別荘地の怪人 (あらほしねこ)
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黒の軍団

 早朝の冒険者ギルド、普段なら仕事を求めてごった返すロビーも、振り続く雪のせいか集まる人もまばら。よほどやる気のあるものか、懐事情に不安を抱えるものくらいしかいないが、酒場の方ではそれなりに人が集まっているのが面白いところ。

 とはいえ、こんな天気、こんな時間に開いていて、満足のいく温かい食事をとれる所は、この街では、ここギルドの酒場位なもの。今しがたも、朝食を終えた旅の商人らしき男が勘定を済ませ、しんしんと雪の降りしきる外へと去っていった。

「お師匠様、今日はどうするんですか?」

「隊商の皆さんの予定次第だねぇ、この大雪の中、輸送を決行するのかしないのか、そろそろ使いの人が来る頃だと思うんだけどね」

「そうですか………それにしても、今日は冷えますね」

「まったくだよ、年寄りには堪える。本当に勘弁してほしいものだねぇ」

 向かい合って朝食をとりながら、ぼそぼそと会話する退役軍人に、いつもの元気はあまりない。

「でも、その装備、温かそうですよ?」

「いやいや、とんでもない。寒いものは寒いよ」

「そうなんですか?うまくいかないものですね………」

「まったくだよ、ああ、早く連絡がこないものか。仕事なら仕事、延期なら延期で、気持ちも切り替えられるのに」

 温めた牛乳をちびちびと飲みながら、退役軍人は情けない声をこぼす。山育ちの半闇狩人にとって、このくらいの寒さはまだ平気。むしろ、隙間風ひとつない建物の中では、底冷えなど寒さの内に入らない。しかし、どうやら彼女の師はそうもいかない様子。

 そんな退役軍人を気遣わし気に、そして苦笑交じりに眺めていた半闇狩人の耳が外の気配を感じ取り、それを捉えようとするようにぴんと動く。

「お師匠様、表に誰か来ているようです。馬車が4……5台ほど………結構大きい感じです、なんでしょうか………?」

「使いにしては多過ぎ、隊商にしては少な過ぎ、そもそも集合場所はここじゃないはずだし、いったいなんだろうね?」

「入ってくるようですよ、一応、用心を………」

「そうだね」

 普段と変わらない、しかし、静かに警戒の糸を張り巡らせる退役軍人にうなずき返しながら、半闇狩人は静かにスプーンを置き、帯革から投石紐を引き抜いたその時、ギルドの扉が、すぅ、と滑るように開く。同時に、強烈な寒気を伴う風と共に、黒ずくめの集団が音も無く雪崩れ込んできた。

 漆黒のサレットヘルムと鉄仮面、プレート・アーマーの上に羽織った黒いサーコート、無機質な視線を突き刺してくる真っ赤な色眼鏡。そして、その手に持つのは長銃身のマスケット銃。その銃口の真下には短剣並みの刃渡りを持つ銃剣が取り付けられ、飛び道具としても白兵武器としても不足なく使える事を知らしめるかのように白刃が光る。

 誰何の声を上げる間もなく、ギルドのロビーを制圧したその異様極まる突然の来訪者に、酒場にいた者だけでなく、ロビーにいる冒険者やギルド職員も思わず表情をこわばらせる。と同時に、一斉に退役軍人の方へと視線を向けるが、当の退役軍人は心底慌てた様子で『知らない』というように顔の前で必死に手を振る。

 だが、その場に居合わせた者同様、半闇狩人も師と酷似した姿の黒の軍団を前に、動揺を隠しきれない呟きが小さな唇を突いて出た。

「お………お師匠様がたくさん?」

「いやいやいや、莫迦なこと言っちゃいけないよ、君」

 退役軍人とほぼ同じ装備に身を固めた黒ずくめの集団は、先行隊が他の冒険者やギルド職員の動きを封じ込め、遮るもののないロビーに続けて突入した後続隊が退役軍人と半闇狩人の座るテーブルに殺到し、死角の無い相互警戒を組むと、対象包囲と円周防御を兼ねる陣形で取り囲んだ。

 この間、人がほんの二言三言、朝の挨拶を交わす程度の時間。ギルドにいた他の冒険者や客に対してその銃口は真正面から向けないものの、一切の手出しを許さない陣形の真ん中で、退役軍人と半闇狩人はそれぞれの反応を示しながら顔を向き合わせる。

「お師匠様、この人たちはいったい………!?」

「窓も出口も塞がれたか………これはもう逃げられないねぇ」

「どうしましょう、お師匠様………!」

「心配いらないよ、手荒なことにはならないから………多分」

「そんな!?」

 普段の悠然とした振る舞いからは想像もできない弱気な退役軍人の言葉に、半闇狩人は思わず悲鳴を上げかけるが、さらなる脅威の気配を察知すると、開け放たれた扉の向こうへ僅かに恐怖の色を滲ませた金色の瞳を走らせる。

「とにかく、静かにしてるんだよ。どうにかしようとしてどうにかなる相手じゃないからね」

 いつになく真剣な退役軍人の言葉に、半闇狩人は無言のまま頷く。そんな彼らをよそに、果たして、ゆっくりと敷居をまたいで現れた、黒檀に銀の装飾をあしらった杖を握る黒衣の重装騎士。その威風堂々たる様は、おそらく軍団の長か。そして、その補佐役と思わしき重装騎士が半歩下がった位置を歩く。

 彼らは、歩みを進めながら補佐役の重装騎士が従卒に対しいくつか指示を与え、従卒の手信号と同時に数名の軍団員が素早く入り口を固める。

 悠然と黒マントを翻しながら、まっすぐ退役軍人と半闇狩人の方へと歩いてくる黒い軍団の首魁。見てもわかる重装備で全身を固めながらも、鎧擦れの音も足音もなくつかつかと歩み寄ると、彼らのテーブルの前で足を止める。そして黒檀の指揮杖をひとつ握り直すと、責めるような、しかしどこか安堵するような声で叫んだ。

「ようやく見つけましたよ、父上!」

 

 

 

 今、冒険者ギルドの建物を外から見た者は、どこか異国の軍隊に占拠されたのかと思っただろう。屋外に展開する、黒ずくめの鎧兜とサーコートに身を包んだ兵士は、銃剣付きのマスケットやブランダーバスを隙なく構え、外からの侵入者も、内からの脱出者も許さない意思表示を明確にした配置で、文字通りその赤い双眸を周囲に光らせる。そして、果たして冒険者ギルドの建物内では――――――

 

 

 隠居なさるなどとまだそんなお歳ではないでしょう

 それはそれとして、そんな大事なことを置き手紙ひとつとはどういうことですか

 いくら魔神王との戦が終息したからと言えど我々にはまだお役目があるのに

 余生を冒険者として自由に生きたいなどと

 冒険者に対して無礼、軍団員に対してもあんまりではありませんか

 

 

 漆黒の面頬の下から現れたのは、姉弟と思われるふたりの若い軍人。その、主に姉の方から次々と容赦のない叱責の言葉を浴びせられ、その巨躯を縮こまらせる退役軍人と、呆気にとられた表情で、その一方的なやり取りを見つめる半闇狩人。

 だが、退役軍人とて、いつまでも説教を喰らう子供のように黙ってはいない。この男にしては珍しく、たまりかねたように声を上げた退役軍人の言葉は、緊迫した表情で事態を見守っていた冒険者やギルド職員を思わず吹き出させた。

「ふたりとも、話はちゃんと聞いてあげるから、まずは扉を閉めてきなさい!他のみんなの迷惑になるじゃないか!」

 無作法な子供を叱る父親のようなその一喝を聞き、慌てて扉を閉めようとした軍団員を手で制した退役軍人は、目の前に立つ姉弟に向かって、諭すような声を投げかける。

「おまえたちが開けさせたんだから、おまえたちが閉めてきなさい」

「わ、わかりました、父上………」

 さきほどの勢いはどこへやら、まるで子供のようにふたりそろって入り口の扉を閉めると、この姉弟、主に姉の方が不満たらたらの表情を浮かべて戻ってくる。そして、そんなふたりを迎える、穏やかな言葉。

「ともあれ、遠いところまでよく来てくれたね、まずは座りなさい。それに寒かっただろう?何か食べるかい?」

 半闇狩人を自分の隣に呼んで向かいの席を空けると、退役軍人はこの姉弟を座らせる。

「いえ、朝食は済ませてきました、大丈夫です」

 女軍団長がそう答えた瞬間、副軍団長の胴鎧越しに腹の虫が異論を唱えた。

「ほらみなさい」

 女軍団長は副軍団長を振り向きながら睨みつけ、退役軍人はため息交じりに顔を左右に振る。この姉のことだ、情報を掴み次第、突発で弟と部下を叩き起こし、この大雪の中を強行軍で引っ張ってきたのだろう。まあ、その程度で音を上げるような彼らでは決して無いにしても。

「それと、外にいる皆にも、中に入って休んでもらいなさい。私は誓ってどこにも行かないよ。それなら、彼らが表にいる理由はないだろう?」

「う………わかりました、父上………おい、行って伝えてこい」

「はい、姉上」

 姉の指示にうなずき、弟は従卒に手早く指示を伝える。そして、ほどなくして、外から20名程の黒ずくめの一団が、歩幅、歩調、縦列、横列、それこそ一分の乱れもない行進で酒場の中へ入ってくる。そして、先程ギルド庁舎に突入してきた集団と合流し、空いた壁際に一糸乱れぬ隊列を形作る。

 そして、ざん、と音を立てて整列したと思えば、そこから彫像のように微動だにしない。しかし、黒の軍団はそこに黒い壁を作ってなお、異質な威圧感を放散し続ける。

「………ねえ、おまえたち。私を見つけたんだから、もういいだろう?彼らの任務を解除してやることはできないのかい?このままだと、どちらにしても他のお客さんに迷惑だよ」

「しかし、父上!」

「お願いだから、お父さんのお願いを聞いてもらえないかい?私が言うのもなんだけど、はっきり言うとね、怖いんだよ、彼らが大勢集まると」

「わかりました、父上。彼らの任務を解除し、別命あるまで待機。これでいいですか?」

「おい!何を勝手に!?」

「そうそう、それでいいよ。それじゃあ、お願いするよ」

「父上!?」

「ああ、それと、すぐに温食の手配をしてあげなさい、いいね」

「父上………!」

 見てくれはともかく、言うことなすことその辺にいるような気のいい父親が、家に遊びにきた我が子の友達をもてなすような言動に、女軍団長は眉間にしわを寄せてかぶりを振る。

「まったく、変わると言えばこうも変わりますか」

「だって、もう私は軍人じゃないからね」

「しかし、これでは士気にかかわります!」

「軍団長と副長が、持ち場を離れてここにいること自体、どうかと思うけどね」

「出奔して行方知れずになった軍団長が見つかった報せに、私共自ら出ずにどうしますか!」

「それじゃあ、軍団の方は、あの3人が見てるってわけかな」

「はい、現場の方がいいと、散々文句を言われました」

「ハハハハハ、彼らも相変わらずだねぇ」

「笑い事ではありません!!」

 女軍団長の鋭い剣幕に気圧され、退役軍人はしょんぼりと肩を落とす。

「お取込み中の所、失礼いたします。少々、よろしいでしょうか?」

 防戦一方の退役軍人を見かねたのか、それとも、このまま放置すれば顰蹙どころか、我に返りつつある血の気の多い冒険者とトラブルになる可能性を恐れたのか。もっとも両方の理由だろうが、ギルドの受付嬢が、勇敢にも遠慮がちに一方的な親子喧嘩の中に割って入る。

「当方には応接室もございますので、せっかくですから、そちらでお話をされてはいかがでしょうか?」

「わかった、では、すまないが部屋を借りよう」

「かしこまりました、それでは、ご案内いたしますね」

「でも、君、私は依頼主の連絡待ちをだね………」

「ご心配いりませんよ、先生。取り下げの手続きの方は、こちらでやっておきますので」

 鈴を転がすような声に、優しい笑顔は普段通り。しかし、彼女のその目は、少しも笑っていない。まさに孤立無援、逃げ場なし。そもそも、あれだけ手荒な訪問の仕方をしたにもかかわらず、この程度で済ませてくれるだけ有情というべきか。

「よし、総員、現任務を解除!朝食を済ませた後、別命あるまで待機!」

 若々しく張りのある女軍団長の号令一下、軍団員は一斉に敬礼し、後はそれぞれ十人隊ごとに分かれると、それぞれの隊長の指示のもと動き出した。

「さあ、後は彼らに任せて、私達は話の続きとまいりましょう、父上」

 そう言って振り返った女団長の表情は、獲物を追い詰めた狼のごとく、鋭く目を光らせていた。

 

 

「まったく、あの黒ずくめも、まったくいいとこなしだの」

「仕方ありますまいて、公と私の板挟みともなれば」

「それにしても、ずいぶん統率の取れた連中だの。森人の軍隊もあんな感じなのかの」

「ちょっと、あんなのと一緒にしないでくれる。森人の軍団っていうのはね、もっと優雅なものなんだから」

「おいおい、いくらなんでもあんなの呼ばわりはなかろうて、耳長の。それにやつら、食事を大鍋で手配しちょる。もしかして、あいつら、どっか他所で食べるつもりなんかの」

「常在戦場、いかなる状況でも油断せず。なるほど、戦士の鏡でありますなあ」

「それにしても、あの方、本当に偉い人だったんですね」

「まあ、普段の立ち居振る舞いから見りゃ、だいたいそんな感じじゃろうとは思っちょったけどのう。まさか、自分の子供らに全部おっかぶせて、とっとと隠居とはまあ、本当に愉快な奴じゃて」

「それにしても、人が少ない時期と時間帯で幸いでありましたな。かような有様、もし槍使い殿や重戦士殿の一党と鉢合わせしようものなら、正に火に油、でありますれば」

「それはそれで面白そうだけどね」

「はっはっは、野伏殿は、本当に騒ぎがお好きですなぁ!」

「ちょっとなによそれ!そんなんじゃないったら!」

「ま、かみきり丸も、ちくっと早く来とったら、面白いもんが見れたのにのう」

「どうせ『ゴブリンではないな』で終わりよ」

「うははは!そりゃ言えとるわい!」

 

 

「………………………」

「………………………」

 ギルドの応接間で向かい合って座る二組の男女、退役軍人と半闇狩人、そして、女軍団長と副軍団長は、お互いの様子をうかがうような視線を交わしながら、終始無言で向き合い続ける。

「………ねえ、おまえたち?話があるというから、せっかく応接間を貸してもらえたのに、どうしたんだい?黙っていちゃ、わからないよ?」

 最初に口火を切ったのは退役軍人、しかし、女軍団長は、じろりと父を睨むと、棘のある言葉を放つ。

「話というのなら、まずは父上が事情を説明する方が先でしょう?」

「おやおやおや、そうきたかい?でもね、あんな乱暴な訪問の仕方をして、ギルドのみんなに迷惑をかけたのに、ごめんなさいの一言も言わないのかい?私は、おまえたちをそんな大人に育てた覚えはないよ?」

「もちろん、無作法は謝罪します。ですが、これは軍団の正式な任務です」

「私に謝られても仕方ないよ。ギルドの職員さん達や、冒険者のみんなに謝るのが筋じゃないのかい」

「私達は、軍団に一言もなく出奔した軍団長の捜索と確保が任務です。そして、今日ようやく軍団長を保護するに至りました。父上、貴方のなさったことは脱柵と同義です。これでは、他の軍団員に示しがつきません」

「ちょっとまちなさい、一言もないということはないだろう?家督相続の手続きに不備は無いし、書簡も残してきたよ。それを脱柵とは、少し心外だよ?」

「それでも、私達に相談くらいあってもいいでしょう!」

「したじゃないか、冒険者をやりたいと言ったら、隠居してから存分に、と言ってくれたじゃないか。だから、家督をお前に譲ったんだよ」

「あれは相談とは言いません!そもそも、あれを相談と思う人間などいません!」

 そう言い返しながらも、あの時、いつもの朝食の席で持ち掛けられた話を思い出し、女軍団長は微かな焦りを感じながら反駁する。またいつもの益体もない口癖が始まった、とあしらい聞き流してしまった話。しかし、そんな彼女の焦りに追い打ちをかけるような父の言葉

「私はいつどんな時でも、人の言葉には真剣に耳を傾けるように、と言ってきたじゃないか。それとも何かな、私の話は真面目に聞く値打ちもないということかい?」

「そ、そんなことは言っていないでしょう!」

 図星を突かれた女軍団長は、半ば裏返りかけた声で反駁する。しかし、父の言うことは事実。しかも、あの話があってそう間を置かず、本当に家督相続の手続きを済ませて出奔するとは思いもしなかった。

「それならいいんだけどね、でも、脱柵なんて言われたら話は別だよ。私だって、言いたいことは改めて言わせてもらうからね?」

「ど、どうぞ、なんなりと」

「そもそもだよ、家督をおまえが継いだからこそ、その杖がおまえの手にあるんだろう?違うのかい?」

「う………そ、それは………!」

 退役軍人の指摘に、女軍団長はその手に握る黒檀の指揮杖がずしりと重くなる感覚に陥る。そして、そんな彼女にしっかりしろ、とでも問い掛けるように、指揮杖の頭に据えられた三頭獣の紋章が鈍く光る。

「知ってるとは思うけど、それは、家と、軍団を束ねるものが持つ長の証なんだ。それをおまえにあげたんだから、大事にしてもらわないと杖だって困ってしまうよ?」

「そ………それはわかっております!」

「それならいいんだけどね」

 いよいよ議論も白熱の様相を呈し、というよりも、女軍団長が退役軍人に年の功でじわじわとやり込められていく。不意打ちで一時的に優勢を取られた時ならいざ知らず、態勢を整え迎撃の布陣を組み終えられてしまっては、到底勝ち目があるはずもなく。

 形勢が逆転しつつある焦りを感じながら、女軍団長は微かに涙目になりながらも、それでも必死の形相で退役軍人に食らいつこうとする。

「ところで父上、僕からも聞いてよろしいですか?」

 ようやく言葉を発した副軍団長に、女軍団長は微かに安堵の表情を浮かべる。弁舌でなら、少なくとも後れを取りはすまい。

「こちらの方は、どなたしょうか?」

 その時はじめてその存在に気付いたように、女軍団長は、退役軍人の隣に座る半闇狩人にぎろりと鋭い目を向け、半闇狩人は、その炎のような眼力に気圧されるように小さな肩をすくめる。

