」

「なんだ?」

「大迷宮というのは、"解放者"達が残した試練らしい。亜人族は簡単に深部へ行けるのだろう? それでは試練になっていない。だから、樹海自体が大迷宮というのは間違いだ」

「……」

 

 ソウゴの話を聞き終わり、虎の亜人は困惑を隠せなかった。ソウゴの言っている事が分からないからだ。樹海の魔物を弱いと断じる事も、【オルクス大迷宮】の奈落というのも、解放者とやらも、迷宮の試練とやらも……聞き覚えの無い事ばかりだ。普段なら"戯言"と切って捨てていただろう。

 だがしかし、今この場においてソウゴが適当な事を言う意味は無いのだ。圧倒的に優位に立っているのはソウゴの方であり、言い訳など必要無いのだから。しかも、妙に確信に満ちていて言葉に力がある。本当に亜人やフェアベルゲンには興味が無く大樹自体が目的なら、部下の命を無意味に散らすより、さっさと目的を果たさせて立ち去ってもらう方がいい。

 

 虎の亜人は、そこまで瞬時に判断した。しかしソウゴ程の驚異を自分の一存で野放しにする訳には行かない。この件は、完全に自分の手に余るという事も理解している。その為虎の亜人はソウゴに提案した。

「……お前が、国や同胞に危害を加えないというなら、大樹の下へ行く位は構わないと俺は判断する。部下の命を無意味に散らす訳には行かないからな」

 その言葉に、周囲の亜人達が動揺する気配が広がった。樹海の中で、侵入して来た人間族を見逃すという事が異例だからだろう。

「だが、一警備隊長の私如きが独断で下していい判断ではない。本国に指示を仰ぐ。お前の話も、長老方なら知っている方もおられるかもしれない。お前に本当に含む所が無いというのなら、伝令を見逃し私達とこの場で待機しろ」

 冷や汗を流しながら、それでも強い意志を瞳に宿して睨み付けてくる虎の亜人の言葉に、ソウゴは少し考え込む素振りを見せる。

 

 虎の亜人からすれば限界ギリギリの譲歩なのだろう。樹海に侵入した他種族は問答無用で処刑されると聞く。今も、本当はソウゴ達を処断したくて仕方ない筈だ。だが、そうすれば間違いなく部下の命を失う。それを避け、且つソウゴという危険を野放しにしない為のギリギリの提案。

 

 ソウゴは、この状況で中々理性的な判断ができる男だと少し感心した。そして今、この場で彼等を殲滅して突き進むメリットと、フェアベルゲンに完全包囲される危険を犯しても彼等の許可を得るメリットを天秤に掛けて……後者を選択した。大樹が大迷宮の入口でない場合、更に探索をしなければならない。そうすると、フェアベルゲンの許可があった方が都合がいい。勿論、結局敵対する可能性は大きいが、しなくて済む道があるならそれに越した事はない。人道的判断ではなく、単に殲滅しながらの探索は酷く面倒そうだからだ。

「……いいだろう。先程の言葉、曲解せずに正確に伝えよ」

「無論だ。ザム! 聞こえていたな! 長老方に余さず伝えろ!」

 

「了解!」

 

 虎の亜人の言葉と共に、気配が一つ遠ざかっていった。ソウゴはそれを確認するとスっと逢魔剣の柄から手を離し、威嚇を解いていつの間にか取り出した玉座に座る。空気が一気に弛緩する。それにホッとすると共に、あっさり警戒を解いたソウゴに訝しそうな眼差しを向ける虎の亜人。中には「今なら!」と臨戦態勢に入っている亜人もいる様だ。その視線の意味を理解しているソウゴが面白くもなさそうに告げる。

「貴様達が攻撃するより、私が樹海ごと貴様達を塵にする方が早い。……試してみるか?」

「……いや、だが下手な動きはするなよ。我らも動かざるを得ない」

「わかってるとも」

 

 包囲はそのままだが、漸く一段落着いたと分かり、カム達にもホッと安堵の吐息が漏れた。だが彼等に向けられる視線は、ソウゴに向けられるものより厳しいものがあり居心地は相当悪そうである。

 

 暫く重苦しい雰囲気が周囲を満たしていたが、そんな雰囲気に飽きたのか、ユエがソウゴに構って欲しいと言わんばかりにちょっかいを出し始めた。それを見たシアが場を和ませる為か、単に雰囲気に耐えられなくなったのか「私も~」と参戦し、苦笑いしながら相手をするソウゴに、少しずつ空気が弛緩していく。敵地のど真ん中で、いきなりイチャつき始めた(亜人達にはそう見えた)ソウゴに呆れの視線が突き刺さる。

 

 時間にして一時間と言ったところか。調子に乗ったシアが、ユエに関節を極められて「ギブッ! ギブッですぅ!」と必死にタップし、それを周囲の亜人達が呆れを半分含ませた生暖かな視線で見つめていると、急速に近づいてくる気配を感じた。

 

 場に再び緊張が走る。シアの関節には痛みが走る。

 

 霧の奥からは、数人の新たな亜人達が現れた。彼等の中央にいる初老の男が特に目を引く。流れる美しい金髪に深い知性を備える碧眼に、その身は細く、吹けば飛んで行きそうな軽さを感じさせる。威厳に満ちた容貌は、幾分シワが刻まれているものの、逆にそれがアクセントとなって美しさを引き上げていた。何より特徴的なのが、その尖った長耳だ。彼は森人族──所謂エルフなのだろう。

 ソウゴは瞬時に彼が"長老"と呼ばれる存在なのだろうと推測した。その推測は、どうやら当たったらしい。

 

「ふむ、お前さんが問題の人間族かね? 名は何という?」

「常磐ソウゴだ。貴様は?」

 ソウゴの言葉遣いに、周囲の亜人が長老に何て態度を! と憤りを見せる。それを片手で制すると、森人族の男性も名乗り返した。

「私は、アルフレリック・ハイピスト。フェアベルゲンの長老の座を一つ預からせてもらっている。さて、お前さんの要求は聞いているのだが……その前に聞かせてもらいたい。"解放者"を何処で知った?」

「オルクス大迷宮の奈落の底、解放者の一人、オスカー・オルクスの隠れ家だが」

 

 目的等ではなく、解放者の単語に興味を示すアルフレリックに訝しみながら返答するソウゴ。一方、アルフレリックの方も表情には出さないものの内心は驚愕していた。何故なら、解放者という単語と、その一人が"オスカー・オルクス"という名である事は、長老達と極僅かな側近しか知らない事だからだ。

「ふむ、奈落の底か、聞いた事が無いがな……。証明できるか?」

 或いは亜人族の上層に情報を漏らしている者がいる可能性を考えて、ソウゴに尋ねるアルフレリック。ソウゴは不機嫌な表情になる。証明しろと言われても、すぐ示せるものは自身の強さ位だ。青筋が浮かびかけるソウゴにユエが提案する。

「……ソウゴ様、魔石とかオルクスの遺品は?」

「……そうだな、それならば……」

 察したユエの言葉に怒りを鎮めつつ、宝物庫から地上の魔物では有り得ない程の質を誇る魔石を幾つか取り出し、アルフレリックに渡す。

「こ、これは……こんな純度の魔石、見た事が無いぞ……」

 アルフレリックも内心驚いていたが、隣の虎の亜人が驚愕の面持ちで思わず声を上げた。

「後はこれだ。オルクスが付けていた指輪だが……」

 

 そう言って見せたのはオルクスの指輪だ。アルフレリックは、その指輪に刻まれた紋章を見て目を見開いた。そして、気持ちを落ち着かせる様にゆっくり息を吐く。

 

「成程……、確かにお前さんはオスカー・オルクスの隠れ家に辿り着いた様だ。他にも色々気になるところはあるが……よかろう、取り敢えずフェアベルゲンに来るがいい。私の名で滞在を許そう。ああ、勿論ハウリアも一緒にな」

 アルフレリックの言葉に、周囲の亜人族達だけでなく、カム達ハウリアも驚愕の表情を浮かべた。虎の亜人を筆頭に、猛烈に抗議の声が上がる。それも当然だろう。嘗て、フェアベルゲンに人間族が招かれた事等無かったのだから。

「彼等は、客人として扱わねばならん。その資格を持っているのでな。それが、長老の座に就いた者にのみ伝えられる掟の一つなのだ」

 アルフレリックが厳しい表情で周囲の亜人達を宥める。しかし、今度はソウゴの方が抗議の声を上げた。

「待て、何を勝手に私の予定を決めている? 私は大樹に用があるのであって、フェアベルゲンに興味はない。問題無いなら、このまま大樹に向かわせてもらう」

「いや、お前さん。それは無理だ」

「なんだと?」

 あくまで邪魔する気か? と身構えるソウゴに、寧ろアルフレリックの方が困惑した様に返した。

 

「大樹の周囲は特に霧が濃くてな、亜人族でも方角を見失う。一定周期で、霧が弱まるから、大樹の下へ行くにはその時でなければならん。次に行けるようになるのは四ヶ月後だ。……亜人族なら誰でも知っている筈だが……」

 

 アルフレリックは、「今すぐ行ってどうする気だ?」とソウゴを見た後、案内役のカムを見た。ソウゴは聞かされた事実に眉を顰めた後、アルフレリックと同じ様にカムを見た。そのカムはと言えば……

 

 

「あっ」

 

 

 正に、今思い出したという表情をしていた。ソウゴの額に青筋が浮かぶ。

「カム?」

「あっ、いや、その何といいますか……ほら、色々ありましたから、つい忘れていたといいますか……私も小さい時に行った事があるだけで、周期の事は意識してなかったといいますか……」

 しどろもどろになって必死に言い訳するカムだったが、ソウゴとユエのジト目に耐えられなくなったのか逆ギレしだした。

「ええいシア、それにお前達も! なぜ、途中で教えてくれなかったのだ! お前達も周期の事は知っているだろう!」

「なっ、父様逆ギレですかっ! 私は、父様が自信たっぷりに請け負うから、てっきり丁度周期だったのかと思って……つまり父様が悪いですぅ!」

「そうですよ。僕たちもあれ? おかしいな? とは思ったけど、族長があまりに自信たっぷりだったから、僕たちの勘違いかなって……」

「族長、何かやたら張り切ってたから……」

 逆ギレするカムに、シアが更に逆ギレし、他の兎人族達も目を逸らしながら、さり気なく責任を擦り付ける。

「お、お前達! それでも家族か! これは、あれだ、そう! 連帯責任だ連帯責任! ソウゴ殿、罰するなら私だけでなく一族皆にお願いします!」

「あっ、汚い! お父様汚いですよぉ! 一人でお仕置きされるのが怖いからって、道連れなんてぇ!」

「族長! 私達まで巻き込まないで下さい!」

「馬鹿者! 道中のソウゴ殿の容赦の無さを見ていただろう! 一人で罰を受けるなんて絶対に嫌だ!」

「あんた、それでも族長ですか!」

 亜人族の中でも情の深さは随一の種族といわれる兎人族。彼等は、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら互いに責任を擦り付け合っていた。情の深さは何処に行ったのか……。流石シアの家族である。総じて、残念なウサギばかりだった。

 青筋を浮かべたソウゴが一言、ポツリと呟く。

「……ユエ」

「ん」

 ソウゴの言葉に一歩前に出たユエがスっと右手を掲げた。それに気がついたハウリア達の表情が引き攣る。

「まっ、待ってください、ユエさん! やるなら父様だけを!」

「はっはっは、何時までも皆一緒だ!」

「何が一緒だぁ!」

「ユエ殿、族長だけにして下さい!」

「僕は悪くない、僕は悪くない、悪いのは族長なんだ!」

 喧々囂々と騒ぐハウリア達に薄く笑い、ユエは静かに呟いた。

「──"嵐帝"」

 

 

 ────アッーーーー!!!

 

 

 天高く舞い上がるウサミミ達。樹海に彼等の悲鳴が木霊する。同胞が攻撃を受けた筈なのに、アルフレリックを含む周囲の亜人達の表情に敵意は無かった。寧ろ、呆れた表情で天を仰いでいる。彼等の表情が、何より雄弁にハウリア族の残念さを示していた。

 

 

 死屍累々といった様子で地面に横たわるハウリア達。ピクピクと痙攣している辺りが実に哀れを誘う。そんな彼等を死なない程度の電流で叩き起こしたソウゴは、どことなくめそっとした湿っぽい彼等を尻目に先を促す。

 

 何とも言えない表情を浮かべながらも、アルフレリックが虎の亜人・ギルに視線で合図を送る。ギルはどこか疲れた様子で溜息を吐くと、一行を先導して濃霧の中を歩き出した。

 

 ソウゴとユエ、ハウリア族、そしてアルフレリックを中心に周囲を亜人の警備隊隊員で固めて歩く事一時間程。未だ到着しない亜人族の国を思い、ソウゴは先程伝令に出されたザムという男はそれなりに急いで伝えたのだなと何とは無しに思った。

 そうして暫く歩いていると、突如霧が晴れた場所に出た。晴れたといっても全ての霧が無くなったのではなく、一本真っ直ぐな道が出来ているだけでまるで霧のトンネルの様な場所だ。よく見れば、道の端に誘導灯の様に青い光を放つ拳大の結晶が地面に半分埋められている。そこを境界線に霧の侵入を防いでいる様だ。

 

 ソウゴが青い結晶に注目している事に気が付いたのか、アルフレリックが解説を買って出た。

「あれはフェアドレン水晶というものだ。あれの周囲には、何故か霧や魔物が寄り付かない。フェアベルゲンも近辺の集落も、この水晶で囲んでいる。まぁ、魔物の方は"比較的"という程度だが」

「成程。四六時中霧の中じゃあ気も滅入る、住んでいる場所位霧は晴らす術はあるか」

 

 どうやら樹海の中であっても、街の中は霧が無い様だ。数ヵ月は樹海の中にいなければならなかったので朗報である。ユエも霧が鬱陶しそうだったので、二人の会話を聞いてどことなく嬉しそうだ。

 

 

 そうこうしている内に、眼前に巨大な門が見えてきた。太い樹と樹が絡み合ってアーチを作っており、其処に木製の十メートルはある両開きの扉が鎮座していた。天然の樹で作られた防壁は高さが最低でも三十メートルはありそうだ。亜人の"国"と言うに相応しい威容を感じる。

 

 ギルが門番と思しき亜人に合図を送ると、ゴゴゴと重そうな音を立てて門が僅かに開いた。周囲の樹の上から、ソウゴ達に視線が突き刺さっているのが分かる。人間が招かれているという事実に動揺を隠せない様だ。アルフレリックがいなければ、ギルがいても一悶着あったかもしれない。恐らくその辺りも予測して長老自ら出てきたのだろう。

 

 門を潜ると、そこは別世界だった。直径数十メートル級の巨大な樹が乱立しており、その樹の中に住居がある様で、ランプの明かりが樹の幹に空いた窓と思しき場所から溢れている。人が優に数十人規模で渡れるであろう極太の樹の枝が絡み合い空中回廊を形成している。樹の蔓と重なり、滑車を利用したエレベーターの様な物や樹と樹の間を縫う様に設置された木製の巨大な空中水路まであるようだ。樹の高さはどれも二十階位ありそうである。

 

 ソウゴが眉を上げ、ユエがポカンと口を開けてその美しい街並みに見蕩れていると、ゴホンと咳払いが聞こえた。どうやら気がつかない内に立ち止まっていたらしく、アルフレリックが正気に戻してくれた様だ。

「ふふ、どうやら我らの故郷、フェアベルゲンを気に入ってくれた様だな」

 アルフレリックの表情が嬉しげに緩んでいる。周囲の亜人達やハウリア族の者達も、どこか得意げな表情だ。ソウゴはそんな彼等の様子を見つつ、素直に称賛した。

「ああ、こんな綺麗な街はそう多くない上、空気も美味い。自然と調和した見事な街だな」

「ん……綺麗」

 掛け値なしのストレートな称賛に、流石にそこまで褒められるとは思っていなかったのか少し驚いた様子の亜人達。だがやはり故郷を褒められたのが嬉しいのか、皆フンっとそっぽを向きながらもケモミミや尻尾を勢いよくふりふりしている。

 ソウゴ達はフェアベルゲンの住人に好奇と忌避、或いは困惑と憎悪といった様々な視線を向けられながら、アルフレリックが用意した場所に向かった。

 

 

「……成程。試練に神代魔法、それに神の盤上か……」

 

 現在、ソウゴとユエはアルフレリックと向かい合って話をしていた。内容は、ソウゴがオスカー・オルクスに聞いた"解放者"の事や神代魔術の事、自分が異世界の人間であり七大迷宮を攻略すれば神代魔術が手に入るかもしれない事等だ。

 

 アルフレリックは、この世界の神の話を聞いても顔色を変えたりはしなかった。その事に試す様な笑みを浮かべてソウゴが尋ねると、「この世界は亜人族に優しくはない、今更だ」という答えが返ってきた。神が狂っていようがいまいが、亜人族の現状は変わらないという事らしい。聖教教会の権威も無いこの場所では信仰心も無い様だ。あるとすれば自然への感謝の念だという。

 

 ソウゴ達の話を聞いたアルフレリックは、フェアベルゲンの長老の座に就いた者に伝えられる掟を話した。それは、この樹海の地に七大迷宮を示す紋章を持つ者が現れたらそれがどの様な者であれ敵対しない事、そしてその者を気に入ったのなら望む場所に連れて行く事、という何とも抽象的な口伝だった。

 

 【ハルツィナ樹海】の大迷宮の創始者リューティリス・ハルツィナが、自分が"解放者"という存在である事(解放者が何者かは伝えなかった)と、仲間の名前と共に伝えたものなのだという。フェアベルゲンという国が出来る前からこの地に住んでいた一族が延々と伝えてきたのだとか。最初の敵対せずというのは、大迷宮の試練を越えた者の実力が途轍もない事を知っているからこその忠告だ。

 そして、オルクスの指輪の紋章にアルフレリックが反応したのは、大樹の根元に七つの紋章が刻まれた石碑があり、その内の一つと同じだったからだそうだ。

 

「それで、私は資格を持っているという訳か……」

 アルフレリックの説明により、人間を亜人族の本拠地に招き入れた理由が分かった。しかし、全ての亜人族がそんな事情を知っている訳ではない筈なので、今後の話をする必要がある。

 ソウゴとアルフレリックが話を詰めようとしたその時、何やら階下が騒がしくなった。ソウゴ達のいる場所は最上階にあたり、階下にはシア達ハウリア族が待機している。どうやら、彼女達が誰かと争っている様だ。ハジメとアルフレリックは顔を見合わせ、同時に立ち上がった。

 

 

 階下では、大柄な熊の亜人族や虎の亜人族、狐の亜人族、背中から羽を生やした亜人族、小さく毛むくじゃらのドワーフらしき亜人族が剣呑な眼差しでハウリア族を睨みつけていた。部屋の隅で縮こまり、カムが必死にシアを庇っている。シアもカムも頬が腫れている事から既に殴られた後の様だ。

 

 ソウゴとユエが階段から降りてくると、彼等は一斉に鋭い視線を送った。熊の亜人が剣呑さを声に乗せて発言する。

「アルフレリック……貴様、どういうつもりだ。何故人間を招き入れた? こいつら兎人族もだ。忌み子にこの地を踏ませるなど……返答によっては、長老会議にて貴様に処分を下す事になるぞ」

 必死に激情を抑えているのだろう。拳を握りわなわなと震えている。やはり、亜人族にとって人間族は不倶戴天の敵なのだ。しかも、忌み子と彼女を匿った罪があるハウリア族まで招き入れた。熊の亜人だけでなく他の亜人達もアルフレリックを睨んでいる。

 しかし、アルフレリックはどこ吹く風といった様子だ。

「何、口伝に従ったまでだ。お前達も各種族の長老の座にあるのだ。事情は理解できる筈だが?」

「何が口伝だ、そんなもの眉唾物ではないか! フェアベルゲン建国以来一度も実行された事等無いではないか!」

「だから今回が最初になるのだろう。それだけの事だ、お前達も長老なら口伝には従え。それが掟だ。我ら長老の座にある者が掟を軽視してどうする」

「なら、こんな人間族の小僧が資格者だとでも言うのか! 敵対してはならない強者だと!」

「そうだ」

 

 あくまで淡々と返すアルフレリック。熊の亜人は信じられないという表情でアルフレリックを、そしてソウゴを睨む。

 フェアベルゲンには、種族的に能力の高い幾つかの各種族を代表する者が長老となり、長老会議という合議制の集会で国の方針等を決めるらしい。裁判的な判断も長老衆が行う。今この場に集まっている亜人達が、どうやら当代の長老達らしい。だが、口伝に対する認識には差がある様だ。

 

 アルフレリックは口伝を含む掟を重要視するタイプの様だが、他の長老達は少し違うのだろう。アルフレリックは森人族であり、亜人族の中でも特に長命種だ。二百年くらいが平均寿命だったとソウゴは記憶している。だとすると、眼前の長老達とアルフレリックでは年齢が大分異なり、その分価値観にも差があるのかもしれない。因みに、亜人族の平均寿命は百年くらいだ。

 

 そんな訳で、アルフレリック以外の長老衆はこの場に人間族や罪人がいる事に我慢ならない様だ。

「……ならば今、この場で試してやろう!」

 いきり立った熊の亜人が、突如ソウゴに向かって突進した。あまりに突然の事で周囲は反応出来ていない。アルフレリックも、まさかいきなり襲いかかるとは思っていなかったのか驚愕に目を見開いている。

 そして一瞬で間合いを詰め、身長二メートル半はある脂肪と筋肉の塊の様な男の豪腕がソウゴに向かって振り下ろされた。

 

 亜人の中でも、熊人族は特に耐久力と腕力に優れた種族だ。その豪腕は一撃で野太い樹をへし折る程で、種族代表ともなれば他と一線を画す破壊力を持っている。シア達ハウリア族と傍らのユエ以外の亜人達は、皆一様に肉塊となったソウゴを幻視した。

 

 

 しかし次の瞬間には、有り得ない光景に凍りついた。

 

 

 衝撃音と共に振り下ろされた拳は、あっさりとソウゴに掴み止められていたからだ。

「……ふむ、そちらから攻撃したのだ。反撃されても文句はあるまい?」

 そう言って、ソウゴは握力を高める。熊の亜人の腕からメキッと音が響いた。驚愕の表情を浮かべながらも危機感を覚え、必死に距離を取ろうとする熊の亜人。

「ぐっう! 離せ!」

 必死に腕を引き戻そうとするが、体長が半分程度しかないにもかかわらず、ソウゴはピクリともしない。

 ソウゴは無言で握力を高め、無造作にその腕を引き千切った。

 

「ッ!?」

 

 それでも悲鳴を上げなかったのは流石は長老といったところか。だが、痛みと驚愕に硬直した隙をソウゴは逃さない。

 後退る熊の亜人の懐へ踏み込み、空いているもう片方の腕を引き絞る。

「無礼の代償は、命で以て償ってもらおう」

 

 ドパンッ!

 

 絶大な威力を込められた拳が遠慮容赦なく熊の亜人族の腹に突き刺さり、その場に衝撃波を発生させる。熊の亜人は悲鳴一つ上げられず、体を無数の肉片と血煙に変えながら背後の壁の染みになる。

 誰もが言葉を失い硬直していると、ソウゴが長老達に試す様な視線を向ける。

「反抗心を持つのは構わんが、実行に移すなら相応の実力を持たねば身を滅ぼすだけだぞ。……さて、まだ挑む者は?」

 

 その言葉に、頷ける者はいなかった。

 

 

 

 ソウゴが熊の亜人を処理した後、アルフレリックが何とか執り成し、ソウゴによる蹂躙劇は回避された。

 

 現在、当代の長老衆である虎人族のゼル、翼人族のマオ、狐人族のルア、土人族──俗に言うドワーフのグゼ、そして森人族のアルフレリックがソウゴと向かい合って座っていた。ソウゴの傍らにはユエとカム、シアが座り、その後ろにハウリア族が固まって座っている。

 

 長老衆の表情は、アルフレリックを除いて緊張感で強ばっていた。戦闘力では一、二を争う程の手練だった熊の亜人・ジンが、文字通り手も足も出ず瞬殺されたのであるから無理もない。

「それで、貴様達は我々をどうしたいんだ? 私は大樹の下へ行きたいだけで、邪魔しなければ敵対する事もないんだが。……亜人族としての意思を統一してもらえないと、私は先程の様に暴君として振舞わねばならなくなるが、如何かな?」

 ソウゴの言葉に身を強ばらせる長老衆。言外に亜人族全体との戦争も辞さないという意志が込められている事に気がついたのだろう。

「こちらの仲間を殺しておいて、第一声がそれか……それで友好的になれるとでも?」

 グゼが苦虫を噛み潰した様な表情で呻く様に呟いた。

「先に手を出したのは奴だ、私は相応の罰を与えたに過ぎん」

「き、貴様! ジンはな! ジンは、いつも国の事を思って──」

 

 そこまで言ったところで、グゼの首が宙を舞った。

 

 恐らくグゼはジンと仲が良かったのだろう。その為、頭ではソウゴの言う通りだと分かっていても心が納得しなかったのだろう。だがそんな心情を汲み取る程、"暴君としてのソウゴ"は甘くない。そんなソウゴの手には、いつの間にか先程までの表情のまま固まったグゼの首がある。

「先程言ったばかりだぞ、暴君として振舞わねばならなくなると。私とてこの様な行いは不本意なのだ、あまりさせるでない」

「ッ! ……確かに、君の言い分は正論だ」

 ソウゴは、まるで聞き分けの無い子供に言い聞かせる様に言葉を投げる。序にグゼの首も投げ捨てる。

 グゼの亡骸が倒れ、アルフレリックは絞り出す様な声でソウゴの正当性を認めた。会議の場を否応無く緊張感が支配する。

「……確かにこの青年は、紋章の一つを所持しているし、その実力も大迷宮を突破したと言うだけの事はあるね。僕は彼を口伝の資格者と認めるよ」

 そう言ったのは狐人族の長老ルアだ。その奥に戦慄を宿す糸の様に細めた目でソウゴを見た後、他の長老はどうするのかと周囲を見渡す。

 その視線を受けて翼人族のマオ、虎人族のゼルも相当思うところはある様だが同意を示した。代表して、アルフレリックがソウゴに伝える。

「常磐ソウゴ。我らフェアベルゲンの長老衆は、お前さんを口伝の資格者として認める。故に、お前さんと敵対はしないというのが総意だ……可能な限り、末端の者にも手を出さないように伝える。……しかし……」

「絶対じゃない……か?」

「ああ。知っての通り、亜人族は人間族をよく思っていない。正直、憎んでいるとも言える。血気盛んな者達は、長老会議の通達を無視する可能性を否定できない。特に、今回殺されたジンとグゼの種族、熊人族と土人族の怒りは抑えきれない可能性が高い。ジンは人望があったからな……」

「そうか。私は熊人族と土人族を絶滅させねばならないのか、悲しい事だ」

 アルフレリックの話を聞いて、ソウゴは態とらしく残念そうな表情を浮かべて二つの種族を絶滅させると言った。すべき事をしただけであり、すべき事をするだけだという事務的な無感情さがその瞳から見て取れる。さも当然かの様に言われたアルフレリックは、その言葉に恐怖しつつ、長老として意志の宿った瞳を向ける。

「待ってくれ、お前さんを襲った者達を殺さないで欲しい!」

「……無礼を働いた者を処罰するなと?」

「そうだ。お前さんの実力なら可能だろう?」

「可能か否かで言えば可能だろうな。だが、奴らの種族の絶滅は決定事項だ。貴様の気持ちは分かるが、そちらの事情は私にとって関係の無いものだ。これ以上の問答は貴様達森人族もその対象になると心得よ」

 一度暴君に徹したソウゴは、例え生まれたばかりの子供であろうと容赦しない。敵対するならば一切容赦無く殺す。その為、ソウゴがアルフレリックの頼みを聞く事は無かった。

 

 しかし、そこで虎人族のゼルが口を挟んだ。

 

「ならば我々は、大樹の下への案内を拒否させてもらう。口伝にも気に入らない相手を案内する必要は無いとあるからな」

 その言葉にソウゴは訝しそうな表情をした。元より案内はハウリア族に任せるつもりで、フェアベルゲンの者の手を借りるつもりはなかった。その事は彼等も知っている筈である。だが、ゼルの次の言葉で彼の真意が明らかになった。

「ハウリア族に案内してもらえるとは思わない事だ。そいつらは罪人、フェアベルゲンの掟に基づいて裁きを与える。何があって同道していたのか知らんが、ここでお別れだ。忌まわしき魔物の性質を持つ子とそれを匿った罪。フェアベルゲンを危険に晒したも同然なのだ。既に長老会議で処刑処分が下っている」

 ゼルの言葉にシアは泣きそうな表情で震え、カム達は一様に諦めた様な表情をしている。この期に及んで、誰もシアを責めないのだから情の深さは折紙付きだ。

「長老様方! どうか、どうか一族だけはご寛恕を! どうか!」

「シア! 止めなさい! 皆、覚悟は出来ている。お前には何の落ち度もないのだ。そんな家族を見捨ててまで生きたいとは思わない。ハウリア族の皆で何度も何度も話し合って決めた事なのだ。お前が気に病む必要はない」

「でも、父様!」

 土下座しながら必死に寛恕を請うシアだったが、ゼルの言葉に容赦は無かった。

「既に決定した事だ。ハウリア族は全員処刑する。フェアベルゲンを謀らなければ忌み子の追放だけで済んだかもしれんのにな」

 

 ワッと泣き出すシア。それをカム達は優しく慰めた。長老会議で決定したというのは本当なのだろう。他の長老達も何も言わなかった。恐らく忌み子であるという事よりも、その様な危険因子をフェアベルゲンの傍に隠し続けたという事実が罪を重くしたのだろう。ハウリア族の家族を想う気持ちが事態の悪化を招いたとも言える。何とも皮肉な話だ。

「そういう訳だ。これで、貴様が大樹に行く方法は途絶えたわけだが? どうする? 運良く辿り着く可能性に賭けてみるか?」

 それが嫌なら、こちらの要求を飲めと言外に伝えてくるゼル。他の長老衆も異論はないようだ。しかしソウゴは特に焦りを浮かべることも苦い表情を見せる事も無く、何でもない様に軽く返した。

 

「貴様、余程の阿呆か?」

 

「な、なんだと!」

 ソウゴの物言いに、目を釣り上げるゼル。シア達も思わずと言った風にソウゴを見る。ユエはソウゴの考えがわかっているのかすまし顔だ。

「私が態々この場に足を運んだのは、一応はハウリアの者達に免じての事だ。その気になれば迷宮なぞ、この森を貴様等ごと更地に変えて見つける事も出来たのだぞ? 感謝こそすれ、罰するのは筋違いも甚だしい」

 ソウゴは長老衆を睥睨しながら、スっと伸ばした手を泣き崩れているシアの頭に乗せた。ピクッと体を震わせ、ソウゴを見上げるシア。

「それがこの無礼の数々、私の所有物を害そうというなら……覚悟を決めろ」

「ソウゴさん……」

 ソウゴにとって今の言葉は単純に自分の邪魔をする事は許さないという意味で、それ以上では無いだろう。しかしそれでも、ハウリア族を死なせないために亜人族の本拠地フェアベルゲンとの戦争も辞さないという言葉は、その意志は、絶望に沈むシアの心を真っ直ぐに貫いた。

「本気かね?」

 アルフレリックが誤魔化しは許さないとばかりに鋭い眼光でソウゴを射貫く。

「当然だ」

 しかし、全く揺るがないソウゴ。そこに不動の決意が見て取れる。この世界に対して自重しない、邪魔する者には妥協も容赦もしない。ソウゴの暴君としてスタンスだ。

「フェアベルゲンから案内を出すと言っても?」

 ハウリア族の処刑は、長老会議で決定したことだ。それを、言ってみれば脅しに屈して覆す事は国の威信に関わる。今後ソウゴ達を襲うかもしれない者達の助命を引き出す為の交渉材料である案内人というカードを切ってでも、長老会議の決定を覆す訳にはいかない。故に、アルフレリックは提案した。しかしソウゴは交渉の余地など無いと言わんばかりにはっきりと告げる。

「くどい。貴様こそ、私の決定に逆らうか?」

「なぜ、彼等に拘る。大樹に行きたいだけなら案内人は誰でもよかろう」

 アルフレリックの言葉にソウゴはシアをチラリと見た。先程からずっとソウゴを見ていたシアはその視線に気がつき、一瞬目が合う。すると僅かに心臓が跳ねたのを感じた。視線は直ぐに逸れたが、シアの鼓動だけは高まり続ける。

 

「私はハウリアを気に入った、ただそれだけの事だ」

 

 ソウゴに引く気がないと悟ったのか、アルフレリックが深々と溜息を吐く。他の長老衆がどうするんだと顔を見合わせた。暫く静寂が辺りを包み、やがてアルフレリックがどこか疲れた表情で提案した。

「ならば、お前さんの奴隷という事にでもしておこう。フェアベルゲンの掟では、樹海の外に出て帰ってこなかった者、奴隷として捕まった事が確定した者は、死んだものとして扱う。樹海の深い霧の中なら我らにも勝機はあるが、外では魔法を扱う者に勝機はほぼない。故に、無闇に後を追って被害が拡大せぬ様に死亡と見なして後追いを禁じているのだ。……既に死亡と見なしたものを処刑はできまい」

「アルフレリック! それでは!」

 完全に屁理屈である。当然、他の長老衆がギョッとした表情を向ける。ゼルに到っては思わず身を乗り出して抗議の声を上げた。

「ゼル、わかっているだろう。この男が引かない事も、その力の大きさも。ハウリア族を処刑すれば、確実に敵対する事になる。既に熊人族と土人族の絶滅が決定している今、そうなればどれだけの犠牲が出るか……。長老の一人として、その様な危険は断じて犯せん」

「しかし、それでは示しがつかん! 力に屈して、化物の子やそれに与するものを野放しにしたと噂が広まれば、長老会議の威信は地に落ちるぞ!」

「だが……」

 ゼルとアルフレリックが議論を交わし、他の長老衆も加わって、場は喧々囂々の有様となった。やはり、危険因子とそれに与する者を見逃すという事が、既になされた処断と相まって簡単には出来ない様だ。悪しき前例の成立や長老会議の威信失墜など様々な思惑があるのだろう。

 だがそんな中、ソウゴが敢えて空気を読まずに発言する。

 

「さて。ゼルと言ったか、貴様の無礼への罰も与えねばな」

 

 ソウゴの言葉に、ピタリと議論が止まり、どういう事だと長老衆がソウゴに視線を転じる。

 

 

 途端、その肉体に変化が生じる。全身の筋肉が盛り上がり、獣の様な金色の毛が生える。身の丈は倍程になり、爪牙は鋭く、雄々しき尖角が現れる。髪は鬣の様に荒々しく靡いて、その様は正しく百獣の王に相応しい。

 

 そこには、獅子の獣人の様な姿になったソウゴが立っていた

 

 長老衆は、ソウゴのその異様に目を見開いた。そして詠唱も魔法陣も無く魔術を発動した事に驚愕を表にする。ジンを倒したのは身体能力だけのせいだと思っていたのだ。

「"獣化"という技能だ。貴様等には丁度よかろう」

 ソウゴのそんな言葉が背後から聞こえ、慌てて振り向く。そこには、先程までゼルだったと思われる血だまりの上に立ち、その首を掌で弄ぶソウゴがいた。見せつける様に宙を舞う首を見て、アルフレリックが恐る恐る長老会議の決定を告げる。

「……ハウリア族は忌み子シア・ハウリアを筆頭に、同じく忌み子である常磐ソウゴの身内と見なす。そして、資格者・常磐ソウゴに対して一切敵対はしない。以降、常磐ソウゴの一族に手を出した場合は全て自己責任とする……以上だ。何かあるか?」

「結構だ」

 アルフレリックの言葉と共に、ソウゴは用済みとばかりにゼルの首を握り潰す。その光景に、アルフレリックは更に顔の血の気を引かせながら告げる。まるで懇願する様に。

「……そうか。ならば、早々に立ち去ってくれるか。ようやく現れた口伝の資格者を歓迎できないのは心苦しいが……」

「構わん。だが熊人族と土人族、虎人族の者達全員に招集を掛けよ。もし一人でも逃していれば……分かるな?」

 言うが早いか、ソウゴはその巨体からは想像出来ない速さで音も無くアルフレリックに迫り、その鋭爪を首筋に突き付ける。その爪はまるで至高の名剣の様に、軽く触れただけでうっすらとアルフレリックの首に血が滲む。

 ソウゴの言葉に戦慄するアルフレリック。他の長老達は恐怖を隠し切れない表情だ。恨み辛みというより、早くこの場から逃れたいという雰囲気である。その様子に肩を竦めるソウゴは"獣化"を解きながら、驚くユエやシア達を促して立ち上がった。

 ユエは獣人態のソウゴに驚いていたが、話は聞いていたのか特に意見を口にする事も無く元に戻ったソウゴに合わせて立ち上がった。

 

 しかしシア達ハウリア族は、未だ現実を認識しきれていないのか呆然としたまま立ち上がる気配がない。ついさっきまで死を覚悟していたのに、気がつけば追放で済んでいるという不思議。「えっ、このまま本当に行っちゃっていいの?」という感じで内心動揺しまくっていた。

「おい。何時まで呆けている、さっさと行くぞ」

 ソウゴの言葉に、漸く我を取り戻したのかあたふたと立ち上がり、さっさと出て行くソウゴの後を追うシア達。

 シアが、オロオロしながらソウゴに尋ねた。

「あ、あの、私達……死ななくていいんですか?」

「先程の話を聞いてなかったのか?」

「い、いえ、聞いてはいましたが……その、何だかトントン拍子で窮地を脱してしまったので実感が湧かないといいますか……信じられない状況といいますか……」

 周りのハウリア族も同様なのか困惑したような表情だ。それだけ、長老会議の決定というのは亜人にとって絶対的なものなのだろう。どう処理していいのか分からず困惑するシアにユエが呟く様に話しかけた。

「……素直に喜べばいい」

「ユエさん?」

「……ソウゴ様に救われた、それが事実。受け入れて喜べばいい」

「……」

 ユエの言葉に、シアはそっと隣を歩くソウゴに視線をやった。ソウゴは前を向いたまま肩を竦める。

「契約を果たしただけだ。それに言ったであろう、貴様達が気に入ったと」

「ッ……」

 シアは、肩を震わせる。樹海の案内と引き換えにシアと彼女の家族の命を守る。シアが必死に取り付けたソウゴとの契約だ。

 

 

 元々、"未来視"でソウゴが守ってくれる未来は見えていた。しかし、それで見える未来は絶対ではない。シアの選択次第で、いくらでも変わるものなのだ。だからこそ、シアはソウゴの協力を取り付けるのに"必死"だった。相手は亜人族に差別的な人間で、シア自身は何も持たない身の上だ。交渉の材料など、自分の"女"か"固有能力"しかない。それすらあっさり無視された時は、本当にどうしようかと泣きそうになった。

 それでもどうにか契約を交わして、道中話している内に何となく、ソウゴなら契約を違える事は無いだろうと感じていた。それは、自分が亜人族であるにも拘らず、差別的な視線が一度も無かった事も要因の一つだろう。だが、それはあくまで"何となく"であり、確信があった訳ではない。

 

 だから内心の不安に負けて、"約束は守る人だ"と口に出してみたり"人間相手でも戦う"等という言葉を引き出してみたりした。実際に何の躊躇いもなく帝国兵を殺した時、どれ程安堵した事か。

 

 だが、今回はいくらソウゴでも見捨てるのではという思いがシアにはあった。帝国兵の時とは訳が違う。にもかかわらず一歩も引かずに契約を守り通してくれた。例えそれがソウゴ自身の為であっても、ユエの言う通りシアと大切な家族は確かに守られたのだ。

 

 先程、一度高鳴った心臓が再び跳ねた気がした。顔が熱を持ち、居ても立ってもいられない正体不明の衝動が込み上げてくる。それは家族が生き残った事への喜びか、それとも……

 シアは、ユエの言う通り素直に喜び、今の気持ちを衝動に任せて全力で表してみる事にした。即ち、ソウゴに全力で抱きつく!

「ソウゴさ~ん! ありがどうございまずぅ~!」

「いきなりどうした?」

「むっ……」

 泣きべそを掻きながら絶対に離しません! とでも言う様にヒシッとしがみつき顔をグリグリとソウゴの肩に押し付けるシア。その表情は緩みに緩んでいて、頬は薔薇色に染め上げられている。

 それを見たユエが不機嫌そうに唸るものの、何か思うところがあるのか、ソウゴの反対の手を取るだけで特に何もしなかった。

 喜びを爆発させソウゴにじゃれつくシアの姿に、ハウリア族の皆も漸く命拾いした事を実感したのか、隣同士で喜びを分かち合っている。

 それを何とも複雑そうな表情で見つめているのは生き残った長老衆だ。そして、更に遠巻きに不快感や憎悪の視線を向けている者達も多くいる。

 

 ソウゴはその全てを把握しながら、ここを出ても暫くは面倒事に巻き込まれそうだと苦笑いするのだった。




今更ですが、多分総死者数は原作を超えますよ。


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第七話 第一将軍カム・ハウリア

自分探しをしていて間が空きました。


「さて、お前等には戦闘訓練を受けてもらおう」

 

 

 フェアベルゲンを出たソウゴ達が、一先ず大樹の近くに拠点を作って一息ついた時の、ソウゴの第一声がこれだった。拠点といっても、ソウゴが「無礼への賠償として貰っていく。文句はあるまい?」と族長達を脅して強奪したフェアドレン水晶を使って結界を張っただけのものだ。その中で切り株等に腰掛けながら、ウサミミ達はポカンとした表情を浮かべた。

「え、えっと……ソウゴさん。戦闘訓練というのは……」

 困惑する一族を代表してシアが尋ねる。

「そのままの意味だ。どうせこれから数ヵ月間は大樹へは辿り着けないのだろう? ならその間の時間を有効活用して、軟弱で脆弱な貴様等を一端の戦闘技能者に育て上げようと思ってな」

「な、何故、その様な事を……?」

 ソウゴの据わった目と全身から迸る威圧感にぷるぷると震えるウサミミ達。シアが、あまりに唐突なソウゴの宣言に当然の如く疑問を投げかける。

「何故だと? 何故と聞いたか?」

 

「ひぃ!?」

 

 より鋭くなった視線に怯えるシアを尻目にソウゴが語る。

「よいか? 先程気に入ったとは言ったが、元々私と貴様等と交わした約束は、案内が終わるまで守るというものだ。ならば、案内が終わった後はどうするのか。それを貴様等は考えているのか?」

 ハウリア族達が互いに顔を見合わせ、ふるふると首を振る。カムも難しい表情だ。漠然と不安は感じていたが、激動に次ぐ激動で頭の隅に追いやられていた様だ。或いは、考えない様にしていたのか。

「まぁ、考えていないだろう。考えたところで答えなど無い。貴様達は弱く、悪意や害意に対しては逃げるか隠れる事しか出来ない。そんな貴様等は、遂にフェアベルゲンという隠れ蓑すら失った。つまり私の庇護を失った瞬間、再び窮地に陥るという訳だ」

 

「「「「「「……」」」」」」

 

 全くその通りなので、ハウリア族達は皆一様に暗い表情で俯く。そんな彼等に、ソウゴの言葉が響く。

「貴様等に逃げ場は無い。隠れる場も庇護も無い。だが、魔物も人も容赦なく弱い貴様達を狙ってくる。このままではどちらにしろ全滅は必定だ。……それでいいのか? 弱さを理由に淘汰される事を許容するか? 幸運にも拾った命を無駄に散らすか? どうなんだ?」

 誰も言葉を発さず重苦しい空気が辺りを満たす。そして、ポツリと誰かが零した。

 

「そんなもの……良い訳がない」

 

 その言葉に触発された様にハウリア族が顔を上げ始める。シアは既に決然とした表情だ。

「そうだ。良い訳が無い。ならばどうするか、答えは簡単だ。強くなればいい。襲い来るあらゆる障害を打ち破り、自らの手で生存の権利を獲得すればいい」

「……ですが、私達は兎人族です。虎人族や熊人族のような強靭な肉体も翼人族や土人族の様に特殊な技能も持っていません……とても、その様な……」

 

 兎人族は弱いという常識がソウゴの言葉に否定的な気持ちを生む。自分達は弱い、戦う事など出来ない。どんなに足掻いてもソウゴの言う様に強くなど成れるものか、と。

 ソウゴはそんなハウリア族に言い放つ。

 

「私とて無敗ではない。敗北して地に伏した事もある」

「え?」

 

「私がシアと同じ年の頃は、今の様な力は全く持っていなかった。あの頃の私はただの平凡な人間、恐らくシアにも勝てんよ。九つの頃には両親も失った。片方でも親が残っているなら、その点でもシアは私より恵まれていると言えるかもな」

 ソウゴの告白にハウリア族は例外なく驚愕を顕にする。ライセン大峡谷の凶悪な魔物も、戦闘能力に優れた熊人族の長老も、苦もなく一蹴したソウゴが兎人族にも劣る等誰が信じられるというのか。

「そんな私が持っていた物はただ一つ」

 ソウゴは無意識の内に拳を握りしめる。

 

「"夢"だ。生まれた頃より抱いた"王になる"という夢を胸に私は生きた。そして偶然とも必然ともつかぬ機会と友を得て、私は王へと至った」

 

 そこまで言うと、ソウゴは不敵な笑みを浮かべて続ける。

「超人的な感覚も超常的な力も持たない馬鹿が一人、志一つを持ってここまで至ったのだ。それに比べ、天性の聴覚(みみ)と隠形を与えられた貴様等が強くなれん理由なぞ……、無いと思わんか?」

 さぁどうする? そう問いかけるソウゴの視線に、黙り込み顔を見合わせるハウリア族。しかし、そんな彼等を尻目に、先程からずっと決然とした表情を浮かべていたシアが立ち上がった。

 

「やります。私に戦い方を教えてください! もう、弱いままは嫌です!」

 

 樹海の全てに響けと言わんばかりの叫び。これ以上ない程思いを込めた宣言。シアとて争いは嫌いだ。怖いし痛いし、何より傷つくのも傷つけるのも悲しい。しかし一族を窮地に追い込んだのは紛れもなく自分が原因であり、このまま何も出来ずに滅ぶなど絶対に許容出来ない。とあるもう一つの目的の為にも、シアは兎人族としての本質に逆らってでも強くなりたかった。

 不退転の決意を瞳に宿し、真っ直ぐソウゴを見つめるシア。その様子を唖然として見ていたカム達ハウリア族は、次第にその表情を決然としたものに変えて一人、また一人と立ち上がっていく。そして男だけでなく、女子供も含めて全てのハウリア族が立ち上がったのを確認するとカムが代表して一歩前へ進み出た。

「ソウゴ殿……宜しく頼みます」

 言葉は少ない。だが、その短い言葉には確かに意志が宿っていた。襲い来る理不尽と戦う意志が。

「心得た、だが覚悟せよ。あくまで貴様等自身の意志で強くなるのだ、私は唯の手伝いに過ぎん。私は人に教えるのは不得手だ、直感頼りだからな。途中で投げ出した者を優しく諭すなんて事はせん、死に物狂いになれ。待っているのは生か死の二択だからな」

 ソウゴの言葉にハウリア族は皆、覚悟を宿した表情で頷いた。

 

 

 ソウゴはハウリア族を訓練するにあたって、先ず彼等一人一人に合わせて作った装備を彼等に渡した。先に渡していたナイフの他に反りの入った片刃の小剣、日本で言うところの小太刀だ。

 

 そして、その武器を持たせた上で基本的な動きを教える。勿論ソウゴは多種多様な武器武術の奥義等も体得している。だがそれらは"ただ使える、知識として知っている"だけで、その術理を完全に理解している訳では無い。故に教えられるのは、それらの技術に自身の動きを組み合わせたソウゴの我流殺法だ。それを叩き込みながら、適当に魔物を嗾けて実戦経験を積ませる。ハウリア族の強みは、その索敵能力と隠密能力だ。いずれは奇襲と連携に特化した集団戦法を身につければいいと思っていた。

 

 因みに、シアに関してはユエが専属で魔術の訓練をしている。亜人でありながら魔力がありその直接操作も可能なシアは、知識さえあれば魔法陣を構築して無詠唱の魔術が使える筈だからだ。時折、霧の向こうからシアの悲鳴が聞こえるので特訓は順調の様だ。

 

 

 だが、訓練開始から二日目。ソウゴは玉座に座り、額に青筋を浮かべながらイライラした様にハウリア族の訓練風景を見ていた。確かにハウリア族達は、自分達の性質に逆らいながら、言われた通り真面目に訓練に励んでいる。魔物だって、幾つもの傷を負いながらも何とか倒している。

 しかし……

 

 グサッ!

 

 魔物の一体に、ソウゴ謹製の小太刀が突き刺さり絶命させる。

「ああ、どうか罪深い私を許しくれぇ~!」

 それを成したハウリア族の男が魔物に縋り付く。まるで互いに譲れぬ信念の果て親友を殺した男の様だ。

 

 ブシュ!

 

 また一体魔物が切り裂かれて倒れ伏す。

「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! それでも私はやるしかないのぉ!」

 首を裂いた小太刀を両手で握り、わなわな震えるハウリア族の女。まるで狂愛の果て、愛した人をその手で殺めた女の様だ。

 

 バキッ!

 

 瀕死の魔物が、最後の力で己を殺した相手に一矢報いる。体当たりによって吹き飛ばされたカムが、倒れながら自嘲気味に呟く。

「ふっ、これが刃を向けた私への罰というわけか……当然の結果だな……」

 その言葉に周囲のハウリア族が瞳に涙を浮かべ、悲痛な表情でカムへと叫ぶ。

「族長! そんな事言わないで下さい! 罪深いのは皆一緒です!」

「そうです! いつか裁かれるときが来るとしても、それは今じゃない! 立って下さい族長!」

「僕達は、もう戻れぬ道に踏み込んでしまったんだ。族長、行ける所まで一緒に逝きましょうよ」

「お、お前達! ……そうだな。こんな所で立ち止まっている訳にはいかない。死んでしまった彼(小さなネズミっぽい魔物)の為にも、この死を乗り越えて私達は進もう!」

 

「「「「「「「「族長!」」」」」」」」

 

 いい雰囲気のカム達。そして我慢の限界を迎えたソウゴが無言のツッコミを放った。

 

 

 具体的に述べるならば、光も置き去りにする様な速さで立ち上がり、つい勢いで召喚したドッガハンマーとシンゴウアックスを振りかぶって投げつけた。お陰で樹海が四分の一程クレーターになった。

 

 

「貴様等……、一体どういうつもりだ? もしや、その下手な三文芝居で私を虚仮にしているんじゃあるまいな……!」

 そのクレーターを修復しつつ、漏れ出る怒りを滲ませてソウゴは問う。

 

 そう。ハウリア族達が頑張っているのは分かるのだが、その性質故か、魔物を殺す度に訳のわからないドラマが生まれるのだ。この二日間何度も見られた光景であり、ソウゴもまた何度も指摘しているのだが一向に直らない事から、いい加減堪忍袋の緒が切れそうなのである。

 

 ソウゴの怒り声にビクッと体を震わせながらも、「そうは言っても……」とか「だっていくら魔物でも可哀想で……」とかブツブツと呟くハウリア族達。

 更にソウゴの額に青筋が量産される。

 見かねたハウリア族の少年が、ソウゴを宥めようと近づく。この少年、ライセン大峡谷でハイベリアに喰われそうになっていたところを間一髪ソウゴに助けられ、特に懐いている子だ。

 しかし、進み出た少年はソウゴに何か言おうとして、突如その場を飛び退いた。

 気になったソウゴが訝し気に少年に尋ねる。

「どうした?」

 少年は、そっと足元のそれに手を這わせながらソウゴに答えた。

「あ、うん。このお花さんを踏みそうになって……よかった。気がつかなかったら、潰しちゃうところだったよ。こんなに綺麗なのに、踏んじゃったら可愛そうだもんね」

 ソウゴの頬が引き攣る。

「花、だと…?」

「うん、ソウゴ兄ちゃん! 僕、お花さんが大好きなんだ! この辺は綺麗なお花さんが多いから、訓練中も潰さないようにするのが大変なんだ~」

 ニコニコと微笑むウサミミ少年。周囲のハウリア族達も微笑ましそうに少年を見つめている。

 ソウゴは、ゆっくり顔を俯かせた。そして、ポツリと囁くような声で質問をする。

「……時々、貴様等が妙なタイミングで跳ねたり移動したりするのは……その花が原因か?」

 ソウゴの言う通り、訓練中のハウリア族は妙なタイミングで歩幅を変えたり、移動したりするのだ。気になってはいたのだが、次の動作に繋がっていたのでそれが彼等の最適な位置取りなのかと様子を見ていたのだが。

「いえいえ、まさか。そんな事ありませんよ」

「そうか、ならば…」

 苦笑いしながらそう言うカムに幾分か溜飲を下げようとするソウゴ。しかし……

「ええ、花だけでなく、虫達にも気を遣いますな。突然出てきた時は焦りますよ。何とか踏まない様に避けますがね」

 カムのその言葉にソウゴの表情が抜け落ちる。幽鬼の様にふらりと玉座を消しながら歩き始めたソウゴに、何か悪い事を言ったかとハウリア族達がオロオロと顔を見合わせた。ソウゴは、そのままゆっくり少年の下に歩み寄ると……眼前の花を踏み潰した。ご丁寧に、踏んだ後グリグリと踏みにじる。

 呆然とした表情で足元を見る少年。漸くソウゴの足が退けられた後には、無残にも原型すら留めていない"お花さん"の残骸が横たわっていた。

「お、お花さぁーん!」

 少年の悲痛な声が樹海に木霊する。「一体何を!」と驚愕の表情でソウゴを見やるハウリア族達に、ソウゴは額に青筋を浮かべたまま誰に向けるでもなく口を開く。

「ああ、よく分かった。よ~く分かったともさ。私が甘かった。私の責任だ。貴様等という種族を見誤った私の落ち度だ。まさか生死がかかった瀬戸際で花だの虫だのに気を遣うとは……戦闘技術や実戦経験以前の問題だ。これは私だけの手に負えんな……」

「ソ、ソウゴ殿?」

 不気味に肩を震わせるソウゴに、ドン引きしながら恐る恐る話しかけるカム。その返答は行動によって示された。

 ソウゴは徐に逢魔剣を抜き、地面に突き刺そうとして……

 

 

「常磐君」

 

 

 突如、今までこの場に存在しなかった者の声が聞こえた。ハウリア族全員が声の方向へ目を向け、そして固まった。そこには、

 

 

 

 ───一人の女性が立っていた。

 

 

 その特徴を一言で言うならば、白。真っ白だ。纏う衣服も、フードから零れた髪も、伏せられた目の睫毛や爪、肌に至るまで、完璧と言っていい程の純白。

 最早一種の美の極致、究極の美術品とすら表現できそうなその女性は、自身に注がれる視線を気にもせずソウゴの隣へと歩を進める。

 

「……白織か。何の用だ」

 

 不機嫌さが隠れもしない声でソウゴに問われても、平然とした様子で"白織"と呼ばれた女性はソウゴに耳打ちをする。

「……! そうか…」

 その途端、ソウゴの機嫌が目に見えて落ち着いた。先程までの噴火寸前の様な不機嫌さが何処へやら、今は薄く笑みまで浮かべている。

「私への要件はそれだけか?」

 ソウゴの問い掛けに白織はコクリと頷く。するとソウゴはハウリア達に目を向け、再度白織に話しかける。

「ならば、この後予定はあるか?」

 白織はまた頷く。

「そうか。ならば少し付き合え」

 それだけ言うと、ソウゴは笑みを消して逢魔剣を地面に突き刺し、その柄に手を翳す。途端、地面に黄金の魔法陣が描かれる。凄まじい雷が迸ると共に、神妙な面持ちでソウゴは目を伏せて詠唱を開始した。

 

「告げる──」

 

 

 

 ───汝の身は我が下に 我が命運は汝の剣に

 ───聖杯の寄る辺に従い

 ───この意 この理に従うならば応えよ

 

 ───誓いを此処に

 

 ───我は常世総ての善と成る者

 ───我は常世総ての悪を敷く者

 

 ───汝三大の言霊を纏う七天

 

 

 

 ソウゴが一字一句唱える度に魔法陣の輝きは増し、その陣は大きく広がる。雷はより荒々しく迸り、ソウゴと陣を中心に強風が吹き始める。平然としているのは術者本人であるソウゴと、その傍らの白織だけだ。

 

 簡略化した物とは言え、何故ソウゴが本来必要無い筈の詠唱を唱えたのかと言えば、それは偏に"礼儀"だからである。例えどの様な時や場であっても、この術を使うならば果たすべき礼を以てその式句を口にする。それがソウゴの矜持なのである。

 そしてソウゴは、万感と魔力を込めて最後の一句を口にした。

 

「───抑止の輪より来たれ天秤の守り手よ!」

 

 言い終えた瞬間、光の柱と竜巻が立ち上がり周囲の耳と目を閉ざす。それらが止めば、いつの間にかソウゴの前に五人の人影があった。

 

 

 顔に拘束具の様な物を被った、灰色の身体を持つ大男。同じく灰色の肌を持ち、髑髏の仮面を被った女。金の兜と赤い外套、最低限の衣類のみを身に付けた筋肉質の男。緑の外套を羽織り、森に溶けてしまいそうな外見の青年。そして先程まで花を愛でていたハウリアの少年と同じ年頃に見える、軍服の男。

 

 

 纏まりの無い外見の五人が、皆一様にソウゴに対して膝をついた。そして五人を代表する様に、筋肉質の男が口を開く。

「我等サーヴァント、召喚に応じ馳せ参じました。…してマスター、如何な御用で? それにこの面子は…」

「レオニダス王、スパルタクス、百貌のハサン、ロビン・フッド、そして早間守人。先ずは此度の召喚に応じてくれた事、感謝する」

 筋肉質の男、レオニダスに答える前に先ずは礼を言うソウゴ。続けて質問にあった召喚理由を説明した。

「今回貴殿等には、そこにいるハウリア族達を鍛えて貰いたい。レオニダス王には肉体を、スパルタクスには精神を、ハサンとロビンには罠を始めとした技術を、早間守人にはその後詰めを頼む。徹底的に叩きのめしてもらって構わん」

 ソウゴの要望に、皆夫々に了承を示す。

「ははははは! 分かりましたぞ、つまり彼等は反逆者ですな!」

「心得た。我が暗殺の真髄、特とお見せしよう」

「まぁ、俺なんかが教えられるか分かんないっすけど、了解です」

「徹底的にやっていいなら任せてくれ、全員一線級の猛者に鍛え上げてやるよ王様」

 その答えにソウゴは頷く。

「任せた。レオニダス王、貴殿に今回の纏め役を頼みたい。よろしいか」

「委細承知致しました。必ずやマスターの期待に応えましょう」

 それらを見届け、ソウゴは白織に話しかけた。

「では白織、貴様も指導役に加われ」

「え」

「急ぎの用は無いのだろう? アリエル殿の事が心配なら通いでも構わん」

「………」

 

 そう言われると、白織は何か言い返すでもなく五人の隣に立った。そしてソウゴはハウリア族達に呼び掛ける。

 

「聞いての通りだ。これよりこの六人が貴様等の指導教官に加わる。我々の言葉には絶対服従、異論反論抗議質問は一切認めん。良いな?」

 困惑するハウリア族達を他所に、ソウゴの決定が樹海に響き渡った。

 

 

 それ以降、樹海の中に"ピー"を入れないといけない用語と思わず耳を塞ぎたくなる異音、ハウリア達の悲鳴と怒号が飛び交い続けた。

 種族の性質的にどうしても戦闘が苦手な兎人族達を変えるために取った訓練方法。戦闘技術は勿論、何より精神性を変える為に行われたこの方法を、地球ではスパルタ式、またはハー○マン式と言うとか言わないとか……。

 

 

 

 そうしてハウリア族が洗脳に近い精神魔改造を受けて樹海の中をのたうち回る事約十日。彼等が訓練しているのとは反対側の樹海の中で、一人のハウリア族が訓練の仕上げに入っていた。

 

 ズガンッ! ドギャッ! バキッバキッバキッ! ドグシャッ!

 

 樹海の中、凄まじい破壊音が響く。野太い樹が幾本も半ばから折られ、地面には隕石でも落下したかの様なクレーターがあちこちに出来上がっており、更には、燃えて炭化した樹や氷漬けになっている樹まであった。

 この多大な自然破壊はたった二人の少女によってもたらされた。そして、その破壊活動は現在進行形で続いている。

 

「でぇやぁああ!!」

 

 裂帛の気合と共に撃ち出されたのは直径一メートル程の樹だ。半ばから折られたそれは豪速を以て目標へと飛翔する。確かな質量と速度が唯の樹に凶悪な破壊力を与え、道中の障害を尽く破壊しながら目標を撃破せんと突き進む。

「……"緋槍"」

 それを正面から迎え撃つのは全てを灰塵に帰す豪炎の槍。巨大な質量を物ともせず触れた端から焼滅させていく。砲弾と化した丸太は相殺され灰となって宙を舞った。

「まだです!」

 "緋槍"と投擲された丸太の衝突が齎した衝撃波で払われた霧の向こう側に影が走ったかと思えば、直後隕石の如く天より丸太が落下し、轟音を響かせながら大地に突き刺さった。バックステップで衝撃波の範囲からも脱出していた目標は再度、火炎の槍を放とうとする。

 

 しかし、そこへ高速で霧から飛び出してきた影が、大地に突き刺さったままの丸太に強烈な飛び蹴りをかました。一体どれ程の威力が込められていたのか、蹴りを受けた丸太は爆発した様に砕け散り、その破片を散弾に変えて目標を襲った。

「ッ! "城炎"」

 飛来した即席の散弾は、突如発生した城壁の名を冠した炎の壁に阻まれ、唯の一発とて目標に届く事は叶わなかった。

 しかし……

 

「もらいましたぁ!」

 

「ッ!」

 その時には既に影が背後に回り込んでいた。即席の散弾を放った後、見事な気配断ちにより再び霧に紛れ奇襲を仕掛けたのだ。大きく振りかぶられたその手には超重量級の大槌が握られており、刹那豪風を伴って振り下ろされた。

「"風壁"」

 大槌により激烈な衝撃が大地を襲い爆ぜさせる。砕かれた石が衝撃で散弾となり四方八方に飛び散った。だが、目標はそんな凄まじい攻撃の直撃を躱すと、余波を風の障壁により吹き散らし、同時に風に乗って安全圏まで一気に後退した。更に技後硬直により死に体となっている相手に対して容赦なく魔術を放つ。

「"凍柩"」

「ふぇ! ちょっ、まっ!」

 相手の魔術に気がついて必死に制止の声をかけるが、聞いてもらえる訳もなく問答無用に発動。襲撃者は大槌を手放して離脱しようとするも、一瞬で発動した氷系魔術が足元から一気に駆け上がり……頭だけ残して全身を氷漬けにされた。

 

「づ、づめたいぃ~、早く解いてくださいよぉ~、ユエさ~ん」

「……私の勝ち」

 

 そう、問答無用で自然破壊を繰り返していたこの二人はユエとシアである。二人は訓練を始めて十日目の今日、最終試験として模擬戦をしていたのだ。内容は、シアがほんの僅かでもユエを傷つけられたら勝利・合格というものだ。その結果は……

「うぅ~、そんな~、って、それ! ユエさんの頬っぺ! キズです! キズ! 私の攻撃当たってますよ! あはは~、やりましたぁ! 私の勝ちですぅ!」

 ユエの頬には確かに小さな傷が付いていた。恐らく最後の石の礫が一つ、ユエの防御を突破したのだろう。本当に僅かな傷ではあるが、一本は一本だ。シアの勝利である。それを指摘して、顔から上だけの状態で大喜びするシア。体が冷えて若干鼻水が出ているが満面の笑みだ。ウサミミが嬉しさでピコピコしている。無理もないだろう。何せ、この戦いには訓練卒業以上にユエとした大切な約束事がかかっていたのだ。

 そして、その約束事はユエにとってあまり面白いものではない。故に、

 

「……傷なんてない」

 

 "自動再生"により傷が直ぐに消えたのをいい事にしらばっくれた。拗ねた様にプイっとそっぽを向く。

「んなっ!? 卑怯ですよ! 確かに傷が……いや、今はないですけどぉ! 確かにあったでしょう! 誤魔化すなんて酷いですよぉ! ていうか、いい加減魔法解いて下さいよぉ~。さっきから寒くて寒くて……あれっ、何か眠くなってきた様な……」

「……魔法じゃなくて魔術」

 先程より鼻水を垂らしながら、うつらうつらとし始めるシア。「寝たら死ぬぞ!」の状態になりつつある。その様子をチラッチラッと見て、深々と溜息を吐くとユエは心底気が進まないと言う様に魔術を解いた。

「ぴくちっ! ぴくちぃ! あうぅ、寒かったですぅ。危うく帰らぬ兎になるところでした」

 可愛らしく特徴的なくしゃみをし、近くの葉っぱでチーン! と鼻をかむと、シアはその瞳に真剣さを宿してユエを見つめた。ユエは、その視線を受けて物凄く嫌そうな表情をする。無表情が崩れる程嫌そうな表情だ。

「ユエさん。私、勝ちました」

「………………ん」

「約束しましたよね?」

「……………………ん」

「もし、十日以内に一度でも勝てたら、……ソウゴさんとユエさんの旅に連れて行ってくれるって。そうですよね?」

「…………………………ん」

「少なくとも、ソウゴさんに頼む時味方してくれるんですよね?」

「……………………………今日のごはん何だっけ?」

「ちょっとぉ! 何いきなり誤魔化してるんですかぁ! しかも誤魔化し方が微妙ですよ! ユエさん、ソウゴさんの血さえあればいいじゃないですか! 何ごはん気にしているんですか! ちゃんと味方して下さいよぉ! ユエさんが味方なら五割方OK貰えるんですからぁ!」

 ぎゃーぎゃーと騒ぐシアに、ユエは心底鬱陶しそうな表情を見せる。

 

 

 シアの言う通り、ユエは彼女と一つの約束をした。それは、シアがユエに対して十日以内に模擬戦にてほんの僅かでも構わないから一撃を加える事。それが出来た場合、シアがソウゴとユエの旅に同行する事をユエが認める事。そしてソウゴに同行を願い出た場合に、ユエはシアの味方をして彼女の同行を一緒に説得する事である。

 

 シアは、本気でソウゴとユエの旅に同行したいと願っている。それは、これ以上家族に負担を掛けたくないという想いが半分、もう半分は単純にソウゴとユエの傍にいたい、もっと二人と仲良くなりたいという想いから出たものだ。

 

 しかし、そのまま同行を願い出てもすげなく断られるのが目に見えている。今までのソウゴやユエの態度からそれは明らかだ。そこでシアが考えたのが、先の約束という名の賭けである。

 シアとしては、ソウゴは何だかんだでユエに甘いという事を見抜いていたので、外堀から埋めてしまおうという思惑があった。何より、シアとて女だ。ユエのソウゴに対する感情は理解している。自分も同じ感情を持っているのだから当然だ。ならば、逆も然り。ユエもシアの感情を理解し同行を快く思わない筈である。だからこそ、まず何としてもユエに対してシア・ハウリアという存在を認めてもらう必要があった。

 

 シアは、何もユエからソウゴの隣を奪いたい訳では無いし、そんな事は微塵も思っていない。ソウゴへの想いとは別に、ユエに対しても近しい存在になりたいと本気で思っているのだ。それは、この世界でも極僅かな"同類"である事が多分に影響しているのだろう。つまり、簡単に言えば"友達"になりたいのだ。想い人が傍にいて、同じ人を想う友も傍にいる。今のシアにとって夢見る未来は、そういう未来なのだ。

 

 

 一方、ユエは何故シアとその様な約束を交わしたのか。ユエ自身には何のメリットも無い約束である。その理由の二割は、やはりシンパシーを感じた事だろう。ライセン大峡谷で初めてシアの話を聞いた時、自分とは異なり比較的に恵まれた環境にある事に複雑な感情を覚えつつも、心のどこかで"同類"という感情が湧き上がった事は否定出来ない。僅かなりとも仲間意識を抱いた事が、シアに対する"甘さ"を齎した。

 

 そして、八割の理由は……女の意地だ。シアとの約束をユエはこう捉えていた。即ち「私が邪魔なら実力で排除してみて下さい。出来なかったら私がソウゴさんの傍にいる事を認めて下さい」と。

 

 惚れた男をかけて勝負を挑まれたのだ。これがその辺の女ならどうとも思わなかっただろう。だが、シアは曲がりなりにも"同類"と思ってしまった相手であり、凄まじい集中力と鬼気迫る意気込みで鍛錬に励む姿に、その想いの深さを突きつけられ黙ってはいられなくなったのだ。

 

 

 そして、約束をかけた勝負の結果がシアの勝利だったのである。

 

 

「……はぁ。わかった。約束は守る……」

「ホントですか!? やっぱりや~めたぁとか無しですよぉ! ちゃんと援護して下さいよ!」

「………………………ん」

「何だかその異様に長い間が気になりますが、……ホント、お願いしますよ?」

「……しつこい」

 渋々、ほんっと~に渋々といった感じでユエがシアの勝ちを認める。シアはユエの返事に多少の不安は残しつつも、ソウゴ同様に約束を反故にする事は無いだろうと安心と喜びの表情を浮かべた。

 

 そろそろ、ソウゴのハウリア族への今日の訓練が一段落着く頃だ。不機嫌そうなユエと上機嫌なシアは二人並んでソウゴ達がいるであろう場所へ向かうのだった。

 

 

 

 ユエとシアがソウゴの下へ到着した時、ソウゴは白織と話をしていた。二三言やり取りをすると、白織が踵を返して樹海の奥に戻っていった。

 その後ろ姿を見てユエもシアも足を止める。ソウゴの傍に見知らぬ女が立っていた事に嫉妬を感じた、というのもあるがそれ以上に、思わず魂まで凍り付く程の恐怖を感じたからだ。

 

 ソウゴの放つ威圧感とはまた違う別種の気迫を感じる。ソウゴのそれが頂が見えない程の途轍もない泰山、または決して手の届かない天上に輝く銀河の様なものだとすれば、白織のそれは決して底の見えない深淵の闇、あらゆる光を飲み込むブラックホールの様なものと言おうか。今の自分達では到底届き得ない境地の存在であると、二人は即座に理解した。

 

「二人共来ていたか」

 そんな二人の存在に気付いたのか、ソウゴは声を掛けて歩み寄る。親しそうにしていたのが気になり、ユエが代表してソウゴに質問する。

「……ソウゴ様、今の女は?」

「白織の事か? 偶然こちらに来たのでな、ハウリア族の指導役を任せている」

「あの、どの様な関係で?」

 恐る恐るシアも訊ね、その内容にユエがブンブン頷く。ユエとしては、もしや彼女が以前言っていたソウゴの妻ではないかと思っているのだ。

「まぁ、ちょっとした知人だ。かつて奴の祖母が率いていた軍で客将として世話になった事があってな、奴も将の一人として共に戦場を駆けた。以来それなりに長い付き合いだ」

 一先ずユエの心配していた様な関係では無かったが、それでも疑問は尽きない。ユエが続けて質問する。

「……どんな人? ……何もしてなかったのに、凄い力を感じた」

 ユエの感想に、ソウゴは悪戯が成功した悪童の様に笑う。二人にとってはソウゴがそんな表情をするのが意外に感じたが、ソウゴはそんな二人を気にせず話した。

 

「それはそうだろうな。外見こそ華奢で弱々しいが、実際は歴戦の龍殺しであり、幾つもの世界を滅ぼしたれっきとした神の一柱だからな。実力は折り紙付きだ」

 

 ソウゴに説明され、二人は自分達の感じたものが本物だと納得した。凡そ人間とは思えなかったが、まさか正真正銘の神だったとは。

「それに、奴は極めて優秀な育成者でもある。貧弱なハウリア族を鍛えるにはうってつけだ」

「そうなんですか?」

「手心を加えないという意味でな。何せ生後数ヶ月の赤子を糸で操って無理矢理鍛えさせる程だからな」

 その言葉に、ユエですら血の気が引いた。シアはウサミミを押さえて蹲る。

 そんな二人に、今度はソウゴから声を掛ける。

「それよりだ。見事だったぞシア。何を賭けたか知らんが、ユエに一矢報いるとはな」

 

 ソウゴも、二人が何かを賭けて勝負している事は聞き及んでいる。シアの為に超重量の大槌を用意したのは他ならぬソウゴだ。シアが真剣な表情で、ユエに勝ちたい、武器が欲しいと頼み込んできたのは記憶に新しい。ユエ自身も特に反対しなかった事から、何を賭けているのかまでは知らなかったし、そこにさして興味も無かったが、双方の今後の為になるだろうと造ってやったのだ。

 

 実際、ソウゴはユエとシアが戦っても十中八九、ユエが勝つと考えていた。奈落の底でユエの実力は十二分に把握している。いくら魔力の直接操作が出来るといっても、今まで平和に浸かってきたシアとは地力が違うのだ。

 だがしかし、決してゼロではない勝利の可能性をシアが掴むかもと、ソウゴは万里眼で以てこの十日間二人の勝負を見ていた。そして今日、シアは取り決められたルールの下、確かに勝利を掴んだのだ。

 

 ソウゴの称賛を受け、蹲って顔を青褪めさせていたのが嘘の様に喜色満面になる。

「そうなんですよソウゴさん! 私、遂にユエさんに勝ちましたよ! 大勝利ですよ! いや~、見ていてくれたんですね、私の華麗な戦いぶりを! 負けたと知った時のユエさんたらもへぶっ!?」

 身振り手振り大はしゃぎという様相で戦いの顛末を語るシア。調子に乗りすぎて、ユエのジャンピングビンタを食らい錐揉みしながら吹き飛びドシャと音を立てて地面に倒れ込んだ。余程強烈だったのかピクピクとして起き上がる気配が無い。

 フンッと鼻を鳴らし更に不機嫌そうにそっぽを向くユエに、ソウゴが苦笑いしながらシアを評価する。

「魔術の適性こそ無きに等しいが、身体強化は中々のものだ。ステータスで表すなら、最大で六千程か?」

「……ん、大体は」

 ソウゴの予想にユエは頷く。

 

 それは本気で強化した勇者の二倍の力を持っているという事でもある。この世界基準で正に"化物レベル"と言うに相応しい力だ。曲がりになりもユエに土をつける事が出来た訳である。泣きべそをかきながら頬をさすっている姿からは、とても想像出来ない。

 

 シアは、ソウゴが面白半分の面持ちで眺めている事に気がつくと。いそいそと立ち上がり、急く気持ちを必死に抑えながら真剣な表情でソウゴの下へ歩み寄った。背筋を伸ばし、青みがかった白髪を靡かせ、ウサミミをピンッと立てる。これから一世一代の頼み事をするのだ。いや……寧ろ告白と言っていいだろう。緊張に体が震え、表情が強ばるが、不退転の意志を瞳に宿し、一歩一歩前に進む。そして訝しむソウゴの眼前にやって来るとしっかり視線を合わせて想いを告げた。

 

「ソウゴさん。私をあなたの旅に連れて行って下さい。お願いします!」

「よかろう」

「即答!?」

 

 まさか今の雰囲気で、悩む素振りも見せず即行とは思っていなかったシアは、驚愕の面持ちで目を見開いた。その瞳には、「何を驚いている?」という目でシアを見るソウゴの姿が映っている。

 シアは憤慨した。もうちょっと真剣に取り合ってくれてもいいでしょ! と。

「ひ、酷いですよ、ソウゴさん。こんなに真剣に頼み込んでいるのに、それをあっさり……」

「連れて行くと言ったのだからいいだろう。それはそれとして、カム達はどうするつもりだ? まさか、全員連れて行けと言わないだろうな?」

「ち、違いますよ! 今のは私だけの話です! 父様達には修行が始まる前に話をしました。一族の迷惑になるからってだけじゃ認めないけど……その……」

「その? なんだ?」

 何やら急にモジモジし始めるシア。指先をツンツンしながら頬を染めて上目遣いでソウゴをチラチラと見る。あざとい。実にあざとい仕草だ。ソウゴが先を促す様な急かす目でシアを見る。傍らのユエがイラッとした表情で横目にシアを睨んでいる。

「その……私自身が、付いて行きたいと本気で思っているなら構わないって……」

「そこだ。何より、何故付いて来たいのか。それを話せ」

「で、ですからぁ、それは、そのぉ……」

「……」

 モジモジしたまま中々答えないシアにいい加減気が変わったのか、ソウゴはやはり駄目だと言いかける。それを察したのかどうかは分からないが、シアが女は度胸! と言わんばかりに声を張り上げた。思いの丈を乗せて。

 

「ソウゴさんの傍に居たいからですぅ! しゅきなのでぇ!」

 

「……は?」

 言っちゃった、そして噛んじゃった! と、あわあわしているシアを前に、ソウゴは眉を顰め、口の端を引き攣らせながらユエに視線で問いかける。「説明しなかったのか」と。ユエはすかさず明後日の方向を向いて誤魔化す。それを見て頭を抱えながら、ソウゴは口を開く。

「一体何処に惚れる要素があった。自分で言うのも何だが、貴様に対してはかなり雑な扱いだったと思うんだが……」

 ソウゴの言葉にシアが猛然と抗議する。

「雑だと自覚があったのならもう少し優しくしてくれてもいいじゃないですか!」

「いや、何故貴様に優しくする必要がある。……そもそも本当に好きなのか? 状況に釣られてやしないか?」

 

 ソウゴは、未だシアの好意が信じられないのか、いわゆる吊り橋効果を疑った。今までのソウゴのシアに対する態度は誰がどう見ても雑だったので無理もないかもしれない。だが、自分の気持ちを疑われてシアはすこぶる不機嫌だ。

 

「状況が全く関係ないとは言いません。窮地を何度も救われて、同じ体質で……長老方に啖呵切って私との約束を守ってくれたときは本当に嬉しかったですし……ただ、状況が関係あろうとなかろうと、もうそういう気持ちを持ってしまったんだから仕方ないじゃないですか。私だって時々思いますよ。どうしてこの人なんだろうって。それでも! ちゃんと好きですから連れて行って下さい!」

 シアの告白を受け、ソウゴは頭痛が酷くなっていくのを感じながら返答する。

「あのなぁ、貴様の気持ちは……まぁ、本当だとして。……ユエが伝えなかったらしいからこの場で言うが、私は既に結婚しているのだぞ。この様に指輪もあるだろう?」

「……え?」

「何なら子供もいるぞ。末の娘は貴様と同じ年頃だ」

 ソウゴの言葉を受け、暫くフリーズするシア。これは諦めるか? と思ったソウゴだったが、次の瞬間には立ち直ったのか、シアは毅然とした表情で言い放つ。

「それでも構いません! 許可を得たのは間違いありませんから、付いていかせてもらいます!」

ソウゴはその言葉に頭を掻いて一度深々と息を吐くと、シアとしっかり目を合わせて「一応確認するぞ」と一言一言確かめるように言葉を紡ぐ。シアも静かに、言葉に力を込めて返した。

 

「付いて来たって応えてはやらんぞ?」

「知らないんですか? 未来は絶対じゃあないんですよ?」

 それは、未来を垣間見れるシアだからこその言葉。未来は覚悟と行動で変えられると信じている。

「危険だらけの旅だ」

「化物でよかったです。御蔭で貴方について行けます」

 

 長老方にも言われた蔑称。しかし、今はむしろ誇りだ。化物でなければ為す事の出来ない事があると知ったから。

「…わかった、確認は終わりだ。ではシア・ハウリアよ、改めて我が臣下として同行を許そう」

 その声と共に、樹海の中に一つの歓声と不機嫌そうな鼻を鳴らす音が響く。その様子にソウゴは、色んな意味でこの先も退屈しなさそうだと苦笑いするのだった。

 

 

「えへへ、うへへへ、くふふふ~」

 同行を許されて上機嫌のシアは、奇怪な笑い声を発しながら緩みっぱなしの頬に両手を当ててクネクネと身を捩らせてた。それは、ソウゴと問答した時の真剣な表情が嘘の様に残念な姿だった。

「……キモイ」

 見かねたユエがボソリと呟く。シアの優秀なウサミミは、その呟きをしっかりと捉えた。

「……ちょっ、キモイって何ですかキモイって! 嬉しいんだからしょうがないじゃないですかぁ。私、思わず胸がキュンとなりましたよ~、これは私にメロメロになる日も遠くないですねぇ~」

 シアは調子に乗っている。それはもう乗りに乗っている。そんなシアに向かってユエはうんざりしながら呟いた。

「……ウザウサギ」

「んなっ!? 何ですかウザウサギって! いい加減名前で呼んでくださいよぉ~、旅の仲間ですよぉ~、まさか、この先もまともに名前を呼ぶつもりが無いとかじゃあないですよね? ねっ?」

「……」

「何で黙るんですかっ? ちょっと、目を逸らさないで下さいぃ~。ほらほらっ、シアですよ、シ・ア。りぴーとあふたみー、シ・ア」

 

 必死に名前を呼ばせようと奮闘するシアを尻目に今後の予定について話し合いを始めるソウゴとユエ。それに「無視しないでぇ~、仲間はずれは嫌ですぅ~」と涙目で縋り付くシア。旅の仲間となっても扱いの雑さは変わらない様だった。

 

 

 その後、シアがソウゴの直接指導で格闘術を始めとした近接武器の扱いを一通り覚えたり、それを羨んだユエがソウゴに魔術指導を受けたり、ソウゴが「少し私用で留守にする」と言って一週間程姿を消したり、ソウゴの命で長老達に集められた三つの種族の大粛清が行われたりして、長い様で短い四ヶ月が過ぎていった。

 

 

 そしてハウリア大改造の最終日。霧をかき分け、数人のハウリア族がソウゴと指導教官達に課された課題をクリアした様で魔物の討伐を証明する部位を片手に戻ってきた。よく見れば、その内の一人はカムだ。その後ろから白織も歩いてくる(因みに、ソウゴが召喚したサーヴァント達は役目を終え座に還っている)。

 

 シアは久しぶりに再会した家族に頬を綻ばせる。本格的に修行が始まる前、気持ちを打ち明けた時を最後として会っていなかったのだ。この四ヶ月、文字通り死に物狂いで行った修行は、日々の密度を途轍も無く濃いものとした。その為シアの体感的には、もう何年も会っていない様な気がしたのだ。

 

 早速、父親であるカムに話しかけようとするシア。報告したい事が山程あるのだ。しかし、シアは話しかける寸前で発しようとした言葉を呑み込んだ。カム達が発する雰囲気が何だかおかしい事に気がついたからだ。

 歩み寄ってきたカムはシアを一瞥すると僅かに笑みを浮かべただけで、直ぐに視線をソウゴに戻した。そして……

 

「陛下。お題の魔物、きっちり狩って来やしたぜ?」

 

「へ、陛下? と、父様? 何だか口調が……というか雰囲気が……」

 父親の言動に戸惑いの声を発するシアをさらりと無視して、カム達は、この樹海に生息する魔物の中でも上位に位置する魔物の牙やら爪やらをバラバラと取り出した。

「私は一体でいいと言った筈だが?」

 ソウゴの課した訓練卒業の課題は上位の魔物を一チーム一体狩ってくる事だ。しかし、眼前の剥ぎ取られた魔物の部位を見る限り、優に十体分はある。ソウゴの言葉に対し、カム達は不敵な笑みを持って答えた。

「えぇそうなんですがね、殺っている途中でお仲間がわらわら出てきやして……生意気にも殺意を向けてきやがったので丁重にお出迎えしてやったんですよ。なぁ皆?」

 

「そうなんですよ陛下。こいつら魔物の分際で生意気な奴らでした」

「きっちり落とし前はつけましたよ。一体たりとも逃してませんぜ?」

「ウザイ奴らだったけど……いい声で鳴いたわね、ふふ」

「見せしめに晒しとけばよかったか……」

「まぁ、バラバラに刻んでやったんだ、それで良しとしとこうぜ?」

 

 不穏な発言のオンパレードだった。全員、元の温和で平和的な兎人族の面影が微塵もない。ギラついた目と不敵な笑みを浮かべたままソウゴに物騒な戦闘報告をする。

 それを呆然と見ていたシアは一言、

 

「……誰?」

 

 まるで別人の様な言動と雰囲気を発する家族の変わり様に呆然としていたシアは、しかしハッと我に返ると十中八九元凶であるソウゴに詰め寄った。

「ど、どういう事ですか!? ソウゴさん! 父様達に一体何がっ!?」

「どういう事も何も、訓練の賜物だが?」

「いやいや、何をどうすればこんな有様になるんですかっ!? 完全に別人じゃないですかっ!」

「それに何の問題がある? 野垂れ死ぬよりマシだろう」

「貴方の目は節穴ですかっ! 見て下さい。彼なんて、さっきからナイフを見つめたままウットリしているじゃないですか! あっ、今、ナイフにジュリアって呼びかけた! ナイフに名前つけて愛でてますよっ! 普通に怖いですぅ~」

 

 樹海にシアの焦燥に満ちた怒声が響く。一体どうしたんだ? と分かってなさそうな表情でシアとソウゴのやり取りを見ているカム達。先程のやり取りから更に他のハウリア族も戻って来たのだが、その全員が……何というか……ワイルドになっている。男衆だけでなく女子供、果ては老人まで。

 シアは、そんな変わり果てた家族を指差しながらソウゴに凄まじい勢いで事情説明を迫っていた。ソウゴはと言うと、「強くなったならば結構だろう?」と言って取り合うつもりも無さそうだ。

 埒があかないと判断したのか、シアの矛先がカム達に向かった。

「父様! 皆! 一体何があったのです!? まるで別人ではないですか! さっきから口を開けば恐ろしい事ばかり……正気に戻って下さい!」

 縋り付かんばかりのシアに、カムはギラついた表情を緩め前の温厚そうな表情に戻った。それに少し安心するシア。

 だが……

 

「何を言っているんだシア? 私達は正気だ。ただこの世の真理に目覚めただけさ、陛下のお陰でな」

「し、真理? 何ですか、それは?」

 嫌な予感に頬を引き攣らせながら尋ねるシアに、カムはにっこりと微笑むと胸を張って自信に満ちた様子で宣言した。

 

「この世の問題の九割は、暴力で解決出来る」

 

「やっぱり別人ですぅ~! 優しかった父様は、もう死んでしまったんですぅ~、うわぁ~ん」

 ショックのあまり、泣きべそを掻きながら踵を返し樹海の中に消えていこうとするシア。しかし、霧に紛れる寸前で小さな影とぶつかり「はうぅ」と情けない声を上げながら尻餅をついた。

 小さな影の方は咄嗟にバランスをとったのか転倒せずに持ちこたえ、倒れたシアに手を差し出した。

「あっ、ありがとうございます」

「いや、気にしないでくれ、シアの姐御。男として当然の事をしたまでさ」

「あ、姐御?」

 霧の奥から現れたのは未だ子供と言っていいハウリア族の少年だった。その肩には大型のクロスボウが担がれており、腰には二本のナイフとスリングショットらしき武器が装着されている。随分ニヒルな笑みを見せる少年だった。シアは、未だ嘗て"姉御"等という呼ばれ方はした事が無い上、目の前の少年は確か自分の事を"シアお姉ちゃん"と呼んでいた事から戸惑いの表情を浮かべる。

 するとハウリア達の合間を縫う様に白織がソウゴに歩み寄る。

「あぁ白織、面倒をかけた。アリエル殿に宜しく伝えておいてくれ」

 それで彼女が言わんとする事を察したのか、ソウゴがそう言うと白織はコクンと頷いて一瞬で姿を消した。

 そして自分の言葉を待つ様に立っているハウリア達を見て、ソウゴは咳払い一つして言葉を伝えた。

「聞け! 勇猛果敢な戦士ハウリア族! 今日を以て、貴様達は虫螻蛄を卒業する! 貴様達はもう淘汰されるだけの無価値な存在ではない! 力を以て理不尽を粉砕し、知恵を以て敵意を捩じ伏せる最高の戦士だ!」

 

『『『『Sir yes sir!!』』』』

 

「答えろ! 諸君! 最強最高の戦士諸君! お前達の望みはなんだ!」

 

『『『『殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!』』』』

 

「お前達の特技は何だ!」

 

『『『『殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!』』』』

 

「敵はどうする!」

 

『『『『殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!』』』』

 

「そうだ! 殺せ! お前達にはそれが出来る! 自らの手で生存の権利を獲得しろ!」

 

『『『『Aye aye Sir!!』』』』

 

「いい気迫だ! ではハウリア族諸君、私からの最初の命令だ! 大樹へ出向き、迷宮を踏破する! 征くぞ!!」

 

『『『『YAHAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』』』』

 

「うわぁ~ん、やっぱり私の家族は皆死んでしまったですぅ~」

 ソウゴの号令に凄まじい気迫を以て返し、霧の中へ消えていくハウリア族達。温厚で平和的、争いが何より苦手……そんな種族いたっけ? と言わんばかりだ。変わり果てた家族を再度目の当たりにし、崩れ落ちるシアの泣き声が虚しく樹海に木霊する。流石に見かねたのかユエがポンポンとシアの頭を慰める様に撫でている。

 しくしく、めそめそと泣くシアの隣を少年が駆け抜けようとして、シアは咄嗟に呼び止めた。

「パル君! 待って下さい! ほ、ほら、ここに綺麗なお花さんがありますよ? 君まで行かなくても……お姉ちゃんとここで待っていませんか? ね、そうしましょ?」

 どうやら、まだ幼い少年だけでも元の道に連れ戻そうとしているらしい。傍に咲いている綺麗な花を指差して必死に説得している。何故、花で釣っているのか。それは、この少年がかつてのお花が大好きな「お花さ~ん!」の少年だからである。

 

 シアの呼び掛けに律儀に立ち止まったお花の少年──基パル少年は、「ふぅ~」と息を吐くとやれやれだぜと言わんばかりに肩を竦めた。まるで、旧欧米人の様なオーバーリアクションだ。

「姐御、あんまり古傷を抉らねぇでくだせぇ。俺は既に過去を捨てた身。花を愛でる様な軟弱な心は、もう持ち合わせちゃいません」

 因みに、パル少年は今年十一歳だ。

「ふ、古傷? 過去を捨てた? えっと、よくわかりませんが、もうお花は好きじゃなくなったんですか?」

「ええ、過去と一緒に捨てちまいましたよ、そんな気持ちは」

「そんな、あんなに大好きだったのに……」

「ふっ、若さ故の過ちってやつでさぁ」

 繰り返すが、パル君は今年十一歳だ。

「それより姐御」

「な、何ですか?」

 「シアお姉ちゃん、シアお姉ちゃん」と慕ってくれて、時々お花を摘んで来たりもしてくれた少年の変わり様に、意識が自然と現実逃避を始めそうになるシア。パル少年の呼び掛けに辛うじて返答する。しかし、それは更なる追撃の合図でしかなかった。

「俺は過去と一緒に前の軟弱な名前も捨てました。今はバルトフェルドです。"必滅のバルトフェルド"、これからはそう呼んでくだせぇ」

「誰!? バルトフェルドってどっから出てきたのです!? ていうか必滅ってなに!?」

「おっと、すいやせん。仲間が待ってるのでもう行きます。では!」

「あ、こらっ! 何が"ではっ!"ですか! まだ話は終わって……って速っ! 待って! 待ってくださいぃ~」

 恋人に捨てられた女の如く、崩れ落ちたまま霧の向こう側に向かって手を伸ばすシア。答えるものは誰もおらず、彼女の家族は皆、猛々しく戦場に向かってしまった。ガックリと項垂れ、再びシクシクと泣き始めたシア。既に彼女の知る家族はいない。実に哀れを誘う姿だった。

 

 そんなシアを気にした様子も無く、ユエはソウゴに質問する。

「……さっきのは何? 白織様、突然消えた……」

「奴も様付けか…。白織は空間魔法の使い手でな、空間転移で別の世界に渡る事が出来る」

「……あれが本当の"魔法"……」

 そんな説明をしつつ、ソウゴもユエとシアを伴って大樹へ向かった。

 

 

 

 それから数時間後、カム達の先導を受けて深い霧の中をソウゴ達一行は大樹に向かって歩みを進めていた。先頭をカムに任せ、これも訓練とハウリア達は周囲に散らばって索敵をしている。油断大敵を骨身に刻まれているので、全員その表情は真剣そのものである。

 その間のユエとシアの和気藹々と雑談をBGMに進む事十五分。一行は遂に大樹の下へ辿り着いた。大樹を見たソウゴの第一声は、

 

「……なんだこれは」

 

 という驚き半分、疑問半分といった感じのものだった。ユエも、予想が外れたのか微妙な表情だ。二人は大樹について、フェアベルゲンで見た木々のスケールが大きいバージョンを想像していたのである。つまり、荘厳で威容に満ちた姿だ。

 

 

 しかし、実際の大樹は……見事に枯れていたのだ。

 

 

 大きさに関しては想像通り、否、想像を越して途轍もない。直径は目算では測り難い程大きいが、直径五十メートルはあるのではないだろうか。明らかに周囲の木々とは異なる異様だ。周りの木々が青々とした葉を盛大に広げているのにもかかわらず、大樹だけが枯れ木となっているのである。

「大樹は、フェアベルゲン建国前から枯れているそうです。しかし、朽ちる事は無い。枯れたまま変化無く、ずっとあるそうです。周囲の霧の性質と大樹の枯れながらも朽ちないという点からいつしか神聖視される様になりました。まぁそれだけなので、言ってみれば観光名所みたいなものですが……」

 ソウゴとユエの疑問顔にカムが解説を入れる。それを聞きながらソウゴは大樹の根元まで歩み寄った。そこには、アルフレリックが言っていた通り石板が建てられていた。

「これは……オルクスの扉の……」

「……ん、同じ文様」

 石版には七角形とその頂点の位置に七つの文様が刻まれていた。オルクスの部屋の扉に刻まれていたものと全く同じものだ。ソウゴは確認の為、オルクスの指輪を取り出す。指輪の文様と石版に刻まれた文様の一つはやはり同じ物だった。

「やはり、ここが大迷宮の入口みたいだな。……だが、ここからどうすればいい?」

 ソウゴは大樹に近寄ってその幹を軽く叩いてみたりするが、当然変化等ある筈も無く、カム達に何か知らないか聞くが返答はNOだ。アルフレリックにも口伝は聞いているが、入口に関する口伝はなかった。隠していた可能性も無い訳ではないから、これは最早強硬手段に出るべきか? と悩み始めるソウゴ。

 その時、石板を観察していたユエが声を上げる。

 

「ソウゴ様……これ見て」

「何かあったか?」

 

 ユエが注目していたのは石板の裏側だった。そこには、表の七つの文様に対応する様に小さな窪みが開いていた。

「これは……」

 ソウゴが、手に持っているオルクスの指輪を表のオルクスの文様に対応している窪みに嵌めてみる。

 すると……石板が淡く輝きだした。

 何事かと、周囲を見張っていたハウリア族も集まってきた。暫く、輝く石板を見ていると次第に光が収まり、代わりに何やら文字が浮き出始める。そこにはこう書かれていた。

 

 ───四つの証

 ───再生の力

 ───紡がれた絆の道標

 ───全てを有する者に新たな試練の道は開かれるだろう

 

「……どういう意味だ?」

「……四つの証は……たぶん、他の迷宮の証?」

「……再生の力と、紡がれた絆の道標は?」

 疑問の減らないソウゴにシアが答える。

「う~ん、紡がれた絆の道標は、あれじゃないですか? 亜人の案内人を得られるかどうか。亜人は基本的に樹海から出ませんし、ソウゴさん達みたいに、亜人に樹海を案内して貰える事なんて例外中の例外ですし」

「……成程、それらしいな」

「……あとは再生……私?」

 ユエが自分の固有魔術"自動再生"を連想し自分を指差す。試しにと薄く指を切って、"自動再生"を発動しながら石板や大樹に触ってみるが……特に変化は無い。

「むぅ……違うみたい」

「……。枯れ木に、再生の力、最低四つの証……。もしや四つの証、つまり七大迷宮の半分を攻略した上で、再生に関する神代魔術を手に入れねばならんという事か?」

 目の前の枯れている樹を再生する必要があるのでは? と推測するソウゴ。ユエも、そうかもと納得顔をする。

「要は、今すぐ攻略は無理という事か……。面倒だが他の迷宮から当たるしかないな……」

「ん……」

 

 ここまで来て後回しにしなければならない事に、ソウゴは嘆息する。ユエも残念そうだ。しかし大迷宮への入り方が見当もつかない上で明確に決められている以上、ぐだぐだと悩んでいても仕方ない。急いでいる訳でも無いので、気持ちを切り替えて先に三つの証を手に入れる事にする。

 ソウゴはハウリア族に号令をかけた。

「今聞いた通り、私達は先に他の大迷宮の攻略を目指す事にする。大樹の下へ案内するまで守るという約束もこれで完了した。貴様達なら、もうフェアベルゲンの庇護がなくてもこの樹海で十分に生きていけるだろう。よって、只今を以てここで別れる」

 そして、チラリとシアを見る。その瞳には、別れの言葉を残すなら今しておけという意図が含まれているのを、シアは正確に読み取った。いずれ戻ってくるとしても、三つもの大迷宮の攻略となれば、それなりに時間がかかるだろう。当分は家族とも会えなくなる。

 シアは頷き、カム達に話しかけようと一歩前に出た。

 

「父さ「陛下! お話があります!」……あれぇ、父様? 今は私のターンでは…」

 

 シアの呼びかけをさらりと無視してカムが一歩前に出た。ビシッと直立不動の姿勢だ。横で「父様? ちょっと、父様?」とシアが声をかけるが、まるで英域近衛兵の様に真っ直ぐ前を向いたまま見向きもしない。

「何だ?」

 取り敢えず「父様? 父様?」と呼びかけているシアは無視する方向で、ソウゴはカムに聞き返した。カムは、シアの姿など見えていないと言う様に無視しながら、意を決してハウリア族の総意を伝える。

「陛下、我々も陛下のお供に付いていかせて下さい!」

「えっ! 父様達もソウゴさんに付いて行くんですか!?」

 カムの言葉に驚愕を表にするシア。四ヶ月前の話し合いでは、自分を送り出す雰囲気だったのにどうしたのです!? と声を上げる。

 

「我々は最早ハウリアであってハウリアで無し! 陛下の部下であります! 是非お供に! これは一族の総意であります!」

「ちょっと、父様! 私、そんなの聞いてませんよ! ていうか、これで許可されちゃったら私の苦労は何だったのかと……」

「ぶっちゃけ、シアが羨ましいであります!」

「ぶっちゃけちゃった! ぶっちゃけちゃいましたよ! ホント、この四ヶ月間の間に何があったんですかっ!」

 

 カムが一族の総意を声高に叫び、シアがツッコミつつ話しかけるが無視される。何だ、この状況? と思いつつ、ソウゴはきっちり返答した。

「駄目だ」

「何故です!?」

 ソウゴの実にあっさりした返答に身を乗り出して理由を問い詰めるカム。他のハウリア族もジリジリとソウゴに迫る。

「貴様等にこの地を任せたいからだ」

 

「何ですとっ!?」

 

 突然の発言にどよめくハウリア達。それを手で制し、ソウゴは続ける。

「このフェアベルゲンは、既に我が領土である。貴様等以外の亜人族が住んでいようと、この地は私の所有物であり、統治者は私である。それは決定事項だ、違うかカム?」

「いえ、仰る通りでございます!」

 カムの肯定に、ソウゴも頷きを返す。

「だがこの通り、私はフェアベルゲンに留まる訳にはいかん。ならばこそ、私が居らずともこの地を守護し統治する存在が必要だ。それを任せられるのはこの地に造詣が深く、私への忠義と実力を兼ね備えた者でなくてはならん。よいか? これは私が貴様等を信頼し、フェアベルゲン最強と見込んでの任命なのだ」

「そんな! 勿体なきお言葉で御座います!」

 ソウゴの思わぬ高評価に、涙を浮かべ声を震わせるカム。後ろのハウリア達は耐えきれなかったのか、既に零れている者もいる。

「謙遜は美しい行為だが、過度にすれば評価者を貶めると心得よ。…さて。ではカムよ、この世界における我が第一の将よ。フェアベルゲン守護の任、引き受けてくれるな?」

 ソウゴの言葉を受け、カム達は涙を拭いながら膝をついて受け入れた。

 

『『『『我等ハウリア族一同、謹んで拝命致します!!!!!』』』』

 

 その宣言と共に、樹海にハウリア達の歓喜の雄叫びが響き渡った。

 

 

 

「ぐすっ、誰も見向きもしてくれない……旅立ちの日なのに……」

 

 傍でシアが地面にのの字を書いていじけているが、やはり誰も気にしなかった。

 

 

 

 樹海の境界でカム達の見送りを受けたソウゴ、ユエ、シアは再びストライカーに乗り込んで平原を疾走していた。位置取りはユエ、ソウゴ、シアの順番である。以前、ライセン大峡谷の谷底で乗せた時よりシアの密着度が増している気がするが、特に気にせず運転するソウゴ。

 

 疾走感とウサミミをパタパタと弄ぶ風に、気持ちよさそうに目を細めていたシアが肩越しに質問する。

「ソウゴさん。そう言えば聞いていませんでしたが目的地は何処ですか? やっぱりグリューエンの大火山ですか?」

「そういえば言ってなかったか?」

「聞いてませんよ!」

「……私は知っている」

 得意気なユエに、むっと唸り抗議の声を上げるシア。

「わ、私だって仲間なんですから、そういうことは教えて下さいよ! コミュニケーションは大事ですよ!」

「そう騒がずとも教える。次の目的地はライセン大峡谷だ」

「ライセン大峡谷?」

 

 ソウゴの告げた目的地に疑問の表情を浮かべるシア。現在確認されている七大迷宮は【ハルツィナ樹海】を除けば、【グリューエン大砂漠の大火山】と【オルクス大迷宮】である。オルクスは攻略済みなので、自然次の目的地は【大火山】だろうと思ったのだ。その疑問を察したのかソウゴが意図を話す。

 

「一応、ライセンも七大迷宮があると言われているからな。どうせ【大火山】を目指して西大陸に行くなら、東西に伸びるライセンを通りながら行けば、途中で迷宮が見つかるかもしれないだろう?」

「つ、序でライセン大峡谷を渡るのですか……」

 思わず頬が引き攣るシア。ライセン大峡谷は地獄にして処刑場というのが一般的な認識であり、つい最近一族が全滅しかけた場所でもある為、そんな場所をソウゴ達が唯の街道と一緒くたに考えている事に少しばかり動揺する。

 ソウゴは密着しているせいかシアの動揺が手に取る様に解り、呆れた表情をした。

「少しは自分の力を自覚せよ。今の貴様は谷底の魔物もその辺の魔物も変わらんよ。ライセンは放出された魔力を分解する場所だぞ? 身体強化に特化した貴様なら何の影響も受けずに十全に動けるのだ、寧ろ独壇場だろうが」

「……師として情けない」

「うぅ~、面目無いですぅ」

 ユエにも呆れた視線を向けられ目を泳がせるシア。話題を逸らそうとする。

「で、では、ライセン大峡谷に行くとして、今日は野営ですか? それともこのまま、近場の村か町に行きますか?」

「今後の為にもそろそろこの世界の通貨が欲しい、素材を換金できるらしいから町に向かう。前に見た地図通りなら、この方角に町があった筈だ」

 ソウゴとしては、そろそろ真面な料理を食べようと思っていたところだ。

 

 普段から執務に追われるソウゴは、この手の旅等に措いて所謂定番やら雰囲気やら、──要はテンプレを大事にする傾向にある。ソウゴが今まで特に調理等せず火を通すだけで食べていたのは、その方が"それっぽい"からだ。

 だが旅のお供、それも年頃の少女が増えたとなれば、そろそろちゃんとした料理を口にする頃合いかと判断したのだ。それに訪れた旅先で、その地の特産を食べるというのも旅の定番である。

 

 それに今後、町で買い物なり宿泊なりするなら金銭が必要になる。素材だけなら腐る程持っているので換金してお金に替えておきたかった。それにもう一つ、ライセン大峡谷に入る前に落ち着いた場所でやっておきたい事もあったのだ。

 

 

「はぁ~そうですか……よかったです」

 

 ソウゴの言葉に、何故か安堵の表情を見せるシア。ソウゴが訝しそうに「どうした?」と聞き返す。

「いやぁ~ソウゴさんの事だから、ライセン大峡谷でも魔物の肉をバリボリ食べて満足しちゃうんじゃないかと思ってまして……ユエさんはソウゴさんの血があれば問題ありませんし……どうやって私用の食料を調達してもらえる様に説得するか考えていたんですよぉ~、杞憂でよかったです。ソウゴさんも真面な料理食べるんですね!」

「誰が好き好んで魔物なんぞ食べる。……シア、貴様は私を何だと思ってるんだ?」

「プレデターという名の新種の魔物?」

「そうか、なら貴様から食べるとしよう。兎の捌き方なら心得ている」

「ちょ、やめぇ、どっから出したんですかっ、その首輪! ホントやめてぇ~そんなの付けないでぇ~、ユエさん見てないで助けてぇ!」

「……自業自得」

 

 

 ある意味、非常に仲の良い様子で騒ぎながら草原を進む三人。

 

 数時間程走り、そろそろ日が暮れるという頃、前方に町が見えてきた。奈落から出て空を見上げた時の様な、"戻ってきた"という気持ちが湧き出したのか、懐のユエがどこかワクワクした様子。僅かに振り返ったユエと目が合い、ソウゴは思わず微笑みを浮かべた。

「あのぉ~、いい雰囲気のところ申し訳ないですが、この首輪、取ってくれませんか? 何故か、自分では外せないのですが……あの、聞いてます? ソウゴさん? ユエさん? ちょっと、無視しないで下さいよぉ~、泣きますよ! それは、もう鬱陶しいくらい泣きますよぉ!」

 

 遠くに町が見える。周囲を堀と柵で囲まれた小規模な町だ。街道に面した場所に木製の門があり、その傍には小屋もある。恐らく門番の詰所だろう。小規模といっても、門番を配置する程度の規模はある様だ。それなりに充実した買い物が出来そうだとソウゴは頬を緩めた。

 

「……機嫌がいいのなら、いい加減この首輪取ってくれませんか?」

 

 街の方を見て微笑むソウゴに、シアが憮然とした様子で頼み込む。シアの首に嵌められている黒を基調とした首輪は、小さな水晶の様な物も目立たないが付けられているかなりしっかりした作りの物で、シアの失言の罰としてソウゴが無理やり取り付けたものだ。何故か外れない為、シアが外してくれる様頼んでいるのだがソウゴはスルーしている。

 

 そろそろ町の方からもソウゴ達を視認できそうなので、ストライカーをウォッチに戻して徒歩に切り替えるソウゴ達。流石に黄金のバイクで乗り付けては大騒ぎになるだろう。

 道中シアがブチブチと文句を垂れていたが、やはりスルーして遂に町の門まで辿り着いた。案の定門の脇の小屋は門番の詰所だったらしく、武装した男が出てきた。格好は革鎧に長剣を腰に身につけているだけで、兵士というより冒険者に見える。その冒険者風の男がソウゴ達を呼び止めた。

「止まってくれ。ステータスプレートを。後、町に来た目的は?」

 規定通りの質問なのだろう。どことなくやる気なさげである。ソウゴは門番の質問に答えながらステータスプレートを取り出した。

「食料の補給がメインだ。旅の途中でな」

 ふ~んと気のない声で相槌を打ちながら門番の男がハジメのステータスプレートをチェックする。

 

 ソウゴのプレートの表記は、ソウゴの手によって偽装工作が成されている。

 ステータスプレートには、ステータスの数値と技能欄を隠蔽する機能があるのだ。冒険者や傭兵においては、戦闘能力の情報漏洩は致命傷になりかねないからである。そこから更に、ソウゴは年齢と天職、レベルにも偽装を施している。双方共に、バレると騒ぎになるからだ。

 

「ほぉ~、その歳で傭兵か。しかもレベルも高い。……そっちの二人は?」

「私の連れだ。詳しい事は詮索無用で頼む」

 言外に無用な詮索は身を亡ぼすぞ、と告げると門番は苦笑いで了承を示す。

「まぁいい。通っていいぞ」

「ああ、どうも。……おっとそうだ、素材の換金場所は何処にある?」

「あん? それなら、中央の道を真っ直ぐ行けば冒険者ギルドがある。店に直接持ち込むなら、ギルドで場所を聞け。簡単な町の地図をくれるから」

「親切な事だな、感謝する」

 

 門番から情報を得て、ソウゴ達は門を潜り町へと入っていく。門の所で確認したが、この町の名前は【ブルック】というらしい。町中はそれなりに活気があった。かつて見たオルクス近郊の町【ホルアド】程ではないが露店も結構出ており、呼び込みの声や白熱した値切り交渉の喧騒が聞こえてくる。

 

 こういう騒がしさは訳も無く気分を高揚させるものだ。ソウゴだけでなく、ユエも楽しげに目元を和らげている。しかしシアだけは先程からぷるぷると震えて、涙目でソウゴを睨んでいた。

 怒鳴る事も無く、ただジッと涙目で見てくるので、流石に気になって声を掛けるソウゴ。

「どうしたんだ、折角の町だぞ?」

「これです! この首輪! これのせいで奴隷だと思われるじゃないですか! ソウゴさん、分かっていて付けたんですね! うぅ、酷いですよぉ~、私達仲間じゃなかったんですかぁ~」

 シアが怒っているのはそういう事らしい。旅の仲間だと思っていたのに、意図して奴隷扱いを受けさせられた事が相当ショックだった様だ。勿論ソウゴが付けた首輪は本来の奴隷用の首輪ではなく、シアを拘束する様な力はない。それはシアもわかっている。だがだとしても、やはりショックなものはショックなのだ。

 そんなシアの様子にソウゴはカリカリと頭を掻きながら目を合わせる。

 

「考えてもみろ、奴隷でもない亜人族、それも愛玩用として人気の高い兎人族が普通に町を歩ける訳無いだろう? まして、貴様は白髪の兎人族で物珍しい上に容姿もスタイルも抜群。断言するが、誰かの奴隷だと示してなかったら、町に入って十分も経たず目をつけられるぞ。後は絶え間無い人攫いの嵐だろうよ。面倒事になるのは目に見え……って何をしている?」

 

 言い訳あるなら言ってみろやゴラァ! という感じでソウゴを睨んでいたシアだが、話を聞いている内に照れたように頬を赤らめイヤンイヤンし始めた。ユエが冷めた表情でシアを見ている。

「も、もう、ソウゴさん。こんな公衆の面前で、いきなり何言い出すんですかぁ。そんな、容姿もスタイルも性格も抜群で、世界一可愛くて魅力的だなんてぇ、もうっ! 恥かしいでっぶげら!?」

 調子に乗って話を盛るシアの頬に、ユエの黄金の右ストレートが突き刺さる。可愛げの欠片もない悲鳴を上げて倒れるシア。身体強化していなかったので、別の意味で赤くなった頬をさすりながら起き上がる。

「……調子に乗っちゃだめ」

「……ずびばぜん、ユエざん」

 冷めたユエの声に、ぶるりと体を震わせるシア。そんな様子に呆れた視線を向けながら、ソウゴは話を続ける。

「つまりだ。人間族のテリトリーでは、寧ろ奴隷という身分が貴様を守っているんだ。それ無しでは、トラブルの元だからな貴様は」

「それは……わかりますけど……」

 理屈も有用性もわかる。だがやはり納得し難いようで不満そうな表情のシア。仲間というものに強い憧れを持っていただけに、そう簡単に割り切れないのだろう。そんなシアに、今度はユエが声をかけた。

「……有象無象の評価なんてどうでもいい」

「ユエさん?」

「……大切な事は、大切な人が知っていてくれれば十分。……違う?」

「………………そう、そうですね。そうですよね」

「……ん、不本意だけど……シアは私が認めた相手……小さい事気にしちゃダメ」

「……ユエさん……えへへ。ありがとうございますぅ」

 

 かつて大衆の声を聞き、大衆のために力を振るった吸血姫。裏切りの果てに至った新たな答えは、例え言葉少なでも確かな重みがあった。だからこそ、その言葉はシアの心にストンと落ちる。自分がソウゴとユエの大切な仲間であるという事は、ハウリア族の皆も、ソウゴやユエも分かっている。要らぬトラブルを招き寄せてまで万人に理解してもらう必要は無い。勿論、それが出来るならそれに越した事はないが……

 シアは、ユエの言葉に照れた様に微笑みながらチラッチラッとソウゴを見る。何かの言葉を期待する様に。

 ソウゴは仕方ないという様に肩を竦めて言葉を紡ぐ。

「まぁ、奴隷じゃないとバレて襲われても見捨てたりはせんさ」

「街中の人が敵になってもですか?」

「既に帝国兵とだって殺りあっただろう?」

「じゃあ、国が相手でもですね! ふふ」

「今更だ。世界だろうと神だろうと変わらん、敵対するなら滅ぼすまでだ」

「くふふ、聞きました? ユエさん。ソウゴさんったらこんな事言ってますよ? よっぽど私達が大事なんですねぇ~」

「……ソウゴ様が大事なのは私だけ」

「ちょっ、空気読んで下さいよ! そこは、何時も通り『…ん』て素直に返事するところですよ!」

「……だから結婚してると言っただろうが」

 

 

 文句を言いながらも嬉しげで楽しげな表情をするシア。いざとなれば、自分の為に世界とだって戦ってくれるという言葉は、やはり一人の女として嬉しいものだ。まして、それが惚れた相手なら尚更。

 ソウゴはじゃれあっている(様に見える)二人を尻目に、シアの首輪について話し始める。

「その首輪だが、念話石と特定石が組み込んである。必要なら使え。直接魔力を注げば使える」

「念話石と特定石ですか?」

 

 念話石とは、文字通り念話ができる鉱物の事だ。生成魔術により"念話"を鉱石に付与しており、込めた魔力量に比例して遠方と念話が可能になる。

 特定石は、生成魔術により"気配感知"・"特定感知"を付与した物だ。特定感知を使うと多くの気配の中から特定の気配だけ色濃く捉えて他の気配と識別しやすくなる。それを利用して、魔力を流し込む事でビーコンの様な役割を果たす事が出来る様にしたのだ。ビーコンの強さは注ぎ込まれた魔力量に比例する。

 

 どちらも奈落を出る前に暇つぶしで作った物だが、念話系技能を持たないシアに丁度良いと思い加工したのだ。ソウゴの説明に、感心の声を上げるシア。

「着脱についてだが、特定量の魔力を流す事で一応外せる様になっている」

「なるほどぉ~、つまりこれは……いつでも私の声が聞きたい、居場所が知りたいというソウゴさんの気持ちという訳ですね? もうっ、そんなに私の事が好きなんですかぁ? 流石にぃ、ちょっと気持ちが重いっていうかぁ、あっ、でも別に嫌ってわけじゃなくッバベルンッ!?」

「……調子に乗るな」

「ぐすっ、ずみまぜん」

 美しい曲線を描いて飛来したユエの蹴りが後頭部に決まり、奇怪な悲鳴を上げながら倒れるシア。ユエから、冷ややかな声がかけられる。近接戦苦手だったんじゃ……と言いたくなる位見事なハイキックを披露するユエに、シアは涙目で謝る。旅の同行は許しても、ソウゴへのアプローチはそうそう許してもらえないらしい。尤も、シアの言動がアプローチになっているかは甚だ疑問ではあるが。

 

 そんな風に仲良く? メインストリートを歩いていき、一本の大剣が描かれた看板を発見する。かつて【ホルアド】の町でも見た冒険者ギルドの看板だ。規模は【ホルアド】に比べて二回り程小さい。

 ソウゴは看板を確認すると重厚そうな扉を開き中に踏み込んだ。

 

 

 一歩足を踏み入れたそこは、清潔さが保たれた場所だった。入口正面にカウンターがあり、左手は飲食店になっている様だ。何人かの冒険者らしい者達が食事を取ったり雑談したりしている。誰一人酒を注文していない事からすると、元々酒は置いていないのかもしれない。酔っ払いたいなら酒場に行けという事だろう。

 ソウゴ達がギルドに入ると、冒険者達が当然の様に注目してくる。最初こそ見慣れない三人組という事で細やかな注意を引いたに過ぎなかったが、彼等の視線がユエとシアに向くと、途端に瞳の奥の好奇心が増した。中には「ほぅ」と感心の声を上げる者や、恋人なのか女冒険者に殴られている者もいる。平手打ちでないところが冒険者らしい。

 テンプレ宜しく、ちょっかいを掛けてくる者がいるかとも思ったが、意外に理性的で観察するに留めている様だ。足止めされなくて幸いとソウゴはカウンターへ向かう。

 

 カウンターには恰幅がいい女性が座っていた。年の頃は四十代といったところか、ニコニコと人好きのする笑みを浮かべている。

 彼女が此処の責任者かと思い、ソウゴはそのまま話し掛ける。

「失礼、少しよろしいか」

「あらいらっしゃい。冒険者ギルド、ブルック支部にようこそ。両手にとびっきり綺麗な花を持って登場なんて、一体どこの坊ちゃんだい?」

「いやいやレディ、私は若作りが得意なだけのただの通りすがりだ。彼女達は旅のお供でね」

「あらレディなんて、口が上手いねアンタ。その歳で中々やるね」

「そちらこそ。私の主観だが、ここの冒険者達が大人しいのは貴方の腕によるものだろう。もしや此処の主人で?」

「いやいや、あたしはただの受付。キャサリンって者さ」

 ソウゴの言葉に気を良くしたのか、随分と言葉尻が軽くなるキャサリン。

「おっと、つい話が弾んじまった。ご用件は何かしら?」

「ああ、素材の買取をお願いしたい」

「素材の買取だね。じゃあ、まずステータスプレートを出してくれるかい?」

「? 買取にステータスプレートの提示が必要なのか?」

 ソウゴの疑問に「おや?」という表情をするキャサリン。

「あんた冒険者じゃなかったのかい? 確かに、買取にステータスプレートは不要だけどね、冒険者と確認できれば一割増で売れるんだよ」

「ほぅ……」

 

 キャサリンの言う通り、冒険者になれば様々な特典も付いてくる。生活に必要な魔石や回復薬を始めとした薬関係の素材は冒険者が取ってくるものが殆どだ。町の外はいつ魔物に襲われるかわからない以上、素人が自分で採取しに行く事は殆ど無い。危険に見合った特典が付いてくるのは当然だった。

 

「他にも、ギルドと提携している宿や店は一~二割程度は割り引いてくれるし、移動馬車を利用する時も高ランクなら無料で使えたりするね。どうする、登録しておくかい? 登録には千ルタ必要だよ」

 ルタとは、この世界トータスの北大陸共通の通貨だ。ザガルタ鉱石という特殊な鉱石に他の鉱物を混ぜる事で異なった色の鉱石ができ、それに特殊な方法で刻印したものが使われている。青、赤、黄、紫、緑、白、黒、銀、金の種類があり、左から一、五、十、五十、百、五百、千、五千、一万ルタとなっている。驚いた事に貨幣価値は日本と同じだ。

「そうか。なら折角だ、登録しておくか。悪いんだが、最近こちらに来たばかりでな。こちらの通貨の持ち合わせがない。買取金額から引く形で頼めるだろうか? 勿論、最初の買取額はそのままでいい」

「ほ~ん、成程ねぇ。ならさっきのお世辞の礼も兼ねて上乗せさせてもらうよ」

 ソウゴは有り難く厚意を受け取っておく事にした。ステータスプレートを差し出す。

 キャサリンはユエとシアの分も登録するかと聞いたが、それは断った。二人はそもそもプレートを持っていないので発行からしてもらう必要がある。しかし、そうなるとステータスの数値も技能欄も隠蔽されていない状態でキャサリンの目に付く事になる。

 ソウゴとしては、二人のステータスを見てみたい気もしたが、恐らく技能欄にはばっちりと固有魔術等も記載されているだろうし、それを見られてしまう事を考えると、まだ三人の存在が公になっていない段階では知られない方が面倒が少なくて済むと今は諦める事にした(それに、その気になれば"鑑定"でいつでも覗ける)。

 

 戻ってきたステータスプレートには、新たな情報が表記されていた。天職欄の横に職業欄が出来ており、そこに"冒険者"と表記され、更にその横に青色の点が付いている。

 青色の点は、冒険者ランクだ。上昇するにつれ赤、黄、紫、緑、白、黒、銀、金と変化する。そこは通貨の価値を示す色と同じである。つまり、青色の冒険者とは「お前は一ルタ程度の価値しかねぇんだよ、ぺっ」と言われているのと一緒という事だ。きっと、この制度を作った初代ギルドマスターの性格は捻じ曲がっているに違いない。

 

 因みに、戦闘系天職を持たない者で上がれる限界は黒だ。辛うじてではあるが四桁に入れるので、天職なしで黒に上がった者は拍手喝采を受けるらしい。天職ありで金に上がった者より称賛を受けるというのであるから、如何に冒険者達が色を気にしているかが分かるだろう。

 

「男なら頑張って黒を目指しなよ? お嬢さん達にカッコ悪いところ見せない様にね」

「ああ、そうさせてもらおう。それで、買取はここでよろしいか?」

「構わないよ。あたしは査定資格も持ってるから見せてちょうだい」

 キャサリンは受付だけでなく買取品の査定もできるらしい。優秀な人材だ。ソウゴはあらかじめ宝物庫から出してバックに入れ替えておいた素材を取り出す。品目は魔物の毛皮や爪、牙、そして魔石だ。カウンターの受け取り用の入れ物に入れられていく素材を見て、再びキャサリンが驚愕の表情をする。

 

「こ、これは!」

 恐る恐る手に取り、隅から隅まで丹念に確かめる。息を詰めるような緊張感の中、漸く顔を上げたキャサリンは、溜息を吐きソウゴに視線を転じた。

「とんでもないものを持ってきたね。これは…………樹海の魔物だね?」

「ああ、そうだ」

 

 当然の事だが、奈落の魔物の素材などこんな場所で出す訳が無い。そんな未知の素材を出されたら一発で大騒ぎだ。樹海の魔物の素材でも十分に珍しいだろう事は予想していたので少し迷ったが、他に適当な素材も無かったので買取に出した。キャサリンの反応を見る限り、やはり珍しい様だ。

「樹海の素材は良質な物が多いからね、売ってもらえるのは助かるよ」

「やはり珍しいか?」

「そりゃあねぇ。樹海の中じゃあ人間族は感覚を狂わされるし、一度迷えば二度と出てこれないからハイリスク。好き好んで入る人はいないねぇ。亜人の奴隷持ちが金稼ぎに入るけど、売るならもっと中央で売るさ。幾分か高く売れるし、名も上がりやすいからね」

 キャサリンはチラリとシアを見る。恐らく、シアの協力を得て樹海を探索したのだと推測したのだろう。樹海の素材を出してもシアのお陰で不審にまでは思われなかった様だ。代わりに、「若いのに無茶をして」という心配そうな顔を向けられてしまった。

 

 実は亜人族の国【フェアベルゲン】まで踏み込んだ挙句、兎人族の魔改造、三つの種族の絶滅まで行ったと知れば、キャサリンは果たしてどんな表情になるのか。ソウゴは案外動じないかもしれないと思い、内心で苦笑いを浮かべるのだった。

 

 それからキャサリンは、全ての素材を査定し金額を提示した。買取額は五十万七千ルタ。結構な額だ。

「これでいいかい? 中央ならもう少し高くなるだろうけどね。」

「いや、この額で構わない」

 ソウゴは五十三枚のルタ通貨を受け取る。この貨幣、鉱石の特性なのか異様に軽い上、薄いので五十枚を超えていても然程苦にならなかった。尤も、例え邪魔でもソウゴには宝物庫があるので問題は無いが。

「ところで、門番の彼にこの町の簡易な地図を貰えると聞いたんだが……」

「ああ、ちょっと待っといで……ほら、これだよ。おすすめの宿や店も書いてあるから参考にしなさいな」

 手渡された地図は、中々に精巧で有用な情報が簡潔に記載された素晴らしい出来だった。これが無料とは、ちょっと信じられない位の出来である。

「なんと…いいのか? こんな立派な地図を無料で。十分金が取れる出来だと見受けられるが……」

「構わないよ、あたしが趣味で書いてるだけだからね。書士の天職を持ってるから、それ位落書きみたいなもんだよ」

「そうか、では有難く頂戴しよう」

「いいって事さ。それより、金はあるんだから少しはいい所に泊りなよ。治安が悪い訳じゃあないけど、その二人ならそんなの関係無く暴走する男連中が出そうだからね」

 

 キャサリンは最後までいい人で気配り上手だった。ソウゴは苦笑いしながら「そうしよう」と返事をし、入口に向かって踵を返した。ユエとシアも頭を下げて追従する。食事処の冒険者の何人かがコソコソと話し合いながら、最後までユエとシアの二人を目で追っていた。

「ふむ、いろんな意味で面白そうな連中だね……」

 後には、そんなキャサリンの楽しげな呟きが残された。

 

 

 ソウゴ達が、最早地図というよりガイドブックと称すべきそれを見て決めたのは"マサカの宿"という宿屋だ。紹介文によれば料理が美味く防犯もしっかりしており、何より風呂に入れるという。最後のが決め手だ。その分少し割高だが、金はあるので問題ない。若干、何が"まさか"なのか気になったというのもあるが……

 

 宿の中は一階が食堂になっている様で、複数の人間が食事をとっていた。ソウゴ達が入ると、お約束の様にユエとシアに視線が集まる。それらを無視してカウンターらしき場所に行くと、十五歳くらい女の子が元気よく挨拶しながら現れた。

「いらっしゃいませー、ようこそマサカの宿へ! 本日はお泊りですか? それともお食事だけですか?」

「宿泊だ。このガイドブックを見て来たんだが、記載されている通りでいいか?」

 ソウゴが見せたキャサリン特製地図を見て合点がいった様に頷く女の子。

「ああ、キャサリンさんの紹介ですね。はい、書いてある通りですよ。何泊のご予定ですか?」

「一泊でいい。食事付きで、あと風呂も頼む」

「はい。お風呂は十五分で百ルタです。今のところ、この時間帯が空いてますが」

 女の子が時間帯表を見せる。なるべくゆっくり入りたいので、男女で分けるとして二時間は確保したい。その旨を伝えると「えっ、二時間も!?」と驚かれたが、日本人たるソウゴとしては譲れないところだ。

 

「え、え~と、それでお部屋はどうされますか? 二人部屋と三人部屋が空いてますが……」

 

 ちょっと好奇心が含まれた目でソウゴ達を見る女の子。そういうのが気になるお年頃だ。だが、周囲の食堂にいる客達まで聞き耳を立てるのは勘弁してもらいたいと思うソウゴ。ユエもシアも美人とは思っていたが、想像以上に二人の容姿は目立つ様だ。出会い方が出会い方だったのと、美男美女を見慣れているソウゴの感覚が麻痺しているのだろう。

「ああ、三人部屋で頼む」

 ソウゴが躊躇いなく答える。周囲がザワッとなった。女の子も少し頬を赤らめている。だが、そんなソウゴの言葉に待ったをかけた人物がいた。

「……ダメ。二人部屋二つで」

 ユエだ。周囲の客達、特に男連中がソウゴに向かって「ざまぁ!」という表情をしている。ユエの言葉を男女で分けろという意味で解釈したのだろう。だがそんな表情は、次のユエの言葉で絶望に変わる。

 

「……私とソウゴ様で一部屋。シアは別室」

「ちょっ、何でですか! 私だけ仲間はずれとか嫌ですよぉ! 三人部屋でいいじゃないですかっ!」

 猛然と抗議するシアに、ユエはさらりと言ってのけた。

「……シアがいると気が散る」

「気が散るって……何かするつもりなんですか?」

「……何って……ナニ?」

「ぶっ!? ちょっ、こんなとこで何言ってるんですか! お下品ですよ!」

 

 ユエの言葉に絶望の表情を浮かべた男連中が、次第にソウゴに対して嫉妬の炎が宿った眼を向け始める。宿の女の子は既に顔を赤くしてチラチラとソウゴとユエを交互に見ていた。ソウゴがこれ以上騒ぎが大きくなる前に止めに入ろうとするが、その目論見は少し遅かった。

「だ、だったら、ユエさんこそ別室に行って下さい! ソウゴさんと私で一部屋です!」

「……ほぅ、それで?」

 指先を突きつけてくるシアに、冷気を漂わせた眼光で睨みつけるユエ。あまりの迫力に、シアは訓練を思い出したのかプルプルと震えだすが、「ええい、女は度胸!」と言わんばかりにキッと睨み返すと大声で宣言した。

 

 

「そ、それで、ソウゴさんに私の処女を貰ってもらいますぅ!」

 

 

 静寂が舞い降りた。誰一人、言葉を発する事無く、物音一つ立てない。今や、宿の全員がソウゴ達に注目、基凝視していた。厨房の奥から女の子の両親と思しき女性と男性まで出てきて「あらあら、まあまあ」「若いっていいね」と言った感じで注目している。

 ユエが瞳に絶対零度を宿してゆらりと動いた。

「……今日がお前の命日」

「うっ、ま、負けません! 今日こそユエさんを倒して正ヒロインの座を奪ってみせますぅ!」

「……師匠より強い弟子などいない事を教えてあげる」

「下克上ですぅ!」

 ユエから尋常でないプレッシャーが迸り、震えながらもシアが背中に背負った大槌に手をかける。まさに修羅場、一触即発の雰囲気に誰もがゴクリと生唾を飲み込み緊張に身を強ばらせる。そして……

 

 

 ゴチンッ! ゴチンッ!

 

 

「ひぅ!?」

「はきゅ!?」

 鉄拳が叩き込まれる音と二人の少女の悲鳴が響き渡った。ユエもシアも、涙目になって蹲り両手で頭を抱えている。二人にゲンコツを叩き込んだのは、勿論ソウゴである。

「周りの迷惑を考えろ。第一、抱く気は無いと言っているだろうが」

「……うぅ、ソウゴ様の愛が痛い……」

「も、もう少し、もう少しだけ手加減を……身体強化すら貫く痛みが……」

「死んでない時点で十分手加減しておるわ馬鹿者」

 ソウゴは冷ややかな視線を二人に向けると、クルリと女の子に向き直る。女の子はソウゴの視線を受けてビシィと姿勢を正した。

「騒がせて悪いな。三人部屋で頼む」

「……こ、この状況で三人部屋……つ、つまり三人で? す、すごい……はっ、まさかお風呂を二時間も使うのはそういう事!? お互いの体で洗い合ったりするんだわ! それから……あ、あんな事やこんな事を……なんてアブノーマルなっ!」

 

 女の子はトリップしていた。見かねた女将さんらしき人がズルズルと女の子を奥に引きずっていく。代わりに父親らしき男性が手早く宿泊手続きを行った。部屋の鍵を渡しながら「うちの娘がすみませんね」と謝罪するが、その眼には「男だもんね? わかってるよ?」という嬉しくない理解の色が宿っている。絶対、翌朝になれば「昨晩はお楽しみでしたね?」とか言うタイプだ。

 

 何を言っても誤解が深まりそうなので、急な展開に呆然としている客達を尻目に、未だ蹲っているユエとシアを肩に担ぐと、ソウゴはそのまま三階の部屋に駆ける様に向かった。暫くすると、止まった時が動き出したかの様に階下で喧騒が広がっていたが、何だか異様に疲れた気がするので無視するソウゴ。部屋に入るとユエとシアをそれぞれのベッドにポイッと投げ捨てると、自らもベッドにダイブして意識をシャットダウンした。

 

 

 数時間程眠ったのか、夕食の時間になった様でユエに起こされたソウゴは、ユエとシアを伴って階下の食堂に向かった。何故か、チェックインの時にいた客が全員まだ其処にいた。

 ソウゴは一瞬頬が引き攣りそうになるが、冷静を装って席に着く。すると、初っ端から滅茶苦茶顔を赤くした宿の女の子が「先程は失礼しました」と謝罪しながら給仕にやって来た。謝罪してはいるが瞳の奥の好奇心が隠せていない。注文した料理は確かに美味かったのだが、せっかく久しぶりに食べた真面な料理は、もう少し落ち着いて食べたかったとソウゴは内心溜息を吐くのだった。

 

 風呂は風呂で、男女で時間を分けたのに結局ユエもシアも乱入してきたり、風呂場でまた修羅場になった挙句、ソウゴのアイアンクローで仲良く放り投げられたり、その様子をこっそり風呂場の陰から宿の女の子が覗いていたり、覗きがバレて女将さんに尻叩きされていたり……

 夜寝る時も、当然の様にユエがソウゴのベッドに入り、定位置という様に右手に抱きつくと、シアが対抗して左腕に抱きついたり、そのまま火花を散らし始めたのでソウゴに部屋を追い出されたり、部屋が異界化されて二人が廊下で寝る羽目になったり……。

 

 翌朝、ソウゴは次からは宿に泊まる時は一人部屋で寝ようかと思案した。

 

 

 朝食を食べた後、ソウゴはユエとシアに金を渡し、旅に必要な物の買い出しを頼んだ。チェックアウトは昼なので、まだ数時間は部屋を使える。なのでユエ達に買出しに行ってもらっている間に、部屋で済ませておきたい用事があったのだ。

「用事ってなんですか?」

 シアが疑問を素直に口にする。しかしソウゴは、

「ちょっと作っておきたい物があってな。本当は昨夜やろうと思っていたんだが……何故か妙に疲れてな」

「……そ、そうだ。ユエさん。私、服も見ておきたいんですけどいいですか?」

「……ん、問題ない。私は、露店も見てみたい」

「あっ、いいですね! 昨日は見ているだけでしたし、買い物しながら何か食べましょう」

 サッと視線を逸らし、きゃいきゃいと買い物の話をし始めるユエとシア。自分達が原因だと分かってはいるが、心情的に非を認めたくないので、阿吽の呼吸で話題も逸らす。

 

「……貴様等、実は結構仲良いだろう」

 

 そんなソウゴの呟きも虚しくスルーされるのだった。

 

 

 ソウゴのジト目から逃亡を図ったシアとユエは町に出ていた。昼頃まで数時間といったところなので計画的に動かなければならない。目標は、食料品関係とシアの衣服、それと薬関係だ。

 

 シアの現在の装いは、樹海に居た時のまま露出度の高い水着の様な兎人族の民族衣装に、峡谷でソウゴから掛けてもらったユエとお揃いの白に青いラインの入った外套を羽織っている状態だ。引き締まった腹部や、長くしなやかな生足が惜しげも無く晒されている。流石にこれから旅をしていくにはあまり相応しくない衣装なので、もっと旅に向いた丈夫で露出の少ない衣服を揃えようかと思った訳である。因みに、武器・防具類はソウゴがいるので不要である。

 

 町の中は、既に喧騒に包まれていた。露店の店主が元気に呼び込みをし、主婦や冒険者らしき人々と激しく交渉をしている。飲食関係の露店も始まっている様で、朝から濃すぎないか? と言いたくなる様な肉の焼ける香ばしい匂いや、タレの焦げる濃厚な香りが漂っている。

 

 道具類の店や食料品は時間帯的に混雑している様なので、二人はまずシアの衣服から揃える事にした。

 キャサリンの地図には、きちんと普段着用の店、高級な礼服等の専門店、冒険者や旅人用の店と分けてオススメの店が記載されている。やはりキャサリンは出来る人だ。痒いところに手が届いている。

 二人は早速、とある冒険者向きの店に足を運んだ。ある程度の普段着も纏めて買えるという点が決め手だ。

 その店は、流石はキャサリンさんがオススメするだけあって、品揃え豊富、品質良質、機能的で実用的、されど見た目も忘れずという期待を裏切らない良店だった。

 ただ、そこには……

 

「あら~ん、いらっしゃい? 可愛い子達ねぇん。来てくれて、おねぇさん嬉しいぃわぁ~、た~ぷりサービスしちゃうわよぉ~ん?」

 

 化け物がいた。身長二メートル強、全身に筋肉という天然の鎧を纏い、劇画かと思う程濃ゆい顔、禿頭の四ヶ所から長い髪が人房ずつ生えており、頭の天辺で複雑に結われている。まるで天に昇る龍の如き頭頂から真っ直ぐに逆巻きながら伸びた髪の先端には、可愛らしくピンクのリボンが結ばれていた。

 動く度に全身の筋肉がピクピクと動きギシミシと音を立て、両手を頬の隣で組み、終始くねくねと動いている。服装は……いや、言うべきではないだろう。少なくとも、ゴン太の腕と足、そして腹筋が丸見えの服装とだけ言っておこう。

 

 ユエとシアは硬直する。シアは既に意識が飛びかけていて、ユエは奈落の魔物以上に思える化物の出現に覚悟を決めた目をしている。

「あらあらぁ~ん? どうしちゃったの二人共? 可愛い子がそんな顔してちゃだめよぉ~ん。ほら、笑って笑って?」

 どうかしているのはお前の方だ、笑えないのはお前のせいだ! と盛大にツッコミたいところだったが、ユエとシアは何とか堪える。人類最高レベルのポテンシャルを持つ二人だが、この化物には勝てる気がしなかった。

 しかし、何というか物凄い笑顔で体をくねらせながら接近してくる化物に、つい堪えきれずユエは呟いてしまった。

「……人間?」

 その瞬間、化物が怒りの咆哮を上げた。

 

「だぁ~れが、伝説級の魔物すら裸足で逃げ出す、見ただけで正気度がゼロを通り越してマイナスに突入するような化物だゴラァァアア!!」

 

「ご、ごめんなさい……」

 ユエがふるふると震え涙目になりながら後退る。シアは、へたり込み……少し下半身が冷たくなってしまった。ユエが、咄嗟に謝罪すると化物は再び笑顔? を取り戻し接客に勤しむ。見事な切り替えだった。

「いいのよ~ん。それでぇ? 今日は、どんな商品をお求めかしらぁ~ん?」

 シアは未だへたり込んだままなので、ユエが覚悟を決めてシアの衣服を探しに来た旨を伝える。シアはもう帰りたいのか、ユエの服の裾を掴みふるふると首を振っているが、化物は「任せてぇ~ん」と言うやいなやシアを担いで店の奥へと入っていってしまった。その時のシアの目は、まるで食肉用に売られていく豚さんの様だった。

 

 結論から言うと、化物改め店長のクリスタベルさんの見立ては見事の一言だった。店の奥へ連れて行ったのも、シアが粗相をした事に気がつき、着替える場所を提供する為という何とも有り難い気遣いだった。

 ユエとシアは、クリスタベル店長にお礼を言い店を出た。その頃には、店長の笑顔も愛嬌があると思える様になっていたのは、彼女? の人徳故だろう。

「いや~、最初はどうなる事かと思いましたけど、意外にいい人でしたね。店長さん」

「ん……人は見た目によらない」

「ですね~」

 そんな風に雑談しながら、次は道具屋に回る事にした二人。しかし、唯でさえ目立つ二人だ。すんなりとは行かず、気がつけば数十人の男達に囲まれていた。冒険者風の男が大半だが、中にはどこかの店のエプロンをしている男もいる。

 その内の一人が前に進み出た。ユエは覚えていないがこの男、実はハジメ達がキャサリンと話している時冒険者ギルドにいた男だ。

「ユエちゃんとシアちゃんで名前あってるよな?」

「? ……合ってる」

 何の用だと訝しそうに目を細めるユエ。シアは、亜人族であるにもかかわらず"ちゃん"付けで呼ばれた事に驚いた表情をする。

 ユエの返答を聞くとその男は、後ろを振り返り他の男連中に頷くと覚悟を決めた目でユエを見つめた。他の男連中も前に進み出て、ユエかシアの前に出る。そして……

 

「「「「「「ユエちゃん、俺と付き合ってください!!」」」」」」

「「「「「「シアちゃん! 俺の奴隷になれ!!」」」」」」

 

 つまりまぁ、そういう事である。ユエとシアで口説き文句が異なるのはシアが亜人だからだろう。奴隷の譲渡は主人の許可が必要だが、昨日の宿でのやり取りでシアとソウゴ達の仲が非常に近しい事が周知されており、まずシアから落とせばソウゴも説得しやすいだろう……とでも思ったのかもしれない。

 因みに、宿での事は色々インパクトが強かったせいか、奴隷が主人に逆らうという通常の奴隷契約では有り得ない事態についてはスルーされている様だ。でなければ、早々にシアが実は奴隷ではないとバレている筈である。契約によっては拘束力を弱くする事も出来るが、そんな事をする者はいないからだ。

 で、告白を受けたユエとシアはというと……

 

 

「……シア、道具屋はこっち」

「あ、はい。一軒で全部揃うといいですね」

 

 

 何事も無かった様に歩みを再開した。

「ちょっ、ちょっと待ってくれ! 返事は!? 返事を聞かせてく——」

「断る」

「お断りします」

「ぐぅ……、即答……だと」

 

 正に眼中にないという態度に男は呻き、何人かは膝を折って四つん這い状態に崩れ落ちた。しかし、諦めが悪い奴はどこにでもいる。まして、ユエとシアの美貌は他から隔絶したレベルだ。多少暴走するのも仕方ないといえば仕方ないかもしれない。

「なら、なら力づくでも俺のものにしてやるぅ!」

 暴走男の雄叫びに、他の連中の目もギンッと光を宿す。二人を逃さない様に取り囲み、ジリジリと迫っていく。

 そして遂に、最初に声を掛けてきた男が、雄叫びを上げながらユエに飛びかかった。日本人が彼を見たらこう叫ぶに違いない。「あっ、ルパ○ダイブ!」と。

 ユエは冷めた目付きで一言呟く。

 

「"凍柩"」

 

 直後、男が首だけを残して氷の柩に閉じ込められ、重力に引かれて落下した。「グペッ!?」と情けない悲鳴を上げて地面に転がるル○ンダイブの男。

 周囲の男連中は、水系上級魔術に分類される氷の柩を一言で発動したユエに困惑と驚愕の表情を向けていた。ヒソヒソと「事前に呪文を唱えていた」とか「魔法陣は服の下にでも隠しているに違いない」とか勝手に解釈してくれている。

 ユエは、ツカツカと氷の柩に包まれる男のもとへ歩み寄った。周囲には、ユエの実力に驚愕の表情を見せながらも、「我こそ第二の○パンなり!」と言わんばかり身構えている男連中がいる。なのでユエは、見せしめをする事にした。

 ユエが手を翳すと男を包む氷が少しずつ溶けていく。それに解放してもらえるのかと表情を緩める男。さらに熱っぽい瞳でユエを見つめる。

「ユ、ユエちゃん。いきなりすまねぇ! だが、俺は本気で君の事が……」

 未だ氷に包まれながら男は更に思いを告げようとするが、その言葉が途中で止まる。何故なら、溶かされていく氷がごく一部だけだと気がついたからだ。それは……

「あ、あの、ユエちゃん? どうして、その、そんな……股間の部分だけ?」

 そう、ユエが溶かしたのは男の股間部分の氷だけだ。他は完全に男を拘束している。嫌な予感が全身を襲い、男が冷や汗を浮かべながら「まさか、ウソだよね? そうだよね? ね?」という表情でユエを見つめる。

 そんな男に、ユエは僅かに口元を歪めると、

「……狙い撃つ」

 そして、風の礫が連続で男の股間に叩き込まれた。

 

 

 ───アッーーー!!

 ───もうやめてぇー!

 ───おかぁちゃーん!

 

 

 男の悲鳴が昼前の街路に響き渡る。マ○オがコインを取得した時の様な効果音を響かせながら(本当の音は生々しいので、懐かしき○リオをご想像)執拗に狙い撃ちされる男の股間。きっと中身は、デン○シーロールを受けたボクサーの様に翻弄されている事だろう。

 

 周囲の男は、囲んでいた連中も、関係ない野次馬も、近くの露店の店主も関係なく崩れ落ちて自分の股間を両手で隠した。

 

 

 やがて永遠に続くかと思われた集中砲火は、男の意識の喪失と同時に終わりを告げた。一撃で意識を失わせず、しかし、確実にダメージを蓄積させる風の魔術。まさに神業である。ユエは人差し指の先をフッと吹き払い、置き土産に言葉を残した。

「……漢女(おとめ)になるがいい」

 この日一人の男が死に、第二のクリスタベル、後のマリアベルちゃんが生まれた。彼はクリスタベル店長の下で修行を積み、二号店の店長を任され、その確かな見立てで名を上げるのだが……それはまた別のお話。

 ユエに"股間スマッシャー"という二つ名が付き、後に冒険者ギルドを通して王都にまで名が轟き男性冒険者を震え上がらせるのだが、それもまた別の話だ。

 

 ユエとシアは、畏怖の視線を向けてくる男達の視線をさらっと無視して買い物の続きに向かった。道中、女の子達が「ユエお姉様……」とか呟いて熱い視線を向けていた気がするがそれも無視して買い物に向かった。

 

 

 粗方買い物を終わらせてユエとシアが宿に戻ると、ソウゴも丁度作業を終えたところのようだった。

 部屋に入って来た二人を見て言葉を掛けようとしたソウゴだったが、シアの姿に思わず眉を顰める。

 

「えへへ~、どうですかソウゴさん。ちょっとは冒険者らしくなりましたか?」

 

 そう言ってシアはくるりとターンを決めた。その際に丈の短い(・・・・)スカートがふわりと危険な感じで捲れ上がり、お臍丸出しに谷間強調の上着がシアの巨乳によってぷるるるんと震える。

 正直な話、露出度合いについては殆ど変わっていなかった。分かる変化と言えば、サンダルだった足元が白いロングブーツに変わっている事ぐらいか。それでも足首から上は編み上げ状になっているので、やはりあまり変わらない。

「……一体、何がどう変わったんだ。私には相変わらず露出過多の破廉恥な恰好にしか見えんのだが……」

「んまっ! ソウゴさんこそ何を言っているんですか。よく見て下さい。このスカート、実はホットパンツになっていてパンチラを防いでくれるんですよ?」

 そう言ってちょっと恥じらいながらも、そっとスカート持ち上げて見せるシア。確かに中は白いホットパンツになっており、生地も随分と丈夫そうだ。聞けば水着の様な上着も、所謂ビキニアーマー的な防具兼衣服だそうで、心臓部分をしっかり保護してくれるらしい。それでも可愛らしいお臍が丸見えの腹部とか、魅惑的な太腿とか、守るべき場所が露出しているのどういう意図かとソウゴが視線で問えば、

「……ん。シアが、他の服だと窮屈で動きが鈍るって言うから」

 とユエが事情を補足した。どうやらどこまで意味があるか分からない衣服の防御力を期待するよりも、それにより身体能力が鈍る事を避ける様にしたらしい。結局、露出過多な兎人族の民族衣装とあまり変わらない、されどオシャレ度と一部の防御力だけ跳ね上がった衣装に、ユエお手製の外套を羽織るというスタイルに落ち着いた様だ。本人がそれで満足ならそれでいいかと、ソウゴはもう気にしない事にした。

「まぁ目的を果たせたならそれでいい。そういえば町中が騒がしそうだったが、何かあったか?」

 頬を赤らめながらしゃらららんと新衣装を見せるシアを華麗にスルーして話題を転換するソウゴ。どうやら、先の騒動を感知していた様である。シアがあざといアピールをスルーされた事にちょっとしょげているのを尻目にユエが答える。

 

「……問題無い」

「あ~、うん、そうですね。問題ないですよ」

 

 服飾店の店長が化け物じみていたり、一人の男が天に召されたりしたが概ね何もなかったと流す二人。そんな二人にソウゴは少し訝しそうな表情をするも、まぁいいかと肩を竦めた。

「必要なものは全部揃ったか?」

「……ん、大丈夫」

「ですね。食料も沢山揃えましたから大丈夫です。にしても宝物庫ってホント便利ですよね~」

 ソウゴからユエに与えられた宝物庫の指輪を羨ましそうに見やるシア。それはさておき、とソウゴは視線を集める。

「さて、シア。貴様にこれを与える」

 そう言ってソウゴはシアに直径四十センチ長さ五十センチ程の円柱状の物体を渡した。銀色をした円柱には側面に取っ手の様な物が取り付けられている。

 ソウゴが差し出すそれを反射的に受け取ったシアは、あまりの重さに思わず蹈鞴を踏みそうになり慌てて身体強化の出力を上げた。

「な、なんですか、これ? 物凄く重いんですけど……」

「貴様用の新しい大槌だからな。重い方が良いだろう」

「へっ、これが……ですか?」

 シアの疑問は尤もだ。円柱部分は、槌に見えなくもないが、それにしては取っ手が短すぎる。何ともアンバランスだ。

「あぁ。その状態は待機状態だ、取り敢えず魔力流してみろ」

「えっと、こうですか? ……ッ!?」

 

 言われた通り、槌擬きに魔力を流すと、カシュン! カシュン! という機械音を響かせながら取っ手が伸長し、槌として振るうのに丁度いい長さになった。

 

 この大槌型アーティファクト"ドリュッケン"は、幾つかのギミックを搭載したシア用の武器だ。通常は柄を収縮させて、柄をグリップにした砲撃モードになっており、そのままスラッグ弾を始めとした銃砲撃を行う事が出来る。そして魔力を特定の場所に流す事で変形し、シアに合わせた戦槌モードへと変形するのである。それ以外にも様々なギミックが内蔵されている。

 

 ソウゴの済ませておきたい事とは、この武器の作成だったのだ。午前中、ユエ達が買い物に行っている間に、改めてシア用の武器を作っていたのである。

「今の貴様の実力を考えるとこれくらいが限度だが、腕が上がれば随時改良していくつもりだ。これから何があるか分からないからな。私とユエが鍛えたとは言えまだ半年にも満たん。つまりまだまだ未熟者だ。その武器はそんな貴様の力を最大限生かせる様に考えて作ったんだ。使い熟してくれよ? 後は……これも持っておけ」

 そう言ってソウゴはシアにもう一つアーティファクトを投げ渡す。

「おっとっと。え~と、これは……って、これ宝物庫の指輪じゃないですか!?」

「欲しがっていたのは貴様だろう?」

 

 そう、ソウゴがシアに渡したのは先程シアが羨ましがっていた宝物庫の指輪だったのである。

 

「一体、何処で手に入れたんですか!?」

「如何にも欲しそうな目をしていたからな。その程度の代物、幾らでも複製可能だ」

 大切にしろよ? とソウゴが言うと、シアは指輪を填め、嬉しそうにドリュッケンを胸に抱く。あまりに嬉しそうなので、ちょっと不機嫌だったユエも仕方ないという様に肩を竦めた。ソウゴは苦笑いだ。自分がした事とは言え、ただ必要な物を渡しただけなのだが、そこまで喜ぶものかと思ったのだ。

 はしゃぐシアを連れながら、宿のチェックアウトを済ませる。未だ、宿の女の子がソウゴ達を見ると頬を染めるが無視だ。

 外に出ると太陽は天頂近くに登り燦々と暖かな光を降らせている。それに手を翳しながらソウゴは大きく息を吸った。振り返ると、ユエとシアが頬を緩めてソウゴを見つめている。

 ソウゴは二人に頷くと、スっと前に歩みを進めた。ユエとシアも追従する。

 

 旅の再開だ。

 

 




今後、こんな感じで時偶ゲストが出ます。


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第八話 ライセン大迷宮

あんまり連続で投稿すると書く事も無くなってくるよね、ていう前置き。

第八話、はじまりはじまり~。


 ソウゴ達が【ハルツィナ樹海】にて温和で優しい兎達を悪鬼羅刹の如き殺し屋軍団に魔改造している頃、天之川光輝率いる勇者一行は【オルクス大迷宮】近郊にある宿場町【ホルアド】にて一時の休息を取っていた。

 

 実戦訓練を兼ねて攻略に勤しんでいた【オルクス大迷宮】も遂に七十階層に突入し、魔物の量・質共に著しく向上した為に、一度準備と休息を十分に取ってから挑もうという事になったのだ。

 メルド達王国騎士団達が光輝達の戦闘に付いて来られなくなった為、それより先には光輝達だけで進まなければならないという事もあり一度落ち着いて心の準備をするという意味もあった。何より大きいのは、七十階層で三十階層への転移魔法陣を発見された事だ。いいタイミングだったとメルドが強く勧めたのである。

 そんな訳で二、三日程度ではあるが光輝達は宿場町にて、今度は頼れるメルド団長抜きで新たなステージへ挑戦する為思い思いに心身を休めていた。

 

 

 そんな中、【ホルアド】の町外れは疲弊を滲ませてる荒い息遣いが響いていた。

 

「はぁ、はぁ……っ、抑する光の聖痕 虚より来りて災禍を封じよ──"縛光刃"!」

 

 肩で息をしながら、今にも崩れ落ちそうな膝を 咤して純白の長杖を振るうのは、勇者組の一人にして天職"治癒師"を持つパーティの回復役──白崎香織だ。

 

 

 だが本来、回復系統の魔術に天性の才能を示す筈の彼女の長杖から飛び出したのは、剣の様にも見える幾つもの光の十字架──光属性捕縛魔術"縛光刃"だった。

 

 光の十字架は香織の視線の先で低い唸り声を上げている数体の狼型の魔物"ディロス"を散弾の様に強襲する。が、ディロス達は獣らしい俊敏な動きで光の十字架を躱して香織へと迫った。

「──"縛煌鎖"ッ」

 即時発動する新たな捕縛魔術。普通なら魔術名を唱えただけの効果が薄いと予想される魔術だがその実、先の"縛光刃"の詠唱の中に"縛煌鎖"の詠唱をも含めた香織オリジナルの複合詠唱だ。故に、その効果は予想を遥かに跳び越えるものだった。

 

 突如ディロス達の足元から夥しい数の光の鎖が飛び出して、一瞬で絡みついてしまったのだ。しかも、魔物の突進力にもビクともせず確りと持続して拘束している。

 辛うじて光の縄を逃れたディロス二体が挟撃する様に香織へと迫った。だが、後衛でしかも回復担当である筈の香織の表情に焦りは無い。

「降れっ」

 

 そう叫んだ直後光の十字架が豪雨の様に空から飛来し、跳躍した直後のディロス達を串刺しにした。尤も、光の十字架は相手を透過して地面や壁に縫い付ける魔術なので殺傷能力は無い。故に、"縛煌鎖"の鎖に囚われたディロス達と同じくダメージは無く、地面に縫い付けられただけだ。

 香織は己の放った魔術が、仮に迷宮の魔物であっても効果を及ぼせるだけの効果を持っている事を確認すると、小さく鋭い詠唱を呟いた。

「断罪の光 束縛を超えて封禁せよ 聖浄を以て破邪を齎せっ」

 

 すると殺傷能力など無い筈の拘束を受けているディロス達が、俄かに苦悶の声を上げ始めた。"縛煌鎖"の鎖がギリギリとディロス達を締め上げ、"縛光刃"の十字架がメリメリと地面に押し込んでいるのだ。

 

 例え殺傷能力を無くとも、間接的になら攻撃力を持たない訳ではない。但し、本来の使い方ではないだけにイメージによる補完と魔法陣のアレンジは非常に難しい。

 それ故に、香織はこの場所を選んだのだ。迷宮の魔物より遥かに弱い町外れの魔物ならばたとえ戦闘に向かない自分一人でも対応出来るし、捕縛魔術の攻撃転化という至難の技を練習するには丁度良かったのである。

 だが既に数時間続けている戦闘混じりの鍛錬は、一人での対応という事もあって心身共に香織へ相当の疲弊を強いていた。魔力もかなり消耗しており、実のところ視界は霞んで意識が朦朧としてきている。香織の限界は近づいていた。

 

 だがそれでも、香織の瞳に宿る意志の輝きは僅かにも陰らない。あの日、大切な人が消えてしまったのだと理解した日から、それでも必ず自分の目で答えを確認するのだと決意した日から、燃え盛りつつも永久凍土の様に凍てついた心が香織を突き動かす。「休息など取ってはいられない」と駆り立てる心が、立ち止まる事を許してはくれない。だから、

 

「…っ、守護の光は重なりて 意志ある限り蘇るっ──"天絶"ッ!!」

 

 たとえ新手の魔物が飛来しても、背を見せて逃げる事は無いのだ。たとえそれが無茶であり、愚かな事だと理解していても"この程度の事で"と心が囁いてしまえば、"また約束を守れない"と生来の頑固な性質が退こうとする足を逆に踏み出させてしまう。

 空に現れたのは烏の様に漆黒の羽に彩られた魔物"バハル"である。決して強い魔物ではないが、冒険者からは割と嫌われている。その理由は、今この瞬間も香織に殺到しているバハルの黒い羽根だ。

 決して地上に近づかず、上空からナイフの様に硬化する羽根を撒き散らす嫌らしい戦い方をする魔物だ。

 香織は降り注ぐナイフの羽根を、掌程度に圧縮した幾枚もの輝くシールドで防いだ。

(もっとイメージを明確にっ! もっと速く、もっと効率的にっ! 私は鈴ちゃんの様に強力な障壁は張れないけど、それでも手数と技で並んでみせるっ!!)

 鬼気迫る表情で本分でないシールドの多重展開を見事に成し遂げる香織は、それでもまだ足りないと数十枚のシールドをバラバラに操作して一つ一つ微妙に角度をつけて、受けるのではなく逸らす様に使っていく。

 

 "結界師"の天職を持つ勇者パーティの一人、谷口鈴が見たのなら、自分でも本気を出さなければ出来そうにない防御魔術の技巧に思わず瞠目したに違いない。香織には光属性魔術の適性はあるものの、だからといって治癒師が結界師と比肩しうる魔術行使を実現するなどこの世界の歴史を見ても非常識極まりない事なのだ。

 

「はぁ、はぁ、ぅ……」

 しかし、香織の表情に変化は無い。バハルの攻撃は凌ぎ切ったものの、魔力の使い過ぎと連日の鍛錬で意識が飛びそうになるのを唇を噛んで耐えている。凄まじい倦怠感に崩れ落ちそうになる身体を、アーティファクトと長杖と意地を支えにして踏ん張る。

 バハルの攻撃は羽根を飛ばすという特徴から、使い過ぎれば次が生えてくるのを暫く待つ必要がある。香織はこの隙に上空へ"縛光刃"を飛ばして、"天絶"を展開している間も締めつけと圧迫を続けていた為に瀕死状態になっているディロス達と同じ様にバハルを封殺しようと試みた。

 そうして詠唱を紡ごうとした瞬間、

 

「ぁ……」

 

 ふっと力が抜けて、体がゆっくり傾いた。同時、魔術が制御を離れてディロス達の拘束が解けてしまう。殆どのディロスは気絶したままだが、一、二体は息を荒げながらも立ち上がり、憎悪に濡れた赤い瞳で香織を睨みつけた。

 ぼんやりとした頭が激しくアラートを鳴らすが、疲弊しきった身体は香織の言う事を聞いてはくれない。

 そしてディロス達が駆け出した。涎を撒き散らし唸り声を上げ、香織を喰らわんと急迫する。片膝を付いて長杖を支えに荒い息を吐きながら、再度捕縛の魔術を行使しようとする香織だが……もう間に合いそうに無い。

 あわやそのまま獣の牙が香織の柔肌を突き破るかと思われたその時、

 

「香織!」

 

 香織の名を呼ぶ聞き慣れた声が届いた。同時に、迫っていたディロスが一瞬で細切れとなって絶命する。

「……ぅ、雫ちゃん?」

「ええそうよ、貴女の親友の雫ちゃんよ。怒髪天を衝きそうな雫ちゃんよ。今この瞬間も香織の頬が真っ赤になる迄抓ってやりたい雫ちゃんよ」

「え、えっと……あはは、……ごめんなさい」

 

 ペタリと女の子座りでへたり込んだ香織の前で、物凄いジト目を至近距離から叩きつけて来る親友──八重樫雫に、香織は誤魔化し笑いを浮かべながら咄嗟に謝罪した。「何で怒ってるの?」等と訊いたら、本当に真っ赤になるまで頬を抓られるに違いないと察したからだ。そして何故雫がそれ程不機嫌なのか、香織は察しがついたからだ。

 

「まったくもうっ! 無理をするなとは言わない、でも無理をする時は私も一緒にって約束したでしょう!? たとえ町外れの魔物でも、下手をすればあっさり死ぬのよ!? 常磐君を捜すんじゃなかったの!? 香織が死んだら何の意味も無いじゃないこのお馬鹿! 突撃馬鹿! 頑固馬鹿!」

「うぅ、ごめんなさい雫ちゃん……」

「いいえ、そう簡単には許しません! ちょっと目を離すと直ぐに一人で突っ走るんだから。龍太郎の事言えないわよこの脳筋娘! 色々工夫しているのは知ってるけど、香織はあくまで後衛職、前衛が居てこそその本領を発揮できる。私が一緒の方が鍛錬も捗るし、何より安全マージンも取れるでしょう! ちょっと声を掛けるだけなのに、どうしてそれが出来ないの!? ちょっと聞いてるの香織!?」

「き、聞いてます……、ごめんなさい……」

「いいえ! 香織のごめんなさいは私信用しません! ちょっとそこに正座しなさい! 今日という今日は、しっかり聞いてもらうわよ!!」

 

 雫は香織の前で正座した。人差し指をピンと立てて眉をキッと吊り上げ、ガミガミクドクドと説教を始める。香織は内心「雫ちゃん……意識が朦朧として、あんまり言ってる事が分からないよ……」と思っていたが、雫がどれ程自分を心配してくれているのか、どれだけ支えになってくれているのか分かっている為、香織はお母さん化している雫の説教を大人しく受け入れる。

 

 因みに雫の説教の途中で意識を取り戻したディロス達や、羽を復活させたバハルは一早く気付いた雫が「そういえば放置したままだったわ」と言って素早く片付けて説教に戻った。そうして香織がいよいよ美少女に有るまじき白目を剥いて意識を飛ばしかけたところで、

 

「わわわ、なんだかカオリンが人に見せられない顔をしかけてるよ!?」

「し、雫……説教するのは構わないけど、香織ちゃんの魔力を回復させてあげてからの方が……」

 

 谷口鈴と中村恵里がやってきた。実は雫と一緒に姿の見えない香織を探していたのだが、雫が香織センサーをみょんみょんと発動して一人駆け出した為、見事に置いてけぼりをくらっていたのだ。

 雫が二人の声で漸くマシンガン説教を中断する。そして白目を剥いて頭をふらつかせる香織を見て「むっ」と唸ると、ポーチから魔力回復薬の入った小瓶を取り出し半開きの香織の口へズボッと突っ込んだ。

 「んむっ」と声を漏らし目を白黒させる香織に、「ほら、ごっくんしなさい!」と無理矢理飲ませる雫。香織の身体を支えながら小瓶を支えて飲ませてやり、口の端から垂れた魔法回復薬の滴を指で拭う姿は傍から見ると……

 

「シズシズってば、まるでお母——」

「鈴、命が惜しかったらその先は言わない方が良いと思うよ?」

 

 花の女子高生に言うべきではない言葉が漏れ出そうになった鈴を、恵里が慌てて止める。そうして香織が漸く美少女を取り戻した頃、遠くから「お~い」と呼ぶ声が響いた。どうやら光輝達もやって来たようだ。

「香織、どうやら無事の様だね、良かった……」

「おうおう、らしくねぇ無茶やらかしたなぁ。休む為に地上に戻ったとはいえよぉ、別に鍛錬に付き合うくらい問題無ぇんだから遠慮すんなよ」

 光輝は安堵した様に香織の傍へ座り込むと香織の肩に手を置いて微笑みを浮かべ、龍太郎は如何にも水臭いと言いたげに鼻を鳴らした。二人は二人で、香織の事を心配していた様だ。

「皆、心配かけてごめんね。町外れの魔物位、私一人でも大丈夫だと思ったんだけど……引き際を間違えちゃった。本当に、ごめんなさい」

 一人で無茶をして結局迷惑をかけた事に落ち込みながら、香織は頭を下げる。それで漸く雫のお母さんモードも解除されたらしく、香織の無事も相まって和やかな雰囲気が流れた。

 一先ず町に戻ろうと光輝が提案し、他のメンバーも頷く。だが立ち上がろうとしたところで、香織が足元をふらつかせてしまった。魔力はある程度回復して意識はしっかりしていても、肉体的な疲労はやはり無視出来なかったらしい。

 咄嗟に香織を支えようと光輝が手を伸ばすが……

 

「香織、大丈夫?」

 

「ぅ、雫ちゃん……ありがとう。でも、ちょっと歩くの遅くなるかも」

 するりと間合いを詰めた雫が実に自然な動きで香織を支えた為に、光輝の手は行き場を失った。ちょっと悲しそうに眉尻が下がる光輝だったが、こんな事で折れないのが勇者の勇者たる所以。なので歩みが遅くなるという香織を抱いていってあげようと声を掛けようとする。勿論するならお姫様抱っこだ。しかし……

「もう、しょうがないわね。これに懲りたら、本当に一人で突っ走っちゃ駄目よ?」

「って、雫ちゃん! は、恥ずかしいよぉ」

「ふふ、これも罰だと思って甘んじて受けなさい」

 大迷宮の下層に挑める剣士が、女子一人支えられない訳が無い。故に、雫は香織をひょいっとお姫様抱っこした。頬を染めて恥じらう香織に、クスクスと笑いながら颯爽と歩き出す雫。凛とした雰囲気と、腰に提げた無骨な剣。そして華奢な少女を抱くその姿は、まるで御伽噺に出てくる勇者様の様……

「やだシズシズったら……マジイケメン」

「あはは……何だか百合の花が見える気がするね」

 鈴がちょっぴり頬を染めてそんな事を言えば、隣の恵里は苦笑いを浮かべる。

 その後ろで、やはり手を出したまま硬直している光輝。笑顔が崩れないのは流石イケメン勇者と言ったところか。その勇者の肩を、隣の親友がポンポンと優しく叩いた。

 

「異世界に来ても、香織のナイトはやっぱり雫なのな……。ま、強く生きろよ光輝」

「龍太郎、俺は別に気にしてない。あぁ気にしてないよ。いや本当に」

「……そうか。取り敢えず、何か美味いもんでも食うか」

「……あぁ」

 

 何となくしょぼんとしている勇者に、珍しく気遣いを発揮した脳筋だった。

 その後町に戻り、メルド達や永山、檜山が率いる攻略組と合流し十分な休息を取った光輝達は、再び前人未到の七十階層へと挑んだ。

 

 

 内側に大きな爆弾を抱えている事には誰一人気付かずに。

 

 

 

 そして、大きな影が這い寄ってきている事にも気付かずに。

 

 

 

 

 死屍累々。

 

 そんな言葉がピッタリな光景が【ライセン大峡谷】の谷底に広がっていた。ある魔物は頭部から綺麗さっぱり消え、またある魔物は頭部を粉砕されて横たわり、更には全身を炭化させた魔物等、死に方は様々だが一様に一撃で絶命している様だ。

 当然、この世の地獄、処刑場と人々に恐れられるこの場所でこんな事が出来るのは……

 

「一撃必殺ですぅ!」

 

 ズガンッ!!

 

「……邪魔」

 

 ゴバッ!!

 

「……」

 

 パァンッ!!

 

 ソウゴ、ユエ、シアの三人である。ソウゴ達はブルックの町を出た後(ユエ、シアのファンらしき人々の見送り付き)、ストライカーを走らせてかつて通った【ライセン大峡谷】の入口に辿り着いた。現在はそこから更に進み、【オルクス大迷宮】の転移陣が隠されている洞窟もとうに通り過ぎたあたりだ。

 

 

 【ライセン大峡谷】では、相変わらず懲りもしない魔物達がこぞって襲ってくる。

 

 シアの戦槌が、その絶大な膂力をもって振るわれる度に、文字通り一撃必殺となって魔物を叩き潰す。攻撃を受けた魔物は自身の耐久力を遥かに超えた衝撃に為す術無く潰され絶命する。餅つき兎も真っ青な破壊力である。

 

 ユエは至近距離まで迫った魔物を、魔力に物を言わせて強引に発動した魔術で屠っていく。ユエ自身の魔力が膨大である事もあるが、魔晶石シリーズに蓄えられた魔力が莫大である事から、まるで弾切れの無い爆撃だ。谷底の魔力分解作用のせいで発動時間・飛距離共に短くとも、超高温の炎がノータイムで発動するので魔物達は一体の例外もなく炭化して絶命する。

 

 ソウゴは……言うまでもない。ストライカーを走らせながら、各種兵装や速度重視の下級魔術、邪眼で頭部を狙い撃ちにしていく。ユエを遥かに超える魔力とその回復速度、加えて魔力分解作用が無効化される為、そもそも魔力切れが発生しない。

 

 

 谷底に跋扈する地獄の猛獣達が完全に雑魚扱いだった。大迷宮を示す何かがないかを探索しながら片手間で皆殺しにして行く。道中には魔物の死体が溢れかえっていた。

 

「ライセンの何処かにある、というのはやはり大雑把過ぎるな」

 

 洞窟等があれば調べようと注意深く観察はしているのだが、それらしき場所は一向に見つからない。それでふと言葉を溢すソウゴ。

 "万里眼"なり"地球の本棚"なり使えばすぐに見つかるのだが、今回は見つけるところも含めて冒険(ひまつぶし)と定めている為、ソウゴは使わない様にしていた。

「まぁ、大火山に行くついでなんですし、見つかれば儲けものくらいでいいじゃないですか。大火山の迷宮を攻略すれば手がかりも見つかるかもしれませんし」

「まぁ、それはそうなんだが」

「ん……でも魔物が鬱陶しい」

「あ~、ユエさんには好ましくない場所ですものね~」

 そんな風に愚痴を溢し魔物の多さに辟易しつつも、更に走り続けて日が暮れ谷底から見上げる空に上弦の月が美しく輝く頃、ソウゴ達はその日の野営の準備をしていた。野営テントを取り出し、夕食の準備をする。町で揃えた食材と調味料と共に、調理器具も取り出す。この野営テントと調理器具、全てソウゴの所持品である。

 

 

 今日の夕食はクルルー鳥のトマト煮である。クルルー鳥とは、空飛ぶ鶏の事だ。肉の質や味はまんま鶏である。この世界でもポピュラーな鳥肉だ。一口サイズに切られ、先に小麦粉をまぶしてソテーしたものを各種野菜と一緒にトマトスープで煮込んだ料理だ。肉にはバターの風味と肉汁をたっぷり閉じ込められたまま、スっと鼻を通るようなトマトの酸味が染み込んでおり、口に入れた瞬間、それらの風味が口いっぱいに広がる。肉はホロホロと口の中で崩れていき、トマトスープがしっかり染み込んだジャガイモ(擬き)はホクホクで、人参(擬き)や玉葱(擬き)は自然な甘味を舌に伝える。旨みが溶け出したスープにつけて柔くしたパンも実に美味しい。

 

 大満足の夕食を終えて、その余韻に浸りながら、いつも通り食後の雑談をするソウゴ達。テントの中にいれば、ソウゴの付与した気配遮断の魔術で魔物が寄ってこないのでゆっくりできる。偶然通りがかる魔物は、テントに取り付けられた窓からソウゴが手だけを突き出して処理する。そして就寝時間が来れば、三人で見張りを交代しながら朝を迎える、という予定だ。

 

 そしてそろそろ就寝時間だと寝る準備に入るユエとシア。最初の見張りはソウゴだ。テントの中にはふかふかの布団があるので、野営にも拘らず快適な睡眠が取れる。すると、布団に入る前にシアがテントの外へと出ていこうとした。

 振り向いたソウゴに、シアがすまし顔で言う。

「ちょっと、お花摘みに」

「手短にな」

 ソウゴはそう声を掛けると共に、シアに向けて宙に指を走らせる。すると二回、シアの身体を光が包み込んだ。不思議そうにするシアに、ソウゴは「消臭と消音の術を掛けた」と事も無げに口にする。「最早何でもありですねぇ」と言いながらシアはテントの外に出て行った。

 その後暫くして……

 

「ソ、ソウゴさ~ん! ユエさ~ん! 大変ですぅ、こっちに来てくださぁ~い!」

 

 と、シアが魔物を呼び寄せる可能性も忘れたかの様に大声を上げた。何事かとソウゴとユエは顔を見合わせ同時にテントを飛び出す。

 

 

 シアの声がした方へ行くと、そこには巨大な一枚岩が谷の壁面に凭れ掛かる様に倒れおり、壁面と一枚岩との間に隙間が空いている場所があった。シアはその隙間の前で、ブンブンと腕を振っている。その表情は、信じられないものを見た! という様に興奮に彩られていた。

「こっち、こっちですぅ! 見つけたんですよぉ!」

「わかったから、取り敢えず引っ張るな。身体強化を全開にして、興奮しすぎだぞ」

「……うるさい」

 はしゃぎながらソウゴとユエの手を引っ張るシアに、ソウゴは少し呆れ気味に、ユエは鬱陶しそうに顔をしかめる。シアに導かれて岩の隙間に入ると壁面側が奥へと窪んでおり、意外な程広い空間が存在した。そしてその空間の中程まで来ると、シアが無言で、しかし得意気な表情でビシッと壁の一部に向けて指をさした。

 その指先をたどって視線を転じるソウゴとユエは、そこにあるものを見て「は?」と思わず呆けた声を出し目を瞬かせた。

 二人の視線の先、其処には壁を直接削って作ったのであろう見事な装飾の長方形型の看板があり、それに反して妙に女の子らしい丸っこい字でこう掘られていた。

 

 

 "おいでませ! ミレディ・ライセンのドキワク大迷宮へ♪"

 

 

 "!"や"♪"のマークが妙に凝っている所が何とも腹立たしい。

 

「……何だこれは」

「……なにこれ」

 

 ソウゴとユエの声が重なる。その表情は、正に"信じられないものを見た"という表現がぴったり当て嵌まるものだ。二人共、呆然と地獄の谷底には似つかわしくない看板を見つめている。

「何って、入口ですよ大迷宮の! おトイ……ゴッホン、お花を摘みに来たら偶然見つけちゃいまして。いや~、ホントにあったんですねぇ、ライセン大峡谷に大迷宮って」

 能天気なシアの声が響く中、ソウゴとシアは漸く硬直が解けたのか、何とも言えない表情になり、困惑しながらお互いを見た。

「……ユエ。本物だと思うか?」

「…………………………ん」

「長い間だな。根拠は?」

「……"ミレディ"」

「やはりそこか……」

 

 "ミレディ"。その名は、オスカーの手記に出て来たライセンのファーストネームだ。ライセンの名は世間にも伝わっており有名ではあるが、ファーストネームの方は知られていない。故に、その名が記されているこの場所がライセンの大迷宮である可能性は非常に高かった。

 だがしかし、はいそうですかと素直に信じられないのは……

 

「何故こうも浮ついているのだ……」

 

 そういう事である。ソウゴとしては、オルクス大迷宮の内観を思い返し、それを鑑みて他の迷宮は発見からして判り辛いだろうと想像していただけに、この軽薄さは否応なくソウゴを脱力させるものだった。ユエも大迷宮の過酷さを骨身に染みて理解しているだけに、若干まだ誰かの悪戯ではないかと疑わしそうな表情をしている。

「でも、入口らしい場所は見当たりませんね? 奥も行き止まりですし……」

 そんなソウゴとユエの微妙な心理に気づく事も無く、シアは入口はどこでしょう? と辺りをキョロキョロ見渡したり、壁の窪みの奥の壁をペシペシと叩いたりしている。

「おいシア、あまり……」

 

 ガコンッ!

 

「ふきゃ!?」

 「不用意に動き回るな」と言おうとしたソウゴの眼前で、シアの触っていた窪みの奥の壁が突如グルンッと回転し、巻き込まれたシアはそのまま壁の向こう側へ姿を消した。宛ら忍者屋敷の仕掛け扉だ。

 

「「……」」

 

 奇しくも大迷宮への入口も発見した事で看板の信憑性が増した。やはり、ライセンの大迷宮はここにある様だ。まるで遊園地の誘い文句の様な入口に、「これでいいのか大迷宮」とか「オルクスのシリアスを返せ」とか言いたい事は山程あるが、無言でシアが消えた回転扉を見つめていたソウゴとユエは、一度顔を見合わせて溜息を吐くとシアと同じ様に回転扉に手をかけた。

 扉の仕掛けが作用して、ソウゴとユエを同時に扉の向こう側へと送る。中は真っ暗で、扉がグルリと回転し元の位置にピタリと止まる。その瞬間、

 

 ヒュヒュヒュ!

 

 無数の風切り音が響いたかと思うと暗闇の中をソウゴ達目掛けて何かが飛来した。ソウゴの"暗視"はその正体を直ぐ様暴く。

 

 それは矢だ。全く光を反射しない漆黒の矢が侵入者を排除せんと無数に飛んできているのだ。

 

 ソウゴが素早く腕を振るうと、計二十一本の矢は一瞬にして宙を舞う塵になり再び静寂が戻った。

 と、同時に周囲の壁がぼんやりと光りだし辺りを照らし出す。ソウゴ達のいる場所は十メートル四方の部屋で、奥へと真っ直ぐに整備された通路が伸びていた。そして部屋の中央には石版があり、看板と同じ丸っこい女の子文字でとある言葉が掘られていた。

 

 

 "ビビった? ねぇ、ビビっちゃった? チビってたりして、ニヤニヤ"

 "それとも怪我した? もしかして誰か死んじゃった? ……ぶふっ"

 

 

「……」

「ほう、中々凝った歓迎ではないか」

 ユエの内心はかつてない程荒れている。即ち「うぜぇ~」と。態々"ニヤニヤ"と"ぶふっ"の部分だけ彫りが深く強調されているのが余計腹立たしい。特に、パーティで踏み込んで誰か死んでいたら、間違いなく生き残りは怒髪天を衝くだろう。珍しく、額に青筋を浮かべてイラッとした表情をしている。

 それに反して、ソウゴは軽く笑みを浮かべていた。理由は不明だが、どうやら先程のトラップがお気に召したらしい。

 そしてふと、ユエが思い出した様に呟いた。

 

「……シアは?」

「あぁ、そういえば」

 

 ユエの呟きでソウゴも思い出した様で、くるりと背後の回転扉を振り返る。扉は一度作動する事に半回転するので、この部屋にいないという事はソウゴ達が入ったのと同時に再び外に出た可能性が高い。結構な時間が経っているのに未だ入ってこない事に嫌な予感がして、ソウゴは直ぐに回転扉を作動させに行った。果たしてシアは……

 

 いた。回転扉に縫い付けられた姿で。

 

「うぅ、ぐすっ、ソウゴざん……見ないで下さいぃ~、でも、これは取って欲しいでずぅ。ひっく、見ないで降ろじて下さいぃ~」

 何というか実に哀れを誘う姿だった。シアは、恐らく矢が飛来する風切り音に気がつき見えないながらも天性の索敵能力で何とか躱したのだろう。だが、本当にギリギリだったらしく、衣服のあちこちを射抜かれて非常口のピクトグラムに描かれている人型の様な格好で固定されていた。ウサミミが稲妻形に折れ曲がって矢を避けており、明らかに無理をしているようでビクビクと痙攣している。尤も、シアが泣いているのは死にかけた恐怖などではない様だ。何故なら……足元が盛大に濡れていたからである。

 

「……善処しよう」

「うぅ~、どうして先に済ませておかなかったのですかぁ、過去のわたじぃ~!!」

 

 女として絶対に見られたくない姿を、よりにもよって惚れた男の前で晒してしまった事に滂沱の涙を流すシア。ウサミミもペタリと垂れ下がってしまっている。尤も、出会いの時点で百年の恋も覚める様な醜態を見ている上、ソウゴにその気が無いので今更だった。それでもシアの心情は理解できる為、ソウゴは目を閉じた上で出来る限り視覚系の技能を遮断してシアを磔から解放する。その後宝物庫からシアの着替えを出してやり、シアは顔を真っ赤にしながら手早く着替えた。

 

 そしてシアの準備も整い、いざ迷宮攻略へ! と意気込み奥へ進もうとして、シアが石版に気がついた。

 顔を俯かせ垂れ下がった髪が表情を隠す。暫く無言だったシアは、徐にドリュッケンを取り出すと一瞬で展開し、渾身の一撃を石板に叩き込んだ。ゴギャ! という破壊音を響かせて粉砕される石板。余程腹に据えかねたのか、親の仇と言わんばかりの勢いでドリュッケンを何度も何度も振り下ろした。

 すると、砕けた石板の跡の地面の部分に何やら文字が彫ってあり、そこには……

 

 "ざんね~ん♪ この石板は一定時間経つと自動修復するよぉ~プークスクス!!"

 

「ムキィーー!!」

 シアが遂にマジギレして更に激しくドリュッケンを振い始めた。部屋全体が小規模な地震が発生したかのように揺れ、途轍もない衝撃音が何度も響き渡る。

 発狂するシアを尻目に、ソウゴは不敵な笑みで呟いた。

「ミレディ・ライセンは中々ユニークな発想の持ち主らしいな」

「……そういう問題?」

 どうやらライセンの大迷宮は、オルクス大迷宮とは別の意味で一筋縄ではいかない場所の様だった。

 

 因みに地面の文字については、シアの精神衛生に考慮したソウゴが不可逆の性質を付与した上で破壊した。

 

 

 シアが軽く発狂してから数十分後。

 たったそれだけの時間で、その推測が当たっていた事をユエは思い知らされた。

 

 先ず、魔術が真面に使えない。谷底より遥かに強力な分解作用が働いている為だ。魔術特化のユエにとっては相当負担の掛かる場所である。何せ、上級以上の魔術は使用できず、中級以下でも射程が極端に短い。五メートルも効果を出せれば御の字という状況だ。何とか瞬間的に魔力を高めれば実戦でも使えるレベルではあるが、今までの様に強力な魔術で一撃とは行かなくなった。

 また、魔晶石シリーズに蓄えた魔力の減りも馬鹿に出来ないので、考えて使わなければならない。それだけ消費が激しいのだ。魔術に関しては天才的なユエだからこそ中級魔術が放てるのであって、大抵の者は役立たずになってしまうだろう。

 

 よって、この大迷宮では身体強化が重要になってくる。当然の様に分解作用が無効化されているソウゴとしては、適度に補助しつつシアを鍛える良い機会だと感じていた。

 で、その肝心要のウサミミはというと……

 

「殺ルですよぉ……! 絶対、隠れ家を見つけて滅茶苦茶に荒らして殺ルですよぉ!」

 

 戦槌ドリュッケンを担ぎ、据わった目で獲物を探す様に周囲を見渡していた。明らかにキレている。それはもう深く深~くキレている。言葉のイントネーションも所々おかしい事になっている。その理由は、ミレディ・ライセンの意地の悪さを考えれば容易に想像がつくだろう。

 シアの気持ちが良く分かる様で、なんとも言えないユエ。凄まじく興奮している人が傍にいると、逆に冷静になれるという事がある。ユエの心理状態が正にそんな感じだ。それとは逆に、ソウゴは何故か愉快そうに笑っている。

 

 

 現在それなりに歩みを進めてきたソウゴ達だが、ここに至るまで実に様々なトラップや例のウザい言葉の彫刻に遭遇してきた。シアがマジギレしていなければ、ユエがキレていただろう。

 遂に「フヒヒ」と奇怪な笑い声を発する様になったシアを引っ張りつつ、底意地の悪すぎるトラップが仕掛けられてない注意深く周囲を観察しながらソウゴ達は通路を進む。

 

 すると、暫くして複雑怪奇な空間に出た。階段や通路、奥へと続く入口が何の規則性もなくごちゃごちゃにつながり合っており、まるでレゴブロックを無造作に組み合わせて出来た様な場所だった。一階から伸びる階段が三階の通路に繋がっているかと思えば、その三階の通路は緩やかなスロープとなって一階の通路に繋がっていたり、二階から伸びる階段の先が、何もない唯の壁だったり、本当に滅茶苦茶だった。

 

「これはまた、ある意味典型的と言えそうな迷宮だな」

「……ん、迷いそう」

「ふん、流石は腹の奥底まで腐ったヤツの迷宮ですぅ。この滅茶苦茶具合が奴の心を表しているんですよぉ!」

「……気持ちは分かったが、そろそろ落ち着け」

 

 未だ怒り心頭のシア。それに呆れ半分同情半分の視線を向けつつ、ソウゴは「さて、どう進んだものか」と思案する。

「……ソウゴ様。考えても仕方ない」

「まぁ、そうだな。取り敢えず進むしかないか」

「ん……」

 ユエの言葉に頷くソウゴ。ソウゴは早速、入口に一番近い場所にある右脇の通路に適当に傷をつけて目印とし、進んでみる事にした。

 通路は幅二メートル程で、レンガ造りの建築物の様に無数のブロックが組み合わさって出来ていた。やはり壁そのものが薄ら発光しているので視界には困らない。緑光石とは異なる鉱物の様で薄青い光を放っている。

 ソウゴが試しに"鑑定"を使ってみると、"リン鉱石"と出た。どうやら空気と触れる事で発光する性質を持っている様だ。最初の部屋は、恐らく何かの処置をする事で最初は発光しない様にしてあったのだろう。そんな事を思い浮かべながら長い通路を進んでいると突然、

 

 ガコンッ

 

 という音を響かせてソウゴの足が床のブロックの一つを踏み抜いた。そのブロックだけソウゴの体重により沈んでいる。ソウゴ達が思わず「むっ?」と一斉にその足元を見た。

 その瞬間、

 

 シャァアアア!!

 

 そんな刃が滑る様な音を響かせながら、左右の壁のブロックとブロックの隙間から高速回転・振動する円形でノコギリ状の巨大な刃が飛び出してきた。右の壁からは首の高さで、左の壁からは腰の高さで前方から薙ぐ様に迫ってくる。

 

「二人共、出来るだけ私の背後に隠れる様に立て」

 

 ソウゴは二人にそう指示しつつ、首の高さの刃を掴んで握り潰す。腰の高さの物も軽く虫を払う様に手を振れば、まるで砂の塊の様に簡単に木端微塵になる。後ろから「はわわ、はわわわわ」と動揺に揺れる声が聞こえてくるが、苦悶の声ではない様なので怪我はしていないのだろうと推測するソウゴ。破片が飛ぶかと思い背後に来る様言ったが、問題無かった様だ。

 第二陣を警戒して暫く注意深く辺りを見回すソウゴ。しかし、どうやら今ので終わりらしい。「ふむ…」と息を吐き後ろを振り返ろうとして、ソウゴは微かな金属音を捉えた。

 

 自身の耳を信じるまま、頭上に向けて灼熱を放つ。直後、頭上からギロチンの如く無数の刃が射出され、そのままソウゴの焔に触れて溶ける間も無く蒸発する。やはり、先程の刃と同じく高速振動していた。

 

 微笑を浮かべて天井を見つめるソウゴ。ユエとシアは硬直している。

「ははっ、完全な物理トラップか。いいぞ、実にらしくなってきたではないか」

 ソウゴはこの迷宮に入ってから、やけに上機嫌で笑顔を浮かべている。どうやらこの迷宮の典型的なまでの『古代遺跡とそこに仕掛けられたトラップ』という状況が大層お気に召したらしい。それで気が昂ったのか、先程の焔は明らかに過剰な熱を持っていた。

「はぅ~、し、死ぬかと思いましたぁ~。ていうか、ソウゴさん! あれくらい普通に対処して下さいよぉ! 焼け死ぬかと思いましたよ!」

「すまんな、うっかり気が昂ってな」

「う、うっかりって……死ぬところだったんですがっ!」

「無傷だったのだから良いではないか」

「そりゃそうですけどね!?」

 楽し気に笑うソウゴに、掴みかからんばかりの勢いで問い詰めようとするシア。そんなシアにユエが言葉の暴力を振るう。

「……お漏らしウサギ。死にかけたのは未熟なだけ」

「おもっ、おもらっ、撤回して下さいユエさん! いくらなんでも不名誉すぎますぅ!」

 

 シアの「○○ウサギ」シリーズに新たに加わった称号の不名誉さに、シアが我慢出来ず猛抗議する。この迷宮に入ってから、この短時間で既に二度も死にかけたというのに意外に元気だ。やはり、シアの最大の強みは打たれ強さなのだろう。本人は断固として認めないだろうが。

 

 シアが文句を言った通り、完全な不意打ちに迎撃を選択したが、ソウゴならさっきの刃も障壁を張るなり盾を召喚するなりで受け止められただろう。身に纏う法衣自体もこの世ならざる素材を利用したものでかなりの防御力を誇っている為、そもそもあの程度では汚れすら付かない。

 しかし、先程のトラップは唯の人間を殺すには明らかにオーバーキルというべき威力が込められていた。並みの防具では、歯牙にもかけずに両断されていただろう。ソウゴの様に埒外の化物や、神代の素材を用いた武器防具でも持っていなければ回避以外に生存の道はない。

「でもまぁ、あの程度なら問題ないか」

 シアとユエの喧嘩? を尻目に、そう独りごちるソウゴ。どれだけ威力があっても、唯の物理トラップではソウゴは傷つけられないだろう。そして、ユエには"自動再生"がある。トラップにかかっても死にはしない。となると……必然的にヤバイのはシアだけである。その事に気がついているのかいないのか分からないが、シアのストレスが天元突破するであろう事だけは確かだった。

「あれ? ソウゴさん、何でそんな試す様な目で私を……」

「何でもない、行くぞシア」

 

 

 ソウゴ達は、トラップに注意しながら更に奥へと進む。

 今のところ、魔物は一切出てきていない。魔物のいない迷宮とも考えられるが、それは楽観が過ぎるというものだろう。それこそトラップという形で、いきなり現れてもおかしくない。

 

 ソウゴ達は、通路の先にある空間に出た。その部屋には三つの奥へと続く道がある。取り敢えず目印だけつけておき、ソウゴ達は階下へと続く階段がある一番左の通路を選んだ。

「うぅ~、何だか嫌な予感がしますぅ。こう、私のウサミミにビンビンと来るんですよぉ」

 階段の中程まで進んだ頃、突然、シアがそんな事を言い出した。言葉通り、シアのウサミミがピンッと立ち、忙しなく右に左にと動いている。

「そういう事を言うと大抵、直後に何か『ガコン』……すまん」

「わ、私のせいじゃないすぅッ!?」

「!? ……フラグウサギッ!」

 

 ソウゴとシアが話している最中に、嫌な音が響いたかと思うと、いきなり階段から段差が消えた。かなり傾斜のキツイ下り階段だったのだが、その階段の段差が引っ込みスロープになったのだ。しかもご丁寧に地面に空いた小さな無数の穴からタールの様なよく滑る液体が一気に溢れ出してきた。

 

「成程、その系統か」

 ソウゴは即座に浮遊系技能を発動し、それと同時に背後から鎖を射出しユエとシアを縛って滑り落ちない様に引き上げる。

「このタイプも典型だな」

「た、助かったですぅ……」

 ユエはともかく、経験の浅いシアでは一瞬で滑っていただろう。ソウゴは鎖を緩めていき、代わりに二人へ浮遊魔術を付与する。

「わわっ、飛んでます、飛んでますよ!」

「……ふふん」

「……何でユエさんが偉そうなんですかねぇ」

 そんなやり取りがありつつ、三人は元々進んでいた方向へ下っていく。

 そのまま三人は、長いスロープを抜けて広い空間に出た。そして、全員が何気なく下を見て盛大に後悔した。

 

 

 カサカサカサ、ワシャワシャワシャ、キィキィ、カサカサカサ

 

 

 そんな音を立てながら夥しい数の蠍が蠢いていたのだ。体長はどれも十センチくらいだろう。嘗ての蠍擬きの様な脅威は感じないのだが、生理的嫌悪感はこちらの方が圧倒的に上だ。即座に浮遊しなければ蠍の海に飛び込んでいたかと思うと、全身に鳥肌が立つ思いである。

 

「「……」」

 

「流石にこれはな……」

 思わず黙り込む二人と、難しい顔をしつつ蠍の海に炎弾を投げるソウゴ。蠍達の断末魔を聞きつつ、何気なく天井に視線を転じる。すると、何やら発光する文字がある事に気がついた。既に察しはついているが、つい読んでしまうソウゴ達。

 

 

 "彼等に致死性の毒はありません"

 "でも麻痺はします"

 "存分に可愛いこの子達との添い寝を堪能して下さい、プギャー!!"

 

 

 態々リン鉱石の比重を高くしてあるのか、薄暗い空間でやたらと目立つその文字。ここに落ちた者はきっと、蠍に全身を這い回られながら、麻痺する体を必死に動かして、藁にもすがる思いで天に手を伸ばすだろう。そして発見するのだ。このふざけた言葉を。

 

「「……」」

 

(これは……二人の精神衛生上良くないな)

 また違う意味で黙り込むユエとシアと、火縄大橙DJ銃を取り出し文字を破壊するソウゴ。「相手するな」と二人に言い聞かせ、何とか気を取り直すと周囲を観察する。

「……ソウゴ様、あそこ」

「どれどれ」

 すると、ユエが何かに気がついた様に下方のとある場所を指差した。そこにはぽっかりと横穴が空いている。

「横穴か……どうする? 元の場所に戻るか、あそこに行ってみるか」

「わ、私は、ソウゴさんの決定に従います」

「……同じく」

「シア、貴様の"選択未来"は如何なのだ?」

「うっ、それはまだちょっと。練習してはいるのですが……」

 

 "選択未来"はシアの固有魔術だ。仮定の先の未来を垣間見れるのだが、一日一回しか使用できない上、魔力も多大に消費するのであまり使えない固有魔術だ。シアの強みは身体強化なので、魔力が枯渇しては唯の残念なウサギになってしまう。一応日々鍛錬をしており、消費魔力が少しずつ減ってきていたりするのだが……十全に使いこなすにはまだまだ道のりは遠そうである。

「まぁ私が使ってもいいんだが、それでは面白くない。では横穴を行くとしよう」

 

「ん……、ん!?」

「はい!?」

 

 何気なく言われてつい流しそうになって、ソウゴの言葉に思わず二度見した二人。二人の驚いた顔に、ソウゴも意外そうな顔になる。

「? どうした、鳩が豆鉄砲食らった様な顔をして」

「どうした、じゃありませんよっ! ソウゴさんも使えるんですか!?」

「言ってなかったか。私が最も得意とするのは時を操る術でな、未来視もその一つだ。まぁここ暫くは戦闘にも使ってないがな」

「……初耳」

「やっぱり消費が激しいからですか?」

「いや? 単に先が分かってもつまらんからだ。後はまぁ……態々使う程の敵が居なかったのもあるが」

 

 ソウゴは何でもない様に言いつつ、浮かせた二人を伴って移動し横穴へと辿り着いた。

 

 

 リン鉱石の照らす通路はずっと奥まで続いている。特に枝分かれの通路がある訳でも無く、見える範囲では只管真っ直ぐだ。今までのミレディの罠の配置からして、捻りの無さは逆に怪しい。

 

 警戒しつつ──ソウゴだけは楽しみつつ、道なりに先へと進むソウゴ達。数百メートル進んだだろうか、代り映えのしない規則正しい石造りの通路は微妙に距離感を狂わせる。同じ場所をずっと歩き続けている様な錯覚に陥るのだ。

 

 何となく気分が悪くなりそうなソウゴ達だったが、まるでそんな心情を見越した様に変化が現れた。前方に大部屋が見えたのだ。何かありそうだと思いつつも、ソウゴ達は躊躇わず部屋へと飛び込んだ。…直後、ガコンッとお馴染みになった音が響く。

「さて今度は……天井か」

「……シアっ!」

「は、はいですぅ!」

「いや待て」

 

 全員が頭上に注意を向けた瞬間、ソウゴの言葉通り天井が降って来た。何とも古典的なトラップであるが、魔力行使が著しく難しいこの領域で範囲型のトラップは反則だ。

 

 

 もし通路から部屋を見ていた者がいたのなら、きっとズシャッ! という音と共に部屋が消えて通路が突然壁に覆われた様に見えただろう。通路の入口を完全に塞ぐ形で天井が落ちて来たのだ。後に残ったのは、傍から見れば一瞬で行き止まりとなった通路のみ。

 

 一見すれば、部屋全体を押し潰した天井により中にいたソウゴ達も圧殺されたとしか思えない状況だ。静寂がそれを後押ししている。

 

 だがソウゴ達が入って来たのとは反対側の壁に面する通路。そこにはいつの間にか三人の姿があった。

「いやはや、今のは少し焦ったな」

「……ん、潰されるのは困る」

「いやいや、困るとかそんなレベルの話じゃないですからね? 普通に死ぬところでしたからね?」

 

 逃げ場は無く、奥の通路までは距離がありすぎて普通に走ればソウゴ以外は間に合いそうにない。だからソウゴは、咄嗟にユエとシアを抱えて反対側の通路へテレポートしたのだ。

 安堵した表情で冷や汗を拭うユエとシアを立ち上がらせつつ、作り置きしてあったサンドイッチを取り出して簡易的なエネルギー補給をするソウゴ達。そうして気合を入れ直し前を向いた。

 そして再び、例のウザイ文を発見した。

 

 "ぷぷー、焦ってやんの~、ダサ~い"

 

 どうやらこのウザイ文は、全てのトラップの場所に設置されているらしい。ミレディ・ライセン……嫌がらせに努力を惜しまないヤツである。

「あ、焦ってませんよ! 断じて焦ってなどいません! ださくないですぅ!」

 ソウゴの視線を辿り、ウザイ文を見つけたシアが「ガルルゥ!」という唸り声が聞こえそうな様子で文字に向かって反論する。シアのミレディに対する敵愾心は天元突破しているらしい。ウザイ文が見つかる度に一々反応している。もしミレディが生きていたら「いいカモが来た!」とほくそ笑んでいる事だろう。

「いいから、行くぞ。いちいち気にするな」

「……思うツボ」

「うぅ、はいですぅ」

 

 その後も進む通路、辿り着く部屋の尽くで罠が待ち受けていた。突如全方位から飛来する毒矢、硫酸らしき物を溶かす液体がたっぷり入った落とし穴、アリジゴクの様に床が砂状化しその中央にワーム型の魔物が待ち受ける部屋、そしてウザイ文。その悉くをソウゴが無効化するが、シアのストレスはマッハだった。

 

 

 その後も暫く歩き、この迷宮に入って一番大きな通路に出た。幅は六、七メートルといったところだろう。結構急なスロープ状の通路で緩やかに右に曲がっている。恐らく螺旋状に下っていく通路なのだろう。

 ソウゴ達は警戒する。こんな如何にもな通路で何のトラップも作動しないなど有り得ない。

 

 そして、その考えは正しかった。もう嫌というほど聞いてきた「ガコンッ!」という何かが作動する音が響く。既に、スイッチを押そうが押すまいが関係なく発動している気がする。なら、スイッチはつくる必要はないのでは? と思うソウゴだったが、きっとそんな思いもミレディ・ライセンは織り込み済みなのだと捉える。

 今度はどんなトラップだ? と周囲を警戒するソウゴ達の耳にそれは聞こえてきた。

 

 

 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……

 

 

 明らかに何か重たいものが転がってくる音である。

「「「……」」」

 三人が無言で顔を見合わせ、同時に頭上を見上げた。スロープの上方はカーブになっているため見えない。異音は次第に大きくなり、そして……カーブの奥から通路と同じ大きさの巨大な大岩が転がって来た。岩で出来た大玉である。全くもって定番のトラップだ。きっと、必死に逃げた先には、またあのウザイ文があるに違いない。

 

 ユエとシアが踵を返し脱兎の如く逃げ出そうとする。しかし、少し進んで直ぐに立ち止まった。ソウゴが付いて来ないからだ。

「……ん、ソウゴ様?」

「ソウゴさん!? 早くしないと潰されますよ!」

 

 二人の呼びかけに、しかしソウゴは答えず、それどころかその場で腰を軽く落として左手を真っ直ぐに前方に伸ばした。掌は大玉を照準する様に掲げられている。そして、右腕は軽く引き絞られた状態で鈍い光沢を放つ鉄色に変色する。

 ソウゴは轟音を響かせながら迫ってくる大玉を真っ直ぐに見つめ、しかし意識は背後にいる二人に向ける。

「二人共、よく見ておけ」

 鈍色に輝く腕が放つ圧力が、ソウゴの言葉と共に一層激しさを増す。

 そして……

 

 ゴガァアアン!!!

 

 凄まじい破壊音を響かせながら大玉が木端微塵に弾け飛ぶ。

 ソウゴは拳を突き出した状態で残心し、やがてフッと気を抜くと体勢を立て直した。左腕からはもう鈍い鉄の輝きは消えている。ソウゴはユエとシアの方へ振り返った。

 

「今のは手本だ。いずれ貴様等にもコレを使える様になってもらうぞ」

 

 ソウゴが使ったのは、"覇気"と呼ばれる力の一つである"武装色の覇気"。その発展形の"流桜"である。近接戦主体のシアは勿論、近距離での戦闘手段を持たないユエが対応出来る様に覚えさせるつもりで手本として見せたのだ。

 

「ソウゴさ~ん! 流石ですぅ! カッコイイですぅ! すっごくスッキリしましたぁ!」

「……ん、すっきり」

 

「……聞いてないな」

 言葉を聞かずに燥ぐ二人に苦笑いするソウゴ。それだけストレスが溜まっていたのだと解釈して好きな様にさせようとしたソウゴだが、その耳は新たな脅威を察知する。

 

 

 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……

 

 

 という聞き覚えのある音によって。溜息を吐くソウゴ。笑顔で固まるシアと無表情ながら頬が引き攣っているユエ。締め切りを迫られる小説家の様に背後を振り向いたユエ達の目に映ったのは……

 

 ───黒光りする金属製の大玉だった。

 

「……はぁ」

 ソウゴが先程より深く溜息を吐いた。

「あ、あのソウゴさん。気のせいでなければ……アレ、何か変な液体撒き散らしながら転がってくる様な……」

「……溶けてる」

 そう。事もあろうに金属製の大玉は、表面に空いた無数の小さな穴から液体を撒き散らしながら迫ってきており、その液体が付着した場所がシュワーという実にヤバイ音を響かせながら溶けている様なのである。

 

 ソウゴはそれを確認し一度「二度目は適当でいいか」と呟くと、無言で大玉に向けて灰色のオーロラを出現させる。そのまま大玉の方へ進ませると、オーロラは液体ごと大玉を飲み込んで消えた。

 ソウゴはそのまま振り返り、何事も無かった様に「行くぞ」と声を掛けて歩き出した。そんなソウゴに釣られた様に、ユエもシアも無表情になって歩き出した。

 

 

 その後先程の蠍の間の様な広間に出たが、同じくソウゴによって浮遊状態を付与されて楽に超えて反対側の部屋に辿り着く三人。

 

 その部屋は長方形型の奥行きがある大きな部屋だった。壁の両サイドには無数の窪みがあり、騎士甲冑を纏い大剣と盾を装備した身長二メートル程の像が並び立っている。部屋の一番奥には大きな階段があり、その先には祭壇の様な場所と奥の壁に荘厳な扉があった。祭壇の上には菱形の黄色い水晶の様な物が設置されている。

 

 ソウゴは周囲を見渡しながら話しかける。

「如何にもな扉だな。ミレディの住処に到着か? それなら少々拍子抜けだが……この周りの騎士甲冑が飾りでない事を願おう」

「……大丈夫、お約束は守られる」

「それって襲われるって事ですよね? 全然大丈夫じゃないですよ?」

 そんな事を話しながらソウゴ達が部屋の中央まで進んだ時、確かにお約束は守られた。

 毎度お馴染みのあの音である。

 

 ガコン!

 

 ピタリと立ち止まるソウゴ達。内心「やっぱりなぁ~」と思うユエとシア、そして喜ぶソウゴ。周囲を見ると、騎士達の兜の隙間から見えている眼の部分がギンッと光り輝いた。そしてガシャガシャと金属の擦れ合う音を立てながら、窪みから騎士達が抜け出てきた。その数、総勢五十体。

 

 騎士達はスっと腰を落とすと、盾を前面に掲げつつ大剣を突きの型で構えた。窪みの位置的に現れた時点で既に包囲が完成している。

 

「呵々、期待通りだな。ユエ、シア。やるぞ」

「んっ」

「か、数多くないですか? いや、やりますけども……」

 ソウゴは腰に佩いた逢魔剣を抜く。ここまで数々のトラップを処理してきたソウゴだが、やはり彼の本領は相対者のいる戦闘及び殲滅。一騎当億の大覇王なのだ。それがやっと発揮できる場面になり、ソウゴは中々に高揚している。

 

 ユエはソウゴの言葉に気合に満ちた返事を返した。この迷宮内では、自分が一番火力不足である事を理解している。だが足手纏いになるつもりは毛頭ない。ソウゴのパートナーたるもの、この程度の悪環境如きで後れを取る訳にはいかないのだ。まして今は、もしかしたら或いは、万に一つの可能性で恋敵になるやもしれない相手もいるのだから余計無様は見せられない。

 

 一方シアは、少々腰が引け気味だ。この環境で影響無く力を発揮出来るとは言え、実質的な戦闘経験はかなり不足している。真面な魔物戦は谷底の魔物だけで、僅か半日程度の事だ。ユエとの模擬戦を合わせても半年にも満たない戦闘経験しかない。元々ハウリア族という温厚な部族出身だった事からも、戦闘に対して及び腰になるのも無理はない。寧ろ、気丈にドリュッケンを構えて立ち向かおうと踏ん張っている時点でかなり根性があると言えるだろう。

 

「シア」

「は、はいぃ! な、何でしょうソウゴさん」

 

 緊張に声が裏返っているシアに、ソウゴは声をかける。それは、どことなく普段より柔らかい声音だった……シアの気のせいかもしれないが。

「貴様は強い、私達が保証してやる。こんなガラクタ如きに負けはせんよ。だから下手な事は考えず好きに暴れよ、危ない時は援護する」

「……ん、弟子の面倒は見る」

 シアはソウゴとユエの言葉に思わず涙目になった。単純に嬉しかったのだ。色々と扱いが雑だったので「ひょっとして付いて来た事も迷惑に思っているんじゃ…」とちょっぴり不安になったりもしたのだが……杞憂だった様だ。ならば、未熟者は未熟者なりに出来ることを精一杯やらねばならない。シアは全身に身体強化を施し、力強く地面を踏みしめた。

「ふふ、ソウゴさんが少しデレてくれました。やる気が湧いてきましたよ! ユエさん、下克上する日も近いかもしれません」

 

「「……調子に乗るな」」

 

 ソウゴとユエの両方に呆れた眼差しを向けられるも、テンションの上がってきたシアは聞いていない。真っ直ぐ前に顔を向けて騎士達を睨みつける。

「かかってこいやぁ! ですぅ!」

「やる気が出たのなら可とするか……」

「……だぁ~」

「……貴様はもう少し真面目にやれ」

 五十体のゴーレム騎士を前に、戦う前から何処か疲れた表情をするソウゴ。そんなソウゴの状態を知ってか知らずか……ゴーレム騎士達は一斉に侵入者達を切り裂かんと襲いかかった。

 

 

 ゴーレム騎士達の動きは、その巨体に似合わず俊敏だった。ガシャンガシャンと騒音を立てながら急速に迫るその姿は、装備している武器や眼光と相まって凄まじい迫力である。まるで四方八方から壁が迫って来たと錯覚すらしそうだ。

 そんなゴーレム騎士達に向けて先手を取ったのはソウゴだ。握り締めた至高の一振りが、神すら置き去りにする速度と威力を以てゴーレム騎士達に放たれた。

 

 スゥッ……───

 

 不可視の閃光が寸分違わず二体のゴーレム騎士を切り刻む。自身の駆けた勢いでパズルの様に崩れて散らばる騎士達、それを踏み越えて後続の騎士達がソウゴ達へと迫る。ソウゴはそれを蹴飛ばしてスクラップに変え、かかって来いと後続に手招きする。

 

 そんなソウゴに次々と鉄屑にされながら、遂にソウゴ達の目前へと迫った数体の騎士。

 

 だがそこは、青みがかった白髪を靡かせ超重量の大槌を大上段に構えたまま飛び上がっていたシア・ハウリアのキルゾーンだ。限界まで強化したその身体能力を以て遠慮容赦の一切を排した問答無用の一撃を繰り出す。

「でぇやぁああ!!」

 

 ドォガアアア!!

 

 気合一発。打ち下ろされた戦槌ドリュッケンは、凄まじい衝撃音を響かせながら一体のゴーレム騎士をペシャンコに押し潰した。一応騎士も頭上に盾を構えていたのだが、その防御ごと圧壊されたのである。

 地面にまで亀裂を生じさせ、めり込んでいるドリュッケン。渾身の一撃を放ち死に体となっていると判断したのか、盾を構えて衝撃に耐えていた傍らの騎士が大きく大剣を振りかぶりシアを両断せんと踏み込む。

 シアはそれをしっかり横目で確認していた。柄を捻り、ドリュッケンの頭の角度を調整すると柄に付いているトリガーを引く。

 

 ドガンッ!!

 

 そんな破裂音を響かせながら地面にめり込んでいたドリュッケンが跳ね上がった。シアの脇を排莢されたショットシェルが舞う。跳ね上がったドリュッケンの勢いを殺さず、シアはその場で一回転すると遠心力をたっぷり乗せた一撃を、今正に大剣を振り下ろそうとしている騎士の脇腹部分に叩きつけた。

「りゃぁあ!!」

 そのまま気迫を込めて一気に振り抜く。直撃を受けた騎士は、体をくの字に折り曲げてまるで高速で突っ込んできたトラックに轢かれたかの様にぶっ飛んでいき、後ろから迫って来ていた騎士達を盛大に巻き込んで地面に叩きつけられた。騎士の胴体は、原型を止めない程拉げており身動きが取れなくなっている。そこへ、

 

 ヒュンヒュンッ!

 

 そんな風切り音がシアのウサミミに入る。チラリと上空を見ると、先程のゴーレム騎士が振り上げていた大剣がシアに吹き飛ばされた際に手放なされた様で、上空から回転しながら落下してくるところだった。シアは落ちてきた大剣を跳躍しながら掴み取ると、そのまま全力で迫り来るゴーレム騎士に投げつけた。

 

 大剣は尋常でない速度で飛翔し、ゴーレム騎士が構えた盾に衝突して大きく弾く。シアはその隙を逃さず踏み込み、下段からカチ上げるようにドリュッケンを振るった。腹部に衝撃を受けた騎士の巨体が宙に浮く。騎士が苦し紛れに大剣を振るうが、シアはカチ上げたドリュッケンの勢いを利用してくるりと回転し大剣をかわしながら、再度今度は浅い角度で未だ宙に浮く騎士にドリュッケンを叩きつけた。

 先のゴーレム騎士と同様、砲弾と化してぶっ飛んだゴーレム騎士は後続の騎士達を巻き込みひしゃげた巨体を地面に横たわらせた。

 

 シアの口元に笑みが浮かぶ。戦いに快楽を覚えたからではない。自分がきちんと戦えている事に喜びを覚えているのだ。自分はちゃんとソウゴ達の旅に付いて行けるのだと実感しているのだ。その瞬間、ほんの少しだけ気が抜ける。

 

 戦場でその緩みは致命的だった。気がつけば視界いっぱいに騎士の盾が迫っていた。なんとゴーレム騎士の一体が自分の盾をシアに向かって投げつけたのである。流石ゴーレムというべきか、途轍もない勢いで飛ばされたそれは身体強化中のシアにとって致命傷になる様なものではないが、脳震盪位は確実に起こす威力だ。そうなれば、一気に畳み込まれるだろう事は容易に想像できる。

 

 まさか盾を投げつけるなどといった本職の騎士でもしなさそうな泥臭い戦い方をゴーレム騎士がするとは思いもしなかったシア。最早「しまった!」と思う余裕も無い。せめて襲い来るであろう衝撃に耐えるべく覚悟を決める。だが盾がシアに衝突する寸前で銃撃が飛来し盾に衝突、破壊しその破片を撒き散らす。破片はシアの頭部のすぐ脇を通過し、背後のゴーレム騎士に突き刺さる。

 

「……油断大敵。お仕置き三倍」

「ふぇ!? 今のユエさんが? す、すみません、ありがとうございます! ってお仕置き三倍!?」

「ん……気を抜いちゃダメ」

「うっ、はい! 頑張りますぅ!」

 

 ユエに「メッ!」という感じで叱られてしまい、自分が少し浮かれて油断してしまった事を自覚するシア。反省しながら気を引き締めなおす。改めて迫って来たゴーレム騎士を倒そうとして、後方から飛んできたゲリラ豪雨の様な銃撃が、密かにシアの背後を取ろうとしていたゴーレム騎士をドパンッと焼断したのを確認した。

 

 ユエが自分の背中を守ってくれていると理解し心の内が温かくなるシア。師匠の前で無様は見せられないと、より一層気合を入れた。

 その後も、暴れるシアの死角に回ろうとする騎士がいれば同じ様に弾丸が飛び、最早撃ち抜くというより焼き払っていく。

 

 ユエは両手に、盾とガトリング銃が組み合わさった様な武器を持っていた。両肩には小型砲台の様な物を纏っている。

 これらはソウゴから貸し与えられた武器"ウォーターメロンガトリング"、及び"ギガキャノン"だ。ユエが引き金を引けば銃弾が、撃つと頭で思う度に砲弾が飛び出し敵を粉砕していく。

 

 シアの爆発的な近接攻撃力と、その死角を補う様に放たれるユエの砲銃火。騎士達は二人のコンビネーションを破る事が出来ず、いい様に翻弄されながら次々と駆逐されていった。

 

 

 そんな素晴らしい連携を披露するユエとシアを横目にソウゴは呟く。

「シアの初陣は良好、ユエも初めて使う割には上手くやっている」

 そんな風に分析しながら、ゴーレム騎士達を片付けていくソウゴ。

 騎士の振り下ろした大剣を叩き壊し、逢魔剣を振るう。盾ごと両断される騎士には目もくれず、そのまま振り向かずに背後の騎士を貫く。横凪に振るわれた大剣を防御姿勢を取るでもなく身体で受け止め、砕け散る大剣には目もくれず騎士達を切り裂く。

 素の技量のみで放たれた斬撃が、まるで素振りの様に盾も鎧も滑らかに切り裂いていく。

 そうやって、まるで子供が持て余した傘で道端の草花を斬り飛ばす様な気軽さで次々とゴーレム騎士達を屠っていった。

 

「ふむ、こんなものか」

「……ん、終わり」

「や、やっと終わりました」

 

 一息つきながら祭壇へ向かう三人。

 

 

 実はこの部屋の床、及びゴーレム騎士は"感応石"という鉱石で作られており、その性質故の再生能力があるのだが、ソウゴ自身とその武器に付与された不可逆と魔力遮断の性質によって再生能力が無効化されたのだ。

 シアのドリュッケンはソウゴ謹製の品であり、ユエが使っていたのはソウゴからの借り物だ。だから二人が倒した騎士達も復活しなかったのだ。

 

 

 そんな事に気付く由も無く、三人は祭壇を超え扉に辿り着く。

「ユエさん、扉は?」

「ん……やっぱり封印されてる」

「あぅ、やっぱりですか」

 見るからに怪しい祭壇と扉なのだ。封印は想定内。

「封印の解除はユエに任せる。出来るな?」

「ん……任せて」

 

 ユエは、二つ返事で了承し祭壇に置かれている黄色の水晶を手に取った。その水晶は正双四角錐をしており、よく見れば幾つもの小さな立体ブロックが組み合わさって出来ている様だ。

 ユエは背後の扉を振り返る。其処には三つの窪みがあった。ユエは少し考える素振りを見せると、正双四角錐を分解し始めた。分解し各ブロックを組み立て直す事で、扉の窪みにハマる新たな立方体を作ろうと考えたのだ。

 分解しながら、ユエは扉の窪みを観察する。そして、よく観察しなければ見つからないくらい薄く文字が彫ってある事に気がついた。それは……

 

 "解っけるかなぁ~、解っけるかなぁ~"

 "早くしないと死んじゃうよぉ~"

 "まぁ、解けなくても仕方ないよぉ! 私と違って君は凡人なんだから!"

 "大丈夫! 頭が悪くても生きて……いけないねぇ! ざんねぇ~ん! プギャアー!"

 

 何時ものウザイ文だった。めちゃくちゃイラっとするユエ。いつも以上に無表情となり、扉を殴りつけたい衝動を堪えながらパズルの解読に集中する。

 

 

 それから五分程して、

「……開いた」

「早かったな、進むぞ」

「はいっ!」

 

 部屋の中は、遠目に確認した通り何もない四角い部屋だった。てっきり、ミレディ・ライセンの部屋とまではいかなくとも、何かしらの手掛かりがあるのでは? と考えていたので少し拍子抜けする。

「これは、あれか? これみよがしに封印しておいて、実は何もありませんでしたというオチか?」

「……ありえる」

「うぅ、ミレディめぇ。何処までもバカにしてぇ!」

 三人が一番あり得る可能性を浮かべていると、突如もううんざりする程聞いているあの音が響き渡った。

 

 ガコン!

 

「「「!!」」」

 仕掛けが作動する音と共に部屋全体がガタンッと揺れ動いた。そして、ソウゴ達の体に横向きのGがかかる。

「この部屋自体が移動してるのか?」

「……そうみたッ!?」

「うきゃ!?」

 

 ソウゴが推測を口にすると同時に、今度は真上からGがかかる。急激な変化に、ユエが舌を噛んだのか涙目で口を抑えてぷるぷるしている。シアは転倒してカエルの様なポーズで這いつくばっている。

 

「…! 久方振りに使うべきか!」

 

 瞬間、ソウゴは頭を駆け巡った直感に従って未来視を発動する。数千年ぶりに使用したその視界は、数十秒後の自分達の姿を正確に映す。

「これは……流石に笑い事ではすまんな!」

 ソウゴは部屋の壁を殴り壊し、ユエとシアを小脇に抱えて飛び出した。

「……ソウゴ様?」

「ど、どうしたんですか!?」

「なに、少し質の悪い未来が視えたんでな」

 ソウゴは手短に話し、手近な通路に降り立った。そのまま二人を降ろすと、ソウゴはすぐ傍の壁に手を置いた。

「これはついでだが……。ミレディ・ライセン、少し弄らせてもらう」

 その言葉と共に、二人はソウゴの魔力が途轍もなく広範囲に広がるのを感じ取った。まるで植物の根の様に広がったそれは、数秒と経たずにその場に定着する。

「……何したの?」

「大した事では無い。少し釘を刺しただけだ」

 それだけ言うと、ソウゴは二人を立たせて先へ進んだ。

 

 

 

 実は先程の部屋、双六で言うところの「振出しに戻る」系統のトラップであり、その先の壁には……

 

 "ねぇ、今どんな気持ち?"

 "苦労して進んだのに、行き着いた先がスタート地点と知った時ってどんな気持ち?"

 "ねぇねぇ、どんな気持ち? どんな気持ちなの? ねぇねぇ"

 "あっ! 言い忘れてたけど、この迷宮は一定時間毎に変化します"

 "いつでも新鮮な気持ちで迷宮を楽しんでもらおうという、ミレディちゃんの心遣いです"

 "嬉しい? 嬉しいよね? お礼なんていいよぉ! 好きでやってるだけだからぁ!"

 "因みに、常に変化するのでマッピングは無駄です"

 "ひょっとして作っちゃった? 苦労しちゃった? 残念! プギャァー!"

 

 という文が彫られていたのだが、ソウゴが未来視によって部屋を強引に脱出し、その上迷宮の仕組みに介入して変化機構を無効化した為に、この文こそが無駄になった事を知った創造主が悔しがるのはソウゴ達には知らぬ話。

 

 




やっぱり覇気って必修技能だよね。


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第九話 魔王無双/少女夢想

注意 今回の話、キャラヘイトのつもりは一切ありません。いやほら、重力とか地震とか噴火とか、ファンタジー系の強能力だと割と定番だよね……ね? 

後、戦闘シーンにおいて、ユエとシアがほぼ空気化します。


 【ハイリヒ王国】の王宮の一角には、この世界に召喚された異世界の生徒達専用に開放された食堂兼サロンがある。生徒一人一人に専属の侍従が付けられており、このサロンに来て生徒達が視線を彷徨わせれば、それだけで要望有りと判断して彼等が傍に寄って来る。そうして飲み物でも食べ物でも、頼めば洗練された仕草と共に直ぐに用意してくれるのだ。

 部屋に関しても生徒達には一人一人に専用の部屋が与えられているのだが、異世界の地で一人部屋に引き籠るのは酷く寂しく強い孤独を感じてしまうせいか、一部の例外を除いて大抵はこのサロンで雑談やら何やらで時間を潰す日々を送っていた。

 

 勿論、彼等がこの世界に招かれたのは無為な時間を過ごす為ではない。魔人族という人間族の怨敵と戦争をし勝利する為だ。

 

 では何故そんな彼等彼女等の大半が、日も高い日中にサロンで雑談に時間を浪費しているのかというと……

 

 

 有り体に言って、心が折れたからだ。

 

 

 生徒達は数ヵ月前に、死を目の当たりにした。【オルクス大迷宮】という陽の光が届かない地の底で、慈悲など欠片も持たない魔物の殺意を叩きつけられ、誰もが己の死を幻視する程追い詰められ、実際に一人のクラスメイトが死に誘われて消えてしまった。

 

 ──剣と魔法のファンタジー

 

 夢と希望の詰まった心躍るそのイメージは、圧倒的な現実の非情さと予想を軽く超えて来る不条理の前にあっさりと砕け散った。戦場に出れば死ぬ。そんな当たり前の事を、彼等は大きすぎる代償と共に骨身に刻み込まれてしまったのだ。

 意気揚々と魔法を練習し、己の天職が示す才能に一喜一憂し、魔物を屠る快感に酔いしれる。そんな気持ちは既に微塵も湧き上がりはしない。

 

 どんな人間でも死ぬ時は死ぬ。

 

 それを真に理解した彼等は戦えなくなったばかりか、王都の外に出る事が出来なくなった。

 

 当然、王国や聖教教会上層部はそんな生徒達を戦いへと促した。強引な手法を取った訳ではない、あくまで言葉による説得だ。だがそれでも、ただでさえ追い詰められていた生徒達の心はその説得の言葉に更に追い詰められる事になった。従わなければ、ここを追い出されるのではないか? そうなれば誰の庇護も無いまま、この命が酷く軽い世界に放り出されるのではないか? と。

 

 そんな時だ。その有する天職の希少性と特性から、生徒達とは別行動で各地の食料問題を解決する為に遠征していた──畑山愛子教諭が帰還したのは。

 

 帰還した愛子は帰らぬ人となった少年の事を聞き、激しく取り乱した。しかし愛子は、一見して分かる程追い詰められている生徒達を見ると直ぐ様立ち上がった。毅然とした態度と不退転の意志、そして自分の希少性すら利用した交渉で上層部からの戦線復帰を促す説得を止めさせたのだ。

 

 結果、生徒達は戦いに出る必要も無く、愛子の庇護の下王宮での暮らしを確約されこうしてサロンで身を寄せ合って雑談しているのである。

 

「なぁ聞いたか? 天之川達、遂に七十階層に到達したんだってさ」

「マジかよ。ついこの間、未踏区域の六十六階層の攻略に入ったばっかじゃん」

「流石勇者パーティってか? 俺達みたいな凡人とは出来が違うんだよな」

 肩を竦めて、すまし顔でそんな事を言った男子生徒の一人──玉井淳史は、しかしその表情に何とも言えない複雑な表情を浮かべていた。一番強いのは羨望だろうか。九死に一生を得て、それでも尚前人未到の魔境へ挑み続けている光輝達に、それが出来ている事に羨む気持ちを持たずにはいられない様だ。同時に、自分に対する情けなさと、その事実から目を逸らしている事の気まずさ、それでもあの日の事を思い出せば不可避的に湧き上がる根源的な恐怖の色がチラついていた。

 

 それは淳史に限った事ではなく、今このサロンにいる居残り組の大半も同じ気持ちだった。日本に、家に帰りたい。その為には魔人族との戦争に勝利して、自分達をこの世界に召喚した聖教教会の信仰する創世神エヒトの力を借りなければならない。そう分かっていても、心は奮い立たない。恐怖の黒が、意志の白を塗り潰してしまう。

「そうだよね。やっぱ香織ちゃんとか雫っちとか、ああいう特別っぽい子じゃないとねぇ」

「そうそう。雫とかマジ格好良かったもんね。私、うっかり惚れちゃいそうになっちゃったよ~」

「あはは、なにそれ~。百合は鈴だけで十分だって!」

「えっ、鈴ちゃんってガチなの!?」

「いや、あれは中身がオッサンなだけっしょ」

 淳史達男子と同じく、女子達も表面上は明るくお道化る様に、されどどこか羨望と後ろめたさを宿した表情で上滑りの会話を続ける。そこへ男子達も参加して、何の意味も無い虚しく乾いた会話が続いていく。まるで会話が途切れる事を恐れる様に。

 

 そんな彼等彼女等の様子を、サロンに控える侍従達も露骨な視線を向ける者は皆無であったものの、様々な目で見ていた。

 

 神に選ばれておきながら、或いは仲間が今も戦っているというのにこんな所で何を無意味な時間を過ごしているのかという冷ややかなもの、生徒達の心に巣食った恐怖を察し、そして故郷に帰れない現状に憐憫を宿したもの、ただの学徒だった彼等をここまで追い詰めてしまった事に対する申し訳なさそうなもの、既に見切りをつけたのか、何の感情も浮かんでいない無関心なもの……。

 

 侍従達の垣間見せるそれらは、そのままこの国の貴族達や聖教教会関係者が居残り組に向ける感情だった。勿論、所属によって比率は変わるが。

 そして居残り組も、何となく自分達に向けられる感情の空気は感じ取っていた。それがまた、彼等の現実逃避と傷の舐め合いに等しい乾いた会話へ傾いていく。

 そこへ、ポツリと小さな呟きが零れ落ちた。

 

「……雫様とて、女の子である事に変わりはないでしょうに……」

 

 それは誰に聞かせるでもない、本当に思わず漏れ出た独り言だったのだろう。だがタイミングが悪かった様で、丁度会話が途切れた直後に放たれたその言葉はサロンの全員に届いてしまった。

 生徒達がハッとした様に呟きを漏らした侍従──普段は雫の専属をしているニアへ視線を向けた。ニアは、明らかに余計な事を口走ったと言いたげな様子で直ぐに頭を下げるが……

 

「……何だよ、何か文句でもあんのかよ」

 

 淳史が眉根を寄せて、低く唸る様な声音をニアへ向ける。剣呑な雰囲気を発してはいるものの、しかしその視線は斜め下へ逸らされている。それがニアへの反応が半ば八つ当たり的なものであると如実に示していた。

「いえ、文句などではありません。申し訳ありませんでした」

 再度ニアは、生徒達に向けて深々と頭を下げる。しかし淳史は、そんなニアの殊勝な態度が癇に障った様で、尚言い募るべく口を開いた。

「誰も謝れなんて言ってねぇだろ、馬鹿にしてんのかっ!? 八重樫さんだって変わんないって……つまり変わらないのに俺達だけ戦わないのが情けないって、そう言いたいんだろうが! はっきり言ったらどうだよ!!」

「お、おい。淳史、それくらいにしとけって」

「メイドさんに当たってどうすんだよ」

 癇癪を起した子供の様に怒声を上げる淳史に、友人の相川昇と仁村明人が宥める様に声を掛ける。

「うるせぇよ、俺はただっ……ただ……、くそっ」

「淳史……」

「玉井くん……」

 

 言葉にならない鬱屈した感情が渦巻いて、苛立たし気な様子を露わにする淳史。傍らの昇と明人が何とも言えない表情で淳史から視線を逸らし、女子生徒の何人かも淳史に声を掛けようとしては口を紡ぐ。全員分かるのだ。淳史の言葉に出来ない、まるで蜘蛛の巣にでも搦め捕られたかの様な重く粘ついた心情を。

 俯いて表情を隠す淳史に、ニアが一歩進み出る。

「淳史様。ご気分を害する様な発言をしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。ただ決して、淳史様を含め皆様に皮肉を申し上げた訳では無いのです。どうか、それだけは……」

「ニアさん……、いやその、俺の方こそ……すみません……」

 改めて深々と頭を下げながら、確かに誠意を感じる態度と声音で謝罪するニアに淳史は気まずそうに視線を逸らしながらも、少し気持ちが落ち着いた様で謝罪を返す。実際のところ、悪い所が無い女性に癇癪を起した挙句頭を下げさせているのだ。居た堪れない事この上ない。

 

 そんな淳史にニアは僅かに微笑むと、今度は流さず自分の発言の真意を伝えようと口を開く。

「皆様も。先程の私の不用意な発言でご気分を害されたのなら謝罪致します。しかし、私は雫様付きの侍従として、いえ…一人の友人として思うのです。雫様もまた、時には誰かに守られ、頼り、甘えるべき女の子であるべきだと」

「……でも、雫っちは超強いし。何時だって頼りになるし……正直、弱っちい雫っちなんて想像出来ないんだけど」

「そうだよね……」

 居残り組の女子──宮崎奈々が苦笑いを浮かべながらそう言い、友人である菅原妙子が同意する。

「確かに、雫様に付いてお世話をしていても彼女が弱みを見せたところなど見た事がありません。ですが、完璧な人間などいる筈がありません。雫様もまた、少し前まではただの学徒でしかなかった十代の女の子です。ならば今は大丈夫でも……やっと生還したこの王宮で、心安らぐ暇も無く皆様の"雫様なら出来て当然"というお気持ちが彼女を追い詰めていくのではないかと、私はそれを危惧しているのです」

「ニアさん……」

 

 

 想像以上に雫の事を考えての発言だった事に、奈々達や淳史達が僅かに動揺した様に身動ぐ。

 

 雫の専従として任じられたニアは、騎士の家系の出だ。幼い頃から父や兄達に囲まれて剣術を嗜んでおり、同じく幼少の頃より剣術を習ってきた雫とはお互いのよく似た家庭環境等が相まって直ぐに打ち解けた。最初は神の使徒に対する世話という重圧に終始緊張しっぱなしだったニアだったが、今では友人であると抵抗無く言えるくらいである。だからこそ前人未到の階層に挑んでいる異世界の友人の事を本心から心配しており、故にこそ、居残り組の雫達を特別扱いする発言に心が波立った。大きすぎる期待が、雫の心を擦り減らしてしまうのではないかと。

 その時、このサロンにいながら特に会話には参加せず、どこか遠い目をして静かに座り込んでいた女子生徒の一人がポツリと呟きを口にした。

 

「皆……変わらない、か……」

 

「優花? どうしたの、大丈夫?」

「ひ、久しぶりに優花っちが喋った……マジで大丈夫?」

 妙子と奈々が少しの驚きと心配を含んだ様子でもう一人の友人──園辺優花へ注意を向ける。

 二人の驚きと心配は尤もだった。なにしろあの日、九死に一生を得て生還した日から、優花はまるで生気を失くした様に無気力状態に陥っていたのだ。本来なら、少し勝気な言動が目立つ良くも悪くもパワフルな少女なのだが、口数は激減して友人達が連れ出さなければ一日中自室の椅子に腰かけ、外をボーっと眺めているだけという重症振り。居残り組の中でも一際精神的ダメージが深い者として認識されていた訳であるから、そんな優花が自主的に話し出した事は確かに驚くに値する出来事だった。

 

 しかし当の本人はそんな友人二人の様子にも気が付かない様子で、虚空を見つめたまま言葉を続ける。

「……そうだよね。雫だけじゃない、香織ちゃんや坂上くんも、永山くん達も、檜山達も、きっと天之川くんだって……変わらない。でも、彼は違う……。天之川くんだって、同じなのに……、なら……もしかして……」

 意味を成さない言葉の羅列。誰に聞かせるでもない、心情の吐露。ずっと塞ぎ込んでいた優花の中で、何かが動き出した。

 一人ブツブツと呟く優花に心配そうな表情を深める奈々と妙子だったが、虚空を見つめる優花の瞳が少しずつ光を取り戻していく様を見て、互いに顔を見合わせる。優花の様子に何事かと注目していた他の生徒達も、互いに顔を見合わせて困惑の表情を浮べている。

「ニアさん、愛ちゃん先生の出発って何時でしたっけ?」

「愛子様ですか? 確か……明日の朝には出ると聞き及んでおりますが。行先は湖畔の町ウルですので、帰還には二~三週間かかると思います」

「うわぁ、明日か……うん、逆に良いかな。こういうのは時間を置くと萎えちゃうし」

 

 ニアの返答を聞いた優花は苦笑いしつつ、勢いよく椅子から立ち上がった。その躍動感と力強さを感じる動きに、奈々と妙子は思わず瞠目する。ここ最近全く見なかった友人の姿だ。思わず奈々が問う。

「ちょっ、ちょっと優花っち。いきなりどうしたの? 訳わかんないんだけど」

 

「うん、なんていうか……いい加減じっとしてられないなって思ってさ。だから私、明日の愛ちゃんの遠征に付いて行くよ」

 

 さらりと告げられた優花の決断に、奈々や妙子だけでなく居残り組全員がポカンと間抜け面を晒す。それも当然だろう。優花こそ、心折られた生徒の筆頭という有様だったのだ。空虚な瞳と無気力な態度、時折恐怖に顔を歪める……。王国に帰還してから、ずっと優花が見せていた姿だ。それがいきなり元に戻った様で、奈々達は困惑せずにはいられなかった。

「お…おい、園辺。マジでどうしたんだよ? 何かお前、おかしいぞ? ちょっと落ち着けって」

 我に返った淳史が、何やら焦った様子で窘めの言葉を送る。

「私は落ち着いてるわよ玉井くん。それにいきなりじゃないし。……ずっと、このままじゃいけないとは思ってた。"彼"が死んで、怖くて、訳わかんなくて、頭の中グチャグチャで……でも、何かしなきゃって思ってた。それは玉井くんも、皆も一緒なんじゃない?」

「っ……」

 

 優花の言葉に、淳史は息を呑む。同時に、言葉も飲み込んでしまったかの様に口を閉ざした。他の居残り組は、総じて気まずそうに視線を逸らしている。

 

 そんな仲間の姿に、しかし優花は何を言うでもなく、寧ろどんな気持ちなのかはよく分かっていると言いたげに肩を竦めると、サロンの扉に向かって歩き出した。

「ま、待てよ園辺! 本当に行く気か!? 今度こそ本当に死ぬかもしれないんだぞ! ここは漫画の世界でも映画の世界でもないんだっ、ご都合主義なんて起こらないんだぞ! だから……だからアイツは死んじまったんじゃねぇか! 無能のくせに馬鹿やらかして、あっさり死んじまったじゃねえかっ!! 俺は! 俺はアイツみたいな馬鹿にはなりたくない! 園辺……お前も早まるなよ」

 激しい剣幕で叫んだ淳史だったが、次第に力を失って俯きながら優花を引き留める。そんな淳史に……否、居残り組の仲間達に、優花は振り返らず静かな声音で答えた。

 

「……でも、その"馬鹿な人"に私は救われた。……ううん、私達皆が救われた」

「それはっ」

「別にさ、玉井くん達もついて来いなんて言わないよ。ただ、私は無駄にしたくない、それだけ。勿論、一緒に行ってくれる人が多いなら嬉しいけどね」

 

 肩越しに振り返り少し強張った表情で、それでも笑みを浮かべる優花に淳史は開いた口が塞がらない。だがやはり言葉は出ず、そのまま糸の切れた人形の様に椅子へ腰を落とした。優花はそのまま部屋を出ていく。

 妙子と奈々は未だ呆然としている、或いは悔しげにも見える表情で俯いている居残り組を置いて慌てて優花の後を追った。廊下で追いついた二人は、困惑を隠せない様子で優花に話しかける。

「ねぇ優花、本当に愛ちゃん先生に付いて行くの? 今度こそ死んじゃうかもしれないんだよ?」

「分かってる。でもやっぱり、このままじゃいられないから。天之川くん達に付いて行く度胸は無いけど、せめて愛ちゃんの護衛くらいはしてみせる」

 意志の固さが表れた声音と瞳に、奈々と妙子は顔を見合わせた。そして、奈々がおずおずとした様子で尋ねる。

「優花っち。……あのさ、もしかして、常磐の事……」

「何言ってんのよ。私、そこまで単純な性格じゃないから」

「そうなの?」

「当たり前でしょ。大体、香織ちゃんのあの鬼気迫る訓練を見て、まだ生きてるって信じてる姿を見て横槍を入れようなんて奴がいたら、それはそれで勇者でしょ。そんな度胸があるなら、そもそも居残りなんてしてないし」

「それは、まぁ……」

 

 園辺優花──あの日、【オルクス大迷宮】で暗闇へと消えた常磐ソウゴにトラウムソルジャーの凶刃から間一髪で救われた女子生徒こそ、彼女だった。それ故に邪推した奈々だったが、優花の回答と表情を見れば、ソウゴに対し恋慕とまでは言わずとも複雑な想いを抱いているのは明らかだった。好奇心旺盛な奈々をして、揶揄するのを躊躇う程には。

 

 優花としては、自分の言葉に偽りは無かった。ただ、本当に無駄にしたくなかったのだ。救われた自分の命も、ソウゴの選択も。彼は自分達を進ませる為にあの時あの選択をしたのだ。なのに救われた自分が立ち止まっているなんて、彼に対する酷い裏切りに思えて。そんな自分にだけは成り下がりたくなかった。

「それにここだけの話、何だか私も……まだ生きている様な気がしてきて……」

 

 そう言う優花の脳裏に浮かぶのは、形容しがたい妖しさと美しさを備えた蒼い炎と、それを従える"彼"の姿。その背中は、まるで物語に出てくる王様の様で……。

 

 そんな発言に驚きつつも優花の心情を長年の友人二人は察した様で、一度互いに顔を見合わせると苦笑しながら頷き合う。そして二人共に自分達も遠征に付いて行くと告げる。

「……いいの? 別に私に合わせる必要は無いわよ?」

「優花っちがアイツに救われた事を無駄にしたくないなら、私だって優花っちに救われた事を無駄にしたくないし。優花っちが行くなら、私も行くよ~」

「うん。優花だけ見送るなんて出来ないよね。それに私も、無駄にしたくないって想いは同じだから」

 

 ソウゴに助けられた優花は、恐慌状態に陥っている周囲を正気に戻し、一部の生徒達の態勢を整えて仲間を守った。その一部の生徒には、奈々と妙子も含まれていたのだ。優花によって正気を取り戻せた事が自分達の命を繋いだ事を、奈々も妙子も分かっていた。だから優花が立ち上がるというのなら、二人にも留まるという選択肢は無かった。

 

「そっか。ふふっ、それじゃあ愛ちゃんを魔物と教会から派遣されるイケメン護衛騎士達から守る旅に、一緒に行こうか」

 

 期待していなかった訳ではないが、やはり友人二人が一緒に来てくれるというのは嬉しいもので、優花は頬を綻ばせながら茶目っ気たっぷりに号令をかけた。奈々と妙子も「お~!」と威勢よく応答する。

 笑い合う三人の瞳に巣食っていた恐怖の影は先程までより断然薄れており、光が宿り始めていた。

 

 

 朝靄のかかる日の出前の早朝。薄らと白み始めた東の空と、朝のキンとして清涼な空気が程よい目覚ましとなっている。しかし、そんな絶好の旅日和を約束した様な空気の中で、一人ムスッとした表情を晒す人物がいた。

 畑山愛子教諭、本日の主役だ。

「……皆さん、やっぱり考え直しませんか? 先生の護衛なら騎士さん達がキチンとしてくれますから」

「いいえ愛ちゃん先生、寧ろその騎士連中こそ危険なんです。愛ちゃんを引き込みたい教会が送り込んだハニートラップなのは明らかなんですから」

「そうだよ愛ちゃん先生。揃ってイケメンだからって、ふらついちゃ駄目だよ?」

「まぁ、どちらかと言うとミイラ取りがミイラになった感はあるけどね。それでも愛ちゃん先生は私達の愛ちゃん先生だから、用心に越した事は無いし」

 

 昨夜の内に準備を済ませ、愛子に付いていく事を宣言した優花、奈々、妙子の言葉に愛子はガクリと肩を落とした。既に昨夜の内に危険だからと散々した説得は全て空振りだったのだ。最早何を言っても無駄なのは明白である。

 

 因みに、優花の言う様に教会が愛子に対してハニートラップを仕掛けているというのは邪推ではない。愛子の王国各地の農地改革・開拓の遠征には神殿騎士の護衛隊が付いているのだが、それが揃いも揃ってイケメンばかりであり愛子にアプローチをかけているのだ。それもこれも、この世界の食料事情を一変させる可能性を秘めた愛子を繋ぎ止める為。尤も、妙子の言った様に生徒達が愛子に好意を寄せるのと同じ理由で、今やイケメン騎士軍団は愛子信者になりつつある。愛子本人は乙女ゲームの主人公の様に気付いてないが。

 

 愛子は自分を心配して、或いは慕って付いて行きたいと言ってくれる事や、もう一度頑張りたいと奮い立ってくれた事に嬉しく思いつつも、やっぱり危険性を否定できない旅の同行に複雑になる頭を抱えていると、やがて王宮の方からガヤガヤと喧騒が聞こえ始めた。

 

 愛子達が視線を向ければ、丁度集合場所に馬車や馬を牽いて騎士達がやって来るところだった。だがその中に、意外な人物達が混じっており、その彼等が何やら神殿騎士達に食って掛かっている様だった。目を剥く愛子と、意外そうな表情をする優花達。

「た、玉井君? それに相川君と仁村君まで! まさか、あなた達まで……」

「あぁ愛ちゃん先生、おはようっす。俺達も同行するんで、よろしく」

 神殿騎士達を睨みつけていた淳史達が、実に軽い様子で愛子へ挨拶する。それに対し愛子は苦言を呈しようとするが、その機先を制する様に優花が声を掛けた。

「……行くんだ? ちょっと意外」

「うっせ。……お前だけじゃねぇんだ、切っ掛けが欲しかったのは。俺達だって同じだ、他の奴等は……やっぱりまだ無理みたいだけどな」

「そっか。うん……じゃあ私達だけでも一緒に頑張りますか」

 

 肩を竦めて、あっさり淳史達の同行を受け入れた優花。「愛ちゃん護衛隊ここに結成!」と号令を飛ばせば、淳史達も緊張と恐怖を表情に浮かべながらも元気よく「応っ」と返す。

 

 

 その後出発前にもう一人生徒が愛ちゃん護衛隊に加わり、神殿騎士達と小さな衝突を繰り返しつつ一行は農地改革・開拓の遠征へと出発した。"もう一度"と、決意を胸に秘めて。

 

「うぅ、また流されてしまいました……。生徒一人説得できない、私はダメな先生です。ぐすっ」

 

 馬車に揺られながらしょげる愛子。その様子にイケメン騎士達が身悶えているのは言うまでも無く、手を出そうとする彼等へ優花達が「ガルルッ!」と唸り声を上げたのは言うまでもない。道中、絶えず愛子を挟んで火花が散り、護衛対象である筈の愛子の胃がマッハでダメージを受けていたのだが……それに気付く者はいなかった。

 

 

 

 とある長い通路の中。壁から放たれる青白い仄かな光が、壁にもたれ掛かりながら寄り添う三人の人影を映す。ソウゴ、ユエ、シアの三人だ。

 

 ソウゴを中心に右側にユエ、左側にシアが座り込んで肩にもたれ掛かっている。場には静寂が満ちているが、耳を澄ませばほんの僅かにスゥースゥーと呼吸音が聞こえる。ユエとシアの寝息だ。二人はソウゴの両腕を抱いたまま、その肩を枕替わりに睡眠をとっているのだ。

 

 ソウゴ達がライセンの迷宮に入ってから大体一時間は経過しただろうか。動く部屋を強制的に脱出したソウゴ達は、本来ゴーレム騎士達の間から続いていた筈の通路に降り立った。十分程歩いたところで、身体が空腹を訴えた。夕食を摂ってから暫く経っており、頃合いかと思い一度休息を取る事にしたのだ。

 

「どんな場所でも眠れるのは大事だが……ここは大迷宮だぞ?」

 

 ソウゴの苦笑い混じりの囁きが響く。見張り役として起きていたソウゴは、何となしに抱きしめられている腕をそっと解いて、ユエの髪を撫でる。僅かに頬が綻んだ様に見えた。ソウゴの目元も僅かに緩む。

 次いで反対側のシアに視線を転じると、ソウゴの肩に盛大に涎を垂らしながらムニャムニャと口元を動かし実に緩んだ表情で眠っていた。そう言えば頭を撫でて欲しいと言っていたなと思い出し、そっとシアの髪も撫でるソウゴ。ついでにウサミミもモフモフしておく。そうすると唯でさえだらしない事になっている表情が更にゆるゆるになってしまった。安心しきった表情だ。ソウゴが見張り役をしている……いや、もしかしたらソウゴが傍にいるだけで安心なのかもしれない。

 柔らかな青みがかった白髪やウサミミを撫でながらソウゴは苦笑を深める。

「まったく、私の様な年寄の何処がいいんだか……」

 

 悪態は付いているが眼差しは柔らかい。シアに対して、ユエも求める様な王妃に対するものと同じ感情を抱けるとは一切思わないが、それでもシアのポジティブな考え方や明るさ、泣き言を言いながらも諦めない根性は結構評価しているソウゴ。自然、撫でる手付きも優しくなる。

 と、その時。シアがムニャムニャと寝言を言い始めた。

「むにゃ……あぅ……ソウゴしゃん、大胆ですぅ~、お外でなんてぇ~、……皆見てますよぉ~」

 

「ふんっ」

 

 途端そのまま頭を掴んで反対側の壁に投げつけるソウゴ。ボコッという音を立て、ピクトグラムの様に壁に後を付けるシア。そこまで衝撃が来れば、流石に目も覚める。

「プギャ!!!?? はぁ、はぁ、な、何するんですか! 寝込みを襲うにしても意味が違いますでしょう!」

 ぜはぜはと荒い呼吸をしながら目を覚まし猛然と抗議するシアに、ソウゴは冷ややかな目を向ける。

「目は冷めたかピンク娘。発情期も大概にしておけよ」

「えっ? ……はっ、あれは夢!? そんなぁ~、せっかくソウゴさんがデレた挙句、その迸るパトスを抑えきれなくなって、羞恥に悶える私を更に言葉責めしながら、遂には公衆の面前であだだだだだだだっ!?」

 聞いていられなくなって顔面を掴みアイアンクローを叩き込むソウゴ。シアは藻掻きながら持ち上げられた挙句、真上に投げられ天井に頭を強打した後涙目で蹲った。やはり残念なキャラは抜け出せないらしい。

 

 頭頂部を摩りながら「何となく幸せな気持ちになったのですが気のせいでしょうか?」と呟く。恐らく無意識にソウゴの撫でを感じていたのだろう。だがそれを言えば調子に乗るのは目に見えているので、ソウゴは無視して言わない事にした。

 

 シアが起きたので、ソウゴはユエも起こす事にした。ユエは「……んぅ……あぅ?」と可愛らしい声を出しながらゆっくりと目を開いた。そしてボーっとした瞳で上目遣いにソウゴを確認すると目元をほころばせ、一度ソウゴの肩口にすりすりするとそっと離れて身だしなみを整えた。

「うぅ、ユエさんが可愛い……これぞ女の子の寝起きですぅ~、それに比べて私は……」

 今度は落ち込み始めたシアにユエは不思議そうな目を向けるが、"シアだから"という理由で放置する。

「ほれ、寝ぼけてないで探索開始だ」

 そして、ユエの女子力全開の可愛い仕草もソウゴには全く通じなかったらしい。

 

 

 三人は迷宮攻略を再開し、長い通路の先を行く。

 そして歩き続ける事十分程。遂に通路の終わりが見えた。通路の先は巨大な空間が広がっている様だ。道自体は途切れており、十メートル程先に正方形の足場が見える。

「ユエ、シア。跳ぶぞ」

 ソウゴの掛け声に頷くユエとシア。ユエとシアを小脇に抱え、ソウゴは通路から勢いよく飛び出した。ソウゴ達は眼下の正方形に飛び移ろうとした……その目の前で、正方形のブロックがスィーと移動し始めたのだ。

「おっと、それは困る。大人しくしてもらおう」

 それでも慌てるでもなく、何でもない様に直ぐに対応するソウゴ。“停止の邪眼”を発動し、ブロックを元の座標に縫い止める。そこへ落ち着いて着地し、二人を降ろす。そのまま周囲を見渡して……

 

 

「あはは、常識って何でしょうね。全部浮いてますよ?」

 

 

 シアの言う通り、ソウゴ達の周囲の全ては浮遊していた。

 

 ソウゴ達が入ったこの場所は超巨大な球状の空間だった。直径二キロメートル以上ありそうである。そんな空間には、大小様々な形の鉱石で出来たブロックが浮遊してスィーと不規則に移動をしているのだ。完全に重力を無視した空間である。だが、不思議な事にソウゴ達はしっかりと重力を感じている。恐らく、この部屋の特定の物質だけが重力の制限を受けないのだろう。

「恐らくだが、ここに術者がいるのだろう」

 ソウゴの推測にユエとシアも賛同する様に表情を引き締めた。取り敢えず、何処かに横道でもないかと周囲を見渡す。ここが終着点なのか、まだ続きがあるのか分からない。だが、間違いなく深奥に近い場所ではあるはずだ。

 ソウゴは、この巨大な球状空間を調べようと目を凝らした。その次の瞬間、シアの焦燥に満ちた声が響く。

 

「逃げてぇ!」

 

「「!!」」

 ユエは問い返す事もなくシアの警告に瞬時に反応し弾かれた様に飛び退いき、ソウゴも気配を感じ視線を向ける。

その先には、隕石の様に赤熱化し迫る巨大な物体。ソウゴは手を翳し、ぶつかる寸前でサイコキネシスを使い無理矢理軌道を変える。

 直後、

 

 ズゥガガガン!!

