塩見周子に養ってもらうお話 (skaira)
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第一話

 ここはとある女子大生の部屋。

 

「友達に、大学は何のサークルに入りたいかって聞かれたんですよ」

「なんて答えたの?」

「元々テニスをしてたんで。テニスって答えて」

「定番だね」

「そしたらヤリモクとか言ってきて。不純ですよね」

「ははっ、酷い話だ」

 

 けらけらと彼女は笑う。

 僕はいくらか悲痛な思いでこの話題を振ったのだが、彼女はそれを欠片も感じ取れていないようだった。

 朝の十時だというのに、部屋は真夜中のように暗い。照明はあるのだが、僕も彼女もそれを点ける気力が無いのだ。

 昨晩、それこそ真夜中まで起きていたから。

 

「しかしまあ、実際のところはどうだった?」

「……どういう意味ですか?」

「ヤリモク、不純だと思う?」

 

 目線を落とす。

 この真っ暗な部屋でさえ、彼女の白い脚は映えて見える。

 視線に気付き、えっち、とひとこと言って彼女は布団の中にそれを隠した。

 

「……まあ、これが目的でサークルに入る人も、いるんじゃないですか」

「あたしもそう思うよ」

「あなた大学行ってるんですか?」

「ありゃ、一本取られたね」

 

 ──まあ、僕も大学は行けないんですけどね。

 その言葉を飲み込んで、ベッドに沈む。今は何も考えたくなかった。幸い証拠になるようなものは何一つ残していないし、僕がここにいることだって偶然に偶然が重なったものだ。

 

 女子大生の名前は塩見周子といった。

 僕は今、その人の部屋に住まわせてもらっている。

 

 

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 

 

 ()()が起きたのは19時間前のことだ。

 僕の家は京都の郊外にある一戸建てで、決して裕福ではなかったが、毎日の食や風呂には事欠かない程度には金があった。

 いや、玄関にデカデカと絵が飾られ、絨毯まで敷かれていたことを考えるといくらか裕福な方だったのかもしれない。ただ、僕や母親に充てられる父親からの金は決して高くはなかった。

 

 父親の仕事はよく知らなかった。単身赴任な上、一日で帰ってくることもあれば一ヶ月帰らないこともあり、家の中でも彼は常に忙しそうにしていたので、仕事のことを聞けそうな余裕など無かったのだ。

 ただ、彼はいつも華美な格好をしていた。ポケットに値札が入っていたのを一度見たが、それには6桁ほどの数字が書かれていた記憶がある。

 

 母親は父親の格好を見る度に小言を言い、彼はそれを煙たそうに流していた。曰く、俺の金だから何に使っても良いだろうと。それでも喧嘩に発展することなどは無かったから、良い夫婦ではあったのだろう。

 

 高校も家庭と同様、上でもなく下でもないところだった。

 しかし、学力的には決して高いとは言えないものの、僕は良い友人に恵まれた。

 朝登校すると彼らは教室の後方で集まっていて、そして僕の興味をそそる新しい話題で盛り上がっていて、それに参加する毎日は楽しかった。

 大学の話題もその一つだ。

 高校三年生になると、先生も、生徒であっても誰しもが受験関連でピリピリとし始める。単語テストで一つわからないものがあっただけで死んだように落ち込むクラスメイトや、逆に受験のことなど一切気にせずクラス内で奇声を発する生徒には僕は酷く辟易していた。

 

 だから、受験という通過点の話ではなく、もっと先の話をしようと誰かが言った。

 サークルの話、研究室の話、ゼミの話、仕事の話。

 中でも、男子高校生なだけあって、女子大生の話は盛り上がったものだ。

 

 三日前、仲間内の一人が言った。

 

(えん)はテニサーに入りたいんだっけ」

「テニス部だからな」

 

 縁というのは僕の名前だ。

 誰とでも素晴らしい絆で繋がれるように、との思いが込められているらしい。

 

「東山にある女子大のテニサー、可愛い子が多いんだってさ」

「……だから、そんな理由じゃないってば」

「またまたぁ。別にお前も朴念仁って訳じゃないんだろ。アイドル好きなの知ってるぞ」

「え」

 

 身体がビクッと反応した。

 今さらアイドルが好き、だなんて理由で決別するような奴らではないのだが。それでも唐突な話には驚くものだ。

 