「今はこいつの話などしていない!」

「姉上、尋ねているのは僕ですよ」

 吐き捨てるような言葉を叩きつけてくる女軍団長、いや、姉に副軍団長は眉一つ動かさず答える。

「少し、言葉を控えていただけますか。それでは、この子も落ち着けないでしょう」

 穏やかに、しかし、確固たる意志で姉の怒声を遮る言葉に、喉の奥で唸るような音を立てながら黙り込む女軍団長をよそに、副軍団長はもう一度父に向き直る。

「それで、どうなのでしょうか」

「うん、この子は、私と一緒に仕事………いや、冒険をしてくれる仲間だよ」

「そうでしたか、それはなによりです、父上」

「お前!こんな時に何を………!」

「姉上、気持ちは理解しますが落ち着いてください。もはやこの方とて、無関係と言う訳にはいかないでしょう。ですから、素性をお尋ねしたまでのことです」

 不機嫌さを隠そうともしない姉に、副軍団長はやんわりと言葉を向けてそれを遮る。

「確かに、父上もいささか性急だったかもしれませんが、言っていることは何一つ間違っていません。もちろん、きちんと総会などで伝えていただければそれに越したことはありませんでしたが、家督相続の手続き自体は正式な手順にのっとっています。そして、王府に受理された以上、これ以上父上を責めても、姉上の名誉に傷がつくだけです」

「ならどうしろと言うのだ!私は………!」

「だから、落ち着いてくださいと言っています。僕達は、今こうして父上に会えました。何を慌てる必要がありますか、ちゃんとお願いすれば、父上は黙っていなくなりなどしません、話をする機会はいくらでもあります」

 副軍団長の落ち着いた言葉に、女軍団長は顔を真っ赤にしながら言葉を詰まらせ、退役軍人は紅眼鏡の奥の目を緩ませる。

「そういうわけです、父上。お願いできないでしょうか」

「それはもちろんかまわないよ、私だって、久しぶりにおまえたちと会えて嬉しいからね。おまえも、そろそろ機嫌を直してくれないかい?」

「で、ですが、私は…………!」

 じわり、と微かに涙を滲ませて、精神的な敗北を噛み締めながら女軍団長は膝の上で拳を握り締める。その時、半闇狩人が懐から取り出した木綿のハンカチを、おずおずと女軍団長に差し出した。

「………なんのつもりだ、貴様」

 警戒心をあらわにする女軍団長に、半闇狩人は根気強くハンカチを持った手を差し伸べ続ける。しかし、女軍団長は躊躇いと不満の入り混じる表情で唇を噛む。

 我が父の隣に、当然のような顔をして座っている、この半闇人の小娘。それが、自分に情けをかけようというのか。それとも、既に寵愛を受けているという余裕の表れか。

 それよりも、父はなぜ自分達を前にしてでさえ、兜と面頬で顔を隠し続けるのか。もしかすると、言葉以上に自分達に対して怒りと不満を抱いているのだろうか。そんな思いが、今さらになってじわじわと心の縁を焼き焦がしていく。

 やがて、半闇狩人は、諦めたように手を戻そうとしたその時、副軍団長の、弟の穏やかな声。咎めるでもなく、とりなすでもなく、ごく自然に発せられる言葉。

「姉上、いいじゃありませんか、お借りしましょう」

 弟の言葉に、女軍団長は微かに唇を尖らせながらぷいと横を向く。そんな彼女の仕草に、もしかしたら、見た目より若いのかもしれない。そう思いながら、半闇狩人は微かに表情を緩ませながらも、小さく息をつくと諦めたように手を戻した。

「そうだ、君、さっきの依頼の取り下げ手続きなんだけどね、私の代わりに確認をしてきてくれないかい」

「わかりました、お師匠様」

 退役軍人の指示に、半闇狩人は静かに席を立つと、応接室の一同に丁寧に頭を下げて退出していった。

「姉上」

 副軍団長の言葉を途中で制しながら、退役軍人は女軍団長に声をかける。

「無理もないよ、おまえも驚いただろう。でもね、彼女は私の大事な生徒なんだ。あまり、きつく当たらないでやってくれると助かるよ」

「父上………」

 父のとりなすような言葉に、女軍団長は、再び小さく唇を噛みながらうつむく。そんな我が娘の様子に、退役軍人はほろ苦く笑いながら、静かに兜と面頬を外してテーブルの上に置いた。傷だらけの顔、引かぬ血で赤く染まる目。しかし、久方ぶりに見るその懐かしい顔を前にして、女軍団長の表情が見てわかるほどに緩む。

「私がこうしておまえたちと話すことが出来るのも、あの子が私を助けてくれたおかげなんだ。恩に着ろとはいわないけれど、理解してくれると嬉しいよ」

 傷だらけの顔を穏やかに緩め、紅眼鏡を外しつつ暖かい笑みを浮かべながら、退役軍人は、久しぶりに会う我が娘や息子にまっすぐ視線を向ける。

「今さらこんなことを言っても仕方ないだろうけれど、おまえ達なら任せられると思ったんだよ。心配をかけてしまった事は、本当に悪かったよ。それに、疲れたろう?今日はもうゆっくりしていきなさい。ギルドやみんなには、私からお詫びしておくから、何も心配いらないよ」

「わかりました………本当に、申し訳ありません、父上」

 暖かい父の言葉。ずっと聞きたかったその声に包まれながら、女軍団長はこぼれかける涙をこらえ素直にうなずいていた。

 

 

「さてさて、炎(かぎろい)の姫君は、首尾よく父上に会えたのか」

 中庭を望むテラスで、ひとり雪景色を眺める若い王。古い友人が訪ねてくる報せを受け、人待ちも兼ねてただ白い景色を眺め、楽しむ。

「御機嫌よう、陛下」

「ああ、ひさしぶりだな、息災そうでなによりだ」

「ありがとうございます」

 陛下と呼ばれた男、そして、彼に一礼するのは、水の都から王都を訪れた、剣の乙女と呼ばれ敬われる至高神の大司教。

「黒の軍団が動いたと聞き及んでおりますが、どのような向きなのでしょう」

 いきなり本題に切り込む剣の乙女の表情は、いつもと比して些か硬い。

「知覚神や魔神王の使徒が動いているというお話は、今のところ報されていませんけれど?」

「だろうな、今のところは連中も大人しくしている。目に届く範囲ではな」

「では、何故?」

 微かな警戒と嫌悪が混じる言葉、その、らしくないとさえ言える友人の態度に、国王は僅かに苦笑を浮かべる。

「隠居して旅に出た父上が逗留している辺境の街、そこを訪ねるだけの簡単な用事だ。別に、あの物騒な飛び道具を振り回しに行った訳ではない。同道した護衛の数も、相手の立場を慮れば妥当だ」

「そうですか」

 ひと言呟くような言葉と同時に、両目を覆う眼帯の下の目がすぅっと鋭くなる。

「妹君の時ですら、お許しを与えなかったと言うのに?」

「やれやれ」

 些か頑なともいえる友の言葉に、国王は再び苦笑を浮かべる。彼らも、余程嫌われたものだ。王は、黒の軍団を率いるあの烈火のような女当主と、先代の軍団長であった彼女の父の顔を思い出しながら、また浮かびかけた笑みを飲み込む。

 これ以上のとぼけた態度は、目の前に立つ、見えぬ目でこちらを見据える友人の心証を害しかねない。そも、自分とて友の感情を理解できない訳ではない。

 かつて、法の番人を標榜し、魔神王や覚知神の信徒を始めとして、ありとあらゆる邪教の徒とその係累に対し苛烈極まる弾圧を重ねてきた黒の軍団。

 それがたとえ女子供、老人であっても一切の容赦はなし。当然、やり過ぎではないかと異論の声を上げ、行動を起こした者もいたが、黒の軍団はそれらに対しても容赦なく牙を剥いた。

 一切の慈悲も酌量も持たないやり方は、やがて祈らぬもの達からのみならず、祈るものからも恐怖と怨嗟の目を向けられ、やがて憎悪の連鎖は自ら邪教へと身を投じるものすら現れた。

 もはや手の施しようもない負の連鎖を前に、魔神王との戦争の最中にもかかわらず、先代の王と至高神の大司教は、黒の軍団の粛清を決意した。

「警戒する気持ちはわかるが、私達が赤子同然の頃の話だ。許せとは言わん、しかし、そろそろ見方を変えてみてもいいのではないかと思うのだがな」

 そうは言ってみたものの、無理を求めていることは自分でも良くわかる。かつて、黒の軍団と正面から対峙したのは、水の都を拠点とした至高神の僧兵団。

 至高神の正義を頂くものと、己の正義を頂く者との激突。それは、辛くも僧兵団の勝利に終わり、黒の軍団はその力を失った。

 そして、今や軍団(レギオン)とは名ばかりの、4個百人隊(ケントゥリア)で構成された2個歩兵中隊(マニプルス)まで規模を縮めた。そんな、軍団とは名ばかりの定員割れも甚だしい有様は、他の諸侯が抱える軍団に比べれば、貧弱もいい所。

 それでも、当代の至高神の大司教たる彼女の立場からしてみれば、拭い難き遺恨とさえ言ってもいい黒の軍団の動きは、確かに看過できるようなものではないのだろう。

「先代の申し送りを重く受け止めているのは、理解するがな」

「私としては、動員の許可をお与えになったこと、正直、解しかねるものではありますよ、陛下」

 随分な友の言葉に、国王は小さく息をつきながら、穏やかな表情を浮かべる。

「精査はした、その上での判断だ」

「それならよろしいのですけれど」

「それにな」

 未だ承服しかねる様子の友を見ながら、王は穏やかに笑った。

「あの男なら、決して悪い方にはいかんよ」

 

 

 ギルドを騒がせた黒い軍団は、その翌日には綺麗に姿を消していた。そして、退役軍人と副軍団長が、即日、その場に居合わせた冒険者やギルド関係者に謝罪して回ったということもあり、酒の肴に上がることはあっても、それ以上表立って話題にするものはいなかった。

「昨日は本当に申し訳ないことをしてしまったね、根は優しい子なんだけど、あの通り、頑固者だから」

「いいんです、仕方ありません。わたしも、少しお節介でした」

 何がお節介なものか

 あれだけ辛辣な態度を前にして、それでもなお人の痛みに寄り添おうとする心。それのどこに、責められるものがあるだろう。そして、今この時、朝食を共にする彼女の表情には、ひとかけの曇りも影もない。

 そんな彼女の真っ直ぐさとひたむきさに、今までどれだけ助けられてきただろう。彼女は自分を恩人と言うが、それは自分とて同じこと。もしこの子と出会わなければ、自分は今、ここで呑気に朝食を食べることなど出来なかっただろう。

 今度は、きちんと話をしなけりゃいけないね。そう考える退役軍人にかけられた、弟子からの言葉。

「ところで、お師匠様」

「なんだい?」

「あの皆さんは、もう都に帰ってしまったんですか?」

 朝食をとりながら、半闇狩人は昨日の騒ぎが夢かなにかだったかのように、いつもどおりに動いているギルドを見回しながら、退役軍人に話しかける。

「いや、多分、まだ町のあちこちにいると思うよ」

「そうなんですか?」

「彼らは、そういう人達だからね。ほら、噂をすればなんとやらだ」

「え?」

 退役軍人の視線の先を追うと、二階の宿屋から降りてくる二人組の男女の姿。その地味な風采は、旅の商人か何かのようにしか見えない。そして、ふたりは退役軍人たちのテーブルの前まで来ると、丁寧な朝の挨拶をする。

「お父さま、おはようございます、早いのですね」

「ハハハ、おはよう。どうやら、お寝坊さんなのは、まだ直っていないようだね」

「これでも、人よりは早いつもりです」

 微かに不満げな表情を浮かべながら、女軍団長は当然のように退役軍人の隣に腰掛ける。

「父さんが早すぎるんですよ、でも、確かに静かな時間に朝食をとるのは、確かにいいものですからね」

 こちらも、地味だがしっかりとした身なりをした副軍団長が、半闇狩人に丁寧に一礼しながらその隣に座る。

「すまないね、先に頂いているけど、お前たちも好きなものを頼みなさい」

「はい、ありがとうございます、お父さま」

 昨日の烈火のような勢いが嘘のように、しおらしくうなずく女軍団長に、半闇狩人はやや戸惑うようにその姿を見る。

「姉さんはなかなか親離れできなくてね、すまないけれど、大目に見てやってくれないかい?」

「いい加減なことをいうな、人が黙っていれば調子に乗って!!」

 今話している副軍団長にしろ、師匠の隣に座っている女軍団長にしろ、昨日の軍人然とした口調は鳴りを潜め、平民のような砕けた言葉を交わしている様子に、半闇狩人は、その金色の瞳をせわしなく動かす。

 昨日同様、こちらの存在は気にとめていないというか、敢えて無視しているようだとしても、元気になってくれたのなら、よかった。

「町にとけ込むのも、大事なお仕事だからねぇ」

 退役軍人は、牛乳を注いだジョッキを傾けながら、半闇狩人に楽しそうに話しかける。

「お父さま、昨日のお話なのですが、やはり、帰って来てはくださらないのですか?」

「そうだね、お前が素敵なお婿さんを見つけたら、お祝いにいこうとは思うけれどねぇ」

「そんな………!」

「なにがそんななものかい、私が母さんと結婚したのも、お前くらいの歳だったよ。それでも遅いくらいだからね。仕事もいいが、支えてくれる伴侶を見つけなさい。それで、人生はだいぶ変わるというものだよ」

「そ、その話は、また今度いたしましょう?お父さま」

「まあ、お前がそういうなら、それでいいよ」

 退役軍人は、いったん話の区切りをつけると、副軍団長は手を挙げて獣人女給を呼んだ。

「あいあーい、ご注文はお決まりですかー?」

「うん、まずは、卵焼きとトウモロコシのスープ、ベーコンとチーズのソテー、飲み物は牛乳をいただこうかな。ああ、そうそう、卵焼きは砂糖多め、スープは牛乳多めでお願いするよ」

「かしこまりましたー、それじゃ、しばらくお待ちをー」

 獣人女給が厨房へ去ったあと、女軍団長はやや不服気味に頬を膨らませる。

「お前、いくらなんでも、子供でもあるまいし………」

「でも、姉さん。父さんたちの朝食、懐かしいとは思いませんか」

「そ………それはそうだが………」

「それに、実は前々から、いつかまた子供の時の朝食の献立を食べたいと思っていたんですよ。姉さんだって、大好物だったじゃないですか」

「わかったわかった、今回はお前に合わせてやる」

 そう言いながらも、今から楽しみで仕方ないといった様子で、ちらちらと厨房に視線を向ける女軍団長の様子に、退役軍人は少女時代の彼女を思い出し、穏やかに目を細める。あの時も、食卓で待つ間、今か今かと落ち着きなく扉を注視し、執事にたしなめられていたものだった。

「ところで、義母さん………あの、義母さん?」

「え?あ、わ、わたし………ですか?」

「ええ、昨日はきちんとご挨拶できなくて申し訳ありません」

「い、いえ!そんなことは………!」

 明らかに年上の青年に義母とよばれ、半闇狩人は戸惑うように師の方を見る。しかし、退役軍人は楽しそうに笑うばかり。しかし、退役軍人の隣に座る女軍団長から、烈火の如き視線と怒声が副軍団長に飛んだ。

「お前!いくらなんでも、いきなり義母様とはなんだ!」

「そうですか?僕はあまり母さんの記憶がないものですから、一度こうして口に出して呼んでみたかったんですよ」

 弟の無邪気な言葉に、女軍団長は思わず言葉を詰まらせる。自分には、亡き母の思い出は辛うじて残っているが、まだ幼かった弟にはそれがない。だが、それとこれとは話は別だ。

「しかしだな、いくらなんでもこんな若い娘に向かって、義母さまはないだろう」

「あ、あの、私は大丈夫です。どうか、お好きなように呼んでくださって大丈夫ですから………!」

 慌てて仲裁に入る半闇狩人に、女軍団長も気をそがれた表情で言葉を呑み込む。本当に、この闇人の娘にはずっと調子を狂わされてばかり。いや、娘と言うが、もしかしたら自分よりもはるかに年上なのかもしれない。闇人なら、その可能性は十分にある。

「おまたせいたしましたー、ご注文の朝食でーす!」

 タイミングよく、というか、この姉弟の益体もない言い合いを中断させるように、キッチンカートに乗せた朝食を運んできた。そして、半闇狩人は、安堵の溜息をつきなから、この年上の友人に心から感謝した。

 

 

「さて、それじゃあ、受傷事故には十分に注意して、今日も一日頑張ろうか!」

「はい!お師匠様!」

 朝食を済ませ、一日の仕事の準備も万端。他の若い冒険者たちに混じり、退役軍人と半闇狩人は、円匙(スコップ)片手に気勢を声を上げる。町の道路に積もった雪、馬車や通行人の妨げにならぬよう除雪する作業依頼に参加した退役軍人と半闇狩人は、さっそく、町の門まで続く大通りに積もる雪を黙々と片付け始めた。

 商隊護衛の依頼はなかったことにされてしまったため、差し当たって選んだ依頼。町内会から出された雪かきの依頼に、退役軍人は半闇狩人と共に、黙々と、しかし、楽しそうに作業を続けている。

「これは、ちょっとしつこいねぇ。誰かが踏んで、すべったりでもしたら大変だよ」

 道路の石畳にへばりつくような、円匙でも歯が立たないほど凍結した根雪をフランジメイスで小突き回し、粉々になったそれを半闇狩人が手にした円匙ですくいとっていく。

「いいんですか、お師匠様。それ、折角直したのに」

 武器屋の親方に頼み込んで修理し、打ち直したフランジメイスを、まるで玄能(げんのう)か何かのように無造作に扱い、凍結した根雪を砕いてまわる師匠を、半闇狩人は何故か落ち着かない様子で見守る。もしこんな様子を、親方やあの生真面目そうな丁稚に見られたらどう思われるだろう、そんなことを考えながら。

「いいんだよ、これも立派な、町の人を守るため、さ」

「よくはありません!!」

 突然響いた怒号に、驚いて足をすべらせた退役軍人は、みっともなく道路の石畳の上にひっくり返る。

「あいたたた………ちょっとなんだい、急に大きな声を出すんじゃないよ、おまえは。びっくりするじゃないか、もう」

 しりもちをつきながら見上げた先には、女軍団長の強張った顔がこちらを睨みつけている。

「どうしたんだい、そんな怖い顔をして」

「どうしたもこうしたも、なぜお父さまがそんな下男のような真似を!?」

「おまえね」

 女軍団長の言葉に、退役軍人の目がわずかに鋭くなる。

「そんな言い方があるものかい、私は、私の意思でこうしてるんだ。そんな、働く人を蔑むような言い方はよしなさい」

「で、ですが………!」

「私は冒険者だよ?冒険者が町の皆の為に汗を流して、なんの問題があるんだい」

「そうですよ、姉さん。言いたいことはわかりますけど、少し言い過ぎですよ」

「なんだと!?…………なんだ、お前、その格好は」

「どうです、僕ももらってきたんですよ、認識票」

 事も無げに言ってのける副軍団長、その外套の襟元に光るのは白磁の認識票。

「お前………!?」

 あまりのことに絶句する女軍団長、そして、その向こうには、ギルドの庁舎裏からぞろぞろとスコップやつるはし片手に出てくる、見覚えのある顔の集団。その胸元には、一様に白磁の認識票が光っている。