 

 隕石は変えられた軌道上のブロックに直撃し、木端微塵に爆砕した。ブロックを破壊すると、勢いそのままに通り過ぎていく。

 

 それを見て、ソウゴの顔に笑みが浮かぶ。あのサイズの物体が、今の今まで自分の知覚網に引っ掛からなかったのである。当たったとしても無傷ではあっただろうが、足場からは落とされていたかもしれない。自然、この後ぶつかるであろう存在への期待感は高まっていく。

(場合によっては、"羅生転輪"に加えてもいいかもしれんな)

 

 

「えへへ、"未来視"が発動して良かったです。代わりに魔力をごっそり持って行かれましたけど……」

「……ん、お手柄」

 

 どうやら、ソウゴの感知より早く気がついたのはシアの"未来視"が発動したからの様だ。"未来視"はシア自身が任意に発動する場合、シアが仮定した選択の結果としての未来が見えるというものだが、もう一つ、自動発動する場合がある。今回の様に死を伴う様な大きな危険に対しては直接・間接を問わず見えるのだ。

 

 つまり、直撃を受けていれば少なくともシアは死んでいた可能性があるという事だ。改めて期待を込め、ソウゴは通過していった隕石擬きの方を見やった。ブロックの淵から下を覗く。と、下の方で何かが動いたかと思うと猛烈な勢いで上昇してきた。それは瞬く間にソウゴ達の頭上に出ると、その場に留まりギンッと光る眼光をもってソウゴ達を睥睨した。

「ほほぅ、これは楽しめるか…?」

「……すごく……大きい」

「お、親玉って感じですね」

 三者三様の感想を呟くソウゴ達。若干、ユエの発言が危ない気がするが、ギリギリ許容範囲……の筈だ。

 

 ソウゴ達の目の前に現れたのは、宙に浮く巨大なゴーレム騎士だった。全身甲冑はそのままだが、全長が二十メートル弱はある。右手はヒートナックルとでも言うのか赤熱化しており、先ほどブロックを爆砕したのはこれが原因かもしれない。左手には鎖がジャラジャラと巻きついていて、フレイル型のモーニングスターを装備している。

 

 辺りに静寂が満ち、まさに一触即発の状況。動いた瞬間、命をベットした殺し合い(ゲーム)が始まる。そんな予感をさせるほど張り詰めた空気を破ったのは……

 

 

 巨体ゴーレムのふざけた挨拶だった。

 

 

「やほ~、はじめまして~、みんな大好きミレディ・ライセンだよぉ~」

 

「「「……は?」」」

 凶悪な装備と全身甲冑に身を固めた眼光鋭い巨体ゴーレムから、やたらと軽い挨拶をされた。何を言っているか分からないだろうが、ソウゴにもわからない。頭がどうにかなる前に現実逃避しそうだった。ユエとシアもポカンと口を開けている。

 そんな硬直する三人に、巨体ゴーレムは不機嫌そうな声を出した。声質は女性のものだ。

「あのねぇ~、挨拶したんだから何か返そうよ。最低限の礼儀だよ? 全く、これだから最近の若者は……もっと常識的になりたまえよ」

 実にイラっとする話し方である。しかも、巨体ゴーレムは、燃え盛る右手と刺付き鉄球を付けた左手を肩まで待ち上げると、やたらと人間臭い動きで「やれやれだぜ」と言う様に肩を竦める仕草までした。

 

「……はははははははは!!」

 

 すると突然、堰を切った様に笑い出したソウゴ。道中散々見てきたウザイ文を彷彿とさせる気配を目の前の"ミレディ・ライセン"を名乗るゴーレムから感じたのだろう。つまり、このゴーレムは間違いなくミレディ本人という事だ。

「えぇ~……? 何いきなり、どうしたの君? って君! さっき私の突撃軌道を捻じ曲げたよね!? 何やったのさ!」

「くくっ、いやなに。まさか本人がいるなんぞ思わなかったんでな、その上人形遊び(・・・・)が趣味なぞ案外可愛らしいものだと少々昂った。その姿はアレか? 魂を移したとかそんなところであろう?」

「いや無視すんなし。……ん~? ミレディさんは初めからゴーレムさんですよぉ~何を持って人間だなんて……」

「オスカーの手記に貴様の事も少し書いてあった。きちんと人間の女として出てきてたぞ? それと言いたい事があるなら手短に話せ。私は早く貴様と戦いたくて疼いているのだよ」

「お、おおう……久しぶりの会話に内心狂喜乱舞している私に何たる言い様。っていうかオスカーって言った? もしかして、オーちゃんの迷宮の攻略者?」

「ああ、オスカー・オルクスの迷宮なら攻略した。話は終わりか? 戦闘に入るぞ? 目的は会話じゃないんでな」

 

 ソウゴが逢魔剣に手をかけ視線を巨体ゴーレムに向ける。ユエはすまし顔だが、シアの方は「うわ~、戦闘狂……」と感心半分呆れ半分でソウゴを見ていた。

 

「……目的は神代魔法かな? ……それってやっぱり、神殺しの為? あのクソ野郎共を滅殺してくれるのかな? オーちゃんの迷宮攻略者なら事情は理解してるよね?」

「まだ続くのか。早く終わらせろ」

「こいつぅ~ホントに偉そうだなぁ~、まぁ、いいけどぉ~、えっと何だっけ……ああ、私の正体だったね。うぅ~ん」

「語るなら簡潔にな。オスカーの様な細かい説明なら無視するぞ」

「あはは。確かにオーちゃんは話が長かったねぇ~、理屈屋だったしねぇ~」

 

 巨体ゴーレムは懐かしんでいるのか、遠い目をするかの様に天を仰いだ。本当に人間臭い動きをするゴーレムである。ユエは相変わらず無表情で巨体ゴーレムを眺め、シアはその威容に気が引けているのかそわそわしている。

「うん、要望通りに簡潔に言うとその通り。私は確かにミレディ・ライセンで、ゴーレムの身体に魂を移したのさ。もっと詳しく知りたければ見事、私を倒してみよ! って感じかな」

「別に貴様の情報は求めてないし、たったそれだけを言う為に随分と時間を無駄にしたな」

「……君さぁ、せっかちってよく言われない?」

 今度は巨大なゴーレムの指で顔を掻き、訝し気な仕草をするミレディ・ゴーレム。

 そしてその中身については、凡そソウゴの推測通りだった。ソウゴはそれで話が終わったと判断して剣の柄を握る。だが最後の最後で戦士としての礼として、いきなり斬りかかる前に声を掛ける。

「それで、話は終わりか? ならとっとと始めるぞ」

 

「──その前に、今度はこっちの質問に答えなよ」

 

 その瞬間、いきなり声音が変わった。今までの軽薄な雰囲気が鳴りを潜め、真剣さを帯びる。その雰囲気の変化に少し驚くユエ達。また戦いを焦らされたソウゴが面倒そうに問い返す。

「なんだ?」

「目的は何? 何の為に神代魔法を求める?」

 

 嘘偽りは許さないという意思が込められた声音で、ふざけた雰囲気など微塵もなく問いかけるミレディ。もしかすると、本来の彼女はこちらの方なのかもしれない。思えば、彼女も大衆の為に神に挑んだ者。自らが託した魔術で何を為す気なのか知らない訳にはいかないのだろう。オスカーが記録映像を遺言として残したのと違い何千年もの間、意思を持った状態で迷宮の奥深くで挑戦者を待ち続けるというのは、ある意味拷問ではないだろうか。軽薄な態度はブラフで、本当の彼女は凄まじい程の忍耐と意志、そして責任感を持っている人物なのかもしれない。

 

 ユエも同じ事を思ったのか、先程までとは違う眼差しでミレディ・ゴーレムを見ている。深い闇の底でたった一人という苦しみはユエもよく知っている。だからこそ、ミレディが意思を残したまま闇の底に留まったという決断に共感以上の何かを感じた様だ。

 その真剣さを察したソウゴは、ミレディ・ゴーレムの眼光を真っ直ぐに見返しながら嘘偽りない言葉を返した。

「ならはっきり言おうか。私の目的は神代魔法では無い」

「……どういう事?」

「私がここに来たのは、ただの暇潰しだ。強いて言うなら、強者との手合わせが目的になるか。少なくとも……」

「少なくとも?」

 

「貴様等の目指した神殺し等というつまらん些事(・・・・・・)が目的ではないな」

 

 ソウゴの言葉に、ミレディ・ゴーレムは暫く呆気にとられた様に黙る。それはミレディだけでなく、ユエとシアも同じだ。何故ならその言葉は……。

 ミレディはジッとソウゴを見つめた後、また別の雰囲気を纏いだした。それは……

 

「「───ッ!?」」

 

 怒りだった。ソウゴへの激しい怒りだ。オスカーの言葉を聞いた上で、その無念を聞いた上で。自分達の秘匿した神秘を"暇潰し"で暴き、生涯をかけて目指した理想を"些事"と切り捨てたソウゴへの、燃え盛る様な怒り。

 それを肌で感じ取り、ユエとシアは背中に粟立つものを感じながらも戦闘態勢に入る。それをソウゴが手で制した。

「……!」

「ちょっ、ソウゴさ───、ひっ!?」

 抗議しようとして、二人はミレディ以上の圧をソウゴから感じ取った。しかし感じ取った感情は、ミレディとは真逆のもの。

「悪いが、手出し無用で頼む。漸くやる気を出した様なのでな」

 

 

 ───即ち、喜び。悍ましく、恐ろしい程の狂喜。

 

 

 事実、ソウゴの表情はギラつく程の笑みを湛えている。これから繰り広げられる、ミレディとの戦いを心底から楽しもうとしている顔だ。

 

 実は先程の言葉、半分以上はミレディに全力全霊を出させる為の挑発だった。時に怒りは、本人が持ちうる実力以上の力を発揮させる事がある。どうせ打ち倒すならば、それは強ければ強い程良い。挑発に乗ってこない可能性もあったが、それは限りなく低いとソウゴは考えていた。

 

 先程の会話で感じた事だが、ミレディは存外仲間想いで使命に燃えるタイプだと推測した。ならばその仲間との共通目的を軽んじてやれば、たとえ挑発だと分かっていても乗って来ると思っていた。

 ソウゴは逢魔剣をユエに預け、ミレディに手招きする。

 

「さぁかかって来いミレディ・ライセン! 先程の詫びだ、こちらは私一人、武器を使わずに戦ってやろう!」

 

 その返答は、言葉でなく行動で示された。

 ミレディは左腕のフレイル型モーニングスターをソウゴ達に向かって射出した。投げつけたのではない。予備動作なくいきなりモーニングスターが猛烈な勢いで飛び出したのだ。

 

 

 七大迷宮が一つ、ライセン大迷宮最後の戦いが始った。

 

 

 

 ソウゴはブロックから飛び出し、モーニングスターを蹴り飛ばして挨拶代わりと言わんばかりに腕を振るう。するとソウゴの叩いた空間に罅が入り、ミレディを衝撃波が襲う。

「はあっ!?」

 衝撃はミレディにぶつかるとその鋼の身体をへこませ、装甲を剝ぐと共に大きく後方へ吹き飛ばす。

「ぶへっ! 痛ったたたた……思いっきりへこんでんじゃん、どんな馬鹿力してんの…!」

「どうした、まだ始まったばかりだろう!」

 

「っ!!」

 

 壁に叩きつけられ、ダメージを確認した瞬間いつの間にか目の前にその元凶がいた。明らかにあり得ない動きだ。

「どんな速さしてんの!? ホントに人間!?」

「まだ人間のつもりだよ! 貴様より長生きしてるがな!」

「マジかよお爺ちゃん!」

 そんな軽口を叩きつつ、今度は右手のヒートナックルを振るうミレディ。ソウゴは難なく受け止め、そのまま拳を掴む。

「貴様、格闘戦は素人か?」

「熱くないのソレ!?」

「呵々、私を焼くには温すぎるぞ!」

 ソウゴはそのまま体を捻り、ミレディが最初に墜落したブロックまで彼女を投げ飛ばす。ミレディが轟音を上げながら着地した所へ、ソウゴが宙を蹴って勢いをつけて跳び蹴りの姿勢で突っ込んでくる。

 ミレディは咄嗟にブロックを操作し、ソウゴと自分の間に複数のブロックを浮かべてその威力を減衰する。

 

「そう来なくてはな!」

 

 ソウゴは幾つか蹴り砕いたところで反転し、ミレディから距離を取って着地する。

 距離が空いたのをいい事に、ミレディは近場のブロックを引き寄せて身体を再構成しようとする。だが……

「嘘、直らない!? 何で!?」

 塞がらない傷に声を荒げるミレディ。その隙を逃す筈も無く、ソウゴの次の一手が放たれる。

「"聖剣抜刃(エクスカリバー)"!」

「ちょっ、タンマタンマ!」

「待った無しだ!」

 ミレディの叫びを無視して放たれる手刀の連斬が迫る。ミレディは先程と同じくモーニングスターを射出して第一波を受け止めようとする。だがソウゴによって放たれた光速の手刀は鉄球を容易く両断し、勢いそのままミレディの左腕を半ばまで裂く。それに驚く間もなく、第二波三波がやって来る。ミレディは受け止めようとせず、そのまま上方へ引っ張られる様に飛んで回避する。だが完全には躱し切れず、片足に深々と切れ目が出来た。

 

「ほほぅ、真っ二つにしてやるつもりだったが……まさか切り傷だけとはな」

「普通ならこんな深々斬られるどころかそもそも傷つかないんだよっ! ていうかここじゃ魔法は碌に発動しない筈なのに、何なのさこの威力!!」

「おいおい勘違いするな、さっきのは体術だぞ!」

 

 そう言うが早いか、再びソウゴは破裂音を響かせながら突進する。

「マジで化物じゃんこのハイスペックジジイ!」

 ミレディは吐き捨てる様にそう言い、今度はソウゴに向かって自身の秘奥、神代魔法たる"重力魔法"を使用する。

 その影響圏にソウゴが入った瞬間……ミレディに圧力がかかった。

「ッ!? ……なん、で…!?」

「悪いな、私の肉体は常に物理・術問わず攻撃を反射する様になっていてな!」

「クソ野郎共を超える理不尽仕様だねこのクソ爺!!」

「褒めても何もやらんぞ!」

 悪態を吐くミレディの身体に、ソウゴの剛拳が叩き込まれる。ミシミシと不快な音を立てながら、ミレディは再びブロック上に激突する。

 

「くっそ……、褒めてないってこの野郎……!」

 

 濛々と舞う土煙の中、ミレディはソウゴに断たれた事で二又になったモーニングスターを振るう。だが鉄球はソウゴを捉える事無く、その身体をすり抜ける。

「はぁ!?」

「おいおい、霊体化如きで驚いてくれるなよ」

「いやいやおかしいでしょ!?」

 そこで先程の様に近づかず、そのまま宙に留まるソウゴ。初対面時と丁度逆転した状態だ。

「貴様が先程やったのは“重力操作”か何かか。……成程、この空間の石が浮いているのはそれがタネか。大した手品だな」

 ミレディの重力操作を手品と表現したソウゴは、両の五指を確と伸ばして掌が見える様にミレディに向ける。

 

「褒美だ、私もちょっとした手品を見せてやろう」

 

 途端、伸ばしたソウゴの指先。その一つ一つに超々高温の極々小さな火球が生成される。その数、両手あわせて十。

「依然立ち寄った世界で見かけた技をアレンジしたものでな。"メラガイアー"と"イオグランデ"という、どちらもその世界では超上級に属する魔術、その合わせ技だ」

「なんかヤバそうなんで絶対受けたくない……!!」

 その瞬間、ミレディはまたブロックを集めて防御しようとする。それに構いもせずソウゴは十の火球を撃ち出す。

「そう遠慮せずに食らっていけ、"フィンガープラズマボムズ"!」

 ソウゴの言葉と共に飛び出した火球は、着弾したブロックごとその奥のミレディを飲み込む大爆発を起こす。

 

 

「きゃっ!」

「ひょわああぁあぁ!?」

 

 

 その衝撃は凄まじく、戦闘の規模が激しく遠くに避難していたユエとシアが悲鳴を上げ、あわやブロックから落ちかけた。

 そんな二人に気付いているのかいないのか。爆発によって発生した煙塵を気にした風も無く、ソウゴは口を開く。

 

「……この技だがな、威力はあるんだが指向性を持たせたばかりに範囲が元の術より狭まるのが難点でな。そこをどう思うミレディよ?」

 

 言い終わると共に腕を振れば、その方向の煙が晴れる。そこには、先程の炎獄を凌ぎ切ったミレディがいた。防御しきれないと判断したミレディは、即座に少しでも爆心地から離れる為に強力な重力操作で自身を壁に叩きつける様に後退したのだ。

 

 だがそれでも、ミレディ側の損害は激しい。盾となるブロックは半分以上を失い、自身も左の脇腹に当たる部分がごっそり抉れている。半ばまで断たれていた左腕は、肘から先が綺麗さっぱり無くなっている。

「……これを見て文句があるなら、欲張りが過ぎない?」

「当然だろう? 王とは強欲でなければ務まらんよ。それより、周りは気にしないで良いのか?」

「!?」

 

 そう言われてミレディが周りを見れば、いつの間にか自分を囲む様に無数の淡い光の粒が漂っている。ソウゴが先程腕を振るった際に振り撒いた物だ。

 

「"グランドスイーパー"」

 技名と共に指を鳴らせば、夏祭り終盤のスターマインの様に連続した爆発音が響き渡る。

 

「──────ッ! ホンッッット容赦無いなこの爺さん!!」

 

 ソウゴへの不満を言いつつ、爆炎を突破して前進するミレディ。ミレディは自分の周囲のブロックを変形させ、道中で見たゴーレム騎士を数体作り出す。

「その状態で更に(・・)人形遊びか、存外器用なものよな!」

 そう言いつつソウゴは腕を十字に組み、"スペシウム光線"でその悉くを破壊する。ミレディは「チッ!」と舌打ちしつつ、今度は無数の棘に変形させて射出する。それをソウゴが"ウルトラギロチン"で撃ち落とす。

「これはどうだ!?」

 ミレディがそう口にした瞬間、ソウゴの真下から唸りを上げてマグマの奔流が迫る。どこから現れたか判らないが、ミレディが操作しているのだろう。身体強化増し増しのシアでも躱し切れないであろう速度で迫る。

 これを見たソウゴは一瞬で空中に六行もの文を綴り、氷の魔術──闇術を発動させる。

 

「"氷結地獄(ブライト・ホワイト・フロスト)"」

 

 白く輝く猛吹雪は一瞬でマグマの奔流を包み、熱の無い石柱に変えてしまう。

「あぁもう! あれも対処するかよ!?」

「長年生きていればああいう事も多々ある!」

「あるか馬鹿!!」

 攻撃が全て防がれ、口汚くソウゴに返すミレディ。だがその間も手は緩めず、マグマの熱を拳に与えて握りしめる。

「ヤケクソだ! ミレディちゃん怒りの赤熱鉄拳!!」

「"水流の鼓動"!」

 

 重力操作を駆使した高速移動で迫るミレディに、ソウゴはジェット噴射の如き激流をぶつける。

 急激な温度変化で、ミレディの拳は罅割れる。

「さぁ、もう終わりか? どうせなら貴様の持つ"神代魔法"とやらを使って見せよ」

「もう重力魔法なら使ってるっての! 効かないからこうして足掻いてるんでしょうが!」

 

 

「…………何だと?」

 

 

 その瞬間、ソウゴの攻撃の手が止んだ。辺りを何とも言えない空気が支配し始める。ミレディが「え、何これ?」と言うと、最初に顔を合わせた時の様にソウゴはいきなり笑い出した。

「……くっ、ははははは! ミレディ、貴様道化の才もあるらしいな! ……そう隠さずともよい、ここまで来たのだ。貴様の秘奥を見せるがいい。出し惜しみをする性格でもあるまい?」

 ソウゴはミレディの言葉を一笑に付し、早く神代魔法を見せろと急かす。

 

「だ・か・ら! 私の神代魔法は重力魔法! 正確には"星のエネルギーに干渉する魔法"で、その気になれば地震や噴火を起こしたりできる優れものなの! さっき使って跳ね返されたけどねっ!」

 

 ミレディがキレ気味に言ったその瞬間、ソウゴの笑みが消え無表情になる。先程までの圧倒的なプレッシャーの代わりに、血の一滴に至るまで凍り付く程の冷気を伴った沈黙が広がる。

 それだけで、ミレディは生身を捨ててから久しく感じなかった寒気と恐怖を覚えた。

 

「……ユエ、シア」

「「っ!!」」

 

 突然、ソウゴは観戦に徹していた二人に声を掛ける。ソウゴの無色の威圧に中てられた二人は、ビクッと体を震わせながらも呼び掛けに応じる。

「な、何でしょう…?」

「たった今、ミレディは『自身の持つ神代魔法は重力魔法』だと言った気がするが、私の聞き間違いか?」

「……ん、間違いない」

「星のエネルギーを操り、地震や噴火を起こせる魔法と、そう言ったか?」

「その通りです。ま、まったく恐ろしい魔法です!」

 そこまで言ったところで、二人はソウゴが別の感情を宿した事を感じ取った。この感情は……落胆だろうか。

 

「ふ、ふふふふ……、はははははははははは!!」

 

 その瞬間、ソウゴは今までで一番の大音声で笑った。

「さっきから何なの爺さん、情緒不安定?」

「これが笑わずにいられるか! はははははははは……いやなに! 漸く気付いただけよ、この世界の程度にな!」

「……どういう事かな?」

 ミレディの言葉が皮切りになったか、ソウゴは声を荒げて語り出す。

 

 

「火や土、闇に才ある者ならば生後間もない赤子だろうと無意識に、そうでなくとも素養のある者ならば遅くとも二十年もあれば習得できる程度の事を! たかが中の上程度の魔術を(・・・・・・・・・・・・)! 事もあろうに神代、それも魔法などと宣うなぞ笑止千万、滑稽にも程がある!」

 

 

「は、いや……え───?」

 ソウゴから発せられた言葉に、ミレディは固まる。この魔法が中の上? 才能があれば生まれたばかりの赤ん坊でも使える? 才能が無くても修行すれば至れる程度のもの? ソウゴの言葉が理解できない。否、心が理解する事を拒んでいる。

 

「仮にもこの様な迷宮を造り上げた者だ。如何なる曲者かと心躍らせ、事によっては"羅生転輪"に加えようと期待したが、蓋を開ければ重力操作、地震や噴火の操作如きを神代の奇跡と信じる臆病で矮小な小娘ときた! 期待外れも甚だしい! そんな小娘を恐れ人心を操ってまでこんな辺境に追い詰めたのならば、どうやらこの世界の神とやらも余程小心の臆病者と見える! ならばその実力も所詮知れているというものよ!」

 

 どうやらソウゴは、ユエやシアが思っていた以上にミレディを高く評価していたらしく、それが過大評価だったと知れた今、その失望も相まって言葉が止まらない。

 

「思えば私も愚かなものよ。たかが神殺し程度(・・)も成せん敗北者、ましてやこの様な取るに足らん臆病な小娘如きの力を恐れる小心者も倒せん者が……この私の身体に傷をつけ、剰え命に届きうるなど出来よう筈も無いであろうに!」

 

 

「それ以上言うなッッ!!!」

 

 

 神殺し程度、敗北者、取るに足りない……。そんな言葉に堪え切れず突撃し拳を振るうミレディだが、ソウゴが軽く手を翳すだけで動けなくなる。ミレディが得意としていた重力操作。だがソウゴの放ったそれはミレディの全力の数段も上。その目に浮かぶ感情は、最早失望でも怒りでもなく憐みに近い。ミレディの中で、永い間必死に彼女を支えていた何かが崩れていく。

「戯れに出した程度の威力で指先一つ動かせんとはな。あぁいや、唆された人間達を敵だと割り切り殺す事も出来ん小娘だ。アインズや司波の小僧、アノスと同程度を求めるなど酷な話であったか……。もうよい、貴様の人形劇(・・・)に付き合うのも飽きた」

 そう言うソウゴの掌には、高密度の光球が形成される。

「……お前に、何が分かるッ!?」

「分からんさ。私は貴様ではないからな」

 ミレディの憤怒の叫びを素気無く一蹴し、最後の一撃を放つ。

 

「眠れ。身の丈に合わん夢を見た、憐れな小娘よ。───"ガイアフォース"」

 

 

 ドゴォォォン———!!!

 

 

 ソウゴが放ったそれは、轟音を響かせながら一片の塵すら残さずミレディの鋼の身体を消し飛ばした。

 巻き上げられた土煙が晴れれば、そこにあるのは焼け焦げた地面と痛い程の静けさだけだった。

 

 

 その沈黙を破ったのは、ソウゴの傍に来た二人だった。

「……最初は、性根が捻じ曲がった最悪の人だと思っていたんですけどね。ただ一生懸命なだけだったんですね」

「……ん」

 

 どこかしんみりとした雰囲気で言葉を交わすユエとシア。だが、ミレディに対して限りなくその評価を下方修正したソウゴは、最早気にする価値すら無いといった様子でユエに預けた逢魔剣を腰に佩き、二人に話しかけた。

「さっさと先に行くぞ」

「ちょっとソウゴさん、そんな死人に鞭打つ様な事を! 戦闘中も思いましたが、あれはあんまりですよ!」

「……ソウゴ様、鬼畜」

「……一応言っておくが、私は聖人では無い。少なくともこんな状況で人形越しに(・・・・・)戦場に来る臆病者にかける礼儀は持たん」

「「?」」

 

 そんな雑談をしていると、いつの間にか壁の一角が光を放っている事に気がついたソウゴ達。気を取り直してその場所に向かう。

「……ソウゴ様、自分の世界に帰る?」

「……いや、もう暫くはお前達との旅を楽しむとしよう」

 

 ソウゴとユエがそんなやり取りをしつつ、上方の壁にあるので浮遊ブロックを足場に跳んでいこうとブロックの一つに三人で跳び乗った。その途端、足場の浮遊ブロックがスィーと動き出し、光る壁までソウゴ達を運んでいく。

「……」

「わわっ、勝手に動いてますよ、これ。便利ですねぇ」

「……サービス? ……あ、もしかしてソウゴ様、人形って……」

 

 勝手にソウゴ達を運んでくれる浮遊ブロックにシアは驚き、ユエは首を傾げる。だが次の瞬間それがどういう事か気付いたのか、ソウゴに方を向く。ソウゴは見るからに興味無さげな無表情だ。十秒もかからず光る壁の前まで進むと、その手前五メートル程の場所でピタリと動きを止めた。すると光る壁は、まるで見計らった様なタイミングで発光を薄れさせていき、スっと音も立てずに発光部分の壁だけが手前に抜き取られた。奥には光沢のある白い壁で出来た通路が続いている。

 

 ソウゴ達の乗る浮遊ブロックは、そのまま通路を滑る様に移動していく。どうやらミレディ・ライセンの住処まで乗せて行ってくれる様だ。そうして進んだ先には、【オルクス大迷宮】にあったオスカーの住処へと続く扉に刻まれていた七つの文様と同じものが描かれた壁があった。ソウゴ達が近づくと、やはりタイミングよく壁が横にスライドし奥へと誘う。浮遊ブロックは止まる事無く壁の向こう側へと進んでいった。

 潜り抜けた壁の向こうには……

 

 

「……………………」

 

 

 実に不機嫌そうな、小さなミレディ・ゴーレムがいた。

 

 

 言葉もないシアと、途中で気付いたユエ。この状況を予想できたのは、ミレディが意思を残して自ら挑戦者を選定する方法をとっているからだ。それでは、一度のクリアで最終試練が無くなってしまう。

 

 小さなミレディ・ゴーレムは、巨体版と異なり人間らしいデザインだ。華奢なボディに乳白色の長いローブを身に纏い、白い仮面を付けている。本来はニコちゃんマークなのだが、今はムスっとした不満顔だ。

 その視線が自分に向いていると理解した上で無視したソウゴは、事務的な無感情さで話しかける。

「ミレディ・ライセン、貴様の持つ知識と財の全てを渡せ」

「…………そこに立って」

 無感情に徹しようとしている様な声で、魔法陣を起動させるミレディ。

 

 それと共に魔法陣の中に入るソウゴ達。今回は、試練をクリアした事をミレディ本人が知っているので、オルクス大迷宮の時の様な記憶を探るプロセスは無く、直接脳に神代魔術の知識や使用方法が刻まれていく。ソウゴとユエは経験済みなので無反応だったが、シアは初めての経験にビクンッと体を跳ねさせた。

 ものの数秒で刻み込みは終了し、あっさりとソウゴ達はミレディ・ライセンの神代魔術を手に入れる。

「……やはりオスカーのものと同じく、とても魔法とは呼べん粗末な代物だな」

「…………だろうね、私達と同じ事を全部もっと凄い規模で出来るとか……嫌味かクソ爺。……後、ウサギの子は適正無いね」

「……あ、私ですか!? はい……えっと?」

 ミレディの言う通り、シアは重力魔術の知識等を刻まれても真面に使える気がしなかった。ユエが生成魔法をきちんと使えないのと同じく、適性が無いのだろう。

「……体重の増減位なら使えるんじゃないかな。金髪ちゃんは適性ばっちりだね。修練すれば十全に使い熟せる様になるよ」

 ミレディのソウゴに対するより幾分マシな解説にユエは頷き、シアは打ちひしがれた。折角の神代魔法を適性無しと断じられ、使えたとしても体重を増減出来るだけ。ガッカリ感が凄まじい。また、重くするなど論外だが軽くできるのも問題だ。油断すると体型がやばい事になりそうである。寧ろデメリットを背負ったんじゃ……とシアは意気消沈した。

 

 落ち込むシアを尻目に、ミレディは自身の持つ資材とそれをしまってある宝物庫と攻略の証の指輪、他の大迷宮の場所を記した紙きれをソウゴに押し付ける様に手渡した。

「………私が渡せるのはそれで全部。しまったらさっさと帰って」

「ふむ、私も長居する理由が無いな」

 答えつつ、攻略の証を確認するソウゴ。ライセンの指輪は、上下の楕円を一本の杭が貫いているデザインだ。その指輪に向けて眼魔紋を描き、ミレディ眼魂を取り出す。それがライドウォッチに変化したのを確認し、ソウゴは懐に仕舞う。

 

「……………待って」

 

 そのまま身を翻して帰ろうとするソウゴ達の背に、ミレディが声を掛ける。

「……何だ?」

 その言葉が自分にかけられたものだと判っているソウゴは、一拍置いて訊き返す。

「神殺し、した事があるの?」

「何故そう思う?」

「……さっき調べてみたら、あのクソ野郎共と同質だけどもっと強い力を感じた。それと、戦ってた時に神殺し"程度"って言った。そんな言葉、前に経験が無いと出ない言葉だもん」

 

 ミレディの冷静な状況分析に、ソウゴは苦虫を嚙み潰した様な表情になる。それを不思議に思いユエが表情の理由を尋ねると、意外な理由が返って来た。

 

「……まぁ、そこに関してはあまり思い出したくない事柄なんでな。所謂黒歴史という奴だ」

 ソウゴがまるで恥じ入る様に頬を掻いてそう言えば、ミレディの真剣な眼差しが刺さる。そこに何か感じるものがあったのか、ユエとシアも興味津々な視線を向けて来る。ソウゴは観念した様に息を吐いた。

「……わかった、話してやろう。だがアレだぞ、はっきり言って貴様等が期待する様な話では決してないからな?」

 そう前置いてソウゴは、自身の神殺しの顛末を語り出した。

 

「あれは、私がユエと同じ年頃の時だ……」

 

 そうしてソウゴは、あまり自慢出来る様な事ではない過去を語り始めた───。

 

 

 

………………

…………...

…………

「……以上が事の顛末だ」

 

「「「…………は?」」」

 

 それが聴き終わった三人の反応だった。まるで信じられないものを見た様な顔をしている。

「……ソウゴ様、理不尽」

「……え~? あ、いや…その……えぇ?」

 事実ユエとシアの反応は、何ともやるせないというか、若干引いてる様に見える。

 すると突然、ミレディが笑い出す。何とも自嘲的な笑みを。

「ははははは、ははは、はは……。あぁ、そっか……。そんな簡単にできる人から見れば、そりゃ私達なんて滑稽に見えるか……」

 

 ミレディが纏う空気は、今まで見たどれとも違う。後悔、悲嘆、諦観、そのどれとも近い様で違う、何とも言い難い空虚な色。しかし、その姿は実に痛々しかった。

 

「………」

 原因が自分だと判ってるソウゴは、先程から視線が刺さって居心地が悪そうだ。

「……あー、少し待っていろ」

 そう言うが早いか、ソウゴの姿が突然消える。それを見たミレディが「空間魔法? ……違うか、魔力感じなかったし……」そう言って俯いてしまった。途端、ユエとシアはいたたまれなくなってしまう。

 一分程して、ソウゴは戻って来た。但し、その傍らに成人男性が一人簡単に収まる程の大きな長方形の箱を携えている。

 疑問符を浮かべる三人の視線を受けながら、ソウゴは箱を開ける。そこには……

 

 一人の少女の身体があった。

 

 歳の頃は十五、六程度。シアと同年代ぐらいだろうか。ユエと似た様な金髪をポニーテールに束ね、豪奢でありながら動きやすさを重視した様なドレスを纏ったその少女は、微動だにせず箱の中に鎮座している。

「……ソウゴ様? 誰?」

「ちょっとソウゴさん? こういう子がタイプなんだとしても誘拐は不味いですよ?」

 ユエとシアは初め、その美貌にソウゴを射殺す様な視線で見ていた。だが直ぐに、シアが彼女の違和感に気付く。

「……あれ? ユエさん、この人おかしくないですか?」

「……ん?」

「ただ眠ってるだけだと思ったら、何か気配が無いんですよ」

「……そういえば」

 それでユエも気付いたのか、少女の身体に手を触れる。

「……冷たい」

「では私もちょっと失礼して……」

 シアはそう言って少女の胸にウサミミを当てる。そして気付いた。そこから本来聞こえるべき音が聞こえてない事に。

「え!? ちょっ、これ、死体じゃ……痛っ!」

 その瞬間、ソウゴのデコピンがシアを襲う。そしてソウゴは、先程から固まっているミレディに視線を向ける。

「さてミレディよ、この身体に見覚えは無い(・・・・・・)か?」

 そう言って少女の身体を指差すソウゴに、ミレディは先程から"ありえない"と叫ぶ心を抑えつけて、最早存在しない筈のその身体を見て呟いた。

 

「これ……私、だよね……?」

 

 そう。この横たわる少女は生身だった頃のミレディと瓜二つ、というより寸分違わず全く同じだった。

「これはヒューマギアと言ってな。分かりやすく言えば最先端のゴーレムの様な物だ」

 ソウゴがそう言えば、驚いたのは他の三人だ。ユエとシアはペタペタと触り出す。

「……凄い。これがゴーレム?」

「ですよねー、もうこれ人間じゃないですか。肌なんかモチモチですよ、メッチャ触り心地良いですもん」

「貴様の記憶を覗いてな、それを参考に国で作らせてもらった。別に生身の身体を用意してもよかったんだが、機械の身体ヒューマギアの方が何かと便利かと思ってな」

 そう言いながら、ソウゴは未だ自身を模した機体に目を奪われているミレディに声を掛ける。

「ミレディ。今から貴様の魂をこちらに移す」

「……出来るの?」

「当然。その程度出来ずして、誰が魔王などと呼ばれようか」

 言い終えた瞬間、ソウゴは蒼く燃える指先を振るった。

 

「"積尸気冥界波"」

 

 その瞬間、ミレディの身体から半透明の人影が抜けてソウゴに操られる様にヒューマギアの機体に入っていった。ユエとシアは機体から離れる。

 数秒して、『Take off toward a dream』というヒューマギア共通の起動音と共に、指が微かに動き出す。次いで瞼を開き、新たな身体を得たミレディは身体を起こす。

「…………」

 ミレディは信じられないといった表情で自身の顔を触る。そのまま二、三度瞬きして立ち上がり、箱から出た。次いで、声が出るか確かめようと口を開いた。

「あー、あー。……凄い、間違いなく私の声だ……」

「一応は魔力回路も作っておいた。先程までの身体よりは威力は増している筈だ」

 ソウゴに言われ、ミレディは試しとばかりにシアに術をかけた。すると、

「ぷぎゃっ!?」

 

「っ!」

 

 ミレディは驚いた。以前より少ない魔力で、より速く、より強く発動されたのだ。同じ術とは思えない位に効率が上がっている。消費も下級と上級ぐらい違う。

「ぶへっ……、一瞬とはいえ、酷い目に遭いましたぁ……」

「……残念」

 

 そんなやり取りをする二人を他所に、呆然と自身の掌を見つめるミレディにソウゴは声を掛ける。

「他に迷宮の改修と代わりの試練用の機体も用意させて貰った。それが私からの……まぁ詫びだ、言葉が過ぎたな。……では達者でな」

 それだけ言うとソウゴはオーロラを展開し、ユエとシアを伴って部屋を後にしようとする。

「待って。……もう一つだけいい?」

「…私に答えられる範囲でな」

 

 振り返らず、だが立ち止まったソウゴの背に向けて、ミレディは質問する。

 

「私は……私達は、何で失敗したのかな?」

 その問いを背中に受け、少しの沈黙と三人の視線を得たソウゴは、瞑目の後に答える。

 

「……私が思うに、神殺しとは強欲と傲慢を併せ持ち、何よりも己の欲に忠実でなければならん。自身とその所有物だけを愛し、それらを害するならばたとえ無辜の民であろうと一切躊躇無く鏖殺せしめる、暴虐の化身にして傍若無人の体現者たる究極の自己主義者(エゴイスト)。……少なくとも私の知る神殺し達は、大なり小なりその様な気質の持ち主だった」

 

 そこで一度言葉を切り、首を傾け視線をミレディに向けて続ける。

「ミレディ・ライセン。貴様は神殺しを成すには、些か優しすぎた。『ただ唆されただけ』だと、敵に容赦をかけてしまった。排除という選択を出来なかった。……ここからは私の推測だが、オスカーの日記やこの迷宮の随所で垣間見えた貴様の理不尽さや身勝手さは、生来のものでは無かったのだろう。本来の貴様は、恐らくどこまでも受動的な性質だった筈だ。ただ言われた事を淡々とこなす機械の様にな」

 ミレディは言葉が詰まった。そこまで言って、ソウゴはミレディから視線を切った。

「酷な様だが……その様に生まれた貴様がどれだけの力や仲間を得ようとも、神殺しは到底成し得なかっただろう。神殺しを成す様な者は、生まれながらにそういう星の下に生まれるものだ。選ばれなかった貴様が背負うには荷が重すぎた。人並の才能を持ってしまった小娘が夢見た、身の程を弁えない過ぎた理想だったのだ」

 

 言い終えると、ソウゴは今度こそ振り返らずオーロラの中へ消えた。ユエもソウゴに従って駆け出していき、シアも何が何やらオロオロしつつミレディに一度頭を下げ、部屋を後にした。

 

 

 

 

 後に残されたのは、この部屋の本来の持ち主のみ。彼女は先程まで来客が居た方向を見て拳を握り、人知れず涙を流した。

 

 

 

 

 町と町、或いは村々をつなぐ街道を一台の馬車と数頭の馬がパッカパッカとリズミカルな足音と共にのんびりと進んでいた。勿論、その馬上には人が乗っている。冒険者風の出で立ちをした男が三人と女が一人だ。馬車の方には御者台に十五、六歳の女の子と化け物……基巨漢の漢女が乗っていた。

 

「ソーナちゃぁ~ん、もうすぐ泉があるから其処で少し休憩にするわよぉ~」

「了解です、クリスタベルさん」

 

 クリスタベルと呼ばれた漢女は、何を隠そうブルックの町でユエとシアが世話になった服飾店の店長である。そしてそのクリスタベルと隣に座る少女は、"マサカの宿"の看板娘ソーナ・マサカである。何やら常に驚愕してそうな名前だが、ちょっと好奇心と脳内の桃色成分が多いだけの普通の少女だ。

 

 この二人、現在冒険者の護衛を付けながら、隣町からブルックへの帰還中なのである。クリスタベルは、その巨漢からも分かる通り鬼の様に強いので、服飾関係の素材を自分で取りに行く事が多い。今回も仕入れ等の為に一時町を出たのだ。それに便乗したのがソーナである。隣町の親戚が大怪我を負ったと聞き、宿を離れられない両親に代わって見舞いの品を届けに行ったのだ。冒険者達は元々ブルックの町の冒険者で任務帰りなので、ついでに護衛しているのである。

 ブルックの町まであと一日といったところ。クリスタベル達は、街道の傍にある泉でお昼休憩を取る事にした。

 泉に到着したクリスタベル達が、馬に水を飲ませながら自分達も泉の畔で昼食の準備をする。ソーナが水を汲みに泉の傍までやって来た。そして、いざ水を汲もうと入れ物を泉に浸けたその瞬間、

 

 

「ふむ……迷宮の出口に設定したが、ここは何処だろうな?」

 

 

 突如今まで居なかった、なのに聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。

 

「きゃあ!」

「ソーナちゃん!」

 

 悲鳴を上げて尻餅をつくソーナに、クリスタベルが一瞬で駆け寄り庇う様に抱き上げ他の冒険者達の下へ戻る。それが目に入ったのか、突如現れた人物──ソウゴが声をかける。

「ん? 貴様、宿屋の娘か?」

「わっわっ、何!? ……って、アブノーマルなお客さん!?」

 いきなり現れたのがソウゴ達である事に初めに気付いたのは、妄想過多な宿の看板娘ソーナちゃん。そして「あら? 貴女達確か……」と体をくねらせながらユエとシアを記憶から呼び起こすクリスタベル。そして、「何だ何だ?」と野次馬の様に集って来る冒険者達だった。

「どうやら思ったより賑やかな場に出てきた様だな」

「……ん、ちょっとビックリ」

「しかも、何だか見た顔の人達もいますよぉ」

 

 そんな事を話していると、クリスタベルがソウゴ達の下へやって来た。ソウゴは近寄ってくる人物に見覚えが無い為首を傾げたが、隣でシアが「あっ、店長さん」と知り合いらしい振る舞いを見せるので「二人が世話になったか」と思い話に応じる事にする。

 

 結果、自分達のいる場所がブルックの町から一日程の場所にあると判明し、ソウゴ達も町に寄って行く事にした。クリスタベルの馬車に便乗させてくれるというので、その厚意に甘えることにする。道中色々話をしながら、暖かな日差しの中を馬の足音をBGMに進んでいく。

 

 

 新たな仲間と共に、二つ目の大迷宮の攻略を成し遂げたソウゴ。馬車の荷台に腰を降ろし燦々と輝く太陽を眩しげに見つめながら、ソウゴの脳裏には去り際のミレディの顔が何度も過り、その視線は何処か遠くを見ていた。

 

 

 

 

「君こそ、真の勇者に相応しい」

 

 半月が煌々と山間を照らし、時期に限らない万年の紅葉が妖しく輝く中、その言葉はやけに明瞭に響いた。告げた男は、誘う様に片手を差し出し細めた目を真っ直ぐに向けている。

 

「っ、お、俺は……」

 

 対して、そんな言葉を送られた者は、ゴクリと喉を鳴らしながら生唾と共に言葉を飲み込んだ。自分が今、人生の岐路に立っている事を明確に理解し、その危うさと誘惑の強さに心が激しく揺れているのを自覚する。

 

 周囲を見渡せば、そこには自分の従えた魔物共の姿がある。【ハイリヒ王国】の王都から離れた【湖畔の町ウル】の北に聳え立つ【北の山脈地帯】へ、仲間を置いて一人でやって来たのは、どうしようもない自分の現状を変えたかったから。異世界召喚という妄想の中にしかなかった素晴らしい出来事の当事者に選ばれ、その上反則じみた才能を授かったというのに、自分の"脇役(モブキャラ)"という位置付けに納得が出来なかったから。

 

 何より、自分を差し置いて物語の勇者そのものを体現しているかの様なあの男が許せなかったから。だから、こうして強力な魔物を従えて周囲の連中に自分を認めさせようとしている。

 

 だが、それも限界に感じていた。時間をかければ、自分の望みは叶うかもしれない。しかし時間をかければ成長するのは他の者も同じだ。特に、最前線で成長し続けているであろう勇者一行は、今この瞬間も自分を引き離しているかもしれない。見返してやりたい、認めさせてやりたいと思いながら、それでも恐怖に負けて大迷宮から逃げ出した自分では、追いつけないかもしれない。やり方次第だと自分に言い聞かせて、見つけた方法ならば"きっと"と信じているが、それでも不安と焦燥と、所詮自分と勇者達とでは生まれ持ったものが違うのだという諦観が胸中に幾度となく過るのを止められなかった。

 

 だから突然眼前に現れ「君こそ特別だ」と、そんな事を言って自分を勧誘する男の言葉に、心は激しく揺れる。

 

 

 ……たとえその代償が、取り返しのつかない事だとしても。

 

 

「ほ……本当に、俺を勇者にしてくれるのか? 後で裏切る気じゃないだろうな?」

「えぇ。君が今までの全てを切り捨て、我が主の下へ来てくれるというのなら、その証を。あの町の住人と“豊穣の女神”相手に示してくれるというのなら、我等は君を信じ勇者として迎えましょう。裏切るなどありえない、他の誰でもない“特別な”君だからこそ、我等の陣営に来て欲しいと願っているのです」

「……俺が、勇者に……物語の主人公に……」

 

 再び男の言葉を受けたその人物は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。その瞳には、野望の黒い炎がチロチロと燻り始めている。欲望が、鬱屈した心が、決壊した堤防から噴き出る水の様に彼の深奥を染めていく。静かな興奮を隠しもせずに、その人物は舌舐りしながら頷いた。

「……いいだろう。俺が、アンタ達の勇者になってやるよ」

 

 その表情は、誰がどう見ても"勇気ある者"という称号には相応しくない、醜く歪んだものだった。

「それは良かった、これからよろしくお願いしますよ……我等が勇者殿」

 誘いをかけた男は柔和に笑いながら、心の中で嗤う。これから起こるであろう凄惨な蹂躙劇を想い、それが敵自身の招いた結果という皮肉を浮かべて。

 

 

 【北の山脈地帯】の一角に、音にならない二つの嗤い声が重なった。それを、半月と意思無き魔物達だけが静かに見つめていた。

 




豆知識

※ソウゴにとって神殺しの過去は「若さ故の過ち」という扱いなので、誇るべきではなく寧ろ隠したい過去です。


※「羅生転輪」とは?
 ソウゴが使う特殊な死者蘇生術、及びその術で蘇った死者の総称です(簡単に言うと穢土転生と英霊召喚の良い所取りの術)。全員が生前より大幅に強化されており、聖闘士星矢世界の各鎧を与えられます。


以下、現在のメンバーと登場原作(一部略称有り)。


牡羊座の夢結
『アサルトリリィ』

牡牛座の古城
『ストライク・ザ・ブラッド』

双子座の美炎
『刀使ノ巫女』

蟹座の一護
『BLEACH』

獅子座のゴジット
『ドラゴンボール』 全サイヤ人の集合体的存在

乙女座の飛鳥
『閃乱カグラシリーズ』

天秤座のナルト
『NARUTOシリーズ』

蠍座のゼレフ
『FAIRY TAIL』

射手座の光牙
『聖闘士星矢Ω』

山羊座のロジャー
『ONE PIECE』

水瓶座のエーデルワイス
『落第騎士の英雄譚』

魚座のなのは
『魔法少女リリカルなのはシリーズ』

蛇遣座のサターン
『美少女戦士セーラームーン』

海馬のカミト
『精霊使いの剣舞』

スキュラの春虎
『東京レイヴンズ』

クリュサオルの縁壱
『鬼滅の刃』

リュムナデスのマキセ
『非公認魔法少女戦線』

クラーケンのユナ
『くまクマ熊ベアー』

海魔女のミク
『VOCALOIDシリーズ』

海龍のオーフィス
『ハイスクールD×D』

トリトンのめだか
『めだかボックス』

天猛星ワイバーンの諸葉
『聖剣使いの禁呪詠唱』

天雄星ガルーダの刃更
『新妹魔王の契約者』

天貴星グリフォンのキャロル
『戦姫絶唱シンフォギアシリーズ』

天暴星ベヌウのシャナ
『灼眼のシャナ』

天魁星メフィストフェレスのルシファー
『sin 七つの大罪』

天哭星ハーピーの士道
『デート・ア・ライブ』

天捷星バジリスクのサルトリーヌ
『ピーチボーイ・リバーサイド』

天魔星アルウラネのルザミーネ
『ポケットモンスター サン・ムーン』

天英星バルロンのメリル
『エロティカル・ウィザードと12人の花嫁』

天孤星ベヒーモスの斬々
『武装少女マキャヴェリズム』

天寿星ヴァンパイアのフラン
『劇場版イナズマイレブンGO&ダンボール戦機』

天損星ケートスのハンナ
『好きで鈍器は持ちません!』

天機星キラービーの姫乃
『ヒメノスピア』

天異星バイコーンのケヤル
『回復術師のやり直し』

天満星キメラのシアン
『奴隷姫と過ごす日々』

天空星リンドブルムのティグル
『魔弾の王と戦姫』

天勇星ウンディーネのターニャ
『幼女戦記』

天殺星アメミットのスノーホワイト
『魔法少女育成計画』

天罡星麒麟のほむら
『魔法少女まどかマギカシリーズ』

天微星ジャバウォックの星屑
『ああ勇者、君の苦しむ顔が見たいんだ』

天富星イフリートの暁月
『はぐれ勇者の鬼畜美学』

天牢星ミノタウロスのクラン
『Re:魔法少女』

天間アケローンのジニア
『魔王学院の不適合者』

天角星ゴーレムのシータ
『装甲娘』

天敗星トロルのジョナサン
『ジョジョの奇妙な冒険 第一部』

天罪星リュカオンの弔
『僕のヒーローアカデミア』

天傷星マンドレイクのギィ
『転生したらスライムだった件』

天究星ナスのアドルフ
『K』

天退星玄武の一方通行
『とある魔術の禁書目録』

天巧星ハヌマーンの31
『イジメカエシ』

天立星ドリュアスのライザリン
『ライザのアトリエシリーズ』

天威星マンティコアのウェルベリア
『クイーンズブレイド』

天暗星アラクネのアサギ
『対魔忍シリーズ』

天祐星レギオンの茉莉香
『モーレツ宇宙海賊』

天速星スプリガンのオルクボルグ
『ゴブリンスレイヤー』

天剣星ドレイクのフラスコ
『鋼の錬金術師』

天平星ガーゴイルのハンター
『モンスターハンター』

天慧星ヘカトンケイルの金一
『緋弾のアリア』

重爆雷斬刃のメイプル
『防振り』

武神光臨剣のアナスタシア
『Free Life Fantasy On-Line』

天地崩滅斬の束
『インフィニット・ストラトス』

天神創世剣のケイ
『バトルスピリッツ 正史覇王伝』

ミカエルの魅零
『ヴァルキリードライヴマーメイド』

ガブリエルの深雪
『魔法科高校の劣等生』

ウリエルのメリオダス
『七つの大罪』

ラファエルのキリト
『ソードアートオンライン』

メタトロンのリーリァ
『すかすか』

ラドゥエリエルのイングリス
『英雄王、武を極めるため転生す』

アズラエルのラインハルト
『Re:ゼロから始める異世界生活』

オファニエルのゾーイ
『グランブルーファンタジー』

ガルガリエルの喜美
『境界線上のホライゾン』

サマエルのオルステッド
『無職転生』

サリエルのルベド
『オーバーロード』

サンダルフォンのオリヴィア
『俺だけが入れる隠しダンジョン』

ラジエルのエリカ
『カンピオーネ!』

ザドキエルのフェリス
『十歳の最強魔導師』

カマエルのレナリア
『異世界で最強の装備は、全裸でした』

ザフキエルのティンクトゥラ
『宝石姫』

アブディエルのフアナ
『オトギフロンティア』

シャムシエルのアテム
『遊戯王』


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第十話 働く魔王様

色々あって間が空きました。


 畑山愛子、二十五歳。社会科教師。

 

 彼女にとって教師とは、専門的な知識を生徒達に教え学業成績の向上に努め、生活が模範的になる様指導するだけの存在ではない。勿論それらは大事な事ではあるのだが、それよりも"味方である"事、それが一番重要だと考えていた。具体的に言えば、家族以外で子供達が頼る事の出来る大人で在りたかったのだ。

 それは彼女の学生時代の出来事が多大な影響を及ぼしているのだが、ここでは割愛する。兎に角、家の外に出た子供達の味方である事が愛子の教師としての信条であり矜持であり、自ら教師を名乗れる柱だった。

 

 それ故に、愛子にとって現状は不満の極みだった。いきなり異世界召喚などというファンタジックで非常識な事態に巻き込まれ呆然としている間に、クラス一カリスマのある生徒に話を代わりに纏められてしまい、気がつけば大切な生徒達が戦争の準備なんてものを始めている。

 何度説得しても、既に決まってしまった“流れ”は容易く愛子の意見を押し流し、生徒達の歩みを止める事は叶わなかった。

 

 ならば、せめて傍で生徒達を守る! と決意したにも拘らず、保有する能力の希少さ、有用さから戦闘とは無縁の任務──農地改善及び開拓を言い渡される始末。必死に抵抗するも生徒達自身にまで説得され、愛子自身適材適所という観点からは反論のしようが無く引き受ける事になってしまった。

 

 

 毎日遠くで戦っているであろう生徒達を思い、気が気でない日々を過ごす。聖教教会の神殿騎士やハイリヒ王国の近衛騎士達に護衛されながら、各地の農村や未開拓地を回り、漸く一段落済んで王宮に戻れば、待っていたのはとある生徒の訃報だった。

 

 

 この時は愛子は、どうして強引にでもついて行かなかったのかと自分を責めに責めた。結局、自身の思う理想の教師たらんと口では言っておきながら自分は流されただけではないか! と。勿論、愛子が居たからといって何か変わったかと言われれば答えに窮するだろう。だが、この出来事が教師たる畑山愛子の頭をガツンと殴りつけ、ある意味目を覚ますきっかけとなった。

 

 "死"という圧倒的な恐怖を身近に感じ立ち上がれなくなった生徒達と、そんな彼等に戦闘の続行を望む教会・王国関係者。愛子は、もう二度と流されるもんか! と教会幹部、王国貴族達に真正面から立ち向かった。自分の立場や能力を盾に、私の生徒に近寄るなとこれ以上追い詰めるなと声高に叫んだ。

 

 結果、何とか勝利を捥ぎ取る事に成功する。戦闘行為を拒否する生徒への働きかけは無くなった。だが、そんな愛子の頑張りに心震わせ、唯でさえ高かった人気が更に高まり、戦争なんてものは出来そうにないが、せめて任務であちこち走り回る愛子の護衛をしたいと奮い立つ生徒達が少なからず現れた事は皮肉な結果だ。

 「戦う必要は無い」「派遣された騎士達が護衛をしてくれているから大丈夫」そんな風に説得し思い止まらせようとするも、そうすればそうする程一部の生徒達はいきり立ち「愛ちゃんは私達/俺達が守る!」と、どんどんやる気を漲らせていく。そして結局押し切られ、その後の農地巡りに同行させる事になり、「また流されました。私はダメな教師です……」と四つん這い状態になってしまった事は記憶に新しい。

 

 

 因みにこの時、愛子の護衛役を任命された専属騎士達が生徒達の説得を手伝うのだが、何故か生徒達を却って頑なにさせたという面白事情がある。何故、生徒達が彼等護衛達に反発したのか。それは生徒達の総意たるこの台詞に全てが詰まっている。

 

「愛ちゃんをどこの馬の骨とも知れない奴に渡せるか!」

 

 生徒達の危機意識は、道中の賊や魔物よりも寧ろ愛子の専属騎士達に向いていた。その理由は、全員が全員凄まじいイケメンだったからだ。これは、愛子という人材を王国や教会に繋ぎ止める為の上層部の作戦である。要はハニートラップみたいなものだ。それに気がついた生徒の一人が生徒同士で情報を共有し「愛ちゃんをイケメン軍団から守る会」を結成した。

 

 だがここで、生徒側に一つ誤算が生じていた。それは、"木乃伊取りが木乃伊になっていた"という事を知らなかった事だ。その証左に、生徒達を説得した神殿騎士のデビッド、チェイス、クリス、ジェイドの言葉を紹介しよう。

 

「心配するな、愛子は俺が守る。傷一つ付けさせはしない。愛子は…俺の全てだ」

「彼女の為なら、信仰すら捨てる所存です。愛子さんに全てを捧げる覚悟がある。これでも安心できませんか?」

「愛子ちゃんと出会えたのは運命だよ。運命の相手を死なせると思うかい?」

「……身命を賭すと誓う。近衛騎士としてではない。一人の男として」

 

 この時、生徒達は思った。「一体何があった!? こいつら全員逆に堕とされてやがる!」と。

 つまり、最初こそ危機意識の内容は愛子がハニートラップに引っかかるのでは? だったのだが、このセリフを聞いた後では「馬の骨に愛ちゃんは渡さん!」という親的精神で、生徒達は愛子の傍を離れようとしなかったのである。

 

 尚、彼等と愛子の間に何があったのかというと……話が長くなるので割愛するが、持ち前の一生懸命さと空回りぶりが、愛子の誠実さとギャップ的な可愛らしさを周囲に浸透させ、"気がつけば"愛子の信者になっていたという、そんな感じの話だ。語り出せば新たな物語が出来てしまう位……色々あったのだ、色々。

 

 

 そんなこんなで現在では、【オルクス大迷宮】で実戦訓練を積む光輝達勇者組、居残り組、愛子の護衛組に生徒達は分かれていた。

 「愛ちゃんをイケメン軍団から守る会」改め「愛ちゃん護衛隊」には、先陣を切った園辺優花を実質的なリーダーに、友人の宮崎奈々、菅原妙子。そして玉井淳史、相川昇、仁村明人、清水幸利の男子陣を加えた総勢七名が各々トラウマを抱えたまま参加している。

 

 ハイリヒ王国に帝国の使者──という名の皇帝一行が来訪して二ヶ月と少し。

 王都を出発した彼等は現在、新たな農耕改善の地──【湖畔の町ウル】への途上にあった。ガタガタゴットンズッタンズタンとサスペンションなど搭載されていない馬車が、中々の衝撃で現代地球っ子達の尻を襲っている。

「愛子、疲れてないか? 辛くなったら遠慮せずに言うんだぞ? 直ぐに休憩にするからな?」

「いえ、平気ですよデビッドさん。というかついさっき休憩したばかりじゃないですか。流石にそこまで貧弱じゃありません」

 広々とした大型馬車の中、愛子専属護衛隊隊長のデビッドが心配そうに愛子に話しかける。それに対する愛子の返答は苦笑いが混じっていた。

「ふふ、隊長は愛子さんが心配で堪らないんですよ。ほんの少し前までは一日の移動だけでグッタリしていたのですから。……かくいう私も貴方が心配です。本当に遠慮をしてはいけませんよ?」

「その節はご迷惑をお掛けしました。馬車での旅なんて初めてで……でも、もう大分慣れましたから本当に大丈夫です。心配して下さり有難うございます。チェイスさん」

 当初、馬車での移動という未知の体験に色々醜態を見せた愛子は、過去の自分を思い出し僅かに頬を染めながら護衛隊副隊長チェイスにお礼を言う。

 頬を染める愛子に、悶える様に手で口元を隠したチェイスは、さり気なく愛子の手を取ろうとして……「ゴホンッ!」という咳払いと鋭い眼光にその手を止められる。

 

 

 止めたのは愛子の斜め前に座っている女子生徒の一人園部優花である。"愛ちゃんをイケメン軍団から守る会"の会長だ。他にも数名のメンバーが乗り込んでいる。

 

 一応、優花達も勇者と共に異世界から召喚された"神の使徒"という事になっているので、生徒達専用の馬車も用意されているのだが、馬車の中という密室にイケメン軍団と愛子だけにしていては何があるか分からないと半ば無理矢理乗り込んだのだ。

 

 優花はセミロングの髪を染めて淡い栗色にしており、美人系の顔立ちなので目つきもやや鋭い。別に日本にいた時も不良という訳では無く、どちらかと言えば真面目な方なのだが、ファッション等の好みがその系統に近い事や、性格が割とサバサバしている事から誤解されがちな女子生徒だ。そんな彼女が眉間に皺寄せてギンッと目を吊り上げていれば……中々に迫力があった。少なくとも、同乗していた淳史が思わずスッと視線を逸らす程度には。

 

 因みに、この馬車は八人乗りである。外には一個小隊規模の騎士達が控えているが、隊長と副隊長が揃って馬車の中にいていいのかというツッコミは既に為された後だ。なんだかんだと理由を付けてイケメン達も乗り込んでいる。余程愛子から離れたくないらしい。

 

「おやおや、睨まれてしまいましたね。そんなに眉間に皺を寄せていては、折角の可愛い顔が台無しですよ?」

 そう言ってイケメンスマイルで微笑むチェイス。何故か無駄にキラキラしている。普通の女性なら思わず頬を染めるだろう魅力的な笑みだ。だがそれに対する優花の反応は、今にも「ペッ!」と唾を吐きそうな表情である。

「愛ちゃん先生の傍で、他の女に"可愛い"ですか? 愛ちゃん先生、この人きっと女癖悪いですよ。気を付けて下さいね?」

 優花は細やかな反撃の言葉を吐き出した。惚れた女の前で他の女に"可愛い"なんて言葉を使う奴は碌でもない、というのが優花の持論だ。ましてや、己のハニートラップ的役割を十分に理解しているらしい彼等が敢えて自分の容姿を活かした言動を取れば、優花的にはもう質の悪いただのナンパ野郎にしか見えないのである。

 

「そ、園部さん。そんなに喧嘩腰にならないで。それと、折角"先生"と呼んでくれる様になったのに"愛ちゃん"は止めないんですね。……普通に愛子先生で良くないですか?」

「ダメです。愛ちゃん先生は"愛ちゃん"なので、愛ちゃん先生でなければダメです。生徒の総意です」

「ど、どうしよう、意味が分からない。しかも生徒達の共通認識? ……これが、ゆとり世代の思考なの? 頑張れ私ぃ、威厳と頼りがいのある教師になる為の試練よ! 何としても生徒達の考えを理解するのよ!」

 

 一人で「ふぁいとー!」する愛ちゃん先生に、優花とチェイスのやり取りでギスギスしていた空気がほんわかする。それこそ愛子が"愛ちゃん"たる所以なのだが、愛子は気がつかない。威厳のある教師の道は遠そうである。

 

 

 それから更に馬車に揺られる事四日。

 イケメン軍団が愛子にアプローチをかけ、愛子自身やけに彼等が積極的なのは上層部から何か言われているのだろうなぁと流石に察していたので普通にスルーし、実は本気で惚れられているという事に気がついていない愛子に、これ以上口説かせるかと優花達が睨みを効かせ、度々重い空気が降りるなか、やはり愛子の言動にほんわかさせられ……という事を繰り返して、遂に一行は【湖畔の町ウル】に到着した。

 町の宿で旅の疲れを癒しつつ、ウル近郊の農地の調査と改善案を練る作業に取り掛かる。その間も愛子を中心としたラブコメ的騒動が多々あるのだが……それはまた別の話。

 

 そうしていざ農地改革に取り掛かり始め、最近巷で囁かれている“豊穣の女神”という二つ名がウルの町にも広がり始めた頃、再び愛子の精神を圧迫する事件が起きた。──生徒の一人が失踪したのである。

 愛子は奔走する。大切な生徒の為に。

 

 

 その果てに、衝撃の再会と望まぬ結末が待っているとも知らずに。

 

 

 

「ふふっ、あなた達の痴態、今日こそじっくりねっとり見せてもらうわ!」

 

 上弦の月が時折雲に隠れながらも、健気に夜の闇を照らす。今もまた、風にさらわれた雲の上から顔を覗かせその輝きを魅せていた。その光は、地上のとある建物を照らし出す。もっと具体的に言えば、その建物の屋根からロープを垂らし、それにしがみつきながら何処かの特殊部隊員の様に華麗な下降を見せる一人の少女を照らし出していた。

 

 スルスルと三階にある角部屋の窓まで降りると、そこで反転し、逆さまになりながら窓の上部よりそっと顔を覗かせる。

 

「この日の為にクリスタベルさんに教わったクライミング技術その他! まさかこんな場所にいるとは思うまい、ククク。さぁ、どんなアブノーマルなプレイをしているのか、ばっちり確認してあげる!」

 

 ハァハァと興奮した様な気持ちの悪い荒い呼吸をしながら室内に目を凝らすこの少女、何を隠そうブルックの町"マサカの宿"の看板娘ソーナちゃんである。

 明るく元気でハキハキした喋りに、くるくると動き回る働き者。美人という訳ではないが野に咲く一輪の花の様に素朴な可愛さがある看板娘だ。町の中にも彼女を狙っている独身男は結構いる。

 

 そんな彼女は現在、持てる技術の全てを駆使してとある客室の"覗き"に全力を費やしていた。その表情は、彼女に惚れている男連中が見れば一瞬で幻滅するであろう……エロオヤジのそれだった。

 

「くっ、やはり暗い。よく見えないわ。もう少し角度をずらして……」

「こうか?」

「そうそう、この角度なら……それにしても静かね? もう少し嬌声が聞こえるかと思ったのに……」

「魔術でも使えば遮音くらいは出来るだろ?」

「はっ!? その手があったか! くぅう小賢しい、でも私は諦めない! その痴態だけでもこの眼に焼き付け………………」

 

 繰り返すが、ここは三階の窓の外。ソーナの様に馬鹿な事でもしない限り、間近に声が聞こえる事など有り得ない。ソーナは一瞬で滝の様な汗を流すと、ギギギという油を差し忘れた機械の様にぎこちない動きで振り返った。そこには……

 

 

 空中に仁王立ちする、感情の読み取れない表情をしたソウゴがいた。

 

 

「ち、ちなうんですよ? お客様。これは、その、あの、そう! 宿の定期点検です!」

「こんな夜中に?」

「そ、そうなんですよ~。ほら、夜中にちゃちゃっとやってしまえば、昼に補修しているところ見られずに済むじゃないですか。宿屋だからガタが来てると思われるのは、ね?」

「成程、評判は大事だな?」

「そ、そうそう! 評判は大事です!」

「ところで、この宿で最近覗き魔が出る様だが……そこについてどう思う?」

「そ、それは由々しき事態ですね! の、覗きだなんて、ゆ、許せません、よ?」

「ああ、その通りだ。覗きは許せないな?」

「え、ええ、許せませんとも……」

 

 ソーナはソウゴと顔を見合わせると「ははは」と笑い始めた。但し、小刻みに震えながら汗をポタポタ垂らしているという何とも追い詰められた様な笑いだったが。

 

「反省しろ」

「ひぃーー、ごめんなざぁ~い!」

 

 ソウゴがソーナの顔面にアイアンクローを決め込む。メリメリと音を立ててめり込むソウゴの指。空中でジタバタともがきながらソーナは悲鳴を上げ、必死に許しを請う。

 

 

 ソーナは一般人の女の子だ。それに対するお仕置きにしては、少々やりすぎなのではと思うレベルで力を入れるソウゴ。

 これが初犯なら、まだもう少し手加減くらいしただろう。しかし、【ライセン大迷宮】から帰還した次の日に再び宿に泊まった夜から毎晩、あの手この手で覗きをされればいい加減配慮も薄くなるというものだ。

 

 因みに、それでもこの宿を利用しているのは飯が美味いからである。

 

 

 既にビクンビクンしているソーナを容赦なく放り投げ、ピンポン玉の様に町中の建物という建物に跳ねさせて内臓と脳をシェイクさせてから脇に抱え直すソウゴ。ソーナは全身の痛みと脳震盪で目を回しつつ、漸く解放されたとホッと安堵の息を吐く。しかし、ふと見た下には……鬼がいた。満面の笑みだが、眼が笑っていない母親という鬼が。

「ひぃ!!」

 ソーナが気がついた事に気がついたのだろう。ゆっくり手を掲げると、おいでおいでをする母親。まるで地獄への誘いだった。

「今回は、尻叩き百発じゃあきかないかもな」

 

「いやぁああーーー!」

 

 ソウゴがポツリとこぼした言葉に、今までのお仕置きを思い出して悲鳴を上げるソーナ。きっと、翌の朝食時には、お尻をパンパンに腫らした涙目のソーナを見る事ができるだろう。毎晩毎朝の出来事に溜息を吐くソウゴであった。

 

 

 ソーナを母親に引渡し、宿の部屋に戻ったソウゴは、そのままベッドにドサッと寝転んだ。

「……お疲れ様」

「おかえりなさいです」

 

 そんなソウゴに声を掛けたのは、勿論ユエとシアだ。窓から差し込む月明かりだけが部屋の中を照らし、二人の姿を淡く浮かび上がらせる。対面のベッドの上で女の子座りしているユエ、浅く腰掛けたシア。二人共ネグリジェだけという何とも扇情的な姿だ。二人の美貌と相まって、一枚の絵画として描かれたのなら、それが二流の書き手でも名作と謳われそうである。

「あぁ全くだ。……にしても一体何があの小娘を駆り立てるんだか。屋根から降りてくるなぞ尋常ではないぞ? 流石に、いくら飯が美味くても別の宿を探すべきかもな」

 呆れた様な口調でそう話すソウゴに、シアはクスリと笑って立ち上がりソウゴのベッドに腰掛ける。ユエもいそいそと立ち上がるとソウゴのベッドに移動し、横たわるソウゴの頭の下に自らの膝を入れた。所謂膝枕である。瞬間、ソウゴは頭を上げて身体を起こす。その表情は美少女に膝枕をされたとは思えない顰めっ面だ。シアは一瞬不満気な顔になるが、直ぐに元の顔に戻る。

「きっと、私達の関係がソーナちゃんの女の子な部分に火を付けちゃったんですね。気になってしょうがないんですよ。可愛いじゃないですか」

「……でも、手口がどんどん巧妙になってるのは……心配」

「昨日なぞ、シュノーケルを自作して湯船の底に張り込んでたからな……水中から爛々と輝く眼を見つけた時は、危うく殺しかけたぞ」

「う~ん、確かに宿の娘としてはマズイですよね…一応、私達以外にはしてない様ですが……」

 ソーナの奇行について雑談しながら、シアが、そっとソウゴに体を寄せる。自然と伸びた手がソウゴの手と重なり自分の胸元へと誘導していく。シアの表情は紅潮していて、これから起こる事に緊張している様だ。

 ソウゴは握られたシアの手をそっと握り返し……壁に叩きつけた。

 

「ぎゃんっっ!!!??」

 

「貴様等、部屋は隣だろう。何故勝手に入っている?」

頭から床に落ちたシアを心配する事も無く、ユエも含めて何故部屋にいるのか尋ねるソウゴ。

 

「そ、それは、なし崩し的にベッドイン☆出来ないかなぁ~と……」

「……」

 

 頬を赤らめるシアと、激しく首肯するユエ。ソウゴは頭を抱えて溜め息を吐く。

「貴様等を抱くつもりは無いと言っただろうが」

「いいえ、私の勘では、ソウゴさんはデレ始めてます! 最初の頃に比べれば大分優しいですもの! このまま既成事実でも作ってやれば…グヘヘ『メキョバキッ』らめぇーー! 壊れるぅーー!」

 聞くに耐えないシアのお粗末な計画に、素早く距離を詰めてアイアンクローするソウゴ。

 シアは、鳴ってはならない音を響かせつつもどうにか解放してもらい、痛む頭を抱え込みながらうずくまりベッドの端でブルブルと痛みに耐えた。ウサミミが「ひどいよぉ~、ひどすぎるよぉ~」とでも言っているかの様にプルプルミョンミョンしている。そんなシアを放置して、ソウゴはユエに視線を転じる。ユエは、真っ直ぐソウゴを見つめていた。

「ユエ、貴様もシアを止めろ。今までなら直ぐ止めただろうに、どういう心境の変化だ?」

 ソウゴの疑問にユエは少し考える様に首を傾げた。ソウゴの言う通り、【ライセン大迷宮】を後にしてからというもの、ユエのシアに対する態度が寛容なのだ。以前はソウゴにくっつこうものなら問答無用に弾き飛ばしていたのだが、最近は多少のスキンシップなら特に何も言わなくなった。それでも、過剰な…例えばキスを迫ったりすると不機嫌そうになるのだが……

「……シアは、頑張った。これからも頑張る。ソウゴ様と私が好きだから」

「まぁ、そうだろうな……」

「……私も……嫌いじゃない」

「何だかんだで貴様等仲はいいからな。それは見ててわかる」

 ソウゴはユエの少ない言葉から、要はユエがシアを気に入っているというレベルを超えて大切に思いつつあるという事を察した。

 

 それは事実だ。

 

 【ライセン大迷宮】では、峡谷よりも遥かに強力な魔法分解作用が働いていたせいで、ユエは十全に力を発揮できなかった。それをカバーしたのは、他ならぬシアだ。

 

 シアは、ほんの少し前まで争いとは無縁の存在だった。無縁どころか苦手ですらあった。平穏を愛する最弱の種族──その評判通りの兎少女だったのだ。

 そんな彼女が、恐怖も不安もあっただろうに、唯の一度も弱音を吐く事無くソウゴとユエに付いて来た。大迷宮という地獄へ。そして歯を食いしばり、遂には上々の結果まで叩き出した。

 

 それは偏に、ソウゴに対する恋情とユエに対する友情の為だ。二人と一緒にいたいからこそ、シアは己を変え全身全霊を以て前へ進んだ。

 

 ユエにも独占欲や嫉妬心は当然ある。故に、シアのソウゴに対する気持ちは認め難い。だからこそ、当初はそれなりにキツイ対応をして来たのだが……どれだけ邪険にしても真っ直ぐ飛び込んでくるシアに、何度も伝えられる友愛に、そして大迷宮攻略という形でそれらを証明した事に……有り体に言えば絆された。

 思えば、ユエには友人というものがいたという記憶がない。封印される前は勉学に政務にと忙しく、立場的にも対等な友人というものはいなかった。つまりボッチだった。そこへ「仲間ですぅ~!」と裏表なく真っ直ぐぶつかってきてくれるシアの存在は、ソウゴの事を除けば、実は元々悪い気はしていなかったのだ。

 

 そんな訳で、最近はソウゴの事に関しても、「まぁ、シアなら少しくらい……」という寛容さが示されているのである。

「……それに」

「ん?」

 言葉を続けるユエに視線を向けるソウゴ。その瞳には、自信と妖艶さと覚悟と誠意と、その他の全てが詰まった様な煌くユエの微笑みが映った。余人ならばあまりに可憐且つ魅力的で、思わず息を詰めるだろう。それ自体が引力を持っているかの様に視線は吸い寄せられる。しかしソウゴは胡乱気な目でユエを見つめ返す。

「……ソウゴ様の心は、もう私が持ってる」

 

「……」

 

 例え誰がソウゴを好きになろうと、例えソウゴが誰を懐へ入れようと。一番は、特別は……この私である。それはそういう宣言だ。ユエの宣戦布告だ。今まで出会った人達への、そしてこれから出会うであろう人達への宣戦布告である。

「……………はぁ」

 もう何も言えないソウゴ。もう頭を抱えたい気分だ。男女の関係になるつもりは無いと再三言っているのにこれなので、ソウゴは遠く故郷の妻子達が恋しくなった。参ったと言わんばかりの表情で左手薬指の指輪を見る。すると……

 

「ぐすっ、あの、せめて私の存在を忘れるのだけは止めてもらえませんか? 虚しさとか寂しさが半端なくて……ぐすっ」

 

 シアがベッドの隅で三角座りをし泣きべそを掻きながら、二人を見つめていた。

 あまりに哀れな姿においでおいでをするユエ。「ユエざぁ~ん!」と叫びながら、シアは、ユエの胸に飛び込みスンスンと鼻を鳴らす。よしよしと頭を撫でられる感触が気持ちよくて次第にトロンとした眼になり、そのまま寝息を立てるシア。

 ソウゴは、そんな様子を見て苦笑いしながらポツリとこぼす。

「友というより母じゃないか?」

「……子供ならソウゴ様の子がいい」

「……貴様も大概脳内ピンクよな」

「……シアにも少し優しくしてあげて?」

「善処はしよう」

「ん……大好き」

「ふざけてないでシアを連れて戻れ」

 結局、言っても中々戻らなかったので力尽くで追い出して寝る事になった。この日以降、調子に乗って毎晩ソウゴに特攻しては手痛いお仕置きをされるという事が繰り返される事になる。

 

 因みに、壁に叩きつけられた時のシアの悲鳴でソーナちゃんの誤解とか好奇心とか妄想とかたが更に深まり、やたらと高い潜入スキルを持つ宿屋の看板娘が爆誕するのだが……これはまた別の話。

 

 

 カランカラン……と、そんな音を立てて冒険者ギルド【ブルック支部】の扉は開いた。入ってきたのは三人の人影。ここ数日ですっかり有名人となったソウゴ、ユエ、シアである。ギルド内のカフェには、いつもの如く何組かの冒険者達が思い思いの時を過ごしており、ソウゴ達の姿に気がつくと片手を上げて挨拶してくる者もいる。男は相変わらずユエとシアに見蕩れ、ついでソウゴに羨望と嫉妬の視線を向けるが、そこに陰湿なものはない。

 

 ブルックに滞在して一週間、その間にユエかシアを手に入れようと画策した者は今や一人もいない。嘗て"股間スマッシュ"という世にも恐ろしい所業をなしたユエ本人を直接口説く事は出来ないが、外堀を埋める様にソウゴから攻略してやろうという輩がそれなりにいたのである。

 

 それに対してソウゴは、何を思ったのか決闘を申し込んできた冒険者を一堂に集め、その全員を一度に相手する事にしたのだ。勿論結果は言うまでも無く、ソウゴの挨拶代わりの一撃目で沈んだのだが。

 ユエとシアが驚いたのは、その次にソウゴがした事だ。

 

 ソウゴは決闘した者も含めて町中の人々を集め、大規模な酒宴を開いたのである。費用は全てソウゴ持ち、その上自身の酒蔵の逸品まで振舞った。

 

 

 そんな訳でこの町では、"股間スマッシャー"たるユエと、そんな彼女が心底惚れており、決闘した相手すら極上の品を振舞う度量と財力、数百人を一撃で沈めた実力を持った"無双富豪"たるソウゴのコンビは有名であり一目置かれる存在なのである。ギルドでパーティー名の申請等していないのに"ゴールデン・ラヴァーズ"というパーティ名が浸透しており、自分の二つ名と共にそれを知ったソウゴが大笑いしたのは記憶に新しい。

 

 そんな事があったからか、ソウゴの実力を疑う者は一人もいない。またその立ち居振る舞いから、正確ではなくともソウゴが見た目以上に年を取っている事を皆が察していた。

 

 因みに、自分の存在感が薄いとシアが涙したのは余談である。

 

 

「おや、今日は三人一緒かい?」

 ソウゴ達がカウンターに近づくといつも通りキャサリンがおり、先に声をかけた。キャサリンの声音に意外さが含まれているのは、この一週間でギルドにやって来たのは大抵、ソウゴ一人かシアとユエの二人組だからだ。

「ああ。明日にでも町を出る故、一応挨拶をとな。ついでに目的地関連で依頼があれば受けておこうと思うのだが……」

「そうかい、行っちまうのかい。そりゃあ寂しくなるねぇ、あんた達が戻ってから賑やかで良かったんだけどねぇ~」

「そう言ってもらえて嬉しいが、何分新しいものに目が無くてね。ここでの日々も楽しかったが、新たな出会いを求めに旅立つ事にしたよ」

 

 そう笑うソウゴの表情に嘘は無い。その目は今日までを振り返り、主にユエとシアを巡って巻き込まれたアレコレを思い出している。

 

 また、ブルックの町には三大派閥が出来ており、日々鎬を削っている。一つは「ユエちゃんに踏まれ隊」、もう一つは「シアちゃんの奴隷になり隊」最後が「お姉さまと姉妹になり隊」である。其々文字通りの願望を抱え、実現を果たした隊員数で優劣を競っているらしい。

 

 あまりにぶっ飛んだネーミングと思考の集団にドン引きの二人と、愉快そうに笑うソウゴ。町中でいきなり土下座すると、ユエに向かって「踏んで下さい!」とか絶叫するのだ。もはやギャグである。シアに至ってはどういう思考過程を経てそんな結論に至ったのか理解不能だ。亜人族は被差別種族じゃなかったのかとか、お前らが奴隷になってどうするとかツッコミどころは満載だが、深く考えるのが面倒だったので出会えば即刻排除している。最後は女性のみで結成された集団で、ユエとシアに付き纏うか、ソウゴの排除行動が主だ。一度は、「お姉さまに寄生する害虫が! 玉取ったらぁああーー!!」とか叫びながらナイフを片手に突っ込んで来た少女もいる。

 

 流石に町中で少女を殺害したとなると色々面倒そうなので、ソウゴはその少女を裸にひん剥いた後、亀甲縛りにして"アナザーディメンション"でパンクハザードに送って一日程放置した。その後戻って来た少女の有様に、他の少女達の過激な行動が鳴りを潜めたのはいい思い出である。

 

 

「まぁ、楽しかったならなによりだよ。で、何処に行くんだい?」

「取り敢えずはフューレンに行くつもりだ」

 そんな風に雑談しながらも、仕事はきっちりこなすキャサリン。早速、フューレン関連の依頼がないかを探し始める。

 

 【フューレン】とは、中立商業都市の事だ。ソウゴ達の次の目的地は【グリューエン大砂漠】にある七大迷宮の一つ、【グリューエン大火山】である。その為大陸の西に向かわなければならないのだが、その途中に【中立商業都市フューレン】があるので、大陸一の商業都市に一度は寄ってみようという話になったのである。

 

 尚、【グリューエン大火山】の次は大砂漠を超えた更に西にある海底に沈む大迷宮【メルジーネ海底遺跡】が目的地だ。

 

「う~ん……おや、いいのがあるよ。商隊の護衛依頼だね。丁度空きが後一人分あるよ、どうだい? 受けるかい?」

 キャサリンにより差し出された依頼書を受け取り内容を確認するソウゴ。確かに、依頼内容は商隊の護衛依頼の様だ。中規模な商隊の様で、十五人程の護衛を求めているらしい。ユエとシアは冒険者登録をしていないので、ソウゴの分で丁度だ。

「連れの同伴は可能か?」

「ああ、問題ないよ。あんまり大人数だと苦情も出るだろうけど、荷物持ちを個人で雇ったり、奴隷を連れている冒険者もいるからね。まして、ユエちゃんシアちゃんも結構な実力者だ。一人分の料金でもう二人優秀な冒険者を雇える様なもんだ。断る理由も無いさね」

「そうか、まぁ決めるのは二人の返答次第だが」

 ソウゴは問いかける様にユエとシアの方を振り返った。

 

「……急ぐ旅じゃない」

「そうですねぇ~、偶には他の冒険者方と一緒というのも良いかもしれません。ベテラン冒険者のノウハウというのもあるかもしれませんよ?」

 

「…だそうだ、それを受けよう」

 ソウゴは二人の意見に頷くとキャサリンに依頼を受ける事を伝える。ユエの言う通り、七大迷宮の攻略には確固たる目的は無い。『急いて事を仕損じる』とも言う、シアの言う様に冒険者独自のノウハウがあれば今後の旅でも何か役に立つ事があるかもしれない。

 

「あいよ。先方には伝えとくから、明日の朝一で正面門に行っとくれ」

「了解した」

 ソウゴが依頼書を受け取るのを確認すると、キャサリンがソウゴの後ろのユエとシアに目を向けた。

「あんた達も体に気をつけて元気でおやりよ? この子に泣かされたら何時でも家においで。あたしがぶん殴ってやるからね」

「……ん、お世話になった。ありがとう」

「はい、キャサリンさん。良くしてくれて有難うございました!」

 

 キャサリンの人情味あふれる言葉にユエとシアの頬も緩む。特にシアは嬉しそうだ。この町に来てからというもの自分が亜人族であるという事を忘れそうになる。勿論、全員が全員シアに対して友好的という訳では無いが、それでもキャサリンを筆頭にソーナやクリスタベル、ちょっと引いてしまうがファンだという人達はシアを亜人族という点で差別的扱いをしない。土地柄か、それともそう言う人達が自然と流れ着く町なのか。それはわからないが、いずれにしろシアにとっては故郷の樹海に近いくらい温かい場所であった。

 

「あんたも、こんないい子達泣かせんじゃないよ? 精一杯大事にしないと罰が当たるからね?」

「生憎と私は既婚者でね。彼女等はただの連れだよ」

 キャサリンの言葉に苦笑いで返すソウゴ。そんなソウゴに、キャサリンが一通の手紙を差し出す。片眉を上げてそれを受け取るソウゴ。

「これは?」

「あんた達、色々厄介なもの抱えてそうだからね。町の連中が迷惑かけた詫びの様なものだよ。他の町でギルドと揉めた時は、その手紙をお偉いさんに見せな。少しは役に立つかもしれないからね」

 バッチリとウインクするキャサリンに、思わず再度苦笑するソウゴ。手紙一つでお偉いさんに影響を及ぼせるアンタは一体何者だ? という疑問がありありと表情に浮かんでいる。

「おや、詮索は無しだよ? いい女に秘密はつきものさね」

「……違いない、野暮というものよな」

「素直でよろしい! 色々あるだろうけど、死なない様にね」

「呵々、そう楽に死ねる様な生き方はしておらんよ」

 

 謎多き片田舎の町のギルド職員・キャサリン。ソウゴ達はそんな彼女の愛嬌のある魅力的な笑みと共に送り出された。

 その後、ソウゴ達はクリスタベルの場所にも寄った。ユエとシアがどうしてもというので仕方なく付き添った。

 最後の晩と聞き、遂には堂々と風呂場に乱入。そして部屋に突撃を敢行したソーナちゃんがブチギレた母親に、亀甲縛りをされて一晩中宿の正面に吊るされるという事件の話も割愛だ。

 何故母親が亀甲縛りを知っていたのかという話も割愛である。

 

 

 そして翌日早朝。

 

 そんな愉快なブルックの町民達を思い出にしながら、正面門にやって来たソウゴ達を迎えたのは商隊の纏め役と他の護衛依頼を受けた冒険者達だった。どうやらソウゴ達が最後の様で、纏め役らしき人物と十四人の冒険者が、やって来たソウゴ達を見て一斉にざわついた。

 

「お、おい、まさか残りの三人って"ゴル・ラヴ"なのか!?」

「マジかよ! 嬉しさと恐怖が一緒くたに襲ってくるんですけど!」

「見ろよ、俺の手。さっきから震えが止まらないんだぜ?」

「いや、それはお前がアル中だからだろ?」

 

 ユエとシアの登場に喜びを顕にする者、股間を両手で隠し涙目になる者、手の震えをソウゴ達のせいにして仲間にツッコミを入れられる者など様々な反応だ。ソウゴが楽し気な表情をしながら近寄ると、商隊の纏め役らしき人物が声をかけた。

「君達が最後の護衛かね?」

「ああ、これが依頼書だ」

 ソウゴは、懐から取り出した依頼書を見せる。それを確認して、纏め役の男は納得した様に頷き自己紹介を始めた。

 

「私の名はモットー・ユンケル。この商隊のリーダーをしている。君達のランクは未だ青だそうだが、キャサリンさんからは大変優秀な冒険者と聞いている。道中の護衛は期待させてもらうよ」

 

「……もっとユンケル? ……商隊の長も大変なんだな……」

 日本の栄養ドリンクを思い出させる名前に、ソウゴの眼が同情を帯びる。何故そんな眼を向けられるのか分からないモットーは首を傾げながら、「まぁ、大変だが慣れたものだよ」と苦笑い気味に返した。

「まぁさておき、期待は裏切らんよ。私はソウゴ、こっちはユエとシアだ」

「それは頼もしいな……ところで、この兎人族……売るつもりはないかね? それなりの値段を付けさせてもらうが」

 

 モットーの視線が値踏みする様にシアを見た。兎人族で青みがかった白髪の超がつく美少女だ。商人の性として、珍しい商品に口を出さずにはいられないという事か。首輪から奴隷と判断し、即行で所有者たるソウゴに売買交渉を持ちかけるあたり、きっと優秀な商人なのだろう。

 

 その視線を受けて、シアが「うっ」と嫌そうに唸りソウゴの背後にそそっと隠れる。ユエのモットーを見る視線が厳しい。だが、一般的な認識として樹海の外にいる亜人族とは即ち奴隷であり、珍しい奴隷の売買交渉を申し出るのは商人として当たり前の事だ。モットーが責められる謂れは無い。

 

 

「ほぉ、随分と懐かれていますな。…中々大事にされている様だ。ならば、私の方もそれなりに勉強させてもらいますが、如何です?」

「貴様はそこそこ優秀な商人の様だが……、気は確かか?」

 

 シアの様子を興味深そうに見ていたモットーが更にソウゴに交渉を持ちかけるが、ソウゴの対応はあっさりしたものである。モットーも、実はソウゴが手放さないだろうとは感じていたが、それでもシアが生み出すであろう利益は魅力的だったので、何か交渉材料はないかと会話を引き伸ばそうとする。

 

 だが、そんな意図もソウゴは読んでいたのだろう。やはりあっさりとした、それでいて当然の様に平坦な言葉をモットーに告げる。

「例え神が欲しても、私に従わないならば触れる機会すら与えんよ。……理解してもらえたか?」

「…………えぇ、それはもう。仕方ありませんな。ここは引き下がりましょう。ですが、その気になったときは是非、我がユンケル商会をご贔屓に願いますよ。それと、もう間も無く出発です。護衛の詳細は、そちらのリーダーとお願いします」

 

 ソウゴの発言は相当危険なものだった。敬虔な者が聞いたならば、下手をすれば聖教教会から異端の烙印を押されかねない発言だ。至高の神すら自分より下に見ているなど、この世界ではまずあり得ない。正に神をも恐れぬ発言だ。それ故に、モットーはソウゴがシアを手放す事は無いと心底理解させられた。

 ソウゴがすごすごと商隊の方へ戻るモットーを見ていると、周囲が再びざわついている事に気がついた。

 

「すげぇ……女一人の為に、あそこまで言うか……痺れるぜ!」

「流石、無双富豪と言ったところか。自分の女に手を出す奴には容赦しない……ふっ、漢だぜ」

「いいわねぇ~、私も一度くらい言われてみたいわ」

「いや、お前男だろ? 誰がそんな事……ッあ、すまん、謝るからっやめっアッーー!!」

 

 ソウゴは愉快な護衛仲間の発言に道中暇はしなさそうだと笑みを浮かべた。やはりブルックの町の連中は退屈しない。そんな事を思っていると、背中に何やら"むにゅう"っと柔らかい感触を感じ、更に腕が背後から回されソウゴを抱きしめてくる。

 ソウゴが肩越しに振り返ると、肩に顎を乗せたシアの顔が至近距離に見えた。その顔は真っ赤に染まっており、実に嬉しそうに緩んでいる。

「何を喜んでいるんだ、当然の事を言っただけだぞ」

「うふふふ、分かってますよぉ~、うふふふ~」

 

 単に許可も資格も無く所有物を渡す事は無いという意味であって、周りで騒いでいる様に"自分の女"だからという意味ではないと暗に伝えるソウゴだったが、シアにはまるで伝わっていなかった。惚れた男から"神にだって渡さない"と宣言されたのだ。どの様な意図で為された発言であれ、嬉しいものは嬉しいのだろう。

 

 手っ取り早く交渉を打ち切る為の発言が色んな意味で"やりすぎ"だった事に、加減を間違えたかと首を捻るソウゴ。ユエはトコトコと傍に寄って行くと、そんなソウゴの袖をクイクイと引っぱった。

「何だユエ?」

「ん……カッコよかったから大丈夫」

「ふん、ならば可だ」

 ソウゴの心情を察し慰めるユエに、ソウゴは愉快そうに笑いながら優しく頬を撫でた。気持ちよさそうに目を細めるユエ。

 

 早朝の正門前、多数の人間がいる中で、背中に幸せそうなウサミミ美少女をはりつけ、右手には金髪紅眼のこれまた美少女を纏わりつかせる男、常磐ソウゴ。

 纏う雰囲気自体は孫を愛でる老人のそれだが、傍目には年若いハーレムである。商隊の女性陣は生暖かい眼差しで、男性陣は死んだ魚の様な眼差しでその光景を見つめる。ソウゴに突き刺さる煩わしい視線や言葉は、きっと自業自得である。

 

 

 ブルックの町から中立商業都市フューレンまでは馬車で約六日の距離である。

 

 日の出前に出発し、日が沈む前に野営の準備に入る。それを繰り返す事三回目。ソウゴ達は、フューレンまで三日の位置まで来ていた。道程はあと半分である。ここまで特に何事もなく順調に進んで来た。ソウゴ達は隊の後方を預かっているのだが、実に長閑なものである。

 

 この日も、特に何もないまま野営の準備となった。

 冒険者達の食事関係は自腹である。周囲を警戒しながらの食事なので、商隊の人々としては一緒に食べても落ち着かないのだろう。別々に食べるのは暗黙のルールになっている様だ。そして、冒険者達も任務中は酷く簡易な食事で済ませてしまう。ある程度凝った食事を準備すると、それだけで荷物が増えていざという時邪魔になるからなのだという。代わりに、町に着いて報酬をもらったら即行で美味いものを腹一杯食うのがセオリーなのだとか。

 そんな話を、この二日の食事の時間にソウゴ達は他の冒険者達から聞いていた。

 

 

 ソウゴ達が用意した豪勢且つ上品な食事に舌を踊らせながら。

 

 

「カッーー、うめぇ! ホント美味いわぁ~、流石旦那! もう俺を家来にしてくれよ!」

「ガツッガツッ、ゴクンッ、ぷはっ、てめぇ、何抜け駆けしてやがる! 旦那、俺の方が役に立つぜ!」

「はっ、お前みたいな雑魚が何言ってんだ? 身の程を弁えろ。ところで旦那、シアちゃんも。町についたら一緒に食事でもどう? 勿論俺のおごりで」

「な、なら、俺はユエちゃんだ! 旦那、ユエちゃん、俺と食事に!」

「ユエちゃんのスプーン……ハァハァ」

 

 うまうまとソウゴが調理したシチュー擬きを次々と胃に収めていく冒険者達。初日に、彼等が干し肉や乾パンの様な携帯食をもそもそ食べている横で、普通に宝物庫から取り出した食器と材料を使い料理を始めたソウゴ達。

 いい匂いを漂わせる料理に自然と視線が吸い寄せられ、ソウゴ達が熱々の食事をハフハフしながら食べる頃には全冒険者が涎を滝の様に流しながら血走った目で凝視するという事態になり、物凄く居心地が悪くなったシアがお裾分けを提案した結果、今の状態になった。

 

 当初、飢えた犬の如き彼等を前に、ソウゴも彼等に倣って携帯食を食べるつもりだった。勿論彼等の物とは品質に天と地程の差があるが。

 しかしシアを仲間に加えてから、ソウゴは育ち盛りの女子二人を抱えいつまでも自分の趣味で粗雑な食事に付き合わせるのもどうかと思った。そこでソウゴは、遅ればせながら歓迎の意味も兼ねて自分で料理を振舞う事にしたのだ。幸い、ソウゴの料理スキルは得意だった大叔父や先達(元記憶喪失の料理人とか雑誌記者とか天の道を征く男とか)から教わった事もあり人並以上に高い。そこへ物欲しそうな冒険者達の姿が目に入り、これから六日も顔を会わせるのだから縁を作るのも悪くないかと卓に招いたのだ。

 

 それからというもの。冒険者達がこぞって食事の時間にはハイエナの如く群がってくるのだが、最初は恐縮していた彼等も次第に調子に乗り始め、事ある毎にシアとユエを軽く口説く様になり、ソウゴに雇ってくれとアピールする様になったのである。

 

「どれだけ食べても構わんが……私の連れを口説くのが目的なら話は別だ」

 

 ぎゃーぎゃー騒ぐ冒険者達に、ソウゴは白紙に滲む墨汁の様にポツリと呟く。熱々の料理で体の芯まで温まった筈なのに、一瞬で芯まで冷えた冒険者達は蒼褪めた表情でガクブルし始める。ソウゴは口の中の肉を飲み込むと皿に向けていた視線をゆっくり上げ、やたら響く声で言った。

「選べ、黙って食事を続けるか……」

 そこで一度言葉を切り、ソウゴは三日月の様に口角を歪めて続ける。

 

 

その身を卓に並べて私の胃に収まるか(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「「「「「調子に乗ってすんませんっしたー!!!!!」」」」」

 

 見事なハモリとシンクロした土下座で即座に謝罪する冒険者達。命知らずでありながら、何よりも生に貪欲であり死に敏感な彼等は、ソウゴの脅しの意味を正確に理解した。ソウゴの目を見れば、自分達の命の価値がソウゴの中で急速に軽くなっていくのが分かった。

 

 外見から判断つかないが、十数万年にも渡って王として君臨しているソウゴ。その威圧感はたとえ漏れ出る程度であっても、形容の仕様が無い程恐ろしいのだ。

 

「もう、ソウゴさん。折角の食事の時間なんですから、少し騒ぐ位いいじゃないですか。そ、それに……誰がなんと言おうと、わ、私はソウゴさんのものですよ?」

「そんな事は当たり前だ、貴様の心情は関係無い。これは威厳の問題だ」

「はぅ!?」

 はにかみながら、さりげなくソウゴにアピールするシアだったが、ソウゴは一言であっさりと言い切る。

「……ソウゴ様」

「ん?」

 咎める様なユエの視線に、ソウゴは胡乱気な視線を向ける。ユエは怯みつつ、人差し指をピッとソウゴにつきつけると「……メッ!」とした。要するに、以前約束した様に、もう少しシアに優しくしろという事だろう。

 するとそこへ……、

 

「……あ~ん」

 

 シアが頬を染めながら上手に焼けた串焼き肉を、ソウゴの口元に差し出す。食べさせたいらしい。ソウゴはチラッとユエを見る。ユエは、いそいそと串焼き肉を手に取って何やら待機している。恐らく、シアの「あ~ん」の後に自分もするつもりなのだろう。

 冒険者達の視線を感じながら、ソウゴは溜息を吐くとシアに向き直り口を開けた。シアの表情が喜色に染まる。

「あ~ん」

「……」

 差し出された肉をパクッと加えると無言で咀嚼するソウゴ。シアはほわぁ~んとした表情でソウゴを見つめている。と、今度は反対側から串焼き肉が差し出された。

「……あ~ん」

「……」

 再びパクッ、無言で咀嚼。また、反対側からシアが「あ~ん」パクっ。ユエが「あ~ん」パクッ。

 本人の主観はさておき、客観的にその様子を見せつけられている男達の心の声は見事に一致しているだろう。即ち「頼むから爆発して下さい!!」である。内心でも敬語のあたりが彼等とソウゴの力関係を如実に示しており何とも虚しいが。

 

 

 それから二日。残す道程があと一日に迫った頃、遂にのどかな旅路を壊す無粋な襲撃者が現れた。

 最初にそれに気がついたのはシアだ。街道沿いの森の方へウサミミを向けピコピコと動かすと、のほほんとした表情を一気に引き締めて警告を発した。

 

「敵襲です! 数は百以上、森の中から来ます!」

 

 その警告を聞いて、冒険者達の間に一気に緊張が走る。現在通っている街道は、森に隣接してはいるがそこまで危険な場所ではない。何せ、大陸一の商業都市へのルートなのだ。道中の安全はそれなりに確保されている。なので魔物に遭遇する話はよく聞くが、せいぜい二十体前後、多くても四十体くらいが限度の筈なのだ。

「くそっ、百以上だと? 最近、襲われた話を聞かなかったのは勢力を溜め込んでいたからなのか? ったく、街道の異変くらい調査しとけよ!」

 

 護衛隊のリーダーであるガリティマは、そう悪態をつきながら苦い表情をする。商隊の護衛は、全部で十五人。ユエとシアを入れても十七人だ。この人数で、商隊を無傷で守りきるのはかなり難しい。単純に物量で押し切られるからだ。

 因みに、温厚の代名詞である兎人族であるシアを自然と戦力に勘定しているのは、【ブルックの町】で「シアちゃんの奴隷になり隊」の一部過激派による行動にキレたシアが、その拳一つで湧き出る変態達を吹き飛ばしたという出来事が、畏怖と共に冒険者達に知れ渡っているからである。

 ガリティマが、いっそ隊の大部分を足止めにして商隊だけでも逃がそうかと考え始めた時、その考えを遮るように提案の声が上がった。

 

「迷っているなら、私達で片付けようか?」

「えっ?」

 

 まるでちょっと買い物に行ってこようかとでも言うような気軽い口調で信じられない提案をしたのは、他の誰でもないソウゴである。ガリティマはソウゴの提案の意味を掴みあぐねて、つい間抜けな声で聞き返した。

「なんなら、私達が全滅させてしまっても構わんのだろう? と言ったのだが」

「い、いや、それは確かに、このままでは商隊を無傷で守るのは難しいのだが……えっと、出来るのか? この辺りに出現する魔物はそれ程強い訳では無いが、数が……」

「数なんぞ問題無い、すぐ終わらせる。……ユエがな」

 ソウゴはそう言って、すぐ横に佇むユエの肩にポンッと手を置いた。ユエも特に気負った様子も見せずに、そんな仕事ベリーイージーですと言わんばかりに「ん…」と返事をした。

 

 ガリティマは少し逡巡する。一応、彼も噂でユエが類希な魔術の使い手であるという事は聞いている。仮に言葉通り殲滅できなくても、ソウゴ達の態度から相当な数を削る事が出来るだろう。ならば戦力を分散する危険を冒して商隊を先に逃がすよりは、堅実な作戦と考えられる。

「わかった。初撃はユエちゃんに任せよう。仮に殲滅できなくても数を相当数減らしてくれるなら問題ない。我々の魔法で更に減らし、最後は直接叩けばいい。皆、分かったな!」

 

「「「「了解!」」」」

 

 ガリティマの判断に他の冒険者達が気迫を込めた声で応えた。どうやら、ユエ一人で殲滅出来るという話はあまり信じられていないらしい。ソウゴは内心「そんな心配は無用だがな」と考えながら、百体以上の魔物を一撃で殲滅出来る様な魔術士がそうそういないというこの世界の常識からすれば、彼等の判断も仕方ないかと肩を竦めた。

 

 

 冒険者達が、商隊の前に陣取り隊列を組む。緊張感を漂わせながらも、覚悟を決めた良い顔つきだ。食事中などのふざけた雰囲気は微塵もない。道中ベテラン冒険者としての様々な話を聞いたのだが、こういう姿を見ると成程、ベテランというに相応しいと頷かされる。商隊の人々はかなりの規模の魔物の群れと聞いて怯えた様子で、馬車の影から顔を覗かせている。

 ソウゴ達は、商隊の馬車の屋根の上だ。

「ユエ、一応詠唱しておけ。後々面倒だからな」

「……詠唱……詠唱……?」

「……もしや知らないか?」

「……大丈夫、問題ない」

「……はぁ」

「接敵、十秒前ですよ~」

 周囲に追及されるのも面倒なのでユエに詠唱をしておく様に告げるソウゴだったが、ユエの方は元々詠唱が不要だったせいか頭に"?"を浮かべている。無ければ無いで、小声で唱えていたとでもすればいいので大した問題ではないのだが、返された言葉にソウゴが溜息を吐いた。

 

 そうこうしている内に、シアから報告が入る。ユエは、右手をスっと森に向けて掲げると、透き通る様な声で詠唱を始めた。

 

「彼の者、常闇に紅き光を齎さん、古の牢獄を打ち砕き、障碍の尽くを退けん、最強の片割れたるこの力、彼の者と共にありて、天すら呑み込む光となれ──"雷龍"」

 

 ユエの詠唱が終わり、魔術のトリガーが引かれた。その瞬間、詠唱の途中から立ち込めた暗雲より雷で出来た龍が現れた。その姿は、蛇を彷彿とさせる東洋の龍だ。

「な、何だあれ……」

 それは誰が呟いた言葉だったのか。目の前に魔物の群れがいるにも拘らず、誰もが暗示でも掛けられた様に天を仰ぎ激しく放電する雷龍の異様を凝視している。護衛隊にいた魔術に精通している筈の後衛組すら、見た事も聞いた事も無い魔術に口をパクパクさせて呆けていた。

 

 そして、それは何も味方だけの事ではない。森の中から獲物を喰らいつくそうと殺意にまみれてやって来た魔物達も商隊と森の中間あたりの場所で立ち止まり、うねりながら天より自分達を睥睨する巨大な雷龍に、まるで蛇に睨まれた蛙の如く射竦められて硬直していた。

 

 そして、天より齎される裁きの如く、ユエの細く綺麗な指に合わせて、天すら呑み込むと詠われた雷龍は魔物達へとその顎門を開き襲いかかった。

 

 ゴォガァアアア!!!

 

「うわっ!?」

「どわぁあ!?」

「きゃぁあああ!!」

 雷龍が凄まじい轟音を迸らせながら大口を開くと、何とその場にいた魔物の尽くが自らその顎門へと飛び込んでいく。そして、一瞬の抵抗も許されずに雷の顎門に滅却され消えていった。

 

 更にはユエの指揮に従い、雷龍は魔物達の周囲を蜷局を巻いて包囲する。逃走中の魔物が突然眼前に現れた雷撃の壁に突っ込み塵となった。逃げ場を失くした魔物達の頭上で再び、落雷の轟音を響かせながら雷龍が顎門を開くと、魔物達はやはり自ら死を選ぶ様に飛び込んでいき、苦痛を感じる暇も無く荘厳さすら感じさせる龍の偉容を最後の光景に意識も肉体も一緒くたに塵へと還された。雷龍は全ての魔物を呑み込むと最後にもう一度、落雷の如き雄叫びを上げて霧散した。

 

 隊列を組んでいた冒険者達や商隊の人々が轟音と閃光、そして激震に思わず悲鳴を上げながら身を竦める。漸くその身を襲う畏怖にも似た感情と衝撃が過ぎ去り、薄ら目を開けて前方の様子を見ると……そこにはもう何も無かった。敢えて言うなら蜷局状に焼け爛れて炭化した大地だけが、先の非現実的な光景が確かに起きた事実であると証明していた。

 

「……ん、やりすぎた」

「ふむ……以前手本は見せたが、余計なものまで焼いている様ではまだまだだな」

「え、アレでまだまだなんですか!?」

「真に極めた術者ならば、選んだ対象のみに影響を与える事が出来る」

「ん……ソウゴ様の域には、まだまだ」

 

 無表情ながら尊敬の雰囲気でソウゴを見るユエ。破壊力は中々だが、精密性の視点ではソウゴの水準には届かなかったという自覚があるのだろう。ソウゴは苦笑いしながら優しい手付きでユエの髪をそっと撫でた。態々詠唱させて面倒事を避けようとした事が全くの無意味だったが、目をキラキラさせるユエを見ていると注意する気も失せた。

 

 

 ユエのオリジナル魔術"雷龍"。

 これは"雷槌"という空に暗雲を創り極大の雷を降らせるという上級魔術と重力魔術の複合魔術である。本来落ちるだけの雷を重力魔術により纏めて、任意でコントロールする。

 この雷龍は、口の部分が重力場になっていて、顎門を開く事で対象を引き寄せる事が出来る。魔物達が自ら飛び込んでいた様に見えたのはそのせいだ。魔力量は上級程度にも関わらず威力は最上級レベルであり、ユエの現時点での切札の一つの様だ。

 そして何より、態々ソウゴが以前【ハルツィナ】で見せた技である"雷龍(ジャムブウル)"、及び"稲妻の魔竜(サンダーボルト・ドラゴン)"を真似て東洋龍を形作っている点が何ともユエの魔術に対する妥協の無さを感じさせる。

 

 

 と、焼け爛れた大地を呆然と見ていた冒険者達が我に返り始めた。そして、猛烈な勢いで振り向きソウゴ達を凝視すると一斉に騒ぎ始める。

 

「おいおいおいおいおい、何なのあれ? 何なんですか、あれっ!」

「へ、変な生き物が……空に、空に……あっ、夢か」

「へへ、俺、町についたら結婚するんだ」

「動揺してるのは分かったから落ち着け。お前には恋人どころか女友達すらいないだろうが」

「魔法だって生きてるんだ! 変な生き物になってもおかしくない! だから俺もおかしくない!」

「いや、魔法に生死は関係ないからな? 明らかに異常事態だからな?」

「なにぃ!? てめぇ、ユエちゃんが異常だとでもいうのか!? アァン!?」

「落ち着けお前等! いいか、ユエちゃんは女神。これで全ての説明がつく!」

「「「「成程!」」」」

 

 ユエの魔術が衝撃的過ぎて、冒険者達は少し壊れ気味の様だった。それも仕方がないだろう。何せ、既存の魔術に何らかの生き物を形取ったものなど存在しないのだ。まして、それを自在に操るなど国お抱えの魔術師でも不可能だろう。雷を落とす"雷槌"を行使出来るだけでも超一流と言われるのだから。

 壊れて「ユエ様万歳!」とか言い出した冒険者達の中で唯一真面なリーダー・ガリティマは、そんな仲間達を見て盛大に溜息を吐くとソウゴ達の下へやって来た。

「はぁ……まずは礼を言う。ユエちゃんのお陰で被害ゼロで切り抜ける事が出来た」

「今は仕事仲間だろう、礼なぞ不要だ。な?」

「……ん、仕事しただけ」

「はは、そうか……で、だ。さっきのは何だ?」

 ガリティマが困惑を隠せずに尋ねる。

「……オリジナル」

「オ、オリジナル? 自分で創った魔法って事か? 上級魔法、いや、もしかしたら最上級を?」

「……創ってない。複合魔術」

「複合魔ジュツ? だが、一体何と何を組み合わせればあんな……」

「……それは秘密」

「ッ……それは…まぁ、そうだろうな。切り札のタネを簡単に明かす冒険者などいないしな……」

 

 深い溜息と共に、追及を諦めたガリティマ。ベテラン冒険者なだけに暗黙のルールには敏感らしい。肩を竦めると、壊れた仲間を正気に戻しにかかった。このままでは"ユエ教"なんて新興宗教が生まれかねないので、ガリティマには是非とも頑張ってもらいたい等と他人事の様に考えるソウゴ。

 商隊の人々の畏怖と尊敬の混じった視線をチラチラと受けながら、一行は歩みを再開した。

 

 

 ユエが全ての商隊の人々と冒険者達の度肝を抜いた日以降は特に何事もなく、一行は遂に【中立商業都市フューレン】に到着した。

 フューレンの東門には六つの入場受付があり、そこで持ち込み品のチェックをするそうだ。ソウゴ達もその内の一つの列に並んでいた。順番が来るまで暫くかかりそうである。

 

 馬車の屋根でユエを膝枕して、シアを侍らせながら座り込んでいたソウゴの下にモットーがやって来た。何やら話がある様だ。若干呆れ気味にソウゴを見上げるモットーに、ソウゴは軽く頷いて屋根から飛び降りた。

「まったく豪胆ですな。周囲の目が気になりませんかな?」

 

 モットーの言う周囲の目とは、毎度お馴染みのソウゴに対する嫉妬と羨望の目、そしてユエとシアに対する感嘆と厭らしさを含んだ目だ。それに加えて今は、シアに対する値踏みする様な視線も増えている。流石大都市の玄関口、様々な人間が集まる場所ではユエもシアも単純な好色の目だけでなく、利益も絡んだ注目を受けている様だ。

 

「立場上慣れている。気にするだけ無駄だ」

 そう言い切るソウゴにモットーは苦笑いだ。

「フューレンに入れば更に問題が増えそうですな。やはり、彼女を売る気は……」

 さりげなくシアの売買交渉を申し出るモットーだったが、その話は既に終わっただろう? というソウゴの無言の主張に、両手を上げて降参のポーズをとる。

「そんな話をしに来た訳じゃないだろう。用件は何だ?」

「いえ、似た様なものですよ。売買交渉です。貴方達のもつアーティファクト、やはり譲ってはもらえませんか? 商会に来ていただければ公証人立会の下、一生遊んで暮らせるだけの金額をお支払いしますよ? 貴方のアーティファクト、特に"宝物庫"は、商人にとっては喉から手が出る程手に入れたいものですからな」

 "喉から手が出る程"。そう言いながらもモットーの笑っていない眼をみれば、"殺してでも"という表現の方がぴったりと当て嵌まりそうである。商人にとって常に頭の痛い懸案事項である"商品の安全確実で低コストの大量輸送"という問題が一気に解決するのだ。無理も無いだろう。

 野営中に宝物庫から色々取り出している光景を見た時のモットーの表情と言ったら、砂漠を何十日も彷徨い続け死ぬ寸前でオアシスを見つけた遭難者の様な表情だった。あまりにしつこい交渉に、ソウゴが軽く睨みつけると漸く商人の勘がマズイ相手と警鐘を鳴らしたのか、すごすごと引き下がった。

 しかし、やはり諦めきれないのだろう。逢魔剣共々何とか引き取ろうと、再度交渉を持ちかけてきた様だ。

「何度言われようと、何一つ譲る気はない。諦めろ。それに第一、私が使っている宝物庫はアーティファクトではなく自前の術だ」

「しかし、そのアーティファクトは一個人が持つにはあまりに有用過ぎる。その価値を知った者は理性を効かせられないかもしれませんぞ? そうなれば、かなり面倒な事になるでしょうなぁ……例えば、彼女達の身に───ッ!?」

 

 モットーが、少々狂的な眼差しでチラリと脅す様に屋根の上にいるユエとシアに視線を向けた瞬間、首筋に冷たく固い何かが押し付けられた。壮絶な殺気と共に。周囲は誰も気がついていない。馬車の影という事もあるし、ソウゴの殺気がピンポイントで叩きつけられているからだ。

 

「それ以上は、不敬罪で首を刎ねられても文句は言えんぞ?」

 

 静かな、されど氷の如き冷たい声音。加えて、いつの間にか自身を囲う様に展開されている武器群。勇者の聖剣を軽く凌駕しうる至宝の数々が、波紋を立てて宙から生えている(・・・・・・・・)

 硬直するモットーを覗き込むソウゴの目は、まるで地獄の審判の様だ。モットーは全身から冷や汗を流し必死に声を捻り出す。

「ち、違います! どうか……私は、ぐっ……貴方が……あまり隠そうとしておられない……ので、そういう事もある……と、ただ、それだけで……うっ!?」

 モットーの言う通り、ここ最近のソウゴは武器や実力をそこまで真剣に隠すつもりは無かった。ちょっとの配慮で面倒事を避けられるならユエに詠唱させた様な事もするが、逆に言えば"ちょっと"を越える配慮が必要なら隠すつもりはなかった。元々ソウゴがこの世界に留まっている理由は単なる暇潰しなのだ、我慢する必要も理由も無い。

 

「そうか、ならそういう事にしておこうか」

 

 そう言って無数の武器をしまい視線を外すソウゴ。モットーはその場に崩れ落ちた。ソウゴは軽めにぶつけただけのつもりだが、モットーは大量の汗を流し、肩で息をしている。

「別に貴様が何をしようと貴様の自由だ。或いは誰かに言いふらして、その誰かがどんな行動を取ろうと構わん。ただ……敵意をもって私の前に立ちはだかったなら命の保証は出来んな。ここは私の国ではない、故にどれだけ壊れようと気にせんからな」

「……はぁ、はぁ……成程、割に合わない取引でしたな……」

 

 未だ蒼褪めた表情ではあるが、気丈に返すモットーは優秀な商人なのだろう。それに道中の商隊員とのやりとりから見ても、かなり慕われている様であった。本来はここまで強硬な姿勢を取る事は無いのかもしれない。彼を狂わせる程の魅力が、ソウゴの宝具群にあったという事だろう。

「ま、今回は見逃すさ。次がないといいな?」

「……全くですな。私も耄碌したものだ。欲に目が眩んで竜の尻を蹴り飛ばすとは……」

 

 

 "竜の尻を蹴り飛ばす"とはこの世界の諺で、竜とは竜人族を指す。彼等はその全身を覆う鱗で鉄壁の防御力を誇るが、目や口内を除けば唯一尻穴の付近に鱗が無く弱点となっている。防御力の高さ故に眠りが深く、一度眠ると余程の事が無い限り起きないのだが、弱点の尻を刺激されると一発で目を覚まし烈火の如く怒り狂うという。

 昔何を思ったのか、それを実行して叩き潰された阿呆がいたとか。そこから因んで、手を出さなければ無害な相手に態々手を出して返り討ちに遭う愚か者という意味で伝わる様になったという。

 

 因みに竜人族は、五百年以上前に滅びたとされている。理由は定かではないが、彼等が"竜化"という固有魔術を使えた事が魔物と人の境界線を曖昧にし、差別的排除を受けたとか、半端者として神により淘汰されたとか、色々な説がある。

 

「そう言えば、ユエ殿のあの魔法も竜を模したものでしたな。詫びと言ってはなんですが、あれが竜であるとはあまり知られぬがいいでしょう。竜人族は、教会からはよく思われていませんからな。まぁ、竜というより蛇という方が近いので大丈夫でしょうが」

 何とか立ち上がれるまでに回復したモットーは、服の乱れを直しながらソウゴに忠告をした。中々豪胆な人物だ。たった今、場合によっては殺されていたかもしれないのに、その相手と普通に会話できるというのは並みの神経ではない。

「ほぅ?」

「ええ。人にも魔物にも成れる半端者、なのに恐ろしく強い。そして、どの神も信仰していなかった不信心者。これだけあれば、教会の権威主義者には面白くない存在というのも頷けるでしょう」

「成程……しかし随分な言い様だな、不信心者と思われるぞ?」

「私が信仰しているのは神であって、権威を笠に着る"人"ではありません。人は"客"ですな」

「呵々、貴様根っからの商人だな。私の宝を見て暴走するのも頷ける」

 そう言って腰の剣に手を置くソウゴに、バツの悪そうな表情と誇らしげな表情が入り混じり、実に複雑な表情をするモットー。先程の狂的な態度は、もう見られない。ソウゴの脅しに、今度こそ冷水を浴びせられた気持ちなのだろう。

「とんだ失態を晒しましたが、ご入り用の際は我が商会を是非ご贔屓に。貴方は普通の冒険者とは違う。特異な人間とは繋がりを持っておきたいので、それなりに勉強させてもらいますよ」

「……商魂ここに極まれり、だな」

 ソウゴから呆れた視線を向けられながら、「では、失礼しました」と踵を返し前列へ戻っていくモットー。

「待て」

 その背に向かって、ソウゴは待ったをかける。モットーは冷や汗を搔きながら振り返る。

「な、何ですかな?」

「まぁそう怯えるな。いやなに、貴様の商人としての矜持に免じて一つ教えてやろうと思ってな」

 ソウゴは試す様な笑みを浮かべながら、人差し指を立てる。

「貴様が我を忘れかける程に欲しがる宝物庫の指輪だが、私にとっては幾らでも複製できる掃いて捨てる程の端品に過ぎん。よって、今後の貴様の働き次第では下賜してやらん事もない。覚えておけ」

「! ……何卒、良しなに」

 それだけ言うと、今度こそ遠ざかっていくモットーの背中。しかしその表情は、先程と違って一筋の希望を見つけた様だった。

「……さて」

 

 そこでソウゴは、周囲に目を向ける。

 

 ユエとシアには未だ、寧ろより強い視線が集まっている。モットーの背を追えば、早速何処ぞの商人風の男がユエ達を指差しながら何かを話しかけている。物見遊山的な気持ちで立ち寄ったフューレンだが、ソウゴが思っていた以上に波乱が待っていそうだ。

 

 

【中立商業都市フューレン】

 高さ二十メートル、長さ二百キロメートルの外壁で囲まれた大陸一の商業都市だ。あらゆる業種がこの都市で日々鎬を削り合っており、夢を叶え成功を収める者もいれば、あっさり無一文となって悄然と出て行く者も多くいる。観光で訪れる者や取引に訪れる者等出入りの激しさでも大陸一と言えるだろう。

 

 その巨大さからフューレンは四つのエリアに分かれている。

 

 この都市における様々な手続関係の施設が集まっている中央区、娯楽施設が集まった観光区、武器防具はもちろん家具類などを生産、直販している職人区、あらゆる業種の店が並ぶ商業区がそれだ。

 東西南北にそれぞれ中央区に続くメインストリートがあり、中心部に近い程信用のある店が多いというのが常識らしい。メインストリートからも中央区からも遠い場所は、かなりアコギでブラックな商売、言い換えれば闇市的な店が多い。その分、時々とんでもない掘り出し物が出たりするので、冒険者や傭兵の様な荒事に慣れている者達がよく出入りしている様だ。

 

 

 そんな話を、中央区の一角にある冒険者ギルド──フューレン支部内にあるカフェで軽食を食べながら聞くソウゴ達。話しているのは"案内人"と呼ばれる職業の女性だ。都市が巨大である為需要が多く、案内人というのはそれなりに社会的地位のある職業らしい。多くの案内屋が日々顧客獲得の為サービスの向上に努めているので信用度も高い。

 

 ソウゴ達はモットー率いる商隊と別れると、証印を受けた依頼書を持って冒険者ギルドにやって来た。そして宿を取ろうにも何処にどんな店があるのかさっぱりなので、冒険者ギルドでガイドブックを貰おうとしたところ案内人の存在を教えられたのだ。

 そして現在、案内人の女性──リシーと名乗った女性に料金を支払い、軽食を共にしながら都市の基本事項を聞いていたのである。

 

「そういう訳なので、一先ず宿をお取りになりたいのでしたら観光区へ行く事をオススメしますわ。中央区にも宿はありますが、やはり中央区で働く方々の仮眠場所という傾向が強いので、サービスは観光区のそれとは比べ物になりませんから」

「成程な、なら素直に観光区の宿にしておくか。どこか贔屓の宿はあるか?」

「お客様のご要望次第ですわ。様々な種類の宿が数多くございますから」

「そうか、ではそうだな……食事が美味く、後は風呂があれば文句はない。立地は考慮しなくていい、後は……責任の所在が明確な場所がいいな」

 リシーは、にこやかにソウゴの要望を聞く。最初の二つはよく出される要望なのだろう、「うんうん」と頷き早速脳内でオススメの宿をリストアップした様だ。しかし、続くソウゴの言葉で「ん?」と首を傾げた。

「あの~、責任の所在ですか?」

「ああ。例えば、何らかの争い事に巻き込まれたとして、こちらが完全に被害者だった時に"宿内での損害について誰が責任を持つのか"、という事だな」

「え~と、そうそう巻き込まれる事は無いと思いますが……」

 困惑するリシーにソウゴは苦笑いする。

「まぁ普通はそうなんだろうが、連れが目立つんでな。観光区なんぞハメを外す輩も多そうで、商人根性の逞しい者が強行に出ないとも限らん。まぁあくまで"出来れば"だ。難しければ考慮しなくていい」

 

 ソウゴの言葉に、リシーはソウゴの両脇に座りうまうまと軽食を食べるユエとシアに視線をやる。そして納得した様に頷いた。確かに、この美少女二人は目立つ。現に今も、周囲の視線をかなり集めている。特に、シアの方は兎人族だ。他人の奴隷に手を出すのは犯罪だが、しつこい交渉を持ちかける商人やハメを外して暴走する輩がいないとは言えない。

 

「しかし、それなら警備が厳重な宿でいいのでは? そういう事に気を使う方も多いですし、いい宿をご紹介できますが……」

「ああ、それでもいい。ただ、欲望に目が眩んだ輩というのは、時々とんでもない事をするからな。警備も絶対でない以上は最初から物理的説得を考慮した方が早い」

「ぶ、物理的説得ですか……成程、それで責任の所在なわけですか」

 完全にソウゴの意図を理解したリシーは、あくまで"出来れば"でいいと言うソウゴに、案内人根性が疼いた様だ、やる気に満ちた表情で「お任せ下さい」と了承する。そしてユエとシアの方に視線を転じ、二人にも要望が無いかを聞いた。出来るだけ客のニーズに応えようとする点、リシーも彼女の所属する案内屋もきっと当たりなのだろう。

「……お風呂があればいい、但し混浴、貸切が必須」

「えっと、大きなベッドがいいです」

 少し考えて、それぞれの要望を伝えるユエとシア。なんて事無い要望だが、ユエが付け足した条件とシアの要望を組み合わせると、自然ととある意図が透けて見える。リシーも察した様で、「承知しましたわ、お任せ下さい」とすまし顔で了承するが、頬が僅かに赤くなっている。そしてチラッチラッとソウゴとユエ達を交互に見ると更に頬を染めた。

 

 因みに、すぐ近くのテーブルで屯していた男連中が「視線で人が殺せたら!」と云わんばかりにソウゴを睨んでいたが、チラッと視線を向けると、皆借りてきた猫の様に大人しくなった。

 

 

 それから他の区について話を聞いていると、ソウゴ達は不意に強い視線を感じた。特に、シアとユエに対しては今までで一番不躾で、ねっとりとした粘着質な視線が向けられている。視線など既に気にしないユエとシアだが、あまりに気持ち悪い視線に僅かに眉を顰める。

 

 ソウゴがチラリとその視線の先を辿ると……ブタがいた。

 

 体重が軽く百キロは超えていそうな肥えた体に、脂ぎった顔、豚鼻と頭部にちょこんと乗っているベットリした金髪。身なりだけは良い様で、遠目にも分かるいい服を着ている。そのブタ男がユエとシアを欲望に濁った瞳で凝視していた。

 

 ソウゴが「面倒な……」と思うと同時に、そのブタ男は重そうな体をゆっさゆっさと揺すりながら真っ直ぐソウゴ達の方へ近寄ってくる。どうやら逃げる暇も無い様だ。ソウゴが逃げる事など無いだろうが。

 

 リシーも不穏な気配に気が付いたのか、それともブタ男が目立つのか、傲慢な態度でやって来るブタ男に営業スマイルも忘れて「げっ!」と何ともはしたない声を上げた。

 ブタ男はソウゴ達のテーブルのすぐ傍までやって来ると、ニヤついた目でユエとシアをジロジロと見やり、シアの首輪を見て不快そうに目を細めた。そして今まで一度も目を向けなかったソウゴにさも今気がついた様な素振りを見せると、これまた随分と傲慢な態度で一方的な要求をした。

「お、おい、ガキ。ひゃ、百万ルタやる。この兎を、わ、渡せ。それとそっちの金髪はわ、私の妾にしてやる。い、一緒に来い」

 ドモリ気味のきぃきぃ声でそう告げて、ブタ男はユエに触れようとする。彼の中では既にユエは自分のものになっている様だ。

 

 

 その瞬間、その場に凄絶な殺意が降り注いだ。周囲のテーブルにいた者達ですら顔を青褪めさせて椅子からひっくり返り、誰一人例外無く口から泡を吹いて気絶している。

 

 正真正銘、ソウゴの生まれ持つ"覇王色の覇気"だ。

 

 ならば、直接その覇気を受けたブタ男はというと……

 

 「ひぃ!?」と情けない悲鳴を上げると尻餅をつき、後退る事も出来ずにその場で股間を濡らし始めた。序にどうやら心臓も止まったらしく、数秒痙攣した後に脈拍と呼吸の音が途絶えていた。

 

「ユエ、シア、行くぞ。場所を変える」

 汚い液体が漏れ出しているので、ソウゴはユエとシアに声をかけて席を立つ。本当は即処断したかったのだが、流石に声を掛けただけで殺されたとあっては、ソウゴの方が加害者だ。殺人犯を放置する程都市の警備は甘くないだろう。なので覇気も甘めにした。

 

 まぁその度に目撃者ごと消すなり記憶だけ消すなりしてもいいのだが、基本的に手間が掛かる。今後正当防衛という言い訳が通りそうにない限り、都市内においては殺しを工夫しなければとソウゴは考えていた。

 

 席を立つソウゴ達に、リシーが「えっ? えっ?」と混乱気味に目を瞬かせた。リシーがソウゴの殺気の効果範囲にいても平気そうなのは、単純にリシー"だけ"覇気の対象外にしたからだ。

 リシーからすれば、ブタ男が勝手な事を言い出したと思ったら、いきなり尻餅をついて泡を吹き股間を漏らし始め、序にビクビクと痙攣しだしたのだから混乱するのは当然だろう。

 

 因みに、周囲にまで覇気をぶつけたのは態とである。目撃者を無くす為もあるが、周囲の者達もそれなりに鬱陶しい視線を向けていたので、序に理解させておいたのだ。"手を出すなよ?"と。

 尤も周囲の男連中が気絶したところから判断するに、実力的に無用だった様だが。

 

 

 だが直後、今まで建物の外にいた大男がソウゴ達の進路を塞ぐ様な位置取りに移動し仁王立ちした。ブタ男とは違う意味で百キロはありそうな巨体である。全身筋肉の塊で腰に長剣を差しており、歴戦の戦士といった風貌だ。

 

 その巨体が目に入ったのか、いつの間にか息を吹き返したブタ男が再びキィキィ声で喚きだした。

「そ、そうだ、レガニド! そのクソガキを殺せ! わ、私を殺そうとしたのだ! 嬲り殺せぇ!」

「坊ちゃん、流石に殺すのはヤバイですぜ。半殺し位にしときましょうや」

「やれぇ! い、いいからやれぇ! お、女は、傷つけるな! 私のだぁ!」

「了解ですぜ。報酬は弾んで下さいよ」

「い、いくらでもやる! さっさとやれぇ!」

 

 どうやらレガニドと呼ばれた巨漢は、ブタ男の雇われ護衛らしい。ソウゴから目を逸らさずにブタ男と話、報酬の約束をするとニンマリと笑った。珍しい事にユエやシアは眼中にないらしい。見向きもせずに貰える報酬にニヤついている様だ。所謂守銭奴にカテゴリーされる部類の人間らしい。

 

「おう坊主、わりぃな。俺の金の為にちょっと半殺しになってくれや。なに、殺しはしねぇよ。まぁ嬢ちゃん達の方は……諦めてくれ」

 

 レガニドはそう言うと、拳を構えた。長剣の方は、流石に場所が場所だけに使わない様だ。

 レガニドから闘気が噴き上がる。ソウゴが鬱陶しいので消し飛ばそうと腕を上げた瞬間、意外な場所から制止の声がかかった。

「……ソウゴ様、待って」

「どうしたユエ?」

 ユエは隣のシアを引っ張ると、ソウゴの疑問に答える前にソウゴとレガニドの間に割って入った。訝しそうなソウゴとレガニドに、ユエは背を向けたまま答える。

「……私達が相手をする」

「えっ? ユエさん、私もですか?」

 シアの質問はさらり無視するユエ。ユエの言葉に、ソウゴが返答するよりも、レガニドが爆笑する方が早かった。

「ガッハハハハ、嬢ちゃん達が相手をするだって? 中々笑わせてくれるじゃねぇの。何だ? 夜の相手でもして許してもらおうって「……黙れ、ゴミクズ」ッ!?」

 

 下品な言葉を口走ろうとしたレガニドに、辛辣な言葉と共に、神速の風刃が襲い掛かりその頬を切り裂いた。プシュと小さな音を立てて、血がだらだらと滴り落ちる。かなり深く切れた様だ。

 レガニドは、ユエの言葉通り黙り込む。ユエの魔術が速すぎて、全く反応できなかったのだ。心中では「いつ詠唱した? 陣はどこだ?」と冷や汗を掻きながら必死に分析している。

 

 ユエは何事も無かった様に、ソウゴと未だユエの意図が分かっていないシアに向けて話を続ける。

「……私達が守られるだけのお姫様じゃない事を周知させる」

「ああ、成程。私達自身が手痛いしっぺ返し出来る事を示すんですね」

「……そう。折角だから、これを利用する」

 そう言ってユエは、先程とは異なり厳しい目を向けているレガニドを指差した。

「まぁ、言いたい事は分かった。確かに、お姫様を手に入れたと思ったら実は猛獣でしたなんて洒落にならんしな……まぁ、いいんじゃないか?」

「……猛獣はひどい」

 ソウゴはユエの言葉に納得して、苦笑いしながら"活"の字を宙に書く。活の字は光に変わり、倒れた者達に染み込んでいく。

 途端、彼等はテレビの電源を入れるかの様に意識を取り戻した。彼等は、目覚めた途端目の前に広がっている光景に俄かに騒ぎ始める。

 

「おい、あれレガニドじゃないか?」

「レガニドって……"黒"のレガニドか?」

「"暴風"のレガニド!? 何であんな奴の護衛なんて……」

「金払いじゃないか? "金好き"のレガニドだろ?」

 

 周囲のヒソヒソ声で大体目の前の男の素性を察したソウゴ。天職持ちなのかどうかは分からないが、冒険者ランクが"黒"という事は上から三番目のランクという事であり、この世界基準では相当な実力者という事だ。

 ユエはソウゴが下がったのを確認すると、隣のシアに先に行けと目で合図を送る。それを読み取ったシアは、背中に取り付けていたドリュッケンに手を伸ばすと、まるで重さを感じさせずに一回転させてその手に収めた。

「おいおい、兎人族の嬢ちゃんに何が出来るってんだ? 雇い主の意向もあるんでね。大人しくしていて欲しいんだが?」

 ユエから目を離さずにレガニドは、そうシアに告げる。しかし、シアはレガニドの言葉を無視する様に逆に忠告をした。

「腰の長剣、抜かなくていいんですか? 手加減はしますけど、素手だと危ないですよ?」

「ハッ、兎ちゃんが大きく出たな。坊ちゃん! わりぃけど、傷の一つや二つは勘弁ですぜ!」

 レガニドはシアを大して気にせずユエに気を配りながら、未だ近くでへたり込んでいるブタ男に一言断りを入れる。流石にユエ相手に無傷で無力化は難しいと判断した様だ。

 

 だが、レガニドは気が付くべきだった。常識的に考えて、愛玩奴隷という認識が強い兎人族が戦鎚を持っている事の違和感に。相応の実力が垣間見えるソウゴとユエの二人が初手を任せたという意味に。

 

 既に言葉は無いと、シアはドリュッケンを腰溜めに構え……一気に踏み込んだ。そして、次の瞬間にはレガニドの眼前に出現する。

 

「ッ!?」

「やぁ!!」

 

 可愛らしい声音に反して豪風と共に振るわれた超重量の大槌が、表情を驚愕に染めるレガニドの胸部に迫る。直撃の寸前、レガニドは、辛うじて両腕を十字にクロスさせて防御を試みるが……

(重すぎるだろっ!?)

 踏ん張る事など微塵も叶わず、咄嗟に後ろに飛んで衝撃を逃がそうとするも、スイングが速すぎて殆ど意味はなさない。結果、

 

 グシャ!

 

 そんな生々しい音を響かせながら、レガニドは勢いよく吹き飛びギルドの壁に背中から激突した。轟音を響かせながら、肺の中の空気を余さず吐き出したレガニドは、揺れる視界の中に、拍子抜けした様なシアの姿を見る。どうやら、もう少し抵抗があると思っていたらしい。

 冒険者ランク"黒"にまで上り詰めた自分が、まさか兎人族の少女に手加減までされて尚拍子抜けされたという事実に、レガニドは最早笑うしかない。痛みのせいで顰めた様にしか見えない笑みを浮かべ、立ち上がろうと手をつき激痛と共にそのまま倒れこむ。激痛の原因に視線を向ければ、拉げた様に潰れた自分の腕が見えた。

 

 幸い、潰されたのは片腕だけだった様で、痛みを堪えながらもう片方の腕で何とか立ち上がる。視界がグラグラ揺れるが、何とか床を踏みしめる事が出来た。殆ど意味は無かったと言えど、咄嗟に後ろに飛ばなければ、立ち上がる事は出来なかったかもしれない。

 

 しかし、立ち上がった事は果たしていい事だったのか……。

 半ば意地で立ち上がったレガニドだったが、ユエが氷の如き冷めた目で右手を突き出している姿を見て、内心で盛大に愚痴る。

(坊ちゃん、こりゃ、割に合わなさすぎだ……)

 直後、レガニドは生涯で初めて"空中で踊る"という貴重で最悪の体験をする事になった。

 

「舞い散る花よ、風に抱かれて砕け散れ──"風花"」

 

 ユエのオリジナル魔術第二弾、"風花"。

 風の砲弾を飛ばす魔術と重力魔術の複合魔術だ。複数の風の砲弾を自在に操りつつ、その砲弾に込められた重力場が常に目標の周囲を旋回する事で全方位に“落とし続け”空中に磔にする。そして打ち上げられたが最後、そのまま空中でサンドバックになるというえげつない魔術だ。因みに例の如く、詠唱は適当である。

 

 空中での一方的なリードによるダンスを終えると、レガニドはそのままグシャと嫌な音を立てて床に落ち、ピクリとも動かなくなった。実は最初の数撃で既に意識を失っていたのだが、知ってか知らずかユエはその後も容赦なく連撃をかまし、特に股間を集中的に狙い撃って周囲の男連中の股間をも竦み上がらせた。苛烈にして凶悪な攻撃に、後ろで様子を伺っていたソウゴをして「中々やるな」と感心を覚えさせた程だ。

 

 

 あり得べからざる光景の二連発。そして容赦の無さにギルド内が静寂に包まれる。誰も彼もが身動き一つせず、ソウゴ達を凝視していた。よく見れば、ギルド職員らしき者達が争いを止めようとしたのか、カフェに来る途中でソウゴ達の方へ手を伸ばしたまま硬直している。様々な冒険者達を見てきた彼等にとっても衝撃の光景だった様だ。

 誰もが硬直していると、徐に静寂が破られた。ソウゴがツカツカと歩き出したのだ。ギルド内にいる全員の視線がソウゴに集まる。ソウゴの行き先は……ブタ男の下だった。

「ひぃ! く、来るなぁ! わ、私を誰だと思っている! プーム・ミンだぞ! ミン男爵家に逆らう気かぁ!」

「貴様こそ王に逆らう気か底辺貴族」

 ソウゴは尻餅を付いたままのブタ男の顔面を勢いよく踏みつけた。

 

「プギャ!?」

 

 文字通り豚の様な悲鳴を上げて顔面を、靴底と床にサンドイッチされたプームはミシミシと鳴る自身の頭蓋骨に恐怖し悲鳴を上げた。するとその声が煩いとでも言う様に、鳴けば鳴く程圧力が増していく。顔は醜く潰れ、目や鼻が頬の肉で隠れてしまっている。やがて声を上げる程痛みが増す事に気が付いたのか、大人しくなり始めた。単に体力が尽きただけかもしれないが。

 

「……ったく、特権階級の人間というのは直ぐ腐るから困る」

 

 プームはそう愚痴りながら圧力を増していくソウゴの靴底に押し潰されながらも、必死に頷こうとしているのか小刻みに震える。既に虚勢を張る力も残っていない様だ。完全に心が折れている。しかし、その程度であっさり許す程ソウゴは甘くはない。彼は、最早存在そのものがソウゴの許容ラインを超えてしまった。

 なので足を退けると、ソウゴは右腕を振り上げ、勢いよく腹に突き刺した。

 

 

「ぎゃぁああああああ!!?」

 

 

 プームの腹に穴を開けたソウゴ。更に、ソウゴは腹の中で手を開いて内臓を掴み引っこ抜く。内臓と共に幾つか血管も千切れたのか、大量の血を流し始めた。プーム本人は痛みで直ぐに気を失う。ソウゴが視線を向けると見るも無残な……元々無残な顔だったのであまり変わらないが、取り敢えず血の気の無いプームの顔が晒された。

 

 ソウゴは苛立たし気な表情で臓物を放り投げ、プームの衣服を引き裂いて血を拭った。その後、気を落ち着かせる様に息を吐いてからユエ達の方へ歩み寄る。ユエとシアは微笑みでソウゴを迎えた。そしてソウゴは、すぐ傍で呆然としている案内人リシーに笑いかけた。

「さて、リシー嬢。場所を移して続きを頼む」

「はひっ! い、いえ、その……私、何と言いますか……」

 

 ソウゴの笑顔に恐怖を覚えたのか、しどろもどろになるリシー。その表情は明らかに関わりたくないと物語っていた。それ位ソウゴ達は異常だったのだ。ソウゴも何となく察しているが、また新たな案内人をこの騒ぎの後に探すのは面倒なのでリシーを逃がすつもりは無かった。ソウゴの意図を悟って、ユエとシアがリシーの両脇を固める。「ひぃぃん!」と情けない悲鳴を上げるリシー。

 と、そこへ彼女にとっての救世主、ギルド職員が今更ながらにやって来た。

 

「あの、申し訳ありませんが、あちらで事情聴取にご協力願います」

 そうソウゴに告げた男性職員の他、三人の職員がソウゴ達を囲む様に近寄った。尤も、全員腰が引けていたが。もう数人は、プームとレガニドの容態を見に行っている。

「そうは言ってもな、あれが私の連れを奪おうとして、それを断ったら逆上して襲ってきたから返り討ちにしただけだ。それ以上説明しようがない。そこのリシー嬢や、周囲の冒険者達も証人になるぞ。特に、近くのテーブルにいた奴等は随分と聞き耳を立てていた様だからな?」

 ソウゴがそう言いながら周囲の男連中を睥睨すると、目があった彼等はこぞって首がもげるのでは? と言いたくなる程激しく何度も頷いた。

「それは分かっていますが、ギルド内で起こされた問題は、当事者双方の言い分を聞いて公正に判断する事になっていますので……規則ですから冒険者なら従って頂かないと……」

「当事者双方……ね」

 ソウゴはチラッとプームとレガニドの二人を見る。レガニドは当分目を覚ましそうになかった。ギルド職員が治癒師を手配している様だが、恐らくプームは間に合わないだろう。

「あれが目を覚ますまで、ずっと待機していろと? 被害者の我々が? ……面倒だな、いっそここにいる全員を消した方が早いか?」

 ソウゴが責める様な視線をギルド職員に向ける。典型的なクレーマーの様な物言いにギルド職員の男性が、「そんな目で睨むなよぉ、仕事なんだから仕方ないだろぉ」という自棄糞気味な表情になった。そして、ぼそりと呟かれたソウゴの最後のセリフが耳に入り、職員だけでなくこの場にいる全員が「ひっ!?」と悲鳴を漏らした。

 ソウゴが逢魔剣を抜こうと手にかけた瞬間、突如として凛とした声が掛けられた。

 

「何をしているのです? これは一体何事ですか?」

 

 そちらを見てみれば、メガネを掛けた理知的な雰囲気を漂わせる細身の男性が厳しい目でソウゴ達を見ていた。

「ドット秘書長! いいところに! これはですね……」

 職員達がこれ幸いとドット秘書長と呼ばれた男のもとへ群がる。ドットは職員達から話を聞き終わると、ソウゴ達に鋭い視線を向けた。

 どうやら、まだまだ解放はされない様だとソウゴ達は内心溜息を吐いた。

 

 そんなソウゴ達に、ドット秘書長と呼ばれた男は片手の中指でクイッとメガネを押し上げると落ち着いた声音でソウゴに話しかけた。

「話は大体聞かせてもらいました。証人も大勢いる事ですし嘘はないのでしょうね。やり過ぎな気もしますが……まぁ、まだ死んでいませんし許容範囲としましょう。取り敢えず、彼らが目を覚まし一応の話を聞くまでは、フューレンに滞在はしてもらうとして、身元証明と連絡先を伺っておきたいのですが……それまで拒否されたりはしないでしょうね?」

 言外にこれ以上譲歩はしませんよ? と伝えるドット秘書長にソウゴは肩を竦めて答えた。

「ああ、構わない。そこの底辺貴族がまだ生きていた様なら、寧ろ連絡して欲しいくらいだ。仕損じるなど恥だからな」

 ソウゴはそんな事をいい、ドットに冷や汗を掻かせながらステータスプレートを差し出す。

「連絡先は、まだ滞在先が決まっとらん故……そこのリシー嬢にでも聞いてくれ。彼女の薦める宿に泊まるだろうからな」

 ソウゴに視線を向けられたリシーはビクッとした後、「やっぱり私が案内するんですね」と諦めの表情で肩を落とした。

「ふむ、いいでしょう……"青"ですか。向こうで伸びている彼は"黒"なんですがね……そちらの方達のステータスプレートはどうしました?」

 

 ソウゴの偽装されたステータスプレートに表示されている冒険者ランクが最低の"青"である事に僅かな驚きの表情を見せるドット。しかし二人の女性の方がレガニドを倒したと聞いていたので、彼女達の方が強いのかとユエとシアのステータスプレートの提出を求める。

「いや、ユエもシアも……こっちの彼女達もステータスプレートは紛失してな、再発行はまだしていない。高いからな」

 さらりと嘘をつくソウゴ。二人の異常とも言える強さを見せた後では意味が無いかもしれないが、それでも第三者にはっきりと詳細を把握されるのは出来れば避けたい。

 

「しかし、身元は明確にしてもらわないと。記録を取っておき、君達が頻繁にギルド内で問題を起こす様なら、加害者・被害者のどちらかに関係なくブラックリストに載せる事になりますからね。よければギルドで立て替えますが?」

 

 ドットの口ぶりから、どうしても身元証明は必要らしい。しかしステータスプレートを作成されれば、隠蔽前の技能欄に確実に二人の固有魔術が表示されるだろう。それどころか今や、神代魔術も表示される筈だ。大騒ぎになる事は間違いない。騒ぎになったところでソウゴ達を害そうとするのなら全部薙ぎ倒せばいいとも思えるが、それでは滞在の度に記憶操作の手間が付いて回る。何だか色々面倒になってきたソウゴ。再びその手が腰の得物に伸びるのを見たユエが、慌ててソウゴに話しかけた。

「……ソウゴ様、手紙」

「? ……あぁ、あの手紙か」

 

 ユエの言葉で、ソウゴはブルックの町を出る時にブルック支部のキャサリンから手紙を貰った事を思い出す。ギルド関連で揉めた時にお偉いさんに見せれば役立つかもしれないと言って渡された得体の知れない手紙だ。

 駄目で元々、場合によってはこの場の全員を消す事も想定に入れ、ソウゴは懐から手紙を取り出しドットに手渡した。

「身分証明の代わりになるかわからないが、知り合いのギルド職員に、困ったらギルドの上層部に渡せと言われてたものがある」

「? 知り合いのギルド職員ですか? ……拝見します」

 ソウゴ達の服装の質から、それ程金に困っている様に思えなかったので、ステータスプレートの再発行を拒む様な態度に疑問を覚えるドットだったが、代わりにと渡された手紙を開いて内容を流し読みする内にギョッとした表情を浮かべた。

 そして、ソウゴ達の顔と手紙の間で視線を何度も彷徨わせながら手紙の内容をくり返し読み込む。目を皿の様にして手紙を読む姿から、どうも手紙の真贋を見極めている様だ。やがてドットは手紙を折り畳むと丁寧に便箋に入れ直し、ソウゴ達に視線を戻した。

「この手紙が本当なら確かな身分証明になりますが……この手紙が差出人本人のものか私一人では少々判断が付きかねます。支部長に確認を取りますから少し別室で待っていてもらえますか? そうお時間は取らせません。十分、十五分くらいで済みます」

 ドットの反応に、「まだ待たせる気か」と鬱陶し気なソウゴ達。しかし十分程度なら許容範囲かと考え直すソウゴ。

「まぁ、それ位なら構わない。分かった、待たせて貰おう」

「職員に案内させます。では後程」

 ドットは傍の職員を呼ぶと別室への案内を言付けて、手紙を持ったまま颯爽とギルドの奥へと消えていった。指名された職員がソウゴ達を促す。ソウゴ達がそれに従い移動しようと歩き出したところで、困惑した様な、しかしどこか期待した様な声がかかった。

「あの~、私はどうすれば?」

 リシーだった。ギルドでお話があるならお役目御免ですよね? とその瞳が語っている。明らかに厄介の種であるソウゴ達とは早めにお別れしたいという思いが滲み出ている。

 ソウゴは当然だという表情で頷くと端的に答えた。

「待っていろ。……逃げるなよ?」

「……はぃ」

 ガックリと肩を落としてカフェの奥にある座席に向かうリシー。その背中には嫌な仕事でも受けねばならない社会人の哀感が漂っていた。

 

 

 ソウゴ達が応接室に案内されてからきっかり十分後。遂に扉がノックされた。ソウゴの返事から一拍置いて扉が開かれる。そこから現れたのは、金髪をオールバックにした鋭い目付きの三十代後半くらいの男性と、先程のドットだった。

「初めまして、冒険者ギルドフューレン支部支部長イルワ・チャングだ。ソウゴ君、ユエ君、シア君……でいいかな?」

 簡潔な自己紹介の後、ソウゴ達の名を確認がてらに呼び握手を求める支部長イルワ。ソウゴも握手を返しながら返事をする。

「ああ、構わない。名前は手紙に?」

「その通りだ。先生からの手紙に書いてあったよ。随分と目をかけられている……というより注目されている様だね。将来有望、ただしトラブル体質なので出来れば目をかけてやって欲しいという旨の内容だったよ」

「トラブル体質……ね。確かにブルックではトラブル続きだったが。まぁそれはいい、肝心の身分証明の方はどうなんだ? それで問題ないか?」

「ああ、先生が問題のある人物ではないと書いているからね。あの人の人を見る目は確かだ。わざわざ手紙を持たせる程だし、この手紙を以て君達の身分証明とさせてもらうよ」

 

 どうやらキャサリンの手紙は本当にギルドの上層部相手に役立に立った様だ。随分と信用がある。キャサリンを"先生"と呼んでいる事からかなり濃い付き合いがある様に思える。ソウゴの隣に座っているシアは、キャサリンに特に懐いていた事からその辺りの話が気になる様で、おずおずとイルワに訪ねた。

「あの~、キャサリンさんって何者なのでしょう?」

「ん? 本人から聞いてないのかい? 彼女は王都のギルド本部でギルドマスターの秘書長をしていたんだよ。その後、ギルド運営に関する教育係になってね。今各町に派遣されている支部長の五、六割は先生の教え子なんだ。私もその一人で、彼女には頭が上がらなくてね。その美しさと人柄の良さから、当時は僕らのマドンナ的存在、あるいは憧れのお姉さんの様な存在だった。その後結婚して、ブルックの町のギルド支部に転勤したんだよ。子供を育てるにも田舎の方がいいって言ってね。彼女の結婚発表は青天の霹靂でね。荒れたよ。ギルドどころか、王都が」

「はぁ~そんなにすごい人だったんですね~」

「……キャサリンすごい」

「只者じゃないとは思っていたが……元とはいえ中枢の人間だったとはな」

 

 聞かされたキャサリンの正体に感心するソウゴ達。想像していたよりずっと大物だったらしい。尤も、ソウゴは若干予想していたのか軽く一笑する程度だったが。

「まぁそれはそれとして、問題が無いならもう行っていいか?」

 

 元々、身分証明の為だけに来たので、用が終わった以上長居は無用だとソウゴがイルワに確認する。しかしイルワは瞳の奥を光らせると、「少し待ってくれるかい?」とソウゴ達を留まらせる。

 イルワは、隣に立っていたドットを促して一枚の依頼書をソウゴ達の前に差し出した。

 

「実は、君達の腕を見込んで、一つ依頼を受けて欲しいと思っている。取り敢えず話を聞いて貰えないかな? 聞いてくれるなら、今回の件は不問とするのだが……」

「……まぁ、内容によるな」

 

 それは言外に、話を聞かなければ今回の件について色々面倒な手続きをするぞ? という事だ。周囲の人間による証言で、ソウゴ達がプーム達にした事に関し罪に問われる事は無いだろうが、些か過剰防衛の傾向はあるので正規の手続き通り、当事者双方の言い分を聞いてギルドが公正な判断をするという手順を踏むなら相応の時間が取られるだろう。

 結果はソウゴ達に非が無いという事になるだろうが、逆に言えば結果の判りきった手続きを馬鹿みたいに時間をかけて行わなければならないという事だ。そして、この手続きから逃げるとめでたくブラックリストに乗るという事だろう。今後町でギルドを利用するのに面倒な事この上無い事になるのだ。

 それはそれで楽しそうだが、冒険者らしい事もやってみるかと話を聞く事にした。

「聞いてくれるようだね。ありがとう」

 イルワは一言礼を入れると、説明を始める。

 

 

 イルワの話を要約すると、つまりこういう事だ。

 

 最近、北の山脈地帯で魔物の群れを見たという目撃例が何件か寄せられ、ギルドに調査依頼がなされた。北の山脈地帯は一つ山を超えると殆ど未開の地域となっており、大迷宮の魔物程ではないがそれなりに強力な魔物が出没するので高ランクの冒険者がこれを引き受けた。

 ただ、この冒険者パーティに本来のメンバー以外の人物が些か強引に同行を申し込み、紆余曲折あって最終的に臨時パーティを組む事になった。

 

 この飛び入りが、クデタ伯爵家の三男ウィル・クデタという人物らしい。

 クデタ伯爵は、家出同然に冒険者になると飛び出していった息子の動向を密かに追っていたそうなのだが、今回の調査依頼に出た後息子に付けていた連絡員も消息が不明となり、これはただ事ではないと慌てて捜索願を出したそうだ。

 

 

「伯爵は家の力で独自の捜索隊も出している様だけど、手数は多い方がいいとギルドにも捜索願を出した。つい昨日の事だ。……最初に調査依頼を引き受けたパーティはかなりの手練でね、彼等に対処できない何かがあったとすれば並みの冒険者じゃあ二次災害だ。相応以上の実力者に引き受けてもらわないといけない。だが、生憎とこの依頼を任せられる冒険者は出払っていてね。そこへ君達がタイミングよく来たものだから、こうして依頼しているという訳だ」

 

 具体的な内容を聞いた瞬間、ソウゴの動きが一瞬止まったのをユエとシアは確かに目にした。刹那にも満たない一瞬、僅かに動いた心をソウゴは悟らせず、気を取り直した様に口を挟む。

 

「前提として、我々にその相応以上の実力が無いと駄目だろう? 生憎私は"青"ランクだぞ?」

 ソウゴは言外に、イルワの観察眼を試す。その視線に、イルワは受けて立つとばかりに笑みを浮かべる。

「さっき"黒"のレガニドを瞬殺したばかりだろう? それに……ライセン大峡谷を余裕で探索出来る者を相応以上と言わずして何と言うのかな?」

「何故知って……手紙か? だが、彼女にそんな話は……」

 ソウゴ達がライセン大峡谷を探索していた話は誰にもしていない。イルワがそれを知っているのは手紙に書かれていたという事以外には有り得ない。しかし、ならば何故キャサリンはそれを知っていたのかという疑問が出る。ソウゴが頭を捻っていると、おずおずとシアが手を上げた。

 ソウゴが、シアに胡乱な眼差しを向ける。

「何だ?」

「え~と、つい話が弾みまして……てへ?」

「……後でお仕置きだ」

「!? ユ、ユエさんもいました!」

「……シア、裏切り者」

「二人共食事抜きだ」

 どうやら、原因はユエとシアの様だ。ソウゴのお仕置き宣言に二人共平静を装いつつ冷や汗を掻いている。そんな様子を見て苦笑いしながら、イルワは話を続けた。

 

「生存は絶望的だが、可能性はゼロではない。伯爵は個人的にも友人でね、出来る限り早く捜索したいと考えている。どうかな、今は君達しかいないんだ。引き受けてはもらえないだろうか?」

 

 懇願する様なイルワの態度には、単にギルドが引き受けた依頼という以上の感情が込められている様だ。伯爵と友人という事は、もしかするとその行方不明となったウィルとやらについても面識があるのかもしれない。個人的にも、安否を憂いているのだろう。

「報酬は弾ませてもらうよ? 依頼書の金額は勿論だが、私からも色をつけよう。ギルドランクの昇格もする。君達の実力なら一気に"黒"にしてもいい」

「生憎と金には困らん身の上でね、それにランクもどうでもいい」

「なら今後、ギルド関連で揉め事が起きた時は私が直接君達の後ろ盾になるというのはどうかな? フューレンのギルド支部長の後ろ盾だ、ギルド内でも相当の影響力はあると自負しているよ? 君達は揉め事とは仲が良さそうだからね。悪くない報酬ではないかな?」

「大盤振る舞いだな。友人の息子相手にしては入れ込み過ぎじゃないか?」

 ソウゴの言葉に、イルワが初めて表情を崩す。後悔を多分に含んだ表情だ。

 

「彼に……ウィルにあの依頼を薦めたのは私なんだ。調査依頼を引き受けたパーティーにも私が話を通した。異変の調査といっても、確かな実力のあるパーティーが一緒なら問題ないと思った。実害もまだ出ていなかったしね。ウィルは、貴族は肌に合わないと昔から冒険者に憧れていてね……だが、その資質は無かった。だから強力な冒険者の傍で、そこそこ危険な場所へ行って、悟って欲しかった。冒険者は無理だと。昔から私には懐いてくれていて……だからこそ、今回の依頼で諦めさせたかったのに……」

 

 

 ソウゴはイルワの独白を聞きながら、僅かに思案する。ソウゴが思っていた以上に、イルワとウィルの繋がりは濃いらしい。すまし顔で話していたが、イルワの内心は正に藁にも縋る思いなのだろう。生存の可能性は、時間が経てば経つ程ゼロに近づいていく。無茶な報酬を提案したのも、イルワが相当焦っている証拠なのだろう。

 

 ソウゴとしても、町に寄り付く度にユエとシアの身分証明について言い訳するのは面倒ではあるし、この先名のある権力者に対する伝手があるのは、町の施設利用という点で便利だ。何せ聖教教会や王国に迎合する気がゼロである以上、何時異端の誹りを受けるか判らない。その場合、町では極めて過ごしにくくなるだろう。個人的な繋がりでその辺をクリア出来るなら楽だ。

 なので大都市のギルド支部長が後ろ盾になってくれるというなら、この際自分達の事情を教えて口止めしつつ、不都合が生じた時に利用させてもらおうとソウゴは考えた。クデタ伯爵とは随分懇意にしていた様だから、仮に生きて連れて帰ればそうそう不義理な事もできないだろう。

 

 それに話を聞いて、ソウゴも思うところが無いでもないのだ。

 

 

「……二つ条件がある」

「条件?」

「あぁ、そんなに難しい事じゃない。ユエとシアにステータスプレートを作って欲しい。そして、そこに表記された内容について他言無用を確約する事が一つ。ギルド関連に関わらず、貴様の持つコネクションの全てを使って我々の要望に応え便宜を図る事。この二つだな」

「それはあまりに……」

「そう気負うな、無茶な要求はせん。ただ我々は少々特異な存在故、確実に教会から目をつけられると思うが、その時伝手があった方が便利だと思っただけだ。面倒事が起きた時に味方になってくれればいい」

「ふむ、キャサリン先生が気に入っているくらいだから悪い人間ではないと思うが、個人的にも君達の秘密が気になって来たな。……そう言えば、そちらのシア君は怪力、ユエ君は見た事も無い魔法を使ったと報告があったな……その辺りが君達の秘密か…そして、それがいずれ教会に目を付けられる代物だと…大して隠していない事からすれば、最初から事を構えるのは覚悟の上という事か……そうなれば確かにどの町でも動きにくい……故に便宜をと……」

 流石大都市のギルド支部長、頭の回転は早い。イルワは暫く考え込んだあと、意を決した様にソウゴに視線を合わせた。

「犯罪に加担する様な倫理に悖る行為・要望には絶対に応えられない。君達が要望を伝える度に詳細を聞かせてもらい、私自身が判断する。だが、できる限り君達の味方になる事は約束しよう……これ以上は譲歩出来ない。どうかな?」

「まぁ、そんなところだろうな……それでいい。報酬は依頼が達成されてからで構わん」

 

 ソウゴとしては、ユエとシアのステータスプレートを手に入れるのが一番の目的だ。この世界では何かと提示を求められるステータスプレートは持っていない方が不自然であり、この先、町による度に言い訳するのは面倒な事この上ない。

 

 問題は、最初にステータスプレートを作成した者に騒がれない様にするにはどうすればいいかという事だったのだが、イルワの存在がその問題を解決した。ただ、条件として口約束をしてもやはり密告の疑いはある。いずれソウゴ達の特異性はバレるだろうが、積極的に手を回されるのは好ましくない。なのでソウゴは、ステータスプレートの作成を依頼完了後にした。どんな形であれ、心を苛む出来事に答えをもたらしたソウゴをイルワも悪いようにはしないだろうという打算だ。

 

 イルワもソウゴの意図は察しているのだろう。苦笑いしながら、それでも捜索依頼の引き受け手が見つかった事に安堵している様だ。

「本当に、君達の秘密が気になってきたが……それは、依頼達成後の楽しみにしておこう。ソウゴ君、ユエ君、シア君……宜しく頼む」

 イルワは最後に真剣な眼差しでソウゴ達を見つめた後、ゆっくり頭を下げた。大都市のギルド支部長が一冒険者に頭を下げる、そうそう出来ることではない。キャサリンの教え子というだけあって、人の良さが滲み出ている。

 そんなイルワの様子を見て、ソウゴ達は立ち上がると気負いなく答えた。

「出来る限り努力はしよう」

「……意外だな、思ったより真剣に取り組んでくれそうな雰囲気じゃないか。君はもう少し冷たい対応だと思っていたよ」

 意外そうに言うイルワの言葉に、ソウゴは目を伏せ呟く様に語る。

「……私にも同じ年頃の娘がいる、家出中だがな。子供を心配する伯爵夫妻の気持ちは……分からんでもない」

「ほぅ、娘さんが……」

「驚いたか? これでも貴様よりずっと年上だ」

「何と、それは失礼した」

 試す様な微笑みのソウゴの言葉に驚きつつ、直ぐ様言葉を改めるイルワ。

 

 

 その後、支度金や北の山脈地帯の麓にある湖畔の町への紹介状、件の冒険者達が引き受けた調査依頼の資料を受け取り、ソウゴ達は部屋を出て行った。バタンと扉が締まる。その扉を暫く見つめていたイルワは、「ふぅ~」と大きく息を吐いた。部屋にいる間、一言も話さなかったドットが気づかわしげにイルワに声をかける。

「支部長……よかったのですか? あの様な報酬を……」

「……ウィルの命がかかっている。彼等以外に頼める者はいなかった、仕方ないよ。それに彼等に力を貸すか否かは私の判断で良いと彼等も承諾しただろう。問題ないさ。それより彼らの秘密……」

「ステータスプレートに表示される"不都合"ですか……」

「ふむ。ドット君、知っているかい? ハイリヒ王国の勇者一行は皆、とんでもないステータスらしいよ?」

 ドットは、イルワの突然の話に細めの目を見開いた。

「! 支部長は、彼が召喚された者…"神の使徒"の一人であると? しかし、彼はまるで教会と敵対する様な口ぶりでしたし、勇者一行は聖教教会が管理しているでしょう?」

「ああ、その通りだよ。でもね……凡そ四ヶ月前、その内の一人がオルクスで亡くなったらしいんだよ。奈落の底に魔物と一緒に落ちたってね」

「……まさか、その者が生きていたと? 四ヶ月前と言えば、勇者一行もまだまだ未熟だった筈でしょう? オルクスの底がどうなっているのかは知りませんが、とても生き残る事など……」

 

 ドットは信じられないと首を振りながら、イルワの推測を否定する。しかしイルワは、どこか面白そうな表情で再びソウゴ達が出て行った扉を見つめた。

「そうだね。でももしそうなら……何故彼は仲間と合流せず、旅なんてしているのだろうね? 彼は一体、闇の底で何を見て、何を得たのだろうね?」

「何を……ですか……」

「ああ。何であれ、きっとそれは教会と敵対する事も辞さないという決意をさせるに足るものだ。それは取りも直さず、世界と敵対する覚悟があるという事だよ」

「世界と……」

「私としては、そんな特異な人間とは是非とも繋がりを持っておきたいね。例え彼が教会や王国から追われる身となっても、ね。もしかすると、先生もその辺りを察して態々手紙なんて持たせたのかもしれないよ」

「支部長……どうか引き際は見誤らないで下さいよ?」

「勿論だとも」

 

 スケールの大きな話に目眩を起こしそうになりながら、それでもイルワの秘書長として忠告は忘れないドット。しかしイルワは、何かを深く考え込みドットの忠告にも、半ば上の空で返すのだった。

 

 

 

 広大な平原のど真ん中に、北へ向けて真っ直ぐに伸びる街道がある。街道と言っても、何度も踏みしめられる事で自然と雑草が禿げて道となっただけのものだ。この世界の馬車にはサスペンションなどという物は無いので、きっとこの道を通る馬車の乗員は目的地に着いた途端、自らの尻を慰める事になるのだろう。

 

 

 そんな整備されていない道を、有り得ない速度で爆走する影がある。黄金の車体に二つの車輪だけで凸凹の道を苦もせず突き進むそれの上には、三人の人影があった。

 

 無論ソウゴ達だ。かつてライセン大峡谷の谷底で走らせた時と同じ様なペースで街道を走っている。

座席順はいつもの通り、ソウゴの腕の中にユエ、背中にシアという形だ。風にさらわれてシアのウサミミがパタパタと靡いている。

 天気は快晴で暖かな日差しが降り注ぎ、絶好のツーリング日和と言える。実際、ユエもシアも、ポカポカの日差しと心地よい風を全身に感じて、実に気持ちよさそうに目を細めていた。

 

「はぅ~、気持ちいいですぅ~、ユエさぁ~ん。帰りは場所交換しませんかぁ~」

「……ダメ。ここは私の場所」

「え~、そんな事言わずに交換しましょうよ~、後ろも気持ちいいですよ?」

 

 シアが実に間延びした緩々の声音でユエに座席の交換を強請る。ソウゴは肩越しに緩んだシアの顔を見やると、嫌なそうな顔をしてユエの代わりに答えた。

「貴様が前に座ると、そのウサミミが風に靡いて運転の邪魔だ」

「あ~、そうですねぇ~」

「……駄目、殆ど寝てる」

 

 どうやら、あまりの心地よさにシアは半分夢の住人になっている様だ。ソウゴの肩に頭を乗せ全体重を掛けて凭れ掛かっている。ユエに話しかけたのも半分寝言の様だ。

「まぁ、このペースなら後半日というところだ。無休で行くのだ、休める内に休ませておこう」

 ソウゴの言葉通り、ソウゴ達はウィル一行が引き受けた調査依頼の範囲である北の山脈地帯に一番近い町まで後半日程の場所まで来ていた。このまま休憩を挟まず一気に進み、恐らく日が沈む頃に到着するだろうから、町で一泊して明朝から捜索を始めるつもりだ。

 急ぐ理由は勿論、時間が経てば経つ程ウィル一行の生存率が下がっていくからだ。何時になく他人の為なのに積極的なソウゴに、ユエが上目遣いで疑問顔をする。

 ソウゴは、腕の中から可愛らしく首を傾げて自分を見上げるユエに苦笑いを返す。

「……積極的?」

「ああ、生きているに越した事は無いからな。その方が感じる恩は大きい。これから先、国やら教会やらとの面倒事は山程待ってそうだからな、盾は多い方がいいだろう。一々真面に相手するのも手間だ。……それにまぁ、私も人の親だ。出来れば子供には無事であってほしいんだよ」

「……成程」

 

 実際、イルワという盾がどの程度機能するかはわからないし、どちらかといえば役に立たない可能性の方が大きいが保険は多い方がいい。まして、ほんの少しの労力で獲得出来るならその労力は惜しむべきではないだろう。

 それに何より、子を持つ一人の親として心配する気持ちに共感したというのも多分にあった。

 

「それに聞いたんだがな、これから行く町は湖畔の町で水源が豊かだそうだ。その為か町の近郊は大陸一の稲作地帯なんだそうだ」

「……稲作?」

「あぁ。つまり米、私の故郷の主食だ。此方に来てから一度も食べていないからな。同じ物かどうかは分からんが、是非とも試してみたい」

「……ん、私も食べたい……町の名前は?」

 

 

「湖畔の町ウルだ」

 

 

 

 

「はぁ、今日も手掛かりはなしですか。……清水君、一体何処に行ってしまったんですか……?」

 

 悄然と肩を落とし、【ウルの町】の表通りをトボトボと歩くのは召喚組の一人にして唯一の教師である愛子だ。普段の快活な様子が鳴りを潜め、今は不安と心配に苛まれて陰鬱な雰囲気を漂わせている。心なしか、表通りを彩る街灯の灯りすらいつもより薄暗い気がする。

 

「愛ちゃん先生、あまり気を落とさないで下さい。まだ何も分かっていないんですよ? 部屋だって荒らされてなかった訳ですし、自分で何処かに行った可能性の方が高い位です。だから、あまり思い詰めないで下さいね」

「そうだぞ愛子。こういう時に悪い方にばかり考えては駄目だ。気が付くべき事や、為すべき事を見落としてしまいかねないからな。それに、幸利は優れた術師だ。仮に何か不測の事態に遭遇したのだとしても、そう簡単にやられはしない。彼の先生である愛子が、自分の生徒を信じてやらなくてどうするんだ?」

 

 元気の無い愛子に、そう声をかけたのは優花とデビッドだ。周りには他にも、毎度お馴染みの騎士達と淳史達がいる。彼等も口々に愛子を気遣う様な言葉をかけた。

 

 愛ちゃん護衛隊の一人、清水幸利が失踪してから既に二週間と少し。愛子達は八方手を尽くして清水を探したが、その行方は杳として知れなかった。町中に目撃情報は無く、近隣の町や村にも使いを出して目撃情報を求めたが、全て空振りだった。

 当初は事件に巻き込まれたのではと騒然となったのだが、清水の部屋が荒らされていなかった事、清水自身が"闇術師"という闇系魔術に特別才能を持つ天職を所持しており、他の系統魔術についても高い適性を持っていた事から、そうそうその辺の破落戸(ごろつき)にやられるとは思えず、今では自発的な失踪と考える者が多かった。

 

 元々清水は大人しいインドアタイプの人間で、社交性もあまり高くなかった。クラスメイトにも特別親しい友人はおらず、愛ちゃん護衛隊に参加した事も驚かれた位だ。

 

 

 そんな訳で、既に愛子以外の生徒は清水の安否より、それを憂いて日に日に元気が無くなっていく愛子の方が心配だった。護衛隊の騎士達に至っては言わずもがなである。

 

 因みに王国と教会には報告済みであり、捜索隊を編成して応援に来る様だ。清水も魔術の才能に関しては召喚された者らしく極めて優秀なので、ソウゴの時の様に上層部は楽観視していない。捜索隊が到着するまであと二、三日といったところだ。

 

 次々とかけられる気遣いの言葉に、愛子は内心で自分を殴りつけた。事件に巻き込まれようが、自発的な失踪であろうが心配である事に変わりはない。しかしそれを表に出して、今傍にいる生徒達を不安にさせるどころか気遣わせてどうするのだと。「それでも自分はこの子達の教師なのか!」と、愛子は一度深呼吸するとペシッと両手で頬を叩き気持ちを立て直した。

「皆さん、心配かけてごめんなさい。そうですよね。悩んでばかりいても解決しません。清水君は優秀な魔法使いです。きっと大丈夫。今は、無事を信じて出来る事をしましょう。取り敢えずは、本日の晩御飯です! お腹いっぱい食べて、明日に備えましょう!」

 無理しているのは丸分かりだが、気合の入った掛け声に生徒達も「は~い」と素直に返事をする。デビッド達はその様子を微笑ましげに眺めた。

 

 

 カランカランッと音を立てて、愛子達は自分達が宿泊している宿の扉を開いた。【ウルの町】で一番の高級宿だ。名を"水妖精の宿"という。嘗て、【ウルディア湖】から現れた妖精を一組の夫婦が泊めた事が由来だそうだ。

 

 なお【ウルディア湖】は、【ウルの町】の近郊にある大陸一の大きさを誇る湖だ。大きさは日本の琵琶湖の四倍程である。

 

 "水妖精の宿"は一階部分がレストランになっており、ウルの町の名物である米料理が数多く揃えられている。内装は落ち着きがあって、目立ちはしないが細部まで拘りが見て取れる装飾の施された重厚なテーブルやバーカウンターがある。また、天井には派手過ぎないシャンデリアがあり、落ち着いた空気に花を添えていた。

 "老舗"──そんな言葉が自然と湧き上がる、歴史を感じさせる宿だった。

 

 当初、愛子達は高級過ぎては落ち着かないと他の宿を希望したのだが、"神の使徒"、或いは"豊穣の女神"とまで呼ばれ始めている愛子や生徒達を普通の宿に泊めるのは外聞的に有り得ないので、騎士達の説得の末【ウルの町】における滞在場所として目出度く確定した。

 元々王宮の一室で過ごしていた事もあり、愛子も生徒達も次第に慣れ、今ではすっかりリラックス出来る場所になっていた。農地改善や清水の捜索に東奔西走し疲れた体で帰って来る愛子達にとって、この宿で摂る米料理は毎日の楽しみになっていた。

 全員が一番奥の専用となりつつあるVIP席に座り、その日の夕食に舌鼓を打つ。

「ああ、相変わらず美味しいぃ~。異世界に来てカレーが食べれるとは思わなかったよ」

「まぁ、見た目はシチューなんだけどな……。いや、ホワイトカレーってあったけ?」

 優花が心の底から出た様な声音で宿の料理を絶賛すれば、同じ異世界版カレーを注文した淳史が記憶を探りつつ同意した。それに対し昇が、ホクホクのご飯の上に載った黄金でサックサクの衣を纏った各種揚げ物と、香ばしいタレで彩られた自らの料理を行儀悪く箸で指しながら感想を述べる。

 

「いや、それよりも天丼だろ? このタレとか絶品だぞ? 日本負けてんじゃない?」

「それは玉井君がちゃんとした天丼食べた事無いからでしょ? ホカ弁の天丼と比べちゃ駄目だよ」

「俺は炒飯擬き一択で。これやめられないよ」

「餃子っぽいのとセットメニューってのが何とも憎いよね。このお店開いた人、絶対日本人でしょ」

 

 その感想に苦笑いを浮かべながら妙子が反論し、明人が炒飯擬きで頬をパンパンに膨らませ、その隣で餃子擬きを頬張っていた奈々が何とも疑わしい視線を店の奥に向ける。

 極めて地球の料理に近い米料理に、毎晩優花達のテンションは上がりっぱなしだ。見た目や微妙な味の違いはあるのだが、料理の発想自体はとても似通っている。素材が豊富というのも、【ウルの町】の料理の質を押し上げている理由の一つだろう。米は言うに及ばず、【ウルディア湖】で取れる魚、【北の山脈地帯】の山菜や香辛料等もある。

 

 そんな美味しい料理で一時の幸せを噛み締めている愛子達の下へ、六十代くらいの口髭が見事な男性がにこやかに近寄ってきた。

「皆様、本日のお食事は如何ですか? 何かございましたら、どうぞ遠慮なくお申し付け下さい」

「あ、オーナーさん」

 

 愛子達に話しかけたのは、この"水妖精の宿"のオーナーであるフォス・セルオである。スっと伸びた背筋に、穏やかに細められた瞳、白髪交じりの髪をオールバックにしている。

宿の落ち着いた雰囲気がよく似合う男性だ。

 

「いえ、今日もとてもおいしいですよ。毎日癒されてます」

 愛子が代表してニッコリ笑いながら答えると、フォスも嬉しそうに「それはようございました」と微笑んだ。

 しかし次の瞬間には、その表情を申し訳なさそうに曇らせた。いつも穏やかに微笑んでいるフォスには似つかわしくない表情だ。何事かと食事の手を止めて、皆がフォスに注目した。

「実は、大変申し訳ないのですが……香辛料を使った料理は今日限りとなります」

「えっ!? それって、もうこのカレー擬き(ニルシッシル)を食べれないって事ですか?」

 カレーが大好物の優花がショックを受けた様に問い返した。

 

「はい、申し訳ございません。何分材料が切れまして……いつもならこの様な事が無い様に在庫を確保しているのですが。……ここ一ヶ月程北山脈が不穏という事で、採取に行く者が激減しております。つい先日も、調査に来た高ランク冒険者の一行が行方不明となりまして、ますます採取に行く者がいなくなりました。当店にも次にいつ入荷するかわかりかねる状況なのです」

「あの……不穏っていうのは具体的には?」

「何でも魔物の群れを見たとか……北山脈は山を越えなければ比較的安全な場所です。山を一つ越える毎に強力な魔物がいる様ですが、態々山を越えてまでこちらには来ません。ですが、何人かの者が居る筈の無い山向こうの魔物の群れを見たのだとか」

「それは心配ですね……」

 

 愛子が眉を顰める。他の皆も若干沈んだ様子で互いに顔を見合わせた。フォスは「食事中にする話ではありませんでしたね」と申し訳なさそうな表情をすると、場の雰囲気を盛り返す様に明るい口調で話を続けた。

「しかしその異変も、もしかするともう直ぐ収まるかもしれませんよ」

「どういう事ですか?」

「実は、今日の丁度日の入り位に新規のお客様が宿泊にいらしたのですが、何でも先の冒険者方の捜索の為北山脈へ行かれるらしいのです。フューレンのギルド支部長様の指名依頼らしく、相当な実力者の様ですね。もしかしたら異変の原因も突き止めてくれるやもしれません」

 

 愛子達はピンと来ない様だが、食事を共にしていたデビッド達護衛の騎士は一様に「ほぅ」と感心半分興味半分の声を上げた。

 

 フューレンの支部長と言えばギルド全体でも最上級クラスの幹部職員である。その支部長に指名依頼されるというのは、相当どころではない実力者の筈だ。同じ戦闘に通じる者としては好奇心をそそられるのである。騎士達の頭には、有名な"金"クラスの冒険者がリストアップされていた。

 愛子達がデビッド達騎士のざわめきに不思議そうな顔をしていると、二階へ通じる階段の方から声が聞こえ始めた。男の声と少女二人の声だ。何やら少女の一人が男に文句を言っているらしい。それに反応したのはフォスだ。

「おや、噂をすれば。彼等ですよ、騎士様。彼等は明朝にはここを出るそうなので、もしお話になるのでしたら、今のうちがよろしいかと」

「そうか、分かった。しかし随分と若い声だ、"金"にこんな若い者がいたか?」

 デビッド達騎士は、脳内でリストアップした有名な"金"クラスに今聞こえている様な若い声の持ち主がいないので、若干困惑した様に顔を見合わせた。

 

 そうこうしている内に、三人の男女は話ながら近づいてくる。

 愛子達のいる席は三方を壁に囲まれた一番奥の席であり、店全体を見渡せる場所でもある。一応カーテンを引く事で個室にする事も出来る席だ。唯でさえ目立つ愛子達一行は、愛子が"豊穣の女神"と呼ばれる様になって更に目立つ様になった為、食事の時はカーテンを閉める事が多い。今日も、例に漏れずカーテンは閉めてある。

 そのカーテン越しに、若い男女の騒がしめの会話の内容が聞こえてきた。

 

「もうっ、何度言えばわかるんですか。私を放置してユエさんと二人の世界を作るのは止めて下さいよぉ。ホント凄く虚しいんですよ、あれ。聞いてます? "ソウゴ"さん」

「なら貴様がユエを引き取ってくれ」

「んまっ! 聞きましたユエさん? "ソウゴ"さんが冷たい事言いますぅ」

「……ん。"ソウゴ様"、もうちょっと優しくして?」

「懲りないな貴様等」

 

 

 その会話の内容に、そして少女の声が呼ぶ名前に。愛子の、そして優花達の心臓が一瞬にして飛び跳ねる。

 

 彼女達は今何といった? 少年を何と呼んだ? 少年の声は、"彼"の声に似てはいないか?

 

 愛子の脳内を一瞬で疑問が埋め尽くし、金縛りにあった様に硬直しながら、カーテンを視線だけで貫こうとでも言う様に凝視する。

 

 特に直接命を救われ、あの出来事に最も深く心を折られた優花の受けた衝撃は尋常ではなかった。カランッとスプーンを落とした音にも気付かない様子で、唯々呆然としている。

 優花を含め淳史達生徒の脳裏には、およそ四ヶ月前に奈落の底へと消えていった"彼"の姿が浮かび上がっていた。自分達に"異世界での死"というものを強く認識させた少年。消したい記憶の根幹となっている少年。良くも悪くも目立っていた少年……。

 

 尋常でない様子の愛子と生徒達に、フォスや騎士達が訝しげな視線と共に声をかけるが、誰一人として反応しない。騎士達が一体何事だと顔を見合わせていると、愛子がポツリとその名を零した。

「……常磐君?」

 無意識に出した自分の声で、有り得ない事態に硬直していた体が自由を取り戻す。愛子は、椅子を蹴倒しながら立ち上がり、転びそうになりながらカーテンを引き千切る勢いで開け放った。

 

 シャァァァ!!

 

 存外に大きく響いたカーテンの引かれる音に、ギョッとして思わず立ち止まる二人の少女と、無関心に椅子を引いて座り込む男。

 愛子は、相手を確認する余裕も無く叫んだ。大切な教え子の名前を。

 

「常磐君!」

 

「うん? ……おぉ、確か……畑中先生、だったかな?」

 愛子の目の前にいたのは、チラリと視線を寄越して意外そうな顔をしている、記憶と寸分違わぬ栗毛の少年だった。

 

 

 しかし雰囲気は大きく異なっている。愛子の知る常磐ソウゴは、何時もどこかボーとして、なのに全てを見透かしている様にのらりくらりとした、穏やかな性格の大人しい少年だった。実は、苦笑いが一番似合う子と認識していたのは愛子の秘密である。

 だが、目の前の少年はどこか近寄りがたい、鋭く重厚な雰囲気を纏っている。先程の話し方も、あまりに記憶と異なっており、実際に見聞きしなければ判らないだろう。

 

 だが、目の前の少年は自分を何と呼んだのか。そう、"先生"だ。愛子は確信した。雰囲気も話し方も大きく変わってしまっているが、目の前の少年は、確かに自分の教え子である"常磐ソウゴ"であると!

 

「常磐君……やっぱり常磐君なんですね? 生きて……本当に生きて…」

「私が幽霊にでも見えるか?」

 死んだと思っていた教え子と奇跡の様な再会。感動して、涙腺が緩んだのか、涙目になる愛子。今まで何処にいたのか、一体何があったのか、本当に無事でよかった、と言いたい事は山程あるのに言葉にならない。それでも必死に言葉を紡ごうとする愛子に返ってきたのは、無関心で平坦な声。

 

 生徒達はソウゴの姿を見て、信じられないと驚愕の表情を浮かべている。それは、生きていた事自体が半分、雰囲気の変貌が半分といったところだろう。だがどうすればいいのか分からず、ただ呆然と愛子とソウゴを見つめるに止まっていた。

 

 と、そこで割り込んだのはパートナーを自称する少女。勿論残念キャラのウサミミではなく吸血姫の方である。ユエはツカツカとソウゴと愛子の傍に歩み寄ると、いつの間にかソウゴの腕を掴んでいた愛子の手を強引に振り払った。その際、護衛騎士達が僅かに殺気立つ。

「……離れて、ソウゴ様が困ってる」

「な、何ですか、あなたは? 今、先生は常磐君と大事な話を……」

「……なら、少しは落ち着いて」

 

 冷めた目で自分を睨む美貌の少女に、愛子が僅かに怯む。二人の身長に大差はない。普通に見ればちみっ子同士の喧嘩に見えるだろう。しかし、常に実年齢より下に見られる愛子と見た目に反して妖艶な雰囲気を纏うユエでは、どうしても大人に怒られる子供という構図に見えてしまう。

 

 実際、注意しているのはユエの方で、彼女の言葉に自分が暴走気味だった事を自覚し頬を赤らめてソウゴからそっと距離をとり、遅まきながら大人の威厳を見せようと背筋を正す愛子は……背伸びした子供の様だった。

 

「すいません、取り乱しました。改めて……常磐君ですよね?」

 今度は静かな、しかし確信をもった声音で、真っ直ぐに顔を見つめながらソウゴに問い直す愛子。

「あぁ。正真正銘、私は常磐ソウゴだ。それ以外の何者でもない」

「やっぱり、やっぱり常磐君なんですね……生きていたんですね……」

 再び涙目になる愛子に、ソウゴは可笑しそうに笑い肩を竦めた。

「あの程度で死ぬものか」

「よかった……! 本当によかったです……」

 

 それ以上言葉が出ない様子の愛子を一瞥すると、ソウゴはもう興味を失くした様で、生徒達の後ろに佇んで事の成り行きを見守っているフォスを手招きする。

「ええと……ソウゴさん、いいんですか? お知り合いですよね?」

「まぁそれはそうだが、所詮共に召喚されたという程度の繫がりしか無いからな。貴様等が態々気に掛ける事ではあるまい。それより、元々ここには夕餉を食べに来たんだ、さっさと注文するぞ。ここにはニルシッシルという料理があるそうでな、どうやら私の知るカレーという料理と似た品らしい。想像した通りの味なら嬉しいんだが……」

「……なら、私もそれにする。ソウゴ様の好きな味知りたい」

「あっ、そういう所でさり気無いアピールを……流石ユエさん。という訳で私もそれにします。店員さぁ~ん、注文お願いしまぁ~す」

 最初は愛子達をチラチラ見ながらおずおずしていたシアも、ソウゴがそう言うならいいかと意識を切り替えて、困った笑みで寄って来たフォスに注文を始めた。

 

 だが当然、そこで待ったがかかる。ソウゴがあまりにも自然に何事も無かった様に注文を始めたので再び呆然としていた愛子が息を吹き返し、ツカツカとソウゴのテーブルに近寄ると「先生、怒ってます!」と実に判りやすい表情でテーブルをペシッと叩いた。

「常磐君、まだ話は終わっていませんよ! 何を物凄く自然に注文しているんですか!? 大体、こちらの女性達はどちら様ですか?」

 愛子の言い分はその場の全員の気持ちを代弁していたので、漸くソウゴが四ヶ月前に亡くなったと聞いた愛子の教え子であると察した騎士達や、愛子の背後に控える生徒達も皆一様に「うんうん」と頷きソウゴの回答を待った。

 ソウゴは少し面倒そうに眉を顰めるが、どうせ答えない限り愛子が喰い下がり、落ち着いて食事も出来ないだろうと考え仕方なく視線を愛子に戻した。

「依頼を受けてから無休でここまで来たんだ、食事位ゆっくりさせてくれ。それとこれらは私の連れだ」

 ソウゴが視線をユエとシアに向けると、二人は愛子達にとって衝撃的な自己紹介した。

「……ユエ」

「シアです」

 

「「ソウゴ様の女/ですぅ!」」

 

「お、女?」

 愛子が若干どもりながら「えっ? えっ?」とソウゴと二人の美少女を交互に見る。上手く情報を処理出来ていないらしい。後ろの生徒達も困惑したように顔を見合わせている。いや、男子生徒は「まさか!」と言った表情でユエとシアを忙しなく交互に見ている。徐々に、その美貌に見蕩れ顔を赤く染めながら。

 

 直後、ガンッゴンッという嫌な音が響き渡る。

「だから、何度言えば理解出来るんだ貴様等は」

「……ソウゴ様、ホントに痛い……」

「せめてもう少し手心を……!」

「加えてなかったら木端微塵になっとるわ、寧ろ加減マシマシだ」

 ソウゴが呆れた顔で二人の脳天に拳骨を落としていた。

 

 一方、その光景(見様によってはじゃれてる様に見える)を見せられた愛子の頭の中では、ソウゴが二人の美少女を両手に侍らして高笑いしている光景が再生されている様だった。表情がそれを物語っている。

「常磐君!!」

 顔を真っ赤にして三人の会話を遮る愛子。その顔は、非行に走る生徒を何としても正道に戻してみせるという決意に満ちていた。そして、"先生の怒り"という特大の雷が【ウルの町】一番の高級宿に落ちる。

「ふ、二股なんて! 直ぐに帰ってこなかったのは、遊び歩いていたからなんですか!? もしそうなら……許しません! ええ、先生は絶対許しませんよ! お説教です! そこに直りなさい、常磐君!」

 きゃんきゃんと吠える愛子を尻目に、面倒な事になったとソウゴは軽く舌打ちをしたのであった。

 

 

 散々愛子が吠えた後、他の客の目もあるからとVIP席の方へ案内されたソウゴ達。そこで愛子や園部優花達生徒から怒涛の質問を投げかけらたが、ソウゴは目の前の今日限りというニルシッシルを優先して、元より真面に答えるつもりも無かった質問により適当に返し、逆に愛子達から情報を得ていった。

 

 愛子達から得ようとした情報とは、彼女等の中のソウゴに関する記憶である。

 ソウゴにとっては、彼女等はこの世界に来てからの知り合いだが、彼女等の中ではそうではないらしい。

 ソウゴはそれに対して、恐らく自身が召喚された際に彼女等の記憶にソウゴに関するすり合わせが行われたと推測した。

 故にソウゴは愛子達の記憶を読み、彼女達の中で自身がどういう立ち位置だったかを読み取った。

 

「真面目に答えなさい!」

 そんなソウゴの行いを知る由も無く、愛子が頬を膨らませて怒る。全く迫力が無いのが物悲しい。案の定、ソウゴには柳に風といった様子だ。目を合わせる事も無く、時折ユエやシアと感想を言い合いながらニルシッシルに舌鼓を打つ。表情は非常に満足そうである。

 

 その様子にもう我慢ならんと怒りを露わにしたのは、愛子ラブのデビッドだ。愛する女性が蔑ろにされている事に耐えられなかったのだろう。拳をテーブルに叩きつけながら大声を上げた。

「おい、お前! 愛子が質問しているのだぞ! 真面目に答えろ!」

 ソウゴは、憤慨するデビッドに目もくれず、呆れた様に食事を止めず答える。

「一介の騎士風情が、他国とはいえ王の振舞いに口を出すとは……どうやらこの国の礼儀作法は随分とレベルが低いと見える」

 

 全く相手にされていない事が丸分かりの物言いに、元々神殿騎士にして重要人物の護衛隊長を任されているという事から自然とプライドも高くなっているデビッドは、我慢ならないと顔を真っ赤にした。そして、何を言ってものらりくらりとして明確な答えを返さないソウゴから矛先を変え、その視線がシアに向く。

「ふん、礼儀だと? その言葉、そっくりそのまま返してやる。薄汚い獣風情を人間と同じテーブルに着かせるなど、お前の方が礼儀がなってないな。せめてその醜い耳を切り落としたらどうだ? 少しは人間らしくなるだろう」

 侮蔑をたっぷりと含んだ眼で睨まれたシアはビクッと体を震わせた。

 

 

 【ブルックの町】では宿屋での第一印象や、キャサリンと親しくしていた事、ソウゴの存在もあって、寧ろ友好的な人達が多かった。【フューレン】でも蔑む目は多かったが、奴隷と認識されていたからか直接的な言葉を浴びせかけられる事はなかった。

 

 つまり、ソウゴと旅に出てから初めて、亜人族に対する直接的な差別的言葉の暴力を受けたのである。有象無象の事など気にしないと割り切った筈だったが、少し外の世界に慣れてきていたところへの不意打ちだったので、思いの外ダメージがあった。シュンと顔を俯かせるシア。

 

 よく見ればデビッドだけでなく、チェイス達他の騎士達も同じような目でシアを見ている。彼等がいくら愛子達と親しくなろうと、神殿騎士と近衛騎士である。聖教教会や国の中枢に近い人間であり、それは取りも直さず亜人族に対する差別意識が強いという事でもある。何せ差別的価値観の発信源は、その聖教教会と国なのだから。

 デビッド達が愛子と関わる様になって、それなりに柔軟な思考が出来る様になったと言っても、ほんの数ヶ月程度で変わる程根の浅い価値観ではないのである。

 

 あんまりと言えばあんまりな物言いに、思わず愛子が注意をしようとするが、その前に俯くシアの手を握ったユエが絶対零度の視線をデビッドに向ける。

 

 

 最高級ビスクドールの様な美貌の少女に体の芯まで凍りつきそうな冷ややかな眼を向けられて、デビッドは一瞬たじろぐも、見た目は幼さを残す少女に気圧された事に逆上する。

 

 普段ならここまでキレやすい人間ではないのだが、思わず言ってしまった言葉に愛しい愛子からも非難がましい視線を向けられて、軽く我を失っている様だった。

「何だその眼は? 無礼だぞ! 神の使徒でもないのに、神殿騎士に逆らうのか!」

 思わず立ち上がるデビッドを副隊長のチェイスは諌めようとするが、それよりも早くユエの言葉が騒然とする場にやけに明瞭に響き渡った。

「……小さい男」

 それは嘲りの言葉。たかが種族の違い如きで喚き立て、少女の視線一つに逆上する器の小ささを嗤う言葉だ。

 唯でさえ怒りで冷静さを失っていたデビッドは、よりによって愛子の前で男としての器の小ささを嗤われ完全にキレた。

「……異教徒め。そこの獣風情と一緒に地獄へ送ってやる」

 無表情で静かに呟き、傍らの剣に手をかけるデビッド。突如現れた修羅場に生徒達はオロオロし、愛子やチェイス達は止めようとする。だがデビッドは周りの声も聞こえない様子で、遂に鞘から剣を僅かに引き抜いた。

 その瞬間、

 

 

 ドガンッ!!

 

 

 何の脈絡も無い破壊音が"水妖精の宿"全体に響き渡り、同時に今にも飛び出しそうだったデビッドが弾かれた様に後方へ吹き飛んだ。デビッドは、そのまま背後の壁に凄まじい音を立てながら激突し、上半身が見えなくなったところで足がガクンッと崩れ落ちる。少し遅れて、デビッドの手から放り出された剣がカシャン……と小さく音を立てて床に転がった。

 

 誰もが、今起こった出来事を正しく認識できず硬直する。視線は力無く壁に突き刺さるデビッドに向けられたままだ。

 そこへ、大きな破壊音に何事かとフォスがカーテンを開けて飛び込んできた。そして、目の前の惨状に目を丸くして硬直する。

 

 代わりに、フォスが入ってきた事で愛子達が我を取り戻した。デビッドに向けられていた視線は、破壊音の源へと自然に引き寄せられる。

 其処には、食事の手を止めたソウゴの姿があった。その姿は武器や術を使った様にも見えず、愛子達も騎士達も全く何をしたか窺えない。

 この場で唯一、ユエだけはソウゴが何をしたか理解できた。

 

 

 ユエには見えていたのだ。ソウゴの背後に浮かぶ、三面六腕の黄金の人影の存在が。ユエの目には、その姿が【オルクス大迷宮】の最深部で一度だけ見た、ソウゴの鎧に似ている様に思えた

 

 

 そして、ユエにだけ見えているそれこそがソウゴの宿すスタンド。

 スタンド名───"オーヴァー・クォーツァー"である。

 

 

 詳細は分からないが攻撃したのがソウゴであると察した騎士達が、一斉に剣に手をかけて殺気を放つ。

 

 しかし直後、騎士達の殺気などとは比べ物にならない凄絶な殺気が、まるで天から鉄槌となって……否、天そのものが落ちてきたかの様に襲いかかり、立ち上がりかけた騎士達を強制的に座席に座らせた。

 直接殺気を浴びている訳ではないが、ソウゴから放たれる桁違いの威圧感に、愛子達も顔を蒼褪めさせてガクガクと震えている。

 フォスや他の客はとっくに泡を吹いて気絶し、その影響は宿の外の町全体まで及ぶ。それどころか、町の外の魔物達までソウゴの気配を察して逃げ出した。

 

 ソウゴはガタッと態とらしく音を立てながら椅子を引いて立ち上がる。ただそれだけで、ソウゴの威圧が桁違いに増す。騎士達は今にも発狂しそうな心を必死に堪える為に、歯が砕ける程顎に力を込める。愛子達は椅子から転げ落ち、何人かは恐怖に耐え切れず失禁してしまう。

 それらを気にも留めず、ソウゴは特定の誰かではなく全員に言い聞かせる様に呟く。

 

「貴様等は運がいい。今が食事の場でなければ、細胞も魂魄も一片たりとも残さず町ごと消し去っていたところだ。これはまだ未熟だが、れっきとした我が臣下、私の所有物である。……心得よ。今後これに無礼を働くという事は、私を怒らせるという事だ。そうなれば少なくともこの国は、魔人族よりも先に私によって滅ぼされるという事をな」

 

 わかったか? そう眼光で問いかけるソウゴに、誰も何も言えなかった。直接視線を向けられたチェイス達は、かかるプレッシャーに必死に耐えながら、僅かに頷くので精一杯だった。

 

 だが、耐えられたのはチェイスを含めた数名のみだった。

 残った騎士達は、直接ソウゴの視線を受けた恐怖に耐えきれず腰に佩いた剣を抜き自らの首を切って自害したのだ。

 

 そんな生き残った数名の騎士達に、ソウゴは更に追い打ちをかける。

「理解したなら結構。だが……この場で殺さないにしても、それなりの罰は受けてもらおう」

 そう言って、ソウゴの目が鋭く細められる。そして自害した騎士達など視界に入ってないかの如く、生き残ったチェイス達を見据えてソウゴは問いかけた。

 

「選べ……『Life() or faith(信仰)?』」

 

 そう問いかけた瞬間、騎士達の身体からクリーム状の気体が吹き上がる。半透明のそれを、ソウゴは答えを聞かずにまとめて一握りにし、ブチィッと音を立てて引き千切った。

「五十年。貴様等の寿命をもらっていく」

 

 千切ったそれを一飲みにしたソウゴは、続いて愛子達にも視線を転じる。

 愛子は何も言わない。いや、言えないのだろう。迸る威圧感のせいもあるだろうが、愛子の中では『ソウゴの言葉を了承してしまったら何も分からぬまま変わってしまった教え子を放置してしまうことになる。それは、自分の教師としての矜持が許さない』とでも思っているからだろう。関係無いと、ソウゴは視線を切る。

 

 しかしそこでソウゴは、何を思ったかその後ろの生徒達の所へ移動した。

 

 まるで、ブツ切りにした映画のフィルムを無理矢理繋ぎ合わせた様に突然目の前に現れたソウゴの姿は、彼等にとって恐怖以外の何物でもないだろう。

 

「ひっ!?」

 

 その行動は、ソウゴを知る者からすれば意外に映るだろう。普段のソウゴなら、彼等の様な子供相手に怒っていたとしてもこの様な無駄に負荷をかける様な事はしないだろう。

 だがこの時のソウゴは、空腹、愛子達の質問攻め、シアへの差別、騎士達の振舞い等様々な要因が重なり、有体に言って気が立っていたのだ。

 だからソウゴは大人げ無く、恐らくしなくていいであろう牽制と釘刺しを行ったのだ。

 

「おい小僧共」

 

「………ッ!?」

 淳史達は、ソウゴの威圧に口を開く事も出来ない。返事が無くとも、ソウゴはいつの間にか抜いた逢魔剣を淳史の首筋に当てながらそのまま続ける。

「貴様等にも言っておくぞ。私の連れに不埒な視線を向けていた様だが……あれらは愛妾でも何でもないが、私の物である事に違いは無い。不用意に近づけば、貴様等は野盗と変わらん。そう判断した瞬間、私は容赦無く貴様等を処断する。その身を千々に切り裂き、魔物共の餌にしてばら撒いてくれよう」

 それだけ言うと、ソウゴは殺気を収める。愛子も生徒達も、明らかに怯えた様子だったので敢えて関わっては来ないだろうと推測した。

 

 

 凄まじい圧迫感が消え去り、騎士達がドッと崩れ落ちて倒れこみ、大きく息を吐いた。愛子達も漸く呼吸する許可が出た様と言わんばかりに深呼吸を繰り返す。

 

 ソウゴは何事も無かった様に食事を再開しながら、シュンとしているシアに話しかけた。

「シア、これが"外"の普通なのだ。気にしていたらキリがないぞ?」

「はぃ、そうですよね……わかってはいるのですけど……やっぱり人間の方には、この耳は気持ち悪いのでしょうね」

 自嘲気味に、自分のウサミミを手で撫でながら苦笑いをするシア。そんなシアに、ユエが真っ直ぐな瞳で慰める様に呟く。

「……シアのウサミミは可愛い」

「ユエさん……そうでしょうか」

 それでも自信無さ気なシアに、今度はソウゴが若干呆れた様子でフォローを入れる。ユエに優しくする様に言われる事が多くなってから、シアに対する態度が少しずつ柔らかくなっているソウゴの慰めだ。

「あのな、騎士連中は教会やら国の上層やらに洗脳じみた教育をされているから、そもそも自身の考えが正しいと疑わん。それに、兎人族は愛玩奴隷の需要では一番なんだろう? それはつまり、一般的には気持ち悪いとまでは思われてはいないという事だ」

「そう……でしょうか……あ、あの、因みにソウゴさんは……その……どう思いますか……私のウサミミ」

 ソウゴの言葉が慰めであると察して、少し嬉しそうなシアは、頬を染めながら上目遣いでソウゴに尋ねる。ウサミミは、「聞きたいけど聞きたくない!」というようにペタリと垂れたまま、時々ピコピコとソウゴの方に耳を向けている。

「勿論気に入っているとも。こうして触っていれば、ささくれ立った気持ちが和らぐ程度にはな」

 ソウゴは答えながらウサミミを揉み、序に頭を撫でておく。一気に元気を取り戻してヒュパ! と立ち上がった。

「ソ、ソウゴさん……私のウサミミお好きだったんですね……えへへ」

 シアが赤く染まった頬を両手で押さえイヤンイヤンし、頭上のウサミミは「わーい!」と喜びを表現する様にわっさわっさと動く。

 

 チェイスが場の雰囲気が落ち着いたのを悟り、デビッドの治癒に当たらせる。同時に警戒心と敵意を押し殺して、微笑と共にソウゴに問い掛けた。ソウゴの事情は兎も角、どうしても聞かなければならない事があったのだ。

「常磐君……でいいでしょうか? 先程は、隊長が失礼しました。何分、我々は愛子さんの護衛を務めておりますから、愛子さんに関する事になると少々神経が過敏になってしまうのです。どうか、お許し願いたい」

「ほぉ……騎士にしては随分となってないと思っていたが、まさかその程度の自制心も働かんとはな。これでは衛士見習いどころか訓練生からやり直した方がいいのではないか? まぁ兎に角、貴様等の忠犬ごっこに私を巻き込むな」

 

 ソウゴは面倒事に巻き込まれた腹いせに、皮肉を込めて率直な感想を述べる。序に虫を追い払う様に手を払えば、その物言いにチェイスの眉が一瞬ピクッとなるが微笑というポーカーフェイスは崩れない。そして、頭の回転が早いチェイスの見立てでは到底放置できない、目の前のアーティファクトらしき腰の剣や他の武装、身に付けている装飾品に目を向けソウゴに切り込んだ。

「そのアーティファクト……でしょうか。寡聞にして存じないのですが、相当強力な物とお見受けします。先程の団長が吹き飛んだ事や、我々に行ったものも。……魔法でしょうか? 陣も見えず、詠唱した様子も無い。一体、何処で手に入れたのでしょう?」

 

 微笑んでいるが、目は笑っていないチェイス。先程のやり取りで魔力が使われた様な気配が無い事から、彼はとても不思議に思えて仕方ない。それがもし腰に佩いた剣の影響なのだとしたら、それは未知の技術に他ならない。もしその技術を得られれば、戦争の行く末すら左右しかねない為、自分達が束になってもソウゴには敵わないかもしれないとは思いつつも聞かずにはいられなかったのだ。

 ソウゴがチラリとチェイスを見る。そして何かを言おうとして、興奮した淳史の声に遮られた。どうにか復活したらしい彼の視線は、チェイスとは反対側にあるソウゴの武器に向いていた。

「そ、そうだよ、常磐。それ銃だろ!? 何で、そんなもん持ってんだよ!」

 玉井の叫びにチェイスが反応する。

「銃? 玉井は、あれが何か知っているのですか?」

「え? ああ、そりゃあ知ってるよ。俺達の世界の武器だからな」

 玉井の言葉にチェイスの眼が光る。そしてソウゴをゆっくりと見据えた。

「ほぅ、つまり、この世界に元々あったアーティファクトではないと……とすると、異世界人によって作成されたもの……作成者は当然……」

「私ではないぞ」

 ソウゴはあっさりと否定する。「えっ」とキョトンとした顔をする二人に、ソウゴは銃を抜いて説明する。

「コイツはマグナバイザー、嘗て偉大な先達から譲り受けた物だ。他の飾りやらにしても、私の所有物には違いないが製作者ではない」

「で、ではその腰の剣は……」

「この剣に関しては正しく私の造った物だが、先程見せた"幽波紋(スタンド)"や"魂への言葉(ソウルポーカス)"とは関係無い」

 先程の現象とは関係無いと語るソウゴの言葉。呆れた様な物言いだ。だが、チェイスも食い下がる。ソウゴの見せたそれは、とても魅力的だったのだ。

「出来れば、それらの技術についてお教え頂けないでしょうか?」

「不可能だ。これらは魔術(マジック)技術(テクニック)ではなく超能力(サイキック)の部類だからな」

「ですが、それを教授できればレベルの低い兵達も高い攻撃力を得る事が出来ます。そうすれば来る戦争でも多くの者を生かし、勝率も大幅に上がる事でしょう。貴方が協力する事で、お友達や先生の助けにもなるのですよ? ならば……」

「何を勘違いしている? 私にとってそこの連中は、共に召喚されたというだけの存在だ。我が国の民でもなく、共に戦場を駆けた友でもない。その様な輩に、何故私が力を割かねばならん? 貴様如きが私に意見するなど、身の程を弁えよ」

 

 ソウゴの静かな言葉に、幾つか疑問を感じつつも悪寒に襲われ口をつぐむチェイス。そこへ愛子が執り成す様に口を挟む。

「チェイスさん。常磐君には常磐君の考えがあります。私の生徒に無理強いはしないで下さい。常磐君も、あまり過激な事は言わないで下さい。もっと穏便に……常磐君は、本当に戻ってこないつもりなんですか?」

「戻る理由も興味も無いからな。明朝仕事に出て依頼を果たしたら、そのままここを出る」

「どうして……」

 

 愛子が悲しそうにソウゴを見やり理由を聞こうとするが、それより早くソウゴが席を立った。いつの間にか、ユエやシアも食事を終えている。愛子が引きとめようとするが、ソウゴは無視してユエとシアを連れ二階への階段を上って……

 

「……あぁ、そういえば」

 

 ふと何かを思い出した様に呟いたソウゴは、首を傾げるユエとシアを置いて階段を下る。そのまま進み、ビクッと体を震わせる騎士達や愛子を通り過ぎて優花の前で立ち止まる。先程のソウゴの威圧感もあって身構える優花に、ソウゴは口を開いた。

 

「確か……優花だったか。こうしてここにいるという事は、無事あの場を切り抜けられたのだな」

 

 ソウゴの声に、生徒達は鳩が豆鉄砲を食らった様な顔になる。その声には先程までの冷たさや重さは欠片も無い。純粋に心配していた様な、または労う様な声音だ。ソウゴは優花の頭に手を伸ばし、優しく撫でながら続ける。

「ふむ……私が去った事でいらん精神的負荷(ストレス)を与えてしまった様だが、その後は特に怪我などもしておらん様だな。壮健でなによりだ」

 優花の記憶を読んだソウゴはそう苦笑しながら、「では達者でな」と言い残して今度こそ階段を上っていった。

 

 

 後に残された愛子達の間には、何とも言えない微妙な空気が流れる。

 

「……本当に、生きてたんだ」

 

 ポツリと、改めて己の中の実感を確かめる様な小さな呟きが沈黙の静けさを破った。その声に愛子達が視線を向ければ、優花が何とも言えない複雑な、本当に色々な感情を綯交ぜにした様な表情で階段の方を見つめていた。

「香織ちゃんの言う通りだったわね。まぁ助けを求めるどころか、自分でどうにかしちゃったみたいだけど。挙句こっちが心配されちゃったし」

「優花っち……大丈夫?」

「優花……」

 

 独白する様な声音で話す優花を見て、奈々と妙子が気遣わし気に声を掛けた。そんな二人に、優花は苦笑いしながら肩を竦める。

「大丈夫って……そりゃあすんごいビックリしたけど、問題なんてある訳無いでしょ? クラスメイトが生きてたんだよ? "良かった"以外に思う事なんて無いでしょ」

「……うん、そうだよね! 私なんか、まだ信じられないけど……。だって、ねぇ……?」

「確かにね。何だか、その……なんていうか、ワイルド? になってたよね」

 殺人鬼に遭遇してしまったと思うくらい怖かった。とは言えず、妙子が言葉を選びながらそんな事を言う。

 すると会話の糸口を掴んだ様で、淳史達も会話に加わり始めた。

「おまけに、なんか滅茶苦茶強そうになってたしな」

「だよな。雰囲気とか、ハイリヒの王様とか前に見た皇帝なんかよりもよっぽどそれっぽいっていうか……。ていうか、あの威圧感……」

「それもだけどさ……俺等の事、興味無いって……。やっぱ、俺達の事よく思ってないのかな?」

 

 死んだと思っていたクラスメイトが生きていたのは素直に嬉しい。それは優花の言う通りで、恐怖を感じていた奈々や妙子も含めて淳史達も同じだった。心の奥で、ずっとズシリとした重みを与えていた何かが消えた様な気持ちだった。単純な言葉で表現するなら、やはり"安堵した"というのが一番近いだろう。

 

 だが、それをそのまま言葉に出来なかったのは、当の本人が自分達の事などまるで眼中になかったから。また、以前とは比べ物にならない程鋭く重い雰囲気を放っており、その雰囲気に圧倒されてしまったというのもある。事実何人かは失禁し、剰え失神してしまったのだから。

 

 加えて、"無能"と蔑んでいた事、檜山達のイジメを見て見ぬふりをしていた事、そしてあの"誤爆"事件の事から、ソウゴに対する態度を決めかねていたのだ。

 

 結果、誰もがソウゴに対して積極的な態度を取る事が出来なかった。

 淳史達がソウゴの変容に恐れややりきれなさ等様々な感情を抱く中、再び優花がポツリと呟く。

「お礼、言えなかったなぁ」

 その言葉に、淳史達はハッとした様に顔を見合わせた。ソウゴが自分達に無関心であるとか、その在り方が変わってしまっているだとか、そんな事に関心を向ける前に、自分達にはすべき事があったのではないか……。優花の様に、直接救われた訳では無いけれど、あの時クラスメイトの為に身命を賭してくれたのは事実だ。

 優花が宿していた複雑な表情は、淳史達と全く同じ感情から来たものではなく、あの日のお礼をもう一度キチンと言えなかった事、言う事に意味が無い様に思えた事から来るものだった。

 

「園辺さん……」

 

 そんな優花の様子に、愛子はどんな言葉をかけていいのか分からなかった。

 愛子自身も、怒涛の展開と教え子の変貌に内心激しく動揺しており、離れていくソウゴを引き止める事が出来なかったのだ。どんな言葉なら、今のソウゴに届くのか……愛子自身はその答えを持ち合わせていなかった。

 食事はすっかり冷めてしまい、食欲も失せた。目の前の料理を何となしに眺めながら、誰もがソウゴが退席した事で改めて"ソウゴの生存"について深く考え始めるのだった。

 

 

 夜中。

 深夜0時を回り、一日の活動とその後の予想外の展開に精神的にも肉体的にも疲れ果て、誰もが眠りついた頃、しかし愛子は未だ寝付けずにいた。

 

 愛子の部屋は一人部屋で、それ程大きくはない。木製の猫脚ベッドとテーブルセット、それに小さな暖炉があり、その前には革張りのソファーが置かれている。冬場には、きっと揺らめく炎が部屋を照らし、視覚的にも体感的にも宿泊客を暖めてくれるのだろう。

 

 愛子は今日の出来事に思いを馳せ、ソファーに深く身を預けながら火の入っていない暖炉を何となしに見つめる。愛子の頭の中は整理されていない本棚の様に、あらゆる情報が無秩序に並んでいた。

 考えねばならない事、考えたい事、これからの事、ぐるぐると回る頭は一向に建設的な意見を出してはくれない。大切な教え子が生きていたと知った時の事を思い出し頬が緩むも、その後の非友好的ですらない無関心な態度に眉を八の字にする。

 

 デビッドの言動により垣間見たソウゴの力に、その様に変貌しなければ生き残れなかったのかもしれないとソウゴが経験したであろう苦難を思い、何の助けにもなれなかった事に溜息を吐く。しかしその後の二人の少女との掛け合いを思い出し、信頼できる仲間を得ていたのだと思い再び頬を緩める。

 

 そこへ、突如誰もいない筈の部屋の中から声が掛けられた。

 

「なにを百面相している?」

「ッ!?」

 

 ギョッとして声がした方へ振り向く愛子。そこには、いつの間にか用意したと思われる椅子に腰かけたソウゴの姿があった。驚愕のあまり舌が縺れながらも、愛子は何とか口を開く。

 

「と、常磐君? な、何でここに、どうやって……」

「どうやってと言われると、普通にドアからと答えるしかないな」

「えっ、でも鍵が……」

「私が開けと願えば、ただそれだけで鍵は開く」

 

 飄々と答えるソウゴに愛子は暫く呆然とした後、驚きでバクバクと煩い心臓を何とか落ち着かせながら、眉を顰めて咎める様な表情になった。

「こんな時間に、しかも女性の部屋にノックも無くいきなり侵入とは感心しませんよ。態々鍵まで開けて……一体、どうしたんですか?」

 愛子の脳裏に一瞬、夜這いという言葉が過ぎったが即行で打ち消す。生徒相手に何を考えているのだと軽く頭を振った。ソウゴはそんな愛子に「そんな年頃でもあるまい」と呆れた視線を向けながら、非常識な来訪の目的を告げた。

「まぁ、こんな時間に訪れたのは悪かった。他の連中にこの訪問を見られたくなかったんだ。貴様には教えておきたい事があったんだが、さっきは教会やら王国の連中がいたのでな。内容的に、奴等なら発狂でもして暴れそうでな。そうなると私も流石に放置する訳にもいかん。食事の場を荒らすのは、私の望むところでは無いからな」

「話ですか? 君は、先生達の事はどうでもよかったんじゃ……」

 

 もしや、本当は戻ってくるつもりなのではと期待に目を輝かせる愛子。生徒からの相談とあれば、正に教師の役どころである。しかしソウゴは、その期待を無視してオスカーから聞いた"解放者"と狂った神の遊戯の物語を話し始めた。

 

 

 ソウゴが愛子にこの話をしようと思ったのに、然したる理由は無い。ただの気紛れだ。

 

 ただ、神の意思に従って勇者である光輝達が盤上で踊ったとしても、彼等の意図した通り神々が元の世界に帰してくれるとは思わなかった。魔人族から人間族を救う──即ち起こるであろう戦争に勝利したとしても、それは抑々神々が裏で糸を引いている結果だ。勇者などと言う面白い駒をそうそう手放す訳が無い。寧ろ勇者達を利用して、新たなゲームを始めると考えた方が妥当である。

 

 ソウゴとしては、その事を態々光輝達を捜し出して伝えるつもりはなかった。彼等の行く末には興味が無かったし、単純に面倒だったからだ。それに仮に伝えたとしても、あの正義感と思い込みの塊の様な少年が、ソウゴの言葉を信じるとは思えなかった。

 

 たった一人の言葉と、大多数の救いを求める声。

 

 どちらを信じるかなど考えるまでもない。寧ろ、大勢の人たちが信じ崇める"エヒト様"を愚弄したとして非難されるのがオチだろう。最初はそれも一興かと思ったが、今は光輝に関わるつもりは毛頭なかった。

 

 しかし、偶然に偶然が重なって、何の因果か愛子と再会する事になった。

 

 ソウゴは知っている、愛子の行動原理が常に生徒を中心にしている事を。つまり、異世界の事情に関わらず、生徒の為に冷静な判断が出来るという事だ。そして今日の生徒達の態度から、愛子が話したのならきっと彼女の言葉は光輝達にも影響を与えるだろう、とソウゴは考えた。

 

 

 その結果、彼等の行動にどの様な影響が出ようと構わない。

 この情報により、光輝達が神々の意図するところとは異なる動きをすれば、それだけ神の光輝達への注意が増すだろう。ソウゴは、大迷宮を攻略する旅中で自分が酷く目立つ存在になると推測しており、最終的には神々から何らかの干渉を受ける可能性を考えている。なので、間接的に信頼のある人物から情報を伝えてもらう事で光輝達の行動を乱し、神から受ける注目を遅らせる、ないし分散させる事を意図したのである。

 

 また、極めて期待は薄いが、もし彼等が自分と相対する存在になればという意図もある。何せ自分は『魔王』、勇者と雌雄を決する者なのだから。

 

 尤も、これらの考えは偶然愛子に再会した事からの単なる思いつきであり、ソウゴ自身大して期待していない。ソウゴとしては、生徒達に対して殊更に思考を割く必要性も感じない。恭順を示すならば導き、叛逆を示すならば滅ぼす。ただそれだけだ。今回は、偶々面白くなりそうなので情報を開示したに過ぎない。

 

 

 ソウゴからこの世界の真実を聞かされ、呆然とする愛子。どう受け止めていいか分からないようだ。情報を咀嚼し自らの考えを持つに至るには、まだ時間が掛かりそうである。

「まぁ、教えられるのはこの程度だ、私が奈落の底で知った事はな。これを知ってどうするかは貴様に任せる。戯言と切って捨てるも可、真実として行動を起こすも可。好きにしてくれ」

「と、常磐君は……もしかして、その"狂った神"をどうにかしようと……旅を?」

「ハッ、まさか。私がまだこの世界に留まっているのは、あくまで暇潰しに過ぎん。立ち塞がるなら倒すが、こちらから態々探すつもりは無い。面倒になれば勝手に自分の世界に戻るさ。私に従うならば守ってやるが、この世界はまだ私の国ではないからな。教えたのは、その方が私にとって面白そうだからに過ぎん。理由はそれだけだ」

 

 もしやと思ってした質問を鼻で笑われた愛子は何とも微妙な表情だ。躊躇いなく他者を切り捨てる発言には教師として眉を顰めざるを得ない。尤も、自分もこの世界の事情より生徒達を優先しているので人の事は言えず、結果愛子はソウゴの発言の中で気になった事もあり、微妙な表情で話題を逸らす事になった。

 

「あの、さっきから思うんですけど、先生にその言葉遣いは……」

 

 愛子が苦言を呈そうとすると、ソウゴは「見せた方が早いか」と自身のステータスプレートを見せた。技能欄を隠した状態ではあるが、それでも尚驚くのは当然と言えよう。

 

「この天職……それに、年齢が……」

「あぁ。見た目こそこんなだが、実のところかなりの年寄だ。後は、こっちが私の素だ」

 開いた口が塞がらない愛子に、ソウゴは続ける。

「それとな。私はこの世界の出身ではないが、貴様等から見ても異世界人だぞ?」

「そ、そんな……。じゃ、じゃあ、元から世界を渡る術が? そこまでして何故……」

 そう訊かれ、ソウゴは愛子から読み取った記憶を基に話を合わせる。

「学生時代を懐かしんだ、老いぼれの退屈凌ぎだとでも思ってくれ。それでも生徒になった以上、貴様の教え子ではあるがな。……その顔だと、まだ訊きたい事がありそうだな? この際だ、一応聞いてやろう」

 ソウゴが促せば、愛子は慌てて次の質問に入る。

「では……、戻る方法に心当たりが? 先程の言葉からすると、何か手掛かりがあるのではないですか?」

 

 ソウゴが元から世界を渡る手段を持っていたと知った愛子は、彼がこの世界にいるのはその手段を失ったのだと思った。だがそうすると、先程の「まだ留まっている」や「面倒になれば戻る」という発言が引っ掛かる。すると、その疑問を晴らす様にソウゴはスッと手を挙げる。すると背後に『時の抜け穴』が出現する。

 あんぐりと口を開けてまたも驚く愛子に、ソウゴは淡々と伝える。

「手掛かりもなにも、私は元から自由に出入り出来るが?」

 そう言った途端、愛子はソウゴの腕を掴んで詰め寄った。

「な、なら……!」

 

「自分達も戻せ、というなら無理な相談だな。自国の民でもない貴様等に私の力を使う程、私はお人好しではないんだ」

 

 ソウゴの言葉に、愛子は力無くソウゴの腕を離す。『時の抜け穴』を閉じ、ソウゴは続ける。

「それと下手な希望を持たせない為に言っておくが、これは私が元々有していた力だ。この世界で得たものではない」

「そんな……」

「一応ヒントが無いでもないがな。大迷宮が鍵だ、興味があるなら探索したらいい。オルクスの百階を超えれば、そこからが本当の大迷宮だ。尤も、今日の様子を見る限り行っても魔物の餌になるがな」

 

 暫く、沈黙が続く。静寂が部屋に満ちた。ソウゴは愛子の様子から与えるべき情報を確かに与えられたと悟り、もう用は無いと踵を返して扉へと手をかけた。その背中に、【オルクス大迷宮】という言葉で思い出したとある生徒の事を伝えようと愛子が話しかけた。

 

「白崎さんは諦めていませんでしたよ」

 

「む?」

 愛子から掛けられた予想外の言葉にソウゴの歩みが止まる。愛子は、背中を向けたままのソウゴにそっと語りかけた。

「皆が貴方は死んだと言っても、彼女だけは諦めていませんでした。自分の目で確認するまで、貴方の生存を信じると。今も、【オルクス大迷宮】で戦っています。天之河君達は純粋に実戦訓練として潜っている様ですが、彼女だけは貴方を探す事が目的の様です」

「ほぅ、彼女は無事か?」

 

 それで少し興味が湧いたのか、ソウゴは愛子に尋ねる。自分達に無関心な態度をとっていたソウゴの変化に、愛子はソウゴの興味を惹く機会を得たと言葉を続ける。

 

「は、はい。【オルクス大迷宮】は危険な場所ではありますが、順調に実力を伸ばして、攻略を進めているようです。時々届く手紙にはそうありますよ。やっぱり気になりますか? 常磐さんと白崎さんは仲がよかったですもんね」

 にこやかに語る愛子に、しかしソウゴは否定も肯定もせず振り返った。

「……確か勇者と共に動いているんだったか。では勇者もその辺りという事か?」

「は、はい。そうですが……え、えっと……その表情は?」

 ソウゴの問いを愛子が肯定した瞬間、ソウゴの表情が変化したのを愛子は見逃さなかった。その表情に見えるのは落胆、或いは呆れだろうか。

「いや……、元より期待はしてなかったが、思った以上に程度が低くてな。仮にも勇者を名乗るなら、せめて既に奈落の二十層辺りには到達してもらいたかったものだが……いや、抑々オルクス程度を危険だと思っている時点でたかが知れているか?」

 そこまで言って、「まあそれはいい」とソウゴは思考を切り替える。それからある事を愛子に伝える。

「手紙のやり取りがあるなら伝えておくといい。メルドにも言ってあるが、彼女が本当に注意すべきは迷宮の魔物ではなく仲間の方だと」

「え? それはどういう……」

「あー、この際面倒だから呼び捨てにさせて貰うぞ。愛子、今日の生徒達の態度から大体の事情は察した。私が奈落に落ちた原因はベヒモスとの戦闘、または事故という事にでもなっているんじゃないか?」

「そ、それは……はい。一部の魔法が制御を離れて誤爆したと……」

「違う、あれは明確に私を狙って誘導された術だった」

「え? 誘導? 狙って?」

 訳が分からないといった表情の愛子。だがソウゴは、容赦なく愛子を更なる悩みに突き落とす言葉を残す。

 

 

「私は…確か檜山大介だったか、奴に狙われたという事だ」

 

 

「ッ!?」

「まぁ、私も奴の思惑に乗って態と受けたのだから、一概に奴だけが悪いとも言えんがな」

 

 顔面を蒼白して硬直する愛子に、「原因は白崎香織との関係だろう。嫉妬で人一人殺す様な奴だ、まだ無事なら彼女に後ろから襲われない様忠告しておくといい」と言い残し、ソウゴは部屋を出ていった。

 

 

 シンとする部屋に冷気が吹き込んだ様に錯覚し、愛子は両腕で自らの体を抱きしめた。大切な生徒が仲間を殺そうとしたかもしれない。それも、死の瀬戸際で背中を狙うという卑劣な手段で。生徒が何より大切な愛子には、受け入れ難い話だ。だが否定すれば、ソウゴの言葉も理由無く否定する事になる。生徒を信じたい心がせめぎ合う。

 

 

 愛子の悩みは深くなり、普段に増して眠れぬ夜を過ごした。

 

 




今回の豆知識


その一

スタンド名【オーヴァー・クォーツァー】
能力者:常磐ソウゴ

パワータイプの人型スタンド。過去・現在・未来を視る三つの顔と六つの腕を持つ。
本来はもう一つ、別次元を視る四つ目の顔がある。しかしその顔はある事情により本体から切り離して動いている。

GERやスパイス・ガールの様に自我を持っている訳ではないが、キング・クリムゾンやホワイトスネイクの様にスタンド経由で会話が可能。



その二

実は逢魔国にもソウゴを神聖視する『オーマ教』という宗教集団がおり、ソウゴ本人に「他所に迷惑をかけない範囲で好きにしろ」と言われている。



誤字脱字があれば遠慮無く知らせて下さい。


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第十一話 竜と魔王の邂逅

連続

執筆時のBGM「ホタルノヒカリ」


 夜明け。

 

 月が輝きを薄れさせ、東の空が白み始めた頃。ソウゴ、ユエ、シアの三人はすっかり旅支度を終えて"水妖精の宿"の直ぐ外にいた。手には移動しながら食べられる様にと握り飯が入った包みを持っている。

 極めて早い時間でありながら、嫌な顔一つせず朝食にとフォスが用意してくれたものだ。流石は高級宿、粋な計らいだと感心しながらソウゴ達は遠慮無く感謝と共に受け取った。

 

 朝靄が立ち込める中、ソウゴ達は【ウルの町】の北門に向かう。そこから【北の山脈地帯】に続く街道が伸びているのだ。馬で丸一日位だというから、ストライカーで飛ばせば三十分程度で着くだろう。

 

 ウィル達が北の山脈地帯に調査に入り、消息を絶ってから既に五日。生存は絶望的だ。ソウゴもウィル達が生きている可能性は高くないと考えているが、万一という事もある。生きて帰せば、イルワのソウゴ達に対する心象は限りなく良くなるだろうし、何よりソウゴの気持ちがマシになる。よって出来るだけ急いで捜索するつもりだ。幸いな事に天気は快晴。搜索にはもってこいの日だ。

 

 幾つかの建物から人が活動し始める音が響く中、表通りを北に進みやがて北門が見えてきた。すると、ソウゴはその北門の傍に複数の人の気配を感じ目を細める。特に動く訳でも無く、何やら屯している様だ。

 

 朝靄を掻き分け見えたその姿は……愛子と生徒六人の姿だった。

 

「……何となく想像はつくが、一応訊こう。何をしている?」

 ソウゴが半眼になって愛子に視線を向ける。一瞬気圧された様にビクッとする愛子だったが、毅然とした態度を取るとソウゴと正面から向き合った。少し離れた場所で移動用に用意したらしい馬を撫でながら、何やら話し込んでいた優花、妙子、奈々達女子組。そして淳史、昇、明人の男子組もソウゴ達がやって来た事に気付いて、おっかなびっくり愛子の傍に寄ってくる。

「私達も行きます。行方不明者の捜索ですよね? 人数は多い方が良いです」

「却下だ。行くのは勝手だが、共には無理だ」

「な、何故ですか?」

「単純に足の速さが違う。貴様等に合わせて進んでいられる程暇ではない」

 

 ソウゴは優花達の背後でモシャモシャと口を動かしている馬に視線を向けながら断りを入れた。一瞬「騎乗スキルなど持っているのか?」と疑問に思ったソウゴだが、至極どうでもいい事なのでスルーする。乗れようが乗れまいが、ストライカーの速度には敵わないのだ。

 

 だがソウゴの言葉に優花が周囲を見回し、そして首を傾げて訝し気な表情になる。どう見てもソウゴの周囲には、優花達が用意した様な移動手段(馬)が見当たらないからだ。

「足の速さが違うって……、ねぇ常磐。まさか馬に乗るより走った方が速いとか言うんじゃないわよね? 私等の事はどうでもいいからって、流石にそれは断りの言葉として適当過ぎない? 仮に本当にそうだとしたら……昨日の威圧感といい、どこまで人間辞めてるのって感じなんだけど?」

 優花の割と失礼な物言いに、ソウゴは思わず苦笑する。

 

 優花のソウゴが人外という評価は極めて正しい。事実生身でも普通に馬より速く、何なら二人を抱えるのが面倒なのと技術が腐らない様にしているだけで、ストライカーよりも自分で走った方が速いのだ。

 

 実はソウゴに話しかけるのに内心では割とテンパっていた優花が思わず本音を溢しただけなのだが、ソウゴの実力を目の当たりにする前に大正解に辿り着いてしまった様だ。

「な、何よ?」

「いやなに。確かに私がこの足で走った方が速いのは事実だが、それでは連れが置き去りになるんでな」

 そう言いながらユエとシアを指すソウゴと、まさかの事実に固まる一同。そんな生徒達を置き去りに、ソウゴは懐からウォッチを取り出し、起動して宙に投げる。

 

 すると突然、視線の先で放られた時計の様な物が大型のバイクに変形し、ギョッとなる愛子達。

 

「まぁそんな訳で我が愛機の出番だ。私が走らずとも、そのままの意味で移動速度が違うと言った通りだろう?」

 ストライカーの重厚なフォルムと、異世界には似つかわしくない存在感に度肝を抜かれているのか、マジマジと見つめたまま答えない愛子達。

 そこへ、クラスの中でもバイク好きの昇が若干興奮した様にソウゴに尋ねた。

「こ、これも昨日の銃みたいに常磐の?」

「我が優秀なメカニック達の傑作だ。では我々は行く、そこをどけ」

 おざなりに返事をして出発しようとするソウゴに、それでもなお愛子が食い下がる。愛子としては、是が非でもソウゴ達に着いて行きたかったのだ。

 

 

 理由は二つ。

 

 一つは、昨夜のソウゴの発言の真偽を探るためだ。“檜山大介に殺されかけた”という愛子にとって看過出来ないその言葉が、本当にソウゴの勘違いでなく真実なのか、もしかするとこの先起こるかもしれない不幸な出来事を回避する為にもソウゴからもっと詳しい話を聞きたかった。捜索が終わった後、もう一度ソウゴ達と会えるかは分からない以上、この時を逃す訳には行かなかったのだ。

 

 もう一つの理由は、現在行方不明になっている清水幸利の事だ。八方手を尽くして情報を集めているが、近隣の村や町でもそれらしい人物を見かけたという情報が上がってきていない。

 しかし、そもそも人がいない北の山脈地帯に関してはまだ碌な情報収集をしていなかったと思い当たったのだ。事件にしろ自発的失踪にしろ、まさか【北の山脈地帯】に行くとは考えられなかったので当然ではある。なので、これを機に自ら赴いてソウゴ達の捜索対象を探しながら清水の手がかりも無いかを調べようと思ったのである。

 

 

 因みに、園部達がいるのは半ば偶然である。

 

 愛子がソウゴより早く正門に行って待ち伏せする為に夜明け前に起きだして宿を出ようとしたところを、昨夜からあれこれ考え過ぎて眠りの浅かった優花が愛子の部屋からの物音に気が付いて発見したのだ。

 旅装を整えて有り得ない時間に宿を出ようとする愛子を、優花は誤魔化しは許さないと問い詰めた。結果、愛ちゃんが今日のソウゴの捜索活動について行くつもりなのだと知り、衝動的に「じゃあ私も行きます! 四十秒で支度します!」と同行を申し出たのである。

 そして一応、愛ちゃん護衛隊だからという建前で愛子に納得してもらい、自分一人という訳にはいかないと他のメンバーを叩き起こし、捜索隊に加わってもらったのである。

 

 なお騎士達は、ソウゴ達がいるとまた諍いを起こしそうなので置き手紙で留守番を指示しておいた。聞くかどうかはわからないが……。

 

 

 愛子はソウゴに身を寄せると小声で決意を伝える。

 ソウゴは、話の内容が内容だけに他に聞かれない様に顔を寄せた愛子に、よく見れば化粧で隠してはいるが色濃い隈がある事に気がついた。きっとソウゴの話を聞いてから、殆ど眠れなかったのだろう。

「常磐さん。先生は先生として、どうしても常磐さんからもっと詳しい話を聞かなければなりません。だから、きちんと話す時間を貰えるまでは離れませんし、逃げれば追いかけます。常磐さんにとって、それは面倒な事ではないですか? 移動時間とか捜索の合間の時間で構いませんから、時間を貰えませんか? そうすれば常磐さんの言う通り、この町でお別れできますよ……一先ずは」

「ふむ……」

 

 ソウゴは愛子の瞳が決意に光り輝いているのを見て、昨夜の最後の言葉は失敗だったかと少し後悔した。愛子の行動力は(知識の上では)理解している。誤魔化したり逃げたりすれば、それこそ護衛騎士達も使って大々的に捜索するかもしれない。そうなればその日の気分によるだろうが、思わぬ大量虐殺の手間を掛けねばならないかもしれない。

 愛子から視線を逸らし天を仰げば、空はどんどん明るくなっていく。ウィルの生存の可能性を捨てないなら押し問答している時間も惜しい。ソウゴは一度深く溜息を吐くと、自業自得だと自分を納得させ、改めて愛子に向き直った。

 

「……よかろう、同行を許そう。といっても話す事なぞもう無いがな……」

「構いません。ちゃんと常磐さんの口から聞いておきたいだけですから」

「強引よな。何処でも何があっても教師という人種はこんなものか」

「当然です!」

 ソウゴが譲歩した事に喜色を浮かべ、むんっ! と胸を張る愛子。どうやら交渉が上手くいった様だと、生徒達もホッとした様子だ。

「……ソウゴ様、連れて行くの?」

「ああ、この者は放置しておく方が後で面倒になる」

「ほぇ~、ソウゴさんがそう言うなんて、中々侮れない人ですね~」

 ソウゴが折れた事に、ユエとシアが驚いた様に話しかけた。そしてソウゴの溜め息混じりの言葉に、愛子を見る目が少し変わり、若干の敬意が含まれた様だ。

 

 ソウゴ自身も、ブレずに生徒達の"先生"であろうとする愛子の姿勢を悪く思っていなかった。

 

 

「でも、そのバイクじゃ乗れても三人でしょ? どうするの?」

 

 すると優花が尤もな事実を指摘する。馬の速度に合わせるのは時間的に論外であるし、愛子を乗せて代わりにユエかシアを置いて行くのも無理な話だ。ソウゴはストライカーをウォッチに戻し、代わりに緑と金のラインが入ったカードを取り出す。

 ソウゴがそれを頭上の少し上に掲げた瞬間、空に穴が開いて捻れた何かが飛び出して来る。それが線路だと理解するより前に、特徴的な音楽を鳴らしながら牛を思わせる二両編成の時の列車"ゼロライナー"が急停車する。

 

 優花達は「後ろの車両に乗れ」と言い残し、さっさと運転席に行くソウゴに驚愕を始めとした複雑な眼差しを向けるのだった。

 

 

 前方に山脈地帯を見据えて真っ直ぐに伸びた道を、猛牛の如く雄々しきゼロライナーが爆走する。サスペンションは勿論だが、自前で線路を生成してその上を走っているだけなので、生徒達も特に不自由さは感じていない様だった。

 

 前方の運転車両にはソウゴが乗り、その両隣に愛子とユエが立っている。愛子が操縦室に迎えられたのは例の話をする為だ。愛子としてはまだ他の生徒には聞かれたくないらしく、直ぐ傍で話せる様にしたかったらしい。

 元々ユエはソウゴと相乗りしたかったのだが、ソウゴから「今は控えろ」と言われ渋々操縦機から降りた。因みに操縦室にはバイクとモニター以外何も無いので、スペースには結構余裕が有る。

 

 逆に、後部車両に座っているシア達は少々窮屈を感じている様子だ。

 ゼロライナーは元々操縦者以外の人員を乗せる事を想定した造りでは無い為、スペースは兎も角座席が少ない上に狭いのだ。一応立っていれば窮屈に思う事も無いだろうが、揺れが少ないとはいえ走行中の列車で朝から立ったままというのも疲れるだろう。

 

 シアは言わずもがな、優花や妙子は肉感的な女子なので、それなりに場所をとっている。スレンダーな奈々が普段の軽いノリもどこかに、シアや優花の身体の一部を見てはアヒルの様に唇を尖らせ、自分の胸をペタペタと触っている。帰って来るのは悲しい感触だけだ。

 

 尤も、一番居心地が悪いのはシアだろう。

 

 先程からシアの胸元を凝視する奈々と妙にキラキラした眼差しの妙子に挟まれて、ソウゴとの関係を根掘り葉掘り聞かれている。異世界での異種族間恋愛など花の女子高生としては聞き逃せない出来事なのだろう。興味津々といった感じでシアに質問を繰り返しており、シアがオロオロしながら頑張って質問に答えている。優花などは頬杖を突き、如何にも「興味はありません」といった様子だが、耳を欹てているのが丸判りだ。視線もチラチラしているので、ソウゴとシアの馴れ初めに内心興味津々なのだろう。

 

 

 一方、ソウゴと愛子の話も佳境を迎えていた。

 ソウゴから当時の状況を詳しく聞く限り、やはり故意に魔術が撃ち込まれた可能性は高そうだとは思いつつ、やはり信じたくない愛子は頭を悩ませる。

 

 うんうんと頭を唸って悩むうちに、走行による揺れと早起きの頭が眠りを誘い、愛子はいつの間にか夢の世界に旅立った。ズルズルと壁を滑り、コテンと倒れ込んだ先は床である。

 

 ソウゴ的には無理に起こす必要も無いのでそのまま置いておいてもいいのだが、どうしたものかと数瞬迷った挙句、運転を自動操縦に切り替え、抱き上げて後部車両に連れて行く事にした。何せ愛子の寝不足の原因は、自分の都合で多大な情報を受け取らせたソウゴにもあるのだ。

「……ソウゴ様、愛子に優しい」

「これに関しては私に非が無いでもないからな」

 眠る愛子を抱きかかえながら後部車両に移動すれば、キャッキャと見つめる女子高生、そして不貞腐れるウサミミ少女。それから何故か非常に鬱陶しい視線を向けて来る男子生徒。愛子を適当な空きスペースに座らせると、昇が恐る恐る尋ねてくる。

「ちょっ、常磐! 運転はいいのか!?」

「自動操縦に切り替えてある、心配は無い」

「そ、そうか……」

 慌てて上げかけた腰を昇が降ろすと、ソウゴは生徒達を見て「さて…」と呟く。すると今度は優花が警戒しながら尋ねた。

「な、何よ?」

 

「貴様等、朝食はまだか?」

 

『……は?』

 ソウゴからの予想外の問い掛けに、全員驚きつつも肯定する。それを見たソウゴはシアを引っ張り上げて足を進める。

「どうしましたソウゴさん?」

「手伝え。……貴様等は少し待っていろ」

 疑問符を浮かべたシアとユエを連れ、ソウゴは扉の奥に消える。その背中を、残された優花達も不思議そうに見ていた。

 

 それから十分程して、給仕用のカートに簡素ながらも手の込んだ料理を乗せて三人が戻って来た。

「……えーと、その料理は?」

「この列車には給仕用の人員は乗せてないのでな。専門職ではない私の手料理だが、まぁ何も食べんよりマシだろう」

 ソウゴがそう言うと、一拍して驚きがその場を包む。

 

「常磐君の手作り!?」

「食べていいの!? なんか明らかに高そうなんだけど!?」

「当然だろう。貴様等、成長期のこの時期に朝食を抜く気か? それではどれだけ鍛えようが強くなれんぞ。食事の、特に朝食の重要さを侮るなよ。そら、そこの先生殿も起こしてやれ」

 

 妙子と奈々の言葉に、若干説教じみた物言いになりながらソウゴは料理を並べていく。優花に起こされた愛子も合わせて、皆一様に恐る恐る一口食べる。すると次の瞬間には全員無我夢中で手を動かした。正に一心不乱だ。その様を見て、ソウゴは昨日の対応が嘘の様に苦笑しながら優しい目つきになっていた。

「そんなに急がずとも料理は逃げんぞ?」

「いやだって! これ滅茶苦茶旨ぇんだよ!」

 淳史がそう言えば、皆ブンブンと首を縦に振る。その表情にはまざまざと「こんな美味食べた事無い!」と書いてある。

「当たり前だ、なんせ世界一の料理人から教わったのだからな」

 ソウゴはそう言いながら、夢中で食べる愛子達を見ていた。それから皿が空になったタイミングで「おかわりはいるか?」と問えば、皆無言で頷いた。

 

 

 これから正体不明の異変が起きている危険地帯に行くとは思えない、何とも和やかな雰囲気が流れていた。

 

 

 

 【北の山脈地帯】

 

 標高千メートルから八千メートル級の山々が連なるそこは、どういう訳か生えている木々や植物、環境がバラバラという不思議な場所だ。日本の秋の山の様な色彩が見られたかと思ったら、次のエリアでは真夏の木の様に青々とした葉を広げていたり、逆に枯れ木ばかりという場所もある。

 また、普段見えている山脈を越えてもその向こう側には更に山脈が広がっており、北へ北へと幾重にも重なっている。現在確認されているのは四つ目の山脈までで、その向こうは完全に未知の領域である。

 

 何処まで続いているのかと、とある冒険者が五つ目の山脈越えを狙った事があるそうだが、山を一つ越える度に生息する魔物が強力になっていくので、結局成功はしなかった様だ。

 

 因みに、第一の山脈で最も標高が高いのはかの聖教教会の本部が存在する【神山】である。

 

 

 今回ソウゴ達が訪れた場所は、神山から東に千六百キロメートル程離れた場所だ。紅や黄といった色鮮やかな葉をつけた木々が目を楽しませ、知識ある者が目を凝らせば、そこかしこに香辛料の素材や山菜を発見する事が出来る。ウルの町が潤う筈で、実に実りの多い山である。

 

 ソウゴ達はその麓にゼロライナーを止めると、暫く見事な色彩を見せる自然の芸術に見蕩れた。女性陣の誰かが「ほぅ」と溜息を吐く。

 ソウゴはゆっくり鑑賞したい気持ちを押さえてゼロライナーを見送ると、代わりにとある物を宝物庫から取り出した。

 それは、全長五十センチ程のケースだった。同じケースを幾つも取り出す。

「付いてきたのだから貴様等も手伝え」

 

 そう言ってソウゴは愛子達にもケースを手渡していく。一人につき二つ持って、合計二十個。その全てを地面に置かせ、ケースを開く。その中には銀色のディスクが縦に並べられていた。数えてみれば、一つのケースに二十五枚のディスクが入っている。

 愛子達はおろか、ユエとシアもそれが何か分からず首を傾げていると、ソウゴは腰の逢魔剣を軽く抜いて刃の部分を指で軽く弾く。

 

 するとキィィーンという甲高い音が響き、それが伝播する様にケースの中のディスクが震え始める。途端、ディスクは赤青緑と様々な色に変わっていき、そのまま独りでにケースから飛び出した。

 そのディスク群は生物の形に変形していき、総勢五百の群れが其々が鳴き声を上げながら四方八方に散っていった。

 

「あの、あれは……」

 鳥や狼、猿、蟹、蛇、蛙と多種多様な生物に変形し遠ざかっていくディスク達を見ながら愛子が代表して聞く。

「ディスクアニマルだ。式神の発展形とでも思えばいい」

 それに対するソウゴの答えは、ある意味異世界と現代技術が混じり合ったものだった。

 

 音式神・ディスクアニマル。

 

 録音・録画機能と軽度の戦闘能力を備えた原型に、ソウゴの集めた技術が加えられた改良版である。とにかく数を活かしたその運用方法が、この手の捜索活動にはピッタリだとソウゴは判断したのだ。"万里眼"の応用で一機一機に感覚を共有する事で、ソウゴが出向かずとも広範囲を見渡せるという考えだ。

 既に彼方へと飛んでいったディスクアニマル達を遠くに見つめながら、愛子達はもう一々ソウゴのする事に驚くのは止めようと、恐らく叶う事の無い誓いを立てるのだった。

 

 

 ソウゴ達は、冒険者達も通ったであろう山道を進む。

 魔物の目撃情報があったのは、山道の中腹より少し上、六合目から七号目の辺りだ。ならばウィル達冒険者パーティも、その辺りを調査した筈である。そう考えて、ソウゴは無人偵察機をその辺りに先行させながら、ハイペースで山道を進んだ。

 

 凡そ一時間と少し位で六合目に到着したソウゴ達は、一度そこで立ち止まった。理由は、そろそろ辺りに痕跡が無いか調べる必要があったのと……

 

 

「はぁはぁ、きゅ、休憩ですか……けほっ、はぁはぁ」

「ぜぇー、ぜぇー、大丈夫ですか……愛ちゃん先生、ぜぇーぜぇー」

「うぇっぷ、もう休んでいいのか? はぁはぁ、いいよな? 休むぞ?」

「……ひゅぅーひゅぅー」

「ゲホゲホ、常磐達は化け物か……」

 

 

「……はぁ、最近の若いのは」

 

 予想以上に愛子達の体力が無く、休む必要があったからである。

 勿論、本来愛子達のステータスはこの世界の一般人の数倍を誇るので、六合目までの登山如きでここまで疲弊する事は無い。ただ、ソウゴ達の移動速度が速すぎて殆ど全力疾走しながらの登山となり、気がつけば体力を消耗しきってフラフラになっていたのである。

 

 四つん這いになり必死に息を整える愛子。昇と明人は仰向けに倒れながら今にも死にそうな呼吸音を響かせており、奈々は少しばかり女子として見せてはいけない顔になっている。

 

 意外にも倒れ込んでいないのは優花と妙子だ。二人共近くの木に寄りかかり、相当きつそうな表情ではあるが倒れ込む様な気配は無い。二人共にどちらかと言えば前衛職の天職である事が関係しているのだろう。

 

 

 優花は"投術師"、妙子は"操鞭師"である。前者は投げナイフやダーツ等投擲技術の才を、後者は鞭は勿論としてロープ状の物を操る技術の才を発揮する。

 見た目ちょっと不良っぽい優花が投擲用ナイフを手慰みにジャグリングしたり、おっとり系ギャルの妙子が鞭を巧みに振り回したりする姿は……生徒達の間でもとびっきりシュールという意見と、何だか凄く似合っているという意見が半々だった。

 

 なお、淳史と昇も一応前衛職なのだが体力で負けているという点は、きっと指摘してはいけないのだろう。そんな事をすれば、今度こそ彼等の心はポッキリと逝ってしまうかもしれない。

 

 ソウゴはそんな愛子達に若干面倒そうな視線を向けつつも、どちらにしろ詳しく周囲を探る必要があるので休憩がてら近くの川に行く事にした。ここに来るまでに、ディスクアニマル達からの情報で位置は把握している。未だ荒い呼吸を繰り返す愛子達に場所だけ伝えて放置し、ソウゴ達は先に川へと向かった。ウィル達も休憩がてらに寄った可能性は高い。

 

 ユエとシアを連れて山道から逸れて山の中を進む。シャクシャクと落ち葉が立てる音をBGMに木々の間を歩いていると、やがて川の潺が聞こえてきた。耳に心地良い音だ。シアの耳が嬉しそうにピッコピッコと跳ねている。

 

 そうしてソウゴ達が辿り着いた川は、小川と呼ぶには少し大きい規模のものだった。索敵能力が高いシアが周囲を探り、ソウゴも念の為ディスクアニマル達を何機か呼び戻し周囲を探るが魔物の気配はしない。取り敢えず息を抜いてソウゴ達は川岸の岩に腰掛けつつ、今後の捜索方針を話し合った。途中、ユエが「少しだけ」と靴を脱いで川に足を浸けて楽しむという我儘をしたが、どちらにしろ愛子達が未だ来てすらいないので大目に見るソウゴ。ついでにシアも便乗した。

 川沿いに上流へと移動した可能性も考えて、ソウゴはディスクアニマル達を上流沿いに飛ばしつつ、ユエがパシャパシャと素足で川の水を弄ぶ姿を眺める。シアも素足となっているが、水につけているだけだ。川の流れに攫われる感触に擽ったそうにしている。

 

 

 するとそこへ、漸く息を整えた愛子達がやって来た。置いていかれた事に思うところがあるのかジト目をしている。が、男子三人が素足のユエとシアを見て歓声を上げると「ここは天国か」と目を輝かせ、女性陣の冷たい眼差しは矛先を彼等に変えた。身震いする男衆。淳史達の視線に気がつき、ユエ達も川から上がった。

 愛子達が川岸で腰を下ろし水分補給に勤しむ。先程から淳史達男衆のユエ達を見る目が鬱陶しいので軽く睨み返すと、ブルリと震えて視線を逸らした。そんな様子を見て、愛子達がソウゴに生暖かい眼差しを向ける。特に、優花達は車中でシアから色々聞いたせいか実にウザったらしい表情だ。

「ふふ。常磐さんは、ホントにユエさんとシアさんを大事にしているんですね」

 愛子が微笑ましそうに、優花達に聞こえない様に小声で言う。

 何を言っても自分にとっては望ましくない反応が返ってきそうなので、ソウゴは肩を竦めるに留める。すると、代わりにユエが行動で示した。当然だと言う様にソウゴの膝の上にポスッと腰を落とす。そして、柔らかなお尻をふにふにと動かしてベストポジションを探る。

 

「……ん」

 

 そして満足のいくポジションを見つけ、そのままソウゴに寄りかかり全体重を預けた。それが信頼の証だとでも言うように。それを見てシアが寂しくなった様で、ソウゴの背後からヒシッと抱きつく。ソウゴの背中にシアの豊かな胸部が押し付けられる。

 突如発生した桃色空間に愛子と優花は頬を赤らめ、奈々と妙子はキャーキャーと歓声を上げ、淳史達男子はギリギリと歯を噛み締めた。

 ソウゴはソウゴで、二人を振り解く事無く目を閉じている。周囲の反応には興味が無いらしい。だがそんなソウゴの表情も、次の瞬間には一気に険しくなった。

「……これは」

「ん……何か見つけた?」

 ソウゴがどこか遠くを見る様に呟くのを聞き、ユエが確認する。その様子に、愛子達も何事かと目を瞬かせた。

「川の上流に……これは盾か? それに鞄もまだ新しい……当たりかもしれん。ユエ、シア、行くぞ」

「ん……」

「はいです!」

 ソウゴ達が阿吽の呼吸で立ち上がり、出発の準備を始めた。

 

 愛子達は本音で言えばまだまだ休んでいたかったが、無理を言って付いて来た上、何か手がかりを見つけた様子となれば動かないわけには行かない。疲労が抜けきらない重い腰を上げて歩き出……そうとして、ソウゴに見られている事に気付いた。

「え、えっと……?」

「……本当に世話の焼ける」

 

 溜め息混じりにそう言ったソウゴが、懐から何かを取り出す。青と黄の手帳サイズの箱の様なソレを、ソウゴは二つとも開く。

 

『ライオン戦記!』

『ランプ・ド・アランジーナ!』

 

 その不思議な声と共に、ソウゴの持つライドブックから青色のライオンと宙に浮かぶ絨毯が飛び出る。

 先程、もう驚く事はやめようと決心したばかりなのに驚愕で固まる愛子達。ソウゴはライオン戦記を淳史に、ランプ・ド・アランジーナを優花に投げ渡す。何が何やら分からない二人にソウゴは告げる。

「それを借してやる、乗っていけ。その本を持って頭の中で念じれば制御できる」

 そう言いながらソウゴは愛子を抱え上げ、もう一つ別のライドブックを開いた。

 

『ブレイブドラゴン!』

 

 ブックから飛び出た赤い竜にユエ、シア、愛子を乗せ、ソウゴが先頭に座る。ソウゴが「行くぞ」と号令をかけ、一行は猛スピードで山肌を登っていった。

 

 

 

 ソウゴ達が到着した場所には、ディスクアニマルで確認した通り小ぶりな金属製のラウンドシールドと鞄が散乱していた。

 

 但しラウンドシールドは拉げて曲がっており、鞄の紐は半ばで引き千切られた状態でだ。

 

 

 ソウゴ達は注意深く周囲を見渡す。すると、近くの木の皮が禿げているのを発見した。高さは大体二メートル位の位置だ。何かが擦れた拍子に皮が剥がれた、そんな風に見える。高さからして人間の仕業ではないだろう。ソウゴはシアにウサミミ探査を指示しながら、自らも感知系の能力を強め、傷のある木の向こう側へと踏み込んでいった。

 

 先へ進むと、次々と争いの形跡が発見できた。半ばで立ち折れた木や枝。踏みしめられた草木、更には折れた剣や、血が飛び散った痕もあった。それらを発見する度に、特に愛子達の表情が強張っていく。

 

 特に、死の恐怖に一度は心を折られた優花達は【オルクス大迷宮】で死にかけた時の事を思い出したのか、一見して分かる程顔色を悪くしている。震えそうになる身体を必死に抑えようとしているのが分かった。

 そんな愛子や優花達を尻目に暫くの間点在する争いの形跡を追っていくと、シアが前方に何か光るものを発見した。

 

「ソウゴさん、これペンダントでしょうか?」

「む? あぁ、遺留品かもしれん。確かめよう」

 

 シアからペンダントを受け取り汚れを落とすと、どうやら唯のペンダントではなくロケットの様だと気がつく。留め金を外して中を見ると、女性の写真が入っていた。恐らく、誰かの恋人か妻と言ったところか。大した手がかりではないが、古びた様子はないので最近の物……冒険者一行の誰かの物かもしれない。なので一応回収しておく。

 

 

 その後も、遺品と呼ぶべき物が散見され、身元特定に繋がりそうな物だけは回収していく。どれ位探索したのか、既に日は大分傾きそろそろ野営の準備に入らねばならない時間に差し掛かっていた。

 

 未だ野生の動物以外で生命反応はない。ウィル達を襲った魔物との遭遇も警戒していたのだが、それ以外の魔物すら感知されなかった。位置的には八合目と九合目の間と言った所。山は越えていないとは言え、普通なら弱い魔物の一匹や二匹出てもおかしくない筈で、ソウゴ達は安堵どころか逆に不気味さを感じていた。

 

 暫くすると、再びディスクアニマルが異常のあった場所を探し当てた。東に三百メートル程いった所に大規模な破壊の後があったのだ。ソウゴは全員を促してその場所に急行した。

 

 

 そこは大きな川だった。上流に小さい滝が見え、水量が多く流れもそれなりに激しい。本来は真っ直ぐ麓に向かって流れていたのであろうが、現在その川は途中で大きく抉れており、小さな支流が出来ていた。まるで、横合いからレーザーか何かに抉り飛ばされた様だ。

 

 その様な印象を持ったのは抉れた部分が直線的であったとのと、周囲の木々や地面が焦げていたからである。更に、何か大きな衝撃を受けた様に何本もの木が半ばからへし折られ、何十メートルも遠くに横倒しになっていた。川辺のぬかるんだ場所には、三十センチ以上ある大きな足跡も残されている。

「ここで本格的な戦闘があった様だな……この足跡、大型で二足歩行する魔物……確か、山二つ向こうにはブルタールという魔物がいたな。だがこの抉れた地面は……」

 

 ソウゴの言うブルタールとは、RPGで言うところのオークやオーガの事だ。大した知能は持っていないが、群れで行動する事と固有魔術"金剛"の劣化版・"剛壁"の固有魔術を持っている為、中々の強敵と認識されている。普段は二つ目の山脈の向こう側におり、それより町側には来ない筈の魔物だ。それに、川に支流を作る様な攻撃手段は持っていない筈である。

 

 ソウゴはしゃがみ込みブルタールのものと思しき足跡を見て少し考えた後、上流と下流のどちらに向かうか逡巡した。

 

 ここまで上流に向かってウィル達は追い立てられる様に逃げてきた様だが、これだけの戦闘をした後に更に上流へと逃げたとは考えにくい。体力的にも、精神的にも町から遠ざかるという思考が出来るか疑問である。

 

 従って、ソウゴは念の為ディスクアニマル達を上流に向かわせながら自分達は下流へ向かう事にした。ブルタールの足跡が川縁にあるという事は、川の中にウィル達が逃げ込んだ可能性が高いという事だ。ならば、きっと体力的に厳しい状況にあった彼等は流された可能性が高いと考えたのだ。

 ソウゴの推測に他の者も賛同し、今度は下流へ向かって川辺を下っていった。

 

 

 すると今度は、先程のものとは比べ物にならない位立派な滝に出くわした。ソウゴ達は、軽快に滝横の崖をひょいひょいと降りていき滝壺付近に着地する。滝の傍特有の清涼な風が一日中行っていた探索に疲れた心身を優しく癒してくれる。と、そこでソウゴの"気配感知"に反応が出た。

 

「これは……」

「……ソウゴ様?」

 

 ユエが直ぐ様反応し問いかける。ソウゴは暫く集中して滝を見つめる。そして「ほぅ」と少し驚いた様な声を上げた。

「気配感知に掛かった、恐らく人間だ。場所は、あの滝壺の奥だ」

 

「生きてる人がいるってことですか!?」

 

 シアの驚きを含んだ確認の言葉にソウゴはディスクアニマル達をしまいつつ頷いた。人数を問うユエに、「一人だ」と答える。

 

 

 愛子達も一様に驚いている様だ。それも当然だろう。生存の可能性はゼロではないとは言え、実際には期待などしていなかった。ウィル達が消息を絶ってから五日は経っているのである。もし生きているのが彼等の内の一人なら奇跡だ。

 

「ふっ」

 

 ソウゴは滝壺に向けて軽く手刀を薙いだ。すると、滝と滝壺の水が紅海におけるモーセの伝説の様に真っ二つに割れ、そして飛び散る水滴は、まるで停止ボタンを押した映像の様に完全にその動きを止めた。ソウゴが最も得意とする、時間停止を付与した物理攻撃である。

 

 詠唱をせず陣も無しに、二つの属性の魔術(に見える物理)を同時に応用して行使した事に愛子達は、もう何度目かわからない驚愕に口をポカンと開けた。きっと、嘗てのヘブライ人達も同じ様な顔をしていたに違いない。

 

 ソウゴは愛子達を促して、滝壺から奥へ続く洞窟らしき場所へ踏み込んだ。

 洞窟は入って直ぐに上方へ曲がっており、そこを抜けるとそれなりの広さがある空洞が出来ていた。天井からは水と光が降り注いでおり、落ちた水は下方の水溜りに流れ込んでいる。溢れない事から、きっと奥へと続いているのだろう。

 

 その空間の一番奥に、横たわっている男を発見した。

 

 傍に寄って確認すると、二十歳位の青年とわかった。端正で育ちが良さそうな顔立ちだが、今は蒼褪めて死人の様な顔色をしている。だが大きな怪我は無く、鞄の中には未だ少量の食料も残っているので、単純に眠っているだけの様だ。顔色が悪いのは、彼がここに一人でいる事と関係があるのだろう。

 

 気遣わし気に愛子が容態を見ているが、ソウゴは手っ取り早く青年の正体を確認する為上体を起こし、頬を軽く叩く。

 

「んっ、んんぅ……」

 

 呻きながら目を覚まし、右へ左へと視線を彷徨わせる青年。愛子達がホッと安堵の溜め息を漏らす。ソウゴはそんな愛子達をスルーして、未だ夢現の青年に近づくと端的に名前を確認する。

「貴様がウィル・クデタか? クデタ伯爵家三男の」

「いっっ、えっ、君達は一体、どうしてここに……」

 状況を把握出来ていない様で目を白黒させる青年に、ソウゴは再び問いかける。

「貴様がウィル・クデタか?」

「えっと、うわっ、はい! そうです! 私がウィル・クデタです! はい!」

 

 一瞬青年が答えに詰まると、ソウゴの眼がギラリと剣呑な光を帯び、それに慌てた青年が自らの名を名乗った。どうやら本当に本人の様だ。奇跡的に生きていたらしい。

「そうか。私はソウゴ、常磐ソウゴだ。フューレンのギルド支部長イルワからの依頼で捜索に来た。どうやら首の皮一枚繋がった様だな」

「イルワさんが!? そうですか、あの人が……また借りができてしまった様だ。……あの、貴方も有難う御座います。イルワさんから依頼を受けるなんて余程の凄腕なのですね」

 尊敬を含んだ眼差しと共に礼を言うウィル。もしかすると、案外大物なのかもしれない。いつかのブタとは大違いである。それから各人の自己紹介と、何があったのかをウィルから聞いた。

 

 

 要約するとこうだ。

 

 ウィル達は五日前ソウゴ達と同じ山道に入り、五合目の少し上辺りで突然十体のブルタールと遭遇したらしい。

 流石にその数のブルタールと遭遇戦は勘弁だとウィル達は撤退に移ったらしいのだが、襲い来るブルタールを捌いている内にどんどん数が増えていき、気がつけば六合目の例の川にまで追い立てられていた。

 そこでブルタールの群れに囲まれ、包囲網を脱出する為に盾役と軽戦士の二人が犠牲になったのだという。それから追い立てられながら大きな川に出たところで、前方に絶望が現れた。

 

 漆黒の竜だったらしい。

 

 その黒竜はウィル達が川沿いに出てくるや否や特大のブレスを吐き、その攻撃でウィルは吹き飛ばされ川に転落。流されながら見た限りでは、そのブレスで一人が跡形もなく消え去り、残り二人も後門のブルタール、前門の竜に挟撃されていたという。

 ウィルは、流されるまま滝壺に落ち、偶然見つけた洞窟に進み空洞に身を隠していたらしい。

 

 

 ウィルは、話している内に、感情が高ぶった様で啜り泣きを始めた。無理を言って同行したのに、冒険者のノウハウを嫌な顔一つせず教えてくれた面倒見のいい先輩冒険者達、そんな彼等の安否を確認する事もせず、恐怖に震えてただ助けが来るのを待つ事しか出来なかった情けない自分、救助が来た事で仲間が死んだのに安堵している最低な自分、様々な思いが駆け巡り涙となって溢れ出す。

 

「わ、わだじはさいでいだ。うぅ、みんなじんでしまったのに、何のやぐにもただない、ひっく、わたじだけ生き残っで……それを、ぐす……よろごんでる……わたじはっ!」

 

 洞窟の中にウィルの慟哭が木霊する。誰も何も言えなかった。顔をぐしゃぐしゃにして、自分を責めるウィルに、どう声をかければいいのか見当がつかなかった。生徒達は悲痛そうな表情でウィルを見つめ、愛子はウィルの背中を優しく摩る。ユエは何時もの無表情、シアは困った様な表情だ。

 

 が、ウィルが言葉に詰まった瞬間、意外な人物が動いた。

 

 ソウゴはツカツカとウィルに歩み寄ると、その胸倉を掴み上げ人外の膂力で宙吊りにした。そして息がつまり苦しそうなウィルに、意外な程透き通った声で語りかけた。

 

「貴様、何か思い違いをしておらんか? 確かに貴様は、自分で言う通り最低の人間なのかもしれんな。だがな、少なくともそんな最低の人間の無事を願い、託した者が六人いる。勝手に飛び出していった貴様を、それでも生きて戻って来る事を願っている両親がいる。そんな二人の為に、貴様を送り届ける責任が私にある。それを貴様の身勝手で、取るに足らん塵の様なプライドで裏切り悲しませるつもりか? 親より先に死ぬ親不孝な人間こそ、真に最低と呼ぶのだ」

「だ、だが……私は……」

 

 それでもなお自分を責めるウィルに、ソウゴは顔を近づけ確とその眼を捉えて続ける。

 

「覚えておけ小僧。人間が真に死ぬ時とは、誰からも忘れ去られた時だ。分かるか? 貴様が忘れなければ、今でも貴様の中で冒険者達は生きているのだ。それでもなお自らを罰したいのなら……生き続けろ。決して忘れるな、貴様を生かす為に死んだ冒険者達を。その顔を、人柄を、生き様を。貴様の胸に刻みつけろ。彼等を自分の愚かさで殺してしまった罪を抱え、罪悪感という生き恥を晒しながら生きろ。その中でいつか、罪を購う機会が訪れる」

 

「……生き、続ける」

 

 涙を流しながらも、ソウゴの言葉を呆然と繰り返すウィル。

 ソウゴはウィルから手を離し、自分に向けて「熱くなり過ぎたな……」とツッコミを入れる。

 

 彼の様な精神状態になる人間を、ソウゴは幾度も見た事がある。戦争や災害で家族や仲間を失った人間は、この手の状態に陥る事があるのだ。「何故自分が生き残ってしまったのか」、「自分が死ねばよかったのに」と。

 

 それにどうやら知らず知らずの内に、彼に幼い日の自分、そして自らの子供達を重ねていたらしい。心配している親の気持ちすら無視した様なウィルの自罰意識に、ソウゴはつい口を出さずにはいられなかった。

 勿論、完全なるお節介だ。その自覚があるソウゴは恥じた様に顔に手を当て天を仰ぐ。そんなソウゴの下にトコトコと傍に寄って来たユエは、ギュッとソウゴの手を握った。

「……大丈夫、ソウゴ様は間違ってない」

「……いかんな。歳を取ると、つい説教臭くなってしまう」

 

 ソウゴが苦笑気味に笑えば、ユエは甘える様にその手に頬ずりする。シアはジト目になり、そのウサミミは「また私を除け者にしてぇ!」と言わんばかりにみょんみょんしている。

 

 

 一方愛子達は、ソウゴの言葉を聞いて胸に何か重たい物を打ち込まれた様な気持ちになっていた。愛子以外は知らないが、十数万年もの間国を治め、戦場に立ってきた者の言葉なのだ。その重みは尋常ではない。

 

 再会してからというもの、ソウゴは基本的に無関心な態度ばかりを見せていたが、今朝の朝食や道中の足を用意した時は優しさが、今の言葉には溢れんばかりの熱と重みが宿っていた様に感じる。

 

 その力は特に、今この瞬間も死の恐怖に囚われている優花達の内側に、まだ微かではあるが確かに伝わっていた。まるで、冬の寒さに凍えていた体が手足の先からじんわりと温まっていくかの様に。

 

 

 暫くして一行は、早速下山する事にした。日の入りまでまだ一時間以上は残っているので、急げば日が暮れるまでに麓に着けるだろう。

 

 ブルタールの群れや漆黒の竜の存在は気になるが、それはソウゴ達の任務外だ。戦闘能力が低い保護対象を連れたまま調査など以ての外である。ウィルも足手纏いになると理解している様で、撤退を了承した。

 

 淳史達は「町の人達も困っているから調べるべきでは」と微妙な正義感からの主張をしたが、黒竜やらブルタールの群れという危険性の高さから愛子が頑として調査を認めなかった事と、ソウゴに「貴様等は自分達の恩師を、"生徒を無事に帰せなかった無能"にしたいのか?」と釘を刺された事により、結局下山する事になった。

 

 だが、事はそう簡単には進まない。滝壺から出てきた一行を熱烈に歓迎する者がいたからだ。

 

「グゥルルルル……」

 

 低い唸り声を上げ、漆黒の鱗で全身を覆い、翼を羽搏かせながら空中より金の眼で睥睨する……それは正しく"竜"だった。

 

 

 

 その竜の体長は七メートル程。漆黒の鱗に全身を覆われ、長い前足には五本の鋭い爪がある。背中からは大きな翼が生えており、薄らと輝いて見える事から魔力で纏われている様だ。そのせいだろうか、空中で翼を羽搏かせる度に、翼の大きさからは考えられない程の風が渦巻く。

 だが何より印象的なのは、やはり夜闇に浮かぶ月の如き黄金の瞳だろう。爬虫類らしく縦に割れた瞳孔は、剣呑に細められていながら、なお美しさを感じさせる光を放っている。

 

 その黄金の瞳が、スッと細められた。低い唸り声が、黒竜の喉から漏れ出している。その圧倒的な迫力は、かつて【ライセン大峡谷】の谷底で見たハイベリアの比ではない。ハイベリアも、一般的な認識では厄介な事この上ない高レベルの魔物であるが、目の前の黒竜に比べればまるで小鳥だ。その偉容は、正に空の王者というに相応しい。

 

 蛇に睨まれた蛙の如く、愛子達は硬直してしまっている。特にウィルは、真っ青な顔でガタガタと震えて今にも崩れ落ちそうだ。脳裏に襲われた時の事がフラッシュバックしているのだろう。

 

 一方ソウゴは、自身を睥睨する黒竜の瞳を見ていた。睨み返すでも威圧するでもなく、まるで観察(・・)見定めているかの様(・・・・・・・・・)にただ見つめていた。

 

 

 その黒竜は、ウィルの姿を確認するとギロリとその鋭い視線を向けた。そして、硬直する人間達を前に、徐に頭部を持ち上げ仰け反ると、鋭い牙の並ぶ顎門をガパッと開けてそこに魔力を集束しだした。

 

 キュゥワァアアア!!