「小早川紗枝だっけ。ま、可愛いよな」

「……ああ、一年前からファンだよ」

「うわ、そんな前なのか。全然知らなかったよ」

「言ってないからな」

 

 たしかに、と友人は相槌を打った。そしてスマホをスクロールし、思い出したように僕の方を向いた。

 

「ああ、そういえば、俺も好きなアイドルがいた時期があってさ」

「へえ、どこの人?」

「小早川紗枝と同じ346プロ。ってか、あの人と同じユニットだったっけ。いやもうアイドル辞めちゃったんだけどさ」

「……塩見周子?」

「ああ! それそれ! シューコちゃんだよ、そうそう!」

 

 アイドル塩見周子が突然現役引退を宣言したのは、ちょうど彼女が大学生になってからだった。

 

 二日前、両親がこんな会話をしていた。

 

「……てことで……」

「な……!! じゃあ…………!」

「しょうがな……! おれだっ……けど……もう……!」

わたし……。……えん……」

 

 生憎と僕は勉強中で、おまけに部屋は二階にあるものだから、会話は断片的にしか聞こえなかったのだが。

『縁』という単語を言っていることと、喧嘩をしているのは間違いないようだった。

 また、途中途中で、パリン、だとか、ドン、だとか、何かが割れたりぶつかったりする音が響いていた。うちの両親が喧嘩をすることなど生まれて見たことがなかったが、逆にそういう夫婦の方が一度始まってしまった喧嘩は白熱してしまうらしい──と、楽観的なことをその時の僕は思っていた。

 

 喧嘩が収まり、数分後。

 部屋のドアがノックされ、随分とやつれた顔をした母親が姿を現した。

 

「縁、ごめんなんだけどさ、明日ちょっと友達の家に泊まってくれない?」

 

 僕はいいよ、と二つ返事で承諾した。

 きっと今日の喧嘩の続きをするのだと思っていた。それならば僕がいては(どうやら喧嘩の内容に僕も絡んでいるようだし)邪魔になる。それに、何より僕自身がそんな家庭に身を置きたくなかったのでその提案は僥倖だった。

 

「……ほんとに、ごめんね、ほんとに、ほんとに」

「いいって」

 

 母親の目に涙が溜まっていたのを、僕は見逃した。

 

 昨日。

 僕は例の友人の家に泊めさせてもらうことになった。

 急なお願いではあったが、これもまた友人は二つ返事で承諾してくれた。どうやら家庭でも普段から彼は僕の話をしているらしく、彼の家も僕を好意的に受け入れてくれて、その日の夕食は普段よりも美味しかったのを覚えている。

 

 僕らの会話は非常に弾み、それは深夜にまで及んだが、さすがに明日も学校があるからと十二時でそれはお開きになり、寝ることにした。

 が、その日の夜はとても騒がしかった。

 彼の家は僕の家の近くにあり、住んでいる家庭が中流から上流階級なのもあって騒音などはほとんどない。

 強いて言うならば、二日前のような夫婦喧嘩くらいのものだろう。しかしこれらの音は喧嘩の()()とは全く違うものだった。

 

 いや、喧嘩といえば喧嘩なのかもしれないが──言うなれば、抗争、といったところか。いずれにせよ、こんな住宅街で起こるような音ではなかったのだ。

 昨晩の両親の件もあり僕も少し不審に思ったのだが、その音は十分程で収まりすぐにいつもの閑散とした住宅街に戻ったため、彼とは少し激しい夫婦喧嘩だったんだな、と笑いあって再び床についた。

 

 しかし、妙にその日は眠れなかった。

 後々になって考えてみると、僕にも虫の知らせというものがあったのだと痛みいる。深夜三時、僕は友人の家を出た。翌朝友人とその家族はいなくなった僕に何を思ったのかわからないが、間違いなくこれは正しい選択だった。

 

 家の前に行くと、庭の花が痛ましく踏み荒らされていた。

 ドアに触れると鍵はかけられていなかった。

 鍵穴には随分と傷がついていた。こんな傷は今まで無かった。

 玄関にデカデカと飾られていた絵は消えていた。

 靴箱の中の靴は、大半が消えていて、残りはズタズタに引き裂かれていた。

 リビングの絨毯もなくなっていた。あれは確かペルシャ絨毯で、売ればかなりの額になると父親が言っていた記憶がある。

 電話機や電子レンジ、オーブン、デスクトップPCも全てなくなっていた。代わりに、カーテンや衣類など、金にならなそうな物は全て切られていた。

 