「………どういうことなのだ、これは?」

「ええ、みんなと相談しましてね、いい機会だから、申請しておこうという事になったんですよ、姉さん」

「お前!何を勝手に――――――!?」

「ちゃんと父さんにも相談しましたよ?」

「ぐうぅぅ………!!」

 いつの間に。

 しれっと言いのける副軍団長の言葉と表情に、女軍団長は、その逞しい眉を吊り上げて、地獄の番犬のような唸り声を上げる。

「いいじゃないですか、聞けば、国王も金等級の冒険者なんです。僕たちだって冒険者になっちゃいけないなんて話、あるわけないじゃないですか」

「知るか!勝手にしろ!!」

 紅毛の頭から、文字通り湯気を噴き出さんばりの女軍団長。足元の泥雪を気にするように、スカートの裾を持ち上げながら、ずかずかとギルドの庁舎へと帰っていくそんな姉の姿を、副軍団長はやれやれと笑いながら見送っていた。

 

 

「お疲れ様、はい、これ」

「ありがとう」

 監督官から差し入れられたティーカップを受け取り、暖かな茶の香りを吸い込み、受付嬢は大きくため息をついた。

「疲れたぁ………」

 大勢の冒険者志願者が申請に来る、それはいい、人材が集まるのはいい事だから。しかし、なんだって全員、自分の列にだけ並び、他の係員には目もくれないのか。他の職員が声掛けをしても、彼らは完全に無視。

 あの槍使いの冒険者も、例の如く助け船、というかちょっかいを出そうとしていたが、全く相手にされなかった。おかげで、40人以上の申請書の確認と、認識票の作成を自分ひとりでする羽目になってしまった。

「なんなんですか、今日は。なんでこんなに冒険者志願者が来るんです?こんな寒い日に」

「あまり、余計な人間に顔を覚えられたくないのかもね。だから、君ひとりにわざと集中した、ってね」

「まさか、そんな。いくらなんでも………」

「ありえるよー?もしなんかあったら、今度はあの格好で君んち来るかもよー?」

「脅かさないでください、お願いですから」

 季節外れの冒険者志願者の殺到を、どうにかこなし終えた受付嬢は、痛む手首と指先をさすりながら、受付カウンターの後ろで大きくため息を吐き出した。



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ありふれた夢

「それじゃあ、父さん。今日も、雪かきの手伝いですか?」

「そうだねぇ、まだ、あちこちに根雪が残っているから、人手も必要だろうしね」

「そうですね、では、各十人隊の勤務割を確認して、志願者を募ります」

「念の為だけど、当番明けの非番組は必ず休ませるんだよ?」

「ええ、それについては厳正に対処します」

「頼んだよ」

 朝食を済ませた後、退役軍人と副軍団長は依頼掲示板を前にして今日の予定を話し合う。そして、その横で、面白くなさそうな表情を隠そうともせず、苛々とそのやり取りを聞く女軍団長。そこへ、遠慮がちに声をかけてきたのは、半闇狩人。

「あの、お師匠様。ご相談したいことがあると言っている方達がいるのですが………」

「うん、いいよ。どんな御用件かな?」

「はい。それじゃあ、みんな、お師匠様に話してみて?」

 半闇狩人に促され、おずおずと前に出てきたのはふたりの少年少女。とはいっても、白磁の認識票を首に下げているから、成人していると言えば成人。それでも、退役軍人からして見れば、かわいい子供達。

「は、はじめまして、先生」

「うん、初めましてだね、君達」

 その、邪教の将軍のような見た目に反して、穏やかで温かい声。そんな退役軍人の様子に励まされてか、不安と緊張で強張った表情が少しだけやわらぐ。

 革鎧の一枚も持たず、武器と言えば檜(ひのき)の棒くらいしか持っていないような少年と、絵にかいたような新人といった態の尼僧。まるで、昨日今日、田舎の実家から飛び出してきたような風体の彼らは、どこかきまり悪そうに、そして遠慮がちに相談ごとを打ち明けた。

「なるほど、それじゃあ、君達は今日初めて地下下水道に入ると言うわけなんだね」

「は、はい」

 彼らの話を聞き終えた退役軍人は、ふぅむ、とひとつ息をつきながらその内容を頭の中で整理する。

 彼らは、この街から少し離れた農村の出身であること。少年は決して裕福ではない農家の三男坊、そして、姉は地元の小さな寺院に帰依する尼僧。そして、成程雰囲気や顔立ちが似ていると思っていたが、やはり姉弟であるという。

 それはともかくとして、一応生業を得ている彼らは、余程の事でもない限り食いっぱぐれは無いが、歳の離れた兄達がいる以上、農園の主となる事も望めず、これと言ってあまり華々しい展望もない境遇と、まあ、これは別段珍しいものでもない。

 とまれ、少年は、兄や父に冒険者となる事を勧められ、成人を迎えた日を機に冒険者として身を立てるため、そして、家の口減らしのため村を出た。これもまた、珍しくもなんともない話。

 取り立ててみるべきものもない話、それでも無謀な話である事には変わりなく。それでも、少年と歳の近い姉が、村近くの寺院で見習いをしていた侍祭だった事、癒しの奇跡を授かっている事、そして、家を出て旅に出ようとする弟の身を案じてついて来た事が、彼にとっての幸か不幸か。

 とはいえ、冒険者の殆どはこんなもの。この世という川岸に数多現れる砂利のごとし、そして、時という川の流れにさらわれ流されてはまた現れての繰り返し。

 我が娘が怒るのも当然と言えば当然、彼らに比べれば、自分など道楽者のそしりを受けて当然。しかし、それとこれとは話は別。こうして彼ら姉弟を知ってしまった以上、関わりを拒むなど出来ない話。もとより、そんなつもりは毫も無いが。

 そして、ふと視界の端に映る受付のカウンター。そこにいる受付嬢がこちらの視線に気づいたように、小さく頭を下げるのを見て、小さくため息をつく。

(まあ、そういうことだろうねぇ)

 多分に、冒険者登録を済ませた彼らが、早速依頼を受けようとした所に、まずは自分の所で相談をするよう彼女から助言を受けたのだろう。

 彼女の懸念も当然だ、寸鉄と言えば果物の皮を剥けるかどうかの小さなナイフだけ。腰に差しているのは、その辺に幾らでもあるような棍棒。

 まともな感覚の持ち主なら、心配しない方がまずおかしい有様。そして、あの受付嬢は、そう言うまともな感覚の持ち主だからして。

 しかし何よりも、血気盛んな新米冒険者にありがちな、根拠のない自信にのぼせる事のない謙虚さと、他人の言葉に耳を傾けられるその素直さは、本人の素養か、僧侶である姉からの薫陶か。

 いずれにしたとしても、何事にも言えることだが、この先においても彼等の運命をほんの僅かでもましな方へと傾けてくれるだろう。

「わかったよ、私が一緒に行ってあげる。嫌なことを言うようだけど、今の君達の格好じゃ、とてもじゃないけど危ないからね」

「は……はい!ありがとうございます!!」

 退役軍人の言葉に、新米冒険者たちはほっとした表情を浮かべると、一斉におじぎをして感謝の言葉を口にする。しかし、そこで黙っていないのが女軍団長。

「お父さ………!」

 また、下男のような真似を、そう噛みつきかけた彼女を、素早く、そしてさりげなく副軍団長が押しとどめ、まあまあとなだめつつ、酒場まで連行するように押しやっていく。

「何だお前は!私は父上に話があると言うのに!!」

「それより姉さん、お茶などいかがですか」

「いらん!さっき散々飲んだ!!」

「まあまあ、そう言わずに」

「お前!いい加減に………!」

 とうとう本気で怒りを爆発させかけたその時、いつの間にこの姉弟の横に現れたのは、他の軍団員と違い、ブリガンダイン・アーマーという比較的軽装とも言える装備一式を完全着装した軍団員がひとり。

「やあ、伍長。どうしたんだい?」

 伍長と呼ばれた軍団員は、彼らに敬礼した後、用件を手短に伝える。

「なに………雑収入決済の承認だと?そんなもの、そっちで規定通りに処理すればいいだろう………そうはいかないだと?ああ、わかったわかった。今行く!」

 冒険者登録を行った軍団員が、依頼をこなして得た収入。派遣隊の予算から見れば微々たる数字。だが、それでも公費として扱う以上、確認して欲しいとの要請。

 別にこんな用事、自分がいちいち確認するような話ではない。その為の百人隊長や十人隊長だ。しかし、行動予定になかった活動によって得られた収入、それを把握・承認してほしいという要請は、公正な公費取扱いという観点からいって当然の話であり、それをなおざりにするのは自ら軍紀を軽視するのと同義。

「おい、ちょっと百人隊長の所へ行ってくる」

「わかりました、いってらっしゃい、姉さん」

「いいか!この話は後できっちりするからな!」

 ぷりぷりと怒りながら、伝令に来た伍長をつれて立ち去っていく姉の後姿を見送りながら、副軍団長はやれやれと苦笑をもらしていた。

「さて、父さんの方はどうなったかな」

 

 

「あの、これ、鎌や鍬のあれですよね」

「は………はい、でも、俺たち持ってっていいって言われたのが、これだけで………」

「まあ、そうだろうねぇ。仕方ないよ、農具とは言っても、鉄は貴重なんだから」

 目の前に置かれた、見覚えのある棒切れに思わず言葉を失う半闇狩人。自分自身、しょっちゅうに手にしたことのある農具。彼らが携えてきたのは、その修繕用の予備の部材。

 もはやこれを武器と呼んでいいものかという装備品を前に、まだ弓や山刀を携えていた自分は、装備に恵まれていたのかといみじくも思い返す。しかし、それとこれとは話は別だ。

 住み慣れた村の、勝手知ったる畑や里山で猿や野犬を追い払うのとはわけが違う。あの地下下水道の暗闇の中に棲む大鼠や大黒蟲は、それこそ場合によってはこちらが返り討ちにされてしまいかねない相手。それは、自分自身が身をもって思い知らされている。

「どう思いますか、お師匠様」

「うん、そうだね。まあ、これはこれで、やりようはあるよ」

 退役軍人の言葉に、ふたりの顔がわずかに明るくなる。

「とは言え油断は禁物、まずは、行って帰ってくることだねぇ。何も考えずに入り込んでいったら、そのまま帰ってこれなくなるよ。あそこは、そう言う所だから」

 退役軍人の言葉に、ふたりの顔が一瞬曇る。こうもわかりやすく一喜一憂が顔に現れるのは、やはり若さ故か。それにしても本当に、なんと可愛らしきことか。

「まあまあ、そんなに怖がることはないよ。行って帰ってこれる所まで行ってくる、それさえ間違えなければいいんだから」

「は、はいっ」

「それは私達が教えてあげる、最初から上手く出来る人なんていないんだからね」

 この姉弟が落ち着きを取り戻すのを眺めながら、退役軍人は改めて彼らを観察する。ふたりとも只人、どこか眠そうな目つきがよく似た雰囲気の姉弟。

 姉である見習い侍祭は、半闇狩人と同年代くらいか。寺院から与えられたであろう錫杖は、見習いの身分が持つものとしては使い込まれた風合いが見え、彼女の常日頃の努力の跡がうかがえる。そして、弟の方と言えば、体格は良くも悪くもなく。しかし、日に焼けた顔や腕、タコやマメだらけの手は、言うまでもなく働き者の証。

 そんなふたりを前に、漆黒の面頬の下で、退役軍人の目がほろ苦い笑みと共に細まる。そんな彼の記憶をふとよぎった、とある姉弟の姿。

「大丈夫、そのために私達がいるんだからね」

 懐かしくもほろ苦い、そんな思いを名残惜しく胸の引き出しにしまうと、穏やかな、そして確とした意思を込めた言葉と共に、退役軍人は静かにうなずいた。

 

 

「それにしても、よく来てくれたね」

「お邪魔でしたか」

「とんでもない、お前も来てくれて嬉しいよ」

 異臭漂う地下下水道坑内、その通路の中を、退役軍人は上機嫌で歩く。そして、その横には、サレットヘルムと面頬で表情はわからないが、不満たらたらの女軍団長。弟の副軍団長は、町の雪かきの指揮でここにはいない。

 そして、まだ冒険者登録をしていない――――――するつもりもないが、女軍団長は、退役軍人の隣にぴったりくっついて歩く。

 そんな彼女が言うには、

 

 手伝うつもりはありません、先代が今、どのような事をなさっているか、軍団長として視察させて頂きます。

 

 とのこと。

 しかし、彼女の腰に提げられているのは、グラディウス(戦剣)より一回り短いプギル(短剣)。狭く、暗い構内でいざ振り回すとなれば、これほどうってつけな得物はないだろう。と、それはさておき。

「お父さまは、いつもこんな場所を?」

「うん、折を見ては見回っているよ」

「そうですか………」

 冒険者とは名ばかりの、田舎から出てきたばかりの無謀な子供。その世話をするため、彼らを伴って地下下水道へ潜るという父に、矢も楯もたまらず装備を整えてついてきてしまった。

 明かりはカンテラの中で心許なく揺れる蝋燭の光だけ、父の目ならば、こんな余計なものを持つ必要もない。そして、構内に籠る悪臭に、自然と眉間にしわが寄る。

 しかし、今度ばかりは、あまり不満も出てこない。父がこんな場所を気にとめて見回るのは、こういう場所こそ、あの忌々しい邪教徒共が度々隠れ家にするような場所。それは、十分に理解しているし、その気概は頼もしく思う。 

 たが、こんなひなびた田舎町に邪教も何もあったものではないだろう。しかも、世間知らずを絵にかいたような子供にわざわざ付き合って。そんな思いと、地下下水道の異臭が彼女の眉間のしわを再び深くする。

 その時、先頭を歩いていた半闇狩人が、すぅっと弓を構えると同時に、暗闇の向こうへ矢を放つ。そして、聞こえる短い悲鳴。

「仕留めたのかい?」

「いえ」

 半闇狩人の返事に、退役軍人は小さくうなずく。そして、そんな様子を、女軍団長はつまらなさそうに眺めながら、小さく鼻を鳴らす。こんな遠足気分だ、どうせ、仕損じたのだろう、と。

「それじゃ、ここから30歩くらいの所に大鼠がいるから、ふたりでとどめを刺してきて」

 暗闇の向こうを指さしながら振り返った半闇狩人の言葉に、姉弟の顔に一斉に動揺の色が浮かぶ。

「あなた達でやっつけないと、この依頼をこなしたことになりませんから」

「は、はい――――――」

「多分あまり動けなくなっていると思うけど、十分注意してくださいね。仕留めたら、耳か尻尾を切りとってくるのも忘れないで」

「わ、わかりました――――――」

「大丈夫、私も援護します。皆さんは、大鼠に集中して。でも、十分気をつけてください。手負いの獣は、死に物狂いで抵抗しますから」

「は、はいっ!」

 この、大人しそうな半闇人から出てきた、ある意味容赦のない言葉に、女軍団長は僅かにその逞しい眉を動かす。

「わたしが援護するので、あなたが前衛で前進してください、それから、侍祭様は万一に備えてください。何があっても絶対に私の前に出ないで」

 道中、素人たちのこれまでの動き方をそれとなく観察していた半闇狩人は、今この状況で最適とされる配置を指示する。

「ではお師匠様、わたし達で前に出ます」

「うん、周りは私が対処するから、気を付けて行っておいで」

「はい、では皆さん、いきましょう」

 そして、半闇狩人に率いられて少年少女たちは闇の向こうへと消えていく。

「よろしいのですか、父上」

「なにがだい?」

「あの子たちについてやらなくてもよいのか、ということです」

 女軍団長の言葉に、退役軍人は面頬の下で表情を緩ませる。人に厳しく、自分にすら厳しすぎるきらいはあるが、強く、逞しく育ってくれた、それでも昔の優しさはそのまま。

「あの子がついているからね、心配いらないよ」

「随分と信用なさっているのですね」

「そうだね」

 憮然とした女軍団長の言葉に、退役軍人は穏やかにうなずきながら答える。その時、暗闇の向こうから、ややあって、文字通り必死の大鼠の鳴き声と、あの姉弟たちの悲鳴じみた大声と、打擲殴打の音が聞こえる。お世辞にも手際が良いとは言えないが、それでも必死な事だけは伝わってくる。

 しばらくして、ようやく静かになった時、暗闇の向こうから半闇狩人に連れられるようにして、真っ青な顔の姉弟が戻ってきた。そして、その手には、大鼠の耳。

「お疲れ様です、みんな。怪我はありませんか?噛まれたりしてませんか?」

 ねぎらいの言葉をかける半闇狩人に、彼らは強張った顔で首を振る。そんな彼らの服には、少しの返り血が点々とついている。

「それと、侍祭様、前に出ないでと言いましたよね」

「も、申し訳ありません………」

 半闇狩人の静かな声に、見習い侍祭は大鼠の血や脳漿で汚れた錫杖を、胸に抱きかかえるように握りながらうつむく。半闇狩人の警告どおり、最後の最後で全力を振り絞って反撃してきた大鼠。その脳天に致命傷を与えたのは、弟を思う一心で飛び出した見習い侍祭の渾身の一撃。

「いいんです、責めてるわけじゃないんです」

 見習い侍祭の顔に着いた返り血を、雑嚢から取り出した揉み解した藁束で拭ってやりながら、半闇狩人は困ったような笑顔を浮かべる。

「侍祭様は、弟さんにもしもの事があった時の救護として大切な役割があるんです、それだけは忘れないでください」

 血の付いた藁束を水路に捨てながら、半闇狩人は、少年農奴を振り返る。

「獣に向かって正面から横降りや振り下ろししても、簡単によけられてしまいます。彼らは素早く動くものを見ることができるんです、だから、突きで頭を打ちましょう、そして、相手が怯んで隙を見せたら、そこに一撃を打ち込むんです」

 半闇狩人の助言に、素直に耳を傾ける少年農奴。目の前の先輩冒険者の言う通り、心臓に矢を受け深手を負っているはずなのに、自分が振るった棍棒をかわし、そして文字通り死力を振るって飛びかかってきた大鼠。

 その牙を棍棒でどうにか受け止めたはいいが、そこから文字通り手も足も出なかった。姉が錫杖で大鼠の脳天を粉砕してくれなければ、どうなっていたことか。

「それから、大鼠から絶対目を離さなかったのは良かったです、一番大事なことですから」

 そして、半闇狩人は、もう一度、この姉弟に怪我はないかどうかを尋ね、ふたりは大丈夫と答えながらうなずく。だいぶ気負いが抜けてきたのか、ふたりの自然な笑顔を前に心の中で微笑みながらも、ここからが正念場と半闇狩人は気を引き締める。 