 

 不思議な音色が夕焼けに染まり始めた山間に響き渡る。ソウゴの脳裏に、川の一部と冒険者を消し飛ばしたというブレスが過ぎった。

「貴様等、私の後ろから動くなよ」

 ソウゴは警告を発し、徐に片手を上げる。

 

 実のところ、ソウゴが指示を出さずとも愛子や優花達、そしてウィルもその場に硬直したまま動けないでいた。愛子達は、あまりに突然の事態に体がついてこず、ウィルは恐怖に縛られて視線すら逸らせていなかった。

「ソウゴ様!」

「ソウゴさん!」

 ソウゴの指示に従いつつ、迫るブレスの脅威につい心配の言葉が漏れるユエとシア。

 

 直後、竜からレーザーの如き黒色のブレスが一直線に放たれた。音すら置き去りにして一瞬でソウゴに肉薄したブレスは、轟音と共に衝撃と熱波を撒き散らし周囲の地面を融解させていく。

 対してソウゴは、ただ一言告げる。

 

「"餓鬼道"」

 

 たったそれだけ。それだけの事でブレスは無効化された。まるで全ての影響力が無くなったかの様に熱波と衝撃が止まり、その魔力光はソウゴの掌に吸い込まれていく。それどころか、黒竜に不意打ちをしようとしたユエの魔術すらソウゴに飲み込まれていった。

 ウィルや愛子達だけでなく、ユエやシアすらも驚愕に目を見開く中、ソウゴは腕を下げてその掌を見て言った。

 

「気に入った」

「……えっ?」

 

 突如ソウゴが漏らした言葉に、何が何やら分からないながらもユエが疑問符を浮かべた。先程の迎撃能力の事かと思えば、ソウゴから更なる言葉が続く。

「ユエ、シア。決めたぞ」

「な、何をですか?」

 何の事か分からず恐る恐るシアが訊ねれば、ソウゴは黒竜を見据えながら言った。

 

「私はあれが欲しい。仲間にするぞ」

 

 ソウゴのその言葉に、一同度肝を抜かれた。

 

 

 そう言った後のソウゴの行動は迅速だった。ソウゴは黒竜の傍まで一足飛びに移動し、再度ブレスを吐こうとしたその顔を蹴り飛ばす。

「"万象天引"」

 直後、大きく弾き飛ばされた黒竜を無理矢理自身の下へ引き寄せその身体を掴み、力任せに投げて地面に叩きつけた。

「ユエ、止めろ」

「……ん、ん! "禍天"」

 突然の指示に一瞬戸惑いつつ、ユエは準備していた術を発動する。その魔術名が宣言された瞬間、黒竜の頭上に直径四メートル程の黒く渦巻く球体が現れる。見ているだけで吸い込まれそうな深い闇色のそれは、落下した途端押し潰す様に黒竜を地面に押さえつけた。

 

「グゥルァアアア!?」

 

 豪音と共に地べたに這い蹲らされた黒竜は、認識が追い付かない衝撃の連続に悲鳴を上げる。しかし渦巻く球体は、それだけでは足りないとでも言う様に、なお消える事無く黒竜に凄絶な圧力をかけ地面に陥没させていく。

 

 

 ──重力魔術"禍天"。

 ユエが習得した神代魔術の一つ。渦巻く重力球を作り出し、消費魔力に比例した超重力を以て対象を押し潰す。重力方向を変更する事にも使える便利な魔術だ。

 

 重力魔術は、自らにかける場合は左程消費の激しいものではない。しかし物や空間、他人にかける場合や重力球自体を攻撃手段とする場合は、今のところユエでも最低でも十秒の準備時間と多大な魔力が必要になる。ユエ自身まだ完全にマスターした訳ではないので、鍛錬していく事で発動時間や魔力消費を効率良くしていく事が出来るだろう。

 

 

 地面に磔にされた空の王者は、苦しげに四肢を踏ん張り何とか襲いかかる圧力から逃れようとしている。だが直後、天からウサミミを靡かせて「止めですぅ~!」と雄叫び上げるシアがドリュッケンと共に降ってきた。激発を利用し更に加速しながら大槌を振りかぶり、黒竜の頭部を狙って大上段に振り下ろす。

 

 ドォガァアアアン!!!

 

 凄まじい轟音と衝撃波。インパクトの瞬間、轟音と共に地面が放射状に弾け飛び、爆撃でも受けた様にクレーターが出来上がる。それはソウゴがドリュッケンに施した改造のせいだ。主材である圧縮されたアザンチウムに重力魔術を付与し、更にオリハルコンを混ぜ込んである。

 但し、重力を"中和"するものではなく、逆に"加重"する性質の鉱石だ。注いだ魔力に合わせて重量を増していく。今のドリュッケンは、正しく○○トンハンマー! といった漫画の様な性能なのだ。

 故に、その超重量の一撃を真面に受けた者は深刻なダメージは免れない筈だ。そう、真面に受けていれば……

 

「グルァアア!!」

 

 黒竜の咆哮と共に、ドリュッケンにより舞い上げられた粉塵の中から火炎弾が豪速でユエに迫った。火炎弾はユエに直撃する前にソウゴが吸い寄せ、近づくと同時に吸収消滅していった。しかし、そこでユエの集中力が切れたのか、重力球の魔術が解けてしまった。

 

 火炎弾の余波で晴れた粉塵の先には、地面にめり込むドリュッケンを紙一重のところで躱している黒竜の姿があった。直撃の瞬間、竜特有の膂力で何とか回避したらしい。

 

 黒竜は拘束の無くなった体を鬱憤を晴らす様に高速で一回転させ、ドリュッケンを引き抜いたばかりのシアに大質量の尾を叩きつけた。

「あっぐぅ!!?」

 間一髪、シアはドリュッケンを盾にしつつ自ら跳ぶ事で衝撃を殺す事に成功するが、同時に大きく吹き飛ばされてしまい、木々の向こう側へと消えていってしまった。

 

 黒竜は、一回転の勢いのまま体勢を戻すと、黄金の瞳でギラリとソウゴ……を素通りして背後のウィルを睨みつけた。

 ソウゴは、懐から二枚のカードを取り出す。カードは赤い光に包まれ、独りでにソウゴの手を離れ宙に浮かぶ。途端光と共にカードが弾け、そこから稲妻を纏った竜巻と太陽の如き炎塊が出来上がる。

 そして竜巻と炎塊を引き裂いて現れたのは、二匹の赤い"龍"だった。

 

「出番だ。ジークヴルム、ジーク・アポロドラゴン」

 

 黒竜の軽く十倍はあろうかという威容の二体のドラゴンは、ソウゴの号令と同時に突貫する。二体が火炎を吐き、ソウゴが"トリガーマグナム"を連射しながら追い討ちをかける。

 しかし黒竜は、川の水を吹き散らしながら咆哮と共に起き上がると、何とソウゴを無視してウィルに向けて火炎弾を撃ち放った。

 

「ほぅ……」

 

 ウィルが狙われない様に敢えて接近し攻撃して注意を引こうとしたが、黒竜はそんなソウゴの思惑など知った事ではないと言わんばかりにウィルを狙い撃ちにする。

「ユエ」

「んっ、"波城"」

 「ひっ!」と情けない悲鳴を上げながら身を竦めるウィルの前に、高密度の水の壁が出来上がる。飛来した火炎弾はユエの構築した城壁の如き水の壁に阻まれて霧散した。

 

 

「っ、て、手伝わないと!」

「お、応っ」

 怒涛の展開に漸く我を取り戻した優花が、必死な表情をしながら自身のアーティファクトである投擲用ナイフを取り出した。

 

 十二個一式のナイフで互いに引き合う能力を持っており、一つでも手元に残っていれば何度でも呼び戻せる。そのナイフに魔術で炎を纏わせて一直線に投擲する。

 

 同時に、淳史もまた己のアーティファクトである二本の曲刀を取り出し振り抜いた。天職"曲刀師"を持つ淳史がこのアーティファクトを振るえば、それだけで鋭利な風の刃が飛ぶ。

 

 しかし優花の燃えるナイフも、淳史の風の刃も、まるで巨岩に小石を投げつけたかの様にその硬い黒鱗に阻まれ、あっさり弾かれてしまった。

 驚愕で悲壮な表情になりつつも、もう一度とナイフを手に取る優花と曲刀を振りかぶる淳史。そんな二人の姿を見て、未だ黒竜の威容に震えているものの昇や明人、奈々や妙子も其々ユエの守りの奥から遠距離攻撃を放つが……

 

「ゴォアアア!!」

 

 今度は黒竜の身体に届くどころか、咆哮による衝撃だけであっさり吹き散らされてしまった。しかもその咆哮の凄まじさと黄金の瞳に睨まれて、ウィル同様に「ひっ」と悲鳴を漏らして後退りし、妙子や奈々に至っては尻餅までついている。

 

「下手に手を出すなよ、巻き込まれても知らんぞ」

 

「っ、常磐さん……でも……!」

 なけなしの勇気も空振りに終わり、恐怖に身を竦ませてしまった優花達を見て完全に戦力外だと判断したソウゴは、瞬時に近くまで跳び愛子にこの場所から離れる様声を掛ける。

 それに逡巡する愛子。ソウゴとて愛子の教え子である以上、強力な魔物を前に置いていっていいものかと教師であろうとするが故の迷いを生じさせる。

 

 その間に周囲の川の水を吹き飛ばしながら、黒竜は翼をはためかせて上空に上がろうとしていた。しかも、ご丁寧にウィルに向けて火炎弾を連射しながら。

 

 ソウゴも先程からヒートトリガーを連射しているのだが、一向に注意を引けない。

 ジークヴルムの稲妻を纏った突撃を受ければ吹き飛ぶし、ジーク・アポロドラゴンの火炎を浴びれば苦悶の鳴き声を発するが、それでも黒竜は執拗にウィルだけを狙っている。まるで何かに操られてでもいる様に。

 

 命令に忠実に従うロボットの様である。先程の重力による拘束の様にウィルの殺害を直接邪魔する様なものでない限り、他の一切は眼中に無いのだろう。

 

 ソウゴはそこまで執拗にウィルを狙う理由は分からなかったが、目標が定まっているなら好都合だとユエに指示を飛ばした。

 

「ユエ、ウィルの守りに専念しろ」

「んっ、任せて!」

 

 ユエはソウゴの指示を聞くとウィルの方へ"落ちる"事で急速に移動し、その前に立ちはだかった。チラリと後ろを振り返り愛子と優花達を見ると、こういう状況で碌に動けていない事に苛立ちを露わにしつつ不機嫌そうな声で呟いた。

 

「……死にたくないなら、私の後ろに」

 

 ユエ的には優花達に関してはどうでもよかったのだが、愛子に関してはソウゴもそれなりに気にかけている人物でもあるから、一応死なせない様に声を掛けておく。序に邪魔になるから余計な事はするなと釘を刺すのも忘れない。

 

 妙子や奈々、それに昇や明人などはユエの冷たい言葉にも特に反応する事無く這う這うの体で傍に寄って来たが、優花と淳史、そして愛子は何も出来ない事、思う様に出来ない事に唇を噛み締めながら近づいていった。周囲の水分を利用し、無詠唱で氷の城壁を築いていくユエの傍が一番安全と悟ったのだろう。

 

 本来なら、彼等とてもう少し戦えるだけの実力は持っている。しかし、いくらソウゴが生きていたと分かっても、たとえもう一度と立ち上がるだけの心を取り戻しても、あの日ベヒモスやトラウムソルジャーに殺されかけ、ソウゴの奈落落ちにより"死"というものを強く実感した彼等の心に蔓延ったトラウマは、そう簡単に彼女達を解放したりはしない。

 愛子について来たのも、勇者組の様に迷宮の最前線に行く様な事は出来ないが、ジッとしてもいられない、という中途半端さの現れでもあったのだ。そこへ黒竜に自分達の魔術が効かず、殺意がたっぷり含まれた咆哮を浴びせられ、すっかり心が萎縮してしまっていた。とても戦える心理状態では無かった。

 

 加えて、仮に本来の能力をフルに活かせたとしても、彼女達にとって別次元の強さを誇る黒竜に自分達が敵うとは思えなかった。故に、美しさすら感じる透明な氷壁の向こう側を、優花達はただ見つめる事しか出来ないのだった。

 

 

 ソウゴはユエがいる以上、ウィル達の安全は確保されたと信じて攻撃に集中する。黒竜は空中に上がり、二匹のドラゴンとドッグファイトを繰り広げながら未だユエが構築した防御壁の向こうにいるウィルを狙って防壁の破壊に集中している。どうやら二匹より小さい分、機動力は上らしい。しかし、火炎弾では防壁を突破出来ないと悟ったのか再び仰け反り、口元に魔力を集束させ始めた。

 

「上手く翻弄するじゃないか。では光線勝負といこうか」

 

 ソウゴはトリガーマグナムをしまい二匹も下がらせると、黒竜に向けて両腕を掲げる。するとその掌の間に半透明の白い円柱が形成される。流石にソウゴの次手がマズイものだと悟ったのか、その顎門の矛先をソウゴに向けた。

 

「"塵遁・原界剝離"」

 死を撒き散らす黒竜のブレスが放たれたのと、ソウゴの死の光柱が放たれたのは同時だった。

 

 共に極大の閃光、必滅の嵐。黒と白の極光が両者の中間地点で激突する。衝突の瞬間凄まじい衝撃波が発生し、周囲の木々を原子レベルで分解させる。威力だけなら、おそらく互角。

 

 しかし二つの極光は、その性質故に拮抗する事無く勝敗を明確に分ける。ブレスは継続性に優れた極光ではあるが、原界剥離のそれは、触れたもの全てを分解する消滅特化仕様だ。従って、必然的にブレスの閃光を消滅させ、その余波を黒竜に届かせた。

 ブレスを放っていた黒竜が突然弾かれた様に吹き飛ぶ。ブレスを破壊した塵遁の衝撃が黒竜の全身を襲ったのだ。しかし殺さない様に加減したのもあって、当然ながら致命傷には至らなかった。だが鋭い牙を数本蒸発させ、背後で羽搏く片翼を消し飛ばす。

 

「グルァアアア!!」

 

 痛みを感じているのか悲鳴を上げながら錐揉みして地に落ちる黒竜。

 ソウゴは即座に印を結び、"木遁・木龍縛り"と"バインド"を同時発動。更に掌にチャクラの塊を生成しながら瞬間移動で迫り、仰向けに縛られている黒竜の腹に叩き込む。

 

「"熔遁・大玉螺旋丸"」

 

 ズドンッ! と腹の底に響く衝撃音が轟き、縛りを引き千切りながら黒竜の体がくの字に折れる。地面は、衝撃により放射状にひび割れた。黒竜が悲鳴じみた咆哮を上げる。巨大なエネルギー塊をぶつけられた事に加え、熔遁のマグマの性質が黒鱗はおろかその内側も焼いていく。それでもまだ黒竜は耐えている。

 

 そして、それを織り込み済みのソウゴは更に追撃をかける為、大きく左手を振りかぶった。その腕は鈍く光る黒色に変化すると同時に、沸騰しているかの様に熱気と蒸気を発していく。

「まだまだ耐えられるだろう?」

 冷静に、急所を探す様な目のソウゴは、大質量・高速で突っ込んで来た岩石をも一撃で粉砕した破壊の拳を、忍術と通力(プラーナ)で強化した状態で容赦なく黒竜の腹にぶち込んだ。

「"蒸遁・噴砕砲"」

 

 ドォグォオオオオンッ!!

 

 くぐもった音が響き、腹の鱗に亀裂が入る。熱と衝撃を伝える事を目的とした攻撃の為内臓にも相当ダメージが入った様だ。

 

「グルァア!?」

 

 黒竜は未だかつて受けた事の無い衝撃の連続に、再び苦悶の声を上げると口から盛大に吐血した。困惑すらちらつく黄金の瞳を見開きながら、このままでは危険だと思ったのか、片翼に爆発的な魔力を込めて暴風を巻き起こし、その場で仰向け状態から強引に元の体勢に戻った。

 ソウゴは再び瞬間移動を使ってその場を退避する。置き土産を残して。

「喝」

 黒竜が空中に逃れたソウゴに警戒を乗せた視線を向けた瞬間、その腹の下で大爆発が起きる。竜の巨体が、その衝撃で五メートル程浮き上がった。黒竜が反転すると同時に、その腹へと設置されたソウゴの置き土産──"C2起爆粘土"である。その上、ボムボムの能力で一部の鱗を爆弾に変えるというおまけつき。

 

「クゥワァアア!!」

 

 同じ場所への更なる衝撃に、今度は悲鳴も上げられずくぐもった唸り声を上げる事しか出来ない。耐える様に頭を垂れて蹲る黒竜の口元からはダラダラと血が流れ出している。心なしか、唸り声も弱ってきている様だ。

 黒竜はソウゴを脅威と認識したのか、ウィルから目を離しソウゴに向けて顎門を開いて火炎弾を連射した。

 

 宛ら対空砲火の様に空中へ乱れ飛ぶ火炎弾。しかし、その炎はただの一撃もソウゴにダメージを与える事は無かった。"餓鬼道"でその全てを吸収し、その合間に空気中の水分を伝って衝撃を与える"鮫瓦正拳"でその身を撃ち抜く。

 更に"ライトニング・プラズマ"で爪、歯茎、眼、尻尾の付け根、尻という実に嫌らしい場所を攻撃したかと思えば、次の瞬間には接近して様々な性質の"螺旋丸"で頭部や脇腹を滅多打ちにした。

 

「クルゥ! グワッン!」

 

 若干、いや確実に黒竜の声に泣きが入り始めている。鱗のあちこちが罅割れ、口元からは大量の血が滴り落ちている。

 

 

 

「すげぇ……」

 

 ソウゴの戦闘をユエの後ろという安全圏から眺めていた淳史が思わずと言った感じで呟く。言葉は無くても、優花達や愛子も同意見の様で無言でコクコクと頷き、その圧倒的な戦闘から目を逸らせずにいた。ウィルに至っては、先程まで黒竜の偉容にガクブルしていたとは思えない程目を輝かせて食い入る様にソウゴを見つめている。

 

 因みに、いつの間にかシアが戻ってきており参戦しようとしたのだが、ソウゴの意図を察したユエが止めた為、今はユエの傍らで一緒に観戦している。初っ端から良い所無しで吹き飛ばされたので、実は若干しょげている。

 

 

 ソウゴが一気に片をつけないのは、仲間に加えようとしているのもあるが、愛子達に自分の戦闘力を見せつけるいい機会だと思ったからだ。

 黒竜は攻撃が当てやすい上に攻撃は単調、しかしタフであるので、ソウゴにとっては余裕を持ちつつ周囲に戦い方を見せるのに丁度いい相手だった。なので、愛子達と別れた後に教会や国、勇者達に愛子から情報がいった場合でも安易に強硬手段に出る事が無い様に実力を示しておこうと思ったのだ。

 

「そろそろ頃合いか……」

 黒竜の状態を見たソウゴはそう呟き、その両目を三つ巴の赤い瞳"写輪眼"に変化させていく。ソウゴは黒竜に近づいていき、その頭に手を触れ覗き込む様にその目を見る。

「解」

 その言葉と共に、途端黒竜の瞳から淀んだ闇の様なものが消える。その目には、驚きと混乱が見える様な気がした。

「目は覚めたか? 竜人族のティオ・クラルスよ」

 

 

 "写輪眼"を戻しながらのソウゴの問い掛けに、黒竜──ティオは言葉に詰まる。しかし、ソウゴが続けて「誤魔化しは無駄だぞ」と言ったところで、直ぐに諦めがついた様に溜息を吐いた。どうやら自分が竜人族である事は知られたくない様だったが、名前すら見抜いたソウゴには通用しないと察したのだろう。

 

『……如何にも。妾は誇り高き竜人族の一人じゃ。色々事情があってのぅ』

 

 突如発せられた声と知らされた事実に、周囲は驚愕に包まれる。そんな中で、一早く正気に戻ったユエが動く。

「……何故、こんな所に?」

 

 ユエにとっても、竜人族は伝説の生き物だ。自分と同じ絶滅した筈の種族の生き残りとなれば、興味を惹かれるのだろう。瞳に好奇の光が宿っている。

『妾は、操られておったのじゃ。お主等を襲ったのも本意ではない。仮初の主、あの男にそこの青年と仲間達を見つけて殺せと命じられたのじゃ』

 ティオの視線がウィルに向けられる。ウィルは、一瞬ビクッと体を震わせるが気丈にティオを睨み返した。ソウゴの戦いを見て、何か吹っ切れたのかもしれない。

「順を追って話してもらおうか」

 ソウゴはティオに回復術を施しながら話を促す。

『うむ、妾は……』

 

 

 

 ティオの話を要約するとこうだ。

 

 ティオは、ある目的の為に竜人族の隠れ里を飛び出して来たらしい。その目的とは、異世界からの来訪者について調べるというものだ。詳細は省かれたが、竜人族の中には魔力感知に優れた者がおり、数ヶ月前に大魔力の放出と、何かがこの世界にやって来た事を感知したらしい。

 

 竜人族は表舞台には関わらないという種族の掟があるらしいのだが、流石にこの未知の来訪者の件を何も知らないまま放置するのは、自分達にとっても不味いのではないかと議論を重ね、その末に遂に調査の決定がなされたそうだ。

 

 ティオは、その調査の目的で集落から出てきたらしい。本来なら山脈を越えた後は人型で市井に紛れ込み、竜人族である事を秘匿して情報収集に励むつもりだったのだが、その前に一度しっかり休息をと思いこの【北の山脈地帯】の一つ目の山脈と二つ目の山脈の中間辺りで休んでいたらしい。当然周囲には魔物もいるので、竜人族の代名詞たる固有魔術“竜化”により黒竜状態になって。

 

 暫くして。睡眠状態に入ったティオの前に、黒いローブを頭からすっぽりと被った一人の男が現れた。その男は、眠るティオに洗脳や暗示等の闇系魔術を多用して徐々にその思考と精神を蝕んでいった。

 

 当然、そんな事をされれば起きて反撃するのが普通だ。だが、ここで竜人族の悪癖が出る。

 そう。例の諺の元にもなった様に、竜化して睡眠状態に入った竜人族は、まず起きないのだ。それこそ尻を蹴り飛ばされでもしない限り。それでも竜人族は精神力においても強靭なタフネスを誇るので、そう簡単に操られたりはしない。

 では何故、ああも完璧に操られたのか。それは……

 

 

『恐ろしい男じゃった、闇系統の魔法に関しては天才と言っていいレベルじゃろうな。そんな男に丸一日かけて間断なく魔法を行使されたのじゃ。いくら妾と言えど、流石に耐えられんかった……』

 

 一生の不覚! と言った感じで悲痛そうな声を上げるティオ。しかしソウゴは冷めた目でツッコミを入れる。

「それはつまり、調査に来ておいて丸一日、術が掛けられているのにも気づかない位爆睡していたという事だろう?」

 全員の目が、何となく馬鹿を見る目になる。ティオは視線を明後日の方向に向け、何事も無かった様に話を続けた。

 

 因みに一応、言い訳はあるらしい。海を越えて飛んできたティオは割と消耗していたのだが、任務の事もあり短時間での回復を図る為に普段より深い眠りに入っていたのだ。尤も、どちらにしろ失態である事に変わりはないので口にしないが。

 

 そして、何故丸一日かけたと知っているのかという事については、洗脳が完了した後も意識自体はあるし記憶も残っていたところ、本人が「丸一日もかかるなんて……」と愚痴を零していたのを聞いていたからだ。

 

 

 その後ローブの男に従い、二つ目の山脈以降で魔物の洗脳を手伝わされていたのだという。

 そしてある日、一つ目の山脈に移動させていたブルタールの群れが山に調査依頼で訪れていたウィル達と遭遇し、目撃者は消せという命令を受けていた為これを追いかけた。うち一匹がローブの男に報告に向かい、万一自分が魔物を洗脳して数を集めていると知られるのは不味いと万全を期してティオを差し向けたらしい。

 

 そうしてウィルを見つけたと思ったら、思わぬ存在──ソウゴにフルボッコにされており、そのままソウゴの瞳術によって支配を解かれたらしい。

 

 

「……ふざけるな」

 

 事情説明を終えたティオに、そんな激情を必死に押し殺した様な震える声が発せられた。その場の全員がその人物に目を向ける。拳を握り締め、怒りを宿した瞳でティオを睨んでいるのはウィルだった。

「……操られていたから…ゲイルさんを、ナバルさんを、レントさんを、ワスリーさんをクルトさんをっ! 殺したのは仕方ないとでも言うつもりかっ!」

 どうやら状況的に余裕が出来たせいか、冒険者達を殺された事への怒りが湧き上がったらしい。激昂してティオへ怒声を上げる。

 

『……』

 

 対するティオは、反論の一切をしなかった。ただ、静かな瞳でウィルの言葉の全てを受け止める様真っ直ぐ見つめている。その態度がまた気に食わない様で、

「大体、今の話だって、本当かどうかなんてわからないだろう! 大方、死にたくなくて適当にでっち上げたに決まってる!」

『……今話したのは真実じゃ。竜人族の誇りにかけて嘘偽りではない』

 なお、言い募ろうとするウィル。それに口を挟んだのはソウゴだ。

「確かに嘘は吐いておらん様だな」

「っ、一体何の根拠があってそんな事を……」

 食ってかかるウィルを一瞥すると、ソウゴはティオを見つめながら語る。

 

「私は此奴が話している間、"真実の戒禁"を使っていた。嘘を吐いた者を石に変えるこの能力が発動しないのならば、此奴は噓を吐いていない何よりの証拠だ」

 ソウゴが自身の能力も交えて説明すれば、そこへユエも追従する。

「……竜人族は高潔で清廉。私は皆よりずっと昔を生きた。竜人族の伝説も、より身近なもの。彼女は"己の誇りにかけて"と言った。なら、きっと嘘じゃない。それに……嘘つきの目がどういうものか私はよく知っている」

 

 ユエは、ほんの少しティオから目を逸らして遠くを見る目をした。きっと、三百年前の出来事を思い出しているのだろう。孤高の王女として祭り上げられた彼女の周りは、結果の出た今から思えば、嘘が溢れていたのだろう。最も身近な者達ですら彼女の言う"嘘つき"だったのだから。その事実から目を逸らし続けた結果が"裏切り"だった。それ故に、"人生の勉強"というには些か痛すぎる経験を経た今では、彼女の目は"嘘つき"に敏感だ。初対面でソウゴに身を預けられたのも、それしか方法がないというのも確かにあったが、ソウゴ自身が一切の誤魔化しをしなかったというのが、今にして思えば大きな理由だったのだろう。

 その目が、ティオの言葉を真実と判断したのだろう。

 

『ふむ、この時代にも竜人族の在り方を知る者が未だいたとは……いや、昔と言ったかの?』

 竜人族という存在の在り方を未だ語り継ぐ者でもいるのかと、若干嬉しそうな声音のティオ。

「……ん。私は、吸血鬼族の生き残り。三百年前は、よく王族のあり方の見本に竜人族の話を聞かされた」

 ユエにとって竜人族とは、正しく見本の様な存在だったのだろう。話す言葉の端々に敬意が含まれている。

『なんと! 吸血鬼族の……しかも三百年とは……成程、外界の情報から死んだものと思っておったが、主がかつての吸血姫か。確か名は……』

 

 どうやら、ティオはユエと同等以上に生きているらしい。しかも、口振りからして世界情勢にも全く疎いという訳では無い様だ。今回の様に、時々正体を隠して世情の調査をしているのかもしれない。その長きを生きるティオをして吸血姫の生存は驚いた様だ。愛子や優花達は言わずもがな、驚愕の目でユエを見ている。

「ユエ……それが私の名前。大切な人に貰った大切な名前。そう呼んで欲しい」

 ユエはそう言った。薄らと頬を染めながら両手で何かを抱きしめる仕草をしながら。

 

 ユエの周囲に、何となく幸せオーラがほわほわと漂っている気がする。皆突然の惚気に当てられて、女性陣は何か物凄く甘いものを食べた様な表情をし、男子達は頬を染め得も言われぬ魅力を放つユエに見蕩れている。ウィルも、何やら気勢を削がれてしまった様だ。

 だが、それでも親切にしてくれた先輩冒険者達の無念を思い言葉を零してしまう。

 

「……それでも、殺した事に変わりないじゃないですか……どうしようもなかったって分かってはいますけど……それでもっ! ゲイルさんは、この仕事が終わったらプロポーズするんだって……彼等の無念はどうすれば……」

 

 頭ではティオの言葉が嘘でないと分かっている。しかし、だからと言って責めずにはいられない。心が納得しない。

 

 ソウゴは内心、「見事なフラグだな」と変に感心しながら、ふとここに来るまでに拾ったロケットペンダントを思い出す。

「ウィル、これはゲイルという奴の持ち物ではないか?」

 そう言って、取り出したロケットペンダントをウィルに放り投げた。ウィルはそれを受け取ると、マジマジと見つめ嬉しそうに相好を崩す。

「これ、僕のロケットじゃないですか! 失くしたと思ってたのに、拾ってくれてたんですね。ありがとうございます!」

「貴様の?」

「はい、ママの写真が入っているので間違いありません!」

「…マ、ママ?」

 予想が見事に外れた挙句、斜め上を行く答えが返ってきて思わず頬が引き攣るソウゴ。

 

 写真の女性は二十代前半と言ったところなので、疑問に思いその旨を聞くと、「折角のママの写真なのですから若い頃の一番写りのいいものがいいじゃないですか」と、まるで自然の摂理を説くが如く素で答えられた。

 

 その場の全員が「あぁ、マザコンか」と物凄く微妙な表情をした。女性陣はドン引きしていたが……

 

 

 因みに、ゲイルとやらの相手は"男"らしい。そして、ゲイルのフルネームはゲイル・ホモルカというそうだ。名は体を表すとはよく言ったものである。

 

 

 母親の写真を取り戻したせいか、随分と落ち着いた様子のウィル。何が功を奏すのか本当に分からない。

 

 尤も、落ち着いたとは言っても恨み辛みが消えたわけではない。ウィルは今度は冷静に、ティオを殺すべきだと主張した。また洗脳されたら脅威だというのが理由だが、建前なのは見え透いている。主な理由は復讐だろう。

 

 そんな中、ティオが懺悔する様に声音に罪悪感を含ませながら己の言葉を紡ぐ。

『操られていたとはいえ、妾が罪なき人々の尊き命を摘み取ってしまったのは事実。償えというなら、大人しく裁きを受けよう。だが、それには今暫く猶予をくれまいか。せめて、あの危険な男を止めるまで。あの男は、魔物の大群を作ろうとしておる。竜人族は大陸の運命に干渉せぬと掟を立てたが、今回は妾の責任もある。放置は出来んのじゃ……勝手は重々承知しておる。じゃが、どうか妾に悲劇を止める機会を与えてはくれんか?』

 

 ティオの言葉を聞き、ソウゴ以外の全員が魔物の大群という言葉に驚愕を露わにする。自然と全員の視線がソウゴに集まる。このメンバーの中では、自然とリーダーとして見られている様だ。実際ここまで事を運んだのはソウゴなので、決断を委ねるのは自然な流れと言えるだろう。

 そのソウゴの答えは……

 

「何を言っているんだ? 貴様は既に私の所有物だ。その生殺与奪の権利は貴様自身でも小僧でもない、私のものだ」

 

 そう言って指を鳴らした。

 途端、ティオはその体を黒色の魔力で繭の様に包まれ、完全に体を覆うとその大きさをスルスルと小さくしていく。そして丁度人が一人入る位の大きさになると、一気に魔力が霧散した。

 

 黒い魔力が晴れたその場には……両足を揃えて崩れ落ち、片手で体を支えながら、驚愕に顔を染める黒髪金眼の美女がいた。腰まである長く艶やかなストレートの黒髪が薄らと紅く染まった頬に張り付いていて、なんとも艶めかしい。ハァハァと荒い息を吐きながら恍惚の表情を浮かべている点も、実に扇情的だ。

 

 見た目は二十代前半くらい、身長は百七十センチ近くあるだろう。見事なプロポーションを誇っており、息をする度に乱れて肩口まで垂れ下がった衣服から覗く二つの双丘が激しく自己主張し、今にも零れ落ちそうになっている。シアがメロンなら、ティオはスイカであろう。

 

「なんてこった……こいつは凶悪だ」

「これが、これがふぁんたずぃ~かっ」

「くそっ、起きろよ! 起きてくれよ俺のスマホっ!」

 

 ティオの正体がやたらと艶かしい美女だった事に、特に淳史達男子勢が盛大に反応している。思春期真っ只中の淳史達三人は、若干前屈みになりつつ阿呆な事を口走っている。このまま行けば四つん這い状態になるかもしれない。優花達の淳史等を見る目は、既にゴキブリを見る目と大差が無い。

 

「まさか……魔力は確かに残り少なかったが、強制的に解かれるとはのぅ……」

「先程の目で色々と細工をしたのでな」

「……面倒をかけた、本当に申し訳ない。改めて、妾の名はティオ・クラルス。最後の竜人族クラルス族の一人じゃ」

 

 ソウゴ以外の為に改めて名乗ったティオは、次いで黒ローブの男が、魔物を洗脳して大群を作り出し町を襲う気であると語った。その数は、既に三千から四千に届く程の数だという。何でも、二つ目の山脈の向こう側から、魔物の群れの主にのみ洗脳を施す事で、効率良く群れを配下に置いているのだとか。

 魔物を操ると言えば、抑々ソウゴ達がこの世界に呼ばれる建前となった魔人族の新たな力が思い浮かぶ。それは愛子達も一緒だったのか、黒ローブの男の正体は魔人族なのではと推測した様だ。

 

 しかしその推測は、ティオによってあっさり否定される。何でも黒ローブの男は、黒髪黒目の人間族で、まだ少年くらいの年齢だったというのだ。それに、黒竜たるティオを配下にして浮かれていたのか、仕切りに「これで自分は勇者より上だ」等と口にし、随分と勇者に対して妬みがある様だったという。

 

 黒髪黒目の人間族の少年で、闇系統魔術に天賦の才がある者。

 

 ここまでヒントが出れば、流石に脳裏にとある人物が浮かび上がる。愛子達は一様に「そんな、まさか……」と呟きながら困惑と疑惑が混ざった複雑な表情をした。限りなく黒に近いが、信じたくないと言ったところだろう。

 

 

 そこでソウゴが突如、遠くを見る目をして「おぉ、これはまた……」などと呟きを漏らした。聞けば、ティオの話を聞いてから、"万里眼"を使用して魔物の群れや黒ローブの男を探していたらしい。

 そして、遂にその視界がとある場所に集合する魔物の大群を発見したのだが……その数は、

 

「これは三、四千というレベルではないな、桁が一つ追加されるレベルだ」

 

 ソウゴの報告に全員が目を見開く。しかも、どうやら既に進軍を開始している様だ。方角は間違い無く【ウルの町】がある方向。このまま行けば半日もしない内に山を下り、一日あれば町に到達するだろう。

 

「は、早く町に知らせないと! 避難させて、王都から救援を呼んで……それから、それから……」

 

 事態の深刻さに、愛子が混乱しながらも必死にすべき事を言葉に出して整理しようとする。

 いくら何でも数万の魔物の群れが相手では、チートスペックとは言えトラウマ抱えた優花達と戦闘経験が殆ど無い愛子、駆け出し冒険者のウィルに、魔力が枯渇したティオでは相手どころか障害物にもならない。なので愛子の言う通り、一刻も早く町に危急を知らせて、王都から救援が来るまで逃げ延びるのが最善だ。

 と、皆が動揺している中、ふとウィルが呟く様に尋ねた。

 

「あの、ソウゴ殿なら何とか出来るのでは……」

 

 その言葉で、全員が一斉にソウゴの方を見る。その瞳は、もしかしたらという期待の色に染まっていた。ソウゴは、それらの視線を気にしていないのか、考える様な声音で返答する。

「出来るは出来るが、するかどうかは町の連中次第だな。それに私の仕事は、ウィルをフューレンまで連れて行く事だ。保護対象を連れて戦争なんぞする馬鹿がいるか」

 ソウゴの何とも言えない態度に反感を覚えた様な表情をする淳史達やウィル。そんな中、思いつめた様な表情の愛子がソウゴに問い掛けた。

「常磐さん、黒いローブの男というのは見つかりませんか?」

「さっきから群れを確認しているが、それらしき人影はないな」

 

 愛子はソウゴの言葉に、また俯いてしまう。そしてポツリと、ここに残って黒いローブの男が現在の行方不明の清水幸利なのかどうかを確かめたいと言い出した。生徒思いの愛子の事だ。この様な事態を引き起こしたのが自分の生徒なら放って置く事など出来ないのだろう。

 しかし、数万からなる魔物が群れている場所に愛子を置いていく事など出来る訳が無く、優香達生徒は必死に愛子を説得する。しかし、愛子は逡巡したままだ。その内、じゃあソウゴが同行すれば…なんて意見も出始めた。

 いい加減、この場に留まって戻る戻らないという話を聞かされるのも面倒になったソウゴは、愛子に冷めた眼差しを向ける。

 

「残りたいなら勝手にしろ。貴様に自衛の術があるとは思えんがな」

 

 そう言って、ウィルを肩に抱えて下山し始めた。それに慌てて異議を唱えるウィルや愛子達。曰く、このまま大群を放置するのか、黒ローブの正体を確かめたい、ソウゴなら大群も倒せるのではないか……

 ソウゴが、溜息を吐き若干苛立たしげに愛子達を振り返った。

 

「さっきも言ったが私が戦うかは町の連中次第で、私の仕事はウィルの保護だ。保護対象を連れて大群と戦闘なんぞやってられない。それに、仮にこの場で大群と戦う、或いは黒ローブの正体を確かめるとして、では誰が町に報告する? 万一我々が全滅した場合、町は大群の不意打ちを食らう事になるんだぞ?」

 理路整然と自分達の要求が、如何に無意味で無謀かを突きつけられて何も言えなくなる愛子達。

 

 

「まぁ、ご主じ……コホンッ、彼の言う通りじゃな。妾も魔力が枯渇している以上、何とかしたくても何も出来ん。先ずは町に危急を知らせるのが最優先じゃろ。妾も一日あれば、大分回復する筈じゃしの」

 押し黙った一同へ、後押しする様にティオが言葉を投げかける。若干ソウゴに対して変な呼び方をしそうになっていた気がするが……気のせいだろう。

 

 愛子も、確かにそれが最善だと清水への心配は一時的に押さえ込んで、まずは町への知らせと、今傍にいる生徒達の安全の確保を優先する事にした。

 

 ティオが魔力枯渇で動けないので、ソウゴが抱き上げる。

 

 実は、誰がティオを背負っていくかと言うことで淳史達が壮絶な火花を散らしたのだが、それは優花達によって却下され、ティオ本人の希望もありソウゴが運ぶ事になった。

 

『ドラゴライズ!』

『キマイライズ!』

 

 ソウゴが宙に手を掲げ、空に赤と金の魔法陣を出現させる。そこから機械の様な体を持ったウィザードラゴン、ビーストキマイラが出現した。

 驚愕する一同を率い、ソウゴ達とウィル、愛子がウィザードラゴンに乗り、生徒達をビーストキマイラに乗せる。

 そしてソウゴの合図と共に、二体の魔獣は空を翔けた。

 

 

 一行は、背後に大群という暗雲を背負い、急ぎウルの町に戻る。

 

 

 




 竜化ティオは全長七メートル程度で空の王者と冠されていましたが、ふとそれで思い出してモンハンの空の王者・リオレウスと比較してみたら……


 ティオお前レウスの三分の一しかねーじゃねーか!


 結論 ティオって結構小さくね?


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第十二話 晴れ時々武器、所により虚無

前書きで! 書く事が! 無い!


「ひっ」

 

 緑光石の明かりがほんのりと道を照らす薄暗い坑道の様な場所──【オルクス大迷宮】の一角に、そんな怯えを含んだ小さな悲鳴が響いた。

 

「? どうしたの雫ちゃん?」

 

 悲鳴の主──勇者パーティの一人である雫の突然のらしからぬ様子に、隣を歩いていた香織は、こてんと首を傾げて尋ねる。

「え、えっと……いえ、何でもないわ。あれよ、ちょっと天井から水滴がね、首筋に落ちてきたのよ、うん」

「そうなんだ。ふふ」

 

 視線を逸らして、小さな悲鳴の原因を告げる雫。香織は、そんな雫の様子が水滴くらいで驚いて悲鳴を上げてしまった事への羞恥から来るものだと思い、微笑ましそうにクスリと笑う。

 

 何時魔物が襲ってくるか分からない薄暗いダンジョンの中で、しかも現在いる場所が前人未踏の階層である事を考えれば、首筋へのヒヤリとした突然の感覚に驚いたとしても何ら不思議ではない。それでもそんな自分を恥じて視線を逸らす親友の姿が、とても可愛らしく見えたのだ。

 

 

 ……という事を思っているのだろうと雫は予想しつつ、チラリと香織へ視線を戻した。そこには周囲を警戒しつつも、すっかり普段通りの雰囲気を纏う香織の姿がある。

(……やっぱり気のせいなのかしら? いやでも、最近割と頻発してるし……香織がどうこうというより、単純に私が疲れてるだけなのかしら? いやでも……)

 内心で雫はう~んと唸る。

 

 雫が突然悲鳴を上げた原因。それは断じて首筋への水滴などでは無かった。それ位で平静を乱す様なら、前人未踏の階層で勇者パーティの切り込み隊長など出来はしない。

 では、何が原因だったのかというと……

 

 

「ひゃっ」

 

「雫ちゃん?」

「雫?」

「シズシズ?」

 

 再び、今度はさっきよりも大きく上がった雫の悲鳴に、香織だけでなく光輝や鈴までもが雫の名を呼ぶ。他にも龍太郎や、鈴の親友の恵里、永山重吾率いる野村健太郎、辻綾子、吉野真央、遠藤浩介のパーティ、檜山大介率いる斎藤良樹、近藤礼一、中野信治のパーティの面々が立ち止まって雫へと視線を向けている。

 訝し気な彼等を前に、動揺した雫は自分が目撃したものをつい口走ってしまった。

 

「は、般若がっ! そ、そこに般若、いえ般若さんがっ!」

 

 何故か言い直して般若に"さん"をつける雫に、光輝達は益々訝しそうな表情になりつつも、其々のアーティファクトを手にバッと身を翻して周囲へ警戒の視線を巡らせた。

 

「雫……何処だ? その般若っぽいていう魔物は」

 

 光輝が油断無く、薄く純白の光を纏う聖剣を構えながら静かに尋ねる。周囲に目を配っても、技能である"気配感知"を使っても、近くに魔物の気配は感じられない。まさか、自分の"気配感知"にも掛からない程隠密に長けた魔物なのかと光輝のこめかみに一筋の冷や汗が流れた。

 だが、光輝の緊張感を他所に、雫は何とも微妙な表情をしつつ香織へ視線を向ける。

「……えっと、香織の後ろに見えたのだけれど……」

「えっ私!? 嘘、どこなの!? 何かいるの!?」

 

 雫の言葉に動揺する香織。まるで自分の尾を追ってくるくると回り続ける犬の様に、背後を気にしながらその場をくるくると回る。ゆったりとした法衣の様な彼女の戦闘服が動きに合わせてヒラヒラと舞い、まるでダンスでもしている様だ。

 そんな香織のほっこりする様な言動と雫の申し訳なさそうな表情に、光輝達の身体から緊張感が抜けていく。

「ごめんなさい、見間違えたみたいだわ」

「まぁそういう事もあるさ、気にする必要無いよ雫。気のせいかもって見逃すよりずっといい。メルドさん達も口を酸っぱくして言ってたじゃないか」

 雫の肩をぽんっと叩き励ます光輝に、他のメンバーもウンウンと頷いた。

 

 

 この七十台も後半の階層──第七十八階層を探索する光輝達の傍に【ハイリヒ王国】の騎士団長、皆の頼れる兄貴分メルド・ロギンスの姿は無い。メルド率いる王国騎士の最精鋭達は、七十階層で待機中だ。存在しないと思われていた大迷宮内のショートカットである転移陣が七十階層と三十階層で発見され、メルド達は七十階層側の転移陣の警護に当たっているのである。

 

 彼等は確かに王国の最精鋭ではあるし、光輝達と大迷宮の未踏破区域を進む中でその実力を更に伸ばしていったのだが、流石に七十階層の後半ともなれば付いていけなくなった為、退路の確保に就いているのである。

 

 遂に騎士達の庇護を離れ自分達だけで大迷宮に挑む事になった光輝達に、メルドはそれはもう「お前は母親か」というツッコミが入る程大迷宮でのノウハウを繰り返し言い聞かせた。

 最終的には「ハンカチは持ったか? 拾い食いはするなよ? 変なモン食べたらすぐにペッしろよ?」と、大迷宮とは無関係な注意をし始め、更には「そんな装備で大丈夫か?」などと言い出す始末。聖剣を始め、最高位のアーティファクトを指して"そんな装備"呼ばわりするメルドの心配は止まる事を知らなかった。「王国から譲り受けた至宝でしょうが!?」と光輝達がツッコミを入れたのは言うまでもない。

 

 結局、雫の見間違いという事で落ち着いた光輝達は、

「雫でもテンパる事があるんだなぁ」

「般若に"さん"つけて慌てるシズシズ……ご馳走様でした」

「鈴、そのうぇっへっへっへっていう笑い方止めようよ……」

 等と言いながら探索を再開した。先頭を歩く光輝に続きながら、雫は傍らの香織をチラチラと見やる。

「ね、ねぇ、香織」

「何? 雫ちゃん」

「その、大丈夫?」

「?」

 

 雫の質問の意図が直ぐには分らなかった香織は、キョトンとした表情を晒す。しかし一拍して何か思い当たった様で、サッと顔色を蒼褪めさせ動揺を露わにした声音で逆に雫へ尋ねる。

「し、雫ちゃん……もしかして、まだ私の後ろに何か見えるの? 雫ちゃん、何時から見る人になったの!? 私、何か悪いものに憑りつかれてるの!?」

「ち、違うわよ! 別に何も無いから!」

「ほ、本当だよね?」

 未だ後ろをチラチラと振り返っては何かよからぬものがいないか確認する香織。シャワー等を浴びている時、不意に背後に気配を感じて振り返るが当然誰もおらず、しかし一度気になりだすともう止まらないあの心理状態である。幽霊等ホラー系が心底苦手な香織であるから、尚更親友が目撃したという"般若さん"が気になるのだ。

 とその時、何度目かの“後ろをチラッ”を行った香織の視界の隅に、ゆらりと揺れる黒い影が映った!

 

「いやぁあああああっ! 般若さん出たぁあああっ!」

 

「えっ、ちょっ、へぶらぁあっ!」

 思わず大迷宮にあるまじき悲鳴を上げながら目を瞑るという危険行為をしつつ、手に持っているアーティファクトの杖をフルスイングする香織。直後響いたのは、ドグゥッ! という何かを殴りつけた様なくぐもった音と、男子生徒の悲鳴。

 

「浩介ぇっ!」

「そんな所にいたのかっ!?」

「遠藤くんが飛んだっ!」

「なんて綺麗な放物線!」

 

 そう。香織に"般若さん"と見間違えられて杖によるフルスイングを受けたのは永山パーティ一、否、或いは世界で一番影の薄い男として矛盾に満ちた称賛を受ける──遠藤浩介だった。なにせこの異世界トータスに来る前から、コンビニの自動ドアすら見逃してしまう影の薄さを誇っていた。

 

 そんな彼の天職は"暗殺者"。

 

 長年の友人である重吾や健太郎をして、すぐ隣にいても「あれ、浩介どこ行った?」「トイレか?」「……さっきから、ここにいるよ」というやり取りをほぼ毎日してきたのだ。召喚される前から最早超能力の域に踏み込んでいそうな影の薄さは、トータスに来てから更に磨きがかかった。

 

 そう……ずっと雫や香織の後ろを歩いていて、何度も振り返る香織の視界の中にいながら一切気付いてもらえない程に……。

 

 

 自分を素通りしつつも不安そうにちょっと涙目になりながら、チラチラと振り返る香織の表情は破壊力抜群だった。そろそろ眼前に晒される香織の表情に心拍数がヤバい! と感じた浩介は、場所を変えようとしたのだが……結果は言わずもがな。破壊力は抜群だった!

 

「え? 遠藤くん!? わわっ、ごめんなさい!」

 

 重吾達の声で、"般若さん"の正体見たり、遠藤くん! と理解した香織は、頬を真っ赤に腫らしながらまるで暴漢に襲われた女子の様に足を揃えて崩れ落ちている浩介に、魔術による癒しの光を掛けた。何処か遠い目をしながら、淡い白菫色の光に包まれる浩介。実に、哀れさを感じさせる姿だった。

 ペコペコと何度も頭を下げる香織と、「そろそろ檜山達の目が怖いから、もういいよ。……それにこういうの、慣れてるし」と更に哀れを誘う様な事を言いつつ、重吾達に慰められる浩介。攻略組随一の斥候役が、あんまりと言えばあんまりな不慮の事故によりリタイアする心配も晴れて、一行は先へと進み始める。

 

「香織、ごめんなさいね。怖がらせて」

「ううん、私が過剰だっただけだよ。気にしないで」

 騒動の原因が元を糺せば自分にあると謝罪を口にした雫は香織の許しを得てホッとしつつも、どうしても自分がここ最近何度も目撃しているものの事が気になって、先の質問を今度は言葉を変えて繰り返した。

「それで香織、最近変わった事は無い? ほら、時々なんというか、思い詰めた……という感じではないけれど、何か心ここに在らずというか、どこか遠くを睨んでいるというか……そういう事、よくあるじゃない?」

「ええ? 私そんな感じだった? 自分ではそんな意識、全然無いんだけど……」

「そう……」

 やっぱり気のせいだったかしらん? と首を傾げつつ、香織が特に思い当たらないというのなら問題は無いのだろうと雫は自分に言い聞かせる様に納得しようとした。だがその寸前、香織が何か思い当たった様に手をポンッと叩く。

「あ。でも時々、変な感じはするかな?」

「変な感じ?」

「うん、うまく表現出来ないんだけど……」

 

 可愛らしく「う~ん」と首を傾げながら視線を彷徨わせる香織は……直後、スッと表情を消した。何の感情も浮かんでいない無機質極まりない……そう、まるで能面の様な表情! そして、

 

「どこかの泥棒猫に、大切なものを取られちゃった……みたいな?」

「か、香織? いえ香織さん?」

「ふふふ、おかしいね? ふふふ……」

 

「香織ぃ! 私が悪かったわ! 二度と変な事訊かないから、こっちの世界に戻ってきなさぁーーい!」

 おかしいねと言いながら、そして「ふふふ」と笑い声を漏らしていながら、しかし表情は相変わらずの能面。雫が「これアカンやつや!」と動揺のあまり、内心で下手な関西弁になりつつ香織に制止と現実への帰還の言葉を掛ける。

 

 何でこんな事にと思うが、まさか今この瞬間、遠くで某魔王がとある吸血姫にじゃれつかれている事が原因である事に思い至る筈も無く、ただ親友の頬をペチペチしながら正気に戻すしかない。

 

「ねぇ雫ちゃん、何で私の頬をペチペチするの? やめてよぉ」

「戻ってきたのね香織! うぅ、よかったよぉ……」

 ごく自然に香織はいつもの雰囲気に戻り、そんな香織を見て雫は安堵の息を吐いた。原因は分からないが、どうやら親友は遠くで起きている何か不愉快な出来事を、これまた何故そんな事が出来るのかわからないが察知してプチ暗黒面に片足を突っ込むという事を繰り返しているらしい。

 

 ここは異世界。魔法があり、魔物もいて、おまけに神なんて超常の存在もいる。ならばそんな摩訶不思議な事があっても、きっとおかしくはない……筈。と、半ば強引に自らを納得させ、原因が分からないなら分からないなりに香織がブラックカオリになる前にこちら側に連れ戻せばいいとキョトンとしている香織を見つめながら、雫は決意をするのだった。

 雫が微妙な決意をしていると、先頭を行く光輝が不意に立ち止まった。

 

「皆、警戒してくれ。この先に何かいる。"気配感知"に掛かった、反応は一つだ」

「先行して確認してこようか?」

「魔物が一体だけだろう? 遠藤が確認するまでもねぇ、速攻で袋叩きにしてやりゃいいじゃねぇか」

 

 通常、魔物に見つかるより先にその存在を感知した場合は、浩介が先行して隠密技能を駆使しながら敵戦力の程度を測る。なので浩介は一歩前に出ながら提案したのだが、それを龍太郎が拳を打ち鳴らしながら否定した。

 確かに、これまでも魔物の数が少ない場合は浩介が確認するまでもなく戦闘に入った事は何度もある。なので光輝は、龍太郎の意見を採用してそのまま全員で進む事にした。

 やがて、薄暗い通路の先に見えてきたのは……

 

「え……人?」

 

 光輝の愕然とした呟きに、他のメンバーも目を丸くして前方を見やる。その視線の先には、確かに人らしきものがいた。尤も、壁に体の半分以上を埋め込まれているという捕捉が付くが。髪が長く項垂れている為、表情どころか生死の確認も出来ないが、華奢な体つきから女性の様に見えた。

「た、大変だ! 早く助けないと!」

「ちょっと待ちなさい、光輝!」

 もしや上層で魔物に攫われたか、或いはトラップに掛かった冒険者が捕らわれているのではと考えた光輝が、慌てた様に駆けていく。それを制止する雫だったが、光輝の高スペックは既に自身を目的地へ運んでいた。

 

 光輝が「君っ、大丈夫か!?」と声を掛けながら手を伸ばす。

 その瞬間、光輝の足がずぶりと地面に沈んだ。どうにかバランスを取って転倒だけは回避した光輝だったが、慌てて視線を足元にやれば、いつの間にかそこは硬い地面ではなくぬかるんだ泥沼の様になっていて、光輝の両足を踝まで沈めて捕らえている光景があった。そしてその直後、光輝の周囲の泥が一気にせり上がると、一瞬で人型に変形する。

 

 泥で出来た人型の人形──クレイゴーレムだ。

 

 そのクレイゴーレム達は、これまた一瞬で両腕を鋭い鎌に変形させると、泥から抜け出そうと藻掻く光輝へ振りかぶった。

 呻きながらも光輝は聖剣に光を纏わせ、全周囲を斬り払おうとする。右手による左薙ぎから、背中側で左手に持ち替えてそのまま右薙ぎに移行する──八重樫流刀術の一つ"水月"という技だ。がしかし、八重樫流の門下生として何度も練習したその技は、光輝自らの手によって不発に終わってしまった。

 

「っ! し、雫!?」

 

 そう。斬り払おうとした相手が、雫の顔をしていたから。正確には、クレイゴーレムの顔がグニャリと変形すると一瞬で雫の顔になったのだ。勿論身体はクレイゴーレムのままであるから、それが雫でない事は一目瞭然だ。しかし、大切な幼馴染の顔が目の前にいきなり現れたのだ、思わず動揺してしまうのは仕方がない事かもしれない。

 尤も、当然の結果としてその代償は高く付くかと思われた。が、

 

「疾っ」

「──"縛煌鎖"!」

 

 光輝を取り囲んでいたクレイゴーレムの右半分が斬撃の軌跡と共に斬り裂かれて霧散し、更に左半分が白菫色に輝く無数の鎖に全身を絡め取られて動きを封じられる。クレイゴーレムは直ぐに体を泥化させて拘束を抜け出すが、次の瞬間には宙に描かれた真円の軌跡に両断されて崩れ落ちた。納刀状態から回転しながら抜刀し、全周囲を斬り払う──八重樫流刀術の一つ、"水月・漣"。行使者は当然雫だ。

「光輝、無事?」

「大丈夫だ。すまない、助かった」

 

 香織の"縛煌鎖"に掴まって泥沼から抜け出しつつ、光輝が礼を言う。その時には既にあちこちからクレイゴーレムが湧き出し、光輝のみならず永山パーティや檜山パーティも取り囲んで、両腕の変幻自在な鎌により死に誘おうとしていた。

 

「くそっ、こいつらキリがねぇぞ! どうやったら倒せんだ!?」

「倒しても、直ぐに復活しちゃうよ!」

 

 龍太郎が正拳突きでクレイゴーレムを吹き飛ばすが、直ぐに泥が集まって復活してしまう。それは他のメンバーの戦闘でも同じだった。

 光輝が駆け回りながらクレイゴーレムを倒しつつ、どうすればと状況の打開方法を考える。すると、視界の端に雫が駆け寄って来るのが見えた。今度は見間違いない、確かに体の方も雫の恰好をしている。光輝は聡明な彼女の知恵を借りようと、湧き上がってくるクレイゴーレムを倒しながら自らも雫の下へ行こうとする。

 

 だが、同時に気付いた。寄って来る雫の背後──光輝が捕らわれた人間だと思った壁の女が……いない、という事に。ゾワリと背筋が粟立った。奴はどこに? と雫から視線を外して周囲を警戒する。

「雫、注意しろ! 壁に埋まってた奴がいない! どこかに潜んで──」

 

「馬鹿っ、目の前にいるでしょう!?」

 

 警告を飛ばす光輝が、思いっきり鎧の首元を引かれて「ぐえっ」と声を漏らしながら後方へ倒れ込む。と同時に、光輝の顔面をふわりと風が撫でた。咳き込みつつ光輝が視線を上げれば、そこには顔も体も雫のままなのに、右腕だけがそのまま伸長して剣になった雫の姿があった。はらりと舞うのは光輝の前髪数本。間一髪、首ちょんぱは回避出来たらしい。

「どうやらあれが親玉みたいね。他のと違って、体や恰好まで擬態できるみたい」

 光輝の背後から冷静な声が響く。そこには、右腕以外は眼前の雫と全く同じ雫の姿があった。どうやら雫の言う通り、壁の女がクレイゴーレムのボスだったらしい。

 クレイゴーレムのボスは左腕も剣に変えると、次の瞬間凄まじい勢いで攻撃を仕掛けてきた。

 

「そう何度も、いい様にやられてたまるかっ!」

 

 両腕の剣が鞭の様に不規則な軌道を描いて飛来する。それを光輝は聖剣で弾き、或いは逸らして防ぐ。そして一気に踏み込もうとするが、寸前でボスの周囲から大量の泥の鎌が出現し一斉に襲い掛かってきた。半球状に光輝を取り囲む様にして振るわれる無数の大鎌。それも、斬り払っても斬り払っても次々と再生しては間断無く襲ってくる。

 一応泥で構成されているので、一瞬の攻撃力とは裏腹に耐久力は皆無に等しい。その為左程力を込めなくても取り合えず当てさえすれば相手の攻撃を防ぐ事は出来る。ただ、周囲が全て泥なので手数だけは尋常ではない。それ故に光輝はボスの攻撃を防ぐので精一杯だ。他のメンバーも、次々と現れるクレイゴーレムの群れにやられはしないだろうが四苦八苦している。

 

 光輝が"限界突破"を使用して纏めて吹き飛ばすという選択肢を頭の片隅に入れ始めたその時、ボスの背後に躍り出る人影を見た。光輝の口元が思わずニヤリとなる。

 

(流石雫! 頼んだ!)

(承知よ)

 

 視線で会話しつつ、光輝が防戦している間に自慢の速度でボスの背後に回り込んだのは雫だ。ボスを防衛しようとするクレイゴーレム数体を纏めて斬り払うと、トレードマークのポニーテールを靡かせながら一瞬で納刀し、震脚の如き踏み込みでボスへと迫る。

 刹那、ボスが変化した。──香織の姿に。

「っ!」

 息を吞み、目を見開く雫。目の前にいるのは魔物だ。分かっている、頭では。だが、心まで一瞬で納得出来る程には雫とて成熟していない。普通なら、心が体を止めてしまうだろう。親友の顔を両断するなど……

 

「っぁあああああ!!」

 

 裂帛の気合、或いは絶叫。己の上げたそれで、躊躇う心を捻じ伏せる。放たれるのは抜刀術による高速の逆風──八重樫流刀術の一つ、"登龍"。本来はそこから跳躍し空中回し蹴りと鞘による横薙ぎの二連撃が待っている技だが、今回は必要無かった。

 

 文字通り、滝を登る龍が水流を真っ二つにするが如くボスを綺麗に両断した雫の斬撃は、そのままボスの内にあった魔石をも切り裂いたのだ。ドロドロと形を崩すボスの泥の上にポトリと落ちる魔石と共に、周囲のクレイゴーレム達も形を崩していく。

 

 

「やったな雫!」

 光輝が喜色を浮かべて駆け寄って来る。それに対し雫は、ニッコリと笑顔を浮かべて「やったわね」と返した。そして光輝が同じ様に駆け寄って来る龍太郎達へ振り返り歩み寄って行くと、雫はそっと自分の掌を見つめた。そこには少しだけ、クレイゴーレムの泥がこびり付いている。雫はそれにぎゅっと眉を寄せ、少し乱暴に拭った。泥が落ち、綺麗になった自分の手。しかし雫の表情は……

 

「雫っ!」

「え?」

 

 自分の手を見つめてぼうっとしていた雫に、光輝の突然の怒声。呆けた声を上げつつも、本能が鳴らす警鐘が背後に迫る死を告げる。肩越しに振り返った雫の視線の先──そこには、天井から糸を垂らし宙に浮かぶ大蜘蛛の姿があった。八つの赤黒い目が雫を捉え、毒々しい液体が滴る鋭い爪のついた足が今にも突き出さんと構えられている。

 「あっ」と声を出したのは誰か。ほんの少し警戒を緩めてしまった代償は、あまりに高い。それが、それこそが大迷宮。死が隣人となってにこやかに挨拶をする。今生との別れの挨拶を。ここはそういう場所なのだ。

 

「──"縛光刃"」

 

 尤も、今回ばかりは大迷宮の隣人も振られてしまった様だ。突き出された八本の毒爪が雫に到達する前に白菫色に輝く十字架が大蜘蛛を貫いて突き飛ばし、そのまま壁に縫い付けられてしまった。殺傷能力の無い捕縛系統の魔術であるから、大蜘蛛には大したダメージは無い。それでも壁に叩きつけられた衝撃で、多少は怯ませる事が出来た様だ。

 

 間一髪、雫を救ったのは親友の魔術。同じ様に雫を障壁で守ろうとしていたらしい鈴が、「カ、カオリン、速すぎ……」と唖然とした様な表情で目を見開いている。

 

「香織……ありがとう、お陰で命拾い──」

 雫が香織に礼の言葉を掛けるが、それを言い終える前に香織はスタスタと歩き出した。加えて、何故か脳内に「触らぬ神に祟りなし~」という声が響き、雫は言葉を止めてしまう。光輝達も、何となく香織の雰囲気に気圧されている様だ。

 

 その香織は、壁に磔にされながらワシャワシャと動く大蜘蛛の前で立ち止まると、錫杖を掲げて光の鎖──"縛煌鎖"を呼び出した。それも夥しい数を。ジャラジャラと音を立てて地面から壁から天井から伸びてくる鎖の群れは、そのまま大蜘蛛に絡みつくと壁から引き剥がし、空中で幾重にも巻き付いて球体を形作っていく。

 

「あ、あの……香織?」

 

 無言で作業を進める香織の背に雫が死にかけた恐怖も忘れて、何故か肌にぷつぷつと鳥肌を浮かべながら声をかける。

 すると今度は香織も反応し、ベキッゴキュッバキッと中の大蜘蛛に生々しい音を奏でさせながら少しずつ縮小していく鎖の球体から視線を外して、ゆっく~りと振り返った。

 

 ──背後に、ゆらりと揺らめく鬼面を被った白装束の幻影を出現させながら。

 

「「「「「般若さんっ!?」」」」」

 ここに、雫が幻覚を見ていた訳ではない事が証明された。光輝達が「ひいっ」と悲鳴を上げながら後退る。

「か、香織? いえ香織さん? その、あのね、後ろに──」

 

「ふふっ、おかしいね雫ちゃん。どうしていきなり“さん”付けなの? ふふふ、おかしいね。不意に……泥棒猫どころか泥棒兎にすらポジションを取られた様な気分になっちゃうくらいおかしいね?」

 

 おかしいのは今の香織だ……とはとても言えない。だって背後の般若さんが、何処からか取り出した大太刀で肩をトントンし始めたから。親友は一体、どんな電波を受信しているのか。

 

 まさかこの時、とある某魔王が残念兎の頭を撫でているとは知る由もない雫は、若干壊れ気味な親友の有様に、一人頭を抱えるのだった。

 その後、また唐突にいつもの調子に戻った香織により大蜘蛛も完全に倒され、一行は先へ進んだ。

 

 その後の道中、やっぱり不意に何かを受信して般若さんを出現させる香織を諫めたり、そんな香織を見て様々な意味で暴走しそうな勇者を諫めたり、やたらと吶喊しようとする脳筋にジャーマンスープレックスをかましたり、般若さんのご機嫌を取ったり、隙あらばセクハラ発言を量産するちっこい結界師にアイアンクローを決めたり、檜山パーティの自信過剰や楽観視を注意したり、般若さんにお帰り願ったり……

 

「私、禿げるかもしれない……」

 

 【オルクス大迷宮】──魔物蔓延る死と隣り合わせのダンジョンに、そんな己の毛根を心配するうら若き乙女剣士の苦労の滲んだ小さな呟きが響いた。

 

 クラス一苦労性な彼女の毛根を救う者は現れるのか……それは神のみぞ知る、先の話である。

 

 

 

 主とその一行を乗せたドラゴンとキマイラが、行きよりもなお速い速度で帰り道を爆翔する。速度を優先した為に、乗り慣れていないソウゴ以外のメンバーに間断無い衝撃を、特に騎手不在のキマイラに乗った生徒達にはミキサーの如きシェイクを与えていた。

 

「と、常磐~! もうっ、ちょっとぉ! 何とかならないのかぁ!?」

「ふ、振り落とされるぅううう!」

「昇ぅ! 今助けっあべっ──舌がっ、俺の舌がぁ!」

 

 淳史が急造で拵えられた座席にヤモリの様に張り付きながら叫び、昇が座席から半分以上体を投げ出され、それを助けようとして明人が舌に破滅的打撃を負ってのたうち回る。

 

 

 と、その時。【ウルの町】と【北の山脈地帯】の丁度中間辺りの場所で完全武装した護衛隊の騎士達が猛然と馬を走らせている姿を発見した。ソウゴの目には、先頭を鬼の形相で突っ走るデビッドやその横を焦燥感の隠せていない表情で併走するチェイスの表情がはっきりと見えていた。

 

 暫く走り、彼等も前方から爆走してくる二体の機獣を発見したのか俄に騒がしくなる。彼等から見ればどう見ても未知の魔物にしか見えないだろうから当然だろう。武器を取り出し、隊列が横隊へと組み変わる。対応の速さは、流石超重要人物の護衛隊と賞賛できる鮮やかさだった。

 

 別に攻撃されたところで、ソウゴとしては突っ切ればいいので問題無かったが、愛子はそんな風に思える訳も無く、先程から借りてきた猫の様に大人しくしているティオや青い顔でキマイラの座席にしがみつく淳史達が攻撃に晒されたら一大事だと、自分が転げ落ちない様に掴まり立ちながら必死に両手を振り、大声を出してデビッドに自分の存在を主張する。

 

 

 愈々以て魔術を発動しようとしていたデビッドは、高速で向かってくる銀の機竜の上からニョッキリ生えている人らしきものに目を細めた。

 

 普通ならそれでも問答無用で先制攻撃を仕掛けるところだが、デビッドの中の何かがみょんみょんと働きストップをかける。言うなれば、高感度愛子センサーとも言うべき愛子専用の第六感だ。

 

 手を水平に伸ばし、攻撃中断の合図を部下達に送る。怪訝そうな部下達だったが、やがて近づいてきたドラゴンの上部から生えている人型から聞き覚えのある声が響いてきて目を丸くする。デビッドは既に、信じられないという表情で「愛子?」と呟いている。

 

 一瞬「まさか愛子の下半身が魔物に食われているのでは!?」と顔を蒼褪めさせるデビッド達だったが、当の愛子が元気に手をブンブンと振り「デビッドさーん、私ですー! 攻撃しないでくださーい!」張りのある声が聞こえてくると、どうも危惧していた事態では無い様だと悟り、ドラゴンとキマイラには疑問を覚えるものの愛しい人との再会に喜びを露わにした。

 シチュエーションに酔っているのか恍惚とした表情で「さぁ! 飛び込んでおいで!」とでも言う様に、両手を大きく広げている。隣ではチェイス達も「自分の胸に!」と両手を広げていた。

 騎士達が恍惚とした表情で両手を広げて待ち構えている姿に、ソウゴは嫌そうな顔をする。なので、愛子としては当然デビッド達の手前でソウゴが止まってくれるものと思っていたのだが……

 

「ドラゴン、撃っていいぞ」

 

 ソウゴはドラゴンに命令し、デビッド達に向けて炎を吐かせた。

 距離的に明らかに減速が必要な距離で、減速しないどころか攻撃してきたドラゴンに騎士達がギョッとし、慌てて進路上から退避する。

 ウィザードラゴンは、笑顔で手を広げるデビッド達を問答無用で吹き飛ばした。愛子の「なんでぇ~」という悲鳴じみた声がドップラーしながら後方へと流れていき、デビッド達は続けてビーストキマイラに正面衝突される。そして次の瞬間には「愛子ぉ~!」と、まるで恋人と無理やり引き裂かれたかの様な悲鳴を上げて、より高く空中へと跳ね飛ばされたのだった。

 

 

「常磐さん! どうして、あんな危ない事を!」

 愛子がプンスカと怒りながら座り込み、ソウゴに猛然と抗議した。

「止まる理由があるまい。止まれば当然の様に事情説明を求められる。そんな時間があるのか? どうせ町で事情説明するのだから二度手間になるだろう?」

「うっ、た、確かにそうです……」

 

 若干納得いってなさそうだが、確かに勝手に抜け出てきた事やソウゴのアレコレも含めれば多大な時間が浪費されるのは目に見えているので口を噤む愛子。ソウゴの隣の座席に返り咲いていたユエが、ソウゴの耳元に顔を寄せそっと聞いた。

 

「……本音は?」

「笑顔の騎士達が気持ち悪かった」

「……ん、同感」

 

 

 【ウルの町】に着くと、悠然と歩くソウゴ達とは異なり愛子達は足をもつれさせる勢いで町長のいる場所へ駆けていった。ソウゴとしては、愛子達とここで別れてさっさとウィルを連れてフューレンに行ってしまおうと考えていたのだが、寧ろ愛子達より先にウィルが飛び出していってしまった為仕方なく後を追いかけた。

 

 町の中は活気に満ちている。料理が多彩で豊富、近くには湖もある町だ。自然と人も集う。まさか一日後には、魔物の大群に蹂躙されるなどは夢にも思わないだろう。ソウゴ達はそんな町中を見ながら、屋台の串焼きやら何やらに舌鼓を打ちながら町の役場へと向かった。

 

 

 ソウゴ達が漸く町の役場に到着した頃には、既に場は騒然としていた。

 【ウルの町】のギルド支部長や町の幹部、教会の司祭達が集まっており、喧々囂々たる有様である。皆一様に信じられない、信じたくないといった様相で、その原因たる情報を齎した愛子達やウィルに掴みかからんばかりの勢いで問い詰めている。

 

 普通なら「明日にも町は滅びます」と言われても狂人の戯言と切って捨てられるのがオチだろうが、今回ばかりはそうそう無視など出来ない。何せ"神の使徒"にして"豊穣の女神"たる愛子の言葉である。そして最近、魔人族が魔物を操るというのは公然の事実である事からも、無視などできよう筈も無かった。

 

 

 因みに道中での話し合いで愛子達は、報告内容からティオの正体と黒幕が清水幸利である可能性については伏せる事で一致していた。

 

 ティオに関しては、竜人族の存在が公になるのは好ましくないので黙っていて欲しいと本人から頼まれた為。黒幕に関しては、愛子が未だ可能性の段階に過ぎないので不用意な事を言いたくないと譲らなかった為だ。

 愛子の方は兎も角、竜人族は聖教教会にとっても半ばタブー扱いである事から、混乱に拍車をかけるだけという事と、バレれば討伐隊が組まれてもおかしくないので面倒な事この上ないと秘匿が了承された。

 

 

 そんな喧騒の中に、ウィルを迎えに来たソウゴがやって来る。周囲の混乱などどこ吹く風だ。

 

 

「おいウィル、勝手に突っ走るな。自分がまだ保護対象だという自覚を持て。報告が済んだなら早急にフューレンに向かうぞ」

 そのソウゴの言葉にウィル他、愛子達も驚いた様にソウゴを見た。他の重鎮達は「誰だこいつ?」と、危急の話し合いに横槍を入れたソウゴに不愉快そうな眼差しを向けた。

「な、何を言っているのですか? ソウゴ殿。今は、危急の時なのですよ? まさか、この町を見捨てて行くつもりでは……」

 信じられないと言った表情でソウゴに言い募るウィルにソウゴは、鉄面皮とも言える表情で軽く冷静に返す。

「見捨てるもなにも、どの道町は放棄して救援が来るまで避難するしかないだろう? 観光の町の防備なぞたかが知れているだろうが……どうせ避難するなら、目的地がフューレンでも別にいいだろう。少々他の者より早く避難するだけの話だ」

「そ、それは……そうかもしれませんが……でも、こんな大変な時に、自分だけ先に逃げるなんて出来ません! 私にも、手伝えることが何かある筈! ソウゴ殿も……」

 "ソウゴ殿も協力して下さい"。そう続けようとしたウィルの言葉は、ソウゴの冷めきった眼差しと取り付く島もない言葉に遮られた。

 

「再三言っているが、私の仕事は貴様をフューレンに連れ帰る事、この町の事は依頼の管轄外だ。いいか? まず第一に確保すべきは貴様の安全だ。それも理解できんようなら……死体にしてでも連れて行く」

「なっ、そ、そんな……」

 

 ソウゴの醸し出す雰囲気から、その言葉が本気であると察したウィルが顔を蒼褪めさせて後退りする。その表情は信じられないといった様がありありと浮かんでいた。

 

 ウィルにとって、ゲイル達ベテラン冒険者を苦も無く全滅させたティオすら圧倒したソウゴは、ちょっとしたヒーローの様に見えていた。なので、容赦の無い性格であっても町の人々の危急とあれば、何だかんだで手助けをしてくれるものと無条件に信じていたのだ。なので、ソウゴから投げつけられた冷たい言葉に、ウィルは裏切られた様な気持ちになったのである。

 

 言葉を失い、ソウゴから無意識に距離を取るウィルにソウゴが決断を迫る様に歩み寄ろうとする。一種異様な雰囲気に、周囲の者達がウィルとソウゴを交互に見ながら動けないでいると、ふとソウゴの前に立ち塞がる様に進み出た者がいた。

 

 愛子だ。彼女は、決然とした表情でソウゴを真っ直ぐな眼差しで見上げる。

 

「常磐さん。貴方なら……貴方なら魔物の大群をどうにか出来ますか? いえ……出来ますよね?」

 愛子は、どこか確信している様な声音でソウゴなら魔物の大群をどうにか出来る、即ち、町を救う事が出来ると断じた。その言葉に、周囲で様子を伺っている町の重鎮達が一斉に騒めく。

 

 

 愛子達が報告した襲い来る脅威をそのまま信じるなら、敵は数万規模の魔物なのだ。それも、複数の山脈地帯を跨いで集められた極めて強力な。

 それはもう戦争規模である。そして、一個人が戦争に及ぼせる影響など無いに等しい。それが常識だ。それを覆す非常識は、異世界から召喚された者達の中でも更に特別な者──そう勇者だけだ。

 

 それでも、本当の意味で一人では軍には勝てない。人間族を率いて仲間と共にあらねば、単純な物量にいずれ呑み込まれるだろう。

 

 なので、勇者ですらない目の前の少年(の様に見える不老者)が、この危急をどうにか出来るという愛子の言葉は、たとえ“豊穣の女神”の言葉であっても俄かには信じられなかった。

 ソウゴは愛子の強い眼差しに、顎に手を当てる素振りを見せると、試す様な物言いになる。

「やるやらんはさておき、可か不可かで言うなら可能だな」

「やっぱりそうなんですね?」

「あぁ。そしてこれも再三言ったが、私が出るかどうかはこの町の者達次第だ」

 愛子とソウゴのやり取りに、どういう事だと眉を顰める町の権力者達。そんな彼等に目もくれず、愛子はソウゴの目を見据えて真剣な表情のまま頼みを伝える。

 

「常磐さん。どうか力を貸してもらえませんか? このままでは、きっとこの美しい町が壊されるだけでなく、多くの人々の命が失われる事になります」

 

「……意外だな。貴様は生徒達の事が最優先なのだと思っていた。色々活動しているのも、それが結局少しでも早く帰還できる可能性に繋がっているからじゃなかったのか? なのに見ず知らずの人々の為に、その生徒に死地へ赴けと? その意志も無いのに? まるで戦争に駆り立てる教会の詐欺師共や権力者の様な考えだな?」

 ソウゴの揶揄する様な言葉に、愛子は「うっ」と言葉に詰まる。心の内の葛藤を示す様に、唇を嚙みしめ眉間に皺を寄せる。

 

 しかしその眼差しをソウゴへ真っ直ぐに向けて、何かを確かめる様に見つめる事数秒。やがて愛子は、逡巡を振り払うかの様に決然とした表情になった。それは"先生"の表情。日本に居た頃から、生徒が何か問題を抱えた時に決まって浮かべていた表情だった。

 近くで愛子とソウゴの会話を聞いていた【ウルの町】の教会司祭が、ソウゴの言葉に含まれる教会を侮蔑する様な言葉に眉を顰めているのを尻目に、愛子は真剣な声音で口を開いた。

 

「……元の世界に帰る方法があるなら、直ぐにでも生徒達を連れて帰りたい。その気持ちは今でも変わりません。でも、それが出来ないから……なら今、この世界で生きている以上、この世界で出会い、言葉を交わし、笑顔を向け合った人々を、少なくとも出来る範囲では見捨てたくない。そう思う事は、人として当然の事だと思います。勿論、先生は先生ですから、いざという時の優先順位は変わりませんが……」

 愛子が一つ一つ、自分の言葉を確かめる様に言葉を紡いでいく。

 

「常磐さん、私より長く生きている貴方の考えは、今の私では分かりません。もしかしたら、私達とは違う物事が見えているのかもしれません。一万分の一程度しか生きていない先生の言葉など…貴方には軽いかもしれません。でも、どうか聞いて下さい」

 ソウゴは黙ったまま、先を促す様に愛子を視界に収めている。

「常磐さん。先生が、生徒達に戦いへの積極性を持って欲しくないのは、帰った時日本で元の生活に戻れるのか心配だからです。殺す事に、力を振るう事に慣れて欲しくないのです」

「……」

「常磐さん、貴方には貴方の価値観があり、貴方の基準で動いているのでしょう。それに、先生が口を出して強制する様な事は出来ません。ですが、私は知っています。学校で生徒として振舞っていた時の貴方を。貴方が私達の朝食を用意してくれた時、とても優しい顔をしていた事を。それが貴方の、元々持っていた他者を思い遣る気持ちだという事を。ですからどうか、その優しさを、私達を守ってくれた経験と知恵をもう一度、私達の為に使って頂けませんか?」

 

 

 一つ一つに思いを込めて紡がれた愛子の言葉が、向き合うソウゴに余す事無く伝わってゆく。町の重鎮達や優花達も、一部訝し気ながらも愛子の言葉を静かに聞いている。

 

 特に生徒達は、力を振るってはしゃいでいた事を叱られている様な気持ちになり、バツの悪そうな表情で俯いている。それと同時に、愛子は今でも本気で自分達の帰還とその後の生活まで考えてくれていたという事を改めて実感し、どこか嬉しそうな擽ったそうな表情も見せていた。

 

 

 ソウゴは、例え世界を超えても、どんな状況であっても、全くブレずに“先生”であり続ける愛子に、内心感心せずにはいられなかった。

 

 愛子が本人の言葉の通りソウゴの万分の一程度の人生経験しかない以上、年長者として、または戦士、権力者として「軽い」と切り捨ててしまってもいいだろう。

 

 だがソウゴには、そんな事をする気は起らなかった。今も真っ直ぐ自分を見つめる"先生"に、それこそソウゴの経験から見ても滅多にいない、人格者としての器を見たのだ。

 

 ソウゴは愛子から、すぐ傍に立つユエへと視線を転じる。ユエはどういう訳か、懐かしいものを見る様な目で愛子を見つめていた。しかしソウゴの視線に気がつくと、真っ直ぐに静かな瞳を合わせてくる。その瞳には、ソウゴがどんな答えを出そうとも付いていくという意志が見えた。視線を変えれば、シアも同様の意志を目に宿している。

 ソウゴはそれを確認した後、愛子に再度向き合う。

 

「……私の先程の言葉を覚えているか?」

 それは、言外に愛子を試す言葉。

「戦うかどうかはこの町の人達次第、ですよね?」

 それに、一瞬の躊躇いもなく答える愛子。

 

「たとえそれが、対価を求めるものだとしても? それでも貴様は私の助力を乞うか?」

「……それでこの町を、皆を守れるのなら」

 

 ソウゴは暫く、その言葉に偽りが無いか確かめる様に愛子と見つめ合う。態々言質をとったのは、ソウゴ自身が愛子の資質と価値を確かめたかったからだ。ソウゴは、愛子の瞳に偽りも誤魔化しも無い事を確かめると、徐に踵を返し出入口へと向かった。ユエとシアも、すぐ後に続く。

「と、常磐さん?」

 そんなソウゴに、愛子が慌てた様に声をかけた。ソウゴは振り返ると、ニヤリと悪戯じみた笑みを浮かべて言葉を返す。

「良いだろう、契約成立だ。私が対処してやろう」

「常磐さん!」

 ソウゴの返答に顔をパァーと輝かせる愛子。

 

「既に対価は支払ってもいいと言質は取ったからな。魔物共を蹴散らしたら、報酬としてこの町を貰うぞ」

 

 そう言ってサラッと爆弾を投下し、両隣のユエとシアの肩をポンっと叩くと再び踵を返して振り返らず部屋を出て行った。ユエとシアが、それはもう嬉しそうな雰囲気をホワホワと漂わせながら、小走りでソウゴの後を追いかけてゆく。

 

 

 パタンと閉まった扉の音で、愛子とソウゴの空気に呑まれて口を噤んでいた町の重鎮達が、一斉に愛子に事情説明を求めた。

 

 愛子は肩を揺さぶられながら、ソウゴが出て行った扉を見つめていた。その顔に、ソウゴに説得が伝わった喜びは既にない。ソウゴに語った事は、紛れもない愛子の本心だ。

 

 だが結果、年長者で歴戦の戦士とはいえ、大切な生徒に魔物の大群へ立ち向かう事を決断させた事に変わりはない。力を振るう事に慣れて欲しくないと言いながら、戦いに赴かせるという矛盾を愛子は自覚している。愛子は内心、自分の先生としての至らなさや無力感に肩を落としていた。

 

 願わくば、生徒達が皆元の心を失わないまま、お家に帰れます様に。……愛子のその願いは既に叶わぬものだ。愛子自身、昨夜のソウゴの話を聞いて、その願いが既に幻想であると感じている。しかし、それでも願う事は止められない。

 

 重鎮達の喧騒と敬愛の眼差しを向ける生徒達に囲まれて、愛子は悟られない程度に溜息をつくのだった。

 

 

 因みにソウゴ達と一緒に役場に来ていたティオは、「妾、重要参考人の筈じゃのに……こ、これが放置プレイ……流石、ご主ry」と火照った表情で呟いていたが、それを拾う者はいなかった。

 

 

 

 【ウルの町】。

 北に【山脈地帯】、西に【ウルディア湖】を持つ資源豊富なこの町は現在、つい昨夜までは存在しなかった"外壁"に囲まれて、異様な雰囲気に包まれていた。

 

 この"外壁"は、ソウゴが即行で作ったものだ。土系統の技能を使い、町全体を囲う様に一瞬で築き上げた物である。それを"モーフィングパワー"で材質を変え、更に自身の覇気を纏わせて難攻不落の鉄壁となっている。その堅牢さたるや、シアのフルスイングやユエの最上級魔術も通さない程だ。それに加え、外側の壁面とその先百メートルに渡って"魔宮薔薇(デモンローズ)"がびっしりと咲き誇っている。

 

 町の住人達には、既に数万単位の魔物の大群が迫っている事が伝えられている。魔物の移動速度を考えると、夕方になる前位には先陣が到着するだろうと。

 

 当然、住人はパニックになった。町長を始めとする町の顔役たちに罵詈雑言を浴びせる者、泣いて崩れ落ちる者、隣にいる者と抱きしめ合う者、我先にと逃げ出そうとした者同士でぶつかり、罵り合って喧嘩を始める者。明日には、故郷が滅び、留まれば自分達の命も奪われると知って冷静でいられる者などそうはいない。彼等の行動も仕方の無い事だ。

 

 だが、そんな彼等に心を取り戻させた者がいた。愛子だ。

 

 漸く町に戻り、事情説明を受けた護衛騎士達を従えて、高台から声を張り上げる“豊穣の女神”。恐れるものなど無いと言わんばかりの凛とした姿と、元から高かった知名度により、人々は一先ずの冷静さを取り戻した。畑山愛子、ある意味勇者より勇者をしている。

 

 冷静さを取り戻した人々は、二つに分かれた。

 即ち、故郷は捨てられない、場合によっては町と運命を共にするという居残り組と、当初の予定通り、救援が駆けつけるまで逃げ延びる避難組だ。

 

 居残り組の中でも、女子供だけは避難させるという者も多くいる。愛子の魔物を撃退するという言葉を信じて、手伝える事は何かないだろうかと居残りを決意した男手と万一に備えて避難する妻子等だ。深夜をとうに過ぎた時間にも拘らず、町は煌々とした光に包まれ、いたる所で抱きしめ合い別れに涙する人々の姿が見られた。

 

 避難組は、夜が明ける前には荷物を纏めて町を出た。現在は日も高く上がり、せっせと戦いの準備をしている者と仮眠をとっている者とに分かれている。居残り組の多くは"豊穣の女神"一行が何とかしてくれると信じてはいるが、それでも自分達の町は自分達で守るのだ! 出来る事をするのだ! という気概に満ちていた。

 

 

 ソウゴはすっかり人が少なくなり、それでもいつも以上の活気がある様な気がする町を背後に即席の城壁の上にて、結跏趺坐の姿勢で目を伏せ力を高めていた。自らの五感を断ち、己の内に宿る様々なエネルギーを練り上げ、研ぎ澄まし、燃え上がらせる。傍らには、当然の如くユエとシアがいる。魔力を直接操れる二人の目には、ただ座っている様に見えるソウゴを中心に立ち昇る巨大な光柱がはっきり見えていた。

 

 そこへ愛子と優花達、ティオ、ウィル、デビッド達数人の護衛騎士がやって来た。愛子達の接近に気がついているだろうに振り返らないソウゴに、デビッド達が眉を釣り上げるが、それより早く愛子が声をかける。

「常磐さん、準備はどうですか? 何か必要なものはありますか?」

「いや、問題無い」

 第六感で認識し、微動だにせず簡潔に答えるソウゴ。その態度に我慢しきれなかった様で、デビッドが食ってかかる。

 

「おい貴様、愛子が…自分の恩師が声をかけているというのに何だその態度は。本来なら貴様の持つアーティファクト類の事や、大群を撃退する方法についても詳細を聞かねばならんところを見逃してやっているのは、愛子が頼み込んできたからだぞ? 少しは……」

 

「デビッドさん、少し静かにしていてもらえますか?」

「うっ……承知した……」

 しかし、愛子に"黙れ"と言われるとシュンとした様子で口を閉じる。その姿は、まるで忠犬だ。亜人族でもないのに、犬耳と犬尻尾が幻視できる。今は飼い主に怒られて、シュンと垂れ下がっている様だ。

「常磐さん。黒ローブの男の事ですが……」

 どうやら、それが本題の様だ。愛子の言葉に苦悩が滲み出ている。

「正体を確かめたいのだろう? 見つけても、殺さないでくれと?」

「……はい。どうしても確かめなければなりません。その……常磐さんには、無茶な事ばかりを……」

「取り敢えず、連れて来てやる」

「え?」

「黒ローブを貴様の下へ。五体満足かどうかは保証出来んがな」

「常磐さん……ありがとうございます」

 愛子はソウゴの予想外に協力的な態度に少し驚いた様だが、未だ振り向かないソウゴの様子から、今は集中したいのだろうと思い、その厚意を有り難く受け取り口を閉じる事にした。つくづく自分は無力だなぁと内心溜息をつきながら、愛子は苦笑いしつつ礼を言うのだった。

 

 愛子の話が終わったのを見計らって、今度はティオが前に進み出てソウゴに声をかけた。

「ふむ、よいかな。妾もご主……ゴホンッ! お主に話が……というより頼みがあるのじゃが、聞いてもらえるかの?」

「ティオか」

 何だかんだで町に戻ってから、ほぼほぼ口を開かなかったティオの言葉に、ソウゴは聴覚を戻して耳を傾ける。

「お主は、この戦いが終わったらウィル坊を送り届けて、また旅に出るのじゃろ?」

「ああ、そうだ」

「うむ、頼みというのはそれでな……妾も同行させてほし…」

「それについては先程言った筈だぞ」

「む?」

 

「既に貴様は私の物だ。今更貴様が何と言おうが無理矢理でも連れていく、異論も反論も認めん」

 

 両手を広げ、頬を薔薇色に染めながら同行を願い出るティオに、とっくにそのつもりだとはっきり言い切ったソウゴ。その発言に、そこまで求められた事の無いユエもシアも羨ましそうに目を向け、愛子や優花達はソウゴの物言いに驚いて開いた口が塞がらない。

「ま、まるで王様みたいな考えね……」

 優花がそう言った途端、ふと疑問を覚えたソウゴの注意は愛子に向いた。

「なぁ先生殿、彼女等に私の事を言ってないのか?」

「えっ、いいんですか?」

「ここまできたんだ、別に構わんよ」

 

 驚いた愛子はソウゴの了承を得ると、生徒と騎士達に向けてソウゴが自分達ともこのトータスとも違う世界の人間である事、自分達より遥かに年上である事を説明した。途端、当然と言えば当然だが皆驚愕に包まれる。

「驚いたか? これでも貴様等の祖父母よりも年寄りよ」

 そう言いながらソウゴは、自身のステータスプレートを愛子達に投げた。天職とステータス、技能欄は隠されているが、そこに書かれた年齢に皆驚くしかない。

「そ、それじゃあ、あの戦い方とか技って……」

「長年の経験で積み、先達より学んだものだ」

 恐る恐る訊く淳史に、ソウゴは当然の様に答える。と、そこで新たな疑問が生まれたのか、愛子が質問を投げてきた。

「あの、それでは常磐さん。そこまで凄い力を持って、自分の世界でどんな事をされていたのですか?」

 愛子の質問に、ソウゴは「まだ言ってなかったか」と零しつつ、その質問に答えた。

「国王をしている。一応世界統一は済ませてあるぞ」

 

 途端、彼等は更なる驚愕に包まれた。と同時に、愛子や生徒達はどこか納得したところがあった。これまでのソウゴの行動には、その端々にどこか上に立つ者としての振舞を感じさせるところがあった。それが気のせいではなく、長年の癖の様なものだと判明した。一つ謎が解けた気分だ。

 

 するとどうだろうか。途端に過去の自分のソウゴに対する行いが凄まじく恐ろしいものに思えた。

 

 

 なんてやり取りをしていると、ソウゴの答えを聞いてからずっと黙っていたティオが震えながら口を開く。

「う、嬉しいのじゃ……! ご主人様は、妾をこんな体にした責任をとってくれるのじゃな! 奴隷として飼ってくれるのじゃな!?」

 全員の視線が「えっ!?」と言う様にソウゴを見る。それすら視線を向けず、言外に纏う雰囲気でどういう事かとティオに問うた。

「あぅ、またそんな全てを踏み潰す様な空気で……ハァハァ……ごくりっ……その、ほら、妾強いじゃろ?」

「そうか? まだウチの使用人達の方が強いが」

 

 ソウゴにサラッと強さを否定され、それに愛子達が驚いているのを尻目に、ソウゴの奴隷宣言という突飛な発想に辿り着いた思考過程を説明し始めるティオ。

「里でも妾は一、二を争う位でな。特に耐久力は群を抜いておった。じゃから、他者に組み伏せられる事も、痛みらしい痛みを感じる事も今の今までなかったのじゃ」

 近くにティオが竜人族と知らない護衛騎士達がいるので、その辺りを省略してポツポツと語るティオ。

 

「それがじゃ、ご主人様と戦って、初めてボッコボッコにされた挙句、組み伏せられ、痛みと敗北を一度に味わったのじゃ。そう、あの体の芯まで響く拳! 嫌らしいところばかり責める衝撃! それも手加減された上で! 体中が痛みで満たされて……ハァハァ」

 

 一人盛り上がるティオだったが、彼女を竜人族と知らない騎士達は、一様に犯罪者でも見るかの様な視線をソウゴに向けている。客観的に聞けば、完全に婦女暴行である。「こんな可憐なご婦人に暴行を働いたのか!」とざわつく騎士達。あからさまに糾弾しないのは、被害者たるティオの様子に悲痛さが無いからだろう。寧ろ、嬉しそうなので正義感の強い騎士達もどうしたものかと困惑している。

 

「……つまり、ソウゴ様が新しい扉を開いちゃった?」

「その通りじゃ! 妾の体はもう、ご主人様無しではダメなのじゃ!」

 

 ユエが嫌なものを見たと表情を歪ませながら既に尊敬の欠片も無い声音で要約すると、ティオが同意の声を張り上げる。そんなカオスな状況が大群が迫っているにも関わらず繰り広げられ、ソウゴが無視を決め込もうとし始めた時、遂にそれは来た。

「……来たか」

 ソウゴが突然、目を開いて【北の山脈地帯】の方角へ視線を向ける。肉眼で捉えられる位置にはまだ来ていないが、ソウゴの"万里眼"にははっきりと見えていた。

 

 

 それは、大地を埋め尽くす魔物の群れだ。

 

 ブルタールの様な人型の魔物の他に、体長三、四メートルはありそうな黒い狼型の魔物、足が六本生えている蜥蜴型の魔物、背中に剣山を生やしたパイソン型の魔物、四本の鎌をもった蟷螂型の魔物、体の至る所から無数の触手を生やした巨大な蜘蛛型の魔物、二本角を生やした真っ白な大蛇──

 

 大地を鳴動し、土埃が雪崩の如く巻き上がり、蠢く群れの光景は宛ら黒き津波の様。猛烈な勢いで進軍する悪鬼羅刹の群れは、その土埃の奥から赤黒い殺意に塗れた眼光を覗かせる。その数は、山で確認した時よりも更に増えている様だ。目算で五万、或いは六万に届こうかという大群である。

 更に、大群の上空には飛行型の魔物もいる。敢えて例えるならプテラノドンだろうか。飛竜型の魔物に比べれば、その体躯は小さく見劣りするものの、体から立ち昇る赤黒い瘴気と尋常でない雰囲気が、嘗て見た【ライセン大迷宮】の飛竜ハイベリアよりは強力だろうと伺わせる。

 

 そして。そんな何十体というプテラノドン擬きの中に一際大きな個体がいる。その個体の上には薄らと人影の様なものも見えた。恐らく、黒ローブの男。愛子は信じたくないという風だったが十中八九、清水幸利だろう。

 

 

「……ソウゴ様」

「ソウゴさん」

 ソウゴの雰囲気の変化から来るべき時が来たと悟るユエとシアが、ソウゴに呼びかける。ソウゴは五感を戻すと立ち上がり、そして後ろで緊張に顔を強ばらせている愛子達に見たものを告げる。

「来たぞ。予定よりかなり早いが、到達まで三十分というところだ。数は六万弱。複数の魔物の混成だ」

 魔物の数を聞き、更に増加していることに顔を青ざめさせる愛子達。不安そうに顔を見合わせる彼女達に、ソウゴは誰に聞かせるでも無くポツリと呟く。

 

「ふむ、これは予定通り……いや、プランCで行くか」

 

 特に気にした風でも無く一人納得した様に頷くソウゴに、愛子は不思議がりつつも眩しいものを見る様に目を細めた。

 

「……、貴方をここに立たせた先生が言う事ではないかもしれませんが……どうか無事で……」

 

 愛子はそう言うと、護衛騎士達の「本当に彼に任せていいのか」「今からでもやはり避難すべきだ」という言葉に応対しながら、町中に知らせを運ぶべく駆け戻っていった。

 

 優花達も、愛子に続いて踵を返し駆け戻ろうとする。が、数歩進んだところで優花が立ち止まった。何かに迷う様に難しい表情をして俯き気味に突っ立っている。

 優花が一緒に来ていない事に気が付いた奈々が、淳史達にも声を掛けて立ち止まった。そして訝しそうな表情をしながら、優花の名前を呼ぶ。

 しかし優花は奈々達の呼び掛けに応じず、何かを振り切る様にグッと表情に力を入れると顔を上げ、踵を返し駆けだした。そう、魔物の群れの方へ視線を向けているソウゴの方へ。

 

「あ、あのさ! 常磐!……さん」

 

 少し言葉に詰まりながら、それでも大きな声でソウゴに呼びかける優花。その呼び方が途中で変わった事まで聞こえていたソウゴは、「別に呼び方は変えんでもいいのだが……」と呟きながら肩越しに優花へ視線を向けた。ユエやシアも、何事かと振り返っている。

 

 無言で用件を問うソウゴの視線に、優花は少なからずたじろぐ様な様子を見せたが……直後には、何故かキッと眦を吊り上げてソウゴを睨む様な眼差しで、

 

「あ、ありがとね! あの時助けてくれて!」

 

 と言った。なんだか表情といい口調といい声量といい、傍から見ると喧嘩を売っている様にも見えるのだが、その言葉から分かる通り優花渾身のお礼だったらしい。それと、先程のソウゴの呟きが聞こえていたのか、口調が戻っている。

 

「あの、えっと、その……それで……」

 再び言葉に詰まる優花だったが、一つ大きく深呼吸すると、

 

「無駄にしないから! 常磐にとってはどうでもいい事かもしれないけど、それでも無駄にしないから!」

 

 そう叫んだ。このままではいけないと、心折れたままではいけないと、そう決心して再び立ち上がったあの日の想い。自分達が無能だと思っていたソウゴが、自分達の脅威をまるで意にも介さず焼き払ってくれたが故に、今自分達は生きている。

 

 救ってくれた事。クラスメイトを逃がす為に、隠していた力を振るってくれた事。

 決して無駄にはしない。たとえ、ソウゴと比べるべくもない程弱くても。そうだとしても、立ち止まる事だけはしない。

 

 見れば、少し離れた場所にいて優花の言葉を聞いていた淳史達も、ソウゴを真っ直ぐに見ながら深く頷いている。優花と気持ちは同じだという事だろう。

 

 そんな優花達にソウゴは、

「そうか、殊勝な事だな」

 それだけ言って、あっさりと視線を彼方へと戻してしまった。

 礼の言葉を受け取ってもらえたのか、もらえてないのか。決意は届いたのか、届いてないのか。それすらも分からず、少しの間優花は所在無さ気に立ち尽くすと、やがて奈々達の方へと引き返した。

 

「園部優花」

 

 その背に突如、ソウゴが声を掛ける。まさか声を掛けられるとは思っていなかったらしい優花は、リアルに小さくピョンと跳ねる程驚きを露わにした。淳史達も驚いている中、ソウゴは告げる。

 

「私も長く生きてきたが、貴様の様に非力の身ながらその境地に至る者はそうおらん」

 

 戦いとは縁の無い世界に生まれ、トラウムソルジャーに文字通り真っ二つにされかけるという想像もしたくない殺され方一歩手前を経験しておきながら、優花はその後奈々達やクラスメイト達を助ける為に直ぐ駆け出した。今尚トラウマに囚われている程の恐怖を抱えながら、それでも駆け出したのだ。ソウゴはその精神を、得難いものだと認識していた。

 

「え、えぇっと……?」

 意図の分からないソウゴの言葉に、優花は戸惑った様に視線を彷徨わせる。だが直後、体を傾け自分を指差して告げられたソウゴの言葉にハッと息を吞んだ。

 

「私が断言してやろう。貴様は生き残る。生きて、帰りを待つ両親と必ず再会出来る」

「……」

 

 優花は言葉も無く、まじまじとソウゴを見つめる。前方に視線を戻しながら「頭の片隅にでも留めておけ、気休めかもしれんがな」と付け足された、傍から見ると随分軽く聞こえる言葉。

 しかし優花にとっては、まるでこびり付いて取れなかったヘドロを吹き飛ばされたかの様な、そんな力強い言葉だった。優花だけでなく、淳史達にとってもソウゴは『死』を認識させた核だ。だからこそ、そのソウゴから「生きて帰る」と言われたら、心を揺さぶられない訳が無かった。

 

「……ありがと」

 

 風に攫われる程小さな、囁きの様な礼の言葉。優花は苦笑いにも似た笑みをソウゴの背に向けると、スッと踵を返して駆け出した。迎える淳史達は何とも言えない表情をしているが、そんな彼等に「行くわよ!」と元気に声を掛ければ──根性のある愛ちゃん護衛隊のリーダーの号令だ。淳史達は「応!」と強く返し、一緒に駆け出した。

 その応えは、今までより少し力強さを増している様だった。

 

 

 そうしてソウゴの下に残ったのは、ウィルとティオ。二人共何か用が残っていた様だが、空気を読んで静かにしていたらしい。

 ウィルはソウゴに何か声を掛けようか掛けまいか迷っている様な様子を見せたが、もう時間も無いと頭を振り、ティオにだけ何かを語りかけると、ソウゴに頭を下げて愛子達を追いかけていった。

 

 そんなウィルの様子に首を傾げて疑問を浮かべるソウゴに、ティオが苦笑いしながら答える。

「今回の出来事を妾が力を尽くして見事乗り切ったのなら、冒険者達の事、少なくともウィル坊は許すという話じゃ……そういう訳で助太刀させてもらうからの。何、魔力なら大分回復しておるし竜化せんでも妾の炎と風は中々のものじゃぞ?」

 

 竜人族は教会等から半端者と呼ばれる様に、亜人族に分類されながらも魔物と同様に魔力を直接操る事が出来る。その為、ソウゴや天才であるユエの様に全属性無詠唱無魔法陣という訳にはいかないが、適性のある属性に関しては同様に無詠唱で行使出来るらしい。

 

「そうか。ならその魔力はもう少し後にとっておけ」

 自己主張の激しい胸を殊更強調しながら胸を張るティオに、しかしソウゴはそう言って遠回しに助力は不要だと伝える。疑問顔のティオだったが、ソウゴは「ちょっとした予感の様なものだ。少々精霊達が騒いでいるのでな……」と曖昧な答えで濁すだけだった。

 

 

 そうこうしていると、遂に肉眼でも魔物の大群を捉える事が出来る距離になってきた。壁際に続々と弓や魔法陣を携えた者達が集まってくる。大地が地響きを伝え始め、遠くに砂埃と魔物の咆哮が聞こえ始めると、そこかしこで神に祈りを捧げる者や、今にも死にそうな顔で生唾を飲み込む者が増え始めた。

 

 

 近づく大群を見て、ソウゴはフワリと上空に飛び上がる。その腰には見慣れぬ物が巻き付いており、シアやティオは頭を傾げる。護衛騎士達や住人達はソウゴが宙を飛ぶ事自体に驚いている中、唯一それを見た事があるユエだけはその意味を理解した。即ち、ソウゴが本気を出すと。

 

 突然不可能な筈の空の領域へと侵入した青年に、住民達の困惑した様な視線が集まる。

 ソウゴは全員の視線が自分に集まっている事を認識しつつ、「ふぅ」と息を吐いて自身の半身に手を翳した。

 

 

「変身」

 

 

 その瞬間。大地が、天が、世界が揺れた。

 

 

祝福の時!

 

 

 大地が悲鳴を上げ、血涙の様にマグマを噴き出す。大空が狂乱し、癇癪を起した様に大嵐を呼ぶ。そして世界そのものが混乱する様に、日没と夜明けを七度繰り返す。

 その様は宛ら世界の終わり。終末の予兆だと騒いだ人々が、恐怖と狂乱の渦に包まれる。

 

 

最高! 最善! 最大! 最強王!!

 

 

 そして、その全てがエネルギーとしてソウゴを中心に収束し、絶対無敵の黄金の鎧へと変化する。

 

 

オーマジオウ!!

 

 

 天変地異すらも従え己の力へと変え、常磐ソウゴはこの世界に来て二度目の魔王の姿を解放した。

 

 

 

 宙に立つオーマジオウに変身したソウゴを見たその瞬間、シアが、ティオが、愛子が、優花達が、護衛騎士達が、住民が、果ては魔物達が。その場の神羅万象全てが理解した。

 

 

 自分達とは、次元が違うと。

 

 

 勝てる勝てないではない、そもそも勝負を挑もうと思う事それ自体が間違いだ。もっと言えば、自分達の尺度で図る事は最早罪だ。もし機嫌を損ねれば、それだけで命を奪われてもおかしくない。否、最早彼の機嫌を損ねたら死んで詫びるのが当然とまで思える。

 

 生物として、生命として、存在そのものの格が違う。あれが、あれこそが神だ。否、そんなものではない。それすらも過小評価だ。神をも超越した何か、言い表す事の出来ない、完成された完全完璧にして絶対と究極の存在。

 

 歓喜も恐怖も忘却の彼方に消え去り、人々はオーマジオウから目を離す事が出来なくなった。本能に忠実な魔物達すら、逃げる事を忘れ最早生存を諦めたかの様にその歩を止める。

 

 

 すると突如ソウゴは振り返り、遥か下に広がる町と住人達に向かって口を開いた。

 

「美しき【ウルの町】の諸君。私は常磐ソウゴ、只今を以てこの町を統治する事になる者だ」

 

 ソウゴの突然の宣言にも、住人達はその王威に当てられ疑問すら浮かばない。ソウゴは言葉を続ける。

 

「私は統治者として、皆の不安を退ける務めがある」

 

 その言葉と共に、ソウゴは再び魔物達に目を向ける。ソウゴの覇気と視線を本能で感じ取った魔物達は、操られているにも関わらず地面に縫い留められた様にその場に静止している。

 

「よって先ずは今この町に迫る脅威を退け、私が皆の安心出来る強き王である事を証明しよう」

 

 

 そう告げるソウゴの手に、ゴルトバイザーが現れる。その逆の手には、六枚のカードが握られている。ソウゴはそれを順にバイザーに装填していく。

 

『TRICK VENT』

 

 そのカードを読み取った瞬間効果を発揮し、ソウゴは五人に増える。続けて二枚使用し、二十五人、百二十五人と数を増やしていく。

 

『STRANGE VENT』

 

 続けて任意のカードに変化する効果を三枚発揮し、625、3125、15625と更に数を増やす。

 ゴルトバイザーをしまい、交換する様にギャレンラウザーを手にする。即座にカードトレイを開き、ラウズカードを読み込ませる。

 

『GEMMNI』

 

 それで更に倍になり、その数は31250人。だがまだ終わらない。

 

『ATTACK RIDE ILLUSION』

 

 アタックライドカードをドライバーに読み込ませ、187500、1125000と数を増やす。

 

 更にルナメモリ、ブランチシェード、スーパーブランチシェード、デュープ、ミッドナイトシャドー、ロビン眼魂、分身のエナジーアイテム、四コマ忍法刀、子豚三兄弟でどんどん数を増やしていった。

 

 

 その総数、233兆2800億人。

 

 

 空一面を埋め尽くす程のオーマジオウ、その全員が一斉に行動を起こす。

 

 

終焉の時!

 

 

 全員がドライバーを操作し必殺のエネルギーを迸らせ、その暴威の一端を披露する。

 

「"大魔王の財宝(ゲート・オブ・オーマ)"開放、複製展開」

 

 その言葉を合図に全員の背後の空間が揺らめき、世界最古の英雄王の宝物庫を改造した異空間の扉が開かれる。空間から生えている様に先端を覗かせた無数の武器が、ソウゴのエネルギーに反応して黄金の輝きを放っていく。

 

 

 

逢魔時王必殺撃!!

 

 

 

 そして力が最大限高められ、その矛先が魔物群を捉えた。

「さぁ、逃げ果せてみろ。"最後の正義(テロス・ジケオシニ)"」

 

 

 その号令を以て、嘗て玉座から一歩も動かずに一夜にして数百の世界を滅ぼした黄金の死兆星が降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

(何だよ、これは……何なんだよ、これは!!)

 

 

 

 【ウルの町】を襲う数万規模の魔物の大群の遥か後方で、即席の塹壕を堀り出来る限りの結界を張って必死に身を縮めている黒ローブの男──清水幸利は、目の前の惨状に体を震わせながら言葉を失った様に口をパクパクさせていた。

 

 ありえない光景、信じたくない現実に、内心で言葉にもなっていない悪態を繰り返す。

 

 

 そう、魔物の大群をけし掛けたのは紛れもなく行方不明になっていた愛子の生徒──清水幸利だった。

 

 

 とある男との偶然の末に交わした契約により、【ウルの町】を愛子達ごと壊滅させようと企んだのだ。しかし、容易に捻り潰せると思っていた町や人は全く予想しなかった凄絶な迎撃により未だ無傷であり、それどころか現在進行形で清水にとっての地獄絵図が生み出されていた。

 

 

 キィィィィィィィン……ドォォォンッ!!!

 キィィィィィィィン……ドォォォンッ!!!

 

 

 そんな独特の音を戦場に響かせながら、無数の閃光が殺意をたっぷりと乗せて空を疾駆する。

 

 瞬く暇も無く目標へと到達した閃光は、死を悟り微動だにしない魔物達を認識する間も与えずに一瞬で唯の肉片に変えた。

 嘗てただ一投でオラリオを滅ぼした流星が、毎秒京や垓は下らない無慈悲な"壁"となって迫り、一発で一体など生温いと云わんばかりに目標を貫通し、背後の数百、数千匹を纏めて貫いていく。

 更にその後を追う様に魔術、呪術、精霊術、陰陽術、重火器砲の嵐。ありとあらゆる術が展開され、様々な属性の破壊の雨が降り注ぐ。そしてその衝撃が肉片を焼き、最早塵も残さずこの世から消滅させる。

 

 その閃光が直ぐ近くに着弾し、清水は結界も破壊されて中空に投げ出され意識を手放した。

 

 

 

 大地を消し抉る衝撃が生む風が、戦場から蹂躙され僅かに残った魔物の血の匂いを町へと運ぶ。強烈な匂いに吐き気を抑えられない人々が続出するが、それでも人々は現実とは思えない"圧倒的な力"と"蹂躙劇"に湧き上がった。町の至る所から「ワァアアアアアッーーー!!!」と歓声が上がる。

 

 町の重鎮やデビッド達騎士は、初めて見るソウゴの力に魅了されてしまったかの様に狂喜乱舞の坩堝。優花や淳史達は改めてその力を目の当たりにし、下手をすればこの殺戮の嵐が自分達に向けられたかもしれないと心底震え上がった。と同時に、比べる事自体が間違いだと自覚しながらも自分達との"差"を痛感して複雑な表情になっている。

 

 本来、あの様な魔物の脅威から人々を守る筈だった、少なくとも当初はそう息巻いていた自分達が、ただ守られる側として町の人々と同じ場所から"無能"と見下していたクラスメイトの背中を見つめているのだ。複雑な心境にもなるだろう。

 

 愛子は、ただ只管祈っていた。そして同時に、今更ながらに自分のした事の恐ろしさを実感し表情を歪めていた。目の前の凄惨極まりない戦場が、まるで自分の甘さと矛盾に満ちた心をガツンと殴りつけている様に感じたのだ。

 

 

 やがて数分ともたず全ての魔物が死に絶え、ソウゴの視界の遠くの方で何やら伸びている人影が見えた。まるで叩きつけられた様に寝そべっているので一瞬死体かと見間違えるが、ソウゴの目には微かに動き出したのがはっきり見えた。その人物の頭は、黒いローブで覆われていた。

 

 黒いローブの男──清水は倒れた体を起こし、全滅した魔物に癇癪を起こす子供の様に喚くと、王宮より譲り受けたアーティファクトの杖を翳して何かを唱え始めた。勿論、そのまま詠唱の完了を待ってやる義理などソウゴには無い。

「"スカーレット・ニードル"」

 ソウゴの放った深紅の衝撃はその両手足を打ち抜き、その感覚を奪う。

「痛ぇっ! ……って、腕が動かねぇ!? 足も!? 一体何だよ! 何なんだよ! ありえないだろ! 本当なら、俺が勇グペッ!?」

 

「"諸行断罪"」

 

 悪態を付きながら這いつくばる清水を羂索で骨が折れる程の強さで縛り、"鎮星"を使い蹴り飛ばして再び意識を刈り取る。

「薄々分かっていたが、案外呆気なく終わったな。壁も薔薇も無駄になってしまった……」

 ソウゴはそんな事を独りごちながら、念動力で清水を捕らえてそのまま町へと踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 清水幸利にとって異世界召喚とは、まさに憧れであり夢であった。

 

 ありえないと分かっていながら、その手の本やWeb小説を読んでは夢想する毎日。夢の中で何度世界を救い、ヒロインの女の子達とハッピーエンドを迎えたか分からない。

 

 清水の部屋は壁が見えなくなる程に美少女のポスターで埋め尽くされており、壁の一面にあるガラス製のラックには、お気に入りの美少女フュギュアがあられもない姿で所狭しと並べられている。本棚は漫画やライトノベル、薄い本やエロゲーの類で埋め尽くされていて、入りきらない分が部屋のあちこちにタワーを築いていた。

 

 そう、清水幸利は真性のオタクである。但し、その事実を知る者はクラスメイトの中にはいない。それは清水自身が徹底的に隠したからだ。理由は、言わずもがなだろう。クラスメイトの言動を間近で見て、オタクである事をオープンに出来る様な者はそうはいない。

 

 クラスでの清水は、彼のよく知る言葉で表すなら正にモブだ。

 特別親しい友人もおらず、いつも自分の席で大人しく本を読む。話しかけられればモソモソと最低限の受け答えはするが、自分から話す事は無い。元々性格的に控えめで大人しく、それが原因なのか中学時代はイジメに遭っていた。当然の流れか登校拒否となり自室に引きこもる毎日で、時間を潰す為に本やゲームなど創作物の類に手を出すのは必然の流れだった。

 

 親はずっと心配していたが、日々オタクグッズで埋め尽くされていく部屋に兄や弟は煩わしかった様で、それを態度や言葉で表す様になると清水自身家の居心地が悪くなり居場所というものを失いつつあった。鬱屈した環境は、表には出さないが内心では他者を扱き下ろすという陰湿さを清水にもたらした。そして、益々創作物や妄想に傾倒していった。

 

 そんな清水であるから、異世界召喚の事実を理解した時の脳内は正に「キターー!!」という状態だった。愛子がイシュタルに猛然と抗議している時も、光輝が人間族の勝利と元の世界への帰還を決意し息巻いている時も、清水の頭の中は何度も妄想した異世界で華々しく活躍する自分の姿一色だ。ありえないと思っていた妄想が現実化したことに舞い上がって、異世界召喚の後に主人公を理不尽が襲うパターンは頭から追いやられている。

 

 

 そして実際、清水が期待したものと現実の異世界ライフには齟齬が生じていた。

 

 

 先ず、清水は確かにチート的なスペックを秘めていたが、それは他のクラスメイトも同じであり、更に"勇者"は自分ではなく光輝である事、その為か女が寄って行くのは光輝ばかりで、自分は"その他大勢の一人"に過ぎなかった事だ。

 

 これでは、日本にいた時と何も変わらない。念願が叶ったにもかかわらず、望んだ通りではない現実に陰湿さを増す清水は、内心で不満を募らせていった。

 

 何故自分が勇者ではないのか。何故光輝ばかりが女に囲まれていい思いをするのか。何故自分ではなく光輝ばかり特別扱いするのか。自分が勇者ならもっと上手くやるのに。自分に言い寄るなら全員受け入れてやるのに……。そんな都合の悪い事は全て他者のせい、自分だけは特別という自己中心的な考えが清水の心を蝕んでいった。

 

 そんな折だ。あの【オルクス大迷宮】への実戦訓練が催されたのは。

 

 清水はチャンスだと思った。誰も気にしない、居ても居なくても同じ、そんな背景の様な扱いをしてきたクラスメイト達も、遂には自分の有能さに気がつくだろうと。そんな何処までもご都合主義な清水は……しかし、漸く気がつく事になる。

 

 

 自分が決して特別な存在などではなく、ましてご都合主義な展開等もなく、ふと気を抜けば次の瞬間には確かに"死ぬ"存在なのだと。トラウムソルジャーに殺されかけて、遠くでより凶悪な怪物と戦う"勇者"を見て、抱いていた異世界への幻想がガラガラと音を立てて崩れた。

 

 

 そして、奈落へと落ちて"死んだ"クラスメイトを目の当たりにし、心が折れた。自分に都合のいい解釈ばかりして、他者を内心で下に見る事で保ってきた心の耐久度は当然の如く強くはなかったのだ。

 

 清水は、王宮に戻ると再び自室に引き篭る事になった。だが、日本の部屋の様に清水の心を慰めてくれる創作物はここにはない。当然の流れとして、清水は自分の天職"闇術師"に関する技能・魔術に関する本を読んで過ごす事になった。

 

 

 トータスの闇系統の魔術は、相手の精神や意識に作用する系統の魔術で、実戦等では基本的に対象にバッドステータスを与える魔術と認識されている。清水の適性もそういったところにあり、相手の認識をズラしたり、幻覚を見せたり、魔術へのイメージ補完に干渉して行使しにくくしたり。更に極めれば、思い込みだけで身体に障害を発生させたりという事が出来る。

 

 そして、浮かれた気分などすっかり吹き飛んだ陰鬱な心で読んだ本から、清水はふとある事を思いついた。

 

 ──闇系統魔法は、極めれば対象を洗脳支配出来るのではないか?

 

 清水は興奮した。自分の考えが正しければ、誰でも好きな様に出来るのだ。そう、好きな様に。清水の心に暗く澱んだものが蔓延る。その日から一心不乱に修練に励んだ。

 

 

 しかし、そう簡単に行く訳もなかった。先ず、人の様に強い自我のある者には十数時間という長時間に渡って術を施し続けなければ到底洗脳支配など出来ない。当然、無抵抗の場合の話だ。流石に術をかけられて反応しない者など普通はいない。それこそ強制的手段で眠らせるか何かする必要がある。人間相手に隠れて洗脳支配するのは環境的にも時間的にも厳しく、バレた時の事を考えると非常にリスクが高いと清水は断念せざるを得なかった。

 

 肩を落とす清水だったが、ふと召喚の原因である魔人族による魔物の使役を思い出す。即ち、人とは比べるべくもなく本能的で自我の薄い魔物ならば洗脳支配出来るのではないか。

 

 清水はそれを確かめる為に、夜な夜な王都外に出て雑魚魔物相手に実験を繰り返した。その結果、人に比べて遥かに容易に洗脳支配出来る事が実証できた。尤も、それは既に闇系統魔術に極めて高い才能を持っていたチートの一人である清水だから出来た事だ。以前イシュタルの言った様に、この世界の者では長い時間をかけてせいぜい一、二匹程度を操るのが限度である。

 

 王都近郊での実験を終えた清水は、どうせ支配下に置くなら強い魔物がいいと考えた。ただ、光輝達について迷宮の最前線に行くのは気が引けた。そしてどうすべきかと悩んでいた時、愛子の護衛隊の話を耳にしたのだ。それに付いて行き遠出をすれば、丁度いい魔物とも遭遇出来るだろうと考えて。

 

 

 結果、愛子達と【ウルの町】に来る事になり、北の山脈地帯という丁度いい魔物達がいる場所で配下の魔物を集める為姿を眩ませたのだ。次に再会した時は、誰もが自分の成した偉業に畏怖と尊敬の念を抱いて、特別扱いする事を夢想して。

 

 本来なら僅か二週間と少しという短い期間では、いくら清水が闇系統に特化した天才でも、そして群れのリーダーだけを洗脳するという効率的な方法をとったとしても、精々千に届くか否かという群れを従えるので限界だっただろう。それも、おそらく二つ目の山脈にいるブルタールレベルを従えるのが精々だ。

 

 だが、ここでとある存在の助力と偶然支配できたティオの存在が、効率的に四つ目の山脈の魔物まで従える力を清水に与えた。と同時に、そのとある存在との契約と日々増強していく魔物の軍勢に、清水の心の箍は完全に外れてしまった。そして遂に、やはり自分は特別だったと悦に浸りながら、満を持して大群を町に差し向けたのだった。

 

 

 そして、その結果は……

 

 

 

 見るも無残な姿に成り果てて、愛子達の前に跪かされるというものだった。

 

 

 因みに場所は町外れに移しており、この場にいるのは愛子と優花達の他、護衛隊の騎士達と町の重鎮達が幾人か、それにウィルとソウゴ達だけである。流石に、町中に今回の襲撃の首謀者を連れて行っては騒ぎが大きくなり過ぎるだろうし、そうなれば対話も難しいだろうという理由だ。町の残った重鎮達が、現在事後処理に東奔西走している。

 

 未だ白目を向いて倒れている清水に、愛子が歩み寄った。黒いローブを着ている姿が、そして何より戦場から直接連行して来られたという事実が、動かぬ証拠として彼を襲撃の犯人だと示している。信じたくなかった事実に愛子は悲しそうに表情を歪めつつ、清水の目を覚まさせようと揺り動かした。

「愛子、危険だ!」

 デビッド達が危険だと止めようとするが、愛子は首を振って拒否する。拘束も同様だ。それではきちんと清水と対話できないからと、ソウゴに頼んで外してもらってある。愛子はあくまで先生と生徒として話をするつもりなのだろう。

 

 やがて、愛子の呼びかけに清水の意識が覚醒し始めた。ボーっとした目で周囲を見渡し、自分の置かれている状況を理解したのかハッとなって上体を起こす。咄嗟に距離を取ろうして立ち上がりかけたのだが、まだ蹴り飛ばされたダメージが残っているのか、ふらついて尻餅をつきそのままズリズリと後退りした。警戒心と卑屈さ、苛立ちがない交ぜになった表情で、目をギョロギョロと動かしている。

 

「清水君、落ち着いて下さい。誰もあなたに危害を加えるつもりはありません……先生は、清水君とお話がしたいのです。どうして、こんな事をしたのか……どんな事でも構いません。先生に、清水君の気持ちを聞かせてくれませんか?」

 膝立ちで清水に視線を合わせる愛子に、清水のギョロ目が動きを止める。そして、視線を逸らして顔を俯かせるとボソボソと聞き取りにくい声で話、……というより悪態をつき始めた。

 

「何故? そんな事もわかんないのかよ。だからどいつもこいつも無能だっつうんだよ。馬鹿にしやがって……勇者、勇者うるさいんだよ。俺の方がずっと上手く出来るのに……気付きもしないで、モブ扱いしやがって……ホント、馬鹿ばっかりだ……だから俺の価値を示してやろうと思っただけだろうが……」

 

「てめぇ……自分の立場わかってんのかよ! 危うく、町がめちゃくちゃになるところだったんだぞ!」

「そうよ! 馬鹿なのはアンタの方でしょ!」

「愛ちゃん先生がどんだけ心配してたと思ってるのよ!」

 

 反省どころか周囲への罵倒と不満を口にする清水に、淳史や奈々、昇が憤りを露わにして次々と反論する。その勢いに押されたのか、益々顔を俯かせだんまりを決め込む清水。

 愛子は、そんな清水が気に食わないのか更にヒートアップする生徒達を抑えると、なるべく声に温かみが宿る様に意識しながら清水に質問する。

「そう、沢山不満があったのですね……でも清水君。皆を見返そうというのなら、尚更先生にはわかりません。どうして、町を襲おうとしたのですか? もしあのまま町が襲われて……多くの人々が亡くなっていたら……多くの魔物を従えるだけならともかく、それでは君の"価値"を示せません」

 愛子の最もな質問に、清水は少し顔を上げると薄汚れて垂れ下がった前髪の隙間から陰鬱で暗く澱んだ瞳を愛子に向け、薄らと笑みを浮かべた。

 

「……示せるさ……魔人族になら」

 

「なっ!?」

 清水の口から飛び出したまさかの言葉に愛子のみならず、ソウゴ達を除いたその場の全員が驚愕を露わにする。清水はその様子に満足気な表情となり、聞き取りにくさは相変わらずだが、先程までよりは力の篭った声で話し始めた。

 

「魔物を捕まえに、一人で【北の山脈地帯】に行ったんだ。その時、俺は一人の魔人族と出会った。最初は勿論警戒したけどな……その魔人族は、俺との話しを望んだ。そしてわかってくれたのさ、俺の本当の価値ってやつを。だから俺は、そいつと……魔人族側と契約したんだよ」

「契約……ですか? それは、どの様な?」

 

 戦争の相手である魔人族と繋がっていたという事実に愛子は動揺しながらも、きっとその魔人族が自分の生徒を誑かしたのだとフツフツと湧き上がる怒りを抑えながら聞き返す。

 そんな愛子に、一体何がおかしいのかニヤニヤしながら清水が衝撃の言葉を口にする。

 

「……畑山先生……あんたを殺す事だよ」

 

「……え?」

 愛子は一瞬、何を言われたのかわからなかった様で思わず間抜けな声を漏らした。周囲の者達も同様で、一瞬ポカンとするものの、愛子よりは早く意味を理解し激しい怒りを瞳に宿して清水を睨みつけた。

 

 清水は、生徒達や護衛隊の騎士達のあまりに強烈な怒りが宿った眼光に射抜かれて一瞬身を竦めるものの、半ばヤケクソになっているのか視線を振り切る様に話を続けた。

「何だよ、その間抜面。自分が魔人族から目を付けられていないとでも思ったのか? ある意味、勇者より厄介な存在を魔人族が放っておく訳無いだろ。"豊穣の女神"……あんたを町の住人ごと殺せば、俺は、魔人族側の"勇者"として招かれる。そういう契約だった」

 清水はその時の事を思い出す様に口元をひくつかせながら、次第に声高になりつつ続ける。

 

「そいつが言ったんだ、俺の能力は素晴らしいって。勇者の下で燻っているのは勿体無いってさぁ。やっぱり、分かる奴には分かるんだよ。実際、超強い魔物も貸してくれたし、それで想像以上の軍勢も作れたし……だから、だから絶対、あんたを殺せると思ったのに! 何だよ! 何なんだよっ! 何で、六万の軍勢が負けるんだよ! 何で異世界にあんな兵器があるんだよっ! お前は、お前は一体何なんだよっ!」

 

 最初は嘲笑する様に生徒から放たれた"殺す"という言葉に呆然とする愛子を見ていた清水だったが、話している内に興奮してきたのか、ソウゴの方に視線を転じ喚き立て始めた。その眼は陰鬱さや卑屈さ以上に、思い通りにいかない現実への苛立ちと、邪魔したソウゴへの憎しみ、そしてその力への嫉妬などがない交ぜになってドロドロとヘドロの様に濁っており、狂気を宿していた。

 

 どうやら清水は、目の前の黄金の鎧の人物をクラスメイトの常磐ソウゴだとは気がついていないらしい。顔が隠れているので当たり前と言えば当たり前だが……。

 

 清水は今にも襲いかからんばかりの形相でソウゴを睨み罵倒を続け、ソウゴは変身を解いて生身を晒す。突然明かされた正体に清水は「お前……常磐、か?」と呟き、その後ソウゴが自分に向ける視線が冷め切っている事に気づいた。まるで道端のゴミや汚物を見る様な目が言外に「視界に入れる事すら不快」だと如実に物語っており、更に清水を激昂させていた。

 

 ソウゴに注意が向いたお陰か、衝撃から我を取り戻す時間が与えられた愛子は一つ深呼吸をすると、激昂しながらも立ち向かう勇気はない様でその場を動かない清水の片手を握り、静かに語りかけた。

「清水君。落ち着いて下さい」

「な、何だよっ! 離せよっ!」

 

 突然触れられた事にビクッとして咄嗟に振り払おうとする清水だったが、愛子は決して離さないと云わんばかりに更に力を込めてギュッと握り締める。

 

「清水君……君の気持ちはよく分かりました。"特別"でありたい、そう思う君の気持ちは間違ってなどいません。人として自然な望みです。そして、君ならきっと"特別"になれます。だって方法は間違えたけれど、これだけの事が実際にできるのですから……でも、魔人族側には行ってはいけません。君の話してくれたその魔人族の方は、そんな君の思いを利用したのです。そんな人に、先生は大事な生徒を預けるつもりは一切ありません!」

 

 清水は愛子の真剣な眼差しと視線を合わせることが出来ないのか、徐々に落ち着きを取り戻しつつも再び俯き、前髪で表情を隠した。そんな清水へ、愛子は願いを込めて言葉を重ねる。

「……清水君、もう一度やり直しましょう? 皆には戦って欲しくはありませんが、清水君が望むなら、先生は応援します。君なら絶対、天之河君達とも肩を並べて戦えます。そしていつか、皆で日本に帰る方法を見つけ出して、一緒に帰りましょう?」

 

 清水は愛子の話しを黙って聞きながら、いつしか肩を震わせていた。優花や淳史達も護衛隊の騎士達も、清水が愛子の言葉に心を震わせ泣いているのだと思った。実はクラス一涙脆いと評判の園部優花が、既に涙ぐんで二人の様子を見つめている。

 

 が、そんなに簡単に行く程現実というのはいつだって甘くない。

 

 肩を震わせ項垂れる清水の頭を優しい表情で撫でようと身を乗り出した愛子に対して、清水は突然握られていた手を逆に握り返しグッと引き寄せ、愛子の首に腕を回してキツく締め上げたのだ。

 思わず呻き声を上げる愛子を後ろから羽交い絞めにし、何処に隠していたのか十センチ程の針を取り出すと、それを愛子の首筋に突きつけた。

 

「動くなぁ! ぶっ刺すぞぉ!」

 

 裏返ったヒステリックな声でそう叫ぶ清水。その表情はピクピクと痙攣している様に引き攣り、眼はソウゴに向けていた時と同じ狂気を宿している。先程まで肩を震わせていたのは、どうやら嗤っていただけらしい。

 

 愛子が、苦しそうに自分の喉に食い込む清水の腕を掴んでいるが引き離せない様だ。周囲の者達が、清水の警告を受けて飛び出しそうな体を必死に押し止める。清水の様子から、やると言ったら本気で殺るという事が分かったからだ。皆、口々に心配そうな、悔しそうな声音で愛子の名を呼び、清水を罵倒する。

 

 

 因みに、ソウゴは未だ動いていなかった。実は薄々こんな状況になると感づいていたのだが、清水と愛子の醜悪さと甘さにソウゴは呆れて動く気になれなかったのだ。だがそこはソウゴも慣れたもので、即座にこの状況を解決する策に思考を割き始めた。

 

 

「いいかぁ、この針は北の山脈の魔物から採った毒針だっ! 刺せば数分も持たずに苦しんで死ぬぞ! 分かったら全員、武器を捨てて手を上げろ!」

 

 清水の狂気を宿した言葉に、周囲の者達が顔を蒼褪めさせる。完全に動きを止めた生徒達や護衛隊の騎士達にニヤニヤと笑う清水は、その視線をソウゴに向ける。

 

「おい、常磐! お前もだ! さっきから馬鹿にしやがって、クソが! これ以上ふざけた態度とる気なら、マジで殺すからなっ! 分かったら武器を寄越せ! お前の持ってるやつ全部だ!」

 

 清水の余りに酷い呼び掛けに、つい鬱陶しくなり聞こえてないふりをしてみるが無駄に終わり、面倒そうに溜息を吐くソウゴ。緊迫した状況にも拘らず全く変わらない態度で平然としている事に、またもや馬鹿にされたと思い清水は癇癪を起こす。そしてヒステリックに、ソウゴの持つ武器群を渡せと要求した。

 ソウゴはそれを聞いて、非常に冷めた眼で清水を見返した。

「醜悪なだけでなく、魂の果てまで腐りきっている愚物とはな。最早三流の小悪党にも及ばん害悪に等しい。よくもまぁ今まで誰も気づかなかったものだな」

 

「う…うるさい、うるさい、うるさい! いいから黙って全部渡しやがれ! お前らみたいな馬鹿どもは俺の言う事聞いてればいいんだよぉ! そ、そうだ、へへ、おい、お前のその奴隷も貰ってやるよ。そいつに持ってこさせろ!」

 

 最早地べたに捨てられたゴミと同等だと言われ、更に喚き散らす清水。追い詰められすぎて、既に正常な判断が出来なくなっている様だ。その清水に目を付けられたシアは、全身をブルリと震わせて嫌悪感丸出しの表情を見せた。

 

「下卑た虫けら程口と悪知恵は回るから質が悪い……それよりシア、気持ち悪いからといって私の後ろに隠れるな。アレの視線で汚れるだろう。主に目に見えない何かが」

「だって、ホントに気持ち悪くて……生理的に受け付けないというか……見て下さい、この鳥肌。有り得ない気持ち悪さですよぉ」

「それはそうだろうよ。古来より英雄やら勇者というのは、なろうと思った時点で既にその資格を失うと決まっている。自称する輩は大概名声欲に駆られた阿呆だが、アレはそれ以下の虫けらだからな」

 

 態と聞こえる様に会話する二人の声は、嫌悪感のせいでより声が大きくなり全員に聞こえていた。清水は口をパクパクさせながら次第に顔色を赤く染めていき、更に青色へと変化して、最後に白くなった。怒りが高くなり過ぎた場合の顔色変化がよくわかる例である。

 清水は虚ろな目で「俺が勇者だ、俺が特別なんだ、どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ、アイツ等が悪いんだ、問題ない、望んだ通り全部上手くいく、だって勇者だ、俺は特別だ」等とブツブツと呟き始め、そして突然何かが振り切れた様に奇声をあげて笑い出した。

 

「……し、清水君……どうか、話を……大丈夫……ですから……」

 

 狂態を晒す清水に愛子は苦しそうにしながらもなお言葉を投げかけるが、その声を聞いた瞬間、清水はピタリと笑いを止めて更に愛子を締め上げた。

「……うっさいよ。いい人ぶりやがって、この偽善者が。お前は黙って、ここから脱出するための道具になっていればいいんだ」

 暗く澱んだ声音でそう呟いた清水は、再びソウゴに視線を向けた。興奮も何も無く、負の感情を煮詰めた様な眼でソウゴを見て、次いで腰に佩かれた剣を見る。言葉は無くても言いたい事は伝わった。ここで渋れば自分の生死を度外視して……いや、都合のいい未来を夢想して愛子を害しかねない。

 

 ソウゴはチラリと清水の遠く背後に視線を向けると溜息をつき、「どうやらここらが限界らしい」と呟いた。ソウゴはその視線を清水……ではなく愛子に向けて言葉を発する。

 

「先生殿、どうやら貴様の願いは果たせないらしい」

「…………?」

 

 ソウゴの言葉の意味が理解出来ず、苦しみながら疑問を浮かべる愛子。

 清水が自分を無視して話を進めようとするソウゴに、またも何やら喚きたてる。ソウゴもそれを無視し、どこからか取り出した苦無を二本上空へ投げる。

 それに皆が目を奪われた途端、事は動いた。

 

「"シャンブルズ"」

 

 ソウゴの言葉が響いた途端、愛子は突如自分の首を圧迫する感覚が無くなった事を認識した。そして、その場の全員が目にした。

 

 宙を進む苦無の一本が、清水と入れ替わったのを。そして、いつの間にもう一本の苦無に近くに、ソウゴが飛んでいた事を。

 

 

「はっ、え……な、何なんだよ! どこだよここ!?」

 "飛来神の術"で移動したソウゴは、突如空中に投げ出されて混乱する清水と──その奥にいる飛行型の魔物とその上にいる魔人族の狙撃手を視界に収めながら己の両腕を構える。

 

「貴様の恩師の顔を立てて控えていたが、最早見るに堪えん」

 

 その瞬間、周囲の空間が歪む程の熱量が集中し、両手に超々高温の火炎球が生成される。それを見て、全員が察した。具体的な事は分からないが、ソウゴは清水を始末するつもりだと。

「駄目! やめて下さい!!」

 愛子の必死の懇願が耳に入るが、空中にいるソウゴを止められる筈も無く、そんな制止で止まる程ソウゴも甘くない。

 

「"バーニングサン・エクスプロージョン"」

 

 ソウゴの放った太陽の如き業火の柱は、断末魔を上げる暇も無く清水と魔人族の男を飲み込み灰すら残さず焼き払った。地上の面々は、高々人間一人を殺すには過剰な火力とそれを躊躇い無く行われた事に、ただただ目を背け、または震えるばかり。

 

 それを尻目に全てを焼き尽くした事を確認したソウゴは、振り返らずに地上に降りた。

 

 

 

「……どうして?」

 地上に戻ったソウゴに対する最初の言葉が、愛子のその問いだった。呆然と、死出の旅に出た清水の面影を見つめながら、そんな疑問の声を出す。

 

 ソウゴは愛子を見る。同時に、愛子もまたソウゴに視線を向ける。その瞳には、怒りや悲しみ、疑惑に逃避、あらゆる感情が浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。

 

「こうするのが最適だったからだ」

 そんな愛子の疑問に対するソウゴの答えは実に簡潔だった。

「そんな! 清水君は……」

「戻れた筈だと? フッ、それこそ無いな。覚えておけ、世の中には生まれた時から性根の腐っている、救いようの無い邪悪というものが存在する。奴はその中でも特に酷い、害悪の類だった。生かした方が不都合になる。それは必ず、貴様の願いから遠ざかる結果になるぞ」

 

 愛子の言わんとする事を一笑に付し、ソウゴは清水が生きている方がデメリットが大きいと告げた。最早最初から更生の余地は無かったと愛子に説明する。

 唇を噛み締め、俯く愛子。言葉が続かない。ソウゴはそんな愛子を見て、ここでのやるべきことは終わったと踵を返した。

 その時だった。

 

 

「っ!? 伏せろ!」

 即座に振り返り、ユエも聞いた事が無い様なソウゴの焦った叫びが響いたのは。

 

 

 瞬間、空間を衝撃が支配する。

「チッ!」

 突然の衝撃に反応できないユエ達以外の面々に舌打ちしつつ、ソウゴは"界時抹消"を発動し全員を衝撃の範囲外へ逃がす。

 

「え……、えっ?」

「何が起きたんだよ……俺達いつの間に……」

「ど、どうしたんですか!?」

 

 突然の視界の変化に戸惑う一同。それに取り合う事も無く、ソウゴは先程まで自分達がいた場所を睨む。その視線の先には……

 

「……何あれ? 魔力は感じないけど……」

「魔物……ですかね? 気配もありませんよ?」

「妾は見た事無いのぉ」

 

 そこにあったのは、突起の生えた紫の球体だった。直径は一メートル半ぐらいだろうか。見聞きした事も無く、記憶にも無いその存在に、ユエもシアもティオも首を傾げる。

 

「何故ここに……今はその時期では無いぞ! ……精霊達が騒いでいたのはこれが原因か、嫌な予感ばかり当たるものだな……!」

 

 だがソウゴは目の前の存在に心当たりがあるのか、苛立たし気に顔を歪めていた。その珍しさに、ユエが質問を投げる。

「……ソウゴ様は、あれが何か知ってるの?」

「あぁ、年に一度相手にするからな」

 心底面倒そうな顔をしながら、しかし視線を逸らす事無く球体を睨みつけたまま手短に伝える。

 

「奴は虚空怪獣グリーザ、生物か非生物かも分からん虚無の化身だ。自我のある災害とでも思えばいい。兎に角面倒の一言に尽きる」

 

 その場の全員を庇う様に腕を出しながら前に立つソウゴ。その腰には、再びドライバーが巻かれている。その見た事の無いソウゴの様子に不安になりつつ、優花が口を開いた。

「あいつも、清水の操ってた魔物なの? そんなに強そうに見えないけど……」

「それならどれだけ良かったか。生憎とあれは人の手で操れるものではない。それと見た目で判断するのはやめておけ。私が先生殿と同じ頃、奴の攻撃で腹に大穴を開けられた」

 

 ソウゴの言葉に、シアやティオ、ユエまでもが目を見開く。今より若く力も無かったのだろうが、二つの大迷宮を、暴走したティオを、六万の軍勢を無傷で退けたソウゴが大怪我を負わされたなど、俄かに信じられなかった。

 

「ユエ、シア、ティオ。貴様等は先生殿達を守れ。私が戦う」

「そんな!? そこまで強いなら私達も!」

 ソウゴが一人で戦うと言い、それにシアが一緒に戦うと抗議する。だが、

 

「己惚れるなっ!! 貴様等の実力では戦っても死ぬだけだ!」

 

 声を荒げ、決して手を出すなと伝えるソウゴ。今目の前にいる敵は、ユエ達程の力があっても足手纏いにしかならない存在。ソウゴの言葉からそれを感じ取り、三人とも悔し気に顔を歪めていた。

「……必ず戻る、頼んだぞ。……変身!」

 

『オーマジオウ!!』

 

 再びオーマジオウの鎧を纏い、ソウゴはグリーザに突撃する。

 すると、今まで不自然な程静寂を保っていたグリーザは、ソウゴの接近を感じ取ったのか姿を変え始めた。紫色の球体の第一形態から、成人と同程度のサイズの、不規則な残像を残す人型の第二形態へと。

 

ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ

 

 まるで笑い声の様な不快な鳴き声を発しながら、グリーザはソウゴの突き出した拳に合わせる様に自身も拳を振るった。

 その拳がぶつかり合った瞬間。

 

「メタフィールド展開!」

 

 ソウゴの叫びと共に、ソウゴとグリーザの姿が消えた。ソウゴによって、外部から認識する事も干渉する事も不可能な空間へとグリーザを引きずり込んだのだ。

 

 愛子や優花達は勿論、ユエ達ですら、ソウゴの無事を願いただ祈るしかなかった。

 

 

 

「はっ!」

ヒャホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホ

 

 自分達を外界から遮断した途端、ソウゴは膝蹴りを浴びせてグリーザを後退させて距離を取る。それでダメージが通ったのか否か、グリーザは即座に反撃に出る事は無く、その場で不規則に揺れるのみだった。

 

 赤い空と岩肌の荒野だけが広がる異空間"メタフィールド"の中で、短くも激しい戦いが幕を上げた。

 

 

 最初に動いたのはグリーザだった。

 

ヒャッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッヒャッハッハッハッハッハッハッハッヒャホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホ、ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハ!

 

 奇怪な声を漏らしながら、グリーザはその体を徐々に大きくしていく。そのままサイズを変えながら、グリーザは瞬時にソウゴの目の前に飛び踏み潰しにかかる。

「ふんっ!」

 それにソウゴは逢魔剣を抜き放ち対応する。迎え撃つ技は"絶剣技初ノ型・紫電"。振り抜きの速度を優先した高速剣でグリーザの足を弾く。それと同時にソウゴは飛び退き、大きく後方へ着地する。

 ソウゴは胸の前で両腕を交差させ、全身の力を集中させる。するとその体を光が包み、ソウゴもその体を巨大化させた。

「今度はこちらから行くぞっ!」

 ソウゴは言葉と共に、逢魔剣に光を纏わせながらグリーザに迫る。亜光速の斬撃の嵐、"光陰剣撃五徳"がグリーザを襲う。

 

 ソウゴの持つ全ての武器の特性を兼ね備えた逢魔剣は、当然だがグリーザに特攻を持つ"エクスラッガー"や"べリアロク"の性質も持つ。その斬撃が当たれば、勿論グリーザとて大ダメージだろう。

 

 だがそれをグリーザも感じ取ったか、その全てを予測不能な動きで以て致命的な場所への直撃を避ける。だがグリーザが避ける事はソウゴも予測していたのか、最後の斬撃を躱したグリーザの眼前にはソウゴの掌が構えられている。

「吹き飛べ!」

 "神羅天征"を発動し、そこへ不完全ながらも"グレートホーン"を相乗させる。意図しない衝撃と動きによって、グリーザはリズムを崩す。グリーザから距離が離れると、ソウゴは逢魔剣を振りかぶると同時に飛来神の印を付けた苦無を投げる。

 ソウゴは"飛来神の術"で苦無の側まで飛び、確実な距離で振りぬいた。

 

「"空裂斬"!」

ヒャッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ

 

 目に見えないもの、実体無きものを斬り裂く"空裂斬"。すれ違い様に放たれた一振りは、ここで初めてグリーザに有効打を与える。少しよろめいた様に動きを乱すグリーザだが、直ぐに振り返り怪音波"グリーザアクオン"を繰り出す。

「! ふっ!」

 ソウゴは即座にナギナギの無音障壁"サイレント"を使い音波を遮断する。音波が効かないと見るや、グリーザは直ぐに対応を変える。

 

 

ホヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ

 

 

 頭部に見える部位から"グリーザボルテックス"を放ち、ソウゴを狙い撃つ。ソウゴは"アトミック・サンダーボルト"で相殺し、続けて放たれた"グリーザダブルヘリックス"を叩き落とす。

 ソウゴは瞬間移動でグリーザの背後に転移し、間髪入れずに"破邪百獣剣"を叩き込む。それにグリーザも瞬間移動する事で掠める程度に留め、上半身を輝かせる。

 

ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッホヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!

 

 虚無を破壊光線にして放つ“グリーザダークライトニング”を、ソウゴは逢魔剣で受け止める。

「ぐっ、光あれ!」

 ソウゴは逢魔剣を輝かせ破壊光線を払い除け、これで最後とばかりに逢魔剣に力を込める。グリーザの撒き散らすビームや電撃をノーガードで駆け抜け、虹色の輝きと黄金の雷を纏った刀身を叩き込む。

 

「"ゼスディオン・デルタエックス"!」

 

 渾身で放たれたXとZを描く光の五連斬撃に、グリーザの揺らめきが徐々に収まっていく。

 

 

 

ヒャッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッヒャッハッハッハッハッハッハッハッヒャホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッホヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホヒャッハッハッハッハッハッハッハッヒャッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハヒャハホヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ…………」

 

 

 

 そしてその動きが完全に停止し……グリーザは爆発に飲み込まれた。

 

 

 

 

 グリーザがいなくなった空間の中で、元のサイズに戻ったソウゴの誰に聞かせるでもない呟きが響いた。

「……偶然の産物か、のどかの思惑か知らんが……思わぬ面倒事に遭遇したものだ」

 徐々に消えていく空間で、ソウゴは変身を解きながら溜息を吐いた。

 

 

 

 ソウゴがユエ達の所に戻り、移動しようとする背中に声をかけたのは愛子だった。

「常磐さん! ……先生は……先生は……」

 言葉は続かなくとも、"先生"の矜持がソウゴの名を呼ぶ。ソウゴは少し立ち止まると、肩越しに愛子に告げる。

 

「……すまんな。だが、貴様の理想は既に幻想だ。ただ……出来れば、折れてくれるな」

 

 そして、今度こそ立ち止まらず周囲の輪を抜けると「住民に勝利の報告をせねばな」と言って【ウルの町】の方へ去ってしまった。

 

 

 後には何とも言えない微妙な空気と、生き残った事を知らされ喜ぶ町の喧騒だけが残った。

 

 

 

 数時間後。

 【北の山脈地帯】を背に真紅のハイパーカー『トライドロンMrk.XX』が砂埃を上げながら南へと街道を疾走する。何年もの間、何千何万という人々が踏み固めただけの道であるが、【ウルの町】から【北の山脈地帯】へと続く道に比べれば遥かにマシだ。超高性能四輪は、振動を最小限に抑えながら快調にフューレンへと向かって進んでいく。

 

 尤も、後ろの座席で窓を全開にしてウサミミを風に遊ばせてパタパタさせているシアは四輪より二輪の方が好きらしく、若干不満そうだ。何でも、ウサミミが風を切る感触やソウゴにギュッと抱きつきながら肩に顔を乗せる体勢が好きらしい。

 運転は当然ソウゴ。その隣は定番の席でユエだ。後部座席にウィルを挟む様にティオとシアが乗っている。

 

 すると、ソウゴが少しの間だけ運転を自動にし、他のメンバーにハンバーガーを手渡した。

「食べておけ。準備で何も腹に入れてなかっただろう」

「あ、ありがとうございまーす」

「ど、どうも……」

 それぞれの返事をしながら、ソウゴから食事を受け取る一同。ソウゴはそのまま、ティオに挨拶を促した。

「おいティオ、確か正式な挨拶はまだだったろう? これから共に旅する仲間だ、ユエとシアにしておけ」

「む、そういえばそうじゃの。うむ! では、これから宜しく頼むぞ! ご主人様、ユエ、シア。妾の事はティオでいいからの! ふふふ、楽しい旅になりそうじゃ!」

 新たな仲間、竜人族ティオが加わり、一行は【中立商業都市フューレン】へと向かう。

 

 そこに待つ新たな出会いを、当然ソウゴ達は知らない。そして【フューレン】の更にその先に、奇跡の様な再開が待っている事も。

 

 

 

 

 ソウゴ達が去って三日経ったウルの町。

 

 

 六万にも及ぶ魔物の軍団に迫られ、それでも町も人も無傷という起きた事態に対してまさに奇跡としか言い様のない結果。

 

 

 その吉報は、直ちに避難した住民達や周辺の町、王都に伝えられた、戻ってきた住人達は、再会した家族や恋人、友人達と抱きしめ合い、互いの無事を喜び合って【ウルの町】はさながらお祭りのような喧騒に包まれていた。

 

 町の周囲にはソウゴが残していった防壁がそのまま残っており、戦いの一部始終を見届けた者達は如何に常識を超えた戦いだったのかを身振り手振りで、防壁から荒れた大地に視線をやりながら神話の語り部の如く語って聞かせた。

 

 避難していた人達、特に子供達はそんな彼等の話に目をキラキラさせている。抜け目のない商人達は、既にソウゴの防壁を【ウルの町】の新たな名物として一儲けする算段を付けていた。

 

 そして町の人々は、戦時のソウゴの威光に当てられ、ソウゴを『神を超える真なる王』、"真王陛下"と崇め奉り、ソウゴの防壁に"真王の盾"と名づけて敬った。

 

 

 また、それと同時に愛子の"豊穣の女神"の名もより力をつけていった。ソウゴは愛子の願いにより地上に降り立ったと噂されている為、愛子を神聖視する声もより強くなったのだ。

 

 それからというもの、愛子は町を歩けば全ての人間の視線が集まっているのではという程の集中砲火を受け、中には「ありがたや~」と拝み始める人までいる。この町で確かに目に見える形で人々を救った愛子は、正しく"女神"だった。その噂は既に周辺へと伝播を始めている。少なくとも、【ウルの町】では既に聖教教会の司教さえも愛子の、延いてはソウゴの言葉の方に重きを置いているので、その影響力は聖教協会を超えているのは間違いないだろう。

 

 

 一方その愛子はというと……町の復興支援やら重鎮達への対応を無難にこなしつつ、それでも親しい人には丸分かりな位あからさまに心此処に在らずという有様だった。

 

 原因は、言わずもがなだろう。戦いの前にソウゴから伝えられた数々の衝撃の事実の事もあるが何より、ソウゴが清水を殺した事が、その瞬間の光景が、愛子の脳裏から離れず心を蝕んでいるのである。

 

 その日も一日の役目を終えて夕食時となり、“水妖精の宿”でいつのもの様に優花達や護衛隊の騎士達と食事をとっていたのだが、愛子は機械的に料理を口に運びつつも、どこかボーとした様子で会話の内容にも気のない返事をするばかりだった。

「愛ちゃん先生……やっぱり、愛ちゃん先生の魔法は凄いですよね! あんなに荒れてた大地もどんどん浄化されていって……あと一週間もあれば元に戻りそうですもんね!」

「……そうですね……よかったです」

 

 優花が、愛子の心此処に在らずな様子に気がつきつつも、殊更明るい様子で話しかける。愛子の変調の原因を理解している為に何とか励ましたいのだ。しかし優花の明るさを含んだ言葉にも、愛子はまるで定型文をそのまま言葉にした様な気の無い返事しか返さない。

 

 優花自身、恩人によるクラスメイトの殺害という衝撃の光景が未だ小さくない動揺を齎している為、愛子を励ます姿に無理している雰囲気が滲んでいる。そんな優花であるから、本心から場を明るくする事など出来る筈も無く、愛子への気遣いもあまり効果は出ていなかった。当然、それは淳史達も同じだった。

 

「愛子……今日も町長や司教様から何か言われたのか? 本当に困ったら俺に言ってくれ。例え、司教様が相手でも愛子を困らせる様な真似は俺が許さない。俺が愛子の騎士なんだからな。いつでも、俺だけは愛子の味方だ」

「……そうですね……よかったです」

 

 デビッドが、励ましたいのか口説きたいのかよくわからない言葉を愛子に贈る。

神殿騎士でありながら司教に楯突くという発言はかなり危ないのだが、既に愛の戦士と成り果てているデビッドには関係ないのだろう。

 

 やたらと"俺"という部分が強調されており、周囲の騎士達はさり気なく抜け駆けしようとしている自分達の隊長に鋭い牽制の視線を送っている。

 

 しかし、そんなデビッドのさり気ないアピールは某お昼の長寿番組の相槌の如き同じ言葉であっさり流された。聞いていたかも怪しいところだ。淳史達が肩を落とすデビッドに「ざまぁ~」という表情をする。一部の騎士達も同じ表情をしている。

 

 そんな生徒達や騎士達のやり取りにも気がついていないのか、愛子は特に反応する事も無く淡々と食事を続けていた。

 

 

(……私が、もっときちんと清水君とお話が出来ていれば……あの子の思いにもっと早く気がついていれば……そうすればこんな事にはならなかった。……それに、年長者とはいえ同じ生徒である彼に、あんな事を頼まなければ……あの時、人質になんかならなければ……。私が……死んでいれば……彼も清水君を殺す必要なんて……どうして、殺したの……同じクラスメイトなのに……最初から手遅れだったって……それだけであんなにあっさり? ……人を殺すってそんなに簡単な事なの? ……そんな簡単に出来てしまう事なの? ……そんなのおかしい……人は魔物ではないのに……あんな躊躇わずに……彼は……簡単に人を殺せる人間? ……放っておけば他の子達も……彼は危険? ……彼がいなければ清水君も死ななかった? ……彼がいなくなれば他の子達は安全? ……彼さえいなければ……、ッ!? 私は何を! ……ダメ、これ以上考えてはダメ!)

 

 今の愛子の心の内は、後悔と自責を延々と繰り返している状態だった。……そして下手をすればソウゴへの恐れと恨みが芽生えそうで、それを慌てて打ち消し、再び最初の思考に戻るという事を繰り返していた。

考える事が多すぎて、考えたくない事も多すぎて、愛子の心はまるで本棚が倒壊した図書館の様に整理されていない情報が散乱しグチャグチャの状態だった。

 

 そんな時、スっと心に響く様な穏やかで温かみのある声音が愛子に届く。

 

「愛子様。本日の料理は、お口に合いませんでしたか?」

「ふぇ?」

 

 "水妖精の宿"オーナーのフォス・セルオだ。彼の声は決して大きくはないどころか、寧ろ小さいくらいだ。だが、この宿にいる者でフォスの言葉を聞き逃す者はいない。彼の深みがあって落ち着いた声音は、必ず相手に届くのだ。今も心を思考の渦に囚われていた愛子へあっさり言葉を届け、その意識を現実へと回帰させた。

 変な声を出してしまった事に気がつき、愛子は少し頬を染めつつ穏やかに微笑むフォスに視線を向ける。

「え、えっと何でしょう? すいません、ちょっとボーっとしてました」

「いえいえ、お気になさらず。何やら浮かないお顔でしたので、料理がお口に合わなかったのかと。宜しければ他をお出ししますが……」

「い、いえ! お料理はとっても美味しいですよ。ちょっと考え事をしていたもので……」

 とても美味しいと言いながら、食べた料理の味が思い出せない愛子。周囲を見渡せば、優花達やデビッド達も、どこか心配そうな眼差しを自分に向けている。

 自分が相当思考の坩堝に嵌っている事に気がつき、これではいけないと気を取り直し食事を再開するが、少し慌てていた為気管に入り盛大に咽た。

 

 涙目でケホッケホッと咽る愛子に、生徒達や騎士達があわあわとする。そんな様子を視界に収めつつ、さり気なくナプキンと水を用意するフォス。

「す、すみません。ご迷惑を……」

「迷惑など、とんでもない」

 愛子の失態を見ても穏やかな微笑みを崩さないフォスに、安心感を抱きつつも恐縮する愛子。そんな愛子に、フォスは目を細めると少し考える素振りを見せて、やはり静かな落ち着いた声音で語りかけた。

「ふむ。愛子様、僭越ながら一つ宜しいでしょうか?」

「え? えぇ、はい。なんでしょうか?」

「愛子様の信じたい事を信じてみてはいかがでしょう?」

「へ?」

 

 フォスの脈絡のない言葉に愛子は頭に"?"を浮かべて首を傾げる。それに「言葉足らずでした」と苦笑いしながらフォスが話を続ける。

 

「どうやら愛子様の心は今、大変な混乱の中にある様に見受けられます。考えるべき事も考えたくない事も多すぎて、何をどうすればいいのかわからない。何が最善か、自分がどうしたいのか、それもわからない。わからない事ばかりで、どうにかしなければと焦りばかりが募り、それがまた混乱に拍車をかける悪循環。違いますか?」

「ど、どうして……」

 

 今の愛子の心の内をドンピシャで言い当てられて、思わず言葉を詰まらせる愛子。そんな愛子に、フォスは「色々なお客様を見てきていますので」と穏やかに微笑む。

 

「そういう時は取り敢えず、"信じたいものを信じてみる"というのも手の一つかと。よく人は信じたいものだけを信じて真実を見逃すと、そう警告的に言われる事があります。それは確かにその通りなのでしょう。しかし、人の行動は信じるところから始まると私などは思うのです。ならば、"動けない"時には逆に"信じたいものを信じる"というのも悪くない手だと、そう思うのです」

「……信じたい事を信じる」

 

 

 フォスのその言葉を、愛子は反芻する。愛子の心は今、後悔と罪悪感と、芽生えそうなソウゴへの疑心、恨みでぐるぐると渦巻いている。ソウゴは確かに愛子の大切な生徒ではあったが、同じく大切な生徒である清水を殺害し、場合によっては他の生徒の命をも奪いかねない存在であると理解した瞬間、ソウゴを自分の大切なものを奪おうとする脅威であると認識してしまったのだ。

 

 それでも、本人が以前言っていた通りソウゴもまた生徒である以上、完全に切り捨てられない。大量虐殺をしようとした清水を見捨てられなかった様に。だからこそ、どうすればいいのかわからず混乱する。難儀な性格であると愛子自身も思うが、こればっかりは仕方ない。それが畑山愛子"先生"なのだから。

 

 フォスは愛子に何があったのかを知らない。彼女がある意味、信じたい事を信じ過ぎたが為に今の状態にあるとは知らない。それでも信じていたものが尽く崩れ去って身動きが取れなくなっている状態で盛大に失態を演じた今では、見え方も異なり有効かもしれなかった。

 

 そう思った愛子は、食事の手を止めて思考に没頭し始める。

(信じたいものを信じる。私が信じたい事……何でしょう? 一つは、生徒達と皆で日本に帰る事です。でも、それはもう叶わない。今は、これ以上欠ける事無く皆で帰れるという事を信じたい。……彼の話、檜山君に攻撃されたという話。それは信じたくありません……彼が、邪魔すれば私達でも殺すと言った事、人殺しを躊躇わない人間に…生徒達を脅かす敵に……これも信じたくありません。でも実際、彼はあの子を……清水君を躊躇わず殺した。ならもう彼は……いえ、信じたい事を信じるのです)

 

 再び黒い感情が浮かびそうになるのを、瞑目して押さえ込む愛子。周囲の者達は、微動だにせず何かを考え込む愛子を心配そうに見ている。

 

(彼は言っていました、"生きている方が不都合になる"と。それに"私の願いから遠のく"とも。つまり、清水君を生かせば、後々私達が帰還する事の障害になると危惧したから殺した。それは、私達を思っての事。実際、ただの冷酷な人間ならユエさんやシアさんがあんなに信頼を寄せる筈がありません。それに彼は、"すまん"と謝っていた。つまり、私が、清水君をどうにか出来れば、ギリギリまで殺すつもりは無かった。いずれではあっても、あの時ではなかったしれない。……実行したという事は、あの時点で私が説得出来るとは思えなかったのですね……清水君を生かしたければ、改心させられると確信出来るくらいの何かを私が見せなければならなかった……結局は、私が無力なばかりに……清水君は……それでも、あんな風に殺すなんて……)

 

 清水を焼き殺したソウゴにも、そうするだけの明確な理由があった。だから人殺しを何とも思わない壊れた人間などではなく、理解できない化け物でもなく、闇雲に生徒達を害する敵でもなく、未だ自分の言葉が届く"生徒"なのだと信じようとする愛子。

 するとその思考過程で、ソウゴの行動の不自然さに気付いた。

 

(そういえば何故、彼は態々空中に飛んだのでしょう? 恐らく彼なら、直接清水君の後ろに行く事も出来た筈……確かあの時、彼は直前まで私でも清水君でもなく、その後ろを見ていた様な……。それに、清水君が焼かれた時、その後ろに誰か……魔人族! そうです、確か魔人族がいました。……清水君が言ってました、私も魔人族に狙われていると。もしあの魔人族が清水君の仲間だとしたら……)

 

 愛子は、目を大きく見開いた。今更気がついた事実に愕然とする。

 

(……あのままなら、清水君ごと、私が攻撃されていた? 彼は……私を守る為に、態々清水君を遠ざけた? ……だとすれば、清水君に捕まらなければ、彼は私を気にする必要も無く、清水君を殺す必要も無かった! 私は何という事を!)

 

 自分の軽率さのせいで、自分こそが生徒を殺したのだと、愛子は一瞬で青ざめる。

 生徒という存在は、愛子を支える根幹だ。だからこそ自分がその大切な生徒の死の遠因という事実は、愛子の心を打ち砕く。あまりの衝撃に、心が本能的な防衛機構を働かせ、愛子の意識を奪おうとする。視界が暗闇に閉ざされていく。

 だが愛子がそのまま闇に身を委ねようかと思った瞬間、脳裏にソウゴの去り際の言葉がふと蘇った。

 

 ──"出来れば、折れてくれるな"

 

 あの時は衝撃の連続に心がついて行かず、碌に考えぬまま面倒事が多いだろうけど頑張れ位の意味だろうとあっさり流した言葉だ。

(もし……もしあの言葉が、今の私を予測しての事なら……彼は心配してくれたのでしょうか? ……私が、清水君の死の原因は私自身だと気がついて"折れてしまう"事を。だから……彼自身が直接手を下した……私が、罪悪感に折れてしまわない様に……先生でいられる様に……)

 

 愛子とて、ソウゴの価値観は理解しつつあった。だから、全てが自分の為だとは思わない。

 しかしそれでも、ソウゴが愛子に思考を割いて行動を起こしたという考えは否定できそうになかった。たとえ勘違いだとしても。

 

 愛子の閉じかけた心の扉が、完全に閉まる寸前で動きを止める。そして、再びゆっくりと開き始めた。狭まった視界は、再び広がり始める。心はまだ極寒の如き冷たさを感じているが、同時に小さくとも確かな火が灯った事も感じた。

(私は、彼に守られていたのですね……いえ、彼だけでなく他にも多くの人に守られている。今も傍らのこの子達が私を守ってくれている。守る事ばかり考えて、守られている事実に気がつかないなんて……未熟ですね。ならば、勝手に自己完結している場合ではありません……)

 愛子が決然とした表情をする。

 

 きっと、清水を自分のせいで殺したという思いは一生消える事は無いだろう。それでも、自分を先生と慕って頼ってくれる生徒がいる限り勝手に立ち止まる訳にはいかないし、立ち止まりたいとも思わない。

 

 愛子は、例え世界が変わっても"先生"として出来る事をしようと改めて誓う。但し、今度は自分の理想に踊らされない様に心掛けて。もうソウゴに対する疑心や恐怖、恨みは無かった。

(彼も不器用な人ですね……私に恨まれるかもしれない、敵対する事になるかもしれない、そう分かっていながら……そう言えば、私の言葉を受け取って、力を貸してくれたのでしたね……もしかするとお返しの意味もあったのでしょうか? 思えば、彼には助けられてばかりです。教えてもらった真実もそうですし、結局町も救ってくれて、その上、あれだけの戦いの中、約束を守って清水君を連れてきてくれました。思い返すと、私は滅茶苦茶ですね。あれもこれもと理想ばかり追いかけて……それを彼に押し付けてしまった……本当に未熟の極みです。それでも、彼が助けてくれたのは……)

 

 改めて、ソウゴの世話になりっぱなしだと内心で苦笑いする愛子。先生として情けない限りだと我が身の未熟を恥じつつも、すっかり様変わりしたと思っていたソウゴにも、記憶の中にある彼の心が垣間見える事に嬉しさも感じる。

 

 と、そこまで考えたところで、愛子は突然赤面したかと思ったら、いきなりテーブルをペシペシと叩き始める愛子。

 

 

 因みに、愛子とて大人。恋愛経験が皆無というわけではない。だがしかし、見た目や言動の愛らしさに反して本気の恋愛とは縁が極めて薄いというのが実情だったりする。

 

 何故なら、日本において見た目十代前半の少女である愛子に本気になるのは大抵"紳士"だけだからだ。愛子の中身を知っていいなぁと思う男は多くいるが、誰も不名誉さ爆発の"ロ"で始まるレッテルを貼られたくないので、大抵いい友達で終わる。

 

 

 この世界では十代前半で嫁ぐのは珍しくもなんともないので、愛子の童顔低身長という少女の見た目でも気にする者はいない。故にデビッド達は本気なのだが……恋愛経験の少なさと、自分の様なチンチクリンに興味を持つ男なんていないと割り切ってしまっている為、異世界の男性陣から送られるラブコールにも一切気がつかないのだ。

 

 という訳でソウゴのここ一連の行為は、愛子にとってかなり衝撃的だった。心が落ち着いて、一度思い出してしまうと脳裏にこびりついて離れないくらいには。

(……大体、彼にはユエさんとシアさんという恋人が……二人もいるなら今更一人増えたところで……って私は一体何を言っているの! 私は教師! 彼は生徒! ……でも、彼は年上だし……って、そもそもそういう問題じゃない! 別に、私は何とも思ってませんし! それに何故か普通に受け入れてましたけど二股ですよ! 不純異性交遊は禁止です! 不誠実です! 恋愛は一途であるべきです! ……二人いっぺんに何て……ッ、ハレンチな! そんなふしだらな関係は許しません! ええ、許しませんとも!)

 テーブルを叩く音がペシペシからバシバシに変わる。

 

 テーブルを叩き出したかと思えば、顔を両手で押さえてイヤイヤをし始め、またテーブルを叩き、またイヤイヤをし、最終的には「私は教師ぃー!」と言いながらテーブルに額を打ち付け始めた。

 流石の愛子大好き集団である優花達やデビッド達護衛隊の面々も、彼女の奇行ぶりにドン引き状態だ。愛子が一人百面相と奇行を始めたきっかけとなったフォスは「おや、元気が出てきましたね」と変わらず穏やかに微笑んでいる。大物だ。

 

 

 愛子はその後、ソウゴに対して感じたあれこれを、情緒不安定になっていた故の一時的な気の迷いという事で自己完結した。所謂吊り橋効果というやつだ(実際そうなのだが)。如何せんソウゴの容姿が整っているだけに余計に話が拗れてしまっただけだ。

 

 そしてソウゴも生徒である事に変わりはない以上、ソウゴの情報が伝わった王国や聖教教会の上層部から万一に備えてソウゴの事を守らねばならないと、王国に戻る事を決意した。

 

 

 愛子は気がついていない。ソウゴの事が自己完結ではなく、ただの棚上げである事を。

 生徒達を心の中で呼ぶ時、"あの子"等と指示語で表すのに対して、ソウゴの事は"彼"と呼んでいる事を。

 そして、芽生え始めた気持ちにも。その事に愛子が気がつくのは、もう少し先の話。

 

 

 

 まさかその時が、高度八千メートル上空でのドッグファイトの最中だとは、この時の愛子には想像するべくもなかった。

 

 




没案

もしここで清水が死ななかった場合、王国襲撃の辺りでどさくさに紛れて始末するつもりでした。


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第十三話 魔王、幼女を拾う

私事ですが、最近職場復帰しました。


 【中立商業都市フューレン】

 

 あらゆる物と人と思惑が入り混じる世界最大の商業都市は、相も変わらず盛大な活気で満ち溢れていた。都市の周囲を丸ごと囲む高く巨大な壁の向こうからは、まだ相当距離を隔てて尚都市内の喧騒が外野まで伝わってくる。

 門前に出来た、最早【フューレン】の名物と言っても過言ではない入場検査待ちの長蛇の列──その列に並ぶ観光客や商人、冒険者達はその喧噪を耳にしながら気怠そうに、或いは苛ついた様に順番が来るのを待っていた。

 

 

 そんな入場検査待ちの人々の最後尾に、実にチャラい感じの男がこれまた派手な女二人を両脇に侍らせて、気怠そうにしながら順番待ちに対する不満をタラタラと流していた。

 取り敢えず、「何か難しい言葉とか使っとけば賢く見えるだろう」という浅はかさを感じさせる雰囲気で、順番待ちをさせる【フューレン】の行政官達の無能ぶりをペラペラと話す姿に周囲の商人達が鼻をピクピクさせながら笑いを堪えている。だが、彼自身も女達も気が付いてはいない様だ。

 

 と、そんな無自覚に周囲へ失笑を提供しているチャラ男の耳に突如聞き慣れない、まるで蒸気を噴き出す様なキィイイッという甲高い音が微かに聞こえ始めた。

 

 最初は無視して傍らの女二人に気分よく持論を語っていたチャラ男だが、前方の商人達や女二人が目を丸くして自分の背後を見ている事と、次第に大きくなる音に苛ついて「何だよ!」と文句を垂れつつ背後の街道を振り返った。

 

 

 そして、見た事も無い赤い箱型の物体が猛烈な勢いで砂埃を巻き上げながら街道を爆走してくる光景を目撃して、「おへぇ!?」と奇妙な声を上げながらギョッと目を剥いた。

 

 

 俄かに騒がしくなる人々。「すわっ魔物か!」と逃げ出そうとするが、箱型の物体の速度は彼等の予想を遥かに凌駕するものであり、驚愕から我に返った脳が手足に命令を送った時には、既に直ぐそこまで迫っていた。

 チャラ男が硬直する。列の人々が「もうダメだ!」とその瞳に絶望を映す。

 

 爆走してくる赤い箱型の物体があわや行列に衝突するかと思われたその時、その赤い箱型の物体はギャリギャリギャリと尻を振りながら半回転し砂埃を盛大に巻き上げながら急停止した。

 停止した赤い箱型の物体──トライドロンMrk.XXを凝視する人々が「一体何なんだ」と混乱が広がる中、そのドアが開いた。

 

「相変わらず凄まじい行列よなぁ」

「……ん、仕方ない」

 

 ビクッとする人々の事など知った事じゃないと気にした風もなく降りてきたのは、当然ソウゴとユエだ。続いてシアとティオ、微妙に頬を引き攣らせたウィル・クデタが現れる。

 

 

 ソウゴ達は数日前に、冒険者ギルド・フューレン支部の支部長イルワ・チャングから【北の山脈地帯】の調査依頼に出たウィルを捜索してほしいとの指名依頼を受けた。そして魔物や操られていた竜化状態のティオからどうにか生き延びていたウィルを保護し、こうして無事に戻ってきたところなのである。

 行列の人々の注目に対し、「お騒がせしてすみません!」と貴族らしからぬ腰の低さを見せて謝罪するウィルだったが、人々の視線が自分に向いていない事に直ぐに気が付いた。

 

 人々の注目の対象は、視線の先で「う~ん」と背伸びしている美女・美少女達らしい。未知の高速移動する箱型の物体も、そこから人が出てきた事も、まるで些事だと言わんばかりに目が釘付けになっている。ユエ達が動く度に、「ほぅ」と感心やらうっとりとした溜息がそこかしこから漏れ聞こえた。

 

 ソウゴはトライドロンのボンネットに腰掛けながら、門までの距離を見て「後……一時間程度といったところか」と目を細めた。そして、ずっと車中にいて体が凝りそうだった事から門に着くまで精々外で伸び伸びしようとユエ達と同じ様に伸びをする。

 

 トライドロンは登録者の精神感応による自動運転機能が搭載されているので、実は運転席に座らなくても動かそうと思えば動かせるのだ。列に並ぶ間、車体をベンチ代わりにしつつ徐行移動させる位は問題無い。

 

 ソウゴが肩の凝りを解す様に首をコキコキしていると、ユエがその背後に回って肩をモミモミし始めた。どうやら、代わりにマッサージしてくれる様だ。ソウゴは好意を無碍にするのも悪いかと思い身を任せる。

 そんな二人を見て寂しくなったらしいシアが、ウサミミをへにょ~とさせながらソウゴの傍らに寄り添う様に座り込んだ。

 するとそれを見たティオが「むっ、妾も参加せねば!」とその巨大な胸を殊更強調しながらソウゴの腕に縋り付く様に座ろうとして……ソウゴにデコピンを食らった。興奮する程ではない軽めのを。

 

「あだっ」

「ティオよ。私達身内だけなら兎も角、衆人環視で下品な真似は控えろ。その様な事をせずとも肩ぐらい借してやる」

「む……な、なら遠慮無く……」

 

 するとティオは照れ臭そうに頬を赤らめながら、恐る恐るソウゴの肩に頭を預ける。そしてソウゴは序とばかりに「ほれ、シアも来い」とシアを自身の膝に寝かせる。更に頭を撫でてやれば、「ほわっ!?」と一瞬驚きつつも嬉しそうに頬を染める。

 すると幸せそうに笑みを浮かべるシアが、ふと疑問を顔に浮かべてソウゴに尋ねる。

「あの、ソウゴさん。トライドロンで乗り付けて良かったんですか? 出来る限り隠すつもりだったのでは……」

「まぁ今更だろうと思ってな。あれだけ派手に暴れたんだ、一週間もすれば余程の辺境でもない限り伝播しているだろうよ。いずれこういう日は来るだろうとは思っていた、予想より少々早まったというだけの事だ」

「……ん、本当の意味で自重無し」

 シアの疑問に、ソウゴは空を見上げながら答えた。

 

 

 今までは、僅かな労力で避けられる面倒なら避けておこうという方針だったが、【ウルの町】での戦いは瞬く間に各方面へ伝わる筈なのでその様な考えはもう無駄だろう。なのでユエの言う通り、自重無しで行く事にしたのだ。

 

 

「う~ん、そうですか。まぁ、教会とかお国からは確実にアクションがありそうですし、確かに今更ですね。愛子さんとか、イルワさんとかが上手く味方してくれればいいですけど……」

「元より暇潰しの一環、機能せずとも構わんよ。上手く効果を発揮すれば多少楽かもな、という程度だ。何かあればそれも楽しむとするさ。そういう訳でシア、貴様ももう奴隷の振りは辞めて構わんぞ。その首輪を外したらどうだ?」

 イルワや愛子という教会や国関係の面倒事への布石は、あくまで効果があればいい程度の考えだったので、ソウゴは大して気にした様子を見せない。

 ソウゴはその話は早々に切り上げ、シアにも奴隷のフリは止めていいと首輪に触れながら言う。手を出されたらその場で返り討ちにしてやれ、もう面倒事を避ける為に遠慮する必要は無いと暗に伝える。

 しかしシアはそっと自分の首輪に手を触れて撫でると、若干頬を染めてイヤイヤと首を振った。

 

「いえ、これはこのままで。一応、ソウゴさんから初めて頂いたものですし……それにソウゴさんのものという証でもありますし……最近は結構気に入っていて……だから、このままで」

 

 そんな事を言うシア。ウサミミが恥ずかしげにそっぽを向きながらピコピコと動いている。目を伏せて、俯き加減に恥じらうシアの姿はとても可憐だ。ソウゴの視界の端で男の何人かが鼻を抑えた手の隙間からダクダクと血を滴らせている。

 

「……ふむ。ならば、もう少し見栄えを良くせねばな」

 

「そ、ソウゴさん?」

 ソウゴは横を向くシアの顎に手を当てるとそっと上を向かせた。その行為に、益々シアの頬が紅く染まる。ついでに男連中の足元の大地も赤く染まる。

 ソウゴは宝物庫から幾つか色合いの綺麗な宝石類を取り出しつつ、シアの着けている首輪──正確には取り付けられている水晶に手を触れる。

 

 

 シアの首輪は、シアがソウゴの奴隷である事を対外的に示す為に無骨な作りになっており、デザイン性というものを無視した形で取り付けられている。元々、町でトラブルホイホイにならない為に一時的な物として作ったので、オシャレ度は度外視なのだ。

 

 しかし、シアが気に入ってずっと付けるというのなら少々無骨に過ぎると言うものだろう。なので、ソウゴはシアに似合う様に仕立て直そうと考えたのだ。

 

 

 結果、黒の生地に黄金の装飾が幾何学的に入っており、且つ正面には神結晶と魔皇石、アダマントストーンの欠片を加工した僅かに淡青、真紅、白銀色に発光する小さなクロスが取り付けられた神秘的な首輪……というより地球でも売っていそうなファッション的なチョーカーが出来上がった。もう、唯の拘束用の犬の首輪という様な印象は受けない。

 

 ソウゴはその出来栄えに「こんなものか」と息を吐く。時折首を撫でるソウゴの指の感触にうっとりしていたシアは、ソウゴから鏡を渡されてハッと我に返った。そして、いそいそと鏡で首元のチョーカーを確かめる。

 そこには、神秘的で美しい装飾が施されたチョーカーが確かにあった。神結晶がシアの蒼穹の瞳と合っていて実に美しい。更に魔皇石の真紅の輝きが反対色として青を引き立て、アダマントストーンの白銀が色白の肌と白みがかった青髪をより輝かせる。

「ほぁ~。私、こんなに綺麗な装飾品を身に着けたのは初めてですぅ」

 シアは指先でクロスをツンツンと弄りながら、ニマニマと口元を緩ませた。

 

 樹海から出た事が無いどころか、集落からさえ殆ど出なかったシアにとって、宝飾の類というのは無縁の存在だ。

 

 しかし、シアとて年頃の女の子。

 

 遠くから見た【フェアベルゲン】の同性が樹海で採れる水晶等を加工した装飾品で着飾ったりしているのを見て、羨ましいという想いをした事は一度や二度ではない。

 

 故に、初めて身に着けた煌めく宝飾に自然心が躍る。しかも、その贈り手は自分の懸想する相手なのだ。ウサミミは既にわっさわっさとピーン! を繰り返して喜びを露わにしている。

「ありがとうございますソウゴさぁんっ!!」

 シアは躍る心のままにソウゴの腰に抱きつくと、にへら~と実に幸せそうな笑みを浮かべながら額をぐりぐりと擦りつけた。序にウサミミもスリスリとソウゴに擦り寄り、ウサシッポも高速フリフリしている。

 シアの幸せそうな表情にソウゴは目を閉じ、背中のユエも僅かに口元を緩めながら擦り寄るウサミミをなでなでしている。寄りかかるティオもどこか喜ばし気に頬を緩める。

 

 

 いきなり出来上がった桃色空間に、未知の物体と超美少女&美女の登場という衝撃から復帰した人々が、今度はソウゴ達に様々な感情を織り交ぜて注目し始めた。

 女性達はユエ達の美貌に嫉妬すら浮かばないのか、熱い溜息を吐き見蕩れる者が大半だ。一方男達は、ユエ達に見蕩れる者、ソウゴに嫉妬と殺意を向ける者、そしてソウゴのアーティファクトやシア達に商品的価値を見出して舌舐りする者に分かれている。

 だが、直接ソウゴ達に向かってくる者は未だいない様だ。商人達は話したそうにしているが、他の者と牽制し合っていてタイミングを見計らっているらしい。

 

 そんな中、例のチャラ男が自分の侍らしている女二人とユエ達を見比べて悔しそうな表情をすると明から様な舌打ちをした。そして、無謀にも行動を起こす。

 

「やぁ君達。よかったら俺と──」

 

 チャラ男は実に気安い感じでソウゴを無視してユエ達に声をかけた。それがただ声をかけるだけなら、ソウゴに軽く睨まれて数秒の心停止コースで済んだだろう。だが事もあろうに、チャラ男はシアの頬に手を触れようとしたのだ。

 

 見た目はチャラいが、ルックス自体は十分にイケメンの部類だ。それ故に自分が触れて口説けば、女なら誰でも堕ちるとでも思っているのだろう。シアが冷たい視線を向けて触れられる前に対処しようとしたのだが、それより先にソウゴが手を下していた。

 

 ソウゴの掌から黒い触手の様なものが伸び、それが幾つも枝分かれしてチャラ男の体を一瞬で貫いていた。ソウゴは既に事切れたチャラ男の様子を気に掛ける事も無く、そのまま街道の外れに向かって放り投げた。チャラ男の死体は地面に接触する瞬間、影から無数の腕が伸びてきてその中に引き摺り込まれる。そこには人がいた形跡など微塵も無く、静寂だけが辺りを支配していた。

 その様子を見ていた周囲の人々は、唖然とした面持ちでその光景を作り出したソウゴに視線を転じた。

 そして気付いた。ソウゴの視線が自分達に向いていた事に。

 

 ──貴様等は何も見ていなかった、いいな?

 

 ソウゴのその問いかけに、その場の全員が頷くしかなかった。チャラ男が侍らせていた女二人は、悲鳴を上げながら何処かへと消えていく。

 先程まで、「てめぇら、抜け駆けは許さんぞ」と互いに牽制し合っていた商人達は、今や「どうぞどうぞ」と互いに譲り合いをしている。

 誰もが赤べこの様に首を縦に振って進み出ない事に満足したソウゴは、それで周囲の人々に興味を無くした様に視線を切る。その手は既に、シアの頭の上に戻っている。

「はぅあ、ソウゴさんが私の為に怒ってくれました~、これは独占欲の表れ? 既成事実まであと一歩ですね!」

「……シア、ファイト」

「ユエさぁ~ん。はいです。私、頑張りますよぉ~!」

「ふぅむ、何だかんだで大切なんじゃのぉ~ご主人様よ」

「……まぁ、そろそろ付き合いも半年になるからな。それだけ過ごせば愛着も沸く」

 

 シアはチャラ男が自分に触ろうとした事でソウゴが怒った事に対し、身をくねらせながら喜びを表にする。実際、許可も無しに我が物顔で彼女に触れようとする事をソウゴも許すつもりはなかったので当然の事の様に答える。

 

 

 ソウゴ達がそんな風にイチャイチャし、すっかり蚊帳の外だったウィルが屋根に乗って体育座りで遠い目をしながら我関せずを貫いていると、俄に列の前方が騒がしくなった。

 

 ソウゴが視線を転じると、どうやら門番が駆けてきている様だ。恐らく、先程逃げた女達の悲鳴でも聞こえて確認しに来たのだろう。

 簡易の鎧を着て馬に乗った男が三人、見るからに怪しく見えるソウゴ達の方へやって来た。三人が、トライドロンのボンネットの上で寛ぐソウゴ達の眼前まで寄って来た。三人の目つきが若干険しくなる。職務的なものではなく……嫉妬的な意味で。

「おいお前! さっきの悲鳴は何だ! それにその赤い箱? も何なのか説明しろ!」

 ソウゴに高圧的に話しかけてはいるが、視線がユエ達にチラチラと向かっているので迫力は皆無だった。ソウゴは、予想していた展開なので門番の男に視線を向けると淀みなく答える。

「これは私の所有する乗り物だ。見慣れぬ物が迫ってきて驚いたのだろうよ」

 つい先程人一人殺した事を決して悟らせずに話すソウゴ。序にそれっぽい嘘を教えれば、荷台越しにウィルが「よく回る口ですね」とジト目で見ているが無視だ。周りの商人達が、「抱きつくどころか、話しきる前に殺しただろう」とか小声で突っ込みを入れようとして、門番越しにソウゴの視線が飛んできて即座に口を閉ざす。

 しかし、人間というのは理解の及ばないものへの思考は鈍くなるもので、「そうか、それは悪かった」と碌に調べる事無くあっさり信じた様だ。

 

 とその時、門番の一人がソウゴ達を見て首をかしげると、「あっ」と声を上げて思い出した様に隣の門番に小声で確認する。何かを言われた相手の門番が同じ様に「そう言えば確かに」と呟きながらソウゴ達をマジマジと見つめる。

「……君達、君達はもしかしてソウゴ、ユエ、シアという名前だったりするか?」

「ああ、確かにそうだが……」

「そうか。それじゃあ、ギルド支部長殿の依頼からの帰りという事か?」

「その通りだ。……もしや、支部長から通達でも来てるのか?」

 

 ソウゴの予想通りだった様で、門番の男が頷く。門番は直ぐに通せと言われている様で、順番待ちを飛ばして入場させてくれるらしい。ソウゴはトライドロンを走らせ門番の後を着いて行く。列に並ぶ人々の何事かという好奇の視線を尻目に悠々と進み、ソウゴ達は再び【フューレン】へと足を踏み入れた。

 

 

 

 【フューレン】に入ってすぐ、ソウゴ達は冒険者ギルドにある応接室に通されていた。

 差し出された如何にも高級そうなお茶と茶菓子を他の三人に与えながら、ソウゴは何処からか取り出した本を読みながら待つ事五分。部屋の扉を蹴破らん勢いで開け放ち飛び込んできたのは、ソウゴ達にウィル救出の依頼をしたイルワ・チャングだ。

 

「ウィル! 無事かい!? 怪我は無いかい!?」

 

 以前の落ち着いた雰囲気などかなぐり捨てて、視界にウィルを収めると挨拶も無く安否を確認するイルワ。それだけ心配だったのだろう。

 

「イルワさん……すみません。私が無理を言ったせいで、色々迷惑を……」

「何を言うんだ……私の方こそ、危険な依頼を紹介してしまった……本当によく無事で……ウィルに何かあったらグレイルやサリアに合わせる顔がなくなるところだよ……二人も随分心配していた。早く顔を見せて安心させてあげるといい。君の無事は既に連絡してある。数日前からフューレンに来ているんだ」

「父上とママが……わかりました。直ぐに会いに行きます」

 

 イルワは、ウィルに両親が滞在している場所を伝えると会いに行く様に促す。

 ウィルはイルワに改めて捜索に骨を折ってもらった事を感謝し、次いでソウゴ達に改めて挨拶に行くと約束して部屋を出て行った。ソウゴとしてはこれっきりで良かったのだが、きちんと礼をしないと気が済まないらしい。

 

 

 ウィルが出て行った後、改めてイルワとソウゴが向き合う。イルワは穏やかな表情で微笑むと、深々とソウゴに頭を下げた。

「ソウゴ殿、今回は本当にありがとう。まさか、本当にウィルを生きて連れ戻してくれるとは思わなかった。感謝してもしきれないよ」

「まぁ、生き残っていたのは坊主の運が良かったのだろう。私はただ見つけただけに過ぎんよ」

「ふふ、そうかな? 確かに、それもあるだろうが……何万もの魔物の群れから守りきってくれたのは事実だろう?"真王陛下"様?」

 

 にこやかに笑いながら、ソウゴが【ウルの町】で呼ばれている二つ名を呼ぶイルワ。ソウゴの頬が「ほぅ…」と興味深げに歪む。どうやらギルド支部長には、ソウゴの予想より早い情報伝達方法がある様だ。

 

「中々良い耳をしているな」

「ギルドの最上級幹部専用だけどね。長距離連絡用のアーティファクトがあるんだ。ウル支部の支部長は持っていないから、私の部下が君達に付いていたんだよ。……彼の泣き言なんて初めて聞いたよ。フューレンを出て、数分で貴方達を見失ったって涙声で通信してきたんだから」

 そう言って苦笑いするイルワ。もしかしたらソウゴ達を尾行して、序に秘密の一つでも知ろうと思ったのかもしれない。

 

 それがイルワの指示か、それともその部下の独断かは知らないが、追随しようとした直後に置いて行かれたその部下の焦燥を思うと……。そして、恐らく何とか【ウルの町】に到着した直後、数万の魔物VS一人という非常識極まりない戦場に遭遇し、更にその後もさっさと帰られてしまい、今も必死に馬を駆って戻って来ているだろう事を思うと……少々可哀想な気がしないでもない。

 

 ソウゴとしてはそれが監視だろうが単なる通信用アーティファクトの配達だろうが特に関係無いので、特に咎める事も無かった。寧ろギルド支部長としては当然の措置なので、特に不快感を抱く事も無いソウゴ。後ろ盾になり得るイルワの抜け目の無さに、少々感心した位である。

 

 イルワが「こほんっ!」と咳払いして、部下の焦燥と困惑と精神的疲労を脇にポイして話を進めた。

「それにしても、大変だったね。まさか、北の山脈地帯の異変が大惨事の予兆だったとは……二重の意味で貴方に依頼して本当によかった。数万の大群を殲滅した力にも興味はあるのだけど……聞かせてくれるかい? 一体、何があったのか」

「あぁ、構わんよ。だがその前に、ユエとシアのステータスプレートだ。ティオは……」

「うむ、二人が貰うなら妾の分も頼めるかの」

「……という訳で、一人分追加で頼む」

「確かに、ステータスプレートを見た方が大群を退けたという話の信憑性も高まるか……分かったよ」

 イルワはユエとシアの他に、新しくソウゴ一行に加わっているティオについても"何か"あるのだと察して、若干表情を変えつつ職員を呼んで新しいステータスプレートを三枚持ってこさせた。

 

 結果、ユエ達のステータスは以下の通りだった。

 

 

常磐ソウゴ 140346歳 男 レベル:????

天職:大魔王/統一時空大皇帝 冒険者ランク:青

筋力:8020542089088470000

体力:8020541904635510000

耐性:8020541872027320000

敏捷:8020541871558690000

魔力:8020541888007390000

魔耐:8020541888375430000

技能:表示不能

 

 

 

ユエ 323歳 女 レベル:75

天職:神子

筋力:120

体力:300

耐性:60

敏捷:120

魔力:6980

魔耐:7120

技能:『自動再生』『痛覚操作』『全属性適性』『複合魔術』『魔力操作』『魔力放射』『魔力圧縮』『遠隔操作』『効率上昇』『魔素吸収』『想像構成』『イメージ補強力上昇』『複数同時構成』『遅延発動』『血力変換』『身体強化』『魔力変換』『体力変換』『魔力強化』『血盟契約』『高速魔力回復』『生成魔術』『重力魔術』

 

※想像構成

魔法陣をイメージのみによって構成する。

※血盟契約

唯一と定めた相手からの吸血による血力変換の効果が大幅に上昇する。

 

 

 

シア・ハウリア 16歳 女 レベル:40

天職:占術師

筋力:60[+最大6100]

体力:80[+最大6120]

耐性:60[+最大6100]

敏捷:85[+最大6125]

魔力:3020

魔耐:3180

技能:『未来視』『自動発動』『仮定未来』『魔力操作』『身体強化』『部分強化』『変換効率上昇Ⅱ』『集中強化』『重力魔術』

 

※変換効率上昇Ⅱ

魔力1に対して、身体能力のスペック値を2上昇させる。

 

 

 

ティオ・クラルス 563歳 女 レベル:89

天職:守護者

筋力:770[+竜化状態4620]

体力:1100[+竜化状態6600]

耐性:1100[+竜化状態6600]

敏捷:580[+竜化状態3480]

魔力:4590

魔耐:4220

技能:『竜化』『竜鱗硬化』『魔力効率上昇』『身体能力上昇』『咆哮』『風纏』『痛覚変換』『魔力操作』『魔力放射』『魔力圧縮』『火属性適性』『魔力消費減少』『効果上昇』『持続時間上昇』『風属性適性』『魔力消費減少』『効果上昇』『持続時間上昇』『複合魔術』

 

※咆哮Ⅱ

竜化状態のブレスに加え、竜化前の状態でもブレスを使用可能。

※風纏

竜化時に風を纏い、飛翔の補助が可能。

※痛覚変換

それは甘美なる力。新たな扉を開いた証。「さぁさぁバッチ来い!」

 

 

 ソウゴには遠く及ばないものの、召喚されたチート集団ですら少人数では相手にならないレベルのステータスだ。全てのステータス値がという訳ではないが、勇者が“限界突破”を使っても及ばないレベルである。この世界の通常の戦闘系天職を持つ者と比べれば、正に異常な値。

 何より、ユエ達の本質を示す固有魔術や技能が、冒険者ギルド最上級幹部であるイルワをしてその口をあんぐりと開けさせ絶句している。

 

 無理もない話だ。何せ"血力変換"と"竜化"はとある種族しか持たない筈の特異な固有魔術であり、既にその種族は何百年も前に滅んだ筈なのだから。何百年経とうとも聖教教会を通して伝説の一つとして伝えられる、神敵たる種族の証なのだから。

 

 加えてユエやティオ程のインパクトは無くとも、種族の常識を完全に無視しているシアについても驚くなという方がどうかしている。

 

 そこへ更に、隠蔽・偽装を解いたソウゴ本来のステータスを見せられ、最早言葉も無い。

 

 

「いやはや……何かあるとは思っていたけれど、これ程とは……」

 

 冷や汗を流しながらいつもの微笑みが引き攣っているイルワに、ソウゴはお構いなしに事の顛末を語って聞かせた。普通に聞いただけなら、そんな馬鹿なと一笑に付しそうな内容でも、先にステータスプレートで裏付ける様な数値や技能を見てしまっているので信じざるを得ない。

 イルワは全ての話を聞き終えると、一気に十歳くらい年をとった様な疲れた表情でソファに深く座り直した。

「……道理でキャサリン先生の目に留まる訳だ。ソウゴ殿が召喚された者の一人だという事は予想していたが……実際は、遥か斜め上をいったね……」

「……それでイルワよ。貴様は魔王(わたし)をどうする? 危険分子だと教会にでも突き出すか?」

 イルワは、ソウゴの試す様な質問に非難する様な眼差しを向けると居住まいを正した。

「冗談がキツいよ。出来る訳が無いだろう? 貴方達を敵に回す様な事、個人的にもギルド幹部としても有り得ない選択肢だよ。……大体、見くびらないで欲しい。貴方達は私の恩人なんだ、その事を私が忘れる事は生涯無いよ」

「……そうか、そいつは良かった」

 

 ソウゴは口の端を歪めて、試して悪かったと視線で謝意を示した。イルワは目元を緩めて頷く。

 

「私としては、約束通り可能な限り貴方達の後ろ盾になろうと思う。ギルド幹部としても、個人としてもね。まぁあれだけの力を見せたんだ、当分は上の方も議論が紛糾して貴方達に下手な事はしないと思うよ。一応後ろ盾になりやすい様に、貴方達の冒険者ランクを全員"金"にしておく。普通は"金"を付けるには色々面倒な手続きがいるのだけど……事後承諾でも何とかなるよ。キャサリン先生と僕の推薦、それに"真王陛下"という名声があるからね」

 

 イルワの大盤振る舞いにより、他にも【フューレン】にいる間はギルド直営の宿のVIPルームを使わせてくれたり、イルワの家紋入り手紙を用意してくれたりした。何でも、今回のお礼もあるがそれ以上にソウゴ達とは友好関係を作っておきたいという事らしい。

 

「それはありがたい事だ、手札は多ければ多い程良い。態々ウルの町まで足を運んだ意味があったというものだ」

「そう言ってもらえると、私も嬉しいね。……しかしステータスプレートを見せずとも、彼女達の正体が露見するのは時間の問題だよ? 正直私程度の援護では、最上級魔法を紙切れで防御しようとする様なものだと思うのだけど……」

 カリカリと頬を掻きながら苦笑いを見せるイルワに、ソウゴはカップに口をつけながら淡々と言う。

「紙切れも使い方次第だろう。私は大魔王、世界の全てを利用してきた男だぞ? 貴様の後ろ盾と厚意は十分に活用させてもらう」

「そうかい?」

「あぁ。それに、私に捜索依頼をした時に自分で口にしていただろう?」

「?」

 イルワが首を傾げる前で、ソウゴは嘗てイルワ自身が口にした言葉を響かせた。

 

「『最初から、全て覚悟の上だ』」

「……成程、そうだったね」

 

 イルワの後ろ盾があろうが無かろうが、そんな事は関係無いのだ。あればあったで適当に役立たせよう位のものであり、無くてもソウゴの歩みを止める事など不可能だ。ただあるがままに往き、思う様に君臨するだけだ。

 

 ソウゴの在り方と、それに寄り添う不安も心配も欠片も抱いていない様子のユエ達を見て、イルワは口元に浮かび上がる笑みを堪える事が出来なかった。訳も無く気分が高揚する。まるで、幹部職員を目指して我武者羅に頑張っていた若い頃の気持ちを取り戻したかの様だ。

 

 きっと、感じているのだ。目の前にいる聖教教会の敵とも言える一行が、世界を変えるかもしれないという予感を。

 現状に不満がある訳ではない。イルワは間違いなく成功者であり、この世界で正しく生きている人間だ。変わらない事が、寧ろイルワにとっては正しい事であり、望むべき事だ。

 だがしかし、それでも期待と少しの恐怖と、湧き上がる高揚感を否定出来ないのは、──イルワ・チャングという人間が、冒険者(・・・)ギルドの幹部だからなのだろう。

 

「貴方達の旅路が、最高に厄介で素敵な冒険となる事を祈っているよ」

「呵々、そう願いたいものだな!」

 

 イルワの最上級の送り言葉に、ソウゴもそうなってほしいと思い大笑で返した。

 そんなソウゴを見て、イルワもここ数年多忙に呑まれて見せる事の無かった、心からの快活な笑い声を上げたのだった。

 

 

 その後イルワと別れたソウゴ達は、【フューレン】の中央区にあるギルド直営の宿のVIPルームへとやってきた。二十階建ての建物で、ソウゴ達の部屋は最上階。窓からは観光区の様子を一望出来る。部屋も立派な造りであり、広いリビングの他に個室が四部屋あって、その全てに天蓋付きベッドが備え付けられている。ソファも絨毯もフカフカで、触れた瞬間一級品である事が分かった。

 

 ソウゴがソファに身を沈め、隣にユエが寄り添い、シアとティオが「ほぉほぉ」と物珍し気に部屋を探検していると、ウィルの両親であるグレイル・グレタ伯爵とサリア・グレタ夫人がウィルを伴って挨拶に来た。かつて、この国の王宮で見た貴族とは異なり随分と筋の通った人の様だ。ウィルの人の良さというものが納得できる両親だった。

 

 グレイル伯爵は、頻りに礼をしたいと家への招待や金品の支払いを提案したのだがソウゴが固辞するので、困った事があればどんな事でも力になると宣言した。

 ソウゴは夫妻に対して、

 

「伯爵殿、貴殿の三男坊は大成するぞ。権力や威光に溺れる事も無く、確りと人民の為に上に立てる器を持っている。今は未熟だが、大いに期待しておけ」

 

 と告げた。すると夫妻もウィルも一瞬驚いた様な顔になり、直ぐ様瞳を潤ませて大きく頭を下げた。

 クデタ家の面々が帰った後、ソウゴは再びリビングのソファに体重を預け、リラックスした様子で深く息を吐いた。

 

 

 ユエがいつもの様にソウゴの膝に頭を預け、シアは隣に腰掛けた。ティオは部屋の探検を続行する様だ。一々家具や調度品を見たり触ったりしては、感心したり首を捻ったりしている。昔と今の様式の違いでも考察しているのかもしれない。

 そんなものかと思いつつ、ソウゴはユエとシアの頭を撫でようと手を伸ばそうとした。すると、

 

「……おっと、電話か」

 

 懐のファイズフォンXから着信音が鳴り響き、驚く面々を他所にソウゴは電話を取った。

「私だ。……めぐみ? こんな時間に珍しい、執務中に掛けてくるなんて何かあったか? ……家族会議? 今夜? ……あぁわかった。……いや、食事は帰ってからにしよう。暫く一緒に食べてなかったものな。……あぁ、では後でな」

 ソウゴは穏やかな空気を纏いながら通話を切る。それから不思議な顔をしながら懐に仕舞うと、ティオが声をかけてくる。

「ご主人様、それは通信機かの?」

「あぁ、そんなところだ」

「……相手は?」

「ウチの次女だ。何でも、緊急で話したい事があるから今夜帰ってきてほしいらしい。そんな訳で今夜は留守にする。明日の朝までには戻るつもりだが、先に休んでてくれ」

 ソウゴに娘がいた事を初めて知ったティオも含め、全員が了承しつつも少し残念そうな顔をする。

 

 するとソウゴが「あぁ、そういえば……」と何か思い出した様にシアに顔を向けた。

「シア、何か望みはあるか?」

「へ? 望み……ですか?」

 珍しいソウゴからの言葉に、シアは疑問符を浮かべて首を傾げる。

「あぁ。今更と言えばそうなんだが、貴様が供をする様になってそれなりに経つ。だがよく考えてみると、この旅での貴様の働きに対して何の褒美も与えてない事に気付いてな」

 

 ソウゴがそう説明すれば、「う~ん」と唸りだすシア。何気なくソウゴの膝の上のユエを見ると、ユエは優し気な表情でシアを見つめてコクリと頷いた。ソウゴの気持ちを素直に受け取ればいいと促せば、それを正確に読み取ったシアは少し考えた後ににへ~っと笑い、ユエに笑みを浮かべて頷くとソウゴに視線を転じた。

 

「では、私の初めてをもらっ───」

「よし、この話は無かった事に───」

「ああ冗談、冗談ですっ! ……で、では……明日一緒に観光区をデート、というのは……?」

「まぁ、それぐらいなら構わんよ。取り敢えず今日はもう休め、明日はそれに加えて消費した食料の買い出しもせねばならんしな」

 

 ソウゴが髪を撫でながら了承すると、翌日の予定を口にする。そこに待ったを掛けたのはユエだった。

「……買い物は私とティオがしておく。だからソウゴ様は、出来るだけシアといてあげて?」

「頼んでいいか?」

「ん……」

 ユエの親心的な援護射撃によって、シアは明日一日ソウゴを独占する事になった。

 

 その後。夕暮れ頃にソウゴが出かけていき、和やかな空気のまま一同は眠りについた。

 

 

 

「ふんふんふふ~ん、ふんふふ~ん! いい天気ですねぇ~、絶好のデート日和ですよぉ~」

 

 【フューレン】の街の表通りを、上機嫌のシアがスキップしそうな勢いで歩いている。

 服装はいつも着ている丈夫で露出過多な冒険者風の服と異なり、可愛らしい乳白色のワンピースだ。肩紐は細めで胸元が大きく開いており、シアの豊かな胸が歩く度にぷるんっ! ぷるんっ! と震えている。腰には細めの黒いベルトが付いていて引き絞られており、シアのくびれの美しさを強調していた。豊かなヒップラインと合わせて何とも魅惑的な曲線を描いている。膝上十五センチの裾からスラリと伸びる細く引き締まった脚線美は、弾む双丘と同じくらい男共の視線を集めていた。

 

 尤も、何より魅力的なのはその纏う雰囲気と笑顔だろう。

 頬を染めて「楽しくて仕方ありません!」という感情が僅かにも隠される事無く全身から溢れている。亜人族であるとか、綺麗に装飾されているが一応首輪らしき物を付けている事とか、そんなのは些細な事だと言わんばかりに周囲の人々を尽く見惚れさせ、或いは微笑ましいものを見たという様にご年配方の頬を緩ませている。

 

 

 そんなシアの後ろを、ソウゴは凄まじく辛気臭い表情をしながら歩いていた。

 

 

 余程心が浮きだっているのか、少し前に進んではくるりとターンしてソウゴに笑顔を向け追いつくのを待つという行為を繰り返すシアに目もくれず、ソウゴは深刻そうに溜息を吐くばかりだった。

「……はしゃぎすぎだぞシア、前を見てないと転ぶぞ?」

「ソウゴさんこそ前見てますか~? ふふふ、そんなヘマしませんよぉ~、ユエさんに鍛えられているんですからッ!?」

 それでも何だかんだで、ちゃんとシアの事は見ていた様で注意するソウゴ。それに再びターンしながら大丈夫だと言いつつ、お約束の様に足を引っ掛けて転びそうになるシア。すかさずソウゴが腰を抱いて支える。シアの身体能力なら特に問題無く立て直すだろうが、丈の短いスカートなので念の為だ。シアを鼻息荒く凝視している男共にラッキースケベなど起こさせはしない。

「しゅ、しゅみません」

「……はぁ。ほれ、浮かれているのはわかったから隣を歩け」

 

 腰を抱かれて恥ずかしげに身を縮めるシアは、ソウゴの服の袖をちょこんと摘んだまま、今度は小さな歩幅でチマチマと隣りを歩き始めた。その頬を染めて恥らう愛らしい姿に、周囲の男達はほぼ全員ノックアウトされた様だ。若干名、隣を歩く恋人の拳が原因の様だが。

 

「ところで、ソウゴさん。どうして今日はそんなに暗いんですか? 朝からずっとこんな調子ですよ?」

 そこで漸くと言うべきか、シアが今日のソウゴの様子について質問をしてきた。

 というのも、ソウゴは起床した時から(より厳密には自分の世界から戻って来てからだが)、ずっとこんな調子で沈んだままなのだ。これでは折角のデートも台無しというものだ。故にシアは何か悩みがあるならばと訊いてみたのだ。

「あぁ、実は……いや、貴様に聞かせる様な話でもないな」

「いえ、是非とも聞かせて下さい。ソウゴさんの事なら何でも知りたいので!」

 ソウゴは適当に流そうとしたが、シアが笑顔で根掘り葉掘り訊こうとしてきた為、ソウゴは自分の眉間を揉み解す様に押さえながら口を開いた。

 

 

「………………………孫が出来た」

「はっ?」

「孫だ孫、私に孫が出来たんだよ」

「………ぅぇぇぇえええええええええっ!?」

 

 

 ソウゴの予想外の発言に、シアの素っ頓狂な叫びが響き渡った。

 

「え、えっ、ど、どういう事ですか!?」

「末の娘が貴様と同い年で、家出中だというのは話したな?」

「はい、確かにフェアベルゲンでそう聞きましたけど……」

「……詳細は省くが、その娘が数人の友人との間で子供が出来たらしくてな」

 

 そんな会話をしながらソウゴとシアの二人は周囲の視線を集めつつ、遂に観光区に入った。

 

 

 観光区には、実に様々な娯楽施設が存在する。例えば劇場や大道芸通り、サーカス、音楽ホール、水族館や闘技場、ゲームスタジオ、展望台、色とりどりの花畑や巨大な花壇迷路、美しい建築物に広場等様々である。

 

「ソウゴさん、ソウゴさん! まずはメアシュタットに行きましょう! 私、生きている海の生き物って見た事無いんです!」

 

 ガイドブックを片手に、シアがウサミミを「早く! 早く!」と言う様にぴょこぴょこ動かす。【ハルツィナ樹海】出身なので海の生物というのを見た事が無いらしく、メアシュタットという【フューレン】観光区でも有名な水族館に見に行きたいらしい。

 

 因みに樹海にも大きな湖や川はあるので、淡水魚なら見慣れているらしいのだが、海の生き物とは例えフォルムが同じ魚でも感じるものは違うらしい。

 

「ほぉ、内陸で海洋生物とは……随分な気合の入れようだな。管理・維持・輸送と費用が大変だろうに……」

 長年の癖からか運営側の視点で見てしまうソウゴだが、断る理由もないので了承する。それにシアが嬉しそうにニコニコしながらソウゴの手を握って先導した。

 

 

 途中の大道芸通りで、人間の限界に挑戦する様なアクロバティックな妙技に目を奪われつつ、辿り着いたメアシュタットはかなり大きな施設だった。海をイメージしているのか全体的に青みがかった建物となっており、多くの人で賑わっている。

 

 中の様子は地球の水族館に極めてよく似ていた。ただ、地球程大質量の水の圧力に耐える透明の水槽を作る技術が無い様で、格子状の金属製の柵に分厚いガラスがタイルの様に埋め込まれており、若干の見難さはあった。

 

 だがシアはその程度の事は全く気にならない様で、初めて見る海の生き物の泳いでいる姿に瞳をキラキラさせて、頻りに指を差しながらソウゴに話しかけた。すぐ隣で同じく瞳をキラキラさせている家族連れの幼女と仕草が同じだ。不意に幼女の父親と思しき人と視線が合い、その目に生暖かさが含まれている気がしてソウゴは何となく愛想笑いをしながらシアを促し、手を掴んでその場を離れた。

 シアがソウゴの行動に驚きつつも手を握られたのが嬉しくて、頬を染めながら手をにぎにぎし返したのは言うまでもない。

 そんなこんなで一時間程水族館を楽しんでいると、突然シアがギョッとした様にとある水槽を二度見し、更に凝視し始めた。

 

 そこにいたのは……シーマ○だった。ソウゴが若い頃にテレビ特集等で見た、某ゲームの人面魚そっくりだった(因みにマーマン族やマーメイド族曰く、ソウゴの国にも人面魚はいるらしい)。

 

 

 ソウゴは水槽の傍に貼り付けられている解説に目をやった。

 

「何々……ほぅ、会話が出来ると?」

 

 それによると、このシー○ンは水棲系の歴とした魔物なのだが、固有魔術"念話"により、なんと会話が成立するらしい。確認されている中では唯一意思疎通の出来る魔物として有名な様だ。

 ただ、物凄い面倒臭がりの様で滅多に話そうとしない上に、仮に会話出来たとしてもやる気の欠片も無い返答しかなく、話している内に相手の人間まで無気力になっていくという副作用の様なものまであるので注意が必要との事だ。

 

 序にお酒が大好きらしく、飲むと饒舌になるらしい。但し、一方的に説教臭い事を話し続けるだけで会話は成立しなくなるらしいが……因みに、名称はリーマンだった。

 

 ソウゴは、一筋の汗を流しながら未だ見つめ合っているのか睨み合っているのか判らないシアを放置して話しかけてみた。ただ、普通に会話しても滅多に返してくれないらしいので同じく“念話”を使ってみる。

『貴様、念話が使えるらしいな。本当に話せるのか? 言葉の意味を理解できるか?』

 突然の念話に、リーマンの目元が一瞬ピクリと反応する。そしてシアから視線を外すと、ゆっくりソウゴを見返した。シアが何故か「勝った!」みたいな表情をしているが無視だ。

 

『……チッ、初対面だろ。まず名乗れよ。それが礼儀ってもんだろうが。全く、これだから最近の若者は……』

 

 おっさん顔の魚に礼儀を説かれてしまった。痛恨のミスである。ソウゴは頬を引き攣らせ、一瞬のイラつきを隠しながら再度会話を試みる。

『……悪かったな、私は常磐ソウゴだ。それと貴様の何十倍も生きている年寄りだ』

 ソウゴとしてはほんの一瞬、本当に一秒にも満たない怒気だったのだが、目の前のリーマンは確りと感じ取った様で、

 

『……すんません』

 

 思いっきり下手に出て謝られた。これも何かの序かと思い、リーマンに色々聞いてみる。例えば、魔物には明確な意思があるのか、魔物はどうやって生まれるのか、他にも意思疎通できる魔物はいるのか……。

 

 

 リーマン曰く、殆どの魔物は本能的で明確な意思はないらしい。言語を理解して意思疎通できる魔物など自分の種族しか知らない様だ。また、魔物が生まれる方法も知らないらしい。

 他にも色々と話しているとそれなりの時間が経ち、傍目には若い男とおっさん顔の人面魚が見つめ合っているという果てしなくシュールな光景なので、人目につき始める。

「うぅ、ソウゴさん。皆見てますよぉ。私とのデート中に何故おっさん顔の魔物と見つめあってるんですかぁ? それをする相手は私じゃないですか?」

 

 シアがウサミミをペタンと折り畳み、何だか恥ずかしそうにそわそわしながらソウゴの服の裾をちょいちょい引っ張るので、ソウゴは会話を切り上げた。

 ただソウゴは、最後にリーマンが何故こんなところにいるのか聞いてみた。そして、返ってきた答えは……

『自由気ままな旅をしていたんすがね……少し前に地下水脈を泳いでいたらいきなり地上に噴き飛ばされて……気がついたら地上の泉の傍の草むらにいたんすよ。別に水中じゃなくても死にゃしませんが、流石に身動きは取れなくて。念話で助けを求めたら……まぁ、ここに連れてこられたって訳で』

 

 ソウゴはそこまで聞いたところで、ふとした気まぐれが発生したのか、先程の詫びも兼ねて一つ提案を示す。

『リーマン、ここから出たいか?』

『? そりゃあ出てぇっすよ。俺にゃあ、宛もない気ままな旅が性に合ってる。生き物ってのは自然に生まれて自然に還るのが一番なんだ。こんな檻の中じゃなく、大海の中で死にてぇてもんだよ』

『なら、私が近くの川にでも飛ばしてやろう。突然景色が変わるから混乱するだろうが、まぁそこは我慢してくれ』

 

 そしてソウゴ達が水槽から動いた途端、その中からリーマンがいなくなっているという珍事が発生した。リーマンの隠された能力かと【フューレン】の行政も巻き込んだ大騒ぎになるのだが……それはどうでもいい話だ。

 

 

 

 一方その頃……

 

 ユエとティオは買い出しの為商業区を歩いていた。といっても、ソウゴの宝物庫には必要な物が大量に入っているので、旅の中で消費した分を少し補充する程度の事だ。従って、それ程食料品関係を買い漁る必要はなく、二人は商業区をぶらぶらと散策しながら各種専門店を冷やかしていた。

 

「ふむ。それにしても、ユエよ。本当に良かったのか?」

「? ……シアの事?」

「うむ。もしかすると今頃、色々進展しているかもしれんよ? ユエが思う以上にの?」

 

 服飾店の展示品を品定めしているユエに、ティオがそんな質問をする。声音には少し面白がる様な響きが含まれていた。「余裕ぶっていていいのか? 足元を掬われるかもしれないぞ?」と。

 まだソウゴ達の旅に加わって日の浅い新参者のティオとしては、三人の不思議な関係に興味があった。これから共に旅をする以上、一度腹を割って話してみたかったのだ。

 それに対して、ユエは動揺の欠片もなくティオをチラリと見ると肩を竦めた。本当に何の危機感も持っていない様だ。

「……それなら嬉しい」

「嬉しいじゃと? 惚れた男が他の女と親密になるというのに?」

「……他の女じゃない。シアだから」

 首を傾げるにティオにユエは、店を見て回りながら話を続ける。

 

「……最初は、ソウゴ様にベタベタするし……色々下心も透けて見えたから煩わしかった……でも、あの子を見ていて分かった」

「分かった?」

「……ん、あの子はいつも全力。一生懸命。大切なもののために、好きなもののために。良くも悪くも真っ直ぐ」

「ふむ、それは見ていてわかる気がするの。……だから絆されたと?」

 

 ティオは短い付き合いながらも、今までのシアを脳裏に浮かべて頬を緩めた。亜人族にあるまじき難儀な体質でありながら、笑顔が絶えないムードメーカーなウサミミ少女に自然と頬が綻ぶのだ。

 まだ若いが故に色々残念な所や空回る所はあるが、ティオもいつだって一生懸命なシアの事は気に入っている。しかし、唯一無二の想い人とデートさせる理由としては些か弱い気がして、ティオは改めて、結局は気に入ったからという理由だけなのかと確認を取った。

「……半分は」

「半分? ふむ、ではもう半分は何じゃ?」

 ティオの疑問顔に、ユエは初めて口元に笑みを浮かべて答えた。

 

「……シアは、私の事も好き。ソウゴ様と同じくらい。意味は違っても大きさは同じ……可愛いでしょ?」

「……成程のぅ。あの子には、ご主人様もユエもどちらも必要という事なんじゃな。……混じり気の無い好意を邪険に出来る者は少ない。あの子の人徳というものかの。ふむ、ユエのシアへの想いは分かった。……じゃが、ご主人様の方はどうじゃ? 心奪われるとは思わんのか? あの子の魅力は重々承知なのじゃろう?」

 

 ユエは、それこそ馬鹿馬鹿しいと肩を竦めると、今度は落胆する様な表情を見せた。

 

「……それで釣れる様な人なら苦労しない。ソウゴ様は、付いていく事は許してくれても、隣に立つのは許してくれない。一度も振り返ってくれない……だから私が知る限り、ソウゴ様が望んだのは、ティオが初めて」

 

 言外に「お前が羨ましい」と言い放ちジト目を向けるユエに、ティオは普段の無表情とのギャップも相まって言い知れぬ迫力を感じ一歩後退った。

 無意識の後退だった様で、ティオはそんな自分に驚いた表情をすると、苦笑いしながら両手を上げて降参の意を示した。

「まぁ……喧嘩を売る気はない。妾は、ご主人様に罵ってもらえれば十分じゃしの」

「……変態」

 呆れた表情でティオを見るユエに、本人はカラカラと快活に笑うだけだった。

 ユエはティオが態々この様な話を始めたのも、自分達との関係を良好なものにする為だろうと察していた。なので、憧れの竜人族のブレない変態ぶりに深い溜息を吐きつつも、上手くやっていけそうだと苦笑いするのだった。

 とそんな風に、少しユエとティオの距離が縮まり、穏やかな雰囲気で二人が歩き出した直後、

 

 ドゴォォンッ!!

 

 すぐ近くの建物の壁が破壊され、そこから二人の男が吹き飛んできた。男達は悲鳴も無く地面に着弾し、そのまま顔面で地面を削りながら数メートル先で漸く停止する。ピクリとも動かず、まるで屍の様……というより本当に屍だった。

 更に、同じ建物の窓を割りながら数人の男が同じ様にピンボールの様に吹き飛ばされてくる。その建物の中からは壮絶な破壊音が響き渡っており、その度に建物が激震し外壁が罅割れ砕け落ちていく。

 そして十数人の男がとてもお見せ出来ない状態か手足を奇怪な方向に曲げたまま絶命して表通りに並ぶ頃、遂に建物自体が度重なるダメージに耐えられなくなった様で、轟音と共に崩壊した。

 野次馬が悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らす様に距離を取る中、ユエとティオは聞きなれた声と気配にその場に留まりつつ、呆れた表情を粉塵の中へと向けた。

 

「あぁ、やはり二人の気配だったか……」

「あれ? ユエさんとティオさん? どうしてこんな所に?」

 

「……それはこっちのセリフ。デートにしては過激過ぎ」

「全くじゃのぉ~、で? ご主人様よ。今度はどんなトラブルに巻き込まれたのじゃ?」

 

 ユエとティオが感知していた通り、粉塵を掻き分けて現れたのはソウゴとシアだった。

 二人はデートに出かけた時の格好そのままに、シアは武器を携えてユエ達のもとへ寄って来た。可愛らしい服を着ていながら、肩に凶悪な戦鎚を担ぐシアの姿はとてもシュールだ。

「あはは。私もこんなデートは想定していなかったんですが、成り行きで……。ちょっと人身売買している組織の関連施設を潰し回っていまして……」

「……成り行きで裏の組織と喧嘩?」

 呆れた表情のユエにシアが乾いた笑いをする。ティオがどういう事かとソウゴに事情説明を求めて視線を向けた。

「まぁ、丁度人手が足りなかったところだ。説明するから手伝ってくれないか?」

 

 地面に転がる男達を通行の邪魔だとでも言う様に、自身の影の中に飲み込んでいくソウゴ。引き摺り込まれていく男達を尻目に、ソウゴはユエとティオに何があったのか事情を説明し始めた。

 

 

 

 メアシュタット水族館を出て昼食も食べた後、ソウゴとシアの二人は迷路花壇や大道芸通りを散策していた。シアの腕には、露店で買った食べ物が入った包みが幾つも抱えられている。今は、バニラっぽいアイスクリームを攻略中だ。

「よく食べるな、そんなに美味いか?」

「あむっ……はい! とっても美味しいですよ。流石フューレンです。唯の露店でもレベルが高いです!」

「食べ過ぎて太るなよ」

「……ソウゴさん、それは女の子に言ってはいけない台詞です」

 ソウゴの言葉に一瞬食べる手が止まるものの、「後で運動するし……明日から少し制限するし……」等とブツブツと言い訳しながら、再度露店の甘味を堪能するシア。そんなシアに苦笑いしながら横を歩くソウゴは、突如その表情を訝しげなものに変え足元を見下ろした。

 

 それに気がついたシアが、「ん?」と首を傾げてソウゴに尋ねる。

「どうかしましたかソウゴさん?」

「いや、人の気配を感知したんだが……」

「気配感知なんて使っていたんですか?」

「……眠っていても出来るのが基本だろうが」

「……う、う~ん? でも、何が気になるんです? 人の気配って言っても……」

 シアは誤魔化す様に周囲を見渡して「人だらけですよ?」と首を傾げた。

「おい。……まぁいい、私が感知したのは下だ」

「下? ……って下水道ですか? えっと、なら管理施設の職員さん、とか?」

「だったら気にしないんだがな。気配がやたらと小さい上に弱い……恐らく……っ!」

 

「ソウゴさん!?」

 

 言葉を途中で切り、ソウゴはシアの腕を掴んでもう片方の手を地面に翳す。途端黄色の魔法陣が浮かび上がり、二人は地面をすり抜けて落下していった。そのまま水路の両サイドにある通路に着地すると、二人は水路に目を向ける。

 

「っ! ソウゴさん、私にも気配が掴めました! 私が飛び込んで引っ張り上げますね!」

「いや、私がやる」

 

 折角デート用に用意した服が汚れるなど気にした風もなく下水に飛び込もうとするシアの首根っこを掴んで止めたソウゴは、水流に向かって手を伸ばす。

 その掌から木の根の様な物が複数伸びてきて、水路を流されてきた子供を掴み、そのまま通路へと引き上げた。

 

「この子は……」

「まだ息はある……取り敢えずここから離れるぞ。臭いが酷い」

 

 引き上げられたその子供を見て、シアが驚きに目を見開く。ソウゴもその容姿を見て知識だけはあったので、内心では少し驚いていた。しかし場所が場所だけに、肉体的にも精神的にも衛生上良くないと場所を移動する事にする。

 子供の素性的に唯の事故で流されたとは思えないので、そのまま下水通路に錬成で横穴を開けた。そして宝物庫から毛布を取り出すと小さな子供を包み、抱きかかえて移動を開始した。

 

 

 とある裏路地の突き当たりの地面に突如ポッカリと穴が空く。そこからピョンと飛び出したのは、毛布に包まれた小さな子供を抱きかかえたソウゴとシアだ。ソウゴは穴を塞ぐと、改めて自らが抱きかかえる子供に視線を向けた。

 

 その子供は、エメラルドグリーンの長い髪と、幼い上に汚れているにも関わずわかるくらい整った可愛らしい顔立ちをした、見た目三、四歳ぐらいの女の子だった。

 そして何より特徴的なのは、ソウゴとシアが驚いた理由である耳だ。通常の人間の耳の代わりに扇状の鰭が付いているのである。しかも、毛布からちょこんと覗く紅葉の様な小さな手には、指の股に折り畳まれる様にして薄い膜が存在していた。

 

「この子、海人族の子ですね……どうして、こんな所に……」

「まぁ、真面な理由ではないのは確かだな」

 

 

 海人族は、亜人族としてはかなり特殊な地位にある種族だ。

 

 西大陸の果て、【グリューエン大砂漠】を超えた先の海、その沖合にある【海上の町エリセン】で生活している。彼等はその種族の特性を生かして、大陸に出回る海産物の八割を採って送り出しているのだ。その為亜人族でありながら【ハイリヒ王国】から公に保護されている種族なのである。差別しておきながら使えるから保護するという何とも現金な話だ。

 

 そんな保護されている筈の海人族、それも子供が内陸にある大都市の下水を流れている等ありえない事だ。犯罪臭がぷんぷんしている。

 

 ソウゴとシアが何とも言えない表情で顔を見合わせていると、海人族の幼女の小さな可愛らしい鼻がピクピクと動き始め、直後その目がパチクリと目を開いた。

 最初は困惑した様に視線を泳がせていた海人族の幼女は、やがてその大きく真ん丸な瞳をソウゴにロックオンした。無言で、只管じぃーっとソウゴを見つめ始める。

 ソウゴも何となく目が合ったまま逸らさずジーと見つめ返した。見つめ合う。まだ見つめ合う。まだまだ見つめ合う。

 

「二人供、一体何をしているんですか……」

 

 意味不明な緊迫感が漂う中、シアが呆れた表情で近づくと、海人族の幼女のお腹がクゥ~と可愛らしい音を立てる。再び鼻をピクピクと動かし、遂にソウゴから視線を逸らすと、今度は未だに持っていたシアの露店の包みをロックオンした。

 シアが「これですか?」と首を傾げながら、串焼きの入った包みを右に左にと動かすと、まるで磁石の様に幼女の視線も左右に揺れる。どうやら相当空腹の様だ。シアが包みから串焼きを取り出そうとするのを制止して、ソウゴは幼女に話しかけながら地面を叩いた。

「娘、名前は言えるか?」

 女の子はシアの持つ串焼きに目を奪われていたところ、突如地面が動き出し、四角い箱状の物がせり上がってくる光景に驚いた様に身を竦めた。そして、ソウゴから名前を聞かれて視線を彷徨わせた後、ポツリと囁く様な声で自身の名前を告げた。

 

「……ミュウ」

「そうか。私はソウゴで、そっちはシアだ。それでミュウ、あの串焼きが食べたいなら、まず体の汚れを落とせ」

 

 ソウゴは完成した簡易の浴槽に水遁で清水を貯め、更に水温を調整し即席の風呂を用意した。下水で汚れた体のまま食事を取るのは非常に危険だ。幾分か飲んでしまっているだろうから、解毒作用や殺菌作用のある術も掛けておく必要がある。

 返事をする間もなく、毛布と下水をたっぷり含んだ汚れた衣服を脱がされ浴槽に落とされたミュウは、「ひぅ!」と怯えた様に身を縮めたものの、体を包む暖かさに次第に目を細めだした。

 ソウゴはシアに薬やタオル、石鹸等を渡しミュウの世話を任せて、自らはミュウの衣服を買いに袋小路を出て行った。

 

 

 暫くしてソウゴがミュウの服を揃えて袋小路に戻ってくると、ミュウは既に湯船から上がっており、新しい毛布に包まれてシアに抱っこされているところだった。抱っこされながら、シアが「あ~ん」する串焼きをはぐはぐと小さな口を一生懸命動かして食べている。薄汚れていた髪は、本来のエメラルドグリーンの輝きを取り戻し、光を反射して天使の輪を作っていた。

 

「あっ、ソウゴさん。お帰りなさい。素人判断ですけど、ミュウちゃんは問題ないみたいですよ」

 

 ソウゴが帰ってきた事に気がついたシアが、ミュウのまだ湿り気のある髪を撫でながらソウゴに報告をする。ミュウもそれでソウゴの存在に気がついたのか、はぐはぐと口を動かしながら、再びジーっとソウゴを見つめ始めた。良い人か悪い人かの判断中なのだろう。

 ソウゴはシアの言葉に頷くと、買ってきた服を取り出した。シアの今着ている服に良く似た乳白色のフェミニンなワンピースだ。それにグラディエーターサンダルっぽい履物、それと下着だ。子供用とは言え、店で買う時は店員の目が不審なものになった。

 

 

 実はソウゴ、一度自分の世界に戻って「娘達が小さい頃に使っていた物でも……」と思っていたのだが、流石にもう置いていなかった様で即座に引き返して店に飛び込んだのだった。

 

 

 ソウゴはミュウの下へ歩み寄ると、毛布を剥ぎ取りポスッと上からワンピースを着せた。序に下着もさっさと履かせる。そして、ミュウの前に跪いて片方ずつ靴を履かせていった。

 更に掌に熱を纏わせ、湿り気のあるミュウの髪を撫でて乾かしていく。ミュウはされるがままで未だにジーっとソウゴを見ているが、温かい手の気持ちよさに次第に目を細めていった。

 

「……何気に、ソウゴさんって面倒見いいですよね」

「これでも娘が五人いる父親だぞ? 何なら今の家臣達は大体生まれた時から知ってるからな。世話してやった事も一度や二度ではない」

 

 

 ミュウの髪を乾かしながらシアの言葉に何でもない様に答えるソウゴ。シアは頬を緩めてニコニコと笑う。

「で、今後の事だが……」

「ミュウちゃんをどうするかですね……」

 二人が自分の事を話していると分かっている様で、上目遣いでシアとソウゴを交互に見るミュウ。

 ソウゴとシアは取り敢えず、ミュウの事情を聞いてみることにした。

 

 結果、たどたどしいながらも話された内容は、ソウゴが予想したものに近かった。

 

 

 即ちある日、海岸線の近くを母親と泳いでいたら逸れてしまい、彷徨っているところを人間族の男に捕らえられたらしいという事だ。

 

 そして砂漠越え等の幾日もの辛い道程を経て【フューレン】に連れて来られたミュウは、薄暗い牢屋の様な場所に入れられたのだという。そこには、他にも人間族の幼子たちが多くいたのだとか。

 そこで幾日か過ごす内、一緒にいた子供達は毎日数人ずつ連れ出され、戻ってくる事は無かったという。少し年齢が上の少年が見世物になって客に値段をつけられて売られるのだと言っていたらしい。

 

 愈々ミュウの番になったところで、その日偶々下水施設の整備でもしていたのか地下水路へと続く穴が開いており、懐かしき水音を聞いたミュウは咄嗟にそこへ飛び込んだ。

 

 三、四歳の幼女に何か出来る筈が無いと思われていたのか、枷を付けられていなかったのは幸いだった。ミュウは汚水への不快感を我慢して懸命に泳いだ。幼いとは言え海人族の子だ。通路をドタドタと走るしかない人間では流れに乗って逃げたミュウに追いつく事は出来なかった。

 

 だが慣れない長旅に、誘拐されるという過度のストレス、慣れていない不味い食料しか与えられず下水に長く浸かるという悪環境に、遂にミュウは肉体的にも精神的にも限界を迎え意識を喪失した。そして身を包む暖かさに意識を薄ら取り戻し、気がつけばソウゴの腕の中だったという訳だ。

「客が値段をつける……、オークションか。それも人間族の子や海人族の子を出すのなら裏のオークションだろうな」

「……ソウゴさん、どうしますか?」

 

 シアが辛そうに、ミュウを抱きしめる。その瞳は何とかしたいという光が宿っていた。亜人族は、捕らえて奴隷に落とされるのが常だ。その恐怖や辛さは、シアも家族を奪われている事からも分かるのだろう。

 

 ソウゴは十秒程何か考える様に瞑目し、静かに告げる。

「……いや、一度保安署に預ける」

「そんなっ……この子や他の子達を見捨てるんですか……」

 ソウゴの言葉にシアが噛み付く。ミュウをギュッと抱きしめてショックを受けた様な目でソウゴを見た。

 

 ソウゴの言う保安署とは、地球で言うところの警察機関の事だ。そこに預けるというのは、ミュウを公的機関に預けるという事で、完全に自分達の手を離れるという事でもある。なので、見捨てるという訳ではなく迷子を見つけた時の正規の手順ではあるのだが、事が事だけにシアとしてはそういう気持ちになってしまうのだろう。

 

 ソウゴはそんなシアに噛んで含める様に説明する。

「話は最後まで聞け。いいか? 私は一度(・・)預けると言ったんだ。恐らく保安署に送り届けば、攫った人間が取り返しに来るだろう。それもかなり強引な手でな。これは大都市には付き物の闇だ。それも海人族のミュウが捕まっていたとなれば、この街の公的機関では手に負えない代物なのだろう。つまり、これはその連中への手掛かりを得るチャンスとも取れる。……この際だ、どうせならとことんまでイルワの坊主に恩を売ってやろう」

「そ、それは……この子を囮にするって事ですか……?」

「あぁそうだ。外道だと思ってくれて構わん、私は使えるものは何でも使う主義なんだ」

 

 シアがソウゴの考えに固まっていると、自分の事で不穏な空気が流れている事を察したのか、ミュウはシアの体にギュウと抱きついている。ミュウの方もシアにはかなり気を許している様だ。それがまた手放す事に抵抗感を覚えさせるのだろう。

 ソウゴは屈んでミュウに視線を合わせると、ミュウが理解出来る様にゆっくりと話し始めた。

 

「いいかミュウ、これから一度貴様を預かってくれる者達の所へ連れて行く。また怖い目に遭うだろうが、少しの間我慢してくれ」

「……お兄ちゃんとお姉ちゃんは?」

 ミュウが、ソウゴの言葉に不安そうな声音で二人はどうするのかと尋ねる。

「悪いが、一旦ここでお別れだ」

「やっ!」

「後で必ず迎えに行く」

「お兄ちゃんとお姉ちゃんがいいの! 二人といるの!」

 思いの外強い拒絶が返ってきてソウゴは「…まぁ当然か」と目を伏せる。

 

 ミュウは、駄々っ子の様にシアの膝の上でジタバタと暴れ始めた。今まで割りかし大人しい感じの子だと思っていたが、どうやらそれはソウゴとシアの人柄を確認中だったからであり、信頼できる相手と判断したのか中々の駄々っ子ぶりを発揮している。元々は結構明るい子なのかもしれない。

 

 ソウゴとしても信頼してくれるのは悪い気はしないのだが、作戦の都合上公的機関への通報は必要なので、「やっーー!!」と全力で不満を表にして一向に納得しないミュウの説得を諦めて抱きかかえると、強制肩車を行いつつ保安署に連れて行く事にした。

 

 

 保安署への道中、窮地を脱して奇跡的に見つけた信頼出来る相手から離れるのはどうしても嫌だったミュウは、ソウゴの髪やら頬やらを盛大に引っ張り引っ掻き必死の抵抗を試みる。

 隣におめかしして愛想笑いを浮かべるシアがいなければ、ソウゴこそ誘拐犯として通報されていたかもしれない。髪をボサボサにされて保安署に到着したソウゴは、目を丸くする保安員に事情を説明した。

 事情を聞いた保安員は表情を険しくすると、今後の捜査やミュウの送還手続きに本人が必要との事で、ミュウを手厚く保護する事を約束しつつ署で預かる旨を申し出た。ソウゴの予想通りやはり大きな問題らしく、直ぐに本部からも応援が来るそうで一先ず立ち去ろうとした。だが……

 

「お兄ちゃんは、ミュウが嫌いなの?」

 

 幼女にウルウルと潤んだ瞳で、しかも上目遣いでそんな事を言われて平常心を保てる奴はそうはいない。

「ふっ、そう泣くでない。私の読みが正しければ、すぐに再会するとも」

 だが全く動じた様子も無くソウゴが頭を撫でながらそう説明するが、ミュウの悲しそうな表情は一向に晴れなかった。

 見かねた保安員達がミュウを宥めつつ少し強引にソウゴ達と引き離し、ミュウの悲しげな声に後ろ髪を引かれつつも、漸くソウゴとシアは保安署を出たのだった。

 

 

 当然そのままデートという気分ではなくなり、シアは心配そうに眉を八の字にして、何度も保安署を振り返っていた。

 やがて保安署も見えなくなり、かなり離れた場所に来た頃。ソウゴが「そろそろか……」と呟いたその瞬間、

 

 ドォオオオオン!!!!