 ──そして、両親はいなくなっていた。

 

 これが『夜逃げ』と『取り立て』であると僕が気付いたのは随分と後になってからだ。

 きっと父親は、多額の借金を色んなところ──おそらくは、世に言う闇金融から背負っていたのだろう。これで僕や母親に回ってこない金、無駄に贅沢な装飾品の説明はつく。

 僕は力が抜けて座り込んで、しばらくの間立てなかった。しかし落ち込む暇などは無かった。この惨状を見るに、おそらく取り立て屋は両親を見つけることができなかったのだろう。

 であれば、次に矛先が向くのは僕に違いない。理解できていない身体に鞭を打って、必要なものを全て持って外に出た。

 

 行く場所に何か心当たりがある訳ではなかった。

 友人の家はもう無理だ。どんな迷惑をかけるか分からないし、何より巻き込んでしまうかもしれない。

 警察に行くことも考えた。ただ警察に行ってしまえば間違いなく僕は施設送りになる。通っている高校には行けなくなる。それだけは嫌だった。

 

 いやはや全くもって、こうなった以上いつも通りに学校など行けるわけがないのに。

 

 八方塞がりとなった僕は、気の向くままに神社に行った。

 僕の住む街──京都にはバカみたいな量の神社があるものだから、全部に神頼みすればどこかの神様は助けてくれるだろう、なんて、それこそバカみたいな考えだった。

 

 しかし、神様は確かにそこにいたのだ。

 初めに行ったのは、もう誰も手入れをしていないような草臥(くたび)れた神社だった。こんな時間でも神社に来る人は来るものだ。罰当たりな話だが、大きな境内のある神社は酔った大学生の遊び場にもなっている。

 そういった場所を避けて探していたら、偶然見つけたのがそこだった。

 

 時間はもう深夜の四時を回っていただろう。

 百段はあろうかという階段を、疲労を覚えながらも一歩一歩進んでいった。こんな階段を上るくらいならこの神社でなくても良いだろう、と感じてはいたものの、ここで諦めてしまえば何もかもが終わってしまうような心地がして、息を荒らげながら上を目指した。

 

 そして、境内に入ると。

 見事にそこは苔と落ち葉が群がっていて、(予想通りではあったが)流石の僕も思わず後退りしてしまった。

 その時、背中が何かにぶつかった。

 

「わっ。お客さん? こんな時間に珍しいね」

 

 僕もびっくりして振り返った。

 まず目に入ったのは、こんな夜中であっても白く映える肌だった。

 ──そして何より、聞き覚えのある声だった。

 

「……塩見、周子?」

「あら、元ファンの人かな? ありがとね」

「いや、えぇ……? なんでこんな時間、いや、なんで神社、いや……」

「ああ。ここうちが管理してる神社だから。あたしがここにいるのはただの深夜徘徊」

 

 にゃはは、と彼女は笑う。

 有り得ない話だ。普通なら。

 だが、アイドル塩見周子は確かにこんなイメージだった。小早川紗枝でも島村卯月でも有り得ない話だが、塩見周子ならば有り得る話ではあった。

 

「……死ぬ前にアイドル拝めただけでも良しとするか」

「え、キミ死ぬの?」

「まあ。ついさっき、両親が蒸発して」

 

 両親が蒸発して。

 自分で言っておきながら笑いが出てきた。漫画や小説の世界でしか見たことのないセリフをまさか自分が言うことになろうとは。

 そのまま僕の口はよく回り、学校は良い友人に恵まれていたこと、両親の仲は良くはなかったが悪くもなかったこと、そんな両親はいつの間にか借金を背負っていたこと、家はボロボロに荒らされていたこと、おそらく取り立て屋が僕のことを探していること、などなど全てを彼女に話した。

 彼女は口元に笑みを浮かべながらそれをずっと聞いていた。

 そして、一通り話し終わったあと、息も絶え絶えになった僕に彼女が言った言葉とは。

 

「へぇ。じゃあさ、ウチ来る?」

「……なんでですか?」

 

 というものだった。






続くかも


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