「よかった、じゃあ、あと2、3匹くらい仕留めましょう」

「は、はいっ」

「大丈夫、みんななら、できますよ」

 半闇狩人は少年農奴を促すと、及び腰ながらも注意深く前進する少年農奴の斜め三歩ほど後ろから、短弓に矢をつがえた半闇狩人が左右を扇状に警戒し、見習い侍祭は最後尾から隊列の背後を警戒しつつついていく。

「頭の上に気をつけて、黒蟲は天井にも張り付いてますから」

 半闇狩人は、時折、少年農奴を制して一旦前に出ると、闇人ならではの鋭敏な感覚で闇の向こうを索敵しながら、再び隊伍を組み直して用心深く、しかし素早く前進して素人たちを嚮導する。その十人隊長さながらの動きに、退役軍人について歩く女軍団長は意外なものを見るような顔になる。

「お父さま」

「なんだい?」

「あの子は一体………?」

「だから、私の生徒だよ。とっても賢い子でね、おかげでとても助かっているよ」

「そ、そうですか………」

 我が父が手塩にかけて育てたというだけあって、即席であるにもかかわらず、我が軍団の熟練兵と比べても遜色のない隊伍行動。

 そして、半闇狩人が再び矢を放つと同時に、歩調を早めて闇の向こうへと駆けていく3人。その様子を思わず目で追っていた女軍団長の耳に、再び聞こえる大鼠の悲鳴と、新米たちの奮戦の声。

「それに、とても頑張り屋さんなんだ、小さい頃のお前みたいだよ」

「とてもそうは思えません」

 不満げな返事をよこす女軍団長に、退役軍人は肩を揺らして笑う。

「そうでもないさ」

 あの子も、お前と同じで、優しい子だよ。

 その向こうで、手にした小刀で小さく痙攣する大鼠のとどめを刺した後、素人たちを集めて大鼠の急所を説明している半闇狩人の姿と、年甲斐もなくむくれてみせる娘の姿を見比べながら、心の中でそう呟きつつ、退役軍人は小さくうなずいた。

 

 

 

「まったく………まともなテルマエもないのか、この町は………」

 終業間際のギルド酒場で、女軍団長は葡萄酒を傾けながら不機嫌そうにぼやく。あの地下下水道、行って帰ってきただけでも不愉快な臭いが消えない。それでも、どうにか身づくろいを整えたが、落ち着かないのは臭いのせいだけではない。

「父上も父上だ、冒険者などと、なにが楽しくてあんな下男のような真似を………」

 そうこぼしながらも、女軍団長は自分の言葉を途中で押しつぶす。

 あの時、地下下水道から戻った後も、あれやこれやと世話を焼き、おまけに夕食を振舞うだけでなく、一党に加わらないかとまで言い出す始末。

 なにをそこまで、見ず知らずの田舎者相手に世話を焼くか、と思わなくもない。ただ、あれだけ楽しそうな父の姿をみるのは、どのくらいぶりだろうと自問する。

 自分の母も、父と知り合うまでは冒険者だったという。そして、そんな母の血を強く受け継いでいるという自分。この真っ赤な髪も、母から受け継いだもの。

「だが、何も家を出ていくことはないではないか………」

 そうぼやきながら、葡萄酒の瓶を傾ける。もう、残りも少ない。どうしようか、もう一本注文するか。そう思ったその時、声をかけてくるものがいる。

「こんばんは、まだ起きていらしたんですか?」

 丁寧な言葉に、女軍団長はふと顔を上げる。そして、振り向いた先には、あの半闇人の少女。

「貴様こそ、こんな時間まで」

「はい、依頼がない時は、厨房の方でお手伝いをさせてもらっているんです」

「忙しいことだな」

「でも、お仕事があるって、有り難いですから」

 困ったような笑顔を浮かべながらも、半闇狩人は洗濯したばかりの前掛けや頭巾が詰まった篭を抱え直す。こんな寒い夜に、洗濯とは。

「父上と一緒に寝起きしているのではなかったのか」

「え?いえ、月のお給金を渡すから、やりくりする練習をしなさいって、お師匠様から言われてるんです」

「そうか」

「それに、少しでも実入りがあったほうが、一党の仕事も少しは楽になりますから」

 意外な言葉に、女軍団長は小さくため息をつきながら、半闇狩人の手を見る。あかぎれだらけの荒れた小さな手。自分の中にくすぶる、わだかまりの原因の一つ。この、年若い半闇人。てっきり、父の寵愛を受けているものかと思った。それが、まさかこんな女中のような仕事をしているとは。

「………少し、話をしないか?」

「はい!」

 女軍団長の呼びかけに、半闇狩人は素直な返事と共に、その隣に腰掛ける。その距離感の近さに、女軍団長は微かに戸惑いの色を目に浮かべるが、気を取り直すようにひとつ咳ばらいをして、この年若い半闇人の少女に話しかける。

 けれども、何を話そう?

「………貴様は、父上と付き合いは長いのか?」

 酔いのせいか、それとも、まだ残り続けるわだかまりのせいか、いきなり核心を突くような言葉を吐いたことに、女軍団長は心の中で顔をしかめる。もう少し、当たり障りのない話題から切り出していくことくらい、出来ないものなのか。

「いえ、一昨年の夏に弟子入りしましたので、まだそんなに長いというほどでもないです」

「そうか………しかし、父上に弟子入りとな。だが、見る目はあるようだな」

 えへへ、そうはにかむように笑いながら、銀色の髪をいじる半闇人の少女に、女軍団長は、ふっと笑みを漏らす。

 闇人どころか、その辺の村娘と変わらないではないか。いや、事実その通りではあるが、女軍団長の中で、この、自分の父の隣に必ず付き従っていた少女に対する頑なな気持ちが、少しずつだが揺らいでいく。

 それに、今日の地下下水道での素人どもの統率ぶりは、控えめに言っても見事だった。我が父が直々に鍛えただけの事はある、それだけは認めざるを得ない。

「冒険者になりたてだった頃、ひどい失敗しちゃいまして」

 ばつの悪そうな表情を浮かべながら、あの時のことを思い出す半闇狩人。

「お師匠様に、助けていただいたんです。あの時は、誰も頼れる人がいなかったから。藁にもすがる気持ちで」

 半闇狩人は、きまり悪そうに笑いながら、あの日の思い出を語る。

「お師匠様を訪ねて、一緒に冒険をしてくれるって言ってくれて。だから、とても嬉しかったんです」

 わたしにはもう、帰るところがなかったから。そんな半闇狩人の言葉に、女軍団長は押し黙ったまま、葡萄酒の残りも僅かなゴブレットを傾ける。そして、

「………貴様は、父上と添い遂げたいと思っているのか」

 酔いのせいか、物言いが直截になる。しかし、言葉を取り繕っても意味はない、自分は、自分が聞きたいと思ったことを聞く、確かめたいと思ったことを聞く。引くに引けぬ思いをねじ伏せ、半ば開き直るように、そう自分を納得させる。

「貴様がそのつもりなら、私は構わんぞ。まあ、あまりにも若すぎるとは思うがな」

「いいんです、ちがうんです」

 半闇狩人は、女軍団長の問いに小さく首を振る。

「お師匠様を必要にしてるひとは、ほかにいますから」

 半闇狩人の瞼の奥に浮かぶ、あの優しい笑顔。穏やかで、涼し気で、寂しげな、秋の夕暮れのようだったあのひと。あのひとは、今どこにいるのだろう。元気でいてくれたら、いいけれど。そんなことを考えながら、金色の瞳が静かに潤む。

「だから、わたしは、お師匠様の近くに置いて頂けるだけでいいんです」

 半闇狩人は、曇りのない笑顔で女軍団長に笑いかける。しかし、微かに横切る、寂しげな影。思いもしなかった言葉、そして表情を前に、見えない冷や水を浴びせかけられたように己が心の目が覚める。そして、自分の言葉の切り出し方が、いや、そもそもの態度が完全に間違っていたことを悟り、心の中で歯噛みする。

 これでは、手切れを催促しているようなものではないか。

 しかし、土の上にこぼした水が再び水差しの中に戻らないように、一度吐き出してしまった言葉は、二度と口の中には戻らない。

 そもそも、自分は何を憤っているのだ?この子が、自分に一体何をした?この子は、冒険者として、とにかくにも、ただ自分の為すべきことを真摯に為しているだけではないか―――――――――

「お師匠様は、わたしが強くなれるように、一生懸命いろんなことを教えてくれます。それってきっと、いつかわたしが、ひとりでも生きて行けるように――――――」

 まるで、自分自身に言い聞かせるように。しかし、半闇狩人は、思いのたけを最後まで言うことができなかった。

「ひゃっ!?」

 突然、女軍団長に抱きすくめられた半闇狩人。逞しく、そして慎ましやかな胸の感触に包まれながら、戸惑いと驚きの中、聞こえてくる女軍団長の声。

「ひとりで生きていくことなど――――――ない」

「え――――――?」

「お前には私がいる、弟だってお前を気に入っている。だから、そんな寂しいことを言うんじゃない」

「ご………ごめんなさい」

「謝るな、謝る必要がどこにある」

 女軍団長は、半闇狩人を抱きしめる腕に、静かに想いを込める。こんな事で謝罪の代わりになるとは思っていない。それでも、自分がこの子を傷つけたのは紛れもない事実。

 自分の粗忽な言葉が呼び水になったにせよ、いつかはひとりで生きていくことを覚悟している、そんな言葉を紡いだ、こんな年端もいかない少女。

 詳しい事情など当然わからない、しかし、今しがた彼女自身の口から語られた断片的な話だけでも、彼女が今までどんな思いで生きてきたか、そんなこともわからないほど愚鈍なつもりもない。

 だが、今ならはっきりとわかる。間違っていたのは、自分だと。

「――――――お前は、私の妹だ」

「えっ?」

「だから、今からは私のことは姉と呼ぶがいい」

「えっ、えっ?」

 突然の、そして、予想もしなかった女軍団長の言葉に、半闇狩人は思考が追い付かず、ただその金色の瞳をぐるぐると動かすだけ。

「遠慮はいらん、さあ」

「えぇ………」

 その時、女軍団長の後頭部に重い、そして、芯まで響く衝撃が走る。突然の事に声も出せずうめき声をあげる彼女をよそに、黒ずくめの甲冑姿の軍団員が運んできた、焼き立てのパンケーキと温めた牛乳を注いだカップを乗せたトレイが半闇狩人の前に置かれた。

「あ、ありがとうございます」

 思いがけない差し入れと助け船に、半闇狩人の表情がふわりと明るくなる。が、しかし、すぐに気遣わしげな表情になる。

「私のことは気にするな、遠慮せず食べるといい」

 そう声をかけながら、女軍団長はまだ痛む後頭部を抑えながら、じろりとこの無礼千万な軍団員を睨みつけた。

「それはいいとして、伍長。貴様、人の頭に喰らわせておいて、何か言うことはないのか?」

 すると、伍長と呼ばれた軍団員は、とんでもないというように兜を横に降る。

「肘が当たったようだ、だと?なんだ、その他人事みたいな言い方は」

 逞しい眉を釣り上げて唸る女軍団長に対し、伝令伍長は微塵も怯む様子を見せず、彼女の目の前に一本の葡萄酒の瓶をどんと置いた。

 黙って酒でも飲んでろ。

 そう言わんばかりに。

「あ、あの、一緒に食べますか?」

「気にしなくていい、そもそも、酒のあてに甘いものは無理だ」

 そう答えた女軍団長の前に、油紙に包んだチーズの塊が置かれる。というより、放り投げられた。

「貴様…………」

 軍団長たる自分に対して、礼儀も敬意も置き忘れたどこまでもぞんざいな扱いに、女軍団長は今度こそ本気で伍長を睨みつける。しかし、赤眼鏡と面頬に隠れていても、伝令伍長にまったく怯んだ様子はない。と、その時。

「あ、これですか?」

 上司の怒りすら全く意に介せず、そんな伝令伍長の興味を引いたのは、半闇狩人が首に下げている冒険者の認識票。一昨年の夏に得た白い認識票は、今は黒曜の認識票に変わっていた。そして、伝令伍長も、ブリガディアアーマーの胸元から一枚の銀の小板を引き出すと、軽く掲げてみせる。

「わあ!伍長さん、銀等級だったんですね!?」

 憧れの銀等級、在野の冒険者として完成された存在。そして、強さだけではなく、人としての信頼も十二分に得られる存在。

 半闇狩人にしてみれば、何よりも光り輝く目指すべきそれを間近で目にしたことで、彼女の目は磨きたての金貨のように輝く。そして、伝令伍長も、そんな彼女を前に、得意げに、そして、優しくうなずいた。

「そいつは元………いや、今でもか、冒険者をしていたが軍団に志願してきた。日は浅いし階級はまだこれからだが、なかなか優秀でな」

「へえ………そうだったんですね………」

「だが、気ままな冒険者生活が長かったせいか知らんが、性根はご覧のとおりだ」

 ぼやくようにこぼしながら、女軍団長は新しい葡萄酒の瓶を開ける。

「食べながらでいい、ひとつ、聞かせてくれるか」

 女軍団長は、ゴブレットに葡萄酒を注ぎながら、半闇狩人に問いかけた。

「お前の夢は何だ?」

「夢………ですか?」

「そうだ、夢だ。お前は冒険者として、何を為したい?何に成りたい?」

 女軍団長の問いに、半闇狩人はためらうようにうつむくが、やがて決心したように顔を上げて、隣に座る女軍団長の顔を真っ直ぐに見上げた。

「その、ありふれてるって、笑われちゃいそうなんですけど………」

「かまわん、聞かせてくれ」

「学校を――――――作りたいです、身寄りのない子とか、辛い思いをしている子達の居場所になる、そんな場所を作りたいんです」

「なに………?」

「お師匠様が私に教えてくれたみたいに、そこで読み書きや計算を覚えたりとか、友達を作ったりとか、そうやって、みんなの生きるお手伝いができたらいいな、って――――――!?」

 そう言い終えた途端、半闇狩人は女軍団長に再び抱き寄せられ、その慎ましやかかつ逞しい胸の中で目を白黒させる。

 半闇狩人が語った夢、それは、修道院や寺院、そして、ほんのひとつまみの篤志家が営んでいるそれ。しかし、何故それを笑えようか、何故それをありふれているなどと言えようか。

 世にうち捨てられた孤独な子供に手を差し伸べたい、我が身と同じ辛苦をなめさせたくない、その想いのどこに、笑われなければならないものがあるだろうか。

 ひとり寄る辺もなく、慣れぬ冒険者稼業にすがり、危うく命を落としかけた彼女。そんな彼女が語った、ありふれているという夢。

「おまえと言う子は………おまえという子は…………っ」

 性根の腐った神々がはびこるこんな世界の片隅で、こんなに綺麗な、こんなに曇りない、小さな宝石が打ち捨てられていたとは。ならば、自分は、その光を曇らせないための箱になろう、いつか、この光が、迷える者たちを照らし、導く光となるまで。

 ぽろぽろと涙をこぼしながら、女軍団長は、固く、強く、心にそう誓った。

「――――――私が悪かった」

「え………?」

「私が悪かった、おまえに、父上を取られたようで、面白くなかった」

「そんなことは………」

「父上も………あの強い父上でいて欲しかった、人に顎で使われているような姿など、見たくはなかったのだ…………!」

 ようやく本心を吐き出した女軍団長、そして、今まで生木の煙が澱んでいるようだった胸中が、初夏の風のようにすぅと軽くなっていくのがわかる。

「私が悪かった、私の勝手なわがままで、おまえに八つ当たってしまった………悪かった、本当に、悪かった………!」

 女軍団長は、小さく鼻をすすりながら、そのおろしたての絹糸のような銀色の髪に、優しく頬を寄せる。

「義母でも妹でもどちらでも構わない。もう、おまえは私の家族だ」

「はい、ありがとうございます………ね、姉さま」

「ああ、ありがとう、ありがとう………!」

 そして、そんなふたりの言葉と思いに安堵するように、伝令伍長は洗濯籠を抱え、物干場へと静かに去って行った。

 

 

 

「父上、お話があります」

「いいとも、なんだい?」

 朝食前の、ひと時の団欒。酒場に集まった一同が温かい茶で一息ついている所に、話を切り出したのは、女軍団長。どういった風の吹き回しか、弟の副軍団長を退役軍人の隣に追い払い、今日は半闇狩人を隣に座らせている。

「この子のことですが」

「うん」

「私も、この子を家族として迎える所存です。ですから、この子の生い立ちをご存じなら、私にも教えて下さいませんか、父上」

 たった一晩で、一体どんな心境の変化か。そんな思いがけない娘の言葉に、退役軍人は口元に運びかけた温めた牛乳のジョッキを戻し、その顔を見る。

「ふむ」

 そして、しばし考えた後、彼女の隣に座る半闇狩人に目を向けた。そして、彼女も、師の意図を汲むように、にこりと笑いながらうなずいた。これが、悲喜劇の幕開けになるなどとは、露ほども知らずに。

「うん、この子はね―――――――――」

 

 

 そして、退役軍人は、可能な限り言葉を選びながら、半闇狩人が冒険者となるまでの経緯を話して聞かせた。生い立ち、両親や故郷との別れ、地下下水道での危機、共に歩んだ冒険、そして今日に至るまで。

「――――――なるほど」

 父の話を聞き終えた後、女軍団長の顔から一切の表情と感情が消える。昨日、半闇狩人、いや、我が妹から聞いた話とは比べ物にならないくらい理不尽で、残酷で、無慈悲な話。こんな、こんな莫迦な話があるものか、あってたまるものか。

 神や法が許しても、この私が許さない。たとえ、我が父の救いの手があったとしても、こんな非道、まかり通ってよいものか。いや、いいわけがない。

「――――――その村を焼き払います、よろしいですね?父上」

 その予想だにしなかった言葉に、退役軍人だけでなく、半闇狩人も思わず腰を浮かす。

「いやいやいや!何を言ってるんだいおまえは!?何もしていない村を焼き払うなんてそんな莫迦な真似、許されるわけないじゃないか!!」

「我が妹に対してした事、それだけで十分な罪です。それともなにか、父上はかような非道と邪悪を見過ごせとでも?」

「非道はともかく邪悪って何だい邪悪って!?無知ゆえの不幸じゃないか、お願いだから早まった真似はよしなさい!」

「罪は罪、ゆえに罪を犯したものには、罰が与えられなければなりません。この子は父上が通りすがらなければ、鼠や蟲共にその身をついばまれ、骨はあの湿った暗闇で朽ちていくのを待つだけだった。

 ああ、考えるだけでもおぞましい。なのに、この子をそんな目に合わせた愚か者共は、今でものうのうと生きている。こんな邪悪な行い、許される訳がありません。いえ、許していい訳がありません」

「お願いだよ、私の話を聞いてくれないかい」

 泣きそうな、いや、本当に泣きそうになりながら、退役軍人はとにかく我が娘をなだめようと必死に訴え続けつつも、どこかで育て方を間違えてしまったのだろうかと心の中で頭を抱える。