 

 背後で爆発が起き、ギョッとして振り返ったシアの視界には黒煙が上がっているのが見えた。その場所は、

「ソ、ソウゴさん。あそこって……」

「先ずは作戦通りか」

 

 

 そう。黒煙の上がっている場所は、さっきまでソウゴ達がいた保安署があった場所だった。二人は互いに頷くと保安署へと駆け戻る。どうやらソウゴが予想していた通りに動いたらしい。恐らく、ミュウを誘拐していた組織が情報漏洩を防ぐ為にミュウごと保安署を爆破したのだろう。

 

 

 保安署に辿り着くと、表通りに署の窓ガラスや扉が吹き飛んで散らばっている光景が目に入った。しかし、建物自体は左程ダメージを受けていない様で、倒壊の心配は無さそうだった。ソウゴ達が中に踏み込むと、先程対応していた保安員がうつ伏せに倒れているのを発見する。

 両腕が折れて、気を失っている様だ。他の職員も同じ様な状態だ。幸い、命に関わる怪我をしている者は見た感じではいなさそうである。ソウゴが職員達を簡易治療している間、他の場所を調べに行ったシアが焦った表情で戻ってきた。

「ソウゴさん! ミュウちゃんがいません! それにこんな物が!」

 シアが手渡してきたのは、一枚の紙。そこにはこう書かれていた。

 

『海人族の子を死なせたくなければ、白髪の兎人族を連れて○○に来い』

 

「ソウゴさん、これって……」

「どうやら連中、私が思っている以上に単純な上に欲張りらしいな」

 ソウゴは相手が自分の想定通りの行動に出た事に最早溜息を洩らしつつ、シアと共に愚か者達の指定場所へと一気に駆け出した。

 

 

 

「で、だ。指定された場所に行ってみれば、武装した阿呆共がいるだけで、ミュウ自身は姿が無かった。恐らく、最初から私を殺してシアだけ奪う気だったんだろうな。取り敢えず一通り記憶を覗いてみたんだが、知らないらしくてな。全員始末して記憶にあった他の者を見つけてまた記憶を覗いて……それを繰り返しているところだ」

「どうも私だけじゃなくて、ユエさんとティオさんにも誘拐計画があったみたいですよ。それで、いっその事見せしめに今回関わった組織とその関連組織の全てを分かりやすく潰してしまおうという事になりまして……」

 

 移動しながらソウゴとシアの説明を聞いたユエとティオは、唯のデートに行って何故大都市の裏組織と事を構える事になるのかと、そのトラブル体質に何とも微妙な表情を浮かべる。

 

「……それで、ミュウっていう子を探せばいいの?」

「あぁいや、本人が居る場所は大体把握している。救出は私が行くから、貴様等には連中の殲滅を頼みたい。行けるな?」

「ん……任せて」

「ふむ。ご主人様の頼みとあらば是非もないの」

 

 ユエとティオも躊躇う事なく了承する。ソウゴは現在判明している裏組織のアジトの場所を伝え、ソウゴ、ユエ、シアとティオの三方に分かれてミュウ捜索兼組織潰しに動き出した。

 

 

 

 商業区の中でも外壁に近く、観光区からも職人区からも離れた場所。公的機関の目が届かない完全な裏世界。大都市の闇。昼間だというのに何故か薄暗く、道行く人々もどこか陰気な雰囲気を放っている。

 

 そんな場所の一角に、十階建ての大きな建物があった。表向きは人材派遣を商いとしているが、裏では人身売買の総元締をしている裏組織"フリートホーフ"の本拠地である。

 

 いつもは静かで不気味な雰囲気を放っているフリートホーフの本拠地だが、今は騒然とした雰囲気で激しく人が出入りしていた。恐らく伝令等に使われている下っ端であろうチンピラ風の男達の表情は、訳の分からない事態に困惑と焦燥、そして恐怖に歪んでいた。

 

 

 そんな普段の数十倍は激しい出入りの中、どさくさに紛れる様に頭までスッポリとローブを纏った者が二人、フリートホーフの本拠地に難なく侵入を果たした。

 バタバタと慌ただしく走り回る人ごみをスイスイと避けながら進み、遂には最上階の一際重厚な扉に隔たれた部屋の前に立つ。その扉からは男の野太い怒鳴り声が廊下まで響いていた。それを聞いたローブを纏った者のフードが僅かに盛り上がりピコピコと動いている。

 

「ふざんけてんじゃねぇぞ! アァ!? てめぇ、もう一度言ってみやがれ!」

「ひぃ! で、ですから、潰されたアジトは既に五十軒を超えました。襲ってきてるのは二人組と一人です!」

「じゃあ何か? たった三人のクソ共にフリートホーフがいい様に殺られてるってのか? アァ?」

「そ、そうなりま──へぶっ!?」

 

 室内で怒鳴り声が止んだかと思うと、ドガッ! と何かがぶつかる音がして一瞬静かになる。どうやら報告していた男が、怒鳴っていた男に殴り倒されでもした様だ。

 

「てめぇら、何としてでもそのクソ共を生きて俺の前に連れて来い。生きてさえいれば状態は問わねぇ。このままじゃあ、フリートホーフのメンツは丸潰れだ。そいつらに生きたまま地獄を見せて、見せしめにする必要がある。連れてきた奴には、報酬に五百万ルタを即金で出してやる! 一人につき、だ! 全ての構成員に伝えろ!」

 

 男の号令と共に、室内が慌ただしくなる。男の指示通り、組織の構成員全員に伝令する為部屋から出ていこうというのだろう。耳を欹てていた二人のフードを被った者達は顔を見合わせ一つ頷くと、一人が背中から戦鎚を取り出し大きく振りかぶった。

 そして、室内の人間がドアノブに手をかけた瞬間を見計らって、超重量の戦鎚を遠心力と重力をたっぷり乗せて振り抜いた。

 

 ドォガアアアン!!

 

 尋常でない爆音を響かせて、扉が木っ端微塵に粉砕される。ドアノブに手を掛けていた男は、その衝撃で右半身をひしゃげさせ、更にその後ろの者達も散弾とかした木片に全身を貫かれるか殴打されて一瞬で満身創痍の有様となり反対側の壁に叩きつけられた。

 

「構成員に伝える必要はありませんよ。本人がここに居ますからね」

「ふむ、外の連中は引き受けよう。手っ取り早く、済ますのじゃぞ? シア」

「ありがとうございます、ティオさん」

 

 今しがた起こした惨劇などどこ吹く風という様子で室内に侵入して来たのは、勿論シアとティオだ。

 

 

 いきなり扉が爆砕したかと思うと、部下が目の前で冗談みたいに吹き飛び反対側の壁でひしゃげている姿に、フリートホーフの頭──ハンセンは目を見開いたまま硬直していた。しかし、シアとティオの声に我に返ると、素早く武器を取り出し構えながらドスの利いた声で話し出した。

「……てめぇら、例の襲撃者の一味か……その容姿……チッ、リストに上がっていた奴らじゃねぇか。シアにティオだったか? 後、ユエとかいうちびっこいのもいたな……成程、見た目は極上だ。おい、今すぐ投降するなら命だけは助けてやるぞ? まさか、フリートホーフの本拠地に手を出して生きて帰れるとは思って──」

 好色そうな眼でシアとティオに視線を這わせながらペチャクチャと話し始めたハンセンの言葉を遮って、ズドンッと腹の底にまで届く様な轟音が響き渡った。

 

 見れば、シアが冷め切った眼差しをハンセンに向けながら、柄を収縮した砲撃モードのドリュッケンを構えている姿があった。問答無用にショットガンを撃ち放ったのだ。

 

 当然、至近距離から凶悪に過ぎる破壊力を持つ無数の鉄球を受けたハンセンは、右腕を根元から吹き飛ばされ、血飛沫を撒き散らしながら錐揉みして背後の壁に激突した。そして一拍遅れて自分の状態を自覚したハンセンは、絶叫しながら蹲った。

「ボス!? 今のは何の音ですか!?」

「無事ですか!?」

 騒ぎを聞きつけて、本拠地にいた構成員達が一斉に駆けつけてくる。だが、

「子供を食い物にしてきたその所業……些か妾も苛立っておる。あの世で悔い改めよ」

 そんな事を冷え切った声音で呟いたティオが、凄まじい火力を有する炎系魔術で階段を灰に変え上階へと至る道を無くした為立ち往生する。

 

 

 直後、右往左往する彼等に向けて、竜の牙が剝かれる。竜人族の得意技"ブレス"だ。ティオの片手からの縮小版とはいえ、天才吸血姫をして防ぎ切れなかったそれが薙ぎ払われれば、木造の建物などひとたまりもないのは当然の事。

 

 フリートホーフの本拠地は、十階のハンセンの部屋を除いて見るも無残な有様へ成り果てた。辛うじて倒壊を免れながら玄関側の壁が綺麗に消失し、風通しどころか見通しも良くなっている。まるで観察用の蟻の巣の様だ。

 

 トテトテと頼りない足取りで残っている屋内から出てきた構成員達は、茫然と上階を見上げる事しか出来ない。しかしそれも仕方のない事だ。いきなり自分達の本拠地が縦半分になったのだ、認識が現実に追いつかないのは当たり前の反応である。

 しかし義憤に燃える普段は変態な竜人は、そんな彼等に一切容赦しなかった。風刃や炎弾をガトリング砲の如く撃ち放っていく。容赦の欠片もない攻撃に、構成員達は蜘蛛の子を散らす様に逃走を図るが……それが叶う者は少ないだろう。

 

 

 ティオが外の構成員を一手に引き受けている間に、シアはドリュッケンを肩に担いだまま、蹲ったまま動かないハンセンの下へ歩み寄った。そして恐怖と痛みで顔を歪めるハンセンの腹部へ、無造作にドリュッケンを突き落とした。

 ハンセンは「ぐえぇ」と苦悶の声を上げながらも何とか巨大な戦槌を退かそうと藻掻くが、超重量のドリュッケンを片腕でどうこう出来る訳も無く。ハンセンに出来た事は無様に命乞いをする事だけだった。

「た、頼む、助けてくれぇ! 金なら好きに持っていっていい! もうお前らに関わったりもしない! だからッゲフ!?」

 

「勝手に話さないで下さい。あなたは私の質問に答えればいいのです。わかりましたか? 分からなければ、その都度重さが増していきますので……内臓が出ない内に答える事をオススメします」

「……シアよ。お主、やっぱりご主人様の仲間じゃの……言動がよう似とる」

 

 後ろを振り返りながらツッコミを入れるティオの言葉はさらっと無視して、シアはハンセンにミュウの事を聞く。

 ミュウと言われて一瞬訝しそうな表情を見せたハンセンだが、海人族の子と言われ思い至ったのか少しずつ重さを増していくドリュッケンに苦悶の表情を浮かべながら必死に答えた。どうやら、今日の夕方頃に行われる裏オークションの会場の地下に移送された様だ。

 

 因みに、ハンセンはシアとミュウの関係を知らなかった様で、何故海人族の子に拘るのか疑問に思った様だ。

 

 その様子からすると、シア達とミュウのやり取りを見ていたハンセンの部下が咄嗟に思いつきでシアの誘拐を実行しようとした様だ。元々、シアの名前はフリートホーフの誘拐リストの上位に載っていた訳であるから、自分で誘拐して組織内での株を上げようとでもしたに違いない。

「……凄いですね、全部ソウゴさんの想定通りです」

 ドリュッケンにかけた重力魔術を解いて通常の重さに戻したシアは、ハンセンの上から退かせて肩に担いだ。ドリュッケンの重さからは解放されたものの、既に出血多量で意識が朦朧とし始めているハンセンは、それでも必死にシアに手を伸ばし助けを求めた。

「た、助け……医者を……」

「子供の人生を食い物にしておいて、それは都合が良すぎるというものですよ……それにあなたの様な人間を逃したりしたら、ソウゴさんとユエさんに怒られてしまいます。という訳で、さよならです」

「や、やめ──」

 

 グシャっと生々しい音が響いた。シアは振り下ろしたドリュッケンを勢いよく振り回して付着した血を吹き飛ばすと再び背中に背負い、テレビ放送なら間違いなくモザイクがかかるハンセンだった物を一瞥すらせずティオに向き直った。

 

「ティオさん。ここは手っ取り早く潰して、早くソウゴさん達と合流しましょう!」

「う、うむ……シアも大概容赦ないの……ちょっとときめいてしもうた……」

「? ……何か言いました?」

「な、何でもないのじゃ」

 

 ボソッと呟かれた言葉に、何となく悪寒を感じたシアはティオに尋ね返すが、妙に熱っぽい表情をしているだけで何でもない様なので、首を傾げつつもフリートホーフ本拠地の破壊活動へと飛び出した。

 シアとティオが立ち去った後には、無数の屍と瓦礫の山だけが残った。

 

 

 フリートホーフ──【フューレン】において、裏世界では最大レベルを誇る巨大な組織はこの日、実にあっさりと壊滅したのだった。

 

 

 

 一方、凡その状況を読んで最初から会場に向かっていたソウゴは、シアがハンセンから聞き出していた場所に向かっていた。ミュウがオークションに出される以上、命の心配はないだろうが精神的な負担は相当なものの筈だ。奪還は早いに越した事はない。

 

「……ふむ、表に監視は二人か」

 

 目的の場所に到着すると、その入口には二人の黒服に身を包んだ巨漢が待ち構えていた。ソウゴは、騒ぎを起こしてまたミュウが移送されては堪らないと思い、二人に向かってデコピンを放ってその風圧で頭部をミンチにした後、裏路地に移動してフォールを使って地下へと侵入した。気配遮断を使いながら素早く移動していく。

 

 

 やがて、地下深くに無数の牢獄を見つけた。入口に監視が一人居るが、居眠りをしている。その監視の前を素通りして行くと、中には人間の子供達が十人程いて、冷たい石畳の上で身を寄せ合って蹲っていた。十中八九、今日のオークションで売りに出される子供達だろう。

 

 基本的に人間族の殆どは聖教教会の信者である事から、その様な人間を奴隷や売り物にする事は禁じられている。

 

 人間族でもその様な売買の対象となるのは犯罪者だけだ。彼等は神を裏切った者として、奴隷扱いや売り物とする事が許されるのである。そして眼前で震えている子供達が、揃ってその様な境遇に落とされべき犯罪者とは到底思えない。抑々、正規の手続きで奴隷にされる人間は表のオークションに出されるのだ。ここにいる時点で、違法に捕らえられ売り物にされている事は確定だろう。

 

 しかし、牢屋の中に肝心のミュウの姿はなかった。ソウゴは突然入ってきた人影に怯える子供達と鉄格子越しに屈んで視線を合わせると、静かな声音で尋ねた。

 

「ここに、海人族の幼子は来なかったか?」

 

 てっきり自分達の順番だと怯えていた子供達は、予想外の質問に戸惑った様に顔を見合わせる。

 暫く沈黙していた子供達だが、ソウゴの纏う雰囲気に少し安心した様で、七、八歳くらいの少年がおずおずとした様子でソウゴの質問に答えた。

「えっと、海人族の子なら少し前に連れて行かれたよ……お兄さん達は誰なの?」

 やはり既に連れて行かれた後だった様だ。「そうか」と呟いたソウゴは、不安そうな少年に向かって簡潔に返した。

「通りすがりの暇人だ。貴様等を助けに来た」

 

「えっ!? 助けてくれるの!」

 

 ソウゴの言葉に驚愕と喜色を浮かべて、つい大声を出してしまう少年。

 その声は薄暗い地下牢によく響き渡った。慌てて口を両手で抑える少年だったが、監視にはばっちり聞こえてしまった様だ。目を覚まして「何騒いでんだ!」と怒声を上げながらドタドタと地下牢に入ってきた。

 そしてソウゴを見つけて一瞬硬直するものの、「てめぇ何者だ!」と叫びながら短剣を抜いて襲いかかる。それを見て子供達は、刺されて倒れるソウゴの姿を幻視し悲鳴を上げた。

 

 だが、そんな事はありえない。ソウゴは格子の一本を無造作に引き千切り、振り返る事無く監視に向かって突き刺した。一瞬にして魔力と覇気が乗った格子の残骸は即席の槍となり、その穂先は寸分の狂いなく監視の頭部を貫いた。

 監視の男は一瞬で絶命し、手に持っていた短剣がカラン…と音を立てて床に落ちた。

 

「監視役なら、まず警笛を鳴らすべきだったな」

 

 そんな事を言いながらピクリとも表情を動かさず文字通り監視を瞬殺したソウゴに、子供達は目を丸くして驚いている。そんな視線にもお構い無しに、ソウゴは鉄格子を塵遁で分解してしまう。子供達の目には一瞬で鉄格子を消し去ってしまった様に見えた為、更に驚いてポカンと口を開いたまま硬直してしまった。

「"影分身の術"」

 そこへ続けて、ソウゴが突然二人に増えたものだから、最早子供達は声も出ない。

「貴様等、あちらの私についていけ。そうすれば地上に出られる。その後はギルドの職員が待機している筈だ、奴等に従え」

 ソウゴは手短にそう説明し、分身の自分に付いていく様に子供達に指示する。

 

 

 実はここに来る前に、適当に捕まえた冒険者にイルワ宛にファイズフォンXを届けてもらい、事の次第をイルワに説明しておいたのだ。

 

 ステータスプレートの"金"はこういう時非常に役に立つ。ソウゴの色を見た瞬間の平冒険者のしゃちほこばった態度といったら……まるで日本人がハリウッドスターに街中で声を掛けられた様だった。敬礼までして快く頼みを聞いてくれたのだ。

 

 因みにイルワに使い方は説明してないので、彼は一方的にソウゴから巨大裏組織と喧嘩しているという報告と事後処理諸々宜しくという話を聞かされ、執務室で真っ白になっていたりする。

 便宜を図ると言った翌日に、イルワは厄介で素敵な冒険に巻き込まれてしまった。……ちょっとばかし、乾いた笑みと共に後悔が漏れ出るイルワだった。

 

 

 ソウゴは天井に向かって拳を振り上げ、上階への通路を作るとオークション会場へ急ごうとした。その時、先程の少年がソウゴを呼び止める。

 

「兄ちゃん! 助けてくれてありがとう! あの子も絶対助けてやってくれよ! すっげー怯えてたんだ。俺、なんも出来なくて……」

 

 どうやらこの少年、亜人族とか関係なく、ミュウを励まそうとしていたらしい。自分も捕まっていたというのに中々根性のある少年だ。自分の無力に悔しそうに俯く少年の頭を、ソウゴはわしゃわしゃと撫で回した。

「わっ、な、何?」

「小僧、その悔しさを忘れるな。悔しいと思うなら、それはまだ貴様が諦めていない証拠だ。その悔しさこそが、大いなる覇道の第一歩なのだからな」

 

 それだけ言うと、ソウゴはさっさと踵を返して地下牢を出て行った。呆然と両手で撫でられた頭を抑えていた少年は、次の瞬間には目をキラキラさせて少し男らしい顔つきでグッと握り拳を握った。

 

 

 オークション会場は、一種の異様な雰囲気に包まれていた。

 

 会場の客は凡そ百人程。その誰もが奇妙な仮面をつけており、物音一つ立てずにただ目当ての商品が出てくる旅に番号札を静かに上げるのだ。素性をバラしたくないが為に、声を出す事も躊躇われるのだろう。

 

 

 そんな細心の注意を払っている筈の彼等ですら、その商品が出てきた瞬間思わず驚愕の声を漏らした。

 

 

 出てきたのは二メートル四方の水槽に入れられた海人族の幼女ミュウだった。

 

 衣服は剥ぎ取られ裸で入れられており、水槽の隅で膝を抱えて縮こまっている。海人族は水中でも呼吸が出来るので、本物の海人族であると証明する為に入れられているのだろう。一度逃げ出したせいか、今度は手足に金属製の枷をはめられている。小さな手足には酷く痛々しい光景だ。

 

 多くの視線に晒され怯えるミュウを尻目に競りは進んでいく。もの凄い勢いで値段が上がっていく様だ。一度は人目に付いたというのに、彼等は海人族を買って隠し通せると思っているのだろうか。もしかすると、昼間の騒ぎをまだ知らないのかもしれない。

 

 ざわつく会場に、益々縮こまるミュウは、その手に持っていた金の懐中時計をギュッと握り締めた。それは、ソウゴが与えた物だ。ミュウと別れる際、ソウゴが約束の証としてミュウに握らせたものだ。尤も、泣いていたミュウはその時の言葉を聞いてなかったが。

 

 そのソウゴの懐中時計が、ミュウの小さな拠り所だった。

 

 

 母親と引き離され、辛く長い旅を強いられ、暗く澱んだ牢屋に入れられて、汚水に身を浸し、必死に逃げて、もうダメだと思ったその時、温かいものに包まれた。

 

 何だかいい匂いがすると目を覚ますと、目の前には豪勢な衣服を纏った青年がいる。驚いてジッと見つめていると、何故か逸らしてなるものかとでも言う様に、相手も見つめ返してきた。ミュウも、何だか意地になって同じ様に見つめ返していると、鼻腔を擽る美味しそうな匂いに気が逸れた。

 

 その後は聞かれるままに名前を答え、次に綺麗な黄金の光が迸ったかと思うと、温かいお湯に入れられ、青年に似た、しかし少し青みがかった白髪のウサミミお姉さんに体を丸洗いされた。温かなお風呂も優しく洗ってくれる感触もとても気持ちよくて、気がつけばシアと名乗るお姉さんを"お姉ちゃん"と呼び完全に気を許していた。

 

 膝の上に抱っこされ、食べさせてもらった串焼きの美味しさを、ミュウはきっと一生忘れないだろう。夢中になってあ~んされるままに食べていると、いつの間にかいなくなっていたソウゴと名乗る少年が帰ってきた。

 

 少し警戒心が湧き上がったが、可愛らしい服を取り出すと丁寧に着せてくれて、温かい手で何度も髪を梳かれている内に気持ちよくなってすっかり警戒心も消えてしまった。

 

 

 だから、保安署という所に預けられてお別れしなければならないと聞かされた時には、とてもとても悲しかった。

 

 

 母親と引き離され、ずっと孤独と恐怖に耐えてきたミュウにとって、遠く離れた場所で出会った優しいお兄ちゃんとお姉ちゃんと離れ、再び一人になることは耐え難かったのだ。

 

 故に、ミュウは全力で抗議した。

 

 ソウゴの髪を引っ張ってやったし、頬を何度も叩いた。ソウゴが何か言っていた気もするが、そんなの無視だ。

 しかし、ミュウが一緒にいたかったお兄ちゃんとお姉ちゃんはこの時計を渡して、結局ミュウを置いて行ってしまった。

 ミュウは、身を縮こまらせながら考えた。

 

 やっぱり、痛いことしたから置いていかれたのだろうか? 我儘を言ったから怒らせてしまったのだろうか? 自分は、お兄ちゃんとお姉ちゃんに嫌われてしまったのだろうか?

 

 そう思うと、悲しくて悲しくて、ホロリと涙が出てくる。もう一度会えたら、痛くした事をゴメンなさいするから、時計も返すから、そうしたら今度こそ……どうか一緒にいて欲しい。

 

(お兄ちゃん……お姉ちゃん……)

 

 ミュウが心の中でそう呟いた時、不意に大きな音と共に水槽に衝撃が走った。「ひぅ!」と怯えた様に眉を八の字にして周囲を見渡すミュウ。すると、すぐ近くにタキシードを着て仮面をつけた男が、しきりに何か怒鳴りつけながら水槽を蹴っている様だと気が付く。

 

 どうやら更に値段を釣り上げる為に泳ぐ姿でも客に見せたかったらしく、一向に動かないミュウに痺れを切らして水槽を蹴り飛ばしているらしい。

 

 しかしますます怯えるミュウは、寧ろ更に縮こまり動かなくなる。ソウゴの懐中時計を握り締めたままギュウと体を縮めて、襲い来る衝撃音と水槽の揺れにひたすら耐える。

 

 

 フリートホーフの構成員の一人で裏オークションの司会をしているこの男は、余りに動かないミュウに、もしや病気なのではと疑われて値段を下げられるのを恐れて、係の人間に棒を持ってこさせた。それで直接突いて動かそうというのだろう。ざわつく客に焦りを浮かべて思わず悪態をつく。

「全く、辛気臭いガキですね。人間様の手を煩わせているんじゃありませんよ。半端者の能無しの如きが!」

 そう言って、司会の男が脚立に登り上から棒をミュウ目掛けて突き降ろそうとした。その光景にミュウはギュウと目を瞑り、衝撃に備える。

 が、やってくる筈の衝撃の代わりに届いたのは……聞きたかった人の声だった。

 

 

「そう言う貴様は畜生以下の蛆であろうが」

 

 

 次の瞬間、天井より舞い降りた人影が司会の男の頭を踏みつけると、そのまま脚立ごと猛烈な勢いで床に押し潰した。ビシャアア! と司会の男から破裂した様に血が飛び散る。正に圧殺という有様だった。

 

 衝撃的な登場をした人影──ソウゴは、潰れて一瞬で絶命した男の事など目もくれず、水槽を殴りつけた。バリンッ! という破砕音と共に水槽が壊され中の水が流れ出す。

 

「ひゃう!」

 

 流れの勢いで、ミュウも外へと放り出された。思わず悲鳴を上げるミュウだったが、直後ふわりと温かいものに受け止められて瞑っていた目を恐る恐る開ける。

 そこには会いたいと思っていた人が、声が聞こえた瞬間どうしようもなく期待し思い浮かべた人が……確かにいた。自分を抱きとめてくれていた。ミュウは目をパチクリとし、初めて会った時の様にジーっとソウゴを見つめる。

 

「ミュウ。約束通り迎えに来たぞ?」

 

 確りとミュウの目を見てそんな事を言うソウゴに、ミュウはやはりジーっと見つめたまま、ポツリと囁く様に尋ねる。

「……お兄ちゃん?」

「言っただろう? 直ぐにまた会えると。泣いていたから聞いていなかったかもしれんがな。……よく我慢した、偉いぞ」

 ソウゴが微笑みながらそう返すと、ミュウはまん丸の瞳をジワッと潤ませる。

 そして……

 

「お兄ちゃん!!」

 

 ソウゴの首元にギュウ~ッと抱きついてひっぐひっぐと嗚咽を漏らし始めた。ソウゴは穏やかな表情でミュウの背中をポンポンと叩く。そして、手早く毛布でくるんでやった。

 

 

 すると、再会した二人に水を差す様にドタドタと黒服を着た男達がソウゴとミュウを取り囲んだ。客席は、どうせ逃げられる筈がないとでも思っているのか、ざわついてはいるものの未だ逃げ出す様子は無い。

「おいクソガキ、フリートホーフに手を出すとは相当頭が悪い様だな。その商品を置いていくなら、苦しまずに殺してやるぞ?」

 二十人近くの屈強そうな男に囲まれて、ミュウは首元から顔を離し不安そうにソウゴを見上げた。

「お兄ちゃん……」

「心配するな。今は少し休め」

 ソウゴはミュウの耳元に顔を近づけてそう呟くと、ミュウの額に指を当てて睡眠魔術を掛けて眠らせた。途端、ミュウは安心しきった様な寝顔でソウゴの肩に頭を預けた。

「てめぇ、何無視してんだ、アァ!?」

 完全に無視された形の黒服は額に青筋を浮かべて、商品に傷をつけるな! ガキは殺せ! と大声で命じた。

 

 その瞬間、リーダー格と思われる黒服が左右真っ二つに開いて床に倒れた。

 

 誰もが「えっ?」と事態を理解できない様に目を丸くして血の池に沈む黒服を見つめる。

 その隙に、ソウゴは更に手刀を振るう。誰もが何をされているのかわからず硬直している間に次々と首が舞い、彼等が正気を取り戻す頃には十二体の首無し死体が出来上がった。

 

「い、いやぁああああああっ! 人でなしよぉ!」

「こ、殺されるっ! アイツは悪魔だ!」

 

 その時になって漸く、目の前の青年を尋常ならざる相手だと悟ったのか黒服たちは後退り、客達は悲鳴を上げて我先にと出口に殺到し始めた。

 

 しかし悲しいかな、既にこの空間の出入り口はソウゴに細工されており、ダニ一匹逃げ出す事の出来ない閉鎖空間になっていたのだ。

 

「お、お前、何者なんだ! 何が、何で……こんなっ!」

 混乱し恐怖に戦きながらも、必死に虚勢を張って声を荒げる黒服の一人。奥から更に十人ほどやってきたがホールの惨状をみて尻込みしている。

 そんな彼等を、ソウゴは最早視線を向けるどころか視界にすら入れてなかった。

 ソウゴはただ静かに、最後の一手を放つ。

 

獅子の大鎌(ライトニング・クラウン)

 

 瞬間。ソウゴを中心に光と衝撃が広がり、ソウゴとミュウ以外の全ての人間が一瞬にして切り刻まれた。慣性の法則やら重力やらに従い、バラバラボトボトと肉片が床に散らばり、辺り一面を紅蓮の花畑に染め上げた。

 

「安らかに、とは言わん。子供の命を金儲けに使った事の報いだ」

 

 周囲に生命反応が無い事を確認したソウゴは、眠るミュウを抱きなおして会場の外へと歩き出した。

 

 

 

「倒壊した建物二十二棟、半壊した建物四十四棟、消滅した建物五棟、フリートホーフの構成員に生存者無し、他裏組織の人間が二千人以上死亡、それ以外に行方不明者百十九名……で? 何か言い訳はあるかい?」

「ほぅ、貴様等が手を焼いていた阿呆共を代わりに潰してやったのに感謝も無しか。最近の若者は年長者を敬う事を知らんらしい、悲しい事だな」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 冒険者ギルドの応接室で、報告書片手にジト目でソウゴを睨むイルワだったが、出された茶菓子を膝に載せた海人族の幼女と分け合いながらモリモリ食べている姿と、逆説教をかます発言に激しく脱力する。

「まさかと思うけど……メアシュタットからリーマンが逃げたという話……関係無いよね?」

「そんな事知る訳無いだろう。……ミュウ、これも美味いぞ? 食ってみろ」

「あ~ん」

 ソウゴは平然とミュウにお菓子を食べさせているが、隣に座るシアの目が一瞬泳いだのをイルワは見逃さなかった。再び深い、それはもうとても深い溜息を吐く。片手が自然と胃の辺りを撫でさすり、傍らの秘書長ドットが気の毒そうな眼差しと共にさり気なく胃薬を渡した。

 

「まぁ、やりすぎ感は否めないけど、実際私達も裏組織に関しては手を焼いていたからね……今回の件は正直助かったといえば助かったとも言える。彼等は明確な証拠を残さず、表向きは真っ当な商売をしているし、仮に違法な現場を検挙しても蜥蜴の尻尾切りでね。……はっきりいって彼等の根絶なんて夢物語というのが現状だった……ただ、これで裏世界の均衡が大きく崩れたからね……はぁ、保安局と連携して冒険者も色々大変になりそうだよ」

「元々それが貴様等の仕事だろうが。今回は偶然知り合った子供の命が危なかったから手を出しただけだ。要は貴様等の怠慢のツケだ、甘んじて受け入れろ」

「……耳が痛いなぁ」

 

 苦笑いするイルワは、何だか二十年くらい一気に年をとった様だ。それを見てイルワで遊ぶ気が済んだのか、ソウゴはイルワに提案してみる。

「一応見せしめを兼ねて盛大にやったんだ。貴様も私の名前使っても構わんぞ? 何なら、貴様お抱えの"金"という事にすれば……相当抑止力になるだろう?」

「おや、いいのかい? それは凄く助かるのだけど……そういう利用される様なのは嫌うタイプだろう?」

 

 ソウゴの言葉に、意外そうな表情を見せるイルワ。だがその瞳は「えっ? マジで? 是非!」と雄弁に物語っている。ソウゴはそれを見抜き、笑いながら口を開く。

「まぁ、個人的に貴様を気に入ったというところだ。自分で言うのもアレだが、身内には寛容な方だぞ? 何なら、私の持つ技術を幾つか下賜してやってもいい」

 その言葉はイルワからしても棚から牡丹餅だったので、ソウゴからの提案を有り難く受け取る。

 

 

 因みにその後、フリートホーフ他有力勢力の崩壊に乗じて勢力を伸ばそうと画策した中小組織が、イルワの「なまはげが来るぞ~」と言わんばかりの効果的なソウゴ達の名の使い方のお陰で大きな混乱が起こる事はなかった。

 この件でソウゴは"フューレン支部長の懐刀"とか"虐殺の悪魔"とか"子供の英雄"とか色々二つ名が付く事になったが……ソウゴの知った事ではない。

 

 大暴れしたソウゴ達の処遇については、イルワが関係各所を奔走してくれたお陰と、意外にも治安を守る筈の保安局が正当防衛的な理由で不問としてくれたので特に問題は無かった。どうやら保安局としても、一度預かった子供を保安署を爆破されて奪われたというのが相当頭に来ていた様だ。

 

 また、日頃自分達を馬鹿にする様に違法行為を続ける裏組織は腹に据えかねていた様で、挨拶に来た還暦を超えているであろう局長は、実に男臭い笑みを浮かべながらソウゴ達にサムズアップして帰っていった。心なし、足取りが「ランランル~ン」といった感じに軽かったのがその心情を表している。

 

 

「それで、そのミュウ君についてだけど……」

 イルワがはむはむとクッキーを両手で持ってリスの様に食べているミュウに視線を向ける。ミュウはその視線にビクッとなると、またソウゴ達と引き離されるのではないかと不安そうにソウゴやユエ、シア、ティオを見上げた。

「こちらで預かって、正規の手続きでエリセンに送還するか、君達に預けて依頼という形で送還してもらうか……二つの方法がある。君達はどっちがいいかな?」

 そのイルワの問いに、ソウゴは迷う事無く答える。

「呵々、私とて不肖ながら仮面ライダーの名を背負う者の端くれ。子供を見捨てる真似など先達にも家臣達にも顔向け出来んよ。この娘は責任を持って私が送り届けよう」

 

「ソウゴさん!」

「お兄ちゃん!」

 

 一部よく分からない言葉があったものの、満面の笑みで喜びを表にするシアとミュウ。【海上の都市エリセン】に行く前に【グリューエン大火山】の大迷宮を攻略しなければならないが、ソウゴは「まぁ、特に問題はあるまい」と内心策があるのかミュウの同行を許す。

「しかしミュウよ。そのお兄ちゃんというのは止めてくれないか? 流石にこの歳になってその呼ばれ方は気恥ずかしい」

 

 喜びを表に抱きついてくるミュウに、面白半分にそんな事を要求するソウゴ。外見上はシアと同程度だが、実際はティオよりも年上なのだ。言葉通り、少々気恥ずかしいものがあるのだろう。

 

 ソウゴの要求に、ミュウは暫く首をかしげると、やがて何かに納得したように頷き……その場の全員の予想を斜め上に行く答えを出した。

 

「……パパ」

「……ほぅ」

 

 ソウゴが少しの驚きと共に目を開いている内に、シアがおずおずとミュウに何故"パパ"なのか聞いてみる。すると……

「ミュウね、パパいないの……ミュウが生まれる前に神様のところにいっちゃったの……キーちゃんにもルーちゃんにもミーちゃんにもいるのにミュウにはいないの……だからお兄ちゃんがパパなの」

 ミュウが説明を終えた瞬間、ソウゴの笑い声が響いた。

 

「……はっはははははははははは! そうかそうか、パパか! 私を父と呼ぶか!ははっ、全く愛い奴よのぉ。よかろう、お前はこれより私の娘よ! ……くくっ、それにしてもパパか、そう呼ばれるのは久しいな。実に十年振りか?」

 

 何やら納得した様なソウゴは笑いながらミュウを抱き上げる。ミュウも「うきゃー!」と喜びの声を上げて笑顔を作った。

 

 

 その様子を、ユエも含めたその場の全員が唖然とした表情で見ていた。

 

 

 

 イルワとの話し合いを終え宿に戻ってからは、誰がミュウに"ママ"と呼ばせるかで紛争が勃発した。

 結局、"ママ"は本物のママしかダメらしく、ユエもシアもティオも"お姉ちゃん"で落ち着いた。

 そして夜、ミュウたっての希望で全員で川の字になって眠る事になり、ミュウがソウゴと誰の間で寝るかで再び揉めて、「揉めるぐらいなら私が決めるぞ」とソウゴが強引にティオを選び、その事でユエとシアが不満をたらたらと流すという出来事があったが、なんとか眠りに付き激動の一日を終える事が出来た。

 

 

 

 

 翌日、イルワや保安局の人間、そしてクデタ伯爵家の見送りを受けたソウゴの肩には、ちょこんと座るミュウの姿があった。慣れた様に幼女を肩車し、落ちない様に足を支えるソウゴと、そんなソウゴの頭にひしっと抱き着くミュウの姿は、確かに父娘に見えた。

 

 この日確かに、最高最善の魔王は六人目の娘を迎えた。

 

 

 これより、子連れ魔王の旅が始まる!

 

 

 




今回の豆知識


魔皇石
キバ・エンペラーフォームが使うザンバットソードの刀身部分の素材。

アダマントストーン
ウィザード・インフィニティースタイルの装甲、及びアックスカリバーの素材。


監視を瞬殺した時の攻撃
『騎士は徒手にて死せず』とモーフィングパワーの合わせ技。そこに覇気も乗せている。


ソウゴの娘について

長女…アイドル兼女優兼軍人というてんこ盛り。時々仕事をサボる。
次女…所謂苦労人。国民や家臣からはソウゴの後継者と言われている。
三女…魔術の天才だが脳味噌お花畑の天然。甘えん坊。
四女…引きこもり。歌うのが好きで、時々歌声が漏れ聞こえる。
五女…現在唯一のソウゴの実子。家出した先の世界で百合ハーレムを作った。


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第十四話 ヒーローごっこの代償

最近続きの執筆が上手く行かなくて気晴らしに書きたい所だけ書いた無関係な話でも書こうと思ったのですが、結局そっちでも行き詰りました。

ソウゴがリュウソウ族ばりに相手の事情やらルールやらに対して「知るかんなもん」とばかりに力づくで叩き潰す無双系の話が書きたい。




 淡い緑色の光だけが頼りの薄暗い地下迷宮に、激しい剣戟と爆音が響く。その激しさは苛烈と表現すべき程のもので、時折姿が見えない遠方においても迷宮の壁が振動する程だ。

 

 銀色の剣閃が虚空に美しい曲線を無数に描き、炎弾や炎槍、風刃や水のレーザーが弾幕の如く飛び交う。強靭な肉体同士がぶつかる生々しい衝撃音や仲間への怒号、裂帛の気合を込めた雄叫びが、本来静寂で満たされている筈の空間を戦場へと変えていた。

 

 

「万象切り裂く光、吹きすさぶ断絶の風、舞い散る百花の如く渦巻き、光嵐となりて敵を刻め! "天翔裂破"!」

 

 聖剣を腕の振りと手首の返しで加速させながら、自分を中心に光の刃を無数に放つのは、天職"勇者"を持つ天之川光輝だ。

 今正に襲いかかろうとしていた体長五十センチ程の蝙蝠型の魔物は、十匹以上の数を一瞬で細切れにされて碌な攻撃も出来ずに血肉を撒き散らしながら地に落ちた。

「前衛! カウント十!」

「「「了解!」」」

 

 ギチギチと硬質な顎を動かす蟻型の魔物、宙を飛び交う蝙蝠型の魔物、そして無数の触手をうねらせる磯巾着型の魔物。それらが直径三十メートル程の円形の部屋で、無数に蠢いていた。部屋の周囲には八つの横穴があり、そこから魔物達が溢れ出しているのだ。

 

 場所は【オルクス大迷宮】の八十九層。前衛を務めるのは"勇者"光輝の他、幼馴染である"拳士"坂上龍太郎、"剣士"八重樫雫、そして"重闘士"永山重吾、"軽戦士"檜山大介、"槍術士"近藤礼一だ。更に、どこかで遊撃を務めている"暗殺者"遠藤浩介がいる。

 

 なんとか後衛に襲い掛かろうとする魔物達を、鍛え上げた武技を以て打倒し弾き返していく彼等に、後衛からタイミングを合わせた魔術による総攻撃の発動カウントが告げられる。

 厄介な飛行型の魔物である蝙蝠型の魔物が前衛組の隙を突いて後衛に突進するが、頼りになる"結界師"が城壁となってそれを阻む。

 

「刹那の嵐よ、見えざる盾よ、荒れ狂え、吹き抜けろ、渦巻いて、全てを阻め──"爆嵐壁"!」

 

 天職"結界師"を持つ谷口鈴の攻勢防御魔術が発動する。

 呪文を詠唱する後衛達の一歩前に出た彼女の突き出した両手の先に微風が生じた。見た目の変化はない。蝙蝠型の魔物達も鈴の存在など気にせず、警鐘を鳴らす本能のままに大規模な攻撃魔法を仕掛けようとしている後衛組に向かって襲いかかった。

 

 しかしその手前で、突如魔物の突進に合わせて空気の壁とでも言うべき物が大きく撓む姿が現れる。何十体という蝙蝠擬きが次々と衝突していくが、空気の壁は撓むばかりでただの一匹も通しはしない。

 

 そうして突進してきた蝙蝠擬き達が全て空気の壁に衝突した瞬間、撓みが限界に達した様に凄絶な衝撃と共に爆発した。

 その発生した衝撃は凄まじく、それだけで肉体を粉砕された個体もいれば、一気に迷宮の壁まで吹き飛ばされてグシャ! という生々しい音と共に拉げて絶命する個体もいる程だ。

「ふふん! そう簡単には通さないんだからね!」

 クラスのムードメーカー的存在である鈴の得意気な声が、激しい戦闘音の狭間に響く。と同時に、前衛組が一斉に大技を繰り出した。敵を倒す事よりも衝撃を与えて足止めし、自分達が距離を取る事を重視した攻撃だ。

「後退!」

 光輝の号令と共に、前衛組が一気に魔物達から距離を取る。

 

 次の瞬間、完璧なタイミングで後衛六人の攻撃魔術が発動した。

 

 巨大な火球が着弾と同時に大爆発を起こし、真空刃を伴った竜巻が周囲の魔物を巻き上げ切り刻みながら戦場を蹂躙する。足元から猛烈な勢いで射出された石の槍が魔物達を下方から串刺しにし、同時に氷柱の豪雨が上方より魔物の肉体に穴を穿っていく。

 自然の猛威がそのまま牙を向いたかの様な壮絶な空間では、生物が生き残れる道理などありはしない。ほんの数十秒の攻撃、されどその短い時間で魔物達の九割以上が絶命するか瀕死の重傷を負う事になった。

 

「よし! いいぞ! 残りを一気に片付ける!」

 

 光輝の号令で前衛組が再び前に飛び出していき、魔術による総攻撃の衝撃から立ち直りきれていない魔物達を一体一体、確実に各個撃破していった。全ての魔物が殲滅されるのに、五分もかからなかった。

 

 

 戦闘の終了と共に、光輝達は油断なく周囲を索敵しつつ互いの健闘を称え合った。

「ふぅ、次で九十層か……この階層の魔物も難無く倒せる様になったし……迷宮での実戦訓練ももう直ぐ終わりだな」

「だからって気を抜いちゃダメよ、この先にどんな魔物やトラップがあるかわかったものじゃないんだから」

「雫は心配しすぎってぇもんだろ? 俺等ぁ、今まで誰も到達した事の無い階層で余裕持って戦えてんだぜ? 何が来たって蹴散らしてやんよ、それこそ魔人族が来てもな!」

 感慨深そうに呟く光輝に雫が注意をすると、脳筋の龍太郎が豪快に笑いながらそんな事を言う。そして、光輝と拳を付き合わせて不敵な笑みを浮かべ合った。

 

 その様子に溜息を吐きながら、雫は眉間の皺を揉み解した。これまでも、何かと二人の行き過ぎをフォローして来たので苦労人姿が板に付いてしまっている。まさか皺が出来たりしてないわよね? と最近鏡を見る機会が微妙に増えてしまった雫。それでも結局、光輝達に限らず周囲のフォローに動いてしまう辺り、真性のお人好しである。

 

「檜山君、近藤君、これで治ったと思うけど……どう?」

 周囲が先程の戦闘について話し合っている傍らで、香織は己の本分を全うしていた。即ち"治癒師"として、先程の戦闘で怪我をした仲間を治癒しているのである。

 一応迷宮での実戦訓練兼攻略に参加している十五名の中には、もう一人"治癒師"を天職に持つ女子がいるので、今は二人で手分けして治療中だ。

 

「……ああ、もう何ともない。サンキュ、白崎」

「お、おう、平気だぜ。あんがとな」

 

 香織に治療された檜山が、ボーっと間近にいる香織の顔を見ながら上の空な感じで返答する。見蕩れているのが丸分かりだ。近藤の方も、耳を赤くし言葉に詰まりながら礼を言った。前衛職である事から、檜山達は度々香織のヒーリングの世話になっている筈なのだが……未だに香織と接する時は平常心ではいられないらしい。

 

 近藤の態度はある意味思春期の子供といった様子であり、微笑ましいとも言える。しかし檜山の香織を見る目は……普通ではなかった。瞳の深い所に、暗いヘドロの様な澱みが溜まっていた。それは日々色濃くなっているのだが……近藤の他、仲の良い筈の中野信治や斎藤良樹を含め、気がついている者はそう多くはなかった。

 

 

 二人にお礼を言われた香織は「どういたしまして」と微笑むと、スっと立ち上がり踵を返した。

 

 周囲を見渡せば、少し離れた場所でもう一人の"治癒師"、いつも髪留めで立派なおでこを出している辻綾子が、丁度永山の治療を終えているところだった。その巨体を以て仲間の盾となる事が常である永山の治療は中々骨が折れる様で、おでこに掻いた汗を「ふぅ」と息を吐いて拭っている。

 

 後衛の"土術師"野村健太郎や、"付与術師"吉野真央にも怪我は無い様だ。永山パーティも全員無事の様……

 辻の袖がクイクイと引かれた。影の薄さでは誰にも負けない遠藤が、涙目で小さな傷のある腕を見せている。きっと、見た目に反して凄く痛いのだろう。ずっと順番待ちしているのに気が付いてもらえず、そのまま治療終了! みたいな空気を出されたからでは無い筈だ。辻が「しまった!?」みたいな表情をしていても、きっと忘れられていた訳ではない筈である。

 

 そんな仲の良い(?)永山パーティに微笑みつつ、香織は他に治療が必要な人がいない事を確認すると、目立たない様に小さく溜息を吐いた。そして、奥へと続く薄暗い通路を、憂いを帯びた瞳で見つめ始めた。

 

「……」

 

 その様子に気がついた雫には、親友の心情が手に取る様に分かった。香織の心の内は今、不安でいっぱいなのだ。あと十層で迷宮の最下層(一般的な見解)に辿り着くというのに、未だソウゴの痕跡は僅かにも見つかっていない。

 

 

 それは希望でもあるが、遥かに強い絶望でもある。自分の目で確認するまでソウゴの死を信じないと心に決めても、階層が一つ下がり、何一つ見つからない度に押し寄せてくるネガティブな思考は、そう簡単に割り切れるものではない。まして、ソウゴが奈落に落ちた日から既に四ヶ月も経っている。強い決意であっても、暗い思考に侵食され始めるには十分な時間だ。

 

 自身のアーティファクトである白杖を、まるで縋り付く様にギュッと抱きしめる香織の姿を見て、雫はたまらず声をかけようとした。

 

 と、雫が行動を起こす前に、ちみっこいムードメイカーが、不安に揺れる香織の姿など知った事かい! と言わんばかりに駆け寄ると、ピョンとジャンプし香織の背後からムギュッと抱きついた。

 

「カッオリ~ン!! そんな野郎共じゃなくて鈴を癒して~! ぬっとりねっとりと癒して~」

「ひゃわ、鈴ちゃん! どこ触ってるの! っていうか、鈴ちゃんは怪我してないでしょ!」

「してるよぉ! 鈴のガラスのハートが傷ついてるよぉ! だから甘やかして! 具体的には、そのカオリンのおっぱおで!」

「お、おっぱ……ダメだってば! あっ、こら! やんっ! 雫ちゃん、助けてぇ!」

「ハァハァ、ええのんか? ここがええのんか? お嬢ちゃん、中々にびんかッへぶ!?」

「……はぁ、いい加減にしなさい鈴。男子共が立てなくなってるでしょが……」

 

 ただのおっさんと化した鈴が、人様にはお見せできない表情でデヘデヘしながら香織の胸を弄り、雫から脳天チョップを食らって撃沈した。序に、鈴と香織の百合百合しい光景を見て一部男子達も撃チンした。

 頭にタンコブを作ってピクピクと痙攣している鈴を、いつもの様に中村恵里が苦笑いしながら介抱する。

「うぅ~、ありがとう、雫ちゃん。恥ずかしかったよぉ……」

「よしよし、もう大丈夫。変態は私が退治したからね?」

 涙目で自分に縋り付く香織を、雫は優しくナデナデした。最近よく見る光景だ。

 雫は香織の滑らかな髪を優しく撫でながら、こっそり顔色を覗った。

 

 しかし香織は困った表情で、されど何処か楽しげな表情で恵里に介抱される鈴を見つめており、そこには先程の憂いに満ちた表情はなかった。どうやら、一時的にでも気分が紛れたようだ。ある意味、流石クラスのムードメーカー鈴(おっさんバージョン)と、雫は内心で感心する。

 

「あと十層よ。……頑張りましょう、香織」

 

 雫が香織の肩に置いた手に少々力を込めながら、真っ直ぐな眼差しを香織に向ける。それは親友が折れない様に、活を入れる意味合いを含んでいた。香織もそんな雫の様子に、自分が少し弱気になっていた事を自覚し、両手で頬をパンッと叩くと、強い眼差しで雫を見つめ返した。

「うん。ありがとう、雫ちゃん」

 雫の気遣いがどれだけ自分を支えてくれているか改めて実感し、瞳に込めた力をフッと抜くと目元を和らげて微笑み、感謝の意を伝える香織。雫もまた目元を和らげると、静かに頷いた。

 

 

 ……傍から見ると百合の花が咲き誇っているのだが本人たちは気がつかない。光輝達が何だか気まずそうに視線を右往左往させているのも、雫と香織は気がつかない。だって、二人の世界だから。

 

 

「今なら……守れるかな?」

「そうね……きっと守れるわ。あの頃とは違うもの、レベルだって既にメルド団長達を超えているし。……でも、ふふ、もしかしたら彼の方が強くなっているかもしれないわね? あの時だって結局、私達が助けてもらったのだし」

「ふふ、もう。雫ちゃんったら……」

 ソウゴの生存を信じて、今度こそ守れるだろうかと今の自分を見下ろしながら何となく口にした香織に、雫は冗談めかしてそんな事をいう。実はそれが事実であり、後に色んな意味で度肝を抜かれるのだが……その事を知るのはもう少し先の話だ。

 

 尚、メルド団長率いる王国騎士達が実力的にリタイアし、三十階層へ繋がる七十階層の転移陣の警護を務める様になってから、自分達の力だけで完全踏破目前まで来た光輝達だが、その実力はこのトータスにおいて(人間にしては)最高位と称すべき段階にまで至っている。

 

 

 

天之河光輝 17歳 男 レベル:72

天職:勇者

筋力:880

体力:880

耐性:880

敏捷:880

魔力:880

魔耐:880

技能:『全属性適正』『光属性効果上昇』『発動速度上昇』『全属性耐性』『光属性効果上昇』『物理耐性』『治癒力上昇』『衝撃緩和』『複合魔術』『剣術』『剛力』『縮地』『先読』『高速魔力回復』『気配感知』『魔力感知』『限界突破』『言語理解』

 

 

 

 

坂上龍太郎 17歳 男 レベル:72

天職:拳士

筋力:820

体力:820

耐性:680

敏捷:550

魔力:280

魔耐:280

技能:『格闘術』『身体強化』『部分強化』『集中強化』『浸透破壊』『縮地』『物理耐性』『金剛』『全属性耐性』『言語理解』

 

 

 

 

八重樫雫 17歳 女 レベル:72

天職:剣士

筋力:450

体力:560

耐性:320

敏捷:1110

魔力:380

魔耐:380

技能:『剣術』『斬撃速度上昇』『抜刀速度上昇』『縮地』『重縮地』『震脚』『無拍子』『先読』『気配感知』『隠業』『幻撃』『言語理解』

 

 

 

 

白崎香織 17歳 女 レベル:72

天職:治癒師

筋力:280

体力:460

耐性:360

敏捷:380

魔力:1380

魔耐:1380

技能:『回復魔術』『効果上昇』『回復速度上昇』『イメージ補強力上昇』『浸透看破』『範囲効果上昇』『遠隔回復効果上昇』『状態異常回復効果上昇』『消費魔力減少』『魔力効率上昇』『連続発動』『複数同時発動』『遅延発動』『付加発動』『光属性適性』『発動速度上昇』『効果上昇』『持続時間上昇』『連続発動』『複数同時発動』『遅延発動』『高速魔力回復』『瞑想』『言語理解』

 

 

 

 中でも、香織の回復魔術と光属性魔術が極まっていた。特に回復魔術の方が、それはもう物凄い感じで極まっていた。本来の技能数だけを見るなら、香織は四人の内で最も少ない。にも拘らず、現在の総技能数は勇者たる光輝すら超える程だ。

 

 それもこれも、全ては二度と約束を違えない様にする為。生存を信じて、今度こそ想い人を守る為。寝る間も惜しんで、只管自分の出来る事を愚直に繰り返してきた結果だ。

 

 

「そろそろ、出発したいんだけど……いいか?」

 光輝が、未だに見つめ合う香織と雫におずおずと声をかける。以前、香織の部屋で香織と雫が抱き合っている姿を目撃して以来、時々挙動不審になる光輝の態度に、香織はキョトンとしているが、雫はその内心を正確に読み取っているのでジト目を送る。その目は如実に「いつまで妙な勘違いしてんの、このお馬鹿」と物語っていた。

 

 雫の視線に気づかないふりをしながら、光輝はメンバーに号令をかける。既に八十九層のフロアは九割方探索を終えており、後は現在通っているルートが最後の探索場所だった。

 

 

 出発してから十分程で、問題無く一行は階段を発見した。トラップの有無を確かめながら慎重に薄暗い螺旋階段を降りていく。そうして体感で十メートル程降りた頃、遂に光輝達は九十階層に到着した。

 

 一応、節目ではあるので何か起こるのではと警戒していた光輝達。しかし見たところ、今まで探索してきた八十層台と何ら変わらない造りの様だった。早速マッピングしながら探索を開始する。迷宮の構造自体は変わらなくても、出現する魔物は強力になっているだろうから油断はしない。

 警戒しながら、変わらない構造の通路や部屋を探索してく光輝達。探索は特に問題無く、順調に進んだ。……進んだのだが、やがて、一人また一人と怪訝そうな表情になっていった。

 

「……どうなってる?」

 

 かなり奥まで探索し大きな広間に出た頃、遂に不可解さが頂点に達し表情を困惑に歪めて光輝が疑問の声を漏らした。他のメンバーも同じ様に困惑の表情を晒しつつ、光輝の疑問に同調して足を止める。

「……何で、これだけ探索しているのに唯の一体も魔物に遭遇しないんだ?」

 

 

 既に探索は、細かい分かれ道を除けば半分近く済んでしまっている。

 今迄なら、散々強力な魔物に襲われてそう簡単には前に進めなかった。ワンフロアを半分ほど探索するのに平均二日はかかるのが常であったのだ。

 

 にも拘らず、光輝達がこの九十層に降りて探索を開始してからまだ三時間程しか経っていないのに、この進み具合。それは単純な理由だ。未だ一度も、魔物と遭遇していないからである。

 

 最初は、魔物達が光輝達の様子を物陰から観察でもしているのかと疑ったが、彼等の感知系スキルや魔術を用いても一切索敵にかからないのだ。魔物の気配すらないというのは、いくら何でもおかしい。明らかな異常事態である。

 

 

「………なんつぅか、不気味だな。最初からいなかったのか?」

 

 龍太郎と同じ様に、メンバーが口々に可能性を話し合うが答えが見つかる筈も無い。困惑は深まるばかりだ。

「……光輝。一度戻らない? 何だか嫌な予感がするわ。メルド団長達なら、こういう事態も何か知っているかもしれないし」

 雫が警戒心を強めながら、光輝にそう提案した。

 雫の提案に、光輝は逡巡する様子を見せた。何となく嫌な予感を覚えているのは光輝も同じだ。慎重を期するなら、確かに一度戻るのがベターだろう。

 しかし何らかの大きな障害があったとしても、何れにしろ打ち破って進まなければならず、漠然とした不安感だけで撤退するのには僅かな抵抗感があった。また、八十九層でも余裕のあった自分達なら何が来ても大丈夫ではないかとも思う。

 そうして光輝が迷っていると、不意に周囲を注意深く探っていた遠藤が、緊張を滲ませた声を上げた。

 

「これ……血……だよな?」

 

 地面に這わせていた指先を見せながら、そう言った遠藤。光輝達はその言葉に、地面や壁を注意深く観察し始めた。すると、

「薄暗いし壁の色と同化してるから分かりづらいが……あちこち付いているな」

「おいおい……これ……結構な量なんじゃ……」

 険しい表情で警戒感を露わにする永山と、引き攣り顔で周囲に視線を巡らせる野村。

 他のメンバーも、今更ながらに気付いた周囲に飛び散る夥しい量の血痕に、顔色を青くする。

 

「天之河、八重樫さんの提案に従った方がいい。……これは魔物の血だ、それも真新しい」

 

 指に付いた血を擦ったり嗅いだりして分析していた遠藤が、普段に無い強い口調で訴えた。光輝は少し唸りながら小さな反論をする。

「そりゃあこれだけ魔物の血があるってことは、この辺りの魔物は全て殺されたって事だろうし、それだけ強力な魔物がいるって事だろうけど……。いずれにしろ倒さなきゃ前に進めないだろ?」

 

 光輝の反論に、首を横に振ったのは永山だった。永山は、龍太郎と並ぶクラスの二大巨漢ではあるが、龍太郎と違って非常に思慮深い性格をしている。また、遠藤とは付き合いも長く親友であるが故に、その言葉には大きな信頼を寄せていた。

 故に、遠藤の発する極度の緊張と言葉から即座に事態を読み解き、同じ様に臨戦態勢になりながら、光輝に自分の考えを告げた。

 

「天之河、よく聞いてくれ。魔物は何も、この部屋だけに出る訳ではないだろう。今まで通って来た通路や部屋にも出現した筈だ。にもかかわらず、俺達が発見した痕跡はこの部屋が初めて。それはつまり……」

「……何者かが魔物を襲い、その痕跡を隠蔽したって事ね?」

 

 後を継いだ雫の言葉に永山が頷く。光輝もその言葉にハッとした表情になると、永山と同じ様に険しい表情で警戒レベルを最大に引き上げた。

「それだけ知恵の回る魔物がいるという可能性もあるけど……人であると考えた方が自然って事か。……そしてこの部屋だけに痕跡があったのは、隠蔽が間に合わなかったか、或いは……」

 

 

 

 ──ここが終着点という事さ。

 

 

 

 光輝の言葉を引き継ぎ、突如聞いた事の無い女の声が響き渡った。男口調のハスキーな声音だ。光輝達はギョッとなって、咄嗟に戦闘態勢に入りながら声のする方に視線を向けた。

 

 コツコツと足音を響かせながら広い空間の奥の闇からゆらりと現れたのは、燃える様な赤い髪をした妙齢の女。その女の耳は僅かに尖っており、肌は浅黒かった。

 

 光輝達が驚愕した様に目を見開く。女のその特徴は、光輝達のよく知るものだったからだ。実際には見た事は無いが、イシュタル達から叩き込まれた座学において、何度も出てきた種族の特徴。聖教教会の掲げる神敵にして、人間族の宿敵。そう……

 

「……魔人族」

 

 誰かの発した呟きに、魔人族の女は薄らと冷たい笑みを浮かべた。

 光輝達の目の前に現れた赤い髪の女魔人族は冷ややかな笑みを口元に浮かべながら、驚きに目を見開く光輝達を観察する様に見返した。

 

 瞳の色は髪と同じ燃える様な赤色で、服装は艶のない黒一色のライダースーツの様なものを纏っている。体にピッタリと吸い付く様なデザインなので彼女の見事なボディラインが薄暗い迷宮の中でも丸分かりだ。

 どこか艶かしい雰囲気と相まって、そんな場合ではないと分かっていながら近藤や中野、斎藤等は頬が赤く染まるのを止められなかった。

 

「勇者はアンタでいいんだよね? そこのアホみたいにキラキラした鎧を着ているアンタで」

「ア、アホ……う、煩い! 魔人族なんかにアホ呼ばわりされる謂れは無いぞ! それより、何故魔人族がこんな所にいる!」

 

 あんまりと言えばあんまりな物言いに軽くイラっと来た光輝が、その勢いで驚愕から立ち直って魔人族の女に目的を問い質した。

 しかし魔人族の女は、煩そうに光輝の質問を無視すると呆れた様に頭を振った。

「なんとまぁ直情的な……これが勧誘対象の勇者様? 本当に有用なのかねぇ……。まぁ、命令がある以上是非も無いんだけど」

 そして、どこか物凄く嫌そうな雰囲気を漂わせつつ、意外な言葉を放った。

 

「アンタ。そう、無闇にキラキラしたアンタ。アタシ等の側に来ないかい?」

「な、何? 来ないかって……どう言う意味だ!」

「呑み込みが悪いね。そのまんまの意味だよ。勇者君を勧誘してんの。あたしら魔人族側に来ないかって。色々優遇するよ?」

 

 光輝達としては完全に予想外の言葉だった為に、その意味を理解するのに少し時間がかかった。そしてその意味を呑み込むと、クラスメイト達は自然と光輝に注目し、光輝は呆けた表情をキッと引き締め直すと魔人族の女を睨みつけた。

「断る! 人間族を……仲間達を……王国の人達を裏切れなんて、よくもそんな事が言えたな! やはり、お前達魔人族は聞いていた通り邪悪な存在だ! 態々俺を勧誘しに来た様だが、一人でやって来るなんて愚かだったな! 多勢に無勢だ、投降しろ!」

 光輝の啖呵が響き渡る。そこには些かの揺るぎも無かった。

 

 しかし、断固拒否の回答を叩きつけられた当の女魔人族は僅かに目を細めて観察する様な眼差しを向けただけで、特に気にした様子も無かった。それどころか、更に譲歩した条件を提示する。

「一応、お仲間も一緒でいいって上からは言われてるけど? それでも?」

「答えは同じだ! 何度言われても、裏切るつもりなんて一切無い!」

 

 やはり微塵の躊躇いも無く光輝が答える。そして、そんな勧誘を受ける事自体が不愉快だとでも言う様に、聖剣に光を纏わせた。これ以上の問答は無用、投降しないなら力づくでも! という意志を示す。

 

 

 そんな光輝の行動に焦りを見せたのは女魔人族ではなく、寧ろ永山と雫だった。

 二人は内心で舌打ちしつつ、女魔人族より周囲に最大限の警戒を行う。永山がさり気無く後ろ手に出した指示で、同じく警戒をしていた遠藤の気配が音も無く消える。

 

 永山も雫も、場合によっては一度嘘をついて女魔人族に迎合してでも場所を変えるべきだと考えていた。しかし、その考えを伝える前に光輝が答えを示してしまったので、仕方なく不測の事態に備えているのだ。

 

 普通に考えて、いくら魔術に優れた魔人族とはいえ、こんな場所に一人で来るなんて考えられない。この階層の魔物を無傷で殲滅し、剰えその痕跡すら残さないなどもっと有り得ない。そんな事が出来るくらい魔人族が強いなら、ハナから人間族は為す術無く魔人族に蹂躙されていた筈だ。

 加えて、この階層に到達出来る程の人間族十五人を前にしても、魔人族の女は全く焦った様子が見られない。戦闘の痕跡を隠蔽した事も考えれば、最初に危惧した通りここで待ち伏せしていたのだと推測すべきで、だとしたら地の利は彼女の側にあると考えるのが妥当だ。

 

 

 ──自分達は今、大迷宮にいるのではない。敵のテリトリーにいるのだ!

 

 

 そんな雫達の危機感は、直ぐに正しかったと証明された。

「……そう。なら、アンタに用はない。言っておくけど、アンタの勧誘は絶対って訳じゃないよ。命令は"可能であれば"だ、状況によっては排除の命令も出てる。殺されないなんて甘い事は考えない事だね。ルトス、ハベル、エンキ、餌の時間だよ!」

 

 女魔人族が三つの名を呼ぶのと、バリンッ! という破砕音と共に雫と永山が苦悶の声を上げて吹き飛ぶのは同時だった。

 

「ッ!?」

「ぐぁっ!?」

 

 二人を吹き飛ばしたものの正体は不明。女魔人族の号令と共に、突如光輝達の左右の空間が揺らいだかと思うと、"縮地"もかくやという速度で"何か"が接近し、光輝と女魔人族のやり取りに意識を囚われていた後衛組に襲いかかったのだ。

 

 最初から最大限の警戒網を敷いていた雫と永山だけが、その奇襲に辛うじて気がついた。

 

 雫は揺らぐ空間に対して抜刀した剣と鞘を十字にクロスさせて防御しつつ、衝撃の瞬間を見計らい自ら後方に飛ぶ事で威力を殺そうとした。しかし、相手の攻撃力が想像の遥か上であった為防御を崩され、腹部を浅く裂かれた上に肺の空気を強制的に排出させられる程強く地面に叩きつけられた。

 

 永山は"身体硬化"という肉体の強度そのものを向上させる技能と、魔力による強化外装である"金剛"を習得しており、両技能を重掛けした場合の耐久力は鋼鉄の盾よりも遥かに上だ。自らの巨体も合わせれば、その人間要塞とも言うべき防御を突破するのは至難と言っていい。

 

 だがその永山でさえ、"何か"の攻撃により防御を突破されて深々と両腕を切り裂かれ血飛沫を撒き散らしながら吹き飛び、後方にいた斎藤達にぶつかって辛うじて地面への激突という追加ダメージを免れるという有様だった。

 

 硝子が割れる様な破砕音は、鈴が本能的な危機感に従って咄嗟に展開した障壁が砕け散った音だ。

 場所はパーティの後方。そこに"何か"あると感じた訳では無く、何となく雫と永山の位置からして自分は後方に障壁を展開するべきだと、これまた本能的、或いは経験的に悟ったのだ。

 その行動は、結果的に極めて正しかった。鈴の障壁がなければ、三つ目の空間の揺らめきは容赦なく辻や吉野達を切り裂いていただろう。

 

 だが味方を見事に守った代償に、障壁破砕の衝撃をモロに浴びて鈴もまた後方へ吹き飛ばされた。

 

 運良く後ろに恵里がいて受け止める事に成功した為に事無きを得たが、衝撃に痺れる鈴の体は直ぐには言う事を聞いてくれない。

 三つの揺らめきが、間髪を容れず追撃にかかる。吹き飛ばされ手傷を負わされたばかりの雫や永山、鈴は勿論の事、突然の襲撃に対応しきれていない後衛組には為す術が無い。

 仲間の命が散る──と思われた、その瞬間。

 

「護光で満たせ! ──"回天"、"周天"、"天絶"!」

 

 香織が殆ど無詠唱かと思う程の詠唱省略で同時に三つの光属性魔術を発動した。

 

 

 一つは、切り裂かれて吹き飛び地面に叩きつけられた雫と永山を即座に癒す、光属性中級回復魔術"回天"。複数の離れた場所にいる対象を同時に治癒する魔術だ。

 痛みに呻きながら何とか起き上がろうと藻掻く二人に白菫の光が降り注ぎ、尋常でない速度で傷が塞がっていく。

 

 次いで、少しでも気を逸らせば直ぐに見失いそうな姿なき揺らめく三つの存在に、雫達に降り注いだのと同じ白菫の光が降り注ぎ纏わりつく。すると、その光はふわりと広がって空間に光の輪郭が出現した。

 光属性中級回復魔術"周天"。

 回復量は小さいが一定時間毎に回復魔術が自動で掛かり、発動中は対象に魔力光が纏わりつくという特徴のある魔術だ。香織はその特徴を利用し、回復効果を最小にして正体不明の敵に使用する事で間接的に姿を顕にしたのだ。

 

 白菫の光により現れた姿は、ライオンの頭部に竜の様な手足と鋭い爪、蛇の尻尾と、鷲の翼を背中から生やす奇怪な魔物だった。命名するならやはりキメラだ。恐らく、迷彩の固有魔術を持っているのだろう。姿だけでなく気配も消せるのは相当厄介な能力ではあるが、行動中は完全には力を発揮出来ない様で、空間が揺らめいてしまうという欠点があるのは不幸中の幸いだ。

 

 何せ、クラスメイトの中でもトップクラスの近接戦闘能力を持つ雫と永山を一撃で行動不能に陥れたのだ。その上、完全に姿を消せるとあっては、とても太刀打ち出来ない。今までの階層の魔物と比較すると明らかにこの階層の魔物のレベルを逸脱している。

 

「「「グルァアアアアアッ!!!」」」

 

 その三体のキメラは纏わりつく光など知った事かと絶叫しながら、体勢を立て直し切れていない雫達へ追撃の凶爪を繰り出した。

 凄まじい速度で死神の鎌の如く振るわれたその凶爪はしかし、雫達の命を刈り取る寸前であらぬ方向へ流されてしまった。虚空にふわりと出現した幾枚もの輝く盾が、冗談の様に滑らかにその軌道のみを逸らしてしまったのだ。

 

 光属性中級防御魔術"天絶"。"光絶"という光の障壁を展開する光属性初級防御魔術の上位版で、複数枚を一度に出す魔術だ。

 

 "結界師"である鈴などはこの魔術を応用して、壊される端から高速で障壁を補充し続け、弱く直ぐに破壊されるが突破に時間がかかる多重障壁という使い方をしたりする。

 この点香織は、光属性全般に高い適性を持つものの結界専門の鈴には及ばない為、その様な使い方は出来ない。だがそれでも、完璧な角度で最適位置に最速で障壁を展開し、まるで合気でも行ったかの様に攻撃を逸らすなど……正に絶技というに相応しい技だった。

 

 全ては二度と失わない為に積み上げた研鑽の賜物。香織の血反吐を吐く様な努力が、この危機的状況で全ての命を守り切った。

 

 攻撃をいなされた三体のキメラは、やや苛立った様に再度攻撃に移ろうとした。稼げた時間は一瞬。所詮、弱き者の無意味な足掻きでしかないと。

 しかし一瞬とはいえ、貴重な時間を稼げた事に変わりはない。その時間を光輝達が無駄にする筈がなかった。

 

「雫から離れろぉおおっ!!」

 

 

 永山はいいのか? とツッコミを入れてはいけない。

 

 

 光輝は憤怒を孕んだ雄叫びを上げながら、刹那の間に"縮地"によって雫に迫るキメラの下へと踏み込んだ。光輝の移動速度が見る者の焦点速度を超えて、背後に残像を生じさせる。振りかぶられた聖剣が、一刀の下にキメラの首を跳ねんと輝きを増す。

 同時に、

 

「させっかよ!」

 

 龍太郎も永山を襲おうとしていたキメラへと空手の正拳突きの構えを取った。直接踏み込んで攻撃するより、篭手型アーティファクトの能力である衝撃波を飛ばした方が早いと判断したからだ。龍太郎から裂帛の気合が迸り、篭手に魔力が収束していく。

 更に、

 

「呑み込め、紅き母よ──"炎浪"!!」

 

 鈴を抱き抱えたままの恵里が片手を突き出し、今迄見せた事も無い詠唱省略された強力な魔術を発動させた。"炎浪"という名の炎属性中級魔術は、文字通り炎の津波を操る魔術で、分類するなら範囲魔術だ。素早い敵でもそう簡単には避けられはしない。

 

 

 光輝の聖剣が壮絶な威力と早さをもって大上段から振り下ろされる。龍太郎の正拳突きが、これ以上無い程美しいフォームから繰り出され、それにより凄絶な衝撃波が砲弾の如く突き進む。恵里の死を運ぶ紅蓮の津波が目標を呑み込み灰塵にせんと迸った。

 だがしかし……

 

「「ルゥガァアアア!!」」

 

 一体どこに潜んでいたのか、光輝達の攻撃が正に直撃しようかというその瞬間三つの影が咆哮を上げながら光輝達へと襲いかかった。

「ッ!?」

「何だっ!?」

 突然の事態に光輝と龍太郎の背筋を悪寒が襲う。

 

 二体の影は、それぞれ光輝と龍太郎に猛烈な勢いで突進すると、手に持った金属のメイスを凄まじい勢いで振り抜いた。

 

 咄嗟に光輝は剣の遠心力を利用して身を捻る事で躱し、龍太郎は突き出した右手の代わりに引き絞った左腕を振り上げて、眼前まで迫っていたメイスを弾く。

 光輝はバランスを崩し地面をゴロゴロと転がり、龍太郎はメイスを弾いた後の敵の拳撃による二撃目を受けて吹き飛ばされた。

 

 光輝と龍太郎に不意を打ったのは、体長二メートル半程の見た目はブルタールに近い魔物だった。

 しかし、所謂オークやオーガと言われるRPGの魔物と同様に、ブルタールが豚の様な体型であるのに対して、その魔物は随分とスマートな体型だ。正に、ブルタールの体を極限まで鍛え直し引き絞った様な体型である。実際、先程の不意打ちからしても膂力・移動速度共に、ブルタールの比ではなかった。

 

「何だコイツ等!?」

「クソッタレ、一体何処から湧いて来やがったっ!?」

 光輝と龍太郎が今迄見た事の無い、そして明らかに強力な魔物の突然の出現に悪態混じりの疑問の声を上げる。

 

「ぐぁっ!?」

 

 苦悶の声を上げて、二人の丁度中間辺りに遠藤が地面をバウンドしながら吹き飛んできた。

「遠藤!?」

「ぐっ、気を付けろ皆! 見えている奴だけじゃない! そこかしこにいるぞ!」

 光輝が驚きながら遠藤の名を呼ぶが、遠藤は負傷したらしい脇腹を抑えながらも警告を響かせた。

 

 

 遠藤は永山の指示を受けて気配を消した後、暗殺者の技能である隠形をしながらこっそりと女魔人族の背後を取ろうと動いていたのだ。

 

 完全に後ろを取る前に事態が動き出し、動揺の為気配を駄々洩れにしながらも仕方なく一気に距離を詰めようとしたところで、横合いから凄まじい衝撃を受けて吹き飛ばされた。その時見たのだ。自分を吹き飛ばした相手が、光輝達を吹き飛ばしたのと同じ手合いである事を。そして、そのブルタール擬きの傍らにキメラがいて、自分を吹き飛ばした後にブルタール擬きがキメラに触れて再び姿を消したところを。

 

 つまり、敵はキメラの隠形能力を借りてそこかしこに潜んでいるのだ。それこそ、九十階層の魔物を全滅させられるだけの戦力が。

 

 

 遠藤の警告を証明する様に、恵里の方にも新手が出現していた。

 

 ヒュオオオ! という音と共に、恵里が展開していた炎の津波がみるみる一点へと収束し消えていく。まるで空間にでも穴が開いていて、そこに全てが吸収されているかの様だ。

 

「嘘でしょ……?」

 

 範囲魔術が無効化されるというあまりの事態に、心理的衝撃から思わず固まってしまった恵里の視線の先で、炎と熱気が完全に消える。

 

 そうして晴れた空間からは、その犯人が姿を現した。それは、体から六本の足を生やした亀の様な魔物だった。背負う甲羅は、先程まで敵を灰に変えようと荒れ狂っていた炎と同じ様に真っ赤に染まっている。

 

 次の瞬間、多足亀が炎を吸収しきって一度は閉じていた口を、再びガパッと大きく開いた。同時に背中の甲羅が激しく輝き、開いた口の奥に赤い輝きが生まれる。まるでエネルギーを収束し、発射寸前となったレーザー砲の様だ。

「ま、まずいっ!」

 その様子を見た恵里が、表情に焦りを浮かべた。魔術を放ったばかりで対応する余裕が無かったのだ。だがその焦りは、腕の中の親友がいつも通りの元気な声で吹き飛ばした。

 

「にゃめんな! 守護の光は重なりて、意志ある限り蘇る──"天絶"!」

 

 刹那、鈴達の前に二十枚の光の障壁が重なる様に出現した。その障壁は全て斜め四十五度に設置されており、障壁の出現と同時に多足亀から放たれた超高熱の砲撃は障壁を粉砕しながらも上方へと逸らされていった。

 

 それでも、継続して放たれる砲撃の威力は先程のキメラの攻撃の上を行く壮絶なもので、一瞬にしてシールドを食い破っていく。

 

 鈴は歯を食いしばりながら詠唱の通り次々と新たな障壁を構築していき、“結界師”の面目躍如というべきか、障壁の構築速度と多足亀の砲撃による破壊速度は拮抗し辛うじて逸らし続ける事に成功した。

 逸らされた砲撃は、激震と共に迷宮の天井に直撃し周囲を粉砕しながら赤熱化した鉱物を雨の如く撒き散らした。

「畜生! 何だってんだ!」

「何なんだよ、この魔物は!」

「クソ、とにかくやるぞ!」

 そこまでの事態になって漸く檜山達や野村達が悪態を付きながらも混乱から抜け出し完全な戦闘態勢を整える。

「永山君、斬り込むわ! 後衛の守り頼むわよ!」

「ああ任された! 行け八重樫!」

 傷を負っていた雫や永山も完全に治癒されて、其々眼前の見える様になったキメラに攻撃を仕掛け始めた。

 

 

 雫が残像すら見えない超高速の世界に入る。風が破裂するようなヴォッ! という音を一瞬響かせて姿が消えたかと思えば次の瞬間にはキメラの真後ろに現れて、これまたいつの間にか納刀していた剣を抜刀術の要領で抜き放った。

 

 "無拍子"による予備動作の無い移動と斬撃。姿すら見えないのは単純な移動速度というより、急激な緩急のついた動きに認識が追いつかないからだ。更に、剣術の派生技能により斬撃速度と抜刀速度が重ねて上昇する。鞘走りを利用した素の剣速と合わせれば、普通の生物には認識すら叶わない神速の一閃となる。

 

 先程受けた一撃のお返しとばかりに放たれたそれは、八重樫流奥義が一"断空"。鞘の持ち手を親指で鍔を押さえつつ反動を溜め込み、抜刀の瞬間には逆に弾いて極限まで抜刀族度を上昇させる技だ。

 

 

 空間すら断つという名に相応しく、銀色の剣線のみが虚空に走ったかと思えば、次の瞬間にはキメラの蛇尾が半ばから断ち切られた。

「グゥルァアア!!」

 怒りの咆哮を上げて振り向きざまに鋭い爪を振るうキメラ。しかし、その攻撃は虚しく空を切る。既に雫は反対側へと回り込んでいたからだ。そして、二の太刀を振るい今度はキメラの両翼を切り裂いた。

「くっ!」

 速度で翻弄し着実にダメージを与えていく雫。しかし雫の表情は晴れず、それどころか苦虫を噛み潰した様な表情で思わず声を漏らした。

 

 それは、思惑が外れた事が原因だった。雫は本当なら、最初の一撃でキメラの胴体を両断するつもりだったのだが、寸でのところで蛇尾が割って入り斬撃が届かなかったのだ。二太刀目も胴体を切り裂くつもりが、斬撃が届くより一瞬早く身を屈められて両翼を切り裂くに留まってしまった。

 

 キメラは、雫の速さに付いてこられていない。しかし、全く対応出来ないという訳でも無かったのだ。姿が消せる上、辛うじてとは言え雫の本気の速さに対応してくる反応速度。悪夢の様な難敵である。さっさと倒して仲間の救援に向かいたい雫としては、厄介な事この上なかった。

 

 その後も三太刀目、四太刀目と剣を振るい、キメラの体に無数の傷をつけていくが、どれも浅く致命傷には遠く及ばない。それどころか、キメラは徐々に雫の速度を捉え始めている様だった。雫の表情に焦りが生まれ始める。

 

 更に雫にとって、いや、雫達にとって悪い事は続く。

 

 

「キュワァアア!!」

 

 突然部屋にそんな叫びが響いたかと思うと、雫の眼前で両翼と蛇尾を切断されていたキメラが赤黒い光に包まれて、みるみる内に傷を癒していったのだ。

 

 香織の"周天"は、殆ど意味が無い程に効果を落としてあるので、いくら浅い傷といえどそう簡単に治ったりはしない。雫は目を見開き、癒されていくキメラに注意しながら叫び声の方へチラリと視線を向けた。

 すると高みの見物と洒落こんでいた女魔人族の肩に、いつの間にか双頭の白い鴉が止まっており、一方の頭が雫の方を……正確には、雫の眼前にいるキメラに向いていたのだ。

 

「回復役までいるって言うの!?」

 

 難敵にやっとの思いで傷を与えてきたというのに、それを即座に癒される。唯でさえ時間が経てば経つ程順応されて勝機が遠のくというのに、後方には優秀な回復役が待機している。あまりの事態に、思わず雫が悲鳴を上げた。

 

 

 見れば雫だけでなく、他の場所でも同じ様に悲痛な叫びを上げる仲間達がいた。

 

 光輝の方も支援を受けつつブルタール擬きと戦っていた様で、ブルタール擬きの一体に致命傷級の傷を与えていたのだが、その傷も白鴉の一方の頭が見つめながら叫び声を上げる事で、まるで逆再生でもしているかの様に癒されていく。

 龍太郎や永山の方も同じだ。龍太郎が相手取っていた二体目のブルタール擬きは腹部が破裂した様に抉れていたり片腕が折れていたりした様だが、白鴉の頭が同じ様に鳴くとみるみる癒されていき、後衛を守る永山を襲っていたキメラも陥没した肉体の一部が直ぐ様癒されていった。

 

「だいぶ厳しいみたいだね。どうする? やっぱりアタシ等の側についとく? 今ならまだ考えてもいいけど?」

 

 光輝達の苦戦を腕を組んで余裕の態度で見物していた女魔人族が、再び勧誘の言葉を光輝達にかけた。尤も、答えなど分かっているとでも言う様にその表情は冷めたままだったが。そして、その予想は実に正しかった。

「ふざけるな! 俺達は脅しには屈しない! 俺達は絶対に負けはしない! それを証明してやる! 行くぞ──"限界突破"!」

 女魔人族の言葉と態度に憤怒の表情を浮かべた光輝は、再びメイスを振り下ろしてきたブルタール擬きの一撃を聖剣で弾き返すと、一瞬の隙をついて"限界突破"を発動した。

 

 

 "限界突破"は、一時的に魔力を消費しながら基礎ステータスの三倍の力を得る技能だ。但し、文字通り限界を突破しているので長時間の使用も常時使用も出来ず、使用した後は使用時間に比例して弱体化してしまう。酷い倦怠感に襲われ、また本来の力の半分程度しか発揮出来なくなるのだ。故に、ここぞという時の切り札として使用する時と場合を考えなければならない。

 

 光輝は魔物の強力さと回復が可能という事実に、このままでは仲間の士気が下がり押し切られると判断し、"限界突破"を発動して一気に敵を倒そうと決断したのだ。

 

 

 光輝の"限界突破"の宣言と共に、その体を純白の光が包み込む。同時にメイスの一撃を弾かれたブルタール擬きが光輝の変化など気にも留めず、再び襲いかかった。

「刃の如き意志よ、光に宿りて敵を切り裂け──"光刃"!」

 光輝はブルタール擬きにより振るわれたメイスを屈んで躱すと、聖剣に光の刃を付加させて下段より一気に切り上げた。

 

 先程も"光刃"を使って袈裟斬りにしたのだが、その時は深手を与えるに留まり戦闘不能にする事は出来なかった。しかし今度は、"限界突破"により三倍に引き上げられたステータスと光の刃の相乗効果もあってか、まるでバターを切り取る様にブルタール擬きの胴体を斜めに両断する事が出来た。

 

 一拍遅れて、ブルタール擬きの胴体が斜めにずれ、ドシャ! という生々しい音と共に崩れ落ちる。光輝は踏み込んだ足をそのままに、一気に加速すると猛然と女魔人族の下へ突進した。

 

 光輝と女魔人族を隔てるものは何もない。いくら魔人族が魔術に優れた種族といえど、今更何をしようとも遅い。このまま、白鴉共々切り裂いて終わりだ。誰もがそう思った。

 

 その瞬間、

 

「「「「「グゥルァアアア!!!」」」」」

「なっ!?」

 

 空間の揺らめきが五つ。咆哮を上げながら光輝に襲いかかった。四方を囲む様に同時攻撃を仕掛けてきたキメラに、光輝は思わず驚愕の声を上げ眼を大きく見開いた。

 咄嗟に急ブレーキをかけつつ、身を屈め正面からの一撃を避けると同時に右から襲い来るキメラを聖剣の一撃で切り伏せる。そして、身に纏った聖鎧の性能を信じて、背後からの攻撃を胴体部分で受けて死の凶撃を耐え凌ぐ。

 

 だが、出来たのはそこまでだった。左から迫っていたキメラの爪に肩口を抉られ、その衝撃に吹き飛ばされているところへ包囲の外にいた最後の一体が飛びかかり、両足の爪を光輝の肩に食い込ませて押し倒した。

 

 

「ぐぅう!!」

 食いしばる歯の隙間から苦悶の声を漏らしながら、止めとばかりに首筋へ牙を突き立てようとするキメラの顎門を聖剣で辛うじて防ぐ。

 両肩に食い込む爪が顎門を支える力を奪っていき、限界突破中であるにも拘らず上手く力を乗せられず、徐々に押されていく。

 

「寵華で満たせ──"焦天"! "封禁"!」

 

 光輝のピンチを見た香織が、すかさず光属性魔術を行使した。

 

 "焦天"──一人用の中級回復魔術だ。先程使った複数人用の回復魔術"回天"より高い効果を発揮する。しかし光輝の両肩にはキメラの爪が食い込んでおり、このままでは癒す事が出来ない。

 故に同時発動により、光属性中級捕縛魔術"封禁"を行使する。"封禁"は対象を中心に、光の檻を作り出して閉じ込める魔術だ。香織は、その魔術を光輝(・・)にかけた。光輝を中心に光の檻が瞬時に展開し、圧し掛かっていたキメラを弾き飛ばす。

 両肩から爪が抜けた事により、“焦天”が効果を十全に発揮して瞬時に光輝の傷を癒していった。

 

 同時に、鈴達を襲っていたキメラと多足亀の相手をしていた後衛組の何人かが光輝を襲おうとしているキメラ達に向かって攻撃魔術を放った。ただ、それなりに距離がある事と、香織の"周天"が施されていない為に動いていても見えにくい事から狙いは甘く、大したダメージは与えられなかった。

 

 それでも体勢を立て直す時間は稼げた様で、聖剣を構え直すと治癒されながら唱えていた詠唱を完成させ反撃に出た。

 

「"天翔剣四翼"!」

 

 振るわれた聖剣から曲線を描く光の斬撃が、揺らめく空間四つに飛翔する。狙われたキメラ達は、"限界突破"により強化された光輝の十八番に危機感を抱いたのか、咄嗟にその場を飛び退いて回避しようとした。

 だがそこで、

 

「──"縛煌鎖"!」

 

 今や香織の十八番となった、光属性捕縛魔術"縛煌鎖"が発動する。回避しようとしたキメラ達の足元から光の鎖が無数に飛び出し、首、足、胴体に絡みついた。キメラの力なら引き千切る事も難しくはないが、一瞬動きを止められる事は避けられない。

 結果、四体のキメラは光輝の"天翔剣"の直撃を受けて血飛沫を撒き散らしながら絶命する事になった。

 光輝は女魔人族に向き直ると、聖剣を突きつけながら睨みつける。

 

「残念だったな。お前の切り札は俺達には通用しなかった。もうお前を守るものは何も無いぞ!」

 

 

 光輝の言葉を受けた女魔人族は、そんな光輝に怪訝そうな、或いは呆れた様な表情を向けた。内心「何故今更そんな事を宣言する必要がある? そのまま即行で切りかかればいいじゃない」と思っていたからだ。

 光輝の方は、追い詰められている筈なのに余裕の態度を崩さない魔人族の女に苛立っていた。

 最初のキメラ、次のブルタール擬き、そして今のキメラ。その全てが奇襲であった事も、光輝を苛立たせる原因だ。「不意打ちばかり仕掛けて正々堂々と戦おうとしない、自分は高みの見物、何て卑怯な奴だ!」と。

「……別に、切り札って訳じゃないんだけど」

「強がりを!」

「まぁ、強がりかどうかはコイツ等を撃退してからにしたら? こっちは"異教の使徒"とやらの力もある程度確認出来たから、本当にもう用はないしね」

「何を言っ──」

 

「キャアアア!」

 

 女魔人族が面倒そうに髪を掻き上げながらそんな事を言い、それに対して光輝が問い質そうとしたその時、後方から悲鳴が響き渡った。

 

 

 思わず振り返った光輝の目に映ったのは、更に五体のブルタール擬きとキメラ、そして見た事の無い黒い四つ目の狼、背中から四本の触手を生やした体長六十センチ程の黒猫が一斉に仲間に襲いかかり、辻を庇った野村が黒猫の触手に脇腹を貫かれている光景だった。

 

「健太郎! くそっ、調子に乗るな!」

「真央、しっかりして! 私が回復するから!」

 

 野村の惨状を見て、遠藤が黒猫の触手をダガーで切り裂き、憤怒の感情を隠しもせずに逆襲に出る。

 野村が苦悶の声を上げながら崩れ落ちた事に茫然としている辻に、吉野が叱咤の声を張り上げながら回復魔術を促した。辻は吉野の声にハッと我を取り戻し、丁度遠藤が受けた脇腹の負傷を癒そうと詠唱していた回復魔術を発動する。

 

「なっ、まだあんなに!」

 

 後方を振り返って、いつの間にか現れた大量の新手に光輝が驚愕の声を漏らす。

「キメラの固有魔法"迷彩"は、触れているものにも効果を発揮するのさ。さっきそこの坊やが警告していただろう? まぁ具体的な戦力までは測れなかっただろうけどさ。さぁ、そろそろ終幕と行こうか!」

「ッ!?」

 

 いきなり現れた大量の魔物に、劣勢を強いられる仲間。それを見て光輝が急いで引き返そうとする。そんな光輝に、キメラの"迷彩"効果で隠れていただけだとタネ明かしをしながら、更に魔物を嗾ける女魔人族。彼女の背後から、四つ目狼と黒猫が十体ずつ光輝目掛けて殺到する。

 

「くっ、ぉおおおおおっ!」

 

 黒猫の触手が途轍もない速度で伸長し、四方八方から光輝を襲った。

 

 

 光輝は聖剣を風車の様に回転させ襲い来る触手の尽くを切り裂き、接近してきた黒猫の一体目掛けて横薙ぎの一撃を放った。

 光輝の顔面を狙ったせいか、空中に飛び上がっていた黒猫には避ける術は無い筈だった。光輝も「先ず一体!」と魔物の絶命を確信していた。

 

 しかし次の瞬間、その確信はあっさり覆される。

 

 何と、黒猫が空中を足場に宙返りし、光輝の一撃を避けたのだ。そしてその体格に似合わない鋭い爪で、光輝の首を狙った一撃を放った。

 

 

 辛うじて頭を振りギリギリで回避した光輝だったが、体勢が崩れた為背後からの四つ目狼による強襲に対応出来ず、鎧の防御力と"限界突破"の影響で深手は負わなかったものの、勢いよく吹き飛ばされ元いた場所辺りまで戻されてしまった。

 

 それに合わせて、明らかに逸脱した強さを持つ魔物達が追い詰める様に光輝達を包囲していく。

 

 香織と辻という"治癒師"が二人がかりで味方を治癒し続けているからこそ何とか致命的な戦線の崩壊は避けられているが、状況を打開する決定打を打つ事が出来ない。

 光輝が"限界突破"の力を以て敵を蹴散らそうとするが、魔物達も光輝に対しては常に五体以上が連携してヒット&アウェイを繰り返し、決して無理をしようとしないので攻めきる事が出来ない。

 雫の"無拍子"による高速移動も、速度に優れた黒猫と"先読"の固有能力をもつ四つ目狼の連携により対応され、手傷は負わせても致命傷を与えるには至らない。

 

「やばい……これ、マジでやばいぞ!」

「クソがっ、どうすんだよ!?」

 

 必死に応戦しながらも、次第にクラスメイト達の表情に絶望の影がちらつき始めた。そしてその感情は、女魔人族の参戦により更に大きくなる。

 

 

「地の底に眠りし金眼の蜥蜴、大地が産みし魔眼の主、宿るは暗闇見通し射抜く呪い、齎すは永久不変の闇牢獄。恐怖も絶望も悲嘆もなく、その眼を以て己が敵の全てを閉じる。残るは終焉、物言わぬ冷たき彫像。ならば、ものみな砕いて大地に還せ!──"落牢"!」

 

 

 その詠唱が完了した直後、女魔人族の掲げた手に灰色の渦巻く球体が出来上がり、放物線を描いて光輝達の方へ飛来した。

 

 速度は決して早くはない。今の光輝達の中に回避できない者などいない。一見、何の驚異も感じない攻撃魔術だったが、それを見た先程腹を触手で貫かれた野村が、血を吐きながらも蒼褪めた表情で、焦燥を露わにして叫んだ。

 

「ッ!? ヤバイッ! 谷口ィ!! あれを止めろぉ! バリア系を使え!」

「えぇ!? りょ、了解! ここは聖域なりて、神敵を通さず! ──"聖絶"!」

 

 切羽詰った野村の指示に、鈴が詠唱省略した光属性上級防御魔術を発動する。輝く障壁がドーム状となって光輝達全員を包み込んだ。尤も、"聖絶"に敵味方の選別機能など無いので、ドーム状の障壁の中には多くの魔物も取り込んでしまっている。

 

 "聖絶"は強力な魔術なだけあって消費魔力が大きい。故に、普段ならこんな無意味な使い方はしない。しかし野村の叫びが女魔人族から放たれた魔術の危険性をこれでもかと伝えていたので、鈴は咄嗟に"聖絶"を選んだのだ。

 

 "聖絶"が展開された直後、灰色の渦巻く球体が障壁に衝突した。灰色の球体、障壁を突破しようと見かけによらない凄まじい威力で圧力をかける。鈴は突破させてなるものかと、自身の魔力がガリガリと削られていく感覚に歯を食いしばりながら必死に耐えた。

 その時、女魔人族から命令でも受けたのか、魔物の動きが変化する。複数体が一斉に鈴を狙い始めたのだ。

「鈴!」

「谷口を守れ!」

 恵里が鈴の名を呼びながら魔術を放って接近するブルタール擬きを妨害する。鈴を中心に恵里とは反対側でキメラや四つ目狼と戦っていた斎藤良樹と近藤礼一が、野村の呼びかけに応えて鈴の傍に駆けつけようとする。

 が、"聖絶"の維持で動けない鈴に、隙間を縫う様にして黒猫が一気に接近した。野村が咄嗟に地面から石の槍を射出して串刺しにしようとするが、黒猫は空中でジグザグに跳躍すると身を捻りながら石の槍を躱し、触手を全本射出した。

「谷口ぃ!」

「ぁ!?」

 野村が鈴の名を呼んで警告するが、時すでに遅し。

 

 

 触手は咄嗟に身を捻った鈴の腹と太腿、右腕を貫通した。更に捉えたまま横薙ぎに振るって鈴の小柄な体を猛烈な勢いで投げ捨てた。

 鈴は血飛沫を撒き散らしながら、背中から地面に叩きつけられて息を詰まらせる。そして、呼吸を取り戻すと同時に激痛に耐え兼ねて悲鳴を上げた。

 

 

 

「あぁああああああっ!!?!?」

 

 

 

「鈴ちゃん!」

「鈴!」

 その苦悶の声を聞いて、香織と恵里が思わず悲鳴じみた声で鈴の名を呼ぶ。直ぐ様香織が回復魔術を行使しようと精神を集中するが、それより鈴の施した光り輝く結界が消滅する方が早かった。

 

「全員、あの球体から離れろぉ!」

 

 野村が焦燥感に満ちた声で警告を発する。だが、鈴の鉄壁を誇った"聖絶"と今の今まで拮抗していた魔術だ。今更その警告は遅過ぎた。

 

 

 

 結界が消滅し、勢いよく飛び込んできた灰色の渦巻く球体はそのまま地面に着弾すると、音も無く破裂し猛烈な勢いで灰色の煙を周囲に撒き散らした。

 傍には、倒れて痛みに藻掻く鈴と駆けつけようとしていた斎藤と近藤、それに野村。灰色の煙は一瞬で彼等を包み込む。魔物の影はない。着弾と同時に一斉に距離を取ったからだ。

 灰色の煙は尚も広がり、光輝達をも包み込もうとする。

 

「来たれ、風よ! ──"風爆"!」

 

 光輝が咄嗟に突風を放つ風属性の魔術で灰色の煙を部屋の外に押し出す。

 魔術で作り出された煙だからか、通常のものと違って簡単に吹き飛びはしなかったが、“限界突破”中の光輝の魔術は威力も上がっているので、僅かな拮抗の末迷宮の通路へと排出する事に成功した。

 だが、煙が晴れたその先には……

 

 

「そんな、鈴!」

「野村くん!」

「斎藤! 近藤!」

 

 

 完全に石化し物言わぬ彫像となった斎藤と近藤、下半身を石化された鈴、その鈴に覆い被さった状態で左半身を石化された野村の姿があった。

 

 

 斎藤と近藤は、何が起こったのか分からないという様なポカンとした表情のまま固まっている。鈴は下半身を石化された事で更なる激痛に襲われた様で、苦悶の表情を浮かべたまま意識を失っていた。

 

 一方鈴を庇いながら、それでも尚一番被害が軽微だった野村だが、やはり激痛に襲われているらしく食いしばった歯の奥から痛みに耐える呻き声が漏れていた。

 野村の被害が軽かったのは、彼が"土術師"の天職持ち故に、土属性の魔術に対する高い耐性も持っているからだ。女魔人族が発動した魔術を瞬時に看破したのも、あの魔術が土属性の魔術で、野村も勉強していたからである。

 

 土属性上級攻撃魔術"落牢"。石化する灰色の煙を撒き散らす厄介な魔術だ。ほんの僅かでも触れれば、そこから徐々に侵食され完全に石化してしまう魔術で、対処法としてはバリア系の結界で術の効果が終わるまで耐えるか、煙を強力な魔術で吹き飛ばすしかない。しかも、バリア系は上級レベルでなければ結界そのものが石化されてしまう上、煙も上級レベルの威力がなければ吹き飛ばす事が出来ないという強力なものだ。

 

 

「貴様! よくも!」

 

 光輝が仲間の惨状に憤怒の表情を浮かべる。光輝を包む"限界突破"の輝きがより一層眩い光を放ち始めた。今にも、女魔人族に突貫しそうだ。

 だが、そんな光輝をストッパーの雫が声を張り上げて諌める。

 

「待ちなさい光輝! 撤退するわよ! 退路を切り開いて!」

「なっ!? あんな事されて、逃げろっていうのか!」

 

 仲間を傷つけられた事に激しい怒りを抱く光輝は、キッと雫を睨みつけて反論した。

光輝から放たれるプレッシャーが雫にも降り注ぐが、雫は柳に風と受け流し、険しい表情のまま光輝を説得する。

「聞きなさい! 香織ならきっと治せる、でもそれには時間がかかるわ。治療が遅くなれば、手遅れになる可能性もある。一度引いて態勢を立て直す必要があるのよ! それに三人欠けた上に、今あんたが飛び出したら、次の攻勢に皆はもう耐えられない! 本当に全滅するわよ!」

「ぐっ、だが……」

「それに"限界突破"もそろそろヤバイでしょ? この状況で光輝が弱体化したら、本当に終わりよ! 冷静になりなさい! 悔しいのは皆一緒よ!」

 理路整然とした幼馴染の言葉に、光輝は唇を噛んで逡巡するが、雫が唇の端から血を流している事に気がついて、茹だった頭がスッと冷えるのを感じた。

 

 雫も悔しいのだ。思わず、唇を噛み切ってしまう程に。大事な仲間を傷つけられて、出来る事なら今すぐ敵をぶっ飛ばしてやりたいのだ。

 

「わかった……全員、撤退するぞ! 雫、龍太郎! 少しだけ耐えてくれ!」

「任せなさい!」

「応よ!」

 光輝は聖剣を天に突き出す様に構えると、長い詠唱を始めた。今迄は詠唱時間が長い上に状況の打開にならないので使わなかったが、撤退の為の道を切り開くには丁度いい魔術だ。

 但し、詠唱中は完全に無防備になるので身の守りを雫と龍太郎に託さねばならない。それは、光輝が引き受けていた魔物も彼等が相手取らなければならないという事だ。当然、雫と龍太郎の二人に対応しきれる筈もなく、必死に応戦しながらもかなりの勢いで傷ついていく。

「撤退なんてさせると思うかい?」

 そんな事を呟きながら、魔人族の女が光輝達の背後にある通路にも魔物を回し退路を塞いでいく。そして、何やら詠唱を始めた光輝を標的に自らも魔術を唱え出した。

 だがそこで、始めて女魔人族にとって不測の事態が起こる。

 

「「「「「ガァアア!!」」」」」

 

「ッ!? 何故!」

 何と、味方の筈のキメラが五体、女魔人族を襲ったのである。驚愕に目を見開きながら、咄嗟に放とうとしていた魔術を詠唱省略して即時発動する。高密度の砂塵が女魔人族を中心に渦巻いて刃となり、襲い来るキメラ二体を切り裂いた。残りのキメラの攻撃は、砂塵に自らを吹き飛ばさせる事で何とか回避する。

 女魔人族は「何故アタシを!?」と動揺しながら襲いかかってきたキメラを凝視する。そして気がついた。どのキメラも体を激しく損壊しているという事に。

「コイツ等……」

 そう。女魔人族が気がついた様に、彼女を襲ったのは光輝に切り捨てられた五体のキメラだったのだ。絶命した筈のキメラが立ち上がり、生を感じさせない雰囲気で自分を襲ってくるという事態に、女魔人族はとある魔術を思い出し「まさか……」と呟いた。

 

「あなたに光輝君の邪魔はさせない!」

 

 そんな事を叫びながら、手をタクトの様に振るって死体のキメラに女魔人族を包囲させたのは恵里だった。

「チッ! 降霊術の使い手か! そんな情報なかったのに!」

 女魔人族は光輝達を待ち伏せる上で、一応事前調査を行っていた。その中に降霊術などと言う超高難度魔術を使う者がいるなどという情報は無かった為、完全に予想外の事態だった。

 

 恵里が"降霊術師"という天職を持っていながら、精神的な意味で降霊術を苦手として実戦では使っていなかった事が、ここに来ていい方向に働いた様だ。

 恵里は「苦手なんて、今克服する!」とでも言う様に強い眼差しで女魔人族を睨むと、実戦で初めて使うとは思えない程(・・・・・・・・・・・・・・・)巧みにキメラ達を操り、女魔人族を倒すというより時間を稼ぐ様に立ち回った。

「鈴ちゃん頑張って! 絶対に治してみせるから!」

 その間に香織が鈴に向かって"焦天"と"万天"を行使する。

 

 メンバーの中で一番危険な状態なのは鈴だった為、先ずは鈴に集中して治す事にしたのだ。"万天"は光属性の中級回復魔術の内、状態異常を解除する魔術だ。

 

 しかし石化の魔術はかなり強力な魔術の様で、解除は遅々としている。腹と腕に空いた穴は直ぐに塞がったが、流した血の量は既に相当なものだ。今すぐ安静が必要な重体である。石化が解けた瞬間に改めて足の穴も塞がなければならない。

 

 左半身が石化している野村には、辻がついて状態異常の解除に勤しんでいた。辻の回復魔術適性が高い事もあるが、野村の土属性魔術に対する耐性が高い事も相まって、かなりの速度で解除が進んでいる。既に足の石化は解除出来ていた。

 

 しかし、それでも白杖を振るう香織をチラリと見やって辻は唇を噛んだ。同じ"治癒師"なのに、術者としての技量は明らかに香織の方が上だった。

 

 香織は野村より遥かに重傷の鈴を魔術の同時行使で治癒しながら、更に光輝を守って戦う雫や龍太郎にも回復魔術をかけつつ、"縛光刃"や"縛煌鎖"を操って援護すらしているのである。辻には、とても真似できない芸当だ。

 

(白崎さん……凄すぎるよ。それに比べて私は……っ、今はそんな場合じゃない!)

 

 辻はこんな状況で十全に味方を癒せない事が悔しくて、同時にとても情けなかった。

 そんな唇を噛み締めながら必死に自分を治癒してくれている辻を見て、野村は何か言いたげな表情をしたが、今はそんな場合ではないと思い直し痛みを堪えながらブツブツと詠唱を紡ぎ出した。

 

 

 自戦力の減少と光輝の戦闘中断により、相対する魔物が多すぎて満身創痍になりつつある檜山と中野、それに永山と遠藤、恵里は二人の治癒師を守りながら、限界が近い事を悟っていた。このまま行けば数分で自分達は力尽きると。

 光輝の聖剣に集まる輝きがなければ、今にも泣きそうな中野あたりはパニックになって自殺行為に走っていたかもしれない。

 そうして、誰もが今か今かと待っていたその時は……遂に訪れた。

 

「行くぞ! ──"天落流雨"!」

 

 光輝の掲げた聖剣から一条の閃光が打ち上げられたかと思うと、その光は天井付近で破裂するように飛び散り周囲の魔物達に流星の如く降り注いだ。

 

 この"天落流雨"は、敵の直上からピンポイントで複数同時に攻撃するという光属性の攻撃魔術だ。威力は分散している為そこまで高くはなく、本来は多数の雑魚敵掃討に用いるものだが、それでも"限界突破"中に使えば、五十階層クラスの魔物位なら十分効果を発揮する爆撃の様な魔術である。

 

 ただやはり、異常な強さを持つ女魔人族の魔物達には然程ダメージにならなかった様で、精々吹き飛ばして仲間達から引き離すくらいの効果しか発揮しなかった。

 だが、光輝にとってはそれで十分だった。隙を作り、仲間が撤退出来る状況を作る事ができればそれでよかったのだ。

 女魔人族の方は、まだ恵里が操るキメラに手間取っている。

 光輝はそれを確認すると、馬鹿みたいに詠唱の長いこの魔術の本領を発揮させた。

 

「──"集束"!」

 

 天より降り注ぎ魔物達を一時的に後退させた光の雨は、光輝の詠唱によって再び聖剣に収束していく。流星が尾を引いて一点に集まる光景は中々に幻想的だった。

 光輝は収束させた光を纏って輝く聖剣を、真っ直ぐ退路となる通路とその前に陣取る魔物達に向けて突き出し、裂帛の気合と共に一連の魔術の最後のトリガーを引いた。

「──"天爪流雨"!」

 

 

 直後、突き出された聖剣から無数の流星が砲撃の如く撃ち放たれる。同じ砲撃でも光輝の切り札である"神威"には遠く及ばない威力であり、当然退路を塞ぐ魔物達を一掃する事など叶わない。

 本来なら"神威"を使いたいところだが、詠唱が長すぎてとても盾となってくれている雫と龍太郎が保つとは思えなかったので仕方ない。

 

 しかしそれでも、"天爪流雨"は今の状況では最適の手だった。

 

 流星となって退路上の魔物達に直進した光の奔流は、着弾と同時に無数の爆発を引き起こした。砲撃を構成する無数の光弾がクラスター爆弾の様に破裂したのだ。それによって衝撃が連続して発生し、魔物達は体勢を崩され大きく吹き飛ばされた。

 

「「「「ガァアアア!!」」」」

 

 魔物達がきつく目を閉じたまま悲鳴を上げる。

 "天爪流雨"の副次効果、閃光による視覚へのダメージだ。間近で発生した強烈な光によって眼を灼かれたのである。混乱した様に目元を手で擦りながら、闇雲に暴れる魔物達。

 彼等は既に、退路上にはいない。通路に向かって一直線に道が開かれた。

 

「今だ! 撤退するぞ!」

 光輝の号令で全員が一斉に動き出す。石化している近藤と斎藤は永山が一人で肩に担ぎ、気絶している鈴は遠藤が背負った。野村はまだ左腕が石化したままだったが、激痛を堪えながらも自力で立ち上がり、通路に向かって走り始める。

 

「チッ! 逃がすな! 一斉にかかりな!」

 

 魔人族の女が残り二体のキメラを相手取りながら、無事な魔物達にそう命令する。魔物達はその命令に忠実に従い、即座に追撃に移った。キメラといい四つ目狼といい黒猫といい足の早い魔物が多く、光輝達が引き離した距離は瞬く間に詰められていく。

 と、そこで野村が身を翻し、痛みに顔をしかめながらも不敵な笑みを浮かべて右手を突き出した。

「土系統で負けるわけにゃあ行かねぇんだよ! お返しだ! ──"落牢"!」

 先程の女魔人族と同じく、灰色の渦巻く球体が野村の手より放たれる。

 

 石化の煙を孕んだ魔術球が迫り来る魔物達の手前に着弾した。先程の女魔人族の"落牢"が放たれた時、女魔人族が何も言わなくても魔物達は即座に距離をとっていた。なので野村は、この魔術の危険性を教え込まれているのではないかと考え、撤退時の追撃に備えて詠唱しておいたのだ。

 

 野村のその推測は正しかった。灰色の球体が放たれた瞬間、突進して来ていた魔物達が一斉に急ブレーキをかけて、その場を飛び退き距離を取り始めたのだ。同時に、煙は煙幕にもなって撤退する光輝達の姿を隠した。

 それに合わせて、遠藤が魔力の残滓や臭い等の痕跡を魔術で消していく。"暗殺者"の派生技能の一つ、"隠蔽"だ。

 

 

 既に後方で小さくなった部屋の入口から、気のせいか悔しそうな魔物達の咆哮が響いた。

 

 光輝達は、ボロボロの体と目を覚まさない仲間に悔しさ半分、生き残った嬉しさ半分の気持ちで口数少なく逃げ続けた。

 

 

 





突然自分語りします。
作者はニチアサが好きですが、物語的にはある程度犠牲ありきの所謂ビターエンドが好きです。敵サイドは出来るだけコロコロしたいです。


それと二次創作的性癖の話ですが、作者は推しキャラの扱いには二パターンあって、基本的になろう系主人公の如く超強化するか、死んだ方がマシじゃねえかなと思う程心身共に痛めつけたいタイプです。
代表例は以下の通り。

前者 常磐ソウゴ、夢原のぞみ
後者 星空みゆき、相田マナ、野乃はな、花寺のどか

中間 愛乃めぐみ


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第十五話 今回のMVP

ソウゴから見た召喚組の評価でも書きますかね。次回から。


 場所は八十九層の最奥付近の部屋。

 その正八角形の大きな部屋には四つの入口がある。しかし現在は、そのうちの二つの入口の間にもう一つ通路が存在しており、奥には十畳程の大きさの隠し部屋があった。入口は上手くカモフラージュされて閉じられている。

 

 

 そこでは、光輝達が思い思いに身を投げ出し休息をとっていた。尤も、その表情は一様に暗い。深く沈んだ表情で顔を俯かせる者ばかりだ。満身創痍であるが故に、苦痛に表情を歪めている者も多い。

 

 いつもならそのカリスマを以て皆を鼓舞する光輝も、"限界突破"の副作用により全身を酷い倦怠感に襲われており、壁に背を預けたまま口を真一文字に結んで黙り込んでいる。

 

 そしてこういう時、いい意味で空気を読まず場を盛り上げてくれるクラス一のムードメーカーは、血の気の引いた青白い顔でやはり苦痛に眉根を寄せながら荒い息を吐いて眠ったままだった。その事実も、光輝達が顔を俯かせる理由の一つだろう。

 

 鈴の下半身は膝から下がまだ石化しており、香織が継続して治療に当たっていた。

 

 太腿の貫通痕は既に完治している。後は石化を解除するだけだ。しかし運悪く、鈴が受けた触手の攻撃は彼女の体から大量の血を失わせた。恐らく重要な血管を損傷したのだろう、香織だからこそ治療が間に合ったと言える。

 

 尤も、いくら香織でも鈴が失った大量の血を直ぐ様補充する事は出来ない。精々、異世界製増血薬を飲ませるくらいが限界だ。なので、鈴の体調が直ぐに戻るという事は無いだろう。どうしても安静が必要だった。

 

 香織が鈴にかかりきりになっているため、他の者はまだ治療を受けていない。当然、オブジェの如く置かれている斎藤と近藤の石化した彫像もそのままだ。

 鈴の治療が終わっても次は彼等の番なので、自分達が治療を受けられるのはまだ先であると分かっているメンバーは極一部を除いて特に文句を言う素振りはない。単にその気力もないだけかもしれないが。

 

 

 薄暗い即席の空間に漂う重苦しい空気に、何とか仲間を鼓舞しなければと雫が眉間に皺を寄せながら頭を捻る。

 元来、雫はどちらかと言えば寡黙な方なので、鈴の様に場を和ませるのは苦手だ。

 しかし光輝が"限界突破"と敗戦の影響で弱体化して使い物にならない以上、自分が何とかしなければならないだろうと生来の面倒見の良さから考えているのだ。実に苦労人思考である。

 

 尤も雫自身、肉体的にも精神的にも限界が近い事に変わりない。

 

 その為段々頭を捻るのも面倒になってきた雫が、もういっその事空気を読まずに玉砕覚悟の一発ギャグでもかましてやろうかとちょっと壊れ気味な事を考えていると、即席通路の奥から野村と辻が話をしながら現れた。

 

 

「ふぅ、何とか上手くカモフラージュ出来たと思う。流石にあんな繊細な魔法行使なんてした事無いから疲れたよ。……もう限界」

「壁を違和感なく変形させるなんて領分違いだものね。……一から魔法陣を構築してやったんだから無理もないよ。お疲れ様」

「そっちこそ、石化を完全に解くのは骨が折れたろ? お疲れ様」

 

 二人の会話から分かる様に、この空間を作成し入口を周囲の壁と比べて違和感が無い様にカモフラージュしたのは野村だった。

 

 

 "土術師"は土系統の魔術に対して高い適性を持つが、土属性の魔術は基本的に地面を直接操る魔術であり、"錬成"の様に加工や造形の様な繊細な作業は出来ない。例えば地面を爆ぜさせたり、地中の岩を飛ばしたり。土を集束させて槍状の棘にして飛ばしたり、砂塵を操ったり。上級になれば石化やゴーレム(自立性の無い完全な人形)を扱える様になるが、様々な鉱物を分離したり掛け合わせたりして物を作り出す様な事は出来ないのだ。

 

 なので、手持ちの魔法陣で大雑把に壁に穴を開ける事は出来るが、周囲と比べて違和感のない壁を"造形"する事は完全に領分外であり、野村は一から魔法陣を構築しなければならなかったのである。

 

 尚、辻が野村について行ったのは、野村の石化したままだった腕を治療する為だ。

 

「お疲れ様、野村君。これで少しは時間が稼げそうね」

「……だといいんだけど。もう、ここまで来たら回復するまで見つからない事を祈るしかないな。浩介の方は……あっちも祈るしかないか」

「……浩介なら大丈夫だ。影の薄さでは誰にも負けない」

「いや、重吾。それ、聞いてるだけで悲しくなるから口にしてやるなよ……」

 

 隠れ家の安全性が増したという話に、沈んだ空気が僅かに和らいだ気がして、とんだ黒歴史を作りそうになった雫は頬を綻ばせて野村を労った。

 それに対して野村は苦笑いしながら、今はここにいないもう一人の親友の健闘を祈って遠い目をする。

 

 

 

 そう。今この場所には、遠藤がいないのである。

 

 

 

 遠藤はたった一人、仲間の下を離れてメルド団長達に事の次第を伝えに行ったのだ。

 

 本来なら、いくら異世界から召喚されたチートの一人でも、八十台の階層を単独で走破するなど自殺行為だ。光輝達が少し余裕をもって攻略できたのも、十五人という仲間と連携して来たからである。

 

 

 しかしただ一人。遠藤だけは、裏技とも言うべき彼にしか出来ない方法で走破出来る可能性があった。

 

 

 そう。特に口下手な訳でも暗い訳でもなく、誰とでも気さくに話せるごく普通の男子高校生なのに、いつの間にか誰もがその姿を見失い、「あれ? アイツどこいった?」と周囲を意識して見渡すと、実はすぐ横にいて驚かせるという、本人が全く意図しない神出鬼没スキルを地球にいた頃から発揮していた遠藤なら、「影の薄さでは世界一ぃ!」と胸を張れそうなあの男なら、"隠形"技能をフル活用して、魔物達に見つからずメルド団長達のいる七十階層に辿り着ける可能性があったのだ。

 

 しかも、この世界で技能や魔術に目覚めてから、遠藤の影の薄さには磨きがかかっている。現在の才能の上に鍛え上げられた影の薄さなら、大迷宮の魔物だって「あれ? 今誰か通ったっけ?」と見逃す筈。そう考えて、光輝達は遠藤を送り出したのである。

 

 別れる時、遠藤は少し涙目だったが……。

 

 きっと、仲間を置いて一人撤退する事に忸怩たるものがあったに違いない。例え説得の言葉として「お前の影の薄さなら鋭敏な感覚を持つ魔物だって気づかない!」とか、「影の薄さで誰がお前に勝てるんだ!」とか、「私なんてこの前、遠藤君の名前だって直ぐに出てこなかったんだよ! 絶対に大丈夫!」とか、「俺なんか、昨日もお前の事忘れてたぜ!」等と仲間から口々に言われたからではない筈だ。

 

 本当なら、光輝達も直ぐにもっと浅い階層まで撤退したかったのだが、如何せんそれを為すだけの余力が無かった。満身創痍のメンバーに、戦闘不能が三人、弱体化中の光輝……とても八十台の階層を突破出来るとは思えなかったのだ。

 

 勿論、メルド団長達が救援に来られるとは思っていない。

 メルド団長を含め七十層で拠点を築ける実力を持つのは六人。彼等を中心にして、次ぐ実力をもつ騎士団員やギルドの高ランク冒険者達の助力を得て、安全マージンを考えないという条件付きなら七十台階層の後半位迄は来れるだろうが、それ以上は無理だ。仮にそこまで来てくれたとしても、八十台階層は光輝達が自力で突破しなければならない。

 

 つまり、遠藤を一人行かせたのは救援を呼ぶ為では無く、自分達の現状と魔人族が率いる魔物の情報を伝える為なのだ。

 

 

 光輝達は確かに聖教教会の教皇イシュタル等から魔人族が魔物を多数、それも洗脳など既存の方法では無く明確な意志を持たせて使役するという話を聞いていたが、あれ程強力な魔物とは聞いていなかった。驚異なのは個体の強さではなく"数"だった筈なのだ。

 

 

 にも拘らず、実際魔人族が率いていたのは前人未到の【オルクス大迷宮】九十階層レベルの魔物を苦もなく一掃し、光輝達チート持ちを圧倒出来る魔物達だった。そんな事が抑々可能なら、もっと早く人間族は滅ぼされていてもおかしくない。

 

 つまりイシュタルの情報は、あの時点では間違っていなかったのであり、結論としては魔人族の率いる魔物は、"強力になっている"という事だ。

 

 "数"に加えて個体の"強さ"も脅威となった。この情報は、何が何でも確実に伝えなければならないと光輝達は判断したのである。

 

 

「白崎さん、近藤君と斉藤君の石化解除は任せるね。私じゃあ時間がかかりすぎるから。代わりに他の皆の治癒は私がするからさ」

「うん、わかった。無理しないでね、辻さん」

「平気平気。というかそれはこっちのセリフだって……ごめんね。私がもっと出来れば、白崎さんの負担も減らせるのに……」

 

 野村達が話している傍らで、魔力回復薬をゴクゴクと喉を鳴らしながら服用する辻が鈴の治療を続ける香織にそんな事を言った。

 同じ"治癒師"でありながら、香織と比べると大きく技量の劣る辻は、表面上は何でもない様に装っているが、内心では自分への情けなさと香織にばかり負担をかける事への申し訳無さでいっぱいだった。

 

 「そんな事はない」と首を振る香織に苦笑いを返しながら、仲間の治療に向かう辻。彼女の治療により癒されていく仲間達の顔からは少しだけ暗さが消えた。

 そんな辻を、何とも言えない表情で見つめている野村だったが、治療の邪魔になるかと思い声はかけなかった。

「……こんな状況だ、伝えたい事があるなら伝えておけ」

「……うっせぇよ」

 

 永山がどこか面白がる様な表情で野村にそんな事をいうが、本人は不貞腐れた様に顔を背けるだけだった。

 それから数十時間。光輝達は、交代で仮眠を取りながら少しずつ体と心を癒していった。

 

 

 

 一方、一人撤退と魔人族の情報伝達を託された遠藤は、ただの一度も戦闘をせず全ての魔物をやり過ごしながらメルド団長達のいる七十階層を目指して着実に歩みを進めていた。

 八十台階層で魔物に気づかれれば、一対一ならどうにかなるが複数体ならアウトだ。その為できる限り急ぎつつ、それでも細心の注意を払って進んでいた。そのお陰で、今も魔物が眼前を通り過ぎていくのを見送る事が出来た。

 

 魔物が完全に見えなくなった後、遠藤は張り付いていた天井からスタッと地に降り立った。"隠形"を最大限に生かす為の全身黒装束姿は、正に"暗殺者"だ。

 

 きっと先程眼前を通り過ぎた魔物も、天井から奇襲をかければ気づかせる事無く相当深いダメージを与えられただろう。内心、「……少しくらい、気配を感じてくれてもいいんだよ?」とか思っていない。全く気付かずに通り過ぎた魔物を見て、目の端に光るものが溢れたりもしていない。断じて。

 

「急がないと……」

 

 遠藤は、自分が課せられた役割を理解している。そして光輝達が、情報の伝達以外にもそのまま生き延びろという意味合いを含めて送り出してくれた事も察していた。永山と野村の「戻ってくるなよ」という想いは、言葉に出さずとも伝わっていたのだ。

 

 だがそれでも。役目を果たした後、遠藤は光輝達の下に戻るつもりだった。何と言われようと、このまま自分だけ安全圏に逃げて、のうのうとしている事など出来なかったのだ。

 

 

 遠藤は自分に気が付かない魔物に若干虚しさを覚えながらも、今はそれが最大の武器になっているのだと自分に言い聞かせつつ、頭に叩き込んである帰還ルートを辿って遂に七十階層に辿り着いた。

 逸る気持ちを抑えながら、メルド団長達が拠点を構える転移陣のある部屋に向かう。暫くすると、遠藤の気配感知に六人分の気配が感知された。間違いなくメルド団長達だ。"隠形"を解いたので、距離的に向こうも気づいた筈である。

 

 遠藤は最後の角を曲がり、メルド達のいる転移部屋に出た。しかし、既に完全に姿を見せているのにメルド達は特に気が付く気配が無い。

 遠藤は死んだ魚みたいな目をしながらメルドに近づき、声を張り上げた。仲間の危機に焦る気持ちと、「自分に気付いてプリーズ」という想いを込めて。

 

「団長! 俺です! 気づいてください! 大変なんです!」

「うおっ!? 何だ!? 敵襲かっ!?」

 

 遠藤が声を張り上げた瞬間、メルドがそんな事を言いながら剣を抜いて飛び退り、警戒心たっぷりに周囲を見渡した。他の騎士達も、一様にビクッと体を震わせて戦闘態勢に入っている。

 

「だから俺ですって! マジそういうの勘弁して下さい!」

「えっ? ……って、浩介じゃないか。驚かせるなよ。ていうか他の連中はどうした? それに、何かお前ボロボロじゃないか?」

「ですから、大変なんです!」

 

 メルド団長達は相手が遠藤だと分かると、彼の影の薄さは知っていたのでフッと肩の力を抜いた。

 しかし戻ってくるには少々予定より早い事と、遠藤が一人である事、そして、その遠藤が満身創痍と言ってもいい位ボロボロである事から、直ぐ様何かがあったと察して険しい表情になった。

 遠藤は、王国最精鋭の騎士達にすら声をかけないとやっぱり気付かれないという事実に地味に傷つきながら、そんな場合ではないと思い直し、事の次第を早口で語り始めた。

 

 最初は訝しげな表情をしていたメルド達だったが、遠藤の話が進むにつれて表情が険しさを増していく。

そしてたった一人逃がされた事に、話しながら次第に心を締め付けられたのか、涙を零す遠藤の頭をグシャグシャと撫で回した。

「泣くな、浩介。お前はお前にしか出来ない事をやり遂げんたんだ。他の誰がそんな短時間で一度も戦わずに二十層も走破できる? お前はよくやった、よく伝えてくれた」

「団長……俺、俺はこのまま戻ります。アイツらは自力で戻るって言ってたけど……今度は負けないって言ってたけど……。天之河が"限界突破"を使っても倒しきれなかったんだ、逃げるので精一杯だったんだ。皆かなり消耗してるし、傷が治っても……今度襲われたら……、あのクソったれな魔物だってあれで全部かは分からないし……だから、先に地上に戻って、この事を伝えて下さい」

 

 泣いた事を恥じる様に袖で目元をぐしぐしと擦ると、遠藤は決然とした表情でメルドに告げた。

 メルドは悔しそうに唇を噛むと、自分の持つ最高級の回復薬全てを、それの入った道具袋ごと遠藤に手渡した。他の団員達もメルドと同じく、悔しそうに表情を歪めて自らの道具袋を遠藤に託した。

「すまないな、浩介。一緒に助けに行きたいのは山々だが……私達じゃあ、足手纏いにしかならない……」

「あ、いや、気にしないで下さいよ。大分薬系も少なくなってるだろうし、これだけでも助かります」

 そう言って、回復薬の類が入った道具袋を振りながら苦笑いする遠藤だったが、メルドの表情は、寧ろ険しさを増した。それは、助けに行けない悔しさだけでなく、苦渋の滲む表情だった。

 

「……浩介。私は今から、最低な事を言う。軽蔑してくれて構わないし、それが当然だ。だが、どうか聞いて欲しい」

「えっ? いきなり何を……」

「……何があっても、"光輝"だけは連れ帰ってくれ」

 

「え?」

 

 メルドの言葉に、遠藤がキョトンとした表情をする。

「浩介。今のお前達ですら窮地に追い込まれる程魔物が強力になっているというのなら…光輝を失った人間族に未来はない。勿論、お前達全員が切り抜けて再会できると信じているし、そうあって欲しい……だが。それでも私は、ハイリヒ王国騎士団団長として言わねばならない。万一の時は、"光輝"を生かしてくれ」

「……」

 

 漸く、メルドの意図を察した遠藤が唖然とした表情をする。

 それは、より重要な誰かを生かす為の犠牲の発想。上に立つ者がやらなければならない"選択"だ。遠藤に出来る考え方では無かった。それ故に、遠藤の表情は酷く暗いものになっていく。

「……俺達は、天之河のおまけですか?」

「断じて違う。私とて、全員に生き残って欲しいと思っているのは本当だ。……いや、こんな言葉に力は無いな。浩介、せめて今の言葉を雫と龍太郎には伝えて欲しい」

「……」

 遠藤は、メルドの言葉に暗く澱んだ気持ちになった。

 

 

 メルドと遠藤達が過ごした時間は長く濃密だ。右も左も分からない頃から常に傍らにいて、ずっと共に戦ってきたのだ。特に、前線に出ている生徒達からすればメルドは兄貴的な存在で、この世界の者では誰よりも信頼している人物だった。

 

 だからこそ遠藤は、自分を切り捨てる様な事を言うメルドに裏切られた様な気持ちになったのだ。

 それでも、頭の片隅ではメルドの言う事が必要な事だと理解もしており、衝動のまま罵る事は出来なかった。遠藤は、暗い表情のままコクリと頷くだけで踵を返した。

 が、その瞬間……

 

「浩介ッ!」

「えっ!?」

 

 メルドが突然浩介を弾き飛ばすと、ギャリィイイ!! という金属同士が擦れ合う様な音を響かせて、円を描く様にその手に持つ剣を振るった。そして、そのままくるりと一回転すると遠心力をたっぷり乗せた見事な回し蹴りを揺らめく空間(・・・・・・)に放った。

 

 ドガッ!

 

 そんな肉を打つ様な音を響かせて、揺らめく空間は後方へと吹き飛ばされる。そして五メートル程先で、地面に無数の爪痕が刻み込まれた。爪を立てて減速したのだろう。

 それを見て、地面に尻餅を付いていた遠藤は顔を蒼褪めさせて呟く。

 

「そ、そんなっ! もう追いついて……」

 

 その言葉がまるで合図となったかの様に、ゾロゾロと遠藤達を追い詰めた魔物達が現れた。

 

 

 遠藤は予想外に早く追いつかれた事に動揺して、尻餅を付いたままだ。

 ここに来るまでの間、"暗殺者"の技能を使って気配や臭い、魔力残滓等の痕跡を消しながら移動してきた。女魔人族が光輝達を探しながら移動する以上、一直線に駆け抜けた遠藤にこんなに早く追いつく筈が無かったのだ。

 そんな遠藤の疑問は、続いて現れた悪夢の様な女によって解消される事になった。

 

「チッ。一人だけか……逃げるなら転移陣のあるこの部屋まで来るかと思ったんだけど……様子から見て、どこかに隠れた様だね」

 

 髪を苛立たしげに掻き上げながら、四つ目狼の背に乗って現れた女魔人族に、メルド達が臨戦態勢になる。

 

 

 彼女の言葉からすると、どうやら光輝達が一目散に転移陣へと逃げ込むと考えて、捜索せずに一直線にやって来たらしい。予想が外れて光輝達を探さねばならない事に苛立っている様だ。

 

 それは同時に、光輝達がまだ無事であるという事でもある。遠藤もメルド達も僅かではあるがホッとした様に頬を緩めた。それに目敏く気が付いた女魔人族が、鼻を鳴らして嗤う。

「まぁ、本来の任務もあるし……さっさとアンタ等始末して探し出すかね」

 

 直後、一斉に魔物が飛び出した。

 

 キメラが空間を揺らめかせながら突進し、黒猫が疾風となって距離を詰める。ブルタール擬きがメイスを振りかぶりながら迫り、四つ目狼が後方より隙を覗う。

「円陣を組め! 転移陣を死守する! 浩介ッ! いつまで無様を晒している気だ! さっさと立ち上がって……逃げろ! 地上へ!」

「えっ!?」

 

 流石王国の最精鋭と思わず称賛したくなる程迅速な陣組みと連携で、襲い来る魔物の攻撃を凌ぐメルド団長達。事前に遠藤から魔物の話を聞いていた事から、自分達では攻撃力不足だと割り切り、徹底的に防御と受け流しを行っている。

 

 遠藤はメルドの「地上へ逃げろ」という言葉に、思わず疑問の声を上げた。

 

 逃げるなら一緒に逃げればいいし、どうせこの場を離脱するなら地上ではなく光輝達の下へ戻って団長の言葉を伝える役目があると思ったからだ。

 

 

「ボサっとするな! 魔人族の事を地上に伝えろ!」

「で、でも、団長達は……」

「我らは……ここを死地とする! 浩介! 向こう側で転移陣を壊せ! なるべく時間は稼いでやる!」

「そ、そんな……」

 

 メルドの考えは明確だ。

 地上へ逃げるにしても、誰かが僅かでも時間を稼がねば直ぐに魔物達も転移してしまうだろう。そうなれば、追っ手を撒く方法が無くなってしまい、追いつかれて殺される可能性が高い。

 

 故に、一人を逃がして残り全員で時間稼ぎをするのがベストなのだ。

 時間を稼げれば、対となる三十層の転移陣を一部破壊する事で、完全に追っ手を撒ける。転移陣は直接地面に掘り込んであるタイプなので、"錬成"で簡単に修復できる。逃げ切って地上の駐屯部隊に事の顛末を伝えた後、再び光輝達が使える様に修復すればいい、という訳だ。

 

 そして、その逃げる一人に選ばれたのが遠藤なのだ。

 

 遠藤は先程、光輝以外の自分達を切り捨てる様な発言をしたメルドが、今度は自分達を犠牲にして遠藤一人を逃がそうとしている事に戸惑い、それ故に行動を起こせずにいた。

 そんな遠藤に、激しい戦闘を繰り広げるメルドの心根と願いが、雄叫びとなって届けられる。

「無力ですまない! 助けてやれなくてすまない! 選ぶ事しか出来なくてすまない! 浩介、不甲斐ない私だが最後の願いだ! 聞いてくれ!」

 戸惑う遠藤に、兄貴の様に慕った男から最後だという願いが届く。

 

 

「生きろぉ!」

 

 

 

 その言葉に、遠藤は理解する。

 

 メルドが本当は、遠藤達の誰にも死んで欲しくないと思っている事を。誰かを犠牲にして誰かを生かすなら、自分達が犠牲となり光輝に限らず生徒達全員を生かしたいと思っていた事を。自分に告げた"選択"が、どれだけ苦渋に満ちたものだったかを。

 

 遠藤はグッと唇を噛むと、全力で踵を返し転移陣へと向かった。ここでメルド団長の思いと覚悟に応えられなければ、男ではないと思ったからだ。

 

 

「させないよ!」

 

 女魔人族が、黒猫を差し向けつつ自らも魔術を放った。黒猫が背中の触手を弾丸の様に豪速で射出し、更に石の槍が殺意の風に乗って空を疾駆する。

 遠藤はどうにか触手をダガーで切り払い身を捻りながら躱すが、続く石の槍までは躱しきれそうになかった。予め触手の位置を計算した様に絶妙なタイミングと方向から連続して飛来したからだ。

 遠藤は歯を食いしばって衝撃に備えた。例え攻撃を食らっても、走り続けてそのまま転移陣に飛び込んでやるという気概をもって。

 

 だが、予想した衝撃はやって来なかった。騎士団員の一人が円陣から飛び出し、その身を盾にして遠藤を庇ったからだ。

 

「ア、アランさん!」

「ぐふっ……いいから気にせず行け!」

 腹部に石の槍を突き刺したまま、剣を振るって襲い来る魔物の攻撃を逸していくアランと呼ばれた騎士は、ニッと実に男臭い笑みを浮かべて遠藤にそう言った。遠藤は噛み切る程唇を強く噛み締めて、転移陣へと駆ける。

「チッ! 雑魚のくせに粘る! お前達、あの少年を集中して狙え!」

 女魔人族が少し焦った様に改めてそう命じるが……既に遅かった。

「ハッ、私達の勝ちだ! ハイリヒ王国の騎士を舐めるな!」

 メルドが不敵な笑みを浮かべながらそう叫ぶと同時に、遠藤が転移陣を起動しその姿を消した。

 

 女魔人族はメルドの言葉を無視して、魔物を突っ込ませる。魔物は直接魔力を操れるので、面倒な起動詠唱をする事も無く転移陣を起動出来、それ故今ならまだ間に合うと考えたからだ。しかし……

 

「舐めるなと言っている!」

 

 メルド達が光輝達には無い巧みな技と連携、そして経験から来る動きで魔物達を妨害する。多勢に無勢でありながら、その防御能力と粘り強さは賞賛に値するものだった。

 

 尤も、メルド団長達がいくら死力を尽くしたところで相対する魔物の数と強さは異常の極み。そう長く保つ訳も無く、まず腹を石の槍で貫かれていた騎士アランが遂に力尽きて、魔物の攻撃に踏ん張りきれずバランスを崩し膝を突いた。その綻びから、キメラの一体が防衛線を突破し転移陣に到達する。

 キメラが消えるのと、魔法陣が輝きを失うのは同時だった。

 

「くっ、一体送られてしまったか……浩介……死ぬなよ」

 

 メルド団長の呟きは魔物の咆哮にかき消された。遠藤を逃した事の腹いせに女魔人族がメルド団長達に魔物達を一斉に差し向けたからだ。

「フッ、ここを死地と定めたのなら最後まで暴れるだけだ。お前達、ハイリヒ王国騎士団の意地を見せてやれ!」

 

「「「「「応!」」」」」

 

 メルド団長の号令に、部下の騎士達が威勢のいい雄叫びを以て応える。その雄叫びに込められた気迫は、一瞬とはいえ周囲の魔物達を怯ませる程のものだった。

 

 

 

 ……その十分後

 

 

 転移陣のある七十層の部屋に再び静寂が戻った。

 

 

 

「うわぁあああーっ!!」

 

 そんな悲鳴とも雄叫びとも付かない叫び声を上げながら、【オルクス大迷宮】三十階層の転移陣から飛び出した遠藤は、直ぐ様ダガーを振りかぶり足元の魔法陣の破壊を試みた。

 

「な、何だ!? ってお前! 何をする気だ!」

「やめろ!」

「取り押さえろ!」

 

 転移陣から現れた黒装束の少年が、いきなり雄叫びを上げながら手に持つ短剣で魔法陣を傷付け始めた事に一瞬呆然とするも、周囲の騎士団の正装をした者達が怒号を上げながら遠藤に飛びかかりその破壊活動を妨害する。

 彼等はメルド団長の部下で、三十階層側の転移陣を保護する役目を負った者達だ。実力不足で、三十階層での警備が限界な者達でもある。

 

 一撃で魔法陣を破壊出来なかった遠藤が二撃、三撃と加えあと一歩で陣の一部を破壊出来るというところで、辛くも魔法陣破壊を阻止する事が出来た。……出来てしまった。

 

「放せ! 早く壊さないと奴等が! 放せ!」

「なっ、君は勇者一行の!? 何故、君が……」

 狂乱とも言える行為を行った人物がよく見知った勇者の仲間の一人と分かり、驚愕の声を漏らしながら思わず手を緩める団員達。その隙に再度ダガーを振りかぶって魔法陣の一部を破壊しようと遠藤だったが、一歩遅かった。

 魔法陣が再び輝き起動する。そして次の瞬間には、遠藤達に揺らめく空間が襲いかかった。

 

「くそっ! アンタ達下がれっ!」

 

「何が!? ぐぅあああ!!」

 遠藤は咄嗟に警告を飛ばしながらその場を飛び退り、辛くもキメラの一撃を回避した。だが、事態が飲み込めない団員の一人は回避など出来る筈も無く、無防備なままキメラの爪の一撃を受け、鎧ごとその胴体を深々と切り裂かれてしまった。

 

 いきなり血飛沫を上げて絶命した同僚に、動揺を露わにする団員達。そんな彼等に、遠藤は必死さと焦燥の滲む声音で叫んだ。

 

 

「敵だ! 揺らぐ空間に気をつけろ! 魔法陣を破壊しないとどんどん出てくるぞ!」

 

 

 その絶叫とも言うべき遠藤の声に、団員達がハッと我を取り戻す。が、その時には更に一人が切り裂かれながら吹き飛ばされた。

 

 三十階層の転移陣の警備をしている団員は全部で七名。その内、既に二人も殺られてしまった。

 遠藤はその事実に歯噛みしながら、"暗殺者"の技能"影舞"を利用して天井に駆け上がり、頭上から魔法陣の破壊を狙う。しかし、それに気が付いたキメラが跳躍して迎撃しようとした。

 

「くそっ、何なんだこの魔物!?」

 団員達は訳が分からないなりに、今やらねばならない事を察して遠藤に襲いかかるキメラに飛びかかった。

 しかし彼等には、キメラが揺らぐ空間にしか見えておらず、当然どの様な攻撃方法を持っているのか、警戒すべきものは何なのか何も分かっていない。

 その為、キメラの背後から飛びかかった者は蛇の尾に首を噛み切られ、真横から挑んだ者は翼によって強かに打ち据えられて地面に叩きつけられた。

 

 それでも全く無駄だった訳ではなく、キメラが若干バランスを崩した為に遠藤は危ういところでその爪牙を躱す事が出来た。完全に回避は出来なくて肩と脇腹を抉られたが、交差する様に蛇尾を切り裂いて地面に落下する。

 キメラが翼をはためかせてバランスを取り戻し少し離れた地面に着地するのと、遠藤が肩から地面に叩きつけられつつも直ぐに起き上がり先に傷つけた転移陣に向かってダガーを振りかぶるのは同時だった。

 キメラが着地の反動を利用して、凄まじい速度で遠藤の息の根を止めようと駆け出す。

 

 

 だがその時には既に、遠藤のダガーが渾身の力をもって魔法陣に突き刺さった。パァン! と、そんな柏手の様な澄んだ音が響き渡る。それは、魔法陣が破壊された証拠だ。魔法陣の転移の際に使われた魔力残滓が霧散したのだ。

 

 

「これでっ……、がぁ、あぁあああああ!!!??」

 

 転移陣の破壊に成功し、これ以上の追っ手はないと思わず安堵の吐息を漏らす遠藤だったが、次の瞬間には右腕にキメラの牙が喰い込み、その激痛に絶叫を上げた。強靭な顎がそのまま遠藤の右腕を噛み千切ろうとする。

 

「させるかっ!」

「彼から引き離せ!」

 

 それを、駆けつけた騎士達が突進力をそのままに渾身の一撃を打ち込む事で阻止する。横腹を何らかの強化を掛けられた短槍で貫かれ、思わず顎の力が緩むキメラ。

 その瞬間に遠藤は右腕を引き抜き、左の袖に隠してあった投擲用ナイフを滑らせる様に取り出して、返り血で姿を露わにしたキメラの眼に突き刺した。

 痛みに暴れるキメラが、止めを刺そうと接近した騎士達を更に二人切り裂いて絶命させる。遠藤は投擲用ナイフを投げつけるが、キメラは片目を失いながらも野生の勘で回避した。

 

 その直後、いきなり騎士の一人が悲鳴を上げる。

 

 思わずそちらに顔を向けると、先程地面に叩き落とされた騎士の首に切断されて尚生きていた蛇が噛み付いている光景が目に入った。騎士は噛まれた部分の皮膚を紫に変色させると苦しそうに身悶え、瞬く間に絶命した。

「畜生っ!」

 それを見て、最後の騎士が蛇を殺そうと駆け出すが、それは致命的なミスだった。キメラは自分に背を向けた敵に気がついた様で、直ぐ様襲いかかった。遠藤は満身創痍になりながら、それでも最後の力を振り絞って今正に騎士に襲いかかろうとしているキメラの首目掛けて必殺の一撃を放つ。

「死ねぇええええ!!」

 

 仲間と引き離された事、メルド達を置き去りさせられた事、知り合いの団員達を殺された事、その他にも様々な怨嗟を込めた雄叫びと共に放たれた致命の一撃は、十全にその力を発揮してキメラの首を項から切り裂き一瞬で絶命させた。

 

 慣性の法則に従い、絶命したキメラと横合いから飛びかかった遠藤はクロスしながら互いに通り過ぎ、地面に体を強かに叩きつけながらゴロゴロと転がった。肩や右腕、脇腹の痛みに耐えながら、左腕だけで上体を持ち上げた遠藤はキメラの死を確認しようと目を凝らす。

 

 "迷彩"の解けたキメラは、首を半ばまで切り裂かれた状態で静かに横たわり完全に絶命している様だった。だが遠藤の表情は、喜びどころか寧ろ泣きそうな程弱々しく、「畜生……っ」とやりきれない思いを口から漏らしていた。

 

 

 その視線の先には、飛び出していった最後の騎士の姿が映っている。

 

 

 彼はうつ伏せに倒れていた。右手に剣を握ったまま、顔を紫色に染めて。彼の傍らには真横に裂かれた蛇の姿。恐らくキメラに襲われる寸前に飛びかかってきた蛇を切り裂き、体内に含まれていた毒素を顔に浴びてしまったのだろう。

 

 結局、三十層の警備をしていた騎士達は全滅してしまった。一人も助けられなかった事に、遠藤は何度も「畜生っ!!」と叫びながら涙を流す。

 

 暫くそうしていた遠藤だが、このままでは出血多量で死んでしまうとメルド達から貰った道具袋から、最高級の傷薬と回復薬を取り出し服用する。そして応急セットで傷の手当をすると、無言のまま騎士達の骸を運び転移陣のある部屋の片隅に並べた。

 少しの間、遠藤は彼等の姿を見つめると、徐に踵を返し、地上に向けて歩き出した。その顔は幽鬼の様に青白く、目は虚ろで覇気がなかった。

 

 

 ──また、自分だけ生かされた。

 

 

 その思いが、遠藤の心を重く冷たい鎖で締め付ける。今はただ、託された役割だけを支えに機械的に体を動かし、只管地上を目指すのだった。

 

 

 




二十話なぁ……変更点は楽な筈なのになぁ……何故か全然進まないんだよなぁ。

気晴らしで書いてるオーマジオウ無双系の話も詰まったんだよなぁ。


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第十六話 再臨

ソウゴ視点の大まかな戦力評価(現時点)



光輝…屑ヤミーに毛が生えた程度。

その他召喚組…それ未満。


ユエ…バットオルフェノクより少し下。

シア…グロンギのメ集団の中位。

ティオ…ガルド系ミラーモンスターの強個体。




「ヒャッハー! ですぅ!」

 

 

 左手側の【ライセン大峡谷】と右手側の雄大な草原に挟まれながら、ライドストライカーとトライドロンが太陽を背に西へと疾走する。

 

 街道の砂埃を巻き上げながらそれでも道に沿って進むトライドロンと異なり、ストライカーの方は峡谷側の荒地や草原を行ったり来たりしながらご機嫌な様子で爆走していた。

 

「シアめ、えらくご機嫌だな。辺境の破落戸(ごろつき)共の様な雄叫びなぞ上げよって」

「……むぅ。ちょっとやってみたいかも」

 トライドロンの運転席でハンドルを握るソウゴが、呆れた様な表情で呟いた。

 

 

 ソウゴの言葉通り、今シアはトライドロンの方には乗っていない。一人でストライカーを運転しているのである。

 

 元々シアは、ストライカーの風を切って走る感じがとても気に入っていたのだが、最近人数が多くなり、すっかりトライドロンでの移動が主流になっていた為少々不満に思っていたのだ。

 窓から顔を出して風を感じる事は出来るが、やはり何とも物足りないし、トライドロンの車内ではソウゴの隣はユエの指定席なので、ストライカーの時の様にソウゴにくっつく事も出来ない。それならば、運転の仕方を教わり自分でストライカーを走らせてみたいとソウゴに懇願したのである。

 

 それでソウゴから与えられたのが、今乗っている量産型ライドストライカーである。元々特別な技術や操作が必要ではない為シアにとっては大して難しいものでもなく、あっという間に乗りこなしてしまった。そして、その魅力に取り憑かれたのである。

 今も奇声を発しながら右に左にと走り回り、ドリフトしてみたりウィリーしてみたり、その他ジャックナイフやバックライドなどプロのエクストリームバイクスタント顔負けの技を披露している。

 

 シアのウサミミが「ヘイヘイ、どうだい私のテクは?」とでも言う様にちょっと生意気な感じで時折ソウゴの方を向くのが、微笑ましいが地味にイラっとくる。偶に乗り物に乗ると性格が豹変する人種がいるが、シアもその類なのかもしれない。

 

 

 ソウゴの傍らで同じ様にシアの様子を見ていたユエが、ちょっと自分もやりたそうにしている。ユエにもストライカーを渡しておくか……とぼんやり考えるソウゴ。

 

 そんなソウゴに、ユエの更に隣で窓から顔を出して気持ちよさそうにしていた三、四歳くらいの幼女──ミュウがいそいそとユエの膝の上に攀じ登ると、そのまま大きな瞳をキラキラさせた。そしてハンドルを握りながら逆立ちし始めたシアを指差し、ソウゴにおねだりを始める。

 

「パパ! パパ! ミュウもあれやりたいの!」

「ミュウよ。やりたいという気持ちは大事だが、あれを真似してはいかんぞ」

 

 ミュウがユエの膝の上に座りながら、やんわり自分のお願いを否定して頭を撫でるソウゴに「やーなの! ミュウもやるの!」と全力で駄々をこねる。暴れるミュウが座席から転げ落ちない様、ユエが後ろから抱きしめて「……暴れちゃメッ!」と叱りつけた。「うぅ~」と可愛らしい唸り声を上げながらしょぼくれるミュウに、ソウゴは「そう落胆するな」と微笑みかける。

「後で私が乗せてやるから、それまでは我慢だ」

「……いいの?」

「ああ。シアと乗るのは絶対に駄目だぞ?」

「シアお姉ちゃんはダメなの?」

「駄目だ。いいか? 特に理由も無く妙なポーズで曲技運転する奴は危ないからな」

 

 ストライカーのハンドルの上に立ち、右手の五指を広げた状態で顔を隠しながら左手を下げ僅かに肩を上げるという奇妙なポーズでアメリカンな笑い声を上げるシア。

 

 そんなどこで知ったのか昔の旅仲間と同じ様な香ばしいポーズをとる彼女にジト目を向けながら、ソウゴはミュウに釘を刺す。見てないところでシアに乗せてもらったりするなよ? と。

「取り敢えず安全性を考慮してサイドバッシャーにするか……整備してあったか? 確か最後に乗ったのは……」

「ユエお姉ちゃん。パパがブツブツ言ってるの。変なの」

「……ソウゴパパは、ミュウが心配……意外に過保護」

「フフ、ご主人様は意外に子煩悩なのかの? ムフフ……」

 膝の上から自分を見上げてくるミュウの頭をいい子いい子しながら、ユエがミュウの話し相手を務める。

 

 ユエは、ミュウがソウゴにべったりなので中々二人っきりでイチャつく機会が持てず、若干欲求不満気味だったが、やはり懐いてくれるミュウが可愛いので仕方ないかと割り切っている。

 

 座席の後ろで、何やら妄想に熱が入り始めたのかハァハァという息遣いが煩くなってきたティオに魔術を撃ち込んで黙らせつつ、ユエは教育に悪いのでミュウの耳を塞ぐ。そして、「車内で撃つな、散らかるだろう」とソウゴに脳天へチョップを落とされつつ、遂にストライカーに乗る事すら無く、走らせたストライカーの後部に捕まって地面を直接滑り始めたシアを見ながら「私がしっかりしなきゃ!」とちょっと虚しい決意をするのだった。

 

 

 そのままトライドロンとストライカーが街道を並走しつつ少し、ソウゴ達は【宿場町ホルアド】に到着した。

 

 本来なら素通りしてもよかったのだが、【フューレン】のイルワから頼まれ事をされたので、それを果たす為に寄り道したのだ。と言っても、元々【グリューエン大砂漠】へ行く途中で通る事になるので大した手間ではない。

 

 ソウゴは懐かしげに目を細めて、【ホルアド】のギルドを目指して町のメインストリートを歩いた。ソウゴに肩車してもらっているミュウが、そんなソウゴの様子に気が付いた様で、不思議そうな表情をしながらソウゴのおでこを紅葉の様な小さな掌でペシペシと叩く。

「パパ? どうしたの?」

「ん? いや、前に来た事があってな」

 ミュウの疑問に簡潔に答えるソウゴ。どうやら四ヵ月前の出来事は、ソウゴにとっては態々思い出す程記憶に残るものでも無かったらしい。

 

 そのまま人通りの多い道を歩いていると、最早お馴染みの羨望と嫉妬の視線が突き刺さる。町に行く度に美女や美少女に囲まれているソウゴにそれらの視線が飛ぶのはいつもの事なので、ソウゴも一々気にしない。

 

 

 ソウゴ達は周囲の人々の視線を無視しながら、冒険者ギルドのホルアド支部に到着した。

 

 相変わらずミュウを肩車したまま、ソウゴはギルドの扉を開ける。他の町のギルドと違って、ホルアド支部の扉は金属製だった。重苦しい音が響き、それが人の入ってきた合図になっている様だ。

 

 前回ソウゴがホルアドに来た時は、冒険者ギルドに行く必要も無かったので中に入るのは今回が初めてだ。ホルアド支部の内装や雰囲気は、最初ソウゴが連想していた冒険者ギルドそのままだった。

 

 

 壁や床は所々壊れていたり大雑把に修復した跡があり、泥や何かの染みがあちこちに付いていて不衛生な印象を持つ。内部の作り自体は他の支部と同じで入って正面がカウンター、左手側に食事処がある。しかし他の支部と異なり、普通に酒も出している様で昼間から飲んだくれた野郎達が屯していた。

 二階部分にも座席がある様で、手すり越しに階下を見下ろしている冒険者らしき者達もいる。二階にいる者は総じて強者の雰囲気を出しており、そういう制度なのか暗黙の了解かはわからないが、高ランク冒険者は基本的に二階を使う様だ。

 

 冒険者自体の雰囲気も他の町とは違う様だ。誰も彼も目がギラついていて、ブルックの様な仄々した雰囲気は皆無だった。冒険者や傭兵など、魔物との戦闘を専門とする戦闘者達が自ら望んで迷宮に潜りに来ているのだから、気概に満ちているのは当然といえば当然なのだろう。

 

 しかし、それを差し引いてもギルドの雰囲気はピリピリしており、尋常ではない様子だった。明らかに、歴戦の冒険者をして深刻な表情をさせる何かが起きている様だ。

 

 

 ソウゴ達がギルドに足を踏み入れた瞬間、冒険者達の視線が一斉にソウゴ達を捉えた。

 

 

 その眼光のあまりの鋭さに、ソウゴに肩車されるミュウが「ひぅ!」と悲鳴を上げ、ヒシ! とソウゴの頭にしがみついた。

 

 冒険者達は、美女・美少女に囲まれた挙句幼女を肩車して現れたソウゴに、色んな意味を込めて殺気を叩きつけ始める。

 

 益々震えるミュウを肩から降ろし、ソウゴは片腕抱っこに切り替えた。ミュウはソウゴの胸元に顔を埋め、外界のあれこれを完全シャットアウトした。

 

 血気盛んな、或いは酔った勢いで席を立ち始める一部の冒険者達。彼等の視線は、「ふざけたガキをぶちのめす」と何より雄弁に物語っており、このギルドを包む異様な雰囲気からくる鬱憤を晴らす八つ当たりと、単純なやっかみ混じりの嫌がらせである事は明らかだ。

 ソウゴ達は単なる依頼者であるという可能性もあるのだが……既に彼等の中にその様な考えは無いらしい。取り敢えず話はぶちのめしてからだという、荒くれ者そのものの考え方でソウゴの方へ踏み出そうとした。

 

 だがしかし、次女程ではないが過保護で親バカであるソウゴが黙っている訳がなかった。

 既に、ソウゴの背後には悪鬼羅刹の百鬼夜行が浮き上がっており、ミュウを宥める手つきの優しさとは裏腹にその眼は凶悪に引き絞られていた。

 そして……

 

 

 ドンッ!!

 

 

 そんな音が聞こえてきそうな程濃密にして巨大且つ凶悪なプレッシャーが、ソウゴ達を睨みつけていた冒険者達に情け容赦一切なく叩きつけられた。

 

 先程冒険者達から送られた殺気が、まるで子供の癇癪に思える程絶大な圧力。既に物理的干渉力を持って久しいそれは、未熟な冒険者達の五感を奪うと同時に心臓を止めて意識を刈り取り、立ち上がっていた冒険者達の全てを触れる事無く三途の川へ送る。帰ってこれるかは本人達次第だ。

 

「……はぁ。ほ~れミュウ、もう怖いのはおらんぞ?」

 

 ソウゴは静かになった冒険者達に溜息を吐きつつ、顔を埋めるミュウにもう大丈夫だと声を掛ける。それでミュウも安心したのか、再び肩車を強請ってソウゴの首に跨る。ソウゴもそれを快く了承し、カウンターへと歩いて行った。

 

 実は冒険者達だけでなく、共に旅をして慣れていた筈のユエ達も若干背筋を凍らせていた事にソウゴは気付かず、辿り着いたカウンターの受付嬢に要件を伝える。

 

 

 因みに、受付嬢は可愛かった。シアと同じ年くらいの明るそうな娘だ。テンプレはここにあったらしい。尤も、普段は魅力的であろう受付嬢の表情は恐怖と緊張でめちゃくちゃ強張り、今にも泣き崩れそうだったが。

 

 

「支部長はいるか? フューレンのイルワから手紙を預かっているんだが……本人に直接渡せと言われてな」

 ソウゴはそう言いながら自分のステータスプレートを受付嬢に差し出す。受付嬢は、緊張しながらもプロらしく居住まいを正してステータスプレートを受け取った。

「は、はい! お預かりします。え、えっと……イルワ様、というと……フューレン支部のギルド支部長様からの依頼……ですか?」

 普通、一介の冒険者がギルド支部長から依頼を受けるなどという事はありえないので、少し訝しそうな表情になる受付嬢。しかし、渡されたステータスプレートに表示されている情報を見て目を見開いた。

 

「き、"金"ランク!?」

 

 冒険者において、"金"のランクを持つ者は全体の一割に満たない。そして"金"のランク認定を受けた者についてはギルド職員に対して伝えられるので、当然この受付嬢も全ての"金"ランク冒険者を把握しているのだが、ソウゴの事など知らなかったので思わず驚愕の声を漏らしてしまった。

 

 その声に、復活したギルド内の冒険者も職員も含めた全ての人が受付嬢と同じ様に驚愕に目を見開いてソウゴを凝視する。建物内が俄に騒がしくなった。

 

 受付嬢は、自分が個人情報を大声で晒してしまった事に気がついてサッと表情を蒼褪めさせる。そして、ものすごい勢いで頭を下げ始めた。

「も、申し訳ありません! 本当に、申し訳ありません!」

「構わん。取り敢えず、ここの支部長に取り次いでくれ」

「は、はい! 少々お待ちください!」

 放っておけばいつまでも謝り続けそうな受付嬢に、ソウゴは鼻を鳴らす。【ウルの町】で軽く蹂躙し、【フューレン】で複数の裏組織を壊滅させるなど大暴れしてきた以上、身分の秘匿など今更だと思ったのだ。

 

 子連れで美女・美少女ハーレムを持つ、見た目青年の"金"ランク冒険者にギルド内の注目がこれでもかと集まるが、注目されるのは普段の事なので割り切って受付嬢を待つソウゴ達。

 

 注目される事に慣れていないミュウが、居心地悪そうなので全員であやす。ティオのあやし方が情操教育的に悪そうだったのでデコピンをお見舞いしておく。その事で更に騒がしくなったが、やはり無視だ。

 

 

 やがて、と言っても五分も経たない内。ギルドの奥からズダダダッ! と何者かが猛ダッシュしてくる音が聞こえだした。

 

 

 何事だとソウゴ達が音の方を注目していると、カウンター横の通路から全身黒装束の少年がズザザザザザーッと床を滑りながら猛烈な勢いで飛び出てきて、誰かを探す様にキョロキョロと辺りを見渡し始めた。

 

 ソウゴはその人物に見覚えがあり、こんな所で見かけるとは思わなかったので少し驚いた様に呟いた。

 

 

「あれは……確か、遠藤浩介だったか?」

 

 

 そう。そこにいたのは攻略組の一人──遠藤浩介その人だった。

 

 

 

 ソウゴの呟きに、"!"と某ダンボール好きな傭兵のゲームに出てくる敵兵の様な反応を見せた遠藤は辺りをキョロキョロと見渡し、それでも目当ての人物が見つからない事に苛立った様に大声を出し始めた。

 

 

「常磐ぁ! いるのか!? お前なのか!? 何処なんだ常磐ぁ! 生きてんなら出てきやがれ、常磐ソウゴォ!!」

 

 

 あまりの大声に、思わず耳に指で栓をする者が続出する。その声には、単に死んだ筈のクラスメイトが生存しているかもしれず、それを確かめたいという気持ち以上の必死さが含まれている様だった。

 

 ユエ達の視線が一斉にソウゴの方を向く。ソウゴは未だに自分の名前を大声で連呼する遠藤に、頭をガリガリと掻くと「何をしてるんだアレは……」という表情をしながらも声をかけた。

 

「おい小僧、貴様の目は節穴か?」

「!? 常磐! 何処だ!?」

 

 ソウゴの声に反応して、グリンッと顔をソウゴの方に向ける遠藤。余りに必死な形相に、ソウゴは思わず顔を引いた。

「お、お前……常磐……本当に?」

「貴様の中で私がどう見えてるのか知らんが、常磐ソウゴは天上天下この私唯一人よ」

 上から下までマジマジと観察し、記憶にあるソウゴの言動や雰囲気の余りの違いに半信半疑の遠藤だったが、その顔や声に漸く信じる事にした様だ。

「お前……生きていたのか」

「寧ろあの程度で死ぬ方がおかしかろう」

「何か、えらく変わってるんだけど……雰囲気とか口調とか……」

「こっちが素だ、慣れろ」

「え、マジ? いやでも、そうか……ホントに生きて……」

 

 威風堂々としたソウゴの態度に困惑する遠藤だったが、それでも死んだと思っていたクラスメイトが本当に生きていたと理解し、安堵した様に目元を和らげた。

 

 

 いくら香織に構われている事に他の男と同じ様に嫉妬の念を抱いていたとしても、また檜山達のイジメを見て見ぬふりをしていたとしても、死んでもいいなんて恐ろしい事を思える筈もない。ソウゴの死は大きな衝撃であった。だからこそ遠藤は、純粋にクラスメイトの生存が嬉しかったのだ。

 

 

「っていうかお前……冒険者してたのか? しかも"金"って……」

「暇潰しの結果だよ、私が望んだものではない」

 ソウゴの返答に遠藤の表情がガラリと変わる。クラスメイトが生きていた事にホッとした様な表情から切羽詰った様な表情に。

 

 そこでソウゴは、遠藤がボロボロな姿である事に気がついた。一体何があったんだと内心興味が湧く。

 

「……つまり、迷宮の深層から自力で生還できる上に、冒険者の最高ランクを貰えるくらい強いって事だよな? 信じられねぇけど……」

「貴様が信じようが信じまいが、それが事実だ」

 

 遠藤の真剣な表情でなされた確認に肯定の意をソウゴが示すと、遠藤はソウゴに飛びかからんばかりの勢いで肩を掴みに掛かり、今まで以上に必死さの滲む声音で表情を悲痛に歪めながら懇願を始めた。

「なら頼む! 一緒に迷宮に潜ってくれ! 早くしないと皆死んじまう! 一人でも多くの戦力が必要なんだ! 健太郎も重吾も死んじまうかもしれないんだ! 頼むよ常磐!」

「ちょっと待て、まず落ち着け。一からとは言わんが簡潔に説明しろ。勇者とメルドはどうした?」

 ソウゴが大した印象の無い遠藤のあまりに切羽詰った尋常でない様子に、冷静になれと問い返す。すると、遠藤はメルドの名が出た瞬間、酷く暗い表情になって膝から崩れ落ちた。そして、押し殺した様な低く澱んだ声でポツリと呟く。

「……んだよ」

「何だ? はっきり喋れ」

「……死んだって言ったんだ! メルド団長もアランさんも他の皆も! 迷宮に潜ってた騎士は皆死んだ! 俺を逃がす為に! 俺のせいで! 死んだんだ! 死んだんだよぉ!」

「……そうか」

 癇癪を起こした子供の様に「死んだ」と繰り返す遠藤に、ソウゴはただ一言そう返した。

 

 

 ソウゴが天職を隠し、クラスメイト同士の鍛錬にも参加しなかった為に、ソウゴとメルドとの接点はそれほど多くなかった。精々初日の夜に数度の模擬戦で軽くあしらった程度だ。

 

 しかし、それでもメルドが気のいい男であった事は覚えているし、ソウゴが奈落に落ちた時、混乱しながらも自分の指示を正確に受け取った事を覚えている。ウルで会った優花達や、遠藤がソウゴの生存を知らなかった事もその証拠だろう。

 

 そんな彼が死んだと聞かされれば、少なからず残念とは思う。

 

 

「で? 何があったんだ?」

「それは……」

 尋ねるソウゴに、遠藤は膝を付き項垂れたまま事の次第を話そうとする。そこで、しわがれた声による制止がかかった。

 

「話の続きは、奥でしてもらおうか。そっちは俺の客らしいしな」

 

 声の主は、六十歳過ぎ位のガタイのいい左目に大きな傷が入った迫力のある男だった。その眼からは、長い年月を経て磨かれたであろう深みが見て取れ、全身から覇気が溢れている。

 

 ソウゴは先程の受付嬢が傍にいる事からも、彼がギルド支部長だろうと当たりをつけた。そして遠藤の慟哭じみた叫びに、再びギルドに入ってきた時の不穏な雰囲気が満ち始めた事から、この場で話をするのは相応しくないだろうと判断し大人しく従う事にした。

 

 恐らく遠藤は、既にここで同じ様に騒いで、勇者一行や騎士団に何かがあった事を晒してしまったのだろう。ギルドに入った時の異様な雰囲気はそのせいだ。

 

 ギルド支部長と思しき男は、遠藤の腕を掴んで強引に立たせると有無を言わさずギルドの奥へと連れて行った。遠藤はかなり情緒不安定な様で、今はぐったりと力を失っている。

 

 きっと退屈はしないだろうと不謹慎な事を考えながら、ソウゴ達は後を付いていった。

 

 

 

「……魔人族……ね」

 

 冒険者ギルドホルアド支部の応接室に、ソウゴの呟きが響く。

 

 

 対面のソファにホルアド支部の支部長ロア・バワビスと遠藤が座っており、遠藤の正面にソウゴが、その両サイドにユエとシアが、シアの隣にティオが座っている。ミュウはソウゴの膝の上だ。

 

 遠藤から事の次第を聞き終わったソウゴの第一声が先程の呟きだった。魔人族の襲撃に遭い、勇者パーティが窮地にあるというその話に遠藤もロアも深刻な表情をしており、室内は重苦しい雰囲気で満たされていた。

 

 ……のだが、ソウゴの膝の上で幼女がモシャモシャと頬を栗鼠の様に膨らませながらお菓子を頬張っている為、イマイチ深刻になりきれていなかった。ミュウにはソウゴ達の話は少々難しかった様だが、それでも不穏な空気は感じ取っていた様で不安そうにしているのを、見かねたソウゴがお菓子を与えておいたのだ。

 

「つぅか! 何なんだよその子! 何で菓子食わせうぼぁっ!!!??」

 

 場の雰囲気を壊す様なミュウの存在に、ついに耐え切れなくなった遠藤がビシッと指を差しながら怒声を上げるが、言い切る前にスタンドの拳が遠藤の顔面を襲った。

「いきなり叫ぶな、うちの娘が驚くだろうが。次に同じ事をすれば、爪を剥いで指先からミリ単位で刻んでいくぞ?」

 ソファに倒れこみガクブルと震える遠藤を尻目にミュウを宥めるソウゴに、ロアが呆れた様な表情をしつつ埒が明かないと話に割り込んだ。

「さてソウゴ、いやソウゴ殿。イルワからの手紙で貴殿の事は大体分かっている。随分と大暴れした様ですな?」

「暇潰し序の結果論だよ」

 

 暇潰し程度の心構えで成し遂げられる事態では断じてなかったのだが、事も無げな様子で何処からか取り出したティーセットで茶を啜るソウゴに、ロアは面白そうに唇の端を釣り上げた。

 

 

「手紙には、貴殿の"金"ランクへの昇格に対する賛同要請と、出来る限り便宜を図ってやって欲しいという内容が書かれていた。一応、事の概要くらいは俺も掴んではいるんですが……たった一人で六万近い魔物の殲滅、半日でフューレンに巣食う裏組織の壊滅……俄には信じられん事ばかりだが、イルワの奴が適当な事を態々手紙まで寄越して伝えるとは思えん……もう、貴殿が実は魔王だと言われても俺は不思議に思いませんぞ」

 

 

 ロアの言葉に、遠藤が大きく目を見開いて驚愕をあらわにする。自力で【オルクス大迷宮】の深層から脱出したソウゴの事を、それなりに強くなったのだろうとは思っていたが、それでも自分よりは弱いと考えていたのだ。

 

 

 何せソウゴの天職は非戦系職業と考えられており、元は"無能"と呼ばれていた上、"金"ランクと言っても、それは異世界の冒険者の基準であるから、自分達の様に召喚された者とは比較対象にならない。なので精々、破壊した転移陣の修復と戦闘のサポートくらいなら出来るだろう位の認識だったのだ。

 

 元々遠藤が冒険者ギルドにいたのは、高ランク冒険者に光輝達の救援を手伝ってもらう為だった。勿論深層まで連れて行く事は出来ないが、せめて転移陣の守護位は任せたかったのである。

 駐屯している騎士団員もいるにはいるが、彼等は王国への報告等やらなければならない事があるし、何よりレベルが低すぎて、精々三十層の転移陣を守護するのが精一杯だった。七十階層の転移陣を守護するには、せめて"銀"ランク以上の冒険者の力が必要だったのである。

 

 そう考えて冒険者ギルドに飛び込んだ挙句、二階のフロアで自分達の現状を大暴露し、冒険者達に協力を要請したのだが、人間族の希望たる勇者が窮地である上に騎士団の精鋭は全滅、おまけに依頼内容は七十層で転移陣の警備というとんでもないもので、誰もが目を逸らし、同時に人間族はどうなるんだと不安が蔓延したのである。

 

 そして騒動に気がついたロアが遠藤の首根っこを掴んで奥の部屋に引きずり込み事情聴取をしているところで、ソウゴのステータスプレートをもった受付嬢が駆け込んできたという訳だ。

 

 

 そんな訳で遠藤は、自分がソウゴの実力を過小評価していた事に気がつき、もしかすると自分以上の実力を持っているのかもしれないと、過去のソウゴと比べて驚愕せずにはいられなかった。

 

 遠藤が驚きのあまり硬直している間も、ロアとソウゴの話は進んでいく。

「貴様、私の天職欄を見てないのか?」

「ん? どれどれ……」

 そう言ってソウゴのプレートを覗き込んだロアは、直後その天職を見て硬直する。

 

「正真正銘、私は大魔王である。自分の世界では、これでも一国を率いているのだよ」

 

「何と、これは大変なご無礼を。……だが、それが本当なら俺からの、冒険者ギルドホルアド支部長からの指名依頼を受けて頂きたい」

「……勇者達の救出か?」

 遠藤が救出という言葉を聞いて、ハッと我を取り戻す。そして身を乗り出しながら、ソウゴに捲し立てた。

 

「そ、そうだ! 常磐! 一緒に助けに行こう! お前がそんなに強いなら、きっと皆助けられる!」

 

「……」

 見えてきた希望に瞳を輝かせる遠藤だったが、ソウゴの反応は芳しくない。呆れた様な表情で遠くを見ている様だ。遠藤は当然、ソウゴが一緒に救出に向かうものだと考えていたので、即答しない事に困惑する。

「どうしたんだよ! 今、こうしている間にもアイツ等は死にかけているかもしれないんだぞ! 何を迷ってんだよ! 仲間だろ!」

 

 

「……仲間?」

 

 

 ソウゴは逸らしていた視線を元に戻し、冷めた表情でヒートアップする遠藤を見つめ返した。その瞳に宿る余りの冷たさに思わず身を引く遠藤。先程の正体不明の攻撃を思い出し尻込みするが、それでもソウゴという貴重な戦力を逃す訳にはいかないので半ば意地で言葉を返す。

「あ、ああ。仲間だろ! なら、助けに行くのはとうぜ……」

 

「たかが一緒に召喚された程度の間柄の私が、何故態々足を運ばねばならんのだ。どうせ窮地に陥ったのも、あの勇者の小僧がいらん正義感を出して退かなかったからだろう? 自業自得だ間抜け」

 

「なっ!? そんな……何を言って……」

 ソウゴの予想外に冷たい言葉に狼狽する遠藤を尻目に、ソウゴは再びティーカップに視線を落とした。

 だがそこでふと、ソウゴは何か思い出した様に狼狽している遠藤にポツリと尋ねる。

 

「そういえば……白崎香織だったか、彼女はまだ無事か?」

 

 いきなりの質問に「えっ?」と一瞬疑問の声を漏らすものの、遠藤は取り敢えず何か話をしなければソウゴが協力してくれないのではと思い、慌てて香織の話をしだす。

 

「あ、ああ。白崎さんは無事だ。っていうか、彼女がいなきゃ俺達が無事じゃなかった。最初の襲撃で重吾も八重樫さんも死んでたと思うし……白崎さん、マジですげぇんだ。回復魔法がとんでもないっていうか……あの日、お前が落ちたあの日から、何ていうか鬼気迫るっていうのかな? こっちが止めたくなるくらい訓練に打ち込んでいて……雰囲気も少し変わったかな? ちょっと大人っぽくなったっていうか、いつも何か考えてるみたいで、ぽわぽわした雰囲気がなくなったっていうか……」

 

「……ふむ」

 聞いてない事も必死に話す遠藤に、ソウゴは一言そう返した。そして一拍。

 ソウゴは「はてさてどうしたものか……」とティーカップを置くと、傍らで自分を見つめているユエを見やる。

 

「……ソウゴ様のしたい様に。私は、どこでも付いて行く」

「わ、私も! どこまでも付いて行きますよ! ソウゴさん!」

「ふむ、妾も勿論ついて行くぞ。ご主人様」

「ふぇ、えっと、えっと、ミュウもなの!」

 

 ユエがまたアピールを始めたので、慌てて自己主張するシア達。ミュウはよく分かっていない様だったが、取り敢えず仲間外れは嫌なのでギュッと抱きつきながら同じく主張する。

 対面で愕然とした表情をしながら、「え? 何このハーレム……」と呟いている遠藤を尻目に、ソウゴは仲間に己の意志を伝えた。

 

「……ふむ。あの小僧だけなら無視しようと思ったが、他の面々を巻き込むのも忍びない。面倒ではあるが、白崎香織と貴様の働きに免じて出向いてやるとしよう」

 

 ソウゴの本心としては光輝達がどうなろうと知った事では無かったし、勇者の傍は同時に狂った神にも近そうな気がして、態々近寄りたい相手ではなかった。

 

 

 だが、恐らくソウゴの事を気に病んで無茶をしているであろう香織には顔見せ位はしてもいいだろうと思ったのだ。

 序に、気紛れに覗いた記憶の中の遠藤の決死行に少し感心したのもある。少なくとも、願いを聞き届けるのも吝かではないと思う程には。

 

 

 危険度に関しては特に気にしていない。遠藤の話からすれば、【ウルの町】で戦った四つ目狼が出た様だが、キメラ等にしても奈落の迷宮で言うなら十層以下の強さだろう。何の問題もない。

「え、えっと……結局、一緒に行ってくれるんだよな?」

「ああ。……ロア、一応対外的には依頼という事にしておいてくれ」

「上の連中に無条件で助けてくれると思われたくないからですな?」

「そうだ。それともう一つ、帰ってくるまでミュウの為に部屋を一つ貸してくれ」

「それくらいなら幾らでも」

 

 結局、ソウゴが一緒に行ってくれるという事に安堵して深く息を吐く遠藤を無視して、ソウゴはロアと嘖々話を進めていった。

 

 流石に迷宮の深層まで子連れで行く訳にも行かないので、ミュウをギルドに預けていく事にする。その際、ミュウが置いていかれる事に激しい抵抗を見せたが何とか全員で宥めすかし、序に子守役兼護衛役にティオも置いていく事にして、漸くソウゴ達は出発出来る事になった。

 急いで駆け出そうとする遠藤の背に、ソウゴが待ったをかける。

「な、何だよ?」

「少しジッとしていろ」

 そう言いながら、ソウゴは遠藤の頭を掴む。

「一体何を……」

「光あれ」

 その瞬間、ソウゴの掌から光の波動が漏れ出し、遠藤の全身を駆け巡る。すると、

 

「なっ、傷が!?」

 

 遠藤が脱出までに負った傷が全て塞がっていた。それだけでなく、疲労や装備の損傷までも直っている。

 遠藤は目を見開いた。ソウゴの回復の効力は香織と同等かそれ以上、速度も含めれば完全に上回っていた。

 

 驚く遠藤の頭を、ソウゴはそのままグシャグシャと撫でる。

 

「よくやった、遠藤浩介。友を救わんとする貴様の勇気ある逃亡が、結果的に私を動かした。その働き、この私をして称賛に値する」

 ソウゴは微笑みながら遠藤にそう言葉をかけ、指を鳴らしてオーロラカーテンを展開する。「急いでいるのだろう、ショートカットしていくぞ」と告げて灰色のオーロラに向かって歩き出すソウゴに、ユエ達は当然とばかりに付いていく。

 

 その後ろを遠藤は何が何やら分からないという顔をしながら付いていった。

 しかしその心は、ソウゴの言葉を受けて今までに無い程の高鳴りを訴えていた。謎の興奮を覚えつつ、遠藤は親友達の無事を祈った。

 

 

 

 

「うっ……」

「鈴ちゃん!」

「鈴!」

 

 

 呻き声を上げて身じろぎしながらゆっくり目を開けた鈴に、ずっと傍に付いていた香織と恵里が声に嬉しさを滲ませながら鈴の名を呼んだ。鈴は暫くボーっとした様子で目だけをキョロキョロと動かしていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「し、知らない天井だぁ~」

「鈴、あなたの芸人根性は分かったから、こんな時までネタに走って盛り上げなくていいのよ?」

 

 喉が乾いているのだろう。しわがれ声でそれでも必死にネタに走る鈴に、彼女の声を聞いて駆け付けてきた雫が、呆れと称賛を半分ずつ含ませた表情でツッコミを入れた。そして傍らの革製の水筒を口元に持っていき水分を取らせる。

 ごきゅごきゅと可愛らしく喉を鳴らして水分を補給した鈴は、「生き返ったぜ! 文字通り!」とあまり洒落にならない事を言いながら頑張って身を起こす。香織と恵里がそれを支える。

 

 瀕死から意識を取り戻して、即座に明るい雰囲気を撒き散らすクラス一のムードメーカーに、今の今まで沈んだ表情だったクラスメイト達も口元に笑みを浮かべた。

 

 しかし、その明るい雰囲気とは裏腹に鈴の顔色は悪い。疲労もあるだろうし、血が足りていないという事もあるのだろう。青白い顔で目の下にも薄ら隈が出来ており、見せる笑みが少々痛々しい。体を何箇所も貫かれて、それでも起き抜けに笑みを見せられるのは、間違いなく彼女の“強さ”だ。雫も香織も、そんな鈴に尊敬混じりの眼差しを向ける。

「鈴ちゃん。まだ横になっていた方がいいよ。傷は塞がっても流れた血は取り戻せないから……」

「う~ん、このフラフラする感じはそれでか~。あんにゃろ~、こんなプリティーな鈴を貫いてくれちゃって……"貫かれちゃった♡"ってセリフはベッドの上で言いたかったのに!」

「鈴! お下品だよ! 自重して!」

 

 鈴が恨みがましい視線を虚空に向けながらそんな事をいい、恵里が頬を染めて鈴を嗜める。野村と中野が思わずといった感じで「ぶっ!?」と吹き出していたが、雫が一睨みするとスっと視線を逸らした。

 

「鈴、目を覚ましてよかった。心配したんだぞ?」

「よぉ、大丈夫かよ。顔真っ青だぜ?」

 起きていきなり騒がしい鈴に、小さく笑いながら光輝と龍太郎が近寄ってくる。

 

 一時"限界突破"の影響で弱体化し、且つ手痛い敗戦に落ち込んでいた光輝だったが、この即席の隠れ家に逃げ込んでからそれなりの時間が経っている為、どうにか持ち直した様だ。

 

「おはよー、光輝君、龍太郎君! 何とか逃げ切ったみたいだね? えっと、皆無事……あれ? 一人少ない様な……気のせい?」

「ああ、それは遠藤だろ。あいつだけ先に逃がしたんだ。あいつの隠形なら一人でも階層を突破出来ると思って……」

 

 光輝と龍太郎に笑顔で挨拶すると、鈴は周囲のクラスメイトを見渡し人数が足りない事に気がついた。鈴は戦闘中に意識を喪失していたので、光輝達は彼女の疑問に答えると共に現状の説明も行った。

 

 因みに、近藤と斎藤も既に石化は解除されていて、鈴より早く目を覚ましており事情説明は受けている。

 

「そっか、鈴が気絶してから結構時間が経っているんだね……あ、そうだ。カオリン、ありがとね! カオリンは鈴の命の恩人だね!」

「鈴ちゃん、治療は私の役目だよ。当然の事をしただけだから、恩人なんて大げさだよ」

「くぅ~、ストイックなカオリンも素敵! 結婚しよ?」

「鈴……青白い顔で言っても怖いだけだよ。取り敢えずもう少し横になろ?」

 香織に絡み、恵里に諫められる。行き過ぎれば雫によって物理的に止められる。全くもっていつも通りだった。もう二度と生きて地上に戻れないんじゃないかと、そんな事まで考え出していたクラスメイト達も敗戦なんて気にしないとでも言う様な鈴達のやり取りに、次第に心の余裕を取り戻し始めた。

 

 

 が、そんな明るさを取り戻し始めた空気に、水を差す輩はいつでもどこにでもいるものだ。

 

 

「……何ヘラヘラ笑ってんの? 俺等死にかけたんだぜ? しかも、状況はなんも変わってない! ふざけてる暇があったらどうしたらいいか考えろよ!」

 

 鈴を睨みながら怒鳴り声を上げたのは近藤だ。声は出していないが、隣の斎藤も非難する様な眼を向けている。

「おい、近藤。そんな言い方ないだろ? 鈴は雰囲気を明るくしようと……」

「うっせぇよ! お前が俺に何か言えんのかよ! お前が、お前が負けるから! 俺は死にかけたんだぞクソが! 何が勇者だ!」

 近藤の発言を諌めようと光輝が口を出すが、火に油を注いだ様に近藤は突然激高し、今度は光輝を責め立て始めた。

「てめぇ……誰のお陰で逃げられたと思ってんだ? 光輝が道を切り開いたからだろうが!」

 龍太郎が切れ気味に怒声を返す。負けじと近藤も言い返した。

「抑々勝っていれば、逃げる必要も無かっただろうが! 大体、明らかにヤバそうだったんだ。魔人族の提案呑むフリして、後で倒せば良かったんだ! 勝手に戦い始めやがって! 全部お前のせいだろうが! 責任取れよ!」

 近藤が立ち上がり、龍太郎が相対して睨み合う。近藤に共感しているのか、斎藤と中野も立ち上がって龍太郎と対峙した。

「龍太郎、俺はいいから……近藤、責任は取る。今度こそ負けはしない! もう、魔物の特性は把握しているし、不意打ちは通用しない。今度は絶対に勝てる!」

 

 握り拳を握ってそう力説する光輝だったが、斎藤が暗い眼差しでポツリとこぼした。

 

「……でも、"限界突破"を使っても勝てなかったじゃないか」

「そ、それは……こ、今度は大丈夫だ!」

「なんでそう言えんの?」

「今度は最初から"神威"を女魔人族に撃ち込む。皆は、それを援護してくれれば……」

「でも、長い詠唱をすれば厄介な攻撃が来るなんて分かり切った事だろ? 向こうだって対策してんじゃねぇの? それに、魔物だってあれで全部とは限らないじゃん」

 光輝が大丈夫だと言っても、近藤達には光輝の実力に対する不信感が芽生えているらしく、疑わしい眼差しを向けたまま口々に文句を言う。

 

 ここで光輝に責任やら絶対に勝てる保証等を求めても仕方ないのだが、どうやら死にかけたという事実と相手の有り得ない強さと数に平静さを失っている様だ。

 

 沸点の低い龍太郎が喧嘩腰で近藤達に反論するのも、彼等をヒートアップさせている要因だろう。次第に、彼等の言い争いを止めようと口を出した辻や吉野、野村も含めて険悪なムードが漂い始める。

 

 しまいには龍太郎が拳を構え、近藤が槍を構え始めた。場に一気に緊張が走る。光輝が「龍太郎!」と叫びながら彼の肩を掴んで制止するが、龍太郎は余程頭にきているのか額に青筋を浮かべたまま近藤を睨む事を止めない。近藤達の方も半ば意地になっている様だ。

 

 

「皆落ち着きなさい! 何を言ったところで、生き残るには光輝に賭けるしかないのよ! 光輝の"限界突破"の制限時間内に何としてでもあの女を倒す。彼女に私達を見逃すつもりが無いなら、それしかない。分かっているでしょ?」

 

 

 雫が両者の間に入って必死に落ち着く様に説得するが、やはり効果が薄い。鈴がフラフラと立ち上がりながら、近藤に謝罪までするが聞く耳を持たない様だ。香織がいい加減、一度全員を拘束する必要があるかもしれないと、密かに"縛煌鎖"の準備をし始めた時……それは聞こえた。

 

「グゥルルルルル……」

 

「「「「!?」」」」

 唸り声だ。とても聞き覚えのある低く腹の底に響く唸り声。

 全員の脳裏にキメラや黒い四つ目狼の姿が過ぎり、今までの険悪なムードは一瞬で吹き飛んで全員が硬直した。僅かな息遣いすらも、やたらと響く気がして自然と息が細くなる。視線が、通路の先のカモフラージュした壁に集中する。

 

 ザリッ! ザリッ! フシュー! フシュー!

 

 壁越しに何かを引っ掻く音と、荒い鼻息が聞こえる。誰かがゴクリと喉を鳴らした。臭い等の痕跡は遠藤が消してくれた筈で、例え強力な魔物でも壁の奥の光輝達を感知出来る筈は無い。そうは思っていても、緊張に体は強張り嫌な汗が吹き出る。

 

 

 完全回復には今暫く時間がかかる。鈴などはとても戦闘が出来る状態ではないし、香織と辻も治癒に魔力を使い過ぎて、まだ殆ど回復していない。前衛組はほぼ完治しているが、魔術主体の後衛組も半分程度しか魔力を回復出来ていない。回復系の薬も殆ど尽きており、最低でも後数時間は回復を待ちたかった。

 

 特に回復役の香織と辻、それに守り手の鈴が抜けるのは看過できる穴ではなかった。故に光輝達は、どうかまだ見つからないでくれと懇願じみた気持ちで外の部屋と隠れ部屋を隔てる壁を見つめ続けた。

 

 

 暫く外を彷徨いていた魔物だが、やがて徐々に気配が遠ざかっていった。そして、再び静寂が戻った。それでも暫くの間誰も微動だにしなかったが、完全に立ち去ったと分かると盛大に息を吐き、何人かはその場に崩れ落ちた。極度の緊張に、滝の様な汗が流れる。

「……あのまま騒いでいたら見つかっていたわよ。お願いだから、今は大人しく回復に努めて頂戴」

「あ、ああ……」

「そ、そうだな……」

 雫が頬を伝う汗をワイルドにピッ! と弾き飛ばしながら拭う。近藤達もバツが悪そうな表情をしながら矛を収めた。正に冷や水を浴びせかけられたという感じだろう。

 

 取り敢えず危機を脱したと全員が肩から力を抜いた……その瞬間。

 

 

「ガァアアアアアッ!!!」

 

 

 凄まじい咆哮と共に、隠し部屋と外を隔てる壁が粉微塵に粉砕された。

 

「うわっ!?」

「きゃぁああ!!」

 

 衝撃によって吹き飛んできた壁の残骸が弾丸となって隠し部屋へと飛来し、直線上にいた近藤と吉野に直撃した。悲鳴を上げて思わず尻餅をつく二人。

 

 次の瞬間、唖然とする光輝達の眼前に、まだ相対したくはなかった空間の揺らめきが飛び込んできた。

 

「戦闘態勢!」

「畜生! なんで見つかったんだ!」

 光輝が号令をかけながら、直ぐさま聖剣を抜いてキメラに斬りかかる。動きを止められては姿を見失ってしまうので距離を取られる訳にはいかない。龍太郎が悪態を吐きながら、外に繋がる通路の前に陣取ってこれ以上の魔物の侵入を防ごうとする。

 しかし……

 

「オォオオ!!」

 

「ぐぅう!!」

 直後にブルタール擬きがその鋼の如き体を砲弾の様に投げ出して体当たりをかました。そして龍太郎に猛烈な勢いをもって組み付き、そのまま押し倒した。

 

 その隙に黒猫が何十匹と一気に侵入を果たし、即座に何十本もの触手を射出する。弾幕の様な密度で放たれたそれは、容赦なく口論の時のまま固まった場所にいた近藤達に襲いかかった。咄嗟に手持ちの武器で迎撃しようとする近藤達だったが、いかんせん触手の数が多い。あわやそのまま串刺しかと思われたが……

 

「──"天絶"!」

「──"天絶"!」

 

 三十枚の光り輝くシールドが近藤達の眼前の空間に角度をつけて出現し、何とか軌道を逸らしていった。極々短い詠唱で、それでも辛うじて障壁を発動した技量には、誰もが舌を巻く程のものだ。二十枚の障壁を出した方が鈴であり、十枚出した方が香織である。

 

 ただ、やはり咄嗟に出したものである上に、鈴は体調が絶不調で香織は魔力が尽きかけている状態だ。その事実は、障壁の強度となって如実に現れた。

 

 障壁の砕かれる音が連続して木霊する。角度をつけて衝撃を逸らしている筈なのだが、それでも触手の猛攻に耐え切れず次々と砕かれていく。そしてその内の数本が、遂に角度のついたシールドに逸らされる事無く打ち砕き、その向こう側にいた標的──中野と斎藤に襲いかかった。

 

 咄嗟に身を捻る二人だったが、どちらも後衛組である為にそれ程身体能力は高くない。その為致命傷は避けられたものの、中野は肩口を、斎藤は太腿を抉られて悲鳴を上げながら地面に叩きつけられた。

 

「信治! 良樹! くそっ! 大介、手伝ってくれ!」

「……ああ、勿論だ」

 隠し部屋に逃げ込んでからずっと何かを考え込んでいた檜山に、近藤は気を遣ってあまり話しかけない様にしていたのだが、流石にそうも言っていられない状況だ。

 

 近藤は、負傷した中野と斎藤を一緒に鈴の傍に引きずって行く。体調が絶不調とはいえ、魔力残量はそれなりに残っている鈴の傍が一番の安全地帯だからだ。それに傍にいる方が、香織の治療を受けやすい。

 

「っ、光輝! "限界突破"を使って外に出て! 部屋の奴らは私達で何とかするわ!」

「だが、鈴達が動けないんじゃ……」

「このままじゃ押し切られるわ! お願い! 一点突破で魔人族を討って!」

「光輝! こっちは任せろ! 絶対死なせやしねぇ!」

「……分かった! こっちは任せる! "限界突破"!」

 雫と龍太郎の言葉に一瞬考えるものの、確かに状況を打開するにはそれしかないと光輝は決然とした表情をして、今日二度目の"限界突破"を発動する。

 

 "限界突破"の一日も置かない上での連続使用は、かなり体に負担がかかる行為だ。なので通常、"限界突破"の効力は八分程度であるが、もしかするともっと短くなっているかもしれない。そう予想して、光輝は他の一切を気にせず女魔人族を倒す事だけに集中し、隠し部屋を飛び出していった。

 

 

 隠し部屋から大きな正八角形の部屋に出た光輝の眼に、大量の魔物とその奥で白鴉を肩に止め周囲を魔物で固めた女魔人族が冷めた眼で佇んでいる姿が映った。

 光輝は心の内を、この様な窮地に追いやった怒りと仲間を救う使命感で滾らせ、女魔人族を真っ直ぐに睨みつける。

「ふん、手間取らせてくれるね。こっちは他にも重要な任務があるっていうのに……」

「黙れ! お前は俺が必ず倒す! 覚悟しろ!」

 

 光輝がそう宣言し、短い詠唱と共に聖剣に魔力を一気に送り込む。本来の"神威"には遠く及ばず女魔人族には届かないだろうが、それでも道を切り開く位は出来る筈だと信じて詠唱省略版"神威"を放とうとした。

 

 だが、輝きを増す聖剣を前に女魔人族は薄らと笑みを浮かべると、自身の周囲に待機させていたブルタール擬きに命じて何かを背後から引き摺り出してきた。

 訝しげな表情をする光輝だったが、その"何か"の正体を見て愕然とする。思わず構えた聖剣を降ろし目を大きく見開いて、震える声で()の名を呼んだ。

 

 

「……メ、メルドさん?」

 

 

 そう。そこには四肢を砕かれ全身を血で染めた瀕死のメルドが、ブルタール擬きに首根っこを掴まれた状態でいたのである。一見すれば、全身を弛緩させている事から既に死んでいる様にも見えるが、時折小さく上がる呻き声が彼等の生存を示していた。

 

「おま、お前ぇ! メルドさんを放せ──!?」

 

 光輝がメルドの有様に激昂し、我を忘れた様に魔人族の女へ突進しようとしたその瞬間、見計らっていたかの様な絶妙のタイミングで突然巨大な影が光輝を覆いつくした。

 

 ハッとなって振り返った光輝の目に、壁の如き巨大な拳が空気を破裂させる様な凄まじい勢いで迫ってくる光景が映る。

 光輝は本能的に左腕を掲げてガードするが、その絶大な威力を以て振るわれた拳はガードした左腕をあっさり押し潰し、光輝の体そのものに強烈な衝撃を伝えた。光輝はダンプカーにでも轢かれた様に途轍もない速度で弾け飛び、轟音と共に壁に叩きつけられた。背後の壁が、あまりの衝撃に放射状に破砕する。

 

「ガハッ!」

 

 衝撃で肺から空気が強制的に吐き出され、壁からズルリと滑り落ち四つん這い状態で無事な右腕を頼りに必死に体を支える光輝。その口から大量の血が吐き出された。どうやら先の一撃で内臓も傷つけたらしい。

 脳震盪も起こしている様で、焦点の定まらない視線が必死に事態を把握しようと辺りを彷徨い、そして見つけた。先程まで光輝がいた場所で拳を突き出したまま残心する体長三メートルはあろうかという巨大な魔物を。

 

 

 その魔物は、頭部が牙の生えた馬で、筋骨隆々の上半身からは極太の腕が四本生えており、下半身はゴリラの化物だった。血走った眼で光輝を睨んでおり、長い馬面の口からは呼吸の度に蒸気が噴出している。明らかに、今までの魔物とは一線を画す雰囲気を纏っていた。

 

 

 その馬頭は突き出した拳を戻すと共に、未だ立ち上がれずにいる光輝に向かって情け容赦なく濃密な殺気を叩きつけながら突進した。そして、光輝が蹲る場所の少し手前で跳躍した馬頭は、振りかぶった拳を光輝の頭上から猛烈な勢いで突き落とす。

 光輝は本能がけたたましく鳴らす警鐘に従って、ゴロゴロと地面を転がりながら必死にその場を離脱した。

 

 ドガガアァァァンッ!!

 

 直後。馬頭の拳が地面に突き刺さり、それと同時に赤黒い波紋が広がったかと思うと轟音と共に地面が爆ぜた。正に爆砕という表現がピッタリな破壊が齎される。

 これがこの馬頭の固有能力、"魔衝波"である。効果は単純で、魔力を衝撃波に変換する能力だ。だが単純故に凄まじく、強力な固有魔術である。

 

 

 どうにか脳震盪からだけは回復した光輝は、必死に立ち上がり聖剣を構えた。だがその時にはもう馬頭が眼前まで迫っており、再び拳を突き出していた。

 光輝は聖剣を盾にするが左腕は完全に粉砕されており、右腕一本では衝撃を流しきれず再び吹き飛ばされる。その後も、辛うじて致命傷だけは避けていく光輝だったが、四本の腕から繰り出される"魔衝波"を捌く事で精一杯となり、また最初の一撃によるダメージが思いの外深刻で動きが鈍く、反撃の糸口がまるで掴めなかった。

「ぐぅうっ! 何だこいつの強さは!? 俺は"限界突破"を使っているのに!!」

「ルゥアアアア!!」

 苦しそうに表情を歪めながら、"限界突破"発動中の自分を圧倒する馬頭の魔物に焦燥感を募らせる光輝は、このままではジリ貧だと思いダメージ覚悟で反撃に出ようとした。

 だが……

 

「ッ!?」

 

 その決意を実行する前に、光輝の足からカクンと力が抜ける。遂に"限界突破"の時間切れがやって来たのだ。短時間に二回も使った弊害か、今までより重い倦怠感に襲われ、踏み込もうとした足に力が入らない。

 その隙を馬頭が逃す筈もない。突然力が抜けてバランスを崩し、死に体となった光輝の腹部に馬頭の拳がズドン! と衝撃音を響かせながらめり込んだ。

 

「ガハッ!」

 

 血反吐を撒き散らしながら体をくの字に折り曲げて吹き飛び、光輝は再び壁に叩きつけられた。"限界突破"の副作用により弱体化していた事もあり、光輝の意識は容易く刈り取られ、肉体的にも瀕死の重傷を負い、倒れ込んだままピクリとも動かなくなった。即死しなかったのは恐らく、馬頭が手加減したのだろう。

 馬頭が光輝に近づき、首根っこを掴んで持ち上げる。完全に意識を失い脱力している光輝を、馬頭は女魔人族に掲げる様にして見せた。女魔人族はそれに満足げに頷くと、隠し部屋に突入させた魔物達を引き上げさせる。

 

 

 暫くすると、警戒心たっぷりに雫達が現れた。そして見た事も無い巨大な馬頭の魔物が、その手に脱力した光輝を持ち上げている姿を見て、表情を絶望に染めた。

 

「うそ……だろ? 光輝が……負けた?」

「そ、そんな……」

 

 意味の無い言葉が零れ落ちる。

 流石の雫や香織、鈴も言葉が出ない様で、その場に立ち尽くしている。そんな戦意を喪失している彼等に、女魔人族が冷ややかな態度を崩さずに話しかけた。

 

「ふん、こんな単純な手に引っかかるとはね。色々と……舐めてるガキだと思ったけど、その通りだった様だね」

 

 雫が蒼褪めた表情で、それでも気丈に声に力を乗せながら女魔人族に問いかける。

「……何をしたの?」

「ん? これだよ、これ」

 そう言って女魔人族は、未だにブルタール擬きに掴まれているメルドへ視線を向ける。その視線を辿り瀕死のメルドを見た瞬間、雫は理解した。

 

 メルドは、光輝の気を逸らす為に使われたのだと。知り合いが瀕死で捕まっていれば、光輝は必ず反応するだろう。それも、かなり冷静さを失って。

 

 恐らく前回の戦いで、光輝の直情的な性格を魔人族の女は把握したのだ。そしてキメラの固有能力でも使って、温存していた強力な魔物を潜ませて光輝が激昂して飛びかかる瞬間を狙ったのだろう。

 

「……それで? 私達に何を望んでいるの? 態々生かしてこんな会話にまで応じている以上、何かあるんでしょう?」

「ああ、やっぱりアンタが一番状況判断出来るようだね。なに、特別な話じゃない。前回のアンタ達を見て、もう一度だけ勧誘しておこうかと思ってね。ほら、前回は勇者君が勝手に全部決めていただろう? 中々アンタ等の中にも優秀な者はいる様だし、だから改めてもう一度ね。で? どうだい?」

 女魔人族の言葉に何人かが反応する。それを尻目に、雫は臆す事無く再度疑問をぶつけた。

「……光輝はどうするつもり?」

「ふふ、聡いね……。悪いが、勇者君は生かしておけない。こちら側に来るとは思えないし、説得も無理だろう? 彼は自己完結するタイプだろうからね。ならこんな危険人物、生かしておく理由は無い」

「……それは、私達も一緒でしょう?」

「勿論。後顧の憂いになるって分かっているのに生かしておく訳無いだろう?」

「今だけ迎合して、後で裏切るとは思わないのかしら?」

「それも勿論思っている、だから首輪くらいは付けさせてもらうさ。ああ、安心していい。反逆出来ない様にするだけで、自律性まで奪うものじゃないから」

「自由度の高い、奴隷って感じかしら。自由意思は認められるけど、主人を害する事は出来ないっていう……」

「そうそう。理解が早くて助かるね。何より、勇者君と違って会話が成立するのがいい」

 

 雫と女魔人族の会話を黙って聞いていた他のメンバーが、不安と恐怖に揺れる瞳で互いに顔を見合わせる。女魔人族の提案に乗らなければ、光輝すら歯が立たなかった魔物達に襲われ十中八九殺される事になるだろうし、だからといって、魔人族側につけば首輪をつけられ二度と彼等とは戦えなくなる。

 それはつまり、実質的に"神の使徒"ではなくなるという事だ。そうなった時、果たして聖教教会は、何とかして帰ってきたものの役に立たなくなった自分達を保護してくるのか。……そして、元の世界に帰る事は出来るのか……どちらに転んでも碌な未来が見えない。

 しかし……

 

「わ、私、あの人の誘いに乗るべきだと思う!」

 

 誰もが言葉を発せない中、意外な事に恵里が震えながら必死に言葉を紡いだ。それに雫達は驚いた様に目を見開き、彼女をマジマジと注目する。

 必死の提案をした恵里に、龍太郎が顔を怒りに染めて怒鳴り返した。

「恵里、てめぇ! 光輝を見捨てる気か!」

「ひっ!?」

「龍太郎、落ち着きなさい! 恵里、どうしてそう思うの?」

 龍太郎の剣幕、怯えた様に後退る恵里だったが、雫が龍太郎を諌めた事で何とか踏み留まった。そして深呼吸するとグッと手を握りしめて、心の内を語る。

 

「わ、私は、ただ……皆に死んで欲しくなくて……光輝君の事は、私には……どうしたらいいか……うぅ、ぐすっ……」

 

 ポロポロと涙を零しながらも一生懸命言葉を紡ぐ恵里。そんな彼女を見て他のメンバーが心を揺らす。すると一人、恵里に賛同する者が現れた。

「俺も中村と同意見だ。もう、俺達の負けは決まったんだ。全滅するか、生き残るか。迷う事も無いだろう?」

「檜山……それは、光輝はどうでもいいってことかぁ? あぁ?」

「じゃあ坂上、お前はもう戦えない天之河と心中しろっていうのか? 俺達全員?」

「そうじゃねぇ! そうじゃねぇが!」

「代案がないなら黙ってろよ。今は、どうすれば一人でも多く生き残れるかだろ」

 檜山の発言で、更に誘いに乗るべきだという雰囲気になる。檜山の言う通り、死にたくなければ提案を呑むしかないのだ。

 

 

 しかしそれでも素直にそれを選べないのは、光輝を見殺しにて自分達だけ生き残っていいのか? という罪悪感が原因だ。まるで、自分達が光輝を差し出して生き残る様で踏み切れないのである。

 

 そんな雫達に、絶妙なタイミングで女魔人族から再度提案がなされた。

「ふ~ん? 勇者君の事だけが気がかりというなら……生かしてあげようか? 勿論、アンタ達にするものとは比べ物にならない程強力な首輪を付けさせてもらうけどね。その代わり、全員魔人族側についてもらうけど」

 

 

 雫は、その提案を聞いて内心舌打ちする。

 

 女魔人族は、最初からそう提案するつもりだったのだろうと察したからだ。光輝を殺す事が決定事項なら、現時点で生きている事が既におかしい。問答無用に殺しておけばよかったのだ。

 

 それをせずに今も生かしているのは、正にこの瞬間の為だ。恐らく、女魔人族は前回の戦いを見て、光輝達が有用な人材である事を認めたのだろう。だが会話すら成立しなかった事から、光輝が靡く事は無いと確信した。しかし、他の者はわからない。なので、光輝以外の者を魔人族側に引き込む為策を弄したのだ。

 

 一つが、光輝を現時点では殺さない事で反感を買わない事。二つ目が、生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰めて選択肢を狭める事。そして三つ目が、“それさえなければ”という思考になる様に誘導し、ここぞという時にその問題点を取り除いてやる事だ。

 

 現に光輝を生かすと言われて、それなら生き残れるし罪悪感も無いと、魔人族側に寝返る事を良しとする雰囲気になり始めている。

 本当に光輝が生かされるかについては、何の保証も無い。殺された後に後悔しても、もう魔人族側には逆らえない。それでも、ただ黙って死ぬよりはマシだと。

 

 雫もまた、リスクを承知で提案を吞む側へと心の天秤を傾けていた。今、この時を生き残りさえすれば、光輝を救う手立てもあるかもしれないと。

 

 

 女魔人族としても、ここで雫達を手に入れる事は大きなメリットがあった。

 

 一つは言うまでもなく、人間族側に齎すであろう衝撃だ。なにせ人間族の希望たる"神の使徒"が、そのまま魔人族側につくのだ。その衝撃……いや、絶望は余りに深いだろう。これは魔人族側にとって、極めて大きなアドバンテージだ。

 

 二つ目が、戦力の補充である。女魔人族が【オルクス大迷宮】に来た本当の目的、それは迷宮攻略によって齎される大きな力だ。ここまでは手持ちの魔物達で簡単に一掃できるレベルだったが、この先もそうとは限らない。幾分か魔物の数も光輝達に殺られて減らしてしまったので、戦力の補充という意味でも雫達を手に入れるのは都合がよかったという事だ。

 このままいけば、雫達が手に入る。雰囲気でそれを悟った魔人族の女が微かな笑みを口元に浮かべた。

 

 しかしそれは、突然響いた苦しそうな声によって直ぐに消される事になった。

 

 

「み、皆……ダメだ……従うな……」

 

 

 

「光輝!」

「光輝君!」

「天之河!」

 

 声の主は、宙吊りにされている光輝だった。仲間達の目が一斉に光輝の方を向く。

「……騙されてる……アランさん達を……殺したんだぞ……信用……するな……人間と戦わされる……奴隷にされるぞ……逃げるんだ……俺はいい……から……一人でも多く……逃げ……」

 息も絶え絶えに取引の危険性を訴え、そんな取引をするくらいなら自分を置いて一か八か死に物狂いで逃げろと主張する光輝に、しかし檜山が頭を振った。

 

「……こんな状況で、一体何人が生き残れると思ってんだ? いい加減、現実をみろよ! 俺達は、もう負けたんだ! 騎士達の事は……殺し合いなんだ、仕方ないだろ! 一人でも多く生き残りたいなら、従うしかないだろうが!」

 檜山の怒声が響く。この期に及んでまだ引こうとしない光輝に怒りを含んだ眼差しを向ける。

 

 

 檜山は、兎に角確実に生き残りたいのだ。最悪、他の全員が死んでも香織と自分だけは生き残りたかった。一か八かの逃走劇では、その可能性は低いのだ。

 

 魔人族側についても、本気で自分の有用性を示せば重用してもらえる可能性は十分にあるし、そうなれば香織を手に入れる事だって出来るかもしれない。勿論、首輪をつけて自由意思を制限した状態で。檜山としては、別に彼女に自由意思がなくても一向に構わなかった。兎に角、香織を自分の所有物に出来れば満足だった。

 

 

 檜山の怒声により、より近く確実な未来に心惹かれていく仲間達。

 

 とその時。また一つ苦しげな、しかし力強い声が部屋に響き渡る。

 小さな声なのに、何故かよく響く低めの声音。戦場にあって、一体何度その声に励まされて支えられてきたか。どんな状況でも的確に判断し、力強く迷い無く発せられる言葉、大きな背中を見せて手本となる姿のなんと頼りになる事か。

 皆が兄の様に、或いは父の様に慕った男。メルドの声が響き渡る。

 

 

「ぐっ……お前達……お前達は生き残る事だけ考えろ! ……信じた通りに進め! ……私達の戦争に……巻き込んで済まなかった……お前達と過ごす時間が長くなる程……後悔が深くなった……だから、生きて故郷に帰れ……人間族の事は気にするな……最初から…これは私達の戦争だったのだ!」

 

 

 メルドの言葉は、ハイリヒ王国騎士団団長としての言葉ではなかった。唯の一人の男、メルド・ロギンスの言葉。立場を捨てたメルドの本心。それを晒したのは、これが最後と悟ったからだ。

 光輝達がメルドの名を呟きながらその言葉に目を見開くのと、メルドが全身から光を放ちながらブルタール擬きを振り払い、一気に踏み込んで女魔人族に組み付いたのは同時だった。

「魔人族……一緒に逝ってもらうぞ!」

「……それは……へぇ、自爆かい? 潔いね。嫌いじゃないよ、そう言うの」

「抜かせ!」

 

 メルドを包む光。一見、光輝の"限界突破"の様に体から魔力が噴き出している様にも見えるが、正確には体からではなく首から下げた宝石の様な物から噴き出している様だった。

 それを見た女魔人族が、知識にあった様で一瞬で正体を看破し、メルドの行動をいっそ小気味よいと称賛する。

 

 

 その宝石は名を"最後の忠誠"と言い、魔人族の女が言った通り自爆用の魔道具だ。

 

 国や聖教教会の上層の地位にいるものは、当然それだけ重要な情報も持っている。闇系魔術の中には、ある程度の記憶を読み取るものがあるので、特にその様な高い地位にある者が前線に出る場合は、強制的に持たされるのだ。いざという時は、記憶を読み取られない様に敵を巻き込んで自爆しろという意図で。

 

 

 メルドの正に身命を賭した最後の攻撃に、光輝達は悲鳴じみた声音でメルドの名を呼ぶ。しかしそんな光輝達に反して、自爆に巻き込まれて死ぬかもしれないというのに女魔人族は一切余裕を失っていなかった。

 そして、メルドの持つ"最後の忠誠"が一層輝きを増し、正に発動するという直前に一言呟いた。

 

「喰らい尽くせ、アブソド」

 

 女魔人族の声が響いた直後、臨界状態だった"最後の忠誠"から溢れ出していた光が猛烈な勢いでその輝きを失っていく。

「なっ!? 何が!」

 よく見れば、溢れ出す光はとある方向に次々と流れ込んでいる様だった。メルドが必死に女魔人族に組み付きながら視線だけをその方向にやると、そこには六本足の亀型の魔物がいて、大口を開けながらメルドを包む光を片っ端から吸い込んでいた。

 

 

 六足亀の魔物、名をアブソド。その固有魔術は"魔力貯蔵"。任意の魔力を取り込み、体内でストックする能力だ。同時に複数属性の魔力を取り込んだり、違う魔術に再利用する事は出来ない。精々、圧縮して再び口から吐き出すだけの能力だ。だが、その貯蔵量は上級魔術ですら余さず呑み込める程。魔術を主戦力とする者には天敵である。

 

 

 メルドを包む"最後の忠誠"の輝きが急速に失われ、遂にただの宝石となり果てた。最期の足掻きを予想外の方法で阻止され呆然とするメルドを、突如衝撃が襲う。それ程強くない衝撃だ。「何だ?」とメルドは衝撃が走った場所、自分の腹部を見下ろす。

 

 そこには、赤茶色でザラザラした見た目の刃が生えていた。正確には、メルドの腹部から背中にかけて、砂塵で出来た刃が貫いているのだ。背から飛び出している刃にはべっとりと血が付いていて、先端からはその雫も滴り落ちている。

 

「……メルドさん!」

 

 光輝が血反吐を吐きながらも、大声でメルドの名を呼ぶ。メルドがその声に反応して、自分の腹部から光輝に目を転じ、眉を八の字にすると「すまない」と口だけを動かして悔しげな笑みを浮かべた。

 

 直後、砂塵の刃が横薙ぎに振るわれメルドが吹き飛ぶ。人形の様に力を失ってドシャ! と地面に叩きつけられた。少しずつ血溜りが広がっていく。誰が見ても致命傷だった。満身創痍の状態で、あれだけ動けただけでも驚異的であったのだが、今度こそ完全に終わりだと誰にでも理解出来た。

 

 咄嗟に、間に合わないと分かっていても香織が遠隔で回復魔術をメルドにかける。僅かに出血量が減った様に見えるが、香織自身もう殆ど魔力が残っていないので傷口が一向に塞がらない。

「うぅ、お願い! 治って!」

 魔力が枯渇しかかっている為に、酷い倦怠感に襲われ膝を突きながらも必死に回復魔術をかける香織。

「まさか、あの傷で立ち上がって組み付かれるとは思わなかった。流石は王国の騎士団長、称賛に値するね。だが今度こそ終わり……これが一つの末路だよ。アンタ等はどうする?」

 

 女魔人族が赤く染まった砂塵の刃を軽く振りながら、光輝達を睥睨する。再び目の前で近しい人が死ぬ光景を見て、一部の者を除いて皆が身を震わせた。女魔人族の提案に乗らなければ、次は自分がああなるのだと嫌でも理解させられる。

 檜山が代表して提案を呑もうと女魔人族に声を発しかけた。だがその時、

 

 

「……るな」

 

 

 未だ馬頭に宙吊りにされながら力なく脱力する光輝が、小さな声で何かを呟く。満身創痍で何の驚異にもならない筈なのに、何故か無視できない圧力を感じ、檜山は言葉を呑み込んだ。

「は? 何だって? 死に損ない」

 女魔人族も光輝の呟きに気がついた様で、どうせまた喚くだけだろうと鼻で笑いながら問い返した。光輝は俯かせていた顔を上げ、真っ直ぐに女魔人族をその眼光で射抜く。

 女魔人族は、光輝の眼光を見て思わず息を呑んだ。

 

 何故なら、その瞳が白銀色に変わって輝いていたからだ。得体の知れないプレッシャーに思わず後退りながら、本能が鳴らす警鐘に従って馬頭に命令を下す。雫達の取り込みに対する有利不利など気にしている場合ではないと本能で悟ったのだ。

 

 

「アハトド! 殺りな!」

「ルゥオオオ!!」

 

 馬頭改め、アハトドは女魔人族の命令を忠実に実行し"魔衝波"を発動させた二つの拳で宙吊りにしている光輝を両サイドから押し潰そうとした。

 

 だがその瞬間、カッと爆ぜる様な光が光輝から溢れ出し、それが奔流となって天井へと竜巻の如く巻き上がった。そして、光輝が自分を掴むアハトドの腕に右手の拳を振るうと、ベギャ! という音を響かせて、いとも簡単に粉砕してしまった。

「ルゥオオオ!!?」

 先程とは異なる絶叫を上げ思わず光輝を取り落とすアハトドに、光輝は負傷を感じさせない動きで回し蹴りを叩き込む。

 

 ズドォン!!

 

 大砲の様な衝撃音を響かせて直撃した蹴りは、アハトドの巨体をくの字に折り曲げて後方の壁へと途轍もない勢いで吹き飛ばした。轟音と共に壁を粉砕しながらめり込んだアハトドは、衝撃で体が上手く動かないのか必死に壁から抜け出ようとするが、僅かに身動ぎする事しか出来ない。

 光輝はゆらりと体を揺らして、取り落としていた聖剣を拾い上げると、射殺さんばかりの眼光で女魔人族を睨みつけた。同時に、竜巻の如く巻き上がっていた光の奔流が光輝の体へと収束し始める。

 

 

 ──"限界突破"終の派生技能『覇潰』。

 

 通常の"限界突破"が基本ステータスの三倍の力を制限時間内だけ発揮するのに対して、"覇潰"は基本ステータスの五倍の力を得る事が出来る。

 

 但し、唯でさえ限界突破しているところで、更に無理やり力を引き摺り出すのだ。今の光輝では発動は三十秒が限界、効果が切れた後の副作用も甚大だ。

 

 

 だがそんな事を意識する事も無く、光輝は怒りのままに女魔人族に向かって突進した。今光輝の頭にあるのは、メルドの仇を討つ事だけ。復讐の念だけだ。

 

 女魔人族が焦った表情を浮かべ、周囲の魔物を光輝に嗾ける。キメラが奇襲をかけ、黒猫が触手を射出し、ブルタール擬きがメイスを振るう。しかし光輝は、そんな魔物達には目もくれない。聖剣の一振りで薙ぎ払い、怒声を上げながら一瞬も立ち止まらず女魔人族の下へ踏み込んだ。

 

「お前ぇ! よくもメルドさんをぉっ!!」

 

「チィ!」

 大上段に振りかぶった聖剣を光輝は躊躇い無く振り下ろす。女魔人族は舌打ちしながら、咄嗟に砂塵の密度を高めて盾にするが……光の奔流を纏った聖剣は容易く砂塵の盾を切り裂き、その奥にいる彼女を袈裟斬りにした。

 砂塵の盾を作りながら後ろに下がっていたのが幸いして、両断される事こそ無かったが、女魔人族の体は深々と斜めに切り裂かれて、血飛沫を撒き散らしながら後方へと吹き飛んだ。

 

 

 背後の壁に背中から激突し、砕けた壁を背にズルズルと崩れ落ちた女魔人族の下へ、光輝が聖剣を振り払いながら歩み寄る。

 

「まいったね……あの状況で逆転なんて……。まるで三文芝居でも見てる気分だ」

 

 ピンチになれば隠された力が覚醒して逆転するというテンプレな展開に、女魔人族が諦観を漂わせた瞳で迫り来る光輝を見つめながら、皮肉気に口元を歪めた。

 傍にいる白鴉が固有魔術を発動するが、傷は深く直ぐには治らないし、光輝もそんな暇は与えないだろう。完全にチェックメイトだと魔人族の女は激痛を堪えながら、右手を伸ばし懐からロケットペンダントを取り出した。

 それを見た光輝が、まさかメルドと同じく自爆でもする気かと表情を険しくして一気に踏み込んだ。女魔人族だけが死ぬならともかく、その自爆が仲間をも巻き込まないとは限らない。故に発動する前に倒す! と止めの一撃を振りかぶった。だが……

 

「ごめん……先に逝く……愛してるよ、ミハイル……」

 

 愛しそうな表情で手に持つロケットペンダントを見つめながら、そんな呟きを漏らす女魔人族に、光輝は思わず聖剣を止めてしまった。覚悟した衝撃が訪れない事に訝しそうに顔を上げて、自分の頭上数ミリの場所で停止している聖剣に気がつく女魔人族。

 

 光輝の表情は愕然としており、目をこれでもかと見開いて女魔人族を見下ろしている。その瞳には何かに気がつき、それに対する恐怖と躊躇いが生まれていた。その光輝の瞳を見た女魔人族は、何が光輝の剣を止めたのかを正確に悟り侮蔑の眼差しを返した。その眼差しに光輝は更に動揺する。

 

「……呆れたね。まさか今になって漸く気がついたのかい? "人"を殺そうとしている事に」

「ッ!?」

 

 

 そう。光輝にとって魔人族とは、イシュタルに教えられた通り、残忍で卑劣な知恵の回る魔物の上位版、或いは魔物が進化した存在くらいの認識だったのだ。実際、魔物と共にあり魔物を使役している事がその認識に拍車をかけた。

 自分達と同じ様に誰かを愛し、誰かに愛され、何かの為に必死に生きている。そんな戦っている“人”だとは思っていなかったのである。或いは、無意識にそう思わないようにしていたのか……

 

 その認識が、女魔人族の愛しそうな表情で愛する人の名を呼ぶ声により覆された。否応なく、自分が今手にかけようとした相手が魔物などでなく、紛れもなく自分達と同じ"人"だと気がついてしまった。自分のしようとしている事が"人殺し"であると認識してしまったのだ。

 

 

「まさか、あたし達を"人"とすら認めていなかったとは……随分と傲慢な事だね」

「ち、ちが……俺は、知らなくて……」

「ハッ、"知ろうとしなかった"の間違いだろ?」

「お、俺は……」

「ほら? どうしたのさ? 所詮は戦いですらなく唯の"狩り"なんだろう? 目の前に死に体の一匹(・・)がいるぞ? さっさと狩ったらどうだい? お前が今までそうしてきた様に……」

「……は、話し合おう……は、話せばきっと……」

 

 光輝が聖剣を下げてそんな事をいう。そんな光輝に、女魔人族は心底軽蔑した様な目を向けて、返事の代わりに大声で命令を下した。

「アハトド! 剣士の女を狙え! 全隊攻撃せよ!」

 衝撃から回復していたアハトドが女魔人族の命令に従って、猛烈な勢いで雫に迫る。光輝達の中で、人を惹きつけるカリスマという点では光輝に及ばないものの、冷静な状況判断力という点では最も優れており、ある意味一番厄介な相手だと感じていた為に真っ先に狙わせたのだ。

 

 他の魔物達も、一斉に雫以外のメンバーを襲い始めた。優秀な人材に首輪をつけて寝返らせるメリットより、光輝を殺す事に利用すべきだと判断したのだ。それだけ女魔人族にとって光輝の最後の攻撃は脅威だった。

 

「な、どうして!」

「自覚のない坊ちゃんだ……私達は"戦争"をしてるんだよ! 未熟な精神に巨大な力、アンタは危険過ぎる! 何が何でもここで死んでもらう! ほら、お仲間を助けに行かないと全滅するよ!」

 

 光輝は自分の提案を無視した女魔人族に疑問を口にするが、女魔人族は取り合わない。

 そして女魔人族の言葉に光輝が振り返ると、丁度雫が吹き飛ばされ地面に叩きつけられているところだった。

 

 アハトドは、唯でさえ強力な魔物達ですら及ばない一線を画した化け物だ。不意打ちを受けて負傷していたとは言え、"限界突破"発動中の光輝が圧倒された相手なのである。雫が一人で対抗できる筈が無かった。

 光輝は蒼褪めて"覇潰"の力そのままに一瞬で雫とアハトドの間に入ると、寸でのところで"魔衝波"の一撃を受け止める。そしてお返しとばかりに聖剣を切り返し、腕を一本切り飛ばした。

 

 しかしそのまま止めを刺そうと懐に踏み込んだ瞬間、先程の再現かガクンと膝から力が抜けそのまま前のめりに倒れ込んでしまった。

 

 "覇潰"のタイムリミットだ。そして最悪な事に、無理に無理を重ねた代償は弱体化などという生温いものではなく、体が麻痺した様に一切動かないというものだった。

 

「こ、こんな時に!」

「光輝!」

 

 倒れた光輝を庇って、雫がアハトドの切り飛ばされた腕の傷口を狙って斬撃を繰り出す。流石に傷口を抉られて平然としてはいられなかった様で、アハトドが絶叫を上げながら後退った。その間に雫は、光輝を掴んで仲間の下へ放り投げる。

 

 光輝が動けなくなり、仲間は魔物の群れに包囲されて防戦するので精一杯。ならば……「自分がやるしかない!」と雫は魔人族の女を睨む。その瞳には間違い無く殺意が宿っていた。

 

 

「……へぇ。アンタは殺し合いの自覚がある様だね。寧ろ、アンタの方が勇者と呼ばれるに相応しいんじゃないかい?」

 

 女魔人族は白鴉の固有魔術で完全に復活した様で、フラつく事も無く確りと立ち上がり雫をそう評した。

 

「……そんな事どうでもいいわ。光輝に自覚が無かったのは私達の落ち度でもある、そのツケは私が払わせてもらうわ!」

 

 

 雫は、光輝の直情的で思い込みの激しい性格は知っていた筈なのに、本物の対人戦が無かったとはいえ認識の統一──即ち、自分達は人殺しをするのだと自覚する事を、今の今まで放置してきた事に責任を感じ歯噛みする。

 

 

 雫とて、人殺しの経験など無い。経験したいなどとは間違っても思わない。だが、戦争をするならいつかこういう日が来ると覚悟はしていた。剣術を習う上で、人を傷つける事の"重さ"も叩き込まれている。

 

 

 しかし、いざその時が来てみれば、覚悟など簡単に揺らぎ、自分のしようとしている事の余りの重さに恐怖して恥も外聞もなくそのまま泣き出してしまいたくなった。それでも雫は、唇の端を噛み切りながら歯を食いしばって、その恐怖を必死に抑えつけた。

 そして、神速の抜刀術で魔人族の女を斬るべく"無拍子"を発動しようと構えを取った。

 

 だがその瞬間、背筋を悪寒が駆け抜け本能がけたたましく警鐘を鳴らす。咄嗟に側宙しながらその場を飛び退くと、黒猫の触手がついさっきまで雫のいた場所を貫いていた。

 

「他の魔物に狙わせないとは言ってない。決意は立派だけどね、アハトドと他の魔物を相手にしながらあたしが殺せるかい!?」

「くっ!」

 

 女魔人族は「勿論あたしも殺るからね」と言いながら魔術の詠唱を始めた。"無拍子"による予備動作の無い急激な加速と減速を繰り返しながら魔物の波状攻撃を凌ぎつつ、何とか女魔人族の懐に踏み込む隙を狙う雫だったが、その表情は次第に絶望に染まっていく。

 

 

 何より苦しいのは、アハトドが雫のスピードについて来ている事だ。その鈍重そうな巨体に反して確り雫を眼で捉えており、隙を衝いて女魔人族の下へ飛び込もうとしても、一瞬で雫に並走して衝撃を伴った爆撃の様な拳を振るってくるのである。

 

 雫はスピード特化の剣士職であり、防御力は極めて低い。回避か受け流しが防御の基本なのだ。それ故に、"魔衝波"の余波だけでも少しずつダメージが蓄積していく。完全な回避も受け流しも出来ないからだ。

 

 そして、とうとう蓄積したダメージがほんの僅かに雫の動きを鈍らせた。それはギリギリの戦いにおいては致命の隙だ。

 

 

「あぐぅうっ!!?」

 

 咄嗟に剣と鞘を盾にしたが、アハトドの拳は雫の相棒を半ばから粉砕しそのまま雫の肩を捉えた。

 地面に対して水平に吹き飛び、体を強かに打ち付けて地を滑った後力なく横たわる雫。右肩が大きく下がって腕がありえない角度で曲がっている。完全に粉砕されてしまった様だ。体自体にも衝撃が通った様で、ゲホッゲホッと咳き込む度に血を吐いている。

 

「雫ちゃん!」

 

 香織が焦燥を滲ませた声音で雫の名を呼ぶが、雫は折れた剣の柄を握りながらも蹲ったまま動かない。

 その時香織の頭からは、仲間との陣形とか魔力が尽きかけているとか自分が傍に行っても意味は無いとか、そんな理屈の一切は綺麗さっぱり消え去っていた。あるのはただ"大切な親友の傍に行かなければ"という思いだけ。

 

 香織は衝動のままに駆け出す。魔力が殆ど残っていないため、体がフラつき足元が覚束ない。背後から制止する声が上がるが、香織の耳には届いていなかった。ただ一心不乱に雫を目指して無謀な突貫を試みる。当然無防備な香織を魔物達が見逃す筈も無く、情け容赦無い攻撃が殺到する。

 

 だが、それらの攻撃は全て光り輝く障壁が受け止めた。しかも、無数の障壁が通路の様に並べ立てられ香織と雫を一本の道で繋ぐ。

 

 

「えへへ。……やっぱり、一人は嫌だもんね」

 

 

 それを成したのは鈴だ。蒼褪めた表情で右手を真っ直ぐ雫の方へと伸ばし、全ての障壁を香織と雫を繋ぐ為に使う。その表情に淡い笑みが浮かんでいた。

 

 

 鈴は内心悟っていたのだ、自分達はもう助からないと。

 

 だから、大好きな友人達を最期の瞬間まで一緒にいさせる為に自分の魔法を使おうと、そう思ったのだ。当然その分、他の仲間の防御が薄くなる訳だが……鈴は内心で「ごめんね」と謝り、それでも香織と雫の為に障壁を張り続けた。

 

 鈴の障壁により、香織は多少の手傷を負いつつも雫の下へ辿り着いた。そして、蹲る雫の体をそっと抱きしめ支える。

 

「か、香織……何をして……早く、戻って。ここにいちゃダメよ」

「ううん。どこでも同じだよ。それなら、雫ちゃんの傍がいいから」

「……ごめんなさい。勝てなかったわ」

「私こそ、これくらいしか出来なくてごめんね。もう殆ど魔力が残ってないの」

 

 雫を支えながら眉を八の字にして微笑む香織は、痛みを和らげる魔術を使う。雫も、無事な左手で自分を支える香織の手を握り締めると困った様な微笑みを返した。

 

 

 そんな二人の前に影が差す。アハトドだ。血走った眼で寄り添う香織と雫を見下ろし、「ルゥオオオ!!」と独特の咆哮を上げながら、その極太の腕を振りかぶっていた。

 

 鈴の障壁が、いつの間にか接近を妨げる様にアハトドと香織達の間に張られているが、そんな障壁は気にもならないらしい。己の拳が一度振るわれれば、紙屑の様に破壊し、その衝撃波だけで香織達を粉砕できると確信しているのだろう。

 

 今正に放たれようとしている死の鉄槌を目の前にして、香織の脳裏に様々な光景が過ぎっていく。「ああ、これが走馬灯なのかな?」と妙に落ち着いた気持ちで、思い出に浸っていた香織だが、最後に浮かんだ光景に心がざわついた。

 

 それは、月下のお茶会。二人っきりの語らいの思い出。自ら誓いを立てた夜の事。困った様な笑みを浮かべる今はいない彼。いなくなって初めて"好き"だったのだと自覚した。生存を信じて追いかけた。

 

 だが、それもここで終わる。「結局また、誓いを破ってしまった」。そんな思いが、気がつけば香織の頬に涙となって現れた。

 再会したら、先ずは名前で呼び合いたいと思っていた。その想いのままに、せめて最後に彼の名を……自然と紡ぐ。

 

「……ソウゴくん」

 

 その瞬間だった。

 

 

 

 

「"神羅天征"」

 

 

 

 

 何の前触れも無く、灰色に揺らめくオーロラが出現したのは。

 

 その場の全てを平伏させる様な、静謐さと重厚さを併せ持った声が響いたのは。

 

 

 

 アハトドは、まるで見えない壁にでも衝突したかの様に拉げ、そのまま反対方向へ肉片となって吹き飛んだ。

 それどころか、他のメンバーを襲っていた魔物達までもが押し返される様に吹き飛び、壁面に叩きつけられる。その大半は絶命し、壁を彩る真紅の模様に変貌する。

 

 

 その光景に、眼前にいた香織と雫は勿論の事、光輝達や女魔人族までもが硬直する。

 

 

 戦場には似つかわしくない静寂が辺りを支配し、誰もが訳も分からず呆然と立ち尽くしていると、オーロラが晴れて人影が見える様になってくる。

 

 その内の一人が、掲げていた腕を下げながら周囲を睥睨する。

 そして肩越しに振り返り、背後で寄り添い合う香織と雫を見やった。

 

 

 振り返るその人物と目が合った瞬間、香織の体に電撃が走る。

 悲しみと共に冷え切っていた心が、否、もしかしたら大切な人が消えたあの日から凍てついていた心が、突如火を入れられた様に熱を放ち、ドクンッドクンッと激しく脈打ち始めた。

 

 

「……ふむ。既に何人か死んでいると思ったが、存外持ち堪えているではないか」

 

 

 意外そうにそんな事を言う彼に、考えるよりも早く香織の心が歓喜で満たされていく。

 

 纏う雰囲気が違う、口調が違う、装いが違う、目つきが違う。

 

 だがわかる、香織には分かるのだ。

 

 彼だ。生存を信じて探し続けた、彼だ。そう……

 

 

 

「ソウゴくん!」

 

 

 




「光あれ」は万能呪文。言えば大体何とかなるよね。


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第十七話 Exterminate Time

東映アニメーションがシステム障害に遭ったせいでプリキュアの最新話が見れなくなったので初投稿です。

今回は色々実験してます。


「へ? ソウゴ君? って常磐君? えっ? 何!? どういう事!? えっ? えぇ!? ホントに? ホントに常磐君なの? えっ? 何? ホントどういう事!?」

 

 

 香織の歓喜に満ちた叫びに、隣の雫が混乱しながら香織とソウゴを交互に見やる。香織と同じく死を覚悟した直後の一連の出来事に、流石の雫も混乱が収まらない様で痛みも忘れて言葉を零す。

 しかし、自分達を見ている少年の顔立ちが記憶にある常磐ソウゴと重なり出すと、雫は大きく目を見開いて驚愕の声を上げた。

「八重樫雫。貴様の売りは冷静さではなかったか?」

 そんな雫の名を呼びながら諌めるソウゴの側で、開いた口が塞がらないと言わんばかりに感想を零すのは遠藤だ。

 

「一撃かよ……いや、マジで半端ないな常磐。しかもホントに一瞬で戻ってこれたし……何だよさっきの灰色の……」

 

 呆然としながら周囲を見渡した遠藤は、そこに親友達がいて硬直しながら自分達を見ている事に気がつき「ぬおっ!」などと奇怪な悲鳴を上げた。そんな遠藤に、再会の喜び半分、何故戻ってきたのかという憤り半分の声がかかる。

 

「「浩介!」」

「重吾! 健太郎! 助けを呼んできたぞ!」

 

 "助けを呼んできた"。その言葉に反応して、光輝達も女魔人族も漸く我を取り戻した。そして改めてソウゴとその後ろの二人の少女を凝視する。

 だが、そんな周囲の者達の視線などはお構いなしといった様子でソウゴは素早く手を動かす。

「取り敢えず……その男は返してもらうぞ」

 ソウゴがそう言った瞬間、足元の石ころとメルドが入れ替わる。唖然とする女魔人族を尻目に、ユエとシアに指示を出す。

「ユエ、シア。あそこで固まっている小僧共を見張っていろ。下手に動かれても邪魔になる」

「ん……任せて」

「了解ですぅ!」

 ユエとシアはその言葉に従い、周囲の僅かに生き残った魔物をまるで気にした様子もなく悠然と歩みを進める。

 

 

「ソ、ソウゴくん……」

 

 香織が再度、ソウゴの名を声を震わせながら呼んだ。ありとあらゆる感情が飽和して、今にも溢れ出しそうなのを必死に抑えているかの様な声音だ。再会の歓喜は言わずもがな、募りに募った恋慕の情が切なさを伴って滲み出ている。

 

 尤も、その熱いマグマの様な熱情とは裏腹に、凍える様な悲痛さもソウゴを呼ぶ声には含まれていた。それは、この死地にソウゴが来てしまったが故だろう。どういう経緯か香織には分からなかったが、それでも直ぐに逃げて欲しいという想いがその表情から有り有りと伝わる。

 

 

 ソウゴはチラリと香織を見返すと、肩を竦めて「心配するな」と頭を撫で短く伝えた。そして宝物庫から"アスティールワンダーライドブック"を取り出す。

 

OPEN THE CHRONICLE OF THE LEGEND!!

 

 開いたページから召喚したゴーレム"ライド・オブ・レジェンズ"を香織と雫の周りに護衛の様に配置した。

 

 

 突然虚空から現れた四体の甲冑に、目を白黒させる香織と雫。そんな二人に背を向けると、ソウゴは元凶たる女魔人族に向かって傲慢とも言える提案をした。

「そこの小娘、降参するなら今のうちだ。潔く諦めるなら、苦しまずに逝けるぞ」

 

「……何だって?」

 

 尤も、魔物に囲まれた状態で普通の人間のする発言ではない。なので、思わずそう聞き返す女魔人族。それに対してソウゴは、呆れた表情で繰り返した。

「……直に対面しても互いの力量差も判断出来んとはな。これでは私の優しさも理解出来ないのも当然か」

 勝手に納得した様子で溜息を吐くソウゴに、女魔人族はスっと表情を消した。そして、

 

「殺れ」

 

 と、ただ一言ソウゴを指差し魔物に命令を下した。

 

 

 この時、あまりに突然の事態──特に虎の子のアハトドが正体不明の攻撃により一撃死した事で、流石に冷静さを欠いていた女魔人族は致命的な間違いを犯してしまった。

 

 ソウゴの物言いもあったのだろうが、敬愛する上司から賜ったアハトドは失いたくない魔物であり、それを一瞬でミンチにしたソウゴに怒りを抱いていた事が原因だろう。あとは、単純に何の前触れも無く現れるというありえない事態に混乱していたというのもある。

 

 兎に角、普段の彼女ならもう少し慎重な判断が出来た筈だった。しかし、既に賽は投げられてしまった。

 

 

「不遜よなぁ」

 

 ソウゴがそう呟いたのと、揺らめく空間が襲いかかったのは同時だった。ソウゴの背後から「ソウゴくん!」「常磐君!」と焦燥に満ちた警告の声が聞こえる。

 

 しかし、ソウゴは左側から襲いかかってきたキメラを意にも介さず左手で鷲掴みにすると、まるで子猫でも持ち上げる様に宙に持ち上げてしまった。

 

 キメラが驚愕しながらも拘束を逃れようと暴れている様で、空間が激しく揺らめく。それを見て、ソウゴが呆れた様な眼差しになった。

「……何だこれは? 覚えたての子供の手品の方がまだマシだぞ?」

 気配や姿を消す固有魔術だろうに、動いたら空間が揺らめいてしまうなど意味が無いにも程があるとソウゴは思わず溜息を溢す。

 

 

 ソウゴはこれまでの長い在位期間で、当然と言えば当然だが暗殺を企てられた事も一度や二度ではない。それ以外にも司波達也やクーファ=ヴァンピール、ルーグや歴代ハサン・サッバーハ等、正に達人級のそれらに比べれば、動くだけで崩れる隠蔽などソウゴからすれば余りに稚拙だった。

 

 

 数百キロはある巨体を片手で持ち上げ、キメラ自身も空中で身を捻り大暴れしているというのに微動だにしないソウゴに、女魔人族や香織達が唖然とした表情をする。

 

 ソウゴはそんな彼等を尻目に、観察する価値も無いと言わんばかりに腕を引けば、ブチィッ! という生々しい音が響き渡り、激しく揺らめいていた空間がピタリと止まった。そうすれば、現れるのは頭部を失ったキメラの姿。今までの威容など欠片も無く、剥き出しになった首の断面からだらだらと血を流しながらピクリとも動かない。

 

「マジ、かよ……」

 

 誰かが掠れる声で呟いた。

 ソウゴは引き千切ったキメラの頭を適当に放り投げると、極めて自然な動作で腕を上げる。まるで水が高きから低きへ流れるが如く、不自然に思える程自然に行われた動き。一見理由の分からないその動き。しかし次の瞬間その指が閃き、

 

 ピュン! ピュン!

 

 乾いた破裂音を置き去りにし、空を切り裂いて二条の閃光が駆け抜ける。すると空間が一瞬揺ぎ、そこから心臓を撃ち抜かれたキメラとブルタール擬きが現れ、僅かな停滞の後ぐらりと揺れて地面に崩れ落ちた。

「な、なんで分かったのさ……」

 女魔人族が、自分でも自覚が無いままに疑問を口にした。

 ソウゴは鼻を鳴らすだけで何も答えない。

 

 ソウゴからすれば、例え動いていなくても風の流れに空気や地面の震動、視線、殺意、魔力の流れ、体温、臓器や血流の音等がまるで隠蔽できていない彼等は、ただそこに佇むだけの的でしかない。当然の摂理だ。

 瞬殺した魔物には目もくれず、ソウゴが一歩踏み出す。

 

 

 これより始まるのは、殺し合いどころか戦闘ですらない。決して逆らってはいけない魔王による道端の石ころを蹴とばす様な蹂躙(ワンサイドゲーム)だ。

 

 

 

 あまりにあっさり殺られた魔物を見て唖然とする女魔人族や、理解出来ない速度で三体もの魔物を倒した事実に度肝を抜かれて立ち尽くしている永山達。

 

 そんな硬直する者達をおいて、魔物達は女魔人族の命令を忠実に実行するべく次々にソウゴへと襲いかかった。

 

 

 黒猫が背後より忍び寄り、触手を伸ばす。だが、ソウゴは何もしない。

 

 触手はソウゴに触れた瞬間に爆ぜ、そのまま本体も肉片に変わる。

 弾け飛んだ仲間の魔物には目もくれず、左右から同時に四つ目狼が飛びかかる。が、彼等も黒猫と同じく、ソウゴに近づいた瞬間爆散する。

 

 刹那、絶命した四つ目狼の真後ろに潜んでいた黒猫がソウゴの背後から迫るキメラと連携して触手を射出するが、何事も無いかの様に進むソウゴの足は止められない。すれ違う瞬間に肩がぶつかった程度の接触で、黒猫とキメラは原形を留めぬ死骸になる。

 

「グルァアアアアアッ!」

「オォオオオオオッ!」

 

 雄叫びを上げて、左右からブルタール擬きが挟撃を仕掛けてくる。死神の鎌の如く一切合切を叩き潰しそうなメイスが風を唸らせて迫るが、ソウゴに当たった瞬間砕け散り、その身体はあり得ない方向へ捻じ曲がる。苦悶の声を上げながら倒れる二体はソウゴの足に当たり、蹴り飛ばされる様に肉片を散らせながら吹き飛ぶ。

 

 そこへ、宙を縦横無尽に駆ける黒猫八体がソウゴに同時攻撃を仕掛けた。今度は触手ではなく、トリッキーな高速空中移動を用いた爪による斬撃の様だ。

 

 だがそれでも、ソウゴに反撃の意思すら浮かぶ事は無い。ただ歩む、ただ進む。威風堂々の言葉通りに肩で風を切る。獣道を進む為に足元の草を踏み潰す様に、ただ歩くだけで黒猫達を一掃する。

 

 

 それは、神話に語られる伝説の一節の様だった。

 

 

 メルドの使う王国騎士の剣術の様な堅実な動きではない。雫の八重樫流の様に流麗な動きでもない。寧ろソウゴのそれは、誰もが真似出来るものでは無かった。

 

 一切技術が無い。ソウゴはただ歩いているだけなのだ。

 

 敵が迫ってきても、攻撃を捉えても、一切何もしない。ただ当然の様に歩く。本当にそれだけ。魔物の攻撃は自分に害を与えない、自分に触れれば魔物は死ぬ、それを当然と思いただ歩くだけ。勝利とは掴むものではなく、ただ当然の様に目の前にあるものなのだと納得させる。

 

 ソウゴの顔に笑顔は無く、実につまらなそうに歩くのみ。

 

 敵を蹂躙する高揚も無ければ、勝利への喜びも無い。ソウゴにとってこの程度の敵は、蹂躙も勝利も当たり前。出来て当然の事なのだ。

 

 

 健常な人間が、一回呼吸する度に喜ぶだろうか? 食事をして、飲み込めた事を祝うだろうか? 歩く事、声を出す事に感動するだろうか?

 

 ソウゴにとって、目の前の光景はそのぐらいありふれた事なのだ。

 

 

 すると、ソウゴがあまりの手応えの無さに溜息を吐いたタイミングを見計らってか、四つ目狼とキメラが懲りもせず突進してきた。

 しかし結果は言うまでもない。まるで全速力で迫る電車に向かって無謀な子供が突進するかの如く、ソウゴに触れる瞬間に血溜りに沈む。

 

 血肉が花吹雪の様に舞い散る中で、キメラの死骸で視界が遮られる今がチャンスとでも思ったのか、踏み込んできたブルタール擬き二体がメイスを振りかぶる。

 

 しかし、そんな獣の浅知恵がソウゴに通じる訳も無く。ソウゴに触れたメイスは粉々に砕け散り、無数の散弾の様に弾け飛ぶ。

 解き放たれた殺意の風が、振りぬいて腕をあらぬ方向へ向けたブルタール擬き二体だけでなく、その後ろから迫っていたキメラと四つ目狼の頭部を穿って爆砕させる。其々血肉を撒き散らす魔物達が慣性の法則に従って、ソウゴと交差する様に地面の染みに変わる。

 ソウゴは返り血の一滴も浴びる事無く、変わらず悠然と歩を進める。

 

 その時、「キュワァアア!」という奇怪な音が突如発生した。

 

 アブソドが口を大きく開いてソウゴの方を向いており、その口の中には純白の光が輝きながら猛烈な勢いで圧縮されているところだった。

 

 

 それは先程、メルドの持つ“最後の忠誠”に蓄えられていた膨大な魔力だ。周囲数メートルという限定範囲ではあるが、人一人消滅させるには十分以上の威力がある。

 

 その強大な魔力が限界まで収束され、次の瞬間ソウゴを標的に砲撃となって発射された。

 射線上の地面を抉り飛ばしながら迫る死の光に、しかしソウゴは「眩しいな……」と呟くのみだった。この程度の豆鉄砲(・・・・・・・・)、態々防ぐまでも無い。

 

 魔力の砲撃は直撃する直前、不自然な程の急カーブを描いて曲がりその矛先を変えた。その砲撃が向かう先は……

 

「ッ!? 畜生!」

 

 女魔人族だ。ソウゴがあっさり魔物を殺し始めた瞬間から、危機感に煽られて大威力の魔術を放つべく仰々しい詠唱を始めたのだが、それが目についたソウゴが「砲撃に対応しつつ詠唱を続けられるか試してみるか」と砲撃を流したのだ。

 

 予想外の事態に慌てて回避行動を取る女魔人族に、ソウゴは溜息を吐きながら追いかける様に砲撃を誘導する。壁を破壊しながら迫る光の奔流に、壁際を必死に走る女魔人族。その表情に余裕は一切無い。

 

 しかし、愈々逸らされた砲撃が直ぐ背後まで迫り、女魔人族が自分の指示した攻撃に薙ぎ払われるのかと思われた直後、アブソドが蓄えた魔力が底を尽き砲撃が終わった。

 冷や汗を流しながらホッと安堵の息を吐く女魔人族だったが、次の瞬間には凍りついた。

 

 パァンッ!

 

 炸裂音が轟くと同時に右頬を衝撃が襲い、パッと白い何かが飛び散ったからだ。

 

 

 その何かは、先程まで女魔人族の肩に止まっていた白鴉の魔物の残骸だった。彼女へのほんの少しの期待を裏切られたソウゴの落胆と苛立ちが、アブソドと白鴉に向いたのである。

 アブソドは何が起きたか認識する事も出来ずに、全身の各部がバラバラに捻じ曲がって意識を永遠の闇に落とした。

 白鴉の方も胴体を破裂させて一瞬で絶命し、その白い羽を血肉と共に撒き散らした。その余波を受けた女魔人族は、衝撃にバランスを崩し尻餅を付きながら茫然とした様子でそっと自分の頬を撫でる。そこには白鴉の血肉がべっとりと付着しており、同時に衝撃によって浅く肉が抉れていた。

 後僅かでもずれていたら……そんな事を考えて背筋を粟立たせる。

 

 今も視線の先で、強力無比を謳った魔物の軍団をまるで戯れに虫を殺すが如く駆逐している男は、いつでも自分を殺す事が出来るのだ。今この瞬間も、自分の命は握られているのだ!

 

 その事実が、戦士たる強靭な精神を持っていると自負している女魔人族をして震え上がらせる。圧倒的な死の予感と、あり得べからざる化け物の存在に理性が磨り潰されるかの様だ。

 

 あれは何だ? 何故あんなものが存在している? どうすればあの化け物から生き残る事が出来る!?

 

 女魔人族の頭の中では、そんな思いがぐるぐると渦巻いていた。

 

 

 

 それは、光輝達も同じ気持ちだった。彼等は少年の正体を直ぐ様ソウゴとは見抜けず、正体不明の何者かが突然自分達を散々苦しめた魔物を歯牙にもかけず駆逐しているとしか分からなかったのだ。

 

 

「何なんだ……彼は一体、何者なんだ!?」

 

 光輝が動かない体を横たわらせながら、そんな事を呟く。今、周りにいる全員が思っている事だった。香織と雫にしか顔を見せていないから当然と言えば当然かもしれない。

 その答えを齎したのは、先に逃がし、けれど自らの意志でこの戦場に戻ってきた仲間、遠藤だった。

 

「はは、信じられないだろうけど……あいつは、常磐だよ」

「「「「「「は?」」」」」」

 

 遠藤の言葉に、光輝達が一斉に間の抜けた声を出す。遠藤を見て「頭大丈夫か、こいつ?」と思っているのが手に取る様にわかる。遠藤は「無理もないなぁ~」と思いながらも、事実なんだから仕方ないと肩を竦めた。

「だから、常磐だよ。常磐ソウゴ。あの日、橋から落ちた常磐だ。迷宮の底で生き延びて、自力で這い上がってきたらしいぜ。ここにも、アイツのお陰で一瞬で戻ってきたんだ。マジ有り得ねぇ! って俺も思うけど……事実だよ」

「常磐って、え? 常磐が生きていたのか!?」

 

 光輝が驚愕の声を漏らす。そして他の皆も一斉に、現在進行形で魔物を返り討ちにしている化け物じみた強さの少年を見つめ直し……その顔を見て愕然とした。

 

 間違いなく、あの常磐ソウゴだった。

 

 そんな心情もやはり手に取る様にわかる遠藤は「まぁ、そうなるよな。あの強さじゃ信じられないけど、ステータスプレートも見たし」と乾いた笑みを浮かべながら、彼が常磐ソウゴである事を再度伝える。

 

 

 誰もが信じられない思いでソウゴの無双ぶりを茫然と眺めていると、酷く狼狽した声で遠藤に喰ってかかる人物が現れた。

 

「う、嘘だ。常磐は死んだんだ。そうだろ? 皆見てたじゃんか。生きてる訳ない! 適当な事言ってんじゃねぇよ!」

「うわっ、なんだよ! ステータスプレートも見たし、本人が認めてんだから間違いないだろ!」

「嘘だ! 何か細工でもしたんだろ! それか、なりすまして何か企んでるんだ!」

「いや、何言ってんだよ? そんな事、する意味何にも無いじゃないか」

 

 遠藤の胸ぐらを掴んで無茶苦茶な事を言うのは檜山だ。顔を蒼褪めさせ、尋常ではない様子でソウゴの生存を否定する。周りにいる近藤達も檜山の様子に何事かと若干引いてしまっている様だ。

 

 そんな錯乱気味の檜山に、比喩ではなくそのままの意味で冷水が浴びせかけられた。檜山の頭上に突如発生した大量の水が小規模な滝となって降り注いだのだ。呼吸のタイミングが悪かった様で、若干溺れかける檜山。水浸しになりながらゲホッゲホッと咳き込む。「一体何が!?」と混乱する檜山に、冷水以上に冷ややかな声がかけられる。

 

「……大人しくして。邪魔になる」

 

 その物言いに再び激昂しそうになった檜山だったが、声のする方へ視線を向けた途端思わず言葉を呑み込んだ。何故ならその声の主、ユエの檜山を見る眼差しが、まるで虫けらでも見るかの様な余りに冷たいものだったからだ。

 

 同時に、その理想の少女を模した最高級のビスクドールの如き美貌に、状況も忘れて見蕩れてしまったというのも少なからずある。

 

 それは光輝達も同じだった様で、突然現れた美貌の少女に男女関係なく自然と視線が吸い寄せられた。鈴等は明から様に見蕩れて「ほわ~」と変な声を上げている。単に美しい容姿というだけでなく、どこか妖艶な雰囲気を纏っているのも見た目の幼さに反して光輝達を見蕩れさせている要因だろう。

 

 

 とその時、女魔人族が指示を出したのか、魔物が数体光輝達へ襲いかかった。メルドの時と同じく、人質にでもしようと考えたのだろう。普通に挑んでもソウゴを攻略できる未来がまるで見えない以上、常套手段だ。

 鈴が咄嗟にシールドを発動させようとする。度重なる魔術の行使に、唯でさえ絶不調の体が悲鳴を上げる。ブラックアウトしそうな意識を唇を噛んで堪えようとするが……そんな鈴をユエの優しい手つきが制止した。頭をそっと撫でたユエに、鈴が「ほぇ?」と思わず緩んだ声を漏らして詠唱を止めてしまう。

 

「……大丈夫」

 

 ただ一言そう呟いたユエに、鈴は何の根拠もないというのに「ああ、もう大丈夫なんだ」と体から力を抜いた。自分でも何故、そうも簡単にユエの言葉を受け入れたのかは分からなかったが、まるで頼りになる姉にでも守られている様な気がしたのだ。

 

 

 ユエが視線を鈴から外し、今まさにその爪牙を、触手を、メイスを振るわんとしている魔物達を睥睨する。そしてただ一言、魔術のトリガーを引いた。

 

「──"蒼龍"」

 

 その瞬間、ユエ達の頭上に直径一メートル程の青白い球体が発生した。それは、炎属性の魔術を扱う者なら知っている最上級魔術の一つ、あらゆる物を焼滅させる蒼炎の魔術──"蒼天"だ。

 それを詠唱もせずにノータイムで発動など尋常ではない。特に後衛組は、何が起こったのか分からず呆然と頭上の蒼く燃え盛る太陽を仰ぎ見た。

 

 しかし、彼等が本当に驚くべきはここからだった。何故なら、燦然と燃え盛る蒼炎が突如うねりながら形を蛇の様に変えて、今正にメイスを振り降ろそうとしていたブルタール擬き達に襲いかかるとそのまま呑み込み、一瞬で灰も残さず滅殺したからだ。

 宙を泳ぐ様に形を変えていく蒼炎は、やがてその姿を明確にしていく。

 

 それは蒼く燃え盛る龍だった。全長三十メートル程の蒼龍はユエを中心に光輝達を守る様に蜷局を巻くと鎌首を擡げた。そして、全てを滅する蒼き灼滅の業火に阻まれて接近すら出来ずに立ち往生していた魔物達に向かって、その顎門をガバッっと開く。

 

 ゴァアアアアア!!!

 

 爆ぜる様な咆哮が轟く。その直後、たじろぐ魔物達の体が突如重力を感じさせず宙に浮き、そのまま次々に蒼龍の顎門へと向けて飛び込んでいった。空中で藻掻き必死に逃げようとする様子から自殺ではないとわかるが、一直線に飛び込んで灰すら残さず焼滅していく姿は身投げの様で、質の悪い冗談にしか見えない。

 

「何、この魔法……」

 

 それは誰の呟きか。周囲の魔物を余さず引き寄せ勝手に焼滅させていく知識にない魔法に、もう光輝達は空いた口が塞がらない。

 

 それも仕方のない事だ。何せこの魔術は、"雷龍"と同じく炎属性最上級魔術"蒼天"と重力魔術の複合魔術でユエのオリジナルなのだから。

 

 

 より厳密には、以前ソウゴに見せてもらった"妃竜の大顎(ドラゴンファング)"という技の模倣なのだが。

 

 因みに、何故"雷龍"ではなく"蒼龍"なのかというと、単にユエの鍛錬を兼ねているからという理由だったりする。限定空間内で高熱を発する"蒼龍"を使うには、空気の調整と熱波からの保護が必要になる。"雷龍"より遥かに多くの技術が必要なのだ。

 

 

 当然そんな事情を知らない光輝達は、術者であるユエに説明を求めようと"蒼龍"から視線を戻した。

 

 しかし背筋を伸ばして悠然と佇み蒼き龍の炎に照らされる、いっそ神々しくすら見えるユエの姿に息を呑み、説明を求める言葉を発する事が出来なかった。

 そんなユエに早くも心奪われている者が数人……特に鈴の中の小さなおっさんが歓喜の声を上げている様だ。

 

 一方、女魔人族は遠くから"蒼龍"の威容を目にして内心「化け物ばっかりか!」と悪態をついていた。そして次々と駆逐されていく魔物達に焦燥感を露わにして、離れた所で寄り添っている二人の少女に狙いを変更する事にした。

 

 

 しかし女魔人族は、これより更なる理不尽に晒される事になる。

 

 

 香織と雫には、キメラや黒猫が襲いかかった。

 

 殺意を撒き散らしながら迫り来る魔物に歯噛みしながら半ばから折れた剣を構えようとする雫だったが、それを制止する様にソウゴが付けた護衛のゴーレムが二体、スっと雫とキメラの間に入る。

 

 自分を守る様に動いた謎の鎧騎士に雫が若干動揺していると、突然その内の片方、"アジガー"がキメラに向けて手に持った武器、片刃剣と両端薙刀を振り抜き一刀両断する。それと同時にもう片方、"ラヴィー"がフッと姿を消し、瞬きの間に黒猫を細切れに切り刻む。雫が「ホントに何なの!?」と内心絶叫していると、その隙を狙ってか別方向からブルタール擬きが迫る。しかしその攻撃に雫が気付く前に残りの二体、"ダーナヴ"と"アークラマン"が瞬殺する。

 

 

「ホントに……なんなのさ」

 

 

 力無くそんな事を呟いたのは女魔人族だ。何をしようとも、全てを理解不能の力でねじ伏せられ粉砕される。そんな理不尽に、諦観の念が胸中を侵食していく。最早魔物の数も殆ど残っておらず、誰の目から見ても勝敗は明らかだ。

 

 女魔人族は、最後の望み! と逃走の為に温存しておいた魔術をソウゴに向かって放ち、全力で四つある出口の一つに向かって走った。ソウゴのいる場所に放たれたのは"落牢"だ。

 

 ソウゴは迫る灰色の球体に何の脅威も見出せず、その歩みを止める事は無い。直後、ソウゴの直ぐ傍で"落牢"が炸裂し、石化の煙がソウゴを包み込んだ。光輝達が息を飲み、香織と雫が悲鳴じみた声でソウゴの名を呼ぶ。

 動揺する光輝達を尻目に、女魔人族は遂に出口の一つに辿り着いた。

 

 しかし……

 

 

「はは……既に詰みだったわけだ」

「当たり前だ」

 

 

 女魔人族の目の前、通路の奥にソウゴが追加で召喚したゴーレム"アーカーシャ"が立っており、紫苑の剣の切っ先を向けていた。あの時、きっとソウゴに攻撃を仕掛けてしまった時から既に自分の運命は決まっていた事に今更ながらに気がつき、思わず乾いた笑い声を上げる女魔人族。そんな彼女に背後から憎たらしい程平静な声がかかる。

 女魔人族が今度こそ瞳に諦めを宿して振り返ると、石化の煙の中から何事もなかった様に歩み寄ってくるソウゴの姿が見えた。そして、石化の煙がソウゴの纏う光の膜──"餓鬼道"によって吸収されるのを見て、自分の手札の全てが通用しない事を痛感する。

「……この化け物め。上級魔法が意味をなさないなんて、アンタ、本当に人間?」

「魔人族などと名乗りながら"魔人(デスペラード)"ですらない貴様が言うか」

「……?」

「……はぁ」

 

 そんな軽口を叩きあい、ソウゴの言葉に疑問符を浮かべる様子に呆れながら少し距離を置いて向かい合うソウゴと女魔人族。チラリと女魔人族が部屋の中を見渡せば、いつの間にか本当に魔物が全滅しており、改めて小さく「化け物め」と罵った。

 ソウゴはそれを無視してスっと女魔人族に視線を向ける。眼前に突きつけられた死の圧力に対して、女魔人族は死期を悟った様な澄んだ眼差しを向けた。

「さて、普通こういう時は何か言い遺す事は、とでも訊くんだろうが……生憎私も暇じゃない。必要な情報だけさっさと頂いておこう」

「アタシが話すと思うの──……」

 

 嘲笑する様に鼻を鳴らした女魔人族の言葉が、突如途切れる。その顔は一切の感情が削ぎ落された、空虚な目をしていた。その視線の先のソウゴの眼は、ティオに見せたそれより強力な三つ巴の赤い瞳、"万華鏡写輪眼"に変化していた。

 

 

「……ふん、成程な。【シュネー雪原】の"変成魔術"に、それを攻略した将軍フリード……この小娘、そこそこ中枢に近い者だったか」

 何やらボソボソと話す女魔人族の言葉から、ソウゴは的確に情報を抜き取っていく。

 

「……」

 

 他の者にはまるで何が起きているか把握出来ていないが、まるで夢幻の中にいるかの如くソウゴの瞳術で催眠状態にある女魔人族。

 そして粗方の情報を得たソウゴは、女魔人族に掛けた幻術を解いて正気に戻す。

 

「……はっ! わ、私はさっきまで何を……!? アンタ、私に何をした!?」

「生憎自白させるのは得意でね、情報は大体覗かせてもらった」

 女魔人族が、ソウゴの言葉にビクッと肩を震わせた。

「情報が得られた以上、貴様はもう用済みだ」

「……なら、もういいだろ? ひと思いに殺りなよ。アタシは捕虜になるつもりはないからね……」

「ほぅ、その心構えだけは評価出来ん事もないな。だが貴様の処分は変わらん、精々苦しみながら逝くがいい」

 

 女魔人族は、道半ばで逝く事の腹いせに負け惜しみと分かりながらソウゴに言葉をぶつけた。

「いつか、アタシの恋人がアンタを殺すよ」

 その言葉に、ソウゴはつまらなそうな表情で告げる。

「 "魔人"の領域も知らん様な輩が、私を害せるとは思えんがな」

 互いにもう話す事は無いと口を閉じ、ソウゴはその眼に力を込める。

 

 

 しかし。いざ術を発動する瞬間、大声で制止がかかる。

 

 

「待て! 待つんだ、常磐! 彼女はもう戦えないんだぞ! 殺す必要はないだろ!」

「……」

 

 ソウゴは万華鏡写輪眼を維持したまま、苛立たし気に頬を引き攣らせながら動きを止める。光輝はフラフラしながらも少し回復した様で、何とか立ち上がると更に声を張り上げた。

「捕虜に……そうだ、捕虜にすればいい。無抵抗の人を殺すなんて、絶対ダメだ。俺は勇者だ。常磐も仲間なんだから、ここは俺に免じて引いてくれ」

 余りに幼稚でお花畑な言い分に、ソウゴは聞く価値すら無いと即行で切って捨てた。そして無言のまま、術を発動する。

 

 

「──────ッッッ!!?!?」

 

 

 声にならない断末魔が室内に木霊する。万華鏡写輪眼の瞳術"天照"の黒炎が、女魔人族を包み込み彼女を絶命させた。

 

 

 

 静寂が辺りを包む。光輝達は今更だと頭では分かっていても、同じクラスメイトが目の前で躊躇い無く人を殺した光景に息を呑み、戸惑った様にただ佇む。そんな彼等の中でも、一番ショックを受けていたのは香織の様だった。

 

 

 人を殺した事にではない。それは香織自身、覚悟していた事だ。この世界で戦いに身を投じるというのは、そういう事なのだ。迷宮で魔物を相手にしていたのは、あくまで実戦訓練(・・)なのだから。

 

 だから殺し合いになった時、敵対した人を殺さなければならない日は必ず来ると覚悟していた。自分が後衛職で治癒師である以上、直接手にかけるのは雫や光輝達だと思っていたから、その時は手を血で汚した友人達を例え僅かでも、一瞬であっても忌避したりしない様にと心に決めていた。

 

 香織がショックを受けたのは、ソウゴに人殺しに対する忌避感や嫌悪感、躊躇いというものが一切無かったからである。息をする様に自然に人を殺した。香織の知るソウゴは、どの様な険悪なムードでも争いを諫め、他人の為に渦中へ飛び込める様な優しく強い人だった。

 

 その"強さ"とは、決して暴力的な強さを言うのではない。どんな時でも、どんな状況でも"他人を思いやれる"という強さだ。だから無抵抗で戦意を喪失している相手を、何の躊躇いも感慨も無く殺せる事が、自分の知るソウゴと余りに異なり衝撃だったのだ。

 

 雫は親友だからこそ、香織が強いショックを受けている事が手に取る様に分かった。そして日本にいる時、普段から散々聞かされてきたソウゴの話から、香織が何にショックを受けているのかも察していた。

 雫は涼しい顔をしているソウゴを見て確かに変わり過ぎだと思ったが、何も知らない自分がそんな文句を言うのはお門違いもいいところだということもわかっていた。なので結局何をする事も出来ず、ただ香織に寄り添うだけに止めた。

 

 

 だが当然、正義感の塊たる勇者の方は黙っている筈が無く、静寂の満ちる空間に押し殺した様な光輝の声が響いた。

 

「何故、何故殺したんだ。殺す必要があったのか……」

 

 ソウゴはユエ達の方へ歩みを進めながら、自分を鋭い眼光で睨みつける光輝をまるで見えていない、存在しないものかの様に無視しながら再びライドブックを開き、召喚したアーカーシャ、アジガー、ラヴィー、ダーナヴ、アークラマンを収める。

「シア、メルドの容態はどうだ?」

「危なかったです。あと少し遅ければ助かりませんでした。……指示通り"神水"を使っておきましたけど……良かったのですか?」

「ああ。二、三問い詰めたい事はあるが、今の今まで私の指示を守った事を鑑みれば総合的には評価すべきだろう。現状コレより的確な指導役がいない以上、ここで死なれる訳にもいくまい」

 ソウゴは龍太郎に支えられつつクラスメイト達と共に歩み寄ってくる光輝が、未だに自分を睨みつけているのに目もくれず、シアにメルドへの神水の使用許可を出した理由を話した。

 

 実際、もしこの場でメルドが死んで聖教教会のイシュタルでも後任に就こうものなら、最悪愛子と優香達、遠藤以外の全員をソウゴ自身の手で始末する事になる。

 

「……ソウゴ様」

「ご苦労だったなユエ」

「んっ」

 しがみ付いてきたユエに、ソウゴは労いの言葉をかけて頭を撫でる。嬉しそうに目元を綻ばせるユエ。自然、ソウゴの眼差しも和らぎ見つめ合う形になる。

「あっ! ……ソ、ソウゴさん! 私も、私も!」

「あぁ、シアもよくやった」

 自分もと労いの言葉を強請るシアに、ソウゴは同じ様に頭を撫でる。シアの相好がフニャフニャと崩れる。

 何やら光輝とは違う意味で睨む視線が増えた様な気がするが、一々気にする事では無いとソウゴは歯牙にもかけない。

「おい、常磐。何故彼女を……」

「ソウゴくん……色々聞きたい事はあるんだけど、取り敢えずメルドさんはどうなったの? 見た感じ、傷が塞がっているみたいだし呼吸も安定してる。致命傷だった筈なのに……」

 

 ソウゴを問い詰めようとした光輝の言葉を遮って、香織が真剣な表情でメルドの傍に膝をつき、詳しく容態を確かめながらソウゴに尋ねた。

 

 ソウゴはその言葉から香織の"治癒師"としての大体の技量を把握し、また偶然見えた彼女の行く末にほんの少し驚きながらも香織の疑問に答えた。

「この迷宮の奥地で手に入れた秘薬だ。瀕死の重傷だろうとたちどころに治すという代物だが、私には無用の長物なんでな」

「そ、そんな薬、聞いた事無いよ?」

「既に失伝しているらしいからな。……と、それはどうでもいいとして」

「ど、どうでもいいって……」

 反則レベルの秘薬をどうでもいいというソウゴの発言に内心動揺する雫を無視し、ソウゴは腕を掲げる。

 

「光あれ」

 

 ソウゴの言葉と共に掌から光が溢れ、香織や雫を含めたクラスメイト達を包み込む。何事かと一瞬体を強張らせる一同だったが、次の瞬間には自分達の状態に驚愕する。

 

 先程までの戦闘で負った傷も、流した血も、装備の損傷も、その全てが元通り治っていた。その効力も速度も、"治癒師"が天職の香織や辻のそれが児戯に見えるレベル。そんな奇跡の様な治癒、否、最早再生をただ一言で行うソウゴに、雫も香織も愕然となる。それにユエとシア、何故か遠藤が得意気な表情になる。

 だが取り敢えず、メルドは心配無いと分かり安堵の息を吐く香織達。そこで、光輝が再び口を開く。

「おい、常磐。メルドさんの事やさっきのは礼を言うが、何故かの──」

「ソウゴくん。メルドさんを助けてくれてありがとう。私達の事も……助けてくれてありがとう」

 そして再び、香織によって遮られた。物凄く微妙な表情になっている。

 

 

 しかし香織はそんな光輝の事は全く気にせず、真っ直ぐにソウゴだけを見ていた。ソウゴの変わり様に激しいショックを受けはしたが、それでもどうしても伝えたい事があったのだ。メルドの事と、自分達を救ってくれた事のお礼を言いつつソウゴの目の前まで歩み寄る。

 そして、溢れ出てくる津波の様な感情を堪える様にギュッと服の裾を両の手で握り締め、しかし堪えきれずにホロホロと涙を零し始める。

 嗚咽を漏らしながら、それでも目の前のソウゴの存在が夢幻でない事を確かめる様に片時も目を離さない。感情の雫で溢れた瞳は、まるで幾万の星を仕舞い込んだかの様。

 そんな煌めく瞳のまま、香織は桜色の唇を小さく震わせながら言葉を紡いだ。

 

「ソウゴぐん……生きででくれで、ぐすっ、ありがどうっ。あの時、守れなぐて……ひっく……ゴメンねっ……ぐすっ」

 

 雫だけでなく、女子メンバーは香織の気持ちを察していたので生暖かい眼差しを向けており、男子の中でも何となく察していた永山や野村は同じ様な眼差しを、近藤達は苦虫を噛み潰した様な目を、光輝と龍太郎は、香織が誰を想っていたのか分かっていないのでキョトンとした表情をしている。鈍感主人公を地で行く光輝と脳筋の龍太郎、雫の苦労が目に浮かぶ。

 

 シアは「むっ、もしや新たなライバル?」と難しい表情をし、ユエはいつにも増して無表情でジッと香織を見つめている。

 

 

 そして当のソウゴは、最初は目の前で顔をくしゃくしゃにして泣く香織を特に何とも思わず見つめていたが、遠藤に聞いていた通りあの日からずっと自分の事を気にしていたのだったと思い出し、何とも言えない表情をした。

 

 正直、【ウルの町】で愛子達に再会するまで香織の事は完全に忘れていたのだ。なので、これ程強く想われていた事に少しだけ面倒臭さが湧き上がった。

 

 ソウゴは一瞬舌打ちする様な表情をした後、それをおくびにも出さず香織に言葉を返した。

「……どうやら心配をかけた様だな。だがまぁこの様に、私は五体満足だ。謝罪は必要ない」

 そう言って香織を見るソウゴの眼差しは、香織を見ている様で見ていない。

 

 しかしそうとも知らず、その眼差しにあの約束を交わした夜を思い出し、胸がいっぱいになる香織。思わずワッと泣き出し、そのままソウゴの胸に飛び込んでしまった。

 

 胸元に縋り付いて泣く香織に、どうしたものかと溜息を吐くソウゴ。他のクラスメイトならば問答無用に不敬罪だと処罰するところだが、ここまで純粋に変わらない好意を向けられると、末娘と同い年という事もあり邪険にし難い。

 なので取り敢えず、泣き止む様にという意味も込めて頭を撫でる。

 

 傍らにいる雫から「私の親友が泣いているのよ! 抱きしめてあげてよぉ!」という視線が叩きつけられているが、そんな事知るかとばかりに受け流すソウゴ。

 

 

「……香織は本当に優しいな。……でも、常磐は無抵抗の人を殺したんだ。話し合う必要がある。もうそれくらいにして、常磐から離れた方がいい」

 

 

 永山パーティから「お前、空気読めよ!」という非難の眼差しが光輝に飛んだ。この期に及んで、この男はまだ香織の気持ちに気がつかないらしい。どこかソウゴを責める様に睨みながら、ソウゴに寄り添う香織を引き離そうとしている。

 

 単に、香織と触れ合っている事が気に食わないのか、それとも人殺しの傍にいる事に危機感を抱いているのか……或いはその両方かもしれない。

 

「ちょっと、光輝! 常磐君は私達を助けてくれたのよ? そんな言い方はないでしょう!?」

「だが雫、彼女は既に戦意を喪失していたんだ。殺す必要は無かった。常磐がした事は許される事じゃない」

「あのね光輝、いい加減にしなさいよ? 大体……」

 光輝の物言いに、雫が目を吊り上げて反論する。永山達はどうしたものかとオロオロするばかりであったが、檜山達は元々ソウゴが気に食わなかった事もあり、光輝に加勢し始める。

 次第に、ソウゴの行動に対する議論が白熱し始めた。香織は既にソウゴの胸元から離れて涙を拭った後だったが、先程のソウゴの様子にショックを受けていた事もあり、何かを考え込む様に難しい表情で黙り込んでいた。

 

 そんな彼等に、今度は比喩的な意味で冷水を浴びせる声が一つ。

 

「……くだらない連中。ソウゴ様、もう行こう?」

「あぁ、時間の無駄だ」

 

 絶対零度と表現したくなる程の冷たい声音で、光輝達を“くだらない”と切って捨てたのはユエだ。その声は小さな呟き程度のものだったが、光輝達の喧騒も関係無くやけに明瞭に響いた。一瞬で静寂が辺りを包み、光輝達がユエに視線を向ける。

 

 ソウゴは元々遠藤から話を聞いて、彼の働きと香織の努力に免じて足を運んだだけなので、用は済んでいる。なので自身の手を引くユエに従い、部屋を出ていこうとした。シアも周囲を気にしながら追従する。

 そんなソウゴ達に、やはり光輝が待ったをかけた。

 

「待ってくれ、こっちの話は終わっていない。常磐の本音を聞かないと仲間として認められない。それに、君は誰なんだ? 助けてくれた事には感謝するけど、初対面の相手にくだらないなんて……失礼だろ? 一体、何がくだらないって言うんだい?」

「……」

 

 光輝がまたズレた発言をする。言っている事自体はいつも通り正しいのだが、状況と照らし合わせると「自分の胸に手を置いて考えろ」と言いたくなる有様だ。ここまでくれば、何かに呪われていると言われても不思議ではない。

 

 

 ユエは既に光輝に見切りをつけたのか、会話する価値すら無いと思っている様で視線すら合わせない。光輝はそんなユエの態度に少し苛立った様に眉を顰めるが、直ぐにいつも女の子にしているように優しげな微笑みを湛えて再度ユエに話しかけようとした。

 このままでは埓があかない事を察したソウゴは、面倒そうな表情で溜息を吐きながらも代わりに少しだけ答える事にした。

「……小僧。どうやらこの状況でまだ平和ボケとヒーローごっこ気分が抜けてないらしいな、故に少しだけ指摘させてもらう」

「指摘だって? 俺が、間違っているとでも言う気か? 俺は、人として当たり前の事を言っているだけだ! それに小僧ってなんだ!」

 

 ソウゴから可哀想なもの見る様な視線を向けられ、不機嫌そうにソウゴに反論する光輝に取り合わず、ソウゴは言葉を続けた。

 

 

「貴様は殺し合いをしているという自覚が無い。貴様の怒りの原因は、この期に及んで人死にを見るのが嫌だっただけだろう? だが自分達を殺しかけ、騎士達を殺害したあの女を殺した事自体を責めるのは流石にお門違いだと分かっている。だから、無抵抗(・・・)の相手を殺したと論点をズラした。見たくないものを見させられた、自分が出来なかった事をあっさりやってのけられた……その八つ当たりをしているだけに過ぎん。さも正しい事を言っている風を装ってな。質が悪いのは、貴様自身にその自覚が無い事。まるで小学生の癇癪だな」

「ち、違う! 勝手な事言うな! お前が無抵抗の人を殺したのは事実だろうが!」

「敵を殺す。それの何が悪い?」

「なっ!? 何がって、人殺しだぞ! 悪いに決まってるだろ!」

「……貴様、ここを法の範囲内と勘違いしているらしいな。ここは戦場だ。敗者が死に、勝者が生き残る、それこそがここでの正しさだ。それを理解出来ない様なら……」

 

「がっ!?」

 

 ソウゴが一瞬で距離を詰め、光輝の首を掴み持ち上げる。その首がミシミシと鳴る程力が込められ、同時にソウゴの"覇気"が漏れ出し周囲に濃密な殺気が大瀑布の如く降りかかった。

 

 目を見開き、息を呑む光輝達。

 

 仲間内で最も速い雫の動きだって目で追える光輝だったが、今のソウゴの動きはまるで察知出来ず空気を求める様に藻掻きながら戦慄の表情をする。

 

「ここで殺しておくのも優しさというものか」

「お、おま、え……」

「何か勘違いしておらんか? 私は戻って来た訳では無い。ましてや、貴様等の仲間だった事もない。態々出向いてやったのは、白崎香織と浩介の働きに免じて顔見せに来てやっただけの事だ。それをよく覚えておくがいい」

 

 それだけ言うと、何も答えず藻掻く光輝の首から手を離す。"覇気"も収まり、盛大に息を吐きソウゴを複雑そうな眼差しで見るクラスメイト達だったが、尻餅をついた光輝はやはり納得出来ないのか、尚何かを言い募ろうとした。しかしそれは、うんざりした雰囲気のユエのキツい一言によって阻まれる。

「……戦ったのはソウゴ様。恐怖に負けて逃げ出した負け犬に、とやかく言う資格は無い」

「なっ、俺は逃げてなんて……」

 光輝がユエに反論しようとすると、そこへ深みのある声が割って入った。

 

 

「よせ、光輝!」

 

 

「メルドさん!」

 

 メルドは少し前に意識を取り戻して、光輝達の会話を聞いていた様だ。まだ少しボーッとするのか、意識をはっきりさせようと頭を振りながら起き上がる。そして、自分の腹など怪我していた筈の箇所を見て、不思議そうな顔で首を傾げた。

 

 香織がメルドに簡潔に何があったのかを説明する。メルドは自分が、何やら貴重な薬で奇跡的に助けられた事を知り、そしてその相手がソウゴであると聞いて、血相を変えて頭を下げた。それに困惑する光輝達を他所に、メルドが口を開く。

「此度は我々を救って戴き、誠に感謝致します。まさか御帰還なされていらしたとは……」

「私がこの町にいたのは偶然だ、礼なら浩介に言うがいい。……それよりメルドよ」

 

 深々と頭を下げて謝罪するメルドに対し、ソウゴは纏う空気を変える。その様にも光輝達は驚くが、取り合わずに叱責する様な雰囲気で続ける。【フェアベルゲン】で見せた、暴君モードの前触れだ。

 

「私は貴様に、小僧共をある程度使える様に導けと言ったな?」

「……はい」

「ではこの体たらくはなんだ? 何故あの程度の羽虫如きに後れを取る? 勝てないなら勝てないで、何故引き際を弁えない? 何故殺し合いの自覚が無い? 貴様は飯事でも教えていたのか? 鈍やガラクタでも武器は武器だ、子供の玩具ではないぞ? よくそれで騎士団長を名乗れたな? 申し開きはあるか、ん?」

「……私の不徳の致すところでございます、申し訳ありません」

「謝罪はいらん、この無様な光景の理由を訊いているんだ」

 

 ソウゴとのやり取りを聞き、光輝が割って入る。

 

「メ、メルドさん? どうして常磐に畏まって……それに、何でメルドさんが謝るんだ?」

「当然だろう、俺はお前等の教育係なんだ。……なのにこの御方の言う通り、戦う者として大事な事を教えなかった。……人を殺す覚悟の事だ。時期がくれば、偶然を装って賊を嗾けるなりして人殺しを経験させようと思っていた……魔人族との戦争に参加するなら絶対に必要な事だからな。……だが、お前達と多くの時間を過ごし、多くの話をしていく内に、本当にお前達にそんな経験をさせていいのか……迷う様になった。騎士団団長としての立場を考えれば、早めに教えるべきだったのだろうがな。……もう少し、あと少し、これをクリアしたら、そんな風に先延ばしにしている間に、今回の出来事だ……私が半端だった。教育者として誤ったのだ。そのせいで、お前達を死なせるところだった……申し訳無い」

 

 

 そう言って再び深く頭を下げるメルドに、光輝達はあたふたと慰めに入る。どうやら、メルドはメルドで光輝達についてかなり悩んでいた様だ。団長としての使命と私人としての思いの狭間で揺れていたのだろう。

 

 メルドも王国の人間である以上、聖教教会の信者だ。

 それ故に、"神の使徒"として呼ばれた光輝達が魔人族と戦う事は当然だとか、名誉な事だとか思ってもおかしくはない。にも関わらず、光輝達が戦う事に疑問を感じる時点で何とも人がいいというか、優しいというか。

 

 

 そんなメルドが改めて自分に顔を向け、判決を待つ罪人の様に頭を下げるのを視界に収めたソウゴは昂ぶりを抑えるかの様に溜息を吐き、言葉を続ける。

 

「本来ならそこの小僧共の不敬罪も含めて、全員の首を刎ねても足りんところだが……まぁいい。『私の生存を黙っていた事』と『白崎香織の無事』、この二つを遵守した点を考慮し、今回の件は不問としよう」

「有難う御座います。今後より一層精進して参ります」

「良い心掛けだ、だがこれだけは言っておくぞ。……今後、私の手を煩わせる様な無様を晒すなよ?」

「っ、ははぁ……!」

 

 ソウゴの下した判断に、メルドは畏まって頭を下げるばかりだった。

 

 

 一方、メルドの心の内を聞き押し黙る光輝。

 

 そう遠くない内に人を殺さなければならなかったと言われ、女魔人族を殺しかけた時の恐怖を思い出した様だ。それと同時に、たとえ賊であっても人である者を訓練の為に殺させようとしていたメルドの言葉にショックも受けていた。賊位なら圧倒出来るだけの力はあるのに、態々殺すなんて……と。

 

 

 そして、香織の方も押し黙っていた。それは、メルドの話を聞いたからではない。ずっと、ソウゴの言葉について考えていたからだ。

 

 どれもこれも、以前のソウゴからは考えられない発言だ。だが先程の殺気が、その言葉を本気だと証明していた。他人の為に体を張って行動できる優しいソウゴが、自分達にすら躊躇う事無く殺意を向ける。自分の知るソウゴと、目の前にいるソウゴの差に香織の心が戸惑い揺れる。先程香織を気遣った時に感じた、以前のソウゴは自分の錯覚だったのかと不安になる。

 

 と、香織がそんな事を考え込んでいると不意に視線を感じた。香織がそちらを見やると、そこには金髪紅眼の美貌の少女。香織でも思わず見蕩れてしまうくらい美しいその少女が、感情を感じさせない瞳で香織をジッと観察していた。

 そういえばソウゴと随分親密そうだったと思い出し、香織も興味を惹かれてユエを見返した。暫く見つめ合う二人。

 

「……ふっ」

「っ……」

 

 しかし、その見つめ合いはユエの方から逸らされた。嘲笑付きで。

 思わず息を呑む香織。嘲笑に込められた意味に気がついたからだ。即ち「この程度で揺れる思いなら、そのままソウゴの事は忘れてしまえ」という事に。

 

 

 ユエは当然、香織の態度からソウゴの事をどう思っているのか察していた。そして、ソウゴが奈落に落ちても生存を信じて頑張っていたと聞いて、これは強力な恋敵が現れたかもしれない、受けて立ってやる! と内心息巻いていたのだ。

 

 だが実際に香織を見てみると、以前のソウゴと今のソウゴを比べて、以前と異なる事に戸惑いと不安を覚え一歩引いてしまっている。その反応は人として当然と言えば当然ではあるのだが……ユエからすると取るに足りない相手に見えた様だ。

 

 お前なんて相手にならない。ソウゴ様はこれからも私の(・・)ソウゴ様だ。ソウゴ様の"特別"に選ばれるのは私だ!

 

 言外にそう宣言され、香織は顔を真っ赤に染めた。それは、怒りか羞恥か。それでも反論出来なかったのは、香織がソウゴという人間を見失いかけていたからだ。ユエと香織の初邂逅は、ユエに軍配が上がった様である。

 

 

 光輝達が微妙な雰囲気になっているのを尻目に、ソウゴがユエとシアを連れて、暇潰しがてらショートカットを使わずに歩いて出ていこうとした。

 

 それに気がついた光輝達も、ソウゴ達に追随し始める。全員精神的に消耗しているので地上に出るまでの間ソウゴ達に便乗しようと遠藤が提案し、メルドがソウゴに頼み込んで了承を取ったのである。

 

 

 地上へ向かう道中、宝物庫から取り出した酒を片手に先程と同じ様に手を触れず魔物を屠るソウゴに、改めてその原理・理解不能の強さを実感して、これが嘗て"無能"と呼ばれていた奴なのかと様々な表情をする光輝達。

 

 檜山は蒼褪めた表情のままソウゴを睨み、近藤達は妬みの視線を送り、永山達は感嘆の視線を向けながらも仲間ではないとはっきり言われた事に複雑な表情をしている。

 

 近藤達はソウゴの実力を間近で見て萎縮はしているものの、以前のソウゴに対する意識が抜けきっていないのだろう。永山達は、ソウゴが檜山達にどういう扱いを受けているか知っていながら見て見ぬふりをしていたことから、後ろめたさがある様だ。仲間と思われなくても仕方ないかもしれないと……

 

 

 背後からぞろぞろと様々な視線を向けてくる光輝達を、サクッと無視して酒を呷るソウゴ。

 

 途中、鈴の中のおっさんが騒ぎ出しユエにあれこれ話しかけたり、ソウゴに何があったのか質問攻めにしたり、二人が余り相手にしてくれないと悟るとシアの巨乳とウサミミを狙いだしたりして、雫に物理的に止められたり、近藤達がユエやシアに下心満載で話しかけて完全に無視されたり、それでもしつこく付き纏った挙句、無断でシアのウサミミに触ろうとしてスタンドに殴られたり、爪や歯を剥がれて絶叫したり、マジな殺気を受けて少し漏らしながら今度こそ恐怖を叩き込まれたり……色々ありつつ、遂に一行は地上へと辿り着いた。

 

 香織は未だ、俯いて思い悩んでいる。雫はそんな香織を、心配そうに寄り添いながら見つめていた。だが、そんな香織の悩みなど吹き飛ぶ衝撃の事態が発生する。ソウゴに心を寄せていた一人の女としては、絶対に看過できない事態。

 それは、【オルクス大迷宮】の入場ゲートを出た瞬間にやって来た。

 

「あっ! パパぁー!!」

「おっ、ミュウか」

 

 ソウゴをパパと呼ぶ幼女の登場である。

 

 

 

「パパぁー!! おかえりなのー!!」

 

 【オルクス大迷宮】の入場ゲートがある広場に、そんな幼女の元気な声が響き渡る。

 冒険者や商人達の喧騒で満ちる中、負けじと響いた元気な声。周囲にいる戦闘のプロ達や呼び込みに忙しい商人達も、微笑ましいものを見る様に目元を和らげている。

 

 ステテテテー! と可愛らしい足音を立てながら、ソウゴへと一直線に駆け寄ってきたミュウは、そのままの勢いでソウゴへと飛びつく。ソウゴが受け損なうなど夢にも思っていない様だ。

 

 

 テンプレだと、ロケットの様に突っ込んで来た幼女の頭突きを腹部に受けて身悶えするところだが、生憎ソウゴの肉体はそこまで弱くない上に素人でもない。寧ろミュウが怪我をしない様に、衝撃を完全に受け流しつつ確り受け止めた。伊達に今でも似た様な勢いで抱き着いてくる真琴や言葉ことはの相手をしていないのだ、慣れたものである。

 

 

「ミュウ、迎えに来たのか。ティオはどうした?」

「うん。ティオお姉ちゃんが、そろそろパパが帰ってくるかもって。だから迎えに来たの。ティオお姉ちゃんは……」

「妾はここじゃよ」

 

 人混みをかき分けて、妙齢の黒髪金眼の美女が現れる。言うまでもなくティオだ。ソウゴはいつ逸れてもおかしくない人混みの中で、ミュウから離れた事に苦言を呈する。

「ティオ、こんな場所でミュウから離れるな」

「目の届く所にはおったよ。ただちょっと、不埒な輩がいての。凄惨な光景はミュウには見せられんじゃろ」

 

 どうやら、ミュウを誘拐でもしようとした阿呆がいるらしい。ミュウは海人族の子なので、目立たない様にこういう公の場所では念の為フードをかぶっている。その為王国に保護されている海人族の子と分からないので、不埒な事を考える者もいるのだ。フードから覗く顔は幼くとも整っており、非常に可愛らしい顔立ちである事も原因の一つだろう。目的が身代金かミュウ自体かはわからないが。

 

「成程、ならば仕方あるまい。……で? その馬鹿共は何処だ?」

「いや、ご主人様よ。妾がきっちり締めておいたから落ち着くのじゃ」

「止めは刺したか?」

「……ホントに子離れ出来るのかの?」

 ソウゴがミュウの頭を撫でながら犯人の所在を聞くが、ティオが半ば呆れながら諌める。エリセンで、きちんとお別れできるのか……ミュウよりソウゴの方が不安である。

 

 

 そんなソウゴとティオの会話を呆然と聞いていた光輝達は、「強くなっているどころか、まさか父親になっているなんて!」と誰もが唖然とする。特に男子等は、「一体、どんな経験積んできたんだ!」と視線が自然とユエやシア、そして突然現れた黒髪巨乳美女に向き、明らかに邪推していた。ソウゴが迷宮で無双した時より驚きの度合いは強いかもしれない。

 

 冷静に考えれば、行方不明中の四ヶ月で四歳くらいの子供が出来るなんて通常有り得ないのだが、色々と衝撃の事実が重なり、度重なる戦闘と死地から生還したばかりの光輝達にはその冷静さが失われていたので、ものの見事に勘違いが発生した。

 

 そして唖然とする光輝達の中から、ゆらりと一人進み出る。顔には笑みが浮かんでいるのに目が全く笑っていない……香織だった。

 

 香織はゆらりゆらりと歩みを進めると、突如クワッと目を見開き、ソウゴに掴みかかった。

「ソウゴくん! どういう事なの!? 本当にソウゴくんの子なの!? 誰に産ませたの!? ユエさん!? シアさん!? それとも、そっちの黒髪の人!? まさか、他にもいるの!? 一体、何人孕ませたの!? 答えて! ソウゴくん!」

 ソウゴの襟首を掴みガクガクと揺さぶりながら錯乱する香織。何処からそんな力が出ているのかとツッコミたくなるくらいガッチリ掴んで離さない。香織の背後から「香織、落ち着きなさい! 彼の子な訳無いでしょ!」と雫が諌めながら羽交い絞めにするも、聞こえていない様だ。

 

 そうこうしている内に、周囲からヒソヒソと噂する様な声が聞こえて来た。

 

 

「何だあれ? 修羅場?」

「何でも、女がいるのに別の女との間に子供作ってたらしいぜ?」

「一人や二人じゃないってよ」

「五人同時に孕ませたらしいぞ?」

「いや俺は、ハーレム作って何十人も孕ませたって聞いたけど?」

「でも、妻には隠し通していたんだってよ」

「成程……それが今日バレたってことか」

「ハーレムとか……羨ましい」

「漢だな……死ねばいいのに」

 

 

 どうやらソウゴは、妻帯者なのにハーレムの主で何十人もの女を孕ませた挙句、それを妻に隠していた鬼畜野郎という事になったらしい。

 「妻帯者という事しか合ってないではないか」等と思いながら、ソウゴは不思議そうな表情をして首を傾げるミュウの頭を撫でながら深い溜息をついた。

 

 

 

 香織が顔を真っ赤にして雫の胸に顔を埋めている姿は、正に穴があったら入りたいというものだった。冷静さを取り戻して、自分がありえない事を本気で叫んでいた事に気がつき、羞恥心がマッハだった。「大丈夫だからね~、よしよし」と慰める雫の姿は、完全にお母さん……。

 

 

 ソウゴ達は入場ゲートを離れて、町の出入り口付近の広場に来ていた。ソウゴの漢としての株が上がり、社会的評価が暴落した後、ソウゴはロアの下へ依頼達成報告をし、二、三話をしてから、色々騒がしてしまったので早々に町を出る事にしたのだ。元々、ロアにイルワからの手紙を届ける為だけに寄った様なものなので、旅用品で補充すべき物も無く直ぐに出ても問題は無かった。

 

 

 光輝達がぞろぞろと出ていこうとするソウゴ達の後について来たのは、香織がついて行ったからだ。香織は未だ羞恥に悶えつつも、頭の中は必死にどうすべきか考えていた。このままソウゴとお別れするのか、それともついて行くのか。心情としては付いて行きたいと思っている。やっと再会出来た想い人と離れたいわけがない。

 

 しかし、明確に踏ん切りがつかないのは、光輝達の下を抜ける事の罪悪感と、変わってしまったソウゴに対する心の動揺のせいだ。しかも、その動揺を見透かされ嘲笑されてしまった事も効いている。

 

 香織もユエがそうであった様に、ユエがソウゴを強く思っている事を察していた。そして何より棘となって心に突き刺さったのは、「お前の想いは所詮その程度だ」と嗤われた事。香織自身、動揺する心に自分の想いの強さを疑ってしまった。

 

 自分の想いはユエに負けているのではないか。今更、自分が想いを寄せても迷惑なだけではないか。何より、自分は果たして今のソウゴを見る事が出来ているのか。過去のソウゴを想っているだけではないのか。

加えてユエの尋常ならざる実力の高さと、ソウゴの仲間としての威風堂々とした立ち振る舞いに香織は……圧倒されていた。

 

 要は女としても術者としても、ソウゴへの想いについても自信を喪失しているのである。

 

 

 香織が迷いから抜け出せないまま、愈々ソウゴ達が出て行ってしまうというその時、何やら不穏な空気が流れた。それに気がついて顔を上げた香織の目に、十人程の男が進路を塞ぐ様に立ちはだかっているのが見えた。

 

「おいおい、どこ行こうってんだ? 俺らの仲間ボロ雑巾みたいにしておいて、詫びの一つもないってのか? アァ!?」

 

 薄汚い格好の武装した男が、厭らしく顔を歪めながらティオを見てそんな事を言う。

 どうやら先程、ミュウを誘拐しようとした連中のお仲間らしい。ティオに返り討ちにあった事の報復に来た様だ。

 

 尤も、その下卑た視線からはただの報復ではなく別のものを求めているのが丸分かりだ。

 

 

 ソウゴ達が噛ませ犬的なゲス野郎共に因縁を付けられるというテンプレな状況に呆れていると、それを恐怖で言葉も出ないと勘違いした様で、恐らく傭兵崩れと思われる者達は更に調子に乗り始めた。

 その視線がユエやシアにも向く。舐める様な視線に晒され、心底気持ち悪そうにソウゴの影に体を隠すユエとシアにやはり怯えていると勘違いして、ユエ達に囲まれているソウゴを恫喝し始めた。

 

「ガキィ、わかってんだろ? 死にたくなかったら、女置いてさっさと消えろ! なぁ~に、きっちり詫び入れてもらったら返してやるよ!」

「まぁそん時には、既に壊れてるだろうけどな~」

 

 何が面白いのか、耳障りな笑い声を上げる男達。その内の一人がミュウまで性欲の対象と見て怯えさせた時点で、彼等の運命は決まった。

 

 

 その瞬間、瞬きよりも速い一瞬で男達の上半身が消滅した。ソウゴがミュウの頭を撫でていた手を宙で薙ぐという、ただそれだけの事で男達は自覚すら無く魂魄まで圧殺されたのだ。

 

 

「……おいメルド、この町の治安はどうなっている? これでは子供を遊ばせる事も出来んではないか。……ほれ、ミュウ。もう怖くないぞ」

「パパカッコいいの~!!」

 

 人を殺したというのに、まるで道端のポイ捨てを非難する様な気軽さでメルドに責任を問うソウゴ。しかも次の瞬間には、メルドの答えを待たずしてその顔をミュウに向けている。ミュウもミュウで、目の前で人が死んだというのにソウゴに目を輝かせる。

 

 余りに容赦ない反撃に、光輝達がドン引きした様に後退る。そんな光輝達を尻目に、ユエ達が口々に喋る。

 

「また容赦なくやったのぅ、流石ご主人様じゃ。女の敵とはいえ、少々同情の念が湧いたぞ?」

「いつになく怒ってましたね~。やっぱり、ミュウちゃんが原因ですか? 過保護に磨きがかかっている様な……」

「……ん、それもあるけど……私達の事でも怒ってた」

「えっ!? 私もですか? えへへ、ソウゴさんったら……有難うございますぅ~」

「私は当然の罰を与えただけだ」

 

 

 香織は、ミュウを抱っこしてあやしながらユエ達に囲まれるソウゴをジッと見つめた。

 

 先程の光景。ソウゴは、やはり命を奪う事に躊躇いが無くなっていた。それは以前のソウゴとは大きく異なるところで、一見するとソウゴの優しかったところを否定するものに見える。

 

 しかし今、ソウゴが力を振るったのは何の為だったか。それは、ソウゴに寄り添い楽しそうに、嬉しそうに笑う彼女達の為だ。

 

 果たして優しさを失った人が、あの様な笑顔に囲まれる事があるのか。あんな幼子が父と慕うだろうか。

 そして、ソウゴの変わり様に動揺して意識から外れていたが、抑々ソウゴは、自分の為に再び迷宮へと潜って来てくれたのだ。その言葉通りに。加えて、顔見せの為と言って迷宮に潜っておきながら、他の人も切り捨てなかった。致命傷を負ったメルドを救い、光輝達を仲間に守らせた。

 

 香織は気が付く。ソウゴが暴力に躊躇いを見せないのは、そして敵に容赦しないのは、そうする事で大切な誰かを確実に守る為。勿論、其処には自分の命も含まれているのだろうが、誰かを想う気持ちがあるのは確かだ。それは、ソウゴを囲む彼女達の笑顔が証明している。

 

 その事実が、香織の心にかかっていた霧を吹き飛ばした。欠けたパズルのピースがはまり、カチリと音がなった気がした。自分は何を迷っていたのか。目の前に"ソウゴ"がいる。心寄せる男がいる。"無能"と呼ばれながら奈落の底から這い上がり、多くの力を得て救いに来てくれた人がいる。

 

 変わった部分もあれば変わらない部分もある。だがそれは当然の事だ。人は時間や経験、出会いにより変化していくものなのだから。ならば、何を恐れる必要があるのか。自信を失う必要があるのか。引く必要があるというのか。

 知らない部分があるなら、傍にいて知っていけばいいのだ。今まで、あの教室でそうしてきた様に。

 

 想いの強さで負けるわけがない! ソウゴを囲むあの輪に加わって何が悪い! もう、自分の想いを嗤わせてなるものか!

 

 香織の瞳に決意と覚悟が宿る。傍らの雫が、親友の変化に頬を緩める。そしてそっと背を押した。香織は、今まで以上に瞳に"強さ"を宿し、雫に感謝を込めて頷くともう一つの戦場へと足を踏み出した。そう、女の戦場だ!

 

 

 自分達の所へ歩み寄ってくる香織に気がつくソウゴ達。ソウゴは興味無さ気だが、隣のユエは「むっ?」と警戒心を露わにして眉をピクリと動かした。シアも「あらら?」と興味深げに香織を見やり、ティオも「ほほぅ、修羅場じゃのぉ~」と呟く。どうやらただの見送りではないらしいと、ソウゴは視線で香織を迎えた。

 

「ソウゴくん、私もソウゴくんに付いて行かせてくれないかな? ……ううん、絶対付いて行くから、よろしくね?」

「………………チッ」

 

 第一声から前振りなく挨拶でも願望でもなく、ただ決定事項を伝えるという展開にソウゴは頭が痛くなる。思わず舌打ちしまった。顔を顰めるソウゴに代わって、ユエが進み出た。

「……お前にそんな資格は無い」

「資格って何かな? ソウゴくんをどれだけ想っているかって事? だったら、誰にも負けないよ?」

 ユエの言葉に、そう平然と返した香織。ユエが更に「むむっ」と口をへの字に曲げる。

 香織は一度、ユエにしっかり目を合わせた。瞳の奥には、轟々と音を立てて燃え盛る熱い決意が見える。きっと自分の人生において、最大の難敵となるであろう黄金の少女に、ただ決意を乗せた視線を叩きつける。

 ユエがその視線を受けて僅かに目を細めたのを確認し、香織はスッと視線を逸らして、その揺るぎなくも見た者の胸が締め付けられる程の切なさを宿した眼差しをソウゴに向けた。

 

 そして、まるで祈りを捧げる様に両手を胸の前で組み、頬を真っ赤に染めて大きく息を吸った。深く長い深呼吸。ただ一言を紡ぐ為に。きっとあの日、街中で不良達を言葉だけで一蹴するソウゴを見た時から生まれた想い。

 

 それを、震えそうになる声を必死に抑えながらはっきりと……告げた。

 

 

「貴方が好きです」

 

 

「……どいつもこいつも」

 香織の表情には羞恥と、ソウゴの答えを予想しているからこその不安と想いを告げる事が出来た喜びの全てが詰まっていた。そしてその全てをひっくるめた上で、一歩も引かないという不退転の決意が宿っていた。

 覚悟と誠意の込められた眼差しに、ソウゴも面倒に思いながらも真剣に答える。

 

「私には愛する女がいる、貴様の想いには応えられない」

 

 はっきり返答したソウゴに、香織は一瞬泣きそうになりながら唇を噛んで俯くものの、しかし一拍後には、零れ落ちそうだった涙を引っ込め目に力を宿して顔を上げた。そして、わかっているとでも言う様にコクリと頷いた。

 香織の背後で、光輝達が唖然呆然阿鼻叫喚といった有様になっているが、そんな事はお構いなしに香織は想いを言葉にして紡いでいく。

「……うん、わかってる。ユエさんの事だよね?」

「違うが?」

 

 

 

「…………………………え?」

 

 

 

 ソウゴの返答に、香織は目が点になる。香織だけでなく、雫含めた女子メンバーや永山達までもが驚いて言葉にならない。

 驚愕に固まる香織に向けて、ソウゴは懐から一枚の写真を取り出す。その写真を見て、香織は声を震わせながら尋ねる。

「え、えっと……これはソウゴくん、と、……誰?」

「私の妻と娘達だが?」

 

 ソウゴの思いもよらない発言に、クラスメイト一同雷が落ちた様な衝撃の表情で固まる。

 

「奥さん……それに、娘さん……」

「こうして結婚指輪もしているだろう? それに末娘なぞ、貴様等と同い年だぞ」

 

 

 その言葉に、男子達も含めた全員が「はぁ!?」と声を上げた。当然と言えば当然だろう、何せソウゴの見た目は自分達と同程度なのだから。それが実は結婚していて、しかもその末の子供が自分達と同い年など意味不明だろう。

 

「え、は、いや……ごめんなさいね常磐君、意味不明なのだけれど……?」

 雫が頭を抱えながら質問すると、ソウゴは「またか……」と言いながら説明する。

 

「勘違いしている様だから説明しておくが、先ず私は貴様等と同年代ではないぞ」

「そ、そうなの?」

「外見が同程度というだけで、これでも教皇イシュタルより年寄りだ。もうすぐ孫も生まれるしな」

「孫!? 子供どころか孫!?」

 驚く一同を尻目に、ソウゴは香織に向かって結論を告げる。

 

 

「……そんな訳で、私は若作りと長生きが取り柄の年寄りに過ぎんし、今でも妻一筋だ。故に貴様の想いには答えられん、分かったら小僧共の所へ帰れ」

 そう言葉を締めて踵を返そうとするソウゴの背に、香織の思わぬ反撃の言葉が返ってきた。

 

「……でも、それは傍にいられない理由にはならないと思うんだ」

「……何?」

「だって、ユエさんもシアさんも、少し微妙だけどティオさんも、ソウゴく……さんの事好きだよね? 特に、ユエさんとシアさんはかなり真剣だと思う。違いますか?」

「……」

「ソウゴさんに特別な人がいるのに、それでも諦めずにソウゴさんの傍にいて、ソウゴさんもそれを許してる。なら、そこに私がいても問題無いですよね? だって、ソウゴさんを想う気持ちは……誰にも負けてないから」

 

 そう言って、香織は炎すら宿っているのではと思う程強い眼差しをユエに向けた。そこには「私の想いは貴女にだって負けていない! もう嗤わせない!」と、香織の強い意志が見える。それは、紛れもない宣戦布告。たった一つの"特別の座"の争奪戦に、自分も参加するという決意表明だ。

 

 香織の射抜く様な視線を真っ向から受け止めたユエは、珍しい事に口元を誰が見ても分かるくらい歪めて不敵な笑みを浮かべた。

 

「……なら付いて来るといい、そこで教えてあげる。私とお前の差を」

「お前じゃなくて、香織だよ」

「……なら、私はユエでいい。香織の挑戦、受けて立つ」

「ふふ、ユエ。負けても泣かないでね?」

「……ふ、ふふふふふ」

「あは、あははははは」

 

 ソウゴを置き去りに、二人の世界を作り出すユエと香織。

 告白を受けたのは自分なのに、いつの間にか蚊帳の外に置かれている挙句、香織のパーティ加入が決定しているという事に、ソウゴは目頭を押さえる。笑い合うユエと香織を見て、シアとミュウが傍らで抱き合いながらガクブルしていた。

「ソ、ソウゴさん! 私の目、おかしくなったのでしょうか? ユエさんの背後に暗雲と雷を背負った龍が見えるのですがっ!」

「あぁ、いつの間にスタンドなんぞ覚えたんだろうなぁ……」

「パパぁ~! お姉ちゃん達こわいのぉ!」

「ハァハァ、二人共、中々……あの目を向けられたら……んっ、たまらん」

 互いにスタンドらしき何かを背後に出現させながら、仁王立ちで笑い合うユエと香織。ソウゴは反応するのも面倒になったので、縋り付くミュウを宥めながら自然と収まるまで待つ事にした。

 

 

 だが、そんな香織の意志に異議を唱える者が。……勿論、"勇者"天之河光輝だ。

 

 

「ま、待て! 待ってくれ! 意味が分からない。香織が常磐……さん、を好き? 付いていく? えっ? どういう事なんだ? なんでいきなりそんな話になる? 常磐……さん! あなた、いったい香織に何をしたんだ!」

 

 

「……正気か?」

 どうやら光輝は、香織がソウゴに惚れているという現実を認めないらしい。いきなりではなく、単に光輝が気がついていなかっただけなのだが、光輝の目には、突然香織が奇行に走り、その原因はソウゴにあるという風に見えた様だ。一応敬称と敬語を使ってはいるが、本当にどこまでご都合主義な頭をしているのだと思わず正気を疑うソウゴ。

 

 完全にソウゴが香織に何かをしたのだと思い込み、半ば聖剣に手をかけながら憤然と歩み寄ってくる光輝に、雫が頭痛を堪える様な仕草をしながら光輝を諌めにかかった。

「光輝、常磐さんが何かする訳無いでしょ? さっき香織の告白断ってたでしょうが、冷静に考えなさい。あんたは気がついてなかったみたいだけど、香織はもうずっと前から彼を想っているのよ。それこそ、日本にいる時からね。どうして香織が、あんなに頻繁に話しかけていたと思うのよ」

「雫……何を言っているんだ……あれは、香織が優しいから、常磐……さんが一人でいるのを可哀想に思ってしてた事だろ? 協調性もやる気もない常磐……さんを、香織が好きになる訳無いじゃないか」

 光輝と雫の会話を聞きながら、頬と口角をピクピクさせるソウゴ。

 

 そこへ、光輝達の騒動に気がついた香織が自らケジメを付けるべく光輝とその後ろの仲間達に語りかけた。

 

「光輝くん、皆、ごめんね。自分勝手だってわかってるけど……私、どうしてもソウゴさんと行きたいの。だから、パーティは抜ける。本当にごめんなさい」

 そう言って深々と頭を下げる香織に、鈴や恵里、辻や吉野等女性陣はキャーキャーと騒ぎながらエールを贈った。永山、遠藤、野村の三人も、香織の心情は察していたので気にするなと苦笑いしながら手を振った。

 

 しかし当然、光輝は香織の言葉に納得出来ない。

 

「嘘だろ? だって、おかしいじゃないか。香織は、ずっと俺の傍にいたし……これからも同じだろ? 香織は、俺の幼馴染で……だから……俺と一緒にいるのが当然だ。そうだろ、香織」

「えっと……光輝くん。確かに私達は幼馴染だけど……だからってずっと一緒にいる訳じゃないよ? それこそ、当然だと思うのだけど……」

「そうよ光輝、香織は別にあんたのものじゃないんだから、何をどうしようと決めるのは香織自身よ。いい加減にしなさい」

 

 幼馴染の二人にそう言われ、呆然とする光輝。その視線がスッとソウゴへと向く。

 ソウゴは、我関せずと言った感じで遠くを見ていた。そのソウゴの周りには美女、美少女が侍っている。その光景を見て、光輝の目が次第に吊り上がり始めた。あの中に自分の(・・・)香織が入ると思うと、今まで感じた事の無い黒い感情が湧き上がってきたのだ。そして衝動のままに、ご都合解釈もフル稼働する。

 

 

「香織。行ってはダメだ。これは、香織の為に言っているんだ。見てくれ、あの男を。女の子を何人も侍らして、あんな小さな子まで……しかも兎人族の女の子は奴隷の首輪まで付けさせられている。黒髪の女性もさっき彼の事を『ご主人様』って呼んでいた。きっと、そう呼ぶ様に強制されたんだ。彼は、女性をコレクションか何かと勘違いしている。最低だ。人だって簡単に殺せるし、強力な武器を持っているのに、仲間である俺達に協力しようともしない。香織、あいつに付いて行っても不幸になるだけだ。だから、ここに残った方がいい。いや、残るんだ。例え恨まれても、君の為に俺は君を止めるぞ。絶対に行かせはしない!」

 

 光輝の余りに突飛な物言いに、香織達が唖然とする。しかしヒートアップしている光輝はもう止まらない。説得の為に向けられていた香織への視線は、何を思ったのかソウゴの傍らのユエ達に転じられる。

 

「君達もだ。これ以上、その男の元にいるべきじゃない。俺と一緒に行こう! 君達程の実力なら歓迎するよ。共に人々を救うんだ。シア、だったかな? 安心してくれ。俺と共に来てくれるなら直ぐに奴隷から解放する。ティオも、もうご主人様なんて呼ばなくていいんだ」

 

 そんな事を言って爽やかな笑顔を浮かべながら、ユエ達に手を差し伸べる光輝。雫は顔を手で覆いながら天を仰ぎ、香織は開いた口が塞がらない。

 そして、光輝に笑顔と共に誘いを受けたユエ達はというと……

 

 

「「「……」」」

 

 

 もう、言葉も無かった。光輝から視線を逸らし、両手で腕を摩っている。よく見れば、ユエ達の素肌に鳥肌が立っていた。ある意味結構なダメージだったらしい、ティオでさえ「これはちょっと違うのじゃ……」と眉を八の字にして寒そうにしている。

 

 そんなユエ達の様子に、手を差し出したまま笑顔が引き攣る光輝。視線を合わせてもらえないどころか、気持ち悪そうにソウゴの影にそそくさと退避する姿に、若干のショックを受ける。

 

 そして、そのショックは怒りへと転化され行動で示された。無謀にもソウゴを睨みながら聖剣を引き抜いたのだ。光輝は、もう止まらないと言わんばかりにソウゴに向けてビシッと指を差し宣言した。

「常磐ソウゴ! 俺と決闘しろ!真剣勝負だ! 俺が勝ったら、二度と香織には近寄らないでもらう! そして、そこの彼女達も全員解放してもらう!」

「……」

「何とか言ったらどうだ! 怖気づいたか!」

 聖剣を抜いたのは、先程の理解不明の攻撃を警戒しているからに違いない。意識的にか無意識的にかはわからないが……ユエ達も香織達も、流石に光輝の言動にドン引きしていた。

 

 しかし、光輝は完全に自分の正義を信じ込んでおり、ソウゴに不幸にされている女の子達や幼馴染を救ってみせると息巻き、周囲の空気に気がついていない。元々の思い込みの強さと猪突猛進さ、それに初めて感じた“嫉妬”が合わさり、完全に暴走している様だ。

 ソウゴの返事も聞かず、猛然と駆け出す光輝。ソウゴは無表情になり、ミュウをティオに預けた。

 その瞬間、

 

 

 バキィィィンッ!

 

 

 金属が砕ける音と共に、光輝が地に伏した。

 光速を超える速度で放たれたソウゴのラリアットが、光輝の聖剣を叩き折り聖鎧を砕いて地面に叩きつけたのだ。

 

 ソウゴが使った技は"雷鳴八卦"。武器も覇気も使っていない超簡易版だが、それでも光輝を武具共々一瞬で叩き潰すには十分過ぎる一撃だった。

 

 手足があり得ない方向に捻じ曲がり、粉々になった剣と鎧をばら撒きながら自分の血で出来た池に沈んでいる光輝。その目は白目を剥き、意識は完全に消失している。内臓も傷ついているのか、全身の穴という穴から血が流れている。

 

「……酔っていてよく聞こえなかったよ、もう一度言ってくれるか」

 

 誰に聞かせるでもなく、ソウゴは呟く。ゆっくりと振り返り、その視線が倒れ伏す光輝を捉える。

 光輝を見るその目は、絶対零度すら温く感じる程の冷たさを宿していた。

 

 

 

 

現実の見えてない餓鬼が、誰に勝つって?

 

 

 

 

 この時ソウゴは、トータスに来てから一番と言っていい程イライラがピークに達していた。先程まで小僧と呼んでいた光輝の事を餓鬼と呼び変えたのも、その証拠だろう。

 

「メルド、八重樫雫。この餓鬼によく言い聞かせておけ……次に私に口を挟むなら、首が飛ぶ覚悟をしておけとな」

 

「……分かり、ました」

 現在の保護者である雫とメルドに向かって、次は殺すという伝言を残していく。漸く邪魔者はいなくなった……と思ったら、今度は檜山達が騒ぎ出す。

 

 曰く、香織の抜ける穴が大きすぎる。今回の事もあるし、香織が抜けたら今度こそ死人が出るかもしれない。だから、どうか残ってくれと説得を繰り返す。

 

 

 特に、檜山の異議訴えが激しい。まるで長年望んでいたものが、もう直ぐ手に入るという段階で手の中から零れ落ちる事に焦っている様な……そんな様子だ。

 

 檜山達四人は香織の決意が固く説得が困難だと知ると、今度はソウゴを残留させようと説得をし始めた。過去の事は謝るので、これからは仲良くしようと等とふざけた事を平気で言い募る。

 

 

 そんな事微塵も思っていないだろうに、馴れ馴れしく笑みを浮かべながらソウゴの機嫌を覗う彼等に、ソウゴだけでなく雫達も不愉快そうな表情をしている。そんな中、ソウゴは再会してから初めて檜山の眼を至近距離から見た。その眼は、香織が出て行く事も影響してか、狂的な光を放ち始めている様にソウゴには思えた。

 

 雫達が檜山達を諌めようと再び争論になりそうな段階で、ソウゴはストレス発散の序で爆弾を投下する事にした。

 

「なぁおい檜山大介、貴様の思惑に乗って態々姿を消してやった訳だが……その様子では手を出さなかった様だな?」

「……え?」

 

 突然、投げかけられた質問に檜山がポカンとする。しかし、質問の意図に気がついたのか徐々に顔色を青ざめさせていった。すると何か気になる事があったのか、恐怖から戻った雫が疑問を投げてくる。

「ちょっと待ってください。態々姿を消して……って、どういう事ですか?」

 その疑問に、ソウゴは決定的な事実を明かす。

 

「四ヵ月前の一件、あれはその小僧が白崎香織を手に入れる為に事故を装って私を消そうとして術を放った、というのが真相だ」

 

 ソウゴの言葉に、檜山以外の全員が驚いた顔になる。と同時に、香織も含めて軽蔑する様な視線を檜山に向ける。

「ち、違……、出任せ……」

「だと思うか? ……なら、その指先はどういう事だろうな?」

「なっ!?」

 ソウゴの視線を受けて檜山が自分の指を見ると、その指先がいつの間にか石化していた。ソウゴの"真実の戒禁"の効果だった。

「貴様がどれだけ嘘を吐こうと構わんよ、この場で彫刻になりたいんならな」

 その言葉を受け、今や檜山の顔色は青を通り越して白へと変化していた。

「か、カオリン……よく襲われなかったね……」

「まぁ、この小僧が手を出せん様にメルドに言いつけてあった故、当然と言えば当然だろうがな。抑々、襲い掛かる度胸があるのなら不意打ちなぞせんだろう」

「確かに……って、待って常磐さん。檜山君の思惑に乗ってって、もしかして自分から態と落ちたって事ですか……?」

「その通りだ。教会等の目から離れて好きに動きたくてな、一応メルドには伝えてあった。無論私の生存は黙っているよう口止めしたがな」

 

 ソウゴの言葉に永山達がメルドに確認を取ると、メルドは肯定を示す様に首を縦に振る。それで改めてソウゴの規格外さに度肝を抜かれる一同を他所に、本当に漸く出発を妨げる邪魔者がいなくなったソウゴ達。

 

 

 香織が宿に預けてある自身の荷物を取りに行っている僅かな間(檜山達が付いていこうとしたが、ソウゴの視線で止められた)、龍太郎達が光輝を担いでいるのを尻目に、雫がソウゴに話しかけた。

「何というか……色々すいません。それと、改めてお礼を言います、ありがとうございました。助けてくれた事も、生きて香織に会いに来てくれた事も……」

 迷惑をかけた事への謝罪と救出や香織の事でお礼を言う雫に、ソウゴは「気にするな」と手をヒラヒラと振った。

「抑々貴様の謝る事ではあるまい。そういうのは程々にせんと、眉間の皺が取れなくなるぞ? それと、無理に敬語を使わんでいい。今まで通りで構わん」

「わかりま……分かったわ。それと……大きなお世話よ。そっちは随分と変わったわね。あんなに女の子侍らせて、おまけに娘まで……日本にいた頃の貴方からは想像出来ないわ……」

「一応言っておくが、こっちの方が素だぞ。貴様等が知っている私は若い頃を真似ていただけだ」

「そ、そうなのね。……え、えーと……、私が言える義理じゃないし、勝手な言い分だとは分かっているけど……出来るだけ、香織の事も見てあげて。お願いよ」

「……まぁ、ついてくる以上は気に掛けるつもりだ。……それに、気になる事もある」

「気になる事?」

「……いや、何でもない」

 

 先程から頭にチラつく疑念を誤魔化しつつ、一応見守るつもりだという旨を雫に伝える。それに雫が頭を下げようとすると、ふとソウゴが何か思い出した様に苦笑を浮かべたのが目に入る。

 

「ど、どうしたのよ?」

「何、貴様自身とは関係は無いんだがな……」

「気になるじゃない、話してよ」

「娘の後輩というか友人というか……、まぁ、知り合いに同じ名前の少女がいてな。それをつい思い出した」

「何それ。ふふっ」

 

 そんなとりとめもなく、先程とは一転した穏やかな時間が二人の間に流れた。

 

 

 ソウゴが滅多に見ない様な穏やかさで話しているのをユエ達が驚いて見ていると、香織がパタパタと足音を鳴らして戻ってきた。そして、雫と楽しそうに談笑するソウゴを見て目を丸くする。

 

 雫の事が気になって、詳細を聞きに来たユエと香織が情報を交換する。ユエは、どうにも気心知れた様なやり取りをした上にソウゴと微笑みあう雫に「むぅ~」と唸り、香織は「そう言えば二人でこっそり話している事がよくあった様な……」とソウゴと雫の二人を交互に見やる。そして二人は結論を出した。

 

 

 もしかして、雫も強敵? と。

 

 

 

 名状しがたい表情のユエと香織に気付く事無く、愈々出発するソウゴ達。雫や鈴など女性陣と永山のパーティ、それに報告を済ませて駆けつけたメルドが見送りの為ホルアドの入口に集まった。

 そして、ソウゴが呼び出したトライドロンに、もはや驚きを通り越して呆れた視線を向ける。

 

 雫と香織が、お互いに手を取り合い暫しのお別れを惜しんでいると、ソウゴが宝物庫から黒塗りの鞘に入った刀を取り出し雫に手渡した。

「これは?」

「貴様確か、得物を失くしていただろう? 回復役が抜けるのと、あの餓鬼の見張り役を押し付けた事の詫びとでも思ってくれて構わん」

 

 

 雫がソウゴに手渡された剣を受け取り鞘からゆっくり抜刀すると、まるで光を吸収する様な漆黒の刀身が現れた。刃紋と共に確りとした反りが入っており、完全に片刃として造られた日本刀だ。

 

 

「この世界で最も硬い鉱石を圧縮して、私の装備と同じ素材も使って作ったそれなりの業物だ。頑丈さは折り紙付き、切れ味は素人が適当に振っても鋼鉄を切り裂けるレベルだ。扱いは……貴様には釈迦に説法というものか」

「……こんなすごいもの……流石ね。ありがとう、遠慮なく受け取っておくわ」

 

 一振り二振りし、全体のバランスと風すら切り裂きそうな手応えに感嘆して、笑みを浮かべながら素直に礼をいう雫。正直、雫の扱う八重樫流の剣術は当然日本刀を前提とするものなので、前の剣ではどうしても技を放つときに違和感があった。なので、刀が手に入ったのは素直に嬉しく、自然笑みも可憐なものになる。

「……ラスボス?」

「……雫ちゃん」

「えっ? 何? 二人共、どうしてそんな目で見るのよ?」

 

 ユエの警戒心たっぷりの眼差しと、香織の困った様な眼差しに、意味が分からず狼狽する雫。最後に何とも言えない空気を残して、雫達が見送る中、ソウゴ達は【宿場町ホルアド】を後にした。

 

 

 天気は快晴、目指すは【グリューエン大砂漠】にある七大迷宮の一つ【グリューエン大火山】。奇跡の様な再会の果てに新たな仲間を加え、ソウゴ達は西へと進路を取った。

 

 




ソウゴが召喚したゴーレムの名前は、全て各ライダーに因んだ言葉をヒンディー語訳したものです。興味がある方は日本語訳してみて下さい。



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第十八話 狂気と刺客と置き土産

最近転職しようか悩んでいる作者が通ります。



「くそっ! くそっ! 何なんだよ! ふざけやがって!」

 

 

 時間は深夜。【宿場町ホルアド】の町外れにある公園、その一面に植えられている無数の木々の一本に拳を叩きつけながら、押し殺した声で悪態を吐く男が一人。檜山大介である。

 檜山の瞳は、憎しみと動揺と焦燥で激しく揺れていた。それはもう、狂気的と言っても過言ではない醜く濁った瞳だった。

 

「案の定、随分と荒れているね……まぁ、無理もないけど。愛しい愛しい香織姫が目の前で他の男に掻っ攫われたのだものね?」

 

 そんな檜山の背後から、たっぷりの嘲りと僅かな同情を含んだ声が掛けられた。バッと音がしそうな勢いで檜山が振り返る。そして、そこにいた人物が密会の相手であるとわかると一瞬ホッとした表情を浮かべ、次いで拳を握り締めながらまるで獣が唸り声を上げる様な声音で言葉を返した。

「黙れ! くそっ! こんな……こんな筈じゃなかったんだ! 何であの野郎生きてんだよ! 何の為にあんな事したと思って……」

「一人で錯乱してないで、会話して欲しいのだけど? 密会中のところを見られたら言い訳が大変だからね」

「……もう、お前に従う理由なんてないぞ……俺の香織はもう……」

 月明かりが木々の合間に作った陰影の中に、まるでシルエットの様に潜む人物に向かって檜山は傍らの木に拳を打ち付けながら苦々しく言う。

 

 

 檜山がこの人物の計画に協力していたのは、香織を自分だけのものに出来ると聞いたからだ。その香織がいなくなってしまった以上もう協力する理由はないし、ソウゴへの殺人未遂の暴露を脅しの理由にされても、本人から暴露された以上今更だった。

 

 しかし、そんな檜山に対して暗闇で口元を三日月の様に裂いて嗤う人物は、再び悪魔の如き誘惑をする。

 

「奪われたのなら奪い返せばいい。違う? 幸い、こっちにはいい餌もあるしね」

「……餌?」

 言っている意味が分からず、首を訝しそうな表情をする檜山に、その人物は口元をニヤつかせながらコクリと頷く。

 

「そう、餌だよ。たとえ自分の気持ちを優先して仲間から離れたとしても……果たして彼女は友人達を、幼馴染達を……放って置けるかな? その窮地を知っても」

「お前……」

「彼女を呼び出すのは簡単な事だよ、何も悲観する事は無い。特に今回の事は、まぁ流石に肝が冷えたけれど……結果だけをみれば都合も良かった。うん、僥倖といってもいいね。王都に帰ったら、仕上げに入ろうか? そうすれば……きっと君の望みは叶うよ?」

「……」

 

 檜山は無駄と知りながら、影に潜む共犯者を睨みつける。その視線を受けながらも、目の前の人物は変わらず口元を裂いて嗤うだけだ。

 

 

 檜山はその計画の全てを知っている訳では無かったが、今の言葉で計画の中には確実にクラスメイト達を害するものが含まれていると察する事が出来た。自分の目的の為に、苦楽を共にした仲間をいともあっさり裏切ろうというのだ。そして、その事に僅かな嫌悪感も感じていないらしいと知り、改めて背筋に悪寒が走る。

 

(相変わらず気持ち悪い奴だ……だが、俺ももう後戻りは出来ない……俺の(・・)香織を取り戻す為には、やるしかないんだ……そうだ、迷う必要はない。これは香織の為なんだ、俺は間違っていない)

 

 檜山は自分の思考が、既に滅茶苦茶である事に気がついていない。共犯者として、指示されるままにやってきた事から目を逸らし、常に自分の行いを正当化しその根拠を全て香織に求める。

 

 影の人物には黙り込む檜山のそんな心情が手に取る様に分かった。なので口元に笑みを浮かべながら、分かり切った返答を待つ。

「……分かった、今まで通り協力する。だが……」

「ああ、分かってるよ。僕は僕の、君は君の欲しいものを手に入れる。ギブアンドテイク、いい言葉だよね? これからが正念場なんだ。王都でも、宜しく頼むよ?」

 表情を歪める檜山を特に気にする風でも無く、その人物はくるりと踵を返すと木々の合間へと溶け込む様に消えていった。

 後には、汚泥の様に濁った暗い瞳を爛々と輝かせる堕ちた少年が一人残された。

 

 

 

 二人は気付かない。利用しようとしたその餌が、猛毒に浸された劇物である事に。

 

 

 

 

 一方。町外れの広場で怪しげな会談が行われていた頃、別の場所でも二人の少年少女が月明かりに照らされて佇んでいた。

 

 一方の密談場所とは異なり、その場所は小さなアーチを描く橋の上だった。町の裏路地や商店の合間を縫う様に設けられた水路に掛けられたものだ。

 

 水路は料理店や宿泊施設が多い事から必要に迫られて多く作られており、そのゆるりと流れる水面には下弦の月が写り込んでいて、反射した月明かりが橋の上から水面を覗き込む、頭を包帯で包んだ少年の整った顔を照らしていた。

 

 

 尤も、正確には覗き込んでいるのではなく“項垂れている”の方が相応しい表現であり、また整った顔は暗く沈んでいて、普段の輝きからは程遠い有様だった。

 

 

 そんな、まるで会社が倒産した挙句多額の借金を背負ってしまった零細企業の元社長の如き姿を晒しているのは、ソウゴに物理的説教を食らって生死の境を彷徨った"勇者"天之河光輝だ。去り際に雫経由で渡された"神水"によって、どうにか外出できる程度には回復している。

 

「……何も言わないのか?」

 

 光輝が水面の月から目を逸らさずに声をかけた。その相手は、十年来の幼馴染。旅立ってしまった女の子の片割れ、八重樫雫だ。

 

 雫は光輝とは違って、橋の欄干に背を預けながら少し仰け反る様に天を仰ぎ、空に浮かぶ月を眺めていた。欄干の向こう側で、トレードマークのポニーテールが風に遊ばれる様にゆらりゆらり揺れている。

 視線を向けてこない幼馴染の言葉に、雫もやはり視線を合わせず、月を見つめたまま静かに返した。

「何か言って欲しいの?」

「……」

 何も答えない、否、答えられない光輝。水面に映る月を眺めていても、頭に浮かぶのは香織が想いを告げた時の光景。不安と歓喜を心の内に、祈りを捧げる様に告げられた想いは、その表情と相まって嘘偽りではないのだと病気レベルで鈍感な光輝をして確信させるものだった。

 

 

 光輝は香織とは十年来の付き合いがあるが、未だ嘗てあれ程可憐で力強く、それでいて見ているこちらが切なくなる、そんな香織の表情は見た事が無かった。正に青天の霹靂とはこの事だった。

 その表情を思い出す度に、光輝の胸中に言い知れぬ感情が湧き上がってくる。それは暗く重い、酷くドロドロした感情だ。

 

 無条件に何の根拠も無く、されど当たり前の様に信じていた事。香織という幼馴染は、いつだって自分の傍にいて、それはこれからも変わらないという想い。もっと言えば、香織は自分のものだったのにという想い。つまりは、嫉妬だ。

 

 その嫉妬が恋情から来ているのか、それともただの独占欲から来ているのか、光輝自身にもよく分かっていなかったが、とにかく"奪われた"という思いが激しく胸中に渦巻いているのだった。

 

 

 しかし、"奪った"張本人であるソウゴ(本人は断固否定するだろうが)と共に行くと決めたのは香織自身であり、またソウゴという存在そのものと、有り得ないと思っていた現実を否定したくて挑んだ決闘では適当に殺されかけ、自分の惨めさとか、ソウゴへの憤りとか、香織の気持ちへの疑いとか、色々な思いが混じり合い、光輝の頭の中はぶちまけたゴミ箱の中身の様にぐちゃぐちゃだった。

 

 だから、いつの間にか隣にいて何も言わずに佇んでいるもう一人の幼馴染の女の子に水を向けてみたのだが……返答は、実に素っ気無いものだった。続く言葉が見つからず、黙り込む光輝。

 雫はそんな光輝をチラリと横目に見ると、眉を八の字に曲げて「仕方ない」といった雰囲気を醸し出しながら口を開いた。

 

「……今、光輝が感じているそれは筋違いというものよ」

「……筋違い?」

 

 雫から思いがけず返ってきた言葉に、鸚鵡返しをする光輝。雫は月から視線を転じて、光輝を見やりながら言葉を続けた。

「そう。香織はね、最初からあんたのものじゃないのよ?」

「……それは……じゃあ、常磐さんのものだったとでも言うのか?」

 ズバリ内心を言い当てられ瞳を揺らす光輝は、苦し紛れに殆ど悪態とも言うべき反論をした。それに対して雫は、強烈なデコピンでもって応えた。「いづっ!?」と思わず額を抑える光輝を尻目に、雫は冷ややかな声音で叱責する。

「お馬鹿。香織は香織自身のものに決まっているでしょ。何を選ぼうと、何処へ行こうと、それを決めるのは香織自身よ。当然、誰のものになりたいか……それを決めるのもね」

「……いつからだ? 雫は知っていたんだろ?」

 "何を"とは問わない。雫は、頷く。

「中学の時ね……香織が常磐さんと出会ったのは……まぁ、彼の方は忘れていた…というより出会った事自体を知らなかったみたいだけど」

「……何だよ、それ。どういう事だ?」

「それは、いつか香織自身から聞いて。私が、勝手に話していい事ではないし」

「じゃあ、本当に、教室で香織が何度も常磐さんに話しかけていたのは……その……好きだったから……なのか?」

「ええ、そうよ」

「……」

 

 

 聞きたくない事実を至極あっさり告げる雫に、光輝は恨めしそうな視線を向けた。尤も、雫はどこ吹く風だったが。

 その態度にも腹が立ってきたのか、光輝は駄々をこねる子供の様に胸中の思いを吐き出した。

 

「……何故、常磐さんなんだ。日本にいた時の彼は、やる気は無いし、運動も勉強も特別なものなんて何もなかったじゃないか。……いつもヘラヘラ笑って、その場凌ぎばかりで……香織が話しかけた時も適当な態度だし……俺なら、香織をおざなりに扱ったりはしない。いつも大切にしていたし、香織の為を思って出来るだけの事をして来たのに……それに彼は、あんな風に女の子達を侍らせて、物扱いまでしてる最低な奴なんだぞ? それだけじゃない、アイツは人殺しだ! 無抵抗の女性を躊躇い無く殺したんだ。どうかしてるよ! そうだよ、あんな奴を香織が好きになるなんて、やっぱりおかしい。何かされたに違いなッ『ズビシッ!』ぐはっ!?」

 

 話している内にヒートアップして、ソウゴの悪口どころか勝手な事実を捏造し始めた光輝に、再度雫のデコピン(無拍子ver)が炸裂した。「何をするんだ!」と睨む光輝をさらりとスルーして、雫は呆れた表情を見せる。

 

 

 実はこの時。雫のデコピンがコンマ一秒でも遅れていたら、悪口が耳に届いていたソウゴによって光輝が"突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)"の的になっていた事は誰も知らない話である。

 

 

「また悪い癖が出てるわよ? ご都合解釈ばかりするのは止めなさいと今までも注意してきたでしょうに」

「ご都合解釈って……そんな事」

「してるでしょ? 光輝が、常磐さんの何を知っているのよ? 日本での事も、こっちでの事も、何も知らないのに……あの女の子達だって楽しそうな、いえ、寧ろ幸せそうな表情だったわよ? その事実を無視して勝手な事言って……今の光輝は、常磐さんを香織にふさわしくない悪者に仕立てあげたいだけでしょうが。それをご都合解釈と言わずして何て言うのよ?」

「だ、だけど……人殺しは事実だろ!」

「……あの時、私は彼女を殺すつもりだったわ。力が及ばなくて出来なかっただけで。これから先も……同じ事があれば、私はきっと、殺意を以て刀を振るう。生き残る為に。私自身と大切な人達の為に。本当に出来るかは、その時になってみないと分からないけどね……一応、殺人未遂な訳だけど……私の事も人殺しだと軽蔑する?」

 

 光輝は、雫の告白に絶句する。

 

 

 幼馴染が、面倒見がよく責任感と正義感も人一倍強い雫が、本気で殺意を抱いていたと聞いて、急に遠い存在に思えてしまった。しかし雫の苦笑いの中に、人を害する事への憂いと恐怖の影がチラついている気がして、光輝は頭を振った。

 

 

 そんな光輝を見つつ、雫は独白とも言える話を続けた。

 

「確かに、彼の変化は驚いたけどね……日本にいた時の彼の性格を考えると、別人と言っても過言じゃないもの。本人曰く今が素の方らしいけど……まぁ香織は、それでも彼に"常磐ソウゴ"を感じたみたいだし、全てが変わった訳ではないのでしょうけど……忘れてはならないのは、彼が私達を助ける為に彼女と戦って、私達の代わりに殺したんだって事よ」

「……殺した事が正しいっていうのか」

「正しくは……ないのでしょうね。人殺しは人殺しだもの……正当化は出来ないし、してはならないのでしょう」

「だったら……」

「それでも、私達に常磐さんを責める資格はないわ。弱いが故に、結果を委ねてしまったのは、他ならない私達なのだから……」

 

 要するに、文句があるなら自分でどうにかすればよかったという事だ。望んだ結果を導き出す事が出来なかったのは、単純にそれだけの実力がなかったから。他人に全てを任せておいて、その結果にだけ文句を言うなどお門違いもいいところである。

 

 言外にそう言われた事に気がついた光輝は、ソウゴが無双している間、何も出来ずに這いつくばっていた自分を思い出し、反論出来ずにむっつりと黙り込んだ。その表情には「でも人殺しが間違っているのは事実だ!」という不満がありありと浮かんでいる。

 そんな頑固な光輝に、雫は諭す様な口調で今までも暗に忠告して来た事を、この世界に来て自分自身が感じた事を交えて語った。

「光輝の、真っ直ぐなところや正義感の強いところは嫌いじゃないわ」

「……雫」

「でもね。もうそろそろ、自分の正しさを疑える様になってもいいと思うのよ」

「正しさを疑う?」

「ええ。確かに強い思いは、物事を成し遂げるのに必要なものよ。でも、それを常に疑わず盲信して走り続ければ何処かで歪みが生まれる。だからその時、その場所で関係するあらゆる事を受け止めて、自分の想いは果たして貫く事が正しいのか、或いは間違っていると分かった上で、"それでも"とやるべきなのか……それを、考え続けなければならないんじゃないかしら? ……本当に、正しく生きるというのは至難よね。この世界に来て、魔物とはいえ命を切り裂いて……そう思う様になったわ」

 雫が魔物を殺す度にそんな事を考えていたとは露知らず、光輝は驚きで目を丸くした。

「光輝。常にあんたが正しい訳ではないし、例え正しくてもその正しさが凶器になる事もあるって事を知って頂戴。まぁ今回のご都合解釈は、あんたの思い込みから生じる"正しさ"が原因ではなくて、唯の嫉妬心みたいだけど」

「い、いや、俺は嫉妬なんて……」

「そこで誤魔化しやら言い訳やらするのは、格好悪いわよ?」

「……」

 

 

 再び俯いて、水面の月を眺め始めた光輝。ただ、先程の様な暗い雰囲気は薄れ、何かを深く考えている様だった。取り敢えず、負のスパイラルに突入して暴走という事態は避けられそうだと、幼馴染の暴走癖を知る雫はホッと息を吐いた。

 そして今は、一人になる時間が必要だろうと凭れていた欄干から体を起こし、そっとその場を離れようとした。そんな踵を返した雫の背に光輝の声がポツリとかかる。

 

「雫は……何処にも行かないよな?」

「……いきなり何よ?」

「……行くなよ、雫」

「……」

 

 どこか懇願する様な響きを持った光輝の言葉。光輝に惚れている日本の生徒達や王国の令嬢達が聞けばキャーキャー言いそうなセリフだったが、生憎雫が見せた表情は"呆れ"だった。

 

 香織がいなくなった喪失感に弱っているのかもしれないが……雫はチラリと肩越しに揺らめく月を見やった。先程から、光輝がずっと眺めていた水面の月だ。

「少なくとも私はその"月"ではないけれど……縋ってくる様な男はお断りよ」

 それだけ言い残し、雫はその場を後にした。

 

 

 残された光輝は、雫が消えた路地を暫く見つめた後、再び水面の月に視線を移す。そして、先程の言葉の意味に気がついた。

「……水月……か」

 鏡花水月。それは、鏡に映る花や水に映る月の様に、目に見えども手に取る事が出来ないものを差す言葉。無意識に眺めていた水面の月を香織とするなら、確かに手に取れないものなのかもしれない。

 

 雫は自分を"水月"ではないと言った。手に取れる可能性があるのだ。だが、その後の言葉は痛烈だ。思わず光輝は苦笑いする。幼馴染の女の子に自分は何を言っているんだと。

 光輝は幻の月を眺めるのは止めて、天を仰いだ。手を伸ばせば無条件に届くと信じて疑わなかった"それ"が、やけに遠く感じる。光輝は深い溜息を吐きながら、厳しくとも優しい幼馴染の言葉をじっくり考え始めた。

 変わるのか、変わらないのか……それは光輝次第だ。

 

 

 

 そんな光輝の足元で、彼の影がほんの僅かに一瞬濃くなった事に気付いた者は誰もいなかった。

 

 

 

 時間は少し進む。

 

 光輝達が、【宿場町ホルアド】にて、再会によって受けた衝撃と別れによる複雑な心情を持て余していた夜から三週間程経った。

 現在、光輝達は王都に戻って来ていた。理由は唯一つ。光輝達の致命的な欠点──"人を殺す"事について浅慮が過ぎるという点を克服する為だ。魔人族との戦争に参加するなら、"人殺し"の経験は必ず必要となる。克服できなければ、戦争に参加しても返り討ちに遭うだけなのだから。

 

 尤も、考える時間はもうあまり残されていないと考えるのが妥当だ。【ウルの町】での出来事は既に光輝達の耳にも入っており、自分達が襲撃を受けた事からも、魔人族の動きが活発になっている事は明らかだ。それはつまり、開戦が近いという事。故に光輝達は出来るだけ早く、この問題を何かしらの形で乗り越えねばならなかった。

 

 そんな光輝達はというと、現在只管メルド率いる騎士達と対人戦の訓練を行っていた。龍太郎や近藤達、永山達もある程度の覚悟はあったものの、実際ソウゴが女魔人族を焼き殺す瞬間を見て自分にも出来るのかと自問自答を繰り返していた。

 時間は無いものの、無理に人殺しをさせて壊れてしまっては元も子も無いので、騎士団員達も頭を悩ませている。

 

 

 そんなある意味鬱屈した彼等に、その日ちょっとした朗報が飛び込んできた。

 

 愛子達の帰還だ。普段なら光輝のカリスマにぐいぐい引っ張られていくクラスメイト達だったが、当の勇者に覇気がないので誰もがどこか沈みがちだった。手痛い敗戦と直面した問題に折れてしまわないのは、雫や永山といった思慮深い者達のフォローと鈴のムードメイクのおかげだろうが、それでも心に巣食った深い靄を解決するのに信頼出来る身近な大人の存在は有難かった。誰もが、いつだって自分達の事に一生懸命になってくれる先生にとても会いたかったのだ。

 

 愛子の帰還を聞いて、真っ先に行動したのは雫だ。雫は、色々相談したい事があると先に訓練を切り上げた。ソウゴに対して何かと思うところのありそうなクラスメイト達より先に会って、愛子が予断と偏見を持たない様に客観的な情報の交換をしたかったのだ。

 

 

 ソウゴから譲り受けた漆黒の鞘に収まる、これまた漆黒の刀身に片刃造りの妖刀を腰のベルトに差して、王宮の廊下を颯爽と歩く雫。そんな彼女の姿に、何故か男よりも令嬢やメイドが頬を赤らめている。世界を超えても雫が抱える頭の痛い問題だ。自分より年上の女性に「お姉様ぁ」と呼ばれるのは本当に勘弁して欲しいのだ。

 

 雫は【ウルの町】で、ソウゴが色々暴れた事を聞いていたので、愛子からソウゴについてどう思ったかも直接聞いてみたかった。愛子の印象次第では、今も考え込んでいる光輝の心の天秤が、あまり望ましくない方向に傾くかもしれないと思ったからだ。どこまでも苦労を背負い込む性分である。

「きっと、ウルでも無茶苦茶して来たのでしょうね……こんな刀をポイッとくれちゃうくらいだし……まったく、何が"ただ硬くてよく切れるだけ"よ。国宝級のアーティファクトじゃない」

 

 そんな事を独り言ちながら、そっと腰の刀に手を這わせる雫。愛子の部屋を目指しながら、この刀のメンテナンスについて相談する為、国直営の鍛冶師達の下へ訪れた時の事を思い出す。

 

 

 

 この刀、雫は単純に"黒刀"と呼んでいるが、黒刀をこの国の筆頭鍛冶師に見せた時の事。

 

 最初は"神の使徒"の一人である雫を前に畏まっていた彼だったが、鑑定系の技能を使って黒刀を調べた途端、態度を豹変させて雫の肩を掴みかからんばかりの勢いで迫って来たのだ。そして、どこで手に入れたのか、誰の作品なのかと、今までの態度が嘘の様に怒涛の質問、いや、尋問をして来たのである。

 目を白黒させる雫が、何とか筆頭を落ち着かせ、何事かと尋ね返した。

 

 

 すると彼曰く、これ程の剣は王宮の宝物庫でも見た事が無く、出力や魔力を受けるキャパシティ、武器としての機能性、作りの精密性等、全ての点において聖剣すら軽く凌駕する代物だったのだという。

 

 そして詳しく調べた結果、黒刀は魔力を流し込む事で何かしらの仕掛けが発動するという事が分かった。また、鞘の方にも仕掛けがあるらしい事も分かった。

 刃の部分は、少なくともアザンチウムが含まれているのでまず欠ける事も無く、メンテナンスも殆どいらないという。

 

 

 ただ問題があるとすれば、魔力を流し込む為の魔法陣が無い事である。それも当然だ。ソウゴが直接魔力を操れる事もあるが、元々製作段階で雫以外が使えない様に幾重にもロックが掛かっているのだ。なので、現状の雫が使う分においては“ただ硬くてよく切れるだけ”という言葉は間違っていない。

 

 そして、これだけ専門家の自分達が全力を尽くしても一割も解析出来ないという不可解な黒刀に、王国直属の鍛冶師達は闘志を燃やした。

 

 これほどの機能性・精密性を持った武器は作れないが、使える様にする位はしてみせる! と。要は、何とかして使用者の魔力を流し込める様にしようという訳だ。

 

 

 結果、三日三晩一睡もせず、筆頭鍛冶師を中心に国直属の鍛冶師達が他の仕事を全てほっぽり出して総出で取り組んだ結果……殆ど全ての鍛冶師達が魔力を無駄に枯渇させて数日間寝込んだという、何の実りも無い結果だけが残った。

 

 

 だが、それも当然の話。黒刀は片手間の即席とはいえ、ソウゴ自身が作った武器である。その製作には鍛冶神ヘファイストスの権能と伝説の刀鍛冶・千子村正の業が使われており、要は歴とした"神造兵装"なのだ。

 如何に技術を持っていようと、人間の手に負える代物ではないのである。

 

 

 そんな事も露知らず。職人魂の凄まじさを思い出して遠い目をしていると、目的地である愛子の部屋に到着した。ノックをするが、反応はない。国王達への報告をしに行っていると聞いていたのでまだ戻ってきていないのだろうと、雫は壁に凭れて愛子の帰りを待つ事にした。

 

 

 愛子が帰ってきたのは、それから三十分程してからだ。廊下の奥からトボトボと、何だかしょげかえった様子で、それでも必死に頭を巡らせているとわかる深刻な表情をしながら前も見ずに歩いてくる。

 そして、そのまま自分の部屋の扉とその横に立っている雫にも気づかず通り過ぎようとした。雫は、一体何があったのだと訝しそうにしながら、愛子を呼び止めた。

 

「先生……先生!」

「ほえっ!?」

 

 奇怪な声を上げてビクリと体を震わせた愛子は、キョロキョロと辺りを見回し漸く雫の存在に気がつく。そして雫の元気そうな姿にホッと安堵の吐息を漏らすと共に、嬉しそうに表情を綻ばせた。

「八重樫さん! お久しぶりですね。元気でしたか? 怪我はしていませんか? 他の皆も無事ですか?」

 今の今まで沈んでいたというのに、口から飛び出るのは生徒への心配事ばかり。相変わらずの"愛ちゃん先生"の姿に、自然と雫の頬も綻び、同時に安心感が胸中を満たす。暫し二人は再会と互いの無事を喜び、その後情報交換と相談事の為愛子の部屋へと入っていった。

 

 

「そう、ですか……清水君が……」

 雫と愛子、二人っきりの部屋で、可愛らしい猫脚テーブルを挟んで紅茶を飲みながら互いに何があったのか情報を交換する。そして、愛子から【ウルの町】であった事の次第を聞き、雫が最初に発した言葉がそれだった。

 

 室内にはやり切れなさが漂っている。愛子は悄然と肩を落としており、清水の事を気に病んでいるのは一目瞭然だった。雫は、愛子の性格や価値観を思えばどんな事情が絡んでいても気にするのは仕方ないと思い、掛けるべき言葉が見つからない。

 

 しかし、このまま落ち込んでいても仕方ないので、努めて明るく愛子の無事を喜んだ。

「清水君の事は残念です……でも、それでも先生が生きていてくれて本当よかったです。常磐さんには本当に感謝ですね」

 愛子は微笑みかけてくる雫に、また生徒に気を使わせてしまったと反省し、同じく微笑みを返した。

「そうですね。再会した当初は、私達の事も、この世界の事も全部興味がないといった素振りだったのですが……八重樫さん達を助けに行ってくれたのですね。それに小さな子の保護まで……ふふ、頼もしい限りです」

 そう言って遠い目をする愛子の頬は……何故か薄らと染まっている。雫は「一生徒を思い出すにしては、何だか妙な雰囲気じゃない?」と訝しみ、「ふふっ」と時折思い出し笑いをする愛子を注視した。

 

 その視線に気がついた愛子が「コホンッ!」と咳払いをして居住まいを正す。しかし取り繕った感は消せなかったので、何となく感じる嫌な予感に頬を引き攣らせつつ、雫は少し踏み込んでみる事にした。まさか、いくらなんでもそれはないだろうと半ば自分に言い聞かせながら。

「……先生? さっき、危ない状態から助けられたと聞きましたけど、具体的にはどの様に?」

「えっ!?」

「いえ、死んでいたかもしれないと言われては、やはりどうやって助かったのか少し気になりまして……」

「そ、それはですね……」

 

 雫は瀕死のメルドをごく短時間で治癒してしまった秘薬や、たった一言で傷や損傷を全快させたソウゴの術の存在を思い出し、それではないかと当たりをつけていたが敢えて知らないフリをして聞いてみた。すると、先程よりも一層、頬を赤らめ始めた愛子。視線は泳ぎまくり、ゴニョゴニョと口ごもって中々話しだそうとしない。……実に怪しい。

 雫は剣士らしく、一気に切り込んだ。

「……先生。常磐さんと……何かありました?」

「あ、ありませんよ? な、何かって何ですか? 普通に、私と彼は教師と生徒ですのよ!」

「先生。落ち着いて下さい。口調がおかしくなってます」

「!?」

 

 激しく動揺している愛子。必死に「私は教師、私は教師……」と呟いている。本人は心の中だけで呟いているつもりなのだろうがダダ漏れだ。雫は確信した、程度はまだ分からないが、愛子がソウゴに対して他の生徒とは異なる特別な感情を抱き始めている事に!

 

(常磐さん! 貴方って人は! 愛ちゃんに何をしたのよ!)

 

 最早誰が見てもわかるくらい頬を引き攣らせた雫は、心の中で絶叫する。もうソウゴもフラグ建築については光輝の事を言えないレベルだ。光輝と異なるのは、相手の好意に対して鈍感という訳ではなく、はっきり答えを出すところなのだろうが……愛子に関してはそれも微妙だろう。

 

 思わぬところに親友のライバルが潜んでいた事に、雫は引き攣る頬を手で隠しながら天を仰いだ。何だか無性にソウゴの事が憎らしくなり、いっそ何かしら間接的な仕返しをやろうかと危険な考えが過ぎったが……突如悪寒が走り、何とか思い止まる。

 

 愛子と雫は二人して咳払いを繰り返して気を取り直すと、先程のやり取りなど何も無かった様に話を続けた。

「それで、先生。陛下への報告の場で何があったのですか? 随分と深刻そうでしたけど」

 雫の質問に愛子はハッとすると共に、苦虫を噛み潰した様な表情で憤りと不信感を露わにした。

「……正式に、常磐さんが異端者認定を受けました」

「!? それは! ……どういう事ですか? いえ、何となく予想は出来ますが……それは余りに浅慮な決定では?」

 

 

 ソウゴの力は強大だ。たった一人で六万以上の魔物の大群を殲滅した。ソウゴの仲間も、通常では有り得ない程の力を有している。にも関わらず、聖教教会に非協力的で場合によっては敵対する事も厭わないというスタンス。王国や聖教教会が危険視するのも頷ける。

 

 しかしだからといって、直ちに異端者認定するなど浅慮が過ぎるというものだ。

 

 異端者認定とは、聖教教会の教えに背く異端者を神敵と定めるもので、この認定を受けるという事は何時でも誰にでもソウゴの討伐が法の下に許されるという事だ。場合によっては、神殿騎士や王国軍が動く事もある。

 

 

 そして、異端者認定を理由にソウゴに襲いかかれば、それは同時にソウゴからも敵対者認定を受けるという事であり、あの容赦無く苛烈で理解不能な攻撃が振るわれるという事だ。その危険性が上層部に理解出来ない筈がない。にも関わらず、愛子の報告を聞いて、その場で認定を下したというのだ。雫が驚くのも無理はない。

 

 

 雫がそこまで察している事に、相変わらず頭の回転が早い子だと感心しながら愛子は頷く。

「全くその通りです。しかも、いくら教会に従わない大きな力とはいえ、結果的にウルの町を救っている上、私がいくら抗議をしてもまるで取り合ってもらえませんでした。常磐さんは、こういう事態も予想してウルの町で唯でさえ高い"豊穣の女神"の名声を更に格上げしたのに、です」

 愛子は一度言葉を切ると、悩まし気に頭を振った。

「護衛隊の人に聞きましたが、"豊穣の女神"の名と"真王陛下"の名は、既に相当な広がりを見せているそうです。今彼を異端者認定する事は、自分達を救った"真王陛下"と"豊穣の女神"そのものを否定するに等しい行為です。私の抗議をそう簡単に無視する事など出来ない筈なのです。でも彼等は、強硬に決定を下しました。明らかにおかしいです。……今思えば、イシュタルさん達はともかく、陛下達王国側の人達の様子が少しおかしかった様な……」

「……それは、気になりますね。彼等が何を考えているのか……でも取り敢えず考えないといけないのは、唯でさえ強い常磐さんに"誰を"差し向けるつもりなのか? という点ではないでしょうか」

「……そうですね。恐らくは……」

「ええ。私達でしょう……まっぴらゴメンですよ? 私は、まだ死にたくありません。常磐さんと敵対するとか……想像するのも嫌です」

 雫がぶるりと体を震わせ、愛子はその気持ちは分かると苦笑いする。

 

 恐らくこの場にソウゴが居れば、「中途半端に力を持つから面倒事に巻き込まれるのだ間抜け」とでも言っただろう。

 

 それはさておき、問題は笑い事では済まない。

 

 

 何せ厄介な事に、光輝が不興を買ったせいで現状教会の人間や騎士達より、自分達はソウゴにとって心証が悪い。その上二度目は無いと明言されているのだ、恐らく殺される危険性は下手な刺客よりも跳ね上がっているだろう。

 よしんば見逃してもらえるとしても、雫と遠藤、愛子、優香達ぐらいだろうか。

 

 

 そして、国と教会側からいい様に言いくるめられてソウゴと敵対する前に、愛子は光輝達にソウゴから聞いた狂った神の話を話す決意をした。証拠は何もないので、光輝達が信じるかは分からない。なにせ今まで、魔人族との戦争に勝利すれば神が元の世界に戻してくれると信じて頑張ってきたのだ。

 実はその神は愉快犯で、帰してくれる可能性は極めて低く、だから昔神に反逆した者達の住処を探して自力で帰る方法を探そう! 等といきなり言われても信じられるものではないだろう。

 

 光輝達が話を聞いた後、戯言だと切って捨てて今まで通り戦うか、それとも信じて別の方針をとるか……それは愛子にも分からないが、とにかく教会を信じすぎない様に釘を刺す必要はある。愛子は今回の事で、それを確信した。

 

 

「八重樫さん。常磐さんは、自分が話しても信じないどころか、天之河君辺りから反感を買うだろうと予想して、私にだけ話してくれた事があります」

「話……ですか?」

「はい。教会が祀る神様の事と、常磐さん達の旅の目的です。証拠は何も無い話ですが……とても大事な話なので今晩……いえ夕方、全員が揃ったら先生からお話したいと思います」

「それは……いえ、分かりました。なんなら今から全員招集しますか?」

「いえ、あまり教会側には知られたくない話なので自然に皆が集まる時、夕食の席で話したいと思います。久しぶりに生徒達と水入らずで、といえば私達だけで話せるでしょう」

「成程……分かりました。では、夕食の時に」

 その後、雫と愛子は雑談を交わし、程よい時間で分かれた。夕食の約束は守られないと知る由も無く……

 

 

 

 時刻は夕方。

 

 鮮やかな橙色をその日一日の置き土産に太陽が地平の彼方へと沈む頃、愛子は一人誰もいない廊下を歩いていた。廊下に面した窓から差し込む夕日が、反対側の壁と床に見事なコントラストを描いている。

 夕日の美しさに目を奪われながら夕食に向かう愛子だったが、ふと何者かの気配を感じて足を止めた。前方を見れば、丁度影になっている部分に女性らしき姿が見える。廊下のど真ん中で、背筋をスっと伸ばし足を揃えて優雅に佇んでいる。服装は、聖教教会の修道服の様だ。

 

 その女性が美しく、しかしどこか機械的な冷たさのある声音で愛子に話しかけた。

 

「はじめまして、畑山愛子。あなたを迎えに来ました」

 愛子はその声に何故か背筋に氷塊でも放り込まれた様な気持ちを味わいながらも、初対面の相手に失礼は出来ないと平静を装う。

「えっと、はじめまして。迎えに来たというのは……これから生徒達と夕食なのですが」

「いいえ、あなたの行き先は本山です」

「えっ?」

 有無を言わせぬ物言いに、思わず愛子が問い返す。そこで、女性が影から夕日の当たる場所へ進み出てきた。その人物を見て、愛子は息を呑む。同性の愛子から見ても、思わず見蕩れてしまうくらい美しい女性だったからだ。

 

 

 夕日に反射してキラキラと輝く銀髪に、大きく切れ長の碧眼、少女にも大人の女にも見える不思議で神秘的な顔立ち、全てのパーツが完璧な位置で整っている。身長は女性にしては高い方で百七十センチくらいあり、愛子では軽く見上げなければならい。白磁の様に滑らかで白い肌に、スラリと伸びた手足。胸は大きすぎず小さすぎず、全体のバランスを考えれば正に絶妙な大きさ。

 

 ただ残念なのは、表情が全くない事だ。無表情というより、能面という表現がしっくりくる。著名な美術作家による最高傑作の彫像だと言われても、疑う者はいないだろう。それくらい、人間味のない美術品めいた美しさをもった女だった。

 

 その女は、息を呑む愛子ににこりともせず淡々と言葉を続けた。

「あなたが今からしようとしている事を、主は不都合だと感じております。あなたの生徒がしようとしている事の方が“面白そうだ”と。なので時が来るまで、あなたには一時的に退場していただきます」

「な、何を言って……」

 

 ゆっくり足音も立てずに近寄ってくる美貌の修道女に、愛子は無意識に後退る。刹那、修道女の碧眼が一瞬輝いた様に見えた。途端、愛子の意識に霞が掛かる。思わず本能的な危機感から、魔術を使う時の様に集中すると弾かれた様に霞が霧散した。

「……成程、流石は主を差し置いて“神”を名乗るだけはあります。私の“魅了”を弾くとは。仕方ありません、物理的に連れて行く事にしましょう」

「こ、来ないで! も、求めるはっ……うっ!?」

 

 得体の知れない威圧感に、愛子は咄嗟に魔術を使おうとする。しかし、詠唱を唱え終わるより早く、一瞬で距離を詰めてきた修道女が迫る。その時初めて、修道女と愛子の目が合った。その瞬間、

 

 

 糸が切れた人形の様に修道女が崩れ落ちた。

 

 

「……?」

 いきなり倒れた修道女に対し、警戒しつつ目を逸らさない愛子。

 

 しかし次の瞬間、背後からの突然の衝撃によって崩れ落ちた愛子は、意識が闇に飲まれていくのを感じながら背後の襲撃者の呟きを聞いた。

 

「ご安心を、殺しはしません。あなたは優秀な駒です、あのイレギュラーを排除するのにも役立つかもしれません」

 

 愛子の脳裏に、威風堂々たる魔王が思い浮かぶ。そして届かないと知りながら、完全に意識が落ちる一瞬前に心の中で彼の名を叫んだ。

 

 

 ───常磐さん!

 

 

「? ……しかし、一体何があったのでしょう?」

 

 

 愛子をまるで重さを感じさせない様に担いだ先程の修道女と瓜二つの襲撃者は、ふと廊下の先に意識を向けて探る様に視線を這わせた。

 

 そこにあるのは、突如動かなくなった修道女の体。

 

 暫くじっと観察していた襲撃者は、徐に廊下の先にある客室の扉を開く。

 そして中に入り部屋全体を見回すと、わざとらしく足音を立てながらクローゼットに近寄り、勢いよく扉を開けた。

 

 しかし中には何もなく、襲撃者は再度首を傾げると再び周囲を見渡し、あちこち見て回った。やがて、何もないと結論づけたのか愛子を担ぎなおすと、踵を返して部屋を出て行った。

 すると襲撃者は、三度目の不可解を目の当たりにする。

 

 

 いつの間にか、倒れていた修道女の体が消えていた。

 

 

 襲撃者は音も無く消えた修道女の体に目を眇めつつ、その場を後にした。

 

 

 

 

 静寂の戻った部屋の中で、震える声がポツリと呟く。

 

「……知らせないと……誰かに」

 

 部屋の中には誰もいない。しかし、何処かに遠ざかる足音がほんの僅かに響き、やがて、完全に静寂を取り戻した。

 

 




実はソウゴに再会したメンバー全員、本人が知らない間にソウゴに色々細工されてます。


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第十九話 異世界スプラッシュ・マウンテン

「今回ちょっと変え過ぎじゃね?」作者は少し後悔……したかもしれない。


 荘厳な往生の広い廊下を、一人の男が歩いていた。カッ、カッ、と乱暴に踏み鳴らされる足音と男の険しい表情に、すれ違った者達はギョッとした表情をしている。

 

「フリード様っ!」

 荒れ狂う内心を自覚無く垂れ流していた男に、張り詰めた様な声が掛かった。

 

「ミハイルか」

「フリード様っ! カトレアが……カトレアがやられたと! 任務から戻ったら、他の連中が話していて! ……嘘ですよね? カトレアが死んだなんて、そんなのある訳が無い! だって、アイツにはフリード様のアハトドだってついて───」

 

 フリードと呼ばれた男は取り乱した様子の部下──ミハイルの肩に手を置いた。ぐっと、何かを堪える様な力強さで。それだけでミハイルは悟った。【オルクス大迷宮】への任務に旅立った大切な存在が、永遠に帰らぬ人になったという事を。

「何故……そんな。勇者は、それ程に強力だったのですか? あれ程の魔物を従えても歯が立たない程に? そんな事が……」

「落ち着けミハイル、事前の調査に間違いは無い。今の勇者にカトレアを退ける程の力は無い筈だ」

「ではっ、では何故っ!」

 

 瞳に絶望を映し、フリードへ掴みかからんばかりの勢いで尋ねるミハイル。フリードは頭を振ると、徐に関係無さそうな、されど重大な問題を口にした。

 

「ウルの町での任務が、失敗に終わった」

「なっ。……それはやはり、対象が裏切らなかったと?」

「いや、そうではない。作戦は成功し、六万の魔物がウルの町ごと豊穣の女神を蹂躙する筈だった。だが──イレギュラーに潰されたのだ」

「イレ、ギュラー?」

 何の事だと首を傾げるミハイルに、フリードはまるで見えない敵を睨みつけるが如く、虚空へ鋭い視線を向けた。

「たった一人に、魔物の軍勢を殲滅されたのだ。おまけに、任務に当たっていたレイスも消息を絶った」

「馬鹿な、レイスまで……。それにフリード様の強化を受けていない魔物のとはいえ、その数をたった一人で? 有り得ない……、それは一体の冗談ですか?」

 慄く様にふらついたミハイルへ、フリードは視線を戻す。

「冗談であれば良かったのだがな……。どうやらその怪物、ウルの町を去った後オルクス大迷宮に駆け込んだらしい。丁度、カトレアが勇者と接触する頃だ」

「っ! では、カトレアはソイツに……!」

 ポタリと、廊下に真っ赤な水滴が落ちた。それは、ミハイルが握り締めた拳より流れ落ちたもの。湧き上がる憤怒の発露。

 フリードはミハイルの肩に手を置きつつ、鋭い声音で口を開いた。

「敵は想像以上に強大だ。私はこれより、大火山に向かう。新たな神代魔法を手に入れ、更に力をつける。何としてもだ」

「フリード様……」

 

 

 自分達が信頼する最強の将が、そこまで言う相手。戦慄を隠せないミハイルに、フリードは味方をして心胆寒からしめる眼差しを向けた。

 

「全ては我等が陛下の為、そして我等の信ずる神の為。留守を任せるぞミハイル、決戦の時は近い。私がいない間、憤怒を以て牙を研ぎ澄ませておけ」

「っ、了解です。カトレアの仇は必ず討ちます」

 決然と頷くミハイルに頷き返したフリードは、サッと踵を返した。

 背後でミハイルが敬礼するのを感じながら、相棒が待機している場所へと向かう。

 部下の前故に、抑えられていた感情が徐々に溢れ出す。その表情は既に、狂気を感じさせる程に歪んでいる。

「我が神より賜った崇高な使命の悉くを潰してくれた代償──高くつくぞ、まだ見ぬ敵よ。私と相対したその時が、貴様等の終わりだ。異教徒共に、この世界で生きる資格は無い」

 憎悪と憤怒に彩られたフリードは怨嗟にも似た呟きを残し、一刻後夥しい数の魔物を従えて国を後にした。

 

 魔人族の王国──魔国ガーランドを。

 

 人間と魔人の戦力的均衡をたった一人で崩した最強の魔人。

 奇しくも、向かった先は異界の魔王と同じ場所。

 

 

 果たしてフリードは、知らず知らずの内に迫る死神の鎌から逃れられるのか……

 

 

 

 赤銅色の世界。

 

 【グリューエン大砂漠】は、正にそう表現する以外にない場所だった。砂の色が赤銅色なのは勿論だが、砂自体がキメ細かいのだろう。常に一定方向から吹く風により易々と舞い上げられた砂が大気の色をも赤銅色に染め上げ、三百六十度見渡す限り一色となっているのだ。

 

 また、大小様々な砂丘が無数に存在しており、その表面は風に煽られて常に波立っている。刻一刻と表面の模様や砂丘の形を変えていく様は、砂漠全体が"生きている"と表現したくなる程だ。

 照りつける太陽と、その太陽からの熱を余さず溜め込む砂の大地が強烈な熱気を放っており、四十度は軽く超えているだろう。舞う砂と合わせて、旅の道としては最悪の環境だ。

 

 

 尤も、それは"普通の"旅人の場合である。

 

 

 現在、そんな過酷な環境を知った事ではないと突き進む赤い箱型の乗り物──"トライドロン"が、砂埃を後方に巻き上げながら爆走していた。道なき道だが、それは運転手が解決してくれる。

 

「……外、凄いですね……普通の馬車とかじゃなくて本当に良かったです」

「全くじゃ。この環境でどうこうなる程柔い心身ではないが……流石に、積極的に進みたい場所ではないのぉ」

 

 車内の後部座席で窓にビシバシ当たる砂と赤銅色の外世界を眺めながらシアとティオがしみじみした様子でそんな事を呟いた。いくらティオが被虐主義者の変態でも、流石にこの環境は鬱陶しいだけらしい。

「前に来たときとぜんぜん違うの! とっても涼しいし、目も痛くないの! パパはすごいの!」

「そうだね~。ソウゴパパは凄いね~。ミュウちゃん、冷たいお水飲む?」

「飲むぅ~。香織お姉ちゃん、ありがとうなの~」

 前部の窓際の席で香織の膝の上に抱えられる様にして座るミュウが、以前誘拐されて通った時との違いに興奮した様に万歳して、快適空間を生み出したソウゴにキラキラした眼差しを送る。

 それも当然と言えば当然の反応だろう。

 

 海人族であるミュウにとって、砂漠の横断はどれ程過酷なものだったか。四歳という幼さを考えれば、寧ろ衰弱死しなかった事が不思議なくらいだ。そんな環境を耐えてきたミュウからすれば、ギャップも相まって驚きも一入だろう。なにせトライドロンには、冷暖房が完備されているだけでなく耐衝撃障壁や遮音機能、遊興用のゲーム類やドリンクサーバーも備えられているのだから。

 

 そして、ソウゴを称えるミュウに賛同しながら、砂漠では望める筈も無い冷たい水を普通に差し出したのは、【ホルアドの町】でソウゴに対する衝撃的な告白とユエに対する宣戦布告を行い、ソウゴの意見をスルーした挙句、いつの間にか仲間になっていた香織である。因みにこの水は、車内備え付けの冷蔵庫から取り出した物だ。

「おい香織、貴様にその呼び方を許した覚えは無いぞ。今すぐ止めろ」

「? でも、ミュウちゃんには普通に呼ばれてるよね?」

「いや、ミュウは娘なのだから当たり前であろう? 貴様は旅の同行者ではあるが、赤の他人だろう」

 生来の面倒見の良さから何かと積極的にミュウの世話を焼く香織は、ミュウが傍にいる時大抵ソウゴの事をソウゴパパと呼称する。香織にパパと呼ばれるのはどうにも抵抗感があるらしく、物凄く微妙な表情をするソウゴ。

 

 因みにソウゴが香織を名前呼びしているのは、当然だが生まれつきの性分だ。若い頃から初対面だろうが年上だろうが、大抵の相手は大体名前で呼び捨てにしていたのだから。

 

「そう? なら呼ばないけど……でも、私もいつか子供が出来たら……その時は……」

「私に不倫させる気か」

 ソウゴをチラチラと見ながら、頬を真っ赤に染めてそんな事を言う香織。車内にミュウを除いて、妙な雰囲気が漂う。ソウゴが鬱陶し気に答えるが、香織に答えたのはユエだった。

「……残念。先約は私。約束済み」

「!? ……ソウゴくん、どういう事?」

「勝手に事実を捏造するな」

 ユエがさも事実かの様に有りもしない事を宣い、ソウゴが面倒そうに訂正する。

 

 その後も最早恒例であるかの様に言い争いを始め、ソウゴが「これ以上続けるなら外に放り出すぞ」と言いながら手を伸ばそうとするが、ソウゴより先に二人の言い争いを止めに入ったのは、意外な事にミュウだった。

 

「……う~、ユエお姉ちゃんも香織お姉ちゃんもケンカばっかり! なかよしじゃないお姉ちゃん達なんてきらい!」

 そう言ってミュウは香織の膝から移動すると、後部座席に座るシアの膝に座り込んでプイッと顔を背けてしまった。途端にオロオロしだすユエと香織。流石に、四歳の幼女から面と向かって嫌いと言われるのは堪えるらしい。

「もうっ! お二人共、ミュウちゃんの前でみっともないですよ。というか、教育に悪いです。ソウゴさんの事で熱が入るのは私も分かりますけど、もう少し自重して下さい」

「! ……不覚。シアに注意されるなんて……」

「ご、ごめんなさい。ミュウちゃん、シア」

 シアから注意されるというまさかの事態に、肩を落とす二人。

 

 ユエにとって、シアは友人兼妹分みたいな存在だ。ソウゴに好意を寄せる者ではあるが、同時にユエ自身の事も求められているので、明確に恋敵という認識が既にない。ティオはソウゴ自身が求めた存在だが、ただの変態だ。

 

 故に、真正面から宣戦布告した香織こそが、正に初めて現れた恋敵なのだ。

 

 ユエはソウゴとの間に、絶対の絆があると確信している。自分がソウゴの"特別"に選ばれるだろうという事に、根拠不明の揺るぎない自信を持っている。だから、香織が告白し宣戦布告した時も、挑戦者を正面から倒してやる位の余裕ある気持ちだった。

 ただ、余裕と自信があるのは変わらないのだが、深刻にならない程度の言い争いが絶えないという状況になり、本日ついにミュウやシアに怒られてしまったという事なのである。

 本来なら、ソウゴが喧嘩両成敗で終息させるのがセオリーなのだが、運転中で手が離せないので我関せずを貫くのだった。

 

 

「ん? 何じゃあれは? ご主人様よ、三時方向で何やら騒ぎじゃ」

 ユエと香織がミュウの機嫌を直す為に仲良しアピールを必死に行い、シアが苦笑いしながらミュウを宥めていると、不意にそんな様子を面白げに見ていたティオがソウゴに注意を促した。窓の外に何かを発見したらしい。

 ソウゴが言われるままにそちらを見ると、どうやら右手にある大きな砂丘の向こう側にサンドワームと呼ばれるミミズ型の魔物が相当数集まっている様だった。砂丘の頂上から無数の頭が見えている。

 

 このサンドワームは平均二十メートル、大きいものでは百メートルにもなる大型の魔物だ。この【グリューエン大砂漠】にのみ生息し、普段は地中を潜行していて、獲物が近づくと真下から三重構造のズラリと牙が並んだ大口を開けて襲いかかる。察知が難しく奇襲に優れているので、大砂漠を横断する者には死神の如く恐れられている。

 

 幸いサンドワーム自身も察知能力は低いので、偶然近くを通る等不運に見舞われない限り、遠くから発見され狙われるという事は無い。なので、砂丘の向こう側には運の無かった者がいるという事なのだが……

 

「……アレ等、何故あの様な不可解な動きをしている?」

 

 そう。ただサンドワームが出現しているだけなら、ティオも疑問顔をしてソウゴに注視させる事はなかった。ソウゴの感知系技能ならサンドワームの奇襲にも気がつけるし、トライドロンの速度なら直前でも十分攻撃範囲から抜け出せるからだ。

 

 異常だったのは、サンドワームに襲われている者がいるとして、何故かサンドワームがそれに襲いかからずに様子を伺う様にして周囲を旋回しているからなのである。

「まるで、食うべきか食わざるべきか迷っている様じゃのう?」

「確かにそう見えるな。その様な事はありえるのか?」

「妾の知識には無いのじゃ。奴等は悪食じゃからの、獲物を前にして躊躇うという事は無い筈じゃが……」

 

 被虐趣味の変態であるティオだが、ユエ以上に長生きな上にユエと異なり幽閉されていた訳でも無いので、この世界に関する知識はこの中で一番深い。なので、魔物に関する情報等では頼りになる。その彼女が首を傾げるという事は、何か異常事態が起きているのは間違いないだろう。

 しかし、態々自分達から関わる必要も無い事なので、ソウゴは深く確認せず巻き込まれる前にさっさと距離を取る事にした。

 と、その時。

 

「! 掴まれ!」

 

 ソウゴはそう叫ぶと、一気にトライドロンを加速させた。直後、砂色の巨体が後方より飛び出してきた。大口を開けたそれは件のサンドワームだ。どうやら、不運なのはソウゴ達も同じだったらしい。

 ソウゴは更に右に左にとハンドルを切り、砂地を高速で駆け抜けていく。Sの字を描く様に走るトライドロンが駆け抜けた瞬間、二体目、三体目とサンドワームが飛び出してきた。

「きゃぁあ!」

「ひぅ!」

「わわわ!」

 香織、ミュウ、シアの順に悲鳴が上がる。強烈な遠心力に振り回され、後部座席のミュウを気にして座席に膝立ちとなり後ろを向いていた香織は、バランスを崩して倒れ込んだ。そして、ユエの膝の上にお尻を置いた状態で仰向けにソウゴの膝上へと着地する。

 パチクリと目を瞬かせた香織はそのまま頬を薄らと染めると、上体を捻りギュウッとソウゴの腰にしがみついた。位置的に非常に邪魔くさく、ソウゴの頬が引き攣る。因みに、香織の下半身は未だユエを下敷きにしている。

「ふざけている場合か!」

「危ないから! 危険が危ないから! しがみついてるの!」

「……おのれ香織、私を下敷きにして奇襲とは……やってくれる」

 サンドワームの奇襲を受けながら、チャンスとばかりにソウゴにしがみつく香織のお尻を、ユエが忌々しいとばかりにペシペシと平手打ちするが、香織は頬を染めたままソウゴの腹部に顔を押し付けて動こうとしない。

 

 

 そうこうしている内に現れた三体のサンドワームが、地中より上体を出した状態で全ての奇襲を躱したトライドロンを睥睨し、今度はその巨体に物を言わせて頭上から襲いかかろうとした。

 

 これが唯の馬車であったなら、その攻撃で終わっていたかもしれない。しかしこれは、クリム・スタインベルトが作り出し、光の国やソウゴがスカウトした様々な世界の天才達の技術が加えられたハイパーカーだ。ただ食らいつかれたくらいではビクともしない。

 それに……

 

「……もうその姿勢のままでいい、動くなよ!」

 そんな事を言いながらソウゴは、トライドロンをドリフトさせて車体の向きを変え、窓を開いていつの間にかその手に握っていた銃──ショットライザーの引き金を引く。

 

 

『ウェーブ・スプラッシング・ブラスト!』

 

 

 機械音が響き渡るのと同時に、その銃口から大海の激流が圧縮された弾丸となって飛び出し、迫り来るサンドワームの口内に飛び込み正確に撃ち抜いた。サンドワームの真っ赤な血肉が洗い流される様に後方へ飛び、砂漠に赤い花を咲かせる。

 ソウゴはそれを見届ける事無く、素早くライザー内のプログライズキーを入れ替えて再び引き金を引く。

 

 

『バースト・ダイナマイティング・ブラスト!』

 

 

 更に迫り来るサンドワームに連鎖爆発弾を放つソウゴ。

 一方、ミュウには刺激が強いだろうと考えたシアは、ミュウを対面方向で胸元に抱きしめて見えない様にしていた。

 そして、未だソウゴの腰元に顔をうつ伏せにして抱きついていた香織だったが、ユエによって遂に引っぺがされ座席にシートベルトで固定されてしまった。流石に、衝動に負けて相当はしたない事をしてしまったという自覚がある様で、耳まで真っ赤に染めて顔を俯けている。

「あ、あの、ソウゴくん。ごめんさない。その、つい衝動的に……決してエッチな目的があった訳じゃないの。ただ、ちょっと、抱きついてみたかったというか……」

「……そして、あわよくば、そのままソウゴ様を堪能しようと?」

「うん、そうなんだ……って違うよ! ユエ、変な事言わないで。私は、ユエみたいにエッチじゃないよ」

「……私をエッチと申したか……確かに、ソウゴ様と二人っきりだと否定は出来ない」

「……貴様等、言い争う余裕があるなら対処しろ」

 

 

『ブロー・クラッシング・ブラスト!』

 

 

 サンドワームを瞬殺したソウゴは、その爆音と衝撃を感知したのか砂丘の向こう側のサンドワーム達が動き出したのを見てもう一発撃ち込む。

 

 だがその横合いで普段通りの掛け合いをする香織とユエに、ついうんざり気味に注意する。

 

 ソウゴはそのまま砂丘の上へとトライドロンを走らせる。下方に地中の浅い部分を移動してくるサンドワームの群れが見えた。微妙に砂が盛り上がっており、隠密性が無い。向こうもソウゴ達が気付いている事を察して、奇襲よりも速度を重視しているのだろう。

 ソウゴはショットライザーを仕舞い、術で対処する事にした。

「"砂瀑柩"」

 ソウゴが手を翳すと共に、サンドワーム達が周囲の砂ごと浮き上がり拘束される。締め付けられる様にギチギチと音が鳴り、サンドワーム達も耳障りな悲鳴を上げる。

 

「"砂瀑送葬"」

 

 直後、グチャッという音と共に拘束する砂塊が一気に縮み、その砂が吸い切れなかった体内水分が外へと溢れ出る。サンドワームはその身を赤い雨に変え、不毛の大地への細やかな栄養として還っていった。

「ソウゴくん! あれ!」

「……白い人?」

 

 ソウゴが術を解除して赤い砂が落ちるのと、香織が驚いた様に声を上げ前方に指を差すのは同時だった。

 

 

 香織が指を差した先には、ユエが呟いた様に白い衣服に身を包んだ人が倒れ伏していた。恐らく先程のサンドワーム達は、あの人物を狙っていたのだろう。しかし何故食われなかったのかは、この距離からでは分からず謎だ。

 

「お願い、ソウゴくん。あの場所に……私は"治癒師"だから」

 

 懇願する様な眼差しをソウゴに向ける香織。ソウゴとしても、何故あの状態で砂漠の魔物に襲われないのか興味があったので香織の頼みを了承する。

 何か魔物を遠ざける方法や、アイテムでもあるのかもしれない。実際、樹海にはフェアドレン水晶という魔除けの効果を持つ石がある。魔物が寄り付きにくくなるという程度の効果しかないが、もしかしたらより強力なアイテムがある可能性は否定できない。

 

 

 

 そんな訳で、トライドロンを走らせ倒れている人の近くまでやって来た。

 

 その人物は、ガラベーヤ(エジプト民族衣装)に酷似した衣装と、顔に巻きつけられるくらい大きなフードの付いた外套を羽織っていた。顔は分からない。うつ伏せに倒れている上に、フードが隠してしまっているからだ。

 トライドロンから降りた香織が、小走りで倒れる人物に駆け寄り仰向けにした。

 

「! ……これって……」

 

 フードを取り露わになった男の顔は、まだ若い二十歳半ばくらいの青年だった。だが、香織が驚いたのはそこではなく、その青年の状態だった。

 

 

 苦しそうに歪められた顔には大量の汗が浮かび、呼吸は荒く脈も早い。服越しでも分かる程全身から高熱を発している。しかも、まるで内部から強烈な圧力でもかかっているかの様に血管が浮き出ており、目や鼻といった粘膜から出血もしている。明らかに尋常な様子ではない。ただの日射病や風邪という訳ではなさそうだ。

 

 ソウゴはまるでウイルス感染者の様な青年の傍に皆を近寄らせる事に危機感を覚えたが、治癒の専門家が診察しているので大人しく様子を見る事にした。

 香織は"浸透看破"を行使する。これは魔力を相手に浸透させる事で対象の状態を診察し、その結果を自らのステータスプレートに表示する技能である。

 その結果……

 

「……魔力暴走? 摂取した毒物で体内の魔力が暴走しているの?」

「何がわかった?」

「う、うん。これなんだけど……」

 そう言って香織が見せたステータスプレートには、こう表示されていた。

 

 

 

状態:魔力の過剰活性 体外への排出不可

症状:発熱・意識混濁・全身の疼痛・毛細血管の破裂とそれに伴う出血

原因:体内の水分に異常あり 

 

 

 

「恐らくだけど、何かよくない飲み物を摂取して、それが原因で魔力暴走状態になっているんだと思う。……しかも外に排出できないから、内側から強制的に活性化・圧迫させられて、肉体が付いてこれてない……このままじゃ、内蔵や血管が破裂しちゃう。出血多量や衰弱死の可能性も……。天恵よ、ここに回帰を求める──"万天"」

 香織はそう結論を下し、回復魔術を唱えた。使ったのは"万天"。中級回復魔術の一つで、効果は状態異常の解除だ。

 しかし……

 

「……殆ど効果が無い……どうして? 浄化しきれないなんて……それ程溶け込んでいるという事?」

 

 どうやら"万天"では、進行を遅らせる事は出来ても完全に治す事は出来なかった様だ。体内から圧迫されているせいか、青年は苦しそうに呻き声を上げている。粘膜から出血も止まらない。香織は今の段階では明確な治療法が思いつかなかったので、歯噛みしながら応急措置を採る事にした。

「光の恩寵を以て宣言する、ここは聖域にして我が領域、全ての魔は我が意に降れ──"廻聖"」

 

 光系の上級回復魔術"廻聖"。これは、一定範囲内における人々の魔力を他者に譲渡する魔術だ。基本的には自分の魔力を仲間に譲渡する事で、対象の魔力枯渇を一時的に免れさせたり、強力な魔術を放つのに魔力が足りない場合に援護する事を目的とした術だ。

 

 また、譲渡する魔力は術者の魔力に限らないので、領域内の者から強制的に魔力を抜き取り他者に譲渡する事も出来る。謂わばドレイン系の魔術としても使えるのだ。但し、他者から抜き取る場合はそれなりに時間が掛かり、一気に大量にとは行かず実戦向きとは言えない。

 

 尤も、香織は本来十小節は必要な詠唱を僅か三小節まで省略し、実戦でもある程度使えるレベルに仕上げていたりする。如何に香織の技量が凄まじいか分かるというものだ。

 

 

 苦しむ青年にこの魔術を使ったのは、勿論体内で荒れ狂い体を圧迫する魔力を体外に排出する為だ。ステータスプレートには"体外への排出不可"と表示されているが、上級魔術による強制ドレインならば「或いは」と試す事にしたのだ。

 

 白菫色の光が青年を中心に広がり、蛍火の様な淡い光が湧き上がる。

 神秘的な光景だ。目を瞑り、青年の胸に手を起きながら意識を集中する香織の姿は、淡い光に包まれている事もあって、どこか神々しさすら感じる。

 

 香織がいとも簡単に上級魔術を行使した事に、魔術に精通するユエやティオが思わず「ほう……」と感嘆の声を漏らす程だった。ミュウはシアに抱っこされながら、「きれい……」とうっとりした表情で香織を見つめている。

 周囲で新たな仲間達が感嘆の声を上げている事に気がついた様子もなく、香織は青年から取り出した魔力をソウゴより譲り受けた神結晶の腕輪に収めていった。どうやら、上級魔術による強制ドレインは有効だった様だ。

 

 

 因みに指輪でないのは、過去二回の誤解を繰り返さない為である。

 

 

 徐々に青年の呼吸が安定してきた。体の赤みも薄まり、出血も収まってきた様だ。香織は"廻聖"の行使をやめると、初級回復魔術"天恵"を発動し青年の傷ついた血管を癒していった。

 

「取り敢えず……今すぐどうこうなる事は無いと思うけど、根本的な解決は何も出来てない。魔力を抜きすぎると今度は衰弱死してしまうかもしれないから、圧迫を減らす程度にしか抜き取っていないの。このままだと、また魔力暴走の影響で内から圧迫されるか、肉体的疲労でもそのまま衰弱死する……可能性が高いと思う。勉強した中では、こんな症状に覚えは無いの……ユエとティオは何か知らないかな?」

 

 青年が危機を脱した事に一応の安堵を見せるも、完全な治療は出来なかった事に憂いを見せる香織が知識の深いユエとティオに助けを求めた。

 二人も記憶を探る様に視線を彷徨わせるが、該当知識はない様だった。結局、原因不明の病としか言い様がないという状況だ。

「今の香織では手に余るか……。なら仕方ない、私が対処しよう」

「どうにか出来るの?」

「まぁ、本来の使い方ではないのだがな」

 ソウゴの言葉を聞き、疑問を浮かべつつも任せようと身を引く香織。

 

 交代する様に前に出たソウゴはしゃがみ込み、青年の額に手を伸ばす。そのまま頭を掴み、その手を引き上げる。

 するとその手には、まるで青年の体から引き出した様に半透明の人型が出現する。それを見て、香織が質問を口にした。

 

「ソウゴくん、それは一体……?」

「これは"人間道"、魂を抜き取る技だ。触れた相手の魔力を喰らう"餓鬼道"でもいいんだが、今回はこちらの方が適していると思ってな。……この斑点が見えるな?」

「う、うん」

 ソウゴの返答と確認に香織は頷く。その視線の先には、ソウゴの言葉通り人型の中に幾つか紫色の染みの様なものが浮かんでいた。

「この斑点が症状の原因、恐らく何かしらの術由来の毒であろうな。そして、原因がそうであるならば……」

 ソウゴはそう説明し、魂を掴んでいるのとは逆の腕を翳して異界の呪文を唱える。

「"ゴール・ゴル・ゴルド"」

 ソウゴが唱えると、斑点は蒸発する様に煙に変わって宙に溶けていった。それを確認したソウゴは、掴んでいた魂を青年の体に戻す。

 

 すると青年の血色が良くなり、脈動が正常なものへと変化していた。呼吸も安定し、傍目から見ても健常者がただ眠っている様に見える。

 

「凄い……こんな事が出来るなんて……」

「あくまで応用だ。先程言った通り、本来の使い方でもなければ回復術でもない」

「それでも凄いよ、"万天"でも治せない症状を一瞬で治すなんて」

 いとも簡単に自分でも治せなかった病状を治療したソウゴに、香織が感嘆の声と共に畏敬の目を向ける。

 

 そうこうしていると、青年が呻き声を上げてその瞼がふるふると震えだした。ゆっくりと目を開けて周囲を見わたす青年は、自分の間近にいる香織を見て「女神? そうか、私は召し上げられて……」などと口にした。

 そして今度は違う理由で体を熱くし始めたので、ソウゴは頭を冷やせという意味を込めて、香織に手を伸ばそうとしている青年の頭にサッカーボール大の水球を落とした。

「わぶっ!?」

「ソ、ソウゴくん!?」

 砂漠のど真ん中で溺れるという珍体験をした青年と、驚いた様に声を上げる香織を尻目にソウゴは青年に何があったのか事情を尋ねる。

 

 青年の着ているガラベーヤ風の衣服や外套は、【グリューエン大砂漠】最大のオアシスである【アンカジ公国】の特徴的な服装だったとソウゴは記憶している。王国に滞在していた時、退屈しのぎに調べたのだ。青年がアンカジで何かに感染でもしたのだというなら、これから向かう筈だった場所が危険地帯に変わってしまう。是非ともその辺の事を聞いておきたかった。

 

 

 ソウゴの水球で正気を取り戻した青年は、自分を取り囲むソウゴ達と背後の見た事も無い赤い物体に目を白黒させて混乱していたが、香織から大雑把な事情を聞いている内に冷静さを取り戻した様だ。

「最早私も公国もこれまでかと思ったが、どうやら神はまだ私を見放してはいなかったらしい……」

 青年がそう呟く。

 

 人助けをする様な善意溢れる神などこの世界に存在しないと知れば、青年はどう思うだろうか。そんな事を頭の片隅で思いつつ、深刻そうな青年の様子に「この巡り合わせもよもや神の悪戯か?」とソウゴは赤銅色の空を仰ぎ見て口角を歪めた。

 

「ソウゴくん、取り敢えず車内に入ってもらう方がいいんじゃないかな?」

 香織の意見は最もだ。これから事情説明を受けるというのに、こんな砂漠の真ん中では落ち着いて話も出来ないだろう。砂漠の気温も相まって既に相当な量の発汗もあった為、脱水症状の危険もあり得る。

「ふむ……いいだろう。おい小僧、中で話すぞ」

 

 

 ソウゴの言葉でトライドロンの後部座席に招かれた青年は、車内の快適さに思わず「やはり神の領域か!?」と叫ぶ。先程まで死にかけていたというのに案外元気なものだ。

 

 尤も、冷たい水を飲んで一息つくと自分が使命を果たせず道半ばで倒れた事を思い出した様で、直ぐに表情を引き締めた。

「まず、助けてくれた事に感謝する。あのまま死んでいたらと思うと……アンカジまで終わってしまうところだった。私の名は、ビィズ・フォウワード・ゼンゲン。アンカジ公国の領主ランズィ・フォウワード・ゼンゲン公の息子だ」

 驚いた事に、ビィズと名乗った青年はとんだ大物だったらしい。

 

 

 【アンカジ公国】は【海上の町エリセン】より運送される海産物の鮮度を極力落とさないまま運ぶ為の要所だ。そして、エリセンからの海産物の供給量は北大陸全体の八割に及ぶ。

 つまり、北大陸における一分野の食料供給において、ほぼ独占的な権限を持っているに等しいという事だ。単なる名目だけの貴族ではなく、【ハイリヒ王国】の中でも信頼の厚い屈指の大貴族という事である。

 

 ビィズの方も、香織の素性("神の使徒"として異世界から召喚された者)やソウゴ達の冒険者ランクを聞き、目を剥いて驚愕を露わにした。そして「これは神の采配か! 我等の為に女神を遣わして下さったのか!」といきなり天に祈り始めた。

 この場合、女神とは当然香織の事なのだが、当の本人はキョトンとしている。

 

 ソウゴは少し呆れつつ「話が進まん」と事情説明を促すと、ビィズは冷や汗を流しながら咳払いしつつ語りだした。

 

 

 ビィズ曰く、こういう事らしい。

 

 

 四日前、アンカジにおいて原因不明の高熱を発し倒れる人が続出した。それは本当に突然の事で、初日だけで人口二十七万人のうち三千人近くが意識不明に陥り、症状を訴える人が二万人に上ったという。直ぐに医療院は飽和状態となり、公共施設を全開放して医療関係者も総出で治療と原因究明に当たったが、香織と同じく進行を遅らせる事は何とか出来ても完治させる事は出来なかった。

 

 そうこうしている内にも、次々と患者は増えていく。にも関わらず、医療関係者の中にも倒れるものが現れ始めた。進行を遅らせる為の魔術の使い手も圧倒的に数が足りず、何の手立ても打てずに混乱する中で、遂に処置を受けられなかった人々の中から死者が出始めた。発症してから僅か二日で死亡するという事実に絶望が立ち込める。

 

 そんな中、一人の薬師がひょんな事から飲み水に"液体鑑定"をかけた。

 

 その結果、その水には魔力の暴走を促す毒素が含まれている事が判明したのだ。直ちに調査チームが組まれ、最悪の事態を想定しながらアンカジのオアシスが調べられたのだが、案の定オアシスそのものが汚染されていた。

 

 当然、アンカジの様な砂漠のど真ん中にある国においてオアシスは生命線であるから、その警備・維持・管理は厳重に厳重を重ねてある。普通に考えれば、アンカジの警備を抜いてオアシスに毒素を流し込むなど不可能に近いと言っても過言ではない程に、あらゆる対策が施されているのだ。

 一体どこから、どうやって、誰が……。首を捻る調査チームだったが、それより重要なのは、二日以上前からストックしてある分以外使える水が失くなってしまったという事だ。そして結局、既に汚染された水を飲んで感染してしまった患者を救う手立てが無いという事である。

 

 ただ、全く方法が無いという訳では無かった。一つ、患者達を救える方法が存在していたのだ。

 

 それは、“静因石”と呼ばれる鉱石を必要とする方法だ。

 この静因石は、魔力の活性を鎮める効果を持っている特殊な鉱石で、砂漠のずっと北方にある岩石地帯か【グリューエン大火山】で少量採取できる貴重な鉱石だ。魔術の研究に従事する者が、魔力調整や暴走の予防に求める事が多い。この静因石を粉末状にしたものを服用すれば体内の魔力を鎮める事が出来るだろう、という訳だ。

 

 しかし、北方の岩石地帯は遠すぎて往復に少なくとも一ヶ月以上はかかってしまう。また、アンカジの冒険者、特に【グリューエン大火山】の迷宮に入って静因石を採取し戻ってこられる程の者は既に病に倒れてしまっている。生半可な冒険者では、【グリューエン大火山】を包み込む砂嵐すら突破できないのだ。

 それに。仮にそれだけの実力者がいても、どちらにしろ安全な水のストックが圧倒的に足りない以上王国への救援要請は必要だった。

 

 その救援要請にしても、総人口二十七万人を抱えるアンカジ公国を一時的にでも潤すだけの水の運搬や、【グリューエン大火山】という大迷宮に行って戻ってこられる実力者の手配など容易く出来る内容ではない。公国から要請と言われれば無視する事は出来ずとも、内容が内容だけに一度アンカジの現状を調査しようとするのが普通だ。しかし、そんな悠長な手続きを経てからでは遅いのだ。

 

 なので、強権を発動出来るゼンゲン公か、その代理たるビィズが直接救援要請をする必要があった。

 

 

「父上や母上、妹も既に感染していて、アンカジにストックしてあった静因石を服用する事で何とか持ち直したが、衰弱も激しくとても王国や近隣の町まで赴く事など出来そうもなかった。だから私が救援を呼ぶため、一日前に護衛隊と共にアンカジを出発したのだ。その時症状は出ていなかったが……感染していたのだろうな、恐らく発症までには個人差があるのだろう。家族が倒れ、国が混乱し、救援は一刻を争うという状況に……動揺していた様だ。万全を期して静因石を服用しておくべきだった。今こうしている間にも、アンカジの民は命を落としていっているというのに……情けない!」

 

 

 力の入らない体に、それでもあらん限りの力を込めて拳を己の膝に叩きつけるビィズ。アンカジ公国の次期領主は、責任感の強い民思いな人物らしい。護衛をしていた者達もサンドワームに襲われ全滅したというから、その事も相まって悔しくてならないのだろう。

 

 僥倖だったのは、サンドワーム達が恐らくこの病を察知して捕食を躊躇った事だ。病にかかったが故に力尽きたがそれ故にサンドワームに襲われず、結果ソウゴ達と出会う事が出来た。人生、何が起きるかわからないものである。万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。

 

 

「……君達に、いや、貴殿達にアンカジ公国領主代理として正式に依頼したい。どうか、私に力を貸して欲しい」

 

 そう言って、ビィズは深く頭を下げた。車内にしばし静寂が降りる。

 窓に当たる砂粒の音がやけに大きく響いた。領主代理がそう簡単に頭を下げるべきでない事はビィズ自身が一番分かっているのだろうが、降って湧いた様な僥倖を逃してなるものかと必死なのだろう。

 全員の視線がソウゴに向く。決断はソウゴに任せるという事なのだろうが、ユエとティオ以外は皆、その眼差しの中に明らかに助けてあげて欲しいという意思が含まれていた。特に香織は、"治癒師として"この事態を見逃したくないのだろう。懇願する様な眼差しを向けている。ミュウはもっと直接的だ。

 

「パパー、たすけてあげないの?」

 

 そんな事を物凄く純真な眼差しで言ってくる。ソウゴなら何だって出来ると無条件に信じている様だ。ミュウにとってソウゴは、紛れもなくヒーローなのだろう。そんなミュウと、どこか期待する様な香織の眼差しに、ソウゴは「迷う必要もあるまい」と笑みを浮かべながらミュウの頭に手を置く。

 

「ビィズ・フォウワード・ゼンゲン。貴様の願い、我々が責任を持って引き受けよう」

 

 

 元々【グリューエン大火山】には行く予定であったし、その際ミュウはアンカジに預けていこうと考えていた。いくら何でも、四歳の幼子を大迷宮に連れて行くのは妥当ではない。なので、大迷宮攻略序に静因石を確保する事は全くもって問題無かったし、ミュウは亜人族の子であるから魔力暴走という今回の病因は関わりがないので危険も無い。どちらにしろ、ソウゴの道程の中で処理できる問題だった。

 

「ソウゴ殿が"金"クラスなら、このまま大火山から静因石を採取してきてもらいたいのだが、水の確保の為に王都へ行く必要もある。この移動型のアーティファクトは、ソウゴ殿以外にも扱えるのだろうか?」

「生憎とこれは私以外には扱えんが……態々王都まで行く必要も無かろう。水の確保はどうとでもなる、一先ずアンカジに向かうぞ」

「どうとでもなる? それはどういう事だ?」

 

 

 数十万人分の水を確保できるという言葉に、訝しむビィズ。当然の疑問だ。しかし、水は何も運搬しなくとも手に入る方法がある。それは水系技能で大気中の水分を集めて作り出すという方法だ。

 

 勿論普通の術師ではおよそ不可能だろうが、ここには魔術に関して稀代の天才がいる。そう、ユエだ。

 しかも彼女ならば、魔力を直ぐ様回復する手段も多数持ち合わせている。ビィズなりランジィなりがアンカジに残っている静因石をしっかり服用し体調を万全に整えて、改めて王国に救援要請をしに行く位の時間は十分に稼げる筈である。

 

 それにソウゴも水遁を始めとした数々の技能を行使できる。以前にソウゴ本人は「水だの氷だの冷やす方面は不得手だがな」と語っていたが、それはあくまで本人基準であり、星一つ水没させる程度は可能なのだ。

 

 

 その辺りの事を掻い摘んで説明すると、最初は信じられないといった様子のビィズだったが、どちらにしろ今の自分の状態では真面に王国まで辿り着けるか微妙だったので、"神の使徒"たる香織の説得も相まってアンカジに引き返す事を了承した。

 

 砂漠地帯を滑る様に高速で走り出すトライドロンに再び驚きながら、ビィズは何故"神の使徒"たる香織が単独で冒険者達と一緒にいるのか、何故海人族の幼子が人間族のソウゴをパパと呼ぶのか、兎人族と和気藹々としているのか、何故黒髪の妙齢の女性は罵られて気持ち悪い笑みを浮かべているのか等疑問に思いつつも、見えてきた希望に胸の内を熱くするのだった。

 

 

 

 赤銅色の砂が舞う中たどり着いたアンカジは、【中立商業都市フューレン】を超える外壁に囲まれた乳白色の都だった。外壁も建築物も軒並みミルク色で、外界の赤銅色とのコントラストが美しい。

 

 ただフューレンと異なるのは、不規則な形で都を囲む外壁の各所から光の柱が天へと登っており、上空で他の柱と合流してアンカジ全体を覆う強大なドームを形成している事だ。時折何かがぶつかったのか波紋の様なものが広がり、まるで水中から揺れる水面を眺めている様な、不思議で美しい光景が広がっていた。

 

 どうやら、このドームが砂の侵入を防いでいる様だ。月に何度か大規模な砂嵐に見舞われるそうだが、このドームのお陰で曇天の様な様相になるだけでアンカジ内に砂が侵入する事は無いという。

 

 

 ソウゴ達は、これまた光り輝く巨大な門からアンカジへと入都した。砂の侵入を防ぐ目的から、門まで魔術によるバリア式になっている様だ。門番はトライドロンを見ても少し目を見開く程度で、大した反応を見せなかった。

 アンカジの現状が影響しているのか暗い雰囲気で気迫も無く、どこか投げやり気味だ。尤も、トライドロンの後部座席に次期領主が座っている事に気がついた途端、直立不動となり兵士らしい覇気を取り戻したが。

 

 アンカジの入場門は高台にあった。ここに訪れた者がアンカジの美しさを最初に一望出来る様に、という心遣いらしい。

 

 

 確かに美しい都だと、ソウゴ達は感嘆した。

 太陽の光を反射してキラキラと煌めくオアシスが東側にあり、その周辺には多くの木々が生えていてい非常に緑豊かだった。オアシスの水は幾筋もの川となって町中に流れ込み、砂漠のど真ん中だというのに小船があちこちに停泊している。町のいたる所に緑豊かな広場が設置されていて、広大な土地を広々と利用している事がよく分かる。

 北側は農業地帯の様だ。アンカジは果物の産出量が豊富という話を証明する様に、ソウゴの目には多種多様な果物が育てられているのが分かった。西側には一際大きな宮殿らしき建造物があり、他の乳白色の建物と異なって純白と言っていい白さだった。他とは一線を画す荘厳さと規模なので、あれが領主の住む場所なのだろう。その宮殿の周辺に無骨な建物が区画に沿って規則正しく並んでいるので、行政区にでもなっているのかもしれない。

 

 砂漠の国でありながら、まるで水の都と表現したくなる……【アンカジ公国】はそんな所だった。

 

 

「これはまた……フェアベルゲンとは別種の美しさがあるな」

「……ん。綺麗な都」

 思わず感嘆が漏れたソウゴに、ユエが同意する。他のメンバーも気持ちは同じ様で、「ほぅ……」と息を漏らしている。

「でも、なんだか元気がないの」

 ぽつりと呟いたのはミュウだ。

 

 その言葉通り、その壮観さに反してアンカジの都は暗く陰気な雰囲気に覆われていた。

 

 普段はエリセンとの中継地である事や果物の取引で交易が盛んであり、また観光地としても人気のある事から活気と喧騒に満ちた都なのだが……今は通りに出ている者は極めて少なく、殆どの店も営業していない様だった。誰もが戸口をしっかり締め切って、まるで嵐が過ぎ去るのをジッと蹲って待っているかの様な、そんな静けさが支配していた。

「……使徒様やソウゴ殿にも、活気に満ちた我が国をお見せしたかった。すまないが、今は時間がない。都の案内は全てが解決した後にでも私自らさせて頂こう。一先ずは、父上の下へ。あの宮殿だ」

 一行はビィズの言葉に頷き、原因のオアシスを背にして進みだした。

 

 

「父上!」

「ビィズ! お前、どうして戻ってきた!?」

 ビィズの顔パスで宮殿内に入ったソウゴ達は、そのまま領主ランズィの執務室へと通された。衰弱が激しいと聞いていたのだが、どうやら治癒魔術と回復薬を多用して根性で執務に乗り出していたらしい。

 そんなランズィは、一日前に救援要請を出しに王都へ向かった筈の息子が帰ってきた事に驚きを露わにする。

 

 ソウゴによって病原を取り除かれたお陰で、確りと自身の足で立って事情説明を手早く済ませるビィズ。話はトントン拍子に進み、あっという間にソウゴ達の出番がやってくる。

「本格的に動く前に、少しここの者達の処置をしていく」

 すると、ソウゴが一歩進み出て腕を出す。

「ソウゴ殿、一体何を?」

「香織の治療を受けさせる前に、症状の停滞と未感染者に免疫を作る。そうすれば症状が今以上進む事も患者が増える事も無い」

 ソウゴの言葉に、香織やビィズ・ランズィ親子、その他使用人達が驚きに固まる中、ソウゴは呪文を唱える。

 

「"ゴンガ・ゴー・ルジュナ"、"ルーマ・ゴンガ・ルジュナ"」

 

 言葉と共にソウゴの全身から光の胞子の様な物が放たれ、放射状に飛び散っていく。その粒子が触れた途端、ランズィ達は体が軽くなる様な感覚を覚えた。

 驚く面々を見届けると、ソウゴは仲間達に振り返る。

「では動くか。香織はシアを連れて医療院と患者が収容されている施設へ向かえ、魔晶石も持っていって構わん。私達は水の確保だ。ランズィ、最低でも二百メートル四方の開けた場所はあるか?」

「む? うむ、農業地帯に行けばいくらでもあるが……」

「なら香織とシア以外は其方だ。シアは魔晶石が溜ったらユエに届けに来い」

 

 

 ソウゴがメンバーに指示を出す。ソウゴ達のやる事は簡単だ。香織が"廻聖"と"万天"でソウゴの補強を行い、取り出した魔力は魔晶石にストックしてはそれをユエに渡して水を作る魔力の足しにする。

 

 ソウゴは貯水池を作るユエに協力した後そのままオアシスに向かい、一応原因の調査をする。分かれば解決してもいいし、分からなければそのまま【グリューエン大火山】に向かう。そういうプランだ。

 ソウゴの号令に、全員が元気よく頷いた。

 

 

 現在、領主のランズィと護衛や付き人多数、そしてソウゴ、ユエ、ティオ、ミュウはアンカジ北部にある農業地帯の一角に来ていた。二百メートル四方どころかその三倍はありそうな平地が広がっている。普段は、とある作物を育てている場所らしいのだが、時期的なものから今は休耕地になっているそうだ。

 

 未だ半信半疑のランズィは、この非常時に謀ったと分かれば即座に死刑にしてやると言わんばかりの眼光でソウゴ達を睨んでいた。

 

 藁をも掴む思いで水という生命線の確保を任せたが、常識的に考えて不可能な話なのでランズィの眼差しも仕方のないものだ。

 

 

 尤も、その疑いを孕んだ眼差しはユエが魔術を行使した瞬間驚愕一色に染まったが。

 

 風も無く、ユエの黄金の髪がふわりと靡く。圧倒的な魔力が大気を慄かせ、溢れ出る黄金の魔力光が周囲を塗り替える。

 行使されるのは神代の魔術。一切合切を圧壊させる超常の力。

 

「──"壊劫"」

 

 スッと伸ばされた白く嫋やかな手の先、農地の直上に黒く渦巻く球体が出現する。

 その球体は農地の上で形を変え薄く四角く引き伸ばされていき、遂に二百メートル四方の薄い膜となった。そして一瞬の停滞の後、音も立てずに地面へと落下し、そのまま何事も無かったかの様に大地を圧し潰した。凄まじい圧力により盛大に陥没する大地。局地的な地揺れが発生し地響きが鳴り響く。それは宛ら、大地が上げた悲鳴の様だ。

 一瞬にして超重力を掛けられた農地は二百メートル四方、深さ五メートルの巨大な貯水池となった。

 ソウゴがチラリとランズィ達を見ると、護衛も含めて全員が顎が外れんばかりにカクンと口を開けて、目も飛び出さんばかりに見開いていた。

 誰もが衝撃が強すぎて声が出ていない様だが、全員が内心で「なにぃーー!?」と叫んでいるのは明白だ。

 

 神代魔術を半分程の出力で放ったユエは「ふぅ」と息を吐く。魔力枯渇という程ではないが、一気に大量に消費した事に変わりはなく僅かだが倦怠感を感じたのだ。

 魔晶石からストックしてある魔力を取り出してもいいのだが、この後【グリューエン大火山】に挑む事を考えれば、出来るだけ魔晶石の魔力は温存しておきたい。なので、ユエはもう一つの魔力補給方法を実行しようとする。

 

 フラリと背後に体を倒れさせるユエだったが、体を支えようと藻掻く仕草は見せない。自分からした事であるし、そんな事をしなくても倒れない事は分かりきっているからだ。案の定、ポスンと音を立ててユエの体はソウゴの腕の中に収まった。

 ソウゴは「場所を用意できただけでも十分だ」と労いながらユエの頭を撫でる。するとソウゴはそのままティオにユエを預けてしまった。「あうっ」というユエの残念そうな声が響く。

 

 ユエの思惑的には、このまま吸血からの"血力変換"という名目でソウゴに甘えようと思ったのだが、ソウゴ的にはここでユエの役割は終了らしい。

 

 

 ソウゴは貯水池の淵に立つと、両腕を前に出す。すると何処からか「ザァー……」という音が聞こえ始める。その音が気になって皆が目を周囲に向けると、アンカジどころかグリューエン大砂漠のいたる所から黒い柱の様な物が立ち上がっていた。よく見るとそれは一つの物体ではなく、無数の細かい粒だと分かった。

 それらがアンカジを囲む光のドームを透過し、徐々に貯水池の上に集まっていく。そこへソウゴの声が響いた。

 

「"磁遁・砂鉄豪雨"」

 

 その声と共に無数の黒い粒……砂鉄が技名通りゲリラ豪雨の様に降り注いだ。降り注ぐ大量の砂鉄を今度は薄く広く展開し、ソウゴは続けて砂鉄に向かって炎を放つ。砂鉄を溶かして鉄の壁にする事で、水が吸収されない様に貯水池の表面をコーティングしているのだ。

 そしてコーティングを終えると、最後に水を行使する。

 

「"水遁・滝壺の術"」

 

 その声と共に、虚空に巨大な水塊が現れ文字通り滝の様に流れ落ちる。

 

 

 "滝壺の術"は水脈の無い場所で湧き水を起こし、その流れを操る事で滝を作り出す術だ。その水源・滝・滝壺は術者の技量によっては無限に拡大出来、ソウゴ程にもなれば【グリューエン大砂漠】どころかこの世界(トータス)全域を水没させる事すら可能だ。

 

 魔術の天才を自称するユエですら上級魔術を何度も行使しなければ満たせない貯水池を、ソウゴはたった一度の術の行使で満杯にした。お陰で、シアが香織の手伝いで手に入れた魔晶石が一つも使われる事無く余ってしまった。

 

 

 

「……こんな事が……」

 

 ランズィは有り得べからざる事態に呆然としながら、眼前で太陽の光を反射してオアシスと同じ様に光り輝く池を見つめた。最早言葉も無い様だ。

「取り敢えず、これで当分は保つだろう。後はオアシスを調べてみて……何も分からなければ、稼いだ時間で水については救援要請すればいい」

「あ、ああ。いや、聞きたい事は山程あるが……ありがとう。心から感謝する。これで、我が国民を干上がらせずに済む。オアシスの方も私が案内しよう」

 

 ランズィはまだ衝撃から立ち直りきれずにいる様だが、それでもすべき事は弁えている様でソウゴ達への態度をガラリと変えると誠意を込めて礼をした。

 ソウゴ達は、そのままオアシスへと移動した。

 

 

 オアシスは相変わらずキラキラと光を反射して美しく輝いており、とても毒素を含んでいる様には見えなかった。

 しかし……

 

「……ん?」

「……ソウゴ様?」

 

 ソウゴが眉を顰めてオアシスの一点を凝視する。様子の変化に気がついたユエがソウゴに首を傾げて疑問顔を見せた。

「……ランズィ、調査団はどの程度まで調べた?」

「……確か、資料ではオアシスとそこから流れる川、各所井戸の水質調査と地下水脈の調査を行った様だ。水質は息子から聞いての通り、地下水脈は特に異常は見つからなかった。尤も、調べられたのはこのオアシスから数十メートルが限度だが。オアシスの底まではまだ手が回っていない」

「オアシスの底には、何かアーティファクトでも沈めてあるのか?」

「? いや、オアシスの警備と管理にとあるアーティファクトが使われているが、それは地上に設置してある。結界系のアーティファクトでな、オアシス全体を汚染されるなどありえん事だ。事実、今までオアシスが汚染された事など一度も無かったのだ」

 

 

 ランズィの言うアーティファクトとは"真意の裁断"と言い、実はこのアンカジを守っている光のドームの事だ。

 

 砂の侵入を阻み(先程のソウゴの磁遁は例外)、空気や水分等必要な物は通す作用がある便利な障壁なのだが、何を通すかは設定者の側で決める事が出来る。そして、単純な障壁機能だけでなく探知機能もあり、何を探知するかの設定も出来る。その探知の設定は汎用性があり、闇属性の魔術が組み込まれているのか精神作用も探知可能なのだ。

 

 つまり、『オアシスに対して悪意のあるもの』と設定すれば、"真意の裁断"が反応し設定権者であるランズィに伝わるのである。勿論、実際の設定がどんな内容かは秘匿されており領主にしかわからない。

 

 

 因みに、現在は調査などで人の出入りが多い上既に汚染されてしまっている事もあり警備は最低限を残して解除されている。

 

 

「……では、"これ"は何であろうな?」

 【アンカジ公国】自慢のオアシスを汚され悔しそうに拳を握り締めるランズィの姿を尻目に、ソウゴは不審そうな声音で呟いた。ソウゴの探知は、魔力を発する"動く何か"をオアシスの中央付近の底に確かに捉えたのだ。

 ある筈の無い物があると言われ、ランズィ達が動揺する。

 ソウゴはオアシスのすぐ近くまで来ると、自らのスタンド"オーヴァー・クォーツァー"を発動しオアシスに潜らせた。

 

 そのまま座り込み、結跏趺坐の姿勢で目を瞑るソウゴ。皆が疑問顔を向けるが、ソウゴは何も答えない。そして、スタンドが見えていない為当然だがいい加減痺れを切らしたランズィが、ソウゴに何をしているのか問い詰めようとしたその瞬間、

 

 シュバッッ!

 

 風を切り裂く音と共に、水が無数の触手となってソウゴ達に襲いかかった。慌てるランズィ達を他所に、ソウゴは全員の足下の砂を操り触手を防ぐ。

 何事かとオアシスの方を見たランズィ達の目に、今日何度目かわからない驚愕の光景が飛び込んできた。何かに引っ張られる様に水面が突如盛り上がったかと思うと、重力に逆らってそのまませり上がり十メートル近い高さの小山になったのである。

 

「何だ……これは……」

 

 ランズィの呆然とした呟きが、やけに明瞭に響き渡った。

 

 

 "オーバー・クォーツァー"に引っ張り出されてオアシスより現れたそれは、体長約十メートル、無数の触手をウネウネとくねらせ、赤く輝く魔石を持っていた。その姿はスライム……そう表現するのが一番分かりやすいだろう。

 

 だが、サイズがおかしい。通常、この世界のスライム型の魔物はせいぜい体長一メートル位なのだ。また、周囲の水を操る様な力も無かった筈だ。少なくとも触手の様に操る事は、自身の肉体以外では出来なかった筈である。

 

 

「なんだ……この魔物は一体何なんだ? バチェラム……なのか?」

 呆然とランズィがそんな事を呟く。バチェラムとは、トータスにおけるスライム型の魔物の事だ。

「コレの正体については主題ではあるまい。重要なのは、オアシスが汚染された原因は恐らくコレだという事だろう。大方、毒素を出す固有魔術でも持っているのだろうな」

「……確かに、そう考えるのが妥当か。だが倒せるのか?」

 ソウゴとランズィが会話している間も、まるで混乱している様に触手攻撃をしてくるオアシスバチュラム。ユエとティオは魔術で対処し、ソウゴも会話しながら磁遁で自分とランズィ達への攻撃を防いでいる。

 その様子を見て、ランズィがソウゴの持つアーティファクトやユエ達の魔術にもう驚いていられるかと投げやり気味にスルーする事を決めて、冷静な態度でソウゴに勝算を尋ねた。

「もう捉えた」

 ランズィの質問に対してただ一言宣言し、一瞬の内にその手に"ライジングペガサスボウガン"を出現させノータイムで撃つ。

 

 シュパァンッ!!

 

 乾いた破裂音と共に空を切り裂き駆け抜けた一条の雷矢は、カクっと慣性を無視して進路を変えた魔石をまるで磁石が引き合う様に、或いは魔石そのものが自ら当たりにいったかの様に寸分違わず撃ち抜いた。

 雷の熱量によって魔石は一瞬で消滅し、同時にオアシスバチュラムを構成していた水も力を失ってただの水へと戻った。ドザァー……と大量の水が降り注ぐ音を響かせながら、激しく波立つオアシスを見つめるランズィ達。

「……終わったのかね?」

「ああ、仕留めたとも。原因を排除した事が浄化に繋がるかは……分からんがな」

 ソウゴの言葉に、自分達アンカジを存亡の危機に陥れた元凶があっさり撃退された事にまるで狐に抓まれた様な気分になるランズィ達。それでも元凶が目の前で消滅した事は確かなので、慌ててランズィの部下の一人が水質の鑑定を行った。

「……どうだ?」

「……いえ、汚染されたままです」

 

 ランズィの期待する様な声音に、しかし部下は落胆した様子で首を振った。オアシスから汲んだ水からも人々が感染していた事から予想していた事ではある。だが、オアシスバチュラムがいなくても一度汚染された水は残るという事実にやはり皆落胆が隠せない様だ。

「まぁ、そう気を落とすでない。元凶がいなくなった以上、これ以上汚染が進む事は無い。新鮮な水は地下水脈からいくらでも湧き出るのじゃから、上手く汚染水を排出してやればそう遠くない内に元のオアシスを取り戻せよう」

 ティオが慰める様にランズィ達に言うと、彼等も気を取り直し復興に向けて意欲を見せ始めた。ランズィを中心に一丸となっている姿から、アンカジの住民は皆がこの国を愛しているのだという事がよく分かる。過酷な環境にある国だからこそ、愛国心も強いのだろう。

 

 

(……さて、どうしたものか。オアシスの毒素を取り除く事は出来る、が……)

 

 そんなランズィ達を見つつ、ソウゴは未来視も使いつつオアシスをどうするか思案していた。

 ソウゴならば、今この場でオアシスを元の状態に戻す事は造作もない。

 

 

 だがソウゴの視界には、香織が次の大迷宮【メルジーネ海底遺跡】で手に入れた神代魔術によってオアシスを浄化する様子が見えていた。

 

 先程かけた術によってこれ以上感染者が増える事も重症化する事も無いし、見たところ死者が新たに出る様子も無い。つまりこの場でソウゴが治そうと、後で香織が治そうと大局的には誤差の範囲なのだ。

 

(何もかも私が出張って成長の機会を奪ってもいかんな、今回は香織に一任するか)

 

 そこまで考えたところで、折角の香織のチャンスを奪うのもどうかと思い、オアシスに関してはこれ以上手を出さない事にしたソウゴだった。

 

 

「……しかし、あのバチュラムらしき魔物は一体なんだったのか……。新種の魔物が地下水脈から流れ込みでもしたのだろうか?」

 一方、気を取り直したランズィが首を傾げてオアシスを眺める。

 それに答えたのは、思考を纏めたソウゴだった。

 

「恐らくだが……魔人族の仕業であろうな」

「!? 魔人族だと? ソウゴ殿、貴殿がそう言うからには思い当たる事があるのだな?」

 

 ソウゴの言葉に驚いた表情を見せたランズィは、しかし直ぐ様冷静さを取り戻しソウゴに続きを促した。水の確保と元凶の排除を成し遂げたソウゴにランズィは敬意と信頼を寄せている様で、最初の胡乱な眼差しは最早微塵もない。

 

 

 ソウゴはオアシスバチュラムが、魔人族の神代魔術による新たな魔物だと推測していた。それはオアシスバチュラムの特異性もそうだが、【ウルの町】で愛子を狙い、オルクスで勇者一行を狙ったという事実があるからだ。

 

 恐らく、魔人族の魔物の軍備は整いつつあるのだろう。そしていざ戦争となる前に、危険や不確定要素、北大陸の要所に対する調査と打撃を行っているのだ。愛子という食料供給を一変させかねない存在と、聖教教会が魔人族の魔物に対抗する為異世界から喚んだ勇者を狙ったのがいい証拠だ。

 

 そしてアンカジは、エリセンから海産系食料供給の中継点であり、果物やその他食料の供給も多大である事から食料関係において間違いなく要所であると言える。しかも襲撃した場合、大砂漠のど真ん中という地理から救援も呼びにくい。魔人族が狙うのもおかしな話ではないのだ。

 

 

 その辺りの事をランズィに話すと、彼は低く唸り声を上げ苦い表情を見せた。

「魔物の事は聞き及んでいる。こちらでも独自に調査はしていたが……よもや、あんなものまで使役できるようになっているとは……見通しが甘かったか」

「まぁ仕方なかろう、王都でも恐らく新種の魔物の情報は掴んでおらん。何せ、勇者一行が襲われたのもつい最近だ。今頃あちこちで大騒ぎだろうよ」

「愈々本格的に動き出したという事か。……ソウゴ殿、貴殿は冒険者と名乗っていたが……その見識といい、強さといい、やはり香織殿と同じ……」

「ただの事情通だよ、少しばかり"目"がいいものでね」

 ソウゴがそう嘯くと、ランズィは何か事情があるのだろうとそれ以上の詮索を止めた。どんな事情があろうとアンカジがソウゴ達に救われた事に変わりはない。恩人に対しては、無用な詮索をするよりやるべき事がある。

 

「……ソウゴ殿、ユエ殿、ティオ殿。アンカジ公国領主ランズィ・フォウワード・ゼンゲンは、国を代表して礼を言う。この国は貴殿等に救われた」

 そう言うと、ランズィを含め彼等の部下達も深々と頭を下げた。

 

 

 領主たる者がそう簡単に頭を下げるべきではないのだが、ソウゴが"神の使徒"の一人であるか否かに関わらず、きっとランズィは頭を下げただろう。ほんの少しの付き合いしかないが、それでも彼の愛国心が並々ならぬものであると理解できる。だからこそ、周囲の部下達もランズィが一介の冒険者を名乗るソウゴに頭を下げても止めようとせず、一緒に頭を下げているのだ。この辺りは、息子にもしっかり受け継がれているのだろう。仕草も言動もそっくりである。

 

 そんな彼等に、ソウゴはまるで関係無い様な質問を始めた。

「ランズィ。ビィズから死者が出ていると聞いたが、その死体はもう埋葬したのか?」

「……は?」

「必要な事だ、答えてくれ」

「……いや、その時点では魔法が原因だと判明していなかったから、未知の病である可能性も考慮して弔いも出来ていない」

 ランズィの答えに、ソウゴは顎に手を当てる。

「ならば好都合、掘り起こす手間が省けるな。……その死体、何処でも構わんから一所に集めておけ。だが、出来るだけ死体が傷まない場所が好ましい」

「? あ、あぁ、了解した。……それで、アンカジには未だ苦しんでいる患者達が大勢いる……それも、頼めるかね?」

 政治家として、或いは貴族として、腹の探り合いが日常とかしているランズィは、意図の読めないソウゴの言葉に少し戸惑った様子だったが、取り敢えず指示に従う様に頷いた。そして感染者たちを救う為、静因石の採取を改めて依頼した。

 

「元々【グリューエン大火山】に用があって来た。それに死体の移動の手間をかけるのだ、その駄賃とでも思えばいい。ただ、どの程度採取する必要がある?」

 

 あっさり引き受けたソウゴにホッと胸を撫で下ろし、ランズィは部下に資料を持ってこさせ、現在の患者数と必要な採取量を伝えた。相当な量が必要そうだ。

「かなりの量が必要だ、荷物持ちぐらいならこちらから出すが?」

「いや、必要無い。その程度なら私一人でも事足りる」

「……もう何でもありだな、これも神の御導きか」

 

 ランズィは最早呆れ顔だ。目の前の男に出来ない事はあるのだろうか? と乾いた笑みすら浮かびそうである。

 

 

 一方医療院では、香織がシアを伴って獅子奮迅の活躍を見せていた。

 

 緊急性の高い患者から魔力を一斉に抜き取っては魔晶石にストックし、半径十メートル以内に集めた患者の病の進行を一斉に遅らせ、同時に衰弱を回復させる様回復魔術も行使する。それでもソウゴの術で進行が止められている為かなりマシだが。

 

 シアは、動けない患者達をその剛力をもって一気に運んでいた。馬車を走らせるのではなく、馬車に詰めた患者達を馬車ごと持ち上げて、建物の上をピョンピョン飛び跳ねながら他の施設を行ったり来たりしている。緊急性の高い患者は、香織が各施設を移動するより集めて一気に処置した方が効率的だからだ。

 

 

 尤もこの方法、非力な筈のウサミミ少女の有り得ない光景に、それを見た者は自分も病気にかかって幻覚を見始めたのだと絶望して医療院に駆け込むという姿が多々見られたので、余計に医療院が混乱するという弊害もあったのだが。

 

 

 医療院の職員達は、上級魔術を連発したり複数の回復魔術を当たり前の様に同時行使する香織の姿に驚愕を通り越すと深い尊敬の念を抱いた様で、今や全員が香織の指示の下患者達の治療に当たっていた。

 そんな香織を中心とした彼等の元に、ソウゴ達がやって来る。医療院のスタッフや患者達が一緒にやって来たランズィに頭を垂れようとした。それを手で制止しながら、ランズィは彼等の前に出ると、

 

「皆の者、聞け! たった今、オアシスを汚染していた原因が排除された! 時間はかかるかもしれないが、我等のオアシスが戻ってくるぞ! 加えて水の確保も成った! 救援が来るまで十分に保つ量だ。更に、ここにいる金ランクの冒険者達が静因石の採取依頼を引き受けてくれた! 後数日だ、踏ん張れ! 気力を奮い立たせ、この難局を乗り切ろう!」

 

 耳に心地よいランズィのバリトンボイスが響く。流石は北大陸の要所を治める貴族と言うべきか、その演説には力があった。

 

 誰もが一瞬、何を言っているんだろうと戸惑った様に硬直していたが、領主の晴れやかな表情で言葉の意味が浸透したのだろう。

 

 次の瞬間、建物が震える程の大歓声が上がった。多くの人が亡くなり、砂漠の真ん中で安全な水も確保できず、絶望に包まれていた人達が笑顔を取り戻し始める。患者やその家族達は互いに抱き合い、安堵に涙し、医療院のスタッフは仲間と肩を叩きあい気合を入れ直している。幾人もの人々がソウゴ達の協力に感謝を捧げた。

 

 その時、ランズィがチラリとソウゴを見た。視線に気が付いたソウゴは、その意図を察して小さく鼻を鳴らす。

「ランズィ、貴様……」

「そう気にしないでくれ。なに、ソウゴ殿が帰ってこなければ、"ちょっと"絶望するだけだ」

 言外に「助けてくれないと私達死んじゃうからね? マジで頑張ってね? マジで依頼達成して帰ってきてね?」と言っているのだ。頼るしかなく感謝もしているが、数万人が死ぬかもしれないのだ。こんなに喜んでいる人達が、感謝している人達が死に絶える……「その罪悪感を味わいたくは、ないよね?」という、ある意味脅しとも言えるものだった。あくまで良心に訴えて、逃亡等を極力防ごうという程度のものだが。

 しかしソウゴは目を細めて一言、

 

 

「……舐められたものよな」

 

 

 その言葉に、ランズィは背筋が凍る感覚を覚えた。今までの人生で感じた事の無い、それこそ明確な死を覚悟する程の恐怖を。

「高々都市が滅びかける程度の危機、幾度となく乗り越えてきた。ましてや既に原因の排除された事案、解決出来ん方がおかしかろう」

 さも当然の事の様に告げるソウゴにランズィは目を見開き、ソウゴはランズィから視線を外して香織に声を掛ける。

 

「香織、これから【グリューエン大火山】に挑む。貴様はどうする?」

「ソウゴくん……」

 

 香織はソウゴの姿を見て嬉しそうに頬を綻ばせるが、直ぐに真剣な表情となって虚空を見つめた。

「ソウゴくん。私は、ここに残って患者さん達の治療をするね。静因石をお願い。ごめんね……ソウゴくんがこの世界の事に関心が無いのは分かっているけど……」

「いずれ我が領土となるかもしれんのだ、民を救うのは当然の事であろう? 私は私の務めを果たすだけだ」

「ふふ……そうだね、頼りにしてる。ミュウちゃんは私がしっかり見てるから」

 香織はアンカジに来るまでの道中でソウゴから狂った神の話は聞いており、更にソウゴの身の上や暇潰しの為にこの世界に留まっているという事も聞いている。それに納得出来ないなら、光輝達の下へ帰れとも。全てを聞いた上で香織は、それでもソウゴに付いてくという意志を曲げなかった。

 今回の事も、もしソウゴがアンカジを見捨てる決断をしていたなら、多少の意見はしただろうが諦めていただろう。

 

 だが、出来る事ならアンカジの人々の力になりたいと思っていた事は事実で、ソウゴについ懇願する様な眼差しを向けてしまった。

 

 なので香織は、まるで自分の我儘にソウゴを付き合わせた様な複雑な気持ちを抱いていた。

 だがつい謝罪を口にした香織に、ソウゴは意にも介さない態度で答える。香織の気持ちを見透かした様に、自分にとって当然の事なのだから気にするなと。香織はそんなソウゴの気高さに、これがソウゴ流の"高貴なる振舞い(ノブレス・オブリージュ)"なのかと信頼と愛情をたっぷり含めた眼差しを向けた。

「私も頑張るから……無事に帰ってきてね。待ってるから……あうっ!?」

「貴様が私の心配なぞ百年早いわ、己惚れるな」

 

 香織の愛しげに細められた眼差しとまるで戦地に夫を送り出す妻の様な雰囲気に、思わず「生意気だ」と言わんばかりに乱暴に頭を撫でるソウゴ。それはまるで燥ぐ子供を窘める親の様だ。

 

 

 ソウゴは拗ねた様に頬を膨らませる香織の視線を背に、【グリューエン大火山】へと向かう事にした。事前に話は通してあったが、医療院で忙しい香織だけでなくランズィにもミュウの世話を改めて頼んでおく。

 予め言い聞かせてあったものの、ソウゴが出発すると雰囲気で察した途端寂しそうに顔を俯かせるミュウに、ソウゴは膝をついて目線を合わせゆっくり頭を撫でた。

「ミュウ、少し冒険に行ってくる。もうすぐお姉さんになるんだ、いい子で留守番してるんだぞ?」

「……ミュウが、お姉ちゃん? ……うぅ、いい子してるの、だから早く帰ってきて欲しいの、パパ」

「勿論だとも」

 服の裾をギュッと両手で握り締め泣くのを我慢するミュウと、それを優しく宥めるソウゴの姿は種族など関係無く、誰が見ても親子だった。ソウゴはミュウの背中を押し、香織の方へ行かせる。そしてユエ、シア、ティオに出発の号令をかけた。

 踵を返そうとするソウゴに、香織が声をかけた。

「あ、ソウゴくん……その、いってらっしゃい」

「うむ、ミュウの事を頼んだぞ」

 

 

「うん……それで、その……キス、ダメかな? いってらっしゃいのキス……みたいな」

「発情期も大概にしておけよ淫乱娘」

 

 

 香織が頬を染めてもじもじしつつ頼んでみると、明確な拒絶の言葉と共にデコピンが香織を襲った。「あぅ~」と呻きながら額を押さえて蹲る香織を尻目に、一行は【グリューエン大火山】へと出発するのだった。

 

 

 

 【グリューエン大火山】

 

 それは【アンカジ公国】より北方に進んだ先、約百キロの位置に存在している。見た目は直径約五キロメートル、標高三千メートル程の巨石だ。普通の成層火山の様な円錐状の山ではなく、所謂溶岩円頂丘の様に平べったい形をしており、山というより巨大な丘と表現する方が相応しい。その標高と規模が並外れているだけで。

 この【グリューエン大火山】は七大迷宮の一つとして周知されているが、【オルクス大迷宮】の様に冒険者が頻繁に訪れるという事は無い。それは内部の危険性と厄介さ、そして【オルクス大迷宮】の魔物の様に魔石回収の旨みが少ないから……というのもあるが、一番の理由は、まず入口に辿り着ける者が少ないからである。

 その原因が、

 

「まるで赤の世界にある竜巣だな」

「……竜巣?」

 

 思わず以前訪れた世界で見た空飛ぶ竜達の巣を思い出して呟いたソウゴに、ユエ達の疑問顔が向けられる。それに適当に返すソウゴは、トライドロンの車内から前方の巨大な渦巻く砂嵐を見つめた。

 

 そう。【グリューエン大火山】は巨大積乱雲の様に、巨大な渦巻く砂嵐に包まれているのだ。その規模は【グリューエン大火山】をすっぽりと覆って完全に姿を隠す程で、砂嵐の竜巻というより流動する壁と行った方がしっくりくる。

 しかも、この砂嵐の中にはサンドワームや他の魔物も多数潜んでおり、視界すら確保が難しい中で容赦なく奇襲を仕掛けてくるというのだ。並みの実力では【グリューエン大火山】を包む砂嵐すら突破出来ないというのも頷ける話である。

 

「つくづく徒歩でなくて良かったですぅ」

「流石の妾も、生身でここは入りたくないのぉ」

 

 ソウゴと同じく窓から巨大砂嵐を眺めるシアとティオも、トライドロンに感謝感謝と拝んでいる。

 ソウゴは「これぐらい生身で突破出来んと私についてこれんぞ」と呆れ半分に言いながら、トライドロンを一気に加速させた。

 

 今回は悠長な攻略をしていられない。表層部分では静因石はそれ程採れない為、手付かずの深部まで行き大量に手に入れなければならない。深部まで行ってしまえば、恐らく今迄と同じ様に外へのショートカットが有る筈だ。それで一気に脱出してアンカジに戻るのだ。

 ソウゴは脳内である程度の算段を立てつつ、巨大砂嵐に突撃した。

 

 

 砂嵐の内部は、正しく赤銅一色に塗り潰された閉じた世界だった。【ハルツィナ樹海】の霧の様に殆ど先が見えない。物理的影響力がある分、霧より厄介かもしれない。ここを魔術の障壁なり体を覆う布なりで魔物を警戒しながら突破するのは、確かに至難の業だろう。

 太陽の光も殆ど届かない薄暗い中を、ヘッドライトが切り裂いていく。時速は百二十キロ程度、事前の情報からすれば約十五秒で突破出来る筈である。

 そんなこの世界で追いつくもののいない速度と、不要な遭遇戦を避ける為に"覇気"を発動しながら駆け抜けた事もあり、サンドワームの襲撃も無く、数多の冒険者達を阻んできた巨大砂嵐を易々と突破したのだった。

 

 

 「ボバッ!」とそんな音を立てて砂嵐を抜け出たソウゴ達の目に、まるでエアーズロックを何倍にも巨大化させた様な岩山が飛び込んできた。砂嵐を抜けた先は静かなもので、周囲は砂嵐の壁で囲まれており直上には青空が見える。まるで竜巻の目にいる様だ。

 

 【グリューエン大火山】の入口は頂上にあるとの事だったので、進める所までトライドロンで坂道を上がっていく。露出した岩肌は赤黒い色をしており、あちこちから蒸気が噴出していた。活火山であるにも関わらず一度も噴火した事が無いという点も、大迷宮らしい不思議さだ。

 やがて傾斜角的にトライドロンでは厳しくなってきたところで、ソウゴ達はトライドロンを降りて徒歩で山頂を目指す事になった。

 

「うわぅ……あ、暑いですぅ」

「ん~……」

「この程度で音を上げる様ではまだまだ未熟な証だ、修行が足らんぞ」

「ふむ、妾は寧ろ適温なのじゃが……それにしてもご主人様は流石じゃのぉ、汗一つ掻いておらん」

「古い知り合いが火山に住んでいた事があってな。会いに行く内に慣れたよ」

 

 外に出た途端襲い来る熱気に、ソウゴとティオ以外の二人がうんざりした表情になる。冷房の効いた快適空間にいた弊害で、より暑く感じてしまうというのもあるだろう。異世界の冒険者、或いは旅人だというのに、引き籠りの様な苦悩を味わっているのは……自業自得としか言い様がない。

 

 

 時間が無いので暑い暑いと文句を言う二人を急かしながら素早く山頂を目指し、岩場をひょいひょいと重さを感じさせずどんどん登っていく。結局ソウゴ達は、十分もかからずに山頂に辿り着いた。

 頂上は無造作に乱立した、大小様々な岩石で埋め尽くされた煩雑な場所だった。尖った岩肌や、逆につるりとした光沢のある表面の岩もあり、奇怪なオブジェの展示場の様な有様だ。砂嵐の頂上がとても近くに感じる。

 

 そんな奇怪な形の岩石群の中でも群を抜いて大きな岩石があった。歪にアーチを形作る全長十メートル程の岩石である。

 

 ソウゴ達はその場所に辿り着くと、アーチ状の岩石の下に【グリューエン大火山】内部へと続く大きな階段を発見した。ソウゴは階段の手前で立ち止まると、肩越しに背後に控える仲間の顔を順番に見やり、澄ました表情で大迷宮挑戦の号令をかけた。

「行くぞ」

「んっ!」

「はいです!」

「うむっ!」

 

 

 【グリューエン大火山】の内部は、【オルクス大迷宮】や【ライセン大迷宮】以上にとんでもない場所だった。

 

 難易度の話ではなく、内部の構造が、だ。

 

 まず、マグマが宙を流れている。亜人族の国【フェアベルゲン】の様に空中に水路を作って水を流しているのではなく、マグマが宙に浮いてそのまま川の様な流れを作っているのだ。空中をうねりながら真っ赤に赤熱化したマグマが流れていく様は、まるで巨大な龍が飛び交っている様だ。

 また当然、通路や広間のいたる所にマグマが流れており、迷宮に挑む者は地面のマグマと頭上のマグマの両方に注意する必要があった。

 しかも、

 

「うきゃ!」

「大丈夫か?」

「はぅ、有難うございますソウゴさん。いきなりマグマが噴き出してくるなんて……察知出来ませんでした」

 

 シアが言う様に、壁のいたる所から唐突にマグマが噴き出してくるのである。本当に突然な上に、事前の兆候も無いので察知が難しい。正に天然のブービートラップだった。

 

 

 尤もそれはユエ達目線の話であり、ソウゴからすれば未来視を使わずとも探せばいくらでも兆候は分かるとの事だ。

 

 

 だがその境地に達しているのがソウゴ一人の為、他のメンバーをフォローする以上攻略スピードは下がらざるを得なかった。

 

 そして何より面倒なのが、茹だる様な暑さ──基熱さだ。通路や広間のいたる所にマグマが流れているのだから当たり前ではあるのだが、まるでサウナの中にでもいる様な、或いは熱したフライパンの上にでもいる様な気分である。【グリューエン大火山】の最大限に厄介な要素だった。

 

 

 ユエ達がダラダラと汗をかきながら天井付近を流れるマグマから滴り落ちてくる雫や噴き出すマグマを躱しつつ進んでいると、とある広間であちこち人為的に削られている場所を発見した。ツルハシか何かで砕きでもしたのかボロボロと削れているのだが、その壁の一部から薄い桃色の小さな鉱石が覗いている。

「む? ……ティオ、あれが静因石か?」

「うむ。間違いないぞ、ご主人様よ」

 ソウゴの確認する様な言葉に、知識深いティオが同意する。どうやら砂嵐を突破して【グリューエン大火山】に入れる冒険者の発掘場所の様だ。

 

「……小さい」

「他の場所も小石サイズばっかりですね……」

 

 ユエの言う通り、残されている静因石は殆どが小指の先以下の物ばかりだった。殆ど採られ尽くしたというのもあるのだろうが、サイズそのものも小さい。やはり表層部分では回収効率が悪すぎる様で、一気に大量に手に入れるには深部に行く必要がある様だ。

 ソウゴは一応他の静因石の有無を調べ、簡単に採取できるものだけ“宝物庫”に収納するとユエ達を促して先を急いだ。

 

 暑さに辟易するユエ達を促しながら、七階層程下に降りる。記録に残っている冒険者達が降りた最高階層だ。そこから先に進んだ者で生きて戻った者はいない。気を引き締めつつ、八階層へ続く階段を降りきった。

 

 その瞬間。強烈な熱風に煽られたかと思うと、突如ソウゴ達の眼前に巨大な火炎が襲いかかった。オレンジ色の壁が螺旋を描きながら突き進んでくる。

 

「そう言えば小腹が空いたな……」

 

 そんな火炎に対し、そう発されたソウゴの言葉。その言葉と共にソウゴが口を開くと、途端に人など簡単に消し炭に出来そうな死の炎は吸い込まれていった。ソウゴは余波すら呑み込み、閉じられた口からは「ゴキッ、ゴキッ」という固い物を嚙み砕く様な咀嚼音が響く。

 

 

 目を丸くして頭上に疑問符を浮かべる一同を気にも留めず、ソウゴは「ゴクンッ」という嚥下音と共に口の中の何かを飲み込んだ。

「たとえ魔物でもやはり牛は牛だな、牛肉と変わらん味だ」

 そしてソウゴは、何事も無かった様にそう言った。

 

 

 実は、ソウゴ達の進む先には先程の炎を放ったマグマを纏う雄牛が居たのだが、それを視界に捉えたソウゴが"暴食"の技能でその炎と雄牛、挙句その周囲のマグマごと自らの胃に収めてしまったのだった。

 

 

 それに気付かないユエ達を「惚けてないで行くぞ」と現実に引き戻し、ソウゴは三人を促して先を急いだ。

 

 

 その後、階層を下げる毎に魔物のバリエーションは増えていった。マグマを翼から撒き散らす蝙蝠型の魔物や壁を溶かして飛び出てくる赤熱化したウツボ擬き、炎の針を無数に飛ばしてくる針鼠型の魔物、マグマの中から顔だけ出し、マグマを纏った舌を鞭の様に振るうカメレオン型の魔物、頭上の重力を無視したマグマの川を泳ぐやはり赤熱化した蛇等……。

 

 生半可な魔術では纏うマグマか赤熱化した肉体で無効化してしまう上に、そこかしこに流れるマグマを隠れ蓑に奇襲を仕掛けてくる魔物はユエ達にとって厄介極まりなかった。何せ、魔物の方は体当りするだけでも人相手なら致命傷を負わせる事が出来る上に、周囲のマグマを利用した攻撃も多く、武器は無限大と言っていい状況。更に、いざとなればマグマに逃げ込んでしまえばそれだけで安全を確保出来てしまうのだ。

 

 たとえ砂嵐を突破できるだけの力をもった冒険者でも、魔物が出る八階層以降に降りて戻れなかったというのも頷ける。しかもそれらの魔物は、倒しても魔石の大きさや質自体は【オルクス大迷宮】の四十層レベルの魔物のそれと対して変わりがなく、貴重な鉱物である静因石も表層の物と殆ど変わらないとあっては、挑戦しようという者がいないのも頷ける話だ。

 そして何より厄介なのは、刻一刻と増していく暑さだ。

 

「はぁはぁ……暑いですぅ」

「……シア、暑いと思うから暑い。流れているのは唯の水……ほら、涼しい、ふふ」

「むっ、ご主人様よ! ユエが壊れかけておるのじゃ! 目が虚ろになっておる!」

 

 暑さに強いソウゴとティオ以外がダウン状態だ。止めどなく滝のように汗が流れ、意識も朦朧とし始めているユエとシアを見て、ソウゴは少し休憩が必要かと考えた。

 ソウゴは少し待てと三人を立ち止まらせ、自身は少し進む。そして何を思ったかしゃがみ込み……マグマに手をつけた。一切躊躇無く。

 

「ご主人様!?」

 

 驚愕に顎が外れそうなティオを見やる事も無く、「冷やすのは苦手なんだがなぁ」とぼやく様に呟きつつ一言。

 

 

「"氷河時代(アイス・エイジ)"」

 

 

 その瞬間、マグマが氷海に変化する。

 

 熱風は凍える風に、滴るマグマは氷柱に、生息する魔物達は氷像に。

 

 ティオは勿論、意識朦朧とするユエとシアですらその絶技に目を見開く。ソウゴはただ一度の行使によって、この階層を氷河期に変えたのだ。

 

 

 立ち上がったソウゴは、適当な壁を殴り横穴を空けた。それこそ氷を砕く様に簡単に開いた穴に歩を進め、三人に告げる。

「休憩は四十分、その間に水分補給と間食を済ませておけ。火山で凍死など、笑い話でしかないからな」

 ソウゴは冗談めかしてそう言うと、簡易食糧と水筒を手渡して奥に進んでいった。

 

 

 二十分後。食事を済ませ、先程とは正反対に毛布に包まって眠るユエとシアを他所に、ティオがソウゴに話かける。

「先程のは驚いたぞ、まさかマグマごと凍らせるとは。それにしても、ご主人様はまだ余裕そうじゃの?」

「この程度で音を上げる程、軟な人生は送っとらん」

「流石じゃのぅ……。それは兎も角、恐らくこの状況は、この大迷宮のコンセプトなのじゃろうな」

 ティオからの賛辞に適当に返しつつ、前おいて推測する様に言われたティオの言葉にソウゴが首を傾げる。

「コンセプトだと?」

「うむ。ご主人様から色々話を聞いて思ったのじゃが、大迷宮は試練なんじゃろ? 神に挑む為の……なら、それぞれに何らかのコンセプトでもあるのかと思ったのじゃよ。例えば、ご主人様が話してくれた【オルクス大迷宮】は、数多の魔物とのバリエーション豊かな戦闘を経て経験を積む事。【ライセン大迷宮】は魔術という強力な力を抜きに、あらゆる攻撃への対応力を磨く事。この【グリューエン大火山】は暑さによる集中力の阻害と、その状況下での奇襲への対応といったところではないかのぉ?」

「……成程、特に考えた事は無かったが……試練そのものが解放者共の"教え"になっているという事か」

 ティオの考察に、「成程」と頷くソウゴ。

 

 若干被虐癖はあるが知識深く、思慮深くもあるティオ。「思わぬ拾い物をしたな」と、内心少し得した気分になるソウゴだった。

 

 

 

「……ところでご主人様よ、この氷はどれ位保つのじゃ?」

「少なく見積もって……、十年程度か」

 

 

 

 

 【グリューエン大火山】、恐らく五十層辺り。

 

 それが現在、ソウゴ達のいる階層だ。何故"恐らく"なのか。それはソウゴ達の置かれた状況が少々特異なので、はっきりと現在の階層が分からないからである。

 具体的には、ソウゴ達は宙を流れる大河の如きマグマの上を輝く氷で出来た小舟の様な物に乗ってどんぶらこと流されているのだ。

「懐かしいな、グラン達との旅を思い出す」

 かつて共に旅をした騎空士の団長を思い浮かべ、そんな事を呟くソウゴ。

 

 

 何故、こんな状況になっているかというと……端的に言えばソウゴの気分である。

 

 

 というのも、少し前の階層で攻略しながらも静因石を探していたソウゴ達は、相変わらず自分達を炙り続けるマグマが時々不自然な動きを見せている事に気がついた。

 

 具体的には、岩等で流れを邪魔されている訳でも無いのに大きく流れが変わっていたり、何も無いのに流れが急激に遅くなっていたり、宙を流れるマグマでは一部だけ大量にマグマが滴り落ちていたりというものである。

 大抵それは通路から離れたマグマの対岸だったり、攻略の障害にはならなかったので気にも止めていなかったのだが、偶々探知の効果範囲にその場所が入り、その不自然な動きが静因石を原因としている事が判明したのである。マグマそのものに宿っているらしい魔力が静因石により鎮静されて、流れが阻害された結果だったのだ。

 

 ソウゴ達は、「ならばマグマの動きが強く阻害されている場所に静因石は大量にある筈」と推測し探した結果、確かに大量の静因石が埋まっている場所を多数発見したのである。マグマの動きに注意しながら相当な量の静因石を集めたソウゴ達は、予備用にもう少しだけ集めておこうととある場所に向かった。

 

 そこは宙に流れるマグマが、大きく壁を迂回する様に流れている場所だった。ソウゴが錬成を使って即席の階段を作成して近寄り、探ってみれば充分な量の静因石が埋まっている事が分かった。

 早速分解系の技能を使い静因石だけを回収するソウゴだったが、余裕からか壁の向こう側の様子というものに注意を向けていなかった。

 

 静因石を宝物庫に収納しその効力が失われた瞬間、静因石が取り除かれた壁の奥からマグマが勢いよく噴き出したのである。

 咄嗟に飛び退いたソウゴだったが噴き出すマグマの勢いは激しく、まるで亀裂の入ったダムから水が噴出し決壊する様に穴を押し広げて一気になだれ込んできた。

 

 だからと言って問題があるかというとそうでもなく、先程と同じく凍結させるなり時間停止なり対処方法はいくらでもあったのだが、「偶には川下りでもしてみるか」と思ったソウゴが"フリージング・コフィン"の要領で氷の小舟を作り出し、それに乗って事無きを得たのである。

 そして流されるままにマグマの上を漂っていると、いつの間にか宙を流れるマグマに乗って階段とは異なるルートで【グリューエン大火山】の深部へと時に灼熱の急流滑りを味わいながら流されていき現在に至るという訳だ。

 

 

「あっ、ソウゴさん。またトンネルですよ」

「そろそろ標高的には麓辺りじゃ、何かあるかもしれんぞ?」

 シアが指差した方向を見れば、確かにソウゴ達が流されているマグマが壁に空いた大穴の中に続いていた。マグマ自体に照らされて下方へと続いている事が分かる。今までも洞窟に入る度に階層を下げてきたので、普通に階段を使って降りるよりショートカットになっている筈だ。

 ティオの忠告に頷きながら、いざ洞窟内に突入するソウゴ達。マグマの空中ロードは、広々とした洞窟の中央を蛇の様にくねりながら続いている。すると暫く順調に高度を下げていたマグマの空中ロードだが、カーブを曲がった先でいきなり途切れていた。否、正確には滝といっても過言ではないくらい急激に下っていたのだ。

「またか、全員振り落とされるなよ」

 ソウゴの言葉にユエ達も頷き、凍傷を負わない様に小舟の縁やソウゴの腰にしがみ付く。ジェットコースターが最初の落下ポイントに登るまでのあのジワジワとした緊張感が漂う中、遂にソウゴ達の小舟が落下を開始した。

 轟々と風の吹き荒れる音がする。途轍もない速度で激流と化したマグマを、念動力で制御しながら下っていく。マグマの粘性など存在しないとばかりに、速度は刻一刻と増していった。

 ソウゴは道中適当に拾った小石を手の中で転がしつつ、周囲を警戒する。何故ならこういう時に限って……

「まぁ、当然湧くわな……」

 ソウゴは予想がついていた様に呟き、手中の小石を指で弾いた。周囲に響く反射音。それが三度続くと共に目標を貫通し撃破する。ソウゴ達に襲いかかってきたのは、翼からマグマを撒き散らす蝙蝠だった。

 

 

 このマグマコウモリは、一体一体の脅威度はそれ程高くない。かなりの速度で飛べる事とマグマ混じりの炎弾を飛ばす位しか出来ない。ソウゴ達にとっては、雑魚未満の敵である。

 

 だがマグマコウモリの厄介なところは、群れで襲って来るところだ。「一匹見つけたら三十匹はいると思え」というゴキブリの様な魔物で、岩壁の隙間等からわらわらと現れるのである。

 

 

 今も三羽のマグマコウモリを瞬殺したソウゴだったが、案の定激流を下る際の猛スピードが齎す風音に紛れて、夥しい数の翼が羽搏く音が聞こえ始めた。

「……ソウゴ様、左と後ろ、任せて」

「任せる。シア、ティオ、不用意に動くなよ」

「はいです!」

「うむ」

 ソウゴとユエが小舟の上で対角線上に背中合わせになった直後、マグマコウモリの群れがその姿を見せた。

 

 それはもう、一つの生き物といっても過言ではない。夥しい数のマグマコウモリは、まるで鳥類の一糸乱れぬ集団行動の様に一塊となって波打つ様に動き回る。その姿は、傍から見れば一匹の龍の様だ。翼がマグマを纏い赤く赤熱化しているので、さながら炎龍といったところだろう。

 一塊となってソウゴ達に迫ってきたマグマコウモリは途中で二手に分かれると、前方と後方から挟撃を仕掛けてきた。いくら一体一体が弱くとも、一つの巨大な生き物を形取れる程の数では、普通は物量で押し切られるだろう。

 

 だが、ここにいるのはチート集団。単純な物量で押し切れる程甘い相手でない事は、【ウルの町】で大地の肥やしとなった魔物達が証明済みだ。

 

 

 

「分かり易いが、火には水と氷だ」

 

 ソウゴは"魔海銃バッシャーマグナム"と"水勢剣流水"を召喚し、その猛威を振るう。

 水塊の弾丸と水流の斬撃は、恐るべき威力と速度を両立した嵐となって有無を言わせず貫き裂く。洞窟の壁を破砕するまでの道程で射線上にいたマグマコウモリは、一切の抵抗も許されず貫断され地へと落ちていった。

 更にソウゴは"木腕の術"で両腕を二対複製し、その内の一対で"水龍弾"の印を結んで龍を模した激流を吐き出す。もう一対には"ウォータードラゴンウィザードリング"をスキャンした"ウィザーソードガン"を取り出し四方八方にばら撒く様に連射する。

 追加で"修羅道"で機械の腕を召喚、搭載された重火器やレーザーを放ち、おまけとばかりに氷属性を付与した"ランチャーモジュール"のミサイルと"ギガント"を乱発する。

 結果は明白。木っ端微塵に砕かれたマグマコウモリの群れは、その体の破片を以て一時のスコールとなった。

 

 

 

 後方から迫っていたマグマコウモリも同じ様なものだ。

 

「──"嵐龍"」

 ユエが右手を真っ直ぐ伸ばしそう呟いた瞬間、緑色の豪風が集まり球体を作った。そして瞬く間に、まるで羽化でもするかの様に球形を解いて一匹の龍へと変貌する。緑色の風で編まれた"嵐龍"と呼ばれた風の龍は、マグマコウモリの群れを一睨みするとその顎門を開いて哀れな獲物を喰らい尽くさんと飛びかかった。

 当然マグマコウモリ達は炎弾を放ちつつも、"嵐龍"を避ける様に更に二手に分かれて迂回しようとした。しかしユエの"龍"は、その全てが重力魔術との複合魔術だ。当然"嵐龍"も唯の風で編まれただけの龍ではなく、風刃で構成され自らに引き寄せる重力を纏った龍であり、一度発動すれば逃れる事は至難だ。

 マグマコウモリ達はいつか見た"雷龍"や"蒼龍"の餌食となった魔物達の様に、抗う事も許されず"嵐龍"へと引き寄せられ風刃の嵐に肉体を切り刻まれて血肉を撒き散らし四散した。

 

 因みにユエが"雷龍"や"蒼龍"を使わなかったのは、マグマコウモリが熱に強そうだった事と、翼を切り裂けば事足りると判断した為である。

 

 最後に"嵐龍"は群れのど真ん中で弾け飛ぶと、その体を構成していた幾百幾千の風刃を全方向に撒き散らし、マグマコウモリの殲滅を完了した。

 

 

「う~む、ご主人様とユエの殲滅力は、いつ見ても恐ろしいものがあるのぉ」

「流石ですぅ」

 ソウゴとユエの攻撃の余波を受けない様に身を屈めつつ、ティオとシアが苦笑い気味に称賛を送る。それを気にした様子も無く、ソウゴは武装を解き、得意気に胸を張るユエを「気を抜くな」と叱り、前方に視線を戻した。ユエはぷぅーっと頬を膨らませながら視線を周囲の警戒に戻す。

 

 

 マグマの激流空中ロードを魔物に襲われながら下っているというのに、結構余裕のあるソウゴ達。だがその空気に釘を刺したかったのか、今まで下り続けていたマグマが突然上方へと向かい始めた。

 勢いよく数十メートルを登ると、その先に光が見えた。洞窟の出口だ。だが問題なのは、今度こそ本当にマグマが途切れている事である。

「もう一度だ、掴まれ」

 ソウゴの号令に再び小舟にしがみつくユエ達。小舟は激流を下ってきた勢いそのままに猛烈な勢いで洞窟の外へと放り出された。

 襲い来る浮遊感に、ソウゴは即座に小舟の造形を変えながら素早く周囲の状況を把握する。

 

 

 ソウゴ達が飛び出した空間は、嘗て見た【ライセン大迷宮】の最終試練の部屋よりも尚広大な空間だった。

 

 

 

 【ライセン大迷宮】の部屋と異なり球体ではなく、自然そのままに歪な形をしている為正確な広さは把握しきれないが、少なくとも直径三キロメートル以上はある。地面は殆どマグマで満たされており、所々に岩石が飛び出していて僅かな足場を提供していた。

 

 周囲の壁も大きくせり出している場所もあれば、逆に削れている所もある。空中にはやはり無数のマグマの川が交差していて、その殆どは下方のマグマの海へと消えていっている。

 

 グツグツと煮え立つ灼熱の海と、フレアの如く噴き上がる火柱。「嘗て見た地獄の釜そのものだな」と、ソウゴ達はごく自然にそんな感想を抱いた。

 

 

 だが何より目に付いたのは、マグマの海の中央にある小さな島だ。

 海面から十メートル程の高さにせり出ている岩石の島。それだけなら他の足場より大きいというだけなのだが、その上をマグマのドームが覆っているのである。まるで小型の太陽の様な球体のマグマが、島の中央に存在している異様はソウゴ達の視線を奪うには十分だった。

 

 

 飛び出した勢いそのままに姿を変えた氷の小舟、基ドラゴンは翼を羽搏かせ空中で立て直し、誰一人落とす事無く小島近くの空中で停止する。明らかに今までと雰囲気の異なる場所に、もう一段警戒度を上げるソウゴ達。

「……あそこが住処?」

 ユエが、チラリとマグマドームのある中央の島に視線をやりながら呟く。

「階層の深さ的にも、そう考えるのが妥当であろうな。だがそうなると……」

「最後のガーディアンがいる筈……じゃな? ご主人様よ」

「ショートカットして来たっぽいですし、とっくに通り過ぎたと考えてはダメですか?」

 ソウゴの考えをティオが確認し、僅かな異変も見逃さないと変態とは思えない鋭い視線を周囲に配る。そんなソウゴ達の様子に気を引き締めながらも、シアがとある方向を見ながら楽観論を呟いてみた。

 

 ソウゴがシアの視線を辿ると、大きな足場とその先に階段があるのが見えた。壁の奥から続いている階段で、恐らく正規のルートを辿ればその階段から出てくる事になるのだろう。

 

「……いや、それは無いだろうな。余程甘く見積もっても、裏道で正規ルートをスルー出来た程度だろう」

 しかし、いくらマグマの空中ロードに乗って流れてくる事が普通は有り得ない事だとしても、大迷宮の最終試練までショートカット出来たと考えるのは楽観が過ぎるというものだ。シアもそうだったらいいなぁ~と口にしつつも、ソウゴの言葉に頷きその鋭い表情は自身の言葉をまるで信じていない事を示している。

 そのソウゴ達の警戒が正しかった事は、直後宙を流れるマグマからマグマそのものが弾丸の如く飛び出してくるという形で証明された。

 

「むっ、任せよ!」

 

 ティオの掛け声と共に魔術が発動し、マグマの海から炎塊が飛び出して頭上より迫るマグマの塊が相殺された。

 しかし、その攻撃は唯の始まりの合図に過ぎなかった様だ。ティオの放った炎塊がマグマと相殺され飛び散った直後、マグマの海や頭上のマグマの川からマシンガンの如く炎塊が撃ち放たれたのだ。

「散開して離れるぞ」

 このままでは氷竜ごと囲まれると判断したソウゴは、即座に氷竜を内側から破裂させその礫の弾丸で炎塊を相殺しつつ、その衝撃に乗って近くの足場に散開する様に指示を出した。

 

 

 ソウゴ達は其々別の足場に着地し、尚追ってくるマグマの塊を迎撃していった。迎撃そのものは切羽詰るという程のものでは無かったのだが、いつ終わるともしれない波状攻撃に鬱陶し気な表情を見せるソウゴ達。それはマグマの海の熱せられた空気により、景色が歪んでいる事も原因だろう。

 そんな状況を打開すべく、ソウゴはプテラノドンに似た紫の翼"エクスターナルフィン"を展開、更に"醒杖レンゲルラウザー"を召喚。間髪入れず"トルネード"と"ブリザード"のラウズカードをスキャンし、フィンと共に冷気を伴った暴風を起こす。それによって炎塊を凍らせると共に真空刃によって粉々に破壊した。

 

 その意図を言葉は無くとも正確に読み取ったユエは、一瞬出来た隙をついて重力魔術を発動させる。

「──"絶禍"」

 響き渡る術名と共にソウゴ達四人の中間地点に黒く渦巻く球体が出現し、飛び交うマグマの塊を次々と引き寄せていった。黒き小さな星は、呑み込んだ全てを超重力のもと押し潰し圧縮していく。

 吹雪とユエの魔術により炎塊の弾幕に隙ができ、ソウゴは"月歩"で宙を駆けると一気にマグマドームのある中央の島へと接近した。

 

 

 ソウゴ達を襲う弾幕で一番厄介なのは、止める手段が目に見えない事だ。場所的に明らかに【グリューエン大火山】の最終試練なのだが、今までの大迷宮と異なり目に見える敵が存在しないので、何をすればクリアと判断されるのかが分からない。その為最も怪しい中央の島に乗り込むのが一番だとソウゴは考えたのである。

 

 ソウゴは、中央の島へと宙を駆けながら"念話"を使う。

『中央の島を調べる、適当に切り上げてついてこい』

『んっ、了解』

 ユエの"絶禍"の効果範囲外からマグマの塊がソウゴを襲うが、ソウゴは振り返る事無く指先に生成したミニサイズの"螺旋丸"を飛ばして迎撃し、シアもドリュッケンを戦鎚に展開せずショットガンモードで迎撃していく。ユエは"絶禍"を展開維持しながら、ティオと同じく炎弾をマグマの海より作り出して迎撃に当たった。

 一直線に中央の島へと迫ったソウゴは、最後の加速を行い飛び移ろうとした。

 

 だが、その瞬間、

 

「ゴォアアアアア!!!」

 そんな腹の底まで響く様な重厚な咆哮が響いたかと思うと、宙を飛ぶソウゴの直下から大口を開けた巨大な蛇が襲いかかってきた。

 

 全身にマグマを纏わせているせいか、周囲をマグマで満たされたこの場所では熱源感知にも気配感知にも引っかからない。また、マグマの海全体に魔力が満ちている様なので魔力感知にも引っかからなかった事から、完全な不意打ちとなった巨大なマグマ蛇の攻撃。

 

「"神羅天征"」

 

 しかしソウゴは焦る事も無く"天道"を発動し、"神羅天征"でマグマ蛇を弾き潰す。

 

「ほぅ……」

 

 しかし上がった声はマグマ蛇の断末魔ではなく、ソウゴの興味深げな声だった。

 

 

 当然その原因はマグマ蛇にある。

 なんと、マグマ蛇は確かに弾け飛んだのだが、それはマグマの飛沫が飛び散っただけであり、中身が全くなかったのだ。今までの【グリューエン大火山】の魔物達は基本的にマグマを身に纏ってはいたが、それはあくまで纏っているのであって肉体がきちんとあった。断じてマグマだけで構成されていた訳ではない。

 どうやら、このマグマ蛇は、完全にマグマだけで構成されているらしい。

「ふぅむ、遠隔操作か何かか」

 ソウゴは思案しつつも、"月歩"と"文曲"で中央の島へ再度迫る。

 

 だが、マグマ蛇の攻撃はまだ終わっていなかったらしい。

 

 ソウゴの軌跡を追う様にしてマグマの海からマグマ蛇が次々と飛び出し、その巨大な顎門をバクンッ! バクンッ! と閉じていった。

『ドラゴンフルーツエナジー!』

 ソウゴは"ソニックアロー"を召喚し、回避しながらマグマ蛇を"ソニックボレー"で撃ち抜き後退すると近くの足場に着地する。その傍にユエ達もやって来た。ソウゴが襲われている間に、炎塊の掃射は一時止んだ様だ。

「……ソウゴ様、無事?」

「ああ、問題ない。それより、漸く本命が現れた様だ」

 

 ソウゴの腕にそっと触れながら安否を気遣うユエに、ソウゴは前方から目を逸らさずそっと触れ返す事で応える。そのソウゴの目には、ザバァ! と音を立てながら次々と出現するマグマ蛇の姿が映っていた。

 

「やはり、中央の島が終着点の様じゃの。通りたければ我らを倒していけと言わんばかりじゃ」

「でもさっきソウゴさんが潰したのに、すぐに補充されてますよ? 倒しきれるんでしょうか?」

 遂に二十体以上のマグマ蛇がその鎌首をもたげ、ソウゴ達を睥睨するに至った。最初にソウゴから攻撃を受けたマグマ蛇も、先程撃ち抜かれた二体も含めて既に代打が姿を晒している。

 シアが眉を顰めてその点を指摘した。冷静に攻略方法を考えている様で、それを示す様にウサミミがピコピコと忙しなく動き回っている。ソウゴは纏う覇気を強めつつ、自分の推測を伝えた。

「恐らくバチュラム系の魔物と同じく、マグマを形成する為の核……魔石があるのだろうな。それを破壊すればよかろう」

 ソウゴの言葉に全員が頷くのと、総数二十体のマグマ蛇が一斉に襲いかかるのは同時だった。

 

 

 マグマ蛇達はまるで、太陽フレアの様に噴き上がると口から炎塊を飛ばしながら急迫する。二十体による全方位攻撃だ。普通なら逃げ場もなく大質量のマグマに呑み込まれて終わりだろう。

「久しぶりの一撃じゃ! 存分に味わうが良い!」

 そう言って揃えて前に突き出されたティオの両手の先には、膨大な量の黒色魔力。それが瞬く間に集束・圧縮されていき、次の瞬間には一気に解き放たれた。竜人族のブレスだ。

 恐るべき威力を誇る黒色の閃光はティオの正面から迫っていたマグマ蛇を跡形も無く消滅させ、更に横薙ぎに振るわれた事によりあたかも巨大な黒色閃光のブレードの様にマグマ蛇達を消滅させていった。

 一気に八体ものマグマ蛇が消滅し、それにより出来た包囲の穴からソウゴ達は一気に飛び出した。

 

 流石に跡形もなく消し飛ばされれば、魔石がどこにあろうとも一緒に消滅しただろうと思われたが、そう簡単には行かないのが大迷宮クオリティだ。

 

 ソウゴ達が数瞬前までいた場所に着弾した十二体のマグマ蛇は、足場を粉砕しながらマグマの海へと消えていったものの、再び出現する時にはきっちり二十体に戻っていた。

 

「魔石が吹き飛んだ瞬間は確認したが……"群にして個"という事か?」

 

 ソウゴが試す様に口角を上げる。ティオのブレスがマグマ蛇に到達した瞬間、その超人的な視力で確かにマグマ蛇の中に魔石がありブレスによって消滅した瞬間を確認したのだ。

 ソウゴが迷宮攻略の方法に疑問を抱いていると、シアが中央の島の方を指差し声を張り上げた。

「ソウゴさん、見て下さい! 岩壁が光ってますぅ!」

「む?」

 言われた通り中央の島に視線をやると、確かに岩壁の一部が拳大の光を放っていた。オレンジ色の光は先程までは気がつかなかったが、岩壁に埋め込まれている何らかの鉱石から放たれている様だ。

 

 

 ソウゴが確認してみると、保護色になっていて分かりづらいが、どうやらかなりの数の鉱石が規則正しく中央の島の岩壁に埋め込まれている様だと分かった。中央の島は円柱形なので、鉱石が並ぶ間隔と島の外周から考えると……ざっと百個の鉱石が埋め込まれている事になる。そして現在、光を放っている鉱石は十一個……先程ティオが消滅させたマグマ蛇及び、ソウゴが倒した数の合計と同数だ。

 

「成程、数をこなせという訳か」

「……この暑さで、あれを百体相手にする……迷宮のコンセプトにも合ってる」

 

 ただでさえ暑さと奇襲により疲弊しているであろう挑戦者を、最後の最後で一番長く深く集中しなければならない状況に追い込む。大迷宮に相応しい嫌らしさと言えるだろう。

 

 確かにユエ達は相当精神を疲労させている。しかしその表情には疲労の色はなく、攻略方法を見つけさえすればどうとでもしてやるという不敵な笑みしか浮かんでいなかった。

 そうして全員がやるべき事を理解して気合を入れ直した直後、再びマグマ蛇達が襲いかかった。マグマの塊が豪雨の如く降り注ぎ、大質量のマグマ蛇が不規則な動きを以て獲物を捉え焼き尽くさんと迫る。

 

 

 ソウゴ達は再び散開し、其々反撃に出た。

 ティオが竜の翼を背から生やし、そこから発生させた風でその身を浮かせながら真空刃を伴った竜巻を砲撃の如くぶっ放す。風系統の中級攻撃魔術"砲皇"だ。

 

「これで九体目じゃ! 今のところ妾が一歩リードじゃな。ご主人様よ! 妾が一番多く倒したらご褒美(お仕置き)を所望するぞ! 勿論二人っきりで一晩じゃ!」

 

 九体目のマグマ蛇を吹き飛ばし切り刻みながら、そんな事を宣うティオ。「出来たらな」と呆れた表情で返したソウゴだったが、シアがそれを遮る。

 

「なっ、ティオさんだけ狡いです! 私も参戦しますよ! ソウゴさん、私も勝ったら一晩ですぅ!」

 

 そんな事を叫びながら、シアは跳躍した先にいるマグマ蛇の頭部にドリュッケンを上段から振り下ろした。インパクトの瞬間淡青色の魔力の波紋が広がり、次いで凄絶な衝撃が発生。頭部から下にあるマグマの海まで一気に爆砕した。弾け飛んだマグマ蛇の跡にキラキラした鉱物が舞っている。"魔衝波"の衝撃により砕かれた魔石だ。

 一体のマグマ蛇を屠った空中のシアに、背後からマグマの塊が迫る。シアはドリュッケンを激発させ、その反動で回避した。しかしそれを狙っていたかの様に、シアが落ちる場所にマグマ蛇が顎門を開いて襲いかかる。

 しかしシアは特に焦る事も無く、魔力をショートブーツへと流し込んだ。途端、靴底に仕込まれた金属板に付与された能力が発動し、シアの足下で淡青色の波紋を広げる。シアはその足場をトンッ、と重さを感じさせずに蹴りつけ、再度宙を舞った。

 

 

 このショートブーツは、未だ"月歩"や"文曲"、"舞空術"等の空中移動手段を習得していないシアの為に作られた物で、魔力を通す事で同様の効果を得られるという一品だ。これにシア自身の体重操作が加われば、正に"宙を舞う"という戦闘が可能になる。

 

 

 目測を外されシアの下方を虚しく通り過ぎるマグマ蛇に、シアは変形させたドリュッケンの銃口を向けてトリガーを引いた。撃ち放たれたのはいつもの散弾ではなく、スラッグ弾だ。

 但し普通のスラッグ弾ではない。ソウゴ特製の“魔衝波”が付与された特殊鉱石を使った弾丸で、着弾と同時に込められた魔力が衝撃波に変換される。威力だけならグレネード弾を遥かに凌ぐレベルだ。

 ドリュッケンの咆哮と共に飛び出した炸裂スラッグ弾は、狙い違わず背後からマグマ蛇に直撃し、頭部から胴体まで全てを巻き込んで大爆発を起こした。その衝撃で、再び砕け散った魔石がキラキラと宙を舞う。

 

「……なら、私も二人っきりで一日デート」

 

 ユエも討伐競争に参戦の意を示した。最近仲間が増えてめっきりと減ってしまった二人っきりの時間を丸一日ご所望らしい。

 ユエは楽しみという雰囲気を醸し出しながら、しかし術についてはどこまでも凶悪なものを繰り出した。最近十八番の“雷龍”である。

 熟練度がどんどん上がっているのか、出現した"雷龍"の数は七体。それをほぼ同時に、其々別の標的に向けて解き放った。雷鳴の咆哮が響き渡る。ユエに喰らいつこうとしていたマグマ蛇達は、逆にマグマの塊などものともしない雷龍の群れに次々と呑み込まれ、体内の魔石ごと砕かれていった。

 その光景を見て、「やっぱりユエさんが一番の強敵ですぅ!」とシアが、「ユエはバグっとるよ! 絶対おかしいのじゃ!」とティオが其々焦りの表情を浮かべて悪態を吐きつつ、より一層苛烈な攻撃を繰り出し、討伐数を伸ばしていった。

 

「やる気が出る分には構わんが……、それなら私より多く倒すんだな」

 

 ソウゴは自分が景品になっている競争に闘志を燃やす女子三人を一瞥しつつ、背後から襲いかかってきたマグマ蛇を逢魔剣で切り捨てる。

 放たれた技は"グランド・オブ・レイジ"。横薙ぎに放たれた必滅の斬撃は、一振りで部屋全体に及ぶ大破壊を齎し現出しているマグマ蛇全てを魔石ごと消滅させる。

 

「……反則過ぎる」

「一番の強敵はソウゴさんでしたぁっ!!」

「いきなり難易度上がり過ぎではないかのっ!?」

 

 無論、ユエ達から非難の声が上がったのは言うまでもない。

 

 

 気が付けば中央の島の岩壁、その外周に規則正しく埋め込まれた鉱石はその殆どを発光させており、残り八個というところまで来ていた。本格的な戦闘が始まってからまだ五分も経っていない。

 【グリューエン大火山】のコンセプトが悪環境による集中力低下状態での長時間戦闘だというソウゴ達の推測が当たっていたのだとしたら、ソウゴ達に対しては完全に創設者の思惑は外れてしまったと言えるだろう。

 

 ティオのブレスが、マグマ蛇をまとめて薙ぎ払う。

 

 ──残り六体

 

 シアのドリュッケンによる一撃と、ほぼ同時に放たれた炸裂スラッグ弾がマグマ蛇をまとめて爆砕する。

 

 ──残り四体

 

 ユエに対し、直下のマグマの海から奇襲をかけて喰らいつこうとしたマグマ蛇と直上から挟撃をしかけたマグマ蛇が、蜷局を巻いてユエを包み込んだ“雷龍”に阻まれ立ち往生する。そして次の瞬間、その二体のマグマ蛇を四体の“雷龍”が逆に挟撃し喰らい尽くす。

 

 ──残り二体

 

 ソウゴに急速突進してきたマグマ蛇がマグマの塊を散弾の如く撒き散らす。しかしソウゴは、“文曲”を使ってマグマの飛沫を足場にして躱していき、マグマ蛇が喰らいつこうとした瞬間交差しながら逢魔剣を振るう。魔石を正確に捉え、その体ごと真っ二つに両断した。

 遂に最後の一体となったマグマ蛇が、直下のマグマの海から奇襲をかけた。ソウゴは逢魔剣を鞘に戻し、真下からガバッと顎門を開いて迫るマグマ蛇の口内に向けて“雷の羽ケリードーン”で光線の雨を降らせ魔石を砕く。

「これで終いか」

 それを視界の端に捉えながら、ソウゴは適当な足場に着地する。

 

 ──刹那、

 

 

 頭上より、極光が降り注いだ。

 

 

「五十点……だな」

 

 ソウゴの眩し気に細められた視界が、その全てを塗り潰す様に光で覆われる。

 まるで天より放たれた神罰の如きそれは、【オルクス大迷宮】最深部に居たヒュドラ擬きのソレより遥かに強力かも知れない。大気すら悲鳴を上げるその一撃は、戦闘終了直後最も無防備な一瞬を狙って放たれ──ソウゴを呑み込んだ。

 

 冗談の様にソウゴの姿が消える。圧倒的な破壊の嵐の中へ。

 

 

「ソ、ソウゴ様ぁ!!!」

 

 

 ユエの絶叫が響き渡る。ソウゴが極光に飲み込まれる光景を、少し離れた場所から呆然と見ている事しか出来なかったシアとティオだったが、出会ってこの方一度も聞いた事の無いユエの悲痛な叫び声にハッと我を取り戻した。

 

 轟音と共にソウゴの真上から降り注いだ極光は灼熱の海に着弾し、盛大に周囲を吹き飛ばしながら一時的に海の底を曝け出す。極光は暫くマグマの海を穿ち続けたが、次第に細くなっていき、遂にはスっと虚空の中へと溶け込む様に消えていった。

 

 必死にソウゴの下へ飛んでいくユエの目に……全身から黒い靄を発しながら佇むソウゴの姿が映った。その身に傷の様なものは見られないが、先程までと違い少々表情が歪んでいる。

「まさかこの能力を使わされるとはな……」

 ソウゴのその呟きが耳に入りつつも、ユエは決死の表情で翔び寄り近くの足場に着地した。

「ソウゴ様っ! 無事!?」

 顔にこれ以上ない程の焦燥感を滲ませて駆け寄るユエ。それに不機嫌そうにしつつソウゴは答える。

「強いて言うなら気分を害された。ったく……戦場に品性を求める様な性質じゃないんだが、よりによってこんな下品な能力を……」

 ソウゴが苛立たし気に、しかし誰に向けているのかよく分からない愚痴を吐いたその時、

 

「馬鹿者! 上じゃ!!」

 

 ティオの警告と同時に無数の閃光が豪雨の如く降り注いだ。それは、縮小版の極光だ。先程の一撃に比べれば十分の一程度の威力と規模、されど一発一発が確実にその身を滅ぼす死の光だ。

 ユエはソウゴに気を取られすぎて上空から降り注ぐ数多の閃光に気が付いておらず、警告によって天を仰いだ時には魔術の発動がユエを以てして間に合わない状況だった。後三秒、いや一秒あれば……引き伸ばされた時間の中で、ユエは必死に防御魔術を頭の中で構築する。ティオが必死の形相で駆け寄り魔術を行使しようとしたが……

 

 

 ──当然と言うべきかソウゴの対処の方が早かった。

 

 

「この程度で狼狽えるなヒヨッコ共」

 

 ソウゴは宝物庫から二振りの剣──"闇黒剣月闇"と"魔剣レプラザン"を取り出し、身体から発する靄を刀身に纏わせ閃光を防ぐ様に交差させる。

 その途端、閃光はまるで吸い寄せられる様に交差した二振りに集中し、その刀身に飲み込みこまれていった。光を飲み込めば飲み込む程、それに比例する様に刀身は妖しい輝きを増していく。

 

 十秒か、それとも一分か。

 永遠に続くかと思われた極光の嵐は最後に一際激しく降り注いだ後、漸く終わりを見せた。周囲は最初に一撃を除き、一切変化は無い。全て闇黒剣とレプラザンに喰い尽くされたらしい。それを証明する様に、刀身は輝きを増して稲妻を迸らせる。

 背後のユエもティオも、合流したシアも呆気に取られる。

 

 同時に、上空から感嘆半分呆れ半分の男の声が降ってきた。

 

「……看過できない実力だ、やはりここで待ち伏せていて正解だった。お前達は危険過ぎる。特にその男は……」

 ソウゴ達はその声がした天井付近に視線を向ける。そしてユエ達が驚愕に目を見開いた。何故ならいつの間にかそこには夥しい数の竜と、それらとは比べ物にならない程の巨体を誇る純白の竜が飛んでおり、その白竜の背に赤髪で浅黒い肌、僅かに尖った耳を持つ魔人族の男がいたからだ。

「まさか、私の白竜(ウラノス)がブレスを直撃させてもものともせんとは……おまけに報告にあった強力にして未知の武器に加え、……まさか総数五十体の灰竜の掃射を耐えきるなど有り得ん事だ。貴様等、一体何者だ? いくつの神代魔法を修得している?」

 ティオに似た黄金色の眼を剣呑に細め上空より睥睨する魔人族の男は、警戒心を露わにしつつ睨み返すユエ達にそんな質問をした。ソウゴ達の力が、何処かの大迷宮をクリアして手に入れた神代魔術の恩恵だと考えた様だ。

 そんな魔人族の男に対しソウゴは、溜息を一つ吐いた後に呟いた。

「……不意打ちに関してはまぁいい。卑怯だなんだと文句を言うのは三流のする事だからな。だが……」

 ソウゴは言葉を切り……、

 

 

 ゾクリ、と。仲間のユエ達でさえ恐怖の湧き上がる様な覇気を放出した。

 

 

 

 

 

 

「天に仰ぎ見るべき私を見下ろすとは、頭が高いにも程があるぞ?」

 

 

 

 

 

「うぐぉっ!!?!?」

 

 

 ソウゴがそう告げた途端、灰竜と呼ばれた小型竜やウラノスと呼ばれた白竜ごと、魔人族の男が吸い寄せられる様に下方へ叩きつけられた。灰竜とその背に乗っていたらしい亀型の魔物は悉くマグマの海に沈み、白竜も魔人族の男も張り付いた様に地面から動けない。

 

「直に見た上で、更に一撃入れても互いの力量差が分からん様なら……そうして地に這い蹲っているのがお似合いだ色男」

 

 "色男"と称しつつも、ソウゴはつまらなそうな視線を魔人族の男に向ける。魔人族の男は端正な表情に憤怒を表して怒鳴る。

「これも神代魔法かっ!? 貴様、一体何をしたぁ!!」

「何もしておらんよ、ただ貴様の不敬不遜を無礼だと思っただけ(・・・・・)だ。それよりも……そんな様で凄んでもただ滑稽にしか映らんぞ? "弱い犬ほどよく吠える"とはよく言ったものだ。なぁ、"自称"神の使徒のフリード坊や」

「ッ!? 貴様、何処でそれを!?」

 

 怒鳴る魔人族の男……フリードと反対に、ソウゴは嘲笑混じりに揶揄う様な言葉をぶつける。序に名前を呼んでやれば、動揺した様に語気を強めるフリード。浅黒い肌を真っ赤にして吼える。

 

「なに、貴様が子飼いにしていた………」

 ソウゴはそこまで言ったところで一度言葉が切れる。心なしか視線が彷徨っている様に見える。ソウゴはユエ達に振り向き「……あの娘は何という名だったか」と訊いてきたが、ユエ達は青い顔をして首を横に振るばかりだ。それを見てソウゴも「まぁいいか」と自己完結させてフリードに向き直る。

「貴様の忠犬が教えてくれたよ。貴様が魔人族の総司令である事も、【シュネー雪原】を攻略し"変成魔法"を手に入れた事も。一から十まで懇切丁寧にな」

「それはカトレアの事か!! 奴がそんな事を言う訳が無いだろうっ!! それに、【ウルの町】でレイスを殺したのも貴様だな!?」

「ほぅ、あの小娘はカトレアというのか。……まぁ興味も無いんでどうでもいいが。それと、レイスというのは知らんな。以前殺した蝿か何かがそんな名前だったのかもしれんが……」

 ソウゴの煽る様な言葉に、フリードの顔は最早赤を通り越して青くなってきている。

「ところで、いつまで転がっているつもりだ? 先程から吠えるばかりで指先一つ動かさんではないか。……あぁそうか、貴様自慢の蜥蜴共々処断されたいのか。ならば最初からそう言え。貴様と私は友ではないのだ、以心伝心など出来ないからな」

 

 

「貴様ァッッ!!」

 

 

 そこまで言われて遂に火事場の馬鹿力でも発揮したのか、フリードは四肢に力を込めて立ち上がる。

 しかし次の瞬間、一瞬で移動したソウゴの蹴りがフリードの顔面を捉える。丁度叫んだ瞬間を狙った様で、その爪先は口内を蹂躙し頭蓋を揺らしてフリードを蹴り飛ばす。

 

「術師が冷静さを欠いては世話ないな。お陰で私の靴が貴様の唾で汚れたではないか」

 

 手加減した様で、その身が四散する事も無く壁面に叩きつけられて転がるフリード。血を吐き倒れ伏すフリードから視線を外さないまま、近くで必死に体を動かそうとしている白竜の首を無造作に斬り飛ばす。断末魔を上げる暇も無く絶命した白竜を顎で示しながら、尚もフリードを刺激する様な内容を口にするソウゴ。

「ユエ、シア。その蜥蜴を解体(バラ)しておけ、当面の食糧にはなるだろう」

「「は、はいっ!」」

「ティオ。貴様は天井の穴から、採取した静因石を持って先にアンカジに戻れ。そして香織とミュウに合流したら『私達は攻略が済んだらそのままエリセンに向かう。貴様達は先に向かっていてくれ』と伝えておけ。それと序に、ランズィにも伝言だ。『少し寄り道してくるが、信じて待っていろ』とな」

「わ、分かったのじゃ!」

 

 突然の言葉に動揺しつつも指示に従って動き始める面々を確認した後、自分を射殺さんばかりの視線を向けるフリードに対し、ソウゴは再び馬鹿にする様な言葉をぶつける。

 

「さて、お坊ちゃん。貴様の頼りにしていた蜥蜴は使い物にならなくなった訳だが……まだやるかね? 何なら貴様の詠唱を待ってやる位のハンデをつけてやってもいいが?」

「キ、サマ……!」

 

 フリードは満身創痍になりつつも、壁に手をついて立ち上がる。

 

「おーおー、どうやら立ち上がる気力はあったらしいな」

「いいだろう……! 貴様のその油断、直ぐに後悔させてやる! 私が新たに手にした、神代の力でな!!」

 そう言うとフリードは極度の集中状態に入り、微動だにせずブツブツと詠唱を始める。新たに手に入れたと言っていた事から、恐らくこの【グリューエン大火山】の神代魔術なのだろう。それを見たソウゴは、ビックリ箱の中身を予想する様な愉快気な表情を浮かべる。

 

 

 するとそんなソウゴの背中に声をかける者が一人。白竜解体作業中のシアであった。

「あの、ソウゴさん。……いいんですか? 態々神代魔術の詠唱を見逃して」

「あぁ構わんよ。奴がどうやら魔人族の最高戦力らしいからな、魔人族の戦力とここの神代魔術を測るいい機会だ。ほれ、貴様は作業に戻れ」

 そうこうしていると、フリードの詠唱が完成する。

 

「──"界穿"!」

 

 その言葉と共にフリードの新たな切り札、"空間魔法"のよる転移でソウゴの背後に移動した。

 

 

 

 

 …………筈だった。

 

 

 

 

「ふん、よりによって空間転移とは……。運が無かったな」

 

 

 

 ソウゴの言葉と共に齎された結果。

 

 それはフリードは先程の位置から一歩も動いておらず、ソウゴのレプラザンによって胸部を貫かれる光景。その刃は、正確に心臓を捉えていた。

 

 

 フリードは口と傷口から多量の血を流しながら、困惑の表情で口を開く。

「ガフッ!! ッ、…ッ!? ……フー、フー! ……な、何故……何故魔法が、発動…しな、い……!?」

「若い頃に似た様な事が出来る男に散々引っ掻き回されてな、その手の対策は幾つもあるのだよ」

 

 

 そう語るソウゴの脳裏に浮かぶのは、いつも澄ました顔をしていた"破壊者"と呼ばれた男。ソウゴは即座にフリードが使った術があの男のソレと同系統である事を見抜き、フリードの術式を乱して転移座標指定に干渉、術の行使そのものを妨害したのである。

 

 更にエネルギーを喰らう性質を持つレプラザンで"リボルクラッシュ"を発動し貫く事で、フリードの魔力・生命力を吸い尽くして余計な抵抗が出来ない様に無力化したのだ。

 

 

「情報を得た時は多少の期待もしたものだが、所詮は井の中の蛙だったか」

 そう言うとソウゴはフリードを刺しているレプラザンを振るい、フリードを中空に放り投げる。

 そしてソウゴはレプラザンと闇黒剣の柄を融合させると、その刀身の輝きを一層強めてとどめの一撃の式句を告げる。

 

「オルトリアクター臨界突破。我が暗黒の光芒で、素粒子に還れ」

 

 言い終えると共に、ソウゴは空中のフリード目掛けて駆け出した。一瞬で肉薄し、ソウゴは必殺の剣閃を振るった。

 

 

「"黒竜相剋勝利剣(クロスカリバー)"」

 

 

 放出した魔力を意図的に過剰暴走状態にして放つ滅多斬り。赤紫の閃光が駆け巡り、闇黒剣とレプラザンを分離して着地するソウゴ。数秒遅れて、先程までフリードだった(・・・)物がボトボトと音を立てて落ちてくる。

「魔人族の将軍というのも、口程にも無かったな。名は確か……何と言ったろうか?」

 そう言って武器を仕舞うソウゴの表情は、実に退屈そうだった。

 

 

 フリード・バグアー。

 

 本来、この先に起こる大戦において重要な役割を持つ筈だった魔人の将は、ただ一つの判断ミス、『常磐ソウゴに歯向かう』という致命的なミスが原因で命を落としたのだった。

 

 

 

「さて、進捗はどうだ?」

「……んっ、解体終わった」

「ティオさんもソウゴさんの指示通り、天井の穴から先にアンカジに向かって飛んでいきました」

 戦闘を終えたソウゴは、ユエとシアから任せていた作業の進捗を聞く。どうやらソウゴがフリードをあしらっている間に解体作業を終えたらしい。ソウゴは二人を労い、褒美も兼ねて二人を抱えながら再び島の中央に向かった。

 

 

 そこには最初に見たマグマのドームは無くなっていて、代わりに漆黒の建造物がその姿を見せていた。その傍らには、地面から数センチ程浮遊している円盤がある。天井の穴がショートカット用出口だったので、本来はこれに乗って地上に出るのだろう。

 

 一見扉など無い唯の長方体に見えるが、壁の一部に毎度お馴染みの七大迷宮を示す文様が刻まれている場所があった。ソウゴ達がその前に立つと、スっと音もなく壁がスライドし、中に入ることが出来た。ソウゴ達が中に入るのと、再びスっと音もなく閉まる。

 

「ん……ソウゴ様、あれ」

「魔法陣ですね」

 

 そして直ぐ様、傍らのユエが指を差す。その先には、複雑にして精緻な魔法陣があった。神代魔術の魔法陣だ。ソウゴ達は互いに頷き合い、その中へ踏み込んだ。

 

 

 【オルクス大迷宮】の時と同じ様に、記憶が勝手に溢れ出し迷宮攻略の軌跡が脳内を駆け巡る。そしてマグマ蛇を全て討伐したところで攻略を認められた様で、脳内に直接神代魔術が刻み込まれていった。

「やはり空間転移の魔術だったか」

 どうやら、【グリューエン大火山】における神代魔術は"空間魔術"らしい。「たかが転移如きが神代とは、この世界の程度が知れるな」とはソウゴの談。

 ユエ達が空間魔術を修得し、魔法陣の輝きが収まっていくと同時にカコンと音を立てて壁の一部が開き、更に正面の壁に輝く文字が浮き出始めた。

 

 

『人の未来が 自由な意思の下にあらん事を 切に願う。 ──ナイズ・グリューエン』

 

 

「……シンプルだな」

 そのメッセージを見て、ソウゴが抱いた素直な感想だ。周囲を見渡せば、【グリューエン大火山】の創設者の住処にしてはかなり殺風景な部屋だと気が付く。オルクスの住処の様な生活感がまるで無いのだ。本当にただ魔法陣があるだけの場所だ。

「……身辺整理でもしたみたい」

「ナイズさんは術以外、何も残さなかったみたいですね」

「以前オスカーの手記にナイズという名が出ていたな。寡黙な男だった様だが」

 ソウゴ達は拳サイズに開いた壁の所に行き、中に入っていたペンダントを取り出した。今まで手に入れた証と少々趣が異なる意匠を凝らしたサークル状のペンダントだ。それにソウゴが眼魔紋を走らせ、現れた眼魂をウォッチに変換する。

 

 

「……さて、目的は達成した訳だが」

「……脱出方法、どうするの?」

「考えがあるんですよね?」

 ソウゴは二人の視線を受けながら脱出方法を話す。

「ただ脱出するだけなら一番手っ取り早いのは、貴様等二人を抱えて私が出口まで行く事だろうな」

「……ん。確かに」

「それが一番確実そうですねぇ」

 賛同する二人に対し、ソウゴは指を立てて制止する。

「まぁ待て。今言ったのは、『ただ脱出するだけなら』だ。先も言ったが我々はこのままエリセンに向かう、故に向かうべきは『下』だ」

 

「「下?」」

 

 ソウゴの言葉にユエとシアは揃って疑問符を浮かべる。二人に向けて、ソウゴは下方を指差して説明する。

「先程少し覗いてみたのだが、どうやらここのマグマの底にある抜け道を通るとエリセン近郊の海底に出るらしい。そこでここは、"神威"で貴様等を異空間に収納して私が潜る事にした」

 そんなソウゴの言葉に、二人は唖然とする。

「……それはつまり……泳ぐ? マグマの中を?」

「えっと、正気ですか?」

「私は至極真面目に言っているのだが」

 未だ信じられない様な表情を浮かべる二人を他所に、ソウゴは"万華鏡写輪眼"を発動する。

「先ずは貴様等を異空間に送る。殺風景な所だが、暫く休んでいろ」

 

 その言葉と共に、ソウゴの眼を中心に発生した渦の中に引き込まれる二人。

 そして二人を収納した事を確認したソウゴは、"万華鏡写輪眼"を解除し部屋を出る。すると視界に広がるのは、赤々と熱を発するマグマの海。

 ソウゴは軽く準備運動をし、躊躇い無くマグマの中に飛び込んだ。

 

(気分は熱めの浴槽に入った様だな……)

 

 とてもマグマの中にいるとは思えない程呑気な感想を抱くソウゴ。その身はおろか、身に纏う物すら燃える気配も無い。その粘性を気にした様子も無く、ソウゴは目当ての抜け穴目掛けて進んでいく。

 

 

 ほんの四、五秒で穴の前まで到達したソウゴは、そのまま凄まじい速度でその穴を潜っていった。

 

 

 

 

 一方。マグマ溢れる地下道をソウゴが着衣水泳していた頃、赤銅色の砂が吹き荒ぶ【グリューエン大砂漠】の上空をフラフラと飛ぶ影があった。

 

 

 言わずもがな、竜化状態のティオである。

 

 

『むぅ、ご主人様は無事…………であろうな、うむ。負ける姿が全く思い浮かばないのじゃ。案外もう終わらせてエリセンに向かっとるかもしれんのぉ、妾も共に行きたかったが……いや、気持ちを入れ替えるのじゃ! 当初の目的を思い出せ、静因石を届ける事が最重要だった筈じゃ。それにミュウ達への伝言も頼まれておる、信頼の証と捉えねば!』

 

 あれやこれや思いつつも飛ぶ事数十分、漸く前方にアンカジの姿が見えてきた。これ以上飛行を続ければ、アンカジの監視塔からもティオの姿が見えるだろう。ティオは一瞬竜化を解いて行くべきかと考えたが、恐らく今後ソウゴの旅について行くなら竜化が必要な場面はいくらでもあるだろうと考えて、すっぱり割り切る事にした。

 

 隠れ里はそう簡単に見つかる事は無いし、万が一見つかっても竜人族はそう簡単にやられはしない。それに、五百年前の悪夢が襲いかかったとしても、ティオが助けを求めればきっとソウゴは力を貸してくれる筈である。本人も自覚しているが、ソウゴは身内には甘いのだ。

 

 

 そんな考え事をしている内に、遂にアンカジまで数キロの位置までやって来た。見れば、監視塔の上が何やら非常に慌ただしい。勘違いで攻撃を受けても面倒なので、ティオは入場門の方へ迂回し少し離れた場所に着地した。

 ズドオオン!! と、砂塵を巻き上げながら着地したティオの下へ、アンカジの兵士達が隊列を組んでやってきた。見れば、壁の上にも大勢の兵士が弓や魔法陣の刻まれた杖等を持って待機している。

 濛々と巻き上がる砂埃が風に攫われて晴れていく。兵士達が緊張にゴクリと喉を鳴らす音が響く。しかし、砂埃が晴れた先にいるのが黒髪金眼の美女だと分かると、一様に困惑した様な表情となって仲間同士顔を見合わせた。

 

 そんな混乱する兵士達の隙間を通り抜けて、一人の少女が飛び出す。ティオと同じ黒髪の少女……香織だ。

 

 後ろから危険だと兵士達やビィズが制止の声をかけるが、まるっと無視して猛然とティオの下へ駆け寄った。

 監視塔からの報告があった時点で、香織はティオが竜人族であると知っていた為ソウゴ達が帰ってきたと察し、急いで駆けつけたのだ。

 

「ティオ! 大丈夫!?」

「むっ、香織か。うむ、ちと疲れたが大事無いのぉ」

 

 あっけらかんとしたティオの表情から本当に心配ない事を察すると、香織は肩の力を抜いて安堵の笑みを浮かべる。そしてキョロキョロと辺りを見回し、次第に不安そうな表情になった。

「ティオ……あの、ソウゴくん達は? 一人なの?」

「落ち着くのじゃ、香織。全部説明する。まずは後ろの兵達を落ち着かせて、話せる場所に案内しておくれ」

「あっ、うん、そうだね」

 背後で困惑にざわつく兵達に今更ながらに気がつき、香織は不安そうな表情をしながらも力強く頷いた。ティオが困った様な笑顔を浮かべていた事も、落ち着きを取り戻した要因だ。

 

 香織はビィズや駆けつけたランズィ達の下へ戻り、事情説明をしながらティオを落ち着いて話の出来る場所に案内した。

 

 

「それじゃあ、ソウゴくん達は……」

「うむ、後に合流する筈じゃ。……どうやらあの魔人族の男では役不足だった様での、暴れ足りんというか……兎に角ご主人様にとって満足出来る相手ではなかったのじゃろうな」

 

 

 【グリューエン大火山】で何があったのかを聞いた香織は、呆気に取られた顔で背凭れに体を預ける。ソウゴの破天荒さというか、その無敵ぶりにはただ圧倒される。安堵で体から力が抜けるのを感じる。

 しかし、先にランズィ達に渡しておいた大量の静因石が粉末状にされ患者達に配られている頃だと判断し、衰弱した人々を癒す為に再びグッと力を入れて立ち上がった。

 

 その後、宮殿で領主の娘であるアイリー(十四歳)に構われているミュウとも合流し、事情説明が行われた。ソウゴパパがいない事に泣きべそを掻くミュウだったが、ソウゴパパの娘はそう簡単に泣いたりしないとティオに言われて、頬をプクッと膨らませながら懸命に泣くのを堪えるという事があった。

 

 

 ミュウは海人族ではあるが、"神の使徒"たる香織の連れである事と少し関われば分かってしまうその愛らしさに、アンカジの宮殿にいる者達はこぞってノックアウトされていたらしく、特にアイリーに至っては病み上がりで外出禁止となっている事もあり、ミュウを構い倒している様だ。

 

 ティオが竜人族であるという事についても、ランズィ達は思うところがある様だったが、命懸けで静因石を取ってきてくれた事から公国の恩人である事に変わりはなく、そう大きな騒ぎにはならなかった。

 

 

 そして香織達は患者達を次々と癒して必要な処置を施した後、ソウゴの伝言に従って【海上の町エリセン】へと向かう事にした。

 ランズィや熱っぽい眼差しで香織を見つめるビィズに見送られながら、竜化したティオの背に乗って香織達は西の空へと飛び立った。背後で盛大な感謝や香織を称える人々の声が砂塵をものともせず響き渡る。

 

 香織は再び逸れてしまった愛しい人を想い、真っ直ぐ前を向いた。

 

 

 

 

 香織達が【海上の町エリセン】を目指して旅立った頃、【ハイリヒ王国】では光輝達が訓練に明け暮れていた。

 

 

 と言っても、それは実力を向上させる為のものというよりは、【オルクス大迷宮】で突き付けられた現実的問題──戦争に突入した場合に、果たして自分達は"人を殺す"事が出来るのか、という心の問題を解決する為の迷走じみた我武者羅なものだった。

 

 

 実戦ですらない"訓練"如きでその様な大きな問題が解決する事など出来る筈も無く、当然の事として光輝達に進捗は見られなかった。

 ある意味現実逃避とも言える事を、本人達も自覚している。故に焦燥は募り、しかし踏み出す事も出来ず、彼等の心には鬱屈としたものが日々溜まっていく状態だ。

 ましてや、自分達を率先して率いてくれていた勇者がその様な状態の筆頭格であるから、必然居残り組の生徒達のストレスも相当溜まっている様だった。

 

 そんな暗い雰囲気の漂う王宮の片隅──訓練時間も終わった上、普段から殆ど使用されていない別の訓練場に、短くも鋭い呼気が響いた。

 

「はっ、疾っ!」

 

 併せて、宙に無数の剣閃が走る。綺麗な黒色の円を描くそれは、しかし残像が消えるよりも早く微かな音と共に鞘へと納められる。刹那、再び抜く手も見せずに抜刀される。

 空間そのものを引き裂く様な鋭い斬撃。それが振るわれる度に、少しだけひゅるんと揺れるのはポニーテールの毛先だ。

 

 誰もいない訓練場でただ一人。贈られた漆黒の刀を振り続けるのは、クラスの良心にして他の追随を許さない苦労人こと、八重樫雫その人だった。

 

 雫は連続して繰り出していた抜刀術を止めると、一度ゆっくりと深呼吸して瞑目した。

 脳裏に浮かぶのは一人の女。赤い髪に浅黒い肌、自分達を壊滅まで追いやった人間族の宿敵。数多の魔物と、土属性の強力な魔法を操る魔人族。

 自分を殺しかけた女の事だ、イメージは鮮烈過ぎる程明確。抜刀体勢のまま、そっと添えられた右手は無意識の内に震えを帯びた。

 

(斬る、必ず斬る、斬らないと、殺さないと、今度こそ仲間が殺されるっ!!)