「ま、まってください、姉さま!わたしは、もうなにも気にしてなんていません!!」

「ああ、おまえは本当に優しい子だ。だが、我慢などする必要はない、私が必ず報いを与えてあげるからね」

「いえ、だから、そういうことじゃなくて………!」

「大丈夫だ、問題ない。私に全て任せておきなさい」

 大丈夫でもなければ、問題だらけ。しかし、もはや取り付く島もなし。そして、故郷の村の滅亡は約束されたも同然。完全に熱狂に浮かされた女軍団長を前に、今度は半闇狩人も泣きそうな顔になる。と、その時。

「ところでね、君はあの村で、何か心残りはないのかい?」

 やんわりと、しかし、ごく自然に会話に滑り込んできた、副軍団長の穏やかな声。

「もしあるんなら、教えてくれないかい?僕がなんとかするよ」

「は、はい………」

 話の主導権を横さらいされ、不満の表情を浮かべる女軍団長を極力刺激しないようにしつつも、半闇狩人は、辛い、しかし、懐かしい思い出も残る村を思い出していた。

「あの………」

「うん」

「お父さんと、お母さんのお墓がどうなっているか………もう、誰もお掃除する人もいないでしょうから………」

「そうか――――――そうだよね」

 故郷に残した、両親の墓所。それを心から案じる半闇人の少女。副軍団長は、いまや我が家の一員となった彼女の言葉に、穏やかにうなずく。

「わかったよ、さっそく村に使いをやって、お墓の掃除と修繕をさせよう」

「え、いいんです………か?」

「もちろんいいに決まってるよ、そうですよね、姉さま?」

 最後の揶揄交じりの弟の呼びかけに、テーブル越しの拳骨を飛ばして応えた後、女軍団長は、隣に座る半闇狩人を、力いっぱい抱きしめた。

「えっ?………わっ!」

「ああ、なんと優しい子なのだ、おまえは!私に任せておけ、立派な陵墓を村人全員で建立させてやるからな!!」

 眉間に深いしわを刻んで感涙にむせびながらも、しれっと不穏な空気の混じる言葉。このまま彼女に任せていたら、村人を強制労働に駆り出した挙句、かつて世界の制圧を目前にしたという聖帝が建立した陵墓並の巨大建造物を、村だった場所にこしらえかねない。

 さてどうしたものかと一同が途方に暮れかけた時、退役軍人は目ざとく見知った顔を見つけ、ことさら陽気に手を振りながら声をかける。

「やあ、おはよう!君達!!」

「あっ、おはようございます、先生」

 退役軍人の呼びかけに気付いた新米冒険者の姉弟は、一瞬表情を明るくさせつつも礼儀正しく朝の挨拶を返す。そして、同席している一同にも。

「おはようございます、黒騎士様。先日はお忙しいなか、時間を割いてくださり本当にありがとうございました」

「いやいや、私達でお役に立てたなら何よりだよ。そうだ、これからみんなで朝ご飯にしないかい?」

 思いがけない退役軍人の申し出に、見習い侍祭と少年農奴は思わず顔を見合わせるものの、やがて小さくうなずき合うと、ふたりそろって退役軍人の前で姿勢を正す。

「ありがとうございます、ですが、私たちは修行中の身です、むやみに黒騎士様の御厚意にすがり過ぎるわけにもまいりません」

「そうかい?別に気にしなくてもいいのに」

「はい、黒騎士様のお心遣いは、弟共々嬉しく思います。ですが、これも修行の一つと思い、ご理解いただければ幸いです」

 退役軍人の申し出を、丁重に辞退しながら頭を下げる姉に倣うように、少年農奴も深々と頭を下げる。さて、ここまでの気概を示されては、これ以上無理強いもしづらい。

 そんなやり取りを興味深く眺めていた副軍団長だったが、雰囲気の潮目が変わったことを読みとり、小さな客人を前に体裁を正している姉に声をかける。

「姉さん、姉さん、とりあえず、細かい話は後にして朝食にしましょう。僕たちはよくても、この子がつらそうですよ」

「む、そうだな………よし、それでは食事にしようか。それと………お前達!」

「は、はいっ!?」

 女軍団長から突然声をかけられた姉弟は、思わず背筋を伸ばして返事をする。

「そう畏まるな、聞くにお前達の気概、感服の極みだ!そして我が父と妹に教えを受けたのなら、もうお前達は他人ではない!それに、一日の計は朝食にありだ。そしてこれは決して施しなどではない、これを糧にしてさらに高みを目指せ!そして、仲間として、友として、いつか我が父と妹の力になって見せよ!というわけで、こっちに座れ。席は十分空いているぞ」

 こうして、半ば勢いで新人冒険者姉弟を朝食の席に招いた女軍団長に戸惑いながらも、なんとか村の滅亡につながる話題が彼女の中から消え去ったことを察し、半闇狩人は安堵の表情を浮かべる。

「よし、あとは私に任せておけ。うむ、やはり食事は賑やかな方がいい!おい、そこのお前、注文だ!!」

「あいあーい、どうぞー」

 あまりと言えばあんまりな注文の仕方に、半闇狩人は苦笑いを浮かべ、新人冒険者姉弟は思わず目を丸くしているその様子を知ってか知らずしてか、得意げに獣人女給を呼びつけて注文をする女軍団長の姿に、退役軍人は苦笑交じりに肩を落とす。

 ともあれ、これで、愚かだが無辜の人々と、その村の滅亡は免れた。

 だが、これまで自分が積み重ねてきたもの、信じて娘に託した事は間違いではなかったと信じよう。そう、思いながら。



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故郷の手紙

 早朝の冒険者ギルド、その受付カウンターでは、早速始業時間を迎えた受付嬢が、今日も冒険者たちを出迎える準備をする。そこへひとりの女性が受付窓口を訪ねてきた。

 燃えるような紅い髪と、それと同じ色をしている女性にしては些か逞しい眉は、白い額によく映える。そして、体格もそうだが背も高い。逞しい胸板や肩の印象も手伝って、女物の服を着ていなければ、男性かと思うくらい。

 だが、こうしてみると、まるで舞台女優のようだ。服の上からでもわかる、鍛え上げられた鋼の如き体躯は、もうこの際仕方ないにしても。

「冒険者の登録申請をしたい」

 その聞き覚えのある凛とした声に、受付嬢は、先だっての黒い軍団の長だということに気付く。しかし、冒険者に対して、あまりいい心証を持っていないように見えたが、その冒険者登録とは一体どういった風の吹き回しか。

「承知いたしました、それでは、こちらにご記入をお願いします」

 それはともかく、受付嬢は申請用紙をカウンターの上に差し出すと、冒険者登録についての説明を行う。そして、概要を聞き終えた女軍団長は、書類を前に必要事項をさらさらと書き込み始めた。地位にふさわしく実に達筆で流麗な文字、掛け値なしでそう思える。

「できたぞ、確かめてくれ」

「はい、少々お待ちください」

「うむ」

 そして、待つこと暫し。受付嬢から差し出された白磁の認識票を前にして、女軍団長の逞しい眉が跳ね上がった

「何故この私が白磁なのだ!これでも私は一軍の長だぞ!?」

「はい、ですが、冒険者登録の規定ではどのような方でも、最初は白磁等級からと定められているんです」

「どんな奴でもだと言うのか!?」

「はい、そのとおりです」

 朝っぱらから賑やかな、そして、傍迷惑な騒動を起こしている娘の姿に、退役軍人は兜ごと頭を抱えながら言葉を失っている。

 渡された白磁等級の認識票に対して、理不尽な不服申し立ての声を上げる女軍団長と、それに対して一歩も退かず、まるで想定内とでも言うように、いつもの笑顔で受け答えをする受付嬢。

 そして、そんな姉の様子をにこにこと見守る副軍団長と、はらはらとした様子で金色の瞳をせわしなく動かす半闇狩人。

「お師匠様………姉さまが…………」

「ああ、わかってる、わかっているよ」

 心底憔悴した様子の師に、半闇狩人はその心痛を推し量りつつも、もはやこうなったら、ここは自分が、と立ち上がりかけた時、女軍団長に近付くひとりの冒険者の姿に気付き、その銀色の細い眉がぴくりと跳ね上がる。

「やあ、お嬢さん、おはよう」

「何だ、貴様は?」

 馴れ馴れしい声に、女軍団長は怒りを押し殺した三頭獣(ケルベロス)のような表情で振り返る。しかし、彼女に声をかけた槍使いの青年もさるもの、些かも怯むことなく話しかける。

「何かお困りのように見えたから、手助けになれればと思ったんでね」

「失せろ、貴様に用はない」

「まあまあ、そんなこと言わずに」

「貴様に用はないと言っている」

 何だ、この軽薄極まりない優男は。生理的に受け付けない種類の人間を前に、女軍団長の元々それほど高くない怒りの沸点が一気に煮えくりたつ。

 そして、彼女の苛立ちがそのまま浮かび上がるかのように顔に深いしわが刻まれ、それらを飾るようにみしみしと血管が浮かび上がり、炎のように紅い髪がざわめき立ち始めた。

「失せろ、下郎。これが最後だ」

 もう見ていられない。

 あまり好きになれない人だけど、ここで騒ぎを起こしたら姉だけの問題ではなく、師にまで後々迷惑が掛かり続ける。それだけは、何としてでも避けなければならない。

 それに、あの姉弟ふたりが訓練所から帰ってくるまでに、この益体もない騒ぎを何とかしなければ、今のこの姉の姿を見せて幻滅させる訳にはいかない、絶対に。

 そう決心と覚悟を固めて立ち上がったその時、気がついたら目の前にいたはずの師がいない。

「ちょっと、こっちに来なさい」

「お、お父さま………!?」

「君、申し訳ないけれど、応接室をお借りするよ?」

「はい、わかりました、先生。こちらが鍵になります、どうぞ」

「本当に申し訳ない、娘には、私からよく言い聞かせておくから」

「ちょっ、お、お父さま!?」

「君も、娘が申し訳ないことをしたね。後できちんとお詫びに伺うから、今はこれで収めておくれ」

「お………おう」

「お父さま!」

「いいからおいで、私はおまえをこんな聞き分けの悪い子に育てた覚えはないよ」

「いっ、いたたたた!?」

 女軍団長の耳を引っ張り、そのまま応接室へと連行していく退役軍人。まるで、行儀の悪い娘を叱る父親のそれそのものな光景に、槍使いの冒険者も、毒気を抜かれたようにその様子を見送っていた。

 

 

 小一時間ほどして解放された女軍団長は、心底しょげ返った様子でテーブル席でうつむき、その差し向かいには、腕を組み巌のような姿で座る退役軍人。しかし、ややあって腕を解いた退役軍人は、張り詰めていた空気を和らげる。

「おまえの気持ちもわかるけどね、誰でも、私も、みんなそうだったんだ。それにね、おまえなら、その気になればすぐにでも銅、いや、銀等級になれるよ。大丈夫、私が保障してあげるから」

「はい………申し訳ありません」

 すっかり毒気も抜けてしまった女軍団長は、面接室でもそうだったように、諭すような父の言葉と励ましに、じわり、と目の端に涙を浮かべる。

 そこへ、あの時のように、半闇狩人から差し出されたハンカチ。大事に使われているとわかる、しみひとつない木綿の織物。それでも、惜しみなく、躊躇いなく、使えと勧めるその心。

「ありがとう………すまない、いつも心配をかける」

 女軍団長は、その小さな手からハンカチを受け取り、そっと目元を押さえると、傍らに座る半闇狩人に淡い笑みを向ける。

「これは、私が洗って返す、暫し貸してくれ」

「はい」

 にこりとうなずく半闇狩人に、女軍団長の目にようやく光が戻る。

「ところで、話が済んだところでさっそくなんだけどね」

 退役軍人は、向かいに座る半闇狩人に話しかける。

「入り用のものがあってね、寒い日にすまないけれど、ちょっと町までお使いに行ってきてくれないかい?」

「はい、わかりました!」

 打てば響くような返事と共に立ち上がった半闇狩人に、退役軍人は、今や財布代わりになっている弾薬盒からいくらかの銀貨を取り出すと、それを半闇狩人に手渡す。

 そして、ちらちらと半闇狩人に視線を向ける女軍団長に、退役軍人はふっと頬を緩めながら声をかける。

「おまえも一緒に行ってきなさい、町の様子を知っておくのも、大事なことだからね」

「はい、わかりました」

 そして、連れ立って町へと出かけていくふたりの背中を見送りながら、退役軍人は、ようやく一息ついたように、背もたれに身を預けながら、冷めかけた茶に口をつける。

「それで、おまえの話はなんだったっけ」

「はい、実は」

 副軍団長は、一枚の依頼書を父の前に差し出す。

「気になる依頼文書があったので、検討という形で受付担当者から借りてきました」

「なるほど」

「山狩りの依頼です、かなり広範囲ではありますが、対象の正体は不明とあります」

「これはまた、随分、雑な話だね」

「ええ、しかし、問題はそこではないんですよ」

「うん?」

「この依頼先の村、これは、あの子の故郷の村じゃありませんか?」

 副軍団長が指で示した依頼人の所在地、それは、確かに以前、半闇狩人から聞いた彼女の故郷の名前。

「ふぅむ………」

 思いがけない内容に、退役軍人は低く唸る。山中に潜む何かに、村人が襲われ続けている。そう書き記された、依頼文の内容。しかし、村人を襲うものが何であるかが、依頼主でも把握していないうえに、報酬は山狩りを兼ねた討伐と言った内容に比べてかなり低い。

 それでも、相場はどうにか満たしてはいるが、それでも最低限の金額。大抵の冒険者は、割に合わないと無視してしまうだろう。いや、事実、この依頼文はかなりの間放置され続けていたという。

 それも当然だろう、と、退役軍人はうなずく。報酬額が内容のわりに低すぎる、というのももちろんだが、肝心の山狩りの対象が何であるかもわからないあやふやな内容で、我こそはと名乗りを上げるものは、まずいないだろう。

「どう思いますか、父さん」

「そうだねぇ…………」

 退役軍人は、何かしら思うところあるように首を傾げつつも、真剣な言葉を向ける。

「私も、この村の村長殿には、力を貸してあげたいと思うよ」

「ええ」

「でも、それを決めるのは、私じゃなく、あの子だよ」

 父の言葉に、副軍団長は了解の意を示すように、静かにうなずいた。

「わかりました、ギルドの方には、もう少し預からせてもらえるよう調整します」

「すまないね、そうしてもらえると、助かるよ」

「はい」

 

 

 町の石畳を歩きながら、半闇狩人と女軍団長はふたり連れ添うように歩く。しかし、道路はあらかた雪かきが終わっていて、足を滑らせる心配はなさそうだ。ほどよく清掃された往来は歩きやすく、これならスカートや外套の裾を汚す心配もないだろう。

 女軍団長は、そんなことを考えながら、父を始めとした冒険者たちが雪かきをした成果を享受していることに気付き、内心で溜息をつく。

 町のみんなの為に

 そんな父の言葉が、改めて実感を持って蘇る。父が、それに倣った部下たちが、そして、冒険者たちが、こうして町のために働いたからこそ、この安心感がある。

 あの時は、つい感情のままに、下男のようなと言い放ってしまったが、今思い返してみれば、屋敷にいた時も、父は、自分の事は自分でする性分だったことを思い出す。

 なにも、変わってなどいなかったのだな。女軍団長は、白い息と共に小さく笑みをもらす。どんな時でも、どんな場所であっても、いつでも父は、自分の信念で動いていた。それに、軍団長をしていた時よりも、活き活きと、そして若返ったようにも見える。

 下世話な話だというのは自分でも理解しているが、初めは、年若い後添えを見つけたからだと思っていた。しかし、それは完全に、自分の思い違いであったし、卑しい勘繰りであったことが、今すぐにでも大声を上げたくなるほどみっともない。

 媚びず、奢らず、へつらわず

 自分の知っている父は、今でもあの時のままだ。そして、それを教えてくれたのは、隣を歩く、小さな、そして、新しい家族。

 我が父が認めた人間なのだ、だから、自分もこの子をもっと理解しよう。そして、いつかこの子が、妹であれ、義母であれ、その将来を心から歓迎し祝福するために。

「しかし、道がこれだけ綺麗になっているのなら、その藁靴は必要なかったな」

 女軍団長は、半闇狩人が履いている、藁で編み上げたブーツをみて微笑む。最初は、どうにも粗末に見えたものだが、藁を束ね、厚く編み上げたそれは、保温性もさることながら、雪や泥濘の上で足をすべらせることもないだろう。

「そうですね、でも、雪の日はこれを履くのが習慣みたいになっちゃって」

 そう答えながら、半闇狩人は照れくさそうに笑う。

「それに、履き慣れちゃってるから、雪の日はつい作っちゃうんです」

「作った?それを自分でか?」

「はい!」

 半闇狩人の屈託ない返事に、よくよく見れば見るほどその作りの丁寧さに唸る。本当に、この子には驚かされることばかりだ。そして、さっき、ほんの少しでも粗末だと思ってしまった事を、心の中で撤回する。

 これは、彼女が学んだ知恵や経験から生み出されたもの。それを笑うという事は、自分の思慮の足りなさに他ならない。

「なるほど………ならば、私も一足、作ってもらうとするか」

「えっ………でも、よした方がいいと思います」

「な、なぜだ?」

 思いがけない拒否の言葉に、女軍団長の声がやや裏返る。

「姉さまみたいな綺麗な人に、こんな粗末なもの、似合いませんから………」

「莫迦なことを言うな」

「えっ?」

「何が粗末なものか、ならば、私に似合うような素敵なものを作ってみないか?お前なら、出来るはずだろう」

 女軍団長は、真剣な、そして、心からの言葉を向ける。

「まあ、急くことはない。おまえの気が向いた時でいいから、楽しみにしているぞ」

「はい!」

 ふわりと明るくなる半闇狩人の表情に、女軍団長は安堵するように微笑む。そして、今回の外出の用事を思い出し、半闇狩人に問いかける。

「ところで、父上からは何を言付かったのだ?」

「はい、私達の新しい靴下を一週間分と、唐辛子ですね」

「なんだ、雪中行軍でもするつもりなのか、父上は?」

「さあ………それはちょっと」

「まあいい、買い物を済ませたら、どこか寄って茶にしよう。この辺に、いい茶屋はないか?」

「はい、ありますけど………でも、お小遣いが………」

「いいから私に任せておけ、年上とはこういう時に使うものだ」

 いつかどこかで聞いたような女軍団長の言葉に、半闇狩人はふっと笑みをこぼす。やっぱり、血のつながった親子なんだな。そんなことを思いながら、半闇狩人は、なぜか彼女がとても羨ましくなった。

 

 