 

 必死に己を叱咤する。あの時は奇跡が起きた。まるで物語の様な救いがあった。だが、そんな奇跡が何度も続く訳が無い。そんな不確定なものに縋ってはならない。そうでなければ、今度こそ自分は大切なものを失う。

 だから、

 

「ッ、ハアッ!!」

 

 気合一発、殺意を乗せた斬撃が放たれる。イメージの中の女魔人族を、雫は確かに斬った。だが、それだけでは止まらない。一瞬顔を出した自分の弱気が、剣閃を鈍らせたという自覚がある。敵の傷は浅い、甘えは許されない。故にもう一撃。

「セアァッ!!」

 返す刀。幻想の中の女魔人族を、今度こそ切り捨てた。直後、

 

「うっ、ぁ……」

 

 僅かな呻き声が上がる。雫は慌てて訓練場の隅に走ると、そこで胃から込み上げてきたものを吐き出した。

「ぅ! はぁ、はぁ、……まったく。訓練する度にこれじゃあ、食事が勿体ないわね。かと言って見た目も味も適当過ぎる栄養食ばっかりじゃ、人として駄目になりそうだし……」

 大きく溜息を吐くと、雫はそんな独り言を呟いて苦笑いを浮かべた。

 そうして、水筒や用意してもらったサンドイッチが置いてある木陰へフラフラと歩きだす。訓練をすればこうなる事は分かっていた。食欲は無くても、吐き出したなら補給しなければ体が保たない。無理をしてでも補給は必要だ。

 訓練場の外れに並んだ木の根元に腰を下ろし、先ずは水を一杯。しっかり冷やしてある水が、火照った体と苦い口の中をさっぱりとさせてくれる。

「はぁ……」

 知らず溜息が漏れる。視線は陽の落ちかけている西の空を見上げている。すっかり夕暮れ時だ。

 

 するとふと、雫は以前何処かで聞いた地球の事柄を思い出す。

 

 家族から教わったのかテレビで知ったのか、はたまた教師や級友のこぼれ話だったか。

 

 

 

 ──日の落ちる夕暮れ時は、人ならざる者達が現れる。不思議も怪異も、地に紛れる落陽を門にやって来る。

 

 

 ──故にその時間を……"逢魔ヶ時"と呼ぶのだと。

 

 

 

 その時、不意に鳴き声が響いた。

 

「にゃ~」

「え?」

 驚いて視線を落とせば、そこにはいつの間にか栗毛色の猫がいた。姿形は地球と同じ。トータスにも存在する普通の猫だ。

「あなた、何処から入って来たの?」

 ここは王宮。高い壁と堀、そして背後の山が鉄壁を約束する場所。猫の子一匹入れる筈が無い。雫がそっと手を伸ばしてみれば、猫は警戒する様子も見せずされるがままに撫でられる。栗毛は艶やかで、よく手入れされているのが分かった。

「どこかの貴族の飼い猫かしらね。ご主人のところから逃げて来たの?」

「うにゃぁ~」

 首筋をなでなで。猫はゴロゴロと喉を鳴らして雫に擦り寄った。雫の“撫で”がお気に召したらしい。自分に甘えてくる栗色の猫に雫は、

 

「……か、可愛い」

 

 だらしなく頬を緩めた。先程までの殺伐とした空気も沈んだ気持ちも霧散し、"ごろにゃ~ん"する猫に夢中になる。

 疲れているのだろう。クールビューティで通っており、貴族の令嬢からは"お姉様"等と呼ばれる雫は──禁忌に手を出した。

 

「可愛いにゃ~。でも、飼い主さんから逃げてくるなんていけない子にゃ、そんな子は、雫さんがお仕置きしちゃうにゃぁよぉ~」

 

 そう、禁忌"猫語で会話しちゃう"だ。格好いい雫しか知らない令嬢達が今の雫を見たら、きっと己の正気を疑うか……鼻から幸福感を垂れ流して血の海に沈む事だろう。

 "動物会話"のスキルがある訳でもないのに、にゃんにゃん言いながら人懐っこい猫を愛でに愛でまくる雫。

 

 大切な事なのでもう一度。──雫は、疲れているのだ。

 

 暫く撫でられるままだった猫は徐に歩き出すと、サンドイッチが入ったバスケットに鼻をつけてふんふんと嗅ぎ出した。

「どうしたのにゃ? サンドイッチが欲しいにゃ?」

 猫は視線で訴える。「超欲しいにゃ」と。

 可愛らしいおねだりに、雫はデレる。デレデレにデレる。勿論拒否などしない。ただ用意したサンドイッチは、そのままでは大きすぎて猫が食べるには適さない。

「ちょっと待つにゃ~、今雫さんが切り分けてあげるにゃ~」

 手で千切れよ、とツッコミを入れる者はこの場にいない。そして、想像とはいえ人を斬った刀で食品を切ろうとする事にツッコむ者もいない。

 

 三度目だが敢えて言おう、しずにゃんは疲れているのだ。

 

 猫さんにいいところを見せちゃった、と思っているらしい雫はキメ顔で言った。

「また、つまらぬ物を斬ってしまったにゃ」

 そしてキメ顔のまま振り返り──

 

「……」

「……」

 

 目が合った。猫とではない、生暖かい眼差しをした……リリアーナ王女と。

 キメ顔のまま固まる雫。無言の王女様。静寂が場を支配する。いつの間にかサンドイッチが一つ無くなっていて、猫の姿も無い。

 ひゅるりと風が吹き、そして沈黙が破られた。

「……つまらぬ物を、斬ってしまったですにゃ?」

 王女様が尋ねる。しずにゃんの返答は、

 

 

 

「う……うにゃああああああああああああっ!?」

 

 

 

 勿論、猫語の絶叫だった。

 

 

 

 

 

 雫は気づいていなかった。先程の猫がいつの間にか、その目を紫色に変化させていた事に。

 二人は気づいていない。猫が鴉に姿を変え、何処へともなく飛び去って行った事を。

 

 

 

「見ないでぇ、こんな私を見ないでぇ! いっそ殺してぇ!」

「ま、まぁまぁ。いいじゃないですか……フフ、とっても可愛かったですよ雫」

 訓練場の片隅で、羞恥で崩れ落ちている雫。リリアーナはそんな彼女の傍らに腰を落とし、クスクスと笑いながら慰めている。

 

 雫の復活には暫く時間がかかった。どうにか精神を立て直した雫は、少し恨めしそうな眼差しでリリアーナに尋ねる。

「それで? リリィはどうしてここに? こんな人気の少ない訓練場に態々来るなんて、私に用があったのでしょう?」

 その言葉に、リリアーナは少し表情を引き締めて口を開いた。

「用があったのは確かですが、……光輝さん達の傍に姿が見えなかったもので」

 どうやら、仲間と一緒にいなかった事で心配をかけたらしい。雫はリリアーナの心遣いに笑みを浮かべる。

「心配してくれたのね、ありがとうリリィ。でも、私は大丈夫よ?」

「ですが……どうしてこんな所で、それも一人で……」

 

 無性に一人になりたい時がある──そんな言葉を、雫は悟られぬ様グッと呑み込んだ。だが、幼い頃から権力者同士の権謀術数を相手取ってきたリリアーナ相手には誤魔化し切れなかったらしい。

 

「雫、貴女は無理をし過ぎです。国の為に頼っている私が言うのは、烏滸がましいかもしれませんが……」

「烏滸がましいなんて思ってないわよ。私達の為にリリィがどれだけ心を砕いてくれているか、私達はよく知っているんだから。それに、私も無理なんてしてないわ。ただ……今の光輝達は色々複雑だから、時にはこうして距離を取る事も必要なのよ」

 リリアーナには、その言葉が全てだとは到底思えなかった。だが「大丈夫」と笑顔で言い切る雫に、これ以上は逆に困らせるだけかと思い話題を転換する事にした。

「やはり、光輝さん達は相当参っていますか?」

「そうね、オルクスでの敗戦はそう簡単に割り切れないでしょう。特に光輝に関しては、香織の事もあるから」

 想い人と旅立っていった親友を想い、雫は西の空を眺める。

「寂しいですか?」

 雫の横顔に寂寥を感じた訳ではない。ただなんとなく、その眼差しに感じるものがあってリリアーナはそう尋ねた。

「別に、寂しくはないわよ? ここにいなくても香織とは繋がってる、そう信じているし。……それに、こうして探しに来てくれる心配性なお姫様もいるしね?」

 ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべながらそんな事を言った雫に、リリアーナは思わず雫の"妹"を自称する者達と同じ様に頬を染めてしまった。

「流石、皆のお姉様」

 そう言った途端、雫がリリアーナの頬をむにぃと摘んだ。お姉様呼びに対するお仕置きらしい。きっと自称"妹"達からすればご褒美だろう。リリアーナの耳に「妬ましいぃ! 羨ましいぃ!」という令嬢達の怨嗟の声が響いた。

 

 

「それで? 肝心の用の方は何だったの?」

 自分の話題はもう十分だと、雫がリリアーナに当初の用件を尋ねる。頬摘みの刑を受けたリリアーナは、先程とは別の意味で頬を染めながら答えた。

「魔人族の変化と、常磐さんの事です」

「やっぱりその話ね。それで、陛下や教会側は何て?」

 【オルクス大迷宮】より帰還してから今まで、王宮は相当荒れていた。無理もない話だ。雫達の報告によれば、魔人族は強力無比な魔物の軍勢を保有しつつあり、勇者パーティが一度は敗北したというのだ。人間族滅亡の危機である。

 

 同時に、人間族の希望となる筈だった勇者をして追い詰められた相手を理不尽とも言うべき圧倒的な力を以て駆逐したソウゴの事も、王国と教会を騒がせた原因だった。

 

 早馬により、【ウルの町】での事件については簡単な報告はなされている。だが、事が事だけに誰もが半信半疑だったのだ。【オルクス大迷宮】での事件は、その疑いを晴らすに足るものだった。

 

 

 嘗て"無能"と呼ばれていた男の圧倒的な力の秘密も、"聖剣"を容易く凌駕する未知のアーティファクト群も、魔人族の脅威から人間族を救い得る可能性が多分にある。興味を抱かずにはいられないもの。

 

 にも拘わらず、当の本人は帰還するどころか独自に行動しており、剰え自分の意にそぐわないなら王国や教会を滅ぼすと脅したという。

 

 

 当然、上層部からすれば面白くないどころか腸の煮えくり返る話であり、その処遇についてどうするべきかはここ数日の話題の種だった。正に『会議は踊る、されど進まず』という状態だったのだ。

 そんな状況にも遂に終わりが来て何らかの結論が出たのと期待した雫だったが、リリアーナは珍しくも溜息を吐きながら頭を振った。

 

「結論という程のものは何も出ていません。魔人族に関しては、一刻も早く勇者──光輝さん達に対抗出来る力をつけさせろとか、魔物の大群を操れる生徒がいたなら他にもいるかもしれないから天職を調べ直そうと、そういう話ばかりです。……問題は実力よりも心の方にあるというのに、教会の方々はそれが分からないのです。『神の使徒に選ばれておいて、何故敵を討つ事に悩むのか?』、『何故与えられた使命に喜びを感じないのか?』と」

 リリアーナとて聖教教会の敬虔な信者だ。その彼女が教会の人間に対しその様な物言いをする事に、雫が不思議そうな表情をする。

 雫の疑問を察して、リリアーナは苦笑いを浮かべた。

 

「現実的問題に対して、思想や感情を切り離すのは得意ですから」

 

 王女の神髄此処に見たり。まだ十四歳という年齢を考えると、雫としては微妙な表情をせざるを得ない。

「まぁそうは言っても、教会の方々も以前はここまで極端ではなかったと思うのですが……やはり、余裕が無くなってきているのかもしれませんね。兎に角、教会側から無理のあるアプローチがなされるかもしれません。光輝さん達が不安定な今、何が切っ掛けで危ない方向へ転がるか分かりませんから、一応事前に話しておこうと思った訳です」

「そういう事ね……うん、分かったわ。ありがとうリリィ」

 心構えが有るのと無いのでは全く違う。事前に知っていれば、何か吹き込まれてもある程度は受け流して自分の頭でしっかり考えられるだろう。

「それで……常磐君については?」

 雫の質問に、リリアーナは一瞬だけ言葉に詰まった。雫の中に嫌な予感が過る。そして、その予感は当たっていたらしい。

 

「常磐さんに、異端者認定の話が出ました」

「……冗談、ではないのね」

 

 リリアーナの言葉に、雫は思わず天を仰いだ。何なら両手で顔を覆ってしまった。

 

 

 

 ──異端者認定。

 

 全ての人間に、法の下の討伐が許されるという教会の有する強力な権力の一端。神敵であるが故に、認定を受けた者に対しては何をしても許される。また、認定を受けた者に対する幇助目的の一切の行為が禁じられる。それは即ち、この世界で生きる事を許さないという決定だ。

 以前されたその説明を思い出し、雫は思わず背筋が凍り付いた。

 

 

 それはつまり、あの常磐ソウゴに、勇者である光輝を一撃で生死の境に送り込んだあの男に、正当防衛という名の反撃の口実(・・・・・・・・・・・・・・)を与えるという事だ。

 雫は【オルクス大迷宮】での極短い邂逅で、少なくとも直感出来た事が一つある。

 

 

 常磐ソウゴは、戯れに街や国を滅ぼせる程の力を持っていると。

 

 

 もし本当に異端者認定されたなら、討伐隊も派遣されるだろう。そうなればその急先鋒に抜擢されるのは十中八九自分達だ。つまり、あの圧倒的な力が一切容赦無く自分達に向けられるという事だ。

 

 それを思い、雫は無意識の内に全身の血の気が引くのを感じた。

 

「あくまでそういう話が出たというだけです、まず認定が下される事はありませんよ。『教会に従わないから』なんて理由で発令される程、軽い認定ではないのです。ただ、人の口は決して閉ざせないもの。会議の中での勢い余った発言であったとしても、一度そういう話が出たという噂は流れるかもしれません。そして異端者認定の候補に挙がったというだけで、常磐さんに対する認識はあまりいいものにはならないでしょう」

「……つまり、"流されるな"と言いたいのねリリィは」

 頭の中を駆け巡る最悪の未来を片隅に追いやり、雫は冷静に返す。

「はい。人間族存続の危機ですから、発言が過激になるのはやむを得ない面もあります。そのせいで、そういう話が出たというだけです。雫達がこの話を耳にしても、どうかそれぐらいの認識でお願いしますね。常磐さんに対してどういう方針を取るべきかは、愛子さん達が帰ってきて報告を聞いてからになります」

 真剣な眼差しでそう忠告するリリアーナの真意を、雫は正確に読み取った。リリアーナは、ソウゴが戻ってきた時の居場所を守ろうとしているのだ。ソウゴ自身の為、という事もあるだろうが、一番は彼に付いていった香織の為だろう。親友の下に戻っても、そこに想い人の居場所が無いというのは、きっと辛い事だ。

 

 ……まぁ、あの傲岸不遜を絵に描いた様な男だ、自分の居場所ぐらい力づくで作る事も出来るだろうが。

 

 それはさておき。

「本当に、ありがとうリリィ」

 雫は親愛の情をたっぷりと込めて礼をした。

「……神の御意志とは言え、こちらの事情に巻き込んでいるのです。出来る事ぐらいはしませんと、それこそ神に顔向け出来ません。それに……雫も香織も、私の大切なお友達ですから」

 そう言ってリリアーナは、少し照れた様に顔を背けた。雫は思わずリリアーナを抱き締めて、「お友達じゃなくて親友でしょ!」と訂正する。リリアーナの頬は真っ赤に染まった。

 

 その後、話し合う事を話し合った二人は、ガールズトークへと突入した。王女という立場のリリアーナと、クラス一の苦労人という立場の雫は、互いに気苦労が絶えない。それ故に、友達同士の何でもないお喋りの時間というのが何よりも心癒す一時だったのだ。

 

 但し。二人が楽しむ代償として、幾人かの尊厳が犠牲になっていたりする。

 例えば、香織に恋心を抱いていたランデル殿下がショックで寝込んだ挙句、ここ最近は毎晩リリアーナに泣きついてくるという話。

 そのランデル殿下が復活したと思ったら、いきなり光輝の下へ行き「香織を取られるとは何たる体たらく! 男として恥ずかしくないのか!?」などと叫び、光輝が胸を押さえて四つん這いになった話。

 自分の言葉がブーメランになって返り、同じ様に四つん這いになったランデル殿下の話。

 

 いずれも本人達が聞いたら、数日は寝込むだろう黒歴史な話。

 

 そしてソウゴの話。

 もし本人が聞いたら「こんな年寄りを話題にして何が面白い?」と首を傾げそうだが、それを想像した雫は思わず笑いが込み上げる。

 

 生のガールズトーク。それは、古来よりこの世の知るべきではない事柄の一つ。男子禁制の秘密の花園(アンダーローズ)なのだから。

 

 

 

「それでは雫、私は戻りますね。本当に無理をしては駄目ですよ?」

「えぇ、分かってるわ。今日は私も部屋に戻る。色々ありがとう、リリィ」

 日もとっぷりと暮れ、夜の帳が降り始めた頃。漸く犠牲を強いるお喋りに区切りをつけた二人は、互いに少しはストレスが発散された様な朗らかな笑みを浮かべ合った。

 

 廊下の分かれ道まで来て、自室へ戻るリリアーナの背を見送る雫。暫く、異世界で出来た優しい親友の王女様を見つめる。そしてどこか暖かい気持ちを抱きながら、雫自身も別の廊下へと一歩を踏み出して——

 

 

「ッッッ!!?」

 

 

 一瞬、背筋に氷塊を流し込まれた……様な気がした。

 黒刀に手をかけ、抜刀体勢で振り返る。油断無く視線を巡らせるが、そこには王宮の明かりと薄暗い廊下しかない。

「気のせい、かしら……?」

 息を殺して気配を探るが、結局周囲には何も無い様だった。警戒態勢を解いた雫は、「リリィの話で私も少しナーバスになっているのかも……」と自己診断して溜息を吐いた。

 踵を返して雫は歩みを再開する。仲間の下へと戻るその足は、いつもより少し足早だった。

 

 まるで、何かに追い立てられる様に。

 

 

 

 

 

 

 そんな雫の背を、一匹の鴉が見つめていた。

 

 




次回、ソウゴの家族について言及があるかも?


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第二十話 ジオジオの愉快な海底探索

積尸気使いなら余裕だって(作者は牡羊座)。

後半ちょっと駆け足気味でしたね。



 

 見渡す限りの青。

 

 空は地平の彼方まで晴れ渡り、太陽の光は燦々と降り注ぐ。しかし、決して暑すぎるという事は無く、気候は穏やかで過ごしやすい。時折優しく吹く微風が何とも心地いい。ただ、周囲をどれだけ見渡しても何一つ"物"が無いのは少々寂しいところだ。

 

 尤も、それも仕方の無い事だろう。何せ、ここは大海原のど真ん中なのだから。

 

 そんな大海のド真ん中で、ぷかぷかゆらゆらと波間に漂うのは一隻の小舟だ。

 

 

 言わずもがな、乗っているのは【グリューエン大火山】のマグマの中をあろう事か悠々と泳ぎ、浮上と同時に木遁でこの小舟を造ったハイスペック老魔王ことソウゴである。

 

 

 そんな波間に浮かぶ小舟から釣り竿を垂らし、大自然を目一杯堪能しているソウゴ。既に幾つかの釣果を得ており、ソウゴの背の向こうには秋刀魚や鯖に似た魚が積み上げられている。そこから一匹ずつ手に取り、"モーフィングパワー"で適度に火を通してつまむ。

 

 因みに。ソウゴに同行していたユエとシアは未だソウゴの瞳術"神威"の異空間にいる為、ソウゴは火を通した魚を時折異空間に送っている。

 

「……そろそろ甘味が欲しいところだな」

 

 ソウゴがそう溢しながら、宝物庫から適当な果実を取り出し齧る。暖かな日差しと揺り籠の様な小波に揺られているソウゴからは、ここに至るまでの経緯など一切予想出来なかった。

 

 

 

 【グリューエン大火山】で小石に躓く様なトラブルを解決した後、マグマに飛び込んだソウゴ。その後は特にトラブルも無く、程なくしてソウゴは何処かの海底に飛び出した。

 そのまま海面に浮上しようとしたソウゴだったが、そこで大火山以来のトラブルが発生する。海の魔物達が襲い掛かってきたのだ。

 

 巨大な烏賊擬きに、竜巻を纏う鮫擬きの群れ、角が回転するカジキマグロに、機雷の様に糞を撒き散らす亀等。

 

 いずれも一流の冒険者でも苦戦する魔物だったのだろうが、生憎目の前にいるのは"アルテミット・ワン"とも称される男。その悉くが一瞬で海の藻屑となっていった。

 

 

 

 ……という経緯を特に思い出す事も無く、ソウゴは念動力で小舟を進める。時折襲ってくる魔物を腹に収めつつ、進む事丸一日。満天の星の下走り抜け朝日が世界を照らす頃、遂にソウゴの視界が陸地を捉えた。

 

 昨夜に見た星の位置からすれば、ソウゴ達のいる場所はエリセンの北である。なので後は陸地を左手側に南下すれば、少なくともエリセンと【グリューエン大砂漠】を繋ぐ港が見えてくる筈だ。

 進行方向を微調整しつつ、ソウゴは南へ小舟を進める。

 

 そして太陽が中天を越えた頃。ソウゴは傷まない様に凍らせていた魚を解凍調理し、波に揺られながら昼食をとっていた。確りユエ達二人の分も忘れず調理し、"神威"で異空間に送る。

 するとその時、少し飽きを覚え始めた魚の丸焼きを供に酒を呷っていると、不意に魚や魔物とも違う気配を感じ視線を動かした。

 

 直後、小舟を囲む様にして複数の人影が現れた。「ザバッ!」と音を立てて海の中から飛び出した人影は、三叉槍を突き出してソウゴを威嚇する。

 

 数は二十人程、その誰もがエメラルドグリーンの髪と扇状の鰭の様な耳を付けていた。どう見ても海人族の集団だ。彼らの目は、いずれも警戒心に溢れ剣呑に細められている。

 その内の一人、ソウゴの正面に位置する海人族の男が槍を突き出しながら問い掛けた。

 

「お前は何者だ? 何故ここにいる?」

 

 ソウゴは一瞬を目を向けつつ、昼食を続ける。敵対するつもりは無いのだが、ソウゴは食事の邪魔をされるのを嫌う。その為、ソウゴは早く食事を終わらせる事にした。

 

 

 ソウゴとしては至って真面目に接しようとするつもりなのだが、どう見ても槍を突きつけられ包囲までされているのに余裕の態度で食事を優先している太々しい奴にしか見えなかった。

 

 尋問した男の額に青筋が浮かぶ。どうにもただ海にいる人間を見つけたにしては殺気立ち過ぎている様に思える。その事に疑問を抱きつつも、尚もソウゴは食事の手を止めない。

 

「食事中だ、食べ終えるまで待て」

「黙れ!さっさと我々の質問に答えろ!」

 

 まるで苦情を訴える様な物言いで答えるソウゴに、そう怒鳴り返す男。妙に殺気立っている事もあり、舐めた態度を取るソウゴ(海人族にはそう見える)に答えさせたいという意地の様なものもあるのだろう。槍の矛先が勢いよく突き出された。

 

 突き出された槍は、躱さなければ浅く頬に当たっている位置だ。恐らく少し傷を付けて警告しようとしたのだろう。やはり、少々やりすぎ感がある。以前読んだ文献では、海人族はこれ程苛烈な種族では無かった筈だ。

 

 結果として、その一撃はソウゴを傷つける事は出来ず、その手に持った焼き魚を弾くのみだった。

 

 

 そしてそれが、彼等の運命を決めた。

 

 例えどんな事情があろうと、それは完全に悪手だった。

 

 

 彼等は知らぬ事だろうが、ソウゴ(と王妃や子供達もだが)は彼等の想像する以上に食事の邪魔をされるのが嫌いなのだ。それはもうかなり、とても、物凄く、恐ろしい程。

 その上彼等は、ソウゴが決して破ってはならない禁として定めている"食べ物を粗末にする"行為をしてしまった。

 

 

 結果、一瞬にして槍を向けた男の上半身が消し飛んだ。

 

 

 唖然とした表情で、音も無く海底に沈んでいく残りの下半身を見つめる海人族達。

 その彼等を視界に収めながら、ソウゴはふらりと立ち上がる。

 

「食べ終えるまで待てと言った筈だが……死にたいのなら話は別だ」

 

 その呟きと同時、空気が破裂した様な強烈な音と共にザシュッ! という肉を貫く音が響く。

 すると、海人族達の大半が突如血を吐いた。刺されなかった者達も含めて、どうやら何も知覚出来なかった様で皆が何故自分が吐血したかも分からないと困惑顔だ。だが数秒程して漸く気づいたのか、彼等は自身の胸部に違和感を覚えた。

 そして恐る恐る視線を下に向けてみれば……

 

 皆一様に、細く鋭い何かでその体を貫かれていた。

 

 その何かは、よく見れば機械で出来た虫……蜘蛛の脚の様だった。一本につき一人が刺さっており、それが計十六。その全てがソウゴの背から生えていた。その蜘蛛脚がダメ押しの様に一層深く突き刺さり、刺された者達は少し痙攣した後動かなくなる。最初は二十人いた海人族達は、ほんの一分も経たない内に三人になってしまった。

 貫いた海人族達が事切れたのを確認したソウゴは、興味を無くした様にその死体を投げ捨てる。

 その途端、

 

「……ゼ、ゼェアア!!」

 

 恐慌状態に陥ったのか、三人の内の一人が本能の警鐘に従って槍を突き出す。

 しかし槍が到達するよりも、ソウゴの掌から伸びた木の根が残る二人ごと男を圧殺する方が早かった。

 

 そしてソウゴは溜息を一つ吐き、頭を押さえながら座り込んだ。

「……歳は取りたくないものだな、どうにも気が短くなっていかん」

 そうぼやきつつ、ソウゴは再び小舟を進め始めた。

 

 

 そうして海の上を走る事一時間弱。

 

「あっ、ソウゴさん! 見えてきましたよ! 町ですぅ! やっと人のいる場所ですよぉ!」

「そう騒がずとも見えている、舟が小さいのだから揺らすでない」

 "神威"の異空間から外に出されたシアが、瞳を輝かせながら指を指し【エリセン】の存在を伝える。窘めるソウゴの目にも、確かに海上に浮かぶ大きな町が見え始めた。

 

 ソウゴは桟橋が数多く突き出た場所へ向かう。そして、来た方向から考えると有り得ない程簡素な小舟でやって来たソウゴ達に目を丸くしている海人族達や、観光やら商売でやって来たであろう人間達を尻目に空いている場所に停泊した。

 すると、すぐ傍に来た事で完全武装した海人族と人間の兵士が詰めかけてきた。予想外という訳でもなかった為、ソウゴ達は特に気にするでもなく上陸する。狭い桟橋の上なので、あっという間に包囲されるソウゴ達。

「随分大仰な歓迎だな」

「大人しくしろ。お前達を拘束する、事情を話してもらうぞ」

「我々に従う義理があると?」

「勿論だ」

 にべもない態度と言葉。ソウゴはイラっとしつつも、ミュウの故郷だと自分に言い聞かせ先程の様な浅慮を自制する。

「ここには連れとの合流序に仕事で寄っただけなんだが?」

「それが嘘でないとどう証明出来る? この町を荒らしに来た賊の可能性は否定出来まい。それに、哨戒に出ていた海人族達が戻ってこない。お前達が何かしたのではないのか?」

「知らんな。それより早く道を空けてくれ、私は今……虫の居所が悪いんだ」

 道中で全員海の藻屑にした事はおくびにも出さず、ソウゴは剣呑に目を細めた。目の前の兵士達のリーダーらしき人間族の男は、ソウゴから溢れ出る重い空気に眉を顰める。

 

 

 彼の胸元のワッペンには【ハイリヒ王国】の紋章が入っており、国が保護の名目で送り込んでいる駐在部隊の隊長格であると推測出来る。それ故に、本気でないソウゴの睨み付け程度ならぎりぎり耐えられるのだろう。海人族側の……恐らく自警団と思われる者達も、ソウゴの雰囲気に及び腰になりながらも引かない様子だ。

 

 

 ソウゴとしては、ミュウの故郷である為エリセンで問題を起こしたくはない。しかし食事の邪魔をされた事もあり、どうにも堪忍袋の緒に切れ目が入っている。今にもここにいる全員の首を刎ねかけない勢いだ。それをどうにか理性で堪えている状態なのが今のソウゴだ。その怒気はユエとシアにも伝わっており、二人は理由を知らないながらもソウゴの怒りに触れぬ様口を噤んでいる。

 

 正に、一触即発。

 

 緊張感が高まる中、ソウゴが「死体が残らなければ問題無いか」と思い全員を始末しようとしたその時、

 

「ん? 今何か……」

 

 シアがウサミミをピコピコと動かしながら、キョロキョロと空を見渡し始めた。

 ソウゴは動かしかけた手を止め、「どうした?」と尋ねる。だが、それにシアが答える前に、ソウゴにも声と気配が届いた。

 

「──ッ」

「……」

「──パッ!」

「……ほう」

「──パパぁー!!」

 

 ソウゴが空を見上げると、遥か上空から小さな人影が落ちてきているところだった。

 両手を広げて、自由落下しているというのに満面の笑みを浮かべるその人影は……

 

 

「元気そうで何よりだが……どうやらティオめ、余程無茶をしたらしいな。まさか一日で到着とは……」

 

 

 ミュウだった。ミュウがスカイダイビングしている。パラシュート無しで。

 よく見れば、その背後から慌てた様に急降下してくる黒竜姿のティオと、その背に乗ったやはり焦り顔の香織の姿が見えた。

 

 ソウゴは落ちてくるミュウを確認すると、黒炎で構成された翼を展開し飛翔する。その衝撃で桟橋が吹き飛び、兵士達が悲鳴を上げながら海に落ちたが知った事ではない。なんなら何人かの兵士がバラバラになったが知る訳が無い。

 

 一気に百メートル以上飛んだソウゴは、一度大きく炎翼を羽搏かせてミュウの落下速度を殺し、速度がゼロになった瞬間を狙って確実にミュウを腕の中に収める。

 そして、ミュウを抱きしめたまま地上へと戻る。その表情には、先程までの怒気は何処にも見られなかった。

 

「パパッ!」

 

 そんなソウゴの経緯等露程にも知らず、満面の笑みでソウゴの胸元に顔をスリスリと擦りつけるミュウ。恐らく、上空で真下にソウゴがいると教えられたのだろう。

 そして、事故かあるいは故意かは分からないが、ソウゴ目掛けて落下した。落下中の笑顔を見れば、ソウゴが受け止めてくれるということを微塵も疑っていなかったに違いない。

 だからといって、フリーフォールを満面の笑みで行うなど尋常な胆力ではない。「将来は大成するかもなぁ」と思いながら、ソウゴはミュウの頭を撫でるのだった。

 

 

「パパぁ、会いたかったのぉ!」

 ボロボロになった桟橋の近くで、幼い少女の喜色満面の声が響く。野次馬やら兵士達やらで人がごった返しているのだが、喧騒など微塵も無く、妙に静まり返っていた。

 

 それは、攫われた筈の海人族の女の子が天から降ってきた事や、人間である筈の青年が空を飛びキャッチした事、更にその上空から少女を背に乗せた黒竜が降りてきた事も原因ではあるのだろう。

「私も会いたかったぞミュウ。アンカジでは良い子にしていたか?」

「うん!」

「呵々、ならば重畳。それにしても、まさかあの高さから飛び降りるとはな。流石我が娘、あれぐらいの胆力が無ければな」

「パパにほめられたの~!」

 笑顔を浮かべるミュウと、彼女を抱き上げながら穏やかな表情で話すソウゴの姿は……普通に親子だった。ミュウが連呼する"パパ"の呼び名の通りに。

 

 攫われた筈の海人族の幼子が、単なる"慕う"を通り越して人間の青年を父親扱いしている事態に、そしてそれを受け入れてミュウを娘扱いしているソウゴに、皆意味が分からず唖然としている。内心は皆一緒だろう。即ち、「これ、どうなってんの?」と。

 

 

 ソウゴがよしよしとミュウの背中をポンポン叩いていると、漸く周囲の人々も我を取り戻した様で盛大に騒ぎ始めた。

 そんな周囲の困惑に満ちた喧騒を尻目に、ソウゴがミュウをあやしていると背後からトンと抱きついてくる感触が……ソウゴが肩越しに振り返ると、そこにはソウゴの肩口に額を当てて小刻みに震える香織の姿があった。

 

「よかった……。本当によかったよぉ~! ぐすっ」

 

 今度は、香織が泣き出してしまった。気丈に振舞っていても、内心死ぬ程不安だったのだろう。ソウゴの生存を確信していたが、それでも心配な気持ちを感じなくなる訳ではない。しかも、漸く再会出来たというのに直ぐ様二度目の行方不明だ、相当堪えたに違いない。

「すまんな、急に予定を変えて。あまりに呆気無かったんで、ついな」

「うっ、ひっぐ……」

 ソウゴは大して悪気を感じてない様な口振りで謝罪する。しかし香織は涙が止まらないのか、顔を見せない様に益々ソウゴの肩口に顔をうずめた。両手も後ろからソウゴの腹部に回されギュッと締め付けている。

 

「おいお前っ! 一体どういう事か、説めッぷげらっ!?」

「むっ? すまぬ」

 

 そんな中、先程ソウゴの飛翔の余波で吹き飛ばされ海に落ちた隊長らしき人物が全身から水を滴らせつつ、空気を読まずソウゴに詰め寄ろうとした。が、その後ろから小走りでソウゴに駆け寄ったティオ(竜化は着地と同時に解いた)とぶつかってしまい、再び海に叩き落とされた。

 大して気にもせず、ティオはソウゴの傍に寄ると、その頭を抱き抱え自らの胸の谷間に押し付けた。

「どうしたティオ、子供に戻りたくなったのか?」

「そういう訳じゃないのじゃが……やはり、こうして再会すると……暫し時間をおくれ、ご主人様よ」

 

 ソウゴが特に咎めるでもなく胸の谷間から顔を覗かせティオの顔を見れば、大切なものが腕の中にある事を噛み締める様な表情をして、目の端に涙を溜めていた。ほんの一日程度しか離れていないというのに、随分焦がれている様な顔だ。しかし今回は自分の我儘に付き合わせた結果なので、ティオの好きにさせる。

 

 そうこうしている内に、ミュウが「ミュウもギュ~する~」と言いながらソウゴの首筋に抱きつき、いつの間にか傍に来ていたユエが側面から、シアが香織とは反対側の肩口に抱き付き始めた。

 

 

 衆人環視の中、美幼女・美少女・美女を体が見えなくなるくらい全身に纏わりつかせたソウゴ。周囲の視線が、困惑から次第に生暖かなものへと変わっていく。既に殺気立っていた海人族の自警団や人間族の兵士の生き残り達も、毒気を抜かれた様に武器を下げていた。

 

「貴様等……一度ならず二度までも……! 王国兵士に対する公務妨害で捕縛してやろうか!?」

 

 再び桟橋から這い上がってきた隊長(仮)が、怒りの形相でソウゴ達を睨んだ。武器を手に、今にも襲いかかってきそうな勢いだ。一応、攫われた本人であるミュウが尋常でない位懐いている事から誘拐犯の可能性は余り考えていない様だが、それにしても理解不能な点が多すぎるので、しょっぴいて事情聴取をしたいのだろう。

 

 ミュウに関しては、元より【中立商業都市フューレン】のギルド支部長であるイルワからの正式な護送依頼であるので、ソウゴも事情説明はするつもりだった。ただ、それを平和的に証明する物が無かった訳だが、今はそれが手元にある。

 ソウゴは大迷宮で紛失しない様香織に預けていたイルワからの依頼書を取り出し、序に自らの懐からステータスプレートも取り出して隊長に提示した。

「……何だ? 今更素性など明かしても──って"金"ランクだとぉ!? しかも、フューレン支部長の指名依頼ぃ!?」

 イルワの依頼書の他、事の経緯が書かれた手紙も提出した。これはエリセンの町長と目の前の駐在兵士のトップに宛てられたものだ。それを食い入る様に読み進めた隊長は盛大に溜息を吐くと、少し逡巡した様だがやがて諦めた様に肩を落として敬礼をした。

「……依頼の完了を承認する。常磐殿」

「疑いが晴れた様で何よりだ。他にも色々尋ねる事はあるんだろうが、生憎こちらも忙しい。故に何も聞かないでくれ……一先ず、ミュウと母親を会わせたい。よいな?」

「勿論だ。しかし、先程の竜の事や貴方の先程の飛翔……王国兵士としては看過出来ない」

 先程の高圧的な態度とは一転し、ソウゴに対して一定の敬意を払った態度となった隊長は、それでも聞くべき事は見逃せないとソウゴに強い眼差しで訴える。

「ならば事が済んでから話す。……まぁ尤も、本国に知らせても無駄だと思うがな。恐らくメルド辺りが報告しているだろうからな」

「むっ、そうか。兎に角話す機会があるならいい。その子を母親の元へ……その子は母親の状態を?」

「いや、まだ知らないが問題無い」

「そうか、わかった。では、落ち着いたらまた尋ねるとしよう」

 隊長の男、最後にサルゼと名乗った彼は、そう言うと野次馬を散らして騒ぎの収拾に入った。中々職務に忠実な人物である。

 

 

 ミュウを知る者達が声を掛けたそうにしていたが、そうすれば何時まで経っても母親の所へ辿り着けそうになかったので、ソウゴは視線で制止した。

「パパ、パパ。お家に帰るの。ママが待ってるの! ママに会いたいの!」

「そうだな。早く会いに行こう」

 ソウゴの手を懸命に引っ張り、早く早く! と急かすミュウ。彼女にとっては約二ヶ月ぶりの我が家と母親なのだ、無理もない。道中もソウゴ達が構うので普段は笑っていたが、夜寝る時等にやはり母親が恋しくなる様で、そういう時は特に甘えん坊になっていた。

 

 ミュウの案内に従って彼女の家に向かう道中、顔を寄せて来た香織が不安そうな小声で尋ねる。

「ソウゴくん。さっきの兵士さんとの話って……」

「いや、命に関わる様なものではないらしい。ただ、怪我が酷いのと後は……精神的なものだそうだ。精神の方はミュウがいれば問題ない、怪我の方は詳しく見てやってくれ。手に余る様なら私が処置しよう」

「うん。任せて」

 そんな会話をしていると、通りの先で騒ぎが聞こえだした。若い女の声と、数人の男女の声だ。

 

「レミア、落ち着くんだ! その足じゃ無理だ!」

「そうだよ、レミアちゃん。ミュウちゃんならちゃんと連れてくるから!」

「いやよ! ミュウが帰ってきたのでしょう!? なら私が行かないと! 迎えに行ってあげないと!」

 

 どうやら家を飛び出そうとしている女性を、数人の男女が抑えている様である。恐らく、知り合いがミュウの帰還を母親に伝えたのだろう。

 そのレミアと呼ばれた女性の必死な声が響くと、ミュウが顔をパァア! と輝かせた。そして玄関口で倒れ込んでいる二十代半ば程の女性に向かって、精一杯大きな声で呼びかけながら駆け出した。

「ママーーッ!!」

「ッ!? ミュウ!? ミュウ!」

 ミュウはステテテテー! と勢いよく走り、玄関先で両足を揃えて投げ出し崩れ落ちている女性──母親であるレミアの胸元へ満面の笑顔で飛び込んだ。

 

 もう二度と離れないという様に固く抱きしめ合う母娘の姿に、周囲の人々が温かな眼差しを向けている。

 レミアは何度も何度も、ミュウに「ごめんなさい」と繰り返していた。それは目を離してしまった事か、それとも迎えに行ってあげられなかった事か、或いはその両方か。

 

 娘が無事だった事に対する安堵と守れなかった事に対する不甲斐なさにポロポロと涙をこぼすレミアに、ミュウは心配そうな眼差しを向けながらその頭を優しく撫でた。

「大丈夫なのママ、ミュウはここにいるの。だから大丈夫なの」

「ミュウ……」

 まさかまだ四歳の娘に慰められるとは思わず、レミアは涙で滲む瞳をまん丸に見開いてミュウを見つめた。

 

 ミュウは真っ直ぐレミアを見つめており、その瞳には確かにレミアを気遣う気持ちが宿っていた。攫われる前は人一倍甘えん坊で寂しがり屋だった娘が、自分の方が遥かに辛い思いをした筈なのに再会して直ぐに自分の事より母親に心を砕いている。

 

 驚いて思わずマジマジとミュウを見つめるレミアに、ミュウはニッコリと笑うと今度は自分からレミアを抱きしめた。体に、或いは心に酷い傷でも負っているのではないかと眠れぬ夜を過ごしながら自分は心配の余り心を病みかけていたというのに、娘は寧ろ成長して帰って来た様に見える。

 

 その事実にレミアは、つい苦笑いを溢した。肩の力が抜け涙も止まり、その瞳にはただただ娘への愛おしさが宿っている。

 

 再び抱きしめ合ったミュウとレミアだったが、突如ミュウが悲鳴じみた声を上げた。

「ママ! あし! どうしたの! けがしたの!? いたいの!?」

 どうやら、肩越しにレミアの足の状態に気がついたらしい。彼女のロングスカートから覗いている両足は包帯でぐるぐる巻きにされており、痛々しい有様だった。

 

 これがサルゼが言っていた事だ。ミュウを攫った事もだが、母親であるレミアに歩けなくなる程の重傷を負わせた事も、海人族達があれ程殺気立っていた理由の一つだったのだろう。

 ミュウはレミアと逸れた際に攫われたと言っていたが、海人族側からすれば目撃者がいないなら誘拐とは断定できない筈であり、彼等がそう断言していたのはレミアが実際に犯人と遭遇したからなのだ。

 

 レミアは逸れたミュウを探している時に、海岸の近くで砂浜の足跡を消している怪しげな男達を発見したらしい。嫌な予感がしたものの、取り敢えず娘を知らないか尋ねようと近付いたところ……いきなり襲われたそうだ。

 彼等がミュウを拐かしたのだと確信したレミアは、襲撃を必死に搔い潜りどうにかミュウを取り戻そうと何度も名前を呼んだ。しかし戦う術を持たない彼女がそう長く逃げられる筈も無く、遂には男の一人が放った炎弾の直撃を足に受けてそのまま海へと吹き飛ばされたのだという。

レミアは痛みと衝撃で気を失い、気が付けば帰りの遅いレミア達を捜索しに来た自警団の人達に助けられていたという訳だ。

 

 一命は取り留めたものの時間が経っていた事もあり、レミアの足は神経をやられもう歩く事も今迄の様に泳ぐ事も出来ない状態になってしまった。当然娘を探しに行こうとしたレミアだが、そんな足では捜索など出来る筈もなく、結局自警団と王国に任せるしかなかった。

 

 

 そんな事情があり、レミアは現在立っている事も儘ならない状態なのである。

 レミアはこれ以上娘に心配ばかりかけられないと笑顔を見せて、ミュウと同じ様に「大丈夫」と伝えようとした。しかしそれより早く、ミュウはこの世でもっとも頼りにしている"パパ"に助けを求めた。

「パパぁ! ママを助けて! ママの足がいたいの!」

「えっ!? ミ、ミュウ? 今、なんて……」

「パパ! はやくぅ!」

「あら? あらら? やっぱり、パパって言ったの? ミュウ、パパって?」

 混乱し、頭上に大量の"?"を浮かべるレミア。

 

 

 周囲の人々もザワザワと騒ぎ出した。

 あちこちから「レミアが……再婚? そんな……バカナ」「レミアちゃんにも、漸く次の春が来たのね! おめでたいわ!」「ウソだろ? 誰か、嘘だと言ってくれ……俺のレミアさんが……」「パパ…だと!? 俺の事か!?」「きっとクッ○ングパパみたいな芸名とかそんな感じのやつだよ、うん、そうに違いない」「おい、緊急集会だ! レミアさんとミュウちゃんを温かく見守る会のメンバー全員に通達しろ! こりゃあ、荒れるぞ!」等、色々危ない発言が飛び交っている。

 

 どうやらレミアとミュウは、かなり人気のある母娘の様だ。レミアはまだ二十代半ばと若く、今はかなり窶れてしまっているがミュウによく似た整った顔立ちをしている。復調すればおっとり系の美人として人目を惹くだろう事は容易く想像できるので、人気があるのも頷ける。

 

 

 刻一刻と大きくなる喧騒を、ソウゴは鬱陶し気に手を振りつつ無視して進む。

「パパぁ! はやくぅ! ママをたすけて!」

 ミュウの視線ががっちりソウゴを捉えているので、その視線を辿りレミアも周囲の人々もソウゴの存在に気がついた様だ。

「パパ、ママが……」

「そう急くなミュウ、ちゃんと治る。だから泣くな」

「はいなの……」

 ソウゴが泣きそうな表情で振り返るミュウの頭を撫でながら、視線をレミアに向ける。レミアはポカンとした表情でソウゴを見つめていた。

無理もないかと思いつつも、ソウゴの登場で益々騒ぎが大きくなったので、治療の為にも家の中に入る事にした。

「悪いが中に入れてもらうぞ」

「え? ッ!? あらら?」

 ソウゴはヒョイッと全く重さを感じさせずにレミアを抱き上げると、ミュウに先導してもらいレミアを家の中に運び入れた。レミアを抱き上げた事に背後で悲鳴と怒号が上がっていたが無視だ。当のレミアは、突然抱き上げられた事に目を白黒させている。

 

 

 家の中に入るとリビングのソファーが目に入ったので、ソウゴはレミアをそっと下ろした。そしてソファーに座り、ソウゴの事を目をぱちくりさせながら見つめるレミアの前に傅き、香織に見せる。

「どうだ?」

「ちょっと見てみるね……レミアさん、足に触れますね。痛かったら言って下さい」

「は、はい? えっと、どういう状況なのかしら?」

 突然攫われた娘が帰ってきたと思ったら、その娘がパパと慕う男が現れて、更に見知らぬ美女・美少女が家の中に集まっているという状況に、レミアは困った様に眉を八の字にしている。

 そうこうしている内に香織の診察も終わり、レミアの足は神経を傷つけてはいるものの香織の回復魔術で一応治癒出来る事が伝えられた。

「ただ、少し時間が掛かるみたいで……後遺症無く治療するには、三日位掛けてゆっくりやらないと駄目みたい」

「なら、私の担当か」

 香織の報告を受け、入れ替わる様に今度はソウゴがレミアの足に触れる。その掌から光が漏れた途端、レミアは満足に動かなかった足に熱が通うのを感じた。

「取り敢えず、これで歩けるだろう」

「……!」

 ソウゴの言葉に驚きながら、レミアは確かめる様に足を動かす。

 

「凄い……ソウゴくん、こんな繊細な回復も出来るの?」

「いや、今のは怪我を負う前に時間を戻しただけだ。治癒系統ではない」

「……それはもっと凄いんじゃ……」

 

 困惑する香織を他所に、レミアは状態を確かめながら頭を下げる。

「あらあら、まあまあ。もう歩けないと思っていましたのに……何とお礼を言えばいいか……」

「ふふ、いいんですよ! ミュウちゃんのお母さんなんですから!」

「えっと、そういえば皆さんは、ミュウとはどの様な……それにその、……どうしてミュウは、貴方の事を"パパ"と……」

 

 レミアの当然と言えば当然の問いかけに、ソウゴ達は経緯を説明する事にした。フューレンでのミュウとの出会いと騒動、そしてパパと呼ぶ様になった経緯など。全てを聞いたレミアはその場で深々と頭を下げ、涙ながらに何度も何度もお礼を繰り返した。

 

 

「本当に、何とお礼を言えばいいか……娘とこうして再会できたのは、全て皆さんのおかげです。このご恩は一生かけてもお返しします。私に出来る事でしたら、どんな事でも……」

 

 気にするなとソウゴ達は伝えたが、レミアとしても娘の命の恩人に礼の一つもしないでは納得できない。するとソウゴが今日の宿を探すと聞き、レミアはこれ幸いと自分の家を使って欲しいと訴えた。

 

「どうかせめて、これ位はさせて下さい。幸い家はゆとりがありますから、皆さんの分の部屋も空いています。エリセンに滞在中は、どうか遠慮なく。それにその方がミュウも喜びます。ね、ミュウ? ソウゴさん達が家にいてくれた方が嬉しいわよね?」

「? パパ、どこかに行くの?」

 レミアの言葉に、レミアの膝枕でうとうとしていたミュウは目をぱちくりさせて目を覚まし、次いでキョトンとした。どうやらミュウの中でソウゴが自分の家に滞在する事は物理法則より当たり前の事らしい。何故レミアがそんな事を聞くのか分からないと言った表情だ。

「呵々、まぁ確かに態々離れて寝るのも妙な話だ。では暫く相伴に与ろう」

「はい、どうぞ存分に」

「それで先程話した通り、ミュウの今後だが……」

「はい、これ以上旅に付いていくのは危険だからエリセンに留まる様に、ですよね?」

「あぁ、頼む。あの年頃は母親と共にいるのが一番だ」

「うふふ、別にずっと"パパ"でもいいのですよ? 先程"一生かけて"と言ってしまいましたし……」

 

 

 そんな事を言って、少し赤く染まった頬に片手を当てながら「うふふ♡」と笑みを溢すレミア。おっとりした微笑みは、普通なら和むものなのだろうが……ソウゴの周囲にはブリザードが発生している。

 

 しかしソウゴはそのブリザードを気にしたのでもなく、自然にレミアの額に諫める様に指を当てる。

 

「これでも妻子持ちだ、ミュウの父親ではあるつもりだがな。ウチの国でも重婚は認めているが、私はあくまで王妃一筋なんでな」

「あらあら、お熱いですわね。ですが、私も夫を亡くしてそろそろ五年ですし……ミュウもパパ欲しいわよね?」

「ふぇ? パパはパパだよ?」

「うふふ、だそうですよ。パパ?」

 

 ブリザードが激しさを増す。冷たい空気に気が付いているのかいないのか分からないが、おっとりした雰囲気で、冗談とも本気とも付かない事をいうレミア。「いい度胸だ、ゴラァ!」という視線を送るユエ達にも「あらあら、うふふ」と微笑むだけで、柳に風と受け流している。意外に大物なのかもしれない。

 

 

 取り敢えず言葉に甘え、レミア宅に世話になる事になった。部屋割りで「夫婦なら一緒にしますか?」とのたまうレミアとユエ達が無言の応酬を繰り広げたりしたが、「パパとママと一緒に寝る~」というミュウの言葉にソウゴが「そうするか」と許可した為レミアと共に寝る事にした。

 

 明日からは大迷宮攻略に出航、捜索をしなければならない。暫く離れる事になるミュウとの時間も蔑ろには出来ないと考えながら、ベッドに入ったソウゴの意識はまだ見ぬ海底遺跡に向いていた。

 

 

 それから二日後。

 

 妙にレミアとの距離が近いソウゴに海人族の男連中が嫉妬で目を血走らせたり、ソウゴに突っかかって返り討ちになったり、ご近所達がソウゴとレミアの仲を盛り上げたり、それにユエ達が不機嫌になってソウゴへのアプローチが激しくなったり、夜のユエが殊更喧しくなって海に投げ落とされたりしながらも、準備を万全にしたソウゴは遂に【メルジーネ海底遺跡】の探索に乗り出した。

 

 暫しの別れに、物凄く寂しそうな表情をするミュウ。だがソウゴが「一生の別れでもあるまいし、笑って送ってくれ」と微笑めば、ミュウが手を振りながら「パパ、いってらっしゃい!」と気丈に叫ぶ。そして、やはり冗談なのか本気なのか分からない雰囲気で「いってらっしゃい、あ・な・た♡」と手を振るレミア。

 傍から見れば仕事に行く夫を見送る妻と娘そのままだ。背後のユエ達からも周囲の海人族からも鋭い視線が飛んでくるが、ソウゴは無視して懐から何かを取り出す。

「ブレイブ・イン」

『ガブリンチョ! プレズオン!』

 ソウゴが掌に収まる様な円柱形の物体──"獣電池"のスイッチを押して、銃口が二つ備えられた黄色の大型銃"ガブリボルバー"に装填し海中に撃ち込めば、そこから機械仕掛けの巨大な紫竜が現れる。

 

 驚くエリセンの住民達を他所に、ソウゴ達はプレシオサウルスを模して造られた恐竜型マシン・獣電竜の一匹、基地内蔵型宇宙航行潜水艦(スペースベースサブマリン)でもあるプレズオンに乗り込んだ。

 

 

 【海上の町エリセン】から西北西に約三百キロメートル。

 

 そこが、嘗てミレディ・ライセンから聞いた七大迷宮の一つ【メルジーネ海底遺跡】の存在する場所だ。

 だがその時はミレディが臍を曲げていた為、後は"月"と"グリューエンの証"に従えとしか教えられず、詳しい場所は分かっていなかった。

 

 

 そんな訳でソウゴ達は、取り敢えず方角と距離だけを頼りに大海原を進んできたのだが、昼間の内にポイントまで到着し海底を探索したものの特に何も見つける事は出来なかった。海底遺跡というくらいだから、それらしき痕跡が何かしらあるのではないかと考えたのだが、それだけでは見通しが甘かったらしい。

 

 ただ、周囲百キロメートルの水深に比べるとポイント周辺の水深が幾分浅い様に感じたので、場所自体は間違えていないと思うソウゴだった。

 

 仕方なく探索を切り上げ、ミレディの教えに従い月が出る夜を待つ事にした。今は丁度日没の頃。地平線の彼方に真っ赤に燃える太陽が半分だけ顔を覗かせ、今日最後の輝きで世界を照らしている。空も海も赤と山吹に染まり、太陽が海に反射して水平線の彼方へと輝く一本道を作り出していた。

 

 どこの世界でも、自然が作り出す光景は美しい。

 ソウゴは停泊させたプレズオンの甲板で、沈む太陽を何となしに見つめながらそんな事を思う。だがそれでも、やはり自分の国の自分の城から見る景色の方が美しいと己惚れるソウゴであった。

 

「どうしたの?」

 

 そんなソウゴの様子に気がついて声を掛けてきたのは香織だった。

 先程まで艦内でシャワーを浴びていた筈で、その証拠に髪が湿っている。その後ろには、ユエやシア、ティオもいる。

 

 全員、ソウゴが大昔に改修して取り付けた艦内シャワーを浴びてきた様で、頬は上気し湿った髪が頬や首筋に張り付いていて、実に艶かしい姿だ。備え付けのシャワールームは天井から直接温水が降ってくる仕様なので、四人全員で入っても問題ない。

 

 ソウゴはそんな女性陣の姿に何か思うでもなく、香織の質問に答えた。

「特に何も。ただ夕暮れというのは美しいものだと思っただけだ」

「……そっか。うん、そうだね」

「まぁ私の国の方が美しいがな」

「ふふっ、そうなんだ」

 ソウゴの隣に座った香織が、どこか遠い目をしながらソウゴの言葉に同意する。きっと、日本で過ごしてきた日々でも懐かしんでいるのだろう。そしてソウゴの返答に苦笑を浮かべる。

 

 二人にしか通じない(様に見える)話題に寂しさを感じたのか、ユエは火照った体でトコトコとソウゴに歩み寄ると、その膝の上に腰を下ろし背中をソウゴの胸元に凭れかけさせ、真下から上目遣いで見つめ始めた。

 その瞳は明らかに、自分も話に入れて欲しいと物語っている。寂しさと同時にソウゴの故郷の事を聞きたいという気持ちがある様だ。

「私もソウゴさんの話聞きたいです! ご家族の事とか!」

 すると今度は、反対側にシアが寄り添いその目をキラキラさせる。明らかに構って欲しいという合図だ。

「妾も聞きたいのじゃ、詳しい事は知らんからのぉ」

 背中には、ティオが凭れかかった。体重のかけ具合から心底リラックスしている事が分かった。

 

 広大な海の上で、小さく寄り添い合うソウゴ達。夜天に月が輝き出すまでは今暫く時間が掛かる。「そういえば詳しい事は話してなかったか」と思ったソウゴは、暇潰し序に家族の事を語り始めた。

 

 

「さて、先ずは何から話そうか……」

 ソウゴはそう前置き、四人の前に飲み物と軽食を並べる。ユエ達は目を輝かせながら、ソウゴの言葉を待つ。

「そうだな、先ずは我が妻の事を話そうか」

 その言葉に、ユエ達はいきなり本命が来たなと感じた。自分達を差し置いてソウゴに愛される女という存在が、四人は興味津々だった。

「私の妻、つまり我が国の王妃だな。王妃の名は常磐望、旧姓は夢原のぞみ。我が国にいる数少ない神の一柱だ」

 

「神様なの!?」

 

 真っ先に発言したのは香織だ。まさか神を娶っているとは思ってなかったらしい。ユエ達三人も驚愕の表情を浮かべているが、それと同時に納得もした。ソウゴに選ばれるのだから、それ位でなければ釣り合わないと言えるかもしれない。

 だが、次のソウゴの発言には三人も驚愕オンリーに染まった。

 

「初めて会った時は、まだ13の年端もいかぬ人間の少女だったがな」

「人間が神になるんですかっ!?」

 

 シアの叫びに、ユエ達は首が千切れんばかりの勢いで激しく首を縦に振る。この世界の常識から鑑みても、一人間が神に成るなど有り得ないらしい。

 

 ソウゴ的には異世界探索をすれば、数十回に一回の確率でそういう人間に出会うとの事だが。

 

 ソウゴの答えに一同が再び驚きに包まれつつ、今度はティオが話を振る。

「その奥方とは、いつ頃出会ったのじゃ?」

「あれは、大体四千年程前だったか。王妃は私とはまた別の世界の人間でな、その世界には予言を基に向かったのだ。『運命の相手に出会う』という予言にな」

「……どんな人?」

 ソウゴの言葉にムッとする様な表情でユエが尋ねれば、ソウゴは喜々としてその人柄を語る。

 

「眉目秀麗で健啖家、聡明で気高く、万人に優しく接する様な女性でな。いざという時の決断力や人の才覚を見抜く目は私も一目置く程よ。そして何より、彼女は戦士や将としてカリスマ性が飛びぬけていた。こと戦場においては、ゲイツ達に勝るとも劣らぬ程背中を任せられる頼りになる存在だ。簡潔に述べればこんな所だが、王妃の事を話せば百年でも話し尽くせんぞ?」

 

 途中でユエ達には分からない名前が出たがそれはさておき、ソウゴが今迄聞いた事が無い程褒めちぎっている。その見た事の無い光景に、四人は開いた口が塞がらなくなる。暫く硬直する面々だが、真っ先に復帰した香織が次の質問を投げる。

「え、えっと……のぞみ、さん? の人柄は分かったから……。えっと、何の神様なの? ほら、こういうのって色々あるって聞くし」

 この世界には無い多神の概念を知る香織だからこそ出る質問に、ソウゴは説明しながら答える。

 

「王妃は複合神性、所謂多数の神々が合一した存在でな。司るものは多岐に渡る。だが『本来司っているもの』と言うのなら、真っ先に挙がるのは"生命"だな」

「……生命、つまり命の神様?」

「その通りだ。王妃が司っているものは他にも『蝶』や『光』に『水晶』、『剣』、『薔薇』、『眼』、『夢』、『教育』、『情報』、『玉座の守護』等があるが、最も象徴となるのは生命だろうな」

 ソウゴの答えに全員がギブアップと言わんばかりの表情になり、「今度は、娘さん達の事教えて?」と香織が話をのぞみから娘達に向ける。

 

「おぉ、そうだそうだ。我が愛娘達の事も教えねばな。先ず前もって言っておくと、長女から四女までの四人は、皆養子でな。血のつながりは無い。それは本人達も知っているが、一様に私を慕ってくれている。嬉しい限りだよ」

 

 そう言ってソウゴは、これまた喜々として五人の娘達の事を語り始めた。

 

 

「先ずは長女の真琴だな。元気が取り柄で、アイドルと女優、軍人を兼業している。物心つく前に両親を事故で失ってな、それを知人経由で引き取ったのだ。少々サボり癖があるのと頭が足らんのが玉に瑕だが、剣の腕は中々のもので、いざという時の判断は出来るし長女として妹達の事も見てくれている。とても優しい自慢の娘だ」

 

 

「次に次女の恵。姉妹一の働き者で知恵者、私や王妃の仕事の補佐も出来る優秀な子だ。度々私の代理として公務に出席した事もあるし、めぐみの立案した作戦や作り上げた発明品に助けられた事も少なくない。愚痴を溢しながらも真琴の尻拭いをしてくれたり、成人祝いに贈った物を今も大事に使っていたり、愛い所もある。まぁ、滅多に笑わないのと人を選ぶ気があるのが少々アレだが、頼りになる自慢の娘よ」

 

 

「三女の言葉(ことは)は少々特殊でな、種族としては半神半精になる。初めの頃は、掌に収まる程の小さな赤子の姿だった。そこからすくすく成長して、今でも子供の様に天真爛漫を絵に描いた様に笑うのだ。丁度ミュウがそのまま大きくなった様な感じと言えばいいか。そして特徴として挙げるなら、生まれながらの魔術の天才である所か。親としての贔屓目ではなく、素質ではユエ以上だ。将来有望な明るい自慢の娘よ」

 

 

「そして四女の響。真琴達上の三人が王妃と同じ世界の出身であるのに対し、響は世界が違う上に歳もかなり離れている。それとまぁ、元の世界であまり話せん様な目に遭ってな。引き取ってこの方、ほぼほぼ部屋に引き籠ってばかり。だが本来は考えるより前に体が動く性分で、何より人助けと歌が好きな娘でな。だからだろうな、今でも時折部屋の前を通った時に歌が聞こえるのだよ。実に可愛い自慢の娘だ」

 

 

「最後に五女の侑。私と王妃の唯一の実子だ。今は高校二年、香織と同い年だ。腕っ節に関しては……良く言っても発展途上がいいところだな。今のシアに一歩劣る程度だ。それでも王妃に似てカリスマ性がある故、人脈には困らんだろうよ。そして……これがまぁ我が事ながら情けない話だが、小学校入学と同時に家出してな。しかも最近同級生との間に子供を作ったと連絡が来た。まさか姉達より先に、しかも学生の身で子供など驚いたよ」

 

 

 

 そんなこんなと話していると、あっという間に時間は過ぎ去り日は完全に水平線の向こう側へと消え、代わりに月が輝きを放ち始めた。

 

 そろそろ頃合かとソウゴは懐から【グリューエン大火山】攻略の証であるペンダントを取り出した。サークル内に女性がランタンを掲げている姿がデザインされており、ランタンの部分だけが刳り抜かれていて穴開きになっている。

 

 エリセンに滞在している時にもこのペンダントを取り出して月に翳してみたり、魔力を流してみたりしたのだが特に何の変化も無かった。

 

 

 もしや場所が関わっているのか? と内心首を捻りながら、ソウゴは取り敢えずペンダントを月に翳してみた。丁度ランタンの部分から月が顔を覗かせている。

 

 暫く眺めていたが、特に変化はない。

 ソウゴが他の手段を考え始めたその時、ペンダントに変化が現れた。

 

「わぁ、ランタンに光が溜まっていきますぅ。綺麗ですねぇ」

「ホント……不思議ね。穴が空いているのに……」

 

 シアが感嘆の声を上げ、香織が同調する様に瞳を輝かせる。

 

 

 彼女達の言葉通り、ペンダントのランタンは少しずつ月の光を吸収する様に底の方から光を溜め始めていた。それに伴って、穴開き部分が光で塞がっていく。ユエとティオも興味深げにソウゴが翳すペンダントを見つめた。

 

「どうやら本当に場所が関わっていた様だな……」

「ふむ、どうやらその様じゃの」

 

 やがてランタンに光を溜めきったペンダントは全体に光を帯びると、その直後ランタンから一直線に光を放ち、海面のとある場所を指し示した。

「……中々粋な演出。ミレディとは大違い」

「言ってやるな。あれは奴なりに寂しさを紛らわそうとしたのだろう」

 "月の光に導かれて"という何ともロマン溢れる道標に、ユエ達が「おぉ~」と感嘆の声を上げた。特にミレディの【ライセン大迷宮】の入口を知っているシアは、ユエ同様感動が深い。

 

 ペンダントのランタンが何時まで光を放出しているのか分からなかったので、ソウゴ達は早速プレズオンの艦内に戻り、導きに従って潜航を開始した。

 

 

 夜の海は暗い、というよりも黒いと表現した方がしっくりくるだろうか。海上は月明かりでまだ明るかったが、導きに従って潜行すればあっという間に闇の中だ。プレズオンの眼光とペンダントの放つ光だけが闇を切り裂いている。

 

 因みにペンダントの光は、プレズオンの眼差し越しに海底の一点を示している。

 

 その場所は、海底の岩壁地帯だった。無数の歪な岩壁が山脈の様に連なっている。昼間にも探索した場所で、その時には何もなかったのだが……プレズオンが近寄りペンダントの光が海底の岩石の一点に当たると、ゴゴゴゴッ! と音を響かせて地震の様な震動が発生し始めた。

 

 その音と震動は、岩壁が動き出した事が原因だ。岩壁の一部が真っ二つに裂け、扉の様に左右に開き出したのである。その奥には冥界に誘うかの様な暗い道が続いていた。

 

「成程……道理でいくら探しても見つからない訳だ」

「……暇だったし、楽しかった」

「そうだよ。異世界で海底遊覧なんて、貴重な体験だと思うよ?」

 ソウゴはプレズオンに念じ海底の割れ目へと侵入していく。ペンダントのランタンはまだ半分程光を溜めた状態だが、既に光の放出を止めており暗い海底を照らすのはプレズオンの眼光だけだ。

「う~む、海底遺跡と聞いた時から思っておったのだが、この"ぷれずおん"? がおらねば、まず平凡な輩では迷宮に入る事も出来なさそうじゃな」

「……強力な結界が使えないと駄目」

「他にも空気と光、後は水流操作も最低限同時に使えんと駄目だろう」

「でもここにくるのに【グリューエン大火山】攻略が必須ですから、大迷宮を攻略している時点で普通じゃないですよね」

「……もしかしたら、空間魔術を利用するのがセオリーなのかも」

 

 

 道なりに深く潜行しながら、ソウゴ達は潜水手段が無い場合の攻略方法について考察してみた。確かにファンタジックな入口に感心はしたのだが、普通に考えれば超一流レベルの魔術士が幾人もいなければ侵入すら出来ないという時点で、他の大迷宮と同じく厄介な事この上ない。

 

 ソウゴ達は気を引き締め直し、プレズオンの目から送られる映像越しに見える海底の様子に更に注意を払った。

 とその時、

 

『グォオオオオンッ!!』

 

「むっ」

「んっ!」

「わわっ!」

「きゃっ!」

「何じゃっ!?」

 

 突如横殴りの衝撃が船体を襲い、プレズオンの鳴き声と共に一気に一定方向へ流され始めた。

 しかしプレズオンはただの潜水艦ではない、れっきとした自我を持った海竜なのだ。直ぐ様姿勢を立て直し、安定した体勢に戻る。

「ふむ、何かしらの海流に乗った様だな。プレズオン、取り敢えずは流れに乗って進んでくれ」

『グゥン』

 ソウゴはプレズオンに海流に逆らわずに進む様に指示しつつ、映像から外の様子を観察する。眼光が洞窟内の暗闇を払拭し、その全体像を露わにしている。

 取り敢えず流されるまま進むソウゴ達。暫くそうしていると、プレズオンの索敵範囲内に生物を捉えたのか、接近を知らせるアラームが鳴り響く。

「招かれざる客か。……いや、状況的にそれは我々の方か」

「……殺る?」

 ソウゴがそう呟くと、隣の座席に座るユエが手に魔力に集めながら可愛い顔でギャングの様な事をさらりと口にする。

「いや、プレズオンに任せよう」

 ソウゴがプレズオンに迎撃する様指示を出す。するとプレズオンの雄叫びと共に、全身に搭載された機関銃や機砲が火を噴き、その顎門から荷電粒子砲が唸る。

 荒ぶる激流すらものともせず、海流を引き裂いて流星の如く一直線に海底を走る。

 

 やがて、赤黒い魔力を纏って追いかけてくる魔物──トビウオの様な姿をした無数の魚型の魔物達に、科学の暴力が襲い掛かる。

 

 ドォゴォオオオオン!!!

 

 盛大に爆発が発生し、大量の気泡がトビウオ擬きの群れを包み込む。そして衝撃で体を引きちぎられバラバラにされたトビウオ擬きの残骸が、赤い血肉と共に泡の中から飛び出し、文字通り海の藻屑となって激流に流されていった。

「久々の出番とあって、随分張り切っているらしいな」

「うわぁ~、ソウゴさん。今、画面の端を死んだ魚の様な目をした物が流れて行きましたよ」

「シアよ、それは紛う事無き死んだ魚じゃ」

「改めて思ったのだけど、ソウゴくんのアーティファクトって反則だよね」

 それから度々トビウオ擬きに遭遇するソウゴ達だったが、容易く蹴散らし先へ進む。

 

 どれくらいそうやって進んだのか。

 

 代わり映えの無い景色に違和感を覚え始めた頃、ソウゴ達は周囲の壁がやたら破壊された場所に出くわした。よく見れば、岩壁の隙間にトビウオ擬きの千切れた頭部が挟まっており、虚ろな目を海中に向けている。

「ここはもしや、先程通った場所か?」

「……そうみたい。ぐるぐる回ってる?」

 どうやら、ソウゴ達は円環状の洞窟を一周してきたらしい。大迷宮の先へと進んでいるつもりだったので、まさかここはただの海底洞窟で、道を誤ったのかと疑問顔になるソウゴ。結局、今度は道なりに進むのではなく、周囲に何かないか更に注意深く探索しながらの航行となった。

 その結果、

 

「あっ、ソウゴくん。あそこにもあったよ!」

「これで五ヶ所目か」

 

 洞窟の数ヶ所に、五十センチ位の大きさのメルジーネの紋章が刻まれている場所を発見した。メルジーネの紋章は五芒星の頂点の一つから中央に向かって線が伸びており、その中央に三日月の様な文様があるというものだ。それが、円環状の洞窟の五ヶ所にあるのである。

 ソウゴ達はじっくり調べる為、最初に発見した紋章に近付いた。

「まぁ、五芒星の紋章に五ヶ所の目印、それと光を残したペンダントとくれば……」

 

 そう呟きながら、ソウゴは首から下げたペンダントを取り出し映像越しに翳してみた。すると案の定ペンダントが反応し、ランタンから光が一直線に伸びる。そしてその光が紋章に当たると、紋章が一気に輝きだした。

 

「これ、魔術でこの場に来る人達は大変だね……直ぐに気が付けないと魔力が持たないよ」

 

 香織の言う通り、この様なRPG風の仕掛けを術で何とか生命維持している者達にさせるのは相当酷だろう。【グリューエン大火山】とは別の意味で限界ギリギリを狙っているのかもしれない。

 

 その後更に三ヶ所の紋章にランタンの光を注ぎ、最後の紋章の場所にやって来た。ランタンに溜まっていた光も、放出する毎に少なくなっていき、丁度後一回分位の量となっている。

 

 ソウゴがペンダントを翳し最後の紋章に光を注ぐと、遂に円環の洞窟から先に進む道が開かれた。ゴゴゴゴッ! と轟音を響かせて、洞窟の壁が縦真っ二つに別れる。

 特に何事もなく奥へ進むと、真下へと通じる水路があった。プレズオンを進ませるソウゴ。すると突然、ソウゴ達を浮遊感が襲い掛かった。

 

「おぉ?」

「んっ」

「ひゃっ!?」

「ぬおっ」

「はうぅ!」

 

 それぞれ、四者四様の悲鳴を上げる。

 ソウゴは特に慌てるでも無く、プレズオンに後方の噴進機構(ブースター)を噴かせる様指示を出して落下速度を徐々に落としていく。直後、ズゥゥゥゥン……と小さくも重い音を響かせながらプレズオンが硬い地面に着陸する。僅かながら衝撃が船内に伝わり、特に体が丈夫な訳ではない香織が呻き声を上げる。

「大事無いか?」

「うぅ、だ、大丈夫。それより、ここは?」

 

 香織が顔を顰めながらも映像で外を見ると、先程までと異なり外は海中ではなく空洞になっている様だった。取り敢えず、周囲に魔物の気配がある訳でも無かったので外に出るソウゴ達。

 

 

 潜水艇の外は大きな半球状の空間だった。頭上を見上げれば大きな穴があり、どういう原理なのか水面が揺蕩っている。水滴一つ落ちる事無くユラユラと波打っており、ソウゴ達はそこから落ちてきた様だ。

「何かしらの術で海水の侵入を防いでいる様だな。……それはさておき、どうやらここからが本番らしい。海底遺跡というより洞窟だが」

「……全部水中でなくて良かった」

 ソウゴはプレズオンを宝物庫に戻しながら、洞窟の奥に見える通路に進もうとユエ達を促す……寸前で手で制す。

 

「"三日月形砂丘(パルハン)"」

 

 刹那、頭上からレーザーの如き水流が流星宛らに襲いかかる。圧縮された水のレーザーは、直撃すれば容易く人体を穿つだろう。

 

 しかし、ソウゴの手に触れた途端その激流は飲み込まれていった。今のソウゴはスナスナの能力を使用した砂漠人間、乾期の砂漠にどれだけ水を注ごうと渇きは変わらない。底無し沼の様に水分を奪い勢いを殺していった。

 その上もう片方の手で術式を宙に描き、防御系闇術"青の護法印(ブルーへクス)"を発動、自分以外の四人分の障壁を展開する。ユエ達も慣れたもので、ソウゴが対応したなら大丈夫だと一切身構えずに任せていた。

 

 だが、香織はそうはいかなかった。

 

 

「きゃあ!?」

 

 

 余りに突然かつ激しい攻撃に、思わず悲鳴を上げながらよろめく。咄嗟にソウゴが念動力で引っ張り上げる。

「ご、ごめんなさい」

「いや、気にするな」

 見向きもせず自身を助けたソウゴをチラ見しながらも、香織の表情は優れない。助けられた事よりも、自分だけが醜態を晒した事に少し落ち込んでいる様だ。

 

 そしてそれ以上に、ソウゴの引き出しの多彩さと技術力の高さに改めてショックを覚える。

 

 

 光輝達といた時は、鈴の守りを補助する形でそれなりに防御魔術は行使してきた。沢山訓練をして、発動速度だけなら“結界師”たる鈴にだって引けを取らないレベルになったのだ。それでもユエや、ましてやソウゴと比べると自分の防御魔術など児戯に等しいと思わせられる。

 

 【オルクス大迷宮】でソウゴ達に助けられた時から感じていた"それ"──分かってはいたが、それでもソウゴの傍にいる為にはやるしかないのだと自分に言い聞かせて心の奥底に押し込めてきた──劣等感。

 自分は、足手纏いにしかならないのではないか?

 その思いが再び、香織の胸中を過る。

 

「どうした?」

「えっ? あ、ううん。何でもないよ」

「……そうか」

 

 香織は咄嗟に誤魔化し、無理やり笑顔を浮かべる。ソウゴはそんな香織の様子に少し目を細めるが、特に何も言わなかった。

 その事に香織が少しの寂しさと安堵を感じていると、ユエがジッと自分を見ていることに気がついた。その瞳がまるで香織の内心を見透かそうとしているようで、香織は咄嗟に眼に力を込めて睨む様な眼差しを返す。

 

 いつかの様に、自分の気持ちを嗤わせる訳にはいかない。そんな事になれば、現状ソウゴの最も信頼の篤い目の前の美貌の少女は、香織を戦うべき相手とすら認識しなくなるだろう。

 

 それだけは……我慢ならない。

 

 香織の強い眼差しを受けたユエは、少し口元を緩めると再び頭上に視線を戻した。同時に、ソウゴが指先に火球を生成し天井を焼き払う。それに伴って、ボロボロと攻撃を放っていた原因が落ちてきた。

 

 それは、一見するとフジツボの様な魔物だった。天井全体にびっしりと張り付いており、その穴の空いた部分から水系中級魔術"破断"を放っていた様だ。中々に生理的嫌悪感を抱く光景である。

 

 水中生物であるせいかやはり火系には弱い様で、ソウゴの"フィンガーフレアボムズ"により直ぐに焼き尽くされた。

 

 フジツボ擬きの排除を終えると、ソウゴ達は奥の通路へと歩みを進める。通路は先程の部屋よりも低くなっており、足元には膝位まで海水で満たされていた。

 

「ちと歩きにくいな……」

「……むぅ」

 

 ポチャポチャと足音を響かせながら(・・・・・・・・・)、ソウゴが窮屈そうに愚痴を溢す。ソウゴが上体を屈めながらさも当然の様に水面を歩いている事には敢えて触れず、ユエが可愛らしい唸り声を上げた。視線を向ければ、身長の低いユエは腰元まで浸かっており相当歩き辛そうだ。

 ソウゴは小さく鼻を鳴らすと、ひょいとユエを抱き上げてそのまま脇に抱えてしまった。まるで荷物の様に。

「……ソ、ソウゴ様! これは流石に、ちょっと恥ずかしい……!」

「そう思うんなら身長を伸ばす術でも身に着けるか、水上歩行をマスターしろ」

「むぅ……」

 

 波紋を作りながら歩を進めるソウゴがそう言えば、ユエは羞恥で頬を染めた。チラリとシア達を見てみれば、そこにあるのは羨ましいというよりも、どちらかと言えば微笑ましいという感情に見える。視線が生温かい。

 ユエは益々恥ずかしそうに小さくなった。中々レアな光景かもしれない。

「うっふっふっ、ユエさん、なんだか可愛いですよ~?」

「……うぅ」

「ミュウよりも子供扱いかもしれんのぉ」

「……ぅ」

「ふふ~ん! じゃあこれからは、ユエちゃんって呼んだ方がいいかなぁ?」

「果てろ香織」

「なんか私だけ辛辣!?」

 益々シア達の視線に頬を染めつつ、しかし香織にだけは石でも投げつけそうな眼差しで辛辣に返すユエに、ソウゴは小さく嘆息した。

 

 だがそんな余裕ある和気藹々とした空気も、直後には魔物の襲撃により集中を余儀なくされる。

 

 現れた魔物は、まるで手裏剣だった。高速回転しながら直線的に、或いは曲線を描いて高速で飛んでくる。ソウゴはスっと何本か苦無を投擲し空中で全て撃墜した。体を砕けさせて、プカーっと水面に浮かんだのは海星らしき何かだった。

 更に足元の水中を海蛇の様な魔物が高速で泳いでくるのを感知し、ユエが氷の槍で串刺しにする。

 

「……弱いな」

 

 ソウゴの呟きに、香織以外の全員が頷いた。

 

 大迷宮の敵というのは基本的に単体で強力、複数で厄介、単体で強力かつ厄介というのがセオリーだ。だが海星にしても海蛇にしても、大火山から海に出た時に襲ってきた海の魔物と大して変わらないか、或いは弱い位である。とても大迷宮の魔物とは思えなかった。

 

 大迷宮を知らない香織以外は皆首を傾げるのだが、その答えは通路の先にある大きな空間で示された。

 

 

「……何だ?」

 

 

 ソウゴ達がその空間に入った途端、半透明でゼリー状の何かが通路へ続く入口を一瞬で塞いだのだ。

「私がやります! うりゃあ!!」

 咄嗟に最後尾にいたシアがその壁を壊そうとドリュッケンを振るった。だが表面が飛び散っただけで、ゼリー状の壁自体は壊れなかった。そして、その飛沫がシアの胸元に付着する。

 

「ひゃわ! 何ですか、これ!」

 

 シアが困惑と驚愕の混じった声を張り上げた。ソウゴ達が視線を向ければ、何とシアの胸元の衣服が溶け出している。衣服と下着に包まれた、シアの豊満な双丘がドンドン曝け出されていく。

「シア、動くでない!」

 咄嗟にティオが絶妙な火加減でゼリー状の飛沫だけを焼き尽くした。少し皮膚にもついてしまった様で、シアの胸元が赤く腫れている。どうやら、出入り口を塞いだゼリーは強力な溶解作用がある様だ。

 

 

「油断するな、また来るぞ」

 

 警戒してゼリーの壁から離れた直後、今度は頭上から無数の触手が襲いかかった。先端が槍の様に鋭く尖っているが、見た目は出入り口を塞いだゼリーと同じである。だとすれば、同じ様に強力な溶解作用があるかもしれないと、ソウゴは"火遁・豪火球"で正面の触手を、"氷塊・両棘矛(アイスブロック・パルチザン)"で両側から迫る触手を迎撃する。更にユエが氷を、ティオが炎を繰り出して触手を排除しにかかった。

 

「私が出る必要も無かったか?」

 

 迎撃すればそれが更なる攻撃の引き金になるかと警戒して二種の攻撃を放ったが、特にその様な様子も無くただ凍って焼かれるのみ。ソウゴがそう呟くのも仕方ない。

 

 それを余裕と見たのか、シアがソウゴの傍にそろりそろりと近寄り、露になった胸の谷間を殊更強調して、頬を染めながら上目遣いでおねだりを始めた。

「あのぉ、ソウゴさん。火傷しちゃったので、お薬塗ってもらえませんかぁ」

 あざとい。流石ウサミミ少女、実にあざとい。ソウゴは呆れ顔でシアの頭を掴む。

「ふざけとらんで貴様も前に出ろ、覇気の練習だ」

 "ライデイン"、"ベギラマ"、"イオラ"を雨の様に降らせながら、その只中にシアを放り投げる。

 シアは「ひょえ~! ソウゴさんの鬼~!」と叫びながらもドリュッケンを構えて駆け回る。

 すると、

 

「む? ……ソウゴ様、このゼリー、魔術も溶かすみたい」

 

 ユエのその言葉に視線を向けてみれば、ユエとティオの放った魔術が悉く直撃と同時に分解される様に消えていくのが分かった。

「ふむ、やはりか。先程から妙に炎が勢いを失うと思っておったのじゃ。どうやら、炎に込められた魔力すらも溶かしているらしいの」

 ティオの言葉が正しければ、このゼリーは魔力そのものを溶かす事も出来るらしい。中々に強力で厄介な能力だ。正に大迷宮の魔物に相応しい。

 

 尤も、ソウゴの攻撃を一切無効化出来ていないので意味が無いのだが。

 

 そんなソウゴの内心が聞こえた訳では無いだろうが、遂にゼリーを操っているであろう魔物が姿を現した。

 

 天井の僅かな亀裂から染み出す様に現れたそれは、空中に留まり形を形成していく。半透明で大雑把な人型、但し手足は鰭の様で全身に極小の赤いキラキラした斑点を持ち、頭部には触覚の様な物が二本生えている。

 まるで宙を泳ぐ様に、鰭の手足をゆらりゆらりと動かすその姿はクリオネの様だ。尤も、全長十メートルのクリオネはただの化け物だが。

 

 その巨大クリオネは何の予備動作も無く全身から触手を飛び出させ、同時に頭部からシャワーの様にゼリーの飛沫を飛び散らせた。

 

「──っ! 防御は私が! "聖絶"!」

 

 香織は、派生技能"遅延発動"で予め唱えておいた"聖絶"を発動する。それにコクリと頷いたユエはティオと一緒に巨大クリオネに向けて火炎を繰り出した。シアもドリュッケンを砲撃モードに切り替え、焼夷弾を撃ち放つ。更にソウゴも"メラミ"と"ドルクマ"を追加して駄目押しする。

 

 全ての攻撃は巨大クリオネに直撃し、その体を消滅させ、或いは爆発四散させる。「いっちょ上がり!」とばかりに満足気な表情をするユエ達だったが、それを諫める様にソウゴが警告の声を上げる。

「気を抜くな馬鹿者、反応はまだ消えとらんぞ」

 ソウゴの感知系能力は、部屋全体に魔物の反応を捉えていた。まるで部屋そのものが魔物であるかの様だった。この世界では未だ嘗て遭遇した事の無い事態に、自然ソウゴの頬は吊り上がる。

 

 

 するとその予感は当たっていた様で、四散した筈のクリオネが十分の一サイズではあるが瞬く間に再生した。しかも、よく見ればその腹の中に先程まで散発的に倒していた海星擬きや海蛇がおり、ジュワー……と音を立てながら溶かされていた。

 

 

「ふむ、どうやら弱いと思っておった魔物は本当に唯の魔物で、此奴の食料だった様じゃな……ご主人様よ、無限に再生されては敵わん。魔石はどこじゃ?」

「そういえば、透明のくせに魔石が見当たりませんね?」

 

 ティオの推測に頷きつつシアがソウゴを見るが、ソウゴは五属性の魔術を放ちつつ面白そうに驚きの事実を告げる。

 

「それだがな、彼奴はどうやら魔石が無いらしい」

 

 その言葉に、全員が目を丸くする。

「ソ、ソウゴくん? 魔石が無いって……じゃあ、あれは魔物じゃないって事?」

「さあな。だが事によっては、ここは既に腹の内かもしれんぞ?」

 

 ソウゴが愉快気に推測を話すと同時に、再び巨大クリオネが攻撃を開始した。今度は触手とゼリーの豪雨だけでなく、足元の海水を伝って魚雷の様に体の一部を飛ばしてきてもいる。

「"鏡火炎・放電(ヴァーリー)"」

 ソウゴは最前列に移動しながら腕を燃え盛る炎に変え、全方位に向けて火炎と雷撃を放つ。「熱っ!?」だの「痺れるのじゃ~!!」だの、何やら巻き込まれた様な悲鳴が聞こえるが無視する。

 

 狙うのは巨大クリオネ本体や触手や飛沫だけでなく、周囲の"壁"全てだ。

 

 巨大クリオネには擬態能力まであるのか、何の変哲もないと思っていた壁がソウゴの炎雷によって壁紙が剥がれる様にボロボロと燃え尽きていく。どうやら壁そのものが巨大クリオネという訳では無い様で、少しガッカリするソウゴ。

 

 しかし半透明のゼリーは全て出ていた訳ではないらしく、燃やしても燃やしても壁の隙間や割れ目から際限なく出現し、遂には足元からも湧き出した。ユエ達の靴底がジューッと焼ける様な音を立てる。

 

 ユエ達による攻撃も激しさを増し、巨大クリオネも愈々本気になってきたのか壁全体から凄まじい勢いで湧き出してきた。しかもいつの間にか水位まで上がってきており、最初は膝辺りまでだったのが、今や腰辺りまで増水してきている。ユエに至っては、既に胸元付近まで水に浸かっていた。

 

 

 ユエ達は何度も巨大クリオネを倒しているのだが、直ぐにゼリーが集まり終わりが見えない。

 

 ユエ達にとって、戦闘力を削がれる水中に没するのは非常に不味い。

 

 何せ、巨大クリオネには籠城が通用しないのだ。術で障壁を張ろうとも、殲滅方法が無くては何れ溶かされてしまう。

 

 

 故に、ここは一度離脱するべきかとソウゴは判断した。

 

 ソウゴからすれば自身の攻撃は通る上に水面を歩け、仮に水中でも全く問題は無い。しかし、この迷宮がライセンのミレディと同じ様に解放者本人が見ているという確証が無い以上、ソウゴだけで事を済ませて他の四人が認められなければ意味が無い。

 

 しかし離脱しようにも、全ての出入口はゼリーで埋まっている。ソウゴは周囲を見渡し、地面にある亀裂から渦巻きが発生しているのを発見した。

「一度態勢を立て直す。地面の下に空間があるが、どこに繋がっているかは知らん。覚悟を決めろ」

 

「んっ!」

「はいですぅ!」

「承知じゃ!」

「わかったよ!」

 

 全員の返事を受け取り、ソウゴは襲い来るゼリーを焼き払いながら、渦巻く亀裂に向かって"ソニックボレー"を放つ。

 

 

 次の瞬間、貫通した縦穴へ途轍もない勢いで水が流れ込んでいった。腰元まで上がってきていた海水がいきなり勢いよく流れ始め、ユエ達も足をさらわれて穴へと流されて来る。

 ソウゴは激流の中、まるで地上と変わらぬ様にユエ達と共に地下の空間へと流されていった。

 序に振り返り、空中に五行の式句を描く。

 

 炎系第五階梯闇術──"黒縄地獄(ブラックゲヘナ)"。

 

 地獄の黒炎を濃縮した火球を、巨大クリオネに向けて投げつける。

 

 背後でくぐもった爆音が響く。巨大クリオネの追撃が無くなった事を確認し、ソウゴは直ぐ様振り返り流されたユエ達の後を追った。

 

 

 

「けほっ、けほっ、うっ」

「無事か?」

「う、うん。何とか……皆は……」

 

 結構な量の海水を飲んでしまい咽ながら周囲を見渡す香織の目には、自分の腰に手を回して抱きしめるソウゴの姿と真っ白な砂浜が映っていた。

周囲にはそれ以外何もなく、ずっと遠くに木々が鬱蒼と茂った雑木林の様な場所が見えていて、頭上一面には水面が揺蕩っていた。広大な空間である。

 

「逸れたらしいな……まぁ自分でどうにでもするだろう」

「……うん」

 

 香織の腰から手を離して興味が無い様に軽く言うソウゴだったが、香織はどこか沈んだ表情だ。

 

 香織は隣で立ち上がり何処からか焼き魚を取り出すソウゴの姿を見ながら、つい先程の出来事を思い出していた。

 

 

 

 巨大クリオネから戦略的撤退を図ったソウゴ達。

 

 彼等が落ちた場所は巨大な球体状の空間で何十箇所にも穴が空いており、その全てから凄まじい勢いで海水が噴き出し、或いは流れ込んでいて、まるで嵐の様な滅茶苦茶な潮流となっている場所だった。

 

 その激流に翻弄されながらも何とか近くにいる仲間の傍に行こうとするユエ達だったが、潮流は容赦無く彼女達を引き離していった。ユエが魔術で水流操作を行うが、流れがランダム過ぎて思う様にいかない。シアが体重操作とドリュッケンの重さを利用して、何とかティオと合流したのはファインプレーと言えるだろう。

 

 

 本当なら即座に全員を回収するのは容易いが、最近甘やかし過ぎかと考えるソウゴ。激流の中とは思えない程に動かないソウゴは、緊急時の各々の行動を確かめる為視線を走らせる。

 

 その矢先、運良くユエが流れてくるのが見えた。このまま行けば、ソウゴとかち合い合流する事が出来るだろう。既にシアとティオは何処かの穴に流された様で、空間内に姿が見えない。

 そしてその視界に、下方を流れていこうとしている香織の姿を捉えた。苦しげな香織の視線とソウゴの視線が絡む。前方には手を伸ばした先にユエがいて、やはりソウゴと視線が絡んだ。

 

 二択だ。

 

 ユエを捕まえれば、香織は恐らく一人で何処かの穴に流されるだろう。そして、香織を捕まえた場合も然り。二人の実力差を鑑みれば、迷う必要は無かった。

 

 ソウゴは水を蹴り、一気に加速する。そして流れてきた香織を、確りとキャッチした。香織が驚いた様に目を見開くが、直ぐにそんな事をしていられない程の激流にさらされ、二人は一緒に一つの穴に吸い込まれるように流されていった。

 

 流されている間、ソウゴは腕の中に香織を庇いつつ、岩壁やら流れる障害物やらを利用して加速し続ける。そして水流が弱まったところで上方に光が見え、一気に浮上した。

 

 するとそこは、今現在いる真っ白な砂浜が広がるこの海岸線だったというわけだ。

 

 

「……ねぇ、ソウゴくん。どうして……私を助けたの?」

「……どうした急に」

 食事を続けるソウゴに香織がポツリと疑問を溢す。ソウゴは、いきなり何だ? と首を傾げた。

 

「どうして、ユエじゃなくて私を助けたの?」

「"貴様の方が弱いから"、という答えを態々聞きたかったのか?」

「そう、かも……信頼してるんだね、ユエの事」

「信頼か……、確かに私を裏切らないという意味ではそうだろうが、今回のは只の客観的事実だ。そして、私とユエの関係がそう見えるなら……それこそまだ未熟だという証拠だ」

「……」

 

 沈んだ表情で先程までの回想をしつつ質問をして、更に沈んだ香織。不意に、俯く香織に影が差した。

 「何だろう?」と香織が顔を上げると、間近い場所にソウゴの顔があった。本当に目と鼻の先だ。もうちょっと近づけばキスが出来そうな距離である。香織が吸い寄せられる様にソウゴの瞳を見つめていると、突然その両頬がグニィ~と引っ張られた。

 

「いふぁいよ! なにひゅるの!?」

 

 香織が涙目で抗議の声を上げる。

 しかしソウゴはそんな香織の抗議をさくっと無視して、暫くの間彼女の柔らかな頬を存分に弄んだ。漸く解放され、赤くなった頬を両手でさすりながら恨めしげに見上げてくる香織に、ソウゴは「はぁ…」と溜息を漏らす。

 

「理由は察せないでもないが、落ち込んでいる暇があったら行動を起こせ。ここは大迷宮だぞ、何時までその姿でいるつもりだ? 同情でも引けると思ったか?」

 

 ソウゴの辛辣とも言える言葉に香織の顔が一瞬で真っ赤に染まる。それは羞恥だ。言外に、やっぱりここにいるのは場違いじゃないか? と言われた気がしたのだ。

 

「そ、そんな訳無いよ! ちょっとボーッとしちゃっただけ。そ、その……すぐ着替えるから。ごめんね」

「……」

 

 香織は、急いで立ち上がり、エリセンを出る前にソウゴから全員に贈られた複製版宝物庫から替えの衣服を取り出して服を脱ぎ始めた。さりげなく目を瞑るソウゴ。普段の香織なら、恥ずかしくはあるものの「見てもいい」位の事は言ってアプローチするのだが、今は何だかそんな気になれず、そそくさと着替えを終える。

 

 因みに、何故かソウゴはあの激流にもまれたというのに一切濡れていなかった。

 

 

「で、出来たよ……それで、これからどうするの?」

「無論、進む以外の選択肢は無かろう。何の為にここに来たと思っている」

 遠くに見える密林を眺めながら、ソウゴが振り返る。香織は沈んだ心を悟られない様に、笑みを浮かべ頷いた。そんな香織の笑顔にソウゴは少し目を細めたが、結局小さく鼻を鳴らすだけで何も言わずに歩き出した。

 

 真っ白な砂浜をシャクシャクと踏み鳴らしながら暫く進み、二人は密林に入る。鬱蒼と茂った木々や草を、ソウゴがバッサバッサと切り裂いていく。香織はその後ろをついていくだけだ。

 とその時、ソウゴが突然立ち止まりくるりと香織に振り返ると、突然突き刺す様な速度で片手を香織に伸ばした。

 

「ソ、ソウゴくん!?」

 

 驚愕する香織だったが、直撃するかと思われたソウゴの手は顔のすぐ横を通り抜けた。香織は恐る恐るその先に視線を向け、一瞬で蒼褪めた。

 

 

 それは蜘蛛だった。手の平にすっぽり収まる程度の大きさで、合計十二本の足をわしゃわしゃと動かし紫の液体を滴らせている。足は通常のものと背中から生えているものがあって、「両面どちらでもいけます!」と言いたげな構造だ。激しく気持ち悪い。それが、ソウゴ赤く染まった爪に貫かれていた。

 

 

「油断するな。大迷宮はオルクスの表層とは訳が違う、同じ様な認識では痛い目をみるぞ?」

「う、うん。ごめんね。もっと気をつける」

「……」

 

 ソウゴが刺した蜘蛛は魔石を持っておらず、普通にキモくて毒を持っているだけの蜘蛛だった。魔物でもない生き物に殺されかけたという事実が、そしてその尻拭いをソウゴにしてもらったという事が、更に香織を凹ませた。

 

 

 光輝達といた時はそれはもう八面六臂の活躍だったのに、ソウゴ達のパーティでは、まるで役に立てていない。それが、少しずつ香織の中に焦りを生んでいく。

 

 香織は、今まで以上に集中した様子で辺りを警戒し、そのせいか会話も少なく、二人は微妙な雰囲気で密林を抜けた。

 

 その先は……

 

 

「これは……船の墓場か?」

「すごい……帆船なのに、なんて大きさ……」

 

 密林を抜けた先は岩石地帯となっており、そこには夥しい数の帆船が半ば朽ちた状態で横たわっていた。そのどれもが、最低でも百メートルはありそうな帆船ばかりで、遠目に見える一際大きな船は三百メートル位ありそうだ。

 

 香織は思わず足を止めてその一種異様な光景に見入ってしまった。しかしいつまでもそうしているわけにも行かず、香織は気を取り直すと、既に歩みを進めるソウゴを追って船の墓場へと足を踏み入れた。

 

 岩場の隙間を通り抜け、或いは乗り越えて、時折船の上も歩いて先へと進む。どの船も朽ちてはいるが触っただけで崩壊する程では無く、一体何時からあるのか判断が難しかった。

「それにしても……戦艦ばかりだな」

「うん。でも、あの一番大きな船だけは客船っぽいよね。装飾とか見ても豪華だし……」

 

 墓場にある船には、どれも地球の戦艦(十五~六世紀、所謂大航海時代のそれ)の様に横腹に砲門が付いている訳では無かった。しかし、それでもソウゴが戦艦と断定したのは、どの船も激しい戦闘跡が残っていたからだ。見た目から言って、魔術による攻撃を受けたものだろう。スッパリ切断されたマストや焼け焦げた甲板、石化したロープや網等が残っていた。

 大砲という物が無いのなら、遠隔の敵を倒すには魔術しかなく、それらの跡から昔の戦闘方法が想像出来た。

 

 そしてその推測は、ソウゴ達が船の墓場の丁度中腹に来たあたりで事実であると証明された。

 

 

 ──うぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!

 ──ワァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!

 

 

「急に騒々しくなったな……」

「ソウゴくん! 周りがっ!」

 

 突然大勢の人間の雄叫びが聞こえたかと思うと、周囲の風景がぐにゃりと歪み始めた。

 ソウゴ達が何事かと周囲を見渡すが、そうしている間にも風景の歪みは一層激しくなり──気が付けば、ソウゴ達は大海原の上に浮かぶ船の甲板に立っていた。

 

 そして周囲に視線を巡らせば、そこには船の墓場などなく、何百隻という帆船が二組に分かれて相対し、その上で武器を手に雄叫びを上げる人々の姿があった。

 

「ソ、ソ、ソウゴくん? 私、夢でも見てるのかな? ソウゴくん、ちゃんとここにいるよね? ね?」

「大規模な幻術の類か? 中々凝った仕掛けだな」

 

 香織は度肝を抜かれてしまい、何とか混乱しそうな精神を落ち着かせながら周囲の様子を見る事しか出来ない。一方ソウゴは、不安そうな香織の疑問を無視して目の前の光景の仕組みを看破する。

 

 そうこうしている内に大きな火花が上空に上がり、花火の様に大きな音と共に弾けると何百隻という船が一斉に進み出した。ソウゴ達が乗る船と相対している側の船団も花火を打ち上げると一斉に進み出す。

 そして一定の距離まで近づくと、そのまま体当たりでもする勢いで突貫しながら、両者とも魔術を撃ち合いだした。

 

「きゃあ!」

 

 轟音と共に火炎弾が飛び交い船体に穴を穿ち、巨大な竜巻がマストを狙って突き進み、海面が凍りついて航行を止め、着弾した灰色の球が即座に帆を石化させていく。

 ソウゴ達の乗る船の甲板にも炎弾が着弾し、盛大に燃え上がり始めた。船員が直ちに魔術を使って海水を汲み上げ消火にかかる。

 

 

 戦場──文字通り、この夥しい船団と人々は戦争をしているのだ。放たれる魔術に込められた殺意の風が、ぬるりと肌を撫でていく。ソウゴにとっては見慣れた光景だ。

 

 

 その様子を呆然と見ていた香織とソウゴの背後から再び炎弾が飛来した。放っておけばソウゴ達に直撃コースだ。

 

 たとえ直撃したとしても香織は兎も角ソウゴは痛痒も感じないだろうが、逆に言えば香織は大なり小なりダメージを受ける事になる為、ソウゴは炎弾を迎撃すべく適当にデコピンを放った。

 

 炸裂音と共に衝撃波となって飛翔した風圧は、しかし全く予想外な事に炎弾を迎撃するどころか直撃したにも関わらず、そのまますり抜けて空の彼方へと消えていってしまった。

 

「む? ……あぁ成程、そういう仕組みか。ならば……」

 

 一瞬疑問を覚えるが、直ぐにそのトリックを理解した様でその指先に蒼炎を灯し弾丸の様に飛ばすソウゴ。すると今度は寸分の狂い無く、炎弾を相殺する。

 

「えっと、ソウゴくん? 今のは……」

「どうやら、ただの幻覚では無いが、現実という訳でも無い様だ。実体のある攻撃は効かないが、魔力を伴う等の特殊攻撃は有効らしい。タネが分かればどうという事も無いな」

 

 ソウゴが香織につまらなそうに説明していると、すぐ後ろで「ぐぁああっ!」と苦悶の声が上がった。何事かと振り返ると、年若い男がカットラスを片手に腹部を抑えて蹲っていた。見れば足元に血溜りが出来ており、傍らには血濡れの氷柱が転がっている。恐らく被弾したのだろう。

 

 咄嗟に香織は、「大丈夫ですか!?」と声を掛けながら近寄り、回復魔術を行使した。彼女の放つ白菫の光が青年を包み込む。香織の"治癒師"としての腕なら瞬く間に治る筈だ……と思われたが、結果は予想外。青年は香織の回復魔術をかけられた瞬間、淡い光となって霧散してしまった。

「え? えっ? ど、どうして……」

 混乱する香織に、ソウゴは蒼炎を纏った四肢で攻撃を捌きながら告げる。

 

「魔力さえ伴っていれば、属性や効果は関係無いのだろう」

「……それじゃあ、わ、私……あの人を殺し……」

「馬鹿者、所詮は幻に過ぎん。それに、私の供をしたいなら慣れておけ」

「ソウゴくん……うん、そうだね。ごめんなさい。ちょっと取り乱しちゃったけど、もう大丈夫」

 ソウゴの淡々としながら香織を叱咤する言葉に、しかし香織はいつもの様に喜ぶでもなく、ただ申し訳なさそうに肩を落とした。そして、直ぐに笑顔を取り繕う。そんな香織に、ソウゴは思わず先程から思っていた事をポツリと呟いた。

 

「……辛気臭い表情を浮かべよって」

「えっ? 何か言った?」

「いや、何でもない」

 

 ソウゴが香織から視線を外す。

 

 

 香織との間に微妙な空気が流れそうだったからではなく、不穏な気配を感じたからだ。周囲を見渡せば、いつの間にかかなりの数の男達が暗く澱んだ目でソウゴと香織の方を見ていた。

 香織がソウゴの視線に気が付き同じ様に視線を巡らせた直後、彼等はソウゴ達に向かって一斉に襲いかかってきた。

 

「全ては神の御為にぃ!」

「エヒト様ぁ! 万歳ぃ!」

「異教徒めぇ! 我が神の為に死ねぇ!」

 

 そこにあったのは狂気だ。血走った眼に、唾液を撒き散らしながら絶叫を上げる口元。真面に見れたものではない。

 

 

 相対する船団は明らかに何処かの国同士の戦争なのだろうと察する事が出来るが、その理由も分かってしまった。

 

 ──これは宗教戦争なのだ。

 

 よく耳を澄ませば、相対する船団の兵士達からも同じ様な怒号と雄叫びが聞こえてくる。ただ、呼ぶ神の名が異なるだけだ。

 

 

 その狂気に気圧されて香織は呆然と立ち尽くす。

 

 ソウゴは香織を庇いつつ、指先の蒼炎を振るう。

 

 ソウゴが放ったのは、オルクスでトラウムソルジャーを焼いた"積尸気鬼蒼炎"。死霊系統の魔物であるトラウムソルジャーは勿論だが、この様な霊体の相手には積尸気は滅法有利なのだ。

 

 燃え盛る様に広がった蒼炎は、一瞬で狂気を瞳に宿しカットラスを振り上げる兵士達を飲み込む。

「香織、少し衝撃が来るが耐えろよ」

「えっ?」

 ソウゴは一言断りを入れ、指を鳴らして"積尸気魂葬波"を発動する。

 

 

 霊魂を火薬に見立てて爆破するこの技は、相手が霊的存在に近い程その破壊力が増すという特性がある。

 

 つまり、この様な状況ではこの上ない程有用な技なのだ。蟹座万歳である。

 

 

 四方八方から突如爆発が起こり、余りの勢いと衝撃に香織から悲鳴が上がる。

 

「きゃああああっ!?」

 

 ソウゴはさり気なく香織にダメージが行かない様に"赤の護法印(レッドヘクス)"を纏わせつつ、その体を抱き上げて跳び上がり、監視役の兵士を蹴り落とし四本あるマストの内の一本にある物見台に着地した。

 

 下方で、狂気に彩られた兵士達が血走った眼でソウゴ達を見上げている。

 

 今の今まで敵国同士で殺意を向け合っていたというのに、どういう訳か一部の人間達がソウゴと香織を標的にしている様だった。しかも、二人を狙う場合に限って敵味方の区別なく襲ってくるのだ。その数も、まるで質の悪い病原菌に感染でもしているかの様に次々と増加していく。

 一瞬前まで目の前の敵と相対していたというのに、突然動きを止めるとグリンッ! と首を捻ってソウゴ達を凝視し、直後に群がって来る光景は軽くホラーだ。狂気に当てられた香織など、既に真っ青になっている。

 

「さて、香織よ。この三文芝居が如き再現劇の終点はどこだと思う?」

「……どこかに脱出口がある……とか?」

「大海原の真っ只中にか?」

「……船のどれかが、脱出口になっていたりしないかな?」

 

 香織の答えを聞きつつ、ソウゴは周囲を見回す。

 

「総数は大体六百隻程度……一つ一つ探すのは手間だな。戦争が終わる方が早かろう」

「う~ん、確かに。沈んじゃう船もあるだろうし……じゃあ、戦争を終わらせる……とかかな?」

「終わらせる……まぁそれが妥当なところだろうな。では香織、今から私は広域殲滅を行う。余波を食らわん様に精々障壁を張っておけ」

「わ、分かったよ!」

 

 ソウゴの言葉に、震える体を叱咤して決然とした表情で詠唱を始める香織。狂気が吹き荒れる戦場は、香織の精神を掘削機のように削り取っているのだろうが、隣にいる想い人に無様を見せたくない一心で気丈に振舞う。

 

 そんな彼女を極力巻き込まない様に、ソウゴは空中に飛び周囲を睥睨した。

 

 眼下を見れば、そこかしこで相手の船に乗り込み敵味方混じり合って殺し合いが行われていた。ソウゴ達が攻撃した場合と異なり、幻想同士の殺し合いではきっちり流血するらしい。

 甲板の上には誰の物とも知れない臓物や欠損した手足、或いは頭部が撒き散らされ、かなりスプラッタな状態になっていた。誰も彼も、「神の為」「異教徒」「神罰」を連呼し、眼に狂気を宿して殺意を撒き散らしている。

 

 兵士達の鮮血が海風に乗って桜吹雪の様に舞い散る中、マストの上の物見台にいるソウゴ達にも……否、寧ろソウゴ達を狙って双方の兵士が襲いかかった。

 その途端、ソウゴから山吹色の閃光が爆発的に迸る。

 

「"スピアートリリオン"」

 

 それは雨の如く降り注ぐ、灼熱の死槍。

 

 

 灼熱系上級呪文"ベギラゴン"を圧縮し、それを千本の針として撃ち出す技・"ニードルサウザンド"。

 

 それをソウゴ流にアレンジしたのが"スピアートリリオン"。

 

 ギラ系最上位呪文である"ギラグレイド"を圧縮し一兆の槍として射出するこの技は、ソウゴの事前注意通り上下前後左右ありとあらゆる方向へ降り注ぎ、戦場の端から端まで兵士達を艦ごと焼滅させる。今回はおまけとばかりに積尸気も混ぜてあるので効果は抜群だ。

 

 

 物理攻撃が一切通用せずどの様な攻撃にも怯まない狂戦士の大群と船の上で戦わなければならないという状況は、普通なら相当厳しいものなのだろうがここにいるのはチートと、そのチートすら容易く凌駕する大魔王。

 

 

 二国の大艦隊は、その大魔王のたった一撃で殲滅されたのだった。

 

 

 

「……うっ、げほぉ、かふっ、ごめ──」

「いい、我慢するな」

 

 

 兵士達を消滅させた直後、再び周囲の景色がぐにゃりと歪み、気が付けばソウゴ達は元の場所に戻っていた。

 

 やはり殲滅で正解だったかと納得した直後、香織は近くの岩場に駆け込み胃の中のものを吐き出し始めた。夕食は消化された後なので吐けるものがなく、一層苦しそうに嘔吐いている。

 

 目尻に涙を溜めながら、香織は片手で「来ないで」とソウゴに制止をかけた。

 

 しかしソウゴはお構い無しに近寄り、香織の背を摩る。想い人に無様を見られたくない香織だったが、背中に伝わる優しく温かい感触が心地良くて、気づけば身を委ねていた。いつの間にか、荒れた精神も強烈な吐き気も静まっている。

 

 ソウゴが宝物庫から取り出したリンゴジュースの様な飲み物を受け取り、素直にコクコクと飲むと活力も戻ってきた様だ。甘く爽やかな味が、胃液の苦さを洗い流した。

「ごめんね……」

 面倒を掛けて申し訳ないと眉を八の字にして謝罪する香織に、ソウゴは目を細める。

「構わん。今回に限っては、慣れてなければああなるのも無理あるまい。……だがよく覚えておけ、神に縋り全てを委ねた人間の狂気を。私に付いてくる限り、あの様な人間を相手にする可能性がある事を」

「……うん。ねぇ、ソウゴくん。あれは何だったのかな? ここにある廃船と関係あるよね?」

 

 立ち上がり近くの岩場に腰掛けながら、香織が問いかける。ソウゴは適当な果実を齧りながら自身の推測を話した。

 

「恐らくだが、嘗ての戦争を再現したんだろう。そこへ迷宮の挑戦者を襲うという改良を加えたという形なら……、これがこの迷宮のコンセプトなのであろうな」

「コンセプト?」

「ああ。【グリューエン大火山】でティオが推測しておってな。『大迷宮には其々、その地の解放者達が用意したコンセプトがあるんじゃないか?』とな。その推測について、私は十中八九間違い無いと踏んでいる。ならばここは……」

「……"狂った神が齎すものの悲惨さを知れ"、かな?」

「そんなところだろう」

 

 ソウゴの言葉を引き継ぎ答えを呟いた香織は、先程までの光景を思い出して再び寒気に襲われた様に体をぶるりと震わせながら顔を蒼褪めさせた。

 

 香織が吐き気を催す程精神を苛んだのは、兵士達の狂気だ。"狂信者"という言葉がぴったり当て嵌まる彼等の言動が、思想が、そしてその果ての殺し合いが気持ち悪くて仕方なかったのだ。

 

 狂気の宿った瞳で体中から血を噴き出しながらも哄笑し続ける者や、死期を悟ったからか自らの心臓を抉り出し神に捧げようと天に掲げる者、ソウゴ達を殺す為に弟ごと刺し貫こうとした兄と、それを誇らしげに笑う弟。戦争は狂気が満ちる場所なのだろうが、それにしても余りに凄惨だった。その全てが"神の御為"というのだから、尚更……

 

 口元を抑えて俯く香織を見かねて、ソウゴは香織のすぐ隣に腰掛けるとその頭を撫でた。狂気に呑まれそうになっている人間を繋ぎ止めるには、こういう手段が最適だ。

 香織は少し驚いた様にソウゴを見ると、次いで嬉しそうに頬を緩めてギュッと手を握り返した。

 

「ソウゴくん、ありがと……」

「気にするな。迷う子を導くのは、大人の務めだからな」

「ふふっ、流石不老不死。でも、ソウゴくん自身は経験ある?」

「どうだろうな。失意で投げやりになった事はあるが、狂気に飲まれそうになった経験は覚えが無いな。無論、光景としては何度も見たが」

 

 ポケットの中を探る様に不思議そうな、そして苦い経験を思い出したのか渋い顔をするソウゴ。きっと、香織には想像もつかない様な壮大で長大な日々を思い出しているのだろう。その表情を見て、香織の胸が締め付けられる。

 

「強いなぁ。ソウゴくんについていけば、私もユエ達と同じ目線に立てるかと思ったけど……全然届かないや。って言っても、私じゃ最初から何が出来たか分からないけどね……。あ~、ユエ達は強敵だなぁ~」

 

 おどけた様に笑う香織に、ソウゴはまた目を細めた。香織の笑顔が、ソウゴの知る温和な笑みではなく、多分に自虐や自嘲が入ったものだったからだ。

 

「自覚が無いのか? ここに来てから、強がる様な笑みばかりしているぞ」

「え? えっと……」

 

 突然のソウゴの言葉に、香織は頭に"?"を浮かべる。しかし次ぐソウゴの言葉で、笑みが崩れ一気に表情が強ばった

 

「……なぁ、白崎香織。貴様、何故付いて来たんだ?」

「……それは、やっぱり邪魔だって事かな?」

 

 ソウゴは俯いてしまった香織に、溜息を吐くと質問にも答えながら話し出す。

 

「貴様が足手纏いなのは前提だ、今更気にしやしない。私が言っているのは貴様の心情の話だ。オルクスに潜る前日、私の居室で紅茶擬きを飲みながら話をした事は一応覚えている。だから正直、この私に好意を寄せる事が不思議でならない」

「ソウゴくん、私は……」

「否定するつもりは無い。私にだけ見えるものがある様に、きっと貴様にしか見えないものがあるのだろう。その上の決断を否定するなんぞ無粋だからな。私は既に答えを示した、"それでも"というなら好きにすればいい。ユエもシアも似た様なものだ」

 

 常日頃からしつこく狙ってくる二人が脳裏に浮かび、鬱陶し気な顔になるソウゴ。そんなソウゴを見て、香織は苦笑い気味になる。

「……ソウゴくんにとっては、あの二人も私と同じ扱いなんだ」

「あぁ。実のところ、私にとって足手纏いという意味では、貴様も他の三人も同列だ」

 そんな驚く様な言葉を吐きながら、ソウゴは三人の問題点を挙げる。

 

 

「ユエは術の向上や作成などは熱心ではあるが、やはりどこかに天才だという驕りが見える。余裕と油断の区別がついてないのだろうな。それに一番の課題である、近接戦の訓練がおざなりなのも一目で分かる。私の配下というには、二流未満が精々だ」

 

「シアは未だ満足に覇気すら使えん時点で話にならん。"八門遁甲"とは言わずとも"六式"や"獣拳"、"五星拳"の初歩程度使えなければ兵士どころか使用人すら務まらん。まだ学生達の方が一段も二段も上手な位だ」

 

「ティオも問題は多い。伸び代はあるが、やはり種族トップの実力という事実が腕を腐らせる。それに竜に変化したところで、奴は私から見れば小型サイズだ。上位の竜種や龍、ましてや古龍や騎士・貴族が相手では塵芥に等しい」

 

「……」

「だが奴等は、私が厳しく接しても、その事実を伝えても、それを理解した上であの調子だ。前を向くことを止めたりはしない。今の貴様の様に劣等感に苛まれて、卑屈になったりはしない」

「わ、私、卑屈になんて……」

 

 ソウゴの言葉を黙って聞いていた香織は、耐えかねた様に反論するが、それも力は無く直ぐに尻すぼみになっていく。

 

「気がついているか? ここに来てから、事ある毎に謝ってばかりだという事に。笑い方が、以前と全然違う事に」

「え?」

「下を向くな。顔を上げて私を見ろ」

 

 そう言われて香織は、自分がずっと俯いていた事に今更ながらに気が付いた。以前は話をする時は、きちんと相手の目を見て話していたというのに……

 香織はハッとしてソウゴと目を合わせた。

 

 

「いいか、もう一度言うぞ。私は、決して貴様等を選ばん。"追従"は許しても、"隣に立つ"事を許すのは永遠に王妃ただ一人よ。その事に辛さしか感じないなら、そして遠く及ばんユエすらも比べて卑屈にしかなれないなら……白崎香織、貴様は疾く失せよ」

「ッ……」

 

 はっきりと告げられた言葉に、香織は再び俯いてしまう。それを見ながら、ソウゴは言葉を重ねた。

 

「あの時貴様の同行を認めたのは、ユエ達と同じで、私の傍にいるという決断が香織にとって最善だと、貴様自身が信じていたからだ。私の言葉を理解した上で、"それでも"と願い真っ直ぐ前を向いたからだ。それなら構わないと、好きなだけ傍にいればいいと、そう判断した。気になる事もあった故な。……だが今は、とてもそう思えん」

 

 ソウゴは一度言葉を切ると、俯いてしまった香織から手を離し、最後の言葉を紡いだ。

 

「もう一度、よく考えろ。何故付いて来たのか、これからも傍にいるべきなのか……貴様は二人とは違う。奴等は、互いの事も好きだからな。……場合によっては、八重樫雫の下に送り返す」

「わ、私……」

 

 香織は離された手を見つめながら何かを言おうとするが、やはり言葉にならなかった。

 

 気まずい雰囲気のまま、それでも前に進まねばならないとソウゴは香織を促し、一番遠くに鎮座する最大級の帆船へと歩みを進めた。

 

 

 ソウゴと香織が見上げる帆船は、地球でもそうそうお目にかかれない規模の本当に巨大な船だった。

 

 全長三百メートル以上、地上に見える部分だけでも十階建て構造。そこかしこに荘厳な装飾が施してあり、朽ちて尚見る者に感動を与える程の豪華客船。

 香織はただ呆けている様だったが、ソウゴは「木造の船でよくもまぁ、これ程の船を仕上げたものだ」と、この手の物を思案・製造指示を出す目線から半感半呆の目を向けていた。

 

 ソウゴは香織を抱えると舞空術を使って飛び上がり、豪華客船の最上部にあるテラスへと降り立った。

 

 すると案の定、周囲の空間が歪み始める。

 

「またか……気をしっかり持て。どうせ碌な光景じゃない」

「……うん。大丈夫だよ」

 

 テンポの遅い香織の返事に、ソウゴは「先程の指摘は迷宮攻略中に言う事では無かったか」と軽く後悔した。

 

 

 明らかに、香織のテンションがダダ下がりである。言わなければならない事だったと確信しているが、もう少しタイミングというものがあったかもしれない。

 

 香織の浮かべる笑みが、ソウゴの認識しているものと余りに異なり見ていられなくなったのだが……

 

 せめて【メルジーネ海底遺跡】を攻略するまで我慢すべきだった……かもしれないとソウゴは頬をカリカリと掻きながら思った。

 

 

 常日頃から、幼少期より自分の事を知っている者達に囲まれて過ごしているソウゴの悪い癖だ。

 

 

 そうこうしている内に周囲の景色は完全に変わり、今度は海上に浮かぶ豪華客船の上にいた。

 

 時刻は夜で、満月が夜天に輝いている。豪華客船は光に溢れキラキラと輝き、甲板には様々な飾り付けと立食式の料理が所狭しと並んでいて、多くの人々が豪華な料理を片手に楽しげに談笑をしていた。

 

「パーティ……だよね?」

「ああ。随分と煌びやかだが……」

 

 予想した様な凄惨な光景とは程遠く肩透かしを食った様な気になりながら、その煌びやかな光景を二人は恐らく船員用の一際高い場所にあるテラスから、巨大な甲板を見下ろす形で眺めていた。

 

 するとソウゴ達の背後の扉が開いて船員が数名現れ、少し離れた所で一服しながら談笑を始めた。休憩にでも来たのだろう。

 

 その彼等の話に聞き耳を立ててみたところ、どうやらこの海上パーティは終戦を祝う為のものらしい。長年続いていた戦争が、敵国の殲滅や侵略という形ではなく、和平条約を結ぶという形で終わらせる事が出来たのだという。船員達も嬉しそうだ。よく見れば、甲板にいるのは人間族だけでなく、魔人族や亜人族も多くいる。その誰もが、種族の区別無く談笑をしていた。

 

「こんな時代があったんだね」

「終戦の為に奔走した者達の、血と努力の結晶というやつだろう。終戦からどの程度経っているか知らんが……」

「きっと、あそこに居るのは、その頑張った人達なんじゃないかな? 皆が皆、直ぐに笑い合えるわけじゃないだろうし……」

「まぁ、当事者なのは間違いあるまい」

 

 楽しげで晴れやかな人々の表情を見ていると、香織は自然と頬が緩んだ。しかしソウゴは、どこか目前の光景に胡散臭い気配を感じ、目を鋭く細める。

 

 

 暫く眺めていると、甲板に用意されていた壇上に初老の男が登り、周囲に手を振り始めた。それに気がついた人々が、即座におしゃべりを止めて男に注目する。彼等の目には一様に、敬意の様なものが含まれていた。

 

 初老の男の傍には側近らしき男と、何故かフードをかぶった人物が控えている。時と場合を考えれば失礼に当たると思うのだが……しかし、誰もフードについては注意しない様だ。

 

 やがて、全ての人々が静まり注目が集まると、初老の男の演説が始まった。

 

「諸君。平和を願い、その為に身命を賭して戦乱を駆け抜けた勇猛なる諸君。平和の使者達よ。今日この場所で、一同に会す事が出来た事を誠に嬉しく思う。この長きに渡る戦争を私の代で、しかも和平を結ぶという形で終わらせる事が出来た事、そしてこの夢の様な光景を目に出来た事……私の心は震えるばかりだ」

 そう言って始まった演説を誰もが身動ぎ一つせず聞き入る。

 

 演説は進み、和平への足がかりとなった事件やすれ違い、疑心暗鬼、それを覆す為にした無茶の数々、そして道半ばで散っていった友……

 

 演説が進むに連れて皆が遠い目をしたり、懐かしんだり、目頭を抑えて涙するのを堪えたりしている。

 

 

 どうやら初老の男は、人間族のとある国の王らしい。人間族の中でも、相当初期から和平の為に裏で動いていた様だ。人々が敬意を示すのも頷ける。

 

 

 演説も遂に終盤の様だ。どこか熱に浮かされた様に盛り上がる国王。場の雰囲気も盛り上がる。しかしソウゴはそんな国王の表情を見た途端、「成程、悪趣味な事だな……」と呟き目を伏せた。

 それに香織が疑問符を浮かべ質問しようとしたところで、国王の次の言葉が紡がれる。

 

 

「──こうして和平条約を結び終え、一年経って思うのだ。……実に、愚かだったと(・・・・・・)

 

 

 国王の言葉に一瞬、その場にいた人々が頭上に"?"を浮かべる。聞き間違いかと隣にいる者同士で顔を見合わせる。その間も、国王の熱に浮かされた演説は続く。

 

「そう、実に愚かだった。獣風情と杯を交わす事も、異教徒共と未来を語る事も……愚かの極みだった。分かるかね、諸君。そう、君達の事だ」

「い、一体、何を言っているのだ! アレイストよ! 一体、どうしたと言う──ッがはっ!?」

 

 

 国王アレイストの豹変に、一人の魔人族が動揺した様な声音で前に進み出た。そしてアレイスト王に問い詰めようとして……結果、胸から剣を生やす事になった。

 

 刺された魔人族の男は肩越しに振り返り、そこにいた人間族を見て驚愕に表情を歪めた。その表情を見れば、彼等が浅からぬ関係である事が分かる。本当に、信じられないと言った表情で魔人族の男は崩れ落ちた。

 

 場が騒然とする。「陛下ぁ!」と悲鳴が上がり、倒れた魔人族の男に数人の男女が駆け寄った。

 

「さて、諸君。最初に言った通り、私は諸君が一同に会してくれ本当に嬉しい。我が神から見放された悪しき種族如きが国を作り、我ら人間と対等のつもりでいるという耐え難い状況も、創世神にして唯一神たる"エヒト様"に背を向け、下らぬ異教の神を崇める愚か者共を放置せねばならん苦痛も、今日この日に終わる! 全てを滅ぼす以外に平和などありえんのだ! それ故に、各国の重鎮を一度に片付けられる今日この日が、私は堪らなく嬉しいのだよ! さぁ、神の忠実な下僕達よ! 獣共と異教徒共に裁きの鉄槌を下せぇ! ああ、エヒト様! 見ておられますかぁ!!!」

 

 膝を付き天を仰いで哄笑を上げるアレイスト王。彼が合図すると同時に、パーティ会場である甲板を完全に包囲する形で船員に扮した兵士達が現れた。

 

 甲板は、前後を十階建ての建物と巨大なマストに挟まれる形で船の中央に備え付けられている。なので、テラスやマストの足場に陣取る兵士達から見れば、眼下に標的を見据える事なる。海の上で逃げ場もない以上、地の利は完全に兵士達側にあるのだ。それに気がついたのだろう。各国の重鎮達の表情は絶望一色に染まった。

 

 次の瞬間、遂に甲板目掛けて一斉に魔術が撃ち込まれた。下という不利な位置にいる乗客達は必死に応戦するものの……一方的な暴威に晒され抵抗虚しく次々と倒れていった。

 

 何とか船内に逃げ込んだ者達もいる様だが、殆どの者達が息絶え、甲板は一瞬で血の海に様変わりした。ほんの数分前までの煌びやかさが嘘の様だ。海に飛び込んだ者もいるようだが、そこにも小舟に乗った船員が無数に控えており、やはり直ぐに殺されて海が鮮血に染まっていく。

 

 

「うっ!」

「……"ハイエスト・アルティテュード"」

 

 

 吐き気を堪える様に、香織が手すりに身を預け片手で口元を抑えた。余りに凄惨な光景だ。

 するとソウゴはそんな香織を気遣ったのか、それとも単に自身が気に喰わなかったのか、片手を掲げその手中に紫の雷を束ねる。

 

 

 その紫雷の光槍は部下を伴って船内へ向かうアレイスト王に向けて投げられ、一瞬で周囲の海域ごと衝撃に飲み込まれていく。

 

 

 その時ふと、フードの人物が甲板を振り返った。その拍子に、月の光を反射してキラキラと光る銀髪が一房、フードの裾から零れた──様にソウゴには見えた。

 

 そしてソウゴはそれを、つい最近どこかで見た気がした。

 

 

 

 再生の終わりを待たず、ソウゴの攻撃で周囲の景色がぐにゃりと歪む。どうやら先程の映像を見せたかっただけらしく、ソウゴと香織は元の朽ちた豪華客船の上に戻っていた。

 

「香織、少し休め」

「ううん、大丈夫だよ。ちょっと、キツかったけど……それより、あれで終わりかな? 私達、何もしてないけど……」

「この船の墓場は、ここが終着点だ。結界を超えて海中を探索して行く事は出来るが……普通に考えれば、深部に進みたければ船内に進めという事であろう。あの光景は、見せる事そのものが目的だったかもしれん。神の凄惨さを記憶に焼き付けて、その上でこの船を探索させるというな」

 

 この世界の人々はその殆どが信仰心を持っている筈であり、その信仰心の行き着く果ての惨たらしさを見せつけられては相当精神を苛むだろう。そして、この迷宮は精神状態に作用されやすい術の力が攻略の要だ。

 ある意味、【ライセン大迷宮】の逆なのである。異世界人であるソウゴ達だからこそ、精神的圧迫もこの程度に済んでいるのだ。

 

 香織は甲板を見下ろし、そこで起きた凄惨な虐殺を思い出して気の進まない表情になった。一方ソウゴは、見慣れている様に一切気にした風も無く進む。

 

 香織は意を決してソウゴに続き、アレイスト王達が入って言った扉から船内へと足を踏み入れた。

 

 

 船内は、完全に闇に閉ざされていた。外は明るいので、朽ちた木の隙間から光が差し込んでいてもおかしくないのだが、何故か全く光が届いていない。ソウゴは適当な術で掌に光球を作り出し闇を払う。

 

「さっきの光景……終戦したのに、あの王様が裏切ったっていう事かな?」

「であろうな。そしてそれを踏まえた上で、不自然な点がある。壇上に登った時は、随分と敬意と親愛の篭った眼差しを向けられていたのに、内心で亜人族や魔人族を嫌悪していたのだとしたら本当にあんなに慕われると思うか? まぁ、あれの演技力が王妃の部下(ラファエル)と同等なら知らんが」

「? う、うん……そうだね。あの人の口ぶりからすると、まるで終戦して一年の間に何かがあって豹変した、と考えるのが妥当かも。問題は何があったのかという事だけど……」

「ありえるのは、神本人かその末端が直接接触したのだろう」

 

 二人で先程の光景を考察しながら進んでいると、前方に向けられたソウゴの光球が何かを照らし出した。白くヒラヒラしたものだ。

 

 ソウゴと香織は足を止めて、光度を少しずつ上げていく。その正体は、幼い少女だった。白いドレスを着た少女が、俯いてゆらゆらと揺れながら廊下の先に立っていたのだ。

 

 猛烈に嫌な予感がする香織。その表情は引き攣りまくっている。ソウゴは生命反応が無い事を確認し、即座に積尸気を纏う。

 

 

 その瞬間、少女がペシャッと廊下に倒れ込んだ。

 そして手足の関節を有り得ない角度で曲げると、まるで蜘蛛の様に手足を動かし真っ直ぐソウゴ達に突っ込んで来た。

 

 ケタケタケタケタケタケタケタッ!

 

 奇怪な笑い声が廊下に響き渡る。前髪の隙間から炯々と光る眼でソウゴ達を射抜きながら迫る姿は、まるで王道の都市伝説の様だ。

 

「いやぁあああああああああああ!!!!」

「耳元で叫ぶな喧しい」

 

 テンプレだがそれ故に恐ろしい光景に、香織が盛大に悲鳴を上げてソウゴにしがみついた。耳元で叫ぶ香織にイラっとしながら、ソウゴは積尸気を纏う光速拳"鬼燐業拳"を放って少女を殴り飛ばす。

 

「ケギャッッッッ!?」

 

 瞬く間に足元まで這い寄った少女は、奇怪な悲鳴と共に盛大に吹き飛び壁や廊下に数回バウンドした後、廊下の奥で手足を更におかしな方向に曲げて停止しそのまま溶ける様に消えていった。

 

 ソウゴは溜息を吐くと、未だにふるふると震えながら腕にしがみつく香織の頭を拳で軽く叩く。ビクッとした後、香織は恐る恐るという感じでソウゴを見上げた。既に目尻には涙が溜まっており、口元はキュッと一文字に結ばれている。マジビビリだった。

 

「霊体相手は苦手か?」

「……得意な人なんているの?」

「そういうものだと思えばいいだろう」

「……ぐすっ、頑張る」

 

 香織はそう言って、ソウゴから離れた。手だけはソウゴの服の裾を掴んで離さなかったが。

 

 先程までソウゴに言われたことを気にしてどこか遠慮があったというのに、今は「絶対離れないからね!」という強靭な意志が濡れた瞳に宿っている。必死だ。告白した時と同じ位に。

 

 

 その後も、廊下の先の扉をバンバン叩かれたかと思うとその扉に無数の血塗れた手形がついていたり、首筋に水滴が当たって天井を見上げれば水を滴らせる髪の長い女が張り付いてソウゴ達を見下ろしていたり、ゴリゴリと廊下の先から何かを引き摺る音がしたかと思ったら、生首と斧を持った男が現れ迫ってきたり……

 

 その殆どは、ソウゴが積尸気で瞬殺したのだが……

 

 

「やだよぉ……もう帰りたいよぉ……雫ちゃんに会いたいよぉ~」

 

 船内を進む毎に激しくなる怪奇現象に香織が幼児退行を起こし、ソウゴの背に張り付いてそこから動かなくなった。

 

 因みに雫の名を呼ぶのは、小さい時から光輝達に付き合わされて入ったお化け屋敷で、香織のナイト役を勤めていたのは雫だったからだそうだ。決して、百合百合している訳では無い。

 

 

 【メルジーネ海底遺跡】の創設者メイル・メルジーネは、どうやらとことん精神的に追い詰めるのが好きらしい。ソウゴは特にどうとも思わないが、普通の感性を持つ者なら精神的にキツイだろう。

 

 

 先程までの人生の迷子的なシリアスな雰囲気は何処に行った? と、思わずツッコミを入れたくなる位ソウゴに引っ付き半泣きになりながら、それでもどうにか"縛光刃"のガトリング掃射で怪奇を撃退していく香織と、それを見守るソウゴ。途中何度か意識を飛ばしそうになる香織に、ソウゴは足を止めつつも先へ進む。

 

 そうこうしている内に、遂に二人は船倉まで辿り着いた。

 

 重苦しい扉を開き、中に踏み込む。

 船倉内には疎らに積荷が残っており、ソウゴ達はその積荷の間を奥に向かって進む。すると少し進んだところで、いきなり入ってきた扉がバタンッ! と大きな音を立てて勝手に閉まってしまった。

 

「ぴっ!?」

「……」

 

 香織がその音に驚いて変な声を上げる。

 ソウゴが溜息を吐きながらビクつく香織の肩を撫でて宥めていると、また異常事態が発生した。急に濃い霧が視界を閉ざし始めたのだ。

「ソソソソソ、ソウゴくん!?」

「狼狽えるな」

 

 ソウゴがそう答えた瞬間、ヒュ! と風を切る音が鳴り霧を切り裂いて何かが飛来した。咄嗟にソウゴが左腕を掲げると、ちょうど首の高さで左腕に止められた極細の糸が見えた。更に連続して風を切る音が鳴り、今度は四方八方から矢が飛来する

「ここに来て物理トラップか? 意外と考えて造っているではないか」

「守護の光をここに "光絶"!」

 ソウゴは邪眼で難なく捌き、香織も防御魔術を発動した。直後、前方の霧が渦巻いたかと思うと、凄まじい勢いの暴風がソウゴと香織に襲いかかった。

 

 ソウゴは素早く隣の香織を掴もうとしたが、運悪く香織の防御魔術が邪魔になり、一瞬の差で手が届かなかった。

 

「きゃあ!?」

 

 香織は悲鳴を上げて暴風に吹き飛ばされ霧の中へと姿を消す。ソウゴは舌打ちしつつ感知系能力を使い香織の居場所を把握する。大体の方向を掴み、その先を目指すソウゴ。

「チッ。香織、そこを動くなよ」

 舌打ちしつつ香織に呼びかけるソウゴに、今度は前方の霧を切り裂いて長剣を振りかぶった騎士風の男が襲いかかってきた。何かしらの剣技を繰り出してくる。

 

 ソウゴはそれを手刀で叩き折ると、"鬼燐嵐脚"を繰り出しその胴を真っ二つに斬り裂く。体を二つに分かたれた騎士風の男は、苦悶の声を上げる事も無くそのまま霧散した。

 

 しかし、同じ様な剣士や拳士、他にも様々な武器を持った武闘派の連中が霧に紛れて次々に襲いかかってきた。

 

「手応えの無い連中を次々と……」

 

 悪態を吐きつつ、ソウゴは小宇宙を高める。

 

 

 一方香織は、ソウゴの姿が見えなくなってしまった事に猛烈な不安と恐怖を感じていた。

 ホラーは本気で苦手なのだ。こればっかりは、体が勝手に竦んでしまうので克服するのは非常に難しい。ただでさえ劣等感から卑屈になっている点を指摘されてしまい、何とかそんな事は無いと示そうと思っていたのに、肝心なところで縋り付いてしまう自分がほとほと嫌になる。

 

 こんな事ではいけないと震える体を叱咤して、香織は何とか立ち上がる。とその時、香織の肩に手が置かれた。ソウゴが自分を見つけてくれたのかと、一瞬喜びが湧き上がった。

 

「ソウゴく……」

 

 直ぐに振り向こうとして、しかしその前に、香織は肩に置かれた手の温かみが妙に薄い事に気がついた。否、もっと正確に言うなら温かいどころか冷たい気さえする。

 

 香織の背筋が粟立った。自分の後ろにいるのは、ソウゴではない。直感で悟る。

 

 では、一体誰?

 

 油を差し忘れた機械の様にギギギと音がなりそうな有様で背後を振り返った香織の眼前には……

 

 

 目、鼻、口──顔の穴という穴の全てが深淵の様な闇色に染まった女の顔があった。

 

 

「あふぅ~」

 

 香織の精神は一瞬で許容量をオーバーし、防衛本能に従ってその意識を手放した。

 

 

 

「失せろ雑魚共、"天魔降伏"」

 

 その頃ソウゴはわずか一撃、ほんの数秒で五十体近い戦士の亡霊達を撃滅していた。全員がソウゴの光の圧力で霧散すると同時に、周囲の霧も晴れ始める。

「香織、どこにいる?」

 間髪入れず声を上げソウゴは香織の気配を感知しようとするが、香織はあっさり見つかった。

「ここだよ。ソウゴくん」

「傷は無い様だな……」

 微笑みながら歩み寄ってくる香織に、ソウゴは外傷の有無を確認する。香織は更に婉然と微笑むと、そっとソウゴに寄り添った。

「すごく、怖かった……」

「そうか」

「うん。だからね、慰めて欲しいな」

 そう言って、香織はソウゴの首に腕を回して抱きついた。そして、鼻と鼻が触れ合いそうな程間近い場所で、その瞳がソウゴの口元を見つめる。やがて、ゆっくりと近づいていき……

 

 

 ゴキャッッ!!

 

 

 と音を立てて、香織の顎を"鬼燐業拳"が正確に捉えた。

 

 ソウゴの拳は空き缶を潰す様に容易に骨を砕き、香織を船倉の壁にめり込ませる。その衝撃で抜けたのか、折れた香織の歯が数本宙を舞う。

 

「アギャッッ──!? な、何を……!?」

 

 血を吐きながらも狼狽した様子を見せる香織に、ソウゴは呆れた様な表情を向ける。

 

「何をだと? つまらん事を訊くな」

 

 そう言って、ソウゴは微塵も躊躇わず距離を詰め追い打ちをかける。破裂音を置き去りに、ソウゴの蹴撃が香織の鳩尾を撃ち抜く。

 

 

 カランッ──と音を立てて転がったのは錆び付いたナイフだ。香織の手から放り出された物であり、抱きつきながら袖口から取り出したものでもある。

 コツコツと足音を立てながら、倒れた香織に近寄るソウゴ。香織は体を起こし、怯えた様に震えた声でソウゴに話しかける。

「ソウゴくん、どうしてこんな事──ッ!?」

 しかし、ソウゴは取り合わず"指銃"を撃ち込んだ。

 

「ふん、貴様程度の怨霊に体を乗っ取られるなぞ……まだまだ未熟な証よ」

 

 そう。ソウゴの眼には、香織と重なる様にして取り憑いている女の亡霊の様なものが映っていた。正体がバレていると悟ったのか、香織の姿をした亡霊は壁に叩きつけられながら先程までの怯えた表情が嘘の様に、今度はニヤニヤと笑い出した。

 

「ウフフ、それが分かってもどうする事も出来ない……もう、この女は私のものッ!?」

 

 そう話しながら立ち上がろうとした亡霊だったが、ソウゴに頭を掴まれ床に叩きつけられる。

「待ってッッ! 何をするの!? この女は、あんたの女! 傷つけるつもりッ!?」

「私に付いてきたのだ、その程度覚悟の上だろう」

「私が消滅すれば、この女の魂も壊れるのよ! それでもいいの!?」

 

 その言葉に、ソウゴが少し首を傾げる。発足の可能性も十分にあるが、真偽を確かめるのも面倒である。普通なら、躊躇し手を出せなくなるだろう。亡霊もそう思ったのか、再びニヤつきながら、ソウゴに命令した。それに対するソウゴの返答は……

 

 

それがどうした(・・・・・・・)?」

 

 

 ──"オーヴァー・クォーツァー"を発動し、その顔を殴りつけた。

 

 亡霊の表情が驚愕と激痛に歪む。そして焦った表情で、近づくソウゴに怒声を上げた。

 

「あんた正気なの!? この女がどうなってもいいの!?」

「別に肉体的に死のうが魂魄が消滅しようが、蘇生手段は幾らでもある。それと同時に貴様と香織を分けてダメージを与える術もな。だが抑々……この程度で死ぬ様な軟弱者なら、我が供には必要無い」

 

 あまりに潔い発言に絶句する亡霊。そしてソウゴは背後の"オーヴァー・クォーツァー"を構えさせ、試す様な笑みを浮かべて足を止める。

 

「では、実験を始めようか。貴様の精神と香織の肉体、どちらが先に音を上げるか」

 

 その言葉と共に、二対の腕から拳の雨が降り注いだ。

 

 

 

 

 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄アァァァーーーーーーー!!!!!!

 

 

 

 暴風雨の様に降り注ぐ暴力の中で、亡霊はただ只管願った。

 

 一秒でも早く消えてしまいたいと。想像を絶する狂気と脅威を浴び、誰に向けてか分からぬ謝罪を浮かべた。少しでも早く消えてしまいたかった。

 

 

 亡霊の正体は元々、生に人一倍強く執着する思念が変質したものだったのだが、その思いすら吹き飛ばす程今の状況は恐ろしかったのだ。

 

 

 消えたい(死にたい)消えたい(死にたい)消えたい(死にたい)消えたい(死にたい)消えたい(死にたい)消えたい(死にたい)

 

 

 

 ──殺してッッッ!!!!

 

 

 

 亡霊の叫びが木霊する中、香織の体が突然輝き出した。

 

 それは、状態異常回復の魔術"万天"の輝きだ。香織が万一に備えて、"遅延発動"用にストックしておいたものである。

 

 突然の事態に呆然とする亡霊に、内から声が響いた。

 

 

 ──大丈夫、ちゃんと送ってあげるから

 

 

 その言葉と共に、輝きが更に増す。白菫の光は亡霊を包み込む様に纏わりつくと、ゆらりふわふわと天へ向けて立ち上っていった。同時に亡霊の意識は薄れていき、安堵と安らぎの中、完全にこの世から消滅した。

 

 

 一拍の後、香織の瞼がふるふると振るえ、ゆっくり目を開いた。

 

 ソウゴが再びを足を進め香織を覗き込む。香織が輝き出してから、ソウゴは存在が薄れていく亡霊を認識していた為ラッシュを止めている。完全にその気配が消えた事を確認してから、ソウゴは香織の傍にしゃがみ込む。

 

 

 間近い場所にソウゴの顔があり、その視線は真っ直ぐ香織の瞳を射抜いている。びっくりするほど真剣で、同時に僅かながらも心配と安堵も含まれた眼差し。そんな瞳を見つめ返しながら、香織の体は自然と動いていた。

 

 スっと顔を持ち上げて、ソウゴの唇に自分のそれを重ねようとする。それは確かに香織のファーストキスだったのだが、ソウゴが咄嗟にそれを指で制した為未遂に終わった。

 

「……何のつもりだ?」

「答えかな?」

「答え?」

「うん。どうして付いて来たのか、これからも付いて行くのか……ソウゴくんの問い掛けに対する答え」

 

 そう言ってソウゴに向けられた香織の微笑みは、いつも見せていた温かな陽だまりの様な微笑みだった。ここに来てから見せていた、作り笑いの影は微塵もない。

 

 実のところ、とり憑かれている間香織には意識があった。まるで、ガラス張りの部屋に閉じ込められて外を見ている様な感じだった。それ故に、香織もしっかりと認識していたのだ。口では突き放す様な恐ろしい事を言いながらも、自分を傷つけない様に気遣いながら攻撃するソウゴを。一発攻撃する度に、肉体に与えたダメージと同じだけの回復を施していた事を。

 

 

 そのソウゴの姿を見た瞬間、香織の胸に耐え難い切なさが湧き上がった。そしてそれと同時に、告白した時のどうしようもない気持ちを思い出したのだ。

 

 

 それは、誰に何と言われようと、例えどれだけ迷惑を掛けようとも、この我儘だけは貫かせて欲しい。貫いてみせる。そんな気持ちだ。

 

 ソウゴを囲むユエ達の輪の中に、自分だけいない事が耐え難かった。自分だけソウゴの傍にいないという未来は想像もしたくなかった。自分の力量がユエ達に、ソウゴの求める基準に遠く及ばない事は重々承知していても、気持ちだけは負けていないと示したかった。

 

「好きだよ、ソウゴくん。大好き。だから、これからも傍にいたい」

「……辛くなるだけだぞ?」

「そうだね。嫉妬もするし、劣等感も抱くよ……辛いと感じる事もあるかも……でも少なくとも、ここで引いたら後悔する事だけは確かだから。確信してるよ。私にとっての最善はソウゴくんの傍にいる事だって……最初からそう思って付いて来たのに、実際に差を見せつけられて色々見失ってたみたい。でも、もう大丈夫」

 

 ソウゴの頬を両手で挟みながら、ふわりと微笑む香織。

 ソウゴは呆れた様な表情だ。香織が自分で決めて、その決断が最善だと信じているなら、ソウゴに言える事は何も無い。幸せの形など人それぞれだ。ソウゴに香織の幸せの形を決める事など出来ないし、するべきでもない。

「……そうか。貴様がそれでいいなら、私はこれ以上何も言わない」

「うん。いっぱい面倒かけるけど、嫌わないでね」

「今更だろう。私が言えた義理では無いが、貴様はトラブルメイカーだ」

「それは酷いよ!」

「そうか? 深夜に深い仲でもない男の部屋へネグリジェ姿でやって来る輩が、常識人と言えるのか?」

「うぅ、あの頃はまだ自覚が無くて、ただ話したくて……部屋に行ったのは、うん、後で気がついて凄く恥ずかしかった……」

 

 顔を赤くし両手で顔を覆う。ソウゴはそのまま香織を助け起こし、その肩をポンポンと叩いて霧が晴れてから倉庫の一番奥で輝き始めた魔法陣の方へ歩き出した。

 

 

 そのソウゴの袖をギュッと掴む香織。

 見れば、少しふらついてる。どうやらとり憑かれていたせいか、少し体の感覚が鈍いらしい。体に異常は無い様なので、直に元に戻るだろう。

「少し休憩するか?」

 それでも流石に初心者に無理をさせ過ぎたかと休憩を提案したソウゴに、香織はいい事を思いついた笑みを浮かべるとソウゴに背を向けさせその背中に飛び乗った。

「……何をしている」

「早く先に進んだ方がいいでしょ? いつまで魔法陣が機能してるか分からないし。ぼやぼやしてたら、また霧が出ちゃうかも。だから、ね?」

 

 確かに一理ある事なので、ソウゴは「しょうがないか……」と呟きつつ、香織を背負い直して魔法陣へと足を踏み入れた。

 

 

 淡い光が海面を照らし、それが天井にゆらゆらと波を作る。

 

 その空間は中央に神殿の様な建造物があり、四本の巨大な支柱に支えられていた。支柱の間に壁は無く、吹き抜けになっている。神殿の中央の祭壇らしき場所には精緻で複雑な魔法陣が描かれていた。また周囲を海水で満たされたその神殿からは、海面に浮かぶ通路が四方に伸びており、その先端は円形になっている。そして、その円形の足場にも魔法陣が描かれていた。

 

 その四つある魔法陣の内の一つが、俄かに輝き出す。そして一瞬の爆発する様な光の後、そこには人影が立っていた。無論、ソウゴと香織だ。

 

「……ここは……まさか、攻略したのか?」

「えっと、何か問題あるの?」

「いや、まさかもうクリアとは思わなくてな。他の迷宮に比べるとあまりに簡単過ぎる」

 

 どうやらメイル・メルジーネの住処に到着した様だとわかり、ソウゴは少し拍子抜けした様な表情になる。それに対して香織は、ソウゴの肩越しに顔を覗かせて苦笑いしながら答えた。

 

「あのね、ソウゴくん。十分大変な場所だったよ。最初の海底洞窟だって、普通は潜水艇なんて持ってないんだから、クリアするまでずっと沢山の魔力を消費し続けるし、下手をすればそのまま溺死だよ。クリオネみたいなのは有り得ない位強敵だったし、亡霊みたいなのは物理攻撃が効かないから、また魔力頼りになる。それで大軍と戦って突破しなきゃならないんだよ? 十分おかしな難易度だよ」

「そう言われればそうなんだろうが……」

「まして、この世界の人なら信仰心が強いだろうし……あんな狂気を見せられたら……」

「それだけで終わる事もあるか……」

 

 香織の指摘は、要するにソウゴが強すぎたという事だ。そこまで言われると、確かにそうかと納得するソウゴ。

 

 そして、そういえばユエ達と合流する前に到着してしまったが彼女達はどうしているだろうかと考えたその時、ソウゴの思考を読んだ様に右側にある通路の先の魔法陣が輝き出した。

 

 爆ぜる光が収まると、そこにはユエ、シア、ティオの三人の姿があった。絶妙なタイミングだった。

 

「計った様なタイミングだな。怪我は無さそうだな?」

「ん……そっちは……大丈夫じゃなかった?」

「あ、香織さん大丈夫ですかっ!?」

「む? 怪我でもしておるのか? 回復魔術はどうした?」

 ソウゴの呼びかけにそれぞれ元気な様子を見せつつ、ソウゴに背負われている香織に心配そうな視線を送っている。それに対する香織の返答は……

 

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ、半分は甘えているだけだから」

 

 実に朗らかな笑みを浮かべて堂々と宣言する香織にユエはスっと目を細め、シアは「羨ましいですぅ。代わって下さいよぉ」とアピールをし、ティオは面白そうに「ほほぉ」とニヤついた笑みを浮かべた。

 

「もう立てるのか?」

「えへへ、実は最初から歩く位なら問題無かったり……ごめんね?」

「……若いんだから自分で歩け、怠け者」

 少しバツが悪そうに笑う香織に、呆れた表情を見せながらソウゴは香織を降ろした。そして神殿へと向かいユエ達と合流する。

 

 

「で? 何があったんじゃ? ん? ほれ、言うてみよご主人様。香織と何かあったんじゃろ? ほれほれ、何があったんじゃあ? 隠さずに言うてッへぶぅ!?」

 

 ティオがニヤつきながら実にウザい感じで問い詰め出したので、鬱陶しかったソウゴは取り敢えずアッパーカットを繰り出した。天井に激突し、ピンポン玉の様に数度床と行き来しながら艶かしい姿勢で崩れ落ちたティオが、荒い息を吐きながら頬を染める。

「ひ、久しぶりの衝撃じゃぁ~、はぁはぁ、んっ、ご主人様よ、もっとお仕置きしていいんじゃよ? 寧ろ足蹴にしてくれていいんじゃよ?」

 どこか期待した雰囲気でそんな事を宣うティオを無視して、ソウゴ達は奥の祭壇へと向かった。背後から「あと一回、一回でいいのじゃ! お願い、妾をぶってぇ」と気持ち悪い言葉が聞こえていたが、全員がスルーした。

 

「……で? 何があったの?」

 

 ユエが、ティオと同じ質問をする。しかしその視線はソウゴではなく、香織に向いていた。香織はユエに視線を合わせるとニッコリと上機嫌に笑い、いつかの様に言葉の爆弾を落とす。

 

「ちょっとソウゴくんにキスしようとして、認められただけだよ」

「……ほぅ」

「えっ!? ホントですか!?」

 

 誤解を招く香織の言葉に、ユエの声が一段低くなり、シアが興奮した様に詰め寄った。

 

「……尻尾巻いて逃げるかと思ってた」

 ユエが、香織に探る様な眼差しを向ける。

 

 ユエは、香織が劣等感を感じて心を苛んでいる事に気がついていた。だから、香織にとって最初の大迷宮挑戦になる今回で、或いは挫折して逃げ帰る事もあるだろうと考えていたのだ。勿論、自分に宣戦布告した相手を慰めてやるつもりなど毛頭無かった。ここで引くなら、その程度の想いだったと勝利宣言すればいいだけだ。

 

 だが、香織はどうやら立ち直った様で、寧ろ前より決然としている雰囲気すらある。何があったのか気になるところだった。

 

「……そうだね。ソウゴくんにも、いっそそうした方がいいって言われたよ。でも、ユエとの色々な差とか……今更だしね」

「……開き直った?」

「そうとも言うかも。というかね、元々開き直って付いて来たのに、差を見せつけられてそれを忘れてただけなんだよ。情けないとこ見せちゃった」

「……そのまま諦めれば良かったのに」

「ふふ、怖い?先に行かれそうで?」

「……調子に乗るな、トラブルメイカー」

「……それ、ソウゴくんにも言われた。……私、そんなにトラブル体質なのかな……」

 

 

 辛辣なユエの言葉に、香織の頬が引き攣る。想い人と恋敵に揃ってトラブルメイカー呼ばわりされて若干落ち込みそうなるが、直ぐに気を取り直す。因みに、実はユエも、というかソウゴ達全員が割かしトラブル体質なのでかなりブーメランな言葉なのだが、ユエにその自覚はなかった。

 

 

「まぁ、ユエの言う通りかもしれないけど……少なくとも私はソウゴくんの"仲間"だから、頑張って"特別"を目指すって決めたの。誰になんと言われようと、ね」

「……そう。なら今まで通り受けて立つ」

「うん! あ、それと。ユエの事は嫌いじゃないからね? 喧嘩友達とか、そういうの、ちょっと憧れてたんだ」

「……友達? 私と香織が?」

「そう、友達。日本にはね、強敵と書いて友と表現する人がいるみたい。なら、恋敵と書いて友と読んでもいいんじゃないかな?」

「……日本……ソウゴ様の故郷の、昔の名前……聞けば聞くほど不思議な国。でも……いいセンスだと思う」

「だよね。うふふ、そういう訳で、これからも宜しくね?」

「……ん」

 

 何だかいい感じの雰囲気を放つユエと香織だったが、その傍らで迷惑そうな表情をしているソウゴには気づかなかった。

 

 

 

 祭壇に到着したソウゴ達は、全員で魔法陣へと足を踏み入れる。いつもの通り脳内を精査され、記憶が読み取られた。しかし今回はそれだけでなく、他の者が経験した事も一緒に見させられる様だった。つまり、ユエ達が見聞きしたものをソウゴと香織も共有したのである。

 

 

 どうやらユエ達は、巨大な地下空間で海底都市とも言うべき廃都に辿り着いた様だ。そこでソウゴ達と同じく空間が歪み、二国の軍隊と都内で戦争して来た様である。というのも、その都は人間族の都で魔人族の軍隊に侵略されているところだったらしく、結局ソウゴ達と同じ様に両者から襲われた様だ。

 

 都の奥には王城と思しき巨大な建築物があり、軍隊を蹴散らしながら突き進んだユエ達は、侵入した王城で重鎮達の話を聞く事になった。

 

 

 何でも、魔人族が人間族の村を滅ぼした事が切っ掛けで、この都を首都とする人間族の国が魔人族側と戦争を始めたのだが、実はそれは和平を望まず魔人族の根絶やしを願った人間側の陰謀だった様なのだ。気がついた時には、既に収まりがつかない程戦火は拡大し、遂に返り討ちに合った人間側が王都まで攻め入られるという事態になってしまった……という状況だったらしい。

 

 そしてその陰謀を図った人間とは、国と繋がりの深い光教教会の高位司祭だったらしく、この光教教会は聖教教会の前身だった様だ。

 

 更に、彼等は進退窮まり暴挙に出た。困った時の神頼みと言わんばかりに、生贄を捧げて神の助力を得ようとしたのだ。その結果、都内から集められた数百人の女子供が教会の大聖堂で虐殺されるという凄惨な事態となった。

 

 ユエ達もその光景を見た時は、流石にかなりキツかった様だ。魔法陣による記憶の確認により強制的に思い出し、顔を蒼褪めさせている。特に、シアは今にも吐きそうだ。

 

 

 漸く記憶の確認が終わり、無事に全員攻略者と認められた様である。ソウゴ達の脳内に新たな神代魔術が刻み込まれていった。

 

「ここでこの魔術か。随分捻た性格だな、メルジーネとやらは」

「……見つけた、"再生の力"」

 

 ソウゴが苦笑気味に呟く。それは、手に入れた【メルジーネ海底遺跡】の神代魔術が"再生魔術"だったからだ。

 

 

 思い出すのは、【ハルツィナ樹海】の大樹の下にあった石版の文言。先に進むには確かに"再生の力"が必要だと書かれていた。

 つまり、東の果てにある大迷宮を攻略するには、西の果てにまで行かなければならなかったという事であり、最初に【ハルツィナ樹海】に訪れた者にとっては途轍もなく面倒である。ソウゴ達は高速の移動手段を多数持っているから何とでもなるが。

 

 

 魔法陣の輝きが薄くなっていくと同時に、床から直方体がせり出てきた。小さめの祭壇の様だ。その祭壇は淡く輝いたかと思うと、次の瞬間には光が形を取り人型となった。どうやら、オスカー・オルクスと同じくメッセージを残したらしい。

 

 人型は次第に輪郭をはっきりとさせ、一人の女性となった。祭壇に腰掛ける彼女は、白いゆったりとしたワンピースの様なものを着ており、エメラルドグリーンの長い髪と扇状の耳を持っていた。驚いた事に、どうやら解放者の一人メイル・メルジーネは海人族と関係のある女性だった様だ。

 

 

 彼女はオスカーと同じく、自己紹介したのち解放者の真実を語った。おっとりした女性のようで、憂いを帯びつつも柔らかな雰囲気を纏っている。やがて、オスカーの告げた内容と同じ語りを終えると、最後に言葉を紡いだ。

 

『……どうか、神に縋らないで。頼らないで。与えられる事に慣れないで。掴み取る為に足掻いて。己の意志で決めて、己の足で前へ進んで。どんな難題でも、答えは常に貴方の中にある。貴方の中にしかない。神が魅せる甘い答えに惑わされないで。自由な意志の下にこそ、幸福はある。貴方に、幸福の雨が降り注ぐ事を祈っています』

 

 そう締め括り、メイル・メルジーネは再び淡い光となって霧散した。

 直後、彼女が座っていた場所に小さな魔法陣が浮き出て輝き、その光が収まるとメルジーネの紋章が掘られたコインが置かれていた。

 

 

「証の数も四つですね、ソウゴさん。これできっと、樹海の迷宮にも挑戦できます。父様達どうしてるでしょう~?」

 

 シアが、懐かしそうに故郷と家族に思いを馳せた。しかし脳裏に浮かんだのは「ヒャッハー!」する父親達だったので、頭を振ってその光景を霧散させる。ソウゴは、証のコインをいつもの行程を経て宝物庫にしまうと、シアと同じ様に「ヒャッハー!」するハウリア族を思い出し、「懐かしいな」と薄く笑みを浮かべた。

 

 だが証を仕舞った途端、神殿が鳴動を始めた。そして、周囲の海水がいきなり水位を上げ始めた。

 

 

「強制排出か。全員掴まれ」

「……んっ」

「わわっ、乱暴すぎるよ!」

「ここではこんなのばっかりですよぉ~」

「水責めとは……やりおるのぉ」

 

 凄まじい勢いで増加する海水に、ソウゴ達はあっという間に水没していく。咄嗟に、また別々に流されては敵わないとソウゴが鎖で四人を縛り、"バブル珊瑚"で包み込む。

 

 

 その直後、天井部分が【グリューエン大火山】のショートカットの様に開き、猛烈な勢いで海水が流れ込む。ソウゴ達もその縦穴に流れ込んで、下から噴水に押し出される様に猛烈な勢いで上方へと吹き飛ばされた。

 

 

 恐らく【メルジーネ海底遺跡】のショートカットなのだろうが、おっとりしていて優しいお姉さんといった雰囲気のメイル・メルジーネらしくない、滅茶苦茶乱暴なショートカットだった。しかも、強制的。意外に過激な人物なのかもしれない。

 

 

 押し上げられていくソウゴ達は、やがて頭上が行き止まりになっている事に気が付く。

 ソウゴが破壊しようとした瞬間、天井部分が再びスライドしソウゴ達は勢いよく遺跡の外、広大な海中へと放り出された。

 

 海中に放り出されたソウゴ達は、急いでプレズオンを呼び出そうとする。

しかしその目論見は、直前で阻止される。ユエ達にとって、一番会いたくなかった相手によって。

 

『全員プレズオンに乗り込みたいだろうが、その前に戦闘態勢だ』

 

 念話による警告が伝えられる。

 

 次の瞬間、ソウゴ達の眼前を凄まじい勢いで半透明の触手が通り過ぎ、勢いよく横薙ぎを振るった。

 

 

 ソウゴが向けた視線の先には、一見妖精の様な造形でありながら、全てを溶かし無限に再生し続ける凶悪で最悪の生物──巨大クリオネがいた。最初のアレは消滅を確認したので、恐らく別個体だろう。

 態々攻略が終わった後で現れた事にそれなりの知性を感じながら、ソウゴは迎撃態勢に入る。

 

『どうするんじゃご主人様よ!』

 

 念話石を使って通信してきたティオに、ソウゴが答える。

『全員海上を目指せ。今から多少危なっかしい技を使う、巻き込まれない様に全力で離れろ』

 ソウゴはそう言いながら、【グリューエン大火山】でも使用した黒い靄を全身から放出する。その濃度は、その時より明らかに黒い。

 ソウゴは靄を発生させながら、ガブリボルバーを撃ちプレズオンを召喚する。

 プレズオンはユエ達を回収し、ソウゴの急速離脱指令に従いその場から離れていく。

 

 それを確認したソウゴは、発動した能力の出力を高める。

 

 途端、ソウゴを中心として触手が、クリオネの本体が、そして周囲の海水(・・・・・)がソウゴに引っ張られ始める。まるで飲み込まれる様に。

 

 

 否、様にという表現は正しくない。正に吸い込まれているのだ。

 

 

 最初の個体と同じ様に片づける事も出来るが、同じ技で倒すのも芸が無い。だがだからと言って、消耗しているユエ達から長時間離れるのも心配である。それ故に選んだ短期決戦の方法が、この自分の肉体をブラックホールに変える技なのだ。

(この様な下品な能力、進んで使いたくはないのだがな……)

 ソウゴは心中でそう毒づきつつ、更に別の技を掛け合わせて必殺の一撃を繰り出す。

 

 

「"闇穴道・虚日落陽(ブラックホール・ドゥームズデイ)"」

 

 

 ソウゴが下品と評するヤミヤミの実の能力に、仮面ライダー王蛇と獣帝ジェノサイダーの必殺技、そして魔王アリエルの得意技だった『暴食』のスキル。その三つの合わせ技。

 

 全てを無に帰す闇黒の大渦が、周囲の海水ごとクリオネを喰らう。飲み込んだ全てを分子レベルで分解・圧縮し、自らのエネルギーへと変換、質量保存の法則を無視して消滅させていく。

 

 抵抗は一瞬。歯牙にもかけない程の僅かな足掻き。ソウゴを止めようと触手が伸びるが、その全てがブチブチと音を立てながら千切れ、ソウゴの養分へと変わっていく。

 無限に再生する筈のその肉体は、それより先に虚無に飲まれていく。

 

 

 大海を統べる"悪食"の名を持つ魔物が、異界の魔王の"暴食"の能力に敗れたのは、これ以上ない皮肉であった。

 

 体から発した闇を収め、ソウゴは戦いを振り返る事無くプレズオンの後を追った。

 

 

 

 それを以て、ソウゴ達の【メルジーネ海底遺跡】の攻略は終了したのだった。

 

 




常磐望

旧名・夢原のぞみ。ソウゴの妻。
ソウゴの世界においては数少ない神の一柱。基本的に正史通りの穏やかな性格だが、いざ覚悟して戦いに臨めばソウゴ以上に容赦無い事もある。
ローマ神話の女神フローラを中心として複数の神格が融合した複合神性であり、その能力は多岐に渡る。遠征で国を空けがちなソウゴに代わり国政を務めている。
人の世の治世を司る王妃モードと、戦闘用の神モードの二つの精神を持つ。普段は王妃モードで、彼女本来の性格と王妃としてのお淑やかさを併せ持つ心優しき精神。反して神モードはとても機械的で、一切感情が窺えない。
正反対の二つの精神ではあるが、多重人格という訳では無く記憶・思考も共通している。自己暗示、マインドセットの一種である。


常磐真琴

旧名・剣崎真琴。現在でも芸名として使っている。逢魔国第一王女。
アイドルと軍人を兼業している。修正史において、アン王女経由でソウゴに引き取られる事になった。明るい性格で楽観的だが広い視野を持ち、出来る事は出来る、出来ない事は出来ないと割り切れる冷静な性質もある。その為、意外に手段を選ばないところも。
彼女の不死性は、M78星雲人のDNAを取り込んだ事に由来する。両親も妹達も大好きで、すぐ抱きつきに行く。その度にめぐみにウザがられる。


常磐恵

旧名・愛乃めぐみ。逢魔国第二王女。
姉妹の中で最も性格が正史とかけ離れている。修正史において、居場所を失い暴れているところをのぞみに拾われた。冷静かつ神経質、でありながら沸点が低くすぐキレる。敵味方に関わらず奇跡や偶然等の不確定要素を嫌う。
明確な作戦立案の下に戦場へ臨むタイプで、確実に勝てると踏むまで戦いに姿を見せない。勝つ為なら卑怯・卑劣な手段も平気で選ぶ。
「人造逢魔時王計画」で作られた改造人間であり、最も完成度の高かった失敗作。それに由来した不死の肉体と、姉妹一の戦闘力を持つ。それ故に、周囲からはソウゴの後継者と目されている。冷たい様で家族愛は強く、特に妹への対応は真琴からも過保護と言われる程。無自覚なマザコン。


常磐言葉

旧名・花海ことは。逢魔国第三王女。
本史と同じく天真爛漫、天然な不思議ちゃん。修正史ではソウゴに拾われた事になっている。魔術方面では天才と呼ばれる。真琴に似たストレートな愛情表現をするタイプで、甘えたがり。神の転生体なので神性を持っているが、母と違い魔術の延長線程度の影響に留まる。不死性の獲得と、無から有を作る程度。


常磐響

旧名・立花響。逢魔国第四王女。
根暗、悲観的な引きこもり。一応不老不死の身体であり、大体二百歳前後。正史の立花響が出会ったイフの彼女とも違う、また別の並行世界の彼女。その来歴は、一言で言えば「立ち直れなかった修正史のめぐみ」である。
彼女の世界において彼女以外に奏者、及び二課に類する組織は存在せず、家族も既に離散していた為に国によって攫われ、本人の適性に関係無く聖遺物を体に埋め込まれた改造人間。


常磐侑

第五王女にして、姉妹唯一の実子。王位継承権第一位。
絶賛家出中で、高咲侑と名乗っている。血筋の上では正当な後継者だが、それでも周囲が求める水準には届かず、心無い者からは「血筋だけが取り柄の落ちこぼれ」と言われ、血のつながらない優秀な姉達と比べられてコンプレックスを抱いている。一応不死身。めぐみが度々様子を見に来る。自分が立案した催し物を家族全員が見に来ていたと最近知らされた。


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第二十一話 舞台を作る、役者を集める。


大分時間が空きました。

話は進む様な、進まない様な……。


「パパー! 朝なのー! 起きるのー!」

 

 【海上の町エリセン】の一角、とある家の二階で幼子の声が響き渡る。時刻はそろそろ早朝を過ぎて、日の温かみを感じ始める頃だ。窓から本日もいい天気になる事を予報する様に、朝日が燦々と差し込んでいる。

 

「朝から元気だな」

 

 そんな朝日に照らされるベッドに腰掛けながら、読書に耽っていたはソウゴだ。そして、そんなソウゴをパパと呼び、元気な声で起こしに来たのは勿論ミュウである。

 

 ミュウはベッドの直前で重さを感じさせない見事な跳躍を決めると、そのままパパたるソウゴの膝の上に十点満点の着地を決めた。

「パパ、おはようなの。ごはんなの」

「そうか。ではそろそろ行こうか」

 ニコニコと笑みを溢しながら、ミュウはその小さな紅葉の様な手でソウゴの頬をペチペチと叩く。ソウゴは本を閉じミュウに目を向け、優しくそのエメラルドグリーンの髪を梳いた。気持ちよさそうに目を細めるミュウに、ソウゴの頬も緩む。何処からどう見ても親子だった。

 

 

 ソウゴ達が【メルジーネ海底遺跡】を攻略し、町に戻ってから六日が経っていた。帰還した日から、ソウゴ達は、ずっとレミアとミュウの家に世話になっている。

 

 エリセンは海鮮系料理が充実しており波風も心地良く、中々に居心地のいい場所だったので半分はバカンス気分でもあった。

 

 

 ただ、それにしても六日も滞在しているのは少々骨休めが過ぎると感じるところだ。その理由は、言わずもがなミュウである。

 

 

 ミュウを、この先の旅に連れて行く事は出来ない。ソウゴの娘として認められているとはいえ、四歳の何の力も無い幼女を東の果ての大迷宮に連れて行くなど以ての外だ。

 

 まして、【ハルツィナ樹海】を除く残り二つの大迷宮は更に面倒な場所にある。

 一つは魔人族の領土にある【シュネー雪原】の【氷結洞窟】。そしてもう一つは、何とあの【神山】なのである。どちらも大勢力の懐に入り込まねばならないのだ、そんな場所にミュウを連れて行くなど絶対に出来ない。

 

 

 なのでこの町でお別れをしなければならないのだが、何となくそれを察しているのかソウゴ達がその話を出そうとすると、ミュウは決まって超甘えん坊モードになりソウゴ達に「必殺! 幼女の無言の懇願!」を発動するので中々言い出せずにいた。

 

 

 

「それでも、いい加減出発せねばな。……ミュウに何と言うべきか……泣かれるかな、泣かれるよな……憂鬱だなぁ」

 ソウゴは桟橋に腰掛けて釣り糸を垂らしながら、憂鬱そうに独り言を呟く。思わず素が出てしまっている。

 

 視線を向ければ、海人族の特性を十全に発揮して、チートの権化達から華麗に逃げ回る変則的な鬼ごっこ(ミュウ以外全員鬼役)を全力で楽しんでいるミュウがいる。その屈託無い笑顔に、別れを切り出せばあの笑顔が泣き顔になるかと思うと自然と溜息が漏れる。

 

 直後そんなソウゴの悩みを察した様に、桟橋から投げ出した両足の間から突然人影がザバッと音を立てて現れた。海中から水を滴らせて現れたのは、ミュウの母親であるレミアだ。

 

 

 レミアはエメラルドグリーンの長い髪を背中で一本の緩い三つ編みにしており、ライトグリーンの結構際どいビキニを身に付けている。ミュウと再会した当初は相当やつれていたのだが、現在は以前の健康体を完全に取り戻しており、一児の母とは思えない……否、そうであるが故の色気を纏っている。

 

 町の男連中がこぞって彼女の再婚相手を狙っていたり、母子セットで妙なファンクラブがあるのも頷ける位のおっとり系美人だ。ティオとタメを張る程見事なスタイルを誇っており、体の表面を流れる水滴が実に艶かしい。

 

 

 そんなタダでさえ魅力的なレミアがいきなり自分の股の間に出てきたというのに、ソウゴは面倒そうに目を向け「……レミアか。何の用だ」とぼやく様に返して視線を戻した。愛妻家恐るべしである。

 

 しかし、肉体の放つ色気とは裏腹にレミアの表情は優しげで、寧ろソウゴを気遣う様な色を宿していた。

 

 

「有難うございます。ソウゴさん」

「何の事だ?」

 いきなりお礼を述べたレミアに、ソウゴは視線を向けずにとぼける。

「うふふ、娘の為にこんなにも悩んで下さるのですもの……母親としてはお礼の一つも言いたくなります」

「"父親として"娘の事を気にするのが不自然な事か?」

「あらあら……ミュウは本当に素敵な人達と出会えましたね」

 

 レミアは肩越しに振り返って、ミュウの悪戯で水着を剥ぎ取られたシアが手ブラをしながら必死にミュウを追いかけている姿を見つつ笑みを溢す。そして再度ソウゴに視線を転じると、今度は少し真面目な表情で口を開いた。

 

「ソウゴさん。もう十分です。皆さんは、十分過ぎる程して下さいました。ですから、どうか悩まずに、すべき事の為にお進み下さい」

「……」

「皆さんと出会って、あの子は大きく成長しました。甘えてばかりだったのに、自分より他の誰かを気遣える様になった……あの子も分かっています。ソウゴさん達が行かなければならない事を……まだまだ幼いですからついつい甘えてしまいますけれど……それでも、一度も"行かないで"とは口にしていないでしょう? あの子もこれ以上、ソウゴさん達を引き止めていてはいけないと分かっているのです。だから……」

「……誰に似たのやら。しかし…………そうか、……レミア」

「はい、何でしょう?」

「子供の成長とは早いものだな。ついこの間まで自分の足で立つ事もままならんと思ったら、いつのまにやら我等の手の届かん所へ駆けていく」

「ふふっ。えぇ、まったくです」

 

 ミュウの無言の訴えが、行って欲しくないけれど、それを言ってソウゴ達を困らせたくないという気遣いの表れだったと改めて言われ、ソウゴは眩しいものを見る目でしみじみと呟く。そんなソウゴに、レミアは再び優しげな眼差しを向けた。

「では、今晩はご馳走にしましょう。ソウゴさん達のお別れ会ですからね」

「そうだな、精々賑やかに送り出してくれ」

「うふふ、はい。期待していて下さいね、あ・な・た♡」

「その呼び方はやめろと言ったろう」

 どこかイタズラっぽい笑みを浮かべるレミアに、ソウゴは呆れた様に訂正を促す。そこへ、ブリザードの様な冷たさを含んだ声音が割り込んだ。

 

「……レミア、いい度胸」

「レミアさん、いつの間に……油断も隙もないよ」

「ふむ、見る角度によっては、ご主人様にご奉仕している様にも見える……露出プレイ……素晴らしいイィ!」

「あの、ミュウちゃん? お姉ちゃんの水着、そろそろ返してくれませんか? さっきから人目が……」

 

 いつの間にかソウゴの下に戻ってきていたユエ達が、半眼でレミアを睨んでいた。まさか本当にソウゴを再婚相手として狙っているんじゃあるまいな? と警戒している様だ。ここ数日、よく見られる光景である。変態はスルーだ。四歳の幼女に水着を取られて半泣きのウサミミもスルーだ。

 

 一方、睨まれている方のレミアはというと、「あらあら、うふふ」と微笑むばかりで特に引いた様子は見られない。そのゆるふわな笑みが、レミアの本心を隠してしまうので、ソウゴに対する時折見せるアプローチが本気なのか冗談なのか区別が付きにくい。これが、未亡人の貫禄だとでもいうのか……。

 

 

 

 その日の晩、夕食前にソウゴ達はミュウにお別れを告げた。それを聞いたミュウは、着ているワンピースの裾を両手でギュッと握り締め、懸命に泣くのを堪えていた。暫く沈黙が続く中、それを破ったのはミュウだった。

 

「……もう、会えないの?」

「まさか」

 

 ミュウの不安そうな言葉を、ソウゴは一笑に伏して一蹴する。

 

「……パパは、ずっとミュウのパパでいてくれる?」

「当然だ。私はいつでも、ミュウの父だ」

 

 そう答えるとミュウは、涙を堪えて食いしばっていた口元を緩めてニッと笑みを作る。

 

「なら、いってらっしゃいするの。それで今度は、ミュウがパパを迎えに行くの」

「ほう、ミュウが私を?」

「うん、パパが行けるなら、ミュウも行けるの。だって……ミュウはパパの娘だから」

 

 ソウゴの娘たる自分が、出来ない事など無い。自信有りげに胸を張り、自分から会いに行くと宣言するミュウ。勿論ミュウは、ソウゴが世界を越えている事を正確に理解している訳ではない。ましてミュウが迷宮を攻略して全ての神代魔術を手に入れ、ソウゴの手を借りず世界を超えてくるなどほぼ有り得ない。

 

 それ故に、それは幼子の拙い発想から出た、凡そ実現不可能な目標だ。

 

 

 だが一体誰が、その力強い宣言を笑えるというのだろう。一体誰が、彼女の意志を馬鹿馬鹿しいと切り捨てられるのだろう。出来はしない。してはならない。

 

 何故ならそれは、他の誰でもないソウゴ自身を否定する事になるからだ。

 

 夢を掲げ、不可能を可能にしてきたソウゴだからこそ、ミュウの瞳に確かな『覚悟』を見た。

 

 

 だからこそ、ソウゴは決断した。今ここで、娘の新たな旅路に祝福を送ろうと。

 

「ならばミュウ、少し贈り物をしよう」

「パパ?」

 

 ソウゴの雰囲気が変化したのを感じ取ったのかミュウが不思議そうな顔をして首を傾げる。

 ソウゴはミュウから一度視線を外し、宝物庫に手を入れる。

 

 

 そして取り出したのは、一本の槍。海の様に蒼い三つ首の竜を模した、蒼穹の三叉槍。

 

 

 それを見た瞬間、ユエ達は背筋に氷を入れられた様な悪寒を覚えた。

 

 目の前にあるのは、あくまで一つの武器だ。

 なのに、この明瞭に焼き付けられるイメージは何だ。

 

 全てを飲み込む怒涛の激流。荒れ狂う嵐の大海。それを制する、大いなる存在の雄叫び。

 

 勇者の持つ聖剣など目ではない、明らかに格が違う。ソウゴや白織に次ぐ、破格の気配を直感する。

 

 

 ──あの槍は大いなる意思を持った、生きた武器なのだと。

 

 

「"神海三叉槍・蒼錨(トリアイナ・ギガ・アンカー)"。海神ポセイドンが愛用していた槍を改造した逸品だ。これをミュウに授ける」

「……ホント?」

「ああ、本当だ。いつかこれを使いこなし、私に追いついてこい」

 ソウゴの言葉と共に槍を受け取り、わなわなと瞼を揺らすミュウ。ソウゴは、そんなミュウの髪を優しく撫でる。

「その時は我が国で、姉達と共に私を手伝ってくれるか?」

「! パパの生まれたところ? みたいの! おねいちゃんにも、会ってみたいの!」

「楽しみか?」

「すっごく!」

 ピョンピョンと飛び跳ねながら喜びを表現するミュウ。

 

 ソウゴは宝物庫の指輪も渡しつつ、そんな二人のやり取りを微笑みながら見つめていたレミアに視線で謝罪する。「勝手に決めて済まない」と。

 それに対し、レミアはゆっくり首を振ると、確りソウゴと視線を合わせて頷いた。「気にしないで下さい」と。その暖かな眼差しには責める様な色は微塵もなく、寧ろ感謝の念が含まれていた。

 

 そんなパパとママのアイコンタクトに気がついたのか、ミュウがソウゴとレミアを交互に見つつ、槍を宝物庫に入れソウゴの服をクイクイと引っ張る。

「パパ、ママも? ママも一緒?」

「当然構わんが……どうだ?」

「はい。勿論、私だけ仲間はずれなんて言いませんよね?」

「腹は決まっている様だな」

「あらあら。娘と旦那様が行く場所に、付いていかないわけないじゃないですか。うふふ」

 娘の頭を撫でるソウゴと、それに寄り添うレミアの図。傍から見れば、普通に夫婦だった。香織達が「させるかぁー!」と言わんばかりに割り込み喧騒が広がる。最初のしんみりした空気は何処に行ったのか。香織達とレミアが笑顔の戦争を繰り広げていると、いつの間にか蚊帳の外に置かれたソウゴに、ユエがトコトコと歩み寄った。

 

「……連れて行くの?」

「不服か?」

 

 ユエの質問にソウゴがそう返すと首を振り、どこか優しげな眼差しでソウゴを見つめ返した。

「……それがソウゴ様の決めた事なら」

「そうか」

 そんなやり取りをしていると、ミュウはソウゴパパに再度抱っこを要求した。再会の約束をしたとはいえ、暫くのお別れである事に変わりは無い。最後の夜は精一杯甘える事にした様だ。

 

 

 

 その翌日、ソウゴ達はミュウとレミアに見送られ、遂に【海上の町エリセン】を旅立った。

 

 

 

 

 

 

 赤銅色の世界に再び足を踏み入れて数時間。

 

 ソウゴ達は砂埃を盛大に巻き上げつつトライドロンを駆りながら、一路【アンカジ公国】を目指していた。無論、ランズィ親子との約束を果たす為だ。

 そして現在、アンカジの入場門が見え始めた所なのだが、何やら前回来た時と違って随分と行列が出来ていた。大きな荷馬車が数多く並んでおり、雰囲気からしてどうも商人の行列の様だ。

「随分と大規模な隊商だな……」

「……ん、時間かかりそう」

「多分、物資を運び込んでいるんじゃないかな?」

 香織の推測通り、長蛇の列を作っているのは【アンカジ公国】が【ハイリヒ王国】に救援依頼をし、要請に応えてやって来た救援物資運搬部隊に便乗した商人達である。王国側の救援部隊は当然の如く先に通されており、今見えている隊商も余程アコギな商売でもしない限り、アンカジ側は全て受け入れている様だ。

 

 何せ水源がやられてしまったので、既に収穫して備蓄していたもの以外作物類も安全の為廃棄処分にする必要があり、水以外に食料も大量に必要としていたのだ。相手を選んでいる余裕は無いのである。

 ソウゴは吹き荒ぶ砂と砂漠の暑さに辟易した様子で順番待ちをする隊商を尻目に、トライドロンを操作して直接入場門まで突入した。順番待ちをする気は更々無い。

 

 突然脇を走り抜けていく赤い物体に隊商の人達がギョッとした様に身を竦めた。「すわっ、魔物か!?」等と内心で叫んでいる事だろう。それは門番も同じ様で、砂煙を上げながら接近してくるトライドロンに武器を構えて警戒心と恐怖を織り交ぜた険しい視線を向けている。

 

 しかし、俄かに騒がしくなった門前を訝しんで奥の詰所から現れた他の兵士がトライドロンを目にした途端、何かに気がついた様にハッと目を見開き、誰何と警告を発する同僚を諌めて、武器も持たずに出迎えに進み出てきた。更に他の兵士に指示して、伝令に走らせた様である。

 

 

 ソウゴ達は門前まで来ると周囲の注目を無視してトライドロンから降車した。周囲の人々はいつも通りユエ達の美貌に目を奪われ、次いで粒子になって消えたトライドロンに瞠目している。

 

「ああ、やはり使徒様方でしたか! 戻って来られたのですね」

 

 兵士は香織の姿を見ると、ホッと胸をなで下ろした。恐らくビィズを連れてきた時か、ソウゴ達が【グリューエン大火山】に"静因石"を取りに行く時にトライドロンを見た事があったのだろう。

 

 そしてそれが、"神の使徒"の一人としてアンカジで知れ渡っている香織の乗り物であると認識していた様だ。間違っているが特に訂正はしないソウゴ達。知名度は香織が一番なので、代表して前に出る。

「はい。実は、オアシスを浄化できるかもしれない術を手に入れたので試しに来ました。領主様に話を通しておきたいのですが……」

「オアシスを!? それは本当ですかっ!?」

「は、はい。あくまで可能性が高いというだけですが……」

「いえ、流石は使徒様です。と、こんな所で失礼しました。既に領主様には伝令を送りました。入れ違いになってもいけませんから、待合室にご案内します。使徒様の来訪が伝われば、領主様も直ぐにやって来られるでしょう」

 

 やはり、国を救ってもらったという認識なのか兵士のソウゴ達を見る目には多大な敬意の色が見て取れる。VIPに対する待遇だ。ソウゴ達は好奇の視線を向けてくる商人達を尻目に、門番の案内を受けて再び【アンカジ公国】に足を踏み入れた。

 

 

 

 領主であるランズィが息せき切ってやって来たのは、ソウゴ達が待合室にやって来て十五分程だった。随分と早い到着である。それだけランズィ達にとってソウゴ達の存在は重要なのだろう。

「久しい……という程でもないか。無事な様で何よりだ、ソウゴ殿。ティオ殿に静因石を託して戻って来なかった時は本当に心配したぞ。貴殿は既に我が公国の救世主なのだからな、礼の一つもしておらんのに勝手に死なれては困る」

「ランズィ、貴様は随分と心配性だな。私があの程度のぬるま湯で死ぬと思っていたのか? ……と、それはさておき。どうやら救援要請は届いたらしいな」

「ああ。備蓄した食料と、ソウゴ殿が作ってくれた貯水池のおかげで十分に時間を稼げた。王国から援助の他、商人達のおかげで何とか民を飢えさせずに済んでいる」

 そう言って、少し頬がこけたランズィは穏やかに笑った。アンカジを救う為連日東奔西走していたのだろう。疲労が滲み出ているが、その分成果は出ている様で表情を見る限りアンカジは十分に回せていけている様だ。

「領主様。オアシスの浄化は……」

「使徒殿……いや、香織殿。オアシスは相変わらずだ。新鮮な地下水のおかげで、少しずつ自然浄化は出来ている様だが……中々進まん。このペースだと完全に浄化されるまで少なくとも半年、土壌に染み込んだ分の浄化も考えると一年は掛かると計算されておる」

 

 少し憂鬱そうにそう語るランズィに、香織が今すぐ浄化できる可能性があると伝える。

それを聞いたランズィの反応は劇的だった。掴みかからんばかりの勢いで「マジで!?」と口調すら崩して唾を飛ばして確認するランズィに、香織は完全にドン引きしながらコクコクと頷く。ソウゴの影に隠れる香織を見て、取り乱したと咳払いしつつ居住まいを正したランズィは、早速浄化を頼んできた。

 元よりそのつもりだと頷き、ソウゴ達一行はランズィに先導されオアシスへと向かった。

 

 

 オアシスには、全くと言っていい程人気が無い。普段は憩いの場所として大勢の人々で賑わっているのだが……その事を思い出し、ランズィが無表情ながらも何処か寂しそうな雰囲気を漂わせている。

 

 オアシスの畔に立って再生魔術を行使するのは香織だ。

 

 一番適性が高かったのは香織で、次がティオ、その次がユエだった。ユエの場合、相変わらず自前の固有魔術"自動再生"があるせいか、任意で行使する回復作用のある魔術は苦手な様だ。反対に、"治癒師"である香織は回復と"再生"に通じるものがある様で一際高い適性を持っており、より広範囲に効率的に行使出来る様だ。

 

 尤も、詠唱も陣も必要な時点でユエの方が実戦では使えるのが悲しいところである。更に言えば、元から使えるソウゴには月と鼈の如き差があるのも目を瞑らなければならない。

 

 

 香織が詠唱を始める。長い詠唱だ。エリセン滞在中に修練して、最初は七分もかかっていた魔術を今では三分に縮めている。たった一週間でそれなのだから、十二分にチートであるのだろう。

 しかしソウゴ達がバグキャラとも言うべき存在なので霞んでしまうのだ。本人は既に割り切っている様だが。

 

 静謐さと、どこか荘厳さを感じさせる詠唱に、ランズィと彼の部下達が息を呑む。決して邪魔をしてはならない神聖な儀式の様に感じたのだ。緊張感が場を支配する中、いよいよ香織の再生魔術が発動する。

 

 

「──"絶象"」

 

 

 瞑目したままアーティファクトの白杖を突き出し呟かれた魔術名。

 

 次の瞬間、前方に蛍火の様な白菫の淡い光が発生し、スっと流れる様にオアシスの中央へと落ちた。するとオアシス全体が輝きだし、淡い光の粒子が湧き上がって天へと登っていく。それは、まるでこの世の悪いものが浄化され天へと召されていく様な神秘的で心に迫る光景だった。

 

 誰もがその光景に息をするのも忘れて見蕩れる。術の効果が終わり、オアシスを覆った神秘の輝きが空に溶ける様に消えた後も、ランズィ達は暫く余韻に浸る様に言葉も無く佇んでいた。

 

 

 少し疲れた様子で肩を揺らす香織を支えつつ、ソウゴがランズィを促す。ハッと我を取り戻したランズィは、部下に命じて水質の調査をさせた。部下の男性が慌てて検知の魔術を使いオアシスを調べる。固唾を呑んで見守るランズィ達に、検知を終えた男は信じられないといった表情でゆっくりと振り返り、ポロリと溢す様に結果を報告した。

 

「……戻っています」

「……もう一度言ってくれ」

 

 ランズィの再確認の言葉に部下の男は、息を吸って今度ははっきりと告げた。

 

 

「オアシスに異常なし! 元のオアシスです! 完全に浄化されています!」

 

 

 その瞬間、ランズィの部下達が一斉に歓声を上げた。手に持った書類やら荷物やらを宙に放り出して互いに抱き合ったり肩を叩きあって喜びを露わにしている。ランズィも深く息を吐きながら、感じ入った様に目を瞑り天を仰いでいた。

 

「後は土壌の再生だな……ランズィ、作物は全て廃棄したのか?」

「……いや、一箇所にまとめてあるだけだ。廃棄処理に回す人手も時間も惜しかったのでな……まさか……それも?」

「ユエとティオも加われば出来るだろう」

「……ん、問題無い」

「うむ。折角丹精込めて作ったのじゃ、全て捨てるのは不憫じゃしの。任せるが良い」

 

 ソウゴ達の言葉に本当に土壌も作物も復活するのだと実感し、ランズィは胸に手を当てると人目も憚らず深々と頭を下げた。領主がする事では無いが、そうせずにはいられない程ランズィの感謝の念は深かったのだ。公国への深い愛情が、そのまま感謝の念に転化した様なものだ。

 

 

 

 

 ランズィからの礼を受けながら、早速ソウゴ達は農地地帯の方へ移動しようとした。

 

「……ふん。どこにでもいるものだな、良いムードに水を差す輩は」

 

 だが不意に感じた不穏な気配に、ソウゴの呆れた様な言葉でその歩を止められる。

 視線を巡らせば、遠目に何やら殺気立った集団が肩で風を切りながら迫ってくる様子が見えた。【アンカジ公国】の兵士とは異なる装いの兵士が隊列を組んで一直線に向かってくる。

 ソウゴが確認してみれば、どうやらこの町の聖教教会関係者と神殿騎士の集団の様だった。

 

 

 ソウゴ達の傍までやって来た彼等は、直ぐ様ソウゴ達を半円状に包囲した。そして神殿騎士達の合間から、白い豪奢な法衣を来た初老の男が進み出てきた。

 物騒な雰囲気に、ランズィが咄嗟に男とソウゴ達の間に割って入る。

「ゼンゲン公……こちらへ。彼等は危険だ」

「フォルビン司教、これは一体何事か。彼等が危険? 二度に渡り、我が公国を救った英雄ですぞ? 彼等への無礼は、アンカジの領主として見逃せませんな」

 フォルビン司教と呼ばれた初老の男は、馬鹿にする様にランズィの言葉を鼻で笑った。

「ふん、英雄? 言葉を慎みたまえ。彼等は既に異端者認定を受けている、不用意な言葉は貴公自身の首を絞める事になりますぞ」

「異端者認定……だと? 馬鹿な、私は何も聞いていない」

 

 ソウゴに対する"異端者認定"という言葉に、ランズィが息を呑んだ。

 ランズィとて、聖教教会の信者だ。その意味の重さは重々承知している。それ故に、何かの間違いでは? と信じられない思いでフォルビンに返した。

「当然でしょうな。今朝方、届いたばかりの知らせだ。このタイミングで異端者の方からやって来るとは……クク、何とも絶妙なタイミングだと思わんかね? きっと、神が私に告げておられるのだ。神敵を滅ぼせとな……これで私も中央に……」

 最後の欲塗れな呟きはソウゴ以外聞こえなかったが、どうやらソウゴが異端者認定を受けた事は本当らしいと理解し、思わず背後のソウゴを振り返るランズィ。

 

 しかし当のソウゴは特に焦りも驚愕も無く、「少しは空気を読めんのか……」と言わんばかりの表情を浮かべるのみだった。そして視線で「どうする?」とランズィに問いかけている。

 

 ソウゴの視線を受けて眉間に皺を寄せるランズィに、如何にも調子に乗った様子のフォルビンがニヤニヤと嗤いながら口を開いた。

「さぁ、私は、これから神敵を討伐せねばならん。相当凶悪な男だという話だが、果たして神殿騎士百人を相手に、どこまで抗えるものか見ものですな。……さぁさぁ、ゼンゲン公よ、そこを退くのだ。よもや我ら教会と事を構える気ではないだろう?」

 ランズィは瞑目する。そしてソウゴの力や性格、その他あらゆる情報を考察して何となく異端者認定を受けた理由を察した。自らが管理できない巨大な力を教会は許さなかったのだろうと。

 

 しかしソウゴ達の力の大きさを思えば自殺行為に等しいその決定に、魔人族と相対する前にソウゴ一行と戦争でもする気なのかと中央上層部の者達の正気を疑った。そしてどうにもキナ臭いと思いつつ、一番重要な事に思いを巡らせた。

 

 

 それは、ソウゴ達がアンカジを救ってくれたという事。毒に侵され倒れた民を癒し、生命線というべき水を用意し、オアシスに潜む怪物を討伐し、今再び戻って公国の象徴たるオアシスすら浄化してくれた。

 

 

 この莫大な恩義に、どう報いるべきか頭を悩ましていたのはついさっきの事だ。ランズィは目を見開くと、丁度いい機会ではないかと口元に笑みを浮かべた。そして黙り込んだランズィにイライラした様子のフォルビンに領主たる威厳をもって、その鋭い眼光を真っ向からぶつけ、アンカジ公国領主の答えを叩きつけた。

 

 

「断る」

 

 

「……今、何といった?」

 全く予想外の言葉に、フォルビンの表情が面白い程間抜け顔になる。そんなフォルビンの様子に、内心聖教教会の決定に逆らうなど有り得ない事なのだから当然だろうなと苦笑いしながら、ランズィは揺るがぬ決意で言葉を繰り返した。

「断ると言った。彼等は救国の英雄。例え、聖教教会であろうと彼等に仇なす事は私が許さん」

「なっ、なっ、き、貴様! 正気か! 教会に逆らう事がどういう事か分からん訳では無いだろう! 異端者の烙印を押されたいのか!」

 ランズィの言葉に、驚愕の余り言葉を詰まらせながら怒声をあげるフォルビン。周囲の神殿騎士達も困惑した様に顔を見合わせている。

「フォルビン司教。中央は、彼等の偉業を知らないのではないか? 彼は、この猛毒に襲われ滅亡の危機に瀕した公国を救ったのだぞ? 報告によれば、勇者一行もウルの町も彼に救われているというではないか……そんな相手に異端者認定? その決定の方が正気とは思えんよ。故に、ランズィ・フォウワード・ゼンゲンは、この異端者認定に異議とアンカジを救ったという新たな事実を加味しての再考を申し立てる」

「だ、黙れ! 決定事項だ! これは神のご意志だ! 逆らう事は許されん! 公よ、これ以上その異端者を庇うのであれば貴様も、いやアンカジそのものを異端認定する事になるぞ! それでもよいのかっ!」

 

 どこか狂的な光を瞳に宿しながら、フォルビンはとても聖職者とは思えない雰囲気で喚きたてた。それを冷めた目で見つめるランズィに、いつの間にか傍らまでやって来ていたソウゴが面白そうに笑みを浮かべて問いかける。

「……いいのか? 王国と教会の両方と事を構える事になるぞ。領主として、その判断はどうかと思うが?」

 ランズィはソウゴの言葉には答えず、事の成り行きを見守っていた部下達に視線を向けた。ソウゴも誘われる様に視線を向けると、二人の視線に気がついた部下達は一瞬瞑目した後、覚悟を決めた様に決然とした表情を見せた。瞳はギラリと輝いている。明らかに「殺るなら殺ったるでぇ!」という表情だ。

 

 その意志をフォルビンも読み取った様で、更に激高し顔を真っ赤にして最後の警告を突きつけた。

 

「いいのだな? 公よ、貴様はここで終わる事になるぞ。いや貴様だけではない、貴様の部下も、それに与する者も全員終わる。神罰を受け尽く滅びるのだ!」

「このアンカジに、自らを救ってくれた英雄を売る様な恥知らずはいない。神罰? 私が信仰する神は、そんな恥知らずをこそ裁くお方だと思っていたのだが? 司教殿の信仰する神とは異なるのかね?」

 ランズィの言葉に怒りを通り越してしまったのか無表情になったフォルビンは、片手を上げて神殿騎士達に攻撃の合図を送ろうとした。

 

 

 と、その時。ヒュ! と音を立てて何かが飛来し、一人の神殿騎士のヘルメットにカン! と音を立ててぶつかった。足元を見れば、そこにあるのは小石だった。神殿騎士には何のダメージも無いが、何故こんなものが? と首を捻る。しかしそんな疑問も束の間、石は次々と飛来し、神殿騎士達の甲冑に音を立ててぶつかっていった。

 

 

 何事かと石が飛来して来る方を見てみれば、いつの間にかアンカジの住民達が大勢集まり神殿騎士達を包囲していた。

 

 彼等はオアシスから発生した神秘的な光と、慌ただしく駆けていく神殿騎士達を見て何事かと野次馬根性で追いかけて来た人々だ。

 

 彼等は神殿騎士が自分達を献身的に治療してくれた“神の使徒”たる香織や、特効薬である静因石を大迷宮に挑んでまで採ってきてくれたソウゴ達を取り囲み、それを敬愛する領主が庇っている姿を見て、「教会の奴等乱心でもしたのか!」と憤慨し、敵意も露わに少しでも力になろうと投石を始めたのである。

 

「やめよ! アンカジの民よ! 奴等は異端者認定を受けた神敵である! 奴等の討伐は神の意志である!」

 

 フォルビンが殺気立つ住民達の誤解を解こうと大声で叫ぶ。彼等はまだ、ソウゴ達が異端者認定を受けている事を知らないだけで、司教たる自分が教えてやれば直ぐに静まるだろうとフォルビンは思っていた。

 実際、聖教教会司教の言葉に住民達は困惑を露わにして顔を見合わせ、投石の手を止めた。

 

 そこへ、今度はランズィの言葉が、威厳と共に放たれる。

 

 

「我が愛すべき公国民達よ。聞け! 彼等はたった今、我等のオアシスを浄化してくれた! 我等のオアシスが彼等の尽力で戻ってきたのだ! そして、汚染された土地も! 作物も! 全て浄化してくれるという! 彼等は、我等のアンカジを取り戻してくれたのだ! この場で多くは語れん。故に、己の心で判断せよ! 救国の英雄を、このまま殺させるか、守るか。……私は、守る事にした!」

 

 

 フォルビンは「そんな言葉で、教会の威光に逆らう訳がない」と嘲笑混じりの笑みをランズィに向けようとして、次の瞬間その表情を凍てつかせた。

 

 

 ──カンッ! カンッ! カンッ! カンッ! カンッ! カンッ! カンッ! カンッ!

 

 

 住民達の意思が投石という形をもって示されたからだ。

 

「なっ、なっ……」

 再び言葉を詰まらせたフォルビン司教に住民達の言葉が叩きつけられた。

 

「ふざけるな! 俺達の恩人を殺らせるかよ!」

「教会は何もしてくれなかったじゃない! なのに、助けてくれた使徒様を害そうなんて正気じゃないわ!」

「何が異端者だ! お前らの方が余程異端者だろうが!」

「きっと、異端者認定なんて何かの間違いよ!」

「香織様を守れ!」

「領主様に続け!」

「香織様、貴女にこの身を捧げますぅ!」

「冒険者さん! 今の内に逃げて下さい!」

「おい、誰かビィズ会長を呼べ! "香織様にご奉仕し隊"を出してもらうんだ!」

 どうやら住民達は、ランズィと香織、そして静因石を採ってきたソウゴ達に深い感謝と敬愛の念を持っているらしい。

 信仰心を押しのけて、目の前のランズィと香織一行を守ろうと気勢を上げた。否、きっと信仰心自体は変わらないのだろう。ただ自分達の信仰する神が、自分達を救ってくれた"神の使徒"である香織を害す筈が無いと信じている様だ。

 要するに、"信仰心"がフォルビンへの信頼を上回ったという事だろう。元々信頼があったのかは分からないが……

 

 事態を知った住民達が、続々と集まってくる。彼等一人一人の力は当然の如く神殿騎士には全く及ばないが、際限なく湧き上がる怒りと敵意にフォルビンや助祭、神殿騎士達はたじろいだ様に後退った。

「司教殿、これがアンカジの意思だ。先程の申し立て……聞いてはもらえませんかな?」

「ぬっ、ぐぅ……ただで済むとは思わない事だっ!」

 歯軋りしながら最後にソウゴ達を煮え滾った眼で睨みつけると、フォルビンは踵を返した。その後を、神殿騎士達が慌てて付いていく。フォルビンは激情を少しでも発散しようとしているかの様に、大きな足音を立てながら教会の方へと消えていった。

 

 

「呵々、随分と思い切ったものだな?」

 

 当事者でありながら、最後まで蚊帳の外に置かれていたソウゴが笑いながらランズィに問いかける。一方香織達は、自分達のせいでアンカジが今度は王国や教会からの危機に晒されるのではと心配顔だ。

 

 だがそんなソウゴ達に、ランズィは何でもない様に涼しい表情で答えた。

 

「なに、これは"アンカジの意思"だ。この公国に住む者で貴殿等に感謝していない者などおらん。そんな相手を、一方的な理由で殺させたとあっては……それこそ、私の方が"アンカジの意思"に殺されてしまうだろう。愛すべき国でクーデターなど考えたくもないぞ」

「成程。別にあの程度の連中に殺されたりはしないが……どうやら貴様は、確りと民の声を聴いているという事らしい」

 ランズィの言葉に、機嫌がよさそうにソウゴがそう言うと、ランズィは我が意を得たりと笑った。

「そうだろうな。つまり君達は、教会よりも怖い存在という事だ。救国の英雄だからというのもあるがね、半分は君達を敵に回さない為だ。信じられない様な魔法を幾つも使い、未知の化け物をいとも簡単に屠り、大迷宮すらたった数日で攻略して戻ってくる。教会の威光を微風の様に受け流し、百人の神殿騎士を歯牙にもかけない。万群を正面から叩き潰し、勇者すら追い詰めた魔物を瞬殺したという報告も入っている……いや、実に恐ろしい。父から領主を継いで結構な年月が経つが、その中でも一、二を争う英断だったと自負しているよ」

 

 

 ソウゴとしては、ランズィが自分達を教会に引き渡したとしてもどうこうするつもりは無かったのだが、ランズィは万一の可能性も考えて教会とソウゴ達を天秤にかけ後者を取ったのだろう。確かに国の為とは言え、教会の威光に逆らう行為なのだ。英断と言っても過言ではないだろう。

 

「……ならば、その決断には対価を払わねばな」

「ソウゴ殿?」

 

 するとふとそんな事を言ったソウゴに、ランズィは疑問を浮かべて問いかける。そのソウゴの視界の先には、先程フォルビン達が消えていった教会がある。

「ランズィ。私は貴様を、このアンカジを気に入った。そして先程の貴様の言葉と民達の勇気に応えて、褒美を出す事にした」

 片手を天に向けながらそう説明するソウゴが何をする気か、ユエ達は何となく予想がついた。

 

 何故なら、先程から自分達の遥か頭上の空にて、何か巨大なエネルギーが溜まっていくのを感じたからだ。

 

「今回の件で貴様等が余計な面倒事に巻き込まれるのも気に喰わんのでな、先ずは貴様等の翻意が大本に伝わらん様口封じをするとしよう」

 その言葉と共に、ソウゴは手を振り下ろした。

 

 

「──"神の裁き(エル・トール)"」

 

 

 その言葉と共に、オルクスのヒュドラやグリューエンで遭遇した白竜を容易く凌駕する光の柱が教会を飲み込んだ。

 

 それは、幾条もの落雷を束ねた光の暴力。神の名を冠する怒りの鉄槌。

 

 恐らくフォルビン達は、自分達が死んだ事すら気付かなかっただろう。目の前でその光景を見ていたユエ達やランズィ、いつの間にか合流していたビィズですら理解出来なかった様で、漸く理解した時には既に教会は底の見えない大穴に変わっていた。“雷龍”を得意としているユエですら、あんぐりと口を開けて呆然としている。

 

「罰だの裁きだのとほざいていたが、神罰とはこういう事を言うのだ」

 

 そう言うソウゴは、既に踵を返して歩を進めていた。ソウゴ以外、誰も動く事が出来なかった。それだけ、ソウゴが一瞬で齎した破壊と殺戮は凄まじかった。

 この時、ランズィは心の底から思った。

 

 

 ──もし司教に従っていたら、自分達も死んでいたと。

 

 

「さてと。ビィズ、民達にこの場に留まっている様伝えてくれ。ランズィ、安置してある遺体を一つ残らずここに運んでくれ、ユエ達も使って構わん」

 するとソウゴにそう指示され、ランズィ達は慌てて足を動かした。

 

 

 

 数分後。

 

「取り敢えず死者達はここに集めているが……どうするつもりだ?」

 

 ランズィ親子によってアンカジの民衆はオアシス周辺に留められ、今回の一件で亡くなった死者達の遺体も全てオアシス周辺に移送された。人々はその中に家族や友人を見つけ、その胸に悲しみと寂寥感を思い出す。

 

 その姿に心を痛めながら、ランズィはソウゴの意図が読めず疑問符を浮かべている。ユエ達も同様だ。

 ソウゴはランズィの問いに答えず、数歩前に踏み出す。すると案の定、人々の注目はソウゴに集まる。

「今から少し皆を驚かせるが、害の無い事は約束しよう。故に、静かに見ていてくれ」

 ソウゴはそう前置き、地面に片膝を付いてとある術の印を結んだ。

 

 

「"外道・輪廻天生"」

 

 

 途端、オアシスの底から巨大な鬼の様な首が出現する。勿論、突然そんな物が現れて民衆は動揺する。ユエ達もランズィ達もソウゴが何をするのか分からないまま、巨大な鬼の首に視線を向ける。

 

 するとその鬼は徐に顎を開き、大量の青白い炎の様なものを吐き出した。

 その炎は暫く宙を漂った後、地面に並べられた遺体に落ちた。その光景に誰もが困惑の声を上げ……次の瞬間には驚愕に固まった。

 

「……んぅ、あれ? 俺は……」

「私、何で……」

「おかあさん……?」

 

 何と遺体が、先程まで遺体だった筈の人々が目を開けた。声を上げた。体を起こした。ある程度の時間差はありつつも、皆炎が落ちて数秒後、まるでただ眠っていただけの様に起き上がった。その姿からは、病に侵された弱った様子は一切無い。オアシスが汚染される以前の、健常な姿だった。

 その光景を見た人々は数瞬の沈黙の後……

 

 

 ──歓声に包まれた。

 

 

 皆、もう会えぬと思っていた大事な存在を抱き締め、涙を流している。先程まで死んでいた者達もまた、自分達は死んだ筈という記憶と目の前の光景が嚙み合わず、何が何やら分からないながらも笑顔を浮かべて抱き返す。

 

 

「こんな……こんな奇跡が!」

 

 目の前で繰り広げられた有り得ない奇跡に、ランズィ達は驚愕で声を大に涙を流す。これは夢ではない、夢の様な現実だ。

 神の所行とは、正しくこの様な事を言うのだ。ソウゴは神に遣わされた救世主ではなく、正にアンカジを救う為に地上に立った神なのだと本気で思った。

 民も、兵も、医者も。皆再会の喜びと共にソウゴへの感謝を口にする。ソウゴを神だと崇めだす者も現れ始めた。

 

 その視線の先で、ソウゴに異変が起きた。

 

 ソウゴの陽光を反射する栗色の茶髪が、急激に白く変色していく。よく見れば、ユエ達ですら見た事が無い程汗を掻いている。

 片膝を付いた姿勢を解き、立ち上がろうとしたソウゴは──ふらりとよろけて倒れかけた。

 

「ソウゴ様っ!!」

「ソウゴさん!!」

「ご主人様っ!」

「ソウゴくんっ!」

 

 咄嗟に飛び出たユエ達がソウゴの体を支え、ソウゴはどうにか己の両足で立ち上がる。突然倒れかけたソウゴに、ランズィ達やアンカジの人々も心配そうな表情で駆け寄る。

「ソウゴ殿っ! 大丈夫か!?」

「あぁ、すまんな……少し、張り切り過ぎた」

 すっかり白髪になった髪の奥で冷や汗を掻きながらも、ソウゴは笑みを浮かべて大丈夫だと告げる。

 だがその言葉に反して、その脚は震え、息も荒く声が途切れ途切れだ。

 肩を貸しているシアとティオも、ソウゴの腕に力が入っていないのが分かった。

「ご主人様、一体何をしたのじゃ!?」

「"外道・輪廻天生の術"……早い話が、超広範囲死者蘇生術だ……。本来なら、あまり時間が経っていると……蘇生は難しいが、……私が得意とするのは時間操作、多少遡る程度なら……無茶も通せる」

「そんな凄い術が……」

「代償に、術者の命を持っていくのが……難点だが……、私は不死だ……急激な老化で済んでいる」

 本来なら術者の命と引き換えに発動すると聞き、周囲は驚愕の声を上げる。と同時に、そんな術を使って尚ふらつきながらも翳りの見えないソウゴの迫力と、自分達の為に躊躇い無く使ってくれたという事実に、最早感謝の念しか浮かばない。

「ランズィ。暫く休む、一時間程部屋を貸せ……それで回復する」

「それで済むなら、幾らでも使ってくれ!」

 ランズィの快諾を受け、ソウゴはシア達の肩を借りながら歓声を背に歩き出した。

 

 

 

 教会との騒動から三日。

 

 農作地帯と作物の汚染を浄化したソウゴ達は、輝きを取り戻したオアシスを少し高台にある場所から眺めていた。

 

 視線の先、キラキラと輝く湖面の周りには、笑顔と活気を取り戻した多くの人々が集っている。湖畔の草地に寝そべり、水際ではしゃぐ子供を見守る夫婦、桟橋から釣り糸を垂らす少年達、湖面に浮かべたボートで愛を語らい合う恋人達。訪れている人達は様々だが、皆一様に笑顔で満ち満ちていた。

 

 

 ソウゴ達は今日、アンカジを発つ。

 

 すっかり回復したソウゴは、その後も磁遁で砂金を集めて金塊を鋳造したり、魔術が付与された属性武器を兵士全員に配布して自ら指導したり、ランズィ親子に磁遁を教授したりと色々サービスをして二日を過ごした。

 

 アンカジにおけるソウゴ達への歓迎ぶりは凄まじく、放っておけば出発時に見送りパレードまでしそうな勢いだったので、ランズィに頼んで何とか抑えてもらった程だ。見送りは領主館で終わらせてもらい、ソウゴ達は自分達だけで門近くまで来て最後にオアシスを眺めているのである。

「さて、そろそろ発つか。……だから貴様等、いい加減着替えるか上に何か羽織れ」

 ソウゴはそろそろ門に向かおうと踵を返しつつ、傍にいるユエ達にそんな事を言った。

「……ん? 飽きた?」

「え? そうなの? ソウゴくん」

「いや、ユエ、香織よ。ご主人様の目はそう言っておらん。単に目立たぬ様にという事じゃろう」

「まぁ、門を通るのにこの格好はないですからね~」

 シアがその場でくるりと華麗にターンを決めながら"この格好"と言ったのは、所謂ベリーダンスで着る様な衣装だった。チョリ・トップスを着てへそ出し、下はハーレムパンツやヤードスカートだ。非常に扇情的で、小さなお臍が眩しい。この衣装を着て踊られたりしたら目が釘付けになる事請け合いだ。

 

 アンカジにおけるドレス衣装らしい。領主の奥方からプレゼントされたユエ達がこれを着てソウゴに披露した時、ソウゴの目が一瞬点になった。

 

 今まで碌な反応をしてこなかったソウゴである。味を占めたシア達は、基本的に一日中その格好でソウゴに侍る様になった。当然そうなればユエも脱ぐ訳にいかず、常にソウゴに魅惑的に迫った。

 

 

 だが悲しいかな、ソウゴの胸中に浮かんだのは「年相応の羞恥心は無いのか」や「未婚の子女がこれでいいのか」等の、ユエ達の理想とはかけ離れた事だけだった。

 

 

 

 そして、アンカジを出発して二日。

 

 そろそろホルアドに通じる街道に差し掛かる頃、トライドロンを走らせるソウゴ達は賊らしき連中に襲われている隊商と遭遇した。

 

 

 そこでソウゴと香織は、意外すぎる人物と再会する事になった。

 

 

 

 

 

 【ハイリヒ王国】の王宮敷地内にある騎士や兵士用の食堂に、どこかイライラとした雰囲気の女子生徒──園部優花の姿があった。

 

 優花はただでさえ切れ長な目元をギンッと吊り上げながら、睥睨する様に食堂内を見渡す。幾人かの兵士と思われる青年達が、そんな優花の視線を受けてビクッと体を震わせた。

「ここにもいない……か、あぁもうっ! アイツ等、肝心な時に限ってっ!」

 栗色の髪を少々乱暴に掻き上げつつ、優花は苛立ちを露わにする。そして更に兵士達をビクッとさせつつ踵を返した。

「訓練場にも、隊舎にも、食堂にもいない。……やっぱり、街に出たって事?」

 独り言を呟きながら、優花は王宮正門の門番詰所へと進路を取る。ズンズンと音が聞こえてきそうな足取りだ。

 

「優花っち!」

 

 進撃するかの様な勢いの優花に声が掛けられた。パタパタと走って来たのは宮崎奈々だ。

「こっちにはいなかったよ。そっちは?」

「食堂にはいなかったわ。さっき玉井くんと妙子にも会ったけど、やっぱりいないみたい。二人共、他の施設を見に行ってくれてるけど……多分王宮内にはいないんじゃない?」

「だよねぇ。私も相川君達とさっき会ったけど、やっぱりいなかったって。あぁもう! こんな時にアイツ等、何処ほっつき歩いてんのかなぁ! 愛ちゃん先生の護衛失格だよ!」

 奈々が頭を抱えて「うがーっ!」と叫んだ。

 

 二人──正確には愛ちゃん護衛隊のメンバーが探しているのは、同じ愛子の護衛隊であるデビット率いる神殿騎士達だった。

 

 

 三日前、生徒達との夕食の席に現れなかった愛子。代わりにやって来た教皇イシュタルによれば、ソウゴの異端者認定について「覆す事が出来るかもしれない」と急遽本山に入ったのだと言う。審議や手続き等で直ぐには戻れないが、二~三日もすれば顔を見せるだろう、と説明を受けた。

 

 事前に愛子と接触していた雫から、愛子より重要な話があると聞いていたので当然優花達は訝しんだ。取り敢えず愛子の所へ行こうと本山入りを訴えたのだが、異端者認定の対象である人間と親交のある者をこのタイミングで入山させる訳にはいかないと断られ、不安に思いながらも二~三日ならと待つ事にしたのだ。

 

 

 しかし三日目の今日。既に昼を過ぎたこの時間になっても、愛子に関する情報が何も手に入らない。

 

 

 本山行きのリフトは停止したままで、教会関係者も要領を得ない説明しかしない。痺れを切らした優花達は一先ず、デビット達神殿騎士に現状を尋ねようとしていた訳だ。

 

 しかし、昨日の夕方までは姿を確認していたデビット達まで今日の朝には姿を晦ませてしまった。

 何処を探してもいないのだ。最早街に行ったとしか考えられないのだが、この状況で愛子溺愛者である彼等が街中をふらつくとも思えない。

 

 

「……嫌な、感じね」

 

 歯噛みしながら、優花はここ最近の王宮内の異様な雰囲気と、姿を消していく身近な人々を思い、まるで背筋に虫が這っているかの様な恐怖を覚えた。

 するとそこへ、

 

「優花? それに奈々も……?」

 

 やって来たのは雫だった。優花達へ呼びかけながら、しかし誰かを探している様に周囲へチラチラと視線をやっている。

「デビットさん達は……その様子だと、まだ見つかってないみたいね」

「うん。そっちも、団長さんとは会えなかったみたいだね」

 優花の言葉に、雫は憂いを帯びた表情で目を伏せる。

 

 

 あの日から姿を見せなくなったのは愛子だけではない。

 

 メルドやリリアーナを筆頭に、雫の専属侍女兼友人であるニアを始めとした幾人かの使用人達。他にも訓練等で親しくなった騎士や兵士等も、何かと理由をつけて会えなくなっている。

 

 

「ねぇ……優花っち、雫っち。……大丈夫、だよね?」

「「……」」

 奈々が、どこか怯えた様子で問うた。だが二人共、いつもの様に「大丈夫!」と即答する事が出来なかった。

 

 ──何かが起きている。

 

 漠然とした不安感が、二人から余裕を奪い去ろうとしていた。

 

(こんな時に、彼がいてくれたら……)

(こんな時に、アイツがいてくれたら……)

 

 

 無意識に、雫と優花は同じ方向を見た。

 

 それは遥か西の空。思い浮かべた人物は同じ。

 

 滅茶苦茶で理不尽で恐ろしいが、疑い無く頼りになる一人の王の背中だった。

 

 

 

 

 暗い何処かの部屋。それなりの広さがあるその場所に、幽鬼の様に立つ無数の人影があった。誰も彼も微動だにせず、ただ佇んでいる。

 そんな人間味の無い集団が整然と並ぶ部屋の奥に、更に二人の人影があった。こちらは生気に溢れ、間違い無く人間だと言える。

 

 だが、"真面な"という形容詞をつけられるかと問われれば、答えは"否"だろう。

 

 真面と言うには、瞳に宿る狂気の色が強過ぎた。

「さて、漸く準備も整ったね。あぁ本当に、ワクワクするよ。あの時から、ずっと思い焦がれていた瞬間が、もう直ぐやって来る! この世界へ喚ばれて……本当に良かったっ! 僕は今、とっても幸せだよ!!」

 

 哄笑が響き渡る。幸せだと正の言葉を口にしながら、そこに込められたのは圧倒的なまでの悪意と嘲笑。捻じれて狂った感情の欠片。

 

 

 その様子を、隣の人影は冷めきった眼差しで見つめている。仲間意識が皆無なのは明白だ。だが冷めていながらも口元にうっすらと浮かぶ笑みは、哄笑を上げる人影と同じくたっぷりの悪意と嘲笑に塗れていた。

 

 

 

 同時刻。大陸の果ての王国にて、凄まじい光景が広がっていた。

 

 圧倒的な数の魔物が、整然と並んでいるのだ。その数、裕に十万は超えているだろう。どれもこれも【オルクス大迷宮】の深層レベルの力を有している事は、その身に纏う禍々しい気配が示している。正に蹂躙という言葉が、形を持って顕現したかの様な光景だ。

 

 驚いた事にその何体かには、人が騎乗している様だった。この集まりが、単なるスタンピードでない事は明白だ。

 

「神託が降りた。神の代弁者である我等の魔王陛下から、勅命が下った。──異教徒共を滅ぼせと」

 

 厳かで、しかしどうしようもない程狂的な使命感を帯びた声音が地に降り注ぐ。その声には、どこか個人的な怒りや憎しみが見え隠れしていた。

 そして、爆発的で熱狂的な歓声と共に長と思しき者の声が響く。

 

「知らしめてやろう。神意を、我等の強さを。我が物顔で北大陸を闊歩する愚か者共に、身の程というものを!」

 

 踏み鳴らされた大地が揺れ、狂気の絶叫が大気を震わせた。

 

 

 

 奇しくも薄暗い部屋の人影と、南の果てで大群を統べる男が宣言したのは同時だった。

 

 

 

 ──さぁ始めよう! 僕が幸せになる為の、僕の為の物語を!

 

 

 

 ──さぁ、雄叫びを上げろ! 我等が神に勝利を! 開戦の時だ!

 

 

 

 

 

 

 

 標高八千メートル。【神山】の山頂に聳え立つ鋼鉄の塔。その最上階の牢獄に、小さな呻き声が上がった。

 指先から血を流し、顔を顰めているのは──愛子だ。

 

 愛子は滴る血で床に魔法陣を描き、何度も呪文を唱える。しかしどれだけ唱えても、何度挑戦しても、手首に嵌った枷が魔力の流出を妨げ発動させない。

 がくりと肩を落とした愛子の手には、試みと同じ数だけ自傷の痕があった。

 

「無駄だという事が、まだ分からないのですか?」

「っ」

 

 突然かけられた無機質な声に、愛子はビクッと肩を震わせる。視線を転じれば、そこにはいつの間にかフードを目深に被った修道女がいた。手にはトレーに載せられた質素な食事がある。

 愛子は修道女の背後で、この牢獄の鉄扉が開いているのを見た瞬間一目散に駆け出した。

「だから、無駄だと言っているのです」

 

「あぐっ!」

 

 修道女の脇を抜けようとした瞬間、腹部に衝撃が走った。認識する事も出来ない何らかの攻撃を受け、愛子は悲鳴を上げながら部屋の奥へと吹き飛ばされる。

「こ……ここから出して下さいっ! 私を閉じ込めて、生徒達に何をするつもりですか!?」

 息を詰まらせながらも気丈に言葉を投げつける愛子だったが、修道女の気配は微塵も揺らがない。まるで機械の如く無機質なまま、食事を置くとあっさり踵を返した。

「待って、待って下さい! せめて、生徒達の無事をっ!」

 縋りつく様に問いかける愛子だったが、無情にも扉は閉じられていく。そして一筋程の隙間を残して一度止まると、

 

「全ては主の御心のままに。盤上より退場した貴女には、知る由の無い事です」

 

 そんな言葉だけを残して、扉は完全に閉じられた。

 

 

 膝立ちのまま、愛子は己の無力を噛み締める。大切な生徒に、何かが起きようとしている。なのに自分は。彼等の先生なのに、何も出来ない。

 

 ふと脳裏に過ったのは、【ウルの町】で理不尽を更なる理不尽で叩き潰した王者の姿。

 

 愛子は格子の嵌った小さな天窓から覗く月を見上げながら、ポツリと呟いた。

 

 

「常磐さん……」

 

 

 扉の向こうの小さな呟きを聞いた修道女は、無表情のままスタスタと牢獄の前を去る。そして通路の脇にある物見用のテラスに出ると、地上を睥睨し呟いた。

 

「来るなら来なさい、イレギュラー。その時が、貴方の終焉です」

 

 

 

 

 

 

 狂人も魔人も、修道女も気づかない。自分達の行動が、思惑が、欲望が、その全てが異界の魔王イレギュラーに筒抜けだという事に。自分達が、彼の掌の上で踊っている事に。

 

 

 

 異界の魔王は進む。運命に導かれる様に。

 

 

 神意と狂気と裏切りで彩られた一流の悲劇(バッドエンド)を、理不尽な暴力(アドリブ)によって三流の喜劇(ハッピーエンド)に書き換える為に。

 

 

 





ミュウの成長にこうご期待。



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第二十二話 賽は投げられた


ソウゴの出番は少ない……かもしれない。




 最初に、その騒動に気がついたのはシアだった。

 

「あれ? ソウゴさん、あれって……何か襲われてません?」

 

 運転するソウゴが目を向ければ、その言葉通りどこかの隊商が襲われている様で、相対する二組の集団が激しい攻防を繰り返していた。近づくにつれ、シアのウサミミには人々の怒号と悲鳴が聞こえ、ソウゴの目にもはっきりと事態の詳細が見て取れた。

「相手は賊か。……小汚ない格好をした男が約四十人……対して隊商の護衛は十五人程度か。あの戦力差で拮抗しているのは評価すべきか」

「……ん、あの結界は中々」

「ふむ、宛ら城壁の役割じゃな。あれを崩さんと本丸の隊商に接近出来ん。結界越しに魔術を撃たれては、賊もたまらんじゃろう」

「でも、一向に引く気配がありませんよ?」

「それはそうだろう。この世界のレベルを鑑みれば、あの程度の結界すら碌に維持出来んだろうからな。多少時間は掛かるが、待っていれば勝手に解ける」

 

 最初に奇襲でもされたのだろう。重傷を負って蹲る者が数人、既に賊に殺された様で血の海に沈んでいる者も数人いる。ユエ達の言う強固な結界により何とか持ち堪えている様だが、ただでさえ人数差があるのに護衛側は更に数を減らしているのだ。結界が解ければ嬲り殺しにされるだろう。冒険者らしき女性などは、既に裸に剥かれて結界内にいる仲間の冒険者に見せつける様にして晒し者にされていた。

 

 そしてソウゴの推測通り、ソウゴ達の会話が途切れた直後、結界は効力を失い溶ける様に虚空へと消えていった。

 待ってましたと言わんばかりに、雄叫びを上げた賊達が隊商へとなだれ込んだ。賊達の頭の中は既に戦利品で一杯なのか、一様に下卑た笑みを浮かべている。護衛隊が必死に応戦するが、多勢に無勢だ。一人また一人と傷つき倒れていく。

 

 と、その時。何か酷く驚いた様な表情で固まっていた香織が、焦燥を滲ませた声音でソウゴに救援を求めた。

 

「ソウゴくんお願い! 彼等を助けて! もしかしたら、あそこに……」

「いいだろう」

 ソウゴは香織の言葉に短く返し、窓を開いてディエンドライバーを構える。

『ATTACK RIDE BLAST』

『ATTACK RIDE LUNA』

 同時に二枚カードを読み込ませ、即座に引き金を引く。

 

 ブラストのカードとルナメモリの能力により増殖した銃弾は、一瞬で賊まで到達してその頭部を吹き飛ばす。

 あまりに躊躇無き瞬殺に、香織が一瞬息を呑む。だが咄嗟にソウゴの言葉を思い出し、キッと目を開いてその虐殺を見届けた。

 

 

 トライドロンが隊商達の近くに止まると同時に香織は飛び出し、複数人用の光系回復魔術"回天"を連続使用して、一気に傷ついた冒険者達や隊商の人々を治癒していく。しかし残念ながら、ソウゴ達が来る前に倒れていた護衛の冒険者達は既に事切れていたらしく、そちらはソウゴが蘇生呪文"ザオリーマ"で生き返らせた。次いでユエとシアに指示を出し、嬲り者になっていた女性冒険者のケアを任せる。

 

 そんなお手軽に奇跡の様な事をやってのけるソウゴに苦笑いを浮かべる香織に、突如人影が猛然と駆け寄った。小柄で目深にフードを被っており、一見すると物凄く怪しい。

 だが実は先程の結界を張って必死に隊商を守っていたのがその人物であると魔力の流れと色で既に確認していたので、ソウゴは特に止める事もなく素通りさせた。

 

「香織!」

 

 フードの人物はそのままの勢いで香織に飛び付き、可憐な声で香織の名を呼びながらギュッと抱きついた。香織はまさかの推測が当たっていたと知り驚愕を隠せない様子で、その人物の名を呟く。

「リリィ! やっぱりリリィなのね? あの結界、見覚えが有ると思ったの。まさかこんな所にいるとは思わなかったから、半信半疑だったのだけど……」

 香織がリリィと呼んだフードの相手、それは、

 

 ────ハイリヒ王国王女リリアーナ・S・B・ハイリヒ、その人だった。

 

 

 

 リリアーナは心底ホッとした様子で、ずれたフードの奥から煌く金髪碧眼とその美貌を覗かせた。そして、感じ入る様に細めた目で香織を見つめながら呟く。

「私も、こんな所で香織に会えるとは思いませんでした。……僥倖です。私の運もまだまだ尽きてはいない様ですね」

「リリィ? それはどういう……」

 香織がリリアーナの言葉の意味を計りかねていると、リリアーナは今更ながらにハッと何かに気がついた様子でフードを目深に被り直した。そして香織の口元に人差し指を当てて、自分の名前を呼ばせない様にした。

 どうやら、本当にお供も付けず、隊商に紛れ込んでここまでやって来たようだ。一国の王女がそうしなければならない何かがあったのだと察した香織の表情も険しくなった。

 

「香織、治療は終わったか?」

 

 香織とリリアーナが真剣な表情で見つめ合っていると、いつの間にか傍までやって来ていたソウゴがそう声をかけた。

 全く気配が無かったので「ひゃ!」と可愛らしい声を上げて驚くリリアーナ。そしてフードの中からソウゴを見上げて、途端ピコン! と頭に電球が灯った様な表情をしてソウゴに挨拶を始めた。

「……常磐さん……ですね? お久しぶりです。雫達から貴方の生存は聞いていました。貴方の生き抜く強さに心から敬意を。本当によかった。……貴方がいない間の香織は見ていられませんでしたよ?」

「もうっ、リリィ! 今は、そんな事いいでしょ!」

「ふふ、香織の一大告白の話も雫から聞いていますよ? 後で詳しく聞かせて下さいね?」

 どこか揶揄う様な口調で香織と戯れるリリアーナは、照れて真っ赤になる香織を横目にフードの奥からソウゴに笑いかけた。

 

 国民から絶大な人気を誇る王女の笑顔。一度それを向けられたなら、老若男女の区別なく陶然とする事間違い無いと思わせる可憐なものだ。しかしそれを見たソウゴは、特に何かを感じた様子も無く、ただつまらなさそうに視線を向ける。

 

「確か、リリアーナだったか。王国の姫殿下がこんな辺鄙な所で何をしている?」

「それは……」

 リリアーナが口を開こうとしたところ、ソウゴ達の下へ見覚えのある人物がユエ達と共に寄ってくる。

 

「お久しぶりですな、息災……どころか随分とご活躍の様で」

 

「……モットー、だったな。こんな所で会うとは」

「ええ、覚えていて下さって嬉しい限りです。ユンケル商会のモットーです。危ないところを助けて頂くのは、これで二度目ですな。貴方とは何かと縁がある」

 

 握手を求めながらにこやかに笑う男は、嘗て【ブルックの町】から【中立商業都市フューレン】までの護衛を務めた隊商のリーダー、ユンケル商会のモットー・ユンケルだった。

 

 

 それからソウゴが訊いたところによると、彼等は【宿場町ホルアド】を経由して【アンカジ公国】に向かうつもりだった様だ。アンカジの窮状は既に商人間にも知れ渡っており、今が稼ぎ時だと挙って商人が集まっているらしい。モットーも既に一度商売を終えており、王都で仕入れをして今回が二度目らしい。ホクホク顔を見れば、かなりの儲けを出せた様だ。

 

 ソウゴ達はホルアドを経由してフューレンに行き、ミュウ送還の報告をイルワにしてから、【ハルツィナ樹海】に向かう予定だったので、その事をモットーに話すと彼はホルアドまでの護衛を頼み込んできた。

 

 しかし、それに待ったを掛けた者がいた。リリアーナだ。

 

「申し訳ありません、商人様。彼等の時間は、私が頂きたいのです。ホルアドまでの同乗を許して頂いたにも拘らず身勝手とは分かっているのですが……」

「おや、もうホルアドまで行かなくてもよろしいので?」

「はい、ここまでで結構です。勿論、ホルアドまでの料金を支払わせて頂きます」

 

 どうやらリリアーナは、モットーの隊商に便乗してホルアドまで行く予定だったらしい。しかし、途中でソウゴ達に会えた事でその必要が無くなった様だ。

 

「そうですか……いえ、お役に立てたなら何より。お金は結構ですよ」

「えっ? いえ、そういう訳には……」

 お金を受け取る事を固辞するモットーに、リリアーナは困惑する。隊商では寝床や料理まで全面的に世話になっていたので、後払いでいくら請求されるのだろうと少し不安に思っていた位なので、モットーの言葉は完全に予想外だった。

 

 そんなリリアーナに対し、モットーは困った様な笑みを向けた。

 

「二度とこういう事をなさるとは思いませんが……一応、忠告を。普通、乗合馬車にしろ同乗にしろ、料金は先払いです。それを出発前に請求されないというのは、相手は何か良からぬ事を企んでいるか、またはお金を受け取れない相手という事です。今回は後者ですな」

「それは、まさか……」

「どの様な事情かは存じませんが、貴女様ともあろうお方が、お一人で忍ばなければならない程の重大事なのでしょう。そんな危急の時に役の一つにも立てないなら、今後は商人どころか、胸を張ってこの国の人間を名乗れますまい」

 モットーの口振りから、リリアーナは彼が最初から自分の正体に気がついていたと悟る。そして気が付いていながら、敢えて知らないふりをしてリリアーナの力になろうとしてくれていたのだ。

 

「ならば尚更、感謝の印にお受け取り下さい。貴方方のお陰で、私は王都を出る事が出来たのです」

「ふむ。……突然ですが、商人にとって最も仕入れ難く、同時に喉から手が出る程欲しいものが何かご存知ですか?」

「え? ……いいえ、わかりません」

「それはですな、"信頼"です」

「信頼?」

「ええ、商売は信頼が無くては始まりませんし、続きません。そして、儲かりません。逆にそれさえあれば、大抵の状況は何とかなるものです。さてさて、果たして貴女様にとって、我がユンケル商会は信頼に値するものでしたかな? もしそうだというのなら、既にこれ以上ない報酬を受け取っている事になりますが……」

 

 リリアーナは上手い言い方だと内心で苦笑いした。これでは無理に金銭を渡せば、貴方を信頼していないというのと同義だ。お礼をしたい気持ちと反してしまう。リリアーナは諦めた様にその場でフードを取ると、真っ直ぐモットーに向き合った。

 

「貴方方は真に信頼に値する商会です。ハイリヒ王国王女リリアーナは、貴方方の厚意と献身を決して忘れません。ありがとう……」

「勿体無いお言葉です」

 リリアーナに王女としての言葉を賜ったモットーは、部下共々その場に傅き深々と頭を垂れた。

 

「なら、駄賃は私が出そう。それ、受け取れ」

 

 するとソウゴがそう言いながらモットーに向かって何かを放る。それをキャッチしたモットーは自分の掌に乗る物を確認し、驚愕に目を剥く。

「これは宝物庫の指輪! 何故……」

「以前言ったろう。私にとっては端品故、それなりの働きをすればくれてやると」

「ですが、今回の件は貴方とは関係が無いのでは……」

「別に"私の為に"とは指定してなかろう。ここで会ったのも縁には違いあるまい、大人しく受け取っておけ」

 そう言いながら、ソウゴは人差し指を立てて続ける。

 

「それと、先程の貴様に倣って一つ教えてやろう。雇う立場の人間からすればな、単純に金や名誉で動かん様な輩の方が俗物より余程信用し難いのだ。……まぁ、貴様には今更な説教ではあろうがな」

 

 

 その後、リリアーナとソウゴ達をその場に残し、モットー達は予定通りホルアドへと続く街道を進んでいった。去り際にソウゴが異端者認定を受けている事を知っている口振りで、何やら王都の雰囲気が悪いと忠告までしてくれたモットーに、ソウゴも【アンカジ公国】が完全に回復したという情報を提供しておいた。それだけでソウゴが異端者認定を受けた理由やら何やらを色々推測した様で、その上で「今後も縁があれば是非ご贔屓に」と言ってのけるモットーは本当に生粋の商人である。

 

 その背を見つめ面白そうに笑みを浮かべたソウゴが、ライド・オブ・レジェンズの"アマータ"、"アーシャ"、"アヌシャーサン"を密かに護衛に付けたのは本人達には知らぬ話。

 

 

 モットー達が去った後、ソウゴ達はトライドロンの中でリリアーナの話を聞く事になった。焦燥感と緊張感が入り混じったリリアーナの表情が、ソウゴの感じている面倒な予感に拍車をかける。そして、遂に語りだしたリリアーナの第一声は……

 

「愛子さんが……攫われました」

 

 ソウゴの予想通りのものだった。

 

 

 

 

 リリアーナの話を要約するとこうだ。

 

 最近、王宮内の空気がどこかおかしく、リリアーナはずっと違和感を覚えていたらしい。

 

 父親であるエリヒド国王は今まで以上に聖教教会に傾倒し、時折熱に浮かされた様に“エヒト様”を崇め、それに感化されたのか宰相や他の重鎮達も巻き込まれる様に信仰心を強めていった。

 

 それだけなら、各地で暗躍している魔人族の事が相次いで報告されている事から聖教教会との連携を強化する上での副作用の様なものだと、リリアーナは半ば自分に言い聞かせていたのだが……

 

 違和感はそれだけに留まらなかった。

 

 妙に覇気が無い、もっと言えば生気の無い騎士や兵士達が増えていったのだ。顔なじみの騎士に具合でも悪いのかと尋ねても、受け答えはきちんとするものの、どこか機械的というか、以前の様な快活さが感じられず、まるで病気でも患っているかの様だった。

 

 その事を騎士の中で最も信頼を寄せるメルドに相談しようにも少し前から姿が見えず、時折光輝達の訓練に顔を見せては忙しそうにして直ぐに何処かへ行ってしまう。結局、リリアーナは一度もメルドを捕まえる事が出来なかった。

 

 

 そうこうしている内に愛子が王都に帰還し、【湖畔の町ウル】での詳細が報告された。その席にはリリアーナも同席したらしい。そして、普段からは考えられない強行採決がなされた。

 

 それがソウゴの異端者認定だ。【ウルの町】や勇者一行を救った功績も、"豊穣の女神"として大変な知名度と人気を誇る愛子の異議・意見も、全てを無視して決定されてしまった。

 

 有り得ない決議に、当然リリアーナは父であるエリヒドに猛抗議をしたが、何を言ってもソウゴを神敵とする考えを変える気は無い様だった。まるで強迫観念に囚われているかの様に頑なだった。寧ろ抗議するリリアーナに対して、信仰心が足りない等と言い始め、次第に娘ではなく敵を見るような目で見始めたのだ。

 恐ろしくなったリリアーナは、咄嗟に理解した振りをして逃げ出した。そして王宮の異変について相談するべく、悄然と出て行った愛子を追いかけ自らの懸念を伝えた。すると愛子から、ソウゴが奈落の底で知った神の事を夕食時に生徒達に話すので、リリアーナも同席して欲しいと頼まれたのだそうだ。

 愛子の部屋を辞したリリアーナは、夕刻になり愛子達が食事をとる部屋に向かい、その途中廊下の曲がり角の向こうから愛子と何者かが言い争うのを耳にした。何事かと壁から覗き見た結果、目撃してしまったのだ。

 

 ──銀髪の修道服を着た女に、愛子が気絶させられ担がれているところを。

 

 リリアーナはその銀髪の女に底知れぬ恐怖を感じ、咄嗟にすぐ近くの客室に入り込むと、王族のみが知る隠し通路に入り込み息を潜めた。

 

 銀髪の女が探しに来たが、結局隠し通路自体に気配隠蔽のアーティファクトが使用されていた事もあり気がつかなかった様で、リリアーナを見つける事無く去っていった。リリアーナは銀髪の女が異変の黒幕か、少なくとも黒幕と繋がっていると考え、その事を誰かに伝えなければと立ち上がった。

 

 

 ただ、愛子を待ち伏せていた事からすれば、生徒達は見張られていると考えるのが妥当であり、頼りのメルドは行方知れずだ。

 悩んだ末リリアーナは、今唯一王都にいない頼りになる友人を思い出した。

 

 そう、香織だ。そして香織の傍には、話に聞いていたあの常磐ソウゴがいる。

 

 最早頼るべきは二人しかいないと、リリアーナは隠し通路から王都に出て、一路【アンカジ公国】を目指したのである。

 

 アンカジであれば、王都の異変が届かないゼンゲン公の助力を得られるかもしれないし、タイミング的にソウゴ達と会う事が出来る可能性が高いと踏んだからだ。

 

 

 

 

「後は知っての通り、ユンケル商会の隊商にお願いして便乗させてもらいました。まさか、最初から気づかれているとは思いもしませんでしたし、その途中で賊の襲撃に遭い、それを香織達に助けられるとは夢にも思いませんでしたが……少し前までなら"神のご加護だ"と思うところです。……しかし……私は……今は……教会が怖い……っ! 一体、何が起きているのでしょう……あの銀髪の修道女は……お父様達は……」

 自分の体を抱きしめて恐怖に震えるリリアーナは、才媛と言われる王女というより、ただの少女にしか見えなかった。だが無理も無い事だ。自分の親しい人達が、知らぬ内に変貌し、奪われていくのだから。

 香織は、リリアーナの心に巣食った恐怖を少しでも和らげようと彼女をギュッと抱きしめた。

 

 その様子を見ながら、ソウゴは自分の記憶を探る。リリアーナの語った状況は、まるで【メルジーネ海底遺跡】で散々見せられた"末期状態"によく似ていたからだ。神に魅入られた者の続出。非常に危うい状況だと言える。

 

(仕掛けてあった"天照"の発動と、端末が拾ってきたモノはそれ関連か……)

 

 ソウゴはウルで会った際に、愛子に仕掛けてあった"天照"が発動した事、勇者一行に会った時に仕掛けた端末が拾ってきたモノが、リリアーナの語った愛子誘拐に関係していると紐づけた。

 

 それと同時に獅子身中の虫(裏切り者)が動き出した事を察したソウゴは、ふと脳裏にとある考えが思い浮かび口に手を当てる。

 ソウゴは頭の中を整理する様に暫く考え込んだ後……

 

「……ならば、先ずは王国に向かわねばな」

 

 ソウゴははっきりとそう口にした。

 

 

 ソウゴの言葉に、リリアーナがパッと顔を上げる。その表情には、共に王都へ来てくれるという事への安堵と、意外だという気持ちが表れていた。それは雫達から、ソウゴはこの世界の事にも雫達クラスメイトの事にも無関心だと聞いていたからだ。説得は難儀しそうだと考えていたのに、あっさり手を貸してくれるとは予想外だった。

 

「よろしいのですか?」

 

 リリアーナの確認にソウゴは……

 

 

 

 ──突如詰め寄りその頭を両手で掴んだ。どこか恐怖を感じさせる笑みを浮かべて。

 

 

 

「一つ条件がある。それさえ果たしてくれれば、力を貸してやろう」

「条件……」

 呟く様に返すリリアーナに、ソウゴはその内容を伝える。

 

 リリアーナは、ソウゴの言葉に息を呑む。今までとは打って変わった異様な雰囲気、生まれてから感じた事の無い程の恐怖と……どこか甘美に思える危険な誘惑の様な笑み。

 その姿は、ユエ達でさえ背筋が凍る感触と同時に、ドキリと心が跳ねる様なトキメキを覚える程だった。

 

 

 それから数秒程経ってから、リリアーナはソウゴの条件に首を縦に振った。

「契約成立だな」

「……では、よろしくお願いします。常磐さん……」

 返事を受けたソウゴの顔は、それこそ魔王の様に恐ろしい笑顔だった。

 

 

「……ソウゴ様、素敵」

「はぅ! ソウゴさんが、またあの顔をしてますぅ~、何だかキュンキュンしますぅ」

「むぅ、ご主人様よ。そんな凶悪な表情を見せられたら……濡れてしまうじゃろ?」

「ソウゴくん、カッコいい……」

 

 

 

 

 

 時間は少し遡る。

 

 愛子が誘拐され、リリアーナが脱出した日より少し前。

 

 

 王宮の外れにある開けた場所に、人の姿があった。

 静かな場所だった。ゆるりと吹く夜風の囁きと、冴え冴えとした月明りだけが存在を許された様な、静謐で物悲しい雰囲気が漂う場所。

 

 それもその筈。ここはある意味、墓地なのだから。

 

 勿論王宮の敷地内であるから、不特定多数の死者を埋葬する様な場所ではない。あるのは、【神山】の岩壁を直接加工して造られた巨大な石碑だ。聳え立つ石碑は、所謂忠霊塔(国の為に忠義を尽くして戦死した者の霊に対して、称え続ける事を象徴として表す塔)の様なもので、王国に忠義を尽くした戦死者・殉教者は例外無くここに名を刻まれる。

 

 その忠霊塔の前に無言で佇んでいた人影の正体は、ハイリヒ王国騎士団長のメルド・ロギンスだった。

 無表情だが、その瞳には言葉には表せない強く重い感情が込められている様だった。

 

 深夜を少し回ったこの時間、巡回の兵士を除けば王宮内で無闇に出歩く者はいない。まして、この様な寂しい場所に訪れるなど普通ではない。

 

 

 だがこの静かで人の寄り付かない場所は、死者に安息を与える以外にもう一つ有用な使い方があった。

 

 

「──団長」

 

 

 風に紛れて消えそうな程小さな男の声。メルドがチラリと視線を向ければ、足音を立てずに待ち人が姿を現した。

 男の名はホセ・ランカイド。王国騎士団副団長にして、メルドの腹心の部下だ。

 

「問題無かったか?」

「はい、誰にも見られていません。とは言え、長居は出来ないでしょうが……」

「深夜に騎士団のトップ二人が、こんな場所で密会だからな。今のお偉方からすれば、『一体何を企んでいる?』と目を血走らせるだろうな」

 僅かに口元を歪めて笑うメルドに、ホセは苦笑いを見せた。

 

「……それで、兵団の様子は?」

 

 表情を再び厳しいものに戻して、メルドは問う。

 ホセの表情は冴えない。それどころか、寧ろ蒼褪めてさえいる様に見えた。

「……兵団長を含め、隊長格の六割に“虚ろ”の症状が見られました」

 

 

 ホセの言う"虚ろ"とは、ここ最近王宮内に広がっている奇妙な現象の事だ。

 最初は下級の兵士や騎士等に表れた症状で、簡単に言えば無気力症候群と言うべきか。

 仕事はキチンと果たすし受け答えもするのだが、以前に比べると明らかに覇気に欠け笑う事が無くなり、人付き合いも最低限となり部屋に引き籠る事が多くなる。

 その症状は徐々に広がり、遂には発言力の強い貴族や騎士団でも分隊長クラスまで見られる様になった。

 

 流石にこれは何かがおかしいと、蔓延しだした不気味な現象に危機感を抱いたメルドは本格的な調査に乗り出したのだ。

 

 

「そこまでか。騎士団の一割強というのが幸いに思えてくるな。いや、大隊長クラスに症状が見られないだけ確かに幸いか」

「……しかし団長。その、何と言いますか……本当に、これは何者かの攻撃なのでしょうか? 単に気が抜けているだけなのでは?」

 ホセの報告を聞いて、増々厳しい表情になったメルドに、ホセは遠慮がちにそう尋ねた。

「勇者が敗北し、騎士団の精鋭を失い、数の有利という人間側の生命線を魔人族がひっくり返しつつあるこの状況でか? 気持ちは分からんでもないがなホセ、楽観視は止めろ。お前までやられるぞ」

「失礼しました」

 ホセとて心から楽観視している訳ではない。副団長として、団長の考えに対し別角度からの否定的意見を出すのは職務でもあるのだ。咳払いを一つ、ホセは改めて口を開いた。

「それで、団長の方は? 陛下に何か影響は?」

「陛下は今のところ大丈夫だ、"虚ろ"の症状は無い。寧ろ、覇気が増している位だ。『主の御名に於いて、魔人族の蛮行を許しはしない』とな。……ただ……」

「? どうされました?」

 普段に無い歯切れの悪さを見せたメルドに、ホセは首を傾げる。

 メルドはどう言うべきか迷いつつ、結局適当な言葉が見つからなかった様で「何でも無い」と頭を振った。

 

 ──まさか、些か神に傾倒し過ぎている様な、などと言える訳が無い。己の信仰的にも、部下に対しても。

 

「宰相殿も問題がある様には見えなかった。だが、中央の有力者方が無事かと問われれば、到底そうは言えん」

 そう言って挙げられた症状の見られる貴族達の名を聞いて、ホセは思わずクラリと意識がブレるのを感じた。本当の中枢を担う大貴族は無事だが、各派閥に属する有力貴族の内かなりの者達が発症しているのだ。

「陛下に具申し、騎士団から護衛を付けさせて貰っている。近衛も神殿騎士も微妙なところだ、異変があれば即座に報告する様命じてある」

「陛下は、"虚ろ"について何と?」

 

 

 当然エリヒド国王には、現在王国の中枢が正体不明の敵から精神攻撃を受けている可能性がある旨について報告がなされている。

 いくら無気力が目立つだけの症状とは言え、数が数だ。早急な対応が必要なのは確か。だが、報告したメルドの表情は優れない。

「……今、コソコソとお前と報告会なんぞしている時点で、分かるだろ?」

「調査具申を却下されたのですか?」

 

 

 そう。王宮の片隅で深夜に人目に付かない様に現状報告をしあっているのは、エリヒド国王が本格的な調査を却下した上、メルドに余計な事に感けていないで軍備増強に専念しろと命じられたからだ。

 

 表立って調査出来なくなったメルドは、それでも己の危機感を信じてこうして腹心の部下と出来る限りの事をしているのである。

 

 

「魔人族の脅威が高まっているこの状況だ、陛下も不明瞭な情報のみでは判断に困るのだろう」

「しかし、それでも普段の陛下であれば団長の言葉なら……」

 ホセの言葉をメルドは視線で止めた。確かに、今のエリヒド国王は些か強行な姿勢が目立つが、だからといってそう簡単に不服を口にするのは憚られる。

「だからこそ、俺達で陛下が判断するに足る情報を集めるのだろう? ホセ、闇属性の魔法に精通している者を集めろ。“虚ろ”の正体を探らせ、対抗策を用意させろ。そして、どうにか王宮の宝物庫を開けてもらう。精神攻撃に対抗出来るアーティファクトがあるかもしれん、管理部に言って目録を見せてもらえ」

「了解です。光輝君達には?」

「俺が対応する。……今、あいつらは不安定な時期だ。余計な不安を与えたくはないが……ままならんものだな。俺はとことん教育者には向いていないらしい」

 自嘲する様な溜息を吐いたメルドに、ホセは笑みを浮かべて言う。

「団長の心遣いなら、キチンと伝わっていますよ」

「俺の心を知ってもらってどうする。俺があいつらの心を知らねばならんのだ。そして、そこに一番悩んでいるんだよ俺は。剣の振り方やら戦い方なら、悩む事なんぞ何も無いんだがなぁ」

「それでも、団長から話をされる方が彼等は安心しますよ」

 騎士団の新人なら、元より全て覚悟の上での入団だ。故にメンタルケアの主たる方法は、取り敢えず倒れるまで走る・剣を振る・一緒に酒を飲むである。そして大体、それで解決する。

 

 

 が、意図せず故郷から連れ出され、戦わねば故郷に帰れないという状況のただの学生達にそれを強要するのは、色んな意味で駄目だろう。

 

 だからこそ、メルドは不得手な非体育会系の子供達のメンタルケアに四苦八苦している訳だが……

 

 

 子育てに悩む父親の様な様子で唸る珍しい団長の姿に、ホセは苦笑いせずにはいられなかった。

 

 

 

 その後二、三情報の共有と今後の方針を打ち合わせたメルドとホセは、互いに闇に紛れる様にして王宮内へと戻った。

 

 薄暗い廊下を巡回の兵士に見つからない様、気を配りつつ自室へと向かうメルド。騎士団長という身分である故、仮に見つかっても咎められたり職務質問を受ける事も無いだろうが、それでもこんな時間に何をしていたのだろうという疑問を抱くだろう目撃者を作りたくない。

 尤も、「こそこそと深夜の王宮内をうろつく自分は十分に不審者だな」と、思わず自嘲の笑みを浮かべたメルドは、しかし次の瞬間心臓を握り潰される様な戦慄を味わう事になった。

 

「メルド団ちょ──」

 

 周囲に誰もいなかった。気配は常に探っていた。にも拘わらず背後を取られた。それも、肩を叩かれる程近くで。取りも直さず、それは首を刈るのも自由な距離とう事で──

 

 

「ゼアッ!!」

 

 

 張り詰めていた緊張故に、メルドは自分でも驚く程の反応を見せた。

 肩に相手の手が触れた瞬間、反射で動いた右手は一瞬で騎士剣を抜剣。暗闇に銀の線を描きながら背後の何者かへ横薙ぎの一撃が振るわれた。

 

「ひぃっ!?」

 

 が、「たとえ首を裂かれても今の一撃で仕留めてやる!」という気概と共に振るわれた一撃は、これまた相手の素晴らしい反応で空を切った。

 というか、相手は尻餅をついていた。腰が抜けたとも言える。序に涙目だった。

 

「……こ、浩介?」

 

 高速でコクコクと頷く涙目の人物は、前線組・永山パーティの斥候役にしてクラスメイト一影の薄い男──遠藤浩介だった。

「だ、団長ぉ……お、おれ、なんか団長にしました……?」

 涙目でガクブルと震えながらそう言う浩介に、メルドは漸く事態を悟り慌てて騎士剣を仕舞い浩介を助け起こした。

 

 

 浩介の影が薄い事は周知の事実だ。皆で談笑していても、いつの間にか忘れられている様な男なのだ。自動ドアも三回中二回は反応しないし、点呼では大体名前を呼ばれない。そんな先天性の気配遮断能力を持った男なのだ。メルドの感覚をすり抜けても何の不思議でもない。

 

 

「い、いや……すまん。いきなり背後に立たれたもんでな、つい」

「……団長、いつから暗殺者になったんですか」

 "つい"で危うく首チョンパされそうになった浩介がジト目でツッコミを入れる。メルドは誤魔化す様に咳払いすると話題の転換を図った。

「それより浩介、お前こんな時間にどうした?」

「今日の訓練、ちょっと無茶し過ぎて夕方から部屋で休んでたんですよ。そしたら、うっかり寝ちゃったんですけど……」

 質問の答えにしては随分時間そ遡るなと思ったメルドだったが、続く浩介の言葉に思わず目頭が熱くなった。

「誰も起こしに来てくれなかったんですよね。晩飯の時間になっても」

「そ、そうか」

「時間が大分過ぎてから目が覚めて、慌てて食べに行ったんですけど、『あれ、なんか一食余ってんな。まぁ偶々だろ、賄いにしよ~っと』みたいなノリで食べてしまったそうで。皆、俺が晩飯の席に居ない事気が付いてなかったんすね」

「……そ、そうか」

「まぁ時間に遅れたのは俺だし、なのにまた作ってもらうのも悪いんで一食位抜いてもいいかなぁと思ったんですけど……腹減り過ぎて眠れなくて、何か食べれないか厨房に行ったんですよ。で、なんか野菜っぽい物の切れ端とかあったんで食べたんですけど」

「けど?」

「食って暫くしたら腹に激痛が……で、二時間程戦ってたんすよ。厨房近くのトイレで。壮絶でした」

「お前、夜中に何と戦ってるんだ……」

「で、戦い終わって気が付いたんです。新たな問題に」

「まだあるのか!? トイレで一体、何があった!?」

「寧ろ、無かったんす。紙が」

「………」

 

 そこから先、浩介がどうやって紙を手に入れたのかについては生憎と彼の口から語られる事は無かった。ただ、厨房近くのトイレとこの場所は結構距離がある事を考えれば、彼は戦後処理が出来ない状態で王宮内のトイレを彷徨っていたという事なのだろう。

 

 

「浩介……もう休め」

「うっす。お休みなさい、団長」

 

 忘れられ、食事を抜かれ、残飯漁りじみた事をして腹を壊し、夜中にトイレを彷徨い歩き、挙句騎士団長に首チョンパされかける。……王宮内なのに、何故こうもシビアな生き方をしているのだろう。

 トボトボと自室に戻っていく浩介の煤けた背中を見送りながら、メルドは無意識に敬礼をしていた。

 

 

 緊張感を微妙に削がれつつも自室に戻ったメルドは、大きく息を吐くと腰に下げた騎士剣を外して部屋の壁に立て掛けた。そしてドカッと身を投げ出す様にしてソファへ腰を落とし、指先を眉間に押し当て揉み解す。

 些細な休息の後、自然と頭が働きだす。

「……士気のみ落とす魔法、か。魔人族の仕業と考えるのが順当だが、王宮に直接? 有り得ん。仮にそれが出来るなら、何故もっと強力な魔法を使わない? 何故下級兵士や騎士からなんだ? 悟られずに魔法を行使出来るなら、何故俺を狙わない? 騎士団長の首を取れれば、それこそ士気などガタ落ちだろう。何故だ? 何が起きているんだ?」

 思考が口をついて流れ出る。危機を察知してからというもの、正体不明の敵・手段にメルドの気は張り詰め続けていた。まだまだ限界には遠いがそれでも考えるべき事は多く、何より国のトップに自分の危機意識を共有出来ない事が彼の精神力を削り取る。

 頭の奥に、重い疲労の塊が蓄積していく感覚。白のキャンバスに垂らした黒のインクが、ジワジワと染み込んでいくかの様な焦燥感。

 

 

 

「……あの御方は今頃、何をしておられるのか」

 

 

 

 ふと脳裏を過ったのは、【オルクス大迷宮】で奇跡の様な再会と圧倒的な力を見せつけた一人の王の姿。死に瀕した自分を、伝説級の秘薬を使ってまで救ってくれた恩人だ。

 

 暫く当時の事を思い出して何とも言えない表情を浮かべていたメルドは、徐に立ち上がるとデスクへと向かった。

 

 引き出しから取り出したのは、便箋と封筒を二セット。ペンを手に取り、メルドは難しい表情をしながら書き始めた。

 

 

 それは万が一に備えての布石だった。

 

 一つは【アンカジ公国】のゼンゲン公宛て。そしてもう一つは、彼の青年王宛て。

 

 もしかしたら、ゼンゲン公を通して彼に渡るかもしれない。そうすれば自分に何かあったとしても、或いは起死回生の一手になるかもしれない。

 

 月明りが差し込む静かな室内に、カリカリというペンの走る音だけが響く。

 

 

 

 ある程度書き終えたメルドが内容の見直しをしていると、不意に部屋の扉がコンコンッとノックされた。

 ハッとして思わず立て掛けた騎士剣を手に取ったメルドは、警戒心を押し込めて平然とした声で誰何する。

「誰だ?」

「……あの、メルド団長。俺です、檜山です」

「大介? ……どうしたこんな時間に」

「その、俺……どうしてもメルド団長に、相談したい事があって」

 どこか切羽詰まった様な──或いは弱り切った様な声音でそう言う訪問者に、メルドは以前彼の王から告げられた忠告を思い出し、訝しみつつも部屋の扉を開けた。

 

 部屋の前には項垂れた檜山大介が、ポツンと一人で突っ立っていた。

 

 

「……相談と言ったが、こんな時間にか?」

「……すみません。迷惑だと思ったんすけど……クラスの連中には、あまり聞かれたくなくて」

「そうか……いや、迷惑なんて事は無いぞ? さぁ入れ」

 メルドは檜山の沈んだ様子から何となく相談の内容を察した様で、彼を部屋の中に招き入れた。

 

 

 檜山のクラスでの立ち位置は、微妙なところだった。

 不用意な行動で仲間を窮地に追いやり、挙句その最中に悪巧みでクラスメイトの一人を奈落へ落としたと落ちた本人(・・・・・)から告発された。それ以来、少し雰囲気も変わった様に感じる。

 

 メルド自身も気にしていた事ではあるし、自ら仲間との関係について相談してくれるなら応えない訳にはいかない。メルドはそう思った。

 俯いている為、檜山の表情は分からない。暗い雰囲気はどこか危うさを感じさせ、まるで崖っぷちにでも立っているかの様だ。

 

 ソファに座る様勧めたメルドの言葉に、素直に従う檜山。だが中々話だそうとはしない。背を丸め、両手を揉み解す様に絡めながら貧乏揺すりを繰り返す。

「大介、お前の話したい事は何となく察している。だから上手く話そうとしなくていい、思った事を言ってくれればいいんだ。何が問題なのか、どうすべきなのか、それは一緒に考えよう」

 慰める様にそう言うメルドだったが、檜山の貧乏揺すりは一向に収まらない。顔を上げる事も無く、随分と落ち着かない様子だ。

 知らぬ間に余程追い詰められていたのかと、メルドはもう一度声を掛けようとした。

 

 その寸前、再びノック音が響いた。「今晩は随分と客が多いな」と苦笑いしつつ、メルドが再び誰何する。

 すると返って来たのは、先程別れたばかりのホセの声だった。何やら緊急で報告したい事があるという。

 「何ともタイミングの悪い……」メルドはそう思った。ここには檜山がいるのだ。報告の内容によっては、聞かせる訳にはいかないものかもしれない。

 そんなメルドの逡巡を察したのか、

「……メルド団長、いいっすよ。話終わるまで、俺廊下で待ってますから」

「そうか。すまんな大介」

 申し訳なさそうに眉を八の字に歪めるメルドに、檜山は「いえ……」と言葉少なに返事をして立ち上がった。

 メルドは扉に手を掛け檜山を送り出すと同時に、ホセを迎え入れようとノブを回した。カチャッと音が鳴って扉が開かれる。

 扉の前には、確かにホセがいた。

 

 

 ──"虚ろ"な表情をしたホセが。

 

 

 ゾワリッ、と。メルドが総毛立つ。本能がけたたましく警鐘を鳴らした。

 刹那、

 

「ッ!?」

 

 メルドが声にならない悲鳴を上げて身を逸らす。その眼前を、騎士剣による凄まじい突きが通り過ぎた。

「ホセッ! どういうつもりだ!?」

 メルドが怒声を上げる。しかしそれに対する返事は、袈裟斬りの一撃だった。それを転がる様に回避したメルドは流れる様な動きで自分の騎士剣を手に取り、無言のまま追撃してきたホセの斬撃を受け止める。ギンッ! という硬質な音が室内に響き渡った。

「クソッ、やはり洗脳か!?」

 間近に見るホセの瞳に生気は無い。"虚ろ"の症状そのものだ。自分と別れた後に発症したとして、しかしその後直ぐに自分を襲撃してくるなど行動が違い過ぎる。何者かの指示が無ければ有り得ない。やはり"虚ろ"は洗脳系の精神攻撃だったのかと、戦慄と焦燥を浮かべるメルド。

 兎に角今は、ホセに掛けられた洗脳を解く為にも無力化するしかない。メルドは裂帛の気合と共にホセの騎士剣を弾いた。

「多少の怪我は許せよ!」

 メルドがホセへ突進する。騎士剣を弾かれて僅かに姿勢の崩れた今なら、体当たりで組み伏せる事が可能だろうと判断したのだ。

 

 しかしそこで、ホセが予想外の動きに出る。

 

 一貫してメルドを狙っていたが為にすっかり標的は騎士団長の身だと思っていたが、突進するメルドから視線を外したホセは呆然と突っ立ったままの檜山へと急迫した。

 不意の動きに一瞬、メルドの動きが遅れる。視線を檜山に移せば、檜山は腰を抜かして尻餅をついているところだった。

 

 仮にも前線組、それも前衛の転職持ちだ。それがこの土壇場で、まさか戦意喪失とは予想外。否、これこそが檜山の相談したい事だったのだろうかと、メルドは内心舌打ちしつつ急速転進。

 

 無理な姿勢からの減速しない方向転換に軸足が悲鳴を上げるのを意識しつつ、尚強く踏み込む。ベキャッ! と床板が踏み割られた音を置き去りにして、メルドは檜山とホセの間に割り込んだ。

「ぐっ! この……力はっ!?」

 再び剣同士が衝突し合う硬質な音が響き渡った。ギリギリのタイミングであったが為に、図らずしてメルドの姿勢は万全ではない。だが、それにしてもホセの一撃は記憶のそれより重かった。受けた瞬間に腕が痺れ、咄嗟に受け流す事が出来ない程に。

 

 

 ホセの剣の腕は熟知している。どちらかと言えば細めの体格であるホセの剣は、剛剣というより柔剣。卓越した技巧こそが最大の武器。にも拘わらず、今のホセの剣撃はメルドに匹敵する破壊力があった。

 

 

 回避は出来ない、後ろに守るべき者がいる。押し返すには体勢が悪い。十全に膂力を発揮出来ない。ならば止む無し。魔術でホセを吹き飛ばす。

「耐えてみせろよ、副長!」

 多少の怪我では済まないかもしれないが、王国騎士団No.2のタフさを信じてメルドは至近距離から風の砲弾を食らわせようとした。

 

「鳴け、遍く風よ "風──ッ!?」

 

 術は発動しなかった。詠唱が途中で止まってしまった為に。

 

 ──メルドの脇腹に短剣が突き刺さったが為に。

 

 

 

「……だい、すけ?」

 

 

 

 

「チィッ! このタイミングで急所を避けるのかよっ!?」

 信じられないといった様子で肩越しに振り返ったメルドの目に、血走った目で短剣を突き刺す檜山の姿があった。

 

 

 そう。──“血走った目”でだ。

 

 

「っ! 大介、お前っ!」

 

 詳しい事は分からない。だが察した。檜山が"虚ろ"現象の原因と密接に関係しているという事を。

(どうやら、あの方の懸念は当たっていたらしい……!)