 お使いの買い物を済ませたふたりは、その足で町の飲食街に赴くと、一軒の茶店に腰を落ち着ける。

「やはり暖かい所は落ち着くな、さて、一息入れよう。おまえも、なんでも好きなものを頼むといい」

「はい、ありがとうございます!」

 嬉しそうな笑顔で半闇狩人が所望したのは、バターと蜂蜜がたっぷり乗ったパンケーキと、温めたミルクティー。そして、女軍団長も、給仕の少女に同じものを注文すると、改めてこの半闇人の少女と向かい合う。

「………それにしても、不思議な奴だな、おまえは」

「え、そうでしょうか」

「ああ、最初あれだけきつく当たったのに、根の一つも持たんとはな」

 女軍団長の言葉に、半闇狩人は困ったような表情で笑う。

「だって、誰だって驚くと思います。それに、お師匠様のご家族なんですから、悪い人じゃないと思ってましたし」

「そ、そうか?」

 我が父を心から信頼していなければ出てこない言葉。これでは、どちらが子供だかわからない。女軍団長はそんな彼女を前に、小さくため息をつく。

「今朝は、みっともない所を見せて、本当に悪かった」

「気にしないでください、ちょっと、びっくりしましたけど」

「だろうな」

「でも、気持ちはわかります。それに、たまにいるんです」

「そうか、返す返す申し訳なかった。てっきり、経歴を査定して等級を与えるものとばかり思っていたからな………」

「そうですね、でも、それならお師匠様は、最初から銅か銀の認識票をもらってます」

「む………」

「あんなに強いのも納得です、だって、あんなにたくさんの人を率いていたんですよね」

「あれはごく一部だ、いくつかある百人隊の半分もおらん」

「そんなに」

「それでも他に比べれば少ない方だ、まあ、あまり詳しくは言えんがな」

「はい、色々教えてくれてありがとうございます」

「そう礼を言われるような話ではないよ」

 丁寧に頭を下げる半闇狩人に、女軍団長は困ったように笑いながら答える。そして、ふたりの前に、暖かい湯気を立てるパンケーキとミルクティーが運ばれてきた。

「そうか………そんなことがな………」

 ティーカップを傾けながら、半闇狩人の話に耳を傾けていた女軍団長は、ほろ苦い笑みを浮かべながらうなずく。

「父上も、ようやく自分のやりたいことができた、ということなのだろうな」

「はい、だといいのですけれど」

「何を言うか、おまえの話で充分それは伝わっているよ………だが、本物のケルベロスと相対したとはな、父上もおまえも、よく無事で帰ってこられたものだ」

「それは………はい、いろんな人に助けてもらいましたから」

 自分にとって、もうひとりの姉ともいえるあの人。ほんのちょっとだけ道を間違えたけど、それでも、今はまっすぐ迷いなく歩いていると信じている。

 そして、いつも細やかな気遣いで、一党の働きを支えてくれた戦士さん。彼も、彼を頼りにしている新人達の一党と、今でもどこかで皆を支え導いているはず。

 それだけじゃない、いつも自分を元気づけてくれるギルド酒場の女給さん。もしあの人が差し入れをくれていなかったらと思うと、自分は今、こうして思い出に浸っていることもできなかっただろう。

 そしてなによりも、こんな自分を信頼し、共に歩んでくれるお師匠様。お師匠様がいてくれたからこそ、自分は色々な人に会えた、そして、今も。

「そうか」

 そんな半闇狩人の言葉に、女軍団長は優しく目を細める。

「しかし、体をいとえよ」

「え?」

「おまえのその心、その気概、感服の極みだ。しかし、父上はおまえのような若者を踏み台にしてまで、生き永らえることをよしとするような人間ではない」

「は………はい」

「そう気に病むな、おまえは冒険者なのだろう?我が身を犠牲にすることより、知恵を絞って生き残ることを考えろ。誰かの盾になるのは、我々軍人の仕事だ」

「はい………でも、姉さまも、もう冒険者………ですよね?」

「ハハハ!これは参った、どうやら一本取られたようだな!」

 心底愉快そうに笑う女軍団長に、半闇狩人も、穏やかな笑顔を浮かべた。

 

 

「お師匠様、ただいま戻りました!」

「やあ、おかえり」

 ギルドに戻ってきた半闇狩人と女軍団長は、酒場の隅の席で副軍団長とやり取りをしていた退役軍人の声に出迎えられる。

「外は寒かっただろう、なにか暖かい飲み物でも頼むかい?」

「はい、ありがとうございます。それとお父さま、言いつけの品はここに」

 抱えていた大きな包みをテーブルの上に置き、女軍団長は半闇狩人の隣に腰を下ろす。

「ありがとう、助かるよ」

「いえ、私はなにもしておりません、この子の働きです」

 そう言いながらも、彼女の口元は嬉しそうに緩む。そして、獣人女給が運んできたティーポットから、暖かい茶を各自注ぎながら、暫しその温もりと香りを堪能する。

「ところでね」

 みなが落ち着いた頃合いを見計らうように、退役軍人はその場にいる面々に話を切り出した。

「近々、依頼を受けてみようかと思うんだけどね」

「はい!それじゃ、さっそく準備を――――――」

「それなんだけどね、その前に、内容を確認してほしいんだ。この依頼を受けるか受けないかは、そのあとで決めたくてね」

「は、はい………?」

 いつになく慎重な様子の師に、半闇狩人は戸惑うような表情を浮かべつつ、退役軍人が差し出した依頼文書に目を通す。そして、その差出人と村の名前に、半闇狩人の心臓は一瞬大きくはね上がった。

「お……お師匠様、これって………」

「うん、君の村の、村長殿からの依頼だね」

「は……はい………」

 村の窮状を訴える村長の文字を前に、様々な思いと感情が半闇狩人の胸の中を去来する。しかし、女軍団長の静かな、しかし、憤るような言葉に半闇狩人は我に返る。

「お父さま、お聞きして宜しいですか」

「なんだい」

「何故、この依頼を?」

 それは――――――そう退役軍人が口を開く前に、副軍団長が間に入る。

「僕が見つけ、父さんに相談しました」

「お前が?」

 弟の言葉に、女軍団長の表情が険しくなる。そして、一呼吸の間を置くと、女軍団長は明確な拒否の言葉を口にした。

「私は反対です、お父さま」

「どうして?」

「どうしてなどと………この村は、この子に闇人の血が流れているという、それだけの理由で村を追い出したような連中です。それに、別段この子に対し助けを求めている訳でもありません。この依頼は、他の冒険者たちに任せればいい事でしょう」

 女軍団長は、煮えくり返る感情を懸命に自制しながら、自らの考えを父に訴える。いくらこの子のふるさとであるとはいえ、この村にいい感情など欠片も持てないのは事実。

 それに、肝心の窮状の原因が全くわからないときている。それなのに、依頼の内容は、原因を突き止めるための山狩りと、脅威の排除。

 いくらなんでもこんな莫迦げた話はない。自分たちを襲うものの正体もわからず、あまつさえ、それを突き止めた上で退治してくれなどと、丸投げにも程がある。

 そんな根性だから、村に尽くしたはずの男の忘れ形見をこうも粗末に扱えるのだ。そんな連中の面倒など、見てやる義理などどこにもない。

 剥き出しの怒りを露わにする女軍団長の、我が娘の言葉を、退役軍人は静かに、そして、真摯に受けとめる。彼女の言い分ももっともな話。そして、自分も諸手を上げて博愛に走る気はない。しかし、一度目に止めてしまった以上、何らかの形で回答を出さなければならない。それが、是にしろ否にしろ。

 だからこそ、こうして、皆に問うたのだ。

「だいたい、お前が余計なものを見つけて父上にお知らせするからだ!見ればこの依頼、だいぶ前から張り出されたものだろう!この子がそれを見知っていたかもしれない事、何故考えない!?」

 青銅の鐘を打ち鳴らすかのような、重く、それでいて高く響き渡る怒声に、今度こそその場にいたもの全員が何事かと振り返る。そして、半闇狩人は、憤る姉を鎮めようと懸命に訴える。

「い、いいんです!あの時は、まだ私は字が読めなかったから、それで気づかなかったんです!」

「そうとも、おまえのせいではないよ。よしんばわかっていたとしても、誰もおまえを責めたりなどしない。いや、責められる筋合いなどどこにもない」

 女軍団長は、半闇狩人を落ち着かせるように声を和らげる。しかし、元々激情家である性分はどうにもできず、赤熱しつつある怒りは、依頼文の主と弟である副軍団長に向く。

「お前はどれだけ残酷なことをしたかわかっているのか?こんなものを見せられて、はいそうですかとうなずける人間がどこにいる!!」

「僕だって、面白半分でこの文書を持ってきた訳じゃありませんよ、姉さん」

「なら、どう言うつもりだ?返答次第では、いくらお前でもただではすまさんぞ?」

 地の底から響くような姉の言葉に対しても、副軍団長は微塵の動揺もなく答える。

「もちろん、僕だって面白半分やお節介でこれを持ってきた訳じゃありません」

「では、なんだ」

「心の中の影は、必ず消し去ってしまわなければなりません。その心に、深く根を張ってしまう前にです」

 相変わらずの持って回った言い回し、しかし、言わんとしていることが汲み取れないほど、愚鈍なつもりもない。

「それが、今だと言うのか?」

「もちろん、今である必要もありません。まだ、備えが足りない、力が足りないと言うのであれば、それは何も責められるものではありません」

 副軍団長の言葉に、女軍団長は低く唸る。

「だが、いつかはやれと言うのか」

「そうです」

「何を勝手なことを!そんなこと、人が口を出す話ではない!」

 今度こそ本気で激昂し、席を蹴って立ち上がる女軍団長を、副軍団長は眉ひとつ動かさずそれを見上げる。

 勢いは収まらず、むしろ白熱化していく激しい口論に、酒場だけでなくギルドの受付の近くにいた他の客たちは、激しく激突するその様子を固唾を呑んで見守る。

 そんな周囲の様子を察しながら、退役軍人は、獰猛な表情を浮かべる娘と、それに対して微塵も怯む様子もなく相対する息子の間に、穏やかな声を差し挟む。

「とりあえず、ふたりとも落ち着きなさい」

「お父さま!」

「おまえたちの意見はよくわかったよ、とりあえず、この話は一旦私が預かるよ。それに、何も今すぐ決めなければいけない話じゃないからね」

 穏やかに仲裁に入る退役軍人の言葉に、女軍団長も、いささか納得しかねる表情ながらも、矛を収めるように腰を下ろす。

「あ……あの………」

 そんなふたりの様子をおろおろと見守る半闇狩人に、退役軍人は安心させるように声をかける。

「大丈夫だよ、これはあの子が言うとおり、君が気にする話じゃないんだから」

「で、でも………」

「そんなことより、君とこの子がこんなに仲良しになってくれたことが嬉しいよ。おまえも、まるでお母さんみたいじゃないか」

「せめて姉と言ってください!」

「だって、そう見えたんだもの」

「まったく………」

 退役軍人の言葉に、女軍団長は完全に気勢をそがれた様子で椅子に背を沈める。しかし、逞しい腕を組んだまま眉間に深く走らせた縦じわは、先の本題に対し決して納得していないことを、無言ながらもこれ以上ないくらい雄弁に語っていた。

 

 

「え、今から出かけるのかい?」

「はい、私は、この子と個人的に話したい事がありますので」

「そ、そうかい………?」

「ええ、それに、そろそろあの姉弟も依頼から帰ってくる頃合いでしょう。是非とも、彼らを労ってやってください」

 やんわりと辞退の言葉を並べる女軍団長に、退役軍人はやはり今日の事かと嘆息する。そして、まだおぼつかないながらも、出来得る限りの準備を整え、地下下水道へと赴いたあの姉弟を思い出す。あれからそれなりに助言や稽古の相手をする機会も増え、単なる『同業者』とは言えなくなっているだけに、それを言われると弱い。

「そうだねぇ………わかったよ、行っておいで」

「ええ、それでは行って参ります。さあ、いこうか」

「は、はい………」

 その日、父から家族揃っての夕食の誘いを断り、女軍団長は半闇狩人を連れて外食へと出かけていく。そんな彼女たちの背中を見送りながら、退役軍人は残念そうにため息をつきつつ、小さく肩を落としている。

 そんな父に悪いとは思いつつも、どうしても今ばかりは皆と夕食を共にする気にはなれなかった。そんな自分の意地に我が妹を巻き込んでしまった事をすまなく思うが、それでも、誘いに付き合ってくれたことには感謝しかない。

「すまんな、つまらん姉弟喧嘩に巻き込んでしまって」

「いいえ、それに、わたしも姉さまに相談したいことがありましたし………」

「私に?いいとも、遠慮なく話してくれ」

「はい!ありがとうございます!」

「うむ、その前に早く店に入ろう。寒くてかなわん」

「そうですね」

 女軍団長は、外套の襟を引き寄せながら唸ると、昼間見つけた串焼き屋を目指す。あの時店先から流れていた芳ばしい香りは、今でも心をつかんで離さない。もっとも、こんなに早く来ることになるとは思わなかったが。

「はぁ~い、いらっしゃいませぇ~~」

 店に入るなり、軽やかな蹄の音と共に、機転よく接客してきたずいぶん小柄な人馬女給に案内され席に着いた女軍団長は、冒険者ギルドの酒場にいた、あの元気と愛嬌の塊のような獣人女給の顔を思い出して不思議そうに呟く。

「この町では、女給は獣人の仕事なのか?」

「そうでもないと思いますけど、わたしもたまにお手伝いしますし」

「本当に働き者だな、おまえは。しかし昼も言ったように、体はいとえよ?」

「はい、でも今はご飯もちゃんと食べられるし、お布団で寝られますから、はい!大丈夫です」

「そうか」

 そんな言葉に、彼女のこれまでの野良犬同然の生活を思い出し、女軍団長は言葉を詰まらせる。と同時に、静まりかけていた怒りが再び熱を帯び始める。

 しなくてもいい苦労と屈辱をさんざ舐めてきたこの子、我が父の導きで、ようやくあるべき道を歩き出したと言うのに、そんなこの子に、再び薄汚い過去を擦り付けようとするとは。

「それにしても、あいつは本当に一体何を考えているのだ」

 女軍団長は、弟の顔を思い浮かべ、低く唸る。

「あの、そのことなんですけど」

 半闇狩人は、意を決したように話を切り出した。

「わたし、この依頼を受けてみようと思うんです」

「何?」

「だって、ほっとけないですし」

「あいつの言うことを気にしているなら、それは違う。おまえが気に病むような話ではない」

「はい、でも困っている人がいるなら、行ってあげたいんです」

「おまえは………」

「行って、いらないって言われちゃったら仕方ないですけど、でも、行かなくて後悔するより、行って後悔したほうがいいかなって、そう思うんです。それに、あの村には、お父さんとお母さんが眠ってますから」

そんな半闇狩人の言葉に、女軍団長は真っ直ぐにその目を見る。曇りのない、その金色の瞳のどこにも、迷いの影は見当たらない。そして女軍団長は、ひとつ大きなため息をはきだしながらも、その真っ直ぐな意思に笑顔で応える。

「わかった、わかった、私の負けだ」

「えっ………?」

「おまえのやりたいようにやるといい、私も協力は惜しまん」

 そう答えたその時、軽快な蹄の音と共に、人馬女給がキッチンカートを運んできた。

「おまたせしましたぁ、串焼き盛り合わせにぃ、エールと葡萄酒でぇす。焜炉に炭を入れますんでぇ、気をつけてくださいねぇ、熱いですよぉ」

「うむ、何から何まですまんな」

「はぁい、よろこんでぇ」

 満足そうな表情で頷きながら、女軍団長は、エールのジョッキを手に取る前に、人馬女給に銀貨を一枚渡す。

「あらら、これはすみません。ありがとうございます、奥様」

「奥………ん、まあいい。また頼むかもしれんが、よろしく頼む」

「はぁい、よろんでぇ」

 ぽっこぽっこと軽やかな蹄の音と共に仕事に戻っていくのを見送り、女軍団長は、炭火も赤く燃える焜炉と串に刺した肉を前に、子供のような表情を浮かべる。

「なるほど、考えたものだ。おそらくは東方かあの辺りの作法だな、これは」

 焜炉の上に串肉を並べながら、女軍団長は葡萄酒のジョッキを半闇狩人に手渡す。

「心配いらん、薄めのものを頼んである。ものたりなければ、次から濃くしていけばいい」

「は、はい、でも私、お酒なんて、初めてです………」

「もう成人しているのだろう、飲み過ぎなければ問題ない」

 それに、肉にはエールか葡萄酒だ。そう言いながら、女軍団長はジョッキを掲げ、半闇狩人と乾杯をする。

「うむ!うまい!」

「はい!」

「どれ、そろそろ串の方もいい塩梅だろう」

 焼き上がった串に磨り潰した岩塩をふりかけ、半闇狩人に手渡す。そして、女軍団長も香ばしく焼き上がった串を手に、伝説の剣を手に入れた騎士のように表情を綻ばせた。

「うむ!うまい!うまい!これは見事だな!」

 焼きたての串肉を頬張りながら、エールを流し込む女軍団長を前に、半闇狩人もちみちみと串肉をかじりつつ、咀嚼した肉を葡萄酒で流し込む。

 焼きたての、脂ののった柔らかな肉。口いっぱいに広がる、ふくいくたる肉汁の旨味と、それをまろやかにする葡萄酒の酸味に、頬が心地よくしびれる。そして、串肉の皿は、ほどなくして空になった。

「む、もうしまいか。おい、もうひと皿いけるか、いけるな?」

 そういいながら、おかわりを頼む気満々の女軍団長の傍に聞こえる、軽やかで優しい蹄の音。

「おお、お前、丁度いいところに。もうひと皿追加だ、あと、エールと葡萄酒もな」

「はぁい、よろこんでぇ。あ、そうだ、奥様?本日のおすすめとか、いかがですかぁ?」

「おすすめとな」

「はぁい、今朝仕入れたばかりのぉ、サクラ肉なんですよぉ。脂ものっててぇ、ホントに最高ですよぉ」

「いやいやいや、それは………しかし………うむ、まあ、お前が言うのなら間違いないのだろうが………」

「はぁい、ぜひぜひぃ」

「うむ……そうだな、それをいただこうか」

「はぁい、よろこんでぇ」

 ふんわりとした笑顔と返事を残し、蹄の音と共に厨房へ戻っていく人馬女給を見送りながら、女軍団長はジョッキに残るエールを口にする。

「よもやよもやだ、まさか人馬から桜肉をすすめられるとは思わなんだ」

 苦笑いを浮かべる女軍団長に、半闇狩人はおずおずと話しかける。

「あの、それで、さっきの………」

「ああ、わかっているよ。明日、きちんと父上と話をする」

「は、はい!」

「だが、やつの件については、話は別だ。どういう魂胆なのか、それをはっきりさせる」

 みしり、とその逞しい眉を吊り上げながら、様々な感情と、金剛石のような決意がこもる表情を浮かべた女軍団長は、残りのエールを一気に飲み干した。

 

 

「すまんな!給仕をしてもらった上に、送迎まで世話させてしまった!」

「いえいえ~、わたしも上がりの時間だったんでぇ、お気になさらないでくだぁい」

 ほろ酔いをいくらか通り越して御機嫌もいい所な女軍団長と、先ほどの串焼き屋の人馬女給。その背中には、酒精の程よい眠りに誘われ、寝息を立てる半闇狩人。

「本当にすまんな!聞けば人馬はおいそれと背に人は乗せぬと聞く!それなのにその心意気、感謝の極みだ!」

「いえいえ~、私の一族はそんなんじゃないんでぇ、だいじょうぶですよぉ」

「そうか!姿だけでなく心も愛らしいな!お前は!」

「えへへ~、ありがとうございまぁす」

 ほろ酔い加減の世辞にも、人馬女給はふんわりと笑顔を浮かべて嬉しそうに笑う。

「それより奥様、寒くありませんかぁ?」

 女軍団長の外套は、人馬女給の背で眠る半闇狩人にかけられている。

「なんの!問題ない!それに、良い酒に良い肉!その余韻がまた心地良い!!」

「ありがとうございまぁす、今後とも、当店をごひいきに~」

「任せろ!次は、軍団員全員でくるとも!!」

「はぁい、ありがとうございまぁす」

 上機嫌な女軍団長の声、ぽっこぽっこと軽やかな蹄の音、すぅすぅと静かな寝息。そんな一行の行く先に、冒険者ギルドの庁舎がまばらな明かりと共に浮かび上がっていた。

 



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伝令伍長

「おはようございます、父さん」

「やあ、おはよう」

 早朝のギルド酒場で、いつものように温めた牛乳のジョッキを手に、朝食前の体を温めている黒ずくめの鎧兜に身を固めた父に声をかけるのは、父に倣うかのように、軍装に身を固めた副軍団長。

「どうしたんだい、朝からそんな格好で」

「それ、父さんが言いますか?」

 小脇に抱えた兜をテーブルの上に置きながら、副軍団長は苦笑いを浮かべる。再会した時もそうだったが、聞けば余程のことでもない限り、いつもこうして、鎧兜に面頬で身を固めつつ日常を過ごしているという。

 それが、この方が冒険者らしいから、という愉快な答え。肖像画でしか顔を知らぬ母も、かつては冒険者だったという。ただ、自分が生まれて間もない頃に、魔神王の使徒との戦で帰らぬ人となってしまい、顔どころか声すらも覚えていない。

「父さん、ひとつ、聞いてもいいですか」

「うん、なんだい?」

「どうして、あの依頼文のことを、あの子に話さなかったんですか」

「そうだねぇ………」

 息子の問いに、退役軍人は湯気の立ち昇るジョッキを手にしたまま、思案するようにも、言葉を組み立てているようにも見える様子で天井を見上げる。

「父さんは、知っていたんでしょう?」

「そうだね、見つけた時は、少し驚いたけどね」

「では、なぜ?」

「あの子の心に余裕ができるまでは、そう思っていたよ」

 父の言葉に、副軍団長は静かにうなずく。

「だから、あの子が、自分の答えを自分の意志で見つけられるまでは、私からは触れないつもりでいたんだよ」

「そうでしたか」

 淡々とした返事の副軍団長に、退役軍人はジョッキをテーブルの上に置くと、紅眼鏡の奥の目を息子に向けた。

「私からも聞いていいかい?」

「はい」

「おまえこそ、どうしてこの依頼を私に見せたんだい?」

 いつもどおりの穏やかな、しかし、あくまでも真意を問うような言葉に、副軍団長は静かに父の目を見る。

「まさか、遺恨は水に流して、故郷の村を救うべきだ。なんて話をしたかった訳じゃないんだろう?」

 そんな、探るような父の言葉に、副軍団長はほろ苦く笑う。

「――――――僕は、もっとあの子のことを知りたいと思ったんですよ」

「ふむ」

「あの子は、このまま人に守られ続けていいような子じゃない。確かに、あの子の生い立ちには僕とて思う所はあります。ですが、だからと言って、可哀そうな子だなどと言うつもりはありません」

「うん」

「ですが、村での過去に蓋をし続けたままでは、その影はあの子の心にずっとつきまとい続けます。あの子は、とても素直で真っ直ぐな子です。だからこそ、いつまでも負い目を自分の中にしまいこんでおくべきじゃない」

「だから、私達がそろっているうちに、何とかするべきだと、そう言うことなのかな?」

「はい、その通りです。たとえ父さんや姉さんが悪くないと言っても、あの子は村を追われたことを、自分の出自が理由だと思い続けるでしょう。そんなこと、あっていいはずがない。どこかで、必ず断ち切らなければいけないんです」

 退役軍人の言葉に、副軍団長は真摯な表情でうなずく。

「父さんが認めた子です、間違いのある筈がない。それでも、僕はあの子のことをもっと知っておきたい、良い所も、もちろん、良くない所も。それを知った上で、家族として迎え入れたい」

「それで、あの子がどういう答えを寄越すか、試すようなことをしたと言う訳なんだね?」

「はい」

「相変わらず厳しいね、お前は。そんなだから、双頭獣(オルトロス)なんてあだ名をつけられて怖がられてしまうんだよ」

 父の言葉に、副軍団長の顔がほろ苦く歪む。一応、自覚も心当たりも、数えきれないくらいあるだけに。そして、そんな息子の様子に、退役軍人は場を仕切り直すように、穏やかな声をかける。

「まあ、それはおいおい何とかしていけばいいとして………ほら、噂をすれば、なんとやらだ」

 そう言って、苦笑いと共に顔を向けた先には、半闇狩人を傍らに伴って、やはり全身を漆黒の軍装で身を固め、兜を小脇に抱えた女軍団長が階段を下りてくるところだった。

 

 

 

 朝のギルド酒場の一角に現れた、黒い鎧の集まり。そして、その中に、やはり革の防具に身を固めた半闇狩人。また何事か始まるのか、といった様子で見守る冒険者達の懸念に反して、一党の会議は静かに進んでいく。

「なるほど、では、お前は敢えてこの子を試そうとした訳だな?」

「はい、その通りです」

「気に入らんな」

 女軍団長は、固く腕組みをしたまま低く唸る。

「お前の悪い癖だ、物事の見極めを突き詰めようとするのも結構だが、人に対してそれを求めるのも、時と場合による」

 寂しそうに溜息をつく姉を、副軍団長は静かに見守る。

「それに、言葉が足らん。誰もがお前のように聡い訳でもなければ、察しがいい訳でもないぞ?口に出して言わなければ伝わらんこともある、お前は、もう少し工夫の仕方を覚えた方がいいようだな」

 女軍団長は、そう副軍団長に言葉を向ける。

「女子供、敵味方関係なくそれではな」

 姉の言葉に、副軍団長はほろ苦く笑う。そして、家督の継承を決める場で、男だからと言う周囲の声を押しのけ、姉に軍団長を、家を継いでもらう事を請うた時の事を思い出す。

 自分は、人を束ね率いる資質はない。我が姉と違い、疑う事からかかり、猜疑の目で追い続ける自分には。常に真実を求め、その是非を明らかにせずにはいられない性分の自分では、軍団を再び苛烈に過ぎる方向へ導きかねない。そして、それはいつか、破滅と言う形で軍団に災厄をもたらしかねない。

 かつて、それでこの軍団が消滅しかけたこと。そして、父の、文字通りの尽力で軍団を、家をどうにか蘇らせたことを思い出す。

 魔神王や覚知神を奉ずる邪教徒は、例外なくこの世界に災いをもたらすもの。しかし、正義の名の元に、それを根絶やしにせんばかりに牙を振るった結果が、敵とする祈らぬもののみならず、同胞であるはずの祈るもの達からさえも、敵意と怨嗟を向けられた。だからこそ、二度とそうならないために、自分では、駄目なのだ。

「おい」

 姉の、女軍団長の声に、副軍団長はふと我に返る。

「お前、またろくでもないことを考えていたな?」

「ええ」

 この姉に対して、誤魔化しをしても仕方ないし、通用しない。だから、副軍団長は素直にうなずいた。

「あの時、お前はこれを私に譲ると言ったがな。案ずるな、たとえお前が嫌だと言っても、この杖は必ず私のものにするつもりだった」

 悠然と笑いながら、女軍団長は、手にした黒檀の指揮杖をかざしてみせる。

「小娘の時から、そう考えていたからな。お前はいつでも後釜を見つけ、好きな学問の道に戻るといい」

「ありがとうございます、姉さん。でも、今はもう少し姉さんのお手伝いをしますよ」

「うむ、当てにしているからな。私では腹芸は到底できん、お前がいないと小賢しい連中に足元をすくわれてしまうからな」

 女軍団長の言葉に、副軍団長は寂しそうに笑う。全てを焼きつくす炎のような姉、しかし、迷えるものに、凍えるものに、光と暖かさを届ける紅蓮の炎。父は、母親譲りの気性と言い、よく懐かしんでいたことを思い出す。他ならぬ自分も、この姉の持つ心の炎の暖かさに、幾度救われたことか。

「まあいい、この話はここまでだ。それよりも、この子がお前と父上にお話したいことがあるという、よろしいですね、父上」

「うん、ぜひとも、聞かせてくれないかい」

 娘の言葉に、退役軍人は深く頷く。そして、女軍団長は、傍らに座る半闇狩人を優しく、そして力強い笑顔で促す。

「さあ、では、お前の決意と覚悟、存分に聞かせてやるといい」

「は、はい」

 半闇狩人は、師と副軍団長を前に、幾分緊張した面持ちで自らの偽らざる思いを語る。

「確かに、この村は、わたしが住んでいた村です」

 遠慮なく自分の思いを話せ、そう言って背中を押してくれた大きな姉。そんな彼女が、完全装備で臨めと言った理由が、今ならよく分かる。やもすれば挫けそうになる気持ちを、文字通り、命を懸けて積み重ねた日々の思い出が染み込み、宿る革鎧が支えてくれる、背中を押してくれる。

「でも、わたしに闇人の血が流れているから、だから、村のみんなに避けられたこともありました」

 避けられたどころの話ではあるまい、そんな皆の思いをよそに、半闇狩人は言葉を続ける。

「本当に、悔しかったです。わたしは、なんにも悪いことなんてしてないのに、どうしてこんな目にあわなきゃなきゃならないんだろう、って」

 淡々と語る半闇狩人の瞳から、一瞬、光が消える。

「だから、この肌の色も、髪も、目も、耳も、みんな嫌いでした。闇人の血が流れているから、だから、みんなに嫌われるんだ、って」

 そして、半闇狩人は、次の言葉を探すように、一瞬沈黙する。

「でも、今は、お母さんに感謝しています。お母さんの血があったから、あの時、お師匠様をお助けすることができたんです」

 半闇狩人の言葉に、女軍団長は今にも彼女を抱き寄せたい気持ちを、ぐっと唇を噛んでその感情をこらえる。そして、笑顔と共に上げた半闇狩人の顔には、目の端に薄く涙が光る。

「だから、今は、お母さんにも、お父さんにも、みんな感謝してるんです。それに、あの村には、今でもお父さんとお母さんがふたりで眠ってるんです。ほっとくなんて、できません」

 そして、退役軍人は、弟子の言葉に深くうなずきながら問いかける。

「君の考えを聞けて良かったよ」

「お師匠様………」

「君は、どうしたい?」

「わ………わたしは…………」

 退役軍人の言葉に、半闇狩人は、迷いのない言葉を向ける。

「わたしは、村を助けに行きたいです」

 曇りなき瞳とその言葉に、退役軍人は自分の事のように、面頬の裏側で嬉しそうな笑顔と共にうなずいた。

「これで決まったな」

 満足そうにうなずきながら、女軍団長は傍らに座る半闇狩人の肩に手を置いて我が身に引き寄せる。

「今回の作戦………いえ、依頼は私も参加します。よろしいですね、父上」

「いやいやいや、軍団長自ら出張るのかい?でも、そんなことをしてもしものことがあったらどうするんだい」

「そこで斃れるなら、私もその程度という事です。それに、この子が行くのに私が行かずしてどうしますか」

「わかったよ、頼りにしているからね」

「もちろんです」

 自身に満ち溢れた表情でうなずくと、女軍団長は半闇狩人を促して立ち上がった。

「では、この件、話はついたという解釈でよろしいですね。お前も、他に何か異存はあるか?」

「大丈夫ですよ、姉さん。それと、君、試すようなことをしてしまって、悪かったね」

「いいえ、わたしの方こそ、ご心配をおかけしてしまって、すみませんでした」

 丁寧な言葉と共に頭を下げる半闇狩人を前に、副軍団長はほろ苦い笑みを浮かべる。

「さあ、行って着替えてこよう。それと、朝食の注文をしておけ。今回いらん手間をかけさせおって、それ位のことはしても罰は当たらんぞ」

「わかりました、姉上。いつもの献立でいいですか?」

「ああ、しかし、パンケーキに蜂蜜とバターを付け合せるのを忘れるなよ?絶対だからな」

「はい」

 退役軍人は、そんな様子を見ながら、すっかり娘に弟子を取られてしまったねぇ、と嬉しそうに目を細めていた。

 

 

 

「あらぁ、いらっしゃいませぇ」

 朝食時の忙しい時間が終わり、客足も落ち着いた頃合いの店に入ってきたひとりの軍人に、人馬女給は普段と変わらない挨拶をかけた。

「おひとりさまですかぁ?どうぞ、こちらへ~」

 外套のフードを下ろした下から現れた、真っ黒なサレットヘルムに面頬、そして赤い色眼鏡姿に少しも怯むことなく、人馬女給はにこにこと話しかけながら注文を取る。

「昨日はおつかれさまでしたぁ、今日はお仕事じゃないんですかぁ?」

 そんな彼女に、伝令伍長は違うと言うように首を振る。そして、昨日は茶だけで長々と居座って済まなかったとの言葉に、人馬女給は大丈夫というように手の平を振る。

「いえいえ、だいじょうぶですよぉ、お客さん。それに、非番明けでしたかぁ。ゆっくりしていってくださいねぇ、この時間はお店もがらがらですからぁ」

 ふんわりと暖かい人馬女給の言葉にうなずきながら、伝令伍長は注文を伝える。

「ええと、串盛り合わせとエールをジョッキでぇ。え、それとチーズと茸の雑炊も?さすが軍人さん、いっぱい食べるんですねぇ」

 昨日は護衛だから食べられなかったし、見ていて本当に美味そうだったから。そんな伝令伍長の言葉に、人馬女給は嬉しそうに笑う。

「どうもありがとうございまぁす、それじゃあ、少々おまちくださいねぇ」

 ぽっこぽっこと蹄の音を鳴らして厨房へ戻っていく音を聞きながら、伝令伍長はようやく一息つくようにひとりの席でくつろぎ始めた。そして、のんびりと店内を見渡してみる。

 本格的な稼ぎ時は夕方からなのか、昨晩の混雑が嘘のように落ち着いた店内は、自分と同じように遅い朝食をとる町人や商人らしき客が居るくらい。

 それにしても、と、実力は確かだが、どこか抜けたところがあって、やや危なかっしい上官と、その小さな友人を思い出し、伝令伍長は面頬と赤眼鏡の下で楽しそうに笑う。

 言動は苛烈そのものだが、こんな自分でも信用し、軍籍を許している懐の深さ。そこはやはり父親譲りか、などと思考遊びをしている所へ、ふと視界の隅に止まったふたりの少年少女。

 ずいぶん遅いが、今から朝食なのだろうか。見覚えのあるその姿に、伝令伍長は赤い眼鏡ごしにその姉弟の姿を眺める。そして、そうとは知らず、チーズと黒パン、そして水を分け合い、実に慎ましやかな食事をとるふたり。

 それでも、ふたりの表情は明るい。まだ新しい投石紐をテーブルの上に取り出して見せては、無作法だと姉にたしなめられつつも、お互い、大分使いこなせるようになったことを喜びあっている。

 そんな会話の中に混じる、聞き覚えのある名前。その名前の主から教わった投石紐の作り方、扱い方を、あれから早起きして練習した甲斐があった。これで、大鼠や黒蟲にだって負けない。と、姉にそう無邪気に語る少年と、それでももっと稽古しなければ、とたしなめる姉。

 そんな姉弟の会話に、無作法と知りつつつい耳をそばだててしまう。そして、そんな伝令伍長の傍らに、思っていたよりも早く軽やかな蹄の音が近づいてくる。

「どうぞぉ、軍人さん」

 そういって、目の前に置かれたのは、葡萄酒のタンブラー。これは頼んでいないと伝えると、昨日、ずっとお預けを喰っていた分の労いですと人馬女給。

「だいじょうぶですよぉ、これは、昨日のおつかれさまですからぁ」

 そして、人馬女給は、何かに気付いたようにスンと鼻を鳴らす。

「軍人さんの髪、なんかいい匂いがしますねぇ、どんな香油をつかってるんですかぁ?」

 そう話しかける人馬女給に、伝令伍長は困ったように手の平を振りながら答える。特に、これといった手入れはしていない、と。

「そうでしたかぁ、実はわたし、たまにお馬さんっぽい匂いがするってお客さんに言われちゃうんですよねぇ。わたし、ぜんぜんお馬さんなんかじゃないのにぃ」

 不満そうな表情を浮かべて口をとがらせる人馬女給に、伝令伍長は、彼女もこういう顔が出来たのか、と微笑ましく思いながら、ほどよく水で割られた葡萄酒を頂く。兜も面頬も外さず、その隙間から器用なことに。

 そして、厨房の方から、女将が人馬女給を呼ぶ声と、微かに漂う炭火の臭い。

「はぁい、ただいまぁ。それじゃ軍人さん、ちょっと失礼しますねぇ」

 ぽっこぽっこと蹄の音を鳴らして、厨房へ戻っていく人馬女給。そして、程なくしてキッチンカートに料理や炭火壺を乗せて運んできた。

「お待たせしましたぁ、串肉盛り合わせとぉ、チーズと茸の米雑炊にエールですぅ。今、焜炉に炭を入れますからぁ、気をつけてくださいねぇ。熱いですからぁ」

 炭火の用意が出来た焜炉に、新鮮な串肉の盛り合わせ、そして好物のエールに米雑炊。それらを前に、伝令伍長の頬が黒い面頬の下で緩む。しかし、ふと思い立ったように、伝令伍長は幾つかの銅貨を取り出し、人馬女給への駄賃とあわせて彼女に渡す。

「え?あのふたりのお勘定を?」

 人馬女給の言葉にうなずきながら、あのふたりは自分の知己だからと伝える。ただ、姉弟水入らずを邪魔したくないから言わなくていい、とも付け加える。

「わかりましたぁ、ふふ、軍人さん、優しいんですねぇ」

 ふんわりとした笑顔と言葉に、伝令伍長はそういうのではないから、と苦笑しつつ手を振る。もっとも、その笑顔は、面頬と赤眼鏡に隠れているが。

 人馬女給が厨房に戻り、伝令伍長は早速目の前に置かれた朝食にとりかかる。そして、見立て通りの美味。その表情が、面頬の下で再び緩む。

 故あって始めた軍人稼業、仕事はそれなりに辛いが、安定した収入と交代制で得られる休暇は魅力。命の危険はままあるが、それは冒険者をしていた時と大して変わらない。

 こんなことなら、もっと早くに軍に入っていればよかったと思いながら、焜炉の上で芳ばしい香りと音を立てる串肉を見守りつつ、米雑炊を口に運んだ。

 