 本能の成せる業か、感じ取った危機感が無意識に体を動かさなければ致命傷をもらっていただろう。檜山は確実に、メルドを殺しにかかっている。

 檜山はメルドの怒声を無視して、力任せに短剣を引き抜いた。そして再度、その凶刃を振るおうとした。

 

「ッ、──"風槌"!」

 

 刺されて尚"中止"ではなく"中断"で留めていたメルドが、魔術発動のトリガーを引いた。放つのは真下。圧縮された風の砲弾が凄まじい衝撃音と共に床を撃ち、破片と暴風をメルドとホセ、檜山の三人に撒き散らす。当然、三人は存分の衝撃を食らって吹き飛んだ。

 

 床に叩きつけられたメルドの脇腹から血が噴き出す。しかし普通なら悶絶するだろうその状態で、まるで負傷を感じさせない表情のまま機敏に立ち上がったメルドは漸く四つん這いになった檜山に向かって突進した。

 

 ホセよりも、前線組として自分より遥かに深くまで【オルクス大迷宮】に潜れる檜山の方が危険と判断したのだ。

 

 しかし、そこで更なる敵の参戦。"虚ろ"な目をした兵士達が雪崩れ込んでくる。

 

「チッ、こちらの動きは筒抜けだったかっ!」

 三人の兵士が振るう剣を、横薙ぎの一撃のみで跳ね返す。起き上がったホセが乾竹割りに剣を振るうのを半身になる事で避けて、脇から凄まじい踏み込みと共に繰り出される檜山の連撃を剣の腹で軌道を逸らす事で辛うじて回避する。

 背後に回り込んだ兵士に術名だけの詠唱省略で発動した風の礫で牽制し、接近するホセには倒れていた椅子を蹴り飛ばして躓かせる。

 

 苛立った様子の檜山が術を使おうと、僅かに意識を分散させる。

 

 それを待っていたかの様に、メルドは剣の切っ先で宙に円を描いた。そうすれば、まるで手品の様に檜山の短剣はその円運動に巻き込まれ大きく弾かれていく。

「はぁっ!!」

「ぁっ!?」

 次の瞬間、メルドはホセが振るった横薙ぎの一撃を避けると同時に、檜山に対し身を低くしながら肩を突き出して体当たりを行った。

 見事に鳩尾へ食らった檜山は息を詰めた様な小さな悲鳴を上げて吹き飛び、ソファをひっくり返しながら倒れこんだ。

 

 

 兵士二人が体当たり直後のメルドを挟撃する。それを身を投げ出して転がりながら回避したメルドは追撃で振るわれたホセの一撃を剣で受けつつ、踏ん張らずに衝撃に身を任せて自ら吹き飛び勢いを利用して体勢を立て直した。

「吹き散らせ──"風壁"」

 僅かに出来た時間で、風圧により敵の攻撃を防御ないし妨害する魔術を発動する。剣を振りかぶった状態のホセは、不意に発生した強烈な風圧に押されてバランスを崩した。

 メルドはホセを無視して踏み込んできた兵士の剣を防ぎつつ、もう一人に強烈な拳を叩き込んだ。膂力は上がっていても攻撃の方法に雑さを感じていたメルドは、既に兵士二人の動きを読める様になっていた。それ故に、振るわれた剣を掻い潜っての拳は見事なカウンターとなって兵士の顎を捉える。

 更にもう一人の兵士にも足払いをかけながら、体勢を崩した隙に脳天へ剣の腹を叩き込んだ。痛そうな音が響き、兵士が崩れ落ちる。

「副長の名が泣くぞ?」

 その戦闘技巧こそ本領であるホセだが、今は己の膂力に振り回されている感が否めない。ホセの動きに慣れたメルドはそう苦言を呈しながら、相手の剣を捌くと同時に襟首を掴みそのまま鮮やかな背負い投げを決めた。

 背中から床に叩きつけられたホセが肺の空気を吐き出す。

「少し眠っていろ」

 ホセの鳩尾にメルドの砲弾の様な拳が突き刺さった。ビクンッと痙攣した後脱力して倒れるホセを尻目に、メルドは身を起こしながら背後へ裏拳を放った。最後の兵士が体を一回転させながら吹き飛ぶ。

 

「クソがっ! 副長まで用意したのに、この様かよ! この世界の人間のくせに、テメェ化け物かっ!?」

 

 咳き込みながらもどうにか立ち上がった檜山が悪態を吐く。そんな檜山を、メルドはどこか悲しそうな眼差しで見やった。

「俺程度には過分な評価だな。ただ経験が違うんだ、対人戦闘の経験がな。これでも一国の騎士団長だ……対魔戦闘なら兎も角、対人戦闘ならまだまだ負けてはやれんよ」

 

 ──だから、降伏しろ。

 

 言外に込められたメッセージを、しかし頭を掻き毟り血走った目をギョロギョロと動かす檜山には届いてなかった。

「何勝ち誇ってんだ?」

 尋常でない様子の檜山から、狂気を孕んだ視線が飛ぶ。暗く澱んだヘドロの様な目に、メルドは息を呑んだ。その目をメルドは知っている。

 

 

 それは、既に引き返せない所まで堕ちた者の目だ。

 

 

「大介、お前は……」

 何かを言おうと口を開いたメルドだったが、直後信じられない事が起きて口を噤んだ。

 

 

 ゆらりと、起き上がったのだ。兵士達が、そしてホセが。

 まるで痛痒も感じていないかの様に。痛みに表情を歪める事も体を強張らせる事も無く、無表情なまま。

 

 ──"虚ろ"な瞳のまま、起き上がってきたのだ。

 

 

「無駄だっつうの。ひ、ひひっ、そいつら、死んでも(・・・・)止まらないからさぁ!!」

「何? それはどういう──」

 嘲笑を浮かべる檜山にメルドは問い掛けようとするが、その前に二人の騎士が部屋へと入って来た。扉の向こう側には更に何人もの騎士や兵士が見える。誰も彼も"虚ろ"な目をしている。

 無力化出来ず凄まじい膂力を誇り、技の衰えも洗脳されているにしては異常レベル。

 そしてふと気が付く。

 

 これだけ騒音を撒き散らして、何故誰も駆けつけてこない?

 

 メルドは察した。自分が完全に袋の鼠と化している事に。恐らく何らかの結界で音や振動を抑えているのだろう。今この王宮内でメルドが襲撃されている事を察知している者は、恐らく誰もいない。

(やられたな、王宮の防衛態勢を過信したツケか)

 これ程の工作を、よもや王国の中枢で仕掛けられるなど思いもしなかった。幾重にも敷かれた防衛態勢は、人間側と魔人族側が数百年拮抗している証拠に未だ破られた事は無かったのだ。

 

 

 突破された原因は一つ。メルドの視線が檜山を捉える。それと同時に思う。小悪党にも及ばぬ小心者の檜山如きが、これ程の工作を一人で成せるなど考え難い。十中八九、協力者ないし黒幕がいるだろうと。

 

 

(……ならば、必要なのは決死の覚悟ではないな。生き残り、何としてもこの事態を伝えなければ)

 出入口を完全に塞がれたメルドが、ジリジリと部屋の奥へ後退する。それを追い詰める様に、ホセや騎士達が詰め寄る。

「もう諦めて死ねよ、メルドだんちょぉお!」

 檜山が歪んだ表情でそう言った直後、

 

「いや、ここは恥を忍んで逃げさせてもらおう!」

「なっ、テメェ!」

 

 メルドは猛然と踵を返した──窓に向かって。

 

 

 パリンッ! と音が鳴って窓が砕け散る。体当たりで窓をぶち破ったメルドが、外へ身を躍らせたのだ。

 メルドの私室は王宮の四階にある。普通なら大怪我では済まないだろう。

「──"風壁"!」

 風圧の魔術で落下速度を減速させたメルドは、見事に着地を決めた。

 恐らく、檜山達も直ぐに飛び降りて迫って来るだろう。これで逃げ切れるとはメルドも思っていない。

 だが、少なくとも上級魔術の詠唱時間程度なら稼げた筈だ。盛大な閃光と爆音を撒き散らす攻撃魔術の。

 そうすれば後は時間稼ぎをするだけで、まだ無事な騎士や兵士達が駆けつけてくれる筈だ。それでメルドの目的は達成される。

「天地染める紅蓮の──」

 

 

 しかし、詠唱は止まった。否、止められた。

 

 

 特に何かがある訳ではない。檜山達はまだ飛び降りてすらおらず、飛び降りた先である王宮の庭には人一人いない。

 詠唱を妨害する魔術を使われた訳でも、何らかの攻撃を受けた訳でもない。

 

「────」

 

 それでも、本能が動く事を拒否したのだ。息を潜めろと命じたのだ。

 まるで、心臓を鷲掴みにされたかの様。冷や汗が噴き出て顎先へと伝う。体は硬直し、己の息遣いや心音すら煩く感じられる。

 

 例えるなら、それは小動物が最強の肉食動物の前に放り出される様なものか。息を潜めて、厄災が通り過ぎるのを待つ以外に生き残る道は無い。そう本能が理解している。

 

 

「国王の事といい、騎士団長の事といい、詰めが甘いと言わざるをえません。やはり所詮は人間のする事、手を貸さねばなりませんか……」

 

 

 怖気を震う程に綺麗な声だった。但し、何の感情も伝わってこなかったが。

 

 声を聴いて、漸くメルドの体は動き出した。油を注し忘れた機械の様にぎこちなく、メルドは声のした方向──空を見上げる。

 

 

 月光を背負うシルエットが見えた。驚くべきは、その人影から伸びる一対の翼。銀に輝くそれは、あまりに非現実的で幻想的だった。

 

 だが、感動する心の余裕など無い。肌で、頭で、魂で理解する……

 

 

 ──圧倒的な格の違い。

 

 

 銀の光が増えた。それは小さな月に見えた。美しい輝きを纏った月に。但し、恐ろしい程に力を込められた、凶悪で無慈悲な月だ。

 何かをされるという事は分かった。恐ろしい何かを。同時に悟った。逃げ道など、無かったのだと。

 

「……神よ」

 

 王国最強の騎士をして、無意識に縋ったのは生まれてより信じてきた偉大な存在。

 だが、

 

「はい。これが、主の望まれた事です」

 

 銀の月が降ってきた。子供が遊ぶボールの様な大きさの満月。命を滅する死の光。

 

 メルドの視界を銀の光が塗り潰す。死が、メルドを塗り潰す。

 

 信じて来た神が望んだのだという。自分の死を。部下や仲間を襲う悪意を。そして、きっとこれから先に起こるだろう、より恐ろしい何かを。

 だから死の間際、引き延ばされた時間を実感したメルドは──

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、目の前で起こった事を信じられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"無次元の執行(バニシングシフト)"」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その声が響くと同時、突如死の光が消え去った。

 

 メルドが、空のシルエットが、檜山が、その後ろの黒幕が。突然の死の中断に目を疑った。

 

 

 気付けば、今まで存在しなかった新たな人影が三つ。

 まるでメルドを守る様に立つ、闇黒の如き濃紫の翼を持つ鎧姿。いずれも目の前の空のシルエットを見ている様で、その実檜山や黒幕が身動き出来ない様に気配を放っている。

 

 

 すると真ん中の人物が振り返り、宙に文字を描きながらメルドを指差す。

 

「アンタには、暫く眠っててもらうぜ」

 

 若い男の声だ。前髪だけが白く染まった濃紫の髪の青年。その声を最後に、メルドは奇妙な安心感と共に意識が急激に薄れていくのを感じた。

 そして、深い眠りについたメルドの体を、青年の左隣に立っていた人物が受け止める。

 

「まったく……。分身越しに呼び出した挙句、まさか御守りとはな。何故俺達なんだ……」

 

 その人物はメルドを受け止めると同時、ウンザリした様な腹立たし気な声が響く。"俺"と言っているが、その声は明らかに少女の声だ。

 薄い金髪を三つ編みに纏めたその少女は、三角帽子の様な兜の奥で周囲全てを睨む。

 

 すると、今まで微動だにしなかった"虚ろ"の者達が動き出した。無論、少女に担がれた眠るメルドを目指して。

 

 それに対して、少女は鬱陶し気に片腕を振るった。

 

 

 ただそれだけで、"虚ろ"の者達はサイコロステーキの様に切り刻まれた。

 

 

 その光景に、檜山が「ヒィッ!?」と短くも確かな悲鳴を上げる。

 

 

 

「フン、俺達の"同類"かと思えば……粗末な術だな」

 

 少女はそう吐き捨て、いつの間にか握っていた赤い小瓶の蓋をへし折り地面に叩きつける。瞬間、足下に赤く輝く化学式の様な陣が浮かぶ。

「"ワイバーン"、"ガルーダ"。俺は先に戻るぞ」

 それだけ言って、少女は影も形も無く消えてしまった。残ったのは、先程メルドを眠らせた"ワイバーン"と呼ばれた青年と、先程死の光を無力化した"ガルーダ"と呼ばれた青年。

 "ワイバーン"も無数の浅い傷痕が目立つ"ガルーダ"も、その顔は先程消えた少女も含めて召喚組とそう変わらない歳に見える。

 二人は顔を見合わせ、しょうがないとばかりに苦笑を浮かべて空のシルエットに向き直る。

 

「……貴方方が何者かは知りませんが、先程の様には──」

 

 シルエットはそう言いながら、もう一度死の光を生成しようとして……最後まで続かなかった。

 

 

 

 "ワイバーン"が握った細身の剣を振り抜いた瞬間、その体が真っ二つに断たれたからだ。

 

 それに続けて"ガルーダ"が剣を薙げば、そこにはまるで何も存在しなかったかの様にシルエットの形跡が消失した。

 

 

 

 王国の騎士団長に死を覚悟させた存在は、ものの数瞬で形跡すら残さず抹消されたのだった。

 

 

 

 

「で、この手紙と"アレ"……どうする?」

 

 "ガルーダ"がその手にメルドの手紙を握り、檜山達がいる方向を向きながら"ワイバーン"に問う。それに対し"ワイバーン"は、

「あー、いいんじゃないか? 俺達を派遣したって事は把握してるって事だし、あいつらの利用方法も考えてるらしいし。……っていうか、多分"視てる"だろ」

「……それもそうか」

 "ワイバーン"の言葉に納得した様子の"ガルーダ"は、手紙をどこかに仕舞う。

 

 そして二人は、まるで何事も無かった様に飛び去っていった。

 

 

 

 後に残されたのは、得体の知れない邪魔者に震える檜山と、癇癪を起した様に周囲に当たる黒幕。

 

 

 

 

 そして、それらを見つめる"黄金の影"だった。

 

 

 

 




アマータ=不死
アーシャ=希望
アヌシャーサン=規律

という意味です。



さて、メルドを助けた三人は誰でしょう?



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第二十三話 Dirty Deeds Done Dirt Cheap [part1]

何か思ったより早く進んだのよね。多分フリードを殺したからユエの戦闘シーンが大幅にカットされたからなんだけど。

ちょぉっとオリジナル部分が雑なんでね、言動注意です。



 薄暗く明かり一つ無い部屋の中に、格子の嵌った小さな窓から月明かりだけが差し込んで黒と白のコントラストを作り出していた。

 

 部屋の中は酷く簡素な作りになっている。

 鋼鉄製の六畳一間。木製のベッドにイス、小さな机、そして剥き出しのトイレ。地球の刑務所の方がまだマシな空間を提供してくれそうだ。

 

 

 そんなどう見ても牢獄にしか思えない部屋のベッドの上で、壁際に寄りながら三角座りをし自らの膝に顔を埋めているのは、畑山愛子その人だ。

 

 

 愛子が、この部屋に連れて来られて三日が経とうとしている。

 

 愛子の手首にはブレスレット型のアーティファクトが付けられており、その効果として愛子は現在全く魔術が使えない状況に陥っていた。

 それでも当初は何とか脱出しようと試みた。しかし自傷による血液で魔法陣を描いても術は発動せず、当然物理的な力では鋼鉄の扉を開ける事など不可能。

 ならばと時折やって来る銀髪の修道女の隙を突いて逃げようとするも、実力の差は歴然で適当に殴られては部屋に戻されるばかり。

 また、唯一の窓にも格子が嵌っていて精々腕を出す位が限界であった。

 

 

 尤も。仮に格子が無くとも部屋のある場所が高い塔の天辺な上に、ここが【神山】である以上、聖教教会関係者達の目を掻い潜って地上に降りるなど不可能に近い。標高八千メートル級の山の頂とはそれ自体が既に異界であり、天然の牢獄なのだ。

 

 

 そんな訳で、生徒達の身を案じつつも何も出来る事が無い愛子は悄然と項垂れ、ベッドの上でただでさえ小さい体を更に小さくしているのである。

 

「……私の生徒がしようとしている事……一体何が……」

 

 僅かに顔を上げた愛子が呟いたのは、攫われる前に銀髪の修道女が口にした事だ。愛子がソウゴから聞いた話を光輝達に話す事で与えてしまう影響は不都合だと、彼女の言う"主"とやらが思っているらしい。そして、生徒の誰か──恐らく檜山大介──がしようとしている事の方が面白そうだとも。

 

 愛子の胸中に言い知れぬ不安が渦巻く。

 

 思い出すのは、【ウルの町】で暴走し、その命を散らした生徒の一人──清水幸利の事だ。もしかしたらまた、生徒の誰かが取り返しのつかない事をしようとしているのではないか……愛子は気が気でなかった。

 

 こうして何もない部屋で監禁されて、出来る事と言えば考える事だけ。

 そうして落ち着いて振り返ってみれば、帰還後の王宮は余りに不自然で違和感だらけの場所だったと感じる。愛子の脳裏に、強硬な姿勢を崩さないどこか危うげな雰囲気のエリヒド国王や重鎮達の事が思い出される。

 きっと、あの銀髪の修道女が何かをしたのだと愛子は推測した。彼女が言っていた"魅了"という言葉がそのままの意味なら、きっと洗脳かそれに類する何かをされているのだ。

 

 しかし同時に、会議の後で話した雫やリリアーナについては、その様な違和感を覚えなかった。

 その事に安堵すると共に、自分が監禁されている間に何かされるのではないかと強烈な不安が込み上げる。

 どうか無事でいて欲しいと祈りながら、思い出すもう一つの懸念。

 

 それは、"イレギュラーの排除"という言葉。

 

 意識を失う寸前に聞いたその言葉で、愛子は一人の生徒を思い出した。

 命の恩人にして、清水幸利を殺した生徒。圧倒的な強さと強い意志を秘めながら、愛子の言葉に耳を傾けた青年。そして色々と思うところが有ったり無かったり、やっぱり有ったりするのだけど無いと思うべきで、でも思ってしまう人。

 

 頭をぶんぶんと振って記憶を追い出した愛子だったが、ソウゴの安否を憂慮する気持ちと何故か無性に逢いたい気持ちに押されて、ポロリと零す様に彼の名を呟いた。

 

「…………常磐さん」

「呼んだか?」

「ふぇ!?」

 

 半ば無意識に呟いた相手から、ある筈の無い返事が返ってきて思わず素っ頓狂な声が上がる。部屋の中をキョロキョロと見回すが自分以外の人などいる筈も無く、愛子は「幻聴だったのかしらん?」と首を捻った。しかしそんな愛子へ幻聴でない事を証明する様に、再度声がかけられた。

 

「こっちだ」

「えっ?」

 

 愛子は体をビクッと震わせながら、「やっぱり幻聴じゃない!」と声のした方、格子の嵌った小さな窓に視線を向ける。

 

 

 するとそこには、窓を背にして腕組んで立っているソウゴの姿があった。

 

 

 

「えっ? えっ? 常磐さんですか? えっ? ここ最上階で…本山で…えっ?」

「ふむ。一先ず思考能力に異常は無しと……」

 混乱する愛子を尻目に、ソウゴは近寄って愛子の首筋に触れ「バイタルも問題は無いか。存外元気ではないか」と冷静に愛子の状態を分析している。

 

 先程まで、ソウゴの姿は影も形も無かった。にも拘らず、さも最初から居たとでも言う様に室内に立っていたソウゴに、愛子は目を白黒させた。

 

 そんな愛子にソウゴは小さく嘆息しながら歩み寄る。

「幽閉されているというのに恋する乙女の様な声なぞ上げよって。そんな声で乞われても応えてはやれんぞ?」

「なっ……き、聞こえて……!?」

「まぁいい。聞かれたくなかったというのなら、緊急時故に聞こえなかった事にしておこう」

 ソウゴのその言葉に全て見透かされていると悟った愛子は、焦った表情で話題の転換を図った。

「そ、それよりも、何故ここに……」

「無論、助けにだが」

「わ、私の為に? 常磐さんが? 態々助けに来てくれたんですか?」

「生憎と貴様の思っている様な理由では無いがな。不意に一石二鳥のチャンスが巡ってきたから利用させてもらう、ただそれだけの話だ」

 何やら赤面してあわあわし始めた愛子に、淡々と自分の動機を話すソウゴ。そのまま徐に愛子の手を取り、魔力封じのアーティファクトを破壊しようとする。

 

 しかし、いきなり手を取られた愛子は「ひゃう!」とおかしな声を上げて身を竦め「駄目! 駄目です常磐さん! そんないきなりぃ! 私は先生ぇ!」と喚きだした。

 

「落ち着け。下手すると腕輪だけでなく手首も飛ぶぞ」

「あっ、すみません……」

 自分がラブロマンスな方向へ妄想を飛ばしていた事を見抜かれ、愛子は愛想笑いで誤魔化す。そして、何故自分がここに囚われている事を知っていたのかと誤魔化しがてらに尋ねた。

「リリアーナ姫に乞われてな」

「リリアーナ姫が?」

「ああ。貴様が攫われるところを目撃していたらしい。それで王宮内は監視されているだろうから、掻い潜って勇者達に知らせる事は出来ないと踏んで一人王都を抜け出したんだそうだ。私達に助けを求める為にな」

「リリィさんが……常磐さんは、それに応えてくれたんですね」

「偶々だよ。先程も言ったが、丁度機会が巡ってきたんでな。鬱陶しい阿呆共の処理と手足を増やせる、一石二鳥の機会がな」

 ソウゴは手早く愛子の枷を砕いて立ち上がった。すると愛子は、ソウゴに真っ直ぐな眼差しを向けるとずっと伝えたかった事を語った。

 

「常磐さん。あの時は、きちんと言えませんでしたから……今、言わせて下さい。……助けてくれてありがとう。引き金を引かせてしまってごめんなさい」

「……あぁ」

 ソウゴは愛子の感謝と謝罪を受け、それが【ウルの町】での清水の事だと思い出した。

 

 

 実のところ、ソウゴにとっては以前愛子に再会した事すら辛うじて記憶に留めておいた程度の出来事であり、清水を殺した事はおろかその存在すら覚えていなかった。

 しかし、それを言ってしまえば愛子が面倒な事になるのは分かっていたので、適当な返事を返す。

 

 

「私は為すべき事を為しただけだ、感謝も謝罪もいらん。それよりそろそろ動くぞ。勇者達の所にはリリアーナ達が行ってる筈だ、合流してからこれからどうするか話し合えばいい」

「分かりました。……常磐さん、気を付けて下さい。教会は、頑なに貴方を異端者認定しました。それに私を攫った相手は、もしかしたら貴方を……」

「分かっている。どちらにしろ、遅かれ早かれ教会は潰す予定だった。それが今になったというだけの話だ」

 ただただ面倒そうという気配を漂わせ愛子に告げるソウゴ。その言葉から漏れ出るソウゴの実力と、それを容易く成せるであろう恐ろしさに愛子は愛想笑いを浮かべる。

 

 

 その時、遠くから何かが砕ける様な轟音が微かに響き、僅かではあるが大気が震えた。

 

 

 何事かと緊張に身を強ばらせた愛子がソウゴに視線を向けると、ソウゴは少し興味が湧いた様な目を窓の外に向けていた。

「ほぅ、流石に駒が檜山(バカ)一つだけという事は無いと思ったが……想像よりは向こうの地位を得ていたらしいな」

 ソウゴは面白げに呟きながら愛子に視線を戻す。愛子はソウゴが遠視の類を使える事を知らないが、非常識なアーティファクト類や技能を沢山見てきたので、それらにより何か情報を掴んだのだろうと察し視線で説明を求めた。

「魔人族の襲撃だ。さっきのは王都を覆う大結界が破られた音らしい」

「魔人族の襲撃!? それって……」

「現在、ハイリヒ王国は侵略を受けているという事だ。以前ボス猿を駆除したんで何かしら反応があるかと思っていたが、どうやら裏切り者が手引きしたらしい。王国側は完全な不意打ちだろうな」

 ソウゴの状況説明に愛子は顔面を蒼白にして「有り得ないです」と呟き、ふるふると頭を振った。

 

 それはそうだろう。王都を侵略出来る程の戦力を気づかれずに侵攻させるなどまず不可能であるし、王都を覆う大結界とて並大抵の攻撃では小動もしない程頑強なのだ。その二つの至難をあっさりクリアしたなどそう簡単に信じられるものではない。

 

「畑山愛子、取り敢えず勇者達と合流しろ。話はそれからだ」

「は、はい!」

 緊張と焦燥に顔を強ばらせた愛子を、ソウゴは片腕に座らせる様な形で抱っこする。「うひゃ!」と再び奇怪な声を上げながらも、愛子は咄嗟にソウゴの首元に掴まった。

 

 

 と、その瞬間──外から強烈な光が降り注いだ。

 

 

「つい最近似た光景を見た気がするが……」

 部屋に差し込んでいた月の光をそのまま強くした様な銀色の光に、ソウゴは呑気そうにそう呟きつつ行動に出る。

 ソウゴは格子の間を抜ける様に苦無を投げ、"飛来神の術"で一瞬で外に出る。急激な景色の変化に愛子が耳元で悲鳴を上げギュッと抱きついてくるが、今は気にしている場合ではない。

 

 ソウゴが隔離塔の天辺から飛び出したのと、銀光がついさっきまで愛子を捕えていた部屋を丸ごと吹き飛ばすのは、ほぼ同時だった。

 

 ボバッ!! という奇妙な音が響く。

 

 物が粉砕される轟音など無く、莫大な熱量により消失した訳でも無く、ただ砕けて粒子を撒き散らす破壊。人を捕える為の鋼鉄の塔の天辺は砂より細かい粒子となり、夜風に吹かれて空へと舞い上がりながら消えていった。

 余りに特異な現象に、ソウゴは空中に留まりながら冷静に分析する様に呟く。

「ふむ……これは、分解か?」

 

 

「ご名答です、イレギュラー」

 

 

 返答を期待した訳ではない独り言に鈴の鳴る様な、しかし冷たく感情を感じさせない声音が返ってくる。

 ソウゴが声のした方へ視線を向けると、そこには隣の尖塔の屋根からソウゴ達を睥睨する銀髪碧眼の女がいた。ソウゴは、愛子を攫った女だろうと察する。

 

 尤も、リリアーナが言っていた情報と異なり修道服は着ておらず、代わりに白を基調としたドレス甲冑の様な物を纏っていた。ノースリーブの膝下まであるワンピースのドレスに、腕と足、そして頭に金属製の防具を身に付け、腰から両サイドに金属プレートを吊るしている。どう見ても戦闘服だ。宛ら殺し愛う槍兵(ブリュンヒルデ)の様だ。

 

 銀髪の女は、その場で重さを感じさせずに跳び上がった。そして天頂に輝く月を背後にくるりと一回転すると、その背中から銀色に光り輝く一対の翼を広げた。

 バサァと音を立てて広がったそれは、銀光だけで出来た魔術の翼の様だ。背後に月を背負い煌く銀髪を風に流すその姿は神秘的で神々しく、この世のものとは思えない美しさと魅力を放っていた。

 だが、惜しむらくはその瞳だ。彼女の纏う全てが美しく輝いているにも関わらず、その瞳だけが氷の如き冷たさを放っていた。その冷たさは相手を嫌悪するが故のものではない。ただただ、只管に無感情で機械的。人形の様な瞳だった。

 

 銀色の女は愛子を抱き上げるソウゴを見返しながら、徐に両手を左右へ水平に伸ばした。

 

 するとガントレットが一瞬輝き、次の瞬間にはその両手に白い鍔無しの大剣が握られていた。銀色の魔力光を纏った二メートル近い大剣を、重さを感じさずに振り払った銀色の女は、やはり感情を感じさせない声音でソウゴに告げる。

 

「ノイントと申します。"神の使徒"として、主の盤上より不要な駒を排除します」

 

 それは宣戦布告だ。ノイントと名乗った女は、口だけの猿(フリード)とは違う神が送り出した本当の意味での"神の使徒"なのだろう。愈々ソウゴが邪魔になったらしく、直接"神の遊戯"から排除する気の様だ。

 

 

 ノイントから噴き出した銀色の魔力が周囲の空間を軋ませる。大瀑布の水圧を受けたかの様な絶大なプレッシャーが愛子に襲いかかった。

 

 愛子は、必死に歯を食いしばって耐えようとするものの、表情は青を通り越して白くなり、体の震えは大きくなる。

 「もうダメだ」と意識を喪失する寸前、愛子を黄金の魔力が包み込んだ。愛子を守る様に輝きを増していく黄金の魔力は、ノイントの放つ銀のプレッシャーの一切を寄せ付けなかった。

 

 愛子は目を見開いて、原因であろう間近い場所にあるソウゴの顔に視線を向ける。するとそこには、途方も無いプレッシャーを受けておきながら微塵も揺らぐ事無く、見定める様な視線を向けるソウゴの姿があった。

 見蕩れる様に──或いは惹きつけられる様に視線を逸らせなくなった愛子を尻目に、ソウゴはもう片方の腕を顎に当てノイントに言葉を向ける。

 

「ふむ……端末が回収したもの及び、諸葉達に処理させたものとほぼ同一。量産型の木偶人形が相手とは、舐められたものだな」

 

 その言葉を合図に、標高八千メートルの【神山】上空で"神の使徒"と奈落から這い上がって来た"異界の魔王"が衝突した。

 

 

 

 ソウゴがノイントの襲撃を受ける少し前、ユエ・シア・香織・リリアーナの四人は夜陰に紛れて王宮の隠し通路を進んでいた。リリアーナを光輝達の下へ送り届ける為だ。

 

 本来なら、ユエ達の目的は愛子の救出と【神山】の何処かにある大迷宮──基神代魔術であり、王国の異変解決やらリリアーナと光輝達の合流の手助けなどどうでもいい事である。

 

 ただ、取り敢えず愛子の安全を確保する為には救出後の預け先である光輝達が洗脳の類を受けていないか、彼等が安全と言えるかの確認が必要だった。

 それに【神山】は文字通り聖教教会の総本山であり、愛子の救出までは出来るだけ騒動を起こさない事が望ましいところ。彼等に気付かれず愛子の監禁場所の捜索と救出を行う為にも、ソウゴ一人の方が都合が良かった。

 

 その為王都に残る事になったユエ達は、香織がリリアーナに付きそうと言って聞かない事もあり、大した手間でもない事から一緒に行動しているのである。

 

 

 尚、ティオは万一に備えて王都の何処かで待機している。全体の状況を俯瞰できる者が一人位居た方が良いという判断だ。

 

 

 そんなユエ達が隠し通路を通って出た場所は、何処かの客室だった。振り返ればアンティークの物置が静かに元の位置に戻り、何事も無かったかの様に鎮座し直す。

「この時間なら、皆さん自室で就寝中でしょう。……取り敢えず、雫の部屋に向かおうと思います」

 闇の中でリリアーナが声を潜める。向かう先は雫の部屋の様だ。勇者なのに光輝に頼らない辺りが、彼女の評価を如実に示している。

 

 リリアーナの言葉に頷き、索敵能力が一番高いシアを先頭に一行は部屋を出た。雫達異世界組が寝泊まりしている場所は現在いる場所とは別棟にあるので、月明かりが差し込む廊下を小走りで進んでいく。

 

 そうして暫く進んだ時、それは起こった。

 

 砲撃でも受けたかの様な轟音が響き渡り、直後ガラスが砕け散る様な破砕音が王都を駆け抜けたのだ。衝撃で大気が震え、ユエ達のいる廊下の窓をガタガタと揺らした。

 

「わわっ、何ですか一体!?」

「これは……まさかっ!?」

 

 索敵の為にウサミミを最大限に澄ましていたシアが、思わずペタンと伏せさせたウサミミを両手で押さえて声を漏らす。すぐ後ろに追従していたリリアーナは、思い当たる事があったのか顔面を蒼白にして窓に駆け寄った。ユエ達も様子を見ようと窓に近寄る。

 そうして彼女達の眼に映った光景は……

 

 

「そんな……大結界が……砕かれた?」

 

 

 信じられないといった表情で口元に手を当て震える声で呟くリリアーナ。彼女の言う通り、王都の夜空には大結界の残滓たる魔力の粒子がキラキラと輝き舞い散りながら霧散していく光景が広がっていた。

 

 リリアーナが呆然とその光景を眺めていると、一瞬の閃光が奔り、再び轟音が鳴り響く。そして、王都を覆う光の膜の様な物が明滅を繰り返しながら軋みを上げて姿を現した。

「だ、第二障壁まで! どうして……どうしてこんなに脆くなっているのです!? これでは直ぐに……!」

 リリアーナの言う大結界とは、外敵から王都を守る三枚の巨大な魔術障壁の事だ。

 

 三つのポイントに障壁を生成するアーティファクトがあり、定期的に宮廷魔術師が魔力を注ぐ事で間断なく展開維持している王都の守りの要だ。その強固さは折り紙つきで、数百年に渡り魔人族の侵攻から王都を守ってきた。戦争が拮抗状態にある理由の一つでもある。

 

 その絶対守護の障壁が、一瞬の内に破られたのだ。

 

 そして今正に、二枚目の障壁も破られようとしている。内側に行けば行く程展開規模は小さくなる分強度も増していくのだが、数度の攻撃で既に悲鳴を上げている二枚の障壁を見れば、全て破られるのも時間の問題だろう。

 結界が破られた事に気が付き、王宮内も騒がしくなり始めた。あちこちで明かりが灯され始めている。

「まさか、内通者が? ……でも、僅かな手勢では寧ろ……なら敵軍が? 一体どうやって……」

 呆然としながら思考に没頭しているリリアーナに答えを齎したのはユエ達だった。

 

『聞こえるかの? 妾じゃ、状況説明は必要かの?』

 

 ユエ達の持つ其々の念話石が輝き、そこから声が響いている。王都に残してきたティオの声だ。口振りから、何が起きているのか大体のところを把握しているらしい。

『ん……お願いティオ』

『心得た。王都の南方一キロメートル程の位置に、魔人族と魔物の大軍じゃ。驚いたのぉ。規模は兎も角、全てご主人様の言うた通り(・・・・・・・・・・・・)じゃ』

「まさか本当に敵軍が? そんな、一体どうやってこんな所まで……ライセンの監視部隊は何をやっていたのです!?」

 ティオの報告に、リリアーナが表情を険しくしながらも疑問に眉をしかめる。

 

 その疑問に対して、ユエ達には想像がついていた。魔人族の指揮官──フリード・バグアーは【グリューエン大火山】で空間魔術を手に入れた。本人はソウゴに路傍の石の如く片づけられたが、何らかの伝達が魔人族内で共有されたのかも知れないし、複数人で行使したのかも知れない。

 

 そうこうしている内に、再び硝子が砕ける様な音が響き渡った。第二障壁も破られたのだ。焦燥感を滲ませた表情でリリアーナが光輝達との合流を促す。しかし、それに対してユエが首を振った。

「……ここで別れる。貴女は先に行って」

「なっ、ここで? 一体何を……」

 一刻も早く光輝達と合流し態勢を整える必要があるのに何を言い出すのかとリリアーナは訝しそうに眉を顰めた。ユエは窓を開けると端的に理由を述べる。

「……私とシアは、魔人族に対応する様にソウゴ様に言われてる」

「そういう訳で香織さん、リリィさん。私とユエさんはここで失礼します」

 そう言うや否や、ユエとシアの二人は、リリアーナの制止の声も聞かずに窓から王都へ向かって飛び出して行ってしまった。

 敵にとっては悪夢だろうが、王国側からすればある意味態勢を整えるまでの最高の時間稼ぎでもある。

 

 だからこそ、リリアーナも積極的に同行を訴えなかった訳であるが……。

 

 より厳密には、訴える暇も無かった訳だが。

 

 

 開けっぱなしの窓から夜風と喧騒が入り込んでくる。暫く、互いに無言のまま佇む香織とリリィだったが、やがて何事も無かった様に二人して進み始めた。

 

「……常磐さん……愛されていますね……」

「うん。狂的……じゃなかった。強敵なんだ」

「香織……死なない程度に頑張って下さいね。応援しています」

「うん。ありがとう、リリィ……」

 

 あっさり後回しにされたリリィが「私の扱いがどんどん雑に……」と何処か悲しげな声音で呟きつつも、健気に香織へエールを送る。

 

 

 そんなリリアーナを横目に、「実は私も行きたかったって言ったら、リリィ泣いちゃうかな?」と頭の隅で考えながら、香織はリリィと連れ立って光輝達のもとへ急いだ。

 

 

 

 

 

 突然の結界の消失と早くも伝わった魔人族の襲撃に、王都は大混乱に陥っていた。

 

 人々は家から飛び出しては砕け散った大結界の残滓を呆然と眺め、そんな彼等に警邏隊の者達が「家から出るな!」と怒声を上げながら駆け回っている。決断の早い人間は、既に最小限の荷物だけ持って王都からの脱出を試みており、また王宮内に避難しようとかなりの数の住人達が門前に集まって「中に入れろ!」と叫んでいた。

 

 夜も遅い時間である事からまだこの程度の騒ぎで済んでいるが、もう暫くすれば暴徒と化す人々が出てもおかしくないだろう。王宮側も暫くは都内の混乱には対処出来ない筈なので尚更だ。

 なにせ今一番混乱しているのは、その王宮なのだ。

 全くもって青天の霹靂とはこの事で、目が覚めたら喉元に剣を突きつけられた様な状態だ。平和ボケして久しいのなら無理も無いだろう。

 彼等も急いで軍備を整えている様だが……

 

 

 ──パキャァアアン!!

 

 

 間に合わなかった様だ。

 

 遂に最後の結界が破られ、大地を鳴動させながら魔人族の戦士達と神代魔術により生み出された魔物達が大挙して押し寄せた。残る守りは、王都を囲む石の外壁だけ。それだけでも相当な強度を誇る防壁ではあるが……長く持つと考えるのは楽観が過ぎるだろう。

 

 外壁を粉砕すべく、魔人族が複数人で上級魔術を組み上げる。魔物も固有魔術で炎や雷、氷や土の礫を放ち、体長四メートルはありそうなサイクロプス擬きがメイスを振り被って外壁を削りにかかる。

 

 別の場所でも体長五メートルはありそうな猪型の魔物が風を纏いながら猛烈な勢いで外壁に突進し、その度に地震かと思う様な衝撃を撒き散らして外壁を崩していく。

 更に上空には黒鷲の様な飛行型の魔物が飛び交い、外壁を無視して王都内へと侵入を果たした。

 

 外壁上部や中程に詰めていた王国の兵士達が必死に応戦しているが、全く想定していなかった大軍相手ではその迎撃も酷く頼りない。突進してくる鋼鉄列車にエアガンで反撃している様なものだ。

 

 

 そんな様子を城下町にある大きな時計塔の天辺からどうしたものかと眺めていたティオの傍に、王宮から飛び出してきたユエとシアが降り立った。

「……ティオ、状況は?」

「……お主等……『皆さんが一緒に来てくれて心強いです!』と言っとったリリアーナ姫が少々不憫じゃ……あっさり放り出して来おって」

「……細かい事。ソウゴ様の指示が大事」

「そうです、小さい事です」

 ティオが呆れた様な表情をしてユエとシアを見るが、二人は全く気にしていない様だった。これもソウゴの影響なのか、興味の無い相手には実にドライだ。

 

 すると、すぐ背後に何かが降り立つ音が響く。視線を向けてみれば、そこにいたのは愛子の救出に向かった筈のソウゴの姿。

「ぬおっ! ご主人様? 愛子殿はどうしたのじゃ?」

「私は分身だ。まだ本体と一緒にいる」

 ティオが驚きの声を上げれば、ソウゴは分身体だと明かして用件を伝える。

「ずっと抱えているのも面倒だ、迎えに来い。それと此方に関しては、もう少し頭数を増やす事にする」

「相分かった、直ぐに向かうのじゃ」

 ソウゴの言葉を受け、ティオは一瞬で"竜化"すると標高八千メートルの本山目指してその場を飛び立った。

 

 

 残されたユエとシアは、ソウゴに言葉の意味を問う。

「……ソウゴ様、頭数を増やすって?」

 ユエの問い掛けに対して、ソウゴは言葉ではなく行動で示した。

 

 ソウゴの両目が幾重もの同心円を描く紫の瞳──"輪廻眼"に変貌し、その髪が輝く様な銀髪に変色する。

 ソウゴは親指の腹を噛み千切り、血が滴るその手を地面に叩きつける。

 

「"口寄せ・羅生転臨"」

 

 その手を中心に楷書の様な文字が広がり、煙玉が破裂した様な白煙が広がる。

 ユエとシアは驚くが、ほんの数瞬で煙は晴れる。そこには……

 

 

 ──濃紫の鎧を纏った、性別も年齢もバラバラな六人の人影。

 

 其々青髪の高校生程度の青年、ユエよりやや黄色の強いショートの金髪の少女、幽霊の様に青白い肌の黒髪ロングの少女に、小麦色の髪の小柄の少女、更にくすんだ灰色の髪の青年。極めつけには右半身が男、左半身が女という性別不明が一人。

 

 

 それらの出現と同時にソウゴの分身が消え、残されたのはユエとシア、そしてソウゴの呼び出した六人のみとなった。

 

 

 

 

 

 するとその時、時計塔の天辺にいるユエ達に気がついたのか、体長三、四メートル程の黒い鷲の様な魔物が二体、左右から挟撃する様にユエとシアを狙って急降下してきた。

 

 クェエエエエエ!! と。そんな雄叫びを上げて迫ってきた黒鷲に、シアは見もせず射撃モードのドリュッケンを宝物庫から取り出し、躊躇いなく炸裂スラッグ弾を撃ち放……とうとして、それより先に六人の内一人──くすんだ灰色の髪の男が動いた。

 

 灰色の男が黒鷲擬きに触れた瞬間、二体供塵の様に崩れ去る(・・・・・・・・)

 

 その光景に二人共目が点になる中、魔物を塵に変えた男は着地して首を掻く。

 

 

 黒鷲が無残に絶命させられた事で、ユエ達の存在に気がついた飛行型の魔物達が周囲を旋回し始めた。よく見れば、その三分の一には魔人族が乗っている様だ。

 彼等は黒鷲を落とされた事で警戒して上空を旋回しながら様子を見ていた様だが、その相手が兎人族と小柄な少女であると分かると、馬鹿にする様に鼻を鳴らしユエ達向かって、魔術の詠唱を始めた。ソウゴが呼んだ六人の事は、鎧の色も相まって景色と同化して見えない様である。

 

 ユエ達としては王都を守る為に身命を賭して大軍とやり合うつもりなど毛頭無く、行きたければ勝手に行けという気持ちだったのだが、襲われたとあっては反撃しない訳にはいかない。

 

 だがユエ達二人と違い、六人は王都を守る明確な理由(・・・・・)がある。

 

 

「──"光剣(カドゥール)"」

 

 

 故に次の瞬間、青髪の青年が呟く。

 すると瞬く間に、その存在に気付かなかった魔人族達は鋭い閃光に貫かれて魔物と共に絶命する。

 

「"(メギド)"!」

 

 続いて青年は片手に大砲の様な物を出現させ、その砲口から放たれた炎柱が絶命した魔人族達の死体を焼き払う。

 

 

「……凄い。けど、貴方達は……?」

 

 そこで漸く我に返ったユエが、六人に問う。シアが追従する様に首をブンブンと振れば、それで漸く二人に気付いた様に六人が振り返る。

 すると、先程魔人族の一隊を瞬殺した青髪の青年が頬を掻いて苦笑しながら答える。

「あぁ、え~っとぉ……ごめん、気づかなくて。それで……君達がユエとシア?」

 その問いに、ユエとシアは首肯する。

「じゃあ味方だ、自己紹介しとこうか。俺は五……じゃなくて、天哭星ハーピーの士道。士道でいいよ。常磐さんの……部下みたいなもんかな?」

 青髪の青年──士道の名乗りを皮切りに、他の五人も名を告げる。

 

「私は天捷星バジリスクのサルトリーヌ。サリーでいいわよ」

「天孤星ベヒーモス、天羽斬々(きるきる)

「天損星ケートスのハンナです! シアさん、宜しくお願いします!」

「……天罪星、リュカオンの弔」

「私は天慧星ヘカトンケイルの金一。宜しくね」

 

 其々金髪ショートがサリー、黒髪ロングが斬々、小柄の少女がハンナ、灰色の男が弔、半男半女が金一というらしい。

 

 

 士道達が名乗っている間に、硬直していた後続の魔人族達がハッと我に返り追撃に備えて最大限の警戒をする。

 そして、仲間を一瞬で粉砕した原因たる存在を探した。認識外の所から振るわれた死神の鎌に己の死を幻視しながら、緊張に流れる汗を拭う事も忘れて視線を巡らせる。そして、向けた視線の先にユエ達はいた。

 

 しかし、その姿は彼等にとって全くの予想外。

 

 何故なら、自分達への追撃態勢に入っているどころか、ユエ達は彼等を見てすらいなかったのだ。何事も無かったかの様に、八人で会話している。その背中は、何よりも雄弁に物語っていた。

 

 

 即ち、「眼中にない」と。

 

 

 それを察した瞬間、緊張に強ばっていた魔人族達の表情が憤怒に歪んだ。

 戦友を粉微塵にしておいて、路傍の石を蹴り飛ばした程度の認識しかしていないユエ達に、戦士として、または一人の魔人族としての矜持を踏みにじられたと感じたのだ。彼等の全身を血液が沸騰したかの様な灼熱が駆け巡る。

「貴様等ぁーーーー!!」

「うぉおおおお!!」

「死ねぇーー!!」

 怒りに駆られながらも、戦士としての有能さが自然と陣形を整えさせ、絶妙な連携を取らせる。四方と上方から逃げ場を無くす様に包囲し、一斉に魔術を放った。魔術に長けた魔人族達の魔術だ。普通なら、絶望に表情を歪める場面である。

 

 しかし、当のユエ達が浮かべるのは呆れた表情。次いで、細くしなやかな指をタクトの様に振るう。

 

「……彼我の実力差くらい、本能で悟れ」

「じゃあ俺も行こうか。──"颶風騎士・天を駆ける者(ラファエル・エル・カナフ)"!」

 

 そんな言葉と同時に雷龍を発動し、蜷局を巻いてユエ達を繭の様に包む事で全ての魔術は完全に防がれてしまった。そして雷龍が一度その大食らいの顎門を開けば、彼等はまるで特攻しか知らぬと言わんばかりに自らその身を投げ出していく。

 それと共に士道が風を司る弓矢の天使"颶風騎士"を顕現させ、竜巻と共に必穿の一射を放つ。

 超が付く程の暴風は天然のドリルとなって魔人族達を穿ち、そのまま雷龍の鎧となって魔物達も切り刻んでいった。

 

 ならば反対側からと複数人で貫通性に優れた上級魔術を唱えようとすると、雷龍の一部が開いて、そこからウサミミを靡かせたシアが砲弾もかくやという速度で飛び出した。

 

「チッ! ──"炎弾"!」

 

 咄嗟に近くにいた魔人族が詠唱の邪魔をさせてなるものかと、殆ど無詠唱かと思う速度で完成させた初級魔術の炎弾を無数に放った。

 

 しかし同時に空気が破裂する様な音が数度響き、炎弾は破裂する。

 

 シアがチラリと視線を向ければ、そこでは銃を構えた金一がウインクしていた。それと同時にシアは向き直り、ギョッとしている詠唱中の魔人族三人に向けてドリュッケンを横殴りにフルスイングした。

 

「りゃぁあああ!」

 

 気合一発。振るわれたドリュッケンは、重力魔術の力でインパクトの瞬間だけ四トンの重量を得る。それを最近更に上昇した身体強化で振るった。

 

 結果は言わずもがな。

 

 魔人族の三人は為す術も無く纏めて上半身を爆砕され、騎乗していた魔物も衝撃で背骨を砕かれて断末魔の悲鳴を上げながら吹き飛んでいった。

 

 

 空中にあるシアはその場で自身の重さをドリュッケンも含めて五キロ以下まで落とし、激発を利用して羽の様に軽やかに宙を舞う。そしてドリュッケンを変形させて射撃モードに切り替え、先程炎弾を放ってきた魔人族に向けて炸裂スラッグ弾を轟音と共に解き放った。狙い通り、王都の夜空にまた一つ真っ赤な花が咲いた。

 

 シアは宝物庫から取り出した二枚の鈍色の円盤を宙に放ち、重力を無視して空中に浮くそれを足場にした。そしてその場に留まり、ドリュッケンで肩をトントンしながら周囲を見渡す。

 

 

 丁度少し離れた所で、ユエ達に襲いかかってきた魔人族の最後の一人が死に物狂いでユエに特攻しているところだった。

「がぁああ!! 殺してやるぅ!!」

 血走った目が、「刺し違えてでも!」という決死の意志を感じさせる。しかし、そんな彼の殺意はユエに届く事は無かった。

 

「遅ぇんだよ雑魚が」

「鈍く、脆い。愚かの極だ」

 

 いつの間にか背後にいた弔に両腕を崩壊された魔人族は、直後真下から跳んできた斬々の手刀に首をすっぱりと切り落とされて、錐揉みしながら眼下の路地へと落ちていった。

 

「かっ飛ばせーっ!!」

 

 そしてその死体をハンナが身の丈と同程度の大槌を振るい、バッティングセンターの要領で思いっきり叩く。

 死体は途中で原型を留めずにバラバラになっていき、後方に控えている魔人族に血の雨となって降り注いだ。

 

 

 

 

 

 そうして先遣隊を一掃し、ユエ達は一息吐く。

 

 因みに士道達は「ちょっと外も見てくる」と言って離れていった為、周囲にはユエ達二人しかいない。

 

「これもう、完全に王国側の戦力と思われたんじゃないですか?」

「……関係無い。思いたければ勝手に思っていればいい」

「ドライですねぇ。……まぁ、確かにそうなんですけど……」

 

 軽口を叩き合いながらも、小休止に入る二人。そのまま一分も経たない内、

 

「あっ、ユエさん。第二陣ですよ」

「んっ」

 

 シアが告げると同時に凄まじい轟音を響かせて遂に外壁の一部が崩され、そこから次々と魔物やそれに乗った魔人族が王都への侵入を果たし、幾つかの部隊がユエとシアの方へ猛然と駆け寄ってくるのが見えた。どうやら、ここでユエとシアを完全に仕留めるつもりらしい。

 

「貴様等だけはぁ! 必ず殺すっ!」

 

 すると、そんな雄叫びを上げながら金髪を短く切り揃えた魔人族の男が、ただ仲間を殺された怒りだけとは思えない壮絶な憎悪を宿した眼で二人を射貫きながら、シアの構えたドリュッケンに衝突した。

「何ですかいきなり?」

「……ん、汚い」

 シアの苦言にユエが乗りつつ風刃を放つ。だが男はまだ冷静な部分があったのか、風刃を躱して距離を取る。

 

「そのヘラヘラと笑った顔、虫酸が走る! 四肢を引きちぎって、貴様の男の前に引きずって行ってやろう!」

 

 そうして距離を開けながら、相対する魔人族の第一声がそれだった。

 どうも他の魔人族と違って、個人的な恨みある様だと察したシアは、訝しそうに眉をしかめて尋ねてみる。

「……何処かで会いました? 私達には、そんな眼を向けられる覚えが無いんですが?」

「赤髪の魔人族の女を覚えているだろう?」

 二人は何故そこで女の話が出てくるのか分からず首を捻る。しかし魔人族の男は、それを覚えていないという意味でとったのか、ギリッと歯を食いしばり、怨嗟の篭った声音で追加の情報を告げた。

「貴様等が、【オルクス大迷宮】で殺した女だぁ!」

 

 

 

「…………………そんな人いましたっけ?」

「…………あっ、もしかしてソウゴ様が燃やした……」

「……………………あぁ、あの人!」

 

 

 

「きざまぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

 

 明らかに今の今まで忘れてましたという様子のシアに、既に怒りのせいで呂律すら怪しくなっている男は、僅かな詠唱だけで風の刃を無数に放った。それを何でもない様にひょいひょいと避ける二人。

「ちょっと、その人が何なんです? さっきから訳分からないですよ?」

「カトレアは、お前らが殺した女は……俺の婚約者だ!」

「! ああ、成程……それで」

 シアは得心した様に頷いた。

 

 どうやら目の前の男は、【オルクス大迷宮】でソウゴに殺された女魔人族が最後に愛を囁いた相手──ミハイルらしい。誰に聞いたのかは知らないが、ソウゴが自分の婚約者を殺した事を知り復讐に燃えている様だ。自分がされたのと同じ様に、シアやユエを殺してソウゴの前に突き出したいのだろう。

 

「よくも、カトレアを……優しく聡明で、いつも国を思っていたアイツを……!」

 血走った目で恨みを吐くミハイルに、シアは普段の明るさが嘘の様な冷たい表情となって、実にあっさりした言葉で返した。

「知りませんよ、そんな事」

「な、何だと!?」

「いや、死にたくないなら戦わなければいいでしょう? そもそも挑んで来たのはあの人の方ですし。そんなに大事なら、首輪でも着けて鎖に繋いで檻に入れておけばいいでしょう? 愛しい人を殺されれば、恨みを抱くのは当たり前ですけど……殺した相手がどんな人だったか教えられても興味無いですし。貴方聞きます? 今まで自分が殺してきた相手の人生とか。無いでしょう?」

「う、煩い煩い煩い! カトレアの仇だ! 苦痛に狂うまでいたぶってから殺してやる!」

 ミハイルは癇癪を起こした様に喚きたてると、騎乗する大黒鷲を高速で飛行させながら再び竜巻を発生させてシアに突っ込んで来た。どうやら竜巻はミハイルの魔術で、大黒鷲の固有能力ではないらしい。騎乗のミハイルが更に詠唱すると、竜巻から風刃が無数に飛び出して、シアの退路を塞ごうとした。

 

 ユエが下級魔術で適当に相殺し、シアはそのまま体重を軽くして円盤を足場に大跳躍し、竜巻を纏う大黒鷲を避けた。

 

 しかし避けた先には、ミハイルとシアが話している間に集まってきた魔人族と黒鷲の部隊がいた。ミハイルの騎乗しているのが同じ大黒鷲である事から、彼の部下なのかもしれない。

 

 

 シアより上空にいた黒鷲部隊は、石の針を一斉に射出した。それは正に篠突く雨の様。シアは炸裂スラッグ弾を撃ち放った衝撃波で、ユエは"城炎"を発動して針の雨を蹴散らす。

 

 そして、空いた弾幕の隙間に飛び込んで上空の黒鷲の一体に肉薄した。ギョッとする魔人族を尻目に、ドリュッケンを遠慮容赦一切なく振り抜く。直撃を受けた魔人族は骨諸共内臓を粉砕させながら吹き飛び夜闇の中へと消えていった。

「ユエさんは休んでて下さい! ここは私だけで蹴散らして見せますぅ!」

 シアはそう言いながら、更に勢いそのままに柄を伸長させて離れた場所にいた黒鷲と魔人族も粉砕する。

 

 ユエはその言葉を受け、適度に距離を離して障壁を張りつつ休む事にした。

 

 

 

「くっ、接近戦をするな! 空は我々の領域だ! 遠距離から魔法と石針で波状攻撃しろ!」

 

 まるでピンボールの様に吹き飛んでいく仲間に、接近戦は無理だと判断したミハイルは遠方からの攻撃を指示する。再び四方八方から飛んできた魔術と石の針を、激発による反動と円盤を足場にした連続跳躍で華麗に避け続けるシア。

 しかし中距離以下には決して近づかず、シアが接近しようものなら全力で距離をとる戦い方にシアは次第に苛つき始める。

「あぁもうっ! チョロチョロと鬱陶しい! こうなったら全身ボッキボキに叩き潰してやりますぅ!」

 ウサミミを「ムキィ!」と言わんばかりに逆立て、シアは宝物庫を光らせる。

 

 虚空に出現したのは、赤い金属球だった。

 

 大きさは直径二メートル程。金属球の一部から鎖が伸びており、シアはその鎖の先をドリュッケンの天辺についた金具に取り付けた。

 そして重力に引かれて落ちかけた金属球を足で蹴り上げると、大きく水平に振りかぶったドリュッケンをその金属球に叩きつけた。

 

 ガギンッ!! という金属同士がぶつかる轟音と共に、信じられない速度で金属球が打ち出される。

 

 標的にされた魔人族は慌てて回避しようとするが、突然金属球の側面が激発し軌道が捻じ曲がった。その動きに対応出来なかった魔人族と黒鷲は、総重量十トンまで加重された金属球に衝突され、全身の骨を砕かれながら夜空へと散る。

 敵を屠った金属球は、シアがドリュッケンを振るう事で鎖が引かれ一気に手元に戻ってくる。シアはその間にも炸裂スラッグ弾を連発し敵を牽制、或いは撃ち滅ぼしていく。そして戻ってきた金属球を再びぶっ叩き、別の標的に向けて弾き飛ばした。

 

 ドリュッケンの新ギミックとは──重量変化と軌道変更用ショットシェルが内蔵された"剣玉"なのである。

 

「うりゃりゃりゃりゃりゃ!」

 シアがそんな雄叫びをあげながら、王都の夜空に赤い剣玉を奔らせ続ける。ぶっ飛ばしては引き戻し、またぶっ飛ばしては引き戻す。赤い流星となって夜天を不規則に駆け巡る鋼球は、自身の赤だけでなく敵の血肉で赤く染まり始めた。

 

 

「おのれ奇怪な技を! 上だ! 範囲外の天頂から攻撃しろ!」

 

 ミハイルが次々と殺られていく部下達の姿に唇を噛み締めながら指示を出し、自身は足止めの為に旋回しながら牽制の魔術を連発する。シアはそれらの攻撃を、重さを感じさせない跳躍で宙を舞う様に軽く避けていく。

 

 そうして最後の一撃を避けた直後、頭上より範囲攻撃魔術が壁の如く降り注いだ。

 

「ふんっ、しゃらくせぇですぅ!」

 シアはドリュッケンを頭上に掲げると、柄の中央を握ってグルグルと回し始める。すると回転の遠心力によって、鎖で繋がった鋼球も一緒に大回転を始めた。

 猛烈な勢いで超高速回転するドリュッケンと剣玉は、赤い色で縁取った即席のラウンドシールドとなり、頭上から降り注いだ強力無比な複合魔術を吹き散らしていった。

 

「貰ったぞ!」

 

 頭上からの攻撃を防ぐ事に手一杯と判断したミハイルが、シアに突撃する。

 大黒鷲の桁外れな量の石針を風系攻撃魔術“砲皇”に乗せて接近しながら放った。局所的な嵐が唸りを上げてシアに急迫する。

 

 シアは自由落下に任せて一気に高度を落とし、風の砲撃を避けた。ミハイルは予想通りだと口元を歪め、回避直後の落下してきた瞬間を狙って再度風の刃を放とうとした。

 

 

 しかし標的を見据えるミハイルの目には、絶望に歪むシアの表情ではなく、虚空から現れた拳大の鉄球がシアの足元に落ちる光景が映っていた。

 

 

「シュートぉっ!」

 シアは宝物庫から取り出した鉄球を、最大強化した脚力を以て蹴り飛ばす。

 豪速で弾き出された鉄球は、狙い違わずミハイルの乗る大黒鷲に直撃しベギョ! と生々しい音を立ててめり込んだ。

「クゥェエエエエエ!!!」

「おのれっ!」

 激痛と衝撃に大黒鷲が悲鳴を上げ錐揉みしながら落下する。ミハイルもまた悪態を吐きながら、苦し紛れに石針を内包させた風の砲弾を放ち大黒鷲と一緒に落ちていった。

 

 漸く頭上からの魔術攻撃を凌ぎ切ったシアは、迫る風の砲弾をギリギリドリュッケンで弾き飛ばす。しかし内包された石の針までは完全には防げず、幾つかの針が肩や腕に突き刺ってしまった。

 

「やったぞ! コートリスの石針が刺さっている!」

「これで終わりだ!」

 石の針自体はそれほど大きなダメージではないのに、シアが石針を喰らった事で魔人族達が一様に喜色を浮かべている。

 

 その事に怪訝そうな表情をするシア。

 

 その疑問の答えは直ぐに出た。

 針の刺さった部分から徐々に石化が始まったのだ。どうやら黒鷲はコートリスという名の魔物らしく、その固有魔術は石化の石針を無数に飛ばす事らしい。中々に嫌らしく厄介な能力だ。

 普通は状態異常を解く為に特定の薬を使うか、光系の回復魔術で浄化をしなければならない。故にこれで終わりだと魔人族達は思ったのだろう。仮に薬の類を持っていても服用させる隙など与えず攻撃し続ければ、そうかからずに石化出来るからだ。

 

 しかし、彼等の勝利を確信した表情は次の瞬間、唖然としたものに変わり、そして最終的に絶望へと変わった。

 

 何故なら……

 

「むむっ、不覚です。しかし、これ位なら!」

 

 そう言ってシアは刺さった針を抜き捨てると、少し集中するように目を細めた。すると一拍おいて、じわじわと広がっていた石化がピタリと止まり、次いで潮が引く様に石化した部分が元の肌色を取り戻していった。そして最終的には、針が刺さった傷口も塞がり、何事もなかったかのような無傷の状態に戻ってしまった。

「な、なんで!?」

「どうなってるんだ!?」

 回復魔術が使われた気配も薬を使った素振りも見せず、ただ少しの集中により体の傷どころか石化すら治癒してしまったシアに、魔人族達はその表情に恐怖を浮かべ始めた。それは理解できない未知への恐怖だ。声も狼狽して震えている。

 

 

 シアの傷が治ったのは特に大した事をした訳では無く、ただ再生魔術を使ってソウゴの真似をしただけである。

 ソウゴから習った技の内、自力回復術である"内活通"と"生命帰還"という技がある。どちらもシアは満足に使えないが、同じく適性は悲しい程に無い再生魔術でも相乗して使えば、自分の体の傷や状態異常を癒す位の事は出来るのだ。

 

 

 魔人族達が絶望するのも仕方無い事だろう。圧倒的な破壊力に回復機能まであるのだから、攻略方法が思いつかない。まるで自動修復機能付きの空駆ける高機動重戦車だ。

 魔人族達のシアを見る目が、嘗てソウゴと相対した者達が彼を見る目と同じになっている。

 

 

 即ち──化け物と。

 

 

 

「さぁ、行きますよ?」

 

 狼狽えて硬直する魔人族達の眼前に、シアがドリュッケンを振り被った状態で飛び上がってくる。

 

 一撃必殺! と振るわれた一撃で、また一人魔人族が絶命した。

 

 その瞬間、残りの魔人族が恐慌を来たした様に意味不明な叫び声を上げて、連携も何も無く我武者羅に特攻を仕掛けていった。

 シアは冷静に剣玉を振り回しながら、或いは炸裂スラッグ弾を撃ちながら確実に仕留めて数を減らしていく。

 愈々ミハイル部隊の最後の一人がドリュッケンの餌食となったその時、急に月明かりが遮られ影が一帯を覆った。

 

 シアが上を仰ぎ見れば、暗雲を背後に上空からミハイルが降って来るところだった。大黒鷲も限界の様で、上空からの急降下しか真面な攻撃が出来なかったのだろう。

 

「天より降り注ぐ無数の雷、避けられるものなら避けてみろ!」

 

 ミハイルの叫びと同時に、無数の雷が轟音を響かせながら無秩序に降り注いだ。

 それは宛ら篠突く雷。本来は風系の上級攻撃魔術"雷槌"という暗雲から極大の雷を降らせる魔術なのだが、敢えてそれを細分化し広範囲魔術に仕立て上げたのだろう。それだけでミハイルの卓越した魔術技能が見て取れる。

 

 急降下してくるミハイルを追い抜いて雷光がシア目掛けて降り注ぐ。

 

 恐らく確実に仕留める為に、雷に打たれた瞬間に刺し違える覚悟で特攻する気なのだろう。いくら細分化して威力が弱まっている上にシアが超人的とは言え、落雷に打たれれば少なくとも硬直は免れない。

 そして雷の落ちる速度は秒速百五十キロメートル。認識して避けるなど不可能だ。

 ミハイルの眼にも、部下が殺られていく中只管耐えて詠唱し放った渾身の魔術故に、今度こそ仕留める! という強靭な意志が見て取れる。

 

 

 しかし直後、ミハイルは信じられない光景を見る事になった。

なんと、シアが降り注ぐ落雷を避けているのだ。否、正確には最初から当たらない場所が分かっているかの様に、落雷が落ちる前に移動しているのである。

 

 ミハイルの誤算。それは、シアには認識出来なくても避ける術があった事。そして、ミハイルの想像の埒外の存在に教えを乞うていた事。

 

 シアの固有魔術"未来視"、その新たな派生"天啓視"。最大二秒先の未来を任意で見る事が出来る。"仮定未来"の劣化版の様な能力だがそれより魔力を消費しないので、何度か連発できる使い勝手のいい能力だ。

 何より、未来視はソウゴの得意分野である為に、シアは即座にソウゴに師事し応用を学べた事。

 そして今眼前で展開されている雷群は、ソウゴの放つそれと比べれば量も質も速さも、まるで遠く及ばないので躱すのも容易なのだ。

 

 日々鍛錬を続けてきた、シアの努力の賜物である。

 

 

「何なんだ、何なんだ貴様は!」

「ただのウサミミ少女です」

 自分でも余り信じていない返しをしながら全ての落雷を避けたシアは、当然突撃してきたミハイルもあっさり躱し、すれ違い様に剣玉を振るった。

 大きく円を描いてミハイルの周囲を旋回した剣玉は、その鎖をミハイルに巻き付かせて一瞬で拘束してしまった。

「ぬぐぉお! 離せぇ!」

「放しますよぉ、お望み通りぃ!」

 シアは鎖に囚われたミハイルをドリュッケンを振るう事で更に振り回し、遠心力がたっぷり乗ったところで地面に向かって解放した。

 

 重量級の鉄塊が振り回される事で生み出された遠心力は凄まじく、ミハイルは隕石の落下もかくやという勢いで地面に叩きつけられた。

 咄嗟に風の障壁を張って即死だけは免れた様だが、全身の骨が砕けているのか微動だにせず仰向けに横たわり、口からはゴボゴボと血を吐いている。

 

 シアは、その傍らに降り立った。

 

 ドリュッケンを肩に担いで、ツカツカとミハイルに歩み寄る。

 ミハイルは朦朧とする意識を何とか繋ぎ止めながら、虚ろな瞳をシアに向けた。

 

 その口元には仇を討てなかった自分の不甲斐無さにか、或いは百人近い部下と共に全滅させられたという有り得ない事態にかミハイル自身にも分からない自嘲気味の笑みが浮かんでいた。

 ここまで完膚なきまでに叩きのめされれば、もう笑うしかないという心境なのかもしれない。

 

 自分を見下ろすシアに、ミハイルは己の最後を悟る。内心で愛しい婚約者に仇を討てなかった詫びを入れつつ、掠れる声で最後に悪態をついた。

 

「……ごほっ、このっ…げほっ……化け物めっ!」

「ふふ、有難うございます!」

 ミハイル最後の口撃は、寧ろシアを喜ばせただけらしい。

 

 

 最後に己の頭に振り下ろされた大槌の打撃面を見ながら、ミハイルは「死後の世界があるなら、カトレアを探しに行かないとなぁ」と、そんな事をぼんやり考えながら衝撃と共に意識を闇に落とした。

 

 

 

 止めを刺したドリュッケンを担ぎ上げながら、シアはミハイルの最後の言葉に頬を緩める。

 

「どうやら、漸く私も化け物と呼ばれる程度には強くなれた様ですね……ふふ、ソウゴさん達に少しは近づけたみたいです」

 

 

 

 

 

「……シア、お疲れ様」

「あ、ユエさん。いや~楽勝でしたよ!」

「……油断、メッ!」

 シアの戦闘が終わったタイミングでユエが労う。どうやらユエの目線でも、シアの戦果は満足の行く結果だったらしい。

 

 

 すると、王宮の一角で爆発が起きる。

 

 何事かと視線を転じた直後、遥か天空より降り注いだ巨大な光の柱が外壁の外で待機していた数万からなる魔物の大軍を根こそぎ消滅させるという有り得ない光景が飛び込んでくる。

 一拍置いて、お互い顔を見合わせたユエとシアは、

 

「「……ソウゴ様/さん」」

 

 犯人の名前を口にした。二人の答えはばっちり同じらしい。

「……取り敢えず王宮に行きますか」

「……ん」

 ユエとシアは消し飛んだ魔物と巨大なクレーターを一瞥して呆れた様な笑みを浮かべると、二人一緒にソウゴが移動したであろう王宮に向かうのだった。

 

 

 





どうなる次回。



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第二十四話 Dirty Deeds Done Dirt Cheap [part2]


最近書いてて気づいたけど、どうやら作者はティオ推しらしい。だからってソウゴに不倫はさせないけどね(今のところ)。

それと仮面ライダーファンなら分かると思うけど、作者はカッコいい悪役には惹かれるタイプだからね。



P.S 作者は基本書き溜めとかしないから、よっぽど作者のやる気が溢れるか次の話が短くない限りは投稿は遅いよ。




 

 

 

 月下に銀翼が羽搏いた。

 

 だが、それは飛翔の為ではない。その銀翼から殺意をたっぷり乗せた銀羽の魔弾を射出する為だ。恐るべき連射性と威力を秘めた銀の魔弾は標高八千メートルの夜闇を切り裂き、数多の閃光となって標的に殺到する。

 

 

 それに対するは、黄金の輝きを纏う超人。

 

 

 衛星の様に周囲に漂う掌大の光球から無数の光線が走り、飛来する銀羽は無残に飛び散り四散する。「攻撃は最大の防御」という言葉を地で行く様な横向きの閃光豪雨が、壁と見紛う程の弾幕を霧散させる。必要なのは冷静さ。一切動く事無く、男は銀閃を消滅させる。

 

「ひゃああっ!!?」

 

 そこへ、似つかわしくない可愛らしい悲鳴が響いた。

 

 場違いな声を我慢しきれず出してしまったのは、無論愛子だ。

 銀羽の弾幕を撃ち放つ"神の使徒"ノイントの攻撃を微動だにせず処理するソウゴの片腕に抱かれながら、人生初の眼前花火を経験中なのである。

 

「ピィピィと喧しいぞ。餌を強請る雛鳥か?」

「そんな事言われましてもっ!?」

 

 ソウゴの呆れた様な物言いに、涙目で抗議する愛子。いや、初の空中戦にして涙目ながらも抗議出来るだけ肝が据わっていると感心すべきか。

 

 

 ソウゴにとっては見慣れた光景だとしても、愛子は戦いと無縁の生まれでありこの世界に来ても戦士ではなかったのだから、目の前で連続爆発が起きれば悲鳴も上がる。既にグロッキー状態だ。

 

 かといってその辺に放り出しておくと、その瞬間に愛子の方を狙われかねない。無論自分から距離があろうと守る程度わけないが、背にしながら戦うより一緒に動く方が合理的だった。

 

 

 その様な事情からソウゴは、再び全方位から包み込む様に強襲してきた銀羽を光で出来た魚群で防ぎながら愛子に話しかける。

 

「ほれ、刺激の少ない対処法に変えてやったぞ。ティオが来たら引き渡す故、早々に離脱しろ」

「は、はい! で、でも常磐さんは!?」

「もう少し遊んでいくとしよう」

「余裕そうですね!?」

 

 驚きながらも素直に感想を述べる愛子。ソウゴはそんな愛子から視線を外し、"螺旋丸"を投げつける。"塵遁"を付与したソレは、銀色の砲撃を相殺する。最初に、愛子が幽閉されていた隔離塔の上部を消し飛ばした閃光だ。

 

 

「……雑談とは余裕ですね、イレギュラー」

「そうでもせんと直ぐに終わってしまうからな」

 

 

 銀色の砲撃と銀羽の弾幕を捌いた直後、ソウゴの直ぐ傍で機械的で冷たい声音が響く。特に焦るでもなく、視線を向けるより先に"グラグラ"の能力を発動して拳を振るう。次いで目を向ければ、双大剣の片方を盾に、もう一方の大剣を横殴りに振る……おうとして衝撃を受け止めきれず吹き飛ばされるノイントの姿だった。拳が直接ぶつかった訳で無いにしろ、その一撃は到底片手間の防御でどうにか出来るものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 ここで一つ、客観的な意見を投げる。

 

 

 

 ノイントの持つ銀光を纏う長さ二メートル幅三十センチの大剣は、そこにあるだけで凄まじい威圧感を放っている。

 

 加えて、その宿した能力も凶悪だ。なにせノイントが操る銀の魔力は、全て固有魔術"分解"が付与されているのだから。触れるだけで致命的な攻撃になるなど、反則もいいところだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──無論、"ソウゴ以外の目から見れば"の話だが。

 

 

 

 

 

 

 

 分解? 触れるだけで致命傷?

 

 そんなものは最早見飽きた。ありふれたと言ってもいい。そんなものは反則でも何でもない。ソウゴのいる境地に立つには、基本中の基本どころか初歩ですらない。持っていて当たり前の"技術"なのだ。

 

 

 ソウゴとノイントの戦力差は、愛子がいる程度のハンデで埋まるものではない。

 

 

 銀羽の弾幕?

 

 先程の様に"原子崩し(メルトダウナー)"で相殺すればいい。それで足りなければ"雷の羽(ケリードーン)"なり"八尺瓊勾玉"なりで数を増やすだけだ。防御面でも、それこそ先程と同じく"卵の冠(アレクトール)"で吸収出来る。攻防一体の"求道玉"を使うのは過剰だろうが、手の一つではあるだろう。

 

 

 銀光の砲撃?

 

 "原界剥離"で押し返せる。両手より威力は落ちるだろうが、ノイント程度の相手にただ殺すだけなら片手でも十分過剰な威力になる。同系統の能力を持つ鍵の天使"封解主(ミカエル)"で相殺したり"(ラータイブ)"や"オーロラカーテン"でどこかに飛ばすのも手だ。

 

 

 抑々銀羽も砲撃も、分解の能力があろうと光には違いない。ならば"闇黒剣月闇"やら"ヤミヤミ"の能力やらで吸収すればいい。どんな効果であろうと魔術であるならば、"餓鬼道"や"魔剣レプラザン"でも喰い殺せる。

 

 というか特殊能力云々と言うならば、エクストリームメモリの能力で調整してエターナルメモリの能力をぶつければ無効化出来る。

 

 

 ならば武器である大剣は?

 

 新旧両方の"身堅き節制(クルース・テンペランティア)"で攻撃力を削げばいいし、"淫蕩の御身(ステイソス・ポルネイア)"で殺傷能力そのものを奪ってもいい。熱や電気、磁気系の能力で使用不能にも出来る。

 

 

 ならそれを扱う双剣術?

 

 最早論外だ。"黒の剣士"キリトや"最強の精霊姫"カミト、"比翼"のエーデルワイス等のそれに比べれば児戯に等しい。

 

 

 ノイントの攻めはソウゴの守りを抜ける程の鋭さは無く、ソウゴの眼を掻い潜る鮮やかさも無い。

 

 

 自在に宙を舞う本体の機動力?

 

 "重加速"や"クロックダウン"で遅く出来るし、英雄王お得意の"天の鎖(エルキドゥ)"で縛れば造作も無い。仮にも"神の使徒"を名乗るのだ、神性が高い程束縛力は増すのだから効果覿面だろう。逆に"スタートアップ"や"クロックアップ"、"高速化"なりで自分が速くなってもいい。というかそれ以前に、能力を使う程速い訳でも無い。

 

 

 そも当然の前提として、ソウゴは今この瞬間にノイントを即時抹殺出来るのだ。

 

 

 空気越しとはいえ間接的に触れている(・・・・・)のだから、"キラークイーン"や"荒廃した腐花(ラフラフレシア)"で爆破するなり腐らせるなりすればいい。

 

 "万華鏡写輪眼"の瞳術"天照"や"モーフィングパワー"で燃やす事も出来るし、人間同様に血液が通っているなら"メタリカ"で刃物を生成して内側から突き破る事も可能だ。

 駄目押しに"黄金体験(ゴールド・エクスペリエンス)"でその刃物を生物に変えて食い破らせる事も出来る。

 

 周囲への被害を考慮しなければ"グリーンデイ"や、今は日光の無い時間帯である故"パープルヘイズ"を使うのも手だろう。

 

 "操作令状(エラーメッセージプレート)"や未来ノート、"天国の扉(ヘブンズドアー)"やマイティノベルの能力で自殺を命令させる事も出来るし、適当に自分の急所を攻撃して"不慮の事故(エンカウンター)"で傷とダメージを押し付けるのも面白いかもしれない。

 

 

 他にも、得意の時間操作も手の一つ。時を止めて一撃を入れる、時を加速させて急速に劣化させる、攻撃を放って到達するまでの時を飛ばしてタイムラグ無しで直撃させる等々。

 

 

 突き詰めれば極端な話、完全に過剰攻撃(オーバーキル)になるだろうが"帰滅を裁定せし廻剣(マハー・プララヤ)"や"大噓憑き(オールフィクション)"、刃更がした様に"無次元の執行(バニシングシフト)"で存在そのものを無かった事にするのも容易い。

 

 

 

 ソウゴがそれをしないのは、偏にノイントの"構ってちゃんアピール"に付き合っているからである。愛子に言った通り、ソウゴは"遊んで"いるのだ。

 

 

 

 

 

 

 ソウゴは立て直したノイントが振るう迫り来る大剣を鋼の飛蝗で構成された防壁で受け止め、即座に変形させて反撃する。「ガキィィンッ!!」という金属同士のぶつかり合う音と共に、ノイントとの距離がまた開く。

 

 ノイントは反動に逆らわずそのまま一回転し、その勢いも利用し再接近してソウゴに大剣を振り下ろした。

 ソウゴは"金剛通"を人差し指に集中した"金烏"でそれを受け止め、残りの四指からレーザーを放つ。

 

 しかし危機察知能力でも発揮されたのか、ノイントは咄嗟に避けその光線は銀羽を数枚散らす程度に留まる。光線は【神山】を通り過ぎ、地平の彼方に轟音と共に地面を四度抉る。

 

 ソウゴは後退したノイントに、空いた人差し指による追撃をかける。再度放たれたレーザーが夜天を走り、静かなる破壊を齎す。ノイントはレーザーこそ回避したものの、被せる様に放たれた"水鉄砲の術"と"火銃"に足を撃ち抜かれる。

「咄嗟の回避は出来ても、先読みが出来んのではな……」

「はわ、はわわ……何が、どうなって……」

「折角の特等席だ、存分に楽しんでいけ」

「と、特等席って……常磐さん!」

 やっている事は傍から見ればコンマ数秒で勝敗が決してしまう様な息詰まる超高等戦闘。戦闘のプロではない愛子にとって、何が何やら理解出来ないだろう。ソウゴは「この状況で文句が言えるなら及第点、精々目を凝らして見ておけ」と愉快気に告げながら、その視線はノイントに向かっている。

 

 

「……足手纏いを抱えて尚、これだけ凌ぐなど……やはり貴方は強すぎる、主の駒としては相応しくない」

「結構。引き籠りの相手は自分の娘で十分だ、その上に数度思い通りにならん程度で癇癪を起す阿呆の面倒なぞ私は見れんぞ」

「……私を怒らせる策なら無駄です。私に感情はありません」

「今のが挑発に聞こえるのか? 無表情の割に自意識過剰ではないか。小学生でももう少し利口な受け取り方をするぞ?」

「……」

 

 ノイントはスッと目を細めると大きく銀翼を広げ、双大剣をクロスさせて構えた。

 果たして本当に感情が無く、ただ無駄な会話をしたと仕切り直しただけなのか……ソウゴの目にはどこか怒りを抱いている様に見えたが、どうでもいいと思考の外に追いやる。

 

 

 ある程度試して、駄目なら終わり。ノイントが何を考えていようと、何を感じていようと、ソウゴにとっては暇潰しの範疇を出ない。

 

 

 ノイントが再び銀翼をはためかせ、銀羽を宙にばら撒く。だが今度はソウゴに向かって射出されず、代わりにノイントの前方に一瞬で集まると何枚もの銀羽が重なって陣を形成する。そう、魔法陣だ。銀色に輝く巨大な魔法陣がノイントの眼前からソウゴを睥睨する。

 そして……

 

「──"劫火浪"」

 

 発動された魔術は、天空を焦がす津波の如き大火。

 どうやら、魔弾だけでなく属性魔術も使えた様だ。今まで使ってこなかったのは、単純に銀の魔弾だけで十分だと判断していた為だろう。

 

 

 つまり、ソウゴを侮っていたという事だ。

 

 

 うねりを上げて頭上より覆い尽くす様に迫る熱量と展開規模共に桁外れの大火に、一瞬世界が紅蓮に染まったのかと錯覚する愛子。どうする気なのかと胸元からソウゴを見上げてみれば、ソウゴは小馬鹿にした様な笑みと共に鼻を鳴らす。

「舐められたものだな……」

 数百メートルに及んだ炎の津波は、ソウゴと愛子を逃がす事無く完全に呑み込んだ。誰が見ても詰み。二人は灼熱に焼かれて骨も残さず消滅したと思うのが普通だ。

 

 しかしノイントは、燃え盛る大火の中心から目を逸らさない。

 

「……これも凌ぐのですか」

 

 ノイントがそう呟いた直後、大火はまるで何かに吸い込まれるかの様に一点に収束し、その流れを追えば大火を掌で飲み込んでいくソウゴと、抱えられた愛子が無傷で姿を現した。

 

「生憎、私も炎の扱いには一家言有ってな。この程度では日焼けも出来ん」

「す、凄い……」

 

 ソウゴは事も無げに答える。ソウゴは所謂一般的な属性の中で最も得意としているのが炎であり、その為その耐性や吸収効率は他の属性の比ではない。あの程度の火力、蝋燭の火より頼りない。

 驚く愛子を抱き締め直しノイントを見れば、彼女は再び魔法陣を形成しているところだった。

 

 但し、今度は二十以上の魔法陣を、銀羽をソウゴに撃ち込みながら同時展開するという形で。

 

 正に怒涛の攻撃。しかしソウゴには届かない。"アナザーディメンション"で次元の狭間の虚数空間に吸い込まれ、攻撃そのものが意味を成さない。

 

 

 その時突如、【神山】全体に響く様な歌が聞こえ始めた。

 

 

 ソウゴが何事かと歌声のする方へ視線を向ければ、そこにはイシュタル率いる聖教教会の司祭達が集まり、手を組んで祈りのポーズを取りながら歌を歌っている光景が目に入った。どこか荘厳さを感じさせる司祭百人からなる合唱は、地球でも見た事のある聖歌というやつだろう。

 

 一体、何をしているんだとソウゴが訝しんだ直後、

 

「……あぁ、成程なぁ」

「常磐さん? ……あれは一体?」

 

 ソウゴの納得した様な言葉と、愛子の疑問が響いた。

 

 

 見れば、どこか勇ましい雰囲気で聖歌を歌っていた司祭達がどんどん倒れていく。しかも光の粒子の様な物がまとわりつき、起き上がるのを阻害しているらしい。

 

「恐らく状態異常の魔術だったのだろうが……軽率が過ぎたな」

 

 

 

 

 ソウゴの推測は当たっている。

 

 

 イシュタル達は"本当の神の使徒"たるノイントが戦っている事に気が付き、援護すべく"覇堕の聖歌"という魔術を行使しているのだ。これは、相対する敵を拘束しつつ衰弱させていくという凶悪な魔術で、司祭複数人による合唱という形で歌い続ける間だけ発動するという変則的な魔術だ。

 

 そして、その効果がソウゴの自動反射で自分達に跳ね返ってきたのだ。自分の攻撃が相手に利用される事を想定せずに行動するというのは、ソウゴの言葉通り「軽率過ぎる」と言わざるを得ない。

 

「イシュタルですか。……やはり人間というのは当てになりませんね」

 

 ノイントがそんな感想を述べる。イシュタルの表情を見れば、困惑と怒りに包まれていた。ソウゴに害を与えようと聖歌隊を編成した挙句、何故か自分達が地に這い蹲っているのだ。理解出来ないと顔が訴えている。

 

 

 そんなイシュタル達とは反対に、現在ソウゴは棚から牡丹餅の気持ちだった。

 

「運が良いな、探す手間が省けた」

 

 ソウゴはノイントの攻撃を横目で捌きつつ、視線を司祭達に向ける。その目はどこか吟味する様な動きをしており、愛子はその様子が食材を選ぶ料理人の様に見えて、場違いにも程があると首を振った。

 そしてソウゴは視線を止めると、地上の司祭達に手を翳す。

 

 

 ──刹那。イシュタル以外の司祭達が燃えた。

 

 

「「ッ!?」」

 

 その瞬間、愛子はおろかノイントすらも瞠目する。距離の無視、殺害数、躊躇の無さ。ソウゴがやったという事以外は信じられない規格外。

 それに加えて、愛子は「何故このタイミングで?」という疑問もあった。

 

「……彼等が死んで、私が動揺するとでも?」

「あぁ、貴様は気にせんでいい。完全な別件、此方の都合だ」

 

 ソウゴがそう答えていると、イシュタルにも変化が訪れる。

 

 その周囲から生える様に鎖が出現し、イシュタルを縛り上げる。それと同時にその影から幾つもの腕が伸びて、イシュタルを影の中に引きずり込んだ。

 

 同時、ノイントは自分の攻撃が全て自分に(・・・)向かってくるのを確認した。

 

「ほれ、私の用件は終わった。貴様の相手に戻ろう」

 

 いつの間にかソウゴの視線がノイントに戻っている。イシュタルの収納を確認したソウゴは即座に意識をノイントに戻し、ベクトル操作で攻撃の向きを変えたのだ。

 ノイントは銀羽を射出してそれらを相殺する。ソウゴは追い打ちをかける様に"ブルー・ティアーズ"を展開、六方から閃光を走らせる。

 

 そんなソウゴに、ノイントは正面から突っ込む……と見せかけて銀翼を「カッ!」と発光させた。爆ぜる光がソウゴを包む。

 

 

 ソウゴの持つ感知系能力は優秀だ。直ぐ様見失ったノイントの気配を背後に感じて……

 

 

 

 

 

 

「"闘技・神砂嵐"」

「ッッッ──!?」

 

 

 

 

 

 

 そのまま正面を殴りつけた。360度回転し竜巻を纏う拳は確かな感触と共にノイントを捉え、その脇腹と大剣を抉り取りながら弾き飛ばす。

 

 

「咄嗟に防御したのはいい判断だったが……粗末な陽動だな、木偶人形」

 

 

 ソウゴは先程背後に現れた気配がダミーであると瞬時に見抜き、その裏を突いてそのまま正面を攻撃したのだ。

 

 結果は一目瞭然。本来両腕で放つ技故に半減以下の寝ぼけ半分の様な軽い一撃だったが、"神砂嵐"は容易くノイントを抉り武器を破壊した。

 

 抉れた大剣の残骸は宙を舞い、ノイントの体はスプリンクラーの様に血を撒き散らしながら近場の塔に直撃した。その衝撃と粉塵で濛々と塔の周囲が白く染まる。

 

 

 

「常磐さん、それ関節とか……」

「気にするな、こういう技だからな。……それより、迎えが来たぞ」

 ソウゴが愛子にそう伝えた途端、

 

 

 

 ──グゥガァアアアアア!!!

 

 

 

 聴き慣れた、竜の咆哮が響いた。

 

 

 

 

 

「ティオ、随分待たせたじゃないか」

 

 ソウゴの言葉に嬉しそうにしながらも、黒竜形態のティオが翼を羽搏かせながらソウゴの傍らにやって来た。

『間に合った様で何よりじゃ、後で折檻……基、ご褒美を所望する』

「まぁ偶にはいいだろう、働き者には褒美があって然るべきだ」

『本当か! その言葉忘れるでないぞ! さぁ先生殿よ、妾の背に乗るがいい』

 ソウゴはこんな状況でも自らの欲望に忠実なティオ(思い返せばユエ、シア、香織もだが)に面白そうな表情をしながらも、抱き上げていた愛子をその背に乗せる。

 

 愛子は何だか二人の会話にモヤモヤしたものを感じつつも、漸くソウゴの足手纏いから解放されるとあって素直にティオの背にしがみついた。

 

「えっと、ティオさん。よろしくお願いします」

『うむ。任せよ。先生殿はご主人様の大切なお人(作戦の要という意味で)じゃからの、敵の手には渡さんよ』

 愛子は、ティオの"大切な人"という言葉で更に勘違いを加速させつつ、心配そうにソウゴの方を見やった。その表情はどう見ても教師が生徒を憂う類のものではなく、明らかに恋する乙女といった風情だったが、この場にツッコミをいれる者はいない。

 

 

 とその時、ノイントの突っ込んだ塔が轟音と共に根元から吹き飛んだ。濛々と舞う砂埃を銀翼の風圧で吹き飛ばしながら、抉れた脇腹から血を流す片翼のノイントが姿を現す。

 

「……ティオ、行け」

『承知』

 

 既に猛烈な殺気を噴き出しながらソウゴを睨んでいるノイントを尻目に、ティオは短くも確かな返事を残し飛び去った。

 

 ソウゴは高速で離脱していくティオの背を見送ると、ノイントに対し挑戦者を見下ろす王者の視線で迎えた。

 

 

 

 

 

 

 初撃は、ソウゴによる一振りだった。

 

『月闇必殺撃!』

『習得一閃!』

 

 紫苑の炎雷が迸り、見るからに凶悪なフォルムのドラゴン達が一直線に目標へと迫る。その一撃に未知の脅威を感じたのか、ノイントは即座に回避を選んだ。

 

 その場から身を捻りながら落下して紫の閃光の群れを掻い潜りながら、恐るべき速度でソウゴに突進する。

 

 しかしそれを読んでいたのか、そこには既にソウゴの姿は無い。一瞬の驚きと共に、背後に凄まじいプレッシャーと衝撃を与えられた。

 

「ッ!?」

 

 ノイントはソウゴの纏う黒い稲妻を浴びながら、自分を見下す様に立つソウゴに反撃しようとその手に残った一之大剣──半ばから引き千切られた様に無くなっているソレ──で迎撃に打って出た。

 しかし……

 

「──!?」

 

 神速で振り抜かれようとした大剣は、まるでビクリとも動かない。まるで幼子がパンパンに詰め込まれた買い物カゴを必死に持ち上げようとしている様に。否、それどころか腕が上がらないのだ。全く負傷もしていないのに。

 

「もう終わりか?」

 

 そんな彼女の背後に、意識の間隙を突く様にいつの間にか踏み込んできたソウゴ。先程ノイントに"雷遁・雷虐水平千代舞"と"土遁・加重岩"を叩き込んだ際に刻んだ"飛来神"の印に飛び、ソウゴは更に追撃する。

「"輝彩滑刀"」

「ッ、くっ……!?」

 ノイントは咄嗟に大剣を盾にした。体と着弾寸前の拳との間に大剣を割り込ませる。

 

 

 しかし、ソウゴの腕から生えた振動刃は豆腐を切る様に大剣を切断する。ノイントはその光景に咄嗟に大剣を手放して飛び上がるが、片翼なのもあって今迄より速度が出なかった。

 

 

 

 

 その結果、ノイントは右足を太腿辺りから切り落とされた。

 

 

 

 

「器用に逃げるではないか」

「なっ!?」

 断面からドバドバと血を流すノイントの視界に映ったのは、ソウゴから生えた蠍の尾が自分の体を巻き付けて捕えている光景。ノイントはそのまま勢いをつけて地上に叩きつけられる。

「何て……出鱈目な……」

「驚いている場合か?」

「ッ!?」

 ソウゴは追撃の手を緩めない。即座に口から炎を吐き、地面に転がるノイントを焼こうとする。どうにか片方だけの翼に力を溜めて飛び立ったノイントに、一瞬で移動したソウゴの"指銃"が突き刺さる。

 

「ぐぅっ!!?」

 

 訳の分からない攻撃の範囲と威力、そして何より意味不明な距離を無視したかの様な移動。それらの理不尽を感じながら、ノイントは呻き声と同時に大きく吹き飛ばされる。

 

 そのまま背後にあった教会の荘厳な装飾が施された何らかの施設を破壊しながら埋もれるノイント。

 ソウゴは駄目押しとばかりに"ギャラクシアン・エクスプロージョン"と"マブロスエラプションクラフト"を撃ち込む。

 

 宇宙の崩壊と星の怒りを体現した絶大な暴力の群れは崩れかけた建物に致命傷をプレゼントする。大爆発と共に完全に崩壊した建物は、そのまま噴き出し流れるマグマによって摂氏八千度の業火に包まれた。

 

 夜空を赤く染め上げる大河を眺めながら、ソウゴは追撃の手をまだ緩めない。"神の裁き(エル・トール)"を放ち、燃え盛る瓦礫の山に穴を開ける。

 その瞬間、

 

「ふむ、下か」

 

 ソウゴが眼下に視線を向け直すと同時に直下の地面が爆発した様に弾け飛び、その中から銀翼をはためかせたノイントが飛び出てきた。どうやら魔術を使って地中を掘り進み、そのまま強襲を掛けてきたらしい。

 

 

 先程までとは比べ物にならない程に穴だらけの銀羽が掃射され、か細い銀の砲撃が撃ち放たれる。

 

 

 ソウゴはそれらを"ゼスティウム・ドライブ"で薙ぎ払い、交差する一瞬で叩きつける様に振るわれた銀翼を軽々躱す。そして、通り過ぎるノイントに向かって"廬山真武拳"を叩き込む。

「がっ!?」

 その一撃をノイントは咄嗟に左腕でガード、元の形が分からない程拉げさせつつその勢いを利用してソウゴから距離をとる。そして背後に向けて銀羽を飛ばして迎撃しつつ、作り出した魔法陣から怒涛の魔術攻撃をソウゴに向けて放った。

「味気無い人形かと思えば、存外生き汚く根性もあるらしいな」

 ノイントのどこか意地を感じさせる様子に意外そうな表情を浮かべつつ、ソウゴは"イオナズン"や"スターダストレボリューション"で全て迎撃する。

 

「少しは面白くなるかと思ったが、私の勘違いか?」

「……黙りなさい、イレギュラー」

 ノイントは今度こそ紛れもない挑発に、無数の魔術と銀羽を放ち戦闘再開を行動で示す。

 

 すると程無くして気付いた。先程までより威力も桁も増しているのだ。

 

 銀羽の一枚一枚が先程の倍以上の威力を持ち、放たれる魔術は全て限りなく最上級に近いレベルである。よく見れば、ノイントの体全体が銀色の魔力で覆われており、感じる威圧感が跳ね上がっていた。まるで"限界突破"の様な姿だ。

 

 

 尤も、ソウゴにとっては微々たる、メダカと太陽の間にティッシュが一枚挟まった程度の本当に微々たる差だったが。

 

 

 

 

 

「やっと本気になったか。貴様は反抗期か何かなのか?」

 

『FINAL ATTACK RIDE』

『DE DE DE DIEND!』

 

 その圧倒的な物量からなる怒涛の攻撃を、"ディメンションシュート"で撃ち落とす。蒼の砲光が射線上の全てを打ち砕いて直進しノイントを狙う。

 

 しかし銀光を纏うノイントの動きもまた、先程よりは向上していた。"ディメンションシュート"の蒼光をスレスレで躱すが、それはソウゴも想定の内。

 

「"菩提証悟"」

 

 言葉と共に天から落ちた赤光が、ノイントを叩き落す。それでも回復力──というより復帰力と言うべきか──も向上したらしいノイントは、即座に飛行を再開する。

「多少はしぶとさも増したらしいが……」

 ソウゴが呟きながら両手足を振るって"聖剣乱舞(エクスカリバー)"を放つ。当たらない様に且つ誘導する様に放たれたそれに、無意識か敢えてかノイントはソウゴの想定通りの動きで迫る。そして独楽の様にクルクルと物凄い勢いで回転しながら遠心力をたっぷり乗せた蹴りを振るった。

 

「ッ!?」

「しかし……やはり粗雑と言わざるをえんな。"廬山上帝覇"」

 

 ノイントの渾身の一撃は、ソウゴの交差した腕で受け止められる。そのまま構えに移行して、ソウゴの黄金の竜巻を浴びて吹き飛ばされる。そこからソウゴは再び"飛来神の術"で飛び、一瞬でノイントに詰め寄る。

「この、状態でも……」

「あぁ、驚く程ではないな」

 覚醒状態になったノイントでも、ソウゴの最低限には届かない。そこでソウゴはふと何か思いついた様な顔をしてノイントに告げる。

 

「たった今、少しばかり面白そうな事を思いついた。私が貴様の真似をして、その差を分かりやすくしてやろう」

「……? ……!?」

 

 ノイントが疑問を浮かべた次の瞬間、その表情は驚きに染まる。

 

 ソウゴの背に、青白く輝く六対の翼が生えていた。見た目こそ似ているが、数も質も桁違いに大きい。

 

「さぁ、神の使徒の意地を見せてみよ。"銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)"」

 

 ソウゴの合図と共に桁が五つばかり違う銀閃が迸り、ノイントのそれが枝に思える程の光柱が轟く。

 

 

「……ぉ、ぁ……ぅ……ぅぅぅうぅおおおおぉおおおおおおおっ!!!」

 

 

 その光景に、ノイントは無意識に雄叫びを上げて全魔力を防御に集中させる。

 

 ノイントはソウゴの様に未来を知る能力は無い。だが悟る、自分はこの攻撃を受け止めきれないと。

 だがしかし。万が一、それこそ蜘蛛の糸に縋る様な極々細く小さな確率でも、全力で防御に徹すれば、もしかしたら。

 

 ノイントは気づかぬ内に、自分がこれまで弄んできた人間と同じ様に"もしも"に縋っていた。

 

 

 そしてそれが、勝負を決めた。

 

 

 

 

 

 

「分かりやすい挑発に乗ったな」

 

 ソウゴは冷めた目でノイントを見る。今までの冷静さをかなぐり捨てた様に雄叫びを上げ、全身全霊でソウゴの戯れの一撃を受け止める。

 ソウゴは一つ、深い息を吐いて目を伏せる。

 

 

「震えるぞハート」

 

 

 体内の隅々まで神経を巡らせ、末端の毛先に至るまで力が走るのを感じる。体が輝きに包まれる。

 

 

「迸る程ヒート」

 

 

 気が高まる。小宇宙(コスモ)が燃える。チャクラが練られる。通力(プラーナ)が駆ける。覇気が乗る。

 

 

「刻め、血液のビート」

 

 

 色が消える。味が消える。匂いが消える。音が消える。光が消える。世界が、消える。

 

 ソウゴは駆ける。世界にはソウゴとノイントしか存在せず、互いの距離は存在せず、全てはただ勝利の白と敗北の黒だけが残る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"暮金色の波紋疾走(イブニングゴールド・オーバードライブ)"」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………………

…………

……

 

「幕切れはあっけないものよ……」

 

 黄金の波紋が過ぎ去った後に残ったのは、地上に降りた勝者たる魔王ただ一人。ノイントのいた痕跡など一切無い。

 

 辺りに静寂が戻り、勝者たるソウゴを祝福する様に月光が輝くのみ。

 

 

『ご主人様!』

「常磐さん!」

 

 

 そんなソウゴに頭上から声を掛けたのは、退避していたティオと愛子だ。

「あの、大丈夫ですか……!?」

 恐る恐る、しかし必死な声で愛子が問う。その間にティオは人間体に戻る。

「無論無事だとも。強いて言えば、豆鉄砲を食らった鳩の気分だ」

「は、はぁ……?」

「本当に強いのぅ、ご主人様は。あの者、今まで出会った事が無かった程に恐ろしかったのじゃが……」

 愛子が疑問の、ティオが感嘆の声を上げれば、ソウゴは話題を切り替える。

「さて。折角【神山】にいるのだ、もう一つ片づけようか。丁度迎えもいる様だしな」

「「?」」

 

 疑問符を浮かべる二人に、ソウゴはある方向を指す。そこには……

 

 

 白い法衣の様な物を着た禿頭の男がおり、ソウゴ達を真っ直ぐに見つめていた。しかし、その体は透けてゆらゆらと揺らいでいる。

 

 禿頭の男は、ソウゴ達が自分を認識した事に察したのか、そのまま無言で踵を返すと歩いている素振りも重力を感じている様子も無くスーッと滑る様に動いて教会の中へと移動した。そして姿が見えなくなる直前で振り返り、ソウゴ達に視線を向ける。

「……ついて来いという事だろうな。行くぞ」

 ソウゴの言葉に、二人は頷いて追随する。

 禿頭の男はその後も、時折姿を見せてはソウゴ達を誘導する様に迷路の様な内部を進む。そして五分程歩いた先で遂に目的地に着いた様で、真っ直ぐソウゴ達を見つめながら静かに佇んでいた。

 

「貴様、解放者だな?」

「……」

 

 禿頭の男はソウゴの質問には答えず、ただ黙って指を差す。その場所は何の変哲も無い唯の行き止まりだったが、男の眼差しは進めと言っている様だ。

 沈黙を肯定と判断したソウゴは、ティオ達と頷き合うとその瓦礫の場所へ踏み込んだ。するとその瞬間、地面が淡く輝きだした。見れば、そこには大迷宮の紋章の一つが描かれていた。

 

 そして次の瞬間には、ソウゴ達は全く見知らぬ空間に立っていた。

 それ程大きくはない光沢のある黒塗りの部屋で、中央に魔法陣が描かれておりその傍には台座があって古びた本が置かれている。どうやら、いきなり大迷宮の深部に到達してしまったらしい。

 

 ソウゴ達は、魔法陣の傍に歩み寄った。何が何やらと頭上に大量の"?"を浮かべている愛子の手を引いて、三人は精緻にして芸術的な魔法陣へと踏み込んだ。

 

 いつも通り記憶を精査されるのかと思ったら、もっと深い部分に何かが入り込んでくる感覚がして、思わずティオと愛子は呻き声を上げる。あまりに不快な感覚に一瞬罠かと疑うも、次の瞬間にはあっさり霧散してしまった。そして攻略者と認められたのか、頭の中に直接魔術の知識が刻み込まれる。

 

「魂魄魔術、か。やっとらしくなってきたか?」

「う~む。どうやら、魂に干渉出来る魔術の様じゃな……」

「ミレディがゴーレムに魂を定着させて生き永らえていた原因はこれだろうな」

 

 いきなり頭に知識を刻み込まれるという経験に頭を抱えて蹲る愛子を尻目に、ソウゴは脇の台座に歩み寄り安置された本を手にとった。

 

 

 どうやら、中身は大迷宮【神山】の創設者であるラウス・バーンという人物が書いた手記の様だ。オスカーが持っていたものと同じで、解放者達との交流やこの【神山】で果てるまでの事が色々書かれていた。

 

 そして最後の辺りで、迷宮の攻略条件が記載されていたのだが、それによれば先程の禿頭の男、ラウス・バーンの映像体が案内に現れた時点でほぼ攻略は認められていたらしい。

 

 というのもあの映像体は、『最低二つ以上の大迷宮攻略の証を所持している事』と、『神に対して信仰心を持っていない事』、或いは『神の力が作用している何らかの影響に打ち勝った事』という条件を満たす者の前にしか現れないらしい。

 

 

 つまり【神山】のコンセプトは、『神に靡かない確固たる意志を有する事』の様だ。

 

 

 恐らく愛子も攻略を認められたのは、長く教会関係者から教えを受けておきながら、それに微塵も影響される事も無く常に生徒達を想い続けてきたからだろう。

 

 この世界の人々には実に厳しい条件だが、ソウゴ達には軽い条件だった。

 

 漸く神代魔術を手に入れた衝撃から立ち直った愛子を促して台座に本と共に置かれていた証の指輪を取ると、ソウゴ達はいつもの行程を行いさっさとその場を後にした。再びラウス・バーンの紋章が輝いて元の場所に戻る。

 

「大丈夫か?」

「うぅ、はい。何とか……それにしても、すごい魔法ですね……確かに、こんなすごい魔法があるなら、日本に帰る事の出来る魔法だってあるかもしれませんね」

 

 愛子が蟀谷をグリグリしながら、納得した様に頷く。その表情はここ数日の展開の激しさに疲弊しきった様に疲れたものだったが、帰還の可能性を実感出来たのか少し緩んでいる。

「……さて、残る作業は鼠捕りか。合流せねばな」

「あっ、そうです! 王都が襲われているんですよね? 皆、無事でいてくれれば……」

 

 心配そうな表情で祈る様に胸元をギュと握り締める愛子を促して、ソウゴは聞こえない様に「皆、は無理だろうな……」と呟く。

 そのまま愛子とティオを掴み、"飛来神の術"で飛ぶ。

 

 

 

 そして、合流した先で見たものは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 胸から剣を突き出し、既に息絶えた香織の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





「今回は割とタイトル通りじゃないか?」と思った作者であった。(タイトルの英語は、意訳で「いとも容易く行われるえげつない行為」という意味)


原作と違って全く苦戦しないから大幅に文字数を削られました。今回の話を短いなと思ったら、それは作者に毒されてます。長いと思った方、多分正常です。


作者は前者です。



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第二十五話 Dirty Deeds Done Dirt Cheap [part3]


最近「波紋いいよね……」「いい……」ってなってる作者が通ります。

波紋って回復技術の派生だし覚え得だと思うんですよ。



 

 時間は少し戻る。

 

 

 丁度、リリアーナ達が王宮内に到着した頃。

 

 

 

 

 ──パキャァアアアアン!!

 

 

 

 

「ッ!? 一体何っ!?」

 

 ガラスが砕かれる様な不快な騒音に、自室で就寝中だった八重樫雫はシーツを跳ね除けて枕元の黒刀を手に取ると、一瞬で臨戦態勢を取った。明らかに普段から気を休めず警戒し続けている者の動きだ。

「……」

 暫くの間、抜刀態勢で険しい表情をしながら息を潜めていた雫だったが、室内に異常がないと分かると僅かに安堵の吐息を漏らした。

 

 雫がここまで警戒心を強めているのは、ここ数日顔を合わせる事の出来ない人達の事が引っかかっているからだ。

 

 

 

 あの日。【オルクス大迷宮】で九死に一生を得て親友が再会した想い人と旅立ち、王国に帰還してから、少し経ってからだろうか。

 

 何となく抱く様になった違和感。"何が"と言われても明確な答えは返せないのだが、確かに第六感とも言うべき感覚が王宮内に漂う不穏を感じ取っていた。

 

 言葉で表現出来ず、正体も分からず。或いは親友が傍らにいない事や魔人族の勢力が拡大した事実、"人を殺す"という覚悟の問題に直面した仲間、それらが積もり積もってナーバスになっているのだけなのではと思う事もあった。

 

 だが勘違い等ではない、何かが起きている。

 

 そう確信したのは今日の事だ。

 

 

 

 三日前、愛子が帰還した日に夕食時に重要な話があると言って別れたきり、その姿を消した。夕食の席に現れなかったのだ。愛子の身に何か良くない事が起きているのではとも疑っていた。

 

 おまけに、時を同じくしてリリアーナまで行方が分からなくなっていると側近や近衛、侍女達が慌てていた。

 

 

 親しい二人が行方を晦ましたのだ、雫だけでなく光輝達は当然愛子の護衛を務めていた優花率いる愛ちゃん護衛隊のメンバーも探し回った。

 

 そんな時だ。優花達と同じく愛子の護衛をしていたデビッド達神殿騎士をも集めて、イシュタルが「愛子達は総本山で異端審問について協議している」という尤もらしい説明をしてきたのは。

 

 当然「ならば自分達も」と言い募った雫達だったが、遂に直接会わせてもらう事は出来なかった。【神山】山頂にある聖教教会総本山へ繋がるリフトも停止させられており、直接向かう事も出来なかった。

 リリアーナの父親たるエリヒド国王へ直談判したが、三日もすれば戻るから大人しくしていろと言われればそれ以上騒ぐ事も出来ず、渋々ではあるが一先ず引き下がるしかなかった。

 

 

 言いようのない不安感、訳も無く膨れ上がる焦燥感。こういう時こそ頼りになるメルドと会えない事も、雫達の不安を強める要素だった。

 だが三日だ。三日待てば、きっと……。そう思って迎えた三日目の今日の朝。

 

 結局、愛子もリリアーナも戻ってはこなかった。

 

 それどころか、王宮内からイシュタル達教会関係者の姿が消え、地上待機を命じられていた筈のデビッド達まで消息を絶った。リフトが停止したままにも拘わらず。

 

 エリヒド国王も、宰相や側近達も面会すらしてくれなかった。

 

 

 明日で愛子とリリアーナが消えて四日目、この件について明確な危機感を持っているのは雫以外では優花達だけだろう。

 

 光輝は違和感は覚えていても、"まさか王宮内で危機的な何かが起きる事は無い、常磐さんの異端者認定が長引いているだけだろう"と考えている。楽観的過ぎる。

 その思考にはソウゴに対する複雑な心情が絡んでいるのは明白であり、加えて未だ解決を見ない離れていった香織に対する気持ちや、戦いにおける覚悟の問題が意識を己の中へ集中させてしまっているのも原因だろう。

 

 そしてそんな光輝の考えは、未だ彼を頼りとする他のクラスメイト達にも伝播していしまっている。光輝が大丈夫だと言うのなら、きっと大丈夫だと。現実の見えていないカリスマ持ち程質が悪いという典型だろう。

 

 故に雫は、唯一危機意識を共有出来ている優花達と相談して決めていた。

 今晩中に愛子達が戻って来なければ、自分達だけでも明朝より【神山】への登頂を開始しようと。勿論、物理的にだ。

 

 

 

 

 そういう訳で八千メートル級の登山に備えて体を休めつつも、危機感を胸にスネイク宜しく警戒心溢れる就寝をしていたのである。

 

 雫は音も無くベッドから降りると、数秒で装備を整えて慎重に部屋の外へ出た。

 

 ──キィ、と。小さなドアノブを回す音が鳴り、雫は思わず身構える。

 

 視線の先には、少し離れた部屋の扉が僅かに開き、そこから優花、妙子、奈々がまるでトーテムポールの様に縦に頭を並べて怖々と部屋の外を窺っている光景があった。

 

「あっ、雫っち!」

 

 雫を発見した奈々が思わずといった様子で名前を呼ぶ。

 途端、雫が黒刀の柄に手を掛けて身構えた為、「もしや廊下に不審者が!?」と考えた優花と妙子から「馬鹿!」「不用心!」と怒られながらペシペシと頭をはたかれる。

 涙目で「ごめ~ん!」と謝る奈々の様子に良い意味で緊張感を削がれた雫は、大丈夫という意味を込めてパタパタと手を振った。

 

 優花達がソロソロと部屋から出てくるのを尻目に、雫は直ぐに向かいの光輝達の部屋をノックした。

 

 扉は直ぐに開き、光輝が姿を見せた。

 部屋の奥には龍太郎もいて、既に起きている様だ。どうやら、先程の大音響で雫と同じく目が覚めたらしい。

 

「光輝……貴方、もうちょっと警戒しなさいよ。いきなり扉開けるとか……誰何する位手間じゃないでしょ? 不審者だったらどうするの?」

「? 何言ってるんだ、王宮だぞ? 不審者なんている訳無いだろ?」

 

 

 何の警戒心もなく普通に扉を開けた光輝に眉を潜めて注意する雫に、やはりキョトンとしたままの光輝。破砕音は聞こえていたが、それでもやはり王宮内の安全性というものを疑っていないらしい。そして直ぐ外の廊下に危機があるかもしれないとは考えが浮かばないのは、まだ完全に覚醒していないというのもあるかもしれない。

 

 いずれにしろ、以前から伝えている「何かが起きてる、警戒すべきだ」という雫の忠告は、光輝も龍太郎も「一応警戒するけど、雫の考え過ぎだろう」という結論のまま、余り真剣に受け取っていないのは確かな様だ。

 

 

「そんな事より、雫。さっきのは何だ? 何か割れた様な音だったけど……」

「……分からないわ。兎に角、皆を起こして情報を貰いに行きましょう。何だか嫌な予感がするのよ……」

 雫はそれだけ言うと、優花達に視線を投げる。それだけで意図を察した優花達は、手分けして他のクラスメイトを起こしに行った。

 

 流石は前線組と言うべきか、重吾や健太郎、浩介、綾子、真央の永山パーティや、檜山、近藤、中野、斎藤の檜山パーティは既に準備を整えており、雫達の呼びかけと同時に廊下へ集まった。淳史や昇、明人達残りの愛ちゃん護衛隊メンバーも呼びに行く前に廊下へと集った。

 

 ただやはりと言うべきか、居残り組のクラスメイト達は未だ眠ったままの者達もいて、文字通り"叩き起こす"必要があったり、破砕音に怯えて部屋から出るのを渋る者達もいて、集合には少し手間取ってしまった。

「皆、寝ていたところを済まない! だが先程、何かが壊れる大きな音が響いたんだ。王宮内は安全だと思うけど、一応何が起きたのか確認する必要がある! 万が一に備えて、一緒に行動しよう!」

 不安そうに、或いは突然の睡眠妨害に迷惑そうにしながら廊下に出てきた居残り組に活を入れるべく、光輝が声を張り上げる。

 

 

 部屋に残って、光輝達がいない間に何かあったら……

 

 

 そう思った居残り組のクラスメイト達は、光輝の言葉で蒼褪めつつもコクリと頷いた。

 

 

 

 と、その時。パタパタと軽い足音が廊下の奥から響いてきた。

 何事かと雫達が視線を向けると同時に駆け込んできたのは、雫と懇意にしている専属侍女のニアだった。以前燻っていた優花や淳史達に、雫に頼り過ぎないでほしいと諭した侍女だ。

 

「ニア!」

「雫様……」

 

 呼びかけられたニアは、どこか覇気に欠ける表情で雫の傍に歩み寄る。

 騎士の家系であり自身も剣を嗜むが故に、彼女はいつも凛とした空気を纏っているのだが……いつものその雰囲気に影が差している様な、生気が薄い様な、そんな違和感がある。

 友人の様子に眉を寄せる雫だったが、その事を尋ねる前にニアの口から飛び出した情報に度肝を抜かれ、その違和感も吹き飛んでしまった。

 

「大結界の一つが破られました」

「な……なんですって?」

 

 思わず聞き返した雫に、ニアは淡々と事実を告げる。

 

「魔人族の侵攻です。大軍が王都近郊に展開されており、彼等の攻撃により大結界が破られました」

「そんな、一体どうやって……」

 

 齎された情報が余りに現実離れしており、流石の雫も冷静さを僅かばかり失って呆然としてしまう。

 

 それは他のクラスメイト達も同じだった様で、ざわざわと喧騒が広がった。

 魔人族の大軍が、誰にも見咎められずに王都まで侵攻するなど有り得ない。北大陸でもずっと上の方にあるこの王都まで、【魔国ガーランド】がある南大陸から一体どれだけの領と町、関所を通過しなければならないか。

 加えて、大結界が破られるというのも信じ難い話だ。何百年もの間、王都の守りを絶対たらしめてきた守りの要なのだ。

 それを聞かされた光輝達が、冷静でいられないのも仕方ない。

 

「……ニア、破られた大結界は第三障壁だけかい?」

 

 険しい表情をした光輝がニアに尋ねる。

 

 

 王都を守護する大結界は三枚で構成されており、内から第一、第二、第三障壁と呼び、内側の第一障壁が展開規模も小さい分最も堅牢な障壁となっている。

 

 

「はい、光輝様。今のところは、ですが。……第三障壁は一撃で破られました。全て突破されるのも時間の問題かと……」

 ニアの回答に頷いた光輝は少し考える素振りを見せた後、自分達の方から討って出ようと提案した。

「俺達で少しでも時間を稼ぐんだ。その間に王都の人達を避難させて、兵団や騎士団が態勢を整えてくれれば……」

 光輝の言葉に決然とした表情を見せたのはほんの僅か。前線組と愛ちゃん護衛隊のメンバーだけだった。

 

 他のクラスメイトは目を逸らすだけで、暗い表情をしている。彼等は前線に立つ意欲を失った者達、心が折れたままなのだ。時間稼ぎとはいえ、とてもでないが大軍相手に挑む事など出来ない。

 

 その心情を察した光輝は、仕方ないと目を伏せる。そして、それならば俺達だけでもと号令を掛けようとして、意外な人物──恵里に待ったをかけられた。

 

「待って、光輝くん。勝手に戦うより、早くメルドさん達と合流するべきだと思う」

「恵里……だけど」

 逡巡する光輝から目を逸らして、恵里はニアに尋ねた。

「ニアさん、大軍って……どれ位か分かりますか?」

「……ざっとですが、十万程かと」

 その数に、生徒達は息を呑む。ニアの言う通り、確かにそれは"襲撃"ではない。歴とした"侵攻"だ。

「光輝くん、とても私達だけじゃ抑えきれないよ。数には数で対抗しないと。私達は普通の人より強いから、一番必要な時に必要な場所にいるべきだと思う。それには、メルドさん達ときちんと連携をとって動くべきじゃないかな……」

 大人しい眼鏡っ子の恵里らしく控えめな言い方ではあるが、彼女とて勇者パーティの一員なのだ。その瞳に宿る光の強さは、光輝達にも決して引けを取らない。そしてその意見も、尤もなものだった。

「うん、鈴もエリリンに賛成かな。さっすが鈴のエリリンだよ! 眼鏡は伊達じゃないね!」

「め、眼鏡は関係ないよぉ鈴ぅ」

「ふふ、私も恵里に賛成するわ。少し冷静さを欠いていたみたい。光輝は?」

 パーティの女子三人の意見に、光輝は逡巡する。しかし、普段は大人しく一歩引いて物事を見ている恵里の判断を光輝は結構信頼している事もあり、

「そうだな。こういう時こそ焦って動かず、連携を取るべきだ。メルドさん達と合流しよう」

 結局、恵里の言う通りメルド達騎士団や兵団と合流する事にした。重吾や檜山、優花等各パーティのリーダーも否は無い様だ。

 光輝達は、出動時における兵や騎士達の集合場所に向けて走り出した。

 

 

 

 

 

 すぐ傍の三日月の様に裂けた笑みには気づかずに……

 

 

 

 

 

 光輝達が緊急時に指定されている屋外の集合場所に訪れた時、既にそこには多くの兵士と騎士が整然と並んでいた。

 前の壇上ではハイリヒ王国騎士団副長のホセが声高に状況説明を行っているところだった。月光を浴びながら、兵士や騎士達は皆蒼褪めた表情で呆然と立ち尽くし、覇気の無い様子でホセを見つめていた。

 

 士気の低さに思わず足を止めた光輝達だったが、それに気がついたホセが状況説明を中断して声を掛けた。

 

「……よく来てくれた。状況は理解しているか?」

「はい、ニアから聞きました。えっと、メルドさんは?」

 ホセの歓迎の言葉と質問に光輝は頷き、そして姿が見えないメルドを探してキョロキョロしながらその所在を尋ねた。

「団長は、少し、やる事がある。それより、さぁ、我らの中心へ。勇者が我らのリーダーなのだから……」

 ホセは、そう言って光輝達を整列する兵士達の中央へ案内した。

 居残り組のクラスメイト達が「えっ? 俺達も?」と戸惑った様子を見せたが、無言の兵達が犇めく場所で何か言い出せる筈も無く、流されるままに光輝達について行った。

 

 無言を通し、表情も殆ど変わらない周囲の兵士騎士達の様子に、雫の中の違和感が膨れ上がっていく。それは、起きた時からずっと感じている嫌な予感と相まって、雫の心を騒がせた。無意識の内に、黒刀を握る手に力が入る。

 

「ねぇ雫、何だか……」

「……分かってる、気を抜かないで。何かおかしいわ」

 

 必死に不安を押し殺している様な表情の優花が小さく呟く。雫は頷きつつも、この状況で拒否出来ないのは居残り組と同じであるが為にそう言うしかなかった。

 

 

 ──何かおかしい。

 

 

 そう感じているのは他の前線組等も同じ様だ。だが誰もそれを言葉に出来ない。

 

 

 流されるまま、光輝達は兵士と騎士達の中心へと辿り着いた。

 

 そこでホセが演説を再開した。違和感は尚も膨れ上がる。

 

「皆、状況は切迫している。しかし、恐れる事は何も無い。我々に敵は無い。我々に敗北は無い。死が我々を襲う事など有りはしないのだ。さぁ、皆、我らが勇者を歓迎しよう。今日、この日の為に我々は存在するのだ。さぁ、剣を取れ」

 兵士が、騎士が、一斉に剣を抜刀し掲げる。

 

 その時、「え、あ、ちょっ……」という戸惑う様な声が聞こえた。雫を含め幾人かが其方を見やる。

 視線の先では浩介が、抜剣の際のさり気ない動きで重吾達の傍から押し出されていた。

 更に「あ、あの?」という声がかかる。同じく優花達が隊列から少し離された。

 

 

 否、二人だけではない。

 いつの間にかするりと生徒達の間に入り込んだ兵士や騎士達によって、幾人かの生徒──特に前線組や愛ちゃん護衛隊の前衛を担う者達が互いに距離を取らされ……

 

 

 ──囲まれている!

 

 

 雫は総毛立った。本能がけたたましく警鐘を鳴らす。

 

 

「皆っ! 逃げ──」

「始まりの狼煙だ。──注視せよッ!」

 

 

 雫が警告の言葉を伝えるより、ホセが懐から何かを取り出し頭上に掲げる方が速かった。

 いきなり怒声じみた声音で注視を促され、更に兵士や騎士達が一斉に視線を其方に向けた為に、思わず誘導されて誰もが注目してしまう。

 刹那……

 

 

 光が爆ぜた。

 

 

 ホセの持つ何かが閃光弾もかくやという光量の光を放ったのだ。

 無防備に注目していた光輝達は其々短い悲鳴を上げながら咄嗟に目を逸らしたり覆ったりするものの、直視してしまった事で一時的に視覚を光に塗り潰されてしまった。

 

 次の瞬間、肉を突き破る生々しい音が無数に鳴り……

 

「あぐっ?」

「がぁ!」

「ぐふっ!?」

 

 

 次いで、あちこちからくぐもった悲鳴が上がった。

 

 

 先程の光に驚いた様な悲鳴ではない、苦痛を感じて意図せず漏れ出た苦悶の声だ。そしてその直後に、ドサドサと人が倒れる音が無数に聞こえ始める。

 

 唯一「ギンッ!」という硬質な音を奏でたのは、雫の持つ黒刀のみ。光に紛れて襲い来た凶刃を、辛うじて弾く事に成功したのである。

 

 

 目を灼かれたのは同じ。だが研ぎ澄まさていた警戒感が、積み上げてきた鍛錬の成果が、踏み越えて来た経験が、目が見えない状況において襲撃を凌ぐという達人技を可能にしたのだ。

 

 

 閃光が収まり回復し始めた視力で周囲を見渡した雫が見たのは、刹那に過った最悪の光景そのまま。

 

 

 クラスメイト達が全員、背後から兵士や騎士達の剣に貫かれた挙句、地面に組み伏せられているという光景だった。

 

「な、こんな……」

 

 想像は出来ていても、まさかという思いは直ぐには消えない。何が起きているのか。何故こんな事を。雫は声を詰まらせた。

 友人達の呻き声が、苦悶の声が耳を突く。非現実的な光景に、思考が停止しかける。

 まさか、今ので死んだ仲間がいるのではと最悪の想像が過ったが、光輝も龍太郎も鈴も、そして優花達も血に塗れた悲惨な状態ではあるが辛うじて生きている様だ。

 

 その事に僅かに安心しながらも、最初に分断された前衛組は特に負傷の度合いが酷い様で、全く予断を許さない状況に冷や汗が噴き出た。

 

 龍太郎や重吾もそうだが、特に浩介が酷い。背中だけでなく四肢の全てに短剣が突き立っており、痛みのせいか痙攣している。

 その上で他のクラスメイト達も含めて、更に魔力封じの枷までつけられていく。これでは回復魔術を使う事も出来ない。

 どうすればと焦燥を募らせる雫が周囲の兵士や騎士達に視線を巡らせる中、不意に奇妙な光景が飛び込んできた。

 

 

「あらら~、流石というべきかな? ……ねぇ、雫?」

「……ぇ、えっ? な、何でっ……何を言って──ッ!?」

 

 

 そう。クラスメイト達が瀕死状態で倒れ伏す中たった一人だけ。傷一つ負わず、組み伏せられる事も無く。平然と立っている生徒がいたのだ。

 

 

 

 その生徒は普段とはまるで異なる、どこか粘着質な声音で雫に話しかける。余りに雰囲気が変わっている為、雫は言葉を詰まらせた。投げかけた疑問の声は、半ば反射的なものだ。

 

 直後、再び雫の背後から一人の騎士が剣を突き出してきた。

 

「くっ!?」

 よく知る相手の豹変に動揺しつつもやはり辛うじて躱す雫に、その生徒は呆れた様な視線を向ける。

「これも避けるとか……ホント、雫って面倒だよね?」

「何を言って──ッ!」

 更に激しく、そして他の兵士や騎士も加わり突き出される剣の嵐。その鋭さは尋常ではない。或いは、普段よりも強力かもしれない。

 雫はそれらも全て凌ぐが、突然自分の名が叫ばれてそちらに視線を向ける。

 

「雫様! 助けて……」

「ニア!」

 

 そこには騎士に押し倒され、馬乗りの状態から今正に剣を突き立てられようとしているニアの姿があった。

 雫は咄嗟に"無拍子"からの"縮地"で振り下ろされる剣撃を掻い潜り一瞬でニアの下へ到達すると、彼女に馬乗りになっている騎士に鞘を叩きつけてニアの上から吹き飛ばした。

「ニア、無事?」

「雫様……」

 倒れ込んでいるニアを支え起こしながら、周囲に警戒の眼差しを向ける雫。そんな雫の名を、ニアはポツリと呟き両手を回して縋りつく。

 そして……

 

 

 ──雫の背中に懐剣を突き立てた。

 

 

「っ!? ニ、ニア? ど、どうして……」

「……」

 背中に奔る激痛に顔を歪めながら信じられないといった表情で、雫は自分に抱きつくニアを見下ろした。

 

 ニアは普段の親しみの籠った眼差しも快活な表情も無く、ただ無表情に雫を見返すだけだった。

 

 

 雫は、そこで漸く気がついた。

 

 

 最初は、ニアの様子がおかしい原因は王都侵攻のせいだろうと思っていた。だが、そうではなかったのだ。

 

 "虚ろな"彼女の瞳──それは、周囲を取り囲む兵士や騎士達と全く同じもの。

 

 ニアもまた、彼等と同じ異常に囚われていたのだ。

 

 

 友人の異常に気が付くも、行動を起こすには致命的に遅い。ニアはそのまま雫の腕を取って捻りあげると地面に組み伏せて拘束し、他の生徒達にしているのと同じ様に魔力封じの枷を付けてしまった。

 

「アハハハッ! 流石の雫でも、まさかその子に刺されるとは思わなかった? うんうん、そうだろうね? だから態々、直前まで待ってから用意したんだし?」

 

 背中に感じる灼熱の痛みと、頬に感じる地面の冷たさに歯を食いしばりながら、雫はニアの異常も、他の正気でない兵士や騎士達も、その生徒達が原因なのだと悟る。

 

 認めたくない。

 

 認めたくないが、この惨状を作り出したのは──彼女(・・)だ。

 今も、普段では考えられないニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべている、戦友にして親友。

 

 

「どう、いう事…なのっ──恵里ッ!」

 

 

 そう、その人物は、控えめで大人しく、気配り上手で心優しい、雫達と苦楽を共にしてきた大切な仲間の一人。

 

 

 

 

 

 

 

 ──中村恵里その人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 直ぐには死なない様な場所を狙われたのだろう。重傷を負いながらも、苦悶の表情を浮かべて生きながらえている光輝達は、恵里を呆然とした表情で見つめている。

 傍を通っていながら兵士や騎士達の誰一人として襲い掛からない事や、直立不動で佇んでいる事が、彼等が恵里の支配下にいる事を如実に示していた。

 

 倒れ伏す重吾達や出血多量で朦朧としている浩介、目を見開いている優花達を愉悦たっぷりの眼差しで見下ろしながら、現実を教え込むかの如くゆっくりと、コツコツと足音を鳴らして進んでいく恵里。

 

 雫の途切れがちな質問には答えずに、光輝の方へ歩み寄った。

 そして眼鏡を外し、光輝の首に嵌められた魔力封じの一つである首輪をグイっと引っ張ると艶然と微笑む。

 

「え、恵里、っ……一体、ぐっ…どうしたんだ……っ!?」

 

 雫や香織、龍太郎程では無いが、極々親しい友人で仲間の一人である恵里の余りの雰囲気の違いに、光輝は体を貫く剣の痛みに堪えながら必死に疑問をぶつける。

 だが、恵里はどこか熱に浮かされた様な表情で光輝の質問を無視する。そして、

 

 

「アハ、光輝くん、つ~かま~えた~」

「んむぅ!?」

 

 

 そんな事を言いながら、光輝の唇に自分のそれを重ねた。

 妙な静寂が辺りを包む中、ぴちゃぴちゃと生々しい音がやけに明瞭に響く。恵里は、まるで長年溜め込んでいたものを全て吐き出すかの様に夢中で光輝を貪った。

 

 光輝は訳が分からず必死に振り解こうとするが、数人がかりで押さえつけられている上に、魔力封じの枷を首輪以外にも他の生徒達同様に手足にも付けられており、また体を貫く剣のせいで力が入らず為すがままだった。

 

 やがて満足したのか、恵里が銀色の糸を弾きながら唇を離す。そして目を細め恍惚とした表情で舌舐りすると徐に立ち上がり、倒れ伏して血を流す生徒達を睥睨した。

 苦悶の表情や呆然とした表情が並んでいる。そんな光景に満足気に頷くと、最後に雫に視線を定めて笑みを浮かべた。

 

「とまぁ、こういう事だよ。雫」

「っ…どういう事よ…こふっ…」

 

 訳が分からないといった表情で恵里を睨みながら吐血する雫に、恵里は「物分りが悪いなぁ」と言いたげな表情で頭を振ると、まるで幼子にものの道理を教える様に語り出した。

「うーん、分からないかなぁ? 僕はね、ずっと光輝くんが欲しかったんだ。だから、その為に必要な事をした。それだけの事だよ?」

「……光輝が好きならっ……告白でもすれば、よかったでしょう!? こんな事……」

 雫の反論に、恵里は一瞬無表情になる。しかし、直ぐにニヤついた笑みに戻ると再び語り出した。

 

「ダメだよ、ダメ、ダ~メ。告白なんてダメ。光輝くんは優しいから特別を作れないんだ。周りに何の価値も無いゴミしかいなくても、優しすぎて放っておけないんだ。だから、僕だけの光輝くんにする為には、僕が頑張ってゴミ掃除をしないといけないんだよ」

 

 そんな事もわからないの? と小馬鹿にする様にやれやれと肩を竦める恵里。

 ゴミ呼ばわりされても、余りの豹変ぶりに驚きすぎて怒りも湧いてこない。一人称まで変わっており、正直雫には目の前にいる少女が初対面にしか見えなかった。

 

「ふふ、異世界に来れてよかったよ。日本じゃ、ゴミ掃除するのは本当に大変だし、住みにくいったらなかったよ。勿論、このまま戦争に勝って日本に帰るなんて認めない。光輝くんは、ここで僕と二人、ず~とずぅ~~と暮らすんだから」

 

 クスクスと笑いながらそう語る恵里に、雫はまさかと思いながら、ふと頭を過った推測を口から溢す。

「まさか……っ、大結界が簡単に……破られたのは……」

「アハハ、気がついた? そう、僕だよ。彼等を使って大結界のアーティファクトを壊してもらったんだ」

 雫の最悪の推測は当たっていたらしい。

 

 魔人族が王都近郊まで侵攻出来た理由までは思い至らなかったが、大結界が簡単に破られたのは恵里の仕業だった様だ。恵里の視線が、彼女の傍らに幽鬼の様に佇む騎士や兵士達を面白げに見ている事から、彼等にやらせたのだろう。

 

「普通に君達を殺しちゃったら、もう王国にいられないでしょ? だからね、魔人族とコンタクトをとって、王都への手引きと異世界人の殺害、お人形にした騎士団の献上を取引材料に、僕と光輝くんだけ放っておいてもらう事にしたんだぁ」

「馬鹿な…魔人族と連絡なんて…」

 光輝がキスの衝撃からどうにか持ち直し、信じられないと言った表情で呟く。

 恵里は自分達とずっと一緒に王宮で鍛錬していたのだ。大結界の中に魔人族が入れない以上、コンタクトを取る事など不可能だと恵里を信じたい気持ちから拙い反論をする。

 

 しかし、恵里はそんな希望をあっさり打ち砕く。

 

「そこはまぁ、偶然に助けられたって感じ? 【オルクス大迷宮】で襲ってきた魔人族の女。帰り際にちょちょいと、降霊術でね? 試してみたら何も呼べないの。おかしいなぁ、って思ってたら予想通り、仲間の魔人族が回収に来てね。流石に肝が冷えたけどね。何とか殺されないように迎合しようと下手に出たらなんとかなったよ。いやー、よかったよかった」

 

 恵里の話を聞き、彼女の降霊術を思い出して雫が唯でさえ血の気を失って青白い顔を更に蒼褪めさせた。

 

 

 

 

 降霊術は、死亡対象(・・・・)の残留思念に作用する魔術である。であるならば、雫達を包囲する幽鬼の様な兵士や騎士、そして自分を抑えるニアの様子から考えれば……最悪の答えが出る。

 

 

 

 

「彼等の…様子が、おかしいのは……」

「もっちろん降霊術だよ~。もうとっくに、みんな死んでま~す。アハハハハハハ!」

 雫は齎された非情な解答にギリッと歯を食いしばり、必死の反論をした。

「…嘘よ…降霊術じゃあ…受け答えなんて……出来る筈…無い!」

「そこはホラ、僕の実力? 降霊術に、生前の記憶と思考パターンを付加してある程度だけど受け答えが出来る様にしたんだよ。僕流オリジナル降霊術"縛魂"ってところかな?」

 

 

 

 本来降霊術とは、残留思念に作用してそこから死者の生前の意思を汲み取ったり、残留思念を魔力でコーティングして実体を持たせた上で術者の意のままに動かしたり、或いは遺体に憑依させて動かしたり出来る術である。

 その性能は当然生前に比べれば劣化するし、思考能力など持たないので術者が指示しないと動かない。勿論「攻撃し続けろ」等と継続性のある命令をすれば細かな指示が無くとも動き続ける事は可能だ。

 

 つまりニアやホセが普通に雫達と会話していた様な事は、思考能力が無い以上降霊術では不可能な筈なのだ。それを違和感を覚える程度で実現できたのは、恵里の言う"縛魂"という術が魂魄から対象の記憶や思考パターンを抜き取り遺体に付加できる術だからである。

 

 

 これは、言ってみれば魂への干渉だ。即ち恵里は、末端も末端ではあるが自力で神代魔術の領域に手をかけたのである。

 

 

 この世界基準なら正にチート。降霊術が苦手などとよく言ったもので、その研鑽と天才級の才能は驚愕に値するものだ。或いは、凄まじいまでの妄執が原動力なのかもしれない。

 

 尚、恵里が即座にクラスメイト達を殺さないのは、この"縛魂"が死亡直後に一人ずつにしか使用できないからである。

 

 

 とは言え、これだけの兵士や騎士達を殺害し傀儡とするには相当の時間が必要な筈で、その間上の人間が何も気が付かなかったとは考え難い。

 嫌な予感が雫の脳裏を過る。

「……まさか、愛ちゃんやリリィも……」

「ん? あぁ、それは別件だよ。僕は関知してないね」

 

 "恵里の暗躍に気付いたから消されたのでは"。そう思った雫だったが、恵里の様子からすると本当に関知していないらしいと分かり、少し安堵の息を吐く。

 すると恵里が嫌らしい笑みを浮かべて、

 

「安心するのは早いんじゃないかなぁ?」

「え?」

「だって、愛ちゃんを連れて行った人って、相当やばいよぉ? 何せ僕の計画を知って協力してくれた上に、たった一人でこの国の中枢を支配下に置いちゃった人だからねぇ。……思い当たる事無いかなぁ? ほら、大分様子の変わった王様とか、側近さん達とか?」

「──っ!?」

 

 息を呑んだのは雫だけではない。ここ数日、愛子を探し回って上層部と何度も関わってきた優花達も愕然とした表情を見せている。

 確かに上層部の言動はどこかおかしかった。

 

 だがまさか、この国の中枢が既に堕とされているなど誰が思おうか。

 

「僕もね、計画がバレてた時は驚いたよ。一瞬色々覚悟も決めたしね」

 ホント焦ったよぉ~と、掻いてもいない汗を拭うふりをする恵里。恐らくその過程にも色々あったのだろうが、そんな事はおくびにも出さない。

 

 

 

 

 

 

 そんな彼女だからこそ、ある意味でその存在の強大さを信用しているからこそ考えもしないのだろう。

 

 

 その愛子を連れて行った彼女が、負ける事を。

 

 

 愛子を取り返しに来た侵入者を退けるどころかお遊び感覚で弄ばれ、剰え脇腹を抉られている事を。

 

 

 

 

 

 

「彼女のお陰で、面倒な手順を一気に飛ばして計画を早める事が出来たんだ。正に、天が僕の味方をしている! 祝福してくれていると言えるね! くふふ、大丈夫だよ皆! 皆の死は無駄にしないから! ちゃ~んと再利用して、魔人族の人達に使ってもらえる様にするからね!」

 恵里は踊る。弄んだ死者と、倒れ伏す仲間だった筈のクラスメイト達の狭間で。

 それこそ、祝福を受けているのだと本気で信じているかの様に。両手を広げてケラケラと笑いながら、くるくるくるくると踊り狂う。

 そんな中、恵里が本気だと理解した光輝が必死の形相で声を張り上げた。

 

「ぐっ、止めるんだ……恵里! そんな事をすれば、俺はっ!」

「僕を許さない? アハハ、そう言うと思ったよ。光輝くんは優しいからね。それに、ゴミは掃除しても幾らでも出てくるし……だから、光輝くんもちゃんと"縛魂"して、僕だけの光輝くんにしてあげるからね? 他の誰も見ない、僕だけを見つめて、僕の望んだ通りの言葉をくれる! 僕だけの光輝くん! あぁ、あぁ! 想像するだけでイってしまいそうだよ!」

 

 恍惚とした表情で自分を抱きしめながら身悶える恵里。そこに、穏やかで気配り上手な図書委員の女の子の面影は皆無だった。

 

 誰もが確信した。彼女は狂っていると。

 

 

 "縛魂"は通常の降霊術よりも死者の使い勝手を良くしただけで、術者の傀儡・人形である事に変わりはない。それが分かっていて、尚そんな光輝を望むなど正気とは思えなかった。

 

 

「嘘だ……嘘だよ! っ……エリリンが、恵里が……っ……こんな事する訳無い! ……きっと、うぐっ、何か……そう、操られているだけなんだよ! ……目を覚まして、恵里!」

 

 

 恵里の親友である鈴が痛みに表情を歪め、苦痛に喘ぎながらも声を張り上げた。その手は恵里の下へ行こうとでもしているかの様に、地面をガリガリと引っ掻いている。

 恵里は鈴の自分を信じる言葉とその真っ直ぐな眼差しに、ニッコリと笑みを向けた。そして徐に、一番近くに倒れていた近藤の下へ歩み寄る。

 

 近藤は嫌な予感でも感じたのか、「ひっ」と悲鳴をあげて少しでも近づいてくる恵里から離れようとした。当然完璧に組み伏せられ、魔力も枷で封じられているので身動ぎする程度の事しか出来ない。

 

 近藤の傍に歩み寄った恵里は、何をされるのか察して恐怖に震える近藤に再び、ニッコリと笑みを向けた。光輝達が、「よせぇ!」「やめろぉ!」と制止の声を上げる。

 

「や、やめっ!? がぁ、あ、あぐぁ…」

 

 近藤のくぐもった悲鳴が上がる。近藤の背中には心臓の位置に再び剣が突き立てられていた。

 拘束の為の一撃ではない。完全な致命の一撃。

 

「礼一ぃ! ぐあっ!?」

「くそっ、中村ァッ! てめぇっ、ガハっ!?」

 

 中野と斎藤の怒声が木霊した。だが直ぐに騎士達の拘束を一層強く受け、苦悶の声を上げる。誰も、何も出来ない。

 

 

 ほんの少しの間、強靭なステータス故のしぶとさを見せて藻掻いていた近藤だが、やがてその動きを弱々しいものに変えていき、そして……動かなくなった。

 

 

 恵里は、その近藤に手を翳すと今まで誰も聞いた事の無い詠唱を呟く様に唱える。詠唱が完了し"縛魂"の魔術名を唱え終わった時、半透明の近藤が現れ自身の遺体に重なる様に溶け込んでいった。

 

 直後、今まで近藤を拘束していた騎士が立ち上がり一歩下がる。

 光輝達が固唾を呑む中、心臓を破壊され死亡した筈の近藤はゆっくりのその身を起こし、周囲の兵士や騎士達同様に幽鬼の様な表情で立ち上がった。

 

「は~い、お人形一体出来上がり~」

 

 無言無表情で立ち尽くす近藤を呆然と見つめるクラスメイト達の間に、恵里の明るい声が響く。たった今人一人を殺した挙句、その死すら弄んだ者とは思えない声音だ。

 

「え、恵里……なんで……」

 

 ショックを受けた様に愕然とした表情で疑問を溢す鈴に、恵里は追い打ちとも言える最悪の語りを聞かせる。

「ねぇ、鈴? ありがとね? 日本でもこっちでも、光輝くんの傍にいるのに君はとっても便利だったよ?」

「……え?」

「参るよね? 光輝くんの傍にいるのは雫と香織って空気が蔓延しちゃってさ。不用意に近づくと、他の女共に目付けられちゃうし……向こうじゃ何の力も無かったから、嵌めたり自滅させたりするのは時間かかるんだよ。その点、鈴の存在はありがたかったよ。馬鹿丸出しで何しても微笑ましく思ってもらえるもんね? 光輝くん達の輪に入っても誰も咎めないもの。だから、"谷口鈴の親友"っていうポジションは、ホントに便利だったよ。おかげで、向こうでも自然と光輝くんの傍に居られたし、異世界に来ても同じパーティーにも入れたし……うん、ほ~んと鈴って便利だった! だから、ありがと!」

「……あ、う、あ……」

 

 衝撃的な恵里の告白に、鈴の中で何かがガラガラと崩れる音が響いた。親友と築いてきたあらゆるものが、ずっと信じて来たものが、幻想だったと思い知らされた鈴。その瞳から現実逃避でもする様に光が消える。

 

「恵里っ! あなたはっ!」

 

 あまりの仕打ち、雫が怒声を上げる。傀儡と化したニアが必死に藻掻く雫の髪を掴んで地面に叩きつける。

 しかしそれがどうしたと言わんばかりに、雫の瞳は怒りで燃え上がっていた。

「ふふ。怒ってるね? 雫のその表情、すごくいいよ。僕ね、君の事大っ嫌いだったんだ。光輝くんの傍にいるのが当然みたいな顔も、自分が苦労してやっているっていう上から目線も、全部気に食わなかった。だからね、君には特別に、とっても素敵な役目をあげる」

「っ…役目……ですって?」

「くふっ、ねぇ? 久しぶりに再会した親友に、殺されるってどんな気持ちになるのかな?」

 その一言で、恵里が何をしようとしているのか察した雫の瞳が大きく見開かれる。

「…まさか、香織をっ!?」

 よく出来ました! とでも言う様に、恵里はパチパチと手を鳴らし、口元にニヤついた笑みを貼り付けた。

 

 

 恵里は傀儡にした雫を使って、香織を殺害しようとしているのだ。

 

 

「常磐が持っていくなら放置でも良かったんだけど……あの子をお人形にして好きにしたい! って人がいてね~。色々手伝ってもらったし、報酬にあげようかなって。僕、約束は守る性質だからね! いい女でしょ?」

「ふ、ふざけっ! ごふっ…あぐぅあ!?」

 怒りのままに自ら傷口を広げてでも動こうとする雫に、ニアが更に剣を突き刺した。

「アハ、苦しい? 痛い? 僕は優しいからね。今すぐ、楽にして上げる……」

 今度は雫の番だという様に、ニヤニヤと笑みを浮かべながら歩み寄る恵里。雫が近藤と同じ様に殺されて傀儡にされる光景を幻視したのか光輝達が必死の抵抗を試みる。

「やめろっ、やめてくれっ! 恵里!」

 特に光輝の抵抗は激しく、必死に制止の声を張り上げながら、合計五つも付けられた魔力封じの枷に亀裂を入れ始めた。"限界突破"の"覇潰"でも使おうというのか、凄まじい圧力がその体から溢れ出している。

 

 しかし、脳のリミッターが外れ生前とは比べものにならない程の膂力を発揮する騎士達と関節を利用した完璧な拘束により、どうあっても直ぐには振り解けない。光輝の表情に絶望が過った。

 

 雫は出血の為朦朧としてきた意識を必死に繋ぎ留め、せめて最後まで眼だけは逸らしてやるものかと恵里を激烈な怒りを宿した眼で睨み続けた。

 

 それをやはりニヤついた笑みで見下ろす恵里は、最後は自分で引導を渡したかったのか、近くの騎士から剣を受け取りそれを振りかぶった。

 

「じゃあね? 雫。君との友達ごっこは反吐が出そうだったよ?」

 

 

 

 

 雫は恵里を睨みながらも、その心の内は親友へと向けていた。

 

 

 届く筈が無いと知りながら、それでもこれから起こるかもしれない悲劇を思って、世界の何処かを旅している筈の親友に祈りを捧げる。

 

(ごめんなさい、香織。次に会った時はどうか私を信用しないで……生き残って……幸せになって……)

 

 逆手に持たれた騎士剣が月の光を反射しキラリと光った。

 そして、吸血鬼に白木の杭を打ち込むが如く、鋭い切っ先が雫の心臓を目指して一気に振り下ろされた。

 

 迫る凶刃を見つめながら、雫は尚祈る。

 

 

 どうか親友が生き残れます様に。

 どうか幸せになります様に。

 私は先に逝くけれど、死んだ私は貴女を傷つけてしまうだろうけど、貴女の傍には彼がいるからきっと大丈夫。

 

 

 

 強く生きて、愛しい人と幸せに……どうか……

 

 

 

 色褪せ全てが遅くなった世界で、雫の脳裏に今までの全てが一瞬で過ぎっていく。「あぁ、これが走馬灯なのね……」と、最期にそんな事を思う雫に突き下ろされた凶刃は、彼女の命を…………

 

 

 

 

 

 

 

 ────奪わなかった。

 

 

 

 

 

「え?」

「え?」

 

 雫と恵里の声が重なる。

 

 恵里が突き下ろした騎士剣は、掌位の大きさの輝く障壁に止められていた。何が起きたのかと呆然とする二人に、ここにいる筈の無い者の声が響く。酷く切羽詰まった、焦燥に満ちた声だ。

 雫が、その幸せを願った相手──親友の声だ。

 

 

「雫ちゃん!」

 

 

 その声と共に、いつの間にか展開されていた十枚の輝く障壁が雫を守る様に取り囲んだ。そしてその内の数枚がニアと恵里の眼前に移動しカッ! と光を爆ぜた。

 バリアバースト擬きとでも言うべきか、障壁に内包された魔力を敢えて暴発させて光と障壁の残骸を撒き散らす技だ。

 

「ッ!?」

 

 咄嗟に両腕で顔を庇った恵里だが、その閃光に怯んでバランスを崩した瞬間に砕け散った障壁の残骸に打ち付けられて後方へと吹き飛ばされた。

 雫を抑えていたニアも同様に後方へとひっくり返る。直ぐ様起き上がって雫を拘束しようとするものの……

 

「──"縛煌鎖"ッ!」

 

 直後光の縄が地面から伸び一瞬で縛り付けられてしまった。

 

 

 雫が突然の事態に唖然としつつも、自分の名を呼ぶ声の方へ顔を向ける。

 そして周囲を包囲する騎士達の隙間から、ここにいる筈の無い親友の姿を捉えた。

 夢幻ではない。確かに、そこにいた。

 

 親友が──香織が泣きそうな表情で雫を見つめていた。きっと雫達の惨状と、ギリギリで間に合った事への安堵で涙腺が緩んでしまったのだろう。

 

「か、香織……」

「雫ちゃん! 待ってて! 直ぐに助けるから!」

 

 香織は広場の入口から、兵士達に囲まれる雫達へ必死に声を張り上げた。そして急いで全体回復魔術を詠唱し始める。光系最上級回復魔術"聖典"だ。クラスメイト達の状態と周囲を状況から一気に全員を癒す必要があると判断したのだ。

 

「ッ!? な・ん・でぇ、君がここにいるのかなぁ!? 君達はホントに僕の邪魔ばかりするねぇ!」

 

 恵里が狂気を孕んだ表情で、周囲の騎士達に命令を下す。香織の詠唱を止める為、騎士達が一斉に香織へと襲いかかった。

 

 しかし彼等の振るった騎士剣は光の障壁に阻まれ、香織を傷つける事は叶わない。

 

「皆さん! 一体、どうしたのですか! 正気に戻って! 恵里! これは一体どういう事です!?」

 最上級回復魔術を唱える香織を守ったのは、香織のすぐ後ろにいたリリアーナだった。自分と香織を包む様に球状の障壁が二人を守る。

 

 リリアーナは騎士や兵士達が光輝達を殺そうとしている状況や、まるで彼等の主の様に振舞う恵里に酷く混乱していた。障壁を張りながら、恵里に説明を求めて声を張り上げる。しかし、恵里はまるで取り合わない。

 

 リリアーナはこの世界の術師として、相当優秀な部類に入る。

 モットーの隊商を全て覆い尽くす障壁を張り、賊四十人以上の攻撃を凌ぎ切れる程度には。なので、たとえ騎士達がリミッターの外れた猛烈な攻撃を行ったところで、香織の詠唱が完了する迄持ち堪える事は十分に可能だった。

 

 そしてそれを理解しているせいか、若干恵里の表情に焦りの色が見える。

 

 

「チッ。仕方ない、かな?」

 その焦り故か、恵里はクラスメイト達へ奔る。傀儡化を諦めて、癒される前に殺してしまおうと決断したのだろう。

 

 その時突如、リリアーナの目の前で障壁に騎士剣を振るっていた騎士の一人が首を落とされて崩れ落ちた。

 

 

 

 その倒れた騎士の後ろから姿を見せたのは──檜山大介だった。

 

 

 

「白崎! リリアーナ姫! 無事か!」

「檜山さん!? あなたこそ、そんな酷い怪我で!?」

 

 リリアーナが檜山の様子を見て顔を蒼褪めさせる。詠唱を途切れさせてはいないが、香織もまた驚愕に目を見開いていた。

 それもその筈、檜山の胸元は夥しい血で染りきっていたのだから。どうみても、無理をして拘束を抜け出して来たという様子だ。

 

 ぐらりとよろめき障壁に手をついて息も絶え絶えといった様子の檜山に、リリアーナは慌てて障壁の一部を解いて檜山を中に入れた。ドサリと倒れこむ檜山。しかしその瞬間、雫の焦燥に満ちた叫びが響き渡る。

 

 

 

「ダメよ! 彼から離れてぇ!」

 

 

 

 血を吐きながらの必死の警告。

 

 雫は気がついたのだ。何故、光輝すら抜け出せない拘束を檜山だけ抜け出せたのか、恵里が言っていた香織を欲する人間が誰なのか……

 リリアーナの障壁が香織の詠唱完了まで保つ事は明らかだ。にも拘らず、敢えて助けに行ったふりをした理由は……

 

「きゃぁっ!?」

「ぁ───」

 

 雫の警告は間に合わなかった。

 

 リリアーナの障壁が解けそこに広がった光景は、殴り飛ばされて地面に横たわるリリアーナの姿と、背後から抱き締められる様にして胸から刃を突き出す香織の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「香織ぃいいいいーーっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雫の絶叫が響き渡る。

 

 檜山は瞳に狂気を宿しながら、香織を背後から抱き締めて首筋に顔を埋めている。片手は当然、背中から香織の心臓を貫く剣を握っていた。

 

 檜山は、最初から怪我などしていなかったのだ。勇者である光輝の土壇場での爆発力や不測の事態に備えてやられたふりをして待機していたのである。

 そして香織達の登場に驚きつつも、このままでは光輝達を回復されてしまうと判断し、一芝居打ったのだ。

 

「ひひっ、やっと、やっと手に入った。……やっぱり、常磐より俺の方がいいよな? そうだよな? なぁ、しらさ…いや、香織? なぁ? ぎひっ、おい、中村ァ、さっさとしろよぉ。契約だろうがぁ」

 

 恵里が、檜山の言葉に肩を竦める。そして、香織に"縛魂"する為歩き出した。

 

 

 ──直後、絶叫が響き渡る。

 

 

「がぁああああ! お前らァーー!!」

 

 光輝だ。怒髪天を衝くといった様子で、体をギシギシと軋ませて必死に拘束を解こうとする。香織が殺されたと思った様で、半ば、我を失っている様だ。

 五つも付けた魔力封じの枷がますます亀裂を大きくしていく。途轍もない膂力だ。しかし、それでも枷と騎士達の拘束を解くにはまだ足りない。

 

 と、その様子を冷めた目で見ていた檜山の耳にボソボソと呟く声が聞こえてきた。見れば、何と香織が致命傷を負いながら何かを呟いているのだ。

 檜山は、それが気になって口元に耳を近づける。

 

 そして、聞こえてきたのは……

 

 

 

 

「────ここ……に、聖母……はっ……微笑……、む──"聖……典"……ッ」

 

 

 

 

 致命傷を負ってなお、完成させた最上級魔術の詠唱。香織の意地の魔術行使。檜山の瞳が驚愕に見開かれる。

 

 

 香織にも、自分が致命傷を負ったという自覚がある筈だ。にも拘らず、最後の数瞬に行ったのは、泣く事でも嘆く事でも、まして愛しい誰かの名前を呼ぶ事でもなく──戦う事だった。

 

 

 

 

 香織は思ったのだ。

 彼は、自分が惚れた彼は、どんな状況でもどんな存在が相手でも決して行動を止めなかった。ならば、彼の隣に立ちたいと願う自分が無様を晒す訳にはいかないと。そして、殆ど意識も無く、ただ強靭な想いだけで唱えきった魔術は、香織の命と引き換えに確かに発動した。

 

 

 

 香織を中心に光の波紋が広がる。

 それは瞬く間に広場を駆け抜け、傷ついた者達に強力な癒しを齎した。突き刺さされた剣が癒しの光に押されて抜け落ちていく。どういう作用が働いたのか、傀儡兵達の動きも鈍くなった。

 

 当然、癒しの光は香織自身も効果に含め、その傷を治そうとするが、香織が受けたのは他の者達と異なり急所への一撃。しかも、傷が塞がろうとすると檜山が半狂乱で傷を抉るので香織が癒される事は無かった。それは香織に、より確実な死を齎す。

 

 

 だがそれでも香織は、魔王を慕う少女は──最期の最後まで半ば条件反射の様に足掻いてみせた。

 

 

 

 徐々に熱を失っていくその体で、香織は無意識に背後の檜山に向かって肘をぶつけた。

 それは肘打ちというにはあまりに力の籠っていない、ただ触れるだけの行動。

 

 

「うぐぉあッッッ!!?!?」

 

 

 だがその一撃は、確かな衝撃と共に檜山を壁に叩きつけた。

 

 

 

 香織の体は、ほんの微かにだが──黄金の輝きに包まれていた。

 

 紛れも無い、"波紋"の輝き。

 

 ソウゴに習い始めたばかりの、最も適正があると言われたシアですら実戦では使えない未だ初心者とすら呼べない粗末なもの。

 

 

 だが香織は、死の瀬戸際というタイミングで確かに"波紋疾走(オーバードライブ)"を身に着けたのだ。

 

 

 

 だがその"波紋"の輝きが心臓を修復するより、香織の命の灯が消える方が早かった。

 

 香織の体は、糸の切れた人形の様に倒れ込み……動く事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁああああ!!」

 

 光輝の絶叫が迸る。

 

 癒された体が十全の力を発揮し、ただでさえ亀裂が入って脆くなっていた枷をまとめて破壊した。

 同時に、その体から彼の激しい怒りを表す様に純白の光が一気に噴き上がる。激しい光の奔流は、光輝を中心に纏まり彼の能力を五倍に引き上げた。

 "限界突破"の最終派生"覇潰"である。

 

 

「お前ら……絶対に許さない!」

 

 

 光輝を取り押さえようとした騎士達だったが、光輝は自分を突き刺していた騎士剣を奪い取るとそれを無造作に振るい、それだけで傀儡兵達を簡単に両断していった。

 気にした様子も無く手を突き出し聖剣を呼ぶと、拘束された際に奪われていた聖剣がくるくると空中を回転しながら飛び光輝の手の中に収まった。

「拘束しろ」

 恵里が無表情で、傀儡兵達を殺到させるが光輝はその尽くを両断した。

 

「邪魔だっ──"天翔閃"ッ!」

 

 だが、光輝はその悉くを両断した。

 

 

 

 人殺しへの忌避感は克服できていない。しかし今は、激しい怒りで半ば我を失っている事と、相手は既に死んでいるという認識から躊躇い無く剣を振るう事が出来ている様だ。

 

 

 

 その我武者羅の剣撃と、飛び出した光の刃が運良く数人の生徒を拘束から解放した。

 

 その内の一人が、待っていたと言わんばかりに飛び出す。

 

 解放された生徒達──龍太郎、淳史、優花に再び兵士達の魔手が伸びる中、その駆け出した一人には誰も見向きもしない。

 

 

 当然だろう。魔力が封じられている事なんて関係無い。先天性の隠形能力を有する浩介から一度でも目を離してしまえば、彼は容易く意識の埒外へと去ってしまうのだから。

 

 

「っ、玉井! 園部! 受け取れっ!!」

 

 再び拘束される前に、偶然近くに落ちていた淳史と優花のアーティファクトを投げ渡す。

 

 二人共浩介の呼びかけに気が付いていなかったものの、自分のアーティファクトが足下に突き刺さったお陰でその存在に気が付いた。

「玉井お願い! 手ぇ斬らないでよ!」

「そんなヘマするかっ!」

 魔力封じの枷が付けられた手首を差し出す優花へ、淳史は躊躇い無く曲刀を振り下ろす。流石は曲刀師の天職持ちと言うべきか、寸分の狂いも無く淳史の曲刀は枷のみを切り裂いた。

 魔力を使える様になった優花は、直ちにアーティファクトの能力を発動させる。

 

 一本でも手元にある限り、何度でも放った他のナイフを呼び戻せる能力だ。

 

 投擲用ナイフ自体には大した力は無くとも、この呼び戻しの能力は強力だ。

 優花の狙い通り、進路上にいた妙子や奈々を拘束している騎士達を吹き飛ばしながら戻って来る。

 その間に、淳史も昇と明人を解放する事に成功した。

 

「鈴、結界だ! アイツ等を守れ!」

 

 優花や淳史、そして浩介が次々と生徒を解放し、動ける様になった重吾等前衛系の天職持ちが居残り組の生徒達をも解放する中、龍太郎の怒声が響いた。

 

 居残り組の生徒達は解放されても怯えて蹲るだけで、非常に危険な状態だったのだ。

 と言うのも、こうなっては最早傀儡にする事は面倒だと思ったのか、兵士や騎士達の攻撃には明らかに拘束する意図が見られなくなったのである。

 それ故に、枷を外す事に成功した鈴に結界を張って守ってもらいたかったのだが……

 

 

 

 

「……ぁ、ぇ?」

 

 

 

 

 それを受けた鈴は、焦点の定まらない瞳と呆けた表情で只々立ち尽くしていた。

 

「鈴ッ!」

「あ、ご……ごめんなさい」

 いつもの快活な姿はどこへ行ったのか。龍太郎の呼びかけに答えるだけで精一杯といった様子で、明らかに戦える状態ではなくなっていた。

 

 内心で鈴をそんな状態にした恵里に怨嗟の言葉を吐きながら、龍太郎は鈴を抱き抱えると居残り組の中に放り込んだ。

 

 

 

 まだ枷を外せていない後衛系の天職持ちも、現状では戦えない。

 それを分かっているから、自然と重吾や淳史、優花を筆頭に居残り組や後衛を守る様にして円陣が組まれていく。その輪に龍太郎も加わる。

 

 仲間を守る為の戦いだ。必死に凌ぐが、どれだけ倒しても傀儡兵は際限無く溢れ出てくる。一体どれだけの数の兵士や騎士を手にかけたというのか。

 

 

 

「クソッたれッ!」

「落ち着け坂上っ!!」

 心乱す龍太郎に、重吾が怒声を張り上げる。二人は文字通りの肉壁だ。その強靭な肉体を防壁として敵の攻勢を抑えなければ、優花達だけでは押し切られる。

 故に、龍太郎に飛び出される訳にはいかないのだ。

 

 たとえ龍太郎の目が、既に事切れた香織を見て悲痛に歪んでいても。

 

 

「どいてっ、どいてよ! ……香織ぃぃ!!」

 

 雫もまた、泣きそうな表情で必死に香織の下へ駆けつけようとしていた。だが、傀儡兵達からの怒涛の攻撃が雫の足を止めてしまう。乱れた心で振るわれる刀は敵を打倒出来ず、焦りと絶望ばかりが募りそれがまた剣を鈍らせる悪循環。

 

 

 その時。遂に光輝が力押しで強引に傀儡兵達の包囲網に穴を開けた。光輝は怒りの形相で恵里と檜山を睨みつけ、光の奔流を纏いながら一気に襲いかかった。

「恵里ッ!」

「…………フフ」

 

 

 だがそこで、恵里は何と自分の首筋を敢えて晒した。

 

 

 

 

「なっ──!?」

 

 

 

 その途端、光輝の剣は止まってしまった。

 

 

 

 

「やっぱり! 正義の味方の光輝くんは、僕の事は殺せないよねぇ?」

 

 

 これが光輝の弱点。要は半端なのだ。

 

 助ける、殺す、止める、説得する。どれを選ぶにしろ、そこには明確な決意と覚悟が必要だ。

 だが、光輝にはそれが無い。与えられた情報を元に、その場その場で都合のいい解釈をする。だから普段は自分の正しさを疑わないのに、一番大事な時に迷ってしまう。

 

 先程まで操られた傀儡兵達は容赦無く両断出来ていたのに、目の前に立つ恵里はまだ生きている人間だ。

 

 故に、たとえ恵里が今回の一件の原因だと分かっていても、自らの手で生死を左右出来るとなるとクラスメイトという事もあって手が止まってしまう。

 

 

 そんな光輝をよく見ていたからこそ、その弱点を見越して自らを死の危険に晒した恵里の目論見は成立したのだ。

 

 

 

 

「ッ!? ガハッ!」

 

 直後、突然光輝の体から力が抜けて両膝が折れた。

 "覇潰"のタイムリミットではない。まだそこまで時間は経っていない。異変はそれだけに留まらず、遂には盛大に吐血までしてしまった。ビチャビチャと地面に染み込む血が、光輝の混乱に拍車をかける。

 

「ふぅ~、やっと効いてきたんだねぇ。結構強力な毒なんだけど……流石、光輝くん」

 

 余裕そうな声音で宣う恵里に、光輝が崩れ落ちる体を必死に支えながら疑問顔を向ける。

「くふふ、王子様がお姫様をキスで起こすなら、お姫様は王子様をキスで眠りに誘い(殺して)自分のものに……何て展開もありだよね? まぁ、万一に備えてっていうのもあるけどねぇ~」

「あの、時のっ……ぐっ!」

 その言葉で光輝も気がついた。

 

 最初に恵里がしたキス。あの時、一緒に毒薬を飲まされたのだという事を。

 恵里自身は先に解毒薬でも飲んでいたのだろう、まさか口移しで毒を飲まされたとは思わなかった。まして、好意を示しながらなど誰が想像できようか。

 

「恵里、君はっ、本当に……ッ、ゴフッ!!」

 光輝は、改めて自分達が知っている恵里は最初からどこにもいなかったのだと理解した。

 毒が回り四肢が痺れて力を失う。どれだけ藻掻けど小さく痙攣するのみで、その体は主の指示に従わない。

 

「もうちょっと待っててね、光輝くん♪」

 

 完全に動けなくなった光輝を見て、恵里は満足そうに笑うとくるりと踵を返して香織の下へ向かった。そろそろ"縛魂"可能なタイムリミットが過ぎてしまうからだ。いつの間にか意識を取り戻した檜山が、鬼の様な形相で恵里を催促している。

 

 香織が死して尚汚される。その事に光輝も雫も焦燥と憤怒、そして悔しさを顔に浮かべて必死に止めようとする。

 しかし、無常にも恵里の手は香織に翳されてしまった。恵里の詠唱が始まる。

 傀儡兵の肉壁越しに、龍太郎や重吾、優花や淳史達、浩介や健太郎、更には居残り組の生徒達まで怒声を上げて制止するが、呪いの詠は止まらない。

 数十秒後には、檜山の言う事を何でも従順に聞く香織の人形の出来上がりだ。尊厳など雑草よりも簡単に踏みにじられるだろう。

 雫達が激怒を表情に浮かべ、檜山が哄笑し、恵里がニヤニヤと笑みを浮かべる。

 そして……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──さして大きくないその声は、絶望渦巻く裏切りの戦場にやけに明瞭に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……地獄絵図には物足りんが、平穏無事と言うには程遠い。この様な状況は何と表現すべきだろうな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは魔王──常磐ソウゴの声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ソウゴの登場に、まるで時間が停止した様に全員が動きを止めた。それは、ソウゴが全ての生命を無に帰す凶星の如き凄絶なプレッシャーを放っていたからだ。

 

 本来なら、傀儡兵達に感情は無い為プレッシャーで動きを止める事など無い。

 だがソウゴのそれは桁が違う。生物はおろか意思無きもの、非生命体であろうと傅かせる。当然と言えば当然の真理。

 

 

 ソウゴは自分を注視する何百人という人間の視線をまるで意に介さず、周囲の状況を観察する。

 

 クラスメイト達を襲う大量の兵士と騎士達、一塊になって円陣を組んでいるクラスメイト達、血を吐きながら倒れ伏す光輝、黒刀を片手に膝をついている雫、硬直する恵里と檜山。

 

 そして──剣を突き刺され、命の鼓動を止めている香織。

 

 

「……ふぅむ。事前に分かっていた事(・・・・・・・・・・)とはいえ、少々意外だよ。そこまで愛着の湧いたつもりは無かったが────多少なりとも怒りを感じるとはな」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、この世のものとは思えない悍ましい気配が広場を一瞬で侵食した。体中を虫が這い回る様な、体の中を直接かき混ぜられ心臓を鷲掴みにされている様な、怖気を震う──圧倒的な死の気配だ。

 血が凍りつくとは正にこの事。一瞬で体は温度を失い、濃密な恐怖があらゆる死を幻視させる。

 

「まぁいい、後でどうとでもなる。一先ず回収するとして……貴様等を捕えさせてもらおうか」

 

 ソウゴそう言いながら恵里と檜山を見据え、ゆっくりとした足取りで歩み寄って来る。まるで死刑執行人の様な、ともすれば死神の様なその足取りは、眼中に無い他の生徒達すら震えが止まらない。

 

 ソウゴは二人から視線を切らずに歩きながら、指を回す様な仕草をする。途端、香織の遺体がソウゴの直ぐ傍へ瞬間移動する。

 歩みを止めたソウゴは、驚く恵里達を他所に横目で香織の遺体を見る。「最後まで意地を見せたらしいな……」と呟くと、しゃがみ込んでそっと顔にかかった髪を払った。

 

「ティオ、任せる」

「っ……うむ、任せよ!」

「し、白崎さんっ!」

 

 ソウゴの呼びかけに応えて、一緒にやって来たティオが我を取り戻した様に急いで駆けつけた。傍らの愛子も血相を変えて香織の傍にやって来る。ソウゴから香織を受け取ったティオは急いで詠唱を始めた。

 

「アハハ、無駄だよ。もう既に死んじゃってるしぃ。まさか、君達がここに来てるなんて……いや、香織が来た時点で気付くべきだったね。……うん、常磐にあげるよ? 僕と敵対しないなら、魔法で香織を生き返らせてあげる。擬似的だけど、ずっと綺麗なままだよ? 腐るよりいいよね? ね?」

 

 にこやかに、しかし額に汗を浮かべながらそう提案する恵里。内心では「どうしてこの化け物がここにっ!?」と悪態の嵐を吐いているだろう事が透けて見える。というかシンプルに聞こえる。

 傍らで愛子が驚愕に目を見開いているのを尻目に、ソウゴはスッと立ち上がった。

 ソウゴの力を知っている恵里は、内心盛大に舌打ちしながらも自分に手を出せば、香織はこのまま朽ちるだけだと力説する。

 だがソウゴは、呆れた様な表情で鼻を鳴らしつつ再び足を進める。

 

「待って、待つんだ、常磐。ほら、周りの人達を見て? 生きているのと変わらないと思わない? 死んでしまったものは仕方ないんだし、せめて彼等の様にしたいと思うよね? しかも、香織を好きな様に出来るんだよ? それには僕が絶対に必要で……」

 

 後退りしならが言い募る恵里。

 

 その時、ソウゴの背後に人影が走る。それは、他の傀儡兵とは比べ物にならない程の身のこなしでソウゴに鋭い槍の一撃を放った。

 

 影の正体は近藤礼一。先程、恵里に殺害され傀儡と成り下がった哀れな槍術師だ。

 

 尤も、傀儡とは言え、異世界チートの力は十全に発揮される。近藤の天職たる"槍術師"の力により放たれた激烈な突きは、風の螺旋を纏いながらソウゴの心臓を狙う。

 

「アハハ、油断大敵ぃ~。それとも怒りで我を───ひっ!?」

 

 さっきまでのどこか焦ったような表情を一転させてニヤついた表情に戻った恵里だったが、次の瞬間その表情が凍り付く。

 

 

 近藤が突きを放った途端、ソウゴの背から無数の木の枝や蜘蛛脚と思しき触手が伸び、近藤の体を刺し貫いた。最早原型すら保っていない程に穴を開けられ、見るも無残としか言い様が無い。

 更に追い打ちを掛ける様に、近藤の体がブクブクと音を出し始め、徐々に湯気を発しながら溶けていった。

 その光景に、恵里どころか先程まで絶望に沈んでいた生徒達、ティオやリリアーナですら顔を蒼くしている。

 

 

 キルバスやサーベラ、デモンズの蜘蛛の能力に"木遁・挿し木の術"と"怪焔王"を組み合わせた殺戮に特化した技だ。

 

 

 ビチャビチャと、地面に血肉の落ちる音が響く。

 

 

「貧相な発想だな、小娘」

「っ……殺れ」

 恵里が、徐々に表情を険しくしながら次の傀儡兵を前に出した。

 

 それに対しソウゴは、徐に手を前に出すと人差し指に蒼炎を灯し、水滴を垂らす様に地面に落とした。

 

 それに反応して身構えられたのは、その炎がどういうものか知っていた優花だけだった。

 

 

 

「"積尸気蒼葬陣"」

 

 

 

 途端、水面に波紋が広がる様に燃え広がり、周囲はソウゴを中心として正しく火の海となった。しかし優花や、その光景を見た面々が想像した様な痛みは来ない。

 目を向ければ、その炎は傀儡兵だけを焼く様にその体に巻き付き、生徒達には一切危害が無い。害があるとすれば、蛇の様に足に火が巻き付いている恵里達のみだ。

 

 積尸気の炎は仮初の霊魂と悪意ある者のみを焼き払い、傀儡兵達は程無くして動かぬ唯の肉塊へと成り下がった。

 

 

 

 

 

 やがて蒼炎が収まり、静寂が戻った広場に再び足音が響く。当然ソウゴである。

 

 本来霊魂しか焼かない筈の積尸気の炎に足を焼かれ倒れ込んだ恵里の首が、万力の様な力で掴まれ持ち上げられる。恵里が視線を向ければ、養豚場の豚を見る様な目が一つ。

 

 恵里が何も言えずただ呆然と見つめ返していると、徐にソウゴが口を開いた。

 

 

「さて……中村恵里、だったか? 貴様、死霊術の出来や計画性、加えて性格や性根、挙句の果てに想像力まで足りてないらしいな」

「っ…………?」

 ソウゴの言葉に、馬鹿にされているのは分かりながらもその言葉の意味が分からず、苦し気な表情をしながらも疑問符を浮かべる。

「メルドの事もそうだが……、私が多彩な能力を持っているのは察したのだろうが、死者蘇生は出来ないとでも思ったのか?」

「…………は?」

「貴様の少ない脳味噌で理解出来る様に言えば、離れた場所に干渉する事も、たかが死者を蘇らせる程度造作も無い事だと言っているんだ」

「なっ……!?」

 

 

 "メルドの殺害を邪魔したあの三人はソウゴの手の者で、ソウゴは死人を完全に蘇らせる事が出来る"

 

 

 それを正確に読み取った恵里は、ギリッと歯を食いしばった。唇の端が切れて血が滴り落ちる。今の今まで自分こそがこの場の指揮者で、圧倒的有利な立場にいた筈なのに、一瞬で覆された理不尽とその権化たるソウゴに憎悪と僅かな畏怖が湧き上がる。

 

 恵里が激情のまま思わず呪う言葉を吐こうとした瞬間、再びソウゴが口を開く。

 

「あぁそうだ、これは伝えておこう。私は今確かに怒りを感じているが、それは香織が死んだという事実にであって、殺した貴様に怒っている訳ではない。寧ろ、貴様等には一応感謝しているのだよ」

「は? 感謝?」

「貴様等のお陰で、リリアーナ姫と取引が出来た。少々強引ではあるが、それでもまだ合法的に目標を達成出来る事になった。貴様等の様な吐瀉物以下の臭いに塗れた屑共でも、私の役に立つのだ。故に伝えよう、『私の為に役立ってくれて、ありがとう』」

 

 ソウゴがそう言うと同時、恵里の意識は遠のいていった。その間際、恵理は何から何まで全てソウゴの掌で踊っていた事を悟った。

 

 

 

 そして恵里を"神威"で異空間に収納した瞬間、ソウゴ目掛けて火炎弾が飛来した。

 かなりの威力が込められているらしく、白熱化している。しかし、ソウゴにはやはり通用しない。"餓鬼道"を発動し、あっさり吸収してしまった。

 

「とぉきぃわぁあああーッ!!」

 

 その霧散した火炎弾の奥から、既に人語かどうか怪しい口調でソウゴの名を叫びながら飛び出してきたのは檜山だった。手に剣を持ち、最早、鬼の形相というと鬼に失礼なレベルで醜い何かにしか見えなかった。

 

「ブンブンと喧しい……」

 

 ソウゴは飛びかかって来た檜山の意識を"鎮星"で刈り取り、恵里と同じ様に"神威"で吸い込む。

 

 醜悪な執念とは裏腹に、実に呆気無い終わりであった。

 

 

 

 しかし、事態はそれで収まらなかった。ソウゴ目掛けて極光が襲いかかったのだ。

 

「ふむ……」

 

 ソウゴはチラリと視線をやり、そのまま"餓鬼道"で極光を飲み込む。直後極光が消え去り、空から竜に騎乗した魔人族の男が降りてきた。

 

「……貴様だな、フリード様を殺した男というのは……! 大切な同胞達と王都の民達を、これ以上失いたくなければ大人しくする事だ」

 

 どうやらこの男、フリードの代理で総大将に選ばれた者らしい。言葉の端々に憎しみが滲んでいるが、個人的感情よりも職務を全うしているらしい。

 

 

 それはそれとして、どうやらソウゴを光輝達や王国の為に戦っているのだと誤解している様である。周囲の気配を探れば、いつの間にか魔物が取り囲んでおり、龍太郎達や雫、そしてティオや愛子達を狙っていた。どうやらソウゴに殺されるまでの極々短い時間ではあったが、その間に転移のノウハウは伝えられたらしい。

 

 

 ソウゴ達が本気で戦えば、甚大な被害が出る事を理解している為人質作戦に出たのだろう。フリードが倒されたという事実を重く受け止め、ソウゴ達には敵わないと悟った魔人族側の苦肉の策だ。

 

 

 と、その時。香織に術を施していたティオがソウゴに向かって声を張り上げた。

 

 

「ご主人様よ! どうにか固定は出来たのじゃ! しかしこれ以上は時間がかかる、出来ればユエの、贅沢を言えばご主人様の協力が欲しいところじゃ。固定も半端な状態ではいつまでも保たんぞ!」

 

 ソウゴは肩越しにティオを振り返ると溜息を一つ吐き、分かったとばかりに軽く頷いた。何の事か分からない句クラスメイト達は訝しそうな表情だ。しかし、ソウゴ達が大迷宮攻略者である事を知る魔人族の男は察しがついたのか、目を見開いてティオの使う術を見ている。

 

「ほぉ、新たな神代魔法か……もしや【神山】の? ならば場所を教えるがいい。逆らえばきさ──」

 

 ソウゴ達を脅して【神山】大迷宮の場所を聞き出そうとした瞬間、ソウゴの手刀が男の首を刎ねた。

 

「……悪いが時間が無いらしい。多少雑だが、手っ取り早く済まさせてもらうぞ」

 

 面倒そうにそう語るソウゴは、その両目を"万華鏡写輪眼"に変化させる。

 

 

 

 

 途端、ソウゴの体を包み込む様に金色の光が放たれ、その光が徐々に形を変えていく。

 揺らめく炎の様な光は骸骨の姿に変わり、更に筋を纏い、肉を纏い、鎧を纏い姿を変えていく。

 

 形を成していく鎧武者の巨人は、その腰から新たな上半身を二つ生成し、更にそこから一対ずつ腕が形作られる。

 

 

 

 

 

 

 

「神、さま……?」

 

 

 

 

 

 

 

 それは誰が呟いた言葉だったか。

 ソウゴを核として形成されていくその巨大な鎧武者は、正に神の如き力強さと禍々しさを兼ね備えていた。

 

 

 これこそが"万華鏡写輪眼"の真価。

 

 常磐ソウゴが発現した、金色に輝く三面六腕の"須佐能乎(スサノオ)"。その完成体である。

 

 

 

 

 

 ソウゴの冷ややかな視線が王都の外──王都内に侵入しようとしている百万の大軍がいる方へ向けた。

 

 

「ティオ。一応注意はするが、万が一にも其方に飛ぶ可能性もある。一応全員避難させておけ」

 

 

 ソウゴのその言葉に猛烈に嫌な予感がしたティオは、即座に竜形態になって生徒達を抱えて飛び出した。

 その直後、ソウゴの蹂躙虐殺が開始された。

 

 

 

 

 

「"連式炎遁・天津甕星(アマツミカボシ)"」

 

 

 

 

 

 その光景は、正に地獄絵図。

 そう表現する他ない天と地を繋ぐ黒い炎。触れたものを、種族も性別も貴賎も区別せず、一切合切消し去る無慈悲なる破壊。大気を灼き焦がし、夜闇を飲み込んで、まるで虚無の闇黒の如く全てを消し去る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──"連式炎遁・天津甕星"。

 

 

 

 それはソウゴが一対多を想定して作り出した術。

 

 

 先ず三面ある須佐能乎の一面が両手に黒炎を灯して地面に触れ、炎遁の黒炎を地平線まで広げる。

 次に別の一面が弓を構え、天に向けて黒炎を射出し空中で分解させ雨の如く降り注がせる。

 更に残った一面が黒炎を凝縮した大太刀を二刀構え、毎秒数億発の速さで先の二つで生き残った者を焼き斬っていく。

 最後に駄目押しとばかりに、三つ全ての顔から黒炎を吐き出す。

 

 動作として説明するならばこの四つが全て。連式の名の通り、この術は複数の炎遁を同時並行に発動して行う。

 

 ──黒炎を発生させる"天照(アマテラス)"。

 ──発生した黒炎を操作する"加具土命(カグツチ)"。

 ──両手の黒炎を地平線まで広げる"大国主命(オオクニヌシ)"。

 ──黒炎を射出し降り注がせる"弘原海(ワダツミ)"。

 ──黒炎の大刀で滅多切りにする"建御雷(タケミカヅチ)"。

 

 その五つを同時に使う、三面六腕の須佐能乎を持つソウゴならではの独自の超々広範囲殲滅忍術だ。更にメリットとして、瞳術が大元である為両手が空いているのだ。

 

 

 勿論、デメリットもある。

 それは前述した通り、一対多を想定した技である為に味方を巻き込んでしまう事である。それ故のティオへの注意喚起だったのだが、先程から「キャーッ!?」と悲鳴が近づいたり遠ざかったりしているので、多分大丈夫だろう。

 

 

 

 

 

 

 

「百万もいる割に十数秒も保たんとは……虚仮脅しにも程がある」

 

 ソウゴの言葉の通り、魔物も含めた魔人族軍は一人残らず消滅した。ほんの十数秒で。全てソウゴの筋書き通りとはいえ、つまらないにも程がある。

 ソウゴは"万華鏡写輪眼"を解除し、腕組み姿勢のまま地上に降り立つ。

 

 それと同時に、ユエとシアが上空から物凄い勢いで飛び降りてきた。

 

「……ソウゴ様! あの術は何!?」

「ソウゴさん! アレ明らかにソウゴさんのですよね!? ちょっと巻き込まれたんですけど!?」

 

 どうやら二人共、"天津甕星"に巻き込まれかけたらしい。ブーブーと文句を垂れるが、ソウゴが香織の死を伝えた途端二人は驚愕に目を見開いた。しかし、ソウゴの目を見て直ぐ様精神を立て直す。

 

 ユエは少ない言葉でも正確に自分の役割を理解すると、力強く「……任せて」と頷く。

 

 踵を返してティオの下へ駆けつけた。そしてソウゴが香織を抱え上げ、そのまま広場を出ていこうとする。そこへ、雫がよろめきながら追いかけ必死な表情でソウゴに呼びかけた。

 

「常磐さん! 香織が、香織を……私……どうすれば……」

 

 雫は今まで見た事が無い程憔悴しきった様子で、放っておけばそのまま精神を病むのではないかと思える程悲愴な表情をしていた。

 戦闘中はまだ張り詰めた心が雫を支えていたが、脅威が去った途端“親友の死”という耐え難い痛みに心が折れかけているのだろう。

 ソウゴは雫を見ながら僅かに逡巡すると口を開く。

「シア、香織を任せる。ティオ、ユエ達を案内してやれ。直ぐに追う」

「香織さん……大丈夫ですからね」

「承知した。皆、山頂へ向かうぞ。ついてまいれ」

 ソウゴから香織の遺体を受け取ったシアは、優しい手つきで抱き締めた。

 そして雫の様子を見て察したユエ達は、ティオの言葉に従って訓練場を足早に出て行った。

 

 

 怒涛の展開に未だ誰も動けずにいる中、ソウゴは女の子座りで項垂れる雫の眼前に膝を付く。そして両手で雫の頬を挟み強制的に顔を上げさせ、真正面から視線を合わせた。

 

「八重樫雫、折れるな。私達を信じろ。もう一度会わせてやる」

「常磐さん……」

 

 光を失い虚ろになっていた雫の瞳に、僅かだが力が戻る。ソウゴはそれだけ伝え立ち上がる。

 

「……信じて……いいのよね?」

 

 漏れ出た様に零れた雫の言葉に、ソウゴは当然だと答える。

 

 そのソウゴの背中を見て、雫はソウゴが本気だと理解する。本気で、既に死んだ筈の香織をどうにかしようとしているのだ。その強靭な意志の宿った瞳に、雫は凍てついた心が僅かに溶かされたのを感じた。

 

 雫の瞳に、更に光が戻る。そして、ソウゴに向かって同じ様に力強く頷き返した。それはソウゴ達を信じるという決意の表れだ。

 

 ソウゴは雫が精神的に壊れてしまう危険性が格段に減った事を確認すると、宝物庫から容器を取り出し、雫の手に握らせた。

 

「これって……」

「あの餓鬼に飲ませてやれ。私にとってはどうでもいいが、貴様は違うだろう? あまり良くない状態だ」

 ソウゴの言葉に、ハッとした様子で倒れ伏す光輝に視線を移す雫。

 光輝は既に気を失っており、見るからに弱っている様子だ。雫はソウゴが手渡した神水が以前、死にかけのメルドを一瞬で治癒したのを思い出し、秘薬中の秘薬だと察する。

「……ありがとう、常磐さん」

「構わん、私には無用の長物だ」

 雫はギュッと神水の容器を握り締めると、少し潤んだ瞳でソウゴを見つめお礼の言葉を述べた。

 

 

 ソウゴはお礼の言葉を受け取ると直ぐに踵を返す。

 

 

 

 

 そして、ユエ達を追って風の様に去っていった。

 

 

 

 

 




ジョジョルにハマったんだよ。特に戦闘潮流がお気に入りなんだよ。

頭の中でずっとシュトロハイムが「せ、せ、せ、世界一ィィィィ!!!!」って叫ぶんだよ。

シーザーの「だが俺は誇り高きツェペリ家の男だ」が痺れるのよ。

「シィィザァァァァァーッ!!!!!」って叫びたくなるのよ。


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第二十六話 変わる国

お久しぶりです、遅筆の合将鳥です。

本来は次の話と合わせて一つの話の予定だったのですが、あまりに間隔が空き過ぎた上に長くなるので、分割します。

オリジナル部分が多すぎるので、人を選ぶかもしれません。


ジョジョを見ながら書いたので、割とソウゴの口が悪いです。


 

 

 ソウゴが訓練場を去っていった後、雫によって神水を飲まされた光輝はあっという間に全快した。

 

 気絶より目を覚ましたリリアーナの陣頭指揮によって、大混乱の只中にあった王宮も夜が明けぬ内に態勢が立て直され、負傷者の搬送や状況の調査が速やかに行われた。

 

 

 それによれば、恵里に傀儡兵化されていた兵士は五百人規模に上ったらしい。また、王都の近郊に幾つかの巨大な魔石を起点とした魔法陣が地中の浅い所に作られていた様で、それが魔人族軍の対軍用空間転移の秘密だった様だ。恐らく恵里が傀儡を使って作らせ手引きしたのだと思われる。

 

 そして国王を含む重鎮達は既に恵里の傀儡兵により殺害されており、現在【ハイリヒ王国】国王の座は空席になってしまっていた。

 

 

 何より一番混乱に拍車を掛けているのは、聖教教会からの音沙汰が無い事だ。

 

 王都が大変な事になっているというのに、戦時中も戦後も一切姿を見せない聖教教会に不安や不信感が広がっている様である。

 【神山】から教会関係が降りて来ないことを不審に思って、当然確かめに行こうとする者は多かった。

 

 しかし、それを事前に見越していたソウゴによってリリアーナが接近禁止令を出していた為、実際に登頂する者などいなかった。

 

 因みに直通のリフトは停止したままなので、未だ地道な登山しか総本山に辿り着く方法が無いからこそ有効な手段だと言える。

 

 

 尤も普通に作動していた場合、恐らくソウゴは破壊していただろう。

 

 そうして色々な事が判明しつつ、魔人族の襲撃と手痛い仲間の裏切りや死を招いた夜が明けた。

 

 

 恵里と仲が良かった鈴は言わずもがな、心身共に深い傷を負った光輝達はリリアーナ達の王都復興に力を貸しながらも、立ち直る為に療養しつつ、日が昇っても姿を見せないソウゴ達の事をチラチラと考えていた。

 

 前線組や愛ちゃん護衛隊のメンバーはソウゴの実力を知っていたつもりだが、それでも大軍を殲滅した"須佐能乎(スサノオ)"の様な圧倒的な力までは(見せてないのだから当たり前だが)知らず、改めて隔絶した力の差を感じて思うところが多々あった。

 

 

 光輝達ですらそうなのだから、居残り組にとっては衝撃的な出来事だった。

 帰還したメンバーからソウゴの生存や実力の事は聞いていたが、実際のソウゴの凄まじさは自分達の理解が億分の一にも達していなかった事を思い知ったのだ。

 誰も彼も、ソウゴの事や連れて行かれた香織、ソウゴの仲間の事が気になって仕方ないのである。

 

 

 

 そして、それが顕著なのが雫だ。

 

 やるべき事はしっかりやっているのだが、ふとした時に遠い目をして心ここにあらずといった様子になるのだ。香織の事を想っているのだろうという事は誰の目にも明らかで、香織が死んだところを目撃していたクラスメイト達はどう接すればいいのか分からずにいた。

 

 ソウゴと雫の会話から、何やら香織が戻ってくる様な事を言っていたが、死者蘇生など本当に出来るのか半信半疑どころか無理だとしか思えなかったので、安易な慰めも出来なかったのだ。

 

 

 よもや恵里の様に生きた人形にでもするのではないかと邪推し、その場合雫を更に傷つける事になるのは容易に想像が付く為、特に光輝などは露骨にソウゴ達を警戒していた。

 

 

 光輝自身、二度に渡って何も出来ずソウゴに救われたという事実に相当落ち込んでおり、自分とソウゴの差や香織を連れて行かれた事(光輝の中ではそういう認識)も相まって、ソウゴに対しては良い感情も持てていなかった。

 

 それが所謂"嫉妬"であるとは、光輝自身自覚がない。仮に気が付いたとしても、認める事は容易ではないだろう。

 

 認めて、その上で前に進めるか、やはりご都合解釈で目を逸らすか……光輝次第である。

 

 

 光輝も雫もそんな様子で明るいとは言えず、龍太郎は脳筋なので頼りにならない。

 

 こんな時、いつもなら鈴辺りがムードメイカーの本領を発揮してくれるのだが、当の本人は明らかにテンションが低く、時折見せる笑顔も痛々しいものだった。余程恵里に言われた事が堪えているらしい。

 長年親友だと思っていた相手が、実は自分を便利な道具程度にしか思っていなかったのだから、無理もない話だろう。

 

 リーダーを筆頭に主要メンバーに余裕が無い状況は、クラス全体の雰囲気を沈ませる要因の一つでもあった。

 

 

 檜山の裏切りと近藤の死に、いつも一緒だった中野や斎藤は引き籠りがちになっているし、居残り組は身内の裏切りにより疑心暗鬼が芽生えているらしく、以前に増して自室に籠る者が多くなった。

 

 

 恵里の妄執と狂気が生徒達に齎した傷は、想像以上に深かったのだ。

 

 

 それでも自暴自棄になったり深刻な程精神を病む者も無く、現実逃避的な意味が強いとはいえ王都復興に向けて動ける生徒達が多々いるのは、偏に愛子や優花達の存在あってだろう。

 

 

 愛子も香織の事は心配で出来れば何かしたいと思っていたが、ソウゴ達がどうにかすると言うのなら自分の出番はないと分かっていた。

 なので、傷ついている生徒達のケアを優先したのだ。持ち前の一生懸命さで生徒一人一人を鼓舞し、その心情を聞いて回った。

 

 元より信頼を寄せる教師なのだから、生徒達の救いになったのは間違いない。

 

 また優花達は元居残り組であるから、彼等の心情はよく分かった。愛ちゃん護衛隊の精神的ケアは、居残り組にとって確かな支えになっていた様だ。

 

 

 

 

 因みに少し話はズレるが、デビッド達愛子護衛隊の神殿騎士達は健在だったりする。

 

 デビッド達は神殿騎士の立場を利用して何度も愛子との面会を要求したり、それが叶わないとみるや独自に捜索する等して教会上層部を相当辟易させた為、地上待機の命令──基総本山への出入り禁止を喰らっていたところ、王都侵攻の明朝より姿を消していたのだが……どうやらその間、とある場所にて拘束・監禁されていたらしい。

 

 何故彼等が傀儡兵化や洗脳を免れたのかは分からない。

 

 ノイントが監禁中の愛子に何もしなかった事を考えると、後の"神の遊戯"に於いて駒として使うのにその方が都合が良かった、という理由も考えられるが、今となっては確かめる必要性は無い。

 

 そんな彼等も、今のところ現実逃避の為王都復興に精を出している。

 

 

 そんな訳で、誰もが半ば現実逃避で心の平穏を保っている中、ソウゴが破壊したものとは別の訓練場において、王国騎士団の再編成を行う為各隊の隊長職選抜試験が行われていた。

 

 因みに、暫定的な新騎士団長の名はクゼリー・レイル。女性の騎士でリリアーナの元近衛騎士隊長である。

 同じく暫定副団長の名はニート・コモルド。元騎士団三番隊の隊長である。

 

 

 選抜試験における模擬戦で、騎士達の相手を務めていた光輝が練兵場の端で汗を拭っていると……

 

「お疲れ様でした。光輝さん」

 

 そんな労いの言葉が響いた。

 光輝がそちらに視線を向けると、リリアーナが微笑みながらやって来るところだった。

「いや、これ位どうって事無いよ。……リリィの方こそ、昨日の今日で殆ど寝てないんじゃないか? ホントにお疲れ様だよ」

 光輝が苦笑いで返すとリリアーナもまた苦笑いを浮かべた。お互い、碌に眠っていないのだ。

 

 尤も、睡眠時間が削れている理由は、二人では全く違うのだが。

 

「今は寝ている暇なんてありませんからね。……大変ですが、やらねばならない事ばかりです。泣き言を言っても仕方ありません。お母様も分担して下さってますし、まだまだ大丈夫ですよ。……本当に辛いのは大切な人や財産を失った民なのですから……」

「それを言ったら、リリィだって……」

 

 光輝はリリアーナの言葉に、彼女もまた父親であるエリヒド国王を失っている事を指摘しようとしたが、言っても仕方の無い事だと口を噤んだ。

 リリアーナは光輝の気持ちを察してもう一度「大丈夫ですよ」と儚げに微笑むと、話題を転換した。

「雫の様子はどうですか?」

「……変わらないな。普段はいつも通りの雫だけど、気が付けばずっと上を見上げてるよ」

 そう言って光輝は、練兵場の中央でクゼリーと話をしている雫に視線を転じた。

 

 

 二人はリリアーナを通して友人関係にある事もあり、かなり親しげな様子で何やら編成の事で議論している様だ。

 しかし。ふと会話が途切れた時など、自然と視線が上──つまり【神山】の頂上付近に向いているのがよく分かる。

 

 

「彼等を……待っているのですね」

「そうだね。……正直、常磐……さんの事はあまり、信用できない。雫には会って欲しくないと思ってるんだけどね……」

 リリアーナは、少し驚いた様な表情で雫から光輝に視線を戻した。

光輝の表情は何とも複雑な色を宿しており、内心が言葉通りだけで無い事は明らかだった。嫉妬、猜疑、恐怖、自負、感謝、反感、焦燥その他にも様々な感情が入り混じって飽和している様な、表現し難い表情だった。

 

 リリアーナは光輝にかけるべき言葉を見つけられず、ソウゴ達がいるであろう【神山】の頂上を仰ぎ見た。

 

 空は快晴で、ほんの数時間前には滅亡の危機に晒されていたとは思えない程晴れ晴れとしている。

そんな空模様に何となく能天気さを感じて、少し恨めしい気持ちを抱いたリリアーナはジト目を空に向けた。

 

 

 

 

 

「……若者が揃いも揃って、随分と辛気臭い顔している」

 

 

 

 

 

 それ故に、突如かけられたその声はリリアーナ達を驚愕させた。

 

 

「「うわぁっ!!!??!?」」

 

 

 話しかけられたその声は、一度でも会えば忘れられない印象を残す男の声。

 

 

 

 声を掛けたのは、ソウゴだった。

 

 

「常磐さん!! いつの間に戻って……それより! 香織、香織はどうなったの!?」

 

 その瞬間。案の定と言うべきか当然と言うべきか、雫が光輝とリリアーナの間を割ってソウゴに突撃してくる。それに釣られる様に、先程まで話していたクゼリーや騎士達、愛子と優花達や居残り組も駆け寄って来る。

 ソウゴはそれを鬱陶し気に流しつつ答える。

 

「そう心配するな、ユエとティオに任せておけば大丈夫だろう。恐らく後四日もすれば顔を見せられる筈だ。……まぁ二人が仕損じる様なら私が蘇生させるが」

「そ、そうですか……。では、何故常磐さんは先に戻られたのですか?」

「決まっている。労働にはそれ相応の対価というものが発生するものだ、それを受け取りに来たのだよ。冒険者が依頼主から報酬を払われるのは当然だろう?」

 

 続く愛子の問いに返しながらソウゴは虫を払う様に手を振りつつ、集まった生徒達の波を割ってリリアーナに話しかける。

 

 

「それで、だ。……さてリリアーナ姫、いやリリアーナ。準備は出来ているか?」

「──っ! ……はい。今この場にいない騎士及び兵士、そして国民達には城下に集まる様に周知して御座います」

「ご苦労。早朝というのに民達が従うのは、貴様の人気の賜物だな」

「恐悦至極の至りです」

 

 

 ────────?

 

 

 二人のそのやり取りに、その場の全員が疑問符を浮かべると同時に、二人の纏う空気がガラリと変わったのを感じた。

 その疑問を口に出すより早く、二人の会話が進む。

 

「では、後は宣言のみか」

「左様で御座います」

「うむ。ならば行くとしよう」

「御意」

 

 短いやり取りと共に、ソウゴはリリアーナを伴って歩き始める。他の皆が呆然としている中、リリアーナに「皆さんもついてきて下さい」という言葉が告げられ、愛子と騎士兵士達以外が昨夜の一件が脳裏を過り、警戒心を抱きながら後を追って歩き始めた。

 

 

 

 そうして二人を追って辿り着いたのは、街の様子を一望出来るバルコニーの様な場所だった。その視界を埋めるのは、大人二人分程の高さの柵の外側でリリアーナの言葉に集まったハイリヒの民達。そして柵の内側には、今回の襲撃で亡くなった住民や、恵里の傀儡となった人々の遺体が敷き詰められていた。

 

 彼等はリリアーナの姿が見えるとザワザワと騒ぎ出すが、彼女が軽く手を翳すとそれを「静粛に」という意味と捉え静まり返る。

 

 

 そして全員が口を閉じた事を確認したリリアーナは、ソウゴを前に出す様に恭しく頭を垂れて三歩下がる。

 

 入れ替わる様に前に出たソウゴが宙に手を翳すと、空中の至る所にS・F作品宜しくディスプレイが浮かび上がる。

 その光景に優花や淳史辺りが内心「ホントに何でもありだなぁ……」と他人事の様に思っていると、そんな思考も吹き飛ぶ様な言葉がソウゴの口から飛び出る。

 

 

 

 

 

『【ハイリヒ王国】の、延いてはトータスに住む全ての民よ、ごきげんよう。突然だが名乗らせていただこう。私の名は常磐ソウゴ。勇者と共に喚ばれた異界人であり───今日この時を以てハイリヒ王国国王の座に就く者である』

 

 

 

 

 

 その宣言に、リリアーナ以外の全員が驚愕の喧騒に包まれた。

 

 当然、集まった国民達はザワザワと騒ぎ始める。クゼリー達も動揺し、光輝達はどういう事だと今にも掴みかかろうとするが、それはリリアーナに止められる。

 

 

 

 ソウゴは一瞬だけ光輝達に目を向け、直ぐに国民達に視線を戻し言葉を続けた。

 

 そこでソウゴが語ったのは、今まで攻略した五つの大迷宮で知った、反逆者と呼ばれた"解放者"達の歴史。

 

 

 

 

 

………………

…………

……

 

 

 

『───以上が、この世界で信じられてきた神・エヒトの真実である。それを聞いて私は思った、その様な邪神を信仰し崇拝する教会の信徒達と王の愚かさを放置すれば、遠くない内に多くの人々が混乱に陥るとな』

 

 

 そこで一度言葉を切り、ソウゴは手を翳して続ける。

 

 

『……約束しよう! 私は先の無能な愚王とは違う、確かな実力で以て諸君らを守ると! 神の様な不確かなものに縋る必要の無い、“人の為の統治”を! 神代は既に去った、今は人の世である。人間が自らの力で以て時代を切り開くのだ! "人の時代"なのだ!』

 

 

 

 ソウゴの力強い宣言は、突然の真実に戸惑う民衆達の耳に不思議な程確りと届いた。

 リリアーナの制止も無しにピタリと止んだ喧騒、それと共に再び集まる視線。

 

 

『私に永遠の恭順を示すならば、私は諸君等に我が権能の恩恵を与えよう。この様にな』

 

 

 そう言った直後、ソウゴはその顔を天に翳した自分の手に向ける。

 

 その瞬間、ソウゴの掌から緑と金の二つの光が波の様に放たれ王国全体を包んでいく。

 すると空中に大小様々な時計が幾つも出現し、その針は遡る様に逆回転する。

 

 

 途端、街中に転がった瓦礫が独りでに動き出し、元あった場所に戻り建造物を形成していく。

 聴衆達の驚愕を置き去りに、その体に刻まれていた傷が塞がっていく。

 

 そして柵の内側の遺体、恵里によって傀儡になっていた騎士・兵士が息を吹き返していく。

 

 

 

 その光景に、愛子や光輝達は驚愕に包まれる。

 ソウゴの底知れなさを理解していた愛子や優花達ですら開いた口が塞がらず、平静を保っていたのは事前に聞かされていたリリアーナのみ。

 

 

 まして、その神の領域すらも超えたと思わずにはいられない光景を見た国民達は……

 

 

 

 一瞬の沈黙の後、大歓声を挙げた。

 

 

 

「新国王陛下、万歳!」

「常磐ソウゴ様、万歳っ!」

「ハイリヒ王国万歳!」

「ハイリヒ王国に幸あれ!」

「ハイリヒ王国に、栄光あれ!」

「貴方に忠誠を誓いますっ!!」

 

 

『我らが新しき王、常磐ソウゴ陛下に栄光あれ! 万歳!! 万歳!! 万歳!!』

 

 

 

 広場は嵐の様に、ソウゴを称える声が湧き上がる。それはリリアーナや光輝達の後ろに控えていたクゼリー達や兵士達も同様で、一様に熱に浮かされた様にソウゴを称える。

 

 その様に困惑する光輝達を他所に、ソウゴは歓声を制して尚も続ける。

 

 

『我が新たな民達よ。諸君等の忠誠、感謝する。……ところで諸君。私は、今回の様な痛ましい悲劇が二度と起きない様に、その原因を排除するべきだと考えている。違うかね?』

 

 するとソウゴは話題を変える様にそんな事を言い出し、国民達に問い掛ける。

 対する国民達は、ソウゴの言葉の意味を探るよりも『ソウゴの言葉は絶対的に正しい』とでも言うかの様に、次々に首を縦に振る。

 

 それを確認したソウゴは、自身も国民達に頷きを一つ返して続ける。

 

 

『ならば、だ。早速だが諸君、私はこれより二つの策を行う』

 

 

 そう言うとソウゴは、二本指を立てて声を張り上げ宣言した。

 

 

 

『先ず一つ! 明日この広場にて、今回の襲撃事件を企てた主犯格三名を公開処刑とする!』

 

 

 その宣言に、国民達はまたも歓声を。生徒達は驚愕の声を上げる。

 

 

 

「常磐さんっ!! どういう事──」

「そうだ、公開処刑って一体──」

「主犯格って、まさか──」

 

 ソウゴの口から出た公開処刑という言葉。その意味が理解出来ない程幼い訳でも無く、当然ながら愛子、光輝、雫が口々に訴えながらソウゴに近づこうとして……

 

 

 

 

 ──突如現れた四つの人影に止められた。

 

 

 

 

『なっ───ッ!?』

 

 気配も無く、突然自分達の間に割り込んだ四人に、光輝達は目を見開く。特に光輝と雫は、いつの間にか首筋に抜き身の剣を当てられ、少しでも身動きすればその首が跳びかねない程まで間合いに入られている。

 

「貴方達は、一体──」

「いけませんよ。我等が王の行いを邪魔立てては」

 

 

 質問をしようとした雫に、その首に日本刀を当てる少女──雫達と同年代位の白髪の少女が告げる。

 

 目を伏せているが、その眼力は確実に雫達の一挙手一投足を逃すまいとしているのが気配で分かる。

 

 

 その言から、彼女も他の三人もソウゴの配下だろうという事だけは予想がつく。その裏付けかの様に、ソウゴは突如現れた四人に対して見向きもしない。

 

 

 リリアーナが視線だけで四人が何者かソウゴに問い掛ければ、ソウゴが四人にチラッと視線を向ける。

 それだけで「自己紹介しておけ」と汲み取ったのか、光輝の首に剣を当てていた小麦色の髪の少女から口を開いた。

 

「オーマジオウ陛下に仕えし神闘士(ゴッドウォーリアー)が一人、ウルのレナ」

「同じく、ロキのマイ」

「同じく、ルングの雷禅」

「同じく、ミッドガルドの趙雲」

 

 

 レナに続き、愛子に立ち塞がる様に立っていた青いポニーテールの少女と灰髪の大男、雫に警告した少女が名乗り終えると同時、ソウゴは空中投影されていた映像に顔写真を三人分映しながら言葉を続ける。

 

 

 

 その三人とは──イシュタル、恵里、檜山の三人だった。

 

 

『此度の一件の元凶は、この三人である。その罪状は、これより告げる以下の通りである』

 

 

 ソウゴの言葉に、聴衆は興味津々とばかりに耳を傾ける。

 

 

 

『聖教教会教皇、イシュタル・ランゴバルト。この者は国に仕える聖職者のトップでありながら、敵方の扇動者に唆され王国に混乱を齎した。よって死罪とする!』

 

 

 同時、国民からソウゴを称える声とイシュタルへの罵倒が噴き上がる。光輝や神殿騎士達は教皇が元凶の一因だった事に目を見開いており、教会に不信感を抱き始めていた雫や愛子、優花達等はどこか納得した表情を見せていた。

 

 

『そして勇者と共に召喚された者でありながら、己の欲望の為に仲間を裏切り魔人族を手引きした裏切り者、中村恵里! 及びその口車に乗せられ多くの者を手にかけた檜山大介! その罪は余りに重く、両名共に生かす事は不可能。よってこの二人も死罪である!』

 

 

 そして勇者パーティのメンバーであった恵里と檜山が裏切っていたと知り、当事者達以外からは驚愕のどよめきが広がる。

 

 

『民達よ、諸君等の不安は分かる。勇者一行から背信者が出た以上、また裏切り者が出るのではないかと心配しているのだろう?』

 

 ソウゴの問いかけに、国民達は声に出さないながらも心中で頷いていた。

 

 

 自分達より圧倒的な力を持ち、何より絶対的な味方だと思っていた召喚組から裏切り者が出た。

 

 その事実は、彼等がほんの僅かでも疑念を抱くには充分過ぎるのだ。

 

 ましてや、その勇者本人が自分達に刃を向けたらと想像すれば……

 

 

 

 

 

 ──しかし、国民がそんな疑念を抱く事もソウゴの思い描いたシナリオ通り。

 

 

 

 

 

 

 

『だが安心するがいい! 我等の勇者はそんな皆の不安を払拭すべく、自ら汚れ役を引き受けてくれるらしい! 決別と決意の表明として、罪人達の介錯役をすると申し出た!』

 

 

 

 

「なっ──!?」

 

 ソウゴがそう宣言した瞬間、当然ながら光輝が驚愕と反感を抱き掴みかかろうとして……レナによって組み敷かれる。

 

「陛下の邪魔しちゃダメですよ?」

 

 無論雫達も瞠目するが、自身を足止めしている趙雲達との実力差を本能で感じ取り踏み止まる。

 

 ソウゴが今言った事は、要するに光輝に死刑執行という名の"殺人"をさせようという事なのだから、その反応は予想出来ただろう。

 ソウゴはさも事前に相談して決めた風に語っていたが、実際の所相談はおろか王都に戻ってから一言も話してすらいない。リリアーナの依頼を受けた時に思いついた、ソウゴの独断だ。

 

 

 

 

『次に。私に忠誠を誓わず未だ聖教教会に与する者、及び邪神エヒトを信仰する者についてだが……』

 

 

 

 ソウゴはそう言うと掌に光球を出現させ、天に向けて飛ばす。光球は幾つもの破壊光線へと形を変え、目視出来る範囲から映像越しの遥か向こうまで様々な村や町、都市に降り注いだ。

 

 その光景は、この場にいながら僅かにソウゴへ不信感を抱いていた聴衆の心をへし折るには充分だった。

 

 

 

『その様な輩は国に背く者と看做し、世界規模で指名手配とする! 無論、諸君等に得の無い話では無い。生死を問わず、捕らえた者及び捕縛に協力した者達には……』

 

 

 

 

 

『──一人に付き、一億の褒賞を出そう!』

 

 

 

 

 ソウゴの容赦も躊躇も無い突然の虐殺に息を呑み、一部の者達は泣き崩れたが次の瞬間にはソウゴの“一億の褒美金”という言葉に沸き立ち、その全員が歓声を挙げて狂喜乱舞した。

 

 

 それだけ告げたソウゴはリリアーナ達を引き連れて踵を返し、後には興奮で騒ぐ国民達だけが残された。

 

「おい! さっきのは一体どういう事だ!? 俺は一言も聞いてな───ぐはッ!?」

「どうやら貴方、学習能力が無い様ですね」

「やめろ子龍、下がっていろ」

 

 ソウゴは光輝を床に叩き伏せた趙雲を窘めながら、自分の物となったハイリヒの玉座に座る。そのまま流れる様な動きで足を組んで頬杖をつけばそのままリリアーナが玉座の隣に侍り、牽制を止めた四人も後ろで直立不動の姿勢になる。

 それを確認したソウゴは、立ち上がろうとする光輝に視線を向ける。

 

「さて、先程の質問だが……何故私が逐一貴様に説明する必要がある? 貴様の了承など得る必要も無い。これは既に決定事項だ」

 

 ソウゴはにべもなくそう言い切り、つまらなそうに目を伏せる。

 

「だからって、俺達が従う訳──」

「光輝、少し黙ってて。私達が話すから」

「天之川君、少しだけ先生に話させて下さい」

 

 それでも尚言い募ろうとする光輝だったが、そこへ雫と愛子がストップをかける。気勢を削がれる光輝だったが、雫や愛子なら冷静に反論してくれるかと思い引き下がる。

 ソウゴは二人が前に出るのを見て、光輝よりは建設的に話が出来るだろうと耳を傾ける事にする。

 

 

「常磐さん。今までこの世界に興味が無さそうだったのに、どうしていきなり国王に?」

「さっきリリィと話していた、"依頼"や"報酬"っていうのが関係しているのかしら?」

 ソウゴの想像通り、二人は光輝の様にただ反対をぶつけるのではなく、事の次第と経緯を聞きたがった。

 それで少し気を良くしたソウゴは説明を始める。

「愛子には救出の際に話したが、私がここに来たのはリリアーナに頼まれたからでな」

「リリィが?」

「態々鼠の様に裏道を使ってコソコソと城を脱出してな。自力で商団まで雇って探しに来たぞ」

「なんて無茶を……」

 ソウゴのカミングアウトに、雫は驚きと呆れの視線をリリアーナに向ける。それに対しリリアーナは素知らぬ顔で口笛を吹くフリで誤魔化す。

「まぁそんな訳でだ、私はそれを“依頼として”受けた。報酬としてこの国の国王の座を条件にな」

 その言葉を受けて雫や光輝達は無茶苦茶だと思う一方で、愛子や優花等はその行動にこれまでに見た"ソウゴらしさ"の様なものを感じた。

「えっと……常磐さんが来てくれた理由は分かったのだけれど、まだ国王になった理由が分からないわ。答えてくれない?」

 雫の指摘に、そういえば自分の質問の答えを得てなかったと愛子は思い返す。それはソウゴも分かっていたのか、特に隠す事も無くそのまま続ける。

「私がハイリヒの王座に就いた理由は、大まかに分ければ二つだ」

 そう言ってソウゴは二本指を立てて説明する。

 

 

「一つ目に、この世界で動くに当たってそろそろ権力を持つ立場が必要な状況になった。ここまでの旅で、それなりに賛同者や庇護下にある者が増えてな。守る物が多くなれば、それに応じた立場という物が必要になってくる」

 

 "何かを守る為に、相応の権力や地位が必要になる"という考えは、リリアーナや愛子、雫も理解が出来るものだった。

 

 愛子も不慣れな地で生徒達を守る為に、自分の才能を人質に"豊穣の女神"という名声を得て、王国の圧力から生徒達を守ってきたのだ。

 

 

「そして二つ目だが」

 

 愛子が心中でそんな共感を覚えていると、ソウゴが自分達を指しながら話している事に気づいた。

 

「一応ではあるが、貴様等を安心させてやってもいいかと思ってな」

 

 その答えは、実に意外なものだった。

 

 

 

「どういう事だ? 俺達を安心させる為って……」

 真っ先に反応したのは光輝だった。目の敵にしているソウゴに気遣われたとあっては、光輝としては無視出来るものではないだろう。

 その理由はリリアーナも初耳ではあったが、直ぐに何となくではあるがヒントの様なものが頭を過る。

 

「もしかして、異端者認定の一件でしょうか?」

 

 その言葉を聞いて、雫や愛子も遅ればせながら思い至る。

 その一方で、それ以外の者達はソウゴが異端者認定を受けていた事が初耳だったので、一様に驚愕の表情を浮かべていたが。

 

「その通りだ。私も遅かれ早かれ認定されていただろうとは思っていたのだがな」

 ソウゴはリリアーナの言葉を肯定しつつ愛子達に向けていた指を再び立て、今度は問い掛ける様な声音で口を開く。

 

「それで、だ。そのまま事が進行していた場合、異端者認定を受けた者には討伐隊を編成されるのが常らしい。……そこで問題だ。この場合、私に差し向けられるのは誰になると思う?」

「……私達、ですよね?」

「だろうな。現状王国側で最高戦力である勇者達が、私の相手をする事になっただろう。そしてそうなった場合……」

 

 

「……確実に、天之川君達は死にます」

 

 

 ソウゴの言葉の続きを告げたのは愛子だった。その声には、どこか確信の様なものを帯びている。

 

「そんなっ!? 俺達が負ける訳が──」

 

 光輝は自分達の敗北が確定しているかの様な愛子の言い草に、即座に反論しようとする。だが……

 

 

 

「残念だけど光輝、私達はどうあがいても常磐さんには勝てないわ。それどころか、どれだけ手加減されても死ぬ。それが事実なのよ」

「ごめん、天之川君。悪いけど愛ちゃん先生の言う通りよ。常磐は私達全員で挑んでも、傷一つ付けられないわ」

「わりぃ、光輝。俺も勝てる気がしねぇんだわ。なんつぅんだ、こう……直感ていうか、本能っていうか……とにかく、"戦ったら死ぬ"ってのが分かるんだ」

「天之川、俺と重吾も同じ意見だわ。信じらんないかも知れねぇけど常磐ってさ、俺の事全く見落とさないんだ。だからいざ敵対したらって考えたら、逃げられる気がしないんだ」

「そんな、皆まで……!」

 

 

 

 雫、優花、龍太郎、遠藤に次々に否定され愕然とする光輝。ソウゴはそんな光輝を視界に収めつつ、視線は雫達に向けたまま口を開く。

「まぁその通りだな。その時の気分にもよるだろうが、少なくとも勇者は確実に潰しただろう。そうでなくとも、私の気分や思いつき次第で城に残っていた者達も始末していたかもな?」

 ソウゴのその言葉に、城に滞在していた居残り組や騎士達も反応する。

 

 

 たかだか一個人の気分や思いつきだけで殺されるなど冗談にも程があるが、ソウゴの言葉は冗談に聞こえない実力に裏打ちされている事を昨夜の内に嫌という程目の当たりにした為、唯々背筋が凍るばかりだ。

 

 

「……とまぁこの様に、大人しく怯えて過ごさせるのも邪魔にならずに済むとも思ったのだがな」

 ソウゴは身を竦める居残り組達を見ながら可笑しそうに目を伏せる。

「貴様等に恩を売る折角にして絶好の機会なんでな、チャンスは活かさねばな」

「恩?」

 "恩を売る"という言葉に疑問符を浮かべる愛子に、ソウゴは答えた。

 

 

「いいか? 貴様等はこの【ハイリヒ王国】に召喚された。つまり"この国の客人"であり、"国王の私兵"という事だ。ならば私が国王になった今、貴様等は私の指揮下に入る。何より"私の客人"でもあるという事だ。そうなれば、少なくとも私の機嫌一つで殺すという勝手は出来ん。どうだ、貴様等に損は無いだろう?」

 ソウゴがそう説明した途端、光輝以外の面々が一筋の光明を得た様な表情を浮かべる。特に居残り組や愛子等は嬉しさが前面に出ている。

 

 雫も同様に安堵を浮かべていたが、ふともう一つの問題を思い出して表情を改める。

 

「そ、それより! 常磐さん、国王になった理由は分かりましたけどもう一つ……光輝に恵里達を、その……し、処刑させるっていうのは?」

 

 雫のその質問に、皆冷や水を掛けられた様に我を取り戻す。

 

「そ、そうだ! 俺が処刑なんて……人殺しなんてするものか!」

「わ、私からも! もう一度恵里と話したい、お願い……じゃなくて、お願いしますっ!!」

「常磐さん、私からもお願いします。中村さんも檜山君も、もう一度チャンスを与えてくれませんか?」

 

 光輝の反抗と鈴、愛子の懇願に対して、ソウゴはにべもなくバッサリ切り捨てる。

 

「駄目だな。処刑は既に決定し、リリアーナに手筈も進めさせている。そもそも荒療治の一環として、罪人の死刑執行をさせるという提案をメルドに打診していた。人を殺せん様では戦士として話にならんからな。……これでも私としては、最大限の温情且つ譲歩なのだがな。私にも貴様等にもメリットがある話でもある」

「温情? 譲歩? メリット? 一体どういう事ですか?」

 メルドが行方不明になる前から処刑人の話が上がっていた事に驚きつつ、ソウゴの言うメリットの意味が理解出来ない他の者を代表して愛子がソウゴに質問する。

 

 

「普段ならば、処断した後に過去を書き換えて存在を無かった事にする。一族郎党の末端に至るまでな。そうしてあらゆる記憶・記録からその血の痕跡を消し去る」

 前時代的だがな、と自嘲する様に嘯くソウゴ。その様は「笑うところだぞ」と言っている様だが、周囲からすれば全く以て笑い事ではない。

 

 

「そ、そんな……なんて事……嘘でしょ?」

 

 優花が無意識の様に首を振りながら否定を溢すが、ソウゴはそんな優花の希望を切って捨てる。

「私が時間に干渉出来るのは、先程見せた通りだろう? それを今回は貴様等に免じて記憶処理をせずに"今迄生きていた事"を、"確かに死んだ"という事を覚えさせておいてやろうと言っているのだがな。……畑山愛子、貴様も嫌だろう? 確かに存在した筈の生徒達の事を忘れ、最初から存在しなかった様に過ごすのは」

 ソウゴにそう問いかけられ、愛子はビクッと肩を揺らす。それと同時に愛子は、正確には愛子と優花達は理解した。

 

 

 【ウルの町】の一件で骨すら残さず消されてしまった清水の事を、自分達は未だに忘れずに覚えている。その事自体が既に、ソウゴの温情であるのだと。

 

 

 

「……それで、メリットというのは?」

 震える様な声になりつつ、雫が問う。

「先ず貴様等へのメリットだが、先に述べた様に貴様等に殺しの耐性を付けさせる事が一つ。次に、民衆の疑念と不安を払拭出来る。現状では、貴様等を王都から追い出そうとする者達が出てもおかしくないぞ? そして、勇者自らが裏切り者を罰する事で "強い先導者"として印象付けられる」

 ソウゴは光輝達側の利点を三つ程挙げ、続けて自分にとっての利点を説明する。

「それで私側のメリットだが、明確な人間側の指導者であるとして民衆の支持を確かなものに出来、それによって王国の隅々まで私の手が届く。そうなれば、貴様等も今より過ごしやすくなるかもな?」

 ソウゴは冗談めかして言葉を切る。

 

 今のところ、互いのメリットは3:3。正確には4:2で、光輝達の方が利がある様に見える。

 

 

 ──無論、光輝が引き受けた場合だが。

 

 

「──もし、断ったら?」

 勿論その事に気づかない雫ではない。光輝と違い、世の中何事もプラスの面だけではないと知っている雫は即座に問い質す。

 それに対しソウゴは困った様な笑みを浮かべる。

「そうだな、もし断られたら……私と貴様等の間に消えない溝が出来るな。それは明確なデメリットと言える」

「具体的には?」

 

 

 雫が訊いた途端、ソウゴは笑みを消して目を伏せる。

 

 

 ソウゴは徐に立ち上がり、一歩、また一歩とゆっくり雫達に近づく。

 近づきながら、独白する様に語る。

 

「畑山愛子、八重樫雫。……否、召喚された勇者一同よ。貴様等が必死に力を付けるのは、偏に元居た世界に帰りたいからだろう?」

「……は、はい」

 ソウゴの放つその独特の迫力──"覇気"や"威圧"系技能とは違う、謂わば"色の無い圧力"とでも呼ぶべきソレは、今まで纏っていた弛緩した雰囲気を一瞬にして消し飛ばす。

 その圧に当てられながらも、この中では一番慣れていると言うべき愛子が肯定すれば、ソウゴは足を止める。

 

「……少々頓智臭い事を言う様だが、"帰る"という行為は"帰る場所"があってこそだ。ならば──」

 

 そう言って見開いたソウゴの瞳は"万華鏡写輪眼"に変化していた。

 

 

 "神威"が発動され、その渦の中から手足を縛られた七人の男女が放り出される。

 

 突如七人もの人間が瞳の中から飛び出してきた事に驚く一同だが、愛子だけはその七人に見覚えがあった。

 

 

 彼等は、今正に議題となっている檜山の両親と恵里の母親、そして【ウルの町】で焼死した清水の家族だ。全員気絶している様で、起きる気配も無く規則正しい寝息のみが聞こえる。

 それを認識した瞬間……

 

 

 

「っ! やめ────」

 

 

 

 

 

 

 ──愛子の叫びが終わるより速く、ソウゴが七人の首を刎ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『キャアアアァァァァッ!!?!!?!??』

 

 

 

 途端、玉座の間が悲鳴に包まれる。床に転がる胴体から、先程まで巡っていたであろう鮮血が零れ出る。

 

 その凄惨な光景と絶叫を生み出した本人であるソウゴは、まるで日常風景を見るかの様な視線と周囲の声が煩わしいと言いたげな表情で告げる。

 

 

「たとえ"帰る力"を得ようと、この様に"帰る場所"が無くなれば意味がなかろう?」

 

 

 そう言ったソウゴの顔は、先程の渋面から一変愉快気な表情を浮かべながら問い掛けた。

 

 

 

 否、それは問い掛けというには些か以上に強烈な衝撃を与え、その裏の悍ましい真意を鈍い光輝や龍太郎にすら理解させた。

 

 

 『処刑を断れば、家族を殺す』と。

 

 

 それを裏付ける様に、ソウゴは付け加える。

「畑山教諭から聞いているかもしれんが、私は世界を自由に行き来出来る。貴様等が必死に自分の世界に戻ろうと汗を掻いている間に、その目的を奪う事など容易いのだ」

 出来ればそんな事はしたくないがな、と続けながら再度“神威”を発動すれば、その渦から出てきたのは光輝、雫、龍太郎、鈴等の主要メンバーから居残り組、果ては愛子の両親まで一様に縛られ気を失った状態で現れる。

 

 

「さて、ここまですれば伝わったとは思うが敢えて言っておこう。『もし処刑を断るなら、貴様等の家族を殺す』。選ぶがいい。矜持を捨てるか、家族を捨てるか。二つに一つだ」

 

 

 

 

 

 ソウゴの問いかけに、他の誰かが答えるよりも速く動いたのは光輝だった。

 

 

「貴様ァァァァァァァァッッ!!!!!!!!!」

 

 

 今まで見た事の無い様な憤怒の表情を浮かべ、それどころか“限界突破・覇潰”を発動して聖剣を構えソウゴに斬りかかる。

 その頭には、自分の行動によって自分を含めた生徒達本人や家族の命がもっと危険に晒される可能性は一切無い。唯々感情任せの攻撃だった。雫達が制止する暇も無いし、聞く耳も無い。

 

「そう来るだろうと思ったよ貴様は」

 

 それを呆れた視線で眺めながら、ソウゴは光輝の一撃──“覇潰”発動状態で放たれる詠唱省略版簡易"神威"──を、特に防御姿勢を取るでもなく自然体のまま受けた。

 その衝撃と閃光に、レナ達四人以外が顔を伏せる。突如嵐の如き突風と閃光弾の如き輝きを目の当たりにすればさもありなんと言えるだろう。

 

 

「光輝ッ! 常磐さんッ!」

 

 

 雫の絶叫が響く中、果たしてその爆心地では──

 

 

 

「俺達の家族に手を出──「だから餓鬼なのだ貴様は」…………は?」

 

 

 

 あまりの驚愕に恐怖すら通り越して、キョトンとして顔になった光輝の視線の先には。

 

 

 

 

 ──身動ぎ一つしていない、無傷のソウゴがいた。

 

 

 

 

 光輝の攻撃は、今までで一番の威力と言える一撃。チート中のチートと言える破格のスペックに、"限界突破"の最終形"覇潰"の発動、魔力暴走とも言える一時的な攻撃力の上昇。それらを上乗せして放たれる、光輝の切り札"神威"。

 それに対しソウゴは、"鉄塊"や"武装色"、"金剛通"や"静血装"等の防御系の技能も魔力も異能も一切使っていない、完全なる素の肉体で無防備に受け止めるだけ。

 

 

 

「そんな、何で……」

「貴様、今の一撃に人質が巻き込まれる可能性は考えなかったのか? 私が貴様等の家族を盾にする可能性を考えなかったのか?」

 ソウゴの呆れながらの問いに、光輝は答えないどころか自身最大の攻撃が通じなかった事に呆然とする。

「……抑々頭に無かった様だな。周囲の者達の苦労が目に浮かぶ」

「がふッ!?」

 溜息を吐きながら手を翳せば、光輝の体が木の葉の様に宙を吹き飛ぶ。聖剣は氷の様に罅割れ、鎧は土塊の様に砕け散る。

 その体は愛子達を通り過ぎて、扉のすぐ近くの壁に激突する。

 

「「ッ! 光輝!!」」

 

 凄まじい破砕音が響き、正気に戻った幼馴染二人が名を呼びながら駆け寄る。

「死なん様に手加減はした。精々肋骨が数本折れた程度だろう、三流治癒士でも治せる」

 ソウゴが適当に告げた“三流治癒士”という言葉に、自分が言われている気がしてビクッと肩を揺らす"治癒師"の綾子。

 しかしそんな彼女を気に留める事も無く、ソウゴは視線を光輝に向けたまま続ける。

 

「それはそれとして、これは私に刃を向けたペナルティだ」

 

 言うが早いか、突然ソウゴは手にした逢魔剣を自身の首筋に当て、何の躊躇いも無く引き斬った。

 

 

 次の瞬間、縛られていた生徒達の家族達、その内二人の首から噴水の様に血が噴き出た。続け様に起こるスプラッタな光景に、愛子は更に血の気が引きながらも状況を確認する。

 

 

 どうやら血を噴き出しているのは、昨夜恵里によって殺害された近藤礼一の両親のようだ。

 一方、自ら首を斬った筈のソウゴの首筋には一切傷跡など無い。そして奇妙な事に、その体からは首の外れかかった藁人形が二体、生え落ちていた。

 

 

「さて。今見せた通り、私を攻撃すれば貴様等の家族の誰かが死ぬ事になるのだが……どうするかね?」

「…………一つだけ、質問していいかしら?」

「述べてみよ」

 

 

 恐る恐るといった様子で挙手する雫を、ソウゴは玉座に戻って促す。

 

「もし最後まで光輝が断った場合、具体的にどうするつもり?」

「そうさなぁ……前述の通り人質達は全員処分するとして、その上で城に残っていた連中も処理するだろうな。そうした後、こちらで体を操作して強制的に処刑人を務めさせようか。……無論、"断れば"の話だが」

 

 

 ソウゴの言葉を受け、光輝は両膝を着き首を垂れた。雫達は片膝を着き、首を下ろした。

 

「……分かりました。国王陛下のご配慮、感謝致します」

「賢明な判断だ」

 

 

 その日。彼等彼女等は、真の意味で権力者を相手にするという意味を思い知らされた。

 

 

 

 

 その翌日の事。聴衆の蔑視と罵倒に包まれながら、イシュタル、檜山、恵里の三人は処刑された。

 

 

 イシュタルは最期までエヒトへの忠誠を叫び続け、ソウゴへの憎悪の表情のままその首が舞った。

 

 檜山はソウゴへの罵詈雑言と呪詛を吐き続けたが、自身の両親の首を見せられた途端面白い位顔色を変え、絶望しながら死んだ。

 

 そして恵里は……全てを諦め切った様な、処刑される罪人とは思えない程清々とした表情をしていた。

 

 

 その数時間後、カッシーンや冥闘士(スペクター)と呼ばれるソウゴの私兵と冒険者達によって、ソウゴがノイントとの戦闘の際に焼き殺した司教達やイシュタルの血族が末端に至るまで捕縛・処刑され、主犯格三名を含めた全員が晒し首となった。

 

 

 

 尚、残った死体は「後で再利用するかもしれない」という事で、ソウゴの部下──ガンマ星フェグダのエスデスと名乗った女性──が回収していった。

 

 

 

 

 それからユエ達が戻って来るまで、様々な変化があった。

 

 

 一つ。王国騎士団"前"団長である、メルド・ロギンスの帰還。

 

 恵里の謀略によって行方知れずとなり、既に亡くなっていたものと思われていたメルドが戻ってきたのである。

 

 彼は冥闘士の中でも精鋭と呼ばれる冥界三巨頭──天猛星ワイバーンの諸葉、天雄星ガルーダの刃更、天貴星グリフォンのキャロルの三人──によって王国外の安全地帯に匿われており、ソウゴによって待機命令を受けていたのだ。

 

 メルドの帰還は生徒達と騎士達に多大な驚愕と歓喜を招いた。

 またそれに伴い、"現"団長であるクゼリーが騎士団長の座を返還しようとしたが、それはメルド本人によって止められた。

 

『此奴は直接指導する立場にありながら、檜山大介及び中村恵里の暗躍に気づけなかった。故に騎士団長の任は務まらんと判断し、【ホルアド】へ左遷、二ヶ月の警備を命ずる。その後に剣術指南役として【アンカジ公国】へ派遣する。以上だ』

 

 尚ソウゴ曰く、今後メルドは王国中枢の業務に関わる事は無いらしい。

 

 

 

 二つ。リリアーナを含めた、残るハイリヒ王族の処遇。

 

 結果から言えば、"王族"から"公爵"への降格と、多忙であるソウゴに代わってハイリヒ王国の代理統治が命じられた。謂わば現状維持のお咎め無しである。

 

 ソウゴが国王の座に就いた時から、リリアーナの母である王妃ルルアリアは、自分達が平民や奴隷に落とされる事も、処断される事も覚悟していた。その場合、自分の持ちうる文字通り全てを差し出してでも、どうにかして子供達の助命を願おうと心に決めていた。

 

 そして教皇達処刑の翌日。いざ覚悟して謁見してみれば、告げられたのは"公爵"としての立場を与え、自分の代わりにこの地を統治せよという勅命のみ。

 

 その宣言には、同席した召喚組一同も驚いた。

 リリアーナに聞いたところによれば、ソウゴはエリヒド国王が死んでいなかった場合は彼も纏めて公開処刑にするつもりだったのだと言う。

 そんなソウゴであるから、妻とその子供であるルルアリアとリリアーナ、ランデルも邪教信仰に加担したとして処刑するかもと思っていたからだ。

 ソウゴもそんな心を読んでいたのか、

 

『私がイシュタル共の血族を始末したのは奴等が死んでも国政に影響が無く、且つ処刑する方が最も利用価値があるからだ。貴様等が死ねば今後の政に響く上、抑々罪を犯した本人でもないのに有能な人材を処分する程私も暇じゃない。反対意見があるのなら聞くが?』

 

 と鼻を鳴らすのみだった。

 

 

 

 三つ。リリアーナの立場について。

 

 王族の処遇発表と共に、リリアーナ個人についてもまた別の対応が行われた。

 

 何とリリアーナは、ソウゴの養子として迎えられたのである。

 

 これもまたソウゴの政治的判断であり、これによってルルアリアに恩を売る事が出来、親王族派を懐柔し取り込める。元々リリアーナ自身の人気が高い事も相まって、その人気をソウゴに持ってくる事も可能なのである。

 また、これはリリアーナ本人やルルアリアにも悪い話ではなく、彼女等の身に何かあれば、ソウゴの恐るべき権能の恩恵を与る事が出来るのだから。

 

 

 

 

 

 それから二日後。

 

 習慣になりつつある我武者羅な訓練に光輝達が精を出し、騎士団がクゼリー新体制の下での新たな連携等の確認、そして雫がリリアーナと共に無意識の内に香織の安否を求めて【神山】の方へ顔を向けた、ある昼下がりの事

 

 その時、何やら空に黒い点が複数見え始めた。訝しそうに目を細めたリリアーナだったが、その黒い点が徐々に大きくなっていく事に気がつき、何かが落ちて来ているのだとわかると慌てて傍らの光輝を呼んだ。

 

「こ、光輝さん! アレっ! 何か落ちて来ていませんかぁ!?」

「へ? いきなり何を……っ、皆ぁ! 気をつけろ! 上から何か来るぞぉ!」

 

 リリアーナの剣幕に驚いた光輝だったが、促されて向けた視線の先に確かに空から何かが落ちて来ているのを確認して「すわっ、敵襲かっ!」と焦燥を表情に浮かべて大声で警告を発した。

 

 雫達が慌てて練兵場の中央から退避したのと、それらが練兵場に降り立ったのは同時だった。

 

 ズドォオン───!!

 

 そんな地響きを立てながら墜落じみた着地を決めて、濛々と舞う砂埃の中から姿を現したのはユエ、シア、ティオの三人だった。派手な登場を好むソウゴに影響されたのか、シアはどこで覚えたのかヒーロー着地を決めている。

 

「ユエさん!」

 

 真っ先に雫が飛び出す。

 ソウゴの言葉通り、信じて待っていたのだ。勢い余るのも仕方ないだろう。しかし、彼女達の中に香織の姿が無い事から、徐々にその表情に不安の影が差し始める。救いを求める様に、その視線は観覧席に座るソウゴに向かう。

 

 

「常磐さん……香織は? 何故、香織がいないの?」

 

 

 目の前に香織がいないという事実に、やはり香織の死を覆す事など出来なかったのではないかと、既に不安を隠しもせずに震える声で問いかけた。

 

 ソウゴはそれに対して、空中に視線を向けて答える。

 

「そう心配せずとも、直ぐに来るだろう。……ただまぁ、試運転をせずに来た様だな。新しい体の動かし方にまだ慣れてないと見える。それで外見が変わっているだろうが、本人の希望故、私に文句は言うなよ?」

「え? ちょっと、待って。何? 何なの? 物凄く不安なのだけど? どういう事なのよ? 貴方、香織に何をしたの? 場合によっては、貴方がくれた黒刀で……」

 

 ソウゴの途轍もなく不安を煽る発言に、雫の瞳からハイライトが消えて腰に吊るした黒刀に手が伸び始める。ソウゴが「折角拾った命を無駄にする必要はあるまい」と雫を挑発気味に抑えていると、突如上空から悲鳴が聞こえ始めた。

 

 

「きゃぁああああ!! ソウゴく~ん! 受け止めてぇ~!!」

 

 

 雫達が何事かと上を見ると、何やら銀色の人影が猛スピードで落下して来るところだった。

 

 雫の優れた動体視力は、歴史的芸術家が作り出した美術品かと思う程完成された美しさを持つ銀髪碧眼の女が、そのクールな見た目に反して情けない表情で目に涙を浮かべながら手足を無様にワタワタ動かしているという奇怪な姿を捉えていた。

 

 落ちて来た銀髪碧眼の女は真っ直ぐソウゴに突っ込む。その目には受け止めてくれる筈という信頼が見て取れた。

 

「……チッ。"ストーンフリー"」

 

 面倒臭そうに舌打ちしながらも、ソウゴは助けに応える。ソウゴの指から不可視の糸の様なものが伸びていき、幾重にも編み絡まって網となって彼女を受け止める。その柔軟性で衝撃を殺し切り、ソウゴは安全に彼女を地面に降ろす。

 

 そこに現れた銀髪碧眼の美女を見て、愛子とリリアーナが悲鳴じみた警告の声を張り上げた。

 

「なっ、何故、貴女がっ……」

「皆さん離れて! 彼女は愛子さんを誘拐し、恵里に手を貸していた危険人物です!」

 

 その言葉にその場にいた光輝や他の生徒達、クゼリー達騎士団の面々が一斉に武器へ手をかけた。特に、雫はその場で居合の構えを取ると香織が死んだ原因の一端である相手に、殺意を宿らせた眼光を向けた。隙あらば即座に斬るといった様子だ。

 

 そんな眼光を向けられた相手──銀髪碧眼の芸術品の様な美貌を持つ女は、以前の機械じみた無表情や声音からは信じられない程感情を表情や声に乗せて、慌てた様に雫に話しかけた。

 

「ま、待って! 雫ちゃん! 私だよ、私!」

「?」

 

 自分の名を呼びながら必死に自分をアピールする初対面の女に雫が訝しげな表情をする。

 観覧席から立ち上がり飛び降りたソウゴが「それで通じると思っているのか?」と呟いていたが、女がキッ! と睨むと溜息混じりに視線を逸らした。愛子達の言う敵とは思えない程親しげだ。

 そして、姿も声も違うが、自分を呼ぶときの何気ない仕草や雰囲気が、見知らぬ女に親友の影を幻視させた。

 雫は抜刀術の構えを緩やかに解くと、呆然とした様子で親友の名をポツリと呟く。

 

 

「……かお、り? 香織…なの?」

 

 

 雫が自分に気が付いてくれた事が余程嬉しかったのか、銀髪碧眼の女は怜悧な顔をパァ! と輝かせて弾む声と共に返事をする。

 

「うん! 香織だよ。雫ちゃんの親友の白崎香織。見た目は変わっちゃったけど……ちゃんと生きてるよ!」

「……香織、……あぁ、香織ぃ!」

 

 雫は数瞬の間、呆然とする。

 一体何をどうすればこんな事態になるのかさっぱりわからなかったが、それでも親友が生きて目の前にいるという事実を、真綿に水が染み込む様に実感すると、ポロポロと涙を零しながら銀髪碧眼の女──改め、新たな体を手に入れた香織に思いっきり抱きついた。

 

 香織は、自分に抱きついて赤子の様に泣きじゃくる雫をギュッと抱きしめ返すと、そっと優しく囁いた。

 

「心配かけてゴメンね? 大丈夫だよ、大丈夫」

「ひっぐ、ぐすっ、よかったぁ、よがったよぉ~」

 

 お互いの首元に顔を埋め、しっかりお互いの存在を確かめ合う雫と香織。

 

 誰もが唖然呆然としている中で暫くの間、晴れ渡った練兵場に温かさ優しさに満ちた泣き声が響き渡っていた。

 

 

 

 

 

「それで、一体どういう事なの?」

 

 盛大に泣きはらしたせいで目元を真っ赤に染めて、同じ位羞恥で頬も染めた雫が照れを隠す様にそっぽを向いたまま事情説明を求めた。

 

 

 場所は練兵場から移動して、現在は光輝達が普段食事処として使用している大部屋だ。雫に対して、心は香織、体は使徒という状態の説明をするのに、取り敢えず落ち着いた場所でとリリアーナに促されたのだ。尚、この場には雫だけでなくクラスメイト全員と愛子、リリアーナが同席している。

 

「そうだな……簡潔にいうと、身体を乗り換えた」

「成程……簡潔過ぎて、かえって全然分からないわ」

 

 ソウゴの簡潔すぎる説明に雫がジト目を送る。その眼差しには明らかに「説明する気あんのか? あぁ?」という剣呑さが潜んでいた。尤も、一瞬ソウゴと目が合っただけでその気概はへし折れたが。

 

 ソウゴの雑な説明に、慌てた表情をしながら香織が代わりに説明する。

 

「えっとね、雫ちゃん。今、私達が使ってる魔法が神代と呼ばれる時代の魔法の劣化版だってことは知ってるよね?」

「……ええ。この世界の歴史なら少し勉強したもの。この世界の創世神話に出てくる魔法でしょ? 今の属性魔法と異なってもっと根本的な理に作用でき……待って。もしかして、そういう事? 常磐さん達は神代魔法を持っていて、それは魂魄……人の魂というものに干渉出来る力って事? それで死んだ香織の魂魄を保護して、別の体に定着させたのね?」

「そう! 流石、雫ちゃんだね」

 何故か誇らしげに胸を張る香織。実際、雫の頭の回転は実に速い。ソウゴも内心感心していた。

「まぁ、厳密には半分違うんだけど……」

「えっ、半分も違うの……?」

 香織の呟きに、雫は内心ギョッとしながら疑問を投げる。香織はそれ首肯しながら、正解と不正解を説明していく。

「えっと……先ず、ソウゴくん達が神代魔法を持ってるのは正解。それでこの体に入ったのも正解。間違ってるのは私の魂魄の保護と、抑々の魔法への認識についてかな?」

「魔法への認識?」

「うん。ソウゴくんが言ってたんだけど、抑々私達が"魔法"として使ってるのって、厳密には"魔術"って言って魔法の簡易版らしいの。これは神代魔法も例外じゃなくて、ソウゴくんが言うには一瞬で世界を書き換えるとか、幾つもの世界を一気に飛び越えるとか、それ位出来ないと魔法とは呼ばないんだって」

「……桁違い過ぎない?」

「"魔の法"って言うぐらいだからそんなものらしいよ。それで私の魂魄を保護した方法だけど、魔法とか魔術じゃなくて、"積尸気"っていう全く別の技術らしいよ」

「セキシキ?」

「私もよく分かんないけど、蟹座がどうとか言ってた様な……」

 ソウゴくん牡牛座の筈だけど……、と呟く香織を見ながら雫は頭を整理する。それから数秒経って一区切りつけ、雫は話題を切り替える……というより最初に戻す事にした。

 

「でも、どうしてその体なの? 香織の体はもうダメだったのかしら? 心臓を貫かれた部分の傷を塞ぐくらいなら回復魔法……じゃなくて、魔術で何とか出来ると思うのだけど……」

「ああ。実際、香織の体は完璧に修復したとも。心臓を貫かれたと言えば重篤に聞こえるが、要は"臓器が一つ潰れただけ"だからな」

 

 

 魂魄魔術は、魂魄の固定と定着を行う事で擬似的に不老不死を実現できるというぶっ飛んだ──ソウゴの世界の実力者ならば誰でも出来る初歩的な──神代魔術だ。

 

 

 "固定"とは、死ぬ事で霧散してしまう魂魄に干渉して霧散・劣化しない様に保存する魔術で、最初ティオが香織に施したのはこれである。死亡から数分以内でないと効果が無いので、ティオが間に合う様にソウゴが"積尸気冥界波"で現世に縛ったのだ。

 

 そして"定着"とは、文字通り固定した魂魄を有機物・無機物を問わず定着させる事だ。老衰した体や、欠損して生存に適さない体に定着させてもまた死ぬだけだが、健康体なら蘇生が出来るし、【ライセン大迷宮】の守護者ミレディの様にゴーレムに定着させる事で肉体の衰えという楔を離れて不老不死となる事も出来る。

 

 勿論、簡単なのはソウゴ基準の話で、ぶっつけ本番で出来る様な簡単な術ではない。魔術に関しては天性の才を持つユエがティオと共に行ったからこそ成功した様な物だ。それでも、定着に丸五日もかかったというのだから、その難易度はお察しというものだろう。

 

 無論、それで二人が失敗した様ならソウゴが蘇らせるつもりだったので問題は無かったが。

 

 

 因みに、ユエとシアの魂魄魔術習得については比較的容易だった。

 元々二人共"エヒト"への信仰心など微塵も持ち合わせていなかったので、条件の一つはクリアしていた様なものだ。

 そして、"神の力が作用している何らかの影響に打ち勝つ"という条件については、現代の教会関係者と戦わない場合に於ける大迷宮が用意していた試練の内容は、洗脳・魅了・意識の誘導・無意識への刷り込み等、挑戦者の精神と価値観に働きかけながら過去の教会の戦士達と夢幻空間で戦うというものだったのだが、それらもユエとシアはあっさりクリアした。

 

「じゃあ、どうして……香織の元の体はどうなったの? やっぱり何か問題でも──」

「雫ちゃん、落ち着いて。ちゃんと説明するから」

 身を乗り出す雫を落ち着かせながら香織が続きを話す。

 

 

 最初、ソウゴは香織の傷ついた体を修復し、香織の魂魄を戻す事で蘇生させようとした。

 

 しかし、そこで待ったを掛けたのが香織本人だ。

 

 魂魄状態で固定されていても、"心導"という魂魄魔法で意思疎通を図る事は出来る。その魂魄状態の香織が、話に聞いていたミレディ・ライセンの様にゴーレムに定着させて欲しいと願い出たのだ。ソウゴなら、強力なゴーレムを作れる筈だと。

 

 

 【メルジーネ海底遺跡】で、自分の弱さについては割り切った香織だったが、そのままで良い等とは微塵も思っていなかった。

 ソウゴの隣に立つ事を諦めるつもりなど毛頭なかった。

 

 

 その矢先、自分はあっさり殺されてしまった。

 

 不甲斐なくて、情けなくて、悔しくて……ならば、"たとえ人の身を捨てても"と、そう思ったのも無理はないだろう。

 

 

 一度こうと決意したら、とんでもなく頑固になる香織だ。ユエ達も一応説得したのだが、聞く耳を持たなかった。その決意は、ソウゴをして軽く拍手を送る程強いものだったのだ。

 

 要望通りゴーレムでも作ろうかと思ったところで、ソウゴの頭にある閃きが過った。「そういえば、アレは使えるのでは?」と。

 

 

 ソウゴが愛子に仕掛けた“天照”で倒され、そのままソウゴが王宮側を監視する為に放っていた端末に回収させた、外傷の一切無いノイントの同型機である。

 

 

 ソウゴは直ぐに空の肉体を取り出し、人ならざる本当の"神の使徒"の強靭な肉体を香織の新たな肉体として、ユエ達にその魂魄を"定着"させてみたところ、見事成功したのである。

 

 尚、魔石に似た器官は黒炎で焼き切っていた為、自分の心臓を一つ与えて代用し、使徒の固有魔術"分解"や双大剣術、銀翼や銀羽、ソウゴ由来の無限の魔力も扱える様だった。

 

 どうやら、使徒の体がそれらの扱い方やこれまでの戦闘経験を覚えている様で、慣れない体と過剰な力を持ったソウゴの心臓に適応しきってない故に未だ飛ぶこともままならないが、慣れれば"神の使徒"としての能力を十全に発揮できるだろう。魔力の直接操作も出来るので、能力的には十分ソウゴ達と肩を並べられる。

 

 魂魄の定着が成功した後の香織の喜び様は中々に凄かったらしい。

 

 

 因みに、香織の本当の体は、ユエの魔術とソウゴの"フリージング・コフィン"により二重凍結処理を受けて宝物庫に保管されている。

 巨大な氷の中に眠る美少女といった感じで非常に神秘的だ。解凍時に再生魔術で壊れた細胞も修復してしまえるので、戻ろうと思えば戻れる可能性は極めて高い。

 

 

「成程ね。……はぁ~、香織。貴女って昔から突飛も無い事仕出かす事があったけれど、今回は群を抜いているわ」

 一連の説明を聞いて、雫は頭痛を堪える様に片手を額に当てた。

「えへへ、心配かけてごめんね、雫ちゃん」

「……いいわよ。生きていてくれたなら、それだけで……」

 雫はそう言って申し訳なさそうな表情をする香織に微笑むと、スッと表情を真剣なものに変えてソウゴ達の方を向き姿勢を正し、深々と頭を下げた。

 

「常磐さん、ユエさん、シアさん、ティオさん。私の親友を救ってくれて有難うございました。借りは増える一方だし、返せるアテもないのだけど……この恩は一生忘れない。私に出来る事なら何でも言って頂戴。全力で応えてみせるから」

「気にするな。香織の死に関しては私も非があるからな」

「……?」

 ソウゴの意味深な答えに、雫は疑問符を見せる。しかしソウゴは「いずれ説明する」と煙に巻くだけだった。

 そんなソウゴに、雫は苦笑いを浮かべる。香織だけでなく自分達も救われているのだ。それも命を二度も。自分達の窮地を救った事さえ、きっとソウゴにとって気分が乗った程度のどうという事も無い出来事だったのだろうと思うと、その余りの差に最早笑うしかない心境だった。

 

 そして、何となく平然とした態度が憎らしくもあったので雫は唇を尖らせて指摘する。

 

「……その割には、私の事も気遣ってくれたし、光輝の為に秘薬もくれたわね?」

「貴様に壊れられたら、真面に話を出来る者がいないだろう?」

「そ、それは流石に……」

 雫の嫌味にも平然と返し、ソウゴは逆に質問をぶつける。

「それよりも、だ。貴様等、私に訊きたい事があるんじゃないのか? どうせ四日前の演説は耳に入ってなかった様だしな?」

「そ、そうね!」

 微妙な空気の変化を敏感に察した雫が、遠慮無く質問を投げる。

 

「それじゃああの日。先生が攫われた日に、先生が話そうとしていた事を改めて聞いてもいいかしら? それはきっと、常磐さん達が神代の魔術なんてものを取得している事と関係があるのよね?」

 

 ソウゴは雫の言葉を受けて愛子に視線を向ける。「同じ事を何度も説明するのは嫌いだ、貴様が説明しろ」という無言の圧力が愛子にかかった。

 

 

 愛子は「コホンッ!」と咳払いを一つすると、ソウゴから聞いた狂った神の話、そして自分が攫われた事や王都侵攻時の総本山での出来事を話し出した。

 

 

 全てを聞き終わり、真っ先に声を張り上げたのは光輝だった。

 

「なんだよそれ……じゃあ俺達は、神様の掌の上で踊っていただけだっていうのか? なら、なんでもっと早く教えてくれなかったんだ! オルクスで再会した時に伝える事は出来ただろう!?」

 非難する様な眼差しと声音に、しかしソウゴは視線すら寄越さず無視を決め込む。その態度に光輝がガタッ! と音を立てて席を立ち、ソウゴに敵意を漲らせる。

「何とか言ったらどうなんだ! お前が、もっと早く教えてくれていれば!」

「ちょっと、光輝!」

 諌める雫の言葉も聞かずいきり立つ光輝にソウゴは五月蝿そうに眉を顰めると、盛大に溜息を吐いて面倒臭そうな視線を光輝に向けた。

「私がそれを言ったとして、貴様が信じたとは思えんが?」

「なんだと?」

「どうせ思い込みとご都合解釈だけで生きて来た様な貴様の事だ、大多数の人間が信じている神を"狂っている"と言われた挙句、自分のしている事は無意味だと私から言われれば、信じないどころか寧ろ私に食って掛かっただろう? "未来視"が無くともその光景が目に浮かぶ」

「だ、だけど、何度もきちんと説明してくれれば……」

「……貴様、頭脳が間抜けか? 一体今迄どんな教育を受けてきたんだ? 人を不快にする為に生まれてきたのか? その見るからにモテそうな顔面は、脳味噌に行く筈の栄養を使って作ったのか? ……ったく、何故私が態々貴様等の為に時間を割かねばならん。まさか私がクラスメイトだから、自分達に力を貸すのは当然だと思っているのか? もしそう思ってるなら、今この場である程度間引いてもいいのだぞ?」

 

 永久凍土の如き冷めた眼差しで睥睨するソウゴに、クラスメイト達はさっと目を逸らした。

 だが光輝だけは納得出来ない様で、未だ厳しい眼差しをソウゴに向けている。ソウゴの隣でユエが「二度も救われておいて何だその態度は」と言いたげな目を向けているが、光輝は気が付いていない。

 

「でも、これから一緒に神と戦うなら……」

「冗談も程々にしておけよ糞餓鬼。何故私が自分から出向く必要がある? 向こうからやって来れば遊んでやるが、自分から態々探し出すつもりはないぞ? 暇潰しの範疇を超えるからな」

 

 その言葉に、光輝は目を大きく見開く。

 

「なっ、まさか、この世界の人達がどうなってもいいっていうのか!? 神をどうにかしないと、これからも人々が弄ばれるんだぞ! 放っておけるのか!」

「あんな貧弱な羽虫が切り札の時点で、放っておいて問題あるまい」

「なんで……なんでだよっ! お前は、俺より強いじゃないか! それだけの力があれば何だって出来るだろ! 力があるなら、正しい事の為に使うべきじゃないか!」

 

 光輝が吠える。いつもながら、実に正義感溢れる言葉だ。しかし、そんな“幼稚さ故の理想論”は、意志なき者なら兎も角ソウゴには届かない。ソウゴは、まるで路傍の石を見る様な眼差を光輝に向ける。

 

「おいおい、貴様の基準で私を測るなよ。正否の基準は個々人で違うんだ、自分の価値観が絶対だと思うんなら相応の実力を見せろ。抑々根本的な話、"力があるから何かを成す"のではない。"何かを成す為に力を得る"のだ。前提を履き違えるなよ? それに再三言う様だが今の私はこの国の王だぞ? これ以上噛みつく様なら不敬罪で切り捨ててもよいのだぞ? こんな風にな」

 

 ソウゴはそう言うと、光輝達に興味が無いという事を示す様に目を瞑ると同時に指を下に振った。

 

 

 途端、光輝の右腕が肘から宙に舞った。

 

 

「……は、えっ……、う、ウァァァァァアアッ!? 腕がっ! 俺の腕がぁっ!」

 

 

 遅れてきた激痛に、光輝は悲鳴を上げる。

 その絶叫と裏腹に、超高熱で焼き切ったのかその切断面から血は一滴も出ず、黒ずんで灰化してしまっている。

 

 そして光輝が痛みでのたうち回っていても、ソウゴはまるで気にもかけていない。それどころか、喧しいとばかりに何らかの術で声を奪って喋れない様にしてしまった。

 

 その態度から、ソウゴが本気で自分達や世界に対して嫌悪も恨みもなく、唯ひたすら興味がないという事を理解させられた一同。

 何となく、ソウゴが戻ってきて自分達とまた一緒に行動するのだと思っていた事が幻想だったと思い知り、下手な事をすればそれこそ気紛れに殺されるかもしれないと震え上がった。

 

 何せ傀儡にされていたとは言え、近藤を何の躊躇いも無く溶かしてしまったのだ。居残り組に関しては、あまりの恐怖に視線すら向けられないでいた。

 

 

「……やはり、残ってはもらえないのでしょうか? せめて王都の防衛体制が整うまで滞在して欲しいのですが……」

 

 

 そう願い出たのはリリアーナだ。

 未だ混乱の中にある王都において大規模転移用魔法陣は撤去したものの、いつ魔人族の軍が攻めてくるか分からない状況ではソウゴ達の存在はどうしても手放したくなかったのだ。魔人族の率いた百万の軍勢は、ソウゴただ一人に殲滅させられた。ソウゴ達は、そこにいるだけで既に抑止力になっているのである。

 

「やる事も無いんでさっさと次に行きたい、というのが本音だが……。うむ、娘の頼みとなれば無下には出来んな。防衛機構の再構と、当面の運営指針は出しておこう」

「……! 有難うございます陛下!」

 

 パァ! と表情を輝かせたリリアーナに、「公式の場ではないのだから父と呼んで構わんのだが……」と先程の光輝に対するものとは正反対の反応を見せれば、「身内には甘いんだなぁ」と再認識したユエ達と、あまりの突然の変化に驚く生徒達。

 

 

 

「えっと……それで、常磐さん達はどこへ向かうの? 神代魔術を求めているなら大迷宮を目指すのよね? 西から帰って来たなら……樹海かしら? ……後、光輝の腕も治してくれないかしら」

「ああ、その予定だ。フューレン経由で向かうつもりだったが、一端南下するのも面倒だからこのまま東に向かおうと思っている。そしてその腕は暫く放置する。……声は戻してやるが」

 驚愕の硬直からいち早く立ち直った雫の質問と申し出に其々返すソウゴの予定を聞いて、リリアーナが何か思いついた様な表情をする。

「では、帝国領を通るのですか?」

「ふむ、そうなるな」

「でしたら、私もついて行って宜しいでしょうか?」

「ほう?」

「今回の王都侵攻で帝国とも話し合わねばならない事が山程あります。既に使者と大使の方が帝国に向かわれましたが、会談は早ければ早い方がいい。陛下……お父様の移動用アーティファクトがあれば恐らく帝国まですぐでしょう? それなら、直接私が乗り込んで向こうで話し合ってしまおうと思いまして」

 

 何とも大胆というかフットワークの軽いリリアーナの提案に、ソウゴは軽く口角を上げて拍手を送る。

 

「正解だ。即断即決と熟考が政治の基本だからな。急ぐ旅じゃない、私も新国王として皇帝に顔見せしておこうか?」

「ふふ、そこまで図々しい事は言いませんよ。送って下さるだけで十分です」

 

 急な過保護発言に思わず苦笑いを浮かべるリリアーナだったが、そこへソウゴに物理的に黙らされた光輝が再び発言する。

 

「……だったら、俺達もついて行くぞ! この世界の事をどうでもいいなんていう奴にリリィは任せられない、道中の護衛は俺達がする! それに、アンタが何もしないなら、俺がこの世界を救う! その為には力が必要だ! 神代魔法の力が! お前に付いていけば神代魔法が手に入るんだろ!」

「……貴様、常識だけじゃなくデリカシーも無いのか? 普通家族旅行に水を差すのが楽しいのか? 自分で探して勝手に向かえ」

 

 勝手に盛りがって何を言っているんだと呆れ顔をするソウゴ。非難しながら頼るなど支離滅裂にも程がある。そこに、愛子がおずおずと以前のソウゴの言葉を指摘する。

 

「でも常磐さん、今の私達では大迷宮に挑んでも返り討ちだって言ってませんでした?」

「……正直、私の知らんところで勝手に死ねば楽だと思っている。よく言うだろう? “馬鹿は死なねば直らん”とな」

「ぶっちゃけ過ぎでは……?」

 

 ソウゴのあまりに身も蓋も無い発言に、愛子は想像以上にたじろぐ。

 

 ソウゴとしては、【大迷宮】を全てクリアした後に生徒達を基の世界に送る位はやってもいいと思っていた。だが、彼等が一から神代魔術を手に入れる手伝いをするなどまっぴらごめんだった。そこまで愛着も無く魅力も感じない以上、時間の無駄以外の何ものでもない。

 

「常磐さん、お願いできないかしら? 一度でいいの。一つでも神代魔術を持っているかいないかで、他の大迷宮の攻略に決定的な差ができるわ。一度だけついて行かせてくれない?」

「寄生したところで手に入らんぞ? 攻略したと認められるだけの行動と結果が必要だ」

「勿論よ。神の事はこの際置いておくとして、帰りたいと思う気持ちは皆同じよ。死に物狂い、不退転の意志で挑むわ。……だから、お願いします。何度も救われておいて、恩を返すといったばかりの口で何を言うのかと思うだろうけど、今は、貴方に頼るしかないの。もう一度だけ力を貸して」

「……鈴からもお願いします、常磐さん。もっと強くなれば、恵里の事を理解したい。だからお願い! このお礼は必ずするから鈴達も連れて行って!」

 

 今のままでは無理という愛子の言葉を聞いて、雫が一つだけ神代魔術を手に入れる助力をして欲しいと懇願する。その顔は、恩も返せない内にまた頼らなければならない事を心苦しく思っているのか酷く強ばっている。

 

 雫に感化されて、ずっと黙っていた鈴まで頭を下げだした。どうやら、恵里の事で色々考えているようだ。その声音や表情には必死さが窺えた。

 

「頼めねぇか、常磐さん。せめて自分と仲間くらい守れる様になりてぇんだ。もう、幼馴染が死にそうになってんのを見てるだけってのは……耐えられねぇ」

 必死さで言えば、龍太郎も同じ様だった。土下座する勢いで頭を下げている。

 

 【オルクス大迷宮】での事にしろ、今回の事件にしろ、何も出来なかった自分を相当責めているのだろう。握られた拳から僅かに血が滲んでいる。

 

 

 

 

 それを見てソウゴは逡巡する。本来なら【ハルツィナ樹海】の攻略に光輝達を連れて行く様な面倒事を引き受けるなど有り得ない。さっさと断って、【オルクス大迷宮】でも【ライセン大迷宮】でも適当な所に放り出すところだ。

 

 

 しかしこの時、ソウゴの脳裏にふと僅かな可能性が過る。

 

 

 というのも、彼等彼女等は今のところ一兵卒どころか、戦闘職に就いていない民間人にすら劣る。

 

 しかし雫や優花、愛子、浩介等、所々実力以外の点が評価出来ないでもない面々はいる。そして光輝は実力は彼等よりは上なのだ。だからこの先の経験如何によれば、それなりに退屈を凌げる掘り出し物にはなるかも知れない。

 

 

 獅子身中の虫を育てるのも悪くないかと考え、最終的に【ハルツィナ樹海】に限って同行を了承する事にした。一応ユエ達にも視線で確認を取るが、特に反対意見は無い様だ。

 

 

 

 

 雫達の間に安堵の吐息と笑顔が漏れる中、ソウゴは残り二つとなった大迷宮とこれからの展開に思いを巡らせた。

 

 




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第二十七話 加害者と被害者で言い分が食い違う事はままある。

前回から滅茶苦茶時間が経ちました。大変お待たせしました。お待たせし過ぎたかもしれません。

本当はもっと長くなる予定だったのですが、あまりに時間がかかり過ぎるので削りました。やっつけクオリティ。

この間BLEACHを一巻から六十三巻まで中古で一気買いしました。ウマ娘では新衣装ウオッカが十連一回目で出ました。FGOでは村正が一発で出ました。最近事故ったので転職予定です。


 

 話し合いが終わり解散した後、ソウゴとユエ、雫の姿は王都のメインストリートにあった。

 

 ガヤガヤ、ザワザワと王都は普段に増して喧騒に満ちていた。

 

 

 ソウゴの新国王就任から五日経った今も、人々の胸に去来する驚愕感や興奮は僅かな衰えもなく心に刺激を与えていた。ソウゴの齎した神の如き癒しは、それ程までに衝撃なのだ。

 

 そんな興奮の喧騒に包まれる王都のメインストリートを歩くソウゴの手には、途中の露店で買ったホットドッグ擬き(ソーセージではない何かが挟まっている為)が収まっていた。

 ソウゴ達が向かっているのは、王都を覆っていた大結界のアーティファクトである。雫が同行しているのは、その案内を彼女が買って出たのである。

 

 シア達は王宮でお留守番だ。今の王都で他種族が堂々と歩くのは、無意味に人々を刺激する行為だと判断し自発的に居残ったのだ。

 たとえ王都の人々が自分達を襲ったのは魔人族だと分かっていても、今は"人間族ではない"というだけで無駄な騒動になりかねないという訳だ。

 

 聖教教会のお膝元である王都に於いては奴隷の亜人族すら忌避される位で、元々人間族以外は殆どいない。なので妥当な判断と言えるだろう。

 今や香織も見た目からして唯の人間ではないし、愛子達は忙しいリリアーナのお手伝い、ティオはここ数日ぶっ通しで消費していた魔力充填の為に睡眠中である。

 

 

 

 因みに徒歩で向かっているのは、情勢視察という名の暇潰しである。

 

 

 

 雫に案内されてやって来たその場所は、かなりの数の兵士によって厳重に警備されていた。

 警備員達は近づくソウゴに驚きの視線を向けた。しかし、傍らに雫がいるとわかると直ぐに目元を和らげる。

 

 雫のお陰で殆ど顔パスで通った先には大理石の様な白い石で作られた空間があり、中央に紋様と魔法陣の描かれた円筒形のアーティファクトが安置されていた。そのアーティファクトは本来なら全長二メートル程度あったのだろうが、今は半ばからへし折られて残骸が散乱している。

 その周りには頭を抱えてうんうんと唸る複数の男女の姿があった。恐らく、大結界修復にやって来た職人達なのだろう。

 

「おや、 雫殿ではありませんか。どうしてこちらに?」

 

 その内の一人──口髭をたっぷりと生やした、見るからに職人気質な六十代位の男が雫を見つけるなり声をかけてきた。どうやら雫とは顔見知りらしい。

 

「こんにちは、ウォルペンさん。私はただの案内兼護衛です。大結界が修復できるかもしれない方をお連れしました」

「なんですと? もしや……やはり新王陛下!?」

 

 雫にウォルペンと呼ばれた男は、ソウゴに視線を転じると途端に驚愕の眼差しを向けた。事前に来訪を伝えられてない要人が来たとなれば、その反応もさもありなんと言えるだろう。

 

 

 実はこのウォルペン、【ハイリヒ王国】直属の筆頭錬成師なのだ。大結界のアーティファクトは当然神代のアーティファクトであり、現代ではたとえ王宮の筆頭錬成師といえどもその修復は極めて困難らしい。

 

 しかしそんな事情など知った事ではないソウゴは、スタスタとウォルペン率いる職人達の間を通り抜けアーティファクトの残骸に手を当てる。

 

「成程……こんな貧弱な壁で、よく数百年保ったものだな」

「貧弱……? ふん、新王陛下は随分な目をお持ちで」

 

 ソウゴからするとあまりに頼りないこの大結界が、何百年もの間王都を外敵から守り抜いてきた事に意外だと思うソウゴに、ウォルペンが不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

 しかしソウゴは、そんなウォルペンを柳に風と受け流し修正を始めた。黄金のスパークがソウゴを中心に広がり、その手元にあるアーティファクトの残骸が次々と元の位置に融合されていく。

 その錬成速度と精度に、ウォルペンのみならず彼の部下達が一斉に目を剥いた。ソウゴの攻撃以外の技能を初めて見た雫も、白い空間に舞い散る鮮やかな黄金に目を奪われている様で、「綺麗……」と呟いている。

 

「自然エネルギーを混ぜ込んで……よし。そこに六赤……否、"八金二重陽陣"の式に、"クリスタルウォール"……後は"オリハルコンエレメント"のエッセンスを取り入れれば……ふむ、まぁこんなものだろう」

 

 僅か十数秒で神代のアーティファクトを改修し終えたソウゴは、序に魔力を注ぎ込み大結界を発動させてみた。

 

 円筒形のアーティファクトは、その天辺から光の粒子を天へと登らせていく。直後、外で警備をしていた兵の一人が部屋に駆け込んできて、第三障壁が復活し、更に障壁が二つ増した事を告げた。

 

「……なんという事だ……神代のアーティファクトをこうもあっさりと……」

 

 呆然とするウォルペンに雫が苦笑いしながら例の黒刀もソウゴの作品だと告げる。

 

 瞬間、彼等の眼がギラリと獣の様に輝いた。そんな彼等を尻目に、ソウゴは作業終了と言わんばかりに身を翻そうと歩き出す。

 

 

 しかし。職人魂の塊の様なウォルペン達が、自分達の遥か上をいく錬成師をそう簡単に行かせる訳がなかった。

 

 

「待って下されぇーー!! 弟子に! 是非、我等を弟子にして下されぇーー!!」

「断る」

 

 

 足にしがみついてソウゴに弟子入りを懇願しようとするウォルペン。だが彼の情熱は、すげなく放たれた拒絶の言葉と共にソウゴの体をすり抜ける。更に、次々とウォルペンの部下の錬成師達が逃がしてなるものかとソウゴにしがみつこうとするが、結果は同じだ。誰一人ソウゴに触れられない。

 

「貴様等の寿命を考えれば、教えるだけ無駄だ」

「ですが、アーティファクトをあっさり修復し、雫殿の黒刀まで手がけたと。我等にはどうやったらそんな事が出来るのか皆目見当も付きませんぞ。それを教えていただければ……」

「なら神でも倒してこい。四、五柱程狩れば身に付くだろう」

「そんな……」

 

 ソウゴの言葉にガクリと肩を落とすウォルペン達。実際大結界のアーティファクトには生成魔術により空間魔術が付与されており、王都の結界は特殊な空間遮断型の障壁だったのだ。普通の錬成師には修復出来ない筈である。

 

「用件は終わりだ、戻るぞ」

 

 それだけ言い残し、ソウゴはユエと雫を伴ってその場を後にした。

 

 

 

 

 王宮に戻ったソウゴは玉座の間にも執務室にも戻らず、王宮に関わる人員なら自由に出入り出来るテラスルームでユエ、雫と共にティータイムと洒落込んでいた。

 

 ユエはソウゴのカップが空になった事を確認すると、即座に次のお茶を注ぐ。

 ソウゴもそれを確認し、適当に捉まえたメイドに頼んだお茶請けを口に運ぶソウゴに、「私はそろそろお暇しようかしら?」と頬をヒクつかせながら、香織の所に逃亡しようかと雫が考え始めた時、突然ソウゴ達のいる部屋の扉がノックもされずにバンッ! と音を立てて開け放たれた。

 

 何事かとそちらに視線を向けたソウゴ達の目に映ったのは、十歳程度の金髪碧眼の美少年がキッ! とソウゴを睨む姿だった。しかも、両隣にユエと雫がいる事が気に食わないのか、一瞬ユエを見た後更に目を吊り上げ、怒りを倍増しで滾らせた様だ。

 

「お前か! 香織をあんな目に遭わせた下衆はっ! し、しかも、香織というものがありながら、そ、その様な……許さん、絶対に許さんぞ!」

 

 

 

 そんな言葉と共に登場した彼は、この国の"元"王子ランデル・S・B・ハイリヒである。

 

 

 ランデルは、拳を握り締め「うぉおおおお!」と雄叫びをあげながら勢いよくソウゴに向かって駆け出した。殴る気満々である。

 

 ソウゴは訳がわからなかったが、取り敢えず侵入者かと思いテーブルから紅茶用の角砂糖を一つ手に取り適当に投げつける。ありえない速度で放たれた角砂糖の弾丸は、狙い違わずランデルの額を正面から撃ち抜き、グチャッ!! という音を上げて潰れたトマトに変える。

 

 

「で、殿下ぁ~! 貴様ぁ~、よくも殿下ぉ~!」

「叩き斬ってやる!」

「覚悟しろぉ!」

 

 

 ランデルが開け放った扉から、彼を追いかけて来たらしい老人や護衛と思われる男達がいきり立ってソウゴに飛びかかった。

 恐らく旧王家の支持者……というより、ランデル個人を支持する者達なのだろう。つまり"不穏分子"と看做しても問題無い。

 

 

 ──ガオンッ!

 

 

 ソウゴはスタンド"ザ・ハンド"の能力を使い護衛達の体を抉る。後に残ったのは、見るも無残な下半身の残骸のみ。

 

 ソウゴは静寂が戻った事を認識し、雫が何か言うよりも早く護衛達の死体を消してからランデルを"ザオリク"で蘇生する。床に飛び散った血飛沫や肉片が巻き戻る様に動き、再びランデルの頭部を形成していく。

 

 それから数秒した後、室内にシクシクとすすり泣く声が聞こえ始めた。

 

 ランデルはまるで暴漢に襲われた女の子の様に両足を揃えてしなだれながら、床に顔を埋めてシクシクと泣き声を上げていた。どうやら、ソウゴの容赦ない殺害を理解して心が折れてしまったらしい。ズボンが濡れ、床に水溜まりが出来始める。

 

 

 

 と、そこへタイミングよくリリアーナがやって来た。

 

 ソウゴに「信じられない……」という目を向ける雫と、その逆隣で平然と茶請けをもきゅもきゅと食べているユエ、それらを我関せずと紅茶に口をつけるソウゴ、泣き崩れるランデル。

 

 リリアーナは、それらを見て状況を把握したのか片手で目元を覆うと天を仰いだ。

 

「遅かったみたいですね……」

「リリィか。よく知らんが貴様によく似た小僧が入り込んでいたぞ、警備兵に突き出しておいてくれないか?」

 

 リリアーナは「私の弟です……」と説明しながら、それはもう深い溜息をつきながらランデルを助け起こした。

 

 

 ランデルがソウゴに突撃してきたのは、勿論香織の事が原因だ。

 

 

 変わり果てた香織に愕然としたランデルは、どうしてそんな事になったのかと理由を問い詰めた。

 その結果、どうやら"ソウゴくん"とやらが原因らしいと理解し、更にその香織が正に恋する乙女の表情でソウゴの事を語る事から、彼は真の敵が誰なのかを漸く悟ったのである。

 

 そして、「香織に元の体を捨てさせる様な奴は碌な奴じゃない!」と決めつけて突撃した先で、心から香織に想われておきながら他の女に囲まれているソウゴを目撃し、怒髪天を衝くという状態になったのである。

 

 ランデルとしては、まさに魔王に囚われたお姫様を助け出す意気込みでソウゴに挑んだわけだが……その結果は現在の通り。

 

 殴るどころか近づく事すら出来ずに片手間で殺され蘇生され、情けないやら悔しいやら、遂にポロリと涙が出てしまったのだ。

 

 リリアーナに抱き起こされ、つい「姉上ぇ~」と抱きついたランデル。

 その様を見て、何とソウゴは「弟? …………あぁ、そういえばいたか」と呟いた。雫から呆れの視線が突き刺さる。

 

 だが、ランデルにとって不幸はまだ終わっていない様だった。彼がリリアーナの胸元に顔を埋めて泣きついた直後、香織が部屋にやって来たのである。

 

 

「あっ。ランデル殿下、それにリリィも。……って、殿下どうしたんですか!? そんなに泣いて!」

「か、香織!? いや、こ、これは……決して姉上に泣きついていた訳では……」

 

 

 リリアーナからバッと離れて必死に弁解するランデル。好きな女の前で、姉に泣きついて慰めてもらっていたなど男の子として口が裂けても言えない。

 しかし香織は、ランデルが泣いている状況とソウゴの存在、雫とリリアーナの表情で大体の事情を察し、久しぶりに爆弾を落としていく。

 

「もう……ソウゴくんでしょ? 殿下を泣かしたの。年下の子イジメちゃだめだよ」

「言いがかりにも程があるぞ。貴様とて、害が無いと分かっていても顔の周りで虫が飛び回ると流石に鬱陶しくなるだろう? それと同じだ」

 

 自分は真剣だったのに、ソウゴからすれば撃退ですらなかった事にランデルがショックを受ける。しかし何よりダメージが深かったのは、自分が被害者側だと当然の様に判断された事だ。胸を抑えて「ぐっ!」と呻くランデル。

 

「もう! ……ちゃんと"手加減"してあげたの? 殿下はまだ"子供"なんだよ?」

 

 好いた女から子供扱いされた挙句、手加減を前提にされる屈辱にランデルが「はぅ!」と更に強く胸を抑えた。

 

「少々角砂糖を投げただけだ。……まぁ、その程度で頭が弾け飛んでしまったが。一応蘇生したから問題あるまい?」

「でもリリィに"泣きついて"いるじゃない……それにほら、額が赤くなってる。折角"可愛らしい顔"なのに……殿下はちょっと"思い込みが激しくて"、"暴走しがち"だけど根は"いい子"だから、出来ればきちんと"相手をしてあげて"欲しいな……」

 

 自分がリリィに泣きついていた事をばっちり認識され、男なのに可愛いと評価された挙句、姉からもよく注意される欠点を次々と指摘され、更に追加の子供扱い。ランデルは遂にガクッと両膝を折って四つん這い状態に崩れ落ちた。

 リリィは「あらら」と困った笑みを浮かべているが、雫は「もう止めてあげてぇ、殿下の心のライフは既にゼロよっ!」と内心で悲痛そうな声を上げていた。

 

 しかし、香織は追撃の手を緩めない。崩れ落ちたランデルを心配して駆け寄り身を案じる声をかけた。

 

「殿下、大丈夫ですか? やっぱり打ち所が悪かったんじゃ……」

「……いや、怪我は無い。それより、香織……香織は、余の事をどう思っているのだ……」

 満身創痍のランデルは、思い切って香織の気持ちを聞く。

 

「殿下の事ですか? そうですね……時々、リリィが羨ましくなりますね。私も、殿下みたいなヤンチャな弟が欲しいなぁ~って」

 

 

 

「ぐふっ…お、弟……」

 

 

 

 笑顔で落とされた爆弾によって、ランデルに追加ダメージ。雫が「何故自ら傷口に塩を塗るような真似をっ!」と泣きそうな顔になりながら、ランデルに視線でもう止めるように訴える。

 

 しかし、小さくとも男ランデル、ここで立ち止まる訳にはいかない。

 ここ数日、父の訃報に散々泣き、母や姉の助けで立ち直って、その墓前に強くなると誓ったばかりなのだ。「いずれ先頭に立たねばならない己が、この程度の痛みに蹲っている訳にはいかないのだ!」と意気込みながら、その気合を無駄遣いの方向に使っていく。

 

「では……あんな奴が良いというのか? あいつの何処が良いというのだ!」

 

 ソウゴはランデルに睨まれているこの瞬間も、ティータイムを止めない。気に留める価値も無いからだ。ソウゴをキッ! と睨みながら、言外に「目を覚ませ香織! 余の方が良いに決まっている!」と訴える。その余裕綽々な態度が実に気に喰わない。

 

 しかし、香織の反応は分かりきったもので……

 

「え? な、何ですか殿下、いきなり……もう~、恥ずかしいですね。でも……ふふ、そうですよ。あの人が私の大好きな人ですよ。何処がって言われたら全部、としか……ふふ」

 

 と、ランデルに止めを刺した。

 

 再び俯いたランデルは四つん這いのままプルプルと震えだす。それを心配して香織が手で背中をさすりながら声を掛けるが、ランデルはガバッ! と勢いよく起き上がると香織の手を跳ね除けて入口へと猛ダッシュした。

 そして一度、扉のところで振り返ると、

 

 

 

「お前等なんか大っ嫌いだぁぁああああああ!!!」

 

 

 

 と、大声で叫び走り去ってしまった。去り際に、彼の目尻がキラリと光ったのは気のせいではないだろう。遠くから「うぁああああああん!!」という泣き声か雄叫びかわからない絶叫が聞こえる。

 

「リリィ、アレが面倒なら虫除けのルーンでも張るか?」

「ひ、他人事みたいに……貴方が泣かしたんでしょうが」

「止めを刺したのは香織だが?」

「くっ、反論出来ない……」

 

 ランデルが初恋を桜の花びらの如く散らせた後に駆けていったのを眺めながら、ソウゴが呟き雫がツッコミを入れる。香織は、一体ランデルはどうしたのかと追いかけようとしたが、それはリリアーナが止めた。

 

 

 リリアーナは、遅かれ早かれランデルの初恋は散ると分かっていたので、今夜は一緒に寝て弟を慰めるつもりだ。ランデルはいずれ、この国の(ソウゴの代理統治という実質の傀儡政権とはいえ)代表になる人間なのだ。失恋の一つや二ついい経験だろうと肩を竦めた。

 

 

 

 リリアーナは開けっ放しの扉をしっかり閉めると、香織を伴ってソウゴ達の方へ歩み寄って行く。どうやらランデルを追いかけて来ただけでなく、ソウゴ達に話もあった様だ。リリアーナは雫の隣の席に腰掛けようとして、ソウゴが雫と席を入れ替えて自分の隣に座らせた。

 香織はユエを退けてソウゴの隣に座ろうとして……ユエとプロレスで言うところの"手四つ"状態でギリギリと組み合っていた。

 

 

 前の体なら、たとえユエが後衛特化でも魔力の直接操作による身体強化が出来た為香織は拮抗する事すら出来なかったが、今は使徒の体(+ソウゴの心臓)なので本気を出さずとも十分に対抗出来る……どころか寧ろ押している様だ。

 

 

「香織……貴女、こんなに逞しくなって……」

「いえ、雫。感心していないで止めましょうよ」

 どこか寂しげな表情でズレた発言をする雫に、リリアーナがツッコミを入れる。

 香織が一度死ぬという衝撃の出来事があってから、少々香織に関しては残念な人になりつつある雫。召喚組一の良心で常識人を失っては面倒だと思い、ソウゴは香織の額にデコピンをしてユエの隣の席に座らせた。

「とっとと座れ。我が愛娘(リリィ)が話を始められんだろう」

「うぅ、ユエばかりずるいよ……」

「……フフ、ソウゴ様の隣は譲らない」

「……はぁ。すまんなリリィ、始めてくれ」

 

 溜息を吐きつつソウゴが促し、リリアーナは「コホン」と咳払いして口を開いた。

 

「話と言うのはですね、お父様に言われていたエヒト神の真実についての国民の認識把握調査の事なのですが……存外、正確に伝わっている様です。やはり教皇イシュタル、本山を始めとした主要都市の司教以上の者達の一斉拘束及び粛清が、事の重大さを知らしめる要因になっているのでしょう」

「そうか。自ら出頭してきた教会関係者の対応と、褒賞金に釣られて無実の者に濡れ衣を着せて突き出してくる様な愚者は?」

「出頭した方達には、踏み絵とエヒト神への信仰を捨てる旨を"真実の戒禁"の下で宣誓させた後に隔離を、濡れ衣を着せる様な方は今のところゼロです。……見事な手際で御座います。これならば以前言われた通り、万が一エヒト神が現れた時の対策にもなりそうです」

 

 リリアーナは澄ました表情をしながらソウゴに報告する。雫が「対策って何の事?」と首を傾げて説明を求める。

 

「基本的に神の強さとは、"古さ"と"信仰"の二つの要素に左右される。早い話が、神というのはより歳を重ね、より多くの人々に信じられて強くなる。典型的な年功序列だ」

「あぁ、成程。この世界はエヒトの一神教だから……」

「そういう事だ。特にこのハイリヒは、最も信者が多い。この世界最多の信者を抱える国が丸ごと離れれば、軽く見積もっても二割以上は力を削げるだろう」

「……再会した時からずっとそうだけど、本当に私達じゃ手の届かない所まで考えているのね」

「先々を見越して動くのは為政者の基本だぞ? まぁ確かに大体は思いつきで動いてばかりで脳筋と呼ばれる事は多々あるが……」

「ふふ、別に脳筋だなんて思ってないわよ。頼りになるって言ってるの、褒め言葉として受け取っておいて」

 

 雫の言葉に肩を竦めるソウゴ。そんなソウゴを頼もしげに見つめる雫。

 何だか気心の知れたやりとりに、ユエと香織の視線が雫に突き刺さる。それに気がついた雫がビクッと体を震わせて「えっ、何? 何なの?」とユエ達に問いかける。

 

「ユエ、どう思う?」

「……ん、まだ大丈夫。あくまで友人レベル」

「そう。"まだ"なんだね……」

「……ん。要注意」

 

 ユエと香織がヒソヒソと何かを相談している。雫が物凄く居心地を悪そうにしていた。そんなユエ達に、ソウゴは呆れた表情を見せるのだった。

 

「あの、お父様。まだもう一つ伝えたい事がありまして……」

 

 するとリリアーナがソウゴの袖を引き、まだ話があると注意を自分に向ける。

 

「ほう、内容は?」

「実はお父様に会いたいという方々が来ていまして」

「客だと? ……本国の者達か?」

 

 リリアーナが告げた自分への客人が来ているという言葉に、ソウゴは不可思議な表情を浮かべつつ逢魔国の者ではないかと推測する。

 

 

 理由は単純、この世界で王都の伝令兵からの伝達無しに自分に会いに来れる人物に心当たりが無いからだ。

 

 ただ単純に会いに来るのならば、【ブルック】のキャサリンやクリスタベル、【フューレン】のイルワ、【ホルアド】のモア、【アンカジ】のゼンゲン親子に商団長のモットー等思いつく人物はいる。

 だがそのいずれも、王都の警備兵の目に引っ掛からずに直接王宮に来れる様な移動手段を持っていない為、兵士からの伝令が無い以上その可能性は無い。

 

 ならば、消去法で自分の世界の者だと考えるのが自然だろう。

 

 

 ソウゴがそう考えながら「通せ」と伝えると、程なくして二人の少女と付き添いのメイド達が現れる。その率いる二人の顔を見て、ソウゴは珍しいと言いたげな表情になる。

 

 

 

 一人目はユエと同程度の身長の少女。ピョンっと跳ねた薄い金髪のアホ毛、黒のブレザーと赤のチェックスカートに、真っ白のマント。そして片手に持った、頭部より少し大きいサイズの水晶玉。

 

 

 二人目はそれより少し大きい程度の身長の、車椅子に乗った少女。装飾か自前か分からない小さな金の角に、黒白半々のパッツン髪。

 

 

 

 

「魔導元帥夫人に蜘蛛の魔王……、珍しい取り合わせだな」

 

 微笑と共に告げられる、ソウゴの素直な感想。

 

 

 

 水晶を用いた反射系の術を主とした"映晶術(ゲヘナ・スコープ)"を得意とする『正義の魔女』にして、逢魔国の魔術師の頂点である魔導元帥・春日アラタの第五夫人──春日ミラ。

 

 

 神の領域たる不老不死を目指したとある科学者に造られ、戦闘天使と黒龍(二柱の神)によって育てられた蜘蛛の魔王にして女神・白織の祖母──アリエル。

 

 

 何れもソウゴの臣下、またはその関係者という繋がりしか無く、ソウゴの言葉通り纏まりも無く共同で動いた事も無い面々。

 

 

 

「事前に示し合わせた訳ではありません。目的地が一致していた為に同道しただけです」

 

 ミラがすまし顔で告げながら、アリエルに目配せして膝を折る。アリエルは車椅子から降りられない為、首を垂れるに留める。

 するとミラはその表情と同じく怜悧な声音でソウゴに告げる。

 

 

「いと高く深き悠久の玉座におわす、偉大なるオーマジオウ陛下。新たなる地の併合、我等一同謹んでお祝い申し上げます」

 

『魔王様、おめでとう御座います!』

 

 

 空かさずメイド達が続き、声を合わせて賛辞と拍手を送る。どうやら彼女等の突然の訪問は、ソウゴが【ハイリヒ王国】を平定した事への祝辞が目的らしい。

 

 

 

 ソウゴは二人の底知れない気配に背筋を凍らせるユエ達、その実力を測れず只々困惑するリリアーナを尻目に、一言二言言葉を交わして急な謁見を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 夕方。

 

 茜色の空が広がり人影が大きく薄く伸びる頃、王宮の西北側にある山脈の岸壁を利用して作られた巨大な石碑の前に人影が佇んでいた。

 

「ごめんなさい……」

 

 そう呟く人影の正体は愛子だ。

 

 忠霊塔前には、今回の騒動で亡くなった多くの人々──主に恵里の暗躍によって殺害された貴族達等の遺品や献花が置かれている。

 未だ確認中で石碑に名は刻まれていないが、エリヒド前国王もここに名を連ねる事になる。

 

 そんな遺品の中には、愛子にとって見覚えのある武具がそっと置かれていた。

 西洋剣と槍、短杖だ。それは、逝ってしまった愛子の生徒達──檜山大介、近藤礼一、中村恵里のアーティファクトである。

 

 

 本来彼等は国逆の大罪人としてイシュタルや司祭達と共に、ソウゴが王都の外れに作った無縁仏の捨て穴に埋葬される予定だった。実際、彼等の首と死体はそこに葬られている。

 

 

 だが彼等が使っていた武具に関しては、元々国庫で保管されていたアーティファクト──つまり国宝に等しい物であった為、リリアーナの嘆願により修復され特例として忠霊塔に置く事を許されたのだ。

 

 

 

 愛子がポツリとこぼした懺悔の言葉は、一体何に対するものなのか。

 檜山達を日本に連れて帰る事が出来なかった事か、それとも自分の生徒達が起こした事で(蘇ったとはいえ)多くの人々が亡くなった事に対してか、或いは……。

 

 愛子が悄然とした雰囲気で俯きながら何かを堪える様に立ち尽くしていると、「ザッ、ザッ」と足音が響いた。やけに響くそれは、恐らく自分の存在を知らせる為に態と鳴らしたものだろう。普段の彼は、そんな雑音を立てたりはしないのだから。

 

 愛子がハッとした様に俯いていた顔を上げ、視線をそちらへ向けた。

 

「常磐さん……」

「奇遇……でもないか」

 

 愛子の視線の先にいたのはソウゴだ。夕日に照らされながらも、それを上回る様に輝く瞳を真っ直ぐ愛子に向けている。その手には花が一輪、見るからに献花しに来たと分かる。その事に愛子は少し意外そうな表情をした。

 ソウゴは愛子の表情から何を考えているのか察し、「失敬な……」と呟きながら献花台にパサリと花を置いた。

 

「私とて、死者を悼む気持ちはあるぞ?」

「え? あっ、いや、そんな、私は別に……」

 

 如何にも心外そうな声音で愛子に話しかけたソウゴに、愛子は動揺した様に手をワタワタと動かして誤魔化す。ソウゴは冗談だとでも言う様に肩を竦めると、無言で愛子の傍らに佇んだ。

 

 愛子はチラチラとソウゴを見るが、巨大な石碑を見上げるソウゴは愛子の事を特に気にした様子も無く、話をする気配も無い。無言の空間に何となく焦りを覚えて、愛子は仕方なく自分から話しかけた。

 

「え~と、そのお花は……やっぱり檜山君達に……ですか?」

「明らかに違うと分かっている事を訊くな。臣下達にだ」

 

 見当違いの言葉に、ソウゴは眉を片方だけ上げてあっさり返す。

 

「と言うと、亡くなった宮廷に勤める人達……」

「ああ。面識は無かったが、この国の臣民として死んだ以上は私には弔う責務があるだろう。まぁ、生きていても私に従ったかは知らんが」

「……そうですね……」

 

 ソウゴの言葉に、愛子はどこか優しげな表情になった。敵とあらば容赦無く殺意を向ける印象のソウゴだが、それでも人の死を悼む気持ちがちゃんとある事に愛子は嬉しくなったのだ。態々お供えまで持参して来た事に自然と頬が緩む。

 

 

「責めんのか?」

「え?」

 

 突然のソウゴの言葉に、愛子は首を傾げる。

 

「今回の事全てだ。就任時にも言ったが、私はあの時、あの場で恵里と檜山(馬鹿共)が動く事を把握していた。魔人族の侵攻を、香織と近藤某の死を事前に知っていた。その上で自分の利益を優先し敢えて放置した。香織本人は覚悟の上だったが。……そして他の生徒達の安全という餌を使い、奴等を殺させた。生徒達の全てを、政治の道具として利用したのだ。貴様なら怒りの一つや二つぶつけてくるかと思ったんだがな」

「……」

 

 愛子は微笑みを消して、再び俯いてしまった。ソウゴは無言だ。返答を促す事はしない。どれ位無言の時間が続いたのか……やがて、愛子がポツリポツリと言葉を溢す様に話し出した。

 

「……正直、そう簡単には割り切れません。檜山君が白崎さんを殺めた事は許される事ではないけれど、出来る事なら生きて罪を償って欲しかったという想いがあります。常磐さんも、事前に分かっていたなら未然に止めてほしかったと思っています。近藤君も、出来れば生き返らせてほしかったです。……でも私には、常磐さんを責める資格はありませんから」

 

 愛子は、両腕を組む様にして肩を震わせる。

 

「それは、自分に止める力が無かったからか?」

「……」

 

 無言の肯定。よく見れば目の下には化粧で隠しているが隈が出来ており、ここ数日眠れていない事が明らかだった。もしかすると、悪夢でも見ているのかもしれない。

 

 再び降りる静寂。ソウゴは何を言うでもなく無言のままだ。場の空気に居た堪れなくなったのか、愛子が覇気のない声音でソウゴに尋ねる。

 

「……常磐さんは……辛くないですか?」

「人を殺した事か? 特段何とも思わんな。何千、何万、何億……幾つもの命を奪い、国を奪い、世界を、星を、宇宙を、次元を滅ぼした。いずれ私が召されるならば、その時は永遠の虚無に飲まれるだろうな。だが今更後悔など覚えんし、寧ろ罪悪感を抱くなど、それこそ私が殺した者への冒涜だ。それが私の一生背負うと決めた、殺戮と略奪の罪(愛と平和の覚悟)なのだ」

「……」

 

 ソウゴの言葉に、愛子が辛そうに顔を歪める。凡そ常人には理解出来る領域に無いであろう自罰と不屈の両極を突き詰めた精神性は、愛子を更に締め上げる要因となった。

 

 

「……誰も……責めないんです」

 

 

 愛子が、堪りかねた様に言葉を漏らした。

 

「誰も、私を責めないんです。クラスの子達の私を見る目は変わらないし、王国の人々からは、称賛じみた眼差しさえ向けられます」

 

 それは事実だった。クラスメイト達はソウゴの凄惨な政策の印象が強すぎて、愛子がそれを許容したという事に気づかず、寧ろ愛子は自分達の為に矢面に立って戦ってくれたという印象を抱いているし、王国の貴族や役人達は洗脳を解いてくれたと感謝している位だ。

 

「デビッドさん達にも全て話しましたが、彼等でさえ『少し考えさせて欲しい』とその場を離れるだけで直ぐに責める様な事はしませんでした。私は、彼等の大切なものを見殺しにしたというのにっ!」

 

 噛み締めた唇から血が滴り落ちた。

 

 

 愛子は、責めて欲しかったのだろう。

 人を殺すという行為は……重い。狂人や性根の腐った者、或いは覚悟を決めたり割り切ったりした者でもない限り、普通は罪悪感や倫理観という名の刃によって己の精神をも傷つけるものだ。

 

 そういう者にとって、責められる、罰を与えられるというのは、ある意味救いでもある。

 

 愛子自身も、無意識にそれを求めたのだろう。しかし、それは与えられなかった。

 

「随分と傲慢だな」

「傲慢……?」

 

 そんな愛子を見て、ソウゴは些か不思議な返答をした。疑問符の浮かぶ愛子にソウゴはそのまま続ける。

 

「私は罪を背負う事に覚悟や責任がある様に、同じく権利があると思っている。今回直接手を下したのは全て私だ。その罪科(勲章)は全て私一人の物、誰にも渡すつもりはない。抑々、一体貴様が何時私の罪を背負える程偉くなった? 貴様が今感じている罪悪感は、私から見れば過剰な欲張りにしか見えんよ」

「罪を背負う、権利……」

「まぁ、"不老者(おとな)の特権"とでも言っておこうか」

 多少気障ったらしく締めたその言葉は、ソウゴ流の気遣いなのだろうか。少なくとも、愛子は先程までの様な苦痛に喘ぐ罪人のそれではなく、啓示を噛み締めようとする仔羊の様な不思議な表情だ。

 

「……まぁそうさな、泣き言を垂れて甘えられるのは子供の特権よな。だから……好きなだけ泣けばいい」

「……え?」

 

 静寂のルーンを描きながら、ソウゴは顔を逸らす。

「私から見れば貴様も、ユエやティオだって等しく赤子の様なものよ。つまりこの場には、格好つけたい大人が一人、泣くのを我慢している子供が一人いるだけだ。子供が泣くのを咎める大人はここにはいない、故に……心のままに動け」

「っ……本当に……貴方という人は……」

 

 愛子は泣き笑いをしながら近寄ると、ポスっとその背中に顔を埋めた。

 

「では……少しだけ、貸して貰いますね」

「……」

 

 無言で頷くソウゴに愛子は頬を緩めつつ、その身を預ける。そして、溜め込んだものを吐き出す様に涙を流した。

 

 

 

 二人の影が大きく東に伸びる。暫らくの間、日暮れの中ですすり泣く声が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったくもう、ホントにもうっ! ですよっ!」

「ソウゴくん……少し自重しようね?」

「ふふふ、流石ご主人様よ。ほんの少し目を離した隙に止めを刺すとは……」

 

 王宮内の食堂にて、夕食をつつきながらシア達のどこか責める様な声が響く。それを向けられているソウゴは、如何にも他人事といった様子で目の前の王宮料理を口に運ぶ。

 ソウゴの右隣に座るユエは何も言わないが、どこか困った人を見る様な目を向けている。事情は聞いたので「まぁ仕方ないか」と思うのだが、明らかに愛子の中のソウゴに対する気持ちが自分達に近しい雰囲気だったので複雑といえば複雑だった。

 

 しかも、ソウゴからは愛子に対する扱いについて"放置"の方針を聞いているので、多少愛子に対して同情心も湧き上がってしまう。

 

「……ソウゴ様、愛子は耐えられそう?」

 

 ユエは少し心配そうにそんな質問をした。それに対し、ソウゴは食事の手を止めずに淡々と答える。

 

「気にする必要はあるまい。それに周りが放っておかん故、時間さえあれば解決するだろう」

「……そう、よかった」

 

 僅かに目元を緩ませるユエに、他のメンバーは冷や汗を掻く。

 

「ユエさん……流石ですね。一歩も二歩も先をゆく」

「これが……私とユエの差? くっ、負けない! 負けないよ!」

「うむ、天然というか何というか……素直に称賛させて貰うのじゃ」

「……不本意な評価」

 

 戦慄の表情をするシアに、悔しそうな香織、そして感心するティオ。思わぬ評価にユエが渋い表情になった。ソウゴは放置して食事を続行する。

 

 

 ソウゴ達が仲間内である意味仲良く盛り上がっていると、不意に食堂へ集団がやってきた。勿論光輝達を含むクラスメイトだ。どうやら、愛子も含めて全員いるらしい。予め彼等が食事をする時間は聞いていたので、無駄な衝突を避ける為時間をズラしたのだが……その目論見は外れてしまった様である。

 

 

 一瞬だけ視線を向け、しかし気にする必要も無いと判断しそのまま食事を続けるソウゴ。ユエ達も特に気にしてはいない様だ。

 

 だがクラスメイト達はそうもいかない様で、ある者は興味津々な様子で、ある者はどこか気まずそうに、またある者はどういう態度をとればいいのか分からないと戸惑った様にそわそわしている。

 チラチラと視線は向けるのだが、先の謁見でソウゴが明らかに自分達を仲間と思っていないどころか興味すら持っていない事を思い知らされていたので、声を掛ける事が躊躇われる様だ。

 

 

 因みに、愛子は別の意味でソウゴをチラ見している。

 

 

「あっ、雫ちゃん! こっちだよ!」

「香織。隣いいかしら?」

「勿論だよ」

 

 ニコニコと使徒のクールフェイスで人懐っこい笑みを浮かべる香織に、雫も自然と頬を緩めて隣の座席に座った。

 

 香織が体を変えたという信じ難い事実に最初は戸惑っていたクラスメイトも、その笑顔に香織の面影を見たのか僅かに場の雰囲気が和む。体は変わっても、香織の持つ和やかな雰囲気はクラスメイト達の心を穏やかにする様だ。寧ろ、ソウゴが姿を消してピリピリとしていた頃に比べれば、以前の香織が戻ってきた様で嬉しそうにしているクラスメイトも多い。

 

 雫が座席に座ると、その隣に光輝が、向かい側に愛子が、その隣に鈴が座った。愛子は丁度ユエの隣だ。

 続いてクラスメイト達が他の座席に座っていく。鈴がユエを見て座る際、「お姉様のお側……し、失礼します!」と言いながら妙に緊張している姿が見られた。ユエが、「……何故お姉様?」と首を傾げる。

 

 光輝達が席に着くと、王宮の侍女達が一斉に動き出し配膳を行っていった。ソウゴ達と同様のメニューだ。

 

 その時、ユエの頭越しに愛子の視線がソウゴに向けられた。チラリと視線をやれば、途端に愛子の頬が薄く染まり、恥ずかしげに目が逸らされる。それでもチラチラとソウゴを見た後、内緒話でもする様に声を潜めて声をかけた。

 

「あ、あの、常磐さん……、さっきのは……その、出来れば……」

 

 ユエは自分越しに話をされて若干居心地悪そうに身動きするが、恐らく教師でありながらソウゴに泣きついた事が恥ずかしくて口止めしたいのだろうと察し、何も言わなかった。

 

 

 その愛子の様子に、雫達がソウゴへジト目を向けている。幸い、他の生徒には位置的に死角となってバレていない様だが、比較的近くにいる前線組は訝しそうな眼差しを向けていた。

 

 淳史達愛ちゃん護衛隊の男子メンバーは「あの人、とうとう愛ちゃんまで……」と畏敬と諦めの籠った視線を向けていた。奈々や妙子は苦笑い、優花は如何にも「興味ありません!」といった様子だが、その視線はもの凄い頻度でチラチラとソウゴに飛んでいる。

 

「一体何の事だ?」

「ふぇ?」

 

 ソウゴは知らぬ存ぜぬの姿勢で目もくれず、極々自然にとぼける。愛子はその態度に一瞬呆けるものの、秘密にしてくれるのだろうと察し苦笑いしながら「いいえ、なんでもありません」と答えた。

 つくづくソウゴには気を遣わせていると自分を不甲斐なく思いつつも、気にかけてもらっている事に嬉しさを感じて頬が綻んでしまう。

 

 そんな愛子の様子を見て、益々女性陣から白い目を向けられるソウゴ。唯一、ユエだけがソウゴの肩をポンポンと叩き、更に「あ~ん」をしてきた。

 

 ソウゴが「しつこいな……」と内心ウンザリしていると、逆サイドに座るシアがソウゴの袖をクイクイと引っ張った。

 

「ソウゴさん。あ~ん、ですぅ」

 

 どうやら恋敵が増えそうな事に憤るよりも、アピールに時間を費やすべきだと判断したらしい。頬を染め、上目遣いでそそとフォークを差し出す。その際、ウサミミをひっそりとソウゴに寄り添わせることも忘れない。素晴らしいあざとさだった。

 

 そんな光景を見せられては、香織とティオも黙ってはいられない。二人も慌てて、料理にフォークを突き刺す。

 

「ソ、ソウゴくん、私も、あ~ん!」

「ご主人様よ。妾のも食べておくれ。あ~んじゃ」

「……チッ」

 

 面倒さが前面に出た為遂に舌打ちしてしまったが、やらねば収まりがつかないのも理解している。なので溜息を一つ溢し、四人の「あ~ん」に応えるソウゴ。パクッパクッと食いつく。香織もティオもほわ~んとした表情になった。

 

 

「何、この空気……半端なく居心地が悪いのだけど……」

 

 

 雫が、ソウゴを中心とした桃色結界に頬を引き攣らせた。その中心たるソウゴ自身が桃色とは真逆の噴火寸前の火山の様な、または極寒地帯の如き不機嫌さを隠していない為に猶更そうなるだろう。

 隣の光輝や龍太郎、鈴も同じ様に居心地悪そうにしている。愛子だけ、自分もすべきかと一瞬考えてしまい、何を考えているんだと自分を叱りつけるという一人ノリツッコミをしていたが皆がスルーする。

 

 他の女子生徒は突然の甘い空気に先程までのぎこちない空気を霧散させて、ソウゴ達をチラ見しながらキャッキャッと騒ぎ始めた。ソウゴに対する何処か畏怖している様な目が一瞬で恋バナのネタを見る様な目に変わった。

 奈落に落ちたあの日から、何があれば"あの彼"がこんなハーレムの主になるというのか……事前の説明も忘れ、女子達の目が好奇心に輝きソウゴを見つめる。

 

 一方男子達も、女子と同じ様に一時的であれど畏怖の宿る目を向けなくなっていた。

 

 

 但しそこにあるのは、メラメラと燃え盛る嫉妬と羨望の眼差しだ。

 

 

 何せソウゴを囲むのは、"絶世の"と称しても過言ではない美女・美少女達だ。

 

 特にシアに多くの視線が集まっている。やはり、ウサミミ少女というのはオタク的な趣味を持っていなくても男心を的確に擽るのだろう。まして今のシアは、ソウゴの隣で実に可憐な微笑みを振りまいており、時折ピコピコと動くウサミミは破壊力抜群である。

 

 だがいくら嫉妬と羨望に身を焦がそうと、どれだけ異世界の美少女達と仲良くなる秘訣を聞き出したかろうと、何を言えるわけでもない。嘗て、ソウゴを"無能"と呼んで蔑んだ負い目が口を噤ませ、その圧倒的な力と強者特有の雰囲気が気後れさせるのだ。

 

 

 そんな中である種の慣れ・耐性でも出来たのか、愛子が苦笑いを消して真剣な表情でソウゴに質問を投げた。

 

「……あの、常磐さん。一つ訊きたい事があるんですが」

「何だ?」

 

 

「───神殺しの経緯について、お話頂けませんか?」

 

 

「神殺しを"成したか"ではなく、何故神殺しに"至ったか"の過程を聞きたいと。そういう事か?」

「はい」

「……この場にいる面々ではユエとシアしか話してなかった筈だが? 誰から聞いた?」

「えっと、その……八重樫さんから、です」

「あ、ごめんなさい。私は香織から聞いて……勝手に話していい事じゃないわよね」

「……まぁいいだろう。聞いたところで私の威厳が幾らか損なわれ、貴様等は教訓を得る。それだけの話だからな」

 ソウゴの威厳が損なわれる、という発言に直に聞いていたユエとシア以外が疑問符を浮かべる。

「前置いておくと、だ。私が神殺しに至ったのはそれが目的だったとかではなく、ただの偶然だ。私の認識で言えば"若さ故の過ち"や"黒歴史"に該当する、決して真似はしない方がいい」

 そう呟きながら、ソウゴは事の顛末を話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は十数万年前、私が三百歳前後ユエと同じ年頃の時の事だ。

 

 

 私はその頃に、最も古く付き合いのあった忠臣を失った。戦いや事故ではなく、単なる老衰の様なものだ。

 

 奴は私が王になる前から付き従ってくれた最初の臣下であり、最初の友/供(とも)であり、我が四つの右腕の一つであった。

 

 

 そんな男が死ねば、私も流石に堪える。私は悲しみに暮れ、国も民も放って酒に溺れた。極々普通な庶民的な安酒から神代の秘宝酒まで、一日中酒に逃げた。

そしてそれが二、三日と続けば自ずと鬱憤も溜まっていく。

 

 

 そんな日が二週間程続いた頃には、私は怒りに身を任せた八つ当たりで数十の世界を滅ぼした。焼け野原になった世界、海の底に沈んだ世界、不治の毒に侵された世界、嵐の収まらぬ世界、永久凍土に閉ざされた世界、恐怖で自滅した世界。どんな世界を幾つ滅ぼしたか、私は朧気にしか覚えていない。今振り返ってみれば、暴君どころか暗君もいいところだ。

 

 

 それから更に一ヶ月程経った頃、私は天使を見た。

 

 

 比喩ではなく、正真正銘そのままの意味でな。天使という種族と解釈すればいい。

 私は神の使いである天使を見つけ、ふとした考えが過りその後を追った。

 

 そうして大した苦も無く神域に辿り着いた私は、そこで虐殺の限りを尽くした。

 

 神とその眷属とは、不滅の存在である。だからこそ、私は考えたのだ。

 

 

 

 ───何度壊しても使える、理想的なサンドバッグになるのではないかとな。

 

 

 

 それから私は、何度でも再生するのをいい事に破壊と殺戮を繰り返した。隠れているなら丸ごと焼き払い、逃げ惑う神を片っ端から殺して回る。老いも若いも男も女も関係無く、見つければ滅ぼした。

 斬り殺し、突き殺し、刺し殺し、裂き殺し、殴り殺し、蹴り殺し、絞め殺し、焼き殺し、食い殺し……多種多様な殺し方で気晴らしをしていた。

 

 

 

 それを当時の統治下だった全ての世界で行い、一ヶ月。一人一人の殺害回数が百万を超えた頃、不滅が不滅ではなくなった。その神性の全てが私に移ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とまぁ、こんな風に。要は私が神を殺したのは"悪酔いから来る八つ当たり"だったという事だ。軽率に後先考えずに殺してしまったせいで、世界の全ての事象を一人で管理する羽目になってしまったからな。人間の生死のタイミングから一日の天気、作物の出来やらまで全部自分で考えるとなると、中々面倒だぞ? お陰で下手に眠る事も出来なくなった。分かったら気軽に神殺しをする等と口にするのは止めておけ」

 

 

 そこまで言い終えると、ソウゴはクラスメイトの視線を無視しながら変わらず食事を進めていく。その視線に「そんな理由で神様って殺せるのか……?」という戦慄と呆然がたっぷり乗っている事を理解した上で、ソウゴはやはり無視を貫く。

 

 

 するとそんなソウゴの側で、何故か頬を染めたままジッとフォークを見つめる香織の姿があった。香織は少し目を泳がせると、何か決意した様に申し訳程度に料理を乗せてパクッとフォークを口にした。そして再び頬を染める。

 

 途端、ユエの痛烈なツッコミが入った。自分をジッと見つめるユエに気がついた香織が、目を合わせたと同時に解き放たれる言葉の矢。

 

「……変態」

「!? ち、違うよ! 何て事言うの! わ、私は普通に食事しているだけだし!」

「……と言いつつ、ソウゴ様の味を堪能」

「し、してないってば! だ、大体、そんな事言ったら、ティオこそ変態でしょ! ほら、こんなに堂々とフォークを舐めてるんだよ!」

「レロレロレロ、んむ?」

 

 顔を真っ赤にしてユエに反論する香織は、ビシッ! とティオを指差した。その先では、普通にフォークを口に含んでモゴモゴレロレロしているティオがキョトンとしている姿があった。如何にも「何か問題でも?」といった表情だが、ティオが咥えているフォークには何も乗っていなかったりする。明らかに他の何かを堪能していた。何かの内容はスルーだ。ドMの変態は、いつの間にか何でもありの変態に進化していたらしい。

「ティオ、今すぐそれを止めろ。流石に下品が過ぎる」

 ソウゴは手を止める事無く、無感情にティオへ一応の注意をする。

「むぅ、仕方なかろう。ユエ達もまだじゃが、ご主人様は未だに妾と口づけをしてくれんし。こういう時に堪能しておかねば、欲求不満になるのじゃ」

 何故か非難する様な眼差しを返されて、ソウゴは胡乱気な眼差しを向ける。するとその時、ティオが何かを思い出した様に突然その瞳を輝かせた。

「そうじゃ! ご主人様よ、ご褒美を未だもらっていないのじゃ! 妾は約束のご褒美を所望するぞ!」

「あぁ、そういえばまだだったか」

 

 ティオの言葉に、ソウゴも思い出した様に呟く。何の話かわからない者達が首を傾げる中、シアが代表して尋ねる。

 

「ご褒美って……何の話ですか?」

「うむ。総本山でな、先生殿を預けられた時に『最後まで無事ならご褒美をくれる』という約束を取り付けたのじゃ。ぬふふふ……ご主人様よ、よもや約定を違えるような真似せんじゃろうな?」

 シアや香織が「そんなのズルイ!」と騒ぐ中、ティオが妖しげに笑いながら約束の履行を迫る。何となく皆の注目が集まる中、ソウゴがここにきて初めて食事の手を止めティオに視線を向けた。

「何を望む。言っておくが、あくまで私の"出来る範囲"だぞ?」

 言外に"抱け"等という要望は聞かんぞ? と告げる。ティオもその意図を察している様で、心得ているとでもという様に大仰に頷いた。そして、ほんのり頬を染めてもじもじしながら要望を伝える。

「安心せよ、無茶な事は言わんよ。な~に、ちょっと初めて会った時の様に……妾をボコボコにいじめて欲しいだけじゃ」

 

 両頬を手で挟んで、「きゃ! 言っちゃった!」とでも言うようにイヤンイヤンするティオ。既に一度している事なのだから無茶ではなかろう? と、とんでもない要望を伝える。

 

 

 案の定、その発言はユエ達以外の全ての人間を激しく動揺させた。ソウゴに向けられる眼差しが、どこか犯罪者を見る様な目になっている。

 

 

 

 しかしソウゴだけは、ティオの提案に思案顔になる。指を立て一定のリズムで机を叩き、目を伏せながら「ふむ……」と何度か呟きを溢す。そのまま三十秒程考えた後……

 

 

 

「いいかもしれんな」

 

 

 

 まさかの肯定を口にしながらソウゴは立ち上がった。

 目を輝かせるティオとギョッとする一同に対し、ソウゴは皿の上の料理をどういう手段か一瞬で腹に収めて「全員修練場に来い」と言い残して、フッと姿を消した。恐らく先に移動したのだろう。

 

 

 何が何やら分からず目を見合わせる一同は混乱しつつも、手早く残りの料理を食べ終えて食堂を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして一同が修練場に向かってみれば、その中心でまるでそこにあるのが当然の様な自然体で立つソウゴの姿があった。ソウゴは静かに目を伏せ、掌の上でキラキラと輝く水晶を弄んでいる。

 そしてユエ達の姿を視界に収めると、「来たか」と呟きながら空いている手で手招きする。途端、ユエ達はソウゴの側まで一瞬で移動していた。

 

「では始めるか」

 

 驚く面々を他所に、ソウゴはユエ達と生徒が全員いる事を確認すると掌の水晶を握り潰す。

 すると虹の様な光の波動が淡い煌めきとなって大気に溶けていく。

 

「あれ? 何ですか、これ……」

「何、今の……」

「何だか凄く……」

 

 それと共に全員がほんの一瞬、突発的な浮遊感と強烈な眠気に襲われた。五感を外側から強制的に切り替えられる様な、とても不思議な感覚だった。

「……ソウゴ様、今のは?」

「"夢石の面晶体(フィールドオブドリームス)"という結界魔術だ。外界に影響の無い明晰夢の空間を作り出す。平たく言えば、この中で起きた事は文字通り"夢の中の出来事"になり外に出れば消える。正に"夢幻の如く"だ」

 

 

『ほへ~……』

 

 

 ソウゴの説明に、シアと生徒一同が理解した様なそうでない様な、曖昧な返事を返す。それを見てソウゴは、更に別の説明──というより、今回この結界を張った理由を口にする。

 

「早い話が、この結界にいる間はたとえ死んでも大丈夫という事だ」

「え~っと、それってつまり……」

 

 野生の感、或いは獣性の第六感というべきか、ソウゴの言葉から何となく嫌な予感を察知したシアが恐る恐る問い掛ける。そして同じく察したティオは笑顔を浮かべる。

 

 

 

「そういう事だ。……ティオへの褒美を兼ねて、今から貴様等には私と摸擬戦をしてもらう。手加減はするが、それでも殺すつもりで行く」

 

 

 

 ソウゴの言葉にギョッとしたのは優花達愛ちゃん護衛隊と前線組の光輝以外のメンバー、疑問符を浮かべたのはユエ達三人と居残り組。

 

「何、そう不思議がる事は無い。ただ単に私と戦えばいいだけだ。全員が集っているこのタイミングが実力を見るのに丁度いいと思っただけだ。特にそこの四人は、無理に我々に同行しようと言うのだからな」

 

 そう言いながらソウゴが試す様な視線を光輝達に向ければ、他の面々もそちらに目を向ける。

 視線を向けられた勇者パーティの内、鈴と龍太郎は一瞬ビクッとしながらも向き直る。雫は言わずもがな、頼んだ本人である為既に覚悟をしている目だ。光輝に至ってはここまで来ると最早流石と言うべきか、未だソウゴとの実力差を実感出来ていないのか睨み返している。ソウゴは視線だけで「やれるものならやってみろ」と言外に伝え、続けてユエ達に目を向ける。

 

「貴様等もだ。私が課した点をどれだけ改善出来ているか、この場で試させてもらう。勿論ティオもな」

 

「……ん、頑張る」

「ソウゴさんとじゃなくて勇者さん達と一緒なのは癪ですけど、精一杯やりますよぉ!」

「楽しみじゃのう、どれ位ボコボコにされるんじゃろか……!」

「え、ちょ、私この体まだ慣れてないんだけど!? ……あっ、その試しも兼ねてか」

 

 一方、困惑や緊張が濃い生徒達と比べてユエ達は堂々としたものだ。ソウゴと行動を共にしている事で、その辺りの度胸や実力はついているのだろう。

 

「それで、対戦形式は?」

「簡単だ。私対貴様等全員、一対約四十。分かりやすかろう?」

 

 ソウゴがそう言った途端、主に居残り組の面々から騒めきが広がる。

 

 彼等彼女等は、前衛組やユエ達と違ってソウゴの実力を見たのは侵攻の時が初である。それ故に、あの実力を見ても尚自分達の延長線上の存在だと思っているのだ。だから数にものを言わせれば、ましてや光輝達も一緒なら恐ろしく思えるソウゴ相手にも勝ち目があると考えるのだろう。

 

 

 

 そんな面々を置き去りに、ティオ提案ソウゴ主導の急な摸擬戦の準備が進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて……ハンデとして、私は今までより分かりやすい攻撃をしてやろう。その上で先攻は譲ってやる、かかってこい」

「っ……、後悔するなよ!」

「ちょ、光輝!?」

 

 特に合図も無く始まった戦いは、腰に佩いた武器(逢魔剣)も抜かずに脱力したソウゴの挑発に乗った光輝の攻撃から幕開けた。

 

 驚きながらも制止する雫の声を振り切り、光輝は即座に距離を詰めにかかる。

 

「万翔 羽搏き 天へと至れ──"天翔閃"!」

 

 開幕と同時に放たれたのは、光輝が得意とする光の斬撃。

 何だかんだとご都合主義な"無自覚頭オーロラ少年"な光輝であるが、それでも全く強化もされていない攻撃でソウゴを害せる訳が無いという事は理解している。故に既に"限界突破"を発動した状態で技を使う。

 

 そんな全身全霊ではないが本気という言葉では足りない程の気迫の一撃に対しソウゴは……

 

 

「一応の強化を乗せたのは悪くないが……」

 

クウガ!

 

 

 宣言通り、分かりやすくライドウォッチを使って能力を発動するというあからさまな手加減接待縛りプレイ。

 

 即座に足下に"封印の紋章"が浮かび、フィールド全体まで広がったソレは吸い込まれる様にソウゴの右脚を輝かせる。それと同時に、白熱化したかの様に燃え上がった足が振り上げられる。

 

「先ず一手。未だ遅く、脆い。隙だらけだ」

「ぐおっ……!?」

 

 聖剣目掛けて放たれた"悪魔風脚・万赤蹴撃(ディアブルジャンプ・マイティキック)"は容易に聖剣の光を侵食し、刀身を破壊しながら腕を伝って光輝を吹き飛ばす。

 

「だぁもうっ! 俺も人の事言えねぇけど、一人で突っ込んでんじゃねぇよ!」

「受け止めるぞ! 少しでもダメージを減らす……!」

 

 咄嗟に前に出た龍太郎と永山が"剛力"、"金剛"を発動しながら受け止めるが、その勢いを殺し切る事は出来ずにほぼほぼ変わらぬ速さで壁に叩きつけられた。

 

「ぐふっ!!」

「がは……!?」

「───ッ!!」

 

 轟音と共に倒れ伏す三人。光輝は聖剣への間接的な蹴りにも関わらず鎧が砕け、貫通はしていないながらも腹部が抉れて所々内臓や骨が潰れている。

 受け止めた二人も背部が削り取られたかの様に肉が千切れており、腕も装甲も原型が無くなる程拉げている。両足もどうにか形を成してはいるが、膝は逆側に曲がり内側から破裂した様に出血している。

 それでもまだ絶命していない辺り、ソウゴが絶妙にコントロールしたのだろうか。

 

 

『ヒィッ───!?!!?』

 

 

 だが一方、特に構える暇も無くその光景を見せられた居残り組は戦慄した。揃って悲鳴も溢している。

 

 

 真面な戦闘を熟す前に戦線から逃げた彼等は、十秒と経たずに起こった列車に撥ねられたかの様な重症を負った三人を見て、ソウゴが奈落に落ちた時より一層リアルな死を幻視した。

 

 

「ほれ、どうした小童共。私はまだ待ってやるぞ?」

 

 そこへ冷や水を浴びせられる様に投げられる、ソウゴの言葉。すると……

 

 

「……うぉぉぉおおおおッ!!」

 

 

 何処かヤケクソというか開き直ったというか、そんな雰囲気を纏った優花の雄叫びが響く。

 

「こうなったら、とことんまでやってから死んでやるわよ!」

 

 優花は捨て鉢の覚悟を叫びながら魔術で炎を纏わせた武器のナイフを投げつける。するとそれを追う様に、ユエとティオ、香織が術を放つ。

 

「"緋槍"!」

「"風刃"!」

「"分解"っ!」

 

 ティオは威力より速度と連射性を重視した下級魔術を、ユエと香織は威力を重視した一撃をソウゴに向ける。それに乗っかる様に、後衛職の面々も様々な術を放つ。

 

「開き直った決死の勢い任せか、若い頃の私の様だ」

 

キバ!

 

 迫る刃と魔術の壁を前に、ソウゴは何処からか現れたバイオリンを弾き鳴らす。ダメージが無いとはいえ、目前に攻撃が迫っているとは思えない行動だ。

 

 しかしその攻撃が後数センチでソウゴに触れるまで迫った途端、その全てが赤黒い光に包まれる。バイオリンの音色に乗せて放たれる"支配権の横取り"である。

 

 

「「「「なっ……!?」」」」

「二手目。"攻撃が乗っ取られる"、という経験は初めてか?」

「っ! バカオリ、一緒に天絶っ!」

「分かってるっ、鈴ちゃん一番強いのお願い! "天絶"!」

「わ、分かった! ここは聖域なりて、神敵を通さず ──"聖絶"!」

 

 その言葉と共に、ソウゴの体と影が無数の光る蝙蝠に分裂して奪われた術と共に飛び掛かった。キバの蝙蝠召喚と"欠片蝙蝠(フリックバット)"、“火花光拳(スパーキング・ヴァルキリー)”の合わせ技だ。それら一つ一つがシアや雫すら視認出来ない程の速さで回避出来なかった大半の生徒達の体を貫き、削り、抉っていく。

 その脅威を一早く感じ取ったユエが香織、鈴と共に"天絶"と"聖絶"の障壁を張ったが、それはゲリラ豪雨をティッシュで防ごうとでもするかの様な無駄な抵抗に終わった。

 

「ぎゃあああああっ!!」

「痛ええぇぇぇっ!」

「痛い痛い痛い!!」

「嫌だ、死にたくないぃ!!」

「ソウゴさん……本当に容赦無いっ!」

「妾が頼んだとはいえ、一体ご主人様の引き出しは幾つあるのやら……!」

 

 無数の蝙蝠と自分達の術によって体を貫かれたり手足が千切れたりと、生徒達は経験した事の無い激痛に絶叫を上げる。シアとティオも耐えてはいるが、脇腹が削れたり腕や脚の骨が露出する等決して無視出来ないダメージを負う。

 

「ん、くぅっ!」

「防げるとは思ってなかったけど! これはちょっと予想外だよっ!?」

「そんな、何で……!?」

 

 一方でユエ、香織、鈴は自分達の張った障壁がまるで障子紙の如くあっさり破られた事に驚く。ユエと香織は元々ソウゴの攻撃を完全に防げるとは思っていなかった為に咄嗟に迎撃用の術を発動したが、"結界師"の天職持ちである鈴はその光景にプライドも粉々に破壊されたのか棒立ち状態で格好の的になっていた。

 

 

「おいおい、まだ二手だぞ? もう少しは粘ってもらわねば張り合いが無いぞ。貴様等もそう思わんか?」

「「───ッ!!」」

 

 

 ソウゴは挑発する様な言葉を倒れ伏すユエや生徒達に投げつつも、その視線は今の今まで動かずに、確実に機会を伺って気配を殺しながら背後に回っていた雫と遠藤に向けられる。そしてその手には既に、別のウォッチが握られている。

 

龍騎!

「ぐふっ!?」

「遠藤く──きゃあっ!?」

 

 途端、背後から飛び掛かろうとしていた遠藤に地面を割って現れたドラグレッダーが噛みつき、遠藤を咥えたまま雫を体当たりで弾き飛ばす。

 

「雫ちゃん!」

「浩介!」

 

 そのまま地面を転がる雫にぶつける様に、遠藤から牙を抜き刃と一体化している尾で叩きつけるドラグレッダー。続けて放たれる約五千度の火炎に、二人共悲鳴を上げる間も無く火達磨になる。

「三手。……情けないぞ貴様等」

 ソウゴはその光景に溜息を溢し、回復魔術を掛けようとする。しかし……

 

 

「よくも、雫を……! 許、さない……!」

 

 

 ザッ、という砂を踏む音と共に、一人の少年が立ち塞がる。

 

 勿論、光輝であった。

 

 治癒師の手が回らない為にその傷は塞がっておらず、臓物を撒き散らしながら立つその姿は勇者というより復讐者のそれだ。

 "封印の紋章"による継続ダメージを受けながらも、光輝は聖剣の欠けた刀身を魔力光で形成しつつソウゴに向かって斬りかかった。

 

「──"天翔裂破"ッ!」

 

 血反吐を吐きながら放たれる光の刃の群体に、ソウゴは憐れむ様な目を向けて対処する。

 

「実力に伴わない気概とは難儀なモノよな」

 

ブレイド!

 

 ウォッチの起動と共に紺碧の障壁"オリハルコンエレメント"がドーム状に展開され、光輝の"天翔裂破"は一つたりともソウゴに届かず弾かれる。

 愕然とする光輝の表情を他所に、青いエネルギーはソウゴの体から柱の様に立ち上がり頭上でインクを垂らす様に広がっていく。青光は無数の剣を形作り、戦場全体を覆う様に刃を向ける。

 

 

「四手、"蒼雷天鬼雨"。精々凌いでみせろ」

 

 

 指揮棒を振るう様に、ソウゴの指が振り下ろされた。

 

 文字通り雨の如く降り注いだ無数の光剣と稲妻は、僅かに立つ気力を残していた光輝とユエ達諸共倒れ伏す生徒達にも襲い掛かる。

 

「うっ、ぐはっ……」

「ッ──、 "波城"! "緋槍"! "雷龍"!」

「ぐぬぬっ、ですぅ!!」

「くっ、"砲皇"!」

「──"天絶"! からの"分解"!」

「追いつかない───ッ!!」

 

 元々内臓の大半を失った状態に継続ダメージを受けたまま気合だけで立っていた様な光輝は一瞬で針山の如く全身を貫かれて倒れ伏す。龍太郎と永山もどうにか立ち上がって他の生徒達を守る様に立っていたが、その防御力は剣と雷の雨には紙屑に等しく易々と貫かれていった。

 

 ユエと香織は防御を交えつつの範囲魔術、ティオは防御をステータスと技能に任せて反撃に全振り、シアと全身火傷状態の雫は"無拍子"を駆使した手数で対処していくが、何れも無傷で対処出来たのは五撃目までが限界。ユエは自前の"自動再生"、シアと香織はソウゴから習った"生命帰還"や"波紋"で傷を塞いでいくが、迫る“天鬼雨”の威力も数も速度も彼女等の遥か先を行く。他の生徒達は既に虫の息だ。

 

 

ファイズ!

 

 

 そこへ更に、ソウゴ自身の追撃も加わる。

 

「五手、"光血水鉄砲の術"」

 

 ソウゴは手で銃の形を作り、ユエ達に向ける。その指先から鬼灯一族の秘伝"水化の術"の一つである"水鉄砲の術"に乗せて、光る血の雫"フォトンブラッド"を撃ち込む。次の瞬間にはユエ達にポインティングマーカーが浮かび、その動きを拘束する。

 

 

アギト!

 

 

 続けて三対の角を持つ龍の様な紋章が浮かび上がり、ソウゴの輝く拳に吸い込まれる。それと共にソウゴの背には猛々しい獅子座の幻覚が浮かびあがり、その矛先をユエ達へと定めた。

 

「六手、"雷光放電・輝龍(ライトニングプラズマ)"」

 

「「「「「──────ッ!!?!?」」」」」

 

 アギトの力を乗せた秒間一億発の光速拳が、放たれたと認識するより前にユエ達の体を撃ち抜いた。一発一発が肌を裂き、筋を断ち、神経を斬り、血管を破り、骨を砕く。そうして反撃する意識が刈られた者から剣と雷に飲み込まれていく。

 

 

 そして雨が止めば……

 

 

 

「ここまで六手。残ったのは貴様だけか……」

「はぁ、はぁ、はぁ……どうや、ら、……その様、じゃのぅ」

 

 立っていたのはティオ一人だけだった。持ち前の耐性の高さと"痛覚変換"でどうにか耐え切った様だ。

 

「これでも手加減しているのだが……。ユエや体の慣れていない香織は兎も角、シアは問題だな。"覇気"の鍛錬を怠っていると見える、全く纏えていない」

「手厳しいのぉ……、───ッ!」

「七手」

 

電王!

 

 ボロボロになりながらも、どうにか反撃しようと"竜化"を図る。だがそれを見過ごす程今のソウゴは手を抜かない。

 ソウゴが脚を振り抜いた途端、空中で線路が形成されティオに向かって伸びていく。それらは断ち切れない鎖となって、ティオの体を縛っていった。

 

「ぐうっ!」

 

カブト!

 

「八手」

『CLOCK UP』

 

 ソウゴは時間が止まったと錯覚する程の時間流の中でティオに駆け寄り、空中へと蹴り上げる。

 

『CLOCK OVER』

「───ぐほぉぁッ!!?」

 

響鬼!

 

「九手。"火遁・豪火滅却"」

 

 間髪入れず、ソウゴの放った紫の大炎が無抵抗で宙を舞うティオを飲み込んだ。それでもティオはまだ息があり、最後っ屁の様にブレスを放った。そこへ……

 

 

 

「───"蒼龍"!」

 

 

 

 ほんの僅かに魔力を残していたのか、どうにか息を吹き返したユエが渾身の"蒼龍"を放つ。

 挟み撃ちの様に迫る二つの光、それでもソウゴは驚かない。

 

「十手、自分で喰らうがいい」

 

ディ・ディ・ディ・ディケイド!

 

 ソウゴを挟む様に光の膜──"オーロラカーテン"が出現し、ブレスと"蒼龍"を飲み込んだ。その出口は、二人の頭上に開かれる。

 

 

 そうして二人は、自分自身の攻撃に焼かれた。

 

 

 そうして立つ者がいなくなっても、ソウゴは追撃を止めない。

 

 

ダブル!

 

「十一手。そうら、起きろ小僧共。"神砂嵐"」

 

 そう言って発破をかける様に放たれた二色の竜巻は、地面に倒れる面々の体を肉片に変えながら宙に舞い上げる。

 

「う……、くっ……」

「けほっ」

 

 その螺旋の衝撃波によって体を千々に刻まれながらもその鈍くなった感覚でそれを感じたのか、シアやティオ等は呻き声を上げて目を開く。

 

「まだ終わらんぞ、十二手目だ」

 

ビルド!

 

 次のウォッチを起動すると同時に、ソウゴは両掌を空中に巻き上げられたユエ達に向ける。

 するとその掌の腹が吊り橋が下がる様に開き、その中から極小の砲台の様な物が現れる。その砲口から青光を漏らしながら、無数の豆粒サイズの砲弾を発射する。"タンクフルボトル"と"シロシロの実"の能力を合わせたそれは着弾と同時に爆炎を起こし、そのサイズから想像もつかない程の風と衝撃を撒き散らした。

 

 数秒経って、その黒煙が晴れる頃。ソウゴは次のウォッチを取り出し、徐に微笑を浮かべる。何故なら───

 

 

 

「───"絶象"ッ!!」

 

 

 

 黒煙の中から、神代と称される治癒の奇跡の名が響く。香織の現在の体である使徒の肉体の動力として組み込まれた"ソウゴの心臓"から供給されるエネルギーによって輝く銀翼の光を背負う香織から放たれる"絶象"の癒しは、瞬く間に全員の体を包み込み傷を癒していく。

 

「まだまだ行けるよソウゴくんっ!」

「そう来なくてはな。では、この十三手目はどう耐え凌ぐ?」

 

フォーゼ!

 

 途端、宙に躍り出たソウゴの全身が開き、そこから無数の重火器が現れる。"ロケット"、"ランチャー"、"ドリル"、"ガトリング"のモジュール能力に、"修羅道"も同時発動した銃撃、砲撃、焼却、光線の入り混じった超絨毯爆撃。

「……ん、くぅ、キリが無いっ」

「密度が! 凄すぎて! 避けられないですぅ!」

「"竜化"する暇が無いっ! これで手加減しておる方とは、恐れ入るのぉ……!」

 ユエとティオは攻撃と防御の両方に術を、シアは空力ブーツで宙を蹴りながらドリュッケンや拳から"魔衝波"を放って対処するが、撃ち漏らしが体の要所要所を捉え無視出来ないダメージを与える。

「"回天"! "天絶"!」

「くそッ! "天翔……ぐは!?」

「光輝! きゃあっ!?」

 香織は鈴や綾子と共に障壁を張ったり回復に回るのに付きっきりで、ユエ達と共に反撃に回る余裕は無い。光輝や雫、優花や淳史等は十回に一回程度の確率でミサイルや砲弾を撃ち落とす事は出来るものの、銃弾やレーザーには対処出来ずに徐々に体に穴が増えていく。

 

 

「上手くいってくれよ……! ──"落牢"!」

 

 

 そんな中、「一か八かの手がある」と持ち掛けて永山に守ってもらいながら必死に詠唱を終えた野村が、渾身の魔力を乗せて嘗て自分達を窮地に追い詰めた土属性上級魔術"落牢"をソウゴに向けて放つ。

 それを補助する様に、遠藤が再度ソウゴの背後から今度はナイフや小刀を投げつける形で攻撃する。

 

「工夫する姿勢は悪くないが、まだ私には届かない」

 

 

鎧武!

 

 

「土は石であり、砂の集まりでもある。地面──大地は森、海に並ぶ命の源であるが、その関係は対等ではないと知るがいい。……十四手、意思を持った森の侵食だ」

 

 "落牢"の玉と遠藤の投擲物に挟まれる様に立っていたソウゴとの間に、突如人間大の大きなジッパー──"クラック"が出現し、無数の蔦植物が術もナイフも幾重に搦め取っていく。ナイフは勢いを殺されて投げ返され、"落牢"は破裂する前にクラックの中に収納され不発に終わる。

 そして閉じた次の瞬間には新たなクラックが出現し、そこから異形の怪物"インベス"が溢れ出る。

 ミサイル攻撃をどうにか耐え切ったユエ達や光輝達に、今度は異形の軍勢が襲い掛かる。

 

「何だ今度は!?」

「魔物っ!?」

「──"五天龍"!」

「"劫火浪"!」

 

 その爪牙が光輝や龍太郎の防御を容易く破り、雫の斬撃やシアの殴打が呆気無く弾かれるのを見て、ユエと香織が即座に高火力の魔術を撃つ。その攻撃は即撃破とは行かなかったものの、他の生徒の術や物理攻撃よりはダメージを与えていく。

 それによって初級インベスが概ね撃破された頃、ソウゴが次のウォッチを使用する。

 

「目には目を、歯には歯を。十五手目は術対術で行くとしよう」

 

ウィザード!

 

 空中に無数の赤い魔法陣が現れ、そこから伸びる鎖がインベス諸共全員を縛り上げる。骨が軋む程の強さで縛り上げるその鎖は、術の行使も止める様に猿轡の要領で口にも巻かれていく。

 同時に生徒達を囲う様にソウゴの分身達が現れ、手を翳して術を放つ。

 

『ボルケーノ!』

『ハイドロ!』

『テンペスト!』

『ホライズン!』

『ブリザード!』

『サンダー!』

『エクスプロージョン!』

『ホーリー!』

『ブラスト!』

 

 同時に放たれるウィザードリングマジック。そこに"メラゾーマ"、"マヒャド"、"イオナズン"、"バギラミア"、"ベギラゴン"、"ギガデイン"、"ドルモーア"、"ベタドロン"を乗せれば、高々人間に向けるには超過剰と言っても足りない程の極彩色の殺戮の嵐となって迫る。

「 ──"壊劫"!!」

「───"絶象"!!」

 空かさずユエと香織が神代魔術で対応しようとするが、その集中と詠唱の間をソウゴは見逃さない。

 

 

 

「十六手」

 

 

 視認出来ない程の跳躍力で飛び掛かり、肉眼では捉えられない魔力器官の核を鉤爪の如く鋭い指で切り裂く。

「ぐ、ぁっ!」

「魔力がっ!?」

 その一撃は核を破壊する事は無かったものの、才あるユエや香織ですら緻密な作業を要する神代魔術の行使は失敗に終わる。しかも魔力を全身に通す為の"精霊の通り道"という回路にも傷が付き、そのせいで魔力が外に漏れ出てしまい下級魔術分の魔力すら編む事が出来ない。魔力を維持出来なくなった事により、空中に留まれなくなった二人は重力に引かれる様に墜落していく。

 

 そうなればソウゴの魔術攻撃を遮る壁は鈴の"聖絶"のみ。光のバリアドームは着弾の寸前に放たれた"凍てつく波動"に消し去られ、中にいた面々はミキサーに放り込まれた様にグチャグチャに潰れていく。

 

 

「やはりユエは鍛錬を怠っている様だな、あれでは狙ってくれと言っている様なものだ。───ほう?」

 

 

 その様を落胆の色で見下ろすソウゴに、二色の光が襲い掛かる。

 

「"神威"!!」

「──ッ!!」

 

 光輝の必殺技"神威"とティオのブレスだ。どちらも散々叩きのめされ──特に光輝は一度"限界突破"を発動して解除された後だというのに、大変しつこ……根性のある事である。

 しかしタイミングとしては悪くない。先程までと違い、ソウゴは一人宙に浮いている。誰も巻き込む危険性が無い上、ユエと香織という重大戦力を落とした直後というのも狙うにはバッチリと言える。

 

「ふむ……悪くないか。ならば──」

 

エグゼイド!

 

 

 

 

 

「──ここまで来れば、私も剣を抜かねば礼を失するというものか」

 

 

 

 

 

 そう言って逢魔剣を抜くソウゴの周囲には、瞬きの間に現れた多種多様なコイン──エナジーアイテム。

 その中から四つを引き寄せ、ソウゴはその効力を得る。

 

『剛力化!』

『金剛化!』

『鳴神!』

『雷霆!』

 

 効果が発揮されると共に剣を構え、その刀身は黒く染まり赫々とした獄炎を纏っていく。そこへエナジーアイテムの雷光が乗り、二つの極光と相対する。

 

 

「十七手──"神避・紅蓮爆龍剣"」

 

 

 その一振りは極光を染め上げ、放った張本人である二人も飲み込んで爆炎と黒煙と共に壁際まで叩きつける。

 炎と煙が晴れれば、そこには身に着けた物はおろかその体すら半ば炭化した光輝とティオの姿。

 

 

「……少しやり過ぎた、これでも過剰だったか」

 

 

 少し反省する様に頭を掻くソウゴ。

 

 

 

 ──その耳に、空気を裂く様な鋭い音が届く。

 

 その背後には、光輝がやられた事に気を取られる事無く、確実にソウゴへ一太刀浴びせるという鬼気迫る勢いで鞘走らせる雫と、その後を追う優花達六人。

 そして"無拍子"で放たれる、ソウゴの首を狙った一閃。八重樫流斬術奥義"断空"。果たしてその凶刃は……

 

 

ゴースト!

 

「八重樫雫。気配遮断は浩介の方が上の様だな」

 

 

「っ──!?」

 

 

 断ち切る感覚も、固く弾かれる感覚も、軽く逸らされる感覚も無く、ソウゴの首をすり抜ける。

 

「十八手。これが貴様等の限界だ」

 

 そのまま勢いを殺す事無く雫の体ごと自分をすり抜けさせ、ソウゴは雫と優花達の間に立つ形で再び実体化する。

 

 "雷治金(グローム・パドリング)"で逢魔剣を槍に変形させ、ソウゴは雫に向けて手放す。その穂先は投擲と着弾と貫通が同時に起きたと錯覚する程の速度で、過つ事無く一瞬で雫の胸を貫く。摩擦熱と槍の内部に残った電気が、彼女の心臓とその周囲を焼いていく。

 

 

 そして既に、ソウゴの視線は雫の方を向いていない。

 

 

 ソウゴの霊体化による透過の衝撃で一瞬足が止まった優花達の目前で、ソウゴは自身の背で眼魔界の紋章を光らせる。その光を乗せて振り向きながら回し蹴りを放ち、優花達を爆発四散させる。

 

 

 

 

 そうして他の面々を見てみれば、魔力路を断ち切られて地べたを這い蹲るユエと香織に、肉体も戦意も折れた生徒達。立ち上がる気概があるのはシアのみだが、そのシアも先程の呪文の嵐に対処しきれなかったのか、相棒のドリュッケンは既に砕け、左腕は根元から無くなり、両足もズタズタになって原型を留めずに捻じ曲がっている。"波紋"や"内活通"の輝きも見えるが、肺も丹田も深く傷が入っているのか微々たる効果も表れない。

 

「……ここまでだな。これ以上は冗長になる、後二手で終わりにする」

 

ドライブ!

 

 そう宣言したソウゴの体から赤い波動が広がり、突如他の面々は肉体と意識のズレを感じ取った。今迄に感じた事の無い不思議な感覚、"意識に肉体が追いつかない"とでも表現すべきか。重いや怠いとは違う、頭は正常に働くのに肉体も景色も遅れている様に見える。

 

「これが十九手目の"重加速"。そして──」

 

 その著しく遅滞した光景の中で、唯一人通常通りに動くソウゴはとても速く見えた。

 

 

 

アマゾンオメガ!

 

アマゾンネオ!

 

 

 

 二つのウォッチの起動と共に、ソウゴの手足や背から伸びる幾つもの触手。

 その正体は、一本一本が数億度の熱を持った伸縮自在の血管──"怪焔王"。先の侵攻時に近藤礼一の死体を破壊した熱を操る流派モード。

 

 そうして迫った血管の触手は、一瞬触れただけでユエや生徒達の四肢を溶かして無防備に変える。

 

 

「これで詰みの二十手目(チェックメイト)。"輝彩滑刀・暴虐獣裂(シャイニング・バイオレントパニッシュ)"」

 

 

 次の瞬間には、ソウゴの腕から生えた刃が振り下ろされた。

 

 

 その一刀の下に、全員の首が斬り落とされる事で摸擬戦の幕は閉められた。

 

 

 

 




後書きは思いつかない。

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第二十八話 暴走ウサギ

 

 

「……隊長、伝令部隊の奴が持ってきた話は……本当でしょうか?」

 

 真白の深い霧の中を進む一人の男がぼそりと呟いた。

 青年と呼べる様な年若い男は、浅黒い肌に先の細い耳を持っていた。紛う事無き魔人族だ。

 青年の声は、すぐ隣の同族の男の耳に届いた。厳格な表情が似合う年嵩の男で、眉間の皺は【ライセン大峡谷】の如く深い。

「……セレッカ副隊長、今の発言は伝令部隊が欺瞞情報を撒いているという意味か?」

「い、いえ。そういう事では……申し訳ございません、ダヴァロス隊長」

 厳めしい顔に似合った厳しい声音に、セレッカと呼ばれた魔人族の青年は慌てて頭を振った。

 ダヴァロスはジロリとセレッカを睨む。明確な叱責が含まれた眼光だ。その視線が彼等の更に後に続く魔人族達に向いた事を考えれば、言いたい事は明白。

 

 即ち、部隊の副長クラスにある者が、不用意な発言をするなという事だ。

 

「我等が樹海に突入する寸前に、魔物を潰す覚悟で伝えに来た急報だ。間違いあるまい」

「ですが、まさかあのフリード様が討死などと……」

「それ程の強敵が、人間側にいた。そういう事だろう」

「そんな馬鹿な、あのフリード様ですよ!? 白竜ウラノスがいて、他の魔物も……なのに!」

 必死に声を抑えてはいるが、瞳の奥の動揺は隠せていない。

 ダヴァロスは再度叱責を込めた鋭い眼差しでセレッカを睨んだ。ぐっと言葉を飲み込むセレッカを横目に、しかしダヴァロスは心の内で「無理もない」と思った。

 

 ダヴァロス率いる【魔国ガーランド】所属・特務小隊が、【ハルツィナ樹海】にある筈の"真の大迷宮"を攻略する為に祖国を出発して早二ヶ月が経とうとしていた。

 亜人族のテリトリーである【ハルツィナ樹海】は、晴れる事の無い真白の濃霧に覆われた秘境だ。この樹海では、視界はもとより方向感覚すら狂わされる。亜人族と樹海原生の魔物だけがその天然の脅威を無視できるのだ。

 

 現在の【ガーランド】は総司令官フリード・バグワーの指揮の下、各地の大迷宮攻略を積極的に進めている。魔人族の英雄たるフリードの力の源が、"真の大迷宮"を攻略する事で得られる神代の魔法であるからだ。

 フリードは一人でも多くの魔人族を自分と同じ神代魔法の使い手とする事で、魔人族全体の更なる強化を図る算段だった。

 

 ダヴァロスは【ガーランド】における古強者という分類で、魔王やフリードの信頼も厚い男だった。今回の樹海遠征において隊長を任せられるというのは、彼ならば"真の大迷宮"を攻略するに足る人材だと判断されたからでもある。

 彼自身、期待や信頼に応えたいという意気込みの他、己の力への自信から"真の大迷宮"攻略も不可能ではないと考えていた。

 何より、彼には心強い手札があった。

 

 

 ──ギィギィッ

 ──ヂヂヂヂッ

 

 

 小さく、金属が擦れる様な音。それは鳴き声だ。彼等が率い、そして騎乗している魔物達の。

 それがフリードより与えられた強大な戦力。樹海の濃霧が齎す不利を無視でき、尚且つその戦闘力は呆れる程のもの。他の大迷宮や都市攻略の任務を受けた者達も、同じく強力な魔物という手札を与えられていた。

 

 『この力があれば……!』、作戦開始当時、誰もが不敵な笑みを浮かべたものだ。

 魔人族の栄光は約束されたのだと、後は世界の全てに自分達の崇める神と種族の偉大さを叩き込んでやればいいだけだと、自信に満ち溢れていた。

 

 

 ──いつからだろうか、その自信と確信が揺らぎ始めたのは。

 

 

 樹海攻略には濃霧が齎す不利を無視出来る魔物の存在が不可欠だ。"真の大迷宮"攻略の他、亜人族との戦いもある以上は数もそれなりに必要。そうすると、とてもではないが飛行型の魔物による空輸は不可能。

 いくら戦闘力に自信があるといっても、流石に完全に防備を整えた一国と正面切ってやり合うつもりは無い。ギリギリまで隠密行動をする必要性があるという点からも、目立つ行動は避けたかった。

 

 その為、彼等は南大陸中央にある【ガーランド】から【ライセン大峡谷】沿いに東へ進み、南大陸側にも数百キロに亘って存在する樹海へ地道に陸路を進んできた。樹海に到達してからは森の浅い部分を北に向けて進軍、故に【ガーランド】からの伝令と連絡を取り合う事は可能だった。

 そしてその間に届く知らせは、各地で同胞達が戦果を上げ、或いは神代魔法を会得したという知らせ……である筈だった。

 

 

 特命 大規模穀倉地帯の壊滅及び豊穣の女神殺害

 ──失敗 担当した特務部隊員レイスは消息不明、貸与された魔物は全滅。

 

 特命 真のオルクス大迷宮攻略及び、可能なら勇者の勧誘

 ──失敗 担当した特務部隊員カトレアは死亡、貸与された魔物は全滅。

 

 特命 アンカジ公国の壊滅

 ──失敗 担当した特務部隊員ローゲンは帰還後に変死、貸与された魔物は喪失。

 

 

 次々に届く有り得ない知らせ。情報共有の為に創設された伝令専門部隊の兵は、現れる度に歓喜とは程遠い強張った表情をしていた。

 

 そして亜人族の国【フェアベルゲン】が近づき、樹海の深部へと進軍する直前に届いた信じ難い知らせ。

 

 

 ──フリード将軍 グリューエン大火山にてイレギュラーと交戦

 ──戦死。その後、切り刻まれた将軍の遺体が伝令部に投げ込まれる。その際に伝令員が六名死亡。

 

 

 無敵無敗の、魔人族の英雄が殺された……

 

 この知らせを受けた時に衝撃は計り知れない。念の為にと隊長格にだけ情報が渡る様伝令に配慮を求めておいて良かったと、ダヴァロスは心底思ったものだ。

 でなければ今頃、この小隊の士気はガタガタになっていただろう。実際、副隊長がこの動揺ぶりなのだ。

 

 ダヴァロスとて動揺はある。だがそれ以上に、憤怒の感情が胸の内にあった。魔人族の栄光に影を差す存在、選ばれし種族たる自分達に楯突く愚者共への、煮え滾る様な怒りが。

 

 

「隊長、前方に集落。亜人共のテリトリーに近づいた様です」

 セレッカの報告に頷く。負ける要素の無い自分達こそが、吉報一番を祖国に届けるのだと気持ちを滾らせる。

 

「聴けお前達! 現在、イヴァーセ将軍による王都侵攻作戦とディヴォフ小隊による帝都破壊及び皇帝暗殺作戦が進行している! 両者共、間違いなく吉報を祖国へ持ち帰るだろう。我々だけ手ぶらで帰れば末代までの恥だぞ!!」

 

 その発破に、セレッカを含め部下達の戦意は膨れ上がった。同じく戦意を高める──新種の魔物の軍勢と共に。

 

 

 だが、ダヴァロスは知らなかった。

 

 王国の大本命たる王国侵攻作戦。そこへそのイレギュラーが向かっていた事を。

 

 そしてイレギュラー本人が居らずとも、かの大樹海には彼が鍛えた一騎当千の狂兵達がいる事を。

 

 

 最も確実と思われた大樹海こそが、最大の鬼門であったという事を。

 

 

 

 眼下の八雲が、流れる様に消えていく。

 重なる雲の更に下に見える草原や雑木林、時折小さな村がやはりあっと言う間に遥か後方へと置き去りにされてしまう。相当なスピードの筈なのに、何らかの結界が張ってあるのか風は驚く程心地良い微風だ。

 

 そんな気持ちの良い微風にトレードマークのポニーテールを泳がせながら眼下の景色を眺めているのは、八重樫雫その人だ。

 

 雫は視線を転じて、頭上に燦々と輝く太陽を仰ぎ見た。

 雲上から見る恵みの光は、「手を伸ばせば届くのでは?」と錯覚させる程近くに感じる。雫は手で日差しを遮りながら手すりに背中を預け、どこか達観した様な、或いは考えるのに疲れた様な微妙な表情でポツリと呟いた。

 

「……まさか、飛行要塞なんてものまで所有しているなんてね。……もう、何でもありなのね」

 

 そう。雫が現在いる場所は、ソウゴが呼び出した空中飛行型要塞戦艦"アルティメット・リヴァイアサン・ゴレム"の甲板の上なのである。

 

 この"U・L・G"は、ソウゴが"白の世界"と"青の世界"の武装・造兵技術を転用して量産した対都市侵略用の移動拠点だ。全長約四百メートルの城が生えた軍艦の様な形をしており、中には前面高所にあるブリッジと中央にあるリビングの様な広間の他、更には年単位での遠征に備えた居住区・商業区・戦闘区・行政区を含めた"街"まである。

 尤も、樹海までの道のりでそれらの設備がどこまで活用されるかはわからないが。

 

 そしてそれらの設備を差し置いても、乗り物としては間違いなくこの世界最大にして最速であろう。

 

 

「……まるで夢みたい」

 

 雲上を飛ぶ。周囲は見渡す限りの絶景。ほぅ、と吐息を漏らしながら呟いた雫の心情は、果たしてどの様なものか。

 どこまでも唯我独尊を地で行くソウゴに反発した光輝が、「ならば大迷宮攻略に随行し神代魔術の力を手に入れて自分が世界を救う」と宣言した事に端を発し、雫達も其々の思いを抱えて力を求めたのは事実。

 

 ……とはいえ、だ。旅の始まりがいきなり空の上で、しかも目的地である【ハルツィナ樹海】までなら馬車で二ヶ月は掛かる道のりを、僅か三~五時間で移動してしまうと言われれば遠い目をしたくもなる。

 王国と樹海の間に【ヘルシャー帝国】があるが、そこまでならたった二時間弱。今後の人間族側の方針等の協議を行う為に同行しているリリアーナなど、白目を剥くという元王族にあるまじき表情で驚愕を露わにしていた。

 

 

 因みに今までソウゴが使わなかったのは、偏に使う必要性を感じなかったからである。

 

 これまでの面々にリリアーナが加わった程度なら、シアはストライカーに乗せトライドロンで移動する事が出来た。しかし光輝達も加わるとなると定員オーバーであり、トライドロンに乗せる事は出来ない。運転技術も無いだろうからストライカーを貸すという案も不可だろう。しかし全員纏めて転移、というのも旅行・観光という点から見れば退屈。

 

 よって、本国側とハイリヒ側の顔合わせも兼ねて千人前後の乗組員と共に"U・L・G"を呼び寄せたのである。王都から出発する際、何も用意せず王都近郊の草原に集合させたソウゴを訝しむ皆の前で、何の前触れも無く"U・L・G"を着陸させたソウゴは頬を吊り上げながら、

 

「移動と脅しを兼ねられるし、登場時のインパクトは大事だろう?」

 

 と常識の様に語ったものだ。

 "U・L・G"の全面に備えられている多種多様な砲門・兵器を見て、ソウゴの言う"脅し"の意味を正確に理解した面々は揃って顔を青くしたものだ。

 

 「空はこんなに青いのに……」と雫が半ば現実逃避していると、不意に声がかけられた。

 

「雫……ここにいたのか」

「光輝……」

 

 雫がそちらに視線を向ければ、丁度ハッチを開いて光輝が顔を覗かせているところだった。光輝はそのまま雫の隣に来て、手摺に両腕を乗せると遠くの雲を眺め始める。

 そして、ポツリと呟いた。

「これ……凄いな」

「そうね。……もう一々驚くのも疲れたわ」

 当然、光輝が言っているのは"U・L・G"の事である。しかしその表情に感心の色は無く、どこか悄然としており同時に悔しそうでもあった。

「光輝一人? 皆は?」

 

 今回ソウゴについてきたのは、リリアーナとその侍女、護衛の近衛騎士達数十名の他は光輝達勇者パーティだけだ。

 愛子は戦えない生徒達を放置する事は出来ないと残った。永山パーティや優花達愛ちゃん護衛隊のメンバーもソウゴに誘われたものの、光輝達が不在で居残り組のクラスメイト達を放置できないとして残留した。

 

「龍太郎と近衛の人達はシアさんが作った料理食べてる。鈴は、こことは反対方向で似た様な事してる。常磐さんは……リリィと話してる」

 雫はどこか棘のある光輝の物言いに、チラリと視線を向けた。その横顔で何となく心情を察した雫は、どうしたものかと苦笑いを零しながら頬をカリカリと困った様に掻いた。

「なによ、随分と不満そうね? 常磐さんがモテているのが気に入らないの?」

「……そんな訳無いだろ」

 少し茶化す様に声をかけた雫に、光輝がより不機嫌そうな表情になって素っ気なく返した。

「……こんな凄いもん持ってて、滅茶苦茶強い癖に……なんであんな風に平然としていられるんだ。……なんで簡単に見捨てられるんだよ……」

「……」

 どうやら光輝は、未だソウゴが神を探すつもりは無いと判断している事に納得がいっていないらしい。これだけの力があるのなら、自分なら絶対世界を救う為に神を倒すのに……と考えている事が、雫には手に取る様に分かった。

「……恐らく、本当に私達とは見えてるものが違うのよ」

「見えてるもの?」

 

 雫の呟く様な返答に光輝が視線を雫に戻して問い返す。雫は視線を遠くにやりながら、言葉を選ぶ様にゆっくり語った。

 

「彼は、私達が想像するよりも遥かに強くて、その分多くのものを背負っているし、もっと大変なものを知ってるのよ。だから私達には一大事でも、彼にとっては"態々自分が手を出す必要の無い些事"なのよ」

「……」

「それに、言っていたでしょ? "力があるから何かを為すんじゃなくて、何かを為したいから力を得て振るう"みたいな事。光輝が今感じている"差"は、多分想像以上に広い溝よ。溝というより、谷や崖と表現した方がいいかもしれない。たった一人で"失敗できない"という責任感で、無数の取捨選択の果てに得たものなのよ」

「……よく、わからない」

「う~ん。ちょっと違うかもしれないけど、ほら、ボクシングで世界王者になりたくて頑張ったのに、強いんだから街の不良を退治しろ! って言われるようなものって言えばしっくりこない?」

「む……そう言われると……でも、かかっているのはこの世界の人達の人生なんだぞ?」

 半ば意地を張る様に反論する光輝に、雫は眉を八の字にする。

「まぁ、困っている人がいたら放っておけないのは光輝のいいところではあるのでしょうけど……それはあくまで光輝の価値観なのだから常磐さんに押し付けちゃダメよ」

「……なんだよ、雫はあの人の肩を持つのか?」

「なに子供っぽい事言っているのよ。ただ、人其々ってだけの話でしょ? それに忘れている訳じゃないでしょうけど、何だかんだで常磐さんは私達も含めていろんな人を救っているわ。ウルの町もそうだし、香織曰く、アンカジ公国も救っている。フューレンでは人身売買をしていた裏組織を壊滅させたらしいし、ミュウっていう海人族の女の子も救い出してお母さんと再会させたそうよ。『殺した数の方が多いからマイナス』って本人は言っていたけど……私達より、よっぽどこの世界の人達を救っていると思わない?」

「それは……」

「そう考えると結局、"もののついで"で神様もぶっ飛ばしてしまうかもね?」

「なんだよ、その哀れな神様は……」

 

 そんな馬鹿なと思いつつも、ソウゴが既に神殺しをしている事とその経緯を思い出し雫がくすくすと笑う。光輝は複雑そうな表情ではあるが、雫の言葉を否定しきれず力のないツッコミをするに留まった。暫く、無言の時間が過ぎる。光輝がまた自分の中のモヤモヤと向き合い出したのを察して、雫も話しかけはしなかった。

 

 どれくらいそうしていただろうか。不意に、今まで真っ直ぐ飛行していた"U・L・G"が急に進路を逸らし始めた。遮る物の無い空の旅だ、帝国までは真っ直ぐ飛べばいいだけの筈であるから、何事かと顔を見合わせる光輝と雫。

「……何かあったのか?」

「取り敢えず、中に戻りましょうか」

 二人は一拍おいて頷き合うと、急いで艦内へと戻っていった。

 

 

 

 雫と光輝がブリッジに入った時には、既に全員が集まって中央のモニターを囲んでいた。

 

「何があったの?」

「あっ、雫ちゃん。うん、どうも帝国兵に追われている人がいるみたいなの」

 

 尋ねた雫に香織が答えた。その香織が指差したモニターの画面には、峡谷の合間を走る数人の兎人族と、その後ろから迫る帝国兵のリアル鬼ごっこが映っていた。

 

 雫がディスプレイを覗き込めば、確かに水の流れていない狭い谷間を兎人族の女性が二人、後ろから迫る帝国兵を気にしながら逃げている様だった。だがその足はふらついて遅く、馬に乗る帝国兵達の速度とは比べ物にならない。追いつかれるのは時間の問題に見える。

 加えて、その帝国兵のずっと後ろには大型の輸送馬車も数台確認出来た。リリアーナ曰く、帝国でよく奴隷の輸送に使われるタイプの物らしい。

 状況から察するに、最初から追って来たというより逃がしたのか、或いは偶然見つけた兎人族を捕まえようとしている様に見える。

「そういう事、だから進路を……」

 雫が納得した様に呟く。

 

 本来なら無視して通り過ぎるのだろうが、シアの同族という事で放置するのも気が引けた為のか接近したのだろうと推測する。

 そこで、光輝が血相を変えて咆えた。

 

「不味いじゃないか! 直ぐに助けに行かないと!」

 

 ここは空の上、ましてやソウゴの乗機の中だというのに今にも飛び出していきそうだ。

 しかしソウゴは急かす光輝には答えず、片眉を吊り上げディスプレイを眺めている。

「おい、常磐! まさか、彼女達を見捨てるつもりじゃないだろうな!? お前が助けないなら俺が行く! 早く降ろしてくれ!」

「静かにしていろ、金を取るぞ。それよりシア、奴等もしや……」

「へ? ……あれっ? この二人って……」

 いきり立つ光輝を無視してシアに声をかけるソウゴ。シアも、よりズームされた映像を見て気がついた様だ。

「二人共、何をそんなにのんびりしているんだ! シアさんは同じ種族だろ! 何とも思わないのか!」

「やかましいんで黙っててもらえます?」

 光輝はシアにうるさいと切り捨てられ、思わず口を噤む。

 

 因みに光輝がシアを"さん"付けで呼んでいるのは、爽やかな笑顔で自己紹介と共に呼び捨てにしたところ、『呼び捨てはやめろ』とにこやかに腕を折られたからである。光輝は明確な拒絶を初めて実感した。

 

「ソウゴさん、間違いないです。ラナさんとミナさんです」

「やはりか、先程骨格照会したところ一致した。間違いないとは思ったが……しかしこの動き、表情……ふむ」

 何やら納得した様な呟きを溢すと、途端ソウゴは吊り上げた眉を下げて目を閉じた。どうやら静観するつもりらしい。

 

 そうこうしている内に、逃げていた兎人族の女性二人──シアが言うところのラナとミナがフラフラと倒れ込む様にして足を止めてしまった。谷間の中でも少し開けている場所だ。

 それを見て、ハッと正気に戻った光輝がブリッジを出て前部の甲板に出て行こうとする。距離はまだあるが、取り敢えず術でも撃って帝国兵の注意を引くつもりなのだ。

 

「黙って見ていろ」

「なっ、何を言っているんだ! か弱い女性が今にも襲われそうなんだぞ!」

 

 キッ! と苛立たしげにソウゴを睨む光輝に、しかしソウゴはつまらなそうに溜息を漏らすと、気怠げに光輝に視線を向けて呟いた。

 

「騒ぐな。……奴等は"ハウリア"、末端とはいえ私の配下だぞ?」

 

 光輝が訝しげな表情をした直後、「あっ!」と誰かが驚愕の声を上げた。

 光輝が何事かとディスプレイに視線を向けると、そこには……

 

 

──首を落とされ、或いは頭部を矢で正確に射貫かれて絶命する帝国兵の死体の山が映っていた。

 

「……え?」

 

 光輝だけでなく、その場の全員が目を点にする。

 

 香織達地球組は、"ソウゴ以外による"凄惨な殺戮現場を目の当たりにしたが故に。

 リリアーナ達王国組は、この世界の常識が崩れる瞬間を目撃したが故に。

 

 絶句が齎す静寂の中、映像が次の事態を映し出す。兎人族を追った部隊が戻ってこない事を訝しんだ輸送部隊の指揮官らしき者が、数人を斥候に出したのだ。

 

 程なくして、その斥候部隊が味方の死体の山を見つける。次いで、その中央で肩を寄せ合って震えている兎人族の女二人を見つけると、血相を変えて詰め寄った。

 映像越しでも分かる程、酷く動揺しながら怒声を上げている。何があったのかと恫喝混じりに問い詰めているのだろう。

 

 彼等も普段ならもっと慎重な行動を心がけたのかもしれないが、いきなり味方の惨殺死体の山を目撃した挙句、目の前にいるのは戦闘力皆無の愛玩奴隷。動揺する精神そのままに無警戒に詰め寄るのも仕方ない事だろう。

 

 

 その代償は、高くつく事になったが。

 

 

 斥候の一人が兎人族の女──ラナのウサミミを掴もうとした瞬間、どこからか飛来した矢がその男の背後にいた別の斥候の頭部に突き刺さった。一瞬の痙攣の後、横倒しになった男の倒れる音に気がついて振り返る斥候。

 その瞬間、恐怖に震えていた筈のラナが音もなく飛び上がり、いつの間にか手に持っていた小太刀を振るって斥候の首をあっさり落としてしまった。

 そしてもう一人の兎人族──ミナも、地を這う様な低姿勢で一気に首を飛ばされ倒れる男の脇を駆け抜け、突然の事態に呆然としている最後の斥候の首をこれまたあっさり刈り取ってしまった。

 

 まるで玩具の様にポンポンと飛ぶ首に、光輝達が「うっ」と顔を青褪めさせて口元を押さえる。鈴など半分白目を剥いて倒れそうになり、龍太郎に支えられている有様。

 リリアーナや近衛騎士達は、兎人族が帝国兵を瞬殺するという有り得ない光景に、思わずシアを凝視する。「特殊なのはお前だけじゃなかったのか!?」と、その目は驚愕に見開かれていた。

 

 

「いや、紛れもなく特殊なのは私だけですからね? 私みたいなのがそう何人もいる訳ないじゃないですか。彼等のあれは訓練の賜物ですよ。……ソウゴさんと講師の方々が施した地獄というのも生温い、魔改造ともいうべき調教によって、あんな感じになったんです」

「「「「「……」」」」」

 

 

 操縦員以外の全員の視線が一斉にソウゴに向けられる。その目は何より雄弁に物語っていた。即ち「またアンタかっ!?」と。

 

 ソウゴはポイッと葡萄を口に放り込み、聞こえないフリをした。

 

 

 その間にも事態は最終局面を迎える。後続の輸送馬車と残りの帝国兵達が殺戮現場に辿り着いたのだ。

 道を塞ぐ様にして散らばる味方の変わり果てた姿に足が止まる帝国兵達。まさか何事もなかった様に死体を踏みつけて先へ進む訳にはいかないし、何より動揺が激しい様で騒めいている。

 

 その致命的な隙を、ハウリアはその隙を逃さなかった。否、全てはその隙を作る為の作戦だったのだろう。相手の帝国兵は残り十三名。対して両サイドの崖から飛び出したハウリアは三名。いつの間にか姿を消していたラナとミナの二人、先程から矢を放っている狙撃手を入れても六名。戦力的には倍の差がある。

 

 しかし帝国兵が飛び出してきたハウリアに対して明確な戦闘態勢をとったのは、四人の首が飛び一人の眉間が矢で撃ち抜かれた後だった。

 

 ハウリアの猛攻は止まらない。流れる水の様に、或いは群体の様に帝国兵に襲いかかる。

 一人が正面から小太刀を振るい帝国兵が剣で受け止めた瞬間には、脇から飛び出した別のハウリア族があっと言う間に首を刈る。

 初撃とは比べ物にならない程遅く山なりに飛んできた正面から飛来する矢を、見え透いているとばかりに帝国兵が切り払った瞬間、その帝国兵の矢を追う視線を読んでいた様に別の兎人族が死角から滑り込んで首を刈る。

 雄叫びを上げて迫る帝国兵に、刈り取った兵士の頭部を蹴りつける。怒り心頭といった様子でその不埒なハウリアに視線が固定された瞬間、背後から突如現れた別のハウリアに首を刈られる。

 

 右と思えば左から、後ろと思えば正面から。縦横無尽、変幻自在の攻撃に終始翻弄される帝国兵達。彼等の首が余さず飛ぶまで……そう時間はかからなかった。

 

 

「こ、これが兎人族だというのか……」

「マジかよ……」

「うさぎコワイ……」

 

 "U・L・G"のブリッジに、そんな戦慄を感じさせる呟きが響く。

 

「サボってはいなかった様だが……まだまだか」

 

 唖然呆然とする光輝達と、涙目で震えながら抱き合っている女性陣(主にリリアーナと鈴)を放って、ソウゴは人差し指を一度立て再び下ろす。

 

 

 途端、丁度馬車から飛び出て発動寸前の術を放つべくハウリアに手を向けた瞬間の帝国兵が、縦に真っ直ぐ両断された。

 

 

 ディスプレイに、驚いた様な表情で真っ二つになった伏兵を見ているハウリア族が映っていた。彼等は直ぐ様ウサミミを揺らして、空高くを飛ぶ"U・L・G"に気が付く。

 普通なら正体不明の飛行物体に警戒心を露わにするものだろうが……次の瞬間には彼等の表情は喜色に彩られていた。

 岩陰から飛び出てきたクロスボウを担ぐ少年などは満面の笑みを浮かべながらワイルドな敬礼を決めている。彼等はそこにいるのが誰なのか気がついた様だ。

 

 当然といえば当然かもしれない。

 何せ、"原理不明、理解不能な現象"は、彼等が敬愛する王の代名詞の様なものなのだから……

 

 少年に倣って惚れ惚れする様な敬礼を決めるハウリア族の面々。

 ディスプレイにデカデカと映ったその姿に、再びソウゴに視線を向けた。今度は、多分に呆れを含んだジト目で。何をしたら温厚の代名詞の様な兎人族があんな事になるのだと、光輝達の目が無言の疑問を投げかけていた

「ソウゴさん、ソウゴさん。早く降りましょうよ、樹海の外でこんな事をしているなんて……もしかしたらまた暴走しているんじゃ……」

 シアがソウゴを急かす。

 ハウリア族は明らかに作戦を練って帝国兵の輸送部隊を狙っていた為、どうやら樹海の外まで出張って帝国兵を殺す程また戦いに酔いしれて暴走しているのではないかと心配な様だ。

「……ふぅん、どうやら私が居ない間に随分と面白い事をしていた様だな」

 ソウゴはシアの心配を尻目に、探る様な笑みを浮かべて呟いた。よってシアを納得させる意味合いも込めて、パイロット達に谷間に着陸させた。

 

 

………………

…………

……

 

 谷間に着陸した"U・L・G"から降り立ったソウゴ達を迎えたのは、整然且つキリッとした顔で並ぶハウリア族六名と、戦々恐々といった様子でソウゴ達を注視する数多くの亜人族だった。

 百人近くの大所帯だ。兎人族以外にも狐人族や犬人族、猫人族、森人族の女子供が大勢いて、手足と首には金属製の枷が付けられていた。やはり、リリアーナの見立て通り輸送馬車は亜人奴隷を運ぶ為の物だったらしい。

「ね、ねぇカオリン、シズシズ。鈴、あの亜人さん達みたいな顔、見た事あるよ。あれだよ、ほら、映画とかで宇宙人が宇宙船から降りてきた時の地球人の顔だよ」

「え? ……鈴ちゃん、それって私達が宇宙人っていう事?」

「……正に、未知との遭遇という訳ね」

 鈴のなんとも言えない表情での言葉に、香織が目をパチクリさせた。

 

 雫は内心、「この中で一番宇宙人っぽいのは香織よね」と思ったが口にはしなかった。

 現実離れした美貌という点ではユエも同じだが、加えて銀髪というのは如何にもそれっぽい。見るからに騎士と分かる近衛達や兎人族のシアがいなければ、亜人族の視線は香織に集中していた事だろう。

 

 そんな驚愕八割、警戒二割で絶賛混乱中の亜人族達の中からクロスボウを担いだ少年が颯爽と駆け寄って来た。そしてソウゴの手前で背筋を伸ばすと、見事な敬礼をしてみせた。

 

「お久しぶりです、陛下! 再びお会いできる日を心待ちにしておりました! まさか、この様な物に乗って登場するとは……この必滅のバルトフェルド、改めて感服致しましたっ! それと先程のご助力、感謝致しますっ!」

「まぁ、先程の戦闘はギリギリ及第点といったところか。武器に頼っているという事は、六式はまだ使える段階ではない様だな。加えて、抑々存在を悟られるな。暗殺者としての自覚を持て」

 

 ソウゴがテストのミスを指摘する様に先程の戦闘での問題点を並べると、ウサミミ少年──必滅のバルトフェルドを自称するパル君(十歳)と同じく駆け寄ってきたラナとミナ、そして男三人が敬礼を決めつつ、一斉に踵を鳴らして足を揃え直すと見事にハモりながら声を張り上げた。

 

「「「「「「一層精進致しますっ、Sir!!」」」」」」

 

 谷間に木霊する感動で打ち震えたハウリア達の声。

 敬愛する王に、直々に指導される喜びに涙ぐむが、決して涙は流さない。全員空を仰ぎ見ながら目にクワッ! と力を込めて流れ落ちそうになる涙を堪えている。若干、力を入れすぎて目が血走り始めているのが見様によっては滑稽だ。

 

 当時を知る三人は平然としているが、後に加わったティオや香織を含めその他メンバーはドン引きである。

 

「えっと……皆、久しぶりです! 元気そうでなによりですぅ。ところで、父様達は何処ですか? パル君達だけですか? あと、なんでこんな所で帝国兵なんて相手に……」

「落ち着いてくだせぇ、シアの姉御。一度に聞かれても答えられませんぜ? 取り敢えず今、ここにいるのは俺達六人だけでさぁ。色々事情があるんで、詳しい話は落ち着ける場所に行ってからにしやしょう。……それと、パル君ではなく"必滅のバルトフェルド"です。お間違いの無い様お願いしやすぜ?」

「……え? 今そこをツッコミます? っていうかまたそんな名前を……ラナさん達も注意して下さいよぉ」

 

 相変わらずのパル君に、シアが頭痛を堪える様にこめかみを押さえながらツッコミを入れる。

 とはいえ場所を移すべきだという意見は尤もなので、取り敢えずそれ以上の追及はせず、シアはラナやミナといったお姉さん的立場の二人にパルの厨二全開の改名を止めさせるよう注意を促した。

 

 だが、現実というのは常に予想の斜め上をいくものなのだ。

 

「シア。ラナじゃないわ……"疾影のラナインフェリナ"よ」

「!? ラナさん!? 何を言って……」

 

 ハウリア族の中でも、しっかりもののお姉さんだったラナからの、まさかの返しにシアは表情を引き攣らせる。

しかしハウリアの猛攻は止まらない。連携による怒涛の攻撃こそが彼等の強みなのだ。

 

「私は"空裂のミナステリア"!」

「!?」

「俺は"幻武のヤオゼリアス"!」

「!?」

「僕は"這斬のヨルガンダル"!」

「!?」

「ふっ、"霧雨のリキッドブレイク"だ」

「!?」

 

 全員が凄まじいドヤ顔で、其々香ばしいポーズを取りながら二つ名を名乗った。シアの表情が絶望に染まる。口から「うぼぁ」と奇怪な呻き声が漏れ出した。

 

 どうやら、ハウリアの中では二つ名(厨二)ブームが来ているらしい。この分だと、一族全員が二つ名を持っている可能性が高い。

 因みに、彼等の正式名は頭の二文字だけである。

 

 久しぶりに再会した家族が、ドヤ顔でポーズを決めながら二つ名を名乗ってきましたという状況に、口からエクトプラズムを吐き出しているシアの姿は実に憐れだった。

 そんなシアの苦悶を知ってか知らずか、ソウゴは呆れ顔で「長い、呼びづらい、ウザい。止めろ」と一刀両断した。

 

「あの……宜しいでしょうか?」

 

 その時、しっとりした声音が響いた。

 ソウゴにばっさりと却下され、地面でのたうつハウリア達をそそと避けながらそう声をかけてきたのは一人の亜人族の女性だった。

 足元まである長く美しい金髪を波打たせた、スレンダーな碧眼の美少女だ。耳がスッと長く尖っているので森人族(エルフ)という事が分かる。

 ソウゴは、どこかフェアベルゲンの長老の一人であるアルフレリックの面影があるな、と感じつつ視線で先を促した。

 

「貴方は、常磐ソウゴ殿で間違いありませんか?」

「如何にも」

 

 ソウゴが頷くと、森人族の少女はホッとした様子で胸を撫で下ろした。細い腕に嵌められた金属の枷がジャラリと音を鳴らす。

なんとも痛々しい有様だ。特に、足首に付けられた枷は歩く度に擦れるのだろう。彼女の白く滑らかな肌が赤く腫れてしまっている。

 

「では、私達を捕らえて奴隷にするという事は無いと思って宜しいですか? 祖父から、貴方の種族に対する価値観は良くも悪くも平等だと聞いています。亜人族を弄ぶ様な方ではないと……」

「祖父……、ふむ。貴様、アルフレリックの血縁だな?」

「その通りです。申し遅れましたが、私はフェアベルゲン長老衆の一人アルフレリックの孫娘、アルテナ・ハイピストと申します」

「長老の血族が虜囚になるとは、警備の者は何を……あぁいや、何でもない」

 

 長老の孫娘と言えば紛れもなく森人族の姫という事であり、当然その警護やいざという時の逃走経路・方法もしっかり確立してある筈だ。それらを使用する事も無く、或いは使用しても捕まってしまったと言うなら、それだけ逼迫した事態に晒されたという事だろう。

 ソウゴは"情けない"と言おうとして、途中で止める。

 

 よくよく考えてみれば、フェアベルゲンの主戦力だったであろう熊人族や虎人族を不敬罪の名目で根絶やしにしたのはソウゴ自身である。つまり今回の遠因は自分にあると言えなくもない為、ソウゴは非難を中断したのだ。

 

 だがそれはそれとして幾つか疑問は残る為、ソウゴはパル達から詳しい話を聞く必要があるなと視線を鋭くした。

 その様子をジッと見ていたアルテナの視線を制して、ソウゴはパル達に声をかける。

「パル、亜人達を先導しろ。樹海まで送る。」

「Yes,Sir! あっ、申し訳ないのですが陛下。帝都近郊に潜んでいる仲間に連絡がしたいので、途中で離脱させて頂いても宜しいでしょうか?」

 現在、ソウゴ達がいるのは帝都のかなり手前の位置だ。そんな場所に亜人奴隷の輸送馬車がいたという事は、この輸送は『樹海から帝都へ行く』ものではなく『帝都から他の場所へ向かう途中』だったという事だ。

 つまり、パル達は帝都に何らかの情報収集をしに行って輸送の話を知り追いかけてきた、という事だろう。

 察すると同時に納得し、ソウゴは了承の意を伝える。

「構わん。我々も帝都に用があった、帝都から少し離れた場所で一緒に降ろす」

「有難うございますっ! おいアンタ達、 陛下が直々に樹海まで送って下さるそうだ! 死ぬ程感謝しろ! さぁさぁ付いて来い、家に帰りたくないって奴ぁ別だがなぁ!」

 十歳のウサミミ少年の張り上げた声に、大の大人も含めて亜人族達はビクっとなった。とはいえ、家に帰れると言われれば不安と恐怖はあれど期待してしまうもの。

 亜人達は、パル達の先導に従っておずおずと歩き始めた。それを見て、ソウゴ達も"U・L・G"に戻る。

 するとその時、ソウゴの近くで「きゃ!」と可愛らしい悲鳴が上がった。アルテナが、足枷の鎖のせいで躓いた様だ。わたわたと両手が宙をかき、咄嗟に近くにあったもの──即ちソウゴの背中にしがみつこうとして、振り向いたソウゴの腕に収まった。

 

 亜人族達が一瞬で青褪めて硬直する。帝国兵が相手だったなら、支え代わりにした瞬間、平手でも飛んでくるところだ。「なに許可なく触ってんだ、薄汚い獣風情がっ!」とか何とか怒鳴りながら。

 なのでアルテナもそうされるのではないかと、殴られる姿を幻視したのだろう。

 しかし……

 

「あぁ、忘れていたな」

 

 アルテナの姿勢を戻したソウゴは、スッとアルテナの前に跪いた。その事に、亜人達がざわっと動揺した様に騒めく。

「あ、あの……」

「いいからジッとしていろ」

 いきなり跪かれて動揺するアルテナだったが、次の瞬間には、驚きで目が丸くなった。ソウゴが足枷に触れた途端、足枷が朽ちて塵になったからだ。

「魔力鉱物でも魔鋼でもないなら、経年劣化(・・・・)で崩れる。ほれ、腕も見せてみろ」

 ソウゴは立ち上がると、今度はアルテナの手枷に触れる。同じく、ボロボロと崩れだした。

 最後にアルテナの首筋に触れる。奴隷用の首輪が着けられているからだ。「力づくで破壊してもいいんだが、傷がつくのも悪い」と言いながら、ソウゴは同じ様に首輪を崩壊させる。ソウゴの言葉に、何故かアルテナの頬が熱を持った。

 あっさり枷を解いたソウゴは、「次は……」と呟くと、くるりと身を翻して他の亜人達に目を向ける。

 そのまま手を翳すと、その掌から大量の目視できない極細の繊維の様な物が無数に伸びる。それらは一瞬で亜人達の枷に密着し、アルテナと同じ様にボロボロと朽ちさせた。

「付けたままでは動けんわな。私とした事がうっかりしていた」

 参った参ったと嘯きながら、頭を掻いて再び艦へ足を進めるソウゴだった。

 

 

 

 それから暫くして、枷を外された全ての亜人達を収容した"U・L・G"は再び空の旅へと戻った。

 

 大人達は"空飛ぶ乗り物"という存在そのものに終始度肝を抜かれている様で、半ば放心している者達ばかりだった。だが種族は違えど子供が元気なのは万国共通らしく、特に景色がよく見えるポイントには歓声が集まっていた。

 帝国に捕まっていた時の暗い面持ちは最早無く、【フェアベルゲン】で見る様な笑顔が戻っている。

 そんな子供達を見守っているアルテナに、一緒に捕まっていた付き人である森人族の女性がポツリと尋ねた。

「……アルテナ様。彼は、本当に帰してくれるのでしょうか?」

 不安と期待が入り混じった声音に、アルテナは子供達から視線を逸らさないまま答える。

 

「お爺様の仰っていた通りの方でした。あの方には、良くも悪くも亜人に対して思う所は無い……いえ、より正確には"興味が無い"のでしょう。手間でなければ助けて頂けるし、この様な凄まじいアーティファクトにも乗せて頂ける。自由行動の許可まで与えて」

「それは、そうですが……しかし、人間ですよ? しかも、あの長老衆の一人だった熊人族のジン様を殺害した上、土人族のグゼ様、虎人族のゼル様も処刑、そしてその三つの種族を粛清した狂人です。或いは……」

 

 根強い"人間不信"に加え、"大粛清"から齎される恐怖を示す彼女を制止する様に、アルテナは小さく首を振った。

「あれは、仕方が無かった。あのお方の機嫌を損ねた我々が悪かったのです。……いずれにしろ、私達に出来る事はありません。委ねるしかないのです。いざとなれば、私がこの身を差し出しても……」

「アルテナ様……」

 確かに、委ねる以外に無い。付き人は自分が立つ建造物の──それを所有する暴力の化身の凄まじさに納得せざるを得なかった。同時に、悲愴な覚悟を持つアルテナに深い敬意を覚えた。

 

 

 一方その頃。ソウゴ達はというと、ブリッジに集まってパル達一連の事情の説明を受けているところだった。

 

「──で、貴様等何故こんな外れまで出歩いている? アルフレリックの孫娘が攫われたのならば、フェアベルゲンまで侵攻してきたか?」

「肯定です、陛下」

 

 背筋を伸ばして答えたのはパルだ。

 彼等はバルトフェルド小隊で、名の通りパルが小隊長を務めているらしい。まだ幼いながらも中々の気概と指揮能力、狙撃手という後方から全体を俯瞰し観察・分析出来る立場から選ばれたそうだ。

「それは……本当なのですか? 帝国は、樹海の霧をどう攻略したというのでしょう?」

 思わず、といった様子で訊ねたのはリリアーナだ。

 純粋な疑問と、帝国まで王国に隠れて新たな力を得ているとあれば由々しき事態だという懸念が、その幼さの残る美貌に浮かんでいる。

 パルは一瞬だけリリアーナに視線を向けると、問う様に再びソウゴに視線を戻した。リリアーナの問いかけに返事をしない事に、護衛達が俄かに殺気立つ。だがパルはそれを柳に風と受け流し、ただソウゴの答えを待っている。

「リリィ、気持ちは分かるが今は口を閉じている様に。連れの兵士達が騒がしくなるからな。バルトフェルド、リリィは先日私の娘となった。それなりに丁寧に扱ってやってくれ。……それと兵士諸君。命が惜しければ気を荒立てるな。此奴はまだ若いがこれでも私が手ずから育てた戦士だ、争えば首が飛ぶのは自分達の方だと理解しておけ。そうなっても私は止めんからな」

「……申し訳ありません、出過ぎた真似を致しました。お父様にお任せします」

「御意!」

「「「き、肝に銘じます……!」」」

 ソウゴが口を開き、リリィへの注意、パルへの説明、護衛達への警告を一気に済ませる。パルは了解の返事を返し、護衛達も慌てて気を静める。そしてリリアーナは、どこかしょぼんとした様子で引き下がった。

 

 彼女もまた敬虔な聖教教会の元信徒であった事から、関わる事は無かったとはいえ亜人族への差別意識も当然あった。

 だが、創世神エヒトの真意とその狂気的な手口を知った今となっては、不思議な程亜人族への差別意識が無くなっている事に気が付いた。

 パルに無視された事も、歩み寄るべき相手に歩み寄ろうとする事を周囲がよく思わない事も、リリアーナには悲しい事だった。

 

 尤も、パルがリリアーナの事を無視したのは単にソウゴの許可無く部外者に報告するのはいかがなものかと思っただけなのだが。

 

「取り敢えず、順を追って話せ」

「了解であります。……事の始まりは、帝国ではなく魔人族によるものでした」

 パルは少し思案する素振りを見せてから、実際に見聞きした事実とフェアベルゲンの戦士達や敵を尋問して得た情報を基に組み立てた事実を話し始めた。

 

 

 

………………

…………

……

 

 

 その日は、朝から妙に樹海がざわついている様だった。

 

 明確な根拠は無い。他の亜人族にあっては「何の事だ?」と首を傾げる事だろう。だが、兎人族にとっては確かに感じる事だった。

 兎人族は、亜人族に於いて最弱の種族だ。強靭な肉体も、高い身体能力も、圧倒的な膂力も、特殊な技能も持たない。優しい性格で平和的。気弱で争い事が何より苦手。

 だからこそ、危機察知能力と身を潜める技能に関しては他の追随を許さない種族。

 

 特に、その逃げ隠れに特化した唯一の能力を先鋭化させ、それをソウゴによって持ち込まれた異世界の技術を合わせる事で戦闘能力にまで高めた兎人族の異端──ハウリア族ならば、より明確に感じる事が出来た。

 

 

「ウサミミが疼きやがる……」

 

 

 真白の濃霧の中、高い樹木の太い枝に立ち、ウサミミをピコピコさせている少年──パルが呟いた。

 本来多くのお姉様方に可愛がられるだろう美少年というべき面差しは、歴戦の軍人もかくやという覇気と戦意を湛えている。

 

「嫌な感じね……帝国兵に遭遇した日の事を思い出すわ」

 

 どこか艶を感じさせる声音でパルに応えたのは、ネア・ハウリア。濃紺色のセミロングを掻き上げる仕草に妙な色気がある。視線は鋭く、パル同様歴戦の軍人の様だ。……因みに、ネアは十歳。パルの友達である。

 

 現在ハウリア族は族長であるカムの指令の下、樹海の方々へ哨戒に出ていた。

 何かが起きたとして、他の亜人族がどうなろうが知った事では無い(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)ハウリア族だったが、同族たる兎人族まで見捨てるつもりは無かった。

 その為、自分達の集落周辺だけでなく【フェアベルゲン】や他の場所にも監視の目を向けているのだ。

 

「……そうだな。だが、もう以前の俺達とは違う。もう家族を奪われはしねぇ」

「えぇ。悉く、その首を刈り取ってやるわ。……とは言っても、この私達の聖域にノコノコ入ってくるとは思えないけれど」

 十歳の少年少女が織りなす物騒な会話が小さく響く。

 その時、二人が一糸乱れぬ動きで同時に一つの方向へ視線を転じた。

「感じたか?」

「微かに。何、この気配……?」

 ソウゴとはまた違う、樹海で未だ嘗て感じた事の無い気配にウサミミが逆立つ。二人は互いに頷き合うと、次の瞬間一気に駆けだした。枝から枝へ、濃霧を僅かに攪拌しながら凄まじい速度で移動していく。

「っ、悲鳴!」

「戦闘音も聞こえる。けど……何、この音?」

 ウサミミを突く「ヴヴヴヴッ」という奇妙な音。近い音を挙げるなら虫の羽搏きだが、それよりももっと高域で頭痛を引き起こしそうな不快な音だ。

 パル達は気配を極限まで薄めながら争乱の場へと接近する。少しして見えたのは、血に塗れて倒れている猪人族と狼人族の男。……否、血に塗れてどころではない。

「……こいつぁ凄まじいな」

「胴体が真っ二つ、ね。とんでもない切れ味よ」

 地面に着地するなり、フェアベルゲンの警備隊員だと思われる二人の死体を検分して険しい表情になる二人。

 

 直後、二人のウサミミがゾワッと逆立った。

 

「回避ッ!」

「承知!」

 同時に、其々が逆方向に飛び退く。

 刹那、二人が先程までいた場所を何かが高速で通り抜けた。視認する余裕は無い。一筋の影にしか見えない程の移動速度。

 パルとネアが戦慄しつつも着地したと同時、二人の背後にあった木が斜めにズレた。小さな地響きと共に、何かに切断されて木が倒れた。

「バルトフェルド!」

「チッ!」

 舌打ち一つ。その場から横っ飛びしたパルの背後から、二メートル近い巨体が飛び出してきた。今度は先程の何かよりは移動速度は無く視認できる……が、だからといって回避以外の選択肢は無かった。

 

 その正体は、堅固な甲殻と凶悪な角を持った昆虫だった。カブトムシに酷似したフォルムのソレが、背中の羽から魔力と思しきものを噴射して凄まじい速度で突進してきたのである。進路上にあった大木が、木端微塵に粉砕され吹き飛んでいく。

 更に、ネアに向かって高速で何かが迫った。独特の音をウサミミが捉えた瞬間、日頃の訓練の賜物か意識するより早く地面に伏せ辛うじて回避するネア。

「ネアシュタットルム! 無事か!」

「無事じゃない! 先端のウサ毛を斬られた! 野郎ぶっ殺してやるっ!」

 はらはらと舞う自分のウサ毛を見て、ネアは普通なら美少女と称賛されるだろう可愛らしい顔を般若の如く歪ませる。

 因みに、ネアシュタットルムというのはネアの二つ名だ。正式名称は"外殺のネアシュタットルム"である。

 とても十歳そこらの少女とは思えない血走った目で周囲を睨むネアだったが、自分たちの周囲に集まり始めている魔物と思しき気配の数に、口の端を引き攣らせる。

「バルトフェルド」

 呼ばれたパルも気が付いているらしい。険しい表情のまま静かに指示を出す。

「交戦不可、情報優先。援護する、行け」

「了解」

 端的な命令に同じく端的に返す。余計なものを挟まない姿は歴戦の軍人の如く。

 パルの戦意が高まり、殺気が辺りに撒き散らされる。気配操作の技能により、存在感が膨れ上がる。

 

 同時に、ネアの気配が濃霧に紛れる様に消えていく。

 

 逃がすものかと言わんばかりに、超高速の何かが「ヴォン…!」と空気を破裂させる様な音と共に飛び出してきた。

 一瞬で追いつき、ネアの背後に攻撃を……

 

「ギィッ!?」

 

 加える直前で小さな悲鳴を上げて錐揉みし、その魔物は木に激突して地に落ちた。

 超高速で飛び進路上の対象を割断する何かの正体は、どうやら極薄の羽を六枚持った蜂型の魔物だったらしい。その胴体に、太い矢が突き刺さっている。

「どれだけ速くても、直線起動じゃあ俺の矢からは逃げられねぇぜ?」

 クロスボウを構えるパルが不敵に笑う。ネアを襲うだろう事を予測し、極限まで研ぎ澄まされたウサミミで襲撃の瞬間を察知、直感で矢を放ち当てるという熟練の一撃。

 

 嘗て草花をこよなく愛した少年は、今やハウリア族随一の狙撃手だった。

 

 ネアの気配は既に無い。パルでも捉え切れない程気配を殺して、既に戦線を離脱した様だ。

 ドッ! という衝撃音と共に甲虫が突進してくる。それも三方向から一斉に。

「おっと、俺も撤退しなきゃな。……やれやれ、一体こいつらは何なのか」

 クロスボウにロープ付きの矢をセット、即座に撃ち込み本体のギミックを作動させる。高速の取り巻き機だ。パルは一瞬で甲虫の頭上に飛び上がった。下方で三体の甲虫が衝突し、凄まじい衝撃が周囲の地面を吹き飛ばす。

 枝の上に着地したパルのウサミミに、ヴヴヴヴッという無数の羽音が伝わる。それ以外にも様々な気配を捉え、冷や汗が蟀谷を伝う。

「こいつぁ、本気で遁走しないとヤベェな……」

 普通の兎人族なら既に生存を諦める状況。否、他の亜人族でもそうだろう。或いは、顔をくしゃくしゃにして天に命乞いをするところか。

 

 しかし、即席のブービートラップを淀みなく設置しながら死の鬼ごっこを開始したパルの顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。

 

 

 その後、逃げ隠れだけで生き延びてきた種族なだけあって、パルは悠々と魔物達の追跡を撒き逃げ切る事に成功した。

 そうして不穏な気配が漂う樹海の中を、一路集落目指して疾走していると……

 

 ──ヴォオオオオオオオッ!

 

 そんな腹の底に響く様な重低音が樹海全体に響き渡った。

「これは……フェアベルゲンの警報音?」

 年に一度、訓練を兼ねて鳴らされる【フェアベルゲン】の緊急警報。大笛による警笛は【フェアベルゲン】全体、或いは都において緊急事態を示すもの。どうやら新種の魔物の襲来は、亜人族の国を揺るがす程の規模の様だ。

「ま、何はともあれまずは族長に報告だ」

 より足を速め、程無くしてハウリア族の集落へと到着した。フェアドレン水晶が作り出す濃霧除けの結界の中へ飛び込む。

 集落の中心部では、既にカムが幾人ものハウリア族から報告を受けていた。その中にはネアの姿もある。

「バルトフェルド!」

「応!」

 ネアがパルに気付いて手を挙げる。怪我らしい怪我も無く無事に戻って来たパルを見て、ネアだけでなくカム達も僅かに表情を緩めた。

「よく戻った、バルトフェルド」

「はい族長。いくつか新種の魔物の情報が有ります」

「聞こう」

 カムの静かな声が響く。腕を組み、瞑目する姿は堂に入っている。

 パルは、ネアと別れた後に手にした情報を報告する。

 

 曰く。超高速で飛び回り、すれ違い様に対象を割断する蜂型の魔物。背中より魔力を噴射し、自身の超重量と恐ろしく頑丈な一角を以て突撃してくる甲虫型の魔物。羽の紋様から熱線を放つ蝶型の魔物。羽の音で樹海先住の魔物を操る鈴虫型の魔物等。

 先住の魔物以外は濃霧による"感覚が狂う"という作用に例外は無い筈だが、それらの魔物は全く意に介してなかった。正確にパルの位置を把握しており、気配遮断に長けた兎人族だからこそ逃げ切る事が出来たと言えるだろう。

 

「やはりどれも新種だな。他の者からの報告では、周囲の景色に完全同化出来る枝の様な魔物もいるそうだ。長い足で木の上から刺突を放ち、毒もあるらしい」

「成程。そいつらがフェアベルゲンを襲っている、と」

「正確には、"魔人族と、奴等が引き連れた魔物"が、だな」

「魔人族! 侵攻ですか!?」

「かもしれん。イオルニクス達の報告だと、魔人族自体には樹海の効果は出ているそうだ。どうやってか連中、樹海で活動できる魔物を大量に仕入れたらしい」

 集まっているハウリアの面々が難しい表情となる。

 その時、新たなハウリアの女が飛び込んできた。

 

「ラナインフェリア、及びミナステリア。ただいま帰還しました」

 

 ラナとミナは【フェアベルゲン】の対応状況を確認すべく出払っていたメンバーだ。持ち帰ったであろう情報に、誰もがウサミミを欹てる。

「フェアベルゲンは門を閉ざし、戦士団の総力を以て迎撃に当たっています。しかし完全に奇襲を決められた様で、既に多数の死傷者が出ています。特に南寄りの集落やその周辺を巡回していた警備隊はほぼ全滅状態らしく、動揺が士気に影響しています。魔物が強力な事もあり、防衛線を突破されるのも時間の問題かと」

 予想は出来ていた。だがそれでも、ざわつく事は避けられない。ハウリア族は既に離反したとはいえ、亜人族国家壊滅の危機だ。

 

「狼狽えるな!」

 

 落雷の様な怒声が響き渡った。条件反射の様に、ハウリア全体がザッと足音を立てて姿勢を正す。鋭い、鷹の様なカムの眼光が巡る。

「フェアベルゲンが劣勢だからなんだというのだ。我々のやる事に変わりは無い、違うか?」

 全員の顔に、不敵な笑みが浮かぶ。

「フェアベルゲンが時間稼ぎをしてくれるなら、今の内に我々は十分に準備をっせてもらおうじゃないか。……聞け! ハウリア諸君!」

 あっさりと【フェアベルゲン】を捨て駒にしたカムに、ハウリア達はウサミミを傾ける。

「敵はいずれここまでやって来る、座して死を待つ等愚の骨頂だ! 樹海はそれ程甘い所ではないと骨身に刻んでやろうではないか! ガルフストリーム小隊! 防備を整えろ! トラップ地帯の最終確認をしておけ!」

「Sir,yed,sir!!」

「アイデルハイト小隊! 魔人族の編成を調べろ!」

「Sir,yes,sir!!」

「インビジブル小隊! お前達は魔物の特性を調べろ! 行動パターンと固有魔術を徹底的にな!」

「Sir,yes,sir!!」

「バルトフェルド小隊! フェアベルゲンに赴き援護せよ! 但し姿は見せず、時間稼ぎに徹しろ! フェアベルゲンが保てば保つだけ我等の有利となる。然る後に撤退し、状況を報告しろ!」

「Sir,yes,sir!!」

「残りの小隊は他の同族の集落へ急げ! 少しでも安全な場所へ避難させるか、場合によってはこの集落へ連れてこい!」

「Sir,yes,sir!!」

「さぁ諸君! 遥々南の僻地より余興を提供してくれた彼等に、最高のもてなしをしようではないかっ!!」

 

「「「「「YAHAAAAAAAAッ!!!!!!」」」」」

 

 初の対外戦力との戦い。自分達の集落を、家族を、同族を。今度こそ守れるのか……。

 理不尽に抗う心と力を。そう求めて与えられ、鍛えられた力。

 

 最弱と揶揄されたウサギ達の真価が、試される時が来た。

 

 

 怒声と悲鳴が木霊する【フェアベルゲン】が敷いた防衛線より、五百メートル程南。

 

「もう少しだ、急げ! 一人でも多くフェアベルゲンに収容しろ!」

 

 全身を血と汗で濡らした豹人族の男──第二警備隊隊長レドが声を張り上げる。前隊長であるギル、及び虎人族の粛清により新たに隊長職に就いた彼の視線の先には、警備隊に守られながら必死に【フェアベルゲン】目指して駆ける同族がいた。

彼等は南の集落の生き残りだ。命辛々戻った警備隊の生き残りが伝えた危急の知らせを受けて、レド達は救援に駆けつけたのだ。

「隊長、もう保ちません! 防衛線までは逃げ切れない!」

 ──非戦闘員たる避難民を連れては、という言外の言葉を感じ取り、レドは歯を鳴らした。

「出来る出来ないではない、やるしかないんだ! 俺達はその為にいるんだぞ!?」

「ですがっ! 避難民の殆どは兎人族で──」

「それ以上言うな!」

 生き残りの多くは、逃げ隠れが得意な兎人族だった。争いを何より苦手とする彼等は、老若男女誰もが怯えた様子で必死に逃げている。

 最弱種族への軽視の価値観は根強い。兎人族を救う為に、貴重な戦力である警備隊が命を投げ出すのかという想いを抱く部下を、一概に責められない。たとえ、レド自身に偏見など無かったとしても。

「もう一度言うぞ。戦えない同胞を死守する、それが俺達の役目だ。少なくとも、フェアベルゲンの戦士となった日、俺はそう誓いを立てた。お前は違うか?」

「っ、……自分も同じです!」

 大きく深呼吸し決然とした眼差しとなった部下に、レドは力強く頷く。

 

 ──直後。

 

「ッ! どけっ!!」

「!?」

 レドは部下の青年を片手で突き飛ばした。刹那、濃霧を吹き飛ばして甲虫型の魔物が突っ込んできた。警備隊の防衛網が突破されたと理解すると同時、翳した剣に甲虫の一角が激突した。

「がぁ!?」

 意識を彼方に飛ばされたのかと錯覚する様な衝撃。

 ピンボールの様に吹き飛んだレドは、地面をバウンドしてから背後の大木に激突した。

「隊長!」

 部下の叫ぶ声が聞こえた気がしたが、全身がバラバラになりそうな激痛により応える事が出来ない。ただ、吹き飛んだレドを勢いそのままに追撃しようとする魔物の姿だけがその霞む視界に映った。

(こんな、ところで……っ!)

 歯噛みするレド。視界いっぱいに広がる魔物の巨体。そして、

 

「さて、これは効くか?」

 

 頭上より聞こえた声。

 次の瞬間、突進していた魔物が悲鳴を上げ錐揉みしながら僅かに進路がズレる。そのままレドの脇を通り過ぎ、地響きを上げながら墜落していった。

 更に濃霧の向こうから連続した魔物の悲鳴が聞こえ、やがてそれも小さくなり消えていった。

「小太刀を使っても甲殻にダメージ無し。但し関節部に有効」

「突進中に開く甲殻の中は弱点。ダメージ大を確認」

「魔力噴射を推進力にしている。これを固有魔術と断定。二つある噴射機構の出力調整である程度の進路変更が可能。どちらかを狙撃すれば意図的に進路を変えられる」

「十分だ。対象を次の魔物に移す」

 レドが苦し気に頭上を仰ぐと、凭れる大木の上に複数の人影を見た。その頭頂部でピコピコと忙しなく動くウサミミ……

 

「と、じんぞく……だと?」

 

 シュパシュパシュパッと枝から枝にへと飛び移って濃霧の向こうへ消えていく兎人族達を呆然と見るレド。そんな彼を、最後に残った兎人族の男がニヤリと笑って見下ろした。

「同族を守ってくれた礼だ、精々足掻いて生き残れ」

 それだけ言って、最後の兎人族も濃霧の中に消えていった。気配に敏感なレドをして、一瞬にして気配を感じられなくなった。

「隊長! ご無事ですか!? 一体何が……」

 慌てて駆けてくる部下を前に、レドは乾いた笑いを上げる。部下が「頭を打ったのか!?」と更に慌てるが、反論する余裕も無い。

 

 レドの脳裏を過るのは、青みがかった白髪の兎人族。

 

 不思議と、魔物が襲ってくる気配は無い。彼等がどうにかしたのかと予測しながら、レドは軋む体を叱咤して起こす。

「隊長?」

「っ……問題無い! 助力があって命拾いした、それより直ぐに次の魔物が来るぞ。今の内に一気にフェアベルゲンまで駆ける!」

「りょ、了解です!」

 指示を出す為駆けていく部下の背を見送るレド。状況は依然厳しい。果たして、防衛線は無事なのか……

「……クソッ。これ程の無力を感じたのは、あの男を見た時以来だ」

 レドは厳しい表情のまま、吐き捨てる様にそう言った。

 

 

 【フェアベルゲン】の中枢たる長老会議の場には、最古参の森人族族長たるアルフレリックをして未だ嘗て感じた事が無い程の重苦しい雰囲気が満ちていた。当然と言えば当然だろう。何せ、今正に亡国の危機に晒されているのだから。

 車座になっている長老衆の内、豹人族族長のザフが拳を床に叩き付けながら咆えた。

「クソッ、一体どうなっている!? 何故外の魔物が樹海の影響を受けない!」

「未だに情報は入っていません、今は“何故”より“どうすれば”を議論しなければ」

 長老衆の中でも若手である狐人族族長のルアが糸目を更に細めて言う。

「落ち着けザフ、ルアの言う通りだぞ」

「とはいえ、魔人族が統率する魔物の力は常軌を逸している。防衛線もいつまで保つか分からないわよ」

 土人族族長のグゼに代わって長老衆に選ばれた猪人族族長のノボシが窘める言葉を吐き、翼人族族長のマオが頭を振った。

「そんな事は分かっている! アルフレリック、貴方が最も長く生きている。何かないのか?」

 ザフが藁にも縋る様な声音で尋ねる。アルフレリックは瞑目していた両の眼をゆっくり開いた。

「……或いは、資格者か」

 その呟きに、全族長が肩を震わせた。脳裏を過る、三つの種族を根絶やしにした栗毛の青年。

「馬鹿な……建国以来一人も現れなかった存在が、こんな短期間にもう一人?」

「一人現れたのだ、後何人いてもおかしくなかろう。尤も、常磐ソウゴと異なり此度の相手は魔人族。敵対の意思無しと伝えたところで、果たして矛を収めるか……」

 アルフレリックは一拍置いて、意を決した様に口を開いた。

「国を捨てる……その選択肢を考えるべきかもしれん」

「何をっ!」

 ザフが反論しかけるが、直ぐに口を噤んだ。他の族長達も絶句している。

「命には代えられん。樹海の更なる奥地、北の山脈地帯、南大陸、或いは大陸を横断し、遥か西の海にいる同胞の町に保護を求める。いずれも厳しい道だが、徹底抗戦よりは生存の可能性はあろう」

「だが、この地を捨てるなどっ! 我等の聖域、故郷だぞ!?」

「死んでしまっては意味が無い。国が無くとも生きてさえいれば、いつかまた寄り添い合う事が可能であろう」

 反論の言葉は無く、しかし容易に決断出来る事でもなく。長老達は再び重苦しい雰囲気の中に沈み込んだ。

 そこへ、決断を後押ししてしまう様な報告が飛び込んできた。バンッと激しい音を立てて飛び込んできた狼人族の青年が、泣きそうな顔で叫ぶ。

 

「戦士団団長、ゴート様が戦死されましたっ!」

「「「「「っ!?」」」」」

 

 【フェアベルゲン】の戦士団を纏めていた狼人族族長ゴート。長老衆の信頼も厚い、亜人族にとって軍の象徴的人物だった。その人物が討たれた衝撃は計り知れない。

「現在、副団長が指揮を引き継いでおられますが、既に防衛線を最終ラインまで下げる事を決定しています。……そして、副団長からの伝言です。──『我等、ここを死地とする。長老衆に於いては、フェアベルゲンより退避を』と!」

「最早、猶予無しか……」

 アルフレリックの言葉に異論は出なかった。

 孫娘アルテナを想いながらアルフレリックは各種族の次代の種を選別し、優先的に脱出させる決議を取ろうと口を開きかける。

 するとそこへ、更に伝令が飛び込んできた。やって来たのは決死の諜報を行っていた狐人族の青年だ。

「ルア族長、長老衆の皆様。ご報告致します。敵の狙いは"真の大迷宮"の模様です」

「っ、それは本当ですか?」

 ルアが糸目を見開いて思わず問い返す。

「はっ。瀕死の同胞達に魔人族共が尋ねているのを聞きました。一体何の事か、答えられた者はいませんが……」

 報告に来た狐人族の青年自身、困惑を露わにしている。が、少し前の騒動が脳裏を過っているのだろう。長老衆を窺う様に見つめている。

 ルアの視線がアルフレリックへ向いた。

「是非も無い、教えて手を引くなら安いものだ。私が出向く。その方が説得力もあろう」

 いざという時の為に、ザフ達他の族長への脱出の準備を促しながらアルフレリックは早々に部屋を出て行った。

「アルフレリック様、危険です! 内容をお伝え頂ければ我等がっ!」

 種族に関係無く、長老会議の側近達が言い募る。アルフレリックはそれら全てを「議論している時間的余裕は無い」と切り捨てながら、一応の妥協案として愛用の弓矢を持ってこさせ最年長とは思えない速度で門へと向かった。

 

 

 最終の防衛線は、都への巨大な門そのものだ。その前にロープを切るだけで転がり出る大木の防壁があり、後は周囲の木々や門の上部から矢で攻撃出来る様になっている。

 アルフレリックは年齢も体重も感じさせない動きで門の上部に登り切ると、目を凝らして戦況を確認した。

「よく戦ってくれている」

 その言葉通り、戦士団はよく戦っていた。誰も彼も傷ついているが、決死の覚悟で未知の魔物を阻んでいる。

 だが、時間の問題なのは明らかだ。アルフレリックはその遠くまで見通す瞳で、敵側の後方に人影を捉えた。大きく息を吸うと、よく響く声で名乗りを挙げる。

 

「私の名はアルフレリック・ハイピスト、フェアベルゲンの長老衆が一人! 魔人族よ、"真の大迷宮"を求めるか!」

 

 怒号と悲鳴が木霊する戦場に不思議とよく響いたその声に、フェアベルゲンの戦士達がギョッとした様に一瞬動きを止めた。一拍して、魔物達も動きを止める。

 その狭間を魔人族──ダヴァロスが進み出てきた。

「ほぅ、貴様が長老とやらか。その様子だと、"真の大迷宮"を知っているな?」

「知っている。長老衆にのみ口伝で伝わっているものだ、内容ならば教えよう。引き替えに、これ以上の戦闘を即刻止めてもらいたい。我等は貴殿達の大迷宮攻略を邪魔立てしたりはせん」

「ふむ、命と引き替えに情報を渡すと? 交換条件という訳か」

 考える様に顎を撫でるダヴァロス。【フェアベルゲン】の戦士達が固唾を吞んで見守る。

 果たして、ダヴァロスの答えは……

 

「何故、私達が後方に下がっていたか。考えたか?」

 

「……何の話だ?」

「出来る限り温存する為だ。"真の大迷宮"に挑む前に消耗などしたくはなかったのでな。まして、我等選ばれし種族の力を亜人族如きに使うなど贅沢が過ぎるというものだ」

 ざわり、と。戦士達から怒気が立ち昇る。全く意に介した様子を見せないダヴァロスは、スッとその視線をアルフレリックへと向けた。

 その瞳に宿る狂気を見て、アルフレリックは総毛立つ。同時に理解する。常磐ソウゴの時とはまるで違う。交渉など最初から有り得なかったのだと。

「だが、交換条件を持ち出されてはな……。理解しているか? それは、対等な(・・・)立場にある者同士が取り得る選択だ。──対等。対等! 獣風情が、我等選ばれし種族と対等だと!? その思い上がり! 万死に値するぞ!!」

 徐に掲げられたダヴァロスの手。同時に紡がれる熟練にして高速の詠唱。

 対するアルフレリックも、尋常でない速度で矢を放った。空を切り裂く様な矢は、見事その軌道上にダヴァロスの心臓を捉えている。距離と放った速度を考えれば、正に神業と言えるだろう。

 だが、それを予期していたのか別の魔人族が風壁で防いでしまった。

「備えよ!」

 アルフレリックが警告の声を発するが、ダヴァロスの術の発動の方が一瞬早かった。

 

「──"炎殻槌"!」

 

 ──土・火属性上級複合魔術"炎殻槌"。地面が隆起し巨大な岩石を構築、その岩石が高熱の炎を纏い溶岩となって爆発・射出される魔術。上級複合だが、威力だけなら最上級に匹敵する。そんな赤熱する溶岩の砲弾が弧を描いて門へと迫った。

 轟音と共に、衝撃と爆風が戦士達を薙ぎ倒す。

 全長三十メートルはあった重厚な門は内側へと吹き飛び、周囲の木々は抉れ吹き飛んだ。門の外周と上部が炭化しつつも辛うじて残っているが、最後の防壁はたった一撃で吹き飛ばされた。

 

「なんという……」

 

 門の内側に視線を投げたアルフレリックは、戦慄の声を漏らした。

 未だ赤熱化したまま地面を焼く岩石の周囲にも、戦士達の多くが倒れている。息絶えているのか、まだ辛うじて生きているのか。ピクリとも動かない様子からは判断出来ない。

「理解するがいい」

 憎悪すら孕んだ狂気の声音が響いた。

「神から見放された半端な生物。貴様等獣風情が“国”を名乗る事自体、我等選ばれし者にとって堪え難き侮辱であると。世界は、我等魔人族によって導かれ繁栄すべきなのだ。何故それがわからないのか、貴様等の愚かしさには眩暈すら感じる」

 ダヴァロスの血走った目が、衝撃からどうにか立ち直り始めた亜人族達を睥睨した。

「国落としも任務の内である事を心から感謝しよう。獣共、光栄に思え。人間の国の様に奴隷になどせん、……狩り尽くしてくれる」

 飛び出す超高速の影が二つ。一直線に迫るは、アルフレリックの下。

 "真の大迷宮"に関する情報を聞き出していない段階で殺害されるとは思えないが、それ故に瀕死になるまで痛めつけるつもりかもしれない。

「──ッ!」

 矢筒より引き抜かれたのは三本。同時に、門の内側へ仰向けのまま飛び降りるアルフレリック。長年の経験と受けた報告の内容から咄嗟に取った行動は正解だった。

 どれだけ速くとも、標的が飛び降りた以上は進路を変えて頭上から攻撃しなければならない。その一瞬は、確実に減速する。

 刹那、飛び降りながら放たれた二本の矢が蜂の魔物に突き刺さった。弧を描いて飛んだ三本目の矢は、まるで着弾地点をロックでもしているかの様に頭上からダヴァロスを狙う。更に空中で身を捻り矢を抜いたアルフレリックは、門の向こう側から矢を放った。人と魔物の間を縫う様に飛翔する矢は、確実にダヴァロスを狙っている。

 神弓と呼ぶに相応しい腕前。流石のダヴァロスもこれには目を剥いた。咄嗟に横っ飛びで矢を回避する。

「おのれっ!」

 亜人族如きに回避を余儀なくされた事に激怒を示すダヴァロス。即座に放たれたのは無詠唱にも近い速度で放たれる初級魔術“炎弾”の嵐。初級だというのに、一発一発が恐ろしい程の威力がある。着弾する度に地面が吹き飛び、衝撃が走る。

「ぐあっ!?」

 吹き飛ばされるアルフレリック。最年長の長老の窮地に、戦士達が雄叫びを上げる。

 だが再び魔物達が動き出し、更には他の魔人族の攻撃も加わった事で、雄叫びは悲鳴に変わってしまう。

 門を破られた衝撃は、既に【フェアベルゲン】中に伝わっている。伝令も既に走っており、今頃は他の長老衆が必死に非戦闘員達を分散脱出させている事だろう。だが、果たして逃げ切れるのか。戦士団は、どれだけ時間を稼げるのか。

 

 絶望しかない。どれだけ希望を見出そうとしても、何も見つからない。【フェアベルゲン】は、今日終わる。とても抗いきれるものでは……

 

 

「……違う、まだ希望はあるッ!」

 

 

 たった今、肋骨を数本折られながらも甲虫の魔物の突進をハルパードで叩き返した戦士が荒い息を吐きながら呟いた。

 彼の名はウギバ。ソウゴに粛清された熊人族に代わって長老衆に選ばれた牛人族の戦士で、現族長の右腕に当たる青年だ。

「彼等だ、彼等の助力があれば、まだ! 行かねばっ!」

 蝶の魔物がひらりと舞う。飛び出す熱線がウギバの脇腹と腕を貫いた。間髪入れず、甲虫の魔物が突進。

「がぁっ!?」

 ウギバは激痛に意識が飛びかけるが、フェアドレン水晶が作り出す濃霧除けの結界外に転がり出た。

「すまん皆、今暫く耐えてくれ!」

 満身創痍の身ながら、ウギバは残りの力を振り絞りながら走り出した。

 

 ウギバがハウリア族の集落へ辿り着いた時、そこには既に臨戦態勢のハウリア族が揃っていた。

 フェアドレン水晶の結界を抜けてウギバが姿を現した途端に向けられた、ハウリア達の「アァン!?」という声と射殺す様な眼光に、ウギバは思わず足が止まりかけた。

「誰かと思えば、新しく長老衆に選ばれた牛人族ではないか」

 カムが代表して言葉を発する。ウギバは一瞬止まってしまうものの、一拍するとそのまま膝を落とし額を地面に擦り付けた。

 

「恥知らずは百も承知! 望むならば我が身命の全てを捧げよう! 頼む、力を貸して頂きたい!」

 

 多くを語らず、ただ額を地面に擦り付け続ける。恥も外聞も無い土下座。

 【フェアベルゲン】の戦士が、最弱と軽視される種族の一部族へ伏して願う。きっと、他の兎人族が見たら腰を抜かして驚くか、夢でも見ているに違いないと己のウサミミを抓る事だろう。

 だがしかし。元来牛人族とは現族長をはじめ、常に強さを第一とし強き者に従う事を信条とする種族。たとえ元が最弱と呼ばれていようと、実力を示した者には敬意を払う種族。故にハウリアへ遜る事に、何の躊躇も無い。

 そして、そんな懇願を聞いたカムは、

 

「邪魔だ、口を閉じていろ」

「──」

 

 バッサリと切り捨てた。

 しかし、ウギバは何も言わない。もとより此方が頼む立場、彼等の行動に苦言を浮かべるのはお門違いというものだ。

 

 ──次の瞬間、カムの何か悍ましい程の感情を孕んだ声が響いた。

 

「全員、情報は共有したな? 連中の狙いは"真の大迷宮"らしい。……そう、いずれ再訪される"陛下"の為の、あの大迷宮だ」

「「「「「……」」」」」

 ゾワリ、と。ウギバの肌が粟立った。静かだが、ハウリア達から発される雰囲気のなんと恐ろしい事か。

「連中、陛下のものに手を出そうってハラらしい」

 キィキィと小さく悲鳴が聞こえた。同時にカサカサと周囲の草木が揺れる音と、それが離れていく音が聞こえる。魔物か虫か、溢れ出る殺気に逃げ出したらしい。

「……もし、だ。もし連中が大樹に何かして、陛下の大迷宮への道が閉ざされでもしたら……」

 カムの口からギリッと歯軋りが響いた。ウサミミがブワリと逆立っている。

「訊こう、諸君。我が同志にして家族よ。我等がいながら、 みすみす陛下の望みが潰えるなど……耐えらえるか?」

「「「「「Sir,no,sir」」」」」

 凄まじい声量と覇気。集落を囲む霧が攪拌される。

「胸を張って、再会の喜びを享受出来るか!?」

「「「「「Sir,no,sir」」」」」

「我等に、陛下の臣だと名乗る資格があるか!?」

「「「「「Sir,no,sir」」」」」

「そうだっ! そんな無能は糞にも劣る■■だ! 我等は■■か!?」

「「「「「Sir,no,sir」」」」」

「あぁ違うとも! 我等はハウリア族、陛下の忠実な駒であり剣! 証明するぞ、魔人族共に目にもの見せてくれる! 樹海に潜む悪鬼羅刹ここにありとな!」

「「「「「Aye,aye,sirッ!!」」」」」

 不意に訪れる静寂。高まった熱気が霧散していく。

 

(いや、違う。熱はそのままに……あぁ、これが本物の殺気だ)

 

 気配が薄れていく。目の前にいるのに、ハウリア達の存在感が希薄になっていく。

 これぞハウリア族。否、これぞ最弱と軽視された兎人族の本当の力。隠れた熱の代わりに、ウサギ達の口元が裂けた。夜天に嗤う三日月の様に。

 ゆらりゆらりと揺れて一人、また一人と消えていく。何処へ? 決まっている。兵士が赴く場所など一つ。

 

 ──戦場だ。

 

 

 最初に異変に気付いたのは、副隊長のセレッカだった。

 

「ん? どうした、何故戻って来る?」

 

 傍らに滞空する蜂の魔物──魔人族はスキアーと呼ぶ──を見て首を傾げる。

 このスキアー、移動速度の速さから足に紙を括り付けて伝令役もこなすのだが、別働隊の部下に送った伝令用の紙がどう見てもセレッカ自身が先程括り付けたものなのだ。

 それはつまり、このスキアーが部下の居場所を見失ったという事。念の為紙を開いて内容を確認するが、やはり自分が用意したものだ。

「まさか、今更樹海の影響が出ている訳じゃないだろう……」

 一つ懸念が沸き上がったが、セレッカは直ぐ頭を振って否定した。

 前方ではダヴァロスが率先して戦闘を繰り広げており、アルフレリックを含む長老衆や隊長格の戦士達が総出で凌いでいる。

 本音を言えばセレッカも亜人族の根絶やしに参加した気持ちでいっぱいだったが、魔物の統率や全体の把握をする者は必要だ。

 とはいえ既に【フェアベルゲン】の中に多数の魔物が侵入しており、戦闘員・非戦闘員問わず亜人族を襲っており趨勢は決まった様なもの。

 若干肩から力を抜きつつ、もう一度伝令を飛ばそうとスキアーに命じかけたその時。

「……何? そちらもか?」

 新たなスキアーが戻って来た。やはり別働隊に送っていた伝令のスキアーだ。出来る限り亜人族の逃亡を許さない為に、小隊を三つに分けて各方面に差し向けている。その内の二つと連絡が取れない……

「……念の為、増援を出しておくか」

 まさか、伝令に気が付かない程余裕が無いとは思えない。或いは、亜人族狩りに夢中になっていて伝令に気が付いていないだけかもしれない。

 こんな時魔物と意思疎通が出来れば苦労しないのにと苦笑しつつ、セレッカは本隊後方に予備兵力として控えさせている魔物達に、人種の可聴域では捉えられない音を出す笛で集合を呼び掛けた。

 フェアベルゲンの周辺を取り囲む様に展開している予備兵力は霧の向こう側にいる。程無くして、濃霧を散らしながら姿を見せる筈……

「……」

 確かに、姿を見せた。

 

 ──想定の三分の一程の数の魔物が。

 

 セレッカはもう一度集合を呼び掛ける笛を吹いた。魔物は……やって来ない。ヒヤリとした何かが、セレッカの胸中を過った。

「どう、なってる? 何故、魔物が来ない? 制御を離れた……? 馬鹿なっ! フリード様が作り出した魔物だぞ、有り得んっ!」

 セレッカは本隊に残した部下の一人に様子を見に行く様命令する。

「フィドラー! 魔物が反応しない、様子を──。……フィドラー? おい、どこだ!? フィドラー!」

 ……しようとして、言葉は途中で止まった。先程まで、少し離れた場所で門周辺に陣取る亜人族達を相手にしていた筈の部下がいない。

 周囲を見渡すセレッカは、そこで漸く周囲の変化に気付いた。

「結界の範囲が……狭まっている?」

 そう、【フェアベルゲン】周辺はフェアドレン水晶の結界で濃霧がある程度晴れた場所だった。その範囲が、明らかに狭くなっているのだ。

 その時、濃霧の向こう側をサッと過る人影が見えた。

「フィドラー! お前か!? ……くっ、返事をしろ!」

 返事は無い。

 未だ、精鋭たる部下の身に何かあったとは考えない。趨勢は決したのだ。粘る戦士達を掃討し終われば、ダヴァロスが長老衆や隊長格を倒し汚らわしい獣共の虐殺の時間が始まる筈なのだ。

「お前達っ、行け! フィドラーを援護しろ!」

 命令を受けた十体程の魔物が、人影の見えた霧の向こう側へ突撃する。これで何も問題無い。無い筈だ。何故か流れる冷や汗を、セレッカは無視した。

 唐突に、背を突く殺気。

「っ──、《風刃》!」

 振り返り様の術は、成程一流のソレだ。だが、風の刃は真白の霧を攪拌するだけ。意味の無い一撃となった。

「何だ? 何が起きて……」

 漸く何か起きていると認めたセレッカの足下に、ゴトッと何か重い物が落ちる音がした。吸い寄せられる様に視線を転じる。

 そこにあったのは……

「ッ──!!!」

 思わずその場を飛び退いたセレッカ。転がっていたのは"フィドラーの一部"だった。

 

「隊長! 襲撃を受けています! 敵は正体不明!」

 

 門の内側で激戦を繰り広げていたダヴァロスが、その悲鳴じみた警告に動きを止めた。

 奇しくもそれは、地に倒れ死に体のアルフレリックへ《緋槍》を突き込む寸前だった。既にザフを筆頭に長老衆は軒並み倒れ、隊長格が膝を突いた状態。

 "真の大迷宮"の情報を得る為に急所は外すつもりだろうが、凡そ決着の一歩手前といった状態。

「何? 襲撃? どういう意味だ?」

 肩越しに振り返りながら、ダヴァロスは表情を歪める。

「霧の中に“何か”います! フィドラーが戦死、二隊と連絡途絶! 送り込んだ魔物も全滅の模様!」

「ッ!? 都内に侵入させた魔物を呼び集めろ! 残りの一隊は誰のだ!?」

「バレン隊です!」

「直ぐに呼び戻せ!」

 不測の事態。ダヴァロスの血走った目が、足下で膝立ちになったアルフレリックに向く。燃え盛る炎の槍が、彼の顔に向けられた。

「何を隠している? このタイミングで切り札とは、やってくれるではないか!」

 大事な同胞を失い、敬愛する亡き将軍より預かった魔物を多数失った。それを事実だと察し、激情を抑えるダヴァロスの声音は震えている。

 とはいえ、アルフレリックには何の事か分からない。切り札なんてものがあるのなら、門を突破される前に切っている。寧ろ、困惑しているのはアルフレリックの方だ。正直に何の事か分からないと口にしかけたアルフレリックだが、その視線が門の上を流れた途端硬直した。

 質問に答えず大きく目を見開いて驚愕しているアルフレリックを見て、ダヴァロスもその視線を辿る。そこには……

 

 人がいた。ウサミミを靡かせる兎人族が。

 

 だが異様だった。魔人族側も、亜人族の各種族の特性はある程度知っている。今回の樹海襲撃で、兎人族が戦いとは無縁の腰抜けである事も理解している。

 だがその兎人族は、悠然と佇んでいた。ウサミミを返り血に染め、殺意に染まった眼光で睥睨している。片手には抜き身の小太刀。もう片方の手には……

 

 

「き、さまっ……!」

 

 

 魔人族の首。連絡が途絶した、部隊を任せていた部下だった。

「カム、ハウリア……?」

 アルフレリックが呆然と呟く。かつて、追放した一族の長の名を。長老衆が、戦士達が、同じ様に呆然と門上を仰いだ。誰も彼も、驚愕に目を見開く。

 そんな中カムは無造作に、それこそゴミを捨てる様に首を放り投げた。そしてダヴァロスをジッと見つめると……

 

「フッ」

 

 誰にだって分かる、勘違いの余地も無い程に……あからさまな"嘲笑"だった。

 ゆらりと揺れて、カムの姿が木々の狭間の霧の向こうに消え去る。フェアドレン水晶が撒かれたのか、消えた道筋を示す様に霧が道を作っていく。これもまた、丁寧な程の"挑発"だった。

「……セレッカ、全戦力を揃えろ。ウサギ狩りの時間だ」

 抑揚の消えた声。ダヴァロスは嘘の様に無表情となっていた。沸点を超えた怒りは、人から表に見える感情を奪うらしい。

「直ちに!」

 反対に、激情を抑えきれないセレッカの声が応えた。

 ダヴァロスは長老衆を一度も見る事無く、真っ直ぐカムの消えた道へと進み始めた。疲弊とダメージで碌に動けない彼等を捨て置いても問題無いと判断したのだろう。或いは価値を認めない亜人族の、それも最弱種族からの嘲笑に冷静さを失ったか……

 いずれにしろ魔人族と魔物が消えた【フェアベルゲン】で、アルフレリックはバタリと倒れ込んで呟く。

 

「まさか、彼等に救われる事になるとはな……」

 

 長老衆も戦士達も、その言葉に呆然と頷くのだった。

 

 

 濃霧の中を、魔物の先導に従って進むダヴァロス達。途中残りの一隊が合流したが、やはり残る二つの部隊は各個撃破されたらしかった。

 生き残った人員は、ダヴァロスとセレッカ含め僅かに六人。魔物の損耗率は実に五割超という目も当てられない事態だった。

 

 何より屈辱なのは、『気が付いたのがそこまで被害を出してから』という点だ。

 

 自分達が【フェアベルゲン】を攻めている間、端の方からジワジワと削り取られたのだと思うと、そしてそれこそが作戦だったのだと思うと、まんまと嵌められた事に腸が煮えくり返る思いだった。絆が強い事で有名な亜人族が、まさか本国を囮にするなど思いもしなかったのだ。

 

 仕方無い誤算と言えば仕方無い。

 まさかダヴァロス達も、襲撃者が既に【フェアベルゲン】から追放された一族で、同じ亜人族(兎人族を除く)の命をなんとも思っていないなどと思いもしないだろう。

 

「これ程の屈辱、未だかつて感じた事も無い! 根絶やしにせねば本国に顔向け出来ん!」

「仰る通りです隊長! 戦争に卑怯は無いとはいえ、同胞を犠牲にするやり方は虫唾が走る! 奴等は生かしておけません!」

 ダヴァロスとセレッカの言葉に、他の四人も激しく頷いた。

 

 その時、視界の端に人影が過った。

 

 予め命じていた通り、スキアー数体が迅雷の速度で飛び出していく。そして……何も無い所で真っ二つに裂けて落下した。

「なっ!?」

「馬鹿なっ、どこから攻撃を!?」

 ダヴァロスが目を見開く。セレッカが周囲に警戒の視線を飛ばす。

 再び人影が霧の向こうに走った。命令は撤回されておらず、次のスキアー達が飛び出していく。そして、同じ様に木々の狭間で真っ二つに裂けて落下した。

「違うセレッカ、木々の間を見ろ! ──糸だ、極細の糸が張られている! トラップだ、スキアーを突撃させるな!」

 代わって、木々ごと吹き飛ばす甲虫型の魔物──ドライガを突撃させる。

「小細工を。纏めて轢殺してしまえっ!」

 ワイヤーの張られた木々が粉砕され、そしてドライガは……地面に落ちた。

「今度はなんだ!?」

 粉砕された木々に固定されたワイヤー。それが地面へと引かれる事で射出される矢が、ドライガの弱点──魔力噴出時に露出する背中に殺到したのである。

 そして文字通り叩き落されたドライガは地面を滑り、その先の落とし穴へ見事に落ちた。その途端どこからともなく投げ込まれる火種が、落とし穴の底に溜めてあった可燃物に引火して標的を焼く。突撃させた数体のドライガは皆、同じ末路を辿った。

「円陣を組め、全方位に範囲魔法! キュベリアにも掃射させろ!」

 無数の熱線を放つ蝶型の魔物──キュベリアが熱線を以て全方位を撫でる。

 その間に範囲攻撃魔術の詠唱を行うダヴァロス達。術に優れた魔人族六人の一斉攻撃となれば、辺り一帯がまとめて吹き飛ぶのは必然。

 しかし、時間稼ぎにキュベリアの熱線を乱発させたのは悪手だった。熱線に撫でられ両断された木が倒れると同時に、バツンッと何かが切れる音が鳴った。

 次の瞬間、轟ッと風を唸らせながら急迫したのは大木の振り子。巨大な槌と化したそれが数体の魔物ごと魔人族の一人を吹き飛ばした。

「ぐぁっ!?」

 霧の中に吹き飛び消える魔人族。直ぐに霧の中から生々しい断末魔の声が漏れ聞こえた。

「クレイマっ! ──がっ!?」

 特に親しい間柄だったのか、別の魔人族が絶命したと思われる戦友の悲鳴につい詠唱を中断してそちらを見てしまう。

 

 その瞬間、狙い澄ました様に一本の矢が延髄に突き立った。

 

 ぐらりとドライガの背から落ちる魔人族。一瞬で六人中二人を失った。

 だが、詠唱を継続した甲斐はあった。周囲一帯を塵芥に変える魔術が発動する。

 

「「「「──《千刃嵐帝》!」」」」

 

 ──風属性最上級魔術“千刃嵐帝”。衝撃すら伴う突風に無数の風の刃を交ぜた全方位型の術だ。

 周囲の鬱陶しい木々や霧ごと敵を吹き飛ばし切り刻んでやろうという意図は、確かに戦況を変える意味では正しい。だが、複数のトラップが張られていたという事をもう少し考慮すべきだった。

 そう、ここは彼等の領域。当然、見えないトラップに業を煮やした敵が何をするかなど想定済み。故に緊急回避の為の措置も準備されている。

 深く掘った塹壕を丁寧に削り出した岩盤で補強し、これまた衝撃に強い硬質な板で蓋を作ってある。彼等の持つ小太刀が、アザンチウム製かつこの世界では尋常ではない切れ味を持つからこそ出来る防御方法。

 せめて、先程の《炎殻槌》の様にクレーターを生み出す様な爆撃系の術なら違ったのだろうが……

 

「ふん、多少は見晴らしも良く──」

「隊長ッ!」

 

 ダヴァロスの隣に飛び出したセレッカの肩に矢が突き立った。更に、全方位からお返しとばかりに矢が殺到する。

「セレッカ! チッ、地面の下に逃げ込んでいたか!」

 射角から位置を割り出そうとするも、夥しい数の矢や投石。更には投石に紛れて袋に包まれた謎の粉が充満し始め、障壁展開を余儀なくされるダヴァロス。

 

 実は、それはただの無害な植物粉だとは思いもしない。これはただの時間稼ぎだ。吹き飛んだ濃霧が再び彼等を覆うまでの。

 

 矢と投石が止んだ後も植物粉が濃霧の代替を果たす中、風の魔術を準備する魔人族達。

「魔物共よ行け! 兎を駆逐しろ!」

 濃霧が迫ろうと、魔物達なら敵を捕捉出来る。だが、肝心の魔物達は指示を出しても右往左往するばかりで突撃しない。

「どうした? 何故敵を追わない……、っ!」

 そこで気が付く。そういえば、あの兎人族を追い始めた時から"見つけ次第強襲する"ように命じてある。

 だが魔物達は、霧の向こうに人影を見つけた時しか突撃しなかった。自分達と異なり、視認などしなくとも居場所を掴める筈の魔物達が!

 それはつまり、敵は気配すら感知させない技を持っているという事で……

 

「っ、まずい! 来るぞ、備えろ!」

 

 ダヴァロスが警告の声を発すると同時、ぬるりと地を這う様な姿勢で忍び寄って来た影が複数。

「残念、一歩遅い」

 魔人族達はダヴァロスの障壁で守られていたものの、その範囲外にいた魔物達が一斉に断末魔の悲鳴を上げた。

 八方向より現れ魔物の合間を縫う様にして進み、一度も足を止めずすれ違い様に急所へ一撃ずつ。敵ながら惚れ惚れする様な一撃必殺のヒット&アウェイ。

 再び八方へ消えていく兎人族に、漸く敵を見つけたと殺到する魔物達。当然、行き先は八方に分散する。

「隊長、ここは奴等のテリトリーです! 一度フェアベルゲンまで戻りましょう! 忸怩たる思いですが、魔物まで気配を捉え切れないとなれば不利に過ぎます!」

「……何たる事だ、獣風情にっ!」

 握った拳から血を滴らせるダヴァロスだったが、セレッカの進言は正しい。態勢を立て直す為、ダヴァロスは一時後退を決断した。

「行くぞ、一気に突破する!」

 ドライガに騎乗し、来た道を引き返す。だがそれは、再び木々の群生地帯へ分け入る事で……

 

「あぁああああああっ!?」

 

「ヘザー!」

 ヘザーと呼ばれた魔人族が、垂れ下がったロープに首を取られて吊り上げられた。振り返った直後、霧に覆われた頭上より血の雨が降り注ぐ。

 キュベリアが熱線を乱射するが、的確に飛来する矢が一体また一体と貫いていく。地上を走る魔物は落とし穴に落ち、或いは粘性の高い樹液らしきものに捕らわれ動きを封じされていく。置き去りにした背後から断末魔の悲鳴が響く。

そして挑発する様に、時折見える人影。

「調子に乗るなぁああっ!!」

 痺れを切らした一人が、進路をずらし突進。術を乱れ撃つ。程無くして、人影が吹き飛んだ。

「ハハッ! 見たかっ、これが──」

「バレン! 隊列を乱すな!」

 ダヴァロスが怒声を上げるも、時既に遅し。

 爆風で一時的に晴れた濃霧の向こうに見えたのは、木で作られた張りぼてだった。バレンが疑問顔になった瞬間、頭上より舞い降りた兎人族が撫でる様に彼の首を刈った。

 着地の瞬間を狙ってダヴァロスとセレッカが魔術を放とうとする。が、合わせて急ブレーキをかけたドライガが突如悲鳴を上げて暴れだし、術は中断され二人揃って投げ出された。

「おのれ、どれだけトラップを仕掛けた!?」

 ドライガの足に食らいついているのは、割れば鋭利な断面を見せる黒曜石の様な鉱石を使ったトラバサミだった。

 

「た、隊長……っ!」

 

 苦し気な声。視線を転じれば、四つん這いになっているセレッカの背には無数の立体的な棘が刺さっている。

 それは撒菱だった。トラバサミで転倒し、転げ回ったら刺さる様にセットしてあったのだろう。ダヴァロスに刺さらなかったのは僥倖だった。

 だがそんな幸運は、やはり滅多に無い。

 周囲では、見える範囲でも魔物達が次々と罠に嵌っていた。

 

 踏み込んだ瞬間隠れていた袋を踏み、噴き出した毒花の花粉を浴びて悶え苦しむ鈴虫型の魔物──リンバル。

 てこの原理で跳ね上がった槍に腹を貫かれるドライガ。

 有刺鉄線の様な植物の蔦で作られた網に捕らわれ、同時に落ちた石の重みで網が引き絞られる事で中でズタズタになったナナフシ型の魔物──オゾムス。

 神出鬼没に発生する気配に翻弄されて、蜘蛛の糸の様に張り巡らされたワイヤートラップに両断されるスキアー。

 

 先程八方に分散して敵を追った魔物達も、現在進行形でブービートラップの餌食になっていた。

 勿論、トラップだけではない。これはあくまでハウリア族の数的不利、能力的劣勢を覆す為の一手段に過ぎない。

 蝶型の魔物であるキュベリア等は、パルを筆頭にハウリア族の狙撃部隊が的確に撃ち落としている。気配を極限まで消し一撃放つ毎に場所を変え、濃霧の向こうからクロスボウで狙い撃ちにするのだ。

 そしてトラップで致命傷を負わずとも、気が逸れた瞬間いつの間にか踏み込んできたハウリア族達が小太刀で斬殺していく。

「なんと悪辣な! 樹海の獣共は悪魔かっ!?」

 次々と罠に嵌る魔物を見て、ダヴァロスが思わず叫んだ。

 きっと、【フェアベルゲン】の戦士が聞いたら全力で首を振るに違いない。こんなブービートラップを多用する亜人族など、ハウリア族だけだと。

 

 これも全て、異界の大魔王による教育の賜物とは思うまい。魔人族の英雄と呼ばれたフリードを肉片に変えたイレギュラーの影響力は、悪辣ウサギという形で確り樹海に根差していたのだ。

 

 

「フェアベルゲンまで下がれば、長老を人質に……」

 

『無意味だと思うがね』

 

 ダヴァロスの呟きに、反響する様な声が響いた。周囲を動き回ってるせいか、はたまた気配が唐突に現消を繰り返しているせいか、居場所が判然とせず声がブレて聞こえる。

「無意味だと?」

『然り。長老衆を殺りたければご自由に、という事だ。特に何とも思わんよ』

「……貴様等の統率者ではないのか?」

『我等を統率できるのは、世界にただ一人しかいない。そしてそれは、これから死ぬお前が知る必要の無い事だ』

「獣風情が、この私を殺すと? ならばこの命、決して易くはないと証明してやろう」

『その前に、そちらの青年は放っておいていいのか?』

「何?」

 そういえば、先程からセレッカが随分と静かだ。棘が背中に刺さってはいたが、致命傷になる程深いものではない筈だったが……

 

「ぅ、ぁ……たい、ちょう。逃げ、てくだ、さ……」

「セレッカ!? どうし……この顔色──毒か!」

 

 確殺が信条のハウリア族。敵を誘い殺す場で、ただの撒菱など設置しない。

 霧の中から、ゆらりと姿を見せる兎人族が一人。

「……信じられん、本当に兎人族なのか。最弱という話はなんだったのだ?」

「嘘ではないよ、全ては気合の問題だ。戦わず逃げ隠れするだけと言われれば確かに最弱の誹りは免れないが、逆に言えば戦わずしてこの樹海で生き残れるという事。即ち、それだけのポテンシャルがあったという事でもある」

 一拍置いて、カムはニヤリと不敵に笑う。

「ことこの樹海に限って言うならば、兎人族程上手く戦える種族はおるまい。戦う意思さえ持てれば、ハルツィナ樹海最強の種族とは──我等兎人族である」

「咆えたな、己を最強と称するか」

 鼻で嗤うダヴァロスに、カムはやれやれと肩を竦める。

「最強は我等が陛下にこそ相応しい称号だが……まぁお前に言っても仕方ない」

 溜息を一つ吐いて、カムは試す様に告げる。

「……ところで、魔物共は我が一族が各個撃破し残りも時間の問題だ。少なくとも、この場には救援に来られん。ご自慢の部下も死にかけが一人のみ。問おう──ハウリア族族長たる私と、一騎打ちを望むか?」

 その問いかけに、ダヴァロスは目を見開いた。そして不敵に笑うカムを見て、状況的有利から慢心していると判断した。

(こいつを人質に取れば、他の兎人族を抑えられるか? 祖国には顔向け出来ん失態だが、せめてこいつらの情報だけは伝えたい)

 一瞬でそう判断したダヴァロスは、スッと立ち上がると半身に構えた。

「獣風情の中にも気概のある者がいる様だ……一騎打ちを望もう! 尋常に勝負されたし!」

「ふむ、そうか。では戦おう」

 カムが小太刀を抜き、腰を落とした。今にも飛び掛からんばかりの臨戦態勢。

(初級の魔法でいい、速度重視。魔法名のみの詠唱省略で、まずは足を奪う!)

 出鼻を挫く目論見で、最速の術を放つ。カムが踏み込んだ瞬間、その足を狙うのだ。まるでガンマン同士の決闘の様に、俄に高まっていく緊張感。

 そしてカムの足に……グッと力が込められた。

「──《風撃》!」

 風の礫がカムの踏み込む足を撃ち抜く──

 

「なっ!?」

 

 事は無かった。カムが、そのままバックして霧の中に消えてしまったが故に。

 ダヴァロスをして息を吞む様な殺気を叩き付けながら、全力で逃走するその姿。さしもの歴戦の軍人も一瞬の啞然は避けられない。

 そしてその隙を、先程の会話の間に完全包囲を済ませたハウリア族の狙撃チームが逃す筈も無く。

「ぐぁっ!?」

 目論見とは逆に、ダヴァロスは幾本もの矢で足を撃ち抜かれ膝を突く。更に、その顔面にスリングショットで飛ばされた小袋が着弾。樹海の一角に群生する激辛調味料の元となる種を磨り潰したハウリア特製催涙弾。

 呼吸困難に陥り、盛大に咳き込むダヴァロスの背後から凶刃が迫る。

「っ!」

 咄嗟に振り返りながら回避するダヴァロスだったが、気配を感じ取れた時点でそれは罠だ。

 

 ──ズブリ、と。ダヴァロスの胸から小太刀の鋩が飛び出した。

 

「ぎ、ざまっ……一騎打ちだとっ!」

 憎悪の声を上げるダヴァロス。小太刀を握るカムが首を傾げて言う。

「私は"一騎打ちを望むか"と訊ねただけだが?」

 つまり、「お前は一騎打ちがしたいんだな、よく分かったよ。私はしないけどね」という事だったらしい。

「この……外道がっ!」

「陛下以外に褒められても嬉しくはない」

 その言葉を最後に、二本目の小太刀がダヴァロスの首を薙いだ。

 意識が闇の中に沈んでいく中、ダヴァロスは神に祈りながら国に向けて心中で叫んだ。

 

 

 ──樹海には、悪鬼羅刹が棲んでいると。

 

 

「──とまぁ、そんな感じで魔人族共をブチのめしてやったわけですが。生憎フェアベルゲンの被害は……どうされました皆さん? そんな苦虫を纏めて嚙み潰した様な、物凄く居た堪れないというか、もうどうしたらいいのか分かんないみたいな顔して」

「パル君、分かってて言ってないですぅ?」

 正にパルの言っている通りの顔をしていたシアがジト目で言う。

 しかしパルは本気で分かっていない様で首を傾げた。ラナ達他のハウリアの面々も同じだ。一体どうしたんだろうと言いたげにキョトンとしている。

 パルが話し始めた当初、ブリッジでは誰もが亜人族の境遇を思い痛ましそうな表情をしていたのに、今や感情の向く先は魔人族であり空気は最早通夜の様。

 宿敵たる魔人族相手にまさか冥福を祈る日が来ようとは、リリアーナを筆頭に王国の面々は沈痛そうな顔でそう思わずにはいられなかった。

 

 そして光輝達は、かつて【オルクス大迷宮】で遭遇した女魔人族相手に「最後に言い残す事は? ……そうか、では死ね」と焼き殺し、王都侵攻時に「クラスメイト? 知らん」とばかりに自分達ごと巻き添えに大軍を焼き払ったソウゴを思い出し、言葉にはしないものの表情と視線で盛大にツッコもうとして……気付いた。

 

 ソウゴの顔が、まるで怒りの限界を超えて逆にフラットになってしまった様な無表情になっていた事を。

 

 それに気付く事無く、シアがソウゴに絡みに行く。

「ソウゴさん、どうしてくれんですか? 私の家族、すっごく成長してますよ。それも突き抜けた方向に」

「強くなったのならば問題あるまい。……それよりも、だ」

 ポカポカとソウゴを叩くシア。それを適当に押しのけ、ソウゴは温度の無い目をパルに向ける。

「報告を続けろ。今のは現状の前段階であろう」

「……あの、陛下? もしや俺達、何か機嫌を損ねる事を「続けろ」……はい」

 ソウゴの様子がおかしい事に気付いたパルが理由を訊ねるが、ソウゴに続きを促された為報告を再開する。

「肯定です。魔人族を撃退した俺達ですが、大量の魔物を狩るのにほぼ全てのブービートラップや消耗系の武器を使っちまいました。だから集落の防備を整える為と、フェアベルゲンからの煩わしい彼是を避ける為に集落に引っ込んでいました」

「そうか……それで?」

 当然【フェアベルゲン】の戦力はガタ落ち状態で、負傷者の手当てや脱出させていた同胞の呼び戻し、壊れた門を含め防衛線の再構築等にてんやわんやの状態だった。

 事が起きたのはその最中だった。魔人族の襲撃から僅か三日といった頃か。

「泣きっ面に蜂って奴ですかね、今度は帝国の連中が侵攻してきたんでさぁ。それも奴等、樹海の特性を突破出来ないからってとんでもない力押しで来やがったんです」

「……大方、森でも焼いたのだろう?」

「なっ、樹海に火を放ったのですか!?」

 ソウゴの予想に、リリアーナが思わず声を張り上げた。その予想を肯定するパルの姿に、リリアーナだけでなく他の者も驚愕を隠せない。

「今まで帝国は、樹海の住人を攫う時は奴隷に強制して案内させるって手法を取っていましたから、まさかの事態でしたよ」

 

 当然、奴隷の亜人は隙あらば牙を剥こうとする。自分の案内で同胞が同じ境遇になるかもしれないのだ、当然である。

 故に。奴隷に対する強制力はあっても、樹海への侵入は相応のリスクがある行為でそう頻繁にある事でもなかった。

 なのにまさか、魔人族侵攻直後のタイミングでそんな前代未聞の方法でやって来るとは誰も想像していなかったのである。

 

「目的は侵攻ではなく、人攫いでした」

「態々樹海を焼野原にしておいて、何をするかと思えばコソ泥か?」

「肯定です。俺達も気付くのが遅れちまい、駆けつけた時には……。フェアベルゲンは碌に抵抗も出来なかった様です」

「帝国にも何かあった、という事か」

 パルは頷く。

「殿の部隊から兵を何人か攫い尋問した結果、どうやら帝国でも強力且つ未知の魔物が大暴れした様で。帝都は結構な被害を受けたそうです。アイツ等、"消費した労働力を確保する必要が"なんて言ってやがりました」

 吐き捨てる様なパルの言葉に、誰もが息を呑んだ。

 特にリリアーナの動揺は激しい。これから支援を含めて協議しようとしていた目的地が同じく襲撃に遭っていて、無茶をしてまで労働力の確保に努めている状況だったのだから当然と言えば当然だろう。

「で? ここまでの貴様等の言動からして、外に出ているのは兎人族にも被害が出たからだろう?」

「え、えぇ。胸糞悪い話です」

 愛玩動物として認識されている兎人族が、帝国でどういう末路を辿るかなど火を見るより明らかだ。【フェアベルゲン】がどうなろうと特に関心の無いハウリア族でも、流石に同族の悲惨な未来を見過す事は出来なかった。

 カムは部下の殆どを樹海の警戒に残しつつ、自ら少数精鋭の選抜部隊を率いて帝都へ向かったのだという。

 しかし帝都に到着し都内に侵入した後、カム達からの連絡が途絶えてしまった。伝令役との待ち合わせ場所に、部隊の誰も姿を見せなかったのだ。

 

 カム達の身に何かが起きた。

 そう考えたハウリア族は、最早ジッとしていられないと更に選抜した部隊を帝都へと送り出したのだ。

 その一部隊が、パル率いるバルトフェルド小隊という訳だ。

 

「不用意に侵入して二次遭難じゃ目も当てられません。それで帝都の警備体制やら出入り関係やら、情報収集に徹していやしたところ大量の奴隷を乗せた輸送車が他の町に向けて出発したもんで。内部情報の収集も兼ねて奪還を試みたって訳でさぁ」

 そこへ偶然、帝国へ向かっていたソウゴ達が通りかかったのだ。後は先程見た通り、殺戮ウサギの宴が開始された訳である。

 

「……それにしても、魔人族側は随分と余裕がある様だな。ウルやオルクスで失敗しても策を変えないどころか、王国で大半が壊滅したというのに軍の見直しすらせんとは。徒に遊ばせられるだけの人員があるとは羨ましい限りだな」

 ソウゴがボヤく様に呟く。国家経営の大変が理解出来るリリアーナは大きく頷き、光輝達も危うく全滅しかけた苦い記憶を思い出し顔を顰める。

 するとソウゴのボヤキに反応したパルが、ウサミミを傾げて訊いた。

「その様子ですと陛下、もしや魔人族は他の場所にも?」

「私の知る限り……ウル、オルクス、アンカジ、ハイリヒ。行く先々にカビの様に涌いてくる」

 

 今思えば、魔人族にとってソウゴは疫病神以外の何者でもないだろう。明確に種族全体に対して敵対意識を持っている訳でもないのに、彼等が事を起こした場所にタイミングよく居合わせて、特に理由も無く虐殺されているのだから。

 今回の【ハルツィナ樹海】での事など、本人がいないのに残した影響力だけで酷い有様である。パルは泣きっ面に蜂などと言ったが、寧ろ泣きたいのは魔人族側かもしれない。

 

 

「それでですね、陛下には申し訳ないんですが……」

「……言われずとも、全員樹海に送る。但し、貴様等も来い。一度、残ったハウリアの面々だけでも伝える事が出来た」

「有難うございます!」

 パル達が一斉に頭を下げる。そんな彼等を見てシアは何か言いたそうにモゴモゴしていたが、結局ウサミミを凹ませつつ何も言わなかった。

 ソウゴはそれに気がついていたが、今はハウリア族への要件に比重を置いて何も言わなかった。

 

 その後、樹海に残っているハウリアの部隊も回収。ソウゴは帝都から少し離れた場所でリリアーナ達と護衛として召喚したゴーレム群を降ろした。

 そして一行は【ハルツィナ樹海】に向かって高速飛行に入るのだった。

 

 

 

 遠目に【ハルツィナ樹海】が見えてきた時。そこに残された爪痕を見て、シアは思わずといった様子で息を呑んだ。

 帝国から一直線に飛んできたからだろう。帝国軍が樹海に進軍したルートと被ったらしく、彼等の強引極まりない進軍経路がまざまざと残されていた。

「……酷い」

「自然軽視の考えは、少々頭にくるものがあるのぅ」

 炭化し黒く染まった道筋。幅百メートル超のブラックロードが、樹海の負った傷の様に奥へと続いている。

 一応延焼はしない様に配慮した様だが、そこにあった動植物が根こそぎ灰燼に帰した様子は悲惨で、香織やティオが表情を歪めている。

 良い思い出ばかりではなかったが、それでも生まれ故郷。シアのウサミミはしょんぼりと垂れてしまった。傍らのユエが、そっとシアの手を握った。

「フェアベルゲンが露出している、という訳ではない様だ。奥地に行けば、焼けてはいても霧は充満していると見える」

 ソウゴが目を閉じながら告げる。その言葉に、そろそろ樹海に到着すると言われてブリッジに来ていたアルテナが答えた。

「疲弊していたとは言え、流石にフェアベルゲンに直接手がかかるまで気が付かなかった訳ではありません。少数の戦士達が迎撃に出た時点で、彼等は樹海へ火をかけるのを止めたのです。恐らく、攫うつもりの私達が炎に巻かれて死んでしまうのを避ける為でしょう」

「成程、それは道理だな。で、パルの話ではフェアベルゲンまで進軍された様だが……恐らく魔人族の侵攻跡を辿られたか」

「その通りです。……よくお分かりになりましたね? まるで見てきたかの様に的中しています」

「戦争の基本だろう」

 ソウゴはアルテナの感嘆に適当に返しつつ、着艦指示を出す。程無くして、巨大な機体は霧がかかる手前の炭化した開けた場所に着陸した。

 タラップが下り、ソウゴ達に続いて捕らわれていた亜人族達が恐る恐る降りてくる。故郷に戻って来られた喜びを浮かべつつも、樹海に刻まれた傷跡に悲しそうな眼差しを向ける。

 そんな彼等を見て、光輝が帝国への憤りを見せる。龍太郎や雫、鈴も同様だ。けれど、だからと言ってどうする事も出来ない。出来ないが……

 

 同じく憤りつつも、どうにか出来てしまう者が一人。

 

「ねぇねぇソウゴくん、ちょっといいかな?」

「どうした」

 神の造形たる美貌にやる気を漲らせた香織の声に、ソウゴは投げやりに返す。

 後ろで雫が「あ、突撃モードっぽいわ……」と呟いているのが耳に届き、ソウゴは眉間に皺を浮かべる。

「ちょっとね、再生魔術を使おうと思うの。魔力なら大丈夫! 今ならこれ位の範囲、ババ~ンと出来る気がするの!」

「再生魔術? ……あぁ成程、──やめろ」

 香織のやらんとする事を理解し、ソウゴは直ぐ様制止する。

「え~、何で!?」

「今後の事を考えれば、元あった森を再生させても意味が無い」

 不満たっぷりの香織に説明しながら、ソウゴは一歩前に出る。そしてどこから取り出したのか、種の様な物を放り投げると地面に触れる。

 

「故に、今回は私が作り変える。──"木遁・樹海降誕"」

 

 途端、雄大なる新たな生命の大波が到来する。

 焼け焦げた木々を割る様に新たな枝が伸び、その根元からバキバキと轟音を響かせながら幹が元の木を包み込む。早送りでもするかの様に数分と経たず硬く青々とした大樹となり、黒を緑へと塗り替えていく。

 アルテナを始めとした亜人達どころか光輝達も目を見開いて硬直する中、ソウゴは「こんなものか……」と立ち上がる。

「再生魔術を使わなくてもここまで出来るなんて、ソウゴくんはやっぱり凄い……。でも、これってどう違うの?」

 ソウゴが一瞬で樹海を作り上げた様に感嘆しつつも、この結果が自分が再生魔術を行使するのとはどう違うのかが分からず、香織はそのままソウゴに問う。

 直後に再び充満し始めた霧を気にした風も無く、ソウゴは香織の質問に答える。

「これは先程言った通り、元々あった木を治したのではなく、私が新たに作り変えた」

「作り変えた?」

「"産褥"と"神樹"という特殊な樹木を掛け合わせた物だ。貴様等、まかり間違っても近づいたり、ましてや触れたりするなよ。魔力や生命力を糧に成長するからな、今の貴様やユエでも数分と経たず干乾びて死ぬぞ」

「何ですかその危険植物!?」

 ユエすら干乾びるレベルと聞いて、シアが思わず震え上がる。その絶叫に構う事無く、ソウゴは濃霧の中へ歩き出した。

 

 ソウゴとユエが前に此処を訪れたのは、半年近く前の事。その時と変わらず感覚を狂わせる濃霧の世界に、ユエは相変わらず鬱陶しいとはねのける仕草を見せる。その一方、霧の効果を受けないソウゴは元奴隷の亜人達がついてこれる程度の速さを保って、先頭で歩き続ける。そのお陰で、ユエや香織、光輝達も迷う事無く進んでいられる。

 そして、その後ろをぞろぞろと歩く亜人達は、ソウゴ達が自分達に対する悪意や偏見が欠片も無い事を理解したのか、かなり気を許し始めていた。特に子供達はソウゴに懐いている様で、先程からちょろちょろと足下をうろついて抱っこやおんぶ、肩車を強請っている。それにソウゴの方も律儀に一人一人に応えているものだから、尚の事子供達も集まって来る。

 

 それに便乗する様に寄って来たアルテナにも間食の菓子類を与えつつ、進む事一時間程。

 

 表情はいつも通りでも、どこか萎れた様子のシアのウサミミがピコピコと反応する。ハッとしてウサミミを立てたシアは、霧の向こうを見通す様に見つめ始めた。

「ソウゴさん、武装した集団が正面から来ますよ」

 シアの言葉に、周囲の亜人族が驚いたようにシアの方を向いた。

 その中には攫われていた兎人族も含まれており、どうやら自分達ではまるで察知できない気配をしっかり捉えているシアに驚いているようだ。

 そのシアの言葉の正しさを証明する様に、霧を掻き分けていつか見た様な武装した豹耳の集団が現れた。全員険しい表情で、正に臨戦態勢といった様子で武器に手をかけている。とはいえ、彼等も亜人族が多数いる気配を掴んでいた様で、いきなり襲いかかるという事は無さそうだった。

 彼等のうち、リーダーらしき豹人族の視線がソウゴ達に止まった。直後、驚愕に目を見開いた。

 

「お前達は、あの時の……」

 

 その豹人族の様子と装備に、ソウゴも彼の素性に思い至る。

 彼の名はレド。かつてソウゴが粛清した虎人族の穴埋めとして警備隊に選ばれた豹人族の一人であり、隊長をしている男だ。どうやら襲撃を生き延びていたらしい。

 

「一体、今度は何の……って、アルテナ様ぁ!? ご無事だったのですか!?」

「あ、はい。彼等とハウリア族の方々に助けて頂きました」

 

 レドはソウゴに目的を尋ねようとして、その傍らにいたアルテナに気がつき素っ頓狂な声を上げた。そして、アルテナの「助けてもらった」という言葉に、安堵と呆れを含んだ深い溜息を吐きつつ居住まいを正した。

「それはよかったです。アルフレリック様も大変お辛そうでした。早く、元気なお姿を見せて差しあげて下さい。……常磐ソウゴ。我等の同胞を助けて頂き、感謝する」

「ほぅ。同じ猫科(ネコ)でも、前の虎人族(どらネコ)共よりは礼儀を弁えているらしいな。名は確か……レドと言ったか」

 何やら知り合いらしい雰囲気に、光輝達が疑問顔になる。シアがこっそり何があったのかを簡潔に説明すると、シアがソウゴに惚れている理由も分かるというもので、皆納得顔を見せた。

 

 と同時に、熊人族・虎人族・土人族の三種族を粛清したと聞き、少しの義憤とそれ以上の恐怖に包まれた。

 

「ところで、フェアベルゲンにハウリア族はいるか?」

「む? ハウリア族の者なら数名、フェアベルゲンにいるぞ。聞いているかもしれないが、襲撃があってから、数名常駐するようになったんだ」

「……そうか。案内せよ」

 そう言ってソウゴはさっさと先を促す。その口角が引き攣っている事を不思議に思いながら、レドは部下達に武器を収めさせて先導を務め始めた。

 

 人間族からの襲撃があったばかりだというのに、見知らぬ人間の混じるソウゴ達に対して以前のような敵意を感じないのは、ソウゴに鍛えられたハウリア族に救われたからなのか、あるいは長老衆から何か言われているのか……それとも、ソウゴに反抗する事の恐ろしさを理解しているのか。

 何にしろ揉めなくて済むのは好都合だと、ソウゴはユエ達を促して歩を進めた。

 

 

 

 辿り着いた【フェアベルゲン】は、予想に違わず大きく様変わりしていた。

 まず、威容を示していた巨大な門。話には聞いていたが見事に崩壊しており、その残骸が未だ処理されずに放置されたままだった。門の内側には大きなクレーターと、その中心に岩石群が埋もれている。

 そして、ソウゴをして魅了された幻想的で自然の美しさに満ちた木と水の都はそこかしこに破壊された跡が残っており、木の幹で出来た空中回廊や水路もボロボロに途切れてしまって用を成していなかった。

 

「ひどい……」

 

 誰かがそう呟いた。

 ユエ達も全く同感だった。フェアベルゲンそのものも、どこか暗く冷たい風が吹いているようで、どんよりした雰囲気を漂わせている。

 その時、通りがかった【フェアベルゲン】の人々がアルテナ達を見つけ信じられないといった表情で硬直し、次いで喜びを爆発させる様に駆け寄ってきた。

 傍に人間族がいる事に気がついて一瞬表情を強ばらせるものの、アルテナ達が口々助けられた事を伝えると、警戒心を残しつつも抱き合って喜びを露わにした。連れ去られていた亜人達の中には、ソウゴ達に礼をいうと家に向かって一目散に駆けていく者もいる。

 次第にソウゴ達を囲む輪は大きくなり、気が付けば周囲は【フェアベルゲン】の人々で完全に埋め尽くされていた。

 

 暫くその状態が続いた後、不意に人垣が割れ始める。その先には、フェアベルゲン長老衆の一人──アルフレリック・ハイピストがいた。

 

「お祖父様!」

「おぉ、おお、アルテナ! よくぞ、無事で……」

 アルテナは目の端に涙を溜めながら一目散に駆け出し、祖父であるアルフレリックの胸に勢いよく飛び込んだ。

 以前、アルフレリック自身が言っていた。樹海の外に連れ去られた者は死んだものと見做すのだと。後を追って被害が拡大するのを防ぐ為に。

 故に、もう二度と会える事は無いと思っていたに違いない。祖父と孫娘の再会に、周囲の人々も涙ぐんで抱きしめ合う二人を眺めている。

 

 

 暫く抱き合っていた二人だが、そのうちアルフレリックは孫娘を離し優しげに頭を撫でると、ソウゴに視線を向けた。その表情には苦笑いが浮かんでいる。

「……とんだ再会になったな、常磐ソウゴ。まさか、孫娘を救われるとは思いもしなかった。縁というのはわからないものだ。……有難う、心から感謝する」

「悪縁奇縁も縁の内だろう、生きていればこういう事もあろう。……それよりも、私はここにハウリア族がいると聞いたのだが?」

 ソウゴはアルフレリックの言葉に適当に返しつつ、ハウリアの面々の現在地を訊ねる。

 

 そんなソウゴを、ユエやシア、ティオ、香織が微笑ましげに、そして誇らしげに見つめている。

 一方で、人間を救う為に迷宮に潜って訓練を積んできた自分よりも、世界を巡り意図せず人々を救ってきたソウゴに、光輝は一層複雑そうな表情を見せていた。

 

 アルフレリックがチラリと面識の無い光輝達に視線を向けつつ、ソウゴの質問に答える。

「ハウリア族の事だが、タイミングが悪かった様だ。丁度都の外に出ていてな、直ぐに戻ると思うが……」

「なら待たせてもらうとしよう。代金代わりと言ってはなんだが、香織──そこの銀髪の娘はそこそこの癒し手でな。怪我人を治したくてウズウズしている、こき使ってやってくれ」

「待つ位で代金代わりなんぞ求めんよ、我が家に来ると良い。ハウリア族については、戻り次第知らせを寄越すよう門番達にも言っておく」

 そう言って、アルフレリックは快くソウゴ達を自宅へと促した。

 アルテナが案内するつもりなのか、ソウゴの手を取ろうとしてシアにペシッとインターセプトされる。森人族の姫に張り合おうとするシアをデコピンで諫め、ソウゴは香織へと視線を移す。

 香織は自分の意を汲んでくれた事に嬉しそうに笑う。そして我慢できないとばかりにソウゴに抱き着こうとして、ユエにインターセプトされる。改造した神の使途に憑依した突撃乙女と、チート吸血姫がバチッと視線を交わす。ソウゴはそれを冷めた目で視界から外す。

 

「これじゃ! この疎外感! どうじゃ 鈴よ、慣れれば悪くなかろう?」

「あの、ティオさん。鈴を仲間扱いしないでほしいです。そっちの道はちょっと……」

「素質あると思うんじゃがなぁ……?」

 ささっと雫の背に隠れる鈴を、残念そうな目で見送るティオ。何をやっているのかと呆れた様子のソウゴは、アルテナに先導を任せ先へ進んだ。

 

 アルフレリックの家に招かれた一行はハウリア達が戻るのを待っている間、アルテナが手ずから入れたお茶をご馳走になった。妙に頬を染めて、ソウゴの周りを動き回り世話を焼こうとする孫娘の様子に、アルフレリックが何とも難しそうな顔をしている。

 やがて茶を飲み干し、ある程度の近況をアルフレリックと共有した頃、パタパタッと銀翼を羽搏かせた香織が窓から入って来た。アルフレリックの招いた部屋は、地上から十メートル程高い場所にあったのだ。

「休憩か?」

「ううん、外傷がある人は皆癒したよ。後、門も含めて都の中心周辺は全部復元出来た。練習にもなるし、いっそ飛び回りながら他の場所も全部直しちゃおうと思ったんだけど……」

 ソウゴの問いに香織は首を振り、困った様な表情で言葉を濁す。

 ふと気を向ければ、さして耳を澄ませずとも聞こえてくる「香織様!」という住民達の熱烈なコール。アルフレリックとソウゴが窓から下を覗けば、多数の亜人族が顔を紅潮させて興奮気味に香織を讃えていた。

「存外元気そうではないか、アルフレリックよ?」

「……奴等、何をしとるんだ」

 どうやら香織は亜人族の間に新しい宗教が起こりそうな程の熱気に、少々恐怖を感じて逃げてきたらしい。アルフレリックが頭痛を堪える様に眉間を揉んでいる。

 香織がそのまま窓から部屋に上がった次の瞬間、

 

 ──ドドドドドドッという足音が聞こえ始めた。

 

 ソウゴ以外の全員が何事かと扉の方を見ると同時、その扉がズバンッと勢いよく開いた。衝撃で扉に亀裂が入り、アルフレリックが悲し気な顔になる。

 

「陛下ァ!! お久しぶりですっ!!」

「お待ちしておりました陛下ァ!!」

「お、お会いできて光栄ですっ、 Sir!!」

「うぉい新入りぃ! 陛下のご帰還だぁ! 他の野郎共に伝えてこい、三十秒でな!」

「りょ、了解でありますっ!!」

 

 飛び込んできたのはハウリア族の集団だった。余りの剣幕に、パル達でハウリアの反応を予想していた筈の光輝達が「ブフゥー!」とお茶を噴き出した。ボタボタと垂れるお茶を拭いながら全員がそちらを見ると、そんな光輝達もお構いなしにビシッ! と踵を揃えて直立不動し、見事な敬礼を決めているハウリア達。

 ソウゴにも見覚えの無い者が何人かおり、先程の言動も踏まえるとどうやらハウリア族は他の兎人族の部族を取り込んで自ら訓練を施し勢力を拡大している様だ。

 そしてこれだけ騒いでいるにも関わらず、ソウゴは微動だにしない。そのまま数分経ち、新入りとやらに呼ばれた残りの者とパル達も集合した後、漸くソウゴは口を開いた。

 

「残っている者はこれで全員か?」

「「「「「「「Sir,Yes,Sir!!!」」」」」」」

 

 「樹海全体に響け!」と言わんばかりに張り上げたボスへの久しぶりの掛け声に、とても満足そうなハウリア族と、初めて経験した本物の掛け声に「俺達もついに……」と感動しているハウリアでない兎人族達。

 きっとソウゴが樹海を出て行った後も、樹海にはハートマ○軍曹式の怒声が響いていたのだろう。

 

 

「ここに来るまでにバルトフェルド達と会って大体の事情は聞いている。中々、活躍したそうだな?」

「「「「「「きょ、恐縮でありまずっ!!」」」」」」」

 

 

 最後が涙声になっているのはご愛嬌。だがソウゴは構う事無く、席を立ってハウリア達の正面に立つ。

「貴様、名は?」

「はっ! "雷刃のイオルニクス"であります!」

「ではバルトフェルド、イオルニクス。代表して前に出ろ」

「「は? ……はっ!」」

 

 突然前に出ろと言われ、困惑しつつも前に出る二人。直々に何かしらの御言葉を賜るのかとソワソワしていると、

 

 

 次の瞬間、二人はソウゴに蹴り飛ばされた。

 

 

 本人達や周囲が驚愕の声を上げるよりも速くソウゴはイオの頭を踏み躙り、倒れ伏すパルの背を楔で貫く。

 

「「「「「なっ……!?」」」」」

「ソウゴ様!?」

「ソウゴくん!?」

「ソウゴさん何を──」

 

「貴様等、随分と偉くなったものだな」

 

 ソウゴの発したその声は、周囲の疑問を引っ込めるには過剰な程の圧を伴っていた。抑揚が無いのに、周辺一帯の気温が変化したかと錯覚する程の凍える熱さを感じさせる問い。それによって発生する、疑問を挟むどころか口を開く事も許されないと思わせる空間の中、ソウゴは這いつくばる二人に言葉を投げる。

 

「力を手に入れ、私の言に殉ずる必要など無いと自惚れたか。貧弱な兎が、随分な変わり様だな」

「お、お言葉ですが陛下……!」

 

 すると、ソウゴに踏まれながらもイオが声を上げる。

「説明を……! 我等、陛下の意に反する事も、は……背信を考えた事も、一片たりとも御座いません! ご機嫌を損ねたならば、どうか訳を仰って──」

「この場でその様な言葉が出てくる時点で、貴様等は私の言葉を聞いていなかったという証明に他ならんだろう」

 ソウゴはイオの言葉を遮り、脚に込める力を増す。メキメキとイオの頭蓋が悲鳴を上げているのを聴きながら、パルに刺した楔を捩じる。

「貴様等、私は樹海を離れる時に何と言った?」

 ソウゴはその冷めた視線を、イオとパル以外のハウリア達に、そしてユエとシアにも向ける。あの場には二人も同席していた為、ソウゴの言葉を聞いていたからという事だろう。

「え、え~っと、確か……」

「……?」

 真っ青な顔をしながら必死に思い出そうとする一同だが、何せ数ヶ月前の事。心酔しているハウリア達すら、一言一句違わずというのは無理がある。

 

「私は言った筈だな? 『フェアベルゲンは我が領土であり、貴様等にフェアベルゲン守護の任を与える(・・・・・・・・・・・・・・・)』と」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ハウリア達の青白かった顔色が更に悪くなる。問い詰められて、初めて自分達が最初から失敗していた事を悟ったのだ。

「分かるな? 私は"フェアベルゲンの守護"と言ったのだ。だというのに、だ。──もう一度問おう。貴様等、一体何をしていた?」

「お、俺達は……」

「貴様等ハウリアには私の名代としてこの樹海を統治し、長老衆を取り込んで政の分野を補い、有事の際は守備隊に先駆けて夷敵を掃う。私が貴様等に望んだ役割はそういうものだ」

「ぐっ!?」

「ぎっ!? ぁ……」

 突如、数人のハウリア達が藻掻きながら宙に浮く。どうやら、ソウゴの念力で締め上げられているらしい。

 

「それが蓋を開けてみれば、何だこれは? 『他の種族は知った事ではない』? 『フェアベルゲンからは独立した』? 『警備隊を時間稼ぎに準備に徹していた』? ましてや『戦後処理の諸々に巻き込まれるのが嫌で集落に籠っていた』だと? ……貴様等は、一体どれだけ私をコケにすれば気が済むのだ?」

 

「も、申し訳御座いません陛下……!」

 身体を貫かれながら、パルが必死に謝罪する。だが、ソウゴの叱責は続く。

「訊けば、今回一連の件で戦士団団長を務めていた狼人族の族長が死んだらしいな。それに加えて、アルテナというフェアベルゲンの要人まで攫われる始末。貴様等の怠慢のせいで我が国が侵略され、兵が死に、民が攫われた。どう責任を取るつもりだ?」

「……っ」

 ハウリア一同は何も言えない。自分達の過ちを自覚した彼等は、只管許しを請う事しか出来ない。

 

 ソウゴは暫くハウリア達を見ていると、不意に全ての圧を解く。同時に楔を引き抜き、パルの傷も癒す。

 

「しかしリーチはリーチ、ビンゴではない……か。イオルニクス、帝都に行く者を選別せよ」

「は……?」

「裁定を下すには、カムが居らねば話にならんだろう。先ずは奴と合流すると、そう言ったんだが……一から十まで言わねば分からんか?」

「は、はっ! 了解であります! 直ちに!」

 

 痛む体を起こしながら、一瞬何を言われているのか分からなかった様で間抜け顔で聞き返すイオだったが、直ぐにソウゴが帝都に同行してくれるという意味だと察し敬礼姿勢に戻ると、他のハウリアを引き連れて急いで出て行った。

 イオは、ソウゴは大迷宮の為──そして先程の叱責の為に戻って来たのであって、自分達を手伝ってくれるとは思っていなかったのだろう。さっきまでとの落差ある言葉に動揺してしまった様だ。

 

 そしてそれはイオ達だけでなく、寧ろ一番驚いているのはソウゴの傍らにいるシアだった。その大きな瞳をまん丸に見開き、ウサミミをピンッ! と立ててソウゴを凝視している。

 

「ソ、ソウゴさん……大迷宮に行くんじゃ……」

「そのつもりだった。が、今回の件はどうしてもカム本人に問い詰めねばならん。高々帝国如きに捕えられたという点も叱責せねばな。……それに、貴様とてカム達の事は気になっていたでだあろう?」

「っ、……それは……その、でも……」

 ソウゴに図星を突かれて口籠るシア。

 

 ソウゴの目的が大迷宮でありカム達の事情は関係ない以上、シアとしては態々面倒事が待っていそうな帝都に入ってまでカム達の行方を探して欲しい等とは言えなかった。まして、カム達は連れ去られたというわけではなく、自分達から向かったのだ。何かあっても自己責任である。

 シア自身もソウゴに付いて行くと決めたのだ。ならば父親達は父親達の道を、シアはシアの道を進むべきだと、そう思って何も言わなかった。

 

 しかしそれでも家族の行方が分からないと知れば、心配する気持ちは自然と湧き上がるもので、そう簡単に割り切れるものではない。それが憂いとなって顔に出た為に、ソウゴにもユエ達にもシアの心情は筒抜けだった。

 

 ソウゴは余計な手間を取らせていると恐縮して口籠るシアの傍に寄り、そっとその額を小突いた。

「あぅ」

 突然のソウゴの行動に、シアがポカンと口を開けて間抜け顔を晒す。そんなシアに、ソウゴは呆れた様に溜息を吐きながら言葉を紡いだ。

「元気印の貴様らしくもない。カム達が心配なら心配だと言えばいいだろう?」

「で、でも……」

「でもじゃない。いつもの図々しさはどうした? 貴様が萎れていては、ユエ達の調子が狂うだろう」

「ソウゴさん……」

 ぶっきらぼうではあるが、それは紛れもなくシアを気遣う(?)言葉。シアを想っての言葉だ。それを理解して、シアの瞳は嬉しさと愛しさで潤み始めていた。

「ほら、言いたい事を言ってみろ。今日は珍しく貴様の我儘を聞いてやろうという気分なんだ」

 額に残る優しくも熱い感触と、真っ直ぐ見つめてくるソウゴの眼差しに、シアは言葉を詰まらせつつも、湧き上がる気持ちのままに思いを言葉にした。

 

「……私、父様達が心配ですぅ。……一目でいいから、無事な姿を見たいですぅ……」

「それでいい。子供が遠慮なんぞするものではないぞ」

「わ、私そこまで無遠慮じゃないですよぉ! もうっ、ソウゴさんったら、ほんとにもうっ、ですよぉ!」

 拗ねたように頬を膨らませているが、その瞳はキラキラと星が瞬き、頬はバラ色に染まっていて、恋する乙女を通り越して完全に愛しい男を見る女の顔だった。贈られた言葉に、幸せで堪らないという気持ちが全身から溢れ出ている。

 

 シア自身、そこまでソウゴに遠慮しているという自覚は無かったのだが、ソウゴを想うライバルが増えてきたため、無意識の内に良い所を見せようと気張ってしまっていたようだ。

 

「……ん。元気になって良かった」

 ユエは微笑ましげにシアを見守る。完全にお姉さん思考だ。

「ふむ、偶には罵り以外もいいかもしれんのぉ~」

 ティオは変態とは思えない真面な感想を抱く。重病を治すチャンスかもしれない。

「うぅ~、羨ましいよぉ~」

「まぁ、惚れた男にあんな風に言われれば嬉しいでしょうね……」

「な、常磐さん……鈴はびっくりだよ」

「シアさん……妬ましい、羨ましい。私もソウゴ様に……」

 上から順に香織、雫、鈴、そして何故かアルテナである。

 

 そこで漸く周囲に大勢いることを認識したシアが、真っ赤になって両手で顔を隠してしまった。しかし、羞恥以上に嬉しさが抑えきれないのか、ウサミミがわっさわっさ、ウサシッポがふ~りふ~りと動きまくり気持ちをこれでもかと代弁している。

 

 

 一方、ソウゴにジッと視線を注いでいた光輝は、ポツリと呟いた。

「……やっぱり、仲間の為なら戦うのか」

 先程の叱責の際は全く動けなかった事もあって、どこか感情を抑え込んだ様な、或いは苛立った様子で呟く光輝。親友の様子に、龍太郎は「どうしたもんか」と頭を掻いた。

 

 その時、丁度良いタイミングでイオが戻って来た。どうやらハウリア族の準備が整ったようだ。ソウゴの機嫌を損ねない様に迅速な対応である。

 

 

 ソウゴ達は、アルフレリックとアルテナの見送りを受けながら樹海を抜け、帝都に向けて再び"U・L・G"を飛ばした。

 



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