 

 

「何度も検討しましたが、やはりこの行程で行くとなると、あとひとりは欲しい所です」

 目的地までの行程表と共に、地図を指し示しながら説明する副軍団長の説明に、退役軍人は、ふむ、と一言唸る。

「目的地に到着後の糧秣や装備資器材、これらの携行とその分担を考えると、やはり最低5人は必要です」

「それなら、あのふたりも誘ってみようか?」

「本気で言っているのですか?お父さま」

 退役軍人の提案に、女軍団長の眉間にしわが寄る。

「あのふたりに目をかけているのは分かります、ですが、これは頭数さえ揃えばいいと言う話ではありません」

 大鼠や黒蟲退治をどうにかこなせるようになった、といった態の新米を、村の男衆を難なく屠り斃すような得体の知れない何かが潜む現場に連れていくなど言語道断。よしんば後方で待機させておくにしても、不測の事態に対処できる力量を持ち合わせていないのでは、経験を積ませる以前の問題。

「私を試すにしても、もう少し気の利いた話でお願いします」

「いやいや、御免御免、気を悪くしないでおくれ」

「それは御心配なく、あのふたりを育てたいという気持ちは、十分理解しているつもりです。ですが、それは然るべき機会にしましょう」

「そうだね、どうにも話の腰を折ってしまってすまなかったね。それで、続きを聞いてもいいかな?」

「はい、先に説明した通り、この子から聞き取りした村の概要や、山岳地帯での行動に必要な装備資器材の量を考えると、我々の他にあとひとり、割り当て分を分担する人員が必要です。ですが、事の発端が村そのものである以上、後方とは言え村自体も安全とは言い難いと思います」

 確かに、その通りだろう。退役軍人は、このためにわざわざ早馬で取り寄せたという、地方の地図を見ながら小さくうなずく。ただでさえ難しい山岳地帯での行動の上、積雪や寒さにも備えなければならない。

 これまで自分が経験してきたような、地下下水道や隊商護衛の様に、日帰りや定時補給が可能な状況ではない。若い頃に経験した山越えとその道中で起きた山岳戦の苦い記憶がふと蘇るが、わざわざ思い出して面白いものでもないから、取り敢えずそれは再び記憶の引き出しのなかにしまっておく。

「まあ、この話はここまでとして、私達実動隊の編成です。これは、最初にお話しした通り、あと1名は必要です」

「それじゃ、足りない分はどうするんだい?」

 退役軍人の言葉に、女軍団長は計画書を広げながらうなずく。

「はい、頭目はお父さま、その副長にこの子と来れば、私とあれが面子として加入し、4名。しかしこれだけでは説明した通り些か心許ないので、1名、軍団員から志願を募ります」

「あとひとり、しかし、志願してくれる人はいるかな」

「志願がないなど絶対にありえませんが、もし万が一にでもそうなった場合は、こちらから指名します。一応、目星はつけてありますから」

「そうかい、それじゃあ、お願いするとしようかな。しかし、それならその目星をつけている、という軍団員を加えればいいんじゃないのかい?その方が作戦も立てやすいだろうに」

「軍団員には、平等に機会を与えなければ示しがつきません。ご心配なく、今回連れてきたのはどれも皆十人隊を任せられる程度には動けます」

「なんだか、私ひとりを捕まえるために、随分念入りな準備をしてきたものだね、おまえたちも」

「当然でしょう、それこそ、ありとあらゆる状況を想定した結果です。もっとも、これだけ快く対話に応じていただけたのは幸いでしたが」

「お前はお父さんを何だと思ってるんだい」

「もちろん、自慢の父上だと思っておりますよ。まさか、あれほど若い後添えを見つける甲斐性があったとは知りませんでしたが」

「いやいやいや、いくらなんでもそんな言い方はないだろう。まったくもう」

「冗句ですよ、お父さま。では、私たちはこれから、ギルドと調整に行ってまいります」

「おや、何かあるのかい?」

「ええ、ギルドの所有する訓練所、その練兵場の使用許可ですよ」

「なにか危ないことをするつもりじゃないだろうね、おまえは」

「今回の作戦における訓示をする場所が必要なだけです、お父さまこそ、私をなんだと思っていらっしゃるのですか」

「いやいや、御免御免。もちろん、おまえは大切な娘だよ」

「ふふ、ありがとうございます、お父さま」

 退役軍人の言葉に、女軍団長は柔らかい笑みを浮かべながら、書類の詰まった鞄を手にギルドの事務所へ向かうべく、父に一礼して席を立った。

 

 

 

 昼から天気が崩れ出し、再びしんしんと降り落ちる雪の中、ギルドの新人訓練所の一角にある矢場の隅で、半闇狩人は自身の装備の状態を確認するように自主稽古に励む。

 短弓、投石紐、そして、打根術、山刀、弭槍(はずやり)、半闇狩人は、それらの操法を思い出し、もう一度体に覚え直させようとするかのように、黙々と型稽古を続ける。

 久しぶりに登る雪山、師からもらう給金でこつこつと買い揃えた冬装備。出来合いのものもあれば、自分で材料を買って作ったものもある。それらを体に馴染ませるため、訓練場でできる限りの動きを試した。

 今度の依頼は、山狩り。昔、亡き父と共に何度もした仕事。真夏の炎天下も、真冬の雪の中も。遭難した村人を、他の猟師が手負いにしてしまった猛獣を、それらを探して、何日も山中を駆け巡った。

 今度こそ、お師匠様のお役に立ちたい。そう、今度こそ。

 そんな思いが、弓を、投石紐を、そして弭槍の切れを鋭くする。村人を襲い、その命を奪う怪物。それが、故郷の山に潜んでいる。熊か、狼か、それとも、魔物か。その正体がわからぬという事は、当然、正体を突き止める前にやられてしまったのだろう。

 そんな得体の知れない相手、もしかしたら、祈らぬものの眷族かもしれないものを相手にする、初めての依頼。地下下水道最深部の時のような、偶発的な遭遇戦ではなく、その正体を突き止め、仕留めること。

 あの時は、たまたまケルベロスの気まぐれで事なきを得た。けれども、今度はそう都合のいい話が起る道理はない。あの村には、父と同じように、兵役を経験した男衆が何人もいた、それがことごとく返り討ちに会うという事は、そういうことだ。

 そんな思いが、無意識の恐怖となって、今さらのように足元を蛇のように這い上ってくる。そして、それを振り払おうとするように、弭槍を振るう動きがついがむしゃらになる。

「あっっ!?」

 雪の下に隠れた石を踏み、軸を崩した半闇狩人は勢いのまま雪の上に倒れ込む。そして、雪が降り落ちる鉛色の空を見上げながら、思い出したかのように荒い息を吐き出す。恐怖感が鈍らせていた疲労、それが一気に噴き上がる。

 その時、雪を踏んで此方へ駆け寄ってくる足音。その方向に目を動かすと、黒い外套に身を包んだ下に覗く、黒いサレットヘルムと面頬。師かとも思ったが、それより一回り低い背格好。そして、半闇狩人に駆け寄った軍団員は、彼女の手を取って引き起こすと、背中や髪についた雪を優しく払い落とす。

「あ………ありがとう、ございます」

 そうだ、思い出した。あの時、パンケーキの夜食を差し入れてくれた伍長さんだ。そういえば、お洗濯ものも代わりに干してもらったのに、まだお礼を言っていなかった。

「あ、あの、この間はお夜食、ありがとうございました。それと、お洗濯ものも代わりに干してもらってすみませんでした……!」

 そんな半闇狩人の言葉に、伝令伍長は、気にするな、というような仕草で兜を振りながら、外套の懐から、焼いた川石を幾重にも帆布に包んだ懐炉を半闇狩人に手渡した。

 疲労と寒さで強張る指先へ、じんわりと伝わる温石の温もりに、半闇狩人の頬が無意識に緩む。そうだった、近場だからと割り切っていたけれど、一番これが大事だった。

「あの、伍長さん、いつもありがとうございます」

 懐炉を両手で包み持ちながら、半闇狩人はぺこりと頭を下げる。そして、伝令伍長もそれにうなずきつつ、何かに気付いたように振り返ると、半闇狩人に小さく手を振ってから雪の中を駆け出し、その姿はやがて見えなくなった。

「やあ、おつかれさま」

 入れ替わるように声をかけられ振り向くと、そこには外套姿の副軍団長が手を振りながら歩いてくる。

「こんな雪の中でも稽古かい、本当に熱心だね、君は」

「は、はい、ありがとうございます」

 幾分緊張気味に答える半闇狩人の様子に、副軍団長は、それもやむなしとほろ苦く笑う。なにしろ、つい先ほどあれだけ嫌な思いをさせてしまったのだから。まだ、姉のようにさっぱりと切り替えられることができたら、と思う。

「ちょうど、ここの施設長に用事があってね」

「は、はい」

「そうしたら、君が稽古をしているのが見えてね。用は済んだから、姉さんが君を呼んで来いというものだから」

「そ、そうだったんですか?すみません、お手数をおかけしてしまって………」

 やはり、父や姉に対するものとは違い、どこかぎこちない様子。彼我の距離感を図りかねているのは仕方のない事。しかし、副軍団長は、彼女に言わなければならないことを伝える。

「いろいろ不安に思わせたかもしれなかったけど、君には、本当に悪いことをしてしまったと思っているんだ」

「え………?」

「僕は、姉さんと違って、どうにも疑り深くてね」

 副軍団長は、困ったように笑いながら、一瞬、雪の降り落ちる空を見上げる。

「回りくどいことをして、姉さんを怒らせて君を不安にしてしまった事を謝りたいんだ。君とは、これから一緒に任務………いや、冒険に出かける仲間なんだから、気まずいままでいたくなかったんだよ」

「副長様、大丈夫です、軍団長様にもお話しましたけど、だれだって驚くのは当たり前なんです」

そう言って、半闇狩人は、困ったような笑みを向ける。

「自分のお父様が、知らない人と一緒にいたら、誰だって気になります」

 だって、わたし、こんなですから。

 自分が半闇人だから、そんな、声に出さない言葉。そんな心の声を感じ取った副軍団長に、寂し気な表情が浮かぶ。

「これも、軍団長様にお話したことなんですけど、大丈夫です、お師匠様のご家族なんですから、悪い人じゃないって思ってました」

 そんな半闇狩人の顔に、さっきまでの憂いを塗り潰すような笑顔が浮かぶ。それに引き込まれるかのように、副軍団長の顔にも、年相応の青年らしい笑顔が浮かんだ。

「ありがとう」

 そんな半闇狩人に、副軍団長は素直に頭を下げる。

「そう言ってもらえると、救われるよ」

「そんな、わたしは………」

「さあ、そろそろ建物に入ろう。早くしないと、また雷が落ちてしまう」

 冗談混じりの言葉を口にしたその時。

『人ひとり呼ぶのに、いつまでかかっている!早く戻ってこい!!』

「ほらね、さあ、それじゃいこうか」

「はい!」

 

 

 その翌日、昨日の降雪が嘘のように晴れ渡る。そして、新人訓練所では、普段は新米冒険者たちが稽古に励む広場に、今日は異様な一隊が黒く四角い塊を形作っていた。

 そして、その向こう正面には、完全装備の女軍団長が指揮杖を手に四列横隊を睥睨し、その隣に控えるのは副軍団長。そして、退役軍人と半闇狩人は、その一段後ろの貴賓席待遇の椅子に腰かけてその様子を見守っている。

「注目!」

 副軍団長の号令に、休めの姿勢で待機していた軍団員は、一斉に寸分違わぬ動作で直立の姿勢を取る。そして、怒涛のようにざんと鳴る靴音に、半闇狩人はびくりと肩を動かす。

「怖がらなくても大丈夫だよ、彼らにしてみれば、なんてことない動作だからね」

「は………はい」

「軍団長訓示!」

 副軍団長の、あの穏やかな物腰からは別人のような、面頬越しでも響き渡る雷鳴のような声に、半闇狩人は瞬きを忘れて部隊指揮の様子を見守る。

「み……みなさん、凄いですね」

「そうだねぇ、どこで誰が見ているかわからない。だからこそ、気を抜くわけにはいかないわけだからねぇ」

「馬鹿にされないため………ですか?」

「それもあるけどねぇ、彼ら軍隊は、そこにいるだけで怖がられなきゃ駄目なんだよ。敵になるかもしれない国、世の中を脅かす集団、いつか相手にするかもしれないものに対して、喧嘩を売ったら高くつく、目をつけられたらおしまい、そう思わせるのも仕事だからねぇ。だから、どれだけ自分達が高い練度を持っているかを示すわけなのさ」

 退役軍人の言葉に、半闇狩人は緊張した面持ちでうなずく。師がかつて身を置き、そして率いていた軍団。女軍団長に言わせれば、まだまだほんの一部という話。しかし、冒険者とは全く異質の空気を漂わせる彼ら。

「だから、私は早く隠居したかったのさ」

 そんな半闇狩人の心を読み取ったような、いつもの調子の言葉。しかし、そこに混じる、微かな苦い色。

「そういう家に生まれてしまったから仕方なかったけど、あまり私に向いている仕事じゃなかったからねぇ」

 女軍団長の訓示を聞きながら、退役軍人は苦笑交じりに語る。

「まあ、世の中には、こういう稼業に向いている人たちが必ず一定数いるものだからねぇ」

「一定数………ですか」

「うん、だから、どんなことがあっても、こういう仕事は回るものなのさ」

 そう呟きながら、退役軍人は寒風吹きすさぶ中、今回の任務について心構えと意義を説く女軍団長をみやる。それはまるで、自分自身に対しての覚悟を問うような言葉。

「でも、いなくちゃ困るものなのさ」

 退役軍人の呟くような声は、冷気の中に絡めとられるように静かに消える。しかし、半闇狩人の耳が、それを聞き洩らす筈もなく。

 その、様々な感情が入り混じった師の言葉に、彼女の時間が一瞬止まる。それでも、ややあって再び響き渡る女軍団長の玲瓏たる声に、すぐさま現に引き戻された。

「よし、では、志願者は、1歩前へ!!」

 訓示を終え、再度姿勢を正した女軍団長の号令と同時に、整列する黒の軍団は、壁が移動するかのように全く同じ歩幅、全く同じ瞬間で全員が一歩前に出る。

「待て待て待て、こんなにいらん。元の位置に戻れ、直れ!!」

 ある程度予想していたとはいえ、まさかここまでとは。号令をかけ直し、女軍団長はもう一度号令をかけ直す。

「もとい、志願者1名、1歩前へ!!」

 そして、また同じように、全く同時に、全く同じ歩幅で移動する、黒い鋼鉄の壁。

「………貴様達、私の話を聞いていたか?志願は1名でいいと言っただろう!?これが最後だ、総員、直れ!もとい、志願者は1歩前へ!!」

 そして、全く同じようにくりかえされる壁の移動。

「むぅ………これでは、話にならんぞ」

 パンケーキのお預けを言い渡された三頭獣のように唸る女軍団長、しかし、面頬にかくれたその顔は誇らしげに緩む。我が父上なのだ、これほどまでに敬愛され崇敬されている、当然だ。しかし、このままでは埒があかない。さて、どうしたものか。

 そして、その様子を後ろから眺めながら、退役軍人は楽しそうに笑う。相変わらず、愚直なまでに忠実、そして高い士気。実に頼もしく、そして有り難い、心から感謝すべき若者達。しかし、このままでは、我が娘の言う通り、話が前を見ないのも事実。

「君、ちょっと行ってきて、あの子に話してきてくれないかい」

 そういって、退役軍人は中身の入った革袋を半闇狩人に手渡す。じゃらり、と音が鳴るその袋の中には、普段彼がたしなんでいる、東方の遊戯盤の黒い碁石が入っている。そして、あらかじめ手にしていた白い碁石を半闇狩人に見せ、それを袋に入れた。

 その様子に、師の意図を理解したようにうなずく半闇狩人。そして、退役軍人は女軍団長に声をかけた。

「ちょっといいかい、ひとつ提案があるのだけどね」

「はい、なんでしょうか、先代」

「うん、私の弟子が説明するから、聞いてやってくれないかい?」

「承知しました、先代」

 退役軍人の言葉にうなずく女軍団長、そして、その傍らに、半闇狩人が小走りで駆け寄る。

「それで、おまえの話とは、なんだ?」

 言葉遣いとは裏腹に、これ以上ないくらい優しい声。そして、半闇狩人は、碁石を入れていた革袋を女軍団長に差し出した。

「は……はい、お師匠様も、皆さんのお気持ちはよくわかったとのことです。それで、くじ引きはどうかとのことです。この中に1個だけ、当たりを入れました。白い碁石を取った人が、参加するというのはどうでしょうか………?」

「何………?」

 おずおずと、遠慮がちに提案する半闇狩人を前に、女軍団長は、今すぐにでも抱きしめたい衝動を訴えるもうひとりの自分を懸命にねじ伏せながら、その金色の瞳を見やる。

「名案だ!うむ、流石、先代。そして我が妹、心得ているではないか!………よし、聞け!貴様達!今から我が妹が籤を配布する!各員、ひとつずつ碁石を受領しろ!!」

 女軍団長の号令に、黒の軍団にざわめくような緊張の波が走る。そして、80個の紅い視線が、一斉に半闇狩人に集中する。

「ど………どうぞ」

 ひとりひとりが見上げるように大きい、まるで黒鉄の城の前に立ったよう。そんな黒の軍団の前に立ち、半闇狩人は、駒石を入れた革袋を差し出し、軍団員もその中から、これぞ、と願う石を手探りでつまみ上げていく。

「よし、総員、全て行き渡ったな」

 女軍団長の言葉に、全員が全く同じ呼吸で碁石を握った拳を上げる。

「では、総員確認!白の碁石を引いたものが、本作戦の要員とする!!」

 女軍団長の号令で、やはり一斉に手を下ろし、我が掌の碁石を確認する軍団員。そして、ややあって、ひとりの軍団員が隊列の中から、前に進み出ると、掌の上にある、白い碁石をおもむろに女軍団長の前に示して見せる。

「伍長、貴様か」

 女軍団長の言葉に、当たりの礫を引き当てた伝令伍長は。白い碁石を握り締めた拳を力強く頭上に掲げる。

「よし、貴様は伝令として同道してもらう。手際を見せろ、いいな」

女軍団長の言葉に、伝令伍長は、直立不動の姿勢をとり、これ以上ない程の力強い敬礼を捧げた。